ようこそ未熟者がいく教室へ (にやまな)
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実力主義の教室
多分神様が作ったタイプの天才


ぶっ壊れ気味のオリ主を暴れさせたい、よくあるよう実二次小説です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路、人生には三つの大切なことがあるらしいんだ。

 

 これは師匠からの受け売りなんだけど、その三つは憧れと恋と夢らしい。憧れだけだと届かず、恋だけだと続かない、夢だけじゃ意味が無い。

 

 一つ知るだけでは未熟者、二つ知るだけでは半端者、三つ知ってようやく一人前らしい。

 

 だから君はこの三つをまず探してみるのはどうかな? もし三つ全てを揃えることができたなら、その時は――。

 

 

 

 

 

 君は間違いなく無敵になれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

師匠は言った、勉強しろと。

 

師匠は言った、真面目に過ごせと。

 

師匠は言った、他者には敬意を払えと。

 

師匠は言った、力には責任が伴うと。

 

師匠は言った、やるなら勝てと。

 

 

 

 

師匠は言った……掴んだら必ず壊せと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が幸運な人生を歩んでいると気が付いたのはいつ頃だっただろうか?

 

 乗っていた飛行機が墜落したのに自分だけが何故か生き残った時だろうか? それとも宝くじを買うとどういう訳か一等が当たった時だろうか?

 

 何であれ自分は幸運だと思う。恵まれた人生を進んでいると考えている。親は飛行機事故で死んでしまったが、道を見失うことなく指し示す人がいてくれた。

 

 うん、幸運なんだと思う、特に人に恵まれた今では納得している。

 

 人生で重要なのは憧れを見つけることだと師匠は言って、その憧れをまさに宿してくれる人であった。そんな尊敬できる人に拾われて進める人生はまさに幸運だろう。

 

 色々と突飛で、うん、少しアレな人であったけど、胸に宿った憧れと尊敬は変わることはない。

 

 当然だ、師匠は人生で大事なことの全てを教えてくれる、土下座から戦車の壊し方まで何もかもを、そんな人なのだから。

 

 そんな人の勧めで俺は今日、晴れて高校生になる訳ではあるが、さっそく問題に直面している。

 

 人が沢山いるバスの中でいかにも体力の無さそうな老婆が来た時、健全な男子高校生が取るべき行動は?

 

「よろしければどうぞ」

 

「あぁ、ありがとう」

 

 老婆は穏やかに微笑んで感謝を述べると、懐から飴玉を取り出しお礼とばかりに渡してくれた。

 

 百点満点の行動だろう。もしここで知らぬ存ぜぬと無視していればきっと師匠の貫手が俺の脇腹を抉っていたに違いない。

 

 暴力は駄目だとうるさく指導してくるのに、自分はやけに手が出るのが早いのだから考えものである。まぁ、そんな所も可愛らしい人ではあるんだが。

 

 桜が舞い散る中をバスは進んで行く、向かう先はこれから俺が通うことになる高校、正式名称は確か高度育成……何だったかな?

 

 師匠が言うには将来の日本を背負って立つに相応しい人物を育てる教育機関であるらしい。

 

 そもそも学校というのがよくわからない俺にとって、ここがこんな高校だと説明されてもイマイチわからないし、もっと言えば小学校も中学校もまともに通っていない身なのでそもそも受かるかどうかもわからないのだが、師匠曰くここの学園長や理事とは知り合いらしく、ごり押したらしい。

 

 さすが師匠だ、やはりあの人は凄い。

 

 脳内できらりと輝く歯を見せてニヤつく師匠の顔を思い浮かべながら、俺はバスからおりていよいよ高校の門を潜る。

 

「……高校か、青春という奴だな」

 

 俺の持つ知識や考えは全て師匠譲りであるし、やはり小学校も中学校もまともに通っていないので学生生活というのには少なからず憧れがあった。

 

 友人と何気ない会話に花を咲かせて、好きな女子を語り合ったり取り合ったり、後はスポーツに汗を流したり、それは素晴らしいものだと師匠が説明してくれたっけな。

 

 ふふふ、良いじゃないか、実は制服というものにも憧れていて、ブレザーとネクタイを身に纏った時は不思議な高揚感に包まれたものである。基本的に師匠がくれた防護服とジャージしか持っていなかったので、この制服というのはとてもオシャレで格好良くみえたものである。

 

 師匠曰く、制服デートこそ青春らしい。

 

 自分と同じように真新しい制服を着て校舎に向かう人々は新入生だろうか、誰も彼もキラキラと輝いているように見えるのは、おれが学生というものに少しばかり憧れと言うフィルターを通して見ているからだろう。

 

 彼らと比べて自分はこの制服がちゃんと似合っているだろうか? そんなことを考えながら指定された教室に向かっている最中に、やけに可愛らしい声がかけられた。

 

「お~い、そこの人!!」

 

 振り返るとそこにいたのは……うぉ、眩しいッ、朗らかで愛らしい笑顔を浮かべて話しかけて来る女生徒の姿がッ。

 

 師匠以外の女性と接する機会の無かった俺にはどうにも眩しく感じられてしまう。あの人も美しくはあったのだが、抜き手と膂力の印象が強すぎてイマイチ女性らしさを感じられなかったからな。

 

「あ、やっぱり、バスでおばあさんに席を譲ってた人だよね? すぐに行動に移してたから凄いやって思って、あんなに堂々と行動できるなんて本当に凄いね」

 

「師しょ……恩師に他者には敬意を示せって教えられたんだ。きっとあそこで席を譲らなかったら俺の脇腹は……」

 

「わ、脇腹? ええっと、私は櫛田桔梗って言います。君の名前も教えて欲しいな?」

 

 穏やかに、そして愛らしく微笑む女生徒、櫛田桔梗の問いかけに俺は素直に応じた。

 

 師匠曰く、挨拶は大事。

 

天武(てんぶ)です。苗字は笹凪」

 

「笹凪天武君、カッコいい名前だね!!」

 

「ありがとう、櫛田さん、君の名前も美しいよ」

 

 師匠曰く、褒めるのも大事。

 

「え、そう? ふふ、ありがと、笹凪君ってお世辞が上手なんだね」

 

「お世辞じゃないさ、俺は君のこともその名前も美しいと思っている」

 

「あはッ、もう、そんなに褒めたって何もでないんだから」

 

 少しだけ照れたように、しかし悪い気分にはならなかったのか、櫛田さんは身を僅かに捩りながら頬を赤くする。

 

 おぉ、女性は褒めろと言った師匠の言葉は正しかった、さすが師匠だ。

 

「あ、もしかして、同じクラスかな?」

 

「そうみたいだね、櫛田さんも1-Dみたいだし、これから宜しくお願いします」

 

「もちろんだよ。良かった、笹凪君みたいに優しくてカッコいい人が一緒のクラスで」

 

 そう言って櫛田さんは俺の両手を掴んでブンブンと力強く握手をしてくる。柔らかくていい匂いがして、火薬の匂いとやけに固い指の感触しかない師匠とは大違いであった。

 

 眩しい、こんなにも可愛らしい子がこの世にいたなんて、何故師匠はもっと早く学校に行けと言ってくれなかったのだろうか。

 

 いや、師匠に逆らうべきではない、きっと崇高な目的があったに違いないのだから。

 

 教室の前でそんなやりとりをした後、扉を開いて中に入っていくとクラスメイト達の姿が確認できた。

 

 新入生であり、顔見知りなどいないこの状況、誰もが僅かな緊張と好奇心に満たされている様子であり、きっと俺もその内の一人なのだろう。

 

 教室に入って来た俺と櫛田さんに様々な視線が突き刺さる。そして様々な感情も推し量ることができた。

 

 これから一年お願いします、そんな意思を示すかのように僅かに頭を下げた俺は、さっそくとばかりに視線を教室全体に走らせていく。

 

「……」

 

 見知らぬ場所に来たらまず、しっかりと観察しろとは師匠の言葉。脱出経路と死角、遮蔽物の有無、そして監視カメラなどの位置。

 

「……やけに多いな」

 

 小さな呟きは誰にも聞かれなかった。

 

 まず最初に目が行ったのはクラスメイトではなく教室を監視するかのように配置された目立たないカメラたち。

 

 ここに来る前にも学校中に配置されていたのは確認しているので驚きこそないが、どうしても気にはなってしまう。

 

 ただ普通の学校というものを知らない俺には、それが異常であるか正常であるかの判断がつけられなかった。ニュースなどでも最近は色々と教育機関も敏感になっていることは知っているので、いじめ対策などの一環かもしれない。

 

 これだけ監視カメラがある学校ならば、馬鹿なことをすればよく目立つし、証拠も山ほど出て来るだろう。いじめ問題を放置するよりはずっと良いはずだ。

 

 そんな納得をしながらも俺は自分に与えられた席に進んで行く。窓際最後方の一つ前の席である。

 

 鋭い印象を与える黒髪の少女、その隣の席にはどこか気の抜けた印象を与える茶髪の少年がいた。

 

 なにやら会話をしているようだが、穏やかな雰囲気は皆無で、寧ろ牽制しているような印象すら感じられてしまう。

 

 入学早々険悪な、いや、そこまでではないか。

 

 窓際後方付近にある席に近づいていくと、一つ後ろの席に座っている茶髪の少年がこちらに気が付く。

 

 すると当然ながら俺の視線も彼に向かい、お互いの瞳がお互いを映し出す。

 

「……」

 

 最初に感じ取ったのはこちらを観察するような視線である。それは入学初日ということを考えれば当然のことであり、彼以外にも他のクラスメイトも似たような視線を向けて来ているので別におかしなことはない。

 

 ただ、なんだろうな。

 

 不思議と彼とは初対面といった感じがしない。毎日朝起きて顔を洗った時に、鏡に映る自分を見ているかのような、そんな気分になる。

 

「こんにちは、いや、おはようかな? 席が近いようだし宜しくね」

 

 席に座る前に話しかけると、茶髪の少年はビクッと体を反応させて少しだけ驚いたかのような様子を見せる。どうやら話しかけられるとは思っていなかったらしい。

 

「あ、ああ、宜しく頼む」

 

 そしてどもりながらぎこちなく挨拶をしてきた。誰かと接することにあまり慣れていない、そんな印象を与えて来る挨拶だ。

 

「笹凪天武です。ご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、席も近いクラスメイトとなります、宜しくおねがいします。良ければ君の名前を教えてもらいたい」

 

 席に座ってからも丁寧にあいさつ、師匠曰くご近所付き合いは大事。

 

 こちらの丁寧で、クラスメイトに向ける挨拶としてはやけに固いそれに困惑したのか、目の前の少年はやはり戸惑った様子で言葉を選んでいる。

 

 無表情ではあるが、どんな挨拶が適切なのか、それを悩んで考えているのかもしれない。

 

「綾小路清隆だ……ええっと、ご迷惑をかけることもあるかもしれんが……宜しく頼む」

 

 熟考した結果、同じような挨拶を返して来た。

 

「綾小路清隆……なるほど、カッコいい名前だね」

 

「そうか? よくわからないが」

 

 さきほどの櫛田さんと違ってあまり反応がよろしくない。というよりは無表情なので喜んでいるのか照れているのかもよくわからない。

 

「笹凪は……さっき女子と一緒に教室に入ってきたが……あ~、知り合いなのか?」

 

 綾小路はたどたどしく会話を広げようとしている。やはり会話が上手くないのかとにかく手探りといった感じであった。

 

「知り合いと言えばそうなのかもしれない。ここに来る前に少し話してね、その流れで一緒に来たんだ」

 

「そうなのか……なんというか、凄いな……初対面の相手と流れで行動できるなんて」

 

 そんなに難しいことだろうか? いや、人付き合いに関しては個人差があると師匠が言っていたな。綾小路は会話を手探りで探っているような印象を与えて来るので、きっと苦手なのだろう。

 

「そうでもないよ。入学初日なんだし、誰もが初対面なんだから、皆がある程度の緊張がある。どう話せばいいのか、どう接すればいいのか、きっと誰もがそう考えている、少しだけ踏み込んでみれば案外会話も広がるものさ」

 

「そういうものか……そうらしいぞ?」

 

 何やら考え込んだ後、綾小路の視線は近くの席に座る黒髪の少女に向けられた。

 

 俺の言葉を聞いてどうやら勇気ある一歩を踏み込もうとしているらしい。ただ彼の顔には無理だろうなという奇妙な納得があるようにも見える。

 

 先程、少しだけ会話をしているようにも見えたが、撃退されてしまったのだろう。

 

 実際に、文庫本に視線を落とすこの少女からは、近づく者全てを遠ざけようとするハリネズミのような雰囲気があり、話しかけるなと言葉もなく説明しているようにも思えてしまう。

 

「……」

 

 綾小路の言葉は無視されてしまった。

 

「……オレには、難しいのかもしれない」

 

 無表情ではあるが、どこか気落ちした様子は憐れみを誘った。

 

「ええっと、笹凪天武です。ご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、どうか宜しくお願いします」

 

「……」

 

 そして俺も無視されてしまう。

 

 綾小路と視線が結び合う、どうしたものかと。

 

 ただ会話が苦手な様子の彼にはこれ以上踏み込むだけの勇気がないらしい。

 

「よければ君の名前を教えてくれないかな? 席も近いから不便だろうし、いつまでも君って言うのもね」

 

 帰って来たのは溜息である。何故だ?

 

「……話しかけないで欲しいのがわからないのかしら?」

 

「そこに関しては申し訳なく思う。俺もズケズケと踏み込むつもりはないよ。けれど、君の名前を知りたいという思いに嘘偽りはない……お前や君と呼び続けるのも失礼だろう?」

 

「……堀北鈴音よ」

 

「……おぉ」

 

 綾小路が小さく感心したような声を上げる。彼の中では堀北さんと会話を成立させたことはそこまで驚くようなことなのだろうか?

 

「よろしくお願いします堀北さん、隣人としてお願いするね」

 

「よろしくするつもりはないわ……私は一人が好きなの」

 

「みたいだね、でも挨拶を受け入れることくらいは別に構わないだろう? 恩師曰く、挨拶は大事だって話だから」

 

 返事はなかった。読んでいた文庫本に視線を落としてだんまりである。

 

 またもや綾小路と視線が結び合う、お前も苦労するなと言いたそうな瞳を向けられるのだった。

 

「綾小路も、隣人であり友人として、これからの学生生活を過ごしていこう。友人はとても大切だと恩師が教えてくれた、俺自身もそうありたいと思っている」

 

 握手をしようと手を差し出すと、彼もまたぎこちなく手を差し出してくる。やはりこういったことに慣れていないからなのか、とても戸惑った様子ではあったが、それでもしっかりと結び合った手を見る限り、堀北さんのように完全に相手との距離を取りたい訳でもないらしい。

 

 きっと友達が欲しいんだろう、俺と同じように。

 

 こうして俺には人生初めての友人ができた。これから長い付き合いとなる綾小路清隆と俺の、最初の出会いである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それにしても、彼の体は凄いな。掌から感じ取れる体幹は深く根を張った大樹のようだ。

 

 

 師匠以外でこんな人がいるとは、世界の広さを知った気分になるな。

 

 

 

 

 

 







高度育成高等学校データベース

氏名 笹凪天武

学籍番号 xxxxxxxxxxxx

部活 無所属

誕生日 1月1日

評価


学力 A

知性 B+

判断力 A

身体能力 A+

協調性 B+


面接官のコメント

学力、知性、判断力、身体能力、協調性、共に突出しており、特に身体能力においては提出された資料から見ても常軌を逸している。総合力も高く面接での受け答えも一貫性があり淀みなく芯のある返答であった。総合力から見てもAクラス配属が妥当であると判断するが、小学校中学校と共に不登校であり基本的に親代わりとなる人物の下でホームスタディをしていたことに加えて、別資料からの懸念事項もあり、社会的道徳性に大きな懸念があると判断、Ⅾクラスへの配属で様子を見るとする。



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人が作ったタイプの天才

もしかしたらよう実二次小説の中で一番ヒロイン力が高いのは綾小路なのかもしれない。


 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 高校生らしい高校生とはなんだろうか、真新しい制服を着てクラスメイトと和やかに会話して、放課後に勉強会したり異性とデートをしたりするのがらしいのか。

 

 観察は大事だ、クラスメイトを一人一人観察していき、らしさを探していく。

 

 女生徒を見て鼻の下を伸ばし、デレデレと表情を緩めて、近くの男子生徒とあの子が可愛い、いやこっちの子の方がと話すのも、きっと高校生らしいと言えるのだろう。

 

 なるほど、ああいうのが高校生らしい振る舞いなのか……オレにできるのだろうか?

 

 とりあえず彼らを参考にしてらしさを学ぶ、異性に興味を持つことは思春期ならずどんな年代でも通じることではあるが、高校生と言う多感な時期は特にそうだろう。

 

 下手に興味が無いフリをするよりは、ああいう雰囲気は寧ろ自然なことなのかもしれない。

 

 参考の一つにはなるだろうとオレは考えた。

 

 次にクラスの中でらしさを学ぶ相手は既に朗らかに女子生徒たちと会話をする穏やかな男である。

 

 あぁいうのを世間一般ではイケメンというのだろうか? 会話も淀みなく顔だちも整っており、なにより笑顔が良く似合う。そしてなにより相手を尊重しようという気持ちが見て取れた。

 

 誰が可愛いか、誰の胸が大きいかと言い合う男子生徒たちとは正反対の紳士的な振る舞いに、既に女子生徒たちは頬を染めている。

 

 なるほど、あれはあれで高校生らしさなのかもしれない。

 

 淫らな妄想に耽るのも、それを感じさせずカッコよく交流を図るのも、或いは緊張しながら踏み出せずにいるのも、全てが高校生らしいのだろう。

 

 そんなクラスメイトたちの様子を観察しながら「普通の高校生」とはどう振る舞えば良いのかを参考にしていると、そいつはやって来た。

 

 教室の扉を開いて顔を出したのはまず可愛らしい女生徒、スタイルが良く容姿も整った彼女を見た瞬間に男子生徒の多くが騒めき出す。

 

 無理もない、あんな彼女が欲しいと誰もが思うだろう。

 

 次に顔を出したのは長身の男子生徒、こちらもまたよく目立つ容姿をしていた。

 

 入り口付近で一緒に入って来た女生徒と一言二言話した後、すぐに自分の席へと歩いていく姿は……なんて表現すれば良いんだろうな、とても絵になっている。

 

 ブレない体幹、ピンと伸びた姿勢、力強くありながら足音を立てない足運び、美しい姿勢とは何かと聞かれたらこれが百点と断言できるような動きであった。

 

 そして容姿も美しい。男に美しいという表現が似合うのかどうかわからないが、中性的な雰囲気があるのでそこまで遠い表現でもないだろう。

 

 美しい男とも、格好いい女とも言える、少し現実的ではない容姿をしているのは間違いない。

 

 目尻にある黒子が妙な色気を出すことを手伝っており……そう、彼を表現するのならば色気のある中性的な人が最も適しているのだろう。

 

 幾人かの女生徒が教室を歩く彼を視線で追いかけているのも無理はない、男子生徒が美しい女生徒を視線で追いかけるのならば、逆だって起こり得る。

 

 そんな色気のある男子生徒はこちらに近寄って来る。どうやらオレの前の席に彼が座るらしい。

 

 視線が結び合う、すると奇妙なシンパシーのようなものを感じ取った。不思議な感覚だ。

 

 そしてあちらもオレを観察しているようにも思える。

 

 このクラスメイトからも普通の高校生はどう振る舞うのかを参考にできれば良いと思っていたし、情報は一つでも多い方が良いので席が近いのはありがたかった。

 

 笹凪天武と名乗った彼は、とても話しやすく気さくな人物であったことも、幸運であった。

 

 穏やかで、親しみやすく、何より会話がしやすい……これが一番重要だ。

 

 クスクスと笑う仕草も絵になっており、やはり独特の色気を醸し出す天武から普通の高校生とは何かと参考にできるものが得られないかと考えながら最後に握手をする。

 

 だがそんな思惑は次の瞬間に消し飛ぶことになる。掌から伝わって来る鋼の塊のような体幹を感じ取ったことでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 普通の高校生として生活するのは思いのほか難しいと感じたのは割と早かった。オレには女子生徒を舐めるように観察する勇気も、朗らかに会話をリードして雰囲気を整えることも難しいらしい。

 

 あのイケメン、平田と自己紹介していた男子生徒は素直に凄いと思う。

 

 初対面であるにも関わらず会話を途切れさせず、百点満点の自己紹介をしてクラス全体の雰囲気を引っ張っていく積極性はオレが持っていないものである。

 

 女子生徒が黄色い声を上げるのもよくわかった。逆に男子生徒からは唾でも吐くような顔をされていたが。

 

 そしてもう一人、クラスの関心を集めたのが笹凪天武であった。

 

 こちらも朗らかな笑顔と淀みない会話で自己紹介を済ませ、多くの女子生徒をうっとりさせたのは間違いない。

 

 平田は黄色い声を上げられていたが、笹凪はごくりと唾を呑むような反応であったので、やはり色気があるという評価に落ち着く。

 

 実際に入学初日が終って初めての放課後になった瞬間、積極的な女子生徒たちからはさっそく声をかけられて遊びに誘われていたのは少し驚いた。

 

 そんな彼女たちに笹凪はのどやかな笑顔を浮かべ、そこに少しの申し訳なさを混ぜながら、放課後は生活に必要な物を揃えたいからと断っていたにも関わらず、何故か反感を買われることもなく「じゃあ仕方ないか」と思われていた。

 

 ここで断ると、所謂ノリの悪い奴として扱われるのではないだろうか? いや、女子生徒たちからはそんなことを欠片も思われていないのは見てればわかる。

 

 因みにオレが声をかけられることは、うん、なかった……。

 

「……いやな偶然ね」

 

「……とりあえず毒づくのは止めにしないか?」

 

 何となしに立ち寄ったコンビニでは席の近い女子生徒、堀北鈴音とばったり遭遇してしまう。入学式でも学校説明でもずっとこの調子であり、自己紹介すら不要と切り捨てて我が道を進もうとするこいつは、笹凪と違って恐ろしい程に会話が続かない。

 

「……」

 

「……」

 

 気が付けば無言になっており、触れがたいオーラを全開にしているので、やはり会話が難しい。

 

 それでも互いに目的があってこの店に来ているので商品を購入しようとするのだが、そこで笹凪天武と出会うことになる。

 

 何やら棚に並べられた商品を見て、顎に手を当てて思案する姿はとても絵になっている。

 

「おや、綾小路に堀北さんじゃないか、一緒に買物かい?」

 

「……何を勘違いしているのかしら、失礼なことを言わないでちょうだい」

 

「……失礼に当たるのか、そうなのか」

 

 胸に来る言葉だ。そこまで関係も深くない相手にどうして堀北はここまで鋭く言葉を突き刺せるのだろうか。

 

「笹凪も買物か?」

 

「うん、これから寮での一人暮らしが始まるからね。きっと苦労することも多いだろうし、色々と必要な物を揃えようと思ってね、綾小路も同じかい?」

 

 口を開けば鋭い言葉で相手を傷つけようとする堀北と異なり、笹凪との会話は苦労も無ければ痛みも感じない。

 

「あぁ、まぁ、似たような感じだ……こういう店にも興味があったからな」

 

「そうだね、色々あって目移りする気持ちはよくわかるよ。俺が育ったのは田舎の山奥だったから、初めてコンビニに入った時は変な興奮があったのをよく覚えている」

 

 

 おぉ、これだこれ、これこそ会話だ。

 

 そんな思いを込めて隣にいた堀北を見てみると、気にも留めないまま彼女は必要な商品を買い物かごに入れていく。

 

「無料……?」

 

 堀北の目に留まったのはどうやら無料商品の棚であるらしい。

 

「あぁ、それね、どうやらポイントを使いすぎた生徒たち向けの品らしいよ」

 

「だとしたら随分と甘い学校ね、毎月十万円……十万ポイントも与えておきながら」

 

「使いすぎてしまう子も多いんじゃないかな……それにまぁ、そもそもポイントを得られなかった生徒への、最低限のライフラインって側面もあるだろうし」

 

「……どういうことかしら?」

 

「うん? いやだって、ポイントがそもそも得られなかったら、飢え死にしてしまうし、学校側だって生徒をわざわざ餓死させたりしないって……ポイントに関して説明してくれたあの担任の先生も、毎月必ず十万ポイントをくれるとは一言も言ってなかったしね。ほら、ホームルームで言っていただろう? 生徒を実力で測るってさ」

 

「……ッ」

 

 笹凪の言葉に堀北は何かを考え込むように思案する。どうやら思う所があったらしい。

 

「この十万は現時点での生徒たちの評価であって、もしかしたらこれから一人暮らしを始める生徒たちへの支度金や支援金みたいな側面もあるかもしれない……来月も同じように貰えると考えるのは少し早計かもね」

 

「……」

 

「まぁ現時点では証拠も何もないし、ある程度調べてみたら茶柱先生にでも質問しにいこうと思ってるよ……というか、そもそも無条件で十万貰えるとか、ちょっと怖いよ」

 

「……それは」

 

 堀北の視線は無料商品と笹凪との間を行ったり来たりしている。仕方がないことなのかもしれない。

 

 そんな時だ、店先でなにやら荒事の気配と声が聞こえて来たのは。

 

「なんだ?」

 

 オレと堀北、そして笹凪の視線は当然ながらそちらに向けられる。どうやら上級生と一年生の間でトラブルが発生しているらしい。

 

 アイツは確か……。

 

「確か彼はクラスメイトだったよね?」

 

「あぁ、そうだな」

 

 長身のクラスメイトと上級生たちはそのまま暫く言い合い――正確にはクラスメイトを煽るだけ煽って馬鹿にしたように店から去って行った。

 

 苛立ちが募ったからなのか、クラスメイトはコンビニのゴミ箱を力強く蹴り飛ばしてその場を去るのだった。

 

 なんというか、沸点の低い奴である。

 

「あんな粗暴な人間と三年間も同じクラスなんて……最悪だわ」

 

「あのまま放置もできないね」

 

 侮蔑を込めた視線の堀北と異なり笹凪は苦笑いを浮かべて散らばったゴミ箱に近づいていくと、ごみを一つ一つ拾い上げていった。

 

「……貴方がそんなことする必要はないでしょう」

 

「いや、目に入った以上はね……それに師匠曰く、ゴミ掃除は大事って話だから」

 

「笹凪、手伝おう」

 

「ありがとう綾小路、助かるよ」

 

 そこでオレと笹凪の視線は堀北に向かうのだが、彼女はこんな時でも同調圧力に屈することなく我が道を行ってしまう。すなわち買い物を済ませての帰宅である。

 

 チラッと視線をゴミ拾いをしている笹凪に向けてみると、特に気分を害した様子もなく、それどころか鼻歌を奏でながら清掃をしているのが確認できてしまう。

 

「なんだか、上機嫌だな?」

 

「うん? そうかもね……この高校に来る前は田舎の山奥にある神社で暮らしていてね、そこでは毎日の清掃が日課だったんだ。朝起きると門前で箒を掃く、ここに来てからはそれも出来なかったから、少し楽しいのかもしれない」

 

「……そういうもんか」

 

「あぁ、毎日の歯磨きや風呂と一緒で日常の中に組み込まれていたことだから、掃除は嫌いじゃない……というか掃除をしないと師匠に殺される」

 

 二人して散らばったゴミを片付けていればすぐに清掃は完了する。

 

「綾小路、少し待っててくれ」

 

 すると笹凪は店の中に入り、数分後に買い物袋を提げて帰って来た。

 

「はいこれ、手伝ってくれたお礼だよ」

 

 袋の中から取り出して差し出して来たのはアイスである。

 

「……良いのか?」

 

「勿論、お礼は大事だ」

 

「そうか、そうだな」

 

 受け取ったアイスはどこにでもありそうな何の変哲もないものであるが、オレにとっては興味深いものであった。

 

 なにせ手に取ったことすらも初めてである。パッケージを隅々まで見渡して最終的に成分量が書かれた項目に行き着く。

 

 保存料や着色料などが書かれたそれを見つめていると、あの場所で出て来ることはまずありえないだろうという納得に至ってしまう。完全完璧な栄養管理とは程遠い食べ物であるらしい。

 

「食べないのかい? もしかして苦手だったかな?」

 

「いや、興味深かっただけだ」

 

「新商品らしいからわからないでもないかな。もしかしたら冒険した味かもしれないし、買うならもっとシンプルで一般的な奴の方が良かったかもね」

 

 袋を破いてアイスの中身を取り出す。棒の先端にアイスがくっ付いている形状のそれは、誰もが思い浮かべる姿なのだろう。

 

 これがアイス、初めてだ。

 

「んッ……悪くないかも」

 

「確かにな」

 

 笹凪もアイスを食べている。唇の端を小さく舐めとる仕草がやけに絵になる男である。

 

 しかしアレだな。

 

 こうして放課後に買い食いするのは、なんというか……。

 

「なんていうか、アレだね」

 

 笹凪の言葉に思考が引き寄せられる。

 

「こうして放課後に買い食いするのって、凄く高校生っぽくない?」

 

「……そうだな、凄く高校生っぽいよな」

 

 これぞ高校生といった感じである、笹凪の言う通り、凄くそれっぽいじゃないか。

 

 オレは今、まさに高校生をしている。

 

 これ以上ないくらいに普通の学生そのものだ。

 

「田舎の出だからなぁ、あっちじゃコンビニも少なかったし、そもそも師匠があんまり小遣いもくれなかったから、こういうのにちょっと憧れていたんだ」

 

 少し照れたような笑顔で頬を掻く笹凪は、大人びた表情とは裏腹に幼げな雰囲気も混ざっていた。

 

「そう言えば、さっきも師匠って単語が出て来たけど」

 

「あぁ、俺には師匠がいる」

 

 師匠、学校の恩師であったり塾の先生とかだろうか。

 

「師匠は凄いんだ。人生に必要な様々なことを教えてくれた。勉強や体の動かし方に作り方、料理のやりかたから礼儀作法まで、俺の人生はあの人が指し示してくれるものだった」

 

 そんな説明をする笹凪はとても楽しそうであり、その師匠に強い思いがあることがよくわかった。

 

「勉強も、運動も、全部あの人から教わった。箸の持ち方から皿の洗い方、挨拶のやり方に他者との接し方、土下座から人の壊し方まで全部だ」

 

「そうか、凄い人なんだな……ん?」

 

「うん?」

 

 最後の方に妙な表現が聞こえたような気がしたが、聞き間違いか?

 

 おそらくそうだろう、さすがに意味不明だったからな。

 

 コンビニの壁に背を預けながらアイスを食う、俺は今日、ここでやりたいことの一つが叶ったのだ。

 

 何より気さくに接してくれる友人と呼べる存在が出来たのは最高である。堀北と異なり会話が無理なく続けられる上に、笹凪は相手を尊重して会話することに慣れているのがよくわかる。

 

 

 これはもう友達と言っても過言ではないのだろう。

 

 

 この調子ならばすぐにやりたいことが叶う筈だ。少し先行きを危ぶんではいたが、普通の高校生活を過ごすのも天武とならば夢ではないのではないか。

 

 オレは今、とても高校生だ。

 

 

 

 

 

 

 



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答えられないは、答えを言っているのと変わらない

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学二日目、まだ授業が始まったばかりということもあり、殆どが方針説明などのガイダンスが基本となっているらしい。

 

 日本最高の進学校であることから高度な授業が進められるようではあるが、明らかに付いていけないと思われるレベルの生徒がチラホラと見受けられるのが1―Ⅾというクラスであった。

 

 教師側の対応もそれを助長しているようにも思える。コンビニでゴミ箱を蹴り飛ばしていた須藤という生徒はさっそく居眠りをしているし、スマホを弄る生徒や授業中であるにも関わらず雑談する生徒すらもいる。

 

 細かく教員が注意すればすぐに真面目に授業を受ける筈なのだが、担任の茶柱先生は勿論のこと、他の先生たちも淡々と進めるだけであった。

 

 これが普通の学校なのか、それともここが特殊なだけなのか、小学校も中学校も不登校だった俺には判断することができないが、教師たちの目は授業を聞かない生徒たちに苛立ちではなく僅かな憐れみの視線を送っているのは気にかかる。

 

 やっぱり情報が必要だな、結局はそこに行き着いてしまう。

 

 まだ二日目なのでそこまで焦る必要もないのかもしれないが、師匠は兵は神速を尊ぶとも言っていた。動くときは素早く動くべきである。

 

 昼休み辺りに動くか、昨日は監視カメラの位置を把握するだけだったが、ポイント関連の情報も知っておきたいし。

 

「よし、お昼だな」

 

 とりあえず上級生辺りに声をかけてみるか。

 

「……」

 

「……ん?」

 

 そう思って立ち上がると背後から視線を感じ取る。そこには捨てられた子犬のような瞳をこちらに向ける綾小路がいた。

 

 いや、無表情ではあるんだが、不思議とそんな印象を与えて来たのだ。

 

「……綾小路、良ければ一緒に食堂でもいかないか?」

 

「……お、おぉ」

 

「でも平田とかの誘いに乗っても良かったんじゃないか? 多分、嫌がられたりしないと思うけど」

 

「いや、あそこには、入り辛いだろ」

 

「そういうものか……うん、まぁ良いか、友達だもんな俺たちは」

 

「ああ、友達だからな」

 

 うん、無表情だけど、少しだけ嬉しそうではあるな。

 

 お昼休みを使って上級生に声をかけるという目論見はここに消滅した。別に放課後でも良いか。

 

 因みに視線を横に向けてみると、近づく者全てを遠ざけようとするトゲトゲしい雰囲気を放つ堀北さんがいる。

 

「ええっと……良ければ堀北さんもどうかな?」

 

「……」

 

 無言である。うん、わかっていてもキツイものがあるな。

 

 まだ付き合いも浅いのに、どうした訳か彼女が笑っている所を想像すらできなくなっている。

 

「もしかして、嫌われちゃったかな?」

 

「安心しろ、堀北はこれで正常運転だ」

 

「そうか、それは良かった」

 

「……貴方達は私の何を知っているのかしら?」

 

 少し苛立ったような声色である。だが反応は返って来たので前進と言えるだろう。

 

「ごめんね、隣人との交友は大事だって言われていたから食事に誘ったんだ」

 

「必要ないわね、私は一人が好きなの」

 

「無理にとは言わないよ……あぁ、でも、ポイントに関して堀北さんの意見は聞きたいかな。昨日の無料商品の棚を見て、何か思うことがあったみたいだし、家に帰ってから色々と考えたんじゃないかな?」

 

「……」

 

 眉を顰めて考え込む、やはり彼女なりに昨日の説明で考えたことや思ったことがあったらしい。

 

「せっかくなら意見交換でもどうかな? 堀北さんの意見を俺は知りたいな」

 

 

「……良いわ、そこまで言うのなら」

 

「嘘だろ……何かおかしな物でも食べたんじゃ、ぐぉッ」

 

 速い、凄まじい手刀だ。堀北さんの指先が綾小路の脇腹を突いた。

 

「意見交換が必要だという彼の言葉に一定の理解を示したに過ぎないわ、勘違いしないでちょうだい。別に貴方たちと昼食を一緒にしたい訳じゃないの、良いかしら?」

 

「はい」

 

 綾小路の返事に俺は思わず笑ってしまった。もしかしたら尻に敷かれるタイプなのかもしれない。

 

「とりあえず食堂に行こうか、多分あそこにも無料の品とかあると思うよ。あのコンビニみたいにね」

 

 三人で教室から食堂に向かおうとすると、耳朶から思考を溶かすかのような甘い声が聞こえて来る。

 

「笹凪くんッ、今からお昼だよね、私も一緒していいかな? 私、前から綾小路君や堀北さんとも仲良くなりたかったんだ、どうかな?」

 

 愛らしい笑顔が良く似合う櫛田さんの登場であった。

 

 なんというか、男子が理想とする女子生徒といった感じの人だよな、あまり近づかれると良い匂いがするので自重してもらいたい。

 

「えっと、櫛田さんはこう言ってるけど……」

 

「オレは良いと思うぞ」

 

「……」

 

 振り返って綾小路と堀北さんの反応を探ってみると……堀北さんからは滅茶苦茶に怪訝な顔をされてしまった。

 

 あれ、もしかして仲が悪い?

 

「あぁ~……ちょっと都合が悪いみたいだ。ごめん櫛田さん、また今度、誘ってくれないかな」

 

「えッ、ダメだったかな、皆とお話したかっただけなんだけど」

 

 堀北さんの表情は変わらない、どころかますます怪訝になっていく。これ以上放置すると一人で昼食すると言い出しそうだな。

 

「ごめんね、堀北さんは人見知りっぽいからさ、すぐに手が出るし言葉はキツイしで、今も脅されて無理矢理従わされているんだ……残念だけど俺と綾小路は暴力に屈してしまって小間使いのように扱われているんだ。櫛田さんを巻き込むことはできないッ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 背後から衝撃、どうやら堀北さんの手刀が俺の脇腹に炸裂したらしい。うん、師匠程ではないな。

 

「また今度、誘ってよ、俺はいつでも歓迎するからさ」

 

「わかった、じゃあまた今度だね、約束だよ?」

 

 そう言って櫛田さんは俺たちから離れていく、去り際の堀北さんに向ける視線が印象的であった。

 

「堀北さんと櫛田さんて……いや、いいか」

 

 踏み込むようなことでもないのだろう、少なくとも今は。

 

「……言いたいことがあるのならばハッキリと言いなさい」

 

 配慮したつもりなのにこの調子だ。

 

「……もしかして、仲悪い?」

 

「……」

 

 怪訝な顔つきがより深まる。或いは彼女の中でも答えの出ていないことなのだろうか?

 

 まぁ、相性の悪い相手というのは必ず存在する。クラスは四十人もの人が暮らす一つの社会なのだから、どうしたって避けられないことなのだろう。

 

「とりあえず食堂にいかないか?」

 

「そうだな、綾小路、俺も空腹だ」

 

 三人で食堂へと向かい、目当ての物はすぐに見つかった。

 

「無料商品……ここにも」

 

 堀北さんはやはりそれが気になるらしい。

 

「試しに頼んでみようかな、もしかしたらよく世話になるかもしれないし」

 

 山菜定食は無料で購入できる。状況次第では頻繁に購入することになるだろう。これで舌が受け付けないほどの味であったらお昼時は地獄になってしまう。

 

「上級生らしき人たちもそれなりに注文しているように見えるわね」

 

「うん、つまりはそういうことなんじゃないかな」

 

「節約する必要に迫られているということよね……新学年が始まったこの時期にも関わらず」

 

 深く考え込む堀北さん、既に彼女の中ではポイントに関して大きな疑念が渦巻いているらしい。

 

 十万円と同価値のポイントを渡されて好きに使えと言われると、普通は驚きと興奮が先に来る。そしてどうしてという疑問が薄まることだろう。

 

 だが少し冷静になって考えてみると、あの担任の先生が言っていたことは本質からずれていることに気が付く者は多い筈だ。

 

 そして、一度引っ掛かりを見つけるとそこから様々な疑問も湧き出て来る、今の堀北さんのように。

 

「あっちが空いてるし、そこにしよっか」

 

 試しに山菜定食を購入すると、それを受け取って食堂の隅にある席に腰かけた。

 

 隣に綾小路が座り、正面には堀北さんが座る。正面からよく見るとこの子は本当に美人さんだな。

 

「美味いのか?」

 

「ん……不味くはないかな、寧ろ普通に美味しい」

 

 良くも悪くも普通だ。師匠の下にいた時は山の中で取れた山菜などがよく夕食に出て来たので懐かしの味もある。

 

「でも毎日となると、さすがにな」

 

「そういうもんか」

 

「無料で食べられるならこれで十分とも言えるけど」

 

 隣の席に座った綾小路は普通に美味そうな定食を注文して食べていた。

 

「綾小路、その唐揚げを恵んでくれても良いんだぞ?」

 

「……肉が欲しいのなら山菜定食を頼まなければ良かったんじゃないか?」

 

 尤もな言い分だ、しかし一度くらいは頼んで味を確かめておかないとダメだろう。下手したら毎日これを食べないといけない生活になるかもしれないんだしさ。

 

 さてどう綾小路から唐揚げを奪い去るべきかと考えた所で、正面に座る堀北さんから小さな咳ばらいをされてしまった。

 

「私なりに、昨日貴方が言っていたことを考えたの」

 

 そう言えば意見交換っていう名目で誘ったんだっけ、唐揚げを奪い合っている場合ではなかったな。

 

「言われてみると不審な点も多いように感じたわ……茶柱先生も本質をはぐらかすような言い回しだったし、店の中に置かれた無料商品に加えて、食堂にも同じような品があるもの」

 

「上級生たちも、それなりに注文してたからな」

 

「その必要に迫られていると考えても良いわね」

 

 それは何故? 毎月十万ポイントを使い切ってしまったからだろうか? できなくはないだろうが、そもそも貰えるポイントが少なかったと考えることもできる。

 

「……ポイントは減る、その考えを否定できるだけの材料が一つも無いわ。今も食堂では明らかに余裕のある人と、余裕の無い人が見て取れる、これも一つの判断材料かしら」

 

「ん、俺も堀北さんと同意見だよ。じゃあ次は、どうしてポイントが減るのか、そして減ったポイントをどうすれば増やせるのかを考えよう……茶柱先生の言っていた、実力で測るって奴」

 

「……貴方はポイントを増やせると考えているのね?」

 

「減るんだから増やせもする筈だよ……減点式だと挽回の余地がなくなる」

 

「……」

 

 堀北さんは思考力が高い人なんだろうな、一度考えだしたら色々と深く潜り込んで答えを探そうとする。柔軟性があるかどうかはわからないが瞬発力はあるのだろう。

 

「学生の実力なのだから、やはり学力でしょうね」

 

「テストの点数で貰えるポイントが増えたり減ったりする訳だ。ん、ありそう」

 

 滅茶苦茶ありそうだ。百点取ったらボーナスとか。

 

「綾小路はどう思う?」

 

 これまで黙って話を聞いて来た清隆にパスを投げると、彼は無表情でこう返す。

 

「……部活動での活躍とかも、あるんじゃないか」

 

「部活動かぁ、大会で優勝したりとか、文化系だとコンクール入賞とかしたらいいのかな……ん、ありそう」

 

「まぁ、なんとなくそう思っただけだ」

 

「いや、良い着眼点だと思うよ。勉強や部活で結果を残す、どちらも優秀な学生って感じだし、その辺のことは先輩あたりに聞いて回ろうかな」

 

「……上級生に尋ねるつもりなのかしら?」

 

「ん、俺たちよりも長くこの学校で過ごしているんだから、当然ながら俺たちよりも多くのことを知っている筈だ。ポイントのことも、その減り方や増やし方もさ」

 

「当てはあるのか?」

 

「ないけど、優しそうな人に尋ねれば良いんじゃないかな。誠実に頼めば誠実に答えてくれるって師匠も言ってたしな」

 

 まだ入学して日が浅い、ポイントの件がどうなるにせよ、焦るような時間ではないだろう。

 

「貴方、名前はなんて言ったかしら?」

 

「え? 覚えられてなかったの!? 自己紹介したよね?」

 

 堀北さんの発言がグサリと心に刺さる。お前の名前覚えてないからと言われたのは初めてのことである。

 

「堀北、さすがに酷いと思うぞ」

 

 無表情が基本の清隆でさえ、僅かに呆れたような顔をしている。

 

「貴方の名前もよく覚えていないわ」

 

「……」

 

 あ、綾小路も沈んだ。

 

 覚えていないというよりは、覚えるつもりが無かったんだろうなぁ。

 

「えぇ、では改めて自己紹介をしようかな……俺は笹凪天武です。どうか宜しくお願いします」

 

「……綾小路清隆だ、今度は忘れるなよ」

 

「そうね、貴方達の態度次第では覚えておいてあげなくもないわ」

 

 これも前進なのかもしれない。ここまで極まった孤独主義者に名前を憶えて貰えるなんて、うん、これも青春か? うん? そうなのか?

 

「ただし、何かわかったら報告しなさい、これから上級生に聞きに行くのでしょう?」

 

「……」

 

「異論があるのかしら?」

 

 堀北さんの指先が鋭くこちらを狙う、まさに蛇のように。

 

「いえ、何もありません」

 

 俺と綾小路は暴力に屈してしまった……まぁこれくらいならば可愛いものか、笑って受け入れられるくらいの対応だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後である。昼休みに上級生からポイント関連の情報を得ようとしていたのだが、食堂での一件で完全に予定が狂ってしまった。

 

 さすがにゆったりとはできないのですぐに行動に移したいのだが、席から立ち上がった俺に声がかかる。

 

「ねぇねぇ、笹凪くん、これからカラオケでもどうかな?」

 

 喋りかけて来てくれたのは軽井沢さんや佐藤さん、松下さんや篠原さんといった、クラスでも明るい系の女子たちであった。

 

 既にグループが出来つつあるのか、昼休みなどでは一緒に昼食の席についているのが確認できた。

 

 そんな彼女たちの中心には平田の姿がある。入学初日から率先して自己紹介をしたり、雰囲気作りを引っ張っていった男子生徒である。

 

 イケメンと、美少女たち、派手で賑やかで、きっとこのままクラスの中心になっていくのだろうと推測できた。

 

「笹凪くん、僕も君と遊びたかったんだ、良ければどうだい?」

 

「誘ってくれてありがとう平田……けれど、すまないね、この後、どうしても外せない予定があるんだ」

 

「そうなのかい?」

 

「あぁ、決して平田や軽井沢さんたちと遊ぶのが嫌な訳じゃないんだ、予定が空いていたら是非とも交流を深めたいと思っている。だからまた今度、お願いするよ」

 

 できるだけ気さくに、相手に不快感を与えないように、そして次の約束を願う言葉も忘れない。クラスの中心人物になるであろう人たちの不快感を与えるのは避けたかった。

 

 少なくとも、堀北さんのように他者を遠ざけるような雰囲気は皆無である筈だ。これならばまた誘ってくれるだろう。

 

「わかったよ、それじゃあまた今度」

 

「あぁ、楽しみにしているよ」

 

 平田にもその意思が伝わったのだろう、穏やかに微笑んで険悪な意思は感じられなかった。

 

 ただ、平田の隣にいた軽井沢は少しだけ逡巡するような表情を見せて、どうすべきか迷っているような、そんな視線が俺と平田の間で行き交っている。

 

 だが最終的には平田の傍に寄り添うような立ち位置になり、その迷いらしきものは綺麗に消え去っていく。

 

 明るく強気な印象を与える彼女ではあるが、今しがた見せた迷いの中には弱さが見て取れる。

 

 迷いは誰にでもあるということだろう。

 

「よし、行くか」

 

 平田たちのグループと別れて教室を出る。池や山内といった男子生徒たちから嫉妬に狂った視線に耐え切れなかったこともあるので素早くだ。

 

 目的は情報収集、主に上級生狙いである。

 

 そう言えば平田はサッカー部に入るとか言っていたっけな、俺も何か入った方が良いんだろうか? 綾小路は部活動で活躍すればポイントが貰えるんじゃないかって言っていたし、多分間違いではないんだろう。

 

 そう考えると部活の先輩から情報を引っこ抜くっていうのも悪くないのかもしれない。

 

 都合よく口の軽そうな人でもいれば良いなと考えていると、前方でお団子ヘアーが目立つ女子生徒を発見した。

 

 隣には力強い体幹を感じ取れる男子生徒もおり、他の生徒たちと同じように体育館へ向かうようだ。

 

 確かあの二人は入学式で見かけたな、生徒会役員だったと紹介されていたはず。

 

「あの、すいません」

 

「はい?」

 

「どうした?」

 

 声をかけると二人は振り返ってこちらに視線を向けて来る。やはり生徒会の役員に間違いない。

 

「生徒会長の堀北学さんと、書記の橘茜さんですよね? 突然に声をかけてすいません、質問したいことがあるんですが、よろしいでしょうか? 自分は1―Ⅾの笹凪天武です」

 

 こちらを観察してくる四つの瞳、特に生徒会長の方は鋭く無駄がなく、1-Ⅾという単語に少し興味を向けていた。

 

「これから部活動説明会がある、時間がかかるようならば質問はその後にしてくれ」

 

「あぁ、いえ、そう長く時間は取らせません。生徒会のお二人はお忙しいでしょうから、一つだけこの場で質問させてください」

 

「良いだろう、言ってみろ」

 

 こちらを試すような視線は今も消えていない。

 

「ポイント関連について一つ……来月も十万ポイントは貰えますか?」

 

「それについては答えることはできない」

 

 俺の視線は生徒会長から隣にいた橘さんへと移動する。

 

「は、はい、それについては答えることはできません」

 

「なるほど……答えたくない、ではなく、答えることができない、ということですね?」

 

「そういうことだ」

 

「ありがとうございました。それが聞ければ十分です……あ、いや、もう一つだけ。先生たちに質問しても同じような返答ですかね?」

 

「おそらくな」

 

「そうですか」

 

 箝口令が引かれているのかな、だが答えられないと言っている時点で答えを教えているようなものである。

 

「お忙しい中、質問に答えていただきありがとうございます」

 

「……笹凪天武か、励むと良い」

 

「頑張ってくださいね、笹凪くん」

 

 橘先輩は笑顔でそう言ってくれたが、生徒会長の方は変わらずこちらを観察するような瞳を隠してもいない。

 

 もしかして俺のことを知っているのか? 生徒会長なんだし生徒の情報なんかも閲覧できるのかもしれない、自分の中にある情報と目の前にある印象を擦り合わせているかのような視線だ。

 

 部活動説明会に向かう二人を見送ってから、俺は反対方向に歩き出す。

 

 生徒会の二人があの調子ならば他の上級生も似たようなものだろう。尋ねるだけ無駄になってしまうので、これからは監視カメラの位置を確認しておこう。まだ完全には把握できていないからな。

 

 しかし、思っていた以上に面倒な学校なのかもしれないな、ここは。

 

 まぁ、師匠曰く、困難もまた青春らしいから、こんな状況でも楽しむくらいが良いのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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水泳授業

 

 

 

 

 

 

 

 水泳の授業である。まだ夏には遠いこの季節にこの学校は普通にカリキュラムに組み込んで来た。

 

 屋内プールがあるからこその荒業である。施設の全てに金がかかっているので温度管理も完璧なのだろう。

 

「やべえってマジで、やべえってッ、櫛田ちゃん、櫛田ちゃん、櫛田ちゃん!!」

 

「俺、勃ったらどうしよ」

 

「博士、準備は万端だな?」

 

「任せてくれでござるよ」

 

 あの辺の男子たちは女子から汚物を見るような視線を向けられていることに気が付いていないのだろうか?

 

 あ、綾小路がぎこちなくその集団と関わっている。完全に無視を決め込むことも悪いと思ったのか、彼らが行っている賭けに加わっているようだ。

 

「貴方はあのくだらない集まりに参加しないのかしら?」

 

「ん……まぁ、あそこまで露骨なのはさすがにね。女子から嫌われてしまうことくらいはわかるさ」

 

「そう……最低限の分別はあるようね」

 

 淫らな妄想と女子たちがドン引きしている賭け事から距離を取っていると、堀北さんが彼らに冷たい視線を向けながらそう言った。

 

 平田辺りもさすがに彼等とは距離を取っている。できる男は違うな。

 

「やっと出てこれた」

 

「おつかれ、綾小路、女子からドン引きされてたぞ」

 

「えッ」

 

 気が付いていなかったのか。

 

「ほら、見ろ、この堀北さんの冷たい眼差しを」

 

「……」

 

「堀北はいつもこんな感じだろ……うッ」

 

 また綾小路の脇腹に手刀が刺さる。放たれる度に精度と勢いが増しているように思えるな。

 

 ただあの意見交換会から堀北さんの態度は少しだけ、ほんの僅かにだが、誤差程度ではあるが、軟化したようにも思えるのは嬉しいと言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋内プールについてから広がったのは興奮と落胆の声である。あんな賭け事を周囲を気にすることなくやっていれば当然のことではあるのだが、かなりの数の見学者が出てしまう、それも女子を中心に。

 

 それでもしっかりと授業に参加した女子生徒もおり、特に櫛田さんは抜群のプロポーションから男子たちの視線をかなり引きつけていた。

 

「はぁはぁはぁ、はぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

「馬鹿な、長谷部はどこだ!?」

 

「うッ……既にヤバいかも」

 

「やっぱ櫛田ちゃんなんだよな、櫛田ちゃんしか勝たん」

 

「……堀北は意外にあるんだな」

 

 水着になった女子たちを遠巻きに眺める男子たちの惨状たるや、プールを挟んで反対側にいる女子たちの視線は冷たくなるばかりである。

 

 見学者がいる席からはキモッと憚ることなく言われる始末であるし、さすがに綾小路もこの立ち位置が拙いと判断したのかススっと距離を取っていた。

 

「皆、その辺にしときな、女子たちから向けられるあの目を見るんだ」

 

「へッ、モテる男は余裕だな……うぉ!?」

 

 池や山内たち、そして須藤たちに背後から声をかけると、振り返った瞬間に彼らの文句は吹き飛んだ。

 

「さ、笹凪、お前……ヤバくね?」

 

 池の言葉はなかなかに失礼である。俺の体をジロジロ眺めて出て来た言葉がそれか。

 

「確かに、ここまでとなるとまず見ねえな、なんかスポーツやってたのかよ?」

 

 須藤も興味を向けて来る。少しだけ感心するような雰囲気も感じられた。

 

「古武術を習っていたよ、小さな頃から」

 

「それにしてもヤバすぎるだろ、どこもかしこもバキバキじゃねえか」

 

「そうかな? 高円寺とかの方がだいぶアレだけど」

 

 何故かブーメランパンツの装いで鏡を前にポーズを決めている高円寺に全員の視線が集まる。

 

 あの筋肉、相当鍛えこんでいるな、ボディビルダーのようだ。

 

 太く、それでいてしなやかで、見事な逆三角形を描いている体である。

 

「それに須藤も良い体してるじゃないか、バスケをやってるって聞いてたけど、それだけじゃないんだろ?」

 

「おう、そりゃな、部活以外でも筋トレはよくやってるぜ」

 

「ん、まさにスポーツマンって感じだよね、見るからに瞬発力がありそうだ」

 

「へッ、まぁな」

 

「なぁなぁ、やっぱそこまで鍛えようと思ったら結構苦労する感じなのか?」

 

「確かに、どれくらいキツイんだろうな」

 

「おや、山内と池は肉体改造に興味があるのかい?」

 

「いやほら、やっぱさ、女の子は細マッチョが好きって雑誌に書いてたからさ」

 

「そうそう、櫛田ちゃんとかも俺がそういう体してたら感心すると思うんだよな」

 

「まぁ、だらしない体よりもずっと良い印象は与えられるだろうね、櫛田さんに限らず……う~ん、そうだなぁ、毎日しっかり運動すればいずれはって感じだけど。須藤もそうだよね?」

 

「ガキの頃からバスケやって練習漬けしてればこうなってたな」

 

 俺と須藤の言葉に山内と池がげんなりとしてしまう。彼らの中では一日二日の苦労で体が作れるという浅い考えがあったらしい。

 

 話題が女子たちの水着姿から筋肉談義に移ったのは良い傾向かもしれないな。少なくとも女子たちを舐めまわすような状況よりはずっとマシだろう。

 

 まぁ、長くは続かないんだろうけど。

 

 実際に、池たちの話題はすぐに女子たちに移る。数分も持たなかったか。これは落ち着かせるの無理だな、距離を取っておこう。

 

「綾小路くん、何か運動してた?」

 

「自慢じゃないが中学は帰宅部だったぞ」

 

 少し離れた位置で綾小路と堀北がそんな会話をしていた。

 

「それにしては……前腕の発達とか、背中の筋肉とか、普通じゃないけど」

 

 確かに彼の肉体は研ぎ澄まされている。徹底管理された食事とトレーニングで作られたオリンピック選手のような体と評価できるだろう。

 

 あそこまでの肉体を作るには、相応の時間は注ぎ込まなければならない。

 

「高円寺とか、笹凪の方がずっと鍛えられてると思うけどな」

 

「……笹凪くん、貴方は何かスポーツを?」

 

「子供の頃から古武術を習ってたよ、師匠が凄く厳しい人でさ、滅茶苦茶に鍛えて来るんだ」

 

「なるほど、道理でね」

 

「笹凪は武術を習っていたのか」

 

「そう、空手とか柔道とか剣道とか薙刀とか、色々なものが混ざった奴」

 

 後は、アレだな、師匠は他にも色々教えてくれた。現代日本で絶対にいらないだろうと断言できるものまで。

 

 火縄銃の扱いとか、絶対に知らなくていいと思うんだ。猪と熊を狩るのは楽しかったけどさ。

 

 

「よ~し、お前ら集合しろ!! 見学者は十六人か。随分と多いようだが、まぁ良いだろう。準備体操を終えたら、早速泳いでもらう」

 

 

 どうやら授業が始まるらしい。水泳なんて師匠以外から教えて貰うのは初めてだ。

 

「あの、俺あんまり泳げないんですけど……」

 

「俺が担当するからには、必ず夏までに泳げるようにしてやる。安心しろ」

 

「どうせ海なんて行かないし、無理して泳げるようにならなくても良いんですけど」

 

「そうはいかん。今は苦手でも構わんが、克服はさせる。泳げるようになれば必ず役に立つからな。必ず、な」

 

 師匠も似たようなこと言ってたっけな。船が爆破されて沈んでもしっかり泳げたから今も生きてるって懐かしそうに語ってたし。

 

 準備運動を終えて生徒たちはそれぞれ自由に泳いでいく、最初の内はそれぞれの運動能力を観察する為の様子見のようだ。

 

「とりあえずほとんどの者が泳げるようだな。では早速だがこれから競走をする。男女別で五十メートル自由形だ。因みに、1位になった生徒には俺からボーナスを支給しよう」

 

 

 見学者が多いことでやる気を出させる為なのか、そんな餌も用意してくれているのはありがたい。

 

「堀北さん、運動もできるようだね」

 

「あぁ、早いな。さすがに水泳部には勝てないようだが」

 

 プールの端で足だけを水に付けながら綾小路と並んで女子たちの泳ぎを眺める。興奮した様子の池と山内たちから少し距離をとった位置でね。

 

 1位を取ったのは小野寺さん、水泳部の子でさすがの泳ぎである。

 

 現役水泳部と比較できる泳ぎをできるだけ凄いのだ、堀北さんは水泳部という訳でもないのに。

 

「おつかれさま堀北さん、惜しかったよ」

 

「そこまで勝ち負けに拘っている訳ではないわ、それより貴方たちはどうなの?」

 

「オレはビリにならないくらいに頑張る」

 

「……少しはやる気を出しなさい、笹凪くんはどうかしら?」

 

「俺は勿論1位を目指すとも。人事を尽くすのが信条だからね、やるからにはトップを目指す」

 

 師匠曰く、結果に貪欲であれ、だ。

 

 男子組の中で見るからに運動能力が高いのは平田と須藤と高円寺だろう。後は綾小路かな。

 

 やる気の無い綾小路を抜けば高円寺、須藤、平田の順で決まるはずだ。よほどスタートダッシュでミスしなければだけど。

 

「ん……須藤で決まりかな」

 

 男子は参加人数が多かったので複数に分けてレースが行われる。一番手で最有力候補はやはり須藤である。

 

 案の定というか、予想通りと言うべきか、彼がぶっちぎって一位をもぎ取る。その身体能力に任せた泳ぎは体育教師も感心するほどであり、水泳部に勧誘されていた。

 

「次は平田だな」

 

 女子たちから黄色い歓声が沸き上がる。正統派のイケメンである彼もまたスポーツマンらしく研ぎ澄まされた体をしており、顔も体も文句のつけようがないイケメンぶりである。

 

「ぺッ」

 

 池と山内たちは唾を吐いている。やめなさい、体育教師が視ているよ。

 

「思ってたよりも早いな」

 

 須藤も感心したような声を上げるくらいに平田の泳ぎは上手い。サッカー部とのことだが水泳も得意であるようだ。

 

「だが須藤ほどじゃねぇッ!! やってやろうぜ須藤ッ、あのイケメンを粉砕してやろう」

 

「あぁ、この俺の全力でなぁ!!」

 

「……アイツらはイケメンに恨みでもあるのか?」

 

 綾小路は少し呆れた様子で須藤たちを眺めている。

 

「仕方がないよ、平田は女子に人気があるからね」

 

 既にクラスの中心人物になっているし、よく女子たちと遊びに誘われてもいる。嫉妬を向けられるのも自然なことなのだろう。

 

「笹凪も人気があるじゃないか」

 

「そうかい? 平田みたいにキャーキャー言われないけど」

 

「まぁ、そうだな……お前はどちらかと言えば、溜息を吐かれるタイプだ」

 

「えッ、俺ってそんな扱いなの」

 

 もしかして知らず知らずの内に呆れられてる?

 

「いや、悪い意味じゃない……なんて言えばいいんだろうな、うっとりさせてるって感じだ」

 

「うっとり……よくわからないな」

 

「それより次はお前の出番じゃないのか?」

 

「おっと、それじゃ行ってくるよ」

 

 どうやら最後の組のレースが始まるらしい。ここで良いタイムを残せば決勝戦に参加することができる。

 

 この組で最も強敵なのはやはり高円寺だろう。ボディビルダーのような肉の鎧を身に纏う彼は間違いなく最高性能の肉体を持っているはずだ。

 

「ふッ、来たようだねモンスターボーイ」

 

「モ、モンスターボーイ……俺のことを言っているのかい?」

 

「君以外にモンスターが他にいる筈もないだろう? その肉体、骨、よくもそこまで鍛えた……いいや、改造したものだと感心したものだよ、実に興味深い」

 

「そうかな? 俺もそれなりに鍛えたつもりではあるけど、筋肉量は高円寺の方があるだろ」

 

 彼は筋肉の鎧を身に纏っているような肉体を持っているが、俺はそこまで分厚くはない。

 

「単純な大きさならばそうだろう。だが完璧な私は完璧な観察眼を持っている、そんな私から見れば君の肉体は凡夫たちとはそもそも根本から異なっている、だから言ったのさ、よく改造したものだとね」

 

 改造か、確かにそうなのかもしれない。師匠の鍛錬は、鍛錬とは名ばかりの改造に近かった。内臓も骨も叩いて叩きまくったからな。

 

 気が付けばあの人の動きにも何とか付いていけるようになっていた。昔は手も足も出なかったのに今では戦いというものを成立させられるだけになったと思う。

 

 師匠はお前には才能があったからだいぶ楽に基本は作れたって言ってたな。

 

「それともアイアンマンとでも言った方が良いかね?」

 

「どっちも困るな、名前で呼んではくれないかい?」

 

「ふ、ならば勝ち取ってみることだ、君が唯一無二の存在となれるのならば、この私と言えど吝かではないとも」

 

「ふふ、わかったよ。俺も勝負ごとに妥協はしない。やるからには勝つ、当然のことだ」

 

 俺と高円寺は二人して飛び込み台の上に立つ。他にも競う男子生徒たちはいるのだが、完全に意識の外にいっていた。

 

 身をかがめて飛び込む姿勢になった高円寺の存在感だけが、俺の感覚に唯一引っかかる。

 

 意識を集中していくと周囲の音が消えていき、自分の心臓の音だけがやけに大きく感じられるようになっていく。

 

 その状態からもう一歩踏み込むと、頭の中で何かが切れるような音が響く。思考が速まっていきあらゆる流れが緩やかになっていくように感じた。

 

 今ならば空でも飛べるかもしれない。

 

 実際には勘違いでしかないのだが、そんな万能感を全身に広げられたのならば後は簡単だ。

 

 結果に向かって体が勝手に動く、俺の感覚では意識も記憶もしっかりあるのだが、気が付けば目的を達している、そんな感覚である。

 

 耳から入って来る音が急に大きくなったかと思えば、目が覚めたかのような感覚と共に水から顔を出すのだった。

 

「お、お前……」

 

 体育教師からはドン引きされてしまった。

 

 スタートしたばかりの頃は応援で賑わっていた筈だが、男子も女子も今ではだんまりである。

 

「ふッ、やはり君はモンスターと呼ぶに相応しいようだね」

 

「ん、名前で呼んでね。怪物呼ばわりはさすがに困る」

 

「やれやれまったく、仕方がない、他でもない君がそういうならば、敬意を表して天武と呼ぼうじゃないか、ハッ、ハッ、ハッ!!」

 

「良かった、お礼に今度、俺がやってる鍛錬を教えようか?」

 

「……ほう?」

 

 少しだけ高円寺と仲良くなれた気がする。彼は唯我独尊で我が道を進む人ではあるが、距離が縮まったのは間違いないだろう。

 

 体育教師から言葉では表現し辛い興奮と歓喜と苦笑いが混ざった何とも言えない顔で水泳部に勧誘を受けたのだが、個人的な趣味を優先して美術部に入ることを決めているので丁寧に辞退した。

 

 運動系の部活でも良いんだけど、何かの拍子に壊してしまうかもしれないので、遠慮するしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 



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情報収集

主人公の師匠は、少年サンデーで連載されていたとある格闘漫画の師匠陣な感じの人です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も今日とて情報収集を継続中であった。水泳の授業で加減しなかった結果、須藤や池や山内たち男子生徒たちから何故か怖がられて距離を置かれ始めている身ではあるが、代わりに高円寺とよく話すようになったので±ゼロと納得するしかないだろう。

 

 態度が変わらないのは綾小路くらいだ。いや、彼は彼でこちらを観察する瞳がより強まったんだけども、別に怖がられてはいないと思う。寧ろ何故か同情的になったので良しとするしかない。

 

 男子生徒たちから距離を置かれているが、逆に女子生徒たちからは声がかけられるのが以前よりも多くなった気もする。平田のように黄色い声は向けられないが強い興味の視線は以前よりも確実に増えている。

 

 男子と女子で反応が極端に違うのは興味深いと思う。性別の違いがそのまま行動と考えに反映されていると見るべきだろう。

 

 そういえば師匠が言ってたっけ、足が速いと学校では注目を浴びるって。今回は泳ぎだけど。

 

 だとしたら俺は、これまで経験することのなかった学校あるあるをまさに今、実感していることになるのだろうか。

 

 ただ池や山内に声をかけて一緒に昼食でもどうだと誘っても「い、いや、ちょっとな」と視線を反らされるのは困る。清隆と高円寺だけが男友達というのも少しアレだしな。

 

 友人は多い方が良い。そんな師匠の言葉を思い出しながら、何とかならないかと悩みながらも、これといった名案が思い浮かぶこともなく今日も俺は一人で情報収集に励む。

 

 ポイント関連に関しては箝口令が敷かれているので望み薄だろう。監視カメラの位置も大体は把握したので問題は無い。だとしたら今度は他勢力、つまりは別クラスの様子を眺めておこう。

 

 昼休みなので教室に全員が残っている訳ではないが、全ての生徒が食堂で食事をする訳でもないので見えて来るものもある筈だ。

 

 まずはAクラスの教室を廊下から覗いてみる。別にやましいことをしているつもりはないので、隠れるようなことはしない。

 

 まず視線が行くのはスキンヘッドの男子生徒、周囲に人が多くいるのでもしかしたらリーダー的な立場の人だろうか。

 

 人の輪の中心で会話をしているのだからそうなのだろう。うちでは平田がその立場にあるのだが、彼の場合は平田と違って女子だけでなく男子の姿もあった。

 

 次に視線が行くのは杖を持った華奢な女子生徒である。こちらも一定人数に囲まれており人の輪を作っている。

 

 暫く廊下からクラスの様子を観察していると、その杖を持った華奢な女子生徒の視線がこちらに向いたので、俺は気まずくなって視線を反らし、観察を終えて踵を返す。

 

「美しい子だったな」

 

 この学校は美人が多い、それは男の俺にとって嬉しいことである。

 

 池や山内たちほど堂々と晒しだすつもりはないが、女子に興味がない訳でもないのだ。

 

 師匠曰く、恋は大事。

 

 次にBクラスを覗いてみるとまた雰囲気がガラリと変わる。どうやらこのクラスは一人の女子生徒を中心に回っているらしい。

 

 穏やかな笑みと親しみやすい雰囲気を全開にした女子生徒が食堂に一緒に行こうと宣言すれば、男女問わずにゾロゾロと付いていく光景は驚くしかないだろう。

 

 まだ入学して一カ月も経っていないのに、あの連帯感はちょっと異常だ。人を引きつけて離さない力が彼女にはあるのかもしれない。

 

「カリスマって奴か」

 

 大勢を引きつけて食堂に向かう女子生徒を観察していると、師匠が放っている引力を薄めたようなものを感じ取れる。

 

 あの存在感は素直に凄いと思う。無条件に人を引きつけるなんて俺には無理だ。

 

 AクラスBクラスと見て来たので次はCクラスであるが、覗き込んだ瞬間にこちらもまたガラッと雰囲気が変わってしまう。

 

 なんだろう、ここはやけにガラの悪い奴と怪我人が多いな。

 

 まず視線が向かうのはやたらと体格の良い黒人男性。見るからに力が強そうで実際にその評価は間違いではないのだろう。そんな彼は何故かケガを負ったのか包帯やガーゼが目立つ。

 

 彼だけではなく目つきの悪い者や態度の悪い者を中心に怪我人がチラホラと確認できた。このクラスだけ乱闘でもしたのだろうか?

 

「なんだテメエは?」

 

 クラスの内部で大乱闘が行われていることを想像していると、背後から声を掛けられてしまった。

 

「ごめんね。邪魔だっただろう?」

 

「あぁ、邪魔だ、失せろ三下」

 

「そうするよ」

 

 声をかけてきた男子生徒はこれまた人相が悪かった。何故か学校指定のネクタイを外して胸元を晒しており、眉間に皺を寄せている。例に漏れず怪我を負ったのか手当の後もよく目立つ。

 

 教室の入口で中を覗き込んでいた俺が全面的に悪いので反論もできない。邪魔と言われたら下がるしかないだろう。

 

「ククク、何を見ていた?」

 

「いや、別になにも、ただ乱闘でもあったのかと思っただけさ。やけに怪我人が多いからさ……それじゃあ俺はこれで」

 

 足早にその場を立ち去ったのだが、鋭い視線はずっと背中に張り付いたままであった。

 

「色々と特色があるんだなぁ」

 

 それぞれのクラスにそれぞれの色がある。雰囲気も変われば方針も変わる、社会は人によって無数に変化するということなのだろう。

 

 そこでDクラスはどうだったかと考えてみると、こちらもまた色々と見えて来るものがあった。

 

 個性の集団、規格の合わない歯車を一カ所に纏めたかのような、そんな印象を与えて来る。

 

 欠けている歯車もあれば、サイズが合わなかったり一つだけやたらと早かったり遅かったりする、そんな集団であるように思えた。

 

 これもまた一つの特色なのだろう。良いか悪いかは判断に困る所ではあるが。

 

「今日はこの辺にしとくか」

 

 最後に我がクラスの扉を開けると、多くの生徒が食堂に向かったからなのか閑散としていたのだが、僅かに残っていた生徒たちの視線が集まる。

 

「綾小路、堀北さん、一緒にお昼でもどうだい?」

 

 教室の隅っこで寂しそうにしていた綾小路と、その隣で静かにサンドイッチを食べている堀北さんに声をかければ、正反対の反応を見せるから面白い。

 

 綾小路は救世主でも見るかのような顔だし、堀北さんは鋭い視線をジッと向けて来るといった感じだ。

 

 それでも失せろと言われない辺り、入学初日よりはずっと距離が縮まったのかもしれないな。

 

「今日も見て回ってたのか?」

 

「ん、他のクラスをね」

 

「大変だな」

 

 俺の机を綾小路の机にくっ付ける形で場所を作ると、彼はやけに興奮した様子でそれを見ていた。なんだか可愛い反応である。

 

 そして互いに昼食を広げて食事となった。彼はパンで俺はコンビニで買ったおにぎりだ。

 

「放課後は部活の先輩とかにもしつこいくらいに聞いて回ろうかな、たぶんまた答えてはくれないんだろうけど」

 

「……答えてくれないとはどういう意味かしら」

 

「なんだ堀北、話を聞いてたのか?」

 

「私が貴方たちの会話を聞いていたらいけないのかしら?」

 

「いや、距離を取ってるように見えたからな」

 

「堀北さんも机くっ付けるかい?」

 

「くだらない冗談はやめて、そんなことをしたら仲が良いみたいじゃない」

 

 俺たちと机をくっ付けて食事するのはそこまで嫌なことなのだろうか? 綾小路も傷ついた雰囲気を見せて来る。いや、無表情なんだけどさ。

 

「笹凪くん。貴方、以前に何かわかったら報告すると言っていたような気がするのだけど、忘れてしまったのかしら?」

 

「あぁ、そのことか。実は報告できるだけのものが無いんだよ。生徒会の人に尋ねたんだけどポイントに関しては教えることが出来ないの一点張り、美術部の先輩も似た感じだ……教えたくない、じゃなくて、教えられないって感じだよ」

 

「……つまり、緘口令のようなものが上級生に敷かれていると?」

 

「因みに先生たちも同じ感じだね。誰か一人くらいは口を滑らせてくれる人がいないかって試してみたけど、答えられないで全部封殺されてしまった」

 

 Bクラスの担任である星之宮先生なんかはおしゃべりが好きで上手くやれるかと思っていたんだけど、上手くはぐらかされてしまった。興味深い視線を向けてこられたし寧ろ警戒されてしまったかもしれない。

 

 茶柱先生もそれは同じ、ただこっちは少しだけ面白そうにニヤつかれたが。

 

「ポイントに関しては間違いなく何かがある……この学校はただ十万をポンと渡して好きに使って良いだなんて言って生徒を甘やかすだけの場所じゃない。証拠は何一つないけど、それは間違いないんだろう」

 

 堀北さんは深く考え込む、サンドイッチを手に持ちながらだから締まらないけど。

 

「それを踏まえた上で、笹凪くんはどう動くつもりなのかしら?」

 

「以前、堀北さんが言ったように学力だったり、綾小路が言ったように部活での貢献だったり……後は生活態度とかかな、ポイントに関わって来るのは」

 

 監視カメラが無数にあるから生徒の行動や態度なんかは絶対に見張られてるだろう。

 

「証拠がないから断言もできないのはもどかしいな……それでどう動くかだけど、クラスメイトに注意を促すって感じになるだろうね」

 

「……」

 

 堀北さんは黙り込む。このクラスの授業態度を思い出しているらしい。

 

「注意を促した所で大人しく聞き入れるかしら? 貴方も知っているでしょう、このクラスの質の低さは」

 

「ん、居眠りに遅刻に私語にスマホ弄り、ぶっちゃけ学級崩壊って感じだ。あッ、俺は違うよ?」

 

「それは知っているわ」

 

「なんだ、知ってくれてたんだ」

 

「……何かしら、その視線は?」

 

「いや、真面目な奴って評価をしてくれたってことでしょ? そう思われて嬉しいのさ」

 

「……」

 

 なんか堀北さんが見たことない目でこちらを見て来る。怒っている訳でも苛立っている訳でもない、けれど褒めている訳でもない、奇妙な表情であった。

 

「……ふん、ポイントが減ろうと私や貴方には関係の無い話だもの、騒いでいる人たちも来月になれば現実を思い知るでしょうしね」

 

 堀北さんはサンドイッチを食べ終わって、取り出した本に視線を落とす。完全に一人の世界に行ってしまう。

 

「……かもしれないね」

 

「……」

 

 そこで会話に参加することなくモソモソとパンを食べていた綾小路と視線が結び合う。相変わらず何を考えているのかよくわからない表情ではあるが、言いたいことはわかるぞ。

 

 この学校がそこまで甘くないってことくらいは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後である。師匠曰く、高校生たるもの部活動に励んだり放課後デートをするのが正しいとのことなので、その言葉に従って部活動に励むことにしている。

 

 美術室の扉を開いて最初に感じ取るのは絵具が持つ独特の匂い、師匠の部屋でも感じ取れたそれは馴染み深いものなので嫌いではない。

 

「今日も宜しくお願いします」

 

 師匠曰く、挨拶は大切。

 

 美術室に入って軽く頭を下げると、先輩たちが小さく会釈してくる。気安くて喋りやすい人たちなのでとても雰囲気が良い。

 

 ただ文化系のコンクールも近いことから目の前にあるキャンバスに集中しているらしく、常に賑やかにとはいかないらしい。

 

 特に三年生たちは今年で卒業なのでコンクール応募作品だけでなく、卒業作品も今から少しづつ作っているらしい。俺も自分の作品を仕上げないといけないので、頻繁に喋りかけて邪魔するのも申し訳ないので配慮を欠かさない。

 

 なのでお喋りするとしたら同じ一年生だろう。

 

「やぁ神室さん、調子はどうだい?」

 

「……」

 

 Aクラスの美人さん、神室真澄さんに声をかけるが無視されてしまう。どことなくこの鋭い雰囲気は堀北さんに通ずるものがあるな。

 

「それコンクールに出す作品? 良い感じだね」

 

「……それ皮肉? それとも煽ってるの?」

 

「どうしてそうひねくれた受け取り方するかなこの子は」

 

「……ふん」

 

 まぁこんな感じの会話が美術室で繰り広げられる。この子は頻繁に部活動に参加する訳ではないけど、参加した時はこうして会話をしているのだ。

 

 単純に美人なのでお近づきになりたい半分、もう半分は神室さんがAクラスなので情報を得たいが半分。その為にも仲良くならないとね。

 

「Aクラスの様子はどんな感じ?」

 

 俺も美術部員なので絵を描き始める、コンクールに出す作品なので手は抜けない。師匠を真似て色々と書きなぐっていく。

 

「他所のクラスのことなんて聞いて何の意味があるのよ?」

 

「いや、他所のクラスのことなんだから知りたいのさ。自分のクラスのことはいつも見てるんだから、よくわかってる……そうだなぁ、注目してる人とかいるのかい?」

 

「……まぁ」

 

 この子と堀北さんで違う所は、こうして話しかければちゃんと会話が成立することだろうか。誰であっても高圧的に相手を拒絶する訳じゃないのでキャッチボールがそれなりにやりやすい。

 

「やっぱあれかい? リーダー的な人とかいるの?」

 

「葛城って奴がクラスを纏め始めてるけど……」

 

「けど?」

 

「もう一人……いや、何でもない」

 

「神室さん的にはそのもう一人の方が注目してる訳だ」

 

「……変な言い方するの止めて」

 

 何故か彼女の苛立ちが増す、堀北さん並みに拒絶の意思も強くなり、精神的な距離が離れてしまう。

 

「あぁ、ごめんね、しつこかったよね」

 

 どうやら何らかの地雷を踏んでしまったらしい。次からは気を付けよう。師匠曰く反省は大切。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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Sシステム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある程度の情報は集まった、完璧な証拠こそないがほぼほぼ確信している。

 

 毎月十万の小遣いをくれるような太っ腹な学校という甘い幻想はどこにもなく、生徒の実力を測りシビアにポイントでそれを表す競争と闘争の場であることに疑いはないのだろう。

 

 上級生は答えられないの一点張りで、教師もそれはおなじ。唯一の収穫は美術部の部長から聞いた大会やコンクールで結果を残せば大きなポイントを得られるという程度のもの。

 

 もしこれが個人間での競争であったのならば何も問題はない。

 

 全てが自己責任で片付けられるのならばどれだけ楽だろうか、ただ悲しいことにそれで終わらせられないから俺は教室を一望できる教壇に立たなくてはならなかった。

 

 時間は朝のSHRが始まる少し前、後もう少しで茶柱先生がやって来て授業を始めるだろう。

 

 あまり時間もないので手早く済ませる必要がある。

 

 教壇に立って教室全体を見渡す。幸いなことに今日は遅刻している者はいないので全員が揃っており、相変わらず騒がしいが全員がいるのは幸いだろう。

 

 俺が教壇に立った時に、綾小路と堀北さんの視線が最初にこちらに向かった。

 

 他の連中はガヤガヤと話しているのでこちらに視線は向けていない。いや、高円寺だけは少しだけこちらに注目しているな。

 

 こういう時、師匠はどうしてたっけな? 視線一つで黙らせることができる人だったけど俺には無理なので、ここはあの人の声色を真似るとしよう。

 

「傾注してくれ」

 

 師匠の雰囲気を真似て声を出す。するとあれだけ騒がしかった教室が不気味なほどに静まり返った。

 

 それほど大きな声を出した訳でもないのだが、効果は抜群である。師匠は凄い、師匠を称えよう。

 

「今から皆の利益の話をしようと思う。とても重要なことなので損はさせない。茶柱先生がもうすぐ来るだろうから、素早く済ませたいので、質問や疑問があれば後で訊ねて欲しい」

 

 三十九人の視線がこちらに集中した。師匠の真似をして圧力と雰囲気を再現しているので、押され気味になり誰も言葉を遮らない。

 

 だが困惑している様子ではあるな、当たり前のことではあるが。

 

「結論から伝えよう、俺たちに来月も十万ポイントは振り込まれない」

 

「はッ?」

 

 驚きの声を上げたのは池であった。

 

「この学校は生徒たちの実力によってポイントを支給する。多角的、総合的な実力を測り、ポイントという形で評価する訳だ」

 

「え、いや……」

 

 今度は山内がなにやら声を絞り出そうとするが、それを無視して話を進めていく。

 

「学力や、日々の生活態度、部活動での貢献、色々と評価項目はあるようだが、間違いないだろう。十万の小遣いを何の成果をあげていない学生に与える太っ腹な学校ではないということだ」

 

「まて、質問がある」

 

「確か幸村だったか? すまないが茶柱先生が来る前に話を共有したい、後にしろ」

 

 長々と説明するつもりはない、この師匠モードは何故か疲れる。

 

「それぞれ日々の生活態度や授業態度を思い出してほしい。同時に、それぞれの頭の中に絵に描いたような優等生を思い浮かべろ……お前たちがポイントを支払う側であればどちらに多くのポイントを渡す?」

 

 ただでさえ静まり返っていた教室が更に静まる。今だけは静謐とさえ言っても良い。

 

「つまりはそういうことだ。この学校は生徒を甘やかすだけの場所ではない……提示できる証拠は何もないので見せろと言われても困るが、一つだけ教えておこう」

 

 そこで俺は教室に設置されていた監視カメラを指差す。

 

「あれは監視カメラだ、この教室だけでなく学校中に設置されていた。さすがにトイレや更衣室には無かったが、かなりの数があるので生徒たちの素行を見張ることくらいはできるだろう」

 

 三十九人分の瞳が監視カメラに向かう。大半の者がカメラがあるとは知らなかったのか驚いた表情を見せる。

 

「我々は監視されている。日々の生活や態度……授業中の行動もな。あれだけ騒ぎまくって何故教師たちはそれを注意しないのか、理由としては来月になれば現実を思い知ることになるので、その必要がないと言った所だろう」

 

 また何か言いたそうな眼鏡男子の幸村を視線で抑え込むと同時に、廊下に茶柱先生の姿を発見した。そして教室の扉が開かれる。

 

「SHRを始めるぞ、全員席に座れ」

 

「答え合わせは来月だ、各々健闘を祈る」

 

 茶柱先生の登場と同時に俺は師匠モードを止めて体の緊張を緩め、そのまま自分の席に戻っていく。

 

「あの、先生、よろしいでしょうか?」

 

「幸村か、なんだ?」

 

「たった今、笹凪からポイント関連の話をされていました……来月のポイントが変動するかもしれないと、事実ですか?」

 

 茶柱先生は唇を僅かに緩めるだけだ。どこか挑発しているようにも見える表情であった。

 

「それに関しては答えることはできない、以上だ」

 

「先生、僕からも質問があります」

 

「今度は平田か、なんだ?」

 

「仮にポイントが減るとして、どのような審査項目があるんでしょうか?」

 

「それに関しては答えることができない、以上だ」

 

 ますます茶柱先生の笑みが深まる、あそこまで行くといっそ邪悪ですらあった。美人だけどあの人怖いよな。

 

 教室は再びザワザワと騒がしくなっていき、誰もが困惑と驚きで視線を彷徨わせている。高円寺はこんな時でも堂々としているが、さすがに机の上に足は乗せなくなった。

 

「……面倒見がいいのね」

 

 右後方からそんな呟きが届く。

 

「誠実でありたいとは思っているよ」

 

 返答はそんな感じで良いだろう。

 

 だがこれでクラスの雰囲気は大きく変わる筈だ。堀北さんもそうだったが引っ掛かりを一つ見つければそこから次々と疑問が湧き出てくるのだから。

 

 授業態度も改善するだろう。ここまで言って聞かないようならば俺ではどうすることもできない。

 

 皆も真面目に授業を受けるに違いない。きっと、間違いなく、たぶん。

 

 

 

 

 須藤が船を漕ぎ始めたのはさすがに嘘だよな? 池や山内なんかも眠たそうにしているけど、嘘だよな?

 

 いや、頑張ってる、頑張って耐えてる。私語もしてないし教科書も開いてる、後は眠気に抗うだけだ。

 

 あともうちょっとだから、舟をこぐな、授業が終われば幾らでも寝れるから。

 

 あッ、須藤が落ちた、嘘だろお前。

 

 頑張ってはいたが、どこかまだ危機感が足りていなかったらしい。これはもう駄目っぽいな。

 

 来月はどれだけポイントが残るだろうか? 答え合わせが今から楽しみであり恐ろしくもあった。

 

 もう何も言うまい、言葉では危機感を持てないのならば、現実を知らせるしかないだろう。

 

 五月一日が待ち遠しい。良くも悪くもそこからこの学校での生活が大きく変わるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝起きて、学校から与えられた携帯端末の画面を確認すると、そこには45000ポイントが振り込まれていた。

 

 よく残ったと言うべきか、これだけしか残らなかったと嘆くべきか、四月前半のクラスの様子を見るに前者と考えるべきだろう。

 

 後半になるとある程度は女子も男子も生活態度を改めていたので減点は最小限に抑えられたはずではあるが、それでも半信半疑ではあっただろうし、危機感が足りずに須藤などは居眠りや遅刻をしていた。

 

 そう考えると上出来な数字だろう。ポイントが減ったことで言葉以上の危機感を抱ける筈なので、これはこれで良かったのかもしれない。程よい数字とも言える。

 

 これがゼロだと絶望感がとんでもないことになっただろう。不平不満が爆発することなど簡単に想像できてしまう。

 

「やぁ綾小路、おはよう」

 

「あぁ、おはよう」

 

 寮を出て学校に向かう最中に見慣れた姿を発見して声をかける。

 

「ポイントどうだった?」

 

「45000ポイントが振り込まれていた。笹凪の推測通りだったな」

 

「少ないと思う? 多いと思う?」

 

「……多い、と思う」

 

「四月前半の状況が状況だし、スタートダッシュで盛大に躓いた感じがあるよな」

 

「それでもこれだけのポイントは学生にとっては大金だろ」

 

「確かに、高校生の小遣いって考えれば上出来か」

 

 裕福だよね、半分以上吹っ飛んだけど、それでも大金だ。

 

「これからどうなるんだろうなぁ」

 

「楽しそうだな」

 

「そりゃ楽しいさ。困難も試練も楽しめって師匠も言ってたし、何も起こらないまま惰性で生きていくなんて退屈だって」

 

「そういうもんか」

 

「退屈よりは楽しい方が良い、お金も無いよりはあった方が良い、友人だって少ないより多い方が良い、何もかもが足りないよりもずっとな」

 

 綾小路と教室に入ると多くの視線を集めた。彼はそんな視線から逃げるようにそさくさと自分の席に行ってしまう。

 

「笹凪くん!! ポイントのことなんだけど、やっぱり減っちゃってたみたいだね」

 

「みたいだね。櫛田さんも45000だったかい?」

 

「うん、私だけじゃなくてクラスの皆、同じ額だったみたい」

 

「そうか、だとしたら個人単位じゃなくてクラス単位でのポイント支給ってことなんだろうね」

 

「笹凪くん、それもわかっていたのかい?」

 

 平田も話に加わって来る。

 

「あの場では断言ができなかった。個人でのポイント支給も十分にありえたからな」

 

 嘘ではない、提示できる証拠が何もなかったので断言ができなかっただけだ。何を言ってもあの場では妄想でしかなかった。確信はあっても証拠がない。

 

「もっと詳しく情報収集をして細かく話せればよかったんだけどな、そこはすまないと思っている」

 

「ううん、笹凪くんの忠告がなければ、確実にポイントは減っていたと思う。感謝こそしても批判なんて誰もしないさ」

 

「そうそう、めっちゃ助かったよ、ありがとね」

 

 平田と軽井沢がそう言えば取り巻きである女子たちもウンウンと頷いてくれる。さすがにもっと早く注意しろよと理不尽な怒りを向けて来る者はいないらしい。

 

「まぁ、この後に茶柱先生が色々と説明してくれるだろから、それを待とうか」

 

「うん、今なら先生も答えてくれるはずだ」

 

 平田は色々と茶柱先生に質問していたが、全て「それは答えられない」で撃退されてしまっていたので、質問が山ほどあるのだろう。

 

 じれったさに支配された教室は奇妙な興奮と困惑に支配されており、それを唯一解決できるであろう茶柱先生の登場を全員が今か今かと待っていた。

 

「一つ聞きたいことがあるのだけど」

 

「なんだい、堀北さん?」

 

 席に座るとすぐに堀北さんが声をかけてくる。振り返ってみると彼女にしては珍しい困惑や焦りのようなものが見て取れた。

 

「ポイントのことよ……貴方、個人ではなくクラス単位での評価だと知っていたの?」

 

 そう言えば堀北さんは個人の評価で決まると考えていたんだっけ。

 

「予想はしてた、だからクラス全体に話したんだけど、断言できる材料がなかった、かな」

 

「……」

 

 彼女だって少し考えればその可能性に行き着くことは決して難しくはなかった筈だが、極まった個人主義が思考を狭めていたらしい。

 

「茶柱先生を待とうよ、ようやく説明してくれるだろうからさ」

 

「……そうね」

 

 きっと五月一日の段階で箝口令は消滅するんだろう。さぞ軽快に口を滑らせてくれる筈だ。

 

 教室の扉が開きスーツ姿の美人が教壇に立つと、全員の視線がそこに集中する。

 

「これより、朝のホームルームを始めるが……質問のある者は挙手しろ、今なら答えてやるぞ」

 

 ここ最近は生徒からの質問の全てを「答えることができない」で拒絶してきた茶柱先生の態度は軟化している。ようやくだ。

 

「茶柱先生、ポイントに関してですが……笹凪くんの言っていたように、生徒の評価によって変動するということでしょうか?」

 

「その通りだ平田、このクラスには諸々の減点があって45000ポイントが振り込まれている」

 

「……どのように減点されているのでしょうか?」

 

「お前たちはもうそれを理解しているだろう。遅刻、欠席、私語にスマホ弄り、居眠り、日々の授業態度、いくらでも思い当たる筈だ」

 

 ニヤニヤと笑みを深める茶柱先生はとても邪悪に見える。美人だけど本当に残念な感じだ。

 

「遅刻はするな、私語はするな、授業はまともに受けろ。お前たちは小学校や中学校でそう言われてきただろう。当然ながらこの高校でもその当たり前を求めていくぞ……そしてその当たり前をわざわざ注意したりもせん。できて当たり前のことなんだからな。それでポイントが減ったのならばそれは全てお前たちの自己責任だろう」

 

「最初から言ってくれれば僕たちは真面目に授業を受けていました」

 

「どうだかな、その当たり前ができていないから、お前たちのポイントは減らされたんだ……そもそも、なぜ注意しなければならない」

 

「何故って、それは……」

 

「ここは高校だぞ? 義務教育の場ではない。それともお前たちはもう一度小学校や中学校で教わったことを、この場所でも教わりたいのか?」

 

「……」

 

 平田は黙ってしまった。うん、言葉キツイよな。

 

 そこで俺は代わりとばかりに手を上げる。

 

「笹凪か、なんだ?」

 

「本題に入ってください。ポイントがどう減るか、どうしてや何故を今更問いかけても意味はないでしょう。これからの話と目標を提示して貰いたいです」

 

 茶柱先生の笑みがますます深まる。個人的にはもっと穏やかに笑った顔を見せて欲しい。

 

「良いだろう、まずはこれを見ろ」

 

 黒板に張り付けられた紙にはクラスと評価が書かれている。Aクラスは940、Bクラスは650、Cクラスは490、Dクラスは450となっている。

 

「これらが各クラスの評価、そしてこの数字を百倍にしたものがお前たちに支給されるポイントになる。一応言っておくが、評価に関しては全て平等に行われており不正は一切ない」

 

 教室がザワついた。ここまで大きな差が開いていることに衝撃を受けたのだろう。

 

「どうして、ここまでポイントに差が生じているんでしょうか?」

 

 平田の疑問に茶柱先生が答える。

 

「この学校では優秀な生徒の順にクラスが振り分けられるようになっている。最も優秀な生徒はAクラスであり、その逆はつまりはⅮクラスと、な。大手集団塾でもあるようなシステムなのでわかりやすいだろう……つまりお前たちは新入生で最も評価の低い不良品ということだ」

 

「ッ!!」

 

 右後方付近から強い苛立ちの気配を感じ取る。今の茶柱先生の発言に納得できなかったのだろう。

 

「だが感心もしたぞ、このシステムに気が付いて態度を改めることができたんだからな。毎年のようにお前たちは不良品で、どうしようもない集団だと伝えるつもりではあったが、及第点くらいはくれてやろう」

 

 馬鹿にするような、しかし本当に感心しているような、そんな顔で茶柱先生は俺たちを見つめて来る。

 

「それと数値は単純にお前たちに支給されるポイントを表しているだけではなく、そのままクラスのランク分けも表している」

 

「どういうことでしょうか?」

 

「この数値が現時点で他のクラスを超えていたならば、例えばCクラスの490を超えていた場合、お前たちは今日からCクラスだった訳だな」

 

「それに何の意味があるんでしょうか?」

 

 平田がクラスメイトを代表するようにそう質問すると、茶柱先生はこう返す。

 

「お前たちの中には将来希望とする進路や目標の為にこの高校に来た者もいるだろう。進学、就職率、百パーセントといった甘い言葉に寄せられてな……だが、その恩恵を受けられるのはAクラスで卒業した者のみだ」

 

 また教室がザワつき、受け入れられないとばかりに声を荒げる者もいた。そう言えばそんな話もあったなと俺は思い出す。

 

 そもそも師匠に勧められて、というか放り込まれるようにここに来たので、将来の目標だったり夢を持っていない。そんな俺はこの中では異端なのだろうか?

 

 師匠曰く憧れだけでは未熟者、恋を知って半人前、夢を見つけてようやく一人前って言ってたかな。

 

 どれか一つだけでは未熟な人間にしかならない。三つ揃えて努力すれば無敵になれるとかなんとか。

 

 憧れは既にある。師匠だ。

 

 けれど残りの二つを知らない、だからお前には高校生活が必要なんだと言われたから入学したんだよな。

 

 この学園で残りの二つが見つかり、俺が本当の意味で一人前の人間になれるかどうかはわからないけど、探すつもりではある。

 

 憧れだけでは師匠に追いつくことはできないからだ。

 

 茶柱先生がこの前にやったテストの結果を張りだして、赤点組に盛大に危機感を押し付けているのを眺めながらこれからのことを考える。

 

 一先ずの目標として、赤点組の救助を行うとしよう。

 

 師匠曰く、友人は大切。

 

 

 

 

 

 

 

 



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呼び出しと協力

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「1-Dクラスの綾小路清隆君、同じく笹凪天武君、担任の茶柱先生がお呼びです。職員室に来てください」

 

 

 放課後になった瞬間にそんな放送が聞こえて来る。綾小路も同様に呼ばれたらしい。

 

「これはあれだな、生徒指導室で折檻とかそんな感じかな」

 

「そうなのか?」

 

「いや、知らないけど、職員室に呼ばれたら教師から怒られるのって学校あるあるらしいからそう思っただけ」

 

「なるほど、あるあるなのか」

 

「一応聞くけど、綾小路はなんか心当たりがあったりするのかい?」

 

「いや、全くない」

 

「ん、俺もだよ」

 

 これからクラスで今後の方針を話し合うつもりだったんだけど、タイミングが悪いな。

 

「笹凪くん、綾小路くん、呼び出されてたみたいだけど」

 

「ん、そうみたいだ。平田、悪いんだけど話し合いは俺たち抜きでやってくれないかな、決まったことがあったらチャットかメールで教えて欲しい」

 

「うん、わかったよ」

 

 教室では平田の呼びかけに応じてこれからどうするのかを話し合う会議が始まろうとしていて、俺もそこに参加するつもりだったのだが、まぁ俺がいてもいなくても平田がどうにでもしてくれるだろう。

 

 結局、日々の生活態度に気を付けて、迫るテストに備えて勉強会を開く感じに落ち着くだろうからな。

 

「俺に手伝えることがあれば何でも言ってくれ、隣人は愛するものらしいからな」

 

「ありがとう、頼りにさせてもらうよ」

 

 平田は微笑む、爽やかな笑顔である。取り巻きの女子生徒たちも頬を染めていた。

 

「それじゃあ綾小路、行こうか?」

 

「あぁ」

 

 こいつも平田のように微笑めば女子人気が出そうではあるが、なかなか難しいのかもしれない。

 

 或いはその肉体を生かしてもっと積極的に前に出れば劇的な変化もありそうではあるが、俺の中ではシャイな男の子に分類されてしまっているので、それもまた難しいのだろう。

 

 そもそも積極的に動く綾小路をどうした訳か想像できない。

 

「失礼します」

 

 職員室の扉を開いて挨拶。師匠曰く挨拶は大事。

 

「あら笹凪くんじゃない~、サエちゃんの呼び出しよねぇ? ふふ、何かやらかしたのかなぁ~」

 

「やだなぁ星之宮先生、俺は優等生であろうと心がけて日々生きてます。教育的指導なんて無縁の生徒ですよ」

 

 職員室に入ってまず声をかけてきたのは甘ったるい喋り方をした教員、星之宮先生である。

 

 年齢は、うん、聞かない方が良いんだろうな。いい歳してとかも禁句だ。師匠曰く配慮は大事。

 

「笹凪はこの先生とも知り合いなのか?」

 

「うん、四月に色々と情報を集めてたんだけど、この先生にも訊ねたんだよね。上手くはぐらかされたけどさ」

 

「それはそうよ~、簡単には教えてあげられないものぉ~」

 

「でも先生とのお喋りは楽しかったですよ。同級生と喋ってるような気がしました」

 

「うふふ、それって私が女子高生みたいってことかしらぁ、嬉しいこと言ってくれちゃってぇ」

 

 星之宮先生が身をくねらせて何やら震えている。褒めるのは大事と言った師匠はやはり正しい。

 

「でも駄目よッ、教師と教え子の禁断の関係なんてッ――イダッ!?」

 

 言葉では否定しつつも指先で俺の腹付近を突いてくる三十手前の女性の頭に衝撃が走る。犯人は背後から近づいて来た茶柱先生だ。

 

「綾小路、そして笹凪、付いて来い……お前は付いてくるな」

 

 星之宮先生も何故かついて来ようとしていたが、それは阻止されてしまった。

 

「1-Ⅾクラス、今年は調子良いみたいねぇ~……もしかして下剋上とか考えてるのかなって思って」

 

「不良品の集まりにそんなことは不可能だ」

 

「そうかしらぁ、期待はしてるんじゃない?」

 

「……ふん」

 

 視線がこちらを舐めまわす。さっきまでのからかい半分の瞳とは違って、鋭く艶めかしいものである。

 

 いい歳して甘ったるい喋り方をして幼さを強調してくるような人ではあるが、見た目通りの人ではないということだろう。

 

 結局、先生は自分が受け持っている生徒が呼んでいることで引き返すことになり、俺と綾小路は生徒指導室まで案内されてしまった。

 

「ここが生徒指導室、教育的指導が行われる場所かぁ……鬼のような教頭先生に殴られるのが学校あるあるらしい」

 

「だとしたら恐ろしい場所だな」

 

「馬鹿なことを言っていないでこっちに来い、給湯室で騒がず待機していろ」

 

「ところで俺と綾小路は何で呼ばれたんでしょうか?」

 

「黙ってじっとしていろ、破れば退学だ」

 

 そんな理不尽な。

 

 綾小路に視線を向けてみると、彼も僅かに首を振って大人しくしているべきだと主張する。

 

 二人してお茶を啜っていると隣にある生徒指導室から会話が聞こえて来た。話は筒抜けなのか。

 

「それで、私に話があるそうだな、堀北」

 

「えぇ、なぜ私がDクラスに配属されたのかを説明して貰いたいです。先生は優秀な生徒ほど上に、そして劣等生ほど下に配置されると説明されましたよね、どうして私がDクラスに配属されたのでしょうか?」

 

「率直な疑問だな、それに対する返答は、お前はなるべくしてDクラスになった、だ」

 

 堀北さんの視線が鋭くなったのが簡単に想像できるな。

 

 反論として入試での手ごたえであったり面接での受け答えにも問題がなかったと説明しているが、うん、まぁ、頭も良いし度胸もあるんだろうけど、彼女はかなり特殊な部類の人間だ。

 

 俺はどうだろうかと考えてみると……うん、大差ないな。小学校も中学校もまともに通っていない上に、師匠が学園長や理事たちにごり押しして入学させたって話だから、Dクラス配属も妥当である。

 

 憧れだけを知っている人間は未熟者、恋と夢を見つけて一人前を目指さないとダメだろう。

 

「綾小路、笹凪、こっちに来い」

 

「……笹凪、呼ばれてるぞ」

 

「ん? あぁ、行こうか」

 

 師匠のことを思い出していると茶柱先生に呼ばれた。わざわざ堀北さんを巻き込む辺り遠回しなことを好むらしい。

 

「……貴方たち、なんでここに」

 

 すぐさま堀北さんの視線が鋭くなって先生を突き刺す。そりゃそうだ、自分の内情を他人に聞かれるなんて喜ぶようなことでもないのだから。

 

「どういうことですか?」

 

「まぁ待て堀北、これが必要だと判断したまでだ、お前も聞いておいて損はないぞ? まずは綾小路、お前からだな。お前は面白い生徒だな、えぇ?」

 

「茶柱、なんて苗字の先生ほど面白い男じゃありませんよ、オレは」

 

「全国の茶柱さんに頭を下げさせるぞ……はぁ、お前は入試の結果、国語、数学、英語、社会、理科、全ての科目が50点、この間おこなったテストも50点だったな?」

 

「偶然って怖いっすね」

 

 全てを百点で揃えるよりも難しいかもね。オリンピックメダリストみたいな徹底的な肉体といい、独特な気配といい、綾小路は不思議な男である。

 

「貴方は……どうしてこんな訳のわからないことをしたの?」

 

「偶然だっての。隠れた天才とか、そんな設定はないぞ」

 

「どうだかなぁ。ひょっとしたら堀北、お前よりも頭脳明晰かもしれんぞ」

 

 煽るような言い方に堀北さんはムッとした顔を見せた。

 

「そして笹凪、お前はまた変わった生徒だなぁ。小学校も中学校も不登校だというのに、入学試験は満点、どこで勉強を教わった?」

 

「とりあえず個人情報の暴露止めません?」

 

 綾小路と堀北さんは信じられないといった表情でこちらを見て来るのが辛い。お前まともに学校通ってなかったのかよと馬鹿にされている気分になってしまう。

 

「まぁあれですよ、ホームスタディって奴です。俺に生き方の全てを教えてくれた師匠は完璧超人だったので、茶柱先生よりも教えるのが上手い人だったんじゃないですかね」

 

 間違いなくウチの師匠は茶柱先生よりも教師に向いている。やっぱ師匠はすげえよ!!

 

「それで、結局、茶柱先生は何がしたいんです? わざわざ生徒の個人情報まで暴露して、遠回しなことなんてせずにさっさと目的を聞かせてください。察しろ、なんてのは古い考えだと俺は思います……ぶっちゃけ不愉快ですよ」

 

「ふッ……別に他意はないさ、何もな」

 

 ならなんでこんなことをしたんだよ、俺だけじゃなくて綾小路や堀北さんも同じように思ってるのは間違いない。

 

「話は以上だ、出ていけ」

 

 言いたいだけ言って、暴露したいだけして、茶柱先生は俺たちを追い出してしまう。

 

「ん……終わったみたいだし帰ろうかな。放課後は部活に汗を流すものらしいからさ。綾小路、堀北さん、また明日」

 

「あぁ」

 

「待ちなさい」

 

 首根っこを捕まれて引き戻そうとする堀北さんではあるが、残念ながらこちらの体幹はピクリとも揺るがない。

 

「なんだい?」

 

「まだ話は終わっていないわ」

 

「ん、聞こうじゃないか」

 

 振り返って堀北さんと向かい合うと、彼女は鋭い目つきでこちらを見つめて来る。

 

 少しの焦りが感じ取れるのは、自分がDクラスに配属されたことによるものだろうか。

 

「貴方は納得できるの? 入試試験で満点らしいけど、それでも不良品扱いされてしまったのよ?」

 

「学校側の評価にはあまり興味はないかな。それに茶柱先生も言ってたけど、俺は小学校も中学校も通ってなかった。確か籍だけはあった筈だけどマジで一度たりとも登校してないんだ……入試の結果を帳消しにして余りある事実じゃないかな」

 

「それは……そうだけど、悔しくはないのかしら?」

 

「堀北さんは何が言いたいのかな? 茶柱先生にもさっき伝えたけど、遠回しなことはせずに目的を話して欲しい」

 

「私は、Dクラスに配属されたことに納得していない……けれど学校側に何を言っても無駄ってことはわかる」

 

「続けて」

 

「Aクラスを目指す……そして証明するの、私は――」

 

「ん、良いんじゃない、手伝うよ」

 

「……随分と従順ね」

 

「やるからには勝つ、半端な真似は許されない。学校側がそれを目指せって言ってゴールを置いたなら誰よりも早くそこに辿り着く、勝負事に中途半端な気持ちで挑むつもりは無い。だから手伝えって言うんなら当然手伝うとも」

 

 師匠曰く、惰性は不要。やるからには全てを凌駕して勝つことが大事。

 

 次に堀北さんの視線は綾小路に向かうのだが、彼は露骨に顔を背けて距離を取ろうとする。

 

「待ちなさい、貴方にも話があるわ」

 

「断る」

 

「綾小路くん、貴方の唯一とも言える友人はこちらの軍門にくだっているけど? まさかこれから毎日一人で寂しくお昼休みを過ごすつもりなのかしら?」

 

「くッ……それは、卑怯だろ」

 

 はい、綾小路も陥落しました。

 

「だが出来ることと出来ないことはあるぞ、頼るなら笹凪を頼れ」

 

 こいつ、シレッと俺に仕事の分配を押し付けやがった。

 

「……貴方にも問いただしたいことは山ほどあるけど」

 

 堀北さんの瞳が疑念の色で染まっていく。やはり全ての教科を50点で揃えるのは目立ってしまう。

 

「どうして貴方は――」

 

「はいそこまで。堀北さん、人には色んな事情があるんだ、踏み込むべきではない所はある、君だってそうだろう?」

 

「……笹凪くんは気にならないのかしら?」

 

「テストで100点取ろうが50点だろうが、彼が彼であることに変わりはないさ。君にとって重要なのはAクラスに上がること、その為に俺と綾小路が手伝う、それ以上に何を求めるというんだい」

 

「……」

 

 疑念の色は消えない。だが今はそこに集中している場合でもないと理解したのだろう。

 

「まぁ、今後どうするのか話し合おうよ。Aクラスを目標にするのなら意思と認識と目標の共有が必要だからね」

 

「……今はそれで良いわ」

 

「その辺はお前たちで頼む」

 

 あまり協力的ではない態度にまたもや堀北さんの視線が鋭くなった。

 

「とりあえず、協力関係を記念して連絡先交換しない? 今後の打ち合わせの為にもさ」

 

「そうだな」

 

 今、思えば堀北さんの連絡先って知らないな。そしてもしここで教えてくれるのならば、櫛田さんに続いて女子の連絡先を知れることになる。俺のスマホに女子生徒の連絡先が増えるのだ、こんなに嬉しいことはない。

 

 堀北さんもその必要性を理解したのだろう、しっかりと教えてくれた。

 

 嬉しいな、どうやら友人が増えたみたいだ。

 

 この人は独特でだいぶ特殊な人だけど、その分とても面白く感じる。何より美人なのが凄く重要である。

 

 憧れを知るだけでは未熟者、恋を知って半人前、夢を見つけてようやく一人前、そんな師匠の言葉を思い出す。

 

 この子は俺に恋を教えてくれるだろうか? そんな期待を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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勉強会を成立させろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中間テストが迫ることで盛大に焦ることになるのはやはり赤点組だろう。茶柱先生は赤点を取ると一発退学と言っていたので、例え赤点組でなくとも盛大に焦る。

 

「皆、中間テストが二週間後に迫っている。なので今日から勉強会を開こうと思うんだ」

 

 誰よりも早く行動に移すのはやはり平田である。人望もリーダーシップもあるので本当にできた男である。

 

 女子生徒はこぞって参加するだろうし、赤点組だってこの状況下で参加しない意味が無い。

 

 ただこんな状況であっても何故か一夜漬けで乗り越えられると信じて疑わない者も何人かいるようではあるが。

 

 その三人とは池、山内、須藤の三人である。

 

 いや、彼らも焦りは内心ではある筈だ。それでもどこか斜に構えた態度なのはクラス全体の雰囲気や敵意が原因なのだろう。

 

 ポイントが減った原因の多くが彼ら三人であり、Sシステムの公開と説明があってから強い敵意を向けられるようになったのだ。

 

 それ自体は仕方がない、仕方がないと思うのだが、同じようにポイントを減らしていたであろう女子の一部ですら彼らに敵意を向けたのは正直どうかと思う。

 

 彼らも悪いが、彼女たちも悪いのだ。きっとあの三人の中でもなんで俺たちだけ槍玉にあげられてんだよと憤りがある筈、それでも平田に近しい女子たちはクラスカーストが高いので批判はされ難い。結果ヘイトが彼らに集中する。うん、悪循環だな。

 

 疎外感と憤りと、後悔と意地と申し訳なさと、強く出れない立場から、斜に構えてしまうのだろう。

 

 そんな彼らは平田主催の勉強会にも参加せずにフラフラとしている。ここで待ったをかけたのが堀北さんである。

 

 どうやら彼女も勉強会を開くつもりらしい。あのハリネズミモード全開で。

 

 鋭い針を向けながら勉強会を開こうとしても上手く行かないことはわかりきっているし、手伝いに駆り出された綾小路もそれは理解しており、結果として橋渡し役が必要となった。

 

「いやぁ、櫛田さんがいてくれて良かったよ。ほんっと頼りになる、よッ、大天使!! よッ、大統領!!」

 

「も、もう笹凪くん、褒め方が独特だよ」

 

「いやいや、本当に感謝してるのさ。俺や堀北さんが呼びかけてもあの三人は参加しなかっただろうからさ。その点、優しくて美人な櫛田さんなら効果抜群だ、しかも頭も良いから教師役も期待できる、完璧じゃあないか」

 

「……」

 

 櫛田さんは褒められて悪い気がしなかったのか、少しだけ照れた様子で頬を染め、僅かに体を震わせる。見ていてとても目の保養になるのだが、背中に突き刺さる堀北さんの鋭い視線が痛いな。

 

「あれ、どうしたの堀北さん? 怖い顔してるよ。どうしたのかな?」

 

「別に……何でもないわよ」

 

 櫛田さんがここにいることにまだ納得していない様子の堀北さん。この二人の相性が悪いってことはなんとなくわかるけど、今回だけは我慢して欲しい。

 

 俺と綾小路と堀北さんだけでは、あの三人を勉強会に参加させることは不可能だったからだ。

 

 だから睨まないで欲しい、ちゃんと三人を連れて来たことで帳消しにしよう。

 

 今は放課後、赤点組救済の勉強会がようやく開始された。

 

 池も山内も須藤も、どれだけ斜に構えていようとも心の内には焦りがある。だからこそ櫛田と言う餌を用意して勉強に参加しやすい状況を作った。仕方がないから参加してやるという言い訳を使わす為に。

 

 うん、面倒だよね。でもそういうのは大事で、どれだけ面倒であっても必要なことでもある。

 

 誰も彼もが鋭い言葉と正論で殴りつけてねじ伏せるだけでは駄目、社会を回していく上で、多少の配慮と虚飾は必要なのだろう。

 

 言い訳、大変結構、それで実際に上手く動くのならば大いに歓迎できる。

 

 人類だれもが相手を思いやる言葉で会話をできれば、例えそれが上辺だけのものであっても、きっと回っていくはずだ。

 

 櫛田さんのように上手く、そして巧みに相手を煽てられていれば世界はどれだけ平和だろうか。

 

 そんな櫛田さんとは対照的に、堀北鈴音という女性はとにかく正論と鋭い言葉で相手をぶん殴ることに一切の躊躇いがない人物であった。

 

 

 

「あまりに無知、無能すぎるわ」

 

 

 

 今日も彼女を中心に世界が回っているらしい。

 

「こんな問題も解けなくてどうしていくのか、想像するだけでゾッとするわね」

 

 勉強会が始まってまだ一時間をたっていない。だが既に崩壊が始まっている。

 

 最初は、うん、躓きながらも櫛田さんの手伝いもあってなんとか進んでいたのは間違いない。彼女の魅力に当てられて鼻の下を伸ばしながらもしっかりと勉強は進んでいたのだから。

 

 須藤たちの態度が悪かったのも事実ではあるが、それでも勉強会の体裁は整っていた。

 

 正論でぶん殴ろうとする堀北さん、勉強に付いていけないながらも一歩一歩丁寧に進めようとする俺と櫛田さん。

 

 鋭い言い分にキレる須藤に、最後に無表情で眺める綾小路。

 

 教える側も教えられる側も決定的にすれ違った関係で、それでもなんとか形を整えようとしているのに、堀北さんはそれを真っ二つに両断するのだった。

 

「せえな、お前には関係ないだろッ」

 

 苛立った様子の須藤に勉強会の場は一気に冷え込む。そんな彼に一切怯む様子もなく睨みつける堀北さん、どちらも引く気はないらしい。

 

「言いたいこと言いやがって、勉強なんざ、将来なんの役にも立たないんだよ」

 

 あちらがこう言えば、こちらがこう言う、堀北さんは気が付いているかどうか知らないが、須藤と同じくらいに感情的になっているのだろう。

 

「今すぐ勉強を、いいえ、学校をやめて貰えないかしら? バスケットのプロなんてくだらない夢は捨てて、バイトでもしながら惨めに暮らすことね……私は愚かな貴方たちと違ってAクラスを目指しているのよ、足手まといはさっさと退学して消えて頂戴」

 

「……おい、堀北」

 

 綾小路が止めようとするのだが、須藤と堀北さんの耳には届かない。

 

「はッ、Aクラスだぁ? できる訳ねえだろうがそんなこと、俺もお前も不良品なんだからなッ!! 偉そうなこと言いながらてめえもDクラスだろうが」

 

「……なんですって?」

 

「ほ、堀北さん、須藤くんッ……落ち着こう、ね?」

 

「櫛田さん、危ないから離れなさい」

 

 睨み合って詰め寄る須藤と立ち向かう堀北さんの間に割って入ろうとする櫛田さんを、俺は背中に隠して代わりに前に出る。

 

「はい、そろそろ止まろうか、このやり取りに何の意味もないよ。どちらも感情的になるべきじゃない」

 

「うるっせぇな!! てめえもすっこんでろ!!」

 

「私は感情的になっていない、同列に語らないで」

 

「そうかな? 須藤も堀北さんも、互いの目標をできる訳ないと否定して馬鹿にしている……須藤はプロのバスケット選手を目指しているのに堀北さんの目標を否定するのかい?」

 

 次に視線は堀北さんに向かう。

 

「そして堀北さんはAクラスを目指すと言う目標を掲げているのに、須藤の目標は否定するのかい? それは相手を貶めるだけでなく、自分自身の目標すら汚す言葉だ」

 

 そう伝えると二人の瞳が僅かに揺らいだ。

 

「そんな目標は叶いっこない、君たちは今、そう罵り合っているんだ。自分のことを棚に上げてね。こんな不毛な時間に何の意味もない……違うか?」

 

「……ッ」

 

「チッ!!」

 

 堀北さんの表情が歪む。須藤は舌打ちをしてきた。

 

「どこにいくんだい、須藤?」

 

「こんなとこいられるかよ」

 

「そうか」

 

「……付いてくんじゃねぇ!!」

 

「まぁまぁ、少し話をしようじゃないか……堀北さん、櫛田さん、綾小路、悪いんだけど勉強会はそのまま続けてくれ。池、山内、沖谷、席を立つな、どれだけ居心地が悪くとも、やれ」

 

 最後に師匠の雰囲気を真似て発言するとその場の空気が凍り付く、やっぱ師匠は凄い、さすが師匠だ。

 

 世界中の全ての人間が師匠なら平和になるのに……いや、無いな、修羅の国になってしまう。

 

 師匠モードで相手を押さえつけてからすぐに須藤の後を追っていく、肩を揺らしながら見るからに俺は苛立ってると主張しながら歩く須藤に追いつくと、その肩に手を置いた。

 

「なんだよッ!! 邪魔すんッ……」

 

「須藤、来い」

 

 師匠モードは継続である。この状態は疲れるが不思議と相手が従ってくれるので楽な部分もある。

 

 ただ怖がられてしまうのは考え物だな、これでは友達ができない。

 

「とりあえずメシでも食うか、腹減っただろう?」

 

「お、おいッ!!」

 

 怯える須藤を連れて向かうのはケヤキモール内にあるラーメン屋である。放課後なので男子生徒を中心に賑わっているが、幸いにも席が二つ空いていたのでそこに腰を下ろす。

 

「ここは奢ろう、好きな物を頼んでくれ……あ、すいません、注文良いですか? このラーメン定食のご飯大盛りで、須藤は?」

 

「……ラーメン定食大盛り、餃子付きで」

 

 何を言っても無駄だと観念したのか大人しく付き合ってくれた。これくらい素直ならもっと勉強会も捗っただろうに。

 

「明日も勉強会だから参加するだろ?」

 

「はぁ!? 誰が出るかよッ!?」

 

「いや、出るんだ。退学になるぞ? マジでバイトして暮らしていくのか?」

 

「……あんな女に教えられるなんて絶対にごめんだぜ」

 

「堀北さんか、少し感情的になってたみたいだね」

 

「偉そうにペラペラとよ、勉強できるのがそんなに偉いのかって」

 

「まぁまぁ、食べながらゆっくり話そうじゃないか」

 

 かなり苛立ってるな、当たり前のことだけど。

 

「須藤はプロのバスケット選手を目指している訳だ、俺はあまりそういった方面に詳しくはないんだけど、やっぱり狭き門なんだろうな」

 

「まぁ、そりゃな、簡単なことじゃねえだろうよ」

 

「ただ一つわかることはあるかな、君が今ここで退学すればその狭き門は完全に閉じてしまうことはね」

 

「……だから我慢してあの女に勉強を見て貰えってか? 説教ならごめんだぞ」

 

「説教ではない、俺は今、君の未来の話をしているんだ」

 

「……」

 

「話は変わるけど、堀北さんがAクラスを目指している件に関してはどう思う?」

 

「無理にきまってんだろ」

 

「狭き門だろう、それは間違いない。君と同じように」

 

 ここで笑って貶さない辺り、その発言が自分の夢や目標を批判することに繋がると理解はしているのだろう。

 

 互いに認め合って頑張れと尊敬すれば良いだけなんだが、そこまで簡単なことでもないか。

 

「けれど、君はもう笑わないだろう? ここで笑ってしまえば、君の夢や目標も無理だと認めてしまうことになってしまう」

 

「……けッ」

 

 悪態をつきながらも反論はない。短絡的で沸点は低い男だけど、決して完全に愚かな男という訳でもないのだろう。

 

「結局、お前は俺に説教したいのか?」

 

「そう聞こえたのならすまないと思うが……そうじゃない、俺は、う~ん、何がしたいんだろうな?」

 

「てめえもわかってねえのかよ!?」

 

「いや、わかっているさ、ただ行動の言語化がとても難しいんだ……それでも敢えて言うなら、えぇっと……ん、そうだな、君に退学になって欲しくないんだと思う。クラスメイトだし、隣人は愛する者だと教わっているからね」

 

「あ、愛? えッ、お前、そういう……」

 

「変な誤解をするな、隣人愛を語っているんだ、情愛や性愛の話じゃない。俺は普通に女の子が好きだよ」

 

「お、おう、そうか。良かったぜ」

 

 何故か額の汗を拭う須藤、妙な勘違いをしているようだ。

 

「ん、遠回しに言葉をこねくり回しても仕方がないな、結論を言おう。俺は君がここで退学になって欲しくはない、だから勉強会に参加して欲しい、以上だ。とてもシンプルな理屈だろう?」

 

「……」

 

「ほら、ラーメンが来たぞ、食べよう」

 

「……おう」

 

 彼の中でこのままではいけないという迷いがある。怒りっぽくて短絡的で喧嘩っ早くて、けれどどうしようもないような愚者ではないのだから、迷いや後悔だって知っている。

 

 ここでもうひと押し、彼が勉強会に参加できる言い訳を用意するとしよう。

 

「そういえば須藤、ポイントってどれだけ残ってる?」

 

「ある程度はあるけどよ……ただ、まぁ、バッシュやらなんやら、欲しいものもあるからな」

 

 今月は45000ポイント振り込まれてる訳だしね、高校生の小遣いとしては上出来である。ただ高価な買い物はできない感じだな。

 

「そうか、なら勉強会に参加する度に俺が食事を奢るってのはどうだろうか? スポーツマンだししっかり食べたいだろうし、節約にもなる」

 

「お前だって毎日人に奢るほど余裕がある訳でもねえだろ」

 

「そうでもないさ、先月分が残ってるからだいぶ余裕がある。今月分のポイントも合わせれば何も問題はない」

 

「……マジか?」

 

「あぁ、悪い話じゃないだろ?」

 

「そりゃそうだが」

 

「ただし、しっかり勉強すること」

 

「……」

 

 須藤の顔が歪む、きっと堀北さんを思い出しているに違いない。

 

「これは、俺の師匠の言葉なんだけどね。人生には大切なことが三つあるんだって……憧れと、恋と、夢、どれか一つだけじゃ未熟者で、二つだけじゃ半端者、三つ揃ってようやく一人前らしい。須藤はもう夢を見つけてるみたいだから未熟者だね」

 

「おい、馬鹿にしてんのか?」

 

「してないよ、俺も立場は同じだから……俺が持ってるのは憧れだけだ、須藤のような夢はない、だから同じ未熟者だ。憧れだけじゃ届かないし、恋だけじゃ続かない、夢だけじゃ意味が無い、三つ揃ってようやく完全なのさ」

 

 だから、俺も須藤も立場は変わらない。三つの内の一つしか知らないからだ。

 

「同じ未熟者同士、共に協力していこうじゃないか」

 

 須藤は夢を知っている、俺にはない物をもう持っている。もしかしたら彼は俺に夢とは何かを教えてくれるかもしれない。

 

「君がバスケに向ける情熱を、そうだな、この奢りのラーメン定食分くらいは勉強会に向けて欲しい」

 

 そこで須藤はガリガリと後頭部を掻く仕草をした。

 

「本当に奢ってくれるんだな?」

 

「二言はないよ」

 

「……たく、わかった、これで良いんだろ?」

 

「ん、おめでとう。君は今日、確かに夢に近づいた」

 

「……変わった奴だなお前」

 

「そうかな?」

 

「これまでは何考えてるのかよくわかんなかったからな……ただまぁ、なんつうか……ありがとよ」

 

「ん、それくらい素直になれたならもう大丈夫そうだね」

 

「このやろ、余裕ぶりやがってッ」

 

 須藤が俺の肩を叩いてくる、こういうのも良いな、なんだかすごく高校生っぽい。

 

 俺は今、とても高校生だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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彼と彼女に足りないもの

綾小路「こいつマジか」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 須藤を説得してなんとか勉強会への参加を受け入れさせたことでとりあえずの不安は消え去った。決して愚かではないしやる気さえあればあとはどうとでもできる自信もある。

 

 明日朝一で堀北さんへと謝罪の場を設けて、上手く彼女からも謝罪を……それは無理そうだから譲歩を引き出さないといけない。

 

 日々の日課であるランニングをしながらどうしたもんかと考えていると、遠くから何やら言い争う声が聞こえて来る。

 

 師匠イヤーは地獄耳だからな、ある程度の距離なら耳に届いた。

 

 痴話喧嘩程度ならば見なかったことにしてそのまま寮に帰るのだが、争っている人物がクラスメイトで、しかも生徒会長とくれば無視することもできない。

 

 そういえばあの人も堀北だったな、もしかして家族なんだろうか?

 

「愚かだな、昔のように痛い目を見ておくか?」

 

 鋭い目つきがよく似ているなと思いながら話を聞いていると、言い争いを続けていた生徒会長は堀北さんの頭を掴んで強引に投げ飛ばそうとしたので、さすがに待ったをかける。

 

「その辺にしておいたらどうです?」

 

 堀北さんを投げ飛ばそうとしていた腕を掴んで固定すると、二人の視線がこちらに向けられる。

 

「さ、笹凪くん!?」

 

「……お前か」

 

「どうもこんばんは堀北さん、それと生徒会長……妹さんを投げ飛ばすのはどうかと思います。下、コンクリですよ?」

 

「部外者は下がっていろ、これは身内の問題だ」

 

「俺が今から生徒会長のクラスメイトに暴行を働きにいって、貴方はそれを黙って見逃すんですか? 自分にできないことを他人に強制するもんじゃない……手を放してください」

 

「……」

 

「……」

 

 生徒会長さんと俺の視線がぶつかり合う。最悪の場合はここでこのまま腕を握りつぶすことになってしまうので、それは避けたいんだが。

 

「や、やめて、笹凪くん……」

 

 今にも殴り合いを始めそうな俺たちを止めたのは堀北さんであった。普段からは想像もできないほどに弱弱しいその声と懇願に、俺は拘束していた生徒会長の手を開放する。

 

 その瞬間、鋭く力強い裏拳が顎先に迫った。

 

 体幹と筋肉の動きでそれを予期していたので躱すのは容易かったが、続けざまに攻撃が続いたことで徐々に思考が師匠モードに近づいていく。

 

 掴んだら壊せ。いつも言われていた言葉が脳裏に鳴り響き、思考が薄まっていけば、プールでの水泳授業の時のように結果に向かって体が勝手に動くような感覚が近づいてくる。

 

 

 だが、その感覚に身を委ねることはできない、委ねたら最後、俺は多分、この人を握り潰してしまうから。

 

 

 なので師匠モードを遠ざけるように意識しながら攻撃を躱して、あくまで俺の意思で貫手を放つ。

 

「ッ!?」

 

 生徒会長も驚いたようだ。避けるばかりだったので反撃が来ると思っていなかったのか、それとも反応が出来ない程の速度であったからなのか、おそらくその両方だろう。

 

 貫手で奪い去ったのは生徒会長の目玉でも内臓でも喉でもなく、彼がかけていた上質なメガネである。

 

「生徒会長、もうこの辺で止めにしましょう、これ以上は無意味です」

 

「……なるほど、そのようだな。大した貫手だ、なんの流派だ?」

 

「古武術の一種です、空手ではありませんね」

 

 主に相手の内臓や目玉や喉を引き抜く技術だった筈。師匠の得意技なので俺の一番得意な技でもある。

 

 まだこの学校に来てそう長くもないのに、既に懐かしいなぁ。

 

「ほう? 古武術か、興味深くはあるが……まぁ、良い、眼鏡を返せ」

 

「堀北さんに暴行しないと約束してくれますか?」

 

「どうせお前が止めるだろう?」

 

「そりゃ止めますよ、貴方だってクラスメイトが同じ状況ならそうする筈です」

 

「そうだな、まさか一年生に諭される日が来るとは、俺もまだまだ未熟ということか」

 

「日々精進を心がけていればそれで良いと思います」

 

「ふッ、お前がいれば多少は面白くなりそうだ」

 

 生徒会長の視線が妹に向かう。その瞬間に堀北さんはビクッと体を硬直させる。

 

 なんていうか、虐待を受けた子供のような反応であった……遠くはないんだろうけど。

 

「鈴音、Aクラスに上がりたければ死に物狂いで足掻け」

 

 そう言って彼は去ろうとする、最後に俺に視線を向けてから思い出したかのようにこう言った。

 

「いい加減、眼鏡を返せ」

 

「ごめんなさい、勢い余ってこの有様です」

 

「……」

 

 うん、ごめんなさい、加減はしたんだけどね、脆い物だからこればっかりは仕方がない。

 

「……弁償します」

 

「いや、良い、勉強代としておこう」

 

 ありがとうございます。眼鏡って高いから配慮してくれて凄く助かる。

 

 遠ざかっていく生徒会長の背中を見送ってから、まだ硬直した状態の堀北さんに声をかける。

 

「大丈夫?」

 

「え、えぇ……大丈夫」

 

 普段の力強くて鋭い雰囲気は皆無で、とても弱弱しい雰囲気であった。不覚にも可愛らしいと思ってしまう。

 

「お兄さん、厳しい人みたいだね、あんなことするなんて」

 

「私が、不出来だからいけないのよ……」

 

 だからって投げ飛ばそうとするかね、あれじゃあ師匠と何も変わらない。いや、つまりあの人は師匠と同じようにこの世で最も尊い人ということにッ!?

 

 絶対にありえない、それだけはありえないッ!!

 

「堀北さん、何か飲む? ミルクティーで構わないだろうか?」

 

 お、落ち着け、お茶でも飲んで落ち着こう。

 

 自販機でミルクティーを二つ購入して片方を堀北さんに渡す。そして近くに合ったベンチに腰を下ろした。

 

「さぁ、飲みなさい」

 

「ありがとう……」

 

 やっぱり弱弱しいな、ショックが大きかったのかもしれない。

 

「……」

 

「……」

 

 そして無言の時間がやって来る。堀北さんも何を話せばいいのかわからないのだろう。

 

「須藤のことだけどさ、何とか説得できたから、明日から勉強会に参加できると思う」

 

「そう」

 

「堀北さんは、その……どうかな、須藤が参加することはさ」

 

「……良いと思うわ、私よりも貴方が教える方がずっと」

 

 う~ん、やりにくい、いつもの堀北さんの方が俺は好きだな。

 

「えぇっと、もしかして堀北さんはもう参加しないつもりなのかい?」

 

「……私がいても、できることはないわ。ただ相手を貶して怒らせて、あれだけ偉そうに語っておきながらお笑い種よね。須藤くんと何も変わらない」

 

 一応、彼女の中で言い過ぎたという思いがあり、反省もあるのだろう。

 

「ねぇ、私がAクラスを目指している理由はわかる?」

 

「……お兄さんに認めてもらいたいからだろう。堀北さんは生徒会長に強い憧れを抱いているんじゃないかな」

 

「えぇ、兄さんは何でも一番で、凄く優秀……それに比べて、私はいつまでたっても不出来なまま、しつけされても仕方がないわね」

 

 しつけでコンクリに投げ落とそうとするのは確実にやりすぎだと思う……いや、しつけで崖に蹴り落としてくる師匠がいるのでそう考えると甘い対応なのだろうか?

 

「ねぇ、堀北さん、人生で大切なことが三つあるんだけど、何かわかるかい?」

 

「……いきなり何の話をしているのかしら?」

 

「ん、これは俺の師匠の言葉なんだけどね、憧れと恋と夢を見つけて人はようやく一人前になれるんだってさ」

 

 ミルクティーで喉を潤しながら師匠からの言葉を伝えていく。

 

「一つ見つけて未熟者、二つ見つけて半端者、三つ全て揃えて一人前さ……憧れだけじゃ届かないし、恋だけじゃ続かない、夢だけじゃ意味が無いって言われたんだ」

 

「……」

 

 堀北さんは憧れの部分に強く反応したように思える。既に彼女の中にあるからだろう。

 

「堀北さんはお兄さんに憧れている、そうだろう?」

 

「えぇ」

 

「俺にも憧れている人がいる。その人は完璧超人で、本当に人類最強の人だ……俺はその人に憧れて、その人のようになりたいと思ったけど、笑われてしまってね、憧れだけじゃ届かないって」

 

「……憧れだけじゃ、届かない」

 

「俺はまだ人生で大事なことの一つしか見つけられてない、堀北さんと同じさ……残りの二つを見つけて一人前になりたいと思ってる」

 

 須藤はもう夢を持っているんだよな、羨ましい。恋と憧れはまだ知らないみたいだけど。

 

「だから堀北さんも、まずは残りの二つを見つけてみたらどうだい? きっとその時にお兄さんと話せば、別の何かが見えて来るんじゃないかな……君が持つ憧れはとても尊くて大切なものだ、けれどそれだけじゃ届かないんだ」

 

「……」

 

 何も答えてくれない、ただ迷いながらも持っていたミルクティーで僅かに喉を潤す。

 

「ん……堀北さん、俺と交際しようか?」

 

「ごふッ!?」

 

 おぉ、珍しい反応だ、ミルクティーを吹き出してる。

 

「な、ななッ、急に何を言い出すのよ!?」

 

「ん、もっと別の言葉の方が良かったかな? ごめんね、こういうのに慣れてなくて、う~ん、俺と付き合ってくださいって表現の方が良かったかな?」

 

「そ、そうじゃなくて……いきなり」

 

「あぁ、ごめん、でも冗談で言ってる訳じゃないんだ……さっきの話を覚えているかい? 人生に必要な三つの話。憧れと恋と夢って奴」

 

「さっきから話が通じていないのだけど」

 

「いやいや、通じているよ。俺も堀北さんもまだ憧れしか知らないって話。共に未熟者でしかない……だから恋を知れば一つ成長できるんじゃないかと思っているんだ」

 

「……な、なにを言っているのよ」

 

「堀北さんが俺に恋を教えてくれれば、俺は憧れと恋を見つけることができて晴れて半端者にはなれる。そして堀北さんもそれは同じ、一緒に成長できる。後は夢を見つけるだけだろう、間違いなく前進だ」

 

 だから、と言葉を区切ってから、真っすぐ彼女を見つめてこう言い放つ。

 

「堀北さん、俺に恋を教えてください」

 

「ッ!?」

 

 見たことも無い反応を見せてくれる。羞恥に震えて頬が赤くなっており、視線が右往左往している。普段の彼女からはまず見られない反応であった。

 

「そ、そもそも、貴方の言い分だと、私に対して恋愛感情が無いと言っているようにも聞こえるのだけど」

 

「ん、そう言われると反論ができないな……けど堀北さんのことは魅力的な人だと思ってるのは間違いない。美人だし、頭も良いし、運動もできる。少し言葉が厳しい所もあるけど、それも可愛らしさだと思える。スタイルだって良いし、声も好きだ、力強い視線も好みだし、笑った顔も見てみたいと考えてる、他にも――」

 

「や、やめて……止めなさい!!」

 

「お、普段の調子が戻って来たじゃないか」

 

「ッ!? 揶揄ったのかしら!?」

 

「いや、交際を申し込んだのは本気なんだけど……俺も君も、まだ恋を知らないみたいだから丁度いいかなって」

 

「~~~~ッ!?」

 

 顔を真っ赤にして、悔しそうな、それでいて羞恥に染まった顔でこちらを睨みながら声にならない唸り声を聞かせてくる。視線の鋭さも戻って来たな。

 

「ふ、ふふッ……こんなこと突然言われたらそりゃ困惑するか」

 

「そ、そうね、そして貴方が思っていた以上に軽薄な人間だということがわかったわ」

 

「嫌だったかい? まぁ絶対に無理って言うんなら俺も諦めるけど。他に恋を教えてくれそうな人を探すよ。未熟者の俺を半端者にしてくれるような素敵な人をさ」

 

「……」

 

 嫌がられているようなら潔く諦めよう。恋は押し付けるものじゃないって師匠も言ってた。

 

「まぁ、堀北さんもさ、俺が相手じゃなくてもいつか恋を見つけると良いよ。それはきっと、君を成長させてくれるものだからさ。憧れを見つけて、恋を知って、しかも夢を見つけられたなら、君は無敵になれる」

 

 残っていたミルクティーを飲み干してから、空になったペットボトルを自動販売機の横にあったゴミ箱に投げ入れる。

 

「勉強会、来てくれるよね?」

 

 かなり脱線してしまったけど、そこが本題でもあったな。このまま堀北さんがやる気を無くして赤点組なんて知るかと言われてしまうと凄く残念な気持ちになってしまう。

 

「堀北さん?」

 

「……わかった、考えておくわ」

 

 そこで彼女は立ち上がって同じように空になったペットボトルをゴミ箱に入れた。

 

「笹凪くん」

 

「何かな?」

 

「……その、ありがとう、気遣ってくれて。そしてごめんなさい、勉強会では、言いすぎてしまった。あんなこと、言うべきじゃなかった」

 

「ん……須藤にも同じことを言ってあげてよ」

 

「えぇ、そうするわ……おやすみなさい」

 

「良い夜を」

 

 寮に向かって歩き出す堀北さんを見送ってから暫く、俺はようやく気になっていた気配に声をかけた。

 

「そろそろ出てきたらどうだ……綾小路」

 

「……気が付かれてたか」

 

 自動販売機の裏から姿を現したのは綾小路である。いたのはずっと前からわかっていたけど、全く出て来る感じがしなかったんだよね、いや、出るタイミングなんて無かったんだけど。

 

「君の気配は独特だからね。全く、見てたんならもっと早く生徒会長を止めたらよかったじゃないか。危うく堀北さんが投げ飛ばされる所だったぞ」

 

「無茶言うな、オレはお前やあの人みたいに動けない」

 

「そうなのかい? まぁそういうことにしておこうか」

 

「……さっきの動き、凄かったな。古武術を習ってたと言っていたが、あんなことができるんだな」

 

「貫手のことかい?」

 

 掴んだのが生徒会長の眼鏡ではなく、喉とかだったら大惨事になってたと思う。

 

「あぁ」

 

「師匠から教わったんだ、空手と違って内臓とか喉とか脇腹とか目玉みたいな、柔らかい所を引っこ抜く技なんだって」

 

「笹凪の師匠がどういう人物なのかイマイチよくわからないな」

 

「人類最強だよ、誇張表現抜きでね」

 

 戦車をひっくり返す人だしな、殴って大体のことを解決できてしまう。

 

「……というか綾小路、人の告白を盗み聞きするなんて趣味が悪いぞ」

 

「そこはすまない、まさかいきなりあんなことを言い出すとは思わなかった」

 

「確かにね、俺も悪いか」

 

「気づいてたんなら、あんなこと言わなければよかっただろう」

 

「ん、反論できそうにないな」

 

 俺もベンチから立ち上がって帰路を探す。

 

「そろそろ帰るよ、おやすみ、綾小路」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 寮に向かって歩き出そうとすると、背後から別れの挨拶をすませたばかりの綾小路がこう言った。

 

「笹凪、お前が言っていた人生で大事な三つのことだが……」

 

「ん、それがどうかしたのかい?」

 

「一つも見つけていない人間は、どうすればいい?」

 

「そんなの簡単だ、見つければ良い」

 

「……」

 

「焦る必要はないさ、俺も君も、まだ高校生だ。憧れも恋も夢も、これから知っていけば良い」

 

「そうか」

 

「そうだよ」

 

「……わかった、探してみよう」

 

 そう言った綾小路の表情は、興味深いものであった。

 

 きっと彼にも何か思う所があったのかもしれない。無表情でいつも何を考えているのかわかり辛い男ではあるが、あんな顔を出来たんだな。

 

 結論、やっぱ師匠は凄い。

 

 

 

 

 

 

 



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テストを乗り越える為に必要な冴えた方法

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「須藤くん、昨日はごめんなさい……私は貴方の目標と夢を侮辱してしまった、過ぎた物言いだったわ」

 

 放課後、図書室での勉強会、まずは堀北さんの謝罪から始まった。

 

 この子が頭を下げる日が来るとは、ちょっと今でも信じられない。

 

「ほら、須藤も」

 

 俺は渋面を作る須藤の背中を叩いて先を促す。

 

「その、なんだ、俺も……言い過ぎたみてえだ。すまねぇ」

 

 うん、須藤が頭を下げて謝罪するのもちょっと想像することが難しかったけど、一つ成長したようだ。

 

「お互いの夢や目標を批判するよりも、互いに認め合って尊重する方がずっと良いさ、うんうん、二人ともカッコいいよ」

 

「忘れんなよ、奢りの件」

 

「わかってるよ」

 

「奢り? なんのことかしら?」

 

「須藤が勉強会に参加してくれるのなら、俺の奢りで腹いっぱい食わせてやるって話だよ」

 

「そんな条件で呼び出したのね」

 

「あぁ、そんな言い訳があった方が須藤も参加しやすかっただろうからさ。ほら、こいつって素直じゃないしさ、所謂ツンデレって奴なんだよ」

 

「誰がツンデレだッ!? 馬鹿にしてんのか!?」

 

 思っていた以上に勉強会の再開はスムーズであった。

 

 放課後の図書室で集まって勉強会が始まる。さすがに赤点組も思う所があったのか今回は真面目に受けていた。櫛田さんに鼻の下を伸ばしているのは相変わらずではあるが、この前ほど悲惨な状況ではない。

 

「須藤くん、やる気が凄いね、この前はあんなんだったのに。笹凪くんが頑張ったんだね」

 

「胃袋を掴んじゃえばこっちのもんだって師匠が言ってた」

 

「胃袋って、ふふ、笹凪くん、料理上手な彼女さんみたい」

 

「勘弁してくれ櫛田さん、あんな彼氏はごめんだ。そもそも俺は女の子の方が好きだよ」

 

「……確かに、笹凪くんって堀北さんと仲が良いもんね」

 

「一番話す女子かもしれないな」

 

「……へぇ」

 

 勉強を教える傍ら、堀北さんが作って持ってきてくれた問題集のコピーを作る為に少し離れていると櫛田さんが声をかけてきた。須藤をやる気にさせたことを褒めてくれたのは凄く嬉しい。

 

「堀北さん、美人だもんね」

 

「確かに彼女は美しい」

 

「……」

 

 何で不機嫌になられるのかな、事実を言っているだけなのに。

 

 いや、待てよ、師匠曰く、女性の前で他の女の話をするべからずだったか?

 

「ただまぁ、彼女は言葉がキツイ所があるからな、櫛田さんのように愛嬌があって美しく可憐な人がいてくれてよかったよ。赤点組も君がいるからこそやる気を出してる、凄く助かってる」

 

 これは本当、嘘偽りない。

 

「笹凪くんって、その、照れないよね……美人とか可愛いとか、そういうの、誰にでも言ってるんじゃないかな? 駄目だよ、勘違いしちゃう子がいるんだから」

 

「櫛田さんが美しいのは誰が見ても事実じゃないか、わざわざ嘘ついて飾り付ける必要なんてない。ありのままを表現しているだけだ」

 

「そ、そっかぁ……なんだか、恥ずかしいな、えへへ」

 

 可愛い、凄く可愛い、照れた表情が凄く良い。俺も鼻の下が伸びてしまいそうだ。

 

 この子は俺に恋を教えてくれるだろうか。だとしたら嬉しいな。

 

 櫛田さんの機嫌をとった所でコピーした問題集を持って図書室に戻って勉強が再開される。

 

「櫛田、俺が50点とったらデートしてくれ」

 

 するといきなり綾小路が燃料を投入した。なかなかうまい奴である。

 

「あ、てめぇ綾小路!! ずりぃぞ!! 櫛田ちゃん俺も俺も」

 

「お前ら櫛田ちゃんは俺のもんだぞ、俺は60点取るからさ、そしたらデートして!!」

 

「えぇ、困っちゃうなぁ~……私、テストの点数でなんかで人を判断したりしないよ? でも、どうしてもって言うなら、満点取った人とデートしようかなぁ。嫌いなことでも頑張れる人って、私、好きだから」

 

 池や山内たちには効果抜群の報酬だろうな、そして俺にとっても。満点を取れば俺ともデートしてくれるということだろうか? 制服デートは青春そのものって師匠が言ってた。

 

「おい、おめえらギャーギャーうるせえぞ」

 

 櫛田さんとのデートを妄想していると、近くの席に座っていた他クラスの生徒から注意の声が飛んでくる。どうやらあちらも図書室で勉強会を開いているらしい。

 

「悪りぃ、悪りぃ、ちょっと騒ぎ過ぎてた、ごめんな」

 

 池も素直に謝罪したのでその場で収まるかと思っていたが、どうやら向こうはそれで収まらないらしい。

 

 わざわざ立ち上がってこちらの席にまで近づいてくると、煽るかのように挑発してくる。

 

「お前らDクラスか?」

 

「あ、あぁそうだけど」

 

 その生徒は少しばかりに人相が悪い、そして態度も悪い、小柄な須藤といった感じの生徒であり、こちらを馬鹿にするかのような視線で舐めまわしてきた。

 

「はッ、試験が近いってのに気楽なもんだな、だから不良品なんだよ」

 

「んだとてめぇッ」

 

「須藤くん、落ち着きなさい、争っても意味はないわ」

 

 この子は本当に沸点が低いな、自分の感情に素直とも言えるけど。ただ堀北さんの言葉を無視して殴りかからなかったのは褒めてあげたい。

 

 このまま見ていても仕方がないので、俺はいつものように師匠モードになって席から立ち上がった。

 

「な、なんだ、お前……え、いや」

 

 立ち上がって視線をぶつけると、相手はすぐに困惑する。師匠は圧力が半端ない人だから気持ちはよくわかってしまう。

 

 ごめんね、怖いよね。俺も戦闘モードの師匠を前にすると似たような感じになるよ。

 

「騒がしくして悪かった」

 

「あ、はい」

 

「今後は気を付けよう」

 

「あ、はい」

 

「席に戻り、自分の勉強に集中しろ」

 

「あ、はい」

 

「以上だ、戻れ」

 

 最初の勢いをどこかに落としてしまったかのように彼は席に帰っていく。一仕事終えたのでDクラスが使っている机の方に振り返ると、池や山内や須藤だけでなく、堀北さんと櫛田さんまで緊張で黙っているのが確認できた。

 

 綾小路だけはいつもの無表情だ、うん、彼だけは怖がってない。

 

「あ、大丈夫だったみたいね」

 

「ん、君は?」

 

「喧嘩でも始まるんじゃないかってビックリしたよ。あッ、私は一之瀬帆波、君はDクラスの笹凪くんだよね?」

 

 声をかけてきたのは美しい女子生徒であった。確かこの子はBクラスの神様的な人だったはず。

 

「あぁ、君が一之瀬さんか、噂はよく聞いてるよ。凄く明るくて美人で優しい子だって。なるほど、実物を見るとまさにその通りの人だ、とても美しい」

 

「にゃッ!? い、いきなりだね」

 

「だが事実だ」

 

「あぁ、うん……あ、ありがとう」

 

「照れる必要はない」

 

 何故だろうか、背後から凄く鋭い視線を感じ取る。僅かに振り返ってみると冷たいまなざしの堀北さんがこちらを見つめていた。

 

「それよりもすまない、もう騒がしくしないよ。仲裁してくれようとしたんだろう?」

 

「うん、でも大丈夫みたいで安心したかな。さっきの凄かったね、迫力というか目力っていうか、私びっくりしちゃったよ」

 

 師匠モードだったからな、怖がられるのは仕方がない。

 

「怖がらせてしまったのなら、申し訳ない気持ちになってくる、以後気を付けよう。今はどうかな?」

 

「う~ん、凄く優しそうに見えるかな。さっきまでとは別人みたいだよ」

 

「なら良かった、君みたいな可憐な人物に怖がられたくはないからね」

 

「にゃはは……なんかやりづらいよ」

 

「笹凪くん、一体いつまで口説いているのかしら……貴方は本当に軽薄な人みたいね」

 

 堀北さんが苛立った様子でそう言ってくる。事実を言っているだけなのにどうしてそこまで怒られないといけないんだろうか。

 

「誤解だ、俺はただ、誠実に、ありのまま思ったことを口にしているにすぎない」

 

「……」

 

 隣にいる一之瀬さんは顔を真っ赤にしているのに対し、堀北さんの視線は冷たくなるばかりだ。

 

「お、おほん、気になることがあるんだけど、良いかな」

 

 妙な空気をぶった切ってくれたのは一之瀬さんだった。

 

「えっとね、Dクラスが今、勉強しているのってテストの範囲外じゃないかな?」

 

「……どういうことかしら?」

 

「星之宮先生がホームルームで伝えてくれたんだけど、テストの範囲が変更になったんだって、うん、間違いないと思う……試験範囲はここからここまでだった筈」

 

 机の上に並べられた教科書や問題集などを見て一之瀬さんは確信をもって、テスト範囲の変更が行われたことを教えてくれる。

 

「……うちの担任からは何も聞いていないな」

 

「そうなの? なんだかそれって変だね」

 

「ど、ど、どうすりゃいいんだ!?」

 

「落ち着きなさい池くん、山内くんも、今からでもまだ間に合うわ……ありがとう一之瀬さん、教えてくれて」

 

 おぉ、あの堀北さんが素直にお礼を言うとは。

 

「にゃはは、良いよ、お役に立てたのならなによりかな」

 

「俺からもお礼を言わせてほしい、本当にありがとう。茶柱先生にも確認してみるよ」

 

 色々と不可解な行動をする担任の先生ではあるが、わざわざ自分のクラスに不利益を与えるようなことはしないと信じているんだがなぁ。

 

 ただあのニヤニヤとした顔で俺たちを見ている彼女は、ぶっちゃけ邪悪なので完全に否定もできないのが現状である。

 

 いよいよケツに火が付いてきた。ここからの追い込みでどれだけ赤点組に知識を詰め込めるかが重要になってくるが、どうなるだろうな。

 

 何か一発逆転の冴えた方法でもあれば良いんだが、茶柱先生曰く必ず乗り越えられるとのことだから、何かしらあるんだろうけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてどうしたものかと考えていると、その冴えた方法は向こうからやってきた。櫛田さんと綾小路が先輩をたぶらかして過去問を入手してくれたからだ。

 

「おぉ、こりゃ凄い、大手柄だよ二人とも」

 

 これが茶柱先生の言っていた方法か、確かに全く同じ問題が出て来る過去問があればどうにでもできそうだ。

 

「ありがとう綾小路、櫛田さん、この過去問なんだけど、暫く俺が預かっていいかな?」

 

「それは良いけど、皆には渡さないの?」

 

「違うよ櫛田さん、この過去問を参考にして問題集を作ろうって思ってる。赤点組の学力向上の為にね……或いはこの過去問をそのまま使ってもいいかな、去年や一昨年も同じ問題が出たと伝えないままね」

 

「なるほどな、須藤たちに勉強をする習慣を付けさせるわけか」

 

「そっか、じゃあ今すぐには渡せないね」

 

「あぁ、とりあえずその過去問と同レベルの問題集を作ってクラス全員に配る。それで勉強を続けさせて、最後の問題集としてこいつを渡そう。するとあら不思議、テストの日に全く同じ問題が出て来ることになるな」

 

 きっと驚くだろう、そして楽勝でテストは乗り越えられる。

 

「うん、わかったよ。じゃあこれは笹凪くんに渡しておくね」

 

「あぁ、良ければ綾小路と櫛田さんも問題集作りを手伝ってくれないかな? 自分たちの勉強が疎かにならない範囲でだけど」

 

「オレは、自信がないな」

 

 全教科50点で調整できる男が何か謙遜してるな。まぁ構わないんだが。

 

「私は大丈夫、問題集を作るのも勉強だし、もし駄目そうでも過去問の丸暗記でいけると思うから」

 

「ありがとう、それじゃあ頑張ろうか」

 

 櫛田さんと問題集を作っていると堀北さんにすっごい睨まれた。別に除け者にした訳ではなく、彼女には赤点組の勉強を見てもらうことに集中して欲しかっただけなんだが。

 

 櫛田さんも櫛田さんでどうした訳か堀北さんを煽るような言い方をするので、余計に不機嫌になっているようにも思えた。

 

 ただテスト対策は順調だ、そこだけは救いなのかもしれない。範囲の変更という不意打ちもくらいはしたが、これならば乗り越えられるだろうと思う。

 

 毎日放課後に集まって勉強会を開き、悩みながらも成長していく。これもまた高校生あるあるなのかもしれない。

 

 入学したばかりの頃は師匠と離れる寂しさもあったのだが、今では日々の課題や学生生活に追われているだけで一日が終っていることが多い。

 

 授業を聞いて、友人と語らい、部活動をして、テストに翻弄され、気になる子を口説いてみたり、うん、凄く高校生らしい生活だな。

 

 師匠に鍛錬を付けて貰ったり、師匠の仕事を手伝っている日々が今や懐かしい。

 

「高校生も、悪くないな」

 

 今なら、心からそう思える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、テストは何事もなく無事に終えることができた。最後の追い込みとなる一週間、俺は堀北さんと櫛田さんと一緒に赤点組にテコ入れするだけでなく、平田主催の勉強会にも顔を出してそちらの赤点組にもテコ入れしていた。

 

 あの二人が入手してくれた過去問を参考にして作った問題集を配り、残り二日の段階でほぼほぼ変わらない問題を、そしてテスト前日には何もいじっていない過去問をそのまま渡して勉強に励ませた。

 

 最も不安だった須藤に関しては寝落ちする寸前であったようだが、一時間おきに電話をかけることで阻止してギリギリまで予習させることもでき、その結果としてクラス全員がテストを乗り越えることに成功している。

 

 赤点を出した者はいない、茶柱先生も褒めてくれたのは印象的と言えるだろう。

 

 夏にはバカンスに連れて行ってくれるらしいので、楽しみではある……あのニヤついた顔から何かあるのは間違いないんだろうが。

 

「え~、それでは、無事お勤めが完了したことを記念して……乾杯ッ!!」

 

「お勤めって、ムショあがりじゃねえんだから、まぁ良いか」

 

「「乾杯!!」」

 

 須藤は考えることを止めて持っていたコップを掲げると、それに続くようにみんながコップを掲げた。

 

「皆お疲れさま、凄く大変だったね」

 

「本当だよ櫛田ちゃ~ん、俺って頑張ったよなぁ」

 

「俺も俺も、すっごい苦労したって」

 

「うん、池くんも山内くんも、勿論須藤くんだってすっごく頑張ってたよ。やっぱり頑張る男の子ってカッコいいと思う」

 

 デレデレと打ち上げ参加組の男子たちが鼻の下を伸ばす。俺も気を付けないとあんな感じになりそうで怖いな。

 

「ところで櫛田ちゃん、そのデートの件だけどさ」

 

「う~ん、一番頑張った人とって約束だから、するとしたら笹凪くんかなぁ」

 

「おい笹凪ぃッ!!」

 

「怒るなよ池、悔しかったら百点とれば良かった、そうだろう?」

 

「な、なんだよそれッ、お、お、お、お前まさか櫛田ちゃんとッ」

 

「……軽薄ね」

 

 部屋の隅で打ち上げ最中だというのに、本を読んでいる堀北さんの小さな呟きが届いたことで体がギクっと強張ってしまう。

 

「ま、まぁ皆のアイドルである櫛田さんとデートしようものならばクラスの男子たちに袋叩きにされそうだから、そこまで軽率なことはしないさ」

 

「笹凪ぃ、お前は本当にいい男だなぁおいッ!!」

 

 こいつ、調子いいな、嫌いじゃない。

 

 勉強会に参加したことで得たのは赤点回避だけでなく、池や山内や須藤といったこれまでどこか遠ざけられていた男子たちと距離が縮まったことも挙げられる。

 

 平田主催の勉強会にも顔を出していたので、そちらとも交流が深まった、俺のスマホには今やクラスの大半の連絡先が保存されているのだ。

 

 スナック菓子とジュースだけの打ち上げではあるが、それでも池が率先して盛り上げてくれるので雰囲気は悪くない。何よりテスト明けの開放感が手伝ってくれているのでストレス解消にはもってこいである。

 

 打ち上げ会場が俺の部屋になってしまったのは、少しだけ文句を言いたいが。

 

「彫刻をやるのか? 意外、でもないのか、確か美術部だったか」

 

「おや、興味があるのかい?」

 

 綾小路は俺の勉強机の上に置かれていた手製のチェスの駒を手に取って興味深そうに眺めている。まだまだ作りかけのものなので荒の多い作品ではあるが、暇を見つけて少しずつ作成している物だ。

 

「俺には芸術をどうこう判断できる教養はない」

 

「物の良し悪しを判断するのに教養は必要ないさ、好きか嫌いか、シンプルで良いんだよ」

 

「そういうものか」

 

「笹凪くん、絵も描いているのね」

 

 堀北さんの興味が本から俺の部屋の片隅に置かれているキャンパスに向けられる。布が被せられているそれは今度のコンクールに応募するものであった。

 

「あれだけ運動能力があるのだから、てっきり水泳部に入るものだとばかり思っていたけど」

 

「運動は好きだよ、でも文化的な活動も嫌いじゃないってだけさ」

 

「勿体ない気もするけどね、大会に出場すればポイントも得られるのだから」

 

「美術部で作った作品が入選しても同じだって」

 

「そう……ねぇ、見てもいいかしら?」

 

「良いよ、まだ描いてる途中だけど、九割くらいは完成してるから……でも鼻で笑われたりするとさすがに傷つくから配慮してほしい」

 

「しないわよ、そんなこと」

 

 後ろで騒ぐ池たちを気にしないまま、堀北さんはキャンパスの上にかかっていた布を取り除く。

 

「……」

 

「……おぉ」

 

 綾小路の感心したような声って貴重だよな、堀北さんの絶句もそれはそれで貴重だけど。

 

「どう? 個人的にはなかなかの力作なんだけど」

 

「……そ、そうね、想像以上だったわ」

 

「凄いな、上手く表現できないが……迫力があるというか」

 

「ん……褒められると嬉しいもんだな」

 

 キャンパスの上に描いたのは師匠モードでの妄想をそのまま書きなぐっただけの、うん、何とも言えない光景だな。

 

 あのモードだと俺の思考というか主義主張が希薄になって夢を見ているかのような感覚になるので、その状態で絵を描くと大変複雑で味のある作品が完成することが多い。

 

 普段の俺ならまずこんな作品は作れないだろうなと確信できるくらいには、別次元の発想や光景を思い描くことができてしまう。

 

 でも良いだろう、あの状態もまた俺の一部なんだから。別にズルしてる訳じゃない。

 

 芸術を作るには狂気に近い方が良いなんて言われることもあるくらいだし、あの師匠モードはそれに近いのかもしれないな。

 

 今思えば、師匠が片手間に趣味で作った作品が高値で売れることも多かったし、何も暴力的な手段だけで生活費を稼いでいた訳でもないのだろう。

 

「あ、そうだ、もし良ければなんだけど、二人に絵のモデルとか頼めないかな?」

 

「モデル? 俺と堀北が?」

 

「嫌なら良いんだけど、美術部の課題で人物画を描かないといけなくてさ、モデルを探してたんだ」

 

「……オレには無理だ、どうすれば良いのかわからない。堀北に頼んでくれ」

 

「じゃあ堀北さん、どうかな?」

 

「え、わ、私が? そんなの、無理よ……どうすれば良いかわからないもの」

 

 どっちともモデルの仕事を難しく考えすぎているようだ。確かに専門的な技術が求められる場合もあるが、学校の部活動での課題程度ならばただ座っているだけでいい。

 

「堀北はどうやら満更でもないらしい、こっちに頼め」

 

 よほど嫌だったのか綾小路はすっと後退して堀北さんを前にやった。

 

「駄目かな?」

 

 堀北さんが駄目なら誰に依頼しようか、そう考えながら視線を部屋の中央に向けると打ち上げで盛り上がっている櫛田さんが視界に入る。

 

 そして入った瞬間に、堀北さんの視線が鋭くなったのを感じ取った。

 

「……何故、今、櫛田さんを見たのかしら?」

 

「え、いや、堀北さんは乗り気じゃなかったから。櫛田さんなら頼みこめばOKしてくれそうだしな」

 

「……良いわ、その話、私が引き受ける」

 

「え、本当? 良いの?」

 

「私では不満なのかしら?」

 

「そうじゃなくて、嫌がる人に任せるのも悪いと思ってるんだ」

 

「嫌な訳では……いいえ、そうね、代わりに交換条件がある。つまり貴方の態度次第ということになるわね」

 

「お、良いね、そういう方が堀北さんらしい、条件は?」

 

「これからも力を貸して欲しいの」

 

「言われるまでもないことだ」

 

「本当の意味での、協力関係を結びたいと言っているのよ……正直に言わせてもらえば、私は貴方のことを便利な駒程度にしか最初は思っていなかった。笑ってしまうわよね、自分より優秀な相手を」

 

「褒め言葉なら素直に受け取ろう」

 

「そうしなさい……けれど、これから先は違う、私には足りない物が沢山あって、それはきっと、私一人ではどうしようもないものばかり。Aクラスに上がるには貴方が必要よ」

 

「……」

 

 照れるな、そこまで褒められると。

 

「だから契約の更新をしたい、これから先は私の仲間として、そして……ゆ、友人として、協力して欲しいの」

 

「ん、わかったよ、ならこれから、俺たちは仲間であり友人だ」

 

 友愛の証として手を差し出せば、堀北さんはおっかなびっくりといった感じで手を差し出してくる。

 

 可愛い反応だ。こういう顔も出来るのはズルいと思う。

 

 興味深いのは堀北さんの後ろでこのやり取りを眺めている綾小路の顔もだ。驚いたような、羨むような、納得したような、そんな顔をしていた。

 

 この学校に来てから色んな人と出会って、色んな考えや行動を見て来たけど、綾小路だけは飛びぬけてわかり辛くて不思議な存在だと思っている。

 

 いつか彼を理解できる日が来るのだろうか、その時は上辺だけじゃなく、本当の意味で分かち難い友になりたいものだ。

 

 

 師匠曰く、友人は大事。

 

 

 

 

 

 

 




これで第一章は終わり。間に幾つか小話を挟んで次章の暴力事件となります。


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小話集

章と章の間に小話を挟みたいと思います。


 

 

 

 

 

 「美術部の異様な雰囲気」

 

 

 

 

 

 美術部では最近、喉を鳴らす音が聞こえることが多い。

 

 それは緊張であると同時に、奇妙な興奮から来るものであった。

 

「……こいつがいると、やり辛いのよね」

 

 原因となっているのは私と同じ美術部の新入部員が原因である。ボソッと小さく呟いた私の声は誰にも届くことはなく、異様な雰囲気となっている美術部に溶けて消えていく。

 

「あ、神室さん、今日は来たんだ」

 

 もの凄く部活動に熱心な訳ではない私だが、入部した手前、完全に幽霊部員にならない程度に参加しているのだが、そこまで熱心な訳ではないのでこの言い分も間違いではない。

 

 同じ新入部員の一人がそんなことを言ってくるが、相手も別に皮肉で言っている訳ではないので怒ったりはしない、そもそも彼女の視線もすぐに美術部に広がる異様な気配の発生源に向かったからだ。

 

 そこにいたのは私と同じ一年の新入生、Dクラス所属の男子生徒、名前は笹凪天武。

 

 まぁ、見惚れるのはわからないでもない。ユニセックスな見た目をしていてちょっとビックリする容姿だからだ。すれ違えば思わず視線で追いかけてしまうことも無理はなかった。

 

 確か女子の間で噂されているイケメンランキングでは上位だった筈。色気がある部門では堂々の一位だ。

 

 それだけならば別にこの美術室をこんな異様な雰囲気にすることはないのだが、彼は偶に言葉では言い表せれない迫力のようなものを放つことがある。

 

 どうやら今日は、その迫力が発揮されているらしい。

 

「……」

 

 キャンパスを前にどこか機械的な動きで筆を動かす笹凪には、視線を引きつける引力のようなものが感じられてしまう。

 

 普段は穏やかな顔で話しかけて来て、クスクスと笑って親しみやすい雰囲気を持っているのに、こうなると少しの恐怖を感じられるほどだ。

 

 どこか危険な、しかし暴力的な雰囲気ではなく、底の見えない谷底を覗いたような感覚だろうか、敢えて表現するならば。

 

 私は少しだけ似た雰囲気を知っている、同じような底知れなさを感じる相手をもう一人だけ。

 

 色々とあって弱みを握られてしまったそいつの瞳も、似たような不気味な迫力を持っている。

 

 あっちが不気味であるならば、こっちは重苦しくて鋭いと表現すべきだろうか。

 

 恐ろしいと思う反面、不思議と視線が引きつけられて、この容姿だ。緊張と動揺と困惑で喉を鳴らしてしまうのも仕方がないのだろう。

 

 男子はどちらかと言えば怖いと思うのかもしれない、女子であってもそれは変わらないだろうが、変な色気もあるのだから沼に嵌るのだ。

 

 危険で、しかし魅力的な、そんな笹凪が、私は少し苦手であった。

 

 こいつがこうなると美術室は変な空気に満たされるし、正直に言わせてもらえばやり辛いのだ。寮に帰って一人で活動した方がまだ気楽である。

 

「……」

 

 美術室の空気など知ったことかとばかりに、無言で筆を動かす笹凪の瞳には、きっと誰も映っていないのだろう。

 

 この異様な緊張と雰囲気に満たされた美術室が解放されたのはそれから数十分後のことである。笹凪が小さく溜息を吐いたことで一気に緊張が遠ざかっていく。

 

 同時に、こいつが放っていた迫力と、視線を引きつける引力のようなものが消えたことで、そこら中から同じように小さな溜息が広がった。

 

「あれ、神室さん、来てたんだ」

 

「来たら悪いわけ?」

 

「そんな訳ないさ、俺はこうしてお話しできる機会があって嬉しいよ」

 

 気安く喋りかけて来る笹凪に先ほどまでの迫力や引力はない。穏やかな微笑みを浮かべており、危険な魅力はどこかに消えている。

 

「テスト大丈夫だった? 大変だったよね」

 

「Dクラスに心配されたら終わりね」

 

「ん、確かに、人の心配してるような状況じゃなかったのは間違いないね」

 

「……アンタは大丈夫だった訳?」

 

「なんとかね。上手く乗り越えられたと思うよ、苦労したけど」

 

 頬を掻いて苦笑いを浮かべ、困った雰囲気を出してはいるが、私はこいつが首席で入学したことを知っている。

 

 頭が良い、というか切れる。まだSシステムやクラス分けの説明が詳しく公開されてない段階でこいつは頻繁に私にAクラスの様子や情報を訊いて来たからだ。

 

 今にして思えば、あれは情報収集だったのだろう。

 

「夏にはバカンスがあるらしいから楽しそうだよねぇ」

 

 なんてことを言いながら笹凪は、またキャンパスに向き直ってあの雰囲気を作り始めていった。

 

 チラッと覗いた彼の瞳は、底の見えない深海のように思えた。

 

 私は、その瞳が苦手であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「生徒会書記はどうやら恐れられているらしい」

 

 

 

 

 

「会長、眼鏡どうされたんですか?」

 

「……諸事情があってな、破損してしまった」

 

「だから今日は予備の眼鏡なんですね」

 

 生徒会長、堀北学くんが愛用している眼鏡が変わっていることに気が付いたのは彼が登校してすぐのことでした。なかなか聞き出すタイミングがなく放課後になり、生徒会室で職務を終えた後、今は帰宅中です。

 

 もうすぐ大きな特別試験が行われることもあって、その打ち合わせや調整の為に彼は私を食事に誘ってくださり、そこでようやく話を切り出せました。

 

 放課後に二人っきりで食事……も、勿論堀北くんにそんなつもりはないんでしょうけど、まるで放課後デートのようです。

 

 打ち合わせもある程度終えて話を訊いてみると、どうやら事故で壊してしまったそうです。

 

 ただ不思議なことに少しだけ嬉しそうだったのが印象的ですね、眼鏡が壊れてしまったのに。

 

「なかなか興味深いものを見れた。今年の一年生は面白い者が多い、異色と言っても良いな」

 

「確かに個性的な子が揃ってますよね。今年は特にそうですけど」

 

 今年の一年生には私たち生徒会でさえ把握できていない判断基準があると堀北くんは考えているようで、そこは私も同感ですね。

 

 私たち三年生、一つ後輩の二年生、そして今年の新入生、きっとそれぞれ何かしらの判断基準があって、今年は特にその揺れ幅が多いように思えてしまう。

 

「橘は注目している新入生はいるか?」

 

「私はやっぱりBクラスの一之瀬さんですね。リーダーシップがあって、とてもいい子そうでしたから」

 

「……確かにな」

 

 堀北君は評価しつつも冷静に判断します。きっと生徒会に入ることは許可しないのでしょう。

 

「後はAクラスの葛城くん、こちらも強いリーダーシップでクラスを牽引しているようですから」

 

「同意見だ……しかしな」

 

 きっと堀北くんは葛城くんも生徒会に入ることを許さないでしょう。彼の中にある懸念が一之瀬さんと葛城くんを遠ざける筈だから。

 

「後はほら、あの子です、部活動説明会の前に私たちに質問してきたDクラスの……確か笹凪くんでしたね」

 

「あぁ、奴か、確かにな」

 

 まだ入学して間もないのにこの学校やシステムを理解して質問して来た新入生、主席入学だというのに何故かDクラスに配属された異端の子、笹凪天武くん。

 

 彼の名前を出した瞬間、堀北くんが興味深そうな顔をしたのが、少しだけ印象的でした。

 

「彼はやっぱりSシステムの本質に気が付いて……あれ?」

 

 噂をすればなんとやら、私たちが食事と打ち合わせを行っていたこの店に、その笹凪くんが入店して来ました。

 

 どうやらクラスのお友達と一緒のようです。

 

 そして彼もこちらに気が付いたのでしょう、へにゃりと眉を下げて申し訳なさそうな顔をしながらこちらに近づいて来るではありませんか。

 

「こんにちは、お二人もお食事ですか」

 

「あぁ、そちらもか?」

 

「テスト明けなので、親睦会と打ち上げです。橘先輩もこんにちは」

 

「はい、笹凪くん。テストお疲れさまでした」

 

「ありがとうございます」

 

 彼の眉はへにゃりと下がったままです、その視線は堀北くんに向けられていました。

 

「その、会長、眼鏡なんですけど、本当にすいません」

 

「この前も言っただろう。勉強代にしておくとな」

 

「え、会長の眼鏡は笹凪くんが壊したんですか?」

 

「はい、流れで」

 

「な、流れでッ!?」

 

「落ち着け橘、事故のようなものだ、俺は気にしていない。お前もあまり気にしすぎるな」

 

「そう言っていただけるとありがたいんですけど」

 

 笹凪くんの困った視線は何故かこちらに向かいました。

 

「……実は一年生の間ではとある噂が流れていまして」

 

「う、噂ですか?」

 

「はい、実は生徒会書記の橘茜は生徒会長を傀儡にして裏から学園を牛耳る真の実力者で、敵対したら最後、骨の髄までしゃぶりつくされて再起不能にされてしまうと……口癖は「ケジメを付けろ」で、それを証拠に三年生たちの何人かは小指を失ってしまったとかで」

 

「そんな噂されてるんですか!!? え、私って一年生にそんな風に思われてるの!?」

 

「はい、学校の掲示板で絶対に敵対するなって書かれてました。だから橘先輩が傀儡にしている生徒会長の眼鏡を壊してからというもの、いつ後輩イビリが始まるか怖かったんです」

 

「しませんよそんなこと!? 私を何だと思っているんですか!?」

 

「ん、会長を傀儡にして学園を支配する……ヤクザの組長的な人だって書き込まれてましたから」

 

 大慌てで学校の掲示板を確認してみると――。

 

「あぁッ、本当に書き込まれてる!?」

 

 確かにそこには私が小指を切り落とすのが大好きな人だという書き込みが、しかもそれなりの数で!!

 

「す、すいません、俺は決して橘先輩と争うつもりはなくて、ポ、ポイントもあまり持ってませんし」

 

「私はカツアゲなんてしませんよ!?」

 

「でも、耳を揃えてしっかり上納金を納めないと、ケジメとして小指を持っていくんでしょう?」

 

「しませんから!?」

 

「……ふッ」

 

「会長も笑わないでください!!」

 

「すまない、お前たちのやり取りをみているとどうもな……さて笹凪、あまり掲示板の情報に踊らされるな、多少の冗談程度ならば許されるが、度が過ぎれば顰蹙を買う」

 

「あ、やっぱり本当のことじゃなかったんですね、良かった」

 

「まさか揶揄っていた訳じゃなくて、本当に怖がってたんですか?」

 

「俺はまだこの学校のことも先輩たちのことを良く知らないので」

 

「……よ~く覚えておいてください、私はそんなことしませんから。そして掲示板の書き込みにはしっかりとそれは間違いだって反論するんですよ」

 

「わかりました、橘先輩は後輩思いの善良な人物で、この学校の良心そのものだと書き込んでおけばいいんですね? 大天使橘茜だと」

 

「そこまで大袈裟にしなくても良いですから!?」

 

「ん、クラスメイトに呼ばれてるんで俺はこれで、デートの邪魔してすいません」

 

「デ、デートッ!?」

 

「何を勘違いしているのか知らないが、俺と橘はそういった関係ではない」

 

 堀北くん、わかっていましたけど、そこまでハッキリ言わなくてもいいのでは?

 

「え、あぁ、そういう……頑張ってくださいね」

 

 まさか後輩に同情される日が来るとは……。

 

「やはり今年の一年は面白いな」

 

「そ、そうですね……あはは」

 

 

 

 後日、学校の掲示板には大天使橘茜の文字で埋め尽くされてしまいました。あの子はもしかしたら暇なんでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「絶対に人を殺したことがあるランキング一位」

 

 

 

 

 

 私、一之瀬帆波は少しだけ変わった所のある学園に通う高校一年生だ。色々とあった中学時代、そこから心機一転する為に入学したこの場所は、とても過酷であると同時に楽しい場所にもなった。

 

 クラスメイトたちも良い人ばかり、皆仲が良くて、笑顔が素敵で、クラス間闘争という学校側の制度も皆となら超えていける、そう確信できるほどに雰囲気が良い。

 

 皆の為に頑張ろう、私に何ができるかわからないけど、クラス委員長として恥じない振る舞いをするんだ。

 

 信頼できる友達と、頼りになる仲間たち、そんな彼ら彼女らの思いを裏切る訳にはいかないんだから。

 

 大丈夫、大丈夫、きっと私はここでやり直せる。

 

 そんな私には、少しだけ悩みがある。それはクラス闘争が始まってすぐに起こった他クラスからの干渉である。

 

 Cクラス、色々と噂は聞くけどあまり良いものじゃない。真に受けて信じ込むのは駄目だけど、実際にクラスメイトがちょっかいをかけられたのだから、悪い噂は根も葉もない訳ではないと思う。

 

「おいおい、俺たちは肩をぶつけられたんだぜ? それを謝罪なしとはいかねえだろ」

 

「君ってCクラスの子だよね? 昨日も一昨日もその前も私たちのクラスメイトにぶつかってたような気がするけど、どうしてそんなことするの?」

 

「こっちは被害者だ。俺がぶつかってんじゃねぇ、そっちがぶつかってきてんだ」

 

 私は両手を広げてクラスメイトを守るように背中に隠す。そしてそのまま彼女の体を徐々に押しながら後退させていき、できる限り監視カメラの死角から逃れようと動いた。

 

「おい、逃げようとすんなよ!!」

 

 Cクラスの男子生徒が掌を伸ばしてくる。背後で小さな悲鳴が上がって、私の手とは何もかもが異なる暴力的なそれから逃れるように顔を背けようとするのだが、触れられる前に待ったをかける声が届く。

 

 

「何をしているんだい?」

 

 

 声をかけてきたのはDクラスの有名人、笹凪くんであった。

 

 不思議な、言葉で表すことができない、奇妙な存在感を持つ彼に視線を引きつけられる。それはCクラスの男子生徒も同じみたいで、ギョッとした顔をしていた。

 

 気持ちは、笹凪くんには悪いけどわからなくはないかも。

 

 振り返って彼がいれば誰だって驚く、だって変な引力みたいなものを持っているからだ。

 

 何より瞳が怖い、こんなことを思っちゃいけないんだけど、やっぱり怖い。

 

 とても力強くて、思わず喉を鳴らしてしまい、視線を結び合うことができず顔を反らしてしまいそうになる、眼力。

 

 Cクラスの男子生徒は冷や汗を流しながら狼狽えてしまう。気持ちがわかってしまうのが笹凪くんに申し訳なかった。

 

「お、覚えてろよ!!」

 

 彼は何故か笹凪くんにではなく私にそういって足早に去っていく。

 

「大丈夫かい? 一之瀬さん」

 

「あ!! 大丈夫だよ、助けてくれて本当にありがとう!!」

 

「さっきの、Cクラスの生徒かい?」

 

 こちらに話しかけて来る笹凪くんからは、先ほどの圧力のようなものを感じなくなっている。とても穏やかで親しみやすくて、笑顔が素敵な男の子だった。

 

 偶にだけど彼はああいった雰囲気になる。前に図書室で出会った時も同じような迫力を感じたことを思い出す。

 

「うん、最近、ちょっと嫌がらせされることが多くて」

 

「それは大変だね。Cクラスはガラの悪い奴が多いとは聞くけど」

 

「たぶん、龍園くんの指示なんだと思うんだ」

 

「龍園……確かCクラスのリーダー的な人だったかな。しかしそうなると組織的な嫌がらせってことか、目的はポイントだろうか」

 

「ポイントもそうだけど、各クラスの性格や対処能力なんかも知りたいんじゃないかな……なんていうかねぇ、決定的なことまではしてこないんだよ。押して引いてを繰り返してるみたいな」

 

「そうか……加えて言うのなら、学校側の対応も知りたがってる感じかな」

 

 それもありそうだと思う。どこまでやれば学校側は介入してくるのかを知りたいのかな。

 

「Dクラスも気を付けた方が良いと思うな」

 

「そうだね、確かに注意する必要がありそうだ……心配してくれてありがとう」

 

「にゃはは、良いよ良いよ、助けて貰ったのはこっちなんだから」

 

 彼は穏やかに微笑んで見せる。そこに先ほどまでの圧力はどこにもなく、心が休まるような包容力のようなものさえあった。

 

 こういうのをギャップというのかな? 女の子たちがうっとりするのも頷けるかもしれない。

 

 

 彼とこんなやり取りをしてからというもの、Cクラスに嫌がらせされたり、監視カメラの死角で詰め寄られたりすると、彼がフラッと現れては睨みつけて撃退することが多くなったと思う。

 

 そのせいだろうか、後日、彼は「絶対に人を殺したことがあるランキング」で龍園くんを抜かして堂々の一位を記録してしまう。

 

 凄く優しくて穏やかな男の子なんだけど、あの圧力を知っていると納得してしまう私がいるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハリウッド超大作、サムライは二度死ぬ、日本より愛をこめて」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな、嘘ッ、彼が死ぬはずないッ!!」

 

「はッ、死んだよ。あれだけの爆撃と銃撃を受けたんだからな。不死身の男といえど確実に死んでるはずだ。仮に生きていたとしてどうやってここに辿り着く? 海の上にある船にな、しかもここには私の部下が大量にいる、淡い希望は持たないことだな」

 

「嘘、嘘よッ!! 彼は約束してくれた、私を必ず守ってくれるって!!」

 

「わめいてないでこっちに来い!! お前の首には懸賞金がかかっているんだからな、逃げられる筈もないだろう」

 

「例え私を人質にしてもお父様は揺るがない!! 必ず我が国の未来を切り開く選択をしてくれる筈よ!!」

 

「ククク、どうだかなぁ、あの石頭の政治家と言えど人の親、大事な娘が人質に取られていたら怯んでくれるだろうよ……さぁ、こっちに来い!!」

 

「いやぁ!? 助けてッ!! お願い!!」

 

 私はありったけの力を込めて彼の名を叫ぶ。政府からの依頼を受けたとかで、ここまで共に行動して私を守ってくれた不思議な護衛の名を。

 

 

 

「テンブ!!」

 

 

 

 彼は死んでない、銃で撃たれたって、刃物で襲われたって、何十人もの暴漢を前にしたって、彼は倒れることがなかったんだから。

 

「ふッ、無駄な足掻きを、王子様はとっくに死んじまったよ。シャロンお嬢さん」

 

 捕まる訳にはいかない、私が捕まってしまったら祖国の腐敗を止めようとしているお父様に迷惑がかかってしまう。だから護衛役を雇ってアメリカに私だけを亡命させようとしたんだから。

 

「お願い、助けて、テンブ!!」

 

「やれやれまったく、死んだ男なんかより私がいるというのに」

 

「いや、お前では俺の代わりは務まらないよ」

 

「誰だッ!?」

 

 振り返った先、そこにいたのはここ数日の間、ずっと傍らにいてくれた男の子だった。

 

「テンブ!! 良かった、生きていたのね!!」

 

「あぁ、待たせたなシャロン……怖かっただろう、もう大丈夫だ」

 

「……ククク、なるほど。どうやら不死身の男という噂は本当らしい。一つ訊いておこうか、この船にどうやって?」

 

「泳いで来たに決まってるだろ、因みにアンタの部下は全員寝てるよ」

 

「……」

 

 筋肉の鎧を纏った男の存在感が跳ね上がる。それに応じるようにテンブの存在感も跳ねあがった。

 

「銃を使わないのか? 別に構わないが」

 

「そんな勿体ないことはしないさ、これほど極上の獲物なんだ。久々に嬲りがいがあるってものさ」

 

「そうかい、使った方が良いと思うけどな」

 

「無粋だとは思わんかね? 銃だのガスだのドローンだの、男の戦いなど拳一つで十分だ」

 

「その意気やよし、だが勝つために全力を尽くさない姿勢は感心できないな」

 

「お前だって銃を持っていないだろう?」

 

「そりゃそうだ、ぶん殴った方が早いからな」

 

「それでこそ殺しがいがある」

 

「……後悔するなよ」

 

 

 そこからの戦いはまさに激闘だった、拳と拳で語り合う男の世界であり、血で血を洗う聖戦である。

 

 女の私には立ち入ることの叶わない力の相克はいっそ美しく、嫉妬してしまうほどに二人だけの世界だった。

 

 それでも私のテンブは最後まで立っており、彼はいつものように穏やかな笑顔で私に手を差し伸べる。

 

「お待たせ、お姫様。舞踏会には間にあったかな?」

 

「テンブ!!」

 

 彼に抱き上げて貰った瞬間に、迷いも不安も消し飛んでいく。彼がいればもう大丈夫だと確信できるのだった。

 

「さて、アメリカまでもう少しだ。香港を経由して日本、そこからハワイだな」

 

「貴方との旅も、もうすぐで終わり……ね、ねぇ!!」

 

 私の胸に宿った想いは、きっと別れに耐えられない。ならばいっそここで。

 

 けれど彼はそれ以上を言わせないとばかりに人差し指で唇に触れて来る。ズルい男の子だ。

 

「シャロン、その先を言ってはいけないよ。君が見て知った男は、ただの幻、一夜の夢でしかないんだ。そんな男のことなんて忘れてしまいなさい」

 

「……ズルい人ね、貴方は」

 

「かもしれないね」

 

「でもいいわ、私の誘いを断ったことを後悔するくらいに良い女になってやるんだから」

 

「それは楽しみだ」

 

 忘れられる筈がない、こんなにカッコいい男の子のことなんて。

 

 彼がくれた恋と憧れは、きっと人生を変えてしまうほどに、大きなものなんだから。

 

 

 

 

 サムライは二度死ぬ、日本より愛をこめて、完。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、もしもし師匠ですか? 引き受けた仕事なんですけど、無事に終わらせられました。護衛対象はワシントンまで届けましたよ、はい……じゃあ俺はせっかくなんで、ちょっとこっちで観光でも……え? 今すぐ帰ってこい? 明日から学校? あれって冗談じゃなかったんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ!?」

 

 オレは慌てて目を覚ます。あまりにも奇妙な夢を見てしまったことで、うなされていたのか体は汗でびっしょりだった。

 

 なんて夢を見ているんだろうか、笹凪が何故かハリウッド映画のように大暴れしているような夢である。

 

 ベッドから起き上がると、オレの部屋には池と山内と須藤と博士の姿があった。

 

 そういえば、昨日は高校生らしく夜中に部屋に集まって映画の鑑賞会をしてたんだったな。

 

 机の上にはスナック菓子とペットボトル、そして部屋を眺めると須藤たちはいびきをかいて眠っているのが確認できる。

 

 そして積まれたDVDの塔の一番上にある物を手に取った。

 

「ハリウッド超大作、サムライは二度死ぬ、日本より愛をこめて、か……」

 

 昨晩に、最後に観たのがこの映画であった。きっと変な夢を見たのはこれが原因なのだろう。

 

「あれ、起きてたのかい、綾小路……おはよう」

 

「あぁ、おはよう笹凪、朝早くにどこに行ってたんだ?」

 

「日課のランニングだよ」

 

 そう言った笹凪はジャージ姿に着替えており、既にかなりの距離を走って来たらしい。

 

「綾小路、なんか変な顔してるけど、どうしたんだい?」

 

「なんでもない、少し夢見が悪かったんだ」

 

「そうか、まぁそんなこともあるかもね」

 

 笹凪はクスクスと笑っていた。

 

 そこに夢の中で暴れまわっていた雰囲気は皆無で、本当に奇妙な夢を見てしまったものだと思うしかないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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傷害事件を解決せよ
傷害事件 1


ホワイトルーム「万能の天才を作りたい」

師匠「最強の武人に改造したい」


 

 

 

 

 

 

 

 

 なかなかに忙しかったテスト期間も、Dクラスは一人の退学者も出すことなく乗り越えて久しぶりの開放感を味わっている。そこで暇を見つけて美術部の課題に取り組むことにした俺は、前々から約束していたモデルの仕事を堀北さんに依頼していた。

 

「Cクラスの様子が気になるんだ」

 

「以前にも同じことを言っていたわね。組織的に嫌がらせをしているとか」

 

「ん、Cクラスは龍園って男が指揮しているらしいんだけどね……どうにも彼は、計算の先に暴力を振るうタイプらしいんだ」

 

 そう伝えると堀北さんは顎に手を当てて考え込むような仕草をした。

 

「あぁ、姿勢を崩さないで」

 

「あ、ごめんなさい、つい」

 

 ここは俺の部屋、時間は放課後、美術部の課題に堀北さんが付き合ってくれている。

 

 部屋のど真ん中に椅子を置いて、そこに彼女が座る。とても照れた様子であったが、順応性が高いのか、今では穏やかに会話をしながらモデルの仕事をしてくれていた。

 

 ポーズはいたって普通、椅子に座るだけである。それだけでは暇になるかと思って本を読んで貰っていた。

 

 こちらはそんな彼女を右斜め付近から見つめる方角に椅子を置き、しっかりと観察しながら描いていく。

 

 照れて頬を少し染めていたのだが、師匠モードになるとそれも何故か引っ込んで緊張した様子になってしまうので、今では穏やかに過ごせるように配慮している。

 

 コンクールに応募する作品ではなく、あくまで美術部の課題なので徹底的にする必要もないだろう。穏やかに会話するくらいが丁度いい。

 

 ついでなので情報交換と意見交換もしておく。

 

「計算の先に振るう暴力ね、感情的に振る舞う輩よりはずっと脅威だけど……」

 

「面白い男だよ、なんでもCクラスは彼が暴力で従えたらしい」

 

「……一体、いつの時代に生きているつもりなのかしら」

 

 手刀で俺と綾小路を脅してきた人の言葉とは思えないな。

 

「一之瀬さんに教えて貰ったんだけどね、どうにも彼女たちのクラスも嫌がらせを受けているみたいなんだ。ただ決定的な所までは毎回いかなくて、肩がぶつかったとか睨まれたとか言われて詰め寄られるんだ……放課後に一人でいる時とか、監視カメラの死角なんかで」

 

「そう、一之瀬さんにね」

 

「彼女が言うには、各クラスの性格だったり対処能力、そして学校が介入するラインを見極めてるんじゃないかって言ってたよ」

 

「そんな相談をしていたの、随分と親しくしているじゃない」

 

「彼女はBクラスのリーダーで、強いカリスマ性がある。とても優秀で、龍園が気にするのもわかる気がするな」

 

「……」

 

「堀北さん?」

 

「なんでもないわ……それを踏まえた上で、Dクラスはどう動くか、それを話したいのね?」

 

「ん……どうしよっか?」

 

「そのCクラスのリーダーが本当に計算の先に暴力を振るう生徒なら、遅かれ早かれこちらも標的になると思う」

 

「そうだね、各クラスの対処能力も知りたいだろうし」

 

「えぇ、そしてDクラスで最も突きやすい隙となる人物となると――」

 

「須藤になっちゃうか」

 

「池くんや山内くんも考えられるけど、彼らは喧嘩沙汰になっても逃げるでしょう」

 

「逆に須藤は殴りかかりそうだな」

 

「……簡単に想像できてしまうわね」

 

 決して悪い男ではない、ないのだが、少しだけ沸点の低い男である。

 

 堀北さんが溜息を吐くのも仕方がないくらいには、わかりやすい隙と言えるだろう。

 

「クラス全体に周知を徹底して、一人での行動や監視カメラの死角に近寄らない。もっと言えば須藤くんを単独で動かさない、そんな所かしら」

 

「ん、それくらいしか対処方法がなさそうだな。平田と櫛田さんに協力して貰うよ」

 

 あの二人にも今と同じ話をしてクラスメイト全体で共有するしかない。何より須藤の単独行動を防ぐことが大事だろう。

 

「具体的にはどうするつもりなのかしら」

 

「う~ん、須藤は決して馬鹿じゃないからしっかり説明して、その上で部活帰りには食事に誘おうかな。堀北さんも来る?」

 

「……」

 

「え、なんで睨まれてるの?」

 

「貴方と須藤くんと私で食事って……どんな組み合わせなのよ。違和感しかないのだけど」

 

「綾小路も誘おうと思ってるよ。あぁ、池と山内も声をかけようかな」

 

「そこに私が一人入った光景を思い浮かべなさい」

 

「……男を侍らしてる女王様」

 

「死にたいのかしら?」

 

「いえ、生きたいです」

 

「つまり堀北さんは同性の友達が欲しいってことかな?」

 

「……まさか櫛田さんと仲良くしろなんて言うつもりかしら?」

 

「いや、相性悪そうだし、そんなこと言わないさ」

 

 こればかりは仕方がない、四十人が作る社会で全ての者が仲良くなんて不可能だからだ。そう考えると一之瀬さんって凄いと素直に思うよな。団結力ではDクラスは壊滅的とも言える差がある。

 

「そ、それに……友達なら、貴方がいるじゃない」

 

「綾小路も入れたげて欲しいな」

 

 その言葉に堀北さんはまた深く考え込む。

 

「彼は……よくわからない所がある、いえ、ありすぎる……点数を50点で揃えたり、不可解な所が多いもの」

 

「それはまぁね」

 

 実を言うと俺も綾小路のことはよくわからない。一番親しくしている同性の友人だとは思うけど。その本質を完全には理解できていなかった。

 

 堀北さんが言ったようにテストの結果だったり、オリンピックメダリストのような肉体であったり、それらを前に出そうとしない方針だったりと、色々ある。

 

「笹凪くんはどう思っているのかしら?」

 

「ん……友人だと認識しているさ」

 

「そう……」

 

 それに奇妙なシンパシーのような物を感じることがあるな、不思議なことに。

 

「まぁ綾小路のことは良いさ。きっと俺たちには時間と切っ掛けが必要だろうから」

 

 そこで俺は休憩を申し込む。堀北さんもずっと同じ姿勢で座っていたので体が凝ってしまったのか肩を揉み解していた。

 

「堀北さん夕食はどうする? 予定が無いのなら俺が作ろうか? 面倒事を引き受けて貰ったからごちそうするよ」

 

「料理をするの?」

 

「道場だと俺がよく作ってたんだ」

 

「そう言えば古武術を習っていたんだったわね、弟弟子とかに振る舞ったのかしら」

 

 きっと堀北さんの頭の中ではごく一般的な道場が思い描かれているのだろう。丁寧に教えてくれる先生に、頑張って上達していく門下生たち。

 

 うん、師匠にはそんな和気藹々とした稽古なんて不可能だ。あの人がやってるのは改造であって鍛錬ではない。

 

「ま、期待しててよ、お礼でもあるからゆっくりしてな」

 

 冷蔵庫の中身を吟味した結果、本日の献立はオムライスとなりました。

 

 チキンライスをササッと作り上げ、肝心の卵は半熟に仕上げて中にチーズを入れておく。それを楕円状に纏めて、お皿の上で同じく楕円状に纏められていたチキンライスの上に置く。

 

 完璧である。我ながら褒めてやりたい出来だろう。

 

 部屋で待っていた堀北さんの前に、出来上がったばかりのオムライスを置いて、ナイフとスプーンを差し出す。

 

「ささ、どうぞどうぞ、ずぶっと行っちゃって」

 

 この瞬間がたまらないんだ。

 

 期待の眼差しでオムライスの開帳式を見つめるこちらの視線に、彼女は若干の居心地の悪さを感じながらも、ナイフを楕円状に纏められた卵に差し込んでチャックを開くかのような動作を行った。

 

「上手ね……予想以上に」

 

 ナイフを刺しこんで卵を開くと半熟状態のそれらが広がってチキンライスを隠してしまう。完璧な半熟具合である。

 

 俺のオムライスもナイフを刺しこめばぱっくりと開いていく。こちらも完璧であった。

 

「ん、お味は?」

 

「美味しい……」

 

 何故か照れた様子である、とても可愛い。

 

「お口にあったのなら何よりだ……堀北さんって前から思ってたけど上品な食べ方するよね」

 

「そうかしら? 特に意識したことはなかったけど……あぁ、でも、兄さんを真似ている自覚はあるわね」

 

「確かに、あの人が汚らしく食べてる光景ってちょっと想像できないかもな」

 

 俺も堀北さんと同じように師匠の真似をして食べてるから、気持ちはよくわかった。

 

 堀北さんはブラコンで、きっと俺は師匠コンなのだろう。

 

「ごちそうさま、とても美味しかった」

 

「ありがとう、そう言って貰えると作ったかいがある」

 

「絵の方は順調かしら?」

 

「ある程度は形になった。急げば次くらいで終わらせられると思うから、そこまで拘束されることもないさ」

 

「そう……別に急ぐ必要もないと思うけど、課題の締め切りでもあるの?」

 

「今週いっぱいくらいかな、だからまだまだ余裕がある」

 

「なら、丁寧に描きなさい」

 

「あんまり長時間を拘束するのも悪いとは思ってるんだ……」

 

「一度引き受けると決めたんだから別に私は気にしないわ。寧ろ雑に仕上げて減点なんてことになったら怒るわよ」

 

 さすがに雑に作ったからってクラスポイントにまで影響があるとは思わないけど。ただ逆に上手く作れれば評価項目になるかもしれないので、下手なこともできないか。

 

「わかったよ、ならお言葉に甘えさせて貰って、もう少しだけ付き合ってくれるかい?」

 

「えぇ、それで問題ないわ」

 

 堀北さんは照れた顔が一番可愛いと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「笹凪くん、昨日チャットで知らせてくれたことなんだけど」

 

 翌日の放課後、平田が声をかけてきた。どうやら相談があるらしい。

 

「何かあった?」

 

「篠原さんと佐藤さんがCクラスの生徒に絡まれたらしいんだ……と言っても道を塞がれて睨みつけられただけで、暴力までは振るわれていないみたいなんだけど」

 

「彼女たちはどうしたんだ?」

 

「怖くなって退散して、それで終わりかな」

 

「ん、良い判断だと思う」

 

「うん、あちらもしつこくするつもりは無かったみたいで、追っては来なかったみたいだ」

 

 困ったように苦笑いを浮かべる平田、きっと相談を受けていたのだろう。苦労人の影が見えるな。

 

「引き続き、一人で行動しないように周知しておいて欲しい、あちらも無駄とわかれば引き下がるだろうから」

 

「そうだね、ただ問題なのは……」

 

 平田が言葉を濁らせる。彼もこのクラス最大の隙が誰なのかわかっているんだろう。

 

「昨日もチャットで知らせたけど、須藤に関してはこっちで引き受けるよ」

 

「ありがとう、このクラスに笹凪くんがいてくれて良かったよ」

 

「褒めても飴玉くらいしか出せない、はい、昆布味」

 

「……謎のチョイスだね」

 

 平田はそれでも受け取ってくれた。良い男である。

 

「そっちは引き続き櫛田と一緒に女子の方に注意してやって欲しい」

 

「うん、任せて」

 

「それじゃあ俺は、須藤の所に行ってくるよ」

 

 部活終わりに須藤と合流するとしよう。Cクラスも馬鹿ではないので部活中や人目のある所で馬鹿な真似はしないだろう。

 

 感情的ではなく、計算の先に暴力を振るう存在、凄く厄介だ。

 

 師匠曰く、暴力とは外交手段。

 

 きっとそれを理解している男なんだろう、龍園という男は。

 

 美術部に立ち寄って神室さんに声をかけて今日も潤いを求める。相変わらず積極的に部活動に参加する子ではないが今日はいてくれたので幸いだった。

 

 軽く情報収集を試みてみるのだが、Sシステムやクラス闘争のことが公になってからと言うものの、神室さんの口は堅くなるばかりである。

 

 まぁ仕方がない、クラスの内情をペラペラと喋っていれば自分の首を絞めることになるのだから、当然の反応であった。

 

 そろそろ連絡先とか知りたいんだけどなぁ、素直に教えてくれるだろうか? まぁ、この子と楽しく電話とかメールとかしているのはちょっと想像できないけどさ。

 

 部活を早めに切り上げて向かう先は体育館、バスケ部もそろそろ片付け始める頃だろう。

 

 そんな予想は間違っておらず、二年生や三年生は帰り始めており、一年生は最後の掃除とモップがけをしているのが確認できた。

 

 須藤はバスケ部の中でも長身で体格に優れているのですぐに発見できる……どうやらさっそく絡まれているらしい。

 

「須藤」

 

「おう、笹凪じゃねえか」

 

「昨日チャットで話しただろう?」

 

「そういやそうか」

 

「それで、彼らは?」

 

 俺が師匠モードで須藤に絡んでいた生徒に視線を向けると、彼らはサッと顔を背けてしまう。

 

 このモードは楽で便利な場面もあるけど、怖がられるのが基本になってしまうのでそこだけは不便だな。それに申し訳ない気分にもなってくる。

 

「こ、こいつらは、小宮と近藤だ、同じバスケ部で……おい、笹凪、その顔止めてくれねえか」

 

「そうか、Cクラスの生徒だな」

 

「ち、違ッ……」

 

「違うのか?」

 

「……そうです」

 

 小宮と近藤はずっと視線を反らしたままこちらには向けてこない。それどころか須藤ですらジリジリと距離を取っているようにも思えた。

 

 悲しい。仕方がないので師匠モードは解除する。

 

「小宮と近藤だったな、どうして須藤に絡む? 理由は?」

 

「そ、それはそいつが汚い手を使ってレギュラーになりそうだからッ」

 

 師匠モードを解除するとすぐさま強気になったな。そんなにギャップがあるんだろうか?

 

「んだとてめえら!?」

 

 須藤はすぐさまキレる。本当にわかりやすいくらいに突きやすい隙に見えるんだろうな。

 

「須藤、落ち着け」

 

 再びの師匠モード、そして須藤の肩に手を置いた。

 

「感情的に振る舞うな」

 

「……」

 

「そこに何の意義もない」

 

「……」

 

「わかったな?」

 

 須藤は冷や汗を吹き出しながらコクコクと頷くだけの人になってしまった。直前まであった怒りはどこかに消えてしまっている。

 

 ここまで言えばもう大丈夫だろう。少なくとも殴り合いにはならないはずだ。

 

「さて、君たち」

 

「……ひぇ」

 

 すまない、師匠モードは継続中だったな。

 

 このままでは話にならないので再びの解除。

 

 ふと思ったが、彼らからしてみると、俺はどういう風に見えるんだろう?

 

 感情や迫力の波が行ったり来たりしているのか、それとも急に明滅を繰り返す壊れた電球だろうか、ちょっと興味深いな。今度綾小路に訊いてみよう。

 

「龍園に伝えてくれ。つまらない真似をするな、どうせ無駄に終わるとな」

 

「な、なんの話だよ?」

 

「あぁ、ごまかさなくてもいい、組織的に嫌がらせをしているのもわかってるから、ちゃんと伝えるんだぞ……行こうか、須藤」

 

「おう」

 

 小宮と近藤を置いて体育館を後にする。

 

「須藤、またラーメンでも食いに行くか?」

 

「今日も奢りかよ?」

 

「おいおい、アレは勉強会に参加したらって話だった筈……まぁ別に構わないが、それより昨日のチャットのことは覚えているだろう?」

 

「Cクラスが嫌がらせして来るって話なら聞いたっつうの、実際、今日もアイツらにも絡まれたしな」

 

「挑発に乗っても面倒なことになるだけだし、落ち着いて対処すれば良いさ」

 

 須藤は不満な様子であった。面倒な絡まれ方をしているので当然ではあるが。

 

「仮にもし須藤が挑発に乗って奴らに攻撃したとしよう」

 

「んなガキみたいなことするかよ……」

 

「ん、自分すら騙せない嘘を吐いてどうする」

 

 さすがに無理がある言葉だったと須藤の顔が物語っている。

 

「その場合、君は暴力行為で停学、バスケ部レギュラーの座は無くなり、それはもう面倒な状況になるんじゃないかな」

 

「おい、仕掛けて来てんのはアイツらだろうがッ!!」

 

「相手も馬鹿じゃないって話をしているのさ。わざわざ言い訳や主張が通せるような状況で面倒事なんて押し付けてくるはずないだろう。須藤、君は決して馬鹿じゃない、俺が言いたいことはしっかり伝わってるよね?」

 

「……わかってるっての。ようはアレだろ、俺が狙われてるってことだろ?」

 

「あぁ、よくわかってるじゃないか」

 

「そこまで言われたら面倒事は起こさねえよ、お前には勉強会での借りもあるからな」

 

 その言葉を聞いて俺は須藤の背中を叩いて先を急がせる。

 

「よし、それじゃあラーメン食いに行こう」

 

「おう!」

 

 

 

 この数日後、月の始まり、ポイントは振り込まれなかった。

 

 茶柱先生が言うには、BクラスとCクラスの間で何やらトラブルが起こったらしい。

 

 

 

 

 

 

 



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傷害事件 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 BクラスとCクラスの間で傷害事件が起こってしまったらしい。それを茶柱先生から聞かされたのは月初めのホームルームであり、どちらの主張も食い違ってることから審議が開かれるそうだ。目撃者がいれば名乗り出ることを伝えられるとホームルームは終了となった。

 

 生徒たちにとってポイントの支給日は楽しみな日でもあり、Dクラスだってそれは同じなので不平不満が漏れるのも仕方がないだろう。

 

 しかし同情的な声を囁かれる。Cクラスが面倒な絡み方をしてきたのは事実であり、クラスメイトの何名かも被害にあっていたからだ。

 

 俺としてはCクラスの目的がBクラスに移ったことで一安心していた。わざわざ龍園を名指しして「こっちは警戒してるし意味ないから」と伝えたことに多少の効果もあったのだろう。

 

 最大の隙である須藤に張り付いていたのも良かったのかな。

 

 Bクラスにもわかりやすい隙はなかったと思うが、完全完璧とはいかなかったのかもしれない。或いは龍園にとって都合よく面倒事を押し付けられる獲物がいたのか。

 

 それとも単純にBクラスを先に攻撃してこっちは後回しにしただけなのかもしれない、真相はわからないが。

 

「ねぇ笹凪くん、良ければ手伝って貰えないかな?」

 

 交友関係が広い櫛田さんはどうやらBクラスの友人から今回の件を詳しく訊きに行き、その流れで手伝うことになったらしい。

 

「駄目かな?」

 

「そんな可愛い顔されたら断れないな、櫛田さんはちょっとズルいと思う」

 

「ズ、ズルくなんてないよ。普通にお願いしてるだけだもん」

 

 悲しきかな男の性、こうも頼まれると断れない。

 

「Bクラスに行ってたのなら詳しいことを教えてくれないかな?」

 

「うん、えっとね……あ、でも私が説明するよりも今から一緒に帆波ちゃんの所に行こうよ。ほら、Dクラスも色々と嫌がらせを受けてたから、詳しく訊きたいんだって」

 

「わかった、それじゃあ行こうか……しかし、一之瀬さんのこと名前で呼んでるんだね、親しいのかい?」

 

「うん、帆波ちゃんも私のこと名前で呼んでくれるよ」

 

「さすがの交友関係だ。他クラスの子とも親しく出来るのは凄いな」

 

「そうかな、普通に話しかけて友達になっただけだよ」

 

「その普通が案外難しいのさ。そう言えば櫛田さんは入学初日からとても親しみやすくクラスメイトに接してくれていたね」

 

「うん、だってクラスのみんなと早く仲良くなりたかったから」

 

「ん……友情は良いものだ」

 

「勿論、笹凪くんとも仲良くなりたいんだよ?」

 

 首を少しだけ傾けてこちらを上目遣いで見つめて来る櫛田さんに、思わずときめいてしまう。

 

「だとしたら嬉しいな、けど君と親しくするとクラスの男子たちに袋叩きにされてしまいそうだ。皆のアイドルだからね」

 

「ふふ。もう、みんな優しい人だもん、そんなことされないよ」

 

「そうあることを願うばかりだ」

 

 池とか山内とか、俺が櫛田さんと話してると、凄い顔で見つめて来ることがあるんだ。

 

「あ、帆波ちゃん!!」

 

「桔梗ちゃん! それに笹凪くんも!? もしかして協力してくれるのかな?」

 

「あぁ、何ができるかわからないが、助力させてくれ」

 

 櫛田さんと一緒にケヤキモール内にあるカフェテラスに赴くと、そこには一之瀬さんと、見慣れない男子生徒が一緒にいた。

 

「すっごく助かる!! 本当にありがと……あ、笹凪くんって神崎くんとは初めてだったかな?」

 

「その通りだ。俺は笹凪天武です。よろしくお願いします」

 

 挨拶は大事、師匠の教えである。

 

「神崎隆二だ、こちらこそ」

 

「名前は前から聞いてるよ。確か一之瀬さんの参謀的な人だって」

 

「俺なりに力になっているだけだ、大したことはできてない」

 

「ううん、そんなことない。神崎くんがいてくれて私は凄く助かってるよ」

 

 一之瀬さんも彼を頼りにしているようだ。まさに冷静沈着な参謀って感じの見た目をしているし、実際にBクラスに配属されているのだから優秀なのだろう。

 

「笹凪の噂は前から聞いている、色々とな。何度かクラスメイトが絡まれている時に助けてくれたとも、改めて感謝させてくれ」

 

「放置して回れ右も出来なかったんだ、俺も大したこともしていない」

 

「……意外に謙遜するんだな」

 

「ある程度の謙遜も必要だって尊敬する人が言っていたからな」

 

 師匠曰く謙遜は大切、ただし度が過ぎなければ。

 

 挨拶と自己紹介を済ませてカフェの席に座って向かい合う。正面にBクラスがいる形だ。

 

「さっそくだけど詳しく訊きたい。俺は担任の先生からBクラスとCクラスの間にトラブルがあったとしか聞かされていないんだ」

 

「うん、内容はね――――」

 

 そこから一之瀬さんが語ってくれたのはトラブルの細かな説明であった。Bクラスの生徒が放課後の人気が無くなった校舎の踊り場付近でCクラスの生徒と接触、取り囲まれて詰め寄られたらしい。

 

 これまでにも似たようなことがあり、一之瀬さんたちも注意喚起を行っており、もし絡まれてしまってもすぐに逃げるように指示を出していたそうだ。

 

 Cクラスの生徒もわかりやすい暴力は振るってこないので、強引に走り出して逃げればそれでこれまでは終わっていた。

 

 しかし今回は違ったのだろう。どうした訳か翌日にはCクラスは学校側に訴えをおこしており、生徒の一人が怪我を負っていたのだ。

 

 彼の主張は、突き飛ばされて踊り場から転んで階段を落ちてしまったとのこと。怪我はその時に負ったとの主張である。

 

「それは酷いねッ」

 

 隣に座っている櫛田さんはプリプリと怒っていた。

 

「因みに踊り場から突き落とされたって生徒は、本当に怪我をしているのか?」

 

「うん、それは間違いないみたい。でも千尋ちゃんはそんなことしないよ、逃げる時に肩がぶつかったって言ってたけど……多分、その生徒は」

 

「怪我を作ったんだろう」

 

 一之瀬の考えを神崎が言葉にする。考えたくはないが嫌な手段であった。

 

「監視カメラの映像は……あったら審議なんかそもそも必要ないか」

 

「あぁ、相手もそこまで馬鹿じゃない……Dクラスも同じように絡まれたことがあると聞いたんだが、どのように対処したんだ?」

 

「特別なことは何もしていないよ。Cクラスが組織的に嫌がらせをしていたことは知っていたから注意喚起して単独で行動しないことを促して、わかりやすい奴には俺がくっ付いてた」

 

「笹凪くん、ここ最近ずっと須藤くんと一緒だったよね」

 

 櫛田さんが揶揄うようにそんなことを言ってくる。確かにずっと一緒だったけども。

 

「そんな訳で、Bクラスとやってることは変わらないだろうから、あまり参考にはならなかったかもしれないけど」

 

 もしBクラスとDクラスに差があったとするならば、それはきっとちょっとしたタイミングなのかもしれない。

 

 もし今回のトラブルに巻き込まれたBクラスの生徒が、その日に一人でいなかったら、次の日には標的が変わってDクラスの生徒が狙われていた可能性もあるだろう。

 

 小さなタイミングの違い、ただそれだけだ。

 

「きっと何か少しでもズレていたら、このトラブルはCとDの問題になっていた筈だ……そう考えると、他人事とは思えないな」

 

 その言葉を聞いて櫛田さんは悲しそうに目を伏せてしまう。きっと想像してしまったのだろう。

 

「一之瀬さん、神崎、今回の件だがBクラスはどう動くつもりなんだい?」

 

「う~ん、審議が始まるまでに有利な情報が欲しいかなぁ……監視カメラの映像が頼りにならないのなら、目撃者がいたりすれば良いんだけど。神崎くんはどうかな?」

 

「情報を集める必要があるだろうな、それもできるだけ客観的な……だが、無実の証明というのは簡単ではない」

 

 だろうな、だからこそ監視カメラがあれば一発なんだが。

 

「ねぇ帆波ちゃん。監視カメラの映像が頼りにならないっていうのは、どうしてなのかな? 階段の踊り場ってどこにでもカメラがあると思うんだけど」

 

「えっとね、桔梗ちゃん。実は都合悪くそこのカメラだけ故障中だったんだ。もう何日かすれば交換されるって先生も言ってたんだけど」

 

「あぁ、そして龍園たちには都合が良かった。おそらく近くで待機してその階段付近を通る生徒を吟味していた筈だ」

 

「こ、怖いね、そこまでされると」

 

 確かに怖い、近くでずっと張り込んでるとか、一歩間違えなくてもストーカーである。

 

 そして恐ろしくもある。もしその階段を通ったのがDクラスの生徒であったならば、同じような状況に陥っていただろう。

 

「一之瀬さん、廊下側の監視カメラはどうなんだ?」

 

 踊り場付近を映す監視カメラがダメならば、別の角度から証拠を揃えられるかと思ったんだが、当然この二人だって同じことを考えていた。

 

「……一応は手に入れたんだけど」

 

「証拠としては、正直難しい」

 

 神崎が懐から取り出したスマホを操作して、とある動画を再生する。どうやら監視カメラの映像をダウンロードしていたらしい。

 

 事件が起こった当時の映像だろう。放課後の人気が無くなった廊下を歩く女子生徒が一人、その子が階段に向かっていきカメラの死角に姿を消すと。その数十秒後に慌てて逃げ帰っていく様子が映し出されていた。

 

 このカメラはあくまで廊下全体を映すものであって、階段の踊り場付近まで映してはいないらしい。

 

 更にその数十秒後、今度は三人の男子生徒が階段付近から出て来たところが映し出される。何をしたのか知らないが、二人が一人を挟んで肩を貸しており、怪我人を介抱するかのように引きずっている。

 

「なるほど、決定的な所は映っていないと」

 

 女子生徒が階段から突き落としたという主張も、そんなことをしていないという反論も、これだけでは証明することができない。

 

 もしかしたら本当に突き落としたのかもしれないし、こいつらが勝手に怪我を作ったのかもしれない。やはり無実の証明は難しいだろう。

 

「ん……カメラが駄目ならば、やっぱり目撃者の有無が一つの判断材料になるだろうね。有利な証言が一つあるだけでも違うだろうし」

 

「うん、だから今は聞き込み中なんだ。桔梗ちゃんが手伝ってくれるって言ってくれたから凄く助かってるよ」

 

「確かに櫛田さんは交友関係が広いからな」

 

 友人の多さならば学年一位かもしれない、それほどだ。

 

「櫛田さんが目撃者探しをする。一之瀬さんと神崎も有利な情報を集める……なら俺はどうするかな」

 

「え、笹凪くん、手伝ってくれないの?」

 

 櫛田さん、そんな顔をしないで欲しい。凄く困る。

 

「聞き込み調査も、情報収集も、俺がいなくても何も問題はないからね……だから俺は、俺にしかできない方向で協力するよ」

 

「何か手があるのか?」

 

 神崎の質問にこう返す。

 

「審議に勝つ、その為に行動するのは当然として、だからこそ有利な情報は必要だ。それとは別にCクラスを説得する方向性を考えている」

 

「説得か……」

 

 神崎が渋面を作る、それができたら苦労はしないとでも言いたいのだろう。

 

「皆は、審議に勝つ為に、そして俺は説得する為に、一先ずは二つのプランを走らせよう。どちらか片方が通ればそれで良し、一之瀬さんはどうかな?」

 

「うん、それでいいと思う。確かに私たちってどう審議に勝つかってことばかり考えてたかも。言われてみれば説得も大事だよね」

 

「そうだな。話し合えばわかりあえるよ」

 

 師匠曰く、対話は大事……ただし、説得力も大事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんな訳でさ、二人とも知恵を貸してくれないかな?」

 

 Bクラスと協力関係を結んだ翌日の昼休み、俺は綾小路と堀北さんに相談していた。

 

 報告、連絡、相談は大事って師匠も言ってたからな。

 

 机を合わせて昼食の時間である。ただし堀北さんは頑なに引っ付けようとしてくれない。きっと照れているんだろう。

 

「大変だな、Bクラスも」

 

 モソモソとパンを食べる綾小路はどこか他人事である。いや、実際に他人事なんだけども。

 

「正直、他人事とは思えなくてね。何か一つタイミングがズレてたらDクラスが同じ状況になっていたかもしれないだろ?」

 

「確かにな」

 

「堀北さんもそう思わないかい?」

 

 綾小路の隣の席である堀北さんにそう問いかけると、彼女は少しだけ考え込むように視線を彷徨わせた。

 

 その視線を追っていくと、教室の隅で俺たちと同じようにお昼休みを過ごしている眼鏡姿の女子生徒がいた。

 

 堀北さんはその女子生徒を数秒見つめた後に、こちらに視線を戻す。何故かこちらを少しだけ責めるような目をしている。

 

「随分と他クラスに入れ込んでいるようね。笹凪くん、わかっているのかしら? Bクラスとは競い合う間柄なのよ、つまりは敵」

 

「勿論、わかっているさ。その上で協力すると決めたんだ」

 

「それは……もしかして一之瀬さんがいるから?」

 

「理由の一つとしては間違いなくある。女の子が困ってると、どうしてもね」

 

「……」

 

 こちらを見つめる視線が滅茶苦茶鋭い。正直怖かった。

 

「別にそれだけが理由じゃないだろ?」

 

 冷たく凍える視線からフォローするかのように、綾小路がパスを出してくれた。なんだかんだで気遣いのできる男である。

 

「そ、そうだね。ん、俺の個人的な感情の話を抜きにすると、この件で協力することでBクラスに対して恩というか貸しのような物も作れるかもしれない。そう考えると決して馬鹿な真似をしているとは言い切れない」

 

「言い訳が上手い舌だこと」

 

「だが一定の理解を示す堀北さんであった」

 

「勝手に人の内心を捏造するのは止めて頂戴」

 

「そこを曲げてなんとか頼むよ、お願い、堀北さん」

 

「……」

 

「堀北さん」

 

「……」

 

「……」

 

 徐々に彼女の頬に朱が差していく。

 

「わ、わかったわよ……だからその顔を止めなさい」

 

「綾小路、俺ってどんな顔してたんだ?」

 

「捨てられた犬みたいな感じだ」

 

 そんな顔をしてただろうか? 堀北さんの協力が得られなくて悲しい気持ちにはなっていたが。

 

「それで、結局どうするつもりなんだ?」

 

「審議に必要な目撃者探しや情報収集は櫛田さんと一之瀬さんが進めてくれるさ。さっきも言ったけど俺は説得する方向性で進めたい」

 

「嘘の主張で審議に引きずりこんでくるような相手よ、簡単なことではないわ」

 

 堀北さんの言う通りだ。楽にとはいかない。

 

「仮に説得の場を設けたとして、引き下がる代わりにポイントを要求されるなんてこともあり得る筈。いいえ、こんな手段に訴えて来る相手だもの、必ずそうするわ……そして、それがまかり通ってしまった瞬間、対等ではなくなってしまうわね」

 

「味を占めるかもな」

 

「だろう? だからしっかり釘を刺しておきたいんだ。もしこれで綾小路の言うように味を占められたら、次の標的はDクラスかもしれない……だからこの件はBクラスを助ける為でもあるけど、Dクラスの将来を考えた結果なんだ」

 

 そこまで言えば頑なであった堀北さんと言えど、今回の件を解決する為に深く考え込んでくれる。

 

「説得するには、聞き入れさせる為の材料が必要になる。けれどポイントを支払うようなことをすれば実質敗北と変わらないわね……何か、それ以外の方法で――」

 

 彼女なりに色々と考えてくれるのは嬉しい、以前の彼女ならば他クラスの争いなんて絶対に無関係を決め込んでいただろう。

 

 しかし色々と考え込んでくれたのだが、冴えた一閃など簡単に見つかる筈もなく。最終的には小さな溜息を吐いてしまうのだった。

 

 そして彼女の視線はまたもや教室の隅っこで静かに昼食をとる眼鏡の女子生徒に向けられてしまう。

 

「駄目ね、説得する方法を考えるよりも、彼女の方が気になるわ」

 

「佐倉さんのことかい?」

 

「さすが笹凪くんね、女子生徒の名前をしっかり覚えているなんて」

 

 軽薄ね、彼女の視線はそう言いたげだったが、とんでもない勘違いである。

 

「いや、もう入学してそれなりに経つんだから、クラスメイトの名前くらいは覚えるだろ、二人もそうだろ?」

 

「……」

 

「……」

 

 堀北さんも綾小路もだんまりである。嘘だろ?

 

「ま、まぁ。それは置いておこう。それで堀北さん、何が気になるのかな?」

 

「茶柱先生がホームルームで言っていたでしょう? 目撃者がいれば名乗り出るようにって」

 

「言ってたな」

 

 綾小路がパンを食べながら頷く。

 

「その時、彼女だけは反応を示していたわ。他の人たちがどこか他人事のように聞いている中でね」

 

「へぇ、もしかしたら目撃者かもしれない訳か」

 

「かもしれないわね、本人に訊いてみないことにはわからないけど」

 

 それなら話は早い、さっそく聞いてみれば良いと思って席を立ち、教室の隅っこで静かに昼食をとっている佐倉さんへと近づいていく。

 

 彼女はあまり目立たない生徒だ、常に他者の視線に怯えているような印象も受ける。なので可能な限り穏やかに親しみやすく接したいのだが。

 

「佐倉さん、ちょっと良いかな?」

 

 声をかけると体をビクッと反応させて、慌てながらこちらに視線を向けて来る。

 

「実は少し訊きたいことがあって、お話でもどうかな?」

 

「……ご、ごご」

 

「ごご?」

 

「ごめんなさい……」

 

 何故か謝られてしまった、それも涙目で。

 

 そこでふと、俺はSシステムをクラス全体に説明した時のことを思い出す。師匠モードで強制的に黙らせたあの一件である。

 

 そりゃ怖いか、俺だって師匠は怖い、なら彼女だって当然怖い。

 

 どうやらここは俺の出番ではないようだ。

 

「綾小路、どうやら絶対に人を殺してそうなランキング一位の俺は怖がられてしまうらしい。選手交代だ」

 

「なんだと?」

 

 ここはパッと見で人畜無害そうな雰囲気を醸し出している、自称平凡な高校生の出番であった。

 

「佐倉さんと話をしてきて欲しい、事件の目撃者かどうかだけでも知りたいんだ」

 

「オレが?」

 

「そうだ、俺はとても怖がられてしまっているみたいだ。頼んだよ」

 

「綾小路くんには荷が重いわよ」

 

 堀北さんが挑発するようにそう言うと、思う所があったのか綾小路は席を立って佐倉さんに話しかけにいくのだった。

 

「上手くいくのかしら?」

 

「さてね、とにかく怖がられてる俺よりはまだマシだろうけど……うん、どうやら上手くやれそうだ」

 

 綾小路が話しかけると佐倉さんはビクつきながらもなんとか会話をしてくれている。俺が話しかけた時のように涙目にはなっていなかったのでその差がよくわかってしまう。

 

 しかし綾小路がよく知らない女子生徒に声をかけるというのも、言ってはなんだが意外な光景でもあるな。

 

 

 

 

 

 

 



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傷害事件 3

ホワイトルーム「育成とは徹底と管理」

師匠「育成とは破壊と再生」


 

 

 

 

 

 

 

 どうやら佐倉さんは事件の目撃者であったらしい。ならばどうして茶柱先生に言われた時に名乗り出なかったのかと言うと、彼女はとても引っ込み思案で積極的な人間ではなかったからだろう。

 

 実際に、綾小路相手でも緊張で固くなる場面も多く、審議の場に立たせることに不安を覚えるくらいには恥ずかしがり屋であった。

 

 仮に彼女を目撃者として審議の場に放り込んだとしよう、緊張で何も言えなくなってしまうのではないか、そんな不安を覚えてしまう。

 

 綾小路も、そして堀北さんも同じ結論に至ってしまうくらいには、佐倉愛理という少女は緊張に弱かった。

 

 絶対に人を殺してそうなランキング一位なんていう不名誉極まりない栄冠を勝ち取ってしまった俺では近づくだけで涙目になってしまう始末である。なのでここは何とか対話が成立させることができた綾小路の出番だろう。

 

 君の持つ巧みな話術と安心感で相手をしっかりエスコートして、どこに出しても恥ずかしくない女性に導くんだよと綾小路に伝えると、彼は宇宙に投げ出された猫のような顔をしていたのが興味深くもあった。

 

 貴重な、おそらくは二人といない目撃者、加えてBクラスではなくDクラスという客観性を持った証人であるので期待したい所である。

 

 上手くやれるだろうか? カメラ映像という文句のつけようがない完全完璧な証拠という訳ではないので不安もあるが、彼女だけに頼るのも申し訳ない気分になってくるな。

 

「綾小路、おはよう」

 

「あぁ、おはよう」

 

 朝の登校中、綾小路を見つけて挨拶して並んで歩く。

 

「佐倉さん、調子はどう?」

 

「まだ説得はしていない、今の佐倉を審議の場に立たしてもな」

 

「ん、難しいだろう」

 

「言ってしまえば他人事でしかない、知らぬ存ぜぬを決め込んでも、責められない」

 

「まぁね、平穏無事に過ごしたいのならそれも悪くはないよ」

 

「笹凪としてはそれだと困るんじゃないのか?」

 

「だからって嫌がる相手を無理矢理連れていくこともできないさ。尊重は大事だって師匠が言ってたからな」

 

「そうか……因みに、そっちの進捗は?」

 

「説得材料はさっぱり集まらないね。堀北さんも言ってたけど、ポイントを渡すからってのは実質敗北だ」

 

「だろうな」

 

「なので発想を飛躍させて、説得とは別のプランも考えてみた」

 

「ほう」

 

「まず、訴えを起こしているCクラスの生徒を秘密裏に処理する」

 

「うん?」

 

 綾小路が宇宙に放り出された猫みたいな顔になった。どうしてだろう?

 

「あぁ、言い方が悪かったね。具体的なことを説明すると、彼らは謎の暴漢に襲われて重傷を負い、暫く入院することになる」

 

「……うん?」

 

「そうなれば審議がどうのこうのとか以前の問題だろう? 訴えを起こした人たちがいなくなるんだから、うやむやにできる。仮にそれでも審議が開かれても欠席裁判になるし、もし先送りにされても退院は数か月後だ、時間は稼げるから色々と工作はできるだろう……証拠さえ残さなければ色々な面倒がこれで片付く」

 

「……」

 

「ごめん、ちょっと疲れてたみたいだ。短絡的に考えすぎていたのかもしれない」

 

「そうみたいだな」

 

 説得材料を集めるといっても簡単なことでもないからな。俺に湯水のように使えるポイントでもあれば別なんだろうが、無い袖は振れないのだ。

 

「だが、あ~、なんと言うか……方向性というか、そういうのも悪くはないんじゃないか」

 

 綾小路がたどたどしく説明しようとしている。なんだろう、ヒントを与えたくて話しているようにも見えて、しかしドンピシャな表現は使わない、煙に巻きつつも尻尾だけを見せようとしているような、そんな感じである。答えを教えたがってる先生のようだ。

 

「力で解決することがかい?」

 

「もう少し柔軟に考えた方が良いと思うぞ……」

 

「ん……ならCクラスを参考にしてみようか」

 

「それも良いかもな」

 

 俺の返答に満足したのか綾小路は頷いた。手間がかかるので避けたかったことでもあるが、彼らの方法を参考にするのも悪くはないだろう。

 

「ん?」

 

 校舎に続く玄関付近で綾小路がとあるものを見つける。それは情報提供を呼びかける張り紙であった。有力な情報には報酬を与えるとも書かれている。

 

「Bクラスも動いているようだな」

 

「そりゃそうさ、こんな面倒事でクラスメイトが停学になるかもしれないなんて嫌だし」

 

 しかもほぼほぼ確実に冤罪だしな。審議で不利になろうものなら絶対に不満が残るだろう。

 

「やっほ!! 笹凪くん、おはよう!!」

 

 綾小路と二人でその張り紙を眺めていると。太陽のように輝く笑顔の女性が姿を現す。一之瀬帆波さんだ。

 

「おはよう、一之瀬さん。今日も君は眩いね」

 

「にゃ!? も、もう、相変わらずだね……えっと、そっちの人は」

 

「俺の友人だよ」

 

 そう言って綾小路の背中を軽く叩くと、彼はぎこちなく挨拶をした。

 

「綾小路だ、あ~、よろしく?」

 

「うん、よろしくね」

 

 おぉ、綾小路も彼女の眩しさに当てられたのか、僅かに目を細めている。

 

「今、この張り紙を見てたんだけど、調子はどんな感じだい?」

 

「決定的なものは何もって感じだよ。動画とか取ってくれてたりした人がいれば良かったんだけど、そんなに都合の良いことは無かったかな」

 

「そんなことがあれば一発解決で楽なんだけどね」

 

「本当にそうだよね……はぁ、千尋ちゃんも参ってきてるし、早く解決できればいいんだけど」

 

「千尋さんというのかい? 今回矢面に立たされてるのは?」

 

「うん、私の友達。凄く優しくて思いやりのある子なのに、こんなことに巻き込まれて、凄く落ち込んでるんだ」

 

 だろうな、しかも冤罪だ。落ち込んで当然だろう。

 

「彼女の為にも、早く解決しよう。俺も助力は惜しまない」

 

「うん、笹凪くんがいてくれたら百人力って感じで安心できるな……なんて言うんだろ、不思議な安定感があるんだよね、笹凪くんって」

 

「過分な評価ではあるが、君に褒められるのは悪い気分にはならないな。つい調子に乗ってしまうよ」

 

 太陽のような人だからな、この子は。俺にはないカリスマ性を持っている。

 

「にゃはは、なら精一杯煽てようかな」

 

 うん、凄くやる気が出ると思う。悲しきかな男の性。

 

 ただ情報収集の進捗は芳しくはないらしい。学校の掲示板でも情報提供を呼び掛けているのだが、決定的な物はない。

 

 綾小路に視線を送ってみると、彼は少し悩んだそぶりを見せながら小さく頷く。

 

「一之瀬さん、実はウチのクラスに事件の目撃者がいたんだ」

 

「本当!? ならこれで――」

 

「ただ、少し問題がある」

 

 そこで説明したのは佐倉さんの性質や気性である。同時に審議の場に立たせることに若干の不安があることも。

 

 審議の場で証言するのに必要なもの、それは理路整然とした主張であり意思だろう。

 

「そっかぁ、そう聞くと確かに証言して貰うのも申し訳なくなっちゃうな」

 

 ここでそんなことを言わないで強引にでも協力して欲しいと主張しないのは、一之瀬さんの善性が見て取れるな。彼女だって焦りがあるはずだろうに。

 

「今、綾小路が説得中……とは少し違うけど、勇気づけてるような感じなんだ。もう少しだけ時間をくれないかな」

 

「うん、もちろんだよ。ゆっくりで良いんだからね」

 

「ごめんね、こちらを急かさないように配慮してくれているのがよくわかるよ。君の優しい気持は俺たちにちゃんと伝わっている、ありがとう」

 

「……そう真っすぐ言われると、恥ずかしくなっちゃうな」

 

 そう伝えると一之瀬さんは少しだけ照れて頬を赤くするのだった。

 

「それと、説得の方だけど、そっちも色々と考えてある。上手く行くかどうかは正直五分五分だけどね」

 

「あ、そうなんだ。詳しく教えて貰えないかな?」

 

「いや、まだ草案段階だからちょっとね、君たちは審議をどう乗り切るかに集中して。こっちは大丈夫だから」

 

 もし詳しく説明したら反対されかねないしな。

 

 そこで俺たちは一之瀬さんとわかれてDクラスの教室に向かうことになる。櫛田さんは色々と聞き込みを手伝っているので忙しそうにしているが、それ以外の者たちにとってはやはり他人事でしかないのだろう。

 

 俺たちがBクラスに協力していることに興味を示しているのは平田くらいのものである。よければ手伝おうかと申し出てくれる辺り、本当に配慮を欠かさない男であった。

 

 しかしできることもあまり多くはない、俺がやろうとしていることにも巻き込めないからな。

 

「笹凪くん、昨日、色々と考えたのだけど」

 

 席につくとさっそく堀北さんが声をかけてきてくれた。昨晩にCクラスを説得する方法を彼女なりに考えてくれたらしい。

 

「ん、ぜひ聞かせてくれ」

 

「それは、うん……勿論そうなのだけど」

 

「どうして言い淀むんだい?」

 

 彼女にしては歯切れが悪い、ズバズバと鋭く切り込んで来るのが堀北さんなのに。

 

「考えた結果、一つ、方法が思い浮かんだの……ただ」

 

「ただ?」

 

 綾小路も堀北さんの考えに興味があるのか、耳を傾けている。

 

「引かないと約束してくれるかしら?」

 

「約束しよう」

 

「本当に? その……呆れたりしない?」

 

 彼女はそこまで念入りに警戒するようなことを口にするつもりなのだろうか? 俺が考えた秘密裏に処理する作戦よりも非道な手法とかだろうか?

 

「勿論だ、君なりに考えて出した答えを否定したりしないさ」

 

「そ、そうよね」

 

 もしかしたら堀北さんは自分が考えた作戦を説明することで、俺や綾小路に嫌われてしまうことを恐れているのだろうか? 友人関係が壊れてしまうことを憂慮しているのかもしれない。

 

 だとしたら可愛らしい、失いたくないと思われているということだから。

 

「わかった、説明する……以前にも言ったけど、Cクラスの説得は簡単じゃない。下手に交渉の場に着いたとしても必ず理不尽な要求を通してくるはずよ。ポイントを払ったり、謝罪をするのは実質的な敗北となってしまうわ」

 

「だろうね」

 

「えぇ、だから譲歩させるのではなく、相手にこのまま続ければ出血を強いられることを示唆する方が良い……言い方は悪いけど、その、脅したりね」

 

 チラッと、堀北さんがこちらをうかがって来る。大丈夫、別に引いたりしてないよ。

 

「なるほどね、堀北さんは相手の弱みを握ってそれを交渉材料にすべきだって考えた訳だ」

 

「そういうことになるわね……私は、別に、その」

 

「わかっているよ、堀北さんの考えも間違ってはいないし、それで君を嫌ったりなんてしないさ。そうだろ? 綾小路」

 

「あぁ」

 

 綾小路も少し感心したような顔をしているしな。確かに真面目でお堅い印象があり、まさにその通りの堀北さんが、こういった絡め手を考えて来るのは驚いたし感心もした。

 

 彼女なりの良心と言うか、善性みたいなもので迷っているようにも思えたけど、交渉の手段としては全然アリだ。寧ろ基本とさえ言っても良いだろう。

 

 正面突破でなにもかも解決できるのは、圧倒的な実力がある者だけ、師匠もそう言ってた。

 

「ん、良い考えだと思う」

 

「そ、そうかしら?」

 

「正攻法で説き伏せるよりは遥かにね」

 

 意外でもあった、彼女がこういった方法を思いつくなんて。

 

「Cクラスは叩けば幾らでも埃が出てきそうだし、その感じで行ってみるよ。まぁ審議で勝てるのならばそれが一番なんだけど」

 

「それは難しいんじゃないかしら。佐倉さんがそういった場で理路整然と発言できるとは思えないもの、対話力が致命的だと思うわ」

 

「……え」

 

 こらこら綾小路、そんな「お前が言うのかって」顔は止めなさい。俺も思ったけどさ。

 

「そこは綾小路の手腕に期待するしかないね。佐倉さんをしっかりエスコートして勇気づけるんだよ?」

 

「あまり期待してくれるな、正直、自信はない」

 

「仮に駄目そうでもこっちのプランも動いてるからさ、気楽にやってくれ」

 

「あぁ、わかった」

 

 佐倉さんは綾小路に丸投げで良いだろう。怖がられてる俺よりはずっとマシな筈だ。

 

 問題なのはCクラスだな。彼らの弱みというか、脅しの材料をどう調達するかっていうのは考えているけど、協力者が必要になる。

 

「堀北さん、俺たちは協力関係、そうだよね?」

 

「そうなるわね」

 

「じゃあちょっとお願いしたいことがあるんだけど、良いかな?」

 

 彼女は力を貸してくれるだろうか? 素直に納得してくれれば良いんだけど。後で凄く怒られそうなのでちょっと怖い。

 

 

 

 

 

 

 



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傷害事件 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 作戦会議が終って数日後、いよいよBクラスとCクラスとの間で審議が行われる当日、俺は一人、ケヤキモール内にある施設を訪れていた。

 

 ここは何というかあまり馴染みのない場所だ。ラーメン屋とか定食屋みたいなところはよく訪れるのだが、階段を下って行って地下にあるライブフロアのような場所はさすがに初めてだ。

 

 この辺はよくCクラスの生徒が屯しており、目的の人物も頻繁に足を運んでいるらしいので俺も顔を出したのだが、さすがに探すのに苦労したな。

 

 どこかのレストランでわかりやすく食事でもしてくれてたなら探すのも楽だったんだけど、地下にあるライブフロアとか高校生が拠点にするような場所じゃないだろ。

 

 地下に下りて行った先にあるのは重厚な扉である。防音仕様で分厚く頑丈そうなそれを開けようとするのだが、鍵がかかっているのか動かない。

 

 一応、この地下にあるライブフロアはモール内にある公共の施設だよな? なんで鍵かけて他の客を締めだしているんだろうか。

 

「まぁ良いか」

 

 固く閉ざされて動くことのないドアノブを、仕方が無いので引きちぎって強引に扉を開けた。

 

 スチール缶を万力で潰した時のようなメキャっという音は、扉の向こうから漏れ出て来た激しい喧噪と音楽でかき消されていく。

 

 ライブフロアの中にいるのは主にCクラスの生徒たち、突然扉をこじ開けて入って来た俺に当然ながら視線が集まった。

 

 そんな彼らの視線を一身に受けながら、目的の人物を探して見つけ出す。

 

「て、てめッ!! なんでここに!?」

 

「やぁ石崎……この間ぶりだね、あの時はどうも。とても痛かったよ」

 

 目的の人物の近くに行こうと足を進めると、Cクラス所属の不良である石崎が姿を現して道を塞ぐ。彼の視線はドアノブがねじ取られた扉と俺を行ったり来たりしている。

 

 ついこの間、彼にはとても世話になったので、俺としてもしっかりお礼をしたい。

 

「でも今は良いんだ、今日は龍園に用があるからね」

 

 ライブフロアの奥で手下と共にふんぞり返る相手と話がしたいんだよね。

 

 急に乱入して来た俺を見て彼はニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべている。興味はあるのだろう。

 

「俺と君は初めましてじゃないよね? 確か教室の前で会ったことがある。あぁ、でも自己紹介はしておこうか、俺は笹凪天武と言います。宜しくお願いします。君の名前は知っているよ、龍園翔だっけか?」

 

「ククク、そうさ、俺がCクラスの王だ」

 

 龍園翔、暴力でクラスをまとめ上げて支配する生徒、鋭い眼光と挑発的な笑みはある種の魅了を備えており、一之瀬さんとは方向性の違うカリスマ性を持っているのが観察していてよくわかった。

 

 足を組んで机の上に置く、俺こそが法だと言わんばかりに。

 

 彼の両隣に座っていた女子生徒は不穏な気配に怯えて離れていき、代わりに龍園の背後には見るからに大柄な男子生徒が護衛のように立った。

 

 確か名前は山田、この学校で単純な腕力ならば二番目か三番目に強い生徒だろう。

 

 そして俺の背後には石崎が立つ、こちらは護衛と言うよりは何かあればすぐさま取り押さえる為の鉄砲玉みたいだ。

 

「さて、話をする場が整ったみたいだし、早速本題に入ろうか……今現在、BクラスとCクラスとの間で審議の真っ只中であることは理解しているかな?」

 

 丁度、あっちも始まった頃合いだろう。佐倉さんが上手く証言してくれれば良いんだけど。

 

「さぁな」

 

 挑発するような笑みはそのままである。彼の指示で始まった事件なんだから知らない筈がないのに。

 

「仮にその審議とやらがあったとして、Dクラスのお前にはなんの関係もない、そうだろう?」

 

「そうでもないよ。俺はBクラスとは協力関係を結んでいるからね。だから助けたいのさ」

 

「意味がわからねえなぁ、他人事だろ? 何でそんなことするんだ?」

 

「誰かが困ってたら、助けようとするのは普通のことなんじゃないのか」

 

「……」

 

 龍園は何故か「何言ってんだこいつ」と言いたそうな顔をしている。

 

「勿論、人には限界がある。俺の尊敬する人も言っていたが、全ての者を救うなんて神ならざる身には不可能だ。けれど俺の両手が届く範囲くらいは守りたいし守るつもりだ」

 

 神の子なんて呼ばれることもある師匠ですら全ての者を救うことなんて出来なかったからな。師匠でも無理なら俺では絶対に無理だろう。

 

「今回は偶々、Bクラスが俺の手が届く範囲にいて、彼らが困っていたからね、力を貸しているんだ。誰かを助けたいというのは、とても自然で当然の行為じゃないか。何故なんて問いかけられても正直困る」

 

「ククク……これは驚いたな、こいつマジで言ってやがる」

 

 どうして笑われたのだろうか、当たり前のことを言っているだけなんだが。

 

「君だって、困ってる人を助けたことくらいあるだろう? ご老人に席を譲ったりとか、怪我した人を介抱したりとか、一緒に落とし物を探したりとかさ。或いは女性の涙を拭き取ってあげたり」

 

「テメェは俺を何だと思ってるんだ」

 

「……えぇ」

 

 嘘だろ、どれだけ荒れた人生を送って来たんだこいつは。

 

「おほん……まぁ価値観は人それぞれだ。少し話がズレてしまったが、本題に戻ろう。俺のしたい話をシンプルにすると、つまりCクラスに訴えを取り下げて欲しいんだ」

 

「話にもならねぇな。俺たちは被害者、相手は加害者、泣き寝入りしろってか?」

 

 なんだよ、事件のことしっかりと理解してんじゃないか。

 

「いや、今回の件は君たちが仕組んだことだろう? 被害者を主張するのはどうなのさ」

 

「おいおい失礼なことを言うじゃねえか。証拠があんのか? 俺たちがやった証拠がよぉ……無いのなら、階段から突き落とされたっていう事実だけ全てだ、違うか?」

 

「ん……事実の証明は凄く難しいね。監視カメラの映像があれば一発なんだけど」

 

「都合の悪いことに、故障中らしいからなぁ」

 

 都合よく、だろうに。

 

「そうだな、じゃあ目撃者がいるとしたらどうする?」

 

「ほう? だが根拠としちゃ薄いな」

 

「そうかな? 客観的な証言というのはとても重要だ」

 

「わからねえぜ、追い詰められたBクラスがポイントで買収してでっち上げたなんてこともあるだろうよ」

 

 なるほど、龍園もその辺のことは考慮しているのか。もしかしたら審議の場に立っている生徒には証言者が現れるとそう主張するように指示を出しているかもしれないな。

 

 証言者の言葉が真実か否か、それを証明するには事実の証明と同じくらいに難しい。

 

 しかし審議を有利に持っていく材料であり、力であることは事実なので、佐倉さんには頑張って貰いたい。

 

 おそらく、今、審議の場に立っているであろう彼女の健闘を祈っていると、懐に入れていたスマホが震え出した。

 

 俺がそれを取り出して送られてきたメールを確認すると、同じように龍園もスマホを確認している。どうやらメールの内容は同じものらしい。

 

「再審議だと?」

 

 届いたメールを確認して少しだけ意外そうに彼は言った。

 

 どうやら彼としてはここで勝負を決める算段であったようだが、佐倉さんが頑張って証言したことでCクラスの主張に疑問が残ったということだ。

 

 同時に、再審議は生徒会からの恩情でもあるらしい。次の審議までに文句のつけようがない証拠を揃えなさいと言いたいのだろう。

 

 俺のスマホには綾小路から届いたメールがあり「佐倉も頑張ったようだが再審議となった、そっちのプランを進めてくれ」という内容であった。

 

 仕方がないか、あまりやりたくはないけど、プランBと行こう。

 

「さて龍園、とりあえずこの映像を見てくれないかな」

 

 そこで俺がスマホで録画した映像を映し出す。

 

 

 人気のない放課後、階段の踊り場、そこを伺うかのように撮影された動画には、俺と石崎の姿があった。

 

 

 ピクッと、龍園の眉が動く、そして俺の背後にいる石崎に視線を向けた。

 

 映像は続く、階段の踊り場で何やら言い争いが始まって、石崎が俺の胸倉を掴みあげ、最終的には肩を突き飛ばして階段に落とした映像が。

 

「それなりに痛かったよ」

 

 嘘だ、あれくらいで怪我をするような改造なんて受けていない。そもそも落ちたのもワザとだ。石崎が突き飛ばしたタイミングで自分から転げ落ちただけである。

 

「龍園、俺は被害者だ、そうだろう?」

 

「……」

 

 龍園から初めて笑みが消えた。そして視線は鋭くなり、強い敵意がここで初めて向けられてくる。

 

 なんだ、ニヤニヤ笑ってるよりはそういった顔の方がカッコいいじゃないか。

 

「この後、俺は学校側に訴えを起こそうと思う。Cクラスの生徒に突き落とされたってね」

 

「……ほう? 何が言いたい?」

 

「嫌だなぁ、わかってるんだろう? 訴えを取り下げて欲しいんだ」

 

「テメェになんの利益がある? さっきも言ったが、他人事だろう?」

 

「さっきも言ったが、俺は俺の両手が届く範囲の人くらいは助けたい。一之瀬さんの善性は眩く尊いものだ、誰もがそうあればと願わずにはいられないほどに……きっと答えはシンプルで良いんだろうね……うん、彼女を助けたいんだ」

 

「ククク、なんだ、一之瀬に惚れてるのか?」

 

「美しい人だと思う、そしてどこにでもいる普通の女の子だとも思ってる。色んなことに悩んで躓いて葛藤して……だからあまり苛めないであげて欲しい、とてもシンプルな理由だ」

 

「こいつは傑作だ……これまでのお前の言葉に一切の嘘やごまかしがない。驚いたぜ、良い感じにぶっこわれてやがるッ!! お前まさか、素面で正義の味方だなんて言い出さないだろうな?」

 

「正義か、そんな大それたものを掲げられる程、俺は立派な人間じゃないよ……ただ困ってる人がいれば手を差し伸べたいんだ。だってほら、その方がさ――――カッコいいだろ」

 

「……」

 

 呆れたような、驚いたような、馬鹿にしたような、そして納得したような、複雑な顔を龍園は見せて来る。

 

「金玉ぶら下げて生まれて来たからさ、死ぬまでそうやって生きようと思ってるし、それで死のうとも思ってる……それじゃダメかな」

 

「いいや、なるほどな……ククク、男なんだ、カッコいい看板ってのは大事だよなぁ!! いいぜ、納得してやるよ。だが笹凪ィ、決定的なミスを犯しちゃいねえか?」

 

「ミス?」

 

「この監視カメラもない密室で、孤立無援、一人で来たのは失敗だったんじゃねえかって話だよ……この状況で欠片もビビッてないのは見りゃわかるが、ちょいと危機感が足りねえなぁ」

 

 こいつは何を言っているんだ? 高校生に取り囲まれたぐらいでビビってたら、師匠に秒で殺されてしまうんだぞ。

 

「俺たちがここでお前を袋にするって決めたらどうするつもりだ、えぇ?」

 

「その時は、君たち全員を排除するしかないね」

 

 そこで俺は、この地下にあるライブフロアの扉を開ける際に、引きちぎっていた鉄製のドアノブを机の上に置いた。

 

 喋っている間、手持ち無沙汰だったので弄んでいたそれは、既にドアノブの形状を残しておらず、奇妙な鉄のオブジェと化している。

 

「あ、これ、ドアノブなんだけど、壊れてたみたいだよ」

 

「……」

 

「すまない、錆びてたのかなんなのか知らないけど、開けるときに取れてしまった。ドアも立て付けが悪かったし苦労した」

 

「……」

 

「それで、何だったかな? あぁ、暴力に出るって話だね……それに関しては推奨しない」

 

 思考と意思が薄まっていき、徐々に師匠モードに移行していく。

 

「……ッ」

 

 そこで初めて龍園は焦りを覗かせる。大きく目を見開き冷や汗を流して驚愕しているようにも見えた。

 

「きっと、何の利益も得られない」

 

 龍園と俺の視線が結び合う。その瞳の向こうにある動揺を、そして恐怖を、観測することができる。師匠モードをそこで解除すると、要件は済んだとばかりに立ち上がった。

 

「ク、クク……クハハハハッ……なるほどな、まさかここまでの化け物がいたとは知らなかった。いいぜ、一之瀬や葛城程度じゃあ退屈していてな、こんな極上の獲物がいたとなりゃ楽しめそうだ」

 

 こいつ、師匠モードの圧力を前にしてまだそんなことが言えるのか、完全完璧ではないとはいえ師匠の雰囲気と迫力を演じているのに……思っていた以上に根性がある。

 

 強がりかもしれないが、そもそもあの人を前にすれば強がることすら難しいので、例え虚勢であったとしても凄いと断言できる……長生きはできないと思うけど。

 

「そうか、それじゃあここでやるつもりかい?」

 

「ゴリラと利益もないのに殴り合う必要があるかよ」

 

「全くもって同意見だ」

 

 師匠は利益もないのに俺に戦わせたけどな。

 

「それじゃあ俺はここで……あ、そうだ、せっかくだから君の連絡先とか聞いても良いかな?」

 

「……チッ」

 

 舌打ちしながらも、何だかんだで彼は教えてくれる。意外にも素直である。

 

 

 

 翌日、Cクラスは訴えを取り下げて、この傷害事件は幕引きとなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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一件落着?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 堀北さん、滅茶苦茶怒ってるじゃないか。

 

 いや、わかるよ、他クラスの面倒事に巻き込んだ上にだいぶアレな協力すら持ちかけた訳だからさ。

 

 龍園との話し合いも終わって、さぁこれで一件落着だって思いながら寮に帰ろうとする道中で、一言も発さずにこちらを睨みつける堀北さんと出会ってしまったことで冷や水を浴びせられた気分になってしまう。

 

「…………」

 

 せめて何か話して欲しい、罵倒の言葉でもあれば素直に受け入れるんだけど。

 

「あ~、えっと……堀北さん」

 

「……」

 

 凍える視線でこちらを見つめて来る堀北さんは、クイッと顎を動かして付いて来いとばかりに進みだす。

 

 反論できるような雰囲気でもないので大人しく従うことしかできなかった。

 

「えっとさ、Cクラスのことなんだけど、上手く行ったと思う。訴えは取り下げられるんじゃないかな」

 

「……」

 

「な、何か喋って欲しいな」

 

「……」

 

 ここまで頑なに拒絶する堀北さんは初めて見たな。入学当初よりも遥かにガードが固くなってしまっている。

 

「どこに行くんだい?」

 

 黙ってろと背中で語りながら彼女は進んで行き、最終的に到着したのは施設内にあるスーパーであった。どうやら食材を買いに来たらしい。

 

「私が」

 

「はい」

 

「階段から転げ落ちて来る貴方を撮影している時の気分を答えなさい」

 

「え、国語の問題文?」

 

 この作者の考えや心情を答えなさいとかいう、アレかな?

 

「わ、わぁ、大変?」

 

「ゼロ点ね」

 

 そうなのだ、堀北さんは石崎を嵌める為の工作に付き合ってもらい、紆余曲折の末に撮影役をして貰っていたのだ。

 

 作戦を説明した当初はかなりごねられた、手段もそうだがわざわざ他クラスの為にそこまでしなくても良いというのが彼女の主張である。

 

 反論の余地がない言い分だろう。実際に他人事でそこまでやるのはどうかとも思う。

 

 だが、引き受けると決めた以上は半端な真似は出来ないし、一之瀬さんが困るのも俺は嫌だったので、強引にスマホを渡して話を進めたのであった。

 

 渋々と、欠片も納得していないが、それでもしっかり撮影してくれた堀北さんには感謝しているのだが、彼女は全く納得していなかったのだろう。

 

「持ちなさい」

 

「あ、はい」

 

 食材を吟味している堀北さんは買い物かごを俺に押し付けて来て、そこに幾つかの食材を放り込む。

 

 じゃがいもと人参と玉ねぎと、牛肉と、今日はカレーだろうか?

 

「憤りと、苛立ちよ……そして心配かしら」

 

「心配してくれたんだ。でも大丈夫だよ、あれくらいで怪我するような体じゃないし」

 

「そういう話をしていないの、良いかしら?」

 

「あ、はい」

 

 今日の堀北さんはとにかく怖い。

 

「馬鹿な真似をした貴方に対する憤りと苛立ちがあって……転げ落ちてきた瞬間はとても心配したわ。しかもその行為がDクラスの為でなく、Bクラスを救済する為のものなんだから、話にもならない」

 

「ん、反論の余地がないかな」

 

 実際に俺も馬鹿な真似をしたと思っている。でもあの程度で怪我をすることがないという確信があったので、そこまで深刻に考えることでもないと思うが……堀北さん曰く、そういう話でもないのだろう。

 

 彼女は他にも色々な食材を俺が持っている買い物かごに入れていく。

 

「笹凪くん、貴方はもっと賢い人物だと思っていたのだけど、私の勘違いだったのかしら?」

 

「ええっと……」

 

「私に、何か言うべきことがあると思うのだけど」

 

「……ごめんなさい」

 

 ここは素直に謝ろう。馬鹿な真似をしたという自覚もあるし、彼女を巻き込んでしまった。

 

 師匠曰く、謝罪は大事。

 

「馬鹿な真似をしました、俺は愚かです……本当にすみません」

 

 しっかりと頭も下げる。姿勢は大事だって師匠も言ってた。

 

 そんな俺の後頭部に柔らかな指先の感触を感じる。どうやら堀北さんが触れているらしい。

 

 そのまま俺の髪を弄ぶ彼女は無言のままである。

 

 このまま頭をもぎ取られたりしないよね? 師匠ならやりかねないんだけど。

 

「……反省はしてるのね?」

 

「勿論です」

 

「もうしない?」

 

「……しません」

 

「変な間があったように思えるけど?」

 

「気のせいです」

 

「……頭を上げなさい」

 

 頭を上げて堀北さんの見つめ合う。さっきよりも少しだけ態度が柔和したようで安心した。

 

「これも持って頂戴」

 

 そう言って彼女は米袋を俺に押し付けて来た。十キロである。

 

 別に重たくはないので構わないのだが、流石に買いすぎじゃないだろうか?

 

「堀北さん、購入は計画的な方が良いと思う」

 

「私一人だと持って帰るのが大変だもの、丁度いい荷物持ちがいるから今回だけ……それに、これは馬鹿な真似をした貴方への罰よ」

 

「なるほど、だとしたら拒否はできないな」

 

 罰なら仕方がないだろう。少しずつ堀北さんの機嫌も良くなってきたので、これで良いと思う。キレた女性には逆らうな、俺は師匠でそれを嫌と言うほど理解しているのだ。機嫌が完全に良くなるまでは小間使いのように全力で奉仕しよう。

 

「ねぇ」

 

「ん、何かな?」

 

 少し照れた様子の彼女はこんなことを言って来た。

 

「何か、食べたいものはあるかしら?」

 

「……カレー、かな」

 

「そう、じゃあ今日はそれにしましょうか」

 

「え、作ってくれるの?」

 

「……まぁ、色々と言いたいことはあるけど、笹凪くんが頑張ったのは事実だもの」

 

 だから、と彼女は言葉を区切って視線を彷徨わせる。

 

「ご褒美をあげなくもないわ」

 

「そっか……ならお言葉に甘えようかな」

 

 堀北さんは少しだけ笑って見せてくれた。彼女の笑顔を見たのはこれが初めてのことである。

 

 

 笑顔の女性は、とても魅力的だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後。懸念事項であったCクラスとBクラスの審議はどうやら取り下げられたらしい。さすがに龍園もこれ以上踏み込んだ所で得る物がないと判断したのだろう。

 

 最悪、共倒れ覚悟で審議を継続させるかもしれないと思っていたが、引き際を弁えているらしい。

 

「ねぇ笹凪くん、一体何をしたのかな?」

 

 美術部に顔をだしてコンクールに応募する作品を完成させようと気合を入れていると、話があると俺を呼び止めたのは一之瀬さんであった。

 

 彼女も色々と訊きたいことがあるらしい。加えて相談事もあるそうだ。

 

「特別なことは何もしていないよ、龍園と話しただけさ」

 

「それで龍園くんが引き下がってくれるのなら、Bクラスはなんの苦労もしなかったと思うなぁ」

 

「かもしれないね、でも本当に特別なことはしていないんだ」

 

 もしあの手段を説明しようものならば、俺は一之瀬さんに嫌われてしまうかもしれない。それは避けたかった。

 

 脅迫して審議を取り下げて貰いました、そんな説明はいらないだろう。

 

「む~」

 

 一之瀬さんがこちらを何とも言えない視線で観察してくる。逃がしませんとでも言いたげである。

 

「良いじゃないか、Cクラスは訴えを取り下げた。Bクラスも一安心、これ以上の結果はないと思うな」

 

「そうなんだけど、やっぱり気になるかな」

 

「どれだけお願いされても言えません」

 

「どうして?」

 

「う~ん、秘密のあるミステリアスな男はモテるって聞いたから、かな」

 

「なるほどなるほど、そう言われると何も訊けなくなっちゃうなぁ」

 

 一之瀬さんも俺の冗談交じりの発言に乗っかってくれた。頑なだったのでこれ以上踏み込んでも無駄だとわかったのだろう。

 

「笹凪くんは話をしただけって言うけど、それでもBクラスが助けられたのは事実だし、ちゃんとお礼は伝えなきゃね……助けてくれて本当にありがとう」

 

「どういたしまして、大したことはないと謙遜しておくよ」

 

 一之瀬さんは朗らかに笑って見せてくれる。女性はやはり笑顔が一番だと俺は思った。

 

「それよりも、何か相談があったんじゃないのかい?」

 

 そもそも呼び出して来たのは一之瀬さんであり、ここは校舎裏に近いベンチである。そろそろ暑くなって来たので長居はしたくないのだが、訊ねた瞬間に一之瀬さんの顔が如何にも困ったといった感じになってしまうので、涼しい場所に逃げるのは難しいらしい。

 

「あ~、それなんだけどね。じ、実は、その……なんと言いますか」

 

 モジモジと照れた様子の彼女は人差し指をツンツンと合わせながら、こちらを上目遣いで窺ってくる。正直とてもズルい表情だった。

 

「言い辛いことなら、気持ちの整理が付いてからのほうが良いと思うけど」

 

「そ、そうじゃないよ……ただ、その」

 

「その?」

 

「こ、告白をされるみたいなんだ、私……」

 

「一之瀬さんは魅力的な女性だし、これまでも何度もあったんじゃないかい?」

 

「え!? や、全然。全然だって。私告白なんてされたことないもん」

 

「そうなのか、だとしたら不思議な話だ。好意を寄せる男なんて幾らでもいただろうに……でもまぁ、君は優しく美しい、これから先、沢山の求愛が寄せられるだろうから、すぐに慣れるよ」

 

「あはは、笹凪くんって本当に照れずにそういうこと言うよね」

 

「君が魅力的な人物であることは、事実だろ」

 

「お、おほん……話を戻すね」

 

 赤くなった頬と脱線しそうになった話を修正する為に、やや強引に咳ばらいをされてしまった。

 

「それでね、できれば彼氏のフリとかお願いできないかな?」

 

「……あ~、その心は?」

 

「色々と調べてみたんだけど、彼氏がいるからって理由が一番相手を傷つけないで済むって……」

 

 情報源何処だよそれ、告白する相手に彼氏がいたとか普通に傷つくと思うんだが。

 

「駄目、かな? 同じクラスの子には頼み辛くって」

 

「俺はまだ恋を知らないから何とも言えないが、いざ告白するって時に相手に恋人がいるからってのは、なかなかショックなんじゃないかな」

 

「そ、そうかな?」

 

「相手もそれくらいのことは調べてるだろうしね……ん、そうだな、下手に言い訳するよりかは素直に話し合った方が良いとは思う」

 

「下手に断って、これからギクシャクしたりとか」

 

「そうなるかどうかは、君たち次第だ……俺から言えるのは、誠実に対応してあげなさいっていうことくらいだね」

 

「そっかぁ……」

 

「しかし、その人物は羨ましいな」

 

「え?」

 

「さっきも言ったけど、俺は恋というのがまだよくわからなくてね……尊敬する人から憧れと恋と夢を探せって言われてるんだけど、俺が見つけることが出来たのは憧れだけだ。なので君に恋をしたから告白してきたであろうその人が、とても羨ましい。俺にないものを持っているんだからね」

 

「……」

 

 一之瀬さんは不思議そうにこちらを窺っている。

 

「笹凪くんって、そんな顔することもあるんだね」

 

「ん? どんな顔をしてたんだい?」

 

「なんていうか……遠くを眺める、みたいな感じかな」

 

「なるほど、届かないものを羨望するという意味では、確かにそうなのかもしれないな……恋も夢も、まだまだ遠いということなんだろう」

 

 憧れはわりと早く見つかったんだけどね。

 

「一之瀬さんは憧れてる人だったり、恋しい人だったり、もしくは将来の夢とかはあるのかい?」

 

「え~と、急に言われても困っちゃうけど……お、お母さんとか?」

 

「なるほど、ご両親への憧れか」

 

「うん、そうだね……すっごく苦労させてきちゃったし、それでも私を育てて来てくれた。うん、憧れなんだと思う」

 

「そうか、だとすると君も未熟者なんだろう」

 

「ど、どういうこと?」

 

「ん、俺の尊敬する人からの言葉でね……人生で大事なのは憧れと恋と夢だって言われたんだ。一つ見つけて未熟者、二つ見つけて半端者、三つ見つけてようやく一人前だってね」

 

 恋も夢も簡単には見つからないものなんだろう。

 

「憧れだけじゃ届かないし、恋だけじゃ続かない、夢だけじゃ意味が無い……何度も何度も何度もそう言われたからさ、ちょっと焦ってるのかもしれない。ごめんね、こんな話を聞かせちゃって」

 

「ううん、面白い話だったよ。にゃるほどね、どれか一つじゃダメなのかぁ」

 

「三つ揃えれば無敵になれるらしい」

 

「確かに、そんな人がいればすっごく強そうだよね。きっと頑張って頑張って、苦労を苦労とも思わないような人なんだと思う」

 

「あぁ、そうなりたいものだ」

 

 どんな困難も、突き進んで乗り越えていける、そんな人になれると思う。

 

 ふと隣に座っていた一之瀬さんに視線を向けると、彼女はニコニコと笑いながら俺を見つめていた。

 

「笹凪くんへの印象が変わっちゃったかも」

 

「そうなのかい?」

 

「うん、前までは掴みどころがないっていうか、とにかく不思議で、こんな言い方はしたくないけど、ちょっと怖い所もあったりして……ごめんね?」

 

「いいさ、目つきが悪い自覚はある」

 

 多分、師匠モードのことを言ってるんだろうな。怖がられるように演じている部分もあるのでその評価はとても正しい。

 

「でも、今の笹凪くんは距離が近くなった気がする。うん、私は今の君の方が好きだな」

 

「ありがとう、少しこそばゆいが、そんな風に言われるのは嬉しいものだ」

 

 まだまだ未熟者だけどね、俺は。

 

「立場や、この学校の制度上、難しい場面もあるかもしれないが、この友誼は大切にしたいと思う、一之瀬さんはどうかな?」

 

「もちろんだよ、だって私たちは友達だもん!!」

 

 この日、俺と彼女は友人になれたのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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ストーカーを撃退せよ

八神「え、こいつと戦わされるかもしれないんですか?」


 

 

 

 

 

 

 

綾小路視点

 

 

 

 審議は取り下げられた、完全に無関係だったオレはその場に立つことはできなかった上に、佐倉だけを証人として出席させることに不安もあったのだが、その場で結論が出ることなく再審議に持ち込めたのは間違いなく彼女の功績だろう。

 

 引っ込み思案で、極度に緊張に弱い佐倉が、たった一人で審議の場に立てるかどうかは五分五分であったが、良い方向に転がったと見るべきだ。

 

 佐倉愛理、クラスメイトの女子、接点はそこまで無い。

 

 ここ数日の間、色々と勇気づけようとしていたのだが、手ごたえと呼べるようなものなどあまり無く、いたずらに時間が過ぎるだけかと思われていたが、意外なことに歩み寄ってくれたのは佐倉からである。

 

 そもそも笹凪が言うように「しっかりエスコートしてどこにだしても恥ずかしくない女性に導くんだよ」なんていうのはオレには無理な話であり、アイツほど口も上手くない自覚もあるので前途多難であったのだが、予想していたよりも佐倉は勇気のある人物であった。

 

 悩み、戸惑い、そしてそれでは駄目だと踏み出そうとする気持ちがある女子である。グラビアアイドルをしているかどうか、それが自分なのか仮面なのかもあまり関係が無い、佐倉愛理という人間は、本当にどこにでもいる十五歳の少女であった。

 

 誰かが困っていれば、手を差し伸べたいと思えるほどに、普通で平凡なのだろう。随分と緊張はしていたようだが。

 

「人生で大切な三つのことか……」

 

 オレが彼女に伝えられたのは、以前に笹凪と堀北の会話を自動販売機の裏で盗み聞きした時に知った言葉だけである。正直、憧れも恋も夢も持たない俺が言って良い言葉でもないのだが、佐倉には何かしら響くものがあったらしい。

 

 あの言葉が笹凪の行動原理なのだと分析しているが、そこまで簡単なことでもないと思う。

 

 笹凪天武、オレの友人……うん、友人だと思う。

 

 アイツに関しては本当にわからない部分が多い。人間離れした身体能力を持ち、知識や思考力も持っている。とても大人びているようにも見えて、子供のように笑うこともある。

 

 最初は、もしかしたらオレを追って来たあの場所からの刺客なのではないかと疑う部分もあったが、それにしては人間味があり過ぎるようにも思えるし、そもそもあの異常な身体能力を持った相手があそこにいたのならば、必ずオレと比較対象になっていた筈だろう。

 

 だが笹凪のことはこの学校に入るまで知らなかった。それはつまり奴はホワイトルーム出身ではないということだろう。

 

 あれだけ極まった身体能力を持つ相手があの場所にいたのならば、その肉体を「再現」しようと大規模にカリキュラムの変更もあった筈、それが無いという事実が、笹凪とホワイトルームの関係を断つ証拠にもなる。

 

 つまり笹凪は、人工ではなく天然の天才……あるいは何らかのバグのような存在だということだろう。人類と言う規格から大きく逸脱した、よくわからない何かだ。

 

 油断はできないが、上手く関係を維持して友好的になることができるのならば、これ以上ないほどの切り札にもなるはずだ。

 

 もしかしたら、あの場所から刺客がやって来ることもあるかもしれない。その時にあの怪物をぶつけることができれば問題なく――――。

 

「いや、ダメだな……」

 

 思考がどうしてもそういった方向に流れてしまうのは、あそこの教育がオレの根底に根付いているからだろう。

 

 友人と言ってくれた相手を、駒のように扱うことを考えている、これはきっと普通の高校生から遠い筈だ。

 

 友人、友人か……それもまた難しい概念だった。

 

 それらしく振る舞おうとしている時点で、きっと何かがズレているんだと思う。

 

 そこでふと、ここ最近、関わることになった女子生徒の言葉を思い出す。佐倉は言っていた、勇気を出すと。勇気とは何かもまた難しいものである。

 

「……ッ」

 

 何か確信があった訳ではない、しかしそう言った時の佐倉の顔と、彼女の背景にある深刻な問題が突然に結び合った。

 

 池から教えて貰った位置情報の追跡方法で確認して、佐倉の位置を確認する……彼女の行動範囲から大きく逸脱した場所を表した瞬間に、スマホを弄りながら走り出す。

 

「笹凪か、佐倉が危険な状態にあるかもしれない、手伝ってくれ。今位置情報を送る」

 

『ん……了解』

 

 言葉少なくスマホを切ると、玄関口で靴を履き替えて佐倉がいるであろう場所に走り出す。

 

「綾小路!!」

 

 その瞬間、校舎からとてつもない大声が届いた。視線を向けてみると屋上付近に笹凪の姿を確認できる。

 

 いや、何をするつもりだアイツ? どうしてフェンスから身を乗り出して飛び降りようとしているんだ?

 

 あ、行った。

 

 当たり前のように屋上から飛び降りた笹凪は、その途中で幾度か壁に手を引っ掛けながら勢いを弱めて着地すると、何事も無かったかのようにこちらに駆け寄って来る。

 

 うん……もう笹凪に関して考察するのは止めよう、きっと意味がない。アレはもうバグのようなものと認識するしかない。

 

「状況は?」

 

 ちょっとありえない速度でこちらに近づいて来た笹凪は、偶に発する鋭い迫力を身に纏いながらそう問いかけて来る。

 

「走りながら説明する、付いてきてくれ」

 

「あぁ」

 

 この状態の笹凪は口調と性格に少し変化がある。相手を圧倒する迫力と、視線を引き寄せる引力のようなものがあり、ある種のカリスマを有していた。

 

「佐倉が危険かもしれない……ストーカー被害にあっているんだ」

 

「ほう、なら排除するしかないな」

 

 迫力と引力が強まっていく、何かを毟り取るかのように少しだけ曲げられた指先が不気味であった。

 

「しかしストーカーか、推定戦力は?」

 

 猛スピードで走りながらも呼吸を乱す様子がない笹凪は、緊張や困惑も感じられず、ただ静かに状況を知りたがっている。

 

 荒事に、随分と慣れている、そんな様子が垣間見えてしまう。

 

「武装はどれくらいと推定される? 爆薬や銃の類は携行しているだろうか? 人数は一個小隊くらいか?」

 

「え? いや、さすがにそれはないと思うが……」

 

 この現代日本でそんな物を持ち出せる人間なんて限られているだろう。ましてやストーカーが運用できるような戦力ではない。

 

 それ以前に、こいつは脅威と聞かされてまずそういった戦力を想定するのか? ますます笹凪がわからなくなった。

 

「出て来ても刃物とか金槌くらいだ」

 

「そうか、良かった……なら問題はなさそうだな」

 

 笹凪が放つ圧力が徐々に消えて行く、どうやら安心しているらしい。

 

「普通、それでも恐ろしいと思うんだがな……」

 

「なに、そうなのか?」

 

 何故、オレが常識を教える側になっているんだろうか? いや、今はいいか。

 

「いた、あそこだ」

 

 家電量販店の搬入口に佐倉と向かい合っている男がいる。なにやら言い争っているようだ。

 

 やはりストーカー被害で合っているようで、しつこく付きまとわれているらしい。

 

「今から僕の本当の愛を教えてあげるよ……そうすれば雫もわかってくれる」

 

「いや、離してください!!」

 

 ストーカー男が手を伸ばして佐倉を捕まえようとした段階で、オレと笹凪が前に出る。

 

「綾小路、彼女を守れ」

 

「あぁ」

 

 二人の間に割って入る、そして佐倉を強引に引っ張って距離を取らせた。

 

「な、なんだお前たち!? どこから出て来た!?」

 

「あ、綾小路くんッ!? それに、笹凪くんも……」

 

「佐倉、よく頑張った、ここから離れるぞ」

 

「え、あッ……あの、て、て、手がッ」

 

 手を引いて距離を取り振り返る、そこでは既に笹凪が動いているのが確認できた。

 

 そしてストーカー男の手には包丁が握られている。どうやら逃げるのではなく立ち向かおうとしているらしい。かなり及び腰ではあるが。

 

 笹凪が発しているあの雰囲気が消えているからだろうか、なんであれ命知らずだと思うしかない。

 

「果物包丁か……それではな」

 

「う、うわぁぁぁぁぁああッ!!?」

 

 半狂乱になりながら包丁を突き立てて来るストーカー男の凶刃を、笹凪は何でもないように掴み取って強引に引き抜いてしまう。

 

 アイツは今、包丁を鷲掴みにして力づくで奪い去ったように見えたが、どうして怪我一つしていないのだろうか? 指が切り落とされてもおかしくない行動だと思うのだが。

 

 奪い去った包丁はペキンッと音を立てて根元から折れてしまう。こら、そんな小枝を折るかのような動作で破壊するもんじゃないぞ。

 

「これから何度でも思い出せ、恋や愛は押し付けるもんじゃない……尊い人の言葉だ」

 

 次の瞬間、笹凪の体がブレる。意味がわからない脚力で地面を割り砕いて踏み込んだかと思えば、勢いそのままにストーカー男の顎先を掠めるように拳が振るわれて、意識を刈り取ってしまうのだった。

 

 脳震盪の症状が酷いのだろう。そのまま膝から崩れるように倒れてしまう。

 

 あまりにも手慣れた動きと加減に、言葉を無くすしかない。プロの職業軍人らの動きは見慣れているが、笹凪の動きはそういう次元にはなかった。

 

「終わったぞ……佐倉さんは大丈夫か?」

 

「佐倉、怪我はないか?」

 

「え、あ、は、はいッ……あの、て、手をッ」

 

「あぁ、すまない……」

 

 オレと触れ合っているのは気持ちが悪いということだろうか……だとしたらとても悲しい。

 

「あの、ありがとうございます……それに、巻き込んでしまって」

 

「いや、気にする必要ないよ」

 

 何でもないようにストーカー男を拘束していく笹凪は、本当に気にしていないのかいつも通りの様子である。凶刃に晒されたとは思えないほどに。

 

 やはり慣れているのだろうか? ますますわからなくなった。

 

「それに気が付いたのは綾小路だ、お礼ならそっちに言いなよ」

 

 佐倉の視線がこちらに向けられる。ストーカー男と対峙した恐怖故か少し涙目になっており、緊張も見て取れる。

 

「あ、綾小路くんも、ありがとうございます……」

 

「あまり気にするな……オレは何もしていないからな」

 

「そ、そんなことないッ……あ、ち、違うんです、ただ、その……綾小路くんには沢山勇気づけられたから」

 

「……そうだったか?」

 

「はい……沢山」

 

「なんだ、ちゃんとエスコート出来てたんじゃないか」

 

「茶化すなよ」

 

「ごめんごめん」

 

 クスクスと笑う笹凪は興味深そうにこちらを見ている。

 

 いや、オレと言うよりは佐倉を観察しているようにも見えた。

 

 

 

「……そうか、恋が見つかったのか、羨ましい限りだ」

 

 

 

 

 最後にボソッと何かを呟いたようだが、それは聞き取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレがこの学校で何かを成せるとは思わない。ごくごく平凡な高校生として、普通の日常と言うものを過ごして学んでいく、ただそれだけだ。

 

 あの場所では得られなかった何かを、足りなかった何かを、そして必要だった何かを、ここならば得られるのかもしれない。

 

 そして何より、笹凪天武……アイツならばオレを――――いや、それは考えるべきことではないか。

 

 オレは普通の高校生、それでいいのだと思う。

 

 それ以上を求めるつもりはないし、まさにそれを楽しもうと思っている。

 

 くだらないことで笑い合ったり、好みの女子生徒の話で盛り上がったり、テストや課題に一喜一憂したり、そんな当たり前の高校生というものを目指す。

 

 あの場所の影響が及ばないここならば、それができる筈だ。

 

 

 

 

「綾小路、少し話がある、付いて来い」

 

 

 

 

 どうやらそれは間違いであったらしいと、茶柱先生に呼び出されたことで知ることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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改めての自己紹介

これにて二章は終わり、小話を挟んでサバイバル編となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ある男が学校に接触して来た、綾小路清隆を退学にさせろ、と……』

 

 

 

 

 

 どうやらオレが思い描いていた平凡な学校生活というのは、こんなにも簡単に吹き飛んでしまうものだったらしい。

 

 あの女の言い分では、協力しないと退学に追い込むとのことだったが、それが実際に可能であるかどうか判断できない以上、学生という身分の俺にできることなどない。

 

 やるべきことは一つ、いかに勝利するか、それを考えなければならなかった。

 

「少し話があるんだが、構わないか?」

 

 その上で最も必要となる存在に声をかける。毎日の日課で朝晩にランニングをしている笹凪を例の自動販売機前で待ち伏せていれば、すぐに姿を現す。

 

「綾小路……どうしたんだい? 少し雰囲気が変わったね」

 

「そうか?」

 

「あぁ、冷たく鋭くなった……苛立っているようにも思える」

 

 寮から出て来て、これからランニングをするであろう笹凪は、その全てを見透かすような不思議な瞳でこちらを観察している。

 

「苛立ってはいないが……」

 

「そうは見えないが……それで、何の話があるんだい?」

 

「あぁ、実は本格的にAクラスを目指さないといけない状況になってしまった。全力で」

 

「ん……意外だね、君は目立つことが嫌なシャイな男だと思ってたんだが」

 

 笹凪の中でオレはシャイな男子という扱いだったのか。

 

「その通りだ、あまり目立ちたくない」

 

「なるほど」

 

 笹凪は少し考え込むような仕草をしてから、付いて来いとばかりに歩き出す。

 

「少し歩こうか」

 

「わかった」

 

「本格的にAクラスを目指さなければならなくなったと言ったが、これまでは目指してなかったのかい?」

 

「そうだな、平凡な高校生活で満足していた」

 

「ふぅん、まぁこの学校は平凡とはだいぶかけ離れてるけど」

 

「そうだな」

 

 足を進めるのは寮から離れた位置にある桜並木の中であった。しっかり手入れされているので木々が体に引っかかるということもないのだが、視界は僅かに妨げられてしまう。

 

 それに夜という時間帯も手伝って、桜並木の中は随分と暗く感じられた。見渡す限り木々が広がっているので当然ではあるが。

 

 少し離れた位置で、以前に笹凪と堀北が話していた際に、オレが身を隠していた自動販売機の明かりが確認できた。

 

 

 

 

 気になることが一つ、ここに監視カメラはない。

 

 

 

 

「以前は桜で一杯だったけど、もう全部散ってしまったみたいだね」

 

「すぐに夏だからな」

 

「夏はバカンスがあるらしいから、楽しみだよ」

 

 そこで笹凪は着ていたジャージの上着を脱ぎ去って、桜の木の枝に引っ掛ける。

 

 同時に、偶に見せる迫力と引力のようなものが笹凪を中心に吹き荒れていく。

 

 オレだけでなく、桜並木で止まっていた鳥たちもそれを感じ取ったのだろう、羽ばたく音が無数に広がって夜の闇に消えていった。

 

「綾小路の言いたいことはわかるさ。要は俺を隠れ蓑にしたいってことだよね?」

 

「その通りだ」

 

「ん……悪くないと思うよ、俺もそういった戦力がクラス内に必要だと思ってたからね。正面戦闘は俺が引き受けて、背後から相手の心臓やアキレス腱を突き刺すような、そんな戦力がさ」

 

 そういった思考や考えに行きつけるからこそ、笹凪に声をかけたのだ。堀北も候補の一人ではあったが、笹凪がいる以上は価値が下がる。

 

 何より、ここ最近の堀北を観察していてわかったが、アイツは笹凪を信頼している。意思や感情の重きを傾けているので、笹凪を説得できればそのまま堀北も戦力として扱えるだろう。

 

「そうか、なら協力してくれるのか?」

 

「勿論だ。元から俺はAクラスを目指していた、意思や目標を共有できる人物を増やしたいとも思っていたからね、否とは言わないさ……ただ一つだけ、条件がある。いや、報酬かな?」

 

「報酬?」

 

 放たれる迫力と引力が増していく。背筋に氷柱を突き立てられた寒気を与えるような、冷たく鋭いものだ。

 

 これまで出会って、競い、オレを完全な存在へと引き上げる為に戦ったどんな者よりも、強く鋭い気配が膨れ上がっていく。

 

「そう、報酬だ……ここで俺と手合わせをしてくれないかな?」

 

「それはアレか? 勝ったら言うことを聞いてやるとか、そういう」

 

「いや、違うよ。俺が綾小路に協力することは確定している。言ったろ? 条件を突きつけてる訳じゃなくて、報酬だって」

 

「俺はお前と戦えるほど強くない、喧嘩だってしたことがないぞ」

 

「あぁ、誤魔化さなくてもいいよ、一目見ればその人がどれだけ強いかわかるからね。君の肉体は研ぎ澄まされている、それこそオリンピックメダリストのように……長い長い研鑽の先にしか作れない体だ。およそ無駄というものが一切ない」

 

「……」

 

 肌を切り裂くような迫力はそのままだ。

 

「この学校に入ってから俺が最初にしたことは何だと思う? それはね、俺より強い人がいるかどうかの確認なんだ……結論を言うと、一人もいなかった。一年にも二年にも三年にも、勿論教師にもだ」

 

 ただし、と笹凪はこちらを見つめて来る。

 

「綾小路、君だけは違った……俺から見ると、君は兎のフリをしているライオンに見えてたからね」

 

「……」

 

「だからこその報酬の要求さ……君と戦ってみたい、とてもシンプルな理由だ」

 

「意外に、戦闘狂なんだな」

 

「いけないかな? 競い、ぶつかり、高め合い、敗北を舐り、勝利を蓄積する、それら全てを研鑽に変えて楽しめと師匠が言っていたからね、なら楽しむさ」

 

 こいつはこれまで一体どんな人生を送ってきたんだろうか?

 

「勝っても負けても力になろう……だから綾小路の全力を見せてくれ。それとも、こういう言い方のほうが良いかな? 君が組むに値するのか証明してみせろって」

 

 これは、ごまかせないな。

 

「わかった」

 

 その返答にクスッと笑って見せる。肌を刺すような迫力はそのままに、しかし顔つきだけは子供のように無邪気なのだから質が悪い。

 

 

「それじゃあ始めようか……己の矜持に恥じぬ戦いにしよう」

 

 

 距離は五メートル、どう出るかしっかり観察していると、気が付けば笹凪の手は目の前にまで迫っており、何かを毟り取ろうとしているかのように指先が鼻に触れていた。

 

 躱せたのは実力半分、幸運半分だ。

 

 僅かに体幹を傾けたことで指先が鼻から頬に滑っていき、もみあげを掠めてしまった。

 

「あぁ、良い目をしているね」

 

「いきなりだな」

 

 返答はない、それよりも早く接近されたことで脇腹に膝蹴りをしてきたからだ。

 

 こちらも同じように膝を曲げて迎え撃つと、人間に蹴られたとは思えない程の衝撃が広がった。

 

 自動車にでも轢かれたような感覚だった、こいつの体は本当に何で出来ているんだろうか?

 

「ん、体幹も良い」

 

 吹き飛んだ体は背後にあった桜の木に受け止められる、だが間を置かずにまたもや不吉を孕んだ手がこちらに伸びて来る。

 

 固く握った拳ではなく、何かを毟り取るかのように曲げられた掌を回避すると、その凶悪な掌と指先は、そのままオレの背中を受け止めていた桜の木を毟り取ってしまった。

 

 固いはずの樹皮と芯を握り潰してしまう。

 

 そんなパンでも千切るかのような感覚で、樹木を抉りぬくのはどうかと思うぞ。人間が素手でやっていいことじゃない、桜の木は食いちぎられたかのような有様だ。

 

 次に笹凪は握っていた桜の木の一部をこちらに投げ飛ばしてくる。目くらましの礫となったそれに視線が吸い寄せられるが、それが狙いだったのだろう。

 

 残像でも残すかのような速度で肉薄する足先が、こちらの顎に迫っていた。

 

「おぉ、身軽だね」

 

 スニーカーの先端はオレに届くことはなかった、届くよりも早く飛びのいたからだ。

 

 再び距離が開く、約五メートル。この男の瞬発力を見る限り無にも等しい距離。

 

「戦い慣れてるじゃないか、やはり何か習っていたのかい?」

 

「書道とピアノくらいだ」

 

「そうか、どちらも俺にはあまり馴染みがない分野だな……いや、でも書道に関しては近しいものを師匠から習ったっけな」

 

 どこか昔を懐かしむかのようになった笹凪から、纏っていた迫力や引力が徐々に消えて行くのがわかった。

 

 どうやら、ここまでらしい。

 

「終わりか?」

 

「あぁ、五手も打って倒しきれなかったんだ……全て避けられてしまったのなら、俺の未熟を嘆くしかない」

 

 偶に、笹凪の価値観や考えがわからなくなる時があるな。

 

「見事だ、綾小路。君が積み重ねて来た研鑽と苦難に、賞賛を送ろう」

 

「ありがとう、と言った方が良いのか?」

 

「それで良いと思うよ」

 

 発せられる迫力や引力が完全に引いて消えて行ったことで、オレも警戒心を解く。

 

 頬に流れる冷や汗を拭って改めて目の前にいる笹凪を見つめると、彼は本当に無邪気に笑っていた。

 

「お眼鏡にかなったってことだな?」

 

「試していた訳じゃない、どんな結果になろうと俺は協力すると言ったじゃないか。これは条件ではなく報酬だよ。とても満足いく戦いになったさ」

 

「そうか」

 

「君のことも少しだけわかったしね」

 

「ただ攻撃を躱してただけだろ」

 

「いやいや、それだけで色んなことがわかる。君が積み上げて来た無数の研鑽が見て取れたよ」

 

 そういって桜の木に背中を預けて腰を下ろす。上機嫌な笑顔はそのままだ。

 

「訊いていいかな?」

 

「……何をだ?」

 

「君の過去について」

 

「……」

 

「言いたくないなら構わないよ」

 

 伝えるべきではないと思う、それが最善だしわざわざ弱みとなる部分を晒す必要も無い。

 

 ただ何故だろうな、笹凪が相手だと不思議と口が軽くなってしまう。

 

「知れば面倒事に巻き込まれるぞ」

 

「それはどの程度の面倒かな? さすがに随伴歩兵付きの戦車とかが突っ込んで来るとかならごめんだけど」

 

「いや、そんなことは絶対にありえないが……」

 

「それ以下の脅威ならどうにでもできるから、教えて欲しいな」

 

「どうしてだ?」

 

 すると笹凪はただ穏やかな表情でこう言うのだった。

 

「君と友達になりたい、からだね。とても単純な動機さ」

 

「……」

 

「俺はね、最初、君は目立つのが嫌なシャイな男だと思っていたんだ。それだけ高い能力があるのに前に出ないのは、恥ずかしがり屋だからって……でも、しばらく君を観察していてわかったのは、とても幼いってことだ」

 

「幼い?」

 

「そうだよ、見るもの触れるもの知るもの全てにおっかなびっくりで接していて。未知に戸惑っている感じだね」

 

 言われてみればそうなのかもしれない、少なくとも常に他者を観察して自分がどうあるべきか学習もしていたな。

 

「でもそれって、凄く当たり前のことで、高校生にもなれば誰だって経験するものだ。でも君はそうじゃなかった。未知に翻弄される幼い子供のようにも見えたね」

 

「だから幼い、か……」

 

「あぁ、そしてそんな君はとても興味深く映ったさ。この子は何を経験して、何を思い、どう成長して、何を成し、どう死んで逝くのか、知りたいと思う程に……ん、君をもっと理解したいと思ったんだ」

 

「……」

 

「あ~……下手に言葉をこねくり回すのは苦手だ。だからとてもシンプルに伝えるね……俺は君と友人になりたいんだよ。上辺だけじゃなく、本当の意味でね」

 

 友人、難しい考えだ。少なくともオレにとっては。

 

「だから君を知りたい、理解したい……うん、それが全てだ」

 

「お前は変わっているな」

 

「不思議なことにそう言われることが多い」

 

「だろうな」

 

 オレも笹凪が背中を預けている桜の木を背もたれにして腰を下ろすと、あの場所のことを掻い摘んで話すことに決めた。

 

 言うべきでないとはわかっているが、どうした訳か彼には伝えるべきだと思ってしまう。

 

 不思議な引力や包容力のなせる技だろうか? 弱みになると理解していながらも、それでも説明は続いていく。

 

 ホワイトルーム、人工的かつ後天的に教育で天才を作る場所、こうして言葉にしてみるとなかなか考えさせる場所だと思う。

 

「ふうん、ホワイトルームねぇ……なんていうか、漫画の中にありそうな場所だな」

 

「かなり荒唐無稽なことを言っている自覚はあるが……」

 

「信じるさ、疑っても仕方がないし」

 

「お前はどう思う?」

 

「う~ん、返答に困るなぁ……天才を作るっていうのもイマイチ想像できない」

 

 首を傾けて悩む様子に、それはそうだろうなと納得するしかない。

 

「そもそも天才っていうのは、百年先の未来が決めるものだと俺は思ってるから、人工的に作るっていうことに何とも言えないな」

 

「なるほど、それが笹凪が考える天才の定義なのか」

 

「持論だけどね、誰よりも頭が良ければ天才なのか、誰よりも身体能力に優れていれば天才なのか、そんな数値の良し悪しじゃなくて……未来の教科書に名前が載ってたらその人が天才なんだと俺は思うよ」

 

「それも一つの考え方なのかもしれないな」

 

 だとすると笹凪にとってはホワイトルームという場所は、かなりズレた天才の在り方に見えるのかもしれない。

 

 あそこの大人たちはとにかく数値というものを信奉して神のように考えている。百年先の未来の教科書だなんて曖昧な言葉は絶対に出てこないだろう。

 

「まぁ、そんな場所の意義や良し悪しをここで語ってもあまり意味はないかな……重要なのは綾小路がここにいるってことだ」

 

 笹凪は背中を預けていた桜の木から離れて歩き出す。そして少し進んだ所でこちらに振り返った。

 

「なぁ綾小路、改めて俺の友になってくれないかな?」

 

「おそらく、面倒なことになるぞ」

 

「かもしれないね、でも君の過去はあまり関係が無いし、そのホワイトルームって場所にもあまり興味がない……それらの話を聞いて俺が思ったのは、君をもっと知って理解したいってことだけだ」

 

「……」

 

「大丈夫だよ、不安になることなんて何もない」

 

 桜の木々の隙間から星が見える。月明りが差し込んで笹凪を照らしていた。

 

 不思議な引力と存在感を持つ笹凪がそこに立つと、どこか映画の1シーンのようにも思えてしまう。幻想的とさえ言っても良い。

 

「出会いに恵まれた俺は知っているんだ、そして経験もしてきた、人生を変えるほどの出会いに世の中は満ちているって……師匠に会った時と同じ感覚を今、感じている」

 

 そこで手を差し伸べられた。不思議な引力を持った掌を。

 

「困難を分け合おう、目標を語り合おう、好みの女性を話したり、くだらないことで笑ったり、時に喧嘩したり、そうすれば俺たちは分かち難い友になれると思う……今はわからなくても良い、でもきっと、死ぬ時にこの出会いを思い出すんだって確信が俺にはある、君はどうだい?」

 

 視線は差し伸べられた掌に吸い寄せられる、そしてオレの掌もまた同様だ。

 

「改めて自己紹介を、俺は笹凪天武です」

 

「綾小路清隆だ」

 

「名前で呼んでも構わないかい?」

 

「あぁ、こっちも名前で呼ぶぞ?」

 

「勿論だよ、清隆」

 

「これから宜しく頼む、天武」

 

 

 オレには友情というものがわからない、いや、わからなかった。

 

 ただ、少しだけ理解できたのかもしれない。

 

 そして同時にこう思う――――オレにはまだ、成長の余地があるのだと。

 

 

 

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話集となります。


 

 

 

 

 

 

 

「妹が絵のモデルになっているらしい」

 

 

 

 

 

 

 何事も経験である。あまり興味がないものであってもそれに触れることによって、何かしらの閃きや知識を得ることができるかもしれない。

 

 それは趣味に合わない映画であったり、本であったり、経験の少ないスポーツなども挙げられるだろう。

 

 何を得て力にできるのか、それは己自身に委ねられている。日々怠惰に過ごすだけでは意味が無い。

 

 常に研鑽、常に成長、それこそが学生の目指すべき姿であり、生徒会長という立場に就く以上は全ての生徒の模範とならねばと考えている。

 

 そんな俺は芸術という分野にそこまで造詣が深くないという自覚もあり、見分を広める為にも触れておきたいものではあった。

 

 全ては経験、そしてそこからどう成長に繋げるか、例え興味がなくともどう生かして成長に繋げるかは己次第なのだろう。

 

 一般的な教養と知識程度しか芸術方面に関わっていない、果たしてそれは生徒の模範たる生徒会長のあるべき姿なのだろうか?

 

 否である、そこに得るべき何かを見つけてこそ、成長なのだ。

 

「わかるか?」

 

「話が長いです」

 

 馴染みの銭湯に併設されているサウナルーム、そこで俺は今年の新入生の一人であり、先日眼鏡を粉砕されてしまった男子生徒と話していた。

 

 笹凪天武、生徒会が回覧できる情報だけを見ればAクラス相当でありながら、Dクラスに配属された異端児が、同じサウナにいた。

 

「生徒会長、なんでここにいるんです?」

 

「俺がいたらいけないか?」

 

「そうは言いませんけど、上級生の圧力が凄いんで落ち着けません。せっかく銭湯に来たのに……清隆は回れ右して逃げたし」

 

 恨めしそうにサウナの外にいる友人を睨む笹凪は、どうやら出るタイミングを逃しているらしい。

 

「話を戻すぞ。笹凪、お前は美術部だな?」

 

「それはそうですけど」

 

「俺はそういった方面に造詣が深くない。一般的な教養程度の理解しかないだろう……だがそれに甘んじることはできない」

 

「それはさっきも聞きましたけど……」

 

「どうすれば良いと思う?」

 

「教科書でも眺めてはどうでしょうか?」

 

「そんなことは当然している」

 

「では、絵を描いてみるのは?」

 

「ほう……そう言えば、美術部では人物画の課題が出されたそうだな」

 

「良く知ってますね」

 

「美術部に所属している同級生から聞いたのでな」

 

「で? 結局何が知りたいんです?」

 

「……お前は誰をモデルにして描いたんだ?」

 

 笹凪の視線がこちらに向けられる。どこか呆れたような瞳であった。

 

「妹さんですけど……え、何ですか、もしかして見たいとか?」

 

「勘違いをするな、俺は見分を広めたいだけだ」

 

「……」

 

「なんだ、その目は?」

 

「いえ、何でもありませんけど……見たいのなら美術部の顧問に見せてくれって言えばいいじゃないですか」

 

「それはできん、顧問の職務を妨害することになるからな。評価を付けた後は各生徒に戻されると聞いている、その時にでも機会はあるだろう」

 

「はい……わかりました、ではその時にでも」

 

「わかれば良い」

 

 何事も知って触れて理解する、これに尽きる。

 

「しかし意外ではあった……」

 

「何がですか?」

 

「鈴音がそういった仕事を持ちかけられたことも、受け入れたこともだ」

 

「そうですかね……いえ、そうですね」

 

「孤独であることと孤高であることを勘違いしている上に、どんな時でも俺しか見ていない妹だ……絵のモデルなど遠い世界の出来事だったと思うが」

 

「入学当初の彼女ならば確かにそうかもしれませんね」

 

「ほう、今は違うと?」

 

「自分に何が足りないのか、そしてどうすれば補えるのか、きっと掴みかけていると思いますよ……友人だっています」

 

「友人か……鈴音にな」

 

「そうじゃなきゃモデルの仕事なんて受け入れてくれませんって」

 

「お前は鈴音と友人なのか?」

 

「えぇ、一緒にAクラスに上がろうと約束しました。テスト前には赤点組の面倒も見てましたし、彼女を認める人も多くなってきましたね」

 

 そうか、あの子に友人が出来たのか……だとしたらこの学校に来たのも少しは意義があったのかもしれない。

 

「スタートラインに立ったってことくらいは、認めてあげたらどうです?」

 

「……調子に乗るかもしれんからな、まだ様子見としておこう」

 

 笹凪は苦笑いを浮かべている。

 

「ま、そういうことにしておきましょう……絵は顧問の先生から返ってきたらそっちに持っていきますので」

 

 サウナルームから立ち去ろうとする笹凪の背中を見ていると、伝え忘れていたことを思い出して、この無謀な一年生にしっかりと忠告をした。

 

 

「あぁそうだ、言い忘れていたが……屋上から飛び降りるのは止めろ。他の生徒が真似したらどうするつもりだ」

 

 

 こいつは知らないだろうが、アレは結構な騒ぎになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「佐倉愛理の理解の外」

 

 

 

 

 

 

 

 私には二つの顔があります。グラビアアイドルとして活動する雫と、根暗で臆病な愛理という二つの顔が。

 

 どちらが正しく本当の自分なのか曖昧になってしまうほどに極端な変化があって。そんな自分の二面性を怖いと思う反面、切り替わった瞬間に感じる開放感を好んでもいるんだと思います。

 

 自分に自信のない愛理と、キラキラと輝き明るい雫、どちらも私で、どちらも自分。

 

 学校では引っ込み思案でも、ネットの中では不思議と明るく振る舞える、自分でも少し怖いくらいに。

 

 もしかしたらそんな二面性を気持ちが悪いと思われてしまうのかもしれません。それがまた誰かと接することを臆病にさせて、より雫を輝かせていく、変な悪循環のようなものなのでしょうか。

 

「あ、あの、あ、綾小路くんッ……お、おはようございま……あう」

 

 彼と休日に出会ったのは偶然です。雫として自撮りできる場所を探そうとしていた時に、偶々、寮の入口で鉢合わせました。

 

「佐倉か、おはよう」

 

「お、おはようございますッ」

 

 人と接する時は緊張で上手く話せません。もしかしたら呆れられてしまったかもしれないと彼の顔を窺うと、特に怒った様子も呆れた様子もありませんでした。

 

 そ、そうだよね。綾小路くんはここ数日の間、ずっと審議に立つことに緊張していた私を励ましてくれた、凄く優しい人です。こんなことで怒ったりしませんよね。

 

「どこか出かけるのか?」

 

「えっと……その、写真を撮ろうと思って……あ、綾小路くんは?」

 

「オレは、あ~……ちょっと頼みごとをされてな」

 

「た、頼み事、ですか?」

 

「天武と、高円寺ってわかるか?」

 

「う、うん……」

 

 笹凪くんも高円寺くんも、Dクラスだけでなく一年生の間で有名な人です。

 

「あの二人が……何故か昨日から戦ってる」

 

「え?」

 

 戦ってる?

 

「け、喧嘩、とか?」

 

「いや、そうではないんだが……なんというか、う~ん」

 

 綾小路くんの右手にはビニール袋が、そこにはコンビニで売っている幾つかのサンドイッチとお茶が入っていた。

 

「天武から連絡が来てな、少し手が離せないから食べれる物を持ってきて欲しいと……時間に余裕があるなら付いてくるか?」

 

「えっと、一緒に?」

 

「あぁ、嫌ならいいんだが」

 

「そ、そ、そんなことないよ……ただ、あの……はい、行きます」

 

 休日に綾小路くんと一緒に行動する……凄く変な感じがする。この前までの私だと想像もできないことだった。

 

 それに、綾小路くんには伝えたいこともまだある。

 

「あの、綾小路くん……その、審議のことで」

 

「もう終わったことだ、あまり気にするな。そもそも責めていない、あそこで決着がつかずに再審議に持ち込めたのは佐倉の頑張りがあったからだ」

 

 審議が始まるまでの間、彼は沢山勇気付けてくれました。

 

 きっと私があの場所に立てたのは彼の言葉があったから。

 

 伝えたいことも、感謝も、沢山あるのに、隣で歩いている綾小路くんの横顔を見ると言葉にならない。緊張もあるけれど、それとは違う感覚もあって、凄く凄く変な感じになってしまう。

 

「いた、まだやってるのかアイツら……」

 

 チラチラと彼を窺っていると、寮から少し離れた位置にある桜並木が見えてきます。通学路の途中にあるそれは、春ごろには満開の桜を咲かせていたけれど、初夏となった今では緑で満たされていた。

 

 そんな桜並木の太い枝の上に、どうした訳か人の影が二つ。

 

「グレ~トッ……君との対話は、この私を更なる高みに上らせているようだ。さぁもっと、次の高みへ向かおうじゃないか、君の力を見せるんだマイフレンドッ!!」

 

 一人は高円寺くん。

 

「俺は君に似た人をよく知ってる……だからその気持ちはよくわかるよ」

 

 もう一人は笹凪くん。

 

 二人は桜並木の枝の上で笑い合うと、そのまま飛び上がって空中で拳と拳をぶつけ合い、足と足で蹴りあう。

 

 私は、何を見てるんだろ?

 

「あ、あの、綾小路くん……あれはいったい」

 

「佐倉、あまり気にするな……」

 

「……うん」

 

 枝と枝の間を飛び交いながら何度も空中でぶつかり合う高円寺くんと笹凪くんは、とても楽しそうなので、喧嘩をしている訳ではないらしい。

 

 なら、良いのかな? え、良いのかな?

 

「おや、清隆、それに佐倉さん、来てたのかい?」

 

「天武、お前が呼んだんだろ」

 

 呆れたようにそういった綾小路くんは、持っていたビニール袋を差し出した。

 

「すまない、そうだったね。つい夢中になってしまったようだ」

 

「ハッハッハッ、仕方がないことだとも、意義ある時間とはそういうものさ」

 

 いつの間にか木の上から笹凪くんと高円寺くんが下りて来て、ビニール袋の中に入っていたサンドイッチやお茶を手に取っている。さっきまで凄い勢いで戦っていたとは思えないほどに爽やかに。

 

 この人たちは本当に私と同じ高校生なのかな? うぅん、そもそも……。

 

「佐倉、考えたら負けだ……」

 

「……はい」

 

 

 同じ悩みと思いを共有した私たち、そのおかげで少しだけ綾小路くんと仲良くなれたような気がする、そんな日だったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「文化人が見つけた人生の終着点」

 

 

 

 

 

 

 

 私は今年で七十、そろそろ人生というものの終わりを考えるような年齢になったと思う。

 

 若い頃はがむしゃらに勉学に励み、ただ働いていただけのどこにでもいる若者であった。自分が特別優秀だとは思っていないが、運とバブル景気に助けられて起こした企業はそれなりに大きくなり、親孝行も十分にできた。

 

 気立ての良い妻は一昨年に亡くなり、二人の息子と一人の娘も成人になり立派に成長しているので、とても身軽になった。

 

 偶にやって来る孫に小遣いをあげて、会社を任せた息子にアドバイスを送りながら、緩やかに最期に備える、そんな日々が続いている。

 

 報われた老後なのだと思う、幸福であるとも思った。

 

 そんな私の唯一とも言える趣味は芸術鑑賞である。そしてその分野への支援だろうか。

 

 私自身はそこまで才能に恵まれはしなかったが、若いころからの趣味が高じて文化人などと呼ばれることもある。

 

 幸いにも資金は潤沢にあったので日本の芸術分野への投資や、才能はあってもなかなか芽の出ない人物への細やかな支援などを行っており、それの影響もあるのだろう。

 

 コンクールの審査員などにも呼ばれることもあり、老後の楽しみの一つでもあった。

 

「……」

 

 そんな私は一つの作品を見て言葉を無くしていた。全国から集まった高校生たちの作品が展示された会場のど真ん中で。

 

 その絵を見た瞬間に雷に打たれたような衝撃に襲われたのだ。言葉を失って喉を興奮と渇きで鳴らし、背筋を駆けまわる異様な悪寒と歓喜に身を任せてしまう。

 

 この作品がなんなのかわからない。長年に渡って様々な作品に触れて来たのは間違いないが、そのどれとも異なる異質な気配と雰囲気と表現を持った作品であった。

 

 残念ながら私の拙い語彙ではこの作品を言葉で称賛することはできないらしい。

 

 

 

 一つだけわかること、理解できたことは……この絵を描いた人物は、間違いなく狂気と深淵に片足を突っ込んでいるということだけだった。

 

 

 

 

 これはなんだろうか、興奮なのか歓喜なのか、絶望なのか希望なのかわからない。

 

 だが答えは得られたと思う。私の人生はこの絵と出会う為にあったのだという、曖昧な確信が。

 

 この作品を守ろう。このコンクールでだけ晒されてそれで終わりとならないように。十年、二十年、更には百年先までしっかり残り後世の人たちに残せるように。

 

 それが私の人生の終着点であり、使命なのだとこの瞬間に理解した。

 

 百年先の未来で、美術の教科書を開けばこの作品が載っている、そんな未来を想像して私は涙を流す。

 

 

「すまないがコンクールの責任者と話がしたいのだが……この作品を買い取りたい」

 

 

 良い人生だったと、今なら胸を張って言えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とある医療ドキュメンタリー小説」

 

 

 

 

 

 

 

 過酷な現場とは何か、それは戦場での医療だろう。不足する物資に食料、包帯一つすら満足に調達できないような深刻な現場はあまり経験したいものではない。

 

 勿論、国境なき医師団と言う集団に属する以上は、その責務と立場に恥じぬ生き方をするのが仕事ではあるのだが、どうしても難しい現場というものは存在してしまう。

 

 この本で紹介するのはそんな過酷な現場。とある国で起こった内戦と、そこで孤立する医師団の状況をレポートと共に説明していこう。

 

 不足する医療物資は勿論のこと、次々に運ばれてくる怪我人の多さによって国境なき医師団のキャパは僅か数日で限界を迎えようとしていた。

 

 何よりクーデター軍の電撃作戦によって仮設病院が置かれた都市が孤立してしまったことで、満足な医療というのが遥か遠くに置き去りになってしまったのだろう。

 

 不安とストレスは蓄積していく、流れる血を止める包帯すらまともに無い状態にいつまでも甘んじることはできず、医師団は患者たちを連れて都市からの脱出を考えていたらしい。

 

「頼むッ、ヘリを一つでも多く寄こしてくれ!! 大勢の患者がいるんだ」

 

 医師団が頼ったのは国境付近まで来ている国連の治安維持軍であった。しかし都市を包囲するクーデター軍が形成する航空防衛網に引っかかる為に、ヘリでの救出は難しいというのが彼らの返答だったのだ。

 

『もう少しだけ持たせてくれ、今そっちに知り合いを走らせている』

 

「持たせろだと!? もう目の前にクーデター軍が迫ってるんだぞ!!」

 

『それでもだ!! こっちも最善を尽くしている、航空防衛網に穴ができたら必ずヘリで救出する!!』

 

 通信はそこで切れてしまったと当時の現場にいた医師は語る。

 

「先生、銃声がもうそこまで!!」

 

「クソ、民間人も大勢いるんだぞッ」

 

「ヘリは来ないんでしょうか?」

 

「わからん、だがいつでも患者たちを移送できるように準備だけはしておくぞ」

 

「はい!!」

 

 仮設病院のすぐそばまでクーデター軍は迫っていたと当時のレポートには書かれており、実際にこの仮設病院の近くでは激しい戦闘が続いていたのは間違いない。

 

 それでも医師団と患者たちが無事に脱出できたことには理由がある。

 

「先生、アレは誰でしょうか?」

 

「なんだ……彼は一体」

 

 医師団が見たもの、それは迫るクーデター軍に立ちはだかる一人の少年の姿であった。恐ろしいことに徒手格闘で奇襲をすると、そのまま相手を翻弄しながら次々と無力化していく。

 

 恐ろしいほどに手際よく、ありえないほどの速度で走り、夢でも見てるのかと思えるほどに現実感のない光景であった。

 

 やがて銃声や軍靴の音が聞こえなくなった時、その少年はこの仮設病院に近づいてきてこう言ったらしい。

 

「もう大丈夫ですよ、脅威は去りました」

 

 男のようにも、女のようにも見える、不思議な存在はそう伝えて安心させるようにクスッと笑った。

 

「え、あ、いや……だが航空防衛網がまだ」

 

「そっちも大丈夫です、師匠が暴れまわってるでしょうから。ヘリもすぐに来ますよ」

 

「は、はぁ……」

 

「患者の移送、手伝います」

 

「か、感謝する」

 

 

 彼は何で、どこから来て、何故助けてくれたかはわからない。

 

 しかし、当時の医師団を率いていた主任医師は、後にインタビューでこう語るのだった。

 

 

『彼が何であったのかは今でもわからない。もしかしたら過酷な戦場が見せた都合の良い幻だったのかもしれないし、妄想であったのかもしれない……しかしただ一つだけ確信がある』

 

 

 

『アレは間違いなくNINJAだってことさ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ!? ゆ、夢か……」

 

 眠っていたベッドから体を起こすと、オレの胸の上から先日図書室で借りて来たドキュメンタリー小説が転がった。

 

 あまり読むジャンルでは無かったのだが、試しにと借りた本である。

 

 内容は過酷な戦場医療を耐え抜いた医師団と、彼らが残したレポートと後のインタビューを織り交ぜながら進むものであり、戦場という特殊な環境の深刻な医療現場を淡々と描くものであった。

 

 当然ながらNINJAなんて単語が出て来ることなどありえないし、どうした訳か天武が出て来るなんてこともありえない。

 

 きっと、変な夢を見たのはこの本を読んだのが原因なのだろう。

 

「最近、夢見が悪いな……」

 

 うなされていたからなのか、汗もかいてしまっている。

 

 そこでふとオレは、スマホから笹凪の連絡先を引っ張り出して電話をかけた。

 

 理由を述べるのならばただ何となくと言うしかないのだが、一つだけ訊いてみたいことがあった。

 

「天武か、少し訊きたいことがあるんだが……」

 

『ん、何かな?』

 

 電話の向こうから聞こえて来る友人の声はいつも通りである。間違ってもクーデター軍に素手で突っ込むような様子ではない。

 

「お前はNINJAなのか?」

 

『清隆……急にどうしたんだ!?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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夏の特別試験
サバイバル試験 1


YAMA育ちのBUJINがいよいよ暴れ始めるサバイバル編となります。


 

 

 

 

 

 

 

 常夏の海、夏の日差し、開放感のある空気。

 

 まさに夏のこの日、俺たち一年生たちは以前から予告されていた通り、学校が用意してくれた豪華客船に乗ってこれまた贅沢なバカンスに招待されていた。

 

 とんでもない金のかかりようである。この巨大な客船は完全に貸し切りであり、中にある施設も完全に使いたい放題の贅沢放題が許されている。

 

 さすがは国のバックアップを受けている学校と思うべきなのか、だとしてもやりすぎだと考えるべきなのかわからないが、恩恵を受ける側としては素直に嬉しいものであった。

 

 レストランに行けば食べたことのないような料理があるし、ジムや映画館などもある。一日二日で飽きるなんてことはまずないだろう。

 

「おぉ、船と聞くと嫌な予感しかなかったけど、こりゃ贅沢だね」

 

「どうして嫌な予感なんだ?」

 

 師匠が船に乗ると何故か必ず沈むんだと言っていたからね。

 

「凄く怖い乗り物だって聞かされてたからさ。ほら、船ってよく沈むし……有名な映画でも氷山にぶつかって真っ二つになってただろ」

 

「さすがにこの辺りに氷山はないと思うけどな」

 

「わからないよ? もしかしたらテロリストが乗り込んでるかもしれない」

 

「どんな想定なんだ……」

 

 隣で呆れたような顔をしているのは清隆だ。彼の視線はデッキで繰り広げられている青春劇に向けられていた。

 

「く、櫛田ちゃんッ、俺たち出会って結構経つじゃん? そ、その、そろそろ名前で呼んだりとか」

 

「お、俺もッ、俺も良いかな?」

 

「うん、じゃあ今日から寛治くんと、春樹くんって呼ぶね」

 

「「うおおおおおッ、桔梗ちゃぁぁぁぁあんッ!!」」

 

 デッキの上ではそんなやり取りがなされている。異性と距離を詰める青春という奴なんだろうな。

 

「なぁ笹凪、堀北の下の名前はなんて言うんだ?」

 

 そう言えば須藤の姿が見えないと探していたら、背後からそんな風に声をかけられた。

 

「堀北さんの名前は鈴音だよ。おや、須藤も距離を縮めたい感じかい?」

 

「おいよせ、照れるじゃねえか」

 

 鼻の下を指でかく須藤は、どうやら堀北さんとの関係を縮めたいようだ。勉強会で世話になったことに加えて、期末テストでも散々手を貸して貰っていたからね、意識するのも仕方がないのかもしれない。

 

 少し言葉が鋭い所があるが、本当の堀北さんは優しい人物だし、何より美人なので気持ちはわからなくない。

 

「雑誌に書いてあったんだ、夏は解放的になるってよ」

 

 自信満々で須藤が取り出したのは、よく池や山内が読んでいるモテる為に必要な色々なことが書かれている雑誌であった。若者のファッションの流行であったりトレンドであったりを紹介しているものである。

 

「どれどれ……なるほどね、夏は開放的な気分になる、異性との距離を縮めるには持って来いか」

 

 正直、この手の雑誌には必ず載っているような一文ではあるが、そこは言わない方が良いんだろうか。

 

 だが前向きなのは良い傾向だと思う。堀北さんも信頼できる相手が増えればクラスでの発言力も高まるだろうし。

 

「良いんじゃないかな、案外お願いしたら許してくれそうだし」

 

「へへ、だよな」

 

「……え?」

 

 俺と須藤の会話を聞いていた清隆が、どうした訳か怪訝な顔をしている。彼の中にある堀北さんはそんなことを許しはしない感じなんだろうか?

 

「よ、よし、さっそく試してみるぜ!!」

 

 やる気を漲らせて堀北さんを捜しに行く須藤を見送る。

 

「良かったのか?」

 

「うん? 何がだい?」

 

「いや、堀北が許すとは思えないんだが……それに、あ~……ほら、天武は仲が良いだろ」

 

「そうだね、親しくしているつもりではあるけど」

 

「……須藤と堀北が仲良くなっても良いのか?」

 

 何故そんなことを訊いてくるのだろうか?

 

「良いんじゃないかな、堀北さんにも親しくしてくれる人が一人でも多くなった方がいいだろうし」

 

「いや、そういうことでは……」

 

「あれ、もしかして俺が嫉妬するんじゃないかって思ってる?」

 

「まぁ、そうかもな」

 

「堀北さんとは親しくしているけど、別に恋慕の感情はないよ。俺はまだそれを知らないからね。正直、嫉妬というのもよくわからない……多分、それはそれで興味深く感じるんじゃないかな、楽しみだよね」

 

「……そういうものか」

 

 何やら清隆は考え込む様子である。この間の一件以来、距離が縮まったことで彼の微妙な表情の変化もわかるようになっていた。

 

「それよりさ、今回のバカンス……どう思う?」

 

「この学校がただ甘やかすばかりじゃないってことは、もうわかってる」

 

「そうだね……やれやれ、何をやらされるのやら」

 

 そんな時だ、客船全体に広がる事務的な放送が流れたのは。

 

『生徒の皆様にお知らせします。お時間がありましたら、是非デッキにお集まり下さい。まもなく島が見えて参ります。暫くの間、非常に意義のある景色をご覧頂けるでしょう』

 

「だってさ」

 

「見に行くか……」

 

 どうやら特別試験が近いらしい。島を見せるということはそこで課題でもやらされるんだろう。

 

 清隆と一緒に島が見える位置までデッキの中を移動すると、すぐにそれは見えて来た。

 

 そこそこに大きく、高くも低くもない平凡な島である。ここから見える限りでは鬱蒼ともしておらず獣道なども確認できない。危険度の高い獣はいないのだろう。

 

 熊とか猪みたいな奴と戦えっていう課題ならば、何の苦労もないのだけど。さすがにこの高校がどれだけおかしくてもそんなことはさせないか。

 

「おい邪魔だ、どけよ不良品ども」

 

 色々と観察していると、随分と横暴な声が広がった。

 

 確か彼はAクラスの生徒だったかな? 前に観察していた時にスキンヘッドの男子生徒の傍にいたと記憶している。

 

 そんな彼は横暴な口調をそのままに、行動もまた横暴であった。

 

 見せしめのように俺の体を突き飛ばそうとするのだが、それは失敗に終わってしまう。

 

「ん、あれ?」

 

 彼がどれだけ押そうと引こうとも、こちらの体幹は一切揺らがなかったからだ。傍から見ると妙なパントマイムに見えるのかもしれない。

 

「あぁ、ごめんね。俺たちは見終わったからここは譲るよ」

 

「お、おぉ、わかれば良いんだよ」

 

 このまま口論を続けても仕方がないので場所は譲ろう。見るべきものは全て観察できたので問題は無い。

 

 続々とAクラスの生徒も増えて来ているので長居もできない。そっと離れて消えるとしよう。

 

「笹凪くん、大丈夫だった? 喧嘩になるんじゃないかって怖かったんだよ」

 

 どうやら先ほどのやり取りはDクラスの生徒たちも目撃していたらしい。櫛田さんなどはとても不安そうな顔で心配してくれた。

 

「大丈夫だよ、あれくらいで喧嘩になったりしないさ」

 

「そうだよね、笹凪くんって落ち着いた人だもん、大人っぽいからそんなことしないよね」

 

 俺は櫛田さんからそんな評価を貰っているのか。だとしたら嬉しい限りだ。少なくとも子供っぽいと思われるよりは好意的に解釈できるのだろう。

 

「あの島が目的地なんだね。楽しみだなぁ、南の島でバカンスだなんて」

 

「バカンスならね」

 

「え?」

 

 南の島、豪華な客船、贅沢三昧の夏休み、それが事実であればどれだけ楽しかったことか。

 

 一応、最後の望みとしてもしかしたらこのまま何事もなく夏が終わるんじゃないかと藁にも縋っているのだが、一年生全員を集合させる放送が鳴り響いたことで、無情にも吹き飛ぶのだった。

 

 わかっていたさ、別に期待もしていなかった。

 

 やると決めたのならば、しっかりと勝ちに行こう。下手な真似をすると清隆が退学になるかもしれないし、目指すは他の追随を許さない圧倒的な勝利だろう。

 

「よし、やるか、清隆」

 

「あぁ」

 

 拳と拳を重ね合わせる。こういうのって凄く高校生らしいよな。

 

 

「随分と、親しくしているのね……」

 

 

 師匠から聞かされた高校生らしさを堪能していると、客船の中で聞くことのなかった堀北さんの声が届く。どうやら彼女も放送を聞いて部屋から出て来たらしい。

 

「そりゃそうさ、俺と清隆は友人だからね」

 

「そうだ、友人だからな」

 

 珍しく綾小路が自慢するかのような顔でそう言った。まるで堀北さんに見せつけるかのように。

 

「……」

 

 すると彼女は見たことのない奇妙な瞳と表情で、俺と清隆を見比べて来る。視線が右往左往していてちょっと可愛いな。

 

「そう……」

 

 そして最終的には、何故か綾小路を睨みつける形で落ち着いた。

 

「堀北さん、もしかして体調が悪かったりする?」

 

 そんな彼女を眺めていると、普段よりも顔色が悪いことがわかってしまう。客船の中でもずっと部屋に閉じこもっていたのは、もしかしたらそれが原因かもしれない。

 

「え、いえ……大丈夫よ」

 

「薬は? 熱は?」

 

「だから、大丈夫よ……そんな心配しなくても問題ないわ」

 

「そうか、もしまずそうならちゃんと相談するんだよ?」

 

「えぇ、わかってる……もう、本当に面倒見がいいんだから」

 

 ここでそんな必要はないと拒否しなくなった辺り、堀北さんのハリネズミモードもかなり鳴りを潜めたよな。既に入学当初が懐かしくすらある。

 

 期末テストでも勉強会を開いて赤点組の面倒を見ていたことから、クラス内でも堀北さんを認める人は多くなったと思う。

 

 あともう一歩、必要なのはただそれだけだ。

 

「それより、二人とも、これからおそらく試験が行われると思うんだけど……どう思うかしら?」

 

「一筋縄とはいかないんじゃないかな」

 

「だろうな」

 

「そうね、でも好機でもあると私は思ってる。南の島という立地でわざわざ筆記テストのようなこともする訳ない……もっと別の形態の試験だと考えているのだけど」

 

「ん、同意するよ。だとしたら総合的な学力の低いDクラスにもチャンスはある筈だ」

 

「えぇ、どうなるにせよ、勝ちに行くわよ」

 

「でも無理しちゃ駄目だからね?」

 

「わかってるわよ……もう」

 

 強い意思と覚悟を宿した瞳に、少しの照れを隠しながら、生徒たちの前に立つ先生の一人を見つめる堀北さん。やる気は十分のようだ。

 

 釣られるように俺の視線も拡声器を持った先生に向かうと、一年生たちは入念な持ち物検査を受けて島に上陸するようにという指示が出るのだった。

 

 Aクラスから順に島に上陸していき、そこで待っていた先生の言葉を待つ。

 

「今日、この場所に無事つけたことを、まず嬉しく思う。しかしその一方で一名ではあるが、病欠で参加できなかった者がいることは残念でならない」

 

「いるんだよなぁ、病気で旅行に参加できない奴。かわいそ」

 

 池が言うように可哀想ではある。俺は遠出と言えば師匠の仕事を手伝うだけであったので、旅行に欠席するという感覚はあまりわからないが。でも「まだ早い」って言われて置いていかれた時はとても寂しかったのを覚えている。

 

 昔を懐かしみながら、拡声器を使って話している真嶋先生の言葉を待つ。この贅沢な夏休みに水を差すであろう決定的な言葉を。

 

 

 

 

「ではこれより――――本年度最初の特別試験を行いたいと思う」

 

 

 

 よし、熊でも猪でもかかってこい。

 

 

 

 

 

 



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サバイバル試験 2

綾小路「ここまでゴリラ全開だと尊敬するしかない」


 

 

 

 

 

 

 

 真嶋先生が説明した特別試験の内容を要約するとこうだ。

 

 1 各クラスには300ポイントが支給されて、そのポイントを自由に使って一週間を無人島で過ごすこと。その自由の判断は完全に生徒に委ねられる。

 

 2 試験終了後に残ったポイントはそのままクラスポイントに変換される。

 

 3 試験期間中、ドクターストップがかかるほどの怪我や体調不良者が出てリタイアした者がいた場合、ペナルティが下される。その他にも深刻な環境汚染や他クラスへの暴力行為や器物破損や略奪行為などが発覚しても大きなマイナスが与えられるとのこと。

 

 4 毎日の点呼に参加しない場合もまたペナルティ。

 

 5 島の至る所にスポットが存在しており、占有したクラスが使用権を得る。そしてスポットを占有する度に1ポイントが与えられる。スポットの占有や更新はリーダーだけができる。

 

 6 正当な理由なくリーダーの変更はできない。

 

 7 七日目の最終日に他クラスのリーダーを言い当てられれば50ポイントのボーナス。逆に外してしまうとマイナス50ポイントになってしまう。

 

 その他にも様々な細かなルールがあるようだが、主なのはこれらである。

 

 与えられた300ポイントを使ってどう工夫して生活するのか、それとも積極的に偵察やスポットの占有を行って攻勢に出るのか、それとも守りに入り耐えようとするのか、各クラスの性格が方針にも反映されそうだな。

 

「清隆、どう思う?」

 

「現時点ではなんとも言えない……ただ、実現できるかどうかわからないが、一つだけ思い浮かんだ作戦がある」

 

「ん、どんな作戦かな?」

 

 俺と清隆は特別試験の内容が説明されてから始まった、クラスを真っ二つにしている論争から少し離れた位置で作戦会議をしている。

 

 島に上陸してから特別試験の内容を聞いてからというもの、男女に分かれてずっと言い争っている状態なので、俺たちの会話が聞かれることもないだろう。

 

 間に入って仲裁している平田が可哀想になってくるな。彼は配慮を欠かさない男なので、だからこそ強く言えない部分もある。

 

「試験終了直前でのリーダーの変更だ」

 

「へぇ……正当な理由なく変更できないって話だけど」

 

「逆に言えば、正当な理由があれば変更できるってことだろ」

 

「なるほど、面白い発想だ」

 

 こういう枠に囚われない発想というか、思考は素直に感心できるな。俺はどうやって正面から叩き潰すかをどうしても最初に考えてしまうから。

 

「天武は何か思いついたか?」

 

「俺も一つだけ、実現できるかどうか正直わからないけど、できそうならその時に説明するよ」

 

「わかった……そろそろ、仲裁に入ったらどうだ? 平田が何度もこっちに視線をやってるぞ」

 

「そのようだ、行ってくるよ」

 

「合流場所はあの川辺付近だな? オレは先に奥にいって少し偵察してくる」

 

「ん、早めに戻ってくるんだぞ」

 

 どうやら清隆は俺がクラスを仲裁している間に偵察に行くらしい。行動的な彼も珍しいと思いながらも、姿を消してもあまり気に留められない存在感の無さは少し心配になってしまう。

 

 まぁ清隆のことは今は良い、それよりも仲裁である。クラスを真っ二つにしている理由、それはトイレが必要か否かだった。

 

 絶対に必要だと主張する女子たちと、トイレくらい支給された簡易の物で済ませようぜという主張の男子、相容れない争いはずっと続いている。

 

 俺は清隆に背を叩かれてその争いに近づいていき、仲裁を試みた。

 

「あ、良かった笹凪くん、何か意見はないかな?」

 

 ずっと男女の間に入って宥めようとしていた平田は、俺が現れたことで安堵の溜息を吐いている。そこまで信頼されると期待に応えたくなってしまうな。

 

「笹凪くん!! 絶対にトイレは必要だよね!?」

 

 篠原さんが女子を代表するかのようにそう言えば。

 

「トイレくらい簡易の奴で十分だって、それくらい我慢しろよ」

 

「そうだ、今は少しでも使用するポイントは減らすべきだろう」

 

 池と幸村が苛立ちながら反論して、女性陣の意見を批判する。

 

 ずっとこの繰り返しであった。平田の苦労も大きかっただろうな。

 

「全員、傾注」

 

 こういう時に便利なのが師匠モードだ。あれだけ騒がしかった騒動がピタッと静まって、全員の視線がこちらに集中するのだった。

 

 ただ、このまま怖がらせて脅しのように上から押さえ続けていると不満も残るので、すぐに平常時に戻る。

 

 師匠曰く、緩急は大事。

 

「皆、聞いて欲しい。俺なりに試験の説明を受けて考えたんだが、この特別試験では越えなければならない三つの目標があるんだ、それが何かわかるかな?」

 

「越えなければならない三つの目標? なんだよそれ」

 

 池がそう尋ねると、俺は島の海岸に落ちていた枝を拾って、白い砂浜に説明を書き込んでいく。

 

 わかりやすさは大事、師匠もそう言ってた。

 

「じゃあ堀北さん、三つの内の一つ、第一目標は何だと思う? 君の考えを聞かせてくれ」

 

 同時に、議論や会議も大事だ。例え結論ありきだったとしても、意思と意見を交えたという過程が集団には必要だろう。

 

 何より、ここで堀北さんがクラス全体に意見を言えるような立場や状況を作りたい。そして今の彼女ならば俺が望む答えを言ってくれる筈だ。

 

「そうね……クラス内の信頼や団結を崩壊させないこと、じゃないかしら」

 

「うん、俺もそう思う。今、堀北さんが言ったように第一目標がまさにそれだ。これはこの試験で超えなければならない最低ライン、テストで言えば赤点ラインだね。ここでそれらを崩壊させてしまうことは、つまりこれから先の試験でも尾を引くことになる……そうなれば最悪だ」

 

「えぇ。加えて言うのなら、学校側は私たちに喧嘩をさせようともしているわ。今のDクラスはまさにそう……冷静になりなさい」

 

 堀北さんのその言葉にバツが悪そうな顔をする者が幾人かいる。

 

 同時に、彼女を意外そうな瞳で見ている者も多い。確かに四月頃の彼女を知っているクラスメイトからしてみれば、堀北さんから信頼や団結なんて言葉が出ることに違和感を感じるのかもしれない。

 

「第一目標を理解したことで、第二目標を共有しておこうか。はい、幸村、君はどう考える?」

 

 少しだけ頭が冷えた様子の幸村は顎に手を当てて考えた後、こう言った。

 

「……やはりポイントの節約は必要だと思う。これは、感情的に言っている訳ではない」

 

「そうだね、俺もそう思う。幸村の発言は何も間違っていない。それこそが第二目標であり、テストなら赤点ラインを超えて七十点って所だ……じゃあ次に第三目標を共有しよう。はい、平田、君の意見を聞かせて欲しい」

 

「そうだね……第一、第二目標を踏まえた上で考えるなら、やっぱりポイントをどれだけ稼ぐことができるかじゃないかな?」

 

「そう、まさにそれが第三目標だ」

 

 それら全てを砂浜に枝で書き込んでいく、こうやって文字にして残すとよりわかりやすいだろう。

 

「そして、その第三目標こそがこの試験で百点を取れるかどうかの重要な部分だと思ってる。ポイントをどんどん稼いでいって、この試験を終えるのが理想だ」

 

 砂浜にそう書き込むとクラスメイトたちの視線がそこに集中する。

 

「クラスの信頼や団結を崩壊させないこと、それらを満たした上でどれだけポイントを節約できるか、そしてこの試験期間中にどれだけのポイントを稼げるか、クラス全体でまずはこの三つの目標を共有できたことで、次は意識を切り替えよう」

 

「意識を切り替える?」

 

 幸村が眼鏡をクイッと上げながらそう言ったので、俺は頷きを返す。

 

「ポイントをどれだけ節約するかじゃない、勿論それも大事だけど、どれだけポイントを稼げるかって方向に……もっと言えば、使った分すら補填できるくらいに稼いでやろうぜ、くらいの意識で行こう。それならトイレやその他の必要な物資を用意するのも抵抗はないはずだ」

 

「……言いたいことはわかるが」

 

「大丈夫だよ、俺も考え無しにこんなこと言ってる訳じゃない。しっかりと作戦を考えた上で言っているんだ」

 

「この特別試験で勝利することを考えているんだな?」

 

「応とも」

 

「……わかった、ポイントの使用に関してはもう何も言わない」

 

 一応、信頼はあるらしい。四月の時点でSシステムの本質に気が付いて説明していたので、発言力や存在感はクラスの中で根付いているようだ。

 

 俺の言葉に一定の重みがある状態はやり易い、特にこういった試験では。

 

「よし、それじゃあ移動しようか。さっき船の上から島を観察してた時にいい感じの場所を見つけたからさ。須藤、悪いんだがテントを頼めるか?」

 

「こいつか? おう、任せとけ」

 

 よしよし、須藤も素直だぞ。

 

「須藤くん、僕も手伝うよ」

 

「悪りぃな平田、そんじゃあ半分頼むぜ」

 

 平田と須藤が支給されたテントを分け合って運ぼうとする光景は、四月頃にはまず見なかった光景である。

 

 浜辺から移動して目指すのは清流が近くを流れるキャンプ場のようなスポットである。川が近いこと、そして均された地面があることが利点の場所であった。

 

 ここにペンションでも建てればまさにキャンプ場といった感じの場所である、そんなものはどこにもないけど。

 

「そうだ、誰かキャンプ経験とかある人いないかな?」

 

「俺やったことあるぜ」

 

 何と手を上げたのは池である。意外にもアウトドアな趣味を持っていたらしい。

 

「助かるよ、もう少ししたら拠点候補の場所が見えて来るからさ、そこに決まったらテントの設営とかやって欲しい」

 

「よし、任せてくれよ」

 

 こんなにも頼りになりそうな池を見るのは初めてかもしれない。

 

「ねぇ笹凪くん、どんな場所を拠点にするのかな?」

 

 櫛田さんがそう尋ねて来ると同時に、目的地も見えて来た。

 

「あそこだよ、川が近くにあって地面も平らな場所」

 

 拠点には持って来いだろう。特に川があるのは利点の一つでもある。

 

「どうかな、反対意見のある人?」

 

 意見を求めてみるが特にそれらしいものを返ってこない。そもそも別の場所にこれ以上の拠点があるかもわからないので、反対のしようがないって感じなんだろう。

 

「それじゃあここを拠点にするとして、設営に入ろうか。池隊長、宜しく頼むぞ」

 

「え、隊長? 俺が?」

 

「キャンプ経験あるんだろ? ここで良い感じに動けば女子からの好感度も上がると思うよ」

 

「マジで?」

 

「頼りにならない男より、こういう時に率先して動ける男の方がカッコいい、間違いない。櫛田さんもそうは思わないかい?」

 

「確かに、頼りになる人って感じでカッコよく見えるね」

 

「うぉぉおおお、見ていてくれ桔梗ちゃぁぁぁんん!!」

 

 平田と須藤が運んでいた荷物を奪い去るように受け取った池は、そのまま設営の準備に取り掛かる。

 

 チョロい男であった。しかし手際が良いので頼りにもなるのは間違いない。

 

「それでは、当初の予定通り全体の方針として、ポイントの確保をメインにDクラスは動こうと思う。皆、そこに異論はないかな?」

 

 拠点も決まった、設営も始まった、なので次は方針の確定である。

 

「反対意見が無いようなら、とりあえず設営班と島の探索班に分かれて行動しようか。前者はここで拠点の製作、後者は島の探索って感じになるだろう」

 

 そこで平田が手を上げた。何か反対意見があるのだろうか?

 

「反対意見という訳ではないけど、探索班の人たちは単独での行動は控えて欲しいかな。最低でも二人一組で行動して貰いたいんだ」

 

「確かに、一人だと何かあった時に助けも呼べないだろうからな」

 

 配慮を欠かさない男、それが平田であった。

 

「平田、設営班を任せられるだろうか?」

 

「構わないよ、笹凪くんは探索班かい?」

 

「あぁ、せっかくの無人島だからな、走り回りたい。こっちは池を上手く使ってやってくれ」

 

「わかった、そっちも気を付けて」

 

「あぁ、任せてくれ。よ~し、それじゃあ今から名前を呼ぶ人は探索班として行動して貰う。基本的に体力のある奴を中心に選ぶけど、設営班の方が良いって人はそう言ってくれて構わないからな」

 

 無人島でのサバイバル試験なのだ、下手に不満を溜められても困る。

 

 須藤や三宅などの運動部に所属している者などを中心に、十人ほどを選抜して二人一組で組ませるくらいで良いか。

 

「探索班の仕事は主にスポット位置の発見だ。それ以外にも何か有用そうな物があれば平田に報告してくれ。平田、悪いんだが地図の作製も頼めないか?」

 

「うん、任せて……あ、その前にこの場所のスポットの確保と、リーダーを決定しないといけないよ」

 

「あぁ、そうだったな」

 

 この拠点の近くにある岩には機械が埋め込まれている。どうやらこれがスポットと呼ばれる装置らしい。カードを差し込むような場所もありどこかATMみたいな感じであった。

 

「ここにリーダーがカードを差し込んで操作すればスポットの占有ができる訳か……なぁ博士、質問があるんだけどいいかな?」

 

「おや、笹凪殿が拙者に質問とは、なんでござろうか?」

 

「この機械ってどんな感じで動いてるか知りたいんだ。ケーブルらしき物はなさそうだけど、充電とかどうしてるのかなって思ってさ」

 

「ふむふむ、確かにケーブル類はござらんな。島の中にも電柱や電線は見当たらぬので、となるとバッテリーが内蔵されているのか、太陽光などでの発電となるか、或いはその両方でござろう」

 

「それで一週間も持つものなのかい?」

 

「充電ケーブルなどが無い以上はそうとしか。それに言ってしまえば簡単な情報の送受信が主な役割、スマホでもできることなので、常に充電しなければならないような装置ではないかと」

 

「ん、ありがとう」

 

 メール機能しか使わないスマホに車のバッテリーを繋いでいるような装置ってことか、それなら充電しなくても一週間くらいは持ちそうだな。ケーブル類が必要ない訳だ。

 

 これで複雑極まる繊細な機械だと、途端に面倒なことになりそうなので、良かったと言えるのかもしれない。

 

「問題なのは誰をリーダーにするかってことだけど……」

 

 これに関しては誰がやっても良いと俺は思う。最悪の場合でも清隆の言うリーダー変更作戦でゴリ押せるだろうし。

 

「私も色々考えたんだけど、平田くんや笹凪くんだと絶対に目立つと思うの。でもリーダーなら責任感のある人が良いだろうし……そう考えると堀北さんが適任かなって」

 

 櫛田さんの意見にクラスメイトたちの視線が堀北さんに集中していく。

 

「えぇ、わかった。反対意見がないようなら私が引き受けるわ」

 

 体調は大丈夫だろうか? そんな思いを込めて堀北さんを見つめると、彼女は問題ないとばかりにこちらに頷きを返した。

 

「それじゃあ堀北さんに任せようか、茶柱先生に報告しよう」

 

 監督役である茶柱先生に堀北さんがリーダーになったことを伝えると、すぐにカードキーが渡される。

 

「これを差し込めばスポットの占有ができる訳か、堀北さんさっそく頼むよ。皆、輪になって壁を作ってくれ」

 

 視界を遮るように人で壁を作る。その内側で堀北さんが作業をするとほんの数秒でスポットの占有は完了した。

 

「これでこの場所はDクラスの拠点になった訳ね」

 

「あぁ、本格的に試験の始まりだな」

 

 俺も久々の自然を謳歌しよう。実家というか、師匠の拠点は田舎の山奥にある神社だったのでこの木々に囲まれた感じは実は馴染み深いものだったりする。

 

 平田率いる設営班に拠点製作を任せて。探索班となった俺はパートナーとなった清隆と行動することになった。

 

 他の組も二人一組となって東西南北に散っていく、方針通りにスポットの発見を主としているので、今日中にそれなりの数を発見できるだろう。

 

「清隆、さっき言った俺の作戦を説明するよ」

 

「あぁ、聞かせてくれ」

 

 俺の相棒は清隆である。二人しかいないから彼は躊躇なくその身体能力を披露してくれるので、移動が非常に楽だった。

 

 木の枝から木の枝に飛び移っても難なく付いてきてくれる。清隆を師匠に紹介すればもしかしたら興味を持つかもしれないな。

 

「さっきのスポットを占有する機械を見て確信できたんだけど――――あれって動かせそうじゃないか?」

 

「……うん?」

 

「リーダーが島中を動き回ってスポットを確保するのは手間がかかる上に、リーダーであると露見するリスクが大きくなる。リスクとリターンがなかなか釣り合わない……だがスポットを一ヶ所に集めれば、動き回る必要も無く露見の危険性もグッと少なくなる」

 

「……」

 

「だから、あの機械を片っ端から俺たちの拠点に持って帰ろう。見た所ケーブル類は無いみたいだし、博士が言うには単純な装置らしいから多少動かした程度で壊れはしないだろう」

 

 何故か清隆は無言である。とてもクレバーな作戦だと考えるんだが、何か見落としがあるだろうか?

 

「お、あったな」

 

 暫く走っていると、スポットの一つを発見することができた。俺たちが拠点としていた場所にあった機械は岩に埋め込まれていたが、こちらは木造で作られた建物の内部に置かれている。

 

 当然ながら動かせないように固定されていた。鎖と、ボルトナットで台座に縫い付けられており、専用の工具でもないと本来は難しいだろう。

 

 当然ながらそんな都合の良い工具はここにない、なので全て素手でやるしかなかった。

 

 鎖は、そこまで太くないな。これくらいなら問題ない。

 

「よいしょっと」

 

 鎖を引っ張って強引に引きちぎる。

 

「こっちは指で摘まんでいけそうだな」

 

 機械と台座を繋ぐボルトナットは指で摘まんでクルクルと回していけば、すぐに外すことができた。工具要らずである。

 

 鎖とボルトナットを外すとスポット装置は簡単に動かすことができるだろう。実際に少し持ち上げてみると何の抵抗も無く台座から外すことができてしまう。

 

「よし、問題なさそうだ」

 

 これでケーブルが伸びるようなら引きちぎるのも流石に躊躇したが、博士の言う通りバッテリーか太陽光発電式らしい。持ち運びやすくて大変結構。

 

 咎められはしないだろう。俺は糞尿をまき散らして環境汚染をしている訳でもないし、厳密に言えばこれは「他クラス」への破壊工作でも略奪行為でも器物破損でもないのだから。

 

 ルールにも、スポット装置を動かしてはならないと書かれてはいなかった。

 

「こうしてスポット装置を回収して拠点に持って帰ろう。さすがに他のクラスが占有している奴は暴力行為とか器物破損って判断されるだろうから難しいけど、フリーのやつなら他クラスへの攻撃にはならないから問題ないだろう。スポット装置を持って帰ったらペナルティになるとは説明されてないしな」

 

「……」

 

 清隆は無言である、それどころか何とも言えない顔をこちらに向けている。

 

 この顔、どこかで見たことあるな―――あぁ、そうだ、これは。

 

「清隆、どうしたんだ? なんかチベットスナギツネみたいな顔になってるぞ?」

 

「そうか……いや、問題はない。天武、お前は下手なことを考えずにそれで良いんだと思う」

 

「褒められているんだろうか?」

 

「あぁ、勿論だ……オレは今、お前を尊敬している」

 

 

 おぉ、友人から褒められるのは、やっぱり嬉しいものだな。

 

 

 

 

 

 



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サバイバル試験 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が今回の試験内容とルールを説明された時、最初に考え付いたのがこのスポット回収作戦である。

 

 リーダーが島中を走り回ってスポットを占有してポイントを得ていくのはあまりにもリスクが大きい。リーダーだと看破されてしまえば大きなペナルティがあるからだ。

 

 ならばそのリスクを排して、極めて効率的かつ安全にスポットを占有するにはどうすれば良いのか?

 

 答えは簡単、物理的な距離を近くしてしまえば良い。

 

 これ以上ないくらいの最適解ではないだろうか。清隆も感心したような顔をしていたし。

 

「天武、あちらにもスポット装置があったぞ」

 

「ん、そっちも引っこ抜くか。これ持っててくれ」

 

 俺は先ほど木造の家の中で引っこ抜いた装置を綾小路に預けて、新しく見つけたスポット装置に向かう。

 

 その装置は俺たちが拠点としている川辺付近にある物と同じように、岩の中に埋め込まれた物であったが、大きな問題はないと判断できる。

 

「装置ごと壊さないようにしろ」

 

「安心してくれ、そんなヘマはしないさ」

 

 思いっきりぶん殴ったり、蹴り飛ばしたりすると装置ごと粉砕してしまうかもしれないので、撫でるように掌を岩にくっ付けると、おもむろに指を立てて岩を少しづつ毟り取っていく。

 

 指を立てる度にポロポロと破片が砕けて落ちていき、十分ほどで岩の中に埋め込まれていたスポット装置はさらけ出されるのだった。

 

 俺はそれを持ち上げて清隆と一緒に歩き出す。彼が持っている装置と合わせてこれで二つのスポット装置を確保できたことになる。

 

「この調子なら、まだまだあるだろうな。贅沢かもしれないけど十個くらい集められたらいいんだけどね」

 

「もしそうなると、一度の更新で10ポイントか。八時間ごとに更新で一日30ポイント、一週間でざっくりと約210ポイント……滅茶苦茶だな」

 

 全ての装置を同時に更新できる訳ではないし、回収した際の時間差で多少のズレは出るだろうけど、大量ポイントは間違いない。

 

「でも効率的じゃないか。リーダーを走り回らせる必要もないし、動かなくて良いから看破されるリスクも最小限に抑えられる……多分、他のクラスの人も一度は考えるんじゃないかな」

 

「かもしれないが、実際に行動に移すのは難しいだろう……こんなことできるのはお前くらいだ」

 

 スポット装置を持ちながら呆れたように清隆はそんなことを言ってくる。俺は最善最短を志しているだけなのに、どうしてそんな視線を向けられてしまうのだろうか、少し悲しい。

 

「まぁまぁ、とりあえずこの二つを持って帰ろうよ。これ以上ない土産になるしさ」

 

「それはそうだろうが……あぁ、そうだ、さっき偵察に出た時の話をしておこう」

 

 俺がクラスの仲裁をして拠点候補まで案内している間、清隆は偵察に出ていつの間にか帰って来ていた。クラスメイトの誰にも気が付かれることもなく。

 

 どうやらその時に洞窟のスポットを占有していたAクラスの葛城と戸塚の二人を発見して、その際のやり取りを教えてくれた。

 

 二人並んでスポット装置を担ぎながら拠点への帰路を進む途中、せっかくなので情報交換も行っておこう。

 

「Aクラスの葛城はどういう男なんだ?」

 

「そこまで詳しくはないけど、伝え聞く噂と前に観察した印象から、堅実で安定感のある人って感じかな。Aクラスの二大巨頭さ」

 

「二大? そう言えば坂柳がどうのこうの言っていたな」

 

「あそこは今、派閥争いで真っ二つって噂だ……もう片方の坂柳さんは、なんて言えば良いのかな、前に観察した印象だと、少し師匠に似た感じがあったかな。怜悧な印象が強かった。どちらも優秀なリーダーなんだけど、個人的には葛城に頑張って欲しいかな」

 

「どうしてだ?」

 

「彼が真面目で堅実で安定感のある男だからさ。龍園とは正反対だ」

 

「なるほどな」

 

「今回の試験で上手く大量ポイントを獲得できれば、一気にBクラスになることもできる……個人的には、それくらいの位置が一番良いと思ってるんだ」

 

「Dクラスの総合力は、学年で最下位だろうからな……仮にここでAクラスに上がったとしても、維持はできないだろう」

 

「あぁ、同意見だ。そう考えると追う立場と追われる立場にあるBクラス辺りが一番成長に繋がりそうな気もするね。後もう少し頑張れば、あともうちょっとで、そんな立ち位置がクラス全体の団結と成長に大きな影響を与えるって考えてる」

 

「……ふむ」

 

 清隆は俺の考えを聞いて考え込む、彼の中にある勝利の道筋に重ね合わせているのかもしれない。

 

「だとしたらAクラスを追い込み過ぎるのも拙いか?」

 

「その辺はどうだろうねぇ、できるだけ派閥争いを長引かせたいとは思ってるけど、今後の流れ次第って感じかな」

 

「そうか」

 

 そんなことを話しながらDクラスのベースキャンプに進んでいると、突如として頭上の木々が揺れて葉を降らす。

 

「おや、高円寺か」

 

「そうとも私だ……この美しい自然を堪能している最中さ」

 

 樹上で爽やかに髪をかき上げる高円寺は、俺と清隆が持っているスポット装置を見て不敵に笑って見せる。

 

「なるほど、力技もそこまで行けばいっそ清々しい。流石と言っておこうか、マイフレンド」

 

「ありがとう。高円寺はそろそろリタイアするのかい?」

 

「ふ、私は私さ」

 

 答えになってないぞ。

 

「しかし私がリタイアするとしても、君は止めないだろう?」

 

「そうだね、俺は君を縛るつもりもないし、命令するつもりもないさ。好きに生きて好きに振る舞えば良い、君に不自由は似合わないしね」

 

「グゥット、それでこそ天武だ」

 

「あぁでも、リタイアする前に見かけたスポットを教えてくれたら嬉しいかな」

 

 返事はない、ニヤリと笑うだけの彼はそのまま樹上を走り抜けていくのだった。

 

「良かったのか?」

 

「いいさ、彼みたいな人間が世の中にはもっと必要だ」

 

「……よくわからない理屈だな」

 

「勿論、リタイアしないのならそれが嬉しいけどね」

 

 そこまでは彼を縛ることはできない。世の中にはもっと自由な人が必要だ。

 

 高円寺を見送った俺たちはスポット装置を運びながらベースキャンプに帰って来る。そこでは平田が拠点の設営をしており、池を上手く使ってテントなどを既に組み上げていた。

 

「平田、これお土産」

 

「ええっと……これは、もしかしてスポット装置かな?」

 

「あぁ、引っこ抜いて持ってきた」

 

「……」

 

「平田、その気持ちはよくわかるぞ」

 

 眉間に寄った皺を揉み解す平田に清隆がそんなことを言って労わるように肩を叩いている……君たちちょっと失礼じゃないかな?

 

「学校側に怒られないかな? ペナルティとか……」

 

「これは環境汚染でも、他クラスへの器物破損や暴力行為でもないから問題ないだろ……そうですよね、茶柱先生?」

 

 監督役の先生に尋ねればその辺はよくわかるだろうと思って引っこ抜いたスポット装置を見せつけると、茶柱先生は先ほどの清隆と同じようにチベットスナギツネみたいな顔となった。

 

「仮にもし俺を咎めるのならば、ルールに明記すればよかったんですよ。スポット装置を動かしてはならないって、そうでしょう?」

 

「た、確かに……ルールにはスポットを移動させてはならないと明記はしていないが……」

 

 茶柱先生は呆れ交じりの溜息を吐いており、頭痛を抑えるかのように額に指を押し当てている。

 

「はぁ……問題ないだろう」

 

 そして最後には溜息交じりにそう言うのだった。

 

「よし、なら他のスポットも回収していくか……平田、これが俺の提示する勝利への作戦だ」

 

「う、うん、確かに凄い作戦だと思うよ……ビックリしたけど」

 

 平田はそこで手に持っていたノートをこちらに提示してきた。どうやら俺と清隆以外の班も島を走り回って色々な情報を持ってきていたらしい。平田はそれをノートに書き込んで地図を作っていたのだろう。

 

「小野寺さんと須藤くんの組がスポット装置を二つ、三宅くんと本堂くんの組も一つ見つけたみたいだ。他の組は発見できなかったようだけど、トウモロコシだったりスイカだったりを見つけてる。今、手が空いてる人たちに取って来てもらってるよ」

 

「そりゃ凄い、思ってたよりも食料は充実するかもしれないね」

 

「そうだね、そこは助けられたよ……あぁ、それと、笹凪くんと綾小路くんがいない間にざっくりと一週間を過ごすのに必要な物資を計算したんだけど、意見を聞かせてくれないかな」

 

 女子たちが絶対に必要と主張していたトイレ、そして個室のシャワー、後は食料と細々とした物資類がノートに書き込まれている。集団を維持する為にある程度の余裕を残しつつ、真っ当に一週間を暮らそうと思えばこれくらいは必要だろうというラインを正確に判断しているのがわかった。

 

「うん、良いと思うな……というか、これ以上は無理だ。良いラインだと思う」

 

「そうだな」

 

 清隆も反対意見はないらしい。

 

「なら良かった」

 

 平田もホッとした様子である。

 

「それともう一つ相談事があって……実は枝を集めてくれていた山内君が、Cクラスの生徒を見つけて保護したんだ」

 

「Cクラスの生徒?」

 

 ざっと拠点を見渡してみると、端っこの方で木に背中を預ける見慣れない女子生徒を発見した。頬に殴られた跡を確認できてしまう。

 

「どうやらクラスの方針で揉めて追い出されてしまったみたいで……」

 

「なるほどね、平田はどうしたいんだ?」

 

「僕としては放置はしたくないかな。でも笹凪くんの意見も聞いておきたかったんだ」

 

「スパイの可能性はあるだろうけど、問題ないんじゃないか」

 

「良いのかい?」

 

「放置もできないさ……それに、もし本当に追い出されたんならこちらで保護した方が良い」

 

「うん、ありがとう。笹凪くんならそう言ってくれると思ってたよ」

 

「しかし、ある程度拠点内での行動に制限を掛けた方が良いだろうな」

 

「それはそうだね」

 

 俺は視線の先にいるCクラスの生徒に近寄っていく。細身ではあるがしっかりと鍛えられた体をしており体幹も良い、もしかしたら格闘技でもやっていたのかもしれないと、パッと見の印象を与えてくれる女子である。

 

「初めまして、俺は笹凪天武です。宜しくお願いします。そちらの名前は?」

 

「アンタが、あの笹凪か……私は、伊吹澪」

 

 あのってなんだろ、最近は屋上から飛び降りたことで変な噂が広がってるので、それ関係だろうか。

 

「そうか、伊吹さん。今、平田と相談したんだけど、君をここで保護することを決めた。幾つかの条件はあるけど、ゆっくりしていて欲しい」

 

「……随分とお人好しだな」

 

 木に背中を預けて座り込む伊吹さんと視線を合わせるように俺もしゃがみこむ。視線が同じ高さになったことで見つめ合う形となり、互いをよく観察することができた。

 

 その瞳を覗き込むと、きっと向こうも同じように俺の瞳を覗いているのだろう。

 

 そんな時間が数秒過ぎ去ると、伊吹さんは気まずくなったのか少しだけ頬を赤くしてプイっと視線を逸らしてしまうのだった。

 

「そうだよ、お人好しさ」

 

「何の利益もないだろ、私を受け入れたって」

 

「かもしれないね、けれど利益や不利益の話は最初からしてないよ。重要なのはカッコいいか否かだ」

 

「……はぁ? カッコいい?」

 

「あぁ、ここで君を受け入れた方がカッコいいだろ」

 

「意味がわからない、そんな理由で受け入れるっての?」

 

「重要な理由さ、カッコよく生きるっていうのは、とても重要だ……あぁ、別にこれは容姿や性差の話じゃないよ、生き方の話だ」

 

「……」

 

 伊吹さんはもの凄く怪訝な顔をしている。俺の言葉が意味不明に感じたらしい。

 

「オレはカッコよく生きたいと思ってる。カッコよさっていうのは、つまり誰かに憧れを与えられる生き方ってことさ……ここで君を追い出すような男は、カッコ悪いだろう?」

 

「はぁ……なるほどね。噂通りとんでもない馬鹿って訳だ」

 

 何かを納得した様子の伊吹さんは、大きく溜息を吐いてこちらを呆れたように見つめるのだった。

 

 そして申し訳ないかのように、小さく掠れるような声でこう伝えて来る。

 

「……ありがと」

 

「どういたしまして、ゆっくりしていってね」

 

 まぁ、この子はスパイなんだろうけど、そこは心配だな。

 

「それより、訊きたいことがあるんだけど……」

 

「ん、何かな?」

 

「……アンタが持ってきたあの装置って」

 

「あぁ、あれはスポット装置だよ。リーダーを島中走らせる訳にもいかないから、こっちに持ってきた」

 

「どうやってさ?」

 

「引き抜いて」

 

「……」

 

 どうして皆、チベットスナギツネみたいな顔になるんだろうか? 凄く良い作戦だと思うのに。

 

 まぁ伊吹さんの反応はどうだっていい。この作戦を継続するだけだ。

 

 俺は伊吹さんから離れて平田から受け取った地図を眺めながら、今日中に発見した全てのスポットを回収する為に動き出す。

 

「清隆、伊吹さんのことなんだけど」

 

「あのCクラスの女子か」

 

「スパイだ、警戒よろしく」

 

「あぁ、わかった」

 

「さっさと残りのスポットを回収しておこうか」

 

「そうだな」

 

 今わかってるのは三つ、そこまで大きく距離を離れておらず、他のクラスに奪われると手が出せなくなるので、動くのは素早い方が良いだろう。

 

 岩に嵌っていたり、鎖やボルトナットで固定されているくらいなら何の問題も無い。多分壁とかに埋まっていても引きずり出せる筈だ。

 

 そして集めれば集めるほど有利になる。やはり完璧すぎる作戦である。

 

 この日、合計で五つの装置を拠点に持ち帰ることに成功して、元々この拠点にあった岩に収まったスポットと合わせて六つの装置を独占することに成功するのだった。

 

 単純計算で八時間おきに6ポイントが手に入る。二十四時間で三回更新ができて、つまり一日18ポイントになる。一週間でざっくりと126ポイントを確保できる訳だ。

 

 明日以降も新しいフリーのスポット装置を発見できれば更に有利になる。

 

 試験初日のスタートダッシュとしては、百点満点の動きだろう。

 

 圧倒的な力でぶん殴る、これに勝る作戦なんて存在しないということだ。

 

 

 

 

 

 



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サバイバル試験 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊吹さんという不安要素はあるものの、最高のスタートダッシュを決められたDクラスは試験初日の夜を迎えていた。

 

 島中を走り回っていた探索組は疲労を感じているのか眠るのが早かったし、それは設営班も同じなので、学園で生活を送っている頃とは比べ物にならないほど早く眠りにつくことになってしまう。

 

 娯楽がないというのも早めの眠りを誘発しているのかもしれない。ずっとお喋りしていても長くは続かないだろうし、ある程度で切り上げて明日に備える流れとなった。

 

 皆がテントの中で眠りに付く中で、俺は一人篝火の前に丸太を置いて座っていた。

 

 伊吹さんというスパイがいることで、寝てはいけない理由ができたことが一つ、もしかしたら他クラスからの潜入工作員のような者が来るかもしれないのが一つ、後は単純に一週間くらいなら熟睡する必要がないのも理由だろうか。

 

 都会の喧騒から離れた自然に囲まれた夜というのも理由の一つかもしれない。視線を上げると学園ではまず見ることのない満天の星空が広がっていた。

 

「寝ないのかしら?」

 

 師匠と暮らしていた山奥の神社のことを思い出していると、俺が座っている丸太に同じように腰かける人物がいた。堀北さんである。

 

「堀北さんこそ」

 

「いつもこの時間帯に寝る訳じゃないから、どうにもね」

 

「俺も似たようなもんかな」

 

 嘘である、熟睡の必要がないだけだ。今も体と脳は半分寝ている状態である。明日の夜は反対側も寝させよう。

 

「体調はどうかな?」

 

「問題ない、とは言えないけど……耐えられる範囲よ」

 

「そっか、あまり無茶しないようにね」

 

 視線を篝火から少し横に向けてみると、同じ丸太に座った堀北さんと見つめ合う形になる。火の光に照らされる彼女の顔は少し幻想的に見えた。

 

「わかっているわ……頼りになる友人もいることだしね、一人で無茶はしない」

 

 四月頃の堀北さんに聞かしてあげたい言葉である。

 

「そもそもあんな滅茶苦茶な作戦を考えて、実行するような人に無茶がどうのと言われたくないわね」

 

 堀北さんの視線が向かう先は六つのスポット装置である。既に更新を済ましたそれはまた八時間後にポイントを吐き出してくれるだろう。

 

「でも凄く効率的でリスクの低い作戦だろう?」

 

「えぇ、そこに関しては反論の余地がないわね」

 

 彼女もスポット装置をここに持ってくる度に妙な顔をしていたっけな。俺の行動はそこまで不思議なことなんだろうか。

 

「……」

 

 そこで黙りこくってしまった堀北さんの視線は目の前にある篝火付近を彷徨っている。

 

「何か悩みがあるのかい?」

 

「ッ……別に、そういう訳じゃ……いえ、そうね」

 

「ん、俺で良ければ聞こうじゃないか」

 

「……私は、何も貢献できていないと思ったのよ」

 

「……」

 

「そんなことはないとは、言わないのね」

 

「自覚があるんだろう?」

 

「えぇ……実際に何も出来ていないもの」

 

 堀北さんの視線が篝火から俺に移ったのを感じ取る。

 

「試験の説明を受けてすぐ、トイレが必要かどうかでクラスが真っ二つになったでしょう? あの時の貴方は見事だったわ。不満や怒りを上手く誘導して試験を乗り越える為の目標に向けさせて、綺麗な落とし所に持って行った」

 

「結論ありきの議論だったけどね」

 

「それでも、不満や反対意見を無視せずに話し合いを成立させたんだもの、アレを見ていて思ったの……仮に私が笹凪くんと同じように仲裁に入ったとして、クラスメイトたちは素直に耳を傾けて納得してくれたかしら」

 

 あぁ、彼女はそんなことを考えていたのか。

 

「きっと無理でしょうね。私にはそこまでの信頼がないもの」

 

「そうでもないよ」

 

「慰めの言葉ならいらないわ」

 

「違うよ。事実を言っているだけさ。もしかしたら堀北さんは気が付いていないかもしれないけど、今の君は赤点組の救済に奔走して貢献した責任感のある人って感じだからさ」

 

「私が?」

 

「ん、堀北さんが」

 

「……」

 

 信じられないのだろうか、最近はハリネズミモードが鳴りを潜めているので、距離感が近くなっているのに。

 

「でもまぁ堀北さんの危機感というか、不安感もわからなくはないかな……これからAクラスを目指していくのなら、自分の意見や意思や作戦をクラスに反映させられるような立場や信頼が必要になると思うしね」

 

「そうね……でも、どうすれば良いのかわからないわ」

 

 再び視線が結び合う。不安と焦燥に駆られた堀北さんの顔がこちらに向けられている。

 

 彼女はずっと一人で過ごしてきたので、きっとそのやり方がわからないんだろう。

 

「君が優秀で責任感のある人物だってことはクラスの皆がもう知っているんだ。なら後はほんの少し歩み寄るだけでいいよ……そうだね、朝起きたら挨拶したりとか、皆の仕事を手伝ったりとか、それだけで良いんだ」

 

「……」

 

「今の堀北さんは、もうそんなものは不要だなんて切り捨てたりはしないだろう?」

 

 俺が彼女の表情を覗き込むようにそう言うと、少しだけ照れて視線を逸らされてしまった。

 

「そ、そうね……」

 

 照れているのか頬も赤い、きっと篝火の光だけじゃない。

 

「大丈夫だよ。俺は君が頑張ってることも、努力家なことも、本当は優しい人だってことも、ちゃんと知っている」

 

「……」

 

 堀北さんの頬が更に赤くなる。羞恥に震えているようにも見える。

 

「俺たちは友人だ。困難を分け合えるし、目標だって語り合える。だから一緒に頑張ろう……君はもう一人じゃない」

 

「え、えぇ……そうね」

 

 視線をプイッと反らして篝火に戻してしまった彼女は、とても可愛らしかった。

 

「せっかくだしこれからのことを話し合おうか?」

 

「具体的には?」

 

「まず今後のクラスの方針について……今回の試験をこのまま上手く進められればDクラスは一気にBクラス位にはなれると思うんだ」

 

「他のクラスがここまで常識外れの作戦をしてこない限りは、そうなるでしょうね」

 

「清隆が言っていたんだけど、今の俺たちが例えばAクラスになったとしても、おそらく維持はできないって……堀北さんはどう思うかな?」

 

 そう問いかけると、彼女は静かに考え込む。少しでも早くAクラスに上がって生徒会長に認めてもらいたい堀北さんにとってはあまり考えたくないことなのかもしれないな。

 

「それは……」

 

「四月頃のDクラスの様子を思い出してみてくれ、あれが俺たちの本来の実力なんだと思う」

 

「酷い状態だったものね」

 

「あぁ、ここ最近は団結力も出て来たし雰囲気も悪くはない。けれどまだまだAクラスを目指してその立場を維持するには早いと思う」

 

「ではどうするつもりなの?」

 

「う~ん、そこが悩みどころでね。これは個人的な考えなんだけど、Aクラスとの差を100から200位で落ち着かせて、後もうちょっと、後もう少しって感じの雰囲気をクラスで共有したいんだ」

 

「言いたいことはわかるけど……そう上手く行くのかしら」

 

「今後の流れ次第かな、一年間でどれだけの特別試験が行われるかも不透明だし、クラスポイントがどれだけ変動するのかもわからない……わかっていることは、まだ一年の夏だってことさ」

 

「焦る必要はないと、そう言いたいのね?」

 

「もしかしたら堀北さんには受け入れがたい考えかもしれないけどね」

 

「いいえ、そんなことないわ」

 

 意外にも堀北さんは批判的な意見を述べなかった。納得してくれたらしい。

 

「……確かに、今は総合力の向上が必要な時なのかもしれない」

 

「ん……ありがとう」

 

「どうしてお礼を言うのよ」

 

「もしかしたら怒られるかもしれないって思ってたから」

 

「馬鹿ね、納得できる言い分だったから、そんなことしないわ」

 

「そう? 四月頃の堀北さんなら凄い不機嫌になって睨みつけて――痛い痛い」

 

 ビシビシと俺の脇腹に堀北さんの手刀が命中する。じゃれ合い程度のそれは少しくすぐったい。

 

「揶揄うのは止めなさい」

 

「ごめんなさい」

 

「……確認するけれど、今後はクラスの成長を主軸に置く、それで良いのね?」

 

「そうだね。今以上に強い団結力と信頼、そして学力の向上だったり、課題は山積みだ。ようは三年生最後の特別試験でAクラスになっていれば良いんだから、そこを目標にして進んで行こう」

 

「わかった、私も手伝うわ」

 

「お願いするよ、堀北先生」

 

「先生?」

 

「よく赤点組の面倒を見てくれているからね。清隆とも話したことがあるんだ、怖い先生だって」

 

「そこまで怖かったかしら?」

 

 自覚はないのか、でも面倒見がいいのは間違いない。

 

「それより……笹凪くん、貴方、綾小路くんを名前で呼んでいるのね」

 

「ん、少しきっかけがあってね。俺たちは本当に友人になれたんだと思う」

 

「そう……」

 

「名前と言えば、須藤は堀北さんのことを名前で呼びたがってたんだけど……」

 

 俺がそう言うと彼女は少し不満そうな顔を見せる。

 

「えぇ、無遠慮にもね」

 

「あれ、許してあげなかったのかい?」

 

「……どうして許す必要があるのよ」

 

「親しい人とは名前で呼び合うものなんじゃないのかい?」

 

 俺と清隆はあの夜の手合わせ以降そうなった。

 

「私と須藤くんはそこまで親しい訳でもないと思うけど……」

 

「よく面倒を見てあげてるじゃないか、世間一般ではそれは親しい関係なんだと思うんだけど」

 

「そうかしら?」

 

「そうなんじゃない?」

 

「……なら、私と貴方はどうなのかしら?」

 

「俺と堀北さんは親しい友人じゃないか」

 

「その割には、名前で呼ぼうとしないのね」

 

 確かに言われてみればそうだな、でも女性との距離感は大事だって師匠も言っていたし、あまり馴れ馴れしくするのも悪いような気もする。生徒会長と堀北さんのイザコザを仲裁したあの夜の日に、恋を教えてほしいだなんて無遠慮に要求したことも、今考えればかなり気持ち悪いと思われたのかもしれないな。そこは反省すべき点だろう。

 

「そうね、須藤くんはともかく……貴方が呼びたいのなら考えてあげなくもないわよ」

 

「ん、俺は遠慮しておく。あまり女性と馴れ馴れしく接するのも悪いしね。須藤の方はもう少し優しく接してあげてよ」

 

「……」

 

「痛いんだけど……」

 

 堀北さんが俺の耳を引っ張って来る、脇腹にチョップされるより痛いので止めて欲しい。

 

「ふんッ」

 

 最終的にもの凄く不機嫌になって腰かけていた丸太から立ち上がると、そのまま女子チームのテントに戻っていくのだった。

 

「おやすみ、良い夜を」

 

「……おやすみなさい」

 

 それでもしっかりとそう言ってくれるのだから、彼女は素直な女性なんだと思う。

 

 再び一人になった俺は、椅子代わりにしていた丸太の近くに落ちていた拳ほどの大きさを持った石を見つけてそれを指先で弄んでいく。

 

 美術部員としては、良い感じの石があると削りたくなってしまう。よく師匠が色々と作っていたのでその影響もあるのかもしれない。

 

 残念なことにこの無人島に私物の持ち込みは禁止されてしまっているので、彫刻刀や石ノミなどが無い。

 

 仕方がないので素手で削って形を整えるしかないだろう。そう考えて指を石に立てると少しづつ削り取っていく。

 

 何もやることがない夜の暇つぶしなので凝った物を作る必要もない。さて何を作ろうかと考えていると、どうした訳か昼に見た清隆や茶柱先生や伊吹さんの顔が思い浮かぶ。

 

 あのチベットスナギツネみたいな、虚無を宿した死んだ目を思い出したことで、手に持った石の形は決まったのだと思う。

 

「狐でも彫るか」

 

 指を立ててゴリゴリと削り取っていく。そんなことを続けていくと、背後から近づいてくる気配に気が付く。

 

「高円寺か」

 

「おや、気が付かれてしまったようだねぇ」

 

「君の気配は独特だからね」

 

 そこは清隆と同じだ。

 

「そもそもずっとこっちを見ていただろうに」

 

「ふッ、クールガールとの逢瀬を邪魔するほど無粋ではないとも」

 

 意外である、彼がそんな気遣いをするだなんて。

 

「リタイアはしないのかい? 夜になったら船に戻ると思っていたんだけど」

 

「イエス、するとも。ただ友人との約束を果たすことも重要なのさ」

 

 高円寺はノートの切れ端をこちらに渡してくる。そこには彼が午前中に木の上を走り回っていた時に見つけたスポットの位置が記されていた。

 

「幾つかは既に他所が占有したようだがねぇ、あまり大っぴらに動くこともできない事情があるのだろう、近場にしか手を伸ばしていないようだ」

 

 そりゃそうだろうな、リーダーがばれたくないって普通は思うもん。リスクは最小限にする筈だ、俺と同じで。

 

「どのクラスからも離れているスポットならまだ回収できるだろう」

 

「ありがとう、高円寺、明日にでも取りに行くとするよ」

 

「ふッ、それでは私は船で優雅に暮らすとしよう、さらばだマイフレンド」

 

 こうした情報を残してくれただけ、彼なりに貢献してくれているのかもしれない。ちょっとした気まぐれでしかないのかもしれないが、すぐにリタイアすると思っていただけに、予想外の行動とも言えた。

 

 海岸に停泊している船に向かう高円寺の背中を見送って、再び手の中にある石を削り取っていく。

 

 そうして試験初日の夜は更けていく。石が狐の形に変わる頃には、朝日が昇っているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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サバイバル試験 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サバイバル試験二日目、朝日が差し込むと同時に高円寺から受け取ったスポット位置のメモを片手に動き出す。

 

 どうやら彼は初日の段階で島の大半を踏破していたらしく、各クラスの位置やスポットがある場所などを発見していたようだ。どのクラスも近場にあるスポットは占有してポイントを吐き出させようとする筈なので、その辺を確保するのは難しいだろう。

 

 なので狙い目はどのクラスからも離れているスポット装置、手が出しにくい上に頻繁に足を運べず、遠出すれば遠出するほど色々なリスクが付きまとうことになるので、他のクラスは捨て置くような場所であった。

 

「よし、これで二つだな」

 

 片手に持っていた既に回収したスポット装置をゆっくりと床に置いて、岩にはめ込まれた装置に手を伸ばしていき、岩を少しづつ毟り取っていく。

 

 まず最初に加減しながら拳を打ち付けると小さな罅が入る、その僅かな隙間に指を引っ掛けると、そこから徐々に壊していくのだ。中身の装置を破壊しないように慎重にするのも忘れない。

 

 指を突っ込んで立てられるようになれば後は簡単だ、ただ毟り取れば良い。

 

 十分もそんなことを続ければ完全に装置は露わとなった。後は持って帰っていくだけである。

 

 両脇に装置を持ちながら島を走り抜けていく、ものすごく広い無人島という訳でもないのでそこまで苦労はしないだろう。高円寺や清隆も同じことを思うのかもしれないな。

 

 我らがDクラスのベースキャンプ付近まで近づくと、鼻孔を擽る朝食の匂いが届く。

 

 そういえば空腹だな。夜の間は体と目の半分を眠らしていたのでそこまで眠気は感じないのだが、空腹だけはどうしようもない。空腹は最大の敵だって師匠も言ってた。

 

「良い匂いだね櫛田さん」

 

「あ、笹凪くん、お帰りなさい!! ふふ、そしておはよう」

 

「あぁ、おはよう」

 

 どうやら今日の朝食を作っているのは櫛田さんを筆頭に幾人かの女子チームらしい。夕食は男子チームとなっていると知ったのは昨日のことである。

 

 櫛田さんは俺が両脇に抱えているスポット装置を見て苦笑いを浮かべてしまう。どうした訳かクラスの誰もが同じような顔をしてくる。別に悪いことしてる訳でもないのに。

 

「堀北さん」

 

「えぇ」

 

 堀北さんも朝食作りに参加しており、松下さんや王さんと一緒に作業をしていた。どうやら昨晩に話し合ったクラスとの交流をさっそく行っているらしい。嬉しい光景である。

 

 距離は離れているが伊吹さんもいるので大っぴらに占有してくれとも言えないが、こちらの意思は伝わったようだ。

 

 新しく持ってきたスポット装置を昨日集めた六つの装置と同じ場所に並べて放置すると、すぐに堀北さんがやって来て、同時に周囲をクラスメイトが囲んで壁を作り占有をされていく。

 

 これで装置の独占は八つ、欲を言えばもう少し独占したくはあったが、他のクラスも近場のスポットは占有しているので難しいかもしれない。

 

 島の大きさと、スポット設置の間隔を見る限り、これくらいが限界なのかもしれないな。

 

 もちろん、新しく発見できれば積極的に持っていくつもりではあるが。

 

「せっかくだから手伝うよ」

 

「えッ、良いの? 笹凪くん疲れてないかな?」

 

 朝食を作っている櫛田さんに協力を申し出ると少し驚いた顔をされた。

 

「良いの良いの、こういう時に手伝いを申し出る男はモテるって雑誌に載ってたからさ、ちょっと頑張ってみたい」

 

「ふふ、じゃあお願いしちゃおっかな」

 

 可愛らしく笑う櫛田さんはこちらに昨日島で探索組が発見した野菜を渡してくる。どうやら皮むきをすればいいらしい。

 

 師匠の所にいた時は食事を作るのも俺の仕事だったので特に苦戦することもない。包丁片手に芋の皮を剥いでいくだけである。

 

「へぇ、笹凪くん、手慣れてるね」

 

 美しい一本に伸びる皮を作っていると、感心したようにそう言ったのは調理メンバーの一人である松下さんであった。

 

「料理とかするんだ。意外、でもないのかな」

 

「松下さんも手際良いね」

 

「この学校だと自炊必須だしね。そこまでポイントに余裕ある訳でもないし。ま、これくらい余裕かな」

 

「逆に佐藤さんはアレな感じだね」

 

 俺と松下さんの視線は机の向かい側で悪戦苦闘している佐藤さんに向けられる。

 

「アレとか言うなし……」

 

 佐藤さんは包丁片手に手をプルプルと動かしながら芋の皮剥きをしているのだが、正直かなり危なっかしい手つきである。

 

「指とか切らないようにね」

 

「大丈夫、大丈夫だから……今は集中させてよ」

 

「コツは包丁を動かすんじゃなくて、野菜側を動かすんだよ」

 

「え、そうなの?」

 

「包丁は固定して動かさない。で、野菜をクルクル回す感じかな。ほら、こんな感じに」

 

 新しい芋を取り出してササッと一本に伸びる皮を作り出す。参考になっただろうか?

 

「アレ、もしかして私……笹凪くんより女子力低い?」

 

 何故か自信を無くされてしまった。ただ佐藤さんというか、こういったタイプのキャピキャピした感じの子が美しく皮を剥いている姿をどうした訳か想像もできないので、これはこれでイメージ通りなのかもしれない。

 

「練習あるのみだ」

 

「くそぉ、余裕な笑みで憐れまれてる……」

 

 佐藤さんは助けを求めるかのように、キャピキャピ組の一人である松下さんに視線を向けるのだが、彼女は包丁捌きが上手いので味方になることはなかった。

 

 そこから一緒に作業している王さんや櫛田さん、堀北さんへと視線を送るのだが、誰一人として佐藤さんの味方になれる人はいなかったらしい。

 

 堀北さんも包丁捌きが上手いと眺めていると、突然に隣にいた松下さんから軽く肘を当てられてしまう。包丁を持っているんだから止めてほしい。

 

「ねぇねぇ、やっぱり堀北さんと付き合ってるの?」

 

「おや、その心は?」

 

「だってよく一緒にいるし、今も熱い視線で見つめてたじゃん」

 

「見事な観察力ではあるけれど、残念ながら的外れだね。堀北さん、体調が悪そうだからさ」

 

「まぁね、別に休んでも良いと思うんだけどさ」

 

 どうやら松下さんも堀北さんの体調が悪いことに気が付いていたらしい。観察眼があるというのは間違いないのだろう。

 

「そうもいかないんじゃないかな、最近の彼女はクラスに打ち解けようとしてるしね」

 

「あ~、確かにね。今日も朝起きた時におはようって挨拶されたし。ちょっとビックリした」

 

「前向きになった人に寝てろとは中々言い辛いのさ」

 

「なるほどね。頑張ってる堀北さんが心配で大切な訳だ」

 

「やれやれ、どうしてもそっちの方向に持っていきたいようだ」

 

「だってほら、気になるし。笹凪くんって不思議な人だから」

 

 不思議か、どうした訳かそう言われることが多い。清隆にも言われたっけな。

 

「友人だからね、心配は当然さ」

 

 また少し離れた位置で作業している堀北さんを眺める。体調が悪いのに頑張っている姿は健気で美しかった。

 

「ふ~ん……ま、この辺で勘弁しておいてあげる。笹凪くんって照れないからつまらないし」

 

「揶揄われていたのか」

 

「そうかもね」

 

 こういうのが師匠の言ってた恋バナという奴なんだろうか? だとしたら高校生あるあるをまた一つ体験したことになるな。

 

 雑談しながらクラス全員分の朝食を作っていき、時に佐藤さんの手つきに冷や汗を流したり、時に松下さんの揶揄いを回避したりと、中々楽しい時間であったと思う。

 

 クラスメイトと朝食を取りながら雑談交じりのミーティングを終えた時に、不躾な来客が来るまでは穏やかな朝であったと言えた。

 

「誰だアイツら?」

 

 池がそう言って指さした先にいたのは見覚えのある生徒だった。確か以前に体育館で須藤に絡んでいた二人で小宮と近藤って名前だった筈だ。

 

「いや~随分と質素な暮らししてんだなDクラスは。さすが不良品の集まりだ」

 

 彼らの手にはコーラとスナック菓子……えぇ、ポイントで買ったのか?

 

「確か小宮と近藤だったかな?」

 

 二人の様子が気になって喋りかけようとすると、俺を見た瞬間に彼らは顔を引きつらせて何故か怖がった様子を見せて来る。

 

 そういえば、彼らには須藤に絡んでいた時に師匠モードで接したんだっけ。どうやらその時の衝撃をまだ覚えていたらしい。

 

「えっと、別に、馬鹿にするとかそういうんじゃなくてですね」

 

「ほう」

 

 今は別に師匠モードではないのだが、それでも彼らは怖いらしい。師匠は怖い人だからこればっかりは仕方がないな。

 

「そ、その、龍園さんが、夢の時間を体験させてやるって、言ってました」

 

「ほほう、それは楽しみだ」

 

 まさか向こうから接触してくるとは、暇が出来たら偵察に行こうと思っていたので悪い誘いではないのかもしれない。

 

「それならお言葉に甘えてお邪魔させて貰おうかな、どこにいるんだい?」

 

「は、浜辺付近です」

 

「わかった、後で様子を見に行くとしよう」

 

 話が終ると小宮と近藤の二人は逃げるように去っていく。今のオレは師匠モードじゃないんだから、そこまで怖がることもないのに。

 

「何がしたかったんだよアイツらは?」

 

「なんでスナック菓子食ってたんだ、コーラまで」

 

 須藤と池は走り去っていくCクラスの生徒を怪訝な顔で眺めていた。この二人だけでなく多くのクラスメイトが似たような顔をしている。

 

「ん、挑発じゃないかな……それか罠とか」

 

「おいおい、それでノコノコ顔出して大丈夫かよ?」

 

「大丈夫だよ須藤。安い挑発ではあるけど、せっかく招待されたんだから挨拶にでも言ってくる」

 

 この拠点にはスポット装置が八つもあるので、八時間ごとに8ポイントを吐き出してくれる。一日でざっと24ポイントである。勿論、手間や更新のタイミング、回収した際の時間差などで色々とズレてはいるのだが、それでも大量ポイントの獲得は間違いない。

 

 なので、新しいスポットが発見できるまでは、正直暇なのだ。ならばその時間を他クラスへの偵察に当てることが重要だろう。

 

 上手くリーダーを看破できれば、更にボーナスが貰えるのだから、やらない手はない。

 

 仮にもし罠だったとしても問題はないと思う。龍園が監視カメラのないこの無人島で自棄になって軽はずみな暴挙に出たとしても、敵になるのは一クラス分の人数だけ、しかも半分は女性である。それくらいならば大した脅威にはならない。

 

「Cクラスの偵察に行くのね?」

 

「あぁ、そうだけど……もしかして付いてくるつもりかい?」

 

「その通りよ」

 

 体調は大丈夫だろうかと、同行を申し出て来た堀北さんを見つめる。ただ頑張っている彼女にジッとしていろとは言い辛いものがあった。

 

 クラスに馴染もうと、そして貢献しようとしている堀北さんであった。その意思を汲むべきなのだろう。

 

「わかったよ。どうせなら清隆も誘おうかな」

 

「綾小路くんを……本当に、随分と仲が良くなったわね」

 

「友達だからね、俺たちは……それに彼は細かい所までしっかりと注意深く見てくれるだろうから、偵察には持ってこいだ」

 

 堀北さんはどうした訳か怪訝な顔つきになってしまう。そんな顔をされると彼女の中で清隆はどんな評価に落ち着いているのか少し気になるな。

 

「清隆、これからCクラスの偵察に行こうと思ってるんだけど――」

 

 声をかけるが清隆は首を横に振って拒否してくる。そして彼の視線はCクラスから保護している伊吹さんに向けられていた。

 

 どうやらそっちを担当するつもりらしい。彼女の監視を行い目的を暴こうとしているのだろう。スパイだしね、伊吹さんは。

 

「それじゃあ行こうか」

 

「えぇ」

 

 堀北さんと二人で行動すると松下さんがニヤニヤとした顔を向けて来るようになったのが、少し居心地が悪い。

 

「さっき松下さんと話してたんだけどさ。堀北さんから朝に挨拶されて驚いたって言ってたよ」

 

「今更何をとでも思ったのかもしれないわね」

 

「そうじゃないさ、意外には思っていたみたいだけど、悪い気はしてなかったんじゃないかな」

 

 佐藤さんも似たような感じであった。櫛田さんはちょっと変な感じだったけど。

 

「いつか彼女たちが君の力になってくれるかもしれないね」

 

「……」

 

 彼女が友人と一緒に行動している光景を思い浮かべる。かなり違和感というか、不思議な感覚になってくるが、これからAクラスを目指す上で絶対に必要になってくる状況だろう。

 

 まだまだ堀北さん自身も、相手との距離感におっかなびっくりという感じだけど、それはそれで可愛らしかったりする。

 

「何かしらその目は?」

 

「いいや、何でもないよ」

 

 何故か巣立っていく雛鳥を見ている気分になっていた俺を、ジトッとした目で見て来る堀北さん、変に勘も良いから困ったものだ。

 

「そろそろCクラスの拠点が見えて来るんじゃないかな……おや」

 

 森の抜けて浜辺にまでやって来るとすぐに彼らを発見することができた。ビーチパラソルが並んでいる上に、遊び回っているので滅茶苦茶目立つ。

 

 それだけでなく大量のスナック菓子やジュース、色々な娯楽品もあり、なんとも贅沢な様子である。この無人島でとても異色な存在感を放っていた。

 

「嘘でしょ……こんなことって、あり得る?」

 

 さすがに堀北さんも驚きを隠せない。俺だって同じように驚いている。

 

「お~い、龍園、調子はどんな感じだい?」

 

 このCクラスの状況を把握して、間違いなく指示を出しているだろう男に声をかける。ビーチチェアに背中を預けて優雅に寛ぐCクラスの王様はいつもの笑みを浮かべていた。

 

「ようゴリラ野郎。調子はどうかって? 見りゃわかるだろ」

 

「まさにバカンスって感じだね。ちょっとうらやましいよ」

 

 手下からペットボトルを受け取った龍園はそれを見せびらかすように開けて中身を口に含んだが、何がお気に召さなかったのか中身をぶちまけてしまう。

 

「石崎ィ!! キンキンに冷えた奴を持ってこいって言っただろうが!!」

 

「はいッ、すいませんでした!!」

 

 石崎はクーラーボックスに走って行って、冷えた炭酸飲料を大慌てで持って来る。

 

「敵とか言う以前の問題ね。警戒してここにきた私がバカだったわ」

 

 Cクラスの現状を見て堀北さんが発した言葉がそれであった。

 

「誰だお前は……いや、知ってるぜ、生徒会長の妹だろう? だってのに不良品の集まりに放り込まれたどうしようもない奴だってなぁ」

 

「……なんですって?」

 

「だが面と強気な態度は悪くねぇ、俺と遊んでいくか?」

 

 やめなさい龍園、堀北さんがちょっと人に向けちゃいけない類の瞳になってるから。

 

「呆れたわね。Cクラスはまさか全てのポイントを使ったというの?」

 

「そうさ、俺は努力が嫌いなんでね。たかだか100や200程度のポイントの為に、こんな無人島で我慢比べなんて馬鹿な真似はごめんだ」

 

「そう……トップが無能だと、下も苦労する。これがまさにいい例よ」

 

「ククク、何とでも言えばいい、これが俺のやり方だ。逆らうゴミもいたがな」

 

「……Cクラスから一人保護しているわ。伊吹さんはどうやら貴方の方針に逆らったみたいね」

 

「なんだ、結局他所のクラスに世話になってるのかアイツは……情けない女だ」

 

「彼女、頬が腫れていたわ」

 

「そりゃそうだろう。王に逆らったんだから制裁は当然だ。もう一人反対した奴がいたが、どこかで草でも食って生きてんだろ……まぁ、土下座して許しを請うってんなら考えてやらなくもねぇな」

 

「……」

 

「俺の決定は絶対だ。こんな島で汗水垂らしてポイントの確保なんざ馬鹿のすることだ」

 

 そう言って炭酸飲料を口にする龍園、対する堀北さんはどこまでも冷めきった瞳で彼を見つめていた。

 

「何だったらお前らも参加していくか? 肉もアイスも菓子もある……ここにはお前らが得られない全てがあるのさ。好きに楽しんでいけよ、ククク」

 

「え、良いのかい?」

 

「あん?」

 

「実は肉類が足りないと思っていたんだ。提供してくれるならありがたいんだけど」

 

「ちょ、ちょっと笹凪くん……何を言っているの?」

 

「いや、龍園が太っ腹なことを言うからさ」

 

 もし提供してくれるならとても助かる。ポイント的にも胃袋的にも。

 

「ゴリラ野郎が、テメエにはプライドってもんが無いのかよ?」

 

「いや、今優先すべきなのはポイントの節約だから……これで一食分浮くならこんな楽なこともないし」

 

 スポットを引っこ抜くだけではポイントは稼げても腹は膨れないのだ。

 

「ククク、なるほどな……俺は寛大だ。良いぜ許してやる。持っていけば良い」

 

「ありがとう。俺は良い友人を持った」

 

「……ちょっと待て、友人? 俺とお前が?」

 

「連絡先を知っているんだから、そう言っても良いんじゃないかな」

 

「……おい、マジでやめろ」

 

「恥ずかしがる必要はない。今度一緒にラーメンでも食べに行こう。甘いものが好きならカフェでもどうだい? 誕生日にはケーキでも買ってお祝いしようか?」

 

「……」

 

 なんでそんな顔をするかな。

 

「まぁ肉の提供は感謝するよ、お礼は何が良いかな?」

 

「言ったろ、俺は寛大だとな」

 

「みたいだね、ありがとう」

 

 バーベキューコンロの近くにあったクーラーボックスから肉類の入った入れ物を受け取ると、それを保冷剤と一緒に小脇に抱えて浜辺を後にするのだった。

 

「じゃあな、ゴリラ野郎、鈴音」

 

「気安く名前を呼ばないで」

 

「龍園、俺はゴリラじゃない」

 

「そう思ってるのはお前だけだ」

 

「……そうね」

 

「え、堀北さん!?」

 

「あ、ごめんなさい……つい納得してしまって」

 

 

 入学してから一番ショックを受けた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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サバイバル試験 6

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍園は面白い男だよね」

 

「面白い? あれは愚かと言うのよ」

 

 Cクラスの偵察を終えてその帰り道、色々と衝撃的な光景を見せられた俺たちの意見は正反対なものであった。

 

「この試験は工夫と団結と忍耐を競うものなのに、あんなことをしてしまえば意味がないわ」

 

「そうでもないよ。あれは龍園なりに出したこの試験に挑む上での答えなんだと思う」

 

「ポイントを好きなだけ使うことが答えだというの?」

 

「あぁ、この試験が始まる前にクラスで共有した三つの目標があっただろ? その内の第一目標を思い出してほしい」

 

「……クラス間の団結や信頼を崩壊させないこと」

 

 堀北さん自身が言ったことだし、忘れている筈がないか。

 

「そう、それ。少なくとも龍園の作戦はその第一目標を超えることのできるものだ。つまりテストの赤点ラインは超えることができる。一部から反対はあったようだけど大部分が納得して楽しんでいるのなら完全な誤りとは言えないさ」

 

「だとしても、他のクラスとの差は明らかに広がる」

 

「ただその状況を楽しむだけならそうだろうね。けど俺の知る龍園は賢い男だ……アレで良しとした根拠があるんだろう」

 

「……」

 

 堀北さんは振り返って浜辺付近でバカンスを楽しむCクラスを眺める。そして深く考え込んだ。

 

「勝利に貪欲で、執着して、意思と覚悟もある、頭だって悪くない……それは愚かから最も遠い男ってことなんだと俺は思う」

 

「あの無礼な男を評価しているのね……意外だわ」

 

「一之瀬さんとは方向性の違うリーダーだとは思ってるよ。Aクラスの葛城とも異なる……どんな形であっても集団を率いる人間には何らかの才能、器があるんだ。曲がりなりにも一つのクラス、社会を引っ張っている時点で警戒に値するとも」

 

 能力の良し悪しや考えの左右はあんまり関係が無い。結局の所、リーダーに求められるのは利益を得られるかどうかだけなのだから。

 

 逆に言えばどれだけ優秀でも利益を生み出せないのならば、その時点でリーダー失格なのだろう。

 

 心技体、結果、全てが揃った理想の指導者は中々生まれることはない。

 

「一之瀬さんの名前が出て思い出した、せっかくだからこのままBクラスの様子も偵察しよう。場所はわかってるから付いてきて」

 

 そこも高円寺から受け取った情報に残されていた。樹上を飛び移っていたことと言い、忍者のような男であった。

 

 堀北さんと一緒に整備された森の中を歩くこと十分ほど、Bクラスが拠点としているベースキャンプが見えて来る。どうやら一之瀬さんは井戸が近くにある場所を拠点と定めたらしい。

 

 飲み水を節約できる場所、なるほど、良い拠点なのかもしれないな。

 

「あれ、笹凪くんだ!! お~い!!」

 

「やぁ一之瀬さん、こんにちは」

 

「こんにちは、そっちの子は確か……堀北さんだったよね」

 

「え、えぇ」

 

 にっこりと笑った一之瀬さんは堀北さんの両手を握って大袈裟なほどに握手を繰り返す。

 

 見る度に思うが眩い人だと思う。堀北さんもタジタジであった。

 

「Bクラスはどうしてるのかなって様子を見に来たんだ」

 

「むむ、偵察ってことだね」

 

「そうなってしまうね、都合が悪いようなら出直すよ」

 

「大丈夫だよ、別に隠すようなこともないしね。それに他クラスの人たちとも話がしてみたかったんだ。この試験にどんな感じで挑んでるのか、みたいに」

 

「色々と難しい試験だよね。考えなきゃ駄目なことが多いし、ストレスとか信頼関係とかさ」

 

「うん、凄くわかるかな。いきなり無人島でサバイバルだもんねぇ、いくらポイントがあるって言っても、湯水のようには使えないしね」

 

「でも、Bクラスは統率が取れているように思えるわ。このクラスは貴女が纏めているのよね?」

 

「一之瀬さんはクラスの委員長らしいよ」

 

「委員長?」

 

「にゃはは、別に学校にそういった制度がある訳じゃないんだけどね、やっぱりそういうのも必要かなって思って、皆で話し合って決めたんだよ」

 

 堀北さんはBクラスの拠点をぐるりと見て回る。誰もが真面目かつ真剣に働いているのが確認できる。ただ緊張ばかりではなく楽しそうに会話しているのがわかった。

 

「Dクラスはやっぱり笹凪くんが纏めてるのかな?」

 

「主に平田とか櫛田さんかな、俺も力になっているけどね」

 

「あ、そうなんだ、私はてっきり笹凪くんがそうなのかって思ってたけど」

 

「その辺はだいぶ曖昧かな」

 

 俺は別にリーダーだって主張したことは一度もない。

 

 Bクラスのベースキャンプで使われているものはDクラスとそこまで大きな差はないらしい。ポイント使用の内訳を聞いてみると、やはり似たり寄ったりな感じである。

 

「Dクラスも同じような使い方みたいだね」

 

 こちらの使用内訳を説明してみると、そんな感想が一之瀬さんから返って来た。

 

「一之瀬さん、貴女はこの試験をどう乗り越えようとしているのかしら?」

 

「そこが難しいよねぇ、あんまり無茶してクラスがギスギスしちゃっても大変だろうし、ほどほどにポイントを使いながら、節約できる所は節約して……後はどれだけスポットを占有できるかがカギになるんだろうけど。思ってた以上にスポットが少なく感じるんだよ」

 

「そ、それはそうね……」

 

 堀北さんの視線がこちらに向かう。目立つスポットは俺が引っこ抜いて持ち去ってしまったからね、少ないんじゃなくて場所が変わってしまっているんだ。

 

「私は、もっとこう、スポットをどれだけ上手く占有できるかっていう試験になるって思ってたんだけど、でも想像より少なかったから拠点製作の方に力を入れたかな」

 

「確かに、とても充実しているようにも思えるわね」

 

 だよね、タダで貰えるビニールをテントの下に敷き詰めてクッション替わりにするとか、工夫と努力が垣間見える。

 

 これが一之瀬さんが出したクラスの信頼や団結を崩壊させない答えなのだろう。やはり龍園とは異なる方向性のリーダーのようだ。

 

「だね、Cクラスとはまた違った充実さだ」

 

「Cクラス? そっちも見て来たの?」

 

 俺は一之瀬さんにCクラスの状況と龍園の方針を伝えると、彼女はやはり驚いて見せる。

 

 ポイントを躊躇なく使ってバカンスを楽しむという考えや方針は、この試験では常識外れと見るべきなのだろう。

 

「はぁ~……なんていうか、凄い考えだね」

 

「今後どうするかはさっぱりだけどね」

 

「発想が凄いかな。私はこの試験をどう節約するか考えてたのに、龍園くんはそんな方針だなんて」

 

「反対もあったみたいだけど……実はその方針に反対したCクラスの生徒を保護してるんだ」

 

 伊吹澪さん、Cクラスから保護した人物、そしてほぼほぼ確実にスパイである。

 

 そこで俺はBクラスの拠点を見渡して目的となる人物を探し出す。以前に観察した時に他クラスの人たちの顔は覚えているので、すぐに発見することができた。

 

「そっか、そうなんだ……実はBクラスも同じようにCクラスの生徒を保護してるんだけど」

 

「一応、訊いておくけど、スパイだってわかった上で受け入れたんだよね?」

 

「それは、うん、そうだね……でも放っておけなかったんだ」

 

 彼女も一つのクラスを率いる立場なんだ。当然ながらそういうことは考える。考えた上で受け入れたんだろう。

 

「わかるよ」

 

「え?」

 

「俺も同じだったからね。困ってる人がいると手を差し伸べてしまうんだ……善悪や利益不利益は後に考えてしまう」

 

 俺は別に伊吹さんがスパイであるかどうか、それが真実であるか否かはどうでも良かったりする。重要なのはそこではないのだから。

 

「まぁ、もしスパイだっていうなら、リーダーがバレないように頑張ればいいさ、そうだろう?」

 

「うん、もちろんそのつもりだよ」

 

 吊り下げたハンモックに腰かけて穏やかに笑う一之瀬さん、龍園は彼女の爪の垢を煎じて飲んだ方が良いと思う。伊吹さんを殴って怪我さしてる場合じゃないだろ。

 

「そうだ、一之瀬さん。俺たちとBクラスの協力関係ってまだ続いてる認識で良いのかな?」

 

「私はそう思ってるよ……え? 違ったかな?」

 

「そんなことはないさ、寧ろそうじゃないと苦労した意味がない」

 

「む~、あの時は大した事してないって言ってたのに……やっぱり苦労してたんだ?」

 

「黙秘します」

 

「もうッ」

 

 プリプリと怒った様子を見せて来る一之瀬さん、正直とても可愛らしかった。

 

「ミステリアスな男はモテるらしい作戦はまだ実践中でね……まぁそんなことはどうでもよくて、協力関係を結んでいるからできれば互いのリーダーを指名するのを止めないかなって話がしたいんだ」

 

「もちろんオッケーだよ。こっちからお願いしたいくらいかな」

 

 リーダーが指名されるとそれだけで大きなペナルティーだからな。ボーナスも一気に吹き飛ぶ。1クラスでも警戒から外れるならアリだろう。

 

「ありがとう、これで少し楽になったよ」

 

「どういたしまして、助けられたのは私たちなんだしもっと頼ってくれて良いんだよ? 少しでも恩返しがしたいからね」

 

「そう深く考えることもないさ。隣人は愛するものだと俺は教わったから、そうしているだけなんだ」

 

「ありがとう。そのおかげで助かったかな。1クラスだけでも警戒しなくて良いなら少しだけ気も楽になるしね」

 

 そう言った一之瀬さんはハンモックの上で少しだけ体を解す、寝不足なのか背伸びをして眠気を振り払うかのような動作だ。

 

「お疲れみたいだね。まぁこんな試験に放り込まれたらそうなるか」

 

「だね、でも弱音は吐けないよ」

 

「委員長だからって何もかもを一人で背負う必要はないと思うよ」

 

「え?」

 

「頼るべき時は頼る、任せるべき仕事は任せる、リーダーが完璧超人である必要はないって話さ。何もかもを一人で背負わないで、誰かに頼ることもまたリーダーの資質の一つだと俺は思う……だからまぁ、あまり無理はしないようにね」

 

「……うん、わかった」

 

 一之瀬さんとそんな会話を続けていると、隣にいた堀北さんが俺の袖を掴んでクイッと引っ張って来る。そちらに視線を向けてみると、何とも言えない瞳をして迎え撃たれてしまう。

 

 少し不機嫌な様子にも見えた。どうやら一之瀬さんとの会話は長く続けられないらしい。

 

「それじゃあ俺たちはそろそろ移動するよ。ついでにAクラスも見に行きたいからね」

 

 高円寺から渡されたメモにはその辺の情報も書かれていた。清隆も洞窟のスポットを占有していたのを見たって言うから間違いないんだろう。

 

「場所はわかるかな?」

 

「大丈夫、それらしい場所に目星がついてるから」

 

 そこで一之瀬さんとBクラスとは離れることになった。C、Bと来たので次はAクラスの偵察だな。

 

 森の中を歩いて十分ほど、開けた場所に出てその先にあるそれなりの傾斜にぽっかりと空いた洞窟、それがAクラスの拠点なのだが、どうやらビニールを何枚も繋ぎ合わせてカーテンを作って入口を完全に塞いでしまっているようだ。

 

 やっぱり拠点一つ、雰囲気一つとってみてもリーダーの特色というか性格が現れるよな。

 

「ここからじゃ中の様子はわからないわね……」

 

「あまり見せたくないんだろうさ」

 

 何でかは、まぁわからなくはないけど……Dクラスもスポット装置が幾つも並んでいるような状況だし。

 

 ビニールで作ったカーテンに近づいていくと、すぐにこちらに気が付いた生徒がいた。確か船の上でパントマイムを披露した生徒、名前は戸塚弥彦だったか。

 

「なんだお前ら。どこのクラスだ」

 

 あれ、もしかして俺のこと覚えてない? あれだけ迫真のパントマイムだったのに。

 

「偵察に来たのよ、何か問題がある? Aクラスを名乗るからにはさぞ賢い生活をしていると思ったけれど……」

 

 堀北さんの瞳が洞窟を塞ぐビニールのカーテンに向けられる。そして呆れたように溜息を吐く。

 

 姑息なやり方だとでも言わんばかりに。

 

 確かに、豪快さにかけるよね。Aクラスなんだからスポット装置を引きちぎって持って帰るくらいの大胆さを見せて欲しいもんだ。

 

「チッ、不良品の分際で随分と偉そうだなおい」

 

 相手も苛立った様子でこちらを睨んで来る。そんな時だ、カーテンの向こうからAクラスのリーダーが現れたのは。

 

「何をしている。客人を呼んでいいと許可した覚えはないぞ」

 

「葛城さん!! こいつら偵察に来たみたいで、汚い連中です!!」

 

 姿を見せたのはAクラスの現リーダー、そして二大派閥の片割れを率いる男子生徒の名前は葛城。龍園とは色々な意味で正反対の人物である。

 

「別にそれくらい構わないでしょう、ルールで禁止されている訳ではないもの」

 

 そうだ、スポット装置を持って帰るのだってルールで禁止されてないもんな。何も問題はない筈だ。

 

「だったら遠慮せずに中を見てみれば良い。その代わり覚悟はしておくことだ。指一本でも触れた瞬間、俺は他クラスへの妨害行為として学校側に通告する。その結果Dクラスがどうなるかは保証しない」

 

「これは独占行為よ」

 

 凄いな堀北さん、俺というかDクラスがやってることを完全に棚に上げてしまっている。

 

「確かにその通りだ。しかしこれは暗黙のルールのようなものだと俺は考える。お前たちも拠点にあるスポットを占有して半ば独占するように占有地を囲い生活している筈だ。そこに誰かが踏み込み強引な手段を取ったか?」

 

 堂々と、そして力強さを感じる論調だ。安定感のある男という評価は間違いではないんだろう。

 

「この占有スポットをAクラスが押さえた。そしてそこに付随した権利やポイントをAクラスが得る。試験終了までその場所を守り通すことに何の問題がある。確かに独占はしているが決して批判されるようなことではない」

 

「そこまで言うのならば……例えば私たちDクラスが同じようにスポットを独占したとしても、Aクラスは批判しないと判断するけれど?」

 

 なるほどね、そういう言質が欲しかった訳か。

 

「当然だ。何もスポットに限った話ではなく。この島で得た様々な物資や権利にも同じことが言えるだろう。例えば食料を発見して持って帰ったのならば、それは君たちが有する権利がある。それを寄こせと言ったり、ルール違反等と騒ぎ立てるつもりはない」

 

「その言葉、忘れないで頂戴」

 

「二言はない」

 

 スポット装置を持って帰っても彼は批判もしないし騒いだりもしないということだ。だってあれって俺の考えだとトウモロコシとかスイカと大して変わんない物だし、見つけて持って帰ったら俺たちの物だと葛城は認めてくれるらしい。とても懐の深い人物である。

 

「行きましょ、笹凪くん」

 

「あぁ、わかった」

 

「ん? お前が笹凪か?」

 

「そうだけど、その反応だと俺を知っているのかい?」

 

「色々と噂は聞いている。今年度の主席入学者だからな……それと、変わり者だとも」

 

「そんなことはないと思うけど……どんな噂を聞いたのかな?」

 

「……屋上から飛び降りたと聞いたが」

 

 うん、飛び降りたね。やっぱりその辺の噂ってちゃんと広まってるのか。会長からも釘を刺されたからな。

 

「あんまり噂は気にしないでくれ」

 

「そうだな、根も葉もない噂だ。気にするだけ無駄だろう」

 

 根も葉もあるし、何だったらしっかり火もあるからがっつり煙も出るんだよな。

 

「それじゃあ俺たちはもう行くよ、厳しい試験だけどお互いに頑張ろう」

 

「あぁ、そちらの健闘を期待している」

 

 彼は俺がスポット装置を引っこ抜いてると知ればどんな顔をするんだろうか? ちょっと見てみたくはある。

 

 Aクラスの拠点から離れて再び森の中に戻っていく。隣にいる堀北さんは少しだけ緊張を解して疲れた様子を見せていた。

 

「これで言質は取れた」

 

「ん、良い論調だと思うよ。これでAクラスが何を言って来たって、お前たちも同じことしてるだろって言い返せる」

 

 実際は全く同じではないけどね。でも葛城はスポットの独占は当然の権利だって主張だから、俺たちだって同じことをするだけだ……DクラスとAクラスで違う所があるとすれば、それはスポットの数と距離が違うことだけである。

 

 うん、何も問題は無いな。

 

 だから新しく発見したスポットも持って帰るとしよう。

 

「堀北さん、新しいスポットがあったよ。アレも持って帰ろう」

 

 帰り道の途中で発見したスポットは木々に隠されて巧妙にカモフラージュされていたが、人の手が入っているのがよく観察すれば簡単に見抜けた。見つけてみろとでも言わんばかりの配置だ。

 

「Aクラスも認めてくれたことだし、何も問題はないわね」

 

 あ、ちょっと堀北さんが嘲笑うような意地悪な顔をしている。珍しい表情だな。

 

「そうそう。スポットの独占、これは彼も認めてくれた正当な権利なんだ」

 

 なので俺はそのスポット装置を引っこ抜くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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サバイバル試験 7

ヤバい、そろそろストックが底を付く。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日目の夜。相変わらず俺は伊吹さんと他クラスからの工作員を警戒して不寝番をしていた。

 

 篝火を前にして丸太の椅子に座り。昼の間に見つけたいい感じの石を手に持ち、今日も美術的活動で夜を過ごそうと思っている。

 

 体と脳は半分寝かせている状態だ。昨晩とは反対側を。

 

「……」

 

 カリカリと指で石を加工しているのを同じ丸太に座って眺めているのは清隆である。どうした訳か彼は疲れたような顔で俺を見つめていた。

 

「なかなか上手いもんだろ?」

 

「そうだな……せめて彫刻刀でも使ってくれてたら、突っ込みどころも無かったんだが」

 

「師匠が言ってたんだけど、人の指は万能の武器らしいよ。どんな場所にも持ち込めて切ることも突くことも砕くこともできるから、扱いやすいって……彫刻刀の代わり程度にはなるさ」

 

「……もう何も言うまい」

 

 ここ最近、清隆のこういった顔をよく見るようになったと思う。親しくなったってことなんだろうな。

 

 次に彼の視線は篝火の前に置かれた狐に移る。昨晩に彫ったそれは別に意識した訳ではないのだが、雄っぽい雰囲気になってしまったので、今彫っているこの石は雌っぽい雰囲気にしようとしている。

 

「せっかくだし二つ並べて神社みたいな感じにしたいな。最終日辺りには祠なんかが出来ていれば嬉しい」

 

「今が試験中だってわかってるのか?」

 

「夜の間は暇だから良いじゃないか」

 

「寝ればいいだろ」

 

「伊吹さんがいるし無理かな……でも大丈夫だよ、頭と体の半分は寝かせてるから、毎晩交互にそれを繰り返せば実質熟睡だ」

 

「偶に、俺と天武の会話が噛み合わなくなるな……」

 

 そうだろうか? 寝れば良いと言われたから半分寝てるって答えただけなのに。

 

「そうだ、伊吹さんはどんな感じだった?」

 

「昼の間に大っぴらに動くようなことはしないだろう。実際、大人しいもんだった」

 

「そりゃそうか」

 

「ただ伊吹を保護した場所を調べてたんだが、目印を発見して、その真下を掘ってみると無線機が出て来たぞ」

 

「へぇ、クラスから追い出された子がね」

 

「あぁ。それと鞄の中にはカメラもあった」

 

「わかってはいたことだけど、これで確定かな」

 

「だろうな……Bクラスにも同じような生徒がいたんだろ?」

 

「ん、一之瀬さんもスパイだってわかった上で受け入れてたね」

 

 俺と堀北さんが昼の間に他所のクラスに偵察してきた内容と印象はもう清隆にも伝えてある。特にCクラスの様子には感心した様子も見られた。

 

「龍園は面白い男だと思わないかい?」

 

「否定はしない」

 

「少し清隆と似た所もあるよね」

 

「オレと?」

 

「あぁ、枠に囚われない発想を出す所とかさ。リーダー変更作戦とか、ゼロポイント作戦とか……ルールの裏やグレーゾーンを上手く利用する感じとか特に」

 

「スポット装置を引っこ抜いて試験を越えようとしているお前に言われてもな」

 

「俺のは王道な攻略方法だろ」

 

 清隆がその言葉に「どこがッ!?」とでも言いたそうな顔をする。もしかしたら俺は彼から非常識な男と思われているのかもしれない。

 

「まぁ龍園の考えはわかる、要はリーダー当てに最初から焦点を向けたんだろうしね。来るとわかっていればどうにでもできる。無線機なんて用意するくらいなんだ、島に潜んで首を長くしながら報告を待ってるんだろうさ」

 

「あぁ、だから問題なのはAクラスの方だろう……もしCクラスがリタイアするのならば、その物資はそちらに流れて行く筈だ」

 

「龍園はどんな条件にしたと思う?」

 

「おそらくプライベートポイントだろうな。具体的な金額まではわからないが」

 

「もしリーダー当てに失敗したとしても、しっかり保険となる利益を残しておくんだから、油断できない相手だよ」

 

「そうだな……確かに、面白い相手だ」

 

 伊吹さんに関しては俺がここで不寝番をしていればほぼ封殺できるだろう。昼間に馬鹿な真似をしないとも言い切れないけど、その場合は必ず工作員だとバレるはずだ。人の目も沢山あるから。

 

「ようやく、この試験の着地点が見えてきた感じだね」

 

「Aクラスに関してはある程度の花を持たせる感じで行くんだろ?」

 

「勝ち過ぎず、負け過ぎずな感じが理想かな、派閥争いは一日でも長く続けて欲しい……とは言え今回は下手したら清隆の退学もかかってるからな、一位は絶対に譲れない」

 

「わかった、できるかどうかはわからないが、その方向で行こう」

 

「深く考える必要もないさ。無理そうならそれはそれで良いんだから」

 

 今の流れのままだとAクラスのリーダーは指名しないことになるかもしれない。あちらが指名して玉砕することも考えられるが、なんであれ葛城の立場を追い込み過ぎても困るのだ。

 

 一年生で最も総合力が高い集団がAクラスである。そんなクラスが真っ二つになっているのならば、これほど嬉しい状況もないだろう。一日でも長く身内で足を引っ張り合ってもらいたい。

 

 その間は他所のクラスに関わっている時間も余裕もないだろうし、一之瀬さんはその性格上、強引な手段はとってこないだろう。暫くの間は龍園だけに集中していられる状況が好ましい。

 

「Cクラスのリーダーは龍園だろうな、彼の近くにも無線機があったしね……今頃茂みの奥で目を光らせてるのか……或いはAクラスの拠点で保護されてる可能性もあるのか」

 

「協力関係を結んでいるんだ、否定はできないだろうな」

 

 まぁそれならそれで別に構わない。この試験の着地点はもう見えているからだ。

 

「明日以降もスポットの回収を頑張ってくれ」

 

「そうしたいけど、わかりやすい場所は殆ど回収できたし、他所のクラスが占有している物まではさすがに持っていけない……わかり辛い場所にある隠しスポットみたいなのがあれば良いんだけど、或いは他所のクラスの占有が切れた段階で横から掻っ攫うとか」

 

 Aクラスの偵察帰りに見つけたあのスポットみたいなものがまだあれば良いんだけどな。

 

「スポット回収と並行して食料の確保も行うよ。微々たるものだけど一食浮けばそれだけ有利になるだろう」

 

「そうだな」

 

 狙いはやっぱり海とかかな、ざっと島を見渡した感じ獣はいなかったから、必然的に魚を取ることになるだろう。

 

「クジラでもいれば良いんだけどね」

 

 もし確保できれば食糧問題が一気に解決することになる。

 

「いたとして……狩れるのか?」

 

「さすがに無理か、普通の魚で満足しとくよ」

 

 師匠ならクジラでも象でも色々と毟り取って終わりなんだけどな。

 

「そうしてくれ、さすがにクジラまで仕留められると、どう反応していいかわからなくなる」

 

 やっぱり清隆の中で俺は非常識な奴という評価になっているんだろうか?

 

 親しくなっているのは間違いないのだろう。こうして夜中に今後のことや方針を語り合える関係というのは相棒みたいで悪くない。

 

 せっかくなので話をする間、清隆にも芸術的活動を手伝って貰おう。俺が石を割り砕いて作った石器の刃物を渡して彫刻刀代わりにすると、彼には狐を納める為の祠を作ってもらうことにした。

 

 それほど派手な物でなくていい、簡単で雑な物でいい、試験中の暇な時間を過ごす為の趣味みたいなものだから。

 

 そう伝えると清隆は怪訝そうな顔をしながらも、何だかんだで付き合ってくれるのだった。きっと眠くなったらテントに帰るだろうからそれまでの間は手を貸してくれるらしい。

 

 石器の刃物を使って人間の腕くらいの太さがある枝を加工していく清隆……なんだろうな、彼が芸術的かつ文化的な行動に勤しんでいる姿がどうにも違和感を覚えてしまう。

 

 無表情だから嫌がっているのかどうかもわからない。でも文句は言わないので不満という訳でもないのだろう。

 

 黙々と作業している横顔は……う~ん、どうだろうな。もしかしたら楽しんでいるのかもしれない。

 

「二人とも、寝ないのかい?」

 

 そんな俺たちに声をかけてきたのは、テントの中から出て来た平田である。

 

「普段はこの時間に寝ないから、あまり寝付けないんだ」

 

「オレも似たようなもんだ」

 

「そっか……わからなくはないけど、笹凪くんは昨日も寝てなかったよね?」

 

「大丈夫だよ。交互に半分寝させてるから」

 

「……あ、うん」

 

 何故か平田が何とも言えない顔になった。

 

「それに、伊吹さんもいるからな。見張りが一人くらいは必要だろう」

 

「伊吹さんか……やっぱりスパイだって警戒しているのかい?」

 

 平田は篝火を間に挟んで俺と反対側にある丸太に腰かけた。

 

「この状況で他所のクラスの生徒がいるんだ。疑わない方がおかしいよ」

 

「……そうだね」

 

 平田としても当然ながらそういった考えがあったのだろう。それでも受け入れると決めたのは彼なりの良心なのかもしれない。俺も似たような考えなので否定はできないな。

 

「彼女に関してはこっちに任せて欲しい。上手くやるからさ」

 

「うん、わかった。でも無理はしないで欲しい。笹凪くんはこのクラスの柱みたいな人なんだから、倒れてしまうと大変なことになってしまうよ」

 

「褒められて嬉しくはあるが、そこまで大層なものでもないと思うけどね」

 

「そんなことはないさ。君がいてくれたからこそ、ここまで上手くこのクラスは回っているんだと思う。僕だけだともっと混乱していただろうから」

 

 前から思っていたが、平田は少しだけ遠慮が過ぎるというか、自信がないようにも思える時がある。常に配慮を欠かさない男であるし、総合的な能力も高いので、もっと力強く振る舞うこともできる筈だが、それをしない。

 

「笹凪くんがやったスポット回収作戦。最初は驚いたけど、そのおかげでクラスメイトには大きな余裕やゆとりが出来たんだと思うんだ。皆、いきなり無人島で生活しろって言われて不安だった筈だ。でも上手く乗り越えられる道筋を最短で示してくれたんだから、とても助かったと思ってる」

 

「あまり褒められると照れて来るが、悪い気はしないものだね」

 

 少しだけおちゃらけてそう言うと、平田はクスッと爽やかに笑って見せた。

 

「……ところで、さっきから気になってたんだけど、二人は何をしているんだい?」

 

「文化的活動だよ。夜は暇だから」

 

 俺は石を毟って狐の形に、清隆は木を石器で加工して祠に、そんな役割分担である。

 

 平田は試験中なのに何をしてるんだと言いたそうな顔になったが、それをグッと呑みこんで心の奥底にしまったらしい。

 

「あまり無理はしないようにね」

 

「任せてくれ。何も大規模に作ろうって訳じゃないんだ。ちょっと暇つぶしの延長だから、そこまで拘ったりしないさ」

 

「う、うん、なら大丈夫だね」

 

 さすがは平田、配慮の行き届いた男である。でも大丈夫なんだ、一週間くらいなら交互に体を眠らして越えることができるから、正直あまり疲れたりはしない。

 

 俺が指先で石を狐の形に変えていく光景を眺めている平田は、何とも言えない絶妙な顔になっており、眉間に寄った皺を解すように摘まみながら丸太の椅子から立ち上がった。

 

「僕はもう寝るよ」

 

「おやすみ、良い夜を」

 

「うん、おやすみ」

 

 もしかしたら平田は感謝を伝えたかったのかもしれないな。律儀な男である。

 

「清隆も眠くなったら休んで良いからな」

 

「あぁ、そうする……だがもうちょっと続けようと思う。どうにも納得できない部分があってな」

 

 石器で木材を加工して祠用の骨組みを作っている清隆であるが、意外にも変なこだわりを見せて来る。

 

 俺が思っていたよりも芸術肌な人間なのだろうか? 何かに集中してこだわっている清隆は珍しいので見ていて面白い。

 

 特別試験の最中に一体何をやっているんだと言われてしまえば、俺は何も言い返すことができないだろう。

 

「意外に凝り性なんだな」

 

「そうなのかもしれん。こういうのは初めてだから興味深くもある」

 

「彫刻とか絵画とかしたことなかったのか?」

 

「知識として知ってはいる。教養の一つとしても理解している……だがそこまで造詣が深い訳でもない」

 

 もし美術のテストとかがあったとしたら、きっと清隆は満点を取れるのだろう。だがそれが作品を作る類のものだったりするとまた違う結果になるのかもしれない。

 

 知識として知っていることと、芸術に精通していることはまた違うということだ。

 

 どれだけ頭が良くても、百年先まで残るような作品を作れる訳ではない。そういうことなんだろう。

 

 天才とはなんだろうか……まぁ別に天才芸術家を作りたい訳ではないんだろうけど。

 

 そう考えると清隆はとても歪な人間に見えるな。作品を作る経験と才能と、美術に対する知識が吊り合っていない、そんな評価に落ち着くことになる。

 

 ホワイトルームか……俺が言うのもなんだが、歪な空間に思えてしまうな。

 

 百年先の未来だけが天才か否かを証明することができると俺は思っている。だというのに彼らは天才を作ろうとしている。

 

 未来の話は俺の個人的な見解であり考えでしかないから、きっと他人には受け入れ辛い考え方なのかもしれない。

 

 隣で黙々と作業する清隆を眺める。どこか機械的にも見える彼だが、少しだけ楽しそうにも見えるな。

 

 いつか彼にも情熱を傾けられる趣味のようなものが見つかるのだろうか?

 

 もしそんな何かが見つかれば、百年先の未来の教科書に清隆の名前が載るのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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サバイバル試験 8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三日目、四日目、そして五日目も特に大きな問題も無く進んだと思う。探索班の頑張りで食料は充実、拠点は何も問題は無し、何よりスポットの独占で大量ポイントが確保できるんだという安心感と余裕が、クラスメイトたちに良い影響を与えたらしい。

 

 その頃になると拠点は完成している、島だって大半が探索済みになる。つまり生徒たちの多くが暇になってしまう訳だ。

 

 川で泳いだりする者もいれば、昼寝をする者もいる。そしてそれを咎めるような人もいない。やるべきことは既に終わっているからだ。

 

 トウモロコシも取り尽くし、スイカだって同じ、どれだけ掘り起こしても芋一つ出てこない、地図だって完成して、本当にやることがない状態だった。

 

 後は節約しつつ試験の終了を待つだけ、そんな雰囲気が広がるのも仕方がないんだろう。

 

 俺がその間にやったことと言えば、巧妙にカモフラージュされていたスポット装置を見つけて引っこ抜いたり、Aクラスがスポットの更新をする前に一時的にフリーになったスポット装置を持って帰ったりだ。他にも引っこ抜いたり、引きちぎったり、壁から取り外したり、後は海辺で魚を確保したり、クラスメイトに誘われて一緒に遊んだりと似たような感じである。そして夜になれば暇つぶしの文化活動に勤しむ。

 

 嬉しい誤算だったのは、試験開始直後は十個くらいを集めることを目標としていたのだが、それ以上の数を集められたことだろうか。

 

 多分、この島に設置されたスポット装置は九割以上がDクラスが独占しているんじゃないだろうか。

 

 暇つぶしの文化的活動も順調である。夜を越える度に狐が増えていく。クラスメイトたちは朝起きる度に数が増えてる狐を見て少し怖がっているようにも思えたが、縁起物なのでそこは喜んで欲しい。ついでに清隆に製作を頼んだこぢんまりとした祠も完成間近であった。

 

 試験が終わって帰る頃には、良い感じになっているんだろうな。

 

 因みに龍園だが、やはり島に潜伏していたと清隆が報告してきた。どうやら一人で偵察に出て彼を発見して速やかに帰って来たらしい。清隆こそNINJAなのかもしれない。

 

 無線機片手にスパイからの報告を待ちわびている龍園を憐れむしかないだろう。もうこの試験の着地点や終わらせ方は決まっているのだから、彼の執念は空振ることになる。

 

 何も問題は無い。ぶっちゃけ清隆の作戦と俺の作戦が組み合わされば無敵の状態だった。

 

 大量ポイントを得られるのは間違いないし、最後の最後でリタイアさせてしまえばリーダーが看破されることもない。つまりスポット回収作戦で得たボーナスポイントが吹き飛ぶ心配もないのだ。

 

 龍園は今頃干からびているかもしれないな。いや、Aクラスに保護されている場合は思っていた以上に寛いでいる可能性もあるのか?

 

 既にこの試験をどう乗り越えるかではなく、どう終わらせるかを考えているのがこちら側である。その時点でもう勝敗はついているのだ。

 

 色々と考えられることも多いので迷い所だろう。清隆と相談してAクラスに多少の花を持たせつつ……どうして彼らを介護する方向性になっているんだろうか、Aクラスは敵なのに。

 

「なぁ……ちょっと話があるんだけど、良いか?」

 

 どう着地させるかを考えている六日目の夜。つまりは明日の点呼で試験は終わりとなる最後の夜だ。俺は相変わらず石を削って狐を作っており、その隣で清隆がどこか満足気な顔でこぢんまりとした祠を眺めている時に、とうとう伊吹さんが動き出す。

 

 四日目や五日目辺りでかなり焦った様子を見せていた伊吹さんだが、遂に最後の夜となったことで後が無くなって動き出すことを決めたのだろう。

 

 昼間は人目があってなかなか動けない。でも夜は俺が不寝番をしているので動けない。せっかくスパイとして潜入したのに何一つ動けないまま最後の夜である。盛大に焦っているのが伝わって来た。

 

「伊吹さん……どうかしたのかい?」

 

「えっと……できれば、二人で話したい」

 

 彼女の視線は満足そうに祠を眺めている清隆に向いている。

 

「あ~……邪魔か?」

 

「どうやら俺と二人で話したいらしい。清隆、すまないが」

 

「わかった、俺はもう寝るよ」

 

 彼と視線が結び合う。こちらの意思や思惑は伝わったのだろう。清隆は頷いてこの場から離れていく。

 

「どうぞ、座って」

 

「あぁ……」

 

 清隆が去ったことで伊吹さんは俺の正面にある丸太に腰かける。

 

「それで、話ってなにかな?」

 

「……」

 

 伊吹さんは無言だ。視線は忙しそうに右往左往しており、最終的に迷いながら篝火の向こうにいた俺と視線が結び合った。

 

「その……」

 

 とても言い辛そうに、それでも言葉にするしかないのが彼女の状況だ。

 

「私はさ……スパイなんだ」

 

「そうなのか」

 

「驚かないんだな?」

 

「別におかしなことでもないしね。この状況で他クラスの人がいればどんな人だって一度はそう考える……疑問なのはどうして今、それを打ち明けたかってことだ」

 

「……」

 

「当ててあげようか? せっかく潜入したのに何もできないまま最後の夜になって、焦ってるんだろう?」

 

「ッ……」

 

 彼女の視線が鋭くなる。こちらを射貫くかのように。

 

「最初から、全部わかって……だから一度も寝なかったのか」

 

「そうだね。ただ別に伊吹さんがいなくても俺は寝なかったよ。他所のクラスから工作員が来るかもしれないからさ」

 

「滅茶苦茶だな、アンタ」

 

「俺にできる範囲で最善を尽くしているだけだ……知りたいのはそんなことじゃないんだろ。伊吹さんは何が知りたいんだい?」

 

「……リーダーを教えて欲しい」

 

「無茶を言う」

 

「アンタは龍園がどんな男か知ってるだろ? 何も成果が上げられないと……私はきっと」

 

 そこで伊吹さんは視線を下げて打ちひしがれた雰囲気を見せて来る。

 

 

 

 なるほど、俺をお人好しと判断して泣き落としに出てきたか。いや、もうそれ以外にできることが無いのかもしれない。大胆なのか雑なのかよくわからない作戦だった。けれどこれは朝も夜も監視の目が絶えない彼女にできる唯一の手段とも言えるのだろう。

 

 

 

 

「きっと、酷いことされる……絶対に……だから、助けてほしい」

 

「……」

 

 おそらく本音が半分、同時に策略半分の発言なんだろうな。

 

 伊吹さんのCクラスでの立ち位置や龍園との距離感はハッキリとわからないし、このスパイ作戦に彼女が納得しているのかもわからないが、絶対に協力しないと言わずに手伝っているのは事実だ。

 

 内心ではふざけんなと思っているのかもしれないが、冷静な部分では賛同もしている、そんな所だろうか。

 

「やれやれ、女性にそんな顔されると、辛いものがあるな」

 

「なら……教えてくれるのか?」

 

「さてね。その前に色々訊いてみたいことがある。例えば伊吹さんは誰がリーダーだと思うんだい?」

 

「平田か、櫛田、アンタか堀北……後は、名前は知らないけど、アンタとよく一緒にいる男子」

 

「なるほど、五分の一にまで絞れてる訳か……博打をするには心許ない数字だ」

 

「あぁ」

 

 スポットを更新する時はクラスメイトで壁を作り、その中に今言ったメンバーが必ず入る形だったので、そこまで絞り込めるのは不思議なことでもないな。

 

 でもそれ以上を詰めることができないまま最終日の夜だ。泣き落としに出てくるのもわからなくはない。

 

 もし俺が眠っていたら色々な妨害行動に出ていたのだろうか、だが一度も熟睡しなかったので動きたくても動けなかったらしい。

 

「……」

 

「……」

 

 俺と伊吹さんの視線が篝火を挟んで結び合う。ここで教えないと言った瞬間に殴り合いでも始まりそうな雰囲気だな。

 

 どうしたもんかな、別にリーダーを明かしてしまうことは問題はないけど。その場合は着地点が大きくズレることになりそうだ。

 

 Aクラスの派閥争いを長引かせたいので、彼らには今回の試験で二位になって欲しい。

 

 だがここで伊吹さんにリーダーを明かした場合、その情報は協力関係にあるAクラスにも流れて葛城はこちらのリーダーを指名してくるだろう。

 

 だがそうなった場合こちらのリーダーは変わっているので彼らは大きなマイナスを受けることになる。どうせ龍園も裏切るだろうから更にマイナスになってしまう。おそらく彼らが初期から保有している270ポイントは全く使っていないので、この時点で170までポイントが下がることになるのだ。

 

 もしここでDクラスがAクラスのリーダーを指名すると更に下がることになる。葛城の立場を維持する為にはそこまで追い込むことはできないけど。

 

 170ポイントか、二位にはなれるか? 一之瀬さん辺りと拮抗しそうな数字だろうか。

 

 うん、こんな感じで良いのかな。二位なら完全な失態とは言えない。多分だけど。

 

 いや、葛城は慎重な男だ。確実にリーダーだと証明できるような証拠でもない限りは指名してこないか?

 

 だとすると、伊吹さんにリーダーであることを明かして、それ以上の情報は与えないのがベストかもしれない。鞄の中にあるカメラで撮影とかされてそれがAクラスに渡ると絶対に指名してくるだろうし。

 

 ここは、葛城の堅実さと慎重さに賭けるとするか。

 

 清隆も、1パーセントでもリーダーが看破されている可能性があるのならば、終了直前にリーダーを変更させることに賛成だろうしね。30ポイントのペナルティなんて今となっては大した損でもないしここは万全に対処すべきだろう。

 

 Aクラスにはこちらのリーダーを指名させない。そしてこちらからはAクラスのリーダを指名して、そこに龍園の指名も合わさってマイナス100ポイントとスポット占有で得たボーナスの全損で二位……ギリギリ擁護できなくはないか?

 

 ここで更にAクラスのリーダー指名失敗が加わればマイナス150ポイントで致命的になるだろうけど、そうなればおそらく三位で終わるだろうな。

 

 

「アンタはその……お人好しって言うか……優しい、男だろ? だから私を、助けてほしい、このままだと……」

 

 

 この子は意外にも演技派なのかもしれない。本当に暴力に怯える感じの雰囲気が上手い。ただ本音は違うんだろうけど。

 

「ん……確かに、龍園は女性が相手であっても容赦はしないかもね」

 

「……なら」

 

「俺としても、こんなことで理不尽な暴力を振るわれる君を見たくはない」

 

「良いのか?」

 

 少し驚いた様子の伊吹さん。もしかしたら彼女自身もこんな泣き落としが通じるとは思っていなかったのかもしれない。本当に最後の最後にとっておいた無茶な作戦みたいな位置付けなんだろうか。

 

「良くはない、でも君が困るんだろ?」

 

「あぁ……」

 

「なら、助けるさ」

 

「お人好しだな、ほんとに……」

 

「あぁ、お人好しさ……でもその方が、カッコいいだろ」

 

 龍園が女性が相手であっても容赦しないのは事実だし、伊吹さんが成果を上げられない場合は制裁されてしまう可能性も完全には否定できない。

 

 そして俺が彼女の立場や身を案じているのも、嘘偽りない事実だ。スパイであるかどうか、この泣き落としが本音であるかどうかはあまり関係が無い。

 

 だからここは、伊吹さんではなく龍園の判断ミスという形に落ち着かせるとしよう。

 

「Dクラスのリーダーは堀北さんだ」

 

「……」

 

「でも提示できる証拠は何もない。彼女がカードキーを管理しているからね。俺の言葉だけだ」

 

「嘘じゃないんだな?」

 

「信じるか信じないかは、伊吹さん次第だ……後の判断は他人に任せれば良い。それでCクラスがどうなるのかなんて責任はそいつが背負うものだろう。君は無茶な仕事を押し付けられながらも成果を持ち帰った、それをどうするかは君に関係が無い」

 

「……」

 

 篝火の向こうにいる伊吹さんはかなり悩んでいるようにも見える。さっきまでの泣き落としと言うか、弱った演技はどこにやってしまったんだと言いたくなる様子だ。

 

 やはり写真で残すとかして確かな証拠が欲しいんだろうか? でもそうなったら葛城の失態が致命的になって派閥争いが終わりそうなんだよな。

 

「俺は、君が心配だ……そこに嘘偽りはない」

 

 結び合った視線は途切れてはいない。ただ伊吹さんは俺の言葉と視線にどこか居心地が悪そうにしているようにも見える。

 

「わかった……アンタの言葉が本当かどうかはわからないけど、そう報告する」

 

「因みに誰に報告するんだい? Cクラスは全員がリタイアした筈だ。島に残っているのは君と……Bクラスに保護されていた生徒もいたか、確か金田だったかな?」

 

「あ、あぁ、そいつだ……」

 

「もしかして他にもいる? 誰がリーダーをしてるのかな?」

 

「そこまでは、わからない……私はただ、わかったことがあれば金田に報告しろって言われてるだけだから」

 

「そっか……俺は金田がリーダーかと思ってたんだけど」

 

「アイツは頭が良い……もしかしたらそうなのかもな」

 

 伊吹さんに嘘を付かれてしまった。こっちは素直に教えたのに。ちょっと悲しい。

 

 だがまぁ明日の朝にはこの試験も終わる。伊吹さんには後がないし時間もない、真偽を確かめることもできないのだ。後は龍園に丸投げだろうな。

 

 彼女からの報告を受けて龍園はどんな判断するだろうか? もしかしたら罠と疑って指名してこない可能性もあるだろう。

 

 だが龍園がどんな判断をしてどう行動しようが、リーダーは絶対に終了直後に変更になるので意味が無い。

 

 もう終わり方は決まっているんだ、Dクラスの一位という形で。

 

「その……ありがと」

 

「お気になさらず。女性には優しくするものだって尊敬する人が言っていたから、俺はそうありたいと思ってるだけだ」

 

「変な奴だな」

 

「カッコつけたいお年頃なのさ」

 

 その言葉に伊吹さんが少しだけ笑ってくれた。馬鹿にしたような感じではあったけど好意的な感情も見えたのは気のせいではないだろう。

 

 彼女は腰かけていた丸太から立ち上がってDクラスのベースキャンプを離れていく。おそらく隠した無線機で報告する筈だ。

 

 彼女の気配が完全に森の中に消えた段階で、清隆がこちらに戻って来た。

 

「話は聞いていたのかい?」

 

「ある程度はな」

 

 それなりに距離があった筈だけど、身を隠していた彼にも話の内容は聞こえていたらしい。耳が良いのだろう。

 

「まさかスパイであることを暴露するとはな……」

 

「後が無いんだろう、そして時間もないから、とても焦っている様子だった」

 

「だから泣き落としで同情を誘ったのか……まぁ、一週間も寝ないまま見張りをしている奴がいるんだ、動き辛かっただろうな」

 

「かもしれないね……さて、リーダーの変更はどうしようか? もしかしたら龍園は曖昧な成果だから指名してこないかもしれないけど」

 

「いや、1パーセントでも危険があるのなら変更すべきだ。このまま交代しなかった場合の不安要素とペナルティが大きすぎる」

 

「指名されるとマイナス50ポイントに加えて、スポット回収作戦で得たボーナスポイントも全部無効になっちゃうし、やらない訳にはいかないか」

 

 このリタイアによるリーダーの変更は、相手を勘違いさせて貶めるというよりは、自分たちが稼いだポイントを確定させることの方に重きがあるリタイアなのかもしれないな。

 

「あれだけお前が大量のスポットを独占したんだ。リタイアによるマイナス30ポイント程度は惜しくはない」

 

 やらない場合のリスクが大きすぎて、やった場合はほぼほぼ利益を確定できるんだからな、リタイアさせない理由がない。

 

 やっぱりスポット独占作戦と、リーダー変更作戦のコンボが強すぎだ。他所のクラスが何をどうしようが勝ち目がない。

 

「堀北はそっちで説得してくれ。おそらくオレが言っても納得しない筈だ」

 

「わかった……時間もないからさっそく動こうかな」

 

「宜しく頼む」

 

 清隆はそう言って男子チームのテントに戻っていく。おそらく寝るんだろう。

 

 逆に俺は女子チームのテントに近づいていく。そして少しだけ咳ばらいをして声をかけた。

 

「あ~……夜中に失礼する。誰か起きている人はいるかな?」

 

 時間帯的にはそろそろ皆寝ていてもおかしくはない時刻である。そんな時間に男が訪ねて来ると不安にさせてしまうかもしれないが、必要なことなんだと納得するしかない。

 

「え、笹凪くん? なに、もしかして夜這い?」

 

「おいおい、女子チームのテントには大勢いるだろうに、堂々と夜這いに行く奴がいるものか」

 

「あはは、なにそれ、もし一人だけなら夜這いするみたいに聞こえるけど」

 

「さてね、その時のお楽しみとしておいてくれ」

 

 テントから顔を出したのは松下さんであった。他にもモゾモゾと動く気配があるので何名かは起きていたらしい。もしかしたらお喋りでもしていたのだろうか。

 

「それで、どうしたの?」

 

「悪いんだけど堀北さんを呼んでもらえないだろうか? とても重要な話があるんだ」

 

「告白するんなら時と場所を考えた方が良いんじゃない?」

 

「もちろんそうするとも……だけど今は告白云々じゃなくて、この特別試験を乗り越える為に重要な相談を彼女としたいんだ」

 

「わかった。堀北さん、笹凪くんが呼んでるよ」

 

「そのようね」

 

 どうやら堀北さんも起きていたらしい。テントから姿を現した。

 

「試験のことで相談……一体何かしら?」

 

「色々と説明するよ、まずは――――」

 

 そこから俺はこれまでのことを堀北さんに説明していく。主にリーダー変更作戦の重要性と、このままリタイアしなかった場合の危険性を中心に。

 

「そんな訳で、堀北さんにはリタイアして欲しいんだ」

 

「……」

 

 堀北さんは顎に手を当てて考え込む。少しだけ感心しているようにも見えるし、呆れているようにも見えた。

 

「スポット独占作戦といい、こんな作戦まで考えつくなんて……」

 

「いや、このリーダー変更作戦を考えたのは俺じゃなくて、清隆だよ」

 

「綾小路くんが?」

 

「あぁ、面白いこと考えるよ」

 

「……そう、彼が、ね」

 

 多分、彼女の中で清隆の評価はイマイチ定まっていなかったんだろう。テストを全て50点で揃えたりするので変な疑念はあったようだが、今回の件でよりそれが大きくなったようにも思える。

 

「事情はわかったわ、納得もした……確かにリタイアしてリーダーを変えないとリスクが大きいわね。30ポイントのペナルティで利益を確定させましょう」

 

 もしリーダーを指名されてしまうと、スポットの独占で得たボーナスポイントも無効扱いになってしまうからね。

 

 もしかしたら龍園は指名してこないかもしれない。伊吹さんの情報は曖昧だから。けれどそれでもと考えられたら最悪だし、例え情報が曖昧であっても五分の一の運試しをする可能性も否定はできない。

 

 考えたくはないが、一之瀬さん率いるBクラスが秘密裏に偵察を繰り返してこちらのリーダーを看破して指名してくる可能性だって、決してゼロではないのだ。

 

 だからどんな展開だろうとリーダーのリタイアは必須だ。指名されないかもしれないではなく、こちらの利益を確定させる為にと考えなきゃ駄目だろう。

 

「あぁ、だからお願いするよ……堀北さん、体調も悪いみたいだし、嘘にもならないしね」

 

「別に、耐えられないほどでもないけれど……」

 

「変に強がらなくて良いさ、熱は……それなりにあるじゃないか」

 

「ちょ、ちょっと……いきなり……ぁ」

 

 堀北さんの額に掌を重ね合わせる。そこから感じ取れる体温は平熱とは言えないものだった。

 

「よく頑張ったね、君は凄い人だ。体調が悪いのにしっかりとクラスの為に働いたんだ、誰も責めたりしないさ」

 

「ば、バカ……は、離しなさい……いつまで触ってるつもりなのよ、もう」

 

 前から思ってたんだけど、堀北さんは褒めて伸ばした方が良いんじゃないかな? 生徒会長は接し方を間違えていた疑惑がある。

 

 体温を測っていた掌を離して彼女と距離を取る。睨むでもなく怒るでもなく、羞恥に頬を染める彼女を見ていると、思わず笑みがこぼれてしまった。

 

「行こうか。森の中を一人で歩かせる訳にもいかないし、船まで送っていくよ」

 

「……えぇ、お願いするわ」

 

 こうして俺たちDクラスの特別試験は終わることになる。後は結果発表を待つだけとなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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結果発表

ストックが完全に切れてしまった。投稿頻度が落ちるかもしれません。


 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは、お世話になったことに感謝して、礼」

 

 いよいよ試験最後の朝、つまりこの点呼で試験は終わりである。生徒たちは海岸に呼ばれておりそこで結果発表となるだろう。

 

 Dクラスの前に置かれているのはミニチュアサイズの神社である。清隆だけでなく暇してそうな奴らに声をかけて作り上げたそれは、なんの器具もないこの無人島で作ったにしては中々の出来であった。

 

 祠の正面には幾匹かの狐が並んでおり、鳥居だって作った。まさに小さな神社という感じである。

 

 作っている内に変な愛着が湧いて来たもので、こうして別れの時が来ると寂しいものがあるな。

 

 手伝ってくれた清隆もどこか寂し気である。神妙な顔つきで両手を合わせている。機械のような男が祈る姿勢をするのはどこか違和感があったが、これはこれで良い傾向なのかもしれない。

 

 Dクラスはミニチュアサイズの神社に背を向けて、この試験を終えることになる。

 

 

 茶柱先生だけは、そんな俺たちを奇妙なものでも見たかのような目で眺めているのだった。お前たちは試験中に何をやっているんだとでも言いたげな顔である。

 

 

 長いようで短かった無人島での特別試験も遂に終わりを迎えることになる。最終日の夜を超えて点呼の時が訪れたことでようやく生徒たちは緊張を完全に解くことができただろう。

 

 俺だってその一人だ。豪華客船の中にあるフカフカのベッドで休みたい。体と脳を半分ずつとかじゃなくて。

 

 食事だってしっかりした物が欲しい。カロリーメイトと野菜と魚だけでなく、がっつりと肉が欲しいな。

 

「流石に、皆疲労が濃いようだね」

 

「それはそうだよ、過酷な試験だったから」

 

「平田もお疲れさま、大変だったろう?」

 

「笹凪くん程じゃないさ。そして改めてお礼を言わせて欲しい、君がいなければここまで穏やかに結果を聞けなかったと思うから」

 

「褒めてくれるのは嬉しいな、鼻が長くなってしまう」

 

 試験を終えて点呼が完了すると、いよいよ結果発表となる。今、この海岸には一年生全てが集められていた。

 

 Dクラスは勿論のこと、他のクラスも勢ぞろいで結果を待ちわびている状態だった。

 

「堀北さんとも一緒に結果を聞きたかったんだけどね」

 

「仕方がないさ、彼女のリタイアは利確させる為に絶対に必要だったから」

 

「その辺の事情はクラスの皆が納得してる。責める人はいないと思うよ」

 

 この海岸に来る前に、クラスメイトたちには堀北さんのリタイアとその理由、そして必要性を説明している。誰もが納得した様子であったので心配はいらないだろう。

 

「それにしても……Cクラスは異常だね、別次元だ」

 

 大半の生徒が既に船の上だろうからな。

 

「どうして龍園くんだけはリタイアしてなかったんだろう?」

 

「彼は基本的に人は信用しないからな、指示だけだして船の上では不安で一杯だったんだろう」

 

「あはは、かもしれないね」

 

 その龍園は少し離れた位置でこっちを睨みつけている。あの表情だけでは伊吹さんから報告された曖昧な情報だけでDクラスのリーダー指名をしたのか判断できないな。

 

 だがニヤニヤした表情でこちらに近寄って来て煽ってこない辺り、彼も結果を完全には読み切れていないのかもしれない。

 

『これより特別試験の結果を発表する』

 

 さて龍園の計算が外れるのか否か、そんなことを考えていると、真嶋先生が拡声器を使っていよいよ結果を教えてくれるらしい。

 

『そのままリラックスしてくれて構わない……どうした葛城?』

 

 だがそれに待ったをかける生徒がいた。それはAクラスのリーダーである葛城であった。

 

 彼は申し立てたい意義があるかのように高く手を伸ばし、視線だけは俺を見つめている。何かしらケチを付けたいんだろうか?

 

「真嶋先生、割り込んでしまいすいません。しかし試験が完全に終了する前に一つだけ提議したいことがあります」

 

『葛城、それはなんだ?』

 

「Dクラスの不正疑惑についてです」

 

 浜辺に集まった生徒たちが葛城のその発言にザワザワとうろたえて、多くの視線がDクラスに集まって来る。

 

 仕方がない、前に出るか。

 

「不正疑惑と言ったな、それはどういったものなのかな?」

 

「お前たちDクラスはスポット装置を確保して場所を移動させていた、そうだな?」

 

 当然ながら葛城もこちらの作戦は理解していただろうな。占有が切り替わるタイミングでフリーになったスポットを引っこ抜いたりしていたから。

 

「あぁ、確かに。しかし君はスポットの独占は正当な権利だと言ったような気がするけど? その言葉を翻すのかな?」

 

「二言はない、そこは変わらない。だが装置を持ち去った方法に関しては疑惑がある」

 

「ふむ、具体的には?」

 

「スポット装置の多くが移動させられないようにしっかりと固定されていた。岩や壁にはめ込まれていたり、ボルトナットや鎖で固定されていたりと様々だが、簡単に動かすことはできないようになっていた……専用の工具でもない限りは不可能だ」

 

「つまり、君は俺たちが違法な手段で工具類を島に持ち込んだと言いたいのかな?」

 

「その通りだ」

 

「島に入る前に身体検査はしたと思うけど」

 

「だが、そうでなければスポットの回収は不可能だ」

 

 ふむ、どうしたものだろうか? 素手で引っこ抜いたと説明して彼が納得してくれるとは思えない。

 

 ザワザワと海岸に集まった生徒たちの動揺が聞こえて来る。葛城の主張である私物の持ち込みによるスポットの回収という言葉は、一定の影響を与えたらしい。

 

 素手で引っこ抜いたんだけど、それで納得してくれないだろうか。

 

 或いは彼の中にも焦りがあるのかもしれないな。Cクラスとの共闘でこの試験を圧倒的な大差で乗り越えられると考えていた葛城は、こちらの作戦に驚き動揺しているのかもしれない。

 

 ケチ付けるだけならばタダ、それで上手くいけば儲けもの、そう考えると俺が彼の立場でも同じことを言うのかもしれないな。

 

「ええっと、工具類は持ち込んでない。全部素手で引っこ抜いたからさ」

 

「こちらは真面目な話をしているんだが?」

 

「こっちも真面目な話をしているよ」

 

 別にふざけてないし嘘も付いていない。煽ってもいなければ馬鹿にしてる訳でもない。

 

「あぁ確かにな、もしそんなことをしてたんなら、ルール違反になるだろうよ」

 

「おい龍園、乗っかってくるんじゃない。変な悪あがきは止めるんだ」

 

 ここでゴネた所で結果は変わらないだろうに、それとも1パーセントでもこちらにルール違反のペナルティを押し付けられたら御の字とでも思ってるのか?

 

「はぁ……葛城、君はどうしたいんだい?」

 

「Aクラスは、Dクラスが違法な工具を持ち込んだものとして学校側に提議するつもりだ」

 

「やれやれ、どう証明したもんかな……別に悪いことはしてないのに裁判にでもかけられてる気分だ」

 

 もしこのまま葛城の主張が押し通されたとしよう、可能性は低いだろうが俺がやったことがルール抵触するのではないかと議論でもされてしまうのは困る。グレーゾーンな行為だという自覚はしっかりとあるからだ。

 

 大丈夫だとは思うけど、もし万が一ペナルティでも与えられて見ろ、これまでの苦労が全部吹っ飛ぶ。

 

 周囲を見渡してみるとザワついている生徒たちの姿と、教員たちが設営したと思われる大きなテントが見えた。

 

 確かあそこにはポイントで購入できる様々な物資が保管されていた筈だ。ならあれがあるだろうか。

 

「茶柱先生、今からポイントで購入したい物があるんですけど、構いませんか?」

 

「……何を購入するつもりだ?」

 

「Dクラスが違法な私物を持ち込んでスポットを回収した訳ではないと証明する為の物です」

 

 確かポイントで買うことのできる物資の中に、キャンプ道具類があった筈だ。その一つにシャベルがあった筈。

 

 それ一つだけならば確か1ポイントで買うことが出来たはず。今更大した出費でもない。

 

 茶柱先生は少し考えた後、問題ないと判断したのか俺が要求したキャンプ用の頑丈なシャベルを持ってきてくれた。

 

 全て金属で作られたシャベルはとても頑丈そうだ。それを受け取った俺はとりあえず、グッと力を込めてくの字に折り曲げる。

 

 そこから更に折り畳んでいき、グネグネと形を変えていく。

 

 最後におにぎりでも握るかのようにギュッと両手で押し込むと、鉄製のシャベルはソフトボールよりも少し大きいくらいのサイズで丸くなるのだった。

 

「はい、これが証明だよ」

 

「……」

 

 丸く固められたシャベルだった物を投げ渡すと、葛城は何とも言えない表情でそれを受け取った。

 

 あれだけザワついていた生徒たちも今は静まり返っている……というかDクラス以外の、この場にいた全員がチベットスナギツネみたいな顔をしていた。

 

「これで文句は出ない筈だ。俺は素手でスポット装置を取り外して持って帰ってたんだ。別に工具を島に持ち込んでた訳じゃない……反論はあるかな?」

 

「……」

 

 葛城は無言である。手に持った丸められたシャベルだった物を見つめながら、いつまでたってもチベットスナギツネから戻ってこない。

 

 どうやら完全論破に成功したらしい。

 

「ないみたいだね……それよりも、他所のクラスにケチ付けるよりも前に。君は自分のクラスをしっかり見た方が良い」

 

「なんだと?」

 

 ようやく葛城は狐から人間に戻って来る。

 

「今回の試験、俺たちは戸塚をリーダーとして指名した」

 

 彼の顔が驚愕で満たされる。何故バレたと百の言葉よりも雄弁に説明してくれていた。

 

「どうやらAクラスの中には、君を陥れたい勢力がいるみたいだね。おかげでとても助かったよ」

 

 必殺、坂柳派に全部の責任を押し付けちゃえ作戦である。これで彼らの対立構造はより深まって足の引っ張り合いを激化させてくれるだろう。

 

「お、お前らッ!? 裏切ったのか!?」

 

 戸塚が俺の言葉に盛大に反応してくれて、坂柳派を糾弾してくれた。こうして見るとAクラスは綺麗に二勢力に分かれているのがよくわかるな。

 

 裏切った、裏切ってない、そんな罵り合いを二つに分かれて言い合うAクラス……というか神室さんって坂柳派なんだな。初めて知ったかも。

 

 まぁ彼らの対立は好都合なのでこのまま放置である。これで今回の試験での失態は葛城一人の責任ではなく裏切り者の存在がいたからだと思われて対立が長引く筈だ。今はそれでいい。

 

「それじゃあ真嶋先生、結果を聞かせてください」

 

「あ、あぁ……わかった」

 

 どうした訳か真嶋先生にまで引かれてしまっている。俺はただ無実の証明をしただけなのに。

 

 でもこれでようやく結果を聞けるだろう。変な悪あがきの声も完全に鳴りを潜めたからな。

 

『えぇ……では、結果発表を行う』

 

 真嶋先生が気を取り直して拡声器を使って生徒全員に聞こえるように声を広げた。

 

『では最下位――――Cクラス、50ポイント』

 

 その発表と共に龍園から舌打ちの音が届く。怒りや苛立ちでない辺り、やはり不確定で不透明な状態だったのか完全には読み切れてはいなかったのだろう。この感じだと龍園はDクラスのリーダーを指名しなかったみたいだな。博打には打って出てこなかったか。

 

 AとBのリーダーを指名して100ポイント、そしてDクラスが龍園をリーダーだと指定したので50ポイントだ。

 

『3位はBクラスの140ポイントだ』

 

 次の発表にBクラスからは落胆とも歓声とも取れる声が広がった。おそらく金田が上手くリーダーを看破したのだろう。予想より少ない数値である。

 

 おそらく龍園はBクラスのリーダーを指名したのだろう。それは正解でボーナスポイントが入っていた筈だが。結局龍園がリーダーだとこちらが指名したのでボーナスポイントは全損である。

 

『2位はAクラス……170ポイント』

 

 またザワつきがAクラスを中心に広がっていく。これは龍園とDクラスがリーダーを指名した結果のマイナス100ポイントだろうな。スポットをどれだけ占有しようがリーダを当てられてしまうと得たボーナスポイントは全て無効になってしまう。わかりやすい。

 

 だから俺たちも終了直前でリタイアさせて利確させる必要があった。

 

『最後に1位はDクラス……』

 

 そこで真嶋先生は言葉を詰まらせる、信じられないとでも言わんばかりに。

 

『……422ポイント』

 

 その瞬間Dクラスから爆発するような歓声が広がった。わかってはいたことだがこうして確定した結果を知れるのは嬉しいものがある。ようやく安心出来たとも言えた。

 

 高円寺と堀北さんのリタイア、そして生活に必要な物資類でかなりの数のポイントを使用したのだが。それを補って余りあるポイントをスポット独占作戦は齎してくれて、トドメとばかりにリーダーの指名によるボーナスを得ることができた結果である。

 

 まさか初期値の300ポイントより大きくなるとは思っていなかったのだろう。でも不思議なことでもない。最終的にスポット装置は当初の予定を上回る十個以上を集められたからだ。回収のタイミングや占有の際の僅かなズレで多少は減るにしても、数の暴力で200ポイント以上は得ることができる計算である。そこにAとCのリーダー指名も加わった結果だ。

 

 もし、こちらのリーダーを当てられていれば、このボーナスポイントが全て無効扱いになっていただろうから、やはり堀北さんをリタイアさせて良かったのだろう。

 

 石橋を叩いて渡った結果がこれなのだから。これが本当に慎重な立ち回りと葛城に言ってやりたい。

 

「わかってはいたことだけど、嬉しいものだね」

 

 俺は平田と拳を重ね合わせる。

 

「やったな……ほら清隆も」

 

「あぁ」

 

 コツン、と拳を軽くぶつけ合う。さすがに彼もいつもの無表情ではなく安堵と嬉しさが読み取れる顔をしていた。

 

「まずは勝利だ……茶柱先生も文句はないだろうさ」

 

「だと良いんだがな」

 

 これで結果が振るわなかったから清隆を退学させるだなんて言い出そうものならば、いよいよこちらも手段を選ばず行動するしかなかった。

 

 歓喜と興奮に満ちるクラスメイトたち。それぞれ不自由な無人島生活を乗り越えて、こうして結果が伴ったのだから、嬉しさも留まる所を知らないだろう。

 

 四月頃に比べると、随分と団結感が出て来たと思う。この特別試験でそれはより深まったのは間違いない。

 

「よぉ」

 

 だがそんな歓喜に水を差す男が一人、龍園である。

 

「ククク、ゴリラ野郎が……随分とまぁやりたい放題してくれたもんだな」

 

「おや、この結果もありえるかもしれないと君は思っていたんじゃないかい?」

 

「まぁな、伊吹がここまで使えないとは思ってなかったぜ」

 

「彼女はよくやっていたよ。ただ俺たちが一枚上手だっただけさ」

 

「ゴリラが何を偉そうに……なぁ一つ聞かせろ」

 

「何かな?」

 

「Dクラスのリーダーは鈴音か?」

 

「そうだよ」

 

「だとしたらお前は伊吹に本当にリーダーを教えていた訳だ、間抜けにもな」

 

「教えても何も問題はなかったからね。堀北さんがこの場にいないのがその答えさ。君がもしかしたら博打で指名してくるかもしれないんだ。そう考えたら30ポイントのマイナスなんて大した数字じゃない」

 

「……なるほどなぁ、正当な理由なくリーダーの変更はできない、だったか。知恵の回るお利口なゴリラじゃねえか」

 

「堀北さんは体調を崩していてね、それは正当な理由になりえるだろう?」

 

 龍園の笑みがますます深まる。どこか蛇を思わせた。

 

「俺たちはもう二日目の段階で、どう勝つかじゃなくどう終わらせるかを考えていた……君が何をどうしようが結果は変わらなかったよ」

 

 俺は船に戻る為に歩き出し、すれ違いざまに龍園の肩を軽く叩く。

 

「お疲れさま。一人で無人島生活は大変だっただろう? 船に戻ってゆっくり休むといい」

 

「良く聞けお利口ゴリラ……お前は俺が潰す。必ずだ。その時が来るまでせいぜい震えていろ」

 

「楽しみにしている」

 

 そこで龍園を置いて船に戻っていく。もうこの場で彼と話すことは何もない。

 

「面倒な奴に目を付けられたみたいだな」

 

 清隆は隣を歩きながらも、振り返って龍園を眺めていた。

 

「いいさ、ライバルと切磋琢磨するのも、高校生あるあるだって師匠が言ってたしね……彼に敵意を向けられるのは不思議と嫌な気分にならないんだ。きっとこれが青春って奴なんだろう。人生に必要な物なんだ」

 

 また一つ、俺は高校生あるあるを経験したということだ。一つ成長したということであった。

 

「いや、それは違うと思うぞ……」

 

 やっぱり師匠は凄い、人生に大切な全てを教えてくれる。俺をジャングルに放り込んで一カ月放置したのも、きっとこういった試験が行われると予期していたからに違いない。師匠は未来を予知していたのだ。

 

 これはもう、全ての道はローマではなく師匠に通じていると言っても過言ではないだろう。

 

 改めて師匠の偉大さを感じ取れる、そんな一週間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。それとストックが完全に無くなったので数日くらいの頻度になるかもです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「熊っぽい」

 

 

 

 

 

 

 Dクラスは個性の集団だと、私こと松下千秋は思う。

 

 ただしそれは良い意味ではなく、悪い意味での言葉だった。

 

 一部の能力が高いのに何かが決定的に足りない人だったり、協調性が皆無であったり、決定的なまでに人付き合いが苦手であったり、そもそも全体的に能力が低かったりと、方向性は様々だと考える。

 

 言ってしまえば規格の合わない歯車の寄せ集めだ。そしてきっと私もその一つなんだろう。

 

 自慢に聞こえるかもしれないが、私は別に馬鹿でもないし運動音痴でもない。傲慢な言い方をすれば優秀な方だとも思っている。

 

 だが天才だなんて自惚れたりはしないし、努力の天才だとも口が裂けても言えない。

 

 結局、どれだけ頑張ろうとも、優秀という物差しで測れてしまうのが私だった。所謂本物には敵わない、そんな人間だと思う。

 

 何もかもを貫いて引きちぎれるような生き方が出来ないのだ。高円寺くんだったり、堀北さんだったり、ああいった存在にはなれない。だから妥協と諦めと共に私は普通であることに心地よさを感じようとしているのかもしれない。

 

 私が通う学校は苛烈で特殊だ。クラス闘争だったり明確な優劣の差だったりと、普通には程遠い場所であるとも思う。

 

 そんな学校で最底辺に位置するDクラスは、悪い意味で個性の集団であり、Aクラスになるのなんて夢のまた夢かと思っていたが、風向きが変わったのは一人の男の子がいたからだ。

 

 笹凪天武くん、ちょっとびっくりする位に存在感のある、不思議で異常な男の子。

 

 カッコいいとは思う。そして綺麗だとも思う。男子にこんなこと言うのはどうかと思うけど、美しい人だね。すれ違えば視線で追いかけてしまうような人は初めて見た。

 

 容姿だけではなく、無視することの出来ない存在感、ああいうのをカリスマと言うんだろうか?

 

 偶に、喉を鳴らしてしまうような存在感を放つ彼は、予想通りというか学年でも有名人となっていく。

 

 クラスの女子の間でも平田くんと並んで人気がある。彼が軽井沢さんと唐突に付き合うことになったことで、今となっては一番人気になったと思う。

 

 女子たちが作る面倒なグループの力関係であったり牽制であったりで抜け駆けするのは難しい。

 

 けれどいい物件なのは間違いない。機会があれば距離を詰めようとする人だって多いはずだ。

 

 同じ年齢の子供っぽい男子とは比べられないくらいに落ち着いていて、勉強も運動も飛びぬけてる、喋っていて楽しいし堅物でもないのでちょっとした冗談だって乗ってくれる。それであの存在感だ、狙わない女子なんていない。

 

 きっと私もその一人なんだと思うけど、恋慕よりは興味の感情が強いかな。

 

 そんな彼がより存在感を放ったのがこの無人島での試験なんだろうね。ルールを聞かされてすぐに滅茶苦茶な作戦を実行したのは正直驚いた。

 

 普通の人はあんな作戦は思いつかない。思いついたとしても実行はしない。実行しようとしてもまず動かせない。それでも彼は押し通したのだからもう感心するしかない。

 

 彼がいればAクラスになるのも不可能じゃない。そんな風に考えてる時点でかなり入れ込んでるのかな。

 

 これが恋慕かどうかわからないけど、強い興味はある。

 

「熊っぽい」

 

 私の隣で佐藤さんがそう呟く。

 

「確かに、熊っぽい」

 

 私もそれに同意した。視線の先にいる笹凪くんを見て。

 

 彼は川に足だけ付けてジッと川底を見つめている。全く身動ぎをしない様子はいっそ非現実的で、マネキンが立っているんじゃないかと勘違いしてしまう程に静かだった。

 

 そんな彼は目にも止まらぬ速度で腕を振りぬく、すると川の中にいたであろう魚が弾き飛ばされて岸に転がっていく。

 

 うん、熊だ。鮭を取ってる熊でしかない。

 

「笹凪くん、調子どう?」

 

「悪くはないよ、ただ川魚だけだとやっぱり数は集まらないね」

 

「まぁそこは仕方ないんじゃない? クラス全員分だと難しいだろうし」

 

「そうだね、このまま粘るより、海の方がまだ数は集められるかもしれないから、そっちに行ってみるよ」

 

「頑張ってね」

 

「あぁ」

 

 穏やかに笑って海に向かう笹凪くん、こんな無人島に放り込まれて殆どの人が不安を感じている筈なのに、彼だけはいつも通り超然としていて落ち着き払っている。

 

 ああいう人を本物と言うのだろうか? 結局は優秀止まりの私にはわからない。

 

 ただAクラスを目指す為の原動力に彼がなれるのは間違いないと考える。彼がこのクラスにいたことはどこのクラスよりも大きな優位性だから。

 

 いつまでも変な意地や諦めに浸かって歯痒い思いをしているよりも、そろそろそっちに力を注ぐべきなのかもしれない。私はこの無人島試験でそう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠曰く、投石は最も原始的な兵器」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この無人島での試験も五日目になり、クラスの皆はこの状況に慣れ始めたと思う。引っ込み思案で臆病な私にできたことは、綾小路くんと一緒にトウモロコシやスイカを運んだことくらいで、特別なことなんて何もできてないけど。

 

 笹凪くんのように、ちょっとよくわからない作戦を考えることもできない、そして運動だって上手くできない私は、トウモロコシを運ぶことしかできないでいた。

 

「ご、ごめんなさい……私も、笹凪くんみたいに、役に立ちたいのに」

 

「佐倉、あまり気にするな。人には向き不向きがある……それと天武と自分を比べるのは止めた方が良い。あれは比較の対象としてはかなり特殊だ。人間とゴリラは違う生き物なんだ」

 

 た、確かに、普通の人はスポット装置を引きちぎったりはしないと思うけど。

 

「それに、佐倉はトウモロコシとか運んでくれた……何もしていないとは言えないだろ」

 

 綾小路くんはそう言って釣竿を振って海に糸を垂らす。

 

 五日目になると島から採れる野菜は殆どなくなってしまったから、魚を釣りたいのかもしれない。

 

 後、ちょっと興味があると綾小路くんは言っていた。あまりそうは見えないけど釣りを楽しんでいるのかな?

 

 そんな彼の隣に座って私も釣竿を振るのだけど、上手くは行かずに釣り針がジャージに引っかかってしまう。ここまでくると運動音痴とかそういう次元じゃないのかもしれない。

 

「大丈夫か?」

 

「ご、ごめんね。えっと、アレ? あれ?」

 

「動くな、オレが取るから」

 

「あ、あ、あ綾小路くんッ!?」

 

 ち、近い、綾小路くんが近いッ!! 指が私に触れてるよ!?

 

 ジャージに引っかかっていた釣り針は彼が取ってくれたけど。心臓が痛い位に激しく動いている。ちょっと息も苦しい。

 

「ほら、取れたぞ」

 

「あ、ありがとう……」

 

 こんなにドキドキしてるのはきっと私だけなのかな? 綾小路くんはいつも通り落ち着いてる。

 

 彼はとても大人びた人なので、慌てている様子も想像できない。

 

 いつか綾小路くんのそんな顔を見れる日がくるのかもしれない。それは今じゃないんだろうけど。

 

「おや、清隆に佐倉さんじゃないか? 釣果はどうだい?」

 

 気になる男の子との距離感に悩んでいると、海岸に笹凪くんがやってくる。偶に凄く怖い雰囲気を発する人だけど、本当は凄く優しい男の子だって知っている。今も穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「全く振るわないな。こういうのを坊主と言うのかもしれない」

 

「そんな時もあるさ。別に食料が足りない訳でもないから、気長にやりなよ」

 

「あぁ、そうしよう」

 

「佐倉さんも、無理する必要はないからね?」

 

「う、うん……」

 

 笹凪くんはまた穏やかに笑って、海岸で隆起していた岩石に手を伸ばしていく。

 

「天武も魚を取りに来たのか?」

 

「ん……新しいスポット装置も見当たらなかったからね、川よりはこっちの方が取れそうだし」

 

「そうか……それで、釣竿は使わないのか?」

 

「あぁ、魚はこうやって取るんだって師匠が教えてくれたんだ」

 

 笹凪くんは手を伸ばした大きな岩石の一部を毟り取ってしまう……え?

 

 そのまま握りしめた岩を両手で握って細かく砕いていくと、ゴルフボール位の大きさの石に変えてしまう……え?

 

 何度か掌で転がしていくと、その石は尖った部分が無くなっていった……あれ?

 

「ん……割と浅瀬にもデカめの魚がいるみたいだな」

 

 最後に笹凪くんは岩石の上にたって海を見下ろすと、遠くを見つめるような瞳になってから、大きく振りかぶって丸く加工した石を投げつける。

 

 プロ野球選手のような、という表現すら及ばない速度で石は投げられて、遠く離れた位置に着水して水柱を上げた。

 

 それを何度か繰り返した後に、笹凪くんはジャージを脱いで身軽になると、泳いで石を投げつけた場所まで進んで行き、すぐに戻って来る。

 

 帰って来た彼の手には釣竿では釣れないような凄く大きな魚が二匹……私は何を見たんだろ?

 

「佐倉、考えたら負けだ」

 

「う、うん……」

 

 た、確かに、笹凪くんのようにクラスの力になるのは、私には無理だと思う。

 

「佐倉なりに何か貢献できることを探せば良い。さっきも言ったが天武は比較対象としてはかなりアレだからな」

 

「そ、そうだね……」

 

 笹凪くんを知ってから何度か思ったことを、私は今日も思う。

 

 あの人は本当に私と同じ高校生なのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北鈴音の脳が破壊された夜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北さん、船に戻ったらしっかり薬を飲んで、ちゃんと食べて寝るんだよ? わかった?」

 

 試験からリタイアすることを決めた後、私の隣に並んで歩いている笹凪くんはしつこい位にそう言ってくる。

 

 以前の私ならきっと余計なお世話だと冷たく言い返したのかもしれない。けれどここまでクラスの為に頑張ってくれた彼に対してそんなことを伝える気にはなれない。

 

 何より、こちらを心配そうに気遣う彼を見ていると、不思議と逆らえない。へにゃりと曲がった眉が少しだけ愉快にすら思えた。

 

 笹凪天武くん、クラスメイトであり、私の友人。

 

 まさか私に友人ができるとは入学当初は思いもしなかった。それを必要としたこともなかったし、意味を見出すこともできなかった。

 

 もしかしたら四月頃の私が今の私を見たら、鼻で笑うのかもしれない。

 

 だがこれで良いのだと思う。一人で何もかもを乗り越えられると考えていた幼い私はもういないのだから。

 

 そろそろ海岸に停泊している船が見えて来るという段階で、彼はとてもこちらの体調を気遣ってくれている。誰かに心配されることが屈辱ではなく安堵に変わったのはいつ頃だっただろうか。

 

 特に彼の持つ独特の声色でこちらに気を使われるのは、言葉では言い表せない独特の気分になってしまう……決して悪い気分ではないのが救いだ。

 

 耳朶から染み入る言葉の一つ一つが心地いい、クラスメイトの女子たちが姦しく彼の噂をしていた時に偶々聞こえて来た「耳に良い声」という評価も今では凄く頷ける。こんなに落ち着くのは遠ざけられる前の兄さんと一緒にいる時以来だと思う。

 

 彼の声は耳朶に残る不思議な声だ。印象に残りやすいとでも言えば良いのかもしれない。

 

 そんな彼がこちらをしきりに気遣って声をかけてくれる、頑張ったと褒めてくれる、凄いと認めてくれる、その度にむず痒いような、熱いような痺れみたいなのが体を走るのだ。

 

 凄くズルいと思う。言葉一つでこんなにも私を満たしてくれるのだから。

 

 一人が好きだった私はもういない、それで良しとしていた私は死んでしまった。

 

「ねぇ、もう少しだけ話していかないかしら?」

 

 いよいよ船に乗ってリタイアする直前で、私は彼の袖を引いてそんな提案をしていた。

 

「構わないけど、体調は本当に大丈夫なんだね?」

 

「えぇ、今すぐ倒れるような状態じゃないもの」

 

「そっか……ならお喋りしようか」

 

 穏やかに笑った彼は船が見える海岸にあった隆起した岩の上に腰かける。そして自分の隣をポンポンと叩いて私を急かした。

 

「ありがとう……色々と感謝したいこともあったの。それを伝えておきたかったのよ」

 

「感謝?」

 

「えぇ、今回の試験は貴方がいなければここまで上手く行かなかったと思うわ、だから感謝したいの……それに、私に足りない物はなんなのか、どうすればそれを得られるのかも教えてくれた、色々とありがとう」

 

「誰かに褒めて貰えたり感謝されるのはとても嬉しいから、そう言われると心地いい気分になるね」

 

 彼らしい言葉だと思う。照れるでもなく謙遜するでもなく、本音でそう言うのは。

 

「まぁ今回の試験は清隆も色々と手伝ってくれたから……俺的には彼にMVPを上げたいかな」

 

「……確かに、リーダーを終了直前で変更させるのは意外性のある作戦だったわね」

 

 スポットを引きちぎって一ヶ所に集めるよりかはよっぽど現実的で常識的だと思うけど。

 

「あのおかげでスポット回収作戦も完全な物となった。この二つの作戦が出揃った段階で他のクラスが何をどうしようがDクラスの勝利は確定していたんだよね……本当に助かったよ」

 

 そう言った彼はとても安堵した様子であり、綾小路くんに強い信頼を向けているようにも見える。

 

 ここ最近は、特にこういう顔をするようになったと思う。今回の特別試験でも二人はよく一緒に行動していて、きっと様々な意見を交わして作戦を調整していたんだろう。

 

 私ではなく、綾小路くんと、一緒にだ。

 

 そもそも彼らはどうして仲良くなったのだろうか? 気が付けば名前で呼び合うようになっていた上に、やけに二人で話すことも多くなったと思う。

 

 綾小路くんも特別試験が始まる前の船の上で友達アピールが激しかった……まるで私に見せつけるかのように。

 

「綾小路くんを随分と信頼しているのね?」

 

「もちろんだ、彼は友人だからね……俺はつくづく人の縁に恵まれてると思うばかりだよ」

 

「そ、そう……」

 

「不思議な確信があるんだ。前に師匠と出会った時と同じ感覚がある、きっと特別な何かがあるんだって思わせるような、そんな出会いだったんだと思うんだ」

 

 どうしてだろうか……頭の奥で変な音がする。笹凪くんが綾小路くんの話をする度に、変な音が響くのだ。

 

「死ぬときにこの出会いを思い出すかもしれない、きっと俺たちはそんな友になれる」

 

 の、脳が、壊れてしまう……。

 

 とても楽しそうに綾小路くんのことを話す彼を見ていると、頭がおかしくなりそうだ。

 

 そして彼はとびっきりの笑顔でこう言うのだった。

 

「この学校に来て彼と出会えたのは、とても良い縁だったと思ってるよ」

 

「……」

 

 

 そう、そういうことなのね。

 

 綾小路くん、変な所もあるしよくわからない人だったけど。たった今、私は貴方のことを完全に理解したわ。

 

 どうやら貴方は私が超えなければならない存在だったみたいね。

 

 良いわ、認めてあげる……貴方は今日から私のライバルだと。

 

 私の頭に正体不明な不快な音を響かせた責任は取ってもらうわ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人斬り抜刀斎?」

 

 

 

 

 

 

 やけに月が大きく見える夜のことだった。

 

 繁華街から少し離れた薄暗い路地裏。ゴミが散乱しており野良猫やカラスがそれを漁っているような場所にその男はいた。

 

 片手に持つのは血に汚れる刀、一切の飾りや遊びがないそれはこの時代では美術品以上の価値を持たない日本刀を、一つの完成された武器であることを証明していた。

 

 剣先から赤い血が流れて地面にシミを作る。どうやらこの刀はつい先ほどまで武器としての本領を発揮していたらしい。

 

 それを証明するかのように、この薄暗い路地裏にもパトカーのサイレンが届いていた。凶行に走った誰かを追い詰めるかのように。

 

「あぁ構わないとも、何人でも来るがいいさ……こいつも血を欲しているからなぁ」

 

 刀を持った男は刃にこびりついた血を舌で舐めとり、興奮を露わにした。

 

「おいおい、明治じゃないんだからさ。人斬り家業なんて止めた方が良いと思うけどね」

 

「誰だ、貴様は?」

 

 薄暗い路地裏に立ち入って来る者が一人、男なのか女なのかよくわからない、不思議な存在感を放つ人であった。

 

 軽やかな足取りに緊張はなく、凶器を握った相手を前にしても変わることなく日常の延長としているのがよくわかる。

 

「どうも、初めまして。でも貴方に名乗るつもりはありません……まぁ俺のことは気にしないでください。知り合いの刑事さんに依頼された用心棒みたいなものなので」

 

「はッ、用心棒? 笑わせてくれる……お前はこちら側の人間だろうに」

 

「一緒にしないで欲しいかな。俺は人斬りを楽しもうと思ったことはないよ」

 

「それだけの肉体を持っていながらよく言う。他者をねじ伏せ蹂躙することが楽しくて仕方がないだろう」

 

「駄目だな、話が通じない……はぁ、まぁ良いか」

 

 そこで二人は薄暗い路地裏でぶつかり合うことになる。何か合図があった訳ではないが全く同時に、そして示し合わせたかのように呼吸を合わせて。

 

 片や徒手空拳、片や凶刃を持つ男、戦いは一方的なものになるかと思われたが、両者の衝突は長引くことになる。

 

 凶刃は無数の軌跡を描きながらそれほど広くはない路地裏を埋め尽くす。そこに人が潜り抜けられる隙間はなく、無数の致命傷を残す筈なのだが、そうはならなかった。

 

 驚くことにその凶刃の全てを指先と拳と体捌きをもって、反らし、いなし、そして遠ざけたからだ。

 

「ははッ!! やるではないか、良いぞ、それでこそ斬りがいがあると言うものだ!!」

 

「ドン引きするようなこと言わないでくれ」

 

「さぁ楽しもう!! コイツも久々の上物に喜んでいるぞ!!」

 

 手に持った凶刃が月明りを反射して妖しく光る。血に濡れていたそれは不気味な存在感を放っており、人の視線を引きつけ狂気に惑わす雰囲気を纏っていた。

 

 その刀を握ったら最後、試し切りをしたいと人は思うのかもしれない。

 

「妖刀の一種か……師匠は毎回毎回面倒事を押し付けて来るんだから」

 

 再び凶刃を持った男は無数に刃を翻しながら迫る、それを迎え撃つのはやはり拳と掌であった。

 

 路地裏に数え切れないほどの切り傷を残した刃はコンクリートすらも容易く両断したのだが、少年の身を切り裂くことは叶わない。

 

「アンタは強い。加減はできそうにないから……死んでも恨むなよ」

 

 少年の雰囲気が切り替わった。狭まった瞳孔は感情を無くし、何かを毟り取るかのように曲げられた指先は不吉を宿し、あらゆる視線や意識を引き寄せるかのような引力が発生していく。

 

「ははぁ!! それでこそだ!! これほどの肉を味わうのは数百年ぶりだとよ!!」

 

「刀に意思があるかのような言いぐさだな」

 

 凶刃と武人がぶつかり合う。長年に渡って付き合いがあるかのように阿吽の呼吸で刃と掌を翻し、踊り狂うように路地裏を駆け巡る。

 

 凶刃は幾度も少年に肌に届いたが致命傷には及ばず、少年の指先は幾度も男の身を毟り取っていくが、それもまた致命傷に届かない。

 

 互いの身を削り合うような戦いはいつまでも続くかと思われたが、少年の指先が最後に凶刃を握る男の手首を掴んだことで唐突に終わりとなってしまう。

 

 粉砕された手首では怪しい刀を握り続けることは叶わず、抵抗も出来ないまま男の意識は刈り取られるのだった。

 

「滅茶苦茶強いじゃんかこの人、何が楽勝だよ……師匠の無茶ぶりは今更だけどさ」

 

 少年は全身に刻まれた薄い傷口に戦慄しながら冷や汗を拭う。そして地面に突き刺さった怪しい刃を視界に収める。

 

 思わず狂気に引き寄せてしまうような強い引力を纏う刃である。握ったら最後、狂気の向こう側に足を踏み込んでしまうような何かを感じることが出来てしまう。

 

 ただの刃でなく、美術品でもない、数多の血を啜って完成した凶刃であった。

 

 彼はその刃を掴みあげる。その瞬間にこちらに流れ込んで来るような狂気を感じ取ったのだが、それを押しのけて徐々に力を込めていく。

 

 その力に抗えきれなかったのだろう。血に汚れた刃は真っ二つに折れて粉砕されるのだった。

 

「あッ、もしもし……はい、俺です。例の人斬りですけど確保しました。位置情報を送りますんでパトカーをお願いします……あぁ、いえいえ、師匠の命令なんでお気になさらず。警部ももうすぐ定年なんですから、あまり無理せず穏やかに過ごしてください」

 

 最後に携帯電話を取り出して少年は穏やかな口調でそんな報告を誰かにする。だからなのかサイレンの音がこちらに向かってくるのがわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ!? ゆ、夢か……はぁ」

 

 あまりにも夢見が悪かったからなのか、オレは慌ててベッドから飛び起きる。それと同時に池から借りたとある漫画本が胸から転がっていった。

 

 周囲を見渡してみると、ここが豪華客船の船内であることがわかる。そうだった、特別試験が終わって無人島から帰って来たんだったな。

 

 床に転がった漫画を手に取ってタイトルを眺める。池が気に入っている漫画でおすすめだと布教してきたそれは。とある探偵が様々な事件を解決していく痛快サスペンスアクションであった。

 

 少年漫画らしく派手なアクションと駆け引きが特徴的で、あまり漫画を読まないオレも思わず魅入るような話も多く、つい読み込んでしまったのだ。

 

 当然ながら天武が出て来る訳がないし、人斬りに変えてしまうような危ない刀が現実にある訳がない。

 

 どうやらそのまま寝落ちしてしまったらしい。変な夢を見たのはこの漫画が原因なのだろう。

 

「清隆、どうしたんだ? なんか汗びっしょりだけど」

 

 夢見の悪さにうなされていたのか汗が酷い、それは同室の天武が部屋に入って来てすぐに気が付く程である。

 

「調子が悪いんなら、医務室にいったらどうだい? 確かこの船にもあった筈だけど……」

 

「気にしないでいい、少し夢見が悪かっただけだ」

 

「そうなのか……なら良いんだが」

 

 特にこの高校に入学してからは頻繁に変な夢を見るようになった。決まって天武が暴れ出す類のものである。

 

 そこでオレは、ふとこんなことを思う。

 

「天武、聞いてくれ……」

 

「ん、何かな?」

 

「オレは……夢オチ要員になってるんじゃないか?」

 

「急にどうしたんだい!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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船上試験
船上試験の始まり


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無人島での試験は幸いなことにDクラスの圧倒的な勝利で幕を閉じた。俺はこの試験のルールと内容を聞かされた瞬間から、どれだけ節約するかの勝負ではなくどれだけ効率的にスポットを占有できるかが重要であると判断して、実際にそれを実行した。

 

 つまりは極めて王道かつ真面目な方法であり、これ以上ない位に正道な攻略方法である。

 

 こちらのリーダーを指名されてしまうとボーナスポイントの全損もありえたので、試験終了直前での変更作戦も上手く噛み合った結果であった。

 

 完全完璧な最適解である。だからとてもスマートで無駄のない美しさすら感じる結果なのだが、不思議なことに一年生全員が俺を見てお利口ゴリラという評価を押し付けて来る。

 

 今も船ですれ違った他クラスの女子生徒が俺を見て友人とコソコソと話し合っており、声は聞こえないが唇の動きでお利口ゴリラという単語を読み取ることができてしまう。

 

 とても悲しいね、どうせ龍園辺りが発生源だろうけど。彼は俺に恨みでもあるんだろうか。

 

 まぁそんな評価はどうでもいい。一度広まってしまったので今更訂正しても意味はないだろうしね。

 

 ゴリラ単品だけでなくお利口がくっ付いてるのが救いと考えよう。

 

 無駄なことは考えないで今はとにかくしっかり休んで英気を養うべきなんだろう。この学校のことだからどうせまた無茶ぶりしてくるだろうし。

 

「体調は大丈夫かい?」

 

「えぇ、薬を飲んでぐっすり寝たもの、何も問題はないわ」

 

 一足早く船に戻って休んでいた堀北さんの体調も回復したらしい。顔色もかなり良くなったのでもう大丈夫だろう。

 

「なら良かったよ」

 

 元気な姿を見せられると、お見舞いに来た身としても嬉しい。これで死にそうな顔をされていると凄く気まずくなったに違いない。

 

「食欲があるようならどこかで食事でもどうだい?」

 

「え?」

 

「ん、嫌なら断ってくれて構わないけど」

 

「そ、そんなことはないわ……えぇ、行きましょう」

 

「ありがとう。病み上がりだから軽めなものにしておこうか」

 

 ベッドから立ち上がった堀北さんと一緒に部屋を出て、この豪華客船の中に無数にある店の一つに向かう。そこまで格式ばった場所でなくてコーヒー片手に寛げるような場所が良いだろう。

 

「綾小路君は呼ばないのかしら?」

 

「あぁ、実は誘ったんだけど茶柱先生に呼び出されてたからね、難しいみたいだ」

 

「……そう、私はその穴埋めなのね」

 

 あ、あれ、堀北さんが不機嫌になった。別に代わりに誘った訳でもないんだけどな。

 

「えっと、別に清隆の代わりとかそういう訳じゃなくてね……なんと言いますか」

 

「……」

 

 駄目だ、凄く不機嫌な様子だ。

 

「あ~、う~ん、おほん……失礼しました。堀北さん、どうかエスコートさせて貰えないでしょうか?」

 

 どうして浮気を疑われたみたいな心境になっているんだろうか? いや、師匠はこういう時は変な言い訳をせずに紳士に振る舞えと言っていたな。

 

 少し大仰な仕草で貴女と過ごしたいと表現すれば良いだろう。俺は決して堀北さんを雑に扱っている訳じゃないと知ってもらわないと。

 

「だから許して欲しいな」

 

「わかった……許してあげるわ」

 

 師匠、貴女の言ったことは正しかったようです。紳士に振る舞えば堀北さんは許してくれました。

 

 機嫌の直った堀北さんと一緒に軽食もできるカフェに入店して席に着く。船の中とは思えない程に施設が充実しているのはありがたいことだと思う。

 

 彼女はコーヒーとサンドイッチ、俺はミルクティーとパンケーキを注文した。

 

「笹凪くん、甘党なのかしら?」

 

「特に意識したことはないけど、言われてみればそうかもね。苦いのや辛いのは苦手かもしれない」

 

「ふふ、意外と子供舌なのね」

 

 何が面白かったのか堀北さんはクスリと笑って見せる……馬鹿にされている気もするが可愛いので許そう。

 

「意外かい?」

 

「えぇ。貴方はなんというか、落ち着いて大人びた雰囲気があるから、少しだけ」

 

「背伸びしてまで苦手な物を飲みたくはないかな。コーヒーもミルクと砂糖たっぷりじゃないと飲める気がしないよ」

 

 そう伝えると堀北さんはまたもやクスクスと笑う。彼女は本当に表情豊かになったと思う。四月頃の彼女に見せてやりたいものだ。そう考えると少しほっこりした気分になる。

 

「……何かしら、その顔は?」

 

「いいや、別に今の堀北さんと四月頃のハリネズミ堀北さんを会わしてみたいなとか思ってないさ」

 

「な!?」

 

「あぁ、でも、もしそれが叶うなら君は笑顔が素敵な女性だと紹介したいね」

 

「か、揶揄わないで……」

 

「ごめんごめん」

 

 ジトッとした目で照れ隠しに睨まれてしまう。少し揶揄いすぎたみたいだ。

 

「この話を続けてると堀北さんが不機嫌になりそうだから話題を変えようか? そうだなぁ、無人島から帰って来てどうだい? クラスメイトからの反応とかさ」

 

「それは、まぁ……多少はね」

 

「気軽に挨拶とかされるようになったみたいだね」

 

「……そこに関しては、少しだけ戸惑っているわ」

 

「ゆっくり慣れて行けばいいよ。皆、君が優秀で責任感のある人だってわかってるんだからさ。少し精神的な距離が近くなればあっという間に人気者になれると思う」

 

「別に私は人気者になりたい訳ではないのだけど……」

 

「でも、堀北さんの言葉に耳を傾けてくれるのは、信頼があることが大前提だ。信頼の形は様々だけど、どんな形であれ相手とのコミュニケーションがどうしても必要になるさ。それは俺もそうだし、君のお兄さんだって同じだ」

 

 生徒会長の存在を出すと堀北さんは露骨に反応する。

 

「ただテストの点数が良かったり運動が凄いからあの人は生徒会長になれたんじゃない。この人に付いていきたいって思えるような生き方をしてきたからこそ、じゃないかな。きっとカッコよく生きているんだよ」

 

「カッコいいって……ま、まぁ、確かに兄さんはそうだけど」

 

 この子のブラコンっぷりも相当だな。生徒会長も似たような感じだったし、似た者兄妹ってことなのか。

 

「容姿って意味じゃないよ? 誰かに憧れて貰えるって意味だ……リーダーの形もまた様々だけど、それが欠落していると根本的に駄目なんじゃないかな」

 

「……」

 

「だから堀北さんは、カッコよく振る舞えば良いと思う。君が誰かに憧れを与えられるような人になれたのなら、きっと周囲には沢山の人がいるよ……うん、斜に構えた人よりも、そういう人の方がずっとカッコいいね」

 

 挨拶をするのはその第一歩なんだと俺は思う。

 

「まぁ偉そうに語ってしまったけど、要は君は今のまま進んで行けばいいんじゃないかな」

 

「急に投げやりになったわね」

 

「だって改善点なんて何もないし……堀北さんは頑張ってるから」

 

「……」

 

 堀北さんは少し照れて視線を反らしてしまった。彼女は褒められ慣れてないのでこういった言葉が効果抜群である。やはり生徒会長は接し方を間違えていた疑惑があるな。褒めて伸ばせ、褒めて。コンクリに叩きつけるのは止めた方が良い。

 

「まぁ、これからもっと頑張って交友を深めていけば良いさ。俺や清隆だけじゃなくてさ……高円寺とかおすすめだよ?」

 

「お、おすすめ? 彼はそういった対象から最も遠い人種に思えるのだけど」

 

「そうかい? 高円寺はとても自由で真っすぐな人物だ。わかりやすいくらいに接し易いじゃないか」

 

「私と貴方は今、同じ人物について話しているのよね?」

 

「高円寺は二人もいないよ」

 

「そ、そう……考えておくわ、機会があればね」

 

 ここまで困惑されるとは……彼女の中で高円寺はどんな人物として受け止められているのだろうか?

 

 せっかくだから堀北さんから見たクラスメイトの印象とか聞いておきたいな、そんなことを思って話を膨らませようとした時だ。船内に事務的な放送が広がったのは。

 

 

 

『生徒の皆さんにお知らせいたします――――』

 

 

 

 どうやらゆっくり和やかにお喋りとはいかないらしい。水を差すのが上手い高校だと本当に思う。

 

 なにやら重要な内容であるらしく、同じように放送を聞いていた堀北さんも集中力を高めているのか鋭い視線になっていた。

 

 俺と彼女が持っているスマホが震えて学校側からメールが送られてきた。同時に内容を確認すると、特別試験の説明をするので各自指定された部屋に時間厳守で来るようにという内容であった。

 

「始まったみたいね……まだ時間があったからもう一つくらいはねじ込んで来るかと思っていたけど」

 

「そうだね……とりあえず清隆に電話かな」

 

 わざわざ時間を指定しているのだから、もしかしたら生徒それぞれに別の課題や条件を示してくる可能性もあるだろう。全員を同時にルールの説明をしないのは少し変に思える。

 

『メールの話か?』

 

 清隆に電話するとすぐに繋がる。多分あっちもそのつもりだったんだろう。

 

「20時40分に集まれって指示だったけど、そっちはどうかな?」

 

『そうなのか、こっちは18時に集まれという内容だった』

 

「わざわざ時間をズラすのはなんでだろうね」

 

『さてな、説明を受けてみないことにはわからない』

 

「そりゃそうか、何かわかったことがあれば連絡してくれ、こっちからもそうするから」

 

『わかった』

 

 そこで俺は電話を切って次に一之瀬さんに連絡を取った。

 

「もしもし一之瀬さん? ごめんね急に電話しちゃって。実はさっきのメールの件で確認したいことがあってさ。今、時間ってあるかな?」

 

『あはは、全然大丈夫だよ』

 

 電話越しに聞こえる一之瀬さんの声は普段通りに穏やかで活力に満ちている。顔が見れないのは少し残念でもあるな。

 

 正面にいる堀北さんの鋭い視線とは正反対の、にこやかな顔をしているだろうから。

 

「メールには20時40分に集合って書かれてたんだけど、俺の友達は別の時間を指定されたんだ」

 

『やっぱりそうなんだ。私の方でも何人かメールを見せて貰ったけど、それぞれ別の時間帯だったよ』

 

「因みに一之瀬さんは何時だったのかな?」

 

『私は18時丁度だね』

 

「そっか……ありがとう。詳しいことは説明を聞いてみないとわからないけど。無人島とはまた一味違った試験になりそうだ。お互いに頑張ろう」

 

『うん!! 無人島ではしてやられちゃったけど、今回は負けないからね』

 

「おや、怖い怖い」

 

『むぅ、余裕な笑みが想像できちゃうな』

 

「そうでもないさ。あの試験はたまたまドンピシャに俺に適していただけだからね。今回はどうなるかさっぱりわからないよ。言えることは頑張ろうってことだけだ」

 

『うん、頑張ろうね』

 

 どうやら一之瀬さんは清隆と同じ時間に集合がかかっているらしい。それを確認したら次は龍園に電話をかける。

 

「やぁ龍園、ご機嫌いかがかな?」

 

 清隆や一之瀬さんとは違って彼の場合は電話に出るまでそこそこの時間がかかったのは何故だろうか? どうした訳かスマホ片手に俺からの着信に答えたくないと渋面を作る龍園が想像できてしまった。

 

 それでもしっかりと答えてくれるあたり、きっと彼はツンデレという生き物なんだろう。

 

『お利口ゴリラが、何気安く連絡してきてんだ』

 

「俺と君は友人なんだから電話くらい良いじゃないか」

 

『……マジで止めろ』

 

「まぁまぁ、さっきのメールで話がしたいんだよ。君は何時に呼ばれたのかな? 因みに俺は20時40分だったよ」

 

『……』

 

 電話の向こうで龍園が渋面を作ってるのが想像できるな。思考の瞬発力が高い男なので様々なことを考えているのだろう。

 

「もしかして君も同じ時間かな?」

 

『ククク、だとしたらどうだってんだ?』

 

「一緒に頑張ればいいさ。友人と一緒なら心細くないだろう」

 

 俺が嘘偽りない本音を伝えると、彼は無言で電話を切ってしまった。解せない。

 

「一之瀬さんは18時、龍園は俺と堀北さんと同じ時間みたいだね」

 

「そう……この振り分けには意味があるのかしら?」

 

「他の面子を見てみないことには何とも言えないな」

 

 もしここで葛城が加わったら意図的な感じになるんだろうけど、そうなったらそうなったで何故一之瀬さんがいないのかという疑問も生まれる。

 

 けれどここでどれだけ悩んでも答えは見つからないんだろう。行ってみないことにはだ。

 

「今回の特別試験、どんな形になるだろうね?」

 

「そうね……無人島ではなく船の中なのだから。そこまで大きく動き回るような形にはならないと思うけど」

 

「力づくでどうにかできる試験なら、どうにでもできるんだけど」

 

「まさか船の上で鬼ごっこやかくれんぼをする訳もないから、無人島のようなことにはならないと思うけど……」

 

「さすがにああはならないか……テストでも受けさせられるかもね」

 

 その言葉に堀北さんは考え込む。やっぱりどれだけ悩んでもハッキリとした答えがでるようなことでもなかった。

 

「まだ時間はあるからさ。色々考えるのは後にしようか。今はリラックスしてその時に備えればいい。緩急は大事だ」

 

「……」

 

 だが堀北さんはずっと考え込んだ状態から帰ってこない……仕方がないとは言え今からこれではまた熱がぶり返しそうな気もするな。

 

「せっかくだからどこかで遊ぼうか? 何か希望とかあるかな?」

 

「え……そ、そうね、読書とか、かしら?」

 

 ここで船の設備で遊ぼうと言わない辺り堀北さんらしいと思う。

 

「良いね、おすすめの本とか教えてよ」

 

「えぇ、わかったわ」

 

 読書が趣味なので色々と面白そうな本を知っているだろう。この船には図書室もあるのでそこで時間が来るまで過ごせる筈だ。

 

 図書室で同級生の女子と本をおすすめして貰う。これはこれで高校生らしいのかもしれない。あまり色気はないけど青春っぽさがほんのりと感じることができる。

 

 青春は人生に必要だ。師匠がそう言ってた。

 

 結局、俺と彼女は時間が来るまで船の中にある図書室で過ごすことになるのだった。堀北さんのおすすめする本は中々面白く、そういった意味でも有意義な時間であったと思う。

 

 

 

 

 

 

 



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船上試験 1

 

 

 

 

 

 

 

 指定された時間まで堀北さんと一緒に読書に勤しんだ後、気合を入れ直して呼び出された部屋へと向かうと、既にそこでは幾人かの生徒が待っていた。

 

「笹凪くん、堀北さん。二人と同じなら心強いよ」

 

「二人もこの時間なんだね」

 

 部屋の前でさっそく声をかけてきたのは平田である。そしてその隣には櫛田さんの姿も確認できた。

 

 こうして見るとやはり意図的な面子に見えるな。他のクラスが誰を選んだのかわからないので断言はできないが。

 

「平田、櫛田さん、宜しく頼むよ。どんな試験になるかはわからないが、上手くやろう」

 

「宜しくお願いするわね」

 

 堀北さんがそう返すと平田と櫛田さんは少し意外そうな顔をする。ただすぐに嬉しそうに微笑んでくれたので彼女の変化を嬉しく感じているらしい。

 

 櫛田さんは少しぎこちない感じではあるが、こちらもまたすぐに微笑んで受け入れている。

 

「今回はどんな試験になるんだろうね?」

 

「無人島みたいな試験ならどうにでもできるんだけどな」

 

「あはは。確かに、笹凪くんみたいな人は他のクラスにいないだろうね」

 

 平田は笑ってくれるが渋面を隠しきれていない。どうやら彼の中でもお利口ゴリラという単語があるらしい。

 

 クラスメイトとこれからの試験がどんなものになるのか話し合っていると、それに割り込むように声をかけてくる人物が現れた。

 

「俺の勘違いでなければ、20時40分組なんじゃないか?」

 

「確かにそうだが、どうやら葛城もそうみたいだね」

 

 声をかけてきたのは葛城である。そして彼の派閥に属する生徒も確認できており、それを見る限りこの組み分けにはやはり意図的なものがあるのだろう。ここに龍園と一之瀬さんが加われば文句なしの面子だな。

 

 葛城は俺を見た瞬間に、一瞬だがチベットスナギツネになりかけるのだが、一瞬で引っ込めて凛々しい表情を作っていく……きっと彼の頭の中にもお利口ゴリラという単語が飛び交っているのだろう。少し悲しい。

 

「やはりな。だとしたら丁度いい、君たちとは一度しっかり話してみたいと思っていた」

 

「そうなのかい? もちろん構わないよ。一度と言わずにお茶でも飲みながらゆっくり話そう。俺もAクラスを率いる君とは話してみたいと思っていたんだよ」

 

「だとしたら光栄だ……正直なことを言わせてもらうなら、俺はこれまでDクラスは眼中にはなかった」

 

「今は違うのかな?」

 

「無人島試験での驚異的な結果を見ればそうもなるだろう。あれほどの無茶を押し通した相手ならば脅威に感じるには十分だ」

 

「無茶なんてしてないさ。俺はルールを聞いた瞬間から、どれだけ効率的にポイントを稼ぐかどうかの試験だと判断したからね。効率を極めて行けば自然とああなったんだ。とても王道な行動だったと思ってる」

 

「そ、そうか……まぁ話したいのはそこではない。君たちを脅威と認めて、これから先はしっかりと対処すると言いたいだけだ。現時点でBクラスとなった相手なのだからな」

 

「そりゃどうも、Aクラスである君にそう言って貰えるのならば、俺たちもようやくスタートラインに立てたってことなのかな。改めて宜しく頼むよ」

 

「あぁ、こちらこそ」

 

「俺たちもAクラスを目指しているからね、いずれ挑ませてもらう」

 

「ほう、Aクラスになれるとでも?」

 

「出来る出来ないじゃない、勝算のある無しでもない、そこに挑むという決意表明をしているのさ」

 

 ここで掌を差し出して握手を求めるのだが、葛城は渋面と冷や汗を引っ込める為に全力を出してきて握手をする気配がない……なんだよ、俺と握手するのはそんなに嫌なのか?

 

 なかなか失礼な対応をされているなと思っていると、葛城の肩越しにBクラスの生徒たちが見えた。どうやら神崎たちがこの組に選ばれたらしい。

 

「やぁ神崎。君もこの組みたいだね」

 

「そのようだな」

 

 拙いな、出会う生徒全てに引きつった顔をされるようになってしまった。クールな神崎ですら俺を見た瞬間に狐になりかけているじゃないか。

 

「神崎か……一之瀬はいないようだな」

 

「それがどうした?」

 

「他意はない、ただそう思っただけだ」

 

 そこは俺も疑問ではあった。この面子なら彼女がいても不思議ではないし、予想通りならあの男も来るだろうしな。

 

「クク、随分と雑魚が群れてるじゃねえか」

 

 睨み合う神崎と葛城に割って入るかのように傲慢な声が届く、わかってはいたことだが彼もここに来たか。

 

「……龍園か」

 

 葛城も神崎も龍園を見た瞬間に、俺を見た時とは方向性の異なる顔を見せる。彼に向けている評価や考えがよくわかるな。

 

「やぁ龍園、君もこの組みたいだね」

 

「だから気安く話しかけてくんじゃねえよ。ゴリラはあのまま島に残った方が良かったんじゃないか?」

 

「それについては言いたいことがある。船に戻って来てからというものの、俺はお利口ゴリラという評価が付きまとうようになった……君が発生源か?」

 

「それはお前がやりたい放題やった結果だろうが」

 

「「「……」」」

 

 その場にいた全員が納得したような顔をする……お利口ゴリラという評価を払拭することは出来ないと完全に理解した。

 

「まさかお前がこの組とはな……学力が高い生徒が集められているかと思ったが、お前とそのクラスメイトを見る限りではそうではないかも知れないな」

 

 変な方向に脱線しそうになった話を葛城が強引に戻してくれる。

 

「学力だ? くだらねーな。そんなものには何の価値もない」

 

 腕っぷし一つで全てを黙らせようとする師匠ならば頷きそうな言葉であった……まぁあの人は頭も良いんだけど。

 

「それこそ残念な発言だ。学業の出来不出来は将来を左右する最も大切な要素だ。日本が学歴社会と言われていることは知っている筈だが?」

 

「だからお前は駄目なんだよ」

 

 大仰に、そして煽るかのような肩をすくめる龍園は、心の底から葛城を馬鹿にしているかの様子だ。

 

「俺はお前の非道さを許すつもりはない」

 

「身に覚えがねーなぁ。具体的に教えてくれよ」

 

「……まぁいい。今回は同じグループになったとしたら、ゆっくり話す時間もあるだろう」

 

「雑魚と群れるつもりはねぇな」

 

 わかりきっていたことだが、この二人は対極に存在していて相性が最悪だな。

 

「なんだか、凄い組に振り分けられちゃったね」

 

 櫛田さんが俺にそう耳打ちをしてくる。そういうことされると堀北さんの視線が鋭くなるから止めて欲しい……いや、嬉しいんだけども。

 

「まだ試験の内容はハッキリとしていないのに、既に先行きが不安になっている。櫛田さんの笑顔が良い清涼剤になりそうだ」

 

「も、もう……」

 

 照れた櫛田さんは俺の肩辺りに手を当ててグリグリと押してくる。可愛い。

 

 ストレスを溜めやすい人だというのは観察してればわかるので、こんな軽い冗談でちょっとでも負担が軽くなるのなら儲けものだ。

 

 ただ彼女と相性の悪い堀北さんは、逆に物凄く不機嫌になるのだけど。そこが悩みどころである。

 

「揃っているようだな、入室しろ」

 

 20時40分丁度に茶柱先生が姿を現す。他にも先生がいてそれぞれのグループに説明を行うようだ。

 

 Dクラスの説明は真嶋先生が行うらしい。入室すると同時に席についてさっそく説明が始まった。

 

「では今回の特別試験の説明を行う」

 

 真嶋先生は俺を見た瞬間にお決まりであるかのように狐になりかけるのだが、そこはグッと堪えてくれており、頼りになる教員といった感じである。

 

 俺と平田、そして堀北さんと櫛田さんが席に着くと同時に、ルール表が机の上に置かれた。ざっと目を通した感じ、だいぶ複雑な試験となることがこの時点でわかってしまう。

 

 無人島試験のように決められた形のないゴールではないのは難しいな。あれはどれだけポイントを稼げるかという試験であったが、今回の試験はゴールが幾つも用意されている。

 

 どういう形が最善なのか現時点では測り切れないな。

 

 真嶋先生の説明は続いていく。かなり複雑で多角的な試験ではあるが、重要なのはシンキング能力であると言われた。同時にこれまでのクラスの関係を一旦無くして考えてみろとも。

 

 生徒たちをそれぞれ干支と同じ十二のグループに小分けしてそれぞれのクラスが集って話し合いの場を持ち、それぞれのゴールを目指す試験である。

 

 重要なのは優待者の存在だろう。積極的に当てに行くのか、それとも守り切るのか、大まかに分けてそんな形になると思われた。

 

 俺と堀北さん、櫛田さんと平田は、真嶋先生からの説明を受けてそれぞれが深く考え込む。だがどれだけ考えようとも結局は優待者が誰になるのかを知らなければ最初の一歩を刻むこともできない。

 

 清隆と相談が必要だろうな。あっちは少し早く説明を受けただろうから色々と考える時間があっただろうし。

 

「先生、優待者はどのような基準で選ばれるんでしょうか?」

 

「その質問に答えることはできない」

 

 この学校はそういう所が多いよね。まぁ試験の根幹に関わる部分だから答えられないんだろうけど。

 

 真嶋先生の説明を要約するとこうだ。

 

 この試験は生徒たちを干支になぞらえた十二のグループに分けて話し合いをさせる。そのグループの中には優待者と呼ばれる存在が紛れており、要はその人物を探せと言うことである。

 

 ただゴールが多い。結果は主に四つに分けられるのだ。

 

 結果1 グループ全体で答えである優待者を共有して答えを一致させる。この場合は全員に50万ポイントと優待者には100万ポイントが与えられる。

 

 結果2 優待者であることをグループの誰にも看破されずに試験を終えた場合は優待者にのみ50万ポイントが与えられる。

 

 結果3 優待者を見抜いた誰かがメールでそれを指名して正解とする。この場合はクラスポイントが50与えられてプライベートポイントも50万貰える。

 

 結果4 これは優待者を指名したはいいが外してしまった場合だ。これが最悪でクラスポイントがマイナスとなってしまう。

 

 ゴールが四つ、しかもグループは12組、結果次第では滅茶苦茶にポイントが変動するだろう。

 

「複雑な試験みたいだね」

 

 真嶋先生からの説明を聞き終えて俺たちは部屋を退出する。そして開口一番に平田がそう言った。俺も同じ気持ちである。

 

「笹凪くんはどうかな? 何かわかったことはあるかい?」

 

「複雑なのはまさにその通りだと思う。ただ無人島と同じように超えなければならない最低ラインは説明されていたからな」

 

「結果4、優待者を間違えて指名してしまうだよね」

 

「あぁ、最低限そこさえ避ければマイナスにはならない。プラスにもならないが一先ずそこを避けるのが赤点ラインだと思うよ」

 

 逆にそこさえ避けることができれば、他の結果は何かしらの恩恵がある。

 

「堀北さんと櫛田さんはどうかな?」

 

「私は優待者が気になるかなぁ……なんだか凄くお得だよね。優待者に選ばれたら」

 

 櫛田さんの言う通り取れる選択肢が多いだろうから、凄くお得だ。だからこその優待者なのだが。

 

 次に全員の視線が考え込む堀北さんに向かう。

 

「優待者に選ばれる基準が気になるわね。どこかのクラスに偏るようなことがあれば最悪だけれど」

 

「それは無いと思うよ。ルールは公平に作られるものだ。わかりやすい優遇は行わないと思う……多分だけど全てのクラスに平等に振り分けられているんじゃないかな」

 

「……笹凪くんは優待者が選ばれる基準はあると思う?」

 

「ほぼ確実にあるだろうね。ディベートじゃなくてシンキングが試されてるんだから。わざわざ干支になぞらえたりクラスの関係を無視したりとか色々とヒントは出されていた……考えてみるべきだろう」

 

「そうね。もし優待者の法則がわかればそれだけで有利に立てるもの」

 

「まさにそこが肝心だ。そんな訳で平田、悪いんだけどクラス全員に連絡を取って各グループの面子を教えて貰えないかな?」

 

「もちろん構わないよ」

 

「櫛田さんはクラスメイトに他のクラスの人たちのことを教えてあげて欲しい。もしかしたら名前や顔を知らない人もいるだろうからさ」

 

「うん、任せて」

 

 優待者が誰であるのか発表されるのは明日の八時である。まだまだ時間がかかるのでそれまでは色々と考えておこう。優待者の法則がわかればどう勝つかではなくどう終わらせるかに思考が移るのでとても動きやすくなる。それこそ無人島試験のように。

 

「私にも写しを貰えないかしら?」

 

「堀北さんも考えてみるのかい?」

 

「えぇ、明日の八時まで時間はまだあるもの」

 

「うん、なら頑張ろうか」

 

 最近の堀北さんは心の余裕というか落ち着きのようなものが出て来たので。考えに集中できるかもしれないな。案外、あっさりと法則を見つけてしまうかもしれない。

 

 そうなったらいよいよクラス内での立場が確固としたものになるだろう。そこまで来たらクラスメイトたちにそろそろ覚悟と意思を問うても良いだろう。

 

 俺も法則を考えてみるか……いや、その前に清隆と相談だな。

 

 彼にメールを送ってみるとすぐに返信があった。せっかくなので相談と作戦会議もかねながら船の施設で遊ぶとしよう。

 

 そんな訳で船の中にある遊戯室に彼を呼び出してから俺もそちらに向かう。ダーツだったりビリヤードであったり、あるいはボードゲームであったりと様々な娯楽品があるその場所に向かうと既に清隆は待っていた。

 

「やぁ待たせたかい?」

 

「あぁ、一時間も待ったぞ」

 

「嘘つけ、メールを送ったのはついさっきだぞ」

 

「冗談だ」

 

 まさか彼から冗談を聞かされる日が来るとは。何故か感慨深いものがあるな。

 

「さっき真嶋先生から試験の説明を受けてたよ。干支になぞらえた12のグループに分かれて話し合って、主に四つの結果に導くって奴だけど、そっちはどうだい?」

 

「こちらも同じ内容だ……さてどうしたものか」

 

「せっかくの遊戯室なんだから遊びながら話そうか。ビリヤードとかやったことある?」

 

「いや、無いな。ルールは知っているが経験はない」

 

「俺もだ、だからやってみよう」

 

 清隆はビリヤード台を見つめながら「ふむ」と考え込む。どうやら興味はあるらしい。

 

 試しに幾度か練習して感触を確かめてみると、これが意外にも難しい。

 

「思っていたよりも難しいな」

 

 彼が弾いた球はビリヤード台の上を転がって行き幾つかの球を穴に落としていく。言ってる事と出した結果が一致してないんだが?

 

「確かに難しいね……ボールを突き壊しちゃいそうだ」

 

 鉄製の球って訳じゃないから力加減を間違うとビリヤードキューで突いたボールが粉々に壊れちゃいそうなんだよね。

 

「……そっちの難しいなのか」

 

 清隆は呆れ顔である。彼のこういった顔も最近では見慣れたものになってきたと思う。仲良くなってきた証拠なんだろう。

 

「お、来たな」

 

 そのままビリヤードで遊んでいるとスマホがメールの受信を知らせる。内容を確認してみると平田と櫛田さんが集めてくれた各グループの面子が記されていた。

 

 12のグループ、それぞれの面子、そして干支になぞらえた番号。俺はそれをコピーして堀北さんに送った後に、ブレイクショットを決めた清隆に見せる。

 

「おそらく優待者の法則みたいなのがあると思うんだけど、どうかな?」

 

「そうだな……」

 

 ビリヤードキューを片手に考え込む清隆は、そのまま十秒ほど固まってしまい。ようやく動き出したかと思えば軽い調子でこう言うのだった。

 

「現時点で断言はできないが、おそらく法則らしき物は見えた」

 

 ヤバいよ、十秒かそこらで法則見つけちゃったよ。思考の瞬発力と柔軟性が高校生じゃないって。

 

 あれ、もしかして清隆が一人いればもうそれで良いんじゃないか説すらある?

 

「えぇ……早すぎるだろ。引くわ」

 

「やめてくれ、お利口ゴリラのお前だけはそれを言うな」

 

 清隆からスマホを返される。俺もメールの内容を確認しようとすると、こんなことを言われてしまった。

 

「天武はどうだ? 優待者の法則はわかりそうか?」

 

 その言葉は清隆にしては珍しく、どこか挑発しているかのような雰囲気である。珍しい顔をするものだと思いながら笑みを返す。

 

「やれやれ、そう挑発されるとやる気が出て来るな。ちょっと待ってて、俺も考えてみよう」

 

 素面で考えると多分それなりに時間がかかると思うので、ここは師匠モードで行くとしよう。

 

 集中力を高めていくと、それが一定ラインを超えた瞬間に頭の奥で何かが千切れるような音が広がり、同時に視界で火花が飛び散る。そうなると不思議なものであらゆる感覚が研ぎ澄まされて思考もまた加速したような状態になる。

 

 空でも飛べるのではと思えるような万能感が体中に広がるのだ。実際に飛べるわけでもないけど。

 

 視界から入って来る情報量は激増して、目に映る全てのものが緩やかに動いているようにも見えてしまう。数年前まではこの師匠モードになる度に吐いていたことを思い出すな。

 

 それがマシになったのは思考の速度に体が付いていけるようになった頃だ。そう考えると俺も成長したということだろう。

 

 メールに記された内容と各グループの面子、そして干支という大きなヒント。それら全ての情報を組み合わせて加速した思考の中で一つの答えを弾きだした瞬間に、師匠モードは波が引くように消えて行くのだった。

 

「ん……こっちもだいたいわかった。明日のメールで誰が優待者になるか現時点ではわからないけど、推測通りなら干支の順番と名前の五十音順に結び付けられそうだな。わざわざ干支だなんて括りを使ったんだからちゃんと意味があるんだろう」

 

 こじつけで、妄想で、かつ何の確証もない推測でしかないけど。俺はこれが優待者の法則だと思う。明確な証拠もなく実証も現時点ではできないが……直感がそう告げている。

 

 言ってしまえば単純な法則だったので別に素面でも良かったかもしれない。試験という緊張を強いられる環境ではなく、テレビ番組のなぞなぞクイズのように出題されればもっと簡単に解けただろう問題だ。

 

「同意見だ」

 

 どうやら清隆の考えと一致していたらしい。これで外れていれば大恥をかく所だったな。

 

 この推測が正しいか否かはわからない。俺と清隆の推理と直感でしかない。だが明日の八時に答え合わせとなる誰が優待者に選ばれたかを証明するメールが来る筈なので、それ待ちになるだろうな。

 

「天武、お前のそれは何というか……二重人格のようなものなのか?」

 

「そんな訳ないだろう。ただ憧れの人を真似てカッコつけてるだけさ」

 

「ある種の自己暗示による極まった集中状態ということか……一部のプロスポーツ選手などは試合中は性格が変わったりするらしいが、それと似ているのかもしれないな」

 

 清隆が師匠モードに変な推測をしている。ただそれっぽく振る舞ってるだけで俺が俺であることは変わらないんだが……。

 

「清隆もやってみるかい? 案外慣れると楽に行き来できるものだよ」

 

「因みに何をすればそうなれるんだ?」

 

「師匠は俺を何度も急な傾斜の山の上から突き落としたっけな……何度も何度もだ、気が付いたらあらゆることに集中できるようになってた。死と生の狭間に活路を見出すんだ」

 

 死にたくないからあらゆる物にしがみ付いたり指を引っ掛けたりしながら、なんとか転げ落ちる勢いを殺したものだ。何度かそれを繰り返していると集中力が凄く高まったと思う。やっぱり師匠は凄い。

 

「お前の師匠は人権という文字と意味を学んだ方が良いと思うぞ」

 

「その言葉は師匠よりも先にホワイトルームとやらを作った連中に言いなよ」

 

「あそこの大人にそんなことを説明しても理解できる筈がないだろ」

 

「師匠だってそれは同じだ……はぁ、言葉は無力だなぁ」

 

 やはり力か、この世はそれが全てなのか……悲しい事実だ。

 

「そうだな」

 

 もしかしたら俺と彼は似ているのかもしれない。そんなことを思う夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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船上試験 2

ざっくりと天武くんの武力が8なら綾小路は2。思考力は師匠モード込みで五分五分。知識面では綾小路が8で天武くんは2くらいとなっております。

なお、優秀な人でもせいぜい0、1くらいな模様。良くて1くらいかな。

坂柳「あれ、もう詰んでるのでは?」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝、いよいよ特別試験が始まる当日。あともう少しで生徒たちにメールが発信されて誰が優待者なのかわかることになる。つまり俺と清隆の推測が正しいかどうかわかることになる時間だ。

 

 ある程度、優待者に繋がる法則は推測できたのだが、それが実際に正解なのかどうかは誰が優待者に選ばれるのかがハッキリするまでわからないだろう。

 

 なので今、俺と清隆はその時が来るまで朝飯を一緒にしていた。モーニングコーヒーとサンドイッチを注文した清隆に対して、俺はミルクとパンケーキである。

 

「もうすぐ八時だな」

 

「あぁ、推測が正しいかどうかようやくわかるね。やきもきしたよ」

 

 スマホで時間を確認してみると今は7時30分、後もう少しといった所だ。

 

 俺たちの推測が正しいという前提で、これまではどう試験に勝つのではなく、どう終わらせるかを話し合っており、それもある程度は固まっていた。実際に上手く着地させられるかどうかはまだわからないが、大まかな方針は示せたと思う。

 

 さて上手に着地させられるだろうかと考えていると、俺たちが使っているカフェの椅子に座る人物が現れた。

 

「おはよう、堀北さん」

 

「えぇ、おはよう笹凪くん……それに綾小路くんも」

 

 その人物は堀北さんであった。彼女もまたトレイの上にコーヒーと軽食を乗せて机の上に置いている。清隆もそうだがコーヒーを平然と飲めるのは凄く大人な雰囲気があるな。

 

「なんだか眠そうに見えるけど」

 

「少し夜更かしをね……優待者の法則を考えていたのよ」

 

 なるほど、やはり堀北さんも法則を考えてくれていたようだ。そして言い終わった後に自信がありそうな顔を見せるので、これはどうしても期待が高まる。

 

「おぉ、ぜひ聞かせてほしい」

 

「えぇ。ただし、これが正解かどうかはわからないわよ? こじつけだし、証明はまだできないもの」

 

「構わないさ、こっちも色々考えてたから意見を交えよう」

 

 堀北さんは頷いてから持っていたノートを机の上に置いた。そこには大量の文字であったり、数式のような物であったり、メモ書きや推測文字のような物が書き込まれているのが確認できる。

 

 どうやら様々な方向性を模索して、可能な限りの可能性を考え、そして見落としがないか何度も調べていたのだろう。

 

 やっぱり堀北さんは努力の人だよな。そして極めて王道な戦いや思考を好む。結局はこういう人が一番安定感があると言えるだろう。Aクラスの葛城なども似たタイプである。

 

 あとほんの僅かに柔軟な思考と経験を物にできたのなら、強いリーダーになれると思う。

 

「色々と考えて模索したけれど……やはり干支というキーワードがカギになると思ったのよ」

 

 結論は俺たちと同じだ。清隆も机の上で広げられたノートを眺めながら少し驚いたような顔をしている。もしかしたら彼は堀北さんが法則を発見するとは思っていなかったのかもしれない。

 

「うん、わかるよ。干支の順番と五十音順の結びつきだね」

 

 俺がそう言うと堀北さんはきょとんとした顔をして驚いて見せる。普段は見せない顔なので可愛らしいと思った。

 

「どうやら笹凪くんも同じ結論に至ったみたいね」

 

「俺だけでなく清隆もだよ」

 

「……綾小路くんが?」

 

「偶々だ、何となくそうなんじゃないかと思っただけだぞ」

 

 堀北さんの視線が清隆に向かう。何故か敵意を感じる瞳である。

 

「そう、そうなのね……とりあえずは大したものだと言っておきましょうか。さすがは私のライバルね」

 

「……え?」

 

「でもこんな単純な法則が解けたくらいで良い気にならないで頂戴。誰にだって会心の出来というものがあるのだから、次も同じようにできるとは思わないことね」

 

「あ、はい」

 

 珍しく清隆が堀北さん相手に引き気味である。そして視線を俺に向けて「ライバル?」と問いかけて来るのだが、俺にだってそれはわからない。

 

 何らかの理由で彼女はライバル視しているのだろう。今も鋭い視線を向けておりとても居心地が悪そうな顔を清隆はしていた。

 

 これはこれで良い傾向なのだろうか? 師匠は人生にライバルが必要だって言っていたから、競い合える相手というのは重要なのだろう。

 

「まぁまぁ堀北さん、落ち着いて。そろそろ八時だからメールが来そうだよ。俺たちの推測が正しいかどうかを確かめよう」

 

「そうね」

 

 ようやく堀北さんの敵意と言うか、ライバル心のような物から解放されたことで清隆はホッと安心したかのような溜息を吐くのだった。

 

 カフェにある時計を眺めているといよいよ八時、メールが来る時間であり、学校側からの予告通り俺たちのスマホは同時に震えだす。

 

 これで三人の内、誰かが優待者に選ばれてしまえば、俺たちの推測の全てが破綻してしまうことになるのだが……。

 

「どうやら、私たちは優待者には選ばれなかったようね」

 

「残念と思うべきなのか、推測が一先ずは外れていないことを喜ぶべきなのか、ちょっとわからないな」

 

 机の上にスマホを置いて届いたメールを見せ合う。きっちり同じ内容が書かれており優待者には選ばれなかったことを証明していた。

 

「この推測が正しい物として考えるとして。重要なのはどう終わらせるかなんだけど……」

 

「まだ推測が正しいと確定した訳ではないわ。慎重に動くべきだと私は思う」

 

「そうだね。確定した訳じゃないから断言はできないか……とりあえずウチのクラスの優待者が推測通りなのか調べておこうか」

 

 こういう時、頼りになるのが平田と櫛田さんである。二人にメールを送って優待者は名乗り出て欲しいと要請すれば、すぐに返答があるだろう。

 

 櫛田さん、南、そして軽井沢さんの三名が優待者候補だ。ただ俺は直感でこの推測が正しいものだと確信しているから間違っているということはないと考えていた。

 

 平田も快く受け入れてくれて、櫛田さんからは自分が優待者だというメールが届く。

 

「櫛田さんは優待者に選ばれたみたいだ。この分なら他の二人も合ってるんじゃないかな」

 

「そう、推測の裏付けにはなると思うけど……可能なら他のクラスの優待者も正解しているのか知りたいわね」

 

「慎重だね、堀北さん」

 

「もしミスがあったらマイナスが多いもの、軽率な行動はできないのよ」

 

「全くもってその通りだ、反論の余地がない……因みに聞いておくけど、君はどう今回の試験を着地させるつもりだい? やりようによっては一気にAクラスになることも可能だけど」

 

「それは……そうね。迷いがないと言えば嘘になってしまうわ」

 

 彼女はAクラスに上がって生徒会長に認めてもらいたい。けれどもう気が付いてもいるのだ、ただそれだけではあの人に認めてもらうには足りないのだと。

 

 Aクラスに上がれる妹を見たいんじゃない、一人の人間として成長した妹を見たい。それを彼女はもう理解していた。

 

「兄さんに認めてもらいたい……それは今も変わらない」

 

「続けて?」

 

「けれど、ただAクラスに上がるだけで達成できるものじゃない……それはもうわかってる」

 

 四月頃の堀北さんと今の彼女を会わせてみたい、ここ最近はそう思うことが多くなったな。

 

 寧ろハリネズミ堀北さんが懐かしくすら感じ始めている。変な感覚だ。

 

「だから今はまだ、力を蓄える時だと思っているの」

 

「ん、何せ色々と足りないものが多いから、ウチのクラスは」

 

「えぇ。そう考えると、無人島で貴方が言っていたBクラスの立ち位置は悪くないわ」

 

「あともうちょっとで、もう少しでAクラス……そしてもっと頑張らないと追いつかれてしまう、そういう空気のことだね」

 

「ずっとDクラスで彷徨っているよりは、効果的なのは間違いないでしょうね」

 

 追う側と追われる側も一度に体験できる訳だからね。その分プレッシャーも大きいだろうが、だからこそとも言えるだろう。

 

「笹凪くん、一つ訊きたいのだけど」

 

「何かな?」

 

「仮に今の状態を維持してクラスの総合力が上がったとして……どのタイミングでAクラスを超えようと思っているのかしら?」

 

「総合力は一日二日で向上するものでもないから何とも言えないけど……Aクラスになる最低限の条件というか、ラインのようなものは、意思と覚悟を問いかけて固めてからだと思ってる」

 

「意思と覚悟?」

 

「ん、Aクラスに挑む意思と、その立場を守る覚悟、そして雰囲気だ……クラスの中にはもしかしたらそこまでAクラスに上がることに熱心じゃない人もいるかもしれないしね」

 

「そんな人物がいるのかしら?」

 

「いるかもよ……或いは、どうせ無理だからと思っている人とかね。もしくはクラス間の競い合いをどこか他人事のように感じている人だって中にはいるだろう。もしかしたら自分じゃない誰かが勝手にやってくれると考えてるか。そういった人たちも全部ひっくるめてクラスが一つの戦力として纏まることが重要だと思ってる」

 

「だから、意思と覚悟なのね」

 

「あぁ、今にして思えば、俺たちはそもそもAクラスを目指すという目標を掲げることも、その意思があるのかと問いかけることもしなかった……それをなすことが、俺はAクラスに挑む最低条件だと思ってる」

 

 そんな俺の発言に堀北さんは考え込む。

 

「なるほど……笹凪くんの考えはわかったわ」

 

「もちろんだけど、意思と覚悟だけでは足りないだろう……けれど、それが無いと話にもならない。もしAクラスになれたとしても、絶対に長く続かない」

 

「課題は多いわね」

 

「まぁあくまで俺の考えであり理想でしかない。もしかしたらAクラスが大ポカやらかして予期せぬ形でこっちが上がる可能性もあるんだ。できたらいいな位に考えておいてよ」

 

 そこで俺は机の上に広げられていたノートを閉じて中身を隠す。面倒な客が近寄って来たからね。

 

「ようお利口ゴリラ」

 

「やあ龍園、君も朝食かい? 良ければ席にどうぞ。一緒に仲良く食べようじゃないか。特別試験のことで他クラスの人からも印象を聞いてみたかったんだ。何だったらここは奢るよ? パンケーキで良かったかな?」

 

「気安く接してくんじゃねぇ」

 

「伊吹さんも遠慮なくどうぞ。好きなもの頼んでよ……あ、ほっぺたは大丈夫かい? 腫れは引いたかな?」

 

「……あ、あぁ」

 

 龍園と一緒に姿を現した伊吹さんは俺を見て少したじろいでいる。ゴリラに気遣われて変な気分になっているみたいだ。悲しい反応だね。

 

 それでもこの二人は椅子に座って向かい合ってくれるのだから、きっと絡みに来てくれたのだろう。

 

「よお鈴音、ゴリラと金魚の糞を引き連れて随分と良いご身分だなぁ。お前がゲテモノ趣味だとは知らなかったぜ」

 

「気安く名前を呼ばないで龍園くん……それから猫を被っていたことを見破られたら、あっさりと行動を共にするのね伊吹さん。付き合う友人はしっかり選んだ方が良いわよ。貴女、男の趣味が悪いのね」

 

「だとよ、伊吹」

 

 ギリッと、奥歯を噛みしめる伊吹さんは。堀北さんと龍園を睨みつけながら凄くご立腹な様子である。

 

「龍園、君にもメールが届いただろう? 優待者にはなれたのかい?」

 

「テメエに教える訳がないだろ。それともお前は尋ねられたら教えてくれるのか?」

 

「構わないよ、優待者に選ばれたのは俺だ」

 

「クク、舌の回るゴリラだ。それを信用する訳がないだろう」

 

「だろうね、言ってみただけさ」

 

 龍園はだらしなく椅子に座って俺たちを眺めて来る……さっきから清隆の気配が無いと思っていたが、彼は可能な限り目立たないように存在感を消してコーヒーを啜っていた。俺は壁ですとでも主張しているのかもしれない。

 

「君はこの試験をどう思う?」

 

「さてな」

 

 ニヤニヤと俺たちを見てくれる龍園は、きっと挑発と観察をしに来たのだろう。思考の瞬発力はある男なので、観察力にも優れているのかもしれない。

 

「あ、そうだ。一つ訊きたいことがあるんだけど、君は無人島でAクラスと取引したんだよね?」

 

「だとしたらどうなんだ?」

 

「いや、ちょっと気になって。どういう形の契約に落ち着いたのか知りたいからさ。例えば提供した物資のポイント分、プライベートポイントで支払うとかなら、Aクラスは大変だなぁと他人事のように思う訳だ」

 

「なんだ、わかってるんじゃないか」

 

「因みにどれくらいの額なんだい? 毎月2万ポイントをクラス全員からとかなら、毎月君の懐には80万ポイントが入って来ることになるけど」

 

 その言葉に堀北さんはピクッと眉を揺らす。龍園が無人島で行った戦略を知って思う所があったのだろう。結果だけ見ればDクラスの圧勝だったが、彼はそんな状態でもしっかりと利益を確保していたのだ。

 

 彼女から見た龍園の評価はわからないけど、これで大したことのない相手だとは思わなくなった筈だ。

 

「しかしAクラスは凄いな、そんな契約を結べるほど資金力があるんだからさ」

 

 龍園のニヤニヤした顔はもう消えている。ただ鋭い視線でこちらを観察してくるだけだ。

 

「お利口ゴリラ、お前から見た葛城はどんな男に見える?」

 

「優秀な人だと思うよ」

 

「おいおい、心にもないことを言うんじゃねえよ」

 

「いやいや、本音だって。このままずっとリーダーを続けて欲しいくらいだ」

 

「そいつは葛城がリーダーの方が都合が良いとも聞こえるぜ」

 

「実際にその通りだ。君みたいなタイプの相手が何人もいられたら絶対に困る。君だってゴリラが沢山いる学校なんてごめんだろう」

 

「そりゃそうだ。そう言われると何の反論もできねえな」

 

「そんな訳で、個人的には彼を応援しているのさ」

 

「アイツもここまで舐められてると知れば、多少は面白味も出て来るかもなぁ」

 

 彼はそこで椅子から立ち上がって俺たちを見下ろした。

 

「無人島ではお利口ゴリラがやりたい放題やったみたいだが。次は同じような手が通じるとは思わないことだ……せいぜい頑張れよ」

 

 確かに、スポット引っこ抜き作戦はここでは意味がない。閃きや観察力が物を言うのでもしかしたら俺たち以外にも法則に気が付く人もいるかもしれないな。

 

 去っていく龍園と伊吹さんを見送りながらそんなことを考えていると、これまでずっと気配を消していた清隆がようやく喋りだす。

 

「こっちの動きを監視してたのかもな」

 

「タイミングが良すぎるか、それだけこっちを意識してるってことなんだろうけどね」

 

「侮られるよりはずっとマシと考えましょう」

 

 堀北さんがコーヒーを飲んでそう言った。確かに警戒の表れとも取れる行動だ。

 

「それより笹凪くん、さっき言ったプライベートポイントをAクラスから受け取っている話、事実なのかしら?」

 

「ほぼほぼ間違いないと思うよ。無人島でCクラスは早々にリタイアしたけど。物資はそのままAクラスに横流しされていた筈だからさ」

 

「その報酬としてポイントを受け取っているのね。結果だけ見れば彼らは大敗していたけど……」

 

「龍園は侮れない男だろう?」

 

「……愚かであるとは言わないわ」

 

「そんな男がこうして立ち塞がって来てるんだ、きっと俺たちは幸運なんだろう」

 

「幸運? どういうことかしら?」

 

「困難をそれだけ楽しめるってことさ。順風満帆よりはずっと良い」

 

 男の人生はそれで良いって師匠が言ってた。

 

「まぁ、とりあえず今は俺たちの推測が正しいって前提で、この試験をどう乗り越えるかを考えようか。二人は何か意見があるかい?」

 

 どう勝つかはもうわかってる。だから大事なのはどう終わらせるかだ。これは無人島でもそうだったな。

 

 今後のクラスの方針や士気にも繋がることなので、しっかりと相談しておいたほうが良いだろう。

 

 一回目の話し合いまで時間はまだある。しっかりと展開を詰めておかないとな。

 

 

 

 

 

 

 



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船上試験 3

天武「±ゼロ!! ±ゼロだから!! 絶対に損させないから!! いや、寧ろこれは君に利益のある話だから!! だからこの契約書にサインしようね」


 

 

 

 

 

 

 堀北さんと清隆を交えて今後の方針を語り合い。最終的にこんな形に着地させられたら良いなって感じの決着を共有した段階で時間が来て、それぞれが指定された部屋に向かいいよいよ特別試験が始まることになった。

 

 平田と櫛田さんと合流して、四人で部屋の中にはいると既に何人かは席に座っているのが確認できる。

 

 俺たちが席に座ると最後に時間にルーズそうな龍園たちがギリギリでやって来てニヤニヤしながら席に座った。

 

 そして船内放送が試験の開始を告げた段階で、遂に特別試験が始まるのだった。

 

「とりあえず自己紹介から始めるかい? もしかしたら互いの名前や顔が一致していない人もいるかもしれない」

 

 平田がまずはそう伝える。話し合いの滑り出しとしては無難で何も問題はない。ただしここに集った面子が最悪という点を除けば百点だろう。

 

「はッ、この面子でか?」

 

 ほら見ろ、さっそく龍園がケチ付けだしたぞ。

 

「うん、学校側からの指示でもあるし、仮にそれを無視した場合は何らかのペナルティが与えられる可能性だってゼロではないと僕は思う。せめて自己紹介くらいはした方が良いんじゃないかな」

 

「平田に同感だ。最低限、それくらいは行うべきだろう」

 

 葛城は試験が始まったばかりなのに目を閉じて渋面を作っており、龍園はニヤニヤと馬鹿にするかのような笑みを浮かべている。そんなリーダーたちの対応に引っ張られているのかそれぞれのクラスの生徒たちも似たような感じである。こんな所にも性格が出るな。

 

 そんな中であっても神崎だけはいつもの冷静沈着な表情と佇まいである。あまり表に出る男ではないが物静かな雰囲気は女子たちの中で評価が高いらしい。平田に同調して会議を進めようという意思も高評価であった。

 

「そうだな、では自己紹介くらいはしておこうか」

 

 部屋に入ってきてからずっと仏頂面だった葛城も重たい口を開く。そこからようやく自己紹介が始まる。

 

 それぞれの名前と所属クラスを説明して、特別試験のスタートが切られるのだった。

 

 しかし、あれだな、龍園が自己紹介している光景は変な感じだ。あまりにも似合っていない。熊が可愛らしい声で喋っているかのような違和感すら感じてしまう。本人に言ったら怒るだろうけど。

 

「さて、こうして集まってそれぞれの結果を追い求める形になるけど。意見はあるかな?」

 

 ここから先は俺と平田がバトンタッチする。彼にもこっちの思惑や考えは伝えてあるので任せてくれと言うと納得してくれた。

 

 信頼が厚い気もするが、とてもやり易いのでありがたい反応である。

 

 部屋の中にいた全員の視線が俺に集まった。瞳に宿った感情や評価は様々ではあるが、誰もが総じて一定の評価を向けているのがよくわかるな。警戒もあるが侮りは皆無なのは喜ぶべきなのかもしれない。

 

 少なくとも侮られるよりはマシなのだろう。

 

 なにせお利口ゴリラだから。普通の人間はゴリラを前にしたら驚くものだからこの場にいる全員の反応は何も間違っていない……自分で言ってて悲しくなってくるな。

 

「それぞれのクラスの方針とか、求める結果とか、何かあるだろうか?」

 

「笹凪、お前はどうするつもりなんだ?」

 

 神崎の問いかけに俺は少し考えてからこう返す。

 

「ぶっちゃけるとそこまで大きな結果は求めてないかな。俺たちが欲しいのは意思と覚悟を固める時間ときっかけだからね」

 

「どういうことだ」

 

「そのままの意味さ。こう言っちゃうとあれだけど、俺たちのクラスは学年で最も総合力が低い集団だと思っている。一時的な個人技や奇抜な発想で試験に勝てたとしてもそれが長続きするだなんて思ってないんだ……そう考えると今の立ち位置は凄く良い。Aクラスの背中が見えて、他のクラスからも追い抜かれるかもしれないという危機感が同時に味わえるからね」

 

「なるほど、今はAクラスを目指すのではなく、地力を付けることを優先しているのか」

 

「その通りだよ神崎、何せまだ一年の夏だ。焦るような時期でもない。だからこの試験はマイナスになりさえしなければ良いとさえ考えてる。もちろん、利益を確保できればそれに越したことはないだろうけどね」

 

「ふむ、ではどんな結果を望むんだ?」

 

「やっぱり結果1かな。これが一番大きなポイントが貰える……まぁ簡単ではないんだろうけど。神崎はどうだい?」

 

 因みに、結果1を目指しているというのは完全に嘘である。いや、できたら良いとは思ってるけどほぼほぼ不可能だから別の道を模索した結果としてそうなってしまった。

 

「結果3だ。笹凪には悪いがな」

 

「構わないさ。戦略目標としては当然だ。君たちのクラスはウチと違って地力も意思も覚悟もあるだろうから。Aクラスになったとしてもプレッシャーに押しつぶされることも無ければ、慢心することもないだろう」

 

 Aクラスに続いて総合力の高いクラスだからな、一之瀬さんクラスは。

 

「それじゃあ龍園はどうだい? 求める結果とか、方針とか何かしらあるだろう?」

 

「それをお前に教える必要がどこにある?」

 

「話さないってことかい? まぁ会議の内容は生徒に一任されてるからそれも一つの戦略なんだろうけどさ……もしかしてAクラスも同じ方針なのかな?」

 

 これまでずっと仏頂面で黙りこくっていた葛城に視線をやると、彼は当然とばかりに頷いて見せた。

 

「Aクラスは沈黙とさせてもらうつもりだ。この試験はそれこそが必勝方法だろう。何より誰も損をすることなく大量のプライベートポイントを得ることができる。下手に疑い裏切り者を出すことは絶対に避けなければならない」

 

「だから沈黙か」

 

「そうだ。笹凪も同意見のようだが?」

 

「……大量のプライベートポイントが手に入るのは嬉しいね。ただそれが実現できればの話だけど」

 

 絶対に無理だろう。必ず裏切りものが出るし、そうなるように学校側が仕向けてる試験だぞ? そもそもAクラスには葛城を失脚させたい勢力がいるのでどれだけ黙ろうが必ず情報を横流しされるだろう。

 

 彼はその辺をわかっているのだろうか? これだと慎重ではなくて臆病なだけになっている。

 

「貴方の主張は、他クラスから距離を詰められたくない思惑が透けて見えるわね」

 

 堀北さんの言葉が全てである。全員が損をしないと言うが、結局はそこに葛城の主張は集約されるのだ。

 

「何と言われようとこちらの方針は変わらないAクラスは沈黙とさせてもらう」

 

 その言葉を最後に、葛城とAクラスの生徒たちは完全に黙ってしまう。この感じだと他のグループも似たような感じになるんだろう。

 

「さてどうしたもんかな。4クラス中、2クラスがだんまりだ。これじゃあ話し合いが成立しそうにない」

 

 別に個人的にはそんな状況も悪くない。この会議で確認したかったのは各クラスの優待者ではなく方針や考え、そして現状への焦りである。

 

 それさえ確認できれば後はだんまりでも問題はない。

 

 仏頂面の葛城率いるAクラス、にやけ面の龍園、そんな両者を何とも言えない顔で見つめる神崎、そして苦笑いする平田と櫛田さん。

 

 うん、わかってはいたことだけど、この面子で会議だなんて無理だ。

 

 まぁ構わないさ。どう勝つかではなく、どう終わらせるかをこちらは考えているんだから。そもそも話し合いなんて茶番であり無駄なことでしかない。

 

 俺がこの会議で確認したかったことはただ一つ。それは優待者の存在ではなく、各クラスの、正確には葛城が感じている危機感である。

 

 それがわかったので、もう俺の中で特別試験は終わったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍園は面白いと俺は思う。これは別に侮っている訳でもなければ煽っている訳でもなく、純粋な賞賛であり評価でもある。

 

 俺は無人島試験でどれだけ効率的にスポットからポイントを吐き出させることをゴールとして動いていたが、彼はリーダー当てに焦点を当てて、かつそれが失敗した時の保険としてAクラスからポイントを毟りとる作戦も同時に走らせていた。

 

 面白い発想であり、同時に無駄のない作戦でもある。結果的にリーダー当ての方は失敗してしまったが。だからといってこの作戦が完全に誤りであったとは思えない。

 

 結果論で全てを語れないということだ。そこは凄く評価できるし、清隆も同意見だった。

 

 だからこそ今回はそれを参考にしようと思う。

 

 師匠曰く、参考にできる所はしっかり盗めだ。

 

「葛城、少し話が……いや、取引があるんだが、耳を傾けてくれないか?」

 

「……」

 

 一回目の会議が終ってすぐ、先に退出して廊下を歩いているずっとだんまりだった葛城に声をかける。相変わらず仏頂面のままであり。何も話すことは無いと視線で訴えていた。

 

 この状態では何を言った所で彼の表情が変わることはないだろう。せっかくなのでお茶でもしながら話し合いたいんだけどな。

 

「お茶でもしながら話さないかい?」

 

「……」

 

 何か喋ってくれよ。ゴリラと会話はできないと思ってるのかな?

 

「君と俺たちにとって重要な話をしたいのさ。もちろん、嫌ならこのまま去ってくれて構わないんだけど」

 

 やはり話すつもりはないのだろう。俺がそう言うと葛城は仏頂面のままその場から去ろうとする。

 

 そんな彼に、俺はAクラスの優待者の名前を小さく告げた。

 

「ッ!?」

 

 驚いてるなぁ、当たり前のことだけど。

 

 そして同時に、俺たちの優待者推測が正しいことをこの瞬間に確信するのだった。

 

「わかりやすく動揺しちゃ駄目だよ。こういう時は例え図星でも不敵に笑って何のことだって言い返さないと」

 

「どこから情報を得た? また坂柳派か?」

 

 そう言えば無人島では坂柳派のリークでリーダー指名に成功したことになってるんだったか、嘘なんだけどとても都合が良いので押し通す。

 

「さてね……重要なのはそこではなく、俺たちが今すぐこの試験を終わらせられるってことだ。それもAクラスの大敗という形で……話を聞く気分にはなったかな?」

 

「解せないな。仮にお前の情報が事実だったとして、わざわざ俺と話などしないままさっさと終わらせることもできる筈だ」

 

「応とも、ウチのクラスの状況次第ではそうしていただろうね。でも今はまだその時じゃないってことさ」

 

「……」

 

「まぁゆっくり話そうよ。遊戯室でさ」

 

 歩き出して船内にある遊戯室に向かう。さすがに葛城も無視を決め込むことが出来なかったのか黙って付いてきてくれる。

 

 昨晩に清隆と一緒にビリヤードを楽しんだ遊戯室は閑散としていた。試験の緊張と雰囲気で和やかに遊ぼうとはならなかったのだろう。人がいないのは好都合だった。

 

「ダーツでもしながら話そうか」

 

「さっさと本題に入れ」

 

「せっかちな人だ……これから協力関係を結ぶんだから穏やかに行こうよ」

 

 ダーツの矢を借りて的に向かって投げると、上手にど真ん中に突き刺さる。この手の暗器の扱いは師匠から叩き込まれているので、おそらく外すことはないだろう。

 

「俺たちは既に全てのクラスの優待者を把握している」

 

「不可能だ」

 

「でもAクラスの優待者は正解だっただろう? あれは坂柳派のリークじゃなくてこちらが地力で辿り着いた結果だ」

 

「……」

 

 葛城の渋面が留まる所を知らない勢いだ。苦虫でも噛んでいるのかもしれない。

 

「さっきの話し合いで言ったと思うけど、Dクラスの総合力って学年で最下位だと思うんだ。信頼、団結、意思、そして学力や覚悟……こんなことは言いたくないけど、Aクラスに上がった所で必ず調子に乗って慢心すると思う」

 

 誰がとは言わないけどね。

 

「俺たちが欲しいのはそういった欠点を補い埋められるだけの時間なんだ。だからBクラスって立場は凄く良いと思う。追う側と追われる側を一度に体験できるからね。ずっとDクラスにいるよりは総合力の向上に役立つだろう」

 

「だから今はAクラスになる必要はないと?」

 

「その通りだ……まだ一年の夏だからね、焦るような時期でもない。まぁこんな悩みは入学した段階でAクラスにいた君たちには考えられないことかもしれないけど」

 

 またダーツの矢を投げる。するとまたど真ん中に突き刺さった。

 

「無人島試験で大きくポイントを稼ぐことができた。心と財布にもある程度の余裕ができた。そんな今だからこそまずは意思と覚悟を問いかけて一致団結したいんだ。今のままAクラスに上がった所で先が見えてるからね」

 

「……お前の考えはわかった。本題に入ってくれ」

 

「あぁ、そうだね……ん、俺と君とで、つまりはAとDでこの特別試験を談合で終わらせようじゃないか」

 

「……」

 

 渋面が解けないな、もうそのまま帰ってこれないんじゃないだろうか。

 

「こちらが提供するのは優待者の情報、求めるのはプライベートポイント、どうだろうか?」

 

「具体的には?」

 

「今回の試験でプラスになったクラスポイントと同価値のプライベートポイントを、Aクラスの生徒全員から毎月支払って貰いたい。もし200ポイントなら2万だから全員で毎月80万だね」

 

 今度は渋面だけでなく眉間に皺が寄った。龍園を参考にして提示した契約だけど、彼の中では考えたくない出費なのだろう。

 

 当然だ、龍園の裏切りによって無人島では200ポイントを下回る成果しか得られなかったんだ。警戒しない訳がない。

 

「葛城、君は無人島で龍園と取引していた。物資を横流しして貰ってそれで乗り越えようとしていた、そうだね?」

 

「知っていたのか……」

 

「もしかして君はAクラス以外の生徒は馬鹿だと思っていないかな? 少し考えれば誰にだってわかることだよ」

 

「……」

 

 とりあえず黙るのは止めて欲しい、話が進まないから。

 

「ただ一つ言わせて貰うけどね。俺は君が取った戦略がそこまで酷いものだとは思っていない。結果こそ振るわなかったかもしれないが、だからといってその作戦が間違いであったとは思わないんだ」

 

 今度は少し距離を離してダーツの矢を投げる、吸い込まれるように真ん中に突き刺さった。

 

「君の決定的なミスは一つ、取引した相手が龍園だったというそれだけだ。そこだけが誤りだった……或いは、契約を結ぶ際に、互いのリーダーを指名しないという形で結ぶべきだったかもしれないね。石橋を叩いて渡るとはそういうことさ」

 

「お前は違うと?」

 

「少なくとも他者と接する時は誠意と敬意を持ちたいと思っている。それに後ろから突き刺すより正面からぶん殴った方が俺の場合は早い」

 

 それに、そういった役目は清隆が受け持ってくれているからな。俺は正面からぶん殴るだけである。とても楽だ。

 

「そうだね、石橋を叩くなんて言葉を使ったのはこちらだ……だからこんな契約を盛り込むのはどうだろうか? 例えば、もしこの取引でAクラスが損失を被った場合は、その補填としてウチのクラスがポイントを支払うとか。これなら君も安心だろう?」

 

「それは、そうだが……」

 

「もしマイナス100ポイントならこっちが同額のポイントを、200でも同じだ……どうかな?」

 

 顎に手を当てて小さく唸る葛城……この感じはあともう少しって感じかな。

 

「もしかしたら君はこう思ってるんじゃない? これではポイントによる買収で試験を乗り越えようとしているリーダーと思われるんじゃないかって」

 

「事実、そうだろう……クラスメイトからそう判断されてもおかしくはない」

 

「それは違う。君がどういう姿勢で試験に挑んでいるのかはしらないが、ポイント力、つまりは資金力を背景にした作戦や戦略は持てる者の基本戦略だ。それをなせるだけの立場と状況を誇って堂々と押し通すべきなんだよ」

 

 実際、資金力でぶん殴るというのは、とても単純で強力だ。根本的な対処が難しいほどに。

 

「確かにこの契約を結んだら相応のプライベートポイントが流出するだろう。けれどクラスポイントは確実に増えるんだ……±ゼロと考えるか、それとも+と考えるのか、それは君次第だ」

 

「……」

 

 渋面を解いて、目を閉じた状態で深く考え込む葛城は、暫くしてからこう言った。

 

「もしこの話を断ったら、どうするつもりだ?」

 

「一之瀬さんクラスに話を持っていくね。俺としてはそれでも構わない。重要なのは時間稼ぎと今の立場であって。別にAクラスがどこであるかなんてどうでも良い。寧ろ彼女の方が話を通しやすいまである」

 

 これは事実だ。龍園との取引もあるAクラスはもしこの契約を結んだ場合は俺たちにも莫大なポイントを払う必要が出て来る。幾らクラスポイントが増えたと言っても良い気分にはならないだろう。

 

 だから一之瀬さんクラスでも構わない。けれど都合が良いのは間違いなくAクラスだ。もしどこかで葛城が失脚して坂柳さんが指揮することになったとしても、龍園とウチの二重苦の支払いで動きを鈍らせることができる。

 

 寧ろ、この契約の本質はそこにあるのかもしれないな。

 

「考えても見てくれ、Aクラスは毎月10万ポイントが入って来る立場だ。何不自由なく高校生が過ごすには十分な額とも言える。仮に龍園とウチにポイントを支払ったとしても、それは余剰分を吐き出しているに過ぎないから10万を下回ることはない」

 

「……」

 

 だから黙らないでくれ。

 

「加えてもしこの試験で損害が出た場合は、俺たちがポイントを支払う側になる立場だ、君たちにマイナス要素は何もない」

 

 これは事実。Aクラスに上がる為の準備と時間が欲しい俺たちと、今の立場を維持したい葛城の立場は、協力関係を成立させられる。

 

「どうかな?」

 

 俺は今度こそ握手をと願って掌を差し出した。

 

 彼の視線は何度も掌と俺の顔を行き来して、最後には右手を差し出すことになるのだった。

 

 つまり、ここに取引は成立することになる。

 

「ありがとう、これで俺はクラスを纏めることに集中できそうだ」

 

「契約書はしっかり作る。抜け穴の無いようにだ」

 

「もちろんだ。君も龍園に裏切られた経験をしっかりと反映すると良い。失敗から学べる人間は強くなれるよ」

 

「それともう一つ、得たクラスポイントがどれだけになるか現時点ではわからないが。最低でも50ポイント以上は保証して欲しい……いや、配慮して欲しい、だな」

 

「どういうことかな?」

 

「龍園と結んだ契約は200ポイント分の物資と同額のプライベートポイントを支払うことだ。しかし結果として200ポイントを下回る結果になってしまった、そこを補填したい」

 

 なるほど、無人島試験では170ポイントしか得られなかったので、確実にその不足分くらいは消したいのだろう。

 

「ん……具体的には?」

 

「もし、仮にこの取引で200ポイントを得たとしよう。その場合は150ポイント分のプライベートポイントの支払いにして欲しい」

 

「こちらだけが一方的に損をする要求じゃないか」

 

「そうだな、無茶を言っている自覚はある……」

 

「ん……どうしたもんかな」

 

「代わりに、この試験で得た報酬のプライベートポイントの一部を支払う形でどうだろうか?」

 

「それに加えて、できれば君の連絡先とか知りたいな」

 

「良いだろう」

 

「ならそれで行こうか、勉強代とさせてもらうよ」

 

 

 結び合った掌はそこで別れた。契約は完全に成立したことになる。

 

 

 しかしあれだな。

 

 

 契約を持ちかけた俺がこんなことを言うのはどうかと思うけど……彼は将来、特殊詐欺とかに引っかかって大ポカやらかしたりしないだろうか? 今は良いかもしれないがもしAクラスのポイントが1000を下回ったら、いよいよ地獄の始まりである。

 

 慎重で堅実な男という評価が、少しだけ揺らいでしまっている。まぁ龍園と取引するよりはずっと信頼できると思われているんだろうけど、それでも心配になってくるな。

 

 いや、別に裏切るつもりはこれっぽっちもないんだけれども。

 

 ただこれでAクラスには大きくポイントを吐き出させることができるだろう。もし坂柳さんがリーダーになってもAクラスとの契約は続くので、俺と龍園の二重苦を継続させることができるのだ。

 

 Aクラスは大変だな……他人事のように、そう思うしかない。

 

 

 

 

 

 



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船上試験 4

坂柳「勝手にローンを増やすの止めてください、私が大変です」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 DクラスはAクラスに対して情報提供を行い、その対価としてAクラスはプライベートポイントをクラス全員分毎月支払う。

 

 両クラスはこの試験で損害を与えないこととして、もしクラスポイントがマイナスになった場合はそのポイントを補填することを約束する。

 

 これらの条件が履行されなかった場合、賠償としてクラスポイントを払うこととする。

 

 この契約をDクラス担任の茶柱、及びAクラス担任の真嶋によって成立を見届け、効力を発揮するものとする。

 

 

 

 

 これが結ばれた契約の主なものだ。他にも細かな物はあるが重要なのがこれらであった。

 

 さっそく葛城と情報を交換してこの試験をどう終わらせるか微調整をしていく、これは言ってしまえばDとAでこの試験で得られるポイントを分け合うことであり、その配分を考えなければならない。

 

 ただこれに関してはそこまで揉めたりはしなかった。勝ちすぎる訳にはいかないので葛城に花を持たせる形である。こちらはマイナスにさえならなければ問題ないだろう。

 

 次に考えなければならないのは、誰に優待者の指名をさせるかということだ。その辺は部屋に戻ってからしっかり考えるとしよう。

 

「お疲れさま、笹凪くん。葛城くんとの話はどうだったかな?」

 

 船内にある部屋に戻ると平田が声をかけてくる。同じ部屋には清隆と幸村、そして高円寺の姿もあった。

 

「問題はないよ。葛城も納得してくれた」

 

「そうか、良かった。ならもう試験を終わらせるのかい?」

 

「そうしたいけれど、調整が色々残ってるから、もうちょっとかかるかな」

 

「調整? 話し合い? なんのことだ?」

 

 そう言えば幸村には何の説明もしてなかったな。たぶん反対するだろうし、後々騒がれても困るのでここで説明しておこうか。

 

「Aクラスと契約を結んだんだ。優待者の情報の代わりにプライベートポイントを毎月支払って貰う形で」

 

「なんだと? いや、待て、優待者の情報を渡したのか? そもそも法則性がわかったのか!?」

 

「落ち着け、幸村」

 

「これが落ち着いていられるか!? 優待者がわかったのならどうして指名しない!! 今ならばAクラスにだってなれるんだぞ!!」

 

 確か幸村もAクラスへの執着が大きい相手だったな。

 

「今、俺たちのクラスがAになって何になる。四月半ばのクラスの様子を思い出せ。あれが俺たちの本来の実力だぞ」

 

「そ、それはそうだが……」

 

「確かに今回は彼らに譲ったが何も不利益ばかりを得た訳ではないさ。代わりに彼らはクラスポイントと同価値分のポイントを毎月こちらに支払うことになっている。それはつまり、絶えずポイントが流出してるってことだ。これは治らない出血みたいなものだよ」

 

「……」

 

 幸村は難しそうな顔をして考え込む。頭が良い男なので俺が言いたいことは理解できている筈だ。

 

「まだ一年の夏だ。この契約は長引けば長引くほどに意味を持つ。それこそ三年の夏頃には、Aクラスと俺たちのクラスの間には、巨大な資金力の差が出来ているだろう。彼らから貰ったポイントによってな」

 

「……だから治らない出血か。よくそんなことを思いつくものだ」

 

「真正面から挑むだけが試験じゃないさ、これもまた戦いの作法の一つだ」

 

「はぁ、わかった、ある程度の理解はできる」

 

 財布とポイントにある程度の余裕があるから意地にならないな。やはり金持ち喧嘩せずということか。

 

「助かるよ。さて高円寺、話は聞いていたかい?」

 

 幸村はこれでいい、次は高円寺だ。

 

「君のことだ、もう優待者の法則はわかっているんだろ?」

 

 何故か高円寺は逆立ちをして腕立て伏せをしていた。仕方が無いので俺も同じように逆立ちをして腕立て伏せで迎え撃つ。

 

「ふッ、もちろんだとも」

 

「ん、それでこそだ」

 

「それで何が言いたいのかなマイフレンド」

 

「実は色々と微調整中でな……まぁその辺は君と関係がないからどうでも良いんだけど、できることなら優待者の指名は次の会議まで待って欲しい」

 

「ほう、今この場で終わらせてはいけないと言うのかね?」

 

「あぁ、会議が始まったらメールを送るから、指名するならそのタイミングだ」

 

 勝手に指名されると足並みが揃わなくて葛城に不信感を与えてしまうだろう。それは避けたかった。

 

「ふむ、気が乗らないねぇ」

 

「代わりと言っては何だが、これは貸し一つとしておこう。いつでも返そうじゃないか」

 

「グゥット、ではそれで手を打とうか」

 

「ありがとう、交渉成立だな」

 

 逆立ち腕立て伏せをそこで止めて立ち上がる。すると俺と高円寺の様子を見ていた平田と幸村はこっちを見て呆れたような表情を見せていた。

 

「よく高円寺と話を合わせられるな、変人と変人は引かれあうということか」

 

「ゆ、幸村くん、それはさすがに失礼だよ」

 

「はッ、はッ、はッ!! そこが凡夫と私たちの違いと言うことさ」

 

 高円寺も煽るようなことを言うんじゃない。

 

「平田、度々頼って悪いんだが、各グループで話を通せてこっちの指示に従ってくれそうな奴に今回の作戦を説明してやってほしい」

 

「もちろん、構わないよ」

 

「葛城と足並みを揃えて一斉にメールを送って試験を終わらせるからそのつもりで」

 

「うん。でも良かった。思っていたよりあっさり終わりそうで安心したかな、複雑な試験だったからどんな終わり方になるかハッキリわからなくて」

 

「あぁ、だが着地点を見つけられた……後は、意思と覚悟を問わないとな」

 

 そこが一番重要で、大事なことだ。

 

「ちょっと考えたいから外をぶらついてくるよ」

 

 清隆に視線を送ってからそう言って部屋から出ると、暫くして彼も同じように外に出て来た。

 

「上手く契約は結べたよ。これでAクラスは龍園とウチのクラスに二重の支払いだ。ローン地獄だな」

 

「資金力があるからこその戦略だろう、別に間違ってはいない」

 

「そうだね。Aクラスだからこそできる戦略だ」

 

「まぁ、クラスポイントが1000以下になったら地獄だろうがな」

 

 少しだけ清隆が悪い顔をしている。黒幕って感じの顔であった。

 

「優待者の指名はどうするつもりだ?」

 

「ん……マイナスにならない程度に調整するつもりだ。今回の契約では得たクラスポイントと同価値のプライベートポイントを毎月支払う形だから、Aクラスが得るポイントが大きければ大きいほど支払いも多くなる」

 

「そして、クラスポイントが減る度に、負担が大きく感じる訳か……嫌な契約だな」

 

「そこまでは責任は持てないよ。もしクラスポイントが減ったとしても、それは彼らの責任だ。こちらは関係が無い」

 

「そうだな」

 

 俺と堀北さん、そして清隆が話し合って出たのがこの着地点である。利益を得ながらもしっかりとAクラスに負担を押し付けたのだ。

 

「明日の話し合いですぐに終わらせるつもりだ。清隆もそのつもりでいてくれ」

 

「あぁ、わかった……そうだ、天武、一つ訊きたいことがある」

 

「ん、何かな?」

 

「軽井沢について、お前はどう思っている?」

 

「軽井沢さん? どうって訊かれても困るんだが……」

 

「印象や評価、或いは能力などだ」

 

「そうだねぇ、観察している限りでは女子チームのリーダーで、影響力の大きい子って感じかな。平田と付き合い始めたことでその立場が確定した感じはあるよね……後は、軽度の不安障害のような物も見て取れたかな」

 

「不安障害?」

 

「あぁ。常に誰かからの評価や視線を気にしている。それを気にしながら発言や行動を決定している、不安故に、そんな感じかな……それ自体は誰にだってあるものだけど、軽井沢さんはそれが少しだけ過剰だ」

 

「ふむ……不安障害か」

 

 深く考え込む清隆は、どうやら軽井沢さんが気になっているらしい。

 

「軽井沢さんがどうかしたのかい?」

 

「上手くやればこちらの協力者にできるかもしれない」

 

「そう? あまり無理はしないようにね」

 

「そうだな、無理はしない。お前や堀北がいる以上はそこまで重要な戦力でもないからな。ただ、こちらの意向を汲んで動かせる人物がもっと欲しいと思っていた所だったんだ」

 

「佐倉さんはどうだい?」

 

「佐倉? なぜその名前が出て来る?」

 

「いや、清隆と仲良くしてるみたいだから。仲間にできるんじゃないかって思って」

 

「……確かに、親しくはしているな」

 

「協力してくれるように頼んだら、案外あっさりと力になってくれるんじゃないかな?」

 

「……考えておく」

 

「そうするといい」

 

 頑張れ佐倉さん。正直清隆が誰かと付き合っている光景はあまり想像できないけど。当たって砕けなければ何も成せないって師匠が言ってた。

 

「とりあえずデートにでも誘ってみたら良いよ。男女が絆を育むにはそれが一番だ」

 

「そうなのか。わかった、参考にしよう」

 

「でも紳士的にね。変に飾る必要も盛る必要もないさ。凄く慣れてる感じよりも少し緊張して照れてるくらいの方が初々しくて案外可愛いって感じに思われると師匠が言ってたよ」

 

「お前の師匠は何でも知ってるな」

 

「そうさ、人生に必要な全てのことを教えてくれるんだ」

 

 清隆が誰かをデートに誘う光景を思い浮かべてみる……う~ん、どうなんだろう。上手く想像できないけどその時が来たらお祝いしよう。

 

「まぁどう動くかはそっちに任せるよ。正面戦闘は俺が幾らでも引き受けるから、背中は清隆に任せる」

 

「あぁ、わかっている」

 

 拳をコツンとぶつけ合ってから俺たちはわかれた。清隆は色々と調整することがあるらしいので何やら考えるようだ。そしてそれは俺も同じなので夜風に当たりながら今後の展開を頭の中で動かしていく。

 

 最悪マイナスにならなければ、全てのポイントを葛城に提供しても構わない。ただそれにもシビアな調整が必要である。龍園がどう動くか未知数ではあるし、もしかしたらどこかのグループが逸って次の瞬間にはメールを送る可能性もあるのだ。

 

 明日の会議までに状況が動かなければ、その前に葛城と最終確認を行う感じがベストだな。

 

 そんなことを考えていた時だ。デッキの上で一人佇む櫛田さんを発見したのは。

 

「おや、櫛田さん、一人かな?」

 

「え……笹凪くん?」

 

 声をかけると驚いた顔で櫛田さんをこちらを見つめて来た。

 

「珍しいね、君が一人だなんて。いつも誰かと一緒にいるイメージがあったから」

 

「あはは、そうだね。でもこの後にCクラスの人と会う予定があるんだよ。う~ん、それまでの暇つぶしかな。でもちょっと肩身が狭くて……」

 

「周りはカップルばかりだものね」

 

 デッキの上には共に星空を見上げるカップルの姿が多い。もう入学して数カ月、そして無人島試験を終えて豪華客船での生活だ。交際を始める男女も多いだろう。

 

「ふふ、こうして並んでると私たちもそう見られちゃうのかな?」

 

「なるほど、否定はできない。それにそんな噂をされるのも悪くはない。こそばゆいような、嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な気分になるね。ましてや相手が櫛田さんなら鼻も伸びそうだ」

 

 凄く青春っぽいよな。師匠が言ってた高校生あるあるだ。

 

「照れたりしないでそう言うのって凄く笹凪くんらしいね」

 

「そうかな?」

 

「うん、なんて言うのかなぁ、大人な対応? それとも女の子慣れしてる? そんな感じだよ」

 

「別にそんなことはないんだけどね」

 

「そうなんだ。笹凪くんてこういうのに慣れてるイメージがあったから」

 

「こういうの?」

 

「女の子を口説くことだよ」

 

「口説いてはいないさ。君のように素敵な女性と交際してるなんて噂が流れて喜ばない男なんていないだろうしね。そう思った本音を口にしているだけだよ」

 

「もう、そういうこと色んな女の子に言ってそうだなぁ、勘違いしちゃう子も多いんだからね」

 

 プンプンと怒って見せる櫛田さんはとても可愛らしい。

 

「櫛田さんは素敵だって言われ慣れてるだろう」

 

「そ、そんなことないよ」

 

 いや、絶対に言われ慣れてる。

 

「もしかして男子からの告白なんかも多いんじゃないかな。さっきCクラスの人に会うって言ってたけど、交際を申し込まれたりするかもね」

 

「普通に遊ぶだけのつもりだから、そうなると困っちゃうなぁ」

 

「困るのか……特定の誰かと付き合うつもりは無いの?」

 

「う~ん、今のところはないかな」

 

「そうなのか、恋多き女性って感じだったんだけど」

 

「え、えぇ……私って、笹凪くんにそんな風に思われてたのかな?」

 

「あぁ、色んな男子に告白されて困っちゃうなぁやれやれって感じの人だと思ってた」

 

「笹凪くん? 怒るからね?」

 

「すいません、調子に乗りました」

 

「もう!!」

 

 右耳を引っ張られてしまった。怒らせてしまったようなのでここは受け入れよう。

 

「じゃあ、笹凪くんはどうなのかな? 誰かと付き合ったりしない? その、堀北さんとか……」

 

「堀北さんか、親しくはしてるけど別に恋慕の感情がある訳じゃないからなぁ」

 

「え、あ、そうなんだ……」

 

「ん、彼女と俺は友人さ」

 

「付き合いたいとかじゃないの?」

 

「今の所はあまりそういうことは考えないようにしてるね。この学校ってそんな余裕があまり作れないし」

 

「……へぇ」

 

 櫛田さんは不思議な反応を見せてくれる。意外に思われたのかもしれないが、事実を言っているだけだからなぁ。こればかりはどうしようもない。

 

「ただ良い機会があれば女性と付き合いたいって気持ちはもちろんあるかな。良いよね、恋人って、憧れるなぁ」

 

 師匠曰く、恋は大切。けれどそれだけでは足りないとのこと。

 

「笹凪くんのえっち」

 

「いやいや、どうしてそうなるのさ、高校生なんだし恋愛を経験してみたいんだ。とても健全なことだと思う」

 

「でもえっちなこと考えてるんだよね?」

 

「……」

 

 おかしいな、旗色が悪い。ここは撤退するべきだろうか?

 

「おほん、どうやら戦局が芳しくない。俺はこの辺で帰るとするよ」

 

 逃げる時は徹底的に逃げるべし、師匠もそう言ってた。

 

 しかしだ、退散しようとデッキから離れようとすると、突然櫛田さんが俺に向かって体を預けてきて、まるで抱きしめるかのような形になってしまう。

 

「どうしたんだい?」

 

「ごめん、なんか急に寂しくなっちゃったのかも……」

 

「そんなこともあるだろう……う~ん、ここで抱きしめたりしたら君はもしかしたら引くかな?」

 

「こ、ここは普通、照れる所じゃないかな」

 

「そうなのか、ただ照れると言うのがよくわからなくてね」

 

 俺がそういうと彼女はスッと離れて距離を取る。

 

「ごめんね、抱き着いちゃったりして……そろそろ時間だから私もう行くね、おやすみなさい」

 

「あぁ、良い夜を」

 

 さっき、清隆に軽井沢さんは軽度の不安障害を抱えていると言ったが、それは櫛田さんも同じなんだろう。方向性こそ違うが彼女もまた周囲からの視線や評価というものを常に気にしている。

 

 それは誰にだってあることではある、あるのだが……それが大きな影響を与えることだってあるのだろう。

 

 せめてもう少し肩の力を抜いて過ごすことができたならばと、思わずにはいられなかった。

 

「軽井沢さんといい、彼女といい、女性は悩みが多いな」

 

 俺も部屋に帰ろう。カップルばかりでここは居心地が良くない。明日にはこの試験を終わらせるつもりだし、最終調整だけ平田とやって寝るとするか。

 

 枕の頭を預けて意識を沈める瞬間に、抱き着いて来た時の櫛田さんの顔を思い出すことになる。

 

 彼女にも憧れや恋や夢が見つかればいいんだが、そんなことを思いながら眠りに落ちて行った。

 

 

 

 

 

 



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船上試験 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝、つまりは試験二日目、日程的にまだ特別試験は続くのだが、今日で終わらせるつもりなのでこれ以上長引くことはない。昨晩に色々と微調整を済ませながら葛城と連絡を取り合い。納得できる形で着地点が見えたと思う。

 

 後は終わらせるだけ、本当にそれだけだった。

 

 おそらく大半の生徒が今日も優待者を探す為に話し合いをするのだろうが、既に終わらせ方を考えているので大きな問題もない。先走る者もいなかったので最終調整のまま話を進められるだろう。

 

「葛城との最終調整は終わったよ、契約も問題ない」

 

 そんな訳で俺は堀北さんに計画進行の報告を行っていた。どんな契約を結んでどんな利益を得るかという話には彼女も参加して意見してくれていたので、あちらも話を聞きたかったらしい。

 

 清隆も誘ったのだが、どうやら軽井沢さん関係で色々と動いているらしく予定が合わなかった。

 

「そう、これでAクラスは多大な出血を強いられることになるわね」

 

「三年の夏ごろが楽しみだよね。彼らから得たポイントで有利に立てそうだ。軍資金を敵から得るって考えると凄く良い作戦だと思う」

 

「えぇ、プライベートポイントを使った試験のような物があると考えられるもの、それがわかっていればこんな契約はなかなか結べないけれど……」

 

「それだけ葛城には大きな焦りがあるんだろう。Aクラスのリーダーとしての責任もね。なのに内部には坂柳派もいて上手く動けない……正直、可哀想に思えてしまう。普通の学校なら完璧なリーダーなんだろうけど」

 

「同情は禁物よ、超えるべき相手なんだから」

 

「わかっているさ」

 

 堀北さんはモーニングコーヒーを上品に飲んで一息つく。試験の終わらせ方が見えてことで彼女も穏やかな雰囲気になっている。

 

 こうしてカフェで談笑できるくらいに心の余裕が出て来たのは良い傾向だと思う。もう完全にハリネズミモードが消えてしまっていた。昨晩もクラスメイトに誘われて交流を深めていたらしい。

 

 元々、優秀な人だという評価はクラスメイト全員の共通認識だったのだ。接し易くなったことで立場も固まり始めている。今回の作戦と契約をクラスメイトに説明する時にでも堀北さんには頑張ってもらおう。

 

 きっと、そこが意思と覚悟を問いかける時なんだと思う。

 

「試験はもう終わりだから、次はどうクラスメイトを引っ張るのかを考えようか」

 

「意識の改革と危機感の共有ね……ただ、簡単ではないと思うわ」

 

「それが成すのが、良いリーダーなんだと俺は思う。優秀であることはもちろんだけど、誰かに影響を与えられるっていうのが、重要なんじゃないかな」

 

「カリスマ性、ということかしら?」

 

「そうだね、別の言い方をすれば、カッコよさかな」

 

「貴方はその表現が好きね」

 

「あぁ、人生でとても大事なことだと思ってる。そしてリーダーには絶対に必要なものでもあるさ」

 

 カッコよく生きるのは大事、師匠がよくそう言っていた。

 

 カッコ悪く生きるくらいならさっさと死ねとも言っていたな。

 

「……笹凪くん、貴方はクラスを率いる立場になろうとは思わないのかしら? 前から疑問ではあったの、勉強も運動も飛びぬけてる、そして言葉にできないような存在感だって持っている。正直、貴方が皆を動かせばそれで良いとさえ思えるほどにね」

 

「光栄だ、そんな風に評価されていたとは」

 

「茶化さないで」

 

「ん……そうだね。分業ってことなんだと思う」

 

 別にリーダーが一人である必要なんてないと思う。たった一人のワンマンチームで勝ち抜くのは中々難しいだろうしね。総合力が高ければそれで良いのかもしれないけど、Dクラスでは簡単なことではない。

 

「たった一人の人間に四十人の生徒全てを引っ張らせるなんて中々難しい話だ。リーダーと呼べる存在が何人かいて、それぞれが協力する関係がベストだと思う」

 

 Aクラスも、葛城と坂柳さんが上手く協力すればとても強力な相手として立ち塞がるんだろう。そうなっていないのは凄く俺たちにとって都合が良い。

 

「だからリーダーがもっと必要だ。そして堀北さん、俺は君がそれに相応しいと思う」

 

「……そ、そう」

 

 照れる堀北さんはそれを隠すかのようにコーヒーカップを口元にやる。どうやら緩む唇を見せたくないらしい。

 

 可愛い、もっと褒めたくなる。

 

「理想を言うと男女でそれぞれ一人ずつ、そしてその補佐に同じように二人、それが理想の形かな。つまりリーダーが四人必要になるね……簡単なことではないだろうけど、Dクラスの現状ではそれがベストだと思う」

 

「四人ね、それは何故かしら?」

 

「まず単純に層が分厚い、これだけで集団は凄く強くなる。あとそれぞれのリーダーの性格や方針に合う合わないがあるから、たった一人のリーダーよりもずっとクラスが纏まりやすい……それにだ、リスクと思考の分散もできる」

 

 例えば龍園が闇討ちしてきてリーダーが大怪我を負って動けなくなったとしても、代理がいれば上手くクラスを動かせる……まぁそんなことはそもそもさせないんだけれども。

 

「もっと言えば、その体制は他のクラスにはできないことだと俺は思ってる。例えばなんだけど、堀北さんは他のクラスで注目している人物はいるかな?」

 

「一之瀬さん、葛城くん……業腹だけど龍園くんといった所ね」

 

「俺はそこに坂柳さんを加えるけど……つまりそれだけしかリーダーと呼べる人はいないんだ。もちろん、俺たちがまだ注目していないだけで他にも優秀な人がいるかもしれないけど、現状ではそれだけだ」

 

「だから複数のリーダーが必要だと言うの?」

 

「あぁ、層の厚さはそのまま力だ……他クラスで注目できるほど強く優秀な人はいるけど、ウチのクラスは能力面だけで見れば見劣りしない人物が多いと思ってる。尖った戦力が多いって感じかな。これは他クラスにない特徴だとも思ってる。高円寺なんかはまさにそう」

 

「その代わり、我が強かったり、そもそも平均以下の能力を持った人も多いわよ」

 

「当然だ、それが社会なんだから。上手く引っ張っていくのがリーダーだよ」

 

「複数のリーダーが必要だという貴方の考えはわかったわ……でも、私の質問に答えてないわね」

 

「うん?」

 

「笹凪くんがリーダーにならないことよ」

 

「別にならない訳ではないさ……ただ俺は指導者でも王様でもリーダーでもないからね、切り込み隊長くらいが一番だと思ってる。もちろん、必要があればそう振る舞うつもりではあるけどね。それにリーダーの形は様々だ。俺は突っ込んで暴れる形が一番合ってると思う」

 

 その言葉に堀北さんはクスッと笑って見せた。

 

「確かに、貴方は誰よりも早く動いて活躍して、背中を見せつけるのが一番合っているのかもしれないわね」

 

 戦士であり武人だからね、リーダーよりもそっちの方が動きやすくはあるだろう。

 

「だから上手く動かしてよ、堀北さん」

 

「とんでもなく無茶な要求をしている自覚はあるのかしら? まぁ、その程度のことができなくてAクラスに上がることなんて出来ないでしょうね」

 

 今度は不敵に笑って見せてくれた。こっちの表情も可愛い。

 

 駄目だな俺は、女性の表情や雰囲気に翻弄されがちである。改めなければならないだろう。

 

「よぅ、今日も一緒みたいだな。俺も混ぜてくれよ」

 

 なぁ龍園、せっかく女生徒とカフェで青春っぽさを満喫している最中なんだから、邪魔をしないで貰いたいんだけどな。

 

 堀北さんも彼の声を聞いた瞬間に視線が鋭くなってしまう。警戒している証拠だ。

 

「龍園くん、貴方は遠慮を知らないのかしら?」

 

「ククク、そう邪険にするなよ鈴音」

 

「記憶力も悪いようね……もう一度言うわよ、気安く名前を呼ばないで」

 

「おはよう、龍園……いや、俺たちもそろそろ名前で呼び合うべきだろうか。うん、翔で良いかな?」

 

「もう一度言うぞ、気安く接してくるんじゃねぇ」

 

 おい、堀北さんに気安く接してくる癖に俺は駄目とはどういう了見だ。

 

 龍園は苛立たしそうに俺たちが使っているカフェの席に腰を下ろす。

 

「どうだ、優待者は絞りこめそうか?」

 

 うん、できたよ。何だったらもう終わらせる段階まで来ている。

 

「さてね、なかなか難しい試験だと思う。そっちはどうかな?」

 

「こっちは上々さ、優待者の法則も掴みかけてる。Cクラスの圧勝もありえるぜ」

 

「随分と自信満々じゃないか」

 

 だから煽りに来ているのか? まぁこっちはもう終わらせるつもりでいるんだけど。

 

「そうさ、後は詰めるだけだ」

 

 奇遇だな、こっちも同じだよ。

 

「せいぜい楽しみにしてな」

 

 そう言って龍園は立ち去ろうとするので、そんな彼に忘れ物を投げ渡す。

 

「龍園、スマホを忘れているよ」

 

「はッ、目ざといゴリラだ」

 

 机の裏に張り付けられていたのは録音中のスマホである……スパイみたいな行動でちょっとカッコいいと思ってしまった。

 

「……Cクラスは優待者の法則を掴んでいるのかしら?」

 

「彼の口ぶりでは、そうなのかもしれないね。言ってしまえば単純な法則だから、気が付く人だっているさ」

 

「早めに終わらせましょう」

 

「あぁ、葛城と最終確認を終えてからね」

 

 時間が来たので俺と彼女も席から立ち上がってカフェを後にする。いよいよ試験の終わりだな。

 

 二人で並んで会議が行われる部屋に向かう途中の廊下で、葛城が待っていたので声をかける。

 

「やぁ葛城。誰に指名させるかの調整は終えたかな?」

 

「あぁ、問題はない」

 

「坂柳派の人たちの反応はどうだい?」

 

「今の所は大人しくしている。メールを送る人選も信頼を置ける者にのみ限定した」

 

「そっか、ならこのまま終わらせようか、こっちもクラスメイトにメールを送ればそれで終わりの段階だ」

 

「こちらもだ。ではこの場で終わらせるか?」

 

「いや、会議が始まった瞬間にしよう」

 

「よくわからんな、その理由は?」

 

「龍園の反応を見たいから、かな……少し気になることもあってね」

 

「慢心や油断ではないのだな?」

 

「あぁ、彼を馬鹿にしたい訳でもなく、煽りたい訳でもない。ただ彼の反応から知りたいことがあるんだ」

 

「まぁ良いだろう……一応確認しておくが、裏切りなど考えないことだ」

 

「もし君のクラスにこの試験で損害を与えたら損害賠償が発生するんだ。そこまで馬鹿じゃないよ」

 

「そうか、そうだな。気を悪くさせたなら謝ろう」

 

「問題はないよ。警戒心が高いのは良いことだと思う」

 

 無人島試験での龍園の裏切りを経験して彼も成長しているらしい。喜ぶべきことなんだろう。

 

「そろそろ時間だ、始めようか……いや、終わらせようか」

 

「あぁ」

 

 葛城と一緒に会議室に入ると神崎率いる生徒たちと、龍園率いる生徒たちの視線が一斉にこちらに集まる。

 

 それらを無視して俺たちは席についてその時が来るのを待ちわびた。

 

『時間になりました。グループディスカッションを開始してください』

 

 そしてついに船内放送が船中に広がったことで。終わりの時がやってくる。

 

「葛城、お前は今日もだんまり――――おいッ!!」

 

 会議が始まった瞬間に龍園がさっそくとばかりに葛城を煽りだすのだが、彼が操作を始めたスマホを見て顔色が変わった。

 

 そしてすぐに俺に視線をやって、こちらが同じようにスマホを操作しているのを見てついに言葉を無くす。

 

 最後に、葛城と視線を合わせて俺たちは協力者のクラスメイトたちにメールを送るのだった。

 

「お前たち……何をしているんだ?」

 

 神崎も普段のクールな表情を崩して驚いた顔をしている。よほどこちらの動きが予想外であったのだろう。

 

 だがどれだけ驚いて慌てても遅い。次の瞬間、連続して船内放送が広がったからだ。

 

 

 

 子グループの試験が終了しました。

 

 丑グループの試験が終了しました。

 

 寅グループの試験が終了しました。

 

 卯グループの試験が終了しました。

 

 

 

 次々と試験の終了を知らせる船内放送が鳴り響く。それを聞かされて事情を知らない神崎は驚き狼狽えるばかりだが、龍園は違う。

 

「チッ!!」

 

 大きな舌打ちと共に彼は懐からスマホを取り出してなんとか滑り込もうとメールを送ろうとする。そしてその視線は櫛田さんへと向かっていた。

 

「……」

 

 俺はそんな彼をずっと観察していく。櫛田さんに視線を向けたということは、龍園は何らかの確信をもって優待者が彼女だと理解したということだろう。

 

 ふむ……勘でも無ければ博打に挑んでいる様子でもない。確かな確信で動いているな。

 

 だとしたら疑問が残る。優待者の法則を彼が解き明かしたのだとするのなら、何故その場で全てを終わらせなかったのだろうか?

 

 推測はあっても確証は無かった? いや、だとしたら櫛田さんに向けるある種の信頼とも見れる視線の説明ができない。

 

 観察はこれくらいで良いか、もう得る物はなにもなさそうだ。

 

 龍園は慌てて滑り込もうとしているようだがもう遅い。船内放送で全てのグループの試験が終わったことが宣言される。

 

「試験はこれで終わりみたいだね」

 

「あぁ、後は結果発表だけだろう」

 

 葛城が椅子から立ち上がったので俺も立ち上がって部屋を後にしようとするが、やはり龍園が待ったをかけて来た。

 

「待てよお利口ゴリラ、それにハゲ……やってくれたなぁおい」

 

「優待者の法則がわかったからね。試験を終わらせたのさ。何も不思議なことでもないだろう?」

 

「それが解せねえんだよ。どうせ法則を暴いたのはお前だろうが、何故葛城と手を組んだ? 独占すりゃよかっただろうが」

 

「別に深い理由はないかな。一之瀬さんでも良かったけど、葛城が相手でも良かった、それだけさ。君だって無人島で同じことをしただろう? それを参考にさせて貰った」

 

 その言葉に龍園は葛城と俺を見て何やら考え込む。

 

「ハッ、そういうことかよ」

 

 そしていつものニヤニヤ顔に戻るのだった。

 

 自分もやったことだからな、こちらの契約と合わせてかなりの出血をAクラスに強制することを理解したらしい。

 

「君も優待者の法則を掴みかけていたみたいだけど、一足遅かったみたいだね」

 

「そうらしいなぁ……まぁ良いさ、今回はお前に譲ってやろう」

 

「今回も、だろう?」

 

「ククク……」

 

 最終的に龍園は邪悪極まる笑みを浮かべながら部屋を出ていく。

 

「笹凪……」

 

 葛城も部屋を出て行ったので、こちらも帰ろうかと考えていると、今度は神崎が声をかけてくる。

 

「優待者の法則だが、お前はどの段階でそれがわかったんだ?」

 

「各グループの面子を確認してすぐだ」

 

「……そうか、だとしたら、最初からこの試験の決着はついていたんだな」

 

「落とし所には迷ったけどね」

 

「Aクラスと契約を結んだ、そうだな?」

 

「あぁ、けれど契約の内容までは教えられないかな」

 

 ただ少し考えればどんな契約を結んだのかは簡単にわかるだろう。

 

「そうか」

 

 神崎はそこで眉間に皺を寄せて悩み考え込む。自分に何かできることがあったのではないかと自問自答しているようにも見えた。

 

「一応、聞いておきたい。優待者の法則はどのようなものなんだ?」

 

「干支の順番と生徒の名前の五十音順の結びつきだよ。このグループなら櫛田さんだね」

 

「……そんな単純なものだったのか」

 

 愕然としているようにも見えるな。この感じだと一之瀬さんクラスは取っ掛かりすら見つけられてない状況なのだろうか。それとも会議で優待者を見抜く方針で行こうとしたのだろうか、ちょっとよくわからないな。

 

「以前のCクラスのトラブルといい、無人島での発想といい、そして今回も……どうやらお前は一番の強敵のようだ」

 

「買いかぶり過ぎだ」

 

「謙虚なんだな……この状況だと少し嫌味に感じてしまう」

 

「ごめん。別に煽ってる訳でも侮っている訳でもないんだが……」

 

「わかっている……少し自信を無くしてしまっていただけだ。すまないな」

 

 神崎はそう言い残して部屋を去っていく。残されたのはウチのクラスの生徒だけである。

 

「上手くやれたみたいね」

 

「うん、良かったよ」

 

 堀北さんも緊張を解いており、平田も安心したような様子だ。

 

「ね、ねぇ、皆……優待者の法則がわかってたんだよね? どうして私には教えてくれなかったの?」

 

 けれどただ一人、櫛田さんだけは困惑したようにそう尋ねてくる。そう言えば完全に蚊帳の外だったな。

 

「ごめんね櫛田さん。できるだけ作戦に関わる人物を減らしたかったんだ」

 

「笹凪くんからしてみれば、私ってそんなに信頼がないのかな?」

 

「いいや違うよ。このグループの優待者は櫛田さんだから指名する相手は別のクラスになってしまう。だから伝える必要がなかっただけなんだ。櫛田さんを信頼してないとかそういう話じゃないんだ、決して」

 

 除け者にしていたのは事実なので、俺は両手を合わせて誠心誠意謝罪する。

 

「すまない!! 作戦遂行の為には一人でも知っている人間は少ない方が良いって判断なんだ。本当にごめん」

 

「そっか……うん、わかった、それなら仕方がないね」

 

 それにさっきの龍園の反応は色々と気になることもあった上に、櫛田さんの様子も少しおかしい。

 

 昨晩の光景が思い浮かぶ……いや、今は考えるのは止めておこうか。

 

 この特別試験は無事終えられたんだ。物騒なことは後で色々考えるとして、今は安心するのが一番であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特別試験結果発表

 

 葛城クラス +300クラスポイント +450万プライベートポイント

 

 一之瀬クラス -150クラスポイント プライベートポイント変動無し

 

 龍園クラス -150クラスポイント プライベートポイント変動無し

 

 笹凪クラス クラスポイント変動無し +150万プライベートポイント

 

 

 

 

 

 

 



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意思と覚悟を問う

これでこの章は終わりとなります。小話を挟んで夏休み編、そしてそれが終ったら体育祭編となります……それはつまり、ゴリラが暴れまわると言うことです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数字だけを述べるならこの特別試験はAクラスの圧勝で終わった。クラスポイントもプライベートポイントも大量に会得した上に、他のクラスは優待者を当てられたことで大幅なマイナスとなっている。

 

 唯一、Dクラスだけがクラスポイントの変動がなく、プライベートポイントを150万プラスで終えることができた。

 

 これはDクラスがAクラスの優待者を全て指名したことによる結果だ。そしてAクラスはDクラスの優待者を全て指名した。この時点で両クラスは共に±ゼロとなり、プライベートポイントだけを得ることになる。

 

 同時に、共に優待者を指名したことでどちらのクラスにも優待者がいなくなる。その時点でこの特別試験で絶対にマイナスに陥らないことを意味していた。

 

 残った優待者はCとBの六名のみ、当然そちらも把握しているので談合によってAクラスが全て持っていく形になる。葛城はその六名を指名してクラスポイントを300とプライベートポイントを450万得ることになったということだ。

 

 だが契約によってAクラスはDクラスに対して利益分のポイントを卒業まで支払う契約となっている。葛城に配慮した結果、250ポイント分まで減ってしまったがそれでも十分な額と言えるだろう。

 

 ついでに、その配慮分は今回の試験で得た報酬のプライベートポイントが100万ほど支払われており、既に俺のスマホに振り込まれている状態であった。

 

「以上が、今回の試験でのDクラスの作戦であり、立ち回りよ」

 

 特別試験が終わって数日が既に過ぎている。予定より早く試験が終わったことで残りの時間はバカンスとなっており、生徒たちはそれぞれが思い思いに過ごしたことだろう。

 

 船も本土へと帰還しようと舵を切っており、おそらく明日にはこの船を下りることになるはずだ。

 

 そんな頃合いの中で、船の中にある遊戯室にはDクラスの生徒が集められており、特別試験での作戦や行動が説明されていた。

 

 堀北さんの説明に対する反応は様々である。驚く者や困惑する者、頭の上に?マークを浮かべる者、感心する者によく理解できていない者、本当に色々な反応がある。

 

 この遊戯室には殆ど全てのクラスメイトが集められていた。殆どと表現した理由は高円寺だけがいないからだ。

 

「何か質問はあるかしら?」

 

 堀北さんがクラスメイトを見渡してそう言うと、殆どの者が困惑したような表情を見せた。

 

「優待者の法則が早めにわかってたんだよね? どうして取りにいかなかったの?」

 

 それでも最初に疑問を提示したのは軽井沢さんだった。ここ数日は清隆になにやら振り回されていたようだが、今では俺たちの協力者となった彼女は、予定通りにそう言ってくれた。

 

 清隆の指示だ。クラスを一つに纏める為に上手く動こうとしている。

 

「それは、現時点でAクラスになったとしても、このクラスの総合力では高い確率でその立場を維持することが難しいと判断したからよ」

 

「堀北さん、私らのことバカだと思ってる訳?」

 

 おぉ、軽井沢さんは意外にも演技派なのかもしれない。これも清隆の指示によるものだ。上手くヘイトや不満をコントロールして堀北さんに向けているようだ。

 

 一見、険悪な雰囲気になっているように見えるが、これは言ってしまえば台本通りの動きなのだろう。

 

「いいえ、違うわ」

 

「じゃあ何が言いたいの?」

 

「意思と覚悟を問いかけたいのよ」

 

 そこで堀北さんは遊戯室に集まったクラスメイトを見渡す。

 

「皆の中にはこう思っている人もいるんじゃないかしら……Aクラスになることをもう諦めている人、クラス間の戦いをどこか他人事のように思っている人、或いは自分じゃない誰かが上手くやってくれるんじゃないかと他力本願なことを考えている人もいるかもしれないわね」

 

 その言葉にクラスメイトの何名かは視線を反らしたり、バツの悪そうな顔をする。

 

「それが悪いとは言わないわ。入学当初、私たちは不良品の烙印を押されて学年で最も期待されない立場にあった、その憤りと無力感は私だって知っている……けれど今は違う、まだ距離はあるけど確実にAクラスの背中に近づいたのは間違いないもの」

 

「それは、そうだけど……」

 

「だからこそ今、皆に意思と覚悟を問いかけたいの……思えば私たちは、これまでそれをすることすら出来ないでいたわね」

 

 クラスメイトたちの視線が堀北さんに集まっていく。ここからが踏ん張りどころだな。

 

「私は、Aクラスを目指したい。その為に不断の努力と曲がらない意思を貫くわ……貴方たちはどうかしら?」

 

 強く、そして意思の宿った瞳がそこにあった。四月頃の堀北さんが持っていなかった何かがある。誰かの心に何かを働きかける力とも表現できるだろう。

 

 方向性や、性質が異なるが、同じ瞳を龍園や一之瀬さん、葛城などからも感じ取ることができるものだ。

 

 カリスマ、と呼ばれる物なのかもしれない。それはこれまでの堀北さんにはなかったものなのだろう。

 

 遊戯室の隅っこで、あまり目立たないように彼女を観察している清隆が、少しだけ驚いたような顔をしているのが印象的だった。

 

「色々と思う所もあるでしょうね……勉強ができる人、運動が出来る人、逆に欠点があったり能力不足を嘆くことだってあるかもしれない。自信がなかったりする人もいるでしょう。けれど自分じゃない誰かがやってくれると考えるのだけは止めて欲しいの」

 

 既に堀北さんの言葉に耳を傾けていない者はいない。

 

「それぞれが当事者意識を持ち、危機感を共有すること、そして意思を束ねる……それがAクラスを目指す上で必要な最低限の条件よ」

 

 そこで彼女は少し息を吸い込んで心を落ち着かせる。数秒ほど瞼を閉じて瞳を隠すと、力強く、そして誰かを引きつけるような声と共に瞳を再び見せる。

 

 力と意思の宿った瞳は、少し師匠に似ているな。

 

「もう一度言うわ……私はAクラスを目指す、その為に努力は惜しまない。貴方たちはどうかしら?」

 

 あぁ、四月頃の堀北さんは完全にいなくなってしまったんだな。嬉しいような寂しいような、そんな気分になってしまう。

 

 雛鳥の羽ばたきを見るような気分であった。きっとそんなことを言うと怒られるんだろうけど。

 

「俺は堀北に協力するぜ!!」

 

 だから助け船を出そう。そう思った時に誰よりも早く須藤がそう声を上げた。

 

「このまま馬鹿にされ続けるなんてごめんだからよ、見返してやりてえとは思ってたんだ」

 

「須藤くん……意外だわ。まさか貴方が最初にそう言うなんて」

 

「まぁなんだ、鈴音には世話になったからな、恩返しもしたいんだ」

 

「そう、貴方も成長しているということなのね……」

 

「へッ、いつまでもガキのままじゃいられないってことくらい、わかってるっての」

 

「ありがとう、須藤くん……でも馴れ馴れしく名前を呼び捨てにするのは止めなさい」

 

「……お、おぅ」

 

 勇気を出して、そしてどさくさに紛れて名前呼びを定着させようとした須藤は撃沈されてしまう。そんな彼の背中をポンポンと撫でながらこちらも続くようにこう声を張る。

 

「俺も須藤と同意見だ。今こそ、意思と覚悟を束ねて一つの目標に向かうべきだと思う」

 

 俺がそう言うとクラスメイトたちの視線がこちらに集中した。

 

「意識を切り替える時が来たんだ。自分たちにできる訳がないではなく、必ず勝利を目指すんだという思いを共有する時だ」

 

 無人島でやりたい放題して勝利に貢献した俺の言葉と立場は、クラス内で大きな存在感を持っている。そんな俺が堀北さんに賛同したことで一気に流れが変わっていく。

 

 内心では、誰だってAクラスで卒業したいと思ってはいるはずなんだ。けれど過酷な学校の制度やDクラスという立場がそれを阻んで来た。けれど今は違う。

 

「僕も賛成かな。これまではそんな余裕はなかったけれど、こうして皆が一致団結できる時が来たんだ。反対なんてしない」

 

「もちろん私も賛成だよ、一緒に頑張ろうね」

 

 平田と櫛田さんも賛同してくれた。そうなればもう形勢は固まったようなものである。

 

 最後のピースは軽井沢さんになる。女子チームのリーダーであり、一定の発言権と立場を持った彼女の言葉で完成だ。

 

 そして、彼女は台本通りに動いてくれる理由がある。

 

「ま、そこまで言われたら私も賛成かな。あとちょっとでAクラスって考えたら、ここが頑張りどころだろうしさ」

 

 クラスの有力者の全てが堀北さんに賛同したことで、ようやくDクラスは一つになることが出来た。Aクラスを目指す上で最低条件を満たしたことになる。

 

 強い意思と、目標、それは他クラスにはこれまであったことだが、このクラスにはなかったものであった。

 

「皆、ありがとう……一緒に頑張りましょう。もちろん、私は努力を惜しまないわ」

 

「そこは疑わないさ。堀北さんはクラスの為にこれまでも色々頑張ってくれたし、責任感もある人だって皆知ってるよ……今回の試験でもいち早く優待者の法則を見抜いてくれたのも彼女だ」

 

 ここで堀北さんよいしょも忘れない。可能な限り彼女の影響力を高めておこう。

 

「え、そうなんだ、私はてっきり笹凪くんが見抜いたんだって思ってた」

 

「それも正解よ佐藤さん、私と彼で法則を解き明かして今回の作戦を考えたの」

 

 あ、こっちにもよいしょしてくるんだ。予定が狂ったな……しかし堀北さんはどこか自慢するような感じである。水を差すのも悪い気がする。

 

「笹凪くんも含め、このクラスは決して他クラスに負けない戦力が揃っていると私は思っている。けれどそれはあくまで個人の話、総合力という点で考えればやっぱり見劣りするのは間違いない事実……だからこれからはそれぞれの成長を主軸に考えたいと思っているわ」

 

「具体的にはどうするのよ?」

 

 軽井沢さんの疑問に堀北さんはこう返す。

 

「特別なことは何もしないわよ。勉強も運動も、結局は日々の積み重ねが大事だから、簡単にとはいかないでしょう。けれど日々中途半端な意識で過ごすのと、明確な目標を掲げてそこに向かって努力するのでは大きな違いがある」

 

「ん……重要なのは意識だね」

 

「えぇ、Aクラスを目指すと言う目標をハッキリと掲げて過ごす。普段の勉強も運動も交流も、その意識を持った上で行えば、大きな成長に繋がるわ」

 

 逆に、何の目標も無く惰性で過ごせば何の意味もないだろう。

 

「もし勉強が苦手な人は私の所に来てくれれば幾らでも手を貸す。跳ね除けたりなんてしない。だからこれからは遠慮なく接して欲しいの。そして私の至らない部分は貴方たちの力を貸して頂戴」

 

 多分、今日この日なんだろうな、堀北さんが真の意味でクラスの一員になったのは。

 

「勉強ならば、こちらでも力になれる……」

 

 おずおずと、手を上げてそう言ったのは幸村である。こちらも意外な反応だと思えるな。あまりクラスメイトと積極的に交流を持つタイプではなかったからだ。

 

「俺は無人島試験であまり役には立てなかった、足を引っ張っていたとすら思う……だが勉強の分野でならば何かしらの貢献もできる筈だ」

 

「助かるわ、幸村くん」

 

「だが、俺は運動ではとことん足を引っ張ることになるだろう……その時は――」

 

「大丈夫よ、貴方の苦手な分野を補える人はいるから。そうでしょう? 須藤くん、笹凪くん」

 

「おう、任せてくれ。代わりにそっちも頑張ってくれよな」

 

 凄いな、須藤が頼りになる兄貴風を吹かせる日が来るだなんて。

 

「あぁ、何も心配はいらない」

 

 須藤の運動能力は一年生はおろか二年や三年と比べてもトップレベルだ。そして俺もそれは変わらない。

 

「はいはい!! 運動なら私も得意だよ!!」

 

 元気よく手を上げたのは小野寺さん。女子の中ではクラスでトップの身体能力を持っている子である。

 

 彼女に続いて次々と協力をする声が上がっていき、それは一つのうねりとなって全体に広がっていったことだろう。

 

 自分たちにもそれができるんだと、そう認識して意識を切り替える。簡単なようでいてとても難しいことではあるが、それが今ここで形となっていくのがわかった。

 

「それぞれの長所、短所、特技や知識を束ねて補い合う。今の私たちならそれが出来る……だから、Aクラスを目指しましょう」

 

 最後に堀北さんがそう宣言すれば、力強い返事が遊戯室に広がった。

 

 うん、良い傾向と雰囲気だと思う。四月頃のクラスには存在しなかった力とも言えるだろう。

 

 試験に勝利する、ポイントを稼ぐ、それだけでは足りない何かがここにはある。意思と覚悟と力を束ねて先へ進もうとする団結を得たことで、Dクラスはようやくクラス闘争に挑む体制が出来たということだ。

 

「ようやくスタートラインだな」

 

「あぁ……少し驚いた」

 

「何がだい?」

 

 遊戯室の隅っこで目立たないように成り行きを見守っていた清隆は、感心したような顔をしている。

 

「堀北の言葉と、クラスの雰囲気にだ」

 

「良い言葉だったね。飾らず、曲がらず、己の思ったことを真っすぐ放った……指導者の言葉だったよ」

 

「四月の堀北が懐かしく感じたぞ」

 

「はは、確かにね……けど良い傾向だ、彼女はもう迷わないだろう」

 

「そうかもしれないな……」

 

 清隆はどこか羨ましそうな顔をしている。ここ最近は彼の表情が読み取れるようになったと思う。俺の観察眼が上がったのか、それとも彼の表情が豊かになったのか判断に迷う所ではあるが。

 

「こんな時に無粋かもしれないが、実は櫛田さんのことで相談があるんだけど……」

 

「奇遇だな、オレもだ」

 

 遊戯室の隅っこでそんな会話をする俺たちは、同じように隅っこで堀北さんを中心としたクラスメイトを眺める櫛田さんへと視線を向けていく。

 

 いつものような愛らしい穏やかな笑顔の裏で、奥歯を鳴らすほどに力強く噛みしめていることを必死に隠そうとしている、そんな矛盾した彼女を観察していた。

 

 どうやらまだ、このクラスは完全には一つとなれてはいないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




葛城クラス 1474CP

笹凪クラス 959CP

一之瀬クラス 653CP

龍園クラス 392CP

なお、Aクラスは毎月450ポイント分のローンを龍園と主人公に払わなければならない模様。数字上では独走状態だけど多重債務者となっている。

葛城「もしもし、アディーレ相談事務所ですか?」


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小話集

章と章の間に挟む小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「橋本正義から見た笹凪天武」

 

 

 

 

 

 

『そうでしたか。思っていた以上に葛城くんはしぶとい……いいえ、他所のクラスにお節介な方がいるようですね』

 

 スマホの通信が届ける声は鈴のように澄んだ声色をしていた。それだけを聞くならば美しい女性を連想させて、それは決して間違いではないのだが、実物を知っているとなかなか可愛いとは言い辛いものがあると俺は思う。

 

 無人島から始まった一連の特別試験が終わり、船も本土へと向かっている頃合い、俺は忠臣らしく自分が仕えるお姫様に報告を行っていた。

 

 坂柳有栖、仕えてるお姫様はスマホの向こうで何が面白いのかクスクスと笑っているらしい。

 

「どうしましょうか? 二学期以降の一党体制は大幅に予定が狂いそうですが」

 

『橋本くん、クラスの様子はどうですか?』

 

「葛城への高評価が半分、不満も半分って感じでしょうか。クラスポイントはわかりやすく増えて、毎月の支払いもまた増えましたので。買収戦略が得意な男なのかと噂されています」

 

 俺がそう言うとお姫様はまた鈴のような笑い声をスマホ越しに届けた。

 

『それは違いますね。得意なのではなく、それしかできなかったと言うのが正しいでしょう……聞いた限りでは無人島でも船の上でも、葛城くんは自ら望んでそうした訳ではないでしょうから』

 

「本人は納得しているようでしたが……」

 

『そう誘導されているのですよ。無人島では龍園くんが、船の上では笹凪くんが、特に後者は徹底的に逃げ道を潰した上でそうなるように仕向けておきながら、最終判断だけを葛城くんに押し付けていますね』

 

 何が面白いのかまた笑い声が届く……声だけ聴けば美しいんだが、おっかないと俺は思ってしまう。

 

『笹凪くんはおそらく試験の説明を受けてすぐに優待者の法則を解き明かして、葛城くんに取引を持ち掛けた、それも龍園くんの作戦を参考にして……もし葛城くんが断っても一之瀬さんに話を持っていき、そこすら断られたら自分たちで全て指名してしまえば良い。試験にどう勝つかではなく、どう終わらせるかを考えていた時点でこの結末は決められていたのでしょう』

 

 だとしたら笹凪天武という男はとんでもない怪物だ。無人島でもやりたい放題をしてありえないようなポイントを稼いでおり、船の試験でもたった一人で全てを俯瞰してコントロールしていたことになる。誰も彼もがどう試験を攻略するか考えている中で、アイツだけはどう終わらせるかを考えていたのだ。

 

 ハッキリ言って、怪物だった。

 

『実に素晴らしい……試験に参加できなかったことが悔やまれるほどです』

 

「え~と……これからどうしましょうか?」

 

 Aクラスは危機的状況だというのに、スマホの向こうにいる人物はどこかそんな思いが共有できていないようにも思えてしまう。

 

『日程的にも特別試験が挟まれることはもうないでしょうから、大人しくしていてください』

 

「わかりました」

 

『笹凪天武くん……さすがはあの方の愛弟子ですね』

 

「奴をご存知なので?」

 

 小さな呟きを見逃すことはできなかった。

 

『いいえ、直接の面識はありません。ですが彼の恩師と私の父は知人ですので、その関係で幾度か話題に上がったことがあります』

 

「そうでしたか……それでは報告を終わります」

 

『えぇ、真澄さんにもゆっくり休むように伝えてくださいね』

 

「わかりました、では」

 

 スマホの通信が途切れた瞬間にドッと疲れが広がってしまう。電話越しに疲れる相手なんてこの人くらいだろうな。

 

 報告をした時はもしかしたらお怒りの言葉でも耳に叩きつけられるかと思ったが、想定よりも穏やかな対応だったので安心した……それが不気味でもあるのだが。

 

「アイツ、なんだって?」

 

「ゆっくり休めってさ」

 

 船の中にある割り当てられた部屋に帰る前に、どうせなら目的の人物に接触しようかと思っていると、俺と同じようにお姫様に仕えている神室が姿を現した。

 

「葛城派はどんな感じだったんだ?」

 

「戸塚は葛城よいしょでうざいし、他の奴らも似たような感じ……まぁ、内心はどうか知らないけど」

 

「毎月45000ポイントが財布から無くなるんだ、全員が納得なんてするかよ」

 

「それね……今は良いかもしれないけど、もしクラスポイントが大きく減ったらどうするつもりなんだか」

 

「葛城だってそこは考えてるだろ。自信があるんじゃないか?」

 

「どこからその自信が湧いてくるんだって言ってるの……無人島じゃあ龍園の、前の試験では笹凪の掌の上だった癖にさ」

 

「そういや、神室は笹凪と知り合いなんだったっけ? よければ紹介してくんない?」

 

「知り合いだけど、別に親しくないし……そもそも何でよ?」

 

「別に大した理由はないっての、アイツはDクラスの……いや、Bクラスのリーダーみたいなもんだろ? 交流があった方が何かに使えるかもしれないしな」

 

「そう……好きにしなさい。さっき遊戯室に入っていくのが見えた」

 

 遊戯室か、部屋に籠られるよりは接触は楽だな。

 

 さっそくとばかりにそちらに足を運んで目的の人物を探す。試験が終わって開放感があることから遊戯室には多くの生徒がいるが、あの男は変な引力があるのですぐに見つけることができた。

 

 クラスの友人とビリヤードをしている、そこだけぽかんと人気がないのは、奴が纏っている独特の雰囲気のせいだろうな。

 

 視線を引きつける変な引力と反発するような迫力も持っている男だ。矛盾しているのに不思議と調和がとれているのは見事というほかない。

 

「おっと、悪いな」

 

 手に持っていたスマホを滑らしたかのように落とす。それは通り過ぎようとしていたビリヤード台のすぐ近くまで転がっていき、奴の足元にまで近づいた。

 

「壊れていないかい?」

 

 笹凪はビリヤードを中断して転がったスマホを拾ってこちらに渡してくる。

 

 こいつとこうして、この距離で向かい合ったのはこれが初めてだ。今までは遠くから眺めるくらいだったが、面と向かってはこれが初接触となる。

 

 俺は別に特別優秀って訳ではない、多少は運動もできて頭も悪くはないが、どこまでいこうと優秀に手が引っかかる程度の存在で、持っていない側の人間だろう。

 

 そんな持っていない側の俺は人一倍嗅覚には自信がある。強者を嗅ぎ分け見極める判断力がある。これだけは特技とさえ言えた。

 

 だからAクラスでも葛城ではなくお姫様についた、こっちの方が強いと判断したからだ。

 

 その観察力と嗅覚が目の前にいる相手をこう評価する。スマホを拾い上げて俺に返してくる男の瞳の奥にある何かを判断していく。

 

 

 

 

 あ、ヤバいわこいつ……化け物じゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「軽井沢は綾小路に制裁を加えたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 この船上試験で色々なことが変わってしまったんだと思う。

 

 青春なんていらない、友情なんて必要ない、なれあいも同情も意味が無い。

 

 私が求めるのは私だけの平穏であり、あの薄暗くて屈辱的な恐怖の日々からの脱出であり解放だけだったと思う。

 

 ここなら過去の私を知る誰かなんて一人もいない。だから私は強者を演じるのだ、私を徹底的に苛め抜いたアイツらを真似て動く。恨まれたって構わない。

 

 平田くんと偽の恋人関係になったのだってそれが理由だ。アイツらはそうやって立場を作っていたから。

 

 吐き気がするような振る舞いだという自覚はある、きっと私は恨まれるんだろうという予感もある、それでもだ。

 

 上手くは、行っていたと思う。クラスでの立場はある程度確保できたし、平田くんも快く引き受けてくれた。彼の優しさに付け込む形になってしまったけど。

 

「笹凪とは協力関係を結んでいる」

 

 そんな私の馬鹿な戦略を、何もかもを吹き飛ばして叩き壊したのは、この無表情の男である。

 

 綾小路清隆、正直なことを言わせて貰えばよく知らない。笹凪くんとよく一緒にいる根暗でコミュ障の男、そんな印象しかこれまではなかったと思う。

 

 私の触れられたくない場所に土足で踏み込んで来た挙句、堂々と弱みをチラつかせて脅そうとしてくるコイツは……普段教室で見せている顔とは全然違う冷たい視線と表情でそう言った。

 

「アンタは笹凪くんの指示で動いてる訳?」

 

「いや、違う。アイツはこんな回りくどいことをしなくても正面から堂々と結果だけを持っていく奴だからな」

 

「そうね、アンタみたいに、股を開けだなんて女の子相手に失礼なこと言う人じゃないもんね、笹凪くんは」

 

「……」

 

 都合が悪くなるとすぐ無言になる。本当に失礼な奴だ。

 

 私とこいつは今、皆が寝静まった時間にひっそりと船の中を移動している。もう試験も終わってやっと自由にできるのに、私は綾小路くんと一緒にいる。

 

 こんな所を誰かに見られたら大変なことになる。私が築き上げて来た実績や立場だって失うかもしれないのに。

 

 彼に案内されて辿り着いたのはいつかの人気のない船の端っこ、私がCクラスの生徒に追い詰められて、綾小路くんに弱みを握られたあの部屋だった。

 

「やぁ、軽井沢さん。それに清隆、待ってたよ」

 

「悪いな、待たせたか?」

 

「あぁ、一時間ほどね」

 

「嘘つけ、呼んだのはついさっきだ」

 

「冗談だよ」

 

 クスクスと笑う笹凪くんはとても絵になる。女の子なら絶対にうっとりとしてしまうような、そんな顔だと思う。

 

 最初は平田くんじゃなくて、笹凪くんに彼氏役を頼もうとしてたんだっけ……だけど放課後にカラオケやカフェに誘っても何かと理由をつけて断って来たから、接し易い平田くんにしたのだ。

 

「天武、軽井沢はこっちの駒になった」

 

「こ、駒って……ホントむかつく」

 

「こらこら清隆、あまり失礼なことを言うもんじゃないよ。すまないね軽井沢さん、彼は少し言葉が足りない所があるし、シャイだからつい強がってしまうんだ。許してやって欲しい」

 

「まぁ、良いけどさ……それより、笹凪くん。本当に私を守ってくれるんだよね?」

 

 そういう条件で私は綾小路くんと笹凪くんに協力することになる。弱みを握られて脅されていることもそうだけど、もし仲間になるのなら必ず守ってくれるという約束だから。

 

「もちろんだ、俺は、そして清隆は、君を必ず守る」

 

 力強い声と瞳だった。笹凪くんは不思議な存在感のある人だから、そう言われると何も言えなくなってしまう。

 

 これが愛を囁く言葉だったら、きっとどんな女の子も落ちるんだろうな。

 

「だから軽井沢さんも俺たちに力を貸して欲しい……君が必要だ」

 

「う、うん、わかった……」

 

 良かった、本当に良かった……そこさえ守れるなら、私に不満はない。

 

「ありがとう、これからは一緒に頑張ろう」

 

 また穏やかに笑う笹凪くんは、その顔を綾小路くんに向けた。

 

「しかしまさか軽井沢さんが仲間になってくれるとはね。口下手な清隆がどんな風に口説いたのか気になるな」

 

「い、いや、それはだな……」

 

 あの冷たい表情と冷たい視線で私のトラウマに踏み込んで来た綾小路くんは、別人のように戸惑っている。

 

 あれ、もしかして笹凪くんはコイツが何をしたのか知らない感じ?

 

 へぇ……あんな失礼なことをしたのに、黙ってるつもりなのか。

 

「笹凪くん、私、綾小路くんに脅されたのッ!!」

 

「おい、軽井沢」

 

「しかも……ま、股を開けとか言い出したの!! セ、セクハラ!! とんでもないセクハラ野郎なんだから!!」

 

「えぇ……本当なのかい? 清隆?」

 

「嘘だ」

 

 コイツ!! 堂々と嘘を付いてる!?

 

「はぁ、全く……良いかい清隆、女性には紳士的に接しなきゃ駄目だよ?」

 

「……」

 

「返事は?」

 

「わかった」

 

「駄目よ、私はすっごく怖かったんだからね、もっと反省しなさい、反省を!!」

 

「ん……どうやら言い過ぎたこともあるみたいだね。軽井沢さん、どうか清隆を許してやって欲しい。悪気があった訳じゃないと思うんだ」

 

「いや、悪気がなきゃあんなこと言わないから」

 

「尤もな意見だ……うぅん、どうするか、協力関係になるんだから仲が悪いのはちょっとな」

 

 顎に手を当てて考え込む笹凪くん、私はそんな彼を見てこんなことを思い浮かべる。

 

「デコピン……そうよ、デコピンよ!!」

 

「デコピン? それはあれかい? 指で弾く奴」

 

「うん、このセクハラ野郎にはそれが必要よ。だから笹凪くん、思いっきりやっちゃって!!」

 

「おい待てッ……自分が何を言ってるのかわかってるのか軽井沢。天武のデコピンだと? オレを殺すつもりか?」

 

 無表情で冷たい瞳で私を脅してきたとは思えない程に、焦った様子で綾小路くんはそう言った。

 

 ここで私はコイツもそんな顔をするんだって初めて知ったと思う。

 

「まぁ、清隆にも反省すべき点があるみたいだしね……ん、腹を括ろうか」

 

「ま、待て……話し合おう」

 

「清隆……額を出せ」

 

 これで綾小路くんも思い知った筈だ。私が股を開けと言われた時、どれだけ怖かったのかを。

 

 

 その後、爆竹を弾けさせたような音が部屋の中に広がった。気絶した綾小路くんは笹凪くんが担いで部屋に持って帰ることになる。

 

 ざまあみろ、私は少しだけ良い気分になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とある師弟の日常」

 

 

 

 

 

 

 

 

「くいいぃぃぃぃッ!?」

 

「弟子、その奇妙な叫び声はなんとかならないのかい?」

 

 霧深い山の奥、およそ人が暮らすような環境ではないその土地に、ひっそりと存在する神社の中で、とても奇妙な声が響いていた。

 

 声の主はまだ少年だ。歳は十歳にも届かないだろう。普通ならランドセルを背負って学校に通っている筈なのだが、少年が背負っているのはランドセルではなく細かく彫り込まれた仁王像だった。

 

 筋骨隆々のその彫刻は少年に取り付くような形をしており、彼はそんな状態で腕立て伏せを強制されているらしい。

 

 仁王像のサイズから見て明らかに彼とは不釣り合いであり、そもそもそんな巨大な重しを背負ったまま筋力トレーニングをするなど近代スポーツ科学の観点から見ても推奨されることではない。

 

 それでもなお、少年は仁王像を背負いながら筋トレをしていた。汗だくになり体中の筋繊維をボロボロにしながら。

 

 そこまで追い込まれれば変な叫び声も出て来るだろう。だが彼を監督する人物は無駄口を叩くなと忠告している。

 

「後二百回」

 

「は、はいッ!!」

 

 穏やかでありながら、どこか力強い声である。不思議な魅力を宿しており、耳朶から脳に染み込んで深層心理に刻まれる、そんな声であった。

 

 声の主は美しい女性だ。言葉にするのが難しい存在感を放っており、彼女を前にすればおそらく全ての人間が黙り込むのかもしれない。

 

 視線を吸い寄せる引力と、あらゆる存在を遠ざける迫力を持ち合わせながら、それらを上手く調和されている。

 

 カリスマと表現するよりは、魔性と言うべき存在なのかもしれない。

 

 人間が理解できる限界の美しさと存在感は、まさに魔性だ。

 

 遥か太古に人間が捨て去ってしまった何かを持っているのだろう。陳腐な言い回しだが神の子という言葉がよく似合ってしまう。

 

 そんな彼女は弟子の鍛錬を監督する傍ら、巨大な丸太を削り取って新しい仁王像を作っている。どうやらそれも弟子に背負わせるつもりのようだ。

 

「それが終ったら次はこれを担いでランニングだよ」

 

「し、師匠ッ、そろそろ死んでしまいます!!」

 

「そうなったら、君はそこで死ぬ定めであったという、それだけの話だ……そんなことはどうでも良いから、腕立てしながら勉強もするよ。今から私が言う問題を頭の中で解いていくこと……良いね?」

 

「よくありません!!」

 

「では行くよ、第一問――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の年、相変わらず少年と師匠は山奥で生活をしていた。少しだけ背が伸びて逞しくなった少年は、それでもやはり少年の域を出ていないのだが、そんな彼に師匠の女性はこう言った。

 

「これは私の流派に伝わる薬でね。複数の漢方や薬草や毒虫なんかをうまい具合に混ぜ合わした物だ……飲むと内臓が良い感じにグチャグチャになる」

 

「薬ッ!? 薬なんですよねそれ!? なんかどす黒いし、異臭がとんでもないしッ!! 死ぬッ、そんなの飲んだら死んじゃいますって!?」

 

「死にはしない、ただ一カ月くらいは内臓がグチャグチャになって、吐血と血便や血尿が止まらなくなるだけだ、大丈夫だよ」

 

「大丈夫な要素が皆無ッ!?」

 

「それを乗り越えたらとても頑丈な内臓になるんだ……破壊と成長は表裏一体、飲みなさい」

 

「クソッ、こんな所にいられるかッ!! 俺は逃げさせてもらいます!!」

 

「おやおや、いけない子だ」

 

 結局、少年はその薬を飲まされることになる……死にはしなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 その翌年、やはりと言うべきか少年と師匠は山奥の神社で過ごしていた。

 

「いいかい弟子、重要なのは指の動きと視線、そして銃口の角度だ……それらをしっかり観測して対処すれば銃は怖くない。弾は真っすぐにしか飛ばないからね。素早く動いて射線を避ければどうとでもできる」

 

「師匠、何言ってるんですか?」

 

「とりあえず今日は初めてだし、銃を撃つタイミングはわかりやすくするから、頑張りなさい」

 

「会話をしましょう、師匠!?」

 

 師匠と呼ばれた女性は右手に持った銃を見せびらかすように弟子に向ける。モデルガンなどではなく、本物の兵器であるそれを。

 

「じゃあ3秒後に撃つからね……1、バァン」

 

 銃口から凶器の弾丸が放たれる、それを少年は銃口と指先の動きで予期して必死に回避した。

 

「2と3はぁぁぁぁぁぁ!?」

 

「あぁ、避けれるじゃないか、それで良い」

 

「師匠ッ!? 三秒後に撃つって言いましたよね!? 三秒後に!! なのに一秒で撃った!! 酷い!!」

 

「君は何を言っているんだ……私が教えているのは実戦だよ。よーいドンで全てが始まるスポーツじゃない」

 

「だからって嘘つかなくても良いでしょう!!」

 

「卑怯だと罵れるのは君が生きている証拠だ。死んだ後では愚痴ることもできないからね、良いことだ」

 

「会話が成立してません!!」

 

「世の中の全てが君の都合を中心に回っている等と思わないことだ。不意打ちも騙し討ちも常に警戒しなさい、何だったら私が銃を握った瞬間に奪い取るくらいはするんだ。相手に何もさせない、これに勝る戦略は存在しないんだから。よく覚えておくと良い」

 

 また銃口が少年に向けられる。そこに一切の躊躇はない。

 

「じゃあ対銃訓練を行いながら英語の勉強をしようか……撃つ度に私が英語の問題を出すから、君は避けながらそれを翻訳して答えなさい」

 

「そんな無茶な!!」

 

「成せばなる、何事もだ、ほら行くよ」

 

「あぁああああああッ!! そんなに連射しないでッ!?」

 

 その日、山奥の神社では銃声が絶えなかったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また一年が過ぎた。弟子と師匠は神社から更に奥に進んだ傾斜の激しい山奥にいた。

 

「弟子、人が一番高いパフォーマンスを発揮できる瞬間がいつかわかるかい?」

 

「師匠……俺、凄く嫌な予感がします。どうしてわざわざこんな傾斜の激しい山の頂上に連れてこられたんでしょうか?」

 

「それはね、死に瀕した時だ」

 

「……俺の話聞いてます?」

 

「どんな人間であっても、死が目の前に迫った時に性能以上の力を発揮することが可能だ。足は速くなって思考は加速する……なら話は簡単だね、死ぬような目に遭ってその感覚を日常にすれば、人は常に最高の性能を発揮することができるんだ。最高の集中状態を意識一つで引っ張って来れるようになる」

 

「……」

 

「こら、逃げるんじゃない」

 

「嫌だ!! 俺はまだ死にたくない!!」

 

「何の為にあれだけ強引に基礎をとなる体を作ったと思っているんだい、この日の為だ」

 

「山から突き落とされる為の訓練だったんですか!?」

 

「あぁ、それで生き残る為の訓練だった……さぁ、死と友人になってきなさい。これを乗り越えれば君は極まった集中状態を手にできるだろう。喜ぶと良い、天才と呼ばれるような人種でもそこに至れるのは一部だけだ」

 

「あ、止めて、追い詰めないで……あぁああああああああッ!!?」

 

 最後まで抵抗する弟子を、師匠は勢いよく蹴り落とす。とても急な傾斜を持つ山は一度転がり始めれば止まることは難しく、ただ落ちていくだけである。

 

 それでも弟子は死にたくないと必死で勢いを殺す為にあらゆる手段を模索して手を伸ばす。きっと彼はこれまでの人生で最も集中して努力していることだろう。

 

「うん、やはり筋が良い……後5回か6回くらい繰り返せば、集中状態を会得できそうだな」

 

 少年の努力を山の頂で俯瞰する師匠は、ただ満足そうに眺めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に更にその次の年、弟子と師匠が暮らす山奥の神社は寒波によって雪に覆われていた。そんな状態でありながら二人は外出しており、凍える寒さの中でとある生物と対峙していた。

 

「冬眠しなかった熊だね……麓の町に行くかもしれないから、ここで処理しなさい」

 

「えぇ……滅茶苦茶大きい熊なんですけど」

 

「あぁ、今の君が死ぬ気で頑張ればギリギリいけるんじゃないかな」

 

「し、師匠は手伝ってくれないんですか?」

 

「私が手伝ったら訓練にならないだろう。君は男の子に生まれたんだ、熊くらい倒せないでどうする」

 

「熊は殺せなくても生きていけると思います」

 

「それは熊を倒せない弱者の思考だ」

 

 師匠と呼ばれる女性は耳朶に残る不思議な声色でそう言うと、弟子の背中を押して飢えた熊の前に出す。そして彼女自身はその場に腰を下ろしてしまう。

 

「せっかくだから勉強しながら熊と戦おうか。数学は昨日やったから今日は道徳かな……熊と戦いながら私が言ったことを復唱しなさい」

 

「ちょ、待ってッ……あぁッ!! 爪掠った!?」

 

「他者と接する時は敬意を示すこと、はい」

 

「た、他者と接する時は――うぉぉッ!!?」

 

「言葉が途切れているよ、ほら、頑張りなさい」

 

「せめて熊と戦わせることに集中させてください!?」

 

「弟子、社会人は様々なことを同時に進行する能力が求められる。複数の目標に向かってそれぞれ思考を分散するのは基本だ……世の大人たちは皆同じことができる」

 

「熊と戦うことと道徳の授業を同時進行する必要はありません!!」

 

「いや、それができるのが大人であり社会人だ」

 

「大人ってスゲェッ!!」

 

「良いから集中しなさい。いつも言っているね、掴んだら?」

 

「必ず壊す!!」

 

「突っ込んだら?」

 

「必ず引っこ抜く!!」

 

「宜しい、頑張りなさい」

 

「はい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからまた暫くの年が過ぎ去った。少年はいつしか背もしっかりと伸びて少年の面影を完全に消し去り、いよいよ大人の一歩を刻もうとしている年齢となった。

 

 いつものように鍛錬を行い、いつものように勉強をして、いつものように師匠と実戦を繰り返す。そんな日々。

 

 しかし今日は少しだけ違っていた。師匠はいつもの和装ではなく男物のスーツを身に纏っており、同じような黒いスーツを弟子に渡す。

 

「今日は仕事を手伝って貰うよ」

 

「師匠の仕事を? これまでは駄目だって言ってたのに……」

 

「あぁ、けれどそろそろ良いだろう……悲しいことに、世に騒乱の種が尽きることはない。私の知り合いにはね、悪者を倒すとお金をくれる親切な人がいるんだよ」

 

「へぇ、そんな人がいるんですね……具体的には何をするんですか?」

 

「丁度今、空港にハイジャックされた飛行機が止まってるらしい……偉い人も乗ってるらしいから、上手く処理しようか」

 

「ん、了解です」

 

「良い返事だ、それでは行こう」

 

 

 こうして二人は山奥の神社から人里に下りていくことになる。少年は大人への一歩を踏み出すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ!? ゆ、夢か……またこれか」

 

「おはよう、清隆、目が覚めたみたいだね」

 

 目を覚まして寝かされていたベッドから体を起こす。眉間に鋭い痛みが走るのは天武にデコピンをされたからだろう。どうやらオレはあれで気絶してしまっていたらしい。

 

 軽井沢からの悪乗りと当然の制裁であったので受け入れるしかなかったが、まさか気絶することになるとは……ゴリラのデコピンと考えればこれで済んだことは喜ぶべきなんだろう。

 

 船の中にある部屋にはオレと笹凪の姿がある。看病をしてくれていたらしい。

 

「おでこは大丈夫かい? ごめんね、少し力加減を間違ってしまったみたいだ」

 

「あぁ、問題はない……少し腫れているけどな」

 

「すぐに引っ込むよ」

 

 額に手をやると冷却シートが張られていた。おそらく天武が張ったものだろう。

 

 骨折はしていないだろうかと心配になって額を何度も撫でるのだが、そんなオレを見て天武はクスクスと笑う。

 

 荒唐無稽な夢の中で見た少年と、天武の顔が何故か重なってしまった。

 

 今思えば、入学してから続く奇妙な夢見の悪さは、こいつと出会ってからかもしれないな。

 

「天武……苦労したんだな」

 

「急にどうしたんだい?」

 

 

 あの夢がなんだったのか、そして事実であるかはわからない、けれどオレは不思議と天武に同情するのだった。

 

 あそこに比べれば、ホワイトルームはまだ良心的なのだから。

 

 

 

 

 

 

 




ホワイトルーム「引くわ……そうはならんやろ」


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それぞれの夏
夏休み 1


夏休み編となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暑い日差しが今日も降り注ぐ。

 

 夏もど真ん中のこの時期はいつもそうだがやはり熱い。師匠と暮らしていた実家は北の方にあったのでまだマシだったのだがそれでも熱かったのは間違いない。それが東京ともなれば更に熱い。

 

 この学校はどこも冷房完備で室内にいる間はとても涼しいのだが、一歩外に出るとじっとりと汗が肌に浮かぶことになる。

 

 ましてや外での作業ともなればより厳しいものがあるだろう。一応、日差しを遮る為にポイントで購入した足長のテントを設置しているのだが、それでもやっぱり熱い。

 

「ふぅ……ようやく完成したな」

 

「あぁ、意外にもやれるものなんだな」

 

 俺は足長テントの中にある美術作品を清隆と並んで眺めていた。

 

 ここは学生寮の前、そして目の前にあるのは仁王像である。因みに二体ある。

 

 筋骨隆々の体に鋭い眼光、右手を前に差し出して僅かに腰を下ろすポーズを取っており、二体一対の姿はとても雄々しく様になっていた。

 

 教科書に載っているあの有名な仁王像を参考にして、少しだけアレンジを加えた二体の仁王像は、美術部である俺の夏休みの課題でもある。

 

 部活の課題で夏の間、何かしらの作品を作れと言われたので。俺は師匠を思い出して仁王像を作ることにしたのだ。

 

 あの人もよく仁王像を作っては俺に担がせていたからな。実は縁のある存在でもある。

 

 通販サイトを調べてみると彫刻用の丸太が売っていたので即日購入。届いた丸太はその日の内に足長テントの下においてさっそく作業開始、そして本日完成した訳なのだ。

 

 力作である。きっと美術部の顧問も百点満点をくれるだろう。

 

 なにせ師匠モードで作ったからな、強い念が宿っているかのような迫力があり、今にも動き出しそうな雰囲気すらあった。

 

 因みに、清隆も何故か手伝ってくれた。どうやら暇をしていたらしく、せっかくなので手を借りて、見事な仁王像がここに完成した。

 

「ヤバいな、カッコよくないか?」

 

「迫力はある、今にも動き出しそうだ」

 

「だよな、これなら顧問の先生も文句無しだろう」

 

「……驚くだろうけどな」

 

「ん、どうしてだい?」

 

「普通、生徒がこんな物を作って来るとは思わないだろう。二メートル越えの仁王像だぞ? しかも二体、絶対に苦笑いする筈だ」

 

「そうなのか、普通は作らないのか……師匠はよく作ってたんだが」

 

「常識的に考えろ」

 

 清隆は少し呆れたような顔をしている。

 

 そう言えば、この仁王像を作る作業は学生寮の前でやっていたので、寮から出て来る生徒たちは皆似たような顔をしていたな。美術部の夏休みの課題を作っているだけなのだから、そこまで呆れられることでもないと思うのだが。

 

「清隆も手伝ってくれてありがとう、顧問の先生から評価を貰ったら片方あげるよ」

 

「いや……貰ってもな」

 

「遠慮する必要はないんだよ」

 

「遠慮はしていない。貰っても絶対に持て余すから拒否しているんだ……想像して見ろ、部屋の中に今にも動き出しそうな仁王像がある生活を」

 

 師匠と暮らしていた神社には色んな彫刻象が置かれていたので、あまり違和感はないんだが……清隆には受け入れがたい光景なのかもしれない。

 

「そうか、頼もしくていい感じなんだけどな、仁王像って守護神的なあれだから。泥棒が入って来ても安心だ」

 

「いらないからな……」

 

 そこまで念を押さなくても良いじゃないか。手伝ってくれてる時は何だかんだで楽しそうだったが、いざ作品をどうするかという段階で何故冷めてしまうのか。

 

「仕方がない、評価を貰った後は学校の玄関にでも置いておくか」

 

「生徒会か、教師に呼び出されるだろうから止めておけ」

 

 なんでそこまで拒否されるんだろうか? 仁王像は守りの象徴なのに。寧ろ玄関に置いておけば邪悪な者を立ち入らせず無病息災で生徒が暮らせるだろう。

 

 それに何よりカッコいい。師匠もよく仁王のようになれと言っていたからな、俺の琴線に触れるものがあるのだ。

 

「まぁどうするかは顧問からの評価を貰ってからだな、引き取り手がなかったらひっそりと職員室か理事長室にでも置いておこう、生徒会室でも良いな……いや、龍園の部屋の前にでも飾っておこうか」

 

「嫌がらせもほどほどにしておくんだ」

 

「そんなつもりはない、全て善意によるものだ……よっこらせっと」

 

 清隆の呆れたような視線を受け流しながら、俺は二体の仁王像を肩に担いで持ち上げる。このまま学生寮の前に置いておいても迷惑になる可能性もあるので、とりあえず美術室まで持っていくとしよう。

 

「手伝ってくれてありがとうな。こいつらの名前は片方は清隆にしとくよ」

 

「……頼むから止めてくれ」

 

 シャイな奴だ。そんなに照れなくて良いのに。

 

 寮前で清隆とわかれて仁王像を担いだまま学校へと向かう。夏休み中でも部活動であったり生徒会であったりが活動しているので校舎は開かれており、美術室で作業する部員もいるので空いているだろう。

 

「笹凪か……」

 

 校舎に入り美術室へ向かう途中だ、堀北先輩が俺に声をかけてきたのは。

 

「どうも、生徒会長、お久しぶりです」

 

「あ、あぁ……そうだな」

 

「さ、笹凪くん、その担いでいる物は一体……」

 

 堀北さんのお兄さん、生徒会長である堀北学先輩は、俺と俺が担いでいる二体の仁王像の間で視線が右往左往している。その隣では生徒会書記の橘先輩もいた。

 

「どうですか? 自信作なんです」

 

「……それは美術部の課題か?」

 

「はい、夏休みに何かしらの作品を作らなくてはならなくて、せっかくなので仁王像を作ろうかと」

 

「せっかくだから、仁王像? え?」

 

 橘先輩は困惑を隠しきれないといった様子で、頭の上に?マークを浮かべている。

 

「これなら百点を貰えるかと思いまして」

 

「確かに、迫力と言うか……強い念のようなものは感じ取れる作品だな」

 

「ありがとうございます」

 

 褒められるのは嬉しい。師匠モードであったとはいえ、このサイズの作品だったから苦労も大きかった。報われた気分になるな。

 

「宜しければ評価を貰った後は差し上げますよ」

 

「いや、不要だ」

 

「そんな遠慮なさらず。生徒会室に飾ってください」

 

「もう一度言うぞ、不要だ」

 

 眼鏡を人差し指で上げながら堀北会長はそう断言した。その隣では橘先輩もうんうんと勢いよく頷いている。

 

 悲しい話だ。作ったは良いけどこんなにも拒否されてしまうなんて。

 

「それより笹凪、丁度良かった。それらを美術室に置いたら生徒会室まで来い」

 

「俺は別に叱られるようなことはしていませんよ?」

 

「そのようなつもりはない。だが少し問題もあってな、お前を呼び出して事情を説明しておこうかと思っていた所なんだ」

 

「なんのことかわかりませんけど、了解です。後で顔を出します」

 

 怒られる訳ではなさそうなので気が楽ではあるが、何の用だろうか……少し考えてみたが答えは出てこない。

 

 とりあえず担いでいた仁王像を美術室に置いてから、待たせるのも悪いと思って生徒会室へ直行する。

 

 部屋の前で師匠に言われた通り、最低限の身だしなみを整えてからノックすると、橘先輩の「どうぞ」という可愛らしい声が届いた。

 

「笹凪です。入室します」

 

 挨拶は大事、師匠の言葉である。

 

「よく来た、座れ」

 

「失礼します」

 

「笹凪くん、お茶でもいかがですか?」

 

「ありがとうございます橘先輩」

 

 とても喉が渇いていたので嬉しい配慮である。そのまま仁王像も貰ってくれるという配慮を見せてくれないだろうか。

 

 頂いたお茶で喉を潤して一息つくと、机を挟んで正面に座る堀北会長はこんなことを尋ねて来た。

 

「特別試験では随分と暴れまわったそうだな」

 

「え、話ってそれですか?」

 

「いや、本題は別にある。だがそちらの話も聞いておきたい」

 

「別に話すのは構いませんけど……というか生徒会って試験の結果や内容まで把握できるものなんですね」

 

「ある程度はな、お前がやりたい放題したことは把握している……まさかスポット装置を引きちぎって一ヶ所に集めるとは、前代未聞だぞ」

 

「効率を極めた結果、致し方なく」

 

「ふッ、おかげで、次に同じ試験が実施される場合は、幾つかのルールが追加されることになりそうだ」

 

「それが今年じゃなくて良かったです……それで、聞きたいことの本質はそこじゃないでしょう?」

 

「何が言いたい?」

 

「妹さん、頑張ってましたよ」

 

「……」

 

 結局、この人が聞きたいのはそこなんだろう。本人に直接聞けって言うのは野暮なんだろうか?

 

「無人島ではクラスメイトと交流を深めていましたし、船上試験では優待者の法則も見抜いて貢献して、Aクラスと契約する際にも色々と意見もくれましたよ」

 

「ほぅ……鈴音がな」

 

 とても、それはもうとても意外そうな顔をする堀北先輩、この人にとって妹はどれだけ心配をかける存在に映っているんだろうか、心配性な人である。

 

「妹さん、褒めた方が伸びるんじゃないか説を俺は押しています……なので褒めてあげたらどうでしょうか?」

 

「検討はしておこう」

 

「そうしてください」

 

 堀北さん、喜ぶんじゃないかな。

 

「さて、本題に入ろうか。橘、例の書類を頼む」

 

「はい会長」

 

 橘先輩が俺に差し出して来たのは一枚の書類、ざっと目を通すとそこにはコンクールに応募した作品の概要と、それに纏わる問題が書かれていた……うん? おかしいな、とんでもない額が書かれているんだが。

 

「え~と、会長、これはどういうことでしょうか?」

 

「お前がコンクールに応募した作品を、買い取りたいという人物が現れた」

 

 師匠モードで描いたあの絵のことだろう。確かにコンクールに出した。

 

「買い取りたい? すいません、意味が分かりません……コンクールに出したのは間違いありませんけど、オークションに出した訳ではなかったと思いますが」

 

「だろうな、学校側も困惑している……ただ、コンクールの審査員の一人がいたくお前の作品を気に入ったらしく、審査委員会経由で学校側に交渉を持ちかけて来た」

 

「奇特な方もいらっしゃるんですね。無名の高校生の作品に金を出すだなんて。しかもこんなバカみたいな額を」

 

「価値観は人それぞれだ。それだけ出しても惜しくはないとその人物は判断したのだろう」

 

「……はぁ」

 

 正直、ドン引きであった。確かに師匠モードで描いた作品だから自信作だとは思うし、清隆や堀北さん、そして美術部の顧問の先生からは、良い意味でも悪い意味でも心が揺さぶられる作品だとは言われたけど、大金を払うほどではないと俺は思う。

 

 そこで俺は師匠のことを思い出す。そう言えばあの人が作った作品も高く売れていたと。

 

 別に高い値段を提示している訳でもなかった筈だし、金に執着がある人でもなかったので気まぐれに望む人に提供していたが、返礼に金の延べ棒とか送られてきたな。

 

「コンクール会場は変な空気に包まれていたらしくてな。その人物が作品を買い取りたいと言った瞬間、対抗するように他の人物も購入を求めたらしい。最終的にはオークションのように値段が吊り上がったそうだ」

 

「怖い……なんですか、それ」

 

 あの絵には人を狂わせる魔性でも宿ってしまったんだろうか、それこそ師匠の作品みたいに……師匠モードで作ってたから否定しきれないな。

 

「でもまぁ、大金が入って来るのはとても嬉しいですね……」

 

 なので別に売ってしまうこと自体は問題がない、重要なのはここから先だ。

 

「因みにですけど、これってプライベートポイントに変換とかできますか?」

 

 本題はそこだ。それができるのならこんな嬉しくて重要なことはない。

 

 俺の質問に堀北会長は視線を鋭くして考え込む。戸惑いも無く完全否定されないということは、可能性はあるようだ。

 

「そこは、学校側でも議論があった……外部からの資金を変換するのは公平性に欠けるのではないかとな」

 

「なるほど、公平性ですか」

 

「あぁ、例えば実家や親類の援助などで大量のプライベートポイントを得られるのならば、やはり問題となるだろう」

 

 そこはどうなんだろうか……高円寺辺りは色々とルールの穴を突いて大量の資金を動かして多くのプライベートポイントを得ているみたいだけど。言い方が悪いかもしれないがマネーロンダリングみたいにすれば学校側もあまり咎めたりしないんじゃないだろうか。

 

 俺が高円寺の戦略を興味本位に訊いた時は、公平性に欠けるというよりも、その手があったかと感心したほどだ。

 

「ですけど、この場合はそうではありませんよね? 言ってしまえばこれは生徒の実力で得た訳ですから」

 

「その通りだ……それに前例もある」

 

「え、そうなんですか?」

 

 俺の質問に答えてくれたのは橘先輩であった。

 

「はい。何年か前の美術部員が、企業が主催した広告コンペに作品を出展して入賞した際に、50万円を賞金で得てそれをプライベートポイントに変換していますね」

 

 なるほど、意図したのかどうかわからないが、俺と同じような状況に立たされた生徒がいたと、そしてその人物は自分の実力で得た賞金をプライベートポイントに変換できたということか。

 

「だが、額が額だ……学校側でも色々と議論がなされて、最終的には良しとされた。これも実力と言ってしまえば、それまでだからな。ただし最終判断は生徒に任せるとのことだ」

 

「つまり、俺が決めても良いと?」

 

「そうだ」

 

「ではプライベートポイントに変換します」

 

「即答だな、一度持ち帰って考えても良いんだぞ?」

 

「この学校だとポイントがあればあるほど有利ですからね。いつになるかわかりませんがポイントを使うことを前提とした試験も行われるでしょうから、そこに備えておきたいんです」

 

「ほう、そこまで想定しているのか」

 

「プライベートポイントという制度がある以上は、ほぼ確実だと思っています。そうでしょう?」

 

「どう解釈するかはお前次第だ……最終確認だが、本当に構わないんだな? 将来に備えて貯金するというのも一つの選択だぞ?」

 

「何も問題はありません……今は現金よりもポイントの方が重要なので。それに返ってこないとも思っていません」

 

 だって高円寺がルールの穴を突いてやりたい放題しているからな。俺は知っているんだ、一年や二年には卒業時にプライベートポイントは学校側に返還されると説明されているが、実はプライベートポイントは現金に替えることができる。ただしレートは低いらしいが。

 

 そう考えると高円寺は本当に上手く立ち回ってると思う。実家の資金を学校側が咎められない方法で自分のプライベートポイントに変換しているんだから。少なくとも俺には考えつかない方法であった。

 

「レートは下がるけど、現金にもできる筈です……そうですよね?」

 

「ふッ……それについては答えることができないと言っておこう」

 

 この学校はその表現が好きだな。まぁ言えないは言っているのと変わらないが。

 

「ではこの取引は問題ないと判断しよう。良いな?」

 

「はい、宜しくお願いします」

 

「わかった、相手側の弁護士が用意した書類があるので。それをしっかり読んで署名しろ。それと学校側からの資金変換に関する書類が用意されている。そちらもしっかり確認してから署名頼む。額が額だ、見落としのないように注意するように」

 

「了解しました」

 

 橘先輩が幾つかの書類を持ってきて提示した。それを隅から隅までしっかりと読み込んで、最終的に問題がないと判断して署名を残す。後、ハンコが無かったので拇印も。

 

「おそらく振り込まれるのは来月になるだろう」

 

「予期せぬ形でしたけど、おかげで色々と戦略が広がりそうです」

 

「楽しそうだな」

 

「それくらいが人生を一番謳歌できるらしいですよ」

 

「かもしれん……さて、本題に入ろう」

 

「え? 今までは本題では無かったんですか?」

 

「こちらも本題だ……単刀直入に言うが、笹凪、お前を生徒会に勧誘したい」

 

「はぁ、生徒会ですか……」

 

「乗り気ではないようだな」

 

「正直に言うのならば、その通りです」

 

 何をしているのかよくわからない集団、というのが正直な感想である。

 

「確かこの学校は生徒会と部活動の両立はできないのでは? 俺は一応美術部員ですよ」

 

「そうだな、生徒会に入るのならばそちらを退部して貰うことになるだろう」

 

「なら難しいかと……俺は書類仕事よりも部活動の方が楽しめると思うので」

 

「色々と便宜もはかれる、それに利益も得られることもある筈だ」

 

「それは美術部で活躍しても変わりませんよ。現に俺は、今後誰にも超えられないであろう大金を一人で稼ぎましたから」

 

「確かに、そう考えると生徒会に入ることで得られる恩恵など微々たるものとしか言えないな」

 

「回りくどい話は結構です。本題をお願いします」

 

「……今の生徒会副会長、南雲雅という男を知っているか?」

 

「はい、知っています。遠くから観察したくらいですけど」

 

「観察か、どうしてそんなことをしたんだ?」

 

「この学校に入学してすぐに、脅威となるくらいに強い人がいるかどうかの確認の為に、全校生徒を観察していました」

 

 南雲先輩も観察対象の一人ではあったが、清隆以外はあまり興味を引かれなかったと思い出す。

 

 彼に対する印象はどうだろう……脆そう? いや、それはこの学校にいる全ての人間に共通することだからな。

 

「因みに訊いておくが、どういう意味での脅威だ?」

 

「ええっと……」

 

 これは伝えて良いのだろうか? 引かれるような気がするが……いや、俺はこの人の眼鏡を粉砕した過去があるからな、今更かもしれない。

 

「その、なんと言いますか……壊せるか、壊せないかという意味です」

 

「そ、そうか……」

 

 やっぱり引かれてしまったらしい。生徒会長はごまかすように眼鏡の位置を直している。

 

「それで、その副会長がどうしましたか?」

 

「……南雲は優秀な男だ。だが、危うい所もある」

 

「生徒会長は彼を危険視されていると、そういうことですか」

 

「端的に言えばそうなるな……卒業してからは南雲が生徒会長となり、そうなれば大きな混乱を招くことになるかもしれん」

 

「つまり俺をその対抗勢力にしたいと」

 

「そうだ」

 

「何故、俺を? 南雲先輩に対抗させる為なら同じ学年の生徒の方が相応しいと思いますけど」

 

「それは難しい。南雲の影響力は学年全体に及んでいる。二年生にも優秀な生徒はいるんだがどうしてもな……」

 

「でしたら貴方が処理なされれば良い。後輩に任せるよりかはずっと適任だと思いますよ」

 

「出来る事ならばそうしただろう。しかし俺はもう生徒会引退間近だ、時間がない」

 

 それで頼りにならない二年よりも一年生か、だいぶ無茶ぶりしてると思う。

 

「う~ん……難しいですね、今はクラス闘争に集中したいので。俺たちのクラスはようやくスタートラインに立ったばかりですから、余計なことに力を注ぎたくない」

 

「南雲の影響が強まればお前たち一年にも影響が出る筈だ」

 

「具体的には?」

 

「前代未聞の、退学者が出るかもしれない」

 

「なるほど……そう聞くと、余計に関わりたくなくなりますね。目を付けられないようにひっそり大人しく過ごすべきだ」

 

「馬鹿を言え、現時点でお前は南雲が注目する一年の筆頭だ。どうせすぐに絡まれるだろう」

 

「あぁ、そうですか……ん、どうしましょうか? 生徒会よりも美術部員として活動するほうが楽しそうなんですけど。それにそんな面倒そうな先輩と毎日顔を合わせたくはありません」

 

「難しいか……」

 

「ご期待に応えられず、申し訳ありません」

 

「いや、構わん。無茶ぶりしている自覚もあるからな」

 

 少し残念そうな堀北先輩は、深く考え込むように瞼を閉じて腕を組む。

 

「まぁその南雲先輩がこちらにちょっかいかけて来るのなら、その時にまた考えますよ。笑って済ませられるくらいならいいんですけどね」

 

「わかった、今はそれで構わない」

 

 もし笑って済ませられない時はどうしようか……今は未来の俺に丸投げだな。

 

 ただまぁ、困難を楽しむくらいで良いんだろう。男の人生はそれで良しと師匠が言ってたしな。

 

「では俺はこれで」

 

「あぁ、時間を取らせたな」

 

「お気になさらず」

 

 一礼してから生徒会室を後にする。ありえないくらいのプライベートポイントが手に入るのがわかったので気分は良かった。

 

 それに外で得た現金をプライベートポイントに変換できることもわかったのだ、それが一番の収穫であったと思う。高円寺のマネーロンダリングを参考にしてこっちでも色々できるかもしれない。

 

 だが、これからのことを考えながら寮に帰ろうとすると、背後からこんな声をかけられてしまう。

 

「よう一年。今、生徒会室から出て来たよな? 何か用があったのか?」

 

 先程、堀北先輩が危うい存在だと言っていた南雲雅先輩が振り返った先にいたことで、大金を稼いで上機嫌だった俺は水を差されるのだった。

 

 

 

 

 

 




堀北兄「南雲、止めておけ。そいつはゴリラだ」

橘先輩「止めておいた方が良いです。その子はゴリラです」

南雲(ゴリラ? なんでそんなあだ名を付けられてるんだこいつは?)


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夏休み 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前にいる男、南雲雅の視線がこちらを観察してくる。自信に満ちた振る舞いに感じ取れる余裕、そして瞳の奥にある好奇心と興味の色が見て取れた。

 

 唇は柔和に歪められており、白い歯が僅かに覗いている。

 

 整った容姿に研ぎ澄まされた雰囲気はある種のカリスマを備えており、異性の目を嫌でも引きつけるだろうことがよくわかった。

 

「どうも、南雲先輩」

 

「へぇ、俺のことを知っているのか?」

 

「生徒会の副会長ですから、知らない人の方が少ないんじゃないですか」

 

 俺もまた、南雲先輩と同じように足から腰、そして胸、最後に顔を観察していく。最終的には視線がぶつかり合うことになる。

 

「……」

 

「……」

 

 そして何故か俺たちは無言になった。俺は彼を観察しているし、南雲先輩もまた俺を観察している。

 

 気まずくなったのか、それとも無言に耐えられなくなったのか、南雲先輩は俺からさっと視線を反らしてしまう。

 

 拙いな、堀北先輩から聞かされた話によってどうしても警戒心が高くなってしまう。それはつまり師匠モードになりかけているということだ。落ち着かないといけないな。無駄に圧力をかける必要もないだろうし。

 

 ばれない様に静かに深呼吸をしてから師匠モードを遠ざける。これで話しやすくなっただろう。

 

「それで、えっと……どうして生徒会室から出て来たかですよね? 実は堀北会長から生徒会に勧誘されまして」

 

「堀北会長から? あの人は今年の一年に失望してるって話だったが……」

 

 師匠モードが遠ざかったからだろうか、南雲先輩は反らしていた視線を戻して再びこちらを観察してくる。

 

 こちらと同じように足から頭まで舐め上げるように。

 

「あぁ、なるほどな」

 

 そして何故か頷くのだった。南雲先輩の中で納得が生まれたらしい。

 

「つまりお前は生徒会に入るのか?」

 

「いいえ、お断りしました。今はクラスの方に集中したいので」

 

「そりゃ勿体ない、面白くなりそうだったのによ。色々と噂は聞いてたから興味はあったんだ」

 

「俺の噂ですか……良いものなら嬉しいんですけど」

 

「今年の1年のDクラスは、特別試験で大勝していきなりBクラスにまで跳ね上がったんだ、これまでありえなかった事だからどうしたって注目は集めるだろ。お前がリーダーとして動いたって噂は上級生にまで届いてる」

 

 意外にもその辺の情報は学校全体に広がっているものらしい。

 

「後は荒唐無稽な噂もお前には多いな。シャベルを丸めただとか水泳の授業で世界記録を出しただとか、後はなんだったか……あぁそうだ、屋上から飛び降りたとかなんとか」

 

 葛城も同じような噂を耳にしたと言っていたな。堀北会長からもサウナで忠告されてしまったので、やはり大きな騒ぎになっていたんだろう。

 

「確かに、屋上から飛び降りましたね」

 

「うん? マジなのか?」

 

「はい、間違いなく飛び降りました」

 

 そこで南雲先輩は顎に手を当てて考え込む。少し迷うかのように。

 

「あ~……なんだ、悩みとかあるのか?」

 

「いえ、日々健康かつ健全に生きています。ただあの時はとても急いでいたので、仕方なく飛び降りたんです」

 

「……急いでいたから飛び降りたのか?」

 

「はい、とても急ぐ必要があったんです。悠長に階段を下りている暇もない程に」

 

 清隆から佐倉さんが危険かもしれないと連絡を受けていたからな、階段なんて使ってられなかった。実際に彼女はとても危険な状態だったのであの時の判断は間違いではなかったと思う。

 

「南雲先輩も同じような経験がありますよね?」

 

「ある訳ねえだろ、俺をなんだと思ってるんだ」

 

「急いでる時は廊下を走ったり、階段を飛ばしたりしません?」

 

「だからって屋上からは飛び降りないだろ」

 

「だとしたら、それは南雲先輩がこれまで一度も焦ったことが無いという事なんだと思います。普通は焦っていたら飛び降りるでしょう」

 

 南雲先輩は眉間に寄った皺を指先で揉み解す。そして疲れが交じった口調で呟くようにこう言った。

 

「会長タイプかと思ってたが……どちらかと言えば鬼龍院寄りかぁ」

 

 鬼龍院? 確か二年の先輩だったな。美人だったと記憶している。

 

「あ~、なんだ……他の生徒の迷惑になる。今後、そういった行動は控えろ、わかったな?」

 

「堀北会長にも同じように注意を受けましたので、可能な限り控えようと思います」

 

「いや、そこは絶対に止めると断言する所だろうが……はぁ、もう良い」

 

 何故か疲労を感じているようで、南雲先輩は強引に話を打ち切ってしまう。

 

「ま、面白い一年と出会えて良かった。これからも色々と楽しませてくれよな」

 

「今年の一年生は皆面白いと思いますよ。色々と情報は仕入れているんでしょう?」

 

「そりゃ色々とな、お前を含めて今年は粒ぞろいだって……だからまぁ、楽しみにしてるんだ。頑張れよ、これでも期待してるんだぜ」

 

 そう言って南雲先輩は親しそうに俺の肩を叩くと、そのまま背中を向けて去っていき、生徒会室に入っていく。

 

 残された俺もまた背中を向けて校舎の外へと進んで寮に帰ることになる。こうして生徒会副会長との初接触は終わることになる。

 

 堀北会長曰く、大量の退学者を出すかもしれないと危惧している人物であり、あの瞳の奥にある根本的な偏りと大きな自信は生徒会長の抱く危惧を連想させるものではあるな。

 

 ああいった存在は師匠の仕事を手伝ってる時に、何度か接触したこともあるし珍しい人と言う訳でもない。どんな場所にも少なからず存在しているとさえ言えるだろう……実際に大成するのは本当にごく僅かであるが。

 

 面倒ごとに巻き込まれなければ良いと願わずにはいられないなぁ、何せウチのクラスはようやくスタートラインから走り出したばかりなのだ。上級生と絡んで衝突している場合ではない。

 

 校舎から出て寮へと向かい、玄関の近くに置かれていた仁王像を作る時に設置したテントを折り畳み、木くずや工具や機材などもしっかりと片付けてから寮の部屋へと帰る。

 

 けれど一人でいても暇なので、隣人でもある清隆の部屋へと直行した。

 

「なぁ清隆、もしポイントが湯水のように使いまくれたらどうする?」

 

 訊きたかったのはそれである。九月にありえないような大量のポイントが入って来ることが確定したので、その運用方法に関して相談もしたかったのだ。

 

「急な質問だな……」

 

 清隆は部屋の中で特に何かをするでもなく、暇を持て余していたらしい。相変わらず殺風景な部屋でありあまり物が置かれていない。

 

 この部屋にある物と言えば図書室から借りて来たであろう書物と、俺が以前にプレゼントした自作のチェス一式くらいだろうか。

 

 暇を見つけてちょっとずつ作っていたチェスは夏前には完成しており、俺の部屋に来る度に興味深そうに見つめていたのでプレゼントした品であった。

 

 チェスの経験があるのかと訊くと「思考力を高める為にカリキュラムに組み込まれていた」と返答されたので、ホワイトルームで色々とやっていたらしい。

 

 俺としても渾身の自信作なので、大事に扱って欲しいものである。

 

「そんなことを訊いてくるということは、大量のポイントが手に入る目途があるのか?」

 

「あぁ、予期せぬ形だけどね」

 

 コンクールに出した作品にどうした訳か購入の打診があり、それによって莫大な現金を手に入れることが出来て、更にそれをプライベートポイントに変換したことを説明すると、清隆は感心したように目を瞬かせた。

 

「なるほど……そんなことがあったのか」

 

「奇特な人がいたもんだよね」

 

「芸術の世界では、そんなこともあるものなんじゃないのか?」

 

「一流で凄く有名な人の作品とかならとんでもない値段が付くこともあるんだろうけど、無名の学生が描いた絵にそんなに金を払うことはまずありえないんじゃないかな」

 

「だが、実際にお前は大量に稼いでいるだろ」

 

「都合よく動き過ぎだって、まぁ一時的な気の迷いか、酔っぱらってた可能性もあるかもしれないね」

 

「なんでもいい、ポイントが大量に運用できるのならば、それで十分だ」

 

 確かにな、金持ちの考えはよくわからない。俺たちにとって重要なのは大量の軍資金を手にしたと言うことだ。

 

「それでどうかな? もしポイントが大量に使えるとしたら君ならどんな作戦を思いつく?」

 

「色々とできることは多いな。実際に可能かどうかはまだわからないが」

 

「それでいいさ、色々思いついたことを言って使えそうなものを拾っていけば良い」

 

「そうだな」

 

 ただ話し合っているのもアレなので、せっかくだからチェスでもしながら作戦会議と行こう。俺が自作したチェス盤や駒もあることだしな。

 

 机の上にチェス盤を置いて駒も並べて、ついでに清隆はコップに飲み物を注いで持ってきてくれる。

 

「まず、パッと思いつくのは買収だろうな。2000万ポイントを提供するからと交渉を持ち掛ければ、どこのクラスにでもスパイを作れるだろう」

 

「まぁそこが最初に思いつくことだよね」

 

 2000万ポイントあればその時点でAクラスでの卒業が確定する。自分のクラスがどうなろうと他人事のようなものだ。

 

「ただやりようによってはそれ以下のポイントでスパイは作れるだろうからな、そこまでポイントを動かす必要はあまり感じない」

 

 清隆がチェスの駒を動かす、淀みなく鋭い駒捌きはどこかAIソフトと対戦しているかのような気分になってくる。

 

 俺はそんな彼の一手にすぐさま最適解を返す。少なくとも俺が考えられる限り最高の一手を。

 

「後は……実現可能かどうかは現時点で不明だが、クラス替えによる攻撃だな」

 

「どういうことだい?」

 

「例えばだが、2000万ポイントを使って他クラスに移動するとしよう」

 

「ん、それで?」

 

「そのクラスに移動した瞬間に、その生徒を自主退学させる」

 

「えぇ~……それはあれかい? 退学によるペナルティをそのクラスに与えるってことかな?」

 

「そうだ。回避も対処もできない爆弾になるだろうな」

 

「自主退学した生徒はどうするつもりなんだい?」

 

「この学校はポイントで買えない物はないと豪語しているんだ。復学の権利も買えるんじゃないか? 実際に可能かどうかはわからないから、机上の空論でしかないが」

 

「なるほどね、まさに大量のポイントを持つからこそできる滅茶苦茶な攻撃という訳か……性格悪すぎる作戦だな」

 

「あくまでポイントをどれだけ使っても惜しくはないという条件での作戦だ。もし本当に実行するとしても非効率極まりないだろう。それなら普通に試験に勝った方がずっと楽で節約にもなる」

 

 その性格の悪さと悪辣な作戦を思いつく頭脳は駒運びにも現れている。やっぱり素面の状態だと苦戦は免れないな。このままだとそう遠くない内に詰みまで持っていかれる。

 

 序盤に動きが緩慢だったのに対して清隆は最初からずっと鋭い切り込みを続けているのだ。スタートダッシュに負けてしまうとなかなか戦局は難しいものになってしまう。

 

「いや、参考にはなったよ。復学の権利とか実際にあるかどうかは知らないけど、もしあるのならそれだけで俺たちが取れる作戦の幅が広がるんだ。悪い事じゃないよ」

 

「そうだな」

 

 その作戦が実現可能で、実際にそれをなせるだけのポイントがあれば、試しに一回くらいやってみても良いかもしれない……高い確率で学校側は怒ってくるだろうけど。

 

 前例のない行動だろうからおそらくそれを罰する規則もない。規則がないということは制裁も受けないということだ。それこそ無人島での試験で俺がやったスポット引きちぎり作戦のように。けれど一度でもこの作戦を実行してしまうと二度目が起こらないようにルールが変わってしまうかもしれないな。

 

 試せるのは一度だけ……だとしたら三年最後の特別試験が終わった段階で、もしAクラスになれていなかったら、一か八か実行するのもありかもしれない。滅茶苦茶恨まれるだろうけど。

 

「三年の最後辺りにやってみようか?」

 

「本気か? とんでもなく恨まれるぞ?」

 

 いや、君が考えた作戦だろうに。どうして呆れたような顔をするんだ。

 

「それが必要だったらって状況なら、やってみるのも良いと思うけどね。仮に恨まれて暴走するような人がいたとしても、最大四十人なら制圧できる」

 

 最悪な方法だという自覚はあるけど、その選択肢があるのなら踏み込むべきだ。勝利はしっかりもぎ取るべし、師匠がそう言ってた。

 

「まぁ、二年後がどうなってるかなんて俺にも君にもわからないんだ。様々な可能性や手札を作っておくべきだろう」

 

「それはそうだな、反論の余地がない」

 

 また清隆の動かす駒が俺を追い詰めていく……このままだとすぐに詰みなので、そろそろ師匠モードになっておくか。

 

 清隆も夏休みの間は暇していることも多いみたいなので、こうしてチェスでもしながら作戦会議も良いだろう。俺にはない方向性の思考を持っている相手なのでなるほどと感心することも多い。

 

 それに、こうして友人と語らいながら将来のことを考えるのは、とても学生っぽい。師匠が言ってた高校生あるあるの一つだ。

 

「む、負けてしまったようだな」

 

 結局、俺はその対局に負けてしまう。序盤を制されると師匠モードでもさすがに勝てないか。

 

「天武、罰ゲームだ。今日の夕飯はそっち持ちで宜しく頼む」

 

「はいはい、わかったよ。何が食べたい?」

 

「食べたことのない料理が良いな」

 

「なら意外性のある感じでいってみるか」

 

 こんな夏の一時も悪くない、師匠と暮らしていた神社ではまず経験することの無かった時間なのだから。

 

 

 

 

 

 

 



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夏休み 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世の中には色々な事故が溢れている。車に轢かれたり凍った地面に足を滑らしたりと、例え注意していても避けられないような状況だってあるだろう。

 

 だから別に事故にあうことは可笑しなことでも無ければ、不思議なことでもないのだ。ましてやそれを笑うことも人の不幸を蜜の味だとか言う必要もないんだ。

 

 

「ふッ……」

 

 

 だから清隆、そんな風に笑うもんじゃない。

 

 

 夏休みを謳歌する日々の中、我慢しきれなかったのか清隆は嘲笑うかのような含み笑いを見せた。中々に珍しい表情である、彼がそんな顔をするとは。

 

 そんな清隆と俺の視線の先では、顔を真っ赤にしてワナワナと震える堀北さんの姿がある。羞恥と悔しさに身を震わせる彼女もまた珍しい姿と言えるだろう。

 

「綾小路くん……今、私を見て笑った?」

 

「いや、そんなことはないぞ……」

 

 いや、笑ってたよ。

 

「くッ……笹凪くん、どうして彼も連れて来たのかしら?」

 

「ごめんね、連絡貰った時にたまたま清隆もいたからさ。もしかしたら人手もいるかと思って付いてきて貰ったんだ」

 

「まさか堀北のこんな姿を見ることになるとはな」

 

「記憶から消してあげるわ、今すぐねッ!!」

 

「おい止めろ、今のお前の拳は冗談にならん」

 

「落ち着いて堀北さん、あんまり激しく動くと手首が圧迫されてしまうよ」

 

 そう、今の彼女の右手に装着されているのは水筒であった。まるで手甲のように拳を固めており、殴ると相応の痛痒を与えることだろう。

 

 どうやら水筒を洗っている時に勢い余って手が入ってしまい、そのまま抜けなくなってしまったらしい。

 

 彼女もなんとか引っこ抜こうと四苦八苦して様々な努力をしていたようなのだが、抜けることなく今に至る。

 

 プライドの高い堀北さんが誰かに頼ろうとすることは素晴らしい成長だと思う。四月頃の彼女を思い出しながら何となく嬉しい気分になった。

 

 堀北さんも成長しているということだろう……右手に水筒が嵌ってるけど。

 

「とりあえず外そうか?」

 

「えぇ……手を貸してくれるかしら? 一人だとどうしても取れなかったのよ」

 

「お任せあれ……とはいえ、あんまり強引にやると堀北さんに怪我させてしまいそうだからなぁ」

 

「それは……そうね」

 

 彼女も俺の膂力を思い出したのか顔を青くしている。大丈夫だよ、傷つけたりなんてしないから。

 

「面白いからもう少しこのままでも良いんじゃないか?」

 

「綾小路くん、邪魔だから今すぐ帰りなさい……じゃないと、わかるわね?」

 

 右手に水筒の嵌った堀北さんが清隆のツボに嵌っているのかもしれない。彼が彼女の醜態をここまで面白がるのはとても意外な反応だった。

 

 どこか機械じみた男である為に、感情を露わにするのは珍しいともいえるな。感情を見せる清隆を発見できたのは嬉しいが、それが堀北さんの姿を笑う為だというのは少しいただけないが。

 

「わかった、天武、ここは任せる。オレにできることはないようだ」

 

 堀北さんに脅されたからだろう。清隆はこっちに丸投げして部屋から出ていく。最後まで面白そうな顔を隠しもしなかった。

 

「あ、あの意地の悪い顔……私を可哀想なものでも見るかのような目だったわねッ……こんな屈辱をッ」

 

「落ち着いて堀北さん、清隆も悪気があった訳じゃ……」

 

「そうじゃなきゃあんな顔はしないわよ」

 

 清隆を何故かライバル視している堀北さんだ、右手に水筒が嵌った姿を見せたくはなかったのかもしれない。不満と苛立ちが見て取れた。

 

「まぁまぁ、今はこれを取り外そう……ん、これってどこまでやっていいかな?」

 

「任せるわ、私一人だと全く取れなくて」

 

「この水筒って、大事な物だったりする? それか代えの効かない物だったりとか?」

 

「そんなことはないけれど……」

 

「ん、なら壊しちゃっていいかな? 強引に引っこ抜くと堀北さんに怪我させちゃいそうだからさ」

 

「どう取り外すのかではなく、どう壊すのかを考えるのは貴方らしいわね……まぁ、良いわ、お願いできるかしら」

 

「はい、じゃあ水筒こっちに向けて」

 

 堀北さんは少し怯えながらもこっちに水筒の嵌った手を伸ばしてくる。俺はその水筒の底に指を伸ばして力を込めていく。そこなら彼女の手を巻き込んだりしないと判断したからだ。

 

 指の腹が水筒の底を押しつぶしていき、その圧力が限界に達したのだろう。歪な音を立てて水筒に大きな亀裂が入った。

 

 その隙間に指を突っ込んでしまえば後は簡単だ。画用紙を破るような感じで水筒を破いていけば良い。

 

 全てを破いてしまえば彼女の手は水筒から簡単に抜くことができた。当たり前だな。

 

「貴方の膂力は……その、明らかに異常ね」

 

 水筒を破いた俺を見て堀北さんは戦慄している。

 

「そんなに怖がらないで欲しいかな、悲しい気分になってくる」

 

「怖がっている訳ではないけど……こうして目の前で見るとどうしてもね」

 

 わからなくはない、俺も師匠に出会ったばかりの頃は驚いてばかりだったからな。

 

「それよりもさ、水筒壊しちゃったから弁償するよ」

 

「別に構わないわよ、頼んだのはこちらだもの」

 

「そうもいかないのがこっちの事情なのさ。俺が選んで贈ってもいいけど、やっぱり堀北さんが選んだ物の方が問題ないだろうし……それに、う~ん、デートとかしたいなって、せっかくの夏休みなんだし」

 

「……え?」

 

 そこで彼女は一瞬だけフリーズして心ここにあらずといった雰囲気となり、しかしすぐに我を取り戻してこう言った。

 

「デ、デートって……何を言ってるのかしら、相変わらず軽薄な人ね」

 

「駄目かな? 嫌なら断ってくれて良いんだけど」

 

「……そういう訳では、ないけど」

 

 消えてしまいそうな小さな声でそう言う彼女は、視線を右往左往させながら落ち着かない様子を見せる。

 

「デートが駄目なら、一緒に買物って表現にしようか?」

 

 そう伝えると、彼女は色々なことを呑みこんで納得してくれたのか、照れながらこう言ってくれた。

 

「え、えぇ……わかったわ」

 

 そんな訳で、堀北さんと買い物に出かけることになった訳である。

 

 休日に同級生と買い物に出かける。これぞまさしく高校生あるあるじゃないか。

 

 しかも相手は女子、これで制服を着ていたら文句なしの制服デートである。高校でやりたいことの一つを達成することが出来たということだ。

 

 この調子で他にもやりたいことを埋めていきたいものである。この学校は色々とアレなので普通の学生生活というものが遠いので、中々難しい項目もあるのだが、そこは頑張るしかない。

 

「少し待ってて頂戴、着替えるから」

 

「わかった寮の玄関ロビーで待ってるよ」

 

 俺も着替えておくべきだろうか? でもあんまり流行やオシャレがわからないから、無難な物で固めてしまうんだよな。

 

 機能性と、マナー違反にならない位に雰囲気を整えておけば良いか。

 

 部屋に帰ってすぐさま着替えを終えて玄関ロビーで待つこと数分、外行きの装いに着替えた堀北さんが日差し避けの白い帽子を頭に乗せて姿を現した。

 

「おぉ、似合ってるね堀北さん。凄く美しいよ」

 

 師匠曰く、女性はとにかく褒めるべし。

 

「そ、そうかしら?」

 

 照れた様子の彼女は顔を赤くして視線を彷徨わせており、最終的にはうつむいて帽子で表情を隠してしまった。とても可愛い。

 

「うん、制服のイメージが強かったから私服があんまり想像できなかったけど、夏っぽい涼やかな雰囲気と清楚な感じが凄く良い。後、堀北さんのイメージにピッタリあってる装いだね」

 

 師匠に言われたからではなく、本心で俺はそう思っている。なので口から出て来る言葉を流暢で淀みがなかった。そりゃそうだ、事実しか言ってないんだから。

 

 そしてなにより重要なのは、堀北さんは褒めた方が伸びるんじゃないか説を俺が押しているからだ。お兄さんの代わりに沢山褒めていくとしよう。

 

「制服姿も凛としてて良い、私服もまた雰囲気が変わって良い、つまり堀北さんは最強で無敵ってことだよ」

 

「独特の褒め方は止めなさい」

 

 たしなめるようにそう言ってくるが、やはり顔は赤いままで照れた表情を帽子でなんとか隠そうとしている。悪い気分にはなっていないらしい。

 

 彼女の装いを可能な限り褒めて満足した所で、二人並んでケヤキモールへと赴く。夏休みもど真ん中のこの時期は多くの生徒が利用しており賑わいも大きい。

 

 夏休みだからな、毎日授業やこの学校特有の試験に追われる窮屈感もないので、誰もが開放的になっているのだろう。

 

「堀北さん、夏休みはどんな風に過ごしているんだい?」

 

「主に勉強ね……後は、その」

 

「クラスメイトの誰かから遊びに誘われたりしたんだ」

 

「何かしら、その含み笑いは?」

 

「いいや、別に、ただそんな堀北さんを想像して嬉しくなっただけだよ」

 

「揶揄うのは止めて」

 

 また照れた顔を帽子で隠してしまう。

 

「貴方は船から帰って来てすぐに、妙な物を作っていたわね」

 

「あの仁王像のことなら、美術部の課題だったんだよ」

 

 寮の前で作業してたから、そりゃ堀北さんも知ってるか。

 

「とても真剣に作ったから良い評価が貰えると思うんだけどね」

 

「……迫力のような物は感じられたわね。少し怖いとさえ思ったわ」

 

「誰かの心を揺さぶれるのなら、それはつまり、あの作品は高評価を得られるってことさ」

 

 ただ置き場所に困ってるんだよな、せっかく作ったからゴミ捨て置き場に放り込むなんて勿体ないし、ここはやはり龍園の部屋の前に飾るのがベストだろうか。彼は案外気に入って受け入れてくれそうだし。

 

「さてさて堀北さん、どんな水筒がお好みかな?」

 

 ケヤキモール内にある雑貨店へと辿り着く。日用品を中心に取り揃えられた店内には学生向けの小道具や生活用品などが多数取り揃えられている。

 

「因みに何かこだわりは?」

 

「ないわね、水筒としてしっかり機能するのなら色や形状は気にしないもの」

 

 なるほど、ここで可愛らしい感じの水筒を選ぼうとしないのは実に彼女らしい。

 

「ならこのキャラ物の水筒はどうかな?」

 

「訂正するわ、せめてそういった物は除外しましょう」

 

「確かに、もっと大人な感じのデザインの方が似合ってるだろうね。だとするとこっちかな」

 

 ここに並んでる水筒なんてどれも機能性には大差がない。大きさで値段が変わるくらいの物である。なのでどれを選んでも構わないのだが、せっかくなので堀北さんのイメージにあった奴の方が良いだろう。

 

 指差したのは黒い水筒。極めてシンプルかつ無駄なデザインが一切存在しないそれは、大人びた人物によく似合う。

 

 サイズ的にも堀北さんの手に嵌った奴と大きな差もないので、使いやすくもあるだろう。

 

 それともこっちのデザインは一緒だけどカラーリングが異なる白い水筒だろうか? どちらもイメージにピッタリ合うので判断に迷う所ではあるな。

 

「ふふ」

 

 どちらにすべきか迷っていると、隣にいた堀北さんが小さく笑った。

 

「おや、こっちは真剣に悩んでるのに……」

 

「ごめんなさい、だって自分が使う訳でもない物をあまりにも真剣に選んでるものだから、少しおかしくて」

 

「真剣にもなるさ、どっちが堀北さんに似合うかは重要なことだよ」

 

「笹凪くんはどっちが好みかしら?」

 

「……黒かなぁ」

 

「ならそっちにしましょう」

 

「良いのかい?」

 

「えぇ、それで構わないわ。どちらを選んでも機能性は変わらないでしょう? なら後は好みの色で決めればいいのよ」

 

「そうか、ならこっちにしようか」

 

 黒いシンプルな水筒を手に取ると、それをポイントで購入する。財布には余裕があり、そもそももの凄く高価な商品という訳でもない。

 

 水筒を壊してしまった謝罪と、日々頑張ってる彼女への細やかなプレゼントになれば良いと思って、その水筒を堀北さんに手渡した。

 

「また手を突っ込んだりしないようにね」

 

「もう……怒るわよ?」

 

「ごめんごめん、何だかんだで可愛らしかったからさ、つい揶揄いたくなるんだ」

 

 できればスマホで撮影したかったほどである。やったら絶対怒られるだろうからやらないけど。

 

 できればその写真を生徒会長にも送ってあげたい、あの人はどんな顔をするだろうか?

 

「せっかくここまで来たんだし、すぐに解散も寂しいからもう少し歩こうか?」

 

「それは良いけど、どこか行きたい場所があるの?」

 

「う~ん、占いとかはどうかな? 清隆が言うには何やら人気があるらしいんだけど」

 

「笹凪くん、占いに興味があるのね……意外にロマンチストと言うか、運命めいた物に興味を惹かれるタイプなのかしら」

 

「そうだね、もしかしたらそうなのかもしれない」

 

 だって師匠に出会えたからな。あんな奇跡は確率論では語れない。運命的な何かを信じるには十分だ。

 

 だってあの人に出会えた幸運は、きっとこれからの人生でどれほどの不幸が舞い込んだとしてもおつりが来るだろう。それを運命と言わずになんと表現するか俺は知らない。

 

「堀北さんはどうかな? 占いとか興味ある?」

 

「そうね……運命的な何かは信じていないけど、占い師という職業そのものには少し興味があるわね」

 

「へぇ、そうなんだ。どうやって未来を視ているとか気になるの?」

 

「違うわよ、そんな力がある筈ないもの。ただ、占い師は膨大な人のデータを元に結果を示す。その手腕や観察力という点は興味深いの」

 

「なるほどね、確かに誰かを観察するという点では、とても優れた職業なのかもしれないな」

 

 どうやら彼女も興味が皆無という訳ではないらしい。なので俺たちは噂の占い師の店に足を運ぶのだった。

 

 ケヤキモールに店を構える占い師はどうやら人気があるらしく。多くの人が列を作っているのが確認できる。

 

 どちらかと言えば女性が多いだろうか、おそらくここにいる男の大半が彼女の付き添いで来ているものと思われた。

 

 列に並んで暫くするとようやく俺と堀北さんの番になる。どこか不気味な雰囲気のあるテントの中に入ると、占い師と言えば定番とも言える水晶玉の前に腰かけた老婆が出迎えてくれる。

 

 薄暗い店内はそういった雰囲気を高めることを手伝っており、この人はタダ者ではないと思わせる為の手段の一人なのだろう。暴力を得意とする者がわかりやすく傲慢に振る舞っているのと同じ手法だな。

 

「何を占って貰えるのかしら?」

 

 席について堀北さんがそう切り出した。彼女は占いに緊張してどんな言葉を投げかけられるか期待していると言うよりも、目の前の人物がどのように他者を観察しているのかを知りたがっているようにも見えた。

 

「学業、仕事……あぁ、君なら恋愛などはどうかな?」

 

「れ、恋愛……」

 

 さっそく占い師の観察眼に翻弄され始める堀北さん……なるほど、こうやって相手を揺さぶって自分の話術に取り込んでいくのか。

 

 人を見る職業というのは伊達ではないらしい。

 

 どうやら今言った三つは基本プランに組み込まれているらしく、それ以外にも様々なプランが用意されている。堀北さんは試しとばかりに基本プランを選択して、俺はせっかくなので自分の人生の最後まで見て貰うことにした。

 

「ではまずそちらのお嬢さんから、名前は?」

 

「堀北鈴音よ」

 

「私の占いは相手の顔、手、そして心を見る。その中でアナタが見られたくないものも見えることがあるが?」

 

「構わないわ」

 

「ふむ、ではまず手相から……」

 

 そう言うと魔女っぽい老婆は堀北さんの掌を観察していく。そこから様々な情報を読み取っているのだろう。

 

 沢山勉強したからなのか、ペンだこのような物が出来ており、爪先も僅かに変形の跡が見られる。ピアニストの爪が平らになるように生活習慣によって人の体は様々な変化があるのだ。

 

 努力する人の手、俺は彼女の掌をそう読み取った。

 

「生命線は長く長生きするだろう。大病も今の所は見えていない……」

 

 おそらくはお決まりのセリフではあるんだろうな。学生なのですぐに死んだりはしないので当たり前のことではある。これで相手が明らかに顔色が悪かったりすればそれ専用のセリフがあると思われる。

 

「次に学業……ふむ、極めて順調だと見えるな、ただ張りつめるだけでなく僅かなゆとりも感じ取れる。よい未来だ」

 

 ペンだこを見ればそうなるだろう。この人は沢山の努力をしているのだと。

 

「恋愛に関しては……」

 

 そこで占い師はどうした訳か堀北さんではなく俺を横目で観察してくる。占いの相手は俺ではないんだけどな。

 

「う~む……こちらは前途多難と出ておるな」

 

「それは……何故かしら?」

 

「なに、不幸に満ちているような未来ではない。誰かとの縁などそんなものだ。紆余曲折を得て、様々な困難を乗り越えてこそだろう」

 

「……そう」

 

「だが決して悪いことではない。より良い未来を得たいのならば、誰かに寄り添うことを、そして誰かの孤独を埋められる者となることだ。さすれば道は開かれる」

 

 別に堀北さんに限った話ではなく、そんな人は普通にモテると思う。

 

「さて次は……」

 

 占い師の姿勢と瞳がこちらに向けられる。

 

「う~む……」

 

 だが困惑するばかりで全く未来を読んではくれない。そこまで口にするのが難しい相手なのだろうか、俺は。

 

「まず手相だが……何をどうしたらこんな手になるのやら。占い師泣かせだ、いい加減にしろ」

 

 なんで手を視られただけでドン引きされて怒られてしまうのだろうか。

 

「うむ、お主の手に触れた瞬間、虎の口に手を突っ込んだかのような気分になった」

 

 師匠に鍛えられたからな。右手に虎を、左手に竜をがあの人の流派の教えだ。掴んだら必ず壊す、それをするためには様々な努力が必要だった。

 

「だがとてつもない生命力を持つということはよくわかる。お主は長生きするだろう」

 

「ありがとうございます」

 

「学業に関しても問題は無い……あちら側の人間だろうな」

 

 どっちだよ、怖い表現をしないで欲しい。

 

「恋愛に関しては……う~む、見通すのが難しいな。保留としておこう」

 

「占い師がそれで良いんですかね」

 

「とても複雑で、読みにくいのだ……お主はこれからも多くの縁を繋いでいくだろう。未来は枝葉のように複雑にわかれている、それ故にな」

 

「そうですか」

 

「後はお主の人生に関してだが……どうやら星を持って生まれたようだな。それも大きく力強い星を」

 

「星、ですか?」

 

「うむ、極稀にお主のような者が生まれることがある。様々な運命を引き寄せて、幸運と才能に愛されて、それこそ神の寵愛が深いような、そんな星の下に生まれるものがな」

 

「はぁ」

 

 べた褒め過ぎるんじゃないだろうか、確かに師匠と出会えたのはとんでもない奇跡と幸運だとは思っているけど。

 

「だが油断は禁物だ。そういった者は決まって複雑怪奇な人生を歩むことになる。使いきれぬほどの幸運と、ありえないほどの困難が付きまとう、そんな人生となるだろう……覚悟することだ」

 

 師匠はまさにそんな感じの人だ、神様みたいな人なのにずっと色んな問題の解決に走り回っている。面倒事はあの人に丸投げしとけばだいたい解決するとか思われている人だからな。それなのに死なないんだから、きっと師匠はこの占い師の言う星を持って生まれたんだろう。

 

 そんな人に憧れてしまった俺は、きっと同じような人生を歩むのかもしれない。

 

「何も問題はありません。最後までカッコつけて死ぬつもりです」

 

「うむ、ならば良し、言うべきことはなにもない。そのまま進むが良い」

 

 こうして占いは終わった。色々と言いたいこともあるのだが、気晴らしにはなったのかもしれない。

 

 占い館から出て二人してケヤキモールを歩く。隣にいる堀北さんは顎に手を当てて何やら考え込んでいる様子だ。

 

「どうだった、占いは満足いった?」

 

「まぁ、あんなものでしょうね」

 

「気晴らしにはなったかな」

 

「えぇ。占いが一つの職業として、そして娯楽の一つとして広まっていることには納得できたわ。良い占いも悪い占いも、本当に未来を透視できる訳ではないのだから、気にするだけ無駄と確信もできた。結局は、己の努力と意思次第」

 

 確かに堀北さんの言う通りだ。占いは結局一つの娯楽であり、数多くある道標のほんの一つに過ぎない。深刻にならずに楽しむくらいで良いんだろう。

 

 俺も星とか運命とか言われてもよくわからないので「そうなのかへぇ」くらいの感覚で受け入れるのが一番だ。

 

 よし、なら切り替えて行こう。せっかくこうして堀北さんと遊びに来ているんだ、今はそれを楽しもう。

 

「堀北さん、この後ランチでもどう? 何かご要望は?」

 

「そうね……これといった物はないけれど、敢えて言うなら、魚の気分かしら」

 

「ならそれで行こうか」

 

 夏休みはもうすぐ終わりなのだ、今は将来のことよりもこの時間を楽しむべきである。学生にはそれが何よりも重要だと俺は思う。

 

 だって夏休みだからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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夏休み 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みもそろそろ後半、茹で上がるような暑さが連日続く中で、俺はとある人物から呼び出しを受けていた。

 

 美術部の課題も無事百点満点を顧問の先生から苦笑いと一緒に貰い、置き場所に困っていた仁王像も龍園の部屋の前に飾り付けたことで解決したのでとても気が楽な状態だったのだ。

 

 クラスメイトから誘われて一緒に遊んだり、清隆とチェスしながら作戦会議をしたり、高校生らしく夏休みを謳歌していたのだが、見慣れない電話番号から通信があったのが今朝のことである。

 

「どちら様でしょうか?」

 

『私だけど』

 

「うん? もしかして神室さん?」

 

 驚くことに電話をかけてきたのは神室さんであった。同じ美術部だけど彼女はつれない態度なので未だに連絡先を知ることができないでいたのだが、一体誰から教えて貰ったんだろうか?

 

「連絡してくれて嬉しいけど、誰から教えて貰ったんだい?」

 

『橋本、アイツは知ってるでしょ、アンタの連絡先』

 

 確かに橋本とは連絡先を交換している。船の遊戯室で不自然に接触してきた彼のスマホを拾った時に、そのまま意気投合して一緒にビリヤードをした仲だ。

 

 橋本経由で神室さんが電話してきたと、そういえばあの二人は同じAクラスだったなとここで思い出す。

 

「もしかして遊びに行こうって誘いかな?」

 

 夏休みだしな、同じ美術部員として親交を深めるのも良いだろう。何より神室さんとは前から距離を縮めたいと思っていたのでとても嬉しい誘いである。

 

『馬鹿言わないで、何で私がアンタと遊びに出掛けるのよ』

 

「そう断言されると凄くショックだ……心ときめかせてたのに」

 

『はぁ……要件を伝えるわね。アンタと話したいって奴がいるの、今日時間ある?』

 

「時間はあるよ、部屋にいても仏像を彫ることしかやることないしね」

 

『なんで仏像? まぁ暇なら今から指定する所に来て』

 

「了解。因みに話したい人って誰かな?」

 

『坂柳、知ってるでしょ』

 

 なるほど、Aクラスの二大巨頭の一人か、つまり神室さんとデートは出来ないということだな。そこは少し残念だった。

 

「坂柳さんね、わかったよ。すぐに向かう」

 

 女性を待たせるのも悪いので急いで行動しよう。神室さんから送られてきた位置情報を確認してから服を着替えて素早く移動する。

 

 相手が相手なので油断はできないが、こうして時間や場所を指定して待ち合わせるのは凄く高校生っぽくないだろうか? 俺はやりたかった青春項目の一つを今埋めているのかもしれない。

 

 神室さんから送られてきた位置情報はケヤキモールにある完全個室のカフェであった。店の外から中の様子を確認することは出来ず、店内も区切られているので秘密の会話をするには持って来いの場所でもある。

 

 暗い話をするにしても、秘密の共有をするにしても、持ってこいの場所と言えるのかもしれない。後はカップルの憩いの時間とすることにも向いているのだろうか。

 

 店内はとても静かであった。区切られているので当たり前のことでもあるのだろう。

 

「すいません、待ち合わせしているのですが」

 

 こういう個室を提供する店は予約制も多いと聞く、そう思って受付の店員に確認を取るとやはり坂柳さん名義で大部屋が予約されており、そこで待たせてもらうとしよう。

 

「うわ、高いな」

 

 程よく広く落ち着いた雰囲気の個室はあまり馴染みのない空間でもあるな。アンティークの置物やシックな壁紙なども馴染みのない物だ。育ったのが山奥の神社なのでこういうオシャレなカフェの個室がそもそも未経験である。

 

 試しにメニューを開いてみると、コーヒーや軽食などがやけに高く設定されている。学生相手にこれで採算が取れるのかと疑問に思うほどであった。

 

 いや、でも、この学校の学生は場合によっては十万以上のポイントを毎月貰えるような生活を送れるのだ、これくらい強気な値段設定でも問題ないのかもしれない。ポイント貧乏にはなかなか縁が無い場所ではあるだろうが。

 

 暫くメニュー表と睨めっこをしていると、個室の扉から柔らかなノックの音が響く。

 

「どうぞ」

 

 そう声をかけると扉が開き幾人かの男女が姿を現した。先頭にいるのは杖を持った装いの坂柳さん。そのすぐ後ろに神室さんと続いて橋本が入って来て、最後に強面の男子も入って来る……最後の一人は確か鬼頭という名前だったかな?

 

「お待たせしてしまいましたか?」

 

「いや、そんなことはないよ。待たせるのも悪いと思って先に来ていたんだ。女性を待たせる訳にもいかなかったからね」

 

「ふふふ、そうでしたか、笹凪くんは紳士的な方のようですね」

 

「そうしろと教えられて来たんだ。俺がというよりその人の教えが素晴らしかったんだろう」

 

 なにせ師匠だからな、あの人は神で、全ての路は師匠に通じているんだ。その言葉に間違いがある筈がない。

 

「なるほど、素晴らしい教えです」

 

 そう言って坂柳さんは緩やかに席に座った。机を挟んで俺の正面だ。他の面々もそれぞれ腰を下ろすのだが、どうした訳か俺たちと微妙に距離がある。

 

 まるで護衛のような立ち振る舞いであった。実際に坂柳さんはそういった役回りを橋本や鬼頭に期待しているのだろう。

 

 橋本も鬼頭も運動能力は高いようだ。須藤ほどではなくても学年では上から数えた方が早いのかもしれない。

 

「改めて自己紹介をしましょうか? 私は坂柳有栖、お見知りおきを」

 

「初めまして坂柳さん、俺は笹凪天武です。宜しくお願いします」

 

 挨拶は大事、しないと師匠に殴られる。

 

「えぇ、宜しくお願いしますね」

 

 美しく微笑む坂柳さん、なんというかとても絵になる人であった。

 

 彼女の瞳は俺を観察しており、こちらもまた彼女を観察している。気になるのは彼女が持っている杖だろうか。

 

「この杖が気になりますか?」

 

「あぁ、杖を持った相手には以前に酷い目に遭わされてね、つい警戒してしまった」

 

 ただの老人だと思ってたら、仕込み刃を杖に隠したおっかない人だったんだよね。とても強い人だったと記憶している。

 

 坂柳さんは観察する限りそんな物騒な相手ではないと思う。杖が無ければ不安になるような体幹は演技ではないだろう。もしこれが見破れないほどに高度な演技であったなら俺はもう首を落とされているかもしれない。

 

「そう怯えることもありませんよ、私に笹凪くんを傷つけることは不可能でしょうから。先天的な疾患を有しておりまして、杖は歩行の補助です。いきなり刃を見せるようなことはないでしょう」

 

「そうだったのか、安心したよ」

 

 少し離れた位置で神室さんが「何今の会話?」と橋本に質問しており「俺が知るかよ」と返されていた。

 

「せっかくですからコーヒーでもいかがですか?」

 

「ありがとう。けれどココアの方が嬉しいかな。恥ずかしながら苦い物が苦手なんだ」

 

「ふふ、ではココアとケーキセットを注文いたしましょうか」

 

 子供っぽい男だと思われただろうか? でもブラックコーヒーは舌が拒否してしまうんだ。

 

 坂柳さんが机の上に置かれていたベルを鳴らすと、すぐに店員がやって来て注文を聞いてくる……何というか馴染みが無さすぎて凄く困惑するやり取りであった。上流階級とはこんな感じなのだろうか。

 

 注文して待つこと数分、再び現れた店員が机の上にココアとケーキセットを並べていく。僅かに味わって舌を慣らすとそこでようやく話を進めるタイミングとなった。

 

「さて、笹凪くん。今日お呼びしたのは他でもありません。私は是非とも、貴方とお会いしたかったんです」

 

「そうなのか、だとしたら光栄だ。誰かの興味の対象になれるのは好意的に解釈できるだろうしね」

 

「えぇ、確かに興味があります。なにせ貴方が特別試験であれだけ大暴れした結果、こちらの予定が大幅に狂ってしまいましたから」

 

 あれ、もしかして恨まれてる?

 

「坂柳さんに対する警戒の表れと、他クラスにとっては一日でも長くAクラスには身内争いを続けて欲しいという都合が合わさった結果だよ」

 

「そうでしょうね。もし私が貴方の立場なら同じような展開を望むでしょう」

 

「だよね」

 

 超えるべき相手が身内争いを抱えているなんて、こんなに都合の良い状況はないんだから。

 

「あぁ、でもご安心ください。別に文句を言いに来た訳ではないんですよ」

 

「それはよかった。このまま袋叩きにされるかと思ったよ」

 

「そんなことはしません。龍園くんじゃないんですから」

 

「おや、龍園のことは知ってるんだね」

 

「それはもちろん、とても興味深い方ですから」

 

 クスッと不敵に笑う坂柳さんは可憐であると同時に恐ろしい雰囲気もあった。見た目通りの存在ではないと深く観察しなくてもよくわかってしまうな。

 

 さて、どんな用件で呼び出されたのだろうかと推測していると、俺の懐からスマホが震えだして着信の音が広がった。

 

「対応してくださっても構いませんよ」

 

「ありがとう、お言葉に甘えさせて貰うよ」

 

 許しを貰ったので俺はスマホを耳に当てて通話を繋げると、次の瞬間に鼓膜を破るかのような勢いで大声が届く。

 

 

『ゴリラがッ!! はしゃぎ回ってんじゃねえぞ!!』

 

 

 どうやらスマホの向こうにいるのは龍園らしい。とても激怒していると声だけでわかってしまう。

 

「龍園、いきなり大声を出すもんじゃないよ」

 

『この馬鹿デカい仁王像はお前の仕業だろうが!! どういうつもりだ!!』

 

「あぁそれはね、せっかく作ったから君にあげようかと思って。でも部屋を訪ねてもいなかったから扉の前に置いて帰ったんだ。大事にしてあげて欲しい」

 

『テメエッ―――』

 

 彼が何かを言い出す前に通話を切ってスマホの電源を落とす。これで静かになるだろう。

 

「大した要件ではなかったみたいだ」

 

「あら、よろしかったのですか? 龍園くんはとても怒った様子でしたけど」

 

「彼はいつもあんな感じだ、気にする必要はないさ」

 

「そうですか」

 

 坂柳さんは何が面白いのかクスクスと笑うだけである。不覚にも可愛らしいと思ってしまった。

 

「話を戻そうか……それで、どんな要件があって呼び出されたのかな?」

 

「今後のご相談でもしようかと」

 

「具体的にはどんな相談かな?」

 

「単刀直入にお伝えすると、笹凪くんと協力関係を結びたいと思っています」

 

「なるほど」

 

 どうしたもんかと考え込む。この人はAクラスで影響力の強い人なので、友好関係を結べるのは素直に嬉しい上にありがたい事この上ない。

 

「しかし疑問もある。君と協力関係を結んだとして俺にどんな利益があるのかな?」

 

「尤もなご意見ですね……ふむ、将来的なAクラスへの移籍はどうでしょうか?」

 

 試すかのようにそんなことを言った坂柳さんの美しい瞳は、俺を注意深く観察している。

 

「残念だけれど、あまり興味はないかな」

 

「あら、それはどうしてでしょうか?」

 

「俺はAクラスで卒業する特典に大した価値を感じていないからね。進学や就職も、そんなものは学校や国に頼らなくても自分の力で勝ち取るよ」

 

「強者の理論ですね」

 

「そう言われると困ってしまうが……まぁ、自信はあるから否定はできないのかもしれない」

 

 そもそも俺は将来どんな仕事に就くんだろうか? 高い確率で師匠の仕事を引き継ぐことになるだろうし、その為に必要なのはAクラスでの卒業特典でないことは確実だろう。

 

「俺がAクラスを目指しているのは、学校側がそこを勝利条件に設定したからに過ぎない。付随する特典も、推薦や就職先の斡旋も必要ない。本当にそれだけなんだ。Aクラスへのお誘いよりも、そこを目指すことそのものに価値と意味を感じている」

 

「なるほど、確かにそれではAクラスへの勧誘は意味がないでしょうね。ではプライベートポイントを支払う報酬ではどうでしょうか?」

 

 またこちらを探って観察するような瞳が向けられた。色々な言葉や報酬で揺さぶって何かしらの引っ掛かりを見つけようとしているのかもしれない。

 

「そちらも今のところは必要ないかな」

 

「あぁ、そう言えば、笹凪くんは膨大なポイントを獲得するらしいですね」

 

「よく知ってるね、誰から聞いたんだい?」

 

「さぁ、誰でしょう」

 

 不敵に微笑む坂柳さん、その後ろの席で神室さんが少しだけ居心地が悪そうにしている。どうやら俺がポイント長者になったことは噂レベルではあるだろうが広まって来ているらしい。おそらくは美術部を中心として。

 

「そもそも坂柳さんは俺と協力関係を結んで、何をしたいのかな?」

 

「そうですね……単純に貴方に興味があることが第一、次は葛城くんから主導権を動かしたいのがあります」

 

「だとしたら困るな、俺としては一日でも長く身内争いを続けて欲しい」

 

「あら、そんなことを思ってはいらっしゃらないのでは?」

 

「ん……どうしてかな?」

 

「笹凪くんにとっては、あの契約を結んだ時点で葛城くんがどうなろうがそこまで重要ではない筈です。Aクラスに出血を強制させる契約さえ続くのであれば、誰がリーダーであろうと大差はない、違いますか?」

 

「そうだね、何も反論がない」

 

 Aクラスから得た資金で特別試験を有利に立つ。それができれば坂柳さんがリーダーになって葛城が失脚したとしても問題はないだろう、契約さえ続くのならば。

 

「どうしようか……君は俺を揺さぶれるだけの条件を提示できないみたいだ。けれど坂柳さんの言葉を否定できる材料も無い」

 

「つまり……どちらでも良いということですね」

 

「端的に言うと、そういうことになってしまう」

 

「Aクラスへの移籍も駄目、ポイントによる買収も駄目、そして貴方はAクラスに挑むという行為そのものに価値を感じている……ふふ、とても交渉が難しい相手だとよくわかります」

 

「ごめんね、面倒な男で」

 

「構いませんよ、何もかもが平凡な男性よりもずっと魅力的ですから」

 

「ありがとう、そう言って貰えるのはとても光栄だ」

 

「では改めてお聞きしましょう、貴方は何を欲しますか?」

 

「君が提示できる報酬で最も俺が欲しいと思うものがあるとするなら……う~ん」

 

 色々と考えてみるが、やはりこれといった物が思い浮かばない。立場もポイントも現状で満ち足りているからだ。

 

「坂柳さん、俺と絆を結んではくれないだろうか?」

 

「絆?」

 

「あぁ、時に争い、時に協力して……将来を語り合ったり、くだらないことを話したり、そういう関係を築きたい」

 

「……それは、何故でしょうか?」

 

「師匠……あぁ、いや、恩師の教えでね。多くの絆を結びなさいと言われている。だから俺は多くの敵と味方と友人を作りたいと思っている。友人が嫌ならば敵で、敵が嫌ならば友人で、もしくは味方や仲間でも構わない……俺はそこに強い価値を感じている」

 

「……」

 

 坂柳さんはこちらを観察しながら深く考え込んでいる。俺の要求は意外な物に感じたのかもしれない。

 

「理由はそれだけですか?」

 

「他に理由が必要だと言うなら、幾らでも引っ付けるよ。Aクラスで影響力を持つ君と友誼を結びたいとか、或いは気が変わってAクラスへの移籍に前向きになるかもしれないからとか……後はそうだな、坂柳さんは美人だからお近づきになりたいとか」

 

 最後のはさすがに気持ち悪いだろうか……うん、でも彼女が美しい人なのは間違いないから仕方がないと思う。

 

「ふふふ、思っていたよりも高校生らしい方のようですね」

 

 どうやらそこまで気持ち悪がられてはいないようだ。

 

「仕方がないさ、男は皆バカなんだ、後ろの二人にも訊いてみると良い」

 

「そうなんですか? 橋本くん、鬼頭くん」

 

 揶揄うように彼女がそう問いかけると、黙って話を聞いていた二人が体を反応させた。どうやら飛び火することになるとは思っていなかったらしい。

 

「え~、あぁ~……ノーコメントでお願いします」

 

「右に同意だ……」

 

「なんて言ってるけど、可愛らしい人とお近づきになりたいみたいだよ。男子高校生なんてそんなものさ」

 

「なるほど、勉強になりますね」

 

 橋本と鬼頭は居心地が悪そうに視線を反らして身を小さくしてしまった。

 

 そんな二人と俺を神室さんは呆れた目で見ている。ごめんね、こんな話を聞かせちゃって。

 

「ふふ、わかりました。では笹凪くん、私と縁と絆を結びましょう。貴方がそこに価値を感じるというのなら、それが私に払える最大の報酬でしょうから」

 

「ありがとう、坂柳さん。今後どうなるかわからないけど、この縁を俺は大事にしたいと思う」

 

「えぇ、こちらこそ」

 

 坂柳さんから白い掌が伸ばされる。見た目通り華奢で脆そうな指先であった。

 

 俺も手を伸ばしてその掌を掬い上げるように結び合う。とても華奢なので壊れてしまわないように配慮しながら。

 

 こうして俺はまた友人が増えることになる。清隆といい龍園といい、そして目の前にいる坂柳さんといい、この学校には一癖も二癖もありそうな人が多いことに気が付く。

 

 良い事なんだろう。敵だろうが味方だろうが縁は縁、大事にしたいと思う。

 

「ではこの友誼を記念して、せっかくですからチェスでもいかがですか?」

 

「何故、チェス?」

 

「その人を知り、理解したいのならば、趣味や得意な分野に触れるべきでしょう」

 

「なるほど、お手柔らかに頼むよ」

 

「それは保証できませんね……心躍る時間になるでしょうから」

 

 妖しく微笑む坂柳さんはとてもおっかない雰囲気がある……怖いので少しだけ後悔したのは内緒であった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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夏休み 5

夏休み編はこれで終わりとなります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏休みと言えば何だろうか、いや、夏と言えばなんだろうか?

 

 俺はそう問いかけられると師匠と過ごした鍛錬と地獄の日々を思い出す。まぁそれは夏に限らず春も秋も冬も変わらないのだが。

 

 一般的な高校生が夏と聞いて連想するのはやはり楽しい時間なのだろう。それは夏祭りであったり部活の大会であったり、或いは男女の甘酸っぱい時間だろうか?

 

 実際に、この高校でも夏頃になるとカップルも多くなっており、ケヤキモールでは仲睦まじそうに歩く生徒の姿が確認できる。これもまた夏休みの正しい姿なのだろう。

 

 更に踏み込むのならば、夏と言えば海と答える者も多いのかもしれない。

 

 ただこの学校は海に囲まれている埋立地の上にあるが、あの無人島のようなわかりやすい白い浜辺もないのだ。

 

 なので夏らしい遊びと言えば、海水浴ではなくプールに行くというのが自然なことになるのだろう。

 

『須藤たちがプールで盗撮をしようとしている』

 

 そんな電話が清隆からかかってきたのは、夏休みの終わりがいよいよ近づいて来た頃の話となる。

 

 悲しいね、まさか犯罪の告発だなんて。

 

「お、おぅ……どうしようか?」

 

『いや、それは問題はない。こちらで対処する』

 

「そっか、ならなんで電話してきたんだい? 俺は今、仏像を彫るのに忙しいんだけど」

 

『なんで夏休みに仏像を彫っているんだ……話を戻すぞ、悪いんだが堀北をプールに誘ってくれないか?』

 

「なんでまた?」

 

『須藤が煩い……しかもしつこい』

 

「堀北さんかぁ、プールに誘って来てくれるかな? しかも男からの誘いだし」

 

『だからそっちに頼みたい。俺や須藤が誘っても断られるだろうからな』

 

「ん、わかった……誘うだけ誘うけどあまり期待はしないでね」

 

『それならそれで構わない。天武でも無理だったと言い訳が使えるからな』

 

 どれだけしつこく須藤たちに誘いを強制されていたのだろうか? そもそも須藤は清隆を経由せずに直接誘えばよかったと思う……いや、それが無理だから色々な相手を経由しようとしたのかな。

 

 清隆から堀北さんへと電話の相手を切り替える。おそらくは断られるであろうことを予想しながら。

 

「堀北さん、突然で悪いんだけど、プールでもどうでしょうか?」

 

『……』

 

 電話の向こうで堀北さんが言葉を無くしているのがよくわかった。

 

『それは、つまり……遊びの誘いということかしら?』

 

「そうなるね、もしくはデートの誘いになる」

 

『そ、その表現は止めなさい……』

 

 デートと聞くと照れて慌てるのが堀北さんである。とても初々しくて可愛らしいと思う。

 

『プールね……あまり気は進まないけど、まぁ、貴方には水筒を外して貰った借りもあるから、考えてあげなくもないわ』

 

「ありがとう、堀北さんが来てくれればとても嬉しいよ。それじゃあプールで遊ぼうか」

 

『えぇ、わかったわ』

 

 そんな通話を終えたのが今朝のこと、そして堀北さんに凄い視線で睨まれているのが今の話であった。

 

 俺は今、滅茶苦茶彼女から睨まれてしまっている。

 

「笹凪くん……私を騙したのね?」

 

「いや、騙してなんていないよ。プールで遊びたいんだ」

 

「あれ、どうしたのかな堀北さん? 凄く怖い顔してるよ?」

 

 俺を睨む堀北さんにそう言ったのは櫛田さんである。他にもこの施設には清隆や須藤や池や山内、そしてなんと佐倉さんの姿もあった。

 

「ふふ、もしかして堀北さん、笹凪くんと二人で来たかったのかな?」

 

「そ、そんな訳ないでしょう……変な勘ぐりは止めなさい」

 

「へぇ~、ならそういうことにしてあげるね」

 

 俺たちが今いるのは学校の施設内にある大きなプールである。そろそろ更衣室に移動しようかというタイミングではあるが、未だに堀北さんの機嫌は優れないようだ。

 

 プール施設にやってきて合流した時はそこまででもなかったのだが、合流するクラスメイトたちが増える度に視線は鋭くなったと思う。

 

 別に騙したつもりはないんだが、そう言えば他の面子がいることを説明していなかったと思い出した次第である。悪いことをしたと今では考えている。

 

 ただまぁDクラスで交流を深めるのも良いことだと思う。純粋にそう断言できたら良かったんだけど、残念ながら三馬鹿が盗撮を企んでいるんだよな。

 

 須藤よ、お前、船の上でいつまでもガキのままではいられないって言っていたじゃないか……。

 

「清隆、大丈夫なのか?」

 

「あぁ、軽井沢に対処して貰ってる」

 

「そうか、彼女にも苦労をかけるな……まさか盗撮の対処を任せることになるなんて」

 

「本人も呆れきっていたぞ」

 

「沢山感謝しないとな」

 

「感謝?」

 

「頑張った人には沢山の感謝が必要だと師匠は言っていた」

 

「そうか……そうだな」

 

 軽井沢さんもビックリだろうな、まさかクラスメイトの尻拭いに奔走するだなんて。

 

 プール施設の入口でそんなことを話している俺と清隆は、ここにいない軽井沢さんに静かに感謝の念を送った。

 

 そんな時だ、Dクラス以外の生徒が姿を現したのは。

 

「あれ、笹凪くん、それに綾小路くんも、二人もプールに来たんだ?」

 

 一之瀬さん率いるBクラス……いや、今はCクラスの生徒たちである。神崎の姿もあり、どうやら皆で一緒にこのプールに遊びに来たらしい。

 

「やぁ一之瀬さん、そちらも同じようだね」

 

「うん! クラスの皆でね」

 

「俺たちもだよ」

 

「偶然だね、ならせっかくだし一緒に遊ぼうよ」

 

「もちろん、誘って貰えて嬉しいよ。神崎も宜しくね」

 

「あぁ」

 

 一之瀬さんが率いるクラスメイトの中には神崎の姿もある。あの船での特別試験以来、俺を観察するような視線が増えたと思う。警戒されているのだろう。

 

 あまり自己主張する男ではないが、冷静な思考を持っており参謀的な役回りもできる相手なのだ。クラスから一歩引いた位置で俯瞰しており、だからこそ俺を強く警戒しているのかもしれない。

 

 ただ嫌われている訳ではないんだろう。警戒はそのまま高評価にも繋がっているようだ。

 

 こういった接触の機会を利用して、こちらの考えや方針、或いは俺の価値観や判断基準などを図りたいのかもしれない。侮られるよりはずっとマシな反応とも言える。

 

 

 

「笹凪、お前がいてくれて良かったぜッ、まさか堀北を連れて来てくれるとは!!」

 

 男女に分かれて更衣室に入るとさっそく須藤が肩を組んできてそう言った。涙すら流している様子である。

 

「どれだけ誘っても断られたけどよ……へッ、もう思い残すことはねえ」

 

「そうか、喜んで貰えたのなら嬉しいよ」

 

 そこまで堀北さんの水着姿が見たかったのか……水泳の授業で何度も見ている筈だけど。こういった場で拝見するのはまた違った喜びがあるのだろうか。

 

 ふむ、わからなくないな、場所が変わればまた新鮮に思うのだろう。

 

 須藤と池と山内は何やら更衣室の隅っこでニヤニヤとしながら猥談を繰り返している。きっと盗撮の進行状況を確認したり、実際に行動に移したりしているらしい。

 

 すまない、軽井沢さん。本当に迷惑をかけてしまうようだ。彼女も呆れが止まらないんだろうな。

 

 三馬鹿たちを置いて俺は一足早くプールに足を運んだ。夏休みも終わりが近いこともあって人で大きく賑わっており、もうすぐ授業が始まるという現実から逃れるかのようにプールを楽しんでいるようだ。

 

「や~、これはこれは、凄い賑わいだねぇ」

 

「もうすぐ学校が始まるからね。今くらいは皆羽を伸ばしたいんだろう」

 

 意外にも更衣室から誰よりも早く姿を現したのは一之瀬さんであった。女性は色々と支度があるので着替えは遅くなるものと師匠が言っていたが、彼女はそれに当てはまらないらしい。

 

「他の皆はどうしたの?」

 

「まだ着替えているようだよ」

 

「それなら皆が来るまでお話しよっか?」

 

 朗らかに笑う一之瀬さんは、プールサイドに腰かけて足だけを水に浸けるとそう言った。

 

 いつも通りの笑顔ではあるのだが、少しだけ疲れと陰りが見える。どんな時でも太陽のように輝く人ではあるが、色々と悩むことがあるのだろう。

 

「何か悩み事かな?」

 

「え? そういう訳じゃないけど……どうしてかな?」

 

「ん……少し悩んでいるように見えたからさ。勘違いだったらよかったんだけど」

 

「にゃはは……笹凪くんには隠せないね」

 

 そうなるとやはり悩みがあるのだろう。クラスを引っ張っていく立場なのだから悩みや不安はどうしたって付きまとうものだから、当然のことではある。

 

「無人島でも言ったけど、委員長だからってあまり一人で抱え込まないようにね」

 

「もちろん、そうしてるつもりだよ」

 

「誰かに頼ることは恥ずかしいことでもないし、それができない人はリーダーには向いていない。まぁこんなことを他クラスの奴に言われたらイラッとするかもしれないけど」

 

「ううん、心配してくれてるって、ちゃんと伝わってる」

 

「そうか……なら良かったよ。それで、どんな悩み事かな? クラスメイトに相談できないことでも、他人にならすんなり話せるかもしれないよ?」

 

「他人だなんて、私は笹凪くんのこと、そんな風に思ってないんだけどなぁ」

 

「光栄だ」

 

 俺が茶化すようにそう言うと、一之瀬さんは普段の調子を取り戻して朗らかな笑顔を見せてくれた。うん、彼女はそんな表情が一番似合うと思う。

 

「実はね、特別試験の結果が振るわなかったことで……ちょっぴり悩んでいたりします」

 

「なるほど、委員長らしい悩みだ」

 

 一之瀬さんクラスは無人島と船上試験を超えてクラスポイントがマイナスになってしまった。無人島で140ポイントを得たのだが、そのすぐ後に150ポイントが引かれてしまったのだ。

 

 最終的にはマイナス10ポイント、致命傷ではないと思うが、もっとできることが合ったのではないかと悩むのは自然なことである。特にウチのクラスはやりたい放題やったからな。

 

「笹凪くんは凄いね、ちゃんと結果を出してクラスを導いて……それに比べて私はってどうしても考えちゃうんだよね」

 

 プールに浸けた足をパチャパチャと動かしながらそんなことを愚痴る一之瀬さん、彼女が抱えているのはクラスを引っ張っていく存在なら絶対に付きまとう悩みとも言えるだろう。

 

 何が正しいのか、どうすれば良かったのか、これから先何度も同じことを思う筈だ。

 

「神崎くんから聞いたよ? 船上試験ではすぐに優待者の法則を見抜いたって」

 

「そうだね、だから上手く動けたと思う」

 

「私にも同じことが出来たらって、何度も思っちゃった……」

 

「……」

 

 彼女の瞳がこちらに向けられる。不安を宿した、そしてある種の尊敬が交じった複雑な瞳である。

 

「笹凪くんみたいな人が、クラスにいてくれたら――――」

 

 言い終わる前に、俺は人差し指を立てて彼女の眼前に持っていく、親が子供に静かにと伝えるかのように。

 

「いいかい、一之瀬さん。君が言おうとした言葉は、あまり良いものではないよ。まるで自分のクラスの仲間が頼りにならないかのように聞こえてしまう」

 

「え? あッ、……ち、違うよ、そんな意味じゃなくて……」

 

「そうだね、君にそんなつもりは無かったのかもしれない……けれど、もし一之瀬さんのクラスの人が聞いたらどう思うかな? 自分たちではなく、他所のクラスの人がいてくれたらなんて言われたら、やるせない気持ちになるんじゃないかな?」

 

「……」

 

 一之瀬さんは顔を青くしている。深く考えず言った言葉の重みに気が付いてしまったらしい。

 

 俺はそんな彼女の隣に座って、同じように足だけをプールに浸けた。

 

「リーダーって難しいよね。多分、これからも沢山悩んで、何が正しいのか迷って、何度も何度も後悔して、言葉や行動の一つに気を使っていく必要がある。結果が伴わないと責められるかもしれないし、色んなイザコザや問題にだって巻き込まれるだろう」

 

「うん……」

 

「不安かな?」

 

「にゃはは……ちょっとだけ」

 

「それで良いと思うよ」

 

「え?」

 

「不安で当然だ。それは別に一之瀬さんだけが変な訳じゃなくて、誰にだってあるものだよ」

 

「笹凪くんみたいな人でも?」

 

「君は俺をどんな人間に思っているのか知らないけど、俺だって不安は感じるさ」

 

 龍園や葛城だってそれは同じだと思う。きっと坂柳さんだってそうだ。それでも決定的な違いがあるとするならば、それは意思を貫く精神だと思う。

 

「だから一之瀬さんは沢山悩んで、沢山迷えば良いと思う。それはおかしな事じゃないよ。けれど立ち止まってはいけない、それだけは絶対に駄目だ。時間は寄り添ってくれないし、止まってもくれないからだ……意思を貫く、それが重要だ」

 

 隣にいる一之瀬さんに視線をやると、彼女はこっちを見つめていた。

 

「そうだね、説教臭い上に遠回りな言葉回しを続けても面倒だから、シンプルに説明するとね……カッコよく生きればいいんじゃないかな。リーダーはそれで良いと思うよ」

 

 カッコいいは重要だ。師匠も言ってた。

 

「カッコよく生きて、誰かに憧れて貰えるのなら、それで良い……そして、君はそれがもうできる人間だ。なら自分なんてと思う必要はないとも、私に付いて来いって胸張って言えば良いさ、これが一之瀬帆波の生き方なんだよ、邪魔すんなうるせえ黙ってろって」

 

「あはは、そこまで堂々と言いきれたら凄く気が楽になりそうだね……で、でも、それでも自信を無くしちゃったらどうすれば良いかな?」

 

「君には大勢の友人がもういるじゃないか、相談して力を借りれば良いよ」

 

「そっか……それで良いんだ」

 

 納得したかのようにそう呟く一之瀬さんは、その横顔にあった陰りが引いていた。

 

「それが駄目そうなら俺が話を聞こう……何ができるかはわからないが、君が困っていたら手を貸すよ。カッコよく生きたいからね」

 

「笹凪くんって聞き上手だから、その時は頼っちゃおうかな」

 

「そうしてくれ」

 

「う~ん、なんて言うんだろ、包容力? 説得力? みたいなのが凄いね」

 

「そうかな? ならその説得力で結論を伝えよう。まだ一年の夏なんだから、クラスポイントが多少下がった程度でウジウジ悩まないことだ。やるべきことは次に備えて心と体を備えておくこと、何が正しかったのかを証明するのは現時点のクラスポイントではなくて、三年最後の結果だ、わかったかい?」

 

「はい、笹凪先生!!」

 

 笑顔でそんなことを言った一之瀬さんに、思わず笑みを返してしまった。

 

「先生は止めてほしい、くすぐったい気分になってしまうからね」

 

 一之瀬さんはいつもの笑顔に戻っている。彼女にはそれが一番似合っているのは間違いないだろう。

 

「お、皆来たみたいだな」

 

 更衣室からクラスメイトたちが出て来たのが確認できた。俺たちはプールサイドから立ち上がってそれぞれの仲間たちを迎え入れる。

 

「よし、こうしてそれぞれのクラスが集まったんだから、ここはクラス対抗バレーを提案しようかな!!」

 

 元気よくそう宣言する一之瀬さんは、どうやらビーチバレーをするつもりだったらしく、鞄の中からボールを取り出している。

 

「皆どうかな?」

 

「バレーね……」

 

「あれ、堀北さんは反対かな?」

 

「そうではないわ。ただ、こちらには須藤くんがいる上に、笹凪くんもいるのよ? 勝負になるのかしら?」

 

「むッ、そう言われると凄く自信がなくなっちゃうな。確かにとんでもない強敵だね」

 

「いや、一之瀬、ここはそれでもやるべきだろう。須藤も笹凪も、学年で突出した身体能力を有している、少しでもその実力を実感して把握しておくべきだ」

 

 神崎は主に俺を見ている。やっぱり警戒対象として認識されているらしい。

 

「なるほどね、言わばこれは他クラスへの偵察になる訳だ」

 

 ビーチバレーによってそれを確かめたいのだろう。負けた所でクラスポイントが減る訳でもないので、悪い考えではないのかもしれない。

 

「もちろん負けるつもりは無いけどね。それに案外、私たちがあっさり勝っちゃうかもよ」

 

「偵察とわかっているのだから簡単には受けられないわね」

 

「堀北さんはもしかして負けるのが怖いのかな? それじゃあ仕方がないなぁ」

 

 一之瀬さんのニヤリとした笑顔と共に放たれた挑発的な言葉に、堀北さんはムスッとした表情を返す。

 

「良いでしょう……そこまで言うのなら付き合ってあげるわ。笹凪くん、須藤くん、やってしまいなさい」

 

 まるでどこかの漫画に出て来る悪役の女上司のように堀北さんがそう言えば、俺と須藤は従うしかなかった。

 

「よっしゃ、俺に任せてくれ!!」

 

「了解!!」

 

 俺と須藤は手下1と2といった所だろうか、まぁそんな扱いも悪くはないだろう。

 

 こうして俺たちは夏休みを満喫することになる。一緒にバレーを楽しんだ一之瀬さんは悩みが消えたのか穏やかな笑顔をしており、もう心配はいらないのだろう。

 

 因みに、バレーは当然のように俺たちが勝利することになる。須藤だけでなく俺もいるからね。

 

 ただバレーが終わった時、須藤や堀北さんたちクラスメイトだけでなく、一之瀬さんや神崎にも引かれ気味になってしまったのは、解せないことだと思った。

 

 

 ただこれもまた、夏休みの思い出となったのは間違いない。師匠、俺は今、高校生を満喫しております。

 

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話集となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「龍園と仁王像」

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿みたいに熱い日が続く夏のど真ん中、ただでさえ面倒事が多いというのに、今日はとびっきりの面倒事が俺の予期せぬ形でやってきた。

 

 学園寮の一角、私室がある部屋の廊下、そこに仁王像が二体置かれているのがエレベーターから出た瞬間に見えてしまう。

 

「……」

 

 それが完全に無関係な奴の、どうしようもない趣味であったとしたならば何も言うまい。だがその仁王像は何故か俺の部屋の前に置かれていた。

 

 意味がわからねぇ……なんでこんなことになってやがる?

 

 やたらと迫力のある、それこそ今にも動き出しそうな二体の仁王像は、まるで部屋の主を出迎えるかのように手を扉に向けている。

 

 ご丁寧にその頭にはリボンが括られており、まるでクリスマスプレゼントであるかのように主張していた。

 

 それを確認した瞬間、スマホを取り出してこれをやらかしたであろうゴリラに連絡を取った。アイツが寮前でこの呪われそうな仁王像を作っていたのは、一年なら全員が知っていたことだからだ。

 

「ゴリラがッ!! はしゃぎ回ってんじゃねえぞ!!」

 

 笹凪天武、俺がこの学校で最も警戒して注目している、極上の獲物にして怪物。そしてどうしようもないゴリラは、こちらの怒りなどまるで伝わっていないかのように穏やかな声をしている。

 

「この馬鹿デカい仁王像はお前の仕業だろうが!! どういうつもりだ!!」

 

『あぁそれはね、せっかく作ったから君にあげようかと思って。でも部屋を訪ねてもいなかったから扉の前に置いて帰ったんだ。大事にしてあげて欲しい』

 

「テメエッ――クソ、あの野郎、切りやがった!!」

 

 こちらの都合など知るかとばかりに通話は切られ、そこから何度着信しようがゴリラ野郎が応答することはなかった。電源を落としやがったな。

 

 クソが、なんの嫌がらせだこれは……。

 

「石崎、アルベルト、今すぐ俺の部屋に来い」

 

 あのゴリラに人間の常識を語った所で無駄だろう。アイツはどうしようもないゴリラで頭まで筋肉で出来てるような男だ。おそらく何故と問いかけても意味がない。

 

 この呪われそうな迫力を持つ仁王像を持って帰れと言っても、おそらく受け入れない。なぜならゴリラだからだ。

 

 何より恐ろしいのは、あのゴリラがこの行為を下手したら善意でやっているかもしれない点だろう。

 

 誰か、あのゴリラに人間の常識を教えやがれ……鈴音、お前には期待してる。

 

「龍園さん、どうし……えぇ、なんですかコレ、本当にどうしたんですか?」

 

「oh……nioh」

 

 呼び出した石崎とアルベルトは部屋の前に置かれている二体の仁王像を見て呆然とした様子を見せる。極めて常識的な反応だ、ゴリラは見習え。

 

「これをゴミ捨て場に置いてこい」

 

「良いんすか? なんか高そうに見えますけど」

 

「ゴリラの嫌がらせだ……わざわざ付き合う必要はねぇ、さっさと捨ててこい」

 

 この嫌がらせの報復は必ず行う。舐められたままでいられるか。

 

 そんな決意を抱いたはいいが、俺はあのゴリラの執念と嫌がらせに対する行動力を舐めていたと知ったのは、次の日の朝だった。

 

 

「なんだと……」

 

 

 翌日、早朝、部屋の扉を開けた瞬間に、昨日捨てさせた筈の仁王像が、部屋の前に並んでいやがった。

 

 苛立ったのは言うまでもない。どうやらあのゴリラは夜中の内にわざわざゴミ捨て場から仁王像をここに運んだらしい。

 

 このクソ重たい仁王像を、何度も何度も運ぶ執念はどこから出てきやがる……。

 

 

 

「石崎ィ!! アルベルトぉ!! 今すぐ部屋に来てこいつを捨ててこい!!」

 

 

 

 あぁ、そうだとも、俺はここに来てまだゴリラの執念を舐めていたんだろうぜ。

 

「なん……だと?」

 

 更に翌日、捨てた筈の仁王像はまた部屋の前に並べられていた。頭の奥で何かが切れた音がしたと同時に、すぐさまゴリラに電話をかける。

 

 幾度かのコール音の後、こちらの状況などまるで理解してないとばかりに、ゴリラは欠伸と共に通話に応じた。

 

「おい……クソゴリラが、いよいよ死にたいらしいな」

 

『急にどうしたんだい?』

 

「とぼけんじゃねぇッ!! 何度も何度もゴミ捨て場から仁王像を運んでんだろうがッ!!」

 

『龍園……それはどういうことだ? 俺はそんなことしてない』

 

「あぁん?」

 

『俺はそんなことしてないって。君にあげた物なんだ、君がどうしようと君の勝手だ。ゴミ捨て場に持って行ったのなら、それで話は終わりだろう?』

 

「テメエ、この期に及んでとぼけてんじゃねえぞ」

 

『全く心当たりがないから俺も困ってる……いや、まさか』

 

 深刻な声色がスマホの向こう側から届く、本気でこちらを心配するかのように。

 

 どういうことだ? 仁王像を運んだのはゴリラじゃない?

 

『龍園、注意して聞いてくれ……美術界には呪いの美術品というものが存在するんだ。髪が伸びる日本人形、人々を不安にさせる絵画、所有者を次々と殺す血塗られた宝石、独りでに移動する西洋人形、曰く付きの美術品というのは長い歴史の中で多く生まれて来た……もしかしたらその仁王像も、そんな魔性が宿ってしまったのかもしれない』

 

「何の話をしてやがる」

 

『冗談で言ってる訳じゃない……あるんだ、所謂オカルトって奴がさ』

 

「……」

 

『きっとその仁王像は、君に捨てられたくなくて、自分たちだけで戻って来たんじゃないかな……怖いなぁ、怖いなぁ』

 

 そんなことを言いながらゴリラは通話を切った。まるで恐ろしい何かから逃げるかのように。

 

 一人残された俺は、部屋の前に置かれている呪われそうなほどに迫力のある仁王像たちと視線がぶつかってしまった。

 

 オカルトだと? 馬鹿も休み休み言え。

 

「石崎、アルベルト、度々悪いが、また頼みたい」

 

 まぁなんだ、一応、念の為、万が一に備えて部屋の前に塩くらいは撒いておくか。

 

 石崎とアルベルトに運ばれていく仁王像たちの目は『俺たちをまた捨てるのか?』と問いかけているように見えなくもないが、気のせいだろう。

 

 いや、そもそもオカルトなんてありえねぇ……絶対にだ。奴の話術に乗せられそうになっているに違いない。

 

 仁王像が独りでに動いて帰って来る? 三文小説にもならないくらいにつまらない冗談だ。

 

 だが俺はクラスを統べる王、些細なことだろうがそこが後顧の憂いならば断っておくに越したことはないだろう。

 

 

 オカルトなんざ信じてはいねぇ、だが1パーセントでも可能性があるのなら見過ごす訳にもいかなかった。

 

 その日の夜、俺は寝ることなくその時を持った。午前中に捨てさせた仁王像がどのように部屋の前に戻ってきているか確認する為に。

 

 耳を澄まして扉に近い位置で待機すること数時間、時刻は深夜三時を回った辺り、遂に部屋の前で動く気配を感じ取る。

 

「来たか……」

 

 オカルトか、それともゴリラか、答えはわかりきっていたことだがゴリラだった。

 

 

「わ、わ、わ、忘れ物ぉ~」

 

 

 よくわからない歌を口ずさみながら、ゴリラはゴミ捨て場に置いてあった筈の仁王像を俺の部屋の前に設置するのが、扉の覗き穴から確認することができる。

 

 あのクソゴリラがッ!! 何がオカルトだ!!

 

「やってくれたなぁ、おいッ!!」

 

「ヤバい、ばれた!!」

 

「お前ら出て来い!!」

 

 制裁を加えようと扉から出た瞬間に、ゴリラは脱兎の如く逃げ出そうとするが、それを遮るかのようにエレベーター前にある部屋の扉が開いて石崎とアルベルトが姿を現す。

 

「テメエ、龍園さんに散々迷惑かけてこのまま逃げれると思ってんのか!!」

 

「badboy」

 

「ゴリラを押さえろ、絶対に逃がすな!!」

 

「悪いな、脱出ルートは一つじゃない」

 

 ゴリラは自信あり気にそう言うと、何の躊躇もなく寮の廊下の至る所にある窓ガラスを開き、そこから飛び降りて見せる。

 

「死ぬ気かよ!?」

 

 慌てて石崎が手を伸ばして阻止しようとするが、指先は空を切ってゴリラを掴むことはなかった。

 

 さすがに死んだか? いや、あいつの身体能力は異常なレベルだ、これくらいの高さなら何も問題はないはず。

 

 そんな予感は正しかったのだろう。窓から地上を眺めてみると、そこには赤いシミもゴリラの死体も確認できず、ただ凄まじい速度で走り去っていく影だけが微かに見える。

 

「どうなってんだアイツの体は……」

 

「石崎、ゴリラに理屈を求めるな」

 

 そんなことよりも今は重要なことがある。あのバカでかい仁王像だ。

 

「今度こそ二度と持ってこれないように、徹底的に粉々にして焼却炉にぶち込んどけ!!」

 

 ようやくあの呪われそうな迫力を放つ仁王像からおさらばできる。それが重要だった。

 

 

 後日、笹凪からは悪ふざけの謝罪としてかなりの額のプライベートポイントと、無人島での肉の礼としてハムとソーセージの詰め合わせが贈られて来ることになる。

 

 食い物とポイントに罪はねえ、これで納得しておいてやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天才と超人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界には数多くの才能が存在する。幼いながら高度な思考や知識を持つ者、人類最高峰の身体能力を持つ者、或いは音楽や芸術的な才能を持つ者。

 

 持論ではあるが、人類の性能はDNAに刻まれた以上のスペックを出すことはできない。努力と鍛錬である程度の差は埋められたとしても、根本的な違いがそこにはあるのでしょう。

 

 それが才能、或いはギフトと呼ぶべき力。

 

 極限の努力が天才に迫り勝てるのだろうか? 果たしてそれは天才と呼べるのだろうか? あの白い部屋にいる彼を見た時からそれは私の至上命題になったのかもしれません。

 

 私の記憶に強く刻まれている人物は二人、白い部屋にいる少年は今も記憶の片隅に、そしてもう一人は目を焼き尽くすほどの存在感と光で瞼の裏に今もいますね。

 

 緩やかに瞼を閉じると、あの美しく力強い光を不思議と思い出す。人間が遥か太古に置き忘れてしまった何かを持つ、そんな女性。

 

 父の知り合いだというその人と出会ったのは五歳の頃、僅かな時間でしたがチェスを教えてくれましたね。

 

 私が知る限り、至高という言葉がこの世で最も似合う、そんな人に愛弟子がいると知った時の驚きは大きかったものです。

 

 だってそうでしょう、あの人に付いていける存在だなんて……それはどれほど巨大な才能の原石なのかと考えずにはいられません。

 

 そんな至高の人が導いた愛弟子、笹凪天武くんが今、私の目の前にいる。

 

 はしたないと自覚しながらも、唇が緩んでしまいます。

 

「ん……強いね、坂柳さん」

 

 予約したカフェの個室で笹凪くんはそう呟く、私たちが挟む机の上にはチェス盤と駒が置かれており、たった今対局が終った所でした。それも私の勝利で。

 

 先攻後攻を入れ替え二度の対局、どちらも私の勝利となりましたが、笹凪くんは悔しがるでもなく苛立つでもなく、納得したようにそう言ったのです。

 

「小手調べはこの辺で終わりにしましょうか?」

 

「そうは言われてもね、二戦ともこちらの敗北で終わってしまったんだ。文句のつけようがない完全敗北だよ」

 

「ふふ、そうは言いますが、まだ余力のあるように感じましたよ?」

 

「そうでもないさ」

 

 クスっと、笑みを浮かべた笹凪くんは口直しとばかりにココアを飲もうとしますが、カップの中が空であったと気が付いて戻していく。

 

「ふむ、少し不服ですね、私は全力を出すに値しないと言われているような気分になってしまいます」

 

「ん、だとしたら、なるほど、失礼なことをしたのかもしれないな……」

 

「そうですね、では貴方のやる気をを引き出す為にも、ここは勝敗に報酬を付けましょうか?」

 

「報酬?」

 

「えぇ、どのようなものを望まれますか?」

 

「なら、ココアのおかわりをお願いできるかな? そっちが勝ったらどうするんだい?」

 

「その時は、笹凪くんはAクラスに来て貰い、私の協力者になって貰います」

 

「……俺はAクラスでの特典には興味がないと言ったと思うけど」

 

「そうですね、ですがこれは交渉の条件ではなく、勝敗の報酬の話ですから。この勝負で笹凪くんが敗北すれば、貴方は私の戦利品となるのですよ」

 

「なるほど、これは一本取られたな……それなら、この一戦は負けられないらしい」

 

「ふふ、その気になられたようで良かったです、では真剣勝負と行きましょうか?」

 

 カフェの机を挟んだ向こう側にいる笹凪くんの雰囲気が変わっていく。

 

 ただでさえ人の視線を引きつける引力が漏れ出ているというのに、それを抑えようとしなくなる。そして引力とは真逆の迫力のようなものも吹き出ており、矛盾した存在感でありながら不思議と調和が取れていく。

 

 あぁ、私はこの存在感を知っている。瞼を閉じれば思い浮かべることのできるあの人によく似ているからだ。

 

 人類が太古に置き忘れてしまった何かを、彼もまた持っているのだろう。

 

 これだけの輝きを見せられれば、大半の人間は黙るしかありません。生物として住まうステージが異なると言葉も無く説明されてしまうからです。

 

「ッ!!」

 

 私の背後で鬼頭くんが立ち上がった気配があり、雰囲気の変わった笹凪くんとの間に割って入ろうとしますが、彼が一歩踏み出した瞬間に視線一つで縫い付けられてしまいました。

 

 その心意気は素晴らしく、護衛役として完璧な振る舞いです……ですが、相手が悪すぎましたね。彼を責めることはできないでしょう。

 

「鬼頭くん、ありがとうございます。ですが大丈夫なので、席に座ってください」

 

「危険だ……」

 

「あまり、この時間に雑音を挟みたくないんです」

 

「わかった……」

 

 鬼頭くんも笹凪くんが放つ雰囲気と迫力に歯向かうことはできないのか、大人しく席に腰を下ろしました。相手が悪すぎるだけで護衛役としては百点満点ですね。橋本くんはぜひ見習って欲しいものです。

 

「さて……始めましょうか」

 

「坂柳」

 

 雰囲気だけでなく言葉遣いも変わってしまった彼は、瞳の奥にある狂気を隠そうともしないまま私の名前を呼びました。

 

「己の矜持に、恥じぬ戦いにしよう」

 

 その瞳がこちらを射貫く度、その意識が肌を撫でる度、体と精神が押しつぶされてしまいそうな重圧となってこちらに向かってくるのがわかる。

 

 あぁ、良かった、貴方は間違いなく、あの方の弟子なのですね。

 

 

 天才という器を、本物の狂気で改造した存在だと確信が得られました。

 

 

 彼は天才ではない、怪物でもない、ましてや凡人でもない。それらとは何もかもが異なる存在だった。

 

 彼を評する言葉で最も正しい表現……それはきっと超越者、超人だ。

 

 

「ふふッ」

 

 はしたないとわかっていながらも、いやらしい笑みが隠せない。こればかりは許して欲しいものですね。

 

「楽しみましょうか……天武くん」

 

 興奮と熱に背中を押されるまま名前を呼んでしまう、これではまるで男女の情事のようになっていますね、冷静にならないと。

 

 

 視線と視線が絡み合う、不思議な光を宿す彼の瞳に映る私は、自分でも驚くほどに興奮しているのが見て取れます。

 

 今更、取り繕っても意味はないので、今はこの時間を楽しむとしましょう。

 

 だから私は慈しみながら、そして愛おしそうに、触れがたい何かを汚すかの如く、緊張と共に駒を動かしました。彼に挑むという時間を噛みしめるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「葛城の悩みを解消する最も効率的な最適解」

 

 

 

 

 

 

 

「本気でやるつもりか?」

 

 俺はこの作戦を考えた人物に、数え切れないほどした質問をまた繰り返す。

 

 いい加減しつこいと言わんばかりの顔をする相手は、一年生の中でも突出した存在感を放つ男、名を笹凪天武。

 

 異質異常な身体能力を持ち、他の追随を許さないような思考の瞬発力を持つ、悔しながら一年生では最高の総合力を持つ男だ。

 

 特別試験で関わる中で、その異常性をいかんなく発揮した結果、今では誰もが一目置く存在となったことだろう。

 

 そんな笹凪にまた俺は同じ確認を行う。自信もやる気もあるのだろうが、それでも止まって欲しいと願いながら。

 

「しつこいよ葛城、やると決めたならどっしり構えて結果を待つんだ」

 

「他者の命を危険に晒してまで望むことではないと考えているだけだ。やるにしても、もっと別の方法を考えるべきだろう」

 

「その方法が思い浮かばなかったから、この作戦で行くんだろう? 大丈夫だよ、俺の身体能力は知っている筈だ。この程度の距離なら大した問題じゃない」

 

 そう言って笹凪は大きめの水筒の蓋を開けて、中身が空であったことを確認してからスマホを投入した。

 

「ほら葛城、妹さんへのプレゼントと発送票もここに入れるんだ。強く蓋を締めておけば水浸しになることもないだろう。ここまで来たら腹を括るんだ」

 

「……わかった」

 

 散々悩んだ結果、俺は妹への誕生日プレゼントを水筒の中に投入する。

 

 すると笹凪はその場で衣服を脱ぎだして既に装着していた水着姿となる。脱ぎ去った衣服は折りたたんで布団などを薄くして収納する為に使う真空袋の中に投入した。そしてそれも水浸しにならないように丁寧に密封していく。

 

 服とスマホと妹へのプレゼント、それら三つが水に浸からないことを確認した笹凪は、それらが入った鞄を背中に背負う。どうやらその鞄は濡れても構わないらしい。

 

「それじゃあ、ちょっと泳いで向こう岸にまで行ってくるよ」

 

「本気でやるんだな?」

 

「困ってるんだろう?」

 

「それはそうだが……」

 

「この程度の距離で溺れるような体じゃないよ。ほぼ間違いなく向こう岸に着いて、ちゃんとポストにプレゼントを入れる所を動画に撮って帰って来るさ」

 

 そう、それが笹凪が考えた作戦であった。

 

 この学校は海上の埋め立て地に建てられており、出入り口は厳重に管理された橋が一つだけ、そこを通る以外に外部に接触する手段がなく、この学校は物や人の流れは必ずそこを経由しなければならない。私的な物品のやり取りは必ず露見してしまう。

 

 ならば、別のルートから物を動かしてしまえば学校側に見つかることは無いと言ったのが笹凪で、この男はその手段として向こう岸まで泳ぐという手段を提示した。

 

 正直に言わせて貰うならば、他人の命を危険に晒してまで妹へのプレゼントを贈るつもりはない。ないのだが、笹凪は不思議な説得力があり、ズルズルとここまで来てしまった。

 

「どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 

「特に深い理由はないよ。誰かが困っていたらとりあえず手を差し伸べるさ。そして俺にできることならやれば良い、海を泳いで向こう岸に行くなんてそこまで難しいことでもない、空を飛んで行くよりもずっと簡単だ」

 

「……」

 

「あ、でも、タダ働きはあれだから、ちゃんとポイントは貰うからそのつもりでいてね?」

 

 笹凪はこちらの返答を待つこともなく、監視カメラの無い学園の端から、海の中に飛び込むのだった。

 

 そして凄まじい速度で泳いでいく。あまりにも早すぎるので自分の目を疑う程である。

 

 その数十分後、何も問題はなかったのか、俺のスマホにはしっかりとポストに妹へのプレゼントが投函される動画が送られてくることになる。

 

 嬉しくはある、だが安堵の方が遥かに大きかった。二度とこんな滅茶苦茶な行動を許容する訳にはいかないと、固く誓うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠のお仕事」

 

 

 

 

 

 

 

 目の前にいるのは凶器と爆薬を持った男、そして狙いは私、わかりやすいくらいに強者と弱者が線引かれたこの関係は、この場の主導権がどちらにあるのかとハッキリと示していた。

 

 暴力を持って自らの思想や望む結果を引き寄せる、そんな連中は古今東西どこにでもいて、それはこの現代日本でも変わることはない。現に私の前には銃と爆薬をチラつかせてこの飛行機をハイジャックする男たちがいた。

 

「議員、私が望むことはそう多くない、ただ同胞たちの釈放だけなんですよ。美しい友情を守りたいだけなんです」

 

「美しい友情? 行き過ぎた思想を持ったテロリストが何を偉そうに」

 

「おやおや、ご自身の立場がまだ理解できていないようだ。この飛行機には沢山の民間人が乗っておられることをご存知ないらしい。試しに親子連れでも処理いたしましょうか? そうすれば議員も我々に協力的になるかもしれない」

 

「無駄なことはするな、政府はテロに屈することはない」

 

「おぉ、素晴らしい度胸だ。ではさっそく――――」

 

「待て」

 

「気が変わるのが早いようで何より」

 

「まずは民間人の解放が条件だ。人質は私一人がいればそれで十分だろう。この飛行機から解放してやって欲しい……そうすれば私が政府との窓口になろうじゃないか」

 

「またそれですか……既に譲歩して百人は解放しているというのに」

 

「だから、人質は私だけで十分だ」

 

「議員一人だけなら、尊い犠牲と判断されてしまうかもしれないので、それは難しい」

 

 だろうな、まぁこのままのらりくらりと時間を稼ぐしかない……おそらくはまぁ、そろそろアレが来るだろうから、もう少しの辛抱だ。

 

 既にこの飛行機がハイジャックされて十時間は過ぎ去っている。相応の準備は整っている筈だ。

 

 それはつまり、あの女がいよいよ出張って来るということである。

 

 のらりくらりと会話を長引かせているだけでは限界があるのだ、頼むから早く来てくれ。

 

 そんな祈りが通じたのかどうかはわからないが、この飛行機に巨大な破砕音と振動が広がるのだった。

 

 あぁ、ようやく来たか、これでやっと解放される。

 

 

「なんだ? おい、何があった!?」

 

 目の前にいた男が慌てて無線で通信を行い状況確認をしようとするのだが、それよりも早くそいつはやって来た。

 

 形容し難い粉砕音と共に、頑丈な筈の飛行機の壁を吹き飛ばして外から人影が侵入してくる。驚くことに素手でそれをやってのけたその人物は、壁の破片や強化ガラスをまき散らしながら男を吹き飛ばす。

 

 銃で武装した男は引き金に指をかけることすらできないまま、トラックに轢かれたかのように吹き飛ばされて飛行機の壁や床を跳ねながら最終的にはトイレに突っ込んだ。

 

 それは暴力の化身だった。破壊の使者だった。災害を人の形に加工したかのような存在だった。

 

 見た目だけはこの世の物とは思えないほど美しい女性なのに、その一挙手一投足は嵐と破壊が付随することになる。

 

 飛行機の壁を突き破って機内に侵入したその女は、目にも止まらぬ速さで次々と獲物を刈り取っていく。まるで百獣の王のように。

 

「弱者しかいない、悲しいね」

 

 そう言い残してあの女は次の獲物を探して嵐と破壊を巻き起こしながら機内を突き進んでいくのだった。

 

 相変わらず、とんでもない女である。本当に人間なのだろうか?

 

「議員、ご無事ですか?」

 

 だがこれで安心だと溜息を吐くと、男なのか女なのかよくわからない人物から声をかけられた。まだ若くこんな場所にいるのは不釣り合いに見えるのだが、不思議と有無を挟ませない存在感を持っていた。

 

「飛行機、壊しちゃってごめんなさい」

 

「まぁ彼女はいつもあんな感じだからな……」

 

「あまり叱らないでください、師匠も悪気がある訳じゃないんです。説得したんですけど壁を壊した方が早いって言って聞かなくて」

 

「それは良く知っている……まぁあの人を叱れる人間はこの国にはいないから、心配しなくてもいいよ」

 

「ありがとうございます。それじゃあ俺はコックピットの方を制圧してきますので。議員はもう少し待っていてくださいね」

 

「あ、あぁ……大丈夫なのか?」

 

「はい、何も問題はありません」

 

 少年、或いは少女は、特に気負うこともなく駆けだす、飛行機で最も頑丈な筈の扉をシーツを剥ぎ取るかのようにこじ開けると、そのままそこを占拠していた連中を制圧してしまった。

 

 銃声が幾度が響いたが、コックピットから操縦士たちと一緒に無傷で出て来た時は、変な夢でも見ているかと思ったほどである。

 

 確かあの怪物女には弟子がいると聞いたことがあるな、何の冗談かと思ったがどうやら事実であったらしい。可哀想に、怪物に育てられるだなんて。

 

 そう言えばその話を聞いた時、綾小路先生辺りは、苦虫を噛み砕いたかのような渋面を作り、同時に憐れむような顔をしていたっけな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はいはい、またこれか、もう慣れた」

 

 

 ここ最近、というか入学してからよく見るようになった夢からオレは目覚める。

 

 知ってた、そろそろ来るとも思っていた。なんだったら楽しみにしていたまではある。こうなったら自棄だ。

 

 目を覚ましてベッドから体を起こすと、付けっぱなしだったテレビには、過去の凶悪事件を紹介する歴史ドキュメンタリー番組が流れていた。きっと変な夢を見たのはこれが原因なのだろう。

 

 実際に日本で起こった事件を紹介して、コメンテーターや芸能人が何やら議論する、そんな番組である。

 

「おはよう清隆……晩飯、そろそろできるよ」

 

 部屋の中には天武の姿がある……そう言えばチェスをしながら作戦会議をしていたんだったな。負けた罰ゲームとして天武が食事を作っている間に、どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「怖いよねぇ、こんな事件が起こったらさ」

 

 天武はできたばかりの晩飯を台所からこっちに持ってきた時に、テレビに流れている凶悪事件を眺めてそんなことを言った……何故か懐かしむかのように。

 

「そうだな……」

 

 何も言うまい、オレが見たのはただの夢なのだから。

 

 

 

 

 

 

 



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体育祭編
体育祭準備


いよいよゴリラが暴れまわる体育祭編となります。果たして全校生徒全員をチベットスナギツネにできるのか、そこが重要だ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は小学校も中学校も一度たりとも学校に通ったことのない人間だったので、この高校に来てから初の夏休みを体験することになり、中々に充実した日々を過ごせたと思う。学生の夏休みがこんなに楽しいものだとは思っていなかった。

 

 使える時間が沢山あるのは良いことだ。友達と遊びに行ったり、女の子とデートしたり、部屋で仏像を彫ったりと、凄く高校生らしい時間だったと思う。

 

 青春的な日々を謳歌する中で、この学校特有の険しい試験への対策なども話し合えた。清隆と軽井沢さんを交えての作戦会議である。

 

 特に清隆とは櫛田さん関係で色々と深く話し合ったと思う。それに加えて俺はプライベートポイントを稼ぐ為に頑張る方針もあった。

 

 師匠モードで描いた絵がドン引きするくらいの値段で売れたのだ。二匹目のドジョウではないが、同じように外貨を稼いでそれをポイントに変換できないかと考えた訳だ。

 

 とりあえず美術部を通して各種の展覧会や品評会に作品でも出せるかと考えたり、或いはネットオークションに出したりなど出来ないものかと試したのだ。

 

 この学校は私的な物品のやり取りは禁止されているのでもし外に何らかの物を出す場合は必ず学校側を経由しなければならない。葛城の話を聞いて私的な文章や物品の移動が禁止されているのはわかっていたので、学校経由の出品ならどうかと思った次第である。

 

 そう、私的なやり取りではなく、学校を通しての「出品」だ。因みに校則ではそれを禁止する項目はない。

 

 まぁ、このやり取りを悪用して俺が手紙なんかを外に出した場合は、ほぼ確実に罰則が加えられる上に、校則に新しい文章が増えると思われるが、そんなつもりは欠片もないので何も問題はない。

 

 とりあえず、企業が主催している広告コンペであったり、ネットオークションや各地の品評会にでも作った作品を出してみるつもりだ。もちろん学校を通してね。

 

 あの絵のようにドン引きするような値段でなくても良いからちゃんと売れればいいな。夏休みの間に作った小さめの仏像だったりは師匠モードで作ったから自信作なんだ。清隆曰く迫力があるらしいから結果が楽しみである。一万とか二万とかでも全然構わないしね。

 

 重要なのはいかに外貨を稼げるかである。その為の実験という意味もあった。

 

 そんな、金策と遊びと作戦会議で夏休みは終わったことになる。充実していたと胸を張って言えた。

 

 そして夏休み明け、学生あるあるの一つである憂鬱な気分を引き下げながら登校することになる。

 

 これもまた高校生あるあるなのだろう。やりたいことリストが一つ埋まった瞬間であった。

 

「今日から改めて授業が始まったわけだが、これから一カ月体育祭に向けて体育の授業が増えることになる」

 

 新学期初日、教室全体を見渡しながら茶柱先生がそう言った。入学したばかりの頃よりは少しだけ表情が穏やかになったようにも思える。やはり担任しているクラスがBクラスになったのが嬉しいのだろうか?

 

 茶柱先生の説明では体育祭が迫っているらしい。俺は人生で初の体育祭なのでどうしてもテンションが上がってしまう。

 

 なにせ小学校も中学校も一度も行ってないからな。当然ながら体育祭だって未経験である。噂によるとパン食い競走なる苛烈な競技があるとかないとか。

 

「先生、これも特別試験の一つなんですか?」

 

「どう受け取るのもお前たちの自由だ。どちらにせよ各クラスに大きな影響を与えることには違いはないがな」

 

 平田の質問に茶柱先生はそう返す。つまりこの体育祭でもポイントは変動するということだ。

 

 須藤を筆頭に運動をできる面子は楽しそうにしているが、幸村などの運動苦手組はげんなりとしている。

 

 生徒たちが持っているスマホにはこれから行われる体育祭に向けての時間割であったり、詳しい競技やルールなどが記載された文章が送られていた。

 

 ざっと目を通すと、体育祭というよりはスポーツテストのような感じである。応援合戦だったり組体操とかはないんだな。

 

「既に目を通して気づいている者もいるだろうが。全学年で紅組と白組に分ける。今回はBクラスとCクラスが白組、DクラスとAクラスが紅組となる」

 

 一之瀬さんクラスと共闘することになる。龍園と組まされるよりはずっと良いな。敵なら敵で面倒だけど。

 

 スマホに送られてきた細かなルールや競技などを確認していき、何かしら抜け穴が無いかと探している間にも茶柱先生の話は進んで行く。

 

 競技やルールに関しては特別目新しいものはなく、何をどうしようが覆しようのないものであった。つまりは純粋な団結力や身体能力が物を言う試験な訳である。

 

 無人島であったり、船上試験の時のように、最初の一撃で勝負を終わらせるようなこともできない。各競技でしっかりと成績を残してポイントを積み上げていくのが大事になるだろう。

 

 もし何か搦め手を繰り出せるのだとすれば、悪質な嫌がらせか競技の参加表を入手しての情報戦くらいのものだろうか、どちらも来るとわかっていれば致命傷になることもない。

 

 だがやるべきことはこれまでの特別試験と変わらない。どう勝つかではなくどう終わらせるかを意識するだけである。戦術的思考より戦略的な思考で動くとしよう。

 

 清隆と堀北さんからも意見を聞いて、細かい所を決めて行かないとな。

 

 

「さてどうしよっか?」

 

 

 茶柱先生の説明が終り、次の時間割は教室での授業ではなく各学年やクラスとの顔合わせの時間となり、俺たちは体育館へと移動することになる。

 

 その途中で俺は相棒である清隆と堀北さんにそう尋ねた。これからのことを固める為に。

 

「このクラスには笹凪くんと須藤くんがいる。それ以外にも運動能力のある生徒がいるから、戦力的に不足している訳ではないわね。運動が出来ない人もいるけれど、それは他のクラスだって同じ筈だもの、決定的とも言える差はないわ」

 

 体育館へ続く廊下を歩きながら堀北さんはそう言った。

 

「そうだね、寧ろ有利なくらいなんじゃないかな」

 

「えぇ、普通にやれば最下位になることは無いと思う……だからこそ、警戒しなければならないのは、搦め手の類でしょうね」

 

「お、冷静だね堀北さん。具体的には何を考えてるの?」

 

「妨害行為や、或いは参加表を入手しての情報戦かしら……ごめんなさい、すぐに思いつくのはそれくらいになるわね」

 

「俺も似たようなもんだよ。そしてその二つは来るとわかっていればそこまで面倒なことでもないしね」

 

「他クラスは、参加表を入手しようとするかしら?」

 

「そりゃするだろうね。龍園なんて絶対にそうする」

 

「彼ならそうするでしょうね」

 

 堀北さんも龍園の危険性はわかっているらしい。侮って下に見るよりはずっと良い対応だ。無人島と船上試験を乗り越えて彼女には余裕というか、ゆとりのような物が生まれたと思う。やはり財布に余裕があると心が穏やかになるということだろう。

 

「ただそう言った搦め手を警戒することもそうだけど、そこだけに注意するのも駄目ね。それぞれの競技でしっかりと成果を積み上げる、結局はそれが一番大事よ」

 

「あぁ、王道な攻略法だ。これ以上の作戦はない」

 

 師匠もよく壁とか突き破って最短距離を進んでいたからな。結局はそれが一番早いのだ。

 

 迷路を突破したい? なら真っすぐ壁を突き破った方が早いだろうとは師匠の言葉だった。

 

「まぁ龍園を警戒しつつも、しっかり体育祭に向けて調整していくしかないね」

 

「そうね、一先ずはクラスメイトたちの運動能力を細かく把握しましょう」

 

 どうやら堀北さんもやる気十分らしい。顔を引き締めながら体育館に入っていった。

 

「清隆、龍園と櫛田さんに関してなんだけど」

 

「そこら辺に関しては心配いらない、こっちで色々動いておく。お前は正面に集中してくれ。競技もそうだがクラスの士気もだ……実際、楽勝だろ?」

 

「わからないよ、もしかしたら凄い生徒が潜んでいるかもしれない」

 

「隠れゴリラか……いたとしても、お前ほど人間を辞めているような相手はいない筈だ」

 

 ここ最近、清隆は俺を人間扱いしなくなった気がするな、ゴリラだから楽勝だろうと雑に片付けるのだ。誠に遺憾である。

 

 まぁ、突っ込んで暴れろという指示は悪くない。俺はそれが一番強いだろうからな。

 

「問題なのは櫛田さんなんだよねぇ」

 

「暫くは泳がせておけばいい。スパイだとわかっているんだ、利用するくらいで行こう。ある程度、言い逃れできない状況を作って首輪を付ければそれで終わりだ」

 

 スパイだとわかってるスパイなんて何も怖くはないか、櫛田さんから齎される情報で逆に龍園を翻弄するとしよう。

 

 そんな大雑把な結論を出してから俺と清隆も体育館の中へと入っていった。

 

 一つの学年だけでなく全校生徒が集まるのは珍しいこととも言えるだろう。それこそ入学式や終業式くらいのものである。流石にこれだけ集まると賑やかである。

 

 一応、この学校の生徒は全員頭に入っている。入学してすぐに観察したからな。それでも改めて変化や見落としが無いかと観察しておくとするか。

 

 もしかしたら、とんでもなく擬態の上手いゴリラがいるかもしれない。坂柳さんだって脆そうに見えて、実はあの杖は仕込み刀で抜刀術の使い手だという可能性を俺はまだ捨てていない。

 

 油断した瞬間、バッサリと首を落とそうとしてくる坂柳さん……ありえなくはないか?

 

 体育館ではその坂柳さんの姿もある。椅子に座って取り巻きの生徒に囲まれているのが見えた。

 

「やぁ坂柳さん、調子はどう?」

 

 せっかくなので声をかける。坂柳さんの近くにいた生徒の何人かは「あ、ゴリラだ」といった視線を向けて来る辺り、俺の学年全体での評価はいよいよ固まりつつあるのかもしれない。

 

「天武くん。お久しぶりですね。調子は悪くありませんよ」

 

 カフェで色々と話し合ってチェスをしている時に見せた好戦的な顔ではなく、どこか儚げで深窓の令嬢であるかのような雰囲気を纏う坂柳さんは、俺を見てクスクスと笑った。

 

「ただ少し憂鬱ではありますね。私はこういった催しは楽しめないので」

 

 今も椅子に座っている坂柳さん、確かに彼女の体幹は観察していて不安になるほどである。演技じゃなければだけど。

 

 坂柳さん、実は抜刀術の達人説を捨てきれない内は、杖の射程に入るのは止めておこう。

 

「そちらは自信のほどはどうでしょうか?」

 

「あるよ、MVPを目指すつもりだ」

 

「ふふ、では応援しておきましょう」

 

 そんな会話を終えて離れると、どうした訳か俺はクラスメイトたちから囲まれてしまう。

 

「笹凪ィ!! お前いつのまにあんな可愛い子とお近づきになったんだよ!?」

 

「何だかんだで女っ気がないから油断してたけど、ちゃっかりしやがって!! どうすりゃいいんだ!?」

 

 池と山内が特に大きな反応を見せた。

 

 確かに坂柳さんは可愛らしく美しい人だけど、下手したら抜刀術の達人だぞ? 油断だけはできない相手だ。

 

「落ち着け、ちょっとした縁があっただけだよ」

 

「どうやったらそんな縁ができるのかがわからねぇよ」

 

「山内、努力あるのみだ」

 

「そ、そうなのか」

 

 雑な助言を伝えながら男子たちを遠ざけていると、今度は女性陣が、というか堀北さんが視線鋭く近づいてきてこう言った。

 

 どうした訳か、苛立ちが見える。

 

「名前で呼ばれていたわね……」

 

「え? あぁ、そう言えばそうだったね。別に嫌でもないから全然構わないさ」

 

 確かに坂柳さんは俺を名前で呼んでいたな。あまりにも自然にそう言っていたので、普通に納得して受け入れていた。

 

「そう……なら――」

 

 納得いってないような、少しの苛立ちがあるような、そんな表情で堀北さんが考え込む。そして最終的には何やら意を決して口を開こうとした瞬間に、俺たちに声を掛けられる。

 

「笹凪くん、堀北さん、体育祭は一緒の組みたいだし、宜しくね!!」

 

 声の主は一之瀬さんである。彼女の背後にはクラスメイトたちの姿がある。こちらを観察している神崎もいるな。

 

「あぁ一之瀬さん、宜しくね」

 

「うん、笹凪くんが一緒ならすっごく頼りになるよ。須藤くんもいるしちょっとそっちのクラスは戦力過剰だよね」

 

「個人だけの成績ではどうしようもできない部分もあるよ。なんにせよ一緒に頑張ろう」

 

「もちろん。堀北さんも宜しくね」

 

「えぇ……こちらこそ」

 

 こちらの組は大きな問題も無く進められるだろう。一之瀬さんクラスに関しては団結力や協調性は文句なしだから何も問題は無い。信頼と言う点では学年一だろう。

 

 これで組む相手が龍園クラスであれば疑心暗鬼と不信感で最悪なことになる。味方よりは敵として接した方がまだ楽である。

 

 実際に、それを証明するかのように、葛城と龍園は向かい合いながら険悪な様子となっているのが確認できた。

 

「協力するつもりはないと?」

 

「おいおい、こっちは善意で言ってやってるんだぜ? どうせ最初から信頼なんてねえんだ、勝手にやった方がまだ楽だろうよ」

 

「これは我々だけの問題ではない、上級生も巻き込む話だ」

 

「はッ、興味がねえな」

 

 そう言って龍園は葛城だけでなく上級生たちすら鼻で笑って見せる。何人かは眉を顰めていた……すいません、先輩方、これが彼の基本的な対応なんです。

 

「あっちの組は大変そうだね」

 

「そうだね一之瀬さん、こっちはそんな心配はなさそうだからそこは安心だよ」

 

 ただあちらは総合力で一番のAクラスが固まっているからな、総合優勝は簡単ではないかもしれない。

 

「とりあえず団体競技について色々話そうか? 合同の練習とかもしたいしさ」

 

「うん、その辺はしっかり合わせておきたいね」

 

 こっちの組には懸念事項が幾つかあるけれど、裏方は清隆が引き受けてくれているので、俺は正面戦闘に集中するとしよう。

 

 まずやるべきなのはクラスメイトたちの実力の細かな把握だろうな。体育の授業である程度は把握しているのだが、完璧ではない。

 

 一カ月後の本番に向けて体育の授業もあるので時間は幾らでもあるだろう。それに加えて士気も高めていかなければならないな。

 

 師匠モードになって全員を戦士に導くとしよう。体力面はどうしようもないが、心構えだけは一カ月もあればどうにかできるか?

 

「人を戦士にするにはどうすれば良いんだろうな……ここはやはり師匠を参考にして」

 

「やめておけ、常識的な行動を心がけるんだ」

 

 ぼそりと呟いた言葉を拾い上げたのは清隆である。どうした訳か彼は俺を疑うような目で見て来る。

 

「もちろん、俺は真面目にやるつもりだよ。いつだってそうしてきた」

 

「……ほどほど、という言葉を忘れるんじゃないぞ」

 

 清隆の疑い深い視線がいつまでも消えない。俺はただ体育祭の勝利する為にクラスメイトに心構えを教えたいだけなのに。

 

 清隆から雑な扱いを受けていることは、少しだけ不満であった。

 

 こいつは非常識なゴリラだから雑に扱っても大丈夫だろうという考えがあるように思えるのだ。別に俺は無敵の存在でもないというのに。

 

 このままだとかなりの無茶ぶりをいつかされるかもしれない……まぁ別にホワイトルームを潰せとか言われるくらいなら構わないんだが。清隆曰く、随伴歩兵付きの戦車を動かせるような権力や戦力があるような相手でもないらしいしね。それくらいなら問題はない。

 

 ただそれ以上となるとなかなか難しい。友達の頼みなので可能な限り引き受けたくはあるんだが……まぁその時に考えよう。

 

 なんであれ今は体育祭だ、俺にとっては人生初の学校行事、勝利することもそうだが楽しみたいという気持ちも大きい。

 

 楽しむことは重要だ、師匠もそう言ってた。

 

 

 

 

 

 



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体育祭準備 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、体育祭に向けて色々と考えて行かないとダメな訳だけど、基本的な方針はどうしようか?」

 

 学年の顔合わせも終わり、いよいよ体育祭に向けて進みだした学校と生徒たちは、朝のホーム―ルームの時間を使って色々な打ち合わせを行っていた。

 

 こういう時、率先してクラスを率いてくれるのが平田なのだが、ホーム―ルームが始まる前に彼はその役目を俺に押し付けて来る。

 

 別に引き受けることは構わないんだが、それで良いのかと言えば平田は穏やかに笑って信頼しているからと言ってくれた。

 

 期待されてしまった以上はやるしかないだろう。教卓に手を付いて俺は教室全体を見渡して開口一番そう言った。

 

「まず俺の意見を言わせてもらうならば、この体育祭は勝ちに行きたい、皆はどうだろうか?」

 

 一人一人の視線や表情を観察していく。どうやら俺がクラスを仕切ることに不満を抱いている生徒はいないらしい。入学してからここまでずっと頑張って来た成果と信頼故だろうな。

 

「具体的にはどうするんだい?」

 

 平田は打ち合わせ通りにそう聞いてくる。

 

「まず、推薦競技には全て俺が出よう……傲慢に聞こえるかもしれないが、全ての競技で必ず一位になると約束する」

 

「確かに、笹凪くんならそれができるだろうね」

 

「寧ろ、それ以外の選択肢があるのか」

 

「ゴリラだもんな」

 

「おう、俺もお前が出るんなら不満はねえぞ、必ず勝ってこい!!」

 

 平田、幸村、そして池と須藤の言葉に、クラスメイト全員がうんうんと頷く。俺が体力面で他の追随を許さないという評価はもう不動のものになっているらしい。

 

「その上でそれぞれの競技では身体能力の高い者を優先的に動かしたい。一之瀬さんクラスとの兼ね合いもあるからその辺も配慮してね。ただ、それだと運動が得意でない者は不満を感じるかもしれないだろう……だからまぁ、どうしようか?」

 

「まあ確かに、私もポイント欲しいかも」

 

「篠原さんの言うことも尤もだ。俺も悪いとは思ってる……でもしっかりと結果も残したいんだよね。そうだなぁ、デカい事言った身としてはしっかりと最優秀生徒に選ばれてポイントを分捕って来るから、体育祭の打ち上げは俺に任せてよ」

 

「え、ほんと、奢り?」

 

「あぁ、好きなだけ飲んで食って騒いでよ、全部俺がごちそうするからさ」

 

 俺がそういうとクラスメイトたちは不満を遠ざけた。こっちがせっかく得た身銭を切っていることもそうだが、何よりそれぞれの財布が潤っていることも大きな理由だろう。

 

 金持ち喧嘩せずとはよく言ったもので、毎月十万ポイントを貰えるような生活は、クラスメイトたちには心の余裕があるのだ。

 

 今月に入って新しくクラスポイントが50加点されてこのクラスは1000ポイントを超えている。大台に乗った感はあるよね。

 

 因みに、この50ポイントは俺が美術部のコンクールで最優秀賞を貰ったことで得たポイントである。

 

 毎月これだけ大量のポイントが入って来るのだ。財布が太っていると心もゆとりと余裕が生まれるものである。ぶっちゃけ競技に勝って得られるポイントなんて大した額じゃないと思うだろう。

 

「はいはい!! 私、高めの焼肉行きたい!!」

 

「なかなか遠慮がないね佐藤さん、まぁ構わないよ。二言はない、俺が全て支払おうじゃないか」

 

「それじゃあ私は新作のバックが欲しいかも」

 

「それは打ち上げとは関係ないよね!?」

 

 松下さんの要求に俺がそう返すと、クラス中でクスクスと笑いが起こる。悪い雰囲気ではなさそうなので、これなら話を次に進められる。冗談を言って場を和ましてくれた彼女にはウインクでも送っておこう。

 

「細かな調整は追々やっていくことになるだろうけど、基本的な方針はそんな感じでいくことで良いね?」

 

 不満はない、頼もしそうな顔でこちらを見て来るのが大半である。

 

 

 

「よし、なら……勝つぞ!!」

 

 

 

 このクラスは既に意思と覚悟を固めている。この体育祭がスタートラインの第一歩になるんだろうな。

 

 こうしてウチのクラスは体育祭に向けて本格始動することになった。まず最初にやるべきことは各々の細かな体力測定であった。

 

 普段の授業を変更して体育の時間が多くなったので、その時にでもある程度は把握できるだろう。

 

「壊すに1000ポイント」

 

「それじゃあ賭けにならないだろ? 俺も壊すに2000ポイント」

 

「だから賭けにならねえって!? 誰か壊せないに賭けろよ」

                       

「拙者、賭けは堅実に行きたいでござる。なので壊すに5000ポイントを」

 

 体力測定の時間はすぐにやってきた。まずはそれぞれ握力でも測ってみようと、学校側から握力測定器を借りて来てそれぞれ試していく。

 

 やはり運動のできる面子が良い数字を出していった、特に須藤は高校生離れした数値をしており、クラスメイトを驚かしている。

 

「へッ、笹凪なら余裕だろうぜ、俺は壊すに2000ポイントだ」

 

 そんな中、始まったのが、俺が握力測定器を壊せるのか壊せないかの賭け事である。池が言い出して山内が乗って、須藤も加われば他の男子たちも興味津々でポイントを賭け出す。

 

 大穴で壊せないに賭ける奴もいるな、普通はそっちの方が可能性は高いと思うのだが、俺はスポット装置を引きちぎった前科があるので妥当なオッズなのかもしれない。

 

 最後の大トリとばかりに順番待ちをしているのだが、そんな中で清隆の少し困った顔を目撃して俺は声をかけた。

 

「清隆、どうしたんだ?」

 

「いや、高校生の平均はどれくらいなのかと迷っている……」

 

「1トン、くらいじゃないかな?」

 

「そうか、最近の高校生はすご……いや、そんな訳がないだろ、人類の話をしてくれ!!」

 

 まさか清隆のノリツッコミが見れる日が来るとは、感無量である。

 

「冗談だ、100位だと思うよ」

 

「それもおかしい、須藤より強いことになるんだぞ……はぁ、天武に訊いたのが間違いだったな」

 

 そんなに呆れないでくれ、俺だって高校生の平均なんて知らないんだからさ。

 

 結局、清隆は迷いながらも須藤より下の数値辺りでお茶を濁したらしい。それでも平田は感心したような声をだしていたので、平均よりは高かったのだろう。

 

「よっしゃ!! 大本命来たぞお前ら!!」

 

 池がそう叫べば、最後に俺に握力測定器が渡される。

 

「頼むぜ笹凪!! ぶっ壊せ!!」

 

 須藤、備品は大事に扱うのが基本だよ。

 

「あのねぇ君たち、学校の備品なんだからそんなことする筈ないだろ? できるだけ壊さないようにするって」

 

「いや、ここで壊せる筈がないって断言しないのは、既におかしいだろ」

 

 三宅がそう言うと、隣で幸村がうんうんと頷いてしまう。

 

 でも実際これくらいなら壊せるんだよな、特殊合金って訳じゃないだろうから。

 

 まぁ壊すつもりは本当にない。測定できる限界くらいで押し留めておこう。ゆっくり、ゆっくりと数値を上げて行って――――。

 

 

 

 バキッ!!

 

 

 

 あ、やってしまった、加減をしてたはずなのに脆くも壊れてしまった。最後の最後で力加減を間違ってしまったらしい。

 

「テンテン、完全にゴリラじゃん」

 

 それを見ていた長谷部さんがそう言えば、男子だけでなく女子たちからも納得の頷きが広がっていった。

 

 悲しいね、もう俺の評価は覆ることはないんだろう――――というかテンテンって何? 俺のあだ名? 俺って長谷部さんからそんな風に呼ばれてるの?

 

「笹凪くん本当にヤバいね、実際に握力とかどれくらいあるの?」

 

 松下さんは俺の握力に興味津々である。

 

「さぁ、詳しく測ったことないからなぁ」

 

「測れる握力測定器が存在しないの間違いじゃないの、それって……」

 

 そして最終的には引かれ気味になられてしまう。

 

「ま、まあ、この体育祭では笹凪くんを中心に動いてもらおうか。頼りにさせてもらうよ」

 

「あぁ、任せてくれ」

 

 測定係をしていた平田も苦笑いを浮かべながら、俺の名前の横に測定不可能と書き込む。

 

「しかしだ、僅か一カ月程度で劇的な身体能力の向上は望めないだろう。運動も勉強も、結局は積み重ねだからな。やるべきことは筋力トレーニングよりも、細かな調整がメインになると思う……その上で重要なのは二つ」

 

 グラウンドに集まったクラスメイトたちを見渡してそう告げると、真剣な表情で誰もが頷く。

 

「正しい姿勢、正しい体幹、正しい呼吸、正しい力配分、それらを正しく運用する。それが近代スポーツ科学であり、この体育祭を乗り越える上で必要な要素だ」

 

 そんな風に体育の教科書には書いていた、師匠は絶対に鼻で笑うと思うけど。

 

「一先ず、各々の身体能力を把握するので、全力で挑んでくれ、良いね?」

 

 クラスの雰囲気は悪くない、意思と覚悟は確かにここにある。後は一つ一つ実績と経験と実力を積み重ねていくべきだろう。

 

「そしてもう一つ重要なのは……覚悟だ」

 

「覚悟?」

 

「そうだよ幸村、戦いに挑む上での心構えと言っても良い。特に男子チームにはその辺の心構えに関してもしっかりと調整していこう。精神論なんてと思うかもしれないが、覚悟のない者と、覚悟のある者ではやはり大きな違いがある。意思や感情の熱量とは時に数字では計り知れない結果を齎すだろう」

 

 師匠曰く、実力差は意思と覚悟と執念で超えていけとのこと。

 

 こら清隆、そんな目で俺を見るんじゃない。別に俺は山の上からクラスメイトを突き落としたりするつもりはないんだから。

 

「でもよ、具体的にはどうすんだ?」

 

 須藤の疑問も尤もである。でも大丈夫だよ、滅茶苦茶なことをさせるつもりはないからさ。

 

「一つ一つ積み上げて行こう。一カ月もあればある程度は整えられるとおもうからさ。その為に今は細かいデータが必要だ。とりあえず次は百メートル走の記録を測ろうか? 須藤、自信はどうだい?」

 

「おう、任してくれ!!」

 

 指示を出すと速力に自信のある生徒は次々と準備を進めて良き、計測係の平田の合図の下、百メートル走が始まった。

 

 やはり須藤は早い、身体能力という点で見れば学年どころか全校生徒と比べても上から数えた方が早いレベルだろう。

 

「ところで清隆、競技には前向きかい?」

 

「どうだろうな、あまり動きたくないんだが」

 

「出来れば幾つかの競技で上位に入って欲しいんだけど」

 

「目立ってしまうからな……」

 

 目立つのが嫌な暗躍したがりさんは動くつもりがないらしい。清隆の身体能力ならおそらく一位を総嘗めできると思うんだけどな。

 

「ふと思ったんだけど、清隆って高円寺みたいだよな」

 

「なん……だと?」

 

 二人して並んでグラウンドで行われている百メートル走を眺めながら、俺はそんな発言をすると、清隆は信じられないとばかりにこっちに顔を向けた。

 

 俺が言ったことがどうにも受け入れられないらしい。高円寺に似ているというのは素直な感想ではあるんだが……。

 

「な、何故、そう思ったんだ?」

 

「え? いや、飛びぬけた能力があるのに、なんか使い辛いなって思って……ほら、似てるだろ?」

 

「高円寺と同類だと……オ、オレは、そうなのか」

 

 珍しく彼は動揺している。どうやらショックな発言であったらしい。

 

「まぁ無理に動けとは言わないけどさ、できれば幾つかの競技で上位に入って欲しい。大丈夫だよ、多少目立っても俺がそれ以上に暴れて印象を掻き消すからさ」

 

「わかった……考えておこう」

 

 言質は取ったからな? テストみたいに全部平均で済ますのは止めてくれよ?

 

「とりあえずリレーには出てもらうから、ほどほどの記録で宜しく頼む」

 

 彼の背中を押して百メートル走へと送り出す。未だにショックを受けている様子の清隆は、須藤には及ばなくてもそれなりの記録を出すことだろう。俺が言うのもなんだが難儀な男である。

 

 さて他のクラスメイトはどうかと観察していると、百メートル走を終えた須藤と堀北さんの姿が視界に入った。

 

「なあ堀北、どうだった俺の走りは?」

 

「大したものね、貴方の身体能力は学年でもトップよ。活躍を期待しているわ」

 

「そういう堀北もかなり早いだろ、運動部でもないってのによ」

 

「ある程度はね、けれど誰よりも早い訳ではないもの。だから体育祭では貴方のほうが貢献するかもしれないわね」

 

 四月頃には考えられなかった穏やかな会話である。

 

「なぁ堀北……その、なんだ、今度の体育祭で、俺がクラスで一番活躍できたらよ……名前で呼ばせてくれねえか?」

 

「随分と名前呼びにこだわるわね? ただ、自分が何を言っているのかわかっているのかしら? クラスで一番活躍するってことは、つまり笹凪くんよりもと言っているのよ?」

 

「うッ、た、確かに笹凪はだいぶアレな奴だけどよ」

 

 アレってなんだよアレって。須藤の中で俺はどんな扱いなんだろうか。

 

「そもそも、どうして名前で呼びたがるのかしら?」

 

「そ、そりゃあれだよ、色々世話になってるからな。恩人っていうか……ちゃんとした恋――じゃなくて、もっと仲の良い友達になりたいと思ってるんだよ」

 

「須藤くん……名前で呼ぶのは親しい仲なのかしら?」

 

「え? そりゃそうだろ、名字で呼び合うよりは仲が良い筈だぜ」

 

「そう……いえ、確かにその通りね」

 

「だろ? 俺らもそろそろ良いんじゃないかと思ってな」

 

 そこで堀北さんは顎に指を当てて深く考え込む。

 

「わかった、ただし半端な成績では許さない、出場した全ての競技で一位を取りなさい。それができたら許可してあげるわ」

 

「よっしゃぁ!! 任してくれ!!」

 

 男子のやる気を出させるのが上手な堀北さんである。将来、魔性の女になりそうな片鱗を見せているな。

 

 そんな彼女は須藤との会話を終えてキョロキョロと視線を彷徨わせた後、最終的には俺を見つけて近寄って来た。

 

「笹凪くん、そこで何をしているのかしら?」

 

「クラスメイトの観察さ。走る時の姿勢だったり呼吸の仕方だったり、色々とね」

 

「ここから全て見えるの?」

 

「大丈夫だよ、目は良いから」

 

 百メートル走をしているクラスメイトたちからは少し離れた位置なので、堀北さんの疑問もわからなくはない。ただ本当に目は良いから何も問題はないんだよね。

 

 堀北さんは俺の隣にちょこんと腰を下ろして、同じようにクラスメイトたちを眺める。丁度清隆の番になったので一緒に眺めることになった。

 

「彼、意外と早いのね」

 

「あぁ、それに美しいフォームだ」

 

「私が思っている以上に綾小路くんの身体能力は高いのかしら……そう言えば握力測定でもかなりの数値を出していたわね」

 

 堀北さんの中では清隆はまだ謎の多い疑念に満ちた存在らしい。高い運動能力を目にしたことでますますそれが深まったようにも思える。

 

 テストで全ての点数を50点で調整していたことを思い出して、何やら難しい顔をしている。

 

 ミステリアスな男はモテると雑誌に書いてあったが、それも過ぎれば疑われるだけになるらしい。俺も気を付けよう。

 

 百メートル走を終えた清隆を眺めていると、ふと視線を頬辺りに感じ取る。

 

 清隆からそっちに視線を向けてみると、堀北さんと目が合った。

 

「笹凪くん……」

 

「なんだい?」

 

「先程、とある筋から入手した情報なのだけど……ある程度親しくなると名前で呼び合うことがあるらしいわ」

 

「なるほど、納得できる情報だ」

 

「貴方はそれほど親しくもない相手を名前で呼ばせていたようだけどね……」

 

 坂柳さんのことだろうか? 自然にそう呼ばれていたので何の違和感もないし、そもそも名前で呼ばれることに何の抵抗もないので別に構わない。

 

「私と貴方は友人、そうよね?」

 

「もちろんだとも、今更確認するまでもない」

 

「なら、親しく接することも不自然ではない、違うかしら?」

 

「堀北さん、名前呼びがしたいのかい?」

 

 そう言うと彼女は焦ったように視線を揺れ動かす。

 

「君が呼んでくれるのなら、俺はとても嬉しいよ。前より仲良くなれた気がするしさ」

 

「そ、そうよね……えぇ、その通りよ」

 

「でも、俺が君の名前を呼んでも良いのかな? 馴れ馴れしく感じたりするんじゃないかな、あまり女性との距離感を間違えたくないんだけど」

 

 生徒会長との喧嘩を仲裁したあの夜みたいに、恋を教えてくださいとズカズカ踏み込んで要求すべきではなかったと反省しているのだ。さすがにあれは気持ちが悪かったかもしれないと考えた次第である。

 

「そんなことを気にしていたのね、深く考え過ぎよ……だから、その、これからは名前で呼ぶのも良いんじゃないかしら? 貴方が望むなら考えてあげなくもないわよ」

 

「そっか、でも今は遠慮しておくよ」

 

 俺がそう返した瞬間に、凍えるような視線がこちらに突き刺さった。怖いので止めて欲しい。

 

「いや、ほら、何かしらのきっかけというかさ、そういうのが欲しいなって思ってね」

 

 須藤が頑張ったご褒美に名前呼びを許可されるかもしれないんだ、俺だけタダでとはいかないだろう。

 

「だから、そうだなぁ、今度の体育祭で最優秀生徒に選ばれたら、それをきっかけにして名前で呼ぶ許可が欲しいかな。そしたら俺も凄くやる気が出ると思うんだよね」

 

 須藤もそうだが俺だって誰かと親しくなりたいのだ、縁は大事と師匠が言っていたしな。

 

「そう、わかった、ならその時にね」

 

「もちろん、堀北さんも頑張ってくれるよね?」

 

「え?」

 

「お互いに名前呼びするきっかけを体育祭の結果で得ようって話なんだから、堀北さんも出場する競技で一位を取ってね? どちらかが失敗したらまた次の機会にしよう」

 

「……」

 

 堀北さんは黙って深く考え込む。

 

「いえ、そうね……須藤くんにあぁ言ってしまったもの、私だけ楽にとはいかないわね」

 

 そしてブツブツと聞き取り辛い声量でそんなことを呟くと、彼女は意を決して力強い視線で俺を見つめた。

 

「良いわ、私は必ず勝利する、笹凪くんも二言はないでしょうね?」

 

 挑発的な視線は悪くない、彼女に似合っているとさえ思える。

 

「応とも。俺はもっと君と親しくなりたいと思っていたんだ。やる気が溢れて来るね」

 

「必ず最優秀生徒になりなさい。私も必ず一位を取る」

 

「なら約束だね。指切りでもしようか?」

 

 右手の小指を立てて彼女の前に差し出すと、堀北さんは珍しく狼狽えながら困惑するのだが、迷った末に自分の小指を差し出した。

 

 結び合った小指はとても熱く感じられる。頬も赤くなっており、普段の凛々しい雰囲気もどこかに吹き飛んでしまっている。

 

 美しく可愛らしい人だと、俺は改めて思うのだった。

 

「必ず勝とう」

 

「えぇ」

 

 名残惜しそうに離れていく小指、そこに残った熱をまるで優しく包み込むかのように両手を合わせた堀北さんは、いつものキリッとした雰囲気に戻ってしまう。

 

「お~い、堀北さん!! 私たち二人三脚でペアになるみたいなんだよね、今のうちに合わせておかない?」

 

「そうね、しっかり調整しておきましょう」

 

 少し離れた位置で小野寺さんが手を振って招いている。どうやら堀北さんは彼女と二人三脚を組むことになるらしい。

 

「ちゃんと合わせられそうかい?」

 

「何も問題はないわね、本番までに完璧に仕上げておくから見てなさい」

 

「良いやる気だ、頑張って」

 

「貴方も、油断して本番で転んだりしないように注意するのよ?」

 

「大丈夫だよ、転んでも何も問題はないから」

 

 出遅れても一位でゴールすれば良いだけだからね。少しのリードなんて意味が無い。

 

 小野寺さんに近寄っていく堀北さん、二人は足を紐で結んで二人三脚の練習を始めた。

 

 最初なので合わない部分もあるようだが、互いにやる気と目的は一致しており、何より堀北さんは誰かに合わせて配慮することをもう知っている。本番までには完璧に合わせられるだろうな。

 

 俺はまたそれぞれ体育祭に向けて頑張ってるクラスメイトを見渡す。清隆にほどほどにしろと言われてしまったから、女子チームは抜きにして男子チームの心構えを調整していくとしよう。

 

 一カ月で劇的に身体能力を向上させるなんて不可能だが、俺たちでも勝てるんだという意思を共有して推し進められる心くらいは調整できるだろう。

 

 だから清隆、そんな疑わしそうな目でこっちを見るんじゃない。

 

 大丈夫、戦士の入口に立たせるだけだから。

 

 

 

 




ハートマン軍曹「アップ始めてきますね」


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体育祭準備 3

天武「なるほど、この映画は参考になるな」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

綾小路視点

 

 

 

 

 

 

 笹凪天武という男の話をしようと思う。

 

 オレの友人であり相棒、そしてオレが知る限り、最も人間離れした人間だ。クラスの中心人物として頭角を現すであろうことは入学式の時点でわかっていたことだが、こちらの想定を遥かに超えて活躍してくれたと思う。

 

 一般的な発想や考えを逸脱した思考力と行動力は素直に賞賛できる。オレだけでなくおそらくクラスメイトの全てが天武がこのクラスにいてくれて良かったと思っているだろう。

 

 強い意思と、他の追随を許さない身体能力、極まった思考力と発想力、そして視線と意識を引きつける存在感。

 

 その異質異常な身体能力に目を奪われがちではあるが、天武が最も優れているのは実はそのカリスマ性なのではと考えている。

 

 世の指導者の中には、演説一つで世論を変えてしまう者もいるという、おそらく天武も同じような力を持っているのだろう。

 

 引力、と言っても良いのかもしれない。その言葉は不思議と耳朶に残り、精神に干渉してくる、そんな力を持っている男だ。

 

 平時でもそんな雰囲気があるのだが、天武が言う所の師匠モードになると、その引力と存在感が一気に跳ね上がる。

 

 それを恐ろしいと感じる者もいれば、妖しい魅力に感じる者だっている筈だ。どちらにせよカリスマと言うべきなんだろう。

 

 演技や練習によって辿り着ける偽物のカリスマではない、真の意味でその言葉と動作に重みを付与する、本物の存在感がそこにはあった。

 

 そんな天武は、グラウンドに集まった男子たちに、今日もまたあの逆らい難い雰囲気を発しながらこう檄を飛ばす。

 

 

「貴様らはクソだ!! いや、それ以下のゴミムシだ!! トロトロ走るんじゃない!!」

 

 

 体育祭開幕までのあと半月ほど、オレたちBクラスは今日もまた戦士の入口に立つ為の訓練を続けていた。

 

 天武曰く、一カ月で身体能力は跳ね上がったりしない。整えるべきは心の方らしい。

 

 言いたいことは、まぁわかる。納得もできる。だからといってクラスの男子全員に重しを付けて走らせるのはどうなんだろうか?

 

「なんたる様だ、貴様らは戦士でも無ければ人間でもない!! ただその体からクソをひねり出す為に存在するクソ袋でしかない!!」

 

 天武が言う所の師匠モードでそんなことを言われてしまうと心に来るものがある。不思議と逆らえないのだ。内心では不満を抱えていても言葉にすることができない。おそろしい男である。

 

「いいか俺の楽しみは貴様らが苦しむ顔を見ることだ!! 金玉をぶら下げておきながらゴミムシ同然に生きることしかできない宇宙で最も哀れな生き物を踏みつけることだ!!」

 

 この訓練が始まる前に、天武はなにやら外国の映画を見ており、どうやらそれに感化されてこんな訓練をしているらしい。

 

 だから今日もBクラス男子たちは重しを背負って走る……オレは何をしているんだろうな?

 

 幸村は死にそうな顔をしているし、池や山内だってそれは同じだ。須藤と高円寺辺りは何故か平気な顔をしているが、アレらは特殊な人間だろう。

 

 よく高円寺を参加させられたものだ、どうやって説得したんだろうか?

 

「さぁ走れ走れ走れッ!! この世で最も劣ったクソムシにできるのはそれくらいだろうが!!」

 

 こんな訓練をオレたちはもう半月ほど続けている。最初は脱走者も出たのだが、天武に引きずられて戻って来るので誰もが諦めているらしい。

 

 この戦士の訓練を乗り越えるしか、残された道はないのだ。

 

「ぐぁ……も、もう、無理」

 

「また貴様か山内……所詮貴様の根性などその程度のものだ、一体どこに金玉を捨てて来たんだ。もう走れなくなったのか?」

 

 過酷なランニングに耐え切れなかったのか、山内がグラウンドに倒れこむ。仕方がないことではあるがそれを鬼軍曹は許しはしなかった。

 

「ならば家に逃げ帰って貴様が大好きな櫛田桔梗とやらの写真を抱いて寝るがいい!! まぁ尤も、貴様のような金玉を捨てたとんでもない腰抜けが惚れるような相手だ、さぞや救いようのないアバズレなのだろうな」

 

「き、桔梗ちゃんの悪口を言うなよぉ!!」

 

 惚れている相手の悪口を言われて山内はボロボロだった筈の体を起こして勇敢にも天武に殴りかかった。しかしそれを軽く躱すと軽やかにカウンターを決められてしまう。

 

 再び地面に倒れ込んだ山内は涙と鼻水で顔を汚しながら、悔しさと屈辱感で震えている。

 

 

 

 

「何度でも言ってやろう!! 櫛田桔梗はアバズレだ!!」

 

 

 

 

 やめておけ天武、グラウンドの端っこでこっちも見ている櫛田がとんでもない形相で睨んでいるぞ……その辺にしておいたほうが良い。

 

「違うと思うのならばやる気と根性を見せるんだ!! 重しを抱えてあと十往復!!」

 

「チクショウッ!! チクショウ~~~ッ!!」

 

「そうだ走れ!! 少しは男を見せろ!! クソをひねり出すだけのクソ袋でないと証明してみせろ!! ケツがデカいだけのアバズレを追いかけている場合ではない!!」

 

 あ、ヤバい、櫛田がこっちにニコニコとした笑顔で近づいて来た。そして背後から天武の肩を掴む。

 

「笹凪くん、ちょっとこっちでお話しよっか?」

 

「あ、はい」

 

 その後、天武は滅茶苦茶櫛田に怒られたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日、また訓練が開始される。この辺りになると不思議なことに訓練に不満を訴える者はいなくなった。ただ機械的に体を動かして体を痛め続けるだけの毎日である。

 

 幸村は相変わらず死にそうな顔をしているが、虚ろな瞳のまま皆の行動についてくるだけになってしまった。生きた屍のようになっている。

 

 どこから持ってきたのか、Bクラスの男子たちは剣道着と防具を身に纏い、手には竹刀を持って二人一組となり打ち合いを続けていた。

 

「いいか!! 今の貴様らは人間以下のゴミムシだ!! 名も無きクソだ!! 俺の訓練に生き残れたその時!! 初めて戦士の入口に立てるだろう!!」

 

 天武の逆らい難い声と存在感でそう言われると、体の奥から熱が込み上げて来る。ここまで人格否定をされて悔しいという思いと怒りは手に持っていた竹刀に込められるのだ。

 

 この剣道の訓練が始まった初日、防具と武器があることから気が大きくなって勇敢にも何名かのクラスメイトが徒党を組んで天武をリンチしようとしたのだが、一瞬で制圧されて心を折られてしまったらしく、今では大人しく竹刀を振っている。

 

「俺は貴様らを憎み、軽蔑している、俺の仕事は貴様らゴミムシの中からどうしようもないフニャチン野郎を見つけ出し切り捨てることだ!!」

 

 込み上げて来る怒りを竹刀に乗せて目の前の相手にぶつけていく、そして目の前の相手もまた同じようにこちらに竹刀をぶつけてくる。その繰り返しだ。

 

「勝利の足を引っ張るゴミムシ野郎は容赦しないから覚えておけ!! その股座にぶら下がったチンケな物をしっかり滾らせて付いて来い!!」

 

 何度も何度も竹刀で相手と叩き合う、技術も何もないそれはただ闘争本能だけを底上げするかのような訓練であった。

 

「ワザと負けて目立ちたいか!! 痛いフリをして同情を引きたいか!! 負け犬根性が染みついているからそんな思考になるんだ!! 目の前にいる相手をただ叩き潰せ、それ以外の結果はいらん!!」

 

 何故だろうな、ホワイトルームを思い出す。なので正直止めて欲しい。

 

 グラウンドのど真ん中でこんなことをしていれば、当然のことながら目立つ、どこからか生徒会に苦情が伝わったのか、生徒会長の堀北兄がやって来て眼鏡を指で整えながらこう言った。

 

 

「笹凪、苦情が幾つか生徒会に寄せられている。説教をするから付いて来い」

 

「あ、はい」

 

 その後、天武は生徒会長に滅茶苦茶怒られたらしい。

 

 

 

 

 

 

 更に数日後、懲りることなく天武の訓練は続いていた。今日はサンドバックを無心でただひたすらに殴り続けるだけの訓練である。

 

 やはり技術も何もない、闘争本能を増幅させるだけの行為ではあるが、クラスメイトたちは鬼気迫る顔で拳を振るっていた。

 

 サンドバックにはどこから入手したのか、邪悪な笑みを浮かべた龍園の顔写真が張り付けられており、オレたちはそれをひたすら殴り続ける。

 

 あの幸村でさえ、今や何の躊躇も無く龍園の顔写真を殴りつけている。他の男子たちだって同じだ。グラウンドには何度も何度も殴打の音が響く。

 

 誰もが皆、龍園の顔写真を殴りつけていた。

 

「泣くことも笑うことも許さん!! ただ目標を駆逐しろ!! 貴様らがどれほど愚かであろうとそれくらいはできる筈だ!! 池、何をやっている? そんなへっぴり腰で敵が殺せるか!! こうだ、こうッ!!」

 

 天武が拳を握って龍園の顔写真が張り付けられたサンドバックを殴りつけると、中から爆薬が炸裂したかのようにサンドバックは砂をまき散らして弾け飛んでしまう。

 

「腰に力を入れろ、このウジムシがッ!!」

 

「yes、sir!!」

 

 可哀想に、池はもうそれ以外の言葉を喋れなくなってしまったらしい。

 

「いいか屑ども、掴んだら必ず壊せ!! 突っ込んだら必ず引っこ抜け!! それで九割方は殺しきれる、復唱しろ!!」

 

「「「掴んだら必ず壊せ、突っ込んだら必ず引っこ抜け!!」」」

 

 一糸乱れぬ復唱がグラウンドに響き渡る、そんな俺たちを何事かと偵察しているのは他所のクラスだろうか? こっちを見てドン引きしているのが確認できた。

 

「お前たちの弱さは技術以前の問題だ!! そんな貴様らにできることはただ魂と血潮を燃やすことだけだ!! 身を焦がすほどの怒りを拳に込めろ!!」

 

 天武のカリスマ性のある声と存在感に引っ張られてクラスメイトたちはより力強く龍園の顔写真を殴りつける。

 

 オレもまた同じように力を込めて殴りつけた。

 

 そうやってただ拳を打ち付けていると様々なことが思い浮かんでは消えて行く。この学校に来た意味、あの父親の顔、ホワイトルーム、そしてオレ自身の存在。

 

 それら全てを粉砕するかのようにサンドバックに張り付けられた龍園の顔写真を殴り飛ばすのだ……すると、不思議なことに気が晴れていく。

 

 つまらないことで悩んでいたと、そう思えて来るのだ。

 

 そうか……これが自由ってことなのか、こんな単純なことだったんだな。

 

 

「笹凪……いい加減にしろ」

 

「あ、はい」

 

 

 ただ、こんなことをしていればやはり目立つ、天武はまた生徒会長に連れていかれるのだった。

 

 その後、天武は生徒会長に滅茶苦茶怒られたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体育祭開催まであと数日、この一か月間、あらゆる罵倒と苦痛をその身に浴びて来たBクラス男子チームは、全員が一人の男の顔になっていた。

 

「今日を持って貴様らは無価値なクソ袋を卒業する」

 

 あれだけ死にそうな顔をしていた幸村も、この世の終わりのような雰囲気でなんとかついて来た池や山内も、不思議と男らしい顔つきになったとさえ思う。博士でさえ少しやせたようにも見えた。

 

 誰もが皆、背筋を伸ばして、力強く立っている。まるで戦士のように。

 

 そんな男子チームをグラウンドにある壇上から眺めた天武は、この一カ月間、見せることのなかった穏やかな顔を見せる。

 

「今日より貴様らは、一人の戦士である!!」

 

 壇上に立つ天武はいつも以上に力強い存在感を放っている。その姿は人間が太古に忘れてしまった何かを持つ、どこか神秘的とも言える雰囲気であった。

 

 ああ、きっと彼は矢の雨が降ろうとも、銃弾に晒されようとも、立ち止まることなく進んで行けるのだろうなと、根拠の無い確信を抱かせる、そんな男である。

 

「これから先、貴様らは戦地に赴くことになるだろう。戦友の絆に結ばれた貴様らがくたばるその日まで、Bクラスは貴様らの兄弟であり、戦友だ!!」

 

 グラウンドの端っこで、眉を顰めて疲れた顔をしている茶柱の姿が確認できた。お前たちは何をしているんだと言いたげな瞳をしている。

 

「ある者は道半ばで倒れるだろう、またある者は二度と帰ってはこれまい……だが肝に銘じて置け、そもそも戦士とは死ぬために存在している!! 死こそが戦士の誉なのだ!! つまらん生き方をするくらいなら盛大にカッコつけて死ね!!」

 

 茶柱の隣には生徒会長の姿もあるな、こちらもやはり疲れた顔をしている。何故だろうか? オレたちはこんなにも一致団結しているのに。

 

「だが例え貴様らが死のうともBクラスは永遠だ!! つまり、貴様らもまた永遠であるということだ!! 故に、Bクラスは貴様らに永遠の奮戦を期待する!! どうだ!? 楽しかろう!!」

 

「「「gung ho!! gung ho!!」」」

 

 

 ここにBクラス男子チームは完全な戦士の集団となった。文句無しだ天武、お前はやはり期待以上の成果を上げてくれる。

 

 

「笹凪、ちょっと生徒指導室まで来い、お前にはクラスメイトを洗脳している容疑がかかっている」

 

「ちょっと、待ってください茶柱先生、今良い所なんです」

 

 こちらの様子を窺いながらも茶柱がそう言った。空気の読めない女である。

 

「お前たちもだ、悪質な洗脳に引っかかるな」

 

「「「……」」」

 

「な、何故……誰も、何も言わないんだ?」

 

 何故も何も、上官からの許可もなく勝手に発言するようなバカはこの場にはいない。あの女は教員なのにそんな常識すら知らないのだろうか? それでよく教師が務まるものだ。

 

「と、とにかく、今すぐ生徒指導室に来い、わかったな?」

 

「あ、はい」

 

 

 その後、天武は茶柱に滅茶苦茶怒られたらしい。

 

 

 これだけ怒られてようやく懲りたのだろう。天武もさすがにやり過ぎたと反省したのか、クラスメイトたちの洗脳と言うか意識の高さを解除する為に色々と奔走するのだった。

 

 うん、オレも少し冷静ではなかったかもしれないな……天武の雰囲気に引っ張られていたんだと思う。

 

 次々と洗脳を解除されていくクラスメイトを眺めながら、オレも自らを戒めるのだった。

 

 ただ、クラスの総合的な運動能力は上がったのは間違いないのだろう。それだけは揺るがないと思う。

 

 

 

 

 

 

 



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体育祭開幕

 

 

 

 

 

 

 

 

 この一カ月、俺がやれることは全てやってきた。何よりも男子チームに闘争心というものを根付かせたことが大きいだろう。

 

 結果が振るわなくたっていいのだ、例え最下位になっても絶対に勝つんだという意思を共有させること、それが重要であった。

 

 まぁ、なんだ、やり過ぎて各方面に怒られただけでなく、女子チームからは割と引かれてしまったのだが、最終的には強い意思と団結をクラスで共有できたと思う。

 

 清隆は色々と裏で動いていたようだが、俺は正面戦闘を任されたのでそっちに集中することになる。

 

「全員、やる気は十分か?」

 

「おう、何も問題はねぇ。勝つぞ」

 

 俺の問いかけに須藤は力強い言葉でそう返す。それに続くようにクラスメイトたちの頷きも広がった。

 

「この一か月間、諸君らはよく動き、よく食べて、よく心を整えたことだろう。月並みな言葉になるが、各々の努力は確かな地力となっている」

 

 徐々に思考や意識が師匠モードに近づいていった。大きな戦いを前にするとどうしてもそうなってしまう。興奮している証拠だろうな。

 

「例え出場した競技で最下位になろうとも責めはしない。だが、勝利を目指す過程に一切の妥協と甘えを挟みこむな、運動ができないからと言い訳するな、勝利へとただ邁進するんだ。男の人生はそれで良い」

 

 師匠モードをできるだけ遠ざけようとするのだが、ダメっぽい、俺も初めての体育祭に興奮してしまっているらしい。

 

「あの、男子だけじゃなくて女子もいるんだけど」

 

 軽井沢の言葉も尤もである。確かに男子チームだけで挑む訳ではない、言葉を変えよう。

 

「全くもってその通りだ。では、紳士淑女の諸君……己の矜持に恥じぬ戦いにしよう」

 

 俺がそう言うと強い意思と言葉がクラスメイトたちに広がった。この体育祭に乗り気ではなかった運動が苦手組、幸村や博士たちだってそれは同じだ。一カ月前より少しだけ男前になった彼らは、きっと頑張ってくれることだろう。

 

 そこで俺が完全に師匠モードになってしまった。駄目だな、体育祭の雰囲気がいつもより精神に影響を与えているのかもしれない。

 

 ならば、この師匠モードでクラスメイトを引っ張っていくとしよう。結局、真っすぐ突っ込んで暴れるのが一番俺に合っているのだから。

 

「魂を燃やせ、血潮を燃やせ、甘えを捨てろ、昨日の自分を超えていけ……人生はそれで良い、勝つぞ?」

 

「「「おうッ!!」」」

 

 士気は上々、やる気は漲っている。それで十分だ。

 

 体育祭の開幕を告げるかのように火薬の炸裂音が空から聞こえて来た。同時に全校生徒が行進を行ってグラウンドに集合していく。

 

 この学校は外部との接触が大きく制限されているので保護者が見学するということはないのだが、施設内で働いている大人たちが見物しているので程よく賑わっている。俺も行きつけのラーメン屋の店員がいたので軽く頭を下げた。

 

「用意周到ね。結果判定用のカメラまで設置されている」

 

 グラウンドに集まって開会式の宣言を聞いている堀北が、陸上競技などで使われる競技用のカメラを発見してそう言った。

 

「曖昧さを無くしたいんだろう。僅かな差でも白黒つける筈だ」

 

「そうね」

 

「緊張しているのか?」

 

「え? そ、そうかもしれないわね」

 

 ビクッと体を反応させた彼女は、少しだけ驚いているようにも見える。

 

「あの、その雰囲気は止めてくれないかしら……その、体育祭よりも貴方に緊張してしまうのだけど」

 

「すまない。だが気持ちが昂って戻って来れそうにない、許せ堀北」

 

「……は、はい」

 

 俺も何とかしたいとは思ってる。けど師匠モードが解除できないんだ。頭の中に冷静な俺と興奮している俺が共存しているという不思議な状態となってしまっている。

 

 いつの間にか名前も呼び捨てになってしまっているし、少し口調も変わっている自覚もあるのだが、こればかりはどうしようもない。

 

 人生で初の体育祭なのだ、興奮を隠すことはできなかった。

 

 堀北は俺の雰囲気や口調に違和感を持っているようだが、最終的にはモジモジと体を震わせながら大人しく視線を下げてしまう。

 

「に、兄さんに……ちょっと、似てる……うん、悪くないわね。こういうのも」

 

 そして最終的には僅かに頬を赤くしてそんなことを呟いていた。

 

 似ているだろうか? 確かに鋭い雰囲気なのは変わらないだろう……もしかして彼女にはそんな風に見えるのだろうか? だとしてもそれで頬を赤くするとか、ブラコンもここに極まっている。

 

「堀北、大丈夫か? 頬が赤いぞ」

 

「だ、大丈夫よッ、えぇ、何も問題はないわ……それよりも、参加表のことは大丈夫なのね?」

 

「問題は無い。ちゃんと皆にはダミーを発表しておいた。直前に変更があって多少は混乱したが、問題はない」

 

「そう、なら大丈夫そうね」

 

 競技に出場する参加表は二種類あった。片方がダミーでもう片方が本命だ。スパイ対策であり、直前になって変更されたことにクラスメイトは困惑したのだが、こればかりは仕方がない。

 

「彼女にも困ったものね」

 

「一度、話し合った方が良いだろう」

 

「えぇ、その時が来れば……」

 

 夏休みの戦略会議で堀北さんを交えて話し合った時に、彼女には櫛田がスパイであることを伝えている。驚いた様子であったが今ではそれを受け入れているようだ。

 

 思う所は色々とあるらしい、同時に、二人が同じ中学だったと聞かされたのもその時だ。

 

 あまり他者に関心がなかった中学時代の話であり、堀北も曖昧な感じであったが、そこから櫛田との関係も少し見えて来たと思う。

 

 まぁ、今は体育祭に集中だな。参加表の土壇場での変更で驚き、顔を青ざめさせている櫛田は放置で良いだろう。

 

「笹凪くん、頑張りなさい」

 

「あぁ。そちらも気を抜くな」

 

 俺が拳を差し出すと、少し驚いた堀北は照れながらも拳を前に出してくる。それを軽くぶつけ合って俺たちは勝利を目指して動くことになる。

 

 まずは圧倒的な勝利を持って、クラスに流れを呼び込むことにしよう。俺は後ろで細かく動き回るよりも、それが一番強いのだから。

 

 さっそく百メートル走が行われる場所に歩いていくと、そこでは共に走ることになる各クラスの走者の姿があった。

 

「お前か……」

 

「鬼頭、それにアルベルトか」

 

「oh……」

 

 最も注目すべきはAクラスの鬼頭だろうか、次点で龍園クラスのアルベルトだ。どちらも学年で上から数えた方が早い身体能力を持った生徒である。

 

 因みに、橋本経由でAクラスの参加表は手にしている。坂柳さんの主導権争いに乗っかる形であった。本命の参加表はその辺を考慮して各生徒を配置している。

 

「易々と勝たせるつもりはない」

 

「そうか」

 

 鬼頭の視線が俺を射貫こうとするが、あまりにも弱弱しい、師匠モードに押され気味になっているらしい。これでもあまり脅しつけないように可能な限り抑えているのだが、まだまだ迫力が強いようだ。

 

「悪いが二位の景色を楽しんでくれ……最初の競技で、最初の一歩だ。くれてやるつもりはない」

 

「既に勝ったつもりか?」

 

「ただの勝利に意味はない、完全完璧な、文句のつけようのない勝利が欲しいんでな……そして証明しなければならない、俺には誰も勝てないのだという、証明を」

 

 それが俺の仕事とも言えるだろう、並び立つことが叶わない力を持って、対戦相手から悉くやる気を奪い去る。そんな存在になることが体育祭で求められている俺の立場だ。

 

 こいつには何をどうしようが勝てないのだと、そもそも生物として住まうステージが異なるのだと、それを証明する戦いである。

 

 俺たちはクラウチングスタートの体勢となり、始まりの時を待つ。

 

 その時が近づくにつれて、師匠モードが深くなっていくのがわかった。左右にいる鬼頭とアルベルトは冷や汗を流して緊張を高めているようだ。

 

 審判が空に掲げたピストルが弾ける音を響かせた瞬間に、俺は俺が持つ全ての力を爆発させて走り出す。

 

 徐々に加速する意味はない、0から100へと一気に到達して後はそれを維持するだけである。

 

 一切の加減なく走り出した結果、足を乗せていた踏み込み台は砕けてしまったが、それだけの力で進みだした体は弾丸のように突き進み全てを置き去りにして白いテープを切ることになる。

 

 カメラ判定をするまでもない、近代スポーツを鼻で笑うような記録であり、オリンピックの世界記録を大幅に更新することになった。

 

 圧倒的な、そんな言葉でもまるで足らないような走りは、証明になったことだろう。誰も勝つことなどできはしないのだという証明に。

 

 グラウンドに広がるのは歓声でもざわめきでもない、沈黙だ。一年も二年も三年も、そして見学者や教員たちも、全員が唖然として黙ってしまっている。

 

「勝ったぞ、皆も続け」

 

 そんな沈黙の中、俺は勝利をかかげてBクラスの方に手を振ると、ようやくそこから歓声が広がった。

 

 士気は十分、滑り出しも完璧、つまらない小細工は封殺した。後は己の全てを賭して勝利を目指すだけである。

 

「とんでもない走りだったな。世界記録を大幅に更新したそうだぞ」

 

 Bクラスのテントに戻ると、清隆がそう言って来た。

 

「あぁ、これで証明にはなっただろう」

 

「そうだな、文句のつけようがない、お前が最強だ……同じ競技に出る奴には同情するしかない」

 

「清隆も上位を取ってくれ。安心しろ、俺がそれ以上に暴れまわって印象を消そう」

 

「確かに……これなら目立たないだろうな」

 

 師匠モードであれだけの記録を出した今、グラウンドにいるほぼ全ての人間の視線は俺に向けられている。こちらの一挙手一投足にどうしても注目することになってしまうのだ。常識的な範囲での競い合いで一位を取ったからといって、だからなんだで終わってしまう。

 

「行ってこい、そして何より楽しんで来い。それで良い」

 

「あぁ」

 

 清隆もまた百メートル走に出場する為に移動していく、きっと一位を取ってくれることだろう。

 

 クラス全体の滑り出しも上々だな。須藤が一位を取り、小野寺や堀北も一位を記録している。他クラスで足の速い奴が固まる所には俺や須藤が配置されて、他の場合も上位を狙えるように配置したから当然の結果とも言えるが。

 

 橋本経由で得た参加表も大いに役に立ってくれている。一之瀬さんとは主力が被らないようにある程度の調整を行っている、龍園クラスは参加表のダミー作戦でしょっぱなから躓いてしまっている。

 

 正直、負ける要素が何もなかった。

 

 後はただ、一方的に蹂躙していくだけである。

 

「堀北、よくやった」

 

 百メートル走で見事一位を記録した堀北に声をかけると、緊張と驚きと少しの興奮に彩られた顔でこちらを見て来た。

 

「さすがだ、次も頼む」

 

「当然よ、必ず一位になる……だからその」

 

「なんだ?」

 

「も、もっと、その感じで褒めてくれないかしら……」

 

 俺は堀北兄の代わりじゃないんだから、重ねられても困る……いや、それでやる気が出るのなら何も問題はないか。

 

「わかった、その時にな」

 

「えぇ、忘れないで頂戴ね」

 

 次の競技に向けて彼女もやる気が漲っている。やはり褒めて伸ばした方が良いんじゃないか説が濃厚だな。

 

「さて、こちらも行こうか」

 

 百メートル走が終れば次はハードル走だ。ただ全力で走ればそれで良しな競技ではなく、ハードルに触れたり倒したりすると減点となるのだが、そこまで難しいものでもなかった。

 

 やるべきことはさっきと何も変わらない。己の全てを注ぎ込んで勝利を目指すだけである。

 

「お、お前が相手かよ……」

 

「う~わ、嫌だねぇ、怪物と一緒なんて」

 

「石崎と橋本か」

 

 ここに橋本が配置されることは知っていたが石崎がいるのは知らなかった。龍園クラスの参加表は手に入らなかったので完全に偶然である。だが石崎の身体能力は高めなので好都合であった。ここで心を折っておこう。

 

 橋本もチャラチャラしているように見えて高い身体能力を持っている相手である、まぁ彼は参加表をこちらに流した張本人なので俺がここにいることも想定済みのようではあったが。

 

 そして一之瀬クラスからは快速マンこと柴田が参加するようだ。主力となるのはこの面子だろうか。

 

 順当に進めば、俺が一位となり柴田が二位となるだろう。橋本と石崎のどちらかが三番手になり、他はどうなるかわからない。

 

「うげ、笹凪もここかよ」

 

「柴田、ここも勝たせてもらう」

 

「くっそぉ、見てろよ。最初から負けるつもりで走ったりなんてしないからな」

 

 石崎や橋本と違って闘争心は消えてはいないらしい、その在り方は一カ月前のウチのクラスにはなかったものである。誰もがそうあれたならばあんな厳しい訓練なんてする必要がなかったんだがな。

 

 やる気と闘争心は素晴らしい、けれど俺が徹底的な証明を求められている、一切の手加減なく突き進むだけだ。

 

 俺がスタートラインに立つと、グラウンドにいた全ての者の視線が集中するのがわかった。中には緊張と畏れから固唾を呑んでいる者もいる。先ほどの百メートル走が印象に強く残っているのだろう。

 

 異様な沈黙と困惑の中、それでもピストルはスタートの合図を放つ。

 

 ケチのつけようがない完全完璧なスタートダッシュを決めると、百メートル走と同じように踏み込み台を蹴り砕いて一気に0から100へと加速して、立ち塞がるハードルの全てを越えていく。なんてことはない、師匠が俺に押し付けた修行の難易度に比べれば児戯にも等しい。

 

 バカみたいに重たい仁王像を背負って険しい山の中を走り回る日々だったんだ、これくらいの障害は何の妨げにもならなかった。

 

 あらゆるものを置き去りにして、俺はまた世界記録を大幅に更新することになる。

 

 けれど数字にはあまり価値を感じない、この程度のことは師匠なら簡単に達成できるからだ。

 

 どれだけ記録を塗り替えようとも、その先には必ず師匠がいる。それすなわち、全ての面において俺は未熟であるということに他ならない。

 

 だからまた研鑽を続ける、果てしない鍛錬を積み重ねる、数え切れないほどの実戦を体に刻み込む。

 

 その先に師匠はいるのだと、そうしなければあの人は超えられないのだという確信が、この体を動かすのだ。

 

 もしかしたら俺は空を飛ぼうとしているのかもしれない。師匠を超えると言うことは、つまりそういうことである。無理無謀は承知の上で、それでも目指す。

 

 だから俺はまた世界記録を更新する。その度に師匠の背中に近づくような気がするのだった。

 

 

 

 

 

 



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並び立てる者はなし

南雲パイセン「アレはレギュレーション違反っすよね?」


 

 

 

 

 

 

 

 さて幾つかの競技を越えて上々の滑り出しを終えたBクラスであるが、いよいよ団体戦も近づいてくることになる。

 

 高円寺も参加してくれれば良かったんだが、今のクラスの様子ならいてもいなくても大きな変化はない。俺がその欠員以上に暴れれば良いだけの話だろう。

 

 それに、彼には夏休みの間に色々と相談に乗って貰ったからな、そこで面白い関係を築くこともできた。今はそれで良いと思う。

 

「高円寺の野郎、サボりやがって」

 

「気にするな須藤、何も問題はない」

 

「良いのかよ? 悔しいがアイツはかなり動ける奴だぜ? しっかり走らせりゃ一位だって取れるだろ」

 

「いいさ。それ以上に俺とお前が結果を残せば良い」

 

 俺がそう言うと、須藤は迷いながらも頷きを返す。

 

「おう、そうだな。俺たちが引っ張ってかねえとな」

 

「あぁ、だからさっきの走りは見事だったぞ。美しく鋭い走りだった。俺とお前がいる限り敗北はない、そうだろう?」

 

 そして見事に一位を取ってくれた。須藤はこの体育祭で大いに活躍してくれるだろう。

 

「心は熱く燃やせ、そして頭は常に冷やせ、別に体育祭に限った話ではない、バスケだって同じだ」

 

「わかってるっての、任せてくれ、俺はもうガキじゃねえ」

 

 だったら盗撮なんて考えないでくれ。

 

「よし。次は棒倒しだ、ここも勝つぞ」

 

 男子の団体競技は棒倒しである。激しい接触も予想される過激な競技であり、龍園などは小賢しい策略を挟んでくるかもしれないが、悪いが馬鹿正直に付き合うつもりはない。

 

 ここでもやるべきことは一つ、ただ圧倒的な力で蹂躙するだけであった。

 

「神崎、打ち合わせ通りに頼む」

 

「本当にやるのか?」

 

「何一つ問題はない、ここに俺がいる……ただそれだけで十分だ」

 

 競技前ということもあって師匠モードが深まっていく、そのせいかグラウンドで合流した神崎を筆頭としたCクラスの男子チームは冷や汗を流して引き気味となっていた。

 

「わかった……ただし、失敗すれば配置は変更するぞ」

 

「あぁ」

 

 棒倒しがこうして始まることになる。グラウンドの中央付近には二本の太い棒が立っており、それを各クラスの男子チームが支えることになる形だ。

 

 競技内容は極めてシンプル、その棒を倒した方が勝ちである。以上。

 

「龍園たちからの妨害や激しい接触も予想される」

 

「気にするな、小賢しさを発揮される前に、速度で潰す」

 

「笹凪、なんだ……その雰囲気だが、止めてはくれないか?」

 

「それは無理な相談だ神崎。俺は今、とても機嫌がいい……心地いいとは思わないか? あれだけの敵が目の前に立ち塞がっている……あぁ、これでいい、俺は今、確かに生きている」

 

「……」

 

 師匠モードが最大まで深まると、神崎はもう何も言うことはなかった。どうやら納得してくれたらしい。相変わらずクールな男である。

 

「さて、始めようか……完膚無き完全勝利をここに掴み取る!! 用意は良いか貴様らぁ!!」

 

「「おうッ!!」」

 

「人は石垣だ!! 人は壁だ!! 人こそが最も固い門だ!! 貴様らが作る壁こそが最強だと証明してみせろ!!」

 

「「おうッ!!」」

 

「魂と血潮を燃やして見せろ!!」

 

「「おおおおおおおおおッ!!」」

 

 拙いな、あまり師匠モードで引っ張り過ぎるとまた洗脳状態まで意識を高めてしまう。茶柱先生にもう二度としないと念書まで書かされたので自重しなければ。

 

 Bクラス男子チームの異様な熱量に、神崎たちは勿論のことそれを見ていた教師や上級生たちすら引き気味であった。このクラスの士気は凄いだろ?

 

「何あの子たち、こわッ」

 

 上級生たちがいるテントからそんな声が聞こえて来る。そっちに視線を向けてみると、ドン引きしている南雲先輩の隣にいる女子生徒が同じようにドン引きしながらそんなことを言っていた。悲しい反応だ。

 

 まぁ他人の視線はどうでもいい、集中すべきなのは目の前の敵なのだから。

 

 グラウンドに立つ棒は二つ、それを四つのクラスが赤と白にわかれて倒す、とてもシンプルな競技である。

 

 龍園率いるクラスはこういう激しい接触が予想される競技は得意かもしれないが、あっちの小賢しさに付き合うつもりはない。勝負は一瞬で終わらせるつもりだ。

 

 こういった競技の場合、基本的には攻撃側と防御側に分かれて動くことになる。現に今もAクラスが棒の周囲に立って守っており、龍園クラスが攻撃側としてこっちに突っ込んで来ることになるだろう。

 

 競技の開始を告げるピストルの音がグラウンドに響き渡った瞬間、その予想が正しいものであったと証明するかのように、わかりやすく攻守に分かれてあちらは動き出す。

 

「あぁん?」

 

 それに対してこちらの動きは異なる。龍園が怪訝な顔をして声を出すのも無理はない、こっちの組はBとCクラスの殆どが棒の周囲に立って守りに徹しているからだ。

 

 その数、三十八人、欠席者である高円寺と、攻撃側である俺以外は、全てが守りである。

 

 あちらの攻撃側は体躯に優れるアルベルトを筆頭に石崎や龍園などの暴力自慢が突っ込んで来る形だが、倍近い人数差でこちらは圧倒するのだ。どれだけ喧嘩に優れて、どれだけ体力があろうが、ここまでの差を埋めることは難しい。

 

 須藤と三宅がアルベルトに掴みかかり足を止めれば、そこに蟻が群がるかのように次々と纏わりついていく、石崎や龍園も同じだ、数が違いすぎる。

 

 何も問題はなさそうだな、こっちもさっさと片付けよう。

 

「お、おい、笹凪が一人で突っ込んで来るぞ!?」

 

「馬鹿な、一人だと? 何を考えているんだ!?」

 

 唯一の攻撃役である俺は真っすぐ突っ込んでいく、橋本がそれに気が付いて葛城が慌てて守りを固めるのだが、そんなことは関係がない。

 

 全力で真っすぐ突っ込む、ただそのまま衝突すればおそらく何人か死なせてしまうので、俺は誰よりも早く立ち塞がった鬼頭の肩を足場にして空中に飛びあがった。

 

 グラウンドにいる全ての者を見下ろせる高さと、車のような速さを維持したまま棒へと手を伸ばす。

 

 風に舞う羽のような軽やかさと、鋭い矢のような速さを併せ持つ、矛盾した体捌きで全力疾走の勢いそのままに右手は棒に突っ込まれ、表面を粉砕して奥深くまで掌を突っ込むことができた。

 

 この時点で棒はグラつき、への字に曲がってしまっている。

 

「突っ込んだら、必ず引っこ抜け」

 

 師匠に何度も言われた言葉は体の細胞一つ一つに染み込んでいるので、俺は突っ込んだ掌を強引に握って棒の中身を掴み取った。

 

 そして引っこ抜く、何度も何度も繰り返したその動作は、今日もまた中身をぶちまけていくのだった。

 

 そこまでいくと遂にへの字に曲がっていた棒は折れてしまった、それと同時に完全に倒れてしまう。

 

「まずは一つ」

 

 倒れる棒と共に着地する、周囲を囲むのはAクラスの生徒たちだ。

 

「さて、もう一戦、行こうか」

 

 次勝てば完全勝利だ、やるならばそこを目指すしかない。

 

 地面から立ち上がって自陣に歩いて戻ろうとすると、師匠モードの影響もあってかサッと人の壁が分かれて道となっていく。左右に分かれたAクラスの生徒は全員がチベットスナギツネのような顔になっていた。

 

 因みに龍園たちの猛攻を凌いでいた神崎たちも同様だ。いや、上級生たちや教師たちもそれは一緒である。

 

 もうそんな目で見られるのにも慣れて来たな。師匠、貴女の教えはどうやら常識的ではないようです。

 

「神崎、次も同じように行く、問題はないな?」

 

「……あ、あぁ」

 

 声をかけると神崎もようやく狐から人間に戻って来た。

 

「須藤、こっちはどうだった?」

 

「問題はねえ、何せ数が違うからな」

 

「よし、なら次も圧倒するとしよう」

 

 全力で走ってそのまま突っ込み、勢いを掌に乗せて目標を粉砕する。これ以上の作戦は存在しないな。つまり師匠の教えは最強ということだ。

 

 さて二戦目だと気合を入れていると、グラウンドに茶柱先生がやって来て疲れた顔をしながらこう言ってくる。

 

「笹凪、学校の備品を壊すのは止めろ」

 

「作戦遂行上、仕方がないことだ」

 

「壊すな、二度も言わすな。お前は百メートル走でも踏み込み台を破壊していたな、度が過ぎれば弁償させるぞ」

 

 じゃあ全力で突っ込んで粉砕する作戦ができないじゃないか、アレが一番強くて手っ取り早いのに。

 

 去っていく茶柱先生に少しの恨み言をぶつけながら、俺は気を取り直して二戦目に挑むことになる。

 

「どうするんだ? 勢いよく突っ込んでとはいかなくなったぞ?」

 

「清隆、何も問題はない、要は壊さず倒せば良いだけの話だ」

 

「そうか……まぁゴリラだからな、何も問題はないか」

 

 本当に清隆は俺を人間扱いしなくなったな。いや、もう俺も諦めてるから良いんだけどさ。

 

「龍園クラスが今度は守りになるようだな」

 

「神崎、どっしり構えて棒を守ってくれ」

 

 力づくで粉砕することが駄目ならば、力づくで人波掻き分けて堂々と棒を倒すだけである。簡単な話だ。

 

 二戦目の始まりを告げるピストルの音がまた高らかにグラウンドに響き渡った。先程とは攻守を入れ替えてAクラスが突撃してくるが、彼らがどれだけ頑張ろうとも倍近い人数差を覆すことは叶わない。

 

 けれど俺は二十倍近い戦力差を覆すことができる。その時点でこの棒倒しの勝敗は何をどうしようが決まっていたのだろう。

 

 きっと龍園は激しい接触でこちらを負傷させるつもりだったんだろうな……すまない、付き合ってやることはできそうにない。

 

「ゴリラだッ!! ゴリラが来るぞぉぉぉぉッ!!」

 

 人数差で圧倒できる防御側は何も心配はないので、真っすぐ敵陣地へと突っ込む。ただし、一戦目と違うのは人を轢き殺せるほどの速度ではなく、ある程度加減しながらだ。

 

 俺の動きを見て石崎が怪物でも見たかのように声を荒げて注意喚起するのだが、しかしそんなことを言われてもどうすれば良いのだというのが龍園クラスの本音だろう。

 

 俺はまた真っすぐ突っ込む、死なせないように配慮しながら人の壁を押していった。

 

「ゴリラを押さえろ!! やれ、お前ら!!」

 

 棒を支える龍園がそう指示を出すと、彼らのクラスが次々と群がって来る。石崎は中腰のタックルで俺の腰を掴み、アルベルトは背後から羽交い絞めをするかのように拘束してきて、その他の生徒たちも俺の手や足に縋りついてくるのだ。

 

 加えて、人の壁で視界が遮られたことから、ラフプレーも頻繁に行われるのだが、何も問題は無い、寧ろ相手が手や足を痛める始末であった。

 

 お前ら、そんな中途半端な攻撃で、人を殺せると本気で思っているのか? せめて隠れて銃器でも忍ばせておけ。それならこちらも全力で抵抗できる。

 

 体中に纏わりつく敵を気にすることもなく、ただ体を前に進める、それだけで何もかもが解決する。

 

「止めッ、止まらねぇッ!?」

 

「oh、shit!!」

 

「団体競技だろうがッ!! なんでこいつだけ一人で無双ゲーやってんだよ!?」

 

 アルベルトも石崎もその他の生徒も、何もかもを引きずり回しながら人波を掻き分けて俺は龍園が守る棒の近くまで足を進めた。

 

「ゴリラがッ!! 人間辞めんのもいい加減にしやがれッ!!」

 

 手を伸ばせば触れ合えるほどの距離まで近づくと龍園がそう怒鳴りながらタックルして来る。接触した瞬間に拳を打ち付けられてしまったが、寧ろ痛かったのは彼の方らしい。

 

 そんな彼を無視して俺は棒を両手で掴む。そこに纏わりついていた生徒は振り落とした。

 

 後は棒を倒すだけである。茶柱先生が余計な忠告をしてくるからかなり手間がかかってしまったな、勘弁して欲しいものである。あの人は一体どのクラスの味方なのやら。

 

 二戦目はこうして決着がついた。こちらの完全勝利だ。

 

「龍園、指は大丈夫か?」

 

「どうなってんだテメエの体は……」

 

 彼はこちらに気持ちの悪い生き物でも見たかのような目を向けて来る。お前、だいぶ失礼な目をしているぞ、直した方が良い。

 

「悪いな、こっちはこの体育祭で証明しなくてはならない。これからも加減はできそうにない」

 

「証明だと?」

 

「あぁ、並び立てる者はいないとな」

 

 俺がいるだけで戦いに勝利することを諦める、そんな立場と存在になるのが役目である。だからこそわざわざ一人で突っ込んで勝利をもぎ取ったのだ。戦略上それが最も効率的ということもあるが、演出という面も確かにある。

 

 見てくれよ、誰もが皆チベットスナギツネみたいになってる。とりあえず作戦は順調に進んでいるということなのだろう。

 

 最終的には、俺と同じ競技に出場する生徒が涙目で棄権するくらいになれたらいいな……さすがに難しいだろうけど。

 

「笹凪くんヤバすぎ!!」

 

「一人だけ別ゲーやってる」

 

「完全にゴリラ」

 

「……ゴリゴリの方が合ってるかな?」

 

 棒倒しでも圧倒的な勝利を手にしてBクラスのテントに戻ると、女子チームからそんな言葉を貰った。好意的に受け止めてはしゃいでくれているのはありがたいと思う。それと長谷部さん、あだ名はテンテンの方が良いな。

 

「男子は文句なしの滑り出しだ、次は女子チームの出番、カッコいい所を見せてくれ」

 

「任せて頂戴、この流れは絶対に止めないわ」

 

 堀北さんを筆頭に女子チームの士気は高い。そうなるように師匠モードで引っ張って圧倒的な勝利を演出したからな、やっぱり突っ込んで暴れる役目が一番俺に合っていると思う。

 

 男子チームと変わるように女子チームがグラウンドに集まっていく、女子の団体競技は玉入れである。

 

「悪くない滑り出しだね、クラスの雰囲気も良いよ」

 

 やる気十分で競技に挑もうとする女子チームを眺めていると、隣に座った平田がそう言った。彼もハードル走と百メートル走で好成績を残してくれたので、とても助けられている。

 

「笹凪くん、参加表のことなんだけど、もしかしてワザと無くしたのかい?」

 

「俺が落とした奴は偶々龍園クラスの手に渡ったみたいだ、偶然にもな……そしてこれまた偶然にも、Aクラスの参加表が廊下に落ちていた」

 

 そんな返答をすると、彼は苦笑いを浮かべながらも「さすがだね」と言ってくれた。

 

「偶然なら仕方がないね、この状況を上手く使おう」

 

「あぁ、平田もよろしく頼む、カッコいい所を見せてくれ」

 

「もちろんだよ、僕も全力で挑むつもりだ」

 

 相変わらず爽やかな男である、百メートル走やハードル走で好成績を残した時は女子から黄色い歓声が上がっていただけのことはあるな……俺は沈黙されるだけだったのに。

 

「笹凪、すまない。あまり良い成績は残せなかった」

 

「拙者も、勝てなかったでござる」

 

 平田の爽やかスマイルとは正反対に、幸村と博士の表情は暗い。こちらも百メートル走でもハードル走でも結果が振るわなかったらしい。別にそれはこの二人だけの話ではないし、別に責めるつもりもない。

 

「あまり気にする必要はない。さっきも言ったが最下位になったからといって責めるつもりはないんだ」

 

 博士や幸村は何だかんだで責任感があるからな、自分たちなりにどうクラスに貢献できるかしっかりと考えている。

 

「例え勝てないとわかっていても、一位は取れないと薄々理解していながらも、それでも諦めることなく挑んだんだろう?」

 

「もちろんだ」

 

「一度くらいは表彰台に上がってみたかったでござるよ」

 

「ならば言うべきことは何もない。次も頼む。そして同じように勝利を目指せ。至らない部分は俺が補おう」

 

「すまない……頼りにさせて貰おう」

 

「まあ笹凪殿は無双ゲーをやっておられるからな、ここは盛大に暴れて貰うのが一番かと、拙者らはさりげなくそれを支える影の立役者的なポジションが似合っているでござろう」

 

「おいおい博士、しっかりと一位は目指してくれよ?」

 

「うぅむ、そこは組み合わせ次第……ここは運ゲーに頼るしかないようでござるな」

 

 それでも一位を取れたのなら良い、運も実力の内と言えるだろう。

 

 女子チームの玉入れを眺めながら、男子チームはしっかりと次を見据えることが出来ている。良い傾向だ。

 

「おッ、しっかり勝ったみたいだぜ」

 

 須藤が嬉しそうに女子チームの活躍を眺めながらそう言った。グラウンドでは僅差であるがこちらの勝利となっていた。

 

 ふと龍園クラスに視線を向けてみると、そこではこちらを睨む龍園の姿が確認できる。参加表のダミー作戦もそうだが、清隆が色々と裏で動いているからな、何をどうしようが結果は変わらないだろう。

 

 どう勝つかではなく、どう終わらせるかが重要だ、戦術的思考ではなく戦略的な思考こそが大事である。

 

 悪いな龍園、つまらない小細工も悪くはないが、結局は真面目に競技に取り組んで勝利を重ねるのが一番強いんだ。

 

 後、警戒すべきなのは、龍園が変なアドリブを挟んで来ることだろうか……予定にない事故を演出されると面倒なことになる。こちらには切り札が既にあるので幾らでも黙らせることは出来るだろうが、怪我人が出るのは避けたいところだ。

 

 まぁ、今考えてもあまり意味はないか、龍園がアドリブを差し込んで来るとしても、アドリブであるが故にいつどこでと想定することができない。せめて怪我人が少ないことを祈るだけである。

 

 今はとりあえず、綱引きで勝利することを目標としなければな。小細工を挟まれるより先に全員を引きずり倒してしまおう。

 

 圧倒的な力でぶん殴る。やはり師匠の教えは完璧だった。

 

 

 

 

 

 



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最強の証明

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「次は綱引きとなる訳だが……貴様らに問いたい、我々が負ける理由はどこにある?」

 

 師匠モードを深め、我ながら偉そうにそんな言葉を口にすると、クラスメイトたちからは不敵な笑みが広がった。

 

「良い顔だ……そう、その通りだ。ここに俺がいる、そして貴様らがいる、それはつまり勝利は既にこちらに転がって来ていると言うことだ、違うか?」

 

 うん、神崎たち率いるCクラスは俺とクラスメイトたちの雰囲気にドン引きしているが、こちらのクラスは寧ろ興奮している様子である。

 

 少し離れた位置にある教員たちのテント付近では、茶柱先生の「また始まった……」とでも言いたげな顔を確認できるが今は無視。大丈夫、鼓舞しているだけで別に洗脳している訳ではないから。

 

「さぁ気合を入れろ戦士たち!! 勝利の女神は下着をチラつかせて我々の前にいるぞ!! どうだ興奮するだろうッ!!」

 

「「「うぉぉおおおおおおおおッ!!?」」」

 

 師匠モードはとても便利で、この状態だと不思議と皆の気合や士気が高くなる。別にこれは洗脳している訳では断じてない。

 

 だから茶柱先生は俺をそんな目で見ないで欲しい、勝つ可能性を少しでも上げる為に頑張ってるだけなんだから。

 

「お前たちのクラスは……何というか、恐ろしいな」

 

 神崎とその仲間たちは雄たけびを上げる俺たちを見てまたもやドン引きしている。少し疲れているようにも見えた。

 

「さて神崎、練習通り背の高い順に並ぶとしよう……ただ最後尾は俺が引き受ける、それと――」

 

「転倒には十分気を付ける、だな? 来るとわかっていれば大きな怪我もしないだろう、心得ている」

 

「では始めようか、勝利を積み上げるとしよう」

 

 太く強靭な縄を持って俺たちは対戦者と向かい合う。葛城、龍園連合が相手となる訳だが、彼らの視線の全てが俺に集中しているのがわかった。

 

「葛城くんさぁー、アレどうするつもりなんだよ? なんか既に負け戦っぽいんだけど」

 

 あちらの陣営で愚痴っているのは橋本だ。こっちを見て乾いた笑いを響かせている。まるで俺が怪物か何かみたいな扱いである。失礼な奴だ。

 

「一致団結して引っ張る、それ以外の手段は無かろう」

 

「言いたいことはわかるけどさ、それでどうにかなる相手じゃないと思うんだよ」

 

「ならばどうする? どうせ負けるからと、坂柳派は棄権でもすると? お前たちは団結を何だと思っているんだ」

 

「そうは言わないって……はいはい、頑張りますよっと」

 

 葛城はどうやら坂柳派とまだ揉めているらしい。無人島試験で評価を落として、船上試験で評価を取り戻しついでに不満も大きくした結果、Aクラスの力関係はなかなか難しいことになっているらしい。

 

 丁度、坂柳派と葛城派で半々……いや、ほんの僅かにだが葛城が優位といった所だろうか? 坂柳はこういった催しに参加できないのでそこが不満材料として広がっているのかもしれない。

 

 それでもしっかり勢力をほぼ互角まで維持する坂柳の手腕を褒めるべきなのか、葛城の統率力を嘆くべきなのか、どちらだろうな。

 

「龍園、お前もだ、しっかりと協力しろ」

 

「おいおい、俺に命令してんじゃねえ、黙ってろ」

 

 おまけに協力者が龍園クラスである、Aクラスは厳しい状況だな。橋本はこっちに参加表を流しているし、圧倒的なクラスポイントほど余裕のある状態ではないのだろう。

 

「ガタガタじゃねえかあっちの組、こりゃ余裕だな」

 

 須藤ですらそう思う始末である。こればっかりは仕方がないことだ。

 

「全員、気合を入れろ、そして衝撃に備えろ、良いな?」

 

 最後尾に立つ俺が縄を握りしめてそう言うと、クラスメイトたちから慢心が消えて表情が鋭くなっていく……やはり師匠モードは便利だ。

 

「勝負は一瞬だ、ダラダラと続けるつもりはない、奴らを引きずり回せ」

 

 それぞれの組が縄を握った状態で向かい合うと、審判がまたピストルの音を響かせる。

 

 普通、よほど大きな実力差が無ければそこからジリジリと綱が行ったり来たりするのだが、今回ばかりはそうはならなかった。

 

 圧倒的な牽引力を持って、抵抗も踏ん張りも意地も信念も引っぺがして、強引にこちら側に引き寄せたからだ。

 

 開始と同時に、葛城、龍園連合の生徒たちは、持っていかれる縄に引っ張られて前のめりにドミノ倒しとなってしまう。それで縄を離した者はまだ良いのだが、しぶとく掴んでいた生徒はそのまま数メートルほど引きずられることになってしまう。

 

 逆に俺たち側は前ではなく後ろに尻餅をつく形となった。そうなると事前に予想していたので覚悟と備えが出来ており、怪我をした者はいない筈だ。

 

「まずは一つ……次だ」

 

 クラスメイトたちに油断も慢心もない、師匠モードを全開にして最後尾に立っているので、変な緊張と安心感があるのだろう。

 

「もう一度聞くけどさ、どうすんのアレ? 重機でも引っ張って来るしかないだろ」

 

 橋本、馬鹿を言うな、そんなことが許される訳ないだろ……そもそも、俺はそれでも勝利する自信があるので見積もりも甘すぎる。

 

 またもや愚痴られた葛城は、前のめりのドミノ倒しになったことで何名かのクラスメイトが擦りむいて負傷してしまった自軍を難しい顔で眺めている。

 

 次、同じことをしてもまた同様の結果になってしまう。それこそ橋本の言うように重機でも引っ張ってこないことには戦いにもならないのだ。

 

 数と質を束ねて挑む。それは極めて重要で、王道な戦い方である。それ以上がないとさえ断言できるほどの。

 

 しかしそれにだって限界はある。現に負傷者が続出する始末であった。

 

 葛城は眉間に皺を寄せて考え込み、最終的にこんな判断を下してしまう、下すしかなかった。

 

「わかった……この競技に関してはあちらに勝利を譲ろう。これ以上負傷者が増えれば別の競技にも影響が出るだろうからな、開始と同時に縄から手を離せ」

 

 どうやら事実上の棄権をするらしい、下手に抵抗してまた負傷者が出ることを避けたいのだろう。勝てない以上は悪い判断ではない。

 

「勝利を諦めたか……賢明だな」

 

 そんな彼らを見て清隆がそう呟いた。うん、俺も同じ気持ちだ。

 

 それこそが俺が目指す結果、求める立場だ。徹底的で圧倒的で、完膚なきまでの完全勝利を持って相手から戦意を奪い去る。

 

 戦う前から、勝てないと思わせる……ある意味これもまた、最強の戦略なのかもしれない。

 

 そもそも戦いが成立しないというのは、とても厄介だ。師匠がまさにそんな感じの人だな。

 

 綱引きの二戦目は葛城の宣言通り、開始と同時に縄から手を離したので苦もなくこちらの勝利となった。

 

 だというのに彼らからは悔しさよりも安堵の方が大きく見える。着々と俺と戦いたくない思いが大きくなっているようだ。つまりは作戦通りである。

 

 アイツとは戦いを避けるべきだ、そう思われるようになったらようやく一人前の武人だとは師匠の言葉であった。

 

「ヤバくね俺ら? 圧倒的じゃん!!」

 

「だよな、余裕過ぎてビックリだ」

 

 池と山内はこれまでの結果にはしゃいでいる。まぁ勝利は嬉しいものなので今は良いか。慢心さえしなければそれで問題はない。

 

「おい寛治、春樹、あんま調子乗んな、まだ体育祭は終わってねえだろうが」

 

 意外にも須藤がそんな二人を窘めていた。最後の最後まで気を抜くなというのは実にスポーツマンらしい言葉だろう。

 

「だけどよ健、このままいけば優勝も間違いないって」

 

「笹凪と俺がいるんだ、そんなもんは当然なんだよ。つーかお前らは自分たちの競技にまずは集中しやがれ、最下位こそなってねえが自慢できる記録でもないだろうが」

 

「うッ、そりゃそうだけどよ……」

 

「そりゃないぜ健、お前やゴリラと一緒にすんなよ」

 

 愚痴たれる池と山内に須藤は呆れたような溜息を吐いた。

 

「気合を入れろ、一つでも高い記録を狙え。笹凪っぽく言えば、もっとカッコつけやがれ、わかったな?」

 

 何だろうか、須藤がどこか頼れる兄貴分みたいになっている。プールで盗撮を企てていたとは思えない程に落ち着いた雰囲気だ。

 

 彼も入学してから着実に成長しているということだろう……盗撮はしようとしたけどね。

 

 Bクラスのテントに戻って一息つく、まだまだ競技は続くのでスポーツドリンクでも飲んでおこう。そう思ってクーラーボックスの中から飲み物を取り出していると、障害物競走に参加している清隆の姿を発見した。

 

「綾小路って結構早い? あんまり運動できるイメージが無かったけどよ」

 

「そういや握力測定も良かったような……笹凪はアレだけど、須藤の次くらいってだいぶヤバいよな」

 

 池と山内は鋭い走りを見せる清隆の姿に感心……いや、驚いているように見えるな。確かに目立たず過ごそうとしてきた彼はあまりそういった印象は持たれることはなかっただろう。

 

「へぇ~……綾小路くんって運動出来たんだ、なんか意外かも」

 

 女子チームからも同様の評価や言葉が生まれる。佐藤は感心したようにそう言っていた。

 

 運動できるというか……アイツは多分、人類最高峰の運動能力は持ってる筈だぞ。今もかなり手を抜いている筈だ。

 

 清隆は見事、障害物競走で僅差の一位となる。演出上手な男であった。

 

「やったな清隆、見事だ」

 

 テントに帰って来た彼に掌を伸ばすと、少しぎこちない動作で清隆も掌を上げてみせる。

 

 そしてハイタッチ、俺はこの瞬間に高校でやりたいことリストの一つを埋めることができたのだ。

 

 そんな俺たちをクラスメイトは興味深そうに眺めている。親しくしていることは知られていたが、これまで清隆は俺の影に隠れる形だったのであまり目立たなかったのだ。もしかしたら子分のように思われていたのかもしれない。

 

 けれどここで意外な活躍を見せた清隆、クラスメイトからの評価も大きく変わることだろう。

 

「気分はどうだ?」

 

「悪くはないな。天武もしっかり一位を取ってこい」

 

「言われるまでもない。俺が目指しているのは触れがたい程に圧倒的な勝利だからな」

 

「良い言葉だ、お前なら実際にそれができそうだ」

 

 やるとも、この体育祭が終った時には、スーパーゴリラみたいなあだ名になっているかもしれないけどな。

 

「何もかも引きちぎってこい、お前はそれで良い」

 

 そう言われて清隆に背中を押されて、俺もまた障害物競走に出場することになる。

 

 Aクラスの参加表はこっちに流れて来ているのでそれを参考にして運動能力が高い生徒が来る場合が多い。龍園クラスは知らないので予想はできないが理想を言えばそちらも運動能力の高い生徒が来て欲しい。一之瀬さんクラスはある程度は主力が被らないように配慮しているが、それにだって限界がある。

 

 さてどうなるだろうかと考えてスタートラインに立つと、そこには邪悪な笑みを浮かべる龍園の姿が確認できた。他には鬼頭に柴田がいるな。

 

 同じ組である以上、柴田とは別の場所で走るのが理想なのだが、どれだけ配慮してもどうしようもない点はあるのでそこは諦めて欲しい。

 

 鬼頭に関してはAクラスでも高い身体能力を持っているので積極的に同じ組になるように調整している、ここ以外でも頻繁に顔を合わせるだろう……問題なのは龍園だ。

 

「龍園、魔のグループに貴様がいるとはな。何か予定が狂ったのか?」

 

 この様子だともしかしたら一之瀬さんクラスやAクラスの参加表を手にするのも失敗したか? それとも本当に偶然だろうか? 何であれこっちにとっては都合が良い。

 

「一つ聞かせろお利口ゴリラ……参加表を直前に替えたのは何故だ?」

 

 こちらの質問に答えることなく龍園はそんなことを訊いてくる。

 

「参加表は紛失した。もしかしてそっちで拾ったのか? だとしたら返して欲しいものだ……それなら慌てて直前に新しい参加表を作らなくて済んだ」

 

「ゴリラが……こっちの思惑はお見通しって訳か」

 

「よくわからんな、お見通しもなにもない。こちらはいつだって人事を尽くして進んでいるだけだ。お前がいようといまいと何も変わらん」

 

 それは本当のことである。龍園がどうとかではなくて、参加表の存在がカギになる以上は絶対に直前で変更していた。

 

「小賢しい策略なんてやるだけ無駄だ……俺は常に、お前を超えていく」

 

「ハッ、抜かせゴリラが……せいぜい勝ち誇って油断してろ。今に足を掬われることになるぜ」

 

「安心しろ、こちらに油断は無い。これは確信だ……俺は常に、昨日の俺を超えていく、明日の俺は今日よりも強い、覚悟することだ」

 

「……」

 

 龍園はこちらも怪訝そうに見つめて来る。

 

「あまり足踏みしていると……俺の背中すら見えなくなるぞ。つまらん真似に必死になる前に、振り落とされずしっかり付いて来い」

 

 俺は本日最高のスタートダッシュを決め、龍園や柴田や鬼頭たち各クラスの主力陣を置き去りにして誰よりも早くゴールに到着する。障害物競走に世界記録があるのかどうかは知らないが、もしこれがオリンピックの競技として採用されていたとすれば、俺は世界記録を更新したことだろう。

 

 グラウンドに広がった三度目の沈黙を感じ取りながら、また並び立てる者はいないと証明してみせる。

 

 一つ勝利を積み上げる度に、少しだけ師匠に近づけたような気がした。賽の河原にいるような気分になるけれど、それでも積み上げる。

 

 後、どれだけ勝利と敗北を積み重ねればあの人に届くのだろうか? どれだけの知識と経験を得れば手を伸ばせるのだろうか?

 

 何一つとして足りてはいない、だから俺は昨日の俺を超えていかなければならない。

 

 昨日よりも今日の方が強い、その繰り返しの先にあの人の背中があるのは間違いないだろう。

 

 だから俺はまだ強くなれる。学習できる。そんな確信と共に今日を超えていくのだ。

 

 最強の証明は、まだまだ遠い……だからこそ、面白い。

 

 

 

 

 

 

 



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騎馬戦……騎馬戦?

味方へのオートバフ、敵へのオートデバフ、ステータスは限界突破、幸運値カンスト、普通は100レベルでカンストなのに主人公だけ上限が1000レベル、おまけに取得経験値増加の特殊能力持ち……うん、天武くん完全にバグキャラだわ。もしゲームで出くわしたら負けイベかと思っちゃうね。こんなの人間じゃねえ!!

主人公をボコボコにした後に崖から落ちたのを見て「この高さだ、助かるまい」とか言い出しそうな最強キャラポジションになりそうだ。


 

 

 

 

 

 

 

 

 次の競技は二人三脚となる。ここで問題となるのが誰が俺の相棒になるかであった。

 

 悲しいことに付いていける訳がないとクラスメイトたちに恐れられているので、練習相手を決めるのにも苦労した覚えがある。

 

 仕方が無いので清隆を強引に巻き込むかと考えた辺りで、練習中に須藤がこんなことを言い出した。

 

「思ったんだけどよ、相棒を担いで一気に走り抜けたら、足が遅い奴と組んでもいいんじゃねえか? それなら他のペアに足の速い奴を回せるしよ」

 

 完璧だ、須藤、お前は天才だ。これ以上ないくらいの最適解じゃないか。確かにそれならば俺や須藤のペアが必ずしも同等程度の身体能力じゃなくても構わないし、須藤の言う通り他のペアに足の速い奴を配置することもできる。

 

 もしかしたら須藤は天才なのかもしれない、俺は半月ほど前にそんなことを思ったことをよく覚えている。

 

 なので二人三脚の本番では俺と須藤はそんなペアとなった。須藤は池と組んでおり、俺は幸村と組むことになったのだ。

 

「よし幸村、一気に行くぞ」

 

「だ、大丈夫なんだろうな?」

 

「俺の力は知っている筈だ、安心しろ、誰よりも早くゴールする」

 

「そこはもう疑っていないが……振り落とすのだけは止めてくれ」

 

「何も問題は無い。しっかり固定して必ず一位になる、お前を引き連れてだ」

 

 それこそがこの体育祭で俺が目指す結果であり、クラスから求められている立場だ。人一人背負って世界記録を出すくらいでなければ、何の証明にもならない。

 

 実際に、俺より早く競技に出場した須藤は池を側面に張り付けるような形で走って見事に一位を記録した。この作戦が完璧であることを証明するかのように。

 

 ならば俺も続かなくてはなるまい、スタートの合図と同時に横にいた幸村の腰に手を伸ばして側面にグッと張り付けると、そのまま全てを置き去りにするかのように走り出す。

 

 ハードルも無ければ障害物もない、ただ人を側面に張り付けて走るだけだ、師匠に散々背負わされたバカでかい仁王像より遥かに軽い幸村程度ならば、何の苦にもならない。

 

 こうして俺はまた世界記録を更新することになる。やる気が漲っていることに加えて体も温まっており、師匠モードの深度も序盤より強まった結果、なんと百メートル走の時よりも僅かにだが記録が良かった。

 

 二人三脚で百メートル走の世界記録を更新したことになる……もうお約束になってしまったかのようにグラウンドには沈黙が広がった。

 

「意味が分からない……お前の体は科学的ではないな。近代スポーツ科学を何だと思っているんだ」

 

「幸村、効率的か非効率的かといった数値を信奉するのは良いが、それが全てではない」

 

 実際に師匠はスポーツ科学が掲げる効率というものを鼻で笑うかのような過酷な訓練と改造をこちらに押し付けて来た。その結果が俺で、俺が世界記録を更新しているのだから、師匠のやったことは正しいということになる。

 

 効率的な食事管理、効率的な訓練、効率的な筋肉、効率的な睡眠。その先にある最適化された肉体。

 

 それはそれで大いに結構、俺は仁王像を背負って、熊と戦い、師匠とひたすら実戦を繰り返すだけである。そうすれば世界記録は更新できるのだ。

 

「そうか、お前のような人間も世の中にはいる……数字では語り切れないか、世界は広いな」

 

 眼鏡を整えながら、幸村はどこか悟りを開いたかのような顔でそんなことを言った。どうやらカルチャーショックを受けているらしい。

 

 まぁ、俺よりも師匠の方がだいぶアレなんだけどな、あの人を見た全ての人は今の幸村みたいな顔をする。世界は広いんだなとでも言うかのように。

 

 うん、視野を広めるのは良い事だ。テストの点数に拘るのも大切だが、それだけが世界の全てではないのだから。世の中には師匠のように腕っぷし一つで全てを黙らせるような人間もいるのだ。

 

 あの人はこの国の誰よりも強い、武力で脅せないし法で裁くことも出来ない。そんな人間もいると知れば、視野は確実に広がるだろう。

 

 幸村と一緒にクラスのテントに戻って一息つくと、過去無い位のやる気を漲らせた堀北がこちらに近づいてくる。

 

 

「勝ったわ、どうかしら?」

 

 

 女子の障害物競走で見事に伊吹に勝利して、小野寺との二人三脚でもしっかりと結果を残した堀北は、興奮と達成感で頬を僅かに赤く染めながら報酬を要求してくる。

 

 どうにも彼女は師匠モードで鋭くなった俺の雰囲気を生徒会長と重ねているらしい。あの人は徹底的に遠ざけて時には暴力すら行う様子であったが、俺はそんなことはせずに褒めて伸ばす説を押しているのだ。

 

 しっかりと褒めて堀北のやる気を漲らせるとしよう。生徒会長の代わりというのは少し不満ではあるが、褒められて喜ぶ様子はとても可愛いので良しとする。

 

 次の競技である騎馬戦まで僅かに時間があるので、ここで報酬を渡しておくべきだろう。

 

 ただクラスメイトの視線が多くあるテントでするのはさすがに注目を集めるので、俺と堀北は僅かな休憩時間の隙を突いて二人で校舎裏へと移動する。

 

 人の気配がないことをしっかりと確認してから、俺は師匠モードを僅かに高めて彼女と向かい合った。

 

「よくやった」

 

「……んッ!!」

 

 モジモジと体を震わせる堀北は俺がそう声をかけると何故か変な声を上げた。そんな反応をされるとやましいことでもしている気分になるので止めて欲しい。

 

 だがこれは彼女への報酬だ、せっかくなのでしっかりとサービスしておこう。

 

「お前は凄い子だ」

 

 そこで彼女の顔は真っ赤になる、体は小刻みに震えて呼吸も荒くなり……なんというか、こんな表現はしたくないんだけど、危険な薬物にでも手を出しているかのようにも思えてしまう。

 

「も、もっと、ちょうだい……できれば名前を呼び捨てにして欲しいの」

 

「鈴音、お前は俺の誇りだ」

 

「ぁ……こ、これは……駄目ね……こんな……ふ、ふふふ」

 

 普段の冷静で怜悧な雰囲気をどこかに放り投げ、だらしない笑顔を必死で抑えようと唇をモニョモニョと動かして、身悶えする体をなんとか落ち着かせようとする堀北……うん、ちょっと怖い。

 

 彼女はこんな感じの子だったかな? 兄が関わると途端に頭が悪くなるように感じた。

 

「あ~……少し落ち着け、まだ競技は続く、ここで気を抜くべきではない、そうだろう?」

 

「もちろんよ……当然、全力を尽くすわ……だから、その、またお願い出来るかしら?」

 

「あぁ、何度だって褒めてやる……だからお前は、何度だって一番になれ」

 

「は、はいッ!!」

 

 よしよし、いい感じだ、堀北は完全に覚醒した感じがある。やはり人は褒めて伸ばすべきなんだ。コンクリに叩きつけるのは悪手だよ生徒会長。

 

「さて、次は騎馬戦だ、ここも勝ちに行くぞ」

 

「えぇ、当然よ、必ず勝つ」

 

 いつのまにか堀北は普段のキリッとした顔に戻っている、ついさっきのだらしない顔が嘘みたいだ。

 

 そんな彼女はこちらに拳を差し出して来た。

 

「私も頑張るから、貴方もカッコいい所を見せて」

 

「言われるまでもない、カッコつけるのが俺の仕事だからな」

 

 俺もまた拳を前に出して軽くぶつけ合う。どうやらやる気が漲っているのは彼女だけではないらしい。

 

 グラウンドに戻ると既にクラスメイトたちは集まっており、それぞれ集中しているのがわかった。

 

 まず最初に行われるのは女子の騎馬戦である。大将はちょっとありえないくらいのやる気を迸らせている堀北だ。あまりにも集中を高めているので、ちょっと師匠モードになりかけているのは気のせいだろうか?

 

 うん、不完全だけど師匠モードになってるな、そんなにお兄さん風に褒められたいとか、どれだけ飢えていたんだ。

 

 生徒会長、貴方は罪深い人だと俺は思う。あんなに妹さんを飢えさせるだなんて。

 

「堀北の奴、なんであんなにやる気になっているんだ……」

 

 Bクラスのテントで女子たちの騎馬戦を眺めていると、隣に座っていた清隆も堀北の雰囲気を感じ取ったのか呆れたようにそんなことを言った。

 

「良い事だ、貫禄さえ感じる。ああなるといよいよ手が付けられなくなるぞ」

 

「少しお前の雰囲気に似ているな」

 

「そうだな、よく集中できている」

 

 その証明をするかのように女子の騎馬戦ではまさに人馬一体の動きで相手を翻弄することになる。堀北の雰囲気に引っ張られているのか女子チームの動きはとてつもなく鋭く力強い。ちょっと相手に同情するほどである。

 

「囲まれた」

 

「問題は無い、今の彼女ならば大した壁ではないだろう」

 

 それこそ龍園クラスの小賢しさを正面から叩き潰せるほどに今の堀北は覚醒している。不完全であっても師匠モードだからな、もしかしたら目に映る全てがゆっくり動いているのかもしれない。

 

 或いは動きの予測が容易くなっているのか……何であれ迫る手を簡単に弾いてカウンターとばかりに相手の鉢巻きを奪い去る。これで執拗な包囲網の一角は脆くも崩れ去ってしまう。

 

 反則に近い距離の詰め方にも騎馬はしっかりと耐え、その僅かな硬直の間に二つ目の鉢巻きも確保した。

 

 二つの壁が崩れればもう集中砲火など意味はない、寧ろ崩れることなく耐え凌いでカウンターを食らった相手クラスは堀北を少し恐れているようにも見えてしまうな。

 

 そりゃそうだ、四対一の戦力差を簡単に覆されてしまったんだ、怖いに決まっている。

 

 おそらく龍園クラスは騎馬戦に乗じて堀北を叩き落とそうとした筈だ。そう思えてしまうほどに強引な距離の詰め方だった、ここでアドリブを入れて来たか。

 

 しかし空振りに終わってしまう、今の堀北は手が付けられない状態だ。

 

 彼女の騎馬が二つの騎馬を落とせば、もう執拗な集中攻撃は完全に崩壊してしまい、勢いを無くした相手を今度は背後に回った軽井沢の騎馬が襲い掛かった。

 

 そして正面には堀北の騎馬、囲んでいた筈がいつのまにか挟み撃ちの形になっており、決着がつくことになった。

 

 完封だ、見事というしかない。小賢しさの全てを実力でねじ伏せた、文句無しだ。

 

「良いぞ堀北ぁッ!!」

 

 須藤も堀北の活躍に声を上げて興奮している。気持ちはとてもわかる。今の堀北はとてもカッコいい。

 

「凄いなアイツ……」

 

 清隆はちょっと引き気味になっているな。活躍は素直に受け止めているようだが、師匠モードになりかけている堀北をちょっと恐ろしいと思っているのかもしれない。

 

「これは男子チームも負けてられないね」

 

「おぉ、ここまでやられたら情けねえ結果は残せないよな」

 

「なんか堀北怖くね?」

 

 平田も池も山内も女子チームの活躍に思う所があったのだろう。士気が上がっていた。

 

 そしてそれは俺も同様である。あそこまで活躍されてしまったんだ、それ以上の完全勝利を持ってこなければ笑われてしまうだろう。

 

 堀北に引っ張られるように俺の師匠モードも深まっていく。ちょっと自分でも怖いくらいの深度だ。まだ先があったことに驚いてすらいる。

 

 ありがとう堀北、お前のおかげで俺はまた強くなれたらしい。

 

「次は貴方の番よ」

 

「あぁ、そこで見ておけ、完全勝利を掴み取って来る」

 

 次は男子チームの騎馬戦だ、女子チームと入れ替わるようにすれ違う瞬間に、俺と堀北はハイタッチを交わす。

 

「調子が良さそうだな」

 

「えぇ、でも少し変な感じなの……今までの自分じゃないみたい」

 

「一つ壁を超えたということだ、その感覚を忘れるな」

 

 その集中状態をこれからも引っ張って来れるかどうかは堀北次第ではあるが、一度経験すると割とすんなり入れたりするので可能性はゼロではないだろう。

 

 プロスポーツ選手であったり、プロの棋士の一部であったりは、集中を高めるとそうなる者もいるらしい。別に俺だけの特権でもないのだ師匠モードは。

 

 ただ深度を深めるのは止めた方が良いし難しいだろう。師匠モードが一定のラインまで深まると、吐き気と頭痛が止まらなくなるからだ。

 

 俺はそれを師匠の鍛錬を繰り返すことで乗り越えたが、肉体的にはそこまででもない彼女が耐えられるとも思えなかった。

 

 まぁ不完全な現状が一番彼女に合っているのかもしれない、

 

 そんなことを考えながら俺もまたグラウンドに向かうのだった。 

 

 

「遅いぜ大将、待ちくたびれたっつうの」

 

「悪いな須藤、少し一人で集中していた」

 

 クラスメイトたちを見渡してみると程よい緊張とゆとりを感じられた、完璧な状態だな。

 

 俺もまた集中力を高めて師匠モードをかつてない程に深めていく、そして彼らの意識と士気を引っ張っていく。

 

 これなら大丈夫だと、あの背中に付いていけば問題はないのだと、そう思わせることもまた俺の仕事であった。憧れを示すとも言うだろう。

 

 だから俺は精一杯、成果と結果で彼らを導くのだ。

 

 誰よりも早く、誰よりも力強く、この背中を後に続く者に見せつける。それもまたリーダーの形であった。

 

「女子チームの奮闘は見たな? 俺たちも精一杯カッコつけるぞ」

 

 そう力強く伝えれば、彼らもまた力強く声を返す。うん、良い雰囲気だ。

 

「須藤、本隊の指揮は貴様に任せる」

 

「おう!!」

 

「三宅、平田は須藤の側面を常に固めろ、脇から手を伸ばさせるな」

 

「おぉ」

 

 

「わかったよ」

 

「他は後方から様子見だ。もし三宅班、平田班が崩れたらすぐに割り込んで穴を埋めろ」

 

「「了解」」

 

 師匠モードでそう命じると、軍隊にも負けない程に整った返答がグラウンドに響く。ここだけ見れば一つの統率された部隊のような練度であった。

 

「清隆、お前はこっちだ」

 

「本当にやるのか?」

 

「応とも、これが一番機動力がある編成だろうからな」

 

「それはそうだが……はぁ、仕方がないか。まさかこんなことになるとは」

 

 クラスメイトたちはそれぞれ騎馬を作っていく。ただしその編成は少し歪だ。

 

 何故なら俺と清隆だけは肩車の形だからだ。本来数名で騎馬を作る筈なので何名か余ることになり、余った面子は運動能力の無い班の補助に回らせた。

 

「どうだ、そこからの視点は?」

 

「悪くはない、龍園もよく見える」

 

「よし、振り落とされてくれるなよ?」

 

「それはこっちのセリフだ。振り落とさないようにしっかり支えてくれ」

 

 グラウンドではザワザワと困惑する雰囲気が広がっている。騎馬戦で騎馬を作らずに一組だけ肩車をしていればそりゃそうなるだろうな、何もおかしな反応ではない。

 

「神崎、準備は良いな?」

 

「……」

 

 もう彼は色々と諦めてしまったのか、肩車をしている俺と清隆を見てただ疲れた顔でコクリと頷きだけを返す。幸村と同様にカルチャーショックが大きいのだろう。

 

 でも、この形が一番早いと俺は思う。数人で一つの騎馬だとどうしても足並みを揃える必要があるので、機動力が落ちるのだ。

 

 だが俺が清隆を肩車する姿勢なら何も問題はない。最速の騎馬がここに完成したことになる。完璧な作戦だな。

 

 小賢しさは、速度で潰す。兵は神速を尊ぶのだ。

 

 僅かな困惑の中、それでも騎馬戦の始まりを告げる合図がグラウンドに響き渡る。それを確認した瞬間に俺は清隆の足をしっかりと支えながら全力疾走で進みだす。

 

「清隆、予定通りこのまま最速で龍園と葛城を潰す。すれ違う瞬間に全部掠め取れ!!」

 

「了解した、進め黒王号」

 

 今のは清隆なりの冗談だろうか? まぁ最強の騎馬であることは間違いない。

 

 他の騎馬とは比べものにはならない速度で俺は走り出す。あらゆる者を置き去りにする速度で突っ込み、慌てて龍園との間に割って入った石崎と他の男子たちの騎馬を迂回することなく、その上を飛び越える。

 

「んな馬鹿なッ!?」

 

 そうでもないぞ石崎、迂回するよりも飛び越えた方が早いんだから、そりゃ飛び越える。着地地点付近に龍園の騎馬もあるんだからな。

 

「おぉ、なかなか悪くないな」

 

 俺が飛び上がって石崎たちを見下ろす高さまで行った瞬間に、清隆のどこか上機嫌な声が耳に届いた。彼もこの体育祭というか、この状況を思っていたよりも楽しんでいるのかもしれない。

 

 騎馬の壁を乗り越えた先にいるのは龍園である。相変わらず彼は俺を気持ちの悪い生物でも見たかのような視線で見つめて来る。本当に失礼な奴であった。

 

「清隆、取れ」

 

「あぁ」

 

 着地してまた加速する。慌てて向きを直そうとする龍園の騎馬の側面を疾風のように駆け抜けた。

 

 すれ違いざまに清隆が龍園の鉢巻きを奪い去る。競技開始から十秒ほどの出来事であった。

 

 速度で小賢しさを潰す、これで龍園はこの競技は脱落となり、何もできなくなってしまったということだ。

 

 次は葛城だ。Aクラスのリーダーも最速で潰す必要があるだろう。

 

「ん?」

 

「どうした清隆?」

 

「いや、龍園の鉢巻きにワックスのような物が塗られているようだ」

 

「滑りやすくしている訳か、つまらん小細工だ」

 

「そうだな」

 

 まぁどんな方法だろうと勝ちに繋がるのなら徹底するという姿勢は好感が持てる。それもまた戦いの作法の一つだからだ……結局は清隆の握力で奪われてしまったが。

 

 グラウンドを世界記録を更新できるような速度で駆け巡り、目指す相手は葛城である。大回りして背後を突く形となった。

 

 彼らは慌てて騎馬の方向を変えようとしているが。複数人で作る騎馬の為にこちらと比べて鈍間と言わざるを得ない。

 

 お前たちも肩車しろ、それが一番早い騎馬の形だ。

 

「頂いていく」

 

 またもやすれ違いざまに清隆が葛城から鉢巻きを奪い去る。良いぞ、他の奴だと速度に翻弄されてなかなか上手くいかなかったが、お前なら何も問題なく合わせてくれる。

 

 競技開始から一分も立たずにリーダー格の騎馬が落とされたことで、あちらの組は完全に士気と命令系統が崩壊することになってしまう。

 

「完璧だ、次々奪っていくぞ」

 

「あぁ、文句のつけようがない完全勝利だな」

 

 つまり後は蹂躙するだけだ。

 

 須藤率いる本体も混乱する相手の騎馬を次々と飲み込んで行き、俺たちの騎馬はそんな蹂躙劇の側面から速度を活かして鉢巻きを掠め取っていく。

 

 圧倒的で、徹底的な勝利とはまさにこれだ。

 

 あちら側は全滅して、こちら側は無傷、ケチのつけようがない完全勝利であった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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お昼休憩 1

 

 

 

 

 

 

 

 二百メートル走でも世界記録を更新したことで、もう数えるのもばからしくなる程に経験した沈黙をグラウンドに残すことになる。

 

 結果は上々、クラスの士気は最高、相手クラスの士気は最悪、結果も残している、文句の付けようがない。

 

 龍園の作戦も完全に空振りに終わってしまったな。騎馬戦で堀北をだいぶ強引に叩き潰そうとしたみたいだが、彼女はそれを正面から叩き潰して勝利をもぎ取った。

 

 小賢しさが通じるのは一定のラインまで、本当の強さにはどうしたって届きはしない。

 

 真面目に勉強しろ、真面目に鍛えろ、真面目に考えろ、その上で小賢しさ発揮して初めてそれが策略となるのだ。どこまで行ってもお前のそれは嫌がらせの範疇でしかなく、戦略とは言えないのだ。

 

 或いはそこを踏まえた上で挫折や絶望を知り、這い上がることが出来たのならば、彼は一つ成長するのかもしれない。

 

 俺が思い描く未来にお前が必要だと、いつかそう言わせてほしいものだ。

 

 まぁ龍園のことは今は良い、それよりもようやくお昼休憩である。どうやら学校側が気を利かせて高級弁当を生徒たちに用意しているようだが、俺はせっかくの体育祭とのことなので自分でお弁当を用意した。

 

「笹凪くん、何で重箱?」

 

 松下さんが俺が広げた重箱を覗き込んでそう言った。どうやら興味があるらしい。

 

「ほら、体育祭と言えば、こうして家で作ったお弁当を広げるのが楽しみの一つらしいからね。気合を入れたんだよ」

 

「あ、口調が穏やかになってる。良かった話しやすくなって」

 

 そこに関しては本当にすまない。お昼休憩に入ってようやく師匠モードが落ち着いたんだ。

 

「一人で作ったんだ、結構なサイズの重箱だけど食べきれるの?」

 

「いや、だいぶ調子に乗ったみたいでね。ちょっと持て余してる、まぁ清隆辺りに幾らか押し付けるよ」

 

「あぁ、綾小路くんかぁ……今更だけど仲いいよね」

 

 松下さんの視線が学校から配布されたお茶のペットボトルを受け取ってテントに戻って来る清隆に向けられる。

 

 少しだけ彼を探るような視線をしていた。彼女なりに思う所があるのかもしれない。観察眼に優れた人なのだろう。

 

「今まで綾小路くんの印象ってあんまり強く無かったんだよね。あんなに運動できるって知らなかったかな」

 

「清隆は運動も勉強も結構出来るよ」

 

「そう? 勉強の方もあんまり印象に残ってないけど」

 

「入学したばかりの頃はそうでもなかったけど、暇な時は俺が勉強を見てるからね」

 

「あ、そうなんだ」

 

 そんな感じのシナリオを清隆と考えている。俺を隠れ蓑にしながらある程度クラスへの影響力や評価を残す方針だ。清隆もテストで高得点を記録しても頻繁に俺に勉強を見て貰っているからと言い訳ができる訳だ。

 

 多分、次のテスト辺りでは七十五点前後で調整してくることだろう。トップクラスではないにしても好成績な感じである。クラスメイトからの印象はまた変わるかも知れないな。

 

 立ち位置としては、クラスのトップ陣から色々命令されて動き回るような感じだろうか。目立ち過ぎず、しかしある程度存在感もある、そんな雰囲気だ。

 

 後、単純にこのまま清隆を放置すると、俺に何もかも丸投げしてフェードアウトしそうな雰囲気があるので、絶対に逃がせない。

 

 一人だけ楽はさせないからな、そこだけは絶対に譲れはしない。

 

「待たせたな」

 

「大丈夫だよ。お茶、持ってきてくれてありがとう」

 

「飯を用意して貰ったからな、これくらいはしたい……随分と豪勢だな」

 

 俺の分のお茶を持ってきてくれた清隆は広げられた重箱を眺めて感心する。前から思ってたけど彼は食への拘りと言うか、好奇心が強いように思える。

 

 よくチェスで負けた罰ゲームで晩飯をごちそうするのだが、その時は決まって食べたことのない料理を要求してくる。

 

 食を楽しみ、しっかりと癒しとしているのだ。もしかしたらホワイトルームは食事が不味かったのかもしれない。そう思うと俺から見たその場所の評価は地を這う程に低くなってしまうな、食は生活の基本だというのに。

 

 栄養だけを取れればそれで良しではないのだ。いずれ説教しに行って、ついでに責任者の何人かと話し合わないと。

 

「しかし良かったのか? 学校側も弁当を用意してくれてるけど」

 

「よくある弁当だ、つまらない」

 

 どんな判断基準なんだそれは……まぁ食に好奇心を向けるのは良い事かな。下手したら清隆は必要な栄養さえ取れるならカロリーメイトとゼリーだけで済ましてもおかしくはないから。

 

「松下さんも良ければお好きなものどうぞ」

 

「そう? ならお言葉に甘えて唐揚げ貰っちゃおうかな」

 

「出汁から拘ったから自信作だ、是非味わってくれ」

 

「あ、私も貰って良い?」

 

 佐藤さんもこっちに合流してくる。彼女は学校側が用意した弁当を貰っていたが、こっちの弁当にも興味があるらしい。

 

「どうぞどうぞ、持って行ってくれ」

 

「因みにおすすめとかあるの?」

 

「全部、と言いたいところだが、どうせなら出汁巻き卵をおすすめしようじゃないか」

 

「それじゃあいただきま~す……うまぁ~」

 

 どうやらお口に合ったらしい。喜んでもらえたようで何よりである。

 

「うわ、重箱だ、これって笹凪くんが作ったの?」

 

「笹凪くん、料理上手なんだね。意外、でもないのかな?」

 

 軽井沢さんと平田のコンビも合流してくる、いつの間にか大所帯で昼飯となったな。

 

 そこに須藤と池と山内も加わって、Bクラスのテントはとても穏やかな雰囲気となっていった。

 

 なにせ結果が伴っているからな、やはり心の余裕があるのだろう。良い事だと思う。

 

「ほら堀北さんも、一緒にお昼食べようよ」

 

「えぇ、お邪魔するわね」

 

 そしてそんな集団から少し離れた位置で、しかしこちらをチラチラと窺っていた堀北さんも軽井沢さんに声をかけられてやって来る。

 

「さぁ堀北さんもどうぞ、おすすめは出汁巻き卵となっております」

 

 全部自信作なんだけどね、それでも卵料理は抜群の完成度だと思っている。師匠の好物だったからよく作っていたんだ。

 

「美味しいわね……」

 

 出汁巻き卵を食べた堀北さんはほっこりとした顔になる。入学当初よりもだいぶ表情豊かになった気がするな。

 

 接し易くなったとも言える、最近ではよくクラスメイトと話していたり相談を受けているのも見るようになったからな。

 

「わぁ、凄いね、笹凪くんが作ったんだ?」

 

「良ければどうぞ」

 

 こうしてクラスメイトと交流していると櫛田さんを筆頭に、井之頭さんや王さんもやって来る。

 

 体育祭が始まった頃は、参加表の変更で顔を青ざめさせていた彼女ではあるが、今は気を取り直したのかいつもの愛らしい笑顔である。

 

「ふふ、じゃあ貰っちゃおうかな」

 

 俺と堀北さんの間に座って重箱に箸を伸ばして、彼女は唐揚げを小皿に移した。

 

 堀北さんの視線が少し鋭くなったような気もするが、今はことを荒立てるつもりはないのか何も言うことはないらしい。

 

「笹凪くん、凄い活躍だったね。もうなんか凄すぎて上手く褒められないよ」

 

「ん、ありがとう、そう言って貰えるだけで気分が良くなるよ。誰かにそう思って貰えるのは嬉しいものだ」

 

「午後の二人三脚も笹凪くんとなら安心だね」

 

「あぁ、俺と櫛田さんなら絶対に一位を取れるよ」

 

 そう、男女混合二人三脚で俺は櫛田さんとペアを組んでいる。最初は堀北さんと組む予定だったのだが、須藤が不器用かつ遠回りにごねた結果こうなった。

 

 須藤と堀北さんペアでも問題なくトップを狙えるだろうし、それは俺と櫛田さんペアでも変わらない。どっちでも良いのならば須藤の願いを聞いても良いだろうとのことでこんな形となる。

 

 まぁ、堀北さんはかなり不機嫌になったのだが、櫛田さんはニコニコとした笑顔で受け流していた。

 

 今も、俺と堀北さんの間にわざわざ座った辺り、二人の確執というか距離感のような物が僅かに透けて見える。

 

 同じ中学出身とのことで、色々とあったのはわかる。

 

 過去に興味がないと言っても、それで安心できるような人でもないということだろう。軽井沢さんとは別方向の不安障害を持っている人だろうからな。

 

 いつか彼女と本当の意味でわかりあえる日が来るのだろうか? 今はまだよくわからなかった。

 

「一緒に頑張ろうね」

 

 耳元に唇を寄せて、囁くようにそう伝えて来る櫛田さん……堀北さんが怖いのでそういうドキッとする行為は止めて欲しい。今もめっちゃ睨まれてる。

 

 ただ悲しきかな男の性、こういうことされるとやる気が出て来るのだ、単純なものであった。

 

「堀北さんも凄い大活躍だったよね、きっと須藤くんとの二人三脚でも一位になれるね。二人って相性ばっちりだもん」

 

「……そうね」

 

「もちろん私と笹凪くんも一位を目指すよ、ふふ、頑張ろうね」

 

 どうしてだろうか、二人の間に火花が飛び散っているようにも見える。

 

 半月ほど前だろうか、櫛田さんと一緒に各クラスの偵察という形のご機嫌取りに付き合って以降、こういう対応が増えたと思う。

 

 俺も師匠モードでだいぶハイになっていた時に、櫛田さんに滅茶苦茶失礼なことをつい口走ってしまったので、謝罪の意味も込めて色々とその時にごちそうしたのだが、こうして普通に接してくれているので少しは機嫌が直ったらしい。

 

 ただまぁ堀北さんと、ことあるごとに不穏になるのは止めて欲しいけどね。

 

 そんなこんなでお昼ご飯を皆で楽しみことになる。俺の隣に陣取った櫛田さんがやけに気安く接してくるのは少し気になったけど……堀北さんも凄く不機嫌になるしで、周りは普通に楽しんでいるのに俺の周囲だけやけに不穏な気配であった。

 

 あまり堀北さんに睨まれたくないので早めに退散するとしよう。クラスメイトの協力もあって空になった重箱を片付けてから顔を洗いに行くと告げて皆と距離を取る。

 

 櫛田さんの考えと言うか、俺との距離感がイマイチわからないな。嫌われている感じではないが、全幅の信頼を寄せられている訳でもない。彼女が常に意識しているのは観察している限りでは堀北さんの方であった。

 

 そして堀北さんもまた櫛田さんを妙に意識している。単純な嫌悪ではなくてもっと複雑な感情だ。俺はそれの名前をまだ知らない、困ったことに。

 

 今この場であの二人をどうこうすることも出来ない以上は、時間経過で変化があるのを期待するしかないな。

 

 宣言通り水道で顔を洗ってからそんな雑な結論を出すと、俺は視界の中にとある女子生徒を発見する。

 

「佐倉さん、お昼はもう食べたのかい?」

 

「さ、笹凪くんッ!? ご、ごめんなさい、まだ食べてなくて」

 

 その人物とは佐倉さんである。学校から配布されたお弁当とお茶を持ってクラスメイトたちがいるテントから離れた位置で右往左往しているので少し目立っていた。

 

「謝る必要はない、俺は怒ってもいないし急かしてもいないからね……俺はそんなに怖いかい?」

 

「い、今は、そこまでは……でも、ちょっと怖い時もあって……ごめんなさい」

 

「そうだね、俺もそこは反省したいと思ってる。体育祭に興奮していたみたいなんだ。けれど決して君を脅したい訳でも怖がらせたい訳でもない、それが本音だよ」

 

 できるだけ穏やかな声色でそう伝えると、彼女から少しづつだが緊張が薄れていくのがわかった。

 

「う、うん、優しい人だって……ちゃんと知ってるから」

 

「そう思ってくれてとても嬉しいよ。それよりも清隆に何か用事があったんじゃないのかい?」

 

「そ、そそそ、そんなことは……」

 

「そうなのかい? なんだか声を掛けたそうにしていたけど」

 

「それは、その……うぅ」

 

 もしかしたら清隆と一緒にお昼ご飯を食べたかったのかもしれない。だとしたら悪いことをしたかもしれないな。彼女も誘えばよかった。

 

「お~い、清隆、悪いんだがこっちに来てくれるか?」

 

「さ、笹凪くんッ!?」

 

 ただそれは今からでも遅くはない、清隆も空になった重箱を名残惜しそうに眺めていたからな、大半をクラスメイトに奪われてしまったのでもしかしたら物足りないかもしれない。

 

 俺は清隆が来る前に学校側からお弁当を受け取ってそれを佐倉さんの手に渡した。これで二つの弁当を彼女が持つことになる。

 

「どうした?」

 

「いや、佐倉さんが二つ貰ったみたいで持て余してるみたいなんだ。手伝ってあげてよ」

 

「まぁまだ腹は膨れていないから構わないが……どう間違えれば弁当を二つ貰うんだ?」

 

「お腹が減ってて二つくらい行けると思ったみたいだよ。でも冷静になったら無理そうってなったらしい」

 

「そうか……わかった、片方は俺が引き受けよう」

 

「お茶でも飲んでゆっくりすると良いよ」

 

 佐倉さんはこれで良いだろう。緊張で固くなっているようだが清隆のエスコートに任せておけば問題は無い。

 

 グラウンドに端っこで腰を下ろして食事を始める二人から離れていくとしよう。俺は邪魔者だからな。

 

 師匠曰く、気遣いは大事。

 

「テンテン、気遣い上手なんだ」

 

 そんな俺に声をかけてきたのはこれまであまり接することが無かった人物である。佐倉さんと同じくクラスメイトの輪から離れた位置で、ベンチに腰かける美人さんは長谷部さんである。

 

 彼女と接する機会はこれまであまり無かった。朝に下駄箱で会ったりすれば軽い挨拶するくらいだ。

 

 そして彼女自身もあまりクラスメイトと親しく接するタイプの人間ではない。別にそれは入学当初の堀北さんみたいな感じという訳ではなく、単純に人付き合いを浅くしているのが理由である。

 

 挨拶すれば返してくれるし、必要があれば話もする、けれど一定以上の距離は踏み込んで来ないまま一線を意識する。そんな人であった。

 

 だから、そんな彼女から変なあだ名で呼ばれたり、こうして向こうから声をかけられるのは意外でもあると言えるだろう。

 

「まぁ気遣いは大事って教えられて来たからね」

 

「何それ~、アレだけスパルタで男子たちを苛めてた人の言葉とは思えないんだけど」

 

「ん、アレは本当に悪かったと思ってる、ちょっと悪酔いしてたみたいだ……」

 

 ただし必要なことであったとは確信している。反省は幾らでもするけど闘争心を植え付ける必要があったんだ。そんな言い訳をさせて欲しい。

 

 長谷部さんは俺がした男子チームへのスパルタ特訓を思い出したのか、笑みを浮かべている。

 

「それより、気になってたんだけど、テンテンって言うのは俺のあだ名かい?」

 

「うん、天武くんだから、テンテン……それともゴリゴリの方が良い?」

 

「テンテンでお願いします。さすがにゴリゴリは嫌かな」

 

「じゃあテンテンだ、はい決定」

 

「テンテンかぁ……あだ名で呼ばれるのってなんか変な感じがするね」

 

「今までそういうことは無かったんだ?」

 

「あぁ、一度もない。だからなんて言うか……ん、新鮮な感じがする、案外こういうのも悪くないと思えるよ」

 

「気に入って貰えたようで何より、名付けた方も悪い気にならないしさ」

 

 そこで長谷部さんはまた笑った。俺が思っていた以上に表情豊かな人なのかもしれない。

 

「しかし少し意外だな、君はあまりそういった接し方をしてこない人だと思っていたからさ」

 

「まぁ基本ぼっちだしね。今も一人寂しくお昼休憩だし」

 

「今は俺がいるじゃないか? もうこっちはお昼を済ませたけど、お茶くらいなら付き合おう」

 

「え? あ~……まぁ良いか、テンテンってあんまりそういう感じはしないしね」

 

「そういう感じ?」

 

「なんていうのかな~……清潔感というか、いやらしさ? 後は平田くんみたいにいつも女の子に囲まれてるタイプでもないしね」

 

「紳士でありたいとは思っているよ」

 

「あはは、じゃあ座りなよ」

 

 そう言って長谷部さんは自分が腰かけているベンチの隣をポンポンと叩く。

 

「ではお言葉に甘えて」

 

 まさか長谷部さんとこうしてベンチでお茶を飲むことになるとは、予想外の展開である。人との距離感に敏感な人だからな、長谷部さんは。

 

「訊きたいんだけど、さっきのあの二人ってどんな感じなの?」

 

「さぁ、親しくしている関係だと思うよ、今の所はね」

 

「へぇ~、今の所はね~」

 

「クラスメイトの恋愛事情なんかに興味があるのかい?」

 

「そりゃ気になるよ、他人の恋愛事情は自分には何の関係もないから面白く見られるしね~。後は色々なゴシップとかランキングとかさ」

 

「ランキング? あぁ、学校の掲示板でやってるアレか、イケメンランキングとか可愛い子ランキングとか、確かに眺めてる分には面白いのかもしれないな」

 

「でしょ、因みにテンテンは色々なランキングに名前が挙がってたりするよ~……絶対に人を殺したことがある部門とか、バグキャラ部門とかさ」

 

 何その部門、前半は俺も知っているが、後半のバグキャラ部門は初耳である。

 

「変わり種だと女装が似合いそうランキングとか、人間辞めてるランキングでも一位だね」

 

「嫌なランキングだね全く、もう少し好意的な感じの部門で一位になりたいもんだ」

 

「でも私は何だかんだで納得しちゃうんだよね~。無人島とか体育祭であれだけ暴れまわってたら、そりゃ人間辞めてるって思われるって」

 

 その評価は師匠にこそ相応しいんだけどな。

 

 そこからは誰と誰が付き合ってるとか、もしかしたら既に隠れカップルが学年で誕生しているのではないかとか、そんな話を長谷部さんとお茶を飲みながら続けることになる。

 

 俺が知らない生徒の関係性であったり、恋模様などを知れたのは面白かったと思う。同級生とこういった話をして時間を潰すのも悪くないのかもしれないな、これはこれで高校生っぽさを満喫できているのかもしれない。

 

 ある程度お話して満足したのか、長谷部さんはベンチから立ち上がって軽く背伸びをした。

 

「んん~……話聞いてくれてありがと、テンテンは聞き上手だね」

 

「有意義な時間を提供できたのならこちらも嬉しいよ。普段、あまり話すことのない人との会話は新鮮な感じで楽しいからね」

 

「偶には良いかもね~、こういうのもさ」

 

「でも意外でもあったよ。君はクラスメイトと一線を引いていると思っていたから」

 

「まぁね~、色々と面倒なことも多いし、一人の方が気が楽っていうのもあるから……ただまぁ、最近のクラスの雰囲気とか悪くないし、ちょっとくらいはね。それにテンテンって、私的には、あ~……」

 

 そこで彼女は言い淀んでしまう。どう言葉にすべきか悩んでいる様子だ。

 

「何だかんだで話しやすいしね……時々凄く怖くなるけど、今はそうでもないし」

 

「なら、気が向いたらまた声をかけてくれ、長谷部さんとのお茶なら大歓迎だ」

 

「なにそれ、もしかして口説かれてるの?」

 

「他意はないよ、男なら皆そう思うってだけさ」

 

「う~ん、下心が見えないのは凄いね」

 

「純粋にそう思っているだけだからな」

 

 長谷部さんはクスッと笑ってくれた。どうやら気持ち悪いとは思われなかったらしい。

 

 満足したとばかりに去っていく彼女を見送って、俺もまたベンチから立ち上がって当てもなくブラつき始めた。まだ午後の部が開始されるまで時間はありそうなので、色々と見て回るとしよう。

 

 

 

 

 

 

 



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お昼休憩 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長谷部さんと分かれた後に当ても無くフラフラとグラウンドを歩き回る。そのままぼーっとしていてもいいのだが、せっかくなので誰かと交流ができないかと思った次第である。

 

 今は体育祭、普段と異なり上級生も教師もグラウンドに集まっている。こういった時でしか得られない各学年の交流であったり、力関係だったりを観察できたりするだろう。

 

 まぁできなければそれはそれで良い、眺めているだけでも結構なことがわかったりするものだ。

 

 例えば二年生が固まっている付近では南雲先輩を中心とした流れが既にできている。多くの女子生徒に囲まれており、あらゆる人の流れや意思がそこを経由して二年生に広がっていくのだ。

 

 学年全体に影響力を持つという生徒会長の評価は間違いではないらしい。おそらく今年中にクラス闘争を終わらせて完全な支配下に置くことが推測される。南雲先輩が凄いのか、他のクラスが情けないのか、評価の分かれる所ではあるが……まぁ両方だろうな。

 

 そして次に視線は三年生たちの方へと向かう。こちらは二年生ほどわかりやすくはない。生徒会長を中心とした流れや意思はあるのだが、南雲先輩ほど露骨ではない。

 

 生徒会長は指導者としての才能はあっても、独裁者としての才能はなさそうだから仕方がないことなのだろう。今もどこかクラス全体を見守るような距離感や立ち位置になっている。

 

 それこそ妹さんをコンクリに叩きつけようとするくらいの強引さを発揮すれば、南雲先輩を危険視して一年生を巻き込むようなことも無かっただろうに。

 

「ふふ、ただ観察するだけでも、様々なことが見えてきますよね」

 

 暫く上級生を観察していると背後からそんな声をかけられた。この細くも不思議と力強い存在感は坂柳さんだな。

 

「そうだね。色んな人がいて、色んな流れがある、関係性だってよくわかるよ」

 

 振り返ってそう返すと、坂柳さんはテントの下にあるベンチに腰掛けながら可愛らしい笑顔を浮かべていた。その背後には鬼頭や橋本、神室さん、他にも坂柳派閥と思われる生徒たちの姿があった。どうやら彼らもお昼休憩中らしい。

 

「因みに天武くんは、どなたに注目なされていますか?」

 

「そうだねぇ、やっぱり生徒会長と南雲先輩かな。どちらも方向性こそ違うけど、大きな影響力を持っている」

 

「敢えてどちらかを上げるとするならば?」

 

「後者かな、生徒会長の方は今年で卒業するだろうから、俺たち一年生に関わって影響を与えて来るってことで」

 

「なるほど。確かに彼は興味深い人物でしょうね。ああ言った人はどんな場所、どんな時代にもいますが、大成できるのはほんの一部でしょうから……将来、落ちぶれるのか、それとも一廉の人物になれるのか、少し興味はありますね」

 

「……」

 

 坂柳さんもどちらかと言えばあの人寄りだよね、という言葉を俺は呑み込んだ。さすがに失礼過ぎると思ったからだ。

 

「どうしましたか?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 妖しい笑みを浮かべる坂柳さんは、杖を突きながらテントから出て来て俺の隣に並ぶ。

 

「この体育祭ではとてつもない大活躍をなされていますね、素晴らしい成果だと思いますよ。おかげでこちらのクラスの士気は壊滅的、早く終わってくれと内心では思っている生徒もいる筈です」

 

「ん……だとしたら作戦通りだとも言えるね。わざわざあれだけ目立った成果もあるというものだ。もしかして怒ってるかい?」

 

「いいえ、才能というものは時に残酷な現実を知らしめるものですから、文句などありません。貴方は貴方が持つ才能と研鑽をこの場で披露しただけ、誰がそれを責めるというのですか」

 

「ありがとう、最近化け物扱いされるようになったから、そう言われるのは少しホッとするよ」

 

「天武くんは、他者の言葉や評価を気にするような人でもないでしょう?」

 

 クスクスと笑う坂柳さんは、暫く俺の反応を楽しんだ後、話題を切り替えてこんなことを言って来た。

 

「ところでお聞きしたいことがあるのですが……天武くんのクラスの綾小路くん、彼のことをどう思っていますか?」

 

「清隆? 彼は俺の友人だ、相棒とも言えるな」

 

 坂柳さんは清隆のことを知っているのだろうか? これまで目立った交流はなかった筈だが。

 

「もしかして清隆と君は知り合いなのかい?」

 

「そうですね……ここは敢えて、幼馴染と表現しましょうか」

 

「そうか……彼の幼馴染ね」

 

「彼について何をご存知ですか?」

 

「……」

 

 こちらを探り、観察するような瞳に、俺は微笑みを返す。

 

「特になにも。彼は俺の友人で、相棒さ、それが俺が清隆を語る為に必要な言葉の全てだ」

 

「なるほど、良き関係となられているようですね」

 

「俺は人に恵まれた人生を歩んでいると改めて思うよ」

 

「あぁ、そう言えば、縁を大事にされる方でしたね、天武くんは」

 

 何が面白かったのか、彼女はまたクスクスと笑ってそんなことを言った。

 

「幼馴染とのことだけど、頻繁に連絡を取っていたりするのかい?」

 

「残念ながら疎遠となっております。恥ずかしながら、彼がこの学園に来ていることさえ先程まで知らなかったんです。だからこそ驚きました……ふふふ、まさか天武くんに肩車されて出て来るなんて」

 

 騎馬戦で肩車されている清隆を思い出したのか、坂柳さんは緩む唇を隠すように手で覆って小刻みに体を震わせている。何やらツボに嵌ったらしい。

 

「よければ紹介しようか?」

 

「ふむ……」

 

 疎遠になった幼馴染とのことならば、清隆と引き合わせるのも悪いことではないだろう、そう思っての提案であったのだが、坂柳さんは少し考え込んでこう返す。

 

「遠慮しておきましょう……せっかくの再会なのですから驚かせてみたいので」

 

「そうか、サプライズと言うのも悪くないかもしれないね」

 

「えぇ、ただ彼の驚いた顔というのも、あまり想像もできませんが」

 

「ん……それは確かに」

 

 チベットスナギツネっぽい顔なら何度か見たことがあるんだけどね。

 

 坂柳さんはもしかしたら清隆の慌てふためく顔でも想像しているのかもしれない、やけに楽しそうな顔をしていた。

 

 意外にもお茶目な面もあるのかもしれない。俺はそんなことを思いながら坂柳さんと一言二言挨拶してからその場を後にする。

 

「幼馴染ねぇ」

 

 ホワイトルームと言う特殊な環境下で育った彼の幼馴染、それはつまり坂柳さんはホワイトルーム出身ということだろうか? 怜悧な印象があり、実際に極まった思考力を持っているのはカフェでの対局で知っているので、違和感はあまりない。

 

 どちらも現実的ではない能力を持っているという点でも似ているのかもしれないな。清隆の印象が薄いだけでもしかしたら本当にホワイトルーム出身なのだろうか。

 

 ここは相談だな、ホワイトルーム関係のごたごたは清隆に丸投げで良い。勝手に処理するだろうし、俺の手が必要なら声をかけてくるはずだ。

 

 佐倉さんには悪いがちょっと清隆を借りるとしよう。

 

 そんなことを考えながら自クラスのテント付近まで踵を返した瞬間に、水道で顔を洗っている生徒を発見した。

 

 あちらもタオルで顔を拭いながらもこちらに気が付いたらしい。クールな表情を僅かに崩しながらも、声をかけてきた。

 

「笹凪か、もう昼食は終えたのか?」

 

「そうだよ、それで特にやることもないからブラついていたんだ。神崎もかい?」

 

「あぁ」

 

 多少は涼しくなったといってもまだ夏の名残は残っている。神崎のように濡らしたタオルで顔や首回りを冷やす生徒は多い。

 

「笹凪……お前はなんというか、特殊な訓練などを受けていたのか?」

 

「どうしてそんなことを訊いてくるんだい?」

 

「あれだけ滅茶苦茶な身体能力を見せつけられれば誰でもそう思う。どんな人生を歩んで来たんだとな……オリンピックメダリストすら霞むほどの存在感だ、気にもなる」

 

「そういうものか」

 

「幼少期から特殊な訓練をしていたのか、或いは特殊な環境に身を置いていたのかと、そう思ってな……まぁお前の能力はそれだけでも説明がつかないが」

 

「どちらも正解だ」

 

 確かに特殊な訓練だったし、特殊な環境でもあった。師匠が俺を改造し続けるという毎日は、普通とは口が裂けても言えないだろう。

 

「そうか……」

 

 神崎はこちらを観察するような瞳を向けて来る。別に嫌われている訳ではないのだろうが、こちらへの警戒心は日に日に強くなっているように思えるな。

 

 もしかしたら、一之瀬さんクラスで最も警戒すべきなのが彼なのかもしれない。一之瀬さんほど大きな存在感はないのだが、常に冷静で集団を俯瞰して見ることのできる人物というのは貴重だ。

 

 これでもっと強い積極性と存在感を持っていれば、もしかしたら神崎は生徒会長に近い存在になれるのかもしれない……いや、そんな生徒であればそもそも最初からAクラスに配属されるか。それができないから入学当初はBクラスだったのだろう。

 

「あ、神崎くん、ここにいたんだ。次の競技の打ち合わせをしたいって柴田くんが呼んでたよ」

 

 別に喧嘩している訳でも険悪な訳でもないのだが、神崎の警戒心故に睨まれるような感じになってしまった所に、一之瀬さんがやってきてそう言った。

 

「そうか、わかった。すぐに向かう」

 

「うん、午後も頑張ろうね」

 

「ではな笹凪」

 

「ん、頑張って」

 

 神崎は自クラスのテントへと戻っていった。最後まで観察するような視線が消えることはなかった。

 

「もしかして……喧嘩とかしちゃってたのかな?」

 

 彼女は心配そうな瞳でこちらを覗き込んで来る。俺と神崎との間にある不穏な雰囲気を感じ取ったのだろう。

 

「違うよ、一之瀬さん。ただなんというか、俺は神崎から警戒されているみたいなんだ」

 

「あ、そうなんだ。そう言えば神崎くんからもよく笹凪くんの名前が出て来るよ。他クラスの話題になった時とか」

 

「おや、そうなのかい?」

 

「うん。他クラスで注目している人とか、そういう話題ってよくあるじゃない? 誰が凄いとかさ、そういう時は笹凪くんの名前が挙がることが多いんだよねぇ。ほら、大活躍してるから」

 

 確かに他所のクラスの話題は別のおかしなことでもない。ただそこで注目している人という話題になるのではなく、誰がカッコいいとか可愛いとかの話題が大半なのがウチのクラスだ。

 

 他クラスの分析というか、そういうのも一之瀬さんクラスはやっているのだろう。

 

「笹凪くんとんでもない大活躍だよね、もうなんていうか映画みたいな動きするし、ビックリだよ」

 

 散々やりたい放題した体育祭での活躍を一之瀬さんは現実味がないと思っているのかもしれない。俺で驚いていたら師匠を知ったらどうなるんだろうか?

 

 穏やかに、そして太陽のように眩しい笑顔で笑う一之瀬さんは、興奮したようにこちらの活躍をべた褒めしてくれた。嬉しくもあるが恥ずかしくもあるな。

 

「ありがとう、誰かに褒められるのはとても嬉しいよ。一之瀬さんクラスも良い成績を残しているみたいで何よりだ」

 

 柴田を筆頭にして、他の生徒たちも平均値が高いからな。さすがに須藤や俺に勝てる戦力は存在しないようだが、平均が高く隙がないという印象である。

 

 実際に、平均値で見れば一之瀬さんクラスの生徒がやはり高い。一位はほぼこちらが奪っている形ではあるが、二位や三位はあちらが独占している、そんな感じであった。

 

 そう考えるとBクラスは運動能力に差がある感じになるな。突出した戦力は揃っているが、中間層が薄いとでも表現できる。

 

「一之瀬さんはどんな感じだい?」

 

「にゃはは、ちょっとだけ苦戦中かも。まだ一位は取れてないんだよねぇ。どれか一つくらいは取りたいんだけど」

 

 そう言えば幾つかの競技で二位や三位になっていたっけな。それでも好成績ではあると思うのだが、クラスを率いる立場としてはまだまだ上を目指したいらしい。

 

「まだまだ競技は続くんだ、狙っていけば良い。同じ組なんだし一緒に頑張ろう」

 

「うん、そこは本当に安心できる所かも。笹凪くんが赤組だとちょっと絶望的になっちゃうだろうし」

 

「ただまぁ、一年の白組は好成績だけど、二年や三年生はあまり良い成績じゃないんだよね」

 

「そこは仕方がないよ、寧ろ自然なことなんじゃないかな? 赤組にはAクラスが固まってるからどうしてもね」

 

 確かに、そう考えると一年の白組は大健闘しているとも言えるだろう。普通はAクラスがいる方が高い成績を残すものだからだ。

 

「先輩たちの分も俺たちでしっかりポイントを稼ぐとしよう、そうだろう?」

 

「うん!! 頼りにさせてもらうよ」

 

 そこで意思を共有するように拳を一之瀬さんに差し出すと、彼女は少し驚いて照れたような表情を浮かべる。

 

「なんか、こういうのってちょっと恥ずかしいよね……照れちゃうな」

 

「そうかい? ウチのクラスでは相手を称える為によくやってるんだ。だから俺は一之瀬さんも称えたい、共に頑張ろうと言う意思を込めてだ」

 

 嘘偽りなくそう伝えると、一之瀬さんは照れながらも拳を前に出して来て、コツンと触れ合わせた。

 

「頑張ろう。俺たちにできるのはいつだってそれだけだ」

 

「うん、一緒にね」

 

 朗らかに笑って見せる一之瀬さん、プールで見た陰りのある顔はもうどこにもない。

 

 俺は一年生にいる各クラスの注目生徒の中で、実は一番彼女を評価していたりするのだ。坂柳さんでも葛城でも龍園でもなく、一之瀬さんをだ。

 

 誰かの為に生きたいという思いや願いが伝わって来る。そしてそれを迷うことなく行動に移すことができる。それは尊い生き方だ。

 

 観察している限りでは色々と悩みや複雑な思いもあるみたいだが、それでもだ。

 

 もしこの学校で無ければ彼女以上のリーダーは存在しないだろう。

 

 誰かを思って行動できる、誰がなんと言おうが俺はそれが最も尊いと思うし、そんな人にリーダーになって欲しいと思う。小賢しい人でも奸智に長けた人でもなくて、彼女こそが相応しいと考えていた。

 

 足の引っ張り合いや、相手を貶めることがリーダーの資格だとは思いたくないし、それが実力だとも言いたくはない。

 

「笹凪くん、どうしたの? ずっとこっちを見つめて」

 

 だから一之瀬さんには頑張ってもらいたいと思う。これこそが真の実力だと言えるくらいに。

 

「何でもないよ、一之瀬さんは可愛らしいと思っていただけさ」

 

「にゃッ!?」

 

 一之瀬さんクラスには神崎がいるから大丈夫だろう。あの警戒心の強いクールな参謀役ならば巧みなバランス感覚でクラス闘争を有利に持っていける筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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推薦競技

 

 

 

 

 

 

 

 

「清隆、少しいいか? ちょっと相談があるんだ」

 

 一之瀬さんとわかれた後、日陰で佐倉さんと昼食後のお茶を楽しんでいた清隆に声をかける。

 

「ごめんね佐倉さん、彼を借りていくよ」

 

「う、うぅん……大丈夫」

 

 申し訳ない気分になりながらも清隆を連れ出してグラウンドの隅っこ、特に人気のない場所に移っていく。

 

「実はさっきAクラスの坂柳さんと話してたんだけど」

 

「Aクラスのリーダーの片割れか、何か交渉を持ちかけられたのか?」

 

「いやそうじゃない、世間話をしただけさ。その中で君の話題になったんだ……彼女が言うには清隆と自分は幼馴染らしい」

 

「ふむ……」

 

 顎に指を当てて考え込む、そのまま数秒ほど過ぎ去って彼はこう断言する。

 

「俺の記憶にはない、何かの勘違いじゃないか?」

 

「いや、確信があるような感じだったよ……俺はホワイトルームの内情やどんな場所であるかを詳しくはしらないが、同じ施設出身ってこともありえるんじゃないか?」

 

「印象には残っていない。それにホワイトルーム出身ということもありえない。確か坂柳という生徒は先天的な疾患で体が不自由なんだろう? その時点で候補から落ちる、カリキュラムに組み込まれることはありえない筈だ」

 

「ふぅん、それはまたどうしてだい?」

 

「ホワイトルームが作りたいのは万能の天才。いや、この表現は今となっては正しくないな……全てにおいて弱点の無い人間だ」

 

「となると体が不自由な彼女がホワイトルーム出身という可能性はとても低くなると、なるほどね。しかし彼女は以前の清隆を知っている様子だったよ」

 

「……だとしたら、ホワイトルームの出身ではなく、その関係者の可能性があるかもしれないな」

 

「運営側かぁ……ありえなくはないのかな? 俺はてっきり、君が言っていた刺客か何かかと思ってたんだけど」

 

「その可能性も否定はできないだろうが、そういった連中が来るとしても来年以降だろうな」

 

「それは腕が鳴るね。楽しみだなぁ、清隆みたいな奴が沢山くるかもしれないんだろ? 一人二人と言わずに、百人くらい来て欲しいよね」

 

「……」

 

「何故、黙るのかな?」

 

「いや、同情していただけだ……可哀想にな、と」

 

 清隆は俺を何だと思っているんだ。仮にも君の後輩なんだから殺したりする訳ないだろう、ただちょっと腕試ししたいだけなんだから。

 

 一目見ればその人がどれだけ強いかはわかるから、見つけるのも簡単だろうし、俺はとても仲良くしたいとも思っているんだ。壊したりなんてしない。だからそんな目で俺を見るんじゃない。

 

「まぁ何であれ坂柳には注意しておこう。天武が言うには、厄介な相手なんだろう?」

 

「そうだね、並の相手ではないのは間違いない」

 

「要警戒か……今はそれしかないか」

 

「今はクラスでの派閥争いもあるからまだ派手には動けないだろうから、暫くはそれで良いんじゃないかな」

 

「あぁ、今は体育祭を乗り越えることに集中しよう」

 

「体育祭と言えば、龍園の動きはどう思う?」

 

「隙があれば仕掛けてくるだろうな。隙が無くても強引に挟み込んで来るかもしれないが……問題は無い、もう決着は付けている」

 

「ん、なら何も問題はないか」

 

「そうだ、お前は正面から叩き潰してくれ。結局は、それができる奴が一番強い」

 

 清隆の言う通りだ、策略でどうにかできるラインを超えた力でぶん殴るのが一番だろう。

 

「午後の部も頼んだぞ」

 

「あぁ、全力で行くとしよう」

 

 午後の部、一発目は借り物競走となる。単純な足の速さだけでなく運も試される要素が大きい。

 

 ただ心配はいらないだろう。あの占い師さん曰く、俺には使いきれない程の幸運があるらしいから。

 

 お昼休憩の終わりと午後の部の始まりを告げる放送がグラウンドに響き渡ったので、俺たちはクラスメイトが集めるテントに帰っていった。

 

「借り物競走か、こればっかりは運も絡んで来るからな、さすがに不安になるぜ」

 

 テントに着くと須藤がストレッチをしながらそんなことをぼやいていた。ここまで出場した競技の全てで一位を記録している男ではあるが、こればかりは不安になるらしい。

 

「面倒なお題が出ないことを祈るしかないだろうな。それに上手く行かなくてもお前はこれまでの競技で八面六臂の大活躍だったんだ、誰も文句は言わない」

 

「だな、けどここまで全部一位だったんだ、やっぱ全部で勝ちたいだろ」

 

「その意気は良し、勝利を手繰り寄せて来い」

 

「おう」

 

 彼の背中を押して一組目が並ぶコースにやる気と共に走っていくのを見送って、俺も出場に向けて心と体を整えていく。

 

 ストレッチをしながら集中力を高めていく。堀北のおかげでより深い場所まで進めるようになった師匠モードに切り替わると、その時には須藤はクラスメイトから靴を借りて堂々の一位を記録するのだった。どうやら運にも恵まれたらしい。

 

 完璧だな、文句の付けようがない結果を須藤はこの体育祭で出している。運すらも呼び込んだか。

 

 続く俺は二組目、気合を入れながらスタートラインに近づくと、そこにはまたもや龍園が待っていた。

 

「チッ」

 

 こいつ、俺の顔を見た瞬間に舌打ちするとはどういう了見だ。

 

「龍園、運に自信はあるのか?」

 

「はッ、そういうテメエはどうなんだよ?」

 

「幸運な人生を歩んでいると思っている……特に人との出会いに恵まれた」

 

 師匠と出会えたことは俺の人生で一番の幸運だと思う。それこそこれからの人生でどれほどの不運と困難が立ち塞がろうともおつりが来るくらいの。

 

 だから俺は幸運な男なんだと思う。あの人に出会えなかった人生なんて考えられないから。

 

 競技の開始を告げるピストルの音が鳴り響いた瞬間に、誰よりも早く何十メートルか進んだ場所にある箱に手を突っ込んだ、そこから一枚の紙を取り出して書かれている内容を確認する。

 

「百キロ以上の荷物を担いで持ってくることか」

 

 これを誰かから借りて来いと? 完全にネタ枠だと思う。誰がこのお題を作ったのか知らないけど、突破させるつもりがないだろう。普通の生徒ならばここで三十秒を消費してお題を変更する筈だ。

 

 けれど問題は無い、ようは百キロ以上の物体をゴール地点まで運べと言うお題なのだ。こんなに楽な話もないだろう。

 

 作った本人はネタ枠気分だったのかもしれないが、これ以上俺に合ったお題もない。

 

 俺はすぐさま自クラスのテントまで走って行って、クラスメイトに協力を呼びかけた。

 

「笹凪くん、何が必要なのかな?」

 

「なんでも言って、ここまで来たんだから笹凪くんもしっかり一位を取って欲しいんだよね」

 

 応援してくれていた櫛田や松下たちに、お題の紙を広げて見せつける。

 

「お題は百キロ以上の物体だ、それをゴール地点まで運ばないといけない」

 

「えぇ……バーベルとか?」

 

「誰がそれを持ってるのよ」

 

「いや、百キロ超えてればいいんだから別に物でなくても構わないだろう。背負っていくよ。須藤、背中に乗ってくれ、池と山内を小脇に抱えていくぞ」

 

「そういうことか、確かに百キロは超えるだろうけどよ」

 

「ほら、乗れ」

 

 グダグダ言っている時間が惜しいので俺は須藤に背中を見せて急かす。身長もあり筋肉もある男なのでこれである程度の重量は確保できただろう。

 

 振り落とされないようにしっかりと掴まっているように伝えると同時に、右手に池を抱えて左手に山内を抱える。二人を脇に挟んでいざゴールを目指す。

 

「ぐぇ、速すぎて死ぬ」

 

「何で三人抱えてこの速度で走れるんだ……おいヤバいぞ、龍園がゴールに向かって走ってるって!!」

 

 池が慌ててそう叫ぶ、視線の先には龍園の姿があった。

 

「走れ笹凪ィッ!! あんなやろうに一位を渡すんじゃねぇぞ!!」

 

 確かに龍園はゴールに向かって走っていく。どうやらクジ運に恵まれたらしい。

 

 奴は三人抱えている俺に視線を向けて邪悪な笑みを浮かべている。勝機とでも思ったのかもしれないが、その程度のリードで勝てると思われていることは少し意外だった。

 

 確かにこっちは百キロ以上の重量を担いでいるが、師匠が背負わせた仁王像はそれ以上の重さだったし、それを担いだ状態で険しい山を走る毎日だったんだ、これくらいならば何の苦にもならない。

 

 全力で踏み出してゴールに向かう龍園を追いかける。クジ運に恵まれて一足早くそちらに向かっていてリードしていたのは間違いないが、だからといってその程度の優位性で勝てる筈もないだろう。

 

 全力で走れば瞬く間に龍園の背中が近づいて、次の瞬間には彼を置き去りにしてゴールテープを切ることになった。

 

 他の面子はまだクジを選び直していたり、お題を探すことに必死になっている状態だ、この競技でも一位となることができた。

 

 こちらに遅れて龍園は二位となる。三人を抱えて全力疾走をしていた俺に、龍園は相変わらず気持ちの悪い生物でも見たかのような視線を向けて来る。お前、それ本当に止めてくれ。

 

「お、下ろしてくれ……吐きそうだ」

 

「おっと、すまないな山内。それと吐くならグラウンドじゃなくてトイレでするべきだ」

 

 背負っていた須藤と、脇に抱えていた池と山内を地面に下ろす。男三人なので確実に百キロは超えていることだろう。もしかしたらこのお題を作った人はネタ枠として箱の中に入れたのかもしれないが、俺にとってはとても簡単なお題だったので感謝しかない。

 

 だって仁王像より軽いからな、とても楽であった。

 

「へッ、どうよウチのゴリラ様はよッ!!」

 

 何故か池は龍園を煽りだす、しかし邪悪な形相で睨み返されてすぐに涙目になってこちらに帰って来る。やるならやるでもっと根性を見せて欲しい。

 

「笹凪ィ、アイツ怖えよ!!」

 

「そうだな、だからあまり近寄るな、絶対に怪我するから」

 

 そんな当たり前のこともわからずに煽りに行くもんじゃないっての。お前は殴られればちゃんと怪我をする人間だろうに。

 

 まぁ何であれ借り物競走でもしっかりと結果は残すことができた。お題も簡単だったのでありがたいことである。同じ組で走った面子の中では未だにクジを引き直している者もいれば、無理難題に絶望する者もいる。

 

 そう考えると恐ろしい競技だな、ここでは運動能力はそこまで重要ではないのかもしれない。三組目に出場した堀北は三位となっている。とても悔しがっていた。

 

 荷物代わりに担いで運んだ三人と共にテントに戻ると、三位になって絶望した顔の堀北がこちらにフラフラと近づいて来た。

 

「さ、笹凪くん……三位は、十分に好成績よね?」

 

「かもしれないな、けれど俺は一位になったお前を見たいんだ」

 

「くッ……」

 

 どうやらお兄さん風に褒めて欲しかったらしいが、さすがにそれは考えが甘い。俺はタダで褒めるほど安い男ではないのだ。

 

「まだ競技はある、期待しているぞ」

 

「わかったわ……見ていなさい」

 

 四方綱引きには参加しないが、男女混合リレーと二人三脚には出場することが決まっているので、そこでしっかり結果を出してくれることだろう。

 

「次は四方綱引きでしょ? 頑張りなさい、まぁ貴方に勝てる人類が存在するのか疑問だけれども」

 

 うん、清隆だけでなく堀北さんもこんな感じの扱いをしてくるようになったか、それどころかクラスメイトの大半が似たような感じである。

 

 いや、違うな、体育祭で暴れまわった結果、全校生徒から「あぁ、アレね。あのゴリラね」という視線を向けられて、同じような評価を貰うことになった。

 

 さっきもブラついている時は、同学年はおろか上級生たちですら俺を見てヒソヒソと噂していたし、すれ違う瞬間にサッと道を譲られる始末だ。

 

 どうやら恐れられているらしい。それは作戦通りではあるのだが、人間扱いされないのはちょっと寂しくもある。

 

 だが自業自得だ、侮られるよりはマシと思うしかないだろう。

 

 グラウンドで行われる四方綱引きでもそんな評価が役に立った。他のクラスは俺が対戦相手だとわかった瞬間に顔を青ざめさせると、やる気をなくしてすぐに縄を手放してしまうからだ。

 

 下手に抵抗して引きずり回されて怪我をするくらいなら、さっさと諦めて体力を温存した方が賢い、そう判断したのだろう。

 

 そんな訳で四方綱引きは何の苦も無く勝利となる。俺とは戦いたくないと言う評価はこれからも付き纏ってくることになるのは間違いない。作戦通りであった。

 

 コイツとは戦いたくない、そう思わせることが出来たのならば、それがこの体育祭で一番の収穫と言えるのかもしれないな。

 

 それでも向かってくる相手がいるのだとしたら、それは負け戦を覚悟した時か、彼我の戦力を測れない愚か者か、それとも意地と覚悟を捨てきれなかった者になる。

 

 龍園はどうするだろうか? 向かってくるのならそれはそれで話が早くてありがたい、彼も力を振るうことに重きを置く男であるが、俺のような相手に挑むのはおそらく初めてのことだろう。

 

 どうなるかはわからない、ただ暴力を外交手段に使う相手は、その暴力が全く通じない相手には途端に無力になってしまうものだ。そこが龍園の真価が試される瞬間になるかもしれないな。

 

「笹凪くん、縄結んじゃうよ?」

 

「あぁ、頼んだ」

 

 四方綱引きで相手のやる気を奪い去ったことによる圧勝を終えてから龍園のこれからについて考えていると、すぐに推薦競技の一つである男女二人三脚が始まることになった。俺のペアは櫛田さんとなる。

 

「さっきの須藤くんと堀北さん、凄かったね。簡単に一位になってたし、やっぱりあの二人は相性抜群なのかな」

 

「そうかもしれないな、あのペアなら誰が相手でも負けることはないだろう」

 

 実際に須藤と堀北の走りは圧巻だった。二位と大差をつけての圧勝である。

 

「私たちも負けてられないね、一位を目指そうよ、ね?」

 

「あぁ、あの二人に負けないくらいの走りを見せないとな」

 

 俺がお約束とばかりに拳を差し出すと、縄を結び終わった櫛田もまた拳を差し出してくる。

 

 そしてコツンとぶつけ合う、櫛田の内心や考えは今は横に置いておくとして、少なくともこの競技は勝ちに行く筈だ。今更露骨に足を引っ張る理由はどこにもないのだから。

 

 クラスのテント付近から、こちらを睨んで来る堀北の鋭い視線を無視して、俺は櫛田と肩を組む。

 

 身長差で彼女は俺の腰付近を掴む形になったが、大きな問題はないだろう。

 

 そしてスタートラインに付く、もうすぐ競技が始まることになる。

 

「櫛田、色々とすまないな」

 

「え? 急にどうしたのかな?」

 

「いや、色々とクラスのことでいつも動いているだろう? お前は求心力があるから、頼りにしている部分も多い、つい甘えてしまうことも多かったかもしれないと、今更ながら思ってしまってな」

 

 別に嘘は言っていない。櫛田は友人も多くクラスの中心人物だ。それどころか他クラスにも顔が広く学年屈指の交友関係を持っている。以前の偵察でもそれが大きく役立った。

 

「だから、感謝している。このクラスにはお前が必要だ、いつもそう思っているよ」

 

「も、もう、急にそういうこと言うのは駄目だよ、恥ずかしくなっちゃうから」

 

「そうか、でも言葉にしなければわからないことも多いからな。内心でどんなことを思っていたとしても、伝わらないことも多い……だからこそ、言葉にして伝えたい、ありがとう」

 

「う、うん……」

 

 俺が嘘偽りない感謝を伝えると、櫛田は気まずそうに視線を逸らす。彼女の中にある複雑な考えや内心も揺れ動いているのが観察していれば読み取れた。

 

 後悔と、良心の呵責もそこにはある。けれどそれ以上の何かもそこにはあった。

 

 とても複雑な人だ。俺は素直にそんな彼女を面白い人だと思う。

 

 ピストルが競技の始まりを告げて俺たちは走り出す。何をどうしようが櫛田がこちらの全力疾走に合せることはできないので、やるべきことはただ一つ、こちらが彼女の最高速度に完璧に合わせる、それだけだ。

 

 共に走ることになるライバルたちは男女や身体能力の違いで必ず一人で走る時よりも遅いタイムとなるが、こちらのペアはそうはならない。

 

 当然だ、櫛田には俺のことなど何も考えずに一人で走っている時と同様にただ全力で走れと言ってあるし、そう練習もさせてきた。

 

 後は俺がそこに一切の乱れなく合わせるだけである。これで櫛田は百メートル走と同じだけの速度でゴールを目指すことが出来るだろう。

 

 そして実際にそうなった。二位と大差をつけての圧勝となっている。幸村と同じように側面に張り付けて走るという方法もあったのだが、さすがに女性に張り付けと言うのは憚られたので、常識的なタイムとなってしまう。

 

 個人的にはここでも百メートル走の世界記録を更新したかったんだがな、まぁ一つくらいはこんな記録があっても良いか。

 

 清隆からは二人三脚でそんなことを考えるのは明らかにおかしいと言われてしまったけど、最強を目指すにはそれくらいできないとダメだと俺は思う。

 

 まぁ櫛田を張り付けて走る勇気が無かったので、こればかりは仕方がないのだろうけど。

 

「はぁ、はぁ……やったね笹凪くん!! 一位だよ!!」

 

「あぁ、見事な走りだった、さすがだ」

 

「うん、私たちも相性ばっちりだね!! 須藤くんや堀北さんにも負けてないよ」

 

 やけにそこに拘るな……色々と複雑な思いがあるのだろう。

 

「リレーでもこの調子で行こう。大丈夫だ、俺たちなら必ず勝てる」

 

「笹凪くんがいるもんね」

 

「あぁ、そしてお前がいる。何も心配はしていない」

 

 今度は拳を合せるのではなくハイタッチとなった。

 

「この先も色々な困難があるだろうが、櫛田がいれば超えていけるだろう、頼んだぞ」

 

「……うん、大丈夫、任せてよ」

 

 一瞬、昏い顔を覗かせた櫛田だが、すぐにいつもの愛らしい笑顔に戻った。

 

 いつか本当に仲間となってくれることを期待するしかないだろう。俺は別に彼女の過去にも内心にも興味はないし、そこに拘ることに意味もないと思っている。

 

 それら全てを無視して、素直に櫛田のことは興味深い人だと思っており、好意的に見ていたりもするのだ。複雑な人間と言うのは、それだけで様々な魅力があると思う。

 

 この学校には魅力的な人が多い、師匠と俺と敵とで完結している世界では得られなかった縁が沢山あるということだ。

 

 それだけでも、俺はこの学校に来て良かったと思う。

 

 

 

 

 

 



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男女混合リレー

 

 

 

 

 

 

 長かった体育祭もいよいよ最終競技である男女混合リレーが近づいて来た。全ての競技で唯一、全学年が同時に参加するこの競技には、各クラス、各学年の精鋭たちが並ぶことになる。

 

 それはBクラスも変わらない。男子は俺と須藤と清隆、女子は堀北と櫛田と小野寺である。このクラスの最強戦力とも言える面子だろう。単純な身体能力では間違いなく学年一位だろうし、上級生にだって負けてはいない筈だ。

 

 清隆も事前の練習でそれなりに速いことがクラスで周知されていたので違和感なく受け入れられている。トップクラスに速い訳ではないが、それなりに速い、そんな印象を持たれているらしい。

 

 何より、上級生を含めて勝利する為にはどうしてもこの面子である必要がある。何だかんだで体育祭を楽しんでいる様子の清隆は、最後まで頑張って貰うとしよう。

 

 大丈夫、常識的な活躍の範囲で注目を浴びることはない、俺が全て塗りつぶすからだ。

 

「いよいよ最終種目だ。ここまで諸君らは大いに戦った。だからこそここで気を抜くべきではない」

 

 競技が始まる直前、最後の打ち合わせとやる気向上の為に、競技参加者は円陣を組んでそれぞれが向かい合う。

 

「須藤、少し呼吸が荒いぞ、落ち着け」

 

「おう悪いな、柄にもなく緊張してたみてえだ」

 

「清隆、楽しんでいるか?」

 

「あぁ、何も問題はない」

 

「堀北、お前も呼吸を整えろ」

 

「少しだけ時間を頂戴、すぐに整えるから」

 

「櫛田も少し固くなっているな、安心しろ、この面子ならば必ず勝てる」

 

「うん、リラックスだね」

 

「小野寺、ここまでよく戦ってくれた、これからも頼んだぞ」

 

「任せてよ、絶対に負けないからさ」

 

 

 師匠モードでそれぞれ声をかけていき、各々の心理状態や緊張を良い位置にまで調整していく。僅かな緊張と僅かなゆとり、それらが上手く絡み合う状態までだ。

 

「まことに残念ながら上級生がだらしない結果、白組としての勝利は難しいものになっているが、学年での勝利は譲るつもりはない。この最終競技でも当然ながら勝利を目指す」

 

 当然だとばかりにそれぞれの頷きが返ってくる。師匠モードに引っ張られるように各々の集中力が高まっているのがよくわかった。

 

「お前たちがこれまで積み上げて来た研鑽と努力は確かにその体と意思に蓄積されている。これまでの全てを出し切れば、勝利は難しくないだろう……違うか?」

 

 また力強い頷きが返って来る、良い雰囲気だ。

 

「ミスを恐れるな、戸惑いも不要だ。それらを理解した上で行くとしよう……完膚なきまでの完全勝利を目指すぞ!!」

 

 そこでそれぞれの集中力と緊張とゆとりは完全に絡み合い程よく落ち着くことになる。最高の状態とも言えた。

 

 俺たちだけでなく各クラス、そして各学年の精鋭たちもスタートラインに集まる中、グラウンドに響き渡る歓声や応援の声も徐々に大きくなっていく。

 

 最終競技に相応しい場となっている。そんな中で先陣を切るのは須藤であった。

 

「須藤、もう何も言うまい、行ってこい」

 

「おう!! 上級生だろうがなんだろうがぶっちぎるからよ、見ててくれ」

 

 各クラス、各学年も一番手にはやはり抜きんでた精鋭を配置するだろう。そんな中でも須藤の身体能力は一歩先を行くほどである。

 

 審判がスタートピストルを空に向けると、グラウンドを包んでいた喧騒が僅かに静まる。その一瞬の静寂を切り裂くかのように最終競技の始まりを告げる轟音が炸裂した。

 

「すげッ、速ッ!!」

 

 柴田も驚くほどである。完全完璧なスタートダッシュと加速を決めた須藤は、そのまま宣言通り上級生すら敵わない程の速度を維持してリードを広げていく。

 

「行ってこい綾小路!!」

 

 抜きんでた結果、後方では位置争いが起こってほぼほぼ差が無い状態だ。須藤はそのまま猛スピードで二番手の清隆へとバトンを渡す。

 

 清隆は清隆で程よいやる気を見せている。何だかんだで楽しんでいる様子なのはわかる。須藤が作ったリードを縮ませないまま三番手の小野寺にバトンを繋いで見せた。

 

 できればリードを広げて欲しかった所ではあるが、あくまで常識的な範囲での活躍に留めるつもりらしい。まぁ構わないだろう。

 

「問題なのはここからだな」

 

 小野寺は速い、高い身体能力を持っているが、何もかもを寄せ付けない程ではないだろう。クラスの中ではトップでも学年全体で見ればやはりどうしても後れを取ってしまう。

 

 須藤が作って清隆が維持したリードを上手く使うしかない。徐々に各クラスと差を詰められてしまっているが、責めることもできはしないだろう。

 

 他のクラスだってそれぞれ精鋭を配置しているのだ、そのほとんどが運動部の主力たち、そこまで簡単にはいかないか。

 

 序盤のリードを縮められて遂に小野寺は2-Aの生徒に抜かれてしまう。やはり上級生の壁は高く分厚い。

 

 それでも小野寺はBクラス屈指の身体能力を活かしてバトンを堀北に届ける。この時点で3ーAの生徒からも抜かれてしまっていたが、陸上部の主力を相手に健闘したと言うべきだ。

 

 リードを縮められて先を行くことになった上級生たちを追うことになる堀北だが、ここでハプニングに襲われてしまう。バトンの受け渡しミスだ。

 

 堀北に逸る気持ちがあったのか、それとも小野寺が気を抜いてしまったのかはわからないが、二人の間でバトンの受け渡しは成立しなかった。

 

「ッ!!」

 

「あ、ごめッ……!!」

 

 堀北と小野寺との間でバトンが弾かれるように宙を舞った、そのまま地面を転がってしまう。

 

 すぐさま拾い直して走り出す堀北だが、致命的ではないもののその僅かな隙間によってやはりリードを縮められてしまった。

 

 先頭を走る2-Aとの距離はそれなりに広がってしまう。序盤に須藤が作ったリードくらいはあり、つまりまだ挽回できない距離でもないだろう。

 

 堀北にもそれはわかっている。何よりアンカーは俺である。多少のリードなんて帳消しにできると理解している筈だ。だからこそ彼女は諦めることなく走り続けていった。

 

 幸い、と言うべきなのかわからないが3-Aの生徒が転倒によって差を縮めることができたようだ。

 

 ただ、そんな堀北を待ってましたとばかりに龍園クラスが牙を向いた。

 

「龍園……」

 

 堀北と並べるくらいの距離にいるのは龍園クラスの生徒であった。彼女は突然に堀北を巻き込んで倒れてしまったのだ、まるで接触でも起こしたかのように。

 

「堀北さん!?」

 

 櫛田の驚いた声が聞こえて来た。かなり派手に転んだ様子だが……どうだろうな?

 

 もしかしたら痛みで立ち上がれないかもしれない、大きな怪我を負っているかもしれない、心配と不安を覚えるのも当然であった。

 

 あぁ、けれど、大丈夫だ……彼女はもう立ち止まることはない。

 

「堀北さん!! 負けないで!!」

 

 転倒した彼女はすぐさま立ち上がって走り出す、振り返ることもしない。クラスメイトたちからの声援を一身に受けて加速していく。

 

 もしかしたら怪我をしているかもしれない、痛みだって感じるかもしれない、それでもだ。

 

 力強く鋭い加速は痛みを知らないかのようであり、高まる集中力は不完全な師匠モードへと至る。

 

 あぁなると、いよいよ手が付けられなくなるな。

 

 バトンの受け渡しミスと、接触による転倒、普通ならばそこからの挽回は絶望的だ。それでも彼女は先を見て限界をも超える速度で走っており、その瞳は俺を見つめていた。

 

 櫛田にバトンを渡した瞬間に、体が痛みを思い出したかのように表情を歪めるが、視線の先に俺がいることは何も変わらない。

 

「任せておけ」

 

 だから俺はそんな彼女に、何も心配はいらないとばかりに手を振った。

 

 応とも、勝つさ、それが俺の仕事であり証明だ。

 

「この勝負は俺たちの勝ちッスね堀北会長。できれば接戦で走りたかったですよ」

 

 俺にバトンを渡す櫛田の走りを眺めていると、近くからそんな声が聞こえて来る。南雲先輩と生徒会長の会話だ。

 

「総合点でもうちが勝ちそうですし、新時代の幕開けってところですかねー」

 

「本当に変えるつもりか? この学校を」

 

「今までの生徒会は面白味が無さすぎたんですよ。伝統を守ることに固執し過ぎてたんです。口では厳しいことを言いながらも救済措置は忘れない。ロクに退学者もでない甘いルール。もうそんなのは不要でしょう。だから俺が新しいルールを作るだけです。究極の実力至上主義の学校を」

 

「ふむ……お前はどう思う?」

 

「ここで俺に振るのか……」

 

 何故か堀北会長は俺にパスを出してくる。迷惑なんで正直止めて欲しい。

 

「よう……笹凪」

 

 南雲先輩の視線がこちらに向かうと、彼は龍園と同様に俺を気持ちの悪い生物であるかのような目で見て来る。生徒会室の前で声をかけてきてくれた時はまだフレンドリーな感じだったのに、この体育祭で何故か嫌われてしまったらしい。

 

「伝統やらなんやらを語れるほど偉くはないが、この手の話は古きに学んで新しきを取り入れるで落ち着くだろう。それができていない時点で互いを意識し過ぎでは?」

 

「ほう」

 

「……」

 

「俺はどちらでも構わない……あぁ、でも、南雲先輩、一つだけ忠告しておこう」

 

「なんだよ?」

 

「実力こそ全てだと口にするのは大いに結構。けれど、そういうことを言う奴の大半は、地面の味を知らない」

 

「へぇ、偉そうに……なら地面の味ってやつを教えてくれよ」

 

「ならば一位になるとしよう」

 

「はッ、いいぜ、やってみせろ」

 

 そう言って南雲先輩は緩やかに助走をつけてバトンを受け取って走り出す。

 

 面白い人だとは思う、実力者であるとも理解できる。けれど結局はそれだけだ。何より決定的な敗北の味を知らないことが致命的だった。

 

「実力主義を掲げるのは別に構わない。ただしそれはせめて泥にまみれて地面を舐め尽くし、苦渋に塗れてから言って欲しかった」

 

 上には上がいると、自分では絶対に勝てない存在がいるのだと、せめて知ってから強気な発言をして欲しい。

 

「そうだな、もう少し南雲には視野を広げて欲しいとは思っている」

 

「貴方がそれをすれば良かったんだ」

 

「かもしれん、では俺も先に行かせてもらおう。お前が相手ならば少しでも先を走っておきたいんでな」

 

「どうぞお先に、後で追いつきます」

 

「ふッ」

 

 面白いとばかりに笑って見せると、生徒会長もまた助走をつけて走り出し、バトンを受け取った瞬間に急加速した。

 

「笹凪くん、お願い!!」

 

 そして少し遅れて櫛田が俺にバトンを受け渡す。

 

 先頭を走る南雲先輩との差は、まあ普通なら絶望的だ。

 

 けれど何も問題は無い。結局の所、彼が持つリードは常識的な範囲での運動能力から感じる優位性である。

 

 人間なら覆しようのない差であることは間違いない。たとえオリンピック選手でもここから一位を取ることは出来ないだろう。それは間違いない。

 

 けれど俺は最強に挑み、超えなければならない使命がある。この程度の差を覆せないで師匠を超えられる筈もなかった。

 

 師匠モードが限界まで深まると、俺は意識の全てをそちらに委ねた。もう一人の自分に体を明け渡すかのように。

 

 後は師匠のように……つまりは雷の如く、走り抜けるだけである。

 

 まるで俺は夢でも見ているかのような気分となり、矢のように過ぎ去っていく光景をどこか他人事のように眺めることになる。

 

 これまでの競技でも全力を出してはいたが、今では筋肉や骨が軋むような音が体中に響くほどに酷使していた。

 

 全力だった、本気だった、けれど今この瞬間までは死ぬ気にはなっていなかった。その違いだろう。

 

 先を走っていた生徒会長を瞬く間に抜き去り、その他の上級生を一瞬で置き去りにしていき、柴田を抜いた瞬間に南雲先輩の背中も見える。

 

 遅い、歩いてるのか? 真面目にやってくれ。

 

 そんなことを思いながら、俺は南雲先輩すら置き去りにして誰よりも早くゴールテープを奪い去る。

 

 なんてことはない、別におかしくもない結果だった。

 

 どれだけ世界記録を更新しても、どれだけ勝利を積み重ねたとしても、あの人には届かないとわかっている。俺は南雲先輩と違って何もかもが完全な上位互換である絶対に勝てない相手を知っているので、そこを目指している。ならばこの程度の勝利は呼吸をするかのように平然と得なければならないだろう。

 

 あの人を知って、超えると誓ったのだ、俺のここまでの人生はそこに至る為の無限の研鑽と鍛錬に埋め尽くされていた。その努力の成果がこの結果を生み出した、それだけの話である。最強に挑もうと言うのだ、高校生に負けていられるか。

 

「はぁ、はぁ……ふざけやがって、何なんだお前は」

 

「残念ながら二位となってしまいましたね、気分はどうですか?」

 

 追い抜かれて残念ながら二位となってしまった南雲先輩は、呼吸を荒くしながらもやはり気持ちの悪い生物でも見たかのような視線で俺を見つめて来る。

 

 理解できないと、そう思っているのかもしれない。

 

「はッ、最悪だっての……二度とごめんだ」

 

「ここはそれでも、実力こそ全てだと言う所ですよ。二位の南雲先輩」

 

「うるせえよ……まぁ良いさ、認めてやる。お前は俺の敵に相応しいってな」

 

 ただまぁ、俺への好奇心や興味は大きくなったようだ。理解できない意味不明な存在だと思う反面、面白いとも思っているのだろう。

 

「生徒会には本当に来ないのか?」

 

「あぁ、今は色々と忙しいので難しい」

 

「そうか、堀北会長が引退していなくなるから、生徒会の席は空くんだがな」

 

「興味もありません」

 

「それだけの実力があるのにか?」

 

「貴方はもしかして、俺を実力者だと思っているんですか?」

 

「そりゃそうだろ、俺に勝ったんだ、そうじゃなきゃ困るっての」

 

「だとしたらそれは勘違いだ……俺はまだまだ未熟者ですよ」

 

「謙遜もそこまでいくと、盛大な嫌味になるぜ」

 

 別に慎んでいる訳でもなければ謙虚な訳でもない、今の言葉は俺自身を語る上での全てだ。

 

「俺は俺よりも強い人を知っている、賢い人を知っている……だからそこを目指している。あの人を超えられていないのなら、俺はやはり未熟だ」

 

 そうだ、まさにその通りだ。世界記録をどれだけ更新して、高校生相手にどれだけ勝利しようが、それは誇れるようなことでもない……俺は、あの人と出会ってしまったから。

 

 だからまた研鑽を続けよう、師匠との約束はまだ果たせていないのだから。

 

 勝利の余韻を吹き飛ばして俺はまた先を見据える。最強へ至るには、まだ遠い。

 

 

 

 

 

 

 

 



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体育祭閉幕

体育祭編はこれで終わりとなります。ようやくゴリラも落ち着きを取り戻して人間に戻れる。


 

 

 

 

 

 

 

 

 男女混合リレーで勝利をもぎ取って長かった体育祭はいよいよ閉幕を迎えることになる。思い返してみれば最初から最後までこの体育祭の主役はウチのクラスだったかもしれない。それほどの暴れっぷりだったと思う。

 

 俺は俺で目的通り圧倒的な勝利を奪い去り、学年はおろか学校全体で「ヤバい奴」という認識を持たれたと思う。実際に歩いていると道をサッと譲られる始末だ、もしかしたらやり過ぎたかもしれない。

 

 こいつとは戦いたくない、そう思わせることが俺が掲げたこの体育祭での最終目標だったので、作戦通りの結果ではあるのだが、正直ここまで引かれるとは思わなかった。

 

 気安く接してくれるクラスメイトたちは癒しとなっている。

 

 師匠もよく言っていたな、並び立てる者がいなくなるとそれはそれでつまらなくなると。

 

 俺もいつかあの人を超えた時に、同じようなことを思うのだろうか? 未だに未熟者の身にはわからない悩みであった。

 

「それでは、これより本年度体育祭における勝敗の結果を伝える――――」

 

 グラウンドに集まった全校生徒にそんな放送が広がった。同時に電光掲示板にも結果が記されていくことになる。

 

 赤と白にわかれた電光掲示板が数字をカウントしていき、ついに最終的な勝敗を生徒たちに示した。

 

「まぁそうだろうな」

 

「こればかりは仕方がないわね」

 

 一年生の白組は圧勝とも言うべき結果であるが、上級生は結果が振るわなかったので白組としては敗戦となってしまう。

 

 隣にいる堀北さんも残念がりながらもしっかり受け止めている辺り、予想はしていたらしい。

 

「でも、学年別の結果は別よ」

 

「あぁ、あれだけ暴れまわったんだ、そうじゃなきゃ困る」

 

 一位 1年Bクラス

 

 二位 1年Cクラス

 

 三位 1年Dクラス

 

 四位 1年Aクラス

 

 電光掲示板にはそんな結果が映し出されて、俺たちのクラスは歓喜と興奮に満たされた。高円寺と言う欠席者を加えてのこの結果は快挙とも言えるだろう。同じように坂柳さんという欠席者がいるAクラスが最下位なのが悪い例である。

 

「はぁ、これでやっと落ち着けるな」

 

「貴方はこの体育祭で一番頑張っていたものね」

 

「堀北さんも、沢山頑張っていたじゃないか」

 

「ぁ……口調が……もう終わりかしら?」

 

「そうだね。暫くは穏やかに過ごしたい」

 

「……そ、そう」

 

「大丈夫さ。君がこれからも頑張ってくれるのなら、何度だって褒めるから」

 

「約束よ?」

 

「俺は嘘はつかない」

 

 そう伝えると堀北さんは僅かに頬を赤く染めてコクリと頷いた。よほど飢えているらしい。困ったブラコンさんである。

 

 きっと彼女はこれからも頑張ってくれることだろう。不完全ながら師匠モードに入っていたりしたので、将来が楽しみであった。俺も経験したことだからよくわかるが、あぁなると一気に伸びるからな。

 

 

「次に最優秀生徒を発表する」

 

 

 これはこの体育祭で最も活躍した生徒に与えられる称号だ。10万ポイントのボーナスも貰えるので狙っており、結果も文句も付けようがないものである。これで俺以外の生徒が選ばれでもしたら完全にやらせとなってしまうほどの活躍だったと思う。

 

 

「1年B組、笹凪天武」

 

 

 俺の名前が発表された瞬間に、グラウンドに集まった全校生徒はおろか、見学者や教員たちでさえ「だろうな」という顔をした。俺自身もそう思っている。

 

 出場した全ての競技で一位を取り、圧倒的な存在感を見せつけて、最後のリレーでは不利な状態から結果を覆す演出すら見せたのだ。こればかりは満場一致の人選だろう。

 

「やったわね」

 

 堀北さんも嬉しそうである。我がことのように喜んでくれるのは素直に嬉しくあるな。

 

「と、ところで、名前呼びの件なんだけど……」

 

「そうだなぁ、こうしてMVPも取れた訳だし、きっかけとしては十分か……堀北さん、いや、鈴音さんと呼ばせて貰っても構わないだろうか?」

 

「ッ!! そうね、頑張った人にはご褒美が必要よね……良いわ、許してあげる」

 

「ありがとう……では鈴音さん、改めて宜しくお願いします。俺のことも名前で呼んでくれて良いからね」

 

「……て、天武くん?」

 

「ん……なんか恥ずかしいね。今までは苗字呼びだったからさ」

 

「えぇ……少しね。でも、悪いことではないわよ」

 

 堀北さん……ではなく鈴音さんも恥ずかしいのかモジモジと体を小刻みに揺らしている。そんな様子を見ると俺まで恥ずかしくなってくるので慌てて視線を電光掲示板へと戻す。

 

 そこでは全学年最優秀生徒に続いて、学年別の優秀生徒も発表されていた。

 

「須藤も見事に選ばれたみたいだな」

 

「実際に彼の活躍は大きかったわ。貴方がいなければMVPだって狙えたでしょうね」

 

 列の後ろの方で須藤の歓声というか、雄たけびのようなものが聞こえて来る。そう言えば彼も名前呼びを許して貰う条件に体育祭での結果を求められていたんだったな、まさに万感の思いだろう。

 

 須藤だけでなくクラスメイトたちもそれぞれ頑張ってくれた。結果が振るわなかった者もいるが、それでも勝利に向かってそれぞれが前進したことは間違いない。その結果として学年別では一番の成績を勝ち取れたのだ。皆の顔にも満足感が見て取れる。

 

「小野寺さんなんだけど、後でフォローしておいてくれるかな?」

 

「そうね、バトンの受け渡しに関しては私にも責任があるもの、こちらで声をかけておくわ」

 

「宜しく頼むよ」

 

 最後のリレーでバトンの受け渡しに失敗してクラスが窮地に陥ったことを、彼女はもしかしたら気にしているかもしれない。それまでの競技で好成績を残していたのだが、最後の最後で大きなミスをしてしまった形となっている。

 

 最終的には俺が全てを片付けて一位になれたとはいえ、アレがなければもっと楽に勝てたと思っているかもしれない。

 

 変に気負うくらいなら、つまらないことだと笑ってもらう方が良いので、ここは鈴音さんに任せるとしよう。

 

「なんとか勝つことはできたけれど、それでもポイントは引かれてしまうのね、仕方がないこととはいえるけど……」

 

「まぁこればっかりはね、どうしようもないことだよ」

 

 体育祭が終って最終的なポイントの変動も確定することになる。クラス別では一位になったとはいえ、白組としては敗北してしまっているので、結果だけ見るとマイナスになってしまっているのだ。

 

 赤組に負けたことでマイナス100ポイント、しかし学年別で一位になったことで50ポイントを得ている。つまりは最終的にマイナス50ポイントである。

 

 あれだけ頑張ったのに報われない結果であった。仕方がないことではあるのだが。

 

「他のクラスよりはマシな結果とも言えるね。被害は最小限に済ませられたさ」

 

「えぇ、そう思うしかないわね」

 

 勝ちは勝ちである。ポイントはマイナスになってしまったが、被害は最小限にできたと思える。

 

 Aクラスは赤組としては勝利したが総合四位なので100ポイントマイナス。一之瀬さんクラスもマイナス100ポイントである。

 

 龍園クラスはマイナス50ポイント……こうやって見ると、全てのクラスが後退したことになってしまう。

 

 色々と思う所はあるが、長かった体育祭もこれで終わりである。俺はMVPで得たポイントでクラスの皆にごちそうする約束もしているので、打ち上げのことを考えないとな。

 

 そんなことを考えていると、グラウンドから撤収していく生徒たちの中に、Aクラスの神室さんを発見することになる。どうやら彼女は清隆を呼び出しているらしい。

 

 清隆はこちらに視線を向けて来る、なので俺はそっちに任せるという意思を込めて頷きだけを返した。

 

「堀北、少し話がある。付いて来い」

 

 こっちはこっちで鈴音さんが茶柱先生に呼び出されている。

 

「構いませんが、どういった話でしょうか?」

 

「最終種目のリレーでお前と一緒に転倒した生徒がいたな? その件だ」

 

「そうですか……わかりました。ただ、彼も一緒に来てもらっても良いでしょうか?」

 

「俺も興味があります。どうせ龍園の嫌がらせでしょうし、話を聞いておきたい」

 

「良いだろう、付いて来い」

 

 まったく、ようやく体育祭も終わってさぁ打ち上げといった気分だったのに、最後の最後で水を差すんじゃないよ。

 

 茶柱先生に呼ばれて俺と鈴音さんが呼び出されたのは、グラウンドの一角に建てられていた保健室代わりのコテージである。

 

 そこにいたのは相変わらず邪悪な笑みを浮かべた龍園であり、ベッドの上にはリレーで堀北さんと一緒に転倒した女子生徒の姿もあった。

 

「悪いが教師は出て行ってくれ、必要なら後で呼ぶからよ」

 

「そうだね、まずは生徒だけで話し合おうか……茶柱先生、そんな訳で、外で待機しておいてください。もし手が必要ならその時に呼びますので」

 

「良いだろう、生徒同士で問題を終わらせるつもりならばな」

 

 ここまで案内してくれた茶柱先生は外で待っていて貰おう。どうやら龍園は現時点で学校側を巻き込むつもりはないらしい。あくまで生徒個人の問題として扱うつもりのようだ……少なくとも今は。

 

 俺としても龍園を追い詰めるつもりはないので都合が良い。

 

「それで龍園、どんな用件なのかな?」

 

「そもそもテメエは呼んでねえぞお利口ゴリラ、さっさと帰りやがれ」

 

「そうもいかないのが俺の立場だってわかっているだろう? 悪態はいいからさ、本題に入ろうじゃないか」

 

 視線はベッドの上にいる女子生徒に向けられる。

 

「怪我をしたのかい? 確か木下さんだったね、あぁ、これは酷いな」

 

 リレーで堀北さんを巻き込んで転倒した女子生徒の足には治療の跡があるが、軽く転んだ程度のものではない。

 

「痛むかな?」

 

「え、あ、はい……」

 

「そうか……悲しいなぁ、女性が痛がっている姿はあまり見たくない」

 

 包帯が巻かれているくるぶし辺りに視線を向けながら、俺はちょっと憂鬱な気持ちになってしまった。痛かっただろうに。

 

 まぁ、リレーでの転倒で負った怪我なのか、龍園が作った怪我なのかはわからないが、どちらにせよ悲しい気分になるのは変わらない。

 

「せめて祈らせて欲しい、君の痛みが一日でも早く消えるようにと」

 

 これが龍園の策略で、彼女がそれに賛成して行動に移したのかどうかはわからないが、怪我を負ったのは事実であり、痛みを感じているのだって現実だ、なら俺は悲しかった。

 

「は、はい……」

 

 包帯が巻かれたくるぶし付近を指先で撫でながら静かに祈りを捧げると、木下さんは顔を赤くして縮こまってしまった。どうやら照れているらしい。

 

「なんでテメエはこの状況でナンパしてやがんだ」

 

「天武くん……軽薄な行動は慎みなさい」

 

 ただそんなことをしていると、龍園と鈴音さんには呆れられてしまうのだった。怪我人を前にしたらまず心配するのが普通のことだろうに、この二人には血も涙もないのだろうか?

 

「まあゴリラのことはどうでもいい……それよりも鈴音、やってくれたみたいだなぁ」

 

「なんの事かしら?」

 

「おいおいとぼけるんじゃねえよ、最終種目のリレーで負けたくないからって木下を強引に転ばしただろうが」

 

 なるほど、それが龍園のプランな訳か。体育祭で機会があればそれを狙っていたんだろうな。けれど参加表の変更で予定が狂ってなかなか機会に恵まれず、最終競技で最初にして最後の機会が訪れたと、そういうことだ。

 

 だからあんなに強引とも取れる転倒を演出したのだろう……正直、もっと真面目にやれと言いたくなる。

 

「木下から聞いたぜ、お前をこいつが抜きそうになった瞬間に、絶対に勝たせないとかどうとか言って接触してきたってな」

 

「話にもならないわね、私はそんなことはしていない。事実無根の言いがかりよ」

 

「おいおい木下が可哀想だろう、お前の意地に巻き込まれてこんな重傷を負ったんだぜ?」

 

「つまりは貴方は一学期に一之瀬さんたちのクラスにやったことを、こちらでも再現したい訳ね……そうでしょう、龍園くん?」

 

「それこそ言いがかりだろ。事実、木下は重傷を負っていて、お前にぶつかられたって言ってるんだからよ」

 

「つまらない策略だわ……いいえ、ただの嫌がらせね」

 

 龍園にミスがあるとすれば、それは鈴音さんを侮っていたことだろうか。

 

 彼女はもう精神的に未熟でもなければ、迷い立ち止まることもない、その信念はもうブレることはないのだ。

 

 人を遠ざけ侮り、誰かを必要としていなかった彼女はもうどこにもいない、振り返ることもなく進んで行ける人になっていることに、龍園はまだ気が付いていないらしい。

 

「それで、結局貴方は何がしたいのかしら?」

 

 まるでお前になどなんの興味もないと言わんばかりの態度で、鈴音さんはそう言った。

 

 そんな様子や雰囲気に龍園も少し驚いた表情をしている。兎に噛みつこうとしたかと思えば、実は相手が肉食獣であったかのような、決定的な見積もりの甘さを感じ取っているかのように。

 

「なぁに、木下がこんな状態だからな。このまま、はいさよならとは行かないだろう」

 

「学校に訴えると言いたいの?」

 

「それも一つの手だが、俺は話のわかる男だ……ポイントで賠償を支払うんならここで手打ちにしてやってもいい」

 

「はぁ、下らないわね……いいかしら龍園くん、よく聞きなさい」

 

 鈴音さんは付き合いきれないとばかりに大きな溜息を吐くと、力強い足取りで龍園の近くまで進んで行き、その胸倉を掴んで強引に引き寄せる。

 

 ちょっと師匠モードになりかけてるな、雰囲気がかなり怖い感じになっていた。

 

「貴方が学校側に訴えるのだとしたら覚悟することね。もしそうなったら徹底的に貴方のクラスを叩き潰して後悔させてやるから、そのつもりでいなさい。あんなことしなければ良かったと泣くことになるでしょうね」

 

 良い啖呵だ、弱気に狼狽えるよりもずっとマシだ。龍園としてもまさかここまで鈴音さんが強気に出るとは思っていなかったのか、驚いた様子を見せているぞ。

 

 ただ胸倉を掴んで師匠モードで睨むとか、完全に雰囲気は脅しのそれである。鋭い視線はいつもよりずっと力強いので、より迫力が増していた。

 

「はッ……いいぜ鈴音ェ、そんな顔を出来るようになってたとはなぁ。ククク、面白くなってきたじゃねえか」

 

「気安く名前を呼ばないでと、何度言えばわかるのかしら?」

 

 火花を散らして睨み合う両者、俺と木下さんは完全に蚊帳の外である。あまり放置されるのもあれなので俺も話に加わるとしようか。

 

「おほん……ちょっといいかな、龍園はポイントを払わないと学校側に訴えるって話だけど、具体的にはどれくらいのポイントが欲しいのかな?」

 

「天武くん、まさか貴方、この男の言葉に従うと言うの?」

 

「そんな訳がないだろ、ただなんとなく訊いておきたいだけなんだ」

 

 掴みあげていた胸倉から手を離して鈴音さんはこちらを怪訝そうな顔で見つめて来る。徹底抗戦に入る構えを見せていただけに、俺の言葉は受け入れられなかったらしい。

 

「それで龍園、どうなんだい?」

 

「2000万ポイントだ」

 

「……ふざけているのかしら」

 

 あ、ダメだ、鈴音さんが完全に師匠モードになってる。龍園、あまり彼女を怒らすんじゃない。

 

「払えねえことはないだろう? そこのお利口ゴリラはあの手この手で外から資金を引っ張って来てるらしいからなぁ。噂は聞いてるぜ、随分と稼いでるってな」

 

「なるほどね……もう一つ訊きたいんだけど、どうして君はそんなにポイントが欲しいんだい?」

 

「それをわざわざ説明する必要がどこにある?」

 

「そうだね……さてどうしようか」

 

 龍園がここまで大量のポイントを欲しがる理由か……ざっと想像してみたけど、考えられることはそう多くはないし、現実味も無ければ可能性も低いものばかりだ。

 

 まだ2000万ポイント集めて自分だけAクラスに上がることを考えていると判断した方が、よほど堅実で現実的な展開とすら言えるだろう。

 

 別にこのまま彼に2000万ポイントを渡すのは構わない。龍園が何を考えてどこに向かっているのか、そのポイントの使い方で判断できるかもしれないからだ。

 

 それに俺の手元から2000万ポイントは無くなってしまうが、この学園の中にあるポイントは減る訳ではない。そう考えると何も問題はなかった。

 

 うん、別に払って良いな。

 

 そんな結論をぼんやりと頭の中で弾きだしていると、突然に龍園のスマホが震えてとあるメールを受信することになる。

 

 龍園自身も特に気に留めた様子もなかったのだが、そのメールと一緒に張り付けられていたとある録音データを再生した瞬間に、彼の表情は驚きに包まれた。

 

『いいかお前ら。Bクラスを潰す為にはどうすればいいか、その策を授けてやる。面白い物を見せてやるよ』

 

 彼にとって最大の計算違いは、鈴音さんの強い意思でも無ければ参加表の変更でもなく、自クラスに裏切り者がいるという点なのだろう。

 

 清隆が色々と動いていたことは知っていたが、なるほど、龍園クラスにスパイを作っていたのか。だとしたら最初から決着がついていたということになる。

 

 最初から最後まで、彼は誰かの掌の上で踊っていたにすぎないのだ。

 

『どのタイミングでも良い、隙があれば鈴音に接触して、なんでもいいから転倒するんだよ。後は俺が怪我を負わせてあのゴリラからポイントをぶんどってやる』

 

 メールに添付された録音データは龍園の雑で拙い作戦の全てを説明していた。真面目にやれと言いたくなるな。

 

「鈴音さん、どうやら話はここで終わりらしい、君はもう帰っていいよ」

 

「そのようね……けれど、それは」

 

「気にしないで、きっと龍園クラスには彼のやり方に耐えられない善良な人がいるんだろう」

 

 学校側への訴えだったり、ポイントでの賠償だったりは、これでまるごと吹っ飛ぶことになる。なら話を次に進めるとしよう。

 

「俺はちょっと龍園と話があるから、先に帰ってくれていいよ」

 

「ちょ、ちょっと天武くん? 押さないで頂戴、もうッ!!」

 

 ごねる鈴音さんを強引に保健室の外に押し出して締め出す。後で怒られそうだけど、龍園と話がしたいんだよね。

 

「さて龍園、君の考えた雑で幼稚な嫌がらせはここに破綻した訳だけど……面白そうな顔をしているね」

 

「ククク、あぁ面白いぜ……最高に気分が良い。こいつは傑作だ、どうやらテメエのクラスには俺と似たような奴がいるらしい」

 

「何のことだい?」

 

「とぼけるんじゃねえよ、このメールの送り主だ」

 

「俺の指示でやったとは思わないのかい?」

 

「いいや違うな、小賢しさもあるゴリラだが、結局テメエは王道を好む。それが一番強いと理解して、実際にそれで勝てるタイプの人間……ゴリラだからだ、そうだろう?」

 

「否定はしない」

 

 裏でごちゃごちゃ考えるよりも真っすぐ突っ込んだ方が早いし、結果が伴うと俺は考えている。ただしそれは相手の策略を無視する訳でもなければ警戒しないという訳でもないけど。

 

 後、わざわざ人間と一度言いかけたんだから、ゴリラと訂正するな。

 

「もしテメエがこの音声データを好きに使える立場なら、そもそもこんなギリギリで使ったりはしねえだろうよ。こうなる前に釘を刺してそれで終いだ……つまりこいつはゴリラが好むやり方じゃない」

 

 やはり思考力というか、瞬発力がある男なんだろうな龍園は。

 

 普通、こんなメールが送られてくれば、まず目の前にいる俺を疑って警戒する筈だが、少ない違和感と疑問から清隆の存在に指を引っ掛けようとしている。

 

「いいぜ、思わぬ収穫があった……今回はこれで良しとしてやろう」

 

「負け惜しみもそろそろ板についてきたじゃないか」

 

「黙ってろお利口ゴリラ。テメエを潰すのは、テメエの持つ戦力を把握してからだ」

 

 そう言い残してこの場を去ろうとする龍園に、俺は待ったをかける。

 

「まだ話は終わってないよ、ポイントの件が残ってる」

 

「あん? 何を言ってやがる?」

 

「だから、木下さんへの謝罪……とは少し違うな、見舞金みたいなものを払いたいと思ってる」

 

「その話はもう終わっただろうが」

 

「いいや、終わってないよ。堀北さんはそんなことはしていないと結論が出ただけだ……だからこれは俺個人の、理不尽に傷ついてしまった女性への同情みたいなものさ」

 

 俺はスマホを操作してそこから龍園へとポイントを振り込む。

 

 これは謝罪でもない、非を認めている訳でもない、ましてや賠償でもない。完全に一から百まで俺の善意である。

 

 後、龍園の目的と最終目標をここから確認したいという思惑もあった。

 

 だから俺は彼に、スマホの中にあるポイントの全てを振り込むのだった。

 

 また稼げば良いだけの話だから気にする必要もない。外で稼いだ外貨をポイントに替えられる以上、これくらいは大した問題でもないだろう。それにこの学園の中にあるポイント総額が減る訳でもないのだから。

 

「馬鹿なッ……」

 

 さすがの龍園も、振り込まれた額に驚いている。俺がポイント長者になっていることは噂レベルで知っていたようだが、ここまでとは予想していなかったらしい。

 

「それは木下さんへの見舞金だ。返せとは言わないから、好きに使うと良い……けれど、ご利用は計画的にね」

 

 そこで腰かけていたベッドから立ち上がり、話も終わったので出入り口に進んで行く。

 

 その途中、スマホに振り込まれた額に未だに驚愕している龍園の肩をポンと叩いた。

 

「龍園、お前が何を思って、どこを目指しているのか未だに測れない……けれど、あまりつまらない真似を続けるようなら、俺はいつか君に失望してしまうだろう」

 

 俺は別に彼を嫌いな訳ではない。寧ろ一之瀬さん同様に高評価すらしている。手段や方法はともかく勝利の為にあらゆる手段を模索する姿勢は素直に好ましいとすら考えていた。

 

 俺には合わない方法や手段ではあるが、それも戦いの作法だと受け入れられる。

 

 けれどそれにだって限界はあるのだ。いつか俺は彼に失望する日が来るかもしれない。そうならないように意地と根性を見せて欲しい。

 

「もう一度言っておこうか……あまり足踏みしていると、俺の背中すら見えなくなるぞ」

 

 彼に伝えるべき言葉はそれが全てであった。それ以上は何も言うべきことはない、少なくとも今は。

 

 ポイントに関しても別に問題ないだろう。

 

 また稼げば良いし、龍園の手元にあっても構わない。

 

 

 

 

 

 

 だって最終的に、俺たちの学年に24億ポイント以上があればそれで良いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 俺が目指す、完全完璧な、一欠片の文句も付けようがない、完膚無きまでの絶対的な勝利とは、つまりそういうことだろう?

 

 師匠曰く、男は死ぬまでカッコつけなければならない。

 

 だから俺は、死ぬまでカッコつけるのだ。

 

 

 

 




笹凪クラス 959CP

一之瀬クラス 553CP

龍園クラス 342CP

葛城クラス 1374CP


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小話集

章と章の間にある小話集となります。

前話で私の勘違いから矛盾が生じたので、幾つか描写を変更しました。クラスポイントだったり、茶柱先生関連であったりと、ご指南ありがとうございます。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「櫛田桔梗の憂鬱」

 

 

 

 

 

 

 私が特別な人間じゃないと自覚したのはいつ頃だっただろう?

 

 はっきりとした認識はないけど、あの人には勝てないなと思うことが、学年を上がる度に多くなったと思う。

 

 それは勉強であったり、運動であったり、それ以外の何かであったりと、本当に様々だ。

 

 優秀と言う物差しで全てが語れてしまう私とは異なり、才能と努力を兼ね揃えた誰かと言うのは、私が思っていた以上に多いんだと知った……知ってしまった。

 

 そこでどこにでもいる人たちみたいに、まぁ仕方がないよねと思って身の丈に合った生き方をできれば良かったのかもしれないけど。私にはそれができなかったんだよね。

 

 勉強でも運動でも一番になれないのなら、誰よりも慕われる人間になれば良いと思うようになっていた。多分、その時からだ、私がいつも仮面をかぶるようになったのは。

 

 誰かの理想でありたいと、こんな人がいて欲しいと、親しみやすい誰かになりたいと、そうやっていつも誰かの評価や認識を気にしながら生きていく。

 

 上手くはやれていたと思う。馬鹿な男の子たちは親し気に微笑みかければすぐに鼻の下を伸ばしてくれるし、女の子たちは誰にも言えないような悩みを私にだけは打ち明けてくれる、そうやって私は才能と言う壁に挑もうとしていたのかもしれない。

 

 上手くは行っていたと思う、うん、途中まではね。

 

 いつも誰かの為にと振る舞うのは想像以上にストレスが蓄積されると知ったのは、割と早かったと思うな。

 

 

 うん、だからアレは、仕方のないことだったんだよ。皆、許してくれるよね?

 

 

 だって私は、何にも悪くなんてないんだから。

 

 

 

 

「今日は付き合ってくれてありがとう櫛田さん」

 

「ううん、良いよ、偵察も大事だもんね。それにこういうのってスパイ映画みたいで楽しいかも」

 

 夏休みが終わって暫く経ち、体育祭が始まると教えられて数日。私と、もう一人とある男の子は休みの日を利用してスパイごっこをしていた。

 

 スパイ云々はただの建前で、実際はこの男の子……笹凪天武くんからの謝罪を行う為の場でもある。

 

 誰からも慕われる人間である私は、当然ながらそれを受け入れる。受け入れない私なんて私じゃない。

 

「ありがとう、とても失礼なことを口走ってしまったからね、謝りたいと思っていたんだ。今日は俺が何でもごちそうするから、奴隷のように扱ってくれ」

 

「ふふふ、確かにあんなに失礼なこと言われちゃったからなぁ、今日は何でも言うこと聞いて貰おっかな」

 

「ん、全て受け入れようじゃないか、君にはその権利があるとも」

 

 私の目の前にいるのは笹凪天武くん、クラスメイトであり……私が知る限り、世界で最も特別な男の子。

 

 勉強も、運動も、容姿や雰囲気だって、どこにでもいる誰かとは決定的に違う。

 

 入学当初、初めて彼をバスで見た時、言葉を失ったほどだったなぁ。誰かを見て喉を鳴らしたことなんてあの日が初めてだったよ。

 

 男の子のような、そして女の子のような、ユニセックスな不思議な容姿をしている彼は教室に入ってからも同じような印象をクラスメイトたちに与えたと思う。実際に男子も女子も言葉を無くしていたと思う。だって彼って非現実的な容姿と存在感をしているし、夢の中の住人のように思えてしまうんだもん。

 

 男の子は、笹凪くんを視たら美人だと思うのかもしれない。女の子は逆にカッコいいと思うのかもしれない、とても不思議な人だ。

 

 神秘的な人、私が彼を表すのならそんな表現をすると思う。

 

 そんな彼が容姿だけでなく、あらゆる面で何もかもが特別な人だと知ることになるのは、数カ月もいらなかった。

 

 夏休みに入る頃にはクラスの中心人物になっていたし、それどころか学年全体で一目置かれる人になっていた。

 

 視線を引きつける引力と、喉を鳴らしてしまうような迫力と、誰も敵わない頭脳に身体能力、そして誰かの心に語り掛けて耳朶から精神を溶かす変な説得力を持つ彼は……ハッキリ言ってしまえば、私にとってどうしようもないくらいに恐ろしく疎ましい存在だったと思う。

 

 だって仕方がないもん、一目見ただけでよくわかる。この子は何もかもが特別で満たされた人なんだって……嫉妬しないなんて嘘だ。

 

「ねぇ笹凪くん、私食べたいクレープがあるんだけど、良いかな?」

 

「はいはいお嬢様、何でもご命令ください」

 

 グラウンドで休みの日も部活動を頑張っている生徒たちを偵察して、私が知る限りの情報を解説してからしばらく後、私と彼はケヤキモールにまで足を運んで、そこで彼の謝罪と贖罪を受け入れる為のあれこれを行う。

 

 あんな滅茶苦茶なことを言ってくれたのだ、せっかくの機会だし、ここは彼にたくさんごちそうして貰うとしよう。どうやら彼もそれを求めているようなので遠慮はいらないかな。

 

 ここで気にしてないよと遠慮するのも優しい私らしいけど、男の子に気安く接して距離を縮めるのも私らしいと思うしね。

 

 だから沢山ごちそうして貰おう。

 

「改めて今日はありがとう、他クラスの有力生徒もある程度把握できたよ。お礼と謝罪をしっかりさせて欲しい」

 

「もう、あんまり気にしないで。笹凪くんも悪気があった訳じゃないんだもんね?」

 

「もちろんだ。あの時は変な酔っぱらい方をしていたみたいでね……決して本心ではないんだ」

 

「ふふ、わかった、許してあげる」

 

 ここで優しくそう言うのが、皆が求める櫛田桔梗だ。

 

 ケヤキモールのカフェで落ち着き、買い物に付き合って貰って、クレープを奢って貰う。

 

「でも、こうしてるとなんだかデートみたいだね?」

 

「ん、そうだね、俺はそのつもりでいるけど」

 

 私がそう揶揄うように言えば、大抵の男の子は照れてだらしのない顔をするのだが、笹凪くんは平然と受け入れて、逆に私を恥ずかしがらせようとしてくる。こういう所もまた少し苦手なのだ。

 

 できればもっと慌てて欲しいな、そうじゃなきゃ私に魅力がないみたいに思えてしまうんだもん。

 

「そんなこと平然と言って、笹凪くんのことだから色んな子にデートしたいとか言ってそうだなぁ」

 

「女の子とデートしたいと思うのは男子なら当然のことだよ、ましてや櫛田さんは一緒にいて楽しい人だからね、きっと俺は明日には色んな男子に目の敵にされるんだろうな」

 

 確かにケヤキモールを二人で歩いていればどうしたって目立つ、ましてや私も笹凪くんも有名人だからなおさらだ。

 

 もしかしたら私の天敵、堀北鈴音の耳にも入るかもしれない。

 

 私にはもう一人天敵がいる。しかも男子ではなく女子に。

 

「もしかしたら堀北さんに怒られちゃうかもよ?」

 

「どうして彼女が怒るんだい?」

 

「え? それは、だってほら、笹凪くんと堀北さんは仲が良いし」

 

「親しくはしているが、交際している訳じゃないからなぁ……彼女は魅力的な女性だとは思っているけれど、恋愛感情がある訳じゃないよ。あれ、これは船の上でも言ったっけ?」

 

 確かに似たようなことを聞いたと思う。けれど彼の内心はわからない。本当にそうなのかはわからないのだ。

 

 けれど確かなことは一つだけわかるな……彼はともかく、堀北鈴音の方は彼を意識している。

 

 正直驚いた、あの女が異性に注目して意識する日が来るなんて。

 

 恋愛感情かどうかはわからないけど、間違いなく笹凪くんに一定以上の興味や感情を向けているのは間違いない。

 

 そして彼もそんな距離感や感情を悪くは思っていないのだろう。このままある程度の時間が過ぎれば、すぐに堀北鈴音は自分の中にあるのが恋愛感情だと気が付くのかもしれない。

 

 そうなれば付き合うのかな? だとしたらそれはそれで苛立たしい。

 

 あの性格も態度も最悪な女が、私の天敵が、笹凪くんがいるからクラスに溶け込めただけのコミュ障が、まるで私なんて眼中にないとばかりに青春を謳歌する……こんなに苛立つ現実はないと思うな。

 

 うん、だからこれも仕方がないことなんだよね?

 

「櫛田さん? 急にどうしたんだい?」

 

「ごめんね、笹凪くんがデートだって思ってくれてるなら、こういうのも良いかなって?」

 

「俺としては嬉しくあるけど、悪目立ちしないかな?」

 

「デートならこれくらい普通だよ」

 

 私は彼の腕に手を伸ばして袖を引っ張るような形になる。けれど腕は組まない、私はそこまで安い女じゃないし、そんな所を目撃されるとクラスのアイドルである私の印象が崩れてしまう。だから言い訳ができるくらいの感じが限界だ。

 

 それに、こうして接していると笹凪くんはもしかしたらより異性として印象付けられるかもしれない……それこそ堀北鈴音よりもずっと。

 

 

 

 私はふと、こんなことを思う……もし私と笹凪くんが付き合ったら、あの女はどんな顔をして、どんな思いを抱くだろうかと。

 

 

 

 自分が意識している相手が、私と腕を組み、デートをして、キスをしたら、どんな様子を見せてくれるだろう?

 

 嫉妬に狂う? 苛立つ? 怒る? もしかしたら傷心する? なんであれそんな堀北鈴音ならぜひ見てみたい。

 

 

 私はそんな天敵の顔を思い浮かべて、少しだけ機嫌がよくなるのだった。

 

 めんどくさくていやらしい男子とのデートなんて楽しくはないけど、なんだかんだで笹凪くんはそんな感じがしない。天敵だけど、変な説得力もあるから接し易いのだ。

 

 何より、あの堀北鈴音が意識している男子というのがとても重要である。

 

 悔しがって震えて眠れ、ば~か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「高円寺から見た笹凪天武」

 

 

 

 

 

 この学園で最も注目している者を私に問うのだとしたら、迷うことなくマイフレンドであるクラスメイトを挙げようじゃないか。

 

 既存の物差しで測れないと言うのはとても貴重で意味のあることだ。人はそれを天才、或いは怪物と呼び、恐れ敬いひれ伏して来た。

 

 極稀にいるのだ、生まれた時から天の祝福を受けた人間と言うのが。それはこの私もそうであり、彼もまた同様だ。

 

 この私が唯一認めた存在、ただそれだけで彼の価値と意味がどれだけ大きいかよくわかるというものだろう。

 

 どこにでもいる一掴み幾らかの誰かではない、己は己であり、オンリーワンの何かを持つことが重要なのだと多くの者が理解していない。

 

 まぁ無理もないことだろう。誰もが私たちのように生きられないということ位は、私にだってわかるとも。

 

 こちら側とあちら側、人類社会にはいつだってそんな境界があった。ただそれだけのことをとやかくは言うまい。

 

 重要なのはただ一つ、私はマイフレンドを好んでいるという点だけだ。それで全てが説明できてしまう。

 

「高円寺、いらっしゃい」

 

「マイフレンドの誘いとあればやぶさかではないとも、興味深い提案もしてくれたようだしねぇ」

 

 夏休みも終わり優雅な一時も遠ざかった頃……いや、それは間違いだ、私は常に優雅に生きているので毎日が夏休みのようなものだしね。

 

 なんであれそんな時だ、マイフレンドから部屋に誘われたのは。

 

 電話越しで興味深い話もしていたので、直接会って話すだけの価値があると判断した訳だ。

 

 彼の部屋に入ると、まずはお香と香り木の匂いが鼻孔を擽った。彼がよく漂わせている香りだ。清楚な、或いはゴージャスな香水の匂いも嫌いではないが、偶にはこういった素朴な匂いも悪くはないのかもしれない。

 

 玄関から部屋の奥に行くとまた趣が変わっていく。そこに広がっているのは無数の大小様々な彫刻や絵画などである。部屋の真ん中にはブルーシートが引かれており、そこには彫りかけの仏像が鎮座していた。

 

 部屋の隅に視線を向けてみると、そこでは小型の3Dプリンターが稼働しており、中には洗練されたデザインのチェスの駒が加工されているのが見える。競技用としても使えるだろうが、どちらかといえば観賞用のようなデザインをしているだろう。

 

 洒落たカフェの片隅にひっそりと飾られていれば、雰囲気を作るのに役立つのかもしれない。

 

「呼んでおいてすまないが、もう少しだけ時間が欲しい。冷蔵庫でも漁って適当に寛いでおいてくれ。今は集中を切らしたくないんだ」

 

「ふむん。まぁ構わないとも、私は寛大だからね」

 

 それに興味深い光景も見れそうだ。彼は私の言葉など届いていないとばかりに、ある種のゾーン、極限の集中状態まで意識を高めると、そのままブルーシートの上にある仏像を仕上げていった。

 

 人の魂や意識を引きつける存在感はグッと増して、その状態で仏像を彫っていく彼の姿はとても様になっている。陳腐な言い回しになってしまうが、神秘的とすら言っても良いだろう。

 

 誰かに見惚れる、この私がだ、実に興味深い存在感と言える。

 

 魔性を宿したかのような雰囲気で仏像を彫るマイフレンド、そんな彼が彫った仏像にもまた魔性が宿っていく。視線を引きつけ意識を掴んで離さないようなそれは、引力とも表現できる。

 

 

「君のそれは王者の覇気ではなく、魔性のそれだねぇ」

 

 そんな声も届いていないのか、彼は神秘的な存在感をそのままに仏像を彫っていき、仕上げを終えた瞬間に大きく息を吐いた。

 

「お待たせ、すまないね」

 

「興味深い光景だったとも、それを邪魔するほど私は無粋ではないし、愚かでもないさ……はッ、はッ、はッ!!」

 

「なら良かった、本題はお茶でも飲みながら話そうか」

 

 そう、本題は別にある。私は鬼気迫る魔性の彫刻を眺めに来た訳ではない。

 

「コーヒーと紅茶と、あとは炭酸飲料なんかがあるけど、お好みは?」

 

「ふむ、では紅茶をいただこうか」

 

「ではそうしよう」

 

 用意された紅茶を飲んでから、さっそくとばかりに彼はこう話を切り出した。

 

「それで、紹介状の件なんだけど」

 

「マイフレンドの願いなんだ、用意すること自体は問題ないが、私にできるのはそれくらいのものだよ」

 

「構わないよ、後はこっちの実力の問題だからさ」

 

「まぁ君の作る作品にはある種の魔性が宿っている。手にしたいと思う者は存外多いのかもしれないがね」

 

 特に、有り余った資産を持った、見栄というのを大事にする連中は、時に思っていた以上の資金を様々な作品に注ぐものだ。

 

 真に美しさや芸術の価値がわかっている者が、その中にどれだけいるのかという疑問は横に置いておいても、多額の資金が動くという事実が彼にとっては重要なのだろう。

 

「だとしたら嬉しいな」

 

「しかし面白いことを考えるものだ、学園の外から資金を引っ張って来るとはね」

 

「君だって似たようなことをしているだろう? 前に聞かせてもらった個人契約、あれを参考にしたんだ」

 

「この学園のルールは穴だらけで不完全なものも多いからねぇ、あれだけわかりやすい隙だったのだから、当然突くとも」

 

「そうだね。君の契約しかり、俺の売却しかり……一手間二手間加えれば、ポイントは幾らでも外から持ってこれるってことだし、きっとそれ以外にも色々な方法がある筈だ」

 

「イエス、他の者たちが何故同じことをしないのか、疑問に思うほどだとも」

 

 あれだけ穴だらけの規則なのだ、寧ろ突いてくださいと誘っているようなものなのだが、多くの者にとっては我々のやっていることは理解できないことらしい。全くもって嘆かわしいことだ。

 

「敢えてそうしているんじゃないかな、ばれない様にやれって学校側は言いたいのかもしれない」

 

「理解できていない者が大半のようだがねぇ」

 

「それは仕方がないさ、やっていいとは言われていないからね。ただ学校側はそれも実力だと認めているだけだ」

 

 クスクスと笑うマイフレンドは、出来上がったばかりの魔性が宿った仏像の頭を撫でる。

 

「まぁ紹介状はありがたく貰っておくよ。お礼はポイントで構わないかい?」

 

「あぁ、それで良いとも」

 

 スマホを弄ったマイフレンドは私の懐に2000万ポイントほどを振り込んで来る。ここでつまらない額を送らないのは実に彼らしいと言うしかない。

 

 私が彼に用意するのは、私と私の実家の影響力で信頼を確保する紹介状だ。それも富裕層限定の品評会への。

 

 普通は実績や経験を積んだ上で、縁と運があればそういった場へ作品を出品できることが殆どだが、そこは問題はないだろう。

 

 どうやら彼は、学校側に露見しない形で外部と接触する方法も確立しているようで、それならば紹介状を作ることも難しくはない。

 

「自信はあるのかね? ああいった場に足を運ぶ者は相応の資産も持っているが、同時に目利きもしっかりと持っている者たちばかりだ、一部例外はいるがね」

 

「駄目なら駄目で構わないさ。他にも当てがあるからね……あの手この手で資金を学園に引っ張って来るとしよう……まぁ直接それをやると問題がありそうだから、幾つか手間と人を経由してしっかりと自然な売却という形を整える必要があるだろうけど」

 

 学園の外から資金を引っ張って来る様々なルートの一つということらしい。たった一つの方法に全てを賭けない姿勢は好感が持てる。

 

「ふむ。一つ疑問なのだが、資金を引っ張って来て、君はどこを目指しているんだい?」

 

「俺の最終目標かい? う~ん、実現可能かどうかは別にして、最終的には俺たちの学年に24億ポイントがある状態だね」

 

「はッ、はッ、はッ!! なるほど、なんとも壮大だ。それが可能だと本当に思っているのかね?」

 

 なるほど、だから学園の外から大量の資金を引っ張って来る必要がある訳か。

 

「できるできないじゃないさ、勝算の有無でもない。もしかしたら達成できないかもしれないね……けれどそんなことは大した問題じゃない。俺にとって重要なのは、カッコいいか否かだ」

 

 面白いと、そう言うしかないな。ここまでの目標を掲げられたら。

 

 あぁそうとも、面白いとも、どこにでもいる誰かには思いつかない、思いついたとしても実行しない、そして実際にそれを実現可能だと思わせるだけの能力を持つ彼が、それをやると言ったのだ。

 

 改めて認めよう、君はオンリーワンの存在だ。不可能に笑って挑める、そんな存在だ。

 

「俺が目指しているのはいつだってケチの付けようがない完膚無き完全完璧な勝利だ。男はそれを目指してこそだ、そうだろう?」

 

「グレィト、ならば私も多少は助力しようじゃないか」

 

「おや? 手伝ってくれると?」

 

「興が乗った、理由はそれだけで十分さ」

 

「ふふ、そうかい? ならさっそく相談したいことがあってね。マネーロンダリング用の……いや、この表現はさすがにあれだな、言い方を変えよう。品評会に出品した俺の作品を偶然にも高額で購入してくれる会社や企業を、ネット上か学校の外に作りたいと思っているんだけど、アドバイスをくれないかな?」

 

「ふッ、その辺は厳しく行かせて貰うとしようか。甘い考えでやっても必ず失敗するだろうからね」

 

「それで良いよ、厳しくないと意味がない……あからさま過ぎるとアレだから、基本的に外に作った幾つかの会社は俺とは無関係だ。まだ調整段階だから高円寺の意見も取り入れて考えたい」

 

「今は一円とパソコン一つあれば会社は作れるが、言葉にするほど簡単ではないことくらいはマイフレンドもわかっているだろう? しかも君の作品を購入するという建前の資金洗浄組織だ、疑われないように相応の形は整えなくてはねぇ」

 

「あぁ、俺はその辺のノウハウが無いから高円寺にアドバイスが欲しいんだ。後、迷惑でないのなら人も貸して欲しい。その人たちへの報酬はもちろん俺から支払おう。学園の外にノーリスクで接触できる方法もあるから君からの指示や言葉を届けることもできるだろう」

 

「ふむ、そういった報酬もそうだが、そもそも資金洗浄したいだけの資金の当てが学園の外にあるのかね?」

 

「それについては問題ない。この学校に来る前は恩師の手伝いで色々と働いて稼いでいたんだ。使う必要もなかったから口座に丸投げだったけど、かなりの額があった筈だよ。それを目立たないように小分けにしてポイントに変換したいんだ。高円寺と違って個人契約ではなく作品の売却という形でね。その為にも偽の需要と供給を作って――――」

 

 そうして彼は達成できるかどうかもわからない目標に向けて、無邪気に計画や作戦を説明してくる。困難に挑むことを楽しむかのように。

 

 この学園に24億を引っ張ってこようという呆れられそうな計画である。しかし彼はまるで童心に戻ったかのように笑っている。

 

 素面で狂気に片足を突っ込み、邪道を舐め尽くしながらも王道を進もうとするマイフレンドを、私は美しいと表現しよう。それは私にとって最大限の称賛であった。

 

 彼のような男が世の中にはもっと必要だ。悲しいことに、同じことを言えない者のなんと多いことか。

 

 誰かに指を指されるような生き方こそが重要だ。不可能だと笑われて、無駄だと呆れられようともそれを目指す。大いに結構。

 

 空を飛ぶ為に飛行機を作ったように、命をかけて大海を越えて新大陸を目指したように、月を歩きたいと願ってロケットを作ったように、病を消し去りたいと薬を作ったように、いつだって世界はそういった者たちが動かして来た。

 

 断言しようじゃないか、マイフレンドは間違いなくそちら側の人間だと。

 

 誰かに不可能だと笑われて、バカだと呆れられて初めて、人は歴史に名を刻む資格を与えられるということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠の夢」

 

 

 

 

 

 長く生きたと思う。

 

 極限まで鍛えた人類を超越した肉体は、いつしか老いすら緩やかなものになり、通常よりも多くの経験をできたとも。

 

 同時に多大なる才能に恵まれた人生でもあった。私以上の人類は存在しないと断言する者もいた。

 

 あらゆる強者を屠り、あらゆる困難を跳ね除け、あらゆる邪悪を打ち破り続けること幾星霜、数え切れないほどの死闘をくり抜けた先に広がっていたのは、隣に並ぶ者のいない永遠の孤独であった。

 

 私より上はいない、下に視線を向ければ山のような屍が広がる、そんな光景。

 

 だというのに私の体は今もなお成長を続けている。並び立てる者がいるなど許さないとばかりに。

 

 もし神や仏がいるのならば残酷と言うしかない、一体何を思って私のような存在を生み出したというのか。

 

 明らかに異常だ。何かしらの致命的な失敗がある。私一人だけで人類という種の性能を数十世代は先取りしてしまっている。いい加減にして欲しいものだ。

 

 並び立てる者など一人もいないと見切りをつけて、仙人のように山の奥に籠ることになってから暫く経つ。

 

 それでも他者との交流を断ち切れなかったのは、我ながら未練というしかない。長く生きた間でできた様々な縁を、思いのほか大事にしていたのかもしれない。

 

 我が孤独はいつになったら終わるのだろうかと思うことが日常になった頃、ある日この山奥に飛行機が墜落した。

 

 乗客には悪いが運が無かったと言うしかない。人の生き死にはそういうものだ。定めとしか言いようがないだろう。

 

「これでは全滅だろうな」

 

 住居にしている神社にまで届くほどの墜落音だったのだ。現場である山の中腹に向かってみると、そこには見るも無残な惨状が広がっていた。

 

 バラバラに砕けて炎上した機体に、なぎ倒された木々、飛行機は原型を留めてはおらず、そんな状態ならば当然ながら生存者などいる筈がない。

 

「これも定め……せめて供養をしよう」

 

 近くにあった手ごろな木を加工して、ここに仏でも飾っておけば、多少は報われるかもしれない。そう思ってこの惨状を眺めながら掘り出そうとするのだが……そんな時だ、この地獄の中で生きる人の気配を感じ取ったのは。

 

「ほう、生存者がいるのか」

 

 だとしたら奇跡的な存在だ。生存は不可能と断言できるのに、それでも生き残ったのだから。

 

 炎を避けながらバラバラになった機体の一部に近づいていく。そこにあったのは、飛行機の中に設置されていたであろう冷蔵庫だった。

 

 扉を開く、すると中から小学生にもなっていないであろう子供が転げ落ちてくる。

 

 自らそこに入ったのか、それとも偶然か、或いは神や仏の気まぐれか、何であれ生きている。

 

「……」

 

 少年はこちらを見上げて驚いている、そしてきっと私も同じような顔をしているのだろう。

 

「これは驚いた……まさに運命だ」

 

 この絶望を生き抜いたこともそうだが、この子供が私の前にいるという事実は、もう運命だ。

 

「坊や、どうやら君は、私と同じ存在のようだ……偶にいるんだ、君や私のような存在が」

 

 理由はない、しかし確信があった。この子供は私と同じ存在なんだと。

 

 ありえないほどの幸運と才能を持ち、とてつもない困難が押し寄せて来る、そういう星の下に生まれた存在だ。

 

 だからこれは運命だ。神が引き合わせたのだ。私とこの子が、この広い地上でわざわざ出会う可能性なんてありえないのだから、これは誰かの意思がある。

 

 永遠の孤独はここに終わることになった。私の全てを継承するに値する子供を見つけることが出来たのだから。私の夢はこの子が叶えてくれるだろう。

 

「坊や、名は?」

 

「天、武……」

 

 天の武か、これまた運命的だな。

 

「そうか、天武、私と共に来るか?」

 

「……」

 

「君の家族はおそらく死んだ。だが嘆くことは無い、それは定めだったのだ。大いなる流れの中に還ったに過ぎない」

 

「は、はい……」

 

 まだ事態を呑み込めていないのか、あやふやな返事しかしないが仕方がないだろう。

 

 だが彼も確信があるようだった。この出会いは運命だと。

 

「私の全てを君に教えよう」

 

 この子ならば私の孤独を消し去ってくれる、その確信が間違いでなかったと、すぐに知ることができた。

 

 鍛えれば鍛えるだけ強くなっていき、教えれば教えるだけ賢くなっていく。そしてその上限が存在しない。

 

 だから私は徹底的に何もかもを吸収させていった。体中の筋肉を叩きつけ、ありえない鍛錬を促し、その体を改造していく。

 

 壊れない、この子はそれでも壊れない、ならばもっと雑に扱っても良いな。

 

 幾度が死の縁まで追いやっても這い上がって来たので、また蹴り落とす。その繰り返しの先に期待以上の成果を見せてくれた。

 

 少なくとも、私が弟子と同じ年齢の頃は、ここまでの力はなかった。

 

「君なら私を超えられるだろう」

 

「ごはッ!?」

 

 あの飛行機事故から幾年、もう日常となった神社の中庭で今日も実戦を繰り返す。向かって来た弟子の体に瞬きする間に数十もの殴打を叩きこんで、吹き飛んでいく彼に私はそう言った。

 

 あれだけ打ち込んでも打撲程度で済ませる辺り、体もだいぶ出来上がったと言えるね。実戦経験を積ませているし、そろそろ一人で仕事を任せても良いのかもしれない。

 

「俺が、師匠を超える? 絶対に不可能だと思うんですけど……」

 

「あぁ、それはね、武の路を進む者ならば誰もが思うことだ。けれど弛まぬ鍛錬を繰り返し、限界を超え続けていると、ある日こう思うようになる……今ならこの人を殺せると」

 

「はぁ、そういうものですか……」

 

「私がそうだったからね、いつか弟子もそう思う日がくるだろう」

 

「俺は別に師匠を殺したりしませんよ」

 

 それは困るな、君に終わらせて貰いたいんだが……。

 

 今にして思えば、私と弟子と敵とで完結した世界に置いたのは間違いだったかもしれない。

 

 弟子の中で私は価値観の全てであり頂点になってしまった。そこで世界は完結してしまった。

 

 戦士としてはそれで良いのだろう。武人としても弟子としても文句はない。しかし人としてはまだ未熟であると言うしかない。

 

 ふと、私は弟子に数百の打撃を加えながらこんなことを思う。私は弟子に兵器として超えられたいのか、それとも人として超えられたいのかと。

 

 考えるまでもない自問自答だ。ただ兵器としての性能差で負けたいのならば、比べる相手は人ではなくも鋼鉄とコンピューターの塊の方が相応しいだろう。

 

 

 そうだ、人として、敗北したいのだ。

 

 

 考えてみれば、武人としては順調でも人としてはまだまだ未熟である。弟子の世界は私と敵だけしかいないのだから。

 

「ふむ、弟子……君は学校に通ってみたいと思うかい?」

 

「学校? それってあれですよね? 俺位の年齢の人たちが沢山いる所でしたっけ?」

 

「そうだ、若人たちの学びの場だ……君は小学校も中学校も行っていなかったからね」

 

「いいですよ別に、それより技を教えてくださいよ。あの何もかも粉々にする奴」

 

「馬鹿を言え、未熟者に使えるようなものではない」

 

 やはり武人としては順調でも人としては未熟そのものだな。これでは駄目だ。

 

「うぅむ……弟子、君には夢はあるかな?」

 

「師匠のようになりたいです!!」

 

 地面に叩きつける、更に背中に踵を落とす。

 

「では憧れはあるかい?」

 

「師匠のことはカッコいいと思います!!」

 

 今度は空中に蹴り上げて吹き飛ばす。そして私も飛び上がって落下するまでの間にまた数十の殴打を叩きこんでから地面に落とす。

 

「では恋をしたことはあるかい?」

 

「師匠のことは綺麗だと思います!!」

 

 地面に突き刺さっていた我が弟子は、体を引っこ抜いてそう言った。

 

「おぉ……我ながら弟子の教育を誤ったな」

 

 武人としてはこれで良い、だがやはり人としてはまだ幼いな。

 

 教養と常識は教え込んだが、やはり世界が狭すぎる。

 

「ん……学校に通わせようか」

 

「師匠?」

 

「学校に通って、よき縁を結ばせよう」

 

「どうしたんですか?」

 

「いいや、何でもないさ……」

 

 いつか彼は恋をして、夢を見つけるだろう。憧れだけは他の誰かに渡すことはできないが、他はくれてやるとしよう。

 

 そしていつか人として成熟したその時に、彼は私を越えていく。

 

 この孤独を終わらせにやってくる、これは確信だ。

 

 

 この子を見てから思い描く夢を今日も見る。

 

 私の孤独を終わらせにやってくる弟子に殺される、恐ろしくも甘美な夢。

 

 いつの間にか私の夢はそうなっていた。きっと私は彼に殺される、そういう定めだったのだろう。

 

 

 なんて美しい夢だろうか、私は今日もまた乙女のように夢想するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




綾小路「夢オチじゃない、だと?」


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ペーパーシャッフル編
新しい季節


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱狂と歓喜に包まれた体育祭も終わって暫くたち、いよいよ残暑が消え去って肌寒くなって来た頃、これまでこの学校を牽引してきた生徒会長である堀北学先輩が生徒会を引退することになった。

 

 全校生徒を体育館に集めて引退式を行い、同時に新しい生徒会長である南雲先輩の挨拶も行われることになる。

 

 正直、俺には何の関係も無いので、完全に他人事として眺めていることしかできない。そんなことよりも部屋で色々と彫刻させろと内心では思いながらも、黙って聞いていることしかできないでいた。

 

 資金稼ぎは順調である。高円寺から貰った紹介状も大いに役立っている。やっぱりネットオークションで暇な時に作った小さな作品を5000円とか数万単位で売ったりするのとは訳が違う。

 

 お金ってある所にはあるんだなぁと、自分の作った作品が買い取られる度に思うことになる。俺は芸術は好きだがそこに大量の資金を投じる感覚がわからないので尚更そう考えてしまうのだ。

 

 作る側と、買い取る側で価値観の違いがあるということらしい……まぁ資金集めは順調なので何も問題はないだろう。

 

 加えて言うのならば、師匠の仕事を手伝っている時に稼いでいた報酬を、マネーロンダリングしてポイントに変換する作業も順調であった。

 

 いや、うん、俺はよくわからないけど、よく知らないけど、投機目的で作った作品を買い取ってくれる懐の広い会社や企業があるらしい、俺とは何の関係もないけどね。

 

 そんな、俺とは何の関係も無いけど、何故か学園の外にある俺の資金を使って俺の作品を買ってくれる都合の良い会社のおかげで、ポイント長者になることができた。

 

 体育祭の後、ノリと勢いと僅かな冷静さで、龍園に持っていたポイントの全てを丸投げしたことで一時的に財布は空になっていたが、何も問題はないくらいにポイントは集まっている。

 

 でも24億にはまだまだ足りないから、引き続き資金洗浄と品評会への出品に励むとしよう。

 

 そのせいで頻繁に職員室に足を運んで学校側が用意した両替用の契約書類にサインすることになっているのだが、仕方がないことなんだろう。茶柱先生の視線が契約書にサインする度に鋭くなっているが。何も言っては来ないので黙認してくれるらしい。

 

 違和感を抱いていても確固たる証拠がないからね。同じように俺が大量のポイントを稼いでいることを知っている生徒会長も南雲先輩の対抗馬として期待してくれているらしいので、ここで煩くは言ってこない。

 

 目標は24億、欲を言えば有事に備えてそれ以上が理想だ。まだまだ足りないが、あの手この手で外から資金を引っ張り込むしかない。普通のやり方では24億なんて絶対に集めることが不可能なのだから、邪道だろうがなんだろうが突き進むしかないだろう。

 

 自分のクラスをAクラスに正攻法で上げることは目指すべき大前提であり、当然の目標だ。しかし何もかもが理想通りとはいかないし、何もかもが都合よく動くとも思えない。

 

 だから色々な作戦や考えを同時に走らせておく必要があった。どれか一つでも目標に届けば十分だろう。

 

 試験で勝つこともそう、ポイントを溜めることもそう、それ以外にも様々な方法を模索して作戦を考えなければならない。

 

 師匠曰く、勝利とは一つではないとのこと。

 

「堀北生徒会長、今までありがとうございました。それではここで、新しく生徒会長に就任する2年A組南雲雅くんより、お言葉を頂戴いたします」

 

 俺が金策と戦略立案を脳内で行っていると、いつのまにか生徒会長のあいさつは終わっており、壇上には南雲先輩の姿があった。

 

「2年A組クラスの南雲です。堀北生徒会長、本日まで厳しくも温かいご指導のほど、誠にありがとうございました。歴代でも屈指のリーダーシップを発揮した最高の生徒会長にお供できたことを光栄に思うと共に、敬意を表したいと思います」

 

 観察している限りでは、南雲先輩のその言葉に嘘はない。本心でそう思っているんだろう。彼は堀北先輩を尊敬しているらしい。

 

 かなり歪んだ敬意ではあるが、尊敬であることは変わらない。年齢こそ一つ違うが、二人の間ではある種のライバル意識があったのだろう。

 

 この人に勝ちたいと、負けたくないと、そう思うのは高校生らしいのかもしれない。

 

 だいぶ拗らせているようではあるが……堀北先輩ももう少し構ってあげた方が良かったんじゃないかな。いや、まぁ、男のストーカーなんて気持ち悪くて遠ざけたいと思うものなのかもしれないけど。

 

 複雑な感情が入り混じったねっとりとした視線を壇上の隅に捌けた堀北先輩に向ける南雲先輩は、その視線を今度は俺に向けて来る……おい止めろ、こっちを見るんじゃない。

 

 彼はそのまま自分が生徒会長になった際に、これまで当たり前とされていた常識を打ち破り、新しい学校を作るのだと大きく主張していく。真に実力のある者による、新しい学校を。

 

 こうやって見ると、やっぱり優秀な人なんだろうな。堀北先輩とは方向性が異なるというか、力を注ぐ分野が違うようだが、どちらも誰かを率いることに長けている印象だ。

 

 どちらが正解であるのかは、未来が決めることなので俺にはわからないが……。

 

 天才の証明と同じだ。どんな指導者が正しかったかなど、未来だけが決めてくれる。このまま南雲先輩の言う改革を推し進めて結果が伴うのならそれは正解であったということである。

 

 逆に何か致命的な歪みが生じてしまったのならば、彼が間違っていたということなのだろう。ここでどれが正しかったのかと議論することにあまり意味はない。

 

 未来が楽しみだ、それくらいの感覚が一番良いのかもしれないな。

 

「近々大革命を起こすことを約束します。実力のある生徒はとことん上に、実力のない生徒はとことん下に、この学校を真の実力主義の学校に変えていきますので、どうぞ宜しくお願いします」

 

 スピーチの最後はそんな形で締めくくられる。次の瞬間には二年生を中心に大きな拍手と歓声が広がった。そして三年生たちはどこか苦い面持ちでそれを眺めることになる。

 

 新しい波が来ている、そんな予感は一年生全体に伝わったことだろう。

 

 俺も頑張るとしよう。24億貯めないといけないからな。それが一番カッコいい勝ち方だと思っているから、精一杯努力しないと。

 

 実力主義がどうのとか、伝統や改革がどうのとか、こちらとは関係がない場所でやっていて欲しい。結局それらの先にあるのは妥協と諦めの上にある勝利でしかない。

 

 こちらが目指すのは完膚無き完全完璧な勝利である。ただただ努力あるのみだ。

 

 だから南雲先輩、こっちを見るんじゃない。男のストーカーなんて絶対にごめんだからな。面白い相手なら龍園とか清隆がいるから、付きまとうならそっちでお願いします。俺は金策に忙しいので。

 

 後、今から卒業作品も作るつもりなので暇がない。ポイントに余裕が出来たら学園の土地の一部を買い取って、そこに神社を建てるつもりなんだ、一から百まで俺が手掛けて。

 

 まだ卒業まで時間はあるからな、神社を作る為に色々と準備するつもりである。きっと最高の卒業作品となることだろう。今から楽しみである。

 

 まぁ、そんな相談を茶柱先生にしたら、もの凄く呆れられたけど……。

 

 俺はそんなこんなで金策と戦略立案に奔走する毎日であり、美術部員としてもしっかりと活動する日々である……充実した高校生活と言えるのではないだろうか?

 

 神社を建てる土地の候補も見つけたし、その土地の購入に幾らかかるのかも茶柱先生から教えて貰った。建築関係の知識も図書室で仕入れて頭にダウンロードもした。何も問題は無い。

 

 問題があるとすれば学校側から許可が下りるかどうかであるが、俺が買った土地をどうしようが俺の勝手だろうという理論で攻めるべきか、それともうまい具合に説得するかで迷っていたりする。

 

 まぁ簡単に結論の出ないことだ。仕方がないので俺は今日も神社を建てる為に必要な設計図を部屋でチマチマ作るのだった。

 

 うん、趣味と部活動と金策に励み、試験に悩んでクラスメイトたちと交流する、完璧な高校生活だな。

 

 クラスメイトとの交流も順調だ。体育祭以降は特に顕著になったと思う。

 

 これまでも色々と暴れまわっていたので、特殊な尊敬というか、立ち位置のようなものを確立していたのだが、あれだけわかりやすい暴れ方をすれば更にそれがわかりやすくなったと思う。

 

 クラスメイトだけでなく、学年全体で、そして学校全体で似たような感じになっている。

 

 廊下を歩いていると自然と道を譲られて、食堂で食事をしているとコソコソとした噂話や、観察するような視線が多くなったと思う。

 

 学校全体で、一目置かれるようになったということだ。そうなるように暴れまわったので仕方がないことではあるが、寂しさもあったりする。

 

 そしてどうやら対人関係の変化で同じ悩みを持つ者もいるらしい。それが清隆である。

 

「ほう、佐藤さんに交際を申し込まれたと?」

 

「いや、違う、連絡先を交換しただけだ」

 

「気になっていると言われたんだろう? もう告白みたいなもんじゃないか」

 

 いつものお昼休み、俺と清隆は教室の隅っこで机を引っ付けて昼食を楽しんでいた。

 

 清隆の隣の席である鈴音さんもぜひ机を引っ付けようと提案したのだが、彼女は僅かに照れた様子で拒否してしまう。いつものように俺と清隆の会話に聞き耳を立てながら、ここぞと言う時に口を挟んで来るスタイルだ。

 

 ただ一学期と違って恥ずかしいからというのが拒否の理由である。仲良くしていると思われたくないから机を引っ付けなかった彼女はもういないのだろう。

 

「見る目が無いわね、よりにもよって綾小路くんだなんて……」

 

 隣の席でサンドイッチを上品に食べる鈴音さんにとっても、佐藤さんと清隆の話は口を挟む理由になったらしい。

 

「堀北、それはどういう意味だ?」

 

「貴方は裏で暗躍して邪悪な笑みを浮かべて悦に浸る人間だと、佐藤さんは知らないと言うことよ」

 

「……堀北が久しぶりに辛辣だ」

 

 どうやら鈴音さんは、あの龍園に送られたメールの主が清隆であると確信しているらしい。あの後、俺も問い詰められて少し口を滑らしてしまったのも悪かったな。そのヒントを辿って最終的には確信に至ったのだろう。不完全ながら師匠モードを習得した彼女の思考力は凄かった。

 

「恋愛に現を抜かしている暇なんてありはしないのよ? 不本意ながら貴方は私のライバルなのだから、しっかりとして貰いたいものね」

 

「その話、まだ続いていたのか」

 

 彼女にライバル心を向けられる清隆は相変わらず困惑気味である。脈絡も無くそんな感情を向けられれば当然ではあるか。

 

「しかしアレだな、オレにもモテ期という奴が来たのかもしれない」

 

「ふッ」

 

「……鼻で笑われた、だと?」

 

 この二人の会話はこんな感じである。別に仲が悪い訳ではないし、険悪な訳でもないのだろう。変な噛み合い方をしながらいつも会話が続いていく。

 

 これも一つの友情なのだろうか? いや、鈴音さんはライバル心と懐疑心を清隆に向けているのでアレなのだが……。

 

「それで、もし佐藤さんに本当に告白されたら交際するのかい?」

 

 そう尋ねると、同じように教室の隅っこで食事をしていた佐倉さんの耳がピクピクと動いたことを、俺は見逃さなかった。

 

「どうだろうな、よくわからない」

 

「大丈夫よ、そうなる前に呆れられるでしょうから」

 

「堀北、お前も同じようなことにならないと良いけどな」

 

「……何が言いたいのかしら?」

 

「いや、別に。ただなんとなくそう思っただけだ……もしかして心当たりがあるのか? だとしたら人を煽る前に自分のことを考えた方が良い」

 

 珍しく清隆が鈴音さんを挑発するような感じになっている。これはこれで見ている分には面白い。

 

 彼女は清隆の言葉に、少しだけムッとした顔になっていた。

 

「安い挑発ね」

 

「かもしれないな……そう言えば天武、最近櫛田から名前で呼ばれているようだが、なにか切っ掛けがあったのか?」

 

「……え?」

 

「確かにいつの間にか名前呼びされてたな……体育祭が終わった辺りからだと思うけど」

 

「……」

 

 鈴音さんの聞き取り辛い呟きを耳にしながらも、櫛田さんのことを思い浮かべる。

 

 愛らしい笑顔の裏にとても複雑な感情を覗かせる彼女は、色々な意味で魅力的な人だと思う。

 

「最近は、付き合う男女も多くなってきたそうだから、焦ってる奴も多いらしい……余裕に振る舞っている奴はさぞ自分に自信があるんだろうな。兎と亀の話を聞かせてやりたい」

 

 やはり挑発的な視線を鈴音さんに送る清隆は、悔しさに震えるような感じになっている隣人を見て、どこか満足そうに鼻を鳴らす。

 

 この二人って面白い関係だよな。案外、付き合ったりしたら相性が良かったりするんじゃないだろうか? あまり想像はできないけど。

 

「まぁまぁ、喧嘩しないでさ。今は清隆の春を応援しようじゃないか」

 

「春ではないがな」

 

「長続きする訳がないでしょう」

 

「おほん、いつまでもこうしてられないから話題を変えよう?」

 

 このまま放置しているといつまでも煽り合いを止めそうにないので、強引に話題を変えるしかない。

 

 そこで俺たちは声を潜めて内緒話に移行する。一応、教室をぐるっと見渡してみるが、お昼時は食堂に行く者が多い為に閑散としており、いるのは佐倉さんくらいのものである。そんな彼女には聞こえないくらいの声量でこう言った。

 

「櫛田さんのことだ」

 

 彼女のことを話題にすると、二人の顔には緊張が走った。

 

「今後の試験でも妨害はしてくるだろうし、警戒した方が良いと思うんだけど。いつまでも放置はできないからそろそろ状況を動かしたい」

 

「そうね……えぇ、このまま放置はできないわね」

 

「具体的にはどうするんだ?」

 

「さてね、そこを相談したいんだ。俺が彼女について知っていることはあまり多くない上に、何を求めてどこを目指しているのかも定かではないんだ……だからこそ根幹を知ることから始めたい」

 

「そうだな」

 

 清隆と俺の視線は鈴音さんへと向かう。櫛田さんと同じ中学だったとされる彼女へと。

 

「君と櫛田さんは同じ中学だった、そこで何かが起こった、そうだね?」

 

「まず前提として、私自身も詳しいことを知っている訳ではないわよ……ただ、ああ言ったことがあったと漠然と知っているだけだもの」

 

「だが、それがお前と櫛田の確執の原因なんだろ?」

 

「恐らくとしか言えないけど……」

 

「なら詳しく話してくれ。オレは天武と違って完全に初耳の話だからな」

 

「……えぇ、わかった」

 

 少し悩んだ末に、鈴音さんは中学校時代のことを話す。そこで起こったとある事件のことを。

 

 彼女たちが在籍していた中学で起こった事件、それは学級崩壊だった。

 

 それ自体は決してありえないと断言できるようなことではないだろう。例えばインフルエンザの流行で多くの生徒が通学できなかったりとか、或いは生徒間の対立による不満の爆発であったりと、理由は様々に考えられる。

 

 鈴音さんが言うには、当時は完全に他者に無関心である上に、学校側もかなり強引に情報統制を行っていたので、当事者以外に伝わってくるのは頼りにならない噂程度のものであったらしい。

 

 だからなのか彼女の説明もかなり曖昧で的を射ない物も多い。けれど漠然とその学級崩壊に櫛田さんが関わっていることを察するには十分なものであった。

 

 言ってしまえば鈴音さんは、櫛田さんの過去を知る唯一の人物とも言える。確執も仕方がないことだろう。

 

「教室は滅茶苦茶にされて、黒板や机は誹謗中傷落書きだらけだったとか、そんな噂が暫くは流れていたわね。けれど学校側はそれを徹底的に隠そうとしていた上に、私もあまり人と関わっていなかったから……」

 

「だが、櫛田が関わっていたことは間違いないんだろ?」

 

「噂の域を出ないけれど、そうなるわね」

 

「……」

 

 清隆は鈴音さんの曖昧な説明に深く考え込む。櫛田さんはこのクラスの現状、最大にして最悪の爆弾でもあるからな、扱いは慎重になりたいんだろう。

 

「しかしわからないな。謎だらけで気味が悪いくらいだ」

 

「事件の内容?」

 

「あぁ、問題のなかったクラスに突然、学級崩壊なんて起こると思うか?」

 

 まぁ難しいだろう。それこそよっぽど大きな衝撃を広げないことには。

 

「もし……貴方たちがクラスを崩壊させるとするなら、どんな手を使うかしら?」

 

「ん、暴力かな……良い悪いは横に置いておくとして、振り切った暴力は止めることが難しい。これは覆しようのない事実だ」

 

 権力も立場も権威も、それら全てをねじ伏せられるだけの暴力は、究極の力だ。クラスどころか国家を黙らせることも出来てしまう。

 

 まぁ俺や師匠と違って櫛田さんにそれができるとは思えないけど……。

 

「天武ならばそうだろう、だが櫛田に同じ手段が取れるとは思えない。アイツに実現可能で最も強力な武器は……嘘、或いは真実だろうな」

 

「全部ぶん殴ればそれでいいじゃないか」

 

「ここは文明社会だぞ、常識的な思考を捨てるんじゃない」

 

 清隆、君が俺に常識を語ると言うのか?

 

「考えてみろ、櫛田は多くの信頼を集めて、多くの人望を向けられている。きっと中には人に言えないような悩みや相談すら櫛田にならばと考える者もいる筈だ。それらを一斉に暴露されてみろ、大乱闘の始まりだ」

 

「なるほどね、それが櫛田さんの持つ武器……けれど、そんなことが実際に可能なのかしら?」

 

「そこまではわからない。だが実際に学級崩壊は起こったんだ……櫛田を起点にな」

 

「……」

 

 黙り込む鈴音さんに、清隆はこう問いかける。

 

「お前はどうするつもりだ?」

 

「櫛田さんはAクラスに上がる為に必要な存在よ」

 

「いつ爆発するかわからない地雷みたいな奴でもか?」

 

「たとえそうだったとしても、私の言葉を否定する理由にはならないわね」

 

「ふむ……もし天武と櫛田が付き合っても同じことが言えるのか?」

 

 なんでそんな表現をするんだ。雰囲気が悪くなるだろうに。

 

「な、な、なにを言っているのよ、貴方は……」

 

「わかりやすく動揺しているな」

 

「綾小路くん……つまらない冗談はやめなさい。いい加減にしないと、怒るわよ?」

 

「頼むからその雰囲気で睨むのは止めてくれ」

 

 鈴音さんは不完全な師匠モードになって清隆を睨む。どうやら感情が昂ると偶にそうなってしまうらしい。恐ろしい成長である。

 

 そんな力強い視線から逃れるように清隆はこっちを見つめて来る。お前は櫛田をどうするんだと言いたげな瞳であった。

 

 櫛田さんのことは、どうだろうな……俺は別に彼女を嫌ってはいない。複雑な人というのはとても魅力的だと思うから。

 

 ただクラスで最大の爆弾であるということは間違いない。

 

 何より、その考えや目標を達成させる為の行動があまりにも杜撰で軽率だと思っている。

 

 いや、組むにしても龍園はないだろう……。

 

 だって、龍園だぞ? どんな見積りだったか知らないけど軽率に契約しちゃ駄目だろ。どれだけ視野が狭くなっていたのかわからないが、鈴音さん憎しで自分の心臓を握られてしまっていることに気が付いていないのだろうか?

 

 もし龍園がその気になれば、多分退学させられると思う。下手したら鈴音さんを追い出す前に自分の居場所が無くなってしまう。あいつのことだから櫛田さんとの契約だったり会話なんかを押さえてるだろうから。

 

 恋は盲目と言うが、憎悪もまた同じなのかもしれない。誰かを追い落とす為に悪魔と契約するとか、本末転倒も良い所だ。

 

 

 それでも俺の最終目標に、櫛田さんが必要なんだよな……どうしようもないことならば仕方がないのかもしれないが、できるだけケチは付けたくない。

 

 俺はビックリするくらいに、笑って終わらせられる結末が大好きだ。誰かが泣いているよりも笑っている方が好きだし、絶望よりも希望の方がずっと好ましい。

 

 愛と希望の青春物語を真面目に目指しているんだ。そこに櫛田さんがいて欲しい。

 

 そう思うのは贅沢なのだろうか?

 

 

 

 

 

 



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特別試験の始まり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、クラスは重たい雰囲気に包まれていた。緊張で喉を鳴らす者も中にはいる。

 

 この学校は赤点を取ると一発退学であり、補習もなければ再試験も無いので仕方がないことではある。幸村や堀北などの学業優秀組は問題ないのだろうが、赤点ラインに近ければ近いほどに緊張の色は濃い。

 

 体育祭も終わってから間髪入れずに生徒たちを翻弄したのは中間テストだろう。当然ながら勉強会を開いて色々とテコ入れしたので、決して無策だった訳ではない。

 

 それでも緊張してしまうのは、誰も彼もが百点満点を必ず取れる訳ではないからだ。

 

 俺たちの緊張感は茶柱先生にも伝わったらしい。

 

「揃いも揃って真剣な顔つきだ。四月頃の貴様らに見せてやりたいな」

 

 あの頃は本当に酷かったからな。学級崩壊って言われても納得できるくらいに授業態度が崩壊していた。

 

 それが今ではこの緊張感である。正しく成長しているということだろう。

 

「だって今日は、中間テストの結果発表の日っすよね?」

 

 池の質問に茶柱先生はニヤリと笑った。相変わらず邪悪な笑みである。どこか龍園味を感じてしまう。

 

「その通りだ。赤点を取れば即退学。だからこそ嬉しいぞ、お前たちはようやくスタートラインに立ったのだと実感できるよ。それこそが学生のあるべき姿だ」

 

 授業中にスマホを弄っていたり、私語が止まらなかったり、居眠りをしていびきを流すよりかはマシであることは間違いないだろう。この学校の厳しさを皆がしっかりと認識している証拠であった。

 

 良いクラスになったと思う。とびっきりの爆弾を抱えてはいるけど。

 

 茶柱先生は黒板に生徒たちの点数が記された用紙を張り出す。生徒たちの成績が一目瞭然でわかるようになる。この学校はその辺のプライベートを完全に無視する学校であるということだ。

 

 俺の視線が最初に向かうのは最低地点、赤点を取った者がいないかの確認……ギリギリだけど大丈夫そうだな。

 

 須藤は体育祭の活躍の結果をポイントではなく点数に換えているので危なげないラインにいる。他にも赤点候補は何人かいたがそちらも問題はない。一番点数の悪かった山内は危ない位置であったが、何とか退学を回避したようだ。

 

「危なッ!! 俺が最下位とかマジかよ!!」

 

 本人も生きた心地がしなかっただろう。本当にギリギリのラインである。

 

 次に視線が向かうのは最下位から上位陣だ。このクラスは赤点ラインも多いが学業優秀な生徒も多いのが特徴である。上と下の差が激しいのは珍しいとも言えるだろう。

 

 まず最初に鈴音さんの名前を見つける。驚くことに全ての教科で満点を取っていた。凄まじい結果であった。

 

「鈴音さん、凄いじゃないか」

 

 振り返って清隆の隣にいる彼女にそう伝えると、鈴音さんはわかりやすいくらいのドヤ顔を見せる。自信があったのだろう。

 

「最近、とても調子がいいのよ。自分でもびっくりするほどにね。それに貴方も満点じゃない」

 

「あぁ、お揃いだね」

 

 クラスで満点を取ったのは俺と彼女の二人だけである。それが嬉しかったのかクスっとした笑顔を見せてくれた。

 

 不完全な師匠モードに入るという経験を得た鈴音さんは、集中とは何なのかを掴んでいるらしい。きっと勉強もこれまでにない位に捗ったと思う、俺にも同じ経験があるのでよくわかる。

 

「清隆は七十点前後か」

 

「あぁ、俺も調子が良かった。天武が勉強を見てくれたおかげだな」

 

 後ろの席の清隆はそんなことを言っていた。目立たず、しかし赤点ラインでもない、そんな感じに抑えたらしい。そして俺が彼に勉強を教えたことは過去に一度もなかったりする。

 

 俺と、そして隣人の怪しげな視線を受けながらも清隆はどこ吹く風である。そんな感じだから鈴音さんから怪訝な視線を向けられるんだぞ?

 

「一気に自己記録大幅更新!! 見たか!! 平均60点まであと一歩だぜ!!」

 

「その点数程度で騒がない、貴方の場合は体育祭の貯金もあった、みっともないわよ」

 

 鈴音さんが調子に乗った須藤にすかさず釘を刺すと、クラス中でクスクスと笑い声が広がった。

 

 須藤もすっかり忠犬となっている。狂犬だった頃が懐かしいまであるな。

 

 騒がしくなり始めたクラス全体に聞こえるように茶柱先生が咳ばらいをすると、すぐに静かになって全員が耳を傾けていく……どうやらしっかり調教されたのは須藤だけでなくクラスメイト全員らしい。

 

「今回の中間テストによる退学者は見てのとおり0だ。無事に試験を乗り越えたな」

 

 うん、四月頃に比べれば茶柱先生の表情も柔らかくなったと思う。しっかり結果を出しているからな、やはり担任教師としては嬉しいのだろう。

 

 

「さて、そんなお前たちを急かすようで悪いが、2学期のテストに向けて8科目の問題が出題される小テストを実施する――――」

 

 

 そこから始まった茶柱先生の説明は、次の特別試験を意識させるには十分なものであった。

 

 無人島とも船とも体育祭とも異なる。完全に学力重視な試験が行われるということだ。それも生徒それぞれがテストを受ける訳ではなく、ペアを組んでテストに挑む形である。

 

 それだけならば問題はないのだろうが。ペアの選考基準であったりはまだ不透明であり、同時にこの試験で気を付けなければならないことがもう一つある。それは生徒が試験を作ってそれを武器にして相手に殴りかかるということだろう。

 

 なるほど、つまりこれは実質殴り合いということだな? それなら得意分野なので任せてほしい。戦車でも用意しないと戦いにすらならないくらいの自信があるぞ。

 

 頑張れ龍園、お前は戦車より頑丈になって欲しい。

 

「先生、質問があります。テスト問題を俺たちで作るということですが、学校側の監督というか、基準のようなものはあるんでしょうか?」

 

 俺が気になったのはそこである。当然あるだろうと思うが万が一と言うこともあるので知っておきたかった。

 

 もし生徒が好き勝手作って良いのなら、それこそ大量の退学者を出すことも難しくはないだろう。テスト問題を全部スワヒリ語で書くとかなら多分99パーセントが退学にできてしまうだろう。

 

「当然ながら学校側の求める基準や監督は行われる。お前たちが作ったテストが適切であるかどうかをこちらで精査することになる」

 

「因みに、テストを期日までに作れなかった場合はどうなりますか?」

 

「その場合、学校側が用意したテストになるだろう。ただし覚悟しておくといい、とても簡単な問題になるだろうからな」

 

「なるほど、わかりました。ありがとうございます」

 

 この試験で必要なのは単純な学力もそうだが、問題を作る発想力も求められるだろう。正攻法で攻略するのならば地道に勉強すること、そして学校側が判断するラインを見極めてしっかりとしたテストを作ることだ。

 

 あぁ、そして、作った問題をしっかり守ることも重要だろう。知られたら致命的になるだろうから。

 

 これから行われる特別試験に緊張を高めてザワつく教室に背を向けて茶柱先生は去っていく。後はお前たちの努力次第だと言わんばかりに。

 

 そしてこういう時、決まってクラスメイトたちの視線は最終的にクラスの中心人物に集まることになる。体育祭以降は完全にその立場が俺になっていた。

 

「笹凪くん、お願いできるかな?」

 

 平田も完全に俺に丸投げするようになったな。信頼してくれているのだろう。

 

 ここで謙遜して辞退するような生き方はしていない。なので俺はすぐさま師匠モードになって全員の視線と意識をこちらに引きつけた。

 

「全員、傾注」

 

 師匠モードでそう伝えるとクラスメイトたちに緊張が走り、集中力が高まっていくのがわかった。四月頃はどちらかといえば怖がられる感じであったが今はどこか憧憬が混じった視線であるのがわかる。

 

「特別試験がこうして始まることになった訳だが、何も恐れる必要はない。今までもこれからもやるべきことは何も変わらないからだ……今更、お前たちの中に気を抜いて試験に挑む者はいないだろう? 各々が、目の前にある目標に向かって進んで行けばそれで良い」

 

 そう言うと頷きがそこら中から返って来る。本当に頼もしい顔をするようになったと思う。

 

「その上で安心してくれ、俺は当然、勝利を目指す」

 

「おう、今回も頼りにしてるぜ!!」

 

 須藤の合いの手が意外にも上手い。良い傾向だと思う。

 

「笹凪くん、具体的にはどうするんだい?」

 

 平田も上手いな、クラスメイトたちの知りたいことや疑問も代表して質問してくれる。

 

「今回の試験は純粋な学力が物を言う試験だ。各々の学力向上は大前提であり絶対条件だろう。まずやるべきは勉強会、幸村、鈴音、平田、それと櫛田、それぞれグループを作って指揮してくれ。細かい方針はそっちに任せるよ。俺を含めて負担が少ないように調整して欲しい」

 

 平田も鈴音も櫛田も勉強会の面倒を見るのは慣れている。幸村も今更断ったりはしない筈だ。彼は彼で責任感のある男なのだから。それに最近のクラスの雰囲気を悪くは思っていないだろう。

 

「わかった、良いだろう」

 

 幸村からも頼もしい返事があった。これで勉強会の指揮をする面子は揃ったな。

 

「次に考えるのはテスト問題だが、それに関しては俺に任せてほしい」

 

「一人でやるつもりか?」

 

「基本的にはそのつもりだ、反対か?」

 

「それは構わないが、そちらの負担も大きいだろう?」

 

「確かにな、しかしこの試験で気を付けなければならないのは作ったテストの守りだと考えている……例えばだ、他クラスがこっちの作った問題を何らかの方法で入手するなども考えられる。可能性としては低いが強引に奪おうとしたり、或いは盗み見されたりな」

 

 後はクラスの誰かが買収されたりとかも考えられる。だがそれを伝えるとお前たちは信用できないと言っているようなものなので口には出さないが。

 

「知る人間は可能な限り少ない方が良いということか……」

 

「そうだ。だから基本的には俺か、多くてももう一人くらいで作ることになる。しかしそれでは行き詰ったりすることもあるだろうから、意見を求めることもあるだろう、その時は頼む」

 

「わかった。テスト問題に関してはそれで異論はない」

 

 鈴音と同様に俺もテストで満点を取っているからな。幸村もその辺は信頼してくれているらしい。

 

 他のクラスメイトも異論はないのか話を次に進めていく。

 

「次にどうペアを決めるかだが、それに関しては事前に行われる小テストがカギを握っていると俺は思う。まだ確定した訳ではないので情報を集める必要はあるだろうから断言はできないがな。そこはわかり次第、クラスで共有しよう……とりあえず皆は、今は勉強会に意識を向けてくれ。何か疑問があったり、考え付いたことは恐れず意見しろ」

 

 クラスで共有すべきことは今の所はこれくらいだろう。俺がテスト問題を受け持つ、クラスメイトたちは勉強会に集中する。そんな形となった。

 

「大丈夫だ……意思を研ぎ澄ませ、そして勝利をもぎ取る」

 

 より師匠モードを高めて、力強くそう宣言すると、クラスメイトたちのやる気も最大限まで高まるのだった。

 

 やはり誰かの意識を引っ張っていくのに便利だ。茶柱先生には洗脳しているのではないかと疑われてしまうけど、使いやすいのだからこればかりは仕方がないな。

 

 試験に挑む心構えとしてはこれで問題はないだろう。このクラスは四月頃とは何もかもが違う。体育祭を越えて意識の高まりがより顕著になったのだ。

 

 自分たちでも勝てるんだと、Aクラスを目指すんだと、そういう意識を持てるようになった。何よりそれが素晴らしい。

 

 俺はAクラスでの卒業特典に何の興味もない、そこへ挑むことそのものに強い価値を感じている。今のクラスメイトたちの顔つきを見れば、その価値がより高まっていることがよくわかった。

 

 誰かの成長を見るのは純粋に嬉しい。正しく俺たちはこの学校の言う実力を高めているということなのだから、これで良いのだろう。

 

 後、残る問題は、このクラス最大の爆弾だろうな。

 

 

「天武くん、ちょっといいかな?」

 

 

 その爆弾こと櫛田さんは、作戦会議が終ってクラスメイトたちが解散してすぐに声をかけてきた。

 

 ニコニコと愛らしい笑顔はいつも通りで、親しそうに名前を呼んでくれるのは、正直悪い気はしない。

 

「どうしたんだい、櫛田さん?」

 

 ざっくりとした方針会議も終わって今は放課後、それぞれが試験に向けて勉強に励む為に解散して、勉強会の細かな打ち合わせは鈴音さんたちに任せ、俺は俺でさっそくテスト問題を作ろうと、気合を入れて彫刻しようかと考えながら教室から廊下に出た時に、彼女は声をかけてきた。

 

「今って時間あるかな?」

 

「ん、勉強会の打ち合わせは任せて、部屋に帰って彫刻でもしようかと思ってた所だけど」

 

「え? 彫刻? 問題作りじゃなくて?」

 

「もちろん、問題も作るよ。色々な作業をしながら頭の中で作るんだ。後は出来た問題を夜寝る前にでも紙に書いておけば良い」

 

「ん~……えっと」

 

 櫛田さんは何やら難しい顔で考え込んでいる。俺が言った言葉を彼女なりに噛み砕こうとしているらしい。

 

「それで、何か用があるのかな?」

 

「あ、うん、良ければなんだけどね。天武くんのお手伝いがしたいなって思って。ほら、一人でテスト問題を作るのって大変でしょ? 天武くんっていつもクラスの為に頑張ってくれてるから、少しでも負担を減らしたいなって」

 

 これが櫛田さんで無ければとても嬉しい思いやりである。

 

「とても嬉しい提案ではあるけど、櫛田さんも講師役として勉強会に参加するだろう? そっちの負担が大きくならないかな?」

 

「うぅん、私のことは気にしないで」

 

「そっか、それならお願いしようかな。あまりテスト製作に関わる人数は増やしたくはないけれど、一人だとどこかで行き詰るだろうから嬉しい提案でもある」

 

「うん、なら一緒に頑張ろうね」

 

 穏やかに、そして愛らしい笑顔を浮かべた櫛田さんは、自分の行動がこちらに誘導されていることには気が付いていないらしい。

 

 おそらく彼女は共にテストを作ることで問題を把握したいのだろう。それを龍園クラスに売りつける為に。

 

 とても冴えた方法なのかもしれないが、どちらかと言えば勝手に簡単な問題を茶柱先生に提出される方が困るので、これで良いのだろう。

 

 櫛田さんと一緒に適当な問題を考えるフリをしながら、頭の中では本命のテスト問題を作る……うん、この感じで行こうかな。

 

 もしかしたら彼女はこれでクラスを手玉に取るつもりなのだろうか? こっちの都合にいつのまにか巻き込まれていることに気が付いていないのかもしれない。

 

 俺と作ったテスト問題を龍園に流せば良いと考えた時点で、他の可能性を狭めている自覚もないのだろう。

 

 彼女は別に頭が悪い訳ではないが、策略や策謀といった分野はまだまだ幼いように思えるな。いや、女子高生で奸智に長けていたらそれはそれで困るんだけども……。

 

 そもそも龍園と裏切りの取引をする時点でかなり向こう見ずな感じである。自分に首輪が付けられている自覚はあるのだろうか?

 

 まぁ今は何でもいいか、櫛田さんの監視と制御は俺が受け持つとしよう。

 

 廊下でそんな打ち合わせを櫛田さんと二人でしていると、教室から鈴音さんと清隆が顔を出して、俺と櫛田さんを視界に収めた。

 

「櫛田さん、何をしているのかしら? もうすぐ勉強会の打ち合わせが始まるわよ」

 

「あ、ごめんね堀北さん。天武くんとこれからのことを相談してたんだ」

 

「櫛田さんにはテスト問題を作ることを手伝って貰うことになったよ。一人でやるつもりだったけど、どうしても行き詰るだろうからね」

 

「……え?」

 

「ふふ、ごめんね堀北さん。天武くんのことちょっと貸してもらうね」

 

「……」

 

 鈴音さんは何とも言えない視線で、どうした訳か俺の袖を指先で摘まんで来る櫛田さんを見つめている。

 

「テスト問題に関しては貴方が一人で受け持つのでしょう? 櫛田さんの手を借りる必要があるのかしら? 問題製作に関わる人数は少ない方が良いと言ったのは天武くんじゃない」

 

「あぁ、けれど一人だとどうしても限界はあるからね、だからこれ以上は増やすつもりはないよ。君や幸村に意見は聞くだろうけど、それくらいかな。櫛田さんはアドバイス係みたいなもんさ」

 

「櫛田さん、貴女には勉強会でも力を貸して欲しいのだけれど、負担も大きいんじゃないかしら?」

 

「そんなことないよ」

 

「いいえ、ある筈よ」

 

「ないよ」

 

「……」

 

「……」

 

 最終的に二人は黙って見つめ合う。鈴音さんの視線は徐々に鋭くなっていき、櫛田さんのニコニコとした笑顔を突き破ろうとしているかのようだ。

 

 そんな彼女たちのやりとりを見て清隆が一歩引いた位置で呆れたような顔をしていた。そして同じく一歩引いていた俺に視線を向けて「大丈夫なのか?」と言いたげな顔をする。

 

 だから俺は清隆に問題ないとばかりにウインクを返す。櫛田さんの行動を一本化する為の監視と誘導だという意思を伝える為に。

 

 下手に動き回られるよりかは、こっちの予想と都合で動いて貰った方が良い。ならば敢えて懐に潜り込ませるのも一つの手なのだ。

 

 どうせ彼女と考えるのは全て囮で、本命は俺の頭の中にしかない。一人だと行き詰るなんて言い方をしたけれど、全然そんなことはない。

 

 こんな感じで俺と櫛田さんは一緒に行動することになった。ここ最近はやけに気安く接するようになった彼女に、なんだかんだでドキドキしながらも警戒は緩めない。

 

 こういうとき、頭の中にもう一人の自分がいるのはとても便利だ。いつもどこかで冷静な自分がいてくれるからな。

 

「それじゃあ櫛田さん、打ち合わせはどうしよっか?」

 

「うん、場所はどこにしよっか?」

 

「君が問題ないのならカフェで良いんじゃないかな?」

 

「ならそこにしよっか。勉強会の打ち合わせが終ったら連絡するね」

 

「あぁ、待ってるよ」

 

 そこで櫛田さんは俺から離れて鈴音さんに近づいていく。終始ニコニコとした顔をしていてどうした訳か機嫌が良いようにも思えた。

 

「じゃあ堀北さん、勉強会の打ち合わせしよっか?」

 

「……えぇ、わかったわ」

 

 最後に鈴音さんの鋭い視線は俺に向けられてしまう。別に悪い事したってことはないんだと思うんだけど、俺は委縮してしまうのだった。

 

 どこかピリピリしながら打ち合わせの為に移動していく二人の背中を眺めていると、残った清隆は呆れたような溜息を響かせる。

 

「櫛田に関しては問題ないんだな?」

 

「あぁ、うん。どうせ彼女と作るのはダミーになるだろうから問題ないよ。こっちで動きを誘導しておくからさ」

 

「わかった、それで問題はないだろう」

 

「何か注意点は?」

 

「櫛田に関してはそれでいい。後は茶柱先生に釘を刺しておいてくれ。念のためにな」

 

「ん、了解……しかし櫛田さんは何を考えているんだろうね?」

 

「自爆の算段だろう」

 

 清隆、なかなか辛辣なことを言うね。櫛田さんが可哀想だろ。

 

「いや、ほら。仮に龍園に情報を流したとしてもそれが鈴音さんの退学に繋がるとは思えないんだよね。俺の評判は下がるかもしれないけどさ」

 

 そうなのだ、もし鈴音さんがクラスを率いる立場で今の俺と同じようにテスト問題を作る仕事を受け持っていて、その上で大敗して退学者などが出てしまえば評判は最悪な者になるだろう。

 

 けれどもしこの試験でそうなっても、俺の評価が下がるだけで鈴音さんはその限りではないのだ。そもそもピンポイントで誰かを退学させるのは難しいのだから。

 

「既に龍園と取引をしているんだ。今更後に引けなくなったこともあるだろうが……大部分は嫌がらせだろうな」

 

「嫌がらせ?」

 

「堀北に向けたな……まぁ何であれ、櫛田はそっちで誘導してくれ」

 

 そう言って清隆も勉強会の打ち合わせに参加する為に二人の後を追っていく。

 

 俺は俺で色々と動かないといけないな。堀北会長も生徒会を引退したし、面倒な先輩がこっちをねっとりとした視線で見るようになってきたから、将来に備えて動いていかないと。

 

 とりあえずポイントをチラつかせて、清隆と相談しながら各学年やクラスにスパイでも作るとしよう。

 

 金策に、爆弾処理に、スパイの勧誘と、今思えば絶対に普通の高校生活ではないと思う。

 

 懐から取り出したスマホを眺めて、そこに入っている膨大なポイントを眺めながら、今日もまた未来を想定していく。

 

 夜にはマネーロンダリング用の会社に所属している役員からの定期報告を聞く為に、泳いで学園の外に出なければならないし、ついでに高円寺からの指示書なんかも渡さないといけない。品評会用に作品だって作らないといけないし、テスト問題だって考えないとな。

 

 うん、忙しい生活だ。けれどとても楽しくはあった。

 

 とりあえず南雲先輩に反感を抱きつつも逆らうことはしない二年生でも見つけて、状況を報告してくれるスパイにしておこうか、2000万ポイントを見せれば幾らでも作れるだろう。

 

 あまり近すぎるとアレなので、うまい距離感の人でもいれば良いんだけどね。

 

 同じような人を同学年にも……そっちは橋本辺りで良いかな?

 

 ざっと4000万ほど吹っ飛ぶことになるだろうけど、面倒なリスクを排する為の必要経費と考えるしかない。それにどうせ最終的には同じ学年に大量のポイントを配ることになるので、実質消費するのは2000万ポイントだけとも考えられる。

 

 それに24億を引っ張ってこようというのだ、この程度のポイントを消費するのに躊躇ってもいられなかった。誤差みたいなもんだしな。

 

 各学年の動向や思惑を得られない結果、4000万以上の出費を強いられる可能性も無くはない。可能性は低いだろうけど不安材料は可能な限り処理したくもある。師匠曰く、臆病なくらいが丁度いい。

 

 まぁ、今はテスト問題製作と爆弾処理に勤しむとしよう。

 

 何より楽しむことが重要だ。24億を稼ぐと決めた時点で、俺の中ではもう全ての試験が青春の1ページになってしまったからな。クラス闘争というのがどこか遠いものになってしまったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 



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試験対策

 

 

 

 

 

 

 

 勉強会のシフトだったりグループ分けは鈴音さんや平田たちに任せて、俺は一旦部屋に帰ってマネーロンダリング用の作品と、高円寺から貰った紹介状を活用した富裕層向けの品評会用の作品を作っていく。

 

 毎度毎度、似たような作品では悪いのでしっかりと考える。造詣もそうだが込める魂も整える必要があるだろう。

 

 思わず視線が引きつけられるような、喉を鳴らしてしまうような、そんな引力があるような作品が良い。

 

 彫刻用の香木を持ち上げてどんな意思を刻み込むか思い描く。

 

 集中力を高めていくとあらゆる邪念が消えて行った。それが最大まで高まり師匠モードに移行すると、無念無想へと至る。

 

 その先にある、僅かな光が見えた瞬間に、俺は香木に彫刻刀を刺しこんでいく。

 

 そこから先の記憶は正直曖昧だ。とても集中していたので時間の流れすら曖昧であった。

 

 けれど、そんな彫刻に集中する俺がいる一方、頭の片隅にはテスト問題を製作する自分もいる。我ながら便利な頭だと思うしかない。師匠曰く多重思考は基本とのことなので教えられたんだよな。

 

 そんな俺の意識を引き戻したのは空腹でも焦りでもなく、懐の中で突然に震えたスマホである。

 

 ふと視線を時計に向けてみると、既に作業開始から一時間以上が経過していた。こちらの感覚では数分といった感じだったのだが、あまり集中しすぎるのも問題なのかもしれない。

 

 懐からスマホを取り出すとそこには櫛田さんからのメールが届いていた。どうやら勉強会の調整や打ち合わせが終ったらしい。

 

 可愛らしい絵文字付きでカフェで待っているというメールだ。テスト問題を共に作るという約束なのでこれから打ち合わせだな。

 

 部屋を出て肌寒さを感じ取りながら、櫛田さんの可愛らしい笑顔を思い浮かべながらケヤキモール内にあるカフェへと足を運ぶ。

 

 まるでデートの待ち合わせみたいだ。カフェに近づくと櫛田さんが座っているのが確認できて、向こうも俺に気が付いたことで小さく手を振って来る……ん、凄くデートの待ち合わせっぽい。

 

「お待たせ」

 

「大丈夫、そこまで待ってないよ」

 

 机を挟んで向かいの席に腰を下ろすと、櫛田さんはこちらを気遣うようにそう言ってくれた。優しくてキュンとしてしまう。池や山内が夢中になるのもよくわかる。

 

「さっそく作っていきたいと思うんだけど、その前に勉強会の打ち合わせがどうなったか聞きたいな、何か問題はあったかな?」

 

「う~ん、これと言った問題はなかったかなぁ。皆、やる気が凄いし、積極的に手伝ってくれる雰囲気だもん」

 

「なら良かったよ」

 

「具体的なことを言うとね、それぞれでグループを作って講師役の人たちが教える形になったよ。詳しい内訳なんかは後で天武くんにもメールが届くんじゃないかな」

 

 彼女がそう言ってくると、まるでタイミングを見計らったかのように平田からグループ分けの内容がメールで届く。

 

 後は講師役の時間割などもな。俺はテスト問題を作ることを任せられているのでできるだけ回数が少なくなるように配慮してくれたらしい。

 

 清隆はどのグループに振り分けられたか確認してみると、どうやら幸村グループに入ったらしい。面子を確認してみると、長谷部さんと三宅、佐倉さんといったクラスに馴染めていない者たちが名を連ねていた。

 

 おそらくそういう名目のグループ分けなのだろう。大勢で一緒に勉強会に参加することが想像できないタイプの人たちを纏めたのかもしれない。清隆はその調整役だろうか?

 

 平田の所は女子が多く、櫛田さんの所には男子と女子が半々、堀北さんの所には赤点組が多い。そして俺は回数こそ少ないが各グループに顔を出すことになっている。おそらくはマンネリ防止の為だろう。師匠モードで声をかけるとクラスメイトは集中するからな。

 

「ん……だいたいわかったよ。特に問題もないだろうし、俺たちは俺たちで作業を進めようか?」

 

「そうだね」

 

 ずっと黙々と作業しても疲れるので飲み物と軽食を注文して穏やかに進めるべきなんだろうな。

 

「天武くんはどんな問題を作るつもりなのかな?」

 

「まず大前提として、相手クラスから退学者が出ない程度のテスト問題にするつもりだね。学力に不安があるような生徒でも頑張れは赤点を回避できるような感じの」

 

「そうなんだ。私、すっごく難しい問題を沢山作るのかなって思ってたかも」

 

「もちろん、そう言った問題も作るよ。けれど学校側が求める基準なんかもあるだろうし、何より他所のクラスと言えど退学者が出るのは心苦しいからね。俺たちはクラス闘争の真っ只中ではあるけど、同窓生であり同級生でもあるんだ、共に競い合い、共に笑い合いたい」

 

 大真面目に愛と勇気と青春の結末を求めているからね。誰に笑われても俺はそれが高校生のあるべき姿だと思う。騙し合いや足の引っ張り合いに全力を尽くす学生なんて絶対にごめんだ。

 

「そっか、優しいんだね」

 

「そうかな? 誰かに不幸になって欲しくないと思うのは、とても自然なことだと思うけど」

 

「……あはは、うん、そうだね」

 

「あぁ、誰かの幸せを願うのが、人の正しい在り方だ。だから俺は、退学者が出るようなテストを作るつもりはないよ」

 

「でもそれだと勝つことは難しいんじゃないかな?」

 

「葛城クラスや一之瀬さんクラスが相手ならばそうだろうね。けれど龍園クラスが相手ならばそこまで圧倒はされないと思う。俺たちと彼らのクラスはそこまで大きな学力差はないからね。寧ろここ最近のクラスの雰囲気や姿勢なんかを見ればもう逆転している可能性も高い」

 

 退学者は出すつもりはないけど、別に勝利をくれてやる訳でもない。上手い具合に工夫しないとな。

 

 理想を言えば、最低でも赤点を回避できるラインだろう。けれど平均で60点前後が理想だな。まぁこればっかりは相手側が提示してくる問題も関係してくるので何もかも理想通りとはいかないだろうけど。

 

「じゃあ、今回の相手はDクラスになるんだね」

 

 それは櫛田さんにとっても理想的な展開だろうな。龍園に情報を売りつけられるだろうし。

 

「あぁ、そうなるね。ただ他のクラスがどう動くかは不透明だから、くじ引きの運任せになることもあるだろうけど」

 

 できれば一之瀬さんクラスと葛城クラスで戦って欲しい。ただ葛城は堅実で慎重な男なので、仕掛けて来るとしても俺たちか龍園クラスだろう。

 

 くじ引きになったら俺が引くとしよう、運が良いらしいから。

 

「まぁ今は龍園クラスを相手と想定して動こうか、さっそく問題を作っていこう」

 

「うん」

 

 ただ、ここで櫛田さんと作った問題が使われることはないんだよね。今も彼女と作業している俺と、脳内でテスト問題を作っているもう一人の俺がいる。本命はそっち側である。

 

 師匠と組手をしながらいつも問題を解いて、その日の献立を考えていたので多重思考はとても得意なのだ。やっぱり師匠は凄い。

 

 櫛田さんも疲れた様子もなくニコニコとした顔で自分の作った問題を見せて来てくれる。まだまだ手探りな状態だから参考になる考えもあった。

 

 こうしていると楽しいな。櫛田さんの内心や思惑はともかく、俺は彼女が嫌いではないし好んでいるとさえ言える。

 

 そんな彼女とこうして二人っきりの時間を作り、仮初とはいえ課題に挑もうとしているのだ、とても青春っぽいのでいつか本当の意味で同じような時間を作りたい。

 

 師匠曰く、青春は大切。

 

「よぉ、お利口ゴリラ。今日は鈴音と一緒じゃないみたいだな。アイツには飽きたのか?」

 

 だから龍園、水を差すのは止めて欲しい。君はもっと配慮できる男の筈だ。

 

 いつものニヤニヤした顔で俺たちが使っている席に近づいてくる彼は、興味深そうに俺と櫛田さんの間にあるノートに視線をやった。

 

 彼が近づいてくるとわかった段階でノートは閉じたので盗み見られる可能性は低い。そもそもここに書かれている問題が使われることもないのだが、こういった仕草やポーズが大事だろう。

 

「櫛田、お前がこいつと一緒とは珍しいな」

 

「そうかな? 私と天武くんは仲良しだよ?」

 

「そいつは知らなかった。そこのゴリラはいつも鈴音の尻を追いかけてるからな。お前なんざ眼中にないと思ってたぜ」

 

「……」

 

 櫛田さんがニコニコしながらも凄く苛立った様子を見せる。やめなさい龍園。

 

「なぁ龍園、君は今回の特別試験、どう挑むんだい?」

 

「はッ、わざわざ解説する間抜けがどこにいる」

 

「それはそうだね。聞いた俺がバカだったよ」

 

 そもそも龍園が正攻法で試験に挑むとは思えない。彼はいつだって邪道を好むからだ。

 

 俺は邪道を理解して選択肢に加えながらも最終的には王道を進む方が良いと思っているからな。出す結論が折り合わないことも多かった。

 

 王道と邪道を理解して初めて嫌がらせは策略となる。それを龍園が理解しているのかどうかわからない。

 

 彼はまるで遠慮など知らないとばかりに俺たちが使っているカフェの机に接するように、わざわざ椅子を引っ張って来て腰かける。

 

「櫛田ぁ、お前に良い話をしてやろう。今回の試験、こっちにテスト問題を渡せば報酬をくれてやる」

 

「龍園くんは何を言ってるのかな? そんなこと、私がする筈がないよ。クラスを裏切ることなんてしないもん」

 

「ククク、どうだかなぁ」

 

 櫛田さんの苛立ちが凄いことになっている。視線も刃のように鋭い。

 

「そうだよ龍園、櫛田さんがそんなことする訳がないじゃないか」

 

 俺がそう言うと龍園はまるで「心にもないことを」とでも言いたげな視線を送って来る。

 

 あぁ、これはもう駄目っぽいな。どうやら龍園は櫛田さんを既に信用も信頼もしていないらしい。彼女から齎される情報をもう重宝することはないのだ。

 

 彼は気が付いている。俺が櫛田さんを裏切り者だとわかっていることを。

 

 体育祭の参加表を変更された時点で櫛田さんに見切りをつけたのだろう。それでも裏の繋がりを未だに残しているのは、何かしら使えることがあるかもしれないという保険なのかもしれない。

 

 或いは、櫛田さんに付けた首輪を使って裏切りをより深めて嘲笑いたいのか、なんであれ龍園は櫛田さんをもう信用していないのだ。

 

 何の信用もできない情報しか持ってこないスパイなど、何の価値もないのだから。

 

 櫛田さんが可哀想ですらあった。彼女はただ一人で踊っているだけになってしまっている。それに気が付いてもいない。

 

「まぁ良いさ。心変わりしたんならいつでも声をかけてこい、報酬は弾んでやる。それよりもお前たちに訊きたいことがあってな……そっちのクラスにいる黒幕のことだ」

 

「黒幕?」

 

 櫛田さんが首を傾げてそう呟く。何を言っているのかわからないとばかりに。

 

「お前らのクラスには悪知恵の働く性格の悪い奴がいるって話だ」

 

「自己紹介かな?」

 

「黙ってろお利口ゴリラ。で、どうなんだ櫛田? 心当たりはあるのか?」

 

「急にそんなこと言われても困っちゃうなぁ、全然心当たりもないしね」

 

「そうか、まぁ今はそれで良いだろう」

 

 そう言って彼はスマホを弄って何やらメールを送信している。どうやら彼の中にある疑惑はまだ継続しており、黒幕探しと言うか、清隆に指を引っ掛けようとしているようだ。

 

 清隆の存在を知ったとして龍園にできることなんてありはしないと思うのだが……お前が絡もうとしている男はだいぶアレな奴だぞ? やめとけ、どうせ殴り返されるだけだから。アイツは自分は一般人だと思っているだけのゴリラだからな。

 

「じゃあな櫛田」

 

「俺にはわかれの言葉はないのかい?」

 

 無視されてしまった。彼はもしかしたら俺が嫌いなのだろうか?

 

「龍園くん、変な感じだったよね?」

 

 カフェから出て行った龍園の姿が見えなくなると、櫛田さんは不審そうにしながらそう言った。彼女も違和感を抱いているのかもしれない。

 

「そうだね、でも彼が変なのはいつものことじゃないか」

 

「確かに、言われてみればそうかも」

 

 この学校二大変人の片割れだからな。因みにもう片方は高円寺である。少なくとも俺はそう思っている。

 

「でも誰を探してるんだろ、天武くんは心当たりがあるのかな?」

 

「さぁ、ウチのクラスにいる頭の良い誰かを探したいんだろう、彼が言うにはね」

 

「頭の良い人かぁ、幸村くんとか平田くんとか……後は天武くんと堀北さんもだね」

 

「テストの成績で見れば櫛田さんもじゃないかな」

 

「えぇ~、私はそんなことないよ。悪知恵なんて働かないもん」

 

「そうなのかい? 俺の中で櫛田さんは男を手玉に取る悪女枠だからなぁ」

 

「もう、またそんなこと言って、怒るからね?」

 

 プンプンと、そんな擬音が似合いそうな感じで怒る櫛田さん、可愛い。

 

「ごめんごめん、でもそんな櫛田さんも見てみたいな」

 

「もしそんな私がいるとしたら……本当に見たい?」

 

「複雑な人間と言うのは魅力的に思えるから、できることならね」

 

「ふふ、残念だけど天武くんが期待しているような子はどこにもいないかな」

 

 そうか、それは残念だな。そういった人間の方が魅力的だと思うんだけど。

 

 共にテスト問題を作りながら和やかに談笑を続けていく。こんな時間も悪くないと素直に思えるな。

 

「天武くんはどうなのかな? 皆は知らない本当の自分とかいるんじゃないの?」

 

「それはもちろん」

 

「え? あ、そうなんだ……」

 

「俺に限らず、誰にだってあると思うよ。どんな人でも誰かと接する時は大なり小なり態度を変えるものだ。親と接する時、友人と接する時、他人と接する時、一人でいる時、温度差があるのは当然のことだし、それはおかしなことでもないさ」

 

「ふぅん、そうなんだ。でも天武くんがそうなるのってあんまり想像できないかも」

 

「そんなことはない。俺だって嫌いな奴を前にすれば舌打ちしたくなるし、女の子を前にすればカッコつけたいと思う。怖い人がいれば震えて土下座するよ」

 

 師匠が切れたら一秒以内に土下座する自信があるな。何だったらそのまま靴も舐める。だって死にたくないし。

 

「誰だって、誰かを前にして何かを演じるものさ。それが悪いだなんてことはないだろ?」

 

「……そうかもしれないね」

 

「俺だって今も平静を装いながら、櫛田さんとカフェにいる状況に実は内心ではドキドキしてたりするんだ」

 

「ふふ、そうなんだ。実はドキドキしてるんだ?」

 

「男なら誰だってそうなるよ」

 

 絶対にそうなる。これは間違いない。清隆だってあのクールな顔つきの裏では絶対に女子を意識している筈だ。

 

「確かに、なんだかデートみたいだもんね」

 

「テスト問題を作るからアレだけど」

 

「でも私は天武くんとこうして一緒にいられると楽しいよ」

 

「ん、俺もだよ」

 

 大真面目にそう返すと彼女は照れたように頬を赤くした。そして僅かに視線を彷徨わせて最終的には机の上にあるカップに行き着く。

 

 そこに残っていたカフェオレを飲み干して、頬に残っていた熱をなんとか消し去っていく。

 

「あはは、天武くん、そういうこと真顔で言うのは止めたほうが良いと思うな」

 

「そうかい? 俺は恥ずかしがっている君の顔が見れて楽しいけどね」

 

「もうッ」

 

 何だかんだで櫛田さんもリラックスした様子であった。ストレスを溜め込みやすい人であることは観察していればわかるので、少しでも楽になったのならば素直に嬉しい。

 

「今日はここまでにしようか?」

 

「うん、そうだね。次はどうしよっか?」

 

「勉強会の方もあるからそっちの都合が良い時にしよう。余裕があるようなら連絡してきて欲しい」

 

「わかった、それじゃあまた今度だね」

 

 俺もカップに残っていたココアを飲みほしてから席を立つ。既に外は真っ暗であった。

 

「遅くまで付き合わせてしまってすまない」

 

「私から言い出したことなんだから全然大丈夫だよ。それに、ふふ……」

 

 カフェから出て学生寮に返る途中で櫛田さんは可愛らしく微笑んで見せる。

 

「天武くんと一緒だと楽しいからね」

 

 俺の肩に手を置いて口元を耳に寄せてそう囁いてくる櫛田さん、ドキッとするので止めて欲しい。後、良い匂いもするから心臓に悪い。

 

「おやすみ、また明日」

 

「ん、おやすみ。良い夜を」

 

 男子と女子では上と下で部屋がわけられている。なので必然的に俺の方が早くエレベーターを降りることになる。

 

 一歩外に出て、まだエレベーターの中にいる櫛田さんにそう伝えると。彼女は笑って俺を見送ってくれた。

 

「櫛田さん、あまり無理はしないようにね」

 

「え?」

 

 徐々にエレベーターの扉が閉まっていく。その隙間から見える彼女は俺の言葉に驚いているようにも見えた。

 

「何か嫌なことがあったらストレス解消に付き合うって話さ」

 

「あ、うん」

 

 扉はそこで完全に閉まる。その直前に、僅かな隙間から見えた彼女の顔は、何とも言えないものとなっていたのが印象的である。

 

 そんなこと言われるとは思っていなかったのだろうか? よく観察するとだいぶストレスを抱え込んでいるのはよくわかるんだけどな。

 

 エレベーターの扉が隠してしまった彼女の顔を思い出して、複雑な人は魅力的だと改めて思う。

 

 清隆が見たという暴力的な彼女もいつか見たいな。そんなことを考える夜だった。

 

 

 

 

 

 



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試験に向けて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特別試験、通称ペーパーシャッフルが行われることが告知されて暫く、俺はクラスを代表して職員室に来ていた。

 

 この試験では自分たちが作った問題で他クラスをぶん殴ると言う試験なので、指名先が被ることはどうしてもある。そして職員室に呼び出されたということはそういうことなのだろう。

 

「葛城、どうやらAクラスも龍園クラスを指名したみたいだね」

 

「当然だ。入学当初はBクラスだった一之瀬たちの総合力は未だに高い。他に選択肢が無かったからな」

 

「おや、それなら俺たちも候補に入るんじゃないかな? 今でこそBクラスまで上がったけど、前にも言ったようにまだまだ実力不足は否めないしね」

 

「かもしれん。しかしそちらのクラスは学業優秀者が多いことも把握している。中間テストの結果はこちらでも確認したが、お前と堀北は全教科満点を取っていたしな。警戒するには十分だろう」

 

「だから龍園クラスか、まぁこっちも似たようなもんさ。さすがに君や一之瀬さんにテストで挑むのは難しいって判断だよ」

 

「だろうな」

 

 そんな会話をしていると今度は職員室に一之瀬さんが入って来る。おそらく似たような用件で呼び出されたのだろう。彼女のクラスも龍園クラスを指名したらしい。大人気じゃないか彼は。

 

 一之瀬さんクラスは総合的に見てそこまでAクラスとの差がないと思っていたので、もしかしたら強気にAクラスを指名するかとも思っていたが、一連の特別試験であまり結果が得られなかったので、ここは堅実に動いたのかもしれない。

 

「あ、笹凪くん、それに葛城くんも、やっぱり指名が被っちゃったのかな?」

 

「そうみたいだね、一之瀬さん」

 

「考えることはどこも同じか」

 

「だね、くじ引きで決まっちゃうだろうけど、恨みっこ無しだからね」

 

 こればかりは運頼みになる。ならば俺の出番だ。

 

「揃ったな。ではこれよりクジ引きを行う、誰から行く?」

 

 三人が揃ったことで真嶋先生が箱の中に入ったクジをこちらに提示してきたので、それを見て俺たちはどうするかと視線を交わらせた。

 

「反対意見が無いのなら俺から行かせて貰っても構わないかい?」

 

「どのタイミングで引こうと確率は変わらん。こちらはそれで構わない」

 

「うん、私もそれで良いよ」

 

「それじゃあ遠慮なく」

 

 三つあるクジの一つを気負うことなく手に取って中を確認する。あの占い師が言うには俺は一生で使いきれないほどの幸運を持つらしいので、上手く行くことを願っていると、どうやら良い結果を掴み取れたらしい。

 

「どうやら俺が当たりのようだ」

 

「あちゃ~、最初に持っていかれちゃったかぁ」

 

「ふふ、ごめんね一之瀬さん、葛城。どうやら運が良かったらしい」

 

「こればかりは、どうしようもないだろう」

 

 事実は事実として受け止める葛城と一之瀬さんは、龍園が俺たちのクラスを指名しているので、直接対決をすることになるのだろう。

 

 

 

 

 

 そんなやりとりが職員室で行われた数日後、俺たちはペーパーシャッフルでのペアを決める為の小テストの返却が行われるのだった。

 

「良かった。想定通りだったみたいだね」

 

 小テストが行われる前にクラスメイトたちは色々と情報収集に走っていたのだ。部活に所属している者たちなどは先輩から話を聞いたり、教師たちに質問して少ないヒントを集めたりだ。

 

 その結果として、小テストの結果によってペアが決まると判断したのだ。成績上位者と下位者による組み合わせという法則があるとしてテストに挑み、その考えが間違っていなかったことが今日証明された。

 

「わかってはいたことだけど、こうして推測が正しかったと証明されると、やはり安心するわね」

 

 鈴音さんも須藤と組むことが決まって一安心している。成績上位者同士でペアを組むことだけは避けたかったからな。

 

 俺は誰がペアになるのかと黒板に張り出された用紙を眺めていると、どうやら佐倉さんが相手となるらしい。

 

「佐倉さん、よろしくね」

 

「よ、よ、宜しくお願いします……あの、その、迷惑をかけちゃうかもしれないけど」

 

「あぁ、あんまり気にしないで、その為のペアだから……ふふ、それとも、清隆と組みたかったのかな?」

 

「ッ!?」

 

 わかりやすく動揺する佐倉さんを見るのは面白くはあった。勉強会でのグループ分けで清隆と同じ組に振り分けられているので、そこで満足して欲しい。

 

「そっちのグループでの勉強会はどうかな? 上手くやれそうかい?」

 

 クラスに馴染めていない面子を集めた印象であったが、佐倉さんの反応を見る限りは上手く進めていて、長谷部さんも三宅も集中力や学力が壊滅的という訳ではないので問題はないらしい。

 

 講師役の幸村を清隆が補佐する形で進んでいるようだ。佐倉さんも何とか付いていけているとのこと。

 

「さ、最初は緊張したけど……うん、大丈夫」

 

「そうか、良かった。何か困ったことがあったら清隆に頼ると良いよ」

 

「う、うん……」

 

 問題なく進んでいるようならば何も言うべきことはない。早めに勉強会を開催できて滞りなく動いているのならば良い傾向なのだろう。早めに形になったのは結果にも繋がる筈だ。

 

 俺のペアも決まったのでいよいよ試験に本腰入れないとな。退学者が出ないような配慮ある問題作りもそうだが、俺自身もテストにしっかりと向き合わないと。

 

 とりあえず満点は取るつもりではあるけど、ひねくれた問題が出て来るともしかしたらと考えられる。

 

 それに考えなければならないことがもう一つある。それは友人への誕生日プレゼントであった。とある筋から入手した情報では龍園の誕生日が迫っているらしい。しかも清隆の誕生日もだ。

 

 ここ最近、清隆はやけにソワソワして俺をチラ見してくるのだ。そんな顔をされると用意しない訳にもいかないので、誕生日プレゼントはしっかりと考えなければならない。

 

 やれやれ可愛い奴だと思いながらも、なんだかんだと気合を入れてしまう俺はもしかしたらチョロい男なのかもしれない。

 

 友人への誕生日プレゼントに何を贈るべきか考える。これはこれでとても高校生らしいじゃないか。うん、凄く良いと思う。

 

 龍園にはキーホルダーサイズの仏像の詰め合わせで問題ないだろう。彼はそれくらい雑な扱いで大丈夫、問題なのは清隆である。

 

 あの世間知らずで常識の欠けた所のある清隆だ、何を貰って喜ぶのか謎であった。

 

 ここは龍園とお揃いの仏像のキーホルダーの詰め合わせだろうか? 毎日色違いの仏像をスマホに着けてくれるだろうか? いやいやありえないだろう。

 

「そんな訳でね、俺は悩んでいるんだ」

 

 放課後、今日は平田グループの勉強会に顔を出してマンネリ防止に励んでいる。ある程度、勉強も進んで日が暮れて来た頃、そろそろお開きといったタイミングで俺はクラスメイトたちにそう質問していた。

 

 興味を示してくれたのは平田と軽井沢さん、そして松下さんである。佐藤さんがいれば同じように興味を向けてくれたかもしれないが、彼女は堀北さんグループに振り分けられているのでここにはいない。

 

 勉強会を開いていた図書室の一角、椅子に腰かけて深刻な様子でそう伝えると、三人は悩んでくれた。

 

「綾小路くんへの誕生日プレゼントかぁ、確かにちょっと想像ができないかもしれないね」

 

「そうなんだ平田。彼にわかりやすい趣味なんかあれば良いんだが……どうにも想像できない」

 

 そんなことを言うと平田は頬を掻いて僅かに笑って見せる、けれどここで一緒に悩んでくれるのが彼の長所だと思う。良い男だ。

 

「洋介くんと天武くんの言いたいこともわかるなぁ、アイツって何が好きなんだろ?」

 

 ここ最近、名前呼びになった軽井沢さんも同じように首を傾ける。

 

「因みに笹凪くんは、今は何を贈ろうって考えてるの?」

 

 俺の中では出来る女枠の松下さんは話を次に進めてくれた。

 

「これといった趣味もない、興味も薄い、そんな男子高校生への贈り物なんだから、ここはやはりカップラーメンの詰め合わせがベストかなって」

 

 食べれば邪魔にならない、非常食にもなる、それに上手い。俺は誕生日プレゼントにこれが貰えればとても満足できるのだけど。

 

「あぁ~……う~ん」

 

「松下さん的にはどう?」

 

「男子が相手だし、甘く採点して50点かなぁ」

 

「女の子相手なら0点だけどね」

 

 軽井沢さん的にも無しなチョイスらしい。俺は貰うと嬉しいんだけどなぁ。

 

「平田、どうやら男子と女子の間には埋められない価値観の差があるらしい」

 

「あはは、僕はそれでも十分満足できるけど、確かに誕生日プレゼントって感じはしないかもね」

 

「えぇ~、男子ってそんなんで良いの? どう思う松下さん?」

 

「笹凪くんが言うように、男子と女子の価値観は違うんだろうね」

 

 女子二人からは赤点を貰ってしまったらしい。カップラーメンの詰め合わせ、良いと思うんだけどな。

 

「まぁ男子同士なんだからそれでも良いのかもしれないけど、女子相手だと絶対に0点だから、そこは忘れない方が良いかな」

 

 最終的には軽井沢さんに強引にそう締めくくられてしまう。ダメ出しだけされる相談となってしまった。

 

 龍園が相手ならミニチュアサイズの仏像で良いんだけどなぁ。カップラーメンの詰め合わせは誕生日らしくないと言うことらしい。

 

「そんな訳なんだが、清隆はどう思う?」

 

「それを本人に訊くのはどうなんだ?」

 

 学生寮に帰って来てすぐに清隆の部屋に訪れる。そして問いかけたのはどんな誕生日プレゼントが良いかという質問である。

 

 わからないならグダグダ悩んでいないで本人に訊けばいいという、とてもシンプルな考えのもと、こうして部屋を訪れた訳である。

 

「いやさ、カップラーメンの詰め合わせはクラスメイトからダメ出しされてしまったんだ」

 

「オレはそれでも嬉しいけどな、実に無駄のない贈り物だ」

 

「だよな、アクセサリーとかよりもずっと嬉しいよな」

 

「あぁ、女子の考えはよくわからない」

 

 同意するように頷くと、清隆も同じようにコクコクと頷く。たぶんこんな感じだから俺たちは女子からダメ出しされてしまうんだろうな。

 

「まぁ問題無いようならカップラーメンの詰め合わせを贈るとしよう。松下さんと軽井沢さんが言うにはそれだと50点らしいから、一緒にハムとソーセージの詰め合わせと万年筆も付けようじゃないか」

 

「おぉ、100点満点だ」

 

 清隆の反応も悪くない。凝った物よりもそういった物の方がずっと良いと思うのは、やはり男子だからなのだろうか?

 

「まぁ女子が相手だとそうも行かないんだろうね」

 

「そういうものなのか?」

 

「たぶん、誕生日にカップラーメンの詰め合わせなんて贈ったら、とても怒られると思う」

 

「男女の価値観の違いと言う奴か……気を付けないとな」

 

「ほほう、気を付けるような相手がいるのかい? やはりペアになった佐藤さんかな? それとも佐倉さんかい?」

 

「もしもの話だ。現状でそんな相手はいない」

 

「未来のことなんて誰にもわからないさ。試しに誰かと交際してみるのも良いんじゃないかな。高校生っぽいじゃないか」

 

「ふむ、まぁそういった方面も学習しておく方が良いかもしれないが……」

 

 学習ね、彼らしい言葉だと思う。

 

「だが、面倒事も多くなるだろう。ホワイトルーム関連のごたごたに巻き込む可能性がある。弱点はあまり作りたくない」

 

「そんなの俺に任せればいいじゃないか……ちょっと行って全部壊してくるよ、戦車とかは出てこないんだろう?」

 

「色々なリスクも付きまとうからそれは最終手段だ……というか、戦車が出てこなければどうにでも出来るのか、いよいよ人間を辞めてるな」

 

「まさか、俺はまだ人類だ。師匠に比べれば未熟者だよ」

 

 なるほど、清隆もそういった展開も想定はしているらしい……やる気が出て来るね。

 

 その選択肢は様々なリスクが付きまとうと彼は言うが、法も権力も圧倒的な暴力を前にすれば無意味で儚いものだ。ホワイトルームの運営がどれだけの権力を振るえるのか定かではないが、全部ぶん殴ればそれで解決すると思う。

 

 物騒な算段を頭の中で考えているが今はどうでも良いか。せっかくなので夕飯の担当を賭けてチェスで勝負しながら作戦会議と情報交換をすることになる。清隆の部屋でやる事と言えばこれしかない。

 

「勉強会はどんな感じだい? 佐倉さんから聞いた感じだと大きな問題もないようだけど」

 

「あぁ、幸村が上手く調整している。補佐も必要ないくらいだ」

 

「そりゃ良かった。まぁそのグループの面子は別に授業態度が悪かったり、やる気がない人たちでもないからね」

 

 そこは安心だ。赤点組が多く問題児ばかりの鈴音さんグループが一番苦労するかもしれない。

 

「櫛田はどうだ?」

 

「こっちも大きな問題はないかな、一緒にダミーのテストを作ってる最中だよ……あ、そうだ、なんか龍園が君のことを探ろうとしていたようだけど」

 

「そう言えばメールが来ていたな」

 

 チェスの駒を動かしながら懐から取り出したスマホに送られてきたメールを彼は俺に見せて来る。そこには「お前は誰だ」と書かれた短い文章があった。

 

「彼は頭の良い男だ、思考力も推理力もある。そして手段を選ばない性格でもあるな……問題はないのかい?」

 

「だからこそだ……櫛田の件もある、そろそろしっかりと釘を刺して心を折っておきたい」

 

「敢えて食いつかせるってことか」

 

「そうだ」

 

「彼は君だけでなく俺も警戒している筈だ。想定以上の戦力を出してくることもありえると思うけど」

 

「何も問題はないだろう」

 

「その心は?」

 

「龍園が考える想定や予測の限界は、結局は自分の常識と経験と手元で揃えられる武器程度のものでしかない。こちらとは想定の領域や覚悟がそもそも異なる……例えばだが、天武は荒事を行うとしてどんな想定をする?」

 

「戦車があるか否か、かな。そこが一つのラインになると思う。無いのならGO、あるのなら準備と覚悟を整えた上でGOだ」

 

「...龍園は、せいぜい人数と武器の有無、或いはお前から見れば誤差程度の人間基準での強弱だ。これから荒事をするにしても当たり前のことだが、戦車がどうのなんてことは最初から考えもしない。そこが龍園の限界で実力の最大値だ」

 

 まるで俺の考えがおかしいみたいな言い方に聞こえるんだけど、勘違いかな?

 

「そもそも、龍園とお前とでは荒事や脅威に対する考えに決定的な違いがあるぞ。高校生が考える暴力と、ゴリラが考える暴力は異なるんだ……そんな状態で得意な暴力を振るっても意味はない」

 

「そういうもんかな」

 

「あぁ、どれだけ龍園が暴力的な男だろうが、どこまで行っても高校生の範疇を超えることはない……プロの格闘家であっても銃には勝てないように、お前やオレには勝てない」

 

「強気だね」

 

「事実だからな」

 

「龍園の脅威はどこまで行っても高校生でしかないってことか……言われてみれば納得だな。武器を用意するにしてもバットとか角材とか刃物くらいだろうし、数を揃えるにしたってせいぜい1クラスが限度か、そう考えると確かに龍園というか、この学校の生徒が振るえる実力の限界がわかるね」

 

 もしこれが龍園でなく、つまりは高校生で無ければもっと警戒が必要だろう。それこそ銃とか爆薬とかを平然と使ってくるような連中も世の中にはいるのだから。

 

 けれどこの学園にいる高校生はそこまでの手段を行使することはできない。だから清隆はそれが龍園の限界であり実力の最大値としている。だからこそ問題ないと判断したのだろう。その程度ならば脅威にならないとして。

 

 可哀想に龍園、君が探して正体を掴もうとしている男は、だいぶ思考がゴリラ寄りだぞ。彼は今、負けるような相手でもないんだから殴って黙らせれば良いと雑に結論を出したのだから。

 

「ある程度、場とタイミングを整えたら処理しよう」

 

「ん、具体的には?」

 

「相手の出方次第になる」

 

「わかったよ、高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変にって奴だな」

 

「行き当たりばったりって訳じゃないんだが、まぁそんな感じだ。あの男の性格的に正面から堂々とはいかないだろうから、オレやお前の弱みになる人物を巻き込む筈だ」

 

「警戒を厳に、だね」

 

「ようやくクラスが纏まってきたんだ。つまらない罅を入れる訳にもいかない、いつでも動けるように準備だけ頼む」

 

「あぁ、色々なパターンを想定しておく。龍園だって馬鹿じゃないんだ、面倒な状況になる可能性も十分にある」

 

「かもしれないな。だが、得意の暴力が通じない相手にはとことん弱くなる……ならば殴って黙らせれば良いだろう」

 

「前から思ってたけど、清隆って割とゴリラだよね」

 

「なん……だと?」

 

 清隆が動かそうとしていたチェスの駒が指先から零れ落ちて、床に転がっていった。

 

 その日の夜はこうして更けていくことになる。色々と話し合ったけど、出した結論がぶん殴って黙らせるなんだから、やっぱり清隆もゴリラなんだと思ってしまう時間であった。

 

 

 

 



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善人である理由

 

 

 

 

 

 

 

 櫛田さんと共同で行うテスト問題の製作は順調であった。彼女は積極的に関わって来て様々な考えや問題を提示してくれるので、とても順調であると断言できる。

 

 ただ、彼女と作るのは全てがダミーであるので完全に無駄になってしまうのが心苦しくもある。完全に無駄な時間となってしまうからだ。

 

 頭の中にいるもう一人の自分が作るテストが本命である。そこは本当に申し訳なく思っている。櫛田さんを騙していることになるからね。

 

 櫛田さんと鈴音さんの確執と、敵対、それらを取り除かない限りは、本当の意味での信頼を結ぶことはできないのかもしれない。

 

 俺は櫛田さんのことは嫌いではない、そこは間違いない。複雑な人はとても魅力的だ。だからこそもっと彼女と強固な信頼関係を繋ぎたいと思っている。

 

 そしてできれば恋を教えてくれるような人になって欲しい。そこまで求めるのは酷なのかもしれないが。

 

「寒くなって来たな……」

 

 放課後になり周囲は薄暗くなっている。俺はマンネリ防止要員として各グループに顔を出しているのだが、それも終わって今日の勉強会は解散となっていた。

 

 校舎から外に出た瞬間に冷たい空気が頬を撫でた、今はまだ凍えるほどでもないのだが、冬が近いことを実感させるには十分だろう。

 

 こんな日はさっさと部屋に帰って文化的活動に勤しむものである。今日は櫛田さんとのテスト問題の製作もないので真っすぐ学生寮に帰ることができた。

 

 今頃、もしかしたら鈴音さんと櫛田さんは話し合いの場に立っているのかもしれない。きっと落としどころは見つからないんだろうけど。

 

 いっそ限界まで殴り合えば良いんじゃないかと俺は思ってしまう。建前も仮面も捨ててお互いに立てなくなるまでだ、それで分かり合えることもある筈だ。

 

 まぁこんなことを言うと、清隆にゴリラだと思われるんだろうな。俺からしてみれば彼も大概ゴリラ寄りの人間なんだけどね。

 

「あ、笹凪くん」

 

 険悪な表情で話し合っているだろう櫛田さんと鈴音さんの様子を思い浮かべていると、校舎の玄関から一之瀬さんが姿を現した。鈴音さんとの交渉で合同の勉強会をしたらしい彼女も、どうやら寮に帰るつもりらしい。

 

「やぁ一之瀬さん。今から帰りかい?」

 

「うん、笹凪くんもだよね? 良ければ一緒に帰ろっか?」

 

「もちろん……どうやら相談したいこともあるようだしね。俺で良ければ付き合おうじゃないか」

 

「え……にゃはは、プールの時もそうだったけど、私ってそんなにわかりやすいかな?」

 

「君はいつも明るく朗らかな表情をしているが、今は少し悩みがあるように思える。俺でなくとも気が付くだろう。それで、どんな悩みかな? 笹凪先生に話して見なさい」

 

 俺と彼女は並んで学生寮まで歩き出す。そう言えばこうして一之瀬さんと下校するのは初めてのことである。彼女はいつも誰かに囲まれている印象があるからな。

 

「え~と……」

 

「あぁ、話したくないのなら、それで良いさ」

 

「そうじゃないよ、なんて言えば良いのかちょっと迷って……ん~、笹凪くんはさ、前に無人島での試験で、困っている人がいれば手を差し伸べるって言ってたよね? 利益とか、そういうのを無視して」

 

「確かに言ったね」

 

「それは、どうしてなのかなって?」

 

「ん、何故そんな質問をするのかっていう疑問は横に置くとして……そうだね、俺の中でも明確な答えは出ていないんだけど、敢えて言葉にするのならその方がカッコいいからだね」

 

「カッコいい?」

 

「あぁ、俺の中ではカッコいいかどうかが行動原理の多くを占めているんだと思う」

 

「カ、カッコいいから誰かを助けるんだ?」

 

「応とも、カッコいいは重要だ。これは容姿の話ではなくて生き方の話でね……誰かが落とし物を探していたのなら共に探す、迷子がいたら道を示す、老人が辛そうにしていたら席を譲る、誰かが悲しんでいたら共に寄り添う……うん、そんな男の方が絶対にカッコいいだろう」

 

 斜に構えてギラギラしている男よりも、俺はその方がカッコいいと思う。

 

 師匠曰く、男は死ぬまでカッコつけなければならない。

 

「大した理由がなくてごめんね。けれど、困っている誰かを助ける理由なんてこれで良いと思うよ、俺は悪人と思われるよりは善人と思われたい人間だしね……だから誰にだってカッコつけるんだ、誰かが困っているよりも、笑ってくれている方がずっと気分が良い」

 

「そうなんだ……凄いね」

 

 俺の話を隣で歩きながら聞いていた一之瀬さんは、小さくそう言って視線を僅かに下げる。

 

 今日の彼女は少し様子が異なるな、何かあったのだろうか?

 

「凄いかな? 俺が言っていることは、別に特別なことではないと思うんだけど」

 

 世の中を見渡せば同じことをして考える人だっているだろう。何も特殊なことでもなければ、特異なことでもない。

 

 俺よりも善人の誰かなんて、それこそ億単位でいると思う。

 

「一之瀬さんだってそうなんじゃないかな? 誰かを思って行動できる人じゃないか」

 

「ち、違うよ……私は、そんなんじゃない。笹凪くんと一緒だなんて言えないよ」

 

「それはどうしてだい?」

 

 そう尋ねると、彼女は下げていた視線を上げてこちらに向けて来る。見つめ合う形となった俺たちの瞳は、しかし反らされてしまう、まるで眩しい何かから顔を背けるように。

 

 それでも何かを伝えたいのか、パクパクと唇を揺らして何か言葉を紡ごうとするのだが、上手く纏まらないらしい。

 

「だって、私は……」

 

 動揺と、後悔と、後は懺悔だろうか? 観察しているとそんな感情や思いが見え隠れするのがわかる。

 

 だから俺はそんな彼女に、先手を打つようにこう言った。

 

「善行に貴賤がないように、善人であることもまた同様だよ」

 

「……え?」

 

「一之瀬さん、君はもしかしたら俺が思っていた以上に複雑な人なのかもしれないね。多くの悩みと多くの後悔を知る、うん、普通の女の子だ」

 

「そ、そうかな?」

 

「あぁ、今の君はとても普通だ……悪い意味で言ってるんじゃないよ? どこにでもいる、色々なことに悩んでいる人で、とても高校生らしい」

 

 いつも誰かに頼られ親しまれる一之瀬さんではあるが、当たり前のことだがそんな彼女も高校生である。悩みがあって当然の年頃だろう。

 

「もしかしたら君は多くの悩みの上に立っているのかもしれない、様々な後悔をしながらここにいるのかもしれない……けれど、それは自然なことだよ」

 

「……」

 

「善人に思われることは心苦しいかい?」

 

「そ、それは……」

 

 視線が面白いように揺れ動く。

 

「誰かに慕われることが怖いのかい?」

 

「……」

 

 通学路の途中にある、いつか鈴音さんとお兄さんが争っていた自動販売機の前で立ち止まり、そこで温かい飲み物を購入して片方を一之瀬さんに渡す。

 

 そして隣にあるベンチに腰掛けると、彼女もまた引かれるように座った。

 

「けれどね、君が多くの人に慕われているのは事実じゃないか。複雑に考えないでそれで良いと思うけどね」

 

「にゃはは……そんな簡単には、いかないかな」

 

 おどけたように、けれど隠し切れない負の感情を見せながら彼女は笑う。

 

「一之瀬さんは困っている人がいれば手を差し伸べるだろう?」

 

「うん、それはもちろんだよ」

 

「落とし物を探している人がいれば?」

 

「手伝うよ」

 

「バスの席が満席の状態でご老人がやってきたら?」

 

「席を譲るかな」

 

「困っている誰かがいれば?」

 

「私にできることなら精一杯手を貸すよ」

 

「あぁ、それで良いじゃないか……結果が大事なんだ。そこに至る過程や過去なんてあまり意味が無い。重要なのはその行動そのものだよ」

 

「う~ん、そんな簡単な話じゃないんだけどなぁ」

 

「いいや、簡単な話さ」

 

 ベンチに座ってココアをチビチビと飲む一之瀬さん、まだ迷いや葛藤があるらしい。

 

「何もしない人よりずっと良い、手を差し伸べない人よりもずっと尊い、共に寄り添わない誰かよりも遥かに強い……過程じゃない、結果が大事なんだ。どんな思いかじゃなくて、何を成したかだ。だから、思い悩む必要はないさ」

 

「笹凪くんは、やっぱり凄いね。そんなこと言えちゃうんだから」

 

「凄くはない。ただカッコつけたいってだけの男だよ、自己中心的でなんだったらナルシストなのかもしれないね。けれどそんな俺が頑張って誰かが笑顔になるのなら、それは素晴らしいことだと思う」

 

 だから俺はどれだけ呆れられて馬鹿にされてもカッコつけるのだ。カッコつける為ならどんな危機にだって立ち向かう。

 

 うん、そう思うと俺って凄く馬鹿だと思う。けれどそれで良いのだと思ってしまったからな、きっとこれからもカッコつけるナルシスト全開な生き方をするんだろう。

 

 そうやって死んで逝けるなら、なんて素晴らしい最後だろうか。

 

「だから一之瀬さん、自分なんてと思う必要はない、負い目を感じる意味もない、誰かを笑顔にする人間になれるのならば、それはとてもカッコいいことだ。それ以上に重要なことなんてない……なんて言ったら、ちょっと偉そうに聞こえるかな?」

 

「うぅん、そんなことないよ」

 

 そこで彼女はようやくクスッと笑ってくれる。沈んだ顔よりもやはり笑顔の方が美しい。

 

「では笹凪先生、いつものお願いします」

 

「うむ、グダグダ悩んでないで前を向きなさい、時間は君に寄り添ってなどくれません」

 

「はい、わかりました!!」

 

 元気よくそう答えてくれたので、偉そうな笹凪先生の説教はこれで終わりとなった。

 

 空になったココアの缶をゴミ箱に捨てて、再び俺たちは寮に向かって歩き出す。

 

「ねぇ笹凪くん、もしもの話なんだけど……」

 

「ん、何だい?」

 

「えっと、その……私がさ、どうしようもないくらいに挫けちゃった時は、また話を聞いてくれるかな?」

 

「おいおい、そんな予定があるのかい?」

 

「いやいや、もしもの話だよッ!? いや、無いけどね、でも、無きにしも非ずと言いますか、え~っと……私、何言ってるんだろ」

 

 わちゃわちゃと両手を動かして慌てて見せる彼女は、最終的に頭を抱えてしまった。

 

「まぁ、その時が来れば話くらいは聞くよ、誰にだってそんな時はあるだろうからね」

 

「うん、ありがとう……約束だよ?」

 

「あぁ。逆に俺が挫けそうな時は、君が話を聞いて欲しい」

 

「もちろん。でも笹凪くんがそうなってるのって想像できないかも」

 

 うん、俺も想像できない。挫折なんて師匠から星の数ほどに与えられたからな。何が来ようと心は折れないと思う。

 

 目の前にどんな絶望があったって、ぶん殴れば良いだけだからな。ただそれだけのことで挫けてなんていられない。

 

「まぁもしもの時の話だよ。誰かが支えてくれるとわかっていれば、少しは気が楽になるよ。俺も君もね」

 

 一之瀬さんもまた色々と複雑な人ではあるんだろう。その内心にどんな迷いや葛藤があるのかは知らないが、それで何も問題なんてありはしない。

 

 複雑な人は魅力的だ。俺はこの学校に来てからよくそう思うようになったと思う。

 

 清隆にしろ、高円寺にしろ、龍園や櫛田さんに堀北さん、本当に色々な人がいて面白い。それが社会だと師匠に教えて貰ってはいたのだが、知識と経験はまた違うと言うことなんだろうね。

 

「あ、そうだ、相談ついでになんだけどね、もう一つだけ笹凪くんに相談しても良いかな?」

 

「ん、なんだい?」

 

「実はね、今回の特別試験のことなんだけど」

 

「あぁ~……それって俺が聞いても良いのかな?」

 

「良いと思うよ、私たちは今回の試験で戦う訳じゃないしね。堀北さんからも一緒に勉強会をしようって言われたよ」

 

 そう言えば堀北さんグループは一之瀬さんたちと一緒に勉強会をしているんだったな。

 

 なら一之瀬さんクラスの目標や作戦を聞いても良いのかもしれない。俺たちが指名している相手も被っていないのだから。

 

「ん、なら問題ないか、どんな相談なんだい?」

 

「えっとね、実は坂柳さんから今回の試験で協力しないかって持ち掛けられてるんだ。どうしようかなって迷ってるんだよねぇ」

 

「坂柳さんがそんなことをね、因みにそれってクラス全体で共有している訳じゃないよね?」

 

「うん、神崎くんにも話してないかな。今の所は私と坂柳さんだけの話だよ」

 

 一之瀬さん的にはこの話を受けるかどうかで迷っているらしい。都合が良いと言ってしまえばそれまでだし、有利に運べるという考えもあるのだろう。

 

「Aクラスの内部分裂、いよいよ深刻になって来たって感じだね」

 

「そこなんだよね。葛城くんと坂柳さんの対立は私も知ってたけど、ここまでだなんて思ってなかったかも……大きくポイントが動く特別試験でもそんな感じだなんて、Aクラスって大変だよね」

 

「あぁ、莫大なクラスポイントを持っているが、数字ほど優雅な生活ではないんだろうさ」

 

「二大派閥の対立だなんて他のクラスには無いもんね」

 

 ウチのクラスには対立は無いけど、代わりにとんでもない地雷が埋まってるけどね。

 

「ん、とりあえず一之瀬さんの考えを聞かせて欲しい」

 

「……私は、受けようかなって思ってる」

 

「流された末の選択ではないんだろう?」

 

「そうだね、ちゃんと考えてそう決めたかな……でもちょっと迷ってたりして」

 

「もしかしたら罠かもしれないから、迷って当然だと思うよ」

 

「罠かぁ……そうだよね、そういう所もちゃんと考えないとダメだよね」

 

「もしかしたら対立は外向けのポーズでしかなくて、これまでの姿勢はこの試験で一之瀬さんを陥れる為の盛大な前フリだったとか」

 

「も、もしそうなら怖すぎるよ!?」

 

 確かに、そこまで手が込んだことをされるとお手上げかもしれない。これまでの対立が全て嘘でこの日の為だったとか、とんでもない策士だった。

 

「まぁ流石にそこまで手が込んだ真似をするとは思えないから、この話を受けてしまっても良いと思うけどね」

 

 彼女もそう思ってはいる筈だ。何よりここでAクラスに勝ってポイントを得ることは強い自信に繋がるのだから。

 

「正々堂々の戦いで勝ちたいのならば拒否するのも一つの手だろう。けれどそうなった場合、おそらく神崎辺りに話を持っていくんじゃないかな」

 

「そっかぁ、最終的にはそうなっちゃうかぁ……」

 

「悪い話ではない。けれど油断して良い訳でもない……そうだなぁ、俺ならその話を受けてあちらのテスト問題を把握した上で、勉強会でその問題をクラスメイトたちに試験対策テストって感じで出したりするかな」

 

「あっちの都合だけを信じて行動しないってことだね?」

 

「そう、もし直前になって裏切られた所で何も問題はない。何故なら最初から相手の情報を鵜呑みにしないで行動していたからだ。クラスメイトたちもそんな裏取引を知らないままテストに挑める……もし本当に提供された問題がそのまま出てきたらラッキー、出てこなくてもこれまで頑張って勉強していたから何も問題ない、違うかな?」

 

「確かにそれが一番かもね。うん、そんな感じで行こうかな」

 

「あぁ、それで良いさ」

 

 今回の試験、もしかしたらAクラスは敗北するかもしれないな。葛城は莫大なローンを契約しているのでクラスポイントが100も減れば大打撃となってしまう。坂柳派の勢いがまた増すだろう。

 

 クラスポイントが1000を下回る日が来れば、いよいよだ。

 

「個人的には、Aクラスの内部対立はいつまでも続いて欲しいとは思ってるんだけどね」

 

「確かに、今回みたいな提案がこれからもされたりするかもしれないもんね。それだけに甘えちゃうのもどうかと思うけど、やっぱり有利な所もあるだろうし」

 

「追う側としてはこれ以上ないくらいにありがたい状況さ……葛城は大変だ」

 

 本当に大変だと思う。彼は高校生という括りの中ではとても優秀な男なのだが、同級生の性格が悪すぎると思う。

 

 真面目にやっている人が損をするのはとても悲しいことだ。普通はそういった人こそが報われるべきなのに。

 

 身内に足を引っ張る存在がいるという、クラス闘争にとっては致命的な状況の恐ろしさを改めて実感するしかない……いや、俺も葛城を笑えるような立場じゃないんだけれども。

 

 そんなことを考えていると学生寮に辿り着く。一之瀬さんの雰囲気もすっかりいつもの感じに戻っていた。

 

「笹凪くん、今日はありがとう。ごめんね、なんだか私、事あるごとに相談してる感じになっちゃって」

 

「構わないよ。男というのは単純でね、誰かに頼られるとついカッコつけちゃうんだ。そして俺はカッコよくありたいと思っている。つまりとても嬉しい状況なんだ」

 

「にゃはは、なら遠慮なく頼っちゃおうかな」

 

「そうしてくれ、俺はとても嬉しい」

 

 それに色々と面白い話も聞けた、今回の試験でのAクラスの動向や考えを知れたのは良いことだろう。あのクラスの対立もいよいよ泥沼になってしまっている。

 

 坂柳さんはそんな状況をどう思っているんだろうか? あの人はAクラスでの特典にそこまで興味を持っていないように思えた、どちらかというと自分の中にある目的を達成することを優先する人のように受け取れる。

 

 その目的の中にAクラスでの卒業があるのかどうかは知らないが、彼女がクラスの指揮を大手を振って取れるようになれば、強敵になるのは間違いない。

 

 早めに龍園を処理しておかないとダメだな。少なくとも今はまだ俺たちには勝てないと判断して大人しくさせなければならない。

 

 前途多難だ。けれどそれでこそ人生だと思う。それを実力で乗り越えることこそが、きっとこの学校が求めていることなんだろう。

 

 間違っても足の引っ張り合いや他者を陥れることに、己の全力を出せと推奨している訳ではないと考えたい。

 

 

 

 

 



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矜持を掲げた誓い

天武くんが矜持という言葉を使った時は、本気かつ全力で物事に挑む時です。


 

 

 

 

 

 

 どうやら鈴音さんと櫛田さんが次の特別試験で決闘することになったらしい。

 

 いやいや何でそうなったんだって聞いた時は動揺したのだが、彼女曰くそう持っていくことしかできなかったそうだ。

 

 鈴音さんが勝利すれば櫛田さんはもう妨害や裏切りはしない、逆に櫛田さんが勝てば鈴音さんとどうした訳か清隆が退学することになるらしい。単純な口約束ではなく、第三者である堀北先輩を巻き込んでこの戦いを認められたのだから、両者の本気がよくわかってしまう。

 

 もしかしたら、この提案は櫛田さんにとっては渡りに船だったのだろうか? よっぽど都合の良い展開やルールで無ければそもそも個人をピンポイントで退学させるのは難しいのだから、今回の決闘はとてもシンプルである。それこそ龍園と協力している関係上、テスト問題を得ることも難しくはないのだから。

 

 勝てれば確執のある相手を退学にできる。ごちゃごちゃと考えながら特別試験で暗躍するよりはずっと簡単な展開であった。

 

 そして負けた所で櫛田さんに失うものはないのだ。一時的に身動きが取れなくなるかもしれないが、退学する訳でもなければ賠償を払う訳でもない、頃合いになればまた動き出せば良い。何のデメリットもない。

 

 だからこの決闘は成立することになる。言ってしまえば鈴音さんだけがリスクを負っているだけなのだから、こんなに都合の良い展開もないだろう。

 

「大丈夫なんだね?」

 

「えぇ、何も問題はない」

 

「櫛田さんはもしかしたら龍園からテスト問題を入手するかもしれないけど?」

 

「だから何だと言うのよ、それを踏み砕いて私は勝利するわ」

 

「自信があるのなら構わない。俺から言うべきことは頑張れって言葉だけだ」

 

 授業も終わって放課後、人気が無くなった教室で鈴音さんと櫛田さんの決闘の話を聞かされて、色々と言いたいこともあったのだが、俺は全てを呑みこんで鈴音さんにそう返す。

 

「違うでしょう?」

 

「え?」

 

 しかし鈴音さんは俺の激励を否定してしまう。どうやら欲しかった言葉ではないらしい。

 

「貴方は、私を褒めるべきだと思うのよ」

 

 そして彼女は僅かに顔を赤くしてそんなことを言ってくるのだ。どうやらそろそろお兄さん風に褒めて欲しい欲求が限界まで来ているのだろう。

 

「わかったよ、確かに頑張った人は褒められるべきだ。やると決めたのならしっかり勝ってきてほしい、そしたら俺も君を褒めよう」

 

「えぇ、それで良いのよ」

 

 満足そうに頷く彼女は、緩みそうになっている唇をモニュモニュと動かして何とか表情を怜悧に取り繕うとしているのだが、バレバレである。

 

 四月頃のハリネズミモードの堀北さんが懐かしいな、今ではブラコンって印象しか持てないや。良い事なんだろうけどさ。

 

「勉強会もあるんだ、自分の勉強時間もちゃんと確保できるのかい?」

 

「何も問題ないわね。前にも言ったけど、最近はとても調子が良いのよ。スラスラと頭の中に入って来ると言うのかしら、今までの勉強がなんだか非効率だったと思えるほどにね」

 

 師匠モードの影響だろうな。深まった集中が色々と良い影響を与えているらしい。俺にも同じ経験があるのでよくわかる。

 

「よし、ならそのまま油断せずに試験に挑もう」

 

「そうね、褒めてくれるっていう約束、忘れないで頂戴」

 

「あぁ、任せてくれ」

 

 そう伝えると彼女はクスリと笑って鞄に手をかけると、放課後の勉強会が行われる図書室に向かうのだった。

 

「しかし退学か、清隆まで巻き込まれるなんてな」

 

 鈴音さんと俺の会話を黙って聞いていた清隆も、同じように鞄を肩にかけて教室の椅子から立ち上がった。

 

「仕方がないことだった……避けたくはあったが、櫛田も馬鹿ではない」

 

「それで巻き込まれちゃった訳か、対策は?」

 

「今の堀北ならば問題ないだろうが、一応の保険はかけておくつもりだ」

 

「ん、なら問題はないか」

 

 清隆がそう言うのだから、既に対策は考えているのだろう。そもそも鈴音さんが小細工を踏み砕いて勝利する可能性も十分高い。だから万が一の保険であった。

 

 俺と清隆は並んで教室を出て廊下を歩きだす。今回は幸村グループに顔を出してマンネリ防止に努めることになっているので、このままカフェで勉強会となるだろう。

 

 それに幸村にはテスト問題製作でアドバイスも貰いたかったので、丁度いいとも言えた。

 

 二人でこのまま校舎を出ることになるのだが、その前に俺たちに声をかけてきた人物がいた。軽井沢さんである。

 

「あれ、二人とも今から帰るの?」

 

「やぁ軽井沢さん」

 

「天武くんは今日はこっちのグループだっけ?」

 

「いや、今日は幸村グループだよ」

 

 どうやら彼女はこれから図書室で平田グループの勉強会に参加するらしい。

 

「そっか、あっちか、確か清隆も同じグループだよね?」

 

「あぁ」

 

「ふ~ん、あんまり足引っ張んないようにね」

 

「どういう意味だ?」

 

「え、だってアンタも赤点組じゃない」

 

 この前のテストでは平均で70点超えだったので、そんなことはないと思うのだが、軽井沢さんの認識ではまだそんな印象であるらしい。

 

「軽井沢さん、実は清隆って凄く頭が良いんだよ」

 

 凄く頭が良いというか、おそらく人類屈指のレベルなんだろうけどね。

 

 そう考えるとホワイトルームって凄いな。清隆一人を生み出すのにどれだけの屍が積み上がったのかは知らないけど。

 

「へぇ~、なんか意外かも。悪だくみしてニヤニヤしてるような印象しかないや。後、セクハラ大魔王だし」

 

「セ、セクハラ大魔王……」

 

 ちょっとだけ清隆がショックを受けたような顔をしている。諦めろ、黒幕役の宿命みたいなもんだ。

 

「だってそうじゃん、あんな失礼なこと言われたんだからッ」

 

 船上試験の時、軽井沢さんは清隆からとんでもなく失礼な扱いを受けたらしく、その時の怒りが再燃したのかプンプンと怒りだす。

 

「落ち着け軽井沢。怒ってないで勉強会に合流しろ、遅れてしまうぞ」

 

「天武くん、こいつ絶対反省してない!! デコピンッ、もう一回デコピン!!」

 

「おい止めろ馬鹿ッ、次は首が折れるかもしれないだろう!!」

 

 珍しく清隆が声を荒げて動揺している。そこまで俺のデコピンは恐ろしいものになっているのだろうか?

 

「はいはい、二人とも落ち着いて。清隆もしっかり反省しているみたいだから、ここは大らかな心で許してあげて欲しい」

 

 俺がそう伝えると軽井沢さんは疑わしそうな目で清隆を見つめる。不信は深い様だ。

 

「そうだろ清隆?」

 

「もちろんだ、俺ほど反省している人類はいない」

 

 なんか調子の良いこと言い出したな。軽井沢さんの視線はとても怪訝な感じになっている。

 

「まぁ、私を守ってくれるんなら何でも良いんだけどね。そこだけは絶対に忘れないでよね?」

 

「わかっている」

 

「なんか言葉が軽い、嘘くさい、誠意が足りない」

 

「……」

 

 こら清隆、そこで「面倒な奴」だって顔をするんじゃない。そういうのはわかっちゃうものだから。

 

 軽井沢さんは無言で自分の指をデコピンの形にした。そして清隆はわかりやすく動揺する。

 

「私を守る、忘れてないよね?」

 

「あぁ、わかってる。オレも天武も忘れてはいない」

 

「天武くんも、当然忘れてないよね?」

 

「一日たりとも忘れたことはないさ」

 

 それでも軽井沢さんは疑わしそうな視線や表情を消してはくれない。悲しい事だね。

 

「改めて誓おうか?」

 

「え? どういうこと?」

 

「信用できないのなら、言葉にして誓おうかって話だよ」

 

「そんなの、口だけならなんとでも言えるし……」

 

 不安なのだろうな。彼女の過去を考えれば人間関係に慎重になるのは当然で、不信感に満たされることもまた自然なことであった。

 

 けれどそれでは困る。彼女は女子チームのリーダーであり、その影響力は大きい。やる気は維持して貰いたいのだ。

 

「ん、そんなことはない。確かに軽井沢さんからしてみれば何の保証にもならないのかもしれないが、俺は一度結んだ誓いを破るほど不誠実な生き方はしたことはないよ。そして達成できない言葉も口にはしないさ」

 

 そんなカッコ悪い生き方をすれば、きっと俺は師匠に殴られて首から上が吹っ飛ぶ。

 

「だから改めて誓おう、俺は君を守ることに己の矜持の全てを注ぐと。この言葉は約束ではなく誓約だ、決して軽く扱うことはない」

 

 嘘偽りなくそう伝えると、軽井沢さんはようやく疑わしそうな視線を消してくれた。

 

「はぁ、アンタもこれくらい言えたら良いのにね」

 

「無理だ。天武と同じにするな」

 

「清隆は言葉よりも結果で語るタイプってことさ……ん、軽々しい言葉よりもその方が良いかもしれないね」

 

 もし軽井沢さんが危機に陥ったら何を置いても優先して守るとしよう。大丈夫、戦車が出て来ても絶対に守るから安心して欲しい。

 

「最近は龍園の動きも活発だ。軽井沢さんも十分気を付けて欲しい。もし何かあれば俺か清隆にすぐ連絡だ」

 

「うん、わかった。セクハラ大魔王はともかく天武くんは頼りになりそうだしね」

 

 どうやら清隆のあだ名はセクハラ大魔王で決まりらしい。彼はとても落ち込んだ様子だった。

 

「それじゃあ私はこれから勉強会だから」

 

「あぁ、やる気のある感じで頼むよ」

 

「勉強会が始まる前にもそんな指示は受けたけどさ、それだけで良い訳?」

 

「それがまさに重要なんだよ。女子チームのリーダーがAクラスを目指すのに本気になってる姿勢が、周囲に良い影響を与えるのさ」

 

「まぁ確かに、皆のやる気は凄い感じだけど」

 

「これからもそれを上手く維持して欲しい。まさにその雰囲気を軽井沢さんに作って欲しいんだ。君の姿勢はそのまま女子チームの姿勢だからね」

 

「わかった、頑張るよ」

 

 俺が軽井沢さんに主に頼んでいるのは雰囲気作りである。士気の調整とも言えるな。

 

「後、しっかりと勉強しておけ。馬鹿にリーダーは務まらないぞ」

 

「う、うっさいセクハラ大魔王ッ!!」

 

 ガオッと吼えて軽井沢さんは不機嫌になってしまった。さっきまで機嫌も直って良い感じだったというのに。

 

 怒りを込めた足取りで勉強会が開かれる図書室に歩いていく軽井沢さん、その背中を見送ってから俺たちもまた歩き出すのだった。

 

「最後の一言は余計だったかもね」

 

「だが、軽井沢に必要なことだ。いつまでも強気な態度だけで誰かを引っ張っていける訳じゃないからな。数字というわかりやすい結果が大事だ……少なくとも赤点ラインからは余裕で脱して貰わないとな」

 

「なるほどね」

 

 厳しい考え方である。そして何も間違ってなどいなかった。

 

「まぁ今のクラスの雰囲気はとても良い。軽井沢さんの姿勢が皆を引っ張って、皆の姿勢が彼女を引っ張っていくだろうさ」

 

「そうだな、お前が言っていたBクラスという立ち位置の効果が、ここ最近は如実に表れている」

 

「そりゃそうさ。ずっとDクラスで彷徨ってるよりも、もう少しでAクラスって状況の方がずっとやる気に繋がるからね」

 

 清隆の言う通り、その効果が最近はとても強く感じられることが多くなった。須藤のやる気は体育祭以降は限界突破しているし、あの池と山内ですらしっかりと勉強会に参加してちゃんと取り組んでいると鈴音さんが言っていた。

 

 Aクラスに挑む日も、そう遠いことではないのかもしれない。

 

「次の特別試験の内容次第ではあるけど、そろそろAクラスと戦ってみようか?」

 

 校舎を出て勉強会が開かれているカフェに向かっている途中、清隆に試しとばかりにそう質問してみると、彼は顎に手を当てて考え込む。

 

「実力的にはまだ足りていないと思うが……」

 

「そうだね、そこは俺も同感だ。けれど試験の状況やルールによっては不可能じゃない筈だ。もちろん勝つつもりで行くけど、負けたら負けたで良い経験になると思うよ」

 

「そういう考えもあるか、試験の内容次第だな。上手くやれそうなら狙ってみるのも良いと思う」

 

「なら決まりだね」

 

「楽しそうだな」

 

「24億を引っ張って来るって決めたからね。俺にとってはこの学校で行われる全てが青春の一ページになったんだよ」

 

「そう考えられるのはお前くらいだ……進捗は順調なのか?」

 

「高円寺の協力があったから予定より大幅に前倒しに出来てるさ。マネーロンダリング用の会社も作って、後は資金を引っ張って来る機会を見逃さないだけだね」

 

 だから品評会には積極的に作品を出している。そしてその作品を買うのは高円寺と一緒に作ったマネーロンダリング会社である……うん、改めて考えると滅茶苦茶やってるよね。

 

 でもこれ以外の方法で24億を確保するのは不可能だと思ってる。馬鹿やってる自覚はあるけど許して欲しい。

 

「あ、テンテン、今日はこっちなんだ?」

 

 清隆と一緒にカフェに入ると、そこでは既に幸村と三宅、佐倉さんと長谷部さんが席についていた。

 

「皆お待たせ」

 

「構わない、まだ始めてはいなかったからな」

 

 幸村が眼鏡を指で整えながらそう言ってくれた。確かに遅れた訳ではないのでそんなものだろう。

 

「そっちから何か連絡事項はあるのか?」

 

「いいや、どこのグループも順調だってさ」

 

 俺はマンネリ防止要員として色々なグループに日替わりで顔を出してるから、他の場所の連絡事項や考えを伝える役目もあった。

 

「幸村、少しテスト問題で相談があるんだが」

 

「どういったものだ?」

 

 そして同時に各グループの講師役との連携や意見交換も行わないといけない。実際にそれで問題を製作することもあるので助かってはいる。

 

 何より蚊帳の外にしている訳ではないとアピールできるのが重要だった。実際に意見交換で取り入れた問題は使うかどうかはあまり重要ではなかったりするのだ。

 

 幾つか幸村から意見や考えを聞いて、それを頭の中にいるもう一人の俺に丸投げしてからこの勉強会に普通に参加する。難しいことを考えるのは師匠モードの俺に任せておけば良いだろう。

 

「それと、勉強会ついでに試験対策テストを作っておいた。良ければ使ってみないか?」

 

「実際に特別試験で使うものなのか?」

 

「使うかもしれないし、使わないかもしれないな。どちらかと言えば参考にする程度の物だ。知りたいのはこのテストで今のBクラスがどれだけの点数を取れるかって所でね、同じテストを他のグループにもやって貰っているんだ。知りたいのはクラスの平均点だね」

 

「テンテン、何でそんなこと知りたいの?」

 

 長谷部さんの質問に俺はこう返す。

 

「今のBクラスの総合的な学力は、おそらく今回の相手となる龍園クラスを超えていると思っているんだ。最近の雰囲気や学習意欲なんかを加味してそう判断した……つまりだ、俺たちのクラスの平均点より少し下くらいの点数を龍園たちは取ると考えられる。良い具合に釣り合いが取れてるから参考になると思ってね」

 

「今のBクラスの平均点を知ることで、テストの難易度を微調整したい訳だな?」

 

「幸村の言う通りだ。このクラスの平均点はそのまま龍園クラスが取るであろう点数であると考えている。テスト製作の予行演習には持って来いだ」

 

 このクラスが70点を取ると言うことは、龍園クラスは少し下くらいの数字になる筈だ。つまり疑似龍園クラスとして今のBクラスは最適なのであった。

 

 後はクラスメイト全体のスキルアップも兼ねている。

 

「わかった、長谷部と三宅は実質一人に教えているようなものだしそこまで苦労はない。佐倉に関しても綾小路が上手く手伝ってくれているから順調だ。多少の余裕はあるから、笹凪のテストも今日は組み込もう」

 

「えぇ~、今からテストするの? なんかやる気削がれる」

 

「おい長谷部、グダグダ言ってないでさっさと終わらせるぞ」

 

「やる気じゃんみやっち」

 

「ごねた所でテストが消えるわけじゃないしな」

 

「わ、私は大丈夫です……どれくらいの点数が取れるか知りたいから」

 

「佐倉、頑張れ」

 

「う、うんッ!!」

 

 清隆の激励を受けて佐倉さんはやる気を漲らせた。最初はクラスに馴染み切っていない面子の集まりなので上手く行くかどうか心配であったが、この様子だと何も問題はなかったらしい。

 

 上手く回っていると思う。清隆も最近は……というか一学期の後半くらいから喋る相手が俺と鈴音さんか、後は偶に平田か須藤くらいのものだったから、ちょっと心配してたんだよな。

 

 一学期初期くらいは三馬鹿とかの後ろに付いて回っていた記憶があるけど、俺との実力試し以降はその機会が減っていったようにも思える。もしかして距離を置いていたのだろうか?

 

 何であれこうして普通に話して接することのできる相手が新しく出来そうなので一安心である。まるで子育てに悩むお父さんの心境であった。

 

 

 

 

 

 



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蛇のような男

ふと思った。私は月城さんや綾小路パパを法も立場も権力も無視して堂々とぶん殴れるような……実際にそれをやれるだけの説得力のあるキャラクターが欲しくて天武くんを作ったんだと。


 

 

 

 

 

 

 

 幸村グループでは彼主導の勉強会が行われる。長谷部さんと三宅は主に苦手分野を重点的に、佐倉さんは全体的なテコ入れを行うのが基本方針のようだ。

 

 綾小路はその補佐として色々と支援しているらしい。採点の手伝いであったり幸村が作った問題用紙のコピーだったりと、まさに補佐であった。

 

 後は彼自身も勉強をする姿勢を見せている。ただ平均で七十点を超える成績だったのでそこまで不安視はされていないのだろう。幸村は主に三人への助言を行っている。

 

 俺は俺で口を挟まずこのグループの流れに一緒になって勉強を行う。上手く回っているようなので空気を壊さないように幸村を立てる形だ。そもそも俺はマンネリ防止要員なので講師役としてここに来ている訳ではない。

 

 毎日日替わりで色々な所に顔を出しており、このグループの勉強会に参加するのもこれで二度目なので流れもわかっている。やり易くあった。

 

「うん、次はこっちの問題を進めてくれ」

 

「ちょっと休憩しない?」

 

「これが終ったら、一度休憩を挟むつもりだ」

 

 三宅と長谷部が解いた問題を受け取った幸村は、代わりに自分のノートから切り取った紙を差し出した。そこにも苦手分野を中心に問題が作られている。

 

「ゆ、幸村くん、私も終わったよ……」

 

「こっちもだ」

 

「採点をするから、佐倉と綾小路はその間にこっちを頼む」

 

 そして佐倉さんと清隆にも新しい問題集が渡される。

 

「幸村、採点を手伝おう」

 

「すまん、頼めるか。こっちは良いから綾小路と佐倉の採点を任せる」

 

 一人で採点も大変だろうと手伝いを申し出ると、佐倉さんと清隆の問題集がこっちに回って来る。

 

 佐倉さんは全体的に得点が低く器用貧乏といった感じの成績で、清隆はその上位互換といった感じだ。どちらも苦手分野や得意分野がなく、どの教科も平均的な点数となっていた。違いがあるとすれば佐倉さんは平均で60点に届かないくらいで、清隆は80点に届かないくらいに調整しているようだ。

 

 正解と間違いをそれぞれ分けていって、間違った部分には注訳を入れて佐倉さんと清隆に返却していく。

 

「そう言えば、笹凪は綾小路の勉強をよく見ているんだったな?」

 

 長谷部さんと三宅が渡して来た問題集の採点をしている幸村がそんなことを尋ねて来てきた。

 

 確かに、そういう設定で進めているのは間違いない。テストで高得点を取っても俺に勉強を見て貰ったからと言い訳ができる。

 

 そして俺としても、清隆の存在感をある程度まで高めてフェードアウトを防ぐという思惑もあった。一人だけ楽させる訳にはいかない。絶対にだ。

 

「あぁ、ここ最近はその成果が出てきたみたいだね」

 

「確かに綾小路は赤点ラインから遠い位置にいるな。そう言った印象がなかったから少し意外だった。他の三人と違って手がかからなくて助かる」

 

「なにそれ、私たちがバカみたいに聞こえるんですけどぉ」

 

「長谷部、事実だろ」

 

「うぅ……ごめんなさい」

 

「い、いや、そこまでは……すまない、別に貶める為の発言ではなかったんだ。少なくとも三人のやる気は伝わっている」

 

 実際にそのやる気の成果は出ているのだろう。聞いた話では徐々に地力が養われているらしい。

 

 文句を言いながらも長谷部さんに責めるつもりはないらしい。ノートに記されていた問題は次々解いていき、わからない所はしっかりと質問してくるのだ。普段の授業態度も悪い訳ではないので模範的な生徒とさえ言えるだろう。

 

 三宅も似たようなものだ、佐倉さんだって授業態度が悪い訳ではない。そもそもこの三人は四月頃の三馬鹿たちのように騒ぎまわっていたタイプでもないので、根っこの部分が真面目だと思われた。危機感もやる気もある。

 

 ある程度の勉強会を進めていき、一先ず幸村が提示した問題の全てを終えて、間違った箇所の注意と解説を終えてから、宣言通り休憩となった。

 

「んん~、ようやく終わったぁ」

 

「いや、終わってない。休憩を挟んでから笹凪のテストだ」

 

「えぇ~、完全に解散する気分だったんだけど」

 

「すまないね長谷部さん。もう少しだけ付き合って欲しい。代わりにここはごちそうしようじゃないか」

 

「本当? なら頑張ろうかな。テンテンは人の扱いが上手いね~」

 

 現金な人である。可愛いので許す。

 

「笹凪、あんまり甘やかすもんじゃないぞ。コイツすぐに調子に乗る」

 

 三宅の中での長谷部さんの評価はどうなっているのだろうか? そしてどうして俺に呆れたような視線を向けて来るんだ。

 

「まぁ構わないさ。予定に無かったテストを差し込んで悪かったとも思っているんだ。せめてものお詫びだよ。それにこれくらいでやる気を出して貰えるのなら安いものさ……皆も、遠慮せずに注文してくれ」

 

 これくらいでご機嫌になってくれるのなら安いものである。それに急なテストを差し込んだことを悪いと思っているのも事実なので、ここは俺が奢ろう。

 

「すまない。ではごちそうになる」

 

「悪いな」

 

「あ、ありがとう……笹凪くん」

 

「太っ腹だな」

 

 幸村も三宅も佐倉さんも、そして清隆もこちらの配慮を受け入れてくれたのでありがたい。頑なに遠慮されるよりもずっとやり易かった。

 

 それぞれカフェのメニューから好みの物を頼んで休憩に入っていく。師匠曰く緩急は大切なので休む時は全力で休むものである。

 

 そして休憩に入ってすぐだ、長谷部さんがニヤニヤとした顔をして楽しそうにこんな質問をしてきたのは。

 

「それで、テンテンは堀北さんと付き合ったりしてんの?」

 

「いや、そういった関係ではないね」

 

「綾小路くんも即答だったけど、テンテンも即答だね」

 

「清隆も同じ質問を受けたのかい?」

 

「あぁ、ありえないと即答したけどな」

 

「二人とも手慣れた模範解答って感じが怪しいんだよね」

 

 そう言えば長谷部さんは体育祭の昼休憩で話した時も、クラスメイトや同学年の生徒たちの恋愛話やゴシップなんかを話していたっけな。こういった恋愛話が好きなのかもしれない。

 

「でもあれだよね、よく一緒にいるんだし、意識とかはしてるんじゃないの?」

 

「ん、堀北さんは魅力的な女性だと思うよ」

 

「お、おぉ~……こっちから訊いておいてなんだけど、堂々とそう言われるとなんだか恥ずかしくなっちゃうね。もう告白みたいになってるけど」

 

「いやいや、そんなつもりは欠片もないよ。彼女が魅力的な人物なのは客観的な事実で、その他大勢のように俺もまた同じ認識を持っているというだけさ」

 

「客観的な意見であって、恋愛感情ではないってことか……苦しい言い訳だね」

 

「おいおい、まるで刑事か検察官に追及されてる気分になってくるから勘弁して欲しい」

 

「あくまで白を切ると、裁判の時に印象が悪くなっちゃうなこれは」

 

「ふふ、本当に何もないよ」

 

 恋を知りたいとは思うけど、恋人が欲しいと思ったことはないんだよね。誰かと交際することに関しても、その人物を好んでいると言うよりは、恋という分野を知りたいと言う側面が強い。

 

 そう考えると、恋愛というものを学習する必要があると言っていた清隆と、何も変わらないのかもしれないな。

 

「そういう長谷部さんはどうなんだい? 誰かと交際したいとか考えないのかな?」

 

「私はパスかな、色々と面倒だし、理想も高いからね」

 

「なるほど、難しいものだ」

 

 注文した甘めの飲み物を飲んでそんなことを言う長谷部さん。理想が高いのならば平田辺りはおすすめなのだが、既に軽井沢さんと付き合っているから駄目だと判断したのだろうか?

 

「三宅や幸村はどうなんだ? そういった相手はいないのかな?」

 

「今の所は考えたこともない。部活も忙しいしな」

 

「そもそもこの学校の生徒にそんな余裕があるのか? クラス闘争もあって日々の課題や勉強もあるんだ、簡単なことじゃないだろう」

 

「佐倉さんはどうかな?」

 

「そ、そういうのは、ちょっと……考えられない、かな……今は」

 

 そう言いながらも視線はチラチラと隣の席に座っている清隆に向いている辺り、きっと意識はしているんだろうな。

 

 清隆は相変わらず無表情である。しかし佐藤さんであったり佐倉さんであったりと、俺は彼がモテることを知っている。

 

 あれ、もしかしてこの中で一番リア充なのは清隆なのでは?

 

「まぁ幸村の言う通り、この学校だとなかなか難しいのかもしれないね」

 

「あ、でも私が聞いた話だと、最近カップルが誕生したって……Dクラスの吉本くんっているじゃない? みやっちわかるよね?」

 

「吉本巧節のことか? 弓道部の」

 

「そうそう。その吉本くん。二年生の先輩と付き合い始めたんだって。知ってた?」

 

「知らなかった。ただ最近妙に帰るのが早いと思ってた。そういうことか」

 

 そう言えば三宅も弓道部だったな。

 

「年上と交際か、それは凄いね」

 

「将来結婚するって息巻いてるみたいだよ。男って単純馬鹿よね~」

 

「確かに単純だ。まぁ気持ちはわからなくはないけど」

 

 そして羨ましい話である。俺も恋が知りたいのに。誰か恋人になってくれる人はいないだろうか?

 

「誰が誰と付き合おうと関係ないし将来を語るのも自由だが、そろそろ休憩は終わりにして笹凪のテストを進めるぞ。時間は限られているんだからな」

 

「おっと、そうだった、それじゃあ皆に配ろうかな」

 

 鞄の中から作成したテスト様子を取り出して皆の前に配っていく。

 

「一応、本番のテストを意識して時間制限を設けよう。別にお喋りはしても良いけど答えを教え合ったり助言するのは駄目って感じかな」

 

「あ、その前におかわり取って来ていいかな?」

 

「構わないよ」

 

「また砂糖マシマシか? あんな檄甘よく飲むよな」

 

「おや、三宅は甘いの駄目なのかい?」

 

「あぁ、舌が受け付けない……笹凪も随分と甘党みたいだな」

 

「子供舌なんだろうね、苦いものや辛いものがどうにも合わないみたいだ」

 

「テンテンもおかわりいる? ついでだし貰ってくるけど」

 

「ありがとう長谷部さん、それなら俺のも砂糖マシマシでお願いしようかな」

 

 カフェの席から立ち上がった長谷部さんにプラスチックカップを渡すと、彼女はすぐにおかわりを取りに歩き出す。

 

 しかしその途中で足元に置いていた鞄に躓いてしまい、体勢を僅かに崩して手に持っていたカップを落としてしまうのだった。

 

「あ、ごめ――」

 

 床を転がったカップはそのまま近くを通っていた男の爪先にぶつかってしまう。それだけならば別に怒るようなことでもなく、長谷部さんも素直に謝罪の言葉を口にしようとするのだが、それよりも早くその生徒はカップを踏みつぶしてしまう。

 

 おい、俺のカップがぺちゃんこになってしまったじゃないか。

 

「何よあんたら……」

 

「やぁ、龍園、あまり紳士的とは言えない行動だね。こういう時はカップを拾って笑顔で気にしてないと言うものだよ」

 

 いつものニヤニヤ顔と、もうすぐ冬なのに胸元が覗く奇抜なファッションの彼は、寒くないのだろうかと思ってしまう。

 

「ちょっと、なんでカップ踏んじゃった訳? 事故じゃないよね?」

 

 流石に長谷部さんも苛立ちを露わにしていた。とても自然な反応だろう。

 

「足元に転がって来たから捨てたと思ったんだよ。手間を省く為に踏んでやったのさ」

 

「俺のカップなんだけど……」

 

「ゴリラがなに人間のフリして茶なんざ飲んでやがる。まるで似合ってねえぞ、バナナでも食っとけ」

 

 彼の悪態も日に日に鋭さが増しているような気がする。俺は友人にそんなことを言われると傷つく普通の男子高校生であると龍園は知るべきだと思う。

 

「おい龍園。前々から言いたかったけどね、そういう態度はいい加減やめろよ」

 

「あ? お前は誰に向かって口利いてんだ?」

 

 三宅の正当な主張に龍園の後ろにいた取り巻きの一人である石崎が苛立ったように反応した。

 

 石崎の態度はともかく、三宅の態度は少し意外である。怯む訳でもなく怯える訳でもなく強く睨みつけており、どこかの漫画に出て来る不良キャラのようになってしまっている。

 

「やめろ石崎、こんなところで暴力沙汰でも起こすつもりか」

 

 睨み合う二人の間に入るのは龍園だ。そんな配慮が出来るのなら最初からやって欲しかった。

 

「感情だけで先走る馬鹿は嫌いじゃないが、今は大人しくしてろ」

 

「はい……」

 

 流石に龍園もこんな人目と監視カメラのあるカフェのど真ん中で殴り合いを始めるつもりは無いのだろう。そこまで行けば狂犬ではなく只の愚か者である。それがわからないような男でもない。

 

 龍園のどこか蛇を思わせる瞳がカフェの席に座ったままの俺たちを順繰りに見つめて来る。何を思ってどんな印象を抱いているのかわからないが、向けられる側にとっては気分の良いものではないのは間違いない。

 

 三宅、長谷部さん、佐倉さんへと視線が移ろい、最終的には幸村と清隆に固定された……どうして俺だけ無視するのかな?

 

「贈り物は届いたか?」

 

「一体何の話だ……」

 

 彼が言いたいのは清隆に送ったメールのことだろう。何をどう推理してその結果になったのかはわからないが、龍園の中では幸村と清隆が容疑者となっているらしい。

 

 そして現に清隆が容疑者の中に入っているのだから、やはり思考力や推理力があるということだ。

 

 また注意深く観測するような瞳がこちらを俯瞰するように向けられた。ピリピリとした雰囲気が俺たちの間で広がっていき、それを恐ろしく感じたのか佐倉さんは清隆の背中にそっと身を隠して、三宅は長谷部さんを庇うかのように前のめりになっていく。

 

 そんな緊張感が店内全体に伝播したのか、怖がってこちらを見て来る生徒たちも見える。

 

「どうだ、ひより。何か引っかかることはないか?」

 

 そのまま緊張が高まっていくかと思われたが、空気を変えたのは龍園の背後から姿を現した一人の女子生徒であった。

 

 小柄で、愛らしく、どこか儚げな姿は……正直なことを言わせて貰えば荒々しく刺々しい龍園とはとても不似合であり、水と油とさえ思えるほどに距離があるように思える。

 

 確か名前は椎名ひよりさん。龍園クラスにいる秀才であった。

 

「どうでしょう。現時点ではなんとも申し上げられません。どちらも印象の薄い顔で、すぐ忘れてしまいそうです」

 

 龍園と合わないという評価は前言撤回しよう。儚げな容姿と反して発する言葉は挑発的である。

 

 しかし悪気があるような雰囲気ではなく、本音っぽいのがまた何とも言えない。人によっては煽られていると思うこともあるだろう。

 

「人の顔は覚えにくいです。皆同じに見えてしまいますので……幸村さん、綾小路さん、高円寺さん、ゴリラさん、後はどなただったでしょうか」

 

「平田です、平田」

 

 石崎の言葉に椎名さんは「あぁ」と独特の柔らかな口調で何かを思い出す。

 

「そうでした。平田さんでした。どうしてこう、顔と名前は憶え難いんでしょうか」

 

 恐ろしいことに、ここから観察している限りでは、椎名さんの発言に悪気はない。煽る訳でもなく挑発する訳でもなく、本心でそう言っているらしい。

 

「流石に高円寺とゴリラのことだけは覚えたようだな」

 

「高円寺さんも、ゴリラさんも、独特の存在感なので覚えやすかったですね」

 

「あ~……椎名さん」

 

「はい、どうしましたゴリラさん?」

 

「そのゴリラさんという呼び方だが、止めにしてもらえないだろうか? 俺は笹凪天武と言います、どうかよろしくお願いします」

 

「あぁ……ゴリラさんはゴリラさんでは無かったんですね。こちらのクラスでは誰もがそう呼ぶので、それが本名なのかと」

 

「え、俺はそっちのクラスでは名前で呼ばれることって無いのか……」

 

「龍園くんがよくゴリラさんと呼んでいますから。毎日毎日、ゴリラがどうのと、どうゴリラなのかと、まるで恋でもしているかのようによく口にされています」

 

「龍園……そんなに俺を意識するなんて、君は俺のことが好きだったのか。けれどすまない、俺は女の子の方が好きなんだ。後ろにいる石崎か山田と仲良くして欲しい」

 

「殺すぞゴリラがッ!! ひより、お前も下らんことを話すんじゃねぇ!!」

 

「まぁまぁそう慌てるもんじゃないよ。愛とは千差万別で多種多様だ、決して恥ずかしがることはないんだ」

 

「そうですね。古くから本の題材にもなっております……人類の永遠のテーマとさえ言えますね」

 

「椎名さんは本をよく読むのかな?」

 

「はい、古今東西様々なジャンルを、笹凪くんはどうでしょうか?」

 

「俺も本は読むよ、と言っても哲学書が主で物語はあんまりなんだけど」

 

 因みに、図書室には100年ほど前に師匠が出版した本の現代翻訳版があったりする。師匠は何歳なんだと思わなくもないけど、人類を完全に超越した肉体を持つ人だからな、何も不思議ではない、うん。

 

「哲学書ですか、私も幾つか手を出したことがありますね。特に印象に残ったのは図書室で発見した星を思うでしょうか。独特の意思や世界観を持った方の言葉でして、不思議と心に入り込んで来る本でした」

 

 おぉ、椎名さんも師匠の本を読んだことがあるのか、その時点で俺の高評価が天元突破することになる。

 

「その本は俺も知ってるからよくわかるよ、言葉の一つ一つが染み入るように響くんだ」

 

「はい、あまり有名な方の作品ではありませんが、だからこそ隠れた名作に出会えたように思えて嬉しかったと記憶しています」

 

 この子、良い子ッ!! 師匠の作品をそんなに高評価してくれるとか、完璧じゃないか。もう俺の中では天使みたいな位置になってるぞ。

 

 龍園クラスなんて止めてこっちに来ない?

 

「いい加減にしろひより!! いつまで話を脱線させるつもりだ」

 

 椎名さんと師匠の本で意気投合していると突然に龍園が怒りだした。彼はそういう所を直した方が良いと思う。

 

「あ、龍園、まだいたのか、もう帰っても良いよ」

 

「お前はもう黙ってろゴリラ」

 

「そもそも君はどういった用件でここに来たんだい?」

 

「はッ、何もねえよ、今日はただの挨拶だからな……近い内に改めて会おうってな」

 

「どういう意味かな?」

 

 そんな問いかけを無視して彼は取り巻きたちと共にカフェを去っていく、牽制と挑発と様子見に来たということだろう。

 

 近々、動きを見せそうだな。彼の瞳は獲物を狙う蛇のそれである。

 

 その獲物側である清隆は、食らいつかせる気が満々なのが質が悪い。肉食獣が兎のフリをしているようなものなのだから、彼の努力と執念が報われないと思う。

 

「こちらでよろしければどうぞ」

 

 龍園と一緒に帰ったかと思っていた椎名さんは、すぐに戻って来て俺に二つのカップを渡してくる。

 

「砂糖は多めに入れておきました」

 

「ありがとう椎名さん、配慮に感謝するよ」

 

「お気になさらず、龍園くんが悪いことは間違いないので」

 

「ついでに訊くけど、結局龍園の目的は何だったんだい?」

 

「何でもそちらのクラスにいる隠れた策士を探すとか、実は私も彼の考えを完全には理解していないんです」

 

 そう言って椎名さんはぺこりと頭を下げてからカフェを去っていく。

 

 荒々しい者が多い印象の龍園クラスとは思えない女子である。この場に連れて来たということは龍園も彼女の能力を一定以上は評価しているということなのだろう。

 

 暴力こそ至高の力だと断言するような男ではあるが、別に知識や知力を軽視している訳ではないということだ。

 

 今にして思えば、暴力的な印象ばかりだった龍園クラスの戦力を完全に理解して把握している訳でもないと言える。

 

 穏やかながらも怜悧な印象を与える椎名さんを見て、俺は今一度、警戒を強める必要があると認識するのだった。

 

 

 

 



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グループ結成

 

 

 

 

 

 

「それにしても、さっき龍園たちが言っていた隠れた策士って奴、どこまで本気なんだろうな?」

 

 勉強会も終わって今は寮への帰路を進んでいる。その途中で三宅が先程乱入して来た龍園たちの目的を怪しむように口にした。

 

 カフェで龍園とその手下たち、そして椎名さんがこっちに絡んで来た理由の一番は、こちらのクラスにいるとされる策士が誰なのか調べる為であったらしい。

 

 三宅もそうだが、幸村や長谷部さん佐倉さんも同じような表情を浮かべている。龍園たちの行動が理解できないと言った感じだ。

 

「龍園の行動に意味を求めるのもどうかと思うがな」

 

 幸村の龍園に対する評価はとても低いようだ。自然な反応ではあるのだろう。

 

「策士って言うとあれでしょ? 頭の良い人な訳だし、堀北さんとか?」

 

「確かに堀北ならありえるのかもしれないが、別に隠れてはいないだろ。笹凪ともよく話してるしな、そうだろ?」

 

 三宅の言葉に俺は頷きを返す。

 

「そうだな、その通りだ。鈴音さんは別に隠れてはいないな。わざわざ調べる必要なんてない」

 

「お、名前呼びしてる、やっぱり怪しいなぁ」

 

「そこは今、引っかかる所じゃないよ長谷部さん……まぁ話を戻すと、龍園の妄想とか、思い込みとかかもしれないね」

 

「実際にどうなんだ? 笹凪、お前には心当たりがあるんじゃないのか?」

 

 眼鏡のブリッジを上げながら、こちらに観察するような目を向けて来る幸村に、少しおちゃらけたように肩をすくめて見せる。何も知らないとばかりに。

 

「さっぱりだ。そんな相手がいるんならもっと楽が出来てると思うけどね。基本的にこれまでの特別試験では鈴音さんと平田と櫛田さん辺りと相談して、最終的には俺の判断を下していた、それだって綱渡りな部分もあったんだ。寧ろそんな都合の良い相手がいるんなら紹介して欲しいもんだよ」

 

「そう言えば無人島でも船上試験でも、その面子で話し合ったんだったな」

 

「あぁ、色々と参考になる意見もくれるから、とても助かってるよ」

 

 彼は納得したのかレンズの向こうにある瞳から怪訝の色を消し去る。

 

「話し合って出した結論があのスポット独占作戦なのか……」

 

「でもとても効率的だっただろ?」

 

「そうだな、今にして思えば俺の中にある常識や価値観が崩壊した最初の一歩だった」

 

 そして今度は眼鏡のレンズの向こう側にある瞳に諦めの色が混ざる。カルチャーショックを与えてしまったらしい。

 

 それに良い具合に話も横に脱線してくれた。また隠れた策士問題に戻らないようにする為に、帰路の途中にあったコンビニを指し示す。

 

「悪い、ちょっとコンビニ寄っても良いかな?」

 

「良いぞ、俺も買いたいものがある」

 

「あ、私も、皆も行こうよ」

 

「子供だな」

 

 結局、俺たちはそのコンビニでそれぞれ甘味を買うことになった。入学したばかりの頃に清隆と買い食いした時のことを思い出すな。

 

「入学した頃を思い出すな、こうしていると」

 

「須藤がゴミ箱を蹴り飛ばして掃除した日のことか? 確かにな……」

 

「あの時はそのアイスをお礼に渡したんだったか どうやら気に入ったみたいだな」

 

「あぁ、美味いからな」

 

 清隆は買い物を済ませてコンビニの外壁に背中を預けながらあの時と同じアイスを食べている。そう言えば彼の部屋の冷蔵庫にも同じ物が入っていた。期間限定商品から無事にレギュラー入りを果たしたということだろう。

 

「綾小路くんは、何味を買ったの?」

 

 コンビニから長谷部さんと三宅と幸村の三人と一緒に出て来た佐倉さんは、清隆が食べているアイスに興味を示す。

 

「美味いぞ、おすすめだ」

 

「うん……今度、食べてみるね」

 

 緊張しながらも以前よりずっと自然に清隆に喋りかけられるようになっているらしい。勉強会で共にいる時間が多かった影響だろうか、これも良い傾向なのだろう。

 

「ちょっと肌寒くなってきた時に食べるアイスも美味しいよね」

 

「美味いよね、流石にこれ以上寒くなるとちょっと厳しいけど」

 

「でもねテンテン、真冬でも炬燵に入りながら食べるアイスは悪くないよ」

 

「ほう、なるほど。確かに反論の余地がない」

 

 師匠もよく炬燵に入ってミカンとか食べてたな。ついでに俺は酒の肴をよく作らされていた。

 

 そんなアイス談義に花を咲かしている俺たちとは対照的に、幸村はアイスのパッケージを眺めながら難しい顔をしているのが印象に残る。

 

「保存料と着色料のオンパレードだな」

 

「そんなこと気にしてたら、何も食えないだろ」

 

「食べる物には拘りたいんだ、そもそもコンビニは単価が高い」

 

 真っ青な色をしたアイスを睨む幸村と、そんな彼を呆れたように眺める三宅、この二人も勉強会を通じて気安い関係になったらしい。

 

「もしかしてゆきむーって原価厨?」

 

「ずっと気になっていたんだが、ゆきむーってなんだよ」

 

「幸村くんだからゆきむー、天武くんだからテンテン、三宅くんだからみやっち、それから綾小路くんだからあやのん。佐倉さんは……う~ん、サクサク?」

 

「そう言えば、長谷部さんはあだ名で呼びたがるよね」

 

 俺もテンテンと初めて呼ばれた時は驚いたものだ。そんな呼ばれ方をしたのは初めてだったからくすぐったい気持ちにもなった。

 

「まぁね、仲良くなりたいって思ったら、そういうのも悪くないかなって……あ~、でも、あやのんとサクサクはイマイチ合わないかな」

 

 俺はそこで清隆と佐倉さんを眺める……あやのんとサクサクか、うん、あまり似合わないな。いや、こっちのテンテンも大差はないんだろうけど。

 

「あ、あの、あだ名もいいけど、できれば名前で、呼んでほしいかな……」

 

「あ、じゃあ愛理で良いかな?」

 

「オレもあやのんよりは名前が良いぞ」

 

「いやいや、あやのんはあやのんでしょ……それかきよぽんかなぁ、うん、こっちの方が合ってるかも」

 

「名前という選択肢はないのか……」

 

 少し困惑した様子の清隆に、俺は笑いかけた。

 

「良いじゃないかきよぽん、なんか可愛らしい響きでさ」

 

「そういうものか? テンテン程じゃないと思うけどな」

 

 確かにテンテンというあだ名も可愛らしい響きだと思う。まぁ俺は嫌な訳ではないので嬉しかったりするのだが。

 

「私があだ名で呼ぶのはさ、悪くないかもって思った訳、こういう関係も」

 

「あだ名で呼ぶ関係がか?」

 

「いやさ、私もみやっちも、結構一人でやってきた系じゃない?」

 

「ま……そうだな。否定はしない」

 

「いざこうして集まってみたら思いのほか居心地が良かったて言うか。この面子でグループでも作れたらって思った。皆はどう?」

 

 少し意外な提案であった。長谷部さんはあまりなれ合いというか、群れることを好まない人だと思っていたからだ。体育祭で話した時も皆から離れた位置で一人で昼食を取っていたしね。

 

 ただこうして誰かとの関わりを求めることは、きっといい傾向なのだろう。

 

「良いんじゃないかな、ここにいる人たちは変に気を使わなくて楽だしね」

 

「あぁ、笹凪の言う通りだ。というか自分でも驚くほどこのグループに馴染んでる気はする。須藤たちとは馬が合わない。平田は少し別枠って感じだしな。基本女子に囲まれてるし」

 

「俺は平田や須藤とも別枠なのかな?」

 

 そんな質問に三宅は少しだけ考え込み、こんな言葉を返す。

 

「別枠というかは、別次元って感じだな」

 

「あはは、なるほどね」

 

「別に嫌ってる訳じゃない、というか、尊敬すらしてる、色々とクラスの為に頑張ってくれているからな」

 

「そう素直に言われると、くすぐったいものがあるね」

 

 全員が納得して頷く評価であった。それでも批判的な感じではないのは嬉しいことである。

 

「ゆきむーはどう? テンテンとみやっちはこう言ってるけど」

 

「元々、お前たちの勉強を見る為に集まったグループだ。試験が終われば解散するのが自然だろう……だがまぁ、これからもテストや試験はあるだろうから、効率化の為に認めても構わない」

 

「幸村はツンデレという奴なのかな?」

 

「誰がツンデレだッ!?」

 

「男のツンデレって誰が得するんだか……でも、ありがと」

 

 次に長谷部さんの視線は佐倉さんと清隆に向かった。

 

「二人はどう?」

 

「私はッ……凄く、凄く嬉しいよ……憧れてたから、こういうの」

 

「でしょ? きよぽんは、仲良くしてるテンテンも一緒だし気楽なんじゃない?」

 

「オレも反対意見はない、クラスでも話すのは天武くらいだからな、ぶっちゃけこのグループに入らないと本格的に孤立するかもしれない……それに、ここなら気楽に接することができる」

 

 もしかして清隆は堀北さんと接することにプレッシャーでも感じていたのだろうか?

 

「なら決まりだね。テンテンは大丈夫? 堀北さんから恨まれたりしない?」

 

「俺と彼女は別に互いを束縛するような関係じゃないよ、もちろん恋人でもない。敢えて言うのなら同じ目的に向かって進む同士といった感じかな。鈴音さんは俺の交友にとやかく言う人じゃないし、そしてそれは俺も同様だ」

 

「そっか、じゃあこれで決まり。これから私たちはグループってことで」

 

「そうだね、清隆グループってことにしよう」

 

「なんでオレの名前で作るんだ?」

 

 そりゃ、フェードアウト阻止の為に少しでもクラス内での存在感を大きくしておきたいからだよ。全部こっちに丸投げして一人だけ楽することだけは絶対にダメだからな。

 

「いいじゃん、きよぽんグループ、可愛い感じでさ」

 

「異議なしだ。勝手に幸村グループと名乗られても迷惑だしな」

 

 俺と長谷部さん、そして幸村が賛成すれば三宅や佐倉さんも反対はしないだろう。

 

「ならこれからは堅苦しい名字は禁止にしようよ」

 

「禁止にするのは勝手だが、俺はみ、みやっちとか、テンテンとか、きよぽんとか呼べないぞ。恥ずかしい。それ以前に馬鹿みたいだろ」

 

「じゃあせめて下の名前ね。因みに私は波瑠加、呼びたいように呼んでくれていいよ。みやっちは下の名前はなんだっけ?」

 

「明人だ」

 

 幸村もあだ名ではなく名前呼びならば許容できるのだろう。暫く考えた後に納得したかのように頷いた。

 

「それならまぁ、明人だな、綾小路は清隆で、笹凪は天武だったよな?」

 

「俺はテンテンでも構わないよ」

 

「恥ずかしくて呼べる訳ないだろう」

 

「確かにね……幸村は輝彦だったかな?」

 

 清隆といい、輝彦といい、古風な名前がこのクラスには多いと思う。

 

「下の名前で呼ぶのは構わないが、輝彦と呼ぶのは止めてくれ」

 

「何か理由があるのかい?」

 

「つまらない意地だ、だが捨てきれないものでもある……輝彦というのは母親が付けた名前でな、色々と思う所があるんだ」

 

 幸村はそこで過日を思い出したかのように目を細める。しかしすぐに隠してしまう。

 

 誰にでもあることだが、彼もまた色々な何かを経験してここにいるということだろう。

 

「だから呼ぶのなら輝彦ではなく啓誠で頼む。こちらは父親が付けようとしてくれた名前だ」

 

「そうか、啓誠か、古風でカッコいいじゃないか」

 

「あぁ俺もそう思う」

 

 すると幸村は僅かに笑顔を浮かべて見せた。彼が笑った顔は初めて見たかもしれない。清隆の次くらいに珍しい表情かもしれないな。

 

「まぁ俺はあだ名で呼ぶのは流石に恥ずかしい。問題無いようならこれからは名前で呼ばせて貰おう。明人、清隆、波瑠加、愛理、天武だな」

 

 そう言えば俺を名前呼びしてくる人は思っているよりも少ないな。清隆と鈴音さん、そして櫛田さんくらいだ。

 

「はい、じゃあ次は愛理の番だね、頑張って」

 

「えッ、わ、私が?」

 

 波瑠加さんに背中を押されるように前にでた愛理さんは、視線を右往左往させながら最終的に清隆を見つめる形となる。

 

 そして清隆は小さく頷きだけを返す。頑張れと伝えるかのように。

 

「呼び捨ては流石に難しいよ……だ、だから、て、天武くん、明人くん、啓誠くん、波瑠加ちゃん……き、き、きよピヨッくん!?」

 

 鼻の伸びるあの人形の亜種だろうか? 最後の最後で躓いてしまったが、これでも初期の彼女を知っていると大きく進歩していることがわかる。

 

 俺なんて初めて話しかけた時は初手で謝罪だったからな、そう思うと名前呼びされるとか奇跡に近い。

 

 以前の彼女ならばここで顔を真っ赤にして俯いてしまったのだろう、けれど今は違う。愛理さんは大きく深呼吸をしてから小さく震えるようにこう言った。

 

「清隆くん」

 

「あぁ……えぇーっと、愛理、で良いんだよな?」

 

「は、はいッ」

 

 微笑ましい関係と言えるのかもしれない。波瑠加さんも満足そうな顔をしている。もしかしたら彼女は体育祭での二人の様子を見て気遣ったのかもしれないな。

 

「テンテンはどうするの? 呼び捨てにする?」

 

「いいや、俺は恩師から他者と接する時は敬意を払えと教えられている。特に女性にはね。だからさん付けが限界かな」

 

「ん~、まぁ愛理もそうだし、それでいっか」

 

「波瑠加さん、愛理さん……そして清隆に啓誠に明人だね。改めて宜しく頼むよ。なんだかこうして名前で呼ぶ相手が増えるというのは嬉しいものだね。俺はこの学校に来るまで友人がいなかったから、とても心地いい気分になるな」

 

「そうなのか? あまりイメージできないな、中学でも天武ならば慕う者も多かったと思うが」

 

 明人の言葉に俺は苦笑いと共に首を横に振る。

 

「いやいや、俺は中学は一度も通ったことがない、というか小学校も同じだ」

 

 そう伝えると全員が意外そうな顔をした。予想外の言葉であったらしい。

 

「テンテン、不登校だったの?」

 

「いや、不登校というか、そもそもただの一度も学校に行ったことがない。俺は恩師の下でずっと勉強を教えて貰っていたからな、その人の仕事を手伝いながら面倒を見て貰っていたんだ。別にこれはネガティブな意味じゃなくて、ホームスタディって奴だよ」

 

「なるほど、それでか……」

 

 啓誠が納得したかのように大きく頷いた。

 

「以前から疑問だったんだ。この学校は生徒の能力でクラス分けを行うが、運動も勉強もコミュニケーション能力もあるお前が、どうしてDクラスにいるのかとな……ずっとホームスタディだけで学校に行っていなかったのならば、そもそも判断基準すらも学校側に無かったのかもしれないな」

 

「かもしれないね。けれど俺はDクラスに振り分けられて良かったと思っているよ。最初は恩師に言われたからこの学校に来ただけだったが、こうしてクラスメイトと過ごす内に、大きな意味を持つようになったと思ってる」

 

 食べ終わったアイスの棒を、コンビニに併設されているゴミ箱に入れながら俺はこう言った。

 

「友人というものは、とても尊く大切なものだ」

 

 師匠からそう教えられて来た、そしてそれが常識なのだと信じていた。けれどそれはただの知識でしかなく、経験が伴わないのでどこか現実味も薄かったと思う。

 

 だがこうして今、経験が積み重なったことで知識と混ざり合い、そこに重みが加わることになった。

 

 師匠の命令だからここに来た、それまでの俺にとって学生というのは存在は知っていてもあまり身近に感じることはなかったのだと思う。それこそテレビに出ている芸能人と大差がない。

 

 高校生なんて遠い存在だと思っていたが、こうして過ごしていると悪い物ではなかった。

 

 まぁもう少し普通の高校であったらと、思わなくはないが。

 

 けれど、ここじゃなければ皆とは出会えなかったのだろう。縁とは面白いものだと考えるしかなかった。

 

 

 

 

 



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うるせえ!! そんなことよりデートするぞ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 グループの結成であったり、テスト問題製作であったり、クラスメイト全体のスキルアップであったりと、ここ最近は本当に忙しかったと思う。

 

 だがそれは充実した時間でもあるということだ。友人との語らいも、成長も、師匠と過ごした山奥の神社では得られなかったものである。もしかしたら師匠はこういった時間を俺に知らせたかったのかもしれない。

 

 高校生なんてテレビに映る芸能人と大差が無かった俺にとって、どこか遠いものであったのは間違いないが、こうして尊い時間を得られたのは良い経験になると思う。

 

 クラスを裏切り、俺と一緒にテスト問題を作っている櫛田さんとの時間だって、俺にとっては重要で大事な縁であると考えていた。

 

 順調にテスト製作も続き、敢えてトイレに行って問題集が詰められたノートを無防備に放置することも何回かあった。ノートの間に挟んでいた一本の髪の毛が落ちていたので櫛田さんは中身を確認したのだろう。

 

 おそらく、スマホで撮影をして問題を保存した筈だ。

 

 そしてその情報は龍園に渡されることになるのだろう。しかしこのノートにある問題がテストに使用されることはない。

 

 何より重要なのは、櫛田さんから渡された情報を、龍園はもう重宝することが無い。彼はもう櫛田さんを信頼も信用もしていないからだ。

 

 そもそも龍園の目的がこの特別試験で勝利することよりも、黒幕探しに向けられているような気さえした。或いはテスト関連は金田や椎名さんのような秀才組に丸投げしているのかもしれない。

 

 何であれ、櫛田さんの裏切りが貫通することはない。彼女は決められた敗北に突き進んでいるに過ぎなかった。

 

 万が一に備えて茶柱先生にも釘を刺している。ポイントを支払ってまで俺以外の人物がテスト問題を提出してきても受け取るフリだけをして処理するように頼んでいる。

 

 戦いはどう勝つかではなく、どう終わらせるかが重要だ。戦術的ではなく戦略的な思考で動くべきである。その結果が櫛田さんの一人相撲であった。

 

 既にこの特別試験での決着はついているので、俺にとって重要なのはテスト云々よりも櫛田さんと鈴音さんの決闘であり、その後のフォローなのだろう。

 

 残念ながらこちらに関しては、どう終わらせるかの目途がまだ立っていない。悲しいことに。

 

 とりあえず最悪なのは鈴音さんが敗北して清隆と一緒に退学することであるが、清隆曰く一応の保険があるらしいので安心はしている。

 

 後は鈴音さんのテスト当日の調子次第と言った所だろう。

 

「やぁ、調子はどうだい?」

 

 テスト当日、教室に入って鈴音さんに声をかける。

 

 あぁ……何も問題はなさそうだな。強い集中状態を維持している。不完全ではあるけど師匠モードだ。これならば心配はいらないだろう。

 

 どれだけひねくれた問題だろうと、彼女の中にある知識量と集中状態が合わされば、敵なしとさえ言える。

 

 正攻法であらゆる物を踏み砕けるだけの力が今の鈴音さんにはあった。

 

「完璧よ」

 

 彼女は短くそう答えて、視線を手元にあるノートに向ける。最終的な予習復習も欠かしていないらしい。

 

「私が勝ったら、約束を果たしてもらうからそのつもりでいて」

 

「あぁ、頑張った人は沢山褒められるべきだ。だから勝って欲しい」

 

 そう伝えると鈴音さんは僅かに唇を緩めて柔和な笑顔を見せてくれた。緊張と集中と脱力が完璧な状態で絡み合っている様子だ。コンディションは完璧とさえ言えるだろう。

 

「清隆、そっちはどうかな?」

 

「何も問題はない」

 

 それはテストもそうだろうが、彼が仕込んだという保険に関しても同様なのだろう。何をするつもりか知らないが、以前に櫛田さんがやけに機嫌悪くしながらテスト問題を作っていたことの原因なのだろう。

 

 教室にある自分の席に座ってそこからクラスメイトたちを眺めてみると、全員が緊張しているのがよくわかった。この学校ではテスト前はいつもこうなるものだ。

 

 だが不安ではなく、挑戦することへの緊張であることは一目瞭然だ。一学期のこのクラスとは何もかもが異なる。Bクラスという立ち位置が彼らに本当に大きな影響を与えているのは間違いない。

 

 予習復習に励むもの、瞼を閉じて精神を集中するもの、池や山内や須藤でさえそれは変わらなかった。

 

 クラスメイトたちが見ているのは一つ上のクラスであるAクラス。既に龍園たちではないのだ。

 

 良いクラスになったと、本当にそう思う。

 

「これより期末テストを行う。一時間目は現代文だ。開始の合図まで用紙を表にひっくり返すことは禁止されている。注意するように」

 

 テストの始まりを告げる予鈴が鳴ると同時に茶柱先生がそう言った。生徒たちは事前に言われていた通り、鞄や教科書などを教室の後ろにあるロッカーに閉まって机には筆記用具だけを置く。

 

 その頃には全員の緊張が最大まで高まったことだろう。右後ろにいる鈴音さんも、そして櫛田さんもまた、体と心を引き締めていた。

 

 二人の間に結ばれた契約、そして決闘は、こうして始まることになる。

 

「では始めッ!!」

 

 茶柱先生の言葉と共に、机の上に置かれたテスト用紙を捲って内容を確認していく。このテスト問題を作ったのは龍園クラスだ、まずは難易度の確認が重要だろう。

 

 ざっと内容を確認していく。こちらと同様に学校側からの修正もかなり入ったと思われる問題が多い。

 

 つまり、俺が作ったテストと大差がない難易度である。そして同程度の難易度のテストを俺はクラスメイトたちに解かしていた、これならば大きな問題もないだろう。

 

 この時点でこちらの勝算はほぼ100パーセントになったとさえ言えた。そもそも龍園もここで勝つことに本気でも無かったように思えるな、彼はどうにもクラスポイントを軽視する考えがあるらしい。

 

 勝負を捨てたと言うよりは、勝ち方に拘っていないのかもしれない。このテストも秀才組に丸投げしてノータッチの可能性すらあった。

 

 彼が見ているもの、目指している場所、クラスポイントの増減よりもプライベートポイントに拘る方針……さて、どうしたものだろうな。

 

 テスト問題は次々と処理していき、全てを問題なく書き込んでから最終チェックを二度行う。そして自己採点で100点を取ったことを確信してから、俺は龍園のことを思い浮かべる。

 

 もうこの試験での決着はついたと確信している。櫛田さんの困惑した様子も確認できるので、きっと龍園との間に決定的な齟齬があったのだろう。つまりは決闘に関しても鈴音さんに軍配が上がるのは間違いない。

 

 俺が考えるべきなのは勝ちが確定した試験ではなく、きっと櫛田さんのことなんだろうな。

 

 彼女の心、考え、そして願いと未来……。

 

 俺の後ろの席にいる清隆は、もしかしたら櫛田さんを退学させることを内心では考えているのかもしれない。鈴音さんが大きなゆとりと視野を持った今、櫛田さんの存在はいつ爆発するかわからない不発弾のように思っているだろうから。

 

 その考えを俺は完全には否定できない。危険が大きいと言われたら何も言い返せない。

 

 けれど思い浮かぶのは、ここ最近の櫛田さんの姿や様子である。いつも通りの穏やかで愛らしい表情と、その瞳の奥にある隠し切れないどす黒い何か。

 

 複雑で、深刻で、不器用で、とても魅力的な人だ。

 

 そして師匠の言葉を思い出す。

 

 色々な人がいるのが社会だと、俺と師匠と敵だけで完結しないのが世の中だと、そう言われた。

 

 頭の良い人、悪い人、運動の出来る者、出来ない者、言葉が足らぬ人もいれば無駄に話が長い人もいるだろう。

 

 自らの弱さを自覚できない誰か、或いは意味も無く大きく見せようとする誰か。

 

 器用な人、不器用な人。

 

 それら全てが形作るのが社会であり、歴史であると師匠は言っていた。

 

 その数だけの縁と出会いがあり、ただ一つとして無駄な繋がりなど無いのだとも。

 

 多くの縁を結び、一つ一つを大切にすることが重要とは師匠の教えである。そこに敵も味方も裏も表も関係がない。

 

 だから俺は清隆と違って、彼女との縁を大事にしたいと思う。別にそれは彼女に限った話ではなく、鈴音さんや清隆、もっと言えば学年全体や学校全体でも同じことである。

 

 人の数だけの縁と経験があるのだ、敵ですら俺にとっては喜ばしい存在であった。

 

「なんでッ……」

 

 そんなことを思いながら次々とテストを進めていき、大きな問題もなく全てを回答することができた。異変を感じ取ったのは四限目の数学のテストである。

 

 櫛田さんの押し殺したような声が師匠イヤーに届く。激しい動揺もその背中から感じ取ることができた。

 

「どうした櫛田」

 

 茶柱先生がそう声をかけると、慌てて櫛田さんは取り繕った。

 

「い、いえすみません。何でもありません」

 

 きっと彼女は龍園からテスト問題を横流しして貰う手筈だったのだろう。しかし土壇場で何もかもをひっくり返されてしまったらしい。

 

 そもそも龍園は既に櫛田さんに見切りをつけている。体育祭で参加表が変更された時点で彼女を信用することも重宝することも無くなったのだ。

 

 だから彼女の利益になる行動もない。だからこの決闘は櫛田さんの敗北が決まったのだった。

 

 逆に鈴音さんはこの一か月間は徹底的なまでに真っ当な努力を積み重ねて来たのだ、負ける要素がどこにもない。

 

 クラスとしても、そして個人としても、完全な勝敗が決したので、俺はようやく安心してテストに挑むことができる。

 

 最後の最後まで油断することなく、全ての問題を完璧に処理してから、俺はようやく安堵の溜息を吐く。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 そしてこっちとほぼ同じタイミングで、右後ろの席に座る鈴音さんからも安堵の溜息が聞こえて来た。

 

「どうだったかな?」

 

「何一つとして心配はいらないわ。人生で最高の結果と手ごたえなのは間違いないわね」

 

「ケアレスミスやうっかりは?」

 

「何度も確認した、その上で100点だと確信しているのよ」

 

「そうか、なら何も問題はなさそうだね」

 

 絶対の自信と共に100点を取ったと断言できるだけの手ごたえだったのだろう。ならばこれでどれだけ下手な展開になろうとも引き分けとなる。

 

「鈴音、報告したいこともあるし一緒に帰らねえか?」

 

 二人して一安心していると、テストを終えた須藤が近づいてきてそう言った。

 

「報告したいこと? 申し訳ないけれど、ここで話して貰える?」

 

「今日のテスト、全教科で50点ちょっとみたいな感じでな。あれだけ勉強を教えてくれたってのによ……すまねぇ」

 

「ダメではないわ、寧ろ今回の難易度のテストでそれなら十分とさえ言えるわね。赤点ラインを確実に超えたのだから誇りなさい」

 

 確かに一学期の頃の須藤ならば平均で50点台というのは考えられなかった。ここ最近の伸びが凄まじいことになっているな。

 

「私は少し予定があるから貴方はお友達とでも一緒に帰って」

 

「なんか予定があるのか? まさか笹凪と……」

 

「いいえ、彼とではなく櫛田さんと話があるのよ」

 

「櫛田とか、ならしゃーねえな」

 

 どうやら須藤は俺と鈴音さんの関係を疑っていたらしい。可愛い男である。

 

 ここ最近の成長も目を見張るものがあり、やはり恋は人を強くするのだと納得するしかない。

 

 須藤には夢がある、そして恋も知った。ならば彼は俺よりも人として成熟しているという証明なのだろう。

 

 まさか須藤に人として先に行かれる日が来るとは、俺はやはり未熟者である。

 

 池と山内と一緒に帰っていく彼を見送ってから、鈴音さんは櫛田さんとの対話に挑む為に移動していく。

 

「綾小路くん、付いてきて」

 

「わかった」

 

「俺も行っていいかな? 賭けには関係がないけど。うん、俺も櫛田さんに話があるから」

 

 フラフラとして足取りで教室を出て行った櫛田さんの後を追っていき、鈴音さんは廊下で声をかける。俺はその後に話があるので距離を置いて身を隠した。

 

「櫛田さん、少し時間いいかしら。確認しておきたいことがあるの。ここだと人の行き来があるから場所を変えてもいい?」

 

「話の内容次第だけど、ここじゃ問題かもね」

 

 お互いに話したいことはわかっているのだろう。二人はそのまま人気のない場所まで移動していく。綾小路はひっそりと付いていって、俺は教室の外で待機することになった。

 

 特別棟の教室に入った三人を確認して、廊下の壁に背中を預けて櫛田さんが出て来るのを待つしかない。

 

「結果を待たなくても明らかだね」

 

 教室から漏れ出て来る声は櫛田さんの物だ。どうやら彼女も敗北を確信しているらしい。

 

「私は良くて80点止まりじゃないかな。ううん、もしかしたら届かないかもしれないね。だから賭けは貴女の勝ちだよ堀北さん」

 

「正式には結果が出てからだけど……私の勝ちになるのかしらね」

 

「その必要はないんじゃないないかな。賭けはそっちの勝ち、満足した?」

 

「なら信じて良いのかしら。これから先、私たちの邪魔をしないでくれると」

 

「約束は果たすよ。それがどれだけ納得のいっていないことでもね。書面でも書く?」

 

 無意味だと、俺は教室から漏れ出てくる櫛田さんの言葉にそう思った。

 

「必要ないわ。互いに信じることから始めましょう」

 

「やだよ、だって堀北さんが大嫌いだもん」

 

「そう、そうね。けれどこれからは違うと信じたいの……少なくとも私は、貴女と共にAクラスを目指したいわ」

 

「本当に変わったね、堀北さん……中学じゃそんなこと言う人じゃなかったのに」

 

「ここに来てから、自分の未熟さは嫌というほど思い知ったもの……いつまでも子供じゃいられなかったの」

 

「何それ、私への当てつけ?」

 

「違うわ……自分自身への言葉よ」

 

「……」

 

 櫛田さんからの返答は無かった。けれど教室の外まで漏れ出て来るような溜息が聞こえて来る。

 

「一つ訊いていいかな? 綾小路くんは私の過去や本性を知っているみたいだけど、天武くんはどうなのかな?」

 

「それは……」

 

「あぁ、言わなくていいよ、その反応でだいたいわかったから……そっかぁ、知ってるんだね、天武くんだけには知って欲しくなかったなぁ」

 

 そこで俺は、教室の扉を開いて櫛田さんと鈴音さん、そして黙って話を聞いていた清隆の前に姿を晒した。

 

「鈴音さんを責めないでやってくれ、彼女は渋ったが、俺から強引に聞き出したんだ」

 

「天武くん……」

 

 俺と櫛田さんの視線が絡み合った。彼女の表情や瞳には様々な感情が揺れ動いており現れては消えて行く。動揺が大きいようだ。

 

「あははッ、全部知ってたんだね……私の過去も本性も、知っててあんな対応してたんだ。ねぇどんな気分だったの? 言ってあげるよ、馬鹿な女だって思いながら一緒にテストを作ってたんでしょ?」

 

 後悔と、絶望と、失望と、憤りと、何よりも強い怒りを宿した瞳で彼女は俺を睨んで来る。

 

「内心では私のこと気持ち悪いと思ってたんだよね? 性悪の裏切り者だって笑ってたんだよね? それとも裏切られたって勝手に失望でもしたの?」

 

「いや、全く、欠片もそんなことは思ってないよ。君のことは嫌いじゃないしね」

 

「嘘だッ!!」

 

 とうとう彼女は涙を浮かべてそう叫んでしまう。けれど今の言葉は嘘でも配慮でもなく本心だ。

 

「だって俺は、その程度のことで誰かを嫌ったりはしないからね」

 

「……」

 

「もっと言えば、君の過去にも本性にも興味がない……複雑な人は魅力的だとさえ思っていたよ」

 

「嘘だよ、そんなの……」

 

「ん……君に話したいのはこんなことじゃなくて、伝えたい言葉もこれじゃないな」

 

「え?」

 

 ここでどれだけ、どれほどの言葉を伝えた所で彼女は受け入れないし納得もしないだろう。そして俺も彼女の過去や思いや目標を否定するつもりは無かった。

 

 俺がここに来た理由、櫛田さんに伝えたい言葉、それは彼女の過去も本性も全く関係が無く、完全完璧に自己中心的なものでしかない。

 

 

 黙ってことの成り行きを注視していた清隆と鈴音さんはとりあえずいないものとして、俺は正面にいる櫛田さんに向かってこんな誘いをした。

 

 

 以前、清隆グループの皆と一緒に見に行った映画に出ていたハリウッド俳優のようにキザな感じで。そして舞台役者のように大仰に、童話に出て来る都合の良い王子様のように演じながら、彼女の掌を掬い上げるように触れて俺の本音を伝える。

 

 こういうのは、変に恥ずかしがるよりも少し気取った感じで良いだろう。

 

 

 

「櫛田桔梗さん、今から私とデートをしていただけませんか?」

 

 

 

 過去になんて興味がない、本性だってどうでもいい、目的だって大した意味も感じていない。

 

 そんなつまらない全てよりも、彼女とデートをしたいという、極めて高校生らしい欲求を俺は満たしたかった。

 

 だって、その方がずっと楽しいだろうから。

 

 

 

 

 




堀北「……」綾小路「……」


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こんな関係も青春なのかもしれない

これでこの章も終わり、次は小話になります。


 

 

 

 

 

 

 

 櫛田さんは大きく息を吸い込んだ。

 

 それはもうとてつもない勢いで深呼吸をして酸素を取り入れていく。これから潜水でもするのかと思う程に長い。

 

 やがてその深呼吸が限界まで達した瞬間に、彼女はカラオケルームにあるマイクを片手に持って鼓膜が破れるのではと心配になるほどの声量で叫ぶ。

 

「堀北死ねぇええええぇええッ!!!」

 

 俺は事前に耳を塞いでいたので鼓膜にダメージを受けることはなかった。そんなこちらの様子など知ったことかとばかりに櫛田さんの叫びは続く。

 

「死ねッ!! 死ね!! 死んじゃぇッ!! 貧乳!! ブス!! クソクソクソッ!!!」

 

 完全防音のカラオケルームにはかれこれ三十分近くに渡って、彼女の呪詛が垂れ流されている。

 

 ふとスマホに目を向けてみると清隆からのメールが届いており、内容は「堀北がブチギレしてるからフォローしておけ」というものであった。

 

 どうやら鈴音さんも怒っているらしい。もしかしたら俺は後で彼女に土下座する羽目になるのかもしれない。

 

「大して可愛くもないくせにお高く止まりやがって気持ち悪いんだよッ!! アンタなんて、アンタなんてッ!!」

 

 ゲシゲシと櫛田さんはカラオケルームのソファの上にあったクッションを何度も踏みつけている。止めなさい、後で弁償しなきゃいけないから。

 

 彼女をデートに誘ったまでは良かったが、そこからここまで連れて来るのはもの凄く大変であった。何せ苛立ちは限界突破していたし、移動している間に耳に届いた舌打ちは数え切れないほどである。

 

 それでもデートに付いてきてくれたのだから俺に不満はない。何度舌打ちされて、何度睨みつけられようとも笑顔で対応したのだ、褒めてやりたいね。

 

 やや強引であったがカラオケルームに辿り着いた瞬間に櫛田さんはあんな感じである。暫く帰ってこないと思うので注文したポテトとピザでも食べておこう。

 

「ブスッ!! なんだあの無駄に長い髪ッ!! 変な所で編み込みやがって、似合ってないんだよッ!!? さっさと切れ!!」

 

 このポテト美味いな。ピザも初めて食べたけど想像より美味い。師匠は和食が好きだったから神社では和食中心だったし、こういった食事はあまり経験もないので新鮮に感じる。

 

 他にも何か未知の料理がないかとメニューを眺めていると、メロンクリームソーダという飲み物が気になった。

 

 これは初めて飲むな、メロンクリームソーダ、メロンでクリームでソーダな飲み物なんだろう。神社ではまず見ることのなかったものである。

 

「クソクソクソクソッ!! クソッ!!! クソオオオォォォッ!!!」

 

 唐揚げも美味しいな。今度部屋で作る時はこの味付けも真似してみよう。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ~~~」

 

 カラオケで出て来る料理も馬鹿にできないのかもしれないな。いや、まぁ、俺はその手の判断ができるほど舌が肥えてる訳でもないんだけど。

 

「天武くん……」

 

「あ、終わった? お疲れさま」

 

 かれこれ三十分近く続いた櫛田さんの絶叫とストレス発散がようやく落ち着いたらしい。そんな彼女に俺はコーラを差し出した。

 

 喉が渇いているだろうからね、櫛田さんも不機嫌な顔をしながらもカップを受け取って物凄い勢いで吸い込んでいく。

 

「ぷはッ……」

 

「はいお疲れさま、こっちの唐揚げもどうぞ、美味しいよ」

 

 ズイッと彼女の眼前に唐揚げの乗った皿を出すと、やはり彼女は不機嫌そうにしながらもそれを受け取って口に運ぶ。

 

「沢山叫んで、喉を潤して、お腹が膨れれば人は落ち着くものさ。とりあえず何か話そうか?」

 

「今更、何も話すことなんてないよ」

 

 普段の可愛らしい姿や表情はどこかに消えて、とても鋭い眼差しでこちらを睨んで来る。皆のアイドルはどこにもいなかった。

 

 けれどまぁ、これはこれで面白いと思う。複雑な人はとても魅力的だからな。

 

「いやいや、今だからこそ沢山のことを話せると思うな。ようやく俺たちは本音で話し合えるようになったんだからさ」

 

「……」

 

「まず最初に言っておくね、俺は君のことを嫌いじゃないよ」

 

 そう伝えると彼女は信じられないと言いたげな視線を向けて来る。

 

「ん、でもきっと君はこんなことを言っても信じられないと思うんだろうね」

 

 ふんッと、鼻を鳴らしてそっぽを向く櫛田さんは、山内や池辺りが見れば卒倒するかもしれないほどに態度が悪い。どこか龍園味を感じる雰囲気すらあった。

 

「ん~……どうしようか、そもそも櫛田さんはどうして鈴音さんを追い詰めたいのかな?」

 

「そんなの、決まってるじゃない……あの女が私の過去を知っているから。天武くんもそうなんだよね?」

 

 鋭い視線はそのままにしながら、彼女はコーラを飲みながらそう言った。

 

「そうだね、君がいた中学で学級崩壊があったってことをザックリと知っているよ。けれど細かいことまでは知らないから、できれば教えて欲しいな」

 

「知ってどうするのかな?」

 

「単純に興味があるから、かな」

 

「……嫌、別に面白い話でもないもん」

 

「そっか、なら無理には訊かないよ」

 

 まぁ何があったかはだいたい想像できるので、今は必要ないだろう。

 

「天武くん、私に何させたいのかな?」

 

「ん? デートだけど」

 

「ッ!! 違うでしょ、どうせ私の弱みに付け込んで言うこと聞かせたいんじゃないかな? 絶対にそう、だって天武くんは堀北さんの味方だもんね!!」

 

「いやいや、俺は別に鈴音さんだけの味方って訳じゃないよ」

 

「鈴音? どうして名前を呼んでるのかな? 私の目の前でさ、当てつけ? 自慢?」

 

 う~ん、情緒が不安定すぎる……。

 

「そもそも天武くんは勘違いしてるんじゃないかな、あの女は絶対に間違いなく性悪でどうしようもないアバズレだからね? 部屋は汚くて風呂にも入らないし、ネットに悪口書いて炎上するタイプの女だから、外面だけに騙されない方がいいから」

 

 そして鈴音さんへの風評被害がとんでもないことになっている。そうであって欲しいとさえ思っているようにも思えた。

 

「でも、そんな鈴音さんであっても俺は面白いと思うよ」

 

「惚気るなッ!!」

 

 とうとう彼女は俺にも怒りを向けて来る、櫛田さんの右ストレートが俺の肩にぶつかった。まぁ、別に痛くはないので構わない。

 

「どうせッ、どうせアイツの方が良いんでしょ!? 私より可愛いと思ってるんだ?」

 

「落ち着いて、櫛田さんも魅力的だと思っているよ」

 

 これは嘘ではない。方向性が違うだけでどちらも好ましい女性だと思っている。

 

「じゃあ私の味方になってくれる?」

 

「もちろん、君が困っていたら、俺は力になるさ」

 

「……堀北を退学にさせたいって言ったら?」

 

「そりゃ全力で阻止するけど」

 

「嘘つき」

 

「そんなこと言わないで欲しいな……俺は櫛田さんだろうと堀北さんだろうと、他のクラスメイトだろうと、もっと言えば見知らぬ誰かであろうと、困っているのなら必ず力になるよ。これは俺の根底にある生き方だからね」

 

 そういった男の方がカッコいいと俺は思っているので、そうあるだけだ。もしかしたら俺にとって自分以外の誰かは全てそういった対象なのかもしれない。

 

 上手く言葉にできないな……こういった感情をどう表現すれば良いんだろうか? 博愛精神? いや、ちょっと違うかな。

 

 自分自身でもハッキリとしない行動原理に思えるな。カッコいいからと言うのは間違いないんだろうけど、もっと上手い表現がある筈なんだけど。

 

「何それ、誰でも彼でも助けるとか……正義の味方にでもなりたいの?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 俺が櫛田さんの表現に驚いて訊き返すと、彼女は彼女で何故か驚いた表情を浮かべていた。

 

「いや、だから、正義の味方にでもなりたいの?」

 

「……」

 

 あぁ、そうか、そういうことなのか……。

 

 なるほど、正義の味方か。大義でも利益でも社会でも国家でも個人でも集団でもなく、正義の味方か。

 

 俺の思うカッコいいをもっと適切に表現するのなら、きっとその言葉が最も近いんだろう。櫛田さんに言われて初めて自覚できたかもしれない。

 

「こんなに簡単なことだったのか……そうか、それで良かったのか」

 

「えっと、天武くん?」

 

「櫛田さん!!」

 

「は、はいッ!?」

 

「まずは感謝を伝えたい。俺はどうやら夢を見つけられたらしい……」

 

「え、え~っと……お、おめでとう?」

 

「ありがとう。櫛田さんにとっても意味のわからないことかもしれないけど、俺にとって君の言葉はとても重要な意味を持つものだったんだ」

 

 櫛田さんはとても困惑した様子を見せている。当たり前だ。急に夢だのどうの言われても戸惑うに決まっている。けれど感謝を伝えない訳にはいかなかった。俺にとって彼女が放った言葉は人生に大切な内の一つを知ることに繋がったからだ。

 

 憧れはもうある、夢は見つけることができた、ならば後は恋だけだった。

 

「まさにその言葉を俺は探していた……俺は、正義の味方になりたいんだ」

 

 一つ知って未熟者、二つ知って半端者、三つ知ってようやく一人前だ。須藤に先を越されてちょっと悔しくはあったけど、これでようやく俺は彼と並ぶことができる。

 

 大事なことを教えてくれた櫛田さんには感謝しかないな。

 

「ごめんね、ちょっと意味がわからないや」

 

「ん、そうだと思う……けれどこれだけは忘れないで欲しい。俺は君に心からの感謝と敬意を贈りたいんだということを」

 

 何だったらこの場で感謝の五体投地をしても良い。たぶん引かれるだろうからやらないけど。

 

「君がいてくれて良かった。きっと俺は死ぬ瞬間にこの時間のことを思い出すんだと思う。それほどに尊い時間だという確信がある……だから、何度でも言わせてくれ、ありがとう」

 

 彼女の瞳を見つめて俺はこれまでの人生で最も心を込めて感謝の言葉を贈った。すると櫛田さんは少しだけ頬を赤くしてから、照れたように視線を反らす。

 

 

「はッ!? いけない、なんか流される所だった!?」

 

 

 そして慌てて本題を思い出す……ダメか、なんかうやむやに出来るかと思ってたんだけど。

 

「もうッ……良いかな天武くん? 私は今、すっごく怒ってるんだよ?」

 

「それは失礼した。思わぬ形で夢が見つかってつい興奮してしまったらしい」

 

 彼女は何故か疲れたように溜息を吐く。その様子は普段の櫛田さんの様子にとても近くなっており、このカラオケルームに入ってきたばかりの苛立ちと憤怒に満たされた雰囲気は無くなっている。

 

 どうやらかなりストレスは発散できたようだ。

 

「話を戻そうか……君が鈴音さんを退学させようとしたり、クラスを裏切るようなことをするのならば。俺はそれを阻止するために何度でも全力で立ち塞がる筈だ。これは絶対に譲れない」

 

「平行線だね、私たちは」

 

「そうでもない。何故なら俺は君にそれらの行為を止めろと言っている訳じゃないからね」

 

「は?」

 

「鈴音さんを追い詰めたいならそうすれば良い、クラスを裏切ってまで損害を与えたいならそうすれば良い」

 

「天武くんは……私のことを説得したいんじゃないの?」

 

「いや? ここに来たのはデートの為だし、それに前にもエレベーターで言った、ストレス発散に付き合うって約束を守っているのさ」

 

「本当に、それだけ?」

 

「仮に俺が、裏切りや鈴音さんへの攻撃を止めろって言ったら、櫛田さんはわかりましたって受け入れるのかい?」

 

「それは……」

 

「難しいだろうね、言われて引くようならそもそもこんな事になっていないんだから……なら俺は止めろなんて言わないよ」

 

「……」

 

 櫛田さんは視線を下げて考え込んでいる。俺の言葉は彼女の中では予想外のものだったんだろう。

 

「ん……けれど俺は君から鈴音さんやクラスメイトたちを守る為に全力を尽くす。これは俺の矜持の全てを賭けてだ。こればかりは譲れない」

 

「結局、私の味方にはなってくれないんだね……堀北さんの方が、大事なんだ」

 

「違うよ、好き嫌いや上下の話じゃない。たとえ相手が櫛田さんで無くとも俺は同じことをする。そしてもし君が理不尽や痛みに晒されていたのなら、俺は己の矜持の全てで君を守る……これは約束じゃない、己自身への誓約だ」

 

 当たり前のことだ。とても単純で難しく考えるようなことでもない。

 

「もう一度言うけどね、俺は君の行動を止めはしない。ただ全力で皆を守るだけだ……逆にもし鈴音さんが君を排除するようなことがあれば、俺は君を全力で守る」

 

「……」

 

 視線と視線が結び合う。櫛田さんの瞳の中にある様々な感情の一つ一つを観測していく。

 

「言って止まるような君じゃない、それならもう気が済むまで喧嘩して殴り合って罵り合えばいい……そうすることでしか、やり直せない関係だってあるだろう」

 

「別に私は……やり直したい訳じゃないよ」

 

「そうかな? それならそれで構わない。どうなろうと俺は君を守り、鈴音さんも守る。それでもし、櫛田さんがいつかどこかで、もう駄目だこれ以上は意味がないと思った時、初めて君たちは本音で語り合えて、対等の立場になると思うよ」

 

「絶対に無理だよ……」

 

「未来の話だ、誰にもわからないかもしれないね……まぁ何であれだ、まずは俺との関係をここでやり直そう」

 

 清隆の時と同じだ。上辺だけの関係でなく、本当の意味で互いを理解できる存在に俺はなりたい。

 

 縁とは力だ、運命だ、きっと彼女との出会いにも意味がある。

 

「改めて自己紹介を、俺は笹凪天武です……櫛田桔梗さん、俺と友人になってくれませんか?」

 

 デートに誘った時のように舞台役者みたいな大仰な動作で俺は櫛田さんに掌を差し出す。それこそどこかの映画で見た王子様がお姫様を舞踏会に誘う時のように、とても気取った様子にも見えてしまうだろう。

 

 櫛田さんは差し出された掌へ視線を行ったり来たりと右往左往させて、とても落ち着かない様子を見せてくれた。

 

 迷いと戸惑いと、後悔と希望と。そして救いと、色々な感情や思いがその美しい瞳に去来していき、最後には諦めの色が宿っていく。

 

 あぁ、もう駄目だと、避けられないと、逃げられないと、そう思ってくれたんだろう。

 

「ねぇ天武くん……」

 

「何かな?」

 

「私、性格悪いよ?」

 

「可愛いものさ、俺が知っている本当の意味で性格の悪い人よりもずっとね」

 

 殺人ウイルスをばらまくテロリストより遥かに性格が良いだろう。吸血趣味の人斬りよりずっと優しいし、反社会的な武装集団と繋がっている政治家よりずっと誠実で、集団自殺を頻繁に行おうとする教祖より遥かに聖人だ。

 

 彼女の性格が悪い? そんなことを言う人がいたとするのなら、それはその人が世界の広さを知らないだけである。

 

 櫛田さんは、俺が知っている本当に性格と性根が腐りきっている連中に比べれば、ずっと可愛くて優しいと思う。

 

「もしかしたら口汚く罵っちゃうかも」

 

「その程度で傷つくような男に見えるかい?」

 

「ネットにあることないこと書き込んじゃうかもね」

 

「顔も見えない他人からの評価なんて欠片も興味がない」

 

「嫌がらせとか、しちゃうかも……」

 

「安心してくれ、それでどうにかできるほど脆くはない」

 

「だったら、えっと……その……」

 

「もう一度言おう、そして何度でも言おう……俺と友人になってくれませんか?」

 

 まるで俺を遠ざける為の言い訳を探そうとしているかのような櫛田さんに釘を刺す。こちらに逃がすようなつもりはないとばかりに。

 

「はい……」

 

 細かく震える彼女の掌を俺を包み込んで握手をした……これでようやくスタートラインだな。

 

「でも、天武くんは私を止めるつもりはないんだよね?」

 

「そうだね、けど何度だって立ち塞がるだろう」

 

「そっか、うん、ならそれで良いのかな……だったらさ――」

 

 そこで彼女は下げていた視線を下げて俺を見つめた。そして迷いと希望と願いを込めたような口調でこう伝えて来る。

 

 

「私を諦めさせるくらいに、凄い人だって証明して……この人には勝てないんだなって、そう思わせてよ」

 

 

「あぁ、もちろんだ……お安い御用さ」

 

 挑発的にそう返すと、櫛田さんはようやく笑ってくれるのだった。彼女はやっぱりそんな表情の方が似合っていると思う。

 

「あは!! なら私たちはこれでようやく友達だね」

 

「あぁ、そして俺たちは、ライバルだ」

 

 友達で好敵手で、とても高校生らしい関係なんだろう。俺は彼女を認めて彼女は俺を認めて、その上で敵対して笑顔で殴り合える、そんな関係である。

 

 青春じゃないか、これ以上ないくらいに青春だ。

 

 喧嘩だってこれから幾らでもするだろうし、敵対だってするだろう。状況次第では櫛田さんを守る為に奔走して、場合によっては手を組むことだってある。

 

 そんな関係があっても良いんだろう。俺にとってはどんな縁であっても喜ばしいものであった。

 

 後は証明すれば良いだけだ。俺には勝てないんだと櫛田さんに知って貰えばいい。

 

「ふふッ」

 

 カラオケルームから出ると、外はすっかり暗くなっていた。このまま寮まで帰ることになるのだが、隣を歩いている櫛田さんが突然に俺と腕を絡めて来た。

 

 以前にも似たようなことがあったな、その時は袖を指で摘まむだけであったのだが、今日はしっかりと腕を組む形である。

 

 世間はもうすぐクリスマスで、ケヤキモールには専用の電飾なども目立つようになり、そんな中を腕を組んで歩けばまるで恋人のように見えるのかもしれない。

 

「急にどうしたんだい?」

 

「だってデートなんでしょ? これくらい普通だよ」

 

「そうか、そうかもしれないね」

 

 だいぶ遅い時間帯なので人気も少なく誰かに見られることはないだろう。櫛田さんも何故か上機嫌だから別に良いか。

 

「ねぇ天武くん、私と付き合ってくれる?」

 

「それは男女の交際という意味かい?」

 

「うん、どうかな?」

 

「君は俺に恋愛感情はないだろう?」

 

「そうでもないよ。だって天武くんカッコいいし、運動も勉強もできて優しいもん。女の子の理想の男子って感じだから、まぁ文句はないかな。彼氏にしてあげなくはないよ……それに堀北さんに見せつけられるしね」

 

 あげなくはない、という言葉に櫛田さんらしいプライドが見え隠れしているな。可愛い人である。

 

「ん、そうだね……なら付き合おうか」

 

「え、あ……良いんだ?」

 

「あぁ、俺は恋愛を経験したいというか、恋を教えてくれる人を探しているんだ。櫛田さんが教えてくれるのならとても嬉しいよ」

 

「……」

 

 こちらの本音を伝えると彼女は黙り込んでしまう。そして組んでいた腕を離してこう言った。

 

「やっぱり無し、止めよっか」

 

「それはまたどうしてだい?」

 

「天武くん、今自分がなんて言ったかわかってるのかな? 付き合えるのなら相手は誰でも良いって言ってるのと同じ意味だからね?」

 

「なるほど……そう考えると失礼な発言かもしれないね」

 

「だから嫌かな、私はそんな安い感じで付き合える女じゃないしね。それにどうせなら男子の方から告白して欲しいもん」

 

「そして男心を弄ぶ訳か、やっぱり悪女じゃないか」

 

「もうッ」

 

 また櫛田さんの右ストレートが俺の肩にぶつかった。遠慮が無くなってきたようで良い傾向である。

 

 ケヤキモールから学生寮近くまで歩いて帰り、上階と下階で男女は別れている為に、必然的に櫛田さんとはエレベーターで別れることになる。

 

「今日はありがと……」

 

「君らしくも無い殊勝な言葉だ」

 

「もう一発殴られたいの?」

 

「冗談だ、俺は君と仲良くなれてとても嬉しいよ」

 

「最初からそう言って欲しかったな」

 

「あぁ、これからはそうしよう……それじゃあ櫛田さん、おやすみなさい、君に良い夜が訪れることを願っているよ」

 

「うん、おやすみなさい。また明日だね」

 

 エレベーターの扉が閉まっていく。以前、テスト問題を作った時の帰りと同じ構図ではあるが、あの時と決定的に俺たちの関係は異なっている。

 

 俺たちは友人であり、ライバルだ……これもまた高校生らしいと言えるのだろう。

 

 徐々に閉まっていくエレベーターの扉が櫛田さんの姿を隠していく、そして最後に残ったほんの僅かな隙間が完全に閉じ切る前に、本当に小さな声で彼女はこんなことを呟くのだった。

 

 それこそ俺の耳でしか拾えないであろう声量で、櫛田さんは確かにこう言った。

 

 

「まいったなぁ……天武くんには敵わないや」

 

 

 この日、俺と彼女は本当の意味で友人となるのだった。

 

 人の縁とは、何とも奇妙で面白いものだと、この学園に来てから何度も思ったことを、今日もまた実感する。

 

 俺はそんなことを考えながら部屋へと戻り、今日もまたマネーロンダリング用の作品を夜遅くまで作ることになる。

 

「あ、そうだ……鈴音さんを褒めてあげないとな」

 

 清隆からもしっかりフォローしておくようにと言われているので、ちゃんと約束通り褒めないといけない。

 

 それに、俺にとってこの日は重要な意味があった。

 

 憧れは師匠に、夢は正義に、後は恋だけだ。

 

 恋を知ることができたのならば、俺はようやく一人前の人間になれる。

 

 だから鍛えよう、これまで続けていた鍛錬と成長に、夢が加わったことでより密度が増すはずだ。

 

 正義の味方なんて、軽々しく口にできるようなものでもないんだ。もっと強くならないといけない。

 

 それこそ、師匠のようにならないと。

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

「思っていたよりも稼いでいるらしい」

 

 

 

 

 

 私は今年で33歳になるどこにでもいるサラリーマンです。とあるグループ企業に就職してもう十年以上、幾人かの部下も持ってそれなりに大きな仕事にも関わるようになり、妻と子供にも恵まれてなかなかに幸福ですね。

 

 このまま順風満帆に進んで行けば文句無しなのですが、どうなるのかわからないのがこの時代、サラリーマンに過ぎない私にはいつだってリストラの文字が付きまとう。

 

 もちろん、そうならないようにしっかりと会社で功績を残していますが、未来なんて誰にもわからない。

 

 もうすぐ三人目の子供も産まれる予定なので、蓄えや余裕は多ければ多いほどに嬉しい。

 

 会社から頂いている給金に不満がある訳ではないのですが、それはこれ、これはこれ、株にでも手を出そうかと考えている時に、私にとある仕事が舞い込んできました。

 

 このグループ会社の御曹司である人物がいる学園、そこにマネーロンダリングした資金を注ぎ込むという仕事が。

 

 最初はもしかしたら怪しい仕事なのかと思いましたが、説明を受けて独自に調べている間に、特殊な学校を攻略する為の外部要因とのことでした。

 

 高円寺六助さんのご友人の口座にある資金を、学園にいる彼が作った作品の購入代金とすることで、ポイントに変換する……うん、道義的かどうかの議論はともかく、それが私の仕事ですね。

 

 報酬は、将来の不安を吹き飛ばす程度には貰えました。子供たちがしっかり大学に行って老後に備えられるくらいには。

 

 そして何より、高円寺六助さんが関わっているプロジェクトであることが大きい。もしかしたら将来的な出世に繋がるかもしれない。

 

 報酬と出世、首を縦に振るには十分ですね。

 

 私が任せられた仕事はマネーロンダリング用の会社を滞りなく運営すること、法的にも税金的にもツッコミ所のない……つまりは普通の適切な会社であるように振る舞うこと、そして笹凪天武という人物の口座にある資金を学園に注ぐこと、大雑把に言えばこの二つ。

 

 なので私は今日も会社を運営する。そしてその業務内容と報告を行っていた。

 

 そろそろ肌寒くなって来たこの季節、私は海の真ん中にある埋め立て地の上に立つ学園を眺めることができる海岸で、雇い主の到着を待っております。

 

「ふぅ……そろそろ寒くなってきたな」

 

 時刻は深夜一時、海岸で暫く待っていると海の方からバシャバシャといった音が聞こえて来て、リュックを背負った人物が姿を現しました。

 

 結構な距離がある学園からこの海岸まで泳いで来たそうです。ちょっと意味がわかりません。トライアスロン選手なんでしょうか?

 

 男のような、女のような、そして思わず視線を引きつけられてしまうような存在感を持つ彼が私の雇い主、笹凪天武さんですね。

 

「お疲れ様です。カイロと毛布を用意してありますよ」

 

「あぁ、ご配慮ありがとうございます」

 

「お気になさらず、それが社会人ですので」

 

 もうすぐ冬だというのに海を泳いで来る人です、寒いだろうと差し出したカイロと毛布を受け取って彼は穏やかに微笑みます。

 

 あの学園は外との連絡が出来ないので、業務の報告はいつもこうなってしまう。

 

 まるで監獄みたいな場所ですね、あそこは。私の子供たちには絶対に入学して欲しくありません。

 

「それでは今月の業務報告に移ります。まずは買い取った美術品ですが、海外との貿易に滑り込ませそうです。以前勤めていた会社での縁もあり貿易商との話も済ませました」

 

「へぇ、海外ですか。需要があるものなんですね」

 

「寧ろ国内よりも需要は大きいですね。特に仏像などは仏教圏内で大きな宗教的意味を持ちますので」

 

「なるほど」

 

「宗教的な意味を除いても美術品としてもしっかり価値があります。需要が頭打ちになっている国内よりかは捌き易いほどかと」

 

「利益が出るのは嬉しいですね」

 

 笹凪天武さんは思わず見とれてしまいそうな笑顔を見せました。体は異様に研ぎ澄まされた肉体を持っていますが首から上は美人なので偶にドキリとさせられるのは卑怯です。

 

「それと私からの提案なのですが、これから作られる作品に独自のロゴなどを残していただけないでしょうか?」

 

「ロゴですか?」

 

「えぇ、それかサインでも構いません。その人が作ったと証明する為の物ですね」

 

「何故そのようなことを?」

 

「将来的にはブランド化を目指しておりますので」

 

「ブランド化……なるほど、学生である俺にはない考えだ。やっぱり社会経験があると違うものですね」

 

「これでもサラリーマンですからね、会社に勤めているといつも看板を目にします。そしてそこにある信頼と実績も……そういったわかりやすい形から多くの印象を与えますので、それは美術品も変わりません。この人が作ったんだという信頼と印象は、そのままブランド価値にもなりますから」

 

「けれど無名の高校生の作品ですよ?」

 

「ですので、将来的なことを考えた提案となります。笹凪さんが将来どのような進路に進まれるかわかりませんが、ブランド化に成功すれば未来への可能性も広がります……もちろん、そうした方が当社の運営にも利益となりますので」

 

「わかりました、俺に会社経営や経済戦略はわかりませんが、俺よりも経験豊富な貴方がそう仰られるなら、こちらも当然の努力をしましょう。今度から隅っこの方に笹のマークでも彫っておきます」

 

「よろしくお願いします。では続いて、来月の品評会に関しての打ち合わせを行いましょう。あまり目立たないように小分けとのことでしたので、とりあえず一億で購入できるように調整したいと思います。購入した作品は大陸の方に持っていって上手く転がしましょう」

 

 もちろん、言葉にするほど簡単なことではないが、彼の作る作品には有無を言わせない迫力と引力がある。可能性は低くはない。

 

 資金のある富裕層をターゲットとして上手く転がさないといけません。投機目的で美術品の貿易を行うのがこの会社の表向きの理由なのですから。

 

 こうして私と彼の会議は続いていくことになる。簡単に稼げないような報酬を受け取っているので当然ながら全力を尽くす。

 

 私は別に天才でもなければ誰よりもすぐれた技能を持っている訳ではない。どこにでもいるサラリーマンでしかない。自分が特別な存在じゃないと理解したのはもうずっと前のことである。

 

 けれど社会に出てからこう思うようになった、世の中に一番必要なのは私のような存在なんだと。

 

 普通で平均な誰かが、この社会を円滑に進めているのだと。

 

 だから私は、サラリーマンとして今日を平穏に維持して明日へ贈る。

 

 妻よ、そして子供たちよ、父さんは今日も頑張っているぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「清隆強化計画?」

 

 

 

 

 

 

 オレの目の前にいる天武の雰囲気が切り替わる。思わず身震いするような鋭く冷たい雰囲気は、師匠モードと言うらしい。

 

 極限の鍛錬やトレーニングで鍛えぬいたアスリートや、チェスや将棋などの熟練したプロなどが到達することのできる、ある種の集中状態のことであるとオレなりに分析しているが、詳細は不明だ。

 

 重要なのはただ一つ、この状態になった天武は、手が付けられなくなる。

 

「行くぞ、清隆」

 

「あぁ」

 

 ゾッと、背中を震わせるような気配と共に天武が踏み込んで来た。こちらとの距離は五メートルほどはあった筈だが、こいつの瞬発力を持ってすれば無にも等しい距離だろう。

 

 それを証明するかのように、不吉を纏った掌は目の前にまで一瞬で迫る。

 

 いつかの手合わせと同じ、監視カメラの存在しない桜並木の中で、オレと天武は今日もまた鍛錬を行っていた。

 

 時刻は深夜、誰にも見られないであろう時間に、こうして模擬戦をするのは一度や二度じゃない。

 

 ホワイトルームを出てこの学園に来てからというもの、体はあの場所にいた時よりも鈍っているのは間違いない。なのでこうして定期的に天武とは手合わせをしている。

 

 一つは錆落としの為、もう一つは学習の為だ。

 

 迫る指先を紙一重で躱して……躱したつもりでいたが、頬を掠めてしまう。

 

 あの夜の手合わせの時の動きを参考にして、確実に避けられるように学習していたのだが、計算が合わないのは天武があの時よりも強くなったからだろう。

 

 もし仮に、オレを学習の天才だとするのなら、天武は成長の天才と言えるのかもしれない。

 

 こちらは反復と復習による知識と経験の集束、天武は生命体としての性能の純粋な向上、そんな風に思う。

 

 幾度か攻撃を防ぎ、逸らし、その度に体に広がる鈍い痛痒を無視しながら感覚を研ぎ澄ましていく。

 

 薄暗い桜並木の中で続く攻防はもう一時間ほど続いており、体中に流れる汗がその運動量を物語っているかのようだ。

 

 ホワイトルームで様々な相手と戦い経験と学習を蓄積してきたが、目の前にいる相手はその誰よりも強く巨大……だからこそ学習の意味がある。

 

 あそこにはもう俺に勝てる者はいなかったので、それはつまりあの場所で得られる成長と学習の限界であったと言うことに他ならない。

 

「あぁ、以前より反応が早くなった。予測も正確だ。前よりも強くなったね」

 

「そうか?」

 

「ん、君の学習速度は極めて高い。一度見れば基礎となり、二度見れば応用となり、三度見れば盤石、そんな印象を与えるね。模倣と反復と学習が高い位置で絡み合っている。ホワイトルームで育つと皆そうなるのかい?」

 

 確かにそれはオレの本質なのかもしれない。自分より優れた何かを真似て吸収していると言っても良いのだろう。

 

 今も天武の動きを再現しようとしているな。

 

「そうでもない」

 

「う~ん……違うのか。だとしたらホワイトルームが凄いんじゃなくて、単純に清隆が凄いだけになりそうなんだけど、そうなるとその場所が存在する意味が吹っ飛ぶな」

 

 そんな身も蓋も無いことを言われるとは、あそこにいる大人たちが聞いたら奥歯を噛み砕きそうな気がするな。

 

「まぁ俺が考えても仕方がないことか、今はより体を研ぎ澄まそう。清隆はスポンジみたいに吸収するから見ていて楽しいからね、成長期という奴かな」

 

「そういうお前も、前よりも動きが鋭くなっているな」

 

「かもしれないね、特にここ最近はよく研ぎ澄まされていると思うよ……夢が見つかったからかな」

 

「夢?」

 

「ん、人生に大事な一つが見つかったのさ……前にも龍園に同じことを言われたんだけど、その時はあまり響かなかったのに、櫛田さんに言われた時は不思議と納得できてしまった」

 

「よくわからないが、何か理由があるのか?」

 

「義務感からの行動じゃなくて、守りたいものが増えたからかもしれないね」

 

 穏やかな微笑みと共に迫る不吉を孕んだ攻撃を、同じ角度と体幹で迎え撃つ、その繰り返しの先に動きを学習していく。

 

 体幹を、呼吸を、視線を、体捌きを、吸収していく。

 

 オレが知る中で最も強い天武は、つまり最高の教材である。

 

 その動きや技術を知ることはいずれ来るであろうホワイトルームからの刺客や、近い内に行動を起こすであろう龍園との戦いにも役に立つだろう。

 

「しかし意外と言うか、俺が思っていたよりも清隆は努力家なんだね」

 

「ずっとぐうたらしてたら体も錆びるからな、それに近々龍園も動く、しっかり調整しておきたい」

 

「なるほど、けれど清隆は前に龍園相手なら絶対に負けないって言っていたじゃないか」

 

「あぁ。だが、それは備えない理由にはならないし、鍛えない理由にはならないだろ」

 

「ん、まさにその通りだ……鍛錬に終わりはない」

 

 だからオレと天武はまた模擬戦を始める。拳と拳を、足と足を、意思と意思をぶつけ合って体を研ぎ澄ましていく。

 

 ホワイトルームで百人と戦うよりも、天武一人と戦う方が学習と成長が早いな。

 

 あそこにいた頃よりも身体能力が向上しているのは間違いない。恐ろしい事である。

 

 繰り返すこと数十、薄暗い桜並木の中ではいつまでも戦いの音が鳴り止まなかった。

 

 その内、この学園に来るであろう後輩は、もしかしたら驚くかもしれない。ホワイトルームに残されているオレのデータよりも遥かに成長しているのだから。

 

 それでも根本的な身体能力の違いがあるので、オレが再現できるのはせいぜい20パーセントといった所だろう。だがそれで良い、天武の動きを20パーセント再現できるということは、つまり人類の99パーセントに勝利できることになるからだ。

 

 まだまだ成長できる。オレが限界だと思っていた所は、ただの中腹に過ぎなかったということだ。

 

 今度、天武がやっているトレーニングも取り入れてみるか、かなりアレな感じなので適応するには時間がかかるだろうが。学習と成長こそがオレの本質なので楽しみではある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とある防衛省職員のレポート」

 

 

 

 

 

 

「よく来たな、噂は色々と聞いている。優秀だとな」

 

「恐縮です」

 

 防衛省にある一室、部屋の前には「特殊戦力運用室」と書かれた名札が張られた場所である。

 

 ここはこの国の暗部に多少なりとも関わる者ならば一度は耳にしたことがあるだろう。防衛省職員として順調にキャリアを積み上げた私もまた同様である。

 

 特殊戦力運用室……通称、超人対策運用部門。

 

 そう聞くと多くの者が首を傾げるのかもしれない。私だってそれは同様なのだが、何の因果なのか私はここに配属されてしまった。

 

「では訊こう新人、この特殊戦力運用室の目的は?」

 

「はッ!! 国家、社会、経済、政府、国民に対して極めて甚大な被害を齎すとされる個人との交渉、及び抑止です」

 

「その通りだ。だが、どいつもこいつも指折りの人格破綻者だ、基本的には交渉など考えずに、金で釣って動いて貰うことになるだろう……注意点は?」

 

「敵対しない、協力関係を維持して、抑止とする」

 

「宜しい、それさえわかっていればな……とりあえずこの部署に来た新人には、前任者が残したレポートを読み込んで貰うことになる。お前もよく読んでから適切に処理しろ、一応は国家機密に分類される書類だから紛失はしてくれるな。中身を記憶した後、シュレッダーではなく燃やして処理するように」

 

「了解です」

 

 上司となる人物はそう言って分厚い書類の束を机の上に置いた。それを読み込むのが私の最初の仕事になるらしい。

 

 当然ながら私もキャリア官僚の一人、与えられた仕事は完璧にこなすものだ。超人集団の危険性をしっかりと把握しておこう。

 

 このレポートを製作したのは私の前任者、つまりは先輩に当たる人物だ。彼が何を思ってどう行動したのかも理解しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

「特殊戦力一号調査レポート」

 

 氏名▇▇▇▇▇▇ 年齢不明 性別 女性

 

 極めて超人的な肉体を持つ武術家であり、逮捕と拘束が物理的に不可能なので基本方針として敵対は推奨されない。仮にもし逮捕できたとしても一人を捕まえるのに一万人の警官や自衛官を死なせる訳にはいかないので、政府、防衛省職員は十分に対応に注意されたし。

 

 主な略歴として、明治維新の際にその存在を危険視した新政府軍が戦力を派遣した時に、約5000名の将校を単独で殺害しており、それ以降は明治政府との停戦条約が結ばれた。

 

 現在もその条約は日本政府に継続されているが、60年代に条約を変更して、テロ及び特殊犯罪などに協力を求める代わりに報酬を支払う形となる。

 

 前述に記載した通りほぼほぼ逮捕と拘束が物理的に不可能なので敵対は推奨されない。報酬契約という形での現状維持が最も安定的と判断する。特殊戦力案件が発生した場合は最優先で話を通すことを防衛省職員として推奨。

 

 好物はお酒、依頼を持っていく際には必ず用意すること。機嫌が良くなる。

 

 また、特殊戦力第一号が関わった案件に関しては別レポートを熟読すること。加えて特殊戦力七号に師事されており、そちらに関しては七号レポートの熟読を推奨。

 

 

 

 このレポートを読んでいる誰かに忠告を残しておこう。忘れるな、この人が一番怒らせたらダメな人だ。

 

 

 

 

 

 

「特殊戦力二号調査レポート」

 

 氏名▇▇▇▇▇ 年齢42歳 性別 男性

 

 学生時代、アーチェリーとクレー射撃でオリンピック金メダルを取得した後に、自衛隊特殊作戦群に入隊。狙撃手として輝かしい成果と功績を遺す。

 

 特殊な眼球と視力を有しており、観測手を必要とせずに数千メートル級の狙撃を百発百中で成功させることが可能。

 

 注意点として、自衛隊としての職務以外でも狙撃能力を運用している疑惑がある。また、独自の世界観と正義感を持っており、彼の中にある秩序に反する者を排除する傾向があることを留意。

 

 二号が関わったと推測される狙撃案件は判明しているだけで三十六件、反秩序的な存在のみに限定されていた。

 

 一号と異なり狙撃能力以外は常識的ではあるが、逮捕や拘束は推奨されない。一度でも距離を離されてしまえば彼が持つ弾丸の数だけの死傷者が出ると思われる。

 

 紆余曲折を経て現在は特殊戦力運用室の特別顧問として任務に就いている。一号と連絡が取れない場合は二号に案件を任すことを推奨。

 

 無類の煙草好きなので、外国の珍しい品を贈ると機嫌が良くなる。

 

 本人曰く、俺の狙撃は命中させるのではなく、当たったという未来に弾丸を追いつかせるとのこと……意味は不明。

 

 各種狙撃案件に関しては別レポートを熟読すること。

 

 

 

 

 

 

「特殊戦力三号レポート」

 

 氏名▇▇▇▇▇▇ 年齢17歳 性別男性

 

 極めて高度なハッキング技術を持ったハッカー。幼少期からその技術や才能は突出しており、独自にスマホアプリやネットウイルスを製作するなど問題行動も多かった。中央省への頻繁な無断アクセスや、中央銀行への不正侵入は確認されているだけでも127件あり、軍事技術や国家機密を頻繁に回覧していたと推測。

 

 エシュロン3へのアクセスを行うなどアメリカ政府からも危険視されており、重度危険因子として七号により拘束された後、司法取引で保釈されて現在はネット犯罪対策顧問として防衛省に勤務。

 

 露天風呂を覗く為に軍事衛星をハッキングするような人物であることから、24時間の監視を行うべし。また注意点として、他国から身柄を攫われる可能性もあるので監視と同時に護衛も随伴させることを公安より打診されている。

 

 何らかの方法で監視と護衛から逃れた場合は、特殊戦力案件として一号か二号に対処依頼することを推奨している。

 

 私見ではあるが頭の良い馬鹿といった感じの人物なので、煽てて調子に乗らせるぐらいが一番良い。

 

 彼が関わった各種案件は別資料にあるので熟読しておくこと。

 

 

 

 

 

 

 

「特殊戦力四号レポート」

 

 氏名▇▇▇▇▇ 年齢不明 性別不明

 

 端的に評価するのならば変装の達人。高度な変声技能や模倣技術を有しており、ある程度の情報を与えれば完全に他人に成りすますことができる。この変装は男女や年齢を問わない。

 

 その変装技術を使って他人に成りすまして生活することを続けており、外務省特殊職員として外交任務に就いている。

 

 現在は一号と七号案件によって逮捕された議員の影武者として大臣役を偽装しており、来年度に表向きは引退することでこの案件は秘密裏の処理とされる予定。

 

 個人的には好感の持てる人物であるが、変装の達人にそういった感情を向けることは間違っており、好意的な感情を向けられるように誘導されていると思われるので注意が必要。

 

 

 

 

 

 

「特殊戦力五号レポート」

 

 氏名 ▇▇▇▇▇ 年齢28歳 性別女性

 

 国家、社会、経済、秩序に深刻な損害を齎す人物であり。独自の声色と存在感、カリスマ性を駆使しての洗脳技術によって大規模な反社会的宗教組織を設立。頻繁に集団自殺やテロ行為を扇動するなど、突出して危険な存在であった。

 

 爆弾テロや集団暴動などを繰り返して特殊戦力案件に昇格、一号と七号によって逮捕拘束されたのだが、その後に収監された刑務所でも囚人たちを扇動して二度の脱走を企てたので、現在は彼女専用の独居房で厳重な監視体制にある。

 

 逮捕拘束には成功したものの、未だに信者たちの完全排除には成功しておらず、法的に死刑処理すると大規模なテロが起こることが推測されるので政府は消極的。

 

 注意点として面談の際は絶対に十メートル以上の距離を取り、彼女と目を合わせて話さないことを心がけるべし、何故なら彼女はこの腐った世界に唯一存在する神だからだ。

 

 真の救済とは、真の救世とはなにか、信仰とは何かをこの方は教えてくれる。私のように無知蒙昧な子羊であっても愛おしく接してくださる。

 

 そう、この方こそが本当の意味で神域に近い存在なのだ。彼女の声こそが法であり、彼女の意思こそが未来なのだろう。だというのに愚かな者たちはあの方に不自由を強いている。是正しなければならない、これほどの冒涜があるだろうか? これほど罪深い行動があるだろうか? 何故我が神がこのような仕打ちを受けなければならないのか、これがわからない。

 

 私と、同胞と、彼女が成し遂げようとしているのは救済であり真理の探究だ。死の先にある楽園と魂の解放を求めることに何の罪があると言うのだろうか。

 

 打倒しなければならない、こんな世界は間違っている。彼女の微笑みと声を全ての国民が拝謁することこそが本当の意味で国益になるのだろう。

 

 やがて世界を彼女に捧げるのだ、この汚れきった身にできる唯一の献身がそれだと思う。

 

 立てよ同胞、我らこそ正義である――――失礼しました、どうやら洗脳されていたみたいです。少し職務を休んでカウンセリングを受けてきます。一号さん、洗脳を解いてくださってありがとうございます。今後は我が忠誠を貴女の下に、あ、いらない? そうですか……。

 

 

 

 

 

 

「特殊戦力六号レポート」

 

 氏名不明 年齢不明 性別不明

 

 詳細不明、住所も不明、そもそも実在するかも不明。何もかもが不明、面談は未だに成功していない。

 

 あまりにも情報が少ないのでよくわからない。一号に情報提供を呼びかけるが、約束だから話せないとのこと。

 

 正体不明、それ以外レポートに残せない。

 

 

 

 

 

 

「特殊戦力七号レポート」

 

 氏名▇▇▇▇ 年齢13歳 性別男性

 

 特殊戦力一号の教え子。彼女と同様に超人的な身体能力を持っており、おそらく現時点で逮捕と拘束が困難と推測される。一号の仕事に同行して特殊戦力案件に加えて、警察や防衛案件での協力に積極的に動いてくれている。

 

 二十人近くいる特殊戦力の中で最も常識的だと判断するが、一号と同様に逮捕と拘束が困難なので報酬契約の形が最も安定的と考えられる。

 

 幾度か単独での案件もこなしており成果は上々、年齢的にもまだまだ矯正が可能だと思われるので、このまま法秩序の重要性を教える方針を取るべきだろう。

 

 七号に委任した特殊戦力案件に関しては別資料を熟読することを推奨。基本的に真面目で秩序を尊重する者ではあるが、必要と判断した瞬間に物理的に止めることのできない身体能力で暴れようとするので留意すること。

 

 彼と一号が起こした国会議事堂占拠事件に伴う、反社会武装組織との繋がりがあった大臣の拘束に関しては四号を影武者に使うことで誤魔化す方針。

 

 

 君だけはまともだと思っていたのにッ!! 裏切り者めッ!!

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 ざっと資料を読んで私は眉間に寄った皺を揉み解す。これから私が関わっていくであろう者たちと接した先達の残した資料を見ている内に、自然とそうなってしまっていた。

 

 なるほど、前任者が辞職する訳だ、こんな連中と関わっていれば疲れもするだろう。納得である。

 

 既に疲れが私にもあるのだ、前任者はさぞ大きなストレスに悩まされていた筈だと簡単に推測できてしまう。

 

 そして次は私の番になる訳だ。恐ろしいことに。

 

 分厚い資料の束はまだ残っている。そしてその分厚さの数だけの異常者を把握して管理して交渉して状況次第では敵対することもあり、場合によっては国家の威信をかけて戦うことにもなる。

 

 面倒な所に異動になってしまったと嘆きながらも、私は防衛省職員としての責務を全うする為に、超人と呼ばれる人々の情報に触れていくのだった。

 

 中には真っ当な者もいるみたいだが、大半の人間が逮捕や拘束が困難とされている辺り、これからの苦労が感じられてしまうな。

 

 とりあえず比較的話が通じそうな一号と接触して、その教え子である七号とも交流しよう。その二人を番犬代わりに使って他の超人たちを牽制しながら、上手くバランスを取るしかないか。

 

 防衛省に入って十数年、平和とは、とても困難なものだと改めて思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 




これから苦労することになる防衛省職員「嘘だと言ってよバー二ィ!!」


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決着編
蛇は忍び寄る


 

 

 

 

 

 

 

 いよいよ本格的な冬がやって来た。肌寒い空気はいつものことになり、吐き出す吐息は白く濁る。

 

 ケヤキモールは近づいて来たクリスマスムードを高めようと華美な電飾で彩られており、そんな雰囲気に引っ張られてか生徒たちもどこかいつもと違う雰囲気を醸し出している。

 

 腕を組んで歩くのはカップルだろうか? 波瑠加さんの話では滑り込みカップルなる現象がこの季節になると起こるらしいので、学園内でも交際を始める男女が多くなっているらしい。

 

 どこか浮足立った雰囲気は俺も感じている。これまではあまりクリスマスになじみがない生活を続けていたのだが、この学園で高校生をしていると嫌でも感じ取ることができるな。

 

「結局、この前の特別試験ではどこのクラスも退学者が出なかったみたいだね」

 

 ケヤキモールにある生徒たち御用達の休憩スペースで清隆グループで集まり、特に大きな目的も無く話をすることもあの試験以降は多くなった。

 

 馬鹿騒ぎする訳でもなく、何かを強制する訳でもなく、緩い協調性を基本としている集まりなので過ごしやすくもあるのだろう。清隆も無理なく楽しんでいるように思える。

 

 それぞれ飲み物を頼んで席に座り、話題が以前の特別試験になったので、俺は皆にそんなことを伝えていた。

 

 どこのクラスにも退学者が出なかったという報告に、啓誠は眼鏡を指で整えながらこう返す。

 

「そろそろ龍園クラス辺りがやらかすんじゃないかと思ってたんだがな」

 

「あのクラスとか、私たち以上に勉強できなさそうだもんね……あ、みやっちもうすぐ来るって。今部室出たみたい」

 

 スマホを弄りながら波瑠加さんがそう言った。

 

「でも試験で勝てたから良かったんじゃないかな……それに、別のクラスでも、退学する人が出るのは嬉しくないな……天武くんも、そう言ってたよね?」

 

「あぁ愛理さんの言う通りだ。作ったテストもその辺のラインは意識していたよ。学校側からの修正も多かったから、自然とそうなったって感じなんだけどね。多分、龍園クラスが作ったテストも同じなんだと思う」

 

「まぁ学校も、わざわざ大量の退学者を出すような真似もしないか……AクラスはCクラスに負けたようだし、これでまた大きくAクラスに近づくことができたな」

 

 啓誠の言葉に今回の特別試験の結果を思い出す。確かに葛城クラスと一之瀬さんクラスの試験結果は、一之瀬さんに軍配が上がることになった。

 

 坂柳さんの裏切りがあるので仕方がない部分もあるのだろう。これでAクラスはクラスポイントを100減らすことになり、葛城派はまた追い込まれることになる。

 

 橋本が言うには坂柳派がまた増えたらしい。クラスポイントが減ればそれだけローンの支払いが負担となるので、いよいよと言った感じらしい。

 

 改めてクラスに裏切り者がいるという状況を恐ろしいと思うしかないな。俺も彼を笑えるような立場でもないので、正直同情もしている。

 

 それもまた戦いの作法だと言ってしまえばそれまでだが、俺が葛城にできることはなにもない。せいぜい頑張ってほしいと心の中で応援するくらいであった。

 

「でも、Aクラスになれても、他のクラスの人たちを犠牲にしないと、いけないんだよね」

 

 シュンと視線を下げる愛理さんは、この学校の過酷な競争に付いていけないのだろう。気持ちはわからなくはない。

 

「例えばさ、裏技的な方法はないの? 最後の試験でクラスポイントが全て一緒になるとか。それでめでたく全部がAクラスで卒業。なんてことになったりして」

 

「それ凄くいいと思うッ」

 

 女性陣の考え方を否定したのは、部活帰りに合流した明人であった。

 

「残念だが、それは無理だと思うぜ。先輩たちが話しているのを聞いたことがある。最後の試験で同率になった場合は順位を決定付ける特別試験が追加で行われるらしいってな」

 

 彼は席に座って飲み物を注文してそう説明する。部活の先輩からの情報なら信憑性もあるのだろう。

 

「そうは問屋がおろさないってヤツね。面白いアイデアだと思ったのに」

 

「結局、Aクラスになれるのは1つだけってことだな」

 

 同率一位か、俺もこの学校の攻略法を考えている時にそういった方向性で思考したこともあるが、結論は不可能だったな。

 

 それだったらまだ24億以上を集めた方が楽だと思ったくらいだ。

 

 懐からスマホを取り出してそこにあるポイントを確認する。横に座っている清隆からの視線を感じ取りながら、記された数字を確認すると億単位である。

 

 ポイント集めは順調だ。マネーロンダリングで手に入れたポイントが大半だが、十パーセントくらいは普通に品評会でどこかの金持ちに購入して貰ったものだった。

 

 このまま問題なくポイントを集めて行けば、24億には届くだろう。

 

 ただ個人的にはこのポイントを配るのは三年の後半くらいになるだろうと考えている。単純にぬか喜びさせたいくないと言うのが一つ、もう一つはクラスメイトや同学年の生徒たちの成長を願ってのことだ。

 

 Aクラスを目指すと言う競走の中で、様々な試練が課されて乗り越えることを強制されるこの学校は、その中で様々な方向性の成長を実感できる。

 

 俺自身はAクラスの卒業特典はあまり魅力は感じないが、その成長を実感できる競走そのものには価値を感じていた。

 

 誰かの成長を見るのは嬉しくもあり喜ばしいことでもある。ただそれだけでAクラスを目指す理由になるだろう。

 

「話を変えるようで悪いんだが、少し気になることがあった」

 

 俺がスマホを眺めながらこれからのことを考えていると、インスタ関連の話をしていたグループの話題をぶった切るように明人がそう言ったので、意識がそちらに傾く。

 

「最近Dクラスの様子がおかしくないか」

 

「あそこはいつもおかしいと思うけど、なに、どういうこと?」

 

 波瑠加さんの龍園クラスの評価というか、印象というのはやはり低いらしい。龍園があれなので仕方がないことなのかもしれないが。

 

 ただ明人の言いたいこともわかる。隣にいる清隆もずっとこっちを監視している男子生徒を気にしているようだからな。

 

 ついでに神室さんもなにやらコソコソしている。尾行の技能もない人にそんなことをさせるべきではないと思う。坂柳さんも酷なことをさせているようだ。

 

 そんな監視は俺たちだけでなく、どうやら部活中の明人などにも向けられている。今日も部活中に見学と称して近くで見られていたようだ。それで僅かに苛立っているらしい。

 

 龍園は黒幕が誰なのかを探しており、おそらく内心では殆ど正体を掴んでいる筈だ。それでも僅かな取りこぼしがないようにあの手この手で詰めて来ている。

 

 狩りを楽しんでいるかのような雰囲気もあるな、相手を追い詰めて焦らせ疲れた所を仕留める……ただし自分が追い詰めようとしている相手がゴリラであるとは気が付いていない、悲しいね。

 

「龍園たちも焦ってるんじゃないか?」

 

 清隆が明人の話を聞いてそう発言すると、啓誠がわからなくはないと頷く。

 

「入学当初は俺たちよりも上のクラスにいた訳だからな。だがここ最近はクラスポイントも減って苦しい状況だ。確かに龍園にも焦りがあるんだろう……何か違反行為があってポイントも減らされたらしいから、こちらとの距離は大きな差もある」

 

 どうやら啓誠の中ではもう龍園クラスはそこまで強敵といった印象がないらしい。ポイントに大きな差がある上に目の前にはAクラスの背中が迫っているのでわからなくもない。

 

「それがみやっちに絡み始めた原因?」

 

「そこまではわからない……そもそも龍園の行動に理由があるのかどうかも曖昧だ。アイツは突飛なことをすることがカッコいいと思っている男だからな」

 

「まぁ普段偉そうにしてるって言うか、リーダーだもんね龍園くん。面子丸つぶれかぁ。テンテンはどう思う?」

 

「俺は龍園を高く評価しているよ」

 

「へぇ、意外かも、そうなんだ?」

 

「あぁ、突飛な行動や常識外れの戦略をしてくるが、参考になる部分もある……思考力も瞬発力もある男だからね」

 

 俺がそう言うと清隆を除く全員が意外そうな顔をした。あの男の本質は簡単には理解できないということだ。

 

「彼は強敵だ……一之瀬さんや葛城よりずっとね。だから皆も気を付けて欲しい。龍園の本領発揮は、きっとここからだろうからね」

 

「そうだな、アイツは危険な男だ」

 

 元ヤン疑惑のある明人だけは俺の言葉に納得して大きく頷く。きっと龍園のやんちゃぶりは色々と知っているのだろう。

 

「龍園クラスに関しては今は放置するしかないな。学校側に訴えてもただ見られているだけならどうしようもないよ。わかりやすい隙を晒すほど馬鹿じゃないしね」

 

「アイツらが飽きるまで我慢するしかないってことか」

 

「そうだね。苛ついて殴り返すとか絶対ダメだ」

 

「須藤じゃないんだ。そんなことはしないって」

 

 まぁ明人は落ち着きのある男なので心配はいらないだろう。須藤に関しても鈴音さんに嫌われるようなことは避けるだけの冷静さはもうあるだろうから問題はないと思う。

 

「だが、つけ回されてるのは俺たちだけじゃないようだね。今、平田からメールが来たんだけど、どうやらあっちも同じみたいだよ」

 

 手元にあったスマホに届いたメールは平田からのものであった。内容は龍園クラスの生徒に監視されているというものだ。あちらの様子が気になってメールで状況を確認してもらったのだが、どうやら彼も監視の存在には気が付いていたらしい。

 

「この分だとクラスの主要なメンバーには監視がついてそうだね。鈴音さんとかも同じかもしれない」

 

「堀北さん大丈夫なの? テンテン、一緒にいたほうが良いんじゃない?」

 

「俺がやらなくても須藤辺りが頑張ってくれるさ。そうでなくとも彼女は強い人だ」

 

「お、余裕だねぇ、取られちゃうかもよ?」

 

「取られるも何も、俺と彼女はそんな関係じゃない。別に心配しないという訳でもないけどね」

 

 気を付けるようにメールを送っておこう。

 

「でも内心では心配で仕方がないとか?」

 

「もちろん心配だ」

 

「少しは照れて欲しいかも……はぁ、まぁテンテンもこんな感じだと、私たちはロンリー決定っぽいなぁ」

 

「ロンリー?」

 

「周りを視てよ、もうすぐクリスマスでしょ?」

 

 確かに専用の電飾が目立つ、クリスマスツリーもある。腕を組んで歩くカップルも多い。

 

「別に特別な日でもないだろ。普通の一日だ」

 

「ゆきむーにとってはそうかも知れないけど、女子の間では意外と大変なんだって」

 

「う、噂とか色々出るもんね……」

 

 愛理さんも反応する辺り、女性陣にはやはり意識してしまう日のようだ……いや、それは男子も同じなんだろうな。

 

「そうそう。誰々と付き合ってるとか付き合ってないとか。一夜を共にしたとかしてないとか? 好んで独り身をやってるのに、妙に可哀想な目でみられたりね」

 

「駆け込みカップルとかいう話も聞くよね」

 

「でしょ? クラスでも色々と動くんじゃないかって思ってるんだよね」

 

「恋人かぁ……そういうのも良いけどイマイチ想像できないなぁ。屋上での告白とかにも憧れてはいるんだけど」

 

 恋を知りたいとは思うけど、恋人が欲しいとは不思議と思わない。きっとそんなんだから俺は一人前には遠いんだろうな。

 

「まぁテンテンはアレだしね……」

 

「アレとは?」

 

「ちょっとアレ過ぎて女子は隣に並んでるのが想像できないんじゃないかなって……そう考えるとテンテンって不思議な立ち位置かもね」

 

「俺は女子にもしかして嫌われているんだろうか?」

 

「そうじゃないって、人気はあるんだろうけど、付き合うとなるとどこか現実味がない感じになるんじゃない?」

 

「そういうものか」

 

「何となくそんな立ち位置になってるかな」

 

 すると波瑠加さんの隣の席に座っていた愛理さんは、どこか納得したように頷いて見せた。どうやら俺は女子たちから現実感のない男と思われているらしい。付き合うというのがどうにも想像できないとは、悲しい事実である。

 

 櫛田さんから付き合ってみないかと提案されて、すぐにちゃぶ台をひっくり返されてしまったのは、その辺が関係しているのだろうか?

 

「だとするとクリスマスは寂しく過ごすことになるかもしれないね、悲しいことだ」

 

「清隆くんは、ク、クリスマスの予定とかあるの?」

 

「うわ愛理それってきよぽんを誘ってるわけ? だいた~ん」

 

「ち、違う、そういうのじゃなくて、違うからね!?」

 

 そこから始まるのはこのグループがどうやってクリスマスを過ごすかどうかだ。残念なことに誰にも恋人がいないので何とも熱の無い展開しか出てこない。

 

 啓誠は勉強、明人は部活、俺はたぶん彫刻で、暇なら清隆はこっちの手伝いをしに顔を出してくるだろう。

 

 なんとも寂しいクリスマスの予定ではあるが、こういったことを喋ってダラダラと過ごすのはとても高校生っぽいので、実は嫌いではない。

 

 俺が入学する前に妄想していた、高校生とはこれだという光景の中にいるのだ。友達とくだらないことを話しながら、ああでもないこうでもないと笑い合い、非生産的な時間を過ごす。

 

 素晴らしい高校生活だと思う。こういった時間を守りたいとも思う。

 

 いつまでも続けばいいなと考えても贅沢ではないし、罰当たりでもないんだろう。

 

 改めて思う、高校生が当たり前に受けることができるこの青春を守ろうと。

 

 俺はまだまだ未熟者……いや、半端者だが、それくらいの力はあると信じたい。

 

 

 

 

 

 

 なんてことを考えてやる気を出した数日後のことだ、俺が守りたいと思っていた日常に早速影が差したのは。

 

 

「やぁ、初めまして……笹凪天武くんだね?」

 

 いつもの放課後、今日もグループの面子で集まって色々と非生産的な時間を楽しもうと思っていた時に、俺に声をかけてきた人物が現れる。

 

 頭の中にすぐさまこの学校に存在する人物を思い出して目の前の男性と一致させようとするのだが空振ってしまう。俺はこの人を一度もこの学園で見たことがないということだ。

 

「初めまして、どちら様でしょうか?」

 

「僕はこの学園の理事長を務めている者だ」

 

 理事長、実質的に学園の最高責任者ということだ。そう聞くと入学前に眺めていたパンフレットに名前が載っていたことを思い出す。確か……。

 

「あぁ、確か……坂柳理事長でしたか」

 

「その通りだよ」

 

 目の前にいる男性は柔和に微笑んで見せる。

 

「坂柳……もしかして坂柳有栖さんの関係者でしょうか?」

 

「有栖は私の娘だよ。もしかして交流があるのかな?」

 

「友人です。偶にお茶したりチェスで遊んだりしますよ」

 

 そう伝えると坂柳理事長はまた穏やかに微笑んだ。

 

「それは良かった。君さえ問題ないのならこれからも親しくしてあげて欲しい。あの子は昔から……いや、こんな話をしたい訳じゃなかったな。笹凪くん、君はこの後、何か予定はあるかな?」

 

「友人と過ごすつもりではありますが、別に急ぎという訳ではありません」

 

「では少し時間を借りよう。君を交えて話をしたい人がいるんだ、構わないね?」

 

「わかりました」

 

 ここで嫌だと言うと学園の権力者からの印象が悪くなるかもしれないという打算と、純粋にどんな話をするんだという興味を半々にして。俺は坂柳理事長に付いていくことになるのだった。

 

 

 

 

 



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こんにちは、いつも清隆くんにはお世話になっています

 

 

 

 

 

 

 

「実は君のことは以前から知っていてね」

 

 坂柳理事長に連れられて学園の中を歩いていく、どうやら向かう先は生徒指導室でもなく折檻部屋でもなく、この学校の中にある応接室らしい。

 

 警戒しながらも理事長の後に付いていくと、世間話のような口調でそんなことを言われた。

 

「君の恩師、笹凪木久利姫(きくりひめ)さんにはお世話になった時期があるんだ」

 

 笹凪木久利姫、それが師匠の本名である。内弟子となった時に名字を貰って戸籍も作ってもらった。本来の俺はあの飛行機事故で死んだことになっているらしい。笹凪天武という人間の戸籍は師匠がでっち上げたものである。

 

「そうなんですか?」

 

「あぁ。もう二十年以上も前のことになるかな。あの人が大学で気まぐれに教鞭を振るわれていた時の話だね」

 

 師匠、そんなことをやっていたのか、まぁ気まぐれで色々な仕事に手を出す人だから不思議ではない。すぐに飽きてしまうとも言っていたけど。長く続いたのは芸術の分野だけだっていつか言っていたな。

 

「教授は……あ~、なんと言うか、アレな人だろう?」

 

「そうですね、アレな人ですね」

 

「色々と厳しく接してくださったが、身に染みることもあったと今でも思い出すよ。そんな教授が去年に突然電話をしてきてね、弟子をこっちに寄こすから席を用意しろと言われたんだ」

 

「ん……なんというか、すみません。師匠がご迷惑をかけたみたいで」

 

「ははは、構わないさ。御恩を返すこともそうだけど、あの人が育てた君にも興味があった。予定には無かったけど、迎え入れることに反対はしなかったさ」

 

 坂柳理事長はそう言いながら僅かに苦笑いを浮かべる。きっと師匠の強引さを思い出しているのだろう。

 

「この学校にはもう慣れたかな?」

 

「そうですね。最初は戸惑うことも多かったのは間違いありませんが、友人も多くできてとても楽しんでいます」

 

「それは良かった。よい経験になることを祈っているよ」

 

 そこで坂柳理事長と俺は学校の応接室の前にまで辿り着く。扉を開く前に身だしなみを整え始めたので、こちらもそれに倣ってネクタイや髪を整えた。

 

「実を言うと、想定外のことが起こっていてね」

 

「聞きましょう」

 

「これから私たちが会う人物が護衛を連れて来ている」

 

 それが誰なのかは知らないが、護衛を付けているのだから相応の立場や権力を持っている相手なのだろう。

 

「想定外というのは……護衛がいる点ですか?」

 

「あぁ、その通りだ」

 

「別におかしな話でもないと思いますけど」

 

「そうだね、ここがその人にとって敵地であり、様々な制限がないのならばね」

 

 つまり何らかの方法で、その人物は本来ならば難しい第三者を連れて来ていると。

 

「俺を連れて来たのは荒事を想定してでしょうか?」

 

「そこまで短絡的な人ではないが、私も会うのは久しぶりなのでハッキリとしたことはわからないんだ。もしかしたらということもあるから備えたい」

 

「学生に頼むことではないと思いますよ。この学校の警備員とかの方が良いのでは?」

 

「返す言葉もないよ。けれどこの学校で最も強いのは君だからね、情けない話だが力を貸して欲しい」

 

「わかりました」

 

 そうとしか答えられなかった。後でポイントでも要求するとしよう。

 

 準備が整ったと同時に扉が開かれる。

 

「清隆?」

 

「天武、どうしてここにいるんだ?」

 

「呼ばれたんだ。坂柳理事長に」

 

 応接室に入室するとまず最初に清隆に視線が向かった。あっちも僅かに驚いた顔で見て来る。

 

 何で清隆がここにいるんだ? そんな疑問を頭の隅に追いやってから、次に視線が向かうのは彼の正面にいる二人の男性であった。

 

 ソファーに腰かけるのは中年の男である。強く鋭い視線を坂柳理事長に向けてから、俺へと滑らしてくる。

 

 訝しむような、それでいて観察するような、ほんの僅かな同情心も感じられる特殊な視線であると思った。

 

 強い意思と、覚悟、信念を宿す瞳は幾度も見たことがあるな。その堂々とした立ち振る舞いから感じ取れるのは権力者としての風格である。ソファーの背後に立つ男性はおそらく護衛だろう。

 

 僅かに、ほんの僅かにだが体幹が左に傾いている……懐に銃でも忍ばせているな。

 

 この現代日本で銃の携帯を許可される人間は少ない。つまりそれを押し通せるだけの権力を持っているか、法を無視できるだけの覚悟と意思を持った人間であるということだ。

 

「七号か……」

 

 男性はそんな呟きを零す……なるほど、この人は俺の背景や環境をある程度は把握しているらしい。

 

 

 

 

 

 

 けれどそんなことはどうでも良かった。清隆がいることも、ソファーに座る男の名前や背景も、全てを無視して師匠モードの俺が顔を出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分からそうした訳ではない。入室した瞬間に師匠モードの俺が勝手に出て来て、頭の中に師匠の教えが鳴り響く。

 

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も言われた。銃は弾かせる前に潰すのが基本と。

 

 師匠曰く、先手必勝。

 

 鼻孔を擽る鉄と整備油の匂いと、薬莢に押し込まれた火薬の匂いを感じ取った瞬間に、その微小な匂いの発生源に向かって俺は身体能力の全てを使って駆けだして、ソファーに座る中年男性の後ろに立つ護衛の男を蹴り飛ばした。

 

「ぐッ!?」

 

 突然の暴行にも慌てず反応したことから、この護衛の高い実力が垣間見えるな。咄嗟に懐に手を伸ばして銃を掴もうとした動作は何度も繰り返されたものであり、きっと慣れているのだろう。

 

 けれど遅い、蹴り飛ばされてくの字に曲がった体は大きく体幹を揺らし、銃を取り出す動作を中断させた。

 

 そして俺はネクタイを掴んで揺れる体を引き寄せ頭突きを行い、この護衛に代わって懐から銃を取り出した。マガジンを取り去り、銃身をスライドさせて装填されていた弾丸も抜き去る。この人の体を再び蹴り飛ばしながら。

 

「ふんッ」

 

 そして残った銃身を雑巾でも絞るかのように捻じ曲げれば、とりあえず脅威は去った。

 

 ぐにゃりとねじ曲がった銃を床に捨てると同時に、俺が蹴り飛ばした護衛の男性が起き上がろうとしていたので、とりあえずその顎先を蹴り飛ばす。

 

 勢い余って首を折らないように配慮したその攻撃は、護衛の男を脳震盪に追いやることになる。

 

 その段階で、師匠モードは徐々に落ち着いていくことになった。

 

 

「「「……」」」

 

「あ、すいません、ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です」

 

 後に残るのは、そんな俺を見つめる清隆と坂柳理事長と、名前のわからない男性の沈黙と視線だけである。三人ともチベットスナギツネみたいな顔になっていた。

 

 一応、言い訳をさせて欲しい。これをやったのは俺じゃなくて、師匠モードの俺である……うん、無理があるな。今度師匠モードの俺を説教しておこう。

 

「それで清隆、こちらの男性は?」

 

「……」

 

 黙ったままの清隆にそう問いかけると、彼は何とも言えない顔で悩んで見せる。珍しい表情だ。

 

 そして散々悩んだ後に、清隆は短くこう言った。

 

「父親だ、オレの」

 

「あぁ、清隆のお父上か……初めまして、俺は笹凪天武と言います。息子さんの友人です」

 

「そうか、お前が清隆の言っていた友人か。特殊戦力……いや、超人七号、噂には聞いていたが、なるほど、噂以上にアレなようだな。どいつもこいつも指折りの異常者だと言う評価は間違いではないらしい」

 

「すいません、体が勝手に動いてしまって。こんなことするつもりは無かったんです」

 

 清隆の父親にそう伝えると、とても疲れた様子で渋面を作られてしまう。俺が完全に悪いのでそんな顔をされるのも受け入れるしかなかった。

 

「月城、無事か?」

 

「うッ……ぐッ」

 

 俺が銃を取り上げた護衛の男性は月城と言うらしい。脳震盪の症状が残っているのか、返事をすることも立ち上がることも出来ないようだ。

 

 俺が悪い、けれどこの現代日本で銃を持っていたこの人も悪い……立場は互角だな。

 

「大丈夫ですよ。後遺症が残らないように配慮しましたので、すぐに起き上がれるようになるでしょう。心配ならこの後に検査入院することをお勧めします」

 

「貴様はどの立場でそんな発言をしているんだ……問答無用で襲い掛かって来たというのに、まるで他人事だな」

 

 師匠モードの俺がやったので、実際に他人事のように感じてしまうのだが、それは言っても無駄だろう。

 

「こちらに完全に非があります。心からの謝罪を」

 

 師匠曰く、謝罪は大切。

 

 なので俺は真摯に頭を下げる。事情がどうあれこちらから手を出したのは事実で、お前が悪いと言われると俺も全てを納得するしかなかった。

 

「つまり貴様は非を認めると? どう落とし前をつけるつもりだ?」

 

「必要なら後日、そちらに賠償金を支払います。ですがこの場でことを大きくしたくありません。内々で処理してお互いに見なかったことにしたいです」

 

「だからどの立場でそんな発言をしているんだ……」

 

「しかしこれは貴方にとっても悪い提案ではないと思います。もしここで問題を大きくすれば、例えば警察などを呼んで法的に処理しようとした場合、このゴツイ銃はなんなんだという話になりますから」

 

「ふぅ……だからここだけの話にしたいと?」

 

「はい。そんな訳なのでお金だけで解決したいです。それで無理ならどうしようもありません……俺に失うものなど何もありませんが、どうやら貴方にはアキレス腱が沢山あるようなので、全力で引きちぎりましょう」

 

「謝罪をしたいのか、脅したいのかどちらなんだ」

 

「……どちらかと言えば前者です」

 

「もしこちらが、それでもお前を徹底的に追い詰めると言ったらどうするつもりだ。そちらの親類縁者や友人などを巻き込んでな」

 

「あ、俺と暴力や脅し込みで対話したいのなら、せめて戦車に乗った状態でお願いします……でも、謝罪したいのは本心です」

 

「……」

 

 その気持ちに嘘偽りはない、俺が悪いのは間違いないからだ。けれどここで徹底的にやると言われれば俺も抵抗すると思う。だって銃が出て来た以上は幾らでも荒探しが出来るだろうし、戦車に乗っていない相手なんて何百人いても大差が無いと断言できる。

 

 清隆のご両親は、それはもう凄い渋面を作ってしまう。話の通じない何かと延々と話しているかのような雰囲気を感じ取れた。

 

 そして未だに倒れ伏している護衛の人、月城さんに再び声をかける。

 

「月城、立てるか?」

 

「えぇ……なん、とか」

 

「お前は足を滑らして倒れた、そうだな?」

 

「……そのようですね」

 

「ご配慮ありがとうございます。本当にすみません……以後、気を付けます」

 

「お気になさらず……私は足を滑らしただけなので。いやはや、歳はとりたくないものです。まさか学生に撫でられる日が来るとは」

 

 脳震盪の症状から回復しつつある月城さんに掌を差し出すが、この人はそれを振り払って自力で立ち上がる。良い体幹だ、よく鍛えているのがわかる。

 

「えっと、月城さん、銃もお返しします」

 

 雑巾のように絞られた銃も返す。もう使い物にならないので問題はないだろう。

 

 ぐにゃぐにゃに曲がった銃を見て月城さんはチベットスナギツネみたいな顔になってしまう。本当にごめんなさい。師匠モードの俺に馬鹿な真似はするなと言っておきます。

 

 

 

「お久しぶりです綾小路先生」

 

「坂柳。随分と懐かしい顔だな。7、8年ぶりか」

 

「父から理事長の座を引き継いで、もうそれくらいになりますか。早いものです」

 

 凄いなこの人たち……まるで何も無かったかのように話し始めたぞ。

 

 理事長は視線をソファーに座る清隆の父親から、その背後に体をふらつかせながらも立つ月城さんに向けた。

 

「よくこの学園に護衛を連れてこれましたね?」

 

「やりたくはなかったが、多少の出費を覚悟すればな……ここには七号がいることは聞いていた、最低限の備えは必要だと判断したまでだ。まぁ尤も、無駄に終わったようだがな」

 

「なるほど、そういうことでしたか」

 

 納得した様子の理事長は、今度は清隆に顔を向けた。

 

「君が綾小路先生の……確か清隆くん、だったね。初めまして」

 

「どうも。こちらの話は終わったんでオレは戻ります」

 

「あぁ少し待ってもらえるかな。綾小路先生と君、そして笹凪くんも交えて少し話がしたくてね」

 

 親子水入らず、なんて言葉がこの二人の間で成立するかどうかは知らないが、俺は完全に部外者である。何故ここにいるのかよくわからなかった。護衛も無力化できたようなものだし帰りたい。

 

「さぁ、座って」

 

 清隆と俺はソファーに座ることになる。正面に机を挟んでご両親と月城さんがいる。

 

「災難だな、お前も」

 

「清隆、それはどういう意味だい?」

 

「多分、面倒ごとに巻き込まれているぞ」

 

「まぁそれならそれで仕方がないかな。どうにかするよ」

 

 大丈夫、きっと俺よりも目の前にいる人たちの方がアキレス腱が多いだろうから。

 

 そんなことを清隆にアイコンタクトで伝えると、彼は疲れたような顔をする。その顔は少しだけご両親に似ていると思ってしまった。

 

「校長から話は伺いました。彼を退学させたいとの意向でしたね」

 

「そうだ。親がそれを希望している以上、学校側は直ちに遂行する必要がある」

 

「それに関しては、本人の意思も重要でしょう。どうかな?」

 

「退学する気は一切ありません」

 

「茶番だ。こちらが問題にしているのは別のものだ。親の許可なく入学した高校を辞めさせると言っているだけだ」

 

 清隆は親の許可なくこの学園に入ったということか。師匠に蹴り飛ばされて入学した俺とは正反対である。

 

 綾小路さんの要求に坂柳理事長は強い意思でそれを拒絶していく。ここで、はいわかりましたと言われると俺も困るのでありがたい対応であった。

 

 だって、友人に去られると寂しい気持ちになる。当たり前の感情を俺だって持っているのだ。

 

「俺はお前のやり方を否定するつもりはない。父親の意思を継ぐのもいい。だが、そうであるのならば何故清隆をこの学校に入学させた……それに、そこの七号もだ」

 

「何故、ですか。面接と試験の結果、合格に値すると判断したからですよ」

 

「はぐらかすな。この学校は一般のそれと違うことは聞き及んでいる。本来清隆は合格対象にはなりえなかった筈だ。面接や試験が飾りであることは知っている」

 

 えぇ……つまりこの学校は完全に別の基準で生徒の入学を決めているということか。

 

 そのラインは何だろうか? 何かしらがある筈なんだが。

 

「秘密裏にこの学校への推薦がなされる決まりの筈。そしてその時点で確実に合格することは決まっている。裏を返せば、推薦がなされていない生徒は如何なる存在であろうとも全て不合格にならなければおかしい……清隆とそこの七号がその剪定の中にあるはずもない。つまり不合格にならなければおかしい」

 

「確かにその通りです。ですが清隆くんと笹凪くんに関しては僕の独断で入学を許可しました。それが必要であると思ったんです……まぁ笹凪くんに関しては教授からのお願いという側面もありましたが」

 

「あの妖怪婆か……」

 

「あ~、ちょっといいですか?」

 

 いつまでも大人たちの話を黙って聞いているつもりはない。そもそも雲行きが怪しいまま流される訳にもいかないし、清隆を退学させるのも困る、静かにしている気は欠片もないぞ。

 

 綾小路さんとその月城さん、そして清隆と坂柳理事長の視線が発言した俺に集まる。

 

「えっと、改めて自己紹介を、笹凪天武と申します。以後、お見知りおきを」

 

「……」

 

 どうして綾小路さんは俺に猛獣でも見たような視線を向けるんだろうか?

 

「清隆とは同じクラスに在籍しています。よき友人であり隣人としてよき縁を築いています」

 

「勘違いはしていないか? こいつはそういった感情を持ち合わせてはいない、そちらのことも都合の良い駒としか思っていないだろう……それでも友人だと言うのか?」

 

「ん? 俺は友人に見返りを求めたことはないので、それで問題ないのでは? 清隆の内心や考えがどうであるかなど俺には関係がありませんよ。敵であろうと味方であろうと、仲間であろうと友人であろうと、最後には裏切られようと、俺にとっては重要な縁ですから……いつかどこかで死ぬ時に、繋いだ縁を思い出せれば俺はそれで満足です」

 

「……その物言い、あの妖怪婆の教え子なだけはあるな。いっそおそろしい程に純粋で単純だ。本心で言っているのがなお質が悪い」

 

「褒め言葉でしょうか?」

 

「そう受け取っても構わん」

 

「ありがとうございます……ええっとですね、俺が言いたいのは、清隆を連れ戻すのは止めて頂きたいんです」

 

「どこまで理解している?」

 

「ホワイトルーム関連の話は清隆から全て説明されました」

 

 そう伝えると綾小路さんは少し意外そうな顔をした。清隆がそういった部分を他人に話していることはこの人の中では考えられないことであったらしい。

 

「だとしたらわかっている筈だ……君が知っている情報はこちらの触れられたくない暗部だと」

 

 お前や貴様から、君に呼び方が変わったのは何か理由があるのだろうか? いや、今、考えるべきことではないか。

 

「そうみたいですね、きっと触れられたくないだろうし、知っている人間は可能な限り減らしたいであろうことも理解しています……けれど、それら全てを理解した上で言っています。彼の退学には反対です」

 

「家族の問題に他人である君が口を挟む理由は?」

 

「俺が彼の友人だからです。彼がこの学園から去るのはとても寂しい……それ以上の理由が必要でしょうか?」

 

「まるで子供の癇癪だな、あれは嫌だ、これは嫌だと」

 

「俺たちはまだ高校生ですよ、そして清隆もです……大人になるまでの、少しの期間くらいは楽しんでも許される筈だ」

 

「断ると、そう言ったら?」

 

「とても困ります……俺ではなく、きっと貴方が」

 

「傲慢だな、その言い方もあの妖怪婆らしい」

 

 その言い方、三度目だな……。

 

 

 

 

 

「次……師匠を侮辱したら俺と貴方の間で戦争を始めます」

 

 

 

 

 

 妖怪婆とこの男は何度言うつもりだ。師匠を馬鹿にされていつまでも黙っていられるほど俺は寛大ではない。俺個人なら幾らでも馬鹿にしても構わないし、子ども扱いして侮ってくれても問題はないが、師匠に関しては別だ。

 

 そこだけは、俺の名誉や誇りよりも重く価値がある。一度二度は目を瞑ろうかと思ったが、三度目ともなれば警告の一つでも挟まなければならないだろう。

 

 俺はどうでもいい。だがそこだけは超えるなと、言葉にして伝えておかなければ、いつまでも繰り返されてしまう。

 

 師匠の名誉は、俺の全てよりも優先されるのだから。

 

 積み重なった苛立ちによってか、自然と師匠モードに移行していた。鋭くなった気配を感じ取ってか綾小路さんの背後に控えていた月城さんが慌てて前に出ようとするが、それを彼は手で制して止めた。

 

「戦争か、子供が使う言葉ではないな。ちゃんと理解して言っているのだろうな」

 

「証明してみせましょうか? 今からホワイトルームに殴り込みにいきましょう。そこにいる人たちを再起不能にすれば脅しの言葉でなく手段の一つだと理解してくれますかね」

 

「そのようなことが本当に可能だと思っているのか?」

 

「何を言っているんだ貴方は。出来る出来ない、可能か不可能かの次元の話は最初から議論していない……俺はそれをやるから、貴方は持ちうる全てでそれを阻止する、後はどちらが最後に立っているかの話をしている」

 

「本当によく似ている……そこにある秩序とバランスを無視して我を押し通そうとする、押し通せるだけの力を持っている。ある意味、最も俺が苦手とする存在だ」

 

「師匠の名誉は、俺の全てよりも重い……侮辱するのは止めていただきたい」

 

 別にこの人だけの話ではない、坂柳理事長だろうが他の誰かであろうが、そこだけは譲れない一線だ。

 

「綾小路さん、貴方にも触れられたくない場所、譲れない部分はある筈だ。俺にとっての師匠がそれです……そこを踏みにじられたのならば、後は戦争をするしかない。違いますか?」

 

 子供とか大人とかそういう話は関係が無い、意味も無い、これは一人の人間としての名誉と信念の話だ。

 

 綾小路さんは俺の瞳を覗き込むように見つめて数秒ほど思案する。そして最後には疲れたような溜息を吐いてこう言った。

 

「なるほど、噂以上だ……はぁ、良いだろう。こちらの言葉が過ぎた、笹凪木久利姫を侮辱する言葉を撤回しよう」

 

「ありがとうございます……ついでに清隆の退学も思い留まってはくれませんか?」

 

 すると綾小路さんは返答をすぐにはせず、思案する様子を見せる。清隆同様に何を考えているのかわかり辛い人なので、観察していても内心が読み取れない。

 

 時間にして数秒ほど、考え込んだ後に綾小路さんはこう言った。

 

「それは無理だ。君が先程言った言葉を返そう……譲れない部分はある」

 

 少し、違和感を覚えるな。誤魔化している……いや違うな、本音や内心を上手く隠そうとしている? それとも別に思惑があるのか?

 

 よくわからないな、こういう人の内心は覗きにくい。

 

「なるほど、確かにそう言われてしまうと、俺は何も言い返せません。名誉と信念は尊重するものですから……しかし、退学にしろと言われて、はいそうですかと受け入れる筈もありません。清隆もそうだろう?」

 

「その通りだ」

 

 黙ってことの成り行きを見守っていた彼に話を振ると、当然だとばかりに頷かれる。

 

「坂柳理事長もそうですよね? 少なくとも学校側には生徒を監督して守る義務がある筈です」

 

 あるのか? この学校はかなりあれだけど、その辺の一線は超えてはいない筈だと思いたい。

 

「そうだね、少なくとも保護者の一方的な事情だけで決めたりはしないよ」

 

「ならばここでの議論にどれだけの意味がありますかね? 綾小路さんは清隆を退学させたい、我々はそれを阻止したい……この話はいつまでも終わりません。どこまで行っても平行線で、そして無意味で非生産的な時間です」

 

「確かに、坂柳が頷かない以上はそうだろう。これ以上の議論は無意味だ」

 

「綾小路先生、何をなさるおつもりです? あまり手荒な真似をされますと……」

 

「七号をこの場に連れて来たお前がそれを言うのか……安心しろ、何らかの圧力をかけるつもりは毛頭ない。だが、学校のルールを元に清隆が退学する分には問題が生まれる筈もない」

 

 つまり圧力はかけないが裏工作はするということだ。そしてそれを跳ね除けることは難しい。

 

「えぇ、それは約束します。先生の息子さんだからと特別扱いは致しません」

 

「なら話は終わったようだ。これで失礼する」

 

 綾小路さんはそこでソファーから立ち上がった。そして俺を見つめて来る。

 

 複雑な表情だ。色々な感情が見え隠れしていた。それでもそれらを完全に前に出さないのは見事と言うしかない。

 

 俺を見つめるのは、苦労も後悔も挫折も全てを力に変えて進んで行ける、そんな男の瞳であった。

 

「超人七号、せっかくだから聞いておこう。君にはホワイトルームがどのように映る?」

 

「俺が知っているその場所は清隆から聞いただけの情報しかないので、現時点では善悪も上下も左右も功罪も語れません……ですので、いつかどこかで機会があれば見学したいと思っています」

 

 もしかしたらその前に殴り込みにいく展開もあるかもしれないが、今はまだ興味の方が強い。

 

「ホワイトルームが正しいか否か……きっとそれを決めるのは百年先の未来でしょうから、その時まで長生きします」

 

「ふむ、まぁ良いだろう。短絡的に結論を出さない所は評価する」

 

「あ、でも、忠告があります……いえ、アドバイスですね」

 

「それはなんだ?」

 

「清隆が言うには、ホワイトルームは食事がクソ不味いそうです。改善なされた方が良いと愚考します。栄養学も良いけど、美味しいも重要ですよ。食育という言葉もあるくらいなんですから」

 

「検討しておこう」

 

「それともう一つ」

 

「なんだ」

 

「清隆にはいつも助けて貰っています。ここで彼と出会えたことを、俺は嬉しく思っています。お父上にも感謝を」

 

「それは皮肉か?」

 

「いいえ、本心です。俺はこの学校に来るまで友人は一人もいなかったので……とても嬉しいんです」

 

「そうか、これからも励むと良い」

 

 特に何か思う所があった訳ではなく、内心を悟らせない鉄仮面を維持したまま、綾小路さんは若干ふら付いている月城さんと一緒に部屋を出ていく。

 

「強い人だな」

 

「あの男がか?」

 

 清隆の言葉に頷きを返す。

 

「あぁ、意思と信念を曲がらない武器にできる人は少ない……そしてそういった人は、どんな時でも立ち止まることもなく進んで行ける」

 

 善人ではないだろうけど、強者であることは間違いない。どれだけ才能に優れていても、それを持ち合わせていない人も多いからだ。

 

「確かに……そうかもしれないな」

 

「これから楽しみだね、きっとあの人は色々と手を伸ばしてくるよ」

 

 その複雑な内心の全てを見通すことはできなかったけど、あの人はあの人の目的の為にこれからも進んで行く筈だ。清隆に何を求めているのかもまだハッキリしない。

 

 綾小路さんが目指すゴールは、まだまだ不透明だ。

 

「そう言えるのはお前だけだ」

 

 清隆は俺を呆れたような顔で見て来る。そんな表情を眺めていると随分と表情豊かになったと思う。

 

 良い顔だ、無表情よりもずっと人間らしい。ご両親にも見せてあげた方が良い。

 

「それと清隆、君にも言っておくことがある」

 

「なんだ?」

 

「あまりこっちに遠慮する必要はないよ。俺と君は友人であり相棒だ」

 

「……」

 

 そう伝えると彼は少しだけ考え込む。そして納得したように頷いてからこう言った。

 

「そうだな。これからはそうしよう……立ち塞がる何もかもを排除するぞ、二人でな」

 

「あぁ、それで良い」

 

 うん、その言葉が聞きたかった。

 

 

 

 

 

 

 



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片付けなければならない問題

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふー、相変わらず先生がいると場がピリピリするね。君たちも苦労するんじゃないかな?」

 

「いえ別に」

 

「師匠に比べたらペンギンみたいで可愛いです」

 

「そ、そうか……」

 

 もしかしたら今のは坂柳理事長なりに場を和ませようとしたのだろうか? だとしたらもっと気の利いた返事をするべきだったのかもしれない。

 

「坂柳理事長、答えられる範囲でいいんですが、先程あの男が――父親が言っていたことで気になったことがあります」

 

「ひょっとして、君が入学に至った話のことかな?」

 

「そうです」

 

「うん。綾小路先生の言う通りさ。この学校は全国の中学生に対して、こちらが事前に調査をして当校に所属するに値すると判断した生徒にだけ入学を認める。毎年各中学校の管理者と連携して取り組んでいるんだ」

 

「それでは、この学校に推薦が出た時点で、もしかして入学は確定していると言うことですか?」

 

 俺の疑問に理事長は大きく頷く。なんてこった、じゃあテストも面接も全部飾りでしかないってことになる。結構頑張ったつもりだったんだけどな。

 

「ただ君たち二人の場合はそういった推薦も無かったから、僕の独断ということになってしまうけどね」

 

「確かに、俺は中学はおろか小学校も通っていなかったので、推薦なんて貰える筈もありませんよね」

 

 つまり完全完璧にコネ入学ということになる。喜ぶべきか悲しむべきかよくわからないな。

 

「いつか君たちにもわかってくる。僕らが目指す育成方針がどんなもので、どんな効果を生み出していくのか」

 

「教育の良し悪しは俺にはわかりません」

 

「笹凪くんはずっと教授の教えを受けていたから、一般的な教育というものに触れる機会も無かったのかな」

 

 おそらくそれは清隆も同じ筈だが、彼の場合は極めて高度であるが常識的に収まる範囲の教育であった筈だ。少なくとも師匠に比べればまだ科学的だったと思う。

 

「せっかくだから聞いておこう。教授からどんな教えを受けていたんだい?」

 

 坂柳理事長がそう訊いてくると、清隆も興味を引かれたのか意識と姿勢をこちらに向けて来る。

 

「師匠は言っていました……教育とは改造だと。そして成長とは改造で、鍛錬とは改造で、人生とは改造で、勉強とは改造で、改造で改造で改造で改造だと……生と死すらも、改造らしいです」

 

「そ、そうか……大変だったね」

 

「ホワイトルームとはまた違う方向性だな。興味深くはある」

 

 清隆が興味を持っちゃったよ……やめとけ、あの人の改造は冗談でも誇張でもないから。

 

「何度もドンパチ現場には連れていかれるし、ゴリラや熊と戦わされるし、ジャングルに一カ月近く放置されて、山から突き落とされて、バカみたいに重たい仁王像を背負いながら三日三晩走らされるわで……この世の地獄を舐め尽くしてもまだ足りないって言われるような生活でした」

 

「お、おぅ……苦労したんだな」

 

「ん~、昔から容赦のない人だったけど。お弟子さんにはなお厳しく接していたようだね」

 

 清隆と理事長から向けられるのは同情的な視線である。

 

「ですがまぁ、そんな師匠を俺は尊敬しています。俺に生き方の全てを教えてくれましたので」

 

 改造だって慣れてくればどうということもない。日常の延長である。骨も筋肉も内臓も日に日に頑丈になっていったからな。もしかしたら俺もいつか師匠みたいに老いが遅くなるのかもしれない。そうなるにはまだまだ鍛えないといけないだろうけど。

 

「けれど師匠はこうも言っていました。お前に足りないものをここで学んで来いと」

 

「うん。この学園が君と、そして清隆くんにとって様々な学びの場となることを祈っているよ」

 

 最後に坂柳理事長はそう言って微笑んだ。こうして予期せぬ会談は終わることになるのだった。

 

 俺と清隆は応接室を出て日常へと帰ることになる。色々と濃い人たちだったと思い返しながらようやく一息つけることになった。

 

「君のお父さん、濃かったね」

 

「それはそうだが……あっちもお前にだけは言われたくないだろう」

 

「あはは、かもしれないね。いや、俺もね、あんなことをするつもりは無かったんだけど、ついね」

 

 本当にやらかしたと思っている。しかも師匠モードの俺がやったことだからどこか他人事に感じてしまうのだから、とても質が悪い。最悪とさえ言っても良いだろう。

 

「まあやってしまったことは仕方がない。反省しつつ次に活かすとしよう」

 

 とりあえず師匠モードの俺に説教だな。今も頭の片隅で、今日の授業とこれまで学んだ十五年分の学びと記憶を思い出して予習復習をしている憎らしいあの野郎にお灸をすえなければならない。

 

「今からグループと合流するかい?」

 

「いや、もう解散してるみたいだぞ、今日は寒いからな」

 

「なら久しぶりにラーメンでも食べに行こうか?」

 

「それも良いかもな……そうだ、さっきあの男が言っていたことで気になったことがある。超人七号ってなんだ?」

 

「え、あ~……なんて言えば良いんだろうな。確か国が定めた基準みたいなものがあってね。国家、社会、経済、法、秩序や国民に甚大な被害を与えると思われる個人を超人って言うらしいよ」

 

「そんな連中がいるのか。七号ということは、他にも六人いるのか?」

 

「いや、確か二十人位いたと思う。俺も全員は知らないけど」

 

「天武みたいなのが二十人もいるのか、どうなってるんだこの国は……」

 

 戦慄したかのようにそう呟く清隆だが、彼もその内認定されてもおかしくないと思う。それこそホワイトルームで学んだ知識でなんやかんやして脅威と国に判断されれば一発だ。

 

 そんなことを話しながら廊下を歩いていると、壁に背中を預けて手を組んだ状態の茶柱先生が視界に入って来る。もしかして清隆を待っていたんだろうか。

 

「父親との対面はどうだった?」

 

 僅かに煙草の匂いを漂わせている茶柱先生はそう問いかける。最近は僅かに穏やかな表情を見せることも多かった人だが、今は五月頃の冷たく鋭い雰囲気を前面に出していた。

 

 珍しく緊張している様子も見える。この人もあまり内心を覗かせない人で、観察するのが難しいのだが、今は綻びが多く見えるな。それだけ動揺しているのかもしれない。

 

「下手な探りを入れても無駄ですよ。もう全て理解しました」

 

「……理解した、とは?」

 

「茶柱先生。貴女がオレに言ったことは殆どが嘘だった、ということですよ」

 

 そう言えば、清隆は茶柱先生に脅されていたんだったな。

 

「あの男は茶柱先生に接触などしていない。当然、退学にするよう迫ってもいない」

 

「いいや、お前の父親は私に協力を求めて来た。事実、私がお前に教えたように退学を迫ってきた筈だ」

 

「もう化かし合いも結構ですよ……それに、今更その行動に言うべきことはありません。色々と納得できないこともありましたが、得るものも多かったので」

 

 そこで清隆は俺に視線を向けて来る。確かにもし茶柱先生が清隆を脅さなかった場合、彼は俺とあの夜の手合わせに至らなかったかもしれないな。

 

 そう考えると俺も茶柱先生に感謝した方が良いのかもしれない……いや、それは駄目だな。教師として考えうる限り最悪の手段だろうから。

 

「茶柱先生、俺からも一つ良いですか?」

 

「なんだ?」

 

「どうして清隆を脅してまでAクラスに上がりたいんでしょうか。単純に教師としての評価の為なのか、それとも別の思惑があったりします?」

 

「もしあったとして、お前たちに説明する必要がどこにあるというんだ」

 

「いや、あるでしょう、清隆を脅してるんですから。何の説明もなく納得しろだなんて、どうかと思いますよ」

 

 説得ではなく脅迫なので説明する意味もないのかもしれないが。

 

「まぁ、話したくないというのなら構いませんけどね……けれど、これだけは言わせてください。生徒を脅すのは止めた方が良いですよ」

 

「……」

 

 黙ったままの茶柱先生に、これだけは言っておかなければならない。

 

「わざわざ脅さなくても、素直にAクラスを目指したいから協力してくれって言えば良かったんです。脅して弱みを握って、この学校に染まり過ぎです」

 

「そうだな、天武の言う通りだ。教師のやることじゃない」

 

 清隆もここぞとばかりに合わせて来る。どうやら内心ではこき使われることに不満があったらしい。当たり前のことではあるけど。

 

「それでどうする、今更協力しろと言って、お前たちは素直に力を振るうのか?」

 

「はい、もちろんです」

 

「いやに素直だな」

 

「茶柱先生がひねくれてるだけですって。安心してください、少なくとも俺はこれからもAクラスを目指すことに全力を尽くしますので。清隆はどうする?」

 

「あの男と茶柱先生の関係が嘘だとわかったんだ。従う理由はなくなったな……それに天武や堀北もいる、オレがいなくても勝手にAクラスに上がると思う」

 

「そうか、ならこれからは俺を助けてくれ」

 

「うん?」

 

「茶柱先生に脅されたからじゃなくて、俺の力になってくれ」

 

 嫌々、仕方なくではなく、これから先は自分の意思で戦って欲しい。そんな願いを込めてそう伝えると、清隆は僅かに考えてから納得したように頷く。

 

「わかった……別に丸投げするつもりはない。それも良いかもしれないな」

 

「だそうですよ茶柱先生、お願いなんてこんな感じで良いんですって」

 

 別にこれは皮肉で言っている訳ではない。変に遠回りして脅しとか弱みとかそういう考えに染まり切っているこの人の目を覚ましたかっただけである。

 

「安心してください、必ずAクラスに上がりますから。俺の矜持の全てで何もかもを引きずり回してね」

 

 そう伝えると茶柱先生はどこか遠くを見るような瞳となった。何かを思い出すような、それでいてもう届かないものを眺めるかのような視線だ。

 

 当たり前のことだけど、この人だって色々な経験をしてこの場所にいるということだろう。いつかその心の内を語ってくれる日が来るのだろうか、今の俺にはわからない。

 

「そうか、わかった。その意思があるのなら何も言うまい。これからも期待している」

 

 どんな思いや考えが彼女の中を去来したのかはわからなかったが、最終的にはいつもの鋭い顔つきに戻ってそう言うのだった。

 

 去っていく茶柱先生を見送って、廊下に取り残された俺と清隆は反対側に歩き出す。

 

「ラーメン食べに行くか……後、相談したいこともあってさ」

 

「堀北のことか?」

 

「どうしてわかったんだい?」

 

「ここ最近は露骨に機嫌が悪かったからな。隣の席からの圧力も凄いんだ、正直、さっさと解決して欲しい」

 

 廊下を歩きながら校舎の玄関を目指す途中で話すのはそんな内容だった。

 

 そう、俺には今、とても大きくて深刻な悩みがあるのだ。

 

 

 その名も、堀北鈴音さんブチギレ問題である。

 

 

 実はここ最近、鈴音さんの機嫌がとても悪い。それはもう最悪だ。しかも俺にだけ刺々しい。暫く見なかったハリネズミモードをクラスで俺にだけ向けて来るようになったのだ。

 

 悲しいね……確かにさ、褒める約束をしたのに、それを放り出して櫛田さんをデートに誘ったことは悪かったと思うよ? けれどそこまで怒らなくてもいいじゃないか……なんてことを彼女に伝えたらそれはもうブチギレられてしまった。

 

 そんなに褒められたかったのかと気が付いた頃にはもう遅い。俺と鈴音さんとの間には無数の針が立ち塞がっていたのだ。

 

 ハリネズミモードの鈴音さんも可愛いから好きなんだけど。多分、これを言ったらまた怒られるのでそこは自重している。

 

「俺は、何を間違ったと思う?」

 

「敢えて言うのならば、全てだろうな」

 

「そうか。けれど桔梗さんとは友達になることができたんだから±ゼロかもしれない」

 

「……お前は一度殴られた方が良いかもしれないな」

 

 まさか清隆からそんなことを言われる日が来るとはね。

 

「どうすれば鈴音さんは許してくれるのやら……」

 

「変に拗れる前にしっかり機嫌を取っておけ」

 

「その方法をまさに知りたいのさ」

 

 そんな会話をしながら下駄箱で靴を履き替えていると、俺たちの隣をスマホを耳に当てた状態で会話をしながら歩く一人の女子生徒が通り抜ける。

 

 僅かな甘い匂いは最近になってよく鼻孔を擽るようになったものだ。

 

「調子に乗ってるなぁ、雅のヤツ。にしても堀北生徒会長も使えないって言うか、雅を止めてくれるって期待してたのに。これじゃあゴリラくんに殴らせるしかないじゃん、雅の頭が吹っ飛んじゃうよ」

 

 通話を終えたスマホを耳から離して溜息交じりにそんなことを呟く女子生徒は、そちらに気を取られていたからなのか、足を引っ掛けてしまい体幹を大きく揺らしてしまった。

 

「危ないですよ、朝比奈先輩」

 

 そして俺は転びそうになっていた女子生徒、朝比奈先輩の肩を掴んで転倒を阻止した。

 

「ととッ……ごめんね、そしてありがと」

 

「いえ、お気をつけて」

 

「あ、もしかして今から帰り?」

 

「えぇ、友人とラーメンでも食べに行こうかと」

 

 朝比奈先輩は俺と清隆を見て納得した様子を見せる。

 

「これ、落ちてました」

 

 そして清隆は朝比奈先輩が倒れそうになった時に落としてしまったお守りを拾い上げて彼女に手渡した。

 

「恥ずかしい所見せちゃったな。でも良かった、無くしてたかもしれないし、ありがと」

 

 少し照れながら笑った朝比奈先輩はお礼を言ってそのまま寮へと帰っていく。俺たちはケヤキモールに行くので方向は正反対だ。

 

「さっきの、上級生のようだが、知り合いなのか?」

 

「スパイだ」

 

「そう言えば、上級生にもスパイを作っているんだったな。買収したのか」

 

「いや、向こうから接触してきたんだよ。買収した方のスパイは別にいる。情報は色々な方向から集めた方が良いからね」

 

「向こうから……お前が大量のポイントを持ってることを嗅ぎつけた訳か」

 

「その辺も理由の一つではあるんだろうけど、別の理由もあるようでね。二年の南雲って人、知ってるだろ、生徒会長の」

 

「あぁ」

 

「痴話喧嘩なのか嫉妬なのか、それとも良心からなのか知らないけど、その人を止めたいらしくて情報を流して貰ってるんだ。南雲先輩に関しては、どうせ絡んで来るだろうから今の内に外堀を埋めておきたくてね、嫌がらせが本格的になったら早めに対処もしたい……まぁ南雲先輩の指示で動いてる可能性もあるから、あんまり信用はできないんだけどさ」

 

「オレは詳しくは知らないが、危険な相手のようだな」

 

「危険、なのかな? 大勢の退学者を出してるみたいだけど……まだ清隆のお父さんの方が怖いと思うよ」

 

 だってあの人、指示一つで人も殺せるような人で、それを行うことに迷いがないタイプの人間だ。それに比べたら高校生なんて大した恐ろしさじゃないだろう。

 

 軍事衛星を乗っ取るハッカーとか、気に入らない相手を射殺する自衛官とか、滅茶苦茶狂信的な信者を大量生産する人よりもずっと南雲先輩は優しくて穏やかだ。

 

「まあ何であれ、立ち塞がって来るのなら相手をするさ」

 

 きっといい経験になるだろう。敵だろうと味方だろうと、俺にとっては大切な縁を結べる誰かは尊く思える。

 

「そんな訳で清隆には、俺が南雲先輩と戦っている時に、後ろから心臓を突き刺して欲しい。アキレス腱でも良いよ」

 

「なら、しっかりと場を整えないとな……そもそも、そんな状況になるのか?」

 

「さぁ、もしかしたらその前に退学爆弾で吹き飛ぶかもしれないね」

 

 以前、清隆と話していたクラス移動させてすぐに退学してクラスポイントをマイナスさせてから復学するという、ポイントに物を言わせた理不尽爆弾の実験に使っても良いかもしれない……滅茶苦茶恨まれるだろうけど。

 

 24億を集めると決めた時点で、同学年にその手段を行使する必要が無くなったから、やるなら二年生か三年生なんだよね。実際に可能かどうかの確認も含めた実験でもあるからな。

 

 南雲先輩は学年全体を支配しているって話だけど、全ての生徒がはいわかりましたと従っている訳でもない。退学爆弾を抱えて突っ込む人員も探せばいるだろう。

 

 ただ俺にだって良心はあるので、こっちから仕掛けることはない。けれど向こうから来るのなら話は別だ。俺は俺の友人を守る為にあらゆる手段を用意して実行しなければならない。

 

 南雲先輩をぶん殴って黙らせることになるか、それとも清隆がアキレス腱を後ろから突くことになるのか、あるいは退学爆弾で吹き飛ぶのか、もしかしたらスパイに刺されるのか、どんな展開になるにせよ手を抜く訳にはいかないな。

 

 まぁ今はまだ堀北先輩に夢中みたいなので心配する意味はないか、寧ろ注意すべきなのは龍園の方だろう。

 

 そしてその龍園や南雲先輩よりも、更に手強いと思われるハリネズミモードの鈴音さんとも戦わなくてはいけない。

 

 うん、前途多難だな。

 

 

 

 

 



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師匠曰く、ご機嫌取りは大切

 

 

 

 

 

 

 ここ最近……いや、桔梗さんをデートに誘ったあの時から鈴音さんの機嫌がとても悪い。どれくらい悪いかと言うと、朝に挨拶してもツンとした表情で視線を逸らされるくらいだ。

 

 最初はそんな程度のもので、暫く時間を置けば機嫌も直るだろうと思っていたのだが、ここに油を注いだのが桔梗さんである。

 

「ねぇ天武くん、放課後って暇かな? 良ければ一緒に遊びにいかない?」

 

 ある日の放課後、右後ろから鈴音さんの不機嫌オーラを感じ取る一日を乗り越えて、ようやく開放的な時間がやってくると思っていると、桔梗さんがそんな誘いをかけてきた。

 

 俺と彼女は友人であり、ストレス解消に付き合うと約束もしているので、別におかしなことでもない。けれどここ最近はその頻度が多くなったと思う。

 

「ごめんね桔梗さん、嬉しい誘いだけどこの後はちょっと用事があるんだ」

 

「そっかぁ、じゃあまた今度だね……待ってるよ」

 

 彼女は残念そうにそう言ってから、俺の耳に口元を近づけてそう囁く。良い匂いがするしドキッとするから止めて欲しい……いや、嬉しくはあるんだけども。

 

 こんな風に桔梗さんとの距離が近くなった半面、鈴音さんの機嫌は悪くなるばかりである。

 

「ふふッ……またデートしようね」

 

 そして桔梗さんは距離を取ってから、俺の右後ろの席にいる鈴音さんに流し目を向けてそう言うのだった。

 

 すると鈴音さんの機嫌がまた悪くなる。ここ最近はずっとこんなやり取りが続いているのだ。

 

 バキッと何かが壊れる音が聞こえたかと思えば、鈴音さんが持っていたシャーペンが折れてしまっていた……恐ろしい。

 

 誇らしげに、そして何故か勝ち誇ったかのような顔で上機嫌に去っていく桔梗さんを見送った後、俺も席から立ち上がってどうしたものかと悩む。

 

 後ろの席にいる清隆はシャーペンを握り潰した鈴音さんを怖がっており、俺に「さっさとしろ」と視線で訴えかけてから、鞄を持って素早く教室を出ていく……逃げやがったな。

 

「え~っと、鈴音さん、これから暇かな?」

 

「……」

 

 机の上に広げられていた教科書や筆記用具を片付けている鈴音さんにそう声をかけると、彼女は一瞬だけピタッと体を止めてから、しかしすぐに無視して動き出す。やや強引に鞄に荷物を詰めてから席を立ちあがってしまったのだ。

 

「……」

 

 そして何とも言えない表情で俺を見つめて来る。無言のまま。

 

「な、何か喋って欲しいな……」

 

「……」

 

 う~ん、頑なだ。それでも完全に無視して立ち去らない辺り、まだ希望があるのかもしれない。

 

「そ、そう言えばさ。まだ褒めれてないよね、俺……ほら、テストで桔梗さんに勝ったから、ちゃんと褒めないとダメだよね。頑張った人にはご褒美が必要だと思うんだ」

 

「……桔梗さん? 何故、名前呼びになっているのかしら?」

 

 ようやく喋ってくれたかと思ったら、気になった所はそこらしい。

 

「俺と彼女は友人になれたからね」

 

「そう……随分と親しくなったみたいね。今日も誘われて……軽薄だこと」

 

 ダメだ、四月頃の鈴音さんが帰って来てしまった。しかもあの頃よりずっとハリネズミモードが鋭くなってしまっている。

 

 冷たくて鋭い視線を向けて来る鈴音さんは、鞄を肩にかけて教室を出て行こうとするので。俺は小間使いのようにその背中に付いていくことになった。

 

「す、鈴音さん?」

 

「なにかしら」

 

「機嫌を直して欲しいなって……」

 

「貴方は何を言っているの、私は別に機嫌が悪い訳ではないわ」

 

 それって怒ってる時の常套句じゃないか……。

 

 ダメだな、この調子だといつまでも鈴音さんはハリネズミモードを解いてくれない。それはあまりにも寂しすぎる。

 

 ムスッとした顔のまま下駄箱で靴を履き替える鈴音さんを見ていると、もしかしたらこのまま疎遠になってしまうのではないかと不安になってしまう。

 

 どうしようもないので、どうやら俺も切り札を出す時が来たらしい。

 

「鈴音」

 

「ッ!?」

 

 必殺、師匠モードの俺に丸投げだ。

 

 そしてこの状態だと鈴音さんは大好きなお兄さんの雰囲気や面影を重ねることはもう知っている。突くならばやはりこの隙だろう。

 

 効果はやはり覿面で、靴を履き替えて歩き出そうとした鈴音さんは足を引っ掛けられたかのように面白く揺れ動いた。

 

 それでも鈴音さんは完全には陥落した様子はない……なるほど、師匠モードでお兄さん風の雰囲気を出してもこの程度とは、彼女の不機嫌はそれだけ強いのかもしれない。

 

 だがここで手を緩める訳にはいかないだろう。師匠曰く、追撃は大切。

 

「鈴音、俺に謝罪をさせてくれ……お前に許して欲しいんだ」

 

「くッ……」

 

 苦し気な声を上げる。どうやらこちらの攻撃に翻弄されているようだ。

 

「そうだな、こちらも悪いとは思っているんだ……お前が機嫌を直してくれるのなら、何でもしよう」

 

「えッ……な、なんでも?」

 

 そこで彼女は通学路の途中で振り返って、驚きながらそう言う。こちらの譲歩と謝罪の気持ちはしっかりと伝わったらしい。

 

「ああ、何でもだ。俺はお前に許して欲しい……このまま疎遠になるのは寂しいからな」

 

「そう……そうね。そこまで言うのなら、考えてあげなくもないわよ」

 

「よし、そちらの要求を聞こう」

 

「……付いてきなさい」

 

 こうして対話が成立して譲歩を引き出せたことは前進と言えるだろう。このまま油断することなく推し進めて彼女と仲良くなるしかない。

 

 鈴音さんに付いていって案内されたのは、寮にある彼女の部屋である……女性の部屋に通される日が来るとは、ただこんな時じゃなくてもっと甘い雰囲気の時が良かったな。

 

 寮では上階と下階で男女にわかれており、男子が女子の階に行くのは基本的に推奨されることではない。確か時間によっては罰則があった筈だが、今はまだ放課後になったばかりなので問題はないだろう。

 

 さて何をやらされるのかと戦々恐々としながら鈴音の部屋に入る。

 

 彼女の部屋の印象は、うん、凄く鈴音らしい部屋だった。

 

 無駄な物は無く余計な飾りもない。そして清潔で乱れが無い。機能性を追求した雰囲気である。俺の中にある女子生徒の部屋の印象はもっと小物が多くて可愛らしい色合いが目立つものであったが、これはこれで良いと思う。

 

 僅かに甘い匂いを感じ取る。なんてことを考えてしまうのは変態っぽいので思考の中から蹴り飛ばした。

 

「座って頂戴」

 

 女の子の部屋にいる事実に慣れない感覚を覚えていると、鈴音は勉強机の椅子を引いて、俺に座るように進められる。

 

「それで、鈴音は俺に何をさせたい?」

 

「少し待っていて、用意するから」

 

 彼女はこの状況に少しだけソワソワした様子であり、もしかしたら俺以上に緊張しているのかもしれない。まぁ部屋に異性がいればどうしたってそうもなるだろう。

 

 勉強机の引き出しに手をかけて、中から取り出したのは眼鏡ケースである。

 

「お前は眼鏡を使うのか?」

 

「いいえ、これは視力補正の物じゃなくて、パソコン用の眼鏡よ」

 

「あぁ、ブルーライトカットとかそういう奴か……」

 

 勉強机の上にはノートパソコンも置かれているので、使用することも多い筈だ。

 

「これをかけて」

 

「俺が?」

 

「えぇ、許して欲しいのなら早くしなさい」

 

 そう言われると何も言い返せないので、差し出された眼鏡を装着する。

 

「髪も少し弄るわよ」

 

 次に彼女が取り出したのは櫛、有無を言わせずにそのまま髪を弄られることになった。

 

「天武くんの髪って柔らかくて艶があるのね……ふふ、なんだか女子みたいな髪質をしているわ」

 

 椅子に座るこちらの背後に回って櫛で整髪されていく様子は、もしかしたら人形遊びに見えるのかもしれない。或いは散髪屋だろうか。

 

 彼女は何をしたいんだろうか? 俺に眼鏡をかけさせて、髪型を変えさせて、なにやら鼻歌を奏でているので上機嫌なのはわかるのだが……。

 

 そこでふと、視線が机の上にある写真立てに移る。中学の入学式の写真だろうか、お兄さんである堀北学先輩とのツーショットだ。

 

 あぁ、なるほど、彼女の思惑が何となく理解できた。

 

 つまり彼女は俺にお兄さんのコスプレをさせたいのだろう。ブラコンもここに極まれりだ。

 

 だがまぁ、これで機嫌が直るのなら甘んじて受け入れるべきだ。

 

 鼻歌を奏でる鈴音さんはとても楽しそうではあるし、桔梗さんではないがストレスを溜めさせるのも悪い気もするから、良い機会なのかもしれない。

 

「よし、これで良いわね」

 

 眼鏡をかけて、髪型もお兄さん風に整えられて、鈴音さんはどこかハラハラしながら正面に戻って来る。

 

 緊張と、照れと、興奮と、強い願望が入り混じった表情は、なんというか妖艶ですらあった。鈴音さんはもしかしたらコスプレ趣味でもあるのだろうか。

 

 お兄さん風に褒められるだけでなく、お兄さんのコスプレまでさせるとか……この子は本当にあの鈴音さんか? なんだかここまで来ると驚きを通り越して心配にすらなってくるな。

 

 堀北学さん、貴方はとんでもない怪物を生み出してしまったのかもしれない。

 

 鈴音さんは眼鏡をかけて髪型を変えた俺を見つめながらモジモジとその時を待っている。頬を赤くして可愛いと思うのだがとても複雑な気持ちになってくるんだよね。

 

 それでも断れない、俺は彼女に嫌われたくないのだから。

 

「さぁ褒めなさい、できるだけ労わるように」

 

 う~ん……やらなきゃダメだよな。俺が悪いんだ、ここは覚悟を決めよう。

 

「鈴音、よくやった……お前は俺の誇りだ」

 

「……」

 

 精一杯お兄さんの雰囲気を真似しながらそう伝える。これで彼女も機嫌が直るだろうと思いながらだ。しかし思っていたような反応はなく、それどころか鈴音さんは難しそうな顔をしながら首を捻るだけである。

 

 これは、どういう反応だ? 彼女にもよくわかっていないようだが。

 

「おかしいわね……思っていたよりも、響かないわ」

 

 顎に指を当てて深く考え込む様子は、まるでテストの問題がわからないかのようにも思える。どれだけ計算してもゴールまで辿り着けないような感覚なのかもしれない。

 

 いや、それはオレも同じだ。鈴音さんが何を考えているのかよくわからない。

 

「もっとこう……来るものがあると思っていたのだけど」

 

「更にお兄さんっぽくやってみようか?」

 

「……いいえ、きっと幾らやっても無駄よ。おそらくね」

 

「いや、それは困る。俺は君と仲直りしたいんだから」

 

「そ、そう……そこまで言うのなら考えてあげなくもないけど、ちゃんと反省しているのよね?」

 

 正直を言わせて貰えば、鈴音さんがどうしてここまで怒っているのかイマイチわかってなかったりする。褒めるのを後回しにしただけなのに、ちょっと大袈裟だとさえ思っている……言葉にはしないけど。

 

「もちろんだ。俺はとても反省している」

 

 眼鏡越しに彼女を見つめて真摯にそう伝えると、彼女はようやくハリネズミモードを解除してくれた。

 

「いいわ、そこまで言うのなら許してあげる」

 

 ようやく機嫌を直してくれたか、本当に良かった。

 

 装着していた眼鏡を外してお兄さん風に整えられていた髪型も慣れないので元に戻す。そこでようやく肩が軽くなったような気がする。

 

「ありがとう、鈴音」

 

 そして改めてそう伝えると、先程とは大きく異なる反応を見せた。

 

「ッ!? ち、ちょっと良いかしら、今のをもう一度お願いできる?」

 

「え、まぁ構わないが……ありがとう、鈴音」

 

 しっかりと思いを込めて感謝の言葉を繰り返すと。目の前にいる鈴音さんは照れたように視線を逸らす。さっきまでと大きく異なる反応である。

 

「変ね、眼鏡をかけていないのに凄く来るものがあるわね……どうしてかしら」

 

「そ、そうか……」

 

「兄さんの装いに近づけて褒められればとても満たされると思っていたのだけれど、そう簡単にはいかないわね。考えてみれば当たり前のことだけど、天武くんは兄さんじゃないのだから」

 

「そこに気が付いてくれてとても嬉しいよ。これからは俺が代わりにならずとも、実際にお兄さんに褒めてもらえるように努力すればいいさ」

 

「それはそれで……なんだか物足りない気分になるから嫌よ」

 

 お兄さん風の恰好で褒めるよりも、そこまで飾らない方が彼女の好みということだろうか? 以前はそんなことも無かった筈なのだが。

 

 俺が返した眼鏡を手に持って難しそうに考え込んでいる様子は、いつもの鈴音さんに戻っておりハリネズミの気配が無くなっているので、ようやく機嫌を直してくれたらしい。

 

 それなら俺は何でもよかった。お兄さん風であろうがなかろうが、怒っていないのならその方がこちらは気楽である。

 

「まぁ良いわ、今はね……それよりも訊きたいことがあるの、龍園くんの動きについてよ」

 

「ん、相談しておこうか」

 

 普段のキリッとした表情に戻ったのだが、先ほどまでのブラコン全開な様子を目撃していると、思わず笑いそうになってしまう……実際にそれをやるとまた怒りそうなので笑ったりはしないけど。

 

「ここ最近、あちらのクラスの生徒が、こちらをつけ回しているとよく相談を受けるの、貴方の所はどうかしら?」

 

「こっちも似たようなものかな。明人の……三宅の話なんだけど、見学と称してずっと監視されているらしい。何かするって訳じゃないんだけどね……なんでも彼らはこちらのクラスにいる黒幕を探しているらしい」

 

「黒幕?」

 

「体育祭の時、龍園にメールを送った人さ」

 

「そう、綾小路くんをね……そんなことをして、どんな意味があるのかしら?」

 

「意味はあるだろうさ。例えばだけど、もし龍園たちのクラスに、彼よりも強かったり、頭が凄くキレる人がいて姿を隠していたら大変だからね」

 

「なるほどね。仮に戦うにしても、相手の戦力を把握しないで挑むのは愚行になってしまう」

 

「あぁ、何をするにしても、不透明な部分を把握してからという考えは、よくわかるよ」

 

「……彼は大丈夫なの?」

 

「問題はないよ。何一つとしてね」

 

 ジッとこちらを見つめて来る鈴音さんに、俺もまた見つめ返してそう伝えた。

 

 そのまま数秒ほど時間が過ぎてから、彼女は少し照れたように視線を逸らす。どうやら納得してくれたらしい。

 

「こちらに出来ることは何かあるかしら?」

 

「清隆が心配かい?」

 

「勘違いしないで頂戴。彼は私のライバル、越えなければならない存在なのよ。こんな所で倒れられても困るの」

 

 これはあれなのだろうか? ツンデレに分類しても良いのだろうか?

 

「本当に大丈夫。龍園は俺たちに任せて欲しい……決して仲間外れにしている訳じゃないんだ。俺はいつだって、君を頼りにしているよ」

 

 腕を組んでムスッとしたままの鈴音さんの肩に優しく手を置いてそう伝えると、彼女は納得してくれたのか、静かに溜息を吐くのだった。

 

「警戒すべき点はどこかしら?」

 

「基本的に一人での行動は止める、それが駄目なら監視カメラの死角に入らないこと」

 

「他には?」

 

「俺を信じてくれ」

 

「そういうことを言うのは……少しズルいわね」

 

「ん、かもしれないね」

 

 もう一度溜息を吐いた彼女は、話は終わったとばかりに緊張を解く。どうやら俺たちに龍園を任せてくれるらしい。

 

 そして穏やかな表情になると、クスリと笑ってこう言ってくれた。

 

「ねぇ、夕飯はどうするつもりなのかしら?」

 

「部屋に帰って何か作ろうかと思っているけど……」

 

「予定が無いのなら食べていきなさい。私も少し、大人げなかったと思っているのよ」

 

「おや、ごちそうしてくれるのかい?」

 

「馬鹿ね、食材をこちらで用意するだけ、しっかりと手伝って貰うわ」

 

「よし、なら頑張るとしよう」

 

 その日は鈴音さんと夕飯を共にすることになった。龍園だとか南雲先輩だとか清隆の父親とかホワイトルームとか、そういう話や状況よりも、こういった時間の方が俺は安心するし心地が良い。

 

 清隆グループでも同じ気持ちになるな。高校生らしい時間がとても尊く思う。

 

 

 

 

 

 



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蛇の舌は長くしつこい

 

 

 

 

 

 

 

 色々と考えなければならないことが多い毎日だが、俺と清隆に出来ることはそう多くない。龍園の動き次第でどう動くのかアドリブを利かせる必要があるので、どうしても受け身になってしまうのだ。

 

 清隆は龍園を食いつかせる気が満々であり、もしかしたら内心ではさっさと来いと思っているのかもしれない。大人しそうに見えて思考は殴って解決すればいいと結論を出すゴリラなので、龍園が可哀想である。

 

 その龍園は今日も変わらずこちらのクラスへの嫌がらせを頑張っていた。須藤が教室に舌打ちと共に入って来ることは日常茶飯事であり、彼以外にも色々と嫌がらせをされているようだ。

 

「龍園くんの動きが読めないね」

 

「平田、悪いんだがこれからも警戒を続けて欲しい」

 

「うん、わかってるよ」

 

 教室で心配そうな顔をしている平田とそんなことを話す。彼には女子生徒を中心に面倒を見て貰っていたのでずっと感謝したかったのだ。

 

「笹凪くん、大丈夫なんだね?」

 

「あぁ、何も心配はいらない」

 

 強い意思と共にそう伝えると、彼はいつも通りの爽やかな笑顔を見せてくれる。これがモテる秘訣なのかもしれないな。

 

 波瑠加さんが言うには、俺は現実感の無い男らしいので付き合う段階まで進むことが難しいらしい。彼のように花のような笑顔を見せればまた異なるのだろうか?

 

 高校生なので普通にモテたくはあるので、今後は平田を参考にするのも良いのかもしれない。

 

「なぁ平田――」

 

 彼にモテる秘訣を聞こうとした時だ。教室の扉が勢いよく開いて龍園たちが姿を現したのは。相変わらず人との語らいを邪魔するのが得意な男である。

 

「なんだオイ、ここはBクラスだぞ」

 

 こういう時、真っ先に反応するのはやはり須藤である。苛立ちながら眉間に皺を寄せて椅子から立ち上がって詰め寄っていくのを、こちらで肩を掴んで制した。

 

「落ち着け須藤」

 

「わかってるっての」

 

 まぁここ最近は須藤にもかなり落ち着きが出て来たので心配はしていない。そして龍園もこんな状況で殴り合うような男でもないだろう。

 

「龍園、どうしたんだい?」

 

「同学年のクラスを訪ねちゃいけない理由があるのか? どこの学校でもあることだろ。友人を訪ねて自分のクラス以外に出向くことは。何をそんなに警戒していやがる」

 

「おいおい、君に友人なんている訳ないだろ……と、言いたい所だが、俺と君は確かに友人だね。もしかして遊びに誘っているのかな? ならラーメンでも食べに行こうか」

 

「お前は黙ってろ、何の用も無いんでな」

 

 じゃあ何しに来たんだと考えていると、龍園はクラス全体を見渡してニヤニヤとした表情を見せた。

 

 平田、鈴音さん、啓誠、明人、須藤に桔梗さん、そして波瑠加さんに愛理さん、最後に俺を見てニヤリと笑う。

 

 以前に絡まれた清隆グループは勿論のこと、クラスメイト全てが警戒したように彼の一挙手一投足を眺めていた。

 

 気の弱い王さんや愛理さんは既に体を震わしているし、明人や須藤などの気が強い男子チームはそんな女子たちを庇うように前のめりになっている。

 

「なぁに、これからは仲良くしようと思ってるんだぜ、色々となぁ」

 

 彼に一番似合わない言葉だ。そう思ったのは何も俺だけじゃないだろう。

 

 誰もが龍園たちの登場に固まる中で、こんな状況でもただ一人我が道を行くのが高円寺六助という男である。

 

 髪をかき上げてやたらと男前の微笑と共に席を立ちあがると、高円寺はそのまま教室を出て行こうとした。そして龍園は正反対の邪悪な笑みと共にその後を仲間と一緒に追いかけていく。狙いはそっちのようだ。

 

「なぁなぁ、なんか龍園のヤツすげえことやりそうなんだけど!! ついていかね!?」

 

「てか、あいつら高円寺に何するつもりなんだろうな!?」

 

 池と山内の会話を聞きながら俺は平田と視線を合わせる。

 

「すまない平田、クラスの皆を落ち着かせといてくれるか?」

 

「うん、任せて。あっちは笹凪くんにお願いできるかな」

 

「あぁ、まぁ龍園は馬鹿じゃない、そうそう面倒なことにはならないさ」

 

「……だと良いんだけどね」

 

 平田の心配も当然なのでその不安を解消する為に監督役になるとしよう。龍園も内心では黒幕の存在に当たりを付けているだろうに、こうしてわざわざ目立つ行動をしているのは、きっと「お前を追い詰めてる」というアピールなんだろう。

 

 ただし清隆がそれに不安に感じるような男ではないということが、龍園の誤算であった。

 

「天武、どうするつもりだ?」

 

「俺が行くよ、ヤバそうになったら止めるからさ。皆は落ち着いて行動してくれ」

 

 明人にそう答えてから高円寺と龍園たちの後を追って校舎を出ていき、寮との校舎の丁度中間地点にある並木道で追いつくことになる。

 

 背後に清隆が放つ独特の気配を感じるな。どうやら姿を隠してこちらを窺っているらしい。

 

 他には、校舎の窓から覗き込むような気配を感じ取れた。平田と鈴音さんがあちらを押さえてくれているようだ。

 

 仮に喧嘩沙汰になったとしても、俺ならば問題ないだろうという信頼があるのだろう。どうやったら怪我するんだって思われてるだろうし、もしかしたらクラスメイトが心配しているのは高円寺でも龍園でもなく俺がやり過ぎないかという方向かもしれない。

 

「高円寺、俺のことは覚えてるな?」

 

「もちろん覚えているよ。Cクラスの……いや、今はDクラスのヤンチャくんだろう?」

 

「この間は見逃したが今日は付き合ってもらうぜ変人」

 

「すまなかったね。あの日は多忙だったのだよ」

 

 龍園と高円寺の組み合わせは……なんと言えば良いんだろうな。ちょっと驚くほどに食い合わせが悪いように思える。いや、高円寺と相性が良い人は思いつかないんだけれども。

 

「しかし聞き捨てならないねえ。変人、とは私のことかな?」

 

「変人と言ったら、お前とゴリラくらいしかいないだろうが」

 

「いや、俺は変人ではないだろう」

 

「はッはッはッ!!」

 

「鏡を見て来い」

 

 二人の会話にそうやって介入すると、高円寺は何故か笑い飛ばして、龍園からは辛辣な言葉が飛んでくる。

 

 まぁ今は良いだろう……掘り返すようなことでもないのだから。ただ変人と聞いて俺は目の前にいる二人をまず思い浮かべるんだけどね。

 

 龍園と高円寺、あまり絡むことのない二人はそのまま独特の空気と雰囲気を維持したまま話を進めていく。近づく者全てを切り裂くような龍園と、どんな時でも自分のペースを崩さない高円寺、これはこれで面白い組み合わせなのかもしれない。

 

 まぁ龍園もいきなり手鏡を渡されて髪型を整え始めた高円寺には調子を崩しているようだけど。

 

 向かい合っている龍園も、その周囲で包囲網を作る石崎たちも、流石に彼の空気を乱すことはできないらしい。

 

 滅茶苦茶なように見えて、高円寺は太い大樹のような男だからな。

 

 

「何事かと思えば、なかなか面白い組み合わせですね」

 

 

 そしてこの状況に介入してくるのは坂柳さん率いるAクラスの面子である。橋本と鬼頭と神室さんだ。

 

「天武くん、クリスマスのご相談でもされているのですか?」

 

「だとしたら良かったんだけどね、残念なことに今は物騒な感じだ。主に龍園がね」

 

「彼はいつもそうでしょう、おかしくもありません」

 

 そんな会話を続けていると龍園がこちらを睨んで来る。

 

「あら、睨まれてしまいましたね」

 

「坂柳、ここに留まるつもりならゴリラ共々邪魔すんじゃねえぞ」

 

「もちろんです。パーティーの主催者の顔に泥を塗るような真似は致しません」

 

 そう言って彼女はベンチの上に腰かける。手下の三人は彼女を守るように配置された。

 

「天武くんもお隣どうですか?」

 

「ではお言葉に甘えて」

 

 せっかくの誘いなので俺もベンチに腰掛けた。高円寺と龍園のやり取りを肴にして楽しむとしよう。いざとなったら止めればいいだけだ。

 

「寒くなって来たよね」

 

「えぇ、この時期になると急激に冷えますよね。地面に霜が立って凍り付くと、本当に苦労します」

 

 坂柳さんは歩行の補助に杖が必要だからな、滑る地面や雪が積もっていたりすると大変だろう。

 

 ここ最近の観察でわかったのだが、彼女の杖は仕込み刀では無さそうなので、俺も安心できる。これからはもっと積極的に親交を深めて行こう。

 

「それで龍園くんは何を?」

 

「なんでも、ウチのクラスにいる黒幕さんを探してるんだって」

 

「それはそれは、自分の無能を棚に上げて、随分と暇なようですね」

 

 辛辣な物言いである。そんな会話をしているとベンチの周囲で彼女を守る神室さんたちに呆れるような視線を向けられてしまった。

 

 お前たちはこの状況で何を穏やかに会話をしているんだと、そう言いたそうな顔だ。

 

 そんな俺たちの雰囲気を無視して龍園と高円寺の決して交じり合わないやり取りは続いていた。

 

 そもそも龍園だって、内心では黒幕の正体をほぼほぼ確信している筈だ。今は僅かな可能性を潰しているに過ぎず、彼はただ本命を追い詰めていると性格悪く主張しているだけである。

 

 今も少し離れた位置で、こちらを観察している清隆もそれは理解しているだろう。残念ながら彼が怖がることはないのだろうが。

 

 龍園の物言いを独特のテンポと空気で躱す……いや、本人にはそんな気は欠片もないのだろうが、幾度かの言葉のジャブをひらりと避けてから、高円寺は櫛で自らの髪を整える。

 

「俺がここでコイツらにお前を突然リンチさせたらどうする? なんの利もなく、無意味に暴力で支配しようとしたら?」

 

「実にナンセンスな質問だ。君はこの場でその選択を選ばない。ギャラリーも多い中での暴力云々以前に、君たちでは私には勝てないだろうしねえ……脅す相手は選んだ方が良い、ドラゴンボーイ」

 

「ほう、大した自信だ、試してやろうか?」

 

 ドラゴンボーイというあだ名に坂柳さんは口元を隠してニヤついている。意外にもツボに嵌ったらしい。

 

 場の空気がピリピリと張りつめていく。不穏な雰囲気を感じ取ったのか通学路を歩く生徒たちはこちらを眺めながらヒソヒソと話し合い、関わりたくないと距離を取っている。

 

「坂柳さん、そろそろ今年も終わりだけど、振り返ってみてどうかな?」

 

「そうですね……色々と刺激的な一年だったと思いますよ。様々な出会いもありましたので、そちらは?」

 

「俺も同じかな。ん、良い一年だったと思う。なにせ沢山の縁を結べたからね。去年の今頃はこんな生活になるなんて思いもしなかったよ」

 

 確か去年の今頃は師匠の仕事を手伝って色んな国を走り回っていたな。あれはあれで楽しかったけれど、穏やかな時間が流れるこの学園での生活も嫌いではない。

 

「充実しているのなら何よりです。人との縁を大事にされる方ですから、高校生活というのはまさに天武くんに相応しいのかもしれませんね」

 

「もちろん坂柳さんとの縁も大切な一つだよ」

 

「おや、嬉しい言葉ですけど、私は敵でもありますよ?」

 

「大した意味はないよ。敵だろうと仲間だろうと、大切な縁だ。俺にとっては龍園でさえ大切な人だよ」

 

「なかなか心地いい口説き文句ですね……ふふ、だそうですよ、龍園くん?」

 

 何が面白かったのか、坂柳さんはクスクスと笑って龍園にそう問いかける。だが彼はベンチに座っている俺たちなど存在しないかのように振る舞っていた。

 

「どうやらお前は俺とは違った方向に狂った人間。ただそれだけのようだな」

 

「誤解が解けたようで何より」

 

「だが聞かせろ高円寺、お前たちのクラスには性格の悪い策士がいる筈だ。心当たりがあるんじゃないのか?」

 

「さてね、マイフレンド以外は大差のない者たちばかりだが、まぁ答えてあげても良いが――」

 

「少しよろしいですか?」

 

 高円寺の言葉を遮るように坂柳さんが会話に介入した。

 

「面白い話をされていますね、Bクラスにいる策士をお探しとか。しかしドラゴンボーイさんが探している誰かなど、本当に存在するのでしょうか? 私にはDクラスに転落した責任を押し付ける相手を探しているようにも思えますが」

 

「黙ってろと言っただろ坂柳。それとお前が次にその呼び方をしたら殺すぜ?」

 

「ふふッ、気に入りませんでしたか? 素敵なネーミングだと思いますけど」

 

 挑発的に笑う彼女の横顔はとても美しい、しおらしくしているよりも美しいと思う程だ。

 

「そもそも、そんな人物を探し当てたとして何になるというのですか? あぁ、貴方だったのですね、で終わる話ではありませんか」

 

「はッ、間抜け全開な発言だな。坂柳、お前はこれから戦う相手の戦力すら不明な状態で挑むっていうのか? そこのゴリラを潰すにしても、まずは手札の確認だ」

 

「なるほど、ドラゴンボーイさんはそれほどまでに天武くんを怖がっているようですね。やはり勝てない言い訳作りではないですか」

 

 二度目のドラゴンボーイ発言で龍園は無言でこちらに踏み込んで来るが、俺はそれを事前に阻止する。

 

 彼の重心がこちらに向いて、その体幹と筋肉の動きから右足での蹴りであると判断した瞬間に、そうなる前に座っていたベンチから駆けだして彼の靴先を踏みつけた。

 

「チッ、瞬間移動じみたことしてんじゃねえぞ。下がってろゴリラ、邪魔するな」

 

「はいわかりましたと、言う筈がないことくらいはわかってるだろう? 暴力はダメだよ」

 

 問答無用で月城さんを制圧した俺が言って良い言葉ではないけど、師匠曰く棚上げも時に大事とのことなので問題はないだろう。

 

 龍園の靴先を踏みつけながら、彼の鋭い視線を笑顔で封殺していると、ようやく無駄だとわかったのか緊張を解いたので、こちらも足を退かす。

 

「ありがとうございます、天武くん……ふふ、こういうシチュエーションも悪くはありませんね」

 

「どういたしまして、けれど坂柳さんもあんまり挑発しちゃダメだからね。龍園は冗談が通じない男だから」

 

「余裕がないのですよ、笑顔で受け流して欲しいものですね」

 

 だから挑発を止めなさい。また龍園が蹴りかかって来るかもしれないだろうに。

 

「話し合いは終わったかな? 君たちはじゃれ合いが好きなようだね。それを否定するつもりはないが、これ以上私の邪魔をすることだけは止めて貰えないだろうか。無意味な時間は好みではないのだよ」

 

「あぁそうだね。六助、龍園に構わず帰ってくれていいよ。彼に関わるべきじゃない」

 

 俺が最も避けたいのはこの往来のど真ん中で龍園と彼が殴り合うことである。可能性としては低いが絶対に起こらないと言い切れないので、物理的に距離を離すしかない。

 

 それに龍園も、僅かな可能性を潰す為だけに高円寺に絡んでいるだけだ。それも達成したので長々と引き留めたりはしないだろう。

 

「待てよ最後に聞かせろ。高円寺、お前には本当に心当たりはないのか?」

 

「悪いが君の楽しみを奪おうとするほど無粋ではないのだよ。私はそんなことよりも美しい女性たちと様々な恋に落ち、己の美を追求し続ける。それだけさ」

 

「つまり、お前はクラス同士の抗争に参加しないと?」

 

「その通りさ。そんなものは私の中では既に終わっているものだからねえ。そもそも最初から興味も無かったさ」

 

 そりゃそうだ。高円寺にはマネーロンダリング用の会社を作る為の色々と手伝ってくれたので、お礼として大量のポイントを渡している。彼は既にAクラスでの卒業を確定させているだけでなく、それすらも補って余りあるポイントを持っている。しかも個人契約は今も継続させている。多分、この学校で俺の次に資金が潤沢な生徒だろう。

 

「残念だよドラゴンボーイ、君やリトルガールでは私の退屈を紛らわせることができないようだ」

 

 その言葉に龍園というよりも、石崎や山田などの取り巻きたちが苛立ち前に出ようとするが、それを龍園は手で制した。

 

「高円寺さん、でしたか。そのリトルガールというのはもしかして私に言っているのでしょうか? だとしたら貴方は英語の使い方を間違っていますよ? 私は幼女ではありません」

 

「ふッ、ふッ、ふッ。それを決めるのは君ではなく私なのだよ。間違った用法ではないさ。君がレディと呼ぶにふさわしい年齢と体型になれば、そう呼ばせてもらうだけだからねぇ」

 

「ククッ、リトルガールか、中々良いネーミングセンスじゃねえか」

 

「ドラゴンボーイさんほどではありませんよ。ふふふ」

 

 この人たちは誰かを煽らなきゃ生きていけない人種なのだろうか? どうしてもっと平和的に生きられないんだ。俺のように。

 

 三者三様の笑顔を浮かべる彼ら彼女たちを眺めていると、自然に溜息が出て来る。

 

 師匠、人間が三人いれば平和が無くなるという貴女の言葉は正しかったようです。

 

「おほん。これ以上話し合っても互いに得るものは無いんじゃないかな? そうだろ六助?」

 

「その通りだよマイフレンド。私はこの辺りで去らせてもらうとしようじゃないか、シーユー」

 

 髪をかき上げて実に良い笑顔でそう言った彼は、高笑いと共に去っていく。最後の最後まで自分のペースを崩さないのは見事と言うべきなのかもしれない。

 

「坂柳さんも、変人たちに付き合う必要はないさ。違うかな?」

 

「そうですね、守っていただいたことですし、ここは天武くんの顔を立てましょうか」

 

 やっと坂柳さんも帰ってくれるらしい。これで爆弾の二つ目を遠ざけることが出来た。

 

「三学期を楽しみにしとけよ坂柳」

 

「残念ですがそうはなりませんよ」

 

 不敵な笑みを浮かべて坂柳さんとその配下たちは緩やかに立ち去っていく。後に残るのは最大の爆弾だけである。

 

「龍園、楽しそうじゃないか」

 

「クク、そりゃそうだろ、ようやくここまで来たんだ……お前も楽しみにしていろ」

 

「なぁ……ここで引くという選択肢はないのか?」

 

「はッ、ここで? ありえねえだろうが」

 

「そうかな、お互いに適度な距離を保ちつつ、平和的に生きられると思うけどね」

 

「クソみてえな考え方だな。平和だ? お前から最も遠い言葉に聞こえるがな」

 

「君は俺を何だと思っているんだ」

 

「いざとなったらぶん殴って何もかも解決しようとするゴリラだろうが」

 

 この野郎、俺はいつだって平和で穏やかな世界を祈っているというのに。去年の大晦日も神社にお参りした時は大真面目に世界平和を祈ったんだからな?

 

「それにだ、まさか今更引けるとでも思っているのか……俺たちとお前たちは、それで納得できるのか? できる訳がないだろ」

 

「ん……なるほどね。まぁ確かに、限界までやりあった先にしか得られない関係もあるか」

 

 ケジメ、とでも言うべき何かが必要なのかもしれない。それはきっとこちらにとってもそうだし、龍園たちにとっても同じだ。

 

 以前に、俺は櫛田さんに立てなくなるまで喧嘩した先にしか得られない関係があると言ったことを思い出す。きっと龍園たちと俺たちの関係もそれに近いのだろう。

 

 その先にしかお互いに腹を割って話せないし、認め合うことも出来ないんだと思う。

 

 そうか、ならばもう何も言うまい……立ち向かってくる何もかもを叩き潰して、その瞬間に俺たちは対等になれるのだと考えるしかなかった。

 

 

「お前も楽しみにしておけ」

 

「そうさせて貰うよ」

 

 

 わざわざそんなことを言う必要はない、それでも彼は敢えてそう言った。これからお前を殴りに行くと宣戦布告を行った。黙って後ろから殴り掛かれば良いのに。

 

 きっと俺たちは、その先にしか分かり合えないと、彼もまた理解しているのだろう。

 

 

 

「あぁ……決着を付けよう」

 

 

 

 遠ざかっていく龍園たちの背中に小さくそう言った。届いたかどうかはわからないが、この角度から見えない彼の顔は笑っているものだと何となくわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな龍園からの宣戦布告から数日、二学期もいよいよ終わって明日から冬休みとなる日、俺と清隆が持つスマホには二つのメールが送られてきた。

 

 一つは軽井沢さんからのSOS。

 

 もう一つは清隆グループを写した画像であった。

 

 これは龍園からの宣戦布告。かかって来いという誘い。決着を付けようという決意表明なのだろう。

 

「清隆」

 

「天武」

 

 その二つのメールを受け取った俺たちは、互いに視線を合わせて頷き合う。

 

 龍園の考えはわかりやすくてシンプルだ。どれだけ強い個がいようとも、同時に二カ所には存在出来ないのだから彼の狙いである黒幕を孤立させられると考えているのだろう。別々の場所に呼び出して分断してから一人になった所を叩くつもりのようだ。単純だが効果的な策である。

 

 だってこの作戦は、俺どころか師匠にすら有効なのだから。

 

 下手な駆け引きなんて必要ない。やるべきことはただ一つ、己の我を押し通すだけだ。

 

 清隆もそれはわかっているのか、或いは軽井沢さんに配慮してか、下手に長引かせずに行動を開始した。

 

 

 

「「そっちは任せたぞ」」

 

 

 

 同じセリフを互いに言ってから、背中を向けて同時に別々の場所に走り出す。

 

 さぁ龍園、決着を付けようか。

 

 

 

 

 

 



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それは戦いの作法であり、戦士にとって最高の名誉

 

 

 

 

 

 

 

 背中を向けて俺と清隆は別々の場所に走り出す。救助対象を二つにわけて俺と清隆を分断させることが龍園の作戦であり、こうして背中を向けて走り出すのは彼の思惑通りということになる。

 

 その作戦の裏をかいて回避しようという思考はこちらにも清隆にもない。罠とわかっていながらそれでも真正面から踏み砕くというのがこちらの作戦であった。

 

 いや、作戦ではないな、力で立ち塞がる罠も脅威も磨り潰そうとしているだけだ。ごちゃごちゃ考えるよりもそれが出来る者が結局は強いという結論だ。

 

 清隆グループと軽井沢さんが同時に脅威に晒されているのだから、どうしたって戦力は二つ必要だ。

 

 だが龍園はわかっているのだろうか? こちらの戦力を分断するということは、つまり自分の戦力をわけていることに繋がっていると……まぁ理解しているんだろう。

 

 彼が思い描く黒幕、つまりは清隆なのだが、彼の中では不透明な存在ということだ。清隆を警戒しながらもまさかゴリラが二匹いるとは思っていないらしい。

 

「あ、堀北先輩ですか? 悪いんですけど今から体育館倉庫に来て第三者の立場で証人になって欲しいんですけど」

 

『急になんだ?』

 

「決着を付けないといけない相手がいまして、けれど後々に面倒な雑音を挟みたくないんですよ……お願いできませんか?」

 

 走りながらスマホを取り出して電話をする相手は堀北先輩である。元生徒会長なので証人としての信頼は抜群だろうと思って頼んでいた。

 

「報酬にポイントを支払います」

 

『いや、それは不要だ……貸しとしておこう。いずれ返してもらうぞ』

 

「ではそれで、今すぐ全力で体育館倉庫に来てください。それとできれば誰も立ち入れないように周囲の監視も頼みますね」

 

 通話を切ってスマホを懐に戻した段階で、体育館の入口付近が目の前にある位置までやって来た。彼らが指定した挑戦状にはこの隣にある用具倉庫に来いとあったのでかなり近づいたな。

 

 スマホに送られてきたメールには波瑠加さんと愛理さん、そして怪我を負っていると思われる啓誠と明人の写真が添付されている。

 

 餌であり、人質でもあるのだろう。

 

 女子二人は大丈夫そうだけど、明人と啓誠には怪我があるっぽいな。特に元ヤン疑惑のある明人は激しく抵抗したと思われる。

 

 どのように呼び出したのやら、いや、今はそんなこと考えるべきではないか。

 

 いよいよ二学期も終わって冬休みに入り、人の気配も少なくなった校舎は随分と動きやすかったことだろう。だが条件は同じなのでこちらも動きやすい。

 

 体育館の隣にある倉庫、体育の授業で使う様々な用具や器具などが保管されている大型の倉庫である場所まで辿り着くとさっそく龍園クラスの生徒を発見した。

 

 固く閉じられた金属製の門の前にいる辺り、見張りだろうか?

 

「笹凪」

 

 よしぶん殴ろうと考えて踏み込もうとする段階で、背後から堀北先輩に声をかけられる。流石に来るのが早い。

 

「あぁ来てくださったんですね。ありがとうございます」

 

「状況は?」

 

「俺の友人が監禁状態にあります」

 

「そうか、どう対処する?」

 

「先輩に求めるのはあくまで証言。事が終わった後にくだらない主張や言い分を挟ませない為の証人ですので、手は出さなくても大丈夫ですね……この決着は俺がやらないといけない」

 

「一人で解決するか……それも良いだろう」

 

 眼鏡のブリッジを押し上げて位置を整える堀北先輩は、あくまで証言者であり目撃者だ。そしてそれ以上の何かを求めるつもりもなく、手を貸して欲しいとも思っていない。

 

 おそらく清隆側も似たような人物に声をかけている筈だ……茶柱先生辺りを動かしているかもしれないな。

 

「だが契約を忘れるな?」

 

「わかっていますよ。これは俺から貴方への借りとしておきます。己の名前と矜持に誓って翻したりしません」

 

「では行ってこい」

 

 保険の証人はこの人に任せておけば良いだろう……後は好きに暴れられるな。

 

 思考が師匠モードに切り替わる。同時に体中の筋肉が蠢くような感覚を覚え、日常生活の中ではセーブしていた拘束を外していく。

 

 そして全ての拘束を外して身軽になった体で、体育館倉庫に進んで行った。

 

「うッ……き、来たッ……ゴ、ゴリラが……ひッ」

 

 何とも情けない見張り役である。近づいていく度に表情を歪めて後ずさるのだが、鉄製の門に背中が引っ付くと逃げられないと悟ったのか、震えながらもこちらと向かい合う。

 

「よ、よく来たな、待ちわ――――」

 

 全てを言い終わる前に、右手を鞭のようにしならせてその顎先を拳で打ち抜くと、彼は意識を失ってその場に崩れ落ちる。

 

 まともに殴ると頭が吹き飛んでしまうので、指で顎を撫でるように配慮した。

 

 俺の拳と彼の顎が接触した瞬間に「チッ」という舌打ちのような音が周囲に広がっただけであり、圧倒的な暴力などそこには無かったが、それでも彼は脳震盪の症状に襲われ意識を失ってしまう。

 

 見張りがいなくなった体育館倉庫を前にして、重厚な金属製の引き戸に手をかける。

 

 鍵はかかっていない、頑丈な引き戸は横に動かすとレールに沿って開かれていった。

 

「やぁ、待たせたね」

 

 中には当たり前のことだが複数人の生徒が待ち受けている。龍園クラスにいる彼が動かせる戦力を軒並み連れて来たかのようだ。石崎と山田に加えて小宮と近藤の姿もあり、それ以外にも何人か……体育館倉庫の一番奥には清隆グループのメンバーもいるな。

 

 明人は怪我をしている。抵抗したのか、それとも女子たちを守ろうとしたのか、どちらにせよ人数差で押し負けてしまったらしい。

 

 啓誠も鼻血の後がある。波瑠加さんと愛理さんは身を寄せ合っているが、無傷のようだな。

 

「き、来たか笹凪……」

 

「……」

 

「石崎、山田……まぁ呼ばれたからね、けれど龍園がいないのは少し残念だ」

 

「あの人はお前の相手なんてしてる暇はないんだよ」

 

「なんだっていいさ」

 

 山田と石崎という彼の腹心の姿はあるけれど、龍園本人の姿はない。どうやら彼は軽井沢さんの方にいるらしい。

 

 一度くらいはぶん殴ってやりたかったけど、それは相棒に任せるとしよう。

 

「皆、無事かい?」

 

「テンテン……来てくれたんだ」

 

「……ご、ごめんなさい。巻き込んでしまって」

 

 波瑠加さんと愛理さんは身を寄せ合っている。パッと見は怪我は無さそうなのでそこは安心である。

 

「……手間をかけさせてしまったな」

 

「すまん、後は任せる」

 

 代わりに啓誠と明人は怪我があった。鼻血だったり青あざだったりとそこまで重症といった感じではない。

 

 全員の容態は深刻なものでないと確認できたので、後は脅威の排除をするだけだな。

 

「それで石崎、やるのかい?」

 

「なんだと?」

 

「皆を解放するのなら見逃しても良いと言っているんだ」

 

「はッ……ここまで来てそんなことできるかよ!!」

 

「山田、君も同じ意見かな?」

 

「……」

 

 石崎と山田、この場にいる龍園クラスの生徒たちの纏め役と思われる二人の意思は変わらないらしい。そんな両者の態度に引っ張られてか他の生徒たちも意見を曲げることはなかった。

 

「利益は無いぞ、そして意思を貫くこともできない……この先にあるのは約束された敗北だ」

 

「もう勝ったつもりでいるのか……調子に乗んじゃねえよ」

 

「そうじゃないさ……いや、無粋な言葉だったな」

 

 ここで引くようならばそもそも彼らはこんな暴挙に出ることなどありえない。言葉は無用だったな。

 

「君にも、君たちにも意地と信念がある……こういう時、言葉は無力だとつくづく思うよ」

 

 何度も何度も何度も見て来た。理性でも理屈でもなく、ましてや利益でもない、人は時としてとても愚かで短絡的なことをする……けれどそれを馬鹿だとは思わなかった。

 

 意地をぶつけ合って殴り合い、その先にしか得られない関係もあるのだから。ならばやはり言葉は無粋だろう。

 

「俺は皆を助けたい、君たちは俺を留めておきたい、お互いに譲るつもりがないのならば、己の我を押し通すしかないだろうね」

 

 体育館倉庫の入口から緩やかに中へ足を進めていく。その瞬間に石崎と山田を中心に龍園クラスの生徒たちには緊張が走った。

 

「お前ら、やるぞ」

 

「YES」

 

 石崎が手を伸ばすのはこの倉庫に保管されていたソフトボール用のバットである。なるほど、ここに誘い出したのは監視カメラが無いこともそうだが、武装として使える物が多いと判断してのことだろう。

 

 山田も、小宮も近藤も、それぞれ武器を手に持っていく。

 

 まぁ尤も、凶器で人に暴力を振るうことに慣れていない者が大半なので、あまり意味はないようだが。

 

 蹴ったり殴ったりならばまだ受け入れられるが、凶器を相手に振り下ろすのはそれなりに勇気のいる行為である。そこを振り切って行動できる者は実は少なかったりする。

 

 それでも石崎と山田は武器を持った。俺と戦うにはそれが最低条件だと判断したのだろう。

 

「卑怯とは言わねえよな?」

 

 バットを握った石崎は挑発するようにそう言ってくるので、俺は頷きと共にこう返す。

 

「もちろんだ。責めることもなければ、罵ることもしない……なぜならば、数を揃えることも、武器を整えることも、人質を取ることも、罠を用意することも、戦いの作法であると言えるからだ」

 

 だから全てを受け入れよう。彼らの行動の全てが正しく戦いに挑む者の姿勢なのだから。何が何でも勝利を目指そうとする在り方を否定できる筈もない。

 

「同時に、君たちの行動は大きな意味がある……そうしないと勝てないと思われているのだから、それは俺にとって最高の名誉だ」

 

 彼らの行動の全てがこちらへの警戒であり、畏怖であり、ある種の尊敬でもあるのだ。

 

 

 師匠曰く、大勢の敵に囲まれるのは戦士にとって最高の名誉とのこと。

 

 

 戦いの作法に則って大勢で武器を持って挑んで来る、俺はそれだけの戦士であると彼らは認めてくれているのだ。責める言葉も罵るセリフも許されないだろう。

 

 敬意には、敬意を返そう。

 

「そうかよ……」

 

 石崎はそんな俺の言葉に、何かを諦めたかのような瞳となり、最後の最後まで話が通じない何かから視線を逸らすかのように、バットを力強く握りしめた。

 

 そんな彼らに、思わず穏やかな気持ちになりながら、俺はこう語りかけた。

 

「良いかい、まずは呼吸を整えろ」

 

 山田もまたバッドに力を込める。

 

「視野は常に広く」

 

 小宮と近藤はバットを持って右往左往するだけだ。

 

「数の利を活かせ」

 

 他の生徒たちは倉庫の真ん中まで進んで来た俺の背後に回った。

 

「覚悟を決めろ」

 

 誰かが喉を鳴らした音が耳に届く。

 

「自分を信じろ」

 

 今度は深呼吸の音が聞こえた。

 

 

「そして掴み取って見せろ……数秒先の栄光を」

 

 

 何が合図であったのかはわからない。わからないが、彼らは示し合わせたかのように一斉にこちらに突っ込んで来た。

 

「夢のような時間にしよう」

 

 まずは俺の正面にいる石崎を処理すると決めた。バットを握って頭上から振り下ろそうとしている彼の顎先を指で撫でて脳震盪に追いやる。慣れない武器を使うから大振りになって隙だらけだった。

 

「え、あれ――」

 

 意識を失ってゆっくりと膝から崩れ落ちていく石崎を尻目に、今度は右斜め後ろから同じくバットを持って襲い掛かって来た山田の顎先に瞬発力の全てを解き放った蹴りを放つ。

 

「ッ!?」

 

 顎先と靴先が接触すればまたもや「チッ」という舌打ちのような音が響き、彼の巨体も崩れ落ちていく。

 

 次は背後に振り返り、迫るバットをそれぞれ掴み取って握り潰し手前に引き寄せる。すると彼らの体も引き寄せられて体幹をこちらに傾けた。

 

 そんな彼らのこめかみをノックでもするかのように軽快に、しかし独特の振動を与えるように叩くと、細かな衝撃と振動が頭蓋骨の内部で乱反射して彼らの脳を揺らして意識を遠ざける結果となる。

 

 最後に、バットを持った状態で狼狽える小宮と近藤に視線をやって尻餅をつかせたことで、戦いは終わりとなった。

 

 彼らが突っ込んで全滅するのにかかった時間は、きっと五秒にも満たなかっただろう。

 

 一番最初に意識を失った石崎が完全に倒れこむまでに、他の戦力を鎮圧したのだから、本当に一瞬だった。

 

 これはとても自然な結果だ。おかしくも無ければ不思議なことでもない。

 

 約束された敗北に挑んでいるのが彼らであり、約束された勝利を得たのがこちらである。最初からこうなるってどちらも理解していた筈だ。

 

 それでもこうしてわざわざ行動に移したのは、彼らなりのケジメなのかもしれないな。

 

「終わったよ」

 

 一瞬で龍園クラスの生徒を制圧した俺がそう声をかけると、清隆グループのメンバーは全員がポカンとした顔のままこちらを眺めるだけで、一向に返事はない。

 

 どうやら驚きを通り越して唖然とさせてしまったらしい。

 

 明人も啓誠も、波瑠加さんも愛理さんも、瞼をパチパチ動かすだけである。

 

 そんなメンバーの近くまで歩いていき、膝を突いて目線の高さを合わせた段階でようやく彼らの意識はこちらに戻って来た。

 

「無事かな?」

 

「あ、あぁ……何も問題はない」

 

「啓誠、鼻血の後があるが……」

 

「少し殴られただけだ。重症というほど、大袈裟なものでもないだろう」

 

「そうか。明人は頬に青あざがあるが」

 

「こっちも似たようなもんだ、ツバでも塗ってれば治る」

 

 そんな昭和の治療法ではなく、しっかり冷やしてガーゼでも貼りなさい。

 

「波瑠加さんと愛理さんはどうかな?」

 

「だ、大丈夫……です」

 

「うん、私も何とか大丈夫かな」

 

「それなら良かった」

 

 グループのメンバーには謝らないといけないな。

 

「ごめん、テンテン……私たち、凄く足引っ張っちゃったかも」

 

「気にする必要はないと、そう言わせてくれ……そもそも皆はどうやってここに集められたんだい?」

 

 疑問に思ったことを尋ねるとまず波瑠加さんが申し訳なさそうに視線を下げる。

 

「私の下駄箱に……その、ラブレターが入ってたんだよね。無視するのも悪いと思ってしっかり断ろうと思ってさ」

 

「なるほど、呼び出し場所に行くと取り囲まれてしまったと」

 

 なんて古典的な、昭和かよ。

 

「それで、波瑠加ちゃんのアドレスから、わ、私にメールが届いて……ごめんなさい」

 

 同じく愛理さんも呼び出されてしまった。後は二人の身柄を押さえていると明人や啓誠に伝えておびき寄せるだけか。

 

 もしかしたら抵抗しようとしたから怪我を負ったのかもしれないな、できればそうなる前に一報入れて欲しかったけど……いや、龍園たちもそこまで間抜けなことはしないか。真っ先にスマホを奪っただろうし、女子二人を人質に取られていると言われてしまえばどうしたって行動は制限されてしまうだろう。

 

「すまない天武、まさか龍園がここまで大胆な行動をするとは……人質まで作っておびき寄せてくるなんて」

 

 啓誠は視線を下げて何とも言えない顔になっていた。

 

「まさかだなんて思う必要はないさ。普通はそんなことしてくるなんて思わないだろうからな。それより、そろそろここを出よう」

 

「こいつらはどうするつもりだ?」

 

 頬に青あざを作った明人が立ち上がって、倒れ伏している龍園クラスの生徒たちを眺める。

 

「死んではいないよ。ちゃんと加減したからね……処分については、あの人を交えて話そうかな」

 

「あの人?」

 

 全員で体育館倉庫の外に出ると、そこでは堀北先輩が待っていた。

 

「せ、生徒会長!?」

 

「元、生徒会長だ」

 

 驚くメンバーにそう訂正してから先輩は俺を見つめて来る。

 

「どうやら無事に終わったようだな」

 

「えぇ、まぁ」

 

「中で倒れている連中は……どう処分する?」

 

「それに関しては……すまない皆、俺に任せてはくれないか?」

 

「えっと、テンテンはどうするつもりなの?」

 

「正直に言わせて貰うなら、彼らを退学にまで追い込みたくはない」

 

 清隆グループの反応は、まぁ当然ながら良い物ではない。自分たちをここまで追い詰めた連中に慈悲をかけようというのだから自然な反応でもある。

 

「馬鹿なことを言っているのは重々承知しているよ、それでもだ」

 

「だが、落とし前をつけさせない訳にはいかないだろ」

 

 拙いな、明人の言葉に反論の余地がない……。

 

 龍園クラスの生徒たちを退学させたくないというのも、俺の我儘でしかないからな。

 

「ん……そうだな、この件をきっかけにあちらのクラスに考えを改めさせるよ。俺たちに暴力的に挑むには分が悪いことだってさ。その上で龍園からはしっかりと賠償をもぎ取る、どうかな?」

 

 被害者である皆にそう伝えるのは心苦しくはある。だからせめてポイントなどの賠償で気を紛らわせて欲しかった。

 

 俺の言葉に考え込む四人は、それでも最終的には納得してくれたようだ。もちろん内心では色々と不満もあるだろうが、ここは俺の顔を立ててくれたらしい。

 

「はぁ……わかった、お前がそう言うのならば、ここは任せよう」

 

「すまないね」

 

「しっかりと賠償をもぎ取ってくれ、そうじゃなければ納得はしないからな」

 

 堀北先輩と同じく眼鏡の位置を直しながらそう言ってくる啓誠に頷きを返す。

 

「そんな訳で堀北先輩、後々龍園クラスと話し合いの場を設けるので、雑音を挟んで来るようなら証言して貰いたいんです。俺たちは被害者側だと」

 

「わかっている。事実その通りのようだからな、必要があればそう証言しよう」

 

 まぁおそらく、あちらも大人しくはなるから、堀北先輩の出番はないんだろうけど。

 

「ありがとうございます」

 

 一応、こちらはこれで一区切りがついたことになる。後は清隆が上手くやるかどうかだな。

 

 懐からスマホを取り出して「こっちは片付けた」と清隆にメールを送っておこう。

 

「テンテン、こんな時に誰にメールしてるの?」

 

「気にしないで、ちょっとした報告だよ」

 

 このグループのメンバーももしかしたら薄々感づいているのかもしれないな。今回の龍園たちの行動が、以前に黒幕がどうのという形で絡まれた件に繋がっていることを。

 

 啓誠も明人も、こちらを気にしているようにも見える。

 

 けれど言葉にしないのは、確信が持てないからだろうか?

 

 皆には悪いことをしたかもしれないな、おそらく龍園には俺を動かす為の価値ある人質に見えたのかもしれないし、実際にそうなってしまっている。

 

「……テンテン?」

 

 寂しい思いに耽っていると、波瑠加さんが心配したような顔で覗き込んできていた。

 

「もしかしてさ……グループから距離を取ろうと思ってる?」

 

「……驚いた、波瑠加さんは心が読めるのかい?」

 

「そんな訳ないじゃん。でもさ、何となくそう考えてるんじゃないかなって思ったの。その様子だと合ってるみたいだね」

 

「ん、何と言うか、龍園にとって皆が俺をおびき寄せる為の人質として価値があると思われたんだろうね」

 

 そう考えると、ある程度の距離感は大事かもしれないと考えてしまった訳だ。別にこういった手段を使ってくるのは龍園に限った話でもないのだから。

 

「だからまぁ、距離を取るべきかと考えている」

 

 啓誠と明人、波瑠加さんと愛理さんはとても複雑そうな表情を浮かべているな。

 

「ごめんね」

 

 俺はもうちょっと配慮するべきだったということだろう。ごく当たり前の高校生活というものに憧れて甘えていたとも言えるのかもしれない。

 

 清隆くらい何もかも壊れ気味な相手ならば何の心配もいらないのだが、この四人はそうではないのだ。

 

 謝罪だけ伝えて彼らとの関係はここで終わりだ。明日から只のクラスメイトに戻るとしよう。変な憧れで荒事に巻き込んでしまったので、それが俺がやるべき最低限のケジメなのだろう。

 

 そんなことを思って皆に別れを伝えて去ろうとすると、後ろから袖を引っ張られた。

 

 振り返ると、そこにいたのは意外にも愛理さんであった。

 

「だ、大丈夫ですッ……えっと、その……私たちが、もっと頑張って、助けるから」

 

 普段、あまり大きく主張することのない彼女が、言葉を選びながらも絶対に引かないと言わんばかりに袖を握る力を強める。

 

「もう、足手まといにはならないから、そんな寂しいことを言わないで、欲しい……清隆くんも、きっと寂しがると思うから」

 

「そうだね、愛理の言う通りだよ……なんかさ、勝手に足手まといみたいに思われるのは困るかな」

 

 そして同調するように波瑠加さんも袖を引っ張って来た。

 

「そりゃこのグループはかなり緩い感じで、好きにすればいいって集まりだけどさ、そこまで一方的に距離を置かれるのは納得できないって。みやっちも、ゆきむーもそうでしょ?」

 

 男子二人は互いに顔を見合わせてから小さく溜息を吐き、そして俺の肩をポンと叩いて無言で歩き出す。

 

 なんだこいつら、カッコいいじゃないか。

 

「テンテン、もう一度チャンスをくれたっていいじゃない……今度は足手まといにはならないからさ。私を、私たちを隣に立たせてよ」

 

「……」

 

 なるほど、そこまで言われると何も言い返せないな。

 

「そうか、そうだな……ん、俺が間違っていたよ、縁は尊ぶもので断ち切るものじゃない」

 

 俺としたことがそこを誤るとは、師匠に殴られても仕方がないか。

 

 人質として狙われるからどうしたというのだ、そんな思惑すらも磨り潰して突き進めるくらいに強くなればいいだけの話を、わざわざ複雑にする必要もないか。

 

 仮にも正義の味方を目指す者が、こんな弱気で良い筈もないだろう。

 

 改めて他者との縁は尊いものだと、そう思う瞬間であった。

 

 

 

 

 

 




いつも本作品を呼んでくださりありがとうございます。様々な意見や感想などを頂きいつも励みになっております。色々と悩んだ結果、こうなりました。

実は最初は全く逆の展開を考えていたんですけど、それはそれで軽井沢の扱いに困ると言いますか、勿体ないと言いますか、けれどせっかくの二次小説なんだから綾小路と佐倉の関係を深めても良いじゃないかとか考えて……この二次小説で一番悩んだ所かもしれません。

そこで考えました、佐倉を覚醒させて軽井沢と綾小路を取り合わせれば良い、清隆リア充ルートこそ私なりの正解だと。

いつも感想や評価などありがとうございます。これからもよろしくお願いします。


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彼なりのケジメ

 

 

 

 

 

 

 

 

 天武と別れた後に急いで屋上へと向かう。その途中で茶柱先生を呼び出しておいたので証人はそれで十分だろう。偶には生徒の為に頑張って貰いたい。

 

 あちらは天武がいる以上は大きな問題が起こらないことは確定している。少なくともこの学園の存在する戦力でアイツを処理できる者はいないので、深刻なことになることはありえない。

 

 おそらく龍園も戦力の大半をあちらに回している筈なので、こちらは随分と楽ができる筈だ。

 

 屋上に続く階段の前に、あの男に近い位置にいる石崎や山田といった戦力が待ち受けていないのがそれを証明している。階段の踊り場にいたのは伊吹である。

 

「そっか、アンタが来たのか……」

 

 伊吹は階段の上から俺を見下ろして、困惑したようにそう言った。予想外の相手であったということだろうか。

 

「そこを通してくれるか?」

 

「……あんたが、龍園の言ってた策士なのか?」

 

「そうだ、何も問題はないだろ」

 

 そう伝えると伊吹は納得いってないと言いたそうな顔をするが、それでも屋上への扉を開いて迎え入れた。

 

「あたしにだって、最後まで格好付けたいことはある!!」

 

 最初に聞こえて来たのは軽井沢の声である。カッコいいか、天武がよく使う言葉だな。

 

「まだやってる……龍園、来たよ」

 

 屋上に出ると、スプレーで塗り潰された監視カメラに視線が行く。最低限の言い訳をできる状況は作ったらしい。

 

 龍園の、蛇のような印象を与える瞳がこちらに向いた。観察するような視線は足から顔まで移ろっていき、最後に視線が結び合う。

 

「はッ……面白味のねえ結果だな、やっぱりお前かよ」

 

「そうだ。その様子だと意外でも何でもなかったみたいだな」

 

「あのゴリラの近くをウロチョロしてる奴の中で、お前だけは不自然なくらいに餌をぶら下げてたからなあ。喰いついてくださいとでも言いたげによ」

 

 それはそうだ。そうなるように龍園を誘導していたのだから。この男の嗅覚は必ずその痕跡を嗅ぎ取る筈だ。

 

 もしかしたらこいつはオレを追い込もうとしていたのかもしれないが、この状況はこちらが作ったものでもある。

 

 それを証拠に、ここにいるのは龍園と伊吹だけで、他の戦力は天武に向けられていた。

 

 ここの戦力は、あまりにも薄い。

 

 オレの視線が唖然とした顔でこちらを見つめる軽井沢に向けられた。何か言いたげにパクパクと口を動かしており、絞り出すかのようにこう言葉にする。

 

「何で……ここに来たの?」

 

「お前を助ける為だ……そういう約束だったからな」

 

「そう、なんだ……来るとしても、天武くんだと思ってた」

 

「アイツは今、佐倉たちの救助に向かってる」

 

「佐倉さん……あ、そっか、アンタを孤立させる為に」

 

「そういうことだ。少し待っていろ、すぐに片付ける……心配はいらない」

 

 すると龍園から馬鹿にしたような笑い声が届いた。

 

「すぐに片付けるだとよ、どうする伊吹、随分と舐められているようだぜ」

 

「コイツが強いとは思えないけど……」

 

 それはそうだろう、オレは天武ほど馬鹿げた目立ち方をしている訳じゃない。アイツの存在感が大きすぎて大抵の相手は脅威と思えないくらいに感覚がマヒするのが普通だ。

 

 もしここに来たのが天武であったのならば、もしかしたら数と武器などを事前に用意していたのかもしれないな。

 

 独特の笑いを響かせる龍園と、怪しげにこちらも見つめて来る伊吹、ここにいるのはただそれだけである。武装も無ければ数も揃っていない。龍園が黒幕を探しつつも、結局は一番警戒していたのが天武であるからこその状況だろう。

 

 一歩踏み出すと、二人の警戒が強まる。嘲笑いながらも完全に油断しない辺りは、評価しても良いのかもしれない。

 

「やれ、伊吹」

 

「本気で言ってるの?」

 

「俺が冗談を言ってるように聞こえるのか」

 

「アンタがやりなよ……そもそも、私は完全に納得してる訳じゃない」

 

「そうかよ、だがあちらはもうやる気だ、ほら構えろ」

 

「ッ!? このッ!!」

 

 天武の動きを真似て貫手を伊吹に放つ。武術の心得がある者特有の、怯んで硬直するのではなく、体を脅威に反応させて対処に動こうとするのだが、何もかもが遅かった。

 

 確か、こうだったかな……。

 

 こちらの貫手は伊吹の頬を滑るように回避されてこめかみを掠める。そしてその動きはかつてオレが天武にやったことと同じだ。あれから幾度か模擬戦もしているので、ここからの流れもわかる。

 

 こめかみを掠めた貫手はそのまま伊吹のうなじに回されてそこを摘み取る。アイツが言うにはそのまま首を引きちぎる技であるらしいが、流石にそこまではできないので強引に引き寄せた。

 

 伊吹からしてみれば、攻撃を躱したかと思えば突然にこちらに引き寄せられたような感覚なのかもしれない。

 

 一度見て基礎とする、二度見て応用に至り、三度目で盤石となる。天武はオレを見てそんな感想を言っていたが、まさにそれこそが本質であり根底にあるものだ。

 

 学習と反復を体に染み込ませることこそが、最もオレという存在の在り方だと思う。だからこうしてあの動きを再現することもできた。

 

 うなじを掴まれてこちらに引き寄せられる伊吹の鳩尾に膝を叩きこめば、一瞬で意識を飛ばして無力化できてしまう。

 

 天武の動きを実際に再現する実験台としてはこれで良いだろう。まだ完璧とは言えないが十分に通用する動きである。この動きはこの学園に来てから学習したものなので、いずれ来るであろうホワイトルームの後輩たちにも初見の動きとなるので使いやすい筈だ。

 

 鳩尾に膝を打ち込まれて吹き飛んだ伊吹は、そのまま壁に背中をぶつけてずるりと倒れこむ……後は龍園だけだ。

 

 一瞬で伊吹を無力化されたことで奴は驚き、それ以上に軽井沢が驚いた様子を見せている。

 

 

「なるほどなぁ。大したもんじゃねえか、暴力も一級品とは御見逸れしたぜ」

 

「天武を意識しすぎたな……オレ程度なら二人もいれば十分だと思ったお前の負けだ」

 

「舐めたこと抜かしやがる。確かにテメエは強い、この状況は寧ろお前の得意分野だった訳だな……だが勘違いしちゃいねえか? 暴力の勝敗を決めるのは、何も腕っぷしだけじゃない。心の強さも関係する」

 

 倒れ伏した伊吹を尻目に龍園が前に出て来る。

 

 心の強さか、そう言った点で見れば確かにこの男は高い位置にいるのかもしれない。

 

 伊吹のような武道に精通した動きではなく、ましてや天武のような異質異常極まる動きでもない、喧嘩慣れした者特有の動きで距離を詰めて来て暴力的に殴りかかって来る。

 

 ここ最近は天武基準で動きを整えていた為に、龍園の拳はやけにゆっくりと感じられるな。

 

「……悪いな。負けるのは想像つかない」

 

 煽っている訳でもなく、調子に乗っている訳でもなく、冷静な戦力評価でそう伝えると、目の前の男はやってみろとでも言いたげに鼻を鳴らした。

 

 言葉を証明するかのように、拳を掻い潜って拳を打ち付けていく。やはりどうしても天武の動きを真似してしまうな。

 

 腹部から鳩尾、喉と鼻の下、最後に頬、その度に拳が肉を打つ音が屋上に響いていった。

 

「がッ、ぐッ!!」

 

 急所を交えた幾度かの攻撃に痛みと衝撃が広がったことだろう。それでも膝を突かなかったのは意地か信念か、どちらにせよ長くは持たないのは、今の一瞬の攻防で龍園も理解した筈だ。

 

 根性論だけで勝てる相手ではないと。

 

 噴き出した鼻血を拭い去り、小さくはない痛みに耐えながらもこの男は唇を歪めて見せる。

 

「この場ではお前が勝つだろうな。だが、明日は? 明後日はどうだ」

 

「繰り返していれば、いずれ勝てると?」

 

「しょんべんしてる最中は? クソしてる最中は? どこからでも狙ってやる」

 

「負けることが怖くないのか?」

 

「恐怖なんて俺にはないのさ。一度も感じたことがない」

 

「嘘だな」

 

「……なんだと?」

 

 心の強い男ではあるのだろう、そして恐怖が薄いことも事実の筈だ。しかし恐怖を感じたことがないという言葉は完全な嘘だとわかった。

 

「お前はもう恐怖を知っている……天武を恐れているんだな」

 

「はッ……何を言ってやがる」

 

「それならなぜ、お前はここにいる? 軽井沢のスマホからわざわざメールをしてきた? お前が本当に恐怖を感じていないのならば、まずはアイツと戦うべきだった筈だ。だが呼び寄せたのはオレだ、天武じゃない」

 

 そこにあるのは畏れであり恐怖だ。きっと内心では理解しているのだろう、天武には勝てないと。

 

 だからオレを呼び寄せた、潰しやすいと判断したのだろうが、その行動の根底にあるのはやはり恐怖である。

 

 いつ、どこで、どうやってかはわからないが、既に龍園は天武に勝てないと思ったのだろう。きっと認めることはないのだろうが。

 

「心の強さ? 恐怖を感じない? 強がりにしか聞こえないな」

 

「上等だッ!!」

 

 また龍園が喧嘩慣れした動作で突っ込んできて蹴り上げようとするが、以前に高円寺と龍園のやり取りの中で天武が見せた動きを再現して、その前に靴先を踏みつけた。

 

 そしてまた殴打を押し付ける。何度も何度も、この男の心が折れるまで。

 

「がはッ!?」

 

 鳩尾への攻撃が最も響いたのか、遂に膝から崩れるように体幹が傾いた。

 

「既に勝てないと認めてしまったお前が、何をどうした所で勝てはしない」

 

 認めたくないからなのか、それでも立ち上がろうとするので追撃を加える。

 

「あッ、がッ……痛てえじゃ、ねえか」

 

 びちゃびちゃと音を立てて鼻血が地面を汚していく。それでもまだ折れることはなかった。

 

 後、もう一撃だな……それで終わりだ。

 

 容赦も躊躇もいらない、意識を混濁させている龍園の顔に踵を落とす。

 

「終わりだ、龍園」

 

 根性論ではどうしようもない、立ち上がることも難しいと言えるだけの痛痒を受けて、ついに完全に倒れ伏すことになった。

 

 心を折るつもりであったが、既に折れていたのならばわざわざ恐怖を演出する必要もないだろう。これで決着だ。

 

 意識を失ったことを確認してから軽井沢と向かい合う。唖然とした顔は以前に船上試験の時にも見た顔だな。

 

「悪いな、随分と辛い状況で待たせてしまった。怪我はないか?」

 

「それは……大丈夫。ちょっと寒すぎて感覚はなくなってきたけど……」

 

 軽井沢は水浸しの状態だ。掴み取った腕は凍ったように冷たい。

 

「オレに幻滅したか?」

 

「当たり前、でしょ……最初から裏切ってたんだから」

 

「そうだな。なら、どうして龍園に売らなかった」

 

「……自分のため。ただ、それだけ」

 

「すまなかった」

 

「何それ、素直に謝るとか、清隆らしくないんだけど……というか、本当に助けにきてくれたんだ」

 

 そうかもしれないな、だがオレなりのケジメを付けないといけないとは思っていた。

 

「お前を巻き込んだのはオレだから、最低限のケジメは必要だと思ったんだ……またデコピンをされるかもしれないしな」

 

「どういうこと?」

 

「オレがお前にもう関わることはないということだ。これから先は連絡することも、都合よく動かすこともない」

 

「……え?」

 

「守らないと言っている訳じゃない、約束はこれからも守る……だが、関わることはもうないだろう」

 

「なに、言ってるの……」

 

 最初は都合よく動かせる戦力になることを期待していたが、天武や堀北がいる以上はそこまで重要でもなくなっている。それに加えて、申し訳ない気持ちもあった。

 

 申し訳ないか、オレには似合わない言葉かもしれない。

 

「ね、ねぇ、嘘だよね……清隆ッ」

 

「いや、事実だ」

 

「そんな……なんで、今更……あッ!! 後ろ!?」

 

 顔を青ざめさせる軽井沢は動揺した瞳で俺を見つめて来ると、それと同時に何かを見つけたかのように驚きの声を上げた。

 

 オレもまた、背中に感じ取る気配に振り返る……するとそこには倒したと思った筈の龍園が、再び立ち上がっているのが見えてしまう。

 

 立ち上がったか、これは予想外だな。

 

「綾、小路ッ……なに、勝った気でいやがる、まだ何も終わってねえぞ!!」

 

「まだ続けるつもりか? 何をどうしようが勝てはしないぞ」

 

「ごちゃごちゃうるせえヤツだなッ!! お前を潰した後に、ゴリラも潰さなきゃいけねえんだよ、後がつかえてんださっさとやるぞ!?」

 

 なるほど、立ち上がれたのは意地と信念か……根性論というのも馬鹿にはできないのかもしれない。

 

「もう一度言っておくが、お前ではオレと天武には勝てない、それでもやるのか?」

 

 既に内心では勝てないと理解している筈だが、それを認めたくないのか、あるいはまだ諦めきれないのか、どちらにせよ理論だった行動ではないだろう。

 

「だから、黙って震えて寝てろってか? 見なかったフリして視線を逸らせってか? 舐めんのもいい加減にしろ……」

 

 鼻から大量の血を流し、痛む体をそれでも前に進めようとする龍園は、しかし瞳だけは死んでいない。

 

 諦めたくないと、そう訴えていた。

 

「こっちはなぁ!! 曲がりなりにも王様名乗ってんだ!! きっちり意地張るんだよ!!」

 

「そうか、天武の言葉を借りるなら、カッコつけるという奴か……」

 

 立ち上がったのは見事だと言うしかない、オレが思っていた以上に龍園は強く、そして計算の外にいたという証明に他ならないからだ。

 

 けれど、やはり根性論だけで全てが解決する訳ではない。最後の力と意思を振り絞って立ち上がったが、その体と拳はこちらに届く前に膝から崩れ落ちてしまう。

 

「クソッ……立てよ、まだだ、まだ……俺はッ」

 

「素直に賞賛する。あそこから立ち上がるとは思わなかった……だが、これで本当に終わりだ」

 

 トドメの一撃を打ち込む。もう意地と信念でも立ち上がれないように。

 

 倒れこんで大の字に転がった執念の男は、顔中を血だらけにしながら動かなくなった。

 

 その瞳も、ようやく諦めの色が宿っている。

 

「お前の負けだ、龍園」

 

「……」

 

 言葉は返ってこない。しかし瞳だけはこちらに向けられた。

 

 意識は朦朧としているだろうが、それでも気絶する前に訊いていきたいことがあるらしい。

 

「一つ……聞かせろ、あのゴリラは、どこを目指している?」

 

「24億集めるつもりらしい」

 

「はッ……不可能だ、そんなバカげたこと。できる訳がねえ」

 

 まるで、そうあって欲しいと懇願しているかのようにも聞こえるな。

 

「いや、もう王手をかけている」

 

 その言葉に龍園はついに瞼を閉じた。そしてようやく弱気を見せることになる。

 

「そうかよ……クソが」

 

 何を思ったのかはわからない、どう感じたのかも知らない、だが意識を失う直前に呟くようにこう言った。

 

 

「発想のスケールでも負けたか……完敗だな」

 

 

 その言葉を最後にこの男は意識を手放すことになる。

 

 どれだけ殴られようとも、何度蹴られようとも、圧倒的な力を見せつけようとも、それでも挑もうとした。そんな信念と意地を張り続ける男の心を折ったのは、圧倒的な暴力でもなければ、聞こえの良い言葉でも無かったということだろう。

 

 誰かを率いる者として立場にある、目指すべき場所、思い描く未来、その差が、ついに龍園に敗北を認めさせたのだった。

 

 恥ずかしげも無く王を名乗ったのだ、或いはその差が最も大きな心を折る一撃となったのかもしれない。

 

 

 

 



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強敵と書いて友と呼ぶ

これでこの章も終わり。小話兼冬休みを挟んで南雲ぶん殴り編となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空を見上げてみると、そこに青空はなく曇天が覆い尽くしていた。

 

 すぐに雪が降るなと思った瞬間に、そんな予感が間違いではなかったと証明するかのように白い粒がフワフワと降って来る。

 

「雪か」

 

 俺の隣を歩く清隆も降って来る雪に気が付いたのか、興味深そうな視線を上に向けている。それだけ見ればどこか陰のあるイケメンといった感じなのだが、彼の頬にはクッキリと紅葉型の跡があるのでどうしても笑ってしまう。

 

「何を笑っているんだ?」

 

「その頬っぺた、何度見ても面白いなと思ったのさ」

 

「笑うな、こっちも気にしてるんだ」

 

 清隆の頬にある赤い跡、それは軽井沢さんから強烈なビンタを貰ったというのが理由であった。

 

「軽井沢も困った奴だ……」

 

「清隆も悪い。突然に関係を解消しようだなんて」

 

「一応、ケジメは必要だからな。アイツも便利に使われることから解放されてせいせいしたと思うんだが……どうしてこうなったのやら」

 

「ふふ、まるで別れ話がこじれたカップルみたいだよ」

 

「止めてくれ……はぁ、なんでビンタされたのやら」

 

 赤くなった頬を撫でて清隆は愚痴る。これは軽井沢さんは苦労することになるだろうな。

 

「形はどうあれ、内心はどうあれ、軽井沢さんにとって、君との関係は重要な繋がりであったということさ」

 

「たとえ利用されていたとしてもか?」

 

「重要なのはそこに絆を感じるかどうかさ……ただまぁ、関係を解消したのなら、良い機会なのかもしれないね。これから先は取引でも契約でもなく、一人の人間として彼女と関わっていけば良いよ」

 

「軽井沢とか?」

 

「あぁ、対等な関係としてね」

 

「オレから関わるつもりはないんだがな」

 

「きっと、軽井沢さんの方からやってくるさ。縁なんて簡単には断ち切れないものなんだから」

 

「……そういうものか」

 

「あぁ」

 

 そんな会話を続けながら俺と清隆は寒い朝にも関わらず、海を一望できる学園の隅っこにあるベンチに腰掛けた。

 

 何もこんな朝早くから無意味に散歩している訳じゃない。これからとある人物たちと話し合いが待っている。遅れるのも悪いからと早めに行動しているのだ。

 

 ベンチに腰掛けてチラチラと降って来る雪を眺めながら、他愛もない会話を続けていると、体を引きずるようにこちらに近づいてくる人影が近づいてくる。

 

 顔中に張り付けられたガーゼがよく目立つ人相の悪い男は龍園だ。そしてもう一人、朝も早いと言うのに眠気や油断を感じさせない立ち振る舞いを見せるのは、堀北先輩であった。

 

「おはようございます堀北先輩、朝早くに呼び出してすいません」

 

「構わない。この時間ならば人目にもつかないだろうからな」

 

「そして龍園もおはよう。随分と男前になったじゃないか」

 

 龍園に気軽に挨拶すると、彼は痛みを引きずりながらもこちらに突っ込んできて殴りつけようとしてきたので、その拳を受け止めてから袖を引いて体幹を崩す。

 

 フワッ、そんな軽やかな表現が似合うような合気投げで龍園は地面に転がることになった。

 

「やめておけ龍園、そんな怪我で喧嘩なんてするもんじゃない」

 

「クソが、どこからでも見下ろしやがって」

 

「そんなつもりは毛頭ないよ」

 

 まぁ、これは彼なりのケジメでもあるのだろう。一度くらいは挑んで敗北しないと気が済まなかったのかもしれない。

 

 怪我をしているとか、勝てないとか負けるかもしれないとか、そういう話ではない。俺に直接挑むということがどんな形であれ必要だったのだろう。

 

 彼の手を引いて強引に立ち上がらせると、ようやく落ち着いて話し合うことができた。

 

「チッ」

 

 舌打ちを止めなさい。友人と先輩相手に見せるものではありません。まぁこんなことを言っても意味がないから話を強引に進めよう。

 

「堀北先輩、こっちは俺の友人の綾小路と、龍園です」

 

「どちらも知っている」

 

「おや、そうなんですか?」

 

「あぁ、特異な生徒だという認識は持っていた。龍園はよく目立ち、綾小路はわざわざテストで全ての点数を50点に揃える変わり者だからな」

 

 どうやら清隆の特異性は堀北先輩にも把握されていたらしい。

 

「やっぱり50点で揃えるのは目立つみたいだよ?」

 

「そうらしいな」

 

「そいつは他人を見下ろして気持ちよくなってんだよ」

 

「龍園、清隆に負けたからと言って八つ当たりは止めるんだ」

 

 こっちの言葉を無視して龍園は今度は堀北先輩に噛みつこうとする。突然にベンチから立ち上がって蹴り飛ばそうとするのだが、それは寸前で受け止められてしまった。

 

「はッ、ただのガリ勉かと思ってたが、多少は動けるらしいな」

 

「期待に沿えず悪かったな」

 

「すいません。彼は誰にでも噛みつく狂犬みたいな奴なんで」

 

「ふッ、お前には随分と頼もしい友人がいるようだ」

 

「えぇ、良い縁だと思っています」

 

 俺の言葉に龍園は苦虫でも噛み砕いたかのような顔になる。実際に口の中はズタズタと思われるので苦い顔も演技ではないのだろう。

 

「御託はいい……おい、何で俺をここに呼びつけた?」

 

「これからのことを話しておきたかったんだ。具体的には賠償の要求とか、その辺の話をね。堀北先輩はその証人だよ、君がごねた時の為のね」

 

「ポイントでも寄こせと言いたいのか?」

 

「君が巻き込んだ五人、軽井沢さん、波瑠加さん、愛里さん、そして明人と啓誠にポイントを支払って欲しい。それで今回の件はチャラだ。拒否する場合は裁判沙汰になって証人のいるこちらの勝ちになり、君たちは拉致監禁と暴行で確実に退学になるだろう」

 

「はッ、そんなもんは知るかと俺が言ったら?」

 

「言わないだろう? 君一人ならともかく、クラスメイトたちも巻き込んで退学なんて望まない筈だ……もし気にしないのなら、君はとっくにこの学園を去っているんだから。賠償を払って完全に終わらせることができるのなら、まだマシだと思うけどね」

 

「よく回る舌じゃねえか」

 

 悪態をつきながらも、龍園は懐からスマホを取り出す。彼も内心ではわかっているのだ、ここでズルズルと長引かせても意味はないと。この学園に残ると決めた時点で覚悟もしていた筈だ。

 

 取り出したスマホを操作している手が止まり、何かを思案するような顔になると、龍園はこう言い放つ。

 

「その前に聞かせろ……お前の目的についてだ」

 

「何かな?」

 

「そこのゴリラ二号に聞いたぜ、お前は24億貯めようとしているってな」

 

「ゴ、ゴリラ二号……」

 

「ほう?」

 

 清隆はショックを受けたかのように視線を下げ、堀北先輩は興味深そうな視線を向けて来た。

 

「意味がわからねえな……ポイントなんざ2000万もあれば一つの区切りになる筈だ。さっさとAクラスに上がればそれで終いだろうが、本当の目的を聞かせろ」

 

「ん……俺たちの学年全員をAクラスに上げる為に、24億が必要だから集めているんだ。それ以上でも以下でもないね」

 

「テメエになんの利益があるかって話をしてんだよこっちは」

 

「利益じゃない……いや、違うな、利益ならしっかり得ているよ」

 

 怪訝そうな顔をしているのは龍園だけじゃない、堀北先輩も似たような顔になっている。そりゃそうだ、24億を配ろうだなんて完全に頭がおかしいと思う。俺自身ですら同様な考えなのだから、当然この二人だってそうなるだろう。

 

「龍園……一学期に、君は俺にこう言ったことを覚えてるかな? お前は正義の味方にでもなりたいのかってさ。あの時は誤魔化してしまったけど、今なら俺は自信を持ってその言葉を肯定することができる……そうだよ、俺は正義の味方になりたいんだ」

 

「……」

 

 呆れたような、バカにしたような、理解できないような、そんな顔をされてしまった。当然の反応だと思うので何も言い返せないな。

 

「馬鹿も極まってるじゃねえか、ガキじゃあるまいし、本気で言ってるのか?」

 

「冗談を言っているように聞こえたかい? 俺は本気だよ、嘘偽りなく、恥ずかしげも無く、正義の味方を目指している」

 

 まぁ呆れられるだろうな。誰だってそうなるだろうし、それこそが重要なのでこれで良いと思う。

 

 でも仕方がないじゃないか、夢見ちゃったんだから。

 

「どうして24億集めるのか……それを説明するにはまず、俺の夢を語ろうじゃないか、とりあえずカッコつけたいっていうのが一番に来るかな」

 

「カッコいいか……その為に24億貯めるってか? ナルシストもそこまで行けば只の馬鹿だろ」

 

「そう、それだよ龍園」

 

「あぁ?」

 

「きっと俺の言うカッコよさとか、正義の味方とかっていうのは、とても歪で不自然なものなんだろうね。今の君のようになんだこいつはって思われるのが当然なんだ」

 

「そりゃそうだろ、馬鹿晒してんだからな」

 

「でもさ、それで実際に24億貯めたら、そいつはどんなに馬鹿でも最高にカッコいいってことなんだよ」

 

「……」

 

 龍園だけでなく、堀北先輩や清隆も黙り込む。

 

「俺は自分のクラスをAに上げる。それだけで満足せずに他のクラスもAまで上げる。なんだったらそれ以外の人たちだって助けたい……最高にカッコよさをはき違えた男になりたいからだ」

 

 うん、そんな男がいたら最高にカッコいいと思う。

 

「24億なんていうのはね、俺からしてみれば始まりに過ぎないのさ。正義の味方としてのほんの一歩でしかない。食い物の足りない場所には農地を作って、電気の足りない場所には技術と知識を植え付けて、戦争が絶えない国では平和を授けて、浸食する砂漠を森に変えて、貧困を殴り飛ばして差別を踏み砕く……気分が乗って来た、もっと語ろう」

 

 夢は大きく、仮にも正義の味方を目指すのならば中途半端な目標なんて意味が無いだろう。

 

「金で解決できる問題なら簡単だね。大量の資金を稼げば良い。金で解決できないのなら政治で、政治で解決できないのなら法で、法が無力なら力で、力が届かないのなら正義で、そうやってあまねく全てを自分勝手に薙ぎ払いながら、目に映る全てを救うのさ」

 

 俺が思い描く歪んで不自然ではき違えてナルシスト全開な、どうしようもないくらいに自分勝手なカッコよさとはそういうものだ。うん、クソみたいな考えだと思うけど、正義の味方だから仕方がないね。

 

「君の疑問に答えよう、龍園……何故24億を何の利益もなく配るのか、それは世界を救う為の第一歩だからだ」

 

「「「……」」」

 

 俺のビックリするくらいの独善的でナルシスト全開な語りに三人は絶句して黙り込んだ。自然な反応だな。

 

「俺は正義の味方になって、この世に溢れるあらゆる理不尽と悲しみを自分勝手にねじ伏せて、やがては世界を救うつもりだ。24億すら貯められずそれを惜しむような男がそんな大それたことができると思うかい? いや、できはしないさ」

 

 そうさ、同級生を助ける為じゃない。いや、それも理由の一つだけど、全員をAクラスで卒業させることもできないような、その程度の理不尽すら覆せない男が正義の味方だなんて名乗れる筈がない。

 

 だから俺は俺の理想と夢の為に、どこまで言っても自分の都合の為に、全員を救済するのだろう。

 

「な? 天武は馬鹿だろ?」

 

 清隆、なかなかに辛辣な評価をくれるね。別に間違ってはいないんだろうけどさ。

 

「あぁ、とんでもない馬鹿者だな」

 

「頭がおかしいんだろうよ、ネジが全部吹っ飛んでやがる」

 

 堀北会長と龍園も呆れたような表情である。

 

「だが、面白くはある」

 

 流石堀北先輩である。なんとかフォローしてくれた。

 

「俺はとても歪でカッコよさを勘違いした男なんだろうね……でもさ、そうやって笑われて呆れられて、アイツは頭がおかしいって言われながら死んで逝きたいんだよ」

 

 うん、もの凄く馬鹿な一生だけど、きっと楽しいものになると思うな。

 

「それでさ、そうやって死んで百年後とかにさ。俺の名前が教科書に載ってたりしたら、俺の歪で馬鹿げてはき違えたカッコよさが本物だっていう証明になるだろ? つまりそれはやっぱり最高にカッコいいってことなんだと思うよ……世界を救う手始めに、とりあえず24億だ。いや、それ以上だな」

 

「あぁ、もう良い面倒くせえなッ」

 

 こっちの一方的な押し付けに龍園は馬鹿らしくなったのか、後頭部をガシガシと掻きながらスマホを操作してこっちの口座に大量のポイントを送金してきた。

 

 そこには体育祭の時にノリと勢いで渡した大量のポイントに加えて、元々龍園が持っていたであろうポイントが上乗せされた額であった。プラス500万ポイントが増えている状態だ。この感じだとAクラスの契約だけでなくクラスメイトからも幾らか徴収していたようだな。

 

「ぶっ飛んでる奴だとは思っていたが、ここまで馬鹿だとは思ってなかったぜ……はぁ、頭が痛くなってきやがった、高円寺以上にイカれてるじゃねえか」

 

「失礼な奴だな」

 

 盛大な溜息を吐く龍園は、どこか疲れたような顔をしている。

 

「でも龍園、君は俺を笑わないだろ?」

 

「……」

 

 そりゃそうだ、だって彼は8億を貯めてクラスメイト全員をAクラスにするという作戦を考えていたからだ。ならば俺の馬鹿げた考えを笑う筈がない。

 

 それは、己自身を否定することになるのだから。

 

 龍園がプライベートポイントに拘る理由はそれしかない。もし仮に2000万ポイントを集めて自分だけがAクラスに上がる為ならば、体育祭でそれは達成できる筈だ。しかし彼はそれからも執拗にこちらを狙い続けた。

 

 つまりは2000万ポイントでは彼の計画を完了させられなかったということだ。俺が渡した額よりも更に多くの、それこそクラスメイト全員をAクラスに上げるのに必要な額、8億ポイントこそが彼の目指すゴールである。

 

 ならば彼は、彼だけは俺を笑わない筈だ。

 

「チッ……そのニヤニヤ顔を止めやがれ、苛ついてきやがる」

 

「ごめんごめん、俺と君は本当に真の意味で友人になれると思ったら嬉しかったんだ」

 

「ふざけたこと言うんじゃねぇ、馬鹿に付き合うつもりはねえぞ」

 

「いいさ、こっちから引きずり回すから」

 

 すると龍園はとても嫌そうな顔をした。可愛い男である。ツンデレという奴だな。

 

「龍園、俺は馬鹿かな?」

 

「あぁ、どうしようもないくらいにふざけた馬鹿だ……」

 

 そこで彼は大きく、それはもう盛大な溜息を吐いた。

 

「だがまあ……そんな馬鹿が一人くらいいてもいいのかもな。少なくともお前はただの馬鹿じゃねえ、何もかもを突き抜けた馬鹿だ」

 

「褒め言葉として受け取っておこう」

 

 また舌打ちが届く。こいつはツンデレと考えると愛嬌すら感じられるな。

 

「だが勘違いするな……俺はテメエも綾小路も潰す気でいるからよ」

 

「良いじゃないか、ようやく君らしくなってきた。具体的にはどうするんだい?」

 

「現時点でテメエらに勝てないことはわかった。なら力を蓄えるのさ」

 

 腰かけていたベンチから立ち上がった龍園は、いつも通りの邪悪な笑顔を浮かべながらこう言った。

 

「まずは俺のクラスをAに上げる必要がある。そうすれば、テメエの完全勝利を否定できる訳だからな」

 

「なるほど、確かにそれは俺の敗北に他ならない」

 

「首を洗って待ってろ、俺がテメエらを引きずり降ろしてやるよ」

 

 そこで言葉を区切って龍園は俺を見つめた。

 

 

「だから笹凪、お前はさっさと24億貯めろ」

 

 

「もちろんだ。貯まったら真っ先に君のクラスに8億届けに行くよ」

 

「はッ……いらねえよ、俺のクラスには必要ないからな」

 

 龍園に名前で呼ばれるのは随分と久しぶりだな……俺を本当の意味で認めてくれたということなのかもしれない。

 

「どうです堀北先輩、彼は面白いでしょう?」

 

 俺と龍園のやり取りを、どこか羨ましそうに見ていた堀北先輩にそう言うと、彼は僅かに笑って見せてくれた。

 

「そうだな、お前たちはなかなか面白い関係だ」

 

 堀北先輩にはそういった相手はいないのだろうか? 二年には南雲先輩がいるけど同い年ではないからな。

 

「そもそも、何でこいつをここに呼んだ?」

 

「証人という側面もあるけど、ここの面子で共有しておきたいことがあってね。龍園と清隆にできれば手伝って欲しいと思ってさ。まぁ強制はしないけど、耳には入れておいて損はないかなって……実は言うと、堀北先輩に南雲先輩を止めてくれるように頼まれたんだ。俺一人だとアレだから、どうせなら二人も巻き込もうと思って……まぁ借りも作っちゃったしさ、ですよね?」

 

「そうだ。笹凪、お前には南雲の抑止となって貰いたい。学園の治安を維持して、無理ならば大胆な動きを阻止する程度の抑止になって欲しい」

 

「一度引き受けると決めたんで俺は構いませんよ、清隆はどうする?」

 

 清隆に視線をやると、彼は小さく頷く。

 

「お前を手伝うと決めたからな、こちらに否やはない……オレもそろそろ、これまでの考え方は一度捨てるつもりだ。出し惜しみするつもりはない」

 

 おぉ、自称事なかれ主義からそんな言葉が出て来るとは、ようやくエンジンがかかったと言うことらしい。

 

「龍園、君はどうかな?」

 

「なんで俺が手伝うと思ってやがる。テメエら二人でどうにでも料理できるだろうが。死ぬとわかってる奴にわざわざ構ってやる意味もねえな」

 

「そうか、なら気分が乗った時は声をかけてくれ。今はそれで良い」

 

「話は終わりか? 俺はもう行かせて貰うぜ。こんなクソ寒い中でいつまでもゴリラと一緒にいられるかよ」

 

 彼は最後の最後まで悪態を吐きながら去っていくことになる。実に龍園らしい姿であった。調子が戻って来たみたいでなによりと言えるだろう。

 

「お大事に、怪我はしっかり癒すんだよ」

 

 立ち去っていく彼にそう声をかけるが返事は無かった。しかし龍園は片手を上げてヒラヒラと振ってくれた。

 

「少し羨ましいな、お前たちが……」

 

「堀北先輩?」

 

「俺はどうにも、そういった相手には恵まれなかったのでな……」

 

 ずっと一人で戦って来たということなんだろう。そう考えると寂しい三年間だったのかもしれない。

 

「そうですか、でも堀北先輩には橘先輩がいるじゃないですか」

 

「あぁ、いつも助けられている」

 

「しっかり守ってあげてください」

 

「言われるまでもない……お前も、契約を忘れるな」

 

「えぇ、一度結んだ約束を破ったりしませんよ」

 

「南雲が何十人いようとも単純な能力ならばお前には勝てないだろう。だが、この学園のルールや法則という場で戦うならば話は別だ」

 

「何も問題はありません。別にルールを運用する側が必ずしも勝利する訳でもありませんからね」

 

「そうか、期待している」

 

 こちらの答える堀北先輩も満足したのだろう。僅かに微笑んでから彼もまた去っていく。

 

「清隆、俺たちも帰ろうか?」

 

「あぁ、そうだな」

 

 こうして激動の二学期は終わることになる。振り返ってみると色々あったけど、得難い縁が沢山結べたと思う。

 

 どうせ三学期も色々と起こるんだろう。この学校は本当に飽きさせない。

 

「そうだ、クリスマスはどうするつもりなんだい? 佐藤さんとデートするんだろう?」

 

「さぁな、今はまだハッキリとしたことはわからない」

 

「あ、もしかして愛里さんと? もしくは軽井沢さんとかな?」

 

「どうしてその二人が出て来るんだ?」

 

「ふふ、どうしてだろうね」

 

 そして一番の縁は俺の隣にいる清隆なんだろう。もうそれなりの付き合いになるけど、きっとこれからも驚かせてくれる筈だ。

 

 良い縁を結べたと思う。俺と師匠と敵で完結していた世界では得られなかった縁がここには沢山ある。

 

 だから俺はまたこう考えた。この学園に来て良かったと。

 

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北鈴音に流行はわからない」

 

 

 

 

 二学期も終わり今は冬休み、クリスマスという時期に私はケヤキモールで一人買物をしていた。

 

 周囲を見てみるとこの時期なこともあって派手な電飾やクリスマス特有の飾りなども目立ち、そんな雰囲気に流されてか恋人同士の姿もチラホラと見受けられる。

 

 この学校で恋人を作るのはとても難しくリスクもある。しかし彼ら彼女らはそれでも交際に踏み切ったらしい。

 

 恋愛や交際に疎い私にはどこか遠い世界に感じてしまうわね。

 

 もしかしたらこんな日に一人でケヤキモールを歩いている私は浮いているのかもしれない。今、すれ違った男女もどこかこちらも可哀想なものでも見た視線を向けて来ている。

 

 まぁ構わない、気にしても意味のないことだもの。

 

 けれど、ふと、もし私に恋人がいればこういった日に二人で出かけることがあるのかと考えて……あまり上手く想像はできなかった。

 

 これまでそういったことを考えたことも無かったことに加えて、この学校の環境がまた邪魔をする。

 

「……」

 

 なんとなく、よくわからないけど、頭に天武くんのことが思い浮かぶ。

 

 彼のことを考えると不思議と心がざわつき、しかし変な安心感もあるので不思議な気分となってしまう。慣れない感覚なので頭を振って穏やかな笑みを思考の隅に追いやった。

 

 今、考えるべきはそこではない、私がこうしてケヤキモールに来たのは、友人への誕生日プレゼントを購入する為なのだから。

 

「よくわからないわね……」

 

 ただし難航していた。私にはこういった経験が圧倒的に不足している。そもそも兄さん以外に誕生日プレゼントを贈ったことがないのよね。

 

 モール内にある様々な店を見て回るけれど、妙案は思い浮かばない。

 

 暫くアクセサリーなどが並べられたショーケースを眺めていても、やはりこれといった物はなかった。

 

 別に今日、絶対に買わなくてはならない訳ではないけれど、おそらく明日や明後日に先延ばしにしても結果は変わらないと思う。

 

 けれど時間は有限、一月一日が私の友人、笹凪天武くんの誕生日なのだから。もう一週間も時間は残っていないわね。

 

「あれ、堀北さん?」

 

 ああでもない、こうでもないと悩んでいると、背後から声をかけられる。振り返ってみるとそこにいたのは櫛田さんだった。

 

「もしかして堀北さんもクリスマスプレゼントを買いに来たのかな?」

 

 色々と、本当に色々とあって、一言では語れない程に複雑な関係になってしまった櫛田さんは、この前の決闘を気にも留めていないかのように、いつものニコニコとした顔でこちらに近寄って来る。

 

 きっと内心では、とても複雑な思いがあるのでしょうけど、それでも表面上は取り繕ってくれている。

 

「いえ、そうではないわ、これは、その……クリスマスプレゼントではなく、誕生日プレゼントよ」

 

「誕生日……あ、そっか、天武くんの誕生日ってもう少しだもんね、そっかぁ」

 

 納得がいったのか、彼女もまた私の隣に立って、ショーケースの中を眺めていく。

 

「櫛田さん、貴方は一人?」

 

「うん、でもこの後、友達と一緒にクリスマスパーティーだから、プレゼントを買いに来たんだよ」

 

 なるほど、交友関係の広い彼女らしい行動ね。

 

「その、櫛田さん……貴女は誰かへのプレゼントに慣れているわよね? よければ、アドバイスをくれないかしら」

 

 私がそう伝えると、隣にいる櫛田さんは一瞬だけいつもの穏やかな表情を崩すけど、すぐに戻る。

 

「嫌かな」

 

「そう、理由を聞いてもいいかしら?」

 

「寧ろどうしてアドバイスが貰えると思ったのかな? あんなことがあったのに」

 

「そうね、けれど私はこれから貴女との関係を見直したいと思っているわ」

 

「……」

 

 彼女は私の言葉に黙り込んでしまう。その複雑な内心は読み取れない。

 

「櫛田さん、もしかして貴女は私を退学させることをまだ諦めていないのかしら?」

 

「やだなぁ、そういう約束での勝負だったんだから、負けてしまった以上はもう何もしないよ」

 

「そう、なら良かったわ」

 

 きっと、今の言葉には嘘があるんでしょうね。

 

「それに、何をしようがきっと無駄になるもん」

 

「え?」

 

「もし仮にね、私がまた堀北さんを追い込もうとしても、絶対に天武くんが立ち塞がるよね……なら、どうするの? 例えば他のクラスの人とか、もしくは生徒会長とか、その辺の人たちと手を組む? 坂柳さんとか南雲生徒会長とか……それで、天武くんに勝てるかな?」

 

 アクセサリー類が入ったショーケースから視線を逸らして、櫛田さんは静かにそう言った。

 

「うん、無理……誰も天武くんには勝てないよ。無駄なことはしたくないかな」

 

「えぇ、そうね、諦めてくれたのなら何も言うことはないわ」

 

 なるほど、だから彼女は諦めてくれた……或いは、そんな脅威と見ている天武くんそのものを味方に引き入れようとしているのかもしれない。

 

「それで、もう一度お願いするのだけど……アドバイスを貰えないかしら?」

 

「一度断ったと思うけど」

 

「けれど、櫛田さん以上に頼りになる相手もいないのよ、この手のことは……だから、お願いします」

 

 しっかりと頭を下げてそう伝えると、櫛田さんは何とも言えない複雑な表情になった。

 

 そのまま暫く時間が過ぎ去ると、彼女は諦めたかのように溜息を吐く。

 

「はぁ……なんで私が敵に塩を送らなきゃダメなのよ」

 

 やや強い口調と、苛立ちが混じった表情は彼女の裏の顔だけれど、少しだけ疲れや憐れみが混じっているようにも見える。

 

 ほんの少しだけ、以前よりも彼女と距離が近くなったのかもしれない、少なくとも素の自分を簡単に見せてくれるようになったと思うわね。

 

「う~ん、そうだなぁ、天武くんへの誕生日プレゼントかぁ……何がいいかなぁ」

 

 素の彼女はすぐに姿を消していつもの彼女に戻ると、一緒にプレゼント選びに悩んでくれた。

 

 そうして二人並んで色々と考えていると、櫛田さんは突然に意地の悪い顔をしてからこんな提案をしてくる。

 

「ねぇ堀北さん、異性への誕生日プレゼントの流行ってわかるかな?」

 

「流行、そんなものがあるのかしら?」

 

「うん、もちろんあるよ、そういう流行とかしっかり押さえておくと、やっぱり喜んでくれるんじゃないかな?」

 

 なるほど、一理はあるわね。

 

 櫛田さんに勧められて案内されたのは、一見すると誕生日プレゼントを選ぶには不似合いな場所であるケヤキモール内の本屋であった。

 

 彼女はこんな場所で何を勧めるつもりなのかしら?

 

「はい、堀北さん。この本を贈るのが今のトレンドだよ」

 

「これは……」

 

 そう言って彼女は進めてきたのは、世間一般でいう所の結婚情報誌であった。

 

 ウエディングドレス特集であったり、結婚式場の紹介であったり、後は何故か婚姻届けまで付録で付いているような雑誌を彼女は勧めてくる。

 

「これが、今の流行なのかしら?」

 

「うん、今の女の子はね、男の子の誕生日にはこの雑誌を贈るのがブームなんだって言われてるんだよ」

 

「そうなのね……私には理解できないことだけど、こういう流行もあるのね」

 

 ニヤニヤと、意地の悪い顔を浮かべる櫛田さんは、これでもかと私に結婚情報誌を勧めて来る。これこそが天武くんへの誕生日プレゼントに相応しいと。

 

 流行であったり、誕生日プレゼントに疎い私には上手く判断できないけれど……こういったことに慣れている櫛田さんが言うのなら間違いはないのかしら?

 

「天武くんは、これなら喜んでくれるかしら?」

 

「絶対に喜んでくれるよ、間違いなく!!」

 

「貴女がそこまで勧めてくるのなら……」

 

 勧められるまま、私はその雑誌に手を伸ばして購入することになる。流行と言うものがわからない私にとっては、この手のことに詳しいであろう櫛田さんの言葉を疑うことはなかった。絶対的に経験値が足りていないのだから。

 

 今にして思えば、ここで櫛田さんが浮かべている「勝った」という意地の悪い顔をもっと気にするべきだったのだと思う。

 

 私が自分の過ちに気が付いたのは、この雑誌を買って寮に帰る時、ロビーで同じように部屋に帰ろうとしていた綾小路くんと偶々出会った時になる。

 

「珍しいな、お前はこう言う日も部屋で勉強していると思っていたんだが……もしかして天武と出かけてたのか?」

 

 私服姿の綾小路くんは、意外そうな顔を隠そうともしないわね。言っていることは間違ってはいないのだけど、そんな風に思われるのは少し納得できないわね。

 

「違うわ……ただ、彼への誕生日プレゼントを探していたの、散々迷惑をかけて世話になったのだから、それくらいはするべきだもの」

 

「そうだな」

 

「綾小路くん、貴方も友人を自称するのなら、何かしら用意しているのでしょう?」

 

「カップラーメンの詰め合わせと、ハムとソーセージでも贈るつもりだが」

 

「それは……誕生日プレゼントとしてはどうなのかしら?」

 

「いや、天武はアクセサリーとかよくわからない小物よりも、そういった物の方が嬉しいはずだぞ……男への誕生日プレゼントなら百点満点らしいからな」

 

「そういうものなのね」

 

「因みに訊いておくが。堀北はどんな物を贈るつもりなんだ?」

 

「私はこれよ、櫛田さんが言うには、こういった物を贈るのが流行らしいから」

 

 そう言って私は購入した雑誌を彼に見せる……すると、彼は見たことも無いような複雑な顔を見せる。なんでそんな反応をされるのかしら?

 

「なん……だと」

 

「何かしらその反応は? 言いたいことがあるのならハッキリ言いなさい」

 

 綾小路君はそこで、これまで見たことも無いほどに真剣な顔になって、私にこう言った。

 

「いいか堀北、よく聞くんだ……お前は今、死地にいる」

 

「どういうことかしら?」

 

「部屋に帰ったらまずパソコンでしっかりと誕生日プレゼントで検索して調べるんだ。オレから言えるのはそれだけだ」

 

「よくわからないけれど……」

 

 部屋に戻った後、私は言われた通りに検索して……散々な情報を得ることになる。考えてみれば当たり前のことだけど、流石に誕生日プレゼントに結婚情報を贈るだなんて、とんでもない爆弾になってしまう。

 

 櫛田さん……貴女は本当に強敵のようね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「佐倉愛里は気になって仕方がない」

 

 

 

 

 

 き、清隆くんが……デ、デートしている!? 佐藤さんと、クリスマスに!?

 

 あば、あばばば、あばばばばばッ!?

 

 つ、つまり、清隆くんと佐藤さんは……!?

 

「あちゃ~……」

 

「しまった、露見してしまったか」

 

 私の後ろで、波瑠加ちゃんと天武くんの声が聞こえて来るけど、今は気にしていられなかった……だ、だって、佐藤さんと清隆くんが……。

 

「こうなるのを避ける為にカラオケで遊ぶことにしたんだけどねぇ……出た所で視界に入っちゃったかぁ」

 

「まぁそんなこともあるよ……運が無かったと思うしかないさ」

 

「愛里大丈夫かな? なんか口の端っこから魂的な物が漏れ出てるけど」

 

「波瑠加さん、とりあえずそれを押し込んでから彼女のケアを行おうか」

 

「それしかないか……ほら愛里、戻っておいで。ちょーっとこっちでお話しようね」

 

 私は波瑠加ちゃんに引きずられてズルズルとケヤキモールのカフェに引き込まれていくけれど、視線はずっと清隆くんたちから逸らすことができません。

 

 今日はクリスマス、とても特別で、大切な日……グループの皆で集まって楽しもうと言う話になって、けれど清隆くんの予定は合わなくて、途中までは明人くんと啓誠くんもいたけれど途中で切り上げてしまって。残った波瑠加ちゃんと天武くんはどうしてか人目に付かないカラオケで過ごすことを薦めてきたんだけど……いや、そうじゃなくて、重要なのは清隆くんが……あばば。

 

「さて、どうしよっかテンテン?」

 

「ん……良い機会だ、ここはこの状況を最大限利用しようじゃないか」

 

 カフェの席に座って、茫然自失となっている私の前で、波瑠加ちゃんと天武くんはそんな話をしているけど……どこか遠い世界のように感じてしまう。

 

「愛里さん、知っているかな……清隆は実はモテるんだ」

 

「ッ!?」

 

 その言葉にようやく私の意識は引き戻されて、波瑠加ちゃんに押し込まれたフワフワした何かを呑み込むこともできた。

 

「確かイケメンランキングでもなかなかの上位にいた筈だよ」

 

 た、確かに……清隆くんは、カッコいい!? 前に触れた手も力強くて、運動も勉強もできて、しかも優しい。

 

 だ、だから、佐藤さんとデートしてもおかしくないのかな。

 

「世間一般では平田のような正統派なイケメンが持て囃されるのだろう。けれどね、人の好みは千差万別で、清隆の方が良いと思う人もいるんだ」

 

「……」

 

「そして清隆も何だかんだで男だ。女子に近寄られて悪い気はしないだろうね」

 

 さっき、波瑠加ちゃんに押し込んで貰った何かがまた口から漏れ出そうになってしまう。

 

「このまま流れ次第では、新学期頃には清隆と佐藤さんは付き合うことになるのかもしれない……いや、俺としてはそれでもいいんだ、それもまた彼の選択であり、考えなのだと祝福できる」

 

「ちょっと待ってねテンテン、また口から飛び出しそうになってるから……」

 

 波瑠加ちゃんがまた何かを私の口の中に押し戻す。

 

「しかし愛里さん、君もまた俺の友人であると思っている……そして機会とは平等に与えられるものだとも」

 

「わ、私は……その」

 

「あぁわかっているよ、難しいのだろう、勇気のいることでもあるんだろう……だが、踏み込まなければ何も得ることはできない。口を開けているだけで餌が貰えるのは雛鳥だけだ。その点で言えば佐藤さんは素晴らしい、まさに捕食者のそれだ」

 

「まぁ積極的な方が有利なのはそうかもね~」

 

 波瑠加ちゃんの相槌に私はますます追い込まれてしまう。

 

「もちろん、簡単なことではないんだろう。愛里さんは愛里さんで、自分のペースがある……しかしだ、これだけは忘れないで欲しい、清隆はモテるのだということを」

 

「そ、それは、その……でも、私は」

 

「あぁ、そうだね。俺はきっと、凄く難しいことを言っているんだと思う」

 

 カフェの机を挟んで正面にいる天武くんは、とても穏やかな表情をしている。凄く怖くて、それ以上に優しい人だって知っているけど、偶に父性を感じさせるような表情になると波瑠加ちゃんが以前に言っていたことを思い出す。

 

 そう考えると、もしかしたら私は天武くんに幼い子供のように思われているのかな?

 

「未来のことなんて誰にもわからない、当たり前のことだけど俺たちにできるのはより良い未来に踏み出すことだけだ。きっと佐藤さんはそれができる人なんだろうね」

 

 そして、それを出来ないのが私なんだと思ってしまう。ずっとそうだったから、これまでも、きっとこれからも。

 

「沢山悩んで、そして勇気ある一歩を踏み出して欲しい。それが俺の偽らざる本音だ。それは愛里さんへの言葉でもあるし、きっと清隆への言葉でもあると思う。ごめんね、凄く偉そうに語っちゃって」

 

「うぅん……そんなこと、ないよ。私が、いつも引っ込み思案だから駄目なんだと思う」

 

 これまでもそうで、きっと踏み出さなければこれからも同じなんだと思う。

 

 けれど、これまでと違うことがある……私には、入学当初では考えられないほどに、友人が出来たから。

 

 私や波瑠加ちゃん、啓誠くんや明人くんがDクラスに連れ去られて動けなくなった時、天武くんは恐れることも戸惑うこともなく助けに来てくれて、それはきっと凄く勇気のあることで、誰にだってできることじゃない。

 

 こんな風に、あの人のようになりたいと、天武くんはそう思わせるような人だと思う。胸の奥にある言葉では言い表せることのできない思いを、前に進めてくれる。

 

 憧れと、そう言えるものを、天武くんは私にくれたのかもしれない。

 

「わ、私に……何ができるかな?」

 

 そう伝えると、天武くんは穏やかに笑う。そして波瑠加ちゃんも。

 

「ん、男の俺に上手いアドバイスはどうにもね、波瑠加さんはどうかな?」

 

「う~ん、メイク変えてみるとか、眼鏡を外してみるとか……パッと思いつくのはその辺かなぁ~」

 

「確かに、印象は変わるかもね。オシャレや流行なんかは俺にはわからないけど、姿勢は大事だということはわかるよ。俯き気味よりも顎を引いて背筋を伸ばした方がキリッとした印象を与えられるだろう」

 

「でしょ? それじゃあ愛里改造作戦、行っちゃおっか?」

 

「え、え? あの、波瑠加ちゃん?」

 

「大丈夫、大丈夫、前から色々と弄ってみたかったんだよね~。愛里って素材はピカイチなのに、どこか損してるっていうかさ。良い機会だから試してみようよ。テンテンは後で男子目線の感想くれる?」

 

「了解した、任せてくれ」

 

 こうして引っ込み思案な私は少しだけ前に踏み出すことになる。きっと以前の私なら恥ずかしくてどうしようもできなかったことも、友達が支えてくれるのなら進んでいける。

 

 見た目だけじゃない、これから先、皆の足を引っ張らないように勉強も、そして運動も頑張らないといけない。

 

 この憧れが、その力をくれたのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天才と超人」

 

 

 

 

 

 

 

 クリスマスを二日後に控えた23日、学校も冬休みに入り学生たちは一時の安らぎを謳歌する中、私は今日とある人物と待ち合わせをしていた。

 

「御機嫌よう、天武くん」

 

「やぁ坂柳さん、御機嫌よう」

 

 ケヤキモール内にある個室を提供できるカフェの一室、夏休みに彼と話した場所と同じ部屋で私たちは落ち合う。個室に入って来た彼は穏やかな笑みを浮かべて私と真澄さんに挨拶をしてきます。

 

「神室さんも、御機嫌よう」

 

「うん」

 

 天武くんと真澄さんは同じ美術部なので接する機会も多い筈ですが、あまり親しい関係ではないようですね。いえ、あまり社交的ではない真澄さんがしっかり挨拶を返す辺り、一般的な男子生徒よりも親しいとも表現できます。

 

 きっと真澄さんは天武くんを脅威に感じて、同時に評価もしている、そんな所でしょうか。

 

「今日は急な申し出を受けてくださってありがとうございます」

 

「構わないよ。何か予定があった訳でもないからね」

 

「おや、そうなのですか? クリスマスも目前なのですから、浮き名の一つや二つ、流しているものだと思いましたが」

 

「そうであれたら華やかだったんだけどね。残念ながらそうはいかなかったよ」

 

 こちらの冗談に、彼は変わらず穏やかな笑みを浮かべながらそう返す。慌てるでも恥ずかしがるでもなく、いつも通りに。

 

 ふむ、こうも揺るがないと、それはそれでつまらないものがありますね。

 

「坂柳さんはどうかな? クリスマスの予定は?」

 

「残念ながらこちらも寂しいものです」

 

「そうか、君のクラスの男子は見る目がないようだね」

 

「ふふ、こちらの男子生徒にそう言ってあげてください」

 

 席に座った彼はココアとケーキセットを注文して、品が届いて僅かに喉を潤してから改めてこう言った。

 

「それで、どうして俺は呼ばれたのかな?」

 

「おや、友人をお茶に誘ってはいけませんか? 別にこれが初めてでもありませんよ」

 

「なるほど、じゃあお喋りしようか、友人らしくね」

 

「まあ話があるというのも事実なのですけどね」

 

「ん、聞こうじゃないか、お茶しながらね」

 

「えぇ、その前に……真澄さん、申し訳ありませんが、少し席を外してもらえませんか?」

 

「はぁ、何でよ?」

 

「彼と内密の話があるので」

 

「……それは、私には聞かせられないことな訳?」

 

「はい、知る必要がありません」

 

 そう伝えると真澄さんは渋々といった様子で個室の外に出ていきました。少し申し訳ない気持ちになりますね。後で沢山構ってあげましょう。

 

「良かったのかい?」

 

「聞かせられない話もするかもしれませんので」

 

 私がそう言うと、天武くんは僅かに警戒を高めました。普段の穏やかな表情も嫌いではありませんが、背筋を震わせるような鋭い雰囲気の方が好ましく感じますね。

 

「貴方に遠回しなことを言っても仕方がないと思うので、シンプルにいきましょうか……私としては、そろそろ綾小路くんと戦ってみたいのです」

 

「確か幼馴染と以前に言っていたね」

 

「あぁ、誤魔化す必要も取り繕う必要もありませんよ。私はホワイトルームに関してはある程度知っているので、彼の出自も存在理由も把握しています」

 

「ん……そうか、なら構わないか。その理由を訊いても?」

 

 こちらの全てを観測するかのような、底知れない何かを封じ込めた瞳が向けられる。

 

「偽りの天才を屠る、それではいけませんか?」

 

 きっとこの言葉は他者を納得させるには、色々と不十分なのでしょうね。

 

「私は綾小路くんに勝って証明したいのです。人工の天才など、作れる筈がないのだと」

 

 それが私の、あのガラスの向こう側にいる子供たちを見た時からの目標。

 

「君はもしかしてホワイトルームに否定的なのかい?」

 

「一定の理解と、一定の批判と言っておきましょうか。天武くんもそうなのではありませんか?」

 

「そうだね、同じ結論だ……しかし俺は君のような証明を求めたいとも思わないかな。だから疑問にも思うんだ、どうして坂柳さんはそんなことを思ったのか」

 

 どうしてかと問われると、思い浮かぶのは私を抱き上げながら同じようにガラスの向こう側を眺める父の姿であった。

 

 ホワイトルームという環境に、希望と憂いと悲しみを見出す父の顔が。

 

 そう考えると私の目標は、父の悲しみを打ち払いたいと言う、とても単純なものになるのかもしれません。私がホワイトルームを否定することでそこに繋がると、あんな施設は無駄なのだと証明できれば、その憂いが無くなるのかもしれないと考えたのが始まりになってしまう。

 

「ふふ、そうですね。お父様に喜んで欲しいから、それではいけませんか?」

 

 こんなセリフが返ってくるとは思わなかったのか、天武くんはココアが入ったカップを持ちながらキョトンとした顔をしています。

 

 彼のペースを少しだけ崩せたと思うと、どこか嬉しい気分になりますね。

 

「そうか……お父上の為にね、理由としては確かにそれで十分か。けれど清隆に勝ちたいのなら、今この場に呼んで何かしらの勝負でもしたらどうかな? 君が得意なチェスもある訳だしね」

 

「わかっていませんね。私はずっと彼に挑み勝利することを願っていたのですよ? だというのに、そんな形でなんてもったいない」

 

 そう、こんなカフェの個室でひっそりとだなんて、あまりにもつまらない。

 

 ロマンチストと笑われてしまおうと、彼との戦いは劇的でなければならない。意地と言われてしまえばそれまでになってしまうけど、重要なことですね。

 

「この人に勝ちたいと、そんな願いが、このカフェで叶ってしまうなんて……寂しいではありませんか」

 

 すると彼はクスクスと笑って見せる。微笑ましい何かを見つけたかのように。

 

「坂柳さんは俺が思っていたよりもずっと、ロマンチストのようだね……でも、うん、そうだ、劇的っていうのは大事なのかもしれないな、ロマンと言うのは大切だ」

 

「わかっていただけたようで何よりです……だからこそ、クラスを率いる天武くんに舞台を整えて欲しいんです。実はここに来る前に綾小路くんと接触したんですけど、あまり乗り気ではないようでして、天武くんに訊けと丸投げしてきたんです」

 

「全く、面倒事はこっちに押し付けてくるんだから困ったものだ……ん、どうせ俺たちもその内にAクラスに挑むつもりではあったから、都合が良いと言えるのかもしれないね」

 

「では?」

 

「あぁ、今後行われる特別試験の状況次第では、こちらから挑ませてもらおう」

 

「貴方ならば、そう言ってくれると思っていましたよ」

 

 綾小路くんも、こういった積極性は見習って欲しいものですね。

 

「しかし君は清隆を偽りの天才だと言うが、俺からしてみれば彼は十分に天才だと思うんだけどね。清隆が言うには彼以上の存在はまだいないみたいだし……ホワイトルームが凄いと言うよりは、単純に清隆が凄いんじゃないかって考えているんだけど」

 

「確かに、その可能性は否定できないでしょう。それを確かめる為にも、戦いたいんですよ」

 

「ん……君の考えは君だけのものだ。俺が否定した所でなんの意味もない」

 

 クスっと笑った天武くんは、カップに入っていたココアを飲み干す。

 

「どうなるかは今後の展開次第だけど約束するよ。俺たちは君たちに挑ませてもらう、矜持に恥じぬ戦いにしよう」

 

「えぇ、その時が来れば存分に」

 

 打てば響くようにこちらの望む言葉が返って来る。こういったやりとりは良いものですね。

 

「じゃあ話は済んだみたいだし、俺はそろそろ帰ろうかな。あまり神室さんも外で放置するのも悪いからね」

 

「おや、せっかくの冬休みにこうして場を設けたのですから、このまま遊びに誘ってくれても良いんですよ?」

 

「俺としてはそれはそれで嬉しいけど、神室さんと遊びに来たんじゃないのかい?」

 

「彼女は別に貴方を嫌っている訳ではありませんよ。遊びに誘うと照れながらなんだかんだと付き合ってくれると思いませんか?」

 

「なるほど……迷惑じゃないのならせっかくの機会だ、一緒に遊びに行こうか?」

 

 そんな誘いをしてくる天武くんはやはり照れた様子はなく、少しだけそれが腹立たしかった私は、こんな意地悪なことを言ってしまう。

 

 きっと彼ならば、私が望む言葉をくれるだろうと期待して。

 

「もうお忘れですか天武くん、私は貴方が思っている以上にロマンチストなんです。女性を誘う時は、それなりに雰囲気を整えて貰いませんと」

 

 冗談交じりに、しかし僅かな願いを込めてそう伝えると。彼はどこか納得したかのように頷いてから笑顔を浮かべました。

 

 こちらの意図が伝わったのか、彼は大仰に、そして舞台役者のように、大袈裟な動きで手を差し出してこう言います。

 

「坂柳さん、よろしければお手をどうぞ……こんな感じかな?」

 

「ふふ……はい、エスコートを許しましょう」

 

 彼は不思議な人だ。敵であり、友であり、超えるべき相手であり、遠くて近いそんな人と言えるでしょう。

 

 敵として立ち塞がっても、友として背中を預けても、不思議と安心感と納得を与えてくれるのは、彼の特徴と言えるのかもしれません。

 

 心地の良い時間を今は楽しみましょう。それはきっと、この学校でしか得られないものなのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「師匠からの誕生日プレゼント」

 

 

 

 

 

 それは破壊の化身であった。

 

 火山の噴火が人の形をしていれば、大嵐が人の形ならば、押し寄せる土石流が人の姿をしていれば、切り裂くような雷が人であったのならば、きっと彼女になるのかもしれない。

 

 立ち並ぶ障壁は悉くが粉砕されて、鋼鉄の戦車は見るも無残に薙ぎ払われる。銃口はその姿を捕らえることが敵わず、彼女の横断を止めることは難しかった。

 

 気まぐれにその破壊の化身が戦車の砲身を掴み取れば、ありえないことなのに戦車は小枝のように振り回される。

 

 戦車で戦車を吹き飛ばす、バットでボールを弾くかのように。

 

 ありえない光景であるが、そのありえないを現実にするのがその女であった。

 

 大地を踏みしめれば蜘蛛の巣状に砕け、拳を振るえば全てが粉砕される。

 

 雷が切り裂くように、地震が砕くように、その行動の全てが止められない。

 

 理不尽そのものとさえ言える彼女の蹂躙はそのまま続いていき、ものの五分でその場にいたあらゆる脅威がねじ伏せられるのだった。

 

 彼女の横断が終われば、そこに何も残ってはいなかった。

 

「うむ……よい戦いであった」

 

 その女は小枝のように振り回していた戦車を手放して静かにそう言った。そして静寂が広がった戦場に背を向けて離れていく。

 

 後に残ったのは何もない。そこにあった筈の基地もテロリストも兵器も、全てが消滅して瓦礫の山が残るだけである。

 

「弟子、そちらはどうだ?」

 

「あ、師匠、お疲れさまです。凄く疲れましたけど大丈夫そうです」

 

 少し戦場から離れるとそこには一人の少年が待っていた、或いは少女かもしれない。

 

 少年、もしくは少女が腰かけているのは走行不能になった戦車らしい。砲身がへの字に曲がり、キャタピラが外れたそれを椅子代わりにしているようだ。

 

「そっちはどうですか……聞くだけ無駄みたいですね」

 

「よい戦場であった」

 

「こっちは凄く大変でしたけど……あ、そうだ。師匠、どうすれば戦車って楽に倒せますか?」

 

「殴る」

 

「他には?」

 

「蹴ればいいさ」

 

「……他には?」

 

「投げればいいだろう」

 

「すみません……俺には難しそうです。もっと手ごろな方法ってありませんかね。こいつを壊すのにも結構苦労したんですよ」

 

 そういって少年はポンポンと自分が腰かけている壊れた戦車を撫でる。

 

「これはどうやって壊したんだい?」

 

「えっと、言われた通り射角の内側に入ってから飛び移って砲身を折り曲げて、その後にキャタピラと車輪を壊しましたけど、凄く大変なんですよね。だからもっと楽な方法がないかなって……なんかいい感じの技とか教えてくださいよ」

 

「技なんてものは基礎を天まで積み上げてからの話だよ」

 

「え~、ダメなんですか?」

 

「うむ……いや、そう言えばそろそろか」

 

 師匠と呼ばれた女は懐から手製の懐中時計を取り出す。百年ほど前に気まぐれに作ったそれは今も変わらず針を進めていた。

 

 二つの秒針は真上でぴったりと重なっている。つまり今は一日の始まりである。

 

「はぁ……私もつくづく君には甘いな。良いだろう弟子よ、君に技を一つ授けよう」

 

「良いんですか? どうして急に心変わりしたんです?」

 

 その質問に懐中時計を見せつけられた。

 

「今日は一月一日……ここだとあまり実感はないだろうが、今頃日本では新年の始まりだ。つまり、弟子の誕生日だよ」

 

「あ、そっか、もうそんな時期なんですね。今年はずっと海外にいたからそんなこと忘れてましたよ」

 

「一月一日は特別な日だ。年を一つ変えることができる。そして君の誕生日、なら特別な贈り物が一つくらいあっても許される」

 

「なら技を教えてくれるんですね!?」

 

 興奮したように跳ねまわる弟子に、師匠は僅かに笑顔を浮かべて頷く。

 

「よく見ていなさい。戦車に有効な技の一つだ」

 

 師匠は拳を振って弟子が座っていた戦車の残骸を叩く。すると除夜の鐘でも打ち鳴らしたかのような『ゴ~ン!!』という重厚な音が戦車から響く。

 

「こうやって上手く衝撃と振動を内部で反響させるんだ。すると戦車の中にいる連中は全員意識を失う。壊す必要もなく無力化できるだろう」

 

「なるほど、便利ですね」

 

「やってみなさい」

 

 弟子も師匠を見習って戦車を叩く、しかし重厚な音は響くことはない。

 

「すいません師匠、もう一度見せてください」

 

「こうだ」

 

 また重厚な鐘の音が響く。そして弟子はその音を再現するかのように、師匠の動きを真似て戦車を叩く。すると一度目よりもマシな音になるのだった。

 

「もう一度お願いします」

 

「こうだ」

 

 三度目、師匠はまた重厚な音を戦車から響かせる。そして弟子もまた三度目の正直とばかりに戦車を叩くと、全く同じ音を響かせて見せる。

 

「どうですか師匠!? 完璧ですよね?」

 

「うむ、見事だ。流石は我が弟子だ……とはいえ、動いている相手にするとまた難しい。鍛錬あるのみさ」

 

「はい、ありがとうございます!! よく考えてみると、師匠に初めて技を教えてもらいましたね」

 

「誕生日だからね、そんなこともあるよ……嬉しいかい?」

 

「はい、最高の誕生日になりました」

 

 弟子がとても嬉しそうな顔を見せると、師匠もまた穏やかな笑みを浮かべる。

 

 こんなこともあってか、この師弟は毎年、新年になると誕生日プレゼントと称して技を教えることになるのだった。

 

 弟子にとっては、師匠から授けられる最高のプレゼントであると言えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ!? ゆ、夢か?」

 

 なんだかこの感覚も久しぶりに感じるな。最近は鳴りを潜めていたからもう来ないのかと油断していたが、そんな隙を突くかのように突然にやって来たか。

 

 来るなら来るであれだが、来ないなら来ないで寂しいものがある……そう考えるとなかなかに翻弄されているのかもしれない。

 

 だが良いだろう、待ちわびたぞ……楽しみにすらしていたんだからな。

 

 眠っていたベッドから体を起こしてスマホを確認すると、時刻は一月一日の朝八時を示している。

 

 今日は新年の始まりで、オレの友人である天武の誕生日であった。

 

 プレゼントとしてカップラーメンの詰め合わせとハムとソーセージを買ってあるので準備は済んでいる。もう少ししたら渡しにいくとしよう。

 

 だがまだ時間はあるので、さっきまで見た夢の内容を思い返す。

 

 どこかの国の、どこかの戦場で、とある師弟が絆を育む夢であるが、流石に現実感が無さすぎるな。戦車を振り回したりそれで殴りつけるだなんて、まるで漫画の世界だ。

 

 ありえない、人類にできることじゃない。だからオレは素直に思ったことを口にするのだった。

 

 

 

「いや、そうはならんやろ」

 

 

 

 どうした訳か関西弁になってしまったが、その理由はオレにもわからなかった。

 

 

 

 

 

 



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合宿編
始まる前に終わらせることが本物の戦略


合宿編の始まりです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「猪狩先輩、教えてくださいよ。一体誰を道連れにするのか皆さん気にされていますよ」

 

 

 

 南雲先輩の楽しそうな声が聞こえて来る。それはとびっきりのドッキリが成功したかのように誇らしそうで、同時に隠し切れない快楽を感じさせるものであった。

 

 実際にそうなのだろう。彼にとってこの状況は夢にも見るほどに待ちわびたものであり、胸を高鳴らせながら今か今かと妄想した瞬間でもあるのだろう。

 

 ならば笑みの一つでも浮かべるのが自然だろうし、面白くて仕方がないと興奮するのも当然なのかもしれない。

 

 南雲先輩の言葉にザワザワと生徒たちに動揺が広がっていく、その中心人物の一人でもある3年の猪狩先輩はこう言った。

 

「決まってるでしょ。私たちのグループの平穏を乱した、Aクラスの橘茜さんよ」

 

 そして彼女はわかりきっていた言葉を発する。こうなると一週間以上も前にわかっていた言葉を。

 

 ここに橘茜先輩は不合格となり、この試験で失格することになる。全ては南雲先輩の想定通りに。

 

 自分の計画が完璧に終わったと確信したのだろう。彼は大仰に手を叩いて堀北先輩に賞賛を贈り、勝者を称えている。

 

「奇想天外、いや規格外の戦略とでも言っておきましょうか。俺の手を読める人間なんて一人もいません。堀北先輩、貴方を含めて誰にもね」

 

 楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。生徒たちの困惑を他所に南雲先輩の煽りは続いていった。

 

 彼の中ではまさに完璧であり、この場の支配者という図式が出来上がっているらしい。どうやらまだ、自分がピエロになっていることには気が付いていないようだ。

 

「教えてくださいよ橘先輩。生徒会役員を務め上げ、3年Aクラスの卒業を間近に控え、そして退学していく気分はどんな気分ですか。そして、堀北先輩。今の気持ちは? きっとこれまでに感じたことのない、苛立ちに包まれているんじゃないスか?」

 

 まだ結果発表が完全に終わっていないことに気が付いていない南雲先輩は、堀北先輩にそんなことを訊いている……そろそろ口を閉じた方が良いかもしれない。喋れば喋るだけこの先が惨めになるだろうから。

 

「堀北先輩、どうしました? もしかしてショックで唖然としていらっしゃいます?」

 

「南雲、まだ結果発表は終わっていないぞ」

 

 堀北先輩は冷静そのものであった。当たり前だ、こうなることをわかっていたのだから、苛立つことも焦ることもない。心構えは出来ていたのだから。

 

「どういうことスか?」

 

「そのままの意味だ、まだ結果発表は終わっていない」

 

 生徒たちの混乱とざわめきで中断されていた試験の結果発表を促すかのように。堀北先輩は教員に視線を送った。

 

「え~、不合格者はもう一人いる……2年D組にもだ」

 

 そう、不合格者はもう一人いた、ただそれだけのことである。そしてこの試験のルールでは、足を引っ張ったとされるもう一人を指名して道連れにして退学にすることができる。

 

 だから橘先輩は退学になり、そしてこの人もまた同じ状況に追い込まれることになるのだった。

 

 道連れとして指名される人物は――――。

 

 

「私は、2年Aクラスの朝比奈さんを道連れにします」

 

 

 わかりきっていた言葉を彼女もまた口にした……最初から最後までこの試験は茶番に満たされていた。それだけの話である。

 

 

「え、は? な……ど、どういうことだ? なんで……へ?」

 

 

 その発表に南雲先輩は唖然として困惑している。完全に予想外の状況だったのだろう。

 

「茶番だな」

 

「ん、そうだね」

 

 大勢の生徒たちに交じってこのやり取りを眺めていた俺と清隆はそんな会話をしていた。

 

 

 さて、時間を戻すとしよう。このどうしようもない茶番劇が始まったのは、この合宿試験が始まるよりも前のこと、三学期となり全学年合同で合宿があると告知された時まで遡ることになる。

 

 「殴りかかって来るのなら、殴り返そう作戦」が動き出したのは、俺に届いた一通のメールからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ」

 

 冬休みも終わって三学期が始まってすぐのこと、俺のスマホには上級生からとあるメールが届いた。

 

「天武、どうした?」

 

「いやね、二年に作ったスパイから情報提供があってさ。あ、三年の先輩からも来たな」

 

「三年にも作ってたのか」

 

「いや、俺が大量のポイントを持ってることを嗅ぎつけて来たみたいだからさ。面白い情報があれば買い取るって話をしたんだよ」

 

「二年のスパイはあれか、ひまわりの髪留めをした、あの女子生徒か?」

 

「そっちじゃなくて買収した方だよ……メールによると、近々行われる試験で南雲先輩が動くらしい。狙いは堀北先輩ではなく橘先輩みたいだけどね」

 

「あの変な髪型した方か……特定の生徒をピンポイントで退学させるのは難しいと思うけどな」

 

 放課後になり、清隆の部屋でチェスでもしながらどっちが飯当番をするのか決めようとしている時に、こうしてメールが届いた状況である。

 

「そうだね、難しいだろうけど、生徒会は試験の内容やルールに多少なりとも介入できるらしいから、学校側に咎められないような隙間でも作って上手いことやるんじゃないかな」

 

「そういうものか」

 

「試験の内容がわからないことには何とも言えないけど。直接狙えばどうしても目立つし、堀北先輩が阻止しない訳もない……だとしたら、物理的な距離を取ってフォローできない状況を作るだろうね」

 

「ホームルームで告知された合宿は、そういった状況が作りやすいかもしれないな」

 

 詳しい説明こそ無かったが、クラスどころか学年全体で遠出をするという話は聞かされている。

 

「まぁ今回は二年と三年の……正確には南雲先輩と堀北先輩の争いだ。一年は蚊帳の外にいられるかもね。狙われていると忠告だけはしておこうか」

 

 この情報を事前に堀北先輩に渡しておけば、どうにでも対処するだろう。来るとわかっている作戦なんて何の脅威にもならないんだから。

 

 そんなことを考えながらチェスの駒を動かしていると、清隆の手が動かなくなった。

 

 視線を盤上から彼の顔に向けてみると、顎に手を当てて考え込んでいるのが見えた。チェスでの長考ではなく、別の方向に思考を広げているらしい。

 

「清隆、どうした?」

 

「いや、せっかく相手の出す手がわかっているんだ。あいこで終わらせるのもな」

 

「なるほど、良い機会であるとも言えるのかもね」

 

「現状わかっているのは、近い内に特別試験が行われること、そこで生徒会長が堀北兄に近しい女子生徒を狙うことだな」

 

「あぁ、けれどあからさまなことをすれば目立つ。堀北先輩だって阻止するだろう……ふむ、もう少し詳しい情報や動きを集めておくか」

 

「そうしてくれ、ある程度の情報が出揃ったら、作戦を立てよう」

 

「清隆、なんだかラスボスみたいな顔になっているよ」

 

 こうして届いたメールを起点に俺たちは動き出すことになる。二年と三年に作ったスパイから情報を仕入れて、より南雲先輩の動きを把握していくことになるのだった。

 

 

 

 これが合宿が始まる数日前のこと、そしてここから先が二日前のことになる。

 

 

 

「急にお呼びしてすいません。直接会って話しておきたいことがありまして」

 

「構わない、南雲の動きがわかったと電話では話していたが、詳しく聞きたい」

 

 時刻は深夜零時、この時間になると学園も明かりが少なくなって随分と暗くなる。街頭の光はあるがケヤキモールも学校も寮も明かりが抑えられる、そんな時間帯であった。

 

 以前に龍園を呼び出した時に、四人で話したあのベンチで待っていると堀北先輩が姿を現して隣に腰かける。

 

「本当に、橘が狙われるのか?」

 

「こちらがスパイから仕入れた情報ではそうなっていますよ」

 

「……」

 

「信じたくないと、そういった顔をされていますね」

 

「そうだな。俺は南雲を信頼している。考え方や方針の違いこそあれど、その実力は認めている。それにこれまで南雲はこちらの信頼を裏切ったことはない」

 

「俺の知らない時間と信頼を積み重ねて来たのは容易に想像できますね。けれど彼は次の試験でそれをやるつもりのようです」

 

「いや、それは……」

 

 南雲先輩を危険視しながらも、その実力はしっかり認めていているのだろう。きっと様々な信頼を積み重ねていた筈だ。けれど俺からしてみるとイマイチその考えがわからない。

 

 大量の退学者を意図的に出している相手に向ける信頼とは、一体どんなものなのだろうか?

 

「堀北先輩、こんなことを言いたくはありませんけど、信頼と信用を重ねてはいませんか? 南雲先輩の実力を信用する事と、彼を信頼することはまた違いますよ? 貴方は以前に南雲先輩は大量の退学者を出すかもしれないと言っていましたけど、そんな人に向ける信頼ってなんでしょうか」

 

 だがこれは南雲先輩の振る舞いがそれだけ上手いと言うことなのかもしれないな。長い時間をかけて信頼と信用を混ぜ合わせていったんだろう。

 

 悩む様子の堀北先輩は、こう言ってはなんだが普通の学生のように見えるな。当たり前のことだけど完全完璧な存在なんている筈がないので、自然なことでもある。

 

「橘先輩が狙われている。これは間違いありません。それを踏まえた上で作戦を立てたんですけど、とりあえず耳を傾けてください」

 

「わかった……聞こう」

 

「あちらが橘先輩を狙ってくるのなら、こちらは朝比奈先輩を追い込みましょう」

 

「おい」

 

「落ち着いてください。別に退学させようって話ではありません。そういう台本を作ったんです。疑問や問題点は全て聞いてからにしましょう」

 

「……」

 

「まず次の合宿で何らかの特別試験が行われる、そうですよね?」

 

「それを答えることはできない。元生徒会長として特定の生徒に有利な情報を流すことはできないからだ」

 

「現生徒会長はその試験をしっかり把握して自分に都合よく動かしているというツッコミを入れたいんですけど……いや、まぁそこはどうでもいいか。ではこちらが集めた情報から組み立てた推測で良いので聞いてください」

 

「あくまで推測だな?」

 

「えぇ、貴方は何も情報を漏らしてはいませんよ……それで推測なんですが、次の試験では全学年合同で何らかの試験が行われる。林間合宿という状況から考えるに大規模かつ複雑なものが」

 

「……」

 

「きっと大規模過ぎて細かい所まで目が届かないんでしょうね、それこそ男女に分かれて行動するとかなら尚更だ。しかもこちらが入手した情報では、妙なルールやペナルティも多く、南雲先輩は細かく口を出しているとか。俯瞰してこの状況を見てみると、橘先輩を孤立させて狙えると思いませんか?」

 

「確かに、できなくはないだろう……だが解せないな、それがどうして朝比奈を狙うことに繋がる?」

 

 まぁそこは疑問に思うだろう。俺としては情報だけ堀北先輩にわたして後は丸投げでも良いと思うけど、ラスボスっぽい顔をした清隆がやけに楽しそうに作戦を立てていたので邪魔するのも悪い気になってしまった。

 

「そこに関してもしっかり説明しますよ……もし橘先輩が退学になりそうなら、貴方はどうしますか?」

 

「救済する、当然だ」

 

「その際の罰則は……聞くまでもありませんね」

 

「あぁ」

 

「それこそが南雲先輩の狙いなんでしょうね。救済するのなら少なくない損害が、見捨てたら見捨てたで貴方には深い傷を負わせられる。どちらに転んでも南雲先輩に損はない」

 

「そんなことの為に、橘を狙うか……」

 

「でもそれって、なんだか悔しいじゃないですか、やられっぱなしで相手は高笑いしてるんですよ? ならこっちから殴っても良いじゃないですか、同じ方法でね」

 

「だから朝比奈か……」

 

「殴ろうとするのなら、殴り返される覚悟を持たなくてはならない。そんな当たり前のことを教えましょう。けれど俺は朝比奈先輩を追い込みますけど退学にさせるつもりはありません。こちらも救済して貰いましょう、当然南雲先輩が身銭を切って」

 

「言いたいことはわかった。だが、もし南雲が朝比奈の救済を行わなかったらどうするつもりだ?」

 

 確かに、ありえない話ではない。けれどあの人はプライベートポイントもクラスポイントも潤沢だろうからそこまで大きなリスクという訳でもない。

 

「五分五分って所ですかね」

 

「だとしたら協力はできない。故意に退学に追い込むことなど賛同はできないからだ」

 

「ですが、この可能性を九割九分に上げる方法がありますよ」

 

「それはなんだ?」

 

「同様に橘先輩を退学するかもしれない状況に追い込むことです」

 

「……意味がわからん」

 

「南雲先輩の前で、貴方が橘先輩を救済するんですよ……貴方にできて、自分にはできない、それは彼にとって最大の屈辱であり、完全敗北を認めることになりますから」

 

「だから同じ状況の朝比奈を救済するか……お前は俺以上に南雲を理解しているのかもしれないな」

 

「意外に人間臭い所がある人ですよね、面白い人だ」

 

 そこで堀北先輩はベンチに座った姿勢で深く考え込む、こちらの作戦を吟味しているようだ。

 

「先輩、貴方は以前に俺たちに南雲先輩の抑止になって欲しいと言いましたよね?」

 

「そうだな」

 

「後輩にだけリスクと負担を押し付けるのは、先輩としてどうなんですかね?」

 

「ほう、だから俺にも同様の物を背負えと?」

 

「はい。具体的には、罰則を受け入れてこの茶番劇に橘先輩と一緒に参加してください。そして一緒に南雲先輩に教えてあげましょうよ、殴るのなら殴り返される覚悟を持てと」

 

「クラスメイトたちに迷惑をかけてしまうだろうな」

 

「絶対に嫌だと言うのならば強制はしません。橘先輩を守ってそれで終わりでも全然構いませんよ……けれど貴方は南雲先輩の抑止になれと俺に言った。違いますか?」

 

「今、少し後悔している所だ」

 

「清濁も良し悪しも利益も不利益も飲み込んで、進んで行くことも重要です……そうですね、踏ん切りがつかないと言うのならば、もし今回の一件で貴方のクラスが被った被害から立ち直れそうにないのならば、こちらがバックアップするというのはどうでしょうか?」

 

「いや、そこまでは頼めない……」

 

 瞼を閉じて深く考え込む堀北先輩は、暫くしてから溜息と共にこう言った。

 

「ふぅ……良いだろう。確かにお前の言う通り、後輩にだけリスクを押し付けることはできない。この茶番劇に乗ろう」

 

「決まりですね」

 

「だが最後の疑問がある。朝比奈は、お前の予想通りに動くのか?」

 

 朝比奈先輩が南雲先輩に助けを求めれば、確かに追い込むことは難しくなるかもしれない。けれどそこも問題はなかった。

 

「安心してください。必ず朝比奈先輩は橘先輩と同じ状況になります。だってこの茶番劇の参加者なんですから」

 

「なんだと……まさか」

 

「えぇ、話は通してあります。何も知らないのは南雲先輩だけだ」

 

「……南雲が哀れだな」

 

「彼から始めた戦いですからね、何とも言えませんよ」

 

 堀北先輩はまた深く考え込む。

 

「笹凪、一つ誓いを立てろ」

 

「何でしょうか?」

 

「もし、この台本通りに進まず。南雲が朝比奈を切り捨てた時は、お前が必ず救済しろ……平たく言えば、絶対に退学者を出すな」

 

「言われるまでもありません」

 

 俺はベンチから立ち上がって姿勢を正して自分の心臓に拳を持っていく。

 

「俺の名と、矜持にかけて、万が一の時は必ず救済します。誰一人として退学者はだしません」

 

「具体的には?」

 

「朝比奈先輩の救済に必要なプライベートポイントとクラスポイントを俺のクラスから出します……もちろん好きでやりたいことではありませんが、俺もまたリスクを背負いましょう」

 

「お前のクラスメイトが納得するとは思えないがな」

 

「全員に2000万配れば納得してくれますよ」

 

「なるほど、確かにお前の資金力ならばそれも可能だろうな……良いだろう、その誓い、決して忘れるな」

 

「矜持を掲げた誓いです、死んでも汚すことはしません」

 

「二年の協力者に関してはどうするつもりだ?」

 

「そこは安心してください。南雲先輩が掲げるあるかどうかもわからない実力主義よりも、目の前にある2000万ですよ」

 

「既に買収済みか」

 

「えぇ、二年はあの人を中心に纏まっているって話でしたけど、それは信頼からではなく諦めと妥協の先にあるものですからね、ポイントを目の前に持っていけばすぐに食いついてきました」

 

 こうして、この茶番劇が始まることになるのだった。橘先輩を嵌め殺そうとしている南雲先輩をぶん殴る為に、朝比奈先輩を嵌め殺すという茶番劇だ。

 

 ここに結末が確定することになる。何も知らないのは南雲先輩だけになる。

 

 つまり彼は、約束された敗北に突き進んでいくことになるということだ。

 

 

 だがまあ仕方がないんだろう、殴りかかって来るのだから、殴り返すだけである。

 

 そんなことすら理解できていないのならば、彼は戦いの場に立つ資格すら持っていないということになってしまう。そんなことはないと信じたい。

 

 始まる前に全てを終わらせる。どう勝つかではなくどう終わらせるかを考える。

 

 

 師匠曰く、戦術ではなく戦略的思考こそが大事。

 

 

 こうして南雲先輩は、敗北が確定した戦いに挑むことになるのだった。世は無常である、せめて少しでも悲しみが減るように願って仏像でも彫るとしよう。

 

 

 

 



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そして引き金に指がかかった

既に結末がネタバレされているので、ここから先は南雲パイセンが喋る度に「でもこの人もう負けてるんだな」と思いながら御覧ください。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トンネルを抜けるとそこは雪国だった……という表現を一度くらいはどこかで使いたかったのだが、残念なことに雪深い光景といった風景はなく、寧ろ白い色は少ない方であった。

 

 三学期が始まって間もなく、俺たちはクラスだけでなく学年すら飛び越えて全校生徒が一堂に会することになる特別試験に挑む為にバスで移動をしている。

 

 ちょっとした旅行気分になるのも仕方がないのだろう。実際に俺もこうしてバスで長距離移動していると、少しばかりワクワクとした気分になってくるものだ。

 

 夏に豪華客船に向かう時もバスの中で同じ気分になったことを思い出す。ただこの学校は見事にそんな期待を裏切ってくれたのだけれど。

 

 そして今回もまた同様だ。このバスは旅行の為に走っているのではなく、俺たちを特別試験の会場に送る為に動いているに過ぎない。

 

 悲しいことに、この学校の異常っぷりはもう誰もが身に染みてわかっている。

 

「天武くん、どう思うかしら?」

 

「まぁそろそろなんじゃないかな……少し緊張しているようだね」

 

「えぇ、少しだけね……けれど程よい感じよ、固くなるほどではないわ」

 

「ん、なら何も心配はいらないかな。今回も頼むよ」

 

 隣の席に座っている鈴音さんにそう伝えると、彼女は微笑を見せてくれる。

 

 ここ最近、特に体育祭以降は、こうして彼女の微笑みを見る機会も多くなったと思う。普段のキリッとした雰囲気とのギャップでドキリとするのはきっと俺だけではないのだろう。

 

「どんな試験が来ても、貴方がいれば越えていけるわ。もちろん、私も全力を尽くす」

 

「あぁ、いつだって頼りにしているさ」

 

 日頃の感謝を込めてそう伝えると、彼女はまた小さな笑顔を見せてくれるのだった。

 

 ふと視線をバスの中に向けてみると、先程茶柱先生から説明された特別試験の内容に困惑しているクラスメイトたちの姿が見える。緊張だけでなく興奮も見えるのは成長したと言えるのかもしれないな。

 

 来るなら来いと、そういう心構えを持てるようになったということだ。入学した当初はDクラスで不良品の烙印を押された俺たちが、この位置にまでようやく来れたのは素直に嬉しい。

 

 ふと清隆はどうしているのかと探してみると、啓誠の隣でのんびりと窓の外を眺めていた。

 

 そんな彼の横顔を少し離れた位置からチラチラと見ているのは軽井沢さん、龍園との一線で色々とあって、その時に清隆から関係の解消を持ち出されてからはかなり複雑な関係となっているらしい。

 

 チラッと視線を清隆にやって、すぐに逸らし、しかし数分後にまた視線を向ける。さっきからずっとそれを繰り返している。

 

 そしてそんな軽井沢さんを、佐藤さんと松下さんがまた見ている、なかなかに複雑な感じとなっていた。

 

 佐藤さんとの交際は断ったらしいが、これからどうなるのやら……清隆の今後が楽しみである。

 

「今回の試験は、さっき茶柱先生が言ったように、男女にわかれることになる。鈴音さん、そっちは任せるよ」

 

「わかっているわ、貴方も抜かりのないようにね」

 

 最後に俺と彼女は拳をコツンとぶつけあってバスから降りることになる。高速道路を下りたバスが辿り着いたのは山深い田舎だ。

 

 こういう雰囲気は師匠と暮らしていた神社を思い出すな。あそこも麓に下りればこんな場所が広がっていた。

 

「あーさみぃ!」

 

 池のそんな言葉に思わず納得してしまうほどに寒くはあるな。吐き出す息も白く濁っている。

 

 バスから降りた俺たちの前に広がっているのは大きくも古めかしい校舎が二つ。全校生徒を受け入れるだけあって校舎もグラウンドもなかなかに大きい。

 

 男女にわかれてそれぞれ動き出す。それも全校生徒なのでやはり試験の規模はとても大きく複雑なものになるのだろう。クラス単位での行動も不可能で、だからこそ目が届かない場所や角度も出て来る。

 

 まさに、堀北先輩の視界から橘先輩を遠ざけるには持って来いの場所と言える状況だ。

 

 同時に、南雲先輩の視界から朝比奈先輩を遠ざけるにも持って来いの場所であると、きっと気が付いてはいないんだろうな。

 

「バスの中の事前説明で、各自、試験の内容は理解できていると判断させてもらう。よってこの場で改めての説明は行わない。ではこれより、小グループを作る為の場、時間を儲けさせてもらう。各学年、話し合いのもと6つの小グループを作るように」

 

 全学年の男子生徒は校舎に隣接されている体育館に集められる。そこで他学年の教師と思われる男性が壇上に立つと、拡声器を使ってそう指示を出した。

 

 今回の試験は全学年で、そしてクラスを問わずに挑むことになる形だ。グループ分けに関しても生徒の自主性に丸投げであり、おそらく女子側も似たような説明を受けていると思われる。

 

 さてどうグループ分けをするべきか、この体育館に集まった男子生徒たちがそれぞれ牽制するかのように迷う中で、ただ一人この男だけが前に出た。

 

「我々Aクラスは、見ての通りこのメンバーで一つのグループを構成するつもりだ。現在のグループの人数は14人で、あと1名が参加すれば必要な面子が揃う。それでは参加を募集しよう」

 

 その男とは葛城であった。Aクラスの代表としてドッシリと構えて俺たちにそう言った。

 

「葛城、それがAクラスの方針なのかな?」

 

「そうだ」

 

「理由を聞こうじゃないか」

 

「見ての通りだ。今回の試験は複雑極まる。可能な限り同クラスで纏まりたい」

 

 彼らしい安定志向な考えであり、これもまたこの試験に挑む上で一つの回答でもあるのだろう。

 

 実際に同じクラスの面子で集まれば、連携も簡単で不測の事態にもすぐさま対応できる。そう考えると悪い判断でもない筈だ。

 

「おいおい、何勝手ぬかしてんだよ。お前らだけズルいだろうが」

 

 葛城の提案に須藤がくってかかるが、彼は特に気にした様子もなく受け流す。

 

「そうでもない筈だ。こちらの提案では一グループを構成する人間が最大で2クラスの生徒だけになる。ならば1位を取った時の倍率も低い。こちらにだけメリットのある強欲な提案ではないはずだ」

 

「そうだね、けれど完全に納得できないこともわかって貰いたいものだ。葛城にだってそれはわかっているようだから、君の方針を受け入れるメリットを提示して欲しい」

 

「うむ、代わりと言ってはなんだが、こちらのグループに入ってくれる者には一切の責任を負わせないことを約束しよう」

 

「道連れにはしないってことだね?」

 

「その通りだ。もちろん、明らかに足を引っ張らなければという条件は満たして貰うつもりだがな」

 

「ん……悪い話でもないね」

 

 こっちの失格ラインにいる者を保護して貰うとも考えられる。成績不振の生徒を安全圏に置けるということだ。

 

「神崎、君はどう思う?」

 

「メリットもデメリットもあるが……問題なのは龍園クラスだ」

 

 ウチのクラスと神崎のクラスで残ったグループを作ることは問題ないと彼は言う、やはり気になるのは龍園の動きであるらしい。

 

「ククッ、随分とまぁ警戒されたもんだ」

 

「当然だ。これまでのお前の動きを考えれば警戒しない方がおかしい」

 

「だそうだぜ笹凪、お前の考えはどうだ?」

 

 清隆に散々ボロボロにされた体を癒した龍園は相変わらず蛇のようなしつこい雰囲気を漂わせており、以前より鋭さが増したかもしれない。

 

 既に開き直っているな、手強くもあるが同時に面白いとも思う。

 

「提案なんだが、俺たちと神崎たち、そして龍園と残ったAクラスの面子でグループを作ろう。それぞれ4クラスで面子を埋めるんだ」

 

 ここでどれだけ悩もうが結局はそうするしかない。葛城の方針を受け入れた時点でだ。

 

「まて笹凪、CとBでグループを作って、Aクラスの残りは龍園に丸投げするという選択肢もある筈だ」

 

「あぁ、けれどそれだとポイントが狙えなくなってしまう」

 

「だとしても、龍園を懐に入れることになるんだぞ?」

 

「それなら、問題児は俺が引き受けよう」

 

「笹凪が抑えるという訳か……出来るのか?」

 

「そうじゃなきゃいつまでも話が終わらないだろう。俺のグループに龍園と石崎と山田、Aクラスからも何人か入れて、神崎たちからは無難な奴を寄こして欲しい。面倒な奴は俺が引き受けるよ。それならそっちも受け入れやすいんじゃないかな?」

 

「それは、多少はマシになるだろうが」

 

 神崎の龍園に対する不信感が凄まじいな。当然のことではあるんだろうけども。

 

「しかし大丈夫なのか? もしもの時はお前が責任を負わされるんだぞ?」

 

「問題ないよ」

 

 別にこの言葉は楽観視して言った訳じゃない。龍園には俺に損害を与えられない理由がしっかりとあるからだ。

 

 龍園は体育祭で俺がノリと勢いで渡したポイントをこっちに全て返してきたので、それが答えだ。

 

 つまり俺は、龍園クラスがAに上がれなかった時の最終手段となっている。ならばここで無駄に損害を与える可能性は低い。俺の首が飛べばそのまま最終手段も吹っ飛ぶからだ。

 

 だから龍園は俺を裏切れない。それを行うほど馬鹿ではない。

 

 もちろんこれは龍園を警戒しない理由にはならないが、今は問題ないだろう。

 

「笹凪、お前に提案だ、今回のグループの責任者は全て俺のクラスで仕切らせろ」

 

 ほら見ろ、クラスポイントを露骨に取りに来た。

 

「ふざけるな。そんなことを認めるとでも思うのか?」

 

「テメエには聞いてねえよ三下……で、どうなんだ?」

 

 神崎の主張を完全に蹴り飛ばして龍園は俺にだけそう言って来た。やっぱりこいつ開き直ってるな……面白いじゃないか。

 

 ならば彼はきっとこの提案に乗って来る筈だ。

 

「はいわかりました、とはいかないかな。相応のメリットを提示して欲しい」

 

「はッ、葛城と同じように道連れする奴を自分のクラスから選ぶなってか?」

 

「加えて、今回の試験で得たプライベートポイントをこちらに譲ってほしい」

 

 以前の龍園ならばこんな提案は一笑にして蹴ったことだろう。大真面目に8億貯めようとしていた彼ならば。

 

 しかし今は違う、龍園はその役目を俺に任せた状態である。プライベートポイントよりもクラスポイントを優先する戦略に切り替えたのだ。自分のクラスをAに上げて俺たちを蹴落としこちらの完全勝利を否定する為に。

 

 ならば、重要視するのはクラスポイント、プライベートポイントではない。

 

 こう言った方が良いだろうか、龍園は俺にプライベートポイントをやるからクラスポイントを稼ぐ機会を寄こせと主張しているのである。

 

 だから彼は俺の提案を受け入れる筈だ。だって彼は俺の財布を当てにして行動する気であり、そこを完全に開き直っているのだから。

 

「構わないぜ、今回の試験で得たポイントは全てお前にくれてやる」

 

「な、正気か!?」

 

 こちらの事情を知らないので神崎の驚く声も自然なことではある。

 

「笹凪、あの龍園だ。どこで裏切るかわからない」

 

「大丈夫さ」

 

「その根拠はなんだ?」

 

「俺と彼は、ライバルだから」

 

「……」

 

 訳がわからないといった顔を神崎はした。こればかりは理解が難しいだろうな。

 

「龍園、とりあえず君と石崎と山田、ウチからは俺と清隆と……後は高円寺かな。残りのメンバーは君と神崎に任せるよ」

 

 今挙げた面子は、グループ決めの際に避けられるであろう存在。つまりはババ抜きのジョーカーであるのでこちらで纏めておきたい。後は適当で良いだろう。

 

 こいつらを放置しておくといつまで経ってもジョーカーの押し付け合いで話が終わらないだろうからな。

 

「神崎、俺は龍園の提案に乗るよ。君はどうする?」

 

「……龍園はお前が抑えろ、良いな?」

 

「任せてほしい」

 

 最終的には神崎もこの提案を受け入れることになった。全く納得していない様子であったが。

 

 こうして1年の小グループ分けは終わることになる。こちらが所属することになったグループは龍園を責任者にして石崎と山田、俺と清隆と高円寺、Aクラスからは橋本と戸塚、そして神崎たちのクラスからは墨田と森山が選出される。

 

 一番可哀想なのは、この面子に放り込まれたCクラスの2人だろうな。今も龍園たちから放たれる不良オーラにビクビクとしていた。

 

 龍園も面白い奴だ。ここまで開き直られると、いっそ清々しいとさえ思ってしまう。

 

 きっと彼はこれからも俺の財布を当てにして、前提にして動く筈だ。プライベートポイントなんてくれてやれ作戦とも言える。

 

 自分のやらかしで減ったクラスポイントをある程度のラインまで上げるまでは、こちらにも利益を提示しながら大人しくしている筈だ。

 

 なにより龍園には、Aクラスとの取引もあるからな。今はまずクラスポイントといった感じなのだろう。

 

「グループの指揮はテメエがやれ」

 

「君が責任者だろうに」

 

「表向きはな。最低限はやるが、俺はゴリラの飼育員じゃない、三頭も面倒見れるかよ」

 

 そのゴリラとは俺と清隆と高円寺のことだろうか?

 

 開き直るのは良いが、あまり調子に乗ると三頭のゴリラが暴れ出すことを忘れない方が良い。

 

 まあ龍園も、高円寺を制御できると思ってはいないのだろう。

 

 そんなことを考えていると、同じくグループ分けが終わった二年生や三年生が合流してきて、南雲先輩が声をかけてきた。

 

「もう少し時間がかかるかと思ったが、意外に早かったな……お前たち1年に提案がある。これからすぐに大グループを作らないか?」

 

「南雲先輩。それは今日の夜に決めることなのでは?」

 

「それは学校側の配慮だ。早めに全学年がグループを作れたんだから、このまま移行しても大丈夫だろ」

 

 内心では早く堀北先輩に構って欲しいんだろうな。慕っているのか貶めたいのかよくわからない人である。

 

「構いませんよね、堀北先輩」

 

「あぁ、こちらもその方が都合が良い」

 

「それならどうスかね。ドラフト制度みたいな感じで決めるのも面白くありませんか。一年の小グループの中から代表者六人がじゃんけんして指名順を決める。勝った順に2年と3年のグループを指名していけば、大グループの完成です」

 

「1年の持つ情報量は少ない。公平性に欠けていると思われるが」

 

「公平に決めることなんてそもそも不可能ですって、結局持っている情報に差はあるんですから。笹凪、お前はどう思う?」

 

 何故、俺に訊いてくるのやら……まぁ俺は何でもいいんだが。

 

「俺はそれでもいいですよ」

 

 そんな訳で代表者たちがそれぞれ指名する形になった。そこで俺は龍園の背後に回って小声でこう伝える。

 

「俺たちのグループは南雲先輩の方で頼む」

 

「理由は?」

 

「監視の為だ」

 

「チッ……」

 

 舌打ちしながらも龍園は南雲先輩のグループを選んでくれた。やはりツンデレである。

 

 こうして大グループが結成された訳だが、ここで南雲先輩はどこか楽しそうにこんな提案をしてきた。

 

「堀北先輩、偶然にも別々の大グループになったことですし、一つ勝負をしませんか」

 

 きっと1週間以上前からこの展開を想像していたんだろうな。もしかしたらセリフ回しの一つ一つまで考えていたんだろうか?

 

 涙ぐましい努力とも言えるのかもしれない。約束された敗北に突き進んでいるだけなのに。

 

「南雲、これで何度目だ、いい加減にしろ」

 

「何度目とはどういうことでしょうか? 藤巻先輩」

 

「お前がそうやって堀北に勝負を挑むことに、これまで口出しすることはなかった。だが今回は1年を含めた規模の大きな特別試験だ。お前個人のオモチャにするような行為を認めるわけにはいかない」

 

「どうしてッスかね。この学校では1年も3年もありませんよ、誰が誰に対して宣戦布告することもおかしな話じゃないでしょ。ルールにも禁止とは書いていなかった」

 

「基本的なモラルの話をしているんだ……生徒会長になったからといって、何でも許される訳じゃない。越権行為だと自覚しろ」

 

「そう思うなら自覚させてくださいよ。なんなら藤巻先輩も相手にしましょうか? 一応、3年Aクラスのナンバー2ッスよね」

 

 一応、の部分を強調する辺り、敬意は欠片も感じられない態度である。

 

 多分、俺が知らないだけで2年と3年の間では恒例行事みたいなものなんだろう。堀北先輩の苦労が垣間見えるな。

 

 堀北先輩はそんな南雲先輩を見つめながら僅かに迷い、こんな言葉を返す。

 

「俺はこれまでお前の要望を断って来た。それが何故だかわかるか?」

 

「そうッスねぇ。友人たちは俺に負けるのが怖いからじゃないかと言うんですが。流石にそれはないでしょう。負けることを恐れたりしないし、そもそも負けるなんて思っちゃいない」

 

 だから俺が負かしたい。言外にそんな思いが込められているようにも感じられた。尊敬とライバル心とその他諸々が混ぜ合わさった、本当に複雑な内心が垣間見えてしまう。

 

「お前の好む争いは他人を巻き込み過ぎる」

 

「それが学校のやり方であり、醍醐味だと思うんですが……それに俺が求めているのは現生徒会長と前生徒会長との個人的な戦いだけですよ。先輩が卒業する前に貴方を超えることが出来たのかどうか、それを試したいんスよ」

 

「何をもって勝負とするつもりだ」

 

 堀北先輩も、台本通りに話を進めていく。ここが一つの分岐点でもあるんだろう。多少なりとも南雲先輩が顧みてくれるのならば、そんな願いがあるのかもしれない。

 

「どちらが多くの退学者を出せるか、というのはどうですか?」

 

「冗談はよせ」

 

「面白いと思うんですけど、今回は止めておきましょう。真面目に提案させて貰うなら、どちらのグループがより高い平均点を取れるか。シンプルにいきましょう」

 

「なるほど。それならば受けても構わない」

 

「先輩ならそう言ってくれると思ってましたよ」

 

 堀北先輩は、そこで最終確認を行う……この茶番劇を本当に進めるのかどうかという、最終確認を。

 

「南雲、これは俺とお前の個人的な戦いだ……そうだな?」

 

「勝つために堀北先輩の駒を攻撃する方法はなし、ということですね。それでいいスよ」

 

「こちらのグループに限らずだ……もう一度言う、他者を巻き込むような形ならば受け入れない」

 

「やたらと念を押しますね?」

 

「拒否するのならば、この戦いは引き受けん」

 

「はいはいわかりましたよ。本当にお堅いんですから。あくまで正々堂々、お互いの矜持をここに賭けましょう」

 

 矜持か、その言葉を使ってしまうのか……悲しいものだ。

 

「その言葉を、決して忘れるな」

 

 堀北先輩は最後に瞼を閉じて数秒ほど考え込み、覚悟を決めてそう返す。

 

 きっと最後の最後まで南雲先輩を信じたかったんだろう。けれど僅かな祈りと希望は届くこともなく、最後の引き金を引く覚悟を決めたらしい。

 

 茶番劇は始まった……相変わらず清隆だけはラスボスみたいな顔をしていた。

 

 

 

 



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グループ交流

 

 

 

 

 

 

「悪いね六助、君が所属するグループを勝手に決めてしまって」

 

「構わないさ、この退屈な試験も君がいれば多少は刺激的になりそうだ」

 

「残念だけど今回はそこまで派手に動くつもりはないさ……もう全部終わっているからね」

 

「ほう? では結果発表を楽しみにしているとしようじゃないか」

 

 大グループが完成して南雲先輩と堀北先輩のやり取りから、このどうしようもない茶番劇の始まりが決まって俺たちは動き出す……いや、やるべきことは全て始まる前に終わっているので、自分たちのことに集中することになる。

 

 後は南雲先輩がこちらの思惑に気が付くかどうか観察しながら、俺たちは俺たちでミスの無いように動けばそれで良い。この試験はよっぽど大きなミス、それこそ嵌め殺しのような状況になりさえしなければ、そこまで難易度の高い物ではないというのが、事前の情報収集でわかっているのだ。

 

 つまり、いつも通り行動すれば何も問題は無く、ポイントを得られる試験でもあった。

 

「よし、皆聞いてくれ。このグループの責任者は龍園だが、指揮は俺が取ることになった。誰か異論のある者はいるかい?」

 

 ウチのクラスからは俺と清隆と高円寺が、Dクラスからは龍園と石崎と山田の不良トリオが、Aクラスからは橋本と戸塚、神崎からは無難な相手として墨田と森山がこの場にはいる。

 

 Cクラスの男子二人とAクラスの二人、そして清隆を除くと、後はババ抜きのジョーカーといった感じの奴だ。こいつらを一ヶ所に纏めておかないといつまでも話し合いが終わりそうになかったため自然とこうなってしまう。

 

 俺たちのグループは割り当てられた共同部屋にやってきて荷物を置き、これからの方針を決めていくことになるのだが、この面子で仲良くとはいかないと思うのでかなりアドリブを利かせる必要があるだろう。

 

「とりあえずベッドの割り当てだが、別に誰がどこで寝ようが大した意味はないよな? 速い者順でいこう」

 

「おい、そういうのはしっかり話し合った方が良いだろう」

 

「だがな戸塚、もう一度この部屋に集まった面子を見渡してみろ」

 

 特に龍園と石崎と山田と高円寺をな。

 

 こちらの言葉に食い掛かって来た戸塚だが、それぞれの顔を見てから考えをすぐに改める。

 

「そうだな……俺が悪かった」

 

「だろう? このグループに足並み揃えてなんていう方針に意味はないさ。それぞれが各々のポテンシャルを発揮して動けばいい。幸いにも勉強ができる奴も運動ができる奴もいる。よっぽどの大ポカをやらかさない限りは落第することなんてないよ」

 

「それで良いんじゃないか、下手に縛っても余計に面倒になる面子だろうしな」

 

 橋本も賛成とのことなので、次に神崎から派遣されたCクラスの男子にこう問いかける。

 

「そんな訳なんだけど、何か意見はあるかい?」

 

「いや、大丈夫だ。君が指揮するなら異論はない。任せるよ」

 

「神崎はなんて言っていたかな?」

 

「何かあったら君を頼るようにってだけ」

 

 なら問題はない……最後に龍園たちに視線を向けると、あちらにも異論はないらしい。一人を除いて。

 

「石崎、不満かい?」

 

「別に、そういう訳じゃねえよ……ただ龍園さんに迷惑かけたら許さねえからな」

 

「いや、それを君が言うのか。この面子の中で一番の不安要素なんだが」

 

「俺がバカだって言いたいのか!?」

 

「事実だろうが、もう黙ってろ石崎」

 

 龍園にそう言われると石崎は悔しそうに黙ってしまう。こんな風に不満を露わにする石崎ではあるが、彼はこちらに一定の敬意というか、畏怖のような感情を向けているのは観察していればわかった。

 

 何だかんだで俺を強者だと認めて受け入れているらしい。だとしたら動かしやすくもあるだろう。

 

「ベッドは好きに選んでくれ、俺はどこでも構わないからな」

 

 そもそもこの試験でも無人島同様に寝るつもりは一切ない。この学校のことだから、深夜に変な試験を差し込まれる可能性もゼロではないからだ。即応できる人員が一人くらいいないと不安になる。

 

 なので俺はベッドを使うつもりはない。ずっと彫刻をしていると思う。

 

「では遠慮なく頂くとしよう」

 

 高円寺が二段ベッドの上に飛び乗れば、次々にベッドは占領されていく。どうして上ばかりがすぐさま埋まってしまうのだろうか?

 

「悪いな清隆、下のベッドで」

 

「構わない。どこを使おうが一緒だからな」

 

 そりゃそうだ。けれど人気なのは上のベッドなのだから不思議である。

 

 グループが結成されて部屋割りも終わり、その日の午後は完全に自由時間となっていた。本格的に試験が始まるのは明日からとなっているらしい。

 

「最後にこのグループの方針を語っておくよ。さっきも言ったが足並み揃えてなんて不可能なので、最初から縛るつもりはない。各々道連れにならない程度に仕事をしながら、試験では得意分野を活かせばそれで問題はないだろう。その上で言わせて貰うと、何か困ったことがあれば俺に伝えて欲しい。可能な限り対応しよう」

 

 この部屋にいる面子を見渡しながらそう伝えると、全員に異論は無かったのか受け入れられることになり、遂にグループが本格的に始動することになるのだった。

 

「な~、素朴な疑問なんだけどさ。アルベルトって日本語喋れるのか?」

 

「当たり前だろ。なぁアルベルト」

 

 石崎が橋本の疑問にそう答えて、顔を山田に向けるが、彼は何も答えることなく正面を凝視するだけであった。

 

「……もしかして通じてねえのか?」

 

「クラスメイトなんだろ?」

 

「仕方ねえだろ。普段は龍園さんが指示してんだからよ。龍園さん、どうなんですかね?」

 

「そいつは寡黙な男なんだよ、ほっとけ」

 

 二段ベッドの上を占拠して足を組ながらだらしなく寝転がる龍園がそう返すと、アルベルトは大きく頷きを返すのだった。

 

 彼らの関係性と言うか、奇妙な信頼関係は以前から不思議であったが、こうして共同生活をする中で理解も深まっていくだろう。少なくとも俺は彼らが嫌いではない。

 

「そうだ笹凪、丁度いい。アルベルトの相手をしてやれ」

 

「どういうことかな龍園?」

 

「知らねえよ、そいつなりのケジメだそうだ」

 

 すると山田がベッドから立ち上がって俺と向かい合う。筋骨隆々な体と高い身長で詰め寄られると圧力を感じる筈だ。実際に俺たちがこうして相対すると不穏な雰囲気を感じ取ったのか、ジリジリと皆は距離を取っていく。

 

 もしや殴り合いか? そんな風に誰もが思ったのかもしれない、しかし山田からそんな気配を感じ取れない。石崎と同じように俺には一定の敬意と畏怖を向けている。

 

 山田は暫く俺をサングラス越しに見つめた後、突然に部屋の中にある机に自分の肘を立てて掌を差し出した。

 

 そう、これは、腕相撲の姿勢である。

 

「hey、Comeon」

 

 ほう、掛かって来いと? これが彼なりのケジメということか。勝てる勝てないではなく、挑む意思を示したか。

 

「ん、良いだろう……その意気や良し」

 

「え、なんでこんな展開になってんだ?」

 

「男には、挑まなければならない時があるということさ、橋本にもわかるだろう?」

 

「いや、さっぱりだ」

 

 男の生き方がわからない奴である。山田を見習うべきだ。

 

 こうして正面から堂々と挑まれれば断ることなどできる筈がない。俺もまた机に肘を突いて彼の掌を握り返す。

 

「矜持に恥じぬ戦いにしよう」

 

 これは勝ち負けでも優劣を決めるものでもない、彼のケジメなのだ。ならば全てを受け止めて凌駕するのが礼儀だろう。

 

 始まりの合図もなく、そして言葉もなく、俺たちは見つめ合いながら徐々に力を込めていく。

 

 山田の身体能力は間違いなく学年トップクラス、それだけでなく学校全体で見ても五本の指に入るレベルかもしれない。

 

 その恵まれた身体能力と鍛え上げた肉体からなる膂力は流石の一言である。だが師匠に改造された俺には届かない。

 

 押せども引けども、こちらの腕がピクリともしないことに山田は冷や汗をかいて呻き声を上げた。もしかしたら彼には俺が鋼鉄の彫像か何かに見えているのかもしれないな。

 

「凄ぇッ、あの山田が手も足も出ないなんて」

 

「流石はゴリラだ。神崎や一之瀬が一目置くだけはある」

 

 Cクラスの男子が何やら興奮したように賑やかしてくれているので、部屋の中には変な熱気が広がっていく。

 

 形勢は傾き、地力の差は圧倒的、だがそれでも山田は諦めることはない。これは勝ち負けでも無ければ優劣を競うものでもない、俺に挑むという彼なりのケジメである。

 

 つまりは勝負ではない、儀式なのだ。

 

 完全に押し切られて彼の手の甲が机に付いた時、彼は納得したように微笑みを浮かべた。

 

「俺の勝ちだ」

 

「yes」

 

 己の全てを出し切ってなお敗北した彼は、結んでいた掌を組み直して腕相撲から握手の形となる。

 

「Nice Muscle」

 

「ふ、そちらもね」

 

 筋肉は筋肉と引かれあう。ただそれだけのことだ。言葉なんて多くはいらない、鍛え上げた筋肉で語り合えばそれで良い。男の世界なんてそんなものなんだろう。

 

「え、なんで通じ合ってるんだ?」

 

 橋本、そんな冷めたセリフはいらないんだよ。

 

「クソッ、アルベルトが腕相撲で負けるなんて……」

 

 悔しそうに表情を歪める石崎、わかりきっていた事とはいえ、こうして現実のものになると受け入れがたいらしい。

 

「さぁ石崎、次は君だ……共に語り合おう」

 

「い、いや、俺はなんていうか……ちょっとアレで」

 

「負けるのが怖いと言うのなら無理にとは言わないさ。敗北というのは、苦いものだ」

 

 安い挑発である、しかし彼は奥歯を鳴らして乗って来るのだった。

 

「やってやろうじゃねえかッ!!」

 

 これから共に行動していくことになるグループとしての交流はこれで良いだろう。どんな形であれ関わり合いを持ち、互いを認め合うことが大切なんだから、これはこれで良い滑り出しとも言えるのかもしれない。

 

 石崎と手を結び合って腕相撲を行い、秒殺して沈めて見せる。

 

「前から思ってたが、笹凪はなんでそんな力があるんだ? 身体能力もオリンピック選手が霞むレベルだしよ」

 

 橋本の疑問にグループの大半がうんうんと頷いていく。どうしてと言われても鍛えたからとしか言いようがないんだけどな。

 

「しっかり寝て食べて鍛えているからさ」

 

「だからってそうはならないだろ。そもそも物理的にありえなくないか? さっきの腕相撲だって、腕はアルベルトの方が太くてゴツイのにどうしてか勝っちまうしよ」

 

「確かに単純な太さならそうだろうけど、筋肉の質が違うからね……ほら」

 

 着ていたジャージの袖を捲って腕を露出させると、それを見た者は自然と咽を鳴らす。

 

 極限まで無駄を無くして、徹底的に改造した筋肉を纏った右腕は、鋼の繊維を圧縮したかのように強固で柔軟である。

 

 筋繊維というよりは鋼の繊維で出来ているかのような雰囲気があるのだ。一目見ただけで筋肉の出力が違うと確信させられるほどに、極まった様子が見える。

 

 例えるなら、分厚い筋肉を持つ山田を今の何倍にも大きくしてから、人の形に圧縮したかのような、そんな途轍もない密度の腕である。

 

「……凄いな」

 

「天武は全身がこんな感じだぞ」

 

「マジで?」

 

 そう言えば清隆はプールの授業で俺の体を見る機会もあったな。

 

「やっぱゴリラは違うってことか」

 

 最後に橋本は納得したかのようにそんなことを言った。失礼な言葉ではあるがグループの大半が同意するかのように頷いているので、きっと全員に共通する思いなのだろう。

 

「けどさ、やっぱりこういうバキバキの体って羨ましいよな」

 

「確かに、笹凪はちょっとアレ過ぎるけど……男の理想っていうか、憧れみたいな所はある」

 

「はッ、はッ、はッ、憧れている時点でナンセンスというものさ。言葉にする前に行動に移さなくてはね、この私のように」

 

「うぉ、高円寺もすげえ筋肉だ!!」

 

「アールベルトくん、君もなかなかのようだが、この私には敵わないようだねえ」

 

「くそ、負けてられるか。橋本、Aクラスの意地を見せてやれ!!」

 

「いや戸塚、なんで俺なんだ……て、おいこら、服を捲り上げるなっての」

 

「へぇ、橋本も割と良い体してるんだな。チャラチャラしてるくせによ」

 

「そういう石崎、お前はどうなんだよ?」

 

「なめんじゃねえぞ、腹筋くらいこっちも割れてんだ!!」

 

「拙いぞ墨田、このままだとCクラスはカースト最下位になってしまう」

 

「チッ、仕方がねえ。神崎や一之瀬の顔に泥を塗れない。こっちも腹筋見せてやるよ」

 

 だがこうして筋肉談義に花を咲かせることでグループの交流になっているのは間違いない。下手にギスギスするよりはずっと良い筈だ。

 

「悪くない雰囲気だ。よし清隆、君も腹筋を見せつけてやれ」

 

「……え?」

 

 最初はこのグループで上手く進んでいけるのかと思ったが、筋肉は男子共通の興味であり話題でもあるのでいい感じである。

 

「さぁ皆様方、お控えなすってくだされ、これより真打、綾小路清隆のお通りとなります!!」

 

「おい……天武」

 

 そう、筋肉は争いを無くして世界を平和にするのだ。このジョーカーの集まりであってもそれは変わらない。

 

「やれ清隆、着やせするタイプってことを証明してみせるんだ」

 

「まぁ、出し惜しみしないと言ってしまったからな……良いだろう、オレの筋肉を見せてやる」

 

 清隆も場のノリと勢いに流されて変な感じになってるな……まぁ何となく楽しそうなので問題はないだろう。

 

 馬鹿らしいやりとりも何だかんだで楽しいのだ。合宿ならではの馬鹿な男子生徒たちの日常みたいで、ちょっと憧れていたりもする。

 

 こんな感じで俺たちは上々の滑り出しを決めることになるのだった。

 

 

「なんだこいつら、気持ち悪いな」

 

 

 龍園、せっかく筋肉談義で温まった場に水を差すんじゃない。

 

 

 

 

 



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食堂での交流

 

 

 

 

 

 

 筋肉談義でグループの結束や関係を強化することになった後、この特別試験の初日は完全に自由時間となるので気楽なものであった。本格的に試験が始まるのは明日の朝からになるので楽と言えばそれまでである。

 

 ただしのんびりとその時が来るのを待つだけというのは難しい。複雑かつ無数の考えや策略が幾つも動いているこの試験では、少しでも多くの情報を得ることが重要だろう。ましてや男女で分かれての試験なのだから、じっとはしていられない。

 

 夜、食堂に全校生徒を集めての食事が行われる。男女が交流できる唯一の時間でもあるので、情報を集めるには持って来いだろう。

 

「清隆、ちょっと情報を集めて来る」

 

「あぁ」

 

「君も、そろそろ軽井沢さんに構ってあげなよ」

 

「……距離を置くつもりだったんだがな」

 

「一度出来上がった縁は簡単に切れるものではないさ。これから先は対等に接していけばいいよ」

 

「……」

 

 わかったのか、わかっていないのか、何とも言えない顔をした清隆は、食器が載ったお盆を持った状態で悩みこみ、最終的には軽井沢さんがいる机付近に近づいていくのだった。

 

 さてどうなるだろうかと観察していると。清隆が近づいて来たことに気が付いた彼女は、ピクッと体を反応させて緊張を高める。

 

 清隆はそんな彼女の隣でも正面でもなく、背中合わせになる位置に座った……そして背中越しに何やら会話をしていく。

 

 軽井沢さんはそんな清隆の存在に嬉しくもあり、苛立たしくもあり、納得できないものもあり、しかし最終的には歓喜に感情が寄っていった。

 

 モニュモニュと唇を動かして、清隆に頼られている状況に喜んでいるのを必死に隠そうとしているのはとても可愛らしいと言えるのかもしれない。

 

 清隆の今後がますます楽しみである。佐倉さんも最近は積極的になっているので、清隆を巡る関係が複雑になっていくのだろう。

 

 なんか彼は、ラブコメの主人公みたいだな。

 

「さて俺も動くか」

 

 いつまでも清隆たちを観察していても仕方が無いのでこちらも動き出す。

 

 全校生徒が一堂に会するのはこの食事の時間だけなので、無駄にする訳にもいかない。

 

 特に女子グループの情報は何としても欲しかった。

 

 食堂の二階からざっと生徒たちを観察していき、目的の人物を探していくと、向こうもこちらを探していたのかすぐに視線が絡み合う。

 

 食器が載ったお盆を持ったまま、鈴音さんはこちらに向かって来て隣の席に腰かけた。

 

「君を探してた」

 

「こちらもよ、まぁ貴方は目立つからそこまで苦労しなかったけど」

 

「そうかい?」

 

「今も、色んな所から視線を向けられているわ」

 

「体育祭以降はずっとそうだからもう慣れたよ」

 

 今も一年生だけでなく、二年生や三年生からもチラチラと視線を向けられている。体育祭からこっち、俺の扱いはこれが基本となっていた。

 

 学校で廊下を歩いていると自然と道を譲られるし、離れた位置でコソコソと話されることにも慣れてしまっている。ましてや今は全校生徒がこの食堂に集まっている訳だからな、注目はいつもより大きい。

 

 まあ気にしても仕方がないだろう。誰かからの評価や視線を気にしても前には進めないのだから。

 

「それより、ここに来る前に噂を聞いたのだけど……貴方、龍園くんたちを同じグループに入れたというのは本当なの?」

 

「事実だよ」

 

 そう答えると鈴音さんは少しだけ呆れたような顔をする。

 

「言い訳をさせて欲しい」

 

「何かしら」

 

「龍園たちと高円寺を放置するほうが危険だと思ったんだよ」

 

「だから一ヶ所に集めたと言いたいのかしら」

 

 納得いかないとばかりに眉を顰める鈴音さんは、怒っているというよりはこちらを心配してくれているのだろう。

 

「上手く制御できるのね?」

 

「大丈夫だよ、任せて欲しい……それとも、俺のことは信頼できないかな?」

 

「そ、そういう言い方は……止めなさい、ズルいわよ」

 

 プイッと視線を逸らす鈴音さんは、とりあえず納得してくれたのかそれ以上は言ってくることはなかった。

 

「龍園は責任者を自分のクラスで仕切らせるように言って来た代わりに、今回の試験で獲得したプライベートポイントを全てこちらに渡すことになったよ」

 

「それは……責任者になった際のメリットとリスクを両方引き受けることになるわね」

 

「彼のクラスは今どん底だ。クラスポイントは入学当初から下がる一方、ならここでリスクを受け入れてでも動こうと思ったんじゃないかな」

 

 正確には開き直ったが正しい表現だろうな。俺の財布を前提にして動くと決めたのだ。

 

「流石の彼も、今の現状には焦りがあるということかしら……天武くんはそれで納得しているの?」

 

「まぁね、利益もしっかり確保した。後、この試験はクラス全員での移動や戦略が難しくなってくる。どうしても目が届かない場所も出て来るだろうし、強気に出るには複雑すぎる状況だ」

 

「確かに、難しいかもしれないわね」

 

「あぁ、それだったら。リスクをどこかのクラスに押し付けて、ほどほどにポイントを稼ぐというのも、決して悪い判断ではない。龍園には焦りはあるけど、俺たちにはないんだからね」

 

「失格者が出るような状況を避けながらも、プライベートポイントとクラスポイントはしっかり確保するのね……男子の動きはわかったわ、次は女子の説明をするわね」

 

「あぁ、宜しく頼むよ」

 

 共に食事をしながら方針や考えを共有していく。

 

「まずこちらの状況なのだけれど、女子はグループ決めが揉めに揉めたのよ」

 

「そりゃまたどうして?」

 

「Aクラスが、一之瀬さんを信頼できないと主張したのが始まりかしら……グループを決める際に彼女たちのクラスを遠ざけようとした」

 

「へぇ、確かに揉めそうではあるけど……なんでまたそんなことを?」

 

「あちらの思惑はわからないわね。けれどAクラスは14名のグループを作って一人を受け入れる形になって、残りは一之瀬さんを避けるように配置すると言ったの」

 

「男子とそう変わらない状況だけど、その言い方だとかなりギスギスしそうだね」

 

「えぇ、一之瀬さんたちのクラスはわかりやすく敵意を露わにして、今も継続しているのがわかるでしょう?」

 

「あぁ、そのようだ」

 

 視線を食堂の中に走らせていくと、坂柳さんを中心としたAクラスの女子グループを睨む集団が確認できる。あれは一之瀬さんクラスの人たちだな。

 

「おかげでとても長引いたわ」

 

「お疲れさま、そしてありがとう」

 

 労いと感謝の言葉を伝えると、鈴音さんは満足そうに頷いた。その言葉を待っていたらしい。

 

「君自身は、一之瀬さんを遠ざけたことに関してどう思っているかな?」

 

「Aクラスがどんな理由でそんな主張をしてきたのかわからないけど、そこは重要ではないわね。くだらない噂や印象操作で判断を誤ることほど、愚かなことはないもの」

 

「良い言葉だ、その様子だと一之瀬さんと協力関係を結んだみたいだね」

 

「他クラスとの協力と連携が不可欠な試験と考えたら、彼女以上に信頼できる人もいないのだから当然の選択でしょう?」

 

「あぁ、俺でもそうする」

 

 色々と女子側も苦労があったようだが、一之瀬さんとの協力関係を結んだらしい。この感じだとウチのクラスがAクラスを受け持ったのかもしれないな。

 

 そんなことを鈴音さんと話していると、さっきまでクラスメイトたちと話していた一之瀬さんが、一人になったタイミングでこちらに近寄って来るのがわかった。さっきからチラチラと視線は向けて来ていたので、接触するタイミングを探っていたらしい。

 

「堀北さん、笹凪くん、ここ良いかな」

 

「もちろんだよ、どうぞ」

 

 少し疲れた様子を見せる一之瀬さんは、それでも朗らかな笑顔を浮かべて俺と鈴音さんの正面に座った。

 

「堀北さん、グループ決めの時はありがとう。本当に助かったよ」

 

「気にしないで良いわ。さっきも言ったけれど、他クラスとの連携が必要なこの試験では、貴女の力を借りたかったのよ……こちらの都合もあってのことだと忘れないで欲しいわね」

 

 鈴音さんがそう言うと、一之瀬さんはとても楽しそうな笑顔を見せてくれる。

 

「やっぱり堀北さんって、優しい人だよね。入学した時は接し難いなんて噂もあったけど、印象が凄く変わっちゃったかも」

 

「だろう? 本当の鈴音さんはとても優しい人なんだ……痛い痛い、耳を引っ張らないでくれ」

 

 俺が一之瀬さんに同調して鈴音さんを持ち上げようとすると、隣に座っていた彼女は俺の耳を引っ張った。視線を向けてみると照れた様子の表情が確認できる。

 

「無駄な主張を挟まなくていいのよ、もう……」

 

「すまない、鈴音さんが褒められてると嬉しくてつい……」

 

 彼女に耳を引っ張られるのもなんだか久しぶりな感触である。無人島でも似たようなことをされたと思い出した。

 

 ただ彼女も俺を痛めつけたい訳ではなく、照れ隠しの延長なので少し可愛いと思ってしまうな。これはこれでコミュニケーションの一つなのかもしれない。

 

「二人って、仲が良いんだね」

 

 俺と鈴音さんのやり取りを見ていた一之瀬さんが、少しだけ驚いたかのようにそう言った。

 

「まぁ鈴音さんにはいつも力を貸して貰っているからさ」

 

「そっか……うん、仲良しなのは良い事だと思うよ」

 

 一之瀬さんは少しだけ首を傾げるような動作と共に、自分の胸に手を当てて不思議そうな顔をした。

 

「……なんだろ、これ?」

 

「一之瀬さん?」

 

「えッ、あ、うぅん、何でもないよ。それよりも、笹凪くん……神崎くんから聞いたんだけど、龍園くんたちと一緒のグループになったんだよね?」

 

 大丈夫なのかと言いたそうな視線を真正面から受け止めて、何も問題はないとばかりに頷きを返す。

 

「考えても見てくれ、龍園とウチの高円寺を好き放題させていると、ジョーカーの押し付け合いでいつまでもグループ決めが終わらないだろう?」

 

「あはは、確かにそうなりそう」

 

 流石の一之瀬さんも「そんなことないよ」とフォローをしなかった辺り、龍園や高円寺の学校での評価がよくわかってしまうな。どちらも決して悪い奴ではないと言いたいんだけど、残念ながらその言葉は呑み込むしかない。

 

「まぁ神崎に押し付ける訳にもいかなかったからね。誰かが引き受けないといけないのなら、俺がやるべきだと思うよ。神崎から預かったそちらの生徒もしっかりと守るつもりだから安心して欲しい」

 

「笹凪くんが守ってくれるなら安心だね。もちろんこっちで預かってる子たちもしっかり守るよ」

 

「そこは疑ってなんていないさ、何せ一之瀬さんだからね」

 

「そこまで信頼されるとちょっと照れちゃうな」

 

 信頼という点では間違いなく学年トップなのが彼女だからな、こればっかりは誰にも真似することはできないだろう。

 

「まぁ今回の試験はどうしても協力が避けられないものだ、手を取り合えることもあるさ」

 

「うん、一緒に頑張ろ、堀北さんも宜しくね」

 

「えぇ、もちろんよ」

 

 二人はそのままこの試験の意見交換や情報交換を行い始めたので、女子チームは任せて食事を終えた俺は断りを入れてから椅子から立ち上がって食器とお盆を返却する。

 

 まだ食事の時間は残されている。なので二階に上って改めて食堂全体を観察していった。

 

 南雲先輩は、2年CクラスやDクラスの男子たちと一緒に行動しているようだな。穏やかに会話しながらも視線は堀北先輩に頻繁に向けており、やはり強く意識しているらしい。

 

 そして堀北先輩は同じように仲間に囲まれながらも、南雲先輩に視線を向けることはない。同様に橘先輩を視界に収めることもなかった。

 

 自分たちはこの茶番劇を演じており、南雲先輩の思惑に踊らされている演技を続けているのは間違いない。どちらも騙す気満々であり決められた台本を辿っているだけなのだから、本当に茶番劇である。

 

 ここから観測する分には、南雲先輩がこちらの思惑に気が付いている様子はないな。とても面白そうな含み笑いをするだけだ。

 

「あ、いた」

 

 食堂の2階から全体を俯瞰して観察を続けていると、背後から声をかけられる。この気配は朝比奈先輩のものだと思って振り返ると、予想通りそこには彼女が立っていた。

 

 ひまわりの髪留めが特徴的な朝比奈先輩は、この茶番劇の参加者でもある。

 

「朝比奈先輩、調子はどうですか?」

 

「調子って、こんな茶番劇に巻き込んだ君がそれを訊いてくるかなぁ」

 

「南雲先輩を落ち着かせたいのなら、絶好の機会だと思いますけどね」

 

「そりゃそうだけどさ……」

 

 この作戦に参加しながらも、完全には納得いっていない様子である。自分のクラスに大きな損害を与えることに協力しているので、当然のことでもあるのだが。

 

 朝比奈先輩もまた複雑で面白い人だ。南雲先輩を好んでいながらも決して彼に染まっていない。実力を認めながらも危険視もしている。

 

 好意と憂慮を同時に併せ持った感情を向けている訳だ。とても複雑な人だった。

 

「一応、最終確認だけど。ちゃんと今回の作戦に参加した人たちを守ってくれるんだよね?」

 

「朝比奈先輩を道連れにする人のことなら大丈夫です。南雲先輩の報復を躱す方法もちゃんと考えてありますので安心してください」

 

「本当に?」

 

「俺はできないことを口にはしませんし、無意味な嘘もつきませんし、わざわざ退学者を量産するほど暇でもありませんよ」

 

「良い方法があるって一点張りだったけど、私は具体的な方法を教えて欲しいの」

 

「Aクラスに移動させれば良いんですよ」

 

「……は?」

 

「ついでに反南雲派の人たちも全てAクラスに移動させましょうか。それなら南雲先輩も彼等を処理したくてもできないでしょうからね」

 

 そうなったら最後、南雲先輩は反南雲派の人たちを守らなくてはならない。だって彼らが退学したら困るのは彼自身なのだから。

 

 もし追い込んで退学させてみろ、Aクラスのポイントは全て吹き飛んで一気にDクラスとなってしまう。

 

 凄く面白い状況だ。南雲先輩は自分に反意を持った存在を処理したいのに、絶対にできない状況になるのだから。

 

 そして同時にAクラスに移った反南雲派の人たちは強気になれるだろう。だって自分たちに消えられたら一番困るのが南雲先輩だ。

 

 極端な話、あくまで仮にだが、反南雲派の人たちが南雲先輩を堂々とリンチしたとしても、彼らを庇わなければならないのがAクラスのリーダーの立場である。

 

 きっとこれから沢山の苦労をするんだろうな。自分に敵対的なクラスメイトを守らなければならないんだから、彼の苦労はとんでもないことになるだろう。

 

 清隆、君は本当に性格が悪い、完全にラスボスであった。

 

「つまり雅に、守らせるってこと?」

 

「えぇ、彼らを処分したくても、一度Aクラスに上がった以上は難しいでしょうね。Dクラスに陥落しても構わないと開き直らないことには」

 

「う~わ……君、とんでもないこと考えるね」

 

「退学者が大勢出るよりもずっとマシだと思いますけど」

 

「そりゃそうだけど……そもそも本当に可能なの? 何億って額が必要になると思うけど」

 

「2、3億程度でしょ? 俺にとっては誤差みたいなものですから何も問題はありません」

 

「とんでもない量のポイントを持ってるって噂は私にも届いてるけど、本当だったんだ。実際にどれくらい持ってるの?」

 

「さぁ、額が多すぎて俺にもわかりませんよ」

 

 朝比奈先輩はスパイではあるが本質的に南雲先輩側なので重要な情報は渡さない。もし仮に俺が本格的に南雲先輩を処理するように動けば、おそらくこの人は敵になるんだろう。そういう関係である。

 

「そう、話したくないなら別に良いけど」

 

 朝比奈先輩は俺と並んで食堂の二階から一階にいる南雲先輩を眺め始めた。

 

 複雑な思いが込められた視線に、彼は気が付いていない。

 

「雅はさ……私を助けてくれるかな?」

 

「助けてくれますよ、あの人だって男に生まれたんですから。カッコつけなければならない場所くらいわかる筈だ」

 

「だといいけど……」

 

「ん、貴方たちはとても複雑な関係のようですね」

 

「まぁ、一言では言い表せれないくらいにはね」

 

 朝比奈先輩はクスッと笑って視線を南雲先輩から俺に向けて来る。

 

「君みたいな子がいれば、雅も少しは落ち着いてくれるかもね」

 

「寧ろ、余計にやる気を出すんじゃないですか」

 

「それならそれで良いんじゃない、楽しそうだしさ」

 

「迷惑なのは俺ですけどね」

 

「嘘、君はそんなことで挫けるような子じゃないでしょうが」

 

「いえいえ、後輩イビリに怯える高校一年生ですから」

 

「どの口が言うんだか」

 

 朝比奈先輩はどこか楽しそうに笑ってから、俺にこんなことを言って来た。

 

「雅にとって最高の幸運は君が同い年じゃなかったことで、それが最大の不運でもあるのかもね……堀北先輩も一年上だし、色々と噛み合わないなぁ」

 

「人生なんてそういうものですよ」

 

「何を知った風に」

 

 最後に彼女は笑顔を見せてその場を去っていく。残された俺は改めて南雲先輩を二階から眺めてみた。

 

 朝比奈先輩の内心や考えを彼が理解しているのかどうかはわからないが、少なくとも今の南雲先輩は、楽しそうに笑っているのが確認できる。

 

 最後の瞬間まで、きっと彼はそのままなのだろう。

 

 

 

 



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この人を越えたいと思う気持ちに嘘はない

結末がわかっているので、もしかしたらこの章は交流や馬鹿なやり取りがメインになるかもしれない。


 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、遂に特別試験が始まることになる早朝、俺はこの共同部屋の隅っこで朝日が差し込むことを感じ取って僅かに目を細めた。

 

 俺の手の中にあるのは彫刻刀と木彫りの熊である。昨日の晩に削り始めてつい凝ってしまったらしい。なかなかに迫力のある作りとなっているので、共同部屋の入口付近にでも飾っておこう。

 

 すぐに皆も起き始めるだろうと思っていると、誰よりも早く高円寺が起床してから優雅に飛び降りると、こちらにウインクをしてきた。

 

「ほう、小振りながらも迫力があるじゃないか」

 

「あぁ、ちょっとした自信作さ」

 

 暫く木彫りの熊を眺めた高円寺は、そんな感想をくれてから部屋を出ていく。どうやら早朝トレーニングを始めるらしい。

 

 まあ彼は彼なので大丈夫だろう。そもそもこのグループの方針は「適当にやれ」なので、それぞれが適した行動を取る、つまり高円寺の行動を止めることに意味は無い。

 

 お腹が空いたら帰って来るだろう。高円寺はそれで良かった。何かあれば俺がフォローすれば良い。

 

 それから一時間ほどだろうか、共同部屋に備え付けられたスピーカーから軽快な音が鳴り響いたのは。どうやらこれが起床の合図らしい。

 

「うるせえな、なんだこれ」

 

「おはよう石崎、どうやら毎朝こんな感じになるらしいね」

 

「マジかよ」

 

 起床の合図と共に部屋の中にいるグループメンバーは次々と起床していく。欠伸をする者、体から変な音を出す者、眠そうな者、色々だ。それでも今日から試験の開始であるとわかってはいるので、体を引きずりながらも全員が起きた。

 

「ていうかお前、ずっと起きてたのかよ?」

 

「あぁ、この学校のことだから、夜中に叩き起こされて防災試験なんてものを挟みこまれる可能性もゼロではないからね。即応できる人員が一人は必要だって昨日に話しただろう?」

 

「いや冗談だって思うだろ普通、大丈夫なのかよ?」

 

 橋本も俺がずっと起きていたことに呆れている様子である。

 

「体と脳を半分ずつ寝かせておけば、実質熟睡だ」

 

「笹凪とは偶に話が噛み合わない時があるな」

 

「俺は無人島でもずっとそうやって不寝番をしていたよ」

 

「マジで?」

 

 グループメンバーの視線が、この中で唯一同じクラスである清隆に向かうと、彼は静かに頷く。

 

「天武はゴリラでイルカなんだ」

 

 なんだそれは、どんな怪物なんだよ。俺は清隆からそんな風に思われていたのか。

 

「もう一頭のゴリラはどこ行きやがった?」

 

 同じように起床してきた龍園はこの場にいない高円寺が気になったらしい。

 

「彼なら朝早くに起きて部屋を出て行ったよ、ランニングでもしているんじゃないかな。すぐに帰って来るさ」

 

「そうかよ」

 

「え、良いんですか龍園さん?」

 

「アレを制御できるなんざ思ってねえよ、放っとけ。イカれちゃいるが馬鹿じゃねえんだ、道連れになるような間抜けは晒さないだろうよ。どうしようもなかったらそいつがフォローする……そうだろうが?」

 

「あぁ、六助はそこまで馬鹿じゃないし、ましてや愚かでもない。基本的に放置で良いよ」

 

「私のことを話していたかね?」

 

 共同部屋の扉が開いてトレーニングを終えたであろう高円寺が姿を現した。

 

「皆、君の存在感に感心していたのさ」

 

「ふッ、仕方がないことだとも、偉大な存在は輝いて見えるものだからねえ」

 

 うん、彼の扱いはこんな感じで良い。下手に何かを強制した所で無意味だ。そもそもこの面子にそんなことを気にするだけ無駄である。

 

「よし、それじゃあ特別試験が本格的に始まることになる、各々自分のペースを維持しながら適切に動こうか」

 

 それがこのグループが最も力を発揮できて、同時に空気を悪くさせない方法だろう。

 

 俺はそんな彼らを勝手にフォローすれば良い。例えば次々と部屋を出ていくメンバーの最後に、共同部屋を見渡して布団を整えたり、目立つごみを片付けたりだ。もしかしたら俺たちが出て行った後に抜き打ちチェックがあるかもしれないので念のための措置である。

 

 こんな細やかなフォローをするだけだ。言ってしまえば俺の仕事はそれだけでよく、後は勝手に試験に合格してくれるだろう、このグループはそれで問題ない。

 

「天武、手伝おう」

 

「ありがとう、悪いね」

 

 清隆も手伝ってくれるので部屋を整えるのはすんなり終わった。俺が作った彫刻の残りカスもしっかりゴミ箱に入れておく。

 

 そうやって場を整えた後に俺と清隆はグループに追いついていよいよ特別試験に挑むことになるのだった。

 

 こちらを含めて二年と三年も合流して一つの教室に集められていき。一つのクラスを構成することになる。これが大グループとなるのだろう。

 

「3年Bクラス担当の小野寺だ。これより点呼を行った後、外に出て指定された区画の清掃を行う。その後は校舎の清掃となっている」

 

 どうやら最初は清掃から始まるらしい。朝起きてすぐに掃除をするのは、師匠と暮らしていた神社を思い出すな。あそこでも起床と同時に清掃を始めて朝食を終えてから鍛錬となるのが基本だったので懐かしくすらある。

 

 これは試験であると同時に社会性を試す場面でもあるんだろう。

 

 師匠曰く、掃除は大切。

 

 同じグループの南雲先輩もしっかりと掃除をしているな……あの人が雑巾片手に床掃除しているのは、あまりにも似合っていないと思うのは流石に失礼なのかもしれない。

 

 いや、それを言い出したら龍園の方がよっぽどアレなんだけれども。

 

「おい石崎ィ、埃が残ってんぞ。アルベルトを見習いやがれ」

 

「はい、すいません!! すぐに掃除します!!」

 

 なんてことを思っていたが、龍園は意外にも掃除に熱心であった。石崎が掃除していた窓枠の縁に人差し指を滑らして、まるで小姑みたいに埃を見せつける。

 

「小姑龍園か……」

 

「ぶふッ……」

 

 俺の呟きを聞き取った橋本が思わず吹き出していた。清隆もどこか変な顔をしている。

 

「まぁ龍園が責任者だからな、どうなるかと思ったけど、意外になんとかなるのかな」

 

 Cクラスの生徒たちからも僅かに安心したような気配があるのは幸いだ。昨日の筋肉談義で距離も縮まったと思うので、良い傾向である。

 

 そんな感じで指定された区画の掃除を行い、次に校舎を清掃すると、本格的に試験が始まることになった。

 

 

 最初の授業は座禅、清掃を終えた後にグループが集められたのは畳が敷き詰められた道場のような場所である。元は格技場か何かだろうか。

 

「全員、畳の縁を踏まないように注意」

 

 小声でそう言うと全員の視線が下に向いてから指先が整えられていく。礼儀やマナーといった側面もあるが、俺は師匠から畳の隙間から刃を差し込まれる可能性があるので踏むなと言われていたな。

 

 師匠曰く、床下と天井裏には常に脅威が潜んでいると思え。

 

「座禅なんて、人生で初めてでござるなぁ」

 

 何気なくそんな発言をしたのは博士である。しかし担当教官はその言葉にしっかりと注意を促した。

 

「その口調は生まれついてのものか? あるいは故郷が関係しているのか?」

 

「は? もちろんそういう訳ではござらんが……」

 

「そうか、どんなつもりで使っているのかは知らないが、ここではそれも減点対象だ。これを機にふざけた口調を矯正し一つ大人になることだ」

 

「な、なんですと?」

 

 つまりは社会人として相手に不快感を与えない振る舞いを身に着けさせ、社会性をこの試験を通して促すということだろう。

 

 博士はこの日を境にござる口調が消えることになるのだろうか? 俺は別に嫌いではないのだが、時と場所を選べば特に問題ないと思う。

 

「良いか、よく聞くように。自分という存在を認めてもらう為、周知させる為、そして自分自身が特別であることを示す為、相手のことを考えない態度や言葉を使う人間は少なくない。若者に限らず老人でも、そういったことは間々ある」

 

 龍園と高円寺はこの言葉をどんな気持ちで聞いているのだろうかと思ったが……うん、何一つ響いていない様子である。すいません先生、彼らは本当に我欲が強いんです。

 

「社会の中で無個性でいろ、ということではない。個性を出すのは自由だが、社会に出るからには相手を思いやる気持ちを絶対に忘れてはならない、ということだ。ここではそういったメンタルに影響を及ぼす授業を行う。その一つが座禅だ」

 

 教官はそのまま正座をする生徒たちを順に眺めていき、最後に俺を見つめた。

 

「そこの君、前に」

 

「なんでしょうか?」

 

「姿勢が良かったのでな、体も柔らかそうだ。心得があるのかね?」

 

「はい、一通りは」

 

「ではまず生徒を代表して手本を見せてもらおうか、私の言った通りにやりなさい」

 

 この手のことは師匠から一通り教え込まれているので特に問題はない。やれと言われれば完璧にこなせるだろう。

 

 教官の言われた通りに胡坐を組んで足を太ももの上に置いて、背筋もしっかりと整える。

 

「何を思う?」

 

「ただ、無念無想」

 

「お、おう……まぁ間違ってはおらんか」

 

 そう伝えると教官は少しだけ引いたような顔となってしまう。世界平和を思ってと言った方が良かっただろうか?

 

 精神を落ち着かせて集中力を高めていき、それが一定ラインを超えると自然と師匠モードになっていく。そこで閉じていた瞼を開いて静かに正面を見つめた。

 

 無念無想の先にあるか細い光を探すかのように、虚ろな瞳でただあるがままの世界を観測していくと、グループの皆が怖がっているのがわかった。

 

 同じグループの生徒たち、そして教官がこちらを見ている。座禅を組んで無念無想に至った俺を。

 

「あ~……これは極端な例だが、諸君らにはこのように、高い集中と落ち着きを修めて欲しい」

 

「なんかアイツ、宇宙と交信してるみたいな目をしてるよな」

 

「確かに、怖えよ」

 

 何を言われようともこちらの精神はブレることはない。それが、無念無想、精神集中の極地だ。

 

「ここまでやれとは言わないが、ある程度の形を整えて貰う。とりあえず初日はこの体勢で五分を目指すものとしよう。それぞれ座禅を組んでいくように、間違っている所はこちらで修正していくので……それでは始め」

 

 教官の号令と共に生徒たちは一斉に座禅を組んでいく。運動が苦手な者はそのほとんどが固い体をしているのでなかなか難しい授業になるのかもしれない。ふと別グループになっている啓誠の顔を思い浮かべるが、明人がフォローすると言っていたので何とかなると祈るしかない。

 

 こちらのグループの不安要素は誰かと観察していると、意外にも龍園は上手くやれているようだ。石崎と山田も悪くはない。高円寺と清隆もほぼ完璧、神崎から派遣された二人も壊滅的と言う程でもなかった。

 

 どうやら大きな問題はないらしい、少なくとも決定的に苦手と思うような者はいないようだ。

 

 少なくともこの座禅の授業で大ポカをやらかすメンバーはいないと断言できる。ならば筆記試験などに注力すべきなのかもしれないな。龍園が言うには石崎などはかなり不安要素らしい。

 

 テスト対策の問題集でも作るか、そんなことを考えながら座禅の時間は過ぎていくのだった。

 

 清掃と座禅で心身を整えた後にようやく朝食となる。ただし食堂ではなく外に設置されていた大規模な調理場であり、そこにある食事スペースで各々が食べる形であるらしい。既に幾つかのグループも到着しているのが確認できた。

 

「今日のところは学校側が提供するが、明日から晴れの場合、朝食は全てグループ内で作ってもらうことになる。人数や分担方法は全体で話し合って決めるように」

 

 教官からの説明に露骨に渋い顔をする者が何名かいる。ウチのグループでは石崎だ。

 

「石崎、料理は苦手かい?」

 

「まともに作ったこともねえよ」

 

「この学校だと自炊は必須だと思うけど、今までどうしていたのさ?」

 

「そりゃなんか適当にだな……」

 

 おそらく大半がコンビニ弁当とかなんだろう。ポイントもそこまで多くないだろうに。

 

「聞いておきたいんだが、この中で自炊が出来る者は?」

 

 手を上げたのは山田と清隆と橋本、そしてCクラスの二人……しかし少し自信が無さそうではある。

 

「じゃあこのグループの調理担当は俺がやろう」

 

 グループ全員の食事を作ることになるが、まぁ問題はないだろう。まともに調理経験の無い者をそこまで広くない調理場に立たせても意味はないだろうしな。

 

「良いのかよ? なんか笹凪だけ負担になってねえか? それにサボってたら減点になるかもしれないだろ」

 

「橋本の意見も尤もだ。しかし教官はこう言っていた、分担や人数はこちらで決めろと、つまり俺一人でやっても何も問題はないということだ。得意な者に仕事を任せることが何の減点になるって言うんだよ……まぁ心苦しいって言うんなら、気が向いた奴だけ手伝ってくれ、このグループはそれで回していくって話だっただろう?」

 

「流石にそれは申し訳ない、俺たちCクラスは手伝うよ」

 

「感謝しよう。だが手伝わない奴を責めないこと、これは自らがやるべきことだと判断した行動だということを忘れないことだ。同時に調理に参加しない者は出された物を必ず口にして一欠片も残すな、最低限の礼節と敬意を忘れなければ調理中は寝てて構わない」

 

 そもそも、龍園や高円寺のエプロン姿なんて絶対に見たくない。なんの罰ゲームなんだよ。

 

「南雲先輩はどうしますか? 面倒なら俺が全部引き受けますよ」

 

「いや、できる訳ないだろ、何十人いると思ってるんだよ」

 

 チマチマ作るつもりはない、身体能力の全てを解き放って作れば何も問題はないのだが、南雲先輩は懐疑的である。この人にこんな常識的な感性があるなんて驚きであった。

 

「じゃあ手伝ってください」

 

「遠慮がねえなおい……先輩、笹凪はこう言ってますけど?」

 

「一年生一人に任せる訳にはいかない。それぞれの学年で人を出し合ってローテーションにするのが無難だろう」

 

「それで良いんじゃないスか」

 

「……そうですか」

 

「なんで残念そうなんだよお前は」

 

「いえ、料理は好きなので……アレは良い文化ですよね。座禅と同じく己と向き合える」

 

「お、おう……」

 

 こっちは冗談でもなんでもなく、一人で全員分を作るつもりだったんだけどな。どうやら本気だと伝わらなかったらしい。

 

「ところで南雲先輩、グループのメンバーをAクラスで固めなかったんですね。戦力を散らしてるんですか?」

 

「なぁに、勝つための布陣ってだけだ」

 

 せっかくなので南雲先輩の正面の席に座って食事をすることにしよう。いきなり一年生が前にやって来たことで、彼の両隣にいた二年の生徒がなんだこいつとでも言いたげな顔をするのだが、こちらから視線を向けるとサッと顔を背けられてしまう。

 

「均等に配置すれば平均点は上がるでしょうから。でも堀北先輩に勝負を挑んでいたのに少し不思議で……てっきり精鋭でグループを固めるものだとばかり」

 

「まぁそうだがな、今回はこれで良いんだよ」

 

 堀北先輩を油断させる為だろうか? あっちはわかりやすい位に基本に忠実で、王道を行く面子であった。それが一番強いと言わんばかりに。

 

「俺には俺の考えがある、堀北先輩に勝利する為のな」

 

「それはどういうものなんですかね」

 

 質素でありながらしっかりと栄養を考えられた食事をしながら何気なくそんなことを訊ねると、彼はニヤリと唇を緩めて見せる。

 

「お前はどう思う?」

 

「う~ん、急に言われても困りますけど、堀北先輩側にスパイがいるとかでしょうか?」

 

「ははは、スパイか、それも良いかもな。もしかしたら本当にいるかもしれないぜ」

 

「いや、冗談ですよ。幾ら何でも他学年にスパイは作れないでしょう。それこそ先輩に協力する意味がありませんしね」

 

「ふッ、確かにな、何の利益もなくそんなことする奴はいないだろう」

 

 南雲先輩は軽く笑いながら味噌汁を飲む……この人に味噌汁は似合わないな。

 

「昨日の体育館での話は俺も聞いてましたけど、南雲先輩は堀北先輩にあぁやってよく戦いを挑んでるんですよね?」

 

「毎度毎度、袖にされちまってるけどな」

 

「堅物そうですもんね。でも今回は受けてくれたみたいじゃないですか」

 

「あぁ、ようやくだ」

 

 挑戦的に笑う彼の表情に邪気はない。何だかんだでこの戦いを楽しんでいるようだ。

 

「笹凪、お前は今回の戦いに関わるつもりか? もしかして堀北先輩に俺を探れと言われてるんじゃないか?」

 

「えぇ、有力な情報にはポイントをやるからって言われましたけど」

 

「おいおい随分と正直だな」

 

「こんな試験なんですから他所のグループの情報なんてどこも欲しがるでしょうからビジネスみたいなものですよ。それこそ色んな奴に声がかかっているでしょうから、きっと俺だけの話じゃありません」

 

「確かに、そりゃそうだ。勝つためには当然の行動だろうな」

 

「でもだからこそ不思議なんです。精鋭で固める訳でもありませんし、細かくグループに指示を出す訳でもありませんし、何がしたいのかわかりませんよ」

 

「何がしたいのかわからないか……はは、それがお前の限界だ。まぁわからないだろうよ、俺の考えは誰にも、それこそ堀北先輩もわからない」

 

「なるほど、少なくとも先輩が勝利を放棄した訳じゃないってことはわかりました」

 

 この人の目的はそもそも堀北先輩に勝利することじゃなくて、貶めることにある。だから自分のグループをどれだけ探られても痛くも痒くもないので、笑って受け入れられるのだろう。

 

 俺が勝利を諦めた訳じゃないと発言した時に、南雲先輩の唇が僅かに緩まったことを見逃してはいなかった。

 

「あぁ、結果発表を楽しみにしておくと良い……俺は必ずあの人に勝つ」

 

「ライバル、という奴ですか」

 

「そうさ、この人を越えなければならないと、そう思ったんだ……お前にはそういう奴はいないのか?」

 

「いますよ。ただ負けたくない、というよりはただただ越えたいという思いですけど」

 

 ただし、師匠を凌駕するのは決して簡単ではないだろう。まだ世界を救う方が楽かもしれない。

 

「ん……良いと思いますよ。この人にだけは負けたくないと思うのは、男の人生に付き物だ」

 

「だろ? まぁ期待しておけ、俺が勝利する瞬間を」

 

 やたらと勝利を強調するのは、きっと誤解させる為なんだろう。堀北先輩に勝つことを目指していると主張しているのである。本命は女子の方であると悟らせない為に。

 

「では楽しみにしておきます」

 

 食事も終わったのでその場から立ち上がって去ろうとすると、南雲先輩に呼び止められる。

 

「笹凪、よく見ておくんだな。この学園で最も強い実力者の振る舞いを」

 

「堀北先輩は大変だなっていうのが正直な感想です」

 

 うん、それが全てだと思う。純粋に挑んで来るのならば可愛いものだが、こうも執着されると重苦しく感じてしまうだろう。それを二年近く粘着されていたのだとしたら、堀北先輩の苦労もよくわかる。

 

 ごちゃごちゃ考えていないで、普通に殴り合えと思ってしまうのだが、こんなことを考えているとまた清隆からゴリラ扱いされてしまうんだろうな。

 

 でもシンプルに片付けるのが一番だと思う。ルールだとか試験だとかそういうのを抜きにして、ただ当人同士が殴り合えば犠牲も少ないのだから。

 

 それならば俺だって回りくどく立ち回る必要もない。世の中はもっとシンプルで良いと何度思ったことだろうか。

 

 考えても仕方がないか、約束された敗北には順調に進んでいるようなので、経過は順調だと堀北先輩に報告しておこう。

 

 

 

 



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文化的活動は大切

 

 

 

 

 

 

 その日の授業は特に大きな問題も無く終わることになった。グループ内の不安要素であった龍園たちは座禅やランニングなどの体力面では一切の不安がなく、この面子で運動面の心配は必要ないと判断するには十分であった。

 

 Cクラスの二人はそれなり、Aクラスの橋本と戸塚もランニングを終えて立てなくなるほど体力不足という訳でもない。清隆や高円寺は言うまでもない。

 

 なので注力するべきは筆記試験などの学力面ではあるが、そこは最終日前日にでもこちらで要点を纏めた対策問題を配ればいいだろう。多少なりとも危機感があれば目を通す筈だ。

 

 このグループのざっくりとした対策を考えながらの夕食を終えて、部屋に帰って今日も彫刻と不寝番を行う為に気合を入れていると、前方に特徴的な人影を発見した。

 

「坂柳さん」

 

「どうしましたか、天武くん」

 

 その人物は坂柳さんであり、振り返ってこちらに視線を向けて来ると同時に、いつもの不敵な笑みを向けてくれた。

 

「特に大きな理由はないんだけどね、なんとなく姿が見えたから声をかけたんだ」

 

「そうでしたか」

 

「あぁ、でも良ければ女子グループの話を聞いてみたいかな。そちらさえ良ければだけど」

 

「ふふ、知りたいのはグループ決めが揉めた件ですか?」

 

「気にならないと言えば嘘になるかな」

 

 鈴音さんが言うにはグループ決めの際にAクラスは一之瀬さんを遠ざけるような動きを見せたらしい。何の為にそんなことを考えたのかはわからないので、知ってそうな人に直接訊ねればと考えた次第である。シンプルで良い。

 

「そうですね、説明するのは別に構いませんが――」

 

 どこか妖艶な笑みを浮かべてこちらとどんな会話をしようかと考えている坂柳さんだが、俺の視線はその背後に近づいてくる山内に向けられていた。

 

 何を考えているのか、キョロキョロと視線を揺り動かしながら廊下を歩く山内は、小さな石にでも転んでしまうほどに注意散漫な状態のように思える。

 

 そのまま進むと、もしかしたら前方にいる坂柳さんにぶつかってしまうのではないかと思ったので、俺も前に進んで山内と坂柳さんの間に入った。流石に気が付くだろうと思っていたが、あと一歩の距離までキョロキョロとしていたので仕方なくだ。

 

「山内、前はしっかり見ろよ。ぶつかったら怪我をさせてしまうかもしれないしね」

 

「おっと、悪いな」

 

 本当に、たった今、俺や坂柳さんに気が付いたかの様子なので、一体彼は何を見て歩いていたのだろうか?

 

「ありがとうございます、天武くん」

 

「いや、大事にならなくて良かったよ」

 

 間に入ったことで接触することはなく、坂柳さんもお礼を言ってくれた。

 

「あれ、確かこの子って……Aクラスの子だろ」

 

「坂柳さんだよ」

 

「あぁ、そうそう、杖が無いとダメな女子だっけ。今も笹凪がいないと倒れてたかもしれないし……可愛いけどなんか危なっかしいよな、チョロチョロされるとさ」

 

 そんなことを言いながら去ろうとする山内の首根っこを掴んで、強引に引き寄せると、後頭部を掴んで強制的に頭を下げさせる。

 

「ちょ、おいなんだよッ!?」

 

「全く、今朝の授業で何を学んでいたんだ。社会性と配慮という言葉をもう忘れたのか?」

 

「痛いっての!?」

 

「他者と接する時は最低限の礼節と敬意を忘れるな、次は無いぞ……わかったな?」

 

「わかったって……」

 

「すまないね、坂柳さん。彼にはしっかりと反省させておくよ」

 

 クラスメイトの恥なので一緒に頭を下げると、彼女からは許しの言葉を頂く。

 

「構いませんよ、どうか気になさらないでください。些細なことですから」

 

 頭を上げると……それはもう凄く楽しそうな顔をした坂柳さんがいた。

 

 うん、怒らせてしまったみたいだ。本当にすまない。

 

「もう良いだろ、俺は行くからな」

 

 去っていく山内の背中を見送っていると、坂柳さんから上品な笑い声が届いた。

 

「フフフ、苦労なさっているようですね」

 

「決して悪い奴じゃないんだけど……」

 

「ご友人なのですか?」

 

「友人、なのかな……そこまで絡みはないけど、クラスメイトだからね」

 

「なるほど、貴方は優しいですね」

 

「優しい?」

 

「天武くんにとって、他者は等しく配慮すべき存在に映っているように思えたので」

 

「そこまで考えてはいないさ、だがクラスメイトは守るものだと思うよ」

 

「良い心がけだと思いますよ。貴方は一之瀬さんと異なり、理想論ではなく実際にそれを押し通せる力と手段を持っていますから……さて、話を戻しましょう、どうして彼女のクラスを遠ざけるように動いたか、ですよね?」

 

「あぁ、そうだった。それを訊きたかったんだ」

 

 山内の介入でうやむやになる所だったけれど、本題はそこである。

 

「既に戦いは始まっている、ここは敢えてそう表現しましょうか」

 

「なるほど、とても納得できる」

 

 つまり、Aクラスは今後、Cクラスへ攻撃を仕掛けるつもりな訳だ。ここまで沈黙を守って来た最上位クラスが遂に攻勢に出ようとしているらしい。

 

「しかし一之瀬さんクラスも手強い相手だ、そう簡単に進むかな?」

 

「さて、どうなるでしょうね」

 

 妖しく微笑む坂柳さんは、どこか楽しそうにも見えた。

 

「そうだ、私からも天武くんに訊きたいことがあります」

 

「構わないよ」

 

「貴方は善意をどこまで貫けるのでしょうか?」

 

「すまない、質問の意図がわからない……」

 

「言い方を変えましょうか、どこまで行けば怒りを覚えますか?」

 

「怒りか……難しいな。日々、穏やかに生きたいと思っているから、なんだか遠い感情なんだ」

 

「そうでしょうね……そう言った意味では、天武くんと一之瀬さんはとても似ているのかもしれません」

 

「俺と一之瀬さんが?」

 

 そんな訳ないと断言できるくらいには、俺と彼女は似ていないと思うが。坂柳さんに言わせれば違うらしい。

 

「他者に配慮して生きることを大事にしているという点ですよ」

 

「それは別に俺や彼女に限った話ではないさ。誰しもが大なり小なり持ち合わせているものだ」

 

「えぇ、ですけど、誰にだって限度があります」

 

 それはそうだろう。どんな善人にだって限界というものはある。

 

「貴方と一之瀬さんはその限度が特に高いように思えますね……だから善人と言えるのかもしれません」

 

「俺は善人には程遠いと思うけどね、一之瀬さんと違って」

 

「いいえ、逆ですよ」

 

「逆?」

 

「本当に、真の意味での善人は、きっと貴方でしょう。一之瀬さんではありません」

 

「よくわからないな、そう言い切れるだけの根拠があるのかい?」

 

 そう訊ねると、彼女は変わらず愛らしく微笑むだけだ。

 

「いずれわかりますよ、彼女には善人であらなければならない理由があるとね……そこが似ているようで、天武くんとの決定的な違いでもあるのでしょう」

 

 よくわからない物言いではあるが、坂柳さんの中には一之瀬さんの突くべき隙があるのかもしれない。Aクラス対Cクラスが現実味を帯びて来たということだろう。

 

「私を止めますか?」

 

 美しい笑みを浮かべた坂柳さんは、試すかのようにそう問うてくる。

 

「君と一之瀬さんの戦いに割って入るのは流石に無粋だと思うけど……まぁどうしようもないくらいに困っていたら手を差し伸べるよ」

 

「利益や恩を与える為ではなく?」

 

「あぁ、俺は、お節介をしながら死んでいくと決めている」

 

「なるほど、やはり貴方は善人ですね……もし私と一之瀬さんの立場が逆になったらどうしますか?」

 

「言うまでもないことだけど、それでも言葉にしようか……君が困っていれば、俺は必ず坂柳さんを守るよ」

 

「大いに結構です、とても満足できる言葉でした。どうかこれからもそれを貫き通してください。その考えと信念を、私は心地良いとさえ思いますので」

 

 言葉の通り、満足そうに微笑んだ坂柳さんは、杖を突きながら歩き出す。そしてすれ違いざまにこう囁いた。

 

「誰かの苦労を背負えるような天武くんのお節介を期待しておきましょう……誤解のないように言っておきますが、私は貴方のことを好んでいますよ」

 

「嬉しい言葉だ、誰かに褒められるのは悪い気がしないね」

 

 どうやら俺は振り回されることが確定しているらしい。坂柳さんはとても楽しそうである。そこまで期待されると滑稽に踊るのも吝かではなかった。

 

 何をするつもりなのかはわからないが、坂柳さんと一之瀬さんの対決はもうそこまで迫っているのかもしれない。遠ざかっていく彼女の背中を眺めてこれから大きく展開が動くことを確信する。

 

 もしかしたらこちらのクラスに火の粉が飛んでくる可能性もあるので、慎重であることも忘れることはできないだろう。

 

 俺たちのグループの部屋に戻って、坂柳さんが取るであろう戦略を想像しながら、彫刻刀片手に小さな仏像を作っているとすぐに時間も過ぎ去っていった。

 

 途中から清隆が手伝ってくれて、何の気まぐれか橋本が同じように彫刻を行い、何だかんだで戸塚も引っ張り込んで、更にはCクラスの二人まで興味を向けてくれたので、これを機に芸術活動の布教でも行うことにしよう。

 

「龍園、どうせ消灯時間まで暇なんだし、せっかくだから君たちもどうだい?」

 

「馬鹿いえ、付き合ってられるか」

 

「石崎と山田はどうかな? 芸術活動っていうのも偶には悪くないよ」

 

「俺たちは敵同士だ、慣れあってる訳じゃねえんだよ」

 

「……」

 

 龍園が参加しないので石崎と山田もまた不参加のようだ。

 

「まぁ出来ないのなら無理強いはしないよ。君たちって不器用そうだし、どうせ指切って血だらけになって終わりそう……そんなに怖いなら雑魚はそこで寝てなよ」

 

「できらぁッ!!」

 

 チョロすぎるだろ石崎、山田もちょっとムッとしていて、龍園は邪悪な笑みを浮かべてベッドから下りて来て彫刻刀を奪い去った。

 

 俺の鞄から、授業のランニング中に校舎の裏山付近で拾った木材の欠片を奪い去ると、龍園グループもまた彫刻に参加することになる。

 

「高円寺は……お、上手いじゃないか」

 

「ふふん、私にとってはこの程度は造作もないことさ」

 

 高円寺はいつの間にか参加して、いつの間にか変な像を掘っていた。わざわざ参加したということは彼の琴線に触れる何かがあったらしい。

 

「せっかくだから、仏像でも彫ろうか」

 

「いや、何で仏像なんだよ?」

 

 彫刻刀を持った戸塚が首を傾げる。橋本もまた同様だ。

 

「今朝の座禅の授業と同じさ、己と向き合い冷静になれるからだよ。不出来でも構わないからやってみよう。どうせ就寝時間まで暇なんだからさ」

 

 そう、暇だからというのが最大の理由である。

 

 俺は手本を見せるかのように集中力を高めていき、師匠モードに移行して彫刻刀を木材に刺し込む。

 

「世に悲しみが尽きることはなく、だからこそ少しでも嘆きが減るように祈りを込めながら仏を作ろう」

 

 師匠モードによる引力があるからだろうか、グループのメンバーもこっちの雰囲気に引き寄せられるかのように意識が変化していくのがわかった。体育祭の時もそうだったけど、師匠モードはこういう時が偶にある。誰かの精神に強い影響を与えるとでも言うのだろうか。

 

 集中が集中を呼び、誰もがどこか悟りを開いたかのような顔で一心不乱に仏像を彫る光景は、どこか恐ろしく見えるのかもしれないな。

 

「一つ彫っては父の為」

 

 俺がそういうと、メンバーが一斉に復唱する。

 

「「「「一つ彫っては父の為」」」」

 

「二つ彫っては母の為」

 

「「「「二つ彫っては母の為」」」」

 

 良い連帯感だ。体育祭前のスパルタ特訓を思い出す。あの時もクラスメイトたちは今みたいな感じになって強力な連帯を意識させる状態になっていた。

 

「なぁ、おい……お前ら」

 

「三つ彫っては友の為」

 

「「「「三つ彫っては友の為」」」」

 

「お~い……笹凪、先輩が来てるんだが」

 

「四つ彫っては人の為」

 

「「「「四つ彫っては人の為」」」」

 

 どこからか誰かの声が聞こえて来るが、集中の全てを彫刻に向けているからどこか遠くに思えてしまうな。構っている場合ではないというか。

 

「五つ彫っては世の為」

 

「「「「五つ彫っては世の為」」」」

 

「南雲、どうするつもりだ? そもそもこいつらは何をやっている?」

 

「いや、俺に訊かれても困りますって……おい、笹凪、トランプでもどうだ?」

 

「六つ彫っては未来の為」

 

「「「「六つ彫っては未来の為」」」」

 

「怖えよこいつら……なんで一心不乱に仏像彫ってんだよ。今は合宿中だぞッ!?」

 

「今年の一年は色々とアレな者が多いとは聞いていたが、ここまでとはな」

 

 どうした訳か外野から少し失礼な声が聞こえて来るな。少し集中を落ち着けて視線を仏像製作から共同部屋の入口付近に向けてみると、そこには南雲先輩を筆頭に上級生たちの姿が見えた。

 

 別に睨んだ訳ではないが、師匠モードのまま彼らを見つめてしまったので、少し驚かしてしまったのかもしれない。

 

「あぁ、先輩方……良ければどうですか? 共に仏像を彫り、世の嘆きを少しでも減らしましょう」

 

「……」

 

 廊下から共同部屋をの覗き込む南雲先輩たちに、俺は善意でそう呼びかけるのだが、彼らは共に顔を見合わせて首を横に振ると、静かにそっと扉を閉めるのだった。

 

 どうやら文化的活動はお気に召さなかったらしい。

 

 その日以降、どこか先輩たちに避けられるようになったのは、気のせいだと思いたい。

 

 

 

 

 




次回、男の戦い


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百点満点なんてありはしない

 

 

 

 

 

 

 

綾小路視点

 

 

 

 

 

 この混合合宿が始まって三日目、つまり三度目の入浴時、一日の疲れを癒す為に大勢の生徒たちが大浴場に集っているのが確認できる。

 

 オレたちのグループもまた同様で、汗と疲れをここで流している状態だ。最初こそ不安はあった面子であったが、龍園も高円寺も天武が上手くコントロールしているので、そこまで雰囲気は悪くない。

 

 最初から足並みを揃えることを放棄して、天武が全力でフォローするという姿勢は思っていた以上に上手く場を作っている。龍園も高円寺も一定の敬意をアイツに向けているので、天武の邪魔をしない。

 

 ランニングの途中に高円寺がフラッといなくなっても「ほっとけ」で終わるのがこのグループであり、最悪「天武に任せとけ」で完結するチームということだ。とても楽であった。

 

「ババンバ、バンバン、バン。ババンバ、バンバン、バン」

 

 大浴場の隅、そこでは天武が湯船から顔だけを出して何やら小声で奇妙な歌を口ずさんでいた。どこか耳に残る独特のメロディーは、変な癖になりそうではある。

 

「その歌はなんなんだ?」

 

 そう訊ねると、天武は少し困ったような顔を見せた。

 

「いや、俺もよく知らなくてね、でも風呂ではこの歌を口ずさむのが作法だって聞いたことがあって、つい……」

 

「そういうものなのか」

 

 ホワイトルームでは教えられなかった情報だな。やはり知らなければならないことがまだまだあるという事だろう。

 

 だとしたら、オレもその作法とやらに則って歌うべきなのだろうか? そんなことを考えていると、こちらに近寄って来る人物を発見した。

 

 一之瀬クラスの副リーダーを務めている男、神崎である。

 

「笹凪、ここにいたか……そちらは確か、綾小路だったか?」

 

「あぁ、その通りだ」

 

「神崎、どうかしたのかい?」

 

「いや、そちらのグループに入れたこちらのクラスメイトはどうか……を……いや」

 

 だがこちらに近寄って来た神崎は途中で足を止める。湯船から顔を出した天武を見た瞬間に。

 

 まぁ、気持ちはわからなくはない。今は湯船の中に体が隠れていて、顔だけが外に出ている状態だからな。

 

 オレも最初は驚いて困惑した、けれど変に意識して距離を取るのもそれはそれで妙な話だと感じたので、とりあえず近くに腰を下ろすことに断腸の思いで決めた。さて神崎はどうするだろうかと考えていると、静かに距離を取ろうと後退していくのが確認できる。

 

 流石に、近くに腰を下ろすのは憚られたらしい。

 

「彼らなら問題なく馴染んでいるよ、ちゃんと守るから安心して欲しい」

 

「そ、そうか、ならいい……訊きたかったのはそれだけだ」

 

 神崎は静かに後退してその場を後にした。正確には天武から距離を取った。

 

「ん? 神崎の奴、どうしたんだ?」

 

「色々と考えてしまったんだろうな……今のお前は、あ~、あれだ、顔だけが露出して体は湯に隠れてる状態だからな、わかるだろ?」

 

「いや、さっぱりだ、それがどうして困惑に繋がるんだ?」

 

「お前の顔は、ほら……中性的だ」

 

「あはは、なんだ、女性と混浴してる気分にでもなったのかな? よくわからない話だね……ここ最近、風呂場で避けられがちなのはそれが原因ってことか」

 

 あどけなくクスクスと笑うと、余計に美人の笑顔に見える。湯で温まっているからなのか頬も僅かに赤く、それが余計に色気を醸し出すことに繋がっているのだろう。

 

 もう少し男性寄りの容姿ならば何の心配もないのだが、天武は男から見れば美人に、女から見れば中性的に見える顔つきだ。混浴している気分になるのもわからなくはない。

 

 もし、万が一、そう万が一……天武の顔に男の象徴を反応させてみろ。きっと色々な価値観や心を圧し折ることになるかもしれない。そうなれば最悪とさえ言えるだろう。

 

 龍園も同じことを考えたのか、湯船から顔だけを出している天武を見た瞬間に、ギョッとした顔になって静かに距離を取った。

 

 オレも離れるべきだろうか? いや、流石に反応することなんてありえないとわかっているが、天武の顔だと万が一が本当に起こりかねない。

 

 しかし距離を取ったら取ったで、何を意識しているんだという話になる。オレはここ数日ずっとこんなことを考えていた。

 

「ん、変な奴らだ」

 

 首を傾げて微笑を浮かべる親友……頼む、その美人な顔を止めてくれと多くの男子生徒が思うのかもしれない。

 

「せめて上半身くらいは出したらどうだ?」

 

「半身浴みたいな感じかぁ、まぁ空気を悪くするのもアレだしそうしようか」

 

 こちらの助言に従って天武は半身浴に切り替える。すると凄まじい密度を感じさせる筋肉が圧縮された上半身が露わになるので、これで万が一の可能性も潰せたと言えるのかもしれない。これならばどれだけ美人でも男性の雰囲気が強くなるのだから。

 

 一安心していると、大浴場の一角からザワつきが広がっていることに気が付く、そちらに注意を向けてみると、須藤とAクラスの葛城が向かい合っていた。

 

 須藤の背後にはクラスメイトたちが、葛城の背後では同じグループの戸塚が何やら騒いでいるのが確認できる。

 

「下らん争いだ」

 

 落ち着きのある葛城はどこか乗り気ではないようだが、本人よりも周囲の人間がやる気になっているらしい。

 

「弥彦の言うようにAクラスのプライドがある。須藤に立ち向かえるのは、お前の持ってるソレくらいなものなんじゃないか?」

 

 戸塚と一緒に橋本も葛城を推しているようだ。それを見てオレはアイツらが何をしているのかわかった……つまり男の象徴を比べているのだろう。

 

「おぉ、アレはッ」

 

「知っているのか天武?」

 

「合宿や修学旅行では恋愛トークと並んで定番行事とされている儀式だ……まさかここで見れるとは」

 

「なるほど、定番なのか」

 

 それもホワイトルームでは教えられなかったことだな。

 

 向かい合う葛城と須藤は戦いの瞬間を待っている。油断した瞬間に首でも切られそうな緊張感であった。

 

「全く。このままでは落ち着いて頭を洗うことも出来ん」

 

「勝負は一瞬だ葛城」

 

「……好きにしろ」

 

 須藤の挑発的な笑みを冷静に受け流した葛城は、ついに腰に巻かれたベールを脱ぎ去る。

 

「こ、これは……!?」

 

 どうやら審判役は山内らしい。しゃがみ込んで向かい合った龍虎を見比べて、最終的な判断を下して見せる……アイツは何をやっているんだ?

 

「どうだ!? 山内!!」

 

「ドローだ!!」

 

 審判役の山内がそう宣言すると、そんなまさかと周囲に人だかりが出来ていく。その様子はどこか楽しそうでもあり、定番行事という言葉に嘘はないらしい、言ってしまえばこういう場でのお約束とも言えるのかもしれない。

 

「ババンバ、バンバン、バン」

 

 隣にいる天武は高校生らしさを感じたからなのか、どこか楽しそうに彼らのやり取りを眺めながら、上機嫌に独特のメロディーを口ずさむ。

 

「お前らの死闘は見させてもらったがよ、甘いな」

 

 次の挑戦者は石崎だろうか、しかし奴の象徴は戸塚と大差がないレベル、アレでは虎を殺せはしない。

 

「はッ。笑わせんな石崎、お前じゃ相手にならねえよ」

 

「相手をするのは俺じゃねえ」

 

 そんなことは石崎にもわかっていたのか、奴は自信満々に強力な助っ人を召喚することになる。Dクラス最強の男を。

 

「アルベルト、お前の出番だ!!」

 

「お前、それはズルいだろ!!」

 

 王者の風格を漂わせていた須藤ですら、動揺を隠せない。それほどの存在感だ。

 

「抜かせ。学年一を決める試合ならアルベルトだって参加資格がある筈だ!!」

 

「くッ、でけえ」

 

 まだ腰に巻かれた布が取り払われていないにも関わらず、既にその圧倒的な体躯に押され気味な須藤であるが、それでも冷や汗を拭って戦う意思を示す……そうか、アイツも成長したんだな。

 

「見ててくれ鈴音、俺は逃げねえからよ!! かかってこいやあ!!」

 

「ふッ、トドメを刺してやれアルベルト!!」

 

 アルベルトは腕を組んでただ黙っており、腰布を取る作業すら石崎任せだった。そこにはある種の余裕と確信が存在しており、勝利を確信しているようにも思える。

 

 その風格はまさにラスボス、学校最強の称号を冠するに相応しいのかもしれない。

 

 脱ぎ剥された腰布が消え去った時、須藤はただ崩れ落ちる。王者陥落であった。

 

「負け……た」

 

 暫定王者だった須藤はその場に四つん這いになって崩れ落ちた……そこでその姿勢になるのは止めて欲しい、この角度からだと汚い穴まで丸見えである。

 

「ババンバ、バンバン、バン」

 

 隣の天武は楽しそうに歌いながら、男子生徒たちの戦いを眺めていた。

 

 アルベルトの蹂躙によって次々と男子生徒たちの心が折られていく中、もう誰にも勝てないのかと諦めの雰囲気が漂い始めた中、ただ一人この男だけは前に出ていく。

 

 高円寺六助、この男だけはこの状況で笑って見せたのだ。

 

「はッ、はッ、はッ。君たちはチルドレンのような愉快なことをしているようだねぇ」

 

「んだよ高円寺。お前は悔しくないのかよ!! 須藤のこの無様な姿を見ろよ!!」

 

 叫ぶ山内に、あくまで高円寺は余裕の表情を崩さない。

 

「知っているさ。レッドヘアーくんにしては健闘していたようだがねぇ」

 

「んだ、てめぇ、お前ならアルベルトと戦えるとでも言うつもりか?」

 

「私は常に完璧な存在だ。男としても、究極体なのだよ」

 

「はぐらかすな。具体的にはどうなんだ」

 

「争うまでもない。無益なことで血を流す必要もないのさ」

 

 あくまで自信満々に、余裕綽々な空気を壊さない高円寺に、多くの男子生徒の視線が引きつけられていく。

 

「ふむ、偶には君たちのお遊びに付き合ってみるのも面白いか」

 

 高円寺の視線は目の前のアルベルト……ではなくその更に向こうにいる天武を見ているようにも思えた。そして何を思ったのか湯船から立ち上がって堂々と王者と向かい合う。

 

 やるつもりなのか……アルベルトと、いや、その先にいる天武と。

 

「そこをどきたまえアールベルトくん」

 

 やはりあのアルベルトを前座として扱っているらしい。その決してブレない力強い佇まいはまだ腰のカーテンを取り去っていないにも関わらず、何かを予感させるには十分なものであった。

 

 焦らすかのように、しかし大胆に、何よりも絶対の自信を持って、高円寺はついに腰の布を剥ぎ取ってしまう。

 

 そこに存在していた象徴は――――。

 

 

「OhMyGod」

 

 

 王者アルベルトに、そう言わせるには十分なものであった。

 

「お前、本当に人間かよ」

 

 須藤が高円寺の存在感を見た全ての生徒を代表するかのように、戦慄した声を漏らした。仕方がないことだろう、それほどまでに巨大で圧倒的だ。その力強い主張と火力は戦車と呼ぶべきほどである。

 

 だが、そんな戦車を持つ高円寺はまだ気を緩めてはいない。アルベルトを沈めてなおその戦意は衰えていないのだ。

 

 視線は天武に、戦車の砲身もまた同様であった。

 

「スタンダ~プッ、マ~イフレ~ンド!!」

 

「ババンバ、バンバン、バン……えッ、俺?」

 

 これまで外野から他人事のように眺めているだけだった天武に視線と注目が集まった。遂にこの時が来たと言うべきなんだろう。

 

「頼む笹凪、もし高円寺に勝てる奴がいるなら、それはお前しかいねえ!!」

 

 無様に敗北して四つん這いになっていた須藤は、最後の希望とばかりに天武を前に出す。

 

 大浴場に集まった全ての男子生徒たちの全てが高円寺と天武に注目しており、視線の檻によって逃げることは叶わない。既に決戦場はここに完成しているということだ。

 

「あのねぇ君たち……そこが大きいことにどれほどの意味があるって言うんだい?」

 

「ほう」

 

 高円寺が面白そうに唇を歪める。

 

「長さがどうの、形がどうの、角度がどうのと……俺から言わせて貰えば、子供の背比べのようなものだよ」

 

 沈黙が大浴場に広がった。確かに天武の言葉には一理ある。男の象徴は別に大きければそれで良いという訳ではない。過ぎたるは及ばざるが如し、そんな言葉もある。

 

「大きければそれで偉いのか、固ければそれが力の象徴なのか、鋭いことに何の意味があるのか……君たちはまるで、男の象徴でチャンバラでもしようとしているかのようだよ」

 

 なるほど、確かにそんなことで競い合った所で何の意味はない。

 

「やるべきことはチャンバラかい? 違うだろ?」

 

 そこで天武は僅かに息を吸い込んで瞼を閉じ、間を作る……これは、沈黙と言う話術だ。

 

 

 

「男の象徴に、100点はない」

 

 

 

 この風呂場に集まった男子生徒たちは、その言葉に雷に撃たれたかのような感覚になったのかもしれない。自分たちがどれだけ幼稚で愚かなことを競い合っていたのかを。

 

「俺たちが取れる点数はどれだけ頑張っても50点まで……もし、100点があるのだとするのならば、それはパートナーがあってのことじゃないかな?」

 

 その言葉に、幾人かの生徒が膝から崩れ落ちる。主に自分の象徴に自信が無い者を中心に。

 

 ガックリと崩れて、四つん這いになった池は、呻くようにこう叫ぶ。

 

「俺、頑張れるかな……こんなんだけど、戦えるのかなッ!?」

 

「戦えるさ、池……俺たちはもう50点を得る為に、長い道を歩む旅人なんだから」

 

 池、四つん這いの体勢を止めて欲しい、この角度からだと色々見えてしまうから。

 

 しかしなんて含蓄のある言葉だろうか、そしてこの落ち着きよう。天武はこの中で最も精神的に成熟しているのかもしれないな。大きさがどうの、長さがどうの、形がどうの、そんなことに一喜一憂しているようではまだまだ幼いということだろう。

 

 男の象徴に100点はない……そうなのか、ホワイトルームではそんなことは教えてくれなかった。

 

「さぁ皆、くだらない争いは止めて未来を目指そう……大丈夫、重要なのは大きさじゃない。相性なんだからさ」

 

 良い話だな……それでこそオレの親友だ。不毛な争いを広げる必要なんてどこにもなかったんだ。

 

 風呂場で騒いでいた男子生徒たちも少し冷静になったのか、丸出しだった股間を慌てて布で隠している。

 

 こうして世界は平和になったということだろう。まさに大団円であった。

 

 大きさも問わず、形も問わず、今の男子たちは優劣を求めず互いに認め合う、そんな雰囲気に満たされている。

 

 

 

「そうは問屋が卸すかよ」

 

 

 

 だが、この男だけはこの平和を踏みにじった……龍園翔、やはりここで出て来たか。

 

「お前ら騙されるな、口車に乗せられてるぞ……こいつは煙に巻こうとしているッ」

 

「龍園、貴様ッ」

 

「仲良く手を繋いで一緒にゴールってか? おいおい、俺たちが所属している学校はなんて言った? 実力主義だろうが!!」

 

 幾人かの男子が龍園の発言にハッとした顔をした。拙いな、また空気が殺伐としたものになってきている。

 

「笹凪ィ……お前まさか、逃げるのか? 戦うこともなく背を向けるのか? それでよく正義の味方を名乗れたなぁおいッ!!」

 

「ふッ、ドラゴンボーイにしては悪くない言葉だねえ……マイフレンド天武、この戦いを、受けてくれるかね?」

 

 高円寺はわざわざ風呂場の入口にまで物理的に退路を断つ。戦車をぶら下げたまま。

 

 そして改めて天武に全員の視線が集まった……もうここに平和はない。誰が勝者かを決めるまで戦いは続くんだろう。

 

 あらゆる視線と注目を浴びている天武は、とうとう観念したのか、小さな溜息を吐いて湯船から立ち上がる。

 

「うえッ!? 笹凪の体ヤッバッ!?」

 

 立ち上がったので自然と全身が露わになった。当然ながらその異質異常な身体能力を発揮する肉体も衆目に晒されることになるのだが、誰もが息を飲んで愕然としたことだろう。

 

 柴田だけは恐ろしい何かでも見たかのように驚いた声を出しているな。

 

 言葉では言い表せない程に極まった体を持つ天武は、ゆっくりと浴槽から出て高円寺と向かい合った。

 

 こうやって見比べると、単純な筋肉の大きさなら高円寺に軍配が上がるだろう。それこそアルベルトとだって同じだ。しかし天武の体には膨大な筋肉が押し込められて圧縮されているかのような密度が感じられてしまう。

 

 そう、隙間がないのだ、あの肌の下には何百層もの鋼の繊維が敷き詰められているのではと錯覚してしまう程に圧縮されている。

 

 天武の体を見た後に、ボディビルダー体形のアルベルトや高円寺を見ると、どうにも「隙間だらけ」と言った印象を受けてしまうほどだった。

 

 そんな、おそらく人類の性能を超越した肉体を持つ天武は、涼やかな顔をしたまま高円寺の前に立つ。

 

「やれやれ全く、人がせっかく穏やかな時間を過ごそうとしている時に……君たちは本当に争いが好きなようだね」

 

「逃れられはしないさ、私たちは男に生まれたんだからねえ」

 

「ん……良いだろう、こうなっては仕方がない。戦う以外に道は無いようだ。平和とはなんて遠いものなんだろうね、悲しいよ」

 

 覚悟を決めたか……向かい合った天武と高円寺の間には緊張が高まっていく。

 

 雰囲気に引っ張られてか観客たちからも喉を鳴らす音が何度も響いた。自分たちは100年先まで語られることになる戦いを目撃するという確信を得たらしい。

 

 オレは二人の間に転がるタンブルウィードを幻視してしまう。

 

 腰に巻かれた布が取り払われと、露わになった男の象徴を比べようと男子生徒たちが殺到していった。

 

「どっちだ!?」

 

「いや、これはッ」

 

「誰か定規持って来いよッ!?」

 

「アッ~~~ッ」

 

「待て、落ち着けって……判定は」

 

 ここまで審判役を務めていた山内がじっくりと両者の象徴を見比べていく。

 

「太さなら、高円寺だッ……だが長さならば、笹凪だ!?」

 

「なん、だとッ!?」

 

 そうか、長さなら天武なのか……山内はそういった差を確認できる才能があるのかもしれない。

 

「ふッ、ふッ、ふッ。流石と言っておこうかマイフレンド。それでこそだとも」

 

「不毛な争いさ、こんなことに何の意味もないよ」

 

「いいや、私たちは男に生まれ落ちたんだ、決して避けられない戦いなのだよ」

 

 髪を掻き揚げる高円寺は優雅にそう言った。そして天武に掌を差し出す。

 

「改めて握手を、マイフレンド」

 

「あぁ、またいつか」

 

 お互いを強敵だと認め合ったのだろう。二人は固く握手を結んで健闘を称えあっていく。

 

 良かった、これで一件落着だな。世界は再び平和になったのだ。

 

 オレは愚かにもそんなことを思っていた、平和なんていうものはあまりにも脆く儚いことをついさっき知ったばかりだというのに。

 

「さて……清隆、次は君の番だよ」

 

「え?」

 

 オレを後ろから刺したのは、まさかの親友であった。

 

 お、お前は、お前だけは、信じていたのに……。

 

 風呂場に集まった男子たちの視線が、今度はオレに集まって来る。逃がさないとばかりに。

 

「清隆、出し惜しみはしない、そうだろう?」

 

「お、おい、笹凪、まさか綾小路もそっち側だっていうのかよッ!?」

 

「嘘だろ……この領域の戦いに、踏み込める奴がまだいるって言うのかよ!! どうなってんだこの学校はッ!?」

 

 戸塚と橋本がやけに大騒ぎしている。戦慄したかのように。

 

「ほう、綾小路ボーイもまたこちら側なのかね? それは良い、是非とも見せて貰おうじゃないか」

 

 高円寺はやはり入り口付近から動かない。

 

 もう、逃げ場はどこにもなかった。

 

「そうさ、今までの考えは一度捨てる……ここから先は出し惜しみはしない」

 

 観念して、オレもまた湯船から立ち上がって全身を曝け出し、腰の布を取り払った。

 

「す、すげえ、綾小路の奴ッ……」

 

「し、信じられねえ……」

 

 誰かが呻くように言った。まるでTレックス同士の対決のようだと……。

 

 

 

 

 

 

 



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合宿の夜と言えば恋愛トークは欠かせない

 

 

 

 

 

 

 

 

「テンテン、きよぽん、ここ良い?」

 

 混合合宿も五日目。特に大きな困難もなく、不安要素も見当たらない状況が続いており、高円寺が相変わらず自由に過ごす以外に特筆すべき所もない。その高円寺も何だかんだで最終的にはしっかりゴールしてくれるので、本当に問題が発生していない。

 

 ランニングの途中に高円寺がいなくなっても、掃除をサボっていても「ほっとけ」で完結するのでなんとも楽である。最終的にこっちでフォローするだけであり、それがこのグループの方針である。

 

 後は最終日直前にでもこちらで作った筆記試験対策の問題を石崎たちに配れば良い。

 

 そんな五日目の夕食時、鈴音さんから女子グループの状況を聞いてから、清隆と一緒に食事をとっていると、波瑠加さんと愛里さん、そして明人と啓誠がやってきた。

 

「ここ数日、二人が妙に見つけにくかったり、さっさと終わらせて色んな人に声かけてたから、こういうのもなんか久しぶりかもねー」

 

「ごめんね波瑠加さん、色々と情報が欲しくて動き回ってたんだ」

 

「だろうね、まぁ邪魔するのもアレだから声かけなかったんだけどさ」

 

 四人はそれぞれ席に着いて食事を始める。こうして清隆グループが集まるのも試験の最中は初めてのことかもしれない。

 

「皆は大丈夫かい? 何か問題は起こってないかな?」

 

「こっちは大丈夫かな、知らない人ばっかりだけど愛里がいるしね~」

 

「うん、それに、堀北さんも頻繁に話を聞きにきてくれるから」

 

 まさか堀北さんがそんな動きをしているとは。まぁ女子グループの動きを把握して問題があれば早期に動きたいんだろう。

 

「寧ろ、問題なのはお前たちのグループなんじゃないのか?」

 

「そうだな、一番の不安要素だ」

 

 明人と啓誠が食事をしながらそんなことを訊いてくる。まぁ龍園と高円寺がいる魔のグループだからな。

 

「あ、そっか、テンテンときよぽんって龍園くんと高円寺くんと一緒なんだっけ? うわぁ……」

 

「こっちは大きな問題はないかな。龍園はこの前の一件以来大人しいもんだし、六助はなんだかんだで最低限の結果を残してくれるからね」

 

「ふ~ん、流石の龍園くんたちも、あんなことしてぶっ飛ばされた後だと、大人しいもんか、喧嘩自慢っぽいから心折れちゃったのかもね」

 

 以前の喧嘩という、ほぼ一方的な蹂躙によって不良グループが大人しくなったと波瑠加さんは認識したらしい。残念だけど龍園は開き直っているだけだ。

 

「まぁ、多少なりとも反省したからこそ、賠償金もしっかり支払ったんだろう」

 

 啓誠も納得した様子である。このグループと軽井沢さんには、龍園がクラスメイトとAクラスから奪い取っていたであろうプライベートポイントを平等に分け与えている。ざっと一人頭100万に届かないくらいの額となっていた。

 

 それで多少は溜飲が下がってくれたのか、あの件は完全に終わりとなっているのだ。

 

「明人と啓誠はどうかな?」

 

「大きな問題はないと言いたいが……」

 

 明人の視線が啓誠に向かった。

 

「すまない、運動面では足を引っ張っているかもしれない」

 

「別に責めてる訳じゃない。勉強では面倒見て貰ってるからな」

 

「あぁ、わかっている」

 

 どうやら上手く明人がサポートしているようだ。勉強面では逆に頼りにしているのだろう。

 

「ただまぁ、思っていたよりは動けているかもしれないな。体育祭前の地獄の特訓を経験していると、ランニングも何とか付いていけると思う」

 

 なるほど、ノリと勢いで始めたあのスパルタ訓練も何だかんだで力になっているのかもしれない。確かにアレを経験した後にただランニングするだけならば、気が楽に感じるだろう。

 

「あのスパルタ訓練ね~」

 

 体育祭前を思い出したのか波瑠加さんが笑った。引っ張られるように愛里さんも悪いとは思いながらも笑っていく。

 

 まあ女子は外野から見ているだけだったので、あの辛さはイマイチ実感できないのかもしれないな。

 

 そして愛里さんが笑うと、少しだけ周囲の雰囲気がギクシャクする。正確にはやけに近い席に腰を下ろして、今もチラチラと視線を向けている山内がやけに興奮するのだ。

 

 今まではそんな意識を向けていなかったと思うが、愛里さんが眼鏡を外した辺りから色々と印象が変わったらしい。

 

 波瑠加さんと俺が背中を押した結果だろうか、彼女は彼女でこのままではいけないと奮い立ち、徐々にだが積極性を身に付けると決めたようだ。

 

 眼鏡を外し、姿勢を正す、小さくもわかりやすい変化は、きっと大きな勇気が必要だったのかもしれない。それでもやると決めたのが彼女である。

 

 結果として、山内がやたらと声をかけて来るようになったのは……うん、一応は成果の一つと言えるだろう。清隆も何だかんだで愛里さんの成長というものを喜んでいるようにも見えるので、スタートラインはもう切っていた。

 

 軽井沢さんもそれは同じで、清隆の近くに愛里さんという強敵が現れたことで、少し危機感を抱いているらしい。食堂の一角でグループのメンバーと食事をしながらも、視線をこちらに向けて来る頻度が多い。

 

 こういうのは、眺めている分にはとても楽しいな。

 

「天武、そちらのグループは試験本番で何か対策を考えているのか?」

 

「運動面ではなんの心配もいらない奴らばかりだから、筆記とスピーチにちょっとテコ入れするくらいかな。具体的には要点を纏めた対策問題を前日に配ろうと思っている」

 

「うん、やはりそうなるか」

 

 啓誠も似たようなことは考えていたのだろう。

 

「明日の夕食辺りに打ち合わせしようか?」

 

「そうしてくれるか、こちらも幾つか問題を纏めておこう」

 

 やはり勉強面では頼りになる男である。そして体育祭のスパルタ特訓を乗り越えたことで、ランニングでも深刻な状況になっていないらしい。あちらのグループも上手く回っているようで何よりだ。

 

 少なくとも見える範囲に不安要素はない。この試験は大規模かつ複雑なのでどうしても目が届かない場所も出て来るので、こういった情報収集は欠かせないだろう。

 

「清隆くんも、頑張ってね」

 

「あぁ、そっちもな」

 

 清隆と愛里さんのやり取りを眺めながら、グループでの夕食は終わりとなった。

 

 この二人が話していると山内と軽井沢さんがムッとした顔になるので、本当に眺めているだけで面白い。

 

 なんて考えるのは性格が悪いのだろうか? 高校生の青春って感じで凄く素敵だと思っているだけなんだが。

 

「面白いよね~、あの二人」

 

 食事を終えて立ち上がり、食器を返却する時に波瑠加さんが俺に小声でそう言って来た。全くもって同意である。

 

「清隆も何だかんだで驚いてるみたいだし、効果はあったんじゃないかな」

 

「でしょ? まぁ山内くんとか他にも色々と愛里を見る目が変わったみたいだけどね」

 

「仕方がないよ、愛里さんの変化はそれだけ大きなものだった」

 

「お、もしかしてテンテンも?」

 

「もちろん、愛里さんは綺麗になったと思っているよ」

 

 正直な気持ちを伝えると、波瑠加さんは少しだけ眉を顰めてこちらに軽くチョップをしてきた。

 

「下心はない、純粋にそう思っただけだ」

 

「わかってるけどね~、イラッとしたから何となくこうしたくなった」

 

 あまり愛里さんに不埒な視線は向けられないみたいだ。いや、そもそもそんなつもりは欠片もないのだけれども。

 

「まあテンテンの愛里を見る目って、なんか父親っぽい感じだから良いんだけどさ」

 

「俺はそんな風に見えるのかい?」

 

「ちょっとだけね。だから許す」

 

「ん、ありがとう」

 

 そこで波瑠加さんは笑って背を向けて女子側の校舎に歩いていく。それを見送った俺もまた清隆と合流して男子側の校舎に帰っていくのだった。

 

 今日もまた彫刻だと考えていると、共同部屋に入った瞬間に橋本からこんな質問が届く。

 

「なあなあ、お前らってあの子と仲いいのか?」

 

「愛里のことか?」

 

 橋本に清隆がそう返すと、大きな頷きが返ってきた。

 

「いやさ、ちょっと前から噂になってただろ? グラビアアイドルの雫なんじゃないかってさ」

 

 そう言えば眼鏡を外した辺りからそんな噂が学校に広がっていたな。以前の彼女なら無数の視線と興味に委縮してしまったのかもしれないが、今は清隆グループで行動することが多いので、孤独感や閉塞感は感じていないらしい。

 

 後、波瑠加さんが上手くフォローしているようだ。

 

「グラビアアイドルかどうかは知らないが、よく話す仲ではあるな」

 

「そうだね、そういうグループだし」

 

 俺と清隆の言葉に橋本たちは羨ましそうに唸った。

 

「意外だよなぁ、眼鏡外せば美人って漫画の中にしかないネタだと思ってたけど、あそこまで化けるとはなぁ」

 

「長谷部も美人だしよ、見せつけてんのかお前らは」

 

 石崎も参戦してきて何故か苛立ったかのようにそう言ってくる。戸塚やCクラスの男子も参戦して嫉妬の視線が凄い。どうやらずっと男子だけの共同生活に色々と不満が積み重なっていたのだろう。

 

 異性が恋しいと、誰かが思うのは仕方がないことなのかもしれない。

 

「あーくそー。男ばっかりといると気がおかしくなっちまいそうだ。とにかく男だけだと臭ぇんだよな」

 

 石崎は彫刻刀片手に、仏像を彫りながらそんなことを言ってくる。俺もまた同じように仏像作りに加わってこう返す。

 

「別に完全な接触禁止って訳じゃないんだから、夕食時にでも声をかければいいじゃないか。橋本みたいにさ」

 

「自慢してんのか? それができたら苦労しねえんだよッ!!」

 

「君は意外と初心というか、シャイな所があるみたいだね」

 

 俺がそういうと彼はぐぬぬと唸ってしまう。不良なのに初心とか、それで良いのかと思ってしまうな。

 

「つーか、この面子で彼女持ちとかいるのか?」

 

 橋本もまた仏像を作りながらそんなことを言って共同部屋を見渡すのだが、これといった返事は返ってこないので、どうやらここに彼女持ちはいないらしい。

 

「そういうお前はどうなんだよ、チャラ男」

 

「おいおい石崎、酷い評価だな、俺はこう見えて誠実なんだぜ」

 

 今のはツッコミ待ちの言葉だろうか?

 

「この学校だと彼女作るのはちょっとハードルが高いのでは?」

 

 同じく小振りな仏像を製作しているCクラスの男子がそう言うと、どこか納得したような雰囲気が広がっていった。

 

「じゃあさ、この学校に入る前に彼女がいた奴はいないのか?」

 

 また橋本がそう言って部屋を見渡すのだが、やはりこれといった返事はない。

 

「よう、龍園、お前はどうなんだよ?」

 

 そして彼の視線は、同じく仏像を彫っている龍園に向けられた。

 

「あぁん? そんなこと知って何になるんだよ?」

 

「興味本位だっての。後、お前が女子と付き合ってるのがなんか想像できないんだよな。付き合ってても打算だらけっつうか」

 

「てめぇ橋本ッ!! 龍園さんが打算塗れの薄汚い恋愛しかしてこなかったとでも言いたいのかよ!?」

 

「でも実際にそうだろ? 石崎、お前は龍園が仲良く彼女と手を繋いでデートしてるのが想像できるのか?」

 

「で、できるに決まってんだろッ……龍園さんは、龍園さんはなぁッ!! 意外にも付き合った彼女には優しくて、誕生日や記念日だって薔薇の花束でしっかり祝ってくれるっての、道を歩いてる時は車道側に立って、気遣いを忘れないッ……そうですよね龍園さんッ!?」

 

「石崎、お前はもう黙ってろ」

 

 うん、龍園のイメージというか、雰囲気に全く似合わない振る舞いだ。それならまだ打算塗れの恋愛をしていて欲しいとさえ思ってしまうほどである。

 

「龍園がそんな紳士な訳ないだろ、それなら彼女の首を絞めるのが好きって言われた方がまだ納得できるね」

 

「はッ、散々な言われようだな。そういうお前はどうなんだ橋本? 聞いてるぜ、随分と色んな相手に粉かけてるってなぁ」

 

「まぁ否定はしない、俺って結構モテるからさ」

 

 余裕たっぷりな言葉にモテない組が悔しそうな顔をしていた。

 

 こういう恋愛話で盛り上がるのって、凄く高校生らしいので嫌いじゃない。寧ろ楽しみにしていたまではあるな。俺は今、高校でやりたいことリストの一つを達成しているのかもしれない。

 

「中学の時も結構彼女はいたけどさ、聞いちゃう? 俺の恋愛遍歴を?」

 

「はッ、テメエのブツで満足させられる筈がないだろ、ゴリラ共と違ってなぁ……どうせ飽きられて捨てられたんだろうが」

 

「人外連中と一緒にすんじゃねえよッ!?」

 

 龍園の言葉に共同部屋には笑い声が広がっていく。この話が続くと拙いと思ったのか、橋本は標的を高円寺に変えた。

 

「高円寺はどうだ? なんか上級生と一緒にいるのをよく見かけるけどよ」

 

「ふッ、この私に恋愛を語らせると長くなるが良いのかね? 一晩では語りあかせない程に濃密になるだろうしねえ」

 

「あ、いや、やっぱ良いわ……マジでそうなりそうだし」

 

 次に橋本の矛先は清隆に向けられる。

 

「綾小路は? 仲いい女子もいるみたいだし、さっきも佐倉と長谷部とメシ食ってただろ。もしかしてどっちかに本命とかいたりするのか?」

 

「いや、そんなことはないが」

 

 製作していた仏像を注意深く観察して、変なこだわりを発揮しようとしていた清隆は、集まった注目から逃れるようにそんなことを言った。

 

「じゃあさ、高校に入る前はどうなんだよ? そのキングでやっぱり色々と食い散らかしてたのか?」

 

「そのあだ名は止めてくれ……この高校に入る前か」

 

 彼はそこで何やら悩み考え込むような仕草をするのだが、すぐに首を振って思考を振り払ってしまう。何かしら思う所があったのだろうか? 俺はホワイトルームの内情はよく知らないが、まともな恋愛が出来たとは思えない。

 

 それとも、何かしら思い出すような誰かがいたのだろうか?

 

「いや、そういった相手はいなかったな」

 

「なんだ、宝の持ち腐れか」

 

 女子たちだとこういう話題の時はもったキャピキャピした感じになるのかもしれないが、男子同士だとどうしてもこんな感じになってしまうんだろうな。

 

 男は本当に子供っぽいといつかクラスの女子が言っていたことを思い出して、こんな感じの話題を繰り広げていると否定することができない。

 

 でもこういう馬鹿なやりとりは凄く面白くて楽しい。風呂場でのアレもそうだったけど、高校生男子が決まって通るやりとりっぽくて、憧れでもあった。

 

「よし、じゃあ大本命、笹凪の話を聞いてみるか」

 

「ん、俺の恋愛かい? まぁ人様に誇れるほど大した経験はないけれど……そうだなあ、これまで出会って来た女性の中で印象に残っているのはそこそこいるね。もしかしたら恋を教えてくれるんじゃないかと思う人たちが」

 

「お、ようやく実のある話が聞けそうだな」

 

 どこか楽しそうな雰囲気が広がって共同部屋にいる全員の注目がこちらに集中してくる。ただし彼らの手は休むことなく仏像製作に向けられているが。

 

「お前の相手なんぞメスゴリラ以外にいねえだろうが」

 

「おいおい龍園、そんな訳ないだろう。俺は恋は知らないが、流石にそういった感情を向けるのは同じ人類さ」

 

「お前は……まさか、この期に及んで自分が人間だと思ってやがるのか?」

 

「幾ら何でも失礼過ぎるだろッ……おい清隆、納得したみたいに頷くんじゃない」

 

 いや、清隆だけじゃない、この共同部屋にいる全員が似たような顔をしているだと!?

 

「まあまあ落ち着けって。それより笹凪の恋愛を聞かしてくれよ。その様子だと中学時代は彼女がいたのか?」

 

「いや、俺は中学も小学校も通ってなかったよ。恩師の仕事を手伝いながら色々と勉強を教えて貰って過ごしてたんだ」

 

「ホームスタデイって奴か。なるほどなぁ、だからDクラスに配属されたのか」

 

「学校の判断基準は知らないが、橋本の言う通りなんだろうね……まぁそれはどうでも良い。恩師の仕事の関係で色々な所に顔を出して、まぁそうすると色んな人と出会う訳だ」

 

「その人、何の仕事してるんだよ?」

 

「……交渉官、かな?」

 

 敢えて師匠の仕事を言葉で表現するのならば、そういうことになる。物理的な交渉官だ。

 

 争いは、戦う人がいなくなれば終わるからね。

 

「色々な場所に行って、色々な人と出会った……もちろん女の子ともだ」

 

「お、そういう話を聞きたかったんだよ」

 

「ただまぁ、恋愛と言うかどうかは微妙だ。後々別れが来るとはわかっていたし、良い感じにはなれたけど恋人にはなれなかったんだよね」

 

 師匠曰く、別れも愛の一つらしい。

 

 恋を教えてくれそうな人は何人かいたけど、最後には離れてしまったんだよね。

 

「特に印象に残っている子の話をしようか……アレは腐敗と不正が横行するとある国に師匠と赴いた時だ。その国には鉄の宰相と呼ばれる人がいて、大規模な組織改革に乗り出していて……けれどそんな人にも弱点はあった。一人娘というね」

 

「え、俺たち、何の話を聞かされてんだ?」

 

 石崎が不思議そうに首を傾げている。確かに恋愛トークっぽくない話ではあるのかもしれない。

 

「その人は自らの弱点となる愛娘をアメリカに亡命させることに決めた。そこで俺は100万ドルという報酬に釣られてボディガードを引き受けたんだよ」

 

「なぁ、笹凪の奴、なんの話してるんだ?」

 

「オレが知る訳ないだろ」

 

「大変だったよ。賞金稼ぎやら傭兵やらがウジャウジャ押し寄せてきてね……最初はその子とも喧嘩ばかりだった。けれどまぁ、困難を乗り越える度に仲良くなれた気がするよ」

 

 うん、強くて綺麗な子だった。偶にアメリカの映画やドラマに出演しているから、最後の夜にハワイのホテルで語ってくれた女優になるという夢はしっかりと叶えられたらしい。

 

「アレが恋だったのかどうかはわからない……けれど、大切な絆だったのは間違いないね。他にも何人か印象に残っている子がいて――――」

 

 

 こうして合宿の夜は深まっていく。こういう時にはやっぱり恋愛トークは欠かせないということだろう。とても高校生らしいと言える夜であった。

 

 

 

 

 



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夜の密会

 

 

 

 

 

 六日目の夜、この混合合宿もそろそろ終わりが見え始めて来た頃、皆が寝静まった深夜にギシッという木材が軋む音と共に、二段ベッドの上から龍園が下りて来た。

 

 既に他のメンバーは寝ているのだが、彼だけは律儀に起きていたらしい。黙ったまま顎で共同部屋の入口を指すので、どうやら密会をしたいようだ。

 

 断る理由もないので俺は手に持っていた作りかけの仏像を床の上に置いて、ゆっくりと立ち上がり龍園の後を付いていくことになる。その途中、清隆に視線を送ると、彼も龍園の動きで目を覚ましていたのか頷きを返してくれた。

 

 既にこの試験の結末と流れは決まっているので、どうやら動くつもりはないらしい。ならば俺一人で行くとしよう。

 

 共同部屋を出てすぐに、俺と龍園の後をこっそり付けて来る気配を感じ取る……これは、橋本だな。相変わらず目敏い男であった。

 

「龍園、どうやら橋本がこっそりとついて来ているらしい」

 

 校舎の外に通じる下駄箱付近でそう伝えると、彼はだろうなと言いたげな視線を向けて来る。

 

 靴を履き替えて外に出ると、真っ暗闇の中に月明りが差し込む夜の校舎が露わになった。グラウンドの隅っこならば密会には持って来いだろう。

 

「せっかくだ、ちょっと揶揄ってあげようか」

 

「クク、まぁ良い、付き合ってやろう」

 

 意外にもノリの良い男である。こうして俺と彼は橋本を揶揄うことになった。

 

 グラウンドの隅まで移動すると、橋本もその後を付いてきて会話が聞こえる距離で身を隠す。丁度植木の向こう側に腰を下ろしたのを背中で感じ取ってこんな話を龍園に伝える。

 

「それで龍園、もう準備は整ったのかな?」

 

「ある程度は段取りを整えた……後はいつやるかだ」

 

 彼もどこか楽し気に橋本を揶揄うことに乗っかってくれているようだ。俺たちの話を植木の向こう側で聞いている橋本は「何か作戦を立てているのか?」と誤解したことだろう。

 

「クク、テメエも随分と大それたことを考えたもんだ……この作戦が上手くいけば、何もかもが変わるだろうよ。偉そうにふんぞり返ってるAクラスの連中も全滅だ」

 

 植木の向こうで橋本が喉を鳴らす。自分が決定的で重要な情報を掴みかけていることに緊張しているらしい。

 

「まぁ元々、俺と君がこの学校に入学したのはそっちが本命だ。クラス競争もAクラスでの卒業特典も、最初から興味なんて無かったんだよね」

 

 そんな風に作り話をでっち上げていくと、龍園もまた話を強引に合わせて来た。

 

「確かになぁ、アレに比べればこの学校での生活なんざ大して価値がない」

 

 植木の向こうでは橋本の困惑した気配が伝わって来る。さぞ混乱していることだろう。

 

「それで、いつやるんだ?」

 

「この試験が終わってすぐだ……そっちは兵隊を用意して欲しい」

 

「ウチのクラスの連中を動かしてやる、だから抜かりなく進めろ」

 

「あぁ俺たちは――――」

 

 また橋本の緊張が高まり、喉を鳴らす音が聞こえて来る。

 

 

 

「校舎を爆破して、あの学園の地下にある徳川埋蔵金500億を奪い去る!!」

 

 

 

 そう、それこそが俺たちの本当の目的、クラス闘争もAクラスでの卒業も、それに比べれば大した価値がないのだ。

 

「いやそれはないッ!? あッ……いや」

 

 そして橋本もつい盛大なツッコミをこちらに入れて来た。意外にも彼はツッコミ役としての才能があるのかもしれないな。中々にキレがある。

 

「やぁ橋本、ストーカー行為は感心しないな」

 

「えッ……あぁ、クソ、最初からバレてたって訳か。揶揄ってくれるなよ」

 

「面白そうだからちょっと揶揄ったんだよ。スリリングだっただろう? 君の緊張がこっちにまで伝わって来た」

 

「肝が冷えたっての、お前と龍園が何を考えているのか恐ろしくてな」

 

「まぁそう言うなよ、実は俺も龍園が何で呼び出したのか知らないんだ」

 

 龍園に視線を向けてみると、彼は大した話じゃないとばかりに邪悪な笑みを浮かべた。

 

「なぁに、別に悪だくみって訳じゃねえ。単純な確認だ、テメエの動きが随分と大人しいからな」

 

「あぁ、それね。今回の試験はもう最初から全てが終わってる状態なんだ。経過観察だけして後はゆったりと過ごしているだけだ」

 

「はッ、こっちの動きは大したことはねえが、だとすると本命は女共の方か」

 

「そういうことだ……最初はそこまで関わるつもりは無かったんだけど、せっかくだから茶番劇でもって話になったんだ」

 

「勝算は?」

 

「百パーセントなんて言葉に意味はない、だから常に警戒しているよ」

 

「そうかよ……まぁ良い、聞きたかったのはそれだけだ」

 

「えっと、お前ら何の話をしているんだ?」

 

 ただ一人、橋本だけは俺と龍園の間で右往左往させている。全体像が掴めていないのだろう。

 

「さて、橋本はどう思う?」

 

「いや、わからねえから訊いてるんだが……」

 

「ん、この試験では色んな思惑が蠢いているって話だ。それこそこうして密会しているのは俺たちだけじゃないんだろう」

 

「あ~……まぁそうなんだろうけどな。一応訊いておくけど、こっちに迷惑がかかる可能性はあるのか?」

 

「問題ないよ。今の所は、だけど」

 

「不穏なこと言わないでくれ……まぁ、結果発表を楽しみにしておくか」

 

 橋本もようやく調子を取り戻したのかいつものチャラチャラした軽薄な雰囲気を醸し出しながら、余裕の笑みを浮かべて見せる。

 

「しかし意外だな……お前らはなんていうか、もっとバチバチにやり合ってるもんだと思ってたぜ。試験の間も何だかんだで協力してたしよ」

 

「時と場所を弁えてるだけさ。ここで殴り合った所で誰も得はしないんだから」

 

「そりゃそうだ。まあおかげで俺は助かってるけどよ。大人しくしてくれるんなら何も損はないしな」

 

「大人しいと言えば、俺よりも龍園の方がよっぽど静かだと思うけど?」

 

「こんな複雑で面倒な試験でわざわざはしゃぐかよ」

 

「その割には責任者を奪い去ったじゃないか」

 

「喜べ、リスクも丸ごと引き受けてやったんだからな」

 

「まぁ俺たちに焦りは無かったから、この試験くらい花を持たせるのは構わない。神崎辺りは納得してなかったみたいだけど」

 

「それならさっさとリスクを受け入れて自分たちで責任者になれば良かっただけの話だろうが。それができねえ癖にケチだけ付けてるからアイツは駄目なんだよ」

 

 随分と厳しい言葉である。慎重に立ち回っているだけだと思うのだが、一歩踏み込むことも重要と言うことだろう。

 

「君の中では、金田を責任者にしたグループを堀北先輩がいる所に押し込めただけで目的は殆ど達成できていた訳か」

 

「後はあの男が勝手に一位を取るからな。足を引っ張らない面子で固めとけば問題はないだろう」

 

 じゃんけんで勝った金田を責任者にしたグループは、DをメインにABCからも人を受け入れて堀北先輩の下にいる。なるほど、今回の試験は一年だけでなく二年や三年の評価も加わるので、平均より上くらいの評価を貰えれば高い確率で一位を取れる。

 

 南雲先輩のグループも本命は女子なのでやる気が無いしな、堀北先輩のグループが勝利するのが固いだろう。

 

 おんぶに抱っこ作戦と言うべきだろうか。いや、金田を筆頭に足手まといにならない面子を集めてはいるんだろう。ただし入手したプライベートポイントは全て他所のクラスにくれてやる計画なので、得られるにしてもクラスポイントだけだ。

 

 開き直るとこうも大胆に動けるということか。他人の財布を当てにして動く奴なんてまずいないので、これはこれで斬新な動きができるのかもしれない。

 

 お互いの考えや方針を確認できたので密会も終わった。俺たちはくだらない会話をしながら共同部屋にまで戻ろうと歩き出す。しかしその途中でこちらと同じように夜中に密会を行っていた人影を発見することになった。

 

 さて誰だろうと眺めていると、その二つの人影は堀北先輩と南雲先輩であり、興味深そうにこちらに視線を向けて来る。

 

「よう笹凪、一年もこんな時間に密会みたいだな……悪だくみでもしてたのか?」

 

「はい、校舎を爆破して地下に眠る徳川埋蔵金をどう奪い去るのか計画を練っていました」

 

「どんな状況なんだよそれは……」

 

 呆れたような視線を向けて来る南雲先輩は、次に龍園を興味深そうに観察していく。だがこの男はそんな生徒会長をまるで気にしていないかのように進んで行き、睨みつけながらこう言い放つ。

 

「どけよ」

 

「やんちゃぶりは耳にしてるぜ龍園、これから堀北先輩と少し話をするんだが、お前も交じって行けよ」

 

「興味ねえな」

 

「強気だな。俺が怖くないのか」

 

「三下に用はねえよ」

 

「へぇ……」

 

 わかりやすいくらいの格下扱いを受けて、南雲先輩は少し苛立った様子に思えた。

 

「嫌いじゃないぜ、お前みたいなタイプ。ただ、俺の生徒会には似合わないけどな」

 

 そこに関しては俺も完全同意できてしまう。龍園が生徒会に入るとか世も末とかそんなレベルだ。絶対に阻止しなければならないだろう。

 

「そうだ、外野として賭けに参加しないか? この特別試験で俺と堀北先輩のグループ、そのどっちが高い順位を取るか。一口1万ポイントからでどうだ。お前がどっちに賭けても、当たったら俺がその額を支払ってやる。外した時にはきっちり払ってもらうけどな」

 

 本当に? 俺も参加したい……とりあえず億単位のポイントを賭けるから。

 

「笹凪と……確か橋本だったな、お前らも参加しろよ」

 

 よし来た流石は生徒会長。太っ腹にもほどがある。

 

「くだらねえな。そんなはした金に興味ない」

 

「1万がはした金か。Dクラスなら常に金欠だろ。もう少し増やしてもいいぜ?」

 

「だったら100万だ、その額を張らせるなら乗ってやるよ」

 

「ははは、面白いな龍園。大胆なジョークだ。もう行ってもいいぞ」

 

「その程度の額を張る気もないなら、俺に賭けなんざ持ち込むんじゃねえよ」

 

「笹凪、こいつはこう言ってるが払えると思うか?」

 

 問題なく払えるだろうな。龍園は毎月Aクラスから80万ポイントが送金されているんだから。俺と高円寺の次くらいにポイントを持っている筈だ。

 

「普通に払えると思いますよ。彼はやりくり上手なので」

 

「へぇ、良いぜ龍園……なら100万で良いんだな? 払えねえとは言わせないぞ?」

 

「はッ、テメエこそ土壇場になってやっぱ無しなんて吹かさねえようにしろよ生徒会長」

 

 どうやら龍園はこの賭けに参加することになったらしい。堀北先輩のグループに100万ポイントを注ぎ込むことになった。もし勝てばそのままの金額が貰えることになる。ここにいる全員が証人だ。

 

「笹凪、お前はどうする? 噂は聞いてるぜ、大量のポイントを稼いでいるってな。お前も100万か?」

 

「いえ、とりあえず10億を出します」

 

「はぁ?」

 

 南雲先輩が「何を言っているんだこいつ」と言いたそうな顔をする。

 

 この様子だともしかして噂を知っているだけで詳しい数字は知らない感じなのだろうか?

 

 いや、おかしなことではないか。堀北先輩は知っているが、夏休みに外貨を得る方法を知ってからというものの、学校側とポイント変換をする契約に関しては教員である茶柱先生と俺との間で完結しており生徒会を挟んでいないからだ。

 

 俺と学校の取引で終わっているので、この人が知っているのはあくまで噂に留まるということだろう。

 

「もし俺が賭けに勝ったら払ってくれるんですよね?」

 

 反南雲派の人たちを南雲先輩から守る為に、南雲先輩のクラスに送ることになっているので、結構な出費があったんだけど、この賭けに勝てば帳消しにできる上に儲けまで得られる。

 

 こちらは大真面目に提案しているんだが、目の前にいる南雲先輩は完全に冗談だと思っているらしい。

 

「冗談ですよ……俺も龍園と同じく堀北先輩のグループに100万でお願いします」

 

 小遣い稼ぎくらいにはなる筈だ、この試験で龍園から貰う予定のポイントもそうだが、塵も積もればという奴である。

 

「ほう、今年の一年は随分と羽振りの良い奴が多いんだな。橋本、お前はどうする?」

 

「え? あぁ、いや、俺はいいですよ。金欠なんで」

 

「一年のAクラスは独走状態って話だが……まあ乗り気じゃないのならいいさ。もう帰っても良いぞ、引き留めて悪かったな」

 

「そもそも、お二人はここで賭けの話をしていたんですか?」

 

 わざわざ密会して話す内容では……あるな、賭け事なんだから大っぴらにはできない。

 

「おっと、そうだった本命の話をするとしよう」

 

 南雲先輩は堀北先輩と向かい合う。

 

「堀北先輩。明日の試験を棄権してくださいよ」

 

 そして彼は微笑と共にそんなことを言った。

 

 その言葉に堀北先輩は動じた様子もなくこう返す。

 

「棄権だと? それはさっき笹凪が言った冗談よりも性質が悪そうな話だ」

 

 十億は冗談でもなければ吹かしている訳でもない。本当に賭けられるのなら十億くらい出していたんだけどな。

 

「割と本気なんですけどね……これは先輩の為に言っているんですよ」

 

「もう少し理解できるように話してもらおうか。お前は頭の中で話を自己完結させる癖があるが、未だに治らないようだな」

 

 

「あぁ、すみません。どうしても考え込んじゃって、未来が見えすぎるのも考え物ッスよね」

 

 

「そうだな……考え物だな」

 

 堀北先輩の視線は南雲先輩ではなくこちらに向けられている。別に俺は未来予知している訳ではなく、単純にスパイからいち早く情報を得たに過ぎない。この作戦を考えたのも大部分が清隆である。俺は力づくで作戦を成立させる為のスポンサーだ。

 

「この戦い、先輩に棄権して頂けない場合、先輩は後悔することになるからです。言わば、これは俺からの慈悲です。警告せずに陥れることも出来るんですが、それではあまりにも無慈悲じゃないですか」

 

 言いたいことはわかる。俺たちも南雲先輩に警告くらいした方が良かったかもしれない。後頭部を全力でぶん殴ろうとしている訳だからな。

 

「南雲、何をするつもりだ。場合によっては認められない」

 

「分かっていますよ。勝負の方法は第三者を巻き込まず、正々堂々勝つこと。でも今のまま試験になれば、どちらが勝つかは蓋を開けてみるまでわからない。もちろん、接戦であることは予想されますが。だからこそ、俺は勝ちたい。その為に手を打ってます」

 

 やはり勝利と言うものを意識させる言葉遣いだな。最初から勝つつもりはなく女子が本命であることを悟らせないようにしている……いや、バレてるんだけれども。

 

「それが棄権の勧告に繋がるのか?」

 

 堀北先輩は警戒するような視線を向ける。それに南雲先輩は微笑を返す。

 

「そうすることが、一番ダメージを負わないで済むからですよ先輩。貴方には、俺が打った布石が読めますか? いや、読めてないですよね。俺の考えを読んでいる生徒なんて、この学校には一人もいない。そういう状況なんです。貴方のお気に入りの笹凪も同じですね」

 

 龍園……笑いを堪えるような表情を止めなさい。ここで笑いだしたら許さないからな?

 

「まぁそれでもやると言うのなら止めませんけどね。けれど必ず後悔することになりますよ」

 

「だから棄権しろと言われて、はいそうですかと受け入れる訳にはいかない」

 

「そうですか、俺からの慈悲だったんスけどね」

 

 二人は最後まで互いに騙し合って、本音を晒さないまま別れることになる。どちらも相手を騙すつもりなのが、本当に茶番劇であった。

 

 俺たちもその場にずっといる訳にはいかないので、共同部屋に戻ることになるのだが、その途中で龍園がついに笑いを堪えきれなかったのか、噴き出すようにこう口にする。

 

 

「未来が見えすぎるのも、考え物か……クッ、クククッ……さぞ苦労してるみてえじゃねえか」

 

 

 龍園、その邪悪な顔を止めなさい。

 

 

 

 



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混合合宿最終日

南雲パイセンはこの章のMVP


 

 

 

 

 

 

 

 

「ではこれより、座禅の試験を開始する。採点基準は二つ。道場へ入ってからの作法、動作。座禅中の乱れの有無だ。座禅終了後は、次の試験の指示があるまで各自教室で待機するように」

 

 長かったこの混合合宿も遂に最終日となり、これまでの授業で学んだことを発揮するために俺たちは座禅とスピーチと筆記試験と駅伝を行うことになった。

 

 運動系に関しては何も心配のいらない面子なので、最も不安な筆記試験を中心に対策を立てている。試験前日に要点を纏めた書類を確認に配っている。それに目を通しておけば失格にはならないだろう。

 

 そして迎えた試験本番、最初は座禅であるのだが、ここでアドリブを入れてこられた。

 

 座禅の授業ではこれまで同グループで固まる形であったのだが、試験本番では学校側がランダムに配置してきて、更には呼び出す順番もバラバラであった。わかりやすいくらいに揺さぶりをかけている。

 

「判定用のカメラまで用意しているとは、徹底しているな」

 

「そんなもんでビビるような奴がいるのかよ」

 

 龍園は悪態をつきながらも挑発的な笑みをそのままにして、教官に呼ばれて道場の中に入っていき、なかなかの座禅を見せつけた。

 

 確かに、彼が言うように普段と異なる環境だからといって憶する必要はない。寧ろ楽しむくらいの感覚で挑むのが一番だろう。

 

 そんな考えがグループ内に広まったのか、名前を呼ばれて道場の中に入っていく生徒たちは程よい緊張で挑めていたと思う。

 

 俺も名前を呼ばれて道場の中に入り、無念無想を心がけながら座禅を披露すると。教官にドン引きされながらも無事に突破することができた。

 

 ここは問題ない。多少足を痺れさす者がいるくらいなので深刻になるものでもないからだ。

 

「あてて、足が痺れた」

 

 道場を出てから体の固い者はそう言うが、本番中に姿勢を崩すことが無かったのは立派と言える。

 

 次の試験が始まるまで十分ほどの休憩が挟まれることになるのだが、それで回復できる程度のものだった。柔軟を繰り返していけばすぐに痺れも消えることになる。

 

「皆、次は筆記試験だが、昨日渡した要点を纏めた書類をしっかり思い出せ。あれを見ておけば失格にはならない筈だからな……特に石崎は」

 

「うるせえ、わかってるっての」

 

 まぁ彼も昨晩はしっかりと勉強していたので深刻なことにはならないだろう。出題されるのはこの合宿中に学んだことばかりなので範囲もそれほど広くはない。それで完全に安心できないのがこの学校なのだが。

 

 悪態を見せながらも石崎を中心に学力不安組はしっかりと予習復習を行っていたことは知っている。油断はできないがここまで来てしまったので今更どうにもできない。信じるしかないだろう。

 

 教室から呼び出されて新しい試験会場で筆記試験を受ける石崎たちの様子は……うん、問題なさそうだな。

 

 唸っていたり躓いていたりもするのだが、決定的な大ポカをやらかしたという雰囲気はない。平均点は取ってくれそうだ。

 

 この面子で最も大きな不安要素であった石崎に、筆記試験が終わってすぐにこう声をかけると、彼は落ち着いた様子でサムズアップをして見せる。

 

「へッ、余裕だ」

 

「そいつは何より。戸塚はどうだったかな?」

 

「こっちも大丈夫っぽいな。まあ余裕だ」

 

 どちらも自信が垣間見えるので心配はいらないだろう。これだけ余裕のある顔なんだから赤点にはならない筈だ。

 

「次はマラソン……じゃなくて駅伝って話だけど、本当に任せちまっていいのか?」

 

 戸塚の最終確認は、彼だけでなくグループ全員に向かって返した。

 

「あぁ、君たちは1.2キロ走ってくれるだけでいい。後は俺が引き受けよう。安心してくれ、必ず一位になる」

 

「いや、まぁそこは疑ってないけどな」

 

「大丈夫だって弥彦、体育祭での笹凪の動きは見ただろ、心配するだけ無駄だ」

 

 橋本の言葉にグループのメンバーがそれぞれ体育祭でのこちらの活躍を思い浮かべた段階で、憂慮や心配が完全に消えることになった。

 

 次の試験である駅伝は最低でも一人1.2キロは走らなくてはならないが、大部分を俺が引き受けることになる。ここで下手に他の者に任せた所でタイムが確実に長くなると誰もがわかっているのだ。

 

「座禅や筆記試験では劇的な差は生まれないと思うが、この駅伝だけは別だ。わかりやすく数字が表れる、そして幸いなことにこの面子に運動面で不安要素はない。ぶっちぎっていくとしよう」

 

 全グループが校舎から外に出てバスに乗り、それぞれが指定した箇所に下ろされていく形だが、俺たちのグループの第一走者は高円寺である。

 

「六助、最終的に俺が帳尻合わせするから気楽にやってくれて構わないからね」

 

「もちろんそうするさ。君がアンカーとして走る以上は、既に結果が決まっているも同然だろうしねえ」

 

 もし最下位で第二走者にバトンを渡したとしても大した意味がない。俺がアンカーとして走る以上は全てが茶番である。他のグループだってどう一位を取るかではなく、どう二位を取るかを真剣に話し合っていることだろう。

 

 高円寺をスタート地点に置いてバスは走り出し、メンバーはきっちりと1.2キロごとに下ろされていき、最終的には一人だけになった。

 

 当たり前のことだが他のグループはそれぞれ分業しており、一人だけに全てを丸投げにするなんてことはしていないようだ。俺が走り出すチェックポイントに並んだ生徒たちもそれは同様である。

 

「神崎、葛城、君たちもここだったか」

 

「あ、あぁ……そうだ」

 

「笹凪か、その様子だとやはりお前がアンカーのようだな」

 

「まぁね、それが一番効率的で話が早いからさ」

 

 神崎とは、あの風呂場での一件以来、妙に避けられ気味になっている。色々と思う所があるらしく、俺と目を合わせて話そうとしない。

 

 こちらに落ち度のある話ではないのでどうにもできないな。ある程度の時間が経てば落ち着くと信じるしかない。そもそも俺だってそんな変な意識を持たれても困るというのが本音であった。

 

「笹凪、そちらにいる弥彦はどうだ?」

 

「大きな問題はないかな。喧嘩するでもなく反発するでもなく、馴染めているよ」

 

 葛城としてはそこが心配であったらしい。自分に付き従っている相手が魔のグループに入ってしまったのだから当然だ。

 

「そうか、龍園がいるグループなので心配していたんだが、杞憂だったか」

 

 本当に、どこにいっても龍園の良い噂や評価を聞かない。自業自得ではあるし、とても正確な評価でもある。そして龍園はそんな他者からの評価や考えを鼻で笑う男でもあるので、改善されることもない。

 

 まあ誰かから高評価されて慕われる彼を見たい訳でもないので、これで良いんだが。

 

 このチェックポイントで自分のグループの走者を待っていると、ほどほどのタイムで清隆が姿を現した。

 

 順位は真ん中くらい。既に葛城と神崎はスタートしている。

 

「後は任せた」

 

「あぁ、ぶっちぎってくるよ」

 

 1.2キロ走った彼は特に息を切らした様子も無く、何気ない速度を維持したままバトンを渡してくる。それを受け取った瞬間にこちらは師匠モードに移行して一気に駆けだした。

 

 何もかもが遅く見える。前を走る生徒も、車道を走る車も、そして時間の流れさえ。

 

 自分以外の全てがスローモーションの中で、俺だけがいつも通り動けるような、そんな感覚である。

 

 前を走っていた生徒を追い越して、その先にいた神崎も抜き去り、更にその先にいた葛城も置いてけぼりにして、前に誰も走っていない場所にまでやってきた。そこからも勢いを弱めるようなこともなく、寧ろより加速しながらゴールを目指していく。

 

 ペースは緩めない。最初から最後まで短距離走のような全力疾走を行いながら突き進み。最終地点でゴールテープを切って見せる……最終地点で待っていた茶柱先生にはドン引きされてしまった。まぁこうなることも学校側はわかっていた筈だ。

 

 少なくともこの駅伝では間違いなく全グループで最高の評価を貰えたのは間違いない。勉強面の不安はこれで相殺できただろう。

 

 座禅、筆記試験、駅伝に続いて最後の試験となるのがスピーチとなるのだが、こちらに関しても前日に要点は纏めてある。運動能力でも勉強能力でもない分野が試される上に、経験も浅いので学生には難しい課題ではあるが、自信の無い者にはこちらで作った原稿を丸暗記させる形で乗り越えれば赤点にはならない。

 

 そもそもこの試験たちはもの凄く難易度が高いという訳でもないように感じた。それこそワザと足を引っ張ったり妨害さえしなければ失格になる可能性はかなり低い。

 

 それこそ、こいつを退学にさせてやるというハッキリとした意識と悪意が無ければ、まず学校側の基準を下回ることはない筈だった。

 

「私はこの学校に入学してから多くのことを学び、多くの友人に恵まれ、己に足りない物もまた見つけることが――――」

 

 龍園のスピーチを聞いていると笑いが込み上げて来る。一から百まで全てが嘘で塗り固められており、完全に心にもないことをさも誠実に語っているからだ。

 

 俺だけでなく、石崎や清隆ですら唇をキュッと引き締めて笑いを堪えているのが見えた。

 

 このスピーチ試験で一番の不安要素は石崎たちよりも清隆だろうな。どこか口下手な所のある彼は抑揚がなく単調であるからだ。原稿用紙を機械が発声しているかのような印象を与えることになる。

 

 ホワイトルームではそういった方向の訓練はしなかったのだろうか? 将来、彼が政治家とかになるのならば、必須技能だと思うのだが。

 

 ただ下手くそと言う訳でもなく、シンプルかつ正確であることは間違いないので問題なく突破できたらしい。

 

 これまで試験を監督していた教官や教師たちの反応を観察していると、どれも問題ないように思えたので、このグループから退学者が出ないことは確信することができた。

 

 百点満点とは口が裂けても言えないが。落第点であるともまた言い切れない。つまりは大グループにしっかりと貢献できたと言うことだ。ただ南雲先輩にやる気が無いので一位は取れそうにないのが残念である。

 

 長くて複雑な試験ではあったが、こうして全ての行程が終わって振り返ってみると、何だかんだで悪いものでは無かったと思えるのが、ある種の合宿マジックなのかもしれない。

 

 高校でやりたかった馬鹿らしい時間も過ごすことができたことも嬉しい。ああ言う男子高校生あるあるというものを経験したくもあったからだ。

 

 後はこの特別試験の結果発表を待つだけ、つまり堀北先輩と南雲先輩の決着をしっかりと確認するだけであった。

 

「さて、どうなるだろうね」

 

「観察している限りでは、あの生徒会長は気が付いていないようだったがな」

 

「でも油断はできないからね。あの余裕は演技で、実は裏では色々な策を走らせていたのかもしれないよ」

 

「ならもっと焦っても良いと思うが……優雅に笑いながら鼻歌を奏でてる場合じゃないだろ」

 

 ここ数日、同じ大グループとして接して来た南雲先輩はずっと余裕の態度を崩さなかった。時には鼻歌を奏でていたのだが、清隆も観察している限りでは演技ではないという。

 

 俺もそう思うのだが、南雲先輩はこの学園でも屈指の実力者、俺たちの思惑など全てお見通しで愚者を演じている可能性だってゼロではないのだ。

 

「油断はできないさ」

 

「……まぁ、結果発表で全てわかる」

 

 清隆はそう言って結果が発表される体育館に入っていった。

 

 そこにはこの茶番劇の役者全員が揃っているのが見える。朝比奈先輩と南雲先輩、堀北先輩と橘先輩。俺が買収した幾人かの二年生、南雲先輩に買収された三年生が揃っていた。

 

 三者三様の目的に進んで嘘を吐いて結末を求める、この茶番劇もいよいよ終わりとなるのか。

 

 体育館には男女合わせて、しかも一年から三年まで全ての生徒が揃っており、今か今かと結果発表を待ちわびている様子だ。

 

 微笑を浮かべる南雲先輩、真剣な様子の堀北先輩、対照的な二人を中心に二年と三年が綺麗に分かれているのは彼らの対立の深さを物語っているようにも見える。きっとこれまでもこんなことが何度もあったのだろう。

 

 三年はドッシリと構え、二年は余裕を醸し出し、一年は緊張している様子なのは、興味深いと言えるのかもしれない。

 

「林間学校での八日間、生徒の皆さんはお疲れさまでした。試験内容は違えど、数年に一度開催される特別試験。前回行われた特別試験よりも評価の高い年となりました。ひとえに皆さんのチームワークが良かったことが要因でしょう」

 

 この特別試験を取り仕切っているであろう教官の一人が拡声器を使って体育館の壇上に立ち、落ち着いた声で集まった生徒たちにそう伝えて来た。いよいよ結果発表だ。

 

「先に結果に触れることになりますが、男子生徒の全グループが学校側の用意したボーダーラインを全て越えており、退学者は0というこれ以上ない締めくくりとなりました」

 

 その瞬間に男子生徒たちからは一斉に安堵の声と溜息が漏れ出て、体育館に広がっていくことになる。

 

「それでは、これより男子グループの総合一位を発表しますが、ここでは三年生の責任者のみを読み上げます。そのグループに属する一年生から三年生の生徒には、後日報酬としてポイントが配布されることになります」

 

 そんな前置きをした後、教官は手元にある資料を確認しながらこう言った。

 

「3年Aクラス――堀北学くんが責任者を務めるグループが1位です」

 

 龍園もこの結果には満足していることだろう。金田も上手くグループを動かしていたらしい。

 

 堀北先輩も当初は責任者を避けようとする動きも考えたらしいが、この茶番劇に乗った結果、後で橘先輩の救済に多くのポイントが必要になることを考え、自ら責任者に志願したらしい。

 

 おそらく、この試験で得たポイントと救済に必要なポイントを相殺して被害を最小限にするつもりなのだろう。南雲先輩の目的が女子だとわかっていたので楽に一位を取れると考えた筈だ。

 

 Aクラスのポイントがほぼほぼ±ゼロに出来るのならば、ババを引いたのはBクラスだけということになる。話が違うと猪狩先輩は憤るかもしれないな。

 

 その後も順に順位が発表されていき、俺たちのグループ、つまり南雲先輩も所属しているグループは2位の結果で終わることになった。

 

「二位か、まぁそんなもんだろうな」

 

 南雲先輩に勝つ意思がなかったので、二位でも上等である。

 

 彼は余裕の笑みを維持したまま堀北先輩に歩み寄っていき謝辞を述べた。

 

「一位獲得、おめでとうございます堀北先輩、しかも責任者になってきっちり勝利するとは、流石ですね」

 

 体育館全体に聞こえるように声を張り、わざわざ全校生徒の注目を浴びるかのような振る舞いは、きっとこれから起こる自分の策略を披露したいからなのだろうか。

 

 舞台役者のように、そして主役のように、声も動作も大仰でワザとらしくもあり、何より主張が大きい。

 

 楽しくて楽しくて仕方がないらしい……そりゃそうだ、だってこの日の為に用意した盛大なドッキリでもあるんだから。

 

 そんな大舞台である。全校生徒を観客にしたい気持ちもわからなくもない。

 

「お前の負けだ、南雲」

 

 対する堀北先輩は、南雲先輩にどこか同情した視線を向けている。盛大なドッキリにそれ以上のドッキリを仕掛けている訳だからな。なんだかんだで甘い人であった。

 

「そうですかね。まだ結果発表は始まったばかりじゃないですか」

 

 うん、本当にその通りだと思う。

 

「そうだな、この決着を見届けよう」

 

 二人の視線はそのまま壇上に立つ教官に向けられる。

 

「それでは次に……女子グループの発表をしたいと思います。一位のグループは、3年Cクラス、綾瀬夏さんの所属するグループです」

 

 その瞬間に女子グループから安堵と歓声と溜息が同時に広がった。けれどその衝撃も束の間、問題の時が訪れる。

 

「えー……誠に残念なことではございますが、女子グループの中からボーダーを下回る平均点を取ってしまったグループが存在します」

 

 体育館に集った全校生徒はその発表に凍り付く。

 

 いよいよ、この茶番劇もクライマックスだな。

 

「まずは最下位のグループですが……3年Bクラス、猪狩桃子さんの所属するグループです。そして次に、平均点を割ってしまった小グループは……」

 

 一瞬の静寂と間を置いてから、教官は静かにこう言い放つ。

 

「責任者……猪狩桃子さんのグループ」

 

 ここまでは予定通り、台本通り、わかりきっていた展開である。なので生徒たちの騒めきを他所にしながら俺も堀北先輩も冷静そのものであった。

 

 決まりきっていた結末に、焦る必要なんてどこにもない。

 

 静寂と動揺が広がる体育館の中心で、その生徒たちの動揺と視線を万来の拍手であるかのように身を震わせる南雲先輩は、微笑みと同時に落第となってしまった猪狩先輩にこう訊ねた。

 

 

 

「猪狩先輩、教えてくださいよ。一体誰を道連れにするのか皆さん気にされていますよ」

 

 

 

 南雲先輩の楽しそうな声が聞こえて来る。それはとびっきりのドッキリが成功したかのように誇らしそうで、同時に隠し切れない快楽を感じさせるものであった。

 

 実際にそうなのだろう。彼にとってこの状況は夢にも見るほどに待ちわびたものであり、胸を高鳴らせながら今か今かと妄想した瞬間でもあるのだろう。

 

 ならば笑みの一つでも浮かべるのが自然だろうし、面白くて仕方がないと興奮するのも当然なのかもしれない。

 

 南雲先輩の言葉にザワザワと生徒たちに動揺が広がっていく、その中心人物の一人でもある3年の猪狩先輩はこう言った。

 

「決まってるでしょ。私たちのグループの平穏を乱した、Aクラスの橘茜さんよ」

 

 そして彼女はわかりきっていた言葉を発する。こうなると一週間以上も前にわかっていた言葉を。

 

 ここに橘茜先輩は不合格となり、この試験で失格することになる。全ては南雲先輩の想定通りに。

 

 自分の計画が完璧に終わったと確信したのだろう。彼は大仰に手を叩いて堀北先輩に賞賛を贈り、勝者を称えている。

 

「奇想天外、いや規格外の戦略とでも言っておきましょうか。俺の手を読める人間なんて一人もいません。堀北先輩、貴方を含めて誰にもね」

 

 楽しくて楽しくて仕方がないのか、生徒たちの困惑を他所に南雲先輩の煽りは続いていった。

 

 彼の中ではまさに完璧であり、この場の支配者という図式が出来上がっているらしい。どうやらまだ、自分がピエロになっていることには気が付いていないようだ。

 

「教えてくださいよ橘先輩。生徒会役員を務め上げ、3年Aクラスの卒業を間近に控え、そして退学していく気分はどんな気分ですか。そして、堀北先輩。今の気持ちは? きっとこれまでに感じたことのない、苛立ちに包まれているんじゃないスか?」

 

 まだ結果発表が完全に終わっていないことに気が付いていない南雲先輩は、堀北先輩にそんなことを訊いている……そろそろ口を閉じた方が良いかもしれない。喋れば喋るだけこの先が惨めになるだろうから。

 

「堀北先輩、どうしました? もしかしてショックで唖然としていらっしゃいます?」

 

「南雲、まだ結果発表は終わっていないぞ」

 

 堀北先輩は冷静そのものであった。当たり前だ、こうなることをわかっていたのだから、苛立つことも焦ることもない。心構えは出来ていたのだから。

 

「どういうことスか?」

 

「そのままの意味だ、まだ結果発表は終わっていない」

 

 生徒たちの混乱とざわめきで中断されていた試験の結果発表を促すかのように。堀北先輩は教員に視線を送った。

 

「え~、不合格者はもう一人いる……2年D組にもだ」

 

 そう、不合格者はもう一人いた、ただそれだけのことである。そしてこの試験のルールでは、足を引っ張ったとされるもう一人を指名して道連れにして退学にすることができる。

 

 だから橘先輩は退学になり、そしてこの人もまた同じ状況に追い込まれることになるのだった。

 

 道連れとして指名される人物は――――。

 

 

「私は、2年Aクラスの朝比奈さんを道連れにします」

 

 

 わかりきっていた言葉を彼女もまた口にした……最初から最後までこの試験は茶番に満たされていた。それだけの話である。

 

 

「え、は? な……ど、どういうことだ? なんで……へ?」

 

 

 その発表に南雲先輩は唖然として困惑している。完全に予想外の状況だったのだろう。

 

「茶番だな」

 

「ん、そうだね」

 

 大勢の生徒たちに交じってこのやり取りを眺めていた俺と清隆はそんな会話をしていた。

 

 

 

 

 



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最終目的は勝つことでも騙すことでもなく、次の布石を打つことにある

 

 

 

 

 

 

 体育館に集まった全校生徒たちの困惑は最大限にまで高まっている。訳が分からないとばかりに右往左往する者もいれば事の成り行きを見極めようと冷静に振る舞う者、或いは火の粉が飛んでくることを避けるように無関係を装う者、ただ誰にも共通していることは視線や意識を南雲先輩に向けていることだろう。

 

 彼が作った舞台で、彼が用意した演出で、彼がそうなるように誘導したのだから当たり前だ。この観客たちにとびっきりのドッキリを見せつけるのが南雲先輩の目的であったのだが、きっと彼は今こう思っている筈だ。

 

 これは、自分が作った舞台じゃないと。

 

「何を……何をしたんですか堀北先輩ッ!?」

 

 先程までの余裕と薄ら笑みはなく、大きな動揺と混乱を観客たちに見せつけながら南雲先輩はそう叫ぶ。

 

「説明が必要か? 俺とお前の状況は全く同じ、ただそれだけだろう」

 

「それは、でも……なんでこんな」

 

 堀北先輩はあくまで冷静に、静かにそう伝えるだけだ。

 

「南雲、出来る事ならば、お前を最後まで信頼したかった。考えや目指すべき方向は違ったとしても、誓いを違えることはない男だと……だが、無視することのできない事実がここにある」

 

 大きな混乱に右往左往している南雲先輩を見つめながら、堀北先輩はこう言った。

 

「お前の言う正々堂々が、この場のどこにある?」

 

「ッ!?」

 

「最初から、信頼を裏切るつもりであったのだとするのならば、この茶番劇も仕方があるまい」

 

「全部、わかっていたんですか? 俺がやろうとしていることも、思惑も……」

 

「いや、俺は何もしていない……ただ、この茶番劇に乗っただけに過ぎん」

 

「……茶番劇?」

 

 未だに混乱から立ち直っていない彼に、堀北先輩は背中を向けた。そして最後の祈りと期待を込めてこう言うのだった。

 

 これは最後の慈悲であり、最後の期待だと言うかのように。

 

「南雲……失望させないでくれ」

 

 向かい合い、見つめるのは南雲先輩ではない、3年Aクラスの仲間たちであった。

 

「皆、俺は橘を救済したい……力を貸してくれ」

 

 それは激励であった。励ましの言葉であり、ある意味では南雲先輩の背中を押す為の言葉でもあるのだろう。

 

 もしここで朝比奈先輩を救済しなければ、きっとあの人は南雲先輩に完全に失望することになる。

 

 堀北先輩の言葉にクラスメイトたちは悩む姿を見せることもなく、こう言い切った。

 

「遠慮することは無い。俺たちのポイントを持っていけ」

 

「うん、この試験でもかなり稼げたから、被害は最小限だろうしね」

 

 南雲先輩はどんな思いでこの光景を見ているのだろうか? 少なくともこれは彼の絵図にはない光景だろう。

 

「3年A組は橘の救済を行います」

 

 迷うことなくそう宣言して、彼らは試験の失格者が出たペナルティーとして100、加えて救済として300、合計で400クラスポイントと2000万プライベートポイントを学校側に支払うことを決めた。

 

 そしてまた、視線が南雲先輩に向けられる。

 

「南雲、お前はどうする?」

 

 唖然とする南雲先輩は視線を落ち着きなく揺れ動かしながら、必死に頭を働かせてこの状況を理解しようとしているようだが、明確な答えが出なかったのだろう。ただ視線を2年A組のクラスメイトに向けるだけだ。

 

 訳がわからずとも、理解に及ばなくとも、それでも彼は目の前にある現実に抗うようにこう言い放つ。

 

「なずなを……救済する」

 

 だろうな、そう言うしかないのだろう……もしここで彼女を切り捨てて見ろ。それはもう完全敗北を認めることであり「俺は貴方に勝てません」と声高く宣言するにも等しい。

 

 堀北先輩に勝って超えたいと願う彼が、それを選ぶはずもなかった。

 

 しかしこちらのクラスは満場一致とはいかなかったらしい。反対意見が出てしまう。

 

「待て……待て待て落ち着け、南雲、冷静に考えろ」

 

 ああやって反対意見を出せるということは、あの先輩は2年Aクラスでもそれなりの発言力があるということだろう。

 

「反対するつもりか!?」

 

 Aクラスのリーダーは苛立ち交じりにそう叫ぶが、彼はどこまでも冷静であった。

 

「冷静になれ南雲。俺たちは既に猪狩先輩に2000万を渡している」

 

「ポイントなら学年全体から集められるだろうが!!」

 

「だとしても限度があると言っているんだ……確かに集めることはできるだろう。だが不満は確実に大きくなる」

 

「それがな――――」

 

「冷静になれと言っているッ!!」

 

 なるほど、あの人は南雲先輩にも意見できるし、現状を俯瞰して見れるだけの判断力や意思も持っている。もし南雲先輩がいなければ2年Aクラスはあの人が仕切っていたのかもしれないな。

 

 ああいう人が一人いるかいないかは、重要だ。

 

「今回の件で朝比奈を救済した場合、Bクラスに大きく距離を詰められることになる」

 

「だとしても……大きな問題はない筈だ」

 

「確かにクラス変動が起こるほどではない……だが、Bクラスは今ならばと色気づくかもしれん。今回の失態を踏み台にして、お前の統治が揺らぐ可能性だってある。ポイントを徴取したとして、全員が笑顔で渡すとも思えん」

 

 統治が揺らぐか……まぁ信頼は陰るだろうし不満は高まるだろう。

 

「わかるだろ南雲……皆、お前に期待しているんだ。お前が作ろうとしているものを、与えてくれるチャンスを欲している。だからこそのポイントで、だからこそのお前だ」

 

「だからってッ」

 

「戦略的に考えろ、朝比奈を救済すればただ単純な数字の差し引きだけの損害では収まらないんだ」

 

 うん、やはりあの人は冷静だ。南雲先輩の統治に罅が入ることをしっかりと理解しているらしい。

 

 けれど無駄だ、彼の考えと心配は、こちらが打った「布石」を封殺するほどではない。

 

 統治が揺らぐ? 応とも、これから「2年生全員」がスパイになる可能性を秘めるんだから、間違いなく揺らぐだろう。

 

「今までずっとそうしてきた、これからもそうするべきだ……感情論じゃない、戦略論で行動するべきだと俺は思う」

 

 その言葉に南雲先輩は表情を歪めて奥歯を鳴らした。

 

「本来、この試験だって何もしなければ猪狩先輩に2000万ポイントを払う必要もなかったんだ。ここで更に2000万ともなれば、不満は確実に大きくなる。お前は4000万ポイントをドブに捨てたとも言われるかもしれん」

 

 誰もが笑顔でポイントを差し出すかと言われれば、絶対に嘘になる。それでも2年生が南雲先輩にポイントを差し出すのは彼が与えてくれることになっているチャンスを欲しているからに他ならない。

 

 言葉を飾らずに表現するのならば、南雲先輩の為にポイントを出している訳じゃない。チャンスが欲しいからこその行動だ。

 

 間違っても、ドブに捨てる為ではない。ましてやこんな醜態を眺める為でもない。

 

「だとしても……なずなを救済する。これは決定事項だ」

 

「意思は変わらないのか?」

 

「お前の言いたいことはわかった……理解もしよう、それでもだ」

 

「……」

 

 

「もしここで、なずなを切り捨ててみろ……ただ、どうしようもない大間抜けがいただけの話になってしまう」

 

 

 僅かに落ち着きを取り戻した南雲先輩は、静かにそう言って方針を固める。これ以上の反論は許さないとばかりに。

 

 意思が曲がらないと伝わったのだろう。反論を示していた男子生徒は、静かに瞼を閉じて一歩下がった。

 

「なずな……どうして、助けてくれと言わなかったんだ?」

 

 次に南雲先輩の視線は朝比奈先輩に向かう。彼の視線を受け止めて彼女が内心で何を思ったのかは俺にはわからない。

 

「ずっと妨害されてたし、それに男女で分かれてた試験でできることなんて高が知れてる、雅に迷惑もかけたくなかった……そういう言い訳はさ、幾らでも出て来るけど、一番は私と同じ状況に橘先輩がなってるって言われたらさ」

 

「それでもッ……言えただろ」

 

「言えないよ……橘先輩を追い詰めてる雅に、助けてなんて……それをしたら最後、きっと私は大事な何かを失うことになっちゃうなって」

 

 そんな言葉や思いに、南雲先輩はまた奥歯を鳴らして、とても複雑そうな顔を見せる。怒りと言うよりはやるせなさのような何かを感じているのかもしれない。

 

 或いは、怒りを向ける対象は朝比奈先輩ではなく、彼女を巻き込んで退学に追い込もうとした小グループの2年生たちなのだろうか。

 

 動揺と困惑とやるせなさを噛み砕き、遂に南雲先輩は怒りを露わにした。

 

「やってくれたなあおいッ……今まで恩情を与えてやってきたのに、いよいよ退学になりたいらしいな!!」

 

 睨みつけるのは反南雲派の2年生たちである。彼としてはこれ以上ないくらいに苛立たしい存在なのだろう。

 

 ただそちらも対策済みだ。この茶番劇の出資者として最低限の義務と責任を俺は果たしている。

 

「覚悟しておけッ、もうお前らに容赦はしない」

 

「いや、私たちは、この試験が終わったらアンタのクラスに移動するから」

 

「……え?」

 

「この小グループだけじゃなくて、アンタに反感を抱いてる……まぁ反南雲派なんて呼ばれる奴らは全員、Aクラスに移動するのよ」

 

「な、なに言って……はぁ?」

 

「正直、アンタのことは好きじゃない。親友だってアンタに退学させられた……けど、せっかくAクラスに上がれるんだからここから先は協力してあげる」

 

 体育館に集まった生徒たちの動揺は計り知れない。これまで一度も行われること無かったクラス移動を、一気に複数名の生徒が達成するのだから、衝撃はやはり大きい。

 

「だから南雲、これからはクラスメイトとして宜しくね。私たちはアンタに懐柔されて手下になってあげる」

 

「……」

 

 最終的に南雲先輩は黙ってしまった。意味が分からないとその表情で訴えている。

 

 俺が彼らを救済したのはこの茶番劇の出資者としての義務であり責任である。今回の件で協力を取り付ける条件にAクラスへの移動と南雲先輩による攻撃の回避を条件に盛り込むのが最低ラインであった。

 

 南雲先輩に、反南雲派を守らせる。出来る事ならばそのまま妨害工作や破壊工作をやって欲しくもあったが、彼らもせっかくAクラスになれたのだからそんな馬鹿はしない。これから先はきっと進んで南雲先輩の手下になるだろう。

 

 けれどそれで良かった。そもそも俺は義務を果たしているだけで、別に彼ら彼女らにそこまで負担を強いるつもりもない。

 

 これは布石であり宣伝だ。2年生全員をスパイにする為の広告でしかなく。それ以上は求めない。

 

 きっと南雲先輩は彼らを懐柔するだろう。それで良いし、そうなって貰わないと困る。

 

 もしかしたら、懐柔された彼らから俺に偽の情報を与える二重スパイ的な役割として動かすことも考えられるので、やはり俺と反南雲派の関係はここで切れることになる。

 

 まあいいだろう。俺は義務と責任は果たしたので、後は彼ら自身の力でクラス闘争を勝ち取っていけばいい。

 

 彼らの役目は、南雲先輩へのスパイでもなければ妨害でもない、広告塔だ。

 

 そもそも最初から、それ以上を求めていない。

 

 混乱と、驚愕と、様々な思惑が入り混じった混合合宿はこれで終わることになる。最初から最後まで茶番劇でしかなかったな。

 

 確認は全て終わった。何もかもが全て思惑通りに進んだ。1から100まで予定通りである。未だにざわめきと困惑を残す体育館を後にして、俺は外に歩き出す。

 

「ふぅ、ようやく落ち着けるな」

 

 ここ数日はずっと南雲先輩の監視と警戒であまり心休まる時間がなかった。おそらく100パーセントに近い形で勝利することができると考えてはいたが、だからといって慢心していい理由にはならないし、油断する意味もない。

 

 なので結果発表も終わったこの段階で、ようやく緊張をほぐすことができた訳だ。

 

「まぁ、朝比奈先輩も橘先輩も救済できたんだ……上出来か」

 

「そうだな」

 

 返事を期待した独り言ではなかったが、グラウンドにあるベンチに座った俺は声をかけられてしまう。

 

 視線を声がした方向に向けてみると、そこには堀北先輩が立っていた。彼はそのままこちらに歩み寄って来て俺が腰かけているベンチに同じく座る。

 

「今回は世話になった」

 

「俺はこの台本を動かす為のスポンサーになっただけですけどね」

 

 作戦の大部分を考えたのは清隆である、俺は本当にポイントだけを出したに過ぎない。

 

 まあそのポイントが無ければ、こんな茶番劇は成立しなかったんだろう。

 

「だとしてもだ。完全な不意打ちで橘が追い込まれることだけは避けられたんだ。礼を言っておく……感謝を」

 

「お気になさらず、俺の都合もかなり混ぜ合わせた作戦だったので……今回の件は、これから先の戦いを有利にする為の布石でしかありません」

 

「ほう、今回の茶番劇は、ただの前座だったと?」

 

「えぇ、本命は……2年生全員をスパイにすることです」

 

「お前は南雲と同様に、思考を自己完結する癖があるようだな、わかるように話せ」

 

「あぁ、すみません。未来が見えすぎるのもって奴、俺も言った方が良いですかね?」

 

 冗談めかしにそう言うと、グラウンドのベンチの隣に座った堀北先輩は、あの夜の南雲先輩のセリフを思い出したのか少しだけ面白そうな顔をした。

 

「まぁ冗談は置いておいて……今回の一連のあれこれは全て次の布石でしかありません。具体的なことを説明すると、反南雲派の人たちをAクラスに移動させることが最大の目的でした」

 

「南雲に懐柔させて手下にすることがか?」

 

「それは俺の最低限の義務であり責任でしかありません……その本質は、俺が2000万ポイントを他人に渡すことに躊躇しない奴だと2年生全体に宣伝することですよ。反南雲派の人たちはその広告塔です」

 

「なるほど、見えて来た……つまりお前は、2年生全体に選択肢を与えた訳か」

 

「えぇ、その通りです。反南雲派の人たちがAクラスに移った事実は、大きな衝撃を与えることになるでしょう。当然ながらどうやってと2年生は思い、どうすればと考えて調べる」

 

「そしてお前に辿り着く」

 

 堀北先輩の言葉に頷きを返す。

 

「俺も隠している訳ではないのですぐに2年生全体に広まるでしょうね……そして彼ら彼女らはこう思う。南雲の掲げる実力主義が実現しなかった時に、或いは与えられたチャンスを物にできなかった時に備えて、あの1年生と縁を結んでおこうと」

 

「保険として、か……」

 

「その通りです。もちろん、全員が行動に移すことはないでしょう、何だかんだで南雲先輩を支持しながらも、内心ではという奴です……だが選択肢と保険は多ければ多いほど良い」

 

「一度でもそう考えてしまえば最後、選択肢の一つになる。もし今後、南雲がお前に攻撃を仕掛けようとしても、お前に恩を売っておこうと情報を流す2年生が出て来るだろうな」

 

「具体的な人数まではわかりませんが、間違いなく……それこそ2年生全体が潜在的にスパイになる可能性を秘める訳ですね」

 

 きっと南雲先輩の動きがこれまで以上に鮮明になる筈だ。今回の試験のように先手で潰すのが理想なので、これからもそうあって欲しい。

 

「2年生の纏まりと団結は、南雲先輩と言う選択肢しか残されていないが故の団結です……しかし、ここに新しい選択肢が現れた。保険として恩を売っておこうと考えてくれるでしょうね。それはつまり、南雲先輩の統治に突き刺さった確実な罅ですよ」

 

「この茶番劇は、その為の布石という訳か……なんとも壮大な話だ。億単位のポイントを使ってそんなことをするとは、流石に南雲も脱帽するだろうな」

 

 呆れたような、感心したような、色々な感情が混じった視線を向けられてしまう。

 

「今回の試験は、南雲先輩の策略を回避する為ではなく、2年生全体にその可能性と選択肢を植え付ける為だけにありました……以上が、こちらの都合です」

 

 隣の堀北先輩に「何か質問はありますか?」と視線で問いかけると、彼は納得したように頷いた。

 

「言うことは何もない……南雲に同情するほどだ。こんな後輩が後ろにいることにな」

 

「褒められる程でもありませんよ。俺のやっていることはただポイントの暴力ですから」

 

 同じ額のポイントを動かせるような誰かがいるのならば、俺と同じことができるだろう。つまりこの作戦は別に特別な物でもでなければ斬新でもない。

 

「だとしても、お前と同じことができる者がいない以上は、唯一絶対の力でもあるだろう」

 

「かもしれませんね」

 

 そこで話は終わったとばかりに、ベンチから立ち上がった。

 

 視線は背後、俺と堀北先輩を見つめていた南雲先輩に向けられることになる。ずっと俺たちを見つめていたことには気が付いていた。

 

 特に話すことはない。なので俺は南雲先輩を避けるように歩きながらクラスに合流する為に進んでいく。

 

 だが、彼は進路を遮るかのように立ち塞がった……堀北先輩と話していた俺を見て、この茶番劇の参加者であると理解したのだろう。

 

 少し考えればわかる。反南雲派のあの自信が嘘でも飾りでもないことが、そして大量のプライベートポイントを有していると言う噂、結びつけるには十分だ。

 

「笹凪」

 

「何でしょうか?」

 

「俺と戦え」

 

「理由は?」

 

「……このままでは終われないからだ。ああ認めよう、とんでもない大間抜けだったってな。俺の完全敗北だ」

 

 気持ちはわからなくはない、けれど俺にそのつもりは無かった。少なくとも今はまだ。

 

「お断りします」

 

「待てッ!? 頼む、待ってくれ」

 

 またもや奥歯を鳴らして表情を歪める彼の隣を通り過ぎようとして、しかし肩を掴まれて阻止されてしまった。

 

「ああ、誤解の無いように言っておきますけど、別に貴方と競い合うのが嫌な訳ではありません」

 

「なら、どうしてだ?」

 

「理由を説明するのなら……俺ではなく南雲先輩側にありますよ」

 

「なんだと……」

 

「少なくとも今の貴方に、俺は勝ちたいとも、負けたくないとも思えませんので」

 

「……」

 

 こちらの言葉に唖然とする南雲先輩の手を振り払って、校舎に向かって歩き出す。

 

「覚悟を決め、意思を束ね、願いを背負い、漢を上げてください……この人に勝ちたいと、超えたいと思えるような人になってもらいたい。もしその時がくれば、俺の方から貴方に挑みますよ」

 

 だから今はまだ、この人と戦いたいとは思えなかった。勝っても負けても何も感じないだろうから。

 

 何も言葉を発しないまま、唖然として黙り込む南雲先輩を置き去りにして、この話は終わりとなった。

 

 いつか俺はあの人に挑む時が来るのかもしれない、その時はこんな金の暴力じゃなくて、真の意味で実力を競い合いたい。

 

 その先に待っているのは勝利だろうと敗北だろうと構わない。この人に勝ちたいと思わせてくれて、この人に負けたくないと言わせてくれるなら、それだけで満足だ。

 

 いつかそんな日が来ることを祈りながら、この長い特別試験は終わりを告げるのだった。

 

 

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「正直、反則だと思う」

 

 

 

 

 

 

 

 混合合宿が始まって数日、面識も少ない上に他人と一緒に、そこまで得意でもない集団行動をすることにストレスを溜めながらも、わざわざ騒ぎ立てて印象を悪くするほど馬鹿でもないので私は大人しく過ごしていた。

 

 複数のクラスの人間が一堂に会するこのグループ合宿は、正直に言わせて貰えば苦痛の方が大きい。

 

 特に女子の集まりは色々と面倒でもあった。誰々が嫌いであったり、苦手であったり、遠ざけたかったりと、その辺はジッと黙り込む男子よりもずっとドロドロしているのかもしれない。

 

 まあ気持ちはわかるし、中学の頃はそれで揉めたりすることなんて日常であったので、こればかりは仕方がないと思う。

 

 せめてもの救いは、同じグループに愛里と一緒に配属されたことかな。その辺は堀北さんに感謝するべきなんだと思う。もし一人だけとか、よく知らないクラスメイトと一緒だったら、ストレスは凄いことになってただろうしね。

 

「……はぁ」

 

 けれど思わず溜息は出てしまう。こればっかりはどうしようもない。多分、私だけじゃないだろうし。

 

「波瑠加ちゃん、大丈夫?」

 

「あ、うん、大丈夫。ちょっと疲れただけだしさ」

 

 今は合宿中のランニング授業の合間、今日の分を走り終わった私たちのグループは、グラウンドの隅に置かれているベンチに腰を下ろしてそれぞれが休んでいた。

 

 そんな時だ、同じように休憩に入った愛里が話しかけて来たのは。

 

 ここ最近、イメチェンをして色々と噂と評価が変動している愛里は、注目の的にもなっている。実際にわかりやすい位にクラスの男子たちは態度が変わったと思う。

 

 それもこれも一人の男の子の気を引く為だ。正直、今時珍しいくらいに愛里は純粋な子だ。だからこそ一緒にいて気が楽なんだろうね。

 

「愛里も平気?」

 

「う、うん……ちょっと辛いけど、頑張るって決めたから」

 

 なんともいじらしくて眩しい言葉と表情だ。凄く可愛いと思ってしまう。テンテンが愛里を見ると父親みたいな視線になるのも今ならわからなくはない。

 

 きよぽんは愛里の気持ちをわかっているのか、それとも気が付かないフリをしているのか、さてどうなんだろうね。

 

 佐藤さんとデートしたり、ここ最近は軽井沢さんから妙に注目されていたり、地味だと言われながらも何だかんだでリア充全開な彼は……う~ん、ここまで可愛くなった愛里をどう思っているのやら。

 

「ねぇねぇ佐倉さん、長谷部さん、昨日の夕食に笹凪くんと一緒にご飯食べてたよね」

 

 愛里と話していると、同じグループに配属されたAクラスの人がそんなことを訊いて来た。彼女は恋愛話が好きなのか、頻繁にグループメンバーに似たような話を振って来る。

 

 気持ちはわからなくはない、私もゴシップや恋愛話は好きな部類ではある。眺めている分には何の問題もなかった。

 

「佐倉さんさぁ~……ここ最近のイメチェンって、男の子関係だよね?」

 

「ふぇッ!? そ、その、それは……あの」

 

「うわぁ、わかりやすいなぁ」

 

 愛里の反応に興味を引かれたのかグイグイと距離を詰めて来るAクラスの子の顔には、わかりやすいくらいに面白いと書かれている。

 

「相手は? やっぱり笹凪くんかな」

 

「て、天武くんは……そういうのじゃなくて、その」

 

「え、それは意外かも、じゃあ幸村くん? それとも三宅くん?」

 

「えっと、その……」

 

 愛里には苦手な距離感なんだろうね、たじろいで右往左往している。

 

「はいはい、その辺にしてあげて」

 

「え~、これからが面白いのに」

 

 気持ちはわからなくはないけど、まだこの距離感は愛里に早いと思う。

 

「じゃあ長谷部さんはどうかな、気になってる相手とかさ」

 

 すると彼女は今度はこっちにグイグイ来た。その瞳は好奇心で満たされている。きっと私が人の恋愛話を楽しんでいる時も似たような顔をしているんだろうなと、そんなことを考えてしまう。

 

 う~ん、人のあれこれを聞いて楽しむのは好きだけど、いざ自分が矢面に立たされるとかなりやりにくいなあ。

 

「私は、どうだろうね。あんまり意識したことはないかも」

 

「またまた、モテるって聞いてるよ。昨日だって男の子と夕食一緒にしてたしさ」

 

「そういう貴女はどうな訳? さっきから話題に出してるテンテ……笹凪くんとかさ」

 

 かなり強引な話題の方向転換だと思うけど、頭の奥にチラついた光景を消し去るにはこれしかなかった。

 

「笹凪くんかぁ……悪くないよね」

 

 なるほど、テンテンは他所のクラスでも注目されているらしい……無理もないか。

 

「ちょっとビックリするくらい綺麗って言うかさ、男の子なのに女の子っぽいっていうか……あぁ言うの何て言うんだろ、ユニセックスって言うのかな?」

 

 確かに言いたいことはわかる。カッコいいと言うよりは綺麗な男の子っていう表現がテンテンにはよく似合う。女装が似合いそうなランキング堂々の一位は伊達じゃないってことか。

 

 ただ、きっと彼女は知らない……テンテンのあの姿を。

 

「メイド服とかさ、着させたいよね」

 

「えー……付き合いたいとかじゃなくて?」

 

 男の子に女装させたいとか、かなり歪んだ欲望なのではないだろうか?

 

「そりゃまあ切っ掛けがあれば良いかもだけど、あそこまで色々突き抜けてると躊躇しちゃうって言うか、自分からはなかなかねぇ……もっと向こうからがっついてくれたらなあ、距離を縮め易いんだけどさ」

 

 付き合うことが想像し辛いという言葉に何となく納得してしまう。あそこまで何もかもが特別だと隣に立つ自分を想像できないからだ。

 

 だから女子は受け身になってしまうのかもしれない。何か切っ掛けか、ここぞというタイミングがあれば話は別なんだろうけど。

 

 切っ掛けか……躊躇を無視して距離を縮めたいと思う何か。

 

 その瞬間に私の脳裏に過るのは、龍園くんたちの手下を圧倒して沈めるテンテンの姿である。普段の穏やかな顔は怜悧に研ぎ澄まされて、鋭い視線と圧倒的な力で私たちを助けてくれた光景だった。

 

「……」

 

 あまり、意識しないようにしていた光景を思い出すと、少しだけ頬が熱くなる感覚を覚える。こういった熱を外に出したくないから意識しないようにしてたんだけどなあ……。

 

「波瑠加ちゃん、大丈夫? 顔、赤くなってるけど」

 

 愛里が私の顔を覗き込んで来るので、慌てて冷静を取り繕っていく。

 

「ランニングで疲れただけ~」

 

「む、無理はしないでね」

 

 心配をかけてしまったみたいだ。本当に体調は大丈夫なので少しだけ申し訳ない気分になってしまう。

 

 頬に帯びた熱を振り払うように頭を振って、同時にあの時のテンテンの姿を思考の隅に追いやる。

 

 変に意識して本人の前で顔を赤くするのだけは避けたかった。

 

 今の距離感は心地が良いし、壊したくも無い。私には切っ掛けとタイミングもあったから、一歩引いてしまうような壁も吹っ飛んでしまっている。どこかで何かが噛み合えば、きっと隣に並ぶことを想像してしまう。

 

 今はまだ早いんだろうね……愛里と同じように、もっと努力しないといけない。

 

 足を引っ張らないと、あの時決めたんだから。

 

 そんなことを思っていると、思考の片隅に追いやったあの時のテンテンの姿が戻って来て、また変な熱を頬が帯びてしまう。

 

 でも仕方がない、あんな光景を見せつけられたら、女子はどうしようもなくなってしまう。女殺しにも程があった。

 

 恋愛と言うものを意識せず、異性と言うものを意識せず、心地いい距離感で満足していたのに……。

 

 

 

 正直、あそこまでカッコいい所を見せつけてくるのは、反則だと思う。

 

 

 

 人間関係の面倒とか、女子の牽制とか、躊躇とか距離感とか、何もかもを吹き飛ばして心臓を握って来るんだから、本当に反則だった。

 

 まぁ、心地の良い距離で満足しておこう。きっと今は、その先に踏み込んでも足を引っ張っちゃうだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「試験中も怠けることはできない」

 

 

 

 

 

 

 最初に彼を見つけたのはただの偶然であった。この全学年が集まった混合合宿の試験中、ほんの気まぐれに朝のジョギングをしている時の話である。

 

 試験の説明が行われた初日、男女に分かれる直前に、クラスメイトの桐山が耳にタコが出来るほどに煩く勝手な行動を控えるようにと言って来たが、わざわざ説明されずとも試験の内容はしっかりと理解できている。

 

 勝手なことなどするつもりもなく、理由もない、朝のジョギングはその勝手には当たらないことは間違いないので止めるつもりはない。

 

 同じ小グループに割り振られた同級生たちからは、私の行動を理解してもらえなかったが……やんわりと試験中なのだから体力を温存すべきだと言われただけで、最終的に彼女たちも止めることはなかった。

 

 よくわからないな。早起きは三文の得という言葉もあるというのに。

 

 実際に、面白い光景も見ることはできたし。こうして朝早くに行動しているのもどうやら私だけではないらしい。

 

 グラウンドを走り回っている金髪の彼は、確か高円寺六助。以前にポイントを卒業時に購入したいと取引を持ち掛けて来た相手だ。残念なことに私はそこまで余裕がある訳ではないので流れてしまったが。

 

 そしてもう一人、同じように朝早く行動している者が一人……こちらは山深い校舎の裏山に足を運んでトレーニングを行っているようだ。

 

 そちらに足先を向けたのはほんの気まぐれであり、同時にあの超人めいた一年生が何をしているのか興味もあったからだ。

 

 笹凪天武、人類を超越した身体能力を持つ、異質異常な一年生。

 

 彼は日が差したばかりの早朝に校舎の裏山に踏み入り、そこでまず幾つかの丸太を調達する。太く頑丈な樹木を力づくで引きちぎり、枝を素手で毟り取って綺麗な歪みのない二本の丸太を調達した。

 

 どちらの丸太も太く巨大だ、数十キロは軽く超えるだろう。二つ合わせれば百キロは間違いなく超える。そんな重量であることは間違いない。

 

 彼はその巨大で太い丸太を、それぞれ両方の手で掴んで持ち上げる。

 

 普通の膂力では持ち上げることなど叶わないし、掴んだとしてもすぐにすっぽ抜けてしまう筈だが、そんなことにはならずに小枝のように振り回されることになった。

 

 ブオン、ブオンと、太い丸太が振るわれる度に大きな風音が巻き上がり、それはこちらにまで届くことになった。

 

「バレエ……いや、神楽か」

 

 笹凪が二本の巨大な丸太を掴んで行うのは円舞にも似た動きである。最初はその動きからバレエを想像したのだが、どちらかというと神楽舞に近いことはすぐにわかる。

 

 よくあれだけ大きな丸太を持ってすっぽ抜けないものだ、とてつもない握力のなせる技だろう。

 

 クルリ、クルリと回転して、時に跳ね、時に舞を逆にして、その度に豪快な風音を奏でながらも、荒々しさよりも静謐さをどうした訳か感じ取れる。

 

 特筆すべきなのは、巨大な丸太を握って持ち上げる腕力や握力もそうだが、それだけの重量を持ちながら一ミリもぶれることのない体幹だろうか。

 

 前かがみになることも、後ろに尻餅をつくこともない、おそらくは百キロを超える重量を持ち上げながらだ。

 

 つまりは、笹凪にとってあのトレーニングは日常ということだろう。姿勢を乱すほどのことでもなければ、呼吸を荒くすることもない、その程度のものである。

 

 クルクルと回りながら神楽舞を続ける笹凪は、こちらに気が付いたのか視線だけを私に向けて来た。

 

 気が付かれたか、まぁ彼ならば気が付かない筈もないか。私も隠れていた訳でもないので仕方がないだろう。

 

「どうも」

 

「あぁ」

 

 神楽舞を続けながら気軽に挨拶をしてくるので、こちらも挨拶を返す。しかし笹凪は神楽舞を止めることなく続けていき、それを観察する私に時折不思議そうな視線を向けて来る。

 

 私もよくマイペースだと言われがちだが、目の前に人がいるのに丸太を持って神楽舞を続ける彼も大差はないのだろうな。

 

「君はいつもこんなトレーニングをしているのかい?」

 

「こればかりって訳ではありませんけど、まぁ似たようなことは……ただ、ここだとどうしても環境があれなので、器具も急ごしらえですから」

 

「だろうな」

 

「普段はバーベルでやってます。こんな丸太じゃなくて」

 

「なるほど、確かにその方が扱いやすいだろう」

 

 つまり彼は百キロを超えるであろうバーベルを持って、普段はこの神楽舞をしていることになる。体育祭で見せたあの超人的な身体能力はこうして作られているという訳だ。

 

「ふむ、興味深い光景だ。なかなかに美しい」

 

 指先で額縁を作り、その中に丸太を振り回しながらクルクルと回転する笹凪を収めると、一つの絵画のように見えて来る。

 

 手に持っているのが太い丸太でなく、七支刀などであればもっと様になったかもしれない。その不思議な容姿も相まってどこか神秘的にすら見えたことだろう。

 

「ところで先輩、俺たちは一応は初対面ですよね」

 

「そうかもしれないね」

 

「自己紹介くらいはした方が良いですかね」

 

「全くもってその通りだ。しかしその様子だと君は私のことを既に知っているのでは?」

 

「まぁ似たような人がウチのクラスにいるので……それに噂も色々と聞いています」

 

「私も君の噂は色々と聞いているよ。なんでも女装趣味があるとかないとか」

 

「どこソースですかその噂……」

 

 呆れた顔をしながらも舞を止めない笹凪は、大きな溜息を吐いてからこう言った。

 

「初めまして、一年の笹凪天武です。美人の先輩」

 

「二年の鬼龍院だ、宜しく頼むよ、可愛らしい後輩」

 

 独特の、不思議な雰囲気と空気を持つ笹凪とは、そんな挨拶を切っ掛けとして交流していくことになるのだった。

 

 この退屈な試験の中では、一番有意義な一時間であったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サイバーダイン社製のファッキンクソメイド」

 

 

 

 

 

 

 絢爛豪華、という表現がよく似合う空間であった。どこかの国にあるどこかの古城を貸し切って行われるパーティーには煌びやかなシャンデリアが輝き、高価な酒と食材を惜しげも無く使った料理が並んでいる。

 

 パーティーホールの片隅では有名な楽団が穏やかな空間を演出する為に楽器を奏で、そんな彼らに注目することもなく主役たちはそれぞれが話題に花を咲かせていた。

 

 この空間に誘われた者たちも身なりが整っており、身にまとったドレスや装飾品は一目で高価な物だとわかってしまう。

 

 選ばれた者だけの、わかりやすいくらいに権力者の集まり、そんな空間であった。

 

 ただし、この場で話される会話は一般的とは言えない。マフィアがどうの、麻薬がどうの、兵器がどうの、次の選挙がどうの、アレが目障りどうのと、時折物騒で法秩序を軽く扱う内容が飛び交っている。

 

 つまりはそういう集団なのだろう。アウトローの権力者ばかりである。それも闇社会にどっぷりと浸かり切った者たちだ。

 

 何より顔を覆いたくなるのは、そんな集団と仲良く握手して穏やかに会話をしているのが、どこかの国の政治家であったりするのだから、世も末であった。

 

 取り締まる側と、取り締われる側が、これからについて話すという最悪のパーティーという訳である。

 

 だが、こんな歪な空間は、世界のどこにでもありふれた光景であるとも言えるのかもしれない。

 

「ドクター、以前に貴方がプレゼンした例のウイルスだが、上層部からはなかなか良い感触を得られたよ」

 

「ほう、それは何よりですね」

 

「一儲けできそうだ」

 

「ふふふ、量産を進めておきましょうか」

 

 そんな会話が当たり前のように行われている。少し場所が違えば武器や兵器の話になっている辺り、誰も気にした様子がない。そういう場所なのだろう。

 

「どこかで実戦運用できれば良いのだけれどね」

 

「その辺は政治の分野ですのでお任せしますよ」

 

 ドクターと呼ばれた男は何気なくそんな会話をしている。自分の作ったウイルスで大量の死傷者が出るであろうことを気にしていないらしい。

 

 重要なのは、どれだけの儲けを出せるかどうか、そこだけだ。

 

「おっと、失礼、少しワインを頂いてきます」

 

「あぁ、構わないよドクター。話は後でもできるからね」

 

 彼はやや強引に話を終わらしてから絢爛豪華でありながらヘドロを敷き詰めたようなパーティ会場を歩いていく。

 

 身なりの整った権力者や政治家たちが隠すこともなく黒い話を続ける中で、彼らを邪魔しないように給仕に徹する何名かのメイドたちの一人に、どうやら彼はさっきから目を奪われていたらしい。

 

「そこの君」

 

「はい、どうしましたか?」

 

「ワインを一つ貰おうか」

 

「どうぞこちらを」

 

 彼が注目していたパーティーの給仕を行っていたメイドの一人は、トレイの上に載せられていた白ワインの入ったグラスを差し出してくる。

 

 それを受け取って優雅に味わいながらも、ドクターと呼ばれた男の視線は目の前のメイドに向けられていた。

 

「どうかいたしましたか?」

 

「いや、なに、可憐だと思ってね」

 

「え、あ……そんな、困ります」

 

「ふふ、そうかね。お世辞ではなく本心だったのだがね……白い肌も、艶のある髪も、宝石のような瞳も、実に良い」

 

 そう、男はこのパーティー会場に来てから一目見てこのメイドに注目したのだ。美しい容姿もそうだが纏う雰囲気が独特であり、思わず喉を鳴らしたほどである。

 

 好色と噂されるくらいには手が早いと自覚はあるらしく、男は目の前のメイドに近寄り、その腰に手を回した。

 

 コルセットの感触だろうか、メイド服の下には何やら固い感触がある。

 

「どうかな? この後、二人で語り合うというのは」

 

「そ、そんなこと……怒られてしまいますから」

 

「大丈夫、僕はこのパーティーの主催者とは親しいからね、後で言い訳しておくよ……それに、君にとっても悪い話ではない筈だよ。これでも財布の紐が緩くてね」

 

「……」

 

 美しく可憐なメイドは、困ったような顔をしながらも、隠し切れない期待を覗かせながら、男の誘いに乗ることにしたらしい。

 

 古城の改装されたこのパーティー会場は招待客を休ませる為の客室も多く、ドクターと呼ばれた男にもまた割り振られた部屋があった。

 

 少し離れた位置から聞こえて来るパーティーの喧騒を耳にしながらも、メイドと男はその客室で二人きりになっている。

 

「緊張しているのかい?」

 

「はい、少しだけ」

 

「なに、固くなる必要はないよ……優しくしてあげるからね」

 

 男はベッドの上に腰かけたメイドの隣に座ると、指先を肩に置いて抱き寄せ、遂には顎先を持ち上げて見つめ合った。

 

「アースアイという奴かな? 実に美しい瞳だ」

 

「……」

 

 閨に入る前の口説き文句に、メイドは照れてしまったのか視線を僅かに下げてしまう。

 

 そんな所もまた愛らしい、そんなことを思ったのかどうかはしらないが、男は遂にメイドをベッドに押し倒してしまい、その唇を奪おうとして――――。

 

 

 

 

 

「まさかオッサンにディープキスされそうになるなんてな」

 

 

 

 

 

 どうやら男は意識を失ったらしい。側頭部を指先で独特の力加減とタイミングでノックされて、頭蓋骨の内部で振動を反響させられた結果、脳震盪となってしまったからだ。

 

 ぐったりと力を抜いてベッドに転がるドクターを横に置いて、メイドは懐から小型の無線機を取り出すとこう言った。

 

「二号さん、届いてますか?」

 

『おう、感度良好だ。可愛らしい声がばっちり届いてるぜ、プリティメイドさんよ』

 

 無線機からはどこか楽しさを隠しきれてない声が届く。面白くて仕方がないとでも言いたげな声色である。

 

「マジで勘弁してください……俺はこの仕事が終わったら、このクソみたいな作戦を立てた連中をぶん殴るつもりなので」

 

『ははは、でもこうして連絡してきたってことは上手くいったってことだろ。例のウイルステロリストを確保できたのか?』

 

「えぇ、ベッドの上でグッスリです」

 

『だはははッ、黒髪のメイド好きって情報は本当だったのか、お前さんはハニートラップでも食っていけるかもな』

 

「マジでアンタもぶん殴りますよ」

 

『まぁそう言うなって……対象を確保したんならとっととズラかるぞ。長居は無用だ』

 

「わかってます、合流地点は予定通りの場所で良いですね」

 

 無線機でそんなことを話しながら、メイドは昏倒させたドクターの首根っこを掴んで移動しようとするのだが、その瞬間にこの客室の扉が突然に開く。

 

「ドクター、大臣が内密の話があるとの、こと……で」

 

 廊下から姿を現したのは屈強な男である。おそらくはこのパーティー会場の警備だろう。そして今にもバルコニーからドクターを抱えて飛び降りようとしているメイドと視線が絡み合った。

 

「……あッ」

 

「貴様何をしているッ!?」

 

 懐から銃を取り出す動作の、なんと滑らかなことか。

 

 構える、狙う、安全装置を外す、引き金を引く、それらの行程を一瞬で終了させた男は、しかしそれ以上の速さで動いたメイドに翻弄されることになる。

 

 引き金を引くほんの手前で、銃口の角度と指先の動きで銃撃を見切ったメイドは、体を半身にすることで放たれた弾丸を回避すると、そのまま手に持っていたドクターを投げ捨てて身軽になり、一瞬で肉薄して男の手首を握り潰すと、股間を蹴り上げて悶絶させた。

 

 あまりの衝撃に意識を失った男ではあるが、彼が放った一発の銃弾が流れを変えることになったのは間違いない。

 

 なにせ銃声が響いたのだ。当然ながらその音を聞いた者は多く、一瞬で警報が鳴り響いて古城のパーティー会場は物々しい雰囲気に包まれていく。

 

「やってしまった」

 

『おい七号、何があった? 警報が鳴り響いているぞ』

 

「二号さん、潜入が露見しました」

 

『オーライ、全てオーライだ……プランBで行くぞ』

 

「プランBなんてありましたっけ?」

 

『ねえよそんなもん、暴れまわって堂々と正面玄関からオサラバするだけさ』

 

「それが許されるなら最初からそうしましょうよ!? なんで俺はメイド服を着せられて潜入したんですか!?」

 

『うるせえな。作戦を立てたのは俺じゃねえよ』

 

 メイドは苛立ちながらそう叫んでいるが、こちらに迫って来る大量の足音を感じ取って臨戦態勢に移行していた。

 

『よし七号、こっちから援護するから好きに暴れ回れ。一応言っておくが、そのウイルステロリストは死なせるなよ。聞き出したいことが山ほどあるからな』

 

「わかってますって、そっちも間違って俺を誤射しないでくださいよ」

 

『安心しろ、俺が目標を外したのは生涯で一度だけさ……お前さんの師匠だけだ』

 

「そうでしたね……それじゃあ暴れて邪魔する人たちを薙ぎ払って堂々と出て行きますんで、上手い事合わせてください」

 

『了解、派手にやれ』

 

 メイドは無線通話を切ってから、床で未だに意識を失って倒れているドクターの頭をもう一度だけ叩いてより深く意識を吹き飛ばすと、改めてこっちに向かってくる無数の足音と気配に集中することになる。

 

 意識を高めて目に映る全てをスローモーションにすると、そんな中でメイドだけは普段通りに動けるような感覚にまで至り、一歩踏み込む。

 

 部屋の扉が勢いよく開かれたのは全く同時であり、次の瞬間には客室に踏み込んで来た屈強な男たちは発砲することもできないまま一瞬で制圧されてしまう。

 

「さて、メイドらしくお掃除の時間だね……最初からこうすれば良かったんだよ」

 

 メイドは薄く笑うと、この古城のパーティー会場を縦横無尽に駆け回ることになるのだった。

 

 立ち塞がる何もかもを薙ぎ払う、屈強な警備員も、強面のマフィアたちも、職業軍人も、全てをだ。

 

 高がメイド一人と侮った者は一瞬で沈み、それが十度も繰り返されれば混乱はより大きくなったことだろう。

 

「クソッ、ブラボーチームがやられちまった!! なんなんだあのメイドは!?」

 

「警備本部ッ!! もっと人手を寄こしてくれ!! メイドが止められねえ!?」

 

 何度も何度も仲間を叩き潰された結果、警備の一部が応援を要請するようになる。だがそんな報告を聞かされても相手は困るだろう。メイドが暴れているからありったけの戦力を持ってこいと言われても正気を疑うだけである。

 

 仮にも暴力を生業とする者たちが、揃いも揃ってメイドがどうのこうのと報告してくるのだから、警備本部もさぞ困った筈だ。

 

『おい聞こえるか馬鹿ども、報告はしっかりとしろ、何が暴れてるって?』

 

「メイドだよ!! ブラボーチームもアルファーチームも全部やられちまった!!」

 

『なんでそんな奴に手間取ってるんだお前らは』

 

「銃も爆薬も当たらないんだ、凄いスピードで動き回って、とんでもない力で暴れまわって……ひッ、こっち来た!?」

 

『落ち着け、そのメイドは何か特殊な武器を持っているのか?』

 

「持ってねえよ!? だから困ってるんだ!?」

 

 無線機の向こうからは大きな混乱が伝わって来る。メイド一人に随分と翻弄されているらしい。

 

『よしわかった。今からそっちに援軍を送ろう……そのサイバーダイン社製のファッキンクソメイドは今どこにいる?』

 

「ダンスホールで銀のトレイとフォーク片手に優雅に踊ってやがる!!」

 

 そんなやり取りが行われた数分後、到着した援軍は全てメイドと正体不明の狙撃によって制圧されることになることを、彼らはまだ知らない。

 

 こうして古城のパーティー会場は阿鼻叫喚の混乱に呑み込まれていくことになる。

 

 サイバーダイン社製のファッキンクソメイドという表現は、あながち間違いではなかったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ……ゆ、夢か」

 

 

 なんて夢を見ているんだ俺は……この混合合宿で気が付いていない内に変なストレスでも溜めてたってことか? だとしたら、らしくねえな。

 

 ベッドから起き上がって周囲を見渡すと、学園にある寮の私室から見える光景ではなく、幾つかの二段ベッドが並ぶ共同部屋の光景だった。

 

 まだ朝日が差し込んで間もない、起きてる奴は……二匹のゴリラだけだ。

 

 片方はまた朝のトレーニングでもやってるとして、もう片方のゴリラは相変わらず一睡もせずに彫刻を行っていたらしい。

 

「やあ龍園……おはよう。なんだかうなされていたよ」

 

「……あぁ?」

 

 確かにうなされていたのだろう、汗も額に流れている。それもこれも訳がわからない夢を見たせいだ。

 

「まぁこんな試験の最中だからね、ストレスも溜まって寝辛くもなるさ」

 

 彫刻刀片手に奇妙なオブジェを作る笹凪は、微笑を浮かべながらそんなことを言っていた。その顔は夢に出て来た滅茶苦茶なメイドと……似てなくはないな。長めのかつらでも被せればそっくりだ。

 

 いや、まぁ、あんな訳の分からない夢とこいつは何の関係もないのだろうが。

 

「笹凪ィ……テメエは女装趣味があるのか?」

 

「え、無いけど……急にどうしたんだい?」

 

「いや……なんでもねぇ、気にすんな」

 

 そりゃそうだ、あのメイドがコイツな訳がねえ。考えてみれば当たり前のことだな。幾らこいつが女みたいな顔をしていてゴリラみたいな力があろうとも、あんな滅茶苦茶な状態に陥る訳がないな。

 

 変な夢を見たもんだ、それもこれもこの退屈な試験が悪い。

 

 

 

 

 



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ヒーローは漫画の中にしかいないと誰かは思った
噂に踊らされても意味がない


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒーローは現実にはいない。私がそれに本当の意味で気が付いたのは中学生の頃だった。

 

 そもそもそんな相手がいて欲しいと願うこと自体、私には許されないのだけど、それでも心のどこかでいて欲しいと願っていたのかもしれない。

 

 だけどそんなことを求めるのは間違っている。責められるのは私の方なんだから。

 

 なのに懲りることなく自分に差し伸べられる掌を傲慢にも求めて、優しい言葉を不相応にも想像して、ありえないとわかっていながらも心の奥底でも「もしかしたら」を今も妄想してしまう。

 

 ありえないのに、許されないのに、それでもだ。

 

 

 頭に被った毛布を外せない。ここは私室の筈なのに誰かからの視線が怖くなってしまう。体は小刻みに震えて、不思議と指先が冷たい。

 

 あの時と同じだ、とても寂しくて残酷な時間がまたやってきた。

 

 皆、私をどう思ってるんだろう、責任も立場も放り出して一人で震えている私を……。

 

 キュッと、被っていた毛布の端を握りしめてより深く体を包み込む。

 

 チクタクと、静謐な部屋の中には時計の音が広がっている。その音と心臓の音だけがとても近く感じられた。少し前にクラスメイトが部屋の扉をノックしたけれど、どこか遠くて、なにより怖い。

 

 ぼーっと時間が過ぎるのをただ耐えていると、スマホが震えた。地を這うような気力で視線を向ければ、そこには南雲先輩からのメールが届いていた。

 

 そのメールには「もう少しだけ待っていろ、俺がお前を助けてやる」という文字があった。

 

 助ける……私は、誰かに助けて貰えるのを期待しているのかな?

 

 中学時代にそんなことはありえないと思い知った筈だ。あの残酷な時間から逃げ出してこの学園に来るまでの間に、都合のいい展開なんて無かったんだから。

 

 現実にはそんな人はいない……三分間しか戦えないヒーローも、バッタのライダーも、人々を笑顔にする魔法使いだっていないんだ。

 

 だからきっと、この残酷な時間は終わることなく続くんだと思う。終わりの時が来るその時まで。

 

 動かなくちゃダメだ、もっと頑張らないといけない、私はその為に……。

 

 クラスにも迷惑がかかっちゃう、仲間たちにも失望されちゃう。

 

 あぁ、でも、この毛布を剥ぎ取れない。指先は冷たいままだ。

 

「……」

 

 けれど、不思議なことに、小指だけは変な熱を持っていた。他の指は冷たいままなのに、そこだけは温もりが残っている。

 

 どうしてだろうと考えて、私はとある男の子の顔を思い出す。

 

 それと同時に、無意識にスマホに手を伸ばして一つの宛先を引っ張り出した。

 

 小指に残った熱が、そうさせたのかもしれない。

 

 ヒーローはいない、現実はとても冷たくて都合よく誰かを助けてくれる人なんていない。ましてやクラスで争っている相手にそんなことするなんてありえない。

 

 これはただ甘えているだけで、本当はやっちゃいけないことだと思う。

 

 それでも、小指の熱が私にそうさせてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一月に行われた全学年共同の珍しい特別試験が終わって月を跨いで二月となり、一年Bクラスには大きなニュースが飛び込んで来た。それはこのクラスで唯一と思われるカップルの破局である。

 

 なんと軽井沢さんと平田が別れることになったらしい。その驚きや衝撃がクラスメイトたちに広がったのだ。

 

「軽井沢さん、平田くんと別れたそうよ」

 

 登校して教室に入り、何の騒ぎだろうと不思議に思いながら席に座ると、右斜め後ろに座る鈴音さんからそんなことを言われてしまう。

 

「そうか」

 

「驚かないのね」

 

「付き合うこともあれば、別れることもあるさ、男と女なんだから」

 

 軽井沢さんと平田が偽のカップルであることは知っていた。それでもこのまま関係を続けていくのかと思っていたが、どうやら一歩踏み出すことにしたらしい。

 

 ここ最近、愛里さんという強力な存在が清隆の傍に現れたことで焦りが生まれたのだろうか? 軽井沢さんの内心はよくわからないが、一つの前進であると言えるのかもしれない。

 

「え、え? 軽井沢さん新しい彼氏が出来たわけじゃないのに別れたの!?」

 

「あたしもさ、ステップアップしなくちゃって思ったわけ。洋介くんに甘えるのは簡単なんだけど、自分で色々と考えて見たくなってさ」

 

 篠原さんとそんな会話をしている軽井沢さんの注意は、やっぱり清隆に向いているように思えるな。

 

 もしかしたら、フリーになったと遠回しに伝えようとしているのだろうか?

 

 そしてそんな考えや意識は愛里さんにも伝わっているのかもしれない。ほんの少しだけ警戒と緊張を織り交ぜたような顔をしていた。

 

「清隆、軽井沢さんから何か聞いていないのかい?」

 

「オレが知る訳ないだろ」

 

 後ろの席の清隆にそう訊ねると、何とも手ごたえの無い言葉しか返ってこない。もしかしたら既に軽井沢さんにアピールされているのではと睨んでいたのだが、無表情だからわかり辛いな。

 

「まあ軽井沢さんは人気のある人だ、またすぐに誰かとくっ付くかもしれないね」

 

 それが清隆なのか、それとも別の誰かなのかまでは知らないが。

 

 一方、もう一人の話題の人である平田は、いつも通りに優しい表情でクラスメイトたちに囲まれていた。振られた立場ではあるが惨めだと思われないのは彼の人徳と言えるのかもしれない。

 

 寧ろ、女子たちはその瞳にやる気すら宿っている。やはり正統派なイケメンは人気があるということだろう。

 

 池や須藤なども揶揄ったりはしていないのだが、ただ一人山内だけは無遠慮にも絡んでいた。

 

「よう平田~。お前軽井沢に振られたんだって~? どんまいどんまい!!」

 

 まあ彼はあんな感じだ。流石の平田も少し困った顔をしており、女子は一斉に山内を睨みだす。このまま放置も出来なかったのか池と須藤が山内の両脇をそれぞれ抱えて遠ざけようとしていた。

 

「おいなんだよ。お前らも一緒に平田を慰めてやろうぜ。イケメンだって振られる!!」

 

「悪趣味なんだよお前は、止めとけ」

 

「はあ? イケメンが振られる所なんて、滅多に遭遇できないんだぜ?」

 

「悪いな平田、すぐ連れてくぜ」

 

「いいよ。事実だしね」

 

 うん、ああいう余裕のある平田の対応がモテる秘訣なんだろう。振られたというのに寧ろ人気が上がったのかもしれない。少なくとも積極的に動き出そうとする女子はこれから多くなるのは間違いない。

 

 そんなビッグニュースでザワつくBクラスではあるが、俺にとってはもっと気になるニュースというか、噂のようなものがあった。

 

「そう言えば……一之瀬さんのこと、貴方たちは何か知ってる?」

 

「俺もそれが気になってた、ちょっと不自然だなって」

 

「天武くんの所にも届いていたのね、一之瀬さんへの誹謗中傷が」

 

「ああ、嫌でもね」

 

「人気者を妬んだ嘘ってヤツじゃないのか? あるいはCクラスを陥れたい誰かの策略とかな。誹謗中傷の内容は?」

 

 清隆の言葉に俺は耳に届いた噂や、学校の掲示板に書き込まれた内容を記憶から引っ張り出す。

 

「口に出すのは憚れるかな、そういう類の奴だよ」

 

「えぇ、あまり愉快なものではないわね」

 

「でもまあ噂なんてすぐに消えるさ」

 

 人の噂も七十五日とかなんとか、意外にも長いように思えるけど、きっと人間はそれくらいの時間で新しい話題に視線を向けることになる生物なんだろう。

 

「一之瀬は、それに対してなんて?」

 

「う~ん、今朝に玄関で挨拶した時は普通な感じだったかな、あんまり気にしてる様子はなかったけど」

 

 偶々、登校している時に玄関で挨拶したのだが、いつもと変わらない様子だったのは間違いない。

 

 実際に朗らかに笑って見せてくれたので、本当に気にしていないのだろう。

 

「下手に関わってこちらに火の粉が飛んで来られても困るわ。それにこの手のことは放置が一番よ。どうせすぐに消えてなくなるのだから」

 

 鈴音さんの言葉も尤もだ。これがただの暇つぶしの噂話程度ならばすぐに消えて無くなるだろう。言ってしまえばよくあることなんだから。

 

 ただ、少しだけ気になることもある。混合合宿での坂柳さんの言葉だ。

 

 彼女は一之瀬さんクラスへ攻撃をするようなことを匂わせていた。今回の誹謗中傷がそれであるかどうかは現時点でわからないが、不穏な影もあるのは間違いない。

 

「天武くんの方から、クラス全体にくだらない噂に翻弄されないように言っておいて貰えるかしら」

 

「わかったよ」

 

 スマホからBクラス全員が登録している全体チャットを開いて、噂話に惑わされて無意味な火傷を負わないように注意喚起をしておこう。

 

 おそらく現時点で、それが一番の一之瀬さんへの援護になる筈だ。

 

 ただし、情報収集や事実確認を行わない訳ではない。

 

 自分たちには関係が無いという考えは慢心であり、眺めているだけは性に合わない。もちろん引っかき回すつもりもなければ、噂話を加速させるつもりもないが、しっかりと状況を見極める必要があった。

 

 そんな訳で情報収集だ。おそらくは噂の発生源であるAクラスが最も適しているだろう。

 

「そんな訳で神室さん。色々と教えて欲しいな」

 

「……はぁ?」

 

 放課後になり、美術部らしく今日も文化的活動に勤しんでいるのだが、今日は久しぶりに神室さんが顔を出してくれたので、せっかくだから声をかけてみた。

 

 この子は最近幽霊部員気味であったのだが、ここ最近は頻繁に部活に出るようになってきたな。具体的には一之瀬さんの噂が出始めたくらいから。

 

 美術部の端っこで絵具を適当に伸ばしていると、近くの席に座った神室さんも同じようにキャンパスを弄りだしたので、きっと話しかけて欲しいのだろうと思ったのだが、彼女から返って来たのはどこか不機嫌な表情であった。

 

「いやさ、ここ最近、一之瀬さんの変な噂が広がってるじゃないか……Aクラスはどう思ってるのかなって思ってね」

 

「そんなこと、私に訊かれても困るんだけど」

 

「そうかな? わざわざ美術室の隅っこにいた俺の近くに座って、どう話を切り出そうかとチラチラ視線を向けて来ていたから、お話でもあるんじゃないかと」

 

 観察して出した結論を伝えると、神室さんはわかりやすく眉を顰めた。

 

「アンタらの、そういう何もかもを見透かした感じが凄く嫌い」

 

「ふふふ、坂柳さんからも似たような感じに扱われてるってことかな」

 

「……」

 

 神室さんは奥歯を噛むように頬を歪める。以前に坂柳さんが言っていたけど、彼女は揶揄うと凄く可愛らしい反応を見せる。確かについ意地悪したくなる気持ちはわからなくはないな。

 

「まあまあ怒らないで……それで、神室さんは何か知らないかな?」

 

「どうせアンタのことだから、ある程度は把握してるんじゃないの」

 

「そうだね。けれどどこまで行っても想像でしかないから、第三者からの情報も欲しかったりするんだ」

 

 そこまで部活動に積極的でない彼女がこうして頻繁に参加するようになったのは、何かしら理由があると思っている。例えば俺に情報を流したいとか。

 

 それが彼女の意思によりものなのか、或いは坂柳さんからの指令なのかはわからないけど、そのタイミングを見計らっているのは間違いないと思っている。

 

「アンタは一之瀬の噂についてどう思ってる訳?」

 

「ん、特にどうとも、結局は噂でしかないから」

 

「ふぅん、もしかしたら本当のことかも知れないのに?」

 

「仮に本当だったとして何の問題があるのさ。彼女が彼女であることに変わりはないだろう。裏切られたと声を荒げても意味はないし、信じられないと泣くことにはもっと意味がない」

 

「そう? もしかしたらCクラスの仲良し連中は一之瀬を信じられなくなるんじゃない」

 

「そうはならないと思うけど……」

 

 寧ろ積極的に一之瀬さんを庇いそうである。彼らはこの学校では不似合いな程に仲が良い。いっそ心配になるほどに。

 

「まぁなんだっていいけどね……私は別に坂柳も一之瀬も好きじゃない。何がどうなっても興味はないけどさ」

 

「それでもこうしてわざわざ近くの席に腰かけたんだ。何か話があると思ってたんだけど」

 

 神室さんはその言葉にまたムスッとした顔を見せて来るのだが、最終的には迷うようにこう伝えて来た。

 

「坂柳を止めてよ。あんたならそれが出来るんじゃないの」

 

「ただ噂が流れているだけだ、俺に出来ることなんて何もない」

 

「今のままならそうかもね、すぐに噂も消えてまた別の話でもちきりになるかも」

 

 今のままなら、ね。ここから先は更に深刻な事態になるかもしれないと含みを持たしている辺り、やっぱりこれはAクラスからの攻撃なんだろう。

 

 問題なのは、この神室さんの行動や発言が、自発的なのか坂柳さんからの指示なのか判断に迷う所だろうか。おそらくは後者だと思っているんだが。

 

 だとすると、坂柳さんは一之瀬さんを攻撃しながらも、どうした訳か俺に介入させようとしていることになる。そんなことされれば邪魔に思うのが普通なのだと思うけど、神室さんを動かして間接的に俺を動かそうとしている辺り、狙いが読めないな。

 

「けどこのままだと一之瀬は潰される。肉体的にじゃなくて心がね」

 

「そう言われると弱いな。女の子には悲しんで欲しくない」

 

「だからアンタが頑張りなさいよ」

 

「ん……とはいえ、第三者の俺が何を言った所で噂話なんて消えはしないだろう」

 

「じゃあ一之瀬を見捨てるんだ」

 

「俺はそんな薄情な男に見えるかな……それに一之瀬さんだってそこまで弱い人じゃないさ。案外、噂話なんて蹴り飛ばしてしまうかもしれないよ」

 

「かもね、でもどうしようもなくなったらアンタが動くのよ、わかった?」

 

 やたらと念を押してくるな、これは坂柳さんの指示なんだろうか? 彼女と一之瀬さんの戦いにどうして俺を踏み込ませようとしているのかわからないな。

 

 ただまあ、別に一之瀬さんを援護したり助けたりすること自体はなんの戸惑いも無い。両者の戦いに介入するのは無粋かもと思うけども、どうしようもなくなったら手を出すとしよう。

 

 どうやら坂柳さんも、理由はわからないがそれを望んでいるらしいからな。

 

「了解した、せっかく坂柳さんがそう言っているんだ。状況を見極めて動くとするよ」

 

「い、いや、坂柳は関係ないんだけど……」

 

 うん、今の神室さんの動揺でハッキリした、彼女は間違いなく坂柳さんの指示で動いている。だとしたら介入するのも無粋ではないか。

 

 なにせ、あちらから横槍を入れて来いと言っているのだ、招待には応じるとしよう。

 

「ん、そうだったね。君の行動に坂柳さんは何も関係が無い、そういうことにしておこう」

 

 彼女はその言葉にまた不機嫌になってしまう。やっぱり揶揄うととても面白い人であった。

 

 知りたいことも知れたので、今日は早めに部活動を切り上げて美術室を後にすることにした。スマホのグループチャットを確認してみると、清隆たちは放課後に集まって遊んでいるらしいので、そちらに合流することにしよう。

 

 そんなことを考えながら靴を履き替えていると、前方に友人の姿を発見する。同じく部活動帰りの三宅明人であった。

 

「明人、帰りかい?」

 

「あぁ、今から合流しようと思っていた、そっちもか?」

 

「同じくね」

 

 共に部活に所属しているので、こうして放課後にグループに合流する時には一緒になる時が多い。今日もまた同じであった。

 

「部活の調子はどうかな」

 

「悪くはない、少なくとも龍園クラスの連中に監視されてた時よりはな」

 

 ペーパーシャッフルの時のことを言っているのだろう。あの時はつけ回されてかなりストレスを溜めていたからな。

 

「そっちはどうなんだ……と言っても、美術部に調子を訊ねるのも変な話か」

 

「確かに体を大きく動かす感じではない」

 

「天武の身体能力なら運動系の部活でも良いと思うんだがな、弓道部はどうだ?」

 

「弓道かぁ……多少は心得があるけど」

 

「なんだ、経験者だったのか」

 

「本当に齧った程度のものだよ。それ以上でも以下でもないさ」

 

 師匠から武器術や暗器術は教えられている。弓もその一つだ。ただし弓道ではなく弓術であったが。

 

 そんな会話をしながら歩いていき、ケヤキモールにいるであろう皆と合流しようと思っていたのだが、その前に少しだけ異変に明人が気が付いた。

 

「アイツら……不穏な雰囲気だな」

 

「あれは、橋本と神崎かな」

 

 俺たちの視界に入ったのは、校舎の片隅で向かい合う橋本と神崎の姿である。

 

 お世辞にも穏やかな雰囲気ではなく、何だったら神崎からは苛立ちすら感じられる程であった。

 

「ここ最近、色々な噂が飛び交っているから、まぁあの組み合わせもわからなくはないけど」

 

「それで神崎が詰め寄ってる訳か……少し様子を見よう」

 

「わかった、グループの皆には明人から連絡しておいてくれ」

 

 彼はスマホを取り出して波瑠加さんたちの連絡を取り、事情説明を行い始める。俺は俺で剣呑な雰囲気の神崎と橋本に近づいていった。

 

「二人とも何をしているんだい?」

 

「笹凪と、そっちは三宅か。なんでもない、何か神崎がイチャモン付けて来てるだけさ」

 

 橋本がいつものチャラチャラした様子でそう言うと、神崎の視線は強く鋭いものになっていった。

 

「そのような事実はない。ただ橋本に話を聞きたかっただけだ」

 

「その割には随分と目つきが鋭い気がするけどな」

 

 挑発、とも取れる橋本の言葉に、神崎は黙り込む。

 

「橋本、お前に訊きたいことがある……ここ最近出回っている一之瀬の噂についてだ」

 

「一応言っておくけど、俺は何の関係もないぜ」

 

「本当にそうなのか? とても信じられないな」

 

「おいおい、何の根拠もないってのに、決めつけはよくないっての」

 

「噂の出どころの多くはAクラスからだ、関係が無いとは言わせない」

 

「いいや言うね、噂がどうのこうのだなんて、俺にはなんの関係もないんだからな」

 

 あくまで余裕の態度を崩さず、それどころか僅かな笑みすらも浮かべる橋本に、神崎の苛立ちが増していったように思えた。

 

 明人と視線を合わせて、殴り合いになったら止めるという意思を交わして様子を見守るしかないだろうなこれは。

 

 その後も神崎が放つ言葉のジャブを、飄々とした態度で受け流す橋本に、いよいよ苛立ちが抑えきれなくなったのか、一歩踏み出して距離を縮め始めた。

 

 これは、いよいよか?

 

「お前ら、喧嘩するな」

 

 明人もやんわりと忠告するのだが、二人の態度は変わることは無い。

 

「おいおい誤解すんなって、俺はただ一方的に詰め寄られてるだけで、問題は神崎の方にあるんだからな」

 

「本当に喧嘩って訳じゃないんだな?」

 

「しつこいぜ三宅。そもそも因縁をつけてきたのは俺じゃなくて神崎の方さ」

 

 絡まれて参っている、とでも言いたげな態度を見せる彼は、俺と明人の背後に視線を向ける。

 

「お仲間も到着みたいだぜ」

 

 振り返ると、そこには清隆たちグループメンバーがいた。どうやら明人から電話を受けて興味を持ったのか、わざわざ探しに来たらしい。

 

 もし喧嘩沙汰になった時は巻き込まれないようにすればいいか。それに目撃者が多い方が話も複雑にならなくて済むだろう。

 

「……お前ら、来たのか」

 

「みやっちとテンテンが変なことに首突っ込むからでしょ。助けに来てあげた訳」

 

「助け……ね。天武がいる以上はなんの心配もいらないとおもうが」

 

「テンテンはゴリゴリだもんね、でもそういう問題でもないかも」

 

 そこで波瑠加さんは少しだけ意外そうな顔を見せる。

 

「なに、この二人が喧嘩してたわけ?」

 

 神崎も橋本もそういったタイプではないので、確かに意外かもしれないな。

 

「そいつは勘違いだ。険悪なのは神崎だけさ」

 

 相変わらず飄々とした様子の橋本に、目撃者が増えて来たことからバツの悪そうな顔をした神崎は、居心地が悪そうな顔をしていた。

 

 暴力こそ振るっていないが、他者に詰め寄っている場面を誰かに目撃されるのはあまり良い印象を与えることはない。例えばこの先、一之瀬さんクラスと坂柳さんクラスの間で審議などがあった場合、この一件が出される可能性もあるからだ。

 

 印象、というのは決して馬鹿にできる要素ではない。

 

 まあ尤も、詰め寄らねばならない事情があるのも確かなようだが。

 

 詰めた距離を戻すように一歩後退した神崎は、そこからも橋本に言葉を投げかけていく。曰く、噂の出所はAクラスの生徒で、これは悪質な誹謗中傷でありどうして坂柳はそんなことをするのかと。

 

 それに対して橋本は変わらずチャラチャラした雰囲気を維持したまま、勝手に決めつけるな、俺に訊かれてもどうしようもないことだと回避する。

 

 どこまで行っても平行線な二人の話は交わることもなく、それどころか亀裂が深まるばかりであった。

 

「なぁ神崎。お前は頭も良いし、思いやりもある男さ。けどな、だからこそこういったことには深入りしない方が良いぜ。信じるしかできない人間にはどうすることも出来ない一件なのさ」

 

「つまり、噂を取り消すつもりはない、と?」

 

「勘違いするなよ? 噂を取り消すもなにもない。噂は右から左へ、どこからともなく流れて来るだけなんだ。俺もまたそれを聞きつけ、左へと流しただけのこと」

 

 そう言って橋本はもう話は終わったとばかりに、踵を返す。

 

「ま、噂なんてすぐに消えるだろ。騒ぎ立てずに放っておけばな」

 

「まだ話は終わってない」

 

「終わったっての、それともお前に詰め寄られてるこの状況をこれだけの目撃者の前で続けるってのか?」

 

「……」

 

 神崎たちがグループメンバーを見て眉を顰める。冷静な男なので嫌な状況であるとはわかっているのだろう。

 

「じゃあな」

 

 最後の最後まで橋本は余裕の態度を崩すこともなく、去っていくことになる。

 

「神崎、苦労しているみたいだね」

 

「……少しだけな」

 

「橋本の言葉を正しいと言うわけではないが、噂なんてものはすぐに消えるさ。あまり騒ぎ立てるのもそれはそれで面倒ごとに繋がるかもしれないぞ」

 

「それは、わかっている……ただの噂話ならばそうだろうな」

 

 けれどこれはただの噂話ではなく、悪意と共に広げられていると神崎は言外に含ませる。だからこそ彼らのクラスも困っているのだろう。

 

「何かあったら言ってくれ、可能な限り協力しよう」

 

「すまないな、もし手が必要になったらその時は頼む」

 

 僅かに意気消沈した様子の神崎は、そう言ってから背を向けて去っていく。

 

 なんだか一之瀬さん以上に振り回されている様子だな。

 

 このまま噂や誹謗中傷が消えてくれればいいのだが、そうはならないのだろう。これは只の噂ではなく坂柳クラスから一之瀬さんクラスへの攻撃なのだから。

 

 さて俺はどう動くべきだろうか、わざわざ神室さんを動かしてまで横槍を入れて来いという誘いまであったのだ、目的を見極めながら慎重に動くとしよう。

 

 まあ最終的には我を押し通せばそれで済む話だ。シンプルに考えておくとしようか。

 

 

 

 

 



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小指の約束

 

 

 

 

 

 

 

 少し時間が過ぎ去って週明け、そろそろ一之瀬さんへの誹謗中傷も勢いが減るかなと淡い期待をしていたのだが、そんなことにはならずにより過激になっていった頃。俺のスマホには鈴音さんからの連絡があった。

 

『少しいいかしら』

 

 電話の向こうからはいつもの鈴音さんの声がして耳に届く。ただ少しだけ不安や焦燥のようなものを感じられた。ほんの僅かにだけれど。

 

「どうしたんだい?」

 

『今日の夜、一之瀬さんが私の部屋に来る。天武くんも同席して欲しいの』

 

 どうしてそうなったのかと最初は思ったが、混合合宿から色々と交流も深まっていたらしい。それ以前にもちょくちょく関わることもあり、何だかんだで鈴音さんにとっては他クラスにいる唯一の友人と言う枠に収まっているのかもしれないな。

 

 あの鈴音さんを他クラスの人が絆すとは、これが一之瀬さんマジックということだろうか。

 

「了解した、用件はやっぱりアレかな」

 

『そうでしょうね。一之瀬さんがどう判断するかはわからないけれど、場合によっては手を貸すこともあるかもしれないわ』

 

「他クラスの行動に介入するのは、避けるべきっていう考えはもちろん理解しているよね」

 

『えぇ、けれど、座したまま放置するのもどうかと思っているの。状況や流れにもよるけれど、どうするにせよ彼女と話しておく必要があると考えている』

 

「ん、俺も似たような感じかな、それじゃあ夕食を終えたらそっちに行くよ、七時だね」

 

『待っているわ。一之瀬さんにも貴方がいることは伝えておくから』

 

 なるほど、電話番号まで知っているのか。四月頃の鈴音さんとは大違いである。今更だけどそんなことを思った。

 

 時計を見てみると今は午後六時、ささっと夕食を済ませて合流することにしよう。あまり女子寮には夜遅い時間に訪れてはいけないのだが、俺の部屋に女子を招く訳にもいかないので泥を被るしかない。

 

 まあ露見したとしても一度や二度くらいでは退学にはならない筈だ。寮監に見つかっても注意くらいで済まされるだろう。

 

 誕生日に清隆から貰ったカップラーメンを消費して軽い夕食を済ませると、残った時間はマネーロンダリング用の作品作りに当てて時間を潰し、十分前になった所で部屋を出た。

 

 向かう先は上階、女子寮である。まだ怒られる時間ではないとはいえ、少しだけビクビクしながらエレベーターに乗ろうとすると、丁度そこには一之瀬さんの姿があった。

 

「あ、笹凪くん」

 

「やあ、話は聞いてるよ。鈴音さんの所で話があるって」

 

「にゃはは、うん、こっちもだよ。それじゃあ一緒に行こっか」

 

 少し前にあいさつした時よりも、少しだけ表情に陰りが見える。もしかしたら噂話なんて蹴り飛ばすかもと思っていたが、それなりに思う所があるらしい。

 

 全てを蹴り飛ばして知ったことかと笑うこともできると思っているが、それはそれで簡単なことでも無いということだろう。

 

 一之瀬さんと並んで鈴音さんの部屋の前にまでやって来てインターホンを押すと、すぐに扉は開いて顔を出してくれた。

 

「どうぞ。平日の夜に呼び出してごめんなさい一之瀬さん。天武くんもいらっしゃい」

 

「私の為に配慮してくれたんでしょ? 謝ることじゃないよ」

 

 確かに放課後に学校で呼び出すとどうしても目立つ。こういう時間の方が密談には持って来いだろう。

 

 そして一之瀬さん側も俺たちに話があったらしい。都合が良かったようだ。

 

 二人で鈴音さんの部屋に案内されて向かい合う。幾度かこちらに視線を向けて来る一之瀬さんは、意を決したようにこう言った。

 

「さてと……遅くなったら明日に響くし、長居はするつもりはないんだけど。とりあえず、色々不安にさせる噂が飛び交っているよね」

 

「えぇそうね。あの噂を広めているのは誰?」

 

 実に単刀直入な質問に、少しだけ迷いながらもこう返す。

 

「絶対の保証は出来ないけど、坂柳さんじゃないかな」

 

 なるほど。彼女も一連の誹謗中傷がただの噂話ではなく、Aクラスからの攻撃であると理解しているようだ。

 

 その上でほぼほぼ確信をもって坂柳さんだと言葉にする辺り、おそらく何らかの理由もあるのだろう。

 

「一之瀬さん、どうして君は坂柳さんだって断言できるのかな?」

 

「えっとね、それは宣戦布告されたからかな」

 

 その言葉に俺と鈴音さんは視線を結び合わせた。これが単純な噂話ではなく他クラスの闘争であると確信したからだ。

 

「悪質ね。根も葉もない噂を流され、ダメージを負っているという訳ね」

 

「んー……それはどうかな」

 

「噂は否定しないのかしら」

 

「ごめんね堀北さん。その部分に関しては、私は答えることが出来ないの。笹凪くんと堀北さんは友達だけど他クラスの生徒。親しくはしていてもいずれは戦う運命にある訳じゃない?」

 

 今更、とも思ったが。確かに線引きは必要なのかもしれない。俺は欠片も意識するつもりはないけど。

 

「無理に聞き出すつもりはない。でも、沈黙は噂を認める発言と同じと受け取られかねないわよ」

 

「噂を耳にしてどう受け止めるかは堀北さん、そして皆の自由だよ。でも私は今回の件に関して、過剰に反応するつもりは一切ないの。こっちのクラスをかき乱す為の坂柳さんの戦略。その唯一の攻略法は、沈黙にあると思っているから」

 

 いや、ぶん殴って黙らせるのが一番だと思う……そんな言葉を呑み込んで俺は一之瀬さんの言葉を聞いていた。

 

 内心はどうであれ笑顔を見せて来るので、こちらもなかなか踏み込めないというのもある。

 

「私が今日、堀北さんと笹凪くんに会ってこの話をしようと思ったのは、この件に不用意に足を踏み入れないで欲しいと思ったからなの。せっかく沈黙を続けても周りが騒げば、沈静化には余計な時間がかかる。何より、私を助ける為にBクラスが坂柳さんに目を付けられることだってありえちゃう。私は大丈夫だから心配しないで」

 

「そう……彼女はこう言っているけど、天武くんはどう思うかしら?」

 

 彼女の意思が固い上に、反論ができるような雰囲気でもなかったので、鈴音さんは俺にパスを投げて来た。

 

「一之瀬さんの言葉も尤もだ。これがAクラスからの攻撃であるのならば俺たちが関わる道理はない。ましてや彼女自身が静観を望んでいる上に、坂柳さんから目を付けられるのを避けるべきだという言葉も反論ができない」

 

「けど――」

 

 何か言いたげな鈴音さんの前に掌を差し出して待ったをかける。俺の言葉はまだ終わっていない。

 

「恐れるに足らないな」

 

「え?」

 

「いや、だからさ、坂柳さんに目を付けられても別に怖くないなって……そういう話はもうずっと前に終わってるしさ」

 

 とてもシンプルな話である。巻き込みたくないとか言われても凄く困る話だ。目を付けられないようにだなんて、既にそんな段階は過ぎ去っているというのに。

 

「一之瀬さん。君が強い人だということはよくわかった。こんな状況なのに俺たちを巻き込みたくないという配慮もとても嬉しいものだ」

 

「う、うん」

 

「だがシンプルな問題をわざわざ複雑にする必要はどこにもない。とりあえず今から坂柳さんと話してくるから、このくだらない噂話はそこで終わりにさせよう」

 

「えッ、ちょ、ちょっと笹凪くん!?」

 

「大丈夫、大丈夫、なんかいい感じに着地させるから」

 

 物事はシンプルが一番。配慮とか遠慮とかそういうのはぶっちゃけどうでも良い。重要なのは耐え忍ぶことではなく結果をもぎ取ることにある。

 

 なので懐からスマホを取り出してさっそく坂柳さんと話そうとするのだが、俺の腕にぶら下がるかのように一之瀬さんが阻止してくる。

 

「もう笹凪くん話をちゃんと聞いてるかな!? 私は騒ぎ立てて欲しくないって言ったんだからね」

 

「応とも、もちろん聞いてた。だから騒ぎになる前に最速で終わらせようって話になったんじゃないか。坂柳さんが流している噂なら、坂柳さんに止めて貰えば良い、とても話が早い。そういうことだよね?」

 

「全然伝わってないよ!?」

 

 耳に当てていたスマホは虚しくも奪い去られてしまった。プンプンと怒った様子の一之瀬さんは少しだけジトッとした目で俺を見て来る。

 

「もう一度言うからね。私の問題は私が片付けるから」

 

 どうやら意思は固いらしい……なら俺が出来ることは1つだけだ。

 

「はいはいわかったよ、一之瀬さんは本当に我儘なんだから」

 

「あ、あれ、何故か私が悪いような流れになっちゃってる……」

 

「じゃあ代わりに小指を前に出して」

 

「は、小指?」

 

「そう、小指、ほら早く」

 

「……ど、どうぞ」

 

 差し出された小指に、俺は自分の小指を絡ませる。指切りの約束だ。

 

「あ、あの、笹凪くん? えっと、その」

 

「良いかい、俺たちを巻き込みたくないという君の配慮はとても嬉しい。だからその意思を尊重しよう……けれど忘れないで、誰かに頼ることは別に恥ずかしいことでもないし、ダメなんてこともない」

 

 結び合った小指に少しだけ力を籠める。引き千切ったりしないように絶妙な力加減で。

 

「君は君の思うままに戦えばいい……それでもし、もうダメだ限界だって思った時は約束を思い出して欲しい。これは俺の恩師の言葉だけどね、人は約束一つあるかどうかで大きく変わるらしいんだ」

 

「約束?」

 

「あぁ、約束さ……君が困っていたら俺は力になる。そんな約束を俺たちはしただろう?」

 

「えっと……」

 

「ほら、ペーパーシャッフルの時に」

 

「……ぁ」

 

 どうやら思い出したらしい。だから今度は忘れないように指切りをしよう。もし限界まで追い詰められてしまったその時に力となれるように。

 

「あの時の約束をもう一度結ぼう。君がどうしようもない位に挫けてしまったその時は、俺が力になろう……もう駄目だって思ったら、この指切りを思い出してくれ」

 

 結び合った小指を振って指切りげんまんをする俺と一之瀬さん。この約束がいつか力になれるようにと願って。

 

「忘れないでね」

 

「……うん」

 

 コクッと、小さく頷く彼女は、忙しなく視線を彷徨わせていた。右往左往する瞳は俺であったり足元であったりと行ったり来たりしており、最終的には鈴音さんへ向けられた瞬間に、突然に小指を解いてしまう。

 

「ぁ……ご、ごめんね」

 

 そしてわちゃわちゃと両手を動かして何やら慌てると、ぎこちなく体を動かしながら部屋を出て行こうとするのだった。

 

「き、今日はありがとう、またね」

 

 やや強引に話を打ち切って部屋を出て行った一之瀬さんを見送って、とりあえず今日はこれで良しとしよう。本当に助けが必要になった時は向こうから声をかけてくるだろうから。

 

「ふぅ、一先ずは様子見かな。Aクラスの出方を観察しておこう」

 

「……」

 

「それと、学校側の出方も注意が必要だ。場合によっては生徒会なんかも出張って来るだろうしね」

 

「……」

 

「鈴音さん?」

 

「……」

 

 何度話しかけても沈黙しか反応がないので、鈴音さんと向かい合ってみると、彼女は冷たい眼差しを俺に向けていた。

 

「軽薄ね」

 

「な、何故そんな評価が……不当だと思う」

 

「どの口が言うのかしら……許可も無く異性の体に触れるなんて、褒められた行為じゃないわよ」

 

 もの凄い不機嫌だ……いつか桔梗さんとしたデートの後みたいになっている。

 

「ただ指切りしただけじゃないか」

 

「……それが軽薄だと言っているのよ」

 

「ああでもしないと、彼女はきっと自分だけで何もかもを解決しようとした筈だよ」

 

 印象付ける為の行為であったとも言えるだろう。どうしようも無くなったら思い出せるようにと。

 

「ふん……だとしても敵クラスにそこまでする必要があるのかしら」

 

 鈴音さんも一之瀬さんクラスを援護する方針だったんだよね? ここに来てそんな掌が返ししなくても良いと思うけど。

 

「まあまあ、一之瀬さんとの協力関係は何だかんだで必要なことだからさ」

 

 別に同盟関係って訳でもないんだけど、それでも意味も無く敵対する必要もない相手というのはこの学校では貴重だったりする。

 

「あれ、それとも鈴音さん、指切りが羨ましかったりするのかな?」

 

「な、なにを言っているのかしら貴方は、勘違いしないで頂戴、そんな子供じみたことにどうこう思う筈がないでしょう」

 

「そう? 俺はこういうの嫌いじゃないんだけどね……なんかほら、青春っぽいって言うかさ」

 

 そう、同級生と指切りとか、凄く青春的な行動なんじゃないかと思っている。俺はまた一つ高校でやりたいことリストの一つを埋めることができたのだ。

 

 なにより約束は大切だ、結ぶ度に強くなれる気がする。

 

 約束があればやる気に繋がるし、いざという時に力になる。いつだったか出会った少女と結んだ約束は、今でも俺の力になっているのは間違いなく、きっと彼女も同じだと思いたい。

 

 俺との約束を果たしてハリウッド映画にも出るようになったんだ、きっと何かしらの力になれたんだろう。

 

「鈴音さんもする? 何か約束しようよ」

 

 せっかくなので鈴音さんとも青春的行動を満喫したいと思い、彼女の眼前に小指を差し出すと、驚いたように目を見開く。

 

 そしてさっきの一之瀬さんと同じように、忙しなく視線を移動させながら落ち着きがなくなっていった。よしよし、このまま不機嫌な感じもうやむやにしてしまおうじゃないか。

 

「何がいいかな?」

 

「……」

 

 迷いに迷った結果、鈴音さんは何だかんだで小指を前に差し出してくる。

 

 おっかなびっくりといった感じで結び合った小指は、しっかりと繋がり合って互いの熱を感じられることになった。いつか挫けそうな時にはこの温もりを思い出せるだろう。

 

「一緒にAクラスを目指すことにするかい?」

 

「それはもう、わざわざ約束するほどのものでもないでしょう」

 

「かもしれないね、けれど言葉にしてしっかりと約束を結んだ訳じゃないなって思ってさ。小指の約束はとても大切な儀式で、心と魂に刻み込むものだ。軽々しく扱えるものじゃないから、だからこそ改めて結んでおこうかなって」

 

「……そうね。まあ貴方がそこまで言うのなら、結んであげなくもないわ」

 

 照れながらもいつもの鈴音さんらしい言葉遣いで、結んだ小指に力を込めていき、ここに改めて約束が結ばれることになった。

 

 師匠曰く、一度結んだ約束は命に代えても果たすべし。

 

 一之瀬さんの力になる、Aクラスを目指す、こうして小指を結んだ以上は絶対に果たさねばならない契約となった訳だ。

 

「改めて、一緒に頑張ろう。だから鈴音さんも力を貸してくれ」

 

「えぇ……もちろんよ」

 

 

 よし、うやむやになって不機嫌な感じも消えてくれたようだな。それが何よりも重要であった。女の子が悲しんでいたり、怒っていたりする姿はあまり見たくはないので、これで良いのだと思う。

 

 

 

 

 

 




坂柳「合宿であれだけの醜態を晒したのに、よく生徒会長を続けられますね。感服します」

南雲「(#^ω^)ピキピキ」

こんなやりとりが生徒会であったとか無かったとか。


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蹴り飛ばせればそれで全てが解決する、けれど誰もがそれをなせる訳ではない

 

 

 

 

 

 

 現状において俺に出来ることは少ない。一之瀬さんがこの状況に立ち向かう姿勢を見せている以上は、これは一之瀬さんと坂柳さんの戦いでもあるので、下手な横槍は無粋であるとも思うからだ。

 

 しかし坂柳さんは神室さんを動かして間接的に俺も動かそうとしている。この意図が読めなくて不気味であった。

 

 仮に彼女の目的が一之瀬さん、そしてCクラスへの攻撃であるとするならば、余計な第三者の介入など絶対に避けたい筈だろう。だというのに遠回しに動けと誘いをかけてくる。不思議に思うなと言う方が難しい。

 

 一之瀬さんをどう助けるかではなく、坂柳さんがどこを目指しているかの方向性で思考した方が良いのか?

 

 彼女の目的、俺を動かす理由……坂柳さんの利益、そんなことを考えながら美術的活動を行い。残りは部屋に帰ってからやろうと考えた放課後、寮のロビーまで帰って来た時に異変は起こった。

 

 ザワザワと、何やら生徒たちが集まって困惑していたのだ。

 

 クラスを問わず、男女も問わず、何やら紙を眺めながら不安な様子を見せていた。眉を顰める者もいれば、明らかに苛立つ者もいて、穏やかな雰囲気ではない。

 

「清隆」

 

 そんな生徒たちの一人である清隆に声をかける。

 

「何かあったのかい?」

 

「ポストにこんな手紙が投函されていたらしい」

 

 彼が差し出して来たのはどこにでもありそうなコピー用紙であり、中身を確認してみるとあまり笑えない文字が記されているのがわかった。

 

 特に飾り気もなく、どこまでも淡々と、いっそ冷たい印象すら与えるほどに簡素に「一之瀬帆波は犯罪者である」とだけ書かれている。

 

「ん……これだけか。具体的なことは何も書かれてはいないようだけど」

 

「例の誹謗中傷の追加燃料って所か」

 

「だろうね……清隆はどう思う?」

 

「便所の落書きと大差がないと思うが……」

 

「誰も彼もがそう思えたら良いんだけど」

 

 俺と清隆だけでなく、大勢の生徒がこのプリントを見て様々な反応を見せており、その中にはAクラスの生徒もいた。

 

 よく目立つ禿頭と混合合宿で一緒のグループとなっていた戸塚の姿も確認できる。あちらも俺に気が付いたのかこちらに寄って来た。

 

「やあ葛城、戸塚、君たちも確認したみたいだね」

 

「あぁ……一之瀬も呆れていることだろうな」

 

「けど、ここまであからさまな表現で書くと、色々不都合が起こりそうなものですよね。絶対に支障が出ますって」

 

 この二人もプリントの内容に思う所があるのか、眉を顰めて何とも言えない顔になっているな。

 

「こうも個人を名指しして誹謗中傷となると、訴えを起こされても不思議ではないだろうな」

 

「馬鹿ですよねー」

 

「だが……こんな単純なことがわからない人間でもないだろう、アイツは」

 

 戸塚の言葉を否定して葛城は一人のクラスメイトの姿を思い浮かべているようだ。そもそも彼はAクラスなのである程度は坂柳派の動きも感じ取っているのだろう。

 

「葛城、君の方から坂柳さんに忠告できないのかい?」

 

「俺から忠告しておこう……だがあまり期待はするな。アイツはきっとやってないの一点張りだろうからな」

 

 ふむ、今の葛城の発言でAクラスの派閥争いの状況もある程度は察することができるな。彼は坂柳さんに忠告できるくらいの発言力はあるらしい。ここ最近は押され気味であるとは聞いてはいるが、完全に押し切られている訳ではないらしい。

 

 さて勢力差はどれくらいだろうと想像してみるが、体育祭の時は六対四と言った感じだったのでそれが逆転しているくらいだろうか。

 

「俺としても放置はできないが、こちらの言うことを素直に聞くヤツでもない……大きな動きがあるとしても、一之瀬次第となるだろう」

 

「まあそうか、一之瀬さんが訴えればそれで済む話だね」

 

 それで学校側が介入すれば全て終わる話だ。おそらく決定的な証拠なんて出て来ないだろうし、清隆の言う通り便所の落書きみたいなものなので効果のほどはわからないが、それでもここまで大胆に動けなくなるだろう。

 

 本当に、ただそれだけで済む話ではある……そして、それが出来ないのが一之瀬さんだとわかっているのかもしれないな。

 

「一之瀬が帰って来たようだぞ」

 

 清隆の声に視線は寮の玄関へと向かった。そこには少し焦った様子で寮のロビーに入って来た一之瀬さんの姿があった。クラスメイトから連絡を受けて急遽戻って来たようだ。

 

 そんな彼女にクラスメイトの一人が悲痛な顔をしながらプリントを渡して、彼女に状況の説明を行っているのが見えてしまう。

 

「……」

 

 そして彼女は絶句した。揺れる瞳で何十秒も記されている内容を確認してから、喉を鳴らしてこう訊ねる。

 

「……これがポストに?」

 

「うん……酷い事するよね。多分一年全員に……」

 

 もしかして俺のポストにも入っているのだろうか、もし一つ一つに投函したのだとしたら大層な手間だった。悪意と目的をしっかりと持たなければまず行わない行動だな。

 

「ねえ、もう我慢する必要ないよ。先生に相談しよう? こんなの許せない」

 

 Cクラスの、確か網倉麻子さんだったかな。一之瀬さんと近しい生徒が悲し気な顔をしながらそう言えば、同調するように他のクラスメイトも頷いていく。

 

「そうだよ。先生たちなら、きっと犯人を見つけてくれるよ!!」

 

「大丈夫。私、これくらいのこと気にしないから」

 

 一之瀬さんは気が付いていないのかもしれない。そういった自分の表情が少しだけ陰りがあることに。

 

「だ、ダメだよ。これじゃ帆波ちゃん、どんどん悪い噂広まっちゃう」

 

「皆ごめんね、私のことで変に気を使わせちゃって。でも、本当に気にしないで」

 

 そうもいかないのが友人であり、クラスメイトであるのだが、変に頑なな様子を見せる彼女に誰もが言葉を閉ざす。

 

 あくまで耐え忍ぶ方針であるらしい。もしくは訴えに出れない事情が彼女にはあるのだろうか?

 

 何であれ今回の一件は一之瀬さんがどこにボールを投げるかが重要になってくる。俺としては坂柳さんの顔面に全力で投げ返せば良いと思うのだけど、それが出来ないのが一之瀬さんである。

 

 驚き、困惑して、瞳を揺らす一之瀬さんは、それでもそれら全てを覆い隠すかのように笑顔を見せてクラスメイトたちを気丈な振る舞いを見せているのだが、足を踏み外したかのような違和感はどうしても拭えない。

 

「一之瀬さん」

 

 そんな彼女に声をかけると、ビクッと体を反応させて少しだけ怯えられてしまった。

 

「あ、笹凪くん……えっと、これは、その……」

 

「便所の落書きみたいなものさ、あまり気にしても仕方がないよ」

 

「そうだね……その通りだよ」

 

 そう思うんなら、もっと元気な顔を見せて欲しい。

 

 俺は彼女の眼前に自分の小指を持っていき、ピコピコと揺らして見せた。

 

「忘れないで、指切りはとても大切な結びつきだ……少なくとも俺は忘れていないからね」

 

「……うん」

 

 ほんの僅かにだが調子が戻った……とは口が裂けても言えないが、大事な時に思い出せるくらいには印象付けられたのかもしれない。

 

 この戦いはあくまで一之瀬さんのものだ。出来る事ならば彼女自身の力で何もかもを吹き飛ばして突き進んで欲しいと思っている。指切りの約束はいざという時の為の保険であることが好ましい。

 

 雑音も、つまらない誹謗中傷も、悪意や挑発も、全てを乗り越えてこれが私の実力なんだと言い切れることを俺は望んでいた。

 

 

 

 望んでいたのだが、一之瀬さんが次の日に学校に来ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「坂柳さんの目的が不明なんだよね」

 

 一之瀬さんが体調を崩して学校を休んでいると言う噂が広がって暫く、高校生にとっては特別な日となる今日はバレンタインデー。男子生徒にとっては何だかんだで期待と願いに胸を膨らませる日であるのだが、そんな日に最初に顔を合せた相手は清隆であった。

 

 寮から出てロビーで待っていると清隆も登校する為に当然現れる。なので二人並んで学校へ向かう途中にそんな相談を彼にしていた。

 

「一之瀬を貶めて、Cクラスにダメージを与えることなんじゃないのか?」

 

「それはそうなんだろうけど、神室さんを操って俺を動かそうとしてるみたいでね……あ~、神室さんって誰かわかるかな?」

 

「あぁ、知っている。坂柳の手下だろ……万び――いや、何でもない」

 

 清隆も神室さんのことは知っているらしい。どこかで接触する機会があったのかもしれない。

 

「その神室さんがね、坂柳さんの指示で遠回しに俺を動かそうとしてるみたいでさ」

 

 そう伝えると清隆は思案顔になる。

 

「だとしたら妙な話だ、わざわざ邪魔しろだなんて言うのはな」

 

「ん、そうだよね」

 

「坂柳の目的は、一之瀬ではなく他にあるのかもしれないな」

 

「結局、そこに行き着いてしまうか」

 

「何か思い当たることはないのか?」

 

「残念ながら何にも。ダンスの誘いなら正面から来て欲しいもんだよ。こんな遠回りしなくても滑稽に踊って笑われてあげるのに……あぁ、でも、一つだけ思い出したことがあるかな。混合合宿の時に坂柳さんと話す機会があったんだけど、その時に彼女にこう言われたんだ。誰かの苦労を背負えるようなお節介に期待しますって」

 

「そんなことを期待されても困るだろ」

 

「そうかな、俺は嬉しいけどね」

 

 こちらの言葉が上手く伝わらなかったのか、清隆は少しだけ怪訝そうな顔をした。

 

「誰かの苦労を背負えるなんて、凄くカッコいいじゃないか」

 

「そうだった……お前はそういう奴だったな」

 

 少しだけ呆れたような顔をされてしまった。偶に彼はこういう表情を見せて来る。

 

「坂柳の目的はそこにあるのかもな」

 

「ん? どういうことかな?」

 

「そのままの意味だ」

 

 よくわからない言葉である。俺は別に苦労を押し付けられることは構わないし、寧ろ嬉しいくらいなんだが。

 

「どうであれ、さっさと一之瀬を助けておけ。取り返しがつかなくなる前にだ」

 

「清隆も手伝って欲しい」

 

「今回の件で俺に出来ることは正直少ないが……そうだな、より大きな噂で押し流すというのはどうだ? 要は、一之瀬への誹謗中傷が霞むくらいに事を大きくすればいい」

 

「噂と誹謗中傷の拡大を、それも無差別にってことだね」

 

 相変わらず性格の悪い作戦を思いつく男である。南雲先輩を嵌めた時もラスボスみたいな顔をしていたので、そういう役回りがとても上手いのだろう。

 

「ああ、事が大きくなれば学校や生徒会も動かざるを得ない。それくらい一年全体を炎上させれば坂柳も黙ると思うが……いや、目的が一之瀬でないのなら手段が変わるだけか」

 

 手段が変わるか、誹謗中傷ではなく他の方法で一之瀬さんを追い込むことになると彼は考えているらしい。

 

「一之瀬さんが力強く蹴り飛ばしてくれればそれで全部解決なんだけどね」

 

「そうだな、それが一番話が早い」

 

 学校の玄関に入るとどこか色めきだった空気を感じ取る。こればかりはやはり独特のものなのだろうな。何を隠そう俺も少しドキドキしてたりするんだよね。

 

 二月十四日、男子にとっても女子にとっても、特別な日なのだから。

 

 毎年師匠からチョコは貰っていたけど、今年は学園生活の真っ只中なので例年のようにはならないと期待してしまう。

 

「ふふふ、清隆。今日はバレンタインデーだよ」

 

「別に普段と変わらない日だと思うが」

 

「ほほう、全く欠片も意識していないと言うのかい」

 

「……そうだと言えば嘘になるな」

 

「ん、正直でよろしい……やっぱり高校生なんだしさ、こういうイベントでドキドキしたいもんだよね。高校生らしさっていうのを凄く感じられる日だと思うんだ」

 

「天武はチョコが欲しいのか?」

 

「もちろんだ。女子からチョコを貰えると嬉しい、もし戦果が一つも無かったとしてもそれはそれで青春って感じだ。どちらに転んでも俺は今、凄く高校生だって思える完璧な日じゃないか」

 

「ならさっそく貰ってくると良い」

 

「え?」

 

 下駄箱で靴を履き替えながらそんなことを話していると、清隆が廊下の方に視線をやると、そこには一人の女生徒が立っていた。

 

 この日特有の、浮ついた空気を醸し出させているのは、なんと龍園クラスの生徒である。直接的な絡みはほぼ皆無であるが、体育祭の一件で少しだけ会話したことがある女子生徒だ。

 

 彼女は木下さん。可哀想にも龍園に足を怪我させられて脅しの材料にされてしまった子であり、ほんの僅かにだがあの時に会話したことがあるな。

 

「あの、笹凪くん……これ、あの時のお礼というか、謝罪というか……受け取って欲しいな」

 

 照れた様子でチョコが入っているであろう小包を差し出してくる木下さんを見て、俺は今日が最高の日になると確信するのだった。

 

 甘党であり青春渇望症の俺にとって、バレンタインデーは最高の日なのかもしれない。

 

「ありがとう木下さん、凄く嬉しいよ」

 

「あ、名前、知っててくれたんだ」

 

「もちろんさ」

 

「あはは……なんか照れちゃうな」

 

 恥ずかしがってモジモジと体を揺らす木下さんは、俺がチョコを受け取ったことに満足して、踵を返して校舎の奥に足早に去っていくのだった。

 

「清隆……俺はこの学校に来て、本当に良かったと思っている」

 

「そ、そうか……そこまで喜んでもらえるなら相手も本望だろう」

 

 甘党万歳な日である。師匠から毎年貰ってはいたけれど、他の人から貰ったことはないから、とても新鮮な気分になっていた。

 

 幸福はここにある。これでこその高校生とさえ言えるだろう。この殺伐とした学校で唯一の癒しかもしれない。

 

「今日は幾つ貰えるかな。せっかくだから競走でもするかい?」

 

「勘弁してくれ、そんなことで競い合うつもりはない」

 

「そうか……貰ったチョコの数で一喜一憂するのも青春っぽいと思ってたんだけど」

 

「お前の青春観はどこか中学生だな」

 

 そうなのだろうか……言われてみると確かにそうなのかもしれない。

 

「しかしあれだな、オレもチョコを貰えたりするんだろうか」

 

「貰えるさ、佐倉さんとか軽井沢さんとか波瑠加さんとか。後は、桔梗さんとか」

 

「櫛田辺りは知り合いの男子全員に渡しそうだから……希望はあるか」

 

 何だかんだで清隆もバレンタインデーを楽しもうとしているのかもしれない。ホワイトルームではチョコは貰えなかったんだろうか? だとしたらとても悲しい空間と言うしかない。

 

 二人並んで教室に向かう途中、正統派イケメンの平田が女子に囲まれてチョコを貰っているのを確認して、微笑ましい気分になりながらも教室の扉を開くと、やはりここも普段と空気が違っていた。

 

 男子も、女子もだ。これぞ俺が想像していたバレンタインデーそのものである。

 

「おう来たか綾小路、笹凪、お前らもちょっとこっちに来いよ」

 

 そしてこういう日に、男子たちで戦果を確認して一喜一憂するのも青春あるあるだと聞いていたので、須藤に呼ばれて俺はルンルン気分で近づいていった。

 

「それでどうだ……チョコ、貰ったのか?」

 

「ふッ」

 

「な、その余裕の笑みは、まさかッ」

 

「バレンタインデー……実に良い」

 

 池と山内と須藤から悔し気な声が漏れ出る。

 

「ま、まさかとは思うけどよ……それって鈴音から貰ったヤツじゃないよな?」

 

「いや、残念だけど鈴音さんからじゃないよ。そもそも彼女はこういうイベントにそこまで積極的じゃないと思うけど」

 

 実際の所はどうなんだろうか? 視線を鈴音さんの席に向けてみると、彼女はいつものように読書をしながらホームルームが始まるまでの時間を潰しており、普段と何も変わらない様子であった。

 

 まあ貰えたら嬉しいけど、高望みだけはしないように心掛けておこう。

 

 鈴音さんの左前、つまりは清隆の一つ前の席に座ると同時に、教室の扉が開いて大きな包みを抱えた桔梗さんが姿を現した瞬間に、Bクラス男子の大半が待ってましたとばかりに興奮を露わにした。

 

 そう、我がクラスには最終手段として桔梗さんがいるのだ。これで戦果がゼロという悲惨で無様な結果にはならないだろう。たとえ完全完璧な義理チョコだったとしても。

 

「き、桔梗ちゃんッ」

 

「待ってた、待ってたよ!!」

 

 バレンタインデーであっても普段と変わらないと投げやりになっていた男子たちは、ニコニコと笑う桔梗さんが天使に見えた筈だ。

 

「あはは、そこまで期待されちゃうと、ちょっと困っちゃうな」

 

 そう言いながらも抱えていた袋の中から彼女はしっかりとチョコが入った小包を取り出してありがたいことに男子たちに一つ一つ配っていく。

 

 特に何か特別感のない、既製品のチョコではある上に、全員が平等であることは間違いない。言ってしまえばこれ以上ないくらい義理チョコであるのだが、それでも男にとっては嬉しい。

 

 池は興奮して何やら篠原さんに睨まれているし、山内は最近は愛里さんに夢中だったというのに鼻の下を伸ばしている。須藤でさえ少し照れた様子で受け取っていた。

 

 そんな風に一つ一つ男子たちのチョコを配っていき、いよいよ俺の所まで桔梗さんが近づいて来た所で一つ飛ばされてしまった――――あれ?

 

「はい、綾小路くん」

 

「ありがとう櫛田」

 

 俺の一つ後ろの席からそんな会話が聞こえて来る……悲しいなあ、俺は桔梗さんから嫌われてしまったのだろうか。確かに色々あったけど最終的には認め合えたと思っていたんだけどな。

 

 なんだか悲しい気分になりながら地を這う芋虫のことを考えていると、クスクスとした笑い声が耳に届く。

 

 少し振り返ってみると悪戯が成功した子供みたいな顔をする桔梗さんがいた。

 

「はい、天武くんにも」

 

「ありがとう……もしかしたら貰えないんじゃないかと、君を疑ってしまった俺は最低な男だと思う」

 

「もう、ちょっと揶揄っただけだよ――」

 

 桔梗さんはそこで言葉を区切り、俺の耳に口元を近づけてこう囁いてくる。

 

「それに、天武くんのはちょっとだけ特別かも……どこが違うかは、自分で確かめてみてね」

 

 ニコニコと可愛らしく笑いながら、去り際に鈴音さんにいつも通り挑発的な流し目を送ってから彼女は自分の席に戻っていく。

 

 手渡された小包は皆が貰った物と大差がないように思えるが、よく観察してみると小包に結ばれたリボンの色が違うようだ。ちょっとだけ豪華で色違いなそれは、皆のアイドルである彼女ができる細やかな演出ということだろう。

 

 可愛らしい人である。でも鈴音さんを挑発して不機嫌にさせるのは止めて欲しい。

 

「笹凪くん、戦果はどんな感じ?」

 

 今度は松下さんが声をかけてくる。ちょっとこちらを挑発するような物言いは、チョコが一つも貰えてない場合は悲しい気持ちになったかもしれないが、今の俺には余裕があるので涼しいものだ。

 

「ぼちぼちかな」

 

「その様子だと良い感じみたいだね。じゃあ私からも、Bクラス女子チームを代表して、日ごろの感謝をどうぞ」

 

 どうやら彼女は複数の女子たちの代表としてチョコを渡す役目があるらしい。机の上に置かれたチョコは幾人かが合同でポイントを出し合った物とのこと。

 

「ありがとう」

 

「ふふ、因みに私のチョコはこれだから、ホワイトデーは三倍で宜しくね」

 

 少し大きめのビニール袋の一角を指差してそう主張してくる松下さんは期待に満ちた瞳をしている。これは返礼をしっかりと選ばないといけないらしい。

 

「そういう作法らしいね、期待しておいてよ」

 

「うん、楽しみにしてる」

 

 やはりバレンタインデーは良いものだ。これぞ青春という時間を味わえる。

 

 午前中でこれなのだから、午後からも期待できるかもしれない。この高校に来て一番楽しんでいるかもしれないな。

 

 

 

 

 



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バレンタインデー

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は特別な一日だ。それは男子もそうだし女子だって変わらない。なんだったらこの日を切っ掛けに交際する男女だっているだろう。男子たちはわかりやすくソワソワしているし、女子だっていつもより色めきだっている。

 

 そんな中でも関係がないとばかりに日常を貫くのが鈴音さんである。もしかしたら彼女からもチョコが貰えるんじゃないかと淡い期待をしていたのだが、放課後になるまで何も無かったので、本当に無いんだろう。

 

 まあこればかりは仕方がない。ねだって貰える物でもないのだ。貰えないなら貰えないでやきもきするのも青春っぽいのでこれはこれで良しとするか。

 

 けれど鈴音さん以外からの収穫はあった。クラスの女子チームたちからも恵んで貰えたし、あまり関わりがない筈の他クラスの女子からも何だかんだでチョコを渡されたのには驚いた。

 

 ただしどうした訳かおっかなびっくりと言うか、もの凄く遠慮がちに渡される場合が多い。平田のようにキャーキャー色めきだった雰囲気は皆無で、変な覚悟を決めたような顔で渡されてしまう。

 

 美術部で交流のあった上級生なんかも同様だ。俺にチョコを渡すのはどこかハードルが高いと思われているらしい。強敵に挑む覚悟のようなものを試されているのだろうか。

 

 後、美術部と言えば神室さんからもチョコを貰えた。彼女はくれないのだろうかとチラチラ視線を送っていたら、神室さんから「欲しいの?」と聞かれて「もちろんだ」と答えると、安物のチョコを投げつけられた……やったぜ。

 

 他の美術部の先輩たちと違って、もの凄く雑な感じで投げつけられたので、そんな気安い対応がちょっと安心できてしまった。

 

 俺はもしかしたら女子から怖いと思われているのだろうか? そうでなくともあまり踏み込めない類の人間だと認識されているのかもしれない。

 

 そう言えば以前に波瑠加さんが言っていたな、色々とアレ過ぎて付き合うことを上手く想像できないと。

 

 それでもチョコを渡してくれた子たちは、波瑠加さんのいうアレとやらを乗り越えた上で恵んでくれたということだろうか?

 

 チョコを渡すのに覚悟がいる相手と思われるのは、喜ぶべきか悲しむべきかよくわからないな。

 

 とはいえ今日はバレンタインデー、何だかんだでチョコが貰えるのはやっぱり嬉しい。これぞまさに青春であった。

 

「平田、大収穫みたいじゃないか」

 

 放課後になり、今日の成果に満足していると、階段の踊り場で女子からチョコを貰っていた平田を発見したので声をかける。

 

 すると彼は少しだけ困ったような顔をしながらも、受け取ったチョコを鞄に丁寧に入れて笑ってくれた。

 

「あはは……嬉しくはあるんだけど、ちょっと時期がね」

 

「まあ軽井沢さんと別れたばかりだから、大喜びとはいかないか」

 

「うん。流石にね……笹凪くんもチョコを沢山貰ったんじゃないかな?」

 

「君ほどじゃないさ」

 

 実際に平田は彼女である軽井沢さんと別れたことで一気に女子からのアピールが増えた。チョコだってその一つであった。

 

「軽井沢さんに関してはあまり心配する必要はない。彼女も言っていたが、しっかりと次に進もうとしているからさ」

 

 彼にそう伝えると、少しだけ驚いた顔を見せてから、安心したように笑顔を作る。

 

「笹凪くんは知っていたんだね。僕と彼女が付き合っているフリをしてたって」

 

「ああ、それを踏まえた上で、大丈夫だと言っている……平田はどうにも自分の中で色々なことを抱え込もうとするタイプみたいだからな、気に病む必要も無いぞ。軽井沢さんだけじゃなくて、クラスメイトはそれぞれ成長しているからな」

 

「そっか……うん、そうだね。僕のお節介もその内必要がなくなるのかもね」

 

「でも誤解はしないで欲しい……君のお節介は、とても尊く重要なものだって俺は思っている」

 

 それができない人よりも、できる人の方がずっとカッコいい。正義の味方を目指す俺が否定できる筈もなかった。

 

「だからクラスメイトを代表して言わせてくれ、いつも感謝しているよ」

 

 これは嘘偽りない気持ちであり、クラスメイト全員の平田への評価であり言葉である。誰も面と向かって伝えないのでオレから言っておこう。

 

 彼はキョトンとした表情を見せてから、やはり安心したように笑ってくれた。

 

「こちらこそだよ。笹凪くんがこのクラスにいてくれて本当に良かったと思っているんだ……本当に、何度もそう思ったよ」

 

「そう言われると照れるな」

 

「ふふ、でも皆そう思っている筈だよ」

 

「だとしたら嬉しい限りだ」

 

 この様子だと平田は大丈夫そうだな。元からそこまで心配はしていなかったが、ふさぎ込んだり落ち込んだりはしていないようだ。そもそも軽井沢さんとは偽のカップルだったので別れた所でそこまで深刻になる必要もなかったか。

 

「伝えたかったのはそれだけだ。これからも宜しく頼むよ」

 

「うん、一緒に頑張ろう」

 

 最後に女子たちを色めき立たせるとびっきりの笑顔を見せてくれた平田は、少しだけ気が楽になったのか軽い足取りでグラウンドに向かって部活に勤しむようだった。

 

 だがその途中でまた他クラスの女子に声をかけられてチョコを貰っていたので、放課後になってもなかなか身軽にとはいかないらしい。

 

 そんな平田を見送ってから俺もまた寮を目指す、一旦荷物を置いてから清隆グループと合流するつもりだったのだが、その途中で足を止めざるを得ない状況に出くわしてしまう。

 

「……はぁ」

 

 少し暗い顔をした軽井沢さんがトボトボとした様子で歩きながら、寮への帰路を進んでいる。それも重たい溜息交じりで。

 

 どうやら平田よりもこっちの方が重症みたいだな。

 

「軽井沢さん」

 

「え、あ……天武くん」

 

「重たい溜息だったよ、どうかしたのかい?」

 

 彼女の隣に並んで同じように寮を目指す。

 

「えっと……別に大したことはないけどさ」

 

「なるほど、清隆にチョコを渡すタイミングを見失って放課後まで来てしまったと」

 

「そ、そんなこと言ってないしッ」

 

「顔にそう書いてあったよ」

 

「……むぐぐ」

 

「ふふ。それで、渡さないのかい?」

 

 渡せないからあんな重たい溜息だったのだろう。そう考えるとなんとも可愛らしいと思う。

 

「は、はぁッ!? なんであたしがアイツにチョコを上げなくちゃならない訳? 天武くん、勘違いしてるから」

 

「かもしれないね……あぁでも、愛里さんはきっとこの後に、清隆に渡してるんじゃないかな」

 

 この後、グループに合流する予定なので、そこで間違いなく渡される筈だ。俺もおこぼれに預かれるかもしれない。波瑠加さんからも貰えると嬉しいな。バレンタインデーに貰えるチョコは言わば勲章のようなもの、どれだけあっても嬉しいものである。

 

「へ、へぇ~、佐倉さんがね……なんかさ、あの子、急に可愛くなったじゃない? イメチェンしてさ」

 

「あぁ」

 

「それってさ、やっぱり……」

 

 その先を言葉にすることはなく、軽井沢さんは落ち着きなく視線を彷徨わせてしまう。

 

「その先を俺から言葉にすることはできないし、きっと意味もない。重要なのは愛里さんは間違いなくチョコを渡すっていう事実だけさ……それで、軽井沢さんはどうするんだい?」

 

「ど、どうもなにも……そもそもチョコなんて用意してないって」

 

 しかし軽井沢さんは手に持っていた鞄を俺から遠ざけるかのように反対の肩に引っ掛けてぶら下げてしまう。見られたくないものでもあるかのように。

 

 可愛らしい子だと思う。愛里さんもそうだけどどうしても応援したくなってしまうな。

 

 俺は別にどちらの味方と言う訳でもないので、どちらにも頑張って欲しいと考えてしまう……最終的にどうなるのかはわからないが、こういう悩みや人間関係も高校生らしいと言えるので眺めている分には面白い。

 

「そうか、でも清隆は軽井沢さんから貰えれば、きっと嬉しいと思うんだけどね」

 

「そ、そうかな? いや、まあ渡す予定なんて全然これっぽちも無いんだけどさ」

 

「きっと泣いて喜んで土下座するだろうから、一つくらい恵んであげなよ」

 

「恵んであげるか……ま、まあそれなら、うん、一つくらいはね」

 

「あぁ、そうすると良い」

 

 すると軽井沢さんは鞄の中にあるであろうチョコに意識を向けていく。迷いながらもしっかりと前に進もうとしているようだ。

 

 本当に、傍から眺めている分には本当に面白い人たちである。

 

 けれどふと、こんなことを思う……清隆の背景を知っている身としては、彼女らに先があるのだろうかと。

 

 仮にもし上手く関係を深めて恋人になり、結ばれたとしても、その先に待っているのは学生にはどうすることも出来ない現実である。逃避行など現実的ではない。

 

 だから彼女たちの背中を押しても良いのかという、迷いと躊躇が生まれてしまった。

 

「いや……考えても意味はないか」

 

 数年先の未来を案じて高校生活ができるものかという雑な結論が出てしまう。それに最終的には卒業と同時にホワイトルームを消滅させて清隆のお父さんを再起不能にすればいいだけの話なので、難しく考える必要もない。物事はシンプルが一番である。

 

 清隆から色々と聞いておいて、今からホワイトルームの関係者にタグ付けして細かい方針と作戦でも考えておこう。

 

 卒業と同時に関係施設と関係者の襲撃が理想だな。まだ時間はあると思うのでゆっくりと進めていくと心に決めた。

 

「まあ頑張りなよ。清隆は強敵で、ライバルも多いけど」

 

「だ、だから誤解だし……」

 

「ん、そういうことにしておこう」

 

 彼女の背中を少しだけ押すことに俺は決めた。将来の不安や面倒事は、俺が背負えば解決する筈だ。正義の味方がそれくらいできなくてどうするのだという結論だった。

 

「あ、清隆だ」

 

「うぇッ!?」

 

 寮のロビーまで移動すると、都合よく清隆の背中が見える。同時に特徴的な黒いロングヘア―の鈴音さんの姿もあった。二人はエレベーター前で話し合っているようだ。

 

 ここからでは上手く会話は拾えないが、清隆がなにやら鈴音さんを挑発しているようにも見えるな。

 

「ほら、軽井沢さん。清隆にチョコをあげ……いや、恵んであげなよ」

 

 前に押し出すように彼女の背中を押すと、遂に観念したのか覚悟を決めて軽井沢さんは清隆に近づいていくのだった。

 

 後は二人の問題だ。どうなるにせよ頑張って欲しいと願うしかない。

 

 寮のエレベーターに近づいていくとあちらもこっちに気が付いたのか、清隆は鈴音さんの背中をやや雑に押してしまう。

 

「ち、ちょっと綾小路くん……」

 

「もう言い訳は十分だ、チョコなんて誕生日プレゼントを渡すのと変わらないだろ。面倒だからさっさと終わらせてくれ」

 

 何とも不思議な光景であると思う。俺は軽井沢さんの背中を押して、清隆は鈴音さんの背中を押している……うん? どういう状況だ?

 

 そうなると必然、向かい合うのは背中を押された軽井沢さんと鈴音さんである。彼女たちもどうしてこうなったと言いたそうな顔をしていた。

 

「天武」

 

「清隆」

 

「堀北が渡したい物があるそうだ」

 

「軽井沢さんが渡したい物があるみたいだよ」

 

「「……ん?」」

 

 全く同じタイミングで似たようなことを言った俺たちは、同じように首を傾げてしまう。

 

 どうしてこんな状況なのかはわからないが、つまりお互いに背中を押している相手と話さなければならないらしい。

 

 なので俺は軽井沢さんを清隆に押し付けて、代わりに鈴音さんを受け取ることになる。当然ながらあちらは軽井沢さんを受け取った。

 

 まああちらは清隆に任せても問題はないだろう。目の前にいる柳眉を逆立てている鈴音さんに比べれば些細な問題なのだから。

 

「え~っと……鈴音さん、どうしたのかな?」

 

「別に、どうもこうもないのだけれど……綾小路くんが似合わない世話を焼いて来たのよ」

 

 少しだけ視線を彷徨わせてそう言う彼女は、先ほどまでの軽井沢さんと同じように鞄の中にある何かに意識を向けているようにも思えた。

 

「そうだ、鈴音さん。ちょっと俺の部屋まで来てくれないかな。君に渡しておきたい物があるんだ」

 

 せっかくの機会なので俺も彼女にある物を渡しておこう。バレンタインデーに男から渡すというのもアレなのだが、明日渡しても今日渡しても大差がないだろう。

 

「あ、貴方の部屋に?」

 

「あぁ、少し散らかってるけどね」

 

 清隆と軽井沢さんは寮のロビーに放置して、俺と鈴音さんはエレベーターに乗って部屋へと向かう。

 

 女子生徒の部屋に男子が向かうと時間によっては罰則があるのに、逆だとそれが無いらしい。そう考えると気楽に呼べるような気がするな。

 

 俺の少し後ろを歩く鈴音さんがやけに静かだったので振り向いて確信してみると、あちらもこちらを見つめてみたのか視線が結び合うのだが、気まずそうに逸らされてしまう。

 

 なんだか今日の彼女は変な雰囲気だな。怒るでもなく苛立つでも無く、とても不安定で心配になってくる。それでも俺の部屋まで付いてきてくれたが、こんなことならちゃんと整理整頓しておけばよかったと今更ながら後悔してしまった。

 

「どうぞ、さっきも言ったけどちょっと散らかってるけど許して欲しい」

 

 扉を開いて中に入ると、まず香木の匂いが漂ってくる。同時に僅かな線香と絵具の匂いも。

 

 少し奥に入るとそれはもう様々な作品が待ち受けており、正直私室と言うよりアトリエのような感じになってしまっている。大半がマネーロンダリング用の作品であるが、中には完全に趣味で作った作品も混じっていた。

 

「確かに散らかっているわね……絵画に彫刻に、これは3Dプリンターかしら。よくもまあ部屋をここまで狭く出来たものだわ」

 

「本当にごめん、これでも一応は片付けているんだけどさ」

 

 俺の部屋の惨状に、感心したような呆れたような顔をする鈴音さんは、作品を崩したり踏みつけたりしないように奥に進み、どこか落ち着きなく用意した椅子に座った。

 

「何か飲むかい? ご要望は?」

 

「え……そうね、コーヒーを頂けるかしら」

 

「お任せあれ」

 

 幸いにも台所へ続く道は常に確保している。無数の作品が作る道を通っておもてなしの準備を進めるとしよう。

 

 ただ凝った物ではなく手軽な奴であるのでそこまで手間でもない。待たせるのも悪いので手早く済ませよう。

 

「きゃッ!!」

 

 なんだか鈴音さんらしくない可愛らしい声が台所に届く。

 

「どうかしたのかい?」

 

「い、いえ、ごめんなさい……この小物が気になって、つい」

 

 小物なんて山ほど作ったからどれかわからないな。チェスの駒とか小さな彫刻とかだろうか。

 

「あの、崩れてしまったのだけれど、これはどうすればいいかしら……」

 

「あまり気にしなくていいよ、雑に置いておいた俺が悪いからね」

 

 実際に俺も何度か崩壊させたことがあるので彼女を責めることはできない。そろそろ本当にこの作品たちを外に放出しないといけないだろうな……次から輸出を増やそう。

 

 もしかしたら南雲先輩が俺の資金力を警戒してポイントの会得方法を調べ、面倒な圧力をかけてくるかもしれないから、次が最後と考えて一気に引っ張って来ることも考えないといけない。目立たないように小分けにしようと思っていたけど、億単位のやりとりはもうどうしたって目立つから開き直るしかないな。

 

 24億は1つの目安ではあるが、急にポイントを求められる展開や作戦運用に必要になってくることもありえるので、あるだけ引っ張ってくるとしよう。

 

 そしたらこの部屋も少しは片付く筈だ。鈴音さんを招いてもドンガラガッシャンと何かを崩す音だって広がらない筈だ。

 

「はい、お待たせ。ミルクと砂糖はお好きにどうぞ」

 

「ありがとう……それと、ごめんなさい」

 

 コーヒーとミルクと砂糖を持って台所からリビングに戻ると、そこでは鈴音さんが崩してしまったと思われる小さな作品たちが崩れて散らばっているのが確認できた。チェスの駒だったり、小さな仏像だったり、変なオブジェだったりと色々だ。

 

 元々、いつ崩れてもおかしくないくらいに雑に固めて積んでいたので、なるべくしてなったと表現すべきだろう。きっと明日には俺が崩していたのかもしれない。

 

「いいさ、少し散らかっても今更だろうしね」

 

 そろそろ本当に片付けないといけないだろうな。

 

 鈴音さんにコーヒーカップを渡して砂糖とミルクは作業台の上になんとか置くことができた。小さな小物を雑に横に避ければとりあえずそれ位のスペースが作れたからだ。

 

 お互いにコーヒーを飲んで落ち着いた段階で、ようやく本題を切り出すことが出来るようになる。

 

「それで鈴音さん、さっき清隆が言っていたことなんだけど」

 

 その言葉に彼女は僅かに緊張を高めた様子となってしまう。不機嫌とかそういったものではなく、どちらかと言えば照れているようにも見える。

 

「はぁ……この程度のことでいつまでも迷うなんて私らしくもないわよね」

 

「まだ本題は言葉にしていないけど……確かに君らしくはないのかもしれないね」

 

「綾小路くんの柄にもないお節介も困ったものだわ」

 

「そうだね、困ったものだね」

 

「……」

 

「……」

 

 最終的に俺と彼女は見つめ合って無言になってしまう。そんな沈黙に耐え切れなかったのか、鈴音さんは遂に鞄の中に手を入れて小包を取り出した。

 

「天武くん……チョコ、欲しいかしら?」

 

「もちろんだとも」

 

「そう、でも軽薄な貴方はどうせそれなりの数を貰ったのでしょうね」

 

「でも鈴音さんからは貰っていないよ」

 

「一つ二つあれば十分でしょう」

 

「貰えないと寂しい気分になってしまうよ……まあ君はこういったイベントごとにあまり乗るタイプにも見えないから、仕方がないとは思ってたんだけどさ」

 

 でも男だからね、どうしても期待して浮かれてしまうんだ。許して欲しい。

 

「そ、そう……寂しいとまで言うのなら、考えてあげなくもないわね」

 

 なるほど、どうやら鈴音さんは自分のキャラに合わないことを理解しているらしい。確かに彼女がバレンタインデーにチョコを贈るというのはどこか似合わない。

 

 その自覚があるからなのか、チョコを出し渋っているらしい。俺は凄く嬉しくて欲しいチョコだけど、それを手に入れるには鈴音さんが渡してくれる言い訳作りが必要なのかもしれない。

 

「欲しくて堪らないよ!! 鈴音さんが恵んでくれるのなら凄く嬉しいからね!!」

 

 気が付くと俺は気合を込めて言い訳作りをしていた。鈴音さんがチョコを渡しやすいように下手になって要求するのだ。バレンタインデーにチョコを貰えるという状況に男は逆らえないらしい。

 

「ふ、ふふ……わかった。そこまで言うのなら、恵んであげましょう」

 

 鞄の中から取り出された小包は俺に手渡された。小さな物ではあるがなんだか見た目以上に価値があるように思えた。言ってしまえば交渉の末に手に入れた戦利品とも言えるからな。

 

「ありがとう……凄く嬉しいよ」

 

 ちゃんと用意していてくれたのか、ならもっと早く恵んで欲しかったと言うのはきっと野暮なんだろう。

 

「日頃の感謝を忘れるほど、薄情ではないつもりよ……チョコくらい用意するわ」

 

「うん、鈴音さんが優しい人だというのは知っているよ」

 

「……そういうことを面と向かって言うのは、止めなさい」

 

 褒められ慣れていない彼女はこういう言葉に弱い。ここ一年ほどの付き合いで俺はそれをしっかりと理解しているのだ。

 

「まあ貴方は、貰いすぎて不要かもしれないけれどね」

 

 あれ、ほっこりとした雰囲気がいつの間にか険悪な感じになっている。さっきまで照れていた鈴音さんはムスッとした顔になっていた。

 

 これは拙いな。彼女が照れる言葉もここ一年ほどでしっかりと理解できたのだが、不機嫌になる様子や言葉だってしっかりと理解できている。このまま流れに身を任すと鈴音さんは機嫌を悪くするとわかってしまった。

 

 こういう時は、この前の指切りのように、完全に不機嫌になる前に行動に移すのが重要である。それもまたこれまでの付き合いで理解したことであった。

 

 俺はすぐさま台所に移動して、冷蔵庫の低温保管室に置いてあったお高めのチョコの詰め合わせを取り出すと、それを素早く鈴音さんに手渡すのだった。

 

「天武くん、これは何かしら?」

 

「チョコレートだよ」

 

「貴方が私に?」

 

「外国だと男から贈り物をするのもおかしくないらしい。それに、誕生日プレゼントでもあるんだよ、これは」

 

「え?」

 

「本当は明日渡すつもりだったんだけど、良い機会だから今ここで渡しておこう。バレンタインデーの一日後みたいだからチョコにしてみた」

 

「知っていたのね……私の誕生日を」

 

 一月一日に誕生日プレゼントを贈られた時に、そう言えば鈴音さんの誕生日はいつなんだろうと考えて、堀北先輩に教えて貰ったのだ。

 

「日頃、交流があるんだ。無視するほど薄情ではないさ。一日早いけど、誕生日おめでとう」

 

 どうか不機嫌よ消え去れと願いながらチョコレートと一緒にそう伝えると、予想通り鈴音さんは少しだけ照れた顔を見せてくれる。つまり狙い通りである。

 

「色々と考えたんだけど、鈴音さんは小物とかアクセサリーよりも、こういう消え物が良いかなって思ってね」

 

 鈴音さんは唇をモニュモニュと動かして表情を怜悧に保とうとしているようだが、それでもどうしても顔つきは緩んでしまうようだ。

 

 堀北先輩の様子だと、誕生日に何かしらの贈り物なんかもしていないだろうし、鈴音さんにとっては下手したら数年ぶりの誕生日プレゼントかもしれない。いや、ご両親から何か貰っていたのかもしれないけれども。

 

 よしよし、感触は悪くない。これなら不機嫌になることはないだろう。

 

「チョコ、苦手だったかな?」

 

「そんなことないわよ……その、どう伝えれば良いのかよくわからないの……でも、えっと……ありがとうと、そう言っておくべきなのでしょうね」

 

「喜んでもらえたのなら光栄だ」

 

「でも、少し悔しいわ……こんなことされると、出し渋っていた私が馬鹿みたいに見えるんじゃないかしら」

 

 照れたり、ムスッとしたり、喜んだり不機嫌になったり呆れたりと、鈴音さんは本当に感情表現が豊かになったと思う。四月頃の彼女をつい思い出してしまうな。

 

 彼女と知り合ってもう十カ月近くになろうとしている。色々とあったけれども、まだまだ先があるんだろう。

 

 一年後、二年後にはどうなっているだろうか? それこそ卒業する時にはどんな人になっているんだろう。

 

 未来はわからないが、このまま彼女が成長していってくれるのは、とても嬉しいことだと言うのはよくわかった。

 

 きっと、彼女の成長を眺めている俺もまた、同じように人として成長していけるだろうから。

 

 師匠曰く、武人としても、人としても、まだまだ未熟とのこと。だからこそこの学園での交流や縁は、とても尊いものであると俺は考えている。

 

 色んな人がいて、色々なことを教えてくれるのだ。もうすぐ一年になるけれど、人の数だけの縁と、縁の数だけの成長を得られるのだという考えを持てるようになった。

 

 

 卒業する時には、武人としても人としても、せめて一人前になりたいものだ。

 

 

 

 

 



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その言葉を聞く度に強くなる男

 

 

 

 

 

 

 

 バレンタインによって浮ついて色めきだった空気に包まれていた学校ではあるが、もうすぐ学期末テストと言うこともあって気を引き締める必要もあった。仮テストも行われることもあって青春一色と言う訳にもいかない。

 

 特に赤点組に関しては、今回のテストが高難度になると告知されているので気合も入っている。それでも怯えや不安ではなく、来るなら来いという覚悟を示せるようになったのはいい傾向だ。四月頃と何もかもが変わったということだろう。

 

 須藤と池と山内を筆頭に赤点組は堀北さんが、女子は主に平田が、櫛田さんは男女平等に、清隆グループに関しては啓誠が面倒を見て、俺はローテーションで各グループに顔を出してマンネリ防止に勤しむ形がペーパーシャッフル以降に出来たので、今日もまた勉強会に参加をしていた。

 

 期末テストも近いので、どのクラスにとっても大事で大切な時間だ。これは何も俺たちのクラスだけの話ではない。当然ながら一之瀬さんクラスも同じことが言える。

 

「調子は?」

 

 学校の一角にあるコモンスペース、幾つかの自販機と椅子が並ぶ場所で、俺は購入したココアの缶を片手にベンチに座って、後ろの席にいた神崎にそう声をかけた。

 

「良くはない」

 

 背中合わせの形でベンチに座っているのでこちらから表情は読み取れないが、神崎の調子が良くないことは声だけでわかる。

 

「一之瀬さんは今日も休んでいるみたいだね」

 

「体調不良だ」

 

 そして精神的な不安もあるのだろう。言わせるなと神崎は伝えたいのかもしれない。

 

 ココアを飲みながらこれからのことを考える。もしテスト当日まで一之瀬さんが復帰しないとなればいよいよ大事になってくる。それこそ影響はクラス全体に広がることだろう。

 

 一之瀬さんが脱落してみろ、Cクラスは完全に機能不全に陥る上に、下手したら壊滅する可能性すらあった。

 

「俺や、クラスの女子たちが部屋に行って声をかけてはいるが……」

 

「無視されているのかい?」

 

「いや、反応はある……部屋の扉は開けてくれないがな」

 

「クラスメイトからの視線が怖いのかもしれないな」

 

「どういうことだ」

 

「考えてみてくれ、今回の一件はそもそも一之瀬さんが学校側に訴え出れば全て片付く話だ。けれど彼女はそれをする様子がない……どうしてだ?」

 

「それは……配慮だろう」

 

 入学してからのこれまでずっと一之瀬さんを見て来た神崎にはそう見えたのかもしれないな。そしてそれも決して間違いではない。

 

「それもあるだろうけど……一番は、訴えたくても出来ないが正しいのかもしれないな」

 

「訴えられない事情……まさかお前は、あのくだらない誹謗中傷を信じている訳じゃないだろうな」

 

「神崎、俺は便所の落書きに大した価値や意味は感じてないよ……けれど、彼女にとって無視できない情報があの中にあったとしたらどうする? 幾つかの嘘の中に一つの真実があったとしたら、致命傷になるかもしれない」

 

「……」

 

 押し黙る神崎は、自販機から購入したアルミ缶を僅かに凹ませる。

 

「もしそうなら、クラスメイトだからこそ恐ろしいと思うのかもしれないな。彼女が抱えている何かを、君たちがどう評価するのかをさ」

 

「皆、今更一之瀬を疑ったり、信頼を揺るがしたりはしない」

 

「それで良いと思うよ。一之瀬さんが復帰すれば、その言葉を伝えてあげれば良い」

 

「俺たちは、どうすれば良いと思う?」

 

「他クラスの俺にはどうとも言えないけれど……」

 

「笹凪、お前にとっては、このまま一之瀬がリタイアした方が都合が良いのかもしれないな」

 

 クシャっと、ココアが入っていたスチール缶を思わず握りつぶしてしまう。

 

「侮るなよ、そこまで侮辱されるとは思わなかった」

 

「……すまない、過ぎた言葉だった」

 

 神崎もだいぶ余裕が無くなっているようだな。普段の彼ならばこんな発言は思ったとしても口にはしない筈だ。

 

「坂柳さんの説得は?」

 

「もちろんやろうとしたが、フラリフラリと躱されるだけだ。葛城にも話は聞きにいったが、手ごたえらしいものは無い」

 

「先生は?」

 

「一之瀬からの訴えがない以上は、学校側は動けないそうだ」

 

「いよいよ手詰まりか」

 

 そもそもボールを持っているのが一之瀬さんである。彼女はそれをどこにも投げないままずっと持っているので、周りはさぞ動きにくいだろうな。

 

 学校か、坂柳さんの顔面か、或いは俺にでも投げてくればまた状況が変わると思うのだが……。

 

 いっそ一之瀬さんの動きを無視してこっちから強引に動くべきだろうか? いや、それだと坂柳さんと一之瀬さんの戦いではなくなってしまう。横槍を望まれているとはいえ、なかなか踏み込みづらいな。

 

 俺は、一之瀬さんには私こそが真の実力者だと言って欲しい。当然ながらこんな所で挫けて欲しくなんかない。坂柳さんでも龍園でもなく、彼女を一番評価しているからだ。

 

 自分の小指に視線を落として、そこに纏わりついた熱を思い出す。大事な時に思い出せて力になれるようにと願った結びつきは、まだ途切れてはいないと思いたい。

 

「おや、神崎くん、それに天武くんも、こんな校舎の片隅で何をされているのですか?」

 

 そろそろ部活に行こうかと考えている時に、カツカツという杖を突く音を立てながら、このコモンスペースに現れたのは、件の元凶である坂柳さんであった。

 

「坂柳ッ」

 

「今朝ぶりですね神崎くん、そんなに苛立ってどうされましたか?」

 

 ここで彼にそんなことを伝える坂柳さんは、本当に度胸があると思う……性格が悪いとも言えるが。

 

「お前がそれを言うのか……他の誰でも無い、お前が」

 

「どうやら神崎くんは、まだ私が例の誹謗中傷を流したと勘違いしているようですね」

 

「……何をいまさら」

 

「落ち着け神崎、君らしくもない」

 

 ベンチから立ち上がって詰め寄ろうとした神崎の肩に手を置いて引き留める。余裕がないのはわかるが少し落ち着いて欲しかった。

 

「坂柳さんも、あまり挑発するもんじゃないよ」

 

「そんなつもりは毛頭ありませんよ」

 

 自分は何も関係が無く、寧ろ疑われて困っているとでも言いたげな表情である。

 

「それより神崎くん。先程、こちらのクラスの橋本くんと鬼頭くんが、中庭付近でそちらのクラスメイトに詰め寄られているのが見えたのですが、止めなくて宜しいのですか?」

 

 神崎は「だからお前がそれを言うのかと」表情で主張しながらも、このまま放置して喧嘩沙汰になると拙いと判断したのか、苛立った様子で足早に中庭へと向かった。

 

「あまり苛めてあげないでよ」

 

「そのようなつもりはありませんよ。それよりも、ここ、構いませんか?」

 

「どうぞ」

 

 学校の片隅にある自販機が並んだコモンスペースにあるベンチに、坂柳さんはゆったりと腰を下ろした。

 

「もうすぐテストですが、調子はどうですか?」

 

「悪くはないかな……皆で猛勉強中だよ。こっちはAクラスほど余裕はないけどね」

 

 Aクラスともなると平均的な学力が高いので、赤点組なんてものがそもそも存在しないのかもしれない。だとすると羨ましい限りだ。

 

 それともAクラスにも赤点組がいて、坂柳さんが面倒見たりしているんだろうか? 彼女が誰かに勉強を教えているのは少し想像できないが。

 

「今はどこのクラスも勉強に集中しているでしょうね……あぁでも、一之瀬さんは学校を休んでいるとか」

 

 君がそれを言うのかと、少し呆れながら挑発的な視線を受け入れる。

 

「そうみたいだね、色々あったようだから……けれど体調不良って話だからすぐに復帰するよ」

 

「単純な体調不良ならばそうかもしれませんね」

 

「さっきと同じことを言うけど、あまり苛めないであげて欲しいな」

 

「さて、なんのことでしょうか」

 

「もし、一之瀬さんが学校に訴えたらどうするつもりなんだい?」

 

 坂柳さんはやっていないと言うのだろうが、あの投書に関しては物理的な証拠がある上に、しっかりと調べれば誰がやったのかということもわかる筈だ。つまり訴えられたら必ず面倒なことになる。

 

 それがわからない坂柳さんではないと思うのだが、危機感が足りていないようにも思えた。

 

「では、訴えれば宜しいではないですか、それで解決する問題なのですから……けれど一之瀬さんはそれをしなかった。さて、何故でしょうね」

 

「配慮と、躊躇……加えて言うのなら、誹謗中傷の中に無視できない何かがあったって感じかな」

 

「可能性としては否定できませんね……尤も、私にはさっぱりですけど」

 

 妖しく微笑む坂柳さんはとても楽しそうである。

 

「まああれだね、あの投書を行った人は訴えられないと確信があったんだろうけど……少し相手の優しさに甘えている部分があると思うよ」

 

 続けてと、坂柳さんは視線でそう言った。

 

「訴えられないから何をしても良いって考えであんなことをしたのならば、正直脇が甘すぎる。相手の配慮と優しさを前提に行動するのはちょっと危険だよ。どれだけそれはないと断言しても他者の心の中までは覗けない……言ってしまえば、自分の首を相手に預けているにも等しい状態だ」

 

 もし一之瀬さんの気が変わって学校に訴えれば、下手したら坂柳さんまで処分される可能性がある。軽く済んだとしてもポイントに大きなダメージが入るだろう。

 

 かなり綱渡りをしているようにも思えた。相手の感情や人格を作戦に組み込んで安全だと判断したにしても坂柳さんの行動は危険すぎる。

 

「大丈夫なのかい?」

 

 誰が何を、とは言わないが、そう訊ねると坂柳さんは問題ないとばかりに頷きを返す。

 

「確かに天武くんの言うことも尤もです……しかし現に、一之瀬さんはそれを行っていません、やれば全て解決すると言うのに」

 

「そうだね。結局、それが全てか」

 

「それにもし、仮に一之瀬さんが訴え出たとしても問題はありませんよ」

 

「何か秘策があるのかい?」

 

 すると坂柳さんはどこか妖艶な笑みを浮かべて俺を見つめて来た。

 

「おや、もうお忘れですか? 私が困っていると、天武くんは助けてくれるのでしょう」

 

 確かに混合合宿でそんなことを言ったな……なるほど、こいつは一本取られてしまったらしい。一度言葉にした以上は死んでも貫き通さなくてはならないので、間違いなく坂柳さんが困っていたら俺は彼女を助けるだろう。

 

「やれやれ、一之瀬さんと言い、俺と言い、人の感情や在り方を利用するのが上手い人だ」

 

「褒め言葉として受け取っておきましょう」

 

 クスクスと笑う彼女は、何が面白いのか上機嫌な様子であった。

 

「貴方のお節介をどうか一之瀬さんに向けてあげてください……誰がやったのかは知りませんが、きっと困っているでしょうから」

 

「大丈夫、もう約束は結んだから」

 

「約束ですか……どのような?」

 

「挫けそうな時は呼んでくれってね」

 

 俺は小指を揺らして坂柳さんの前に持っていく。それで意図は伝わったのか、彼女は納得したように頷いてみせる。

 

「小指の約束は、言葉以上に重たいものだ……一度結んだ以上は、必ず守るつもりだよ」

 

「それでは何の心配もいりませんね。今頃一之瀬さんも自分の小指を眺めていることでしょう……しかし少し妬けてしまいます」

 

「ん、それはどういう……」

 

「口約束よりも、指切りの約束の方が天武くんにとっては重要そうに思えましたので」

 

「そんなことは無いが、そう聞こえてしまったか」

 

 言葉も重要だと思っているが、坂柳さんにはそう思えなかったらしい。

 

 すると坂柳さんは自分の華奢な指先を俺の前に持ってくる。そして「結べますか?」と挑発的な視線を向けてくるのだった。

 

「指切りをしたいのかい?」

 

「フフフ、天武くんにそれができるだけの勇気と覚悟があるのならば」

 

「やれやれ全く……そう言われると結ばざるを得ないじゃないか」

 

 ここは彼女の挑発に乗るとしよう。それに一度彼女を守ると言葉にした以上は、それは絶対に成し遂げないといけない契約だと俺は思っている。指切りをすればより強くそう思えることだろう。

 

 差し出された小指に、俺は自分の小指を結び合わせた。翻弄されているように思えるけれども、男は女の子に振り回されるくらいの人生で良いのかもしれない。

 

「こういうのも悪くないものです、強い結びつきを感じますから……約束、お忘れのないようにお願いしますね」

 

「言われるまでもないけれど、また言葉にしておこうか……君が困っていれば、俺は力になるよ。女性に振り回される人生も悪くないと思っている」

 

「心からそう言い切れる男性は、魅力的だと思いますよ」

 

 結び合わせた小指を起点に手を振って指切りをすると、俺と坂柳さんとの間により強い約束が結ばれたように思える……きっとこれからも色々と振り回されるんだろうな。いや、まあそれはそれで構わないんだけどさ。

 

「しかし今は、そのお節介を一之瀬さんに向けてあげてください」

 

 だからそれを君が言うのかと思ってしまうのだけど、横槍を入れて来いと言いたいのだろう。

 

 この段階で、俺にはぼんやりとだが坂柳さんの思惑というか、考えや目標が見えて来た。ほぼほぼ間違いなく、彼女は最初から一之瀬さんを追い詰めることを目標にしていない。彼女への攻撃は最終目標に至る為の過程に過ぎない。

 

 どうやら俺は勘違いしていたらしい、これは一之瀬さんと坂柳さんの戦いじゃないようだ。

 

「合宿でも同じことを言いましたね。誰かの苦労を背負えるような天武くんのお節介に期待しておきます」

 

 最後にそう言い残して、坂柳さんは相変わらず不敵な笑みを浮かべたままベンチから立ち上がり、杖を突きながら去っていくのだった。

 

 一之瀬さんに攻撃している時は少し迂闊なんじゃないかと思っていたが、訴えられないと確信した上で別の目的も持っていたのはわかった。危ない橋だという評価は今でも変わることはないのだが、リスクを受け入れてでもそうするしかない理由が坂柳さんにあることはわかった。

 

 もちろん、ついでに一之瀬さんを潰せたのならば歓迎すべきだろうが、リスクを背負ってまでやることではない……彼女の目的は、こんな危険な行動をしてまでやらなければならないことは、今の会話でようやく見えた。

 

 そして同時に納得もした。なるほど、確かに危険な真似をしてでもやらねばならない目的なのだろうと。

 

 やっぱり彼女は強敵だと改めて思う。葛城ではこんな方法は取れないだろうからな。

 

 坂柳さんの目的が見えて来た所で、さて俺はどうしようかとベンチから立ち上がって思案する。もし万が一、一之瀬さんがボールをどこにも投げずに抱え込むことを選んだ場合に備えて動いておくべきだろうか?

 

 方法はある、誹謗中傷を拡大させて学校や生徒会が動くしかない状況を作れば良い。それでくだらない噂話は一掃できる。

 

「だけど、それだと坂柳さんは止まらないんだよな……」

 

 彼女の目的が一之瀬さん潰しにあるのならばそれで解決するのだが、そうでないとわかった今では、ただ方法が変わるだけで一之瀬さんを追い込み続けるだろうことはわかる。

 

 結局の所、準備だけを済ませて、一之瀬さんからボールを投げられるのを待つしかないのだろう。

 

 本当に、もう余裕が無くなった時は、こちらから強引に動くとしよう。

 

 今から美術部に顔をだして文化活動という気分でもないので、今日は大人しく部屋に帰るとするか。

 

 

 

 そう思って校舎から寮に帰ろうとした時だ、俺の懐でスマホが震えだしたのは。

 

 

 

 取り出して液晶を確認してみると、そこには一之瀬帆波の名前が映し出されていた。

 

 寮への帰路を進みながら通話状態にして、スマホを耳に当てる。

 

「一之瀬さん……どうしたんだい?」

 

『……』

 

 スマホの向こうからは何の言葉も届かない、ただ僅かな息遣いだけが聞こえて来るだけだった。

 

 何かを言うでもなく、急かすでもなく、そのまま暫く無言の通話が続いていく。

 

「もしかして、迷っているのかな?」

 

『ッ……』

 

 息を飲むような反応が返って来るな、きっと色々な葛藤や悩みや戸惑いが彼女の中にもあるのだろう。クラスのリーダーとしてもそうだし、一人の人間としてもそうだ。

 

 それでも俺は、彼女から言って欲しい言葉があった。

 

「ん、そうだね……お互いの立場もあるし、きっと君が言おうとしている言葉は簡単なことじゃないんだと思う」

 

『……』

 

「一之瀬さん、以前に俺は君に言ったことがあるよね。俺はカッコつけたいから誰かを助けるんだって……凄くナルシストで馬鹿みたいな考えだけど、それが俺の在り方なんだ」

 

 カッコつける為に、あらゆる苦労を背負って困難に立ち向かう。いつか龍園も言っていたけれど、ナルシストもそこまで行けば馬鹿でしかない……けれど、俺の考える勘違いして履き違えたカッコよさとはその先にしかないみたいだ。

 

「だから言ってくれ……何も迷う必要はない」

 

 その言葉はこれまで何度も聞いたことがある。瓦礫の下に埋もれた子供から、理不尽に磨り潰されそうになっている少女から、戦火から逃れる誰かから、飢えに苦しめられる家族から、暴力に晒される人から、何度だって聞いて来た。

 

 何度も何度も聞いて、その度に胸の奥から強い力が俺に流れ込んでくることも知っている。あの言葉を聞く度に体が熱くなったと記憶している。

 

「その言葉を聞く度に強くなれるんだ」

 

『……』

 

「心配はいらないよ……だから俺に、君を助ける理由と、勇気をください」

 

 これまで様々な場所で出会った、困っている人たちは俺にこう言ってくれた。俺を成長させてくれる言葉を、胸の奥から不思議な力が溢れる言葉を。

 

 彼女にも言って欲しい。それは俺を強くしてくれるから。

 

『……て』

 

 小さな呟きというか、呻き声のようなものがスマホの向こうから届く。

 

『……けて』

 

 いつかどこかで、色々な人に言われた言葉を、また俺はここで聞くことになった。

 

 

 

『お願い……助けて、笹凪くん』

 

 

 

 その言葉が耳に届いた瞬間に、不思議と体中から力が溢れて来る。胸の奥、心臓の中心から熱が広がった。

 

 何度も得た感覚で、その度に強くなれる熱である。

 

「ん……わかった」

 

 こういう時、テレビや漫画で見たヒーローたちはどうしていたかな? いっそ清々しい程に、余裕綽々でキザったらしく、なんだったら嫌味な程に朗らかな笑顔を浮かべてしっかりと己を貫いていたか。

 

 ならば俺もリスペクトして真似するとしよう。正義の味方はこういう時にキッチリとカッコつけるものらしいからな。

 

 だから大仰に、敢えてワザとらしく、舞台役者のように力強く、一之瀬さんにこう伝えた。

 

 それこそ、創作の中にしかいないであろうヒーローを意識しながら。

 

 

 

「それじゃあ今から、君に魔法をかけにいくよ」

 

 

 

 こういうのは、いっそ恥ずかしくてやりすぎな程にカッコつける位で丁度良い。

 

 

 

 

 



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ヒーローとヒロインとヴィラン

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かが困っているのなら、手を差し伸べて力になるのが当然のことだと思う。

 

 何度も何度も何度も何度も誰かに助けて欲しいと言われてきたし、その度に力を貸す人生であったと思う。最初は師匠がそうしていたので只の真似事でしかなかったが、いつの間にかそれが己の意思になっていた。

 

 義務感だとかそういう話じゃない。それを俺がやらなければならないと実感したのだ。いつかあった少女が、炎から逃げる家族が、銃口を向けられる子供が、その言葉を叫ぶ度に何かが奮い立った。

 

 耳朶に届く度に何かの殻が壊れて、限界だと思っていた場所はただの過程でしかないと知ることができたと思う。

 

 とても自分勝手で、ナルシスト全開だけど、俺が思い描くカッコよさの原点はきっとそこにあるのだと今ならば断言できる。

 

 その言葉があれば、どんな困難だって立ち向かえて越えて見せられると、何の根拠もありはしないのに確信できてしまうのだった。

 

 人によっては余計なお節介だと言うだろう。ただの自己満足とも言われてしまうかもしれない。けれどそれを押し通す人間こそが俺が目指すべき存在でもある。

 

 自分勝手に、目に映る何もかもを背負って、最後の最後までナルシスト全開で死んでいく。それが俺の夢である。残念なことにこればかりはAクラスで卒業しても叶えてはくれないだろうな。

 

 まあ将来は正義の味方なんて言われても学校は困るか。

 

「こんにちは、通りすがりの正義の味方です」

 

 寮まで帰って来てエレベーターに乗り、女子エリアである上階まで行って、一之瀬さんの部屋の前でそんな冗談を口にした。

 

 ついでにノックすると、扉の向こうから人の気配を感じ取った。

 

 けれど扉は開かない。開けるべきか閉じるべきか悩んでいるらしい。

 

「一之瀬さん、聞こえるかい?」

 

 返事はないな。気配だけはそこにある。

 

「扉を開けるかどうかは君に任せるよ。まあこの状態でも話はできるから何の支障もないさ」

 

 誰かからの視線が恐ろしいと思うのならば、この扉は役に立つ。言葉だけ届けば十分だと思っていると、部屋の扉はゆっくりと静かに開いていった。

 

 扉の向こうにいる一之瀬さんは……憔悴しているようだな、普段の活力がどこかに消えて弱弱しさを感じてしまう。

 

「笹凪くん……来てくれたんだ」

 

「言っただろ、魔法をかけに来たって。それに指切りの約束もあるんだ、来ない理由がない」

 

「優しいね……こんなこと、本当は頼んじゃダメなのに」

 

「良いさ、俺にカッコつけさせてくれ」

 

 そう伝えると一之瀬さんはぎこちなくではあるが、少しだけ表情を緩めてくれた。そして部屋の奥に俺を案内してくれる。

 

 彼女の部屋はカーテンが閉め切られていてどこか薄暗い印象を与えた。或いはこの部屋の主の雰囲気に引っ張られているからそう感じるんだろうか。

 

「明かり、付けられる?」

 

 薄暗いままというのもあれなのでそう訊くと、彼女は首を横に振って拒否を示す。ならこのまま話すとしよう。

 

 部屋の中で彼女と向かいあうと、一之瀬さんは眩しい何かでも見つめたかのように俺から視線を逸らしてしまった。どうやら人から見つめられるのも恐ろしいらしい。

 

 なら背中越しで良いか、クッションを抱えた状態で絨毯の上に座り込む一之瀬さんの背後に回ると、そこでこちらも腰を下ろして座わり、背中合わせで話す形となった。

 

 互いの存在は視界にいれない、ただ声だけは届いて、うっすらと背中に熱が感じられるだろう。今はこれで良い。

 

「一之瀬さん」

 

「……なに、かな」

 

「ん……何を話そうか?」

 

「え?」

 

「いやさ、勇んで来てみたはいいけど、結局の所は君がどうするのか、どうしたいのかが重要であって、俺は添え物に過ぎないと思ったんだ」

 

 俺にできるのは彼女に少しの勇気を分け与える程度のことでしかない。誰にでもできるであろうそれは、何だったら電話でも構わないだろう。

 

 それでもこうして話せる距離にまで来たのは、きっとカッコつけたかったからなんだろうな。

 

「勇気が必要ならそう言ってくれ、力が欲しいのなら願ってくれ、支えが必要なら背中くらいは貸そう……君はどうしたいんだい?」

 

「私は……」

 

 一之瀬さんはそこで、迷いながらもどう説明すべきか言葉を選んでいるようにも思えた。

 

「笹凪くんは、後悔したことはあるかな?」

 

「数え切れないほどに」

 

「あ……そうなんだ、意外かも」

 

 そうだろうか? 後悔しない人間なんて一人もいないと思うけどな。

 

 誰かを助けられなかった時に、もっと多くの鍛錬を積んでいればと、もっと早く強くなれていたらと何度も思ったものだ。師匠ですらそうだったのだから俺には避けられないものであった。

 

「私もね、あるんだ……凄く後悔して、どうしようもないくらいに馬鹿な真似をしたことが」

 

 ああ、それが彼女が前に進めない理由なのだろうな。

 

「軽蔑する、かな?」

 

「そこまで薄情な人間ではないと思いたいな」

 

 ほんの僅かに沈黙が広がった。俺から何かを言うことはなく、背中にいる一之瀬さんからの反応を待つ。

 

 僅かな身動ぎも、緊張も、何だったら心臓の鼓動すらも今なら感じ取れる。

 

「……万引きをね、したんだ」

 

 絞り出すように、そして何かを差し出すかのように、彼女はそう言った。

 

「ん、続けて」

 

「責めないんだ」

 

「今は君の過去に向き合う時間だ」

 

 そもそも万引きを責めだしたら俺はどうなんだという話になる。だって俺と師匠が捕まっていないのは物理的に逮捕することができないから見逃して貰っているに過ぎない……それくらいのことはやらかしているので、万引きなんて可愛いものであった。

 

 いや、まあ今は関係がないか。一之瀬さんの話を大人しく聞くとしよう。

 

「私の家は母子家庭でね、妹と私とお母さんの三人暮らし……特別不幸だって思ったことは一度も無かった。でも二人の子供を育てながら働くお母さんは、いつも大変そうだった」

 

 母親か……どこか遠い存在である。ほんの僅かな時間しか一緒にいられなかったと記憶しており、墜落する飛行機の混乱の中で、迷うことなく俺を冷蔵庫の奥に押し込んで最後には笑っていたな。

 

「だから中学を卒業したらさ、働きに出ようと思ってたんだよね。高校に行くのにも沢山のお金がかかるから。就職してお母さんを助けて妹の方をって思ってた……でもお母さんはそれに反対したんだ」

 

 母親としてはどちらか片方ではなく、どちらもしっかりと進学させたかったんだろう。

 

「お金が無くても、一生懸命勉強すれば特待生制度を利用できることを知ってからは必死に勉強して、学校でも一番だって言われるようになって……このまま進んでいければって思った時に、お母さんは倒れてしまった」

 

「……苦労をしていたんだろうね」

 

「うん、凄く、苦労させちゃった……」

 

 我が子を進学させたい一心だったことは想像できる。無理に無理を重ねて倒れてしまうほどに。

 

 一之瀬さんが言うにはそこに妹の誕生日が重なってしまったらしい。いつもどんな時でも我慢を強いられていながらも、それでもそれらを表に出すこともなく良い子を貫いていた妹の誕生日は、それどころでは無くなってしまったということだ。

 

「今でも覚えてる。病室のベッドで泣きながら謝るお母さんに、ありったけの罵声を浴びせていた妹の顔を。泣きながら楽しみにしていたヘアクリップのことを叫んでいた妹の顔を。そんな妹を私は責められなかった。ずっと我慢してきた先で欲しがった一度だけの誕生日プレゼントを……」

 

「ん……」

 

 そうとしか返せないな。その光景を見ていたであろう一之瀬さんからしてみれば、自分の中にある何かが傾いた瞬間でもあったことだろう。

 

 妹が欲しがっていた物を彼女は懐に入れた。それを渡して一時の笑顔を見て安心して、僅かな幸福と安心感を得て、他ならない母親によって現実に引き戻されることになったらしい。

 

 母親の怒りも、絶望も、土下座も全てを見た筈だ。

 

 学校にも広がったらしい。周囲の視線を恐れるようになって中学三年の半年間は殆ど部屋に引きこもってしまい、逃げるようにこの異常な高校に来てしまったのが一之瀬さんである。

 

 ここならば一からやり直せると、そう思った。それが一之瀬さんの原点であった。

 

 進んで来たと言うよりは、絶望と後悔から抜け出す為にここに来た。やり直せると願いながら。

 

 合宿の時に坂柳さんが言っていたな、一之瀬さんには善人であらねばならない理由があると。過去の後悔と罪がある故にその必要があったと言うことである。

 

「それが、私の罪……万引きして、お母さんも、妹も傷つけてしまったの。本当に、何をしてたんだろって、今でも思う」

 

 ずっと胸の奥で抱えていた何かを吐き出すように言葉を紡いでいく彼女は、最後には全てを表に出して大きく溜息を吐いた。

 

 ならば、ここがスタートラインだな。

 

「一之瀬さん」

 

「……」

 

「君の過去を安易に許すことは俺にはできない、それは君自身が乗り越えるべきものだ」

 

「……」

 

「時間は戻せないし、止まることもない、わかるね?」

 

「うん……」

 

「後悔をしているのならそれで良い。後悔を知らない人間よりも遥かに立派だ。その分だけ誰かに優しくなれる……だから、それを力に変えていけば良い。月並みな言葉だけれど、俺はそれで良いと思うよ」

 

「できるかな……こんな私に」

 

「少なくとも俺が知っている一之瀬さんは、それができる人だってことを疑っていないさ」

 

 ほんの少しだけ、背中に感じる彼女の熱が近くなったようにも思える。

 

「怖いのかい?」

 

 姿こそ、この体勢では見えないが、小さく頷いたのがわかった。

 

「自分を信じられないのかい?」

 

 また頷きを感じ取る。

 

「それでも、広がっている現実は変わらないよ……こうしている間も、君のクラスは勿論のこと、俺たちや坂柳さんや龍園だって先に進んでいる」

 

「うん……わかってる、でも」

 

「あぁ、踏み出すことは簡単じゃないんだろう」

 

「本当に、ダメだね、私は……今も、笹凪くんに甘えようとしちゃってる。いつもいつも、ことあるごとに相談してるのに、また……」

 

「そうだね。君とこんな話をするのも初めてじゃない」

 

「ごめんね……大丈夫、大丈夫だから、私は……」

 

 一人で立ち上がれないと思ったから俺に連絡してきたことは彼女にもわかっているらしい。それでも何とか立ち直ろうとしているようだが、それが出来れば苦労はしないだろう。

 

 支えが必要だ、差し伸べられる掌が重要だ、たった一人で生きていける人間なんていないのだから。

 

 それは俺も変わらない、なら彼女だって同じ筈だ。

 

「一之瀬さん、君には何度か言ったことがあるよね。プールでも、ペーパーシャッフルの時も、俺はこんなことを言ったのを覚えているかな」

 

「どれ、かな……」

 

「時間は君に寄り添ってなどくれない……だよ」

 

「……うん、覚えてるよ」

 

「その言葉をもう一度君に伝えよう……時間は君に寄り添ってくれない、絶対にだ。この世で唯一平等な物があるとするならば、それは時間の流れだけだ。ここで立ち止まっている君にも、坂柳さんや龍園や俺にだってどこまでも平等だ。どれだけ辛くても進んで行かなければならないし、立ち止まっていることもできない、許されない……それが誰かを率いる者の責任だよ」

 

「わかってる……わかってるよ、だから……立たなきゃ、戦わなきゃダメなんだよね」

 

「そうだ。それが君がやらなければならないことだ。君が倒れればクラスメイトたちも次々倒れるだろう」

 

 少しだけ、背中に感じる彼女の熱が遠ざかる。必死に立ち上がろうとして、抗おうとするかのように。けれどあまりにも弱弱しく、震えと怯えが隠しきれていない背中であった。

 

「時間は、寄り添ってなんてくれないんだから……私はッ」

 

 このまま全てを背負って立ち上がれるだろうか? それで進んでいけるだろうか? 彼女は少し特別なように見えて、普通の女の子でもあるのに。

 

 そう考えると、とても大きな理不尽を背負っているようにも思えるな。

 

 だからほんの少しだけ力を貸そう。余計なお節介は俺が憧れる存在に必要不可欠なものなのだから。

 

 少しだけ、彼女が持ち上げようとしている重圧を肩代わりすれば良い。正義の味方とはそうやって万人の苦労を背負う人のことを指すのだ。

 

「その通りだ一之瀬さん、時間は君に寄り添ってはくれない……けれど、代わりに俺は君に寄り添うことができるよ」

 

「……ぇ」

 

「安心してくれ、ここに俺がいる……何が出来ると言うこともないけれど、背中くらいは貸せるさ」

 

「……」

 

「時間は平等だ、けれど俺は、少しだけ君に贔屓しよう」

 

 すると、離れようとしていた一之瀬さんの背中が、こちらに傾いて完全に支え合う姿勢となった。互いに重心を後ろにやって背中を預けあう形となってしまう。

 

「少しだけこうしてようか」

 

「……うん」

 

「それで、落ち着いたら前を見よう」

 

「……うんッ」

 

「大丈夫だよ、皆、これまでの一之瀬さんを見てきたんだ……受け入れてくれるさ」

 

「そう、かな?」

 

「ああ、もし駄目でも力になる……小指の約束は、そこまで軽いものじゃないからね。だから今は、安心して休みなさい」

 

 背中に感じる一之瀬さんは、少し震えているな。もしかしたら泣いているのかもしれない……表情は見えないけども。

 

「辛くなったら思い出して、小指の約束を……人は約束一つで強くなれる」

 

 師匠がそう言っていた。なら間違いである筈がない。

 

「笹凪くん」

 

「どうしたんだい」

 

 そこから先の言葉は、とても小さくて、囁くような声量であった。けれどしっかりと耳に届く。

 

「ありがとう」

 

「ん」

 

 もう大丈夫だろう、ほんの少しだけ、彼女が背負う重圧が軽くなったと確信することができた。

 

 勇気を分け与えることができただろうか、そうであるのならば正義の味方としてこれ以上ないくらいに幸福であった。

 

 さて、後は彼女次第だ。俺は俺で正義の味方らしく余計なお節介に奔走するとしようか。彼女を立ち直らせてそれで全て解決という訳でもないのだから。

 

 結局、俺と彼女はその後、背中合わせの姿勢で暫く過ごし、夜の七時を過ぎた頃に別れることになった。別れ際に見せてくれた笑顔は印象的であった。

 

 扉が閉まり、懐からスマホを取り出して、俺が最初に連絡を入れたのは坂柳さんである。

 

 三度目のコール音と同時に通話が接続されて、スマホの向こうからどこか上機嫌な坂柳さんの声が届く。

 

『天武くん、そろそろ連絡をしてくれると思っていましたよ』

 

「だろうね、君にとってみれば最初からこの結末を目標にしていた訳だ。一之瀬さんへの攻撃は彼女自身ではなく俺を動かす為にあった……勘違いしていたよ、これは君と一之瀬さんの戦いじゃない、俺と君の戦いだったんだ」

 

『えぇ、その通りです。最初から私の目的は貴方にありました。ならば、私が言いたいことはわかりますよね』

 

「ああ、おおよその見当はついてるさ」

 

 そもそも一之瀬さんが訴えないからと言って、あそこまでの誹謗中傷はやりすぎだし、ポストに告発文を投書するなんて証拠が残るようなリスクの高い真似を簡単には行えない。

 

 もちろん、坂柳さんには一之瀬さんが訴えに出ないという確信はあったのだろう。だからってリスクが高すぎる行為であることは変わらない。

 

 だとすれば、そのリスクを受け入れてでもやるべき事、目指すべき目標があったと推測もできる。最初は清隆をおびき寄せようとしているのかと思っていたけど、俺たちがAクラスに挑むという意思は示しているし、その約束だってしていた。

 

 彼女の目的は、清隆でもなければ一之瀬さんでもない……その最終目標は、俺から譲歩を引き出すことにある。

 

「これ以上、一之瀬さんが悲しんでいる姿を見たくはない……正義の味方というのも楽ではないね」

 

『フフフ、それが貴方の魅力ではありませんか。誰かの苦労を背負えるお節介、とても素晴らしいものです』

 

「それで振り回されてたら世話ないよ……仕方がないことだけどさ」

 

『かもしれませんね、ですが私は好ましいと思いますよ』

 

「その言葉を、せめてもの慰めにしておこう……さて、本題だ」

 

『一之瀬さんへと誹謗中傷を止めろと、そう言いたいのですね』

 

「あぁそうだ。仮にもし今回の一件をなんとか回避しても、きっと君はあの手この手で一之瀬さんを追い込むんだろう?」

 

『当然です、ありとあらゆる手を使って……ですが、それを止める方法が一つだけありますよ』

 

 スマホを介して耳に届く声はなにやら上機嫌だ。やれやれ、滑稽に踊ってあげるとするか。

 

「そちらの要求を聞こうじゃないか」

 

 坂柳さんは、最初からここを目指していたということだろう。その為の一之瀬さん潰しで、その為の俺の横槍だ。

 

 まあいいだろう。誰かの苦労を背負うのが俺の生き方なのだから。

 

『こちらの要求はただ一つ。現在、Aクラスとそちらのクラスの間で行われているプライベートポイントの譲渡、その廃止です』

 

 それこそが坂柳さんの目的であり、今回の一件での着地点でもあった。

 

 なるほど、これならば危ない橋を渡ってでもやらねばならないだろうし、これから先を見据えた時に何としても排除しなければならない要因だ。多少のリスクや危険を受け入れてでも押し通さなければならないだろう。

 

「わかった、受け入れよう」

 

『おや、要求しておいてなんですが、構わないのですか?』

 

「構わないなんてことはないけれど、受け入れないとこの一件がいつまでも終わらないだろう。いつまでもズルズルと暗闘するくらいならスッパリと終わらせた方が気分がいいさ」

 

『フフフ、貴方ならばそう言ってくれると思っていましたよ』

 

「たかだか数字の差し引きだ……女性の笑顔には代えられないさ」

 

『良いセリフですね、一之瀬さんに少し妬いてしまいます』

 

「ただある程度の形は整えておこうか。多分廃止しましたって言ってもこっちのクラスメイトたちが納得しないと思うんだ。なので表向きはこれからもプライベートポイントの譲渡は続けられている形にしたい」

 

『そうですね、ではこうするのはどうでしょう? Aクラスからは表向きポイントの徴収と譲渡は行われており、私と天武くんの間でそれは行われているというのは』

 

「けれど、実際には君からポイントは送られていない、そういうことだね?」

 

 寮のエレベーターから下りて自室に向かう途中に、そんな確認を行った。

 

「幸いなことにAクラスから送られてきたポイントの管理は俺に一括されている。君と俺が黙っていればバレることもないだろう」

 

『はい、私もクラスのポイントを一ヶ所に集められるので不満はありません』

 

 抜け目のない人である。クラスメイトのポイントを自分に集約して運用するつもりのようだ。

 

「ではそんな感じで行こうか」

 

『宜しくお願いします』

 

「最終確認だけど、これで終わりってことで良いんだよね?」

 

『そのつもりです。だってもう、一之瀬さんを追い詰める理由がなくなりましたから……それに』

 

「……それに?」

 

『貴方に嫌われたくもないので、この辺で手を引きましょう』

 

「別に俺は君を嫌ってなんていないよ」

 

『フフ、乙女心というのは複雑なものなんですよ』

 

「そういうものか、少し勉強になった」

 

 部屋に入り、ベッドに腰かけると、ようやく一日の終わりを実感することができた。

 

「一之瀬さんも明日には学校に来ると思うから。悪役を受け入れたのなら最後までお約束を貫いて欲しいな」

 

『ふむ、悪辣な悪役は最後には言い負かされて撤退、と言った所でしょうか……良いでしょう、天武くんに敬意を表してそれくらいは受け入れます』

 

「ありがとう」

 

 坂柳さんの表情こそ見えないが、きっといつも通りの不敵な笑みを浮かべているんだろうことはわかる。

 

『お礼はいりません、なにせ私は悪役ですから』

 

 そんな通話を最後に通信は終わる。俺はベッドに背中を預けてようやく安心することができる訳だ。

 

 だれかの苦労を背負うのが正義の味方である。そんな所を坂柳さんに盛大に利用されたということだろう。

 

 まあいいか、だからって俺のやることは変わらないのだから。

 

 これからも、どれだけ馬鹿にされて笑われたとしても、自分勝手に余計なお節介を押し付けていくだけである。

 

 そうやって死んで逝けたら、どれほど幸福だろうか。

 

 だからこれから先も沢山の人の苦労を代わりに背負っていくのだろう。

 

 正義の味方とは、つまりそういう人であるのだから。

 

 

 

 



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最後に誰かが笑っていればそれで全て良し

この話でこの章は終わり。小話を挟んでからクラス投票となります。


 

 

 

 

 

 

 坂柳さんに上手いこと操作されてプライベートポイント関連の契約がひっそりと打ち切られることが決まった翌日。俺は普段よりも少しだけ異なる時間帯に登校することになった。

 

 制服に着替えて寮のロビーに向かい、そこで待つこと数分、待ち合わせしていた人物である一之瀬さんがエレベーターから姿を現す。

 

「あ……笹凪くん」

 

「おはよう」

 

「うん……ごめんね、呼び出しちゃって」

 

「良いよ。それより急ごうか」

 

「そうだね」

 

 いつもより少しだけ遅い時間帯なので下手すれば遅れる可能性もある。まだまだホームルームが始まるまでは時間があるだろうが、ここで立ち話をしていることもできない。

 

「調子は戻ったみたいで何よりだ」

 

「うん、元気いっぱいだよ」

 

 いつも通りの朗らかな笑顔を見せる一之瀬さんは昨日の暗いようすを完全に消し去っていた。まだまだ思う所はきっとあるのだろうが、全てを受け入れて背負い、前に進んでいくことを決めたらしい。

 

 良い笑顔だと思う。悲しんでいる顔よりもずっと魅力的であった。

 

 二人並んで寮から学校に向かう途中で、一之瀬さんは申し訳ないような顔と声色でこう伝えて来る。

 

「あの、本当にごめんね」

 

「それは何の謝罪かな?」

 

「えっと、色々とね……心配させちゃった事や、情けない姿を見せた事もそうだし、いつもいつも甘えちゃってるなとも思ってまして……私って駄目だなって」

 

「あまり謝られても困るのが本音かな、なんだか悪いことしたような気分になってくるから」

 

「そんなことないよ!! 何度も、何度も、助けられてるんだから!!」

 

「なら謝罪なんていらないさ」

 

「じゃあ、感謝の言葉だね……本当に、ありがとう」

 

「ああ、どういたしまして」

 

 このままだと永遠に謝罪やら感謝やらで話が進まなそうに感じたので、俺は強引に話題を次に切り替えた。

 

「それよりもだ、これからも坂柳さんからの妨害工作が行われると思うけど、覚悟はいいかな?」

 

 正確にはそんなことはもう起こらない。坂柳さん側に理由が無くなったからだ。けれど最後にお約束として撃退されることを受け入れていたので、最後の舌戦が行われることになっている。

 

 そこで言い負けるようならばと思っていたが、一之瀬さんの表情を見る限りは心配はいらないらしい。

 

 強い意思と覚悟を持った瞳が俺に向けられていて、迷うことのない頷きがそこにはあった。

 

「ん、大丈夫みたいだね」

 

「正直、怖いかな、でも時間は寄り添ってくれないんだよね」

 

「その通りだ。ならば立ち止まっている時間はない」

 

「なら頑張らないと……」

 

 そこで彼女は一瞬だが不安そうな顔を覗かせて、俺の瞳を覗き込むかのように見つめて来る。

 

「でも、挫けそうになっても……笹凪くんがいるよ」

 

 彼女の指先が揺れ動き、胸の前で右手の小指を覆い隠すように左の掌が包んだ。大切な何かを慈しむように。

 

「あぁ、辛くなったら思い出してくれ。小指の約束はとても大切なものだ……約束一つで人は強くなれる、何度だって立ち上がれるさ」

 

「また、私に魔法をかけてくれるかな?」

 

「君が望むのなら、何度だって」

 

 安心したように微笑む一之瀬さんは、僅かに残っていた陰りを吹き飛ばして校舎に踏み入った。下駄箱で靴を履き替えて向かう先は自分のクラスである。

 

「不思議だね、笹凪くんがそう言うと凄く勇気が溢れてくるんだ」

 

「そりゃそうさ、魔法をかけているからね」

 

「うん……本当に、そうなんだと思う」

 

 冗談っぽく言ったのだが、彼女は本気になって受け止めてくれた。どんな形であれ力になれたのならば、正義の味方の面目は保てているのかもしれないな。

 

 俺と彼女はそのまま連れ添って歩いていき、最後に教室の前まで辿り着く。廊下と教室を隔てる扉に近づくに連れて一之瀬さんの緊張が高まっていったようにも思えて、いざ開こうと手を伸ばした段階で硬直してしまう。

 

 最後の勇気を、欲しているようにも思えた。

 

「大丈夫だよ。恐れる必要は何もないさ……君は君らしく進めばいい」

 

「……うん」

 

「辛くなったら思い出して、結んだ約束が必ず力になるから」

 

「うんッ」

 

 彼女の肩に手を置いて、ほんの少しだけ後押しをすると、その体は硬直を解いて教室の扉を開く。一之瀬さんにとってはそれはとても重く感じたのだろうが、それでも踏み出すことを決めたらしい。

 

 当然ながら教室から視線が集まる、驚きと安堵と気遣いと、様々なものが。

 

 それら全てを一身に受けて一之瀬さんは僅かに空気を吸い込み、いつも通りにクラスメイトたちにこう伝えるのだった。

 

「皆、おはよう!!」

 

 その言葉をクラスメイトたち言ったことを廊下から見送って、俺はひっそりと退場していくことになる。誰もが一之瀬さんを迎え入れている中で、神崎と一人の女生徒だけが俺に視線を向けているのが見える。

 

 女子生徒、姫野さんはあくまで興味が無さそうに。そして神崎は少しだけ顎を引いて感謝の意思を伝えて来た。

 

 言うべきことは何もない、後は一之瀬さんクラスの問題である。正義の味方は余計なお節介だけしてさっさと消えるべきだろう。

 

 歓喜の声が漏れ出る教室から距離を取るように廊下を歩きだすと、正面から杖が床を叩く独特の音が聞こえて来た。坂柳さんとその手下たちの登場であった。

 

 橋本と鬼頭と神室さんを従えてこちらに近づいてくる坂柳さんは、俺の目の前で立ち止まっていつもどおり不敵に微笑む。

 

「おはようございます、天武くん」

 

「おはよう、坂柳さん。橋本と鬼頭、そして神室さんもおはよう」

 

 この三人は一之瀬さんの誹謗中傷に奔走していたらしいので、ここ最近は何だかんだで忙しかったらしい。Cクラスに詰め寄られたりもしていたからな。

 

「一之瀬さん、復帰されたようですね」

 

 未だに歓喜の声が漏れ出る教室に視線をやって、坂柳さんは面白そうにそう言った。

 

「おいおい、水を差しに来たのかい?」

 

「違いますよ。悪役としてのお約束を果たしに来たんです。そういう話だったではありませんか」

 

「そうだったね……ん、宜しくお願いするよ」

 

 最後に悪役は言い負けて退散する。そういう筋書きである。坂柳さんもそこはわかっているらしい。

 

「それにしても天武くん……貴方は気分を害さないのですね」

 

「君がやったことに?」

 

「ええ、もう少し苛立つのではと思っていたのですが」

 

「ん~……難しい問題だな。思う所が無いって話でもないんだけど」

 

「その割には冷静なように見えましたので」

 

「いや、俺が君の立場なら同じようにどうにか契約を破棄できないかって考えただろうし、君がクラスを率いる立場として勝利を目指す為に考えたことだ……俺もクラスを引っ張っていかないとダメだから、気持ちはわからなくはないんだ」

 

 ある意味、坂柳さんは葛城の尻拭いをしていると言っても良い。方法は褒められたものではないけれど、勝利を目指す上で避けては通れないことでもあった。

 

 だから俺は坂柳さんに一定の理解を向けている。もし彼女を否定してしまえば、俺はきっとこの学園にいる大半の人間を否定することになるだろうから。

 

「それにだ、この一件は最初から俺と君の戦いだった……そう考えると一之瀬さんを巻き込んでしまったのは俺とも考えられる」

 

 いや、まあ、坂柳さんが最悪なのは変わらないんだけれども、俺にも責任の一端があるようにも思えてしまう。

 

 もっと早く気が付いて巻き込まないように先手を打てよ間抜けと、師匠モードの俺が脳内で怒っているのだ。

 

 うるさいぞ、ちょっと引っ込んでてくれ。

 

「つまりだ、間抜けは俺だったと言えるね……君はリーダーとして勝利を目指して、最高の利益を得る為の戦略を考えて押し通した。俺がそれを卑怯卑劣と罵るのはちょっと違うなって考えてる……それもまた、戦いの作法だと言えるのかもしれないね」

 

「戦いの作法、ですか……なるほど、貴方らしい考え方ですね」

 

「勝つためにあらゆる方法を模索して行使する。それは戦いの作法と言えるだろう?」

 

「そうですね」

 

「だから俺は君が戦車を持ち出してきたり、ミサイルをぶっ放してきても、それが勝つための戦略であるならば、戦いの作法だと受け入れよう」

 

 戦車は壊せばいいし、ミサイルは回避すればいい、それだけの話であった。

 

 そして俺は事前に一之瀬さんへの誹謗中傷を防げなかった間抜けなだけである。最初は坂柳さんと一之瀬さんの戦いだと思って様子見していたからな。今にして思えばもっと焦っておけば良かったと考えていた。

 

「なるほど……本当に、いっそ恐ろしいほどに純粋ですね」

 

 清隆のお父さんにも似たようなことを言われた記憶があるな。俺は別に純粋でもなんでもないんだが……。

 

「そうでもない、ただ己の未熟さを言い訳にしたくないだけなんだ……それにだ、別に思う所が無いとも言い切れない。言ってしまえばこれは敗北でもあるんだ、君と俺の戦いのね」

 

「それは……どうでしょうね、断言はできないと思いますが」

 

「いやいや、配慮までされてしまえばもう言い訳すらも出来ない。だからこの胸の奥にある敗北感を拭う為にも、また改めてAクラスに挑ませて貰おうかな……確かそういう約束だったよね」

 

「えぇ、それに相応しい試験が来たその時は、対決を行うという話は忘れていません。そもそも私からお願いしたことなんですから」

 

 坂柳さんは俺を見上げながら挑発的な笑みを見せる。

 

「なら改めて約束しようか。いずれその時が来たら、Aクラスに挑ませて貰うって……この敗北感を胸にいつまでもモヤモヤしていても意味がないから、挑んでこそだ」

 

 だから俺は坂柳さんの前に小指を差し出す。この約束を魂と心に刻み込む為に。

 

 同時に、強い意思を込めて彼女を見つめた。いつのまにか師匠モードに変わっており、どこか冷たい雰囲気を醸し出しながら。

 

 昨日、坂柳さんと指切りをした時は、彼女は「私と結べますか?」とでも言いたげな余裕のある様子であったが、今度はこちらからそうする番であった。

 

「小指を出せ、坂柳」

 

「……ッ」

 

 師匠モードになった上でのこちらの要求に、坂柳は驚きながらも身動ぎして小指を前に差し出した。

 

 驚きと、困惑と、僅かな興奮が、その表情から見て取れる。強敵を前にした時の躊躇と、奇妙な熱が広がっているらしい。

 

 前と同じように俺たちは小指を結び合う。ただし魂に刻み込むのは別のものである。

 

 繋がり合った小指は俺たちの魂に強い縁を結んでいくことだろう。

 

「矜持に恥じぬ戦いにしよう……約束できるか?」

 

 見つめ合い、互いの瞳の奥にある何かを覗きこむ。視線は揺れ動くことを許さず、呼吸すらもいっそ邪魔である。

 

 結び合う小指と視線は、決して軽々しく扱ってはいけない何かがそこに生まれたようにも思えた。

 

「えぇ、約束しましょう……矜持に恥じぬ戦いにすると」

 

 彼女にもこちらの思いは伝わったのか、華奢な小指に力が宿って視線は俺の瞳を揺らぐことなく向けられていく。

 

「ならばいい、その時が来るのを待っている」

 

 結ばれた小指を解くと同時に、師匠モードが遠ざかっていく。彼はちょっと不機嫌な感じだったな。珍しいことだ。

 

「それじゃあ、お約束をしっかりと頼むよ。坂柳さん」

 

「そこはお任せください」

 

 話は終わったので坂柳さんとその手下たちは、どこか龍園味を感じる雰囲気を発しながらCクラスの教室に乗り込んでいくのだった。

 

「何しに来たんだよ坂柳!?」

 

 歓喜の喧騒は敵対心交じりの声に変わっていく、叫んでいるのは柴田だろうか。

 

 そしてここから先は完全に台本があって、お約束通りの展開になるのだろう。悪役は言い負けて惨めに撤退するというありきたりな話である。

 

 聞き耳を立てる必要も無く、結末もわかりきっているので、俺はCクラスの教室を後にしてBクラスへ歩いていく。

 

「おはよう」

 

 そして一之瀬さんと同じように扉を開けると同時にそんな挨拶をすると、自分の席にすばやく向かって腰を下ろす。

 

「全部終わったよ」

 

 そして振り返って後ろの席にいた清隆にそう報告すると、彼は短くこう返してくる。

 

「そうか」

 

「してやられたかな、もっと早く動いておけば良かった」

 

「そんなこともある。それにいいタイミングでもあったのかもな。坂柳のあの性格なら、今回を凌いだとしても別の方法で一之瀬を狙っただろう……一之瀬を潰し終えてもお前が動かなければ次は別の誰かだ」

 

「爆弾みたいだ」

 

「いっそ坂柳を退学させたらどうだ?」

 

 厳しい考え方ではあるが、清隆の言い分も一理はあるんだよね。いや、そこまでやるつもりは無いんだけどさ。

 

「良いさ、そんなつもりはない……これはただ、俺が間抜けだったっていうだけの話なんだから」

 

 もっと早く察知して先手で話をしておけばこうはならなかった。なので勉強代としておこう。

 

「お前は甘いな。龍園辺りなら絶対に通じない作戦だっただろうに」

 

「確かに、彼なら寧ろ勝手に一之瀬さんが潰れてくれてラッキーとか思いそう」

 

 間違いなくニヤついている筈だ。それでこそ龍園だし、そうでなければ困るのが龍園である。

 

「今更嘆いても仕方がない……この返礼は、いずれ直接対決する時にでも、しっかり返せばいいんだからさ」

 

「悔いが無いのなら、それで良いと思うぞ……少しもったいない気もするがな」

 

「それを言われると辛いが、最後には一之瀬さんは笑ってくれたんだ」

 

 ならば満足である。俺はほんの少しでも正義の味方であれたのかもしれない。

 

 

「なら、それで良いじゃないか」

 

 

 最後の最後に誰かの笑顔があるのならば、それはきっと素晴らしいことなんだろう。

 

 それができないのならば、正義の味方は名乗れないのだから。

 

 ほんの少しだけ、助けを求める声によって、昨日の俺よりも今日の俺は強くなれた。後はそれを天まで積み上げるだけである。

 

 

 師匠曰く、男の人生はそれで良いとのこと。

 

 

 

 

 



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小話集

章と章と間にある小話集となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「香水と香木」

 

 

 

 

 色々と起こって、色々な何かが変わってしまったあの日を越えて、今は日曜日。気を使ってくれたクラスメイトと一緒にケヤキモールで遊んで、少しだけ皆の優しさに甘えてしまう。

 

 私がやってしまった過去の罪をクラスメイトたちに告白して受け入れてくれた。

 

 過去は変えられない、そして時間は寄り添ってはくれない。だからどれだけ苦しくても進んで行かなければならないとあの男の子は教えてくれて、小指に残った熱を思い出す度に立ち上がれるのだと思えるようになった。

 

 本当に、色々なことが変わってしまったんだと思う。胸の奥にある苦しみも、甘い熱も、あの日を境に生まれている。今まではこれが何であったのかよくわからなかったけれど、今は違うんだろうね。

 

 以前はそこまで気にならなかったお化粧品だったり、流行の服やオシャレだったりが気になりだして、前髪の形が普段よりも気になったり、そんな些細だけれど確かな変化もある。

 

 不思議だ。あんなに辛かったのに、胸の奥はこんなにも熱くなってしまうなんて。

 

 そんな小さくも大きな変化を感じ取った私の視線は、吸い寄せられるようにケヤキモール内にある女性向けのショップに向けられてしまう。

 

 以前ならあまりポイントは無駄遣いできないと通り過ぎていたその場所も、今では足を止めてしまうのだから、やっぱり何かが変わってしまった。

 

「帆波ちゃん、何か気になるの?」

 

「え……うぅん、そうじゃないけど」

 

 一緒に遊んでいたクラスメイトの網倉麻子ちゃんが、私の視線を追って同じように女性向けショップにあるオシャレグッズを眺める。

 

「あ、でもこれとか可愛いかも」

 

「え~、こっちの方が良いって」

 

 そして皆の意識がショップに向けられると、どうしても興味や好奇心が伸びてしまうもの、こればかりは女の子なので仕方がない。

 

 私もよくわかるよ、やっぱり綺麗でありたいって思うもの。

 

 アクセサリーだったり、普段は使わないお化粧品だったりを眺めて、実際にお試し品などを手に取ってみたりしていると、あっという間に時間が過ぎ去っていく。

 

 こういう時間は大切だって、改めて思うな。

 

「ねえねえ帆波ちゃん、香水とか興味あるかな? ほら、色々あるみたい」

 

「香水かぁ、付けたことないかも……あ、でも星之宮先生はよく付けてるよね」

 

「ちょっとキツ過ぎるくらいに……あ、これオフレコでお願い!!」

 

 麻子ちゃんの言葉に皆が耐え切れなかったのか、小さな笑い声を漏らす。言葉にこそしないけれどクラスメイトたちは同じことを思っているみたい。

 

「まああそこまで匂いがキツイのはどうかと思うけど、ちょっとくらいなら良い変化になるんじゃないかな。こういうのに男の子はドキっとするって雑誌に書いてあったし」

 

「普段とは違う香りにってこと? いやいや、匂いを意識されてもさぁ」

 

「え~、馬鹿に出来ないと思うけどなあ」

 

 興味の対象はお化粧品から香水に移っていく。私もお試しの品を一つ取って少しだけ掌に付けてみると、爽やかなシトラスの香りが広がった。

 

「わぁ、良い匂い」

 

「あ、帆波ちゃん、それ気に入ったの?」

 

「うん。あんまりこういうのに詳しくないけど、凄く良いかも」

 

「シトラスかぁ、それも良いよね」

 

 思っていたよりも肌と感覚に合っていたのかな、私は皆と同じようにその香水を購入するのだった……少し前の私には考えられない行動だなあ。

 

 まだショップの中でああでもないこうでもないと、女の子らしく盛り上がるクラスメイトたちを微笑ましく思いながら眺めていると、私の視界の隅っこに思わず視線を引きつける存在感のある人が映る。

 

「……ぁ」

 

 そして自然と吸い寄せられて、意識もしていないのに爪先も向いてしまう。

 

「ん、あれ、一之瀬さん……奇遇だね」

 

「う、うん。笹凪くんもお買い物?」

 

 ケヤキモールの通路を歩いていたのは笹凪くんだった。両手にビニール袋を持っており、中には沢山の食材が入っている。どうやら買い溜めを行っていたらしい。

 

 女性向けショップから購入したばかりに香水が入った袋を持って出た瞬間に、笹凪くんも私を認識したのか声をかけて来てくれる。

 

 穏やかな視線を受けると頬が熱くなり、耳朶から染み込みような独特の声色を感じ取ると、胸の奥に変な締め付けを感じ取ってしまう。

 

「気が付いたら冷蔵庫が空っぽでね。チェスで負けたから腹ペコ小僧に新しい料理を作らなきゃダメなんだ」

 

 クスクスと笑いながら両手に持ったビニール袋を見せつけて来る笹凪くんは、口調こそ困ったものだと言いたげだけど、少し楽しそうな雰囲気がある。

 

 よくわからないけど、チェスで負けたから誰かに料理を振る舞っているのかな? 笹凪くんの手料理……手料理……え、誰か食べるんだよね、それ。

 

「一之瀬さんも買い物かな?」

 

 笹凪くんが視線を女性向けショップの店内に向けると、そこにいるクラスメイトたちを見て微笑ましそうな顔をしてくれる。

 

「うん、女子はこういうことに興味深々なんだよ」

 

「そうらしいね。俺は流行やオシャレには疎いけど、大事なことだっていうのはわかるよ……あれ、もしかして買ったのは香水かな?」

 

「え、どうしてわかったの」

 

「少しだけシトラスの香りがしたから」

 

 お試し品の中から使ったシトラスの香りに気が付いたみたいだ。もしかしたら嫌いな匂いなのかな……。

 

「お試し用を少しだけ使ったんだけど、よくわかったね」

 

「鼻が良いのかもね」

 

 単に鋭いだけだと思う。これくらいだと気が付かない人も多いだろうから。

 

「女の子は凄いね。男にはちょっと香水は敷居が高いよ」

 

「男の子でも付けるのは変じゃないと思うけど」

 

「そういうものかな、ウチのクラスは俺も含めてその辺は疎くてね」

 

「ああでも、笹凪くんが香水をつけてるのは、ちょっと想像できないかもね……なんていうのかな、いつも木の匂いがするから、これだって認識されてるしね」

 

 私は何を言ってるのかな……これだといつも笹凪くんの匂いを気にしてるみたいに聞こえてしまう。

 

「木の匂い……彫刻用の香木の匂いか、なるほど。自分じゃわからないけど俺ってそんな匂いがするのか」

 

 良かった、気持ち悪いとは受け取られていない。本当に良かった。

 

「もしかして不快かな?」

 

「そ、そんなことないよ!? 暖かくて、安心できるし、凄く良いと思うッ!!」

 

 あの夜、部屋から去った笹凪くんが残した木の匂いに胸の奥が凄く満たされたんだから……いや、だから私は何を言っているんだろう、これじゃあ変態みたいだよ。

 

「なら良かった……しかし香水か、そう言えば師匠もよく使い分けていたっけな」

 

 最後の方が囁くような声だったからよくわからなかったけれど、笹凪くんはどこか懐かしむような顔をしていた。

 

「笹凪くん、どうかな……シトラスの香水なんだけど」

 

「ん、良いと思うよ。爽やかでキツ過ぎないし、オシャレに疎い俺にも良い物だってわかる」

 

「そ、そっか……良かった」

 

「しかし、俺も香木の匂いよりも、そっち方面に気を遣うべきなのかな」

 

「それは、どうかな……私は、嫌じゃないよ」

 

 今も、正面にいる笹凪くんからは、香木とシャンプーとボディソープの匂いが混ざった独特の香りが僅かにだけど感じ取れる。香水を付けるときっとそれは感じ取ることができないんだと思うと、少しだけもったいない気分になってしまう。

 

「笹凪くんは、そのままが良いと思うな」

 

「そっか、不快にさせていないのならそれでいいか」

 

 不快なんてことはないよ。凄く安心するし、心地いい香りだもん。

 

 胸の奥がキュッとなって、だけどポカポカとした温もりを与えてくれる、不思議な香りだった。

 

 それはきっと、香水よりもずっと、何かを変えてくれる香りなんだと思う。

 

「あ、そうだ。笹凪くんに渡したい物があったんだ」

 

 今日のお買い物には、これを購入する目的もあったことを思い出す。鞄の中から取り出したのは可愛らしいリボンが結ばれた小包、チョコレートだ。

 

「その、沢山心配させちゃったり、これまでもことあるごとに相談に乗って貰ったり、謝罪と感謝と色々混ぜ合わせちゃうけど……良ければ受け取ってください」

 

「チョコレートかな? ありがとう、甘いものは大好きだからとても嬉しいよ」

 

「本当は、バレンタイン当日に渡せれば良かったんだけど……」

 

「チョコはいつ貰っても嬉しいものさ」

 

 クスッと、頬を緩める笹凪くんは、チョコを受け取ってくれて……その瞬間に自分でもびっくりするくらいに、心臓は高鳴っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実は少し後悔している」

 

 

 

 

 

 坂柳理事長の蟄居、それに伴う後任の人選に組み込まれ、上手くその座に滑り込むことが確定した私は、一応は部下という形になっているので綾小路さんの指示の下、この学園の理事代理となることが確定した。

 

 指令は幾つかあるのですが、どれもこれも簡単なことではない上に、綾小路さんがどこまで本気であるのかもわからないのが現状。上司と部下という関係ではあるものの、そこに確固たる信頼関係があるとは断言もできないので、互いに汲み取るということもない。

 

 高度育成高校、ここはあの方にとって敵地、不倶戴天の敵と定めた存在が運営する場所、いずれは国家の頂点に立とうという野望を持つ人間にとっては邪魔な場所でもあり政策でもあるのでしょう。

 

 そんな場所の弱点や弱みを握ることもまた私の仕事の一つ、おそらくそう長い間を理事として手腕を振るえる訳ではないこともわかっているので、彼の退学というよりもそちらに重きを向けるべきなのかもしれない。

 

 もう一つの仕事は、綾小路清隆の退学ということもありますが……こちらはどうでしょうね、どこまで本気なのかハッキリとしません。今、綾小路さんに必要なのは時間でしょうから。

 

 第一にこの学園の、そしてこの学園をバックアップしている政敵の情報を得ること。綾小路清隆くんの退学に関してはそこまで真剣になる必要もないでしょう……無論、ホワイトルームとは異なる方向性の負荷をかける方針もありますが、それらは最優先という訳でもありません。もしそれで退学してしまったとしてもそれはそれで良し、どちらに転ぼうと大差はない。

 

 何であれ請け負った仕事はしっかりとこなす、それが社会人であり大人です。たとえ汚れ仕事であろうとそれは変わらない。

 

 それに良いと思いますよ。東京湾にコンクリートで固めた誰かを沈めるような仕事よりも、まだ楽なのですから。少なくとも彼に目を瞑れば。

 

「月城代理、こちらが理事長室になります」

 

「ありがとうございます」

 

「何か必要なものがありましたら発注をお願いしますね。物によっては学園の外から持ってこなければならないので、少し時間もかかるでしょうが」

 

「えぇ、そうしましょう。ああそれと、職員室に挨拶に伺いますので教員の方々に通達をお願いします」

 

「わかりました」

 

 私を新しい職場である理事長室に案内した教員の一人は頭を下げて部屋を出ていく。残された私は一先ず革張りの椅子に腰を下ろした。

 

 あまり合いませんね、椅子は新しい物を注文しましょうか。

 

 そんなことを考えながら机の上にあるパソコンを起動して中を検めますが、以前にこれを使っていたであろう坂柳さんは綺麗に情報を処理している様子、あまり期待はしていなかったので別に驚きもない。

 

 まず最初に引っ張りだすのは生徒の情報、1年Bクラスの情報を閲覧するとアイウエオ順に並んだ名前の中から綾小路清隆の情報を拡大する。

 

「ふふふ、随分とまあ」

 

 身長体重、教師からの評価、所有しているポイント、これまでの成績、それら全てを確認していくと、思わず呆れてしまった。

 

 ホワイトルームに残されていた情報と齟齬が大きすぎる。かなり力をセーブしているようですね。どの成績も平均よりは上回っているようですが、彼の本気は全く反映されていない。

 

 それでも何か片鱗のような物を感じさせる辺り、上手いというべきなのかもしれません。入学当初は不自然に50点で揃えられていたテストの点数も、今では80点前後で散らしている辺り、普通の学生というものを学んでいるということなのだろうか。

 

 彼を退学にできるかどうかで言えば、どちらでも構わないで片付いてしまうので、ある程度は放置で良いでしょう。

 

 こちらの干渉を乗り越えるならば良し、乗り越えなくてもそれはそれで良し、寧ろ問題となるのは次の生徒であった。

 

「こちらは……綾小路清隆くんとは別の方向性ですね。実力と数字がまるで噛み合っていない」

 

 次にパソコンの画面に拡大するのは笹凪天武の情報。学力、身体能力、これまでの成績、それらを高校基準の数字に押し嵌めてなんとか表現しようとしているようですが、四苦八苦しているのがよくわかる。当たり前のことですが一般的な物差しでどうにかこうにか測ろうとした所で意味はない。

 

 ここは少し特殊ではあるものの、人間用の教育機関。ゴリラを測れる筈もないということでしょう。

 

 成績は最高位、身体能力も同様、それ以外の項目も軒並み高い。けれどそれはあくまで百点満点が限界であるが故の弊害と言えるのかもしれません。仮に基準の上限が1000点であれば、また違った数字で表されるのでしょうね。

 

「どうして学生がこんな大金を持っているのやら」

 

 次に保有しているプライベートポイントの額に視線が吸い寄せられる……意味がわかりませんね、ふざけるのもいい加減にして貰いたいものです。

 

 ざっと情報を漁ってみると、どうやら学園の外から美術品の売却で得た資金を引っ張って来ているようですが、果たしてどこまで事実なのやら。

 

 おそらくはそんなヘマはしないと思いながらも、一応は何かしらの粗探しができるかもしれないので、彼の取引先の会社を調べておきましょうか……ここまで大胆にやっている以上はおそらくツッコミどころは出て来ないでしょうけど。

 

「干渉の邪魔になるのである程度は資金を削る必要が……いや、やり過ぎれば躊躇なく私を消しにくるのか?」

 

 それが笹凪天武……特殊戦力七号の一番面倒な所であった。彼は物理的に逮捕や排除が困難な身体能力で、法や立場や権力を無視して我を押し通そうとしてくる人間だ……失敬、ゴリラでしたね。

 

 この学園には無い、笹凪天武ではなく特殊戦力七号のレポートは私も回覧しましたが、出した結論が「敵対しない」であることからも、その異常性がよくわかる。

 

 普通は逮捕や法権力を恐れるものですが、物理的に拘束が不可能なので国も基本的に放置している。それどころか報酬を与えて動かしてすらいる辺り、本当に面倒な相手だ。

 

 一度でも彼がその気になれば、おそらく私の首は引きちぎられて体は東京湾に沈むことになる。その後に彼は退学になるでしょうけど、国や警察は捕まえることはないので自由となり、そうなったら最後ホワイトルームも消滅することになってしまう。

 

 いい加減にして欲しいですね。特殊戦力、つまりは超人連中の相手など、一般人である私にさせないで貰いたい。

 

 綾小路清隆以上に、下手したら気を使わなければならない相手であった。この学園は彼をホワイトルームに近づけさせない為の檻とでも思っておきましょうか。

 

「見極めるべきは……どこが怒りのラインなのか、でしょうか」

 

 彼が何に怒り、苛立ち、その拳を振りぬくのか、それを見極めなければならない。つまりは地雷がどこにあるのかを調べる必要があった。

 

 下手に踏みつけて東京湾に沈められるのは避けたいので、彼が許すギリギリのラインを知らなければならない。例えば資金を削ったり、或いは生活に干渉したりなど、方法はいくつか思い浮かんだ。

 

 そうやって彼がどこまで理性的でいられるのかを理解しなければ、学園に干渉している間に知らずに地雷を踏み抜くことも考えられる。そうなると政争相手の弱点を調べるという第一目標は達成できない。

 

 理想を言えば、彼とは不可侵条約でも結んで互いに不干渉が好ましいのですが……。

 

「……無理でしょうね」

 

 それくらいのことはわかる、アレの本質はゴリラであって人間ではない。もし煩わしいと感じたら必ず私に殴りかかって来る、それも躊躇なく。実際に私はそうなってしまったのだから。

 

 これから先、ゴリラに気遣いながら仕事をすることになる……言葉を飾らないのであれば、憂鬱な日々であった。

 

「しっかりと見極めなければ」

 

 彼が理性を保つライン、踏み越えてはならない何か、それを理解するのはおそらくは楽な仕事ではない。

 

「とりあえずは資金を削りましょうか、それで激怒しないのであれば、一つの目安にはなるでしょう」

 

 気分は地雷地帯での行進である。踏み抜かないようにしながら学園に干渉して情報や政敵の弱点を得る。いつどこで爆発するかもわからない物を足元に感じながらだ。

 

 綾小路さん、私をここに放り込んだこと、言葉にこそしませんが恨んでいますからね……。

 

 私はゴリラの監視員ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしかしたらこんな未来もありえる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

『あの英雄病の大馬鹿はそっちに帰ってるかッ!?』

 

 

 衛星通信端末からは、そんな大声が響いていた。またかと思いながらもオレは静かにこう返す。

 

「いや、まだ帰って来てないが、何かあったのか?」

 

『こっちの段取りを全部無視して暴れた挙句、何もかもぶん殴って台無しにしやがった』

 

「いつもの天武じゃないか」

 

『段取りがあるつっただろうが!! こっちはこっちでしっかり交渉して来たっていうのにあのゴリラがッ!! 何が全員殴れば平和になるだ、しかも後はこっちに丸投げしやがった!!』

 

「落ち着け龍園、よくあることだろ……それよりも、文句だけを言いに来た訳じゃない筈だ、報告を頼む」

 

『チッ……とりあえず騒いでる馬鹿どもは全員アイツが黙らした。こっちは現地の有力者を口説いて暫定政府を立ち上げる』

 

「つまりは予定通りなんだな」

 

『あのゴリラが何もかも更地にした以外はな』

 

「戦う人間と兵器が無くなれば戦争は続かないだったか……いつか天武が言ってたな」

 

『実際にそれをやるのは馬鹿だけだ……はぁ、まあいい。綾小路、とりあえずありったけの人と物を引っ張って来い、高円寺にも声をかけとけ』

 

「了解した、何が必要だ?」

 

 そんな言葉に、通信端末の向こうにいる龍園は大きな溜息を吐いた。

 

『十年近くダラダラとくだらねえ理由で内乱やってた国だ、ありとあらゆる物が足りねえ……人に物にインフラ設備、テメエの伝手とあの馬鹿の資金を使ってあるだけ用意しろ――石崎、アルベルト、お前らは残った馬鹿どもが実権を握らねえように監視しとけ!!』

 

 通信端末の向こうでは随分と忙しそうな声や様子が広がっている。龍園は苦労しているようだが……まあ慣れているので問題はないだろう。

 

 天武に振り回される人生である。アイツに捕まった時点で苦労する運命となってしまったんだろう。

 

 そんなことを考えながら衛星通信を切ると、執務室の扉が開いて龍園を激怒させていた張本人が姿を現した。

 

 高校の時からあまり変わらないその様子に、寧ろ安心したまではある。

 

「いや~、疲れた疲れた」

 

「龍園が激怒していたぞ」

 

「彼が怒っているのはいつものことじゃないか、それにやるべきことはやったから問題はないよ。後は彼がなんかいい感じにやってくれるって、初めてのことでも無いんだしさ」

 

「ピースメーカーそのものなんて呼ばれてる男だからな、アイツは」

 

「いつ聞いてもそのあだ名は龍園には似合わないよね」

 

 クスクスと笑う天武は、執務室のソファーに座って体を休めていた。

 

「随分とボロボロだな」

 

「いや、なんか滅茶苦茶強い人があそこで暴れてたからさ、苦戦したというか……死にかけたっていうかね」

 

「お前をそこまで追い込むほどの相手だったのか?」

 

 天武の体には包帯が巻かれており、激戦を物語っていた。

 

「俺よりも明らかに強かったね……でも最後に立ってたのは俺だった」

 

 天武よりも強い? 高校生の頃よりも遥かに強くなって、もう人間の形をしているだけのよくわからない何かとなっている天武より? ちょっと想像できないな……相手はキングギドラだったのだろうか。

 

「そうか、一応、しっかりと医者に診て貰え」

 

「骨折くらいなら三日くらいで治るんだけど」

 

「どれだけ人間を辞めていようが医者は必要だ、行ってこい」

 

「了解」

 

「それと、報告もしっかり頼むぞ」

 

「わかったよ。国連事務次官殿……いや、来月には事務総長だっけ?」

 

「あぁ、何か知らない間に出世してた」

 

「つ、強い……」

 

 何故かドン引きした様子の天武は、ソファーから立ち上がって血が滲む包帯を隠すようにコートを羽織った。

 

「報告は後で書類に纏めて送るよ。でもちょっと待ってて欲しいかな。せっかくこっちに帰って来たんだし、結婚記念日も近いからさ」

 

「そうだな、ゆっくりしておけ……ただ、ある程度落ち着いたら龍園をしっかりと手伝ってやれ」

 

「ん、了解」

 

 天武は機嫌よく鼻歌を奏でながら執務室を出て行こうとする、その背中を見ていると、ついこの間に舞い込んだ話をすることを忘れていたことに気が付く。

 

「そうだ、天武」

 

「何かな?」

 

「ピースメーカーが平和賞の候補に挙がっていたぞ」

 

「マジで?」

 

「それに相応しいとのことだ。まあ幾つかの紛争を終結させた訳だからな」

 

「ノリと勢いで作った団体だったけど、そこまで行くとは驚きだ」

 

「おそらく高い確率でお前たちが選ばれる、代表は誰にする?」

 

「じゃあ龍園で」

 

「……アイツが平和賞か」

 

 邪悪な笑顔を浮かべた龍園の顔を思い浮かべる、あまりにも似合わない。

 

 けれど現実的にそうなる可能性が高いので、何とも言えないな。

 

 後日、ピースメーカーと名付けられた団体は下馬評通り平和賞を授かることになった。幾つかの紛争を終結させて、その後の復興もスムーズに済ませたという功績でだ。

 

 Mr平和製造機なんて呼ばれることもある龍園が代表として受け取ることになり、テレビでその瞬間を見ていたオレと天武は笑いを堪えることができないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はッ!? ゆ、夢か……」

 

 意味不明な夢を見て俺はベッドから飛び起きる。あまりにも勢いがあったので、部屋の至る所に積み上げられていたいマネーロンダリング用の作品たちまで振動が伝わったのか、ガラガラと崩壊してしまうのだった。

 

「変な夢を見たな」

 

 うなされていたのか、じんわりと汗をかいてしまっている。

 

 崩壊した作品たちを一つ一つ積み上げて行って何とか通路を作ると、深呼吸を繰り返す。

 

 そして落ち着いてから夢の内容を思い出して、俺はあまりにもありえない展開に思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 

 だってあの龍園だぞ? この世で一番平和賞を貰っちゃダメな男だろうに。

 

 何故かイラッとしたので、俺はスマホを取り出して龍園に電話をかけるのだった。

 

『なんだ笹凪、こんな朝早くに……今何時だと思ってやがる、ゴリラには常識がねえのか!!』

 

 ほら見ろ、口を開けば悪態ばかりの男である。絶対に平和賞を授けちゃいけないタイプだろう。

 

「龍園、君が平和賞だなんて……世も末だよ」

 

『おいゴリラ……何の話をしてやがる』

 

「君は君のままでいてくれ、似合わない真似なんてしないまま」

 

『おい、だから何のはな――』

 

 通話を切って俺はスマホの電源を落とす。そしてまだ登校には早い時間であったので、もうひと眠りすることに決める。

 

 次は意味不明な夢を見ませんように、そんなことを願いながら瞼を閉じると、深い眠りに落ちていくのだった。

 

 

 

 

 

 



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金で解決できる問題は話が早い
クラス内投票 1


 

 

 

 

 

 

 

 

 学年末試験が終わって数日が経ち、遂に三月となった。思い返せば四月からここに来るまで本当に様々なことが起こったと思う。この学校が滅茶苦茶だっていうのを嫌って言うほどに教えられた一年だった。

 

 きっと次の学年に上がっても同じことを思うんだろうな、もしかしたら新一年生たちを憐れむ可能性すらあるのがこの学校である。

 

 清隆が言うには、ほぼ確実にホワイトルームからの刺客がくるという話なので、そこは不安であると同時に楽しみな部分でもあった。百人くらい来て欲しいよね。

 

「先生、今日から発表っすよね!?」

 

 テストの点数が気になったのか、池が教室に入って来た茶柱先生に食い気味で問いかけている。赤点を取れば退学なのでどうしても気になっているのだろう。

 

「手ごたえはあったのか? 池」

 

「そ、そりゃまぁ。一生懸命勉強しましたけど……」

 

 確かにしていたな。鈴音さんが須藤と一緒に凄く面倒を見ていた。ここ最近はAクラスの背中が見えて来たこともあって、クラスメイトたちのやる気が凄いことになっているので、池だってそれは変わらない。

 

 環境が人を育ててくれる。或いはこれこそがこの学園の教育方針の一つなのかもしれない。

 

「毎回最下位を争っている須藤。お前はどうだ」

 

「少なくとも自信は持ってるぜ。赤点は絶対に取ってねえ」

 

 あの須藤ですらこれほど頼もしい言葉を言えるようになったのだ。この一年間の全てが詰まっているようにも思えるセリフであった。

 

「ふッ……子供の成長は面白いな。誰が伸びてくるのか読み切れない。私の予想を簡単に裏切ってくる。さて、それではお待ちかねの学年末試験の結果を発表するとしよう」

 

 茶柱先生が黒板に張り出したのはクラス全員の点数である。誰がどの位置かよりも、まず赤点を出した者がいないかを確認して……どうやら一人もいないようだな。一安心である。

 

 次に視線が向かうのは一番上、そこには俺の名前があり、鈴音さんと啓誠と高円寺が続いているのが確認できた。

 

 清隆は……80点前後で点数を散らしているようだな。流石は地味な参謀的ポジションである。

 

「貴方は今回も満点のようね」

 

 俺の右斜め後ろから鈴音さんがそんなことを言って来る。どこか楽しそうに。

 

「調子が良かったみたいだ」

 

 高校で出て来る範囲は全て師匠から教えて貰ったので不思議はない。大学に上がっても変わらないだろう。

 

「鈴音さんも良い点数じゃないか」

 

「でも全教科満点は取れなかったわ」

 

「次も頑張ればいいさ」

 

「えぇ」

 

 とても落ち着きと余裕が感じられる声色である、須藤もそうだが彼女も随分と成長したと思う。後一カ月もすれば四月になるけれど、あの頃の鈴音さんはハリネズミモードが基本だったからな。

 

 まだ一年だけど、なんだか遠い所に来たような気分になってしまう。

 

「お前たちも薄々予想しているとは思うが、筆記試験を終えて、それで終わりではない。この後に大きな特別試験が行われることになっている。例年通り、三月八日に開始予定だ」

 

 一年の集大成となる試験が迫っている訳か。おそらく対規模で複雑なものになるんだろうな。それこそクラスの総合力が求められるような何かが。

 

「この一年でDからBまでクラスを上げたお前たちの力を見せてくれ、期待しているぞ」

 

 まさか茶柱先生からそんな言葉を貰えるとは、この人は試験の範囲が変更になったことを伝えないような教師だったというのに。成長しているのは俺たちだけではないということだろう。

 

「とにかく次の特別試験で最後だ。みんなで力を合わせて頑張ろう。そうすれば、誰も退学することなく、このクラスでAクラスを目指せる筈だよ」

 

 平田からの激励を受けて、男女を問わずやる気が広がっていくのがわかった。

 

 茶柱先生もどこか微笑ましそうな表情で、俺たちを見守っているようにも思える。

 

 良いクラスになったと思う……本当に。

 

「お前たちなら、本当にこのまま三年間、誰一人退学者を出さずに卒業することが出来るかもしれない、そう期待している」

 

 最後にそう締めくくられてホームルームは終わりとなった。それと同時に俺のスマホには一通のメールが届く。差出人は坂柳さんとなっている。

 

 どうやら話があるらしい、以前に君を守ると言う約束を結んだコモンスペースで待っているという内容だ。

 

 目前に迫った特別試験の打ち合わせだろうか? 別に釘を刺さなくてもしっかりと挑むと宣言しているんだが。

 

 そんなことを考えながら指定された時間にそちらに向かう、授業の合間にある休み時間ならば、学校の片隅にある寂れた自販機前に人は集まらないだろう。

 

 俺がコモンスペースに着くと、既に坂柳さんはベンチに腰を下ろしていた。手下の姿が見えない辺り、他には聞かせられない話であるらしい。

 

「お待ちしていました」

 

「ごめんね、待たせてしまったかな」

 

「お気になさらず、ほんの僅かな時間でしたので」

 

「なんだかこのやり取り、デートの待ち合わせあるあるっぽいよね」

 

「フフ、確かにそうかもしれません」

 

 いつも通りの不敵な笑みを浮かべる坂柳さんの隣に座ると、彼女はさっそくとばかりに自分のスマホを俺に見せつけて来る。

 

 そこには綾小路清隆を退学させる為に協力するようにという、意味不明な内容のメールが映し出されていた。

 

 誰がこんなメールをと考えていると、その答えは坂柳さんから教えてくれることになる。

 

「実はつい先日、父が理事長を停職となりました。このメールを送って来たのは新しくその座に就いた人物でしょう。わざわざこのような内容を送りつけて来たのです、十中八九、彼の関係者かと」

 

「ん……なるほど、来るとしたら来年かと思ってたけど、強引に突っ込んできたのか」

 

 俺は懐からスマホを取り出して、清隆に状況説明のメールを送った。

 

「相手の容姿や年齢、性別は? 保有する戦力は? 泳ぐのは得意かな?」

 

「詳しくはなにも……しかしそのようなことを訊いて、何をなされるつもりですか?」

 

「特に何も……」

 

 そう言えば東京湾が近いと思っただけだ。ただそれだけのことで別に他意はない。

 

「このメールには細かな方法は書かれていないようですが、おそらく何らかの形で今後、特定の生徒を退学させやすい試験が行われる可能性があります」

 

「今朝のホームルームでは茶柱先生が最終試験があるみたいなことを言っていたけど、それかな」

 

「かもしれませんね」

 

「因みに訊いておくけど、坂柳さんは協力するつもりなのかい?」

 

「まさか、そんなつもりは欠片もありませんよ」

 

「そりゃそうか、清隆と戦いたいんだもんね」

 

「えぇ、証明の為に」

 

 天才がどうのこうのと言う奴か、けれど清隆に関しては普通に天才の部類だと思うんだけどな。

 

「清隆は普通に天才なんじゃないかな、ホワイトルーム関係なしに」

 

 天才に滅茶苦茶な教育環境を与えたらああなりました。特別な例なので注意してくださいと、そんなことを俺は思うのだけれども。

 

「それならそれで構いませんよ」

 

「そうなのかい?」

 

「あの場所で、あの環境で、作り上げられた存在ではないという話で終わりですから、私は満足です」

 

「なるほど、だからこその証明か」

 

「その通り……ですので、勝っても負けても、私は満足するのかもしれません。勝利すればこの人は私には届かなかった、敗北すればこの人はただの天才だった、そう納得するでしょう」

 

 凄く前向きな考え方と言えるのかもしれない。清隆は付きまとわれてちょっとげんなりしているけれど。

 

 坂柳さんはやはり不敵に笑って杖を片手に立ち上がる。話は終わったとばかりに。

 

「どうかお気をつけて、綾小路くんにも危機が迫っているとお伝えください」

 

「情報提供ありがとう。相手の出方はまだ不明だけど、心構えだけはしておくよ」

 

「そうしてください」

 

 思わぬ形でホワイトルームからの刺客が迫っていることを知ることができたな。黙っていることもできただろうに、彼女なりに配慮してくれたということだろうか。

 

 坂柳さんを見送ってから俺もベンチから立ち上がり、とりあえず理事長室に向かって顔だけでも確認しておこうかと考えていると、その途中で何やら話し合っている堀北先輩と南雲先輩の姿を発見する。

 

 せっかくなので声をかけると、南雲先輩からは滅茶苦茶嫌そうな顔をされてしまった。ちょっと酷いと思う。

 

「南雲先輩、まだ賭けに勝った分のポイントが支払われていないんですけど」

 

「おいおい笹凪、億単位のポイントを動かせるってのに、随分と細かいことに拘るんだな」

 

 いやいや、自分から持ち掛けて来てそれはないだろう。

 

「龍園なんかは学校側に訴えようとしているんで、そうなる前に払った方が良いですよ。因みに俺も連名で訴えます」

 

「たく、抜け目のない奴らだ」

 

 南雲先輩はスマホを操作して俺にポイントを送ろうとして、画面からこっちに視線を向けた。

 

「そう言えばお前の連絡先は知らないな」

 

「あぁ、ならついでに交換しましょうか」

 

 この人とメル友になれるとは思えないけど、交換して困るようなこともない。暇な時にでも美術品の写真を送って採点してもらおうかな。

 

「龍園の分はお前から渡しておけ、そっちのスマホに渡った時点でそこから先のことには責任を持たないからな」

 

「了解しました。俺が責任をもって渡しておきましょう」

 

 訴えられたくはないからな。

 

「それで、お二人は何の話をされていたんですか?」

 

 有名人である二人の会話である。気にならないと言えば嘘になった。

 

「ちょっと堀北先輩に相談事があったのさ。そうッスよね?」

 

 そんな確認に堀北先輩は静かに頷いた。

 

「一年や二年より先に、堀北先輩が無事にAクラスで卒業できるかどうかの重要な戦いの前哨戦が明日から始まる。そのことで直接話を聞いていたのさ。お前も興味があるだろう?」

 

「確かに、上級生の特別試験がどんなものなのか気になりますね。ただ堀北先輩のクラスは独走状態ですよね? 一番近い位置にいたBクラスが勝手に自爆したんですから」

 

 混合合宿でAクラスは救済用のポイントを積極的に稼いでいた。無傷とはいかなかったが被害は最小限に収められた筈だ。対してBクラスは壊滅状態であり得る物が一つもないままクラスポイントを大きく下げて、噂では士気が崩壊したらしい。

 

 そんなクラスをテコ入れしようにも、南雲先輩自身もあの合宿で猪狩先輩と朝比奈先輩の救済に4000万ポイントと400クラスポイントを消費したので余裕もそこまでない。たとえ学年中から徴収できる立場であるとしてもだ。

 

 そもそも卒業が迫ったあのタイミングで、あれだけの失態だ。Aクラスのように試験でポイントも稼いでいなかったので、3年Bクラスは本当に夢潰えるといった状態であるとは、一年生にも広がっている話だ。

 

 もう勝てないから受験勉強に専念しよう、大半がそんな様子である。

 

「そこが残念だ。今からどれだけテコ入れしようが堀北先輩には迫ることもできない……本当に、最後のチャンスだったんだがな」

 

 残念そうにそんなことを言う南雲先輩も、どこかやる気を無くしているようにも見えてしまう。堀北先輩に勝つことを夢見ていたようだが、Bクラスの士気崩壊によってそのチャンスすら得られなかったらしい。

 

 そう考えると少し悪いことをしてしまったと考えなくもないが……いや、ダメだな、誰が悪いのかと言えばこの人が悪いんだから。

 

 もしかしたらBクラスは南雲先輩を恨んでいるのかもしれない。話が違うと。

 

「まあ、だからこうして妹さんを交えて話をしようと思いましてね」

 

 妹さん? 鈴音さんを巻き込もうと言うことだろうか? 確かに堀北先輩への嫌がらせとしては最高の方法なのかもしれない。

 

 丁度、タイミングよく鈴音さんが姿を現したからな。この分だとわざわざ呼び出したのか?

 

「お前が呼び出したのか、南雲」

 

 堀北先輩も鈴音さんの登場に、ほんの僅かにだが苛立ったようにも見える。よく観察しないとわからないレベルであるが。

 

「先輩の妹に声をかけておくのは当然でしょう。来年は、俺が生徒会長として後輩たちを引っ張っていくんですから。笹凪もそうは思わないか?」

 

「何か面白いことをしてくれるのなら、一学生として俺は楽しむつもりですよ」

 

「はは、意外にノリの良い奴だな……俺との勝負には興味を向けない癖に」

 

「その時が来れば俺の方から挑ませて貰いますって。生徒会長らしくどっしりと待ち構えていてください」

 

 その時が本当に来るかどうかはわからないけれど、別にこの人と戦うのは嫌な訳ではない。

 

 挑発を交えながら会話をしていると、そこに鈴音さんが意を決したように割り込んでくる。

 

「私にメールを送ってきたのは、南雲生徒会長ですか」

 

「正確にはちょっと違うが、そんなところだ。お前が堀北先輩の妹だな?」

 

「はい、堀北鈴音です」

 

「まさか堀北先輩の妹が入学時はDクラスに配属されていたとはな、意外だった」

 

「何が目的だ南雲」

 

「ただ会いたかっただけですよ。先輩とその妹にね」

 

 品定めという目的でもあったのかな。嫌がらせの相手としては文句ないんだろうけど。

 

「先に言っておくが、妹を使ったところで俺から譲歩を引き出せると思わない方がいい」

 

「譲歩? まさか。俺が先輩の妹かつ可愛い後輩に、手を出すとでも?」

 

「勝つ為なら手段をえらばない。それがお前の筈だ」

 

「別に責められるようなことでも無いと思いますけどね。笹凪もそう思ってますよ、きっとね」

 

 どうなんだと言いたそうな、二人の視線がこちらに突き刺さる。後輩に圧力をかけるのは止めて欲しい。

 

「勝利を目指す為にありとあらゆる手段を用意するのは当然のことですよ……けれど俺は、最終的には正面突破になると思いますけど」

 

 金だろうと腕力だろうと、何もかもを置き去りにするほどの規模でぶん殴る。それが一番だと結論を出してしまう。別に小技を否定するつもりはないし、必要なら行使もするけど、真ん中だけはブレない。

 

「お前はそうだろうな。そういうタイプの人間だ……ん、人間?」

 

 何で南雲先輩は自分の発言に首を傾げているのだろうか、俺は間違いなく人間なのに。

 

「まあなんであれ水臭いですよ。先輩の妹なら、生徒会にだって誘いましたし、俺が卒業した後に生徒会長の座だって狙えるでしょうから」

 

「血縁関係で実力を推し量るな。俺がどうであったかは妹と関係がない」

 

「辛辣な評価ですねえ……妹さんはどうなんだ?」

 

 俺たちの視線が鈴音さんに集中していく。しかし彼女は臆することも戸惑うこともなく、深く考え込んでいるようだった。

 

「そうですね……いずれは、生徒会の門を叩こうと思っています」

 

 少しだけ意外な発言である。彼女はそういったことにこれまであまり興味を向けている雰囲気はなかったからだ。

 

 堀北先輩も、若干驚いているようにも見えるな。

 

「兄が言ったように、血縁は関係ありません……ただ、私がこの学園で、そしてクラスでどんな貢献が出来るかと考えた時に、そういった立場も必要になると思っていました」

 

「へぇ、良い子じゃないですか、堀北先輩」

 

「ですが、どちらかと言えばそれは勝利の為の行動です。生徒会役員となれば、何らかの形でクラスを有利に動かせるかもしれないと考えています」

 

「打算無しに生徒会に入るヤツなんていないさ。お前さえ良ければ今日からでもどうだ?」

 

 そんな南雲先輩の誘いに、鈴音さんは首を横に振った。

 

「いずれは、という話なので……一年最後の特別試験も控えています。二年になってある程度落ち着いたその時には」

 

「あぁ、楽しみにしてるぜ。ついでだし笹凪も入れよ」

 

「あんまり興味は――」

 

「ダメよ、入りなさい」

 

 鈴音さんが強い口調でそう言ってくる。拒否権など無いかのように。

 

「優秀な人を放置しておきたくないわ。後、できれば生徒会役員の席をこちらのクラスで一つでも多く奪って他は締め出したいのよ」

 

 なんて利己的なんだ。ここまで堂々と利益を求めるとは恐ろしい人である。利用できるものは猫でも使うつもりらしい。

 

 もし生徒会に入ったら美術部を辞めないといけないな……鈴音さんのこの様子だとおそらく問答無用になる可能性もあるので、それまでに資金調達は完了させておくか。

 

 まあホワイトルームからの刺客や、俺を警戒している南雲先輩が変な横槍を入れて来る可能性もある。目立つ上に強引になってしまうけど、部屋に置いてある作品を一気に放出して纏まった資金を引っ張って来てそれで終わりにしよう。

 

 それなら美術部を辞めて生徒会に入っても問題はない。目標金額と保険の為の余剰資金は貯まっているのだから。後は完全に趣味として活動すればいいか。

 

「ははは、優秀な妹さんじゃないですか。これくらい肝が据わってないと生徒会には入れそうにないですよ。堀北先輩もそう思いませんか」

 

「……否定はしない」

 

「そんな訳だ。お前たちが生徒会に来るのを待ってるぜ」

 

 どこか上機嫌になって南雲先輩はその場を去っていく。残された俺たちの間には僅かな沈黙が広がった。

 

 兄妹は少しだけ見つめ合い、しかし会話をすることなく別れることになる。

 

「行きましょう天武くん、授業が始まるわよ」

 

「良かったのかい?」

 

「えぇ……今は、目の前に迫った試験に集中したいの」

 

「そっか……君がそれで良いのなら、俺から言うべきことはなにもない」

 

 いつかこの兄弟がしっかりと向き合う日は来るのだろうか。鈴音さんもそうだけど、堀北先輩側もかなりこじらせているようにも俺には見えるんだが。

 

 まあ未来のことはわからない。けれどあの人の卒業も目の前に迫っている。どこかで時間を作るように説得してみるか。

 

 余計なお節介かもしれないけど、一之瀬さんの時はそのお節介を躊躇してしまったからな、今度は間違えないように行動するとしよう。

 

 己の愚かさで誰かが悲しむのはもうごめんだ。

 

 

 

 

 




原作読んだ時もそうだったけど、この試験は本当に鬼畜だと思う。高校生になにをやらしてるんだと……月城さんの罪は重い。でもここにはゴリラがいるからね。


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クラス内投票 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一年最後の特別試験が行われることが発表された翌日、クラスメイトたちはそれぞれが来るなら来いとでも言いたげな顔つきでその時を待つことになるのだが、俺としては坂柳さんから齎された情報の方が気になっていた。

 

 ホワイトルームからの刺客である可能性が高いその人物が、学園を指揮する立場になったというのなら、正直に言わせて貰えば最悪だと思う。

 

「天武、昨日のメールのことなんだが」

 

 清隆も同じ気持ちなのか、登校のする前に寮のロビーで待ち受けていて、開口一番にそう言って来た。

 

 とりあえず校舎へ歩きながら、昨日坂柳さんから聞いた情報を改めて共有することにしよう。

 

「坂柳さんが言うには、お父さんが停職してしまって、代わりにその立場に就いた人が送って来たんじゃないかって推測していたけど」

 

 清隆はその言葉に考え込む。

 

「ありえなくはない、か……仮にもしそうだったとしたら、少し面倒なことになるだろう」

 

「だね、それこそあることないことでっちあげて退学とかしてくるなんてことも……」

 

「否定はできないか」

 

「どうしようか?」

 

「その人物の出方次第だ。水面下で動くのか、それともなりふり構わず大胆に動くのかで、こっちの対応も変わって来るだろうしな」

 

「現状では様子見しかないかぁ」

 

「坂柳にそんなメールをしてきたんだ。今度の特別試験で、何かしら介入してくる可能性もある」

 

「まだどんな試験なのかわかってないけど、心構えだけはしておこうか。来るとわかっているのと、完全な不意打ちではまた違うだろうしね」

 

「ああ、その通りだ」

 

 下駄箱で靴を履き替えて自分たちの教室に入ると、いつも通りの光景が広がっていた。鈴音さんはホームルームが始まるまではいつも読書をしていて、池や須藤や山内は何やら盛り上がっていて、平田は相変わらず色々な人に気遣っている。

 

 教室に入ってすぐに明人と啓誠の二人と目があったので清隆と一緒に挨拶をして、その流れで波瑠加さんと愛里さんとも話す。いつも通りの、日常とさえ言ってもいい程に繰り返した朝の時間であった。

 

 クラスメイトたちもそれは変わらない。いつも通り仲間内で話して、くだらないことで笑い合ったり、次の試験はどんな物になるのかと緊張していたり、様々だ。

 

 もう一年近い付き合いになるけれど、来年も同じような時間が続くことになるんだろうな。気の良い奴らばかりなので大切にしたいと思う。

 

 当たり前の日常を、当たり前のまま継続させる……それが難しいことだとより実感したのは、朝のホームルームが近づいてきて茶柱先生が深刻な面持ちで姿を現した時である。

 

 茶柱先生は眉間に皺を寄せ、いつも以上に鋭い視線と雰囲気で教壇に手を置き、俺たちを見つめて来た。

 

「あの、何かあったんですか?」

 

 そんな担任教師の様子を感じ取った生徒たちを代表して、平田がそう訊ねる。

 

 だが茶柱先生は沈黙だけを返す。そのまま暫く時間が過ぎ去って、いよいよ生徒たち只事ではないのではと思い始めた頃、遂に先生は言葉を発した。

 

「……お前たちに、伝えなければならないことがある」

 

 その雰囲気でわかってはいたが、どうやら深刻な事態が待ち受けているらしい。

 

「一年度における最後の特別試験が、三月八日に始まることは昨日伝えた通りだ。この特別試験を終えることで、二年生への進級を完了とする。通例の話だ。しかし今年は。去年までとは少しだけ状況が異なる」

 

「異なる、ですか」

 

 平田の言葉に茶柱先生は頷いた。

 

「本年度は一人も退学者が出ていない。この段階まで進み、退学者が出なかったことは、この学校の歴史上これまで一度もなかったことだ」

 

「それって、俺たちが優秀ってことですよね」

 

 調子に乗った訳ではなく、池が確認するようにそう訊くと素直に認められることになる。

 

「そうだな。それは学校側も認めているところだ。通常、これは喜ばしいことと言えるだろう。我々学校サイドとしても、一人でも多くの生徒が卒業してくれることを願っている。しかし、それでも予定と異なるという点では、問題を孕んでいると言わざるを得ない」

 

 この人にしては随分と遠回りな言い方をするな……つまり、それだけ深刻な問題ということか、それこそ教員レベルを飛び越えて何かが起こったかのような。

 

「茶柱先生」

 

「笹凪、どうした?」

 

「どうやら事態は深刻なようですね。ですが言葉を選んでも状況は変わらない筈です……本題に入りましょう」

 

「……そうだな、その通りだ」

 

 手に持ったチョークが黒板を滑っていく、そこには追加の特別試験を挟みこむ情報が書き込まれてしまう。

 

 同時に、この嫌な感覚の正体を何となく掴んだ。坂柳さんから齎された情報と、ホワイトルームからの刺客という言葉がこの状況にガッチリと噛み合ったからだ。

 

 清隆も俺と同じことを思ったのか、後ろの席に座る彼は俺の襟首付近を少しだけ引っ張っている。警戒しろと言わんばかりに。

 

 特例で、追加の試験を差し込んで来る。その事実にクラスメイトは当然ながら驚いていた。

 

「ええッ!? なんですかそれ!! 追加の特別試験とか最悪じゃないですか! ていうか退学者が出なかったからって追加でやるなんてガキみたいじゃん!!」

 

 こればっかりは池の言葉が全面的に正しいだろう。一切の反論すら出て来ない。

 

 だが、茶柱先生の様子を見る限り、教員レベルではどうしようもない話なのだろう。

 

「お前たちが不満に感じるのも当然だ……しかし、これはもう決定事項だ。受け入れろ」

 

 更に黒板に情報が書き込まれていく、追加の特別試験の内容が。

 

「特別試験の名称は……クラス内投票だ」

 

 まさかこのタイミングで選挙でもする筈もなく、学級委員長を決める筈もない。そして退学者が出なかったから行われる試験であることから、かなり嫌な予感が膨れ上がっていく。

 

「特別試験のルールを説明する。お前たちは今日から四日間で、クラスメイトに対して評価をつけてもらう。そして賞賛に値すると思った生徒を三名、批判に値すると思った生徒を三名選択し、土曜日の試験当日に投票する。それだけだ」

 

 それで投票を受けて笑って済ませられないのは、茶柱先生の様子を見ればわかってしまう。

 

 特別試験の説明はそのまま続いていき、この場にいる全ての者を黙らすには十分な内容であった。

 

 何よりも目を引くのは批判票を最も多く集めた生徒は、退学になってしまうという項目である。逆に賞賛票を集めた生徒にはプロテクトポイントが与えられることになるらしいが、今はそこはどうでもいい。

 

 批判票や賞賛票、その運用や結果はあまり重視しなくていい。後で考えるとして、最も重要で大切な話がある。

 

 俺は試験の内容に動揺を隠せないクラスメイトたちを代表して、茶柱先生にこう訊ねた。

 

「先生、この試験では必ず、絶対に退学者が出るんでしょうか……救済の方法はありますか?」

 

 あると言ってくれ、言ってくれない場合、俺は今から退学を受け入れて新しい理事長の所に行くから。

 

 そう言えば東京湾が近いな……他意はないけどそんなことを思った。後、ホワイトルームは埼玉にあるらしい。別に関係はないけどそんなことを考えてしまった。

 

 茶柱先生も、きっとその話をしたかったのかもしれない。さっきから俺に視線を送って来ていたからだ。この人は俺が持っているポイント量も把握しているので、その視線の意味もわかる。

 

「ある」

 

 ああ良かった、俺の頭から東京湾とホワイトルームが遠ざかっていく。これなら俺が退学してまで元凶に殴り込む必要も無いだろう。話がわかるようでなによりであった。

 

「お前はもう察しているようだが。批判票を集めて退学することになった場合も、プライベートポイントを支払えば取り消すことができる」

 

「額はどれくらいですか?」

 

「2000万ポイントだ」

 

 安いな……いや、安くはないけれども。財布の中に億単位のポイントがあると、楽に感じてしまう。

 

 だがこれで安心できる。既に俺の中ではこの特別試験は終わったも同然であり、プロテクトポイントをどうするかという話になっているからだ。

 

 前向きに考えるとするか、これは2000万でプロテクトポイントを購入する試験なのだと。

 

 ならば与えるべき相手は一人しかいない……清隆だ。

 

 おそらく俺の後ろの席にいる清隆も同じことを考えているだろう。そして既に結論を出している筈だ。

 

「そ、そんな額無理に決まってるじゃないですかッ!?」

 

「それ以外に退学を回避する方法はないと断言しておこう……後は全てお前たちが決めることだ」

 

 池の言葉を最後まで冷静に受け止めて、茶柱先生は俺に視線を送ってから教室の隅にある教員用の椅子に座ってしまう。

 

 ザワつくクラスメイトたち、困惑と動揺と、忍び寄って来る恐怖、同時に試験の内容を考えれば隣にいる人物が自分に批判票を入れるのではと考えてもしまう筈だ。

 

 疑心暗鬼になる前に、動く必要があるな。この試験はプロテクトポイントを購入する試験であると知らせなければ。

 

 椅子から立ち上がると、その瞬間にクラスメイト全員の視線がこちらに向く。それを一身に受けると、集中力を深めて俺は師匠モードに移行した。

 

 そのまま教室の前、教壇と黒板の間に立ち、先ほどの茶柱先生のようにクラスメイトたちを眺める。

 

「全員、傾注」

 

 言うまでもないことだが、一応は伝えておこう。困惑も同様も、全て吹き飛ばしてこちらに集中できるように。

 

「これから、この特別試験について話し合う」

 

 誰かが喉を鳴らした音が聞こえて来るかのようだ、それほどに静謐な教室には、師匠モードになった俺の言葉だけが広がっていく。

 

 全員がこちらの主張を待っていて、或いは誰の名前を口にするのか……具体的に言えば誰を退学にさせるのかを怯えながら構えているのかもしれない。ここでもし、俺が口にした名前が退学の筆頭候補になってしまう位には、俺の発言力があることくらい皆わかっているのだろう。

 

「まず、最初に――――」

 

「待って欲しい!!」

 

 だが静寂を破ったのは平田であった。焦りと動揺を隠さず、それどころか彼らしくない困惑すら混ぜ合わせた表情で立ち上がり、言葉を遮った。

 

「笹凪くん……今から、誰を退学にするのか、指名するつもりなのかい?」

 

 そんなつもりは欠片もない。金で解決できる問題は簡単なのだから深刻になる必要もなかった。

 

「いや、違う」

 

「えッ……いや、でも」

 

「そんなことをするつもりは欠片もない。平田、お前らしくもないな、何をそんなに焦っている」

 

「本当に……退学する人を指名するんじゃないんだね?」

 

「不安か?」

 

「そ、それは、当然だよ……こんなことで、クラスメイトが争うなんて」

 

 全くもってその通りだ。学校側もかなり酷なことをしていると思う。高校生に何をさしているんだここは、色々とアレな所はあっても教育機関だろうに。

 

「そうか、だがとりあえず座れ、そして俺の話を聞け」

 

 平田は不安そうな顔をしながらも、ゆっくりと脱力して椅子に腰を下ろす。

 

「皆も不安に思っているだろう。当たり前だ、俺もここまで舐められて腹が立っている……だが今更文句を口にしても意味が無いのならば、この試験を堂々と乗り越えるしかない」

 

 必要なのは力だ、そして付いて来いと言えるだけの存在感だ。

 

 後ろに続く誰かに、この背中を見せつけることもまた、誰かを率いる者の仕事であり責任でもある。

 

「まず、全員安心しろ」

 

 教室を右から左へ見渡していく。全員の不安と緊張を解すように。

 

「お前たちの前には誰がいる」

 

 ここまでの実績が、功績が、態度が、実力が、未来を証明してくれる。

 

 この人に付いていけば安心だ……そう思わせるのもまた、俺の仕事でもあった。

 

「そうだ……俺がいる」

 

 いつだってそうなるように振る舞って来た。それが俺の役目だと理解していたのだから。

 

「俺はこのクラスから退学者を出すつもりはない。2000万ポイントを払って必ず救済しよう……不満は?」

 

 ざっと教室を観察すると、こちらの言葉に安堵している者が大半だ。しかし疑問に思っている者もいる。

 

「啓誠、不満か?」

 

「いや、そうではない。その考えや言葉は正直ありがたくもある……だが、現実問題として、どう工面するつもりなんだ?」

 

「あ、でも、私たちのクラスはAクラスから毎月結構な額を貰っているよね? 天武くんが管理してるんでしょ?」

 

 啓誠の言葉を桔梗さんが繋ぎ、そう言えばそうだったと何名かが思い出したような顔になった。

 

「それでも、2000万ポイントには足りないわ……クラス貯金を集めても変わらないし、仮にクラス中から追加で集めるとしても、届くかどうか」

 

 そして鈴音さんは頭の中で算盤を弾いているらしい。確かにAクラスから毎月百万ポイントが支払われているが……正確にはいたが、それでも現在は一千万にも届かないくらいである。毎月行っているクラス貯金を合わせても届かない。クラス中から集めてもおそらくは足りない。誰も彼もが霞みを食って生きている訳でもないのだから。

 

 ひっそりと契約が打ち切られたことを知っているのは清隆と俺だけである。表向きは今も支払われている形だ。これから入って来るポイントは俺が払うことになるというか、そういう風に偽装することになっている。

 

「そこに関しては問題ない。今回の件に関してはAクラスからのポイントは使わないし、皆から徴収することもないからだ」

 

「どういうことかしら?」

 

 鈴音さんはどれだけ計算してもポイントが足らないことをわかっている。その上で問題ないと言った俺を不安そうに見ているな。別に借金をするつもりもないさ。

 

「Aクラスから流れて来るポイントはここでは使わない。今後、必要になってくる試験で使おうと思っている……そもそも2000万には足りないから、無意味な数字だ」

 

「それなら、どうするつもりなんだい?」

 

 教室の中で最も不安そうな顔をしている平田の言葉に、安心させるように穏やかな口調でこう返す。

 

「俺が個人的に集めたポイントを充てる……2000万全てだ」

 

 すると教室には別種の驚きと困惑が広がっていく。いきなりそんなことを言われても困るのはよくわかる。

 

「そういや、何か笹凪は滅茶苦茶ポイント持ってるって噂があったような」

 

「山内、その噂は事実だ。俺は今現在、2000万ポイントを払えるくらいの額は持っている」

 

「マジで!?」

 

「なので、この試験に関してはそこまで心配する必要はない。誰が批判票を集めて退学になったとしても、こちらで救済することをここに宣言しよう」

 

 力強いこちらの主張に全員が困惑や動揺を萎めていき、安心と余裕が生まれて来るのが見ていてわかった。どうやら俺の言葉を信頼してくれているらしい、それくらいの実績は積み重ねて来たということだろう。

 

「だから発想を変えよう。これは誰を退学にするかの試験じゃない、俺がプロテクトポイントを購入するだけの時間なのだと……簡単だろう?」

 

「おぉ、それなら楽勝だな!! さすがゴリラ様だぜ!!」

 

 もう安心だと思ったのか山内が調子に乗り出した。それに続くように池や須藤も同様だ。しょぼくれた顔よりはずっと良いと俺は思う。ああいう賑やかしもまた集団の中には必要なのだから。

 

「笹凪くん、本当に救済できるんだね?」

 

「応とも、つまらん嘘をこんな場所で吐くものか」

 

 最後の最後まで動揺と困惑を消すことの無かった平田であったが、俺がそう伝えると急激に脱力して背もたれに体を預けるのだった。

 

 らしくない様子ではあるが、とても安心しているようなので問題はないだろう。必要なら後で話でも聞くとしよう。

 

「具体的な内容を詰めておくぞ……と言っても、お前たちに俺から何か指示することはない。再度繰り返して宣言するが、誰が退学者になろうとも俺が必ず救済する。なので賞賛票も批判票も、それぞれが好きな名前を書けばいい。こちらからは何も強制はしない」

 

「え、それで良いの?」

 

 軽井沢さんはキョトンとした顔をしている。

 

「さっきも言っただろう。この試験は俺がプロテクトポイントを購入する為だけの時間だ。何も複雑に考える必要はない……あぁ、だが他クラスへの賞賛票に関してはこっちで預からせてくれ、場合によっては交渉に使える可能性もあるからな」

 

「そっか……あれ、じゃあもう試験は終わりってこと?」

 

「その通り……試験は既に終わった。俺たちは一年最後の試験に向けて進むだけだ」

 

 すると軽井沢さんは勿論のこと、クラスメイト全体に安心感が広がっていった。皆内心ではこんな滅茶苦茶な試験に怯えていたということだろう。

 

 気持ちはわからなくはない。俺だって似たようなものなのだから。

 

「俺からは以上だ。もう一度説明するが、各々批判票も賞賛票も好きに書いて投票してくれ。他クラスへの賞賛票に関しては他クラスの動きがわかってから指示することになると思うからそのつもりでいて欲しい」

 

 師匠モードでそう言い終えると、俺はクラスメイトたちの安堵を感じ取りながら席へ戻っていく。一つの後ろの席にいる清隆とアイコンタクトを交わしてから、授業が始まるのを待つことになるのだった。

 

 こうして急遽刺し込まれたこの特別試験は終わることになる。俺にとってこの試験は内の問題ではなく、外の動きの方が重要なのかもしれないな。

 

 なにせ坂柳さんからの情報では、今この学園のトップがホワイトルームからの刺客であるらしいので、何が何でも清隆にプロテクトポイントを取らせなければならないだろう。

 

 とりあえず交渉だな。他クラスの賞賛票を引っ張ってこないといけない。

 

 いや、これは言い訳か……俺はただ他のクラスに2000万を押し付ける理由と動機が欲しいのだ。その為の賞賛票の買収である。

 

 授業が終わったらすぐに動くとしよう。ダラダラとこんな試験を続けてはいられない。

 

 

 

 

 




月城「よし、まだ私の首は繋がってますね……彼はこれくらいなら怒らないと、意外に寛容なようで何よりです」


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クラス内投票 3

 

 

 

 

 

 

 授業が終わって放課後になると同時に俺はさっそく動き出す。席を立った瞬間にこれから会う人物たちを思い浮かべていると、教室から廊下に出た瞬間に清隆に声をかけられた。

 

「賞賛票を集めに行くのか?」

 

「あぁ、今回の試験。プロテクトポイントは君に所持してもらうから、そのつもりでいてほしい」

 

「そうしてくれ」

 

 おそらく清隆も同じ結論を出していたんだろうな。ホワイトルームからの刺客がいるとわかっている以上は、俺の中では彼に持たせる以外の選択肢がない。

 

「さすがにクラスメイトに指示はできないか」

 

「まあね、指示したとしてもどうしてそんなことをって思われるだろうし、それなら他クラスの策略で俺にプロテクトポイントを持たせたくないってことにして、君が偶々選ばれた形の方がまだ言い訳できる」

 

 あまり表でできない話ではあるので、二人してトイレに入って用を済ませながらの会話となった。

 

 トイレで並んで作戦会議か……これはこれで高校生あるあるなのか? 不良漫画にありそうなシーンである。

 

「寧ろ問題なのはプロテクトポイントを取った後のことだ。こんなタイミングでわざわざ差し込んで来た以上、必ずそれが必要になる場面がある筈だ」

 

 確かに、清隆の言葉は正しいだろう。目の前に学年最後の特別試験も迫っているからな。そこで使わない筈がないか。

 

「仮に今度の試験で使うことになって、負けた側は責任を持って退学とかになるのかな?」

 

「その為に使うのは避けたいな」

 

「同感だ。せっかくこんな権利をくれるんだから、君はそれを守ることを最優先に考えてくれ」

 

「どうしようもない時もあると思うがな」

 

「なぁに、勝てばいいのさ……そうだろう?」

 

「それもそうだ、この学園のトップが刺客である以上は、必ず必要になるものだ」

 

「回避不能な嵌め技とかして来そうだもんね」

 

 その時の為にもプロテクトポイントの維持は必要だろう。失うことはできるだけ避けたいものだ。

 

 トイレでスッキリして、手を洗っていると、懐に入っていたスマホが立て続けに震えだす。どうやら複数のメールが届いたらしい。

 

 その大半が二年生からだ。内容も共通していて、南雲先輩が学年からポイントを集める指示を出したらしいとのこと。

 

 使用意図はわからないが、どうして二年生のあの人がこのタイミングでポイントを集める必要があるのだろうか? 混合合宿であれだけ大損した上に、俺と龍園にポイントを払ったので結構な量が既に流出しているというのに。

 

「清隆、今二年生から三十通くらいメールが来たんだけどさ。なんか南雲先輩がポイントを集めてるみたいなんだけど、何故かわかるかな?」

 

「それだけだと情報が少なすぎて何とも言えないが、このタイミングでか」

 

「一年に関係があるのか無いのか、微妙な感じだね」

 

「直接的には関係がないだろう。仮に一年に介入した所でお前がいる以上は何の意味もない。運用するポイントの桁が違うんだからな」

 

「そりゃそうか。心配するだけ無駄になりそうだ」

 

 南雲先輩の思惑はよくわからないが、億単位のポイントを動かすこちらには何をどうしようが意味がない。子供がトラックと綱引きするようなものである。

 

 やはり力も金も桁外れでぶん殴ってこそだな。

 

「まあ注意だけはしておこう。とりあえず俺は他クラスと交渉してくるよ……清隆はどうする?」

 

「軽井沢を使ってクラスの動きを見ておく。もしかしたら軽率な行動に出る奴もいるかもしれないからな」

 

「いるかな? もう全体の意思は固まっていると思うけど」

 

 そもそも誰が退学になっても必ず救済するのだから、何もかもが茶番になっているというのに。

 

「万が一に備えてだ」

 

「ん、了解……じゃあ善意の押し付けに行ってくるよ」

 

 トイレから出て清隆とわかれ、廊下を歩きながらまずどのクラスに行こうかと考えていると、何となく坂柳さんの顔が思い浮かんだ。

 

「最初は坂柳さんで良いか」

 

 メールを差し出すのは坂柳さん、例の人気のない自販機前で待っていますという内容であった。

 

 あんな特別試験がいきなり発表されたものだから、一年のクラスがある廊下は普段よりもずっと不穏な雰囲気が広がっているようにも思えた。そんな様子なので校舎の片隅にある自販機前に人がいる筈もなく、俺がそこにあったベンチに座ってすぐに杖が床を突く音が耳に届いた。

 

「待たせてしまいましたか?」

 

 坂柳さんの登場である。相変わらず不敵な笑みを浮かべている。

 

「いいや、俺も今来たばかりだよ」

 

「フフ、何だかこのやり取りは、デートの待ち合わせみたいですね」

 

「ん、確かにね」

 

 昨日と全く同じやり取りを、立場を逆にして繰り返すのは、少し変な感じだった。

 

 彼女は俺の隣に座って姿勢を正す。あまり焦らされるのもアレなので、俺から話をするとしようか。

 

 ここから先は、俺が2000万を押し付ける為の言い訳作りである。

 

「さっそくなんだけどさ、坂柳さんはこの試験をどうするつもりなんだい?」

 

「それほど複雑な試験という訳でもありません。言ってしまえばこれはクラスにとって不要な誰かをリスクなく切り捨てる試験なのですから。単純に最も総合力の低い人を排除すれば解決するでしょう」

 

「ん、そういった考え方もまた一つの真理だ」

 

「天武くんはどうでしょうか?」

 

「俺としてはプロテクトポイントを購入するだけの試験かな」

 

「フフフ、なるほど。貴方ならばそうなるでしょうね」

 

 考え方こそ違うが、これはどちらもこの試験を超える上での答えの一つだ。効率的に考える坂柳さんと、単純にポイントが有り余っている俺、出した答えが違うだけの話である。

 

 きっと一之瀬さんや龍園も異なる答えを出している筈だ。そして誰の答えが正しいかどうかの議論に意味はないだろう。

 

「さて、本題に入ろうか……あんまり言葉を飾っても意味がないからシンプルに説明するとね。俺はこの試験で退学者を出したくないから、坂柳さんに協力して欲しいんだ」

 

「具体的にはどのような形で?」

 

「2000万をそっちに流す言い訳が欲しい。だから他クラスへの賞賛票の幾つかをこっちに渡して欲しいんだけど……それと清隆にプロテクトポイントを持たせたくてさ。ほら、君が教えてくれた例の人のこともある。保険は多いほどいい」

 

「協力するのは吝かではありませんが……」

 

 そこで坂柳さんは何やら考え込む。俺の提案と自身の考えを重ね合そうとしているのだろうか?

 

「天武くん、今回の試験で私もまたプロテクトポイントを所持したいと思っています。おそらく学年最後の特別試験で必要になるでしょうから」

 

「つまり俺たちの利害は一致している訳だね……しかし君ならば普通に取れるんじゃないかな」

 

「そこまで簡単な話でもありません。ご存知でしょうがAクラスは二つの派閥に分かれていますので」

 

「今は坂柳さんが優勢だって噂で聞いているけど」

 

「えぇ、しかし完全に押し切れるほどではありません」

 

 六対四、そんな感じなのだろうか。

 

「そろそろAクラスも一枚岩にならないと、今後大きな支障が出て来るのは間違いありません」

 

「だろうね」

 

 クラスが真っ二つにわかれた状態で他所のクラスと戦うとか、俺なら絶対に嫌だ。

 

「そちらのクラスの賞賛票を幾つかこちらに流してください。おそらく葛城くんはこの試験で私を追い落とそうと考えるでしょうから」

 

「一枚岩になりきれていない状況ならば、そう考えても仕方がないだろうね」

 

 これでもし葛城派の勢いが虫の息とかだったら議論の余地なく坂柳さんが切り捨てる相手を選べたんだろうが、勢力差が六対四ぐらいなら安心とは言い切れない。

 

 それこそ葛城だって、もしかしたら今頃、票操作に奔走している可能性もある。最悪、自分が最下位にならないようにしなければならないだろうからな。

 

「葛城くんは他クラスの賞賛票を集めて自分と派閥に流し、私たちの批判票を相殺するつもりでしょう。そして自分たちの派閥からは私への批判票で固める。そんな所でしょうか」

 

 やってそうだなと考えていると、俺のスマホがまたもや震える。メールの差出人はその葛城であった。この後会えないかという内容であり、おそらく交渉がしたいのだろう。

 

「どうやら彼も奔走しているようですね」

 

 クスクスと笑う坂柳さんは、俺に届いたメールが誰の物なのかわかったらしい。

 

「まあ葛城のことはどうでもいい。俺はただ2000万を他所のクラスに押し付ける言い訳が欲しいだけだからね……ん、こういうのはどうだろうか。君はこの試験で葛城本人かその派閥のメンバーを追い落とす。その上でその人物を救済するというのは」

 

「まるでマッチポンプですね」

 

「けれど君はクラスメイトを救済する為に苦労して資金を工面した頼れるリーダー的な感じに……うぅん、ツッコミどころが多いかな?」

 

「どういう意味ですか?」

 

「他意はないさ……まあ何であれだ、俺は退学になりそうな誰かを救済したい、余計なお節介を押し付けたいんだ。だからそっちに2000万渡すからなんかいい感じに着地させて欲しい」

 

「フフフ、なんだか急に雑になりましたね」

 

「賞賛票が欲しいとかそういうのは、ただの言い訳だからね」

 

 何が面白かったのか坂柳さんは口元を指で隠して上品に笑う。どういったところが琴線に触れたのかわからないが、楽しそうなので良しとしよう。

 

「坂柳さん。俺の自己満足に付き合ってください」

 

 最終的にはそんな言葉になってしまう。俺の行動を表すのならばそれが全てだった。

 

 だってこれ以上の表現はどこにもない。全てそれで説明が出来てしまうからだ。

 

「わかりました、協力しましょう」

 

「ありがとう。とても助かるよ……しかし君は誰か不要な人物を切り捨てるつもりだったんだろう?」

 

「それが理想ではありましたが、これを機に葛城くんたちを抑えて優位に立つことができるでしょうからね、そちらを優先です」

 

「何だって構わないさ、俺はとても助かる」

 

「何の利益もなく2000万ものポイントを放出するというのに、助かるとは……本当に、お人好しですね」

 

「そうじゃない……言っただろう。俺の行動の全ては自己満足だ」

 

「ええ、確かに自己満足です……ですがそれは真の意味での善人で、それでしか助けることの出来ない誰かがきっといるんでしょうね」

 

「褒められているのなら嬉しいよ」

 

「まさに褒めているんですよ。本当に……恐ろしいほどに貴方は純粋です」

 

 俺を見つめる坂柳さんは、どこか物憂げな表情をしているようにも見える。なんで心配されているのだろうか?

 

「天武くん、いつか貴方は……誰も並び立つことのできない場所まで行ってしまうのかもしれませんね。誰も追いつけず、誰とも語り合えない、誰も並び立てない、そんな場所に……貴方が進もうとしているのはそういう未来なのではと、そんなことを考えてしまいました」

 

「もしかして、心配してくれているのかい?」

 

「私が貴方を心配するのは、それほどおかしなことでしょうか」

 

「いや、君はとても冷静で、必要があれば残酷にもなれる。理性より計算を優先する人だからさ。他人を心配することにちょっと違和感があってね」

 

「確かにその通り。必要があれば卑怯卑劣と罵られようとも、勝利を目指すでしょう。それは私の一つの側面なのですから否定できる筈もありません」

 

 ですが、と言葉を区切って俺を見つめて来る。

 

「友誼を結んだ相手を心配するのもまた、私を構成する一部なのですよ?」

 

「返す言葉もないよ、それが人間だ。変な勘ぐりをしてしまったね。心配してくれてありがとう……そしてすまなかった」

 

「構いませんよ。貴方のその在り方に付け込むことも私という人間の、また一つの側面なので」

 

「それでいいさ。俺は完璧ではないし、万能にも程遠い……己の未熟さを知る機会は多い方がいい」

 

 嘘偽りなくそう伝えると、坂柳さんは物憂げな表情を隠していつもの不敵な笑顔に戻る。

 

 そしてベンチから立ち上がって杖を突いた。

 

「貴方が孤独にならない未来を、祈っておきましょう」

 

「大丈夫だよ。俺は友人の大切さを知っているから」

 

 その言葉に満足したのか、坂柳さんは可愛らしい笑顔を見せてから、杖を突いて歩いていくのだった。

 

 

 とりあえずAクラスはこれで良いだろう。後で坂柳さんに2000万ポイントを送るとして、次に行くとするか。

 

 今から一之瀬さんと会えるだろうか? 彼女は生徒会の職務もあるから放課後はなかなか難しい。とりあえずメールだけ送って暇が出来たら話すとしようかと考えていると。またもやスマホが震える……今日は本当によく震えるな。

 

「どうしました、朝比奈先輩」

 

 電話をかけて来たのは朝比奈先輩であった。ベンチから立ち上がりかけていた俺は、再び腰を下ろすことになる。

 

『あ、ごめんね、今は大丈夫かな?』

 

「時間はありますよ」

 

『なら良かった……えっとさ、何か君たちの学年、滅茶苦茶な試験が始まったって聞いてさ』

 

「ええ、そっちにも噂は広がってるんですね」

 

『そりゃね、私たちの学年では無かったもんこんな試験、もうビックリ』

 

「一年生の状況でも知りたいんですか? 二年生とはなんの関係もないと思いますし、そちらに影響を与えるようなものでもないと思いますけど」

 

 いや、そういえば南雲先輩がポイントを集めているとタレコミがあったな。

 

『そうでもなくてさ……えっと、実は昼休みに雅が帆波を呼び出してさ、試験はどうするんだって相談に乗ってたんだけど……あ、帆波のことは当然知ってるよね?』

 

「もちろん知ってますよ」

 

『そりゃそうか……あ~それでさ、何か帆波に融資するって話になったみたい』

 

「なるほど、上級生からの支援ですか……それもまた一つの回答でしょうね」

 

 別に間違ってはいない。俺と坂柳さんの出した答えが異なるように、一之瀬さんもそういう攻略法を考えたということだろう。

 

 彼女は生徒会にも所属しているので、一年生だけでなく二年や三年とも交流がある。まさに縁は力であった。

 

 つまり一之瀬さんはクラスメイトの救済という方向性を選んでいるということだ。彼女らしいと思う。

 

「南雲先輩が支援するのなら、もしかしたら何も問題なく試験を越えられるのかな、一之瀬さんのクラスは」

 

 自力で突破できるのならもしかして俺のお節介は必要ないと言われるだろうか? それはそれでなんだか悲しい気分になってしまうな。

 

 だが朝比奈先輩が言うには違うらしい。

 

『そう簡単な話でもないって……雅のヤツ、帆波にポイントを渡す代わりに付き合うことを条件にしたみたいでさ』

 

「付き合う……男女の交際ということですか?」

 

『うん、結構な額が足りないらしいんだけど、それを雅が支援する代わりにね』

 

「ん……よくわかりません。なんでポイントを渡すからそんな話になるんでしょうか?」

 

『え、いや、だって……それはほら』

 

「……ほらと言われても困るんですけど」

 

 すると電話の向こうで朝比奈先輩が困惑している様子が伝わって来た。

 

「一之瀬さんと交際したいなら、普通に仲良くなって、普通に申し込めばいいのでは? なんでポイントを支払う必要があるんですか?」

 

 もしかして俺が知らないだけで、或いは師匠から教えて貰えなかっただけで、そういう作法があるんだろうか?

 

 いや、待てよ、結納金とかそういうことなのかもしれない。それならまだ話はわかる。

 

「朝比奈先輩?」

 

 ずっと黙ったままの朝比奈先輩に呼びかけると。彼女は少し困惑しながらこう返してくる。

 

『あ、うん、その通りだよね……ほんと、雅のヤツ何やってんだか』

 

 そして彼女は呆れたように溜息を吐くのだった。

 

『私が言いたいことはさ、帆波を助けてやって欲しいって話……単純に私たちのクラスから大量のポイントが出ていくのは避けたいってこともあるしね。それに、こんな形で付き合っても帆波はきっと傷ついちゃうだろうからさ』

 

「混合合宿であれだけやらかしましたもんね」

 

『それね、まあ雅はAクラスの人数が増えたから、自分の財布に入って来るポイントも増えたってことで納得してるみたいだけど、すぐに4000万なんて額が取り戻せる訳でもないもん』

 

「反南雲派の人たちは上手く懐柔されましたか、そのぶんだと」

 

 Aクラスに移った彼らは随分と大人しくなったらしい。今では南雲先輩の忠犬だとかなんとか、まあそうなってくれないと困るので予定通りである。

 

 そして南雲先輩もそんな彼ら彼女らを懐柔する方針らしい。朝比奈先輩の言う通りAクラスにいる生徒が多ければ多いほどにクラス全体に支払われる額も増えるので、混合合宿で失ったクラスポイントさえ回復できるのなら、寧ろ南雲先輩にとっては利益のある出来事でもあるのだ。

 

 まあもっとも、内心に関してはわからないが。

 

『君がそう誘導したんでしょうが……それで、帆波を助けられるの?』

 

「そこに関しては大きな問題はありません。元々、一之瀬さんに限らず全てのクラスに配って回る予定だったので」

 

『あ、そっか、それなら安心だ。不要な心配だったかな』

 

「いいえ、必要な心配です」

 

『あはは、なら良かった。それじゃあ帆波のこと宜しくね』

 

 通話はそこで途切れる。朝比奈先輩は一之瀬さんを心配してこんな話を持ち掛けて来たということだろう。情の深い優しい人なのかもしれない。

 

 俺はベンチから立ち上がって一之瀬さんにメールを送った。暇ができたら話がしたいと。生徒会の仕事もあるので返信はもう少しかかるかと思っていたが、意外にもメールはすぐに返って来て、今日の放課後に時間を作るとのことらしい。

 

 彼女にも2000万を押し付ける言い訳を考えないといけないな。

 

 本当に難儀な試験だと思う。どう攻略するかではなく、どうポイントを押し付ける言い訳を作るかに悩むなんて、面倒が過ぎると思うのだった。

 

 

 

 

 



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クラス内投票 4

 

 

 

 

 

 

 

 今後の試験の流れや、ホワイトルームからの刺客がどんな人なのか想像していると日も傾いて夕暮れ時となっていた。徐々に暗くなっていく空を眺めながら寮に帰り、部屋で夕食の準備をしていた時に、スマホに着信があった。

 

 画面には一之瀬さんの名前が映っている。どうやら生徒会の業務は終わったらしい。

 

「一之瀬さん、時間は空いたのかな?」

 

『うん、ごめんね遅くなっちゃって。今、寮に帰ってる所なんだけど……試験のことで話があるんだよね?』

 

「あぁ、色々と相談したいんだ……あ、そうだ。一之瀬さん夕飯はまだだよね? 予定が無いんなら一緒にどうかな。今、作ってるんだけど」

 

『――え?』

 

 少し驚いた声が耳に届く、そして沈黙も。

 

「サンマのアクアパッツア……今日はちょっとおしゃれで凝った料理を作っております。でもサンマってあまり長く持たないから、一気に作っちゃってさ……どうかな?」

 

 一之瀬さんは沈黙している。息遣いすら聞こえてこない。

 

『そ、それなら……今から、お邪魔させてもらうね』

 

「うん、待ってるよ」

 

 いらないと言われたら清隆でも呼ぶつもりだったが、サンマの処理は彼女に任せるとしよう。

 

 調理をしながら暫くすると控えめなノックが扉から部屋に広がった。一之瀬さんの到着らしい。

 

「いらっしゃい、一之瀬さん」

 

「お、お邪魔します」

 

 扉の向こうには当たり前のことだが一之瀬さんが立っていた。俺を見た瞬間に「エプロンだ……」と小さく呟いてしまう。

 

「丁度、食事もできた所だよ……あ、言い忘れてたけど、ちょっと部屋が散らかっていてね、そこは許して欲しいかな」

 

「そうなんだ、ちょっと意外かも。笹凪くんは整理整頓とかしっかりしてそうなイメージがあったから」

 

 そう言いながら緊張した面持ちで部屋に入ってきた一之瀬さんは、待ち受けていた様々な作品を見て驚いてしまった。

 

「わあ、凄く沢山あるね。そう言えば美術部だっけ?」

 

「ん、それで作った作品の置き場所がなくて困ってるんだ。ここ最近は友人の部屋に置かせて貰ってるからかなり片付いた方なんだけどね」

 

 鈴音さんが崩壊させてしまった件を反省して、本格的に部屋の片付けを行っていた。正確には一部を清隆の部屋に置かせて貰っている。今度は大規模なマネーロンダリングをするつもりなので、それが終われば一気に片付くことだろう。

 

「色々と作ってるんだねぇ……あ、これ可愛いかも」

 

 キョロキョロと部屋を見渡して気になったのは招き猫の彫像であった。かなりデフォルメされた姿をしているそれを見て頬を緩めている。

 

「一之瀬さん、飲み物は麦茶でいいかな?」

 

「あ、うん、ありがとう」

 

 清隆の協力もあって何とかギュウギュウ詰めの状態から改善した我が部屋は、普通に生活する分には何の問題も無く、以前は作品に埋もれていた机の上にも物はない。そこに作った料理とお茶の入ったコップを用意した。

 

 一之瀬さんは暫く招き猫に心奪われていたようだが、俺が机の上に作った料理を並べ始めるとソワソワとした様子を見せる。

 

「……」

 

「あんまり見られると、ちょっと恥ずかしいんだけど」

 

「にゃはは……ごめんね、エプロン姿がちょっと新鮮だったから、つい」

 

「まあ普段は制服だものね」

 

 俺も他人のエプロン姿を見たら似たような感想を思うのかもしれない。

 

「さぁお嬢様、本日の献立はサンマのアクアパッツアとなります」

 

 ちょっと気取った感じにそう伝えると、一之瀬さんは少し恥ずかしそうに頬を染めて、俺が引いた椅子に座るのだった。

 

「自信作なんだ。どうぞどうぞ」

 

「うん、それじゃ遠慮なくいただきま~す……あ、美味しい」

 

 サンマの切り身を口に運んですぐに頬が緩んでいく。可愛らしい表情だと俺は思った。美味しそうにしている女性の表情は魅力的だと思う。

 

「笹凪くん、料理上手なんだね」

 

「こればかりは長じていると言えるのかもしれない」

 

 この学校に来る前も毎日作っていたからな。料理もそうだけど師匠の酒の肴なんかも俺が作っていたのだ。

 

「さて、一之瀬さん。食事しながらで構わないから試験のことで相談しようか」

 

 幸せそうな顔で料理を楽しむ彼女は、その言葉に現実に引き戻されたかのように表情を戻してしまう。ごめんね、あんな面倒な試験のことを思い出させてしまって。

 

「う、うん……なんていうか、本当に残酷な試験だよね」

 

「ああ、正直腹が立ってるけど。決まってしまった以上はどうしようもない。堂々と乗り越えるしかないと思っている」

 

「笹凪くんのクラスは、どうするつもりなのかな?」

 

「こっちは救済の方向で纏まったよ」

 

「反対意見は出なかったんだ」

 

「出なかったというか、単純に余裕があったんだ」

 

 財布に億単位のポイントがあると2000万くらいは穏やかな顔になれる。師匠曰く余裕は大切とのこと。

 

「そっか……Bクラスはポイントを工面できたんだ」

 

「一之瀬さんクラスはどうなんだい?」

 

 そう訊ねると彼女は視線を下げて考え込む。

 

「誰が退学になったとしても、救済する方向で動いているよ……うん、でも」

 

「ポイントが足らないか」

 

「そう、だね……Bクラス程余裕はないかも」

 

「あ~……実は、ちょっと噂を小耳に挟んだんだけど……一之瀬さんは南雲先輩から支援をしてもらうと」

 

「え、どうしてそれを……」

 

「情報元は朝比奈先輩だ」

 

「あはは、そうなんだ。心配させちゃったかな……やっぱり、その、支援して貰う条件も聞いてたりする?」

 

「南雲先輩と交際する条件とは言っていたよ」

 

 サンマが美味い。師匠もよく酒の肴にしていたことを思い出す。今の話とは何の関係もないけど。

 

「うん、そうなんだ……どれだけポイントを掻き集めても足らなくて、不足分をどうしようかなって思った時に、二つの方法が思い浮かんだんだよね」

 

「一つは南雲先輩か……あの人は学年中からポイントを集める体制を作ってるらしいから、工面はできるだろうな」

 

 しかし二年生は納得するんだろうか。自分たちの為ではなく一之瀬さんと交際する為にポイントを使われることに……いや、もう半場諦めているのか。

 

「でも、もう一つは何なのかな?」

 

「それは、その……」

 

 彼女の瞳はおずおずと俺に向けられた。不安と焦燥に彩られた瞳は、頼っちゃいけないと理性では思いながらも、どうやら選択肢の一つとしては思い浮かんでいたらしい。

 

「笹凪くんはさ、大量のポイントを持ってるって噂が一時期あったでしょ。ウチのクラスの美術部の子から聞いたんだけど」

 

「なるほど、俺からポイントを支援して貰う方向性か」

 

「だけど、それは駄目かなって……私たち、ライバルな訳だし。他所のクラスの危機にポイントなんて貸してくれないよね」

 

「だから南雲先輩か……ん~、一之瀬さんはそれでいいのかな?」

 

「……どうだろうね」

 

 その顔で大丈夫ということも無いだろうに。

 

「笹凪くんはどう思うかな?」

 

「上級生に支援して貰うのは1つの攻略法だと思う。何も間違ってはいない」

 

「うん……」

 

「けれど交際というのはよくわからない。そんなの抜きにして普通に申し込めばいいと思うな」

 

 それが作法なのかもしれないと最初は思ったのだが、どうやら彼女や朝比奈先輩の反応を見る限り、そんなことはないらしい。

 

「でも、それ以外にクラスメイトを助ける方法が無いんだよね」

 

「いや、ある」

 

「え……」

 

「実は俺は今、自己満足のお節介をまき散らしている最中なんだ。俺から君に2000万渡そうと思っている」

 

「……」

 

 黙られてしまった。まあ気持ちはわからなくはない。俺もいきなり2000万渡すと言われたら、渡された箱の中に爆弾でも入っているのかと疑うだろうから。

 

「つまり、笹凪くんがポイントを支援してくれるってことかな……自分のクラスだって大変なのにこっちまで、それにやっぱりライバルだもん、難しいよ」

 

「そんなことはない。君も俺が大量のポイントを持っている噂は耳にしている筈だ。そしてそれは事実……俺は自分のクラスを救済した上で他所のクラスを支援するくらいの余裕がある」

 

 目の前にいる一之瀬さんの瞳にこれまでとは違う色が宿っていく。期待と希望と、僅かな不安だろうか。

 

「で、でも条件があるんだよね?」

 

「いや、無い。無利子無担保の催促無しだ。俺からは返せとは言わないし、踏み倒してくれることを寧ろ期待している」

 

 意味が分からないだろうな。言ってる俺自身ですらこいつ馬鹿だなって思い始めているくらいには、滅茶苦茶な発言であった。

 

「何だったら今の条件を誓約書に印して学校側に提出しても良い」

 

「どうして……そこまでしてくれるのかな? 私たちはライバルだよ、どこかで戦うことになるよね」

 

「よくわからない発言だ。ライバルだから助けてはいけないのかい?」

 

「……」

 

「俺が君を助けるのに、大層な理由もごちゃごちゃした理屈もいらない、君が困っているのならそれだけで十分だろう」

 

 一之瀬さんは絶句している。驚きのあまりポカンと開いた口も閉じれていなかった。

 

「それにこんな理不尽な試験で退学者が出ることにちょっと思う所もある。だからいっそ全てのクラスに2000万を配ろうかなって考えてね。既に坂柳さんとはそういう方向で話が済んでる」

 

「坂柳さんと?」

 

「彼女は俺が善意の押し付けをしたいという意思を汲み取ってくれてね。ついでに葛城派から優位を得る為の材料にするみたいだ……当然ながら彼女に渡した2000万を返してもらうことはない。後日正式にさっき言った条件の誓約書を作るつもりだ」

 

「それなら龍園くんにも渡すのかな?」

 

「応とも、彼が困っているのなら、それだけで助ける理由としては十分だ」

 

 強い意思を込めてそう伝えると、彼女は眩しい何かでも眺めるように瞼を細めてしまう。そして坂柳さんと同様に物憂げな顔となってしまった。

 

 何故か心配されてしまうな。俺は俺のやりたいように動いているだけなのに。

 

「笹凪くんは凄いね……本当に、遠い人だよ」

 

「目の前にいるじゃないか」

 

「そういう意味じゃないよ……何もかも届かないくらいに凄く遠くて、眩しい人だなって。太陽みたい」

 

「俺は灼熱の男でもない」

 

「もうッ、だからそういう意味じゃないよ」

 

「ふふ、ごめんごめん。ちょっとおどけただけさ」

 

 返って来る反応が楽しかったのでつい揶揄ってしまったようだ。シリアスの雰囲気をいつまでも引きずりたくなかったのも理由の一つである。

 

 姿勢を正し、改めて一之瀬さんを見つめる。結び合った視線はさっきまであった不安や焦燥が消えているのがわかった。

 

「一之瀬さん、力にならせてくれ」

 

「本当に、良いの? 私は、何度も何度も助けられているのに、また迷惑かけちゃうよ」

 

「何一つとして問題はない、俺は俺の為に、ただ自己満足を突き詰めているだけだ……言ってしまえばこれは全て俺自身の欲望であり、余計なお節介と善意を押し付けているだけだからさ」

 

 他者を助けたいとは思うけど、それは理由の一つでしか無く。真ん中にあるのは己の都合でしかない。

 

 そうやって死んで逝くと決めた時点で、きっと俺は碌な死に方しないんだろうなと何となく思うけど、それで良いと受け入れている。

 

「だからさ、俺の都合に巻き込まれて勝手に笑顔になって欲しい」

 

「……」

 

 その言葉に一之瀬さんはクシャっと表情を崩してしまう。泣くのを我慢しているようにも見える。

 

「本当に、ズルいよ……こんなことされちゃったら」

 

「そうさ、俺はズルいんだ。勝手に君に利益を与えてしまうくらいにね」

 

 スマホを操作して俺は2000万ポイントを彼女の端末に送る。

 

「もってけ泥棒」

 

「泥棒じゃないよね!?」

 

「ごめん、このセリフを一度言ってみたかったんだ。後、いつまでもシリアスな雰囲気を続けられても正直迷惑だから」

 

「う~ん、そう言われても私は困っちゃうよ」

 

「道端に2000万落ちててラッキーくらいに思って欲しいな」

 

「そんな無茶な!?」

 

「でも、実際似たような感じだろう。なら、それで良いのさ」

 

 龍園なら鼻歌を奏でながらポケットにしまうだろう。悪びれることもなく。それくらいの感覚でこの2000万は受け取って欲しい。

 

「笑ってくれ一之瀬さん……君は笑顔の方が似合ってる」

 

「――んにゃ」

 

 奇妙な呟きを口から漏らし、そして忙しそうに瞳を揺れ動かして、最終的には見つめ合う形となってしまう。

 

「さぁ、食事を続けよう。今日のは自信作だから美味しく食べて欲しい」

 

「わかったよ……そうさせて貰うね」

 

 よしよし、これで一之瀬さんクラスは問題はないだろう。幾つかの賞賛票をこっちに回してくれることも約束しておけば清隆にプロテクトポイントを持たせることも難しくはない。

 

 二人で食事して、ちょっと試験に愚痴ったりしながらも、有意義な夕食であったと思う。やはり一人で食べるよりも誰かと一緒の方が美味しく感じられるな。

 

 夕食を終え、最後に笑ってくれた一之瀬さんを見送り、俺はベッドに背中を預けて仰向けになってスマホを弄る。

 

「後は龍園クラスだけだな」

 

 彼に関してはそこまでダラダラと言い訳は必要ないだろうなと考えていると。まるで俺の考えを受け取ったかのようにその龍園から電話がかかって来るのだった。

 

 今日は本当にスマホがよく震える日である。それだけ大事であったということだろう。

 

 耳にスマホを当てて通話状態にすると、龍園は開口一番こう発言してくれる。

 

 

『笹凪、さっさと2000万寄こせ』

 

 

 うん、これでこそ龍園だ、こうじゃなきゃ困るのが龍園である。本当に話が早くて助かる男と言えるだろう。

 

「龍園、君は本当に話が早くて助かるよ」

 

『あぁ? 何言ってやがる。テメエのことだからもう他所のクラスに配ってんだろうが』

 

「その通りだ。この通話が終わったら君の所にポイントを送るよ。あ、ついでに南雲先輩との賭けの分のポイントも上乗せしておくから」

 

『なんだお前が持ってたのか。そろそろ学校側に訴えようと思ってたのによ』

 

 俺も訴えられたくないのでしっかりポイントは渡しておこう。

 

「ところで君は今回の試験をどう思うかな?」

 

『どうもこうもあるかよ、要は学校側が屁理屈こねてテメエの資金を削ろうって魂胆なんじゃないのか』

 

 なるほど、清隆の背景を知らず、俺の資金力を把握している龍園からすると今回の試験はそんな風に見えるらしい。

 

『で、大丈夫なのか?』

 

「どういうことかな?」

 

『退学者がいないからなんてふざけた理由でぶち込まれた試験だぞ。今回を凌いだ所で退学者が出なければまた繰り返される可能性もあるだろうが』

 

「それに関しては問題ない」

 

『……理由は?』

 

「口では説明できないが、まぁ大丈夫だ。二度目は無い、それは俺が保証しよう」

 

 何故なら、もし二度目があれば俺が退学するからだ。ついでにホワイトルームからの刺客を排除して、その足で本拠地と元凶も叩く。

 

 例の刺客とやらが暴れた結果の試験ならばこれで終わるだろう。できればやりたくないけど、相手が悪いから仕方がない。

 

「まあそこまで心配しないでよ。とりあえずそっちに2000万送るから幾らか賞賛票を回して欲しい、そっちは?」

 

『問題はねえ』

 

「了解、じゃあそっちは上手く着地させてね」

 

 通話を終えてすぐにスマホを操作して龍園に2000万を送った。これでこの滅茶苦茶な試験は終わることになるのだった。

 

「あ、先輩たちにもポイントを送らないとな」

 

 南雲先輩の動きを知らせてくれた二年生たちにも報酬を払わないといけない。正直、役に立ったかと言われると微妙な所ではあるが、ここで金払いが悪いと思われると情報を回して貰えないかもしれないので、そこはしっかりしておこう。

 

 とりあえず三十人近いスパイ候補たちにはそれぞれ30万ほどを送っておく。これで情報をまた回してくれるだろう。彼ら彼女らはAクラスに上がった反南雲派が羨ましくて奥歯を鳴らしている程なのだから。

 

 キッチリとポイントを送って、また宜しくお願いしますとメールも添えると、今日やらなければならないことはこれで終わりとなる。

 

 後はゆっくりできるな。鈴音さんから借りた本でも読みながら過ごすとしよう。

 

 

 俺の中では既に試験は終わったも同然だ。学年末にあるという特別試験にリソースを注ぐとしよう。そんなことを考えていると、まだ休ませないとばかりにまたもやスマホが震えだす。

 

「誰だ……ん、桔梗さんか」

 

 画面には櫛田桔梗の文字。偶に愚痴に付き合うのでそれなりの頻度で電話はしているのだが、この時間にかかってくるのは珍しいな。

 

「どうしたのかな桔梗さん。また苛ついてるのかな」

 

『違うよ!? 天武くんの中で私はずっと苛ついてるイメージなのかな?』

 

 その通りじゃないかとは、口にしない方が良いんだろう。

 

「冗談さ……それで、どうしたんだい?」

 

 口調と伝わって来る感じから、只の電話ではないらしい。だとしたら相談したいことがあるということだ。

 

『うん、えっとね……実は、春樹くんからちょっと相談を受けてね』

 

「山内から?」

 

『春樹くんが言うにはね、今回の試験で2000万は貯金して使わない方が良いんじゃないかって言うんだよね……それで、綾小路くんを退学させるべきなんじゃないかって、凄く遠回しに相談されたんだ』

 

「なんでまたそんなことを……理由は?」

 

 すると、電話の向こうで桔梗さんは困ったかのように、あははと笑う。

 

『ほら、最近の春樹くん、佐倉さんを露骨に意識してるでしょ? それでその佐倉さんは綾小路くんと仲が良いから……ね?』

 

「……おいおい」

 

 何をやってるんだ彼は、既にクラスが救済で纏まっている状況でそんなことをすれば、自分に批判票が集まるってわか……らないんだろうな。

 

「それで、桔梗さんはなんて言ったのさ」

 

『やんわりと注意したかな……でも、どうだろう、ちゃんと伝わったかどうかは……あはは』

 

 自信の無い言葉が返って来る辺り、山内の行動は止められなかったらしい。

 

「ん、報告ありがとう……山内に関しては、明日にでも話してみるよ」

 

『ごめんね』

 

「いいさ、君は何も悪くない」

 

 そんな通話を終えて俺は瞼の奥に妙な疲れを感じ取った。まさかこんな形で煩わせるとはな。

 

 しかし彼は自分が置かれた状況がわかっているのだろうか? この状況でそんなことを言っても自分に批判票が集まるだけだろうに。

 

 せめてもっと上手く票を動かすように立ち回って、その上で俺が2000万を使うことに躊躇させるような状況を作って欲しい。これではただ不和をまき散らしているだけである。

 

 明日、どうなるのやら……。

 

 

 

 



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クラス内投票 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラスメイトの少し不安な行動を報告されて翌朝。山内の行動がちょっと読めない俺は、どうなることやらと身構えながら登校をしていた。寮から校舎へ続く道にはこの時間は多くの生徒の姿がある。

 

 清隆と登校することもあれば、鈴音さんを見かけると挨拶をすることもある。他のクラスメイトと一緒することもあり、その時々によって朝の登校時間は変わるのだが、今日は珍しいことに山内が俺の隣に現れた。

 

「お、いたいた。なあ笹凪、ちょっと話があるんだけどよ」

 

 ヘラヘラした顔をしながら隣に並んで山内は、こちらの返事を待つよりも早く本題に入った。

 

「いやな、俺も戦略的に考えたんだけどさ、お前の2000万ポイントは温存すべきじゃないかってさ」

 

「急にどうしたのかな」

 

「別に急じゃないって」

 

「いやいや、君は普段、あまりクラスの方針だったり作戦なんかにも関わってこないじゃないか」

 

「いや、俺だってさ色々と考えてるんだぜ。今回の試験だって同じだっての……俺的にはさ、もっと重要な時に使うべきなんじゃないかって」

 

「クラス全体で集めた共通のポイントとかなら一理あるけれど、俺の個人資産をどう使おうと、君には関係がないだろうに」

 

「うッ、まあそうだけどよ……やっぱり勿体ないじゃんか」

 

「もし使わない場合、誰かが退学することになる訳だけど……それに関してはどうするつもりだい」

 

「悪いとは思うって……でもさ、やっぱ戦略的な考えが必要だろ、こういうのは、な?」

 

 言っていることは、決して完全な間違いではない。確かに戦略的に資金を温存して不要な誰かを切り捨てるのはこの試験の解答の一つと言えるだろう。

 

 ただ根本的に認識が間違っている。2000万を惜しむのではなく、2000万程度と俺が考えている点だ。

 

 そもそも山内は戦略的な視点や未来観を持っているとは思えない。ただ恋敵を追い落とす為に、小賢しい考えを思いついただけだろう。

 

「少し落ち着け山内。クラスは救済の方向で纏まっている、そんな状態で誰かを退学させるべきだって主張すれば、批判票が集まってしまうかもしれないよ……君の言葉や主張通りにするのなら、その場合も救済するなって言うのかな」

 

「俺に? いやいや無いって。だってほら、俺はクラスのリーサルウェポンだろ、やっぱその辺はわかるヤツにはわかるだろうしさ」

 

「お、おう……」

 

「それにさ、俺知ってるんだよ」

 

「何を?」

 

 彼はそこで神妙な顔となり、キョロキョロと通学路を見渡して聞き耳を立てている人がいないか確認する。とても重要な情報をこれから口にしようとしているかのように。

 

「実はな……綾小路のヤツ、女子を盗撮しようとしたことがあるんだ」

 

「……」

 

 あぁ、あれか、プールの時の……俺の認識では清隆はその話を聞かされて危機感を覚えて阻止した側で、実行犯は山内と池と須藤と博士になっているんだが。

 

 コイツまさか、何もかもを押し付けようとしているのか? 証拠は出て来ないように軽井沢さんが上手く対処したようだから問題にはなっていないけど。

 

 ここでそんなことを言い出したということは、つまり印象操作をしたいんだろう。現状をまるで理解できていないのに、変な所で知恵が回る男である。

 

 どうしたものだろうか、ここで俺が厳しく注意したとして、果たして山内は理解してくれるのだろうか?

 

「やっぱ許せねえよなそういうの……だから、わかるだろ?」

 

「ん……まぁ、せっかくの機会だからね」

 

「だよな!! やっぱお前は話のわかるヤツだな!! いや~、良かった良かった」

 

 山内は上機嫌に俺の背中をパンパンと叩き、ギョッとした顔になって自分の掌を凝視してしまう。

 

 だがそれは長く続くことはなく、すぐに気を取り直して小走りしながら校舎に入っていくのだった。

 

「まぁ、良い機会だからな……」

 

 彼には反省して貰うとしよう。こんな機会はそうそう無いだろうからな。

 

 誰かが退学になるかもしれないという危機感が目の前にあるんだ。せっかくだからこの状況を利用してクラスメイトたちの意識や考えを一つ先に押し込むとしよう。

 

 すまないな山内、皆の教科書になってくれ。大丈夫、ちゃんと救済するつもりだから。後、ちゃんと反省しろ。

 

 彼は別に悪い男じゃない。良くも悪くも幼いだけで、少し思慮が足りないだけだ。高校生という立場や環境を考えれば、山内のような男はそれこそ幾らでもいるだろう。

 

 だから別に匙を投げるようなことはしない。言ってしまえばどこにでもあることなのだから。

 

 それに本当に良い機会だと思う。彼自身も、そしてクラスメイトたちも、退学と言う危機が目の前にあるこの状況だ。せいぜい利用して成長を促すとしよう。

 

 山内の言動に少し呆れながらも教室に向かうと、そこでも彼は清隆の印象操作に勤しんでいる様子であった。

 

 ここだけの話、と前置きをしてからコソコソと内緒話をする訳だ。おそらく今日中にクラス全員が彼の印象操作を耳にすることになるのだろうな。

 

「清隆、山内のことなんだが」

 

「あぁ、把握している。昨日の夜に軽井沢から報告があったからな。女子の間にもそういう話が出回ってるらしい」

 

 山内の行動の一番の被害者である清隆は窓際最後方の席で少しだけ呆れたような顔をしている。

 

「どうしようか?」

 

「今は放置で良いんじゃないか」

 

「良いのか?」

 

「何がどうしようがお前が救済するんだ。結果は何も変わらない。寧ろ良い機会になるんじゃないか……こう言ってはなんだが、アイツは少し幼い所がある」

 

 どうやら清隆もこっちと似たような判断らしい。良い薬になるだろうと少し大人な表情で内緒話をクラスメイトたちに広げている山内を見ている。

 

 このまま進めば山内は高い確率で批判票を集めて窮地に追い込まれることになるだろう。そこで少しでも自らを省みて欲しいと思うしかない。

 

 幼いことは罪ではない。しかしいつまでもそのままであることは社会は認めない。それを自覚させることも重要であった。

 

「えっと、山内くん……あんまり根も葉もない噂話を広げるのは……」

 

 平田にも山内の行動が伝わっていたのか、やんわりと注意しているのが見える。

 

「いやいや本当なんだって、俺だって信じたくないんだけどさ」

 

「うん、けれどね」

 

 苦労人平田である。クラスの平穏を願っているというのに、山内には伝わっていない。

 

 教室に入って来たクラスメイトたちはそれぞれ異なった顔を見せているな。呆れたような顔や苦笑いであったりと様々であるが、共通しているのは噂話というか印象操作をある程度は耳にしているということだろう。

 

 おそらく桔梗さん辺りから注意するように情報が回っていると推測された。山内が愛里さんに露骨な態度を見せているのは知っている者も多いだろうからな。

 

 そんなクラスメイトたちの態度や内心を知ってか知らずか、山内は次々に印象操作を広げていく。

 

「春樹、止めとけ、な?」

 

 少し焦っているのは池である。ついでに須藤もあまり良い顔はしていない。博士に至ってはかなり青ざめているのが確認できてしまうな。そもそも山内が広げている盗撮事件の当事者は自分たちなので、この噂話を機に真相が広がることを恐れているようにも見えた。

 

「いい加減にしろ春樹、盗撮がどうのこうのってくだらねえ噂を広げんじゃねえよ」

 

 須藤のそんな言葉は残念なことに真相を知る者にとっては憤慨ものである。軽井沢さんはお前が言うのかと苛立ったような表情をしているな。

 

 少し不穏な様子を内包しながら今日も授業が始まることになる。ただ山内の行動は朝だけで留まることはなく、授業の合間にある僅かな休み時間になる度に「ここだけの話」という話題が教室に広がることになってしまう。

 

 池や須藤や博士は盗撮話に関わっていたのでかなり焦っている様子だし、桔梗さんと平田もやんわりと注意を続けているのだが……どうだろうな。

 

 お昼休みになっていよいよ拙いと思ったのか、須藤と池が肩を組んで連れて行ってしまう。そのまましっかりと説得して欲しい、おそらく手遅れだろうが。

 

 まあ俺としては放置でいい、危機感を抱かせてクラスを次に進める為に必要なことだと思うしかない。

 

 

「山内くん、どうにかした方が良いんじゃない?」

 

 

 お昼休み、今日はグループの皆で集まって食堂で昼食となり、それぞれが頼んだ料理を持って席について開口一番、波瑠加さんが不機嫌そうにそう言った。

 

 気持ちはわかるとばかりに明人と啓誠も頷いて、愛里さんに至っては少し怯えているようにも思えるな。

 

「クラスは救済の方向で纏まっているんだ、あんなことしても意味ないだろ」

 

 明人がうどんを食べながら山内の行動をそう評すれば、啓誠がこう続けた。

 

「ただまあ、ある意味ではありがたくはある」

 

「どういうこと、ゆきむー」

 

「考えても見てくれ。批判票も賞賛票も全て自由にして良いのなら、それはつまりクラス全員の本音がそのまま出て来るということだ。誰が退学候補になるとしてもそれはそれで気不味いだろ。それならいっそ、わかりやすいくらいにヘイトを集めてくれる相手がいた方が楽とも言える……こう言ってはなんだが、心が痛まないからな」

 

「なるほどね~、確かに山内くんはそうなりそう」

 

 納得した様子の波瑠加さんは、それでも呆れが消えなかったらしい。

 

「テンテンはどんな感じだったの?」

 

「ん、今朝学校に来る時に、山内に話しかけられてさ。救済せずポイントは残しておいた方が良いんじゃないかって言われたんだよね」

 

「うわぁ……やっちゃってるな~」

 

 波瑠加さんだけでなく明人や啓誠もドン引きした顔をしてしまう。愛里さんはもう青ざめているな。

 

「自分が選ばれた時はどうするんだって言ったんだけど、あまり気にしていない様子だったね」

 

「そこまで行くと怖いんですけど……ていうかきよぽんは大丈夫な訳?」

 

「問題はない。あまり気にしてもいないしな。そもそも天武は救済すると言っているんだ、最悪印象操作が深刻になって退学候補になったとしても、そこまで心配する必要もないだろう」

 

「大人な対応だこと、山内くんも見習うべきかもね」

 

「き、清隆くん……本当に大丈夫かな、気にしてないんだよね?」

 

「ああ、本当に大丈夫だ。心配する必要はない」

 

「そっか、辛いようなら相談してね」

 

「そうするとしよう……まあ山内には少し反省もして欲しいけどな」

 

 愛里さんも心配そうに清隆を見つめている。当の本人は強がりでも無ければ場の空気を読んでいる訳でもなく、完全に他人事のように考えているようだが。

 

 それぞれ昼食を楽しみながらそんな会話を続けていく。本当はもっと楽しい話題にしたいのだが、こればっかりは逃れようがないらしい。

 

「そもそも山内のあの噂話はどこから出て来たんだ?」

 

「盗撮がどうのって話? 山内くんのでっち上げなんじゃないの?」

 

「いや、俺に届いたメールはやけに具体的な方法が書かれてたんだが……啓誠はどうだ?」

 

「そう言えば、こちらに届いたメールにも具体的な方法が書かれていたな。確か、ラジコンにカメラを付けて排気口から女子の更衣室を撮影したとかどうとか」

 

 そりゃ詳しいだろうな、実行犯の一人なんだから。

 

「いや、なにそれ……怖いんだけど」

 

「う、うん……凄く怖い」

 

 女性陣はあまりにもアレ過ぎる方法と行動力に両手で自分の体を抱いて身震いしている。気持ち悪いを通り越して寒気を覚えているらしい。

 

 俺が清隆から聞いた撮影方法と全く同じである。ただ映像は残っていない、軽井沢さんが上手く処理したからだ。

 

 そんなことを思い出していると、啓誠が目敏く注目してこんなことを訊いてきた。

 

「その顔、何か思い当たる節があるのか?」

 

「え、いや……なんと言えば良いのかな」

 

 清隆に視線を送ると、彼は何やら思案しており、少し考え込んでからこう言い放つ。

 

「天武、せっかくの機会だ。事情を説明した方が良いんじゃないか?」

 

「え、ここで?」

 

「気にしていないとは言ったが、あまりにも度が過ぎるからな。クラスメイトの大半はまともに受け取らないだろうが。内心ではもしかしたらと思われるかもしれない……それに、山内にはお灸も据えたい気持ちもある」

 

「どういうこと、テンテンときよぽんは何か知ってるの?」

 

 本当に話すべきだろうか? 最後まで表に出さずに墓まで持っていくのが正解の一つだとは思うが、清隆の考えも否定はできない。反省させる良い機会ではあるのだから。

 

 俺と清隆はアイコンタクトを交わして、最終的な意思を共有する。すなわち、山内に反省させるという方向に誘導しようと。

 

「あ~……なんて言えば良いんだろうな、実は盗撮行為自体は本当にあったことなんだ。ただ実行犯は清隆じゃなくて、三馬鹿と博士なんだよね……清隆は、止めた側」

 

「……はぁ?」

 

 困惑する波瑠加さん、愛里さんと明人と啓誠も似たような顔をしている。

 

「夏休みにプールに行く前に清隆に相談されてね、彼らが盗撮をしようとしているからどうにか出来ないかって……それで、偶々同じ日にプールにいた軽井沢さんに協力して貰って、対処したんだ」

 

「……」

 

 そんな説明に当然のことながら波瑠加さんは眉を顰めて静かな苛立ちを見える。愛里さんは夏休みのプールと聞かされて思い出したのか、更に顔を青ざめさせてしまう。

 

「は? いや、なにそれ……普通に犯罪なんだけど」

 

「と、盗撮されちゃったのッ?」

 

「いや、されてない。説明したように軽井沢さんが上手く処理してくれた。これは間違いないから安心して欲しい」

 

「いやいや無理だから、私は今すぐ関わった人たち全員を警察に突き出すべきだと思うんだけど、退学させてさ」

 

「波瑠加さんの気持ちも尤もだ。正直反論の余地すらない……だが一度の過ちで完全に未遂だ。ここはグッと堪えて欲しい」

 

「……なんか気持ち悪くなってきたかも」

 

 そして遂に波瑠加さんすら愛里さんと同じように顔を青ざめさせてしまう。まあ実際に盗撮行為があったと知らされれば女性はこうなるだろう。

 

「山内のあの噂話の妙な具体性はそこから来ているということか、しかも清隆が実行犯になっていると話をすり替えているとは……」

 

「すまない、愛里や波瑠加と同じで擁護のしようがない……本当に退学させた方が良いんじゃないか?」

 

 啓誠が心底呆れたように嘆けば、明人は女性陣に配慮してそんなことを言ってしまう。そして俺も彼ら彼女らの言葉を覆す冴えた表現は残念なことに見当たらない。だから本音を語ろうか。

 

「反対だ……いや、彼らを擁護する訳でも守ろうとしている訳でもないけど、誰にだって過ちはある。それは俺だって変わらない」

 

「反省を促したいと?」

 

「その通りだ啓誠、彼らの行動は一切擁護できないけれど、教え導くことが高校生に必要なことだと思っている。俺たちは子供ではないけれど、大人とも言い切れないからな」

 

 後、少しの痛みと後悔なんかも必要だ。

 

 ある意味ではこれは山内に与えられた最後のチャンスであると同時に、恩情でもあると言えるだろう。

 

 俺は彼が嫌いではない、悪い奴とも思っていない。ただ幼さが抜けきっていないだけだ。そしてこんなことを考えている俺にだって幼い時があったのだ。あまり偉そうなことも言えないのかもしれない。

 

「切り捨てるのは簡単だ……しかし教育とはそうではないと思う。なんて言うと、少し偉そうかな」

 

「ちゃんとした考えはあるのなら何も言わない、少なくとも俺はな」

 

 完全に納得している訳ではないようだが、啓誠はとりあえず様子見をしてくれるようだ。明人も同様である。

 

「波瑠加さん、愛里さん、女性である君たちには本当にすまないと思っている……だが少しだけチャンスが欲しい。今回の件が良い機会になると考えているんだ」

 

「テンテンが謝ることでもないと思うけどさ~……はぁ、面倒見がいいね、本当に損する性格だと思うよ」

 

「で、でも、そこが天武くんの良い所だと思うよ」

 

 俺は面倒見がいいのだろうか? 山内に呆れているというのも偽らざる本音なのだが。

 

「何であれだ、これを機会に山内も成長してくれるだろう。批判票がダントツで多く集まればどうしたって現実を思い知ることになる」

 

「それで山内くんが何も変わらなかったらどうするの?」

 

 そう言った波瑠加さんの瞳の奥には、いや無理だろっという本音が見え隠れしている。山内への評価が地を這うかのように低くなっているようだ。

 

「変わってくれるさ、人は変わる生物だと俺の恩師は教えてくれたからね」

 

 そう願い期待している気持ちもまた偽らざるものである。だからこれは良い機会なのだと納得するしかないだろう。

 

 須藤や池はかなり落ち着きが出てきたし、博士は悪乗りさえしなければ普通に善良な人間である。山内だってその筈だ。

 

 このピンチを成長に繋げてくれることを願いながら、彼らを想うとしよう。

 

「天武、俺はあまり気にしていないが、このまま印象を悪くさせられるのもやっぱりアレだからな……説教はしっかりと頼む」

 

「ん、わかったよ清隆……そうしようか」

 

 

 批判票を集めた山内に説教するとしよう。この学園に来る前にやりたい放題していた俺にその資格があるかどうかは棚上げして、一応の責任はあるだろうから。

 

 何が駄目だったか、そしてどうすれば良かったか、責任とは何かを山内に説明すれば、流石の彼も大量の批判票を前にして現実を思い知るだろうからな。

 

 そんなことを考えていたのだが、翌日に清隆に盗撮の件を擦り付けたことに激怒した軽井沢さんが、学級裁判をやりだしたのでまた事が大きくなるのだった。

 

 きっと、清隆を追い詰めようとした挙句、盗撮を押し付けようとしたことに我慢ならなかったんだろうな。

 

 軽井沢さんはプールでの盗撮で後始末に奔走した人物、清隆が犯人ではなく山内たちが実行犯だと知っている。そんな状態で山内が清隆に印象操作をした挙句に罪を押し付けようとしたので、遂に激怒してしまったらしい。

 

 山内だけを説教するつもりだったのだが、須藤と池と博士も巻き込んで騒動となるのだった。

 

 因みに、清隆はそんな軽井沢さんの行動を、少し面白そうに眺めていた。

 

 

 

 



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学級裁判

 

 

 

 

 

 

 

 やったことのケジメは付けなければならない。当たり前のことではあるけれど、それは俺も山内たちもそうだし、学生に限らず大人だってそれは同様だろう。

 

 いや、まあ、俺はそんな偉そうなことを言える立場では無いんだけれども、捕まらないからって好き放題振る舞っている訳だからな。

 

 それでも道理と信念は曲げることはないと思っている。どうしようもない程に悍ましい最後を迎えることになったとしても、己の業だと認めるしかないだろう。そこはもう受け入れている。

 

 だから俺は山内を責めたりはしない。そこまで清廉潔白な人間ではないからだ。

 

 何とも矛盾した話である。誰かを責める資格も無いというのに、誰かを追い詰めようだなんて。

 

 だがこれで良いと思う。師匠曰く悩みは大切とのことだから。いつまでも矛盾を抱えたままで行こう。

 

 さて、俺の資格や矛盾の話はどうでもいい。この場で大切なのは山内たちのことだからな。

 

 クラス内投票が明日に迫っているが、このクラスは救済で纏まったので随分と落ち着いているのがわかる。ただしこの滅茶苦茶な特別試験とは別の緊張感が広がっていた。

 

 理由は単純だ。この後にちょっとした会議というか……裁判のような物が行われるからである。

 

 すまない、滅茶苦茶怒っていた軽井沢さんを止めることが出来なかった。女子の大半を味方に付けられると流石に止めようもない。

 

「よっしゃ、ようやく部活だぜ」

 

 本日最後の授業が終わり、須藤が勢いよく立ち上がってバスケ部としての活動に勤しもうとするのだが、それに待ったをかける人がいた。

 

「待ちなさい須藤くん、少し貴方に話があるわ」

 

「お、どうしたんだよ鈴音、何の話だ」

 

「……気安く名前を呼ばないで頂戴」

 

「え、いや、なんでだよ」

 

「自分の胸に聞きなさい」

 

 鈴音さんは静かに怒っている。そして須藤から視線を外して池と山内と博士を睨んだ。

 

「貴方たちも教室の外に出ることは許可しないわ、そこで待機していなさい」

 

「は、何でそんなことするんだよ、意味わかんねえって」

 

 池が文句を言って、山内もそれに同調した。

 

「そうそう、俺はこの後、予定があるんだけど」

 

 博士だけは何やら嫌な予感がしたのか、顔を青くして鈴音さんではなくクラス全体の雰囲気を感じ取っているな。

 

 そして気が付く、主に女性陣からの汚物を見るような視線に。

 

「ま、拙い……これは拙いでござるッ」

 

 おや、混合合宿以降、鳴りを潜めていたござる口調が復活しているな。咄嗟の状況だと染みついた癖はどうしても出て来るということだろうか。

 

「被告人四名以外は好きにしてくれて構わないわ。ここに残るのも、教室を去るのも自由よ」

 

 不穏な様子に包まれた教室を去ろうとする者はいない。高円寺ですらどこか面白そうな顔で足を組んでこの状況を眺めることに決めたらしい。

 

 これから行われるのは学級裁判、ブチギレた軽井沢さんが女子チームを扇動したことでこうなってしまったのだ。

 

 軽井沢さんの動きは早かった。山内が清隆の印象操作をしていることを知り、その内容を知った段階で彼を吊し上げることに決めたらしい。ついでに盗撮の実行犯である池と須藤と博士も一緒に。

 

 あまり事を荒立てるのもどうなんだと思わなくはないけれど、既に女子チームはそういう方向で動いていたので止めようがなかったんだ。クラス内投票が終わった後に山内を個別に呼び出して説教するつもりだったのだが、止めきれずこうなってしまった。

 

 仕方がないな、事の成り行きに任せるとしよう。女子チームの主張も極めて正当なものだから反論もできない。

 

「あたしは我慢ならないことがあるのよね」

 

 教室の前方、黒板と教壇の間に立った軽井沢さんが、被告人となった四人を睨みつける。

 

「山内くんさぁ~……なんかここ最近、変な噂を流してるよね。綾小路くんが盗撮したとかどうとか」

 

「あ、あぁ、いや、別に、何というか……」

 

 自分たちを取り囲み睨みつける女子チームの雰囲気に押し負けてか、山内はしどろもどろになりながらキョロキョロと視線を彷徨わせていた。

 

 この段階になると須藤や池も博士と同様に異変に気が付く。自分たちは今、大勢を敵に回しているのだと。

 

「いや、盗撮してたのってアンタだよね……後、池くんと須藤くんと博士くんもそうらしいじゃない」

 

 そんな軽井沢さんの発言と同時に、四人は一気に顔を青ざめさせていく。

 

「ち、違ッ……」

 

「は? 何が違うって言うのよ。こっちはアンタらが仕掛けたラジコンとカメラもしっかり把握してるんだけど……何も映ってなかったよね? そりゃそうだよ、だってあたしがSDカードを差し替えて未遂にしてあげたんだから」

 

 女子チームの怒りが膨れ上がっていき、その圧力に押されるように被告人の四名は教室の隅に追い込まれていった。身を寄せ合って震えている姿は同情を……いや、誘わないな。

 

「ま、待てって落ち着けよッ……こんな所でそんな話をしたらさ、クラスポイントだって引かれるかもしれないだろ!?」

 

 池の言葉を否定したのは、なんと面白そうにこの状況を眺めていた高円寺であった。

 

「ハハハッ!! 愚かだねえ、一之瀬ガールの一件でわかった筈だろう? この学校は生徒からの訴えが無いとまず動かない上に静観すると。そして我々は暴力を振るっている訳でもなければ、喧嘩をしている訳でもないのだよ。ただクラスで話し合っているだけで損失など被らないさ」

 

 女子チームを援護したと言うよりは、この状況を見世物のように思っているからこその援護なのかもしれない。

 

 ただ高円寺の言葉は事実だ。確かに一之瀬さんへの誹謗中傷があった時、彼女が訴えなかったばかりに、終ぞ学校は動かなかった。

 

 あの後、ポストに誹謗中傷のプリントを投函した生徒が裁かれたとも聞かないし、本当に静観したんだろうな。

 

「そういうこと……で、言い訳がある訳?」

 

 軽井沢さんがそう言うと女子チームは一歩詰め寄る。同じ距離を後退しようにも四人は既に壁際まで追い詰められているので不可能だ。

 

 四人とも視線を右往左往させて顔を青ざめさており、どうにかこの窮地を脱出しようと活路を探しているようだが、残念なことにどこにも逃げ場はない。

 

「あの時はさ、表沙汰にしてクラスに迷惑がかかるのが嫌だったから黙って見逃したの……けどさ、この状況で綾小路くんに何もかもを押し付けるのは流石に黙ってられない訳よ」

 

「うぐッ」

 

 山内は四人の中で一番焦ってるかもしれないな。

 

「事情をまだ知らない人がいるかもしれないから説明しておくとね。この四人は夏休みに色々とやらかして、綾小路くんはそれを天武くんに相談、そして私に話が回って来て対処したの」

 

 女子チームは既に大まかな情報を共有していたのだが、男子の中にはどうしてこんなことになっているんだと思っている者もいたので、軽井沢さんはざっくりと事情を説明した。

 

 そしてここ最近、山内が流しているここだけの話と合わさることで、ほぼ全員が納得するのだった。

 

「最ッ低!!」

 

 冷たい篠原さんの言葉が池に刺さる。ここ最近は何だかんだで良い雰囲気になっていたようだが、凍えるような視線になっている。

 

「しかもそれを綾小路くんに押し付けるって……幾ら何でもヤバすぎ」

 

 松下さんも同様に極寒の視線で四人を、中でも山内を鋭く突き刺す。

 

「き、桔梗ちゃん……助け――」

 

「……ごめんね、寛治くん」

 

 まさに針の筵となった四人の視線は教室中を彷徨い、池は藁にも縋る思いで桔梗さんに活路を見出すのだった。ただ彼女も思う所はあるだろうし、女子チーム全てを敵に回してまで四人を庇う意味がない。

 

 それでも申し訳なさそうな顔でごめんと言いたげに両手を合わせるのは、アイドルとしての最後の配慮なのかもしれないな。

 

「す、鈴音……違うんだ、これは、だから」

 

「これは、だから? 何? そもそも気安く名前を呼ばないで貰えるかしら」

 

「……」

 

 体育祭で頑張って名前呼びを許して貰った須藤ではあるが、どうやら評価は地を這う程に低くなってしまったらしい。汚物でも見るかのような鈴音さんの瞳に黙るしかなかった。

 

「多少なりとも落ち着いたと思っていたけれど……見誤っていたようね」

 

 最早、彼らに味方はいない、鈴音さんの言葉が全てである……自業自得と言ってしまえばそれまでなのだが、そんな四人にも手を差し伸べる者がいた。苦労人平田だ。

 

「み、皆、ちょっと良いかな?」

 

 桔梗さんですら彼らを庇うことを躊躇した中で、彼だけは四人の側に立つ。いや、立たされたと言うべきなのかもしれない。

 

「皆の怒りや苛立ちは、仕方のない事だと思う……けれど、その」

 

 チラチラと、平田は教室の隅で身を寄せ合っている四人に視線を送るのだが、その度に苦々しい表情となっていく。

 

 まあ、盗撮犯を庇う言葉はそう簡単に出て来るものじゃない。幾ら平田でもだ。

 

 彼は自分に祈りを捧げる四人を見て、喉の奥から何とか言葉を吐き出そうとするのだが、美辞麗句はいつまでたっても出て来ない。

 

 庇いたいという思いと、女子たちの怒り、どちらが正しいのかは言うまでもないだろう。

 

「僕はその……」

 

 平田の視線が池と山内と博士と須藤の順に移ろっていき、最後には俺に向けられた。

 

「ごめん……無力だ」

 

「諦めんな平田ぁぁぁあッ!?」

 

 池と須藤の叫びが虚しく響く。流石の彼もこの状況はどうすることもできなかったのだろう。誰が彼を責められるというのか。

 

「笹凪くん……すまない、力を貸して欲しい」

 

 最後に彼が頼ってきたのは俺である。それ自体は構わないし良い傾向であるとも思う。平田は何もかもを自分だけで背負おうとする男だからな。面倒事を丸投げすることも偶には必要である。

 

 平田の助けを求める視線と、四人の願うような視線、そして女子チームの苛立ち交じりの視線を一身に受けて、俺は席から立ち上がった。

 

「軽井沢さん、すまないがここは俺に任せて欲しい」

 

「……わかった」

 

 そして彼女と位置を交代するように、黒板と教壇の間に立ち、混乱極まる教室を見渡すことになる。

 

 集中を高めていき、師匠モードになった瞬間に全員がビクッと体を震わせたことを確認して、力強くこう言い放つ。

 

「全員、席に座れ」

 

 内心では不服だろう、当たり前だ。それでもただ言い争うだけならば一向に終わりが見えないので、ここは俺に従ってくれるらしい。

 

 女子も男子も、そしてあの四人も、とりあえず席に腰を下ろす。

 

 全員が席に座ったことを確認して暫く言葉を発さずに無言の時間が訪れた。堀北先輩を見習って沈黙と言う話術を使ってみる。

 

「須藤、池、博士、そして山内」

 

 師匠モードのまま四人の名前を呼ぶと、彼らはわかりやすく体を震わせて見せる。ある程度の苛立ちを乗せた言葉だったので、喉元に刃物を突き付けられているような感覚になったのかもしれない。

 

「盗撮をしたのは事実だな?」

 

「い、いや、それは……その」

 

 この期に及んでまだ取り繕うとする山内を、強く睨みつけると彼は涙目になってしまう。

 

「はいか、いいえで答えろ」

 

「……はい」

 

「盗撮は犯罪行為だ、どうしてかを説明する必要があるか?」

 

「……いいえ」

 

「退学どころか警察沙汰になることもわかる筈だ。そうだな池?」

 

「……はい」

 

「清隆はお前たちの犯罪行為を未遂にする為に動いていた、軽井沢もだ。表に出て来なかったのは、クラス全体に迷惑がかかるからに他ならない……つまりお前たちの首は二人の配慮によって繋がっているということだ。須藤、反論はあるか?」

 

「ね、ねえよ」

 

「言葉遣いには気を付けろ。いつまで中学生気分でいるつもりだ」

 

 師匠モードで圧力をかけながらそう伝えると、須藤は顔を青くしながらカクカクと首を頷かせた。

 

「あ、はい……ありません」

 

 その殊勝な態度をあの日に得ていて欲しかったものである。

 

「博士、自分たちの立場と行動に擁護できる点はあるか?」

 

「な、ないでござる」

 

「お前も言葉遣いを正せ。混合合宿で学んだことをもう忘れたのか」

 

 ここ最近は口調は普通だったのだが、追い詰められると癖が出て来るらしい。

 

「申し訳ありません。何一つとしてありません」

 

「そうだ、何一つとしてない……お前たちの行動は幼稚そのものであり、覆しようがない犯罪行為だ」

 

 俺にお前たちを説教する権利などありはしないが、それでも誰かがやらなければならないのならば、俺がやるしかない。

 

 せめて薬になれと願いながら、説教するしかないな。

 

「幼稚であることは罪ではない、しかし社会はそれをいつまでも許すことはない。言葉と行動には責任が付きまとう。俺たち高校生は子供だからと許されることもなければ、相応に落ち着きを得て責任を背負う立場でもある……だというのにお前たちは一体いつまで中学生気分で過ごしているんだ。あぁ、過去のことで今は違う等とつまらない言い訳はするなよ」

 

「……」

 

 四人は視線を下げて黙り込んだ。少なくとも表面上は反省しているようには見える。

 

「クラスに迷惑がかけられないからと、胸の内に閉まって墓まで持って行こうとしていたが、事が大きくなった以上はしっかりと追及して反省を促す必要があるだろう」

 

 そうでなければ女性陣がおそらく納得しないからな。

 

「どんな言葉がいい? 罵詈雑言か? それとも罵倒か? 或いは鉄拳制裁か? この期に及んで謝罪一つしないお前たちに相応しいのはなんだ」

 

 そう言えばそうだと女子の何人かが山内たちを睨む……本当に申し訳ないと思う。

 

「はぁ……お前たち、まずは謝罪だ」

 

 最初に動いたのは須藤である。椅子から立ち上がるとそのまま額を机に叩きつけるかのような勢いで頭を下げた。

 

「すまない」

 

 短くシンプルなそれは言葉足らずであるが、今は何も言うまい。そんな須藤に続くように池と博士と山内も大慌てで頭を下げて謝罪の言葉を口にした。

 

「謝罪は大切だ、少なくともそれは最初の一歩になるだろう……頭を上げてもう一度座れ」

 

 改めて教室を見渡すと、男子は四人に呆れていて、女子は怒りや苛立ちを抱いているのがわかる。この辺は性別の差が出る場面なのかと内心では思いながら、俺は次の行程に進むことにした。

 

「お前たちに最も必要なのは何かを考えた、どうすれば反省をしてもらえるのか、二度とつまらない過ちを繰り返さないのか……だが、これといった案は思い浮かばないのが現状だ」

 

「笹凪くん、いいかな?」

 

「どうした、平田」

 

 沈黙が広がる中で挙手して声を上げたのは平田である。彼は不安そうな顔をしながらこんなことを訊ねて来た。

 

「もしかして……退学させるべきだと考えているのかい?」

 

 不安に思ったのはそこか、クラスの平穏を願う彼らしい言葉と思いと言えるのかもしれない。

 

「教育とは教え導くことだ。切り捨てることじゃないからな……だからそこは安心しろ」

 

「そうか、良かった……えっと、彼らも反省しているようだし、あまり追い詰めるのは」

 

「そうだな、しかし良い機会であるとも思っている……これはこの四人に限った話ではないからな」

 

「どういうことかな?」

 

 教室を見渡すと男女三十九名の集団がいる。彼ら彼女らが構成する社会がある。

 

「この四人が悪いのは大前提として、皆に問いたい。日々の日常の中で、各々が正しく誇れる生き方を出来ているのだろうかと」

 

 少しだけ教室がザワついた。まさか話が四人から全体に広がっていくとは思っていなかったらしい。

 

「他者と接する時、最低限の配慮を忘れていないか……言動に責任が伴うことを実感しているのか、普段は意識していなくとも、ふとした言葉で誰かを傷つけていないか。良い機会だから、この場にいる全員がこれまでの生活を振り返って欲しい。きっと、誰にでも思い当たる何かがある筈だ」

 

 幾人かはギクリとした顔をしているな。男女を問わずにだ。

 

「俺もまた同様だ。幾つか憂慮すべき点が出て来る……きっと皆もそうだろう。せっかくの機会だ、今それぞれの胸にある憂慮と後悔を薬にして欲しい。今後もこのような試験が行われるかもしれないが、日々の行動や言葉が回り回って自分に返って来るかもしれないと危機感を持ってくれ」

 

「……」

 

 クラスメイトたちは思いつめた顔をしているな。当たり前のことだけど過ちのない人間など存在しないのだから自然な反応である。

 

「それこそがこの試験の本質であり、俺たちが目指さなくてはならないゴールでもあるんだろう……最低限の配慮というものを、忘れてくれるな」

 

 そして視線と話題が問題の四人に返っていく。

 

「山内……お前の行動は著しく配慮に欠けて短慮な上に、擁護の余地がない」

 

「そ、それは……う、ごめん」

 

「謝るのは俺か?」

 

 彼の体は教室窓際の最後方で黙って事の成り行きを見守っていた清隆に向けられる。流石にここで誰に謝るべきかすらもわからないなんてことは無かったか。

 

「綾小路……俺が悪かった、すまない」

 

「あまり気にするな、だがしっかり反省はしてくれ」

 

 清隆は静かにそう返すだけだ、怒っている訳でもなければ、苛立っている様子でもない。ある意味いつも通りであった。

 

 或いは、山内にあまり興味が無いのかもしれない。入学当初はそれなりに絡んでいたようだが、体育祭以降は殆ど関わることも無かったからな。

 

「それぞれの謝罪の言葉と意思は共有できたと思う……だが、それで許しますと女子たちは言えないだろう」

 

「それは当然だし、だって私たち何にも悪くないから」

 

「その通りだ軽井沢。その言葉に一切の反論が出来ない……だが、俺はここで彼らとの間に決定的な確執を残したくはないと考えている」

 

「じゃあ何、天武くんは許せっていうの?」

 

「違う、そんな上辺だけの言葉に意味はない……ただ、チャンスが欲しい」

 

「チャンス?」

 

「そうだ。四人の行動は愚かの極みとしか言えず、山内に至っては擁護できる余地すらもない……だがさっきも言ったが、教育とは教え導くことであり、切り捨てることではない。だから彼らに反省を促し、信頼を回復する為のチャンスが欲しい」

 

 ある意味では、四人に最も必要な制裁と罰はこれなのかもしれないな。

 

 罵詈雑言でも鉄拳制裁でもなく、全く無関係な人間の姿と行動だ。

 

 俺は静かに、先ほどの須藤と同じく、教壇に額がくっ付くほどに腰を折り曲げて真摯に頭を下げた。

 

 これで譲歩が貰えないなら土下座しても良い。機会を得る為ならばそれくらいが必要だろう。

 

「え、ちょ、天武くんが頭を下げる必要ないでしょ!?」

 

「許せとは口が裂けても言えない。それは逆にお前たちを侮辱して軽く扱うことになるからだ……俺に出来るのはただ頭を下げることだけだろう」

 

 ここで退学になどさせないし、女子との関係を決定的に破綻もさせない。そんなことは許されない。

 

 

「皆……譲歩が欲しい。俺たちにやり直せる時間と機会が欲しい……頼む、この通りだ」

 

 教壇に額をくっつけた状態でのそんな要求に、教室はまたも静まり返る。あの四人は今の俺をどんな気持ちで見ているんだろうな? ある意味では殴られるよりもキツイのかもしれない。

 

 自分の過ちで、自分ではない誰かが頭を下げるのを見るのは、思っているよりも堪えるだろうからな。

 

「誰にでも過ちはあるからなんて言葉は使わない、許してくれ等と言える訳もない……だが、たった一度だけで良い、俺たちに信頼を取り戻す機会を与えて欲しい」

 

 俺の謝罪に女子たちは困惑しているのだろう。いや、それは男子も同じか。

 

 さてどうなるだろうか、これで譲歩が引き出せないなら師匠直伝の土下座をするとしよう。

 

 そんなことを考えていると、まず最初に桔梗の声が耳に届くことになる。

 

「私は、天武くんの考えに賛成かな」

 

「え、でも良いの?」

 

「良くはないけれど……でもね軽井沢さん、天武くんはこれまでクラスのことで沢山頑張ってくれたから、ダメだなんて言えないよ。山内くんたちも天武くんにここまでさせたことを色々考えて、しっかり反省して欲しいな」

 

「僕も同じ気持ちだ……それに笹凪くんにだけこんなことをさせる訳にもいかない」

 

 次は平田の声が頭を下げている俺の耳に届く、少しクラスメイトたちがザワついたので、どうやら彼も深く頭を下げたらしい。

 

「皆、彼ら四人にやり直せる機会が欲しい……この通りだ」

 

「よ、洋介くんまで……」

 

 困惑した雰囲気は徐々に教室に広がっていく。これはこれでズルいと言えるのかもしれないな、責め辛い雰囲気を前面に押し出した上でずっと頭を下げているのだから。

 

 けれどそれでも譲歩が欲しい。こんな形でクラスが空中分解するなど最悪でしかない。

 

「もうッ、わかったよ!! そこまでされたらあたしが悪いみたいになるじゃんッ!!」

 

 よしよし、軽井沢がようやく折れてくれたようだな。後、問題になりそうなのは鈴音くらいだろうか。

 

「堀北さんは、君はどう思うかな?」

 

 平田も同じことを思ったのか、これまで黙っていた鈴音にそう訊ねる。すると彼女は溜息を吐いてから、身を縮ませている須藤たちを睨んだ。

 

「一度失った信頼を取り戻すのは大変よ、それを自覚しているのかしら?」

 

「お、おう、勿論だ……鈴音、俺にチャンスをくれ!!」

 

「気安く名前を呼ばないで」

 

「……はい」

 

 また溜息が聞こえてくる。鈴音のものだ。

 

「これから先、弛まぬ努力を続けなさい……そして、貴方たちがいて良かったと言わせてみなさい、良いわね?」

 

「あ、あぁ、もちろんだ!!」

 

 最終的には彼女も折れてくれたか、それを確認した俺はようやく教壇から額を離して頭を上げた。

 

 少なくとも、クラスは四人にやり直しの機会を与える形で纏まったと思う。俺にできるのはこれが限界だろうな。後は四人の問題とも言えるが、こちらもフォローしておくか。

 

「池、山内、須藤、博士」

 

 師匠モードを維持したまま彼らの名を呼べば、規律を叩きこまれた軍人のように背筋が伸びるのは、見ていて少し面白い。

 

「皆は、お前たちに機会を与えるそうだ……どういう意味かわかるな?」

 

 わからないとは、当然言わせない。

 

「これがクラス全体のお前たちへの評価であり、最後の配慮だ。それを忘れずに、日々精進してくれ……さっき鈴音も言ったが、いつかお前たちがいて良かったと言わせてみろ」

 

 強い意思と乗せて師匠モードで伝えると、四人は冷や汗を流しながらコクコクと頷いた。

 

 機会を与える、それがクラスで出した答えである。これ以上は無理だろうな。

 

「よし、これで裁判は終了とする……ここから先は、クラスからではなく、俺個人の説教の時間だ」

 

「え?」

 

 四人の声が重なる。お前らもしかしてこれで終わりだなんて思ってないよな?

 

「とりあえずラーメン屋行くぞ、そこでみっちり説教だ……須藤、今日は部活を休め」

 

 クラスの判断は下された、しかしそれで終わりな筈がない。俺個人としても言いたいことはあるし、フォローもしておきたいからな。

 

 真っ青な顔をしている四人と、ついでに清隆も連れてラーメン屋に行くとしよう。

 

 大丈夫、説教した後はちゃんとフォローもするから。

 

 師匠曰く、叱った後はフォローも大切とのこと。

 

 

 

 



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幼年期の終わり

 

 

 

 

 

 

 

 ケヤキモール内にある行きつけのラーメン屋、そこではお通夜帰りであるかのように、表情を暗くした四人の男子高校生の姿があった。

 

 彼らは一様に辛気臭い顔をしており、頭を抱えた状態でラーメン屋のテーブル席に付いている。その付近だけどんよりとした雰囲気になっており、カビでも生えそうなほどにジメッとした空気に満たされているのがわかる。

 

 注文したラーメン定食にも手を付けず、頭を抱えた状態で微動だにしない四人は、正直店側からしてみれば迷惑な存在なのだろうな。今も新しく店に入って来た先輩らしき男子生徒が、こちらの空気を見て回れ右したのが確認できた。

 

 ただあの学級裁判を越えてヘラヘラ笑っているようなら、まさに救いがないので頭を抱えているだけまだマシなのかもしれないな。

 

「まあなんだ……麺が伸びる、食え」

 

 そんな彼らを慮ったのか、或いはせっかく頼んだラーメン定食が手つかずであったことを勿体ないと思ったのか、清隆は四人に食事を勧めた。

 

「ここの餃子は美味いぞ、天武が作った物の次くらいにな」

 

 そして自分の餃子を須藤たちの前に持っていく……あれ、もしかして彼は四人に同情しているのか?

 

「綾小路、笹凪……俺は何を間違っていたと思う?」

 

「敢えて言うのならば、全てだろうな」

 

「鈴音は……俺に呆れているんじゃないか」

 

「呆れているというよりは、最早興味すらも無いかもしれないぞ」

 

 辛辣でありながらも、覆しようのない清隆の言葉に、須藤はやはり頭を抱えてしまう。

 

「とりあえず食え、残したら店にも悪い」

 

 このラーメン屋のポイントカードを持っているくらいには二人で来ているからな、店に迷惑もかけられないと考えているのだろうか。

 

「そうだね、清隆の言う通りだ。まずは食事、説教も反省も腹を満たしてからだ」

 

「う、やっぱまだ説教があるのかよ」

 

 池、当たり前だろ。クラスの判断はああいう形に落ち着いたが、お前たちへの説教が終わった訳でもないのだから。

 

 俺と清隆、そして主犯格の四人はそれぞれラーメン定食を食べていく。辛気臭い顔をしながらの食事はやっぱりイマイチだな。

 

「さて、食いながらで良いから話を聞いてくれ……まず、クラス全体のお前たちへの評価は言うまでもないな。これ以上ないくらいに低くなっている。いっそ退学にしてしまえと内心では思っている者もいるだろう」

 

 特に女子は大多数がそう思っていると推測できる。

 

「だがさっきも言ったが、俺は教育とは教え導く根気こそが重要だと思っている……お前たちの行動がどれほど愚かで幼稚であっても、それは変わらない」

 

 ここで餃子を一口、うんやっぱり美味いな。

 

「投票日に、お前たちに批判票が集まり、退学候補となるだろう。しかしそうなったとしても必ず救済する……そこは安心しろ」

 

「笹凪ィ……」

 

 感極まったかのように池が涙目になる。

 

「それを踏まえた上で説教はするし償いもして貰うぞ……まずは説教だ」

 

 師匠モードに移行して四人を睨む……どうした箸が止まってるぞ、食えよ?

 

「池」

 

「は、はい」

 

「須藤」

 

「うッ……」

 

「山内」

 

「ひぇ」

 

「博士」

 

「ふぁッ……」

 

 それぞれの名前を呼んで視線を交わしていき、最後にこう伝えた。

 

「凄く馬鹿、恥を知れ」

 

 とてもシンプルかつ、それ以上ないくらいの表現で彼らを罵倒すると、それぞれが視線を下げてまた表情を曇らした。

 

「須藤、お前はプロのバスケット選手になりたいらしいが、もしそんな人物が盗撮に関わっていた場合どうなる?」

 

「……」

 

「己の行動が、己の夢を汚す行為だと自覚したのならば、これ以上は何も言わない。次に池」

 

「はい」

 

 師匠モードで睨むと皆大人しくなるからやりやすいな。

 

「お前は最近、篠原さんと仲が良かったようだが、彼女のあの視線を受けて思う所があった筈だな?」

 

「そりゃ、まあ……」

 

「ならばそれ以上のことは言わない。己の中で昇華して次に進め」

 

 次に視線は博士に向かう。

 

「博士、お前は悪乗りさえしなければ善良な人間であると思っている……だが他者への配慮を忘れる時が偶にある。入学したばかりの頃も女子の妙なランキングに関わっていたな、恥ずべきことだと自覚しろ」

 

「わ、わかったでござる」

 

「口調、戻ってるぞ」

 

「はッ……申し訳ありません」

 

「さて……山内」

 

 最後に山内と向かい合う。

 

「お前は少し幼い所がある……言ってしまえば、中学生気分が抜けきっていないように思える」

 

「うッ……」

 

 それが俺から見た山内の全てであった。それ以上ともそれ以下とも言えない。同時に誰もが経験している状況だと思う。

 

「どこか空想的で、幼稚な万能感が抜けきっていない……まるで自分が漫画や映画の登場人物であるかのように特別な何かだと考えているんじゃないか?」

 

「……」

 

 図星だったのか、それとも思う所が少しはあったのか、山内は瞳を下げて暗い顔になった。

 

「これまで誰も言わなかったようだから、俺から言っておこう……お前は自分で思っているほど特別な人間ではない」

 

「はは……ハッキリ言うな」

 

 引きつった顔で僅かに頬を歪める山内は、しかしこちらの言葉を覆すことが出来なかったのか、シュンと表情を沈めていく。

 

「だが事実だ……そして多くの人々が、それをどこかで知ることになる。お前に限らずだ……山内にとっては今日この瞬間がその時だったということだ」

 

 誰だってどこかで壁にぶつかる。それは勉強だったり運動だったり、或いは容姿や性格であったりと、必ずだ。

 

 そこから目を背けて生きていたのなら、いつまでたっても幼さは抜けきらないだろう。努力とは、成長とは、立ちはだかる壁を乗り越えようとした者にしか出来ないことだ。

 

 瞳が揺れ動く、そして最終的に俺に向けられた時には、少しだけ涙が滲んでいるのが確認できた。

 

「そっか……そうだよな、笹凪の言う通りだ」

 

 彼は涙の滲む瞳を隠すように瞼を閉じて、大きく深呼吸をしてみせる。

 

 そしてこの瞬間、山内は初めて目の前にある現実を直視したのかもしれない。

 

 彼は涙目のまま後頭部をガリガリと掻き、絞り出すようにこう呟く。

 

 

「俺って……只の馬鹿だったんだな」

 

 

 見た現実、鏡に映った自分自身を、山内はそう評価するのだった。妄想でも虚言でもなく、そして捨てきれなかったプライドや願いを抜きにした時、彼は本当の己を知ることになった。

 

「春樹……」

 

 隣にいた池が少しだけ思い悩んだ顔で山内の発言を聞いている。須藤や博士、清隆も同じだ。

 

「特別なヤツになりたかったんだ……運動や勉強で一番になったり、凄くモテたりさ、でもそんなことはありえなくて、いつも俺が主役の妄想とかしてた。なんかカッコよく女の子を助けたりするようなさ」

 

 それはもしかしたら誰もが通る道なのかもしれない。幼少期の万能感は誰にでもあるものなのだから。

 

 そこから踏み出したのが大人で、足踏みしていたのが山内なのだろう。

 

「でも、そうだよな。俺より凄い奴なんて沢山いるし、カッコいい奴も大勢いるんだよな……俺は只の馬鹿で、天才でも特別でも何でもないんだ」

 

「よく言った山内……今お前が言った言葉は、大人への第一歩だ」

 

「笹凪に言われてもな……なんていうか、俺みたいな凡人と違って、お前は特別な人間だしさ」

 

「いや、それは勘違いだ……俺は特別な人間ではない」

 

「いやいや、嫌味かよ……」

 

「違う、謙遜している訳でも無ければ、遠慮している訳でもない……ただ事実を述べている。そもそもお前は勘違いしているぞ」

 

「勘違いって、何をだよ?」

 

「特別な人間なんて存在しない……いるのはただ、特別を目指した人間だけだ」

 

 そこを山内は間違えているし、勘違いしている。特別な誰かじゃないと受け入れたのは良かったが、それで終わられても困る。

 

「君はもしかしたら、俺が天才か何かに見えているのか?」

 

 師匠モードを解いて話しやすくしてから、改めて山内を見つめた。

 

「そりゃ、そうだろ……勉強だって運動だって、何でも一番じゃんか」

 

「そんなものはただ数字の良し悪しだ、特別の……天才の証明になんてならないさ」

 

「……」

 

「テストで百点取ればそれで特別なのか? 運動で結果を残せばそれで天才なのか? そんなことはない、それはただ高得点を取れるだけの人間だ。この世の中に溢れるほど存在しているだろう……天才には程遠い」

 

 この話は前に清隆にもしたな。桜並木の中で手合わせの後、ホワイトルームをどう思うかと聞かされた時、俺はこう返した筈だ。

 

「もし仮に、君が言う所の特別な存在がいるのだとすれば……それは百年先の未来が決めることだと思うよ」

 

「どういうことだよ?」

 

「どれだけテストで百点取っても、どれだけ運動が出来ても、百年先の教科書に名前が載ることはないって話さ。つまり、俺も君も、何も成せていないのならば大差はないということだね」

 

 この話を清隆はどんな気持ちで聞いているんだろうな。ラーメンを啜ってるけどその考えまでは読み取れない。

 

 俺の言っていることは、ホワイトルームの完全否定でもあるので、きっと色々と思う所はあると思われるが……今は関係がないか。

 

「俺が天才であるか否か、君が凡人であるか否か、そんなものは百年先の未来に丸投げで良い……俺たちに出来ることは、ただそこを目指すことだけなんだからさ」

 

 俺にそれを教えてくれたのは師匠だったな……出会ったあの瞬間に俺は自分の幼稚な万能感を消し去ってくれたのだと思う。お前なんて大したことないんだと。あるのはただ可能性だけなんだと。

 

 もしかしたら百年先では、俺の名前よりも山内の名前が広がっているのかもしれない。それが可能性の力であると思っている。

 

「山内、今日君は、自分が特別な人間でないと自覚した。それは大人への第一歩であると同時に、努力の始まりでもあるだろう。今日この日が、君が特別になる最初の一歩とさえ言えるかもしれない」

 

 言ってしまえば中学校の卒業式でもあるのだろう。

 

「だが決して勘違いするな。特別な人間でないと自覚するのは終わりではなく始まりだ。ここから先の人生の方が遥かに長い。そして百年先に証明してみせろ……俺は特別な人間だってな」

 

 その言葉に山内だけでなく、池や須藤や博士も思う所があったのか、空になったラーメンの器に視線を落としながら何やら考え込んでいる。

 

「挑み、超え続けろ、無限の研鑽を刻み込め、屈辱と泥と汗に塗れて突き進め……俺も君も、須藤も池も博士も……そして清隆も、特別な人間じゃなく、ただ特別な何かを目指すことしかできない」

 

 俺たちの努力と行動が本当に意味のあるものだったのか、俺たちは天才なんだと証明できるのかは、きっと百年先の教科書が証明してくれるだろう。

 

「馬鹿で終わるなってことか……」

 

「ん、そういうことだ。ここが君の始まり、誰もが経験することだ。それを忘れなければそれで良い……少し長く説教しちゃったかな。この辺で終わりにしておこうか」

 

「悪いな気遣ってくれて……本当に、俺って……こんなにガキだったんだな」

 

 それが自覚出来たのならば、もう俺から言うべきことは何もない。

 

 頼んだラーメン定食はもう空になっている。食べ盛りの高校生には少し物足りないかもしれないので、追加で餃子と唐揚げでも頼んでおくとしよう。

 

「で、ここから先は説教ではなく償いの話になる」

 

「え?」

 

 四人の声が綺麗に重なる。これで終わりだなんて、そんな綺麗な話で終わらせるものか。

 

「罪には罰を、過ちには償いを、どうしてだなんて説明するまでもないな……まず、今後お前たちには、弛まぬ努力を行うことを命じる。夜、寝る前に最低限授業の復習をしろ、因みに嘘は通じないからそのつもりでいるように」

 

「わ、わかってるっての」

 

「口だけなら何とでも言えるんだぞ須藤……鈴音さんからの信頼を取り戻したいのなら研鑽あるのみだ。大丈夫、頑張ればその内、また名前で呼ぶことを許してくれるさ」

 

「……だと良いんだけどよ」

 

「けどよ、償いって何をするんだ?」

 

 山内の言葉に少し考える。こういうのは誰の目から見てもわかりやすくしなければならないだろうからな。

 

「クラスへの貢献なんてものは大前提として……まあわかりやすいのはポイントだろうな」

 

「謝罪金、みたいなものかな?」

 

 博士のござる口調を止められると、それはそれで変な違和感がある。困った男だ。

 

「ん……そうだな、どちらかと言えばクラス貯金を多くする、これだろうな」

 

「クラス貯金ってあれだろ、毎月笹凪の所に集めてるポイントのことだよな。それを増やすってことか?」

 

 そうなのだ、俺たちのクラスはクラスポイントが1000を超えた段階で話し合い。クラス貯金をしていた。毎月クラスメイトから三万ポイントを徴収して一ヶ所に集めている。

 

 毎月十万以上が貰える生活なのでそれなら負担も少ないだろうと提案して、ペーパーシャッフル以降にそういう制度が出来て、管理は俺がやっていた。

 

 つまり軍資金の貯金制度である。個人ではなくクラスのポイントな訳だな。必要な時に一気に持っていかれるよりも、毎月決まった金額の方が受け入れやすいと全員が納得している。

 

「君たち四人には、毎月のポイント振り込みを多くして貰う。それを償いの一つとして、クラス全体で共有する、良いね?」

 

「まあしゃあねえか」

 

「俺もそれで良い」

 

「池と博士は?」

 

「嫌だなんて言えないって」

 

「同じく……確かに、わかりやすい償いだよね」

 

 そう、わかりやすいという点が大切だ。

 

「清隆はどうだい?」

 

 新しく頼んだ餃子を食べていた清隆は、何も問題はないと言うかのように口を動かしながら頷く。

 

「よし、ならこれで説教も償いの話も終わりだ。後は各々精進してくれ」

 

 結構な騒動となったこの件はこれで終息することになった。綺麗に纏まる筈だったのに思わぬ形で手を煩わせることになってしまったが、四人にとって良い機会になったのかもしれない。

 

 後は彼らの問題、教育とは根気であるとも思っているので、長い目で見ていくとしよう。

 

 もしかしたら百年後の未来では、この四人の誰かが教科書に名前を載せているかもしれないと夢想して、少しだけ穏やかな気分になるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 クラス内投票、結果発表。

 

 Aクラス 退学者無し プロテクトポイント保持者 坂柳有栖

 

 Bクラス 退学者無し プロテクトポイント保持者 綾小路清隆

 

 Cクラス 退学者無し プロテクトポイント保持者 一之瀬帆波

 

 Dクラス 退学者無し プロテクトポイント保持者 金田悟

 

 

 

 

 翌日、何もかもが茶番劇となったこの試験の結果はこんな感じになった。結局こうなるとわかっていたのだから、最初からやらなければ良かったと俺は思う。

 

 黒板に張り出された結果発表の用紙を見て、俺は静かに溜息を吐くのだった。

 

 さて、もう一つ仕事が残っているな。このふざけた試験を生徒に押し付けて来た元凶に釘を刺さなくてはならない。

 

 どこかで機会があればいいんだが、もしその時が来ればやんわりと注意しておこう。

 

 

 



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我を押し通す相手ほど面倒なことはない

この章はこれで終わり、次は小話となります。


 

 

 

 

 

 俺の資金をただすり減らしただけの、無駄が極まった悪質な試験はなんの捻りもない結果で終わることになった。とても予定調和というか、わかりきっていた結末でもあり、きっとこの試験を考えた人も予想通りだったのかもしれない。

 

「しかし、ちょっと中途半端な感じだよね」

 

「今回の動きがか?」

 

「ん……仮に清隆を退学させるにしても、もっとやり方があると思う」

 

「最初からその気は無くて、お前の資金を削るのが目的だったのかもしれないな」

 

 予定通り他所のクラスからの賞賛票を集めて清隆にプロテクトポイントを取らせて試験も終わり今は放課後。俺たちはとある人物からの呼び出しを受けて特別練に向かいながらそんな会話をしていた。

 

 おさらいと言うか、疑問点の話し合いだな。

 

「そもそも本当に君を退学させるつもりがあるのかな?」

 

「どういうことだ?」

 

「清隆のお父さんって、多分邪魔する人は海に沈めとけとか平気で命令するタイプの人だけどさ。そんな人の影響が強い誰かからの策略だとしても温すぎるような気がするんだ」

 

「この学校はあの男にとって敵地という話だ。干渉するにしてもそこまで自由にとはいかないのかもしれないが……」

 

「いや、それは無いと思うよ」

 

 それほど長い時間をあの人と一緒にいた訳ではないけれど、観察していてわかったのは、きっと躊躇を大昔に捨て去った人なんだということだ。

 

 暮らしていく上で様々な制約がある。誰だって窃盗したり誰かを害することに躊躇するのが普通だけど、それを踏み越えて日常にできるタイプの人だと俺は思っている。

 

「政治的に難しいって言うのも一つの理由ではあるんだろうけど……それでもあの人はやると決めたことはどんな犠牲を払ってでもやる人だ。それこそ一人と言わずに何十人も送り込んで君を攫うくらいはやるんじゃないかな」

 

「本気を感じられないと、そう言いたい訳か」

 

「あぁ、ただ何が目的なのかハッキリしないから、何となくの印象でしかないんだけどさ」

 

「何かしら別の思惑もあるか……否定はできないな」

 

 少し考え込む清隆と一緒に特別練に入る。試験が終わって今は放課後なので人気も少なく、目的の人物もすぐに見つけることができた。

 

 特別練に俺たちを呼び出したのは坂柳さんであった。あちらもこちらも認識したのか、いつもの不敵な笑みを浮かべてぺこりと頭を下げてくる。

 

「来てくださいましたか」

 

「呼ばれたからね」

 

「話はなんだ?」

 

 談笑をするつもりはないのか清隆はばっさりと会話を打ち切って本題に入ろうとするので、少しだけ坂柳さんは非難するような視線になってしまう。

 

「綾小路くん、こういう時、少しくらいは穏やかに会話するものですよ」

 

「そういうものなのか?」

 

 どうした訳か彼は坂柳さんではなく俺に確認を取って来る。

 

「そうだね。試しに待ったって訊いてみるのはどうかな?」

 

「……待ったか?」

 

「いいえ、私もつい先ほど来たばかりですので」

 

「よし清隆、次はなんだかこのやりとりデートの待ち合わせみたいだよねと言うんだ」

 

「……なんだかこのやりとり、デートの待ち合わせみたいだな」

 

 清隆は本当にこの会話が必要なのだろうかと視線で訴えかけて来るが、無駄な話も日常生活では必要なのだと力説したい。何もかもを効率的に進める必要はないのだと。

 

「えぇ、ある意味ではデートのようなものなのでは? 人気のない校舎で男女が密会するのですから」

 

「天武もいるだろう」

 

「逢瀬の邪魔なら少し離れようじゃないか」

 

「そうは言っていない、というか行くな……あまり坂柳と二人になりたくない」

 

「フフフ、なんだか避けられているようですね……身に覚えがありませんが」

 

「……え」

 

 坂柳さんの発言に清隆は珍しく表情を崩してドン引きした顔になっている。あれ、もしかして彼女を本当に避けているのか?

 

 清隆視点から見た坂柳さん……一之瀬さんを誹謗中傷した挙句、なんだかよくわからない理由で自分に執着してくる女子だろうか。なるほど、そう考えると避けたくなるのも頷けるのかもしれない。

 

 

 もしかしたら彼は、坂柳さんを苛めっ子でありストーカーのように評価しているのかもしれないな。

 

「前置きはいい。さっさと本題に入ってくれ」

 

「それもそうですね……くだらない試験も終わって、ようやく一年最後の特別試験に挑める形になったのですから、私と貴方の戦いの舞台も整ったのではと考えているんです」

 

「天才の証明がどうのこうのという奴か……正直なことを言わせて貰うなら、あまり意味がないと思うぞ。友人曰く、それを証明できるのは百年先の未来らしいからな。オレに勝った所でなんの証明にもならない」

 

「ふむ、一理はありますが……では個人的な理由といたしましょうか、綾小路くんに勝たなければ私の気が収まらない、と」

 

「……」

 

 清隆の内心が今ならわかる、こいつはストーカーだと思っているに違いない。

 

「一つ条件がある」

 

「何でしょうか?」

 

「勝っても負けても、一度きりだ。二度目はない」

 

「それで構いませんよ。勝つにしろ負けるにしろ、きっと私は満足できるでしょうから」

 

「お前にとってはどう転んでも問題ないということか」

 

「ええ、私が勝てば人工の天才を否定できて、負ければ綾小路くんはホワイトルームとは関係のない本物の天才だと証明できる、そういうことです」

 

「天武には挑まないのか?」

 

 坂柳さんの意識がこちらに向けられる。

 

「勿論、彼とも戦ってみたくはあります。ただしそれは証明の戦いではなく、もっと純粋な物になるでしょうけど……それこそ、クラスや試験などではなく、場末のカフェで行うちょっとしたチェスのように」

 

「そうか……オレにもそれくらい気安い感じで接して欲しいものだが」

 

「そうもいきません。貴方に勝ちたいと願った瞬間から、この舞台を夢見て来たのですから」

 

「難儀な性格をしているようだな」

 

「かもしれませんね」

 

 クスクスと笑う坂柳さんは真っすぐに清隆を見つめた。

 

「次の特別試験で決着を付けましょう」

 

「わかった」

 

「おそらくその後は……私も少し忙しくなるでしょうから、どうなるにせよ一度きりです」

 

「例のメールを送って来たという人物のことか?」

 

「えぇ、どのような思惑や目的があるにせよ、調べない訳にはいきませんからね。一刻も早く父が復帰して、正常な学校運営に戻ると良いのですが。綾小路くんにとってもその方が都合が良いのでは?」

 

「そうだな、否定はしない」

 

 そんな時だ、コツコツと床を叩く足音が聞こえて来たのは。

 

 わざわざ放課後に、人気のない特別練に赴くのは清掃員か職員くらいのものである。誰が来たのだろうかと確認してみると、そこには以前に清隆のお父さんと一緒に行動していた男性がいた。

 

 名前は確か月城さん。日本では違法な筈の口径の銃を当たり前のように持っていた人である。警察でも軍人でもないのに銃を携帯するタイプの人間だ。つまり捕まるリスクよりも所持する利益の方が大きい人間なのだろう。

 

 だが今日は銃の携帯をしていないらしい。体幹に僅かな乱れもない。けれどこの足音の感じは、もしかしたら靴に鉄板でも仕込んでいるかもしれないな。

 

 整備油や火薬の匂いも感じない、だとしたら懐か袖口にでも刃物を仕込んでいるのかもしれないと警戒を強めていく。

 

 最悪、腹の中に爆発物でも隠していると想定しながら、月城さんと相対したいといけないだろう。師匠曰く警戒は大切とのこと。

 

 或いは彼は囮で、実は狙撃手がどこかに控えている可能性もあるので、俺はそっと坂柳さんと清隆を窓際から遠ざける。

 

 そんな警戒を抱いていることに気が付いているのかいないのか、月城さんは俺たちに近寄ってくると、穏やかに微笑んでこう声をかけてきた。

 

「やあ、こんにちは」

 

「お久しぶりですね、月城さん……もしかしてホワイトルームからの刺客とは貴方のことでしょうか?」

 

「おやおや、随分と警戒をされているようですね。そうだと言えば今にも殴り掛かってきそうだ」

 

 その必要があるのなら実際にそうするつもりである。おそらく俺は退学になるだろうが、まあそれは別に構わないだろう。友人たちの命には代えられない。

 

「今日はただ挨拶に来ただけですよ。職員室がどこにあるかわかるかな?」

 

「職員室はここにはありませんよ、ご存知でしょう」

 

「天武くん、こちらの方とお知り合いですか?」

 

「清隆のお父さんの知り合いかな。つまりホワイトルームのことも知っている」

 

「なるほど、それはそれは」

 

 彼女も目の前の相手がどういう存在か理解したのだろう。同時に自分にメールを送ってきた相手が誰であるかもわかったと思われる。

 

「ここに来られたのは宣戦布告ですか? わざわざ監視カメラでこちらの動きを把握していたのでしょうか、困った方ですね」

 

「面白いことを言う子だね。いやいや、とても愉快な学校だと聞いているから、皆君みたいな生徒なのかな?」

 

 もし坂柳さんみたいな人が沢山いる学校なんてあったら、世も末だと思う。

 

「さっき言ったように、ちょっとした挨拶ですよ……これからの色々と関わっていくことになるでしょうからね」

 

 月城さんはあくまで穏やかな笑顔を張り付けたまま、ゆるやかに進みだす。一見すると何もないように思える動きであるが、意識と重心が僅かにこちらに向けられていることはわかる。

 

 銃を取り出すのか、それとも刃物か、或いは狙撃か、もしくは爆破か、そんな警戒をしながら相手の動きを観察していると、出て来たのはとてもシンプルな暴力であった。

 

 月城さんはその鉄板入りの靴先で坂柳さんの杖を蹴り飛ばそうとしたのだ。それがわかった瞬間に俺は彼女の襟首を優しく引き寄せて抱き上げる。

 

「――ッ」

 

「失礼した坂柳さん。女性の体にみだりに触れるべきではないと思うが、緊急事態だ」

 

「い、いえ、大丈夫です」

 

 お姫様抱っこの形になると彼女が緊張で身を固くしたことが伝わって来る。見た目通り華奢で軽い体は、とても脆い印象を与えてしまい、そんな子に暴力を振るうとはどういう了見だと少しの苛立ちがあった。

 

 師匠曰く、女の子には優しくすべし、ちょっと甘いくらいでいい。それを月城さんにも教えてあげたい。

 

「おやおや」

 

 穏やかな笑顔はそのままに、しかし月城さんの凶行がそこで静まることはなく、次々と繰り出されていく。

 

 あれ、もしかして俺、恨まれてる?

 

 鋭く無駄のない殴打を躱し、容赦なく振るわれる蹴りを空振りさせて、それでも諦めなかったので、俺は抱っこしていた坂柳さんを清隆に託す。

 

「清隆、パス」

 

「おう」

 

 彼女の身柄を預けて両手が空くと同時に師匠モードに移行して、目の前に迫る月城さんを見据えてその動きを観測すれば……ざっと数十カ所の活路が見えた。つまり数十通りの方法で排除できるということだ。

 

 足を粉砕して機動力を奪うべきか、股間を蹴り上げて無力化すべきか、それとも両目か、柔らかそうな喉か、もしくは隙間だらけの脇腹だろうか。

 

 それとも手首を掴んで捩じるか……「ゆっくり」と近づいてくる拳を眺めながら色々と考えて、ここが学校であることを思い出す。

 

 ダメだな、師匠の考えに染まり過ぎている。以前にもこの人に一方的な暴力を振るったことがあるので反省しなければならないだろう。

 

 前回の失敗を踏まえしっかりと考えて行動するべきだ。冷静になれ笹凪天武。

 

 

 

 

 なので俺は、月城さんの拳を躱してその顎先に回し蹴りを叩きこんだ。

 

 

 

 

「ごはッ!?」

 

 うん、間違いなく反省できているな。これは一方的な暴力ではなく正当防衛だから問題はない。俺も成長したということだろう。

 

 師匠曰く、追い打ちは大切とのことなので、倒れ込みながらもなんとか立ち上がろうとしている月城さんの頭に踵を落とす。これで完全に意識を失った筈だ。

 

「ふぅ」

 

 突然の暴力はこうして制圧されることになった。怪我人もいないので上出来だろう。

 

「死んだか?」

 

「大丈夫、後遺症が残らないように加減したから」

 

「とてもそうは見えなかったのですが……」

 

 清隆と坂柳さんが、何故か俺ではなく月城さんを心配するかのような視線を向けている……え、なんで?

 

 ちゃんと加減したよ、だって今も月城さんの頭は繋がってるじゃないか。俺だって学校でそんな乱暴なことはしない。野生のゴリラじゃないんだから。

 

「どうしようかこの人、拘束してからどこかに攫って情報を吐かせる?」

 

「まず物騒なことを考えるのは止めろ、ここは学校だぞ。常識的な行動を心がけるんだ」

 

「それはこの人に言ってあげて欲しいな……はぁ、清隆がそこまで言うのなら、止めておくよ」

 

「何でオレが我儘言ってる感じになってるんだ、いい加減にしろ」

 

 意識を失って倒れこんでいる月城さんを見下ろしながら、これからどうしようかと悩む。

 

 とりあえず意識を取り戻させるか。倒れ伏している月城さんの体を仰向けにひっくり返してから、彼のネクタイを緩めて気道を確保してからトイレの水道まで引きずっていった。

 

 トイレの清掃具入れの中にあったバケツに水を張り、それを月城さんの顔に落とせば意識を取り戻すだろう。

 

 ごめんなさい。決して悪気がある訳じゃないんです。許してくれとはいいません。

 

 水浸しになった月城さんはようやく意識を取り戻した。まだ脳震盪の影響は残っているようだが、視線は俺たち三人に向けられているのはわかる。

 

「おはようございます月城さん……暴力は駄目ですよ」

 

「……君がそれを言うんですか」

 

 何で俺は月城さんにまでドン引きされてしまうんだよ。正当防衛をしただけだろうに。

 

 まだ脳震盪の影響が残っているのか、意識は取り戻しても立ち上がるまではいかないらしいので、月城さんはトイレの壁に背中を預けた状態で動けないようだ。

 

「ええっと、俺たちは一方的に暴力を振るわれたので問題ありませんよね、それともこのやりとりを学校側は問題にするんでしょうか?」

 

「大丈夫ですよ……監視カメラの映像はダミーに差し替えてますので」

 

「準備が良いですね」

 

「けれど、事を大きくすることは可能でしょう」

 

「なるほど、だとしたら俺は理事長代理に暴力を振るったことで退学になるんでしょうか」

 

「そうなりますね……ですが、その様子だと、やるならやってみろと言いたそうだ」

 

「まあ……それをすると困るのは俺じゃなくて貴方たちでしょうから。ホワイトルームとか、拳銃の所持とか、権力を求める人がそんなわかりやすいアキレス腱を作るものじゃありませんよ。弱点を作らないと言うのが出世の近道です」

 

 どうせ叩けば幾らでも埃が出て来るだろう人たちだ。何でもありになったら最後に立ってるのはこちらであることは間違いない。

 

 つまり俺には、この人たちを恐れる理由が欠片もないのだ。せめて戦車を持ってこい、戦車を。

 

「学生にそんな心配をされるとは、いよいよ洒落になりませんね」

 

 穏やかな笑みを浮かべた月城さんは、トイレの壁に手を付いて何とか立ち上がろうとする。まだ脳震盪の影響は残っているのかだいぶフラついている様子だ。

 

「とりあえず今回の件は、また貴方が足を滑らしたということで終わらせましょう」

 

「そうしましょうか、私は足腰が弱いようなので、仕方がないことでしょう」

 

「ありがとうございます」

 

 心からそう伝えると、月城さんは苦笑いを浮かべてなんとか立ち上がった。

 

「さて、父上からの伝言だよ。これ以上子供の遊びに付き合う気はない。すぐに帰って来いとのことです。YESなら瞬きを二回しようか?」

 

 

 凄いなこの人、まるで何も起こらなかったかのように話を切り出したぞ。

 

 

「生まれたての小鹿のように足を震わせながら言われても、なんの説得力も感じないな。せめて多少は脅威に感じるくらいの姿勢は見せてから言ってくれ……オレから見ると、いきなり殴りかかって来ながら秒殺されたよくわからないオッサンの戯言としか思えない」

 

「……」

 

 清隆はそんな月城さんを、珍しく無表情を崩して嘲笑うような口調と視線で眺めながら、一切取り合うことなく要求を付き返してしまう。

 

「自主退学の意思なし、と」

 

 だがこの人は清隆からの挑発と嘲りを何事も無かったかのように聞き流す。もしかしたら内心では苛立っているのかもしれないが、表情は取り繕えているようだ。

 

「月城さん……なんていうか、すみません。凄く強敵っぽく登場したのに、イメージを壊してしまって」

 

「変な慰めは止めなさい……もの凄くイラッとしますので」

 

 怒られてしまった。やはり俺は恨まれているようだ。

 

 月城さんはまだ傾く体幹をなんとか維持しながら、俺と清隆と男子トイレの前で待機している坂柳さんを眺めて、最後に大きな溜息を吐いてしまう。

 

「まあ今はいいでしょう。正式に私がこの学校で活動を始めるのは4月からです。どうぞお楽しみに」

 

 ようやく余裕と落ち着きを取り戻してからそんな言葉を俺たちに残してくる。つまりこれからも色々とちょっかいをかけてくるということだろう。

 

「月城さん」

 

「何かな?」

 

「俺は今、ふと思ったんですけど……俺と貴方は、こうして顔を合わす度に殴り合いが起こるんじゃないかと」

 

「……」

 

 すると月城さんは、それはもう凄まじい……苦虫を何十匹も噛み潰したかのような顔になってしまう。

 

「はぁ……何故私はこんな場所に来てしまったのやら」

 

 そして出て来たのは愚痴である。なんだか上司からの無茶ぶりに悩まされている中間管理職みたいな雰囲気が出ていた。きっとこれまでも色々な苦労をしてきたんだろう。

 

「そうならないように、色々と配慮してくださいね」

 

「私は貴方のご友人を退学させる為にいるんですよ?」

 

「ならこんな中途半端な介入なんてせず、強引に身柄を攫ったらいいじゃないですか」

 

「それが出来ないのが政治というものなのです」

 

「そういうものですか……まあ俺たちに貴方の都合や目的は完全にはわかりませんので、きっとそうなんでしょうね」

 

 本当に清隆を退学させたいのか、やる気があるのかどうかハッキリとしないが、向かってくるのなら排除するしかない。

 

「とりあえず今回みたいな試験を強引にねじ込むのは止めてください。凄くイラッとしましたので」

 

「苛立ちですか、怒りではなく」

 

「怒るようなことではありませんよ、どうにでも対処できる問題でしたから」

 

「ふむ……やはり想定以上に寛容な性格のようですね。資料から得た情報とはまた異なる」

 

 俺のこともある程度は調べているということか、当然と言えば当然だろうな。

 

 何やら納得した様子で、月城さんは震える足で覚束なく歩きながら、俺たちの前から去っていくのだった。高そうなスーツはビショビショだったけど大丈夫だろうか?

 

「これから先、色々と苦労しそうだね」

 

「ああ、まあ……それはあちらのセリフだと思うけどな」

 

「同情を禁じえませんね」

 

 坂柳さんも清隆もどうしてあっちに配慮する感じになっているんだ。解せないな。

 

 俺たち三人は、ビショビショの状態でフラフラしながら遠ざかっていく月城さんを眺めながら、これから迫るであろう脅威に備えることになるのだろう。

 

 だがあの人が来てしまった以上は避けられないことでもある。警戒を怠らずに対処するしかないな。

 

 こうしてクラス内投票は完全に終わることになり、一年最後の特別試験に挑むことになるのだった。

 

 月城さんという不確定な存在が介入してくるとわかっているので、少しの不安と強い警戒を抱きながらも、俺たちは一年の締めくくりに進むことになる。

 

 せめて楽しむとしようか、そうじゃなきゃ意味がないだろうから。

 

 

 

 

 

 




月城「おかしい……私が不遇枠になっている」


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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

「平田洋介から見た笹凪天武」

 

 

 

 

 

 

 

 笹凪くんは、僕にとって理想の存在だった。

 

 ああいう人を真の意味でリーダーシップがあると言うのだろうね。不思議な引力を持つ存在感も、耳朶の奥に染み入るような声色も、説得力のある行動や意思も、全てが理想的だった。

 

 実際に彼に助けられることも多く、何度彼がいてくれて良かったと思ったことだろうか。

 

 今回の残酷極まる試験だって、笹凪くんがいたから平穏に終えることができた。紆余曲折はあって一時期は盗撮容疑で荒れそうにもなったけど、今は何とか落ち着いている。

 

 クラス内投票、僕たち生徒を篩にかける残酷な試験が始まった瞬間に、胸の奥に言いしれない不安と緊張が走ったことは間違いない。

 

 きっとそれは僕だけでなく、全員が同じ気持ちだったんだろうけど、Bクラスには彼がいたのでなんとかなった。

 

「皆、本当にごめん」

 

 投票が終わり、今回の件で色々と騒ぎを起こした四人が黒板の前に立って一斉に頭を下げる。女子からも男子からも呆れたような視線を向けられているけれど、完全に排斥する雰囲気ではないのが救いかな。

 

「え~……この四人にはクラスポイントの徴収額を多めにすることで償いとする。期間はこれから卒業するまでだ。色々と思う所はあるだろうが、これからの彼らに期待して欲しい」

 

 落とし所としてはこれで良いと思う。少なくとも不満はあっても文句を言葉にはしないくらいの状況だ。

 

 それを確認して僕は大きく安堵の溜息を吐く、何かボタンを掛け違えていればクラスの関係は決定的に破綻していたと思うので安心するしかない。

 

「平田少しいいか」

 

 投票も終わり、四人の禊も終わり、クラスは久しぶりの開放感に包まれて放課後に解散することになる。部活に行く人、羽を伸ばす人、次の試験に意識を向ける人、色々と反応があるけれど、僕はただただ安堵するだけであった。

 

 そんな時だ、笹凪くんが話しかけて来たのは。

 

「どうしたんだい?」

 

 教室から出て廊下を並んで歩く、隣にいる彼は話しかけて来たのにどうした訳か口を閉ざす。

 

 どう言うべきか迷っているように、どう伝えるべきか悩むかのように、そんな様子を十秒ほど見せてから、最後に絞り出すようにこう言った。

 

「いつかどこかで、俺にもどうすることができない時が来るかもしれない」

 

「え?」

 

「俺は万能じゃない、完璧にも遠い……そうあろうと努力しているが、きっと力及ばない時が来るだろう」

 

「そんなことはないよ、笹凪くんなら――」

 

 そうであって欲しいという僕の思いを否定するかのように、彼は言葉を遮るように力強くこう断言してしまう。

 

「いや、ない」

 

「……」

 

「あいにくと、俺の手は二本しかない、足も二本だ、心臓は一つ、目は二つ、出来ることと言えばそれを精一杯動かすことだけだ……君が望む便利な舞台装置にはなれない」

 

「笹凪くん……」

 

 不思議な色を宿した、こちらの心の奥まで覗き込むような瞳が僕を見つめる。過去すらも俯瞰しているのではないかと錯覚してしまいそうになるそれは、少しだけ怖いと思ってしまった。

 

「空は飛べないし、海だって走れない……ただそれが出来るように努力するだけだ。だからまあ、どこかで力が及ばない時が来るかもしれない」

 

 下駄箱から靴を取り出しながらそう言った彼は、また不思議な輝きを宿した瞳を僕に向けて来る。

 

「いつか、そんな時が来るのかな……」

 

「そうならないように努力することしかできない」

 

 そんな時が来た時に、僕はどうするのだろうか? 少し考えてみたけれど、背筋が震えるだけだった。

 

「なあ平田、君はいつもクラスの為に動いているが……勿論それに関しては感謝している、それは以前にも伝えたよね?」

 

「うん、覚えているよ」

 

「だが……少しだけ、不安に思うこともある。君はどちらかというと、クラスの為に働いていると言うよりは、根底にあるのはもっと別の何かのように思えるんだ」

 

「それは……」

 

「ああ、別に過去を探ろうって訳じゃない」

 

 不思議な輝きを宿した瞳は気遣うように逸らされる。

 

「だが、忘れて欲しくないのは、俺は万能でもなければ完璧でもないってことだ……」

 

 それだけ伝えて笹凪くんは靴を履き替えていく。

 

 心配をさせてしまったんだろうな。彼はいつも、僕とは違う意味でクラスを見ているから。

 

 何度も何度もそれに助けられて、いつしか彼に甘えることが当たり前になっていたのかもしれない。そう考えると、少しだけ恥ずかしくなってしまった。

 

 笹凪くんは、僕が理想としている人に限りなく近い。和を尊び、誰かの力になれる、そんな人だ。

 

 

 僕がいた中学に彼がいてくれたらと、そう思ってしまうほどに。

 

 

 ダメだな、うん、彼に甘えることがいつのまにか当たり前になってしまっていた。

 

 笹凪くんは僕からしてみれば完璧で万能だけど、きっとそんな風に考えるのは凄く失礼なことなんだと思う。いつか彼に何もかもを押し付けて、どこかで何かを取りこぼした瞬間に「どうして助けてくれなかったんだ」と口汚く罵ってしまうのではないかと、不安が胸に去来する。

 

 彼は完全完璧ではないのに、僕は完全完璧を求めようとしていたのだ。それはとても残酷で失礼な考えなのかもしれない。

 

 僕に出来ないことをやってくれる彼に、完全完璧な結果を求める……あぁ、そっか、彼はそれを自覚させたかったのかな。

 

「ごめん、笹凪くん……君に甘えていたのかもしれない」

 

「良いさ、俺が背負える物は俺が背負うし、守れるものは守る……完全でもないし、完璧でもないし、万能には程遠いが、その努力だけは怠るつもりはないからな。ただいつかその時が来た時は、平田の力を借りたい……この学校は、残酷だからな」

 

「うん……その時が来れば、必ず」

 

 すると笹凪くんは神秘的な顔つきを緩めて少女のような笑顔を見せる。けれどどこか父性を感じる所もあり、やはり不思議な人という言葉がよく似合うようになった。

 

 僕はいつもクラスの為にと、平和の為にと思って行動してきたけど、笹凪くんにとってはそんな僕も見守る対象だったんだろう。

 

 本当に、頭が上がらない人だ。

 

「ねえ笹凪くん」

 

「ん、なにかな?」

 

「君は僕がクラスの和を守ろうとしていることに、強い執着があると言ったよね」

 

「あぁ、何か理由というか……別の思いがあるんじゃないかとな」

 

「実は――」

 

 甘えてはダメだと思いながらも、彼に知って欲しかった。僕の中にある後悔とトラウマを、振り返った時に必ず存在する嘆きを。

 

 いつかどこかで、彼が誰かを守り切れなかった時に、あの時と同じ過ちを犯さないように、しっかりと向き合わないといけないんだろう。

 

 彼を責め立てることだけは、それだけは決して口にしてはいけないことだろうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北鈴音は少し心配していた」

 

 

 

 

 クラス内投票という、ただ退学者を出す為だけの残酷な試験が終わった。黒板に張り出された結果発表を確認すると、私たちBクラスだけでなく他のクラスも同じような形で終わったことがわかる。

 

 つまりポイントを工面出来たということなのだけど、2000万ポイントの大金を全てのクラスが集められたとは思えないわね。私たちはAクラスからの支払いと毎月それぞれの生徒に十万ポイントを与えられる環境だけど、それでも心許なかったのだから、他のクラスはそれ以上に苦しかった筈。

 

 それでも結果はこうなってしまった。つまりとんでもないお節介な人がいたということになる。

 

 一体誰なんだと考えるまでもない。2000万ポイントを個人で捻出した天武くんの仕業だろう。

 

 別に怒ってなどいない、不満がある訳でもない、彼が集めたポイントをどう使おうとそれは彼の自由だ。

 

 優しい人だと誰かは言うだろう、配慮してくれたのだと理解するだろう、きっと懐の深い人なのだと評価するんだろう……それは間違いではない、けれど――。

 

 彼を、本当の意味で理解できる人間は果たして何人いるのだろうかと、そう思ってしまう。

 

「ここにいたのね」

 

「ん、鈴音さん、どうしたんだい?」

 

 クラス内投票も終わり、私たちのクラスは学年末特別試験に向かって動き出した中、私はその前に確認したいことがあって彼を探していた。

 

 天武くんは昼休みになると、ここ最近は綾小路くんやそのグループの人たちと食事をすることが多くなった。それかこちらを気遣ってか教室で三人で昼食を過ごすかのどちらかであるけど、今日は珍しく一人だったので声をかける。

 

 場所は校舎の屋上、三月になって暖かくなってきたこともあり、昼食場所としては悪くはないわね。

 

 彼も同じことを思ったのか、屋上のベンチに座ってパンを食べていた。

 

 普段、よく誰かと接しているけれど、時折フラッと姿を消して一人で過ごすこともある、今日はきっとそんな気分なのかもしれない。

 

「隣、いいかしら」

 

「ん、どうぞ」

 

 屋上のベンチに腰掛けて購入したサンドイッチを取り出す。

 

「え、俺はもしかして今から説教されるのかな?」

 

「何故、そんな結論に至ったのかは知らないけれど、そんなことはしないわ」

 

「そっか、良かった」

 

「ただ、幾つか話したいことがあるのよ」

 

「ならお喋りしようか」

 

 少年のような、或いは少女のような顔を緩めて笑顔を見せてくる。何故か子犬を見ているような気分になってくるけれど、そのまま彼の雰囲気に流される訳にはいかないので意思は揺るがさない。

 

 彼に訊かなければならないこと、知らなければならないこと、そして確認しなければならないことが私にはあるのだから。

 

「天武くん、貴方は他のクラスにもポイントを配ったのよね?」

 

「ん、そうだね」

 

「それは何故かしら?」

 

 別におかしな質問ではない、彼の行動を知った人はきっと同じ疑問を抱く筈だ。

 

「ん~……どうしてと問われると、なんて返すべきだろうな」

 

 パンを食べながら少し悩んだ後に、彼はこう答える。

 

「それが必要だと思ったからかな……うん、俺はこんな形で誰かが退学になって欲しくなかったんだよ」

 

「そう」

 

「もしかして、そうするべきじゃなかったって言いたいのかな」

 

「いいえ、貴方のポイントをどう使おうとも、私に口出しする権利はないもの。ただ少しだけ心配になったのよ」

 

「大丈夫、ポイントにはまだまだ余裕があるから」

 

「違う、そうじゃない。私が言いたいのはそういうことじゃないのよ……貴方、無理していないかしら?」

 

「え?」

 

「天武くんの行動は尊いものだと思うわ、誰にも真似できないことだとも思う、否定もできないし馬鹿にもできないわ……けれど、人一人が背負うには大きすぎるものだと、そんなことを考えてしまったのよ」

 

「あ~……まあ負担って程でもないんだけど」

 

「今はそうかもしれないわね。けれどこの先、同じような試験があったらどうするのかしら? きっと同じように誰かを救済するのでしょうね、そしてそのまた次も、その更に次も……そして、いつか取りこぼしてしまったその時に、その、貴方は深く傷ついてしまうんじゃないかしら」

 

「なるほど、俺は心配されている訳か」

 

 クスリと笑った天武くんは、どこか遠くを見るかのような視線となった。

 

 何を見ているのかはわからないけれど、とても穏やかな顔をしている。

 

「そうね、心配しているわ。そして不安にも思っているの……いつか貴方は、誰にも理解されない場所に行ってしまうんじゃないかって」

 

 彼は善人だ、そしてある種の超越者だ。いっそ行き過ぎていると思えるほどに。尊い行動も、健やかな願いも、困難に立ち向かう勇気も……もしかしたら既に誰も追いつけないのかもしれない。

 

 だからなのか、彼の行動を見ていると少し不安になってしまったのでしょうね。彼はもしかしたら必要以上の物を背負い続けて、最後には誰からも理解されずに折れてしまうのではないかと。

 

 誰にも追いつけない人が、誰にも成せないことを、誰かに頼ることなく突き進む……いつか言われた兄さんの言葉を借りるのならば、きっとそれは真の意味での孤独なのではと考えてしまう。

 

 振り返った時に誰もそこにいないというのは寂しいことだと、他ならない彼が教えてくれたというのに。私から見れば彼がそこに行こうとしているようにも見える。

 

「……俺はそんなに誰かに心配されるような生き方をしているかな。坂柳さんにも似たようなことを言われたんだよね」

 

「貴方、坂柳さんと交流があったの?」

 

「うん、彼女にも今の鈴音さんと似たような心配をされたんだ。誰も並び立てない場所に行ってしまうんじゃないかって」

 

 少しだけ、坂柳さんに苛立ちが芽生えたことに私は気が付かないフリをする。彼の行く先を憂いているのが、そこに気が付いているのが自分だけでないことに、変な苛立ちがあったからだ。

 

「でも大丈夫だよ……俺は完璧ではないし万能でもない。ちゃんとわかってる。何もかもを救えるだなんて思い上がってないし、一人で全てを達成できるなんて思えるほど傲慢でもない。うん、だから大丈夫」

 

「そう……それならいい」

 

「それに、辛くなったら、鈴音さんが助けてくれるだろう?」

 

「必ずそうするわ」

 

 力強い返答に彼はふにゃりと表情を緩める……可愛い。いえ、そうではなくて。

 

「皆を救いたいけど、それができるほど俺は強くない……ちゃんとわかってる。いつかその時が来た時は、沢山悲しんでから、それを力に変えるよ。勿論、そうならないのが一番だけどさ」

 

 その言葉を聞いて私は安堵する。彼は挫折も後悔も力に変えていける人なんだとわかったから。

 

 そもそも疑うようなことでもなかったけれど、しっかりと言葉にされるとやはり安心してしまう。

 

「ありがとう、鈴音さん。心配させてしまったね」

 

「構わないわ。余計な気遣いだったようね」

 

「そんなことはないさ。誰かが心配してくれるっていうのは、幸福なことだと思うから」

 

 天武くんの指先が揺れ動く、それは緩やかな動作で私の頭に乗せられた。

 

「ぁ……どうして頭を撫でるのかしら?」

 

「ん、何となく? 可愛らしく思えたから」

 

 とても穏やかな瞳と視線でこちらを見る彼は、中性的な顔つきなのにどこか父性を感じてしまう。ずっと年上にあやされているかのような……こういう時に変な説得力があるから困るのよね。

 

 もうかなり前のこと、兄さんに撫でられた時のことを思い出そうとするけれど、もう記憶の彼方なのでうっすらとしたものであり、頭の上に感じる掌の温もりが全てを塗り替えていくような気もした。

 

「鈴音さんは髪が長いから撫で心地が良いね」

 

「そうかしら? でもそろそろ切ろうと思っているのよ」

 

「え、そりゃまたどうして……」

 

「何故かしらね……私にもわからないわ」

 

「短い髪の鈴音さんか、それはそれで見てみたい気もするな」

 

「ふふ、楽しみにしていなさい」

 

「そうするよ」

 

 掌が頭から離れる。少しだけ名残惜しくもあるけれど、またどこかで機会はある。

 

「さて、では次の質問よ」

 

「あれ、まだあるの?」

 

「当たり前でしょう。どうして綾小路くんにプロテクトポイントを持たせたのかとか、そもそもあれだけ大量のポイントをどうやって集めたとか、貴方には問いただしたいことが幾つもあるの」

 

「それはちょっと言えないかな、あ、痛い痛い……耳を引っ張らないでくれ」

 

 彼の言葉を聞いて安心したけれど、同時に新しい不安も浮かんできた。

 

 彼は何もかもを救おうとして、それが過ぎるあまり、自分以外の誰かが全て同じように見えてしまうのではないかと。

 

 この人はもしかしたら特別な誰かを作れないのかもしれない……そんなことを考えてしまった。

 

 けれどこの不安はすぐに消えることになる。解決方法はあまりにも簡単だったのだから。

 

 特別な誰かを作れない人の、特別になれば良い……ただそれだけの話だった。それはきっと恋人であったり、友人であったり仲間であったりと様々だけど、彼を孤独にさせないことが重要なのでしょうね。

 

 もしかしたら綾小路くんも、同じことを考えているのかもしれない。

 

 そう思うと、少しだけ彼に親近感が湧くのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初心忘れるべからず」

 

 

 

 

 

 

 彼が引き金に指をかけると周囲の音が遠ざかった。テレビの音量を勢いよく下げたかのように無音になっていき、耳に届くのは体の中心から伝わる心臓の音だけだ。

 

 集中力を高めていけば、その音すらも消えてしまって完全な静寂が訪れる。この世界に自分一人しかいないのではと思えるほどに静かな環境になった瞬間に、彼が覗き込むスコープの先には一人の少年が映し出される。

 

 中学生に届かない程の年齢だろうか? まだまだ幼さの残る容姿は少年にも少女にも見えるが、見た目通りの存在でないことを彼は知っていた。

 

 それを証拠に、スコープ越しに視線が絡み合う。かなりの距離があると言うのに、対象はこちらに見られていることを認識しているらしい。

 

 意味が分からない、ありえないと切り捨てるのは愚かなことだろう。事実、スコープを介して両者は見つめ合っているのだから。少年が言うには「なんとなく」わかるらしい。

 

 普通の人類にはない特殊なアンテナでも付いているのだろうかと思わなくもないが、その言葉を嘘だと断じるにはあまりにも正確な感知であった。

 

 視線が結び合った瞬間に少年か少女は走り出す。オリンピック選手すら霞むほどの圧倒的な速力を維持したまま次々と障害物を越えて行き向かう先はこちらである。

 

「速いな……文字通り人間離れしている」

 

「当然だ、骨も筋肉も内臓も、全て改造したのでね……まあ尤も、まだまだ発展途上ではあるが、とりあえず基礎は作った」

 

 返答を期待した呟きではなかったが、凛と澄んだ声が返って来た。スコープから目が離せないので声の主を認識することは出来ないが、あの狙撃対象から師匠と呼ばれる女性であることを彼は知っていた。

 

 狙撃手の男からの認識としては、人間の形をしているだけのよくわからない何かといった存在である。何の気まぐれか人間の子供を育てて……いや、改造していると聞かされた時は驚いたものである。

 

 その弟子を狙撃しろ等という滅茶苦茶な協力を要求して来た時には、いよいよ処理すべきかと考えたものではあるが、物理的に殺せる気がしないのでこうして彼は従っているらしい。

 

 それに最初こそ乗り気ではなかったが、今では少しやる気も出てきているらしい。スコープ越しに見つめる相手は、人間離れした速力を維持したまま真っすぐとこちらに向かって来ているのだ。

 

 つまりあの少年のような少女のような不思議な相手は、どちらかと言えば彼の背後にいる師匠に近い存在なのだろう。

 

 だとしてもこんな訓練を課すのは無茶振りなのではと思ってしまうのだが、最終的に受け入れたのは彼である。

 

「最終確認だ、殺す気でやるぞ」

 

「構わない、そうでなければ訓練にならないよ」

 

「それで本当に死んでしまったらどうするつもりだ?」

 

「それまでの男であったという、それだけの話じゃないか……それに安心したまえ、アレはそう易々と死なんよ」

 

「……そうかよ」

 

「それに、調子に乗る前に私以外の誰かに敗北させておきたい」

 

「そりゃスパルタなことで」

 

「なまじ才能があるのでね、敗北を経験させないと腐らせてしまうのさ」

 

 知り合ってそれなりの月日が過ぎ去っているが、そういえばこういう女だったと今になって思い出す。狙撃手の男は小さく溜息を吐いて自分の仕事に集中するのだった。

 

 自らの意識を一つ上の状態に上げると、高まった集中力は全ての流れを遅くするかのような感覚を与えていく。

 

 あの少年曰く、師匠モードと言うべきものらしいが、男は詳しくはしらなかった。名称なんてどうでもよく、便利だから使っているに過ぎないのだから。

 

 そんな究極とも言える集中状態でスコープを覗き、引き金に指をかける。

 

 こちらに迫る少年はこの山中の至る所にある木々を利用して蛇行しながら巧みに距離を詰めて来る。一切速度を落とすこともなく、それどころか加速しながらだ。

 

 向かう先はこちら、山奥にある神社の屋根の上、つまり狙撃手の男がいる場所である。

 

 木々が多い山奥なので一見すると彼が不利なようにも思えるが、適度に伐採されているので意外にも視界は晴れて射線が通っているようだ。

 

 この神社の屋根の上から俯瞰すれば、彼からしてみれば外す方が難しい程に。

 

 スコープ越しにまた見つめ合う、そして師匠モードの集中力が彼に一つの結論を出させる。普通に撃っても命中はしないだろうと。

 

 猛スピードで木々の間を蛇行しながら距離を詰めて来る少年に銃口を向けて引き金を引いても、どうした訳か当たる未来が見えなかったのだ。狙撃手の男にとってそういう時は数えるほどしかなく、それでもおそらくこの予感が外れることはないのだろうと根拠も無く考えていた。

 

 なので彼は、狙撃銃から手を離して立ち上がると、懐から小型拳銃を取り出して銃口を空へと向ける。

 

 

 乾いた発砲音が一発、神社を中心に山奥に広がった。

 

 

 迫る少年ではなく、真上に向けて放たれたそれは、当たり前のことだが誰かに当たることはない……少なくとも今は。

 

 一発の弾丸を空に放った男は、何事も無かったかのように再び狙撃銃を構えてスコープを覗き込む。既に少年との距離は五百メートルを切っていた。

 

 あの人間離れした速力を考えるに、ここまで辿り着くのに大した時間はかからない。それを証明するかのようにより強く踏み込んで突っ込んで来る。

 

 スコープを介して視線は今も結び合っており、きっとあの様子なら指先や銃口の角度も認識しているのだろう。この距離でそんなことは不可能だと断言するには、あの少年はあまりにも異質異常であるので論じることに意味はない。

 

 彼我の距離は既に百メートル、神社の領内にまで踏み込んだ瞬間に、少年は飛び上がって灯篭を足場にして狙撃手の男がいる瓦屋根の上にまで辿り着いた。

 

 その段階になってもまだ、男が持つ狙撃銃が火を噴くことはなく、彼の指先が動くこともない。

 

 それどころか、降参だとばかりに狙撃態勢を解いて銃を担いでしまう。

 

 少年は勝ちを確信したのか僅かに油断して速度が緩んでしまった。それが誘導されたものであるとは最後まで気が付かなかったらしい。

 

 

 

 狙撃手が上空に放った弾丸が、勢いを無くして重力に引かれて落下していき、自分の頭に命中するその瞬間まで、少年は自らの勝利を疑ってはいなかったのだろう。

 

 

 

 意識外から金槌で殴られたような衝撃が頭に広がる。師匠によって改造された頑丈極まる体と骨であっても、完全な不意打ちであったのでわかりやすい隙が出来てしまうくらいの衝撃だったらしい。

 

「ほれ、終わりだ」

 

 そのわかりやすい隙を狙撃手の男が見逃す筈もなく、彼は担いでいた狙撃銃の銃底で少年の顎先を全力で殴りつけるのだった。

 

「がッ!?」

 

「ほれお師匠さん、これで満足か?」

 

「うむ、まさに敗北だ……これで良い」

 

 脳震盪になって神社の屋根の上に転がった少年の頭を、狙撃手は容赦なく踏み抜いて勝利を誇った。

 

「惜しかったな坊主、だが最後に油断しちゃダメだろ」

 

「えっと、何がどうなったのやらさっぱりで」

 

「俺が上空に撃った弾が重力に引かれて落ちて来て、お前さんに当たったのさ」

 

「いや、ありえないでしょそんなこと……未来でも見えているんですか?」

 

「高度な計算を未来予知って表現するのなら、そうなのかもしれないな」

 

「えぇ~……」

 

 納得できていないのか、少年は少し不貞腐れているようにも見える。

 

「それよりお前さん、頭は大丈夫か? ただ落下して来た弾とはいえ、それでも普通に死ねる筈なんだが、頭蓋骨に穴は空いちゃいないか?」

 

「あ、大丈夫そうです。ちょっとたんこぶが出来てるくらいなので」

 

「……お師匠さんと一緒で、お前らの体は滅茶苦茶だな」

 

「絶対に当たらない弾を当てる貴方に、滅茶苦茶とか言われたくありません……というかその狙撃銃を使ってくださいよ、ずっといつ撃つのか警戒してたのに」

 

「だから空に撃ったんだよ、どうせ真っすぐ撃っても当たらないと思ったからな」

 

「あ~……俺の負けですね。完敗です」

 

「良い経験になったのならなによりだ。ほれ、お師匠さんにも叱られてこい」

 

 狙撃手の男は脳震盪の症状が僅かに残る少年を抱き上げて、師匠と呼ばれた人物の下に雑に押し出す。

 

「すみません師匠……負けてしまいました」

 

「敗北のない人生などつまらんのでそれで良い。だが反省しろ、君は最後の最後で勝ったと油断したようだが、それは誘導されたものだったとな。これほど愚かな醜態もあるまい」

 

「はい」

 

「そして傲慢になるな、調子に乗るな、君は別に完璧でも万能でも最強でもない」

 

「ええ、俺は未熟者です」

 

「そうだな、いつも言っているが、君は君が思っているほど強くはない……ならばやるべきことはなんだ?」

 

「ただ徹底的に鍛錬を積みあげていくだけですね」

 

「宜しい、それでこそ我が弟子だ」

 

 そんなやり取りを狙撃手の男は「こいつら怖ッ」とでも言いたげな顔で眺めているのだった。

 

 こうして少年は敗北をまた一つ積み重ね、成長していくことになる。

 

 自分は別に完璧でも完全でもなく、ましてや万能でも最強でもないと自覚したからなのか、より一層、鍛錬に気合が入ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……懐かしい夢だ」

 

 昔の夢を久しぶりに見た気がする。眠りから覚めて今日も学校が始まることになるのだが、まだ太陽が僅かに顔を見せる時間帯であった。

 

 懐かしい夢を見たからなのか、それとも山内にあんな説教をしたからなのか、俺の頭の中には初心とも言うべき思いがある。

 

 師匠に何度も言われたな、お前はお前が思っているほど強くはないと。この前に山内に言った言葉と大差がないそれは、基本を思い出させてくれるのだろう。

 

 ならば今日は初心に返って、もう一度基礎から積み上げるとしようか。

 

 部屋の隅に置いてあった百キロ越えのバーベル二つを小枝みたいに掴んで、師匠に教えて貰った神楽舞を一から繰り返す。まだ始業時間まで二時間はあるので、その間ずっと鍛錬を続けられる筈だ。

 

 師匠曰く、初心忘れるべからずとのこと。

 

 

 

 

 

 

 



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一年最後の戦い
一年最終試験の始まり


 

 

 

 

 

 

 

 

 振り返ってみるともう一年近くこの学校で暮らしているのだと、妙な実感を今更ながら得ることができた。俺にとって高校生活とはテレビの向こう側にあるもので、高校生とは言ってしまえば芸能人みたいな存在だったのかもしれない。

 

 そういった人たちがいるのは知っていても、実際に関わることはない。しかし何のつもりなのか師匠は俺を学校に通わせることに決めた。中学校も小学校も通っていなかった俺をだ。

 

 人として多くのことを学んで来いと言われて、押し込まれるようにこの学園に来た訳だが、この一年を振り返ってみると来て良かったという評価に落ち着くのだろう。

 

 どこか遠かった学生が、テレビの向こうにしかなかった青春の舞台が、思っていた以上に楽しかったのは間違いない。

 

 この学校は普通ではないけれど、それでも心の奥そこでは憧れていた普通の学生生活というものを得られる環境だ。加えて、色々と悩みや困難も押し寄せて来るので暇になる時間もない。

 

 充実していると、心からそう思う。

 

 友人もできた、相棒もいる、恋人はまだいないけれど、それはそれで青春っぽいので良しとしよう。恋人が欲しいと友人と愚痴ったりするのはとても高校生らしいからな。そういう時間は相手がいないからこそ共有できるものだ。

 

 この一年を振り返って、色々な経験と困難を乗り越えて来て、同じ数だけの縁も結ぶことができた。

 

 縁は力、その数だけの力と成長を授けてくれる。

 

 来年はどうなるだろうかと考えていると、きっと今年以上に大変な思いをするんだろうなと想像するまでもなく理解できてしまう……そう考えると本当に大変な学校だな。

 

「では、これより一年度の最終試験の発表を行う」

 

 今年と来年の狭間で、少しほくそ笑んでいたこちらの意識を引き戻すように、茶柱先生が黒板の前に立ってそう言った。

 

 まだ来年を思うには少し早いなと己を戒めて、窓の外から視線を茶柱先生へと向けると、一年の締めくくりとなる試験についての説明が始まっていく。

 

「一年間を締めくくる最後の特別試験は、これまで学んできた集大成を見せてもらうことになる。知力、体力、連携、あるいは運。ともかくお前たちの持つ様々なポテンシャルを発揮する必要があるだろう」

 

 そんな先生の説明から察するに、とても複雑で大規模な物になるのだろうか。それこそ専用の舞台を用意するかのような。

 

 俺たちのクラス、40人の生徒全てがその言葉に緊張を高めていくのがわかる。きっと他のクラスも同じような状況なのだろう。

 

「特別試験は、各クラスの総合力で競い合う「選抜種目試験」だ。ルールに従って対決クラスを決めて行われることになる。ペーパーシャッフルの時と同じようなものだ」

 

 だとしたら、坂柳さんが望む直接対決の舞台としては十分だろうか、クラス同士の総合力を競う対決なのだから

 

「まず、お前たちには説明の際にわかりやすくする為、十枚の白いカード、そしてクラスの人数に合わせた黄色のカードを用いて話をしていく」

 

 茶柱先生は黒板にトランプのようなカードを張り付けていった。

 

「まず、先に説明するのはこの白紙の十枚のカード。ここには、お前たちが話し合いをし、好きに決めた種目を全部で十個書き込んでもらうことになる。筆記、将棋、トランプ、野球。お前たちが勝てると思う種目を好きに書けばいい。そしてどのように決着を付けるのかもお前たちで考えてルールを制定する」

 

「え、何でも自由なんですか?」

 

 池がクラスメイトを代表するかのようにそう言った。

 

「そうだ自由だ……ただし、自由とは言っても種目を決める上で決まりごとは幾つか存在する。極端な話、大勢が知らないようなマイナー競技やゲームを種目にすれば、提案者以外誰にも勝ち目がないからな。それに種目のルールも公平かつ分かりやすいものでなければならない。そのため、種目提出後に学校側が適切かどうかを判断し、採用するかどうかジャッジを下す」

 

 つまり俺たちがこれなら勝てると言う種目を幾つか用意して、その種目で勝ち星を拾っていくということだ。それこそ学校側が許可さえすれば殴り合いだろうがテストだろうが構わない。

 

 何だったらダンスや料理だって同じだろう。自由度が高いと言えるのかもしれない。

 

「では実際に、わかりやすく再現してみよう。池、お前の得意なモノはなんだ。何でもいいから言ってみろ」

 

「じゃ、じゃんけんとか結構強いッスよ」

 

 流石にここでテストだったり運動は出さないか。そして誰が相手でも勝てる可能性が半分はあるじゃんけんならば、確かに競技の一つとしては面白いのかもしれない。

 

 坂柳さんと清隆がじゃんけんで決着を付けるのは、ちょっと想像できないけれど。

 

「では仮にじゃんけんを種目として選んだとしよう、ルールはどうする」

 

「えっと……じゃあ、三本先取?」

 

 まさか受け入れられるとは思ってなかったのだろう、池は困惑しながらも茶柱先生にそう返している。

 

「大勢が知る種目、かつ単純明快なルール。学校側が不採用にする理由は1つもない」

 

 茶柱先生は白いカードにじゃんけんと書き込んだ。

 

「後はこれを九回繰り返せば、十種目の完成だ」

 

 そして対決するクラスもまた十種目を作り、最終的にはその半分が本命として学校側に提出されることになり、二つのクラスを合わせて十種目競技となる。

 

 その中から更に当日に七種目が選ばれることになるようだ。

 

「どの競技が選ばれるかに関しては学校側が用意したシステムによって自動的に七種類をランダムに選びだされる。そういう流れだ」

 

「展開次第では、こちらが用意した競技で埋められる可能性もあるんでしょうか?」

 

 そんな質問をすると、先生は頷きを返してくる。ありえなくはないということか。だとしたら運も十分に絡むということだろう。

 

 だが勝敗を運任せにするのはなかなか難しい。いや、運も実力の内と言ってしまえばそれまでだが。

 

 細かなルールが書かれたガイドブックが配られていき、幾人かの生徒が目を通して最終的に鈴音さん経由で俺の所に回って来た。

 

 複雑で人数制限であったり学校側の基準であったりと色々あるが、要は当日にそれぞれのクラスが出し合った競技でそれぞれ白黒つけて、最終的に勝ち星が多いクラスが勝利となる。

 

 単純に一気に五勝とかして勝敗が決定しても、最後まで競技は続けられるとガイドブックには書かれている。勝てば勝つだけポイントは多くなるようだ。

 

 このクラスの特色、俺の得意分野、ガイドブックに書かれたルール、色々と考えていくと大まかな流れも見えて来た。

 

 要は、相手をぶん殴れば良いんだな、簡単じゃないか。

 

「難しいわね。特に人数制限と、参加条件が色々な縛りになっている」

 

 鈴音さんにガイドブックを渡すと、彼女はまずルールの確認をしてそう言った。

 

「君はどう思う?」

 

「全ての競技を少数精鋭で固められるのならば話が早いのだけれど……例えば、全ての競技を運動系で固めて須藤くんや貴方を参加させられたのならば、グッと勝率は高くなるわね」

 

「楽にとはいかないよ」

 

「ええ、けれど手はあるわよ」

 

「ん、例えば?」

 

「そうね……男子20名全員参加というルールの綱引きを競技にして、貴方も参加させる、これで一勝は確実。同じように女子も参加人数の多い競技で出場枠を完全に消費する。いえ、男女に拘らずにとにかく回転率を上げるのよ、そして二周目に入るの」

 

「なるほど、ガイドブックにも書かれていたね。生徒は二つの競技には参加できないけど、クラスメイト全員が種目に参加した場合に限り、二つ以上の参加を可能とする、だったかな」

 

 そう考えると確かに有利なのかもしれない。鈴音さんの言うように出場枠全てを消費して二周目に入り、また俺が何らかの競技に出れば勝率が高まる、運動系ならほぼ確実に勝てるだろう。綱引きと合わせてこれで二勝。

 

 当日は七つの競技が行われるので、勝つためには四勝が必要となるのだが、その内の半分はこうすることでもぎ取れる。

 

 後の二勝、欲を言えば全ての競技で勝つことが理想だが……こればかりは相手の都合や出方もあるだろうから簡単にとはいかないか。

 

「このクラス最大のアドバンテージは貴方の身体能力よ、それを活かせる場面が一つでも多くなれば、そのまま勝率に繋がると思うわ……ただ、どうかしらね、相手の出方やどの競技が選ばれるかという点もあるから、これで行けると断言はできないのよね」

 

「まだ時間はあるんだ、ゆっくり考えよう」

 

 もし鈴音さんの作戦に名付けるとするのなら「ゴリラを一つでも多くの競技に参加させよう作戦」だろうか。

 

「ん、良いと思う。案の一つとして走らせようか」

 

 資金力であれ、腕力であれ、学力であれ、自らの得意分野をぶつけて貫通させるのは勝負事の鉄則だろう。このクラスで最も大きな力と言えば、やはり俺の身体能力だった。それか資金力。

 

 ただ運も絡むからなあ、当日の流れ次第では完封される可能性すらある。

 

「それにもう一つ、考えなければならないこともあるわね」

 

「司令塔だね」

 

「えぇ、この為のプロテクトポイントだったのでしょうけど……」

 

 鈴音さんの視線が隣の席に向かう、清隆は机の上に肘を立てて顎を支えながらどこかぼーっとした様子を見せている。

 

「大丈夫なのかしら」

 

「大丈夫さ、そうだろ清隆?」

 

「あぁ、何も問題はない。調子は絶好調だからな」

 

 本当だろうか? 基本的に無表情だからその辺のことはよくわからない。だがもしかしたら内心ではやる気に満ち溢れている可能性もあるのだろう。

 

 坂柳さんと対決することも受け入れていたのだ。やる気が無いということも無いと思いたい。まあ清隆はやる時はやる男なので心配はいらないか。

 

「まあまだ時間はあるから、細かく詰めて行こうか」

 

「そうね」

 

「因みに鈴音さんはこれだって言う競技はあるのかな?」

 

 すると彼女は目を細めて考え込む。そして暫く悩んだ上でこう言った。

 

「必ず勝てると断言できるものはないわね、ましてやAクラスが相手だもの」

 

 それはそうだろう。鈴音さんは全体的に能力の高い人ではあるけれど、須藤や俺のようにこの分野なら絶対に負けないと言い切れるものは無い。そしてそれは彼女に限った話ではなく、クラスメイト全員に言えるものだ。

 

「敢えて言うのならテストだけれど、きっとそれはAクラスも同じことが言える……やっぱり貴方を主軸に動かすべきね」

 

「相手の都合や動きや運も絡む、色々と考えて行こう」

 

 俺は席から立ち上がって師匠モードになる。するとクラスメイトたちは待ってましたいった雰囲気になるのだから、この辺も一年前とは大きく変わった点だろう。怖がられるのではなく、師匠モードの俺は頼りにされているということだ。

 

「全員、傾注」

 

 お決まりのセリフを伝えると表情も引き締まる。少し前に色々とやらかした四人だってそれは変わらない。

 

「勝つぞ、文句はないよな?」

 

 するとクラスメイトたちはそれぞれが集中力を高めて見せた。目の前にある困難に戸惑うのではなく、立ち向かうことができるようになったということだろう。この一年で本当に大きく成長したと思う。

 

「まず決めなければならないのは司令塔だが……プロテクトポイントを持っている清隆に任せていいか?」

 

 坂柳との勝負もあるので彼を動かすしかない。もし負けてしまった時は退学になってしまうからな。

 

「あぁ、わかった。引き受けよう」

 

 予定通り清隆も受け入れるが、少しだけクラスに困惑が広がったのがわかる。

 

「えっとさ、そもそもどうして綾小路くんにプロテクトポイントが渡ったの? いや、他クラスからの賞賛票が集まったって言うのはわかるけどさ」

 

 素朴な疑問といった感じで篠原がそう言えば、何名かが確かにと清隆に視線を向けていく。

 

「それに関しては何となくだがわかる。要は俺や鈴音、或いは平田や桔梗のような者に持たせたくないとどこかのクラスが思ったんだろうな。逆に考えてみてくれ、俺たちにとってプロテクトポイントを持って欲しくないのは誰だって」

 

「あ、なるほど……」

 

「そういうことだ。清隆が選ばれたのは……まあ特別な理由はなくて、偶然かもしれないな」

 

「確かに笹凪くんには持って欲しくないのかもね、他のクラスからしてみれば」

 

「そう考えるとしてやられたな……だからまあ、今回は清隆に司令塔を任せたい」

 

 篠原や他の生徒たちも清隆にプロテクトポイントが渡された経緯に納得したらしい。完全に嘘八百だったけど、説得力はあったようだ。

 

「でもさ、綾小路くんで大丈夫なのかな?」

 

「清隆は何だかんだでやる奴だよ。成績だって良いだろう」

 

「え、そうだっけ……あ、そっか」

 

 篠原さんはあまり印象に残っていなかったようだが。クラスの清隆の立ち位置は何だかんだで出来る奴といった感じである。勉強でも運動でもだ。

 

「下手な男子に任せるよりは、綾小路くんの方がずっとマシか……うん、退学の可能性もない訳だしそれで良いかもね」

 

 どうやら篠原さんを筆頭に幾人かの生徒たちが納得したらしい。彼ら彼女らよりも清隆は好成績なので文句も出ないようだ。

 

「考えなければならないのは学校に提出する競技だ。各々の得意分野や技能などで、これだと言う物を選ぶ必要があるだろう。須藤、バスケなんかはどうだ?」

 

「おう、任せてくれ。それなら絶対に勝てっからよ」

 

「良い自信だ。だが標準的なルールで行うとしてお前以外の四人が完全に素人だったとしたらどうだ?」

 

「それは……確かに絶対とは言い切れねえか」

 

「そこで必ず勝てると断言しない所を評価しよう……だが大きな優位性がある競技であることは間違いないんだ。候補の一つに入れさせてくれ」

 

「相手はAクラスな訳だから、彼らの得意分野はやっぱり学力系かな?」

 

 平田の言い分も間違いではないだろう。実際にテスト関係の競技でしかも平均点を競うような形ならば、おそらくこちらは苦戦を強いられる。

 

 勉強が出来る者もこのクラスには幾人かいるのでその戦力を固めれば一つくらいは勝てるかもしれないが、やはり相手の出方次第となってしまう。

 

「その可能性は十分にあるだろう。そしてこっちがそういった分野で固めることもないと向こうもわかっている筈だ……まあ今はどうやっても相手の出方はわからないんだ、俺たちの種目の候補を色々と考えて行こう」

 

 須藤参加のバスケと、クラス男子全員が参加する綱引きはほぼ確定として、後一つか二つ、勝率が高い競技を用意するべきだ。

 

 それに、本命を悟らせないダミーも必要ではあるが、坂柳さん相手にどこまで通じるかは疑問である。まあやらないよりはマシなので用意しておくか。

 

 さっき鈴音が言っていたが、理想的な展開は、綱引きのような男子全員が参加する競技に俺が出て、その上で他の競技にも参加することだ。多少は競技の内容や出方は変わるにしても、それが基本的な戦略となるのは間違いない。

 

「他に何かないか? これならば高い勝率がある、そんな競技や特技などだ。実際にそれを学校側が許すかどうかは今は置いておいて、とりあえず言ってくれ……いや、もう時間はなさそうだな、今後のやり取りはクラスの共通チャットで行うとしようか。情報漏えい対策にもなるからな。女子の方は桔梗に纏めて貰おう、男子は平田の方に、任せるぞ」

 

「あぁ、引き受けるよ」

 

「うん、女子の方はこっちに任せて」

 

 平田と桔梗は問題無いようなので、俺と鈴音は全体のサポートに回るとしようか。

 

「綾小路、司令塔にはこの後、試験で使うシステムやルールの説明がある、付いて来い」

 

 茶柱先生のその言葉でクラスは解散することになった。清隆だけは別室で説明があるらしい。

 

 彼に後で詳しい説明を求めるとして、こちらはこちらでしっかりと動かなければならない。

 

 これは清隆と坂柳の戦いでもあるが、同時にAクラスとBクラスの戦いでもあるんだ。つまり俺の戦いでもある。

 

 以前に坂柳と結んだ約束を思い出す。矜持に恥じぬ戦いをしようという誓約を。

 

 だから全力で相手をするとしようか、誹謗中傷だったり、盤外戦術だったりの対処は凄く疲れる……戦いは、シンプルが一番だと思う。

 

 勿論警戒はするし、坂柳が勝利を目指す過程でそういった戦術に出て来ることも十分にありえる。それはそれで戦いの作法なので文句はないが……どう出てくるだろうな。

 

 

 どんな形で、どんな戦略であれ、この戦いは矜持を掲げたものであるのは間違いない。卑怯卑劣をねじ伏せて、小技を駆使しながらも、王道を行くとしよう。

 

 せめて誇りある戦いを、振り返った時に一切の恥がない在り方をここに作り出す。矜持を掲げた以上はそうであって欲しい。

 

 

 

 誇りある戦いに、そして誇りある決着としよう。

 

 

 

 俺は、この時はそうなると思っていた……。

 

 

 

 

 



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方針決定

 

 

 

 

 

 

 一年最後の特別試験が告知されて四つのクラスはそれぞれ動き出す。クラス内投票であれだけ資金をばらまいて買収したので、どこのクラスもこちらの指名を優先してくれることだろう。

 

 つまりAクラスとBクラスの戦いは最初から決定している。なので考えるべきはどう勝つかである。

 

 ただ大まかな形や流れは既に鈴音さんが示してくれていた。このクラス最大のアドバンテージを最大限に生かすという奴だ。

 

 傲慢に聞こえるかもしれないが、俺の身体能力を活かせる競技ならばかなり勝率が高くなる。それはAクラスに限らず学年全体で、もっと言えばこの学校全体で考えてもこちらの身体能力を凌駕出来る者はいないと言っても過言ではないだろう。

 

 この狭い学園に限れば笹凪天武の身体能力を上回る者は存在しない。傲慢と思われて調子に乗っていると評価されたとしても、それは揺るがない現実だ。

 

 ならばその優位性を全面に押し出す、わかりやすくも確実な戦略と言えた。これ以上ないとさえ表現できるくらいの武器でもある。

 

 鈴音さんは最大二十名が出場することをルールにした綱引きを本命の一つに推した。体育祭の様子を見る限りこれならば九割九分の確率で勝利できるだろう。そして同じように何らかの競技でもう半分を参加させることが出来れば出場枠を完全に消費することができる。そして二周目に入れば俺はまた別の競技にもまた参加できるということだ。

 

 もう一つの競技は格闘系の方針で纏まっている。空手や柔道などのメジャー競技で勝ち抜き戦のような物を想定しており、最初の一人に俺が出ることになるだろう。

 

 だが腹案として腕相撲であったり、ウエイトリフティングなども候補に挙がっているな。わかりやすいくらいの脳筋戦術であるが、それが一番俺に合っているのは間違いない。

 

 それに腕相撲などであれば須藤なども頼りにできる。勉強系の競技であったとしても啓誠や鈴音さんや王さんなどを固めれば勝機が無い訳ではない。

 

 複雑で、とても大規模な試験だ。だからこそ面白いと思う。

 

 俺たちにとって重要なのはガイドブックにも書かれていたルールの一つ「ただしクラスメイト全員が種目に参加した場合に限り、二つ以上の参加を可能とする」という項目だ。

 

 競技に参加するクラスメイトの回転率をとにかく上げて、一つでも多くの競技に俺が出るという鈴音さんの戦略は、とても強いものだと思う。

 

 実際にこんなことをされてしまえばとても難しい判断をAクラスは迫られるだろう。それこそ勉強系で固まってくれと願うしかないくらいには。

 

 ゴリラと殴り合うことはできない。当たり前のことだな。

 

 しかし相手の出方やどの競技が選ばれるのか不透明という点もあるので、あくまで走らせる戦略の一つと認識するくらいが良いだろう。

 

 平田からの報告では博士はタイピング技能が突出しているらしいし、明人などは弓道に自信を持っている。こちらが出せる手札は皆無という訳でもないのは救いだな。

 

 重要なのは囚われないこと。これしかないと視野を狭めないことだな。二周目作戦もそうだけど、普通に王道で勝つことだってありえる。複数の選択肢を用意して最終的にゴールを目指せば良い。

 

「昨日の話し合いはどこまで進んだんだ?」

 

 対決するクラスが無事Aクラスに決まり、対決する競技を出し合って精査する段階になり、Bクラスは本格的に特別試験に挑むことになった。そして司令塔となった清隆はお昼休みにグループで集まって開口一番そういった。

 

 彼は司令塔としての立場であり、説明を学校側から受けていたのでクラスでの話し合いに参加していない。気になったのだろう。

 

 食堂の隅っこに集まって昼食を楽しみながらグループ会議となった。

 

「種目のマニュアルをコピーしてクラスメイトに配って皆でルール確認して、後はそれぞれがこれだって種目を出し合った感じかな」

 

 細かい内容は全体チャットで話し合うことになっている。情報漏えい対策としてだ。

 

「でもこれなら勝てるって競技はあんまり出なかったんだよね。須藤くんのバスケとテンテンの二周目作戦とかは共有したけど、他は本決まりじゃないって感じかな。みやっちは弓道を推してたっけ?」

 

「ああ、正直、他の競技に出されても貢献できるとは思えないからな」

 

 明人は弓道部だからな、勉強関連の種目よりは動きやすいだろう。

 

「Aクラス相手にテストの平均点で競うのは難しいか……」

 

 難しい顔で悩む啓誠ではあるが、必ずしもそうと決まった訳でもない。

 

「競技人数による縛りもあるが、例えば啓誠だったり堀北のような少数の生徒で固めれば一つくらいは勝てるんじゃないか?」

 

 清隆も同じことを思ったのかそんなことを言うが、啓誠は難しそうな顔を緩めない。

 

「Aクラスもそれはわかっているだろう。仮に勉強系の種目を出して来たとしても、参加人数を多くして平均点で競う形にしそうなものだが……今回の試験はこちらの持ち味を生かすべきなのかもな。相手がAクラスであったとしても、これなら勝てるという競技を推すのが重要なんだろう」

 

「Aクラスは、学力が高いだろうしね~。そう考えるとやっぱり須藤くんのバスケとか、テンテンの二周目作戦とかがメインになるのかな」

 

「波瑠加さん、あまりそこにだけ囚われるのもどうかと思うよ。博士のタイピングとか見せて貰ったけどなかなかの物だったしね。単純な学力や運動能力だけでなく、特技なんかも選択肢に入れるべきだ」

 

「タイピングねぇ~、まあキーボードをカタカタしてるのは何となく似合ってるけどさ、博士くんって」

 

 酷い偏見であるとは思うが、完全に否定は出来ないのが苦しい。

 

 後、やはり信頼と評価が低い感じがするな。それは波瑠加さんだけでなく女子全体に言えることではあるが。

 

「清隆くん、司令塔だけど、大丈夫?」

 

「まあプレッシャーはあるが、俺以外がなるというのもな。負けたい訳じゃないが、誰も退学になる心配がないのは正直ありがたい所だ」

 

 心配そうに見つめて来る愛里さんに清隆はそんな言葉を返している。

 

「対戦相手がAクラスなんだし。もし負けても清隆くんの責任にはならないよ」

 

「司令塔で坂柳さんも出て来る訳だしね~」

 

 女子二人のフォローはありがたいことだ。緊張とは無縁の男ではあるけど、無駄になるということはないだろう。

 

「まあ、簡単に勝てる相手ではないだろうけど。鈴音さんが言っていた二周目作戦なんかもあるんだ。無策で挑む訳じゃない。やれるべきことをやろうよ。明人、もし弓道が選ばれた時は宜しく頼むよ。啓誠は勉強系だろうし、その時は頑張ってくれ」

 

「あぁ、任せてくれ」

 

「そうだな。俺に貢献できるのはテストくらいだ。その時に備えておくとしよう」

 

「みやっちとゆきむーは得意分野があるからまだいいけど、私はその辺、肩身が狭いんだよね」

 

「わ、私も、同じ……ごめんね。もしかしたら、迷惑かけちゃうかも」

 

 すると今度は清隆がフォローする番になった。

 

「クラス全体の総合力を競う試験なんだ。そんなこともあるだろう……それに、Aクラスにも似たような生徒はいる筈だ。波瑠加と愛里だけの話でもない」

 

「そう? Aクラスって頭の良い人ばかりってイメージだけど」

 

「平均で見ればそうだろうが、全員が全員という訳でもないだろう」

 

 なんだろう、清隆が他者に配慮してフォローする光景は、四月頃には見られなかったことでもあるので少し不思議だ。そろそろ一年が経つこともあって、彼の成長もよく感じられるようになった。

 

 どこか機械じみた男であったが、一年もあれば変化を起こすには十分であったということなのかもしれない。

 

「今日の放課後も会議があるんだ、そこで細かなことも決めていけばいい」

 

 後、なんだろうな。司令塔になったからなのか、リーダーシップも感じられるようになったかもしれない。

 

 普段からこんな感じなら、もっと周囲からの印象も変わると思う。自称事なかれ主義の仮面もかなり外れて来たということだろう。

 

 

 

 

 そんな清隆の成長を感じ取ったお昼休みは終わり、試験の調整や会議が開かれることになる放課後となった。教室には一部を除いてクラスメイトが揃っており、それぞれが試験に向けての情報共有を行っていく。

 

 因みに高円寺の姿はない。まあ彼には俺から内容を纏めた物を送っておくとしよう。正直、どう動くか読みにくい男でもあるので、今回の試験では最初から戦力としてはカウントしない。

 

 役に立ってくれればいいなぁ……高円寺は常にそれくらいのスタンスで良いのだろう。

 

「あのさー堀北。参加種目に関して素朴な疑問があるんだけど」

 

 黒板の前に立った俺と鈴音さんに、池がそんな質問をしてきた。

 

「何かしら池くん」

 

「合計で七種目戦うって話だけど、俺たちの出番ってあるのか?」

 

「俺たち、とは誰を指していて、どういう意味なのかしら?」

 

「えーっと、まあ簡単に言えばそんなに凄くない生徒のこと? 運動とか勉強とかあんまり得意なヤツばっかでもないしさ」

 

「その辺りのことも今回の会議で詰めていくつもりよ。昨日にも少し話たけど、一つ作戦があるわ」

 

 鈴音さんの視線が同じく黒板の前に立っている俺に向く。

 

「このクラスで最も大きなアドバンテージは天武くんがいるということよ。Aクラスが相手でも高い確率で勝利することができると私は思っている……逆に言えば、それ以外の生徒だと確実とは言えないわね。それは池くんに限った話ではなく、私や平田くん、櫛田さんや幸村くんでも変わらないわ」

 

「まあそれはわかるって、笹凪に百メートルとか走らせたら絶対に一勝は出来るってことだよな?」

 

「そういうことよ、百メートルに限らず他の運動系の競技でもそれは変わらない。そしてそれは須藤くんにも同じことが言えるわね」

 

「へ、任せてくれ鈴音、バスケだろうが何だろうが、必ず勝ってみせるからよ」

 

「気安く名前を呼ばないで頂戴」

 

「……はい」

 

 須藤が撃沈されてしまった……大丈夫、この試験で活躍すれば俺の方から機嫌と評価を直すように伝えておくから。

 

「参加条件にはこう書かれているわ。生徒は二つの競技に参加することは出来ないと……だけどクラス全員が出場した後ならば、二つ以上の競技に参加することが出来る。つまり天武くんや須藤くんといった、Aクラスが相手であっても高い勝率がある生徒を複数の競技に参加させられるのよ」

 

「二周目作戦とか言ってたっけ、そんなに簡単に行くものなの?」

 

 今度は軽井沢さんがそんな質問をした。すると鈴音さんは少し難しそうな顔をする。

 

「絶対とは言い切れないわね。参加人数の最大は20名まで、もしその競技が選ばれればその時点でクラスの半分が出場したことになるから、残りの半分の出場枠もおそらく消費が現実的になる」

 

「でも、当日にその競技が選ばれない可能性もある訳だよね」

 

「えぇ、だからこの二周目作戦に関しては、あくまで作戦の一つ程度という認識でいて欲しいわね。それだけに集中して優先することは駄目よ……とりあえず、皆、チャットを開いてくれるかしら」

 

 鈴音さんの言葉にクラスメイトたちはスマホのチャット画面を開く。そこには綱引きという書き込みがあり、参加人数が20名と書かれていた。

 

 その他にも本命ダミーを合わせて幾つかの競技がある。中には池提案のじゃんけんもあるな。

 

「さっき池くんが言ったように、もしかしたら出番がないんじゃないかと考えている人もいるかもしれないけど、二周目作戦を現実的な物とする為にも、参加人数が多い競技を昨日、平田くんや櫛田さんと一緒に幾つか考えてみたわ。ただしこれらの多くが勝つ為というよりは、参加枠を所費する為にあると思って欲しいの」

 

「負ける前提の競技ってこと?」

 

「そう言ってしまってもいいけど、軽井沢さんの懸念の通り、当日のクジ運次第では二周目作戦が破綻することだってありえるわ。そうなった場合は、選出された競技で勝ち星を挙げていかなければならない」

 

「なるほどね。だからちゃんと練習や勉強もしなきゃいけないのか」

 

 軽井沢さんを筆頭に池やその他の生徒も納得したような顔をする。

 

「その通りよ。だから自分の出番がないと決めつけるのは止めて欲しいわね。この試験は大規模で複雑なものになるのだから、いつどこで誰が動くことになるかわからないもの」

 

 それこそ相手クラスの動きや出方でもまた変わるだろう。上手いことあちらも参加人数が多い競技を出してきてくれれば、こちらの二周目作戦も決して不可能ではない。

 

 チャット欄には綱引きの他に、バレーボールやサッカーなどの競技が書き込まれているのがわかる。須藤推薦のバスケに関しても交代枠が多いルールにするなど、とにかく回転率を意識した物が多い。

 

 けれどそれだけに頼っていないのも事実だ。二周目作戦を意識しながらも、王道での勝利もしっかりと考えて意識しないといけない。

 

 例えば博士のタイピングだったりは面白いのかもしれない。明人の弓道勝負もだな。Aクラス相手にテストの平均点を挑むのは流石にアレなので、特技を生かすような物が多い印象だ。王さんなんかは英語がとても得意なので英会話なんかの競技なら期待できるだろう。

 

「鈴音さんの言う通り、二周目作戦を意識しながらも、真っ向勝負で勝つことを模索することも重要だ。クジ運の下振れをとやかく言っても仕方がないから、それぞれが得意と言える分野を出して、当日までに地力を少しでも上げていこう」

 

「こちらに天武くんや須藤くんがいる以上、おそらくAクラスは学力系の競技で固めて来るんじゃないかしら。そしてその場合であっても勝たなければならないのなら、今から勉強しておいてもいいかも知れないわね」

 

 鈴音さんの視線が啓誠に向かうと、彼は頷きを返す。勝てるかどうかはわからないが、やっておいて損はないということだ。そしてやらない場合は損しかないので、そう考えると動くしかない。

 

「綾小路くん、司令塔として何かあるかしら?」

 

「現時点では何もない。だが相手の競技が発表された段階で、もしかしたら相談することもあるかもしれない」

 

「わかったわ、その時は共有しましょう」

 

「宜しく頼む」

 

 こうしてウチのクラスは大まかに二つの方針を本番に向けて走らせることになった。

 

 

 一つは鈴音さん提案の二周目作戦、もう一つは学力系の競技ではなく運動系と特技を中心に動く作戦だ。

 

 

 

 加えて、Aクラスが出してくるであろう学力系の競技に対抗する為に、学力評価が高い者たちを中心に総合的な勉強会……いや、研究会のような物を開くことにもなった。

 

 本命競技は現在の所二十名参加の綱引きと、須藤推薦のバスケしか決まっていないが、この感じだと生徒の回転数を意識した競技が多くなるかもしれない。綱引きが学校側に受理されるなら、体育祭でやった棒倒しや騎馬戦なんかももしかしたら行ける可能性が高く、テスト問題でAクラスと戦うよりかはずっと勝率が高くなるだろう。

 

 実際に俺たちは体育祭で一位を取っているからな。過去がこれなら勝てると証明している訳である。

 

 凄く脳筋な方針だけど、俺と須藤がいる以上はこうなるのが自然なのかもしれない。

 

 まあ同じことはAクラスにも言える。あちらは学力系で固めて来る可能性が高いので、どうしてもこういう形になってしまうのだろう。

 

 強いのは学力か、それとも運動か、そんな対決になる可能性もあるだろう。

 

 後は、坂柳さんと清隆の手腕による所も大きい。その辺は実際に蓋を開けてみないとわからない。

 

 そもそも俺は清隆の全力も、坂柳さんの全力も完全に把握していない。殴り合いならばどちらにも勝てると思うけど、思考力や発想という分野ではわからない。指揮官としての技量に関しても同じことが言える。

 

 もし清隆ではなく俺が司令塔となった場合はどうなるだろうかと考えて……勝率はそこまで高くないのではと結論を出してしまう。

 

 以前から思っていたことではあるが、俺は指揮官よりも、前線で戦う戦士の方が似合っている。後方から全体を動かすことよりも、結局は前で体を動かす方が向いているということだ。

 

 そう考えると清隆が司令塔で良かったのかもしれない。俺は俺で気軽に暴れられるからな。

 

 放課後の会議も終わり、須藤と何名かの運動が得意な生徒は今からバスケの練習をすることになり、啓誠を筆頭に学力優秀組は研究会に、俺は今から体を整えておこうかと部屋にあるバーベルと背負い仁王像を思っていると、清隆が声をかけてきた。

 

「坂柳の本命はチェスだそうだ」

 

「おや、どこ情報かな?」

 

「本人からメールが来た」

 

「そこで戦いましょうってことか、まるでダンスのお誘いだね」

 

 そういえばロマンチストだとか自分で言っていたな。さながらこれは招待状のようなものか。

 

「おそらくブラフではないだろう」

 

「だろうね、そして彼女はとても強いよ」

 

「オレとどちらが強い?」

 

「さて……俺から言えるのは、今から練習しておこうかってことくらいだ」

 

「良いだろう、今日の飯当番はお前だ。以前に一之瀬に作ったと言っていたサンマのアクアパッツァ、オレも食べたい」

 

 そう言えばホワイトルームは飯がクソ不味い疑惑があるんだったな。清隆は食に関心があるらしい。これも良い傾向だと思う。

 

「おいおい、そういうのは勝ってから言って欲しいもんだね」

 

 どうやら筋トレは後回しになるようだ。今日は清隆に付き合ってチェスの練習でもするとしよう。本番では坂柳さんをボコボコにできるようにしないといけないからな。

 

 坂柳さんがチェスの誘いをわざわざしてきてくれたんだ。正面から凌駕して勝利することが大切であった。

 

 とりあえず頭の中に十個ほどのチェス盤を並べて、部屋に帰るまでの僅かな間、脳内十面指しで戦うとしよう。

 

 これは師匠と修行中にもよくやっていたことなので、とても慣れている。

 

 

 因みに、囲碁でも将棋でもチェスでも、一度も勝てたことはない。

 

 多分、師匠の頭にはスパコンでも埋め込まれているのかもしれない。何年か前に嘘か本当かも判断できないけれど、脳も改造したとか言っていたからな。

 

 

 

 

 



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練習と不穏な気配

 

 

 

 

 

 

 

 特別試験に向かって動き出したBクラス、授業もそれようにシフトされており、作戦会議や練習などに充てることのできるコマが存在していた。

 

 だらしなく過ごすことも出来ないので、事前に申請して今日は体育館の使用許可を貰っていた。やるのは当然ながら運動系の練習や打ち合わせである。

 

「よし、それじゃあやってみるか」

 

 体育館に用意したのは綱引きで使う太く長い綱。体育祭でも使ったアレである。片方には俺が立って、もう片方にはクラスの男子たちが十九名並んでいる状態だ。

 

「マジでやるのかよ? これでもし笹凪が勝ったらいよいよ人間辞めるんじゃねえかな」

 

 山内が何やら失礼なことを言っているが、池や博士などもうんうんと頷いている辺り、皆が思う所は共通しているらしい。

 

「流石に無理だと言いたいが……天武の体は物理的な説明が出来ない何かだ、否定できないのが恐ろしいな」

 

 啓誠は認めたくはないが、否定も出来ないと言う感じらしい。彼とは体育祭の二人三脚のペアとなり、近くでこっちの動きを体験していたからな。そんな評価にもなるのだろう。

 

「とりあえずやって頂戴。もしこれで天武くんが勝つようなら、綱引きに参加するメンバーは男子に限らず女子を含めた運動に自信がない十九名でも問題がなくなるわ」

 

 そうすると二十枠が男女に拘らず処理できるので、一気に二周目作戦が現実的な物になると鈴音さんは主張する。最初は男子全員を固める方針であったようだが、須藤を筆頭に動ける面子はそれなりにいるので、上手くメンバーを調整できないかと考え、俺と男子十九名で勝負となった。何故か高円寺や清隆も変なやる気を出しているのでまさに俺対クラス男子といった構図だ。

 

 これで勝てるようならば、強引な言い方をすれば須藤を綱引きに参加させずバスケであったり他の運動系の競技に出せることになる訳だ、勝てればの話ではあるが。

 

 俺が太い綱を持つと、反対側では男子チーム十九名が同じように綱を持つ。そして鈴音さんが真ん中に立って審判役となり、競技の開始を宣言した。

 

 

「ぐッ!? うっそだろッ……なんで拮抗してんだよ!?」

 

「高円寺ッ、手を抜いてるんじゃないだろうな!?」

 

「ハッ、ハッ、ハッ!!」

 

「笑ってないで何か言えよ!?」

 

 流石に体育祭の時と違って一対十九なので、一方的な蹂躙とはいかなかった。綱は強く張って中央地点を行ったり来たりしており、その目印を鈴音さんの視線が追いかけている。

 

「そもそも拮抗してる時点でおかしいんだけどね」

 

「やっぱゴリゴリじゃん」

 

「ほんと意味不明、笹凪くんの体どうなってんの……いや、今更だけどさ」

 

 女子からも気味悪がるような声が聞こえて来るな。悲しいことに。

 

「引けお前ら!! これで負けたら恥なんてもんじゃねえぞ!!」

 

 須藤の檄が飛んで男子チームは一斉に力を込めて綱を引き出す。その牽引力は流石の一言であり、まるで重機と綱引きをしているような気分になった。

 

「負けてられないな」

 

 一対十九で、牽引力は互角……いや、ほんの僅かにだがこちらが上回っているだろうか。ミリ単位であるが綱が引き寄せられているようにも思える。

 

 だが体育祭の時のように何もかもを引きずり回すほどではない。ならばこのまま持久戦に持ち込むべきだろうな。

 

 人が最大のパフォーマンスを維持できる時間はそれほど長くはない。ずっと筋肉を強張らせるのは思っているよりも難しい。色々と師匠に改造された俺の体は疲れ知らずだけど、それにだってどこかで限界は訪れる。なら改造されていない彼らの方が早く疲労は蓄積する筈だ。

 

 それを証明するかのように拮抗状態が十秒、二十秒と過ぎて行くと、徐々にあちらの牽引が緩まっていくように思えた。体力の無い組が限界を迎えたらしい。

 

 すると拮抗は崩れてこちらに傾いていき、最終的には中間にある綱の目印を完全にこちらに引き寄せることができた。

 

「マジかよ……負けちまった」

 

 須藤はガックリと膝を突いてうなだれた。他の男子も似たようなものである。

 

「改めて滅茶苦茶ね……一体、どうしてこうなるのかしら」

 

「鍛えているからね。筋肉の質とバネの構造が違うんだよ」

 

「鍛えてどうこうという次元の話でもないと思うけれど……」

 

 そして鈴音さんを筆頭に女子チームもちょっと怖がる始末だ。こういう時は黄色い歓声だと思うんだけど、どうしてそんな反応なのだろうか?

 

「でも、これで綱引きは男子に限らず、女子を編成しても問題は無さそうね」

 

「そうだね、運動が得意じゃない人の参加枠は、男女に拘らずこの競技で一気に消費しようか」

 

 おそらくAクラスの男子二十名と綱引きをしても似たような結果になるだろう。なので俺以外のメンバーを男子に固定する必要はない。こう言っては何だけど勉強や運動があまり得意ではない面子で固めても勝つことが出来るだろう。彼ら彼女らの力が支えになれば拮抗ではなく一方的な展開になるのは間違いない。

 

「えぇ、これなら須藤くんを綱引きでは温存してバスケに出すこともできるわね」

 

 綱引きの面子がざっくりとだが決まって今度はバスケに誰を出すかと言う話になる。やはり筆頭なのは須藤で、団体競技なので他のメンバーもそれなりに動ける面子であることが好ましい。

 

「須藤くん、Aクラスにバスケ部はいるのかしら?」

 

「いるけど幽霊部員みたいな奴だぜ、素人に毛が生えてるくらいでそこまで上手くねえな」

 

 趣味でちょっと齧っているだけという感じなのだろうか? もしかして中学でそれなりにやっている生徒もいるのかもしれないな。

 

「バスケのルールはどうするつもりなんだ?」

 

 清隆のそんな質問に、鈴音さんは少し悩んでからこう返す。

 

「本命競技の一つだから安定して勝てるようにメンバーは厳選するとして、二周目作戦を意識できるように交代枠を多めに設定するつもりよ。それ以外は標準的なルールになるでしょうね」

 

「下手に須藤を温存せずに、最初から出す感じでも良さそうか……お前の言う二周目作戦は何も天武だけに限った話でもないからな」

 

「そうね、彼の身体能力なら、他の運動系競技でも良い結果を残してくれるだろうから……そもそも二周目を意識している時点で、温存という考えはそこまで重視しない方が良いかもしれないわ」

 

「なるほどな」

 

「司令塔としてはどう思うかしら?」

 

「下手に温存しないで良いという考えは、正直楽ではある」

 

 清隆もやる気が感じられる。良い傾向だと思う。

 

「須藤くん、今から何組かに分けて試合をするから、貴方の方で筋の良い人を選んでくれないかしら。その人たちを中心に本番まで練習をしてもらうわよ」

 

「おし、任せてくれ……す、鈴音」

 

「……」

 

 須藤が懲りずに名前呼びすると、鈴音さんは少しだけ眉を跳ねさせるが、僅かな溜息と共にこう言った。

 

「忘れてはいないでしょうね? 私たちが貴方たちに与えたのは許しではなく猶予だということを」

 

「も、勿論だ、簡単に許してもらおうだなんて思ってねえ!!」

 

「なら本番で必ず勝ちなさい。少なくともそれが信頼回復の第一歩よ」

 

「おうッ!! 必ず勝つぞテメエらッ!!」

 

 うん、やる気は漲ったようだ。意外にも鈴音さんは男を転がす悪女が似合うのかもしれない。

 

「バスケと綱引きは本命競技に正式決定として、後はどうしようか?」

 

 二周目作戦を意識しての編成ではあるけれど、本番の抽選次第ではその作戦が破綻することもありえるので、真っ向勝負で勝つことが出来る競技であることも重要だ。

 

「出来る事ならもう一つくらい、大人数を投入できる競技が好ましいけど……体育祭の団体競技を参考にしたようなね。もし二周目に入って最終競技がそういったものならば、ほぼ確実に勝利できるもの」

 

 体育祭では棒倒しや騎馬戦で散々暴れまわったからな。二周目に俺がそこに投入されれば高い確率で勝てる筈だ。たとえ他の面子が運動に自信が無かったとしても。

 

「悪くないかもね」

 

「それにAクラスは勉強系で固めて来るでしょうから、可能ならそちらでも勝ち星を拾いたいのよ……」

 

 俺だって坂柳さんの立場なら勉強系で固める。ゴリラと殴り合うだなんて馬鹿な真似はしない。きっと一之瀬さんや龍園だって同じことを考えるだろう。

 

「でも、参加人数を多くして平均点で挑む形にしてくるでしょうね」

 

 啓誠や鈴音さんなどの少数精鋭で挑ませない形だろうか。テストの平均点という勝敗だとどうしてもこちらが不利になってしまうだろうな。

 

「けれど、そうなったらそうなったでこちらとしては悪い展開じゃない。負けることを受け入れて参加枠の消費を優先しよう」

 

「そうね……本命はあくまで運動系競技に絞りましょう」

 

 Aクラス相手にほぼ確実に勝てる競技は何かと問われれば、やはり俺と須藤を投入しての運動系競技になるだろう。最悪、抽選の結果そうならなくて勉強系の競技になったとしても、俺と啓誠と鈴音さんなどの戦力を固めて投入することもできる。

 

 さっき清隆も言っていたが、二周目作戦は何も俺だけを二度参加させることだけを意識していないのだ。須藤たちだってその恩恵を得られるだろう。

 

 俺と鈴音さんは、須藤が監督をしているクラスメイトのバスケを眺めながら、試験本番へ向けた作戦会議と意思の共有を行うのだった。

 

 彼女も真剣な様子である。いつもそうだけど一年の締め括りということもあって、より集中できているのだろう。 

 

 

 

 

 そんな授業兼作戦会議も終わってお昼休みの時間になり、グループで食事をするか、それとも鈴音さんを誘ってお昼にするか悩んでいると、彼女は他のクラスメイトと細かな打ち合わせがあるということなので、自動的にグループに合流することになった。

 

 食堂の隅っこか、或いはちょっと歩いてカフェでもどうだという話になり、ゲン担ぎにカツ丼が食べられる場所ならどこでもと答えた時だろうか、俺たちにこんな声が届く。

 

「なあ一之瀬。絶対に抗議した方がいいって!!」

 

 荒ぶる声を出すのは柴田であった。男版一之瀬さんなんて評価も出るくらいの彼があのような激しい主張をするのは珍しいとも言えるだろう。

 

「めっずらしいよね、柴田くんってあんな風に怒ることもあるんだ」

 

「確かに意外だな」

 

 他のグループメンバーも同じことを思ったのか、珍しそうにその光景を眺めていた。

 

 一之瀬さんを筆頭に幾人かのCクラスの生徒たちがいることを確認して、どうしたのだろうと考えていると、一之瀬さんと視線が絡み合う。

 

「ねえ、これからお昼に行くところなの?」

 

「ああ、そうだよ。そちらもかな?」

 

「うん偶然だね……あ、ならこれから私たちと一緒にランチでもどうかな」

 

 意外な誘いである。そもそも一之瀬さんはこっちのグループとそこまで関わりもない。なのでそんな提案に神崎が驚いたような顔をしていた。

 

「一之瀬、どういうつもりなんだ?」

 

「どういうつもりって……Bクラスと戦う訳じゃないんだし、問題はないでしょ?」

 

「それはそうなんだが」

 

「まあいいんじゃないかな? 俺も柴田が声を荒げている理由も知りたいからさ。お昼一緒にしようよ」

 

「そうだね、時間も勿体ないし行こうよ」

 

 そんな流れでお昼休みは一之瀬さんたちと一緒に過ごすことになった。ゲン担ぎのカツ丼を頼めないカフェに行くことになったのは少し残念ではある。

 

 食堂ではなくカフェで昼食とは、とてもオシャレな感じであった。普段は食堂だったりケヤキモールのラーメン屋にはよく行くのだが、こういった場所はなかなか入り辛かったりするので良い経験になるのかもしれない。

 

「ごめんね、急に誘ったりして。今日は私が御馳走するから遠慮しないで」

 

「そういう訳にもいかないさ。他クラスの人に奢って貰うのはちょっとね……貸し借りを作るのもアレだからさ」

 

「笹凪くんがそんなこと言うのは、ダメだよ……ズルい」

 

 カフェの席に腰を下ろした一之瀬さんに、少しだけ物憂げな顔をされてしまった。

 

 俺のアレは貸し借りとかそういう話じゃなくて完全な自己満足だから問題はない。奢られるかどうかの話とは別次元だ。

 

「天武の言う通りだ。どうせオレたちも普通に食べるつもりだったんだ、自分たちの分は自分たちで出そう」

 

 清隆の言葉にグループのメンバーは納得したように頷く。

 

「私が誘ったんだし、気にしなくても良いんだよ」

 

「いいんだ。その方がオレたちも委縮せずに食べられる」

 

「これが龍園ならそんなことないんだけどね。彼の財布から出たお昼だと思うと俺は凄く美味しく食べられると思うんだ」

 

「毒が入っているかもしれないがな」

 

「なるほど、そう言われると反論できない」

 

 逆に一之瀬さんに奢って貰う場合、その手の心配はいらないだろう。ただし龍園と違って申し訳なくて委縮してしまうだろうが。

 

 そう考えると不思議なものだ。人によってここまで奢られると言う対応の印象が変わるのだから。

 

「それで、さっきの柴田の様子はどうしてなんだ?」

 

 本題を切り出したのは明人であった。すると全員の興味と視線が柴田に向いた。

 

 困惑する柴田だが、その隣にいた神崎が警戒したように表情を引き締めているので、やはり笑い話で終わるようなことでもないんだろう。

 

「いいのか、話しても」

 

「大丈夫だよ神崎くん、強く警戒する必要もないと思う」

 

「Bクラスの中に、関係者がいる可能性は否定しきれない」

 

「そうだとしても影響はないんじゃないかな」

 

 まるで一之瀬さんは俺たちに話を聞いて貰いたいかのような印象も与えた。警戒心の強い神崎は少し渋い顔をしているな。

 

 彼は冷静で警戒心の強い男である。参謀向きでこういう存在がクラスに一人は必要だと思う程であった。何があったのかは知らないが、今回も持ち前の警戒心で慎重に行動しているようだ。

 

 ただ俺たちには完全に心当たりがないことなので、その警戒心は無意味である。

 

「えっとね、簡単に言うと、ちょっとDクラスから強い嫌がらせを受けてるみたいなんだよね」

 

 そんな一之瀬さんの説明にこちらのグループは顔を見合わせた。そんな俺たちに柴田は食い入るようにこう言う。

 

「なんか俺や中西、あと別府も似たような被害にあってるんだよ。なんて言うか、無意味に絡んで来るって言うか、後を付けられてたりするって言うか。別府の奴はアルベルトに無言で壁際まで追い込まれてかなり怖かったらしいぜ」

 

 あの男は何だかんだで紳士なのだが、龍園を何故か慕っているからな。だとしたらこれは彼の指示ということなんだろう。

 

「もうすぐ特別試験があるんだ。龍園お得意の盤外戦術なんだろうね。そっちのクラスの集中と言うか、余裕を崩したいんじゃないかな」

 

 どうしてこんなことをするんだという疑問は、龍園だからで説明できる辺り、彼への全校生徒の信頼は地を這うように低いのだろう。

 

「だろうな。俺たちのクラスも過去に龍園たちに付きまとわれたりした。そう考えるとそこまでおかしなことじゃないだろ。確かにDクラスはガラの悪いイメージがあるが、ある程度の圧力はあってもおかしくない。現に俺たちもAクラスから偵察まがいのマネを受けている」

 

 啓誠の言葉に、俺は教室の近くをウロチョロしている橋本の姿を思い出した。坂柳さんの命令なのか、それとも自発的な行動なのかは知らないが、ここ最近は頻繁に見かける男だ。

 

「今の話を聞かされて俺が思ったのは、何であれ警戒しておこうって感じかな。龍園は愚かでも馬鹿でもない、そして勝利に執着する男だ……一之瀬さん、しっかりと注意した方が良いよ」

 

「うん、結局は、そうなっちゃうよね」

 

「いっそ君たちからも前に出て圧力をかけたらどうだい? 睨みを利かしてさ」

 

 まあ一之瀬さんクラスがそれをやってもあまり怖くはないのだけれど、龍園クラスと違って温厚な人が多いからな。

 

「う~ん、それは流石にね……私たちは一つ一つ頑張って来週上がって来る十種目、その全てに対応するつもり」

 

「それでも良いと思うよ。決められたルールの中で真面目にやるのが一番だ」

 

 そして決められたルールの中でいかに活路と手段を揃えられるかが勝利に繋がる筈だ。俺たちがやろうとしている二周目作戦だってルールの中にある手札の一つであった。

 

「まあそちらの言い分はわかったよ。こちらが柴田のことを勝手に言いふらせば、それだけDクラスの作戦に参ってるってことをアピールしてしまうからね。俺たちは騒がず慌てず、下手な介入もせずに黙って見ているとしよう」

 

「そうしてくれると嬉しいな」

 

 微笑みを浮かべる一之瀬さんから、僅かにシトラスの香りが漂ってくる。どうやら以前に購入した香水は愛用しているらしい。とても良い匂いだと思う。

 

「十分に気を付けて、きっと龍園はタダで終わる男じゃないだろうからさ」

 

「うん……心配してくれてありがとう」

 

 最後に、少しだけ照れた様子でそう伝えて来た一之瀬さんは、一年の最終試験に向けて準備はしっかりと整えているらしい。

 

 そう言えば彼女のクラスと龍園クラスがこうして互いを指名して直接対決をするのは初めてのことじゃないだろうか。安定感抜群のクラスと邪道を突き進むクラス、果たして勝つのはどちらだろうか?

 

 少し興味はあるな。こちらも目の前にAクラスが迫っているのであまり余裕もないので深くは関われないだろうけど。

 

「やっぱ一之瀬さんって可愛いよね。あの最後の笑顔とか反則。そう思わない?」

 

 昼食が終わって一之瀬さんたちが去っていくと、波瑠加さんがそう話を切り出した。

 

「俺は、別に……」

 

「あ、ゆきむー思い出して顔赤くなってる」

 

「なってない」

 

「無理に否定しなくていいって。そりゃさ、女の子でも一之瀬さんは可愛いと思うんだから、男子なんて絶対イチコロよね」

 

 同意見なのか愛里さんもコクコクと頷いている。

 

「みやっちもテンテンもきよぽんも、どうせ同じ意見でしょ?」

 

「確かに彼女は魅力的な女性だと思うよ」

 

 旗色が悪いと判断したのか明人と清隆の代わりに俺がそう答えると、波瑠加さんは少しムッとした顔になってしまう。

 

「だろうね~、鼻の下伸ばしてたしさ」

 

「俺はそんな感じだったかな?」

 

 確かに一之瀬さんを見ていると微笑ましい気分にはなる。けれどそれは愛里さんや波瑠加さんを見ていても同じなのだが。もっと言えばクラスの皆だって同様だ。

 

「まあ良いけどさ、テンテンって誰にでも父親みたいな顔するからさ……それよりさ、一之瀬さんって前から香水使ってたっけ?」

 

「あ、私も気づいたよ……シトラス系の香水つけてたよね」

 

「だよね? 私、それが一番驚いたかも。何か心境の変化とかあったのかなって思ってね」

 

 やはり女性はそういった変化に敏感なのだろうか? こちらの男子たちは何のことかわからないと言いたげな顔をしているのが証拠だ。

 

「香水なんて付けてたか? 付けてたとしても、今日はそんな気分だっただけだろ?」

 

「オレも気が付かなかった」

 

「男子ってホント……ちょっとした変化に気が付かないんだから。ねぇ?」

 

 呆れたような波瑠加さんの視線はこちらに向けられる。

 

「フフフ、俺は気が付いているよ。波瑠加さんと愛里さんは普段とは異なるリンスを使っているってね」

 

「お、そこはちゃんと気が付いてるんだ。正解、この前二人で買い物行った時に、新作があったから試しに使ってみたんだ。偶にはお気に入りのヤツじゃなくて冒険してみようかなって。匂いも悪くないしさ」

 

「よ、よく気が付いたね」

 

 驚く愛里さんに俺は自信満々にこう返す。

 

「鼻が良いからね」

 

 師匠曰く、女性の変化には気を配るべしとのこと。

 

「でも女子の匂いに敏感とか、少し変態っぽいかもね~」

 

「は、波瑠加ちゃん……」

 

 確かに俺もちょっと変態っぽいとは思ったけれども……そんなにハッキリと言わなくてもいいじゃないか。

 

 前に香水やシャンプーなんて全部一緒じゃないかと、使い分けるなんて無駄な行為なのではと師匠に言った時はデコピンされて吹き飛ばされてしまったから、こういう変化にはちゃんと気が付くようにしているだけなのに。

 

 不当な評価である。俺はそんなことを思った。

 

 

 

 

 




月城「あれだけ露骨な試験でも激怒しないのなら、意外に寛容ですね……勝ったな、ガハハ」


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ホワイトデー

 

 

 

 

 

 

 三月十五日、バレンタインデーから約一カ月、今日は……正確には昨日がホワイトデーである。休日だったので渡せなかった色々な贈り物を、月曜日の今日に纏めて配る予定があった。

 

 贈り物には返礼を、当たり前のことだな。俺もまた社会人の一員なのでこういったお返しも忘れてはならない。

 

 実は毎年師匠からバレンタインデーにはチョコを貰っていた。何だかんだで誕生日であったりクリスマスであったりとイベント事を尊重する人ではあったので、バレンタインデーは楽しみな日であったりもする。

 

 けれど今年はこの監獄のような学園に来たことで、悲しいことに師匠からチョコは貰えなかった。しかし代わりに縁を結んだ女性たちから色々と貰えたのでそこは嬉しいと言えるのだろう。

 

 そしてそれは返礼の準備と数をしっかりと整えなければならないことを意味していた。師匠相手なら不意打ちで殴り掛かればそれはそれは嬉しそうに笑ってくれるので、それでお返しが完了するんだけど……。

 

 いや、あの人は素面で「君が私を殺すのが最高の礼」だと大真面目に言う人だから、それで良かったんだけど、流石に俺だってチョコをくれた人たちに師匠と同じように殴り掛かるのは拙いということはわかる。

 

 なのでお返しは、ケヤキモールのオシャレなお店で買ったお菓子の詰め合わせにすることにした。

 

 三月十四日は休日だったのでその日に購入して、翌日の月曜日にそれぞれ渡していくとしよう。

 

 中身良し、数良し、包装良し、それぞれ確認してから大きめのビニール袋片手に学校へと登校するのだった。

 

 寮のロビーに向かうとそこでは同じようにホワイトデーの返礼に奔走する男子たちの姿が見える。清隆は昨日にポストに入れるという形で終わらせたようだが、今更ながら俺もそうするべきだったかと反省する。

 

 いや、せっかくチョコをくれたんだから、ちゃんと渡すのも礼儀の一つなのだろう。

 

「あ、いたいた。愛里さん、波瑠加さん、おはよう」

 

 学校へ向かう途中に二人を発見したので声をかける。この二人からもチョコを貰っていたのでしっかりと返礼は用意していた。

 

「おはよ~、テンテン」

 

「おはよう、天武くん」

 

「うん、丁度良かった。これ、一日遅れだけどバレンタインデーのお礼です。チョコありがとう、とても美味しかったよ」

 

「ふふ、昨日くれなかったから、てっきり忘れてるのかと思ってた。きよぽんはポストに入れてたけど、テンテンのは無かったからね」

 

「直接渡した方が良いかなって思ってね。どうぞ」

 

 愛里さんと波瑠加さんにビニール袋の中から取り出した包装された小包を渡す。ちょっとしたお菓子の詰め合わせである。

 

「ありがとう、天武くん」

 

「いいさ、お礼を言うのはこっちだからさ。寂しいバレンタインデーにならなくて助かったよ。因みに返礼は少し高めの方が良いらしいからちょっとお高めなお菓子となってる」

 

「お、テンテンはその辺、ちゃんとわかってるね~」

 

 少し嬉しそうに肘でこちらをぐりぐりと突いてくる波瑠加さんは、受け取った返礼を興味深そうに眺めて嬉しそうな顔をしていた。

 

「こういうのも良いかもね。去年まではなんか冷めた感じで見てたからさ」

 

「私も、ちょっと遠い世界に感じてたよ」

 

「喜んでくれたのなら嬉しいよ」

 

 波瑠加さんは小包を開いて中からマカロンを一つ取り出して口に放り込む。

 

「お口に合うかな?」

 

「うん、ご~かくッ」

 

 お墨付きを頂けたのでチョイスは間違っていなかったのだろう。この分ならば他の子たちにも呆れられることはない筈だと信じられる。

 

 次に波瑠加さんと愛里さんは俺が持っている大きめのビニール袋を眺めて来る。そして苦笑いを作った。

 

「天武くん、大変そうだね、お返しが沢山あって」

 

「それだけ貰ったってことか、モテモテだねぇ」

 

「大半がクラスの女子チームのヤツだよ。個人で渡すのはそこまで多くはないさ」

 

 松下さんが渡してくれたチョコはクラスの女子チームの代表と言う形だったが、それぞれポイントを出し合って渡してくれたのでとても感謝している。なのでお礼もしっかりと整えないといけないだろう。

 

 個別に渡す相手はBクラスだと鈴音さんと桔梗さん、そして愛里さんと波瑠加さんくらいだろうか。別クラスや美術部の二年生や三年生を除けばだけど。

 

 後は神室さんにもチョコを投げつけられたんだったな。当然ながら彼女用のお返しも用意してある。

 

 三人で教室に入るとホワイトデーということもあってか、桔梗さんが大量のお返しを受け取っている光景が目に入って来た。彼女はバレンタインデーに大量のチョコを贈っていたので、この日も大忙しのようだ。

 

 クラスの男子から多くの贈り物を貰って少し困った顔をしている彼女だが、その内心を知っているとどこか貢物を要求する女王様のように思える。

 

 大量の貢物の上でほくそ笑む桔梗さんを想像していると、彼女と視線が結び合う。

 

 ふふんと笑ってさあ贈り物を献上せよと言いたげな彼女に、俺は用意していた返礼を渡す為に近づいていく。

 

「女王様、貢物でございます」

 

「女王様!? それに貢物って人聞きが悪いよ!?」

 

「いや、大量の贈り物を貰っている桔梗さんを見たら、つい」

 

「もう、私ってそんな風に見えるのかな、失礼しちゃうな」

 

 プリプリと怒りを露わにする桔梗さんはそっぽを向くのだが、こちらがホワイトデーの贈り物を見せつけると興味を向けてくれた。

 

「はい、これがお返しです。チョコありがとう、とても美味しかったよ」

 

「はいどういたしまして」

 

 返礼のお菓子の詰め合わせが入った小包を手渡して、ウインクしながらこう伝える。

 

「君のはちょっと特別。どこが違うかは自分で見つけてみて欲しい」

 

「ふふ、どこか違うんだろうなぁ~」

 

 こんなやりとりも忘れない、大切だからね。

 

 次に松下さんたちの下へ向かう。女子チームが共同でポイントを出し合ってチョコをくれたので、こちらに送るのが一番量が多い。というか袋の中に入っている大半が彼女たちの分である。

 

「松下さん、はいこれ、お返しです」

 

「ありがとう、昨日くれなかったからちょっとヤキモキしたかも」

 

「直接渡そうと思っていたからね」

 

 松下さんの机の上にどっさりと贈り物を置くと、すぐに女子チームが群がって来る。こうやってみると結構な人数が合同で贈ってくれていたようだ。足りなくなっては困るだろうと大量に買っておいて良かったと思う。

 

 軽井沢さん、佐藤さん、篠原さん、等のワイワイ組と、あまり自己主張しない静かな子たちも合わさって小包の山はすぐに減っていった。

 

 これでクラスの大半の女子にはお返しできただろう。後は鈴音さんだけだな。

 

 彼女の席を見てみるとまだ登校はしていないようなので、机の中にでも入れておこう。彼女は変に噂されても困るタイプだろうから。

 

 人目を盗み、そっと机の中に小包を置いてミッションコンプリート、隣の席に座っている清隆だけが何をしているんだという目で見て来るが、今は無視だ。

 

 後は放課後に美術部の先輩たちと神室さんにも渡しておくとしよう。それに他クラスでは一之瀬さんと木下さんにも渡す必要がある。流石に放置するなんて薄情なことはできない。

 

 そんなことを考えていると、教室の扉が開かれて鈴音さんが姿を現す。

 

 当然のことながら自分の席に座る訳だが、そこで机の中に見慣れない物があることに気が付いたようだ。

 

 最初は不審そうにしていたのだが、昨日がホワイトデーであることを思い出したのかハッと視線を上げてこちらを見て来る。

 

「あ、ありがとう……」

 

 そして少し照れた様子で小声でそう言ってくる。とても可愛らしいと思う。

 

「こちらこそ」

 

 あまりこういった時に目立つことは嫌だろうと思っていたので、小声と視線でそんなやり取りをしておこう。

 

 なんだろう、これはこれで青春っぽいので凄く好きだ。教科書に載せたいくらいに青春的な時間である。

 

「清隆はもうお返しは済んだのかい?」

 

 何だかんだでチョコを複数貰っていた清隆にそんな確認をすると、彼は当然とばかりに頷きを返してくる。

 

「ポストに入れておいた」

 

「直接渡した方が良いんじゃないかな」

 

「いや、それは……迷うだろ、色々と」

 

「そうかな? 深く考えすぎだと思うけど」

 

「順番とか、タイミングとか、後は人目とかも気にするくらいなら、ポストに入れた方が楽だ」

 

 効率的な考え方である。ホワイトデーらしき情緒はまるで感じられないけど。

 

 けれどしっかりと返礼をしているのなら安心だ。少し常識外れで世間知らずな所があるのが清隆なので、下手したらホワイトデーって何だと真顔で言われるんじゃないかと危惧もしていたのだが、杞憂で終わったらしい。

 

 まあ彼がロマンチックにお返しをしている姿はあまり想像できないので、らしいと言えばらしいのかもしれない。

 

 彼はそれで良いとして、後、俺がお返しをしなければならないのは他クラスと美術部の先輩たちだな。後者と神室さんは放課後で良いとして。残りはお昼休みにでも渡しに行くとしようか。

 

 午前中の授業をこなしてお昼休み、さっそくとばかりに向かうのはDクラス。あまり赴くことのない場所だけれど、別に造りが違う訳でもないので面白味はない。

 

 ただ人が異なればクラスの雰囲気もまた異なる。こっちは何というか……やはり龍園がいるので空気感がこっちのクラスとはガラッと変わってしまう。

 

 言うなれば、ここだけ不良漫画の世界と言った感じになるのだ。石崎とアルベルトと龍園がいるので余計にそんな空気が漂っている。

 

「あん、笹凪? 何してんだよ」

 

 教室の扉を開いて中を窺っていると石崎が俺を見つけた。

 

「木下さんは……いないようだね」

 

「アイツなら食堂に向かったぜ。つうか何の用なんだよ?」

 

「こんな日に女性に用があるんだ、目的は1つだよ」

 

「ん? 今日って何の日だっけか?」

 

「え……いや、ホワイトデーじゃないか、今日は……いや、正確には昨日だけどさ」

 

「それでお返しか……え、木下はお前にチョコ渡したのかよ!?」

 

「あぁ、それは別に変な話でもない。だからちゃんとお返ししないとね。君だってホワイトデーには色々と忙しい筈だろ?」

 

「煽ってんのかテメエッ!?」

 

 何で彼は急にキレ始めたんだろうか、やっぱりこのクラスはダメだな。ガラが悪すぎる。一之瀬さんクラスをもっと見習った方が良い。

 

 怒る石崎から遠ざかるように教室の扉を閉めて、木下さんが食堂に向かったとのことなのでそっちに歩を進めると、彼女の後姿はすぐに見つけることができた。

 

 丁度、食堂に入る直前だった彼女に声をかける。

 

 

 その直前、一之瀬さんの姿も発見する。どうやら彼女も食堂でお昼を過ごすつもりだったらしい。

 

 

「お~い、木下さん。ちょっといいかな?」

 

「え、あ、笹凪くんッ」

 

 振り返った彼女は弾むような声を聴かせてくれる。後、一之瀬さんもこちらに気が付いたのか、食堂の入口付近に何故か体を隠して顔だけを出してこちらを覗き込んでいる……彼女は何がしたいのだろうか?

 

「これ、チョコの返礼……とても美味しかったよ、ありがとう」

 

「別に良かったのに……あはは、こういうのちょっと照れちゃうね」

 

「君のおかげで寂しいバレンタインにならなかったんだ。とても感謝しているよ」

 

 お菓子の詰め合わせが入った小包を彼女に渡すと、とても嬉しそうな表情を見せて来てくれるので、こちらとしても渡したかいがあるというものだ。

 

 小包を受け取った木下さんは挙動不審と思えるくらいに視線を右往左往させて、何かを言おうとしているようにも見えるのだが、最終的には儚げに微笑んでからお礼を伝えて食堂に向かうのだった。

 

 これで良し、もう少しでミッションコンプリートである。

 

 次の標的は食堂の入口から顔だけを出してこちらを覗き込んでいる一之瀬さんだ。こちらと視線が絡み合うと彼女は何故か慌てて顔を引っ込めてしまう。

 

 ここ最近の彼女はどこか変な感じだな。いつも通りと言えばそうなのだけれど、朗らかで太陽のような笑顔が印象的であっただけに、ああして引っ込んでしまうのは何とも言えない気持ちになってくる。

 

「えっと、一之瀬さん」

 

「な、ななな……何かな?」

 

 食堂の入口付近に引っ込んでしまった一之瀬さんに声をかけると、ギクシャクと体を動かしながらこちらに向き合って来た。

 

「いや姿が見えたからさ、渡しておこうと思って。ほら、昨日はホワイトデーだったけど休みの日だったから渡せなかったからね。今、お返しを贈ってる途中なんだ」

 

「そうなんだ……じゃあさっきの木下さんも」

 

「うん、チョコのお返しにね」

 

「そっか……うん、納得かも。笹凪くん、沢山貰ってそうだから」

 

「義理ばかりって言うのがちょっと寂しいけどね」

 

「どう、かな……そんなこともないと思うけど」

 

 小声でゴニョゴニョと呟く一之瀬さんは、何やら期待するような瞳でこちらを見上げて来る。その表情は年相応と言うか、普通の高校一年生と言うか、僅かな幼さが垣間見える表情であった。クラスのリーダーとしての顔を良く見るので、ギャップを感じてしまうな。

 

 もしかしたらこっちの表情が彼女の素なのかもしれない、そんなことを思いながら手に持っていた袋の中からお菓子の詰め合わせが入った小包を取り出す。

 

「はい、こちらがお返しとなります。チョコをくれてありがとう、とても美味しかったよ」

 

 小包を差し出すと、一之瀬さんは両手でお椀を作って掬い上げるようにそれを受け取った。やはりギクシャクとした感じではあったが、花のような笑顔を見せてくれたので良しとしようか。

 

「にゃはは……凄く照れちゃう、変な感じ」

 

「そういうものなのかな……いや女性にとってのバレンタインデーみたいなものなんだから、そう考えると気持ちはわからなくはないかも」

 

 つまり女性からチョコが貰えるのかどうか一喜一憂して、いざ貰えるとなると照れくさくなるあの感じと表現すれば、なるほど一之瀬さんの言うことも一理はあるかもしれない。

 

 男も女も、こういったイベント事を楽しむことに、そこまで差は無いということだろう。また一つ勉強になった。

 

「そうだ、以前に言っていたDクラスからの嫌がらせだけど、その後どうなったかな?」

 

「あ、えと、その、気になるんだ?」

 

「そりゃ勿論、こちらには直接関係がないとはいえ、何だかんだで龍園の動きは注視しているからね」

 

「そうなんだ……えっと、金曜日になって一気に被害者が増えた感じ。他にも男子3人、女子3人。同じようにつけ回されたり声をかけられたりって報告が上がって来たの」

 

 落ち着くのではなく、より深刻になっているようだ。

 

「後を付けていた生徒は誰かわかるかい?」

 

「わかっている範囲では石崎くん、小宮くん、山田くん、近藤くん、伊吹さん、木下さんかな」

 

 比較的龍園の指示に従いやすい面子というか、汚いことでも勝利の過程で挟み込むことに躊躇しない面子だと思った。

 

「んー。でも直接的に暴力を振るわれたりとか、何かを盗られたりとかじゃないから、どうにもできないよね……でも心のケアは怠らないつもりだよ」

 

「そっか……一応、今の段階で学校側に訴えておくのもアリだと思うけど」

 

「でも、動いてくれないと思うよ」

 

 この学校、生徒からの訴えがないとまず動かないし、動いたとしても基本的に決定的な証拠でも無ければ中立的な立場を取るからな。龍園クラスからわかりやすい暴力を受けた訳でもない現状では、大っぴらに動いたりはしないか。

 

 その辺のラインは、きっと龍園もわかっているんだろうけど……もしかしたら一之瀬さんなら訴えはしないと甘い考えを持っている可能性もあるな。

 

「私、何か対応間違えてるかな?」

 

「俺が君の立場ならまず学校に訴えるけど、たとえ無意味だったとしてもそういった姿勢を見せることは大切だろうから」

 

 実際に学校が動くかどうかは些細な問題である。出るとこ出ても良いんだぞと伝える必要があるってだけの話だ。

 

「う~ん……」

 

 少し悩んだ様子を見せる一之瀬さん。ここで迷ってしまうのが彼女の配慮であり優しさでもあると思うけど、きっと弱点でもあるんだろうな。

 

 そもそも、龍園と言い坂柳さんと言い、ちょっと一之瀬さんの配慮に甘え過ぎではないだろうか? 彼女の性格を計算した上でやっているのだろうけど、何でわざわざ相手に心臓を握らせるような真似をするのか俺にはわからない。

 

 この前の坂柳さんの件だって、学校に訴えられていれば一発退場だったというのに、そうならなかったのは一之瀬さんの配慮があったからこそである。

 

 人の美点を土足で踏み抜くべきではないと思う……いや、俺が偉そうに説教できるようなことでも無いけど。

 

「訴える気がないのなら、警戒することしかできないよ。何をされようとも揺るがない姿勢が大切だろうからね。相手にこんなことしても無駄だって思わせるのも戦略の一つだ」

 

「だね、落ち着いて対処すれば大丈夫」

 

 元気よく笑ってくれてはいるのだが、少しだけ虚勢も混じっていたので、背中を押すようにこう伝えておこう。

 

「大丈夫、挫けそうになった時は思い出して」

 

 小指を立てて彼女の前でピコピコ揺らすと、一之瀬さんは安心したように穏やかな笑顔を見せてくれた。

 

「うん……あの指切りを思い出すと、凄く勇気が出て来るから頼りにさせて貰うね」

 

「なら良かった、少しは力になれているようだ」

 

「……少しどころじゃないよ」

 

 呟くようにそう言って顔を俯けさせてしまう。そして右手の小指を包み込むように左の掌で覆い隠してしまう。

 

「一緒に頑張ろう。俺たちにできるのはいつだってただそれだけだ」

 

 それ以外にやれることはない。何をするにしてもそれから始まってそれで終わるだけだろう。

 

「それじゃあ俺はこれで」

 

「あ、良ければ……その、また一緒にお昼どうかな?」

 

「うん? いや、今日は遠慮しとくよ。友人を待たせているからね、君もだろ?」

 

 一之瀬さんが一人で食事というのも想像できないので、きっとクラスメイトと一緒に食事をする筈だ。他クラスの人間がそこに居合わせても何でという話にもなる。いや、別にCクラスの人はそこまで排他的ではないけれど。

 

「そっか……ごめんね」

 

「また誘ってよ」

 

「うん、そうするよ」

 

 Cクラスも特別試験に向けてしっかりと動いているようだ。そしてそれは龍園たちも同じであり、当然ながら俺たちや坂柳さんだって変わらない。

 

 一年の締め括りだからな、どこも必死ということだ。

 

 二年生と三年生はもう格付けが済んだというか、競争が成立しないような状況らしいので、一年生が一番この学校が行うクラス闘争に必死になっているのかもしれないな。

 

 何であれ、もう一年最後の試験は目の前であった。

 

 

 

 

 



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一年度最終特別試験 1

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 やるべきことはやった。少なくとも現状のBクラスに出来る全ての手段と戦力は整えられた。

 

 堀北が提案した二周目作戦もある。可能かどうかは別として、王道を意識しながらもしっかりと腹案や作戦を用意した上で、警戒しながら試験に挑む姿勢は素直に評価できる。

 

 そろそろこの学園に来て一年が経つが、最も成長しているのは堀北なのかもしれない。まだまだ至らない所もあるのだが、他クラスと戦っていける状況にはなっただろう。

 

 強いリーダーがいる。突出した戦力もいる。総合力で考えればまだ及第点と言った感じではあるが、一年でよくここまで整ったものだと感心出来るほどだ。そして何よりこのクラスにはバグキャラみたいな男もいるので、それが強力な武器にもなっている。

 

 天武がいたからこその二周目作戦ということだろう。堀北もよく考えているということだ。

 

 特別試験が開始されるまでの準備も終えて、方針を定め、そして練習とメンタルトレーニングも終え、後はいよいよ挑むだけの段階となり、遂に特別試験が始まる日となった。

 

 クラスの動向や意思は別にしても、オレ自身の戦いもここで行われることになる。こちらの背景を知る同級生、坂柳有栖との戦いも迫っていた。

 

 勝てるかどうかに関しては、そこまで分が悪いとは思っていない。決して楽にとはいかないだろうが、絶望的な戦力差でもないだろう。この一年でそう言えるだけのクラスにはなったと判断している。

 

 長い準備期間を経て、ついに一年度最終特別試験の当日がやってきた。負けた側の司令塔は退学となるのだが、今回に関しては双方がプロテクトポイントを持っているのでその喪失だけで済む。

 

 だが、オレにとっても重要な権利なので失うのは避けたい。まあそれは目の前にいる坂柳も同じなのかもしれないが。

 

 特別練に足を踏み入れて目的の場所に向かうと、一足早く到着していた坂柳と一之瀬が談笑していた。以前にあれだけのことがあったというのに、何とも奇妙な光景だな。

 

「おはようございます綾小路くん」

 

「おはよ、綾小路くん」

 

「まだ入れないようだな」

 

 司令塔が待機して指示を出すことになる場所は、公平を意識してのことか四人が揃うまでは入れないらしい。

 

「あとは金田だけみたいだな」

 

「だねー」

 

 まあ尤も、あの男がそこまで素直な動きに出るのかと言えば疑問ではあるが。

 

「それにしても一之瀬さんはラッキーでしたね」

 

「え? ラッキー?」

 

「とても余裕を感じられますし、ここ最近は大きくポイントを落としてDクラスまで転落したクラスが相手です。既に勝ったと、そう思われているのでは?」

 

 坂柳の言葉に一之瀬は首を横に振った。

 

「そんな、どうなるかなんて分からないよ。それに笹凪くんにも言われたけど龍園くんは油断できる相手じゃないからね、きっと必死になって挑んで来る、とてもじゃないけど油断はできないかな」

 

 すると坂柳はクスクスと笑って見せる。

 

「あれ、私変なこと言ったかな」

 

「いえ。上座で挑戦者を待つかのような口ぶりでしたので。油断できない相手だと認識しながらも、余裕と落ち着きが見受けられます」

 

「うん。私たちだって勝つための戦略を練って、ここに来てる。特に結束力が大きく試されるこの試験で簡単に負ける訳にはいかないからね」

 

「なるほど、それは失礼しました。確かに一之瀬さんの仰る通りです」

 

 当たり前のことだが、どのクラスであってもこの日の為に準備を整えて来た。それは一之瀬だってそうだろうし……龍園もまた同様であった。

 

 この多目的室前に姿を現したのは、金田ではなく龍園であったのだから、ある種の不意打ちに近い形になったのだろう。

 

 驚き目を見開く一之瀬の顔を見れば、完全に予想外であったことがよくわかる。

 

 だが自然なことでもあった。負ければ司令塔の退学が確定するこの試験で、まさかプロテクトポイントを持っていない人物がその役目を引き受けているのだから。

 

「龍園くん……どうして、ここに」

 

「クク……どうした一之瀬、何を動揺してる」

 

 驚き困惑する一之瀬を嘲笑ってから、この男の視線はこちらに向かう。

 

「テメエか、てっきり笹凪の奴が来るかと思ってたんだがな」

 

「アイツはプロテクトポイントを持っていない」

 

「だから何だってんだ、それでビビるような男かよ。坂柳が相手なら選択肢としては十分にアリだろうが」

 

「かもな……だが、天武は司令塔よりも兵隊の方が結果をもぎ取ってくれる」

 

「はッ、ゴリラだからな」

 

 納得したように笑った龍園は、既に一之瀬など眼中にないかのように振る舞っている。

 

 どうやらあちらの戦いも、下馬評通りとはいかないらしい。

 

 それぞれのクラス、それぞれの方針、それぞれの思惑、それぞれの望む結果、複雑に混ざり合った特別試験はこうして始まった。

 

 四人揃ったことで多目的室に入ると、そこでは司令塔が操作するパソコンと端末が用意されていた。ここからクラスメイトに指示を出すことになる。

 

「CクラスとDクラスの生徒は、あちら側に移動するように」

 

 真嶋先生の指示と共に龍園と一之瀬とは距離ができる。残されるのは坂柳とオレだ。

 

 向かい合い、見つめ合う、相変わらず不敵な笑みを浮かべている坂柳は、感極まった様子で絞り出すようにこう言った。

 

「やっと……やっとこの日がやって来ました。昨日の夜は正直寝れなくて、朝寝坊するところでしたよ」

 

「そんなに待たせた覚えはないけどな。そもそも、オレとお前が出会ったのは偶然だ」

 

「確かにそうかもしれませんね。しかし偶然だろうと運命だろうと、こうして向かい合っている事実は変わりません」

 

「運命か、随分と抽象的なことを言う」

 

「乙女ですから……それに、天武くんなら確かにと納得してくれそうではありませんか?」

 

「……変にロマンチストな所があるからな」

 

 運命とか、必然とか、そういうのを意外にも好む男であることは間違いない。そう言えば朝の占いとか気にしていた。

 

「私はこの学園に入学して良かったと思いますよ。貴方に再会できたこともそうですが、興味深い方が沢山おられますから」

 

「それは否定できないな」

 

「フフ、そうでしょう」

 

 何が琴線に触れたのかわからないが、坂柳は本当に嬉しそうに笑って見せる。

 

 そしてひとしきり笑った後に、いつもの不敵な笑顔に戻ってこう伝えて来る。

 

 

「綾小路くん、全力で向かって来てくださいね」

 

「わざわざ負けてやる必要は感じないな」

 

 それに、個人的な事情もある。らしくないと自覚はしているが、以前に一之瀬との一件で坂柳は天武の甘さと言うか配慮に随分と付け込んで来たからな、代償は軽くはないと知らしめておかなければ、味を占める可能性もある。そういった考えもあって負けてやる理由がない。

 

 誰かの為なんてオレが使うべき言葉ではないが、偶にはこういうのも良いだろう。天武曰く、青春っぽいらしいからな。

 

「は~い、そろそろ試験が始まるから皆席に座ってね」

 

 星之宮先生の指示に従って四人の司令塔はそれぞれの席に着く。目の前にあるパソコンにはクラスメイトたちの顔写真が表示されており、それを操作して試験を進めていくことになる。

 

「特別試験の進行を担当する坂上です。早速ですが一年度最終特別試験を始めたいと思います。各クラス、五種目を選択し決定ボタンを押すように」

 

 こちらのクラスの本命は「綱引き」「バスケットボール」「1200メートルリレー」「柔道」「腕相撲」の五種目。わかりやすいくらいに運動系に競技を振ったものであった。弓道とタイピングも候補であったが今回は見送ることになる。

 

 学力系の、それも平均点や合計点を競うような形ならば話にならないので自然とこうなった。後は運次第だろう。

 

 対するAクラスは「チェス」「英語テスト」「現代文テスト」「数学テスト」「フラッシュ暗算」の五種目。こちらもまたわかりやすいくらいに学力系や計算力を競う競技で固めて来ている。当然と言えば当然だ。天武と須藤がいる以上はどうしても運動系の競技を避ける必要が出て来る。わざわざ不利な種目など選ばない。

 

「ここからは、完全なランダムで抽選を行いこちらで七種目を決定していきます」

 

「それにしても綾小路くん。相手が坂柳さんなんて可哀想、先生同情しちゃう」

 

「星之宮先生、慎むように」

 

「は、はぁい、私語してすみません~」

 

「中央の大型モニターに抽選の結果が表示されるようになっているので、見るように」

 

 モニターを見るように促されると、そこには綱引きと映し出されていた。最悪、この競技が選ばれないと堀北が提案した二周目作戦が破綻することもありえたので、幸先が良いとも言える。

 

 綱引き、必要人数二十名。ルール、通常の綱引きに準ずる。指令塔・一度だけ対戦をやり直す判断を下せる。別に難しくもなんともないルールであり競技であった。

 

「坂上先生。私たち生徒の私語は自由なのでしょうか?」

 

「特に決まりはありません。どうぞご自由に」

 

「つまり、舌戦を繰り広げるのは自由ということですね?」

 

 坂柳のどこか楽しそうにそういう声が耳に届くが、オレが相手をする義理はない。そういうのは本当に必要な時にするものだ。

 

「うわー。坂柳さん容赦な~い」

 

「星之宮先生」

 

 また注意されている。茶柱先生もそうだが、この学校の教師は少しおかしい者が多いようだ。

 

「それにしても、Bクラスは運動系で固めて来ましたね。そして綱引きという競技である以上は、鍵となるのはやはり彼でしょうか?」

 

「……」

 

「おや、だんまりですか綾小路くん。それとも余計なことは話すなと堀北さんか天武くんに言われているんでしょうか?」

 

 ただその必要がないだけだ……少なくとも今は。

 

 坂柳の言葉を無視してパソコンを操作して、綱引きに参加させる二十名を選んでいく。天武を除けば他の十九名は主に運動でも学力でも貢献することが出来ないであろう生徒たちで占められる。

 

 後、動きが読みにくい高円寺に関してもここで投入しておく。最初から戦力として期待していないのでこれで良いだろう。

 

 これで一気に参加枠を半分消費することができた。つまり二周目作戦が現実的なラインになったということだ。

 

「ふむ、Bクラスの方々の細かな運動能力までは把握していませんが。見た所女子が多いようですね。男子に関しても体育祭で活躍した記憶もありません……高円寺くんに関してはどうなのでしょう」

 

「……」

 

「フフフ、まただんまりですか? 随分と寡黙なのですね」

 

 そう言いながらもあちらも二十名を選出していく。こちらと同様に体育祭で目立った活躍の無かった生徒を固めている辺り、この綱引きに関しては捨てたようだ。

 

 そもそも坂柳も全戦全勝できるとは思っていない筈、そしてそれはこちらも同じだ。この一勝も一敗もある意味では当然の流れとも言えるだろう。

 

 モニターの向こう側には体育館が映し出されており、そこには両クラス合わせて四十名の生徒が綱を持って競技を開始していた。

 

 わかりきってはいたことだが、開始と同時にAクラスの生徒は前のめりになって引きずられるように倒れこむ。男子十九名相手に一人で勝つバグキャラがいるのだ、そこに他の生徒が助力すればこうもなるだろう。

 

 学校側もそれがわかっていたのか、体育祭の惨事を踏まえてマットが敷き詰められていたので怪我をした生徒はいないらしい。

 

 そして二戦目も同じ結果になる。水が上から下に流れるように、天武がいる以上はこちらが勝利するという自然の法則のように思えた。

 

「坂柳、司令塔は一度だけ競技をやり直せる権限があるが、使わないのか?」

 

「必要ありませんよ。二度やろうと三度やろうと結果は変わりませんから」

 

 だろうな、バグキャラみたいな奴がいるからな。

 

「それにしても……彼は本当に滅茶苦茶ですね。実質一人で綱引きに勝ったようなものです」

 

 流石にいつも余裕な様子を見せる坂柳でも、この綱引きには引き気味であるらしい。気持ちはわからなくはない。

 

「しかし宜しかったのですか? 彼をここで投入してしまって?」

 

「……」

 

「全く、まただんまりですか。せっかくこうして語らえるというのに」

 

 まだ余裕は伺える。やはりこの一敗で焦るようなヤツでもないか。

 

 第一競技の綱引きが終わったことで次は第二競技となる。大型モニターに映し出されたのはまたこちらに有利な競技であった。

 

「バスケットですか。そうなると出て来るのは須藤くんですかね」

 

 予想は当たっている。そしてここで出さない理由もない。二周目作戦が現実的になった今、温存という考えは完全に捨てた方がいいだろう。

 

 

 第二競技「バスケットボール」必要人数五人、時間制限二十分、ルール・通常のバスケットボールに準ずる。司令塔・任意のタイミングでメンバーを四名まで入れ替えることができる。

 

 パソコンを操作して須藤を選び、残りの四人は綱引きと同様に運動や勉強で突出した所の無い生徒を中心に選出した。

 

 Aクラスは町田浩二、鳥羽茂、神室真澄、清水直樹、鬼頭隼の五人。こちらと比べると運動能力が高い印象を与える者たちだ。

 

 特に鬼頭隼は体育祭でも二位を取ることが多かった筈だ。天武とぶつかることが多かったので不遇な立場であったが、アレはかなり異質な存在なので実質一位であったということだろう。

 

 第二種目が開始される。須藤がその身体能力を活かしてジャンプボールに競り勝った瞬間に、オレはすぐさまパソコンを操作して選手の交代を指示していく。

 

 須藤以外の四名は、試合開始と同時に交代である。

 

「えッ」

 

 こちらの動きを観察していた星之宮先生の困惑したような声が聞こえて来る。だが別にミスをした訳ではなく、これは最初から予定されていたものであった。

 

「なるほど……綱引きといい、そちらのクラスはとにかく多くの競技に主力を参加させる作戦のようですね。フフフ」

 

 ここまでわかりやすい動きをされれば流石に気が付くか……いや、もしかしたら最初から予想もしていたのかもしれない。

 

 わかった上で良しとしたのか、この二周目作戦は何もこちらだけでなくAクラスも同じことができる訳だからな。

 

 つまり、あちらの主力もまた複数の競技に参加出来るということだ。

 

 ただし、Aクラスに運動で天武に勝てる者は存在しない。そこが絶対の優位性となってこちらへの恩恵を大きくしてくれるのが二周目作戦である。

 

 試合開始と同時に選手交代という作戦で、牧田進、三宅明人、平田洋介、小野寺かや乃がコートに出て来る。そこに須藤を中心にしたのがバスケの主力メンバーとなった。

 

 二周目作戦を意識する以上、須藤の温存は考えない。更に安定させる為に平田もここに置く、選手を交代して参加枠を消費した後は、完全に丸投げで良いだろう。

 

 

 理想を言えば、3対3で迎えた最終戦で運動系競技が選ばれて、天武と須藤を同時投入できれば完璧なのだが……さて、どうなるだろうな。

 

 

 バスケの状況は、わかりやすいくらいに一方的だ。序盤から須藤が暴れまわり、他の生徒がそれを補助する。準備期間の間にひたすら行ったディフェンスとパス回しの成果がしっかりと出ているのがわかる。

 

 Aクラスの生徒で須藤に食らいつけるのは鬼頭くらいだろうか。情報には無かったがあの動きは経験者のようだな。

 

 だが食らいつけているだけで、凌駕はしていない。

 

『悪いな鬼頭、結構動けるみたいだが。俺には届かねえよ!!』

 

 須藤と鬼頭のやり取りがモニターを通じ小さくだが聞こえて来る。

 

『クッ!?』

 

 試合開始からずっと須藤は全力だ。躊躇も手加減も必要ないと堀北が言っているので、ペース配分も完全に意識していないだろう。

 

 だがそれで良い、鬼頭の動きを技術と勢いと経験で完全に上回る。あちらも経験者のようだが全ての面で須藤には届いていない。それを証明するかのように点差は須藤がボールを持つ度に広がっていた。

 

 どれだけ鬼頭が食らいつこうとも、純粋な実力と、体格、そして小技ですら翻弄していく。心配はいらないようだな。

 

 鬼頭は何やら挑発して揺さぶりをかけているようだが、そもそも序盤から点差が開いていたので意味を成していない。何を言おうが焦りには繋がっていないようだ。

 

 蓋を開けてみれば、第2種目に関してもこちらの圧倒的な勝利となっていた。

 

 結果は36対14、序盤から須藤を投入して動かしたからこその結果だろう。

 

「お見事です」

 

 まだ坂柳の余裕は崩れない。2敗もまた想定通りと言うことか。

 

 天武と須藤を投入した以上は、特に不思議でもない結果だ。あちらもそれはわかっているらしい。

 

 だがこれでこちらの参加枠は29枠を消費出来た。後10枠、十分に2周目を狙うには現実的な数字だった。

 

 ここまでは順調そのもの、堀北の作戦と運と計算がしっかりと噛み合った結果である。

 

「ですが須藤くんと天武くんを出してしまった以上は、ここから先は苦しくなるかもしれませんね」

 

 そう都合良くはいかないか……この予感を証明するかのように、モニターに映し出された第三種目はAクラスの本命競技の一つである英語テストが選ばれたからだ。

 

 必要人数は8人。啓誠、堀北、櫛田、王、を出すとして、残りの4人を誰にするかが悩みどころである。

 

 学力系の競技に関しても温存は考えない。勝てれば勿論優位だが、最初から本命は二周目と運動系を意識している。

 

 おそらく学力系に関しては高い確率で完敗する筈。主力の全てを投入したこの英語テストで勝てなければほぼ確実に全敗する。だが重要なのは最後の競技に二周目作戦でどれだけの主力を投入できるかであった。

 

 最終種目が運動系ならば天武がいる以上ほぼ確実に勝てる。逆に勉強系であっても、啓誠、堀北、櫛田、平田、王、そして天武を投入して主力を固めることで一方的な展開を作らない。

 

 二周目作戦は、今のところは上手く機能しているな。

 

 ここは勝ちを譲ろう。出場枠を8枠消費することが出来たと考えるべきか。

 

 勝てれば御の字だったが予想通り英語テストには敗北。そこまで学力の高くない4人がどうしても勝敗に影響を与えてしまった。これで2勝1敗、だが37枠を消費出来たので、ほぼ完全に二周目作戦が実行可能となるのだった。

 

 

 同時に、この時点でほぼ3対3に勝敗を調整する必要が出て来る。最終種目がどちらの競技になろうとも、そこにクラスの主力を注ぎ込む形になるだろう。

 

 こちらの最強戦力を最終競技に残しておける、ここまでは全て計算通りである。

 

 さて、坂柳の余裕が消えるのは、いつ頃だろうな。

 

 

 

 




月城「二十名参加の綱引き……この感じだと七号が複数の競技に参加する可能性がありますね。システムに介入して選ばれないように細工しておきましょうか。それに不公平と思われない程度にAクラス寄りの競技選出にしないと」

ピピッー!! システムエラー!! 第1競技は綱引きになりました。

月城「……なんで?(怒)」

いつかの占い師「星を持っておる!! 生涯使い切れないほどの幸運が因果すら捻じ曲げるだろう!!」


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一年度最終特別試験 2

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 英語テストが終わって次は第4種目となる。そう楽々といかないのか今度もAクラス側の本命競技となってしまった。確率の下振れをとやかく言っても意味がないのでここは受け入れる。

 

 こちらは既に37名の生徒を競技に参加させていたので、この競技で完全に二周目に突入することになった。残る三名は可もなく不可もない生徒、そしてこの競技で二周目に突入したことで主力を投入できるのだが……ここは勝利を譲るとしよう。

 

 数学テストにはそこまで学力の高くない生徒を七人投入する。啓誠や堀北などの学力優秀組は一人も入れない。

 

 最終種目がどうなるにせよ、そこに主力を固める方針だった。最悪でも天武だけはそこにねじ込まなければならないだろう。

 

「おや、この競技も捨てられるようですね。見据えているのは最終種目ですか?」

 

「……」

 

「もう、ちゃんとお喋りをして欲しいものですね。寂しいではありませんか」

 

 その必要がないだけだ。舌戦なんてものは本当に必要な時にだけ行えば良い。そう考えると坂柳は随分と饒舌だ。意味もないというのに。

 

 言葉とは雄弁にまき散らすのではなく、心を折る瞬間にほんの僅かに語れば良い。

 

「司令塔は一問だけ答えることが出来るのですが、それすらも行わないのですか」

 

 捨て競技だからな。さっきの綱引きと同じで勝てる筈がない上に選出した面子も学力に秀でている訳でもない。何が起ころうと必ず敗北するので後は見ているだけだ。

 

 そしてわかりきっていた事だが、数学テストも敗北することになる。

 

「これで二勝二敗、並びましたよ……尤も、貴方が見ているのは最終戦のようですが」

 

「……」

 

「綾小路くん。私はとても悲しいです。ようやく夢の舞台だというのに、こんなにも無視されてしまうだなんて。どうすれば貴方の口が軽くなりますか?」

 

「さあな」

 

「つれない方……ふぅ、まあいいでしょう、このまま追い詰めれば多少は焦ってくれるでしょうから。みっともなく泣かせるのも悪くありませんとも」

 

 本当に饒舌だ、楽しいのかもしれないが、少し煩わしいとも感じた。

 

 坂柳からのちょっかいから逃れるようにモニターに視線をやると、そこにはフラッシュ暗算が競技に選ばれたことがわかった。

 

 Aクラスは葛城康平と田宮江美の二人。後者に関してはあまり情報は無いが、前者の葛城に関しては高い能力がある筈だ。

 

 だがこちらとして学力系は捨て競技なので大真面目に相手はしない。ここで二勝三敗になろうともだ。

 

 なので動きが読みにくい高円寺と、棒にも箸にもかからない山内を選んでお茶を濁す。最初から勝つ意思などなく。よしんば高円寺が気まぐれを発揮してくれればという理由での選出であった。

 

 本命は次の競技、そして最終競技だ。そこを間違えてはいけない。

 

 もしここで高円寺が序盤から動くのならば、オレも真面目に問題を解いて最も得点の大きい最終問題を答えるのだが、残念なことに動く気配はなかった。

 

 なので完全に捨て競技となる。次々と映し出される数字を見て狼狽える山内と、腕を組んで不敵な笑みを浮かべる高円寺、どちらも高得点を取れる筈もなく問題は進んでいく。

 

 真面目にやっているのは葛城くらいのものだ。坂柳との政争がクラス内投票で実質終結したらしいが、内心はどうなのだろうか。

 

 虎視眈々と復権を狙っているのか、それとも従順な犬と化したのか、何であれ今は真面目に問題を解いている。

 

 この競技もAクラスの勝利だろうな。そんなことを考えていると、高円寺が突然に最終問題だけを解き始めたので少し困惑してしまう。

 

 やる気が欠片も感じられなかったというのに何のつもりだと思っていると、難なく最も難易度の高い最終問題を解いていった。

 

『フッフッフッ。フラッシュ暗算とは、中々面白遊びだねぇ。初めてやったよ』

 

 事実かどうかは知らないが、高円寺は難易度の高い問題の答えがわかったらしい。

 

「綾小路くんは最終問題が解けましたか?」

 

「7619」

 

「同じ答えです。そしてどうやら彼も同じなのでしょう、あの様子だと」

 

 どこか坂柳味を感じる不敵な笑みを浮かべる高円寺は、やはり最終問題だけが正解となり、ここに敗北が決定することになった。

 

 そして山内に関しても同様、葛城に勝てる訳もなく、これで二勝三敗となってしまう。

 

「これで逆転」

 

 言葉は返さない。それを焦りと思ったのか、それとも余裕と受け取ったのかは知らないが、坂柳はクスクスと笑うだけである。

 

「しかし、泣いても笑っても後二戦で終わってしまうのですね。実に残念です」

 

 溜息と共にそんなセリフが聞こえて来るが、こちらから反応は返さない。

 

 

 こいつは理解していないのかもしれないが、オレはそれなりに苛立っている。勝負に勝った負けたの話ではなく、天武の配慮と甘さに付け込んだ行為そのものをだ。

 

 それが勝利に必要なことであると理解はしている。天武も自分が馬鹿だったとも言っていたが、オレは納得はしていない。

 

 きっと、これはオレなりの意趣返しなのだろうな。

 

 

 第六競技に選ばれたのは「1200メートルリレー」である。これはこちら側が提出した本命競技なので手堅く勝ちたいが。悩みどころでもあった。

 

 勝つことは難しくない。二周目に入ったので須藤と天武を投入すればほぼ確実に勝てるだろう。

 

 しかし最終競技がどうなるかがわからないので、ここだけは戦力を温存したい。最低でも天武だけは残しておきたいのだ。

 

「フフ、ここに来て初めての長考ですね。わかりますよ、悩みどころだと。誰を出して誰も残すのか、難しい判断でしょう」

 

 坂柳の揶揄うかのような声に、Aクラスの残された競技を思い出す。残るのはチェスと現代文テストの二つ。こちらは柔道と腕相撲だ。

 

 もし運動系競技が最後に選ばれた場合はこちらの勝ちが天武がいるので実質確定する。つまりここでは絶対に出せない。

 

 逆に現代文テストであった場合は、学力優秀組を全て送り込みたいのでこの競技には出せない。

 

 ではチェスが選ばれた場合はどうだろうか? 必要人数もそれほど多くなく、司令塔が関与できる範囲も大きい。そしてこの競技でも天武は強い。

 

 そう考えると、男子は須藤と明人と牧田、女子は松下と小野寺と櫛田になる。

 

 櫛田に関しては最終戦が現代文テストであった時に残しておきたい気持ちもあったが、女子三人が満遍なく動ける面子にしなければならない都合上、投入に踏み切る。

 

 この競技のカギとなるのも、やはりバスケと同様に須藤だろうな。

 

 モニターが映し出す場所が体育館からグラウンドに移り変わる。そこには両クラスの代表者が集まっていた。

 

 1200メートルリレー。ルールは体育祭と同様とする。男女六名のチームで勝敗を競う。とてもわかりやすい競技だった。

 

 最初のランナーは須藤。体育祭でもそうだったが、とにかく序盤でリードを作る作戦である。そしてアンカーは明人となっている。

 

 対するAクラスの面子は、どうやらバスケと似たような編成のようだ。鬼頭と神室は運動系の中核を担っているらしい。そこに運動能力順に男女がそれぞれ選出されたようだ。

 

 バスケでの対戦と同様に鬼頭と須藤が最初のランナーに選ばれて睨み合う。

 

 変なライバル意識でも芽生えたのだろうか? どちらにも強い対抗心のようなものを感じられるな。

 

「ここで天武くんを投入すれば勝利は確実、三勝三敗まで戻せる筈ですが……彼は温存しましたか」

 

 少しだけ、これまで饒舌だった坂柳の口調が落ち着く。最終種目のクジ運次第では敗北する可能性があると言われるまでも無く理解したのだろう。

 

「怖いのか?」

 

「ずっと口数が少なかったというのに、ここぞとばかりに挑発してくるなんて……意地悪なのでは?」

 

「すまないな、だが舌戦というのはそういうものだろう」

 

「かもしれませんね……ですが大丈夫ですよ。貴方と天武くん、同時に挑んでいるんですから、私は最初から絶対に勝てる等と思い上がってはいません」

 

 だろうな、慢心して挑んで来ているのならば、もっと話は早かった。

 

「重要なのはただ一つ……それでもなお勝たねばならない、ただその意思だけ」

 

 勝利に貪欲なのは良い事だと素直に思う。龍園もそうだが、この学園は面白い生徒が多い。

 

 坂柳の言う通り、それでも勝たなければならないのが、人生でもあった。

 

 モニターを眺めると須藤と鬼頭が同時に走り出しているのが確認できる。スタートダッシュこそ互角であったが、二人の間は徐々に開いていく。鬼頭が遅いのではなく、須藤が速いと評価すべきなのだろう。

 

 この競技で気を付けるのはバトンの受け渡し、そこだけはこの準備期間に徹底的に練習して精度を高めて来たので淀みなくバトンは小野寺に渡っていく。

 

 そして小野寺は体育祭でバトンを落としてしまった経験がある。苦手意識を取り払う為にもとてつもない気迫で練習を行っており、その努力が実ったのか牧田へと完璧にバトンを渡す。

 

 追いつこうとするAクラスではあるが、序盤に須藤が作ったリードを完全には埋めきれない展開が続いていく。あちらのクラスは鬼頭以外は突出しているとは言えない雰囲気だな。

 

 バトン渡しは完璧、まだリードはある。そして最終ランナーである明人にバトンが渡って、須藤が作ったリードを僅かに残した状態でゴールとなった。

 

 これにより、天武を温存して最終競技にまでもつれ込むことになる。

 

「三勝三敗……いよいよ最後ですか。いざこうなると寂しいものです」

 

 最初からこうなる可能性は高かった。計算通りと言えばそれまでであり、何よりも重要なのはこの最終競技なのだろう。

 

 既に形勢は傾いていると断言してもいい。

 

 残された運動系の競技、柔道か腕相撲がくればこちらの勝ち、逆に現代文テストとチェスが来たとしても主力は残してある。

 

 さてどうなるだろうかと、どこか祈るような気持ちで大型モニターを眺めていると、遂に最終競技が映し出されていく。

 

 

「ふぅ」

 

 

 坂柳がいる場所から安堵した溜息が届く。天武を残した状態で柔道と腕相撲に挑むという最悪の状況にならなかったからだ。

 

 三勝三敗で迎えることになる最終競技はチェス、最高ではないが、最悪でもない。こちらにとって最も嫌な展開は現代文テストだったので、これはこれで良い。

 

 勿論、最高なのは柔道と腕相撲である。この二つの競技は勝ち抜きルールなので天武を先頭に置けば必ず勝てる。選ばれた時点で勝ちが確定していたのだから坂柳の安心も自然なのかもしれない。

 

「良かった……まだ夢の時間は終わらないようですね」

 

「Aクラスにとっては誤算だったんじゃないか? ここまで追い詰められて」

 

「まさか。さっき言ったではありませんか……私は貴方たちに勝利する為に来たのだと、最初から格下に見てはいません。負けるのはこちらかもしれないと、そう思ってここに立っているのですから」

 

「そうか」

 

「綾小路くん、チェスの自信は?」

 

「生憎と、オレはチェスが得意なんだ」

 

「フフ、それは楽しみです」

 

 パソコンを操作して、この最終競技に出す生徒を選ぶ。迷うまでもなく天武一択であった。

 

「やはりここでも彼が出て来ますか」

 

「こちらの最強戦力だ、出さない理由がない。そちらは橋本か」

 

「えぇ、残念ながら彼と天武くんでは話にもならないので、序盤から介入させて貰いましょうか……綾小路くんも、どうかご一緒に」

 

 まるでダンスでも誘うかのような声色である。

 

 「チェス」の必要人数は一人、持ち時間は60分。ルール・通常のチェスのルールに準ずる。ただし41手目以降も持ち時間は増えない。司令塔・任意のタイミングから持ち時間を使い最大30分間、指示を出すことができる。

 

 この競技で司令塔が気を付けるべきなのは、どのタイミングから30分間介入するかなのだが、坂柳は初手から介入するつもりのようだ。

 

 橋本の棋力は把握していないが、この競技に選ばれたということはそれなりの技量は持っていることは想像できる。しかし天武が対戦相手なので高校生レベルでどれだけ達者であろうとまず勝てない。

 

 だからこその初手介入、これはオレと坂柳の戦いでもあるが、天武との戦いでもあるということだろう。

 

「綾小路くん」

 

「なんだ」

 

「夢のような三十分間にしましょうね」

 

「……」

 

「はぁ、ここでだんまりとされると、もの凄く寂しいものがあるのですが」

 

「いや、どう答えるべきなのか悩んでいた」

 

「どういうことでしょうか?」

 

「お前の言う夢のような三十分と言うのが、どうにも想像できなくてな」

 

 まるでこの三十分を楽しむかのような言い方に、なんて返せばいいのかオレにはわからなかった。

 

「きっとオレは、お前の期待には応えられない」

 

「おや、自信があるのでは?」

 

「あるぞ、きっと……お前が思っている以上にな」

 

 脳内にこれまで天武と繰り広げて来た棋譜の全てが思い浮かぶ。264回分の対局、102回の敗北と106回の勝利と、56回の引き分けが。

 

「まさか坂柳は、この対局を楽しめると思っているのか?」

 

 負ける度に強くなり「学習」して思考力が鋭くなったと思う。

 

 それで、坂柳、お前はどうなんだ?

 

 お前には、102回の敗北の経験があるのか?

 

 同格以上の存在と競い合う環境にどれだけ身を置けた?

 

 それが決定的な差となることを、本当に理解できているのか?

 

「すまないな……夢のような時間は共有できそうにない。夢というのは、一般的に楽しいものらしいからな」

 

「……」

 

 そこで初めて坂柳が黙る。

 

 

 

「さっさと負けてくれ、この三十分間は、ただその為だけにある」

 

 

 

 さて、ようやくオレの舌も温まって来たようだ。

 

 ここから先は、全力で行くとしよう。

 

 

 

 

 




月城「三勝三敗で最終競技ですか……ホワイトルームでの綾小路清隆の成績を見るに、チェスで追い込める可能性は低い。それなら平均点を競う現代文テストの方がAクラスが勝てそうですね。そっちに動かしましょうか」

天武「う~ん、できることなら清隆と坂柳さんが直接戦うような舞台を用意してあげたいんだけど、そんなに都合よくはいかないかなぁ」

幸運「了解」

ピピ~!! システムエラー!! 最終競技はチェス。

月城「……だから何で?(怒)」


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一年度最終特別試験 3

 

 

 

 

 

 

 

『よろしくお願いします』

 

 

 モニターに映った天武と橋本がチェス盤を挟んで同時に頭を下げる。それに合わせるようにオレと坂柳は司令塔の権限を行使した。

 

 三十分間、天武と橋本を介しての対局となる訳だ。代理戦争とは少し違うが、実質オレと坂柳の戦いとなる。

 

「序盤から介入するのか」

 

「先程も言いましたが、橋本くんと天武くんが戦うと勝負にならないので」

 

「オレとお前でも変わらないだろ」

 

「……いきなり饒舌になりましたね」

 

「そうか? だとしたらすまないな、どうやらもう勝ったつもりになって、気楽になっていたようだ」

 

 坂柳の雰囲気に苛立ちが混じる。安い挑発と侮りであったがプライドが高いコイツにはそれなりに効果があったらしい。

 

 それで駒運びが狂うような相手でもないだろうが、こういうのはやったもの勝ちだとお前や龍園なら言うのだろうな。

 

 天武が先手を勝ち取ったのをモニターで確認する……これに関しても予定調和だ。不思議とアイツにはじゃんけん等の運が絡む要素では勝てないので先手が取れることはわかっていた。

 

「悪いがいつまでもお前に構っているのも面倒だ、さっさと終わらせて貰うぞ」

 

「えぇどうぞ、お手並み拝見といきましょうか」

 

「余裕だな、これから負けるというのに」

 

「……」

 

「どうした? 何故黙る? さっきまであれだけ饒舌だったのに……これじゃあ立場が逆だな、オレも喋ってくれなくて寂しいとでも言っておこうか。それとも舌戦は苦手なのか」

 

 そんな挑発をしながらパソコンから指示を出す。おそらく天武と同じ考えと方向性となる最初の一手を。

 

 それに対して坂柳もまた橋本を操って駒を動かす。苛立ちから判断を急かすかと思っていたが想像よりも大人しいものであった。

 

 やはりこの程度で揺らぐ相手ではないか。まあなんであれ構わない。勝ち筋に向かって駒を動かすだけである。

 

 一つ、二つ、三つ、四つ、交互に駒が動かされていく。序盤な上に初見の相手なので様子見というのがセオリーなのかもしれないが、付き合うつもりはない。

 

 一手打つ度に、脳内には無数の岐路が広がっていく。それは戦局を左右する道であり可能性、その数え切れない未来の中から最善の物を選んで駒を動かす。

 

 チェスは○×ゲームに似ていると表現する者がいる。それを聞くと大半の者が「そんな訳がない」と思うのかもしれないが。ある一定のラインを超えるとそういった印象を与えて来る側面があるのも事実。

 

 つまり、完全完璧な最善手を打ち続ければ絶対に負けないということだ。

 

 別にそれはチェスに限らず、将棋や囲碁なども同じことが言える。無駄や揺らぎを削ぎ落とした先にあるのは完全な最善である。

 

 チェスで勝つにはどうすれば良い? 答えは簡単だ、暴論に聞こえるかもしれないが常に最高最善の手を打てばいい。

 

 

 それこそAIのように。

 

 

 人類が将棋やチェスのAIに敗北したのはもうずっと前のこと、既に最強は人間ではない。今となってはプロですらソフトを研究して学ぶ立場となっている。それほどまでに完全な一手というのは強い。

 

 ならばその完全な一手を学習すれば良い……やはり滅茶苦茶な暴論であり、出来る訳がないのだが、それを目指すことが天武との対局で重きを置いている分野であった。

 

 つまりどれだけAIに近づけるか、つまりは人間を辞めるか、それが天武との対局で重要な部分であり、勝率を上げる要素でもある。

 

 また駒を進める。脳内には幾千、幾万、もしかしたらそれ以上の可能性が見えて精査されていく、星の数ほどはあろうかという選択肢の中から、最もAIが選ぶ可能性が高いであろう一手を……つまりは人類が勝つことの出来ない神の一手を選び取った。

 

 機械的な、しかしだからこそ文句の出ない神の一手を掴み取る。入学当初のオレでは絶対に辿り着けなかった領域の一手を。

 

 

 

 天武がよく使う師匠モード、極限の集中状態へとオレは移行していた。

 

 

 

 実際にそれがコンピューター制御されたチェスAIに迫れているのかはわからない、だがもしこれ以上の手があるとするのならば、オレはまだ学習できると言うことだろう。

 

 坂柳の対応は……なるほど悪くはない。いや、素直に強いと賞賛しておこうか。

 

 ホワイトルームには思考力を鍛えるという名目でカリキュラムの中にチェスがあった。そしてそれを教える為にわざわざプロまで呼び寄せたことがある。同期の中には得意にしていた者もいた。

 

 そう言った者たちと比べても坂柳は誰よりも強い。

 

「賞賛しておこう坂柳……お前は強い」

 

 幾つかの攻守を繰り返してそんな評価を敢えて上から目線で押し付けた。これもまた舌戦の一つと言えるだろう。

 

 まるで上位者のように振る舞うことも、戦いの中では必要なことだった。

 

「オレが知る中でお前は二番目に強い……誇って良いぞ。だが――」

 

 またインカム越しに指示を出して駒を動かす。おそらくはチェスAIに最も近いであろう一手を繰り出した。

 

「……」

 

「どうした坂柳、随分と静かだ」

 

 そして再びの舌戦。舌を動かすのも口を軽くするのも、こういう時だけで良い。

 

「それに一手進める度に考える時間が長くなってるじゃないか。最初は一秒も経たずに打ち返して来たのに、今では十秒だ。次は十一秒か? それとも十二秒か? あぁだが考える分には構わないぞ、オレもお前がダラダラしている間に次の一手を考えられるからな」

 

「随分と饒舌になりましたね」

 

「そうか? オレはいつもこれくらいお喋りだ、普段より長く喋っているつもりはない。あぁ、もしかしたらお前が焦ってるからそう思えるのかもな」

 

「……」

 

 少し苛立った雰囲気が感じ取れる。いいぞ、それでこそ饒舌になったかいがある。

 

 坂柳はそこから十五秒ほど考えてから駒を動かす。およそ考えられる限り最善と思われる手を。

 

 そしてオレはその一手に一秒と置かずに対応する。坂柳の長考を鼻で笑うかのように。

 

「ほらまたお前の番だ、焦らずゆっくり考え込むといい。こっちは水でも飲んでゆっくりしておこう」

 

 実際にこの多目的室に用意されていたペットボトルの蓋を開いて、喉を潤していく。坂柳が次の一手を考えている間にだ。

 

「そう言えばお前はチェスが得意なんだったな。こうして本命競技に選ぶくらいなんだからそうなんだろう」

 

 タップリ二十秒ほど考えて、坂柳は次の指示を出す。

 

 そしてオレは、またもや一秒もかからず次の指示を天武に出した。また坂柳の番だ。

 

「自分より弱い相手に自慢できるくらいの腕はあるようだな、まあまあだ」

 

 今度は二十四秒かかり、オレはまた一秒で切り返す。長考すら必要ない。坂柳が考えている間に俺も次を予想して考えられるからだ。

 

 坂柳は強い。おそらく「入学したばかりの頃」であるならば高い確率で勝率は五分五分となっただろう。それはつまりホワイトルームにいた誰よりも強いという証明だった。

 

 けれど今の俺は違う、百回以上の敗北と経験の蓄積が、より先に思考力を昇華させた。

 

 

 悪いな坂柳、お前が今いる場所は、オレにとってはもう過去なんだ。

 

 

 次の一手もわかる、その次だって、更にその先も。お前は強いが敗北を知らない強さでしかない。師匠モードになった今ならよくわかる。

 

 敗北を積み上げていない強さでは、オレを凌駕することは叶わないだろう。

 

 天武との13回目の対局で食べた白ネギのグラタンは絶品だったし、24回目の対局でパエリヤも上手かった。37回目の時は中華料理だったし、59回目の勝利の時はイタリアンだったな。

 

 勝てば美味い、負ければ学習できる。実に充実した時間だったと思う。そしてそれは坂柳が知らない時間であり、積み上げていない経験でもある。そう言えば天武も負ける度に料理の腕が上がっているようにも思えた。

 

 直近では、サンマのアクアパッツァだったか、あれも美味かった。

 

「どうしたんだ坂柳? もう三十秒も考えているぞ、次の一手はどうした?」

 

「……黙っていてください」

 

「舌戦を所望したのはそちらだと記憶しているんだがな」

 

「無駄だと言っているんです。その程度の揺さぶりで私は手を誤ったりはしませんので」

 

「だが今も持ち時間は過ぎ去っているぞ」

 

「――ッ」

 

 苛立ち交じりの指示が橋本に飛んだようだが、こちらはまた一秒もかからず駒を動かす。

 

 また、坂柳の番だ。

 

「天才の証明がどうのこうのと言っていたな」

 

「……」

 

 あちらからの返答はない。ただ静かに考え込んでいる。

 

「偽りがどうのと、夢がどうのと、否定がどうのこうのと……オレから言わせて貰えばお前の方がよっぽど饒舌だ、無意味な程にな」

 

 さっきの一手よりも更に長く、三十四秒かけて坂柳は駒を動かす。

 

 そしてお約束のように、こちらは一秒もかけずに次の一手を指し示す。

 

「お前がヘラヘラ笑いながら便所に誹謗中傷の落書きしている間に、こっちは色々と積み重ねてきたんだ。ここに来るまでにざっと百回以上の敗北を積み上げて来た」

 

 やはり坂柳からの返事はない、そして今度は四十秒も消費して次の一手となってしまう。

 

 こちらはそれに、淀むこともなく対応する。消費した時間は一秒だけ。

 

「それで坂柳、お前はどうなんだ? 便所に落書きするのは楽しかったか? オレたちはその間に努力していたぞ」

 

 一手打つごとに、坂柳の判断は遅くなっていく。今では長考とさえ言っても良い程になっている。

 

「……」

 

「おいおい、どうしたんだ坂柳、これではさっきと立場が逆だな……お喋りしてくれないと寂しいじゃないか」

 

 一分三十四秒かけて、盤面が動く。

 

 そしてこちらは当たり前のように、流れるように、僅か一秒でターンを終わらせる。

 

「天才とは何だろうな、実力とはどういうものだろうな、それらを証明するにはどんなことをすればいいんだ? 少なくとも誰かを誹謗中傷することじゃないのはオレにもわかる……そんなものは何の証明にもならない」

 

 息を飲む気配が伝わって来る、言葉は無いが随分と焦っているようだ。

 

「それともお前にとっては、アレが天才の証明なのか?」

 

「……」

 

「どうした、何故黙る」

 

 既に坂柳の頭には「敗北」の二文字がチラついているのだろう。なまじ実力がある為に、思考力がある為に、未来が見えすぎるのだ。

 

 それでも油断できる相手ではないので、ここで徹底的に追い詰めておく。鋭い駒捌きで、言葉と挑発と侮りで、心を折る。

 

 舌戦とは、相手を圧し折る為に使うものだ。そこがきっと坂柳とオレの違いなのかもしれない。

 

「呑気なものだな、こちらの努力も知らないのに、一体何を証明するつもりだったのやら」

 

 お約束のように、相手の一手にこちらは即座に最適解を叩きつける。

 

「ヘラヘラと笑いながら、ありもしない未来を妄想している間に、もっとやるべきことがあったと思うがな」

 

 あともう少しと言った所だろうか、モニターの向こうにあるチェス盤の戦局は身を削りながらなんとか坂柳が耐え忍んでいると言った感じである。最初からここまで一度たりとも攻勢にでたことは無い。守るだけで精一杯だったのだろう。

 

「もう一度言おうか……随分と静かじゃないか」

 

「……」

 

 ここでこいつの心を折る。それがオレの意趣返しだ。

 

「まただんまりか、そんな調子で何の証明になるんだろうな」

 

 二度とこちらに歯向かえないように、得意分野で圧倒的に凌駕する。完膚無き完全勝利を演出して叩き潰す。

 

「お前の焦りが伝わってくるようだ」

 

 天才の証明など興味が無い、意味も無い、もしオレにとって重要なことがあるとするならば、お前の行動に苛立っているということだけだ。

 

「もうわかっているんだろ、敗北するのだと」

 

 天武の甘さと配慮に付け込んだ代償を支払って貰おうか、アレは自分が馬鹿なだけだったと受け入れていたが、一番悪いのはお前であることは変わらない。

 

 誹謗中傷でも邪計でもなく、正面突破でお前を折ることに意味があった。

 

「どうしたんだ」

 

 だから折れてしまえ、そして後悔しろ。

 

 

 

「いつものように笑えよ……坂柳」

 

 

 

 折れろ。

 

 崩れろ。

 

 躓け。

 

 そして二度と立ち上がらず、惨めに地面だけ舐めて雨と埃だけ食っていろ。

 

 その頭の中にはもう敗北が見えている筈だ。逃れられない未来が見えている筈だ。どんな手を用意しようがこちらは全てを凌駕して蹂躙するだけである。

 

 オレにはもう詰みまで読み切れているぞ、お前はどうだろうな?

 

 せめて最後まで諦めずに挑んで欲しいものだ、負けるとわかっていても挑まなければならない時もあるからな。

 

 すぐに聞こえて来る。実際に音として広がった訳ではないだろうが、何かが折れる音が。

 

 坂柳、お前の完全敗北を証明する音が――――。

 

 

 

 

 パンッ!!

 

 

 

 

 しかし、聞こえて来たのは、心が折れる音ではなかった。

 

 どちらかと言うと乾いた音、何かの破裂音のようにも聞こえるそれは「頬を勢いよく叩いた」音によく似ている。

 

 杖を落とした音でも、心が折れる音でもなく、泣き言でも無ければ弱音でもない。

 

「そうか……折れなかったか」

 

 これは決意の音であり、敗北を受け入れそうになった自分を叱咤激励する音なのだろう。

 

「それならそれで構わない」

 

 やるべきことは何も変わらないのだから。

 

 チラッと、パソコンと機材の向こう側にいる坂柳の顔を覗き込んでみると。そこには焦りでもなく弱気でもなく、ましてや自暴自棄になった訳でもない様子が広がっていた。

 

 そして何よりも、とてつもない集中が感じられる。火花でも散らしそうなほどに爛々と輝く瞳はモニターだけを見つめており、加速する思考は間違いなく盤面に向けられている。

 

 あの雰囲気、師匠モードとやらになった天武によく似ているな。つまり坂柳も異次元の集中状態になったと言うことだ。

 

 天武もそうだが、ああなるといよいよ手が付けられなくなる。

 

 どうやらオレも、ここから先は余裕とはいかないらしい。

 

「お待たせしました、綾小路くん……慢心も、愚かさも、幼さも、全て捨て去りましょう」

 

 変な引力を持った声と雰囲気が機材の向こうから聞こえて来た。あぁ、この感じも師匠モードになった天武によく似ている。

 

「ここから先が、私の証明です」

 

「良いだろう、ようやく勝負らしくなってきた」

 

 一方的な蹂躙から、まともな戦いになる。そんな確信と共にオレは天武に指示を出して戦局を動かす。

 

 

 

 しかし、天武はその指示に従わずに、何故か深く考え込む姿勢で動かなくなってしまった。

 

 

 何が起こった? もしかしたらインカムからの指令が伝わらなかったのか? その可能性にかけてもう幾度か同じ指示を出すのだが、相変わらずこちらからの方針には答えずに、モニターの向こうにいる天武は考え込むだけである。

 

 

 まるで、意思の疎通が突然に途切れてしまったかのように、音信不通となってしまう。

 

 その段階でオレには一つの考えが思い浮かんでしまい、ただ小さく溜息を吐いてしまうのだった。

 

 ようやく面白くなってきたのだが、どうやらオレの出番はここまでらしい。

 

 高い確率でこちらの指示と現場に届く声が異なっていて、天武は困惑しているのだろう。

 

「後は任せたぞ」

 

 おそらくここから先の指示は全て意味を成さない。形だけの司令塔になってしまい、この戦いは坂柳と天武の物になってしまう。

 

 

 まあそれでも構わない。最後の詰めは、相棒に任せておくとしよう。

 

 

 

 

 




月城「動けッ!! 動けってんだこのポンコツが!! あ、あれ、今回は介入に成功しましたね、よしこれならまだ行ける。綾小路くんの接続を切って上手いこと敗北に誘導しないと」

幸運「……」

奇運「何してんの?」金運「いや働けよ」豪運「代わろうか?」天運「働かざる者食うべからず」悪運「おいさっさと代われ」運命「どうしたん?」偶然「ついに壊れたか?」主人公補正「なんやアイツ」

幸運「これで良いんだ。私の仕事は都合の良い展開を作ることだけ……それにぶん殴るにしても大義名分は必要だから。これが一番幸運な結果に繋がるんだよ」




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一年度最終特別試験 4

 

 

 

 

 

 

 

「よろしくお願いします」

 

 長かったこの試験も遂に最後となる。何の因果なのか選ばれたのはチェス。坂柳さんの得意分野であると同時に、清隆にとっても悪い競技ではなかった。

 

 Bクラスとしての最高は柔道や腕相撲であったのだが、ランダムの抽選にケチを付けても意味がないのでここは受け入れよう。

 

 現代文のテストで平均点を大人数で競うとかじゃなかっただけ、まだマシであった。

 

 最終試験のチェスが行われる多目的室、そこで俺はチェス盤を挟んで橋本と向かい合う形なのだが、共に頭にインカムを装着して試験が開始すると同時に、早速とばかりに司令塔である二人が指示を出してくる。

 

「おいおい、初手からお姫様が出て来るのかよ」

 

「橋本、君の棋力はどんなもんなんだい?」

 

「それなりって言いたいが、笹凪相手にどうこうってレベルじゃないだろうな。お前はお姫様とも戦えるくらいに強いんだろう?」

 

「さてどうだろうね、以前にあのカフェで対局した時は結局引き分けに終わったけど」

 

「それって滅茶苦茶強いってことじゃねえか」

 

 あの時は確かに引き分けだったが、今ではどうだろうな……清隆との対局を繰り返したおかげでこっちの思考力も鋭くなっているし、師匠モードも随分と深まったからな。

 

 もし坂柳さんの実力があの時から大きく変わっていないとすれば、もしかしたら清隆との戦いは一方的な物になるかもしれないが、まあ今はこの対局に集中するとしよう。

 

 俺は清隆の指示に従う立場ではあるが、もしかしたら三十分の時間制限を超えて対局が続くこともあるので、バトンタッチされた時に備えてしっかりと準備しておかなければならない。

 

 初手の初手から、清隆の棋力をトレースしていき、バトンタッチされる瞬間までその構想力を理解して受け入れなければならないだろう。

 

 大丈夫、もう彼とは何度も対局したから、どう動いてどう攻めてどう守るのかがわかる。変なアドリブをこの状況で挟んで来ることもない筈だ。

 

 つまり、俺はもう一人の清隆にこの場ではなれるということである。

 

 インカムからの指示に従って先手の駒を動かすと、橋本も同じように定石とも言える手を坂柳さんから指示されて打って来た。

 

 そのまま俺と彼はラジコンとなって、二手、三手、四手、五手と駒を交互に動かしていく。淀みもなく迷いもない動きだな。ここまでは誰にだって出来る動きでもある。言ってしまえばどう攻めるかの準備のようなもの。

 

 さて本格的に殴り合いだと清隆の思考をトレースしていく。俺が彼ならここに駒を動かすだろうという判断は、インカムから流れて来る全く同じ回答によって同調することになる。

 

 どうやら俺は、もう一人の清隆にしっかりとなれているようだ。

 

「一つ疑問があるんだけどよ」

 

「ん、何かな?」

 

「いやさ、何で綾小路にプロテクトポイントが与えられたんだろうなって思ってな」

 

「そりゃ他クラスからの賞賛票が入ったからだよ」

 

「それだよそれ、何でそうなったのかわからないんだよな」

 

 橋本が坂柳さんの指示に従って駒を動かす。

 

「お前が大量のポイントをばらまいて全部のクラスから退学者を出さないようにしてたのは知ってるぜ」

 

「よくわかってるじゃないか」

 

「そりゃ誰だっておかしいって気が付くだろ。あんな滅茶苦茶な試験で退学者が出ないなんてな。でもだからこそ疑問なんだよ、それだけやったのなら自分に賞賛票を集めるだろうからな」

 

 なるほど、橋本から見れば俺の行動は奇妙に映ったらしい。

 

「俺は別にプロテクトポイントは必要なかったからね。それなら仲の良い友人に持ってもらいたいと思ったんだよ」

 

「で、綾小路か……それで本音はどうなんだろうな」

 

「本音か……橋本はどう思うんだい?」

 

 そこで橋本は駒を動かしながら考え込む。ラジコンとしての務めを果たしながらも俺たちは会話を続けていった。

 

「あ~……実はアイツには凄い秘密がある、とか?」

 

「坂柳さんが執着しているようにも見えたって所か……まあそれを知ることに大した意味はないよ。誰にだって秘密はあるんだ、わざわざ掘り返すようなものでもない」

 

「今のはお姫様への皮肉か?」

 

「そんな訳ないだろ、俺はそこまで暇じゃないよ」

 

 因みに今のセリフだって別に皮肉で言っている訳じゃない。俺は坂柳さんに思う所は何一つとして無いし、女の子には優しくしなさいと師匠から言われているから責めるつもりもなかった。

 

 あの一件は変な様子見なんてしないで速攻で終わらせなかった俺が間抜けだったで語れてしまう話だ。一之瀬さんには俺が馬鹿だったことで損な役回りを押し付けてしまったのだろう。本当に申し訳なく思っている。

 

「けれど想像するだけなら自由だ。色々と考えて自分なりに納得すれば良いさ」

 

「やれやれ、お前さん相手に交渉は難しそうだな」

 

「そうでも無いと思うけど」

 

「だって欠片も揺さぶれないからな。暖簾に腕押しって言うか、ずっと軽く躱されそうだ」

 

「諦めるのはよくない。こっちはこっちで舌戦を繰り広げよう……あちらと同じようにね」

 

「へいへい……そんならさ、笹凪は好きな相手はいないのか?」

 

「お、恋愛系の話で来るか、受けて立とうじゃないか」

 

 インカムから伝わって来る司令塔からの指示を受けてチェスをしながらも、こちらはどこか穏やかな感じで会話が進んでいく。俺たちは言ってしまえばラジコンだからな、頭の片隅で清隆の構成力をトレースして戦局を予想しながらも、残ったリソースは橋本に向けておけば問題ない。

 

 頭の中では師匠モードの俺がとても頑張っている。集中することは彼に任せておけばこっちは楽なものである。

 

「好きな相手かぁ、なかなかに難しい問題だ……この学校には魅力的な子がとても多いからね」

 

「わかるぜ、やっぱそう思うよな」

 

「だよね、勘違いじゃないよね……他の学校のことはよくわからないけど、ちょっとおかしいレベルだと俺は思ってたんだ」

 

 インカムから伝わる清隆の指示に従って、また駒を動かす。

 

「それでさ、この学校は実力主義を掲げている訳だから、もしかしたら容姿も実力の内と考えてるんじゃないかって想像してたりするんだよね」

 

「なんだと……いや、確かにこの学校の女子たちを見ると、完全には否定できないのか」

 

 橋本も何やら衝撃を受けたかのように考え込む、しかし手はしっかりと駒を動かしていた。

 

「きっと学園長の趣味なんだ」

 

「変態だな、この学校の学園長は」

 

 まさかの評価である。坂柳さんのお父さんは娘の手下から変態扱いされてしまうなんて。後で坂柳さんに告げ口しておこうかな。

 

「橋本はモテるって話は聞くけど、彼女がいるって話は聞かないよね」

 

「まぁな」

 

「本命がいるとかかな?」

 

「どうだろうな、何せこの学校の女子はとにかくレベル高いから、ちょっと目移りするんだよ」

 

「Aクラスだと神室さんとか綺麗だよね」

 

「あ~、確かにな、綺麗だけどツンツンしてて……まあそこが可愛くはあるんだけどよ」

 

 どうやら橋本はツンデレ好きであるらしい。いや、別に神室さんがそういうキャラだと言う訳じゃないんだけどさ。

 

「坂柳さんはどうだい、交際相手としてはさ」

 

 そんな提案をすると、橋本はもの凄く苦い何かを噛んだかのように渋面を作ってしまう。

 

「君、その反応は幾ら何でも坂柳さんに失礼だって」

 

「いやいや、お前、あのお姫様だぞ……見た目はそりゃ可愛いけど、中身はプレデターみたいな人だし」

 

「酷い、坂柳さんにチクッておこうかな」

 

「おい止めろッ!? ちょっとした冗談だから本気にすんな!!」

 

 橋本との会話は面白いな。彼は人見知りとは程遠い人間だからとても話しやすい。きっと長所でもあるんだろう。

 

「俺の話はいいっての、それより笹凪はどうなんだよ。狙ってる女子とかさ」

 

「ん~……なかなか縁がないんだよね。そりゃ凄く青春っぽいから恋人は欲しいと思うんだけどさ。でもそういう意識で付き合うのって駄目っぽいんだよね」

 

「そうか? 本気で好きじゃなくてもお試しで付き合ってみるのも悪くないけどな」

 

「お試しで? なるほど、そういう軽い感覚で交際する男女も世にはいるのか……ありがとう橋本、凄く勉強になった」

 

「お、おう、そうか……やっぱお前と話すとなんか調子狂うな」

 

 変な動揺を向けられながら、それでも橋本は戦局を次に動かす。

 

「笹凪と仲が良い女子って言うと、やっぱ堀北か?」

 

「あぁ、そうだね、彼女とは親しくさせて貰っているよ。それにとても頼りにさせて貰っている」

 

「へぇ、なら俺が堀北に告白して試しに付き合ってみたらどう思うんだ?」

 

「ん、それはそれで良いんじゃないかな」

 

「動揺しないんだな」

 

「きっと俺は……まだまだ幼いんだろうね」

 

 この学園に入学して、少しだけそう言った感情をわかりそうになってはいるけど、まだどこか遠い。

 

 何かもう一つ切っ掛けでもあれば、何かを得られるような、そんなことを思う。

 

 男の嫉妬は見苦しいとも言うけれど、そもそもそういった感情を持てない俺はやはり幼いんだと言うべきなのかもしれない。

 

 それに、正義の味方になると決めたあの時から、自分以外の誰かは全て守るべき対象のように思えてしまう。特別な誰かというのを作れない精神状態になっているのだろうか。

 

「嫉妬一つ出来ない男に……恋は遠いのかな」

 

「笹凪?」

 

「いや、何でもないよ」

 

 チェス盤の横に置かれていたペットボトルに手を伸ばし、蓋を開いて喉を潤すと、橋本も思い出したかのように同じことをした。

 

「さて、君とのお喋りはとても面白いものではあるが……そろそろこちらに集中しようか」

 

「だな……まあなんつうか、俺はもう追いつけてないんだけどよ、レベルが高すぎて」

 

 完全にラジコンになっている橋本には、司令塔の二人の戦いに付いていけてないようだ。無理もない、高校生レベルを超越したゲームだから、大抵の人がそうなってしまうだろう。

 

「これって今、どっちが勝ってるんだ?」

 

 橋本から見た戦局はそんな感じらしい。つまりそれほど高度な戦いということだ。

 

「ん、六対四……七対三で清隆優勢かな」

 

「マジかよ……いや、こっちの方が少し駒が少ないのはわかるけどよ」

 

「坂柳さんは時間も結構使っているよ」

 

「そっちの司令塔はすぐに打ち返してくるよな」

 

「調子が良いんだろう」

 

 そして今も、橋本が駒を動かして一秒も経たずに最適解の一手を指示される。ここまで俺と清隆の構想力は完全に一致しているな。

 

 こちらが僅かな時間で打ち返すと、今度は橋本のターンになるのだが、彼はインカムから伝わる筈の坂柳さんの指示を待つだけである。

 

 そのまま十秒、二十秒、三十秒と時間が過ぎ去っていくのは、彼にとってはとても苦痛な時間なのかもしれない。

 

「頼むぜ、お姫様ッ……」

 

 そして五十秒ほど過ぎた段階で、ようやく坂柳さんからの指示が届き、彼は駒を動かすことができたのだが――。

 

「了解」

 

 こちらはそれに僅か一秒で対応してしまう。清隆はノリノリのようだ。

 

「おいおい……」

 

 そしてまた橋本は坂柳さんの指示を待つことになる。きっとこの数十秒は彼にとって冷や汗を感じる瞬間なんだろうな。

 

 どれだけ長考して最善と思われる一手を指そうとも、こちらは僅か一秒で返してくるのだ。そのプレッシャーと鋭さは見えない刃となって相手に届く。

 

 既に戦局は一方的な展開となっている。それこそ蹂躙とさえ言っても良い状況だ。

 

 坂柳さんは強い。それは間違いない。実際にあのカフェで対局した経験がある俺はそれを知っている。

 

 あの時は結局、引き分けになってしまったんだよな。

 

 だがあれから俺は清隆と何度も対局して百回以上の勝利と敗北を積み重ねて来た。あの坂柳さんとの対局から遥かに思考力は鋭くなっている。

 

 何よりも師匠モードが更に深まったのは間違いない。もし今、俺と坂柳さんがチェスで戦ったらどうなるだろうかと考えてチェス盤を眺めてこう納得した。

 

 あぁ、これなら勝てるなと。

 

 あのカフェでの対局から彼女の棋力はそこまで成長していないらしい。それをこの状況が証明している。

 

 もう一度言うけど坂柳さんは強い。それこそチェスの世界で名を広げていても不思議ではないほどに。

 

 

 

 だけど、神の一手には届かない。

 

 

 

 それを証明するかのように、こうして追い込まれているのだろう。

 

「姫さんッ……これで終わりじゃないよな」

 

 願うように、そして祈るように、冷や汗を流しながら指示を待つ橋本は、縋るようにインカムから流れて来た声に従って駒を動かす。

 

 だがこちらは無慈悲に、いっそ残酷な程に、首を切り落とすかのように、僅か一秒で完全完璧な一手を叩きつける。

 

 その度にあちらの長考は長くなる。さっきからずっとこの繰り返しであった。

 

 このまま続けばほぼ間違いなく清隆が勝利するだろう。横綱相撲の如く、素人とプロの如く、何もかもを凌駕して清隆が勝利する。それは水が上から下に流れるかのように自然な法則に思えた。

 

 橋本のそれを理解できたのか冷や汗が止まらず、とても焦った様子でチェス盤を眺めている。

 

 タップリと一分以上を使って戦局を動かそうとも、こちらは余裕を持って一秒もかけずに打ち返す。

 

 相手からしてみれば、この世の終わりのような気分になるかもしれないな。それほどの力を見せつけている。

 

 このまま難なく勝利する、頭の中にいる師匠モードの俺もそこまで見えている。もし司令塔の時間制限になった場合はこちらにバトンタッチするので、それに備えて清隆の動きと思考をトレースしていたのだが、この調子ならそうなる前にケリが付きそうだな。

 

 もう詰みまで近い。この戦い、俺たちの勝利だ――――。

 

 

 そう思っていたのだが、インカムから流れて来る指示に、師匠モードの俺が待ったをかけてしまう。

 

 

 なんだこれは、どうしてこの局面でこんな無駄な手を打つ? 既に詰めまで見えて来ているというのに。

 

 何らかの間違いかと思ってインカム越しの指示を待つのだが、やはり結果は変わらない。

 

 清隆は、ここでわざわざ負けるような決定的なミスを俺に打たそうとしているのだ。

 

「どういうことだ?」

 

 師匠モードの俺はそこに打つべきではないと言っている。同時にうなじにはチリチリとした変な感覚が広がっていた。

 

 この感覚を俺は知っている。死にそうになる時や、危機が迫っている時に、いつも走る感覚であった。

 

 以前に、学園長に頼まれて清隆のお父さんと出会った時も似たような感覚があったな。

 

 あの時はつい月城さんを一方的にぶん殴ってしまったんだったか。いや、アレは銃を持っていたあの人が勝手に足を滑らせたで解決したんだったか。

 

 問題はそこではない……どうして清隆はここでこの手を打つことにしたかだ。

 

「ん……」

 

 師匠モードに移行して思考を加速させる。そして星の数ほどの帰路を俯瞰して計算していく。

 

 出した結論は、ここで清隆の指示通りに駒を動かせば戦局は不利に繋がると言うことだけだ。

 

「……」

 

「……ひぇ」

 

 チェス盤の向こう側にいる橋本が、師匠モードになった俺を見て恐れるような声を出して青ざめた表情を見せている。

 

 だがそれも今はどうでも良い……清隆の指示だ。

 

 考えられるのは変なアドリブを入れて遊びだしただろうか。もしくは俺が気が付いていないだけで深い考えがあるとか。

 

 或いは、坂柳さんと交渉して花を持たせることに決めたのか。

 

 

 もしかしたら――――。

 

 

 とある可能性に行き着いて、より師匠モードを深めていく。

 

 可能性としては、絶対とは切り捨てられない。

 

 だがそこまでやるかという思いも僅かにある。けれど否定もできない。

 

「……そうか」

 

「お、おい、笹凪?」

 

「そうかそうか」

 

「あの、その雰囲気を止めてくれねえか? 背筋が震えて物凄く落ち着かないんだが」

 

「……」

 

「……」

 

 橋本が何か言っているようだが、最後には黙って顔を青くしてしまう。悪いとは思っているがこればかりはどうしようもない。

 

 腹の奥に変な感覚があった。上手く表現できないそれは熱となっていき、体中に広がっていく。

 

 だがここで爆発させる訳にもいかない。しかし力加減を誤ってしまったことで、俺は指先に掴んでいた駒を割り砕いてしまった。

 

「こ、駒……割れちまったぞ?」

 

「問題ない、別に使えない訳でもないからな」

 

 半分ほどのサイズになってしまったが使う分には問題ない。機能を果たせないこともない。だからその駒を俺の判断で進めた。

 

 すると橋本は動揺しながらも坂柳さんの指示を受けて駒を動かす。今度は随分と早い。

 

 それにこちらも一秒で対応すれば、また橋本が坂柳さんから指示を受けて一秒で返す。

 

 そこから先はとにかく鋭いペースで駒が動き続けていく。こちらが一秒で返せば、あちらも同じ速度で返してくる。その繰り返しだ。

 

「お、おいなんだよこれ!? なんで急にペースが上がったんだ!?」

 

「しっかり付いて来い橋本、この期に及んで足を引っ張ったら許さないぞ」

 

「敵側のお前がそれを言うのかよ!?」

 

 今、俺たちがやっているのは一秒チェスのようなものだ。加速する思考は一秒で星の数ほどの岐路を見せて、活路を選び抜く。

 

 俺がそうすれば、橋本を操る坂柳さんもそう返す。その繰り返し。

 

 頭に付けているインカムは相変わらずこちらが不利になる指示を下すだけ……邪魔だなこれ。

 

 息を付かせぬ攻防、加速する思考が選び抜く最善と最高の一手で互いに身を削り合う。

 

 

 あぁ間違いない、俺たちは今、神の一手に触れられる位置にいる。

 

 

 この鋭い切り返し、ここまで押されていた坂柳さんはもしかしたら吹っ切れたのかもしれないな。

 

 強い、素直にそう思う。

 

 そして同時に残念だと思ってしまう。今の坂柳さんと、出来る事ならば五分の状態から戦いたかったと。

 

 彼女は序盤に清隆に押され、それなりの数の駒を失ってから覚醒したらしい。この状況で俺にバトンタッチされてしまったのだが、駒数の関係でどうしても不利になってしまう。

 

 こっちは清隆が残してくれた駒があるのだ。もし長考が必要になったとしても落ち着いて動けるだろう。

 

 彼女が一秒で判断するのは、見えていることもそうだが同時に持ち時間が少ないという状況だからだ。

 

 とても悲しい。

 

 凄く残念だ。

 

 今の坂柳さんが相手ならば、きっと俺は余裕綽々での勝利など出来はしない。そんな凄みすらも感じてしまう。

 

 だからこそ残念だ……たった今、司令塔として関与することが出来る三十分が終わってしまった。

 

 戦局は、未だこちらが優勢。最後の猛攻を俺は全て受けきることが出来た。

 

 後もう三十分あれば……いや、たらればの話に意味はないか。

 

「お姫様……もう、無理ってことかよ」

 

 橋本がインカムを取り外して絶望した顔をしている。ここから先は俺と彼の戦いだが、もう諦めてしまっているらしい。

 

「諦めるな」

 

「リアリストだからな、お前に勝てるとは思ってないんだ」

 

「……そうか」

 

 

 そこから十八手動かした段階で、俺はチェックメイトを相手に叩きこむことになる。

 

 

 この戦いは、Bクラスの勝利となった。それは喜ぶべきことなんだろう。

 

 あぁ、とても嬉しい、それは間違いない。

 

 だけど腹の奥から全身に広がっていく熱は未だに消えはしない。

 

 矜持をかけた戦いにしようと指切りをしたことを思い出す。結果的に勝てはしたが、こんなにも煮えくり返るような気分になるとは考えていなかった。

 

 誇りは、重要だ。

 

 願いも、大切だ。

 

 純粋な戦いを尊ぶべきだ。

 

 この戦いで、一欠片の恥もなく進んで行けるという確信もあった。

 

 

 

 あぁ―――。

 

 

 

 そう言えば、東京湾が近いな。

 

 

 

 

 

 




幸運「じゃあ後よろしく」

悪運「了解」


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尊いと思う物は誰にだってある

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 学校側からの介入という最悪の状況であったが、天武は上手くバトンを受け取ってこちらの構想を継続させてくれたらしい。俺が思った通りの順で駒を動かしてくれたので、これで勝利は確定することになった。

 

 坂柳も追い込まれたことで異次元の集中状態に足を踏み入れていたようだが、序盤で圧倒されたことで天武を上回ることは出来なかったらしい。

 

 最後の猛攻はオレも目を見張る物があったと思う。だから素直に坂柳を賞賛していた。

 

「坂柳さん!?」

 

 星之宮先生の驚いた声が広がると同時に、坂上先生も驚いたように坂柳に駆け寄っていくのが見える。司令塔が関与できる三十分が終わったと同時に倒れてしまったからだろう。

 

「すぐに保健室に……いえ、病院で検査を」

 

「大丈夫です。私の体のことは私が一番わかっていますから……少し、疲れてしまっただけです。すみません、ご心配をおかけしました」

 

 オレも機材の向こう側に顔を出すと、そこでは星之宮先生に支えられている坂柳の姿が確認できる。杖を突いて震える体をなんとか起き上がらせようとしているようだ。

 

「申し訳ありません。情けない所を見せてしまいましたね」

 

 疲労と焦燥を覗かせる表情でオレを見つめると、坂柳はギュッと体に力を込めて杖を支えに立ち上がる。

 

「……綾小路くん、私の完全な敗北です」

 

「まだ勝負は終わっていないだろう」

 

「いいえ、序盤から最後までずっと翻弄されていました。そしてここから橋本くんが天武くんに逆転することは不可能……試合にも負け、試験にも負け、文句の付けようがないでしょう」

 

「そうか、少し意外だな。もっと不機嫌になるかと思っていたが」

 

「私が敗北を受け入れられないような、プライドの高い女に見えましたか?」

 

 プライドが高いのは事実だろ、という言葉は呑み込んでおいた方が良いんだろうな。

 

「お見事です、そして良かった……やはり貴方は私が思った通りの方だったと今なら確信を持てますよ」

 

 少し申し訳ない気持ちになってくるな。坂柳は最初から最後までオレとの戦いだったと勘違いしているのだから。

 

 学校側からの介入があったと伝えるべきだろうか? いや、問題を大きくした所でという奴か。

 

 やるにしても逃げ場がない状況に追い込んでからだろう。或いは抗いようのない圧倒的な力を用意してからだな。

 

 後者に関しては当てがある、前者に関しては準備に長い時間がかかるだろうな。

 

「あ、あっちも終わったみたいね」

 

 星之宮先生がモニターを見つめてそう言うと、橋本と天武の対局が終わったのが見える。問題なく勝利できたようだ。

 

「今の種目、Bクラスの勝利です。よって、今回の最終特別試験の結果は四勝三敗でBクラスの勝利となります」

 

 そんな宣言でようやく肩の荷が下りる。学校側からの介入があったが何とか勝利できたらしい。流石にここから「やっぱ無し」とはあの男でも不可能だろう。

 

 やったら最後、学校側は二度と生徒から信用されることはないのだから。

 

「それにしても綾小路くん、君って思ってたより凄い子だったみたいね……今年のサエちゃんのクラスはヤバそうな子が多いとは思ってたけど、君もかあ」

 

「たまたま調子が良かったんですよ」

 

 監督役である教師二人からの探るような視線にそう返す。無意味ではあるのだろうが。

 

「まぁ安心して~。ここで見聞きした詳細を他の生徒に言いふらしたりはしないから」

 

 残念なことに茶柱の前歴があるのでこの学校の教師は欠片も信用はできなかった。どうせ遠回しに情報を与えることがわかっているからだ。違反にならない範囲で必ずそうするだろう。

 

 そう考えると、この学校の教師に大した期待はできないな。

 

「もう試験は終了しました。生徒は速やかに退室するように」

 

「坂上先生、一度教室に戻った方が良いんでしょうか?」

 

「いや、本日はこれで終わりです。そのまま帰宅してもらっても構いませんよ」

 

「いいよね~生徒は。これで帰れるんだから」

 

「星之宮先生は片付けの準備を」

 

「わかりました」

 

 教師の二人は機材の撤収が残っているらしい。生徒であるオレと坂柳はもう帰っても良いだろう。

 

 チラリと隣に視線を向けてみると、疲労で少し顔色を悪くした坂柳の姿があった。

 

「お疲れさまでした綾小路くん」

 

「そちらもな」

 

「思い上がっていたと、今ではそう思いますね……同時に嬉しくもあります。不思議な感覚と表現すべきなのでしょう」

 

「そうか」

 

 気持ちはわからなくはない。オレは坂柳をここで折るつもりだったが、それを乗り越えて立ち向かう姿勢を見せたのだ。きっとここから更に強くなることは簡単に想像できる。

 

 困難を乗り越える度に強くなる。オレはそれをよく知っている。

 

「何か私に望むことはありますか?」

 

「いや……何もない」

 

 天武へと謝罪させようかと思ったが、それをアイツは喜ばないだろうと考えて、胸の内にしまう。

 

 そんな会話をしながら多目的室から出て行こうとするのだが、その直前に向こうから扉が開く。

 

 

 廊下から姿を現したのは、オレにとっては目下最大の敵である、月城であった。

 

 

「いやぁ、実に良いものを見せていただきましたよ」

 

 柔和な笑みを浮かべてそう言った月城に教師二人は礼儀正しく頭を下げる。

 

「これはこれは、月城理事長代行。特別試験をご覧になっていたのですか?」

 

「えぇ。私たち学校側は不正がないように、管理する立場にありますから。別室で、お二人の司令塔としての関与、そして試合の成り行きを見ていましたよ」

 

 そして色々やっていたが失敗したと、負け惜しみでも言いに来たのだろうか?

 

「実に良いデータを取らしていただきました。今回の勝負は来年度以降大きな財産として残ることを確信しています」

 

「ご満足いただけたのなら良かったです、月城理事長代行」

 

 坂柳は不信感を抱きながらも、一応は目上相手なので礼儀として頭を下げている。

 

「さて、皆さん退室して頂きましょう。特別試験も終わったのですから。先生方もどうぞご退室を」

 

「しかし、我々には後処理が――」

 

「それはこちら側で対応させていただきますよ」

 

 月城が合図を送ると、作業着姿の男たちが一斉に室内に入って来る。

 

「どなたですか。学校の関係者ではありませんよね?」

 

 坂上先生も、星之宮先生も少し不信感を持っているようだが、そんな二人に月城はこう言った。

 

「今回の試験データを、政府はいち早く知りたいそうでして。その為に派遣された方々です、どうかご安心を」

 

 

 これは、証拠隠滅か。機材を調べられたら困るということだろう。色々と出てくるだろうからな。不正な介入のデータなんかが。

 

 

 そして教師二人は理事長代行にそう言われると、何かを反論できる立場でもなく。急かされるように退室していくのだった。

 

 オレと坂柳は証拠隠滅要員である男たちを怪訝そうに見つめながら、月城の次の行動に注視する。

 

「さて綾小路くん」

 

「なんだ」

 

 教師が退室して、今残っているのはオレと坂柳と月城だけとなった。いや、作業員たちもいるな。

 

「これが最終通告です……そろそろ戻りましょうか」

 

「断る」

 

「やれやれ全く、強情なことだ」

 

「アンタは知らないようだが、脅しというのは実態が伴って初めて意味を持つ……試験にまで介入しておきながらそれでも失敗したアンタが何を言った所で、大した脅威を感じないな」

 

「えッ……まさか、学校側が介入したというのですか?」

 

 その事実を理解した坂柳は、一瞬驚いてからすぐに視線を鋭くして月城を睨む。

 

「なんて愚かなことをッ」

 

「貴女がいけないのですよ坂柳さん。私の言いつけを守らずに綾小路くんにプロテクトポイントを持たす結果になってしまった。挙句の果てに、我々がこれだけバックアップしたというのに敗北するなど……いささか期待外れですね」

 

 奥歯を鳴らす音が隣から聞こえて来る。屈辱と憤りに震えているようだ。

 

「だがアンタにも誤算があった。せっかく介入してこちらの動きを誘導したのに、実際に駒を打つ天武がその指示に従わず自分の判断で動いたんだからな」

 

「えぇ、そこが最大の誤算でした。七号戦力のレポートは私も把握していましたが、主に身体能力のことばかりでしたからね。まさか思考力や頭脳面でも超人であったとは、彼には困ったものですよ」

 

「では……途中から私と彼の戦いになっていたのですね。綾小路くん、何故その場で進言しなかったのですか?」

 

「意味がないからな……それに、天武が上手く合わせてくれた」

 

「……」

 

「しかし、介入したことをこんな場所でバラしてしまって良かったのか?」

 

 視線をこの多目的室の四方にある監視カメラに向けてそう言うのだが、月城は問題ないとばかりに微笑む。

 

「大きな問題はありませんね。私の立場なら情報は幾らでも誤魔化せますので」

 

 そう言えば以前に天武に撃退された時も、嘘か本当かわからないがダミーの映像を走らせていると言っていたな。きっと音声なども同じように誤魔化せるのだろう。

 

「そして、決定的な証拠となる機材はアンタのお仲間が回収する訳か」

 

 オレとの戦いを望んでいた坂柳には受け入れがたい現実なのかもしれない。この試験に学校側の介入があったことも、それでもなお負けてしまったことも。

 

 敗北も勝利も、これでケチがついてしまった。

 

「理事長代行……この代償は高くつきますよ?」

 

 苛立ちと憤りを込めて坂柳はそう言うのだが、相手はどこまでも余裕の態度を崩さない。

 

「たかだか高校一年生の子供が、随分と面白いことを口にしますね。お山の大将をしているから、気まで大きくなってしまいましたか」

 

 立場と、経験と、実際に振るえる権力を背景にした圧倒的な余裕……これは簡単には崩せないだろうな。実際にやろうと思えば強引に難癖付けて坂柳を退学させることもできるのがこの男である。

 

 だからこその余裕、微笑みだ。

 

「代償が高くつくというのなら、今すぐ何かして見てくださいよ。さぁ、早く」

 

 当然ながら、何かを出来る筈がない。それがオレたちの立場であり力であった。

 

「もう一度言いましょう、自主退学してください。綾小路くん」

 

「断る。脅したいのなら実態を持て」

 

「はぁ……わかりました。では別のアプローチをするとしましょう。どうかお楽しみに」

 

 そう言い残して月城は多目的室の扉に踵を返して退室しようとする。

 

 

 

 多くの苦労を窺わせるマメだらけの掌で丸いドアノブを掴んで扉を開けようとして――――開かなかった。

 

 

 

「うん?」

 

 ドアノブを何度か捻り、どれだけ力を加えようともドアノブは動かない。

 

 まるで、扉の向こうで、つまりは廊下側で誰かが巨大な力でドアノブを固定しているかのようである。

 

 そして事実、その通りであった。

 

 形容するのが難しい音が室内に響く。敢えて表現するのならば、金属の破砕音だろうか。メキャメキャ、或いはグキャ、陳腐な言い回しになるがそんな音だ。

 

 万力で金属を捻じ曲げたかのようなその音は、きっと月城が握っていたドアノブから響いた物である。

 

 ドアノブは引きちぎれて壊れてしまう。固定を失ったことで扉はゆっくりと開いていって――その隙間から天武が顔を覗かせた。

 

「……」

 

 それを見た瞬間に、月城はそっと開きそうになっていた扉を閉じる。

 

 そして眉間に寄った皺を揉み解すかのように指を動かすのだが、次の瞬間に両者を隔てていた扉は蝶番を粉砕するほどの勢いで開け放たれて、月城の体を吹き飛ばす。

 

「ぐはッ!?」

 

 扉と一緒にこちらにゴロゴロと転がって来た月城は、オレの爪先で停止することになった。

 

「清隆、お疲れさま」

 

「あ、あぁ……そちらもな」

 

「坂柳さんもお疲れさま」

 

「え、えぇ、お気遣い感謝します」

 

「一つ訊きたいんだけど……今回の件は坂柳さんの戦略じゃないんだよね」

 

「それは、学校側が介入したことを言っているのですか?」

 

「あぁ」

 

「それは違います……ありえません」

 

「そうか、だとしたらとても悲しいな……君の戦略であったのなら、これも戦いの作法だと受け入れることができたんだけど」

 

 天武はひしゃげたドアノブ片手に何でもない様子で多目的室に入って来る。とても冷静で、落ち着いた様子なのだが、どうした訳かオレには鋭い一本の刃を向けられているような気分になってしまう。

 

「けれど違った。戦いの作法などでは語り切れないほどに……残念な結末だよ」

 

 緩やかに、しかし力強い足取りで、床に伏している月城に近寄って来るのだが、それを遮るかのように、作業着姿の男たちが立ち塞がった。

 

 機材の撤収作業を行っていた月城の部下たちは、荒事にも長けているのか油断なく天武を見つめてそれぞれが構える。

 

「月城さん、こいつが七号ですか……どう対処します?」

 

「処理しても?」

 

 そんな物騒な会話を緊張無く口にするくらいには、きっと慣れているのだろう。

 

 今すぐ懐から物騒な武器でも出て来そうな雰囲気である。いや、もしかしたら本当に出て来るのかもしれない。

 

 五人の男は月城と天武の間に立ち塞がって、今にも襲い掛かりそうな姿勢となる。

 

 グッと爪先に力を込めて、拳も固める、奥歯を鳴らして踏み込もうとした瞬間に、天武は男たちにこう言った。

 

 

 

「邪魔だ、どけ」

 

 

 

 言ったことはそれだけ、大きな暴力を振るった訳でもなければ、わかりやすい凶器を見せた訳でもない。

 

 ただ言葉だけ、本当にそれだけだ。

 

 けれど、そこには途轍もない怒りが込められていた。

 

 それこそ、自分の死を連想するほどに。

 

 荒事に慣れた様子の男たちの反応はそれぞれ異なる。尻餅をつく者、脂汗を流しながら震える者、股間を濡らす者、か細い悲鳴を上げる者、共通しているのは心が折れたという点だろうか。

 

 月城と天武の間に立ち塞がっていた彼らは、ただ言葉だけで道を開けるのだった。

 

「月城、いつまで寝てるんだ……早く立て」

 

 扉と一緒にこちらに転がって来た月城は、その言葉にフラつきながら立ち上がっていく。

 

「魚の餌になるか、豚の餌になるかくらいは選ばしてやろう」

 

 ふらつきながら立ち上がった月城に、不吉を孕んだ掌が伸ばされていく。掴んだ物を全て引きちぎれるであろうそれは、ゆっくりと柔らかそうな喉にかけられた。

 

 天武の膂力ならば、そのまま喉を引きちぎれるだろう。そして実際にそれをやるつもりらしい。

 

 そして五本の指先は徐々に力が込められていって、遂に月城の首が折れるといった直前で、両手が高くあげられる。

 

 まるで、降参とでも言うかのように。

 

「降参します」

 

 実際に言った。負けを認める言葉を。

 

「だから殺さないでいただきたい」

 

 さっきまでこちらを子ども扱いしていた余裕を消し去り、冷や汗を流しながらの懇願に、指先は止まった。

 

「俺が何に怒っているかわかるか?」

 

「……試験に介入したことでしょうか?」

 

「違う……いや、それもあるが、何よりも重要なのは、戦いを汚したことだ」

 

 大きな溜息がこちらにまで届いた。

 

「戦いは神聖であるべきだ……アンタからしてみれば所詮は子供のお遊びなのかもしれないが、やってる方は本気なんだよ」

 

 どこか悲し気にそう語る天武は、首を掴んだまま語りだす。

 

「尊くあるべきだ、美しくあるべきだ、誇れるべきだ……たとえ勝っても負けても、振り返った時に何一つ憂いのない時間であるべきだと俺は思う。勝利だろうと敗北だろうと、誇りとして掲げられるべきなんだ」

 

 ここまで感情的になる天武を、オレは初めて見たな。いつもは冷静で落ち着いた雰囲気なだけに、珍しいとも言える。

 

「今回の一件が坂柳さんの戦略ならば、なるほどそれも戦いの作法だと受け入れよう……だが、何の関係もない大人の、自分勝手な都合で振り回したとするのならば、腹が煮えくり返るのも自然なことだろう……俺たちは、未熟なりに矜持を掲げているんだからな」

 

「なる、ほど……それが、君の踏んではならない一線ですか。これは、見誤っていたようですね」

 

「寛容だとでも思っていたのか? だとしたらそれは勘違いだ、俺は矜持を掲げた戦いにケチを付けられて黙っていられるほど優しくはない」

 

「結果的に――」

 

「勝てたから良かったと言うつもりなら、このまま海に投げ捨てるからな」

 

「……」

 

 指に力が籠められる。意識を失ったり、首の骨が折れる寸前まで。

 

「月城、誰にだって尊ぶべきものがある……それを踏めばこうなるんだ。俺の倍以上生きてるアンタなら知らないとは言わせないぞ」

 

「えぇ、理解しています……いえ、できましたよ」

 

「そうか……で、どうする?」

 

「降参しますよ」

 

「俺が納得するとでも」

 

「納得するかどうかはわかりませんが、貴方は戦意の無い人間を処理するほど愚かではないでしょう」

 

「何の話だ」

 

「七号レポートにはそう書かれていましたよ。貴方は武人……誇りある戦士だと」

 

 だから降参した相手を殺しはしないというのが月城の主張であるらしい。

 

「……」

 

 すっと瞼を細めて首を掴んで持ち上げている月城を睨む天武は、最終的に視線をオレに向けて来る。

 

「清隆、どう思う?」

 

「離してやれ、ここで処理しても面倒事の方が多い」

 

「良いのか?」

 

「良くはないが、お前がわざわざオレの面倒事を背負う必要はない。仮にもし、この男を処理するのだとしても、しっかり場を整えてからだ」

 

「ここまでやったんだ、今更躊躇しても大差がないと思うが」

 

「問題はない。その男が言うには、情報など幾らでも操作できるらしいからな……扉は勝手に壊れたし、そいつは勝手に転んで怪我をした、そういうことだ」

 

 こいつは足腰が弱いらしいからな。

 

「そうか……だが納得はできないな」

 

「冷静になれ」

 

「何を言ってる、俺は冷静だ」

 

 冷静な人間は人の首を掴んで持ち上げたりはしない。

 

 また大きな溜息が多目的室に広がった。

 

「お前は甘いな、清隆」

 

「お前ほどじゃない……だが、そうだな、納得できないと言うのなら。ポイントでも貰おうか」

 

「無粋な介入をした賠償を要求するってことか。坂柳さんはどうする?」

 

「え、私もですか?」

 

「当然だ、俺たちの戦いにケチを付けられたんだぞ」

 

 坂柳はその言葉に少し悩み、こう返す。

 

「いえ、私からは何も……何を言おうが、敗軍の将であることは変わりません。たとえ学校側の介入があったとしてもです」

 

「上手くやれば、プロテクトポイントを得られるかもしれないけど」

 

「敗北は敗北です。事実はそれだけかと」

 

「そうか……君の矜持に敬意を贈ろう」

 

 不吉を孕んだ掌が月城の首から離れた。

 

「月城、異論は?」

 

「うッ、ごほッ、ごほッ……大丈夫ですよ。約束しましょう。綾小路くんにポイントを渡すと」

 

「具体的な額は?」

 

「2000万で、どうでしょうか。ただ、大っぴらに与えると問題になりますので、君がやっているアレらに紛れ込ませて、君経由で与える形になるでしょうが」

 

「……良いだろう」

 

 天武はそこで自らの右手を前に出して、小指を立てた。

 

「小指を出せ、月城」

 

 力強い要求には強制力がある。断ればその瞬間に首を捩じ切られるかもしれないと思ってしまうような迫力である。

 

「指切りは、魂に刻む誓いだ……できるな? できないとは言わせない」

 

「……わかりました」

 

 お互いの指先が立てられて結び合わされていく。

 

「お前は清隆に2000万ポイントを用意する。後、二人に謝罪もしておけ……出来る筈だ」

 

「えぇ、誓いましょう」

 

「その言葉を決して忘れるな」

 

 結ばれた小指は離れない、それどころか余計に力が込められていく。

 

「うッ、ぐッ……ま、待てッ」

 

 

 最後に天武は、結び合っていた月城の小指を、自分の小指で圧し折った。

 

 

「――ッ!?」

 

 あらぬ方向に曲がった小指はさぞ激痛を訴えていることだろう。あれだけ余裕タップリだった顔は完全にどこかに消えてしまっている。

 

「もう一度言うぞ、指切りは魂に刻み込む誓いだ……その痛みを生涯忘れるな」

 

 痛みに震える月城は、恐ろしさからか、或いはこいつなりの誇りがあるからなのか、視線を逸らすことはない。

 

「つまらない結末だったな……吐き気がする」

 

 天武が月城との指切りを止めてこちらに振り返った。その頃にはいつもの冷静で落ち着いた雰囲気の相棒に戻っており、普段の微笑を見せてくれる。

 

 けれどその微笑みもすぐに消え去る。悲しそうな表情によって。

 

「すまない、坂柳さん、清隆……本当にすまない。敗北にも、勝利にも、ケチがついてしまった」

 

 まるでそれが自分の罪であるかのように語ることに、少し困惑してしまう。坂柳もそれは同様なのか、焦っているようにも見えるな。

 

「俺にとって戦いは神聖な儀式だ、願いだ、尊いものだ……死力を尽くして挑む夢だ。こんな形になってしまったことがとても悲しいよ……しかも、君たちまで巻き込んでしまって」

 

「え、えっとですね……あまり、思い悩む必要は、その、天武くんが悪い訳でもないのですから、ね?」

 

 どうにも弱々しくて、悲し気な様子にオレ以上に困惑しているのが坂柳である。コイツにしては珍しくアワアワと焦った様子で、もしかしたら慰めようとしているのかもしれない。

 

「そうだね、一番悪いのは月城だ……そんな言い訳をさせてくれ」

 

 本当に天武は何も悪くはないので、今回の一件で思い悩む必要はないのだが、天武の琴線に触れる何かがここにあったということだろう。

 

「月城、謝罪をして欲しい」

 

「えぇ、約束ですからね……坂柳さん、綾小路さん、本当に申し訳ありません、出過ぎた真似をしました」

 

「どうかな、二人とも」

 

「受け入れよう」

 

「こちらにも異存はありません、そもそも敗北した身ですから」

 

 頭を下げる月城に僅かな同情をしながら、今この瞬間だけは勝利を噛みしめた。

 

「指を出してくれ」

 

「はい?」

 

「勢い余って折ってしまったからな。ある程度形を戻しておこう、治療がやりやすくなる」

 

「え、いや、結構です」

 

「遠慮するな」

 

「欠片もしていません」

 

 ごねる月城の小指を強引に前に出させて天武はあらぬ方向に曲がっていた小指を掴み取る。

 

「ぐぉぉッ!?」

 

 曲がった小指は真っすぐな位置に戻されていった。あまりにも残酷で強引な形成にもはや同情するしかない。

 

「骨は治しやすいように綺麗に折ったつもりだ、配慮は大事だと恩師も言っていたからな」

 

「か、感謝しておきましょうか……ぐッ」

 

「大丈夫、人間には二百本以上の骨があるらしいから、一本くらい誤差みたいなものですよ」

 

「かもしれませんね……ははは」

 

「ははは」

 

 盛大な苦笑いを浮かべる月城と、どこかスッキリした顔をする天武……あの様子だとかなり苛立っていたようだ。色々とぶっ飛んだヤツだとは思っていたが、本当にアレ過ぎる男である。

 

 だが、頼りになるのは間違いないんだろう。

 

 おそらく、既に月城の中では天武は完全にイレギュラーになっている筈だ。それこそホワイトルームの存続にすら関わるほどの盛大な爆弾にもなっている。

 

 交渉がどうのこうのではなく、アンタッチャブルな存在になっていた。この学園は天武をホワイトルームに近づけさせない、もっと言えばオレの父親を殴りに行かせない為の檻になっているとすら言えるだろう。

 

 可哀想に、そう考えると月城はこれから先、天武をいかに退学させないかを考えないといけないのかもしれない。

 

 だってほら、アイツが身軽になると一番困るのはあっちだろうから。

 

 

 オレの相棒がゴリラ過ぎる件について――何故か、そんなフレーズが頭の中に思い浮かんだ。

 

 

 

 

 



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勝利も敗北も等しく価値がある

この章はこれで終わり、次は小話となります。


 

 

 

 

 

 

 月城さんからそれなりの賠償を受け取った俺たちは寮への帰路を歩いていた。色々とこれからのことで相談したいこともあったので、三人で帰ることになったからだ。

 

 その道中、俺と清隆のスマホにはクラスメイトたちから労いと感謝の言葉が幾つも届くことになる。一年の最後をAクラスに勝利するという最高の結果で締めくくれたことで、興奮を隠しきれないらしい。

 

 こちらもそれぞれにメールを送って健闘を称えた後、今回の試験の立役者の一人である鈴音さんにも感謝の言葉を送っておこう。

 

 あの二周目作戦は素直に感心したからな。もし最終試験に出ていたのが俺じゃなければほぼ嵌め殺されていただろうし、鈴音さんの作戦勝ちとも言えるのだから。

 

「フフ、お二人とも、クラスメイトに慕われているようですね」

 

 ひっきりなしにメールが届く俺と清隆を見て、坂柳さんがそんなことを言った。

 

「まぁな、お前とは違う」

 

「清隆、なんか坂柳さんに辛辣じゃない?」

 

「そんなことはない、別にオレに思う所は何もないからな」

 

「そう言うのは、もっと不機嫌な顔を隠しながら言うものですよ綾小路くん」

 

 少し挑発する二人だが、こちらに視線をやってから溜息を吐く。

 

「天武くんの前で喧嘩は止めておきましょうか」

 

「異論はない」

 

 二人は何やら納得して頷くと、寮への帰り道を歩き出す。

 

「今回は私の完敗です……思い上がっていたのでしょうね」

 

 そして坂柳さんはポツリポツリと語りだした。

 

「天才の証明も、ホワイトルームの否定も、そして私自身の願いも……今では何とも空虚に感じてしまいます。綾小路くんが言ったように、そんなことに拘っている場合ではないのでしょう」

 

 清隆はそんなことを言ったのか、女の子にはもっと優しくすべきだと思う。

 

「敗北は必要だと思うよ。どんな人にもだ」

 

「おや、この世で最も敗北から遠い人がそれを言うのですか?」

 

「それは誤解だよ坂柳さん。俺はきっとこの世で最も敗北を知っている人間だ」

 

 敗北も挫折も師匠から星の数ほど刻まれた。既に心は粉々である。

 

「だからこそわかる。俺も君も、そして清隆も、まだまだ高校生で未熟でしかないのだと。偉そうに聞こえるかもしれないけど、それで良いんだと思うよ……寧ろ俺はそうじゃなきゃ困る、ここが限界だなんてあまりにも簡単すぎる」

 

「そうですか、そう言えるのが天武くんの強みなのでしょうね」

 

 クスクスと笑う彼女は、次に清隆に視線を向ける。

 

「だそうですよ綾小路くん、万能の天才を作ろうとしているホワイトルーム出身者はどう思いますか?」

 

「それで良いんじゃないか。確かにここが限界では簡単すぎる」

 

「フフ、言いますね。思い上がりだと注意したい所ですが、まあ私が言っても仕方がないことでしょう……私たちはまだ高校一年生、世間一般では子供と言われるのでしょうね」

 

「月並みな言葉かもしれないけど、成長はここからだと思うよ」

 

「そう納得しましょうか……私も色々と課題が見えて来ましたよ。この敗北が無ければ気が付かなかったと考えれば、得難い経験と言えるのかもしれません」

 

 良い言葉だと思う。敗北して折れてしまう人は多いけど、それを力に変えていけるのならきっと以前よりも強くなれるのは間違いない。

 

 坂柳さんは、また強敵になりそうだな。

 

「綾小路くん、そして天武くん、改めてお見事でした。学校側からの介入すら跳ね除けての勝利、文句の付けようがありませんね」

 

「勝利にも敗北にもケチがついてしまったがな」

 

「たとえそうであったとしても、勝利は勝利、敗北は敗北ですよ」

 

 彼女は頭に被っていた帽子を手に取ると、それを胸の前に持っていって僅かに頭を下げる。そしてもう片方の手ではスカートの端をほんの少しだけ持ち上げてカーテシーの姿勢を作る。

 

「だから言わせてください。お見事だと」

 

 彼女なりの敬意を示しているのはわかるけど、杖が必要な人がやるべきことではない。実際にその姿勢は数秒と持たずに崩れてしまい、俺は慌てて彼女の体を支えることになった。

 

「気を付けて」

 

「ありがとうございます」

 

 またクスリと笑った坂柳さんは杖で自分の体を支え始める。

 

「さて、綾小路くん、そして天武くん。一つ提案なのですが、これから先は協力体制を作りませんか?」

 

「それはAクラスとBクラスでか?」

 

「いいえ、クラスを抜きにした月城理事長代理への対策同盟ですね。私にとってもお二人にとっても共通の脅威であると思いますが、どうでしょうか?」

 

 視線が清隆と結び合わされる。そして特に不満も感じられなかったので同意することにした。

 

「オレは反対はしない」

 

「こちらも問題はないかな」

 

「私としても、一刻も早く父に復職して欲しいので、そのほうがありがたいです」

 

「ただまあ、俺たち三人で何が出来るのかって話もあるけどね」

 

 疑問を呈するようにそう言うと、清隆と坂柳さんは少し呆れたような顔になってしまう。なんでそんな表情になるんだろうか。

 

「坂柳、具体的な策はあるのか?」

 

「策と呼べるほど立派はものではありませんが、やはり味方を増やすことでしょうね」

 

「この閉鎖された学園でか」

 

「えぇ、とはいえ月城代理の物理的な排除はかなり有利な場を作らないと難しいでしょうから、父が復帰するまでの時間稼ぎが出来る程度の猶予を稼がなくてはなりません」

 

「物理的な排除は難しいかな? かなり脆い人だと思うけど」

 

「だが生徒は巻き込めないぞ」

 

「そうなると教師たちでしょうか。やはり巻き込むにしてもそちらでしょうね」

 

「ねぇ、海に投げ捨てれば全部解決だよ」

 

「この学校の教師か……」

 

「信頼できませんか?」

 

「大半がな」

 

「それかぶん殴れば良いと思う」

 

「では信頼できる味方ではなく、上手く利用する形としましょうか」

 

「その方向が良いだろうな」

 

 おかしいな、二人が俺の話を聞いてくれない。一応はこの協力関係の一人だと思うんだけどな。それに難しく考えるよりももっとシンプルで良いと思う。

 

 ぶん殴って黙らせるも良し、海に沈めて魚の餌にするも良し、それ以上に早い話はないのだから。

 

 けれどきっと、そんなことを説明すると、この二人はゴリラを見る目になるんだろうな。悲しい事である。

 

「何であれ、これから先はそんな感じで頼む。証明だの勝負だのはもうごめんだ」

 

「そうもいきません。せっかくなのですから、この後もう一局どうでしょうか?」

 

「戦いは一度限り、そういう話だったと思うが?」

 

「そこまで肩肘張った物でもありませんよ。証明でもなく、否定でもなく、純粋に競い合いたいのです。今回の反省点を踏まえて改良点がざっと数十ほどありますので、その改善もしたいと考えています」

 

「そうか、まあそれならまあ構わないが」

 

「天武くんもご一緒にどうですか?」

 

「ん、ご一緒しようじゃないか」

 

「天武、せっかくだから何かメシを作ってくれ」

 

 この食いしん坊め。だが今回は司令塔として頑張ってくれたので、こちらも一肌脱ごうじゃないか。

 

「ふむ、天武くんの手料理ですか……達者なのですか?」

 

「あぁ、美味いぞ。ホワイトルームでオレが食べてたのはきっと残飯だったんだ」

 

 力説する清隆は拳まで固くしている。彼がホワイトルームでどんな食生活をしていたのか知らないが、あまりいい思い出ではなかったらしい。

 

 唐揚げを美味しそうに食べるし、この前作ったサンマ料理も舌に合ったようだ。

 

「坂柳さんもどうかな?」

 

「ではお言葉に甘えましょうか。フフフ、楽しみですね。あ、材料が足りないようならこちらから提供いたしますよ」

 

「それはありがたい提案だ。因みに何があるんだい」

 

「そうですね、確か冷蔵庫には真澄さんに買ってきていただいた鮭が幾つか」

 

「鮭は大好物だ。アレはどう料理しても美味いからな」

 

 どうやら清隆も期待しているらしい。それなら腕を振るうとしようかな。

 

 そんな訳で寮まで帰って調理の準備をしていると、清隆と坂柳さんがやってくる。その手にはそれぞれ食材入りのビニール袋を手にしていた。

 

「お邪魔しますね」

 

「いらっしゃい、坂柳さん」

 

 まさか彼女を部屋に招待する日が来るとは、人生とはわからないものである。

 

「こちらどうぞ」

 

「ありがとう、鮭はいいものだ」

 

「あぁ、美味いからな」

 

 清隆はその手に肉を持っている、彼はとりあえず肉を渡しておけば問題ないと思っている男なのでこれで良いんだろう。

 

「俺は調理してるから二人は寛いでおきなよ」

 

 丁度チェス盤もここ最近の清隆との訓練で作った物がある。二人はこちらに食材を押し付けて早速とばかりに対局を始めるのだった。

 

 二人ともすぐさま集中力を高めてチェス盤を見つめると、恐ろしいことに師匠モードになって機械的に駒を動かしていく。

 

 台所から眺める分には機械同士が戦っているかのように迷いなく淀みが無い。清隆が駒を動かせばすぐさま坂柳さんが対応して、そしてまた清隆が動かす。その繰り返しをずっと続けていた。

 

 師匠モードの影響で思考が加速しているのだろうな。悩むという時間がなく共に一秒チェスを続けている。

 

 一秒で最善を考えて、また一秒で対応する。傍から見ればただ何も考えずに駒を動かしているだけにも見えるだろう。

 

 超高速の駒捌きが続くこと数十手、徐々に盤上から駒が減っていき、遂にはどちらも王手をかけられない状態になって引き分けとなってしまうのだった。

 

 それでも師匠モードを解かない二人は、すぐさま駒を並べ直して先攻後攻を入れ替えると第二局となった。

 

 あちらは楽しそうなのでこちらは料理を頑張るとしよう。坂柳さんが鮭を持って来てくれたのでそれをメインにするとして、ただ焼くだけではアレなのでホイル焼きにでもしようかな。

 

 切り身の下処理をして、塩と胡椒で少々味付け、野菜と一緒にバターを載せて、隠し味にコンソメとハーブも乗せて、後はホイルで包んで焼けばいい。

 

 スープも必要だ、お米もいるかと考えた段階で、そう言えば坂柳さんは米を食べるのかという素朴な疑問が湧いてくる。いや、何か彼女はお米と味噌汁よりもナイフとフォークでどこか優雅に食事をしてそうなイメージがあるからな。

 

 お米と味噌汁を出して「なんですかこれ、犬の餌でしょうか」なんてことを言っている坂柳さんを想像して、流石に失礼過ぎると思って思考を横に追いやった。

 

 また台所から二人の様子を窺ってみると、既に二度目の対局が終わったのか、今度は評論をしている。どこが駄目でここはこうするべきだった、ではこちらは、もしかしてこの手は、そんな会話が続けられている。

 

 月城さんの介入があったのでどこかケチが付いてしまったからな、その鬱憤を晴らしているらしい。

 

「そうだ。天武くんにお聞きしたいことがあるのですが。貴方は学校の外から資金を引っ張って来ているのですよね?」

 

 評論が終わった後、坂柳さんはこちらが用意したお茶を飲みながらそんなことを言ってくる。

 

「どうしてそう思うのかな」

 

「推測ですよ。月城代理はポイントを綾小路くんに渡す際は貴方のアレらに紛れ込ませると言っていました。つまり天武くんは2000万ポイントもの額を受け取っても不自然ではないやり取りをしていると考えまして。加えて言うのならば、以前にも美術品の売却で大きな収入を得たと美術部からの噂を耳にしましたので」

 

 推測と言っているけど、彼女の中では既に結論が出ているのだろう。

 

「正解だ。確かに俺は学園の外から資金を引っ張って来ているよ」

 

「クラス内投票では大量のポイントを配っていましたね……貴方の目標はもしかして、全ての生徒をAクラスに上げることですか?」

 

「その通りだ」

 

 すると坂柳さんは呆れたような、そして感心したような、とても複雑な顔を見せる。

 

「この学校のシステムに真っ向から喧嘩を売るような姿勢ですね」

 

「そうかな、俺はそうは思わないけど」

 

 みそ汁は坂柳さんに何となく似合わないので、トマトを使ったスープを作りながらそう答える。

 

「この学校が掲げているのは実力主義だ。そして、実力を証明する方法は何も一つじゃない」

 

「なるほど。実際にそれができるのならば、確かにこれ以上ない程の実力の証明と言えるでしょう」

 

「簡単じゃないだろうけどね、この学校のシステム的にさ」

 

「そうでしょうね。額は別にしても、いつかどこかで何かを切り捨てる時が来るかもしれませんから」

 

「そうならないようにしたいとは思ってるけど、まあ俺に出来るのは努力だけだ」

 

「……」

 

 やはり坂柳さんは俺を心配するかのように見て来る。鈴音さんもそうだけどそんなに心配されるような生き方をしているだろうか。

 

「大丈夫」

 

 だから心配はないんだと伝える為に、美しい瞳を見つめながらそう言うと、彼女は納得したように頷いた。

 

「あ、でもできれば坂柳さんにも手伝って欲しいかも」

 

「私にですか?」

 

「あぁ、できればで良いんだけどね。こちらとしても負担を押し付けるのは申し訳ないから、気が向いたらで構わないんだけどさ」

 

 坂柳さんはどちらかと言えばシビアかつ冷静に手札を切り捨てするタイプの人なので、無理強いすることはできない。なのでお願い以上は無理だろう。

 

「難しい問題でしょうね、私も自分のクラスにかかり切りになるでしょうから」

 

「葛城派が今回の敗北で息を吹き返すからか?」

 

 先程とは違って緩やかな駒運びをしながら、坂柳さんの正面にいる清隆がそんなことを言った。

 

「えぇ、きっと彼らはここぞとばかりに主導権を取り返そうとするでしょう」

 

「オレたちにとってはありがたい展開だ」

 

「そうなのでしょうね。いつまでも一枚岩になれないのは健全ではないと思っているのですが、なかなか上手くいかないものです」

 

 彼女は駒を指先で弄りながら暫く考え込む。

 

「ですが、良いでしょう。私にできる範囲でという前提ではありますが、天武くんに協力しましょう」

 

「構わないのかな? 結構な無茶を言っている自覚はあるんだけど」

 

「それもまた一興だと思っただけです」

 

 それに、と言葉を区切って彼女はこちらを見つめて来る。

 

「綾小路くんに勝利するよりもずっと難しいでしょうから」

 

「なるほど。まさにその通りだ。一人に勝つよりも160人を導く方がずっと難しいだろう」

 

「えぇ、そしてこの学校のシステムでそれが実現するのならば、これ以上ないほどの証明にもなります」

 

 彼女らしい言葉であった。けれどとても嬉しい言葉でもある。

 

「何か君の力が必要になったその時は、声をかけようかな」

 

「そうしてください。まあもっとも、退学のリスクが高いのは学力が低い生徒なのでそこはAクラスは心配いりませんけどね」

 

「そこが問題なんだよね。入学当初に比べればだいぶマシになったけど、ウチのクラスはまだまだ不安な生徒もいるからさ。後、龍園クラスにも」

 

 その点で言えば坂柳さんのクラスも一之瀬さんのクラスもそこまで心配はいらないだろう。

 

 いつものように微笑む彼女に俺も微笑みを返してから、出来上がった料理を机の上に運んでいく。

 

 未だにチェス盤を見ながらああでもないこうでもないと言い合う二人にも手伝って貰うとしよう。評論はいいけど食事中はチェスをするのは許しません。

 

 ただまあ、こういった光景を見るのは嬉しくもある。殺伐とした蹴落とし合いや戦いよりも、こうして穏やかに競っている方がずっと健全で楽しいと思う。

 

 これがこの学園が掲げる競い合いの本当の形なんじゃないかな。悪だくみや悪事が得意な人ほど有利になる環境はかなり本質からズレているようにも感じられる。

 

 

 なんであれこの光景は嫌いじゃない、凄く青春っぽい。

 

 

 もうこの学校に来て一年が経つんだな。そんなことを思いながら夕食を運ぶのだった。

 

 

 

 

 



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小話集

 

 

 

 

 

 

 

「堀北学はそれがどれだけ難しいか知っている」

 

 

 

 

 

 

 今年の一年生は少しおかしい。それはクラス分けもそうだが生徒それぞれの特色も同じことが言えるだろう。

 

 生徒会長という立場を経験したので、僅かながらも学校の思惑や方向性を察することもできる。俺たちの学年も、南雲たちの学年も、生徒会長を経験するとそれぞれのラインも推測できる。

 

 学校側の考えを察すると、それぞれの学年の現状もよくわかる。三年生は極めて真面目で面白味のない結果となり、二年生も予想通りと言うべきだろうか。

 

 俺が知る上の学年、先輩たちも似たようなわかりやすい結果であったと思う。百点を取るだろうなという生徒が当然のように百点を取ったような、予定調和で計算通りの結果だった。

 

 そう考えると、この学校はざっと五年ほどはある種の停滞の中にあったのかもしれない。

 

 だからなのか、今年の一年生はかなり方向性が変わった。少なくとも俺はそう考えている。同時に、奇妙な違和感を覚えるような試験も多い。

 

 それぞれのクラスに癖のある者を置き、予定調和の結末を覆すような期待が僅かに垣間見えると考えられる。

 

 今の一年生たちが卒業する時、果たしてどこのクラスがAにいるのか予想がしにくいのが今年の一年生であった。

 

 そしてもう一つ、気になる結末が一つある。一年生の中で最も動きが読めず、同時に未来を期待する男がやろうとしていることだ。

 

 一年も終わりが近づいてそれぞれの学年が最後の試験に挑む緊張感の中、放課後に笹凪天武と鉢合わせた。

 

 美術部の二年生に何やら小包を渡している。そういえば今日はホワイトデーだったか。

 

「あ、堀北先輩、今から帰りですか?」

 

「いや、この後クラスで対策会議だ」

 

「そう言えば三年も特別試験があるんだったか。でも次点のBクラスとは大差が付いてるんですよね」

 

「だとしても油断して良い理由にはならない」

 

「それもそうですね」

 

「特別試験は順調か?」

 

「良い感じだと思います。鈴音さんが作戦を立ててくれて、それを中心に早期に準備が進められましたので」

 

「あの子がな……」

 

「頑張ってくれています。とても頼りになりますから」

 

「そうか」

 

 すると笹凪は大きく溜息を吐いた。

 

「もう少し認め上げたらどうですか。彼女、とても優秀ですよ」

 

「俺が鈴音に対して懸念しているのは単純な能力ではない。心の問題だ」

 

「心ですか……」

 

「元々、今の鈴音は昔の鈴音とは大きく異なる。もっと笑顔を見せる子供だった」

 

「鈴音さんは今でもよく笑うと思いますけど」

 

「いや、そんな筈はないが」

 

「まあ大笑いはしませんけど、クスッと笑ったりとか、少しだけ微笑んだりとか、そういうのはよく見ます」

 

「ほう……」

 

 素直に意外だった。あの鈴音がそう言った顔をすることも、そしてそれを他者に見せることもだ。

 

 この一年は、妹にとって充実した時間であったということなのだろうか。

 

「どこまでも俺を模倣するだけの存在だったがな。悪い癖は、鈴音が小学校高学年になった頃から顔を覗かせていた。しかし今思えば、それを放置した俺のミスだ。長年冷たくあしらうことで改善させようと試みたが、その実それは正反対、逆効果だった」

 

「あぁ、堀北先輩ってその辺の不器用な所は鈴音さんと似てますもんね」

 

 コイツの中で俺はどのような評価なのだろうか?

 

「完璧な人間などいない。違うか」

 

「そうですね、何の反論もできません。まさにその通りだ」

 

 俺の知る中で最も完璧に近い人間である笹凪ですらそう言うのだから、完全完璧はあまりにも遠いということだろう。

 

「鈴音は俺が言ったことを忠実に再現しようとした。勉強をしろ、運動をしろ、アレをするな、これをするな。それだけならまだ良い。俺が好きな食べ物、飲み物、果てには好きな色や服装のセンスまで、何だったら髪の長さまでどこまでも俺に強い依存を見せてきた」

 

「会長は髪の長い女性が好みなのですか」

 

「いや、別にそういう訳ではない、ただ何となくそう言ってしまったら、アイツは髪を伸ばし始めた」

 

「なるほど」

 

「だが、お前の話を聞く限りでは、無駄な一年にはならなかったようだがな」

 

「俺は何もしてませんけどね。彼女が勝手に強くなっただけだ」

 

「お前は少し、謙遜が過ぎるようだな。行き過ぎればそれは嫌味にもなるぞ」

 

「ですかね、そんなつもりは欠片もないんですけど」

 

「まあ妹のことはいい。問題なのはお前だ笹凪」

 

「俺ですか?」

 

 廊下の窓から差し込む夕日が目の前の男の顔を照らす。どこか言いしれない神秘的な雰囲気を持つ笹凪は、ある意味では鈴音以上に心配な存在であった。

 

 能力は文句無し、精神性も言うべき所はない、ただしあまりにも目標が高すぎることが心配ではある。

 

 それこそ、一人の人間には決して辿り着けない場所を目指そうとしているのだから。

 

「以前にお前たちの学年で行われたクラス内投票……全てのクラスの生徒を救済したようだな」

 

「それはまあ、余裕がありましたから」

 

「だろうな。だが少し心配にもなった……お前はいつかどこかで一人で挫けてしまうのではないかとな」

 

 この学校のシステムを考えると、笹凪が目標としている場所はとても難しい。それこそ不可能とさえ言えるほどに。

 

 俺はそれをよく知っている。伊達に二年長くこの学校に在籍している訳ではないからな。

 

「その考えは尊いものだ、俺には終ぞできなかったことでもある。だからこそわかる、とても困難な目標だと……それに、どこか使命感や責任を抱いているようにも見えた」

 

「だから、退学者が出た時に凄く落ち込むんじゃないかと心配されてる訳ですね」

 

「そうだな。そして、以前に言っていた正義の味方という目標も少し憂いている……生き急ぎ過ぎているとな。少し立ち止まって、周囲を見てみることも重要だぞ、気が付いたら誰も付いてこれないでは、笑い話にもならないからな」

 

 すると笹凪はポリポリと後頭部を掻いて少しだけ苦笑いを浮かべた。

 

「俺ってそんなに向こう見ずというか、心配されるような生き方してますかね? 堀北先輩に言われた事と似たような話を鈴音さんや坂柳さんにも言われたんですけど」

 

「それだけ、お前の行動や目標が先を行き過ぎているということだ」

 

「ですかね、あまり自覚はないんですけど……けれど、どれだけ無理無謀だと言われても、憧れてしまったのだから仕方がありませんよ」

 

 そう言って笹凪はどこか遠くを見るような視線を窓の外に向ける。当たり前のことだがこの男もこの学園に来る前に色々とあったということだろう。

 

「憧れか、そう言われると何も返せないな」

 

「えぇ、厄介なものですよ……でも、それで良いと思ってます」

 

 そして苦笑いから純粋な笑顔になる。

 

「どうせ倒れるのなら前のめりにいきましょう。そして未来の誰かにこんな人がいたんだって語ってもらえたら、俺はとても幸せです……だから、できもしないのに正義の味方を目指すんですよ」

 

「覚悟があるのならこれ以上は何も言うまい。目標が高いことは大いに結構だ」

 

「そうでしょう。それに、大丈夫ですよ。孤独と孤高をはき違えてはいませんし、俺は実は寂しがり屋なので、誰かと一緒にいたいとも思っています。皆を置き去りにして勝手に進んだりはしません」

 

 そこがわかっているのならば、これ以上あれこれ言うのは無粋だろうな。

 

 だが最後に一つだけ、伝えておくことにしよう。

 

「誰か特別な存在を作れ。仲間でも友人でも恋人でも良い。全てを置いてけぼりにする前に思い出せるような誰かをだ」

 

「わかってますって。もしかして俺は先輩から馬鹿だと思われてるんですか?」

 

「鈴音とは別方向でな」

 

「酷い言われようだ」

 

 クスクスと笑う笹凪は、その神秘的な瞳を俺の背後に向けて来る。

 

「ところでつかぬことを訊ねますけど、先輩と橘先輩は交際されているんですか?」

 

 笹凪と話し始めた瞬間に、こちらを立てるように一歩下がった橘を見て、笹凪はそんなことを言ってきた。

 

 振り返ると、突然に話題を振られたことで、橘はギョッとしたように強張っている。

 

「さ、笹凪くんッ!? 突然、何を言うのですか?」

 

「いえ、いつも一緒にいらっしゃるので、そうなのかなっと」

 

「勘違いするな笹凪、俺と橘はそういった関係ではない」

 

 誤解を解く為にそう伝えると、笹凪は途轍もなく呆れた表情を向けて来る。それどころか額を掌で覆って天を仰ぐ始末だ。

 

「堀北先輩。俺に周りをしっかり見て孤独になるなと説教しておきながら、そんな体たらくはどうかと思います」

 

「酷い言われようだな」

 

「お互いさまです。その様子だとホワイトデーの贈り物もしてないんじゃないですか?」

 

「あまり侮るな、それくらいの礼儀は弁えている。毎年バレンタインデーにはクラスの女子が共同で購入した物をくれるのでな、男子も共同でポイントを出し合って返礼をしている」

 

 すると笹凪は穏やかな表情を崩して、もの凄い渋面を作る。

 

「因みに橘先輩からも貰いましたよね」

 

「……確か、ポイントを出したとは聞いているな」

 

「え~、個別に上げてないんですか?」

 

「そ、それはその、えっと、あの……」

 

 背後にいる橘が狼狽えている。何か拙いことを言っただろうか?

 

 笹凪の視線は俺と橘の間を行ったり来たりしており、最終的には大きな溜息を吐くのだった。

 

「堀北先輩、こちらをどうぞ。進呈します。今日はホワイトデーなのでしっかりと責任を果たしてください」

 

 手に持っていたビニール袋から出て来たのはリボンが巻かれた小包だ。それをこちらに渡してくる。

 

「何故お前が俺にホワイトデーの返礼を渡す」

 

「そんな訳ないでしょうが、後ろにいる橘先輩に上げてください」

 

「お前は橘からチョコを貰っていたのか? それなら直接渡した方が良いだろう」

 

「……面倒だなこの人、鈴音さんをどうこう言える立場かよ」

 

 呆れた表情のまま押し付けられるのはお菓子が入った小包だ。

 

「俺に特別な誰かを作れと言ったのは貴方です。堀北先輩ももう少し周りを見た方がいいですよ。恩師曰く青春は大切らしいので」

 

 そう言い残して笹凪は去っていく、最後まで呆れた顔と視線を向けられていた。

 

 ただ、何が言いたかったのかはわからないが、何をすればいいのかはわかる。

 

 青春か、ずっとクラスや学校のことに集中していたから振り返ってみるとそれらしいことは無かったな。

 

 なるほど、そんな俺が笹凪に大切な誰かを作れと言うのは、少しおかしな話か。

 

「橘、これを渡しておこう」

 

「え、あの、堀北くん?」

 

 振り返って一歩引いた位置にいた橘に、進呈された小包を渡しておく。ホワイトデーの返礼はクラスの男子とポイントを出し合って女子たちに既に渡していたが、個人では確かにやっていなかった。

 

 ただこれはホワイトデーの贈り物と言うよりも、日々の感謝を込めた形にした方が良いんだろうな。

 

「いつも感謝している。俺は、その言葉をもっと早く言うべきだったのだろうな」

 

「い、いえそんな……言葉にされなくたって、伝わってますから」

 

 それを後輩に諭された挙句、お膳立てまでされる日が来るとは、俺もまだまだ未熟ということなんだろう。

 

 青春か、高校生活も終わりが見えて来たこともあって、妙に物悲しい気分になってしまう。

 

 最後に少しくらい、そういった時間を探してみるのも悪くないのかもしれない。

 

 笹凪に誰か大切な人を作れと言った手前、俺もそういった相手を探してみるとするか。

 

 顔を赤くした橘を見てどこか微笑ましい気分になりながら、そんなことを思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「堀北鈴音の断髪式」

 

 

 

 

 

 俺の手には鋭利な鋏がある。ケヤキモールで鈴音さんが買ってきた散髪用の鋏であった。

 

 そして目の前には、床に引かれたブルーシートの上に椅子を置き、そこに腰かけている鈴音さんの姿があり、その装いはまるでテルテル坊主のように首から下をシーツで隠した様子である。

 

 散髪の邪魔にならないようにと、そして後片付けが楽になるようにとシートで体を隠した彼女はまさにテルテル坊主と表現できてしまう。

 

 ここは彼女の部屋、間違っても散髪屋ではない。けれどこんな状況になっていた。

 

「本当にやるの?」

 

「そのつもりよ」

 

「こういうのはプロの人に任せた方が良いと思うよ」

 

 ケヤキモール内には女性人気の高い散髪屋もしっかりと備わっているのだから。そこにいる人に任せた方が安心だと思う。

 

 そんな説得を俺はするのだが、彼女は緩やかに首を横に振った。テルテル坊主スタイルで。

 

「最初はそう考えたけど……その、ああ言った場所に行くのは少し勇気が必要なのよ。それに見ず知らずの他人に髪を触られるのも少しね……頻繁に話しかけて来る人だと会話もしなければならないわ。正直あの空間は落ち着かないのよ」

 

 う~ん、最近はかなり改善されてきたけど鈴音さんはなかなかの口下手さんだからなぁ。これが桔梗さんとかなら何の心配もいらないんだろうけど。

 

「普段はどうしているのさ?」

 

「前髪は自分である程度は整えられるもの。それ以外はこれまで伸ばしていたから、以前に本格的に散髪したのは随分前の話になるわね」

 

「そうか」

 

「天武くんは自分で散髪しているのでしょう? なら落ち着かない場所で切るよりは貴方に任せるわ」

 

「男の髪は雑で良いんだよ、だけど女性ではだいぶ話が変わるさ……まぁ、ある程度の経験があるから大丈夫だとは思うけどね」

 

 そもそも俺が自分で散髪しているのは、鋭利な刃物――正確には鋏を持った人に背後に立たれるのが凄く落ち着かないという理由からだ。別にあの散髪屋の独特の空間が苦手な訳じゃない。

 

 そして同じ理由で師匠も他人に鋏を持たれた状態で身動きを取れない状況を嫌う傾向があり、俺に散髪を任せることが多かった。なので経験は豊富であったりする。

 

「それじゃ最終確認だ……やるよ?」

 

「えぇ、お願いするわ」

 

 意思の共有も行ったので、俺はテルテル坊主スタイルの鈴音さんの背後に回り、その長い髪に触れていく。

 

 これだけのロングヘア―に鋏を入れるのは少し勿体ないような、残念なような、ちょっと罪悪感があるような、そんな気分になるのだが、本人の意思なので尊重するしかない。

 

「ぁ……どうして撫でるのかしら?」

 

「いや、長い髪の鈴音さんが見納めになるかと思うと、ちょっと名残惜しくてね」

 

「そう……でも、髪の長い短いに大した意味は無いわよ」

 

「そうだね、短い髪の鈴音さんも、魅力的だろうから」

 

「……馬鹿、そういうことを言わなくて良いのよ」

 

 少し照れた様子のなのがわかる。背後から見える耳が僅かに赤くなったからな。

 

「それじゃあバッサリいっちゃうよ。細かい場所はそれから整えて行こうか」

 

 そう宣言して俺は遂に鈴音さんの長い後ろ髪に鋏を差し込み、一思いに切り落とす。

 

 長い髪はそのまま床に敷かれていたブルーシートに落ちて行った。これで後戻りはできないので、他の部分もジョキジョキと音を立てながら切っていく。

 

 前髪に関しては自分で頻繁に調整しているようなので、今日切るのは後ろ髪だけだろうな。流石に前髪までは責任が取れないので触れることはしない。

 

「ところで、どうして急に髪を短くしようと思ったのかな?」

 

 散髪しながらそんなことを訊ねると、彼女は少し悩んでからこう答える。

 

「色々とあるわね。もうすぐ四月で新しい学年が始まること、今年一年の振り返ったこと……心機一転するのなら、今だと思ったのよ。それとも貴方は反対なのかしら?」

 

「いいや、髪が長くても短くても君は君だ。名残惜しくもあって、期待もしている、そんな心境かな」

 

 すると鈴音さんはテルテル坊主スタイルでクスクスと笑った。

 

「なら楽しみにしていなさい」

 

「そうするよ」

 

 ざっくりと肩付近まで髪を切り落とし、そこからは慎重かつ丁寧に調髪していく。こうしていると師匠の散髪を思い出して懐かしい気分になるな。

 

「単純に一年の節目だから髪を切ろうと思ったのかな?」

 

「それもあるけれど、決意表明でもあるのよ。最後の特別試験は勝利することができたけれど、同時に課題も浮き彫りになった試験だったもの。運に助けられた部分もある。来年以降はより厳しい物になるのは簡単に想像できるわ」

 

 決意表明か、彼女らしくもあるな。

 

「最終試験は二周目作戦が上手く嵌ったと思うよ」

 

「けれど、天武くんありきのクラスであることは変わらないわ。二年生になっても同じように進んで行けるとは思えない。クラス全体の底上げがどうしても必要だと思っているのよ」

 

「うん、そうだね」

 

「それに……」

 

 そこで彼女は言い淀む。

 

「それに?」

 

「貴方だけに頼り切りだなんて……カッコ悪いじゃない」

 

「……そっか」

 

 また背後から見える鈴音さんの耳が赤くなっているのが見える。

 

 それに気が付かないフリをしながら彼女の後ろ髪を整えていく。不格好にならないように最大限注意しながら。

 

「よし、形は整えられたかな」

 

 流行の髪型などさっぱりなので、髪をざっくりと切って先を整えただけの状態だが、鈴音さんは素材が良いのでどんな髪型でもよく似合う。

 

 次に毛ブラシで細かな髪を落としていく。パラパラと髪が床に引かれたブルーシートに落ちていき、それが無くなったら散髪も終わりである。

 

 ある程度は余裕も残してあるので、気に入らなければプロに任せることもできるだろう。

 

「終わったよ」

 

「そのようね、感謝するわ」

 

 身に纏っていたシートを取り払ってテルテル坊主スタイルを止めると、椅子から立ち上がって彼女は少しの違和感を覚えているらしい。

 

 あれだけ長かった髪がバッサリだからな、軽く感じるのかもしれない。

 

 そして彼女はいつまでたってもこちらに振り返らない。やはり後ろから見える耳は赤かった。

 

「どうしたんだい?」

 

「その、今更だけど、少し恥ずかしいのよ」

 

「確かに今更だね。けれど俺は今の鈴音さんをしっかり見たいな」

 

 ただ後ろ髪と側面の一部を短くしただけだが、それでも大きな変化である。何より短い髪の彼女は間違いなく似合っている筈だ。

 

 ワクワクと期待する雰囲気が伝わったのだろう。鈴音さんは意を決したように深呼吸してからゆっくりとこちらに振り返る。

 

「ど、どうかしら」

 

「……」

 

「もう、どうして黙るのよ」

 

「……」

 

「ちょっと、聞いているの?」

 

「綺麗だ」

 

「え……」

 

「綺麗だよ。短い髪も、良く似合っている」

 

 嘘偽りなく穏やかにそう伝えると、彼女は少し照れた様子で視線を逸らす。

 

「でもやっぱり長い髪も捨てがたいような気もするね」

 

「心配しなくてもまた伸びるわよ。そうなったら、それはそれで気分転換になるでしょう。そしてまた時期が来れば短くして、私はそれで良いと思うわ」

 

「あぁ、そうだね。一つの形に拘る必要なんてどこにもないさ。君が君であることは変わらないんだから」

 

「そうね……拘る必要なんて、どこにも無かったのよね」

 

 そう言って彼女は美しい微笑みを見せてくれた。短い髪になったことで少し印象が変わったような気もしたけど、その表情は何も変わってはいなかった。

 

 来月には四月になって俺たちは新しい一年に挑むことになる。彼女の言う通り、心機一転するには良い機会なのだろう。

 

 それに、鈴音さんのイメチェンを目撃した最初の一人になれた訳だ。これはこれで変な優越感があって嬉しかったりする。

 

「それにしても随分と慣れた様子だったわね。経験があるとは言っていたけど、とても上手よ」

 

「自信が無ければ絶対に引き受けなかったさ。何が何でもプロにお任せしただろうしね」

 

 まさか師匠の散髪がここで役に立つ日が来るとは、人生とはわからないものである。

 

「髪もさっぱりしたし、これで四月を迎えられそうだ。来年もよろしく頼むよ」

 

「それはこちらのセリフよ」

 

 お互いにクスっと笑い合ってから少しだけ清々しい気分となった。

 

 ただ髪を切っただけ。言ってしまえばそれだけの話なのだが、彼女にとってはきっと何かが変わった瞬間なのだと思う。

 

 新学期が楽しみだ。俺は髪が短くなった鈴音さんを見て、そう思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから苦労する彼らの受難」

 

 

 

 

 

 あの男が憎い。

 

 

 

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い――――ただそれだけの感情が僕の中で渦巻く。

 

 たった今終わらせたカリキュラムは完璧な内容だった。けれどその数字を見た教官たちは「綾小路清隆の方が凄かった」と口を揃えて言うのだ。

 

 それが僕の人生、僕の存在、僕を表現する全て。

 

 そんな訳がないとどれだけ叫ぼうとも、数字という物を神のように扱うこの場所の学者や教官たちは、常にその存在と僕を比べているのだ。

 

 どれほどの屈辱かも知らず、どれだけの苛立ちを覚えているのかも理解せず、今日もまた僕は綾小路清隆という数字の神と比べられている。

 

 このカリキュラムもそう、昨日やった対人戦闘訓練もそう、きっと明日やるテストだって何も変わらない。いつだって最後には「綾小路清隆の方が凄かった」で終わることになるのだ。

 

 奥歯を鳴らす音が止まることはない。それでも外面だけはしっかりと整えられるのだから、五期生は四期生よりも様々な面で優れている筈なのだ。

 

 それでもやはり、数字を信奉する大人たちの意見は変わらない。

 

 チャンスが欲しかった、僕の方が優秀だと証明するチャンスが。

 

 たった一度でいい、それだけあれば僕があの男よりも優れていると証明できるのに。

 

 そんな陰鬱とした思いを抱えながらも、今日もまた綾小路がと比べられる日常が始まるのだった。

 

 いつものカリキュラム、いつもの訓練、いつもの栄養摂取、いつものテスト、いつもの――――。

 

 

「今日はお前たちに、ゴリラの生態について教える」

 

 

 いつもの……うん? 今あの教官はなんて言った?

 

 

「ゴリラは非常に凶暴な生物だ、基本的に接触は推奨されない。もし向かい合う状況になった場合は刺激せずに撤退するのが基本である」

 

「え、なにこれ」

 

 僕の隣にいる同期の少女、天沢がそんなことを小声で言った。僕が今感じている思いを代弁するかのように。

 

「一般的なゴリラの握力は500キロ前後と言われているが、その数字だけでも人間が勝つことが出来ないのはわかるだろう。こういった危険な動物と接触してしまった時はどうすればいいのか、八神、答えてみろ」

 

 白い部屋の中で教官がそんなことを言ってくる。何かしらの裏を読むべきなのか、それとも素直に答えれば良いのか判断ができないが、ここは後者を選択した。

 

「敵対しない、静かに距離を取る、でしょうか」

 

「その通りだ。危険な存在には近づかない、基本中の基本だ……だが時として、避けようのない状況というのは訪れるものだ。その時に備えておかなければならない」

 

「はい、その通りだと思います」

 

「うむ……普通のゴリラならば銃でも持って来れば話は終わるのだが、特別なゴリラにはそうはいかない」

 

 さっきから教官はなんの話をしているんだろうか? そんな意思を込めて隣にいる同期に視線を送るのだが、彼女は「私に聞かれても」とでも言いたそうな顔をする。

 

「いや、話が随分と遠回しになってしまったな、本題に入ろう……実は近々、諸君らの何名かは、七号と呼ばれる特殊なゴリラと接触する機会があるかもしれない。その時に備えて対処方法を学んでもらおうと考えている」

 

 そう言って教官は七号レポートと記された書類を僕たちに渡してくる。

 

 黒塗りされている部分が多いので全体像はハッキリと掴めないが、ここに書かれている七号なる存在を数字で表した情報のようだ。

 

 ざっと視線を黒塗りされていない部分に走らせてみると。標識を引っこ抜いただとか、推定握力がゴリラ以上だとか、実は改造人間なのではとか、特殊な薬物を使っているのではとか、ミュータントだとか宇宙人だとか、本当なのか嘘なのかわからない、ましてや推測交じりの情報が羅列されているのがわかる。

 

「へぇ~、コイントスで百回連続で表を出したんだってぇ」

 

 隣にいる天沢一夏が絶対にありえない情報に食いついているが、そんな荒唐無稽な情報よりも、僕が気になったのは単純な身体能力の数値だ。

 

「基本的にこの七号との敵対は推奨されない。だが、さっきも言ったがどうしようもない状況というのはある……なので、そうなった場合に備えてカリキュラムが大幅に変更となった」

 

 つまり、この七号対策として今後は大規模な戦闘訓練が加わるということだろう。

 

「どんなカリキュラムになるんだろうねぇ」

 

「この七号という存在に勝てるようにという調整だろう」

 

 教官の指示に従って僕たちはそれぞれが運動着に着替えて鍛錬場に足を運ぶことになる。あの黒塗りだらけの情報だけでは完全に相手の戦力を把握することはできなかったが、こうしてわざわざカリキュラムを変更するくらいなのだから、警戒をしているのだろう。

 

 だが疑問にも思う。僕たちホワイトルーム生はそもそも精鋭ぞろいだ。単純な戦闘能力ならその道のプロから手ほどきを受けているので極めて高い、しかも徹底的な肉体管理と筋力トレーニングをしている、大抵の相手なら勝利できるだろう。

 

 それでもこうして特殊なカリキュラムを加えるとするならば、相手はそれほど強いということだろう。

 

 だが構わない、何が来ようとも完璧にこなすだけだ。

 

 そんな思いと共に鍛錬場に入ると。そこには数十名の武装した大人たちが待っていたことで、僕たち五期生は一様に言葉を無くす。

 

 数十名の大人たちはどいつもこいつも筋骨隆々で、しかも武装している。

 

 警棒、テーザー銃、さすまた、わかりやすいほどに制圧用の武器だ。それだけでなくヘルメットやプロテクターなどを全身に付けて身を固めてすらいた。

 

「では特殊戦闘訓練を開始する。お前たちはこの五十名を十分以内に制圧すること。手段は問わん、同期で連携するもよし、敵から武器を鹵獲するもよし、では始め!!」

 

 問答無用で訓練は開始された。疑問も批判も挟ませず、それどころか突き放すかのように。

 

 教官が始めと言った瞬間に、五十名の武装して集団は統率の取れた動きでこちらに向かってくる。アレは烏合の集まりではなく一つの軍隊ということか。

 

「いやいや、無理無理」

 

「やるぞ」

 

「うっそでしょ~」

 

 これまでも多対一で戦う訓練は幾度もあったが、ここまで徹底的な形はなかったな。つまりこれだけの相手に勝てなければ七号とやらには勝てないと思われているのだろう。

 

 僕たちが下に見られているということだ。

 

 それだけは許せはしない。

 

 そう考えてこちらに向かってくる武装した五十名と戦いを挑むのだが、僕たちはあっさりと制圧されてリンチにも似た状態となる。

 

 当たり前と言えばそれまでの結果だった。

 

 ボロボロになった同期と仰向けで倒れていると、少し離れた位置にいる教官たちの会話がこちらに届いた。

 

 

 

 

 

「七号なら五分ほどで制圧できる計算なんだがな」

 

「やはり無茶なのでは? アレは人間の形をしているだけの別の何かです。人類の枠に収めるべきではない」

 

「ましてやカリキュラムの変更など、大きな歪となるかもしれない」

 

「だが今よりも対人戦闘能力を高めないと、今後の接触に不安が残るだろう」

 

「それはそうですが……交渉して不干渉を結ぶという方向性もある筈です」

 

「不可能だ。我を押し通すことに躊躇がない生物だぞ。気に入らないことがあれば必ず処理してくるだろう……現役の国会議員でさえ乗り込んで殴りつけるようなゴリラだぞ」

 

「だから、せめて自衛できるだけの能力を早急に持たせなければならないのはわかります。しかし――」

 

 

 

 

 

 教官たちはああでもないこうでもないと言い合っている。とても熱が入っている様子だ。

 

 だけど同時に恐ろしくも思った。下手したらこのカリキュラムが明日からずっと続く可能性すらあるからだ。

 

 そして、そうしなければならないほどの何かと接触する可能性があるという事実。

 

 

 僕たちは一体これから何と戦わされるんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 




なお、ホワイトルームが見ている七号レポートは、天武くんが十三歳の頃の数字な模様……。


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一年の終わり
卒業式


 

 

 

 

 

 

 

 三月二十四日、今日は卒業式。一つの区切りとなる大切な日であった。

 

 特に三年生たちにとっては、この学校で過ごした過酷な三年間を思い返すんじゃないだろうか。想像するまでもなく様々な苦労と困難を背負うことになったことだろうからな。

 

 卒業式が行われる体育館では全ての学校関係者と生徒が集められて卒業生代表の言葉を聞いていた。特に主役である三年生は様々な思いがあることだろう。

 

 俺は小学校も中学校も通っていなかったのでイマイチ卒業式というのが実感できないのだが、卒業証書を受け取って涙ぐむ三年生を見れば、とても大切な時間であるというのがわかる。

 

 二年後、俺も同じように涙を流すのだろうか? こればかりはその時になってみないとわからないな。

 

 体育館の壇上に立ち、答辞を述べるのは、やはりというか堀北先輩だった。

 

 三年生は最終試験の段階で独走状態に入っており、最後の試験も危なげなく勝利したらしい。二年生の――正確には南雲先輩のバックアップがあれば他のクラスも追いつけたのかもしれないが、二年生は合宿でのやらかしで4000万ポイントをふっ飛ばしてしまった上に、Aクラスもマイナス400ポイントが引かれる事態になったことで、流石に自重する空気になったらしい。

 

 ここで三年Bクラスを援護するとか南雲先輩が言い出せば、完全に信頼を失ったかもしれない状態だったので、今後に備えて貯金に回ったのだろう。

 

 そんな訳で何の危なげも無く堀北先輩はAクラスで卒業となり、こうして答辞を述べる立場になったらしい。

 

「答辞。梅の香りに春の息吹を感じるこの日、我々は卒業式を迎えました――」

 

 三年間お疲れ様です。心の中でそんなことを思いながら答辞を聞いていく。

 

「高度育成高等学校に入学し、他校とは違う雰囲気を感じ、未来を担う大きな責任を持つと共に、やりがいのある三年間にしようと誓ったことを鮮明に覚えています」

 

 まだ一年しかこの学校で暮らしていない俺よりも、ずっと多くの経験と苦労を積み重ねて来たであろう人だ。色々と思う所はあるらしい。

 

 けれど振り返った時に、悪い思い出ばかりではなかったと、堀北先輩の表情が語っていた。

 

 師匠曰く、思い出は大切とのこと。そういうことだろう。

 

 俺たちの学年が二年後、あの場所に立っているのは誰なんだろうな。個人的には一之瀬さんであって欲しいとは思っている。生徒の代表と模範という意味では彼女に並べる人は一年生にいないだろうからな。

 

 堀北先輩の答辞は続いていく。そして遂に終わりという段階で、壇上にいる先輩と俺の視線が結び合った。

 

「……三年間、本当にありがとうございました」

 

 そしてゆっくりと全校生徒に頭を下げると、拍手が体育館に広がることになる。

 

 色々な思いを込めた「ありがとうございます」だったな。やはり感じることも多いということか。

 

 

 卒業式が終わると少し間を置いて謝恩会となるらしい。わかりやすく言うのならば交流の場だろうか。これから卒業していく生徒と保護者が教師を労い、或いは部活の後輩なども参加するのかもしれない。

 

 俺は特に用もなく、何だったらこのまま帰ってもいいのだが、それだけでは寂しいだろうと言うことで顔を出すことになると思う。

 

 ただその前にクラスに集まって一年の総括が茶柱先生によって行われることになるのだった。

 

「この一年、それぞれよく戦った。最終試験もAクラスに勝利するという最高の締め括りであった。一年前に不良品の烙印を押されたお前たちだったが、よくここまで成長したと素直に思う」

 

 言い訳ができないくらいに酷い時期もあったので、茶柱先生の言葉も納得である。だからこそこの場所まで来れたことは誇らしくもあるのだ。

 

 まだまだ足りない物は多い、総合力で言えばどうしたって坂柳さんクラスや一之瀬さんクラスに軍配が上がるだろう。

 

 それでも俺たちは、確かな成長をこの一年で刻み込めたのは間違いない。

 

 

 

 Aクラス 1253クラスポイント

 

 Bクラス 1234クラスポイント

 

 Cクラス 595クラスポイント

 

 Dクラス 541クラスポイント

 

 

 

 これが一年の最終試験を乗り越えて計算された最後の数字である。Aクラスとの差はほぼ存在しない位置まで来ることができた。

 

 同時に、一之瀬さんクラスと龍園クラスの差もまた殆どない距離まで来ている。龍園は混合合宿で責任者を一手に引き受けて荒稼ぎしたからな。しかも最終試験でも勝利したので一気に追い上げて来た感じである。

 

 彼のやらかしでクラスポイントが一時期はかなり減っていたのだが、かなり盛り返して来たようだ。

 

 来年以降、この数字がどれほど変動するかはまだまだ未知数である。安心だってできない。

 

 けれど今は、一時の興奮に身を任せることを誰が責められようか。

 

 

「「うおッしゃああああああ!!」」

 

 

 男子の一部から雄たけびが上がる。女子はそこまで感情を露わにしないのだが、それでも姦しい雰囲気は広がっている。

 

 Aクラスがもう目の前、現実的な場所にいる。誰だってそれが数字でわかれば嬉しい筈だ。俺だって嬉しい。

 

 二年生になってからの特別試験次第では、どこのクラスも一気に状況が変わるのは間違いない。良い方向にも悪い方向にも。

 

 興奮するクラスメイトたちを暫く穏やかな顔で見ていた茶柱先生ではあるが、コンッと黒板を軽く叩いて注意を促すと、教室はシンッと静まり返す。

 

 うん、よく調教されていると思う。四月頃は学級崩壊気味だったことを考えれば、より成長したとわかるな。

 

「明日は終業式だ。授業がないといっても学校の一日に変わりはないことを忘れるな」

 

 いよいよ明日で一年生も終わりということか。振り返ってみると激動の一年だったと懐かしくなってしまう。

 

 様々な縁も結ぶことができた。そして俺自身も強くなれたと実感できる。きっと去年の俺と今の俺が殴り合えば確実に勝利できるだろう。やはり夢を見つけられたのが大きいのかもしれない。あれ以降は様々な面で成長できたと考えられた。

 

「二年生が楽しみだね」

 

 ホームルームも終わって自由の身になると同時に、右後ろの席にいる鈴音さんにそう声をかけると、彼女は僅かに微笑んでから頷いてくれた。

 

 やはり長い髪の彼女をずっと見て来たからなのか、少し違和感もあるのだけれど、同時に新鮮な気分になるのだから不思議なものである。

 

 髪型一つで大きく変わるものだ。そんなことを凄く実感できた。

 

「な、なあ鈴――いや、堀北、なんかあったのか?」

 

 そして当然ながらバッサリと髪を切った鈴音さん教室に入った瞬間に盛大に驚かれた。須藤が困惑しながらも訊きにくるくらいには衝撃だったらしい。

 

「堀北さん、思い切ったイメチェンだね……びっくりしたよ」

 

 桔梗さんもまた何事だと訊きに来る。そして幾人かのクラスメイトも聞き耳を立てていた。

 

「そんなに不思議かしら」

 

「いや、不思議つ~か、驚いただけだけどよ……なぁ櫛田!?」

 

「え、あ、そうだね……でも似合ってると思うよ。だけど、何かあったの? 例えば、失恋とか」

 

「ししし、失恋!?」

 

 須藤がとても動揺して驚いている。そう言えば失恋をすると髪を切るという話を聞いたことがあるな。鈴音さんは違うだろうけど、そういった考えが一般的になるくらいには結びつきがあるらしい。

 

「強いて言うなら決意表明よ。新学期からはより激しい戦いになるもの。だから心機一転して、決意を新たにするにはここが良い機会だと思ったのよ。ただそれだけ、騒ぐようなことでは無いわ」

 

「そ、そうか……失恋って訳じゃねえのか」

 

 安心したような、複雑なような、何とも言えない顔をする須藤。そして桔梗さんはう~んと考え込むような顔を見せた。

 

「じゃあ……私は逆に髪を伸ばしてみちゃおうかな。天武くんはどう思うかな?」

 

「髪の長い桔梗さんか……見てみたくはある。凄く新鮮な気分になるだろうしね」

 

「ふふ、そっか、それなら伸ばしてみようかな。私も決意表明ってことで」

 

「きっと似合うよ」

 

「うん、楽しみにしててね」

 

 二年生になる楽しみが増えた瞬間でもあった。おそらく桔梗さんの内心は色々と複雑なのだろうけど、俺としては凄く見たいので嬉しい展開であったりする。

 

 そんな感じで鈴音さんの断髪も受け入れられて、いよいよ一年生の最後となるのだった。

 

 本日は卒業式と謝恩会だけで授業はないので、後者に参加しない生徒はそのまま解散しても構わないのだが、俺は挨拶をしたい人もいるので顔を出すことになる。

 

 鈴音さんはどうするのだろうかと視線を送ってみると、教室の窓から謝恩会の会場を眺めている姿があった。

 

「挨拶にいかないのかい?」

 

「それは……」

 

「ん、悩んでいると。悩むくらいなら行動すべきだと昔の偉い人は言ったらしいよ」

 

「……」

 

 鈴音さんの視線が揺れ動く、そして俺と見つめ合う形となる。

 

「それを決めるのは俺じゃない、君だ」

 

 兄妹の問題は兄妹で終わらせるべきだろう。俺にできるのはほんの少しだけ背中を押すことだけだろう。

 

「大丈夫だよ。この一年の鈴音さんを見せれば良いさ」

 

「この一年の、私を……」

 

 そう伝えると、鈴音さんはまた視線を教室の窓から謝恩会が行われている会場に向けた。

 

 どうなるだろうな、後は鈴音さん次第といった所だろう。

 

 彼女に背中を向けて教室を出ていき、先輩たちに挨拶するべく謝恩会が行われている会場に足を運ぶのだった。

 

 体育館を貸しきって旅立つ三年生と世話になった教師たち、そしてこの日だけ立ち入ることを許された保護者達が一堂に会して色々な会話を繰り広げているのが、体育館の入口から覗き込んだ瞬間にわかった。

 

 特にAクラスで卒業した生徒たちは言ってしまえば将来を約束された人たちである。もしかしたら将来の日本を背負って立つような立場に就くことだってありえるのだ。縁を結んでおきたいと思うのも自然だろう。

 

 そして中にはこの学校の運営側である人もいるっぽい。つまりは国の関係者だ。俺の顔というか、七号関連の情報を知っているのか、体育館に入った瞬間にサッと視線を逸らされてしまった。

 

 しかも護衛役らしき人たちが会場の隅から動き出して臨戦態勢に入る辺り、俺と師匠の評価がわかってしまう。

 

 挨拶回りをしていた議員と思われる人は護衛から耳打ちされて、俺に視線を向けて来る。そして顔を青くして乾いた笑いを浮かべていた。

 

 失礼な反応である。俺が何をしたというのだ。

 

 誰か知り合いはいないかな、よく師匠に土下座しに来る鬼島さんは……流石にいないか。

 

 議員たちの護衛役である十三号と十五号と十九号の視線と警戒を受け流しながらキョロキョロしていると、ようやく挨拶したい人を発見できた。

 

 けれど流石に今日の主役を持っていくことはできないらしい。色々な人に囲まれているので後で挨拶するとしよう。

 

 堀北先輩は大勢の大人たちと教師に囲まれている。そして下級生たちにもだ。

 

 そこに割り込む勇気はなかったので隙が出来るまで遠くから眺めておくとしよう。後、議員の護衛役の超人たちが懐にずっと手を入れているので正直近寄りたくもない。

 

 せめてあの人たちが消えるまで待つとしよう。

 

 そんなことを考えていると、視線の先に清隆と坂柳さんが映る。向こうもこちらに気が付いたのか近寄って来た。

 

「天武くん、体育館の入口でどうされたのですか?」

 

「中に入り辛くてね……ちょっと色々あって警戒されてるみたいなんだ」

 

 まさかこんな場所でドンパチするなんてことはありえないけど。十三号と十五号と十九号は頭がおかしいからな、万が一もありえるので近づけない。

 

「二人はどうしたんだい?」

 

「茶柱先生と真嶋先生を巻き込んだ」

 

 清隆の答えに、そう言えば教師を味方にする計画だったと思い出す。どうやらこの二人は謝恩会そっちのけでその辺の話を詰めていたらしい。

 

「その様子だと上手くやれたみたいだね」

 

「信頼できるかどうかも、役に立つかどうかもまだわからないがな」

 

「それでもこの学園では貴重な後ろ盾ですよ」

 

 坂柳さんの言い分も尤もである。月城代理という存在がいる以上は大人側に味方が多ければ多いほどありがたいだろう。

 

 最悪俺がぶん殴ればそれで終わらせられるが、後始末が面倒なので可能な限り穏便にことを進めるつもりらしい。

 

「それでは私も挨拶周りに行って来ましょうか。天武くん、綾小路くん、また新学期であいましょう」

 

「あぁ、楽しみにしているよ」

 

 杖を突いて謝恩会の会場に入っていく坂柳さんを見送って、同じく入口で待機することになった清隆と視線が絡み合う。

 

「警戒されているという話だが、誰にだ?」

 

「あそこの壁際にいる三人、こっちをずっと見てる人たちに」

 

「あれか……どういう関係なんだ」

 

「二、三回殴り合ったことがある」

 

 後、何度かゴミ箱と海に投げ捨てたこともある。

 

「そうか、うん? お前と殴りあったのか……それは何というか」

 

 清隆がドン引きした顔になっている。

 

「だから滅茶苦茶恨まれてるんだよね」

 

 具体的には機会があれば俺を殺しに来るくらいには。三対一なら多分そこまで一方的な戦いにもならないだろうし。五分五分で勝てるならやらない理由がない。いや、でも俺もこの一年で更に強くなれたから今なら七対三くらいで優勢に持って行けるか?

 

「なるほど、それは入り辛いだろうな」

 

 納得したように頷く清隆は同じように体育館の入口から中を眺めるのだった。

 

「二年後、俺たちはどうなってるだろう」

 

「さぁな。それは誰にもわからない」

 

 そりゃそうだ。だからセンチメンタルな気分になっても仕方がないってことか。

 

「来年以降はまた厳しい戦いになるだろうけど、よろしく頼むよ相棒」

 

「あぁ、そちらも抜かりないようにな」

 

 拳と拳を軽くぶつけ合う……彼との付き合いも一年になるんだな。

 

「謝恩会も終わったみたいだぞ」

 

 青春ポイントを清隆と稼いでいると、謝恩会が終わったことを告げられる。入口付近には下級生たちも集まって来ており、所謂出待ちの状況となっていた。

 

 その中にはしっかりと、鈴音さんの姿もあったので一安心である。

 

 解散を宣言されて三年生たちは体育館を出ていく。すると下級生たちが花束を渡したり、別れの言葉を贈ったり、あるいはハグしたりといった光景がそこかしこに広がっていく。

 

 俺は主に美術部の三年生たちに別れの言葉を贈ろう。中にはAクラスで卒業することができなかった人たちもいたが、最後には晴れやかな顔を見せてくれたと思う。

 

 学校からの推薦や援助が無かったとしても、別に受験できない訳でもないし進路が完全に閉ざされている訳でもない。結局の所、最後は己の意思ということだ。

 

 美術部の三年生たちの進路も様々であったが、行く当てがない人は一人もいないので、最後には笑顔で見送ることができる。

 

 

 一年間お世話になりました。皆さんの未来に幸が多くあることを願います。

 

 

 さて鈴音さんはどうだろうかと様子を見てみると、やはりというか大勢に囲まれている堀北先輩から離れた位置で足踏みをしているらしい。

 

 先輩の周囲には生徒会のメンバーと、橘先輩や朝比奈先輩の姿もあるので、近づきにくいのだろう。

 

「卒業おめでとうございます。堀北先輩……全く、流石ですね。結局、俺は貴方を脅かすことは出来なかったッスよ」

 

 南雲先輩が前に出て賞賛の言葉を贈っている。悔しさと納得と後悔と、色々な感情が混ざり合った複雑な表情で。

 

 この二人は俺の知らない所でも色々あったのだろう。ライバル関係であったのはよくわかる。

 

 混合合宿で大量のポイントをふっ飛ばしていなければ、或いは最後の特別試験で三年Bクラスを操って脅かせたのかもしれないが、それすらもできない状況だったので、この二人の戦いは不完全燃焼であったのかもしれない。

 

「あと一年、早く生まれてたら良かったんスけどね」

 

「安心しろ南雲、お前が退屈することはない」

 

「だといいんですけど……堀北先輩、こんな俺でしたが、最後に握手してもらえませんか」

 

「もちろん、断る理由はどこにもない」

 

 そうして二人の間に握手が結ばれる。複雑な思いや願いがそこにはあったことだろう。

 

「お前にはこの後も、長い一年が待っている。満足のいく高校生活を送れ」

 

「えぇ。先輩がいなくなった後の少ない期間、精一杯やらせていただきます。本当の実力主義に変えていきますよ。その準備は整いましたからね」

 

「そうか、お前が作っていく学校を見れないのは少し残念だ」

 

「大丈夫ですよ、貴方が残した後輩もいるんですから……二年後に幾らでも聞けますって」

 

 南雲先輩の視線は俺と鈴音さんに向けられた。その後を追うように堀北先輩もこちらを見て来る。そして少しだけ笑みを浮かべるのだった。

 

「堀北先輩、三年間お疲れさまでした。そしてありがとうございました」

 

「こちらこそだ」

 

 結ばれた握手は名残惜しそうに離れていく。それを確認したので俺はゆっくりと鈴音さんの背中を押す。

 

「勇気を出して」

 

 背後からそう囁いて優しく前に押し出すと。彼女は一歩前に出て堀北先輩と向かい合う。

 

 後は、兄妹の問題だ。部外者は立ち入るべきではない。

 

 同じことを思ったのかどうかはしらないが、鈴音さんと入れ替わるように南雲先輩が近寄って来る。

 

「結局、混合合宿での損害が大きすぎて、最後の特別試験は介入できなかったぜ。これもお前の計算通りか、笹凪」

 

「さぁ、俺は未来が見える訳ではないのでなんとも」

 

「まあいいさ。卒業後でもあの人とは戦えるんだからな」

 

 その言葉に反応したのは隣にいた朝比奈先輩だ。

 

「卒業後もって、本気ぃ? 進路まで堀北先輩に合わせる訳?」

 

「少なくとも今の俺はそのつもりだ」

 

「あ~あ、ほんと好きよね堀北先輩のこと」

 

「二年の中に俺の敵はもういない。俺を満足させてくれる相手はあの人だけだったからな」

 

 視線が俺と絡み合う。何を思ったのかは知らないが、南雲先輩は笑みを浮かべる。

 

「だが退屈はしないだろうな。お前がいるんだから」

 

「ストーカー行為は堀北先輩だけでお願いします」

 

「誰がストーカーだ」

 

 まさか自覚がないのか……だとしたら恐ろしいことであった。

 

「まあお前も楽しみにしておけ、退屈を覆してやるよ」

 

「俺は別に退屈している訳でもないんですけどね」

 

「いや、嘘だな。最後の特別試験でもしっかり勝ったらしいじゃないか……お前の相手をできる一年生はいない。なら俺が相手になってやるよ」

 

 そこまで暇でもない。月城さんとか月城さんとか月城さんとかぶん殴らないといけないのだから。寧ろあの人の方が南雲先輩よりもよっぽど強敵だ。何せ大人の権力者だからな。

 

 そう考えると、俺は一体何と戦っているんだという疑問も出て来る。いや、本当に何をやってるんだか。

 

「ここから先は、本当の実力主義になるだろうぜ」

 

「もしかして能力次第で気軽にクラス移動できる制度とか出来るんですか?」

 

「さてな、俺から言えるのは楽しみにしておけってだけだ」

 

 いや、流石にそれは学校側が許さないのではないか? この学校の生徒会長がどこまで影響を及ぼせるのかイマイチわからないから何とも言えない。

 

「では楽しみにしておきます。南雲先輩の手腕に期待ですね」

 

「そうしておけ」

 

 南雲先輩と朝比奈先輩は他にも挨拶したい人がいるらしいのでその場から離れていく。残された俺は兄妹の関係はどうなっただろうかと気になって視線を送り……そして安心した。

 

 色々と不器用が極まっていた兄妹は、たった今、間にあったわだかまりが消えたらしい。

 

 嗚咽を漏らす妹と、それを抱きしめる兄、一年前には決してありえなかった光景がそこにある。

 

 最初から素直になっておけば、もっと早く何かが変わったことだろう。本当に不器用な所ばかりが似ている兄妹だった。

 

 邪魔するのも悪いかと思って距離を取ろうと思ったが、そうなる前に堀北先輩が鈴音さんを離して手招きしてきたので逃走に失敗してしまう。

 

「笹凪、感謝する……鈴音のこともそうだが、他にも色々な」

 

「俺は何もしていませんよ」

 

「そんなことないわよ。変な謙遜は止めなさい」

 

「だそうだぞ」

 

 この兄妹め、ここぞとばかりに連携してくるとは……。

 

「和解はすみましたか?」

 

「あぁ、たった今な」

 

「天武くん、最後の最後まで迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」

 

「謝らないで欲しい。ここで言うべき言葉はそれじゃないよ」

 

「そうね……本当にありがとう」

 

「ん、余計なお節介が力になれたのなら嬉しいよ」

 

 穏やかな笑みを浮かべる彼女は、やっぱり一年前にはいなかったのだろう。

 

 最後に俺も堀北先輩に別れの言葉を贈っておくとしよう。何だかんだで関わることも多かったので、薄情にはなりたくない。

 

「こういう経験があまりないので、上手い言葉はみつかりません。だからシンプルで構いませんよね、堀北先輩」

 

「あぁ」

 

 許可を貰えたので、俺は胸に手を当てて僅かに頭を下げて見せる。

 

「貴方の人生に、幸の多からんことを……誰かに憧れを与えられるような、そんな人になってください」

 

 別れの言葉はシンプルで良かった。長ったらしく語っても意味はない。そこに込められた思いが伝わればそれで問題ない筈だ。

 

 この学校を出れば、それこそ南雲先輩なんて可愛く思えるような人が沢山待ち構えている筈だ。それでもしっかりと越えて行って欲しいという願いを込めてこんな言葉を贈る。

 

 堀北先輩はいつも見せていた怜悧な表情ではなく、今日だけはただ一人の卒業生として、そして十八歳の高校生の顔で、その言葉を受け取って笑ってくれるのだった。

 

 

 

 卒業、おめでとうございます。

 

 

 

 

 



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春休み 1

 

 

 

 

 

 

 

 

 卒業式も終わり、学校もいよいよ春休みとなった。新学期から二年生になる我々も束の間の平穏を享受することになる。どうせ新しい学年が始まればこの学校はれやこれやと試練を寄こしてくるのだから、本当に一時の平穏である。

 

 来年に備える者、穏やかに過ごす者、こんな時でも勉強する者、きっと過ごし方は様々だが、俺は今日も自室で美術品製作を頑張っていた。

 

 清隆グループと一緒に遊ぶこともあれば、知り合いや知人と一緒にお茶することだってある。けれど部屋の中にいる時は決まって文化的活動か鍛錬のどちらかである。今日は美術的活動であった。

 

 マネーロンダリングはもう必要ないくらいにはポイントが集まっている。部屋の中にあった作品は既に輸出済みだ。今作っているのは完全に趣味であり、同時に緊急用のポイントを引っ張って来る為の物でもある。

 

 それにこうして何かを作っていると師匠モードが深まる感覚があるので鍛錬にもなるのだ。

 

 今、俺の前ではかなりデフォルメされた動物の彫刻が出来上がりつつある。作っておいてなんだがゆるキャラみたいな姿になってしまったので、これは流石に輸出できないなと考える。

 

 やはり仏像、あれは仏教圏で受けが良い上に国内よりもずっと需要が大きいので凄く稼げる……まあ仏様を金儲けの道具にしているみたいでアレだけどさ。

 

「ん?」

 

 部屋の隅にでも飾っておこうと考えていると、傍らに置いておいたスマホが震えてメールの受信を知らせる。確認してみると差出人は一之瀬さんであった。

 

 内容は「春休み中にどこかで会えないか」というものである。文面から察するに遊びに行く感じではないらしい。

 

「いつでもどうぞ、と」

 

 こっちの予定は幾らでも調整できるのでそんな返信をすると、一之瀬さんからは今日会いたいとのことだったので受け入れる。

 

 どこかでお茶でもするかという話になるかと思ったが、こちらの部屋にお邪魔するとのことなので。すぐさま部屋の清掃と受け入れ準備を整えていく。

 

 ここ最近は作品の大量輸出で部屋もかなり片付いたからな。とても広くて過ごしやすい空間になっている。人を招く分には問題ないだろう。

 

 台所でお茶の準備を進めていると、扉からノックの音が響いて来客を知らせた。どうやら一之瀬さんが来たらしい。

 

 扉の向こうにはいつもの朗らかな表情を浮かべた彼女がいるものだと思っていたが、そんな想像を裏切るかのように沈んだ表情で彼女は廊下に立っていた。

 

「ごめんね笹凪くん、急に……」

 

「いいさ、何か相談したいことがあるんだろう? 話くらい幾らでも聞くさ」

 

「うん……」

 

 一之瀬さんを部屋に招き入れる。以前にも食事をごちそうした時にも部屋に招いたが、あの時よりもずっと片付いた部屋を見て驚くことだろう。

 

「あ、片付いてるね」

 

「掃除したのさ。あの状態だとお客さんも呼べないから……あぁ、適当に座ってて、飲み物はコーヒーで良いかな?」

 

「大丈夫だよ。気を使わせちゃってごめんね」

 

 台所で水を沸かしてお茶の準備をしていると、一之瀬さんはどこか落ち着きなく部屋で佇んでおり、どうすればいいのかわからないといった様子であった。

 

 キョロキョロと顔を動かして、台所にいる俺と視線が絡み合うと、とても複雑な表情を見せてくる。

 

「さぁ、どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 一之瀬さんにコーヒーを差し出して、一緒に砂糖とミルクも机の上に置いた。

 

 ジッと見つめていてもアレなので、こちらから砂糖を入れてミルクもタップリ投入していく。子供舌なので苦いのは駄目だからね。こうしないと飲めないのだ。

 

 後、家主から動かないと一之瀬さんも飲み辛いだろうと思ってのことだ。実際に俺がコーヒーを飲み始めると彼女も戸惑いながらも口を付けていく。

 

 少しは落ち着いただろうか。普段の表情が引っ込んでかなり落ち込んだ様子だったので、ほんの僅かにでも安らいだのなら幸いである。

 

 ほぅ、と憂い交じりの溜息を吐いてコーヒーを飲んだ一之瀬さんは、机を挟んでこちらを見つめて来た。

 

「何か、話があるんだね」

 

「……うん、だけど」

 

「相談するのはカッコ悪いと思ってるのかな……だとしたらそれは間違いだ、それはただ孤独なだけの人間だよ」

 

「でも、私、笹凪くんにはダメな姿ばっかり見せてるなぁって思って……」

 

「そう思っているのに、それでもここに来たんだろう」

 

「……ダメだよね」

 

「ダメじゃない。いいさ、付き合うから」

 

 一之瀬さんはその言葉に表情を沈ませる。情けなさを感じているようだが、同時に隠し切れない程に期待も覗かせているのがわかる。何だかんだで誰かに相談できることに安心しているのかもしれない。

 

「笹凪くん……また、背中を貸して欲しい。良いかな?」

 

「あぁ、大した背中でもないが、好きに使うといいよ」

 

 椅子から立ち上がって床に敷かれたカーペットの上に腰を下ろして見せる。すると彼女もまた座って背中を預けて来た。

 

 以前に、誹謗中傷で彼女が部屋の引きこもっていた時、元気づける為に話した時も、こうして背中合わせで話したんだったか。

 

 お互いに重心を背後にやって、共に背中で支え合う姿勢となる。顔は見えないけど、きっと見せたくないのだろうな。

 

 一之瀬さんの存在感を背中に感じ取りながら、彼女が話してくれるまで暫く待つことになる。そこから数分程経過しただろうか、彼女はポツポツと話し始めていく。

 

「私は入学してBクラスに配属されてクラスメイトたちと出会った時、勝ちを確信したの。自惚れと言われるかもしれないけど、とても良い仲間に恵まれたと思った。その気持ちは今も変わっていない」

 

「うん」

 

「だけど、唯一誤算だったのはリーダーの私。私がもっと上手く立ち回っていたら、クラスは今よりもずっと沢山のポイントを持ってたと思ってる」

 

 たらればの話は仕方がない。結果で語るのが全てである。それは一之瀬さんもわかっているのか、現在のクラスポイントに思う所があるのだろう。

 

 既にDクラス、つまり龍園クラスとの差はほぼ存在しない位置になっている。それこそ次の試験次第ではDクラスに転落しても何もおかしくはない程に。

 

「笹凪くんは、凄いね……入学当初はDクラスだったのに、たった一年でAクラスに迫る位置まで辿り着いて……私とは正反対」

 

 こういう時、どう伝えれば良いんだろうか? 頑張ったからとか、努力したからとか言うのは間違いなんだろうな。

 

「堀北さんや、坂柳さんや、龍園くんもそう。皆それぞれ強くなっているのがわかるんだ、なのに私は……」

 

 自信を失ってしまったということか。

 

「特別試験の結果は聞いているよ。龍園にしてやられたみたいだね」

 

「そう、だね……警戒しろって言われたのに、私は心のどこかで負けないって慢心してたんだ」

 

「具体的には相手はどんな動きをしていたのかな?」

 

「試験当日に腹痛を訴える人が出て来たの……後で話を聞いてみたんだけど、前日に石崎くんたちに絡まれてたみたいなんだ」

 

 一之瀬さんが言うには、カラオケルームで打ち合わせをしていたクラスメイトの何人かが絡まれてしまい、一時的に部屋の中が空白になってしまったらしい。

 

 その隙に下剤でも盛ったのか? 限界ギリギリの作戦……いや、やりすぎだろう。よく押し通したなそんな無茶を。

 

「一之瀬さん、学校に訴えた方が良いと思うよ」

 

「それは……しないことにしたんだ。今回の油断と慢心は教訓にしようって。もしこれが二年生や三年生の後半だったら取り返しのつかないことになっただろうから」

 

 言いたいことはわからなくはないけど、学校に訴えない理由にはなっていないと思う。まぁ一之瀬さんなりの配慮ということなんだろう。

 

 そういった部分を、龍園は突いた訳か……もし一之瀬さんが学校に訴えていれば多分あのクラスの何名かの首は飛んでたと思うんだが。

 

 相手の配慮に甘えた作戦ではあると思うけど、実際にそれで一之瀬さんクラスに勝利して、その一之瀬さんも学校に訴えないというのだから、完全に思惑通りになっているのだから笑えない。

 

 いや、龍園はきっと笑っているんだろうけど。

 

 背中で感じ取る彼女は少しだけ震えているようにも受け止められる。いつもより頼りなく思えて、華奢に感じてしまうのは、彼女が自信を失ってしまったからだろうか。

 

「どう思うかな?」

 

「甘いと思うけど、訴えないともう決めてしまったのならば、どうしようもない。この経験を教訓にするしかないさ」

 

「そうだね……うん、その通りだよ」

 

 そこで彼女はこちらの背中に体重を大きく預けて来る。疲れ切ったかのように。

 

「ごめんね。私は、何度も何度も……笹凪くんに甘えちゃってる」

 

「これは前にも言ったっけ、時間は君に寄り添ってはくれないけど、俺は君に少しだけ贔屓するって」

 

「うん……だから、甘えちゃうんだ。ダメなのに、そんなことしちゃいけないのに」

 

「迷惑だとは思っていない、気にしないでいいよ」

 

「笹凪くんに頼ってばかりの私が、これから先、戦っていけるのかな」

 

 大丈夫と、君ならできるという言葉を彼女は必要としているのだろうか?

 

「それにね……少しだけ、怖くもなったんだ」

 

「怖い?」

 

 また背中で感じる一之瀬さんが震えているのがわかる。

 

「こんなに大事な試験で負けちゃったのに……クラスメイトは私を責めなかったの。大丈夫だよって、私が悪い訳じゃないよって、それどころか頑張ったねって、こんなに情けない私なのに」

 

 一之瀬さんクラスの人たちを思い出す。誰も彼もがお人好しというか、善人で固められている集団であると。当然ながら口汚く罵ることはないだろうし、批判することもないのかもしれない。

 

 それを喜ぶべき長所と考えるべきか、それとも妄信的だと考えるのかは意見がわかれる所だろう。

 

 

「私は、クラスメイトに誇れる私なのかな」

 

 

 それが、今の一之瀬さんの内心を語る上での全てのようだ。不安と自信喪失が合わさって折れそうになっている。

 

 彼女はとても賢くて、優しくて、そして皆が思っているよりも普通の女の子であった。

 

 そう、普通の女の子なのだ。もしかしたらそれを本当の意味でそれを理解している人はそんなに多くないのかもしれない。

 

「一之瀬さん、君は普通の女の子だったね……考えてみれば当たり前のことだけど、高校一年生だったか」

 

「……普通かな?」

 

「きっと君のクラスメイトは認めないかもしれないけど、普通に悩んで、普通に迷って、うん、凄く普通だ」

 

「あはは……そうかもね」

 

「だから愚痴ったりすることくらいとても普通のことだ」

 

「優しいね、笹凪くんは」

 

「優しくはない、ただ俺はいつだって自己中心的に動いているだけだ」

 

「そんなことないよ。私はきっと誰よりも笹凪くんの優しさに救われたから」

 

 まだ未熟な……半端者の俺にそこまで大それたことが出来たのだろうか?

 

「ねぇ、笹凪くん……訊いていいかな?」

 

「ん、何を訊きたいのかな?」

 

「どうして……笹凪くんはこんなに優しくしてくれるのかなって」

 

 身じろぐ感触が背中から伝わって来た。先程までの震えではなく、どこか緊張したような雰囲気であった。

 

「あ、あのね、勘違いかもしれないけど……その、えっと」

 

「君の笑顔がみたいからだ」

 

「にゃ!?」

 

 とても奇妙な声が背中から聞こえて来る。

 

「困っている誰かを笑顔にしたい、迷っている誰かに道を示したい……俺は、正義の味方を目指しているからね」

 

「せ、正義の味方」

 

「馬鹿みたいだろう? そんなことを掲げられるほど強くもないのに、賢くもないのに、正しくもないのに、俺はそれを目指しているんだ……だから、俺の目の前で誰かが困っているのなら、何度だって助けるさ」

 

「……だから、助けてくれるんだ?」

 

「あぁ、だから、君を助ける……困ってるみたいだからね」

 

 すると背中から伝わる緊張がどこかに消えて行く感触があった。何かが空振ったような、そんな気分になる。

 

「そっか……笹凪くんは、そういう人だったね……特別な人なんて――」

 

「一之瀬さん?」

 

「あ、うぅん……大丈夫、何でもないよ」

 

 なら話を戻すとしよう。これからについてだ。

 

「一之瀬さん。新学期が始まれば、また俺たちは色々な困難が立ちはだかると思う」

 

「うん、間違いなくね」

 

「それでも戦っていかなければならない」

 

「無理、だよ……私じゃ、勝てない」

 

「そうは思わない。だって俺は一年生の中で、実は一之瀬さんを一番尊敬しているからね」

 

「……ぇ」

 

「坂柳さんでも、龍園でもなく、君を一番評価もしている。なんでかって訊かれると困るけど……卒業式で答辞をしている堀北先輩を見た時にさ、二年後にそこに立っていて欲しいと思ったのは、君なんだ」

 

「私が?」

 

「生徒の代表って考えたら、やっぱり一之瀬さんが相応しいなって……龍園はアレだし、坂柳さんはやっぱりアレだしさ」

 

「それなら、笹凪くんの方が似合ってるよ」

 

「なら、俺と君とで勝負だね」

 

「……」

 

 そこで背中合わせの姿勢を止めて立ち上がった。急に支えを失って倒れそうになった一之瀬さんを支えて手首を掴んで引っ張り上げる。

 

 見つめ合う形になったことで、一之瀬さんの目尻に僅かな涙が浮かんでいることに気が付く。

 

「戦ってくれ、これから先も……挫けそうでも、泣きそうになっても、悲しくても。それでもだ」

 

「私と笹凪くんで……戦うことになるんだよね」

 

「あぁ。俺は坂柳さんも龍園も倒してAクラスになるよ。できれば一之瀬さんもそうして欲しい。つまらない策略をねじ伏せて、卑怯な作戦も蹴り飛ばして、そして挑んでくれ」

 

 少し傲慢な言い方かもしれないな。まるでAクラスにいることが確定しているかのように話している。けれど必要なことだ。

 

「そして越えて行ってくれ。俺も、坂柳さんも、龍園にも勝って……一之瀬帆波こそが真の実力者なんだと、卒業式で答辞することで証明して欲しいんだ。何故かって? 俺がそれを見たいからだ」

 

「もしそうなったら、笹凪くんたちはAクラスで卒業できないんだよ?」

 

「何も問題はないよ」

 

 机の上に置いてあったスマホを操作して、ポイントの総額を見せつけるように彼女の目の前に置く。

 

 一之瀬さんの視線はその画面を走り、そしてまさに驚愕という言葉が似合う表情となってしまう。

 

「え、なん、なんで……え?」

 

 開いた口が塞がらないという表現がよく似合う様子である。そりゃ億単位のポイントを持っていると知ればそうもなるな。

 

「30億ポイント?」

 

 ザックリとそれくらいの資産を持っている。全員をAクラスに移動させる24億ポイントに加えて、有事の際の備えとして余剰資金も用意してある。これが俺の全財産であった。

 

「俺はこのポイントを使って全ての一年生をAクラスに移動させるつもりなんだ。だから卒業する時にどこのクラスがAだったとしても、あまり関係がない」

 

「……」

 

 もはや言葉もないのか、一之瀬さんはただただ絶句してしまう。

 

「だから、心配する必要はないんだよ」

 

「本当に、全員をAクラスにするつもりなの?」

 

「嘘偽りなく。そうするつもりだ」

 

 彼女は流石に受け入れがたいのか、それとも衝撃が大きかったのか、フラフラとしながら揺れ動いていく。

 

「そっか、なら……これで――」

 

「ダメだよ、君は今、安心しようとしている」

 

「え……」

 

「龍園なら、ここで安心はしない。坂柳さんなら、当然安心しない。俺のポイントを保険として、それでも自分のクラスをAに上げようとするだろう」

 

「……」

 

「その差が、きっと一之瀬さんとあの二人の差だ……つまりはリーダーの差だ」

 

 今度は違う意味で絶句することになった。

 

「もう一度言おうか……戦ってくれ、一之瀬さん。挫けそうでも、泣きそうでも、それでも突き進んでくれ」

 

 そしてその先で、ただ純粋に決着を付けたい。

 

 

「俺はAクラスで待っている……だから挑んで来い、一之瀬帆波。坂柳も龍園も蹴り飛ばして、証明してみせろ」

 

 

 俺はまたいつかのように小指を彼女の前に差し出す。

 

「約束をしよう。卒業式に、答辞をするのは俺か君のどちらかだって」

 

「もし……どれだけ頑張っても届かなかったら?」

 

「馬鹿な正義の味方を呼べばいい。足りないのなら俺が何もかもを巻き込んで強引にゴールまで引きずっていくさ」

 

 涙に濡れた瞳は目の前に立てられた小指を見つめている。

 

「さぁ、小指を出して」

 

 おずおずと、差し出される小指が触れ合って、結び合う。

 

「約束だ。俺たちを越えて行ってくれ……それでも届かなかったら、俺が全てを終わらせる」

 

「……うん」

 

 大切な宝物に触れるかのように小指は繊細に触れて来るので、少しくすぐったいな。

 

「見てて欲しいの……これからの私を、笹凪くんに挑む私を」

 

「あぁ、もちろんだ。言っておくけど、簡単に負けるつもりはないよ」

 

「だね、だって凄く強敵だろうから」

 

 もう、大丈夫だな。少なくとも折れそうになっていた心は持ち直してくれたらしい。やはり30億ポイントは衝撃が大きかったのだろう。

 

 彼女は結び合った小指を何度も何度もギュッと締め付けて来る。そしてこちらを上目遣いで見つめながら、こんなことを提案してくる。

 

「ねぇ、笹凪くん……あの、これからは、名前で呼んでもいいかな?」

 

「ん、構わないよ。俺も名前で呼んでも許してくれるかい?」

 

「もちろんだよ……名前で呼んで」

 

「ん、なら今日から帆波さんだ」

 

「うん……て、天武くん。改めてよろしくね」

 

 固く結び合い、もう離れないのではと思えるほどに力が込められていた小指は、そこで名残惜しさを纏ったまま離れていくのだった。

 

 こうして俺たちはまた新しい約束を結ぶことになる。大切そうに小指をもう片方の手で包み込む一之瀬さん……いや、帆波さんを見て少しだけ穏やかな気持ちになってしまう。

 

「私は、私の思うままに戦う……だから、また魔法をかけて」

 

「前にも言っただろう、何度だってそうするさ」

 

「ありがとう……本当に、ありがとう」

 

 それで良い、もし挑む時が来なかったとしても俺が保険になる。

 

 だから帆波さんは、力強く挑んでくれ。この過酷な学校で生き残ってくれ。

 

 

 Aクラスで君を待つ。そしてこう言って欲しい。

 

 

 

 邪魔だどけ、そこは私の席だ、ポイントなんていらないと。

 

 

 

 



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春休み 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 春である。あたたかな陽気を感じられて、新学期と入学式が目前となった四月の前半ともなれば、桜の花も咲き始めて爽やかな香りすら学園には広がっていた。

 

 去年の今頃はかなりバタバタしていたなと思い出しながら、俺は日用品と食料品を買いにケヤキモールにまで来ている。

 

 せっかくの春休みなのでグループのメンバーと遊んだり、清隆と秘密の特訓をしたり、後は月城さんを尾行したり、それとなく話しかけたり、なんとなく食事に誘ってみたり、或いはジッと見つめてみたり、そんなことを繰り返した春休みであった。

 

 いやね、あの人の顔を見るとどうした訳か妙に身構えてしまうようになった。あちらはあちらで俺を見ると避けるようになっていたからな。きっとあの人は俺に良い印象を持っていないんだろう。

 

 悪い事さえしなければ別に殴ったりしないのに、悲しい評価である。

 

 また今日も月城さんに会えないかなとケヤキモールでキョロキョロしていると、とある男が視界に入って来る。あちらも俺を認識したのか舌打ちをしてきた。

 

 しかも珍しいことに、その男には他クラスの連れがいる。あまり馴染みのない二人と一緒とはな。

 

「やぁ、三人とも。珍しい面子だけど、トイレで悪だくみかな?」

 

 その三人とは龍園と神崎と橋本である。それぞれクラスが違う上に神崎は他の二人とあまり関わりがないだけに、三人でトイレから出て来た時は少し驚きもした。

 

「悪だくみではない、どちらかと言えば宣戦布告と決意表明だ」

 

 神崎はいつも通りに冷静な顔でそんなことを言っている。

 

「ククッ、吼えるだけならどんな犬にでもできるぜ」

 

 そして相変わらず龍園はいつもの調子である。これが彼の基本だ。

 

「橋本は、また蝙蝠ごっこか?」

 

「おいおい酷い言い方だな、俺はそこまでフラフラしてるように見えるかね」

 

「残念ながらな……別に責めはしないけど、その内、坂柳さんにどやされるかもしれないよ」

 

「そりゃ怖いな……だがほどほどに抑えながらも、しっかり勝ちは拾っておきたいんでね」

 

「坂柳さんを見限ったのかい?」

 

「さてね、俺はいつだって強い奴の味方なんだ」

 

 何とも軽薄な男である。だが面白くもあった。こういった生き方を徹底できる者はなんだかんだで少ないし、実際に龍園辺りは何だかんだで縁を結んでいるのだ。使える男でもあるんだろう。

 

「まぁいいや、それでトイレでどんな内緒話を?」

 

 三人が出て来たトイレを見つめてそう言うと、神崎がこう返してきた。

 

「さっきもいったが決意表明だ。もう龍園の卑怯な手段を許すつもりはないという意思を伝えた」

 

「一之瀬の腰ぎんちゃくだったお前がどこまでやれるか見てやるよ。口だけ立派な奴は幾らでもいるからな」

 

 なるほど、橋本は二人の仲介役であると同時に、コネ作りも行っていたのだろう。抜け目のない奴である。こういう強かさを持っている人は何だかんだで損切りも上手いので、本当に最後にはAクラスにいるのかもしれないな。

 

「だいたい事情はわかったよ。まぁ神崎みたいな人がクラスには一人は必要だ。頑張ってくれ」

 

「言われなくてもそうするつもりだ」

 

 実際に彼は参謀役としては十分に優秀なので上手くやってくれるだろう。一之瀬さんクラスも新学期には強敵となっているかもしれない。

 

 次に俺は龍園を見つめる。こちらも変わらず蛇みたいな雰囲気と邪悪な笑みを浮かべているが、その瞳の向こうには強い警戒を忍ばせているのがわかった。

 

「龍園、特別試験での勝利おめでとう」

 

「テメエも、坂柳を潰したみてえじゃねえか。アイツはどうだった?」

 

「強敵だったよ」

 

「はッ、余裕タップリじゃねえか」

 

「そうでもない……言いたいのはそういうことじゃなくて、君へのアドバイスをしたかったんだ」

 

「あん、アドバイスだと?」

 

「龍園、邪道が王道になってきているよ。邪道は邪道だから意味があるんだ」

 

「……なんだ、俺の勝ち方にケチでもつけに来たのか」

 

「そんな暇な訳ないだろ。今日は偶々買い物に来ただけさ。出会ったのも完全に偶然。ただせっかくの機会だから伝えておこうと思ってね……こんなことばかり続けていると、いつか首を落とすことになるよ」

 

「何を偉そうに」

 

「余計なお世話だったかな……君といい坂柳さんといい、他人の配慮に甘えることが多いもんだからついね」

 

「甘えてるだと?」

 

 事実そうだろう。一之瀬さんが学校に訴えていれば間違いなく何人かの首は飛んでいた筈だ。

 

 結果的に、彼は一之瀬さんの配慮に救われているんだ。坂柳さんも同様だけど、ちょっと彼女に甘え過ぎである。

 

「まあ邪道だけで戦っていけるほどこの先は甘くないって話だよ。俺からしてみれば、君はじゃんけんでグーしか出さないように最近は見えて来た」

 

「言うじゃねえか、Aクラスに勝って調子に乗ってるんじゃねえだろうな?」

 

「グーしか出せない相手が目の前にいるからね、調子にも乗るさ」

 

 龍園はその言葉を鼻で笑う……けれど、瞳の奥には納得しているようにも思えた。言われるまでもなく彼は自分のクラスに足りないものをしっかりと理解している訳だ。

 

「まあいいさ、新学期を楽しみにしておけ。一之瀬を片付けて坂柳を処理したら、次はテメェだ」

 

「そうなる前に君が転げ落ちないことを祈っておこうか」

 

 背中を向けて去っていく龍園を見送ると、自然と溜息が出ていた。

 

「神崎、苦労するよ、彼の相手はね」

 

「だろうな。しかし誰かがやらなければならないことだ……こちらのクラスに、こういった仕事に向いている者はいないからな」

 

「そうか、応援しているよ……あ~、そうだ、ここに来る前に一之瀬さんを見かけたけど、少し落ち込んでいる様子だったよ。気にかけてあげなよ」

 

 正確には心が折れ欠けていたほどだけど、そこは説明しても意味がないんだろう。他クラスのライバルにリーダーが弱味を見せていたとなれば、きっといい思いはしないだろうから。

 

「その辺のことは網倉たちに任せている」

 

「なら安心だ」

 

 そして神崎もその場を去って行った。龍園とは正反対の方向に。

 

「やれやれ、こりゃ新学期も荒れそうだな」

 

「そうだろうね。君もフラフラしてないでしっかりと腰を落ち着けなよ」

 

「ここだっていう大波でもあればそうするんだがなぁ」

 

 残された橋本はそうぼやく。この感じだと坂柳さんに組していながらも、一抹の不安を抱えている感じなのだろうか。

 

 最終試験で負けたことで彼女はプロテクトポイントを失い、しかも葛城派が息を吹き返しつつあるらしい。こちらのクラスとの差も微々たるもの。下手しなくても今のAクラスは入学当初のこちらのクラスよりも不安定かもしれない状況である。そりゃ焦るだろう。

 

「お姫様もイマイチ頼りない感じだし……迷い所だよ」

 

 そして何かを期待するかのような目でこちらを見て来るので、仕方がないから俺も顧客になるとしようか。

 

「何か情報があるなら買い取るよ」

 

「おっと、そこまで露骨に動くのもなあ」

 

 今更何を言っているんだか、坂柳さんに密告するぞ……いや、彼女は橋本の動きを理解しながらも使っているんだろうけど。

 

「気が向いたら声をかけてくれ」

 

「気が向いたらな」

 

 橋本はそう言い残してヒラヒラと手を振りながら去っていく。彼なりの努力が結果に結びつく日を祈るしかないな。別に何もしなくても俺は2000万渡すつもりなんだけど、それはそれで皆の成長と言うか、やる気が無くなってしまうかもしれないので、今はそんなつもりはない。

 

 出来る事ならば、ポイントなんていらない。そこをどけと言って欲しいくらいである。そんな強敵になって貰いたい。

 

 俺たちはAクラスになれるだろうか、そしてその時、挑んで来るのはどこになるだろうか、そんなことを考えながらケヤキモールをフラフラしていると、前方に相棒と目下最大の敵を発見することになる。

 

 清隆と月城さんである。二人は何やら話し込んでいた。

 

 後、何故か松下さんが店の陰に隠れて様子を窺っている、何故だろうか?

 

「どうも月城さん」

 

「あぁ……君ですか」

 

 黙って見なかったことにする理由もなかったので気軽に声をかけると、月城さんはチベットスナギツネみたいな顔になる。かなり失礼な対応をされているのだけど、あちらはそれに気が付いているのだろうか。

 

「清隆、また大人げない苛めでも受けていたのかい?」

 

「そうだ、自主退学しろと詰め寄られている。困ったものだ、天武助けてくれ」

 

「よしわかった、とりあえず海に投げ込んでくるよ」

 

「止めなさい、君が言うと冗談になりませんから」

 

 実際に冗談じゃないからな。

 

「それで、何を話していたんですか?」

 

「ちょっとした世間話ですよ。加えて言うのなら、宣戦布告でもあります」

 

「ん、宣戦布告?」

 

 またそれか、今日は多いな。

 

「ここから先は下手な横槍などは入れずに、ご一報入れようかと思いましてね。以前の試験のような露骨な介入をすると、こちらの首が物理的に飛びそうなので」

 

「つまり、天武が怖いから配慮するということらしい」

 

「なるほど、それなら確かに俺が貴方を追い詰める理由にはなりませんね」

 

 本当に正々堂々……とは言わないまでも、矜持を踏み抜かない形で向かって来るのなら何も言うまい。

 

 その辺の線引きは俺自身も曖昧だけど。強引な言い方をすれば気分次第になってしまうからな。

 

「何ともおかしな話です。綾小路くんを退学させる為に、これから攻撃すると宣言するなど」

 

 でも下手な介入だと首が飛ぶ危険性があるから、それなら「これから攻撃します」と説明してからの方がまだマシである。そこまで行くと横槍や介入と言うよりは、俺たちと月城さんの「直接対決」と呼ぶにふさわしい。

 

 応とも、それなら受け入れよう。あらゆる手段を戦いの作法と納得させることが出来てしまう。詭弁だけど、それでも構わない。

 

 正面戦闘で来るのならば、こちらも正面戦闘で潰すだけだ。そこに怒りなどありはしない。

 

「一先ず、七号にも伝えておきましょうか。新しく入って来る新入生の中にこちらの手先がいると。私は彼らを使って綾小路くんを退学させる為に動く、いかがですか?」

 

「つまり、これは俺たちと貴方たちの直接対決、そう言いたいんですね」

 

「えぇ、矜持をかけて戦いましょう」

 

 そう来たか、俺という人間をよくわかっている発言である。そう言われると受け入れるしかない。

 

「俺は構いませんよ。清隆はどうかな?」

 

「嫌と言ってもどうせ来るんだ。事前に攻めて来ると言ってくるだけ救いかもな」

 

「それもそうだね……あ、月城さん」

 

「どうしましたか?」

 

「よき戦いにしましょう、振り返った時に誇れるような、そんな時間でありたい」

 

「……どうにも調子が狂いますね」

 

 月城さんは固定された自分の小指を少しだけ意識しているようにも見える。自分の小指を折った相手にこんなことを言われてもやっぱり困るか。

 

「七号さん、一つ訊いておきたいことがあります」

 

「何でしょうか?」

 

「貴方は私の知る限り、最も人間離れした人間です。そんな貴方から見たホワイトルームはどう映るのでしょうか?」

 

「どうと言われても困ります……俺はその場所の良し悪しを語れるほど知りませんし、理解も浅いでしょうから」

 

「それはそうでしょうね」

 

「ただ、清隆が特殊な例なだけで、本当にその理念を実現できるのかは疑問ではあります……まぁ、それを証明するのは百年後の未来でしょうから、何とも言えませんね」

 

 その前に殴り込みに行くかもしれないけど、あちらから関わってさえ来なければ俺だってわざわざそんなことはしない。でも清隆と相棒な以上は敵対勢力なんだよな。

 

「俺から言えるのは、もっと食事を美味しくしてあげて欲しいってことだけですよ。清隆曰く、食事がとても不味いらしいので」

 

「そこまでは私も知りません。運営側ではないので」

 

「そうなんですか?」

 

「えぇ、私はただ雇われているだけですよ。彼のお父上にね」

 

 中間管理職っぽいなと思っていたけど、やっぱりそうだったのか。

 

「ふぅ、君と話していると不思議と調子が狂う……愉快な会話はこの辺りにしておきましょう。それでは綾小路くん、そして笹凪くん、新学期をお楽しみください」

 

 月城さんはまだ学園長代理としての仕事があるのか、そう言い残してケヤキモール内の工事現場を視察していく。ここに新しいテナントでも入るのだろうか?

 

「四月からまた苦労しそうだ」

 

「だね、まあ頑張ろうよ」

 

「頼りにさせてもらうぞ」

 

「任せてくれ……実は言うと俺も君以外のホワイトルーム出身者が気になってたりするんだよね。つまりは量産型清隆的な人たちが沢山いるってことなんだからさ」

 

「量産型オレか……いや、止めてくれ、凄く変な気分になる」

 

 オレと清隆が想像したのは、クローン戦争みたいな光景である……うん、世も末だな。

 

「そうだ、この後ラーメンでもどうだい? いつもの店でさ」

 

「ふむ、確かに少し小腹が空いていた所だ」

 

「よし決まりだ」

 

 一年前は彼とこんな関係になるとは思っていなかったな。人の縁は奇妙なものである。

 

 来年、そしてその次も、まだまだ高校生活は続いていくことになる。相棒と、友人と、仲間と、ライバルがいる生活が続いていくのだろう。

 

 坂柳さんや、鈴音さんや、堀北先輩は、いつかどこかで俺が誰にも付いていけない場所まで行くのではと危惧していたようだが、別にそんなことはない。

 

 孤独は嫌いだ、寂しいのも嫌だ。俺は普通にそう思えるくらいには、寂しがりやな人間である。

 

 だからこの学校で結んだ様々な縁を大事にしたい。たとえライバルであったとしてもそれは変わらない。

 

 今、俺の隣で今日は何味のラーメンを頼むか悩んでいる清隆だってその一人である。

 

 入学したばかりの頃は、師匠と過ごした山奥の神社をどこか寂し気に思い出していたけど、いつのまにかそうではなくなったな。

 

 日々、充実しているということだろう。俺の全てだったあの場所を寂しいではなく懐かしいと思えるくらいには。

 

「清隆、ありがとう」

 

「急にどうしたんだ?」

 

「感謝は素直に伝えるべきだと師匠に教えられていたから、思ったことをそのまま伝えたんだ」

 

「そうか、そういうものなのか……ならオレも伝えておこうか」

 

 ラーメン屋を目指しながら隣を歩く清隆がこちらを見つめて来る。

 

「ありがとう、オレも感謝している」

 

「お、えらく素直じゃないか」

 

「お前がそう言ったんだろう。こういうのは素直に伝えるべきだと」

 

「ふふ、そうだったね」

 

 来年の今頃も、こんなことを言い合えたら、俺はとても幸福だと思う。

 

 

 

 

 



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春休み 3

 

 

 

 

 

 

 

 この一年色々あったと今更ながら振り返る。師匠の勧めでこの学校に入り、初めての学園生活にキョロキョロとして落ち着かなかったことを思い出す。

 

 不安もあったし、期待もあった。ずっと師匠と暮らしていて、自分と師匠と敵の三人で閉ざされていた世界だったけど、テレビの向こうにしかいない筈の高校生を体感できることで、楽しみ半分不安半分だったのは間違いない。

 

 この学校は普通とはかなりかけ離れているけど、それでもネクタイをしてブレザーに袖を通して、制服というものを身に纏った時に、笑みがこぼれてしまったことは良い思い出だ。

 

 それからポイントシステムだったり、クラス闘争だったり、友人や仲間との縁であったりと、休む間もなく次々と色んなことが押し寄せて来て、気が付けば一年である。

 

 あっという間だったな。咲き始めた桜を眺めながらそんなことを思う。

 

 寮のすぐそばにある桜並木の中で清隆と戦ったのも良い思い出である。あの自販機近くで鈴音さんが生徒会長だったお兄さんに詰め寄られて投げ飛ばされそうになっていたことも何だかんだで変な縁となった。

 

 これが一般的な高校生活かどうかはわからないけど、この学園に入って良かったと断言できるくらいには、生活は充実している。

 

 そんなことをしみじみと思いながら、寮の近くにある桜並木たちを眺めていた。

 

 手には自販機で購入したココア。そろそろ冷たい物が欲しくなってきたな。

 

 生温いココアをチビチビと飲みながら桜の香りを感じ取っていると、そんな俺に声をかけてくる人がいた。私服姿の鈴音さんである。

 

「何をしているのかしら?」

 

「飲み物買って、一息ついてたのさ。そっちは?」

 

「こちらも買い物よ、新学期に備えて色々とね」

 

 確かに鈴音さんの手にはケヤキモールで買ってきたであろう物資と食材が詰まった袋がある。無料商品もある辺り節約も心がけているようだ。

 

「堀北先輩との別れはしっかりできたのかい?」

 

「えぇ、大丈夫よ……話したいことは沢山あったけれど、二年後に幾らでも時間は作れるでしょうから」

 

「ん、その通りだね」

 

 一年前の鈴音さんを思い出す。入学したばかりの頃のハリネズミモードの彼女を。

 

「何をニヤついているのかしら?」

 

「一年前の君を思い出していたんだよ。ツンツンしてて可愛らしかったなって」

 

 すると鈴音さんはムスッとした顔になって近づいてくると、買い物袋を持っていない空いた方の手で俺の耳を引っ張るのだった。

 

「イタタタ」

 

「余計なことを言わなくて良いのよ」

 

「ごめん、でも事実だったからさ」

 

 揶揄ったお詫びに、俺は自販機で飲み物を購入して鈴音さんに渡す。

 

 そして二人で自販機横のベンチに座って、春の風を感じ取るのだった。

 

 風に揺られて桜の花びらが緩やかに落ちて来て、その一枚が隣にいる彼女の髪に引っかかった。

 

 鈴音さんもそれに気が付いたのか、花びらを摘まんで払い除けた、その動作はとても絵になっており、美しいと感じてしまう。

 

「この一年、色々とあったよね」

 

「思い返してみればあっという間だったわ」

 

「きっと来年の今頃も同じことを言ってるんじゃないかな」

 

「そうかもしれないわね」

 

 クスっと微笑んだ鈴音さん。一年前には見れなかった表情である。

 

「鈴音さんはこの一年で随分と笑うようになったよ」

 

 すると彼女は少しだけ照れたような顔をする。

 

「いけないことかしら?」

 

「いいや、笑顔の君は素敵だ」

 

「……貴方のその軽薄なセリフは一年たっても変わらなかったわね」

 

「軽薄かな? ただ思ったことを言っているだけなんだけど」

 

「だ、だから、そういう所よ……」

 

「でも笑顔の君は魅力的だ」

 

「……馬鹿」

 

 照れた様子でまた彼女は俺の耳を引っ張ろうとするので、慌てて謝罪することになった。

 

「一年前の貴方も似たようなことを言っていたのを覚えているかしら、いきなり交際を申し込んで来たことを」

 

 丁度、この自販機横のベンチに近い場所だったな。堀北先輩と喧嘩していた鈴音さんを助けた後のやらかしである。今思えば随分とアレな発言であったと思う。幾ら何でも恋を教えて欲しいから交際しましょうはないだろう。アレが世間一般からかなり乖離した考えであるということはこの一年でよくわかった。

 

 師匠に恋を知れと言われたからなのか、手っ取り早く恋人を作ろうとしていたからな……いや、鈴音さんが魅力的なのは事実なので、この子ならばと思ってはいたんだけど。

 

「あれに関しては本当にすまない。出来心というか、焦りがあったというか、今ではとても反省しているよ」

 

「本当に?」

 

「あぁ……あの時の俺は、ちょっと焦ってたんだと思う」

 

「それほど恋人が欲しかったということ?」

 

「恩師に言われてたんだ。夢と憧れと恋を見つけなさいって……これはあの時にも話したっけ」

 

「そう言えば言っていたわね。確か、一つ見つけて未熟者、二つ見つけて半端者、三つ見つけてようやく一人前だったかしら」

 

「そう、それを見つける為にこの学校に来たと言っても過言ではないんだよ」

 

 鈴音さんは俺の軽薄な目標に少しだけ考え込むような顔になる。

 

「憧れは持っていた、夢も見つけられた……後は恋だけ。ただまぁ、軽い考えで探すようなものじゃないんだろうことはこの一年でわかったよ」

 

 求め過ぎていたのだと思う。うん、今ならそれがよくわかった。多分師匠が言っていた恋を探せと言う意味をはき違えていたんだろう。

 

 憧れは簡単に超えられるものでもないし、夢は楽に達成できるものでもなく、恋だって軽々しく扱えるものではない。俺はこの一年でそう学んだのだ。

 

「鈴音さんはどうかな、どれか見つけられたかな?」

 

「急に言われても困るわね」

 

「そりゃそうだ」

 

 いつか鈴音さんにも夢や恋を見つけるのだろうか。憧れは既にお兄さんに向けているようだけど。

 

「ま、焦るようなことでもないし、慌てるようなことでもない、恋しいと思える感情をゆっくりと探していくよ。答えを急いている時点できっと一人前とは言えないだろうからさ」

 

 その内、きっとどこかで誰かに恋をするのかもしれない。嫉妬することになるのかもしれない、それがわかれば俺はようやく一人前だ。

 

 そして重要なのは、そこが終わりではなく始まりであるということ。そこを忘れてはいけない。師匠に課せられた目的を達成してそれで満足していては、きっと俺はぶん殴られるだろう。

 

 きっと入学当初の俺は理解出来ていなかったんだと思う。三つ見つけて一人前になれという師匠の言葉を盲目的に信じていて、それを一日でも早く達成して褒められたくて行動していた筈だ。

 

 だから鈴音さんにあんな滅茶苦茶な交際を要求してしまったんだろう。沢山反省しなければならない。

 

 恋とは焦るものでもない、都合よく求めるモノでもない、少し大人になったということだ。

 

「そう……少し軽薄な所もあるけれど、天武くんなりの考えがあったことはわかったわ」

 

 鈴音さんもあんな急な交際要求に呆れていた様子ではあったが、何だかんだでこの一年色々と協力して助けてくれたのだから、懐の深い人だと思う。

 

 可愛らしい人である、彼女を知る度にそう考えるようになった。

 

「私は、その、恋愛というものはよくわからないわ……何となく遠く感じているのよ」

 

「よくわかるよ。なんか恋愛感情って遠いよね」

 

「えぇ……交際というのも理解が遠いわ。兄さんには、まだ幼いからだと言われたけれど」

 

「堀北先輩とそんなことを話したのかい?」

 

「別れ際に、この一年を少しだけ話したのよ。試験はどうだったとか、友人は出来たとか、何を思ったのか、何が足らなかったのか……恋人はいないのかとも訊かれたわね。よくわからないと言ったら、少し笑われてしまったけれど」

 

 あの人、自分のことは棚に上げてそんなことを言っていたのか、自分も高校三年間で恋人を作らなかった癖に。

 

 ずっと隣にいた橘先輩とはどうなんだろうか。もしかしたら今頃交際している可能性もあるのかな。

 

「よく学び、経験して、何よりも高校三年間を楽しめと最後に言われたの」

 

 また悩むような顔つきで、鈴音さんは頭に乗った桜の花びらを取り払う。そして次に視線はこちらに向いて、今度は俺の頭の上に乗った花びらを取り払った。

 

「だから、色々と考えているのよ……恋愛に関しても、くだらないとは言えないわね」

 

「ん、良い事だと思うよ。お互いにまだまだ遠い感情だけど、学んで行けばいいさ」

 

 彼女はまたクスッと笑った。とても穏やかな表情である。

 

「そうね……学んで行けばいいわね」

 

 いつか彼女も誰かに恋する日が来るのだろうか? もしかしたらそれは俺よりも早いのかもしれない。

 

 鈴音さんが誰かと交際する……パッと思いつくのは清隆である、次点で須藤か?

 

 何だかんだでお似合いなように思えて、しかしイマイチ似合わない、不思議な組み合わせであった。

 

「ねぇ、天武くん」

 

「何かな?」

 

 尋ねて来たというのに、鈴音さんはそこで黙ってしまう。色々と考えているようで、瞳は落ち着きなく揺れ動いているが、内心を完全に測れない。

 

 ただわかるのは、彼女は今迷っているということだろうか。

 

「貴方の言葉を借りるのなら、恋……いえ、そう言った感情を知らない間は一人前ではないということよね」

 

「俺はそう思っているけど、別に他人にまで押し付ける気はないよ」

 

「いえ、納得できる部分もあるから、それは良いの……ただ、そう考えると、私はまだまだ足りない部分も多いということになるのよ」

 

 そんなこともないと思うけどな。少なくとも一年前の彼女とは比べられない程に成長したと思っている。それは単純な頭の良さや運動能力といった意味ではなく、人としてという意味だ。

 

「その、私も……そういった相手を作った方が良いのかしら?」

 

「良いんじゃないかな。個人的には清隆とか須藤とかおすすめだけど」

 

「何故その二人の名前を出したのかはわからないけど、論外ね」

 

 なんでだ、どちらも仲が良いじゃないか……もしかしたらどこかであの二人は今頃くしゃみをしているかもしれないな。

 

 鈴音さんはベンチに座った状態で大きく溜息を吐く。そこまで呆れられるとあの二人が可哀想になってくるから止めて欲しい。

 

「まあ焦る必要はないって、ゆっくりで良いから見つけていけばいい。それが大人になるってことなんじゃないかな」

 

「天武くんはそういった相手はいないのかしら?」

 

「今の所さっぱりだ」

 

 綺麗だとか、魅力的だとか、そう思える人はこの学園には沢山いるけど、だからといって付き合いたいとはならないのが不思議であった。

 

 きっと堀北先輩は、鈴音さんに言ったようにこんな俺を幼いと言うのかもしれないな。当然、自分のことを棚に上げて。

 

「誰かが恋を教えてくれればいいんだけどね」

 

 残念なことに、そんな都合の良い相手はいなかった。

 

 或いは、残された二年で、俺は誰かとそう言った関係になって……晴れて一人前になれるのだろうか?

 

 よくわからないな、今はまだ楽しみにしておくことしかできない。

 

 隣に座る鈴音さんは暫く口を閉ざす。僅かに気まずい時間が流れていき、どうしたものかと考え始めた段階で、また春の風が吹き抜ける。

 

 また頭の上に花びらが乗ることになるのだが、肩に乗ったそれを優しく払い除け、そして白魚のような手が俺に乗った花びらも払い除けた。

 

 そこでまた視線が絡み合う。相変わらず怜悧で美しい瞳と表情がそこにあった。

 

「そこまで恋がしたいというの?」

 

「一人前になる為にね……ただまあ、こんな考えな時点で色々と失礼ではあるんだろうけどさ」

 

 目的と本質にズレがあるのは自覚していた。誰かに恋して付き合うのではなく、一人前になりたいから恋をするという、決定的なズレがある。

 

 そこを修正することが、俺がやるべき最初の心構えなのかもしれない。

 

「そう……なら、お互いに精進しないといけないわね」

 

「あぁ、そうだね」

 

 またクスリと笑った鈴音さんは、手に持っていた空き缶を自動販売機の隣にあるゴミ箱に入れた。

 

 

「恋が知りたいのなら、教えてあげなくもないわよ」

 

 

「……え?」

 

「知りたいのでしょう?」

 

「そりゃまぁ……けれどどうやって?」

 

 腕を組み、顎に手を当てて鈴音さんは考え込む。そしてとびっきりの悪戯でも思いついたかのような表情をしてこんなことを言って来る。

 

「さぁ……どうやってするのかしらね」

 

 誤魔化すように、煙に巻くようにそう言って、クスクスと笑う。俺は揶揄われたのだろうか?

 

 彼女は悪戯でも成功したかのように、とても意地悪な顔をしてしまう。

 

「その内、教えてあげるわ」

 

「堀北さんもよく知らない癖に」

 

「失礼ね、少なくとも貴方よりは博識よ、間違いなく」

 

 何故か根拠のない自信を見せる鈴音さんは、ベンチから立ち上がって軽く背伸びをした。

 

「もう、すっかり春ね」

 

「あぁ、良い季節だ」

 

 そして俺もベンチから立ち上がって同じように桜並木を見つめる。

 

 やがてどちらともなく歩き出して、寮への帰路を進み出す。

 

「鈴音さん?」

 

 

 その途中だ、隣を歩く鈴音さんが、その指先で俺の袖口を掴んだのは。

 

 

 手を繋いだ訳でもない、腕を組んだ訳でもない、ただ摘まむように袖が掴まれる。

 

 何故そんなことをするのかと隣を歩いている彼女を見つめてみると、少しだけ顔を赤くしながらも、してやったりといった顔で待ち構えていた。

 

「言ったでしょう、私は貴方よりも博識だと」

 

「……なるほど」

 

 よくわからない理論だが、別に悪い気はしない。

 

 ただ少し意地悪な気配を感じたので、仕返しとばかりに俺は袖口を摘まむ鈴音さんの手を逆に掴み返す。

 

「ち、ちょっと……」

 

「恋を教えてくれるんだろう? なら、俺も知っていることを教えてあげる。恋するとこういった行為に幸福を見出すらしい。実際にそうなのかは知らないけれど、実験してみよう」

 

「そ、そう……実験ね」

 

「うん、実験だ。どうかな、幸福を感じるかな?」

 

「よくわからないわ……ただ――」

 

 彼女は桜を背景にして少し照れて、けれど僅かに微笑んでこう言った。

 

 

「嫌な気分にはならないわね」

 

 

 

 これが、新学年が始まることになる一日前のことだった。

 

 

 

 

 

 



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一年前の話 前編

この話が終わると、一年生編も終わりとなります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで後24時間』

 

 

 

 

 

 

「えっと、すみません師匠。俺は入学関連のあれやこれやは全く関わってないんですけど、準備とかどうなってるんですか?」

 

『安心しろ、手続きはこちらで済ましてある。荷物や制服などは指定したホテルに配送してあるので、そこに向かいなさい』

 

 色々と忙しかったここ最近の仕事を終わらせ、アメリカからすぐさま帰国して空港に降り立った瞬間に、俺は未だに海外で仕事を行っている師匠とそんな通話を行っていた。

 

 スマホの向こうでは何やらドンパチの音が広がっているが、師匠の声は落ち着き払っており、大きな心配はいらないのかもしれない。少なくともあの人が死ぬのは想像できない。

 

 俺は護衛任務を引き受けて一人の少女をアメリカまで亡命させたのだが、高校の入学が迫っていることからすぐさま帰国して、今は空港にいる。

 

 ただ入学しろと言われても不安に思って当然だと思う。準備も無ければ情報も何一つとして持っていない。日本国内なのに荒野に放り出された気分であった。

 

『以前に受験を受けさせただろう?』

 

「えぇ、覚えていますよ。ちょっと遠かったから、麓の街の市役所でやったテストですよね」

 

『うむ、問題なく合格したようだ。明日より君は高校生である。よく学び、よく食べて、よく成長するといい。以前にも言ったことがあるね、夢と憧れと恋を見つけるようにと』

 

「はい、一つ見つけて未熟者、二つ見つけて半端者、三つ見つけてようやく一人前でしたよね」

 

『そうだ。高校と言う場所ではそれらが見つけやすいだろう。青春というのは大切だからな』

 

 そんな通話をしながら空港の入口付近でタクシーを捕まえて、師匠に教えて貰ったホテルまで運んで貰う。

 

『いいかい、弟子よ。君はまだまだ未熟者だ……武人としても人としてもあらゆる物が足りていない』

 

「はい、勿論わかっています」

 

『だからこそ多くを学びなさい。きっとこの先、君は様々な縁を結んで無数の経験を積み重ねるだろう……勝利して、時に敗北して、躓くこともあれば、嘆くことも悲しむことも、調子に乗ることだってあるだろう、そして酷い矛盾や無力感を抱えることだってある筈だ……だが、それで良い』

 

 またスマホの向こうでは爆発音のような物が響く。きっと戦車でも投げつけているんだろう。

 

『完全完璧でない君に、完全完璧など求めはしない……あらゆる勝利を、敗北を、無力感や酷い矛盾も、力及ばなかった現実も、それら全てを己の力と変えなさい。未熟者にできるのはいつだってそれだけだ』

 

 スマホの向こう側で、師匠が戦車を片手に少しだけ笑ったような姿がそこで思い浮かぶ。

 

 

 

『君はその先に、未熟を越え、半端を越え、一人前も越え、妙手を凌駕して、達人に至り……更にその先で、天下無双の漢となりなさい』

 

 

 

 

「わかりました。頑張ります」

 

 俺がそこに至れるかどうかはわからない。わかっていることは、俺はこの先様々な経験をして成長していくということだけである。

 

 沢山の勝利を、敗北を、無力感を、矛盾を、力に変えていく、それだけだ。師匠も言ったように完全完璧でない俺はあらゆる経験を蓄積していくことでしか活路を見いだせないのだから。

 

 少しだけ名残惜しさを感じながら、スマホの通話は切れることになった。まだ海外でやることがある師匠とはここでお別れとなる。

 

 また三年後に、幾らでも話す機会はあるだろう。その時には、今よりはマシな男になっていたい。

 

 天下無双にはまだ遠いけど、目指さない理由はどこにもない。

 

 

「おや、事故かな? お客さん、どうやら暫く動けないみたいだ」

 

 

 まだ見ぬ学び舎と、師匠のことを思っていると。荷物が配送されているホテルまで移動する為に捕まえたタクシーの運転手が、前方の渋滞を見てそんなことを言った。

 

 俺もフロントガラスの向こう側に視線を向けてみると、確かにそこでは乗用車が横転して大規模な渋滞が出来ているのがわかる。

 

 怪我人はいるのか? 警察や消防はすぐさま駆けつけるのか? いや、この渋滞だと厳しいか。

 

「ここまでありがとうございました、俺はここで降りますよ。おつりはいらないので取っておいてください」

 

 事態は急を要するらしいので、空港で両替した一万円札を支払っておつりを受け取らずにタクシーの外に出る。

 

 そしてすぐさま事故現場に駆け付ける。何があったのかはわからないが、横転した乗用車はガソリンが漏れており深刻な事態であることがわかった。

 

「大丈夫ですか!?」

 

 横転した乗用車の中には老人が一人、意識はあるようだが扉が変形しているのか外に脱出できない状況のようだ。

 

 それがわかった瞬間、変形した扉の隙間に貫手を差し込んで、強引に扉をこじ開けていく。

 

 メキャメキャっといった音と共に変形した扉を開かれる。そして中にいた老人がかけていたシートベルトを引きちぎり、抱きかかえて脱出させるのだった。

 

 ついでに、貴重品なども必要だろうと思い。助手席付近で転がっていた鞄や財布なども一緒に外に持っていく。

 

 その数秒後だ。ガソリンに火が付いて乗用車が炎上したのは。

 

「危ないな、ギリギリじゃないか」

 

 一瞬で炎に包まれた車を見て、助けに入るのがもう数秒遅れていればどうなっていたのかを想像してしまう。だがこの老人は助けられたので全て良しである。

 

「すまないねお若い方、救われたよ」

 

「ご婦人、どうかお気になさらず」

 

 救助したご老人は俺の手を取ってしきりに感謝してきた。こうして感謝の思いを伝えられるのは悪い気分にはならないな。

 

「意識はしっかりしているようですし、目立つ怪我も見受けられません。ですがしっかりと病院で検査なされてください」

 

「ありがとうねぇ、何かお礼をしないと」

 

「成すべきことを成しただけですので、本当にお気になさらず」

 

「そうも行かぬのが人情だよ……ただ、年金暮らしの婆にはちょいと厳しいかもしれない」

 

「本当に必要ありませんよ」

 

 だが老婆は気が済まなかったのか、鞄の中を漁ってこんな物を差し出してくる。

 

「すまないねぇ、こんな物しかなかったよ」

 

 取り出されたのは飴の入った袋である。カラフルなそれは子供に人気のある奴だ。

 

「孫にあげようと思って取っておいた奴だ」

 

「甘い物は大好物なので、とても嬉しいです」

 

 この老人の心情としても、せめてもの感謝を表したいのだろうと汲み取って、俺はその飴が入った袋を受け取った。

 

 誰かを助けて飴を貰う。良い時間を過ごしたものである。

 

 遠くから救急車と消防車のサイレンが聞こえて来たので、後はそちらに任せて問題ないだろうと判断すると、飴をポケットにねじ込んでからその場を後にするのだった。

 

 タクシーは乗り捨ててしまったので、ここから先は徒歩で荷物があるホテルまで移動しなければならないな。

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで後23時間』

 

 

 

 

 新しいタクシーを捕まえるか、それとも徒歩でのんびり移動するか、そんなことを考えながら目的地のホテルまで歩いていると、今度は泣き声のような物が耳に届く。

 

 師匠に改造された耳は地獄耳なので、泣き声を見逃す筈も無く、何事だと俺はその声の発生源に向かって走り出した。

 

 しかもこの泣き声、女の子のものである。それならばより頑張らなければならない。

 

 都心の大通りを抜けて住宅街交じりの商店街付近まで移動すると、泣き声の主を発見すると同時に、泣き声の理由にも納得する。この商店街で購入したのか、それとも自宅から持ってきたのかは知らないが、小さな女の子が持っているカラフルな風船が手元を離れていたのだ。

 

 その風船は、商店街の中央通りに生えている桜並木の枝に引っかかってしまっている。あの少女では決して届かない高さである。

 

 なので俺は、勢いを付けてジャンプすると、七メートルほどの高さで桜並木の枝に引っかかっていた風船をキャッチする。

 

 

 ただ悲しいかな、枝に引っかかっていたその状況で強引に引っこ抜いたのだ。それほど頑丈でもない風船は、その場で破裂してしまうのだった。

 

 

「うぇぇええぇぇえんんんッ!?」

 

 

 当然ながら少女は号泣である……カッコよく颯爽と解決しようとしたのだが、そんな簡単にとはいかないらしい。

 

「す、すまない。漫画のヒーローは上手いこと解決していたんだけど、やっぱり漫画と現実は違うもんだね」

 

 俺が破裂させてしまった風船はもう戻らない。つまり少女が泣き止む理由もない。どうしたものかと悩んでいると、ポケットにある膨らみの存在を感じ取った。

 

「あ~……お嬢さん、良ければこちらをどうぞ」

 

 ポケットの中にあった飴が入った袋を泣きわめく少女の前に差し出すと、彼女はそれを見た瞬間に泣き止む。

 

 現金な物である。しかし子供らしく可愛いとも思えた。

 

「……くれるの?」

 

「あぁ、この飴は全て君の物だ。代わりに泣き止んではくれないかな?」

 

 少女はそんな要求に、小さくコクッと頷いて飴が入った袋を受けてってくれる。風船は破裂してしまったが、これで一件落着だな。

 

 カラフルな飴を受け取って涙は引っ込んだ。そしてその内の一つを口に含むと、花が咲いたような笑顔を見せてくれる。

 

「ありがとう、お兄ちゃん」

 

「どういたしまして。ごめんね、風船を割っちゃって」

 

「ううん、いいの。頑張ってくれたのはわかるから」

 

 聡明な子供である。飴を貰ったから上機嫌なのかな。

 

 彼女は口の中に広がる甘い味に満足そうにしながら、思い出したかのように自分の小さなポケットを弄っていく。

 

「はい、これ、お兄さんにあげるね」

 

「これは、ビー玉かな?」

 

「うん、私の宝物」

 

「そんな物を貰ってもいいのかな」

 

「お母さんがね、いつも言ってるの。頑張った人にはご褒美が必要だって。だから私も沢山お母さんを手伝ってるんだ」

 

 そう言って少女は、商店街の一角を埋める精肉店を見つめる。どうやらそこの店員さんがお母上であるらしい。別に迷子と言う訳でもなかったので一安心だ。

 

「だからあげるね」

 

「ありがとう」

 

 少女を笑顔にすると、飴玉がビー玉に変わるのだった。

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後22時間』

 

 

 

 

 

 さて少女も笑顔にしたことだし、今度こそホテルに向かおうと歩き出す。

 

 飴玉からビー玉に変わったそれを指先で摘まんで、歩きながら太陽にかざして商店街を歩く。

 

 言ってしまえばただのガラス玉でしかないが、色付けされて中にある無数の気泡が独特の美しさを纏っており、太陽にかざしてみるととても美しく感じられるのだった。

 

 そんなことをしながら歩いていたからだろうか、何かに少しだけ躓いてしまって、俺は指で摘まんでいたビー玉を地面に落として転がしてしまうことになる。

 

 幸いなことに割れることは無かったようだが。小さなビー玉はそのままコロコロと商店街の中を転がっていく。

 

 慌てて追いかけると、ビー玉は商店街の中央通りに植えられている桜並木の根っこにぶつかって止まる。

 

「やれやれ、貰っていきなり無くすことにならないで良かった……うん?」

 

 桜の木の根っこにぶつかってとまったビー玉を拾い上げると、そのすぐ傍に500円玉が転がっているのを発見する。誰かが何かの拍子に落として、どうせ500円だからどうでもいいかと放置されていたらしい。

 

 儲けものである。俺はビー玉と一緒にその500円硬貨も拾い上げる。

 

 

「宝クジいかがですか~、キャリーオーバー中ですよ~!!」

 

 

 すると500円硬貨を拾い上げた瞬間にそんな声が耳に届く。そちらに視線を向けてみると、商店街の一角に宝クジを販売する売店があるのを発見した。

 

 そう言えば何年か前にも気まぐれに購入した宝クジが見事に一等に当籤したんだったか。

 

 そんなことを思い出して、丁度手元にある五百円玉に視線をやる。

 

 これも何かの縁か、せっかくなのでその500円硬貨で一口購入することにした。

 

 またあの時のような幸運が簡単に掴めるとは思えないが、こういうのは気分が乗った時に気まぐれで買う方が良いんだろう。

 

「すいません、宝クジ一口お願いします」

 

「はいどうぞ」

 

 宝クジの売店で500円硬貨を差し出して一口だけ購入する。まぁおそらくこれが大金に変わることはないんだろう。夢を買うとはよく言ったものである。

 

 実際に当たるかどうかよりも、もし当たったらどうするかを考えている時間の方が楽しいらしいからな。この宝クジを眺めながら色々と妄想するとしよう。

 

 いや、待てよ、確か俺が入学する学校は外部との接触がとても困難な場所であるらしい。もしこの宝クジが当たっていたとしても、それを換金する術がないんじゃなかろうか?

 

 そう考えるとこれはかなり無駄な行いなのかもしれない。いや、500円程度でどうのこうの言うつもりは無いけどさ。

 

 手に持った宝クジをどうすべきか迷っていると、またもや師匠に鍛えられた耳に誰かの悩まし気な声が届く。

 

 商店街に隣接する公園、子供たちが遊具で遊んでいるその近くにあるベンチでは、スーツ姿の男性が頭を抱えて座っていた。

 

 最初は子供の面倒でも見ているのだろうかと思っていたが、お葬式を数回ほど連続で経験したかのような雰囲気は見守る者の顔ではなく、頭を抱えて大きな溜息を吐く辺り、悩みは深刻らしい。

 

 このまま首でも吊りそうだな、そんなことを思ってしまったので、俺は公園に立ち寄ってそのスーツ姿の男性が頭を抱えているベンチまで近づいていく。

 

「あの、どうかしましたか?」

 

 声をかけるとスーツの男性は顔を上げる。ここ二、三日ほどまともに眠れていないのか、目元に隈ができておりゲッソリとした顔をしていた。

 

「とても深刻な様子でしたよ。しかも顔色も悪い」

 

 男性が座っている公園のベンチに俺も腰かける。突然に話しかけられて困惑したようすの男性は、乾いた笑いを口から漏らす。

 

「ハハハ、そんなに深刻な顔をしていたかな……いや、まぁ、自覚はあるんだけれどね」

 

「その、言いたくはないのですが、今日にでも首を吊りそうな雰囲気だったので、お節介かとは思いましたが」

 

「そうか、すまないね。気遣わせてしまったようだ」

 

「えっと、何か悩み事が?」

 

 見ず知らずの他人に悩みなど語れないだろうけれど、このまま放置してしまうと、この人は本当に首を吊りそうなので話を聞くしかない。

 

「……あぁ、うん、悩み事と言えばそうなんだ」

 

「俺で良ければ愚痴を聞きますよ。見ず知らずの他人に話すようなことでも無いかもしれませんが、だからこそとも言えます……少しでも心が穏やかになれるかもしれませんよ」

 

「……」

 

 スーツ姿の男性は、悩みながらもポツポツと話し始める。もしかしたら誰かに話を聞いて貰いたかったのかもしれないな。

 

「実は……共に会社を立ち上げた友人に、会社の金を持って逃げられてしまった」

 

「お、おう……」

 

 深刻な話だろうとは思っていたけど、予想よりもずっと重たい話だった。そりゃ頭を抱えるだろう。

 

「笑えるだろう? 学生時代からの友人だったというのに、きっと今頃は愛人と一緒にハワイだ」

 

「なるほど……深刻過ぎてなんとも言えませんが、頭を抱える事態だということはわかりました。これからどうなされるつもりですか?」

 

「どうもこうもないさ……だから頭を抱えているんだ」

 

 そりゃそうだ。そしてこればかりは俺にはどうしようもない。一瞬、口座の中にある額が頭をチラついたが、それをこの人に渡せば解決するだろうか?

 

「ふッ、だがまぁ、やらなければならないんだろうな……すまないね、こんな愚痴を聞かせてしまって」

 

「いえ、大丈夫ですよ」

 

「お先真っ暗だが、社員も家族も食わせていかねばならんのだ……頑張るとしよう」

 

 少なくとも首を括るつもりは無くなったらしい。前を向いて進んでいけるというのなら、俺が言うべきことはなにもない。

 

「あ、そうだ。何の慰めにもなりませんけど、この宝クジをどうぞ」

 

「うん? これはどうしたんだい?」

 

「さっきそこの売店で気まぐれに購入しました。いらなければ捨ててくださって結構ですので」

 

「……まぁ、最後くらい、運頼み神頼みも悪くはないか。煙草代くらいになれば御の字だろうしね」

 

 スーツの男性は差し出された宝クジを受け取って、何とも言えない顔になる。

 

「ありがとう。愚痴って少しだけ気が楽になったよ」

 

「多少なりとも力になれたのなら良かったです」

 

「そうだ、お礼にこれをあげよう。以前に海外に行った時に購入した土産物でね。何でも幸運を呼びよせるメダルらしい」

 

 そう言って男性は財布を取り出すと、中から女神の刻印が施されたメダルを取り出してこちらに渡してくる。実際に通貨として使える物ではなく、記念品と言うか土産物と言うか、そんな感じのメダルである。

 

「私には何の幸運も齎されなかったが、不思議と手放せなくてね。だけど宝クジのお礼に渡しておこう」

 

「わかりました。では遠慮なく」

 

 幸福を呼び寄せるというメダルを手渡すと、男性は宝クジ片手に肩を落としてトボトボと帰っていく。

 

 どうか幸がありますようにと願いながら、俺は受け取ったメダルを胸ポケットに入れた。

 

 

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後20時間』

 

 

 

 

 

 

 首を吊りそうだった男性に気まぐれで購入した宝クジをせめてもの慰めとして渡して、どこかの国で購入したという土産物のメダルを受け取った後、俺は指定されたホテルにまで徒歩で辿り着いていた。

 

 予約されていた部屋に入ると、そこには段ボール箱が一つ。中を確認してみると真新しい制服が入っていたので引っ張り出す。

 

「これが制服か……凄いな、テレビの向こうにいた人たちが着てたヤツだ。あ、でも学ランじゃないんだな」

 

 黒い学ラン姿もよく映えると思っていたが、ブレザータイプの制服も悪くはない。寧ろカッコいいとさえ思えた。学ランは学ランで良いものなんだけどね。

 

 制服を取り出して眺めていると、どうした訳か頬が緩む。明日の朝にはこれを着て高校生になっていることを想像すると、なんだか楽しい気分になっていたからだろう。

 

 友達はできるだろうか、青春的な活動があるだろうか、噂では運動会や文化祭なる催しもあるらしいので、今から楽しみである。

 

 ツンツンした女の子と何だかんだで仲良くなったり、なんだか謎の多い男の子と友情を育んだり、テストで悩んだり、運動で競い合ったり、俺の頭の中にはわかりやすいくらいに高校生らしい光景が妄想されていた。

 

「高校生か……楽しみだな」

 

 ホテルのベッドに体を沈めて、真新しい制服を掲げながら妄想に耽る。

 

 そう、俺は明日から、高校生になるのだ。

 

 さぞ楽しい時間になるだろうなと、特に根拠もないのにそう考えていると、ズボンのポケットに入れていたスマホが震えだす。

 

 俺に連絡してくるのは基本的に師匠なので、もしかしたらまた話せるかとも思って機嫌よくスマホを耳に当てると、向こうから届いたのは美しい声色ではなく、野太い男性の声であった。

 

 

 

『七号、仕事を依頼したい』

 

 

 

 

 どうやらまだ、俺が高校生になるのは少し早いらしい。

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後18時間』

 

 

 

 

 



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一年前の話 中編

 

 

 

 

 

 

 

「俺は明日から高校生なんですけど」

 

 突然の要求に困惑しながらも、スマホの向こうにいる誰かにそう伝えた。

 

 この声、聞き覚えがあるな、俺とは直接的な関わりはないけど、よく師匠に土下座しに来る人だ。名前は確か鬼島さん。

 

 そしてこの人が土下座しにくると、決まって面倒事がやってくる。

 

「ええっと、その声は鬼島さんでしたよね?」

 

『そうだ』

 

「色々とお聞きしたいことがありますけど、どちらから俺の番号を教えて貰ったんですか?」

 

『超人監視機関は国の組織だぞ。そこに所属している者の情報を把握していない訳ないだろう』

 

 それもそうか、だってこの人は国の偉い人な訳だからな。

 

「俺は明日から高校生なんですけど」

 

『二度言わなくてもわかっている。安心しろ、もし入学式に間に合わなかったとしても私から坂柳には事情を通しておく』

 

 坂柳って誰だ、知らない人の名前を出さないで欲しい……いや、確か制服と一緒に段ボール箱の中に入っていた学校のパンフレットに名前が載っていたかな?

 

「……」

 

『不服なのか?』

 

「いえ、そうではありませんけど、明日をとても楽しみにしていたので……遠足前の気分を害された感じです」

 

『そうか、だが働いてくれ』

 

「他の方々は動かせないんですか? 政府寄りの人もいますよね」

 

 

『君はニュースを見ていないのか、もうすぐサミットだ。警察も自衛隊も超人たちも暇ではない』

 

 それは俺だって同じである。明日から学校なのだから。

 

 しかし結局、俺は鬼島さんからの依頼を引き受けることになった。高校の入学式は明日なのでまだ多少の余裕はあるので、それまでに片付ければ良いと考えた訳である。

 

 

『やぁヘラクレス、調子はどうだい』

 

 

 通話相手は鬼島さんから別の男性に変わっていた。どこか軽薄な雰囲気の声色は俺の知っている人のものだ。

 

「三号さん、どうしましたか?」

 

『ちょっとした挨拶さ。君の援護を任せられた』

 

 この三号さんはネット関連技術の凄腕である。なんでもスーパーハッカーだとかなんとか。その手の技術にそこまで深い理解がある訳ではないので漠然と凄い人としか思えないけれど、こうしてバックアップしてくれるのだから頼りにさせてもらおう。

 

『とりあえずダラダラ話している時間はないからすぐに行動してくれ。君が今いるホテルの駐車場に移動方法を用意しておいたから、それに乗って欲しい』

 

「急いでですか?」

 

『全速力でね。依頼元の大使館からは絶対に死なせないでとのことで、日本政府からは絶対に国内で死なせるなって話らしい。つまりは急げってことだ』

 

「了解です」

 

 こうして三号さんまで動かすくらいなんだから、それなりに深刻な事態なんだろう。なのでこちらもすぐさま行動に出る。指示された通りホテルの駐車場に向かうと、そこには大型のバイクが用意されていた。

 

 誰がどうやってとか、なんでバイクなんだとか、この外国ナンバーはどうやって入手したのとか、色々と疑問はあるけれどそれら全てを無視してバイクに跨っていく。

 

 そしてヘルメットを被ると、そこに装着されていたインカムからまた三号さんの声が届いた。

 

『仕事の説明をしようか、端的に表現するのならば、とあるお嬢様の護衛だ』

 

 ヘルメットのバイザーにはどういう技術なのか半透明の地図が表示される。その映像が示す先に向かってバイクを走らせる訳だ。

 

 エンジンをかけてアクセルを回せばバイクは走り出す。軍用車並みの安定性と加速を見せるそれは運転していて楽しいものである。

 

『某国のとある有力な一族のお嬢様がお忍びでって奴だ。ただ色々とキナ臭いので面倒事とは無縁ではいられないらしい』

 

「お嬢様の護衛ね、なんかつい最近もにたような仕事をやった気がするよ」

 

『なら大丈夫そうだな。せいぜい急いでくれよ、僕の後ろにも怖いお兄さんが齧りついていて心休まる時間はないんだ』

 

 確かこの人は今、防衛省所属じゃなかったかな? 司法取引してそういう感じになった筈だ。それでも監視体制は解けなかったのか。

 

 バイクを走らせながらそんなことを思っていると、ふと自分はさっきから青信号ばかりを通過していることに気が付いた。信号の多い都心のど真ん中でそんなことはあり得ないのだが、どうやら三号さんが上手いこと誘導してくれているらしい。

 

 他の人にはとてつもない迷惑な話である。けれどおかげで凄まじい速度で目的地にまで到達することができた。

 

 バイクを走らせたのは都心のど真ん中にある高級ホテルである。俺の制服が置いてあったビジネスホテルと違って一泊数十万はするであろう場所であった。

 

『急げヘラクレス、どうやら団体さんはもう到着しているらしい。護衛対象を保護して脱出させろ。二十二階の203号室だ』

 

 仕事自体は別に構わないけど、その恥ずかしいあだ名は止めて欲しい。俺はヘラクレスと名乗れるほど強くはないし、試練も越えてはいないのだから。

 

 バイクをホテルの入口に乗り捨てて中に入る。ホテルマンの制止を無視してエレベーターに駆け込もうとするが、団体客が既にいたので非常階段の扉を開けて階段を上がっていくことにした。

 

 全力で走ればエレベーターよりもこっちの方が早い。二十二階まで全速力で走り上がって、そこの扉を強引にこじ開ければ、目的地はすぐそこだった。

 

 急ぎ、とのことだったので客室の扉は蹴り開けることになる。高級ホテルらしくもの凄く高そうな扉であったので後が怖いのだが、きっと鬼島さんが何とかしてくれるのだろう。あの人は偉いらしいからな。

 

「何者だッ……!?」

 

 扉を蹴破ってダイナミックに入室したこちらに向けられる無数の視線。一人は美しい女性のもの。三号さんから渡された情報通りの容姿をした人である。

 

 もう片方がどこからどう見ても堅気には見えない集団であった。数は四名、全員が銃器や刃物を身に纏っており、それどころか体中の至る所に暗器を忍ばせている始末であった。

 

 それを見た瞬間に、頑丈なホテルの床に足跡とひび割れを残すほどの脚力で走り出して、彼らが銃を構える前に制圧することにした。

 

 師匠曰く、先手必勝とのこと。先に殴って黙らせるのが重要らしい。

 

 その言葉に従って四人の武装勢力を殴り飛ばす。一瞬で肉薄して身に纏っているボディアーマーすら無意味な程に重たい一撃で吹き飛ばす。

 

 一人目は鳩尾を、それで意識を失った瞬間に二人目にその体を投げ飛ばして転がすと、三人目には側頭部へ爪先を叩きこむ、仲間の体をどけて立ち上がろうとした二人目の脇腹にまた蹴りを入れて、最後に唖然としていた四人目と向き合う。

 

 この四人目は、護衛対象に銃を向けていたので既に引き金に指がかかっている。そして発砲することにも迷いがなかったらしく、三人を昏倒させた俺に向けて躊躇なく撃ってくる。

 

 

 発砲を阻止できない以上は、回避するか防ぐしかない。選んだのは前者、銃口と指の動きを見切って体を半身にして弾を躱すと、瞬きする間に肉薄して鳩尾と喉に拳を打ち込み意識を奪い去るのだった。

 

 

 後に残されたのは俺と、護衛対象の女性だけである。

 

 彼女は一瞬、ポカンとした表情を見せるが、こちらの視線が結び合うとすぐさま余裕のある表情を見せて来るので、ポーカーフェイスが上手いということだろう。

 

「うむ、其方は何者だ?」

 

「お初にお目にかかります。私は笹凪天武、日本政府と貴女の国の大使館から依頼を受けて参上いたしました。貴女はカサンドラさんで間違いありませんね」

 

「なるほど、事情はわかった。一先ずはそれで納得しよう」

 

「こちらが言うのもなんですけど、構わないのですか?」

 

 目の前にいる女性は、そんな言葉を鼻で笑うと、胸を張ってさも当然とばかりにこう言ってくる。

 

「当然だ。どのような状況になろうと大した問題はない。何せ私は星を持って生まれたらしいからな」

 

「……星?」

 

「幸運の星とやらだ。以前にどこぞの占い婆が言うておったのだ。私は使いきれぬほどの幸運を持って生まれたとな。思い返してみれば私の人生は成功の連続であった。努力は必ず身を結び、不思議と考えた通りに成功を収める。そういう人生なのだ……そして、この危機的状況であっても、これまた不思議と死ぬことなく助けが入った。うむ、やはり私は星とやらを持っているのだろうな」

 

「は、はぁ……」

 

 よくわからない理屈である。星がどうのこうのと言われてもよくわからないが、目の前の女性は何やら納得してうんうんと頷いている。

 

「世界は私を愛している。故に私は死ぬことはありえない……これもまた一つの真理か」

 

 なんだろう、少しアレな感じの人なのかもしれない。護衛対象にそんなこと思うのは駄目なんだろうけど。

 

「さて天武と言ったか、話を聞くに其方は私を守る為に大使館より依頼されたと言ったな?」

 

「その通りです」

 

 すると、女性の真っすぐな瞳が俺に向けられる。心の奥底まで見透かすようなそれは、どこか師匠にも似ていた。

 

 きっと、些細な嘘偽りですら、その瞳は暴くことだろう。そんな確信を抱かせる瞳である。

 

 なので一欠片の嘘も偽りもこの人に向けるべきではないと思ってしまう。

 

「では訊こうか……其方、どこまで命を賭けられる? 見ず知らずの他人の為に戦い、何の義理もない私を守れるのか?」

 

 全てを見透かす瞳は揺れ動くことなく俺を見つめている。だから俺はただただ真摯にこう伝えるのだった。きっとこの人に嘘は通じないだろうから。

 

 

「守ります、この命を賭けて」

 

 

「今日会ったばかりの見ず知らずの他人であってもか?」

 

「貴女が理不尽に嘆いているのならば」

 

「何の義理もなくとも?」

 

「貴女が危機に瀕しているのならば」

 

「報酬に何を望む?」

 

「特に何も……すみません、パッとは思いつかないのでそうとしか言えません」

 

 嘘偽りなくそう伝えると、カサンドラさんはポカンとした顔を見せて来る。そして次の瞬間に大笑いをしてしまう。

 

「ふッ、あはははッ!! これは驚いたぞ、其方、誠に嘘がないのだな……生まれたばかりの子供のようではないか」

 

 何が面白かったのかわからないが、カサンドラさんは本当に楽しそうに笑っている。どうした訳か感心されているようにも思えた。

 

「うむ、久しく邪念を感じぬ男と出会ったぞ……大抵の男は私を見ると色々と欲望を覗かせるのだがな。よろしい、この国では袖すり合うもという言葉があるらしいから、傍に侍ることを許してやろう」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 何というか、傲岸不遜というか、我が強いというか、凄く自分に自信があるような態度である。しかし不思議と嫌な気分にならないのだから、何というか人の上に立つべき人のように思えてしまうな。

 

 カサンドラさんは椅子から立ち上がって小さな微笑みを浮かべると、白い手袋に包まれた右手をこちらに差し出してくる。

 

「どうした? 騎士の礼をするがいい、許す」

 

「え、あ~……では失礼して」

 

 やはりこの人はこういった行為に慣れている身分なのだろうか? そんなことを思いながら、俺はその場に跪いてから手袋に包まれた掌を掬い上げ、その甲に軽くキスをした。

 

「よし、今この瞬間より其方は我が騎士だ。存分に励むがいい」

 

 何というか、こういった行為に恥ずかしさや照れを感じない人なんだろうか、もしかしたら本当にやんごとない身分であることが否定できなくなってきたな。

 

「それで、カサンドラさん」

 

「どうした、天武」

 

「そもそも何故貴女はこの連中に狙われているんですか?」

 

 倒れ伏している四人を見下ろしながらそう訊ねると、彼女はまるで映画女優のようにわかりやすく両手を上げるリアクションを見せた。

 

「政治だろうな。成功を妬む者も多い上に、尊い血というのはそういうものだ」

 

「なるほど」

 

 俺には理解できない世界ではあるが、誰も彼もが大人しく冷静に生きられる訳ではないということはわかる。

 

「それでどうする? 其方の方針を聞かせてみよ」

 

「方針と言うほどではありませんけど、安全圏まで身柄を守ります」

 

「具体的には?」

 

「依頼元である大使館まで貴女を連れて行きます」

 

「良かろう、日本の大使館には我が血に連なる武官もいた筈だ。それで問題はなかろう」

 

 そんな方向性に決まったことで早速動き出すことになったのだが、問題なのは移動方法であった。

 

 このやんごとなき身分疑惑のある人に、大使館まで徒歩で移動させるというのか? 大丈夫かな、不敬罪とかにならないよね?

 

 それともここに来るまで乗ってきたバイクに二人乗りだろうか、いやそれはそれで問題が大きそうだ、この人スカートだし。

 

「まったく、せっかくの休暇だというのに、とんだ騒ぎになったものだ」

 

「あぁ、休暇だったんですね。お忍びで観光ですか?」

 

「うむ、行楽気分を害されてしまったが、面白い騎士に出会えたので良しとしてやろう」

 

「騎士ですか……ちょっと恥ずかしいんですけど」

 

「この国の言葉で言うのならば、サムライやニンジャと表現した方がいいか?」

 

「いえ、それはそれで何と言いますか……」

 

 俺は別に侍でも忍者でもない……師匠の知り合いにはそういう人は何人かいるけど、俺は違う。

 

「まあ何であれ構うまい、其方は其方らしく戦えばいい」

 

 カサンドラさんはクスクスと笑って見せる。まだ出会って数分だと言うのに、不思議と信頼してくれているのがわかった。その期待に応えなければならないだろう。

 

 侍でも忍者でもないが、武人であることは間違いないのだから。

 

「三号さん、大使館までのルートをお願いします」

 

『はいよ、今そっちに情報を送るよ』

 

 耳に付けていたインカムにそう伝えると、スマホはすぐに震えだす。そこには大使館までの地図とナビが記されていた。

 

「では行きましょうか」

 

「うむ……いや、待て、このホテルには随分と迷惑をかけたからな、幾らか置いておこう」

 

 そう言ってカサンドラさんは机の上に鞄から取り出した小切手を置く。そこに印された金額は億単位であり、とてつもない金銭感覚であると思うしかない。

 

 倒れ伏している四名の暴漢と小切手はその場に置いて、俺たちは客室から出ていった。

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後17時間』

 

 

 

 

 スマホに映し出された大使館までのルートを確認して頭に叩き込み、並行して周囲の警戒も怠らない。あの四人だけで終わるとは思わないほうが良いだろうからな。

 

「天武よ……大使館に向かうとして、敵は付近で待ち構えているのではないか?」

 

「可能性は高いと思いますよ。闇雲に探すよりも来るとわかっている場所で迎え撃つ方が効率的でしょうから」

 

 ホテルから出てそんなことを話していると、このやんごとなき身分のお嬢様は少しだけ不安そうな顔を見せる。

 

「ふむ、多勢に無勢であろうに、それでも行こうというのか」

 

「ウチの流派はそれを名誉と思うんですけどね……それに、どうせここで待っていてもすぐにこちらに向かって来るでしょうから」

 

「故に正面突破か、剛毅なことだな……だが良いだろう」

 

 自分で言っておいてなんだがそれで良いのだろうか。

 

「まあ問題はなかろう。何をどうしようが、我が星は正しく私の未来を照らすのだからな」

 

 カサンドラさん曰く、自分は一生で使いきれないほどの幸運を持つらしい。どれほどの危険があろうとも、最後には栄光に辿り着ける人生だと疑っていないそうだ。

 

 まぁそんな人は偶にいると師匠も言っていたな。不思議と不運を避けて何だかんだで人生が上手く進む人のことらしい。

 

 この人が実際にそういう星とやらも持って生まれたのかは知らないが、もし持っているのならその幸運にあやかるとしよう。

 

 バイクに二人乗りで、しかもスカートの人を乗せることも出来なかったので、ここからは先の移動手段を考えないといけないだろう。どこかで車をレンタルするかと考えながらホテルの外に出ると、こちらを舐めるような視線を肌が感じ取った。

 

「……見られてますね」

 

「わかるのか」

 

「ホテルの向かい側にあるビルの屋上、数は……3人かな」

 

「不躾な視線を送って来るくらいは許してやれ。美しいと覗かれるものだ」

 

 凄い自信だなこの人……いや、確かにとんでもない美人なんだけどさ。

 

「それよりしっかりとエスコートしろ。敵がいるとわかっているのなら尚更な」

 

「えぇ、わかっていますよ」

 

 向かう先は大使館、日本であって日本の領地ではない場所。治外法権のその場所にこの人を送り届けないといけない。

 

 まずは車だな、できれば頑丈な奴が良い。そんなことを考えていると、耳に付けたインカムから三号さんが話しかけて来る。

 

『ヘラクレス、徒歩だと流石に厳しいものがある。都内にあるカーレンタルショップで可能な限り頑丈な車を予約した。まずはそこに向かってくれ』

 

 仕事が早くて助かります。

 

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後15時間』

 

 

 

 

 

 どこかの社交界にも平気で出席できそうなドレス姿のカサンドラさんはあまりにも目立つ上に、これから下手しなくても忙しく動くことになるのはわかっているので、レンタルした車で向かう先は都内のショッピングモールである。

 

「天武よ、どれが似合うと思う?」

 

「貴女ならどんな装いでも似合いますよ。ですが可能な限り動きやすい恰好でお願いします」

 

 そのショッピングモール内にある女性向けの洋服店でそんな会話をしている。追われているとは思えないほどに呑気な展開ではあるが、あのドレス姿で走り回させる訳にもいかなかったので苦肉の策であった。

 

 大勢の客層で賑わうモール内をドレス姿で移動していた時はそれはもう目立った。つまり追手たちにもさぞ見つけやすいことだろう。

 

「何だ全く、風情の無い奴だ。こういう時は女と一緒に悩んで楽しむものだぞ」

 

「そういうものですか、次の機会があればそうしましょう」

 

 ドレス姿のカサンドラさんはどこにでもある女性用のズボンとジャケットを掴んで試着室に入っていく。それを確認すると、周辺の気配を探っていく。

 

 ホテルを出た頃からずっとこっちを舐めまわしてくる不躾な視線はそのままであり、寧ろ距離が近くなっているのがわかる。

 

 そして今も、こちらにゆったりと近づいてきているのが感じ取れた。

 

 観光客に扮して近づいてくる二人組は、この店の中にある衣服を物色しながら何でもない様子で近づいてくるのだが、銃を持っているからなのかその体幹が僅かに傾いており、整備用の油や弾薬の匂いが僅かに嗅ぎ取れたので、その時点で黒となってしまう。

 

 そして俺と彼等の視線が絡み合う位置にまでやってくる。すると二人組の外国人は、観光客を装いながらまるで道でも訊ねるかのよう近づいてきて――何かをされる前に先手必勝でその顎を拳で打ち抜く。

 

 善良な観光客に扮して近づいて来た二人は、何も出来ないまま意識を失うのだった。

 

「よっこいせっと」

 

 意識を失った二人は、カサンドラさんが使用している試着室の隣にある、空いている方の試着室に放り込んでおこう。そしてカーテンを閉めて使用中という立て札もかけておく。これですぐさま騒ぎにはならないだろう。

 

「何かあったのか?」

 

「お気になさらず、大きな問題はなかったので」

 

「そうか、まぁ良かろう。それよりどうだ?」

 

 試着室から出て来たカサンドラさんはズボンとジャケットという装いをこちらに見せて来る。どこにでもある服装だというのに、とても似合っているのだから本当に美人だと思う。

 

「良くお似合いです」

 

「うむ、当然だな。流石私だ」

 

 それらをそのまま購入することにした。元々着ていたドレスはそこに放置することになる。

 

 レジカウンターに向かってそれぞれの値札を提示してすぐさま会計を終わらせようとして、そこで彼女は鞄の中から小切手を取り出そうとしたので慌てて止めることになった。

 

「小銭は持っておらんぞ」

 

「では俺が支払いましょう」

 

 そう言えば金銭感覚がぶっ壊れてる人だったと今更ながら思い出す。

 

 懐から財布を取り出して、幾枚のお札と小銭をレジカウンターに置いていると、隣で興味深そうにこちらを覗き込んでいたカサンドラさんは、目敏くとあるメダルを見つけてくる。

 

「うん? 其方、その財布の中にあるメダル、それはどうしたのだ?」

 

 彼女が注目したのは、宝クジと交換した際に貰った幸運のメダルであった。特に珍しい物ではなく、言ってしまえばどこにでもある土産物なのだが、興味を引かれたらしい。

 

「偶々頂いたものです。何でも幸運を齎すのだとかなんとか」

 

「知っておるよ。そのメダルは我が国ではよくあるお守りのようなものだからな」

 

 白魚のような指先が、財布の中にあったメダルを摘み取る。そしてしげしげと眺めてニヤリと笑う。

 

「ほれ、よく似ておるだろう? このメダルに刻印されている女神は、我が家の家紋でもあるのだ」

 

 そう言って彼女は幸運のメダルの表面を見せつけて来る。

 

 確かに、そこにある女神の像と、目の前にいる女性はよく似ているようにも思えた。

 

「良ければ差し上げますよ」

 

「構わぬのか?」

 

「幸運を齎すお守りなら、俺よりも貴女が持っている方が相応しいでしょうから」

 

「ふふん、わかっているではないか。確かに幸運の女神は私にこそ相応しいだろう」

 

 特別貴重な物でもなければ、価値がある物でもないけど、カサンドラさんは渡されたメダルをギュッと握りしめて、どこか上機嫌に笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後12時間』

 

 

 

 

 

 



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一年前の話 後編

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カサンドラさんの着替えを終えて、幾つかのカロリーメイトと水を購入して腹八分目にすると、ショッピングモールの地下駐車場に向かう。

 

 そこには借りて来たばかりのレンタカーがあるのだが、乗り込むのはそちらではなくこの駐車場に置かれていたどこかの誰かの車であった。

 

「あの借りた車には乗らんのか」

 

「俺たちを監視している人たちはあの車に注目しているでしょうからね、ここで乗り捨てます。元々、そのつもりだったので大丈夫ですよ」

 

 多少の時間稼ぎができる囮にはなるだろう。

 

「まぁ、すぐに気が付かれるでしょうけどね」

 

「それは何故だ?」

 

「こちらが考えることは、相手も思いつく、そう教えられて来ましたので」

 

 そんな説明に納得したのか、カサンドラさんはうんうんと頷いて見せる。

 

 こういった事情から、この駐車場にある誰かの車を拝借することになった訳であった。車の持ち主には本当にすまないと思う。

 

「三号さん、この車のナンバーから持ち主ってわかりますよね?」

 

『問題ないよ』

 

「車を借りていくつもりなので、迷惑料として俺の口座からこの車の持ち主さんに幾らか振り込んでおいてください」

 

『了解した、高級車が一括で購入できるくらいは振り込んでおこう』

 

 せめてもの謝罪とお詫びの印として、金で解決しておこう。愛車が突然に無くなってもこれで多少は気分が紛れる筈だ。

 

 当たり前のことだけど拝借する予定の車には鍵がかかっている。きっと持ち主は今頃ショッピングモールで買い物中なのだろう。

 

 仕方がないので、ガラスを粉砕して中に手を入れて鍵を手動で開く。警報装置など付いていない古い車なのでサイレンは鳴らなかった。そして次に運転席に座ってハンドルを握りしめると、力づくで動かしてハンドルロックを破壊していく。これで自由に動かせるようになった。

 

「三号さん、エンジンのかけかたを教えてください」

 

『まずハンドル下付近のカバーを外してくれ』

 

 手を添えて強引に毟り取る。

 

『幾つかケーブルが見えたと思うけど、その中から――』

 

 三号さんの説明を受けながら幾つかのケーブルを弄り回して漏電させると、誤作動を起こして車はエンジンがかかるのだった。

 

 こんな犯罪知識ばかり持っているから三号さんは捕まってしまうのだ。いや、助かったので問題はないんだけども。

 

「では大使館まで急ぎましょうか」

 

「不謹慎ではあるが少し興奮するな。まるで映画のワンシーンのようではないか」

 

 車泥棒を堂々としてそんなこと言われても困る。確かにB級のハリウッド映画とかにはありそうなシーンだけどさ。やってる方は割と罪悪感がある。たとえ大金をこの車の持ち主に振り込むのだとしてもだ。

 

 それでもやってしまった以上は最大限に有効活用しよう。誤作動でエンジンがかかった車を発進させて、目指すのは大使館である。

 

 車を走らせショッピングモールの駐車場を出て、法定速度を守りながら頭に叩き込んだ地図とナビ通りに動いて目的地を目指すことになるのだが、不躾な視線というか舐めまわすような気配が遠くなっているのがわかった。

 

「こちらを露骨につけ回している車はないようだな。やはりあのレンタカーを注目しておったのだろう」

 

 後部座席で、車の後方を眺めていたカサンドラさんからそんな報告が届く。うなじに走る悪寒もないので、おそらくその言葉通りこちらを見失ったらしい。

 

「こうなった場合、敵はどう動くと思う?」

 

「闇雲に探しても意味はないでしょうから、おそらく目的地付近で待ち構えていると思いますよ。貴女が逃げ込む安全地帯はこの国ではそう多くはありません」

 

「で、あるか……だとすると大使館に近づけばまた危機が迫るのであろうな」

 

「他にどこか安全な場所があればそちらに行くのですが」

 

「皇居はどうだ? ここから近い筈だし、当然守りも固かろう?」

 

「皇居? いえ、いきなり行っても絶対に入れませんよ」

 

「私は知り合いなのだが」

 

 この人は本当にどんな身分の人なんだろうか? 皇居に住んでいる人と知り合いって……。

 

「皇居を訪ねるのは難しいですよ……皇居警察は凄腕の集団だと師匠は話していましたけど、流石に巻き込めません」

 

 確か皇居警察にも国が指定した超人が何人かいた筈だ。下手に俺が接近するとそのまま戦争になるかもしれないので、できれば避けたい。

 

 やはり大使館に直接向かうしかないか……正面突破だな。

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後10時間』

 

 

 

 

 予想通りと言うか、想定通りと言うか、目的地である大使館付近まである程度近づくと、虫の知らせのようにうなじに悪寒が走った。

 

 あぁ、これはあれだな、やっぱり待ち構えられているらしい。

 

 そりゃそうか、俺だってそうする。つまり相手だってそうする、ただそれだけの話だ。

 

 このまま一気に車を加速させて大使館の頑丈な門を突き破るべきかと思ったけれど、それを許してくれないのが相手であった。

 

「天武、車が近づいてくるぞ」

 

「把握しています。どうやら捕捉されたようですね」

 

 どうやってこちらの接近を把握したのだろうか? 大使館付近の建物から近づく車両や人間を全て観察していたのだとするのならば、大した把握力だと思う。

 

 

 こちらの車に接近してくる大型の車は、煽り運転の如く横並びになると、そのまま僅かにハンドルを切って車体をぶつけて来る暴挙に及んだ。

 

 それがわかっていたので急ブレーキを踏んで回避するのだが、その程度で諦める筈も無く、車は進路を塞ぐように前で停車するのだった。

 

 道を変えて別ルートで大使館を目指しても似たような結果になるだろうな。急がば回れが通用しない状況である。

 

 立ち塞がる困難は越えていく、シンプルでわかりやすくて結構だ。

 

「カサンドラさん、頭を下げてジッとしていてください。突っ込みます」

 

「存分にやれ」

 

 アクセルは全開、躊躇なく道を遮っている車に突っ込んで強引に通過させて貰うとしよう。猛スピードで激突して車を押しのけた瞬間に、車体は大きく揺れてフロントガラスにも罅が入るけど、それでも突破することができた。

 

 大使館までそう距離がある訳ではない。入ってしまえばこちらのものである。駐在武官などもいるだろうから丸投げでも構わない。

 

 そして追手もそれはわかっている。なので押しのけられた車はすぐさまアクセルを全開にしてこちらを猛追してくるのだった。

 

「しつこいな」

 

 言っても意味はないことだけどどうしても愚痴ってしまう。そしてまた並走するように近づいて来た車の運転席にいた男と視線が絡み合うことになる。

 

 目と目で通じ合った瞬間に、こう思う。

 

 あぁ、こいつは強いなと。

 

 きっと向こうも同じことを思った筈だ。言葉は無くても不思議と意思は共有することができた。

 

 同時に、俺と彼はハンドルを切って車をぶつけ合うことになる。

 

 二度、三度、四度と車をぶつけ合い、五度目でとうとう走行が不可能な程に車は破損してしまうのだった。

 

 それは相手の車も同じであり、強引な接触によってタイヤが外れたことで車体を地面に擦りながら最後には電柱に突っ込むことになる。

 

 こちらの車は路肩で遂にエンジンが壊れてしまった。すまない、ここで乗り捨てることになることを許してくれ。

 

「正面から乗り越えるのだな?」

 

「裏口からこっそりと大使館を訪ねる理由もないので」

 

 堂々とノックして普通に入れば良い。その前に立ち塞がる何かがあるのならば排除すれば良い。難しく考える必要はどこにもなかった。

 

 どうせ何をどうしようが立ち塞がってくるのだ。ならぶん殴って黙らせれば良いだけの話である。

 

 電柱に突っ込んでひしゃげた車体は黒煙を吐き出しており、もしかしなくても爆発しそうな勢いではあるが、そんな車の中から一人の大柄な男が姿を現した。

 

 瞳の奥に暗い光を宿した男である。服の上からでもわかる研ぎ澄まされた肉体と、ゆるやかでありながら大樹を連想させるほどに安定した体幹と足運びだけで、相当鍛えられていることがわかってしまう。

 

「カサンドラさん、車から出ないようにしてください」

 

 そう言い残して動かなくなった車から出ると、こちらに近づいてくる男と向かい合う。

 

 改めて観察すると、やはり間違いはなかったらしい……この人は強い。

 

「こちらの部下が散々世話になったらしいな」

 

 見た目は外国人全開なのに、とても流暢な日本語を喋るなと、変な感心をしながら向かい合う。

 

「どんな怪物かと思えば、まだガキじゃないか。アイツらを責めるべきなのか、お前を賞賛すべきなのかわからないな」

 

「御託は結構です、道を開けて頂きたい」

 

「要求するのはこちらだ。その女をこちらに渡せば痛い目に合わなくて済むぞ少年」

 

「断る……そこをどけ」

 

 自然と師匠モードに移行していた。そんな俺を見ても目の前の男は臆することはなく、ただ静かに意識を高めていき、あちらも極限の集中状態になって見せる。

 

「女一人を守る為に死ぬつもりか? 英雄願望は頭の中だけにしておけ」

 

「抜かせ、それくらいできないで男を名乗れるか」

 

 ここまでくれば、言葉は不要か。

 

 相手もそれがわかったのか、静かに戦闘に意識を切り替えていった。

 

 軍用ナイフを左手に、右手に拳銃、体にはボディアーマー、靴は足音の響きから鉄板入り、おそらくそれ以外にも色々とあるのは観察しているだけでわかる。

 

 それらの装備に加えて、この男の体は明らかに一般の枠から逸脱しているのが感じ取れてしまう。熱量が凄まじいのだ。

 

 今思い返してみれば、俺のこれまでの人生は、こういう人と出会うことが多かったと思う。

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後8時間』

 

 

 

 

 

 戦いの始まりは静かなものだった。どちらも示し合わせたかのように一歩踏み出して距離を縮めていく。

 

 傍から見れば、互いに無言で距離を詰めているように見えるだろうが、俺とこの人の間には目に見えない無数の牽制が繰り広げられていた。

 

 拳銃を構える動作を幻視すれば、それがただのフェイントであると見切り、軍用ナイフに手を伸ばすイメージを感じ取ると、それもまた対処する。

 

 こちらも殴り掛かかろうとしたり、蹴り飛ばそうとしたり、そんな牽制を行うのだが全て対処されてしまう。

 

 実際に行動に移している訳ではない。しかし確かに俺たちの間には数十もの見えないやり取りがあった。そうやって見えない牽制を繰り返しながら距離を詰めていき、ナイフと拳の射程圏内に入った瞬間に、全く同時に行動に出る。

 

 やったことは単純、俺は彼を殴り飛ばし、彼は俺を蹴り飛ばした。無数の見えない牽制の中に織り交ぜられた本当の攻撃はこうして互いの顔と脇腹に突き刺さった。

 

「ぐッ」

 

「……ッ」

 

 拳から伝わって来る感触は、車のゴムタイヤである。断じて人間を殴った感触ではない。

 

「小僧、妙な鍛え方をしているな……ゴムタイヤでも蹴り飛ばした感触だ」

 

 あちらも同じことを思ったのか、似たような印象を持ったらしい。

 

「殴り合いでの決着は時間がかかりそうだな……卑怯とは言うなよ」

 

「構わん、それも戦いの作法だ」

 

 右手に拳銃を、左手にナイフを構える辺り、この人は武術家ではなく軍人か傭兵上がりなのだろうか。

 

 向けられた銃口と、指の動きを見切って射線を見切り、放たれる弾丸を回避しながら距離を詰めていくが、するとナイフが鋭く振るわれる。

 

 速く、鋭く、柔軟で、頑強で、経験もあり、何よりただ純粋に強い。正直に言わせて貰えば強敵である。単純な殴り合いでも押し切れない相手なのに、平然と武器も使ってくるのだから、滅茶苦茶やりにくい。

 

 ただそれも戦いの作法だ。武器の使用くらいは当然の権利である。笹凪流はそれを名誉と思う変態武門である。

 

 ただそれ以前に、あまり銃やナイフを脅威とは思えなかった。対処方法は師匠から過剰なまでに叩き込まれているのだから。

 

 銃口と指先の動きで射線とタイミングを見切れば銃はどうにでもなる。実際に次々発砲される弾丸は一発もこちらに当たってはいない。

 

 寧ろ問題なのはナイフの方かもしれない。体の一部とさえ思えるほどに馴染んでおり、そちらは身体能力と技量が高い位置で絡み合ってまさしく凶器とかしている。

 

「チッ、銃は無駄か……偶に戦場で出会うな、貴様のような連中に」

 

 相手も拳銃よりもナイフのほうがまだマシだと思ったのか、意識と戦闘がそちら寄りに傾く。なので戦いはより身近に、そして血と肉を削り合う形になるのだった。

 

 単純な戦闘能力は肉薄している。身体能力もそこまで大きなものでもない。なので一方的な展開になることはなく、ナイフの先端とこちらの手足が幾度も相手を削ろうと迫ってそれを回避するような戦いになってしまう。

 

 

 あぁ、これは長引くな。互いにそんなことを思ったのは間違いない。

 

 

 深夜とは言え人の多い都心である。目撃者もいれば通報者だってその内に現れる。長引けばそれだけ相手にとって面倒な事態になるので持久戦は望む所ではあるが、それを目の前の男が受け入れる筈もなかった。

 

 こちらの拳がナイフの牽制を潜り抜けて相手の脇腹に叩きつけられる。ゴムタイヤでも殴りつけたような感触が伝わると同時に男の体は数メートル後方に吹き飛ぶのだが、彼は僅かに顔を歪めるだけで体幹を乱すこともなく姿勢を整える。

 

 滅茶苦茶強いじゃないかこの人、知り合いの超人たちが何人か思い浮かぶけど、その人たちと大差が無いくらいに頑強だった。

 

 さてどうするか、こうなると完全な隙を突いてそこに全身全霊を叩きこむしか手がないぞ。

 

 問題なのはその隙をどう作るか。そして当然ながら、相手も同じことを思っているのだった。

 

 さてどうでるかと観察していると、男が持っていたナイフに力が籠められる、それを確認して再び接近しようと試みるのだが、次の瞬間にこれまで役立たずだった右手に持った拳銃が突然に火を噴いてしまう。

 

 右手に持っていた拳銃がとある方向に向けられている……俺ではなく、車の中からこちらの様子を窺っていたカサンドラさんへと。

 

 間違いなくナイフに意識を向けていた。それは間違いない、しかし右手に別の意思でも宿ったかのような動きで正確に弾丸は放たれた。

 

 しまった……そう思った時には遅かった。鋭く素早く迷いなく引き金は引かれて、破裂音と共に弾丸は車の中にいる彼女へと放たれてしまうのだった。

 

 日本車はアメリカの車と違っていざという時に弾丸の盾にできるほど扉が頑丈にはできていない。たとえ拳銃の弾丸であったとしても普通に貫通する。

 

 つまり、カサンドラさんを殺しきるには十分であるということだ。

 

 

 

「そら、脇がガラ空きだぞ」

 

 

 

 護衛対象を撃たれたという焦りと衝撃……それはつまり、俺と彼がこの長引くであろう戦いの中で欲していたわかりやすい隙でもある。

 

 こちらの動揺を見逃す筈も無く、男が持ったナイフがこちらの脇腹に滑り込むように一瞬で突き刺さってしまう。

 

 脇腹を中心にジクッとした痛みと熱が広がっていくのがわかる。

 

 筋肉で締め上げているので突き刺さらないかと思っていたが、この人の膂力は俺と大差がないレベルであり、そんな人がナイフを振るえばどれだけこちらの体が頑丈であっても普通に突き刺さるということだろう。

 

 反省点だな、こんなわかりやすい隙を晒した俺が間抜けであったという、それだけの話だ。

 

 なのでこの失態は、次に生かすしかない。

 

「なに、何故……馬鹿な」

 

 急所にナイフが突き刺さったことで勝利を確信していた相手だったが、しかしこちらはそのナイフを掴んでいた手を力強く握りしめて、手首を粉砕してみせる。

 

 勝ったと思っていたのだ。それは俺が欲しかったわかりやすい隙でもあるのだから、見逃す筈もなかった。

 

 手首をねじ折られてナイフからようやく手が離れる。相変わらず脇腹に刺さったままの刃物はそのままにして、腕を砕かれ動揺している相手に一気に肉薄していく。

 

 全身全霊、己の全てを込めた一撃は、隙だらけの相手に真正面から突き刺さるのだった。

 

 男の体は吹き飛ぶ。そのまま彼が乗っていた電柱に衝突した状態で停車していた車に突っ込み。スライドドアを粉砕して車内に叩き込まれてしまう。

 

 この男の頑丈さを考えると、それで終わる筈もなかったので、車にも距離を詰めて一気に持ち上げる。

 

 車内にいた男は、急に天地がひっくり返ったような感覚になったことだろう。

 

「そう言えば、師匠が前にこんなことをしていたな」

 

 師匠のように戦車を持ち上げて小枝のように振り回すことなんて俺には出来ないけど、普通の車を振り回すことくらいならまだ可能だ。

 

 

 この車は虫籠、中にいる男はそこに囚われた虫、そして俺はその籠を振り回す立場にあった。

 

 

 なのでここからやるのは徹底的な揺さぶりだ。乗用車を持ち上げて、何度も何度も地面に叩きつけていく。何度も何度も飽きるほどに。

 

 その度に車内に囚われている男は激しく揺さぶられて振り回されることになる。天地もわからないまま車内を転がり回る状態だ。

 

 そんなことを数十、或いは数百繰り返せば、乗用車は徐々に形を変えていき最後にはプレス機で圧縮されたかのようにブロック状になってしまうのだった。当然ながらその中心にはあの男がいる。

 

 これでもう出て来れまい。以前に師匠が戦車で同じことをやっていたのを真似た技だったが、意外に上手くいくものだ。

 

 何度も何度も地面に叩きつけられてブロック状に圧縮された車だったものを放り投げて、俺は急いでカサンドラさんの元に走る。

 

「ご無事ですか!?」

 

 撃たれたのだから無事な筈もない。それでも僅かな祈りを込めて車の扉を開くと、そこには血を流している筈の彼女の姿はなく、どうした訳か微笑みすら浮かべている様子で待ち受けているのだった。

 

「えっと……怪我は?」

 

「安心せよ、大事はない。何せ私は幸運の星を持っているのでな」

 

 そう言ってカサンドラさんは、親指で銀色のメダルを弾く。それは幸運の女神が刻印されたお守りである。持ち主に幸運を齎すと言われている土産物だ。

 

「え、嘘ですよね。そのコインが守ってくれたんですか?」

 

「何を不思議なことがある。私はそういう星の下に生まれたのだぞ。守られて当然だろうが」

 

 車の扉を貫通して、そのままカサンドラさんに命中する筈だった弾丸は、彼女が肩から下げているショルダーバックの中にある幸運のメダルに阻まれたらしい。

 

 

 いやいや、どんな偶然なんだ……ありえないだろう。

 

 だが現にメダルはへの字に曲がって陥没している。カサンドラさんを弾丸から守ったことを証明するかのように。

 

「うむ、やはり私は幸運だな。我が星は正しく私の未来を守ったということだ」

 

 そして己の持つ幸運を一切疑わないカサンドラさんは、陥没したメダルを眺めながらただ美しい微笑みを見せるのだった。

 

「はぁ、良かった」

 

「大義であったぞ天武よ、見事敵を打倒したようだな。褒めて使わす、流石は我が騎士だ」

 

「か、感謝いたします」

 

 ありえない幸運に助けられて無事だとわかった瞬間に、ドッと疲れが押し寄せて来る。後は脇腹の痛みも。

 

「それよりも其方!? 脇に刃物が刺さったままだぞ、すぐに治療をせねば!!」

 

「あ、大丈夫です。見た目ほど重症ではありませんから」

 

「そんな訳があるか、待て抜こうとするな、血が吹き出るぞ!?」

 

 カサンドラさんの警告を無視して、脇腹に刺さったままのナイフを引き抜く。しかし大量の出血に陥ることはなかった。

 

「だから大丈夫ですって……戦闘中は筋肉の締め上げと呼吸法で内臓を押し上げて肋骨の下に隠しているので、だから内臓は無傷なんですよ」

 

「言っている意味はわからんが、其方が人間を辞めていることだけは理解した……本当に大丈夫なんだな?」

 

「後でホッチキスで塞いでおけば問題ありません」

 

 この内臓上げのやり方を教えてくれたのはやっぱり師匠である。やはりあの人は神だ。また救われてしまった。

 

「それよりも、大使館に急ぎましょう。後もう少しですから」

 

「うむ、最後の最後までエスコートして貰うか」

 

 車内にいたカサンドラさんに手を差し出すと、彼女はそれを掴み返してくれた。

 

「ところで天武よ、あの男なのだが」

 

「あぁ、しっかりと無力化しましたよ、ほら」

 

 視線はプレス機で圧縮されたかのようにブロック状になった車だった物に向けられる。その中心にいるのがあの強敵だ。

 

「……滅茶苦茶やりおるな。人が素手でやったとは思えん」

 

 何度も何度も地面に叩きつけていれば自然とああなる。十トンを軽く超えるであろう装甲だらけの戦車が相手だと難しいけど、隙間だらけの乗用車なら割と簡単だった。

 

「相手は死んだか?」

 

「いえ、生きていると思いますよ。あれくらいで死ぬような相手ではありません……動けないとは思いますが」

 

 そんな予感を証明するかのように、ブロック状に圧縮された車だった物が突然に震えて、僅かな隙間から男の右手が突き出てくる。

 

 

 

「小僧ッ!! まだ終わっていないぞ!!」

 

 

 

 そしてブロック状の車の内部からそんな声が聞こえて来てしまう。やはり生きているようだ。

 

 脱出されても面倒な上に、追撃されれば更に面倒だ。俺は突き出て来た腕の手首をしっかり掴んで粉砕しておく。

 

 掴んだら必ず壊す。これも師匠の教えである。

 

 左右の手首を粉砕されてしまえば、流石にこの男と言えど脱出は難しいはずだ。

 

 なので俺たちは、ブロック状に圧縮された車だった物から手が伸びている奇妙なオブジェをその場に放置して、大使館を目指すのだった。

 

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後5時間』

 

 

 

 

 そこから先は平穏無事だった。先程までの喧騒と闘争が悪い夢であったかのように静かで、平和過ぎて不安になるほどですらある。

 

 何の困難もなく大使館の前まで辿り着き、何の障害も無くカサンドラさんは受け入れられることになる訳だ。

 

 そして、それは別れの時を意味しているということだろう。

 

 大使館の中に一歩踏み込む。その先は日本ではなく外国だ。つまり俺は簡単に入ることは許されない空間である。

 

 カサンドラさんは国境の向こう側で緩やかにこちらに振り返る。左右に屈強な武官を従えながらだ。

 

「天武よ」

 

「はい」

 

「大義であった」

 

 そして微笑む。思わず見とれてしまうほどに美しい表情で。

 

「役に立てましたかね、貴女を無駄な危機に晒してしまった気もしますけど」

 

「何を言う、我が幸運の星が呼び寄せたのだ。つまり其方は我が尊い血を守る為に必要だったという証明である……そして見事に守り切った、誇るといい」

 

「えっと、ありがとうございます」

 

 国境の向こう側でまたカサンドラさんは微笑む。

 

「さて、我が騎士よ。私は寛大だ、其方に報酬を用意しよう。何を望む?」

 

「出会った時にも言いましたけど、今すぐパッとは思いつきません。まぁ貴女の笑顔が最高の報酬ですよとカッコつけさせてください」

 

「ふむ、心地の良い言葉ではあるが。欲が無いというのはそれはそれで愚かであるぞ……う~む、其方が身も心も私に捧げるというのならば、この肢体をくれてやっても良いのだがな」

 

「嬉しい提案ですけど、もっと自分を大切にしてください」

 

「欲のない男であるな……ん、良かろう、ならばわかりやすく金銭の報酬とするか」

 

 するとカサンドラさんは顎に手を当てて深く考え込む。

 

「よし、日本円で24億を其方に与えよう」

 

「滅茶苦茶な額をさも当たり前のように渡そうとしないでください……そもそもなんで24億なんですか?」

 

「何故だろうな、何となく頭にその数字が思い浮かんだのだ。まぁ遠慮することなく貰っておくと良い。私が稼いだ金であるし、私が死ねばどこぞに寄付でもされていた金額だ。それに、不思議と其方にはそれくらい必要なのだと何となく思うのでな……ほれ、口座番号を教えろ」

 

 まあくれると言うのならば貰っておこう。お金があって困るようなこともないのだから。

 

「それともなんだ、24億では足りぬと申すのか?」

 

「そんな訳がないでしょ、十分すぎて寧ろ申し訳なくなってくるくらいですよ」

 

「全く、贅沢な奴だ、足らぬとはな」

 

 一言もそんなことは言っていない。けれどカサンドラさんは強引にそんな方向に話を持っていくと、大使館と日本を区切る国境の向こう側から両手を伸ばして頬に触れて来る。

 

 そして少しだけ背伸びをして、ごく自然にキスをしてくるのだった。

 

 触れ合った唇と唇はそのまま数秒ほどくっ付き、名残惜しさを残しながら離れていく。

 

「足りぬ分はこれで許せ。尊い者からの口づけだ、十分であろう?」

 

「えぇ、貰いすぎて困るほどです」

 

「ふふふ、ならばいつか返しに来い、ここで結んだ縁を忘れずにな」

 

 

 そして別れの時がやってくる。カサンドラさんはどこか寂しそうな顔を一瞬だけ見せて来るが、掌にある陥没したメダルに視線を落としてから、すぐさま不敵な笑顔を作る。

 

「縁と恩は一生だ。いずれまたどこかで会うこともあるだろう……では、さらばだ」

 

 カサンドラさんはそう言い残して背を向け、左右に屈強な武官を引き連れながら大使館の中に入っていくのだった。

 

 そして頑丈な門が閉じていき、国境は閉鎖されることになる。残された俺は唇と鼻孔に残る熱と甘い香りを感じ取りながら、大使館に背を向けることになってしまう。

 

 ジクジクと脇腹は痛みを訴えている。内臓は無傷だがさっさとこれも閉じないとな。

 

 そんなことを考えながら一仕事終えた開放感に浸っていると、眩しい光が視界の中に入って来るのだった。

 

「……夜明けか」

 

 視線を光の方に向けてみると、そこでは太陽が僅かにだが頭を覗かせており、一日の始まりを知らせているのが確認できる。

 

「そう言えば……今日から高校生なんだな」

 

 色々とあったけどそれが俺の本題であることを思い出して、急いでホテルに帰るのだった。

 

 

 

 

『少年が高校生になるまで、後2時間』

 

 

 

 

 大使館にカサンドラさんを送り届けてから、タクシーを捕まえてホテルに帰ることになる。その途中でコンビニによって消毒液とホッチキスを購入しておくことも忘れない。

 

 何事もなくホテルまで辿り着き、制服が置かれていた部屋の中に入った瞬間に、服を脱いでシャワー室に直行して脇腹の治療を行っていく。

 

 内臓は無傷だがナイフが刺さった脇腹に消毒液をぶっかけて、後はホッチキスで強引に傷口を塞げばそれで良いだろう。

 

 師匠に改造された体はこれくらい雑に扱っても問題はない。以前にも似たような治療をしたことがあるので慣れたものである。

 

 傷口はこうして塞がれることになる。何か問題があるようならば入学式が終わった後に病院で本格的な検査と治療を受けることにしようか。

 

 それよりも今は学校である。何せ俺は今日から高校生な訳だからな。

 

 ベッドの上に置いてあった制服に手を伸ばして着替え始める。ズボンを穿いて、シャツを着て、ブレザーに袖を通し、ネクタイもギュッと締めていく。

 

 鏡を見て装いを確認すると、どこからどう見ても普通の高校生の姿がそこに映っている。

 

 

 そう、俺は今、高校生なのだ。

 

 

 

 

 

 『少年が高校生になるまで、後1時間』

 

 

 

 

 

 ホテルを引き払って不要な私物は段ボールに詰めて師匠と過ごした神社へ送り返す手続きを行ってから、いよいよ俺はこれから通う学校に向かうことになった。

 

 指定されたバス停で時間を潰し、やってきたバスに乗車すると。俺と同じ制服を着ている高校生らしき人が何人か見受けられるのがわかる。

 

 きっと俺と同じように、これから入学する新入生なのだろう。同級生ということだ。

 

 読書をしている長い黒髪の美人さん、その隣に座っているどこか無感情にも見える茶髪の男子生徒、足を組んだ姿勢で手鏡を眺めながら髪型を整える金髪の男子生徒、それ以外にも同じ制服が何名かいるな。

 

 同じ高校生、同じ学校、同じ学年……もしかしたら俺はこの中にいる誰かと友人になったり、もしかしたら恋人になったりするのだろうか?

 

 だとしたら、とても高校生らしくて嬉しいと思う。

 

 

 俺は今日から高校生……とても楽しみだった。

 

 

 

 

『少年が老人に席を譲るまで、後16分』

 

 

 

『学校に着くまで、後32分』

 

 

『クラスメイトと出会うまで、後39分』

 

 

『友人が出来るまで、後――――』

 

 

『夢を見つけるまで、後――――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『少年が恋をするまで、後――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて一年生編は完結となります。せめてここまでは絶対に書こうと思っていたので、ようやく一区切りを付けられました。ほぼ休みなく更新できたのは我ながら奇跡だと思う。

さて、一年生編はこれで終わりとなりますが、当然ながら二年生編も書きたいと思っています。

ただまだまだ原作の二年生編の流れが不透明なのでこれまでのような更新頻度は難しいかもしれません。しかしモチベーションは煮えたぎっている上に、宝泉とか月城さんとか宝泉とか月城さんとか、ゴリラにぶん殴って貰わないといけないのでやる気はあります。

ここまで来れたのは絶えず評価や感想をくれた皆様の応援、そして未熟な私の文章を根気よく修正してくださった報告者様、まだまだ至らない所も多く不快にさせてしまう表現や誤字なども多かったのですが、それでも支えてくださった読者あってのことでしょう。本当にありがとうございます。

 そして何よりも、素晴らしい原作者様の存在あってのこと、本当に面白い作品に出会えて感謝しかありません。


 それでは皆様、二年生編でまた会いましょう。


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二年生の始まり
新しい風


おい待て、原作の様子を見ながら更新するんじゃなかったのか!?

いいや限界だ(投稿ボタンを)押すねッ!!



 

 

 

 

 

 

 

 

「以上が、綾小路清隆及び、二年生159名の詳細なデータです。全て頭に入りましたね?」

 

 高度育成高等学校の理事長代理という立場を拝命している男のそんな言葉に、目の前にいる新入生は当然とばかりに頷く。

 

 当たり前だ、そんなことすら出来ない人間がホワイトルームで生き残れる筈もない。

 

「わかっていると思いますが、重要なのは綾小路くんを退学させ、ホワイトルームに連れ戻すことにあります。ですがスマートに遂行してください。決してことを公にしてはいけない。先生の名前に傷をつけないように」

 

 そんな言葉にはまたもや新入生は当然とばかりに頷く。何度も言われなくても理解していると主張するように。

 

「一つ質問があります」

 

「何でしょうか」

 

「綾小路清隆を退学させる上で、最も大きな懸念事項となっている七号に関してです」

 

 すると理事代理の男、月城は僅かな渋面を作る。

 

「既に基本的な対処方法はホワイトルームで教わっていると思いますが、一応貴方たちに訊いておきましょうか、七号と接触した時はどうしますか?」

 

「基本的には敵対しない」

 

「その通りです」

 

「しかし、綾小路清隆側の駒であり大きな障害であることは間違いありません。こちらを先に処理した方が本命に集中できるのではないでしょうか?」

 

「それも推奨できませんね。ホワイトルームという狭い環境しか知らない貴方たちにはイマイチ実感が持てないでしょうが……この世の中にはどうしようもないことが多々あります。七号はそういう立場の人間ですね。法も秩序もそこにあるバランスも無視して、最後には我を押し通す災害のようなものですから」

 

 月城はハハハと力なく笑い、未だに完治していない自らの小指を見せる。

 

「十分に気を付けてくださいよ。一見、穏やかなように見えて、自分の気に食わないことがあれば即座に追随を許さない暴力を振るってくる質の悪い相手なので……下手な権力者よりも、遥かにやり辛い相手です」

 

 それを理解していれば自分の小指は折れることは無かっただろうと、月城は今になって思う。同時に、七号の戦力の本質を理解している今、小指だけで済んだ幸運を実感もしている。

 

「それでは、君たちの健闘を祈りましょう」

 

 彼らが勝とうが負けようが、月城にとってはどうでもいい。どちらに転ぼうとも彼の最優先目標は政争相手の弱みや弱点を握ることであり、綾小路清隆の退学はどちらかと言えば自分ではなく彼らの仕事だと割り切っているらしい。

 

 

 それにと、月城は内心で酷く冷めながらこう思う。

 

 

 ホワイトルームの最高傑作と、あのゴリラが組んでいる以上、何をどうしようが結果は変わらないだろうと。

 

 彼らはホワイトルームでも突出した秀才であるのだが、結局は狭い世界の中でのトップでしかない。

 

 井の中の蛙大海を知らず、なんて言葉があるくらいに世の中は広く、理不尽と才能と冷たい現実が広がっていることに、まだ気が付いてはいないのだから。

 

「あぁそれと、私から君たちにとある言葉を贈っておきましょう……君子危うきに近寄らず、意味は説明するまでもありませんね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満開の桜、風に乗って漂う甘い花の香りと桜の花びら、まさに春の風物詩とさえ言えるその光景を、一年前もこの場所で見ていたことを思い出す。あの時は初めての学園生活に緊張とトキメキを隠せないでいたが、一年と言う時間は少しだけ大人にさせてくれたらしい。

 

 どこか穏やかな心と表情で、一年前にも見た学園内に植えられている桜の木々を見上げることができた。

 

 そして、去年の俺と同じような思いで、入学してくる一年生は桜並木を眺めているのだろう。

 

 実際に彼ら彼女らを観察していればそれがよくわかる。新生活に緊張する者、期待する者、不安や希望を抱く者、共通しているのは誰もが平常心では無いと言うことだった。

 

 平然に振る舞おうとしてもどうしたって態度には出る。本を開きながら歩く彼も、しきりに深呼吸を繰り返す彼女も、掌に何やら文字を書いて呑み込んでいる誰かも、挑発的に唇を歪めるあの子も、誰もが新しい生活と環境に大なり小なり影響を受けているのは間違いない。

 

 去年の俺たちがそうだったので、ならば今年の一年生だってそれは変わらない。

 

 校門に立てかけられた看板に書かれている入学式の文字が示す通り、本日は晴れの舞台である。

 

 雨にならなくて良かった、バスが遅れることもなくて良かった。遅刻する者もいないらしい。幸いなことであった。

 

「一年生の皆さん、入学おめでとうございます。これから体育館で入学式になりますので、こちらにどうぞ~」

 

 俺の仕事は別に一年生を不躾に観察することではない、生徒会役員として右も左もわからない一年生を誘導することが仕事であった。

 

 誘導灯を振ると一年生たちはこちらに注目して、そちらで入学式が行われることを理解して歩を進めてくれる。

 

 生徒会の腕章などもあり、この人は生徒会の人なんだと認識してくれているらしい。

 

 そうやって一年生を体育館に誘導しながらも、通り過ぎていく彼ら彼女らを観察していく訳だ。

 

 ただ緊張した様子の一年生を眺めている訳ではない。この160名の中に月城さんが紛れ込ませたホワイトルーム生がいると宣言されているので探すと言う理由もある。

 

 

 生徒会役員としての仕事もして、ついでに敵も探す訳だ。そう考えるとこの一年生の誘導業務はとても都合が良かったとも言えるだろう。

 

 まさか俺が生徒会に所属することになるとは……そこまで興味がある訳ではなかったが、こうして腕章を付けて仕事をしているのは理由がある。

 

 少しだけ時間を遡ろうか、アレは入学式が始まる数日前のことであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、入学式が目の前に迫るクソ忙しい時期に生徒会に入って仕事を手伝う奴と、全部が終わってからのんびりやってくる奴、どっちの印象が良いと思う?」

 

 春休みも終盤になって新生活が見え始めた頃、俺は生徒会に呼び出されて我らが高校の生徒会長閣下に開口一番そう言われるのだった。

 

 南雲先輩はこの学校の生徒会長である。そんな彼がわざわざ春休みに後輩を呼び出してそんなことを言い出すのだから、これは不当な圧力と言うべきなのではなかろうか。

 

 しかし言っていることは一々尤も、まさか正論でこの人に殴られる日が来るとは……。

 

 以前に、一年最後の特別試験が始まる前くらいに南雲先輩と話した時に、鈴音さんに巻き込まれる形で生徒会に誘われたのは間違いない。

 

 俺は美術部なので丁重にお断りしようと思っていたのだが、それを強引に引っ張ってどうした訳か生徒会に入ることにしてしまったのが鈴音さんである。

 

 彼女曰く、遊ばしている時間と余裕が無いとのことらしい。

 

 お兄さんとの和解と、彼女なりの目標意識の高さから生徒会入りを狙っていた鈴音さんは、無事に南雲先輩のお眼鏡にも適い生徒会役員となり、俺は入学式が終わった後にでも挨拶しようと思っていたのだが、逃がさないとばかりに生徒会に連れてこられたという訳である。

 

 俺は生徒会に入るとは一言も言っていないのだが、既に決定事項のように扱われているらしい。誠に遺憾ではあるのだが、既に生徒会役員として活動を始めていた鈴音さんの手前、断れずにズルズルと協力することになるのだった。

 

 

 まぁ良いか、美術部に入っていたのは趣味であることもそうだが、マネーロンダリングがやりやすいという立場を手放したくなかったという側面もあったが、目標金額と余剰資金は既に学校に引っ張って来れたので、そこまで執着する必要も無い。

 

 それならいっそ、と言う奴である。生徒会として活動することも高校生には必要なことだと考えると、そう悪いことでもない。

 

 これもまた青春、そう思うと楽しいのかもしれないな。

 

「わかりましたよ。では今日からお手伝いしますね」

 

「そうしてくれ。とりあえず迫る入学式の打ち合わせをするから、細かな動きを把握しておくぞ。生徒会全員でな……その前に、笹凪の挨拶だけ済ませておくか」

 

 南雲先輩がそう言うと、副会長の桐山先輩と、一年生の頃から生徒会に入っていた一之瀬さん……いや、帆波さん、そして新しく生徒会に入った鈴音さんが頷く。

 

 最後に俺、これが現状の生徒会メンバーであるらしい。もしかしたらここに新一年生の何人かが加わるかもしれないな。

 

「一年Bクラス……あぁ、いえ、二年Bクラス、笹凪天武です。まだ未熟な身ではありますが、ご指導ご鞭撻のほど、宜しくお願いします」

 

 南雲先輩に促されて生徒会でそう挨拶すると。帆波さんと鈴音さんが満足そうに頷き、三年の先輩たちはそれぞれこちらを観察してくる。

 

 副会長の桐山先輩は少し怖がるような顔をしているのはどうしてだろうか? 別に怒らせるようなことも怖がらせるようなこともした覚えが無いのだけれど。ただこの視線と表情は別に彼だけでなく、全校生徒から向けられるものに近かったりする。

 

 一年の体育祭以降によく向けられるようになった視線だ。やりたい放題やった結果なので今更気にしても仕方がないだろう。

 

 もう一人の三年生の南雲先輩は不敵な笑みを浮かべている……ストーカー行為は堀北先輩にだけお願いします。

 

 帆波さんと鈴音さんだけが癒しである。この二人とは親しくしているので肩身が狭い思いをしなくて助かっているのだ。

 

 鈴音さんはいつもの怜悧そうな顔をそのままに、しかし挨拶すると満足そうに小さく頷き、帆波さんは朗らかな顔をして微笑みかけてくれる。上級生とは異なる反応に安心さえした。

 

「おそらく一年生からも何名か受け入れることになるだろう。それが今年度の生徒会メンバーになる筈だ。とりあえず今は目の前の入学式を問題なく終わらせることに集中してくれ」

 

 意外、と言っては南雲先輩に失礼なのかもしれないが、生徒会長としてしっかりと仕事はしているらしい。いや、元々堀北先輩が認めるほどに優秀な人なのだから、これくらいは普通にできるのだろう。

 

 ちょっとストーカー気質だけど、優秀な人であるのは疑いようが無かったりする。

 

 生徒会役員全員が席についてから始めるのは、数日後に迫った入学式である。しかし複雑なことなど何もなく、司会進行や段取りなどは学校側が大半を終わらしているので、生徒会が行うのは細かな調整だけである。

 

 南雲先輩は在校生代表として入学式で挨拶とスピーチがあるらしい。それ専用の文章を作ったり、桐山先輩は椅子の数や来賓の配置などの最終確認、帆波さんは南雲先輩と一緒に文章を作る手伝い、俺と鈴音さんは一年生の誘導であったりとその他諸々の雑用を任されることになった。

 

 一応はリハーサルのようなものを直前にするので、そこで問題点が出なければそのまま本番という流れらしい。

 

 こうして俺は生徒会役員として初めての仕事を拝命することになるのだった。雑用もまた楽しくはある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなやり取りが入学式が始まる数日前にあり、こうして誘導灯片手に一年生たちの誘導を行っている訳だ。そう言えば去年も橘先輩が同じことをやっていたなと思い出しながら、一年生たちを安心させるような笑顔と共に体育館に誘導していく。

 

「お疲れ、精が出るな」

 

 一年生を誘導していると、二年生や三年生も体育館に集まって来る。その中に清隆グループの姿もあった。

 

 清隆、啓誠、明人、波瑠加さん、愛里さんたちだ。生徒会の腕章を付けて働いている俺を興味深そうに眺めて来る。

 

「生徒会としての初仕事だからさ、気合も入るさ」

 

 春休みの間に鈴音さんと一緒に生徒会に入ったことはグループの皆には伝えてあったので驚きはないが、こうして働いている姿を見せるのは初めてのことである。

 

「堀北はどうしてるんだ?」

 

「体育館の入口で新入生に席順の誘導をしているよ」

 

 清隆が言われた通り体育館の入口に視線を向けると、そこでは俺と同じく雑用をしている鈴音さんの姿があった。

 

「堀北も頑張ってるようだな」

 

「ウチのクラスから生徒会に入る奴が二人もいるとはな」

 

 啓誠も明人も感心したようにそんなことを言っている。

 

「ま、頑張ってよ。テンテン意外と様になってるよ」

 

「なら良かった」

 

 愛里さんもウンウンと頷いているので、生徒会役員としての俺はそこまで悪い印象はないらしい。これが龍園辺りならドン引きされるんだろうけど。

 

 グループの皆は入学式が行われる体育館の中に入っていく。そんな彼ら彼女らとは一緒せず、清隆だけはここに残ってこんな話を切り出して来た。

 

「それで、どうだった?」

 

 短く曖昧なその言葉の意味はしっかりと伝わる。ホワイトルーム生と思われる一年生がいたのかどうか知りたいのだろう。

 

「確実に、とは断言できないけど……君と似たような鍛え方をした体を持った子はいたかな」

 

 一年前の清隆を観察した時と同じような印象を与えて来る一年生はいた。ただし俺の主観なのでなんの保証にもならない。

 

 月城さんがホワイトルーム生を送り込んで来ると宣言した以上は、必ず新入生の中に存在する筈なので、誘導をしながら注意深く観察していたのだ。

 

「そうか……しかし服の上からでもわかるものなのか?」

 

「人はそこにいるだけで様々な情報を発しているものだからある程度はね……後は、何て言うんだろうな、一目見ればその人がどれくらい強いのか何となくわかるんだ。だけどこれはあくまでも俺の主観でしかないから参考程度にして欲しい」

 

「もちろんだ」

 

 清隆も人からの言葉や情報を鵜呑みにするような男でもないだろう。彼なりにこれだという選択肢を手に取るのは間違いない。

 

「まあその辺の情報は後で擦り合わせるぞ。相手の出方も把握して、こちらも対応を決める」

 

「了解」

 

 清隆も警戒心を抱きながらも、それを表に出さないまま体育館の中に入っていく。

 

 ホワイトルームからの刺客、この学校特有の試練、二年生という立ち位置、生徒会としての仕事、考えなければならないことは沢山あるのは間違いない。

 

 ただ、暇する時間もないのだから、それは充実しているということなのだろう。色々なことに頭を悩ませて一つ一つ乗り越えていくのは楽しくもある。

 

 友情だってそこにある、青春だって確かに感じている、後は恋でもあればこれ以上ないくらいに充実した高校生活となるのではないだろうか。

 

「天武くん、こちらは終わったわよ。貴方も席に着きなさい。もうすぐ入学式が始まるわ」

 

「うん、行こうか」

 

 一年生の誘導が終わった段階で、そろそろ俺も体育館に入ろうかと考えていると、同じく雑用を終わらせた鈴音さんが声をかけてきた。

 

 新学年を前にして決意表明として断髪した鈴音さんは、お兄さんとの和解もあってどこか吹っ切れたような印象を与えて来る。一年と言う時間は彼女を成長させたということだろう。

 

 春休み前に少し距離が縮まったような気もする。以前よりもどこか心許せる関係になったと言うか、そんな雰囲気となれたと思う。

 

 清隆もそうだけど、ただの友人とは表現できない縁があるのだ。それをとても嬉しく感じられるのだった。

 

 この学校に来てもう一年、色々とあったけど充実した時間であると今でも思う。一つ一つ結んだ縁は間違いなく力になっていることが実感できる。

 

 

 師匠曰く、青春は大切とのこと。

 

 

 

 俺たちは今日、二年生となるのだった。

 

 

 

 

 



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OAA

 

 

 

 

 

 

 

 

 入学式も大きな問題はなく終わり、その翌日から通常授業が始まることになる。二年生になって大きく変わったのはフロアと教室の変更、そして電子化などだろうか。

 

 端末の配布であったり、電子ポイントであったりと、その辺の技術などを積極的に導入していた学校だけに、そういったことに積極的であるらしい。

 

 ついに黒板も電子機器となった訳だ。国が運営している学校なだけあって資金の規模や導入に迷いがないように思えた。

 

 きっと来年も色々と変わるのだろうなと推測できる。この学校はどこか実験施設を思わせる場所なので、生徒の成長に繋がるのならば予算の投入に躊躇しないだろうことはわかる。

 

 教科書ではなくタブレット端末での授業には慣れないけれど、きっと一カ月後には当たり前の日常になっているのかもしれない。そして生徒たちの様子を監視カメラの確認して次代によりよく改良して渡す訳だ。

 

 様々な実験や試みを実行してより効率化と成長の理論を体系化していくのだろう。

 

 そう考えると、この学校はホワイトルームとやっていることはそこまで変わらないのかもしれない。目指す方向性は異なっても、そこに至る手段に大差はないということか。

 

「全員揃っているな?」

 

 新しい学年になり、様々なことが変わった環境を確認していると、教室の入口から茶柱先生が姿を現す。

 

 教科書や黒板が変わっても、担任の先生は電子端末化しなかったらしい。少しだけホッとしてしまった。

 

「ではまず、各々学校のHPにアクセスし、新しいアプリケーションをインストールして貰おう。アプリの正式名称はOAAだ」

 

 これはあれだな、生徒会には先行で導入されていたので俺は知っている。鈴音さんもだ。一応箝口令のようなものが敷かれていたので他者に話していないが、既にこちらの端末にはインストールされていた。

 

 わかりやすく言うのなら、学校の成績をいつでもどこでも確認できて、ゲームのステータスのように客観化されたものである。

 

 なんでも南雲先輩が考えて学校側が導入したらしい。その先行体験版を生徒会の役員たちは問題が無いかの情報収集の為に先んじてインストールしているのだ。

 

 特に目立った問題や、エラーなどは確認されなかったので、俺や鈴音さんが使っているものがそのままクラスメイトたちにも共有されているのだろう。

 

「このアプリには全学年の個人データが入っている。例えば2年Bクラスの項目を押せば、お前たちの名前が五十音順に表示されるようになっている、試してみろ。誰を見ても構わないが、まずは自分の名前をタップしてみるのが良いだろう」

 

 クラスメイト全員が茶柱先生の指示通りにアプリを起動して自分のステータスを確認していく。こちらもまた生徒会で一度見た情報を改めて確認することになる。

 

 

 

 2年Bクラス 笹凪天武

 

 一年次成績

 

 学力 A+(100)

 

 身体能力 A+(100)

 

 機転思考力 A(92)

 

 社会貢献性 A+(100)

 

 総合力 A+(98)

 

 

 

 これが一年終了時点での成績であるらしい。少なくとも学校側はこんな評価をしてくれているようだ。

 

 学力に関しては入学試験からここまで全て満点であったし、頻繁に勉強会に参加して自分だけでなく他者の学力に影響を与えている。身体能力に関しては散々やらかしたので説明は不要。機転思考力も別にこれといった問題も起こしておらず、他クラスや他学年にも知り合いや友人は多いので納得はできる。

 

 社会貢献性に関しては、部活動に積極的であったりクラスでの立ち位置、後はクラス内投票でわざわざ他所のクラスにまで退学者が出ないように奔走したことが大きな影響を与えたのではないかと睨んでいる。

 

 事実上、四人の生徒を退学から救ったようなものなのだ、それが社会貢献性の数値を大きく上げたのかもしれない。

 

 こうして客観的に自分の能力を確認できるのはわかりやすいし大きな影響を与えるだろうな。成長という見えないものも数字として見れる訳だ。

 

 流石南雲先輩である……ただストーカーという評価だけで終わる男ではなかったということだ。

 

 ザワザワと教室が騒がしくなる。こんな風に誰でもいつでも他者の成績や評価を確認できることに困惑や驚きが多いらしい。

 

 因みにクラスの中で一番総合力が低いのは山内である、次点で池、須藤と続いて愛里さんの名前がある。

 

 Bクラスという立ち位置はAクラスを強く意識する立場にあるので、去年一年はとにかくその影響というか、存在感を前にしながら励んだ成果が誰にも出ているのかもしれない。

 

 赤点組の常連であった三馬鹿たちですら、今や赤点圏内から脱しつつあるのだから、本当に実のある一年であったということだろう。

 

 OAAの導入による驚きが冷めやらぬ中、茶柱先生が注目を集めるようにパンパンと手を叩く。

 

「このアプリがあることで成績に対する意識改革、そして学年に関係なく名前と顔が一目でわかることで、交流を図っていく為の重要なツールとして活躍するだろう。しかし……それだけではないと私は考えている。これは個人的な憶測だが――今から一年後、総合力が一定水準に満たなかった生徒には何かしらのペナルティが与えられる、とな」

 

「退学、と言うことですか?」

 

 平田の質問に肯定も否定も茶柱先生はしなかった。

 

「その可能性もあるだろう。だが、言ったようにこれは私の憶測だ。必ずしも当てはまるわけではない。だが総合力がE判定に近いほどリスクは高くなると思った方がいい……それが不満ならば、自らの実力をしっかりと示せ、良いな?」

 

 それらを踏まえた上でこの一年に挑め、これは茶柱先生なりの激励なのかもしれない。

 

「さて、OAAの説明は今言った通りだ。お前たちも薄々感じているだろうが、このアプリを使っての特別試験が行われることになる」

 

 新学年一発目の特別試験が迫っていることを宣言されて、教室には緊張が走っていく。恐れではない辺り、一年の成長が実感できるな。

 

 チョークで書き込む黒板から、大型のモニターに変わった黒板を操作して、茶柱先生は特別試験の内容をそこに映し出す。

 

「肝心のその内容だが、新入生である一年生と、おまえたち二年生がパートナーを組み行う筆記試験となっている」

 

「一年生と……パートナー?」

 

 その瞬間に、俺の後ろの席にいた清隆が襟首を少しだけ引っ張った。大丈夫、わかっているよ、ホワイトルーム生を都合よく二年生と関わらせる試験だってことくらいは。

 

 同じ危機感を持った清隆は、内心で警戒心を大きくしているのかもしれない。この試験を考えたのが誰だと断言はできないが、俺と清隆には月城さんの顔が思い浮かぶのだった。

 

 やると宣言されているのだ、これは俺たちと月城さんの戦いでもある。

 

 同時に、頭の中には入学式の時に観察して見つけた「候補」の顔が思い浮かぶ。一年前の清隆と同じように徹底的に管理されたオリンピックアスリートのような体と体幹を持つ一年生が。

 

 同じ物を食べて、同じトレーニングをして、同じ体調管理と栄養管理をして、同じだけの睡眠をとった「劣化清隆」とでも言うべき一年生たちである。

 

 他にも何名か面白そうな一年生はいたけれど、清隆っぽい体をしたのはそこまで多くはない。

 

 こちらの勝利項目は彼らを避けて退学を回避すること、そしてクラスの勝利を得ること、二つ同時に進めていかなければならないのが辛い所であった。

 

 だがまあ楽しむくらいで良いのかもしれない。困難は多ければ多いほどに良いと師匠も言っていたからな。

 

 こうして俺たちは二年生最初の特別試験に挑むことになるのだった。

 

 一年生とパートナーを組む、相手はこちらを知らないし、こちらは相手を知らない、それだけでなくホワイトルームという不安要素もある。

 

 やっぱり殴り込むべきではなかろうか? 夜の間に海を泳いで対岸に行き埼玉まで移動して、一晩で瓦礫の山にしてから清隆のお父さんを海に沈めてから学校に帰って来るとか、そうすれば月城さんも荷物を畳んでどこかに消えるとか……いや、早まった真似をするべきではないな。

 

 でもそんな方法が思い浮かんでしまうくらいには、月城さんというか綾小路さんの影響がチラついている。

 

「やべえよ笹凪ッ!? 俺とパートナーになってくれる一年生なんているのかよ!?」

 

 特別試験が始まると宣言されてまず慌てるのがOAAで学力評価が低かった生徒たちである。池と山内などはそれが顕著であった。

 

 須藤は意外にも落ち着いた様子である。ここ最近はよく学力も伸びているのでもの凄く焦るほどではないと思っているのだろうか。

 

「落ち着きなさい。これまでの一年で様々な試練を私たちは越えて来たでしょう。今回もやることは同じよ」

 

 師匠モードになって皆を落ち着かせようと考えていると、それよりも早く鈴音さんがクラスを纏め始めた。

 

 吹っ切れたと言うか、一皮むけたと言うか、そこから凄みが出て来た彼女は不完全ではあるが師匠モードとなっており、クラスメイトたちの意識を引っ張っていくことになる。

 

 そして皆がそちらに耳を傾ける。いよいよ鈴音さんも箔が付いて来た感じだな。

 

 一年最後の特別試験でも思ったけど、俺は指揮官やリーダーよりも前線で暴れる兵士役の方が合っているので、これから先はもうクラスの方針は彼女に丸投げで良いのかもしれない。

 

 もちろん相談には乗るし、意見も伝えるけど、俺は指示されて暴れる立場にこれからなるのかもしれない。俺にできる指揮はきっと鈴音さんにも出来るけど、俺は鈴音さんには出来ない暴れ方を押し通せるのだ。ならばクラスの指揮は彼女に任せた方が良い。

 

「この程度で動揺するほど、私たちは弱くない……そうでしょう?」

 

 最後に彼女はクラスメイトに発破をかけるようにそう言うと、皆の不安が完全に引いていくことになった。

 

 一年前の彼女を思い出して少しだけ微笑ましい気分となっていると、そんな俺に気が付いたのか彼女は少しだけ不思議そうな顔をしている。

 

「うん、鈴音さんの言う通りだ。これまでと同じように、一つ一つ乗り越えて行こう。とりあえず全体の方針を定めようか。何をするにしてもまずはそこからだ」

 

「そうね……まず注目すべきは、どうやって一年生とパートナーを結ぶかと言う点よ。池くんや山内くんは不安に思っているようだけど、これに関してはプライベートポイントがカギを握っていると私は思うの」

 

「プライベートポイント……どういうこと?」

 

 首を傾げる池に鈴音さんはこう返す。

 

「学力に不安のある生徒であっても、報酬を用意すればパートナーになっても良いと考える一年生がいるということよ」

 

「報酬か……場合によっては買収戦略のようなものも行われると見るべきか?」

 

 啓誠の言葉にクラスメイトたちはどこか納得したような顔をしている。言われてみればまさにその通りだからだ。

 

「今、幸村くんが言ったように、この試験では買収戦略が当然のように行われるわ……いえ、寧ろそれが基本となる試験と考えられる」

 

「誰だって上位には入りたいだろうし、それは俺たち二年生だけでなく、一年生だって同じだ……この試験は学力が優秀な生徒ほど高値が付くだろうし、相手だってそれをわかっている。おそらく二年生から一年生に結構な額のポイントが一気に流れる筈だ」

 

「えぇ、優秀な生徒であればあるほど人気と高値が付く。或いは一年生はこう思うのかもしれないわね……自分の成績なら、もっと大きな契約を引っ張って来れると」

 

 俺と鈴音さんの説明に予想以上に複雑な試験であることを理解できたのだろう。池や山内なども真剣な表情になっていった。

 

「さっきも言ったけれどカギを握るのはプライベートポイントよ。それを踏まえた上で、大まかな方針は二つ、ポイントを惜しまず使って優秀な一年生を独占するか、それともポイントは節約して行動するか、そのどちらかね」

 

「それって、節約する方針だと今回の試験は一位を狙わないってことなの?」

 

 軽井沢さんが女子を代表するかのようにそう言うと、こちらは少しだけ悩むことになる。

 

 勝ちたくない訳ではない、けれど徹底するほどかと言われると旨味もない、そんな考えがあるからだ。

 

「今回の試験、仮に一位を目指すとしましょう……その為に必要なのは学力の高い一年生の独占となる。さて、一体どれだけの資金が必要になるでしょうね。そしてそれで一位になっても得られるのはクラスポイントが50と幾らかのプライベートポイントだけ」

 

「赤字になってしまうということだね」

 

 平田が穏やかな口調でクラス全体に説明するようにそう言った。

 

「えぇ、それならばいっそ、ポイントを節約して一位ではなく上位三割を狙ってプライベートポイントの報酬を得た方が良いんじゃないかと思うのよ……ただ、私たちのクラスの資金力なら、おそらく多くの一年生と契約を結べるから、一位を狙うことも現実的なのよね」

 

「そう言えば、毎月Aクラスから結構なポイントが振り込まれてるんだったか」

 

 すまない須藤、その契約は表向きはまだ履行されているけど、実質解除されてしまっている。毎月振り込まれている資金は俺の財布から補填しているんだ。

 

 だから一見すると今もAクラスからポイントが流れて来ているように見えるけど、完全に存在しないことになっている。勝手をして本当に申し訳ない。

 

「迷い所だよね。僕たちのクラスはクラスポイントにもプライベートポイントにも余裕がある……これがもっと大きくポイントが変動する試験なら無理してでも資金を注ぎ込むことも良いと思うんだけど」

 

 平田が言った言葉が全てである。無理して赤字を出しても得られるのは50クラスポイントと幾らかのプライベートポイントだけだ。

 

「堀北さんと笹凪くんはどう思っているのかな?」

 

「最終的な判断は鈴音さんに任せようかな」

 

「……え?」

 

「頼りにしているよ」

 

 俺はきっと前に出て暴れる方が合っているだろうからな、これは一年生の頃からずっと思っていたことである。戦士は前に出してこそだ。

 

 きっと、今の鈴音さんならば迷うことも戸惑うこともない筈だ。クラスの指揮をしながら俺を最前線に放り投げるくらいはしてくれるだろう。それは即ち俺が最も動きやすい環境でもある。

 

「わかった……私としては、大規模な買収戦略は行うべきではないと思うわ。理由はさっき平田くんが言った通り、得られる報酬に対してこちらの損失が大きいのが理由よ。その上で、一年生個人ではなく、クラス単位での同盟のようなものを結ぶことがベストだと考えているの」

 

「互いに弱点を補完できるような関係を作るんだね」

 

 それで良いのかと確認を込めてそう尋ねると、彼女は迷いなどないとばかりに力強く頷く。

 

 あぁ、やっぱりだ、彼女はもう迷わない。どれだけ苦しくても、辛くても、進んでいける人になっていた。

 

「一年生の反応や二年生の動き次第ということもあるけれど、そういう形を作れるのがベストだと私は思っている。ただし完全にポイントを節約する訳ではないわ、出すべき所ではしっかりと出す、そのつもりでいて欲しいの」

 

 クラス全体を見渡すと、すっかり不安は消えて誰もが集中しているように見えた。同時に、俺だけでなく鈴音さんへの信頼のようなものも見えて来る。

 

 一年という時間は、このクラスを大きく変えたということだろう。それが少しだけ嬉しく思えた。

 

「まずはそれらの方針を理解して頂戴。その上でいつものように腹案も走らせていくつもりよ。もしクラス間の同盟が結べなかった時に備えて個人契約も同時並行で進めていく、平田くん、須藤くん、新しく入部した一年生に声をかけられないかしら」

 

「うん、わかったよ。任せて欲しい」

 

「お、おう……わかったぜ」

 

 頼りになる返事を聞かせてくれた平田と違って、須藤はどこか視線を泳がしてしまう。

 

「何かあるのかしら?」

 

「いや、そのなんだ、結構スパルタっていうか……アレしてるからよ」

 

「威圧的に接しているということ?」

 

「まあそんな感じになるかもな。バスケはリアルだからよ」

 

「……貴方はひとまず勉強に集中して、特別試験のことは考えないようにしなさい」

 

「あ、あぁ」

 

「皆も、個人契約を進めていくのは結構だけど、即断即決はせずに私か天武くん、或いは平田くんや櫛田さんにまずは報告や相談をして頂戴」

 

 二年生最初の特別試験はこうして始まることになる。クラスの指揮は鈴音さんに任せても問題はないとして、俺個人としては色々と確かめなければならないことも多いから、忙しくなりそうだ。

 

 

 別に何がどうということも無いけれど、何名か気になる一年生がいるので、それぞれしっかりと確認しておかないといけないだろう。

 

 

 

 それにしても、九号はどうしてこの学校に来たんだろうか?

 

 

 

 



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九号

 

 

 

 

 

 

 

 クラスでの会議も終わり、大まかな方針と考えを共有できた段階で、クラスメイトはそれぞれ動くことになる。部活に入っている者は後輩に声をかけるだろうし、コミュ力に自信のある者は積極的に声をかけにいくだろう。

 

 そしてクラスの方針を預かることになっている俺や鈴音さんたちは、個人契約に奔走するよりもまずは学力の低い生徒の救済に奔走することになった。

 

 池や山内、そして須藤、最優先なのはこの三人だろうか。三人とも学力はDからD+という評価を学校から受けているが、安全圏とは言い切れない。

 

 去年の一年間頑張ったからなのか、E判定で無かったのは救いなのだろう。

 

 会議が終わってから教室を出て、清隆と鈴音さんと廊下でそんな考えを共有することになった。

 

「一年生の中で、学力B以上の生徒を優等生として人数を調べてみたの。Aクラスに17人、Bクラスに13人、Cクラスに13人、Dクラスに11人だったわ」

 

 やはりAクラスには実力者が多いらしい。俺たちの世代と評価や判断基準が同じなのかどうかはわからないけど、単純な学力だけならばやはりAクラスなのだろう。

 

「そして私たちのクラスで学力がDの生徒は全部で12人、一年生には十分に戦力が揃っている状態よ。もしクラス間での協力関係が結べなかったとしても、最悪この12人には優等生とパートナーを結ばせたいと考えているの」

 

 スマホでピックアップした一年生たちを見せて来る。とても仕事が早くて助かってしまう。

 

「買収戦略はしないんだろう?」

 

 清隆の言葉に緩やかに首が横に振られた。

 

「徹底してポイントは出さないという訳ではないわね。さっきも言ったけど出すべきと判断した時は出す。幸いにも資金に余裕があるもの」

 

「まぁ、Aクラスとの契約もあるからな」

 

 清隆はその契約が破綻していることを知っているのだが、それを表に出すことはないらしい。混乱させるだけだからな。

 

「理想はクラス同盟、けれど簡単なことではないとわかっている。個人契約を進めていくにしても、まずは優先リストを作ってみたわ……最優先はやはり須藤くんでしょうね」

 

「須藤はかなり伸びて来ていると思うけど、OAAでも学力はD判定だったし」

 

 去年は積極的に勉強していたのでE判定では無かった。それは池や山内も同様である。そもそも俺たちのクラスにE判定を貰っている生徒は一人もいなかったりする。

 

 やはりもうすぐでAクラスという立ち位置は、大きな影響を与えたということだろう。

 

 そんな俺の須藤への評価に、彼女は難しそうに考え込む。

 

「もし貴方が一年生だとして、須藤くんと池くん、どちらがパートナーを組みやすいかしら?」

 

「そりゃまぁ」

 

「池だろうな」

 

 こちらの言葉を清隆が繋げる。表面上の学力が同じであるのならば、やはり柔和な印象を与える池の方が接し易いだろう。

 

「私から見て須藤くんはD+からC-あたりまで来ている感覚よ」

 

「へぇ、そりゃ凄い。春休みの間に付きっ切りで面倒見てあげたのかい?」

 

 素直に感心していると、何故か鈴音さんはギクシャクと動揺した様子を見せる。

 

「そ、そんな訳ないでしょう。ただ一人で勉強する癖とコツを教えただけよ……だから、別に毎日教えていた訳ではないの、わかったかしら? 変な誤解はしないで」

 

「別に誤解している訳じゃないよ」

 

「……そう、なら良いのだけど」

 

 コホンと、ワザとらしく咳をして、彼女は次に清隆に視線をやった。

 

「綾小路くん、貴方はパートナー選びが必要かしら?」

 

「いや、不要だ。おそらくそこまで困らないだろうからな」

 

「一応、貴方はB評価を得ているから、須藤くんたちほど優先順位は高くしなくても大丈夫そうね」

 

「あぁ」

 

「……何か意見はあるのかしら」

 

「堀北の方針で問題はないと思っている。少ない報酬を求めて安易にマネーゲームに参加しないのはその通りだ。クラス同盟も視野に入れつつ個人契約も進めていく、何もケチが付けられない」

 

「天武くんはどうなの」

 

「清隆と同意見だ。きっと俺がクラスの指揮を取っても似たような感じになったと思う……前から思ってたことだけど、やっぱり俺はどんどん前に出て暴れる方が合ってると思うんだ」

 

「だから、これからは私に任せるということ?」

 

「あぁ、上手く動かしてくれよ。鈴音さんを信頼しているからこそ任せられるんだ」

 

 すると彼女は少しだけ照れた顔を見せる。可愛い。

 

「わかったわ。そこまで言われたら、期待に応えましょう」

 

 そして満更でも無い感じで僅かに微笑む。本当に頼りになるリーダーになったと思う。

 

「早速動きたいのだけど、意見をくれるかしら」

 

「一年生に接触するんだね……協力したくはあるんだけど、ちょっと一人で動いていいかな?」

 

「それは何故かしら?」

 

「声をかけたい一年生がいるんだ。後輩というか、知り合いというか、微妙な立ち位置の子なんだけど……清隆、悪いんだけど鈴音さんのサポートをお願いできるかな?」

 

「オレに出来ることは何もないぞ」

 

「パートナー探しにもし困ったら、その子を紹介するからさ」

 

 それでこちらの意図は伝わるだろう。慎重に立ち回りたい彼にとって安全圏となる一年生は絶対に欲しいだろうからな。

 

「わかった、引き受けよう」

 

 そんな会話をしていると、俺たちのスマホが震えてOAAの全体チャットでとある催しが告知されることになる。

 

 

『本日午後4時から5時まで、体育館で一年生と二年生の交流会を行う許可を貰いました。時間に余裕のある生徒は是非集まってください』

 

 

 内容はそんな感じである。一之瀬さんは全体チャットで一年生との交流を告知したらしい。

 

「帆波さんも動き出したみたいだ」

 

「自分たちだけじゃなく、全体のことを考えて行動している。彼女らしいわね……え、帆波さん? 何故名前で呼んでいるのかしら?」

 

「そりゃ友人だから」

 

「そう……いえ、そうね」

 

 こういう分野は彼女の専売特許なのかもしれない。実際に接すれば一年生たちも心奪われるだろう。

 

「様子を見に行くのかい?」

 

「……そうね、気になることもあるもの、様子見くらいはしようかしら……行くわよ、綾小路くん」

 

「あぁ」

 

 他クラスの行動が始まったことで鈴音さんも動くことになる。背中を向けて歩き出す彼女に教室から出て来た須藤が何やらアピールしているが、そんなやりとりを他所に俺と清隆はこんな会話をしていた。

 

「お前の後輩ということだが……どういう相手なんだ?」

 

「正直、俺もよくわからない」

 

「うん? 後輩なんだろう?」

 

「俺にわかるのはホワイトルーム関連の息がかかってないってことだけだ、場合によっては敵になる可能性も絶対にないとは言い切れない。それを確認する為に接触するんだ。問題なさそうなら君に紹介するよ。最終判断はそっちでしてくれ」

 

「良いだろう」

 

 清隆も鈴音さんと須藤と合流して一年生や他クラスの偵察に向かう。俺は俺で踵を返してさっそく動き出す。

 

 一年生の動向、ホワイトルーム生の考えや方針、他クラスの作戦、特別試験が始まるといつもこうして頭を悩ませることになるのは、この学校特有だろうな。

 

 清隆と鈴音さん、それに須藤が加わって偵察と勧誘に向かう三人を見送ってから、俺は目的の一年生と接触する為に行動を開始する。

 

 さっきからずっと視線を感じているからな……どうやらあちらも俺と接触したいらしい。

 

 とりあえず人気の少ない場所に行くか。殺し合いになるかもしれないから覚悟だけはしておこう。超人連中はどいつもこいつも頭がおかしいのが基本だから警戒はどうしたって必要である。

 

 マトモなのは俺と師匠だけ、それくらいに思っておく方が良いだろうから。

 

 向かう先は図書室である。特別試験が始まったばかりなので誰も彼もが慌ただしく動いている筈なので、こんな日に図書室を利用しようとする者は稀だろう。

 

 そう思って足を運ぶのだが、こんな日であると言うのに利用者はいた。龍園クラスでは珍しい文学少女、椎名ひよりさんである。

 

「やぁ、今日も読書かい?」

 

「はい、笹凪くんもですか?」

 

 彼女とは偶に図書室を利用した時に話すことがある。いつも通りどこか浮世離れした雰囲気で少しだけ笑う椎名さんは、特別試験が迫っているというのに読書らしい。

 

 まぁ焦る必要はないんだろう。彼女の学力評価はとても高いので引く手数多だ。龍園もそれがわかっているから放置なんだろう。

 

「少しだけ参考書でも漁ろうかなって思ってさ。今度の試験は難易度が高いらしいから」

 

「なるほど、確かに先生もそう仰られていましたね。ですが意外です、笹凪くんはどこか浮世離れしていて、何でも簡単にこなしてしまう印象があったので、しっかり勉強なされていたのですね」

 

「なんだいそれは、俺は別に無から結果を生み出している訳じゃないよ」

 

「えぇ、言われてみればそうですね。超人めいた貴方でもしっかりと努力なされている、当たり前のことでした」

 

 そう言えば椎名さんは清隆とも交流がある。同じ読書好きとして話すことがあるし、偶にだが三人で読書談義をすることもあるな。

 

「参考書ならこちらのエリアに揃っていますよ」

 

「ありがとう、少し調べてみるよ」

 

 この図書室の司書よりも下手すれば本に詳しい椎名さんの勧めで、特に必要としていない参考書のエリアに足を向ける。彼女はこんな日でも読書だったけれど、普通の生徒は特別試験に向けて行動しているので、やはり普段より閑散としていた。

 

 幾つかの本棚が並び、参考書が押し込められた図書室の一角、やはり人気は少ないその場所で参考書を眺めていると、本棚の向こうから声がかかる。

 

「お久しぶりで~す、七号」

 

「あぁ、久しぶりだね」

 

 超人――国家、社会、経済、法、秩序、政治、国民、それらに対して深刻な被害を齎すとされる個人を政府はそう評価して監視する。

 

 報酬を払って味方にすることを基本方針としており、師匠などを筆頭にかなりの年俸を貰って色々な仕事を引き受けることがあった。

 

 別に番号によって強さが変わる訳ではなかったりする。ただし番号が若ければ若い程に被害想定が大きくなるとされているらしい。つまりこの本棚の向こう側にいる九号は、超人の中では九番目に危険視されているということだ。

 

 姿も形も容姿も本棚に隠れていてよくわからない、同時にそれだけの距離だというのに霞のような存在しか感じ取れないので、本当にそこに存在するのか自信が持てなくなってくる相手である。

 

「君、こんな所でなにやってるのさ。ここは学校なんだけど、なんで生徒やってるの」

 

「その言葉をパイセンが言いやがりますか……人間に紛れてもゴリラはゴリラっスよ」

 

 誰がゴリラだ、俺はどこまで言っても人間だよ。そもそも君たちだって大差ないだろうに。君の師匠はウチの師匠と何とか戦いを成立させられるくらいには強いって聞いているぞ。

 

「色々と言いたいことや訊きたいこともあるけど……単刀直入に訊こうか、君と俺は敵対する要素があったりする?」

 

「いえ、ありませんって」

 

「じゃあなんでこの学校に来たんだい?」

 

「内偵でやがりますよ、忍者の仕事なんて基本はそんな感じですから」

 

「内偵?」

 

「ここは政府の影響下にある学園ですから、そこに政府の息がかかっていない人が理事長やってるんですよ。そりゃ調査しますって」

 

 あぁなるほど、月城さんのことか。

 

「ただざっくりと経歴漁ってもツッコミどころがありませんから、力づくで処理するのは難しいって話でやがります」

 

 政府が後ろ盾になっているこの学園で、政府とはなんの関係も無い上に、敵対勢力の息がかかっている人が理事長になっている状況なのだ、そりゃ黙って眺めている訳もないか……もしかしたら坂柳さんのお父さんが色々と政府に働きかけているのかもしれないな。

 

「そんな訳で内偵ですよ。生徒と教員に一人、政府の息がかかった人が入り込んでます」

 

「なるほど、だとしたら俺と君が戦う理由はなさそうだ……それどころか協力できるかもしれない」

 

「……パイセンが暴れると派手になるんでアレなんですけど、まぁその話をしたくてウチも声かけましたんで」

 

 本棚の向こう側で、少しだけ悩むような様子が伝わって来る。

 

「俺と君は協力できる、そうだよね?」

 

「そうッスね。敵対する理由は無いッスよ」

 

「了解、ならそういうことにしておこう。これからは学校の先輩後輩でいこうか」

 

「面倒見てくれるってことですよね? ウチは普通の学校ってよくわからなくてちょっと困ってたんで助かります……憧れてはいたんですけど、やっぱ想像と現実は違うと言いますか」

 

「忍者も学校に憧れるものなのかい?」

 

「そりゃまあ、こんなハイカラな服着て、まるで女子高生みたいじゃないッスか……ふへへ、可愛い、ウチの師匠に見せてやりたいです」

 

 九号は本棚の向こうで何やらニヤついている。そんな姿を想像していると、彼女も年頃の乙女なのだとよくわかる。

 

「とりあえずパイセン、色々と援助してくださいよ」

 

「良いだろう。代わりに一年生の情報を流して欲しいな」

 

「モチのロン」

 

「言っておいてなんだけど、君はクラス闘争とか興味ないのかな?」

 

「欠片もね~でやがります。まあ高校生活って奴ができれば良い位な感じなので、本命は内偵ッスから」

 

「……因みに、どういう相手に忠誠を誓う?」

 

 そんな質問をすると、本棚の向こうで顔も見えない九号はニヤリと笑ったような気がした。

 

「忍者はいつだってお金持ちと強い人の味方でやがります……毎月十万ポイントとかくれたらウチは喜んで従います」

 

 なるほど、流石は忍者だ、わかりやすくていい。

 

「それで行こうか」

 

「要求しておいてアレなんですけど、構わないんですか?」

 

「いいよ、安いものだ」

 

「おぉ~、やっぱり仕えるのなら太っ腹な人ですね」

 

「他に必要な物は?」

 

「あ~……3Dプリンターとか欲しいッス」

 

「そんなもの何に使うんだ?」

 

 俺の部屋にある美術品製作用の3Dプリンターを思い出しながらそう言うと、本棚の向こうにいる九号はさも当然とばかりにこう返してくる。

 

「何にって……武装の現地調達は忍者の基本ッスよ。この学校、持ち込める物が少なくて困ってるんですから、色々作らないと」

 

「……なるほど」

 

「でもアレって高いんですよね~、盗聴器とかは持ち込めたんですけど、それ以外を作ろうと思うとポイントが幾らあっても足らなくって。太っ腹なご主人がいてマジ助かるでやがります」

 

「盗聴器は何に使うつもりかな?」

 

「内偵するんですから、理事長室に仕込むんッスよ。小型カメラとか、パソコンにも色々と枝を仕込まないと。椅子に小型の爆薬とかも有事に備えて設置するつもりなんです。許可を貰えれば事故死にする為に」

 

 止めなさい、月城さんを殺すつもりか……可哀想に、あの人はこれから忍者に付け狙われることになるのか。そもそも爆破しておいて事故死とはどういうことだ。

 

「まあ君の仕事は一旦横に置いておいて、この学校の学生らしく特別試験に目を向けようか」

 

「特別試験?」

 

 この子は本当にその辺に興味が無いんだな。

 

「あぁ、それってあれッスよね。なんか上級生とパートナー組んでテスト受ける奴」

 

「そうそれ、とりあえず枠を空けといて欲しい」

 

「構いませんよ。パイセンが組んでくれるんッスか?」

 

「もしかしたら俺の友人と組ませることになるかもしれないから、そのつもりでいて欲しい……あ、君ってテストで何点くらい取れるかな」

 

「入学前に受けたテストは70点くらいで抑えましたけど」

 

「……満点は取れそう?」

 

「に、忍者に不可能はありませんよ……でも目立つと内偵に障りがありそうなので嫌ッス」

 

「なら平均70点前後で調整してくれ」

 

「まあご主人の方針なら従いますよ」

 

「小遣いは用意しよう」

 

「頑張ります……まぁ上手く使ってくださいよ。忍者はいつだって強い人を陰から支えるんですから。後、お金持ちの人もね」

 

 現金な忍者である。流石忍者汚い。この子の師匠もそんな感じだったなと思い出す。でもわかりやすくて良いのでありがたくもある。

 

 最悪、清隆が別の相手と組むことになっても俺が組めばいい。ホワイトルームの関係者でないどころか敵対勢力なだけで安心感が凄まじいからな。

 

「それじゃ七号、これからお世話になるッス」

 

「うん、よろしくね」

 

 本棚の向こうにあった九号の気配が遠のいていく。しかしその直前で彼女はこんなことを言った。

 

「因みに、ウチはこの学園では――と名乗ってますんで、覚え……る必要はありませんね。きっとすぐに忘れるでしょうから」

 

「忘れないよ、君の前の名前もその前の名前も、俺は覚えている」

 

「パイセンのそういう所、嫌いじゃね~です」

 

 OAAでその名前を検索して調べてみると、どうやら1年Aクラスの所属であるらしい。

 

 全ての項目がB辺りで調整されており、それを見た俺は完全に詐欺だと思うのだった。

 

 

 

 

 その日の深夜、この学園が存在する埋め立てされた人工島は一時的に停電する事態に陥る。十分ほどで人工島内にある緊急用の自家発電に切り替わったのですぐに復旧したのだが、それを知った俺は九号の仕業だろうなと何となく想像する。

 

 外部からの送電が遮断され、自家発電に切り替わるまでにおよそ十分ほど、監視カメラも停止しているので理事長室に色々な仕込みを差し込むには余裕だろうなと、そんなことを思うのだった。

 

 理事長室にある月城さんの椅子が突然爆発して吹き飛ぶのかもしれない。いや、そうなったら内偵がどうのこうのという話ではないので、きっとあれは九号の冗談なんだろうけど、盗聴器やカメラくらいは仕込んでいるかもしれないな。

 

 また月城さんが苦労するのか……少しだけ可哀想に思えてしまった。

 

 

 

 

 



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宝泉お姫様抱っこ事件

三年生「やめとけ」二年生「やめとけ」教師「やめとけ」

宝泉「?」

龍園「ビビッてんじゃねえ、やれ」


 

 

 

 

 

 

 

 九号との協力関係の樹立が成功した翌日、鈴音さんたちに任せた偵察はどうだったのかと思い、清隆と情報交換をすることにした。一年生の動きや反応であったり、二年生の考えや方針であったり、後は個人的な要注意人物の印象であったりと、聞きたいことは沢山ある。

 

 本日のお昼休みは清隆と鈴音さんと一緒に教室の隅で済ますことになった。購買で買って来たおにぎりを食べながら二人の印象や評価を教えて貰っている。

 

「そうか、当たり前のことだけど、一年生だって色々な考えがある訳だね」

 

「えぇ、決して侮れる相手ではない、この試験が契約と買収前提だということをしっかり理解している印象よ。特に学力の高い生徒ほどどれだけポイントを上級生から引き出せるかを考える傾向にある」

 

「一年生だって馬鹿じゃないってことだ」

 

 昨日の放課後、須藤と一緒に三人で偵察した結果、そこまで大きな手ごたえは得られなかったらしい。やはりどこにいってもチラつくのはポイントによる契約だ。

 

 一年生からしてみればどれだけの利益ある契約を結べるのか、二年生からしてみればどれだけのポイントを消費出来るのか、まるで一年生と二年生の間で綱引きのような感じになっているらしい。

 

 もし俺たちが一年生であったならば、同じように大きな契約を結ぼうとしただろうから、一年生も本質をよく理解しているということだろう。

 

「学力評価が低い生徒は、大きな契約なんて高望みはせずに、一之瀬さんの交流会に参加していたわね」

 

「頼りになりそうな先輩が力を貸してくれる訳だから、そりゃ飛びつくか」

 

 問題なのはポイントを吊りあげられると思っている学力評価の高い生徒たちである。

 

「気になるのは、一年Dクラスの意向かしら……一之瀬さんの交流会に参加していなかったのよ。加えて、何人かに声をかけてみたのだけれど、クラスのリーダーの方針としか言わなかった」

 

「だとしたら早いね、まだ新学年が始まったばかりなのにもうクラスを纏め始めているってことだ」

 

「推測でしかないけれど、私たちの時とは異なって学校側は今年の一年生にある程度の情報を開示しているかもしれないわ」

 

「俺たちの時は何も無かったのに」

 

「……今にして思えば、アレは私たちの学年で行われた初めての特別試験だったのかしら」

 

 サンドイッチを食べ終えて、一年前の今頃を思い出す鈴音さん。言われてみれば確かにその通りなのかもしれない。

 

「そうかもしれないね、代わりに今年の一年はこんな特別試験になったんだろう……それで、唯一期待が持てそうな生徒と話が出来たんだよね?」

 

「あぁ、天沢一夏……学力評価はA、須藤のパートナーとしては文句無しだ」

 

 清隆の言葉には警戒心が宿っていることに俺は気が付く。一応ホワイトルーム生候補であると情報を共有しているからな。

 

 ただこの天沢という生徒に関しては俺の観測もそこまで正確ではないと思っている。もう一人のホワイトルーム生である男子生徒とは異なって女性だからな。やはり筋肉や体幹や性質がどうしても異なって来るのだ。

 

 清隆と似たような印象を覚える研ぎ澄まされた肉体だけど、やはり女性なので似ても似つかない。

 

 俺にわかるのは、天沢さんの肉体や体幹や重心がオリンピック選手のように無駄がないと言うことだけである。だから確信までは持てない状態だ。

 

「それで、料理を振る舞って合格すれば協力してくれると……なんでそうなった訳?」

 

「オレが知る訳ないだろう……まぁ、殴り合いよりはまだ現実的だ」

 

「最初は一番喧嘩の強い人と言われたのよ」

 

 2人がどこか疲れたような顔をするので、天沢さんに翻弄されたことがよくわかる。

 

「清隆は料理上手だよね」

 

「あぁ、だから引き受けた」

 

「少し意外だけれどね、綾小路くんが料理達者だったなんて」

 

「料理は唯一の得意分野と言っても過言じゃないぞ」

 

 チェスで負けると料理をごちそうするのが俺たちの日常だからな。清隆も同じように負けた日は料理を作ってくれる。最初はどこかぎこちない感じではあったけど、あっという間に技術と経験を昇華させて料理上手となった。

 

 まさかあの経験がここに来て生きるとは、何が役に立つかわからないものである。

 

 ただ天沢さんは危険人物であるので、ここで上手いことパートナー相手を須藤に押し付けたいのかもしれない。

 

「おい、一年生が何人かこっちに来てるぞ!!」

 

 情報交換をしていると誰かがそんなことを言った。この二年生のフロアに誰かが顔を出したと。

 

「どうしたのかしら?」

 

 鈴音さんは興味を引かれたのか廊下側に向かう。俺もそちらに行こうかと思ったが、その前に清隆と二人だけで話しておくことがある。

 

「天沢一夏さんだっけ、大丈夫なのかい?」

 

「今の所怪しい動きはない。だがお前の中では警戒対象なんだな」

 

「オリンピック選手みたいな体や体幹、重心や呼吸をしているからね」

 

「それほどの肉体なら、候補として十分だろう」

 

「清隆も警戒はしているんだ、それでも十分に気を付けなよ」

 

「そうするつもりだ。それより、お前の後輩の……名前は何だったか?」

 

「あぁえっと……」

 

 昨日彼女に名乗って貰った名前を思い出そうとするが……不思議なことに簡単にはいかない。それでも何とか記憶の奥底まで潜って曖昧な情報を拾い上げていく。

 

「銀子さん、だね」

 

「そんな名前だったか? いや、まあいいか……その銀子だが」

 

 そこで清隆は何故かスンッと表情から感情を消す。普段から似たような顔をしているのだが、今回は特にそれが顕著だった。

 

「ユニークな相手だな」

 

 どうやらそれが九号と話した清隆の評価であるらしい。昨日の放課後、一年生の偵察が終わった後に早速紹介したのだが、少なくともこの感じだと清隆の中ではホワイトルーム生の線は消えているらしい。

 

「お前に問題が無いのならば、パートナー候補にしても良いか?」

 

「俺はそれで構わないよ。元々、そのつもりだったからさ」

 

「そうか、ならその方向で頼む」

 

「了解」

 

 清隆がホワイトルーム生と組むという最悪の展開はこれで避けられただろう。だとすると思っていたよりも月城さんの介入は楽に跳ね除けられるかもしれないな。

 

 そんなことを考えていると、廊下側が途端に騒がしくなる。

 

 

「何やってんだ!!」

 

 

 怒気を含んだその声は龍園クラスの石崎のものであった。一年生が来たとは言っていたが、どうして彼はそんなに怒っているんだろうか?

 

 清隆と視線を合わせてから、溜息交じりに椅子から立ち上がって廊下へと向かう。

 

 そこでは騒ぎの中心である石崎と、逞しい体をした一年生の姿が待ち受けていた。あれは確か宝泉、今年のヤンチャ枠だったか。

 

「死にたくなきゃ、やめとけ石崎」

 

 舎弟の怒気が親玉にも伝わったのか、龍園も姿を見せる。

 

「どうして止めるんですか!?」

 

 制止した龍園の行動に石崎は困惑した様子を見せていた。

 

「お前のことはよく知ってるぜ。宝泉つったら地元じゃちょっとした有名人だったからな。まさかここまで馬鹿そうな顔をしてるとは思わなかったけどなぁ」

 

 相変わらず龍園は人を小馬鹿にしたような嘲笑いを浮かべている。それを見てたから宝泉は値踏みするような視線を向けているのは対照的にも見えてしまう。

 

「龍園さん、知ってる奴なんですか?」

 

 だが石崎の言葉に一年生は強い興味を向けるのだから、やはり同じヤンチャ枠として通じる部分があるのだろうか。

 

「龍園だと? おいおいなんだよ。まさかの巡り合わせだな。お前の噂は嫌ってほど聞いてたぜ龍園」

 

「人の名前を憶えるだけの知能はあるみたいだな」

 

「しかしあの噂の龍園がこんな貧弱そうな体してやがったとはな……意外だぜ」

 

「お前の方はイメージ通り脳まで筋肉で出来てそうだな」

 

 何故だろうか、どうした訳か今、俺のことが呼ばれた気がする。不思議なことである。

 

 宝泉と龍園は互いに不良らしく挑発しながら何やら言い合う。ここだけ切り取れば不良漫画の一コマみたいに殺伐としていた。

 

「行くぞ石崎、ゴリラと見返りもないのに殴り合う必要はねぇ」

 

 それでも最後まで龍園は余裕を崩すことなく、石崎を引き連れて帰ろうとするのだが、そんな彼らを嘲笑うかのように宝泉がわかりやすい動きに出てしまう。

 

 彼が手を伸ばしたのは、龍園と共に様子を見に来た伊吹さんであったのだ。よく鍛えられて喧嘩慣れしたであろう手で、凶行に及ぶことになる。

 

「はッ、女も兵隊に使うんだな」

 

 咄嗟に抵抗しようと手刀の構えを見せる伊吹さん、そんな行動を無視して宝泉はその首を握りしめてしまう。

 

「ッ!?」

 

「ほら抜けてみろよ。それか、そこで見てるお前ら全員かかってきてもいいぜ」

 

 

 次の瞬間に、龍園と俺が同時に行動に出る。

 

 龍園は上段蹴りを、こちらは伊吹さんの首を絞めている手に指を伸ばすことになった。

 

「あん?」

 

 自分に向かって放たれた蹴りを軽くいなした様子だが、自分が絞めていた伊吹さんが突然に消えてしまったことに違和感を覚えたらしい。宝泉は掌を見下ろしながら何度も指を結んで開いてを繰り返していた。

 

「伊吹さん、大丈夫かい?」

 

「う、ごほ、余計なことを」

 

「ハハハ、ごめんね。流石に黙って見過ごすことは出来なかったからさ」

 

「……ありがと」

 

 咳き込む伊吹さんを石崎に預けてから、俺は今年のヤンチャ枠と向き合うことになる。

 

「で、誰だテメエは?」

 

「笹凪天武、初めまして」

 

 自己紹介すると宝泉は肉食獣のような獰猛な笑みを見せてくるので、どうやら彼はこちらを把握しているらしい。

 

「あぁ、テメエが笹凪か……はッ、なんだ、噂ほど強そうには見えねえな。女みてえな面してやがる」

 

「そりゃどうも、期待を裏切ってしまったかな」

 

「ミュータントだとか改造人間だとか滅茶苦茶言われてるぜ」

 

 俺は一年生からどんな評価をされて、どんな噂をされているのだろうか、OAAで一年の評価は簡単に誰でも見れるので不思議ではないが。既に人間扱いはされていないらしい。

 

「OAAであれだけ滅茶苦茶な数値なんだ、見た目通りの女々しい感じでもないんだろ? 味見させろよ」

 

 この子はこの学校で暴力を振るうことに躊躇はないのだろうか? まるで呼吸をするかのように自然体で、今度は伊吹さんに変わって俺に手を伸ばしてくる。

 

 その体格が示す通り、太く分厚い五つの指先が俺の首にかかり、力強く締め上げようとしてくるので、とりあえず俺は周囲から聞こえて来る宝泉を心配する悲鳴を耳にしながら、その凶行を受け入れておく。

 

 

 何をするにしても、大義名分は必要だからな。

 

 

「あん? なんだテメエの体は……どうなってやがる?」

 

 こちらの首を締め上げる宝泉が感じた印象がそれであるようだ。

 

 どうなっているもなにも、触れた感触そのままだろう。筋肉質な人に触れればそのままの印象が、肥満体系の人に触れればそのままの感触が掌に伝わる、ならば俺に触れればまた異なる感触を覚えることだろう。

 

 師匠に改造された肉体は、きっと決して揺らぐことのない大樹のような印象を相手に与えるのかもしれないな。

 

「いいか一年生……先達として一つ助言しておこう」

 

 首を絞められるという大義名分は整った。目撃者も大勢いる。監視カメラの映像だってある。つまりここから先は完全に正当防衛と言い訳が成立する状況であるということだ。

 

 だから俺は、こちらの首を絞めて来る宝泉の手首を掴む。

 

「他者と接する時は、最低限の敬意を払え」

 

 女の子の首を掴むなど、言語道断である。そこは反省して欲しい。

 

 宝泉の手首を掴んで指先に徐々に力を込めていく。割り砕いて引きちぎったりしないように加減しながらだ。それでもメリメリと軋むような感覚が掌に伝わってくるので、きっと同じだけの圧力をあちらも感じているのだろう。

 

「ッ!? テメエッ……グッ!?」

 

 宝泉の指がこちらの首から離れていく。こちらの握力で強引に引きはがしたからな。激痛でそれどころでは無くなったらしい。

 

「ハハッ……良いぜ笹凪ィ!! 少しは楽しめそうじゃねえか!!」

 

「宝泉くん、いい加減にしてください。貴方は交渉の邪魔をしに来たんですか?」

 

「黙ってろ七瀬、今良い所なんだよ!!」

 

 自分の手首が折れそうな状況なのに何故か楽しそうな宝泉は、行動を共にしていた女子生徒の制止を気にする様子もないまま今度は空いていた左手を俺に伸ばしてくる。

 

 その左手を右手で受け止める。そして握力を比べ合うかのように隙間無く指を絡め合う形となってしまった。

 

 どうしようか、このまま両手を粉砕するのは簡単だけど、そこまで行くと正当防衛を通り越して過剰防衛になりそうではある。

 

 さてどこを着地点としようかと考えていると、宝泉は右足を上げてこちらの脇腹を全力で蹴り上げてしまう。

 

 おい止めとけ、という制止よりも早く彼の膝はこちらに突き刺さるのだった。

 

「グオッ!!?」

 

 俺の脇腹、肋骨と、宝泉の右膝が勢いよく接触した瞬間に、その間に骨が折れる音が伝わって来る。

 

 折れたのは俺の肋骨ではなく、彼の右足であった。当たり前だな。人間の体は加減も無く大樹を蹴り飛ばしたら折れる。とても自然なことだろう。

 

 それと、膝蹴りを受けて骨折した瞬間の衝撃で、掴んでいた右手首からも少しだけ軋む感覚があったので、そちらも罅が入ってしまったらしい。

 

「宝泉くん!?」

 

 右膝の骨折と、右手首の骨折、その二つの衝撃で廊下に倒れこむ様子を見て、彼と一緒に行動を共にしていた女子生徒、七瀬翼さんが驚いたように声を上げているのが見えたけど、それを気にするよりも早く行動しなければならない。

 

「すまない宝泉、力加減を誤ってしまった……手首は、やっぱり折れてるか」

 

 全力で脇腹を蹴って来た膝も当然折れている。手首も似たようなものである。これは拙いな。

 

 どちらも骨折しているのだから当然ながら重症だ。すぐにでも保健室に運んでそこから病院に搬送した方が良いだろう。

 

「皆どいてくれ!! 彼を保健室に運ぶ!!」

 

 この被害を齎してしまった責任は当然あるので、宝泉の巨体を抱き上げてお姫様抱っこの形になると、俺はそのまま保健室に運び始める。

 

「テメエ、離せッ、離しやがれッ!? クソ、なんだこいつ!?」

 

 お姫様抱っこの形が不満だったのか、彼はとても苛立った様子で抵抗してくるのだが、膝と手首が折れている重症者なので有無を言わせず運ぶしかない。

 

「待ってろ、今から保健室に運ぶから!!」

 

「おい止めろ!? 下ろしやがれ!!」

 

 重傷者なのに元気な男である。

 

 けれどどこまで行っても重傷者である。だから迷わずお姫様抱っこで運ぶしかないのだ。

 

 

 

 これが後に語られる「宝泉お姫様抱っこ事件」の顛末であった。

 

 

 

 俺は生意気な一年生の足と腕を折ったヤバい先輩と一年生から不当な評価をされることになり、宝泉がお姫様抱っこされた姿は学校中で話題となって暫く笑いが絶えなかったらしい。

 

 

 なんというか、本当にすまない。もっとスマートに撃退できれば良かったんだけど、どうした訳か彼の手首と膝が骨折してしまった。

 

 少しだけ圧倒して後は穏便に済ませる筈だったのに、何でこうなるんだろうな? そこが少し不思議だった。

 

 

 

 

 




三年生「だから言ったのに」二年生「だから言ったのに」教師「だから言ったのに」

龍園「やったぜ」


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一年生たち

 

 

 

 

 

 

 

「クソがッ、これで終わったと思ってんじゃねえだろうな!?」

 

 保健室まで宝泉をお姫様抱っこで運んでベッドの上に放り投げてからの第一声がそれである。

 

 ここに運んで来る間もそれはもう激しく抵抗していたのだが、折れた手首と膝では上手く体を動かせず、大勢の生徒にその姿を晒しながらここまで来てしまったのだ。

 

 相当苛立っているらしい。けれど重傷者なので怒りに任せて暴れられても困る。骨折がより重症になられても困るからだ。

 

「怪我人はジッとしておきなさい」

 

「グハッ!?」

 

 ベッドの上から痛む体を引きずりながらも、飛びかかろうとしてきた宝泉の顎を拳で殴りつけて脳震盪にしてから意識を奪う。

 

 沈む巨体を再びベッドに寝かしつけておけば、後は学校が適切に処置するだろう。おそらく病院に運び込まれることになるだろうが、怪我人は医者に任せるのが一番だ。

 

 そんな訳で俺ができることはここにはない。意識を失った宝泉を学校に任せて教室に帰るだけである。

 

 流石にやりすぎてしまっただろうか? もしかしたら一年生から生意気な生徒の手足を粉砕するヤバい先輩とか思われないだろうか……だとしたら悲しい話である。

 

 まあ気持ちはわからなくはない。俺も三年生にそんな人がいたら関わりたくないと思うだろうからな。

 

 もしかしたらパートナー選びに苦戦するかもしれない。そんなことを考えながら教室に帰ると、そこには見たことの無い男性と一年生が鈴音さんたちと話しているのが見えた。

 

「お帰りなさい、彼、どうだったの?」

 

「重症だ、おそらく病院送りだろう」

 

「そ、そう」

 

 鈴音さんも少し困惑した様子である。怖がらせてしまって本当に申し訳ない。

 

「こちらの方は?」

 

 次に視線は男性の方に向く。スーツ姿の中年男性はただ何となく観察しただけでよく鍛えこまれていることがわかってしまう。かなり動ける人なのか、何気ない姿勢一つすら無数の鍛錬と経験が感じ取れた。

 

 あぁ、要注意人物だな……大人な分、下手すればホワイトルーム生よりも。

 

「1年Dクラス担任の司馬だ。こちらの生徒が迷惑をかけたようだな」

 

 やはり教員側の人間であるらしい。これだけ見事な重心と体幹、呼吸を自然に行える人が教師というのも違和感があるので、傭兵や軍人と名乗られた方がまだ納得できるほどであった。

 

「彼は保健室で寝かせました。おそらく今頃救急車が呼ばれていると思います。それと、失礼を承知で言わせて貰いますけど、受け持っている生徒の指導はしっかりお願いします。彼、女子生徒の首を平然と絞めてましたよ」

 

「そ、そうか……学園のルールに関してはしつこいほどに説明したのだがな、改めて指導しておこう」

 

 少し引きつった顔をした司馬先生は、そう言ってからその場を後にするのだった。

 

「えっと、笹凪先輩ですよね? その、クラスメイトが失礼なことをいたしました、代わりに謝罪させてください」

 

 司馬先生の背中を見送ると、今度は宝泉と一緒に行動していた女子生徒が頭を下げて来る。美しい金髪と意思の強そうな瞳を携えた彼女の名は七瀬翼。鈴音さんが作った優等生リストに入っていた一人である。

 

「いや、こちらこそすまない。もっと穏便に終わらせるつもりだったんだけど、少し力加減を誤ってしまって……君の同級生を傷つけてしまった、寧ろこちらが謝罪させて欲しい」

 

 相手の自爆であったことは間違いないが、怪我をさせてしまったのは揺るがない事実、だから俺も素直に頭を下げた。七瀬さんは申し訳なさそうな顔をしていたが、受け入れて欲しい。

 

「それで、鈴音さんと何を話していたのかな?」

 

「特別試験のことで彼女と話していたのよ……Dクラスと協力体制を結べないかとね」

 

「はい、堀北先輩にも説明していたのですが、私たちのクラスはこちらのクラスと連携をしたいと思っていたんです」

 

「その割には彼は随分とはしゃいでいたようだけど」

 

「宝泉くんに関しては本当に申し訳ありません、最初は私が皆さんと話をする筈だったのですが……御しきれなくて」

 

「あ~……君がDクラスのリーダーってことで良いのかな? 宝泉はもしかして護衛的な立場とか?」

 

「どちらが上下という訳ではありませんが、私は宝泉くんの腕っぷしを頼りにしている部分は間違いなくあります。振る舞いや態度はどうであれ、突出した力であることは間違いありませんから」

 

「なるほどね」

 

 だとしたらすまないと思う。その頼りにしている力を病院に送ってしまった。

 

「どんな話をしていたのかな? クラスで協力するとは言っていたけど、詳しい条件は?」

 

 その辺の話は鈴音さんとしていたのか、彼女はこう説明してくれた。

 

「彼女たちのクラスはまだどことも契約を結んでいないの。最初からクラス同盟を視野に入れていたらしいのよ」

 

「はい、そして可能ならばこちらのクラスと同盟を結べたらと思っていたのですが……その」

 

 宝泉が暴れてうやむやになった挙句、印象が最悪になってしまったということか。

 

「宝泉くんの件に関しては本当にどれだけ謝罪しても足りないと思います。先輩方の私たちへの印象も最悪でしょう……ですが、それら全てを棚上げにさせて言わせてください。私たちに協力して欲しいと」

 

 度胸のある子である。宝泉があれだけ醜態を晒したというのに、それでも踏み込んで来るのだから。

 

 目の前にいる七瀬さんを見つめると、この子はこの子でよく鍛えられているのがわかる。学力評価も高く身体能力も高い、Dクラスに配属された理由が謎である。

 

 相変わらず、強い意思を宿した美しい瞳でこちらを見つめて来る七瀬さんは、どうした訳か忠犬を連想してしまう。それが少し不思議であった。

 

「鈴音さんはどう思っているんだい」

 

「条件次第と言った所かしら……宝泉くんという不安要素もある、この場で決断することは難しいわね」

 

 そりゃそうだ。何より印象が最悪でもある。ましてやこちらには余裕がある上に選ぶ側なのだから。

 

「その話、僕も交ぜてくれませんか?」

 

 鈴音さんと一緒に悩んでいると、会話に割り込んで来る男子生徒が現れる。さっきからこちらをずっと観察していた一人であった。

 

 柔和な表情と、穏やかな立ち振る舞い……そしてオリンピック選手のように研ぎ澄まされた重心と体幹と呼吸を持つ要注意人物である。

 

 あぁ、なるほど、劣化清隆と言う表現がよく似合う。そんな体であった。

 

「君は?」

 

「初めまして笹凪先輩、そして堀北先輩。僕は1年Bクラスの八神拓也と申します」

 

 こうして観察する分には何も違和感はない。相手に警戒をさせない微笑みも、言葉遣い一つとっても穏やかで心地いい。彼を見た人の多くが真面目で清潔な人なんだろうと根拠も無く思うくらいには理想的な男子であった。

 

 一年前の清隆とそこは大違いである。

 

「実は僕もこの昼休みを使って二年生と交流できないかと考えていまして」

 

「それは、貴方もクラス同盟を考えているということかしら?」

 

「堀北先輩の仰る通りです」

 

 そこで俺と鈴音さんは視線を結び合う。まさかこちらが理想としているクラス同盟を一年生たちから持ち掛けられるとは思っていなかったからだ。

 

 都合が良いと、そう思ってしまうほどに……まるでこちらが求めている状況をわざわざ用意したかのように思えてしまう。

 

 ただしそれは、ホワイトルーム関連の話や情報を持っている俺だからこその考えなんだろう。鈴音さんは寧ろ興味を引かれているようにも見えた。

 

 チラっと、教室からこちらを窺う清隆に視線を送ると、彼はこちらに任せるとでも言いたげな顔をした。既にパートナーを決めているから最悪の状況は避けられると思っているのだろう。

 

 何より、清隆にはプロテクトポイントがある。二度刺さなければ退学はできない。ここで下手を晒したとしても心臓は二つあるのでまだ耐えられるという訳だ。

 

「少し疑問があるわね。貴方たちはどうして私たちのクラスと同盟を結びたいのかしら? それこそAクラスの方が同盟相手としては理想的だと思うのだけれど」

 

 尤もな意見に八神は迷うことなくこう答えた。

 

「はい、確かに総合力という点で見ればAクラスの方が理想的でしょう。しかし僕が……僕たちのクラスが注目したのは、現時点のクラスポイントではなく、去年一年の先輩方の成績なんです」

 

「去年の?」

 

「先輩方のクラスは入学当初こそDクラスでしたが、そこから様々な試験を勝ち進み今ではAクラスに迫る勢いです。そして何より、最も多くのクラスポイントを稼いだクラスとも言えます。その期待と勢いがあるからこそ、同盟を申し込むべきだと判断したんです」

 

「七瀬さん、貴女のクラスも同じ理由で?」

 

「似たような理由であることは間違いありません。いずれAクラスに上がるのではという思いはありました。それに、私も入学してDクラスに配属された身です。今後のクラス闘争で同じようにDクラスに配属されながら勝ち上がった先輩方を参考にできればと」

 

 だから、その勢いと流れを受けてクラス闘争を勝ち進みたい。言っていることにそこまでの違和感は七瀬さんからも八神からも感じ取れなかった。

 

「加えて言うのならば、こちらのクラスに笹凪先輩がいることも理由の一つでしょうか」

 

「天武くんが?」

 

「二年生だけでなく、全学年で最高の評価と力を持っている先輩ですから、友誼を結んでおいて決して損はないと私は考えました」

 

「もちろん、僕にも同じ思いがあります」

 

「なるほど、言いたいことはわかったわ、納得もした」

 

 二人の説明に鈴音さんは満足そうに頷く。クラス同盟を結ぶのが彼女の方針だからこの展開はまさに望むものである。しかも贅沢にも選べる立場なのだから、楽であるとも言えるだろう。

 

 彼女は俺に視線を向けて来るので、頷きを返す。彼女の判断に任せると。

 

 避けるべきは清隆とホワイトルーム生を組ませることにある。既に彼はパートナーを選んでいるのでどちらと組もうと安全圏なのは間違いない。

 

 さてどうしたものかと悩む鈴音さん、或いはどんな条件で同盟を結ぶのか考えを巡らしているのだろうか。

 

「堀北さん、悩むのも良いけど、もうすぐ授業が始まっちゃうよ?」

 

 そんな彼女に声をかけたのは、教室から顔を出した桔梗さんである。彼女は俺と鈴音さんを見て、次に一年生の二人を見た。

 

「えっと、二人とも一年生だよね? 私は櫛田桔梗です。宜しくね」

 

「七瀬翼です。宜しくお願いします。櫛田先輩」

 

「僕は八神拓也です。初めまして」

 

 自己紹介を受けて少し頭を下げる一年生に、桔梗さんは優しく微笑みかける。

 

「まだわからないことや不安なこともあるだろうけど、困ったことがあれば何でも相談してね。ふふ、頼りになる先輩って思われたいんだ」

 

 なるほど、彼女はこうやって関係を作っていくのか、穏やかな表情と愛らしい容姿で積極的に声をかけられれば、確かに頼りたくなってしまうだろう。

 

「二人の話は教室まで聞こえて来てたけど、私たちのクラスと協力したいんだよね? ねぇ堀北さん、私は賛成だよ、二人とも凄く真面目そうだし、きっと上手く行くと思うな」

 

「櫛田さん、さっきの宝泉くんの行動を見てよくそんな感想が出て来るわね」

 

「あはは、それを言われると確かにそうだけど、ほら、天武くんがいるからヤンチャな子も大人しくなるんじゃないかな」

 

「それは……そうでしょうね」

 

 桔梗さんからも、鈴音さんからも、変な信頼をされているんだな俺は。

 

「あ、本当にもう授業が始まっちゃうよ? 七瀬さんも、八神くんも、そろそろ教室に戻った方が良いと思うな」

 

「そうですね。それでは先輩方、クラス同盟の件、どうか前向きに検討をお願いします」

 

「僕の方もどうかご検討を、決して損はさせませんので」

 

「あぁ、待って、せっかくこうして会えたんだから、友誼を結んでおきたい」

 

 最後の確認として俺は自らの掌を差し出して握手を求める。まずは七瀬さんに。

 

「クラス同盟が結べるかどうかは今後の条件次第だろうけど、俺個人としてはそういったことを抜きにしてでも後輩たちとは仲良くしたいと思っている。これから宜しくね」

 

「はい、宜しくお願いします。笹凪先輩」

 

 特に迷うことなく七瀬さんは俺と握手をしてきた。そして今度は八神へと掌を向ける。

 

「八神も、宜しく頼むよ」

 

「……はい」

 

 彼は差し出された掌を見つめて、ほんの僅かにだが躊躇しながら、それでも自分の右手を差し出してくる。

 

 その指先は大きな戸惑いを纏っているが、それでもしっかりと結ばれた。

 

 結ばれた指と掌から伝わって来る感触は観察しただけではわからない細かな情報を教えてくれる。この時点で俺の中では完全な黒となってしまうのだった。

 

 普通の高校生の体ではない、握手をしてそう感じ取ったので、推測は確信へと変わっていく。

 

 こちらの内心はきっと向こうには伝わっていないだろう。一年生二人は頭を下げてから自分たちの教室があるフロアへと帰っていく。桔梗さんが言う通りもうすぐ授業が始まるのでこちらも席に戻っていく。

 

 色々と考えなければならないことが多いな。そんな意思を席に座る前に清隆と視線でやり取りしてから授業を受けることになる。

 

 話し合うのは放課後で良いか、清隆は清隆で天沢さん対策を考えないといけないからな。

 

 授業を受けながらも気になるのはホワイトルーム生、そして月城さんの思惑であった。

 

 一目見れば重心や体幹や呼吸から、相手がどれだけ鍛えてどれほどの実力を持っているかはよくわかる。握手もしたからほぼ確信にまで至っており、だからこそ楽しいと思う。宝泉に七瀬さんに天沢さんに八神、他にも今年の一年生は面白い生徒が多い。

 

 ホワイトルーム関連は抜きにして、もう一つ気になるのは一年生の動向だろうか。七瀬さんや八神はこちらのクラスと同盟を結ぶ理由を色々と述べていたが、やはりホワイトルームという背景を知っているとどうしても違和感を感じてしまう。

 

 鈴音さんも言っていたが、どうせ同盟を結ぶのならばAクラスなのだから。

 

 俺がいることや、去年の成績、今の勢い、尤もな理由を述べていたし、別に間違ったことは言っていないのだが、それでも迷わず来るとは思えない。

 

 理由はわかる、納得もできる、けれどそれでも違和感は拭えない。俺たちがAクラスであったのならばそのブランド力や信頼から同盟を提案されても何も不思議ではないのだが。

 

 少々穿ち過ぎだろうか? オリンピックアスリートみたいな体を持つ八神は論外として、七瀬さんや宝泉が月城さん側である可能性は低い?

 

 もし俺は月城さん側だとして、宝泉のような馬鹿みたいに目立つ生徒を送り込むだろうか。

 

 同じことを清隆も思ったのか、放課後になってすぐに声をかけてきた。

 

「あの宝泉と七瀬という生徒、僅かにだがオレに注目しているようだった」

 

「そうなのか」

 

「少しの違和感を覚える程度だがな……お前の見立てでは新入生の中で警戒すべきなのは天沢と八神だったか、宝泉と七瀬に関してはどう思う?」

 

「宝泉は目立ち過ぎるし、七瀬さんは細いように見えてしっかりとした体幹だったかな。ただ、どちらもそこまで違和感はないよ」

 

 放課後になって清隆は天沢さん対策に勤しむらしい。既に彼は九号とパートナー契約を申請しているので安全圏と言えばそれまでだが、須藤のパートナー相手として考えているらしい。

 

 ケヤキモールで待ち合わせとなるらしいが、どんな料理でも来いと言わんばかりに気迫に溢れている。

 

「けれどあの二人は清隆に注目していたか……天沢さんも何だかんだで接触しているし、八神もクラス同盟をチラつかせて距離を詰めて来ている。全員の思惑の中心にいるのが君って訳だ、モテモテじゃないか」

 

 下駄箱で靴を履き替えながらそう伝えると、清隆は珍しく渋面を作る。嬉しくないとばかりに。

 

「まぁ君はあの子とパートナーを結んでいるんだ。滅多なことにはならないと思うし、最悪の場合でもプロテクトポイントもある」

 

「ああ、そこは安心できる所だ。最終試験で勝てて良かった」

 

 二度刺さなければ清隆を退学には出来ない。これは月城さんの失態とやらかしが原因でもある。

 

「だが油断も出来ない。プロテクトポイントで守れるのは普通の退学だけだ、明らかな犯罪行為などでは難しいだろう……だからこそ、相手の出方もある程度は絞れる」

 

 二度刺さなければ退学させることが出来ないのなら、一度で完全に追い込めばいい。犯罪行為のでっち上げなどはわかりやすい手でもあるだろう。

 

 だとしたら清隆に近づいてくる相手の出方もわかる。寧ろ試験で堂々と落とすのはブラフの可能性すらもあるのかもしれない。

 

 

「七号、報告ッス」

 

 

 そんなことを考えながら俺も靴を履き替えていると、下駄箱の向こう側から声がかかる。九号からの報告があるらしい。

 

 下駄箱のあちら側は確か一年生のエリアだったな。九号も靴を履き替えているのだろうか?

 

「そちらの現地協力者とパートナー契約を結んですぐに、こちらのクラスの天沢一夏という生徒が協力を持ちかけて来やがりました」

 

 そんな報告を、下駄箱の向こう側から伝えられると、俺と清隆は視線を結び合う。

 

「具体的には何を?」

 

「内密で大きな儲け話があるという話ッスよ……なんでも、パイセンのご友人からプロテクトポイントを剥したら2000万、退学させれば追加で2000万」

 

 何ともまあ大盤振る舞いだ。なるほど、ホワイトルーム生の潜入とは別に月城さんはそちらの方向性でも攻撃してきたということか。

 

「教えてくれてありがとう。一応聞いておくけど、そっちに靡くつもりはないよね?」

 

「舐めるなでやがります。たかだか4000万でパイセンを敵に回すほど馬鹿ではありませんよ……忍者は強い人とお金持ちの味方ですから。それに一度主君と認めたんですから忠誠を軽く扱いはしません」

 

「そりゃそうか、疑って悪かったね……報告ありがとう。だけどメールや電話でも良かったんだよ?」

 

 下駄箱の向こう側にいる九号にそう伝えると、少しだけ笑い声が聞こえてきた。

 

「いやいや、この学校から支給されたスマホは財布以外に使う気になれません。安全性が不透明なんで」

 

 盗聴とか検閲とかをされていると彼女は思っているらしい。そうでなくても位置情報は管理されていると考えているのだろうか。警戒心が強いことだ。

 

「報告は以上ッス」

 

「わかった、天沢さんに関しては追って指示を出すからやんわりと対応しておいて欲しい」

 

 ざっくりとした指示を出すと、下駄箱の向こうにあった霞のような気配は消えて行く。

 

「どうやらホワイトルーム生以外にも警戒しないといけないようだな」

 

「清隆、まるで賞金首みたいになってるよ」

 

「まるで、じゃなくて実際にその通りだ……宝泉や七瀬が注目していたのもそれが理由だろうな」

 

 大きな溜息を吐く清隆は、これから件の天沢さんに料理を振る舞うことになるのだから、そりゃ疲れるだろう。

 

「それ以外の一年生も関わっていると見るべきかな?」

 

「全員と言う訳ではないだろうが、ある程度はそうだと思うべきだ」

 

「だけど種が割れてしまえばわかりやすくもあるね」

 

「あぁ、その通りだ」

 

 清隆だってそこはわかっている。わかって理解した上で、敢えて受け入れるつもりのようだ。誰が敵で誰が月城さんの協力者であるか、泳がせて情報を得るつもりなのだろう。

 

 安全圏のパートナーとプロテクトポイントが確保できていることから、清隆には余裕があるということだ。

 

「まあ天沢さんの対処は君に任せるよ。俺はクラス同盟の話を鈴音さんと詰めておくからさ」

 

「そうしてくれ……さて、何を作らされるんだろうな、和食に中華、イタリアンにフランス料理、だいたい行けそうだ」

 

 天沢さんが要求してくるであろう料理を推理しながらも余裕が窺える。チェスで負けると料理を振る舞うことになっているから慣れているんだろう。

 

 清隆は待ち合わせをしているケヤキモールに向かうことになり、俺は俺でクラス同盟を纏める為に話し合いに参加しなければならない。

 

 九号からの報告でホワイトルーム生以外にも警戒しなくてはならないとダメだからな、改めて警戒を強めないといけないだろう。

 

 

 

 

 



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一年生の思惑

 

 

 

 

 

 

 

 

 天沢さんの対策は料理達者な清隆に丸投げするとして俺は俺でクラス同盟の話に参加しなければならない。そんな訳でケヤキモールにあるカフェまで向かうことになった。

 

 八神の考え、七瀬さんの思惑、宝泉の狙い、総じて一年生の狙いは九号からのタレコミでおおよそは把握することができている。

 

 つまりこの時点で正攻法で清隆を追い込むことが不可能になったということだ。彼と九号は既にパートナー契約を結んでいるので、それはOAAでも簡単に確認することができるのだから。この賞金首を追い立てる裏試験とでも言うべきものは既に破綻していた。

 

 パートナー契約を結んで清隆を追い詰めることは出来なくなった。だとしたら一年生の取るべき行動は何か? 決まっている、犯罪行為のでっち上げしかない。

 

 犯罪を演出して押し付ける、つまりは冤罪だ。

 

 そこにしか活路が無いのだから当然突き進む、そして道が一つしかないのだから当然こちらもその動きを阻む。

 

 一番わかりやすい動きを見せるであろう宝泉は病院送りにしたので一先ずは横に置いておいて、これから会う二人の動きも要注意だろう。

 

 ケヤキモールに向かってそこにあるカフェで話し合いとなるのだが、その途中で二人組の一年生が俺の視界に入って来た。

 

 OAAの導入で全学年の生徒の情報がまるわかりになったので、当然ながら全ての情報を把握している。この二人は1年Cクラスの椿桜子と宇都宮陸、特に後者の方は高い身体能力を持っているのは観察すればよくわかる。

 

 この二人はどうだろうな、それらしい匂いはしないけど、ホワイトルーム側の人間であると断言はできない。何せ既に敵はホワイトルームだけでもないのだから。

 

「あの、ちょっと良いですかー?」

 

「うん、何かな?」

 

 二人組の片方、椿桜子さんから声をかけられる、彼女はこちらを観測する瞳を向けていた。

 

 この瞳と視線、どこか師匠を連想させるな。こちらの何もかもを観測して眺めようとする瞳と、こちらの瞳が真っすぐに向き合い視線が混じり合う。

 

 彼女の瞳に映った俺と、俺の瞳に映った彼女、どこか鏡合わせのようにどこまでも終わりが見えず、それこそ視線がどこまでも吸い込まれそうになる気もした。

 

 それはきっと彼女も同じことを思ったのだろう。暫く見つめ合って互いを観察した俺たちは、不意に椿さんから視線を逸らされる。

 

「2年Bクラス、笹凪先輩ですよね?」

 

 椿さんの反応を少し不審に思いながらも隣にいた宇都宮が話を進めていく。

 

「そうだよ。君たちは1年Cクラスの宇都宮と、椿さんだね」

 

「俺たちのことを知っているんですね」

 

「有望な一年生の話は二年生の間ではすぐに話題になるからね。しかもこんな試験の最中だから尚更だ」

 

「それもそうでしたね」

 

「それでどうしたのかな? 何か用があるんだろうけど、実はこの後別の一年生とも会う予定があってね、あまり時間がないんだ」

 

「……別の一年生、それはクラス同盟の件でしょうか?」

 

「あぁ、それは知っているんだ」

 

「噂程度ですけど、BクラスとDクラスはそういう方向で動いていると聞いてます」

 

「確か君たちのクラスの多くは一之瀬さんたちのクラスと契約しているんだったか」

 

 別に彼等だけの話ではなく、学力に自信がない生徒の多くが一之瀬さんの誘いに食いついた筈だ。滅茶苦茶な学校に入って右も左もわからない状況で特別試験に放り込まれたのだから、救われた気分になっただろう。

 

「OAAを確認する限り、宇都宮はもう契約を結んでいるんだな……もしかして椿さんのパートナー探しの途中かな」

 

「はい、その通りです。こちらもOAAで確認したのですが、笹凪先輩の学力評価なら何も心配はいりません……その、どうでしょうか?」

 

「うん、できることなら協力したいんだけど、俺は俺でクラスの方針や考えを無視することも出来ないからな……ただ、そうだな、こうして声をかけてくれたんだから二年を何名か紹介するくらいは協力しよう」

 

 俺がそういうと、宇都宮の表情が僅かに揺らぐ、その言葉を待ってましたとばかりに。

 

 そして、僅かに喉を鳴らしてこう言ってくる……彼はもう少し緊張を隠すことを覚えた方が良いかもしれないな。

 

「例えば、誰でしょうか? できることなら学力評価がB以上の人が良いんですけど」

 

「そうだな。俺が紹介できる人は何人かいるけど、たとえば櫛田さん、平田、王さん……後は清隆、とか」

 

 クラスメイトの名前を出しながら二人の様子を一つ一つ観察していくと、最後に出した清隆の名前に強い反応を見せて来る。

 

 わかりやすい反応ではなく、どちらも上手く隠したのは間違いないが、それでも間違いなく意識を清隆の名前に引っ張られたのは疑いようがない。

 

「いや、清隆は確かもうパートナーを組んだって言ってたかな」

 

 そしてまた彼の名前を出すと、やはりわかり辛いながらも意識を向けて来る。

 

 この二人はもしかして俺と清隆が友人関係だと把握しているのだろうか? そして俺経由で清隆と接触しようとしている可能性もあるか。

 

 既にパートナー契約を彼は結んでいるので今更どうしようもない。けれど懸賞金の話がある以上は何らかの形で距離を詰めて隙を見つけたい、そんな感じか。

 

 俺からの紹介ならば清隆にも違和感なく接近できる。そう思われているのかもしれない。

 

 そして隙を見つけて彼を刺す。目の前の二人からはそんな思惑が透けて見えた。

 

「よければそれらの先輩方を紹介して貰えませんか? パートナーを組んでいるかどうかは抜きにして」

 

「でも、パートナーを探しているんだろう?」

 

「えぇ、ですが今後のことを考えれば色々な上級生と交流していくことは損にはならないと考えています」

 

 だから、清隆も纏めて紹介しろということか、どんな形であれ彼と物理的にも精神的にも距離を縮めたいらしい。

 

「ん、わかったよ、それじゃあ――」

 

「宇都宮くん、やっぱ止めよ」

 

「……椿、どういうことだ?」

 

「色々考えたけどさ、やっぱパートナーはもっと慎重に選ぶべきかなって」

 

「だが……その、困るだろ」

 

「うん、でも止めた方が良いと思う、今はまだ……笹凪先輩、ありがとうございました。もしかしたら頼らせて貰うかもしれませんけど、もう少しだけ考えてみます。それじゃあ」

 

 早口で捲し立てるようにそう言うと、椿さんは宇都宮の腕を掴んでやや強引にこの場を去っていく。

 

 何が彼女の判断を翻させたのかはわからないが、椿さんの中ではこの場を立ち去る理由があったのだろう。だがしかし、こちらとしては足早に遠ざかっていく二人を見逃す理由はない。

 

 スッと、九号を見習って自分の気配と存在感を内に秘めて隠すと、遠ざかっていく二人にバレないように後を付けていく。

 

 椿さんと宇都宮が向かったのはケヤキモール内にある広場であった。幾つかのベンチと机が並べられて憩いの場となっているそこで、二人は腰を落ち着けて話し合っている。

 

 こちらは、そんな二人を遠く離れた位置で発見されないように観察するだけであった。言葉は届かない距離だが、唇を読めば何を言っているのかはだいたい把握できた。

 

「椿、急にどうしたんだ?」

 

「止めとこう、上手いこと距離を詰められるかなって思ってたけど、アレは無理」

 

「笹凪先輩のことか? 生意気な一年生の手足を折ったにしては物腰が柔らかに感じたが」

 

「無理、絶対無理……色んな人を見て来たし、観察してきたけど、ぶっちぎりで化け物だからあの人。綾小路先輩からプロテクトポイント剥すにしても退学させるにしても、近しい関係である以上は立ちはだかるだろうしね。正直、分が悪すぎる」

 

「……そんなにヤバいのか?」

 

「うん、何で学生やってるのって感じ……綾小路先輩もパートナーを組んじゃったから、今は様子見するべきだと思う。仮に攻めるにしても、外からじゃなくて内からかな」

 

「綾小路先輩と契約した生徒を協力者にするということか……確か、Aクラスの、えっと、うん?」

 

「……あの子、なんて名前だったかな、女子だったとは思うんだけど」

 

「OAAで確認しておくか」

 

「うん……ごめん、宇都宮くん、別に諦めた訳でもないんだけど、今はまだ様子見かな。仕掛けるにしても場と人とタイミングを見極めるべきだと思うしさ」

 

「別に構わない、そこまで乗り気でもなかったからな」

 

 二人の唇を読んでそんな内容の会話をしていることを離れた位置で確認してから、知りたいことは知ったので俺は離れていく。

 

 あの二人も清隆を排除することで得られる賞金目当てだった、それを理解できたのは収穫と言えるだろう。もしかしたら俺を介さずに清隆に接触するかもしれないが、注意しておけば問題はない。

 

 やはり気を付けるべきは正攻法での攻撃ではなく犯罪のでっちあげ、その方向性だろうな。

 

 パートナーを結んでの排除は九号という安全圏で達成できた。後は犯罪方向の対処を考えなければならない。

 

 その辺は清隆も同意見だろう。今頃天沢さんと合流しているだろうし、セクハラされたとか言われないように注意しているんだろうか。

 

 まあ対処は丸投げなので上手く動くだろう。天沢さんの目的が清隆の排除であるにせよ、今は情報を集める局面だろうからな。

 

 一年の女子生徒に料理を振る舞っているだろう清隆を想像して、少しだけほっこりとした気分になりながら、本題である一年生との協力関係を結ぶ為の話し合いに向かうことになる。

 

 ホワイトルームや月城さんの思惑を挫くことも大切だけれど、特別試験を進めていくことも同じくらいに大切だからな。

 

 椿さんと宇都宮の観察を止めて本来の目的である話し合いに向かうことになる。ケヤキモール内にあるカフェの一角で鈴音さんと一年生と合流することになった。

 

「あ、笹凪先輩」

 

「天武くん、遅いわよ」

 

「ごめんごめん、ちょっと一年生に話しかけられててさ」

 

「他の一年生ですか、やはりパートナーになって欲しいと思う人は多いようですね」

 

 どこか納得した様子で頷く七瀬さんと八神の正面の席に座る。隣には鈴音さんがいた。

 

「この二人とある程度話してはいたのだけれど、もう一度説明するわね。今回の試験では一年生との協力は不可欠だから、クラス同盟に関しては前向きに進めたいの」

 

「うん、一年生はどんな条件を出して来たのかな?」

 

 清隆とパートナーを組むのはもう不可能だ。けれどクラス単位で距離を詰めて協力関係を維持すれば、これからも似たような試験で協力することもあるかもしれない。その時に清隆と接近することだってあるだろう。

 

 そう考えると今回で諦めるのではなく、次に繋げる関係を目指しているのかもしれない。

 

「それに関しては私から……やはり相互の協力関係を結ぶのですから、対等な契約でありたいと思っています」

 

 七瀬さんは相変わらず、強く美しい瞳で俺を見つめて来る。

 

「こちらとそちらで学力不安のある生徒と学力が高い生徒を出し合って契約を結ぶ形にしたいのですが、懸念事項もあります」

 

「それは、もしかして宝泉のことかな」

 

「はい、彼は契約を結ぶ際に上級生からポイントを多く得ることを方針としていましたので……」

 

「けれど彼は入院してしまったよね、ここに来る前に司馬先生に訊ねたけど、授業はオンラインで受けることになったらしいじゃないか」

 

 特に俺を蹴り飛ばした膝が重症らしい。しっかり固定して暫くはまともに動かせないだろう。

 

「なら今はとりあえず無視して良いんじゃないかな。彼が退院するまでに君がクラスを纏めてしまえばそれで話がスムーズになる、違うかな」

 

「それは、そうですが……」

 

「八神の方も似たような条件なのかな?」

 

 七瀬さんの考えや方針はわかったので次は八神だ、こちらは完全に黒と認識しているので警戒を強めなくてはならないだろう。

 

「僕の方も同じように対等に、と考えてはいるのですが、やはりクラスメイトへの配慮も必要なので、ある程度の報酬を頂きたいと考えています」

 

 少し意外な考え方でもあった。問答無用で安売りして清隆との距離を縮めるつもりだと思っていたのだが、何かしらの考えがあってのことだろうか?

 

「彼の場合、学力の高い人も低い人も、一律で報酬を貰いたいそうよ」

 

「へぇ」

 

 鈴音さんの説明にそんな相槌を打つ。わかりやすくもあるし、受け入れやすくもある契約だ。

 

「堀北先輩が説明された通り、一律です」

 

「丁度今、そこを話し合っていたの。八神くんが提示した報酬は一律で五万ポイント。もし四十人全員と契約するのなら200万ポイントになるわね」

 

 そう聞くと高いのかもしれないが、例えば学力評価がAの生徒であっても5万で契約できると考えれば安くも感じられるな。

 

「八神くん、貴方はクラスメイトへの配慮と言っていたけれど、どちらかといえば学力評価の低い生徒への配慮なのでしょう?」

 

「そういった側面は間違いなくあります。評価の高い生徒は何もしなくても大金を得られるでしょうけど、低い生徒はそうも行きませんので」

 

「なるほど、貴方の考えはわかったわ……でも、迷うわね」

 

 それはよくわかる。総合力の高いBクラスと優先して契約するのか、それともタダ同然でDクラスと契約するのか、本当に悩みどころだ。

 

 前者は200万の出費で高い総合力が、後者はタダだけど宝泉というリスクもある。

 

「天武くんはどう思うかしら?」

 

「どちらか片方に絞る必要はないんじゃないかな。七瀬さんも八神もそれぞれの方針や考えがあるみたいだけど、行き着くところは学力不安の生徒の救済みたいだしさ。そこさえ押さえておけば後は複雑に考える必要はないと思うよ」

 

「えぇ、私たち二年生もそれは変わらない。学力評価の高い生徒を融通して互いをカバーできれば大きな問題はないわね」

 

「それこそBからA評価の生徒なんて何もしなくても問題はないんだからさ」

 

 一年も二年も、結局はクラスメイトの救済に奔走しているのが本質だ。そう考えると契約だったりポイントだったりはそこまで深く考えなくて良いのかもしれない。

 

 尤も、ホワイトルーム関連の問題を抜きにすればという前提はあるのだが。

 

 八神も、そして七瀬さんも、その内心では清隆の存在がチラついている筈なのだ。行動や方針はクラスの為という建前があるのだが、奥底には4000万とホワイトルームの都合があるのは間違いない。

 

 まぁ清隆は既に安全圏だ。今はとりあえず月城さんの作戦は無視して、学力評価の低い生徒たちの救済に回るとしよう。

 

 とりあえず八神と七瀬さんのクラスから何名か評価の高い生徒を融通してもらい。こちらからも同じように融通する。もしかしたら単独での完全契約を結びたかったのかもしれないが、こちらは色々な意味で選べる立場なので余裕があるのだ。

 

 何より、一年生よりも二年生の方がペナルティが大きい、少しくらい強気に出るくらいで良いだろう。

 

「鈴音さん、ポイントには余裕があるんだから、一律での報酬は前向きに検討しても良いんじゃないかな。今後も学年を跨いだ試験があるかもしれないんだ、ケチな先輩だと思われるのはそれはそれで問題あると思うしさ」

 

「無駄遣いは論外だけれど……一理はあるわね」

 

 その辺のことは鈴音さんと細かく相談するとして、とりあえずクラス契約や同盟はそんな着地点で良い筈だ。

 

 大きな問題は、やはりホワイトルーム関連か、本当に手を煩わしてくれる人たちだ。

 

 ふとした時に「そうだ、月城さんを海に沈めよう」とぼんやりと考えてしまうくらいには面倒になってきてしまっている辺り、俺はそれなりに疲れているのかもしれない。

 

 ただ、普通に青春を楽しみたいだけなんだけどな。

 

 将来的に、机を挟んで向かいの席に座っている八神も海に投げ捨てる日が来るのだろうか? 月城さんと一緒に手錠を付けて放り捨てる感じになるかもしれない。

 

 

 

 天沢さんはどうしようか、女の子だから流石に海に捨てるのはアレだから……悩みどころである。

 

 

 

 



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天沢一夏

 

 

 

 

 

 

 

 鈴音さんと一年生を交えての話し合いは無難な形で着陸できたと思う。お互いに学力評価の高い生徒を出し合って、学力評価が低い生徒を助け合う。言ってしまえばそれだけの話である。

 

 一年生のペナルティは初めての特別試験であることからそこまで重くはない。退学することはないからな。しかし二年生はそうはいかないのでどうしても大きな結果を求めてしまうものだ。

 

 おそらく他のクラスも大なり小なり一年生にポイントを渡していることだろう。マネーゲームに参加しないという方針は決して間違ってはいない。

 

 まあ理想を言えば優等生を独占することなのだが、その為にはきっと莫大なポイントが必要になるので、きっとこれで良かったのだろう。

 

 一年生たちの思惑や距離感も見て取れたので、後はどう対処するかを考えないといけない。ホワイトルーム関連を抜きにすれば問題なくクラスでの協力はできると考えている。

 

 特別試験を進めることも、月城さんの思惑を阻むことも大切であった。

 

 話し合いが終わった後、天沢さんの対処をしている清隆は大丈夫だろうかと考えながら寮に帰り、成果はどうだろうかと考えながら隣の部屋の扉をノックする。

 

 暫くすると扉が開いて、部屋の中からどこか疲れた様子の清隆が姿を現した。

 

「清隆……なんだか疲れているようにも見えるけど」

 

「……気のせいだ」

 

「そうは見えないから言っているんだが」

 

「いや、そうかもしれないな……女子に料理を振る舞うというのはどこか気を遣う」

 

 男飯をはいどうぞとはいかないので何となく苦労したんだろうことはよくわかる。女の子には配慮しろと師匠も言っていたからな。

 

 上手くやれたのだろうか? ホワイトルーム関連を抜きにしても天沢さんは学力がA評価なので、須藤とパートナー契約を結んでくれればとても嬉しいのだが。

 

「せ~んぱい、もっとこっちに構ってくださいよ」

 

 情報交換と戦略会議をしようと思っていたのだけれど、部屋の奥から間延びした可愛らしい声が届く。どうやら天沢さんはまだ部屋にいるらしい。

 

「お客さんですか? ん~、後輩女子を連れ込んでおいてそれは減点だなぁ」

 

 そんなことを言いながら天沢さんは玄関にやって来る。そして俺を見つけてニンマリと笑うのだった。

 

「あ、生意気な一年生の手足を折るのが大好きな先輩だ」

 

「酷い風評被害だ。アレは勝手に宝泉が骨を折っただけで、俺は何もしていないよ」

 

 実際に宝泉が俺を蹴り飛ばしてきて、勝手に負傷しただけである。目撃者も大勢いるので揺るがない事実でもあった。

 

 つまり俺は悪くない……そんな言い訳をさせてください。

 

「笹凪先輩、どうして綾小路先輩の部屋を訪ねたんですか?」

 

「あぁ実は特別試験のことで意見交換をしたくてね……ただ、お邪魔なようなら明日にするけど」

 

「だってさ綾小路先輩、私たちカップルみたいに思われてますよぉ」

 

「斜め上の解釈をするな。食事も終わったんだからお前もさっさと帰れ」

 

「え~、もうちょっとゆっくりしたかったんだけどなぁ」

 

 頬を膨らませて不満を訴える天沢さんを無視して、清隆は俺を見てこう言った。

 

「天武、悪いが後片付けがまだ残っている。特別試験の話し合いは明日にしてくれ」

 

「ん、了解、そうしようか」

 

 強引に彼は天沢さんを外にだす。片付けが終わっていないという説明していたが、清隆のことなのでホワイトルーム疑惑のある天沢さんを部屋に招き入れたことを警戒して、盗聴器や監視カメラなどを仕掛けられていないか探すつもりなのかもしれない。

 

「ぶ~、つれないなぁ」

 

 やや力が入った感じで扉はバタンと締められてしまう。廊下に送り出された天沢さんはやはり不満を露わにしていた。

 

 しかしあれだな、一年前の清隆を知っている身としては、一年生の中に紛れたホワイトルーム生はなんというかとても感情豊かだ。意識しているのか、それとも無意識なのかはわからないが。

 

「はぁ、まぁいっか、時間はまだまだあるんだし……ですよね、笹凪先輩」

 

「ん、どういうことかな」

 

「またまた、わかってる癖に、女子が男子の部屋に入ってるんですから、そこにはもういけない何かがあるんですよぉ」

 

 ニマニマと笑いながらそんなことを言う天沢さんは、なんだかとても嬉しそうである。

 

「いけない何かね……君は清隆とそういう関係になりたいのかい?」

 

「あ、もしかして今エッチなこと想像しました? あたしはただ先輩後輩として親睦を深めてるだけなのに、いけないなあ」

 

 何で俺が悪い感じになっているんだろうか?

 

「というか先輩ってあたしのこと知ってるんですね、初対面なのに」

 

「これでも生徒会だからね。一年生のことはだいたい把握しているよ。それに特別試験の内容が内容だ、優等生はちゃんと調べてる」

 

「優等生ねぇ、まあテストは得意だけど」

 

「君こそ俺を知ってるんだね」

 

「そりゃ知ってますよ。一年の間でも有名なんですから。最初はOAAで滅茶苦茶な成績だったことで目立って、そのすぐ後にお姫様抱っこで目立って、誰だって知ってるってば」

 

 うん、やはりあのお姫様抱っこは目立ったか、宝泉を保健室まで運ぶ間にかなり注目を集めてしまったからな。

 

 今更ながらやってしまったと思うしかない。これでも不必要に一年生から恐れられてしまう可能性がある。特別試験のこともそうだが、生徒会役員としても問題だろう。

 

「生意気な一年生の、それもあの悪名高い宝泉くんの手足折るとか、先輩って強いんだ……顔は綺麗系というか、女子っぽいのに、意外に武闘派?」

 

「武闘派ではないよ、俺はどちらかと言えば平穏を愛する気質だから」

 

 うん? 自分で言っておいてアレだけど、凄く違和感のある発言であった。俺はどの口で平穏等と言っているのだろうか。

 

「へぇ~、あたしは喧嘩の強い人、好きですよ。やっぱ男子は腕っぷしがないと」

 

 すると彼女の指先が俺の体に伸ばされて無遠慮に触れて来る。制服越しにペタペタと腹筋や胸など確かめて来るのだ。

 

 気安い行動、ボディタッチだが、男子との距離感を無い物として行動していると考えるよりは、異性に触れられたことで相手がどのような反応をするか観察しようとしているようにも見えてくる。

 

 相手の反応を見て対応や距離感を考えるのだろう。異性という武器を上手く使う相手だと俺は思った。

 

「凄ッ……パッと見は細身なのに、すんごい密度の筋肉、あったかいゴムタイヤみたい……うわ~、どういう鍛え方してるんですか?」

 

「オリンピック選手が裸足で逃げ出すくらいの鍛錬をずっと」

 

「……へ、へぇ、大変なんですね」

 

 きっとホワイトルーム生も裸足で逃げ出すことだろう。師匠の鍛錬は最早改造だからな。成長させるんじゃなくて、無理矢理性能を底上げするんだ。そう考えるとホワイトルームとは似ているようで決定的に異なるのかもしれない。

 

 興味深そうにペタペタと触れて来る天沢さんの掌と指先は、胸板から顎先にまで伸びて来る。

 

 そして彼女は上目遣いとなったので、俺と視線が結び合うことになった。

 

 椿さんと同じように全てを観察するかのような瞳だ。やはりボディタッチをすることでこちらの反応や距離感を確かめているらしい。

 

 これがもっと邪念のない、それこそただ単純に距離感が近いだけの女子の行動であったのならば、もしかしたら嬉しかったのかもしれないけど、生憎とホワイトルーム生であることがわかっているので心臓はいつまでも乱れることはなかった。

 

 天沢さんもそれがわかったのだろう。観察する瞳を隠して、こちらに触れていた指先も遠ざかる。そんな彼女はニパッと笑って可愛らしい表情を見せて来る。

 

「ねぇ笹凪先輩、今からコンビニ行くんですけど、エスコートしてくれません?」

 

「ん、俺がかい?」

 

「はい、まさか笹凪先輩は夜に女の子一人で歩かせたりしませんよね~」

 

「……夜と言うほどの時間でもないけれど、君の言っていることに反論の余地がない、付き合おうか」

 

 まあ彼女と接触して思惑や考えを観察する良い機会なのかもしれない。敵だと仮定して、どう出て来るのか、どんな目標があるのか、どんな性格なのか、知って損はない。

 

 後、今の時刻は6時ほど、そろそろ暗くなってきたので確かに女の子を一人で歩かせるのはどうかと思う。この学校、龍園とか宝泉とかストーカーとか出没するからな。

 

 彼女がホワイトルーム生であることかどうかはそこに関係はない……八神は男の子だからな、きっと頑張ればどうにでもできるだろう。

 

 しかし天沢さんはホワイトルーム生だろうと女の子だからな、しっかり守らないといけない。

 

 師匠曰く、女の子には優しくとのこと。師匠は神なので、つまりそれはこの世の何よりも優先しなければならないことなのだ。

 

「清隆の料理はどうだったかな? 彼、上手だったろ」

 

「予想以上に美味しかったかなぁ、笹凪先輩も食べたことあるんだ」

 

「ごちそうになる時もあるかな。チェスで負けたら俺が料理を作って、勝ったら清隆に作って貰うんだ」

 

「あ~、それでね、なんかすっごく手慣れてた訳か……やっぱ料理の出来る男子って良いよね」

 

「出来ないよりも、出来た方が良いのは間違いない」

 

 そんな会話をしながら寮を出てコンビニに向かう。夜という訳ではないが薄暗くはなっていたが、一人にさせないのは正解だったのだろう。

 

 安全であるかどうかの話ではなく、これは配慮の話だからな。

 

「須藤のことは宜しく頼むよ、君が力を貸してくれれば大丈夫そうだから」

 

「まぁね、あたしは成績もそこまで悪くないし、ちゃんと美味しい料理だったからしっかり協力するって」

 

 まあ天沢さんに関しては須藤を退学させる理由はどこにもない。利益も無ければ意味もない。ならば清隆に下手に警戒されないように無難にこなすだろう。もしかしたら長期的な視点で清隆を嵌めようとしているのかもしれないから、ここで信用を崩すようなことはしないだろう。

 

 もしこの特別試験で追い込むことが空振ったとしても、長期的な視野で攻めて来る可能性だって十分にある。長丁場も覚悟すべきだ。そう考えると天沢さんも今は信頼を構築するターンなのかもしれない。

 

 彼女と並んで寮を出て、最寄りのコンビニまで歩幅を合わせて歩きながらそんな計算をしていると、隣にいる彼女は何が面白いのか可愛らしい笑顔を見せるだけだ。

 

「ねね、先輩って恋人とかいるの?」

 

「いないよ、清隆も同じだ」

 

 最近、愛里さんと距離が縮まって来ているようで、波瑠加さんがよくニマニマして絶妙な距離感を眺めて楽しんでいるようだけど、恋人という訳ではないはずだ。

 

 そんな微妙な距離感にいる二人を、軽井沢さんが見てちょっと不機嫌になる、それがここ最近の清隆を巡る関係性であったりする。

 

「え~、花の高校生活なんだから、それは寂しくない?」

 

「全くもって同感だけど、そう簡単なものでもないからね、どこかで縁が欲しいとは思っているんだけど」

 

 俺は高校生の間に恋人とか作れるのだろうか? 未来はわからないので今は祈ることしかできない。

 

「ふ~ん、先輩たちってモテそうなんだけどいないんだ。それなら狙っちゃっても良いのかな」

 

「おや、君は異性と踏み込んだ関係になりたいのかい?」

 

「どうかなぁ……まぁ綾小路先輩かどうかは横に置いておいて、興味自体はあるかも。試しに誰かと付き合ってみようかなって」

 

 そりゃそうだ、高校生なんだから異性に興味も出て来るだろう。ホワイトルーム生だってそこは変わらないか。

 

 天沢さんは寮の最寄りのコンビニに入ると、早速とばかりに買い物カゴに欲しい物を入れていく。ついでなので俺も色々と買っておこうかな。

 

 歯磨き粉が切れかけていたし、他にも色々な小物や食料などを購入するとしよう。コンビニは殆どの品物が置いてあるのでとても便利だとこの学校に来てようやく実感することができた。

 

 師匠と過ごした山奥の神社は、麓の町まで下りてもコンビニなんて無かったからな。そこから更に三十分ほど車を走らせないと辿り着けないくらいの田舎である。初めて入った時はとても驚いたことを今更ながら思い出す。

 

「天沢さんは何を買って……んん?」

 

 自分が必要な物を買い物カゴに入れて、同じく店内で買い物をしている天沢さんを探してみると、彼女は駄菓子やジュースが入ったカゴを片手に持った状態で、どうした訳かコンビニの隅っこの方にひっそりと置いてある避妊具を興味深そうに眺めていた。

 

「先輩、これって普通に売ってるんですね。学園の敷地なのに」

 

「あぁ、まあ高校生が多いこの場所でどうかとも思うけど、無いなら無いで問題も大きくなりそうだからね……それに、この学園で働いている大人たちの為にあるものだよ」

 

「へぇ~、そういう建前な訳だ」

 

 この学園の姿勢としてはバレないように、そして問題の無いようにしなさいというのが基本であった。

 

 まぁ、抑圧しすぎて非行に走られたり、或いは避妊具を購入できなくて妊娠とかすればそれはそれで教育機関としては問題である。だから建前としては学園で働く大人たち向けの商品ではあるが、学生が購入しても咎められたりはしない。

 

 交際している男女がいたとしても口煩く注意もせず、色々とするにしてもしっかりと言い訳出来るようにしなさいと言いたいのだろう、学校側は。

 

 天沢さんは暫く避妊具を興味深そうに眺めながら、その小箱を自らの買い物カゴに入れてしまう……いや、買うのかよ。せめて俺が見ていないタイミングでして欲しかったのだけれど。

 

「購入するのかい?」

 

「あ、生徒会役員としては注意しなきゃダメな感じ?」

 

「いや、避妊具を買ってはいけないという明確な校則はない。俺がとやかく言うべきことでもないよ」

 

 学生に買わせたくないのなら、そもそも置くなという話にもなる。

 

「なら良いじゃん、先輩たちにプレゼントして上げようって思って」

 

 何の嫌がらせだ。もし愛里さんが清隆の部屋で避妊具を発見すれば卒倒するかもしれないぞ。

 

 しかも後輩女子から渡されるとか、ちょっと怖いまである。ホワイトルームは常識を教えることを放棄したのだろうか? それでよく天才を作ろう等と思ったな。

 

 平然と大量の駄菓子と避妊具を購入する天沢さんを見て、料理を振る舞った清隆もさぞ苦労しただろうなと、何となくその状況を察するしかない。

 

 しかし今の俺はコンビニの店員からどう思われるのだろうか、後輩の可愛らしい女子に避妊具を購入させる二年生男子……うん、良い印象は持たれないな。

 

 或いは天沢さんはワザとやっているのだろうか? こちらの評判だったり印象を悪くさせる為に、だとするとこれはこれでハニートラップのような扱いになるのか。

 

 コンビニで買い物を済ませたので退店する。外はもうすっかり暗くなっているのがわかった。

 

 後は寮に帰るだけである。僅かな時間でしかなかったけど、それでも彼女の性格や考えが少しだけわかったかもしれない……これが演技じゃなかったらの話だけれども。

 

 俺の想像ではホワイトルーム生は清隆量産型といった感じで、誰も彼もが無感情でロボットみたいに規則正しく行動しているという勝手なイメージがあったのだが、こうして接してみる分にはあまり違和感はない。

 

 八神も普通の学生の枠を出ていない。それこそ優秀な学生という評価がよく似合う。

 

 隣でビニール袋の中に入った駄菓子や例の小箱を漁っている天沢さんも、こうして観察する分には普通の学生であった。

 

 もしかしたら彼女や八神も、或いは俺が把握していないホワイトルーム生も、この学園で学生として普通に暮らしていけるのかもしれない。

 

 普通に笑って、普通に学んで、普通に青春するのだろうか。

 

 そう考えると、彼らや彼女たちを海に投げ捨てるのは、少しだけ可哀想なのかもしれない。

 

 隣を歩く天沢さんは相変わらず無邪気な顔をしながらも、瞳の奥にはこちらを観察する光があった。

 

 俺が彼女と接近して観察しているように、彼女もまた俺を観察していると言うことだろう。

 

 だとするとだ、彼女たちホワイトルーム生は俺の情報や背景も把握して警戒しているということだ。八神も俺と握手する時はどこか警戒した様子だったと思い出す。

 

 月城さん辺りから情報が回っているのだろう。こうしてほぼ初対面なのにこうして買い物に付き合わせる辺り、俺の情報を集めているのだろう。

 

「はい先輩、付き合ってくれたお礼にこれ上げる」

 

 クスクスと挑発するように笑いながら、天沢さんは俺に幾つかの駄菓子と例の避妊具を押し付けて来る……お菓子は受け取るけど、そういうことするのは止めなさい。

 

「ありがとう」

 

 駄菓子だけを受け取ってそう伝えると、彼女はムスッと頬を膨らませるのだった。女子でもセクハラになることを知った方が良いと思う。それとあまり距離感を考えずに男子を揶揄うのも止めたほうが無難である。

 

 ただまあ勘違いされて襲い掛かられたとしても、多分彼女は殆どの男を倒せる筈なので、そこまで問題はないのかもしれないな。

 

「天沢さん、学校は楽しいかな?」

 

「え、どうしたの急に」

 

「何となくそう思ったんだ」

 

「ん~、どうだろ、私はクラスで浮いてるからなぁ」

 

「そうか、まあ過ごし方は人それぞれだ、まだまだ時間はあるから色々と経験しておくと良いよ。色々な人がいて、色々な考えがあって、ここで得た経験は将来大切な財産になるだろうから」

 

「……将来か」

 

 ホワイトルーム出身者が思い描く将来というのもよくわからないな。そもそも目的も把握できていない。

 

「生徒会役員として、そして先達として、何より一人の人間として、君が夢を抱いて、誰かに憧れて、そして恋するような人生であることを願っているよ……だから、うん、高校生活を楽しんで欲しい」

 

 別にそれは天沢さんだから言った訳ではない、八神であったり、七瀬さんや宇都宮や椿さんにだって同じ気持ちを向けている。何だったら宝泉だって同じだった。

 

 青春は人生に必要なものだ、きっとホワイトルームでは教えてくれなかっただろうけど、師匠が言っていたのだから間違いない。

 

「きっと、楽しいことは沢山あるからさ」

 

「……」

 

 天沢さんはその言葉に何も返さずにただジッと見つめて来る。こちらを挑発して揶揄うような視線でもなく、無邪気な笑顔もない。瞳の奥に暗い輝きを宿してこちらを観察していた。

 

 何を思っているかはわからない、しかしそんな表情もすぐに消えて、またニパッとした

笑顔を見せてくれた。

 

「そうかも、せっかく高校生になったんだし、ちゃんと楽しまないと……色々とね」

 

「あぁ……色々と、楽しめばいい」

 

 きっとその色々の中にはどうしようもないくらいにドロドロとした何かもあるのかもしれないが、今は何も言わないでおこう。

 

 八神もそうだけど、下手なことは考えずに、普通に青春を楽しめばいいと俺は考えている。月城さんとかホワイトルームとかそんなものは海に投げ捨てておけば問題はない、ついでに月城さんも捨てておこう。

 

 それで良いのに、そうは進まないのが彼女たちなんだろうな。

 

 ホワイトルーム出身者がこの学園での生活を少しでも楽しんでくれたのならば、少しだけ報われた気持ちになってしまう。

 

 どうなるかはこれから次第だけど、せめて幸福な最後であって欲しいと、正義の味方として祈りを送っておこう。

 

 

 八神、天沢さん、そして他の一年生たちも同様だ。

 

 

「入学おめでとう」

 

 

 これからどんな関係になるかはわからない、もしかしたら敵対した末に月城さんと一緒に海に捨てることもあるかもしれない、けれどこの言葉だけは伝えておきたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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来るとわかっているのだから当然対処する

 

 

 

 

 

 

 

 月城さんに一年生が振り回されているように思える。大量のポイントをチラつかせて行動を過激にさせようという思惑も感じ取れてしまう。

 

 大人が勝手な都合で若者を惑わせるのはどうなのだろうか、その辺はしっかりと反省して欲しいものである……海に沈んでいる間にだ。

 

 

 だがまぁ、一年生の一部だけで情報が出回っている裏特別試験とでも言うべきものは、来るとわかっていればどうにでも出来るというのが正直な感想であった。

 

 ホワイトルーム生と清隆がパートナーを組むという最悪の事態は既に避けられ、だとすれば一年生が取るべき手段はプロテクトポイントも貫通する犯罪行為の演出と押し付けしか残されていない。

 

 清隆も同意見であり、天沢さんの行動に不可思議な点や違和感を持っているようで、警戒心を高めているようだ。

 

 しかし月城さんも大判振る舞いである。プロテクトポイントを剥せば2000万、退学させれば更に2000万、これだけ大きな大金を動かしているのに学校側は不審に思わないのだろうか?

 

 もし違和感や不信感を持たれても無視できるのが理事長という立場なのかもしれないけど、九号から言わせて貰えばわかりやすい位の隙となっているらしい。

 

「いや、内偵対象の不透明な金の流れなんで、当然政府に報告してるっスよ」

 

 月城さんの戦略を不審に思っていると九号がそんなことを言った。考える間でも無く彼女は動いていたらしい。

 

 しかし自分の弱みとなる情報を政府に流されていることに月城さんは気が付いているのだろうか、いつかどこかのタイミングで黒服の人たちに囲まれてどこかに連れ去られたりしそうだなあの人……最後は俺が海に捨てる形になると思っていたけど、そんな結末もあるのかもしれない。

 

 

 あの人を海に沈めるのは、政府じゃなくて俺の役目だというのに……。

 

 

 

 今、俺がいるのはカラオケルーム、別に遊びに来た訳ではなく一年生との話し合いを控えているので足を運んだだけである。

 

 宮本武蔵でも気取っているのか、件の一年生――宝泉は遅刻しているようだが、こちらは余裕があるのでゆっくりとさせて貰おう。

 

 カラオケ店の内部にあるドリンクバーの前で何を飲もうか悩んでいると、九号が見計らったかのように背後からそんな報告をしてきたのだ。

 

 政府の影響下にある学園で、政府の息がかかっていない人が理事長をやっている現状を快く思っていない勢力や派閥に雇われた九号は、しっかりと月城さんを調査していたらしい。

 

「そっか……こっちで処理する前に政府に処理されそうだな、あの人」

 

「珍しいことでも無いッスよ」

 

 彼女からしてみればそうなのだろう。俺よりもずっと政府寄りの超人だからな。チラリと声がした方に視線を向けてみると、九号は俺とは違う場所にあるドリンクバーでコーラをコップに注いでいた。

 

 彼女は別にいつでもどこでも俺の後をつけ回している訳でもなく、今回はこちらから呼び出して仕事を与えている。こちらに忠実な後輩がいるというのは便利なものである。

 

「あれから、天沢さんからの接触は?」

 

「目立ったものはね~です」

 

 まあそうだろう。パートナーは一度結べば解除はできない。どれだけ天沢さんや八神が頑張ろうともそこだけは変わらない。そして九号を懐柔して仲間にしようとしても、既にこちら側である。

 

 なので一年生たちの取れる手段はそこまで多くない。だからこそ動きや出方も読みやすい。

 

 4000万という大金を前に出されて、興奮を隠しきれていない彼ら彼女らが取るべき行動はそこまで多くない。少し冷静になれば自重する行為であってもやはり大金に目が眩んで拙い行動に出るものだ。

 

 特に宝泉などはその動きが顕著なのかもしれない。彼は退院してすぐに、ギプスで固定されている体を引きずりながら、七瀬さんとの間で行われる筈だったクラス間の協力関係を否定したらしい。

 

 改めて七瀬さんから宝泉を交えて話し合えないかと言われて、このカラオケルームで待っているわけだ。

 

 ただ彼はまだ来ていない、七瀬さんは申し訳なさそうに頭を下げるだけである。ある意味では龍園以上に面倒な相手がクラスメイトなので、彼女も苦労しているらしい。

 

「それじゃあ、ウチは手筈通り動きますんで」

 

「ん、宜しく頼むよ」

 

 まあ一年生たちの……いや、宝泉が取るであろうわかりやすい動きはどうにでもなる。それが来るとわかっているのでしっかりと対処すれば良い。それだけの話であった。

 

 月城さんに振り回されるだけの一年生が少しだけ哀れに思えた。ホワイトルームの都合に巻き込まれているわけだからな。

 

「天武」

 

 ドリンクバーの前で何を頼むか悩んでいると、カラオケルームの扉が開いて清隆が姿を現す。

 

「ん? 今ここに誰かいたか?」

 

「きっと野良の忍者がいたんだよ」

 

 いつの間にか九号は消えていた。手筈通り配置についているのだろう。

 

「宝泉はまだ来ないみたいだね」

 

「宮本武蔵でも気取ってるんだろう」

 

 しまった、清隆と同じ表現になってしまった。

 

「彼はこちらが準備万端で待ち構えていることに気が付いているかな?」

 

「どうだろうな。お前に病院送りにされて不安もある中で、オレの首にかかった賞金が他の誰かに取られるかもしれないという焦りもある筈だ。冷静、とは口が裂けても言えないだろう」

 

「そりゃそうか……椿さんや宇都宮から接触は?」

 

「無い、少し離れた位置から様子見はされたがな」

 

「そうか、今は見極めようとしているのかな、あの二人は」

 

「どちらも油断できない相手のようだ。ホワイトルーム生と仮定しても良いかもしれない」

 

「ん、結局のところ俺の主観でしかないから、言ってしまえば何の保証にもならないしね」

 

 もしかしたら椿さんや宇都宮がホワイトルーム出身であることも完全には否定できていない。やはり俺の主観でしかなく第三者視点での証拠は何もないからだ。もしかしたら偽造に長けているだけで俺の観察を潜り抜けている可能性だってあるのだから。

 

「確定的な証拠がない以上、誰であれその可能性があると見るべきで、そしてあちら側であるという前提で動くべきだ」

 

「そうするとしようか、警戒して損することはないだろう」

 

 相変わらず警戒心の高い男である。もしかしたら意外にも九号と相性がいいのかもしれない。

 

「まぁ今は宝泉だ、一番短絡的で行動力のある一年生だからな」

 

 彼を追い詰めて他の一年生への牽制として晒す訳だ。効果があるかどうかはわからないが、やって損することもないのでこの話も受けた次第である。

 

 ドリンクバーでコーラを注文してから借りているカラオケルームの個室に戻ると、そこでは七瀬さんと鈴音さんが話をしていた。

 

「本当にすみません。話が纏まりかけていたのに、邪魔をしてしまって」

 

「……貴女も宝泉くんには苦労しているようね」

 

 そんな七瀬さんの謝罪を受け入れる鈴音さんはどこか同情気味である。ヤンチャ枠に振り回されるのは去年一年で龍園から散々学んだことなので、似たような立場にいる七瀬さんに変なシンパシーでもあるのだろうか。

 

「笹凪先輩も、綾小路先輩も、ご迷惑をおかけします」

 

「あまり気にするな」

 

「うん、俺たちはあまり気にしていないからね」

 

 それに、他の一年生たちへの警告と見せしめの為に、宝泉には多少なりとも強引な手段に出て欲しくもある。俺たちがただ狩られるだけの獲物でないと宣伝したいのだ。

 

「宝泉もようやく来たようだね」

 

「え?」

 

 カラオケルームの個室で待つこと暫く、上級生ばかりで肩身も狭いだろうと七瀬さんを心配していると、店の入口付近から特徴的な気配を感じ取る。

 

 個室の入口に視線を向けてみると、勢いよく扉が開いて不機嫌な顔を隠そうともしない宝泉が姿を現す。

 

 足と手首はギプスで固定されており、病院から貸し出されたであろう杖を片手に引きずるように中に入って来る姿は同情を誘うのだが……完全に自業自得なので七瀬さんですらそんな視線は向けていなかった。

 

 お姫様抱っこされた一年生男子、それが学校での宝泉の評価になっているそうだ。

 

 彼はカラオケルームの中に入って来て、相変わらず獰猛な表情で俺たち二年生を、正確には俺を睨みつけて来る。

 

「呼び出した割には随分と遅かったわね」

 

「なんだ、不満だとでも?」

 

「いいえ、足を怪我している人に早く来いと言うほど非道ではないと思っているから、問題はないわ」

 

 鈴音さんからの軽い挨拶代わりのジャブに、宝泉は露骨に眉を顰めた。こちらの教室に執拗に絡んで来た以前の態度と余裕はどこかに消えているので、やはり焦りがあるのかもしれない。

 

 プロテクトポイントを剥して清隆を退学させれたら4000万、高校生からしてみれば破格も破格、やる気になるには十分だろうし、誰にも渡したくないと考えるのも自然なことだ。

 

 しかし最初の一歩目で足を踏み外して病院送り、心穏やかにはいられないだろう。その余裕の無さが透けて見えるようだった。

 

「七瀬と勝手に話を進めていたようだが、俺はテメエらのクラスとの共闘を認めちゃいねえ」

 

「意味のない主張ね、仮に貴方が反対したとしても、既に七瀬さんとはある程度の調整が済んでいるわ。今更蒸し返さないで貰いたいものね……それともハッキリとこう言った方が良いかしら、リーダーでない人はお呼びではないと」

 

 鋭い眼光をものともせず、鈴音さんがそう返せば、またもや宝泉の苛立ちが強まる。

 

「そもそも宝泉くん、貴方は誤解しているわ……こちらは組める相手を選べる立場なの、Dクラス以外にも1年Bクラスからも声をかけて貰っている。貴方がどれだけごねようとも、それならそれで八神くんたちと組むだけよ」

 

「ハッ、偉そうだなおい。仮にそっちと組んだとしてもそれなりに報酬が必要だろうが」

 

「えぇ、だから何だというの? 私たちの資金力を知らない貴方が心配するようなことではないわね。一年生だからまだ理解していないかもしれないけど、こちらにはそれなりの蓄えがあるの」

 

 具体的な金額は出さずに、資金力の余裕は主張しておく。後はそちらで勝手に想像しろと言わんばかりに。

 

 そして同時に鈴音さんは自分たちが相手を選ぶ立場だという主張を崩していない。あくまでも余裕を維持しながら接する方針のようだ。

 

 実際に余裕があるし、立場もあるからな。別に俺たちは追い詰められてはいないので、絶対にDクラスと共闘しなければならない立場でもない。

 

 宝泉がこの関係を嫌だと言うのならば、八神のクラスと組めばいい、それで終わる話であり、終わらせられるのは俺たちだった。

 

「もう一度言いましょうか、クラスの代表者でもない貴方が、ここに来てごねないで頂戴」

 

 あくまでも強気に、そしてそう出られるだけの状況であることを意識している鈴音さんは、宝泉の鋭い視線をものともせずにそう言い放つ。

 

 余裕のない宝泉は遂に苛立ちを爆発させて、太く分厚い指先を鈴音さんの伸ばそうとするのだが……その直前に俺を見て動きが止まる。

 

 なんだ、やらないのか? そのオシャレな腕時計を粉砕して代わりにギプスで固定してあげるのに。

 

 宝泉の指先が空中で揺れ動く、鈴音さんの胸倉を掴みあげるべきか、それとも何も無かったかのように戻すのか観察していると、迷った末に彼の手は膝の上に戻っていった。

 

 流石に、両腕を粉砕されるかもしれないリスクは避けたようだ。何だかんだで理性は残っているらしい。

 

 それに、宝泉の目標はクラス協力にケチを付けることでもなければ、鈴音さんに暴力を振るうことでもない、清隆なのだから無駄なことに注力すべきでもないとわかっているのだろう。

 

 腕も足も骨折しているのだ、4000万を確保しないと割に合わない。

 

 そして、その焦りと余裕の無さが、そのまま行動の拙さに繋がっていることに、彼はまだ気が付いていないらしい。

 

「七瀬さん、最終確認だけれど、私たちと協力する形で問題はないのよね?」

 

「それは……はい、私はそうでありたいと思っています」

 

「ならば問題はないわね、この話はこれで終わりにしましょう」

 

 まるで宝泉など存在しないとばかりに話を進めていく鈴音さんだが、七瀬さんはそうはいかないのか、凄まじい苛立ちを発している宝泉にチラチラと視線を送っている。

 

「宝泉くん、ここは一歩引くべきです。先輩たちには余裕がありますので、別に私たちと組む必要もない。冷静になりましょう」

 

「俺は冷静だ」

 

「そうは見えません……もしこれ以上、話を拗れさせるのならば、ここでアレを周知させることも視野にいれますよ。貴方の思惑と、クラスの方針を混ぜないでください」

 

「俺の思惑だと? よく言うぜ、どの面下げて言ってんだテメエは」

 

 アレ、とは清隆にかけられた懸賞金だろうか? 確かに周知されれば色々と動きにくくなるだろうし、ライバルが増えるのでこれまでどおり腰を据えてとはいかないかもしれないな。

 

 ただそちらが持っている情報はこちらも既に把握しているので、色々と見えて来るものもある。七瀬さんがこの裏特別試験とでも言うべき物の情報を把握している立場であるということだ。

 

 どちらかと言えば穏健派で、こちらとの関係を重視している形であったが、懸賞金狙いだと考えると七瀬さんも危険な存在に見えて来る。

 

 暫く視線をぶつけ合って睨み合っていた二人だが、最後には宝泉が不機嫌そうに鼻を鳴らして逸らすことになった。勝手にしろと主張するかのように。

 

 或いは、クラス共闘を七瀬さんに丸投げして、自分は本命である清隆に狙いを定めることにしたのだろうか。

 

 だがそちらも意味はないぞ。君は自分で選んでいるつもりなのかもしれないが、冷静さを失って一本道に誘い込まれていることに気が付いた方がいい。

 

 自分が一年生の広告塔になることに、気が付いて欲しいという思いと、絶対にそのまま真っすぐ進んで落とし穴に足を囚われて欲しいという考えもある。何だかんだで後輩だから可愛く感じてしまうのだ。

 

「協力関係を続けるのならこちらに不満はないわ。話は以上ね、そちらの問題はそちらで片付けなさい。いくわよ、綾小路くん、天武くん」

 

 カラオケルームの椅子から立ち上がって鈴音さんは個室を出て行こうとする。それに俺と清隆も続くのだが、そんな俺たちをいつまでも宝泉は睨みつけて来る。

 

 あぁ、わかりやすい位に余裕が無いな。こちらと大違いだった。

 

「七瀬さんの苦労が窺えるわね、宝泉くんという戦力を重要視しながらも、随分と手を煩わせているもの」

 

「宝泉は龍園と須藤を混ぜたような戦力だ、使い方次第では強力な武器にもなる。気持ちはわからなくはないがな」

 

 清隆のそんな表現に、鈴音さんは考え込む。須藤と龍園が混ざった姿を想像しているのかもしれない。何とも言えない表情になっていた。

 

 カラオケ店から出てそんな会話をしていると、背後に七瀬さんと宝泉の気配を感じ取る。あの場で今後のことを話し合うのかと思っていたが、どうやらこちらに話があるらしい。

 

 これは……いよいよ焦りを行動に移して来たのか? だとしたら話が早くてありがたい。

 

 スマホを弄って九号に指令を送っておけば、後は勝手に宝泉が自爆してくれるだろう。この学校は基本的には中立的な立場を崩さないが、決定的な証拠があればその限りでもなかった。

 

「待てよ」

 

「何かしら?」

 

 杖を突きながらも速足でこちらに近づいて来た宝泉の言葉に、鈴音さんは動揺することもなく冷静に対応する。こちらが優位な立場であるという姿勢は宝泉の前では絶対に崩さないつもりのようだ。

 

「このまま黙って帰らせるとでも思ってたのか? テメエと七瀬がどれだけ話をつけようが、こっちにはそれなりの手があるんだぜ」

 

「不毛ね、その手の話をどれだけしようとも結果は変わらないわ。お得意の暴力でねじふせようとでも言うの? その体では不可能よ」

 

「ならウチのクラスの連中に意図的に点数を下げさせるって手もある」

 

「くだらない上に、無意味な駆け引きね。なら私たちは八神くんのクラスと組む、それで話は終わりよ」

 

「ハッ、よく舌の回る女だ……いいぜ、気に入った、ちゃんと交渉に乗ってやるよ。俺がクラスの連中の邪魔することも脅すこともない。お前らがこっちの話を聞くのならな」

 

「ここから先、貴方は邪魔をしないと言いたいのかしら?」

 

「そいつはお前ら次第だ」

 

 彼からしてみれば特別試験で誰がどこと組もうとそこまで興味はないということだ。やはりその辺を七瀬さんに丸投げして清隆に狙いを定めたか。

 

「ついて来い、ここじゃ人目があるからな」

 

「……宝泉くん、やっぱり」

 

「黙ってろ七瀬、テメエはクラス協力だの同盟だのを勝手に進めたんだ、ならこっちは俺の好きにさせて貰うだけだ」

 

 宝泉に案内されたのはケヤキモールから離れて学生寮がある一角だった。丁度一年生の寮の真裏であり、わかりやすいくらいに監視カメラの死角である。

 

 あぁ、ここでやるつもりだな、一年前の龍園がやった一之瀬さんクラスへの攻撃を思い出す。

 

 やった、やってない、ハッキリとした証拠がない状態での水の掛け合いに持ち込むつもりのようだ。そういう所もヤンチャ枠は共通しているのかもしれない。

 

「天武くん、いざという時はお願いね」

 

「勿論、君の危機に俺が動かない訳がない」

 

「綾小路くんは……」

 

「オレに出来ることはなにもない」

 

「……まぁ、貴方はそれで構わないわ」

 

 頼りにならない発言に鈴音さんは少しだけ呆れたようだが、深く追求することなく視線を寮の裏まで案内してきた宝泉に向ける。

 

 腕と足がギプスで固定されて杖を支えにしているとしても、獰猛な気配は隠しきれていない上に、油断もできない気配を纏っている宝泉を警戒しているようだ。

 

「苛つく面してやがるな、そっちが優位だと決めつけて疑ってねえ」

 

「それは事実よ、私たちは選ぶ立場だから。そしてその上で七瀬さんとの協力を視野に入れている。彼女もそれに納得してくれているの……反対しているのは貴方だけよ」

 

 今更、宝泉が何を言った所でこの結果が覆ることはない。もっと言えば批判されるべきなのは彼の方である。今はまだクラスも従っているのかもしれないが、このような状況がいつまでも続くのならば、批判的な意見だって出て来る筈だ。

 

 宝泉が怖くとも、調子に乗って二年生に手足を折られてお姫様抱っこされたというのが、一年生の宝泉への評価なのだから。

 

 そんな焦りが、余裕の無さが、何よりも目の前にぶら下げられた4000万という大金が、こちらがしっかりと舗装してその先で落とし穴を掘った一本道へ進むことを強制させることになる。

 

 すまない宝泉、恨むなら馬鹿な条件を出して一年生を無駄に振り回した月城さんに言って欲しい。

 

 強気な姿勢を崩さな鈴音さんだが、宝泉が懐から取り出した刃物を見て流石に顔色を変えた。

 

「宝泉くん、それは……」

 

「今更ビビったのかよ? 俺はポイントを得る為にここまでする男だ」

 

 

 ハッキリと言わせて貰うのならば、宝泉の考えた戦略は拙いの一言である。

 

 

 清隆から説明されたが、今宝泉が持っているナイフは調理用の高級品、清隆が天沢さんに料理を振る舞う前に、彼女の勧めで購入したものであった。

 

 そう、清隆が買ったナイフであるのだが、それは天沢さんの所有物であり、今は宝泉の手にあるものなのだ。それに気が付いた清隆は、そのナイフが今回の戦略に繋がるだろうと予期していたらしい。

 

 自分にかかっている賞金と、自分が購入した履歴の残っているナイフ、さて行き着く先はどこだろうと考えて、今日この日になった訳である。

 

 事前に来るとわかっているのだから、当たり前のように対処する。この拙い作戦を上手く利用することになった訳だ。

 

 

「グッ!?」

 

 

 宝泉が持つナイフは俺たちに向けられることはなかった、鋭い切っ先はそのまま彼のギプスをしていない方の足に突き刺さり、鮮血を滲ませる。

 

「宝泉くん!? なんて無茶を!!」

 

 七瀬さんが慌てて駆け寄るのだが、そんな彼女の体を突き飛ばして宝泉は痛みに耐えながら邪悪に笑う。これで勝ったと確信するかのように。

 

「イテェじゃねえか!! ははッ、やってくれたなぁおい!! 交渉が決裂した腹いせにこんなことするなんてよ!!」

 

 自分で自分の太ももを突き刺しておきながら、全てをこちらに押し付けて来るのが彼の戦略である。この寮の裏には監視カメラはないので、ハッキリとした証拠を突きつけられない。

 

 やはり戦略が龍園に似ている……だけど残念だ、似たようなことを去年にやった奴がいるので、実はそこまで面倒な策という訳でもなかったりする。

 

 来るとわかっているのだから、こちらは当然のように対処するだけ。だから彼の戦略は拙いとしか言えないのだった。

 

「宝泉」

 

「あん、なんだよ? 言い訳なんざ通用しねえぞ」

 

「悪いが、撮影中だ」

 

「……」

 

「そちらの動きを、こちらが何も把握していないと思っていたのならば、それは勘違いだよ。君が思っているほど、俺たちは馬鹿じゃない」

 

 

 この状況を隅っこの方で撮影していた九号から、録画された一部始終がメールで送られてくるので、それを彼に見せつける。

 

 骨折り損のくたびれ儲けと言うべきなのだろか? 彼の行動の全てを封殺するのに、別に大層な仕掛けや作戦は必要なく、動画があればそれで終わりだった。

 

 

 

 こうして宝泉はまた入院することになる。彼は病室で授業を受けることになるのだが、ここまで来ると教室で授業を受けるよりも病院でモニター越しに学ぶ回数の方が多くなるのかもしれない。まだ入学して一カ月も経っていないからな。

 

 

 月城さん、一年生を振り回すのはもう止めてください。

 

 

 

 

 




宝泉は病院に送る、月城は海に沈める、きっとそういう運命なんだと思う。


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ただの前哨戦に過ぎない

これでこの章も終わりとなります。次は小話です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宝泉には申し訳ないことをしたと思っている。実際にナイフを突き刺したのは彼なのだが、それをすると予測して、そうなるように仕向けたのはこちらなので、どうしても良心の呵責がある訳だ。

 

 俺たちが宝泉に求めているのは一年生全体に対する広告塔である。清隆を追い込もうとする裏特別試験に参加している一年生が何人いるかは定かではないが、彼らはこの短い期間に二度も病院送りになった宝泉を見てこう思うだろう。

 

 

 あのゴリラが病院送りにされるくらい、二年生たちは強いのだと。

 

 

 4000万という大金を目の前にチラつかせて冷静さを失った一年生の一部は、そこでようやく躊躇と自重を思い出すことだろう。動きは慎重になるだろうし、大胆な作戦に出ても潰されると理解した筈だ。

 

 だって宝泉の現状がそれを雄弁に説明しているからな。だから彼はこれ以上ないくらいに広告塔としての役目を果たしてくれている。

 

 けれどまぁ、こっちの都合良く宝泉は重傷を負って病院送りになってしまったのは事実だ。そこは素直に謝罪したいと思っていたけれど、よく考えれば一番悪いのは月城さんなので、やっぱりあの人を海に捨てようと心に固く誓うしかない。

 

 宝泉も被害者だ。月城さんとホワイトルームに振り回されたと考えると、俺は彼に普通に同情していたりする。

 

 もし月城さんが4000万という高校生にとって目が飛び出るほどの報酬をチラつかせなければ、間違いなく自分の太ももをナイフで突き刺すだなんていう暴挙に及ぶことはなかったし、俺の脇腹に蹴りを入れて骨折することも無かった筈だ……そう信じたい。

 

 宝泉はあれからまた入院したそうだ。片方は骨折、もう片方は刺し傷、腕は罅が入ってやはり骨折、まともに動かせるのは腕一本という状況は、広告塔としては完璧なのだが先輩としては心配してしまう。

 

 いや、まぁ、その内の半分以上が俺の責任ではあるんだけど、それでも彼の自爆が主な原因である。

 

 それらを抜きにして、俺としては純粋に宝泉を心配していた。そこに嘘偽りはない。

 

「やぁ宝泉、調子はどうだい?」

 

 ここは学園内に併設された病院、そこまで規模は大きくないけれどしっかりとした機器が容易された場所である。そこに宝泉は入院していたので、俺は見舞い品の果物を片手に顔を出している。

 

 彼がいる病室の扉を開けると、宝泉はそれはもう言葉では表現できないほどの渋面を作る。わさびと苦虫を同時に噛み潰したのだろうか。

 

「テメェ……どの面下げてここに来やがった」

 

 病室のベッドの上には宝泉がいる。新しく出来た刺し傷によって両足がまともに動かせない状況になっており、腕は片方がギプスで固定されてぶら下げている状態だ。これではまともに動けないだろう。

 

 そんな状態だというのに、宝泉は相変わらず獰猛な肉食獣を思わせる顔つきでこちらを睨んで来るのだが、残念なことになんの説得力もない。まずは体を癒して欲しい。

 

「どの面も何も、俺は君に対して配慮すべき何かは1つもない。その手足の現状は殆どが君の自爆だよ」

 

「……」

 

 眉間に皺を寄せ、犬歯をむき出しにすると、今にも飛びかかって来そうな雰囲気となるのだが、それに待ったをかける。

 

 流石にこれ以上重症化すると俺は申し訳なくて仕方なくなる。ヤンチャな奴ではあるけれど後輩であることは間違いないので、どうしても可愛く思えてしまうのだ。

 

「さて宝泉、俺がここに来たのはお見舞いであると同時に、警告でもあるんだ」

 

「警告だと?」

 

「いや、忠告かな……宝泉、君が今回やったことは、実は龍園が去年にやった戦略とよく似ているんだ」

 

 似ているというか、ほぼ同じである。細部は僅かに異なるけれど、デジャブすら感じるほどに似たような経験であった。

 

「こちらからしてみれば、また同じ方法かと思えるくらいに拙い作戦だった。目の前に4000万をチラつかせられたら仕方がないことかもしれないけど、もう少し冷静になるべきだったね」

 

「……最初からこっちの動きや思惑はわかってたってことか」

 

「あぁ、だから君を広告塔にしようと思ってね。この裏特別試験と言うべきものに参加している一年生全員に見せつける為に」

 

「だとしたらこの状況はお前の予想通りってか……はッ、女々しい面の割にはえげつないことを考えるじゃねえか」

 

「いや、流石にここまで重症になるとは思っていなかったさ。その、ごめん、そこは計算外だったよ」

 

 まさか宝泉がここまで大胆かつ考え無しに動くとは予想していなかった。よくて軽傷程度だった筈なのに、何故かこんな状況である……だからこうしてお見舞いに来たのだ。

 

「だから、すまないね……これはせめてものお詫びの気持ちだ」

 

 そう言いながら俺はお見舞い品として持ってきたバナナの束を病室の机の上に置いた。これなら片手でも食べやすいだろうと思って購入したものである。別にゴリラの立場を彼に押し付けて俺への印象を払拭したいとかそういうことではない。

 

 俺がバナナの束を彼に贈ると、宝泉はまた忌々しそうに表情を歪めてしまう。

 

「まあこれからは目の前にある4000万に踊らされずに、少し冷静に行動すると良いよ。君がやったことや考える作戦は、きっと去年に龍園がやったことと大差がないだろうから、ハッキリと言わせて貰えば無意味なんだ……あぁ、それともこう言った方が良いかな、猿真似じゃあ俺たちには勝てないって」

 

 視線に鋭さと苛立ちが混じる。気の弱い者ならばそれだけで震えてしまうような瞳であったが、生憎と子犬程度の認識しか持てないので無意味だ。

 

「まずは冷静になり、慎重になることだ一年生、君がやったことは龍園がもうやった……君は君らしく戦って勝つ方法を考えなければならないだろう。猿真似をしているだけじゃ劣化龍園でしかない」

 

「言うじゃねえか、ここでテメエを殺しても良いんだぜ」

 

「自分すら騙せない嘘に意味はない……出来る訳がないとわかっているはずだ」

 

 奥歯を鳴らす音がこちらにまで聞こえて来る。それでも実際に残った腕だけでこちらに戦いを挑まないのだから、怒りの中に冷静さもあるのだろう。

 

「体を癒しなさい、そしてニヤニヤ笑ってないで己の全てを賭して挑んで来い。君より一つ年上の先輩からの、偉そうなアドバイスだ」

 

 相手がどう思っているかは知らないけれど、可愛い後輩への先輩らしい言葉である。

 

 椅子から立ち上がって敢えて宝泉を見下ろす。こちらが上手であるかのように振る舞うことも時には重要だ。彼のような男なら尚更奮起するだろう。

 

 

「テメエらは俺が殺す、忘れるな」

 

 

 案の定、彼は冷静さの中に炎のような怒りを宿しながらそう言ってくる。やはり後輩は可愛いものだ。

 

 けれど、残念なことに、彼の言葉は龍園の猿真似を超えてはいない。

 

「宝泉……その言葉は、もう去年に龍園から聞いているよ。どうやら君はまだ、彼すらも超えられていないらしい」

 

 そう伝えると彼はそれはもう忌々しそうな顔を見せて来る。おっかないので病室から逃げるように退散するのだった。

 

 とりあえず宝泉はこれで良いだろう。多少は冷静になる筈だし、躊躇も覚えた筈だ。4000万に人生を完全に狂わされる前に冷静になることは出来ると思う……多分。

 

 その上で、全てを賭して挑んで来ると言うのならば何も言うまい、一つ先達として叩き伏せるだけだ。彼にはその権利があるし、俺にはそうする義務がある。

 

 もしかしたら俺が成長した彼に負ける未来だってあるのかもしれない。可能性とはそういうものだ。そしてもしそんな時が来るとするのならば、俺はまた一つ強くなれるということなのだろう。

 

 そんな未来を想像して、少しだけ楽しくなりながら病院を出ると、そこには俺と同じようにお見舞いの果物を持った七瀬翼さんと出くわすことになる。

 

 こちらと違って七瀬さんの手にある果物はバナナの束ではなく、色々な果物の盛り合わせである。こんなことされると俺が贈ったアレが嫌味になってしまうじゃないか。

 

「七瀬さん、君もお見舞いかな?」

 

「あ、笹凪先輩、もしかしてそちらも宝泉くんの様子を見に来られたんですか?」

 

「まぁ、一応ね、俺の責任も多少はあるだろうから」

 

 優しい子である。暴虐の限りを尽くしそうなクラスメイトだというのに、彼女はしっかりと配慮しているということだ。

 

「宝泉くんはどうでしたか?」

 

「思っていたよりも元気そうだったかな。お前を殺してやるって言われたよ」

 

「それは……すみません。彼は言葉遣いが少し乱暴なので」

 

「あぁ、気にしてはいないよ。この学校では似たようなことをよく言われるから」

 

 龍園とか挨拶代わりに言って来るからもう慣れてしまった……嫌な慣れだな。

 

「七瀬さんも苦労すると思うけど、宝泉は貴重な戦力だと思う。しっかりと手綱さえ握れるのならば、一年生では敵無しになるかもしれないね」

 

 俺の素直な考えを伝えると、七瀬さんは少しだけ意外そうな顔をする。

 

「意外です、笹凪先輩は宝泉くんを評価していらっしゃるんですね」

 

「どんな方向性であれ、突き抜けた何かを持つ人物だから、そこは間違いないと思うよ」

 

 それは俺たち二年生にも同じことが言える。龍園であれ坂柳さんであれ一之瀬さんであれ、飛びぬけた分野を持っているのは間違いない。それを評価して脅威に思うのは自然なことであり、一年生であっても同様だ。

 

 俺はもしかしたら一年生に殺される未来をあるかもしれないと思うくらいには、一年生たちを評価しているのだから。

 

 当たり前だな、俺は別に師匠と違って無敵でも最強でも無い。ただ思い描いた未来に向かって努力することしかできない男なのだから。

 

「まあ今は大人しくさせておきなよ。怪我が治る頃には、彼も少し冷静になっているだろうからさ」

 

「そうさせていただきますね」

 

 七瀬さんは素直で良い子だ……裏特別試験を把握していたり、ホワイトルーム生ではないと断言も難しいので、そこが少し残念ではあるが。

 

 それに彼女は、どこか清隆を意識しているようにも思える。視線を向ける回数だって多い。上手く隠そうとはしているようだけど。

 

「あの、笹凪先輩」

 

「ん、何かな?」

 

 病院の入口付近で俺たちは見つめ合う。強い意思と力が宿った美しい瞳を向けられる。

 

「笹凪先輩は……その、綾小路先輩と親しくされているんですよね?」

 

「そうだね、仲間であり、友人だと思っているよ」

 

「……もし、綾小路先輩に裏切られたとしても、そう思えますか」

 

「物騒な物言いだね」

 

「あ、すみません、つい」

 

「君が何を思って、どんな考えでそんなことを言ったのかはわからないけれど……その質問に答えるのならそれはそれで構わないと答えるだろうね」

 

「……え?」

 

「裏切られたのならばそれで構わない」

 

「……」

 

「一度信頼すると決めたんだ、裏切られたとしても別に良いじゃないか」

 

 訳が分からないと言いたそうな顔をする七瀬さんに、俺は思わず微笑んでしまった。

 

「綾小路先輩には……笹凪先輩が知らないような本性があるんじゃないかと、ボクは思うんです」

 

 ボク? どうしていきなり一人称が変わったんだろうか?

 

 師匠モードの俺も人が変わったというか、思考や口調が変わるのだけれど、それと似たような切り替わりが七瀬さんにもあるのかもしれない。

 

 ここ最近は二重人格も否定することが難しいくらいに、師匠モードとのギャップが凄まじいからな、他の人が似たような精神状態の切り替わりを持っていたとしても不思議ではないか。

 

 口調が変わった七瀬さんとまた見つめ合う。美しい瞳はそのままに、しかしその奥底にある考えまでは読み切れない。

 

「清隆の本性か……そういう君は、その本性とやらを知っているのかい?」

 

「……いえ、そうではありませんが」

 

 強い光を宿した瞳は逸らされて地面を眺める。

 

 彼女は彼女で、宝泉とはまた異なる方向性の何かを持っているらしい。

 

「あ……すみません、急にこんなことを言ってしまって……私はこれで」

 

 ぺこりと礼儀正しく頭を下げた七瀬さんは、果物の詰め合わせ片手に病院の中に入っていく。宝泉のお見舞いに行くのだろう。俺はそんな彼女の背中を見送ってから寮に向かって歩き出す。

 

 今年の一年生たちは、色々と面白い子が多いと言うことだろう。宝泉もそうだけど大人しそうで礼儀正しい七瀬さんもまだ底を見せていない。ホワイトルーム生疑惑のある天沢さんに八神、同じく底が見えない宇都宮に椿さん。

 

 そして他の一年生たちの中にも、或いは油断ならない力を持った存在がいる可能性がある。それこそ俺に主観に過ぎない観察では何の保証にもならないのだから、絶対とは言い切れない。

 

 これからどうなるだろうかと思い描いて、俺の頬は少しだけ緩むことになる。

 

 この特別試験と、裏特別試験は、ただの前哨戦に過ぎない。これから始まる一年のほんの始まりに過ぎないということだろう。

 

 もしかしたら来年の今頃も同じことを思っているのかもしれないな。

 

 今後どうなるにせよ、俺がやるべきことは変わらない。勝利も敗北も、力及ばない現実も成長に繋げて、ただ突き進むだけである。

 

 その先で師匠の言う天下無双の漢になるだけだ。まだまだ道のりは遠いけれど、去年一年で少しだけど近づけたような気もする。ならばこの一年だって同じことをするだけだ。

 

「さて九号、これから忙しくなるだろうけど……きっちり勝つぞ」

 

「御意」

 

 暗がりからこちらも観察する気配にそう告げて、俺は一年の始まりを実感するのだった。

 

 きっと、この一年も気の休まる時間が無いのだろうな。そう考えれば、頬も緩むというものだ。

 

 

 

 

 

 



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小話集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「後輩にゴリラがいてちょっと怖い」

 

 

 

 

 

 

 自慢じゃないが……いや、完全に自慢だが、俺はいつだって何でもできた。運動だろうと勉強だろうと特に苦労することもなく、気が付けば一番になっている。それが俺の人生であった。

 

 顔だって良い、カリスマだってある、成功が約束された人生とさえ言えるのかもしれない。

 

 それが俺、南雲雅の人生であった。

 

 誰も俺に敵わない、誰も並び立てない、そんな訳がないと誰かが笑ったような気もするけれど、そいつも最後には俺には勝てないと視線を逸らしてしまう。

 

 まさに強者の在り方と表現できる。これ以上ないくらいに輝かしい人生なのかもしれない。

 

 けれどふと思う、俺はただ俺以上の誰かに出会うことの無かっただけの男であり、ただ狭い世界でふんぞり返っているだけの裸の王様なんじゃないかと。

 

 この学校ならもしかしたら、大して期待はしていなかったけれど、一つ上に堀北先輩がいると知って少しだけ現実を知ることになる。

 

 もしあの人と同学年なら俺の実力は正しく証明されたのではないか、ただ競い合う誰かがいなかっただけの大間抜けじゃないと理解できたのではないか、そんなことを思う。

 

 けれどあの人は学園を去ってしまった。俺と同学年にまともに戦える奴はいない。相変わらずつまらない時間だけが過ぎていく。

 

 なら一つ下の学年はどうかと見下ろしてみて、暇つぶしのオモチャでも探していると、こっちの足を掬い上げて派手に転ばしてくる奴がいたじゃないか。

 

 ちょっと遊んでやろうかと思えば、そいつはこちらの計算も思惑も踏み砕いて来るような奴だった。

 

 こいつなら俺と対等に戦える筈だ、そして俺が本物の実力者だと証明できる筈だと思って余裕綽々でいたら……あの混合合宿だ。

 

 間抜けにもほどがあると言うしかない。今思い出しても怒りとやるせなさで思わず頬が緩むが、だからこそとも言える。

 

 何故こいつは俺と同学年じゃないんだと残念だと考えて、同じくらいに同学年じゃなかったことに安堵して、その事実に吐き気を感じてしまった。

 

 実力の証明をしたかったのに、それができる相手が同学年じゃなかったことに安心してしまった訳だ、笑い話にもならない。

 

 笹凪天武、アイツが生徒会に入ってからというものの、扉を開くときいつだって緊張が体に走る。だからいつも深呼吸してから生徒会室の扉を開くようになった。

 

「あ、南雲先輩、このコピー機ってどこに置けばいいんですか?」

 

「前の古いコピー機があった所で良いだろ」

 

 生徒会室には既に笹凪がいた。こいつは本来なら台車に乗せて動かす筈の大きめのコピー機を何故か小枝のように持ち上げて右往左往してやがる。割と大型のコピー機なので下手しなくても50キロ以上は確実にある筈なんだが

 

 う~ん……ゴリラだなぁ。

 

「いや、大きさが合わないんですよね。ちょっとこっちの方がサイズが大きいので」

 

「うん? ならちょっと冷蔵庫をズラすか」

 

「あ、こっち動かして良かったんですね」

 

 そう言って笹凪は、片手に大型のコピー機を持った状態で、空いたもう片方の手で冷蔵庫をズラす。別に滑車が付いている訳でもないのに、冷蔵庫はズルッと動いて隙間を大きくする。

 

 そして広がった隙間にコピー機を押し込む……本当にこいつの体はどうなっているんだか。

 

「この生徒会室もだいぶ趣が変わりましたよね。堀北先輩が生徒会長だった頃は、もっとシンプルで実用性第一って感じでしたけど」

 

「そりゃお前、あの人はまさにそんな人だったからな」

 

「人によって部屋の雰囲気も変わる。当たり前のことでしたね」

 

「カーテンとかもオシャレだろ」

 

「ちょっと明るすぎません? 花柄って……」

 

「いやいやわかってねえな、こういう方が女子受けが良いんだっての」

 

「そういうもんですかねぇ」

 

 よくわかっていない感じで笹凪はお茶を作り始める。何もかも握りつぶしそうな手をしている癖に、意外にも器用なのかこいつの淹れるお茶は上手かったりする。橘先輩に淹れて貰ったものを再現しているらしい。

 

「そうだ、二年は特別試験が無事終わったそうじゃないか」

 

「まあ一位は取れなかったんですけど、最下位にはならなかったのでボチボチって感じです。入学したばかりの一年も巻き込んだ試験だったので、最初はどうなるか不安だったんですけどね、鈴音さんが上手く動いてくれましたよ」

 

「鈴音か、アイツも悪くない動きをするよな」

 

「おかげで俺も動きやすくて助かってますよ」

 

 淹れられたばかりのお茶を渡されて、それで喉を潤しながらそんな会話をしている。だが当たり障りのないやりとりなんて興味はなく、知りたいのはもっと奥深くにある本質だ。

 

「まぁ、特別試験の裏で色々ありましたけど、宝泉が病院送りになったので一年生たちも少し冷静になるでしょうね。どこかの誰かが唆したせいで目の色が変わってましたけど、自重と躊躇を思い出した筈です」

 

「俺にはなんのことかさっぱりだが、やんちゃな奴が落ち着いたなら上々だろうよ」

 

「ですね、4000万なんて払われるかもわからないポイントで人生を狂わされるかもしれないと知っただけ前進と思いましょうか」

 

 やっぱりこいつは、今回の一年の動きや思惑についてほぼ把握しているようだな。

 

 不思議な光を宿した、こちらの何もかもを見透かすような瞳が俺を見ている。嘘も演技も通用しないと直感させる力がそこに宿っている。

 

 これだ、この不思議な光を宿した瞳だ……これが、苦手だった。堀北先輩とも、鬼龍院とも異なる、異質な眼差し。人によっては美しいと思う者もいるのかもしれないが、俺は不気味と思う側だった。

 

「そう睨むなよ、さっきも言ったが俺には何のことだかわからないっての」

 

「まぁ良いんですけど、犠牲者は一人で済んだので」

 

 あの今年のヤンチャ枠だった宝泉だとかいう生徒は今は病院だ。両足と片手がボロボロなので、もしかしなくても長期入院は確実だ。既に生徒会は病室で授業を受けられるように機材や書類などを動かしている。

 

「綾小路とか言ったか、どういう生徒なんだ?」

 

「南雲先輩にはなんの関係もないことなのに、どうしてそんなことが気になるんですかね」

 

「意地悪言うなよ、ちょっとした興味だ」

 

「う~ん……あんまり関わらない方が良いと思いますけど」

 

「なんでだよ?」

 

「いや、だってほら、せっかくAクラスで卒業できるかもしれないのに、卒業と同時にいかつい人たちに囲まれて攫われるとかもありそうですから」

 

 

 こいつは何を言っているんだ、そんなことある訳ないだろうに。

 

 

「ん……まぁ、その辺は自覚しろって言うのは難しいのか、普通の民間人だもんな」

 

 小さな声でブツブツと何やら呟く笹凪は、諦めたように溜息を吐く。

 

「まぁ良いさ、色々と面白そうな後輩が多くて俺は嬉しいぜ……それよりもだ、今年も夏休み期間に特別試験が行われることになっている。前々から学校に掛け合って温めてた奴だ。この試験で勝負しないか?」

 

「俺に勝ったからって、何も得る物など無いでしょうに。因みに聞いておきますけど、どうやって勝敗を決めるんですか? 混合合宿で堀北先輩に提案したみたいに、どちらが多く退学者を出せるとかならごめんです」

 

「なんでだよ、その方が面白いだろ」

 

「いやいや、この学校は実力を高めて証明してみせろってスタイルなんですから、その証明のやりかたは1つじゃないと思いますよ」

 

「だから、他人を蹴落とすってことじゃないか」

 

「それもまあ一つの証明ですけど、幾ら何でも簡単すぎます……どうせ実力を証明するのなら、120人を蹴落としたと誇るよりも、120人を救い上げたって言った方がカッコいいじゃないですか……それに、俺が目指している場所はAクラスで卒業しても叶えられないものなので、これくらいしないと」

 

「なるほどな、それがお前の考える実力の証明ってことか、だがこの学園のシステムじゃあ不可能だ」

 

「でしょうね……まぁ俺も、難しいものだとはわかっていますよ。ただ、議論の余地なくそれをやった奴の方が凄いのは間違いありませんからね。どうせ実力を証明するのならその方がカッコいい」

 

 こういう奴だからこそ、俺は面白いと思うし、恐ろしいとも思うんだろうな。

 

 ならば挑まなければならない。俺自身の証明の為に、裸の王様じゃないと胸を張る為に、そして何よりコイツと同学年じゃなかったことに一度でも安心してしまった過去を消し去る為に。

 

 俺は、裸の王様じゃないと証明しなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユニークな後輩」

 

 

 

 

 

 二年生となり初めての特別試験が始まった。オレとしては堀北や天武などにクラスのことは丸投げして、ホワイトルームからの刺客に集中したいというのが本音であった。

 

 月城の宣言を信じるのならば、一年生の中にホワイトルーム生がいることになり、オレもそれは疑っていない。

 

 最悪なのはホワイトルーム生とパートナーを組むことである。プロテクトポイントがあるので一発退場にはならないだろうが、温存したいというのが本音であった。

 

 そんな訳で重要なのはその見極めだ。一年生の時点で全員が容疑者なので注意が必要だが、さてどうするかと考えていると相棒である天武から一年生を紹介されることになる。

 

 信用できるかどうかは横に置いておいて、最終判断はこちらに任せるとのことだ。

 

 一応、どういう人物なのか情報は受け取っているが……天武と同じタイプの人種らしいので、ホワイトルームとは別方向の注意が必要なのかもしれない。

 

 天武曰く、かなりゴリラ寄りとのことだ。

 

 少しの不安と、僅かな緊張と共に一年生の寮の隅までオレはやってきた。扉の表札にはこれから会う一年生の名前が張り付けられている。

 

 鶚銀子……カラスギンコ……いや、ミサゴギンコと読むべきなのか?

 

 そんな表札を眺めながら部屋の扉をノックする。するとあちら側からガチャガチャとやけに大袈裟な音が何度も聞こえて来る。

 

「どもッス」

 

「あぁ……天武の紹介で訪ねたんだが」

 

「聞いてるっスよ、パイセンの現地協力者だと」

 

「その表現は正確じゃない……友人だ」

 

「……あの人に友人がいることが未だに信じられね~です」

 

 寮の私室の扉が開き、中から顔を出して来た女子生徒が鶚銀子、第一印象は特にこれといったものは持てなかった。

 

 可愛らしい後輩とも、目立つ奴とも、特別な何かを感じるものもない……それでも敢えて目の前にいる一年生女子を表現するならば『希薄』という言葉がよく似合う。

 

 目の前にいるのに、そこにはいない。そこにいる筈なのに、どこにもいない。そんな少女だった。

 

 天武は他者の視線を引きつける引力とでも言うべきものがあるのだが、この鶚銀子という少女はその真逆、誰の視線も引きつけないのかもしれない、だから希薄という表現を使った。

 

「どうぞッス、綾小路パイセン」

 

「邪魔するぞ」

 

 今日、オレがここに来たのはこの女子生徒がホワイトルームの関係者であるかどうか確認する為である。天武の紹介ではあるが、だからといって油断することが出来ない。

 

 天武も最終判断はこちらにまかせると言っていたからな、ここで見極めさせて貰おう。

 

 部屋の中に入ると鶚はすぐに扉を閉める。そして扉のロックを次々施していった。最初からどの部屋にも備え付けられているチェーンロックとU字ロックは勿論のこと、自分で改造したのか様々な施錠をしていく、ざっと十個ほど。

 

 警戒心が強いというか、防犯意識が高いというか、ここまで来ると何て言えば良いかわからないな。

 

「随分と……防犯意識が高いんだな」

 

「これだけやっても爆薬を使えば一発でやがりますよ、気休め程度みたいなもんです」

 

「……そうか」

 

 次に視線は部屋の中に向けられる。やけに暗いなと思っていると、窓に鉄板が張り付けられて外界と遮断されていることがわかった。

 

 これでは外の光は一切入って来ないだろうと考えるのだが、鶚は特に気にしていないのか窓を塞ぐ鉄板に何の意識も向けていない、それが当然とばかりに。

 

 部屋の片隅では見覚えのある3Dプリンターが稼働していたので、何となく中身を覗き込んでみると、中では細々とした部品らしき物が作られているのがわかった。

 

 鶚は出来上がったばかりのその部品を取り出すと、作業机の上に座って既にそこにあった他の部品と組み合わせていく……オレの見間違いでなければだが、組み上がっているのは銃のように見えるのだが、気のせいだろうか?

 

 いや、気のせいだな、女子高生が3Dプリンターで銃を偽造するなど、ホワイトルームで知った知識の中にはないのだから、見なかったことにしよう。

 

「う~ん……やっぱり金属製じゃないから強度面で不安が残るッスね。まぁ一発限りの使い捨てなら十分でやがりますか」

 

 悩むようにそんなことを言う鶚は、思い出したとばかりにこちらに視線を向けて来る。

 

「七号から話は聞いてるっスよ、今回の試験でパートナーを組むかもしれないと……あぁ、綾小路パイセンのことはある程度把握してるっス、どう育ってどう過ごしてどうしてここにいるのかも」

 

「天武から教えて貰ったのか?」

 

「まさか、あの人が口を割るわけないじゃないっすか。ウチの雇い主から情報提供があったんでやがります。ここに内偵する前に全校生徒の情報は開示されましたんで、当然貴方の情報も把握してるッス」

 

 だとしたらだ、あの男……オレの父親やそれに関する様々な情報も把握しているということだろう。

 

「超人九号と言ったか……そっちは確か、政府に雇われているという話だったな」

 

「そうッスよ。パイセンのお父上のライバルにね」

 

 政敵ということか、あの男がこの学園に介入しているのだから、その敵対者が同じように学園に介入しても何も不思議なことでもない。あの男は大きな権力を持ってはいるが、別に誰も彼もを無視できる訳でもないのだから。

 

 鶚銀子は政府側の人間、だとしたらこちらとしても都合が良かった。

 

 彼女は作業机の上にある様々な小物や薬品などを組み合わせて作業をしながら、何でもないようにこんなことを言ってくる。

 

「展開次第ッスけど、もしかしたらウチがパイセンのお父上を処理することもあるかもしれませんので、先に謝っておくッス」

 

「お前に出来るのか?」

 

「さぁ……でもまぁ、ウチが殺しきれなかったのは今の所は七号だけなんで、大丈夫なんじゃないッスか」

 

 超人……天武が言うには、国家、社会、経済、法や秩序などに深刻な被害を齎すとされる個人を差すんだったか。だとしたら彼女もそういった手段や力を持っているということだろうか。

 

 作業机の上で偽造銃を……いや、それらしき物を作りながら、世間話でもするかのような口調で物騒なことを言ってくる鶚は、やはり存在感が希薄であった。

 

 それ以外にも家庭用の農薬であったり、ガラス片やパチンコ玉などが机の上にあり、それらを組み合わせて手榴弾らしき物まで作っているようだが……うん、オレの気のせいだろう。

 

「それで、パイセンはウチと組むってことで良いんですかね?」

 

「……そうだな、背に腹は代えられない。少なくともお前がホワイトルームの関係者ではないと判断はできる。宜しく頼めるか?」

 

「了解っす。我が主の現地協力者……いえ、友人なんですから、つまりウチの友人でもあるってことッスよ。手伝うでやがります」

 

 手が伸ばされて来たので、こちらも同じように手を伸ばして握手をした。

 

 掌から伝わって来る感覚は、やはり希薄としか言いようのないものである。温もりがあるような無いような、感触があるようなそうでないような、まるで幽霊と握手しているかのような錯覚に陥ってしまう。

 

 天武は地中に深く根を張った大樹を思わせるような体幹を感じ取ることができるのだが、鶚からはその真逆でどこまで行っても軽くて頼りない感触しかない。

 

 この結び合った手を上に上げると、そのまま風に流されて飛んでいくのではないかと疑ってしまうほどに、鶚は羽のような体幹を持っていた。

 

 なるほど……天武とは異なる方向性の、異常異質な体だな。しっかり鍛えられているのに、羽のような印象を与えて来るのだから。

 

 こんな鍛え方もあるのかと素直に感心するほどである。同時にどんな鍛錬を積み重ねてきたのかと興味もあった。

 

 こうして俺と鶚はパートナー契約を結ぶことになる、短い間であったがこの一年生は天武とはまた違う意味で色々と濃いことを理解する。同時にこれだけ色々とアレならばホワイトルーム生である可能性は限りなく低いと言えるだろう。

 

 少なくともオレが月城の立場であれば、偽造銃や爆薬を平然と作るような者を学園に送ったりはしない……常識的に考えればそうなる。

 

 協力関係を結んだことで用は済んだので部屋を出る。するとすぐに扉の向こう側ではガチャガチャと施錠をする音が立て続けに届いた。やはり警戒心が強いらしい。

 

 何であれだ、これでこの特別試験は安全圏を確保できたことになる。一抹の不安は拭えない相手であるが、とりあえずはこれで良いだろう。

 

 部屋を出て二年生の寮に帰る道のりで、これからの一年生の動きを予想していると、不思議なことに頭の中にいる彼女の姿や印象が希薄になっていくような気がした。

 

 

 どんな顔をしていたか、どんな声をしていたか、ついさっきまで一緒にいた筈なのに、どうした訳か印象が薄い。

 

 もしかしたら可愛かったのかもしれないし、声は低かったのかもしれない、或いはその逆である可能性だってあっただろう。

 

 何であれ、鶚銀子という少女は希薄であった。あれだけ色々と滅茶苦茶な物を作っていたのに、どうしたわけか印象に残らない。

 

 もしかしたら明日学校の廊下ですれ違っても、オレは名前も忘れてしまっていて、彼女を彼女だと認識できないのかもしれない……不思議とそんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「天沢一夏はまだ知らない」

 

 

 

 

 

 

 

 あたしと拓也は同じ年齢、同じ場所、同じ教育を受けて、異なる方向を向いていた。

 

 情があるか無いかで言えばある、何だかんだでずっと一緒にいたし、きっと幼馴染と言う表現が一番近いんだろうけど、世間一般のそれと違ってどうしたって歪な何かがそこにはある。

 

 うん、綾小路先輩に強い憎悪を抱いている拓也と、信仰にも近い感情を抱いているあたし、同じ環境で育ったというのにこうも異なる方向を見ているのは少し不思議だった。

 

「綾小路が君のクラスにいる生徒とパートナー契約を結んだのは知ってるかい?」

 

「あ~、そう言えば今朝のOAAではそうなってたっけ」

 

 校舎の片隅、誰も使わないようなコモンスペースであたしと拓也はひっそりと情報交換をしていた。話題となっているのは綾小路先輩とパートナー契約を結んだ一年生だった。

 

 あたしと同じクラスの……なんていうか印象の薄い子と契約を結んだらしい。正直なんでと思わなくはないけれど、別にあたしは拓也と違ってそこまで綾小路先輩を退学させることに積極的ではなかったので、正直どうでもよかった。

 

 ただ羨ましいとは思っている。だってパートナーと言う言葉だけでトキメクのが乙女心というものなのだから。

 

 もし私がパートナーになれたのなら……そんな妄想も悪くはない。けれど奪われてしまったので、料理を振る舞って貰うことで今は我慢するしかない。

 

 あたしがそんなことを考えていることに気が付いているのかいないのか、拓也はこの人気のないコモンスペースにある自動販売機に背中を預けた状態で柔和な笑みを浮かべている。

 

「なに、先を越されて焦ってるとか?」

 

「まさか、あの男と決着を付けるのに、この試験は相応しくないよ。もっと場を整えて、しっかりと引きずり出さないと」

 

「月城代理も可哀想~……せっかく連れてきた私たちがどっちも綾小路先輩を退学させる為に動いてないんだからさぁ」

 

「今じゃないってだけだ……まずは学年を支配する。綾小路をねじ伏せるのはこちらの駒を増やしてからさ。こんな試験でもなければ、シンプルな暴力でもない……僕の方が優秀なのだと証明するのは、ここさ」

 

 そんなことを言いながら拓也は人差し指で自分の頭を差す。どうやら頭脳戦で綾小路先輩に勝利したいらしい。その為にはまず学年を支配することにしたようだ。

 

 これで変に夢見がちな所があるというか、ロマンチストな部分があるのかもしれない。相応の舞台に綾小路先輩を引きずり出して戦い勝利することを夢想しているのかな。

 

 同じ環境で育ったのに、そこだけは異なるのだから、本当に不思議だった。

 

「一夏、君はとりあえず、パートナー契約を結んだ生徒をこちら側の駒にしてくれ。その生徒は現時点において綾小路と最も距離が近く交流がある一年生だ、これを機に交友関係が続くことだってある」

 

「は~いはい、口説いとくよ」

 

 駒第一号にしようと考えているのだろう……あの子名前なんだったけなぁ。一年生の情報は全部頭に入っている筈なのに、不思議と印象に残ってないや。

 

「その生徒なんて名前だったかな……確か」

 

 拓也は顎に指を当てて考え込む。あたしも同じように考え込むけど、あまり印象に残っていないのでこれといった顔は出て来ない。

 

 なんとなく、ぼんやりと輪郭は思い浮かぶのだけれど、それだけだ。

 

「まぁ、同じクラスのそちらに任せるよ」

 

「りょ~かい」

 

 そこまでやる気はないけれど、別に反対する理由もないのでここは従っておこうかな。

 

 拓也と別れて教室に足を運ぶ、お昼休みなので多くが食堂に行っているけれど、何人かは教室で食事をしている……目的の生徒もそこにいた。

 

 一瞬、彼女で間違いはないかと不安に思ったけれど、何度か霞がかかった記憶と情報を擦り合わせて不安を消し去る。

 

「ねぇねぇ、お昼一緒にどう?」

 

 教室の隅っこで誰の視界にも収まらないこの生徒のことを、あたしはまだよく知らない。話したこともなければ意識したこともない。他の生徒もそれはかわらないけれど、彼女は飛びぬけてそういう性質を持っているのかな。

 

 記憶に残らない人ってどこにでもいると思う。とにかく目立たなくて、何事も無難に終わらして、誰の思い出にもならないそういう人物だと思う。

 

 名前は……なんだったっけな、この子はとても希薄に思えるのでやっぱり印象に残らない。今だって目の前にいるのに消えてしまいそうな存在感しかない。

 

「……」

 

「ん~、そんなに見つめられるとなんかドキドキするかも、もしかして君ってそっちの気がある感じ?」

 

 ちょっとした冗談を伝えるが、目の前にいるクラスメイトは目立った反応は返さない。虚ろな瞳でこちらを見つめて来るだけだ。

 

 コミュ障という奴なんだろう。だから誰の意識にも残らないことに気が付いた方が良い。

 

「なんの用ッスか?」

 

「別に何にもないけど~……ボッチ飯してるから何となく声をかけただけ。そもそも君の名前もよく知らないし、良い機会だから教えてよ」

 

「鶚銀子」

 

「ふぅん、変わった名字ってよく言われない?」

 

「いえ、特には」

 

 最低限の会話は出来るようだけど、必要以上には絡んで来ない、そう言えばこうして声を聞くのも初めてのような気がした。

 

 主張はなく、我も強くない、それほど能力が高い訳でもなく、だからといって欠点がる訳でもない。

 

 普通だ……そうだ、彼女は普通という言葉がよく似合う。きっとこうしてあたしが声をかけなければ、いつまでもクラスの片隅で誰の記憶にも残らないまま寂しく過ごすのかもしれない。

 

 だからこそ扱いやすくもあった。孤独な少女だからこそ依存はさせやすいし、扱いやすくもある。駒にするには持って来いの人物だろう。

 

 正直、そこまで優秀な相手ではないけれど、綾小路先輩と一年生の中で一番距離が近いというだけで、駒にする価値がある。

 

 だから甘く囁いてあげよう、望む言葉を贈ってあげよう、その心があたしに傾くように。

 

「ねぇ鶚さぁん。あたしと友達になろっか?」

 

「良いッスよ」

 

 ほら、コミュ障だけどグイグイ踏み込めば何だかんだで悪い気はしていない。積極的に声はかけられないけど、向こうから来ればその限りでもない。そういう人は多いとホワイトルームで習った。

 

 これなら簡単に駒にできそうだ。同性という立場もそれを助けている。

 

「じゃあ友達記念に、一つ良い儲け話を教えてあげる。実は簡単に2000万が手に入る方法があるんだ」

 

「は、はぁ……」

 

「大丈夫大丈夫、危ないことなんて何もないからさ……テストで悪い成績を取れば、それだけで大金が手に入るって話」

 

「え、でも、意図的に点数を下げるのは駄目なんじゃないッスか」

 

 確かにそういう罰則はある、学校側がそうだと判断されると実際にペナルティを受けるのは間違いないかな。

 

 けれど、結果が伴いさえすれば大した問題はない。だってこの学園で一番偉い人がそれを主導しているんだから、罰則なんて与えられる筈もなかった。綾小路先輩とパートナーである彼女だけは例外とさえ言えた。

 

「で、でも、ウチは自信ないっす……いきなりそんなこと言われても」

 

「そうかもね~……大丈夫、時間はたっぷりあるんだから、友達のあたしを信頼してくれる機会だって沢山あるからさ、一緒に頑張ろうよ」

 

 共に寄り添い合い、支え合う関係を演出していけばいい。この取るに足らない存在感の薄いボッチにはそれが一番効く筈だ。

 

 あたしに依存させて、あたしの判断や言葉無しに行動できなくする、利益を与えて孤独を埋めて同じ時間を過ごせばあっという間だろう。

 

 簡単な話だね……少なくともあたしはこの時はそう思っていた。

 

 

 これがあたしと鶚銀子の始まり。

 

 

 あたしたちはこれから互いに友達と偽りながら関係を構築していき、破綻するその時まで笑顔で会話することになる。

 

 

 そして取るに足らないと思っていたこの雑魚に、あたしはどうしようもないくらいに振り回されることになるのだった。

 

 

 

 果てに殺し合い、その先で……本当の意味で親友となることを、この時のあたしはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 



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無人島試験再び
また夏がやってくる


遂に始まってしまう……よう実で最も長い上に複雑な二次創作泣かせの無人島編が。果たして私は破綻させることなく書けるのだろうか。


 

 

 

 

 

 

 

 一年生を巻き込んだ裏特別試験は空振りで終わることになった。宝泉が病院送りになったことで冷静になれたと思う。

 

 彼に関しては暫く病院生活だ。一カ月か二ヵ月か、もしかしたら復帰は夏休みに入ってからかもしれない。一年生の中にはあまりにも宝泉が学校に来ないものだから、ヤンチャ過ぎて退学になったのではと疑う者すらいるらしい。

 

 既に彼が使っている病室にはオンラインで授業が受けられるようにする為に、色々な機材が持ち込まれている。特別扱いをしているような気分になるけれど、こっちも少しの負い目があるので積極的に動いた。退学になられるのも心が苦しい。

 

 彼は犠牲者だ、月城さんとホワイトルームの都合に巻き込まれただけ、なので俺は月城さんを必ず海に沈めると誓いを立てるのだった……宝泉、お前の仇は俺が討つ。

 

 宝泉と言う尊い犠牲によって一先ずは落ち着いた裏特別試験ではあるが、清隆に賭けられた懸賞金は未だに残っている。冷静になった一年生たちはこれから先、様々な手段に出て4000万を取りに来るだろう。

 

 4000万か、人の人生を狂わせるには十分な額なのかもしれない。けしかける方もそうだけど、参加する側も必死になる訳だ。

 

 良い歳した大人が子供を操って何をしているんだか、仕事であることはわかっているけどちょっと呆れてしまうというのが本音であった。

 

 清隆のお父さんも海に沈めないとな、海水で頭を冷やして貰おう。

 

「退学者は出なかったみたいね」

 

「ん、そこは一安心だよ」

 

 黒板代わりの大型モニターに二年生最初の特別試験の結果が映し出されている。OAAでも確認できることであり、きっと今後はテストの結果だったり誰が何点取ったかなんかを簡単に調べることができるんだろうな。

 

 宝泉のアレとか、清隆の懸賞金とか、九号との接触とか、色々とあった特別試験だけれども、本題はテストなのでこうして結果を確認している次第である。

 

 少し不安だった須藤と天沢さんのコンビも無事突破している。流石に関係のない相手をワザワザ退学にさせたりはしないか、天沢さんも今は清隆の信頼を得るターンだろうからな。

 

 隣にいる鈴音さんはモニターに映し出された結果を素直に受け止めているようだ。彼女はあのテストで平均九十点を超える結果を出している。ウチのクラスだと幸村がそれに続く結果を出していた。

 

 学年全体で見てもトップクラスの結果である。ただ本人は嬉しがるというよりはまだまだ満足していないという顔をしているので、本当に頼りになる人だと思う。

 

 因みに清隆はどうかとモニターに映し出された名前を探してみると、平均で75点前後で調整したらしい。九号も似たような点数なので、危なげなく試験を突破することができたようだ。

 

 一安心である。これが八神であったり天沢さんがパートナーになっていれば、頭を抱えていたかもしれないからな。

 

「貴方はまた満点なのね、ここまで来ると少しズルいような気がするわ」

 

 モニターの一番上には俺の名前が記されている500点満点という結果であった。その下に坂柳さんの名前があるな。

 

「今回のテストは本当に難易度が高かった、いつまでも底が見えない人ね」

 

 隣にいる鈴音さんがムスッとしたような、それでいた感心したような表情を見せて来る。

 

「沢山勉強したから」

 

 師匠に高校教育範囲は全て教えて貰ったし、大学範囲もそれは同じだった。頭の中ではいつも寝る前くらいに師匠モードの俺が予習復習をしているので忘れることも無い。そしてこの学校に来てからも細かな情報や知識も吸収していたので、この結果である。

 

 師匠に数学を教えてもらいながらボコボコにされている時は、どうしてこんな知識が必要なのかと思っていたけれど、こうしてテストで良い点数を取れると誇らしい気持ちになれるので、あの地獄の鍛錬も無駄ではなかったということだろう。

 

「まぁ良いわ……でも、次は負けないわよ」

 

 そして彼女は僅かに笑ってそう言ってくれた。美しい表情だと思う。彼女は友人であり仲間でありライバルでもあるということだ。きっと鈴音さんも同じように思っているんじゃないかな。

 

 だとしたら、少し嬉しい。テストの結果に一喜一憂して、次は負けないと意地を張る、凄く青春的な時間なのだから。

 

「あぁ、もちろん俺だって負けるつもりはないよ」

 

 鈴音さんにそう伝えると、彼女はまだ僅かに笑ってくれる。

 

「さて、私はもう帰るわね。テストで間違った所の確認と調整もしておきたいし、今日は生徒会もないもの」

 

「そういえば今日は生徒会がお休みだったっけ」

 

「用事が無いのなら……その、一緒にテストの復習でもどうかしら?」

 

「いや、この後グループで集まろうって話があってね」

 

「なら構わないわ、私は一人寂しく過ごしているから」

 

 そんな寂しいこと言わないで欲しい。俺が鈴音さんを除け者にしているみたいじゃないか。

 

「夜にちょっと答え合わせしようか。鈴音さん、パソコン持ってたよね? リモート会議みたいにして、間違った問題を中心に小テストでも作ってお互いにやってみるとかさ」

 

 すると彼女はしてやったりといった顔をしてくれる。以前よりもずっと接し易くなったというか、距離が縮まったような気がするので嬉しい限りである。

 

「えぇ、約束よ」

 

「ん、そうしようか」

 

 そんな約束をしてからケヤキモールに向かうことになる、ここ最近は物騒な上に一年生と月城さんに振り回され気味だったので、何だかんだで疲れもあるので羽を伸ばしたい気分であった。

 

 同じことを思っているのは俺だけではなく、同学年もそうだが同じように初めての特別試験を乗り越えた一年生たちもそれは同様なのか、校舎から出ていく生徒たちの足の多くはモールに向かっているのがわかる。

 

 彼ら彼女らに交ざってとりあえず待ち合わせ場所のカフェに向かっている途中だ、波瑠加さんと愛里さんが物陰に隠れてとある人物を観察しているのを発見したのは。

 

 この二人は何をしているんだろうかという疑問は、波瑠加さんと愛里さんの視線の先に清隆がいることで納得するのだった。

 

「二人とも、清隆を覗いて何をしているんだい?」

 

「あ、テンテン見てよ。きよぽんがさ、一年の女子となんか仲良さげなの」

 

「あわ、あわわわわわッ」

 

 ケヤキモール内にある店舗の陰に隠れて友人の逢瀬を窺う波瑠加さんはどこか楽しそうな顔をしている。慌て切っている愛里さんとは正反対である。

 

 俺も試しとばかりに隠れて覗き込んでみると、そこでは天沢さんに纏わりつかれて少しだけ困った様子の清隆が確認できた。

 

「天沢さんか」

 

「あれ、テンテンはあの子のこと知ってるの?」

 

「須藤とパートナーを組んだ子だよ。清隆が料理で口説き落としたんだ」

 

「へぇ、なんか色々やってるなって思ってたけど、そんなことまでしてたんだ……というか何で料理?」

 

「料理が上手な男子が好きなんだってさ。だから清隆がごちそうして口説き落としたんだ」

 

「おぉ~……きよぽんもなかなか隅に置けない、まさか料理で後輩女子を引っ掛ける手法を確立しているとは」

 

 何故か戦慄した様子でそんなことを言う波瑠加さんは、改めて視線をケヤキモールの広場にいる清隆と天沢さんに向けた。

 

「う~む……顔良し、スタイル良し、そして愛里にはない積極性、これは強力なライバルの登場かなぁ」

 

「あわわわわわ……腕まで、組んでる」

 

 ただただ困惑するだけの愛里さんは、天沢さんが清隆と腕組をした段階で遂に直視できなくなったのか、パッと視線を逸らしてしまう。刺激が強かったらしい。

 

「愛里~、これは拙いって、後輩から告白されてどうしようか悩んでる場合じゃないよ」

 

「ん? 愛里さんは後輩から告白されたのかい?」

 

「入学してから三人くらいにね、先週にも告白されたって凄く慌てて相談してきたの。どう断ればいいかわからないって言ってくるもんだから」

 

「は、波瑠加ちゃん、それは言わないでよぉ」

 

「あはは、ごめんごめん」

 

 そんなことがあったのか、しかも三人って……まぁ愛理さんは一年の頃に比べるとかなり垢ぬけて来た感じがある。波瑠加さんと並んで歩いていると思わず視線が引きつけられるくらいに美少女コンビとなっている。告白してきたという一年男子の気持ちもわからなくはない。

 

 しかもモデルまでやっていたので、もしかしたらそっち方面の愛里さんを知っている人もいたのかもしれないな。

 

「一年生が入って来たことで色々と荒れる、学校あるあるだねえ」

 

 そうか、これも学校あるあるなのか。

 

「男女関係なんかまさにそんな感じな訳、マンネリ気味の二年生カップルが入学式の後に別れてそれぞれ別に一年と付き合うとかさ」

 

 恋愛方面の話やゴシップが意外にも好きな波瑠加さんは、清隆と天沢さんを見てどこか興奮気味だ。まぁ見ていて面白いという気持ちはわからなくはない。

 

「ここでずっと見てても仕方がないんだ、声をかけようじゃないか」

 

「あ、天武くん、まだ心の準備がッ」

 

 愛里さんは波瑠加さんに背中を押される形で押し出されることになる。そしてそのままケヤキモールの広場の前にやってくる。

 

「やぁ天沢さん、清隆とデートかい?」

 

「そうなんですぅ、先輩ったらしつこくってぇ」

 

 ニヤニヤと笑いながら清隆の左腕に寄り添う天沢さんは、面白くて仕方がないといった顔をしている。内心は知らないがその顔は嘘が見えない。

 

「冗談は止めてくれ……天武、正直持て余してる。どうにかしてくれないか」

 

「俺に言われても困るんだけどね」

 

「せっかく可愛い後輩にこうして迫られてるんですから、もっと素直に楽しめばいいんですよぉ。せぇんぱい」

 

 甘い猫撫で声と共に天沢さんは指先を伸ばして清隆の顎に触れていく。そんな男女の距離感を無視したスキンシップにもの凄く嫌な顔をしていた。

 

「き、距離が近すぎる、と思うのッ!!」

 

 愛里さんが困惑しながらも普段の消極性を投げ捨てて詰め寄る。珍しい光景だなっと思っていると、そんな愛里さんの天沢さんは挑発的な視線と表情で迎え撃つ。

 

「えぇ~、これくらい普通ですよ、だってあたしと綾小路先輩は、もう部屋にお呼ばれするくらい爛れた関係なんですから」

 

「へぁッ!?」

 

 奇妙な声を上げた愛里さんは、強烈なボディブローを食らったかのようによろめいて、倒れる寸前で波瑠加さんに支えられることになる。

 

「きよぽん……知らない間に大人の階段を上ってたんだね。私は悲しいよ、後輩女子とにゃんにゃんするなんて」

 

「にゃんにゃん? 待て波瑠加、酷い誤解が生まれている」

 

 助けを求めるかのように清隆はこちらに視線を向けて来るのだが、残念なことに師匠から修羅場の解決方法は教わらなかったので俺は無力だ。すまない。

 

 もしかしたら天沢さんはこうして大胆に清隆と接触することで、自分との関係を周囲にアピールしているのだろうか? 確かにこうしてべったりしているとあの二人は交際しているのかと他の者たちは思うだろう。

 

 それが狙いだとすれば、なかなかに効果は大きい。だって愛里さんも波瑠加さんも完全にそんな印象を持っているのだから。

 

「もう、せぇんぱい……恥ずかしがらなくて良いんですよぉ、今日もにゃんにゃんします?」

 

「頼む……誰か助けてくれ」

 

 ホワイトルームの最高傑作も、ハニートラップを上手くやり過ごす方法は知らないということか。

 

 纏わりつく天沢さんはやや強引に引っぺがそうと四苦八苦する清隆を、愛里さんと波瑠加さんは何とも言えない表情で見つめている。特に愛里さんはものすごく動揺しているのがわかる。

 

 そんな彼に救いの手を差し伸べたのは、俺でも無ければ波瑠加さんたちでもなく、驚くことに九号であった。

 

「一夏さん、何してるでやがります?」

 

「あ、銀子さん、やっと来たんだ」

 

 霞のような希薄な雰囲気の九号は、気が付くとそこにいた。こうして声をかけられるまで誰にも気が付かなかったのかもしれない。彼女はそういう存在である。

 

「天沢さん、そちらの彼女は知り合いかな?」

 

「うんそうだよ、あたしのクラスメイトでお友達。鶚銀子って子」

 

「そうか、初めまして鶚さん。俺は笹凪天武です」

 

「どうもッス。笹凪パイセンのことは知ってます。OAAで凄い数値だったので」

 

「あれ、言われてみれば、君って清隆とパートナーになってたっけ」

 

「あぁ……綾小路パイセンと知り合いなんですか」

 

 そんな、まるで事前に示し合わせていたかのような会話をする俺たちは、さて天沢さんにはどう映っているんだろうな。

 

 九号は次に清隆に視線を向けて来る。そしてぺこりと頭を下げた。

 

「綾小路パイセン、試験お疲れさまッス。また勉強教えてください」

 

「あぁ、機会があればな」

 

 同時に清隆との関係も天沢さんの前でさりげなく主張していく。自分と清隆がそれなりに交流があることを匂わせているようだ。

 

 天沢さんもわざわざ九号と友人関係を結んでいる辺り、やはり狙いは彼女経由での接触だろうか?

 

 九号は今現在、清隆と最も交流している一年生という立場である。ホワイトルーム生にとっては色々と利用することができる存在なのかもしれない。

 

 何の打算や思惑もなく天沢さんが九号と友人になる訳もないので、その考えは間違いではないのだろう。

 

 そんな思惑を逆手に取って、自分を操ろうとしているホワイトルーム生を逆に誘導して情報や方針を掠め取ろうとしているようだ。流石忍者汚い。

 

「ね、きよぽんって意外に年下にモテる感じ?」

 

 波瑠加さんが耳元に口を近づけて小声でそんなことを言ってくる。天沢さんではないけれど距離が近いのは考え物である。

 

「いや、清隆って結構モテるよ」

 

「……確かに、言われてみればそうかも」

 

 佐藤さんとか、軽井沢さんとか、愛里さんとか、色々と好意は向けられているのは間違いない。

 

「き、清隆くん……一年生に人気なんだね。にゃんにゃんなんだね」

 

「愛里……だから誤解だ」

 

 人の修羅場は見ているだけで面白い。少し下世話ではあるけれど。

 

 ただずっと眺めているのも趣味が悪いので、俺は九号に視線をやってウインクで指示を伝える。天沢さんを引き剥すようにと。

 

「一夏さん、買い物に行くんじゃないんッスか?」

 

「あ、そうだった。じゃね先輩たち」

 

 やっと清隆が解放されることになる。大きな溜息を隠そうともしない辺り、本気で困っていたようだ。

 

「今日は何を買いに行くんッスか?」

 

「服だって、ずっとジャージとスウェットじゃ女子高生とは言えないしさ」

 

「アレは動き易くて好きなんッスけどね」

 

「そんなんだからクラスメイトから芋女って思われるんだって」

 

「……芋?」

 

 天沢さんと九号はそんなことを話しながらケヤキモールの女性向け衣服店に向かう。きっと打算塗れな上に上辺だけの関係なのだと思うけど、あの子が誰かとああいったやり取りをしているのは少し嬉しい気分にもなる。

 

 誰の思い出にもならない彼女だけど、誰かの思い出になって欲しいと思うものである。俺がこうして高校生活を楽しんでいるのだから、九号だってそうであって欲しい。

 

 同じようにホワイトルーム生だって同様であって欲しいと願っている。

 

 師匠曰く青春は大切とのこと……きっとホワイトルームでは習わない分野だろうな。

 

 九号と天沢さんの関係に注目して、清隆を取り巻く人間関係にも注目して、クラスメイトたちの変化や関係を観測するのも何だかんだで楽しかったりする。

 

「テンテン、また父親っぽい顔になってるよ」

 

「おっと、ダメな癖だなこれは」

 

 また波瑠加さんから父親っぽい雰囲気になっていると指南されてしまう。別に意識してそうしている訳でもないのに、彼女からしてみるとそういう雰囲気になることが多いらしいので気を付けないと。

 

「俺たちも羽を伸ばそうか」

 

「だね、きよぽんの尋問はカフェでもできるしね」

 

「……尋問されるのは確定なのか」

 

「そりゃ勿論、愛里も気にしてるし」

 

「は、波瑠加ちゃん、私は別に……」

 

 愛里さんは清隆にチラッと視点を向けてから、これでは駄目だと自分の考えをすぐさま翻す。

 

「うぅん……清隆くんがにゃんにゃんしてるのか気になる」

 

「だからにゃんにゃんとは何なんだ?」

 

「明人は部活終わりに合流するそうだし、啓誠はテストの復習を軽くやってから顔を出すそうだよ」

 

 スマホにはそんなメールが届いていた。全員が合流すればカラオケにでも行こうかな。それともボーリングとかでも良いのかもしれない。何であれ友人と遊ぶ時間は大切だ。ある意味では勉強や鍛錬以上に。

 

 月城さんとか、ホワイトルームとか、懸賞金とか、そういうのは出来るだけ考えたくはない。

 

 もうすぐゴールデンウィークだからそこでも息抜きできるだろう。それが終われば夏も見えて来る。そんな時期までやってきた。

 

 高校生になって、二度目の夏がやってくる。

 

 

 

 

 



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正義の味方はまだまだ遠い

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールデンウィークはあっという間に過ぎ去った。勉強して鍛錬して遊んで生徒会で働いていれば本当に一瞬だったと思う。

 

 日々充実しているからこそなのだろう。学園生活を楽しむということに関してはこれ以上ないくらいに達成できているのは間違いないだろう。可愛い後輩たちも現れて、ライバルたちもいて、先輩たちもいる。

 

 一年前は師匠に言われたから入学した感じであったけれど、こうして二年生になった時に改めて去年を振り返ってみると、やはり充実した時間であったと胸を張れるのかもしれない。

 

 思い出は大切、師匠もそう言っていたからな。

 

「笹凪先輩。もう来られてたんですね。堀北先輩は一緒じゃないんですか?」

 

「あぁ、桐山先輩と一緒にケヤキモールで新しいテナントの視察にいってるよ」

 

 二年生になってから最も大きな変化と言えば、やはり生徒会に所属したことだろうか。

 

 鈴音さんに強引に入らせられたという経緯だったけど、こうして所属してみるとそこまで悪い気もしない。忙しくはあるけれど必要なことではあるし、南雲先輩がちょっとストーカー気質で困るという点以外はそこまで嫌な空間でもなかった。

 

 そしてもう一つ、ホワイトルーム生であると睨んでいる後輩が生徒会に入ったことで、考えなければならないことや注意しなければいけないことも増えたのだが、開き直って近距離から情報収集をすると考えれば、寧ろ便利なことなのかもしれない。

 

 八神拓也、それが俺に声をかけてきた新しい生徒会役員の名前であり、一年生で最も気を付けなければならない存在であった。

 

 一見すると柔和で清潔な印象を与える男ではあり、実際にまだ入学してそれほど時間は経っていないというのに、既に女子人気は高くなっているらしい。

 

 学業は優秀そのもの、クラスを纏めるリーダーシップもあり、しかも生徒会役員にもなったので、女子だけでなく一年全体の注目株だろう。

 

 今年の一年生で生徒会に入ったのは八神、そしてもう一人男子生徒が加入したのだが、彼は一年生の間で行われた特別試験の結果、退学になってしまったらしい。

 

 生徒会に入れるほど優秀な生徒であったが、何らかの思惑があったのかそれとも誰かに嵌められたのか、学校を去ってしまった。

 

 どういう状況で、どうしてそうなったのかはわからない。事前に相談してくれれば色々と支援したのかもしれないが、生徒会に入ったばかりでそこまで相談されるほど親しくもなく上級生だから最後までどうすることもできなかった。

 

 悲しい……俺の目標は同学年160人をAクラスで卒業させるという絶対に不可能なものなのだが、別にそれだけで満足するつもりもなかった。しかし現実は無情なもので一年生の一人が去ってしまったことは素直に悲しい。

 

 正義の味方は万人を助けるものだけど、億人は助けられないということなのかもしれない……そして俺は未だに160人すら守ることも救うこともできていないので自称正義の味方でしかないという評価になってしまう。つまり俺はまだまだ弱いということだ。

 

 そんな改めて突き付けられた現実に少し傷ついて、より大きなやる気を手にした一学期だったのかもしれない。

 

 まぁ俺の内心はどうでも良い。今は生徒会室に入ってきた八神のことである。

 

「学校にはもう慣れたかい?」

 

「そうですね、ある程度は……まだまだ困惑することは多いですけど、一年生も幾度か特別試験を乗り越えましたので、少し落ち着いたと思います」

 

 淹れたばかりのお茶を八神に渡して当たり障りのない会話をする。こんなことでも何らかの形で情報が得られるかもしれないからな。

 

「特別試験か……彼が退学してしまったのは本当に残念だ」

 

「僕も同じ気持ちです。一緒に学校や生徒会を盛り上げようと話していたんですけど」

 

 少し前までこの生徒会室にいた彼はもう退学してしまった。なので生徒会に入った一年生は八神だけとなってしまっている。

 

「過ぎたことは悔やんでも仕方がない、次に生かすとしよう……南雲先輩は今日は学校側と特別試験で話し合っているから生徒会には顔を出せないってことだったから、受け取った必要事項を進めていこうか」

 

「はい、わかりました」

 

「とりあえず八神は体育館倉庫に向かって備品のチェックを頼めるか? 点検して問題があるような物は新しく申請して確保しなければならないからさ。二学期の体育祭に向けてしっかりと準備を整えないといけない」

 

「体育祭ですか、今から準備するものなんですね」

 

「本格的に動き出すのは夏休みからだろうけど、例の特別試験で大幅に時間が減るだろうからな、今から少しでもやっとけって南雲先輩が言っていたよ。まぁ大規模な催しになればなるほど事前準備も長くて細かくなるってことなんだろう」

 

 なんでも今年は文化祭もやるらしいからな。そちらに関しても今から少しずつではあるけれど調整していくことになる。組織運営とは事前の積み重ねと根回しだと生徒会に入って実感したことだった。

 

 南雲先輩だったり堀北先輩なんかはその辺の積み重ねと言うか、ノウハウというものをちゃんと理解しているのだろう。まだまだ経験の浅い俺よりもよっぽど生徒会役員としては優秀なのかもしれない。

 

「了解です。それでは僕は備品のチェックに行きますね」

 

「宜しく頼むよ」

 

 南雲先輩から受け取ったチェック用のプリントを八神に手渡すと、彼は柔和な笑みを浮かべて体育館倉庫に向かうのだった。

 

 ホワイトルーム疑惑があることを除けば、本当に優秀な後輩だと思う。そこだけが残念である。

 

 八神が生徒会を出ていくのと入れ替わるように、今度は一之瀬帆波さんが扉を開く。

 

 彼女は入室した瞬間に俺と視線を合わせて朗らかな笑みを浮かべる。多くの人も魅了するその表情にほっこりとした気分になった。

 

 何が楽しいのか、帆波さんはニコニコと笑って生徒会室の席に座るのだった。

 

「帆波さん、何か楽しいことがあったのかな?」

 

「うん、生徒会の扉を開くと天武くんがいるんだなって実感しちゃって。ほら、一年生の頃はそんなことが無かったから……放課後にも会えるんだなって思うと、凄く嬉しいな」

 

「そうか、新参者が我が物顔で生徒会室にいるなんて調子こいてるよね、すまない」

 

「そんなこと言ってないのよ!?」

 

「生意気言ってすみませんでした!! 帆波先輩、お茶をどうぞ」

 

「む~、天武くんは変な揶揄い方するんだから」

 

 ムスッとした顔を見せて来る帆波さんは、しかし新しく淹れたお茶を差し出すとすぐに笑顔に戻ってくれた。

 

 よしよし、このままお茶汲み係は俺のポジションにしてしまおう。目指すのは橘先輩の立ち位置である。

 

 帆波さんはお茶を飲んで一息つくと、机の上に置いた段ボール箱の中身を検める。彼女が持ってきたそれは新しいタブレット端末が幾つか入っており、それは夏休みに行われる特別試験で生徒たちに配布されるものであった。

 

 こうして先行して生徒会役員で使用して、大きな問題が無いようならそのまま全校生徒に配られることになるだろう。こういったチェックも生徒会役員の仕事である。

 

「体調管理を行う腕時計と、タブレット端末……まだ全貌は開示されてないけど、夏の特別試験は大規模な物になりそうだね」

 

 帆波さんは腕時計とタブレット端末を確認しながらそんなことを言ってくる。これらの備品が全校生徒と予備の分まで用意されていることは生徒会役員なら把握していることだからな。

 

 そこから考えれば、極めて大規模かつ全校生徒単位で行われる特別試験があると推測できる訳だ。

 

「南雲先輩もちょっと匂わせてたけど、間違いなく大規模な物になるだろう。それこそ混合合宿や体育祭よりもずっと」

 

「うん、学校側の本気が窺えるもんね」

 

 俺たちが経験した一番大きな特別試験、学年関係なく集ったという意味でなら体育祭や混合合宿が例に上がるだろう。

 

 しかしその時でも全校生徒全員に腕時計やタブレット端末を支給するなんてことはなかったのだから、今度の試験の学校側の気合の入れようは凄まじい。

 

 一体どこから予算が出ているんだと思わなくはないけれど、よくよく考えてみると国が出しているので何の不思議もなかった。そりゃ資金も潤沢だろうし、そんな学園のトップに政府の息がかかっていない人が就いているのなら忍者だって派遣される筈だ。

 

「ねぇ……天武くん」

 

「何かな?」

 

「その……まだ試験の内容が完全には開示されてないから断言はできないけれど、もし協力できるような試験なら、私たちと天武くんで協力とかできないかな」

 

「う~ん……帆波さんの言う通りまだ細かい所まではわからないからなぁ」

 

 俺たちにわかっているのは、全校生徒が参加する極めて大規模な物ということだけだ。どのような形なのか、どんな採点をされるのか、まだハッキリとは開示されていない。

 

 なのでこの場で協力できると断言することは難しい。けれど縋るような顔をされるときキッパリ断るのも少し心苦しかったりするな。

 

「クラスの方針とかもあるだろうし、この場ではちょっと」

 

「あはは、そうだよね……うん、私が間違ってた。また天武くんに甘えようとしてたのかもしれない、ダメだね」

 

「ダメなんてことはない。いつも言ってるだろ、困ったら俺を呼んでくれって。君が困ってたらそれだけで俺が頑張る理由になるんだ……今後の試験がどうなるかはわからないけど、その意思は変わらない」

 

 歯の浮くようなセリフだという自覚はあったりする。けれど帆波さんは気持ち悪がることもなく、寧ろ照れたかのように頬を朱に染めた。

 

「……ありがとう」

 

「まぁ試験の内容によっては、協力してもこっちのクラスが足を引っ張っちゃう可能性もあるだろうけどね、テストとかだと尚更厳しいかもしれない」

 

 メキメキと実力を伸ばしているウチのクラスではあるけれど、やっぱり不安なのはそこだ。その点で言えば帆波さんクラスにはやっぱり敵わないだろう。

 

「大丈夫、その時は私たちのクラスがそっちを助けるから」

 

「そりゃ助かるけど、敵同士なんだからそこまでするのはどうなのかな」

 

 帆波さんは俺のそんな言葉に唇を尖らせる。納得できないとばかりに。

 

「天武くんがそれは言うのは駄目だよ、学年で一番クラス闘争に無頓着な上に、敵の私をあんなに助けてくれたんだから」

 

 まぁ最終的に全員をAクラスに上げるのが目標なので、確かにクラス闘争はそこまで真剣じゃない。特別試験に関しては己を鍛え上げる場であり交流の時間と考えているので、尚更そうなのかもしれない。

 

「天武くんは敵じゃない……うん、そこはもう揺るがないかな」

 

「……嬉しい言葉ではあるけれど、神崎辺りが聞いたら恐そうだ」

 

「どうして?」

 

「彼は俺を警戒しているようだったからね」

 

「あ~、そう言えばこの前の試験でも神崎くんは天武くんを警戒してたかな。500点満点を取ってたから……アイツはいつまでも底が見えない奴だって言ってたよ」

 

 最後の方の言葉は神崎を意識してのものだろうか? 少し声を低くしてイケメンっぽく発言していた。

 

「やっぱり警戒されているようだな」

 

「でも神崎くんは別に天武くんのことを嫌ってる訳じゃないと思うよ。強力なライバルだって考えてるんじゃないかな」

 

「だと良いんだけどね」

 

「大丈夫、もし神崎くんが天武くんと敵対しても私が守るからね」

 

「……」

 

 そこは俺から神崎を守るというべきなんじゃないだろうか? いや、そこまで言ってくれるのは嬉しいんだけどさ。

 

 神崎の警戒や俺への注目なども、別に間違っている訳でもない。寧ろ正しいことだと思う。

 

 俺も段ボール箱からタブレット端末と体調管理用の腕時計を取り出して、問題なく稼働するのかチェックを開始する。もし試験中にエラーでも起これば面倒なことになるので、今の内からしっかりと確認しておかなければならない。

 

 帆波さんと一緒にこうして生徒会で作業することも増えたな。同じ役員なんだから当たり前のことではあるんだけど、これまでは別クラスだったからどうしても柵があったりした。

 

 今更何を言っているんだと思うけれど、こうして生徒会という繋がりができたのは素直に嬉しく思う。俺がこの学校である意味では一番注目している人でもあるのだから。

 

 俺たちの世代の卒業式では彼女に生徒の代表として立ってもらいたいものだ。その気持ちは今も変わっていない。

 

 帆波さんもそうだけど、龍園や坂柳さんにだって現状に甘えず前に進み続けて欲しい。

 

 俺は皆を救いたい……けれど同時に「ポイントなんていらない、邪魔だそこをどけ」とも言って貰いたいんだろうな。

 

 そう考えると、俺はなんとも難儀な性格をした男なのかもしれない。正直に言わせて貰えば面倒が極まっている。

 

 正義の味方であると同時に、ラスボス志望でもあるとか、幾ら何でも属性を盛過ぎである。キャラの渋滞が起こってるじゃないか。

 

 もしかしたら三クラスで同盟を組んでこっちを引きずり降ろそうとする未来だってあるのかもしれない。そうなると俺たちのクラスはまさにラスボスだ。

 

 魔王役は清隆に押し付けるとして、参謀役に鈴音さんと俺か……悪くないのかもしれない。

 

 まぁそんな状況に陥ること自体を避けるべきなんだろう。そもそも三クラスで同盟を結ばれるとか、こっちが大差のクラスポイントを持っていることが前提だろうし、そこまで大勝することはウチのクラスの総合力を考えれば難しい筈だ。

 

 今後の試験がどうなるかはまだまだ不透明ではあるけれど、切磋琢磨することは間違いない。勝って負けてを繰り返していればあっという間に卒業式になりそうだ。

 

 今、机を挟んで対面の席に座っている帆波さんとも、その内にぶつかり合うのだろう。もしかしたら次の試験でそうなる可能性だってあった。

 

 クラス間を越えた友情はあると確信しているけど、やっぱり残酷な高校だと考えるしかない。

 

 だから全員が笑顔になれるように、最高にカッコいい勝ち方が必要なんだと、俺は改めて思う。

 

 120人を蹴り落としましたと自慢するよりも、120人を救ったと胸を張る方が凄いに決まっているんだ。南雲先輩も言っていたけどこの学校のシステム的にそれは不可能に近いけれど、それが出来た奴が問答無用で一番カッコいいんだから正義の味方としては目指すしかない。

 

 正義の味方ってことは、つまり最高にカッコいいってことだからな。不可能かどうかはあまり関係が無かったりする。

 

 本当に、面倒な性格をしていると自覚するしかない。出来る筈がないことに手を伸ばしているんだから、いっそ滑稽なのかもしれないな。

 

 何であれだ、今は夏休みに行われると推測できる特別試験に向けて心身を調整するとしよう。細かい情報が開示されれば戦略だって考えていかなければならない。

 

 当然ながらどんな試験だろうと勝つ。正義の味方とは、天下無双の漢とは、その積み重ねの先にしかないだろうから。

 

 クラスメイトにも、そして対面にいる帆波さんにも、こいつは最高にカッコいい人だと思って貰えるように努力するしかない。

 

 師匠には遠く及ばない不完全な人間でしかないが、そこを目指すこと自体はできる。

 

 あまりにも遠すぎる一等星のような人に憧れを持つと、その弟子は苦労する……俺はそんなことを思うのだった。

 

 正義の味方とは最高にカッコいい人のことだけど、そんな人はこの世のどこにも存在しないので、つまりは不可能と言うことになる。

 

 星に手を伸ばしているかのようだ、せめて師匠くらいに強く賢くなれれば良いんだけどな。

 

 まぁ、この夏の間にまた一つ成長できるだろう。一つ一つ積み重ねていけば宇宙にだって行ける、師匠にもいつか追いつける。

 

 つまりは、それが俺の人生であった。

 

 

 



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夏の特別試験

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴールデンウィークが終わって暫く過ぎ去り、梅雨の季節も終わっていよいよ夏の気配が近づいてくることになる。これが普通の学校であるのならば目前にまで迫った夏休みに胸を膨らませるのかもしれないけど、この学校は残念なことに生徒たちにそんな希望は持たせない。

 

 部活に入っている者はこの季節は全国大会とかに集中するのかもしれないけど、定期的に特別試験を挟みこんで来るのでそもそも大会に参加しない部活動があったりもするらしい。

 

 今年の夏休みだって去年と同様だ。生徒会に所属しているので他の生徒よりも早く学校の動きなどを把握できるので、夏休みに大規模な試験が全校生徒を対象に行われることがわかっている。

 

 混合合宿や体育祭のように学年を問わずに行われる大規模な特別試験、その細かな内容が開示されたのは夏の気配がすぐそこまで迫った頃であった。

 

 朝のホームルーム、いつもキリッとした雰囲気を纏っている茶柱先生が少しだけ緊張した様子で教室に入ってくれば、一年生の頃からすっかり調教された俺たちは全員が来たかと身構えてしまう。

 

 色々とあったからな、茶柱先生がこの雰囲気を出す時はいつだって特別試験が開示されることは皆が知っているらしい。

 

 緊張を高める者、喉を鳴らす者、普段と変わらず自然体の者、反応は様々ではあるが全員の意識が茶柱先生に向けられていた。

 

 そんな俺たちを見て茶柱先生は不敵に笑って見せる。

 

「お前たちとの付き合いも長くなってきた、何となく察していることだろう……そうだ、夏休みに特別試験が行われることになっている、今日はそれを伝えておこう」

 

 ほら来た、この学校は次々と試練を生徒たちに与えて来る。

 

「まだ少し先の話ではあるが、夏休みにバカンスに連れて行ってやろう」

 

 やった、この学校は最高だと喜ぶような間抜けはこのクラスにはいない。去年も似たようなことを言われてあのサバイバル試験だからな。寧ろ全員が疑いの視線で先生を見る辺り、本当に成長したということだ……まぁ、教師の言葉を額面通り受け取らないのはどうなんだと思わなくもないが。

 

「八月四日から八月十一日までの七泊八日間、お前たちはこの豪華客船で自由に夏休みを満喫することが出来る。劇も見るのも食事に舌鼓を打つのも良いだろう。そして、船上で特別試験を行うことも一切しない」

 

 今、クラスメイト全員が「絶対に嘘だ」という思いを言葉も無く共有した筈だ。誰一人としてこの学校を信頼などしていないのだから。

 

 茶柱先生が黒板代わりの大型モニターを操作して色々と豪華な船旅を説明してくれるのだが、それを素直に受け入れてはしゃぐことは難しい。

 

「まぁお前たちも学習しているようだな……その通り、この豪華な船旅を満喫できるのはその前に行われる特別試験を乗り越えた者だけだ」

 

「特別試験はいつから始まるんですか?」

 

 平田の質問に、茶柱先生はモニターを操作しながらこう返す。

 

「少し先だ。次回の特別試験は夏休みに行われる……お前たちには無人島サバイバルに参加し、競い合って貰う」

 

「今年もアレをやるのか……」

 

 啓成が困惑したように呟く、去年の試験を思い出しているのだろうか。

 

 色々とあったけれど最終的には上手く終わらせることができた試験であったな。ただ決して簡単なものではなかったのは間違いない。

 

 しかしこのクラスも成長している、連帯感や意識の向上なども出来ている。来るなら来いと言い切れるくらいのチームにはなれている筈だ。

 

「全員去年の無人島サバイバルを思い出しているだろうが、今年行われるモノはこれまでとは一線を画したもの。どの特別試験よりも過酷かつ厳しいものになるだろう……求められるのは総合力だ。学力だけでも体力だけでも足りはしない」

 

 どの試験よりも過酷という説明に何名かが喉を鳴らす。そんなクラスメイトたちの緊張は徐々に全体に伝播していき俺にも届く。

 

 再び黒板代わりの大型モニターを操作して、茶柱先生は特別試験の内容を説明してくれた。かつてない程に大規模で過酷と言い切るだけあって、確かに巨大で複雑なものであった。

 

 生徒会室でチェックした機材からある程度は推測していたのでそこまで大きな驚きはないが、これが完全に初見なクラスメイトたちは大きな衝撃を受けているようだ。

 

 去年行った無人島サバイバルをより大規模に拡大して、しかも生徒の総合力を求められる特別試験であった。

 

 しかもこの日程だと夏休みの大部分が消滅することになる。やりたい放題とさえ言えるほどの無茶ブリである。流石は国が運営している学校だと驚けばいいのか、それとも呆れればいいのか、判断に迷う所である。

 

 黒板代わりのモニター映し出された細かなルールや試験の内容は主なものはこれだ。

 

 

 全学年合同での無人島サバイバル試験、生徒はクラスを問わずに幾つかのグループを作って課題に挑む。最も多くのポイントを得たグループの上位三組に報酬が与えられる。

 

 要約するとこれだけなのだが、当然ながら言葉にするほど簡単なものでもない。

 

 まずグループは一年生や三年生とは組めない、しかし同学年ならばグループを作れる。いつもなら競い合う他クラスとも協力できるということだ。

 

 グループの数も様々ではあるが男女の割合などは細かく設定されており、誰でも好きにとはいかないらしい。例えば男女でペアのようなグループは認められないらしい。

 

 そうやって様々な制約や思惑の先で無数のグループをそれぞれの学年が作り、最も成績の良かったグループが勝者となる訳だ。学力を競い、体力を競い、なんだったら運や特技なども競うのだからまさに総合力が求められる。

 

「先生、ペナルティに関してはどうなりますか? 退学の危険性はあるんでしょうか」

 

 そんな俺の質問に茶柱先生は深く頷く……当然のことだったな。

 

「ただし、プライベートポイントを支払えば回避することは可能だ。グループの人数で割り勘となるがな……それと注意しなければならないのは直前になってのポイントの譲渡は認められていないということだ、救済をするのならば事前にポイントを渡しておくことだな」

 

 モニターにはペナルティとそれを回避するポイントに関して映し出された。金で解決できる問題ならば話が早いので何も問題はないな。

 

 寧ろ、最初からポイントを渡した生徒をさっさとリタイアさせて、リスクを帳消しにできるという利点もある。金さえあればそれも可能だとするのなら一気に楽な試験になる。少なくとも俺の中では。

 

「それともう一つ、今回の試験には生徒それぞれに特殊なアイテムのような物が与えられることになっている」

 

「え、何ですかこれ!?」

 

 池の驚きも当然であった。モニターに映し出されたアイテムはとても重要で複雑なものであるからだ。

 

 

 基本カード一覧

 

 先行 試験開始時に使えるポイントが1.5倍される。

 

 追加 所有者の得るプライベートポイント報酬を2倍にする。

 

 半減 ペナルティ時に支払うプライベートポイントを半減させる。

 

 便乗 試験開始時に指定したグループのプライベートポイント報酬の半分を追加で得る。指定したグループと自身が合流した場合効果は消滅する。

 

 保険 試験中に体調不良で失格した際、所有者は一日だけ回復の猶予を得る。不正による失格などは無効とする。

 

 

 

 特殊カード一覧

 

 増員 このカードを所有する生徒は七人目としてグループに存在できる。本試験開始後から効力が発揮され、男女の割合にも左右されない。

 

 無効 ペナルティ時に支払うプライベートポイントを0にする。このカードを所持する生徒のみ反映される。

 

 試練 特別試験のクラスポイント報酬を1.5倍にする権利を得る。ただし上位30パーセントのグループに入れなかった場合グループはペナルティを受ける。また増加分の報酬は学校側が補填するものとする。

 

 

 

 そんな様々な効果を持ったカードを生徒たちにそれぞれ与えられるらしい。使いようによっては強力であったり、リスクを減らせたりと便利な物も多い。生徒たちはそれぞれランダムにこれらのカードを得て、その後は売るなり交渉するなりして色々と動かしても良いようだ。

 

 場合によっては欲しいカードをポイントで購入したり、自分の持っているカードと交換することだってできるだろう。そういった準備期間を用意する為にまだ夏休みでもないのにこうして早い段階で説明をしているらしい。

 

 これは、この後に全学年で大規模なポイントのやりとりや交渉が行われるだろうな。

 

「大規模かつ複雑な試験になる。この場の説明だけで完全には理解できないだろう。現時点で生徒の持つ端末で電子マニュアルが閲覧可能になるので、不安な者はしっかりと読み込んでおくといい」

 

 言われた通りOAAから特別試験のマニュアルとルールブックをダウンロードしておくか。

 

 茶柱先生はざっくりと特別試験の説明を終えると後は生徒たちにホームルームの時間を渡した。後は好きに相談しろということらしい。

 

「鈴音さん、いよいよ来たって感じだね」

 

「えぇ、去年以上に規模の大きな物になりそうだわ。生徒会で見たタブレットや腕時計からある程度推測はしていたけれど、想像以上に複雑で巨大な試験みたいね」

 

 規模が大きいだろうことは生徒会役員なら理解出来ていただろうけど、ここまで複雑な試験になると想定することは難しい。特にカードの配布であったりは予想外でもあった。この辺はもしかしたら南雲先輩の助言があったのかもしれないな。

 

「どうかな、君はもう結果が見えてるのかい?」

 

「そんな訳がないでしょう……これだけ複雑で大きな試験なんだから、どれだけ計算しても絶対はありえない。天武くんだってその筈よ」

 

「あぁ、そうだね。正直、終わらせ方がまだまだ見えない」

 

 それは俺だけでなく清隆も同じだろう。そもそも今日説明されたのはまだ試験の入口とさえ言える段階だ。まだまだ不透明なことも多いので計算も推測も無意味である。

 

「今、私たちにできるのは、少しでも本番に有利に立てるように準備することだけね」

 

「今回の試験で重要な部分は、一定の条件はあっても他クラスとグループが組めるってことだ」

 

「その分、得られる報酬は減るでしょうけどね」

 

「けれど総合力を求められるのだとすれば自分たちだけでというのはなかなか難しいさ」

 

「わかっているわよ。条件次第ではそういった選択肢も十分にあり得る」

 

 そこで鈴音さんは思案を止めて真っすぐに俺を見つめて来る。

 

「天武くんは、今回の試験どうするつもりなの?」

 

「現時点ではなんとも言えないかな。他クラスの動きや他学年の動きを把握した上で判断したい」

 

「そうなるでしょうね」

 

「まぁクラスの方針や指揮は鈴音さんに任せるよ」

 

「あら、私に丸投げするつもりなのかしら」

 

「君を信頼しているからね。助言もするし、幾らでも手伝うけど、君は君の考える最善を選べばいい。俺は俺にしか出来ないやりかたで動くとするよ……リーダーは君だからね」

 

「それがどんな無茶な方針であっても受け入れると判断するわよ……例えば、貴方一人で試験に挑ませることだってあるかもしれないわ」

 

「そうなったら受け入れるよ。君が最もそれが勝率が高いと判断したのならさ」

 

 実際、長い時間を無人島で過ごして走り回ると考えれば、寧ろ俺は一人でいたほうが効率的なのかもしれない。そこまで簡単な話でもないんだろうけど、それでもだ。

 

「自分で言っておいてなんだけど、貴方は下手に協調させるよりも自由に暴れさせた方がこういう試験では良い結果に繋がると思うのだけれど」

 

 どうやら鈴音さんの中でも俺を単独で無人島に放り込む計算があるらしい。去年見せたこちらの体力や身体能力、総合力を考えれば妥当とさえ言える判断であった。

 

「鈴音さんは上位入賞の全てをこのクラスで埋めるつもりなのかい?」

 

「そんなことは不可能よ。他クラスは勿論のこと三年生たちや一年生たちも強敵揃い……それが出来れば理想的だけど、まだどこか一つに滑り込むことに集中したほうが現実的でしょうね」

 

「だとすると考えられる手は二つだ。クラスで最も総合力が高いと言えるグループを作って上位入賞を狙う、そして保険として俺が単独で上位入賞を狙う。更に欲を言えばその二つのグループで一位と二位を奪う、これだ」

 

「理想的ね……難しいんでしょうけど」

 

 そりゃそうだ、他クラスや他学年だって精鋭揃いなんだからな。易々とこんな妄想を許してくれる筈もない。

 

 まだ、他クラスの精鋭と協力関係を結んで隙のない布陣を作り上位入賞を狙う方が現実的であるとさえ言えるのかもしれない。

 

「ただそうね、クラス全体は上位30パーセント狙いをしながら、これだというグループには上位入賞の内のどれか一つ、可能ならば一位狙いをするのは悪くないかもしれないわ」

 

「そこに一点賭けする訳か」

 

「仮に失敗したとしても、30パーセント内に入れれば大損害にはならないもの」

 

「だとすると一点突破のグループを組むよりはバランスを意識した方が良いのかな?」

 

 鈴音さんは深く考え込んでいる。まだ現時点でどんな形が最善なのか判断できないのだろう。俺だって気持ちは同じだ。

 

「はぁ、難しいわね……今はまだ断言はできないわ」

 

「ん、まぁ他クラスや他学年の動きを把握してからでも遅くはないと思うよ。カードだってまだ配られてないんだからさ」

 

「えぇ、本格的に動き出すのはそれからでも遅くはないでしょう」

 

 動きがあったとしても放課後からだろうな。ここから夏休みまでは学校の至る所で生徒たちが交渉や駆け引きを行う筈だ。当然ながら俺もその内の一人である。

 

 そんな予感を証明するかのように。どこか特別試験の説明と衝撃によって弛んだ雰囲気が広がっていた午前の授業を終わらせ、放課後になった瞬間に様々な場所でスマホの着信が鳴り響くことになるのだった。

 

 既にグループ作りは動き出していると言うことだ。優秀な生徒はすぐにスカウトが来るだろうし、場合によっては報酬だってチラつかせることになる。学力に不安のある生徒は頭の良い者と、体力に不安のある者は運動能力のある者と、或いは楽だからと仲の良い者同時で組むことだって戦略の一つではあるだろう。

 

「随分と人気だな」

 

 放課後になった瞬間に俺のスマホはずっとメールの着信を知らせている。それを見て清隆がどこか感心したようにそんなことを言って来た。

 

「だが他の奴らには悪いが、お前はオレと組んでくれるんだろ?」

 

「え、いや、それは鈴音さんの方針次第だけど」

 

「……え?」

 

 そうなることが当然といった感じで清隆は言ってくるけど、別に本決まりという訳でもない。彼となら俺もかなり楽できるだろうことは間違いないが、まだまだ不透明な部分も多いからな。

 

 なので現時点では何とも言えないと伝えると、清隆は何故か捨てられた子犬みたいな顔をしてくる……君はそんなキャラじゃなかったと思うんだが。

 

「そうか……オレは一人寂しく無人島で過ごすことになるのか」

 

 そして凄く寂しそうな顔をしてくる。なんだか悪いことをした気分になってしまうので止めて欲しい。

 

「まぁ、無人島なんていう監視カメラが一つも無いような場所での試験なんだ、色々と気を付けたいっていうのは本音かな」

 

「そうだな、月城にとってはこれ以上ないくらいに身軽に動ける環境だろう」

 

「だとすると、清隆は他の人とグループは組めそうにないか」

 

「あぁ、下手に巻き込みたくはない」

 

「ん……そうなるとやっぱり俺と組むのが一番になる」

 

「だがお前が単独で動く場合の利点もわかるぞ。おそらくそれがこのクラスで一番上位入賞できる可能性が高い手段だろうからな」

 

「けれど清隆が一人になってしまうからなぁ」

 

 悩みどころである。試験が始まる前に月城さんを海に沈めておけば全て楽になるのではないかと考えてしまう程だ。

 

 実際に……それが一番話が早いけど、どうしたものかな?

 

 スマホに届くメールを確認しながらホワイトルームと月城さん対策を考えているが、今から理事長室に殴り込んであの人を処理するのが最善だと思ってしまう。こういう思考は駄目なんだろうなきっと。

 

「清隆、一つ提案なんだけど、試験開始直後に即リタイアって選択肢はどうかな?」

 

「ポイントを支払って船に引きこもる作戦か……悪くはないが、その場合は相手の出方が見えなくなるな」

 

「なるほど、敵が誰なのかハッキリさせたい訳か」

 

「あぁ、月城もホワイトルーム生も、無人島という環境ならば身軽に動く筈だ。そろそろわかりやすいアクションを期待したい」

 

 誰が敵で、どれだけの脅威で、何人の協力者がいるのかを無人島で知りたいのだろう。自分自身を餌にするのはどうかと思うけど、確かに今の膠着状態を打破するのは良い環境なのかもしれないな。

 

 だからこそ、保険として俺と組めばほとんどの脅威がリスクなく排除できると考えているのだろう。後、単純に寂しいのかもしれないな。子犬みたいな顔をしているし。

 

「現状ではどうなるかわからないけど、今後の展開次第としか言いようがないかな」

 

「そうだな、無理強いもできないか」

 

「もし問題が無いようなら俺たちで組もう」

 

「あぁ、楽しみにしている」

 

 どうなるかはわからないけどね、ただホワイトルームや月城さんの動きを警戒して注目しているのは間違いないので対処はしておきたい。

 

 こういう時、頼りになるのは九号である。

 

 彼女はクラス闘争も特別試験も何の興味も持っていないので、完全にこちらの都合で動かすことができる便利な存在だ。

 

 彼女も内偵対象が派手に動くかもしれないとするのなら、当然ながら自分の仕事をするだろう。そう考えると無人島という環境はピンチでありチャンスなのかもしれない。

 

 これを機に徹底的に弱みと隙を晒してくれることも期待するとしようか。もしかしたらこの試験であの人を完全に排除できるかもしれないからな。

 

 後、無人島なのだから海も近い、そう考えると俺にとっても良い環境だった。

 

 守りに入るよりも寧ろ釣り上げるくらいの姿勢で行った方が良いのかもしれない。いつまでもあの人の都合に振り回される訳にもいかないのだから。

 

 本当に、そろそろ終わらせるとしよう。



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それぞれの思惑と方針

 

 

 

 

 

 

 特別試験の、正確にはその準備期間とも言うべきものが学校側から開示された翌日、生徒たちにはそれぞれカードが配られることになった。どれも戦いを有利に進めたり、或いはリスクを少なくしたりといった効果があるので、生徒たちは自分たちにとってどれが必要かと悩んで行動することだろう。

 

 今も学校の片隅で、或いは中庭で、もしくはコモンスペースで、食堂で、生徒たちが色々と話し合っている。自分が欲しいカードであったり仲間であったりを確保しようとしているのだろう。

 

 ポイントで購入したり、もしくはカードを交換したり、単純に勧誘したり、おそらく夏休みの特別試験が始まるまではずっとこんな感じだと思われる。

 

 そしてそれは俺も同じだ。クラスの方針は鈴音さんに任せるとして、こちらはこちらで色々と動くとしよう。勧誘の声もかなり激しいからな。

 

「……ん?」

 

 放課後になり、さて最初は誰と話そうかと考えているとスマホが立て続けに震える。大量のメールが届いたからだ。

 

 差出人は誰かなと確認してみると、大半は三年生のスパイたちであった。どうやら南雲先輩の方針をこちらに密告してくれているらしい。

 

 三年にはざっと30人ほどのスパイと10人ほどの準スパイ、そして俺に好意的な人が何人かいるので、南雲先輩の動きを把握するのは簡単だった。

 

「なるほど、学年を支配しているからこそできる戦い方だな」

 

 スパイの先輩たちからのメールの大半が似たような内容である。南雲先輩が取るべき作戦とはつまり三年生全員で談合して彼がいるグループを勝たせるというものであった。

 

 また「便乗」のカードを南雲先輩のグループに全て注ぎ込むことで大量のポイントを得るというものである。普通ならばそんなことは難しいのだろうが、学年全体を従えているのならば不可能じゃない。

 

 わかりやすく、そして強力な作戦であった。

 

 しかし南雲先輩の動きが早いな。最初からこうすると決めていたかのような反応だ。やはり生徒会長というアドバンテージがあるからだろうか。

 

 もしかしたら事前にどういう試験なのか把握して準備や考えを整えていたのかもしれないな。そう考えるとやはり生徒会長と言う立場は大きな意味を持つ。

 

 鈴音さんをいずれは生徒会長にとは思っていたけど、こうやって生徒会長ならではの優位性を見せられると改めてその目標を目指すべきだと思ってしまうな。

 

 まぁ良いさ、スパイが大量にいるので三年生の動きは筒抜けだ。南雲先輩の動きや考えはある程度把握できる。だとすれば俺が注意すべきは二年生や一年生になる。

 

 何より、まだ清隆の懸賞金問題が残っているので、特に一年生は要注意であった。

 

 しかし交渉相手でもあるので動きは慎重に、師匠曰く誰が相手でも舐めてかかるなとのこと。

 

「すまない二人とも、待たせたね」

 

「いや、俺もついさっき着いたばかりだ」

 

 放課後になって俺が最初に合ったのはAクラスの葛城であった。その隣には配下の戸塚の姿もある。

 

 ケヤキモール内にある個室があるカフェで落ち合った俺たちだが、別に仲良くお茶しようという訳ではなく、こんな時期なのだから当然ながら話題となるのは夏の特別試験のことだった。

 

 こちらとしてもAクラスの動きを把握したかったので、声をかけて貰えたのは都合が良かった。

 

 お互いに個室の椅子に座って腰を落ち着ける。せっかくなのでオレンジジュースでも頼むとしようかな、そろそろ暑くなってきたので冷たい飲み物が欲しかった。

 

「葛城さん、本当に笹凪と手を組むんですか?」

 

「不満なのか?」

 

「そうではないですけど……Bクラスの存在感は日に日に大きくなっています。ここは協力するのではなく突き放すべきだと思うんですけど」

 

「お前の言葉にも一理はある、しかし今はクラスを纏めることを最優先にしたいのだ」

 

「ん、どういうことかな?」

 

 戸塚と葛城の話を聞いていると、俺と組みたいのはわかったのだが、それがクラスを纏めることにどう繋がるのか疑問であった。

 

 彼らは俺の質問に少し迷い、しかし隠しても意味がないと判断したのか説明をしてくれる。曰く、今度の特別試験でクラスの内紛に完全決着を付けると。

 

「笹凪、お前も知っているだろうがAクラスは長く内紛を続けていた」

 

 坂柳さんと葛城の対立、それに引っ張られるようにクラスは真っ二つになっているのは俺だけでなく学年全体で知られていることである。

 

 一時はかなり追い込まれていたというか、大人しくなっていた葛城派閥であったが、一年最後の特別試験で坂柳さんが負けてしまったことで息を吹き返したそうだ。

 

「健全な状態でないことは言うまでもない。俺としてもいつまでもこの状況を続けたくはないのだ……そんな時に坂柳から提案されてな、今度の特別試験で完全に決着を付けようと」

 

「なるほど、君はそれを受け入れた訳だ」

 

「あぁ、勝っても負けても、次で終わりだ」

 

 ならば葛城派閥としては負ける訳にはいかないということか。そしてそれは坂柳派閥としても同じことが言える。だからこそ彼は俺をスカウトしようとしているのかもしれない。

 

「葛城の考えはわかったよ。しかし俺がAクラスの事情に首を突っ込む理由はないんだよね」

 

「だろうな、他クラスのお前にとっては寧ろ長引いてくれた方が都合が良いのだろう」

 

「身も蓋もない言い方をするとその通りだ……加えて言うのならば、利益もないんだ」

 

「互いに協力して試験を終えるというのは利益にはならないか?」

 

「君に協力しなくてもそれは可能だよ」

 

「笹凪ッ!! せっかく葛城さんが声をかけてくれてるっていうのに」

 

「落ち着け弥彦、笹凪の言い分も尤もだ」

 

「ですけど!!」

 

「去年一年で嫌と言うほどわかった筈だ、笹凪の常軌を逸した実力がな……確かに下手に協力すれば逆に俺たちが足を引っ張る可能性すらあるかもしれない。それは笹凪にとっても損をする結果だろう」

 

 ではどうするのかと言うのならば、報酬を用意することだった。

 

「笹凪、こういうのはどうだろうか? 今回の試験で協力してくれるのならば、お前をAクラスに移動させることを約束するというのは」

 

 結局、こういう形になるということだ。スカウトする為に報酬を用意する、わかりやすい交渉であった。

 

「葛城、誤解があるようだけど、実は俺はAクラスで卒業することにそこまで強い拘りがある訳じゃないんだ」

 

「なに、どういうことだ?」

 

「学校側がそこを勝利条件にしたから目指しているし、クラスメイトたちをAクラスで卒業させたいとも思っている……だけど俺自身はそこまで執着はないよ」

 

「よくわからないな。この学校に来た者の多くはその特権を得る為に切磋琢磨しているものだと思うのだが」

 

「卒業後の推薦や就職の斡旋なんて最初から興味が無い。そんなものは自分の実力でどうにかすれば良いだけの話だ」

 

「なるほど、強者の理論だな」

 

「そう言われるとアレだけど……それにだ、俺が目指している場所はAクラスで卒業したからといって叶えられるものではないよ」

 

 うん、全く足りていない。もし俺の夢を叶えられる手段があるとするのならば、それは一人でも多くの人を救ってからだろう。Aクラスで卒業したからといって叶えられるものでもない。

 

「だから、そういった交渉で俺が靡くことはない」

 

「そうか……難しいものだな」

 

 深く考え込む葛城は瞼を閉じて眉間に皺を寄せている。

 

「だけど、そうだな、君に協力することは出来ないけど、同じように坂柳さんに協力することもない、それでどうかな?」

 

「坂柳のグループには入らないということか……わかった、それだけでも救いだろう」

 

 こっちに都合があるからな。少なくとも他クラスの生徒と組むというのは難しい。身軽に動きたいというのもそうだけど、ホワイトルーム関連や月城さんの動きも気になる。

 

 場合によっては、無人島で荒事に巻き込む可能性すらもあった。そういった意味でも誰かと組む訳にはいかないのかもしれない。

 

 清隆自身、そしてその背景や影響力を知った上で問題ないと思える九号、今回の一件で巻き込めると断言できる戦力が二人しかいないのは考えものであった。

 

 まぁ尤も、九号一人いればお釣りが貰えるくらいなので、そう考えると少しだけ気楽にもなる。

 

 月城さんは南雲先輩より遥かに厄介な大人の権力者だし、清隆のお父さんもそれは同じだけど、別にこの国で誰よりも強い訳でもないし、我儘を押し通せる立場でもない。

 

 人は死ねばそれまで、暴力と権力というものはそれを守れるだけの力があって初めて意味を持つものである。そして残念なことに九号はそれらを無視できる立場であった。

 

「あの子が同学年ならなぁ」

 

 思わず愚痴ってしまう。現状で二年生の中で完全な協力者は清隆と坂柳さんだけなのだが、坂柳さんに関してはどうしても体力面で不安がある。その点、九号ならば何も問題は無い。彼女一人でおそらく全てが片付けられるくらいだからな。

 

 月城さんが百人いても、最後に立っているのは九号だろう。だから彼女が味方側でしかも二年生ならばこれ以上ないくらいに心強い味方なのだが、今回の試験だと一年生が大っぴらに二年生に協力するのは――。

 

「いや、そうとも限らないのか?」

 

 学年で分かれて競うというルールの説明から少し考えていたが、別に学年を意識する必要も無いのか。

 

 三年生の多くが既にこちらスパイなのだから、別に学年に拘る意味もない。

 

 九号もそうだけど、何人かの協力者を一年生に作っておいても問題はないだろう。

 

 スマホを取り出して早速九号と相談しようと思っていると、視界の隅で龍園クラスの金田の姿を捕らえる。

 

「あれは金田と、一年生か?」

 

 間違いない、片方の生徒はOAAで顔と名前も覚えているので間違いなく一年生である。

 

 二人は何やら話しながら俺と葛城がさっきまで使っていた個室があるカフェに入っていく。どうやらあちらも密談のようだ。

 

 龍園の指示で一年生と接触していると見るべきだろう。当然ながら見据えているのは夏の特別試験である。葛城や坂柳さんもそうだけど色々な方針や思惑がある。どこのクラスも最大の利益を得ようと様々な行動を起こしている、当然だな。

 

 俺たちのクラスだって同じように有利になれるように動いている。他のクラスだって同じように動く。そうやってそれぞれの勢力が夏の特別試験を目指す。

 

 本当に大規模な試験になりそうだな。

 

 鈴音さんもクラスの方針を慎重に考えるだろうし、俺は俺で出来ることをやっておこうか。

 

 考えなければならないのは如何に退学者を出さないかという点であった。そこに関してはポイントの暴力でどうにかできるのだが、誰を協力者にするかも慎重に考えないといけない。

 

 とりあえずOAAで誰がどんなカードを持っているか確認するか、ポイントで救済するにしても安上がりな方が良いに決まっているからな。

 

 狙い目としては「半減」や「無効」のカードを持っている生徒だろう。彼ら彼女らを口説ければそれだけでこの試験は退学のリスクと費用がかなり減らせることになる。

 

 幸いなことにポイントは大量にある。この試験の退学者は成績下位の5グループだけなので、それぞれ口説き落とさなければならない。

 

 試験開始直前に、速攻で5グループをリタイアさせる。そんな展開に持っていければ後の生徒たちは退学の危険性が無くなるのだ。費用はそれなりにかかるだろうけどカードを上手く使えば最小の支出で済む。

 

 これが俺が試験が始まるまでにやるべき準備の一つだろうな。鈴音さんにクラスの方針は丸投げして俺はリスクを減らす方向性で動くとしよう。

 

「天武くん。お~い、天武くん」

 

「ん……帆波さん、どうかしたのかい?」

 

 ケヤキモールのど真ん中でOAAを確認しながら悩んでいると、そんな俺に声をかけてきたのは帆波さんであった。その隣には神崎の姿もある。

 

「神崎も久しぶり」

 

「あぁ」

 

 相変わらず俺を警戒する神崎ではあるが、以前に帆波さんが言っていたように嫌われている訳ではないのだろう。普通に会話は成立するし表情を歪められる訳でもないのは救いだ。

 

「二人は何をしてるんだい? もしかしてデートかな?」

 

「んにゃ!? ち、違うよ、本当に違うからね!?」

 

「笹凪、あまり変な揶揄い方をすべきではない」

 

「あ、ごめん、そこまで全力で否定されるとは思わなかった」

 

 もっと軽い感じで流されるかと思っていたけど、帆波さんも神崎も割と真面目かつガチに否定してくる。そこまで強く言われると申し訳ない気分になってきた。

 

「それじゃあ改めて、二人は何を?」

 

「交渉だよ、欲しいカードが幾つかあったからね」

 

「なるほど、考えてみれば当たり前のことだったか」

 

 帆波さんクラスも夏に向けて準備している。俺たちと同じようにだ。

 

「お前はここで何をしているんだ?」

 

 鋭い視線に射貫かれて少しだけ怖いのだが、別に隠すようなことでもないので素直に答えておく。

 

「こっちも似たようなものさ。交渉と勧誘、色々とね。退学者が出ないように事前に調整しておきたいんだ」

 

「どういうことだ?」

 

「今回の試験、成績下位の5グループが退学になるんだ。だったら早めに試験をリタイアさせて安全圏を確保したくてね。リタイアさせる者を事前に調整してポイントを渡しておけば、それも可能だろう?」

 

「なるほどねぇ……でも天武くん、それってもの凄いポイントが必要になるけど、大丈夫なの?」

 

 また心配されてしまった。けれど帆波さんはこちらの資金力を細かく把握している人なので、すぐに納得したような顔となった。

 

「うん、大丈夫、大きな問題はない……それにこれは、そちらのクラスにとってもありがたいことなんじゃないかな」

 

 最初に5グループがリタイアするのなら、その後にどれだけリタイアしても退学になることはない。そして下位となった5グループもポイントを事前に渡しておけば問題も起こらない。

 

「それはそうだけど、やっぱり心苦しいよ。なんだか天武くんに甘えっぱなしだなって」

 

 ここでラッキーだと喜ぶ所なんだが、そうはできないのが帆波さんらしいと言えるのかもしれない。

 

「まぁあまり気にしないでいいさ、これは俺が俺の夢を叶える為に勝手にやっていることだから」

 

 別に彼女を喜ばせたい訳でもなければ、利益を与えたい訳でもない。本当にどこまで行っても自分自身の為だと断言できる。俺はとても自己中心的な人間だからな。

 

 退学者を出さないようにするのだって、突き詰めれば自分の為である。感謝も憂いも不要であった。

 

「笹凪、具体的に誰を早期にリタイアさせるのか決めているのか?」

 

「ん、半減や無効のカードを持っている生徒、できれば一年生と交渉しようと思っている。退学回避の費用の負担もそうだけど、幾らか報酬のポイントを握らせる必要があるだろう」

 

「何故、一年生なんだ?」

 

「俺の都合だ。微々たるものではあるけれど、一年生全体の頭数……戦力を減らすことができると考えていてね。最初は自分のクラスからリタイアする者を選ぼうかと思っていたけど、誰が勝つのかまだまだ読み切れない部分が多いので戦力は残しておきたい」

 

 今回の試験は他学年と競う必要がある。ならば自分たちの戦力をリタイアさせる選択肢はない。それなら敵側となる三年生か一年生の数を減らした方が良いだろう。

 

 微々たる変化だろうが、一年生が5グループ分も数が減るとするのなら、少しは楽な展開になるのかもしれない。それに下手すれば一年生全体が清隆の懸賞金を狙いに来る可能性もあるので、そういった面からも一人でも多く排除しておきたい。

 

「そうか……お前が救済に動くのならば、俺たちは無効や半減のカードを集める必要はなさそうだな。だが、一年生たちがその交渉を受け入れるのか? 下位5グループから上位に入ったクラスにポイントが支払われるんだぞ」

 

「その辺は考えているよ、ぶっちゃけポイントの暴力でどうにでもできるからさ。何より一年生たちにはまだまだ時間と余裕がある、損失を上回る利益を提示すれば靡く筈だ」

 

 神崎はこちらから得た情報を吟味して考え込んでいる。もしかしてこの二人の交渉と方針に影響を与えてしまっただろうか? リスクを減らすカードを求めていたのかもしれないが、そのリスクをこっちで勝手に消滅させてしまったからな。

 

 集めた所で試験開始と同時にリタイアする者がいるだろうからな、あった所で無意味になってしまう。

 

 帆波さんクラスの方針に少し影響を与えてしまっただろうが、別にマイナスを押し付けたという訳でもないのでこちらが申し訳なくなる理由もなかった。

 

「あ、そうだ。天武くん、前に生徒会で話した協力の話なんだけど……どうかな?」

 

「あぁ、その話か――」

 

「待て、何の話をしている」

 

 こちらの都合や考えを説明しようと口を開こうとするのだが、その前に神崎が待ったをかけた。

 

「えっと、天武くんたちと共闘できないかなって思ってたんだ」

 

「初耳だ」

 

「ごめんね、そういう話をしてたってだけで、何も決まってはいなかったんだけど、せっかくの機会だから良いかなって。あ、お茶でも飲みながら話さないかな?」

 

 帆波さんはケヤキモール内にある憩いの場に視線をやってそんな提案をしてくるのだが、神崎は難色を示してしまう。

 

 ライバルというか、強く意識されているから難しいのかもしれない。

 

「一之瀬、笹凪は敵だぞ」

 

「天武くんはそうじゃないよ、今だって救済に動いてくれてるんだから」

 

「それはそうだが、共闘することに繋がらないだろう。俺たちとしてはBクラスに勝利することを考えるべきなんじゃないのか?」

 

 彼の言っていることは別におかしなことでもなく、寧ろ自然なことでもあるのだが、帆波さんはどこか納得いっていないらしい。少しだけ難しく考え込む顔をしていた。

 

「でも神崎くん、今回の試験は平均点でも総合点でもなくて、どのグループが勝つかだから、それならやっぱり天武くんをスカウトする方が一番勝率が高いよ」

 

「言いたいことはわかるが……仮に一位になっても報酬のポイントは山分けになる。Bクラスとの距離は縮まらない」

 

「今は龍園くんのクラスを突き放すことを目指すべきじゃないかな」

 

 そう言えば一年生と組んで行う筆記試験で帆波さんクラスは最下位になってしまったことで、龍園クラスとの距離が縮まったんだったか。既に後がないというか、クラスポイントの差は50もない状態である。そう考えると神崎の焦りもわかる気がした。

 

「あぁ~、すまない、実は共闘に関してだけどちょっと難しいかもしれない」

 

 方針や考えの違いで少しだけ対立しているようにも見えるので、誤解は解いておくべきなんだろう。

 

「え、あ……ダメ、かな?」

 

「ん、やっぱりクラスの方針もあるからね」

 

「そっか……うん、そうだよね」

 

「神崎もすまない、混乱させてしまったようだ」

 

「いや、別に完全に悪手だと思っている訳でもない……ただ、もう少し議論すべきだと思っただけだ」

 

 こっちを警戒するあまり帆波さんと対立してしまったことに気が付いたのだろう。彼はここで一歩引く姿勢を見せる。俺としては寧ろここで引くのではなくグイグイ前に出て積極的に意見をぶつけるべきだと思うのだが……他人に強制するものでもないか。

 

「まぁ今回は共闘は見送ろう。多分俺が他クラスとグループを作ることはないだろうからさ」

 

「クラスメイトとグループを作るということか、一番多くのポイントを得るのならばそうするべきだろうな」

 

 それで勝てると断言できないから多くの者が総合力の高い生徒と組みたがるのがこの試験であった。

 

 しかし神崎は勘違いしている。俺は多分単独で無人島に放り込まれる可能性が高いということだ。

 

「今回に関しては敵同士、しっかり競い合おう。勿論、俺は負けるつもりはないからさ」

 

「当然だ、こちらも勝たせてもらう」

 

 神崎はやる気を漲らせるが、隣にいる帆波さんは少しだけ表情を沈めていた。

 

「帆波さん?」

 

「あ、大丈夫……うん、天武くんのグループは強敵になりそうだなって思って、でも私だって勿論負けるつもりはないよ」

 

「あぁ、強敵になりそうだ」

 

 無人島での展開次第では帆波さんや神崎たちとも戦うことになるんだろう。それはそれで少し楽しみでもある。よくよく考えてみればこの二人と直接対決をすることはこれまで無かったからな。そうなったらなったで面白いのかもしれない。

 

 なにせ大規模な試験なのだ。どうなるかなど現時点では誰にもわからない。そして誰が勝つのかも見通すことはできなかった。

 

 三年生は南雲先輩を中心に動き、一年生はまだまだ戦力や考えも読み切れてはいない。そして二年生は曲者揃い、そう考えるとやはり結果は不透明であった。どんな天才でも現時点で誰が勝利するかなど判断できないだろう。

 

 面白い試験になりそうだ、俺は改めてそう思うのだった。

 

 

 

 

 



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師匠曰く、事前の打ち合わせと調整は大切

 

 

 

 

 

 

 

 葛城と帆波さんたち、そしてその後も何名かの生徒と話し合い、交渉と譲歩などを行ってある程度は満足できる形に落ち着かせられたと思う。

 

 退学者を出さないようにフォローすること、そして他クラスや他学年の情報収集、俺がこの準備期間にやるべきことは主にその二つなのかもしれない。

 

 クラスの方針などは鈴音さんに任せて問題ないだろう。俺は俺にしかできない方法で色々と考えて貢献すれば良い。

 

 一年生たち、七瀬さんや八神や宇都宮との交渉を終えて、九号に方針と指示を伝え終えると、外は薄暗くなっており、スマホで時刻を確認してみると19時を表示していた。

 

 そろそろ帰って夜の鍛錬と勉強をするかと考えながら寮に辿り着き、ロビーに入った瞬間に同じように寮に帰宅した人物が視界に入る。あちらも俺に気が付いたのか声をかけてきた。

 

「や、笹凪くん。今帰り?」

 

「あぁ、松下さんもかい?」

 

「うん、コンビニ帰り」

 

 声をかけてきたのは松下千秋さんである。偶々こうして寮のロビーで鉢合わせしたのだが、彼女は良い機会だとばかりにこんな話を振って来る。

 

「あのさ、もしかして試験のグループってまだ決まってたりしない感じかな?」

 

「ん、そうだよ。松下さんもそうだっけ」

 

「声自体はかけて貰ってるんだけどね、これといった感じはまだないかな」

 

 なんでもそつなくこなす松下さんは実は総合力が高かったりする。一年生の序盤はそんな印象は無かったのだけれど、後半になるとエンジンでもかかったのかテストや運動でも印象が強くなっていったと思う。

 

 それは鈴音さんや清隆も同じ意見らしく、クラスの中でも注目株の一人であった。

 

「でさ、笹凪くんのグループに入れてくれない? 私、役に立つよ」

 

 上目遣いで少し妖艶な笑みを見せながらそう言ってくる松下さんの瞳は、こちらをしっかりと覗き込んで観察してくれている。

 

 彼女もまた目の前に迫った試験で生き残りを考えているということだろう。強かな部分もしっかりあるということだ。

 

「あぁでも、二週間近くも一緒にいることになるんだし、色々とあれかな」

 

「色々と、どうなるのかな?」

 

 そう問いかけると松下さんは挑発的な笑みを見せる。ここで変に意識しないのは彼女らしいのかもしれない。

 

「私たちの距離が縮まるんじゃない? 試験が終わった頃には名前で呼び合ってるかも……もしかしたらそれ以上とか」

 

「なるほど、それは魅力的な提案だけど、男女が二人で組むことは出来ないルールだ」

 

「あれ、もしかして笹凪くんグループを作らず一人で試験に挑む感じなの? てっきり綾小路くんか堀北さんと組むかと思ってたんだけど」

 

「確実にそうなると断言はしないけど、一人で挑む可能性は高いのかもしれないね」

 

「ふぅん。まぁ笹凪くんの場合はそれが一番なのかもね、下手に組んでも誰も追いつけないだろうしさ」

 

 松下さんはどこか納得した様子で頷いている。そしてコンビニのビニール袋の中を漁って中からココアの缶を取り出した。

 

「はい、甘い物好きみたいだからあげる。もしグループを作るつもりになったら声をかけてよ」

 

「ありがとう、その時が来たら考えておくよ」

 

 彼女はまた笑ってエレベーターのボタンを押した。そして上階から下りてきたエレベーターの扉が開くと同時に中に入るのだが、それよりも早く中から大柄な男子生徒が寮のロビーに姿を現した。

 

「うわ!?」

 

「おっと、怪我はないかねぇ」

 

 その男子生徒とは高円寺六助のことである。エレベーターの入口で鉢合わせるとは思わなかったのか、松下さんは大きく飛びのいて後退している。尻餅をつきそうにもなっていた。

 

「あはは、大丈夫。それじゃあ笹凪くん、高円寺くんもおやすみ、また明日ね」

 

「あぁ、良い夜を」

 

「グッナイッ」

 

 六助の言葉に唇の端っこを僅かに歪めながらも、松下さんはエレベーターに乗り込んで姿を消してしまう。

 

「やぁマイフレンド、逢瀬の邪魔をしてしまったかな?」

 

「気にする必要はないよ、別に甘い時間という訳でもなかったからね」

 

「ふむん、なら構わないのだがね」

 

 髪を掻きあげてセットする六助はいつものように不敵な笑みを浮かべている。彼はいつでもどんな時でも変わらないのである意味安心感のある相手でもあるのだろう。

 

「どこかに出かけるのかな?」

 

「私も逢瀬の時間さ」

 

 私もってなんだ、俺は別に松下さんとそういった時間を過ごした覚えはない。

 

「モテるようで羨ましいよ。秘訣を知りたいもんだ」

 

「ハッ、ハッ、ハッ!!」

 

 何故か笑われてしまう。別におかしなことを訊いた訳でもないと思うんだが。

 

「変な柵を意識して遠慮などしているからそんな言葉が出て来るのだよ。君は紳士で達観しているが、だからこそとも言えるだろう。時には年相応に振る舞うことも必要さ」

 

 何とも含蓄ある言葉であった。そう言えば波瑠加さんからも父親っぽい顔になっているとよく言われるな。そういう意識や姿勢が駄目なんだろうか。

 

「試しに先程の松下ガールを口説いてみるといい、守るべき対象として見るのではなく、ただのクラスメイトとして接すればまた異なる関係が生まれるさ」

 

「なるほど、参考になるな」

 

 俺はどこかクラスメイトを守るべき存在として見ていたということか。それは間違いではないのだろうけど、意識しすぎるのもまた問題だ。それではまるで保護者と子供のような関係になってしまう、それはそれでどこか歪だ。俺たちは同級生なのだから。

 

「ふッ、頑張ってみるといい。恋も愛も、楽しんでこそだ。いっそお試しで付き合ってみるくらいカジュアルな感じで接すればいい」

 

「そんな感じで良いのか」

 

 そう言えば橋本も似たようなことを言っていたか、あのチャラチャラした男もあれでモテるからな。参考にした方が良いのかもしれない。

 

「そうとも、難しく考えすぎるから動きも鈍くなる。もっと自由で良いのだよ」

 

 六助らしい言葉であった。彼はいつでも自由に生きているからな。

 

「それよりもだマイフレンド、今度の試験では私をグループに加えてみる気はないかい?」

 

「君を? あぁ、開始直後にリタイアしたいってことか」

 

 そう納得していると六助は不敵に笑うだけだ。去年の無人島サバイバルでも初日の夜にリタイアしたことを考えると、きっと今年の試験も同じようなことをするのかもしれない。

 

 ただ六助の提案はそこまで悪いものとも思えなかった。少なくとも単独で勝手にリタイアされるよりはずっとマシである。同じグループならば俺がリタイアしなければ問題はないのだから。

 

「そもそも六助は退学回避のポイントを持ってるじゃないか」

 

 マネーロンダリング用の企業設立のお礼として、六助には1億ポイントを支払っている。

 

「確かにね、なので君が嫌だと言うのならばそれでも構わないとも」

 

「嫌なんてことはないさ。君には散々世話になったからね。わかったよ、俺とグループを組もうか、試験本番では好きにして良いからさ」

 

「グㇾィト、ではそれで行こうじゃないか」

 

 六助にはマネーロンダリングをする為の会社設立でもの凄く世話になった。土地から社員、社屋から法関連や税関連、ツッコミどころのない企業を偽装するのはとてつもなく大変なことだっただろう。それら全ての問題は彼が片付けてくれた。

 

 俺がこの学園に大量のポイントをここまでスムーズに外から引っ張って来れたのは、全て彼の助けがあったからこそである。そう考えると頭が上がらない存在なのかもしれない。

 

 退学の回避を協力することくらい、当然の手伝いですらあった。

 

 まぁ問題はないだろう。どうせ試験本番になれば速攻でリタイアするのだから、結局俺は一人で挑むことになる筈だ。手伝ってくれれば楽になるのだけど、そこまで求めることもできない。

 

 寧ろ勝手に一人でリタイアしないだけ配慮してくれているのかもしれない。リタイア組は一年生で固めるつもりだったからな。

 

 髪をセットしながら鼻歌交じりに寮から出ていく六助を見送りながら、俺もまたエレベーターに乗って私室がある階まで移動することになる。

 

 部屋に戻ってまずは食事だと考えていると、その前に鈴音さんとの作戦会議や情報交換を終えていないことを思い出す。

 

 なので食事の前に報告である。電話で済まそうかと思ったが、時間を取らせるのも悪いと思ってメールで済ましておく。

 

「お?」

 

 返信はすぐに来る。内容は短くて今すぐ部屋に来いというものであった。

 

 スマホには19時を少し過ぎた辺りの時刻が表示されている。男子が女子の部屋がある階に20時以降にいることを発見されると罰則があった筈なので、あまり喜ばしいことでもないのだが……。

 

 しかし、続いて届いたメールに書かれていた『夕飯を作り過ぎたからおすそ分けする』との内容に、俺は変な言い訳を止めてノコノコと足を運ぶことになるのだった。

 

 20時になる前に帰れば問題はないだろう。チョロいのかもしれないけどそんなことを思った。

 

 ただ周囲の者に見られて要らぬ噂や評価をされてもそれはそれで問題なので、全力で気配を探りながら誰にも会わないように注意する必要があるだろう。

 

 エレベーターで女子の部屋がある階まで移動して、通路に誰もいないことを確認してから鈴音さんの部屋のインターホンを押すと、彼女はすぐに出迎えてくれる。

 

 驚くことにエプロン姿であった……いや、夕飯を作っているのだから自然なことではあるんだろうけど。

 

「どうしたのかしら?」

 

「いや、エプロン姿がちょっと新鮮だったからさ、見惚れた」

 

「そ、そう……早く入りなさい。こんな所を誰かに見られたくはないの」

 

 交際もしていない男女が夜に密会だからな。別にやましいことは無くても話題にはなる。いや、そもそもそんなことを気にするのなら呼ばなければ良いんじゃないかな。

 

 電話かメールで済ませれば……なんて言うのは今更だな、手料理に釣られてノコノコここまで来てしまった俺が悪いということなんだろう。

 

「もう少しだけ待っていて、すぐに出来上がるから」

 

「何か手伝おうか?」

 

「大人しく座っていなさい」

 

 鈴音さんの部屋に上がるのは別に初めてのことでもないのだが、別に何度来ても慣れるようなこともない。反対に緊張することもない辺り、俺は少し遠慮が無いのかもしれない。

 

 相変わらず実用性第一と言うか、シンプルかつ無駄のない部屋は実に彼女らしいと思う。この雰囲気と言うか部屋の空気はアレだな、堀北先輩が生徒会長だった頃の生徒会室によく似ている。

 

 今は南雲先輩によってかなり華やかになったあの部屋も、去年の夏頃まではこの鈴音さんの部屋みたいにとても落ち着いてシンプルであったと思い出す。

 

 しかしあれだな、女性の部屋はもっと可愛らしい小物とかが多い印象であったけど、これはこれで良いと思う。

 

「出来たわよ、運んで頂戴」

 

「了解」

 

 タダ飯食らいもあれなのでそれくらいは手伝うとしよう。食器類などを机の上に運んでいざ実食である。どうやら本日の献立は和食であるらしいので師匠と過ごした山奥の神社での生活を思い出す。

 

 師匠は和食好きだったからな、よく作らされたものだ。

 

「お口に合うかしら?」

 

「勿論さ、凄く美味しいよ」

 

「ふふ、なら良かったわ。賞味期限が近かった物が多いから今日で全て処理して貰うわよ」

 

「あぁ、任せてくれ」

 

 清隆に作ってもらう料理も美味しいけど、鈴音さんに作って貰う料理もまた美味しい。やはり女性に作ってもらうと何故か一味違うと思ってしまうのは、きっと俺が単純だからなんだろう。

 

 机を挟んで対面に座る彼女もまた作った料理に満足いったのか、僅かに微笑んでいる。

 

「そうだ、もしかしたら六助とグループを作ることになるかもしれない」

 

「高円寺くんとね……制御できるの?」

 

「いや、彼に関しては好きにさせるのが一番だと思ってる。試験開始直後にリタイアするものだという前提で動くよ」

 

「可能ならば、彼にもしっかりクラスに貢献して欲しいのだけれど……まぁ、勝手に一人でリタイアされるよりはマシと思うしかないのかしら」

 

「六助は、それで納得して動くような男じゃないさ」

 

 鈴音さんは普段の六助を思い出したのか苦い顔になる。それでもクラスを纏める立場としてはしっかりと協力して欲しいのだろう。

 

 そんな会話をしながら情報交換だ。俺が放課後にやっていた一年生の速攻リタイアの話もしっかりと伝えておく。

 

 一年生たちにポイントを預けて試験開始直後にリタイアさせる。それだけだと彼ら彼女らには損しかないので、しっかりと利益が得られるように余分にポイントを渡しておく。そんな形で結んだ幾つかの契約を彼女に話すと考え込むような表情となった。

 

「一年生はそれで納得したのね?」

 

「あぁ、明日にでも正式な契約書を作ろうと思っている」

 

「ならこれで私たちの方針も確定する。リスクを少なくできるカードを集める必要は無く、それよりも便乗や先行のカードを中心に集めるべきね」

 

「便乗のカードに関しては集めてたんだよね?」

 

「えぇ、ただ……」

 

 そこで彼女は言い淀む。何かしら注意すべきことがあるらしい。

 

「今日の放課後に何人かに声をかけたのだけど、どうやら龍園くんのクラスも便乗のカードを集めているみたいなの」

 

「ん、もしかして高めのポイントを吹っ掛けられた感じ?」

 

「法外という額でもないけれどね」

 

「龍園もこっちと似たようなことを考えてる訳か、南雲先輩も同じ方針だし、やっぱり大量に稼ぐには特定のグループに一点賭けする感じになるんだろうな」

 

「南雲会長も同じ方針だというの?」

 

「集めた情報によると、三年生全体で結託して南雲先輩のグループを勝たせる方針らしい。便乗のカードも一点集中だ」

 

「私たちの作戦を大規模にした形という訳ね」

 

 そうなのだ、南雲先輩とやろうとしていることは実は俺たちのクラスと同じことである。ただしこっちはクラス単位だけど、あの人は学年全体だ。その時点で優位性が確立されてしまっている。

 

「今から方針を変えるかい?」

 

 僅かに視線を下げて考え込む鈴音さんは、十秒ほど悩んだ後にゆっくりと首を横に振る。

 

「いいえ、このまま進める。退学者の心配が必要なくなったのだからクラス全体としてはバランスよくグループを作って上位50パーセントの報酬を狙い、上位入賞に関しては貴方に一点賭けする。勿論、便乗のカードも一枚でも多く集めて天武くんに注ぎ込むつもりよ」

 

「それだと数で三年生との戦いは不利になってしまうけど」

 

「そうね。けれど、それが一番利益になると判断したわ。間違っているかしら?」

 

「戦いに絶対はない、だから俺は勝てるように努力するだけさ。そしてそれは南雲先輩にも同じことが言えるだろう」

 

 そうだ、それに多少の数の差は実力で凌駕すれば解決する話だ。数は絶対の力だけど、それにだって限界はある。

 

 そもそも、三年生たちにはスパイが沢山いる。決して完全な不利と言う訳でもないだろう。

 

 なにより鈴音さんには迷いがない。これが一番勝率が高い作戦だと確信しているようだ。ならば俺からは何も言うまい、結果でその判断が正しかったのだと証明するだけである。

 

「問題となるのはやっぱり便乗のカードの総数か。明日以降も集めるとして、もしかしたら龍園クラスと綱引きになるのかな」

 

「多少のポイントなら払うつもりではいるけれど、赤字が出ないように注意しないといけないわね」

 

「こっちは半減や無効が不要になったんだ。それで交換を提案してジョーカーを掴ませようか」

 

「そうね、それで多少は集められるでしょう。グループ作りに関してはバランスよく、カードに関しては先行と便乗を一つでも多く、試験の本番になるまではそんな動きになると思うわ」

 

「ん、それで良いと思う。後は本番で俺が勝つだけだ」

 

「高円寺くんの説得を忘れないで欲しいわね。最初から諦めないで、協力できるようにしなさい。別に貴方の実力を疑っている訳ではないけれど、同じグループを組むというのなら力になって貰える方が良いに決まっているのだから」

 

「六助に関してはなぁ……」

 

 本当に動きが読めない。そして頭が上がらないくらいに既に協力して貰っているので、何とも言えないんだよな。

 

「まぁ頑張るよ」

 

 そうとしか答えられなかった。彼は俺に制御できる存在ではない。

 

 そこから先も鈴音さんとは意見と情報交換をしていく。共に夕飯を味わいながらだ。

 

「ごちそうさま。とても美味しかった」

 

「お粗末さま」

 

「お皿洗いは俺がするよ」

 

「座ってなさい」

 

「そうもいかないんだけど」

 

「お礼も兼ねているのだから甘えておきなさい。貴方のおかげで退学のリスクを排除できた、今日くらい働かなくても罰は当たらないわよ」

 

 そう言われると不思議と納得できてしまうな。確かに俺は頑張ったのかもしれない。退学者を出さないというのは俺の勝手な自己満足でしかないけど、どうやら鈴音さんは賞賛してくれているようだ。ありがたい話である。

 

「手持無沙汰だと言うのなら、そこにあるノートに問題文を作っておいてくれるかしら」

 

「……ん?」

 

「出来れば、以前のテストと近しい難易度のものが良いわね」

 

「あれ、働かなくて良いのでは?」

 

「暇なのでしょう?」

 

「門限も近くなってるしさ。女子階に20時以降にいる所を見られると寮監から注意されるんだよね」

 

 確か一度で忠告、二度で学校に報告、三度目で問題も大きくなるらしい。この学校は基本的にはバレないようにしろというスタンスなので露見しなければ問題ないと言えばそれまでだけど、だからといって推奨している訳でもない。

 

「まだ時間はあるのだから、この後、勉強に付き合いなさい」

 

「……はい」

 

「ふふ、素直になったわね、それで良いのよ」

 

 有無を挟めない雰囲気だったので従うしかなかった。後三十分ほどで20時になるので、短い間だけどそれまでは鈴音さんの勉強会に付き合うとしようか。

 

 以前の高難易度テストを師匠モードの俺が引っ張り出して来るので、それを参考に幾つかの問題を作ってノートに書いていく。

 

 その後、洗い物を終えた鈴音さんが来たことで勉強会が始まることになる。何だかんだで付き合っている内に集中してしまったというか、楽しくなって来たので、結局部屋に帰ったのはそれから二時間後であった。

 

 流石にこんな時間にこの場にいることを誰かに発見される訳にはいかなかったので、部屋に帰る時は本当に警戒しながら帰宅することになる。

 

 廊下に出た瞬間に誰かと鉢合わせて見ろ、きっと明日にはあることないこと掲示板に書きなぐられるに違いない。

 

 なので俺はリスクを排除する為に廊下に出て帰宅するのではなく、ベランダから飛び降りて一階に着地すると、そこから部屋に戻ることになるのだった。

 

 完璧な帰宅方法だな、鈴音さんも感心していたほどである。

 

 

 

 

 



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三年生だって負けるつもりはない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 特別試験の、正確にはその前準備が発表されて半月ほど、学年を問わずに本番に向けて様々な思惑や考えが交差することになる。カフェやコモンスペースや部屋や或いは教室で、様々な取引や勧誘が行われるのが日常となりつつあった。

 

 こちらのクラスの方針としては上位50パーセントを目指しつつも、便乗のカードを俺に一点賭けすることになっている。三年生も同じような作戦であり、おそらくだが龍園も似たような展望を描いているのだろう。

 

 理想として一位になる、これに尽きるだろうが、そこまで簡単な話でもないので三位以内に入賞することが重要となる筈だ。そして誰が勝つかを事前に予想して便乗のカードを注ぎ込む。

 

 大量のポイントを稼ぎたいというのならば、やはりこの形に落ち着くと言うことだ。特に便乗のカードを一点に集めれば集めるほど、勝った時の報酬も大きくなるので一枚でも多く集めておきたいものだ。

 

「まるで競馬だな」

 

 三年生、そして龍園、クラスの方針、それらを聞いて清隆がそんな表現をした。言い得て妙だと俺は思う。

 

 誰が勝つかはわからないけど、最も可能性の高い相手を選んでリソースを注ぎ込む、確かに競馬っぽくはあるな。

 

 日々の授業を終わらせて今は放課後、ここ最近はかなり忙しかったのでグループで集まって少し羽を伸ばそうかと言う話になり、清隆と一緒に待ち合わせのカフェに向かっている最中に、せっかくなので情報交換と意見交換をしていた。

 

 夏の特別試験も目前だからな、いよいよ本番を意識しなければならない。特に清隆はホワイトルームや月城さんや懸賞金のこともあり、別の意味でも試験に挑まなければならないので、少しでも多くの情報が欲しいことだろう。

 

「試験には一人で挑むってことで良いのかな?」

 

「あぁ、お前と一緒にとも考えたが、それだと月城が動かない可能性もあるからな」

 

「だから敢えて一人で動くか……守りに入らずに寧ろ釣りだそうってことだよね」

 

「そういうことだ、そろそろ相手の動きや戦力も把握したい」

 

「自分を餌にするのは危険だと思うよ」

 

「わかっている、だがそうでもしないと相手のミスも誘えないだろう」

 

「ん~……無策という訳じゃないのなら良いんだけどさ」

 

「安心しろ、別に完全に一人という訳でもないからな」

 

 無人島という環境ならば月城さんもホワイトルーム生も大胆に動けるだろう。だからこそ自分を餌にしてミスと迂闊な行動を誘発するという清隆の考えは一定の理解を示せる。

 

 しかし危険であることは間違いないので心配でもあった。絶対に勝てる戦いなんてないからこればかりは仕方がないと思う。

 

 まぁ俺たちにできるのは、勝てるようにただ努力して思考するだけか、今から悩んでもどうしようもないということだ。

 

「それよりもお前の方は大丈夫なのか? 高円寺とグループを組むんだろう、正直不安しかないんだが」

 

「そうでもないさ、多分六助は試験開始直後にリタイアするだろうから、俺一人で挑むのと大差はないよ」

 

 そこら辺は変な信頼があるのが六助と言う男である。

 

「ん、俺の心配よりも清隆は自分自身のことを考えな。可能な限りフォローはするつもりだけどね」

 

「わかっている、いざという時は声をかけよう」

 

 無人島でそれができるのかという問題もあるけれど、連携の可能性や手段はしっかりと用意しておくべきなんだろうな。

 

 そんな話をしながらケヤキモールにある広場までやってくる、まだグループの皆は来ていないようで、暫く待つことになりそうだ。

 

 ベンチにでも座ってもう少し夏の特別試験を詰めておこうかと考えていると、広場にいたとある人物と視線が絡み合う。あちらも俺に気が付いたのか不敵な笑みを浮かべていた。

 

 長い銀髪に強い意思を宿した瞳、ぶれない体幹、三年生の中であっても一際目立つ存在感を放つ女性、鬼龍院先輩である。

 

「やぁ可愛い後輩」

 

「どうも、美人の先輩」

 

「そう褒めるな」

 

「天武、知り合いか?」

 

「三年生の鬼龍院先輩だよ。先輩、こちらは俺の友人の綾小路清隆です」

 

 せっかくなので友人を紹介すると、彼女は相変わらず不敵な笑みを浮かべて観察してきた。

 

「どうも」

 

 清隆もどこか警戒するようにそんな言葉を返している。

 

「ふむ、個性的な友人を持っているようじゃないか」

 

 それはどういう意味だろうか? 清隆と視線を合わせてみるもあちらも首を横に振っていた。

 

 独特の雰囲気というか、空気を持っている人なので、こうして不躾に観察されてもそこまで不快にならないのが不思議である。師匠に見つめられた時も似たような感覚になるので、そういう瞳を持った人なんだろう。

 

「しかし意外だな」

 

「意外ですか?」

 

「あぁ、君に友人がいることがね」

 

「俺ってそこまで孤独な人間に見えますかね?」

 

「そうではないが……いや、変に取り繕っても仕方がないか。その通りだ、魚と人間は友人にはなれないし、人間は空を飛んで鳥と並び立つこともできない、そう思っている」

 

 まるで俺が人間じゃないかのような言い方である。別に俺だって鰓呼吸はできないし、空を飛べる訳でもない。

 

「だから友人を紹介する君に変な違和感があった。許せ、別に侮辱している訳ではない。ただ私の中で君は誰も並び立てない場所を突き進む人だという勝手な評価があっただけなんだ」

 

「天武は普通に良い奴ですよ。寧ろ友人は多いくらいです」

 

 清隆のそんなフォローに鬼龍院先輩は少しだけ唇を緩めた。

 

「そうか、だとしたら良かったと言うべきか。孤独ではないというのは一般的には重要なことなんだろう。友情は尊いものらしいから大事にすると良い」

 

「えぇ、少なくとも俺はそれを理解しているつもりです。斜に構えて変にカッコつけるよりは、素直に一人は寂しいと伝えますよ」

 

「そうか、それだけの実力があるというのに、君は随分と窮屈な生き方を好むのだな。鳥は空を飛ぶから鳥だというのに」

 

 また妙な評価を貰ってしまった。クスっと妖艶に微笑む鬼龍院先輩は、俺と清隆をどこか興味深そうに眺めている。

 

 何を考えているのかまでは読み切れないけど、馬鹿にされているという感じではないのだろう。

 

「なんというか、独特な人だな」

 

「いや、清隆もどちらかと言えば鬼龍院先輩寄りだと思うけどね」

 

「……え?」

 

 信じられないと驚いた表情を見せる辺り、本当に自覚は無かったらしい。まさか彼は今更自分が目立たない事なかれ主義であるというキャラを維持できていると思っているんだろうか?

 

「ところで鬼龍院先輩。夏の特別試験はどうされるんですか?」

 

「特に何も、ただそのまま挑むだけさ」

 

「三年生は南雲先輩を中心に動くと推測しているんですけど」

 

「あの忠犬辺りはそうするのかもしれないな。今の三年生はどう特別試験に勝つかではなく、どれだけ南雲に気に入られるかが重要だから、既に学校のシステムが破綻している状態だ」

 

 だろうな、そしてだからこそ南雲先輩は強い。

 

「だがここ最近はその風向きも変わってきているように思える。南雲の体制はアイツ以上の実力者と資金力を持った者がいないことが前提の体制だ、色々と綻びが多くなっているようにも見える……そうだろう?」

 

「さて、俺にはなんのことやらさっぱりです」

 

「ふッ、今度の特別試験、状況次第では色々と流れが変わるかもしれないな……存外、楽しめそうじゃないか」

 

 好戦的な、美しい顔なのにどこか猛獣を思わせる瞳と表情を見せて来る鬼龍院先輩は、その力強い意思が宿った視線を俺と清隆の間にある隙間に向けてくる。

 

 視線を追いかけるように振り向いてみると、そこには南雲先輩と桐山先輩が発見できた。二人はこちらに向かって歩いてくる……なるほど、南雲先輩の一歩後ろを意識して歩く辺り、まさに忠犬か。

 

「珍しい組み合わせだな。お前ら知り合いだったのか?」

 

 俺たちの存在に気が付いたのか南雲先輩が気さくな感じに声をかけてくる。相変わらず桐山先輩は一歩引いた位置だな。

 

「私が誰と話していようと関係がなかろう?」

 

「そりゃそうだ。しかし面子が面子だからな、悪だくみでもしてるのかと思ったぜ」

 

「結託して君を追い込もうとでも? 私にそんな気は欠片もないし、そこまで特別試験に興味がある訳でもないよ」

 

「だろうな、お前はいつだって飄々とするだけでずっと逃げてばかりだ」

 

「どうとでも言えばいいさ」

 

 南雲先輩の軽い挑発に、鬼龍院先輩はどこ吹く風とばかりに受け流している。確かに飄々とした感じだな。入学してからずっとこんな感じだったのだろうか。

 

「お前はやっぱり可愛げがない、俺はそういう女に興味は持てないな」

 

「私にも可愛げはあるさ。だがそれを引き出してくれる殿方に巡り合えないだけだ」

 

「そんな男がいるのなら見てみたいもんだ」

 

「ふむ、君の趣味はともかく、何故私はモテないのだろうな?」

 

「扱いが難しいんだろう。生憎と俺もその手の女は好きになれない。俺だけじゃなくて男は皆そう思うんじゃないか」

 

 すると南雲先輩は俺に視線を向けて来る。どうなんだと言いたいようだ。

 

「鬼龍院先輩は魅力的な女性だと思いますよ。特に瞳が良い」

 

 師匠にどこか似ている瞳だからな、嫌いになれる筈もなかった。

 

「良かったじゃないか鬼龍院、笹凪はゲテモノでも行けるそうだぞ」

 

「そのようだな。どうやら君と違って男の器が大きいらしい」

 

 この二人ってずっとこんな感じで三年生になるまで過ごしてたんだろうか? 南雲先輩の後ろにいる桐山先輩が凄く居心地が悪そうにしているぞ。もう少し気遣ってあげて欲しい。

 

 軽い牽制というか、ジャブの応酬を繰り返した南雲先輩は、付き合うだけ無駄と思ったのか小さく溜息を吐くと、次に清隆と向かい合う。

 

「お前は綾小路だったか」

 

「どうも」

 

 短く、そしてそっけない言葉を返した清隆は、目の前にいる南雲先輩をじっと観察している。

 

「噂は色々と聞いてるぜ、どんな話か気になるだろ?」

 

「いいえ、特には」

 

「はッ、そっけない奴だな。だが物怖じしないのは気に入った。これから色々遊んでやるよ」

 

 ものすごく面倒そうな顔を見せると、南雲先輩はその顔が見たかったんだとばかりに笑顔を見せる。性格が悪いにもほどがあった。

 

 南雲先輩には清隆がどう見えるんだろうな。月城さんと結託して懸賞金に一枚噛んでいるので色々と探っている段階なんだろうけど、このままどこまで絡んで来るのかイマイチ読めない。

 

 関わるのは止めた方が良いと思う。深く関われば関わるほどリスクが大きくなるだろうし、せっかくAクラスで卒業しても次の日には物騒な大人たちに囲まれて拉致されるなんてことが冗談抜きで起こる可能性もあるからな。

 

 この人は優秀だけど、変な好奇心で身を滅ぼしそうな気配がある。普通に卒業して、普通に就職して、普通に出世して、普通に死んで逝けば良いと思うんだけど、そういう生き方が出来ないんだろうか。

 

「どうだ綾小路、そして笹凪、今度の試験で俺と勝負しないか?」

 

「オレは興味ありません。そういう話は天武にしてください」

 

 面倒だからってこっちに丸投げしようとするんじゃありません。

 

「俺に勝てば2000万だって言っても興味を示さないのか?」

 

「欠片も」

 

 そりゃそうか、だって清隆は最大の敵である月城さんから2000万をもう貰っているからな……そう考えるとあの人は本当に何をやっているんだろうか。清隆を退学にさせたいんだよな?

 

「笹凪、お前はどうだ?」

 

「ご存知でしょう、俺がその程度の資金に靡くことはないって。せめて十倍は提示してください」

 

「相変わらずつれない奴だな……それともなんだ、負けるのが怖いって言ってるようにも聞こえたぜ」

 

「そんなこと、当たり前じゃないですか」

 

「え?」

 

 俺の返答に南雲先輩が少し意外そうな顔をする。鬼龍院先輩も同様だ。

 

「俺は別に誰よりも賢い訳じゃないですし、強い訳でもありませんよ。絶対に勝てるだなんて思って行動してません。俺に出来るのは勝つために全力を尽くして最善を模索して、その上で可能な限りリスクを排除するだけです」

 

 そしてそれは、この学園にいる多くの生徒がやっていることである。何も特別なことでもない。

 

「ですので、当然ながら自分が負けた時のことだって考えてます。そうなった時にどれだけの損失が生まれるのか計算して、対処もしますって。当たり前でしょう?」

 

「だから俺との戦いを避けるっていうのかよ」

 

「南雲先輩が2000万出すのなら、俺だって同じ額を出さないといけませんよね」

 

「そりゃ当然だろ」

 

「なら、難しいです。後、南雲先輩の後ろにいる桐山先輩が絶対に受けてくれるなって睨んで来るのでやっぱり難しいですよ」

 

 全員の視線がこれまで無言だった桐山先輩に向けられる。

 

「あぁ、そう言えば忠犬の散歩中だったな」

 

 忠犬という鬼龍院先輩の表現に、桐山先輩は視線を鋭くした。そしてケヤキモールの広場にあるベンチに優雅に腰かける彼女を鋭く睨みつけるのだった。

 

 だが桐山先輩は関わるだけ無駄と、これまでの学園生活で理解したのか、大きく溜息を吐いて落ち着くと意識をこちらに向けて来る。

 

「南雲、あまり無駄遣いはよせ。お前の元に集められたポイントは賭けに使うようなものではない、理解してくれ」

 

「だが勝てば倍になる。笹凪なら出せないことはないだろうからな」

 

「笹凪、お前は受けるつもりはないんだろう?」

 

「そうですね。意味のないリスクを無駄に背負う必要はありません。そこまで間抜けじゃありませんって」

 

「ならばこの話はこれで終わりだ。笹凪の言うことは一々尤も、反論の余地がないほどにな」

 

「随分と弱気じゃないか。だからお前は南雲に勝てないのさ」

 

「鬼龍院、お前はもう黙っていろ」

 

 苛立ったように頬を歪めている。相性が悪いだろうことは言うまでもないことだけど、かなり険悪なようだ。ただそんな感情を見せているのは桐山先輩だけであるが。

 

「桐山、安心しろよ。勝てばいい、そうだろう?」

 

「南雲、だから笹凪は受けないと言っているだろう……それにもう忘れたのか、混合合宿の件を。お前は余裕綽々で笑っていたが、結果を見れば4000万と400クラスポイントの損害だ。今回も同じようにならないと何故言い切れる」

 

 その言葉に南雲先輩は穏やかな笑みを消して苛立ちを露わにする。

 

「何もせずに試験を越えれば利益しか無かった。今回も同じだ、二年生を意識するあまり本質を見誤っている。お前の下に集まるポイントは一人でも多くの者をAクラスに上げる為にあるものだ」

 

 言っていることはとても正しいと思う。南雲先輩にも見習って欲しいほどである。

 

 だが苛立った顔をするのだから、この人にとっては難しい問題なのだろう。戦わず関わらず無事平穏に過ごすということができない人だろうから。

 

「南雲先輩、桐山先輩の言う通りですよ。不必要なリスクを背負う理由はどこにもありません」

 

 そうしなければどうしようもないと言うのなら、受け入れた上で勝利を目指すけど、今回はそんな必要はどこにもない。せめてその十倍を提示してくれればまだ一考の余地はあるけど、2000万程度ならマネーロンダリングで入手した方がずっと楽でリスクもない。

 

「そんな俺の考えを臆病と笑ってくれて構いません。けれど、これが結論です」

 

「はぁ……わかったよ。もっとノリが良い奴だと思ってたぜ。一応聞いておくが、綾小路も同じ意見なんだな?」

 

「これまでの話を聞いてなお賭けに乗るようなら、それはタダの馬鹿ですよ」

 

 辛辣な物言いである。それだと無駄なリスクをわざわざ作ろうとしている南雲先輩が馬鹿みたいじゃないか。

 

「そうかよ。つまらない奴だなお前らは」

 

 まだ納得いっていないのか、少しの虚無感と苛立ちを混じり合わせながら、南雲先輩は大きな溜息を吐いている。

 

「だが勝負そのものには参加して貰うぜ」

 

「わざわざ示し合わさなくても、学年がごっちゃになった試験なんですから嫌でもそうなりますって」

 

「ちゃんと意思確認してその上で戦うのが重要だと思うがな」

 

「貴方と戦うと、そう宣言すれば良いんですか?」

 

「あぁ、簡単だろう?」

 

「だとすればなおさら受け入れられませんね。もしかしたら南雲先輩は忘れているかもしれませんけど、混合合宿で言ったことをもう一度言いましょうか?」

 

 あの時、去り際に俺は確かにこの人にこう伝えた筈だ。

 

「まずは漢を上げてください。貴方を越えたいと思ったその時には、こちらから挑みます」

 

「……もう時間が無いんだよ」

 

「なら急いでそうなればいい。今の貴方に勝っても負けても、きっと俺は何も心が揺れ動きません」

 

 うん、それは間違いないだろう。勝っても負けても何一つとして得る物がない。負けたいとも勝ちたいとも思えないのだから、結果がどうなろうと欠片も興味が持てなかった。

 

「今は目の前の試験に集中すべきでしょう。ノリの悪い下級生にいつまでも絡んでも得るものなど何もありませんって」

 

 そんな言葉に南雲先輩は表情を歪めてしまう。けれど別に間違ったことは何も言っていない筈だ。

 

「はぁ、まぁ良い。嫌でも試験では戦うことになるんだ、楽しみにしてるぜ。鬼龍院、綾小路、そして笹凪、俺を楽しませてくれよ」

 

 この人はもしかして、まだ自分が挑まれる側だと思っているんだろうか? なりふり構わず徹底して潰すくらいに姿勢で挑まなければ勝てないというのに。

 

 俺たちはそうするつもりだけど、この人にはまだ玉座に座っていられるだけの余裕があるらしい。だとすれば少し残念だった。

 

 桐山先輩を忠犬の如く連れ歩きながら去っていく南雲先輩を見送っていると、ずっとベンチに座ったままだった鬼龍院先輩がクスクスと笑った。

 

「南雲の言葉を借りる訳ではないが、次の試験は楽しめそうだ」

 

「鬼龍院先輩もやる気が出たみたいですね」

 

「あぁ、ここまで滾るのはいつぶりだろうな」

 

 そして彼女はベンチから立ち上がる。

 

「夏が楽しみだ。ではな、可愛い後輩たち」

 

 最後にそう言い残して彼女も去って行った。

 

「三年生たちも強敵揃いか」

 

「あぁ、けれど俺たちだって負けてはいないさ。月城さんも、ホワイトルーム生も、三年や一年や二年だって、悉く薙ぎ払って叩き潰す、こちらの全てを注ぎ込んでな、そうだろう?」

 

「その通りだ」

 

 決着を付けなければならない相手もいるからな。しっかり、そしてきっちりと考えて努力して活路を見出そう。

 

 相手の戦力、作戦や方針、こちらのカードと戦力、どんなルールでどれだけの無茶が可能なのか、突ける穴があるのか無いのか、そして何よりも本番でどれだけの作戦が機能するのか、考えなければならないことは無数にある。

 

 当然ながら、ライバルたちもまた同じように考えて努力する、一筋縄ではいかない筈だ。

 

 空を見上げるともう夏の日差しが当たり前となっている。試験はもう目の前まで迫っていた。

 

 もっと考えよう、努力しよう、ルールを深く読み解いて、裏も表も王道も邪道も選択肢に入れながら勝利を目指す。

 

 

 結局の所、俺たちに出来るのはいつだってただ努力することだけであった。

 

 

 さぁ、夏も本番だ。

 

 

 

 

 



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夏、船の上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月20日、俺たちにとって二度目の夏休みを迎えた今日、全校生徒と教職員、そして「臨時」で雇われた外部協力者を乗せた豪華客船は、巨大な無人島を一望できる海の上にいた。

 

 そう、いよいよである。過去にない程に巨大で過酷な試験が始まろうとしている。

 

 普通の学校ならば夏休みに胸をときめかせる生徒ばかりなのだろう。或いはこの時期に催される全国大会に向けて集中しているのかもしれないが、生憎とこの学校はそういった世間一般の予定などをぶった切って生徒に試験を強制させるのだ。

 

 しかしあれだな、部活に入っている生徒は全国大会とかに出場する為に練習とか試合をするものなんじゃないだろうか? バスケの大会日程などは詳しく知らないがそういった場で活躍する為に須藤とかも練習している筈なんだが。

 

 まぁ夏ではなく冬の大会が本番と言う考えなんだろうか。少なくともこの学校は冬休みまで潰して試験を差し込んではこないだろうしな。

 

 少なくとも去年はそうだったので、今年もそうであると願いたい。

 

「去年より大きな島ね」

 

 豪華客船のデッキで風に当たりながら島を眺めていると、隣に鈴音さんがやって来て俺と同じような感想を述べた。

 

「うん、あれだけ大きいと全校生徒や教職員を受け入れても、まだまだ余裕があるだろう。他に何か気が付いたことはあるかい?」

 

「高低差もありそうだから、どうしても体力が必要になるでしょうね。運動能力に自信の無い生徒はそれだけで厳しい試験になるかもしれないわ」

 

「無理はさせないように言っていたじゃないか」

 

「えぇ、退学のリスクも無いのだから、そうさせるつもりよ。上位三組は貴方のグループに任せるという方針は周知徹底しているから、後は無茶をさせずに上位50パーセント狙いになるでしょうね」

 

 試験開始と同時に速攻でリタイアする生徒には既に救済用のポイントと報酬のポイントを渡してある。最終の意思確認も行って学校側に結んだ契約書も提出している。そこは安心できるポイントだった。

 

 師匠曰く、後顧の憂いを断つのは大切とのこと。

 

 退学のリスクが無くなったので試験に挑む生徒は固くなりすぎることはないだろう。程よい緊張感と共に試験をこなせる筈だ。

 

 ここに来るまでに出来る準備は全て済まして来た。退学者の救済もそうだけど、カード集めや交換なども積極的に行っており、やるべきことは進められただろう。

 

「鈴音さんも、無理しちゃダメだよ」

 

「心配してくれているのかしら?」

 

「そりゃ勿論。なにより君は去年の無人島試験で体調不良だった前科があるからさ。心配にもなるって」

 

「去年のことは蒸し返さないで欲しいわね」

 

「あぁそうしよう……今年は大丈夫そうだね」

 

「えぇ、程よい緊張感があるだけよ」

 

「よし、なら後は挑むだけだ。一緒に頑張ろう」

 

 豪華客船のデッキに穏やかな海風が吹き抜ける。僅かな潮の香りがするそれに背中を押されるように、生徒たちは特別試験の説明を聞く為に、船内に戻っていく。

 

「ところで鈴音さん、本当に一人で挑むつもりなのかい?」

 

「そのつもりよ。合流することも視野に入れているけれど、序盤は一人でしょうね」

 

「そうか」

 

「もしかして心配してくれているのかしら?」

 

「言うまでもないことだけど、言葉にしておこうか……そうだよ、とても心配している」

 

「そう、悪い気はしないわね」

 

 こちらの心配を他所に、鈴音さんはどこか上機嫌な様子で船内にある映画館の席に座った。

 

 別に俺たちは映画を観に来た訳ではなく、この場所で試験の説明がされるので腰を下ろしただけである。同じように二年生たちはこの映画館に集められており、一足早く説明を終えた一年生たちと入れ替わるようにここにいた。

 

 俺と鈴音さん以外にも、クラスメイトたちや他クラスの姿もこの映画館にはある。誰もが椅子に座ってその時を待っているようだ。

 

 坂柳さんは神室さんと橋本に挟まれるように座っており、そこから距離を置いて葛城派閥の姿もある。どうした訳か両者の間にある席には一之瀬さんたちが座っており、映画館の後方は龍園クラスが占拠している。

 

 俺と鈴音さんがいるのは前列中央、一番スクリーンと近い位置であった。

 

 壇上には真嶋先生がマイクを片手に立っており、遂に試験の説明が始まることになる。

 

「ではこれより無人島における特別試験のルールを説明したいと思う」

 

 そう言われるこの映画館に集まった二年生たちの緊張と集中が一気に高まったのがわかった。試験前特有のあの空気は、二年生になっても変わることはないということだろう。

 

「無人島に滞在する期間は明日からの二週間。昨年の無人島と同様に自分たちで自由に生活を行って貰うことが基本となる。試験期間中に続行不能な怪我や体調不良に陥る、もしくは重大なルール違反を犯した場合は容赦なく強制リタイアという形をとる。最大三人までの小グループを組んで貰ったことは記憶に新しいと思うが、ある条件のもと小グループ同士が集まり、最大6人までの大グループを作ることが解禁されるだろう」

 

 真嶋先生の説明は予測できたものであり、同時に試験の本質をまだ話してはいない。どうやって、どうすればがまずは知りたかった。

 

「各グループには得点を集める戦いを行ってもらう」

 

 映画館のスクリーンに今回の試験に関する様々な情報が映し出されていく。退学の回避に必要なポイントだったりその条件だったりは大きな齟齬はない、ペナルティなども事前説明と一緒だ。

 

 重要なのは得点を集めるという言葉だろう。そして以前に茶柱先生が言っていた総合力が求められると言う説明、そして無人島という環境、わかっていたことではあるが一筋縄で済ませられる試験ではないらしい。

 

 真嶋先生の説明と、スクリーンに映し出された情報によると、得点の稼ぎ方は主に二つあるらしい。

 

 一つは基本移動による会得、これは簡単に言えば一定時間ごとに学校側が指定するエリアに辿り着くことで得られるものである。誰よりも早く付けば一番ポイントが貰える。とてもわかりやすい。

 

 一番最初に着けば10点、二番目で5点、三番目で3点、それ以下は到着しただけで1点が貰えるらしい。体力自慢はこぞって参加するだろう。日に四回の場所指定があるらしいので、もし全てのエリアに一番で辿り着ければそれだけで40点、加えて到着ボーナスも貰えるので44点が貰えることになる。

 

 ただし気を付けなければならないのは、このエリア指定を連続でスルーしてしまうと稼いだ点数もペナルティで減少してしまう点だろうか、自分の体力と相談しながらペース配分を意識する必要もあるということだ。力尽きて連続スルーなんてことは避けたい。

 

 もう一つの稼ぎ方は無人島内で行われる様々な課題を攻略することで貰えるとスクリーンには映し出されている。

 

 生徒たちが説明に聞き入っている中、真嶋先生はいつか生徒会室で見た腕時計を掲げて見せつけた。

 

「明日の試験開始から試験終了まで、生徒にはこの腕時計を身に着けてもらう。その他に腕時計と連動するタブレットも支給されることになる。単純な時刻の確認だけでなく、得点を得る為に必須の道具でもある。基本移動の得点などはこの腕時計を元に集計されるからだ」

 

 GPS代わりになるということだ、そして生徒たちの体調を観察する為の物でもある。もし著しく脈拍などに異常が現れればアラームが鳴り、深刻な場合は学校側が迎えに来る手筈になっている。

 

 生徒が事故で重傷を負いましただと、学校側の責任になるだろうから当然の措置でもあった。

 

 またこの腕時計は装着した生徒たちをそれぞれテーブル分けがされており、生徒それぞれが異なる移動場所に誘導されるらしい。

 

 全員が全員、同じ指定エリアに向かって競走する訳ではないということだ。

 

 腕時計と一緒にタブレット端末も生徒に配られることになる。これもまた生徒会室で以前に見たものだな。こちらも地図の確認であったり、或いは他者の腕時計の位置から誰がどこにいるのか確認したりと、試験を乗り越える上で欠かせないものである。

 

 会得したポイントを消費すれば誰がどこにいるのかもわかるらしい。使い所を考えなければならないだろうけど、必要になる場面もあるだろう。

 

 

 「基本移動」「課題」無人島でこれらを攻略しながら点数を稼いでいき、多くの点数を稼いだ順に報酬を得られる。単純なようでとても複雑な試験と言えるのかもしれない。

 

 

 この場合、やはり学年全体で結託する作戦が取れる南雲先輩は強敵だろうな。そんなことを考えていると、壇上の上に真嶋先生からマイクを渡される月城さんの姿が見えた。

 

 相変わらず柔和な笑みを浮かべており、それだけならば穏やかな印象を与えて来るのだが、平然と懐に銃を忍ばせる人なので絶対に油断はできない。

 

 

 俺の中では、海が似合う男ランキング一位となっている。東京湾も似合うけど、やはり太平洋も似合う。

 

 

 真嶋先生からマイクを受け取った月城さんは、一瞬だけこちらに視線をやってからぎこちなく唇を歪めると、すぐに生徒全体を見渡してこう切り出した。

 

「私からは1つだけ、生徒の皆さんに注意点を説明させて頂きます。学校は生徒である皆さんを守る立場として、最大限安全と秩序の監視は行います。が、それでもこの無人島では全てに監視の目が行き届くわけではありません。特に多く発生すると思われるのが男女の違いによる敏感な問題です」

 

 誰がどの口で最大限の安全等と言っているのだろうか。試験に当たり前のように介入してくる上に、公平性など完全に無視した前科があるというのに。

 

「もし性的なトラブルが発生した際には、我々は退学も含め躊躇なく厳しいペナルティを与えます。悪質だと判断した場合は警察への通報も行います。どうかその点をお忘れなきようにお願いいたします」

 

 言っていることは至極当然のことである。けれど俺には月城さんが敵だというフィルターがかかっている為に、あらゆる言葉が説得力を無くしてしまう。これは気を付けないとダメなんだろうな、別に間違ったことは言っていないのに何故か批判的になってしまうのだから。

 

 師匠曰く、中庸は大切とのこと。

 

「また、無人島の滞在が長くなればなるほど、自然とフラストレーションは溜まるものです。食料不足や水不足によって、時には生徒間で小競り合いすることもあるでしょう。それに関しては――私はある程度認める方針です」

 

 まるで、特定の生徒が誰かに襲われても仕方がないよねと言い訳しているようにも思えた。

 

 ある程度の暴力を容認するかのような発言に映画館に集まった生徒たちと壇上の真嶋先生の間に緊張が走る。しかし月城さんは自らの発言を撤回することは無かった。

 

「一切の揉め事を完全に押し留めるなど不可能です。しかし容認すると言っても推奨している訳ではありません。偶発的なトラブルを認めるだけであり、悪質だと判断したトラブルには遠慮なく学校側は介入します。略奪行為、同意なき相手の所持品の使用は当然見過ごせず、場合によっては退学してもらうことになるでしょう」

 

 そしてまた月城さんの視線が俺に向けられる。

 

「ですので、いつどんな時でも冷静であるように心掛けてください」

 

 今のは忠告だろうか? 寧ろそのセリフはこちらから月城さんに言うべきことなんだが……。

 

「私からは以上です。どうか高度育成高等学校の生徒に相応しい行動をお願いいたします」

 

 全てを言い終えてから月城さんは僅かに一礼して壇上を去っていくことになる。これで特別試験の学校側からの説明は終わったことになるのだろう。

 

 同時に、これは月城さんからの宣戦布告でもあるのかもしれない。暴力を織り交ぜた展開が起こりうるという宣言にも近い。

 

 清隆は自分を餌にして月城さんやホワイトルームの関係者を釣りだす算段なのだが、本当に大丈夫だろうか?

 

 素直に心配である。こういう時に未来が見えたらと願わずにはいられないのだが、俺は南雲先輩ではないのでそんなことはできない。

 

 努力するしかないな。結局、俺にやれるのはいつだってそれだけであった。

 

 

 次に生徒たちに紹介されるのはリュックサックである。形も大きさも様々なそれは無料で配布されて生徒たちが自分に合った物を自由に選択することができる。

 

「まぁ一番大きいリュック一択だよな」

 

「邪魔にならないかしら?」

 

「多くの荷物が持てるのは魅力だよ」

 

 隣にいる鈴音さんは通常サイズのリュックで行くつもりなのか、注意深く見分をしていた。

 

 見本というか、サンプル用に設置されていたので、試しにこの最大サイズのリュックに可能な限りの水入りペットボトルを詰め込んで背負ってみると、特に苦もなく持ち運ぶことができる。

 

「ん、問題なさそうだな」

 

「……そうね」

 

 鈴音さんがそんな俺を見てチベットスナギツネっぽい顔になっている。いや、彼女だけでなく周囲にいる生徒も似たような顔をしていた。

 

「ぐ、ぬおおおおおお!!」

 

 だが負けず嫌いの生徒もいるようで、俺と同じように最大サイズのリュックに水を詰め込んで背負おうとしている生徒がいる。龍園クラスの石崎であった。しかしプルプルと震えるだけで一歩も歩くことは出来なかったらしい。

 

 近くにいる伊吹さんが呆れたような顔をしているのが印象的である。

 

「何やってんのよアンタは」

 

「だってよぉ、笹凪が軽々持ってたから意外にイケるんじゃねえかと思って」

 

「アイツと力比べしても無駄だって」

 

 最後には石崎は膝を突いて倒れこんでしまう……懐かしいな、俺も師匠の改造を受け始めたばかりの頃はよくああなっていた。

 

 でも気が付けば数百キロを超える仁王像を平然と背負えるようになっていたのだから、師匠は本当に凄いと思う。

 

 膝を突いて今なお呻く石崎を置いて、俺は早急に情報交換をしなければならない相手がいたので、映画館を出てすぐに彼女の気配を探す。

 

 あちらも俺を待っていたのかすぐに見つけられた。ただ大っぴらに会話している所を誰かに見られたくは無かったので、暫く歩いた後に人気のない船底付近で話し合うことになる。

 

「ご主人、方針はどうするんッスか?」

 

 九号がすぐさまこちらに指示を仰いでくる。細かい試験の説明をされたので最後の打ち合わせと調整をここですることになるらしい。

 

 輝かしく華々しい豪華客船の船底付近は武骨で薄暗い。本来ならば入れないエリアなのだが、九号が簡単に扉を開けてしまったのでこうして入ることができた。

 

 ここならば誰かに見られることも聞かれることもないだろう。

 

「ん、ある程度予想はできていたけど、やっぱり複雑な試験になりそうだ。だから君には……」

 

 さてどうしたものかと悩みながらも、九号の扱いに関してはシンプルで良いと結論が出てしまう。

 

 クラス闘争にも、特別試験にも興味がなく、月城さんの内偵が最優先の子なので、この学校のシステムを完全に無視できる存在というのはやっぱり扱いやすい。

 

「予定通り頼むよ」

 

「細かな変更は無しッスね?」

 

「あぁ、今回の試験で月城さんは大きく動くだろう。迂闊な行動と隙は君にとってはこれ以上ないくらいに都合の良い展開だ」

 

「了解ッス。それじゃあウチは予定通り動きますんで」

 

「そうしてくれ」

 

 下手に指示をだして細かく動かすよりはその方がずっと良い。きっと九号はそれを証明してくれることだろう。

 

 報告と最終調整を終えて、九号は音も気配もなく船底から消えて行く。残された俺は気が付けばいなくなっていた彼女の面影を思い出しながら、同じように船底を後にすることになる。

 

 

 明日の朝、いよいよ試験が始まることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 少しの緊張と、僅かな不安と共にベッドに入り、明日からの二週間がどうなるのかと悩んでいるとすぐに眠りに落ちることになり、翌朝になって程よい緊張感に包まれた体はすぐにデッキに向かうことになる。

 

 指定したリュックを背負い、先行のカードを消費することで初期ポイントが多めに貰えたので、必要な物資も買いこんでいく。

 

 水に食料に虫よけスプレーにテント、そしてモバイルバッテリーに無線機、大半が水と食料だな。

 

 それらを大きめのリュックに詰めていると、ハンデなのか一年生が先に島に上陸して早速とばかりに指定エリアに散っていくことになるのが見えた。

 

 時間にして僅か十分ほどであるが、それでも序盤のリードとしては十分だろう。

 

 そしていよいよ二年生たちが上陸するその時、島と船を繋ぐタラップをこちら側に進んで来る一年生たちの姿が確認できてしまう。事前に調整したリタイア組の五人だ。

 

 下位の5グループから上位入賞のクラスにポイントが支払われる都合上、一つのクラスに固めてリタイア者を出す訳にはいかなかったので一年生の全てのクラスからそれぞれ選出した者たちである。

 

 全員が納得できるだけのポイントを報酬として既に渡してあるので憂いも無く、それどころか辛い無人島生活を回避できるので喜んでいる者すらいるのだろう。

 

 その内の一人、九号はタラップを上って船にまで辿り着くと、担任の教師にこう伝えた。

 

「すみません。生理が酷いのでリタイアするッス」

 

 そんな要求と宣言を拒否することも否定することもできない先生は、怪しみながらも九号たちのリタイアを受け入れるしかない。

 

 船に戻っていく五人を二年生たちは驚きと共に見送るしかなく、これで自分たちが退学するリスクから解放されたと今更ながら気が付く者も多い。同時にリスクを軽減するカードを掴まされた生徒は悔しそうな顔もしているな。

 

「それじゃあウチは予定通り動くんで」

 

「ん、そうしてくれ」

 

 船に戻っていく九号と、無人島に下りようとしている俺がすれ違う時、九号は小声でそう伝えてきた。

 

 これで「予定通り」彼女にはまともに試験に関わらずに動くことになる訳だ。腕時計での位置特定とか色々と面倒だからな。九号はクラス闘争も特別試験もAクラスで卒業も興味がないので本当に身軽に動かせるのが救いだ。

 

 本命は月城さんの内偵なので、最大限その仕事を全うさせようじゃないか。

 

「よし、俺も行くか」

 

 ハンデとして一年生たちが十分早く無人島に入ったので既に出遅れているのだが、別にそのリードをくれてやるつもりはない。

 

 無人島に下りてタラップを足場にして蹴り飛ばすように一気に加速する。一年生たちには悪いと思うし、少し大人げないようにも見えるけど、譲るつもりはなかった。

 

 疾風迅雷の如く駆け抜けて、あらゆる得点を奪い去る。極論ではあるけれど、それができればこの試験は勝てるのだから、やらない理由がない。

 

 だから俺は無人島に入ったばかりの二年生も、少し早く森に入った一年生も抜き去って誰よりも早く突き進むことになる。

 

 誰も前にいない光景というのは、存外悪くはないものだ。

 

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ!! まさに快晴、実にいい天気じゃないか、そうは思わないかねマイフレンド!!」

 

 

 

 

 ん、あれ……なんで六助はリタイアしてないんだ?

 

 

 

 

 



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一人より二人の方が強い

 

 

 

 

 

 

 

 

「え、なんでリタイアしてないんだ?」

 

 無人島の中にある森を駆けながら、俺の後ろを付いてくる六助に素直な疑問をぶつけると、彼はいつものように優雅に笑いながらこう返してくる。当然とばかりに。

 

「不思議なことを訊くものだねぇ、私は一言もリタイアするとは言っていないというのに」

 

 確かに言っていないな、グループを組むことを申し込んで来た時も不敵に笑うだけだったか。

 

 大岩を踏みしめ、そこを足場に樹上に飛び移り、最短ルートで指定エリアを目指す。

 

 たった今、先頭を走っていたであろう一年生を追い抜かした所だ。

 

「いや、俺はてっきり速攻でリタイアするものだと思っていたからさ。ちょっとびっくりしたんだ。いつもの君なら面倒事は避けるだろうし、そうだと思ったからこそグループを組むことを受け入れたんだけど」

 

 六助もまた俺が通ったルートをなぞるように追いかけて来る。一年生の悲鳴交じりの驚きを背にしながらだ。

 

「ふむ、私がここにいる理由はただ一つ、興が乗ったというそれだけの話さ」

 

「なるほど、そう言われると君らしくはあるけれど……」

 

「不満なのかね?」

 

「そうではない……いや、う~ん」

 

 月城さんだったりホワイトルームだったりと、面倒事に巻き込む可能性があるので一人の方が身軽に動けるという事情がこちらにはある。

 

 ただまぁ、六助ならば大丈夫なのか? もし月城さんが荒事を彼に向けてくるとするのなら、俺が対処すれば良いだけだと受け入れるしかないか。

 

 しかし確認しておかなければならないこともある。

 

「六助、付いてこれるのか?」

 

 川を飛び越えて中州にある岩に着地して、そこから対岸までジャンプすると、六助は同じように付いてくる。

 

「ふッ、愚問だねぇ。私に不可能はないのだよ」

 

「茶化すな、真剣に訊いているんだ」

 

「ならば証明してみせようじゃないか」

 

 そう言って彼は加速して俺の隣に並び立つ、それどころか追い越して自ら先導を始めた。

 

 

 速くなっているな、去年よりもずっと。

 

 

 六助とはよく手合わせするし、師匠から教わった改造鍛錬も教えているので肉体的には去年よりも遥かに強まっているということだろう。

 

「ふふんッ、私は常に進化しているのだよ。君を観察して、その鍛錬を身に着けてわかった。肉体とは鍛えるものではなく改造するものだと」

 

 改造こそ人生、師匠の言葉である。それが六助にも受け継がれてしまったか。

 

「見たまえ、去年一年で改造した私の肉体を、美しいと思わないかい?」

 

「うん、良い筋肉だと思う」

 

 今ならオリンピックで平然と金メダルでも取りそうだ。それくらいの雰囲気はある。つまり俺寄りの肉体になっているということだ。

 

 同じように手合わせをして鍛錬をしている清隆も、圧縮された筋肉を持った肉体となっているので、彼もまた同じ成長をしたということか。

 

「これでもまだ不足かね?」

 

「いいや、無粋な問いかけだったな」

 

「そうとも、何一つとして不足など無いのだよ」

 

「よし……やる気があるのなら結構だ。六助、力を貸してくれ」

 

「私はいつだって己に従うだけさ」

 

 六助は不敵に笑ってフリーランニングで最短距離を駆け抜けていき、学校が指定したエリアに踏み込んだ。その瞬間に腕時計がポイント獲得を知らせてくれる。

 

 どうやら無事一位で到着することが出来たようだ。基本移動でのポイント獲得は本当に楽で助かるな。

 

「それにだ、私は――」

 

 何かを言いかけて六助は口を閉ざす。彼にしては珍しい反応だと思いながら続きを待つのだが、そこから先の言葉は伝えられることはなかった。

 

「まぁ良いだろう、今はね。それよりもマイフレンド、この試験の方針はどうするのだね?」

 

「まず訊きたいんだけど、ポイントで何を揃えたんだい?」

 

 エリア到着ポイントは奪い去れたので次の指定エリアが開示されるまでは移動する必要はない。なので目標となるのは課題なのだが、その前にしっかりと確認して調整しておく必要があるだろう。

 

「基本的には君と変わらないさ。水に食料、モバイルバッテリー。あぁ、手鏡と美容液などもある」

 

 その辺は六助らしいと言えるのかもしれない。

 

「今回の試験はクラス全体が一つのグループを支援するのだとクールガールは言っていたからねぇ、足りない部分は提供して貰えばそれで解決さ、だろう?」

 

「その通りだ」

 

 それで物資不足に陥っても最悪リタイアすれば良いだけの話だ。既に下位5組は確定しているので何の憂いもない。

 

「ん……よし、なら方針を伝えておこうか。しかし別に複雑な作戦なんて何もない。俺たちは基本移動でも課題でも一位と二位を独占する。それだけだ」

 

「グレィト、シンプルかつベストだ」

 

 ただそれだけで勝てるのだけれど、そう上手く進ませてはくれないんだろうということは予想できる。

 

「とりあえず近場の課題をこなそうか、道中で三年生や一年生の動きを教えるよ」

 

 タブレットを確認してみると、島の地図には幾つかの赤い点が確認できる。その場所で課題が行われる訳だが、セオリー通り一番近い場所にまずは向かうべきなんだろう。

 

「英語テストの課題が近いみたいだ、これに参加しようか?」

 

「問題はないとも」

 

 だろうな、どんな問題が出てくるのかわからないけど、やる気のある六助なので大した障害にはならないはずだ。

 

 この試験は基本移動での競争もそうだが、課題での競争も存在している。定員を満たせばその課題は受けられなくなるので素早い移動が必要となる訳だ。

 

 なので俺と六助はまたフリーランニングを駆使しながら無人島を駆け抜けることになる。無数の木々や岩や高低差のある地面なども多い土地であるのだが、それを障害物として認識できないのはありがたい。

 

 師匠と暮らした山奥を思い出す。平坦な道なんて無くて、この無人島のように広大で複雑な森が広がっていた中を、数百キロを超える仁王像を背負って走り回っていたな。

 

 それに比べれば、リュックに入っている大量の荷物のなんと軽いことか。

 

 一人で挑むつもりではあったけど、まさか六助の力が借りれるとは思っていなかった。彼ならば平然とついてくるだろうし、あらゆる課題でも一位を取ってくれるだけのポテンシャルもある。

 

 一人よりも二人の方が強い、とても当たり前で、そしてこれ以上ないくらいに完璧な理論であった。

 

「今回の試験で一番厄介なのは三年生でね」

 

 いや、本当は月城さんなんだけど、あの人は別枠として一番試験で厄介な相手となるのは間違いなく南雲先輩だ。

 

 川を飛び越えて向こう岸に着地すると、同じように着地した六助にそんな情報を伝えた。そしてまた森の中を駆け抜ける。

 

「三年の南雲先輩は学年全体を支配しているから、結託して一つのグループを勝たせようとしてくるだろう。三年全体が手足となってこちらの妨害をしてくるということだね」

 

「ほう」

 

「ただ、買収している人たちも多いし、全てが全てあの人の手足って訳じゃない。だからといって油断はできないんだけどね」

 

「フッ、何も問題はないさ、既に綻びがあるのならば砂上の楼閣に過ぎないのだから」

 

「ああ、それに不安は他にもあってさ」

 

「ふむん? 心配事があるのかね?」

 

「いや、具体的な指示を出した訳じゃないんだけど……う~ん、寧ろ自重しろって止めた側なんだけど、どうなるかなぁ」

 

 この試験で心配なのはそれぞれの学年の動きや月城さん関連もそうだけど、実は俺が一番危惧しているのは敵の動きではなく味方の動きであった。

 

 いや、だってね、ほら……あの子ってゴリラだからさ。

 

 別に侮辱するつもりもないし、尊重もするし、一応の主従関係を結んでいるとはいえ他所様の子だから強くは言えないからさ、無茶苦茶するなって忠告するのが限界だったんだよね。

 

 あの子、九号は……この学校で一般常識から最も離れた位置にいる子だから、とても心配であった。

 

 大丈夫だよね? 試験が終わったら死屍累々とかなってないよね? 俺はそうならないように忠告した側なんだけど、イマイチそうならないと自信が持てないのが九号である。

 

 心配だ。ゴリラ過ぎる味方がいるせいで敵を心配しなければならないという不思議な状況にいるのが俺なのだ。どうしてこうなってしまったんだろうか。

 

 そう考えると九号はとても有能で強力だけど、使い辛い所があるのかもしれない。相手が月城さんやそれに準ずる勢力ならば積極的にけしかけられるけど、学生相手だとそうはいかないのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら森を駆け抜けて課題が行われる地点まで辿り着いた。それほど接点がある訳ではないが、三年生の担任をしている先生が取りまとめている場所のようだ。

 

「すみません。課題に参加します」

 

 申請をするとあっさりと受け入れられる。詳しいルールを確認すると学年によって問題は違うが難易度は変わらないように配慮されているらしい。

 

 俺と六助が参加の申請をして暫くすると他の生徒たちも集まって来た。一年生から三年生まで様々な参加者がいるようだ。その内の一人に知った顔がいたので声をかける。

 

「葛城、君もこの課題を受けるのかい?」

 

 その人物とは葛城であった。同じグループの戸塚と同じ派閥のメンバーもいる。

 

「そのつもりだったが、気が変わった」

 

「え?」

 

「皆、参加する課題を変えるぞ」

 

 しかし彼は俺を見た瞬間に踵を返してしまう。

 

「葛城さん、参加しないんですか?」

 

「笹凪がいる以上は旨味がない。他の場所で一位を狙った方がまだマシだ。勝てない戦いで時間を浪費する必要はない」

 

「ですが二位は狙えるのでは?」

 

 戸塚のそんな指南に葛城は六助に視線を向けてからこう言った。

 

「高円寺の実力は不透明だが、以前の特別試験では高い点数を記録していた。三位狙いをするくらいならば他の課題に向かった方が得だ。行くぞ」

 

 勝てないから他の場所に向かう。どうやら葛城はこの課題を放棄して別の場所で得点を得ようとしているらしい。

 

 冷静かつ素早い判断だと言うべきなのだろうか。情けないと笑う者もいるのかもしれないが、そういった決断もまた試されているということなのかもしれない。

 

 勝てる戦いで確実にポイントを稼ぐ、無意味な時間は使わない。クレバーな判断は流石と言うべきなんだろう。

 

 急ぎ足で別の課題が行われている場所へ移動していく葛城を見送ることになる。彼は彼で坂柳さんとの決着をこの試験で付けなければならないので、注目している一人であったりもした。

 

「規定人数に達したのでこれより課題を開始する」

 

 葛城たちに代わって三年生の何名かが参加したことで規定人数が埋められて、俺と六助は英語テストを受けることになった。学年によって出される問題は異なるようだが、難易度自体は大差がないように配慮されているらしいので、そこで優位性が発揮されることはないようだ。

 

 以前に一年生と組んで行った難易度の高い試験のように、高校範囲から逸脱したような問題が出されることもなく、何の障害にもならない試験である。

 

 終わってみれば、俺と六助は二人とも100点を記録しており、一位と二位を独占する形となっていた。

 

「ん、この調子で課題を埋めて行こうか」

 

「容易いものだ。少し退屈にすら思えてしまうよ」

 

 やる気のある六助は本当に頼りになる男である。何の気まぐれでこうして参加しているのかは知らないけど、ありがたい存在であった。

 

 だって彼がいるだけで課題に参加すれば一位と二位が埋められるからな。必然的に他の参加者は三位しか取れなくなってしまう。当然ながら貰えるポイントは低くなる。

 

 更に理想を言えば、三位すらも独占できるような面子がいればほぼ全ての課題で上位入賞を奪い去れるだろう。他の生徒たちはどの課題に出ても俺たちとぶつかるだけで損をするような状況になるな。

 

 まぁそれが出来る相手は清隆くらいなので簡単にはいかないのだけど。

 

「ふむ、次の指定エリアが更新されたようだねぇ。当然狙いに行くのだろう?」

 

「勿論、一つたりとも無駄にするつもりはない。序盤で一気に突き放して余計な小細工や思惑すら引きちぎって最後まで突き抜ける」

 

 正面突破を意識しながらも小技も忘れない。買収した三年生たちもこちらが有利になるように動いて貰うつもりだし、懸賞金狙いの一年生たちだって好きに動かすつもりはない。

 

 最終的に全てを凌駕して一位になることが目標である。王道も邪道もルールの穴も突ける隙も、ポイントも買収工作も全てを使う必要があるだろう。

 

 己が取れる全ての手段と力と意思を持って結果を勝ち取る。南雲先輩のように玉座にふんぞり返っているような立場でもなければ余裕もないので、まさになりふり構わず全てを出し切るつもりだ。

 

 しかも敵は生徒だけでなく月城さんだっている。正直過労死しないか不安な程である。

 

 だからこそ九号に頼ったのだけれど、だからこそ不安で一杯と言うべきなんだろうか。

 

 なんであれ今は目の前にある課題と移動である。幸いなのは六助のやる気があることなので、そこは本当に楽ができる部分なのだろう。

 

 ある程度のペース配分を意識しながらも凄まじい速度で無人島を駆け抜けていく。その速度に彼は特に苦も無く付いてきてくれるのだ。本当に話が早い。

 

 こちらのグループを組める最低条件がこちらの速度に付いてこれるか否かなので、一人で挑むことも覚悟していたし準備もしていたのだけれど、こうして一人頼りになる仲間がいるだけで随分と楽になる。

 

 後ちょっとで追い抜けるとか、そういう次元の戦いにはしないつもりだ。最終日付近では逆転不可能なくらいの差を作ってから、悠々と月城さんを処理するとしよう。

 

 試験で勝つことも大切、そして月城さんを海に沈めることも大切、二つを同時に進めていかなければならないのが大変だった。

 

 新しい指定エリアを後少しで一番乗りする筈だった三年生を追い抜いてから、一位での到着ポイントを奪い取って、すぐさまタブレットを確認して次の課題を探す。

 

「ソフトボール投げの課題が近いな。六助、自信のほどはどうかな?」

 

「見たまえ、この美しい上腕二頭筋を」

 

「よし、なら行くとしようか」

 

 初日の滑り出しとしては上々の結果なのだろう。基本移動での得点は全力で走れば得られるし、課題であっても俺と六助ならば一位と二位を独占できる。おそらく順位発表される四日目までは大きな問題も無く進める筈だ。このグループが持っているポイントがどれだけなのか正確に把握されればすぐさま他のライバルたちを動き出すだろうから、まだ注目が低い序盤で一気に突き放すとしよう。

 

 ありとあらゆる手段と力を持って全てを凌駕する。戦いとは結局の所それが全てであった。

 

 その日、このグループは基本移動でも課題攻略でも抜群の結果を残すことになる。他のグループがどんな動きをしているのかまだ把握は出来ていないが、初日の出来としては完璧に尽きるだろうことはわかった。

 

 勉強系の課題でも、運動系の課題でも、一位と二位を独占すれば他の生徒は三位しか取れない。当然ながら差は開く一方ということになる

 

 手を抜くつもりもない、このまま全てを置き去りにするとしようか。

 

 

 

 

 



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それぞれの夜

 

 

 

 

 

 

 

 文句の付けようがない滑り出しによって多くのポイントを稼いだ初日、全ての基本移動と課題で上位を独占した満足感と共に夜を迎えることになった。

 

 テストであっても運動であっても一位と二位を独占する結果になったのだから文句も付けようがない。この学校は色々とあれだけど教育機関という枠組みなのだから当然ながら生徒の実力は最高で100点までしか測れない。

 

 そして常に100点以上を叩き出せる戦力がいるのだから、当然とも言うべき結果なのかもしれない。

 

 このままグループの順位がわかるようになる四日目までは問題なく突き進んでいけるだろう。タブレットを使って1点を消費すれば相手の場所もわかるようになるので戦いが激化するのはそこからだと推測できる。

 

 それまでに大きなリードを作りたいものだ。やっぱり南雲先輩が一番の強敵になるのかな。まぁどこか余裕綽々な感じがまだ抜けきっていないようだったからどうなるかはわからないけど。

 

 何であれ初日の滑り出しは最高だ。この調子なら四日目まではこの勢いを維持できるだろう。そんなことを思う無人島での初めての夜だった。

 

 さてテントはどこに設置するかとか、明日はどうするのかと考えながら、薄暗くなった森の中でリュックを漁って中から栄養バーを取り出して口に含む。

 

「食料は先行のカードで多めにあるし、水も同じだけど、効率を重視してカロリーメイトばかりにしたのは失敗だったかな。もう少し味気のある物も用意すれば良かったよ」

 

「それは何味だい?」

 

 六助は篝火を挟んで向こう側に座り、同じくリュックから取り出した食料を口に運んでいた。彼はその辺のことを色々と考えていたのか缶詰を中心に持ってきたらしい。

 

「チョコ味、普通に美味しいけど、栄養バー特有のパサパサした感じが喉を乾かすね」

 

「クッキー生地だからそれも仕方あるまい。その点、缶詰ならば心配はいらないさ」

 

 そんなことを言いながら六助は俺にリュックから取り出した桃の缶詰を投げ渡して来た。

 

「ありがとう……缶詰か、一応候補には入れてたけど、栄養バーよりも高かったから見送ったんだよね。でもこうしていざ食事の時間になってみると、ありがたい存在になってくるんだから、効率重視も考え物だ」

 

 受け取った桃の缶詰の蓋を指先で引きちぎって中身を取り出す。蓋を開けた瞬間に桃と缶を満たしていた甘い蜜汁が零れそうになったので慌てて吸い込む。少し行儀が悪いけど許して欲しい。

 

「ん、美味いな」

 

 カロリーメイトが悪い訳じゃないけど、二週間ずっとあのパサパサが喉に張り付くと考えれば、桃の缶詰のなんと美味なことか。

 

「栄養バーだろ、それで果物の缶詰……肉類も欲しくないか?」

 

「ふむ、道理だねぇ」

 

「肉類は高かったからなぁ、どこかの課題で手に入れられたら良かったんだけど……まぁここは現地調達だな」

 

 地面に落ちていたゴルフボール程の大きさの石を拾い上げて、暗闇に包まれている森の中に投げつける。

 

「何かいたのかね?」

 

「兎だ」

 

 無人島だけど小動物がチョロチョロしているのはわかっていた。流石に大型の猪であったり熊であったりはいないようだが、小さめの生物は生息している。

 

 午前中の明るい時も、蛇だったりをよく見かけたので、あれも機会があれば捕獲して食料にするとしよう。

 

 石を投げ飛ばした方向に進み、その先にいた絶命した兎の耳を掴んで篝火の近くに戻る。

 

「すまないな、血肉となってくれ」

 

 自分勝手な都合ではあるが、せめてもの謝罪をしてから兎の解体を始めていく。キャンプナイフで血抜きを行ってから皮を剥いで余分な部分を切除していけばあっという間に準備が整う。

 

 これが猪や熊の解体ならもっと手間がかかるんだけど、兎ならこれくらいで捌ける。

 

 それにしてもこの兎はどこからやって来たのだろうか? 無人島ということだから人気はないけど、もしかしたら以前は人が住んでいてそこで飼われていたのかもしれないな。それが野生化したんだろうか。

 

「ほう、随分と手慣れているじゃないか」

 

「以前に、俺を育ててくれた恩師にジャングルに放り込まれたから、そこで覚えた」

 

 後、師匠と暮らしていた山奥の神社には偶にだけど猪や熊も出没したので、よく戦わされていた。命を奪った以上は血肉に変えろと言われていたのでしっかりと腹に収めたな。

 

「食べるかい?」

 

「せっかくだから頂こう」

 

 兎肉を枝に刺した状態で六助に渡す。缶詰のお礼としてだ。

 

 そして俺と彼は共に篝火で兎肉を焼き始める。こうしていると、いよいよサバイバルっぽくなってきたな。

 

 別に食料が不足している訳ではないけど可能な限り節約はしたいし、バランスの悪い食事ばかりだとこの二週間のどこかで体調を崩す可能性もある。何事も節約としっかりとした食生活を心がけるべきだろう。

 

 肉、野菜、果物、栄養バー、長丁場な試験なのでこのローテーションが理想的である。

 

「思っていた以上に悪くない。なかなかワイルドな味わいじゃないか」

 

 兎肉がそれなりにお気に召したのか、六助はいつものように高らかに笑ってくれた。

 

 もっと優雅に洒落た感じで食事をするのかと思っていたけど、思っていた以上に適応能力が高いのかもしれない。食堂で普通に肉類は食べれても、目の前で解体した肉は食べれないという人は結構多いから、抵抗なく口にできる側の人間ならば今後の食糧調達でも文句は言わない筈だ。

 

 2人して串に刺した兎の肉を焼き、果物の缶詰を食べる時間は悪くない。なんだかキャンプでもしている気分になってくる。

 

「……皆は大丈夫かなぁ」

 

 こうして落ち着いて食事をしていると気になるのはクラスメイトたちである。そして同じ試験に参加しているライバルたちだって心配になった。

 

「君はよく父性を感じさせる表情になるねぇ、それは長所でもあるのだろうが、短所でもあると私は思うよ」

 

 篝火の向こう側で丸太に腰かけた六助はパイナップルの缶詰を開けながらそんなことを言って来た。波瑠加さんにもよく言われることではあるけど、またそうなっていたらしい。

 

 しかし、短所か、そう言われるのは初めてだな。

 

「一つ訊いてもいいかな?」

 

「何かね」

 

「いや、どうして急にやる気を出したんだろうなって思ってさ」

 

「言っただろう、興が乗ったと」

 

「本当にそれだけなのかい」

 

 すると彼は肩をすくめて、まるでハリウッド映画のアメリカ人のようなわかりやすいポーズを見せる。多分俺がやってもどこか似合わないのだろうけど、彼がやると様になるのだから不思議だ。

 

「そうだねぇ……実は目的というか、ちょっとした思惑はあるさ」

 

 だから今回に関してはやる気があると……しかしその理由が俺にはわからなかった。

 

「ふむ、まぁ良い機会だ、伝えておこうか」

 

 六助は新しく焼いた兎肉を頬張って暫し思案するとこう切り出す。

 

「マイフレンド天武、君はいつも常に他者に気を使っているようだが、疲れはしないかね?」

 

「ん……疲れるということはないけど」

 

「そうかな? 窮屈で不自由な生き方をしているようにも思えるがねぇ」

 

 六助からしてみれば俺はそう見えるのだろうか。

 

「鳥は羽ばたいて自由に飛ぶから鳥なのだよ。鎖で雁字搦めになって地べたに張り付いていては意味がないだろう」

 

 なんだろうな、前にも鬼龍院先輩から似たような表現を聞いたことがある。

 

「多くの者が君に頼り、多くの者が寄りかかる、君を地上に縛り付けるかのように。強者の義務と言えばそれまでだがね……生憎と私はそれを良しとは出来ない性分なのさ」

 

「つまり?」

 

 

「私は君に守られるほど弱くはない、それを証明したいのさ」

 

 

 それが、六助が今回の試験でやる気を出した最大の理由であるようだ。なるほど、どこか納得できてしまう。

 

「強者の義務をただ淡々と遂行する精神には敬意を表そうじゃないか。しかしだ、いつかどこかで君は疲れて倒れてしまうのではないかと危ぶんでいる。この高円寺六助がそれを良しとするとでも? 断じて否だ」

 

「だから手伝ってくれる訳か」

 

「YES。お荷物ではなく、背中を預けられる者がもう一人くらいいても贅沢ではないだろう」

 

 もう一人か、もしかしたら彼は清隆の存在や実力をある程度は察しているのだろうか? もしかしたら俺との協力関係も見透かしているのかもしれない。

 

「なるほど……つまり俺は、君に気遣われている、そういうことだね?」

 

「そうさ、光栄に思いたまえ。この私にそこまで気遣わせたことを」

 

 いつもの高笑い夜の森に響かせる六助を見て俺は自然と笑みを浮かべていた。

 

 高円寺六助という男は唯我独尊で自由気ままな、それを信条とする人だと思っていたし、実際にそんな評価は間違いではないんだろうけど、同時に己の中にあるルールや誇りを尊重する存在でもある。

 

 そして何より――情熱を内に宿す男でもあるということだろう。

 

「ありがとう、感謝するよ。何度も思うことだけど、一人じゃないってことは、重要なことだ」

 

 どうにも俺は周囲の人たちに、危なっかしいというかどこか心配される傾向にあるらしいので、助けて貰えるのは凄く助かる。

 

 思い出すのは師匠の姿である、誰も並び立てない場所に立つあの人はいつも誰かを求めているようにも見えた。いつか俺がとは思っているけれど、もしその時が来ても俺と師匠の場所が変わるだけなのかもしれない。

 

 師匠を目指しながらも、師匠と同じ孤独の路を歩まない、それが大切なのかもしれない。

 

 背中を預けられる人がいるのならば、きっとそうはならないだろう。

 

 不敵に笑う六助に感謝しながら、俺は人に恵まれていると改めて思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 夏の特別試験、無人島でのサバイバルが開始されて初日の夜を迎えた。

 

 天武が一年生を口説いたことで既に下位5組は決定しており、現時点でリタイアしても問題はないのだが、月城やホワイトルーム生を釣りだす為に単独行動をすることになった。

 

 今は夜、もし襲撃をかけるのならば都合の良い時間だろう。事故に見せかけるにしても堂々と襲い掛かるにしてもだ。

 

 薄暗い森から、或いは影に潜んで、いつ来ても良いように警戒は怠っていないが、ずっと張りつめているのはそれはそれで疲労が溜まる。

 

 それでも釣りだし作戦を実行する以上は、黙って耐え忍ぶしかない。

 

「どうもッス」

 

 薄暗い森の中にテントを張り、目印としてランタンを置いておくと、三十分ほどで足音も気配もなくとある一年生が姿を現した。

 

 本当に何の気配も存在感もなく、背後にワープでもしたかのような感じだったので、もの凄く驚いたことは秘密にしておこう。

 

 鶚銀子、リタイアした筈のこの一年生は平然と無人島で活動しているようだ。当然ながらGPSとなる腕時計もタブレット端末も持っていない。

 

「目印用のランタンを置いていたとはいえ、よくここにいるとわかったな」

 

「船から下りる前に教師用の特殊端末を覗いて生徒の位置を大まかに把握してから来たんで、ヨユーッスよ」

 

「そうか」

 

 あの豪華客船は既に無人島を離れて沖合に出ている。鶚の髪が濡れていることからどうやら泳いで無人島に潜入したらしい……天武もそうだが、超人と呼ばれる存在はどこか常識的な行動を放り投げる傾向にあるらしい。

 

 きっと、溺れてしまうとかそういうことは最初から考えないのだろうな。沖から無人島まで平然と泳いで来たということか。

 

「綾小路パイセン、お腹減ってませんか。ここに来る前に調達したんで良ければどうぞ」

 

「……そのリュックはどうしたんだ」

 

 鶚は背負っていたリュックを雑に地面に落とす……それも三つ。

 

「奪いました」

 

 何の悪気もなく、平然とそんなことを言ってくる。それが当然とばかりに。

 

「物資と武器と協力者の現地調達は忍者の基本でやがります」

 

「一応聞いておくが、バレてはいないよな?」

 

「そりゃ当然ッスよ。腕時計も無いんで学校側も誰がそこにいたかなんて把握できてません。このリュックの持ち主も、ちゃぁんと三年生を対象にしましたんで。なんか篝火を作るのに集中してたんで、こっそり拝借しました」

 

「略奪行為はルール違反だぞ」

 

 すると鶚は鼻で笑って見せる。

 

「いや、ウチにそんなこと言われても困るッス」

 

 略奪したリュックの中から食料を取り出して、カロリーメイトと缶詰をこちらに投げ渡してくる。これでオレも共犯になるのだろうか?

 

 まぁ鶚は腕時計も付けていない。リュックを奪う時も姿を見られてはいないとのことなので「そこに誰がいたか」を証明できないと言うことだ。それこそ学校ですら把握できない。腕時計がないからな。

 

「しかしまぁ、無茶をするものだ。速攻でリタイアした後に平然と無人島まで来るなんて、ここまで試験に真剣にならない生徒がいるとはな」

 

「ウチは特別試験にもクラス闘争にも、それこそAクラスでの卒業も興味ないんで、もっと言えば退学になっても良いんッスよ。本命は内偵なんで、ご存知でしょう」

 

「そうだな、そこはありがたいと思っている」

 

 この学校でここまで身軽に動ける生徒はいないだろうからな。

 

「腕時計もないんで月城からはずっと綾小路パイセンが一人で行動しているように見えやがります。上手くやりましょう」

 

 オレが一人でいるという前提が腕時計の有無で消滅する。まさか月城も試験を最初から放棄してこちらの駒になっている相手がいるとは思わないだろう。その油断と慢心を鶚がいれば突ける。

 

 略奪したリュックから取り出した食料を頬張る鶚は、相変わらずどこか希薄で存在感が感じ取れない。瞬きすれば姿を見失いそうな感覚すらあった。

 

 月城にとっては予想外の戦力となるんだろうな。天武は意識していてもこの一年生は完全に意識の外だろう。

 

「一応、説明しておきますが。ウチがご主人から受けた命令は綾小路パイセンの護衛でやがります。それとやり過ぎないようにも命令されたッス」

 

「……やり過ぎないように、な」

 

 視線は自然と地面に転がっているリュックサックに向けられる。鶚にとって略奪行為はやり過ぎの範疇に入らないのだろうか?

 

「死んでね~んですから大丈夫ッスよ。最悪リタイアしても退学にはならないんッスから気楽なもんです」

 

 ランタンを挟んで向かい側に座った鶚は、我が物顔で略奪品を口に放り込んでいく。

 

「ウチらにとって重要なのは、試験に勝つことじゃなくて月城の排除、そうッスよね?」

 

「そうだな」

 

「なら、パイセンが一人でいると思ってノコノコ来た所をぶん殴ってやりましょう。そこまでわかりやすい隙を晒してくれる絶好の機会でやがりますよ、この無人島はね」

 

 ご丁寧に撮影用のスマホまで用意しているらしい。月城がどれだけ権力を持っていようが動かぬ証拠を確保すればそれでどうにでも処理できる。そういう算段であった。

 

 鶚は護衛で、オレは餌だ。月城やホワイトルーム生がノコノコ出て来てくれることも期待するとしよう。

 

「ウチにとっても、綾小路パイセンにとっても、共通の敵が間抜けを晒してくれそうなんですから、頑張りましょうよ」

 

 そこに関しては完全に同意できる。

 

「異論はない……ただ気になるのは、お前が船から消えたことを不審に思われたりはしないのかという点だ」

 

「大丈夫なんじゃないッスか。大半の職員は無人島にいますし。ウチは教師側の協力者に体調不良で個室を貰って休んでるって設定を作りましたよ。診断書も今頃作られている筈ッス」

 

「なるほど、お前が今、船にいるという客観的な証拠がある訳か」

 

「そうッスよ」

 

 手慣れているというか、そういった行動に躊躇がないように思えた。騙して嘘をつくことを日常としているかのように自然で当然なことのように思っている人種ということだろう。

 

 やはり、油断はできないな。ホワイトルーム生とは違った意味でそう思う。

 

「わかった……ここから先、長丁場になるだろうが、よろしく頼む」

 

「勿論ッスよ、それがご主人の命令なんッスから、当然付き合います」

 

 その言葉に、ふと鶚と天武の関係が気になった。単純な後輩先輩ではないことはわかるし、所謂超人と呼ばれる存在が関係していることは理解しているのだが、両者の間には不思議な信頼があるように思えたのだ。

 

 良い機会だ、鶚から見た天武を知っておこうか。きっとオレよりも多くのことを知っているだろうから。

 

「鶚は天武との付き合いは長いのか?」

 

「まぁ、それなりッスね」

 

 新しい缶詰の蓋を開けながら鶚は頷く。

 

「最初に会ったのは……何年前だったッスかね? ウチの師匠とあの人の師匠が知り合いなんでそれが縁で顔合わせしたんッスよ。そんでそこで殺し合いました」

 

「……うん?」

 

 何故か話がいきなり別方向にねじ曲がったな? 何で初対面で殺し合うことになるんだろうか。

 

「いや、師匠がやれって言ったんで、とりあえずやろうとしたんですけど、返り討ちにあったんッスよ」

 

「そうか……オレにはよくわからないが、険悪な仲なのか?」

 

「いえ、別にそういう訳じゃないッスけど、手合わせの延長みたいなもんなんで、たとえ負けても後腐れはなかった感じですって。まぁ殺す気で行きましたけど、ご主人はこっちを殺さないように加減してたんで……まぁ完敗ッスね」

 

 何でもないような感じでそう説明してくる。その表情に一切の陰りや不満もないので、殺し合ったというのに何の後腐れもないというのは間違いないんだろう。

 

「ウチはこれでも鶚衆の里では天才なんて呼ばれてたんッスよ? 師匠に負けるのはしゃーなしにしても、同年代に負ける日が来るなんて思っても無かったッス……あれ以来――」

 

 そこで鶚は視線を上に向ける。木々の隙間から僅かに星空が見えており、どこか遠くを羨望するかのような表情となっていた。

 

「ウチは決めたんッス、この人の子供を孕もうって」

 

「……うん?」

 

 また話が吹っ飛んだな、どうしてそんな結論に至ったんだ?

 

「師匠も笹凪流の高弟なら問題ないって言ってくれましたし、あっちの師匠もまぁ良いんじゃないかって言ってくれましたんで、何も問題はないッスよね」

 

「いや……え~と」

 

 オレはどう答えるのが正解なんだろうか? こんな問題はホワイトルームでは習わなかったぞ。

 

「つまり、鶚は、天武と交際したいと言うことか?」

 

「いや、なに言ってるんッスか?」

 

 何故首を傾げる、そしてそれはオレのセリフだ。

 

「あの人とウチの子供なら最強の忍者が育てられます。それもウチの仕事なんで相手を探してたんッスけど。やっぱご主人が一番かなって」

 

「交際とか、結婚とか、そういう話ではないってことか」

 

「うん? まぁそういう契約体系が必要なら別に構いませんけど、子種さえ貰えればウチは満足っすよ」

 

 女子高生が子種がどうのと発言するのはどうなんだろうか、恥も慎みもあったものではない。

 

「それにウチら鶚衆はどんな時代でもそうやって血を繋いで来た一族ッスから。強い男を選別して強い子供を作る、そうやって血と肉をアップグレードして戦国の世からここまで続いた。その最先端にいるのがウチなんッスよ」

 

 よくわからない集団というのが、鶚の説明でよくわかった。

 

「その言い分だと、別に天武のことは好きじゃないのか?」

 

「好きッスよ。強いし、金払いも良い。懐も深いので主として仰ぐ存在として完璧ッスから。英雄に付き従って血を分けて貰うのが鶚衆の生存戦略ッス。ご主人がこの学校にいるって知ったからこの仕事を受けたと言っても過言ではないッスね」

 

「そうか……まぁ頑張れ」

 

「当然ッスよ。血を強く強靭に、生物の基本ッス」

 

 こうして鶚と話して理解したことは、目の前にいる少女は一般や普通から大きく逸脱した考えや価値観を持っているということだった。ホワイトルーム出身のオレが言うのもなんだが、鶚銀子はどこかおかしい。

 

 天武もどこか一般的な感性や価値観からズレた所は度々見せるが、アイツはそれを不自然だと自覚して修正しているようにも思える。

 

 しかし鶚は違った、自分の中にある柱となる価値観を絶対としており、他者との違いに違和感を覚えることはない、そんな印象がある。

 

 ある意味では、この学校で一番の異常者であるのかもしれない。

 

 ホワイトルームも常識というものを蹴り飛ばしていたが、外の世界には同じように当たり前の日常や常識から逸脱した誰かがいるということだろう。天武もそうだし鶚もそうだ。

 

 世の中にはホワイトルームでは学べない色々な非常識がある。オレはまた一つ賢くなったようだ。

 

 一抹の不安もある相手だが、鶚は貴重な戦力なのでしっかり働いて貰うとしよう。月城が把握していない戦力というだけでもの凄く貴重だからな。

 

 それに、一人の夜でないというのは、心強くもあった。

 

 同行者はちょっとアレだが、一人で月城やホワイトルーム生に挑むよりはずっとマシなのだろう。そう思うしかなかった。

 

 とりあえず色々と話しておこう。鶚を知ることも重要であった。

 

「そう言えば、鶚は一年生たちの懸賞金狙いに参加しないのか?」

 

「いやしないッスよ。払われるかどうかもわからない4000万でご主人を敵に回すくらいなら、そのご主人の味方になって確実に4000万貰った方が効率的で勝算が高いんッスから」

 

「なるほど」

 

「ウチからしてみれば、一年生たちのやってることは手の込んだ自殺でやがります。正しくご主人の力を知っていれば、あんな無謀なことはしないッスよ」

 

 鶚の中で天武はそれだけ高い評価と脅威があるということか。

 

「忍者はいつだって強い人の味方でやがりますから」

 

 わかりやすくてとても単純な理論と言えるのだろう。鶚のことが少しわかったような気がする。

 

 長丁場の試験なので、観察する機会はこれから幾らでもあるだろう。鶚銀子という人間をもっと知って理解したいと思った。

 

 

 

 

 

 



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何故か敵を心配してしまう

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 初日の夜を越え翌日の朝、木陰になる所をキャンプ地に選んだことでテントの中に熱がこもるようなこともなく、夏の無人島としてはまずまずの起床であったと思う。

 

 すぐさまテントを折りたたんで二日目の試験に挑むことになるのだが、ふと昨晩にあった鶚の姿が見えないことに気が付く。

 

 天武から100万ポイントの報酬を受け取ってオレの護衛役を受け持ったらしく、この無人島試験の間は頼りにさせて貰おうと思っていたのだが、どこにも姿がない。

 

 流石に一年生の女子と同じテントで寝る訳にはいかなかったので遠慮して貰った上に、鶚自身もお構いなくと言っていたので昨晩は離れて眠っていたのだが、朝起きれば肝心の護衛役がいないとは……。

 

 さて鶚はどこに行ったのだろうと周囲を観察していると、ほんの僅かにだが樹上に気配を感じ取る。視線を向けてみると大きな木の枝の上からこちらを見下ろしてくる忍者の姿があった。

 

 その背中にはまたもや新しいリュックが三つ確認できる。

 

「おはようございます、綾小路パイセン」

 

「あぁ、おはよう……そのリュックはどうした?」

 

「奪いました」

 

 天武からやり過ぎるなと命令されているんだよな? 略奪することを前提に動いていることに疑問を覚えないのだろうか。

 

 昨晩も誰かから奪った物資を当然のものとしていたし、今朝もどこかから調達してきたことから考えるに、もしかして鶚は略奪しながらこの試験をやり過ごすつもりなのかもしれない。

 

「ぐっすり寝てたんで、簡単に奪えたッス」

 

 幸いなのは略奪する上で他者を傷つけていないという点だな、そこは天武の命令をしっかりと守っているらしい。

 

 少し不安になる相手ではあるが、オレたちの目的は試験に勝つことでもなければ良い成績を残すことでもないので割り切るしかないか。

 

 略奪していることを誰かにバレてしまうような間抜けなことはしないと信じたい。

 

「天武からも言われていると思うが、やり過ぎないようにした方が良い」

 

「だから死んだ訳じゃね~でやがります。物資不足で悩んでもリタイアすれば良いんッスから」

 

 もし天武が退学者の救済に動いていなければ、つまりは退学の危険性がこの試験に存在している状態ならば、他者を追い込むような大胆な行動をしなかったのだろうか? いや、そんなことは関係なくやりそうな奴ではあるか。

 

 ただ恩恵が大きいのは事実だ。樹上から必要な分の物資をこちらに投げ渡して来るのでそれを受け取りオレのリュックに詰め込んでいく。水も食事もこれで困ることはない……当然だな、奪っているんだから。

 

 空になったリュックは大きな木の枝葉の中に押し込んで隠してしまう。おそらく見つかることはもう無いんだろう。

 

「因みに現場では綾小路パイセンの方針に従うように言われてるッス。どうしますか?」

 

「既に退学圏内の下位5組は確定している状態だから焦る必要はどこにもない。俺は隙を晒しながら月城やホワイトルーム生の動きをのんびり待つ。ほどほどに試験を進めながらな……異論は?」

 

「無いでやがります。まぁ釣り上げ作戦ッスからね。それで良いと思いますよ。そんじゃあウチはそこそこの距離を維持しながら周囲の観察をしてるんで」

 

「流石に一緒に行動はできないか」

 

 そんなことをすればどうしても目立つ。オレが一人でいることが重要なので鶚は少し距離を取らせるべきなんだろう。付かず離れずの位置で動くつもりのようだ。

 

「あと、昨晩に言い忘れてたんッスけど、一年Dクラスの七瀬という生徒にはご注意を」

 

「何か懸念事項があるのか?」

 

「試験が始まる前に、月城と接触してましたんで……会話までは聞こえなかったんでアレなんですけど、パイセンと無関係ってことはね~でしょう」

 

 宝泉関連で色々と関わることになった女子生徒の姿を思い浮かべる。もしかしなくてもオレにかかった懸賞金のことは知っているだろうし、狙ってもいる筈だ。

 

 しかしワザワザ試験前に月城と接触していたとするのならば。怪しいとしか言いようがない。

 

「了解した、十分に注意しよう」

 

 もし近づいてくるようならば、疑惑は一気に黒に近くなる。

 

 別にそれは七瀬に限った話ではなく、この試験でオレに近づいてくる大半の一年生に同じことが言えるだろう。

 

 深刻に悩んでも仕方がないか。オレの役目は餌なんだから、精一杯隙を晒しておくべきだ。

 

 オレが試験をほどほどに進める為に動き出すと、鶚はその後を付いてくることになる。姿形はどこにもなく、おそらく樹上を飛び回って追跡しているらしい。

 

 以前に握手した時に感じ取った、天武とは異なる方向性の異質異常な感触を思い出して、そういえば羽のような体幹を持った奴だったと変な納得があった。

 

 腕時計が音を鳴らして試験の開始を告げると同時にタブレットを開き、学校が指定したエリアに向かうことになるのだが、その途中で樹上を移動する鶚にこんなことを問いかける。

 

「食事や水に関してはオレが管理している物を消費する方向で行こうと思う」

 

 幸いにも背負っているリュックには略奪品がパンパンに押し込められている。節約すれば二人分は賄えるだろう。これから行動を共にする以上は必要な確認でもあった。協力者である以上はその辺はしっかりと配慮しなければならない。

 

 すると樹上からはこんな言葉が返ってきた。

 

「了解ッス」

 

「もし必要な物があれば言ってくれ、課題で狙えそうな物資があれば狙ってみようと思う」

 

「そんなことしなくても奪えば良いじゃないッスか」

 

「必要ならばな、しかし必要が無いのならリスクを増やすだけの行為だ」

 

「まぁ真昼間に堂々とやるのはアレですからね、それで良いんじゃないッスか」

 

 まるで夜ならば積極的にやるべきだというようにも聞こえたが……いや、気のせいだろう。

 

 まぁ月城もルール説明の時に生徒間のイザコザは多少は仕方がないという姿勢だったから、略奪が頻発しても試験そのものが中止になるようなことも無いんだろう。それこそ死人さえでなければ仕方がないで済ますのかもしれない。

 

 せめてバレないように注意しろ、オレとしてはそう言うしかなかった。

 

「後は、そうだな……あ~、そのなんだ、女子は定期的に体調不良に陥る可能性があるだろう。その辺の対策はどうするつもりなんだ? 二週間の長丁場だ、もしかしたら苦労するかもしれないが」

 

 もしかしなくてもオレが女子の生理用品を入手しなければならないのだろうか? 男一人のグループがそれをやると色々な面で不審に思われそうなんだが。

 

「生理のことッスか? それなら大丈夫ッスよ。益寿法を師匠から教えて貰ってるんで、完璧じゃないッスけど新陳代謝はある程度制御できるでやがります」

 

 天武もそうだが、鶚も偶に話が噛み合わなくなるから困る。益寿法? つまりアンチエイジングということか? それがどうして新陳代謝を止めることに繋がるんだ。

 

 いや、聞くだけ無駄か、深堀してもきっと納得はできないだろう。後で天武辺りから詳しく解説して貰ったほうが話は早いと思う。

 

 まぁ鶚本人は問題ないと言っているんだ。それにこう言ってはなんだが略奪行為そのものは直接的な手段であるが故に影響が大きい。下手すれば既に三年生は六人がリタイアしている可能性もあるからな。少しは天武が楽になるか。

 

 勝つためにあらゆる手段を行使する。略奪行為の有無や良し悪しは横に置いておくとして、その姿勢は素直に尊敬できるのだろう。

 

 鶚は、ある意味ではホワイトルーム生以上に、ホワイトルームの考え方が強いのかもしれない。

 

 今も音も気配もなく樹上を移動する一年生に変な感心をしながら、オレは試験二日目に挑むことになるのだった。

 

 クラスの勝利は天武に任せておくとして、こちらは月城やホワイトルーム関連に集中するとしようか。

 

「綾小路先輩、またお会いしましたね」

 

 焦る理由もないので二日目の試験をのんびりとこなすこと半日ほど、幾つかの指定エリアの到着ボーナスと課題をクリアしてほどほどにポイントを稼いだ所で休憩していると、今朝に鶚から注意するように言われていた件の人物、七瀬翼が姿を現した。

 

 初日でも試験の合間に顔を合せることもあったのだが、二日目でも似たような展開が続いている。もしかしたら付けている腕時計は同じテーブルなのかもしれない……それが偶然なのか、意図的なものなのかはわからないが。

 

「もしかして私たち、同じテーブルなんでしょうか?」

 

 七瀬も似たようなことを思ったのか、腕時計に意識を向けてそんなことを言ってくる。

 

「かもしれないな」

 

 当たり障りのない返答をすると、七瀬は意思の強い瞳に僅かな動揺を混ぜながらこんな提案をしてくる。予想通りとでも言うべき言葉を。

 

「あの、綾小路先輩、お願いがあるのですが……もしお邪魔でなければ、これから暫く綾小路先輩に同行させて貰えませんか」

 

「どういうことだ?」

 

「実は昨日の話し合いで問題が起きたんです。宝泉くんと天沢さんのお二人が単独で行動する方が良いと言い出してしまい、バラバラになってしまったんです」

 

 事実であるとは思わない。鶚のタレコミもある上に宝泉も天沢もホワイトルーム生である可能性を否定できないのだから、これも戦略の内と考えるべきだろう。

 

 断ることはできるが、オレの仕事は餌なので寧ろ都合が良い展開なのかもしれない。

 

 七瀬がホワイトルーム生なのか断言はできないが、ようやく釣れた獲物を逃がすつもりはなかった。

 

「学年が違うグループ同士が共に行動しても良いことは無いぞ」

 

「はい、なので着順ポイントも課題に関しても綾小路先輩にお譲りします」

 

「七瀬に利益があるとは思えないけどな」

 

「そうとも限りません。綾小路先輩は常に私よりも先に指定エリアに到着されています。一年生の私よりもずっと無人島にも慣れているように見えましたから、正しくて安全なルートを示してくれるだけで大きな助けになりますよ」

 

 無理のある主張ではあるが、一度餌に食いついた獲物を逃がす理由もない。受け入れるとするか。

 

「わかった。七瀬がそれを望むならそれで構わない」

 

「ありがとうございます」

 

 今、七瀬が立っている場所のすぐ後ろには大きな木がある。僅かに視線を上げてみると樹上には鶚がいるのが確認できる。オレはそこにいると知っているので見つけることができるが、普通はそこに人がいるなんて思わないのだろうな。

 

 驚くほどに冷たい瞳で、木の下にいる七瀬を見つめる鶚は、正直に言わせて貰えばもの凄く恐ろしい。いますぐ樹上から飛び降りて七瀬の息の根を止めても不思議ではない。

 

 頼りになる戦力であり味方でもあるんだが、加減や躊躇を知らない奴なので、どうした訳か敵を心配してしまう不思議な状況になってしまうな。

 

 まぁそれは天武にも同じことが言える。ちょっとした拍子に月城の首を引きちぎってもおかしくない奴なので、やはり敵を心配することになってしまう。

 

 そう考えると、強すぎる味方というのは考え物なのかもしれない。

 

「次の課題が出た、まずはそこに向かうぞ」

 

「はい」

 

 タブレットで確認して見ると近くにクイズの課題が出たらしい。別に試験で勝つつもりはないのでスルーしても良いのだが、四日目以降に解禁されるポイントを使用しての探知機能が魅力的なのである程度は確保しておきたい。

 

 そんな事情もあり、七瀬と共に課題に向かうことになるのだった。

 

 リフティングの課題もあったので、そこで七瀬の動きを確認したくもあったのだが、少し距離があったので今回は見送るとしよう。

 

「綾小路先輩、二年生は去年も無人島試験を経験したんですよね?」

 

 少し後ろを歩く七瀬がそんなことを訊いてくる。近くの樹上を飛び回る鶚の存在には一切気が付いていないようだ。

 

「その通りだ。しかし参考にはならないぞ。この試験の方がずっと複雑で大規模だからな」

 

「それでも経験がある分、一年生よりはずっと優位だと思いますが」

 

「一年生たちはこの試験が始まると言われてどんな感じだったんだ?」

 

「そうですね……やはり困惑が大きかったと思います。大半の生徒がそうでしたから。ただ各クラスの代表たちが話し合って協力する体制を作れたので、そこから徐々に落ち着いていった感じでしょうか。後、笹凪先輩が退学回避のポイントだけでなく、協力報酬を用意してくれたので安心した子も多いと思います」

 

 なるほど、そういった側面から天武は一年生からの知名度や信頼を稼いでいるということか。一之瀬とは異なる方法で影響力を強めているらしい。

 

「天武は面倒見がいいからな」

 

「綾小路先輩も親しくされているんですよね?」

 

「そうだな、友人であり相棒だ」

 

「そうですか、少し意外です」

 

「意外?」

 

「はい……もっと孤独な……いえ、すみません、なんでもありません」

 

 オレは七瀬からどんな男に思われているのだろうか。もしかして友人が一人もいない寂しい奴だという評価があったのかもしれないな。

 

 もしくは、そうであって欲しいとでも考えているのだろうか。

 

 少し振り返り、一歩後ろの付いてきていた七瀬を見つめる。天武は七瀬の瞳を強く美しいと言っていたが、今はその瞳が困惑で揺れ動いているようにも見えた。

 

 迷いがあるな、その内心までは読み取れないが、それだけはわかる。

 

 何が目的で、どこを目指して、どんな結果を欲しているのかはわからないが、その瞳の奥にあるものは強い意思だ。

 

 全てを見透かすような天武の眼差しにも少し似ている。何一つとして伺わせない虚ろな鶚の瞳にも似ている。

 

 そしてそういった瞳を持つ者は、厄介な存在なんだということはわかった。

 

 

 

 樹上からそんな七瀬を見下ろす鶚は、相変わらず今にも暗殺しそうな雰囲気があって、とてもおっかない。

 

 

 

 やり過ぎた結果大惨事になったりしないだろうか? 七瀬も月城もホワイトルーム生も全員海に沈んだりしないよな? なんでオレは敵の心配をしているんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 



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一番厄介な相手

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日目の朝である。例の如く俺は熟睡することなく体と脳を半分寝かせる方式で夜を乗り越えることになっており、おそらく無人島にいる間はずっとそうやって過ごすことになるのだろう。

 

「兎かね?」

 

 六助もテントから出て来て、こちらが夜の間に指先で手ごろな岩を砕いて作っていた兎の彫像を興味深そうに眺めて来る。

 

 夜の間は暇になるので手慰みに作っていたこれは、かなりデフォルメされているのだが可愛らしい兎と言えるのかもしれない。昨晩に狩猟したのが兎だったので何となくこうなってしまったのだろう。

 

「あぁ、可愛らしいだろ」

 

「キュートではあるさ」

 

 デフォルメされた兎の彫刻はせっかくなので近くの岩の上にでも置いておこう。誰かに拾われるか、それとも見つけられずにずっとここで過ごすのかは知らないが。

 

「六助、しっかり休めたのかい?」

 

「大いにね。それに私は超ショートスリーパーなのだよ」

 

「そりゃ便利な体質だ」

 

「体と脳を半分だけ眠らせる者に言われてもねぇ」

 

 どこか呆れたようにそんなことを言われてしまった。確かに俺も大概な体質である。ただこれは生まれついてのものではなく努力と鍛錬で誰にでも出来るものだからなぁ。体質と言うよりは特技と表現すべきなのかもしれない。

 

 朝起きて近くの川で顔を洗い、身支度を整えているとタブレット端末の情報が更新されて指定エリアが開示された……行くとしようか。

 

 六助も準備は整ったらしく、いつもの不敵な笑みを浮かべて頷くと、俺と彼は荷物を背負って一気に無人島を駆け出した。

 

 指定エリアの着順ポイントは楽に稼げる上に他所のグループからの妨害があまり意味をなさないからな、積極的に奪っていきたい。

 

 目下最大の強敵と思っている南雲先輩のグループを四日目までに突き放しておきたいのだけど、今はまだ無人島のどこにいるのかわからないのでこればかりは運任せだ。

 

 どこかで同じ課題に参加することになったら、そこでポイントを奪っておきたいんだけど、そう上手くはいかないか。

 

 

「よう、笹凪。お前もこの課題を受けるのか?」

 

 

 なんてことを思っていたら、指定エリアの着順で一位を取ってから近くにある課題が行われている場所に顔を出すと、そこには南雲先輩がいた。

 

「やっほ、笹凪くん」

 

 朝比奈先輩もいるな、そして同じく三年Aクラスの生徒がもう一人、このグループも課題に参加するつもりのようだ。

 

「どう、順調?」

 

「ボチボチですかね。朝比奈先輩たちはどうですか?」

 

「こっちも似たようなもんかな。まだ序盤だしさ、本格的に試験が激化するのは四日目以降だろうし、ペース配分は意識してるかも……それに、ちょっと問題もあったしさ」

 

「何かあったんですか?」

 

 朝比奈先輩の言葉を引き継ぐように、南雲先輩がこんなことを言った。

 

「略奪だ、リュックを奪われた」

 

「そりゃまた大胆な」

 

 見つかれば一発退場である。リスクの大きな行為なので普通はそんなことやらない。

 

「それでどうしたんですか? リュックも物資もあるように思えますけど」

 

「お前が一年生を口説いたからリタイアさせやすかったからな。リュックを丸ごと提供させた」

 

 なるほど、そして南雲先輩のグループは試験を続行することができた訳か。そして三年生たちのどこかのグループがリタイアしたと。学年を支配しているからこそできる対処方法だろうな。

 

「まったく試験初日に舐めた真似してくれるもんだぜ」

 

 南雲先輩の表情には呆れと少しの喜悦が見て取れる。まさか自分のグループの荷物を略奪するような相手がいるとは思っていなかったのだろう。愚かとも面白いとも思っているらしい。

 

「まぁ誰かは知らないがこのツケはしっかりと支払わせるさ。学校側はおそらく把握しているだろうからな」

 

 腕時計を壊した状態ならば学校側も把握できていないんじゃないかな。しかし試験初日にわざわざ腕時計を壊して他所のグループから略奪するなんて無茶な行為をしないと考えるのが普通なのだろう。

 

 そんなリスクを抱えるくらいなら、普通に試験に挑んだ方がずっと楽ですらある。

 

 ただ、そのリスクを物ともしない人物に一人だけ心当たりがあった。

 

 俺はやり過ぎるなと言ったんだけど……それとも九号の中ではこれはセーフの範疇なのだろうか? 主従関係があるとは言え他所の子だからなかなか強く言えないんだよね。

 

「それより課題だろ、運よくまだ定員は満たしてない、参加していけよ」

 

「それじゃあ遠慮なく、六助も参加するだろう?」

 

「そう言えばお前は高円寺と組んでるんだったか、良いぜ、二人纏めて相手してやるよ」

 

 少し離れた位置でポーズを決めながら日光浴をしていた六助を呼び戻して、まだ定員限界に達していなかった「リフティング」の課題に参加することになった。

 

 まだ試験も序盤だからな、南雲先輩も露骨なことはしないまま、少し遊んでやろうという雰囲気がある。直接対決は勝てればポイントの獲得量にわかりやすい差が生まれるのでありがたいことだ。

 

 小さな差でしかないのかもしれないが、それでもその差が勝敗をわけることだってこの試験では十分にあり得るだろう。

 

 ルールは単純で、ボールを地面に落とさない、手を使わない、そしてリフティングを維持することができた順番で貰えるポイントが高くなる。

 

 要は地面に落とすな、だ。手さえ使わなければ後は細かなルールもない。後は体当たりだったり蹴ったり殴ったりしての妨害も無しとのことだ。当たり前だな。

 

「人数が規定に達したので、これからリフティングの課題を開始します」

 

 この課題の担当職員がそう宣言すると、課題に参加することになった生徒たちには一般的なサッカーボールが渡されることになる。何も複雑なことはなくこれでリフティングするだけの試験だ。

 

 だがまぁ、ルールの範囲でならば何をしても良いと言うことでもある。当然南雲先輩だって同じことを思っている筈だ。

 

「それでは始めて下さい」

 

 担当職員が笛を吹くと同時に生徒たちは一斉にボールを蹴ってリフティングを開始する。緊張からか何名かは開始して数秒で脱落してしまったが、重要なのは南雲先輩である。

 

 生徒会に入る前はサッカー部だったこともあり、流石に安定してブレもない。それこそやれと言われれば大きな問題も無く数十分は維持できると思われる。

 

「上手いじゃねえか。サッカーの経験はあるのか?」

 

「体育の授業でやるくらいですかね」

 

 柔らかなタッチでボールをフワリと浮き上がらせるようにリフティングを維持していく。対照的に南雲先輩は小刻みに蹴ってテンポよくボールを蹴っていた。

 

 六助はどうだろうかと周囲を見渡してみると、彼は高笑いしながら頭でずっとリフティングを維持しているのが見える。ある意味では足で維持するよりも難しいんじゃないだろうか。

 

 まぁ六助はあれで良い、放置しておいても何だかんだで上位入賞はしてくれるからな。

 

 リフティング課題が始まって十分ほどが過ぎただろうか。その頃になるとポロポロとボールを落としてしまって参加者が減っていくことになり、そろそろ動くべきだろうかと俺と南雲先輩は思ったことだろう。

 

 このリフティング課題のルールはリフティングを維持することにある。地面に落とさなければ良い訳だけど、それ以外にも体当たりだったり殴ったり蹴ったりしての妨害は駄目だと事前に説明されていた。

 

 そう、殴っても蹴っても駄目な訳だ。リフティングである以上はそれが当然で自然なことであり、何もおかしなことではない。

 

 しかしこのルールの中にボールで妨害してはいけないとは明記されていない。

 

「あッ」

 

 ほら、例えば、俺の背後でリフティングしていた三年生がワザとらしい声を上げて、これまで順調に蹴り上げていたボールをこちらの背中目掛けて蹴り飛ばして来たりなんかは、ルール上なにも責められるものではなかったりする。

 

 普通ならば背中にボールがぶつかれば大なり小なり体幹が崩れる。そうなればリフティングを維持するのも難しくなってくるのだけど、悪いがこの程度でリズムや体幹を揺らめかせるような鍛え方はしていない。せめて銃で撃つくらいのことをしないとダメだと思う。

 

 背中にぶつかったボールは地面に転がるだけで何の役目も果たせなかった。

 

「へぇ、来るのがわかってたって顔だな」

 

「まぁ、俺も似たようなことをしようと思ってましたからね」

 

 考えることは同じということだ。ただし俺は誰かに背中から奇襲させるような回りくどいことはしない。将を射んとすればなんて言葉はあるけれど、遠回りをするつもりもない。

 

 リフティングで浮かしたボールを少し力を込めて蹴り飛ばす、真正面にいた南雲先輩に向けてだ。

 

「ッ!? おいおい、大胆な奴だな」

 

「南雲先輩に言われたくはありませんよ」

 

 こちらの行動に咄嗟に反応して自分のボールを守ろうとしたようだが、俺と南雲先輩のボールは空中で接触してあらぬ方向に弾かれることになってしまう。

 

 これで南雲先輩は脱落だ、それはこっちも同じなのだけれど、一位と二位を独占したいので少しだけ長くリフティングを維持したい。

 

 なので俺は、地面を割り砕くほどの踏み込みで弾かれた自分のボールに接近すると、地面に落下する寸前でもう一度掬い上げた。

 

 再びボールは宙を舞う、しかし南雲先輩のボールは地面に落ちてしまうのだった。

 

 それを確認したのでこちらはリフティングを放棄してボールを落とす。これで一位は六助となり二位は俺、三位が南雲先輩となる。

 

「たく、やってくれたな」

 

「もちろんやりますよ。ずっとリフティング続けるとか時間の無駄なんですから」

 

「確かにな……まぁ良いさ、まだ序盤だ。課題の一つくらいはくれてやるよ」

 

 南雲先輩にはまだまだ余裕があるようだ。実際に序盤なのでまだ焦るような時間でもなく、試験が激化するのは順位が発表される四日目、或いは相手の位置がわかるようになる六日目以降なので、何も間違った発言ではない。

 

 ただ俺は余裕綽々でいるつもりはないので、がめつく執拗にポイントを得ていくつもりだ。

 

 後、リフティング課題で一位を取ると肉が、二位を取ると水が貰えるので嬉しくもある。どちらも貴重なものだからな。あればあるだけ嬉しい。

 

「それじゃあ俺たちは次の指定エリアに向かいますので」

 

「試験の本番は六日目以降だ、悪いが勝たせるつもりはないぜ」

 

「南雲先輩が厄介だということはわかっていますよ。俺だって簡単に負けるつもりはありません」

 

「だろうな、楽しみにしといてやるよ」

 

 ニヤリと笑う、まだまだ余裕綽々だな。

 

 まぁ南雲先輩にとっては課題の一つ二つでの負けた勝ったなど大した意味は感じないのだろう。最終的に勝利しているのが重要である。そしてそれはこの試験の本質だ。一時的な勝利ではなく最終的な勝利を目指すことが大切だ。

 

 学年を支配しているこの人ならば特定のグループを勝利させることは難しいことでもない。南雲先輩にとってはどう勝利するかではなくどこのグループを勝たせるかを考えているのかもしれない。

 

 やはり強敵だ。けれど砂上の楼閣のような脆さも感じ取れる。せいぜい序盤は油断して貰うことにしようか。

 

 課題一つ程度なんて考えはしない、ペース配分を意識して体力を温存するなんて考えも放棄する。最短最速で駆け回って誰よりも早くエリアを踏みしめて、全ての課題で一位と二位を奪い去る。

 

 そう考えるとこの試験はとても単純で、そして簡単なように思えるのだから不思議だ。

 

 タブレットを確認すると新しい指定エリアが出現していたのでそこに六助と一緒に走り抜ける。岩を踏んで川を飛び越え樹上を足場にして急な傾斜すらも乗り越えていく。

 

 その途中で他の生徒を次々と追い越していき、誰よりも早く到着したことで10点が、そして到着ボーナスとしてグループの人数分のポイントが貰えたことで2点が加算されることになる。

 

 やっぱり基本移動は美味しいな、もし最大七名でのグループで同じことが出来ればそれだけで17ポイントが貰えることになるのだから、数は力ということなんだろう。

 

 ただそれは六助や清隆を七人集めるということなので、つまりは不可能と言うことだ。

 

「六助、複数の課題が出ているんだけど、何か希望はあったりするかい」

 

「最も報酬ポイントが高い課題を狙うのがセオリーなんだろうねぇ」

 

「だな、その代わり難しかったり運要素の強い課題も多いみたいだけど」

 

 新しい着順ボーナスを奪い去ってから一息ついてまずは相談である。六助は割とどんな課題でもこなしてくれるだろうけど、本人の希望もあるだろうからな。

 

「一番ポイントが高いのは……ふむ、クイズか」

 

「そこは少し距離があるしそろそろ課題も終わってそうだよ」

 

 リフティング課題とほぼ同じタイミングで出現した課題だからな。俺たちがボールを蹴っている間に多分だけど人で一杯になっている筈だ。

 

「おや、腕相撲の課題が出現したようだ、そちらに向かうのはどうかね? 報酬のモバイルバッテリーもどうせ必要になるだろう」

 

「あぁ、それは良いな。勝率も高いだろうしさ」

 

 腕相撲の課題ならばまず負けることはないだろう。報酬もポイントも美味しいと思える課題だ。

 

 距離もそれなりに近い、運が良いな。

 

 来たばかりのエリアからとんぼ返りするように別のエリアまで駆け抜けていき、無事に参加することができたので、俺と六助はそこでも一位と二位を独占することになった。

 

 ただ悲しいかな、俺と六助が参加することになった瞬間、大半の生徒がその場で参加を取りやめたのは少し変な気分になってしまう。どうやら恐れられているらしい。

 

 坂柳さんグループの鬼頭と橋本は俺を見た瞬間に回れ右をしたし、三年生もそれは同様だ。だけど一年生だけは次々と向きを変える上級生たちを不思議そうに見ながらも、しっかりと参加してくれたのは嬉しかった。

 

 どうやら一年生たちにはまだ俺がゴリラだという評価や認識が完全に浸透していないらしい。

 

 ただまぁ、腕相撲に参加した彼らを一人一人沈めていけば、きっと一年生からもゴリラ呼ばわりされることもそう遠くはないんだろうなと薄々察することができてしまった。

 

 秋には体育祭もあるからな。そこで去年の世界記録を更新するつもりなので、きっとそれ以降は一年生からも怪物扱いされると思われる。

 

 まぁ良いか、今更だろうし。

 

 こうして試験二日目は過ぎていくことになる。初日と同様に大きな問題も無ければミスも無く、文句の付けようのない一日だったと思う。

 

 やっぱり試験が激化するのは順位が確認できるようになる四日目以降なんだろうな。

 

 

 

 

 

 



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夜の語らい

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験が激化するのが四日目以降、そして他者の位置がわかるサーチ機能が解禁されるようになる六日目以降だという推測はそこまで的外れなものでもなかったらしい。

 

 それがわかったのは昼間の試験中だ。課題であったり基本移動であったりとポイントを稼ぐ手段が色々とある訳だけど、どのグループも様子見とペース配分を意識しているようにも見える。

 

 長丁場な試験なので当然の判断でもある。こちらのグループはそんなことは知ったことかとばかりに常に全力であるが、ペース配分は普通に大切なことだろう。

 

 そんな全体の意思もあってかまだまだ穏やかな雰囲気が感じられる。試験二日目なので余裕もあるだろうし焦りだって感じる必要はない。

 

 なのでそんな空気を利用して俺と六助は全力疾走である。序盤の様子見と余裕を突いて一気に他のグループを突き放す方針であった。

 

 不可能ではない。基本移動は早いし、課題に関しても常に一位と二位を独占できている訳だからな。

 

 妨害が激しくなるであろう六日目までは徹底的かつ貪欲にポイントを得ていく方針であった。

 

「ではこれより課題を開始します」

 

 時刻は午後五時前、時間的にもそろそろこれが最後の課題となるだろう。この日も複数の課題を六助と一緒に受けたのだが、その全てで一位と二位を独占することができたので、本日最後の課題でも同じような結果を残したい。

 

 生徒たちに渡されるのはサイコロだ。なんの変哲もないそれを投げて出た目の合計を競い合うという完全に運勝負な課題であった。

 

 運動だったり勉強だったり雑学だったりと、この無人島で行われる課題は様々だけど、まさかサイコロを振るだけの課題があるとは……ただまあ運も実力の内ということなんだろう。一つくらいこういった試験があっても良いか。クイズなんかもあるみたいだし面白くはあった。

 

 渡された三つのサイコロを茶碗の中に転がす。三つのサイコロが転がって弾き合って最終的に出た目は18だった。三つのサイコロの全てが6の目を出したということだ。

 

 他の参加者たちは残念がるように溜息を吐いているので、どうやら俺が出した目が最も高い数値であるらしい。

 

「ふふん、児戯にも等しいようだねぇ」

 

 いや、六助がこっちと同じ数字を出しているな。彼もどうやら全ての目を6で揃えたらしい。

 

「やるな六助、狙ったのか?」

 

「フッ、言っただろう。この程度は児戯だとね」

 

 サイコロ賭博に長けた者の中には狙った目を意図的に出せる者もいるらしい。六助が実際にそれができるのか、それとも只の偶然であったかどうかはわからないけど、こうして一位と二位を独占できたのだからどちらでも構わないか。

 

 重要なのはただ一つ、この日も最高の結果で終えられたという点である。

 

 サイコロで得た課題の報酬はまたもや肉だった。あって困る物ではないけれど保冷材のない状態では長く持たないので今日中に食べてしまいたいな。リフティングの課題でも同じく肉を貰ったので少々過剰供給気味であった。

 

 捨てるのは流石に勿体ない。今晩はちょっと贅沢に焼き肉だな。調味料が無いのはアレだけど素材の味わいを楽しむとしようか。

 

 午後五時を越えたので本日はもう課題が行われることはない、なのでどこか水場の近くでキャンプでもしようかと考えて川近くまで移動すると、対岸に俺たちを呼ぶ者が現れた。

 

「お~い笹凪、それと高円寺、お前らもこの辺で休むのか?」

 

 その相手とは山内である。彼の近くには同じグループの池と須藤の姿もあり、どうした訳か清隆と七瀬さんの姿があった。清隆はともかく七瀬さんはどうしてここにいるのだろうか。

 

 そして清隆がここにいるということは、近くに九号もいる筈だが――いたな、木の上で枝に座って身を隠しながらもこちらに手を振っている。目立たないように顔には迷彩ペイントを塗り、服も迷彩仕様とは、徹底しているな。流石忍者だ。

 

「あぁ、そっちもキャンプかい?」

 

「おぉ、せっかくだしお前らも来いよ、池が魚を釣ってこれから食べようって所なんだ」

 

「だってさ、六助はどうする?」

 

「構わないとも、肉は大量にあるのだから魚もまた欲しかった所だしねぇ」

 

 貰えることを前提に話す六助に少し苦笑いを浮かべながらも、まぁ彼らもそこまでケチではないと思うので、今日の夕飯は豪勢になりそうだと思った。

 

 川を飛び越えてあちら側に移動すると、魚を焼く匂いも漂ってくる。

 

「よう、調子はどうだ?」

 

「やぁ須藤、ボチボチだよ、そっちは?」

 

「悪くねえよ、完璧って感じでもないがな……あ~、お前は高円寺と一緒なんだろ、自分の心配をした方が良いぜ」

 

「問題はないよ、六助はこう見えて情熱的な男だからな」

 

「フッ、よくわかっているじゃないか」

 

 不敵な笑みを浮かべる六助は一切遠慮することなくキャンプファイアーの前にドカッと座ると、そこで焼かれていた串に刺さった魚に手を伸ばして食べ始めた。

 

「あ、高円寺テメエ!! なに勝手に食ってんだよ!!」

 

「おかしなことを言うねぇ、これは客人に振る舞う為にあるものだろう」

 

 魚を焼いていた池が怒るのだが六助はどこ吹く風だ……本当にすまない。

 

「悪いな池、代わりと言ってはなんだがこちらからは肉を提供しよう。ちょっと立て続けに手に入ったから量が多くてさ、でも保冷材もない状態でいつまでも持っていたくはないから、今日中に処理したい」

 

「マジかよ!! 良いぜ良いぜ、一緒に焼こう」

 

 これで問題はないだろう。肉と魚で豪勢な夕飯となった。

 

 鼻歌を奏でながら肉を串焼きにしていく作業は池に任せるとして、こっちはこっちで気になることを確かめるとしようか。

 

「清隆、どんな感じだい?」

 

「ほどほどだ」

 

 挨拶代わりに拳を差し出すと、彼も前に出してくるのでコツンとぶつけ合う。そんな俺たちのやりとりを七瀬さんは興味深そうに見つめていた。

 

「ところで、何故七瀬さんがここに?」

 

「あ、私の我儘で綾小路先輩に同行させて貰っているんです」

 

「そうなのか、何か事情があるのかな」

 

「いえ、深刻なことではないのですが、同じグループの宝泉くんと天沢さんが単独行動を始めて心細かったので、近くにいた綾小路先輩に頼らせて貰いまして」

 

「あぁ、確かに、清隆は頼りになるもんね」

 

 どこまで本音かはわからないけど、清隆的には釣り上げた獲物の一匹みたいな感じなんだろうか。七瀬さんの思惑はどうであれ暫くは付き合うつもりだと小さな頷きで意思を伝えてきた。

 

「お肉が沢山あるから、楽しんでいってよ」

 

「ありがとうございます。気遣っていただいて」

 

「気にしないで、清隆もそうだけど女の子には優しくするものさ」

 

 彼女の対処は清隆と九号に任せるとしよう。よく鍛えられているし不自然な思惑の全ても見通すことはできないけど、それくらいならばどうとでも対処するだろう。

 

 とりあえず須藤グループのキャンプから少し離れて、俺は自分のテントを組み立てていく、丁度九号が身を隠している木の下辺りで。

 

「七瀬さんのことどう思う?」

 

 テントを組み立てながらも皆に聞こえないようにそう独り言を零すと、樹上の九号はこう答えて来る。

 

「それなりに鍛えてるんじゃないッスか」

 

「君からしてみれば大半の人間がそれなりの括りになるだろうに」

 

 それこそオリンピック選手であっても九号からしてみれば「それなり」という表現に収まるので何の当てにもできない表現であった。

 

「ん~……嘘つきの匂いはしやがりますね」

 

「へぇ」

 

 俺には匂いまではわからないけど、九号的には黒らしい。

 

「月城とも接触してたんでホワイトルーム関係者だと判断して動くッスよ?」

 

「やりすぎちゃダメだからね」

 

「当然でやがります、そういう命令ならば」

 

「後、ちょっと気になる情報が入って来たんだけど、君って略奪してるよね」

 

「えぇ」

 

 特に悪気もなく、寧ろそれが当然といった雰囲気で返事をするんじゃありません。

 

「でも奪わないとウチが飢えます。空腹はパフォーマンスを落とすので補給は重要ッス」

 

 そう言われるとあまり強くは言えないな。月城さんは強敵だろうから万全の状態で迎え撃ちたくもある……難しい問題だ。

 

「……怪我だけはさせないようにね」

 

「安心してください、堅気さん相手にそんなことしね~です」

 

 嘘をつくな嘘を、君たち鶚衆はその辺の配慮をどこかに投げ捨てた側の集団だろうに。覚えてるからな、俺との模擬戦で色々と持ち出した結果神社が半壊したことを。

 

「まぁほどほどに頼むよ」

 

「了解ッス」

 

 その言葉を聞き届けると同時にテントは完成する。そして池たちも肉が食べごろになったと呼びかけてくれた。

 

「肉も魚も焼けたぜ、塩焼きばっかだけどな」

 

「いや十分だよ。しかし池、塩を持ってたのか?」

 

「おう、初期ポイントで買える物資の中に味付け塩があったしな」

 

 なるほど、調味料と言う選択肢も悪くはなかったのかもしれないな。効率重視で栄養バーばかり選んでいたから見落としていた項目である。けれどこうして肉や魚が手に入ると塩味だけでもありがたく感じるので、池の選択も間違いではないんだろう。

 

「ん、美味しいね、沢山動いたから塩を体が欲してたみたいだ」

 

「まぁお前らはずっと走り回る感じだったろうからな。ほら魚も食えって」

 

 池は串焼きになった魚も渡してくる。その姿に試験開始前に僅かに見せていた暗い雰囲気は無かったのでとりあえず落ち着いたらしい。

 

「もう大丈夫なのか?」

 

「まぁな……七瀬ちゃんに言われてこのままじゃダメだって思ったんだ。今は試験を乗り越えることに集中しなきゃダメだってさ」

 

 池は試験が始まる前は少し悩んでいた様子だった。それというのも篠原さんが龍園クラスの生徒と組むことになって心が落ち着かなかったのが原因らしい。

 

 あの覗き暴露による学級裁判からこっち、池はなんとか信頼を回復しようと奔走していたのは知っていたし、何だかんだで篠原さんも許す流れというか譲歩もしていたのだけれど、売り言葉に買い言葉で喧嘩をしてしまったのだ。

 

 しかし今は悩むよりも行動だと考えを改めたらしい。肉と魚を焼く動きもキビキビしておりやる気が感じられた。鍋将軍ならぬ焼き将軍だな。

 

「俺的にはちょっと意外だけどな、池が篠原のこと好きなんて。お前らいつも喧嘩してたじゃんか」

 

 山内が魚を食べながらそんなことを言ったので、話題は恋愛方面に舵を切ることになる。男六人と七瀬さんという面子でやるのはちょっと違和感があるけど、これはこれで合宿の夜みたいで面白いのかもしれない。

 

「そ、そりゃまぁ、なんていうか……貰い事故? みたいな感じだ」

 

 池、それはどんな表現だ、ちょっと失礼ではなかろうか。

 

「だがよ、あの盗撮での学級裁判からずっと女子たちからは冷めた目で見られてるだろ? どうやって仲直りしたんだよ」

 

 須藤的にはそれが気になるらしい。鈴音さんの名前呼びもまだ許して貰っていないので、池と篠原さんの急接近というか仲直りの方法が知りたいのだろう。

 

「盗撮での学級裁判? なんのことでしょうか」

 

 俺たちにとっては既知の学級裁判であったが、この場にいる唯一の紅一点である七瀬さんにとっては聞き逃せない情報であったのか、目をパチクリとさせて話に加わって来た。

 

「あ、ヤベ」

 

「須藤先輩、盗撮とは?」

 

「え、いや、その、え~っとだな……」

 

 やめろ、助けを求めるように俺を見てくるんじゃない。それなら清隆の方に頼む。

 

「まさか、やったんですか?」

 

 キッと、七瀬さんの強い意思を宿した瞳から発せられる視線が鋭くなってしまう。それによって須藤たちは縮こまるのだった。

 

「七瀬、もう済んだことだ。それに今須藤たちは贖罪の真っ只中だ。とりあえずそれを理解して欲しい」

 

「綾小路先輩……それは、いえ、そうですね。部外者の私が責めることではありませんでした。皆さん、すみません」

 

「頭を下げる必要はどこにもないともセブンガール。彼らが愚かだったというだけの話だからねぇ」

 

「セ、セブンガール?」

 

「七瀬、高円寺に関してもあまり気にするな」

 

 清隆のフォローがうなる夜であった。

 

「そ、それでよ寛治、どうやって篠原と仲直りしたんだ……俺も堀北と色々アレでよ、コツが聞きてえんだけどよ」

 

 勉強は今でも見て貰っているようだけど、名前呼びは許して貰ってないからな。

 

「別に仲直りした訳じゃないって。あの時のことはひたすら謝り倒して、とにかくそれを続けただけだしな。それで、なんとなく、まぁ許してやるかって感じの雰囲気になってさ……でもことあるごとにネチネチ言ってくるからなんか弱味みたいになってるんだよな」

 

 実際に弱味だからな。きっとこれからも篠原さんは池を同じネタで揺さぶって優位に立とうとするのかもしれない。もしかしたら尻に敷かれるような関係になるのかもしれない。

 

 ただそれでも良いんだろう。少なくとも喧嘩してばかりよりは。

 

 池は新しく魚を焼きながら暫く火を見つめてから、大きな溜息を吐いた。

 

「でもよ、だからって小宮たちと組まなくったって良いじゃんか、そりゃ俺も言い過ぎたけどよ」

 

「ん、まぁ根気よく付き合っていくしかないさ。あんなことがあったのに今ではある程度関係も修復できたんだ。交際するのだって絶対に無理な訳じゃないよ。案外、篠原さんも今頃池のことを考えてるんじゃないかな」

 

「……だと良いんだけどな」

 

 慰めたお礼なのか、池は焼き上がったばかりの肉が刺さった串をこっちに渡して来た。

 

「まったくウジウジと、これだからボーイたちは困る」

 

「うっせえ高円寺!! お前と一緒にすんな!!」

 

「ハッハッハッ!! 男はまずは余裕なのだよ、溢れる余裕こそが重要でねぇ。惚れるのではなく惚れられる、レディたちに安心感を与えられなくては意味がないさ」

 

「あ、安心感? そ、そうなのか?」

 

「フッ」

 

 六助は不敵に笑うだけである。まぁ確かに彼には余裕がいつでも窺えるのは間違いない。それを揺るがない大樹のように思うことだってあるのだろう。

 

「こ、これがモテる男の余裕って奴なのか……そう言えば平田も笹凪も常に余裕がある感じだよな」

 

 山内がどこか感心したようにそんなことを言っていた。須藤も少し納得したような雰囲気がある。

 

 みんなでキャンプファイアーを囲みながら肉と魚を食べて、恋愛相談というか悩み相談のような感じになっている。池と篠原さんの関係もそうだけど、今度は話題の矢印がこちらにも向くことになった。

 

「つ~か、良い機会だから訊くけどよ……その、笹凪は付き合ってる奴とかいねえのか?」

 

 恐る恐るといった感じで、怪しむように須藤がそんなことを訊いてくる。するとその場にいた全員の視線と意識がこちらに向けられるのがわかった。

 

「確かに気になる。笹凪ってモテそうだけど誰かと付き合ったりとかそういう話って聞かないよな」

 

「あれじゃねえの、ほらやっぱ堀北とか、それか長谷部とか佐倉とか、桔梗ちゃんともよく喋ってるし、松下も……というか女子チームだいたいと仲良い感じじゃん……アレ、なんか腹立ってきた」

 

 池、ワザと焦がした魚をこっちに寄こすんじゃない。

 

「別に誰とも交際はしていないよ。友人として親しくしているだけさ」

 

 実際に踏み込んだ関係になった人はいない。あくまで友人という枠組みの中での付き合いだ。

 

「あれじゃね、笹凪ってイケメンって言うか美人って感じだし、男と思われてないとか」

 

「ん、もしかしたら山内の言葉が正しいのかもしれない」

 

「え、マジかよ」

 

「なかなか異性として意識されないのかなって思ってはいるんだよね。恋人とかも欲しいと思ってはいるんだけど、女子はやっぱり男前な顔つきが好みなのかなって」

 

 平田のようなお手本みたいな好青年がやはり女子受けが良いんだろう。メイド服が似合いそうなランキング一位を何故か取ってしまった俺には厳しいのかもしれない。

 

「意外だな、恋人とか欲しいって思ってたのかよ」

 

 須藤は少しだけ驚いたような、それでいて怪しむような顔をしている。

 

「そりゃ俺だって男なんだ、青春的な活動には興味があるよ。ただ相手がなぁ……」

 

「ほ、堀北とは、本当になんでもないんだよな?」

 

「友人だよ。交際している事実は一切ない」

 

「でも、これから先はわかんねえだろ」

 

 少しだけ須藤の視線が彷徨う。手元にある肉とキャンプファイアーと俺を行ったり来たりして、最終的には迷いながらもこちらに向けられる。

 

「その、なんつ~かよ……もし仮にだ、仮にだぞ!? 堀北の方からお前にコクって来たらどうするんだ?」

 

「どうするって言われても……う~ん」

 

 鈴音さんと恋人になった自分を思い浮かべる……しかし上手く想像はできなかった。俺には圧倒的にその手の経験が不足しているからだろう。

 

 一般的には恋人同士がする、キスとかそれに準ずる行為は仕事先で知り合った女性によく別れ際にされたりするんだけど、ああいった行為を自分から誰かにするのがどうにも違和感がある。

 

 或いは、恋人が出来たらそういった行為を自らしたいと思うのだろうか。

 

 恋人にキスをする……いや、止めておこう、思い浮かびそうになった誰かの顔を慌てて消し去った。流石に妄想とはいえ失礼過ぎる。

 

「魅力的な女性だと思っているから、素直に嬉しいんじゃないかな」

 

 色々考えたけど結局はそこに落ち着く。恋という感情はイマイチ理解できないけど、鈴音さんが魅力的な人だという評価は覆らない。

 

「くッ、そりゃ堀北は魅力的だけどよぉ!!」

 

 何故か須藤がダメージを受けたかのような顔をしている。

 

「止めとけって健、ライバルがヤバすぎる、次の恋を探そうぜ」

 

「だなぁ、幾ら何でも笹凪相手だと分が悪いっての」

 

 両隣にいる池と山内は須藤の肩を叩いて何やら慰めている。

 

「そもそもレッドヘアーボーイは自分に勝ち目があると思っているのかね? 盗撮行為で盛大な自爆をしたというのに」

 

「うッ……それを言われたら何も言い返せねえけどよ」

 

「みっともなく右往左往するくらいならば、さっさと踏み込んだ方がスマートだと思うがねぇ。どちらにせよ勝ち目など無いのだから僅かな希望に賭けるのも一つの手だとも」

 

 なんだろうな、高円寺が煽り交じりの恋愛指南をしているようにも思える。開放的な雰囲気が彼の口を滑らしているのだろうか。

 

「賭けって……堀北にコクるってことかよ。それが出来ねえから困ってるんだろうが」

 

「できないのならば、そこが君の限界なのだよ」

 

 六助の言葉に少しイラッとした顔をする須藤だが、その視線を隣にいる俺に向けてから少し落ち着かせる。

 

「今の俺が堀北にコクったって、上手く行くとは思えねえ……アイツはずっと笹凪を見てるからな」

 

「そうかな?」

 

「鋭いのか鈍いのかよくわからねえ奴だよな。それともとぼけてんのか?」

 

 僅かに苦笑いを浮かべた須藤は、視線を俺から頭上に向ける。そこには都会では見ることの叶わない星空が広がっていた。

 

 そして少しだけ場が静かになる。虫の鳴き声がやけに大きく聞こえるようになった。

 

「堀北には散々面倒見て貰ったのに、アレで滅茶苦茶呆れられただろうな……未練がましいとは思ってるけど、やっぱ簡単に諦められねえんだよ」

 

「諦める必要はないさ」

 

「お前から慰められるとなんか余計に情けなく感じるっての」

 

 また須藤は苦笑いを浮かべてしまう。

 

「まぁ、あれだ、もしお前が堀北と……つ、付き合ったりとかしたら、隠し事すんのは無しにしてくれよ?」

 

「いや、そもそも俺に限らずだけど、鈴音さんが誰かと交際したとして、須藤は納得できるのかい? 好きなんだろ、彼女のこと」

 

「そりゃ、納得できる訳ねえだろ……だがよ、散々馬鹿晒したんだ、俺が呆れられてることくらいはわかってるっての。それにだ――」

 

 そこで須藤は一旦言葉を区切り、俺をジッと見つめて来る。

 

「堀北と同じくらい、笹凪のことだって尊敬してるんだぜ、こう見えてもな。他の誰かならアレだけどよ、お前ならなんつ~か……あぁ、だろうなって納得できるんじゃねえかな」

 

「意外かな……須藤に尊敬されているとは」

 

「凄い奴を認められないほどガキじゃねえっての。そういうのはもう止めたんだよ……勉強でも運動でも笹凪はずっと一番だ、色んな奴に世話焼いて、いつも誰かの為に走り回ってるだろ。憧れるには十分すぎるっての……あぁそうだ、お前はカッコいい」

 

 色々な面で、入学してからここに来るまでに最も成長したのは須藤なのかもしれない。一年生の序盤はここまでの落ち着きはなかった筈だ。

 

 能力面もそうだけど、精神面でも大人になったということだろう。

 

 しかし憧れか……もしかしたら須藤は、夢も恋も憧れも知った、一人前の男になっているのかもしれないな。そりゃ成長する筈だ。

 

「だが勘違いすんなよ、別に負けるつもりはねえ。俺はまだまだ強くなる、馬鹿晒した分を帳消しにして一人前の男になってやるからよ……これは堀北がどうとかの話じゃねえ、笹凪に憧れてるから、そうなりたいんだ」

 

 君はもう十分一人前の男だよ。ある意味では俺以上に。

 

 友人の成長に少しほっこりとした気持ちになった。入学したばかりの頃の須藤はもうどこにもいないようだ。

 

 彼の恋が叶うのかどうかはわからない。もっと言えば鈴音さんが誰と交際するのかもわからない。けれど須藤は俺たちの中で誰よりも早く大人になったことで、一つの余裕のようなものを見つけたのかもしれない。

 

 悩みながらも進んで行ける、そういう男になったのだと思う。

 

 それが素直に嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 



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負けた時の言い訳を用意する暇があればもっと真剣になった方が良い

 

 

 

 

 

 

 

 須藤が夢と憧れと恋を知って一人前の男になったことを知った翌日。その日は少し蒸し暑さが感じられる早朝であった。

 

「……暑いな」

 

 テントの中に籠る熱気に負けたのかじんわりと汗をかいていたので、寝苦しさから早めの起床となる。

 

 うん? 起床? なんで俺は熟睡しているんだ? 確か昨晩は普段通りテントの中で体と脳を半分だけ寝かせた状態で夜を過ごしていた筈だ。だというのに熟睡してしまうとは、一体何があったんだろうか。

 

 昨晩の記憶を探ってみると、長考中に甘い匂いが漂ってきて――。

 

「九号、君か」

 

 思考を打ち切ったのは、俺の胸元に頬を擦りつけて眠る九号の存在を認識したからである。

 

 何らかの毒か薬でもばらまいたな。おそらく俺が眠りに落ちてしまったのはそれが原因だろう。

 

 師匠に改造された体を貫通するほどの毒か薬でも持っているとするのならば、この子は本当に危険だな。殺気がなかったから反応が鈍ったとはいえまさかここまでの隙を晒すことになるとは。こんな無人島で熟睡するとか殺してくださいって言ってるようなものだというのに。

 

「こら、どきなさい」

 

「ぬぁ~~ッス」

 

 胸元に頬を擦りつけた状態で同じように眠っていた九号の首根っこを掴んで強引にテントの外に放り出した。すると彼女は猫のような声を上げながら転がっていくことになる。

 

 勢いに逆らうことなくグルグルと転がっていき、近くにあった木にぶつかろうかという寸前で彼女は地面を蹴って垂直飛びすると、風に舞う羽のような軽やかさで樹上へと飛び移った。

 

 木の枝に腰を下ろして身を隠してしまう。まだ言い訳はなにも聞いていないのだけど。

 

「あのね、何してんのさ。熟睡しちゃったじゃんか」

 

「ウチからの気遣いッスよ」

 

「ほう、君も随分とぐっすりしていたようだけど」

 

「女子高生と同衾ッスよ。体が軽くなったんじゃないッスか」

 

「おかげさまでグッスリだ。けれど俺たちにとって熟睡は間抜けだよ。もう止めてくれ、いいね?」

 

「了解ッス」

 

 九号は枝の上で懐から取り出した化粧品を使って自分の顔に迷彩メイクを施していく。そして同じく迷彩柄のマントを纏って完全に木の中に身を隠してしまった。

 

 悪戯っ子め、困った奴である。

 

「まぁ今日も頼むよ。月城さんとホワイトルーム生にはしっかり警戒して欲しい。後、七瀬さんにもね」

 

「あたぼ~でやがります」

 

 これでも腕は一流だし頼りにはなるんだけど、割と私情全開に行動することもあるから不安な部分もある。

 

 ただやれと言ったことは間違いなくやってくれるので、そこだけは強く信頼していた。月城さんは強敵だけど多分百人いても九号には勝てないだろうから、その点は安心だ。

 

 俺は俺で試験に挑むとしよう。そろそろ六助も起きるだろうからな。

 

 九号の悪戯によって、良いか悪いかは置いておいてしっかりと熟睡することが出来たのは幸いだ。かなり隙を晒してしまったけどそこは良しとしよう。

 

 しかし恐ろしい限りである。もし九号が敵であったら俺はこの夜で殺されていたな。そこは反省すべき所であった。俺も学生生活に馴染み過ぎて少し平和ボケになっていたんだろう。

 

 

 人としては成長しているし兵器としても性能は向上しているけど、武人としては錆びて来ているということだろうか。それが良いことなのか悪いことなのかは判断できないが。

 

 

「グッドモーニング」

 

 六助もテントから出て来て朝の挨拶をしてくる。その頃には九号の気配は完全に森と同化していた。

 

「おはよう、六助。今日も宜しく頼むよ」

 

 彼は超ショートスリーパーらしいので体力の心配もいらないのがありがたい。気を遣うこともなくこちらも移動できるからな。

 

 六助の起床と共にテントを折りたたんで回収していると、他の面子も起き始めた。池と須藤は欠伸しながらも近くの川で顔を洗い、山内は全員のテントを回収している。

 

 そんな時だ、山内がリュックの中から取り出した包みを俺に渡して来たのは。

 

「ほら笹凪、持ってけよ」

 

「これは君の食料だろう?」

 

「あぁ、でもお前が一番必要なもんだろ」

 

 山内が渡して来たのは幾つかの缶詰と栄養バーである、後水の入ったペットボトルもあるな。

 

「堀北も言ってたけど俺たちのクラスは笹凪のグループに一点賭けだって話だろ。こっちのグループは上位三組じゃなくて上位50パーセント狙いだからな、それならそっちを支援した方が良いだろ」

 

「だけど君はどうするんだい?」

 

「まぁ腹は空くかもだけどよ、釣りでもして魚でも取るって。水も出発地点で手に入るしな。課題でも手に入るだろうし……それに、最悪リタイアすれば良いだけだ」

 

 そう言ってこちらに水と食料を押し付けてきた。ここで断ると彼の覚悟を押し返すことにもなってしまうので、ありがたく受け取るとしよう。

 

「ありがとう山内、助かるよ」

 

「ま、俺はこれくらいしかできないからな」

 

「最近は勉強も頑張ってるじゃないか」

 

「いや、須藤に比べたら全然だ、アイツの言葉を借りる訳じゃないけどよ、ガキのままではいられないからな。もっと頑張らないと」

 

 そうか、成長しているのは別に須藤だけの話でもないのか。当たり前のことだったな。

 

「せっかく食料を渡したんだ。しっかり勝ってくれよ」

 

「あぁ、必ず」

 

 受け取った食料を鞄に詰めて俺は六助と一緒に走り出す。こうして山内から支援して貰った以上はやはり思いに応えなければならない。つまりは今日も全力で進むだけだ。

 

 タブレット端末を確認して指定エリアを確認すると一気に駆けだす。その途中で彼から貰った栄養バーを齧りながら朝食を終えると、地面を踏み砕いて先へと進む。

 

「マイフレンド、課題に関してなんだが、あの三年生チームと戦える機会を多めにするのはどうかね」

 

 無人島を駆け抜けていると六助がタブレットを眺めながらそんなことを言ってきた。

 

「その心は?」

 

「君が言うには、あの者たちが最も面倒な相手なのだろう? ならば序盤で同じ課題を受けて差を作っておきたいのさ」

 

「勿論それが出来れば最高なんだけど、まだ相手の位置がハッキリとはわからない状況だ。サーチ機能も使えない」

 

「ふふん、昨日会った彼は随分と余裕を持っていた。アレは自分が負けるとは思っていない男だとも。常に状況を俯瞰して、自らの勝利を確信している」

 

「だろうね」

 

「思考を読むのは容易いさ。まだサーチ機能も使えなければ順位発表もなされていない。つまり焦る必要もなければ大きく動く必要も無い。ましてや既に下位5組も確定しているのならば、ほどほどにポイントを稼ぎながら物資の供給が容易いエリアを行ったり来たりと言った所だろうねぇ。それこそ島の中央部や鬱蒼とした森の中には入らないだろう」

 

「加えていうのならば、四日目以降他のグループと合流することも考えれば独走して点数のギャップもあまり作れない、か」

 

「YES、合流する予定のグループと自分のグループに同率に近いポイントを稼がせながら、物資の供給が容易いエリアを中心に課題に手を出すのさ。例えば海岸線付近を移動するようにね」

 

 合流した場合はポイントに関しても変動する。片方のグループが大きく稼ぎ過ぎても意味はないのだ。つまり今現在、南雲先輩は二つのグループを勝たせるように動きながらほどほどにポイントを稼いでいる。

 

 三年生全体を動かしている訳だからな、どの課題に出ても他の三年生が彼を勝たせようとする。そこに俺たちが介入するという訳か。

 

「物資の……水の供給がやりやすいエリア、出発地点の港付近か」

 

「イグザクトリー。或いは浄水器などを買って海から直接水を得ているかもしれないがね」

 

 焦りもなければ序盤は大胆に動く理由もない。確かに六助の言う通り物資の供給が簡単な出発地点付近を中心に動くと考えられるか。

 

 エリア移動も、課題への参加も、海岸付近を中心に動いていると考えるべきか。

 

 油断しているだろうし、余裕綽々だろうけど、それでも勝てるのが今の三年生だからな。

 

 出発地点の港付近には無料で使えるトイレもシャワーもある上に、二日目以降は水も無料で貰える。そこを中心に動いていても不思議ではないか。南雲先輩にとっては試験の本番は順位発表がされる四日目以降、そしてサーチ機能が解放される六日目以降だろうからその余裕と油断を突く訳か。

 

 仮に移動したとしても、鬱蒼とした森や起伏の激しい無人島の内部ではなく、動きやすい海岸線付近とも考えられる。課題に参加するにしろ、エリアを踏むにしろ、海岸や港を行ったり来たりする感じになっていてもおかしくはない。

 

「ん、指定エリアと課題の出現状況を確認しながら、機会があれば狙ってみようか」

 

「あくまで推測でしかないがね。こればかりは運勝負になるだろうからねぇ、無理にとはいかないさ」

 

「いや、良い考えだと思うよ。実際に直接対決ならばわかりやすい差も作れるからね」

 

 ただ俺たちの腕時計と南雲先輩の腕時計のテーブルは異なる。上手いこと指定エリアが近い場所が指定されて、近くの課題に顔を出した時に南雲先輩がいれば……うん、運勝負になるな。

 

 幸運を期待するとしよう。可能性は低いだろうけど南雲先輩と同じ課題に参加できて勝つことが出来ればそれだけでわかりやすい差が生まれるのだから。

 

 そんなことを考えながら指定エリアに到着する。島の東付近である。ここからまずは近場の課題を狙いながら、徐々に海岸付近まで移動する感じになるのかもしれない。ただランダム指定されるエリア次第では破綻することもあるだろうけど、ここは運次第だった。

 

 一先ずは六助の提案通り、島の内部付近にある課題ではなく、海岸付近に近づく形となる課題を目指すとしようか。どちらが南雲先輩とぶつかる可能性が高いかと言われれば後者だろう。

 

 まぁこちらの思惑に反してランダム指定のエリアが島の中央付近に指定されることも考えられるけど、南雲先輩とわかりやすくポイント差を作る為ならば敢えて踏みにいかないという選択肢だって十分にアリだ。

 

 まぁ色々と考えたけど、全部が推測でしかない。南雲先輩と会えるかは結局は運勝負になるんだろう。そして運勝負は得意である。行く先々で南雲先輩に会えますようにと願っておこうか。

 

 そんな訳で海岸付近に移動する道中、俺と六助はフラッシュ暗算の課題に参加して、そこで一位と二位を流れるようにもぎ取ってから進路を海岸付近に向ける。

 

 鬱蒼とした森が視界から消えて白い砂浜と青い海が視界に広がった。潮の匂いと海風が肌を撫でれば海に来たのだと実感することもできるな。

 

 さてこの付近ではついさっきビーチフラッグの課題が出没したばかりだ。まだ定員には達していないと思うけど。そんなことを考えながらキョロキョロしていると課題が行われる場所が視界に入る。

 

 まだ課題が行われると発表されたばかりなので人はまばらであるが、少し離れた位置から三年生の集団がやって来たので彼等よりも早く参加する意思を伝える必要があるだろう。

 

 そして幸運なことに、南雲先輩がその集団の中にいた。

 

 あちらも俺と六助を認識したのか、軽く手を上げて自らの存在を主張する。

 

「よう、今日も会ったな」

 

「南雲先輩もビーチフラッグの課題を受けに来たんですか?」

 

「まぁそうかもしれないな。指定エリアがこの付近だったってこともあるが」

 

「なら早めに受けた方が良いですよ、まだ定員には達してませんけどすぐに埋まっちゃいます」

 

「悪いが焦るつもりも意味もないんでな、他のグループに花を持たせてやるつもりだ」

 

「あぁ、他のグループのポイントを上げるんですか」

 

 この三年生の集団は規定人数を満たす為に動かしているのだろうか? 確かに課題を三年生たちだけで受けられるのならば他の学年のグループにポイントが渡ることもない。しかし自分が参加しないのはどういうことだろうか。

 

 まだ序盤なので余裕の表れかな。どうした訳か水着になっているし、もしかしたら遊ぶつもりなのかもしれない。

 

「遊ぶんですか?」

 

「あぁ、お前もどうだ?」

 

「遠慮しときます。カナヅチなんで」

 

「しれっと嘘つくなよ、水泳の授業で世界記録出したって話は聞いてるんだぜ」

 

 そう言えばそんなこともあったな。

 

 朝比奈先輩だったり他の三年生も水着に着替えてビーチバレーに興じるほどである。やはり三年生全体に大きな余裕が感じられるな。

 

「もっと焦った方が良いのでは?」

 

「意味がねえよ。どうせ勝つのは俺なんだ。そもそもグループが勝てばいいんだからな。無駄に体力を使う課題に参加してチマチマ稼いでも仕方がないだろ」

 

 確かにグループに得点が入るのならば、南雲先輩が課題に出る意味は必ずしも必要ではないだろう。俺だって六助が既に参加を表明しているのでこっちはほぼ見学状態だからな。

 

 ビーチフラッグの課題は参加者がグループで一人だけなので、六助が出るのならば俺は出ることはできない。彼に一位を取って貰うとしよう。

 

「まぁ本番は明日以降でしょうからね」

 

「そういうことだ。順位が発表された後に上位三組に他の学年の奴がいれば、容赦はしないぜ」

 

「南雲先輩は参加者というよりは指揮官みたいな感じに動くってことですか」

 

「さてな。まぁ楽しませてもらうさ」

 

「そちらの方針はわかりましたけど、やっぱりもっと焦った方が良いですよ」

 

「序盤で焦る必要がないんだよ、意味もな。全体を動かしながら勝てばいいんだからな」

 

 まぁちゃんと考えた上でそういった方針ならばありがたくもあるのか。油断はこちらにとっても有利になる。

 

「ハッハッハッ!! 健気じゃないか、負けた時の言い訳を必死に主張するなんて」

 

 海で遊ぶ南雲先輩を放置してビーチフラッグに参加する六助でも応援しようかと思っていると、その六助がいつもの高笑いと共に南雲先輩を煽りだす。

 

「あ? そりゃどういう意味だ高円寺」

 

「おや、気に障ってしまったかね? 焦る必要はないだの、全体を指揮するだのと言っているが、要はこの課題で勝てないから参加しない言い訳をしているようにも聞こえたものでねぇ」

 

「フッ、安い挑発だな」

 

「そんなつもりはないとも。ただ言い訳が上手なボーイだと感心しただけさ。なぁに恥ずかしがる必要はない、君は全体を指揮するのだから課題の一つ二つ逃げた所でなんの問題はないのだから」

 

 それだけ言い残して六助はビーチフラッグの課題が行われる場所に戻っていく。本当にただ煽りに来ただけなのだろうか。

 

 残された南雲先輩はもの凄くイラッとした顔をして、その後を追っていく。どうやら参加するつもりになったらしい。

 

 チョロすぎるだろう。そもそも六助も謎の煽りである。参加しないのだから放置すれば良かったのに。

 

「天武」

 

「ん、やぁ」

 

 既に参加予定だった三年生と入れ替わるように南雲先輩がビーチフラッグに参加することになった光景を眺めていると、背後から声をかけられる。振り返るとそこにいたのは清隆と七瀬さんである。

 

「二人もビーチフラッグに参加するつもりなのかい?」

 

「そのつもりだったが、定員上限みたいだな」

 

「女子の枠は1つだけ空いているみたいだよ。七瀬さんだけでも参加してみたらどうかな?」

 

「そうですね、そうさせてもらいます」

 

 そして七瀬さんが参加することになって定員に達したので課題が始まることになる。男子の注目はやっぱり六助と南雲先輩だろうな。

 

「七瀬さんの動きはどうかな?」

 

「大胆な行動はまだないな。大人しいものだ」

 

 残された俺と清隆はビーチフラッグを眺めながら情報交換をすることになる。やはり話題となるのは七瀬さんのことである。

 

「本格的に動き出すにしてもオレが疲れた後かもしれないな」

 

「清隆って疲れることがあるの?」

 

「その言葉はお前に言いたいことなんだが……まぁオレは人間だ、そんなこともある」

 

 そんなこともあるのだろうか、最近は六助と一緒で体つきが俺寄りになってると思うんだけどな。やっぱり師匠直伝の改造訓練は素晴らしいということだろう。ホワイトルームはこれまで何をしてたんだという話にもなるが。

 

「ところで、さっきから鶚の気配が無いんだが。どこにいるかわかるか?」

 

「さぁ、彼女が全力で隠れたら俺もハッキリとはわからないからなんとも。ただ忍者の行動パターン的に海岸なら海に隠れるんじゃないかな」

 

「なるほど、海か」

 

 清隆と二人で海を眺めてみると、細い竹が少しだけ海面に出ていることがわかった。どうやらあの竹を咥えて酸素を供給しながら海の中に身を隠しているようだ。

 

「あの竹か?」

 

「そうなんじゃないかな」

 

「……」

 

 すると清隆は何とも言えない表情になってしまう。九号の擬態というか隠れ方に色々と思う所があるようだ。

 

「既にリタイアした生徒が堂々と海岸には立てないよ」

 

「そうか、そうだな……だとすると少し悪いことをしたかもしれない。もう少し隠れやすい場所を意識して動くべきだったかもな」

 

「気にしないで、彼女はプロの忍者だ。報酬の分だけの仕事はキッチリとしてくれるから」

 

「なら良いんだが」

 

 それよりも注目すべきなのはビーチフラッグだ。既に男子の決勝が始まっており、砂浜に寝転がる南雲先輩と六助の一騎打ちとなっていた。

 

 課題の担当職員がピストルを空に向けて火薬を弾くと、それをスタートの合図にして二人は一斉に寝そべった体勢から立ち上がって走り出す。

 

「なッ!?」

 

 予想通りと言うか、六助が一方的にリードを大きくする展開である。南雲先輩の驚きの声を背に受けながら加速していき、ゴール地点にあるフラッグを飛び込むまでもなく奪い去って無事一位を記録するのだった。

 

 これでポイントも得られる上に、課題の報酬も貰える。

 

「順調なようで何よりだ。やる気になった高円寺は本当に頼りになる」

 

「だね、助けられているよ」

 

 彼がいるだけで一位と二位を独占できるからな。

 

「おや、綾小路ボーイ。見ていたかね私の躍動を」

 

「あぁ、凄かったぞ。流石だ、眩しいほどだった」

 

「ふぅん、わかっているではないか」

 

 水着になったことからその肉体が露わになっており、よく鍛えられた筋肉を見せつけるかのように大胸筋をピクピクと動かしてみせる。やっぱり筋肉が去年よりも改造気味になっているなと観察していてわかった。

 

「待てよ高円寺、まだ終わってねえだろ」

 

 そんな六助にビーチフラッグで負けた南雲先輩が苛立ったように声をかけてくるのは、きっと自然なことなんだろう。

 

「おやおや不思議なことを言うねぇ、さっき君は負けたではないか、それとも全力を出してなかったと言い訳するのかな? まぁ仕方がない事だとも、君は指揮官で全体を動かす立場にあるのだから、こんな課題で体力を無駄に消耗すべきではない、そう言いたいのだろう?」

 

「ペラペラと口の軽い野郎だな。良いぜ、次の課題でも勝負してやる、付いて来い」

 

「ふむん、付き合ってあげたいのは山々だがね、私たちにも都合があるのだよ。そうだろうマイフレンド?」

 

「そうだな、そろそろ次のエリアが告知されそうだから動きたくはある」

 

 なんてことを思ってタブレットを確認してみると、すぐに指定エリアが発表された。今度は法則性のあるものではなくランダムで指定されたものだ。場所はH9、そこに着いたら西に進みながら課題をこなしつつ、港に近寄って水を補給しておこうか。

 

「すみません南雲先輩、俺たちはこれからH9まで走りますのでそろそろ移動します」

 

「H9か……」

 

 南雲先輩もすぐさまタブレットを確認して付近の課題を確認する。

 

「近くで歴史のテストがやってるな、それに参加しろよ」

 

 六助のビーチフラッグで負けたことが悔しいようだ。まぁあれだけ挑発された上でだから、気持ちはわからなくはない。

 

「別に南雲先輩が参加するのならば止めませんけど、良いんですか? そっちにだって都合はあるでしょうに」

 

「言っただろ笹凪、序盤なんて遊びなんだよ」

 

 その割には随分と勝負に拘っているように見えるけど……まぁ別に構わないか、南雲先輩のグループとの直接対決に勝てれば貰えるポイントにわかりやすい差が生まれるので、おそらく六助もその辺を意識してわざわざ挑発したんだろう。

 

 それに、こっちの予定に合わせて南雲先輩が動くということは、基本移動でのポイントは取ることが難しくなってくるだろうし、課題で一位と二位を取れれば更に差が広がるので美味しいことばかりである。

 

 付いて来て貰うとしようか。南雲先輩が「遊び」だと思っている間に、可能な限り差を広げておこう。

 

「それじゃあ移動しましょうか」

 

「なずな、お前も付いて来てくれ。基本移動のエリアはアイツに任せる」

 

「えぇ~、ちょっと雅、本気で言ってるの?」

 

 グループ全員がエリアに入った瞬間に順位は確定するのだが、一人でも入っていればスルーにはならないし1点を貰える。南雲先輩が一緒に行動しない以上は最下位以外取れないだろうけどそれでもスルーしたことにはならない。

 

 どうやら南雲先輩はグループのメンバーの一人をエリアを踏ませる役割にしたらしい。最低限のポイントを稼げればそれで良いと思ったのだろう。

 

 序盤だからとは言え遊び過ぎである。まぁあれだけ挑発されて負けてしまったのだからこの人の性格的にここであっさりと引けないのだろう。

 

「いくぞ高円寺、笹凪、明日からが本番だから今日はお前らに付き合って遊んでやるよ」

 

 よしよし、上手い感じに釣れたな。この人にとっては遊びでしかないんだろうけど、俺たちにとっては序盤であろうと真剣勝負の真っただ中だ。こすい手と思わなくはないけど、こっちも全力なのでせいぜい損をして貰うとしよう。

 

 この日、南雲先輩は走るペースを落とした俺たちに付いて来て同じ課題を受けることになるのだけど、その全てで三位を得ていたので、こちらにとってはとても美味しい時間となる訳だ。

 

 別れ際の言葉は「明日から本番だから楽しみにしておけ」であった。

 

 まぁ言っていることは何も間違っていない。実際にその通りだけど、こっちはずっと本気でやっていることを理解した方が良いと思う。

 

 

 

 

 



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ここからが本番

 

 

 

 

 

 

 

 四日目の朝、この日になると上位と下位のグループの順位が発表されることになるので、この試験においては一つの目安となる日だと思う。更に二日後にはサーチ機能も解禁されるので後半に向けて一気に試験が激化することがわかる。

 

 どのグループにとっても緊張の朝がやってくるということだ。それは俺たちだって変わることはなく。テントの中で兎の彫刻を掘る俺も今か今かとその時を待っている状態だった。

 

 ここまでの三日間はおよそケチが付けられないくらいに完璧な状況であったのだけど、ここから先はそこまで楽にとはいかないだろう。特に南雲先輩は自分たちの上に二年生がいることは我慢ならないだろうからな。

 

 まだ空が群青色を維持している頃合い、朝日と夜が良い具合に混ざり合う時間帯になる頃には、彫刻を止めてテントを片付けていた。

 

 作った兎の彫刻は近くの木の洞にでも置いておこう。特に意味のある行為ではないけどなんとなく神秘的な雰囲気を醸し出せるかもしれない。

 

 さて今日も頑張るかと体の調子を確かめている時だ。鞄のポケットにある無線機が情報を伝えたのは。

 

 今回の試験、同じクラスの面子だけで構成されているグループには、無線機を初期ポイントで買うようにという指示が鈴音さんから出ている。理由は当然ながら緊急用の連絡手段と情報交換の為である。

 

 そんな無線機が誰かの声を発したということは、つまりクラス全体で共有しなければならないことがあったということだろう。

 

『オレだ……綾小路だ。聞こえているか?』

 

 ちょっと大きめの折り畳み電話のような形をした無線機が届けたのは清隆の声である。おそらく同じ周波数を指定しているクラスメイトたちの無線機にも同じ声が届いているだろう。

 

『混線するから返答はしないでくれ。聞こえているという前提でこちらの情報を届ける……端的に言うと、篠原が孤立した』

 

 確か篠原さんは龍園クラスの小宮たちとグループを組んでいた筈だ。孤立したとはどういうことだろうか。

 

『具体的な状況はわかっていないが、小宮たちが怪我を負って篠原だけが無事な状況だ。今現在、復帰するのも難しいと判断しているから、ここから先は一人で行動することになるかもしれない』

 

 何らかの理由で同じグループの小宮たちが怪我をした、篠原さんだけが無事な状況、だとしたら取るべき行動は三つしかない。

 

 リタイアするか、単独で挑むか、或いはどこかのグループに合流するかだ。

 

『説明は以上だ』

 

 清隆の説明が終わる。おそらく同じ周波数にしているクラスメイトたちはそれぞれ届いた情報を受け取って困惑していることだろう……さてどうしたものか。

 

 そんなことを考えていると、また無線機が声を届ける。ただし今度は清隆のものではなく鈴音さんのものであった。

 

『状況はわかったわ……篠原さんが孤立したのなら、取るべき行動は大きく分けて三つよ。単独で挑むか、リタイアするか、どこかのグループに合流することね』

 

 まぁそうなる。選択肢は三つしかない。

 

『幸いなことに既に一年生がリタイアしているから、篠原さんがもしリタイアしたとしても退学になることは無い……けれど私としては他のグループに合流して試験を続行することを望むわ』

 

 おそらく、今の鈴音さんの言葉は同じ周波数にしているクラスメイトたち全てに届いていることだろう。クラスのリーダーとして認められている彼女の言葉がだ。

 

『その理由は色々あるわね。一つは上位50パーセント以内に入れればそれでも報酬を得られるから、状況次第ではクラス全員に声をかけて動くことだってありえるでしょうね。その時に一人でも欠けていれば何か不都合が生じるかもしれない』

 

 そこで鈴音さんは言葉を途切れさせて一息置いた。

 

『けれど……何よりも大きな理由として、今回の試験をクラスメイト一人一人の成長の場にできればと思っているわ。だから、安易に楽な方に動くのではなく、苦労や試練を経験して欲しいと考えているのよ』

 

 この言葉を聞いているクラスメイトたちはどう思うんだろうか。鈴音さんが思い描いている未来や考えを共有できるんだろうか……そうなって欲しいと願いながら俺は彼女の言葉を待つ。

 

『今現在、私たちのクラスは特定の個人に大きく依存している。負担を強いている状況だと言っても過言ではない……私自身も、甘えている部分があると自覚はしているわ』

 

 気が付くと、六助も起床していて無線機から届く鈴音さんの声に耳を傾けていた。

 

『きっとそれは、クラスとして健全な状況ではないのでしょうね……一人一人が成長して、誰かに甘えるのではなく共に支え合える関係になって欲しいと願っているの。だからこの試験を安易にリタイアするのではなく続行して欲しい、成長の場にして欲しい、私はそう考えている』

 

 二日目の夜に須藤の、三日目の朝に山内の成長を感じられたけれど、今度は鈴音さんの成長を実感することができた。入学当初の彼女からは考えられないような言葉であった。

 

 心の奥に優しい気持ちが溢れて来る。気遣われていることもそうだけれど、誰かに思って貰えるのはとても嬉しいことだと思う。

 

『篠原さんはそこにいるの? 聞こえているのなら、綾小路くんと代わって貰えないかしら?』

 

『うん……聞こえてるよ』

 

 返答はあった。無線機に乗って俺の下にも篠原さんの声が届く。

 

『貴女はどうしたいの?』

 

『リタイアはしたくないよ……だって、悔しいもん、こんな形で終わりだなんて』

 

『私が貴女の立場なら同じことを思うわ……なら、やるべきことは一つよ』

 

『他のグループと合流だね』

 

『えぇ、幸いなことにこの四日目から合流する権利を課題で得られるようになる。そこを狙いましょう』

 

『でも、私にできるかな?』

 

『どこかのグループがそれを獲得すれば、そのグループと合流すれば良いわ。ただ男女で組む場合は人数や割合に制限があるから注意が必要でしょうね。私は単独で行動しているから大きな問題もない。今日は合流の権利を得る為に行動するつもりよ……私に限った話ではなく、クラスの皆も積極的に狙いにいって頂戴。やるべきことは一つ、篠原さんを助ける、わかりやすいでしょう?』

 

 あぁ、わかりやすい。クラスメイトを助ける為に合流の権利を獲得する。とてもシンプルだ。

 

『たとえ篠原さんと合流できる環境や状況でなかったとしても、得た権利は必ず有利に運べる。だから優先順位の上位に置いて行動すること、わかったわね?』

 

 それがクラスのリーダーの指示であった。この周波数にしている無線機を持つクラスメイトたちに共有されたことだろう。

 

『焦る必要はないわよ篠原さん、貴女は一人じゃない』

 

『うん、ありがとう。私、頑張るよ。仮にリタイアするんだとしても、やれるだけやって意味のあるリタイアじゃないとね』

 

 思わぬアクシデントがあったようだけど、話は纏まったみたいだ。クラス全体の成長を願い、そして俺への負担を減らしたいと言う鈴音さんの考えや思いには頭が下がるばかりである。

 

「……誰かに守られて支えられるか」

 

 寧ろそれは俺がやらなければならないことだったけど……そうだよな、別にクラスメイトたちは弱くもなんともない。一人一人が成長して、前へ進んでいける。当たり前のことだった。

 

「父親目線で接するのも……傲慢なのかもしれないな」

 

 彼ら彼女らはそこまで弱くない、俺はそんなことを思った。皆は守るべき対象ではなく、共に戦う仲間なんだと実感したということなのかもしれない。

 

 皆を守るだなんて傲慢だ、対等なクラスメイトだとしっかり自覚しないといけないだろう。

 

「ありがとう」

 

 それを気が付かせてくれた彼女に無線機を介してお礼を伝えた。大切な何かを教えてくれたのだから、お礼は当然だ。

 

『頑張って……クラス全体が、貴方の勝利を願っているのだから』

 

 返答は小さく短いものであった。けれど確かに伝わった。胸の奥に温かい何かが溢れて来る感覚がある。

 

 誰かに思って、力になってくれるという事実は、心が穏やかになるものだな。

 

「よし、六助、今日も頑張ろうか」

 

「フッ、任せたまえ。私はいつだってパーフェクトなのだから」

 

「あぁ、知ってるよ」

 

 試験は四日目なので順位が発表されることになる。早速タブレット端末を確認して順位を見てみると――。

 

「うん、予定通り一位だね」

 

 一位はこちらのグループであった。基本移動でも課題でも荒稼ぎした三日間なので当然と言えばそれまでである。

 

「南雲先輩のグループは……圏外だな。流石に遊び過ぎたか」

 

 上位十組の中には三年生グループが目立つけど、そこに南雲先輩のグループは入っていない。遊びだなんだと余裕を見せているからだろう。

 

 ただ実際に遊んでいられるだけの状況なのがあの人と三年生たちなので、別に間違ってはいない。その油断と余裕が致命傷なのか否かがわかるのは試験が終わって順位が確定した時だけだ。

 

 もし一位が南雲先輩であったら、余裕も遊びも正しかった。けれどそうじゃなかったらただの間抜けであったというそれだけの話である。

 

「では行こうかマイフレンド」

 

「あぁ、立ち塞がる悉くを凌駕して結果をもぎ取ろう」

 

 こちらは遊びも余裕も最初から存在しない。これまでと同じように徹底的にポイントを得ていくだけである。

 

 一先ずはエリア移動だな。朝一の指定エリアがランダムだったので少し走らなければならない。

 

 まぁ問題はないだろう。誰よりも速く走れば勝てるというシンプルな話なのだから。

 

 六助と一緒に今日もまた無人島を駆け抜ける。地面を蹴り、木の枝を足場にして、岩や不安定な足場すら利用していく。最短最速で、一切の無駄がなく、自然の障害物すら利用しての疾走は次々とライバルたちを追い越していき、朝一のエリア移動は無事に一位を取れた。

 

 さて次は課題だとタブレットを確認してみると、一番近い位置に「走り幅跳び」の課題が出没しているのでそちらに向かおうかな。

 

 今日で四日目、現時点での順位も発表された。俺たちは二位と大差を付けてぶっちぎってはいて、南雲先輩のグループは圏外だけど、試験の本番はここからなので改めて気を引き締める必要がある。

 

 これだけのリードがある、ではなく。もっと圧倒的な差を作っておくべきだと考えるべきなんだろう。

 

 森の中を駆け抜けながら目指す走り幅跳びの課題に関しても勝率が高いということもそうだけど、貰えるポイントがそこそこ高いことも理由の一つに挙げられる。

 

 ここから先は妨害も激しくなるだろうから、どの課題を受けるのかもしっかり選ばなければならない。高得点が貰える課題には積極的に参加していきたいものだ。

 

「課題に参加します」

 

 走り幅跳びが行われる場所についてすぐに担当職員にそう伝えると、その後は暫く待ちの時間になる。他の生徒が参加するまで待機だ。

 

 二年生は俺と六助を見た瞬間に無駄だと判断して回れ右をする。一年生は普通に参加する。そしてこちらの身体能力を把握している三年生も同じように回れ右をするかと思っていたが、彼らは積極的に参加するようだ。

 

「無線機で連絡を取っているようだねぇ」

 

 三年生たちの動きを六助も察している。昨日までは運動系の競技でこちらと接することになると回れ右をすることが多かっただけに、不審な動きでもあった。

 

 無線機に語り掛ける三年生たちの唇の動きを呼んでみると「発見した」だ。きっと南雲先輩に連絡しているんだろう。

 

「それで、どうするのかね?」

 

「特に何も。サーチ機能はまだ解禁されていないんだ。もしあの人たちが俺たちの妨害をしようとしても、ただ全力で走って置き去りにしてしまえばいい」

 

「ならば六日目までは追い駆けっこになるようだ。やれやれ、せめてレディたちに追い回されたいものだよ」

 

 もしサーチ機能が解禁されれば俺たちの進路や目標に人を配置することもできるのかもしれないけど、今はまだそれも難しい。

 

「おそらくあの三年生たちは課題が終われば俺たちに付きまとって来るんだろう。けれど、追いつけると思うかい?」

 

「フッ」

 

 そうとも、出来る筈がない。つまりあの人たちの行動は全て無駄にしかならない。せいぜい追いつけない相手に必死で付いて来て欲しい。そして体力を消耗してリタイアしてくれ。

 

 走り幅跳びの課題が始まった。特に語ることは何もない。俺と高円寺で一位と二位を取って三位は三年生が取った。それだけだ。

 

 特別なルールや法則もなく、純粋に身体能力を競うだけの試験ならば必ずと言っても良いくらいにこの結果になるのだからありがたい。一人だと二位も他所のグループにくれてやらないとダメだからな。

 

 問題なのは課題の結果ではなく、三年生たちの動きなんだろう。そしてその動きは歯牙にかける必要もない。

 

 こちらはただ、全力で走り抜けるだけなのだから。

 

「あッ、待て!?」

 

 課題が終わった瞬間にこちらの進路を妨害するかのように立ち塞がった三年生たちの頭を飛び越えて走り出す。何やらわめいていたけどあっという間に声は聞こえなくなった。

 

 悪いけど、サーチ機能が解禁されるまではこちらの動きを捉えることは不可能だ。六日目まで無駄な行動を繰り返してくれ。

 

 こちらはそれまでにもリードを広げておこう。

 

 もし俺たちを捕捉できたとしても、誰も追いつけないのだから意味がない。そういうことだ。

 

 後、考えなければならないのはどの課題を受けるか、だな。やはりポイントの取得量が多い課題が中心になるんだろう。後は物資と相談しながらだな。

 

 行く先々で三年生に追いかけ回されることになるのだけど。サーチ機能が無いので先回りされることもなく、ただ全てを置き去りにするだけの時間が進むのだった。

 

 六日目まではこれでいけるか、サーチ機能が使えるようになれば話は変わるんだろうけど。

 

 基本移動で指定されたエリアを踏みつつも、課題を突破していき、今日もポイントを荒稼ぎしていくことになるのだった。

 

 南雲先輩は今頃は遊び過ぎたと焦っているんだろうか。しかしこちらは序盤のツケを払わせるつもりなんてない。追いつくこともできないまま一方的にリードを広げていくとしよう。

 

 この試験において重要なのは指揮官としてどれだけ優れているかじゃない……いや、それも大切ではあるんだけど、何よりも重要なのは純粋な力だ。

 

 策略を引きちぎり、計算を無に帰して、あらゆるものを凌駕する力、それが重要である。

 

 遊んでいる場合じゃなかったと相手が思ってくれているのならば、その時点で試験に対する覚悟と意思が足りていなかったということなんだろう。

 

 油断も余裕もこちらにはありはしない。俺たちは最初から最後まで全てを置き去りにするつもりだった。

 

 

 

 

 

 



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開き直るのも時には大切

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 

 四日目の未明に起こった小宮たちの事故……敢えて事故と表現すべきことが起こって篠原が孤立することになったが、無線機を使ってクラスメイトに情報を共有した所、堀北が上手く動いてくれたようだ。少なくとも篠原にも、そして心配して不安そうにしていた池も、とりあえずは落ち着いてくれたらしい。

 

 グループの合流は他のクラスメイトに任せるとして、オレはオレで自分の役目を果たさなければならない。

 

 オレは餌なのだ、今の所釣れたのは七瀬だけだが、追加の獲物がかかることを願ってのんびりとふらつくとしよう。

 

 既に試験をリタイアすることで退学の危険はなくなった。ある程度のポイントを稼ぎながら獲物を待つ姿勢だ。まるで釣りでもしているような気分になってくる。

 

「綾小路先輩は、あまり急がれてはいないんですね」

 

 少し後ろを歩く七瀬がそんなことを訊いてくる。ここ数日行動を共にしていたのでこちらの動きを少し不審に思ったのかもしれない。

 

 真剣にやっていないから、違和感を覚えたのだろうか。

 

「その必要が無いからな。クラスとしての勝利は天武と高円寺に丸投げだ。個人としては一人で挑んでいるんだからなかなか難しい」

 

「そうですか、後半に一気に追い抜く、そういった考えなのかと思っていたんですが」

 

「昨日……四日目に発表された順位は七瀬も確認しただろう?」

 

「はい、笹凪先輩のグループが圧倒的なリードでした。今朝も確認しましたけど、追いつかれるどころか更にリードを広げていましたね」

 

「クラスの勝利はあの二人に任せる方針だ。物資や水を分け与える形でクラス全体が動いている」

 

「なるほど、それが先輩たちのクラスの方針ですか」

 

「あぁ、上位三組の独占なんて不可能だから、一点賭けだ」

 

 クラスメイトたちは天武と接触すれば積極的に物資を渡すだろう。最悪それでリタイアしてしまっても退学にはならない状況だからな。

 

 堀北曰く、一人一人の成長の場になって欲しいとのことだから、物資が枯渇したとしてもギリギリまでクラスメイトたちは粘るのだろうが。

 

「オレもそれは同様だ。体力と物資を節約しながらほどほどにポイントを稼いで、いざという時に天武たちに物資を渡せるくらいの余裕を維持しておきたい」

 

「クラス全体が一つのグループを勝たせようとしているんですね。てっきり私が付いてこれるようにペースを落としているんじゃないかと申し訳ない気持ちになっていたんですが」

 

「そういったことはない」

 

 納得した様子の七瀬は、一般的な一年生女子よりもずっと体力があるようにも見える。この険しい無人島でペースを落として動いているとはいえオレにしっかりと付いて来ているのだから。

 

 ホワイトルーム生ならば苦もなく同じことができるだろう。七瀬がそうなのかまだ確証は持ててはいないが、鶚の話では月城と接触していたとのことなので、現時点でほぼ黒に近い。

 

 今は様子見だな、餌にかかる相手が一人とも思えない。

 

 七瀬、天沢、八神、宝泉に椿に宇都宮、もしかしたらそれ以外にもホワイトルームの関係者がいる可能性は十分にある。池曰く釣りは忍耐とのことらしいので、根気よくいくとしよう。

 

 そんなことを考えながら無人島の中を緩やかに歩く。体力の消耗と喉の渇きを最小限に抑えることを常に意識していると、鬱蒼とした無人島の木々を掻き分けるように前方から一つのグループが進んで来るのがわかった。

 

 そのグループとは何を隠そう龍園である。合流の権利を得たのか大グループとなっていた。接触しようとは思っていたので運が良かったのかもしれない。

 

「クク、随分と可愛い手下を連れてるじゃねえか綾小路」

 

 先頭に龍園、隣には石崎、少し後ろにアルベルトが立っているのはいつもの三人だが、四日目以降に解禁された合流の権利を上手く使ったのか女子が二人いるのがわかる。

 

 ルール的にもう一人女子が必要な筈なのだが、どこにも見当たらないと思っていたら、最後の一人はなんとアルベルトの背中に背負われていた。

 

「椎名……誘拐されているのか?」

 

 アルベルトが背負うのは一番サイズの大きなリュックサック、かなりの容量を誇るそれを空にして驚くことに椎名がすっぽりと収まっている状態だ。

 

「綾小路くん。はい、実はそうなんです」

 

「NO」

 

 椎名が笑いながら言った言葉をアルベルトは即座に否定する。

 

「いや、まぁ、やりたいことはわかる。体力的に不安な椎名を素早く動かす手段だとな……しかし、あれだな、力技過ぎないか?」

 

「しょうがねえだろ綾小路、ずっと走らせる訳にもいかないんだからよ」

 

 石崎も今の椎名の姿勢に思う所はあるようだが、作戦だと受け入れているらしい。

 

 確かに椎名は女子の中でも小柄で華奢な体躯をしている。一番大きなリュックサックならば詰め込んで運ぶこともできるだろう。最も体力があるであろうアルベルトを中心に無人島では険しい道を動いているようだ。

 

 後ろにいる女子たちは少しでもアルベルトの負担を軽くする為に背後からリュックの底を押している。

 

 やりたいことはわかるし苦肉の策ではあるんだろうが、幾ら何でもゴリラ過ぎる……天武に影響されているのだろうか?

 

 椎名を学力面で最大限使おうと思えば、この無人島ではどうしても体力面が足を引っ張ることになる。そう考えると冴えた策と言えるのだろうか。

 

「なんていうか、二年生の先輩方は大胆で強引な方が多いんですね。私たち一年生もこの学園で過ごせば同じような発想になるんでしょうか」

 

 一年生の七瀬は呆れるような、それでいて感心するような顔をしている。気持ちはわからなくはない。

 

「それよりもだ綾小路、小宮たちがリタイアしたのはどういう状況だ。テメエのクラスの篠原だけが残ってるようだが、知ってることがあるなら吐きやがれ」

 

「その話か、それなら――」

 

 龍園が求めている情報は小宮たちの不自然なリタイアだろう。あの二人は疑惑の段階でしかないが誰かに蹴り落とされた可能性が高い。

 

 いや、おそらくほぼ確実にその筈だ。そんな説明をすると龍園は眉間に皺を寄せた。

 

「はッ、退学の危険性はもうないが……舐めた真似してくれた奴がいたもんだな」

 

「小宮くんたちは大丈夫でしょうか、とても心配です」

 

 椎名が表情を暗くする、リュックにすっぽりと収まったまま……こういうのをシリアスブレイカーと言うのだろうか?

 

 なんと言えば適切なんだろうな、目の前にリュックに収まった椎名がいると、何故か話し難い。

 

 だが一応、話は通しておく必要がある。龍園を上手く誘導しておきたい。

 

「七瀬、悪いんだが少し離れていてくれるか。二年生だけで話したいことがある」

 

「わかりました」

 

 樹上にいる鶚は放置で良いだろう。

 

 七瀬が離れたことを確認して龍園を見つめる。どうせこの男のことだ、報復はキッチリと考えているだろう。ならば動かせる筈だ。

 

 退学のリスクはないのでじっくりと腰を据えてとも考えられるが、舐められたまま放置するとも思えない。

 

 それに、どうせ一年生は今後大きく動くだろう。人手が足りなくなる可能性もある。

 

 天武がいれば一年生が何人いようとも片付きそうではあるが……下手しなくても屍の山が出来るかもしれないから最終手段だ。

 

 やはり敵を心配してしまう。味方が強すぎて悩む時が来るとは、本当に意味がわからないぞ。

 

 龍園と話を付けてからオレたちはそれぞれの目的に向けて離れることになる。去り際も椎名はリュックに収まったままアルベルトに運ばれることになった。

 

「頑張ってくださいね、綾小路くん」

 

「あぁ、椎名もな」

 

 なんというか、アレだな、絵面は完全にマフィアがいたいけな少女を誘拐する感じだ。龍園も石崎もアルベルトも人相が悪すぎる。

 

「……色々と濃い方たちでしたね」

 

「二年生はあんなのばかりだ」

 

「えッ……それは、なんと言いますか」

 

 少し困惑した様子の七瀬は、再度振り返ってリュックに詰められて運ばれていく椎名を眺める。二年生は皆あんな感じなのかと戦慄しているかのようにも見える。

 

「た、確かに、笹凪先輩や高円寺先輩もオーラが凄かったですけど……一年違うだけでここまで差が出るものなんですね」

 

 いや、アレらは年齢や時代を関係なくあっち側の人間だと思う。

 

 なにやら戦慄している様子の七瀬を放置して、オレはタブレットで近場の課題を探すことにした。ここからだと綱引きの課題が近いな。

 

 参加するだけで勝てなくても5点が貰える美味しい課題だ。その分、課題が行われる場所が山の上なので辿り着くのが難しい場所である。

 

 さてどうするかと考えていると、離れた位置からも届くほどに大きな音が耳に届く。乾いた木々を強引に踏み砕いたかのような音はそのまま徐々に近づいてきた……後、高笑いの声も。

 

 バキッと、また何かを踏み砕いた音が聞こえて来る。さっきよりも距離が近い。

 

 この力強い存在感と何もかもを踏み砕く脚力は天武だな。高笑いの声は高円寺だろうか。

 

「あ、あれは笹凪先輩のグループでは?」

 

「そのようだな」

 

 少し離れた位置、木々の隙間を華麗に通り抜けていく二人組は天武と高円寺だ。

 

「清隆、七瀬さん、また今度」

 

「グッバイ!!」

 

 二人はそのまま猛スピードで走り抜けていって綱引きが行われるであろう山の上に駆け上っていく。まともに整備された道がないのでロッククライミングをしながら登頂していき、あっという間に姿が見えなくなってしまう。

 

「くそッ!! なんなんだアイツら、おかしいだろッ」

 

「はぁ、はぁ、ちょっと休もうぜ、追いつけねえよ……喉もカラカラだ」

 

「おい水は節約しとけって」

 

「馬鹿言うな、ここまでずっと走りっぱなしだぞ、脱水症状で倒れるっての」

 

 瞬く間に山を登って行った二人を三年生と思われる集団が追いかけているようだが、まるで意味をなしていない。汗だくとなり疲労困憊といった様子だ。

 

 まぁあの二人に追いつくのは難しいだろう。妨害をしたいんだろうがそもそもの速力と体力が違いすぎるので妨害役の三年生たちが少し哀れに思えてしまう。

 

 あの感じだと、体力を使い果たしてリタイアするかもしれないな。

 

「綾小路先輩、私たちも綱引きの課題に参加しますか?」

 

「いや、止めておこう。天武たちがいるだろうし、山の上まで移動するのは体力の消耗が大きい」

 

 参加するだけでも5点が貰える課題ではあるが、わざわざ同じ課題を受ける必要もない。それならば体力を温存した方が良いだろう。

 

「オレたちはこのまま南下して港を目指そう。水も飲みたいし、シャワーも浴びたいからな」

 

「本当にゆったりした感じなんですね」

 

「そう言った筈だ」

 

 リタイアによる退学の危険も無ければ、クラスの勝利も天武たちに丸投げだ。本命が釣れるまではのんびりするだけである。

 

 そこからオレたちは南下していき、二時間ほどをかけて出発地点である港まで辿り着くことになる。

 

 水が無料で飲める上に、シャワー室と個室トイレが完備されていることもあってか、多くの生徒の姿が見えた。考えることは誰もが同じということだろうか。

 

「暫くここでゆっくりするぞ。オレも水を飲んでシャワーを浴びて来る。七瀬はどうする?」

 

「そうですね……では私も暫く休もうと思います」

 

 休みに来たというのも真実ではあるが、同時に七瀬と少しだけ距離を取って泳がせたいという考えもあった。もしかしたらオレがシャワーを浴びている間に誰かと接触することだって可能性としては考えられるからな。

 

 鶚には、その辺の監視をして貰うとしよう。

 

「ところで、あそこにいるのは笹凪先輩たちなのでは? さっき山の上に登って行った筈なのに、もうここまで来られたんでしょうか」

 

 確かに、港付近の出発試験には山の上に姿を消した筈の二人がいる。どうやらさっさと綱引きの課題を終わらせてオレたちよりも早くここまで走って来たらしい。

 

 三年生たちは振り切ったのだろうか、周囲を見渡してみると、港の片隅で横になってうなされている集団が視界にはいる。保健医の診察を受けているようだ。

 

 流石に天武と高円寺を妨害する為に走り回るのは堪えたのだろう。熱中症と脱水症状でダウンしているようだ。保健医は三年生たちを診断してリタイアを宣告してしまった。

 

 そんな三年生たちを放置して天武と高円寺はオープンウォータースイミングの課題に参加するようだ。波のある海を泳ぐことになるこの課題は極めて難易度が高いので上位入賞した時のポイントも大きい。

 

 まぁあの二人なら問題はないだろう。それは他の参加者も同じことを思ったのか、二人が参加すると決めた瞬間に二年生は課題を辞退することになり、一年生が不思議そうにしながらも空いた枠に参加を申し込んでいく。

 

「七瀬は参加しないのか? 女子の枠は空いているようだぞ」

 

「参加しても良いんですけど、綾小路先輩がゆっくりなされるのなら、私も休もうと思います」

 

「そうか」

 

 それならそれで構わない。女子は小野寺が参加しているようだからこれでライバルもいなくなった。他所のクラスや学年にポイントが渡ることは無くなっただろう。

 

 海に飛び込んだクラスメイトを見送って、オレはシャワーを使用する申請を行った。水も注文して飲んでおく。

 

「あ、清隆くん」

 

「あれ、きよぽんも休憩?」

 

 シャワーの順番待ちをしている間、手持無沙汰になったので海を泳いでいる天武たちを眺めていると、同じように港に来ていた愛里たちが声をかけてきた。

 

 啓成と明人の姿もあり、四人は上手いこと合流することが出来たのか大グループを作れたらしい。

 

「あぁ、シャワーも浴びたかったからな。ところで皆は何をしてるんだ?」

 

「えっと……勉強、だよ」

 

 愛里は白い砂浜に描かれた数式を指差した。無人島で勉強とは、開き直った時間の使い方をしているな。

 

 明人も波瑠加も愛里も砂浜に書かれた数式を解いているようだ。教師役はやはり啓誠である。

 

「無人島で勉強か」

 

「まぁ何をしているんだと言われればそれまでだがな、退学の危険性はもう無い上に、体力的にずっと駆け回る訳にもいかない面子なんだ。それならいっそ、勉強の時間に割り当てた方が良いと判断した……と言うより、退学の心配が無くなった時点でそうするつもりだった」

 

 教師役である啓誠がどこからか拾った枝を使って新しい問題を砂浜に書いていけば、それを見て残りの三人は悩みながらも問題を解いていく。

 

 どうやらこのグループは本当に開き直った時間の使い方をしているらしい。確かに啓誠の言う通りリタイアによる退学の心配はないので、そういった判断も決して間違いではないだろう。

 

「だが啓誠、ずっと港付近にいる訳じゃないんだろう?」

 

「あぁ、近場に出現した課題には積極的に参加しているぞ。さっきも明人が腕立て伏せで一位を取ってくれてな」

 

「ここにいれば水はタダだが、食料はそうもいかないからな。俺たちはポイント稼ぎよりも寧ろ食料の確保が中心なんだ……それと勉強だな」

 

 明人は課題で得たと思われる食料品が入った袋をポンと叩く。

 

 初期ポイントで購入した水入りペットボトルは一つも消費していない様子だ。

 

 日差し避けのパラソルや地面に置いて広げたブルーシートなども購入している辺り、本当にこの港付近から大きく動かない戦略であるらしい。

 

 考え方の一つとしてはアリなのだろう。何よりこの場所ならば明人の言う通り水もタダなので初期ポイントで購入した水は一切使う必要がない。

 

 そしてその水は、必要としている相手に渡せば良い。

 

「あ、テンテンが来たよ」

 

「お疲れさま、天武くん。お水飲む?」

 

「ありがとう愛里さん。いや~、波があって大変だったよ。あ、清隆も来てたんだ、休憩かい?」

 

「あぁ、シャワー待ちだ」

 

「シャワーか、時間があれば俺と六助も使いたかったけど、行列待ちをしている暇はなさそうだな」

 

「すぐに移動するのか?」

 

 明人の言葉に天武は頷きを返す。

 

「あぁ、次の指定エリアを踏まなきゃダメだからね」

 

「初期ポイントで買った水が余っているから、持って行ってくれ」

 

「悪いね、遠慮なく貰っていく」

 

 天武はグループの皆から水入りペットボトルを多めに受け取ってそれをリュックの中に押し込む。

 

「それじゃあ俺はもう行くよ。皆、勉強頑張ってね」

 

 それだけ言い残して高円寺と一緒に猛スピードで走り去っていった。

 

「流石に忙しそうだな、天武は」

 

 啓誠は眼鏡のブリッジを指で押し上げながら、森の中に消えて行く二人を見送っている。

 

「でもまあ順位は二位を突き放してぶっちぎりで一位だし、このまま行ってくれれば優勝するんじゃないの? なら私たちはさ、テンテンがまた港に戻って来たらその時に色々渡せる準備はしておこうよ」

 

「うん、節約しなきゃだね」

 

「波瑠加、愛里、それも大切だが、今は勉強に集中だ。次はこの数式を解いてみてくれ、さっき受けた数学の課題で二人が躓いた問題を少しアレンジしてみた」

 

 また啓誠は枝を使って砂浜に問題を書いていく。

 

「わ~、スパルタ。なんで私たち無人島に来てまで勉強漬けの生活してんだろ」

 

「別におかしくはないだろ。勉強合宿みたいなものだ」

 

「が、頑張ろう、波瑠加ちゃん」

 

 これはこれで面白い時間の使い方だ。オレはそんなことを思った。天武を支援する体制を整えながらも時間の多くを勉強に当てるとは、完全に開き直った過ごし方だった。

 

「きよぽんも休憩するんでしょ? シャワー浴びたら夕飯は一緒にどう?」

 

「そうさせて貰おうか」

 

 今日はこの港付近で夜を過ごすとしよう。波瑠加たちと同様に焦る必要もないのでそれもまた良かった。

 

 ただこの港付近には坂柳もいるので、そちらに話を通してからだな。龍園同様にいざという時は動かせるように調整はしておきたい。せめて周波数の共有くらいはしておくべきだろう。

 

 後、購買にいる真嶋先生からも視線を送られているので、そちらとも話をしておくべきか。

 

 まだまだ試験は続く筈だが付き合うしかない。釣りが得意な池曰く、根気が大切らしいので、じっくり行くとしよう。

 

 

 

 

 

 

 



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雨の日

 

 

 

 

 

 

 

 

 現段階の順位が発表された四日目になったことで、この無人島に集った生徒たちは様々な思惑や考えを走らせることになった。特に動きが顕著だったのはやはり三年生たちだろう。

 

 南雲先輩も流石に序盤で遊び過ぎたと思ったのか、手下の三年生たちを積極的にけしかけながら自分のグループを勝たせる為に色々な課題に参加しては八百長をしてポイントを稼いでいるようだ。

 

 タブレット端末で細かく順位は確認しているのだけど、四日目、五日目、六日目と徐々に点数を上げて来ているのが確認できる。慌ててエンジンをかけたといった所だろうか。

 

 四日目に発表された時は上位十組には入っていなかったけど、七日目の朝には七位に食い込んで来た所を見ると、かなり急いでいるらしい。

 

 学年全体を動かしているので課題を独占して八百長で勝てばそれだけで一位が取れる作戦は、誰もが一度は考えるが実際に実行するのは難しいだろうけど、それをやれるのが南雲先輩であった。

 

 ポイントには余裕があるので1点を消費して試しにサーチ機能を使ってみると、南雲先輩を中心に魚の群れのように動いている三年生の集団が確認できる。そして南雲先輩と距離を取っている三年生グループの大半が俺と六助の妨害組のようだ。

 

 六日目にサーチ機能が解禁されたことでこっちの動きが手に取るようにわかったのだろう。進路を塞いだり、課題に先回りしたりと色々とやっているようだけど、あまり成果は上げれていないのが現状だった。

 

 南雲先輩のグループは着実に順位を上げて来ているけど、実は俺たちとの距離もあまり縮まってはいなかったりする。

 

 猛スピードで得点を得ているようだけれど、こっちはそれ以上の速度でポイントを得ているので、いつまでも距離が縮まらない。

 

 試験も折り返しとなる七日目の朝、今現在の順位は一位が俺たちのグループで取得ポイントは375点。しかし南雲先輩のグループは133点と3倍近い差が付いている。

 

 二位の三年生グループが156点であることを考えると、最早趨勢は決したとさえ思えるほどの差が出来てしまっていた。残り一週間と言う折り返し地点である七日目でこれだ。

 

 やりすぎたとは思わない、それどころか足りないとさえ思っておくべきなんだろう。このままのペースを維持して最終的には500点くらいの差を付けた状態で最終日を迎えたいものである。

 

 欲しいのは、文句の付けようがない完全完璧な完膚無き勝利だった。天下無双の漢となるにはそれくらい出来ないと話にもならないんだろう。

 

 ケチのつけられない、どんな言い訳も意味をなさない、圧倒的な勝利、それが必要だった。

 

「長引きそうだな」

 

「雨も悪くはないさ、よく言うだろう? 水も滴る良い男だとねぇ」

 

 試験も折り返しとなる七日目、その日は朝から曇天模様であり、遠からず雨が降るだろうと言う予想であったのだが、やはりと言うべきか豪雨に無人島は包まれることになった。

 

 しかも一時間かそこらで止む気配も無く、タブレット端末を確認してみると学校側から「本日の課題と基本移動は中止とする」という内容の知らせが届いているのが確認できる。

 

 まぁこの豪雨だからな、仕方がない部分もあるんだろう。

 

「せっかくだ、汗を流しておくとするよ」

 

 そして六助はこの豪雨を敢えて身に受けることにしたらしい。シャツを脱ぎ捨てて下着姿となると、雨をシャワー代わりにするのだった。

 

「君もどうかね?」

 

「そうだね、どんな現象も考えようによっては利益にできるか」

 

 せっかくなので俺も付き合うとしようかな。一応、寝る前に体を拭いたり近くに水源があればそこで身を清めてはいるけれど、やはりそれなりの勢いの水圧があった方が気持ちいい。

 

 体を冷やすとかそんな心配はしない。こんなことで体調を崩すような改造はしていないからだ。

 

 なので俺もシャツを脱いで豪雨に身を晒して汗を洗い流していった。

 

「この分だと今日は一日休みになりそうだ。大人しくしていようか」

 

「ふむ、では緩やかに過ごすとしようじゃないか」

 

 課題もなく、基本移動も無い、することがないので七日目の午後の段階でテントを組み立てて本日は休みとなった。

 

 この一週間日中はずっと動きっぱなしだったので、偶にはこんな午後を過ごしても罰は当たらない筈だ。

 

「さて六助」

 

「何かなマイフレンド」

 

「今現在、俺たちは圧倒的な点差で二位以下を突き放しているけど、ここまで差が開いた以上は他のグループがやることは一つだと思うんだ」

 

「チマチマポイントを稼いで追いつくよりも、リタイアさせた方が手っ取り早いだろうねぇ」

 

「うん、南雲先輩は手下をけしかけてくると思う。これまでみたいに追い回したり進路を塞いだりとか温い対応じゃなくて。それこそ失格覚悟での特攻すらしてくるだろう」

 

 学校側に露見すれば問題となるんだろうけど、この無人島でどうやって「客観的な事実」を用意するんだという話にもなる。月城さんも生徒間のイザコザも仕方がないという姿勢だったからな。

 

 事故として処理することさえできれば、どんな文句も言い訳も通用しない。それが学校側の、そして月城さんの言い分なのだ。

 

 ならやるだろう。現状でポイントを稼いで追い抜くよりもリタイアさせた方が話が早いのだから。

 

 そしてそれは南雲先輩だけでなく、他のグループも同じことが言えるのかもしれない。正攻法での逆転よりもずっと楽だろうからな。事故という形さえ整えられるのならばそれもまた作戦であり戦いの作法と断言できる。

 

 水も滴る良い男をその身で表現しながら体を洗う六助も、当然ながらその方面の妨害を想定している筈だ。

 

 雨をシャワー代わりにして体を洗い流してから、タオルで水気を拭き取ってテントの中に戻る。隣のテントに入った六助は何やら考え込んでいるらしい。

 

「来るとわかっている作戦ほどイージーなものはないさ。仮に来るのだとすればそれはそれで良し、達成することもできない条件に無意味にリソースを注ぐだけの結果となり、ただ恥を晒すだけとなるだろう」

 

「まぁ六助の言う通り止められるつもりはないんだけどさ」

 

 仮に来るのが九号ならば真剣に悩んだと思うけど、三年生たちと他のグループならば大きな問題もないと判断できる。これは慢心ではなくて純然たる事実として、三年生が全員で挑んで来たとしても制圧できるという確信があるからだ。

 

 学生が百人で襲い掛かってくるよりも、九号が一人で来るほうがずっと脅威だからな。

 

 ただ南雲先輩はこちらの戦力を正確に把握しているかは不明である。無茶な命令だけはしないで欲しいものだ。

 

 

 リタイアさせたからって別に退学になる訳じゃないけど、怪我人は少ない方が良いからな。

 

 

「まぁ来るとすれば本当にどうしようもなくなった時になるよ、自分たちのグループが二位となり、最終日が近くなっても逆転不可能だと判断すればね」

 

「ふむん、随分と余裕のある振る舞いではないか。彼は焦りというものを知らないようだねぇ」

 

「いや、焦っているからそんな行動に出るんだと思うけど」

 

 すると六助がいる隣のテントからいつもの高笑いが届く。

 

「ハッハッハッ。もし本当に彼が焦っているのならば、現時点で三年生全員を使って襲撃をかけてくるさ、何故なら既に逆転不可能なのだから……しかし彼らは来ない、様子見をしている? それとも準備を整えている? ノンノン、彼らはこの期に及んで戦いに真剣になれていないのだよ」

 

 だから俺たちは今現在、呑気にこうして会話をしていられるというのが六助の考えらしい。

 

「サウスクラウドボーイはもっと焦るべきだと思うがねぇ。我々に勝ちたいのならば今この瞬間すら無駄にすべきではないとも。最終日だと考えるでもなく、意地や面子でもなく、恥すら捨てて今なのさ……それができていない時点で、彼は随分とスローペースな生き方をしていると私は思うのだよ」

 

「それは仕方がないんじゃないかな……南雲先輩はなんて言うか、多分これまでの人生で本当の意味で必死になったことが無い人だろうから。どんな時でも余裕綽々で、しかもそれで勝てて来たんだと思う」

 

「弱者との戦いしか知らないと……ふむ、だからこうもスローペースということなのか」

 

 納得したような雰囲気となった六助はそのまま瞼を閉じて眠ってしまったらしい。今日はやることがないので俺も適当な石でも拾って彫刻でもしておこうかな。

 

 どこかに良い感じの石はないかと、テントの外に出て豪雨に身を晒していると、師匠に改造された耳が異音を拾い上げた。

 

「――――」

 

 誰かを呼ぶ女子生徒の声だ。それも少し切羽詰まった感じのものであり、ハッキリとは聞き取れないがそれなりに慌てた様子だと判断すべきだろう。

 

 誰かはわからないが困っているのなら動くべきだ。なので豪雨の中、雨に打たれながら俺は声が聞こえた方へ進んで行った。

 

 ある程度まで近づくと声も鮮明になり、どういったことを言っているのかもハッキリと聞き取れた。

 

「麻子ちゃん!! 待ってて、今行くからね!!」

 

 少し離れた位置から帆波さんの声が聞こえる。俺からは無人島の鬱蒼とした木々によって姿までは見えないが、声が届いた角度からして斜面の上から叫んでいるようだ。

 

 だとすると救助対象がいると思われる、さてどこだと探していると青色のジャージ姿は緑の多いこの場所ではよく目立つのですぐに発見できる。何よりその人物も声を上げていたのでよく目立ったからだ。

 

「ダメだよ帆波ちゃん!! 滑りやすくなってるから!!」

 

 その人物とは一之瀬さんクラスにいる網倉麻子さんであり、帆波さんとも仲が良い人物である。

 

 帆波さんがいる方角には滑り台くらいの斜面があるのが見える。物凄い角度という訳でもないのだけれど、豪雨でぬかるんだ状態だと滑り落ちてしまうこともあるだろう。多分、今の網倉さんのように。

 

「大丈夫かい?」

 

「え、誰……あ、笹凪くん」

 

「何やら声が聞こえてね、切羽詰まっているようだから来てみたんだけど……怪我は?」

 

「だ、大丈夫、そこまで酷い感じじゃないかな。寧ろ私よりタブレット端末を壊しちゃった方が大変かも」

 

 網倉さんの傍らには確かに画面に罅が入った端末が転がっている。

 

 体の方は……足首が軽度の捻挫のようだな。骨折はしていないようだから暫くゆっくりしていれば問題なく復帰できるだろう。ただ少し痛みはあるようなので今すぐは難しいだろうけど。

 

「帆波さん!! 俺が網倉さんを連れてそっちに行くから、君たちは待機していてくれ!! もしかしたら二次被害が出ることだってある、ここは任せて!!」

 

 斜面の上にいる帆波さんに聞こえるように声を張り上げてそう伝えると、もの凄く驚いたような声が聞こえて来る。あちらからしてみればまさかと言った感じなんだろうか。

 

「て、天武くんッ!? どうしてここにいるの!?」

 

「いや、何やら困ったような声が聞こえて来たもんだからさ」

 

 なら動くしかない。当たり前のことだった。

 

「網倉さん、ちょっと失礼」

 

「きゃッ!? ちょ、あの、笹凪くん……これは流石に」

 

 足首が軽度の捻挫状態だった網倉さんをお姫様抱っこの姿勢で抱き上げると。流石に抗議の声が届いてしまう。女性の体に気安く触れるべきではないとわかってはいるけど、緊急事態なので許して欲しい。

 

 あの斜面の上から帆波さんたちが救助に来るとして、転がり落ちることだってありえる。救助において大事なのは怪我人を増やさないことである。なら俺が網倉さんを運んで届けた方がずっと安全である。

 

「すまないね、失礼だとは思うけど今は許して欲しい」

 

「あ、いや良いんだけどさ……でも帆波ちゃんに悪いし」

 

「いや、君を安全に届ければ帆波さんも安心してくれる筈だ、悪くもなんともない」

 

「そういう話じゃないんだけどね」

 

 少し会話が噛み合わないまま、網倉さんをお姫様抱っこしたまま斜面の上に向かって移動していく。豪雨でぬかるむ足場はとても不安定な上に角度もあるので、もし帆波さんたちが救助する為にこちらに来ていた場合は本当に怪我人が増えたかもしれないな。

 

「わ、ちょ、ひょわッ」

 

 剥き出しになっている岩や、比較的頑丈そうな足場を探しながら移動すると、自然とピョンピョン跳ねながらの移動となる。その度に抱きかかえている網倉さんが変な声を出すので不謹慎ではあるけど少し面白かった。

 

「よし、到着」

 

 最後に勢いよく岩を蹴って斜面の上まで飛び上がり着地すると、帆波さんのグループが驚きながらも迎え入れてくれる。

 

「麻子ちゃん、怪我は?」

 

「網倉さんだけど足首が軽度の捻挫だ、少し休ませた方がいい」

 

「うん、それだけ。大丈夫だよ帆波ちゃん」

 

「そっか、大事になってないのなら良かった。すっごくビックリしちゃったよ」

 

「ごめんね、まさか私もいきなり足場が崩れるなんて思わなくて」

 

 斜面の上には幾つかのテントが設置されている。どうやら彼女たちはここで豪雨を凌ぐつもりだったらしい。既に学校側からは本日の課題が中止と知らされているので慌ててテントを組み立てていたのかもしれない。

 

 その間に脆い足場で滑ってしまい、滑り台みたいに斜面を落ちて行ったという感じだろうか? だとしたら足首の捻挫で済んだのは幸運だと思う。

 

 とりあえず彼女をテントの中に下ろす。後は様子見だな。

 

「麻子ちゃん、保険のカードを持ってるから、酷いようなら一旦船に戻ってしっかり休むのも良いと思うよ?」

 

「大袈裟だって、本当にちょっとだけ痛むだけだよ。今日はもう課題も無いって話だから、一日ゆっくりすれば大丈夫」

 

「そっか、無理だけはしちゃダメだからね」

 

「うん、心配してくれてありがとう」

 

 網倉さんは暫く休息だろうな。本当に幸いなことに今日は課題が中止になっているので休む時間は幾らでもある。

 

「笹凪、救助に感謝する」

 

 網倉さんをテントに入れて休ませて外に出ると神崎が声をかけてきた。序盤は帆波さんグループと別行動をしていたようだが、どうやらこちらも上手いこと合流の権利を得られたらしい。

 

「助かったぜ笹凪、ありがとな」

 

 柴田の姿もあるので帆波さんクラスの精鋭を揃えたグループということなんだろう。今現在の順位は9位なので十分に入賞を狙える位置取りである。

 

「あまり気にしなくていいよ、誰かが困っていたら助けるのは当たり前のことだ」

 

「……そうだな」

 

 神崎は少し悩みながらもそう返してくる。

 

「テントに入れ、体が冷えてしまうぞ」

 

「ありがとう」

 

 帆波さんグループのキャンプ地には足長の大型テントが設置されていた。体育祭などでも使われるそれの下では食事が作られている。

 

 ずっと雨に打たれている訳にもいかないので、そこに入ってタオルで水気を拭き取っていく。

 

「天武くん、本当にありがとう。すっごく助かったよ」

 

 帆波さんは俺の前で両手を合わせてもの凄く感謝している。当然のことをしただけなのでそこまでガッツリと感謝されても実は困ったりするのだけどね。

 

 なんて言うのだろうか、当たり前のことをしただけでもの凄く持ち上げられると居たたまれない気分になってしまう。

 

「あ、お礼に食事でもどうかな?」

 

「いや、遠慮しておくよ」

 

「え……迷惑かな?」

 

「いや、流石に他所のクラスのグループから食料を分けて貰うのはね……真剣勝負の途中だからさ」

 

「お~、そっかストイックだな笹凪は」

 

 何やら柴田は感心したような顔をしている。

 

「麻子ちゃんも助けて貰ったし、本当に遠慮しなくて良いんだよ? お礼をしないと私が申し訳ない気分になっちゃうよ」

 

「それはそれ、これはこれさ、本当に気にしないでよ。網倉さんを救助したからと言って俺が図々しく施しを受ける訳にはいかないのさ」

 

 真剣勝負の場なので一欠片のケチも付けられない結果が欲しい。自分のクラスならともかく他所のクラスのグループなので流石に遠慮するしかないだろう。

 

「そっか、仕方がないね……ならせめて雨が落ち着くまでゆっくりしていってよ、それくらいは良いよね?」

 

「ん、でも余所者がいてもお邪魔だろう?」

 

「そんなこと言わないで欲しいな……はい、タオル」

 

「ありがとう、ごめんね」

 

 テントの下で帆波さんがタオルを渡してくれたので水気を拭き取っていく。まぁこれくらいの感謝を受け取るのはセーフだろう。食料とは違うからな。

 

「それにしてもよ~、笹凪と高円寺のペアってヤバいくらいにポイント稼いでるよな」

 

「こっちのグループも良い位置じゃないか。二位以下は殆ど団子状態だし、十分に上位三組だって狙えるさ。やっぱり運動面は柴田が支えているのかい?」

 

「まぁな、俺は勉強があんまりだし。そっちは一之瀬や神崎に丸投げだよ」

 

「だからこそのグループなんだから、別に恥じることでもない……それにしても、こっちのグループはてっきり七人編成だと思っていたんだけど、六人だけなのかい? 確か増員のカードを得ていたよね?」

 

「あぁ、それに関しては……実は坂柳さんに売ったんだよね」

 

 質問には帆波さんが答えてくれた。

 

「あぁ、そうなのか。プライベートポイントを提示されたってことかな?」

 

「うん、500万ポイントで」

 

 結構な額ではあるけれど、増員の特殊カードは強力なので自分たちで使う手もあった筈だ。

 

「天武くんは、どう思うかな?」

 

「損をしたとは思っていないのならば、それで良いと思うよ。いざという時に2000万があるという安心感は大切だ」

 

「うん、私はそう思ったから受け入れたんだ。やっぱり、保険は大切だから」

 

 帆波さんクラスには少なく見積もっても2000万ポイント以上はある筈だ。クラス内投票で俺が勝手に自分の都合を押し通した結果、ポイントを消費することなく貯金されているからな。

 

 それは他のクラスも同じことが言えるだろう。坂柳さんがポンと500万を払って増員のカードを得たことを考えると、ここぞと思ったのかもしれない。

 

「それにしても500万か……大きな出費ではあるけど、この試験の報酬を考えると十分に取り返せそうだな」

 

「便乗のカードがあるから、だね?」

 

 帆波さんもその辺は察していたようだ。

 

「あぁ、もし十枚の便乗カードを一つのグループに集中させているのなら、余裕で取り戻せるだろう」

 

「だが、試験が始まる前にどのグループが勝つかを予想するのは不可能だ」

 

「その通りだよ神崎、けれどある程度の調整はできる。例えばそうだな、特定のグループを勝たせるように動いたりはできるさ」

 

「それはそうだが……坂柳は自分のグループを勝たせられるだけの自信があるということか」

 

「おそらく坂柳さんは俺のグループに便乗のカードを使ってるんじゃないかな」

 

「なんだと?」

 

「いや、ただの推測でしかないんだけどさ。それなら何となく彼女の動きも察せられる。おそらくだけど便乗のカードは俺たちに注いで、自分たちのグループは二位狙いって感じかな」

 

「二位狙い……だかそれではお前たちに追いつかれることになるぞ。クラスの変動が起こるだろう」

 

「三位も取れば差は生まれないさ。合計で同じ300ポイントなんだからね」

 

「……葛城グループか」

 

 神崎もそこに思い至ったようだ。Aクラスによる二位と三位の奪取。それができるとすれば坂柳さんグループと葛城グループしかない。そして便乗のカードは一位を取ると予想した俺に注ぎ込むことで増員のカードを買い取った出費も補填できる。

 

 おそらくだが、それが坂柳さんの思い描いている結末だ。

 

「なるほど、ありえなくはないのか。葛城グループは今5位の位置に付いている。坂柳は4位、十分に射程圏内だな」

 

「やっぱり強敵だよね、坂柳さんは。敵対している葛城くんたちすら計算の内なんだから」

 

 神崎と帆波さんは難しそうな顔になって悩む。

 

「ただまぁ俺にとっては都合が良かったりするかな」

 

「どうしてかな?」

 

「彼女が二位と三位狙いで、一位はこちらに譲ってくれるのなら。この試験では協力できるだろう? もし俺が一位を取れないとせっかく便乗のカードを集中したのに大損になってしまう。彼女は俺に勝って貰わないと困るのさ」

 

 帆波さんに払った500万を補填しなければならないからな。

 

「まぁ色々と話したけれど、結局は全て推測でしかないけどね」

 

 坂柳さんとはこの試験でまだ一度も接触できていない。港に立ち寄った時にパラソルの下にいるのは確認できているけど、忙しいので喋りかける時間も無かったんだよね。

 

 どこかで意見交換したいものだ。もしこの推測が当たっていればそういった方向性の動きも検討できるのだから。

 

「ん、この推測が合っているのなら、こっちとしてはありがたいな」

 

「悪いが計算通り進ませるつもりはない」

 

 神崎は鋭い視線で俺を見つめてきた。

 

「当然だ。そう言って貰わないと俺も困るよ」

 

「困るだと?」

 

「あぁ、敵は多い方が嬉しい」

 

「……」

 

 どうした訳か神崎は黙り込んでしまう。

 

「俺が目指しているのは天下無双の漢だ。そこに至るには無数の経験と勝利と敗北が必要だ。なら困難も敵も多ければ多いほど良い……そうだろう?」

 

 天下無双を名乗れないのなら正義の味方にもなれないだろう。貪欲にあらゆる経験を得ていく必要があるのは間違いない。

 

「だから帆波さんたちも全力で来てくれ、俺や坂柳さんの計算をぶっ壊すくらいにね」

 

「当然だ、簡単に勝たせるつもりはない」

 

「うん、それでいい」

 

 ライバルが多いのは幸福なことだと思う。南雲先輩を見ていると尚更そう感じるな。

 

「ん、雨も少し弱まったようだ。俺はそろそろ戻るよ。邪魔してごめんね」

 

 少しだけ豪雨が落ち着いたようなのでそろそろ帰るとしよう。いつまでも他所のグループの世話になる訳にもいかないだろう。

 

 この空模様だとまた降りだすだろうけど、自分のテントに戻るなら今しかない。

 

 そんな訳で帆波さんグループのテントから出て帰路を探して歩き出す。だが暫く歩いた所で帆波さんが声をかけてくるのだった。

 

「天武くん」

 

「どうしたんだい?」

 

 自分たちのキャンプから少し離れた位置まで追いかける必要はないけれど、慌ててここまで駆けて来たのか帆波さんは少し呼吸を荒げている。

 

「あ、あのね、こんなこと言うべきじゃないんだってわかってるんだけど」

 

 そして彼女は少し迷いながらも、こちらを上目遣いで見つめながらこう伝えてくれた。

 

「……頑張って、応援してるから」

 

「確かに、ライバルに言うべきことじゃないね」

 

「あはは、やっぱり、そうだよね」

 

「でも、誰かに応援して貰えるのは、悪い気にはならない……だから帆波さんも頑張って、応援している」

 

「うん、もちろんだよ」

 

 少しだけ微笑んだ彼女に見送られて俺はテントに戻ることになる。

 

 試験も折り返しだ。最初と変わらないまま最後まで駆け抜けていくとしよう。クラスメイトだけでなく他所のクラスの人にまで応援されている訳だからな、勝たないとカッコ悪いだろう。

 

 

 

 

 

 



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それぞれの視点

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐倉愛里視点

 

 

 

 

 

 

 

「あっちゃぁ、雨降りそうだね」

 

「学校側からは、もしかしたら中止になるかもしれないって連絡が来てるぞ」

 

「あ、じゃあ雨になったら今日はお休み?」

 

「勉強はするぞ」

 

「うぇ~」

 

 波瑠加ちゃんがもうお腹いっぱいだって感じの顔になると。啓誠くんは少し呆れたような顔になって、明人くんはタブレット端末を確認しながら苦笑いを浮かべている。

 

「完全に雨が降って中止になる前に、この課題だけ受けるぞ。参加するだけで水か食料が貰えるんだからな」

 

「反復横飛びだっけ? 食料を指定するんだよね。ゆきむ~勝てそうなの?」

 

「勝てなくても良いんだ。参加するだけで食料は貰えるんだからな。一位の報酬は明人に任せよう。明人、どうだ?」

 

「必ず勝てるとは言えないぞ、天武じゃないんだからな。まぁ集まった面子次第だ」

 

 そう、私たちは今、キャンプ地にしていた港から少し離れた位置にある課題に参加しようとしていた。空模様がどんよりとしているのですぐに雨が降りそうで、完全に中止になる前に参加しようということになったから。

 

「愛里~、腕時計は大丈夫?」

 

「う~ん、ダメ、みたい……やっぱり壊れちゃったのかな。さっき転んだ時だと思うんだけど」

 

「まぁしょうがないか、怪我しなかっただけ良かったよ」

 

 私が付けている腕時計はウンともスンとも言わなくなっている。やっぱり交換した方が良いんだよね。

 

「課題をやる場所が見えてきたぞ」

 

 明人くんが鬱蒼とした枝葉を掻き分けて指差した方向には課題を行う広いスペースがありました。港から比較的近いこともあって既に大勢の人がいて……もしかしたら参加できないかもしれない。

 

「定員は残り三枠だそうだ」

 

「参加するとして、みやっちとゆきむ~と私かな。愛里は見学しとく? それとも私と代わる?」

 

「うぅん、腕時計の交換をしようかな……えっと、港に戻って」

 

「一人で大丈夫か?」

 

 啓誠くんが心配そうにそう言ってくれるけど、来た道を戻るだけだから大丈夫だと思う。港からそこまで離れていないから。

 

「うん、それに、雨も降りそうだから……荷物とか、濡れない場所に移動させておくね」

 

「悪いな、頼めるか。食料はこっちで確保しておくから」

 

「まぁみやっちが一位を取れたら余分に貰えるっぽいしね」

 

「勝てたらの話だ」

 

「もし課題が終わって雨が降っていなかったら、隣のエリアにある英語の課題も受けるつもりだから、もしかしたら帰りが遅くなるかもしれないが、キャンプの方は任せたぞ」

 

 啓誠くんとしては運動だけではなく、勉強系の課題も受けたいのかな。でも雨が降りそうだから難しいのかもしれない。

 

「う、うん、こっちは任せて」

 

 こうして私たちは一時的に別行動をすることになる。波瑠加ちゃんと明人くんと啓誠くんは反復横飛びの課題に参加していく。

 

 残された私はついさっき転んでしまった窪みを避けるようにしながら港に帰ることになりました。テントの中に荷物を移して、干してあるジャージなども中にいれないと。

 

 そんなことを考えながら無人島の中をゆっくりと歩いていく。今度は転ばないように気を付けながら明人くんが取り除いた枝が作る道を進んでいると、少しだけ離れた所からこんな声が届いてしまう。

 

「では最終日にI2で綾小路清隆を拉致することに変わりはありませんね?」

 

 え?――どう、いう……今、なんて?

 

「イレギュラーの動き次第といった所でしょうか……正直、そちらに関しては我々の仕事ではないのですがね。寧ろ、七号の処理の方が本命かもしれません」

 

 鬱蒼とした森の中で話していたのは、えっと……確か、新しく理事長になった人と、違う学年の先生だった人だと思う。

 

 その二人が清隆くんを拉致すると言った瞬間に、頭の中が真っ白になっていた。

 

 七号、というのはわからないけど……あの二人が何をしようとしているのかよくわからない。だって、どうして、清隆くんを連れ去るだなんて……。

 

「七号ですか……レポートに関しては私も確認しましたけど、正直なことを言わせて貰えば荒唐無稽と言いますか、現実感がない数字ばかりだったのですが。普通の人間はコンクリートの壁を破壊したりはしません」

 

「人間の形をしているだけの別の何かと考えてください。まぁ人類の性能から著しく逸脱した存在であることは間違いありません……正直なことを言わせて貰えば、綾小路清隆関連は最悪放置でもそれはそれで都合が良いのですが。七号に関しては完全に計算と都合の外にいる人物です。可能ならば動きを封じたいのですが」

 

「それであの面子ですか……あれだけ用意したんですから、流石に処理できるでしょう」

 

「……だと良いんですけどね」

 

 困ったように溜息を吐く理事長は、突然に振り返って茂みの中に隠れていた私と見つめ合う形となってしまう。

 

 み、見つかっちゃった?

 

「そこにいるのは誰ですか?」

 

 聞いちゃいけないことを聞いてしまったと、心臓が大きく跳ねる感覚を覚えながらも、私の体はゆっくりと後ずさっていって――――。

 

「確か貴方は、佐倉愛里さんでしたか?」

 

 逃げ出すよりも早く、私の手首は理事長に掴まれてしまう。とても力強い手が私を掴んだまま離してくれない。

 

「わ、私……な、何も、何も聞いてません」

 

「おやおや、私はまだ何も言っていませんよ。それでは何かを聞いたと白状しているようなものです。ふむ、腕時計が壊れていますね、いやはや大人しそうな顔をして大胆な真似をする」

 

「処理します」

 

 もう一人の男の人、一年生の担任の先生がゴム手袋を装着してそんなことを言った瞬間に、体中に寒気が走っていく。とても現実感がなくて、けれど確かに目の前に起こっていることで、だけどやっぱり夢のように思えてしまう。

 

「いえ、短絡的なことは止めましょう」

 

「ここで処理した方が確実だと思いますが」

 

「無関係の人間を巻き込んだ瞬間……いえ、七号が気に入らないと判断した瞬間、我々の首は引きちぎられることが確定するのですよ。たとえ衆人環視の中であろうと、監視カメラの前であろうと、彼がそれをやると決めた瞬間に必ずやります……目に見える地雷は踏むべきではありませんとも」

 

「そこまでやりますか? 退学になるどころか逮捕拘束されることになるでしょうに」

 

「その認識が甘いと言っているんですよ。退学して身軽になった瞬間に我々を処理して、その足で敵対組織を粉砕して、我々の首を先生の枕元に置くくらいは平気でやります……そして何より厄介なのが、彼はこの国の法や権力で裁くこともできないという点です。認識を改めなさい」

 

 月城理事長の手が私を離す。けれど冷たい雰囲気は今も変わらない。

 

「さて佐倉愛里さん。貴女は何も見ていない、聞いていない、そうですね?」

 

 その言葉に、コクコクと頷くことしか私にはできなかった。

 

「好奇心は猫をも殺すという言葉もあります、ならば人もまた同様でしょう」

 

 理事長の掌は、私の首を掴みました。強く握られている訳ではないけど、少しだけ息苦しい。

 

「努々忘れないように、子供が立ち入るべき場所は明るい所だけで良いのですから」

 

 やっぱり、コクコクと頷くことしかできない。

 

「もう行きなさい、ここで見たもの聞いたことは全て忘れてね」

 

 押し出されるように私はその場から去ることになってしまう。色々な疑問や思いを無視するかのように。

 

 清隆くんをどうするつもり? そんな質問は最後までできなかった。

 

「よろしかったのですか?」

 

「良い訳ないでしょう……ただ、七号がキレるので見逃す以外の選択肢がないんですよ」

 

「そこまで恐れる相手なのでしょうか?」

 

「現実感の無い相手であることは認めますが、やはり認識を改めなさい」

 

 そんな会話が背後から聞こえて来るけど、私は訳も分からず走るだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 その日は雨が降っていた。豪雨と呼ぶのが相応しい水量だった。物音も聞こえなければ、誰かがどこかで消えても暫くは気が付かないのではと思えるくらいには。

 

 試験も折り返しとなった七日目、降りしきる雨の中、そこら中から聞こえて来る雨音によって何かが隠される空間で、オレは一人の人物と向かい合っていた。

 

 雨で濡れた髪が頬に張り付き、どこか深く暗い雰囲気を相手に与えている人物だ。体が冷えているからなのかどことなく冷たい印象も与えて来る。

 

 それでも、髪の間から見える強い意思を宿した瞳は、今も真っすぐに俺を見つめていた。

 

 これまで一週間近く、ずっと行動を共にしていた七瀬翼は、今日この日、敵としてオレの前に立つ。

 

 別に驚きはない、そうだろうなとわかっていた。後はいつ動くのか気になっていたので、こうなるだろうことは予想できていた。

 

 この一週間でわかったことは、七瀬翼という少女は明確な目的を持ってオレに接触して来たということ、そして一年生女子と考えれば高い身体能力があるということだ。

 

 その目的も、願いも、まだわからない。

 

 ただ、迫る拳や足を見る限り、オレを排除したいことだけはわかった。

 

「余裕なんですね、反撃しなくても私を倒せる、と?」

 

「友人が言うには、女性には優しくするべきらしいからな」

 

 だからオレから襲い掛かって来る七瀬に攻撃することはない。放たれる拳も、鋭い蹴りも、全て紙一重で回避してただ相手の動きをやり過ごす。

 

 それが出来るだけの相手だということもある。もしホワイトルーム生が相手であればもしかしたら反撃する必要もあるのかもしれないが、現状ではその意味がない。

 

「七瀬、お前には迷いがある。拳にも、足にも、迷いながら振るうだけなら意味はないぞ」

 

「助言ですか? 本当に余裕ですね」

 

 七瀬の拳が再び迫る。加減をしているのか、それとも迷いが晴れないからなのか、やはり鈍い。

 

 どれだけ攻撃しようともこちらには届かないことを悟ったのか、七瀬は捨て身となって突っ込んで来る。多少の反撃を覚悟した……いや、それを望んだかのような行動だ。

 

 姿勢を下げて掴みかかって来る七瀬の顔前に、オレは勢いよく両手を叩いてネコ騙しを炸裂させた。天武との模擬戦でこれをやられた経験があるのでなかなかに強烈なものだろう。

 

 よくわかる、オレはこれで一本取られたからな。

 

 これから突っ込むぞと意思と覚悟を固めて踏み出したというのに、予想外のネコ騙しで勢いを削がれた七瀬は、当初の勢いを無くして目を回し、フラフラとしながらたたらを踏む。

 

「まだ続けるのか?」

 

「ッ……私は、まだ」

 

 雨の勢いはどんどん強くなっている。体は十分に冷えている筈だが、強い意思を宿した瞳は今も変わらない。

 

「こんな所では終われません……私では勝てなくても、ボクなら」

 

 ボク? どうしていきなり一人称が変わったんだ? そんな疑問を確認するよりも早く、七瀬の足先が鋭くこちらの顎先目掛けて振るわれる。

 

 相変わらず迷いのある攻撃ではあるが、さっきよりはマシだろうか。

 

「ボクが、貴方を終わらせるんだッ!!」

 

 気になることは色々とある。七瀬の目的もそうだし、望む結末、そして突然変わった一人称。

 

 

 だがそれよりも気にしなければならないには……樹上で七瀬を見下ろす鶚の存在であった。

 

 

 背筋を震わせるほどに冷たい視線は七瀬の後頭部をずっと見つめており、その両手にはセラミックの包丁を加工して作ったと思われる刃物が二振り、相変わらず誰の視界にも留まらない存在感はそのままに、しかし確かな殺気がそこにはある。

 

 次に瞬間には、樹上から飛び降りて七瀬に致命傷を与えることは容易く想像できてしまう。冗談でもブラフでもなく、アイツは間違いなくそれをやる。

 

 だから目の前にいる七瀬よりも、さっきからおっかない鶚の方がずっと気になっていた。

 

「余所見とは、本当に余裕ですね!!」

 

 いや、次の瞬間にお前が殺されるかもしれないと思えば、落ち着き払って対処することはできないだろうが。こっちの気も知らないで次々攻撃してくるんじゃない。

 

「やめろ」

 

「いいえ、止めません!!」

 

 いや、七瀬、お前に言ったんじゃない。鶚に言ったんだ。

 

「頼むから止めてくれ」

 

「今更命乞いですか」

 

 だからお前に言ったんじゃない。

 

 七瀬の猛攻を防ぎながら樹上の鶚に視線を送ると。アイツはもの凄く呆れた顔をしているのが見えてしまった。なんだその顔は、オレは別に間違ったことは言ってないだろうが。

 

 処理した方が楽っスよ。口パクでそんな意思を伝えて来るのだが、常識を考えろと同じように口パクを返す。

 

 なんでオレは敵側である七瀬を守ろうとしているんだろうか……それもこれも両手に物騒な刃物を持った忍者が全て悪い。

 

 痛めつけるとか、追い返すとか、そういう次元を飛び越して初手で暗殺を考えるような相手が味方陣営にいるのは本当に悩みどころである。天武はもう少し使いやすい戦力を回して欲しい。

 

 アイツはアイツで躊躇の無い男だからな、おかげで敵を心配する機会が増えてしまった。

 

「ハッ!!」

 

 裂帛の気合を込めて放たれる回し蹴りを凌ぎながらも、視線は今も樹上の鶚を見張ると言う不思議な状況に陥りながらも、何とか七瀬と鶚を押し留めなければならない。

 

 あれ、なんでオレは敵と味方に同時に翻弄されているのだろうか?

 

 だが幸いなことに、樹上にいる鶚は争うオレと七瀬から視線を逸らし、突然に跳ね上がって枝を飛び移っていきどこかに姿を消していったことで、オレはようやく七瀬だけに集中できることになるのだった。

 

 この状況だ、釣れた敵は一人では無かったということだろう。そちらの対処は任せるとしようか。

 

 だが、やり過ぎないようにして欲しい……大丈夫だよな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天沢一夏視点

 

 

 

 

 

 

 

「綾小路先輩に会いたいなぁ~」

 

 それがこの学園に来てからのあたしの行動原理の全てなのかもしれない。恋する乙女はいつだってそうやって行動するものだと資料にはあったので、きっとこうして行動することは間違いないんだろ思う。

 

 好きな人に会いたい、寄り添いたい、共にいたい。それはとても非合理的でありながらも大切な行動原理だと私は考えている。

 

 恋する乙女はそういうものだ、つまりあたしは何も悪くない。

 

 この無人島での試験だって、いつだって心の片隅にはあの人がいるのだ。

 

 だから何もかもを放り出して綾小路先輩を探すことは何も間違いではない。都合良く同じグループの宝泉くんや七瀬ちゃんは別行動をしているのでこっちも身軽に動ける。

 

 何より、ずっと綾小路先輩と一緒にいるとか、ズルすぎるもんね。七瀬ちゃんは少し反省するべきだよ。

 

 拓也の思惑とか、一年生の都合とか、そういうのは別にどうでも良くて、やっぱり重要なのはあたしと綾小路先輩なんじゃないかな。

 

 うん、そうしよう、思い立ったが吉日、綾小路先輩と接触しよう。

 

 拓也のことは何だかんだで助けてあげたいとは思っているけど、それはそれ、これはこれ、恋は乙女にとってとても重要なことなんだよね。

 

 ルンルン気分でスキップしながら無人島を踏破していき、綾小路先輩を追いかけていく。ストーカーとか言ってはいけない、恋は乙女にとって大切なことなんだから。

 

 それにまぁ、拓也も助けてあげたいけど、綾小路先輩だって助けてあげたい。

 

 慕う先輩を守るナイトみたいな感じかな、そして背中を預け合い、信頼を重ねて行って、最後には……ヤバい、それは良すぎる。

 

「ん、あれ?」

 

 なんて妄想をしながらようやく綾小路先輩に追いついたのだけれど、近くによく目立つ青色のジャージを発見して足が止まってしまう。

 

 んん~? 確かコイツって倉地だっけか? なんでこんな所で意識を失ってるんだろ。

 

 いや、ここにいる理由はわかるよ? どうせ色々とちょっかいをかけてるんだろうってことはさ。そういったものを邪魔するのも私がやりたかったことだけど。

 

 陰ながら綾小路先輩を支えて守る、そんな期待をしていたのにこれであたしの仕事が無くなってしまうではないか。

 

「お~い、生きてる? ツンツン」

 

 意識を失って倒れこんでいる倉地を、あたしは落ちていた枝を使って突いてみるけど、ピクリともしない。

 

 あれ、本当に死んでる?

 

 思っていた以上に深刻な状況なのだろうか。少しだけ心配になったので意識を失っている倉地の脈を調べて怪我がないかも確かめる。

 

「ん~……意識を失ってるだけかな? 外傷も鼻血くらいか」

 

 倉地の近くにはタブレット端末が落ちている。画面は粉砕されていて、もう使い物にならないかな。

 

 勝手に転んで自爆したっていうのはありえないよね、どんな間抜けなんだって話になるだろうし、それなら誰かに撃退されて気絶したという方がまだ納得できる。

 

 さて誰がこれをやったんだろうと考えて、まぁ綾小路先輩だろうなって思っているあたしは、突然に背中に走った怖気にも近い何かに従って、その場から飛びのく。

 

「ッ……誰かなぁ?」

 

 さっきまであたしが立っていた所には、迷彩柄に染められた刃物が刺さっている。もし動いていなければ確実に刺さってたでしょあれ。

 

「刃物……敵勢力を確認、数不明、武装数不明、目的不明」

 

 ホワイトルームで散々叩き込まれたことで、脅威を感じ取った体はすぐさま戦闘態勢に移行していた。

 

 心が冷たく沈む、目の前に迫る脅威を排除せよと警笛がなる。どんな手を使ってでも敵を潰せという教えられて来た経験が、体を走らせる。

 

 この感覚を私は知っている……死ぬか生きるかの瀬戸際だ。ホワイトルームで数え切れないほど経験した、死地だ。

 

「推定戦力、不明」

 

 つまりは何もわかってはいないということ。ならまずは敵の姿を探さないとね。

 

 周囲を警戒しながらも、足元に落ちていた掌サイズの石を幾つか掴んで装備する。一つは予備としてポケットに、もう一つはいつでも投石できるように握りしめた。

 

 耳を澄まして私に刃物を投げつけて来た誰かを探すけど、姿形はおろか気配すらも感じ取れなかった。

 

 僅かな匂いも、気配も、余韻すらない……あ、ヤバいかもなこれ。

 

 ホワイトルームにいるその道のプロとなる教官たちを前にした時と同じような感覚だ。勝ち筋が見えないあの感覚をこの無人島で味わうことになるなんてね。

 

「誰かな~」

 

 軽口を叩きながらも周囲の警戒を怠らない。倉地の近くに落ちていた棍棒も拾っておこう。

 

 周囲に広がるのは無数の木々、鬱蒼とした草、索敵を妨げる雨音、面倒だなぁ。

 

「早く出てきなよぉ~、それともシャイなのかなぁ」

 

 手に持った棍棒の感触を確かめながら手に馴染ませていく。丁度いい形の石ももう少し調達しておきたいけど。それを許してくれるような相手なんだろうか。

 

 相手の出方を確かめる為にも、ゆっくりと新しい石を拾い上げようとする。けれどそれは何の妨害も無く成功することになった。

 

 へぇ~……邪魔はしないんだ。棍棒を拾った時にも何となく思ったけど、相手は随分と余裕みたいだ。

 

 戦いの準備くらいは整えさせてあげる。そう言われているようにも思えた。

 

 あぁ、そう……つまりあたしは舐められてる訳だ。

 

 ただ雨音だけが耳に届く中、そこに不自然な音が混じり始めた。

 

 クスクス。

 

 クスクス。

 

「……笑ってる?」

 

 ケラケラ。

 

 ケラケラ。

 

「……アンタ、誰よ?」

 

 ペタペタ、ペタペタ。

 

 次に耳に届いたのは雨音の中に混ざった僅かな足音。ここまで気配を隠していられる相手なのだとしたら、それはあまりにもワザとらしい。

 

 バチャバチャ、バチャバチャ。

 

 まるで自分はここにいると主張するかのように水たまりの上で跳ねまわる音すら聞こえてきた。

 

 やっぱり舐められてるよねこれ。

 

「……」

 

 四方八方から聞こえて来る雨音と異音によって相手の位置がわからない。もしかしたら複数ということも十分に考えられる。

 

 だけど徐々に距離は縮まっているように思えた。ゆっくりと包囲を狭めるように音は近づいてくる。

 

 

 

 ケラケラ、クスクス、ケラケラ、クスクス、ペタペタ、バチャバチャ、ポタポタ、ヒタヒタ、クスクスケラケラヒタヒタペタペタヒタヒタクスクスケラケラクスクス――。

 

 

 周囲を取り囲む無数の異音は、もうすぐそこまで迫っていた。

 

 この期に及んでも敵の居場所が把握できないのは、完全に脅威だ。

 

 ホワイトルームの教官並み? 或いはトップクラスの成績を誇る拓也よりも上? それとも――――。

 

 思考はそこで止まる、そうするしかなかった。だって、ようやく相手が動き出したのだから。

 

「あ~……良いっスね。最近は平和ボケ気味だったんで、偶にはこうして錆落とししないとダメでやがります」

 

 その声が届いたのは背後でも側面でもなく、ましてや正面でもなく、上空からだった。

 

 雨と一緒に、そいつは樹上から飛び降りて来る。

 

 手には二振りの短刀、迷彩柄のマントで全身を隠し、同じく迷彩柄のマフラーで首も隠しているそいつは、顔すら迷彩柄の化粧を施した怪人だった……流石にこれはあたしでも驚くしかないよね。

 

「……きひッ」

 

 そして、悍ましい笑みを見せながら、一切の躊躇なく刃を振り下ろしてくる。

 

 綾小路先輩に会いに来ただけなのに、なんであたしはこんな怪人と戦うことになっているんだろう……。

 

 

 

 

 

 

 




「特殊戦力九号レポート」

 氏名▇▇▇ 年齢不明 性別女性

 幼少期から特殊な環境で訓練を積んでいた工作員の一人。破壊工作、密偵、暗殺、各種兵器運用、情報奪取などの任務を引き受けることが多く、成果は上々。先代鶚経由で超人指定しており、国家への危険度はそこまで高くないものだと判断する。また、九歳の時点で鶚の屋号を襲名しており、本人曰く「出稼ぎ」として先代同様に政府との報酬契約を結んだ。

 面談の際に六号を師匠としていると発言していたが、事実確認は取れていない。

 極めて高い戦闘能力に加えて、擬態と視線誘導のスペシャリストでもある。危険思想を持っていないことから、先代鶚と同様に防衛省職員として扱うこととする。今現在、彼女を通じて鶚衆そのものと契約できないか交渉中ではあるが難航している模様。

 主に関わった任務として「七房作戦」と「ウ号標的作戦」が上げられる。作戦内容に関しては別レポートを回覧すること。

 危険思想、及び反政府的な思想も持っておらず、良くも悪くも報酬を与えればその分だけの仕事をするので超人の中では比較的運用のハードルが低いものと思われる。また、七号と同様に年齢的にも矯正が可能と考えられるので、法秩序の重要性を教育していく方針を取るものとした。

 注意。現時点において、物理的な逮捕と拘束が不可能と判断。報酬契約による関係維持が最も安定的だと判断するものである。

 彼女の細かな身体能力に関しては超人記録を回覧することを推奨。

 七号曰く、完全にゴリラとのこと。職員は注意されたし。もし敵対関係になった場合は防衛省職員にクラスA武装使用の許可を行うものとする。




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刃の下に心を持つ少女

 

 

 

 

 

 

 

 

 天沢一夏視点

 

 

 

 

 

 振り下ろされた刃と、あたしが持っていた棍棒がぶつかりあう。高所からの強襲に加えてぬかるんだ足場もあってか勢いに押し負けるかと思ったけど、予想していたよりも軽い感触に拍子抜けした。

 

「あれ……軽ッ」

 

 上空からの襲撃者、迷彩模様の怪人は空中で迎撃された衝撃を殺してくるりと回転しながら着地する。

 

 フワリ、そんな表現がよく似合う着地だったと思う。雨でぬかるんで水たまりがあったのに、迷彩の怪人が着地してもそこに何の異音も発生することはなかったんだしね。

 

 水を踏みつける音も、ぬかるんだ地面に足を滑らせることもなく、羽のような軽やかさでそこに立つ。

 

「……」

 

「……」

 

 そして無言で見つめ合うんだけど……あれ、この子って――。

 

「なぁんで銀ちゃんがここにいるのかなぁ……笹凪先輩との契約でリタイアした筈だよね?」

 

「ん~……あぁ、やっぱり一定ラインまで認知されるとそうなるもんなんッスね」

 

「質問に答えて欲しいんだけど」

 

「リタイアした生徒が無人島にいちゃいけないとは一言も説明されて無いッスよ」

 

「そういうのを屁理屈って言うんだけどなぁ」

 

「なら学校側の落ち度ッスね」

 

「私が告げ口したら退学になっちゃうかもね?」

 

 迷彩模様に包まれた鶚銀子、私の駒の筈の同級生は嫌に饒舌だ。

 

 そもそもあたしの知るこの少女はもっとも普通で安定志向で、運動も勉強もどこまでいっても普通で、長い前髪でいつも表情を隠して目立つ誰かの一歩後ろでひっそりと生きているような、そんな生徒だ。

 

 そんな生徒の筈なんだけど……もしかしたらあたしは鶚銀子という少女のことを何一つ理解していなかったのかもしれないと、ここにきて思ってしまう。

 

 駒にする為にボッチの彼女に甘い言葉で囁いて、あたしに依存させて支配する、そんな計画だったけど――。

 

 

 もしかしてあたしは、何かを決定的に踏み間違っていた?

 

 

「退学になったらなったで、別に良いんじゃないッスか。元からここには仕事で来てるんで、月城の情報を得られればそれでお役目ごめんなんで」

 

「月城? どうして理事長の名前が出てくるんだろ?」

 

「あぁ、誤魔化す必要はないッスよ……ホワイトルーム出身の天沢一夏さん」

 

「へぇ……やっぱりそうなんだ、つまりあたしが知る鶚銀子なんていう少女は最初から存在しなかった訳ね」

 

「ホワイトルーム出身ってことは否定しないんッスね」

 

「もう確信してるんでしょ? なら意味ないじゃん」

 

 なんだろうなこれ、もしかしたら初めての感情かもしれない。知識としては知っていたけど、実感したのは初めてなんじゃないかな。

 

「……すっごくイラっとする」

 

「生理っスか?」

 

 違うっての馬鹿、いつもあたしの後ろに付いて来てこっちの顔色ばっかり窺ってるアンタがどこにもいなかったことに苛ついてるんだけど。

 

 あたしがいないとまともにオシャレもできなくて、流行もわからなくて、映画館で券の買い方もわからない、そんな手のかかる駒がただの幻想でしかなかったってことが、凄く気持ちが悪い。

 

 いつだってあたしが支配していた筈なのに、誘導していたのに、何だかんだで世間知らずな子なので世話だって焼いた……そうだよね?

 

 クレープを初めて食べた時はへにゃりと笑って、ホラー映画を観た時はビビりまくって、ファッション雑誌を食い入るように眺めていたあたしの駒は今、刃を握って前に立っている。

 

 棍棒を握っていた右手に力が入っていく。左手に包み込んだ石だって同様だ。

 

 あたしは今、もの凄く苛ついている。

 

「あのさぁ――」

 

 喋りかけると同時に握っていた石を投げつける。一応は奇襲になった筈だけど、銀ちゃんはそれを平然と手に持った刃で弾いてしまう。

 

 普通の女子高生にできることじゃないよね。ビックリするどころか瞬き一つしないまま防いだんだからさ。

 

「ずっとあたしを騙してたんだ? 傷ついちゃったなぁッ!!」

 

 胸の中にある苛立ちをそのままに棍棒で殴り掛かる。格闘技だけでなく武器術も一通りホワイトルームで教わっていたので体は鋭く無駄無く目標を叩こうとする。

 

 あたしの知る銀子ちゃんはこんな暴行を防ぐことも躱すこともできないけど、今目の前にいる鶚銀子は平然と回避した。

 

 羽のような軽やかさで後方に飛び、距離を取ったかと思えば独特の歩みと重心移動で押し寄せて来る。フワフワとして不思議な体捌きだった。

 

「で、結局銀ちゃんは何がしたいの? こっそり無人島に入ってさ、そんな恰好して、わざわざ姿を隠してたのに前に出て来て……何が目的?」

 

 ポケットの中に忍ばせていた石を握って再び投げつける。当然のように防がれるけどそれを見越した上で棍棒での接近戦だ。

 

 後二歩という距離まで近寄った段階で、ぬかるんだ地面を蹴り飛ばして大量の水気を含んだ土を顔面に浴びせて、その隙を突いて殴り倒す。

 

 卑怯とかそういう話はどうでも良い。ホワイトルームでは最後に立っていればそれでいいと教えられて来たんだからね。

 

 けれど飛び散る土は迷彩柄のマントで身を隠すように防がれる、あたしの視界にも迷彩柄が一杯に広がって姿を隠されてしまうけど、そんなことは構わず殴りつけた。

 

 手ごたえはない、ただ雨でビショビショになったマントを殴りつけただけの感触だけだね。体はどこにもない。

 

「何がしたいかと聞かれると……ん~、一夏ちゃんと話がしたかったッスね」

 

「あのね、あんまり苛つかせて欲しくないんだよねぇ」

 

「なんでそんなにイライラしてるんッスか? 別に貴女にとっては特に思い入れのない駒が自分の与り知らぬ所で勝手に動いてただけッスよね……それともなんッスか? 友情でも感じちゃってました?」

 

「……」

 

 いつのまにか銀ちゃんは樹上にいた。枝の上に腰かけてこっちを見下ろしている。

 

「ねぇ一夏ちゃん、ホワイトルームってどんな所なんッスか?」

 

「そんなこと聞いて何の意味があるのかなぁ?」

 

「ウチの雇い主が色々知りたがってるんでやがります。その場所にいた人なら詳しいことも知ってるんじゃないッスか? どんなことが行われていて、どこを目指してるのとか」

 

「あぁなるほどね……つまり銀ちゃんはどこかの誰かに雇われてるって訳ね。それってペラペラ喋って良いことじゃないな~」

 

「問題ないッスよ。そっちの戦力でどうこうできる存在じゃないんで」

 

 枝の上に乗ってあたしを見下ろしてくる銀ちゃんは、やっぱりあたしが知らない瞳をしていた。いつも長い前髪で顔が隠れがちで、あまり表情の変化がない陰キャだったけど、今は背筋が震えるような鋭さがある。

 

「そっちが本性ね……だったら、間抜けはこっちだったのかな」

 

 少しだけモヤッとした感覚がある。最初からそんな瞳をしていれば駒にしようだなんて思わなかったんだけどなぁ……。

 

「で、話してくれるんッスか?」

 

「あたしは君ほど口が軽くはないんだよねぇ」

 

「そうッスか……まぁそれなら、単純にこっちで性能を測りますんで、頑張ってくれでやがります」

 

 次の瞬間、樹上にいた銀ちゃんの姿は消えていた。決して油断していた訳じゃないけど、手に持っていた刃の一つが地面に落とされたので、そこに視線が奪われた瞬間に気が付けば姿が消えて来た。

 

 単純な視線誘導の技術だったけど、この場でそれをやられるとはね。

 

「きひひ」

 

 さてどこに行ったんだと警戒を強めていくけど、真後ろから奇妙な笑い声が届いたことで慌てて棍棒を振り抜いて……やっぱり空振ってしまう。

 

「反応速度はボチボチッスね」

 

 前髪を僅かに揺らすだけで回避されちゃったか、手を抜いた訳でもないし躊躇があった訳でもない、つまりこっちの考えや計算よりも上にいるということかな。

 

 あたしの中にある鶚銀子の情報を再び更新して一歩飛びのき、今度は単純な視線誘導に引っかからないと注意深く観察していると――――気が付けば銀ちゃんは私の目の前にいた。

 

 瞳の先に瞳がある、あと1センチ前に顎を動かせばキスでもできそうなほどに近い距離にまで接近されてしまった。

 

 油断した訳じゃない、けれど彼女はあたしの瞬きを見切って踏み込み距離を詰めた、それだけの話。

 

 瞼を閉じる一秒にも満たない隙を、見逃さなかったということだ。

 

 こいつ、本当に……あたしや拓也よりも強い? ううん、それどころか――。

 

「このッ!?」

 

 キスでもできそうな距離で見つめ合っている訳にもいかず、棍棒を振り回して迎撃するけど、また銀ちゃんはフワリと飛び上がって距離を取ってしまう。

 

「んん……力も体力もあるッスね」

 

「偉そうに観察しないで欲しいんだけどッ」

 

 このまま主導権を握られたままじゃダメだ。ホワイトルームの教官もそうだけど流れを握られると一気に持っていかれると経験で知っている。

 

 攻勢あるのみ、棍棒で殴りつけて急所を抉る。何度も教えられたことを行えば良いだけだ。

 

 だから一歩踏み出す……勝てないんじゃないかという思いを心の奥に隠しながら。

 

「躊躇も無い、勢いもある、何より焦りながらも体幹がブレない……一夏ちゃんてホワイトルームでは底辺なんッスか? それとも上澄みなんッスかね? それで報告内容も変わるでやがります」

 

「……」

 

 もうお喋りは止めよう、ただ心を冷たく尖らせて叩き潰す、あたしを騙していたことを後悔させてやる。

 

 さっきと同じように泥を顔目掛けて蹴り上げて、フェイントを織り交ぜながら棍棒で殴りつける。今度はマントで身を隠すことはできない筈だ。

 

 どう対処する? 警戒しながら相手の出方を窺っていたのだけど……銀ちゃんは何もしない。

 

 ただ、一つだけ、蚊でも払うかのような動作で目の前に迫った土を払い除け、その延長線上であたしが振り下ろした棍棒を割り砕いた。

 

 握りしめた棍棒が一見華奢にも見える腕と勢いよく重なった瞬間、伝わって来た感触は巨大なゴムタイヤでも殴りつけた圧倒的な密度のある何かである。

 

 その瞬間に、初めてあたしは目の前にいる少女が、全身がとてつもない密度の筋肉を圧縮した存在なんだと理解してしまう。

 

 棍棒は脆くも割り砕かれてしまった……あぁでも、それで攻勢を緩めるような教育は受けていない。武器が無くてもやりようは幾らでもあるからね。

 

 でも、どこに?

 

 一瞬迷ったのはあたしの落ち度だ、そしてその一瞬であたしの視界はひっくり返る。逡巡しながら伸ばされた手を掴まれてクルッと投げ回されたんだと思う。

 

 背中に雨でぬかるんだ地面の感触が広がった。冷たいとか気持ち悪いとか思うよりも早く体勢を立て直して回し蹴りを顎先目掛けて放つのだけど、スニーカーが銀ちゃんにぶつかることはなく、彼女はいつのまにか少し離れた位置にある木の隣にまで移動していた。

 

「複数の格闘技を織り交ぜた独自のスタイルに、計算された体作り……あれッスね、オリンピック選手みたいな感じッスね。このまま成長すればメダルとかも普通に取れるでやがります」

 

 隣にある木に銀ちゃんは手を伸ばす。太くて頑丈で深く根を張ったそれは、あたしの胴回りくらいの太さがあるものだった。

 

「総じて一夏ちゃんを評価するのなら、一流のアスリートって感じでやがります。なるほどなるほど、つまりホワイトルームはオリンピック選手を量産する施設って感じなんッスかね、でもまぁ――――」

 

 

 

 そして何気なく、草むしりでもするかのような感覚で、いっそ軽やかさすら感じるほどに平然と……鶚銀子はその木を引っこ抜くのだった。

 

 

 

「人を超えてはいないッス……超人と呼ぶには、あまりにも幼い」

 

 何十キロ、いや、何百キロはあるそれを引き抜いて、まるで小枝のように持ち上げられてしまえば、あたしはただただ絶句することしかできない。

 

 え、なにあれ……どういうこと?

 

 これは、あれは……ホワイトルームで習わなかった何かだ。

 

 ホワイトルームにはいなかった――怪物だ。

 

「とりゃ」

 

 どこか気の抜ける掛け声と共に、推定数百キロの木は、小枝のように横薙ぎにされることになる。

 

 その動作たるや、まるで箒で埃を払うかのようにも見えてしまう。

 

 茫然としていたあたしは、その木の先端にある膨大な枝葉の塊にぶつかって吹き飛ばされることになるのだった。

 

 枝と葉がクッションになったとはいえ、体に伝わって来る衝撃は車にはね飛ばされたのと大差がない感じで、嫌な音も体の奥から響くように広がってしまう。

 

「うッ……あぐッ」

 

 どれくらい飛ばされたかな……二、三度、地面を跳ねたあたしの体は、最後には水たまりに落下することでようやく止まることになる。

 

 次の瞬間に広がるのは木々の衝突を受け止めた左腕を中心とした半身からの激痛で……呼吸もできないくらいの痛みによってのたうち回ることになってしまった。

 

 ちょっとくらいは加減して欲しいんだけど、一応は、仮初とはいえ友達だったんだしさぁ……。

 

「一夏ちゃん、大丈夫ッスか?」

 

 こっちを吹き飛ばした犯人は近づいて来てそんなことを訊ねてくるのだから、本当に苛つかせてくれる相手だよね。

 

 さっき振り回していた太い木をどこかに投げ捨てて、悍ましいほど冷たい視線も鳴りを潜めて、本当にあたしを気遣うかのような目を向けて来る。

 

「すみません、ウチ手加減が苦手なんで。でも良かった、やっぱり素手で殴らなくて正解ッス。これくらいで済んだんですから」

 

「ッ……はぁ? 腕、折れちゃってるんですけど、これくらいとか言わないでくれる?」

 

「いや、ウチが全力で殴ると、多分死んでたと思うッスよ? だから加減して木でぶん殴ったんッスよ。感謝して欲しいッス。ウチ優しい」

 

 本気で言ってるのが本当に質が悪い……。

 

 銀ちゃんは水たまりに背中を引っ付けて仰向けに倒れるあたしを、しゃがみ込んだ姿勢で見つめてきた。

 

 長い前髪の隙間から見える瞳は、あんなことをしたというのにこっちを気遣っているようにも見える。

 

 やっぱりあたしは、鶚銀子という少女を根底から勘違いしていたってことなのかな。

 

 この子は怪物だ、きっとその表現が一番似合う。天才という言葉すら生温い。

 

「さて、お話しましょうか一夏ちゃん」

 

「今更何を話したいのかなぁ……きっと、銀ちゃんの興味を引けるものはないよ」

 

「そうッスか」

 

 すると銀ちゃんはその場に腰をおろして三角座りの姿勢となった。雨は降っているし地面はドロドロだけど、そこはあまり気にしていないらしい。

 

 二人で雨に打たれながら暫く無言の時間が過ぎ去る。最初に口を開いたのはあちらからだった。

 

 

「ウチ、一夏ちゃんのこと好きッスよ」

 

 

「はぁ?」

 

「オシャレとか詳しいし、色々物知りだし、映画券の買い方とか教えてくれるッスから。一緒にクレープ食べたりとか、買い物したりとか、楽しかったッス。ウチは高校生って奴を楽しみたくもあったんで、なんていうか、ああいうのに憧れてたんでやがります」

 

「……笑わせないで欲しいなぁ、そっちもわかってるんでしょう? あたしが利用しようとしてただけだってさ。なに? 友情とか感じちゃってたのかなぁ? だったら馬鹿みたい」

 

「そりゃまぁ、でも一緒に過ごした時間は確かにそこにあったじゃないッスか」

 

「……」

 

「お互いの立場もあって、多分きっとしがらみもあるんでしょうけど、こうして腹を割って話し合える時間が欲しかったんッスよ」

 

 だからわざわざ姿を晒したということらしい。銀ちゃんの実力ならあたしに気が付かれることもなく後ろからブスリとも出来た筈なのに。

 

「だからまぁ、それだけは伝えておきたかったんッスよね」

 

「……」

 

 ニコッと笑ったように思えた。普段は長い前髪で表情が隠れがちなので、この子もそんな顔をするんだなと、場違いなことを考えてしまった。

 

 今までは、ずっと上辺だけだったから知る機会が無かったということなのかな。

 

「ま、ウチは一夏ちゃんのこと、友達だと思ってるってことは知っておいて欲しかったでやがります」

 

 そこで銀ちゃんは立ち上がり、再び仰向けで倒れているあたしを見下ろして来た。

 

「まぁ、それはそれとして、仕事はしっかりとこなさないとダメっス」

 

「……え?」

 

「ウチの仕事は護衛、そんで月城の内偵でやがります。近づく脅威は排除しなければならないんで、めんごッス」

 

 銀ちゃんは右足をこちらに向けて来る。まるでこれから蹴り飛ばそうとするかのように。

 

「え~っと……あたしのこと、好きなんだよね?」

 

「ん? 好きっスよ……でもそれはそれ、これはこれッス」

 

 長い前髪の隙間から見える瞳はとても無邪気で、けれど不思議な冷たさが混じっていて……虫を解体する子供のような何かがそこにはあった。

 

「ウチらは刃の下に心を置く者なんで、友情は大切だけど、任務が最優先。船に帰ったらまた一緒に遊びましょう、それで良いんじゃないッスかね。あぁ、動かないでくださいね、さっきも言ったけど、ウチは手加減が苦手なんで、チョロチョロ動かれると勢い余るッス」

 

 そして鶚銀子は容赦なく、あたしの顎先を蹴り飛ばしてくるのだった。

 

 意識を失う直前、とても穏やかな笑顔であたしを見てきたのだけど、やってることとその顔が全然一致してないことに気が付くべきだと思う。

 

 まぁ、とりあえず……。

 

 

 

 このまま舐められたままで終わるのはアレだから、怪我を治したら襲撃しようかな。

 

 

 

 あたしはそんなことを決意しながら、この場での勝利を譲ることになる。

 

 ホワイトルームで何度も教えられたことだ、最後に勝っていればそれで良いって。だから二度目があるのならそこに賭ける、たとえ届かなくても三度目で倒しきればいい。

 

 友情なんて欠片も興味はないけれど、こいつにだけは負けたくないと思ってしまったのが運の尽きなのかな。

 

 それはきっとある種の執着で、欲求でもあるんだと思う。

 

 綾小路先輩以外にも、あたしがこの学校にいたいと思える理由が生まれた瞬間でもあった。

 

 

 

 

 



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試験は折り返し

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、七瀬の目的とオレの目的は別にぶつかり合うことはなかった。

 

 いや、正確には、戦う理由が無かったと言うべきだろうか。七瀬翼という少女の目的はある種の敵討ちであり、それはオレを排除したとしても叶うことのないものであったからだろう。

 

 七瀬が言うには松尾栄一郎という人物、オレがこの学園に来る前に一時期だが世話になった執事の息子と知り合いであり、その仇を取りたいというのが目標であったらしい。

 

 絶望している所を月城に上手く付け込まれたのか、それとも親しかった相手の死を見てやり場のない思いを向ける相手が欲しかったのかは知らないが、今はオレを排除した所でその目的が達成することもできなければ、敵を討つことにも繋がらないと理解しているようだ。

 

 まぁ、もっとも、その言い分が全て真実であるとするのならばという話でもあるが、少なくとも現状では敵対する理由はない。

 

 もしオレが本当に七瀬翼という人物を信用する時が来るのだとすれば、それはきっと松尾親子の墓を暴いて亡骸を確認したその瞬間なのかもしれない。だが今はこれで良かった。

 

 信用や信頼云々は横に置いておき、現状で敵対する理由がないのならば様子見で良いだろう。奇妙な関係ではあるのだが、こればかりは仕方がない。

 

 七瀬翼と、今は敵対する理由がない。それがぶつかり合って出した結論であった。未来のことはその時に考えるとしよう。

 

 幼馴染の仇を討ちたいという話が本当なのか嘘なのか、この学園にいる間はどうしても確かめようがないからな。落とし所としてはこれで良いのだろう。

 

 仮にもし、もしだ。七瀬の言い分と目標が事実であり、松尾の息子の無念を果たす為にオレの父親に頭を下げさせたいという願いが真実だったその時は、天武に頼んで力づくで下げさせてしまおう。

 

 

 うん、それで良いな。勢い余って頭が外れるかもしれないけど、その時はその時だ。何も問題は無い。

 

 

「我儘を言わせて貰うなら、この学校を去るなんて言わずに協力して欲しい。今も月城はオレを退学させ父親の手土産にしようとこの特別試験で画策しているだろう。オレに協力するのは七瀬にとって目的を達成する為の近道になる筈だ」

 

 もし本当に敵討ちが目的だとするのならば、オレではなくその憎悪は父親に向けて欲しい。

 

「私がすべきことは……先輩を追い込むことじゃなく、助けることだったんですね」

 

「手を貸してもらえるか? もし協力してくれるのなら、必ずあの男に頭を下げさせる」

 

 天武に頼めばやってくれるだろう。あの男の後頭部を掴んで地面にめり込ませてもくれる筈だ。

 

 そんな光景を想像してみると、七瀬の目的がどうのこうのではなく、単純にオレ自身が見てみたくもなった。

 

 七瀬は涙で潤んだ瞳でオレを見上げながらも、差し出された掌を掴み取ってくれる。

 

 一先ずはこれで良いだろう。どのみち月城やあの男の都合は全て無視するつもりなので、最終的に七瀬が敵側であったとしても関係がない。正直なことを言わせて貰えばどちらでも良かった。この試験で敵にさえならないのならば。

 

「――約束します。私は綾小路先輩の力になると」

 

 その言葉が本当に純粋なものであることを、オレも期待しておこう。

 

「このまま雨に濡れたままだと体を冷やす、行こうか」

 

「……はいッ」

 

 七瀬の手を引いて立ち上がらせると、いつものように強い意思を宿した瞳に戻っていた。

 

 そんな七瀬は暫くオレの顔を見つめていたのだが、その視線を背後に向けて少し慌てたように瞼を見開いてしまう。

 

「先輩、下がって。誰かが近づいてきます」

 

 その言葉に従って振り返ってみると、少し離れた位置から全身迷彩柄の怪人がこちらに近づいてくるのがわかった。

 

「そこで止まってくださいッ!! 貴方は一体誰ですか、それに、その手に持っているのは天沢さんですよね」

 

 迷彩柄の怪人、鶚銀子は右手に天沢を持ってズルズルと引きずっている……いや、お前、そんな水揚げされたマグロみたいな扱いはどうなんだ?

 

「見てくださいッス、捕ったどぉ~」

 

 鶚は掴んでいた天沢の足首をそのまま持ち上げて、捕った魚でも見せつけるかのように前に出す。

 

 足首を掴まれて逆さ吊りとなっている天沢はプラプラと揺れていて、意識を失っているからされるがままの状態である。

 

 せめてもの情けだろうか、折れていると思われる腕は添え木がされていてしっかりとマントの切れ端で固定されている辺り、配慮があるのか無いのかわからない状況である。

 

 だが死んではいないらしい、そこは安心できる所であった。これで死体を見せつけられた時はどうしようもなくなってしまうからな。

 

「き、危険です綾小路先輩。間違いなくホワイトルームからの刺客です!!」

 

「七瀬、気持ちはわからなくはないが少し落ち着け……こいつは天武の部下だ」

 

「え、笹凪先輩の?」

 

「あぁ、アイツの命令で動いている」

 

「……」

 

 すると七瀬はそれはもう疑わしそうな顔と視線で迷彩柄の鶚を見つめるのだった。

 

「えっと……この人は誰なんでしょうか?」

 

「鶚銀子だ」

 

「……」

 

 そこで暫く考え込む七瀬だが、名前と顔が一致することがなかったのか、やはり警戒心は解くことがない。

 

「とりあえず天武の部下だという認識で大丈夫だ」

 

「わかりました。あまり上手く納得はできませんけど……それより、天沢さんは大丈夫なんでしょうか? 随分とボロボロのようですけど」

 

「死んじゃいないッスよ。それよりも綾小路パイセン、一夏ちゃんはやっぱりホワイトルーム生でやがりました」

 

「確定したのか?」

 

「はい、カマかけたら認めましたよ。確信してるのなら誤魔化しても無駄だと」

 

 そうか、鶚の手で逆さ吊りになって水揚げされたマグロのようになっている天沢はホワイトルーム生だったのか。

 

 おそらくは厳しい訓練を繰り返して来たのだろうがこうもボロボロとはな。天沢が底辺なのか、それとも鶚がゴリラなのか……おそらく後者だったが故の結果だろう。

 

「尋問をして情報を吐かせたいとは思ってるんッスけど、流石に重症なんで船に戻そうと思ってるッス。別に構いませんよね?」

 

「あぁ、それで構わない」

 

「そんじゃあ暫く離れるんで、後は宜しくッス」

 

「船まで直接運ぶのか?」

 

 リタイアした生徒がそんなことすればどうしたってことが露見するだろう。鶚は最悪退学になっても構わないと言う身軽なスタンスなのだが、出来る事ならばそうなって欲しくはない。

 

「いえ、誰か通りそうな所に転がしておくッス。その内見つかって船まで運ばれるでしょう」

 

 どこまでいっても雑な扱いである。人を人とも思っていないようではあるが、一応は応急処置などもしているので、もしかしたら複雑な感情でも向けているのだろうか。

 

「それに、船にいる教員側の協力者に動いて貰いたくもあるんで。一夏ちゃんが意識を失っている間にスマホとかに盗聴アプリとか仕込んでおきたいんッスよ」

 

「天沢がホワイトルーム生ならば、迂闊な情報をスマホに残すとは思えないがな」

 

「それならそれで良いんッスよ。手段と方法は百通り用意して一つか二つ成果が出れば上々なんッスから」

 

 なるほど、確かに無駄となるかどうかは成果で語るべきだろう。元よりオレがどうこう言えることでもないので好きにさせておくとしよう。

 

「あぁそれと、天沢さん以外にも綾小路パイセンをこっそりと付けていた相手がいましたよ。倉地という生徒ッス。そこらへんに寝かしてあるんで好きになさってください。ウチの仕事は護衛と月城の排除なんで、一般生徒を追い詰めるのはご主人に怒られそうなんでやりませんけどね」

 

 それだけ言い残して鶚は一旦船に戻ることになる。相変わらず天沢を雑に運びながら雨が降りしきる鬱蒼とした森の中を進んでいくのだった。

 

「……恐ろしい人でした」

 

「まぁ、見た目があれだからな」

 

「はい、それもそうですけど。片手に天沢さんを持っていたのに一切の隙が無かったんです。恐ろしい程の手練れです」

 

「そうだな」

 

 ホワイトルーム生をあそこまでボロボロにする相手なのだから、やはり天武と同類ということなんだろう。

 

 そしておそらくだが、こうして姿を七瀬の前に晒したのは「警告」の意味もある筈だ。計算の外にいるのは天武だけでないという主張でもある。

 

 もし七瀬が最終的に敵側になったとしても、いつでも寝首をかけるという自信の表れでもあるのかもしれない。

 

 だってまだ、鶚は全力を誰にも見せていないのだから。それは派手に暴れまわる天武と同じくらいに抑止力となる。天沢を倒した程度で実力の全てが露呈することもないだろう。

 

 ホワイトルーム側は、手塩にかけて育てた生徒が軽く粉砕されるくらいの戦闘力があるという認識を持つだろうが、そこを限界と定めるかもしれない。

 

 天沢は倒せるけど、総力を注ぎ込めば倒せるかもしれない……そんな風に思わせた時点で鶚の勝ちが確定するのかもしれないな。

 

 なんであれ、頼りになると同時に厄介な味方でもある。オレは改めてそう思うのだった。

 

「天武に報告だけはしておくか」

 

 初期ポイントで購入した無線機を鞄のポケットから取り出して、メモリを動かしてクラス共通の周波数ではなく、オレと天武との間でだけ使うことを事前に示し合わせていた周波数にしてから話しかける。

 

 天沢がホワイトルーム生で確定したこと、嘘か本当かはわからないが七瀬が一先ずは味方側になったこと、そして天沢以外にもオレをつけ回していた倉地という生徒のこと、しっかりと報告しておくべきだろうな。

 

 七日目、試験も折り返しとなるこの日はこうやって過ぎ去っていくことになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら上手いこと九号が天沢さんを仕留めたらしい。そんな報告を受けた俺なんだけど、よくやったと思う前に心配してしまう辺り、九号への信頼のほどが窺えてしまうな。

 

 いや、凄く優秀な子なんだけどさ、やっぱりゴリラだから勢い余って……いや、余らなくても敵対した相手が粉々になるかもしれないから、実はとてつもなく不安でもあったんだよね。

 

 でもまぁあれだ、あの子だってもう高校生なんだ。流石に木を引っこ抜いて相手をぶん殴ったりとかゴリラ全開な方法とかじゃなくて、もっとスマートに対処してくれている筈だ……そうだと言ってくれることを期待しよう。

 

 清隆側のそんな動きを報告されてあっちはあっちで大変だなっと、まるで他人事のように思ってしまうのは、こっちはこっちで大変な状況だからだった。

 

「いたぞ、アイツらを止めろ!!」

 

 俺と六助は今、三年生たちに追い回されている状況である。それもここ数日はずっとこんな感じの時間が続いているので、清隆側の動きにそこまで構っている余裕が無かったりもしている。

 

「ケツに火が付いて来たって感じかな」

 

「ハッハッハッ!! 優雅な表現ではないが、まさにその通りなのだろうねぇ」

 

 雨の七日目を越えて今は八日目、つまりはこの試験もいよいよ後半戦なんだけど、ここまで来ると流石に南雲先輩も余裕綽々とは行かなかったのか、それはもう盛大に焦りながら手下を仕掛けてきた。

 

 これまでも付け狙ってきたり進路を塞いだりと言う妨害はやってきていたのだけど、今回は随分と数を増やしている。おそらくフリーの三年生グループはこちらに総動員しているらしい。

 

 その三年生たちのグループは主に二つの組にわかれているようだ。まず俺と六助を追い回す苦労組、そしてもう一つは俺たちの動きを先回りして課題の定員を満たすグループである。

 

 追い回して追い詰めて肉体的にも精神的にも疲弊させること、そして先んじて課題の定員を満たすことでそもそもポイントを稼がせない、こっちに回されている三年生たちの主な仕事がこの二つであった。

 

『聞こえるかしら? 相撲の課題はもう空きが三枠しか残っていないわ。三年生の一部がもうすぐ辿り着きそうだからそこはもうスルーして頂戴』

 

「ん、了解、それじゃ指定エリアのこともあるからこのまま東に向かってエリアを踏んでから別の課題に参加するよ」

 

 リュックサックの外ポケットに収まった無線機からは、鈴音さんの指示が届いている。彼女は遠く離れた位置からこちらの動きをサーチ機能で把握しながら情報を与えてくれていた。

 

 やってることは単純で、サーチ機能を使って全てのグループの動きを把握して貰って、随時情報を更新するだけのことである。もし参加しようと思っている課題が三年生たちに先回りされて定員を満たされてしまえば無駄足になってしまうので、確実に参加できる課題にのみ挑むことを心がけよう。

 

 南雲先輩は手下の三年生で課題に参加して、八百長で一位を取っているようだけど、俺と高円寺は参加することさえできれば正攻法で一位を取れるので、やはり差は縮まらない。

 

「鈴音さん、まだポイントは大丈夫そうかい?」

 

『まだ60ポイントほど残っているから大丈夫よ。もし底を突いたとしても他のクラスメイトに役目を譲るから安心して』

 

 彼女は自分が稼いだポイントを全てサーチ機能による情報収集に注ぎ込むつもりのようだ。仮にそれで0点になってしまったとしても退学のリスクはもう排除してあるので何も問題はない。

 

 上位50パーセントの報酬も得られなくはなるだろうけど、5万ポイントくらいは今更惜しむような額でもないので、こうして援護して貰っている。

 

 おそらくだが、南雲先輩も他のグループのポイントを消費して常にサーチ機能を使って情報を更新している筈だ。俺たちが相撲の課題をスルーして別の課題に向けて走り出した状況も把握しているんだろうな。

 

 退学のリスクがないという事実は、ポイントを消費するサーチ機能を好きなだけ使えるということ、何も俺たちだけじゃなくて三年生や一年生だって同じということだ。

 

『三年生の一部が先回りを始めたわ』

 

「距離は?」

 

『一番近い位置にいる三年生は握力測定の課題に移動しているようね。500メートルくらいかしら』

 

「よし、それなら問題ない。こっちの方が早く着きそうだ」

 

 先に課題が行われる場所に辿り着かれると定員を満たされてしまうだろうけど、彼らよりも早く到着すれば良いだけの話だ。500メートルくらいの距離ならば全力で走ったこちらの方が素早く参加できる筈だ。

 

 全力で無人島を走り抜けて、あらゆる物を踏み砕いて進んで行けば、課題まであと100メートルほどの距離でその三年生たちのグループに追いつくことができて、一瞬で置き去りにしてみせる。

 

「クソッ!!」

 

 そんな三年生男子の声が背後から聞こえてきたような気もするけど、今は課題に参加することが重要になので聞かなかったことにしよう。

 

 こうして俺たちは握力測定の課題に参加することになり、何も問題はなく一位と二位を奪い去ることになった。

 

『天武くん、周囲にある三つの課題は既に三年生が向かっている。少し離れた位置にある課題に向かいましょう』

 

「おっと、南雲先輩も動きが速いな。握力測定を受けている間に他の課題を埋めに来たか」

 

『余程、貴方の背中を見るのが嫌なようね……今、順位が更新されたみたいよ、坂柳さんのグループを追い越して二位にまで浮上したわ』

 

 ここ数日、流石に焦ったのか凄まじい追い上げを見せているようだけど、それでもまだこちらとの差は圧倒的なものがあるどころか徐々にだが離されてもいる始末だ。

 

 余裕を消して、盛大に焦りながら次々と課題に参加して八百長で上位を独占しているようだけど、上位を奪っているのはこっちも同じことが言える。そして基本移動でのポイント稼ぎに関してはこちらが圧倒的な優位を維持しているので、そこで差が生まれているのだろう。

 

 あちらは既に増員のカードで七人体制だろうけど、全員が俺や六助や清隆みたいな身体能力を有している訳でもないのだ。ペース配分を誤った瞬間にリタイア者が続出することだって考えられる。

 

 つまり、七人体制を維持するにはどうしても細かな休憩を挟まなければならないのだけど、こっちは俺と六助だけなのでその必要がない。

 

 全力で走り続けられる俺たちと、ペース配分を意識しないといけない南雲先輩、その差がそのままポイントをジリジリと広げることに繋がっているらしい。

 

『天武くん、今はまだ南雲先輩は貴方にポイントを稼ぐことで追いつこうとしているようにも見えるけど、もし逆転不可能だと判断すれば大胆な行動に出ることも考えられるんじゃないかしら』

 

 六助と一緒に次の課題を目指して駆け抜けていく。近場は既に三年生が埋めてしまっているので少し離れた位置まで走らないといけないな……体力を消耗させる作戦なんだろうけど、悪いがこの程度では息も上がらない。

 

「だろうね、まだそこまで振り切れてはいないみたいだけど、最終日辺りまで様子見してもうダメだって思ったら仕掛けて来そうだ」

 

『……対策は考えているのよね?』

 

 無線機の向こうから心配したような声が聞こえて来る。誰かにそう思われるのはそこまで悪い気はしないな。

 

「何も心配はいらないよ。大丈夫、ちゃんと決め手を用意してある」

 

 別に複雑なことをするつもりはない。要はあの人たちが暴力的な行為に出れない状況を作れば良いだけの話である。

 

「心配してくれるのかな?」

 

『当たり前のことを言わせないで』

 

「そりゃそうだ。まぁ任せてよ、こっちは完全勝利を目指している。ちゃんと相手の動きも想定しているさ」

 

『なら安心ね……体力は持ちそうなの?』

 

「そっちも何も問題はないさ。寧ろ三年生たちの方が先にバテるんじゃないかな。俺たちを追い回しているグループはもう疲労困憊だし、先回りしている人たちだってペース配分が滅茶苦茶だ。全員がマラソンの長距離選手って訳でもないんだから、おそらく10日目を境に妨害も落ち着いてくると思うよ」

 

 南雲先輩の指示でこっちの妨害に多くのリソースを注ぎ込んだ結果、水も食料も体力も当初の計算から大きく外れた状況になっている筈だ。

 

 果たして、このペース配分で10日目を越えられる三年生が何人いるのかという話でもある。

 

「鈴音さん、南雲先輩の動きはどうかな?」

 

『課題に参加するのは同じグループの人に任せているようね。あまり大きく動いていないわよ』

 

「ふぅん、やっぱり指揮官に徹しているってことか」

 

 無線機片手にタブレット端末を睨みながら次々と指示を出す南雲先輩の姿が思い浮かぶ。状況的には今の鈴音さんと同じような感じなんだろう。使っている端末は他のグループのものなのかな。

 

 三年生の思惑としては、長丁場の試験なのでこっちの体力を削っておきたいんだろうけど、これで疲れると思われているのは少し意外でもあった。

 

 いや、まぁ実際に走る距離は増えているのは間違いない。近場の課題は定員を次々と埋められている訳だからな。

 

 けれどこっちの体力がそれで底を突くなんてことはない。既にペース配分をこちらに合せている三年生たちの方がバテて来ているようにも思えた。

 

「まぁ、これで勝てると思われているのなら、こっちにとってはありがたい話か」

 

 体力が尽きるのを今か今かと願っているのかもしれないけど、こっちはフルマラソンをしても特に疲れることもない体だからあまり意味はない。

 

 南雲先輩がやるべきことは、試験初日から徹底的に自分のグループにポイントを注ぎ込み、自分以外のグループは全てリタイア覚悟の自爆特攻をさせることなのだったけど、そこまでは開き直れるものではないか。

 

 勝つためにあらゆる手段を行使するという評判だけど、初手で相手を殺すという選択肢を取らずに遊び回っていた時点で、覚悟が足りていないと言えるのかもしれない。

 

 変な所で常識を発揮せず、さっさと殺しに来ればもっとギリギリの戦いが繰り広げられたのかもしれないけど、戦力や手段を小出しにするのが最大の敗因なのかな。

 

 なんであれ、これで俺たちを追い込めていると考えてくれているのなら、その状況を精一杯利用して三年生たちのペース配分を乱すとしよう。

 

 

 走り回り、引きずり回して、水も食料も無駄に消費させてヘトヘトになった妨害組の三年生たちの多くが、十日目を越えることができないままリタイアすることを確認して、やはり戦力の逐次投入は愚策であると判断するのだった。

 

 初手から総力を注ぎ込んで自爆覚悟でリタイアさせる。それが最適解だと思うけど、実際にその判断をするのはなかなか難しいということだろう。

 

 もし仮にこの試験で戦うのが九号ならば、おそらく初手で銃器なり爆薬なり毒なりを引っ張り出して来るんだろうけど、良くも悪くも南雲先輩はそれが出来ない人なのかもしれないな。

 

 いや、まぁ、忍者と一般人を比べるのはアレなんだけれども。

 

 なんであれ試験は折り返しを越えても順調そのものだ。妨害は激しいけどペース配分を乱して水も食料も激しく消費した挙句に最後には体力が尽きてリタイアするだけだし、後半戦まで戦っていけるほど体力のある人は三年生にはいないらしい。

 

 ここまでくれば正攻法での逆転はもう不可能だ……つまり、ここから先は極めて暴力的な展開になるということを予感させるのだった。

 

 月城さんも生徒の安全を守らないといけない立場なのにこう言っていたからな、生徒間のイザコザや衝突は仕方がないって。

 

 

 

 

 



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それぞれの視点 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇都宮視点

 

 

 

 

「笹凪先輩のグループは圧倒的だな」

 

 四日目に順位が発表されてから折り返しを過ぎて十日目の今日になっても、あのグループは圧倒的な大差を維持するだけでなく、それどころかポイントを伸ばしながら突き放しにかかっている。

 

 これはもう勝てないだろうな、既に全体が二位と三位狙いに動いているように思えた。

 

 ただしそれは、あくまで正攻法という範囲での話だ。チマチマポイントを稼いだ所で意味はない。なら強引にリタイアさせる方向にシフトするのが自然な流れだ。

 

 ルールを説明される時も学校側が言っていたからな、仕方がないと。

 

「三年生が大勢リタイアしたみたい」

 

 クラスメイトから借りたタブレット端末と、そこに紐づけされたポイントを消費してサーチを繰り返す椿は、丸太の椅子に座りながらそんなことを言った。

 

 あまり表情を動かす奴ではないが、おそらく様々なことを考えていることはわかる。OAA以上の能力を持っているのはわかっているのだから。

 

「七日目からずっと張り付いていたけど、次々脱落者が出てる。課題に先回りしたり色々やってるみたいだけど、この感じだと十日目以降は全滅するかもね……誰も付いていけてない」

 

「笹凪先輩の逃げ切りが確定するってことか?」

 

「このままいけばそうなるよ……あの人、わかってはいたけどやっぱり怪物だね」

 

 他人のタブレット端末を眺めながら椿はまた考え込む。

 

「……」

 

 そして無言になって暫く考え込む。瞼を閉じて無言となり、そのまま三十秒ほど過ぎ去った段階でようやく次の動きを見せた。

 

「一位を取るのは無理だね。三年生が上手く疲れさせてくれれば良かったけど、想定以上に笹凪先輩が異常だった」

 

「だが無傷という訳ではないだろう、疲労は蓄積するものだ」

 

「そうでもないよ。ほら、今サーチしたんだけど、笹凪先輩はもう別のエリアにいる。さっきと今の僅かな間にね。疲れている人間はここまで素早く動けない……宇都宮くんはできる? 三年生たちに数日間も追いかけ回された後に全力疾走で次の課題に向かうことが」

 

 タブレット端末を見せつけながらそういう椿だが、別に悲壮感はない。まだ負けたとは考えていないからだ。

 

「だとして、どうするつもりだ?」

 

「リタイアさせる、それも強制的に」

 

「……そうなるだろうな」

 

「反対はしないんだ?」

 

「退学のリスクはないとはいえ、一年生が初日にリタイアした以上、他の学年に上位三組を持っていかれれば、やはり損害は大きいからな」

 

 笹凪先輩との交渉で、一年の各クラスはそれぞれリタイアする生徒をバランスよく選んで試験を初日に放棄している。これが一つのクラスであれば反対の声を上がったのかもしれないが、全てのクラスでバランスを取ったというのが上手い話だ。

 

 もしポイントを持っていかれたとしても、全てのクラスで損害を負担することになる。つまりここでクラスポイントに差が生まれることはない。

 

 加えて、報酬として各クラスにはプライベートポイントが払われているので断る理由もない。

 

 何より、それら全てを受け入れて上位三組を一年生のグループで満たせれば利益しかない。そういう方針だったのだが、そこまで簡単な話でもなかったということだろうな。

 

「椿、聞かせてくれ、俺たちが現時点で得られる最大限の利益はなんだ?」

 

「上位三組を独占すること、そして綾小路先輩をリタイアさせること、その二つを達成できれば莫大な利益になる……例の懸賞金の話はまだ続いているし、綾小路先輩をリタイアさせる状況に追い込めれば、迎えに来るのは月城理事長だって試験が始まる前に説明してくれたから」

 

 確かにそう言っていたな。あの懸賞金の話を知っている一年生全員にそういう話がされた。もしあの男をリタイアさせられる状況になった場合は、迎えに来るのは教師ではなく月城自身だと。

 

 つまり、多少の無茶を押し通しても不問になるということだ。

 

「リタイアによる退学のリスクはないんだ。大胆に動くべきだと俺は思う」

 

「そうだね……ただ、やっぱり笹凪先輩には手を出すべきじゃない」

 

「俺が出る」

 

「宇都宮くんが強いのは知ってるよ。高校一年生とは思えないくらいにさ……でも、多分、そういう次元の相手じゃないと思う。私たちの考える強い弱いとか、そういうレベルにいない人だろうから」

 

「では宝泉と組んでならどうだ?」

 

「意外、あんなに嫌ってたのに」

 

「今もそれは変わらない……だが背に腹は代えられないだろう」

 

 もっとも、あの男が俺に協力することはないのだろうが。

 

「まぁ落ち着いてよ。大胆に動くべきって話は同意できるけど、狙う相手は吟味しておきたいんだよね」

 

「笹凪先輩は狙わないと?」

 

「それよりは、手駒を大勢失った三年生が狙い目かもね。笹凪先輩のペースに合わせた結果、皆フラフラみたいだし。あれもこれも取ろうと思えばきっと手が足らなくなる。欲張らずに狙う相手は一つに絞ろう」

 

「二位と三位狙い、或いは綾小路先輩に集中するってことか」

 

「まぁね、笹凪先輩にだけは手を出すべきじゃないってことは間違いないかも。狙うのは南雲先輩か、坂柳先輩……それか綾小路先輩か、やるにしても一点突破だね」

 

 前者は二位、後者は三位の位置にいる。綾小路先輩に関してはその首に大量のポイントがかかっている。

 

 そしてまた椿は考え込む。どこを目指すのが最善なのかと。

 

「でもまぁ、今の三年生の状況なら、多分だけど向こうから声をかけてくるんじゃないかな」

 

 椿がそう言いながらタブレット端末をまた見せつけて来る。すると俺たちのキャンプ場所に近づいてくる光点が一つあった。三年生のものだ。そしてその光点は俺たちだけでなく他の一年生の代表たちにもそれぞれ近づいているようだった。

 

「まさか、生徒会長と協力するのか?」

 

「あっちは手が足りない、私たちも手が足りない、そして一位には消えて貰いたい、話が早いでしょ」

 

「本音はなんだ?」

 

「三年生とは協力するフリをしながら狙いは綾小路先輩にだけ集中する」

 

「利用するということか」

 

「どうせあっちだってそのつもりだよ。上位グループ同士で潰しあってもらって席を空けていってもらおう、運が良ければ共倒れになって席が二つ空くかも……無理だったとしても私たちは綾小路先輩に集中するで良いと思う」

 

「笹凪先輩と生徒会長の戦いに関わるつもりはないのはわかった、どの程度まで利用するんだ」

 

「協力する代わりに食料と水を提供して貰おうかな、そしていざ行動する時はダラダラしておこう、批判されないくらいに動いてさ」

 

「得たリソースは綾小路先輩を追い込むのに使う訳だな。なら他の一年生たちにもその方針を伝えておこう」

 

 一位の笹凪先輩を追い落としたくて仕方がない三年生たちの焦りと余裕の無さはある程度は察することができる。疲労困憊でリタイア者も大勢出ているので人手を高く売りつけられるかもしれない。

 

 それで笹凪先輩を落とせれば良し、生徒会長が疲弊して三年生がより追い詰められても良し、どっちに転んでも一年生には得しかない。そういうことだ

 

 他のグループも同じことを考え始める頃合いだ。椿はそう言うのだった。

 

 リタイアすることによる退学の心配がないからなのか、やはり行動がより大胆になるのは避けられないんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 坂柳視点

 

 

 

 

 

 

「――と、考えるグループが多くなってくるでしょうね」

 

 タブレット端末が映し出す光点から様々な情報がこちらに齎される。何を思ってどこを目指しているのか完全ではないもののある程度は推測できます。

 

 天武くんを追い回すことで疲弊させるつもりが、想定以上に元気一杯な様子に三年生たちは大きく困惑しているのでしょう。長丁場の試験でペース配分を乱すことは絶対に避けなければならないというのに。

 

 ここに来て三年生から多くのリタイア者が出ていることが、彼らの見積もりの甘さと余裕の無さが透けて見えることになる。

 

 ほら今も、伝令役と思われる三年生が港に現れて私に近づいてくるのですから、一年生だけでなく二年生からも戦力を引っ張り出したいのでしょうね。

 

「それでどうすんのよ、三年生と協力するの?」

 

 港近くの課題に参加していた私のグループの方々は、無事に一位を取って今は小休止を取っているようです。無料で配布されている水で喉を潤しながら次の課題を目指す準備を整えています。

 

「いいえ、真澄さん。当初の予定通り私たちは二位と三位狙いで動きます。皆さんは葛城くんと課題を被らせないままこれまで通り動いてください。どの課題を受けるかはこちらから随時指示しますのでご安心を」

 

 葛城くんのグループは今現在六位の位置にいる。可能ならば彼と私で二位と三位の独占を狙いたい。それが私たちの目標でありそれは今も変わってはいない。

 

「……笹凪を排除する選択肢はないのか?」

 

 鬼頭くんはこちらの考えに賛同しながらも、一位を取ることを考えているようですね。

 

「既に便乗のカードを彼に注ぎ込んでいます、勝ってもらわないと困りますね。増員のカードを得る為に大きな出費がありましたので……そういった理由もありますけど、彼を物理的に排除することはまず不可能ですよ。そうでなければ二位と三位狙いで妥協などしませんから」

 

 出来るのならば選択肢の一つに入れても良いのかもしれない。けれど今この無人島に存在する全ての戦力を集めて挑んだとしても最後に立っているのは天武くんでしょう。屍の山が作られるとわかっているだけの行動をわざわざする必要はない。

 

 彼を物理的に排除するのに必要なのは頭数ではなく、軍事力でしょうしね。おそらく生徒会長はそこを理解できていないのでしょう。

 

「天武くんに一位を取って貰って出費の補填を行い、二位と三位を得てクラスポイントの変動も互角にする。三年生に関わっている時間はありませんね……とは言え、生徒会長が今現在は二位、そろそろ目障りになってきました」

 

 こちらに近寄って来るのは桐山副会長でした。どうやら彼が伝令役のようですね。

 

「坂柳だな、少し話がある」

 

「ある程度は推測できますよ。桐山副会長。要件は天武くんを排除する為の共同戦線ですね?」

 

「話が早くて助かる、その通りだ。お前たちにとっても厄介な相手の筈、手を組むことに何の憚りもない筈だ」

 

「どのような条件を提示してくれるのでしょうか?」

 

「条件だと? おかしなことを言う奴だ、共通の敵を倒すことそのものが報酬と言えるんだぞ」

 

「ではお帰りください。こちらは別に単独で挑んでも構いませんので」

 

「笹凪のグループは強敵だ……アレは常識の外にいる存在だからな」

 

「はい、知っていますよ。きっと先輩方よりもずっと」

 

 二コリと笑って見せると桐山先輩は眉間に皺を寄せる。やはり焦っているようですね。

 

「水、或いは食料を……そしてポイントを提供してくれるのならば、こちらからもある程度の人員を出しましょう」

 

「……」

 

「あぁ、嫌ならばそれで構いませんよ。決めるのはそちら側ですので」

 

「たとえそれが南雲を敵に回すことだとしてもか」

 

「もしかしてご存知ありませんか? 私たちは桐山副会長と違って別にペットではないんです。餌が貰えなければ生きられないほど哀れな存在でもありません」

 

 今度は明確に睨まれてしまいましたね。まさに面従腹背、或いはそういった所を眺めるのが好きなのかもしれませんねあの生徒会長は。

 

「……交渉はお前たちでやれ、無線の周波数だけは教えておく」

 

「ふふふ、そんなに機嫌を悪くなさらないでください、ちょっとした戯れですので……わかりました、交渉はこちらで行いましょう。副会長は主の下にしっぽを振って帰ってくださって構いませんよ」

 

「……」

 

 最後には黙ってしまった桐山副会長は、眉間に皺を寄せながらも背中を向けて港から森の中へと走って行きました。嫌われてしまったようですね。

 

「で、本気で協力するのか、姫さん?」

 

 橋本くんは胡乱気な顔で私を眺めて来ます。

 

「まさか、二位の南雲先輩は邪魔ですので、消えて貰いたいんです。水と食料と、可能ならばある程度のポイントを引っ張りだしてから、後はダラダラと過ごしましょう……批判されない程度に動いてね」

 

 ただでさえ三年生は全学年で最も人数が少ない学年になっている。天武くんのペースに合わせた結果、水も食料も当初の計算とは大きくズレているのは間違いない。

 

 それでも圧倒的な大差で一位を維持されているのが三年生たちにとっては屈辱であり我慢できない状況ですので、振り回されているとわかっていながらも追い回すしかない。

 

 この試験で最も大切なのはペース配分だというのに、それを根底から無視してしまえば大量のリタイア者も出てしまう。

 

 いえ、もしかしたら相手のペース配分を乱す為に速攻でリタイアする者をあらかじめ作ったのでしょうか。

 

「退学のリスクもないのだからいざとなればリタイアすれば良い……それはサーチ機能などを使いやすくするメリットもありますけど、ペース配分を乱すデメリットにも繋がっているようですね」

 

 結果的に、三年生からは大量のリタイア者が出て一年生や二年生まで協力を要請するような事態になっているのですから、最初から計算していたのでしょうか。

 

 どちらにせよ、生徒会長が最初に考えていた絵図はもうどこにもない。だとすれば彼を追い落として上位三組を二年生で埋めることも不可能ではないでしょう。

 

 生徒会長は天武くんを意識するあまり、自分が狙われる側にいることをあまり意識していないようですね。

 

 背中から蹴り飛ばしたらどこに転がるんでしょうか、少しだけ興味があります。

 

 もしそうなったとしてもきっと恨みはしないでしょう。だって月城代理もこう仰ってましたから……仕方がないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍園視点

 

 

 

 

「ハッ、足りねえな」

 

 接触して来た三年生から提示された共闘、笹凪をリタイアさせる為の同盟の話を聞かされて鼻で笑うしかない。

 

『不足か? お前にとっても一位の笹凪がリタイアするのは悪い話じゃないだろ』

 

 ダラダラと人を介して話しても無駄だと判断して、接触して来た三年生から無線機の周波数を聞き出してから大本と直接交渉をすることになった。

 

 無線機の向こうからは生徒会長様の声が聞こえて来るが、随分と落ち着きがないのがよくわかる。余裕綽々で構えてたら逆転不可能な大差を付けられたんだ、気持ちはわからなくはないがな。

 

「おいおい誤魔化すなよ。困ってるのはテメエで、俺たちは売りつける側だろうが」

 

『この俺を相手にそこまで強気に出れるのは評価してやるよ』

 

「クク、取り繕うなよ、笹凪を追いかけ回してた手下も随分とリタイアしてるようじゃねえか。手を貸して欲しいんなら相応の物を出せよ。生徒会長様は随分とケチじゃねえか、えぇ?」

 

『……何が欲しい?』

 

「水と食料、そしてポイントを寄こせ」

 

『おいおい、水と食料はともかく。ポイントまでくれてやったらただ俺たちが大損するだけじゃねえか』

 

「代わりに勝利の名誉をくれてやるよ、下級生にダブルスコアでボロ負けしたクソ雑魚生徒会長って呼ばれないようにな」

 

 無線機で南雲と会話しながらも、俺は目の前で行われている課題を眺めていた。鬱蒼とした森の中に建てられた大型テントの中では、英語の課題が行われていて、アルベルトとひよりが参加しているのが見える。

 

 どちらも得意分野で、目立つライバルもいねえ、上位は固いだろうな。

 

『幾ら欲しい?』

 

「2000万だ」

 

『俺を舐めるのもいい加減にしろよ』

 

「どうした、随分と機嫌が悪いじゃねえか。ちょっとした冗談だ、笑ってやりすごせよ……それとも焦ってるのか?」

 

 ミシっと、無線機を強く握りしめるような音が聞こえて来る、かなり苛立ってやがるな。

 

 退学のリスクが無いからいざとなればリタイアすればいい、そんな考えでペース配分を乱して三年からは大勢のリタイア者が出た結果、こうして下級生まで巻き込みにかかってるんだから考え物だ。

 

 アイツ、これも計算の内か?

 

「ククク、冗談だ。500万ポイントで手を打ってやるよ」

 

『まだ高いな、せいぜい100万って所だ』

 

「そうか、なら他の所を当たれよ」

 

 どいつもこいつもタダ働きはゴメンだろうがな。

 

『まぁ待てよ龍園。冷静になって考えろ。お前もこのまま一位を独走されることは面白くないだろう』

 

 そうだな、そして二位のお前も邪魔だという言葉を呑み込んでおく。

 

「いつまでも理屈をこねくり回してるんじゃねえよ。俺たちが協力しなければ一番困るのは誰だ、テメエだろうが?」

 

『こっちは他の奴に声をかけてもいいんだぜ? 坂柳からは前向きに検討するって言われてる、そして一年からもな』

 

「そうかよ、じゃあな」

 

 そこで無線機での通話を強制的にぶった切る。その三十秒後に痺れを切らしたのか生徒会長様は再び無線通話を繋げて来やがった……ここまでわかりやすいとはな、普段ならともかく随分と笹凪を意識しているらしい。

 

『200万だ』

 

「足りねえよ600万だ」

 

『さっきより増えてるじゃねえか』

 

「そりゃさっきの話だからな、今は600万だ」

 

『……』

 

 言葉こそ発しないが、無線機の向こうにいる南雲が苛立っているのがわかった。

 

 やはり笹凪を意識しすぎだな、冷静さを欠いてやがる。

 

「ククク、だが俺は寛容だ、水と食料を増やせば500万にまけてやるよ」

 

『無い袖は振れないもんだぜ』

 

「あるだろうが、リタイアした所で退学にはならねえんだ。無能な三年のグループをリタイアさせればそいつらの物資を回せる筈だ」

 

『人手を増やす為に人手を減らしてたら意味がないだろう』

 

「水と食料を渡すのは笹凪を襲撃した後で構わねえぜ、後払いでな。テメエからしてみれば一位さえ消せればそれで言い訳はできる、違うか?」

 

『……良いだろう』

 

「悪いが口約束じゃあ話にならねえ、教師立ち合いで契約書を作るぞ」

 

『そりゃそうだ、お前は約束を守る相手には見えないからな』

 

 自己紹介か? まぁ良い、これである程度のポイントを稼げるだろう。無線機の通話を切って契約を結びに行くとするか。

 

「龍園さん、生徒会長と協力するんですか?」

 

 南雲との話が終わると、黙って話を聞いていた石崎がそんなことを聞いて来た。

 

「する訳ねえだろうが、仮に無人島にいる人間全員で襲い掛かった所で最後に立ってるのは笹凪だ。人手はある程度は用意してやるが、真面目にやればやるだけ損するんだ、批判されない程度に動いてりゃそれで良い」

 

 南雲は数を揃えて襲い掛かれば勝てると思っているのかもしれねえが、ゴリラへの理解が足りてねぇから出せた無意味な計算だ。仮にそれをやるのだとしても揃えるのは人じゃなくて銃器とかの兵器だろうが、そこを理解できていないようだな。

 

 高校生レベルの強い弱いではなく、笹凪に勝つのならば軍事力を引っ張って来なければならねえ。無駄なことに真剣に付き合うつもりは欠片もない。

 

「何人か人を見繕って南雲に送る。適当に付き合わせてそれで終いだ。どうせ笹凪は落ちねえよ。三年から水と食料とポイントを奪って疲弊させんぞ……二位の南雲も邪魔だからな」

 

「了解ッス、そんじゃあ手の空いてる奴らに声かけときます」

 

「契約の際に期限は設けるぞ、ずっと付き合うつもりも意味もねえ。一日だけのレンタルって形にしてやるよ」

 

「それで500万……ぼったくりじゃないですか」

 

「知らねえよ、困ってんのはあっちなんだからな」

 

 アルベルトとひよりが問題なく課題で上位を奪ってこちらに戻って来るのが見える。これでこっちのグループは五位まで順位を上げられたな。

 

 笹凪を意識するあまり自分が狙われている側にいることを気が付いていないようだからな、状況次第で蹴り落とすこともできるだろう。

 

 何より、こっちは集めた便乗カードの全てをアイツのグループに注ぎ込んでいるんだ、一年からも契約で固めて注ぎ込んだ結果、笹凪が一位になれば膨大なプライベートポイントが入って来る。そう言った点でも南雲に付き合うことはできねえ。

 

 どうせ坂柳も似たようなことを考えてるだろう。笹凪を潰すよりも南雲を追い込んで上位の席を空ける方が現実的だと。

 

 せいぜい稼がせて貰おうか、笹凪のポイントはあくまで保険の保険、Aクラスを目指しながらも俺は俺で8億はしっかりと引っ張ってこねえとな。

 

 

 

 

 

 

 



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襲撃

 

 

 

 

 

 

 

 

 三年生たちの動きがようやく止まったのは十日目になった段階だった。ここ数日はずっと追いかけ回したり課題に先回りしたりと、色々とやっていたのだけど、疲労と脱水症状でかなりの数のリタイア者が出たことでかなり落ち着いたらしい。

 

 この試験で大切なのはペース配分だけど、水も食料も体力もこっちのペースに合わせて動き回れば足りなくなるだろうし、やはりと言うか十日目を越えられた三年生はかなり少なかった。

 

 妨害組として動いていた彼らの大半はリタイアしているようだ。最後っ屁のつもりなのか十日目の朝が始まった時に俺たちが扱っているテントに石を投げつけて来たことが最後の妨害となり、今はもう姿すら発見できない。

 

 穴の開いたテントは放棄するとしよう。もう役に立たないし、クラスメイトの誰かから譲って貰って試験を続行すれば良い。それで片付く問題だった。

 

「随分と静かになったようだねぇ」

 

「大量のリタイア者が出たみたいだからね」

 

 この勾配が激しくて障害物も多い無人島でフルマラソンをすればそうもなる。多分南雲先輩はこっちが先に力尽きるという考えだったんだろうけど、見通しが甘すぎる。

 

 こっちは師匠に数百キロの仁王像を背負わされてずっと山の中を走り回る生活だったんだ。この程度で疲れるような改造は受けていない。

 

「フッ、だがまぁ、諦めの悪い男だろう、彼はね」

 

「まぁ諦めて二位や三位狙いに甘んじる人ではないだろうね。南雲先輩は」

 

 正直、そうするのが一番賢い選択だけど、鈴音さんが教えてくれるサーチによる情報収集によると、三年生の一部が各学年やクラスの代表者と接触しているとのことなので、頭数を揃える段階なんだろう。

 

 サーチ機能は本当に便利だな。誰がどこにいてどんな行動をしているのか一発だ。退学のリスクもないので使いたい放題だからな。

 

 まぁ、頼り過ぎて見えすぎるが故の盲目にならないように注意しないといけないけどな。腕時計を壊せばタブレットには表示されなくなる。サーチ機能を完全に信用する訳にはいかない。

 

「六助、もうすぐレスリングの課題が見えてきそうだ。お、あれかな」

 

 朝一のエリア移動で無事一位を取り、その足で近場の課題に参加する為に森の中を進んでいると、大型のテントが見えて来る。中にはマットを敷き詰めて作られた簡易のレスリング場が作られており、既に半分ほどの定員が埋められているらしい。

 

 三年生の妨害が激しかった時は先回りされて課題を受けられなかったから、少し距離のある場所まで走る必要があったんだけど、今は落ち着いているので普通に参加できそうだ。

 

 それにここに来たのは課題に参加することもそうだけど、クラスメイトからの支援を受ける為であった。三年生からの嫌がらせで石を投げつけられてテントが破れてしまったからな。

 

「あ、お~い!! 天武くん、高円寺くん、こっちだよ」

 

 レスリングの課題が行われる大型テントの近くでは、桔梗さんのグループが待っていてくれた。王さんと井之頭さんの姿もある……そして篠原さんの姿もだ。

 

「お疲れさま桔梗さん、悪いねこんなこと頼んじゃって」

 

「もう、無線でも聞いたけど良いんだよ。天武くんが頑張れるように支援するのがクラスの方針なんだから」

 

 ニコニコと笑う桔梗さんは早速とばかりに俺と高円寺に食料と水が入ったリュックを渡してくれた。彼女のグループがこれまで節約して貯めてくれていた物資である。

 

「王さんも、井之頭さんも、篠原さんもありがとう。とても助かるよ」

 

「い、いえ、そんな」

 

「うん、まぁ私たちのグループだと上位入賞は難しいだろうしね。それなら笹凪くんたちに譲った方が良いだろうしさ」

 

 王さんと井之頭さんはそう言って少しだけ照れたような顔をしている。

 

「篠原さんも沢山手伝ってくれてね、魚を釣るのが凄く上手で節約が捗ったんだ、ね? 篠原さん」

 

 意外な特技である、篠原さんは釣りが上手かったのか。

 

「ベ、別に上手って訳でもないけど、ほら、池が色々やってて教えてくれたから」

 

 なるほど、確かに池も釣りが上手かったな。確か釣りの課題では一位を取っていた筈だ。

 

「私たちはポイントを得るよりも食料を貯めることを中心に動いてたから、篠原さんがいてくれて本当に助かったんだよ。おかげで食料は沢山あるからきっと役に立つと思うな」

 

 ニコリと笑う桔梗さんはずっしりとした重みのあるリュックを渡してくれた。

 

「本当にありがとう。大きくポイントが貰える課題は報酬で食料や水を貰えることが少ないから大真面目に助かるよ。多分だけどこれだけあれば最終日までは無補給でいけそうだ」

 

 それの何が良いって、食料の報酬を無視して高得点の課題を狙い撃ちできるということだ。つまりここから先はラストスパートである。水や食料を得る為にポイント報酬の低い課題を受ける必要がない。

 

 桔梗さんたちもかなり節約していたんだろうな。もしかしたら篠原さんが釣った魚だけで過ごした日だってあるのかもしれない。

 

「まぁ、何もできないままリタイアにならなくて良かったかな。リタイアするにしたって多少は仕事したって思いながらじゃないとね」

 

 篠原さんもどこか満足そうなので、あそこでリタイアしなくて良かったと思ってくれているようだ。

 

 彼女たちは俺たちに物資を渡したことでここでスッカラカンとなってリタイアすることになるのだけど、彼女たちの物資は俺たちを活かす。素晴らしい連携であると思う。

 

 三年生たちの投石により穴の開いたテントも、桔梗さんたちが使っていたものを使えば問題ない。

 

「フッ、見ていたまえ、私の躍動をッ!!」

 

「え、えっと、頑張って、高円寺くん」

 

 レスリングの課題を受けることになった訳だけど、六助が王さんの前でサムズアップしてやる気を迸らせている。

 

 急にどうしたんだろうか? これまでもやる気はあったけど、ここまで元気なのは初めてのことだ。何だったら試験初日よりも気合が入っているかもしれない。

 

 まぁやる気があるのは大いに助かるのでありがたいことだ。レスリングの課題に参加した一年生たちを薙ぎ払って同着一位を得たことで女性陣からも感心されることになる。

 

 レスリングの課題で得られる報酬は食料と水、或いはポイントの増大なのでここは後者を選んでおく。もし前者を選んだ場合は得られるポイントが少なくなるという課題なんだけど、桔梗さんたちのおかげで物資は潤沢なので何も問題はない。

 

 この試験、やっぱり変に気取ったり細かな作戦を立てるよりは、リソースを一つに纏めて真面目に進めるのが一番勝率が高そうだよな。

 

「わぁ、凄いね二人とも、あっという間に勝っちゃった」

 

 桔梗さんは死屍累々となったレスリング場を見て感心するやら呆れるやら、色々と複雑な表情をしながらも褒めてくれた。

 

「強敵もいなかったから楽だったよ」

 

「そう? 天武くんなら龍園くんや山田くんが相手でもポイポイ投げちゃいそうだけど」

 

 できそうだ。特に山田は投げごたえがありそうな体をしているけど、この試験でまだ一度も戦ってないんだよね。

 

「でも良かった。もう十日目だから流石の天武くんも疲れて来てるかなって思ってたけど、この分ならこのまま一位を取ってくれそうだね。ふふふ、船に帰ったらクラスでお祝いしよっか?」

 

 ニコニコと笑ってそう言って来る桔梗さんは、自分たちが使っていた折り畳みテントを渡してくる。

 

「まだ気が早いって、安心するのは試験が終わったその瞬間だろうからね。ただ、こうして桔梗さんも力になってくれたんだ、全力で勝ちに行くよ」

 

「ふふふ、そうだねぇ、天武くんは私のおかげで勝てるんだよねぇ」

 

 ニコニコとした笑顔からニヤニヤとした笑顔へと変わった桔梗さんは、俺の耳元に顔を近づけてこういった。

 

「これは貸しだね。うん、間違いなく」

 

 別に食料や水やテントを分けてくれたのは桔梗さんだけの功績でもないんだけど、ここでそれを指摘するのは野暮なんだろうな。

 

 師匠曰く、男は女に翻弄されるくらいで良い。何だかんだで下手に出るくらいで丁度良いらしい。

 

「あぁ、桔梗さんのおかげで戦っていける」

 

「素直でよろしい」

 

 まぁ何だかんだで機嫌は悪くなさそうなので俺は嬉しくある。イライラしているよりも笑顔の方が素敵な人だからな、彼女は。

 

 まだ清隆や鈴音さんを退学させる気なのだろうかという疑問はあるんだけど、多分だけど桔梗さんはそういった話題をすること自体を嫌う人なので放置で良いだろう。

 

 何かするつもりなら阻めばいい、その上で俺は彼女すらも守ると決めているんだ。結局の所、俺はただやるべきことをやればそれで問題ないというだけの話だった。

 

「六助、そろそろ次のエリアに向かおうか」

 

「ふむん? これからが本番なのだがねぇ」

 

 王さんと井之頭さん、そして篠原さんにサイドチェストを見せつけて、変な感心を集めていた六助を呼び戻して移動するとしよう。圧倒的な大差を二位以下と付けてはいるけれど、それで油断するとただ間抜けなだけなので全力で挑むしかない。

 

 とりあえず桔梗さんたちのおかげでおそらく最終日まで食料も水も補給せずに進んでいけそうなので、ここからのラストスパートは問題なく走っていけるだろう。

 

「それじゃあ皆、支援ありがとう。必ず勝つから船で休んでいてね」

 

「頑張ってね笹凪くん、高円寺くんもね」

 

 篠原さんがそう言うと、女性陣の激励が続いた。

 

 そんな彼女たちの声援を背に受けて走り出す。試験も十日目となり、いよいよラストスパートの始まりである。

 

「やっぱりアレだね、女の子から応援されると元気が出る。不思議なものだ」

 

「ほう、マイフレンドにも年相応な部分があるじゃないか」

 

「そりゃあるさ、俺はサイボーグでもなければアイスマンでもないんだ。単純なもので女の子の前でカッコつけたい気持ちもあるし、応援されれば調子にも乗るさ」

 

「ハッハッハッ、それで良いのだよ。君の場合は多少幼稚なくらいで丁度良さそうだ」

 

 共に無人島を駆けながらそんな会話をして、ランダム指定された指定エリアに踏み込むと、無事に一位を得られたことを知らせてくれた。

 

 試験も十日目に入りそろそろラストスパートだ。そして現状で二位とはダブルスコアを超えるほどの差があるのでここから正攻法での逆転はまず不可能だ。

 

 七日目の雨の日に試験と課題が中止になったことで、最終日の得点が倍になると学校側から発表があったのだけど、そういう問題ではないくらいの差である。

 

 他のグループはこう考えるだろう。もう勝てないからリタイアさせて逆転を狙うしかないと。

 

 誰だってそう考えるし、現実的にそれ以外の方法で今から勝つことは難しいだろう。

 

 俺だってそう思うのだから、当然ながら他の人たちだって同じことを考える。

 

 特に、二位に甘んじている南雲先輩からしてみれば、その手段で戦えるだけの立場と命令を下せるので、より現実的に思えるのかもしれない。

 

 もしかしたら今頃、一人でも多く頭数を揃えようと交渉しているのだろうか? うん、普通にありそうだな。

 

 後半戦になると基本移動で一位を取れることが多くなったと思ったけど、別に前半戦でもそれは変わらなかったか……けれど人の動きは明らかに鈍くなったと感じられる。

 

 やはり疲労が濃くなってきたということだろう。基本移動で一位を取ることを目指すよりは、あまり体力を消費しない課題などでポイントを稼いでいくことにシフトするグループが多くなってきたということだろうか。

 

 それはそれでありがたい話である。こっちはまだまだ元気一杯だからな。

 

「ふむん?」

 

 さて近場の課題で一番ポイントを稼げるのはどこだろうかとタブレットの画面を確認していると、六助が顔にかかる前髪を掻き上げて整えながら何やら視線を険しくしている。

 

「マ~イフレンド」

 

「あぁ、空気が変わったね……匂いもだ」

 

 眺めていたタブレット端末をタオルにくるんで壊れないようにリュックの中に押し込む。

 

「ん……来るね」

 

 それはほんの僅かな異変だった。この無人島に生息する小さな虫や小動物の動きの変化であったり、風に乗って届く匂いや音であったり、或いは肌で感じ取る何かであったりと理由は様々である。

 

 耳に届く草木を掻き分ける音、荒い呼吸音、土と葉と小枝を踏む足音、人が人である以上は隠すことのできない気配は俺たちを囲むように近づいてくるのがわかった。

 

 九号のような隠形能力を持たない生徒たちの集団移動は、確かな異変となって俺と六助の索敵範囲に踏み込んで来たらしい。

 

「50、60……いや、70前後って所かな」

 

「だとすれば数が合わないとは思わないかね? 三年生は男子は既に多くが脱落しているのだからねぇ。レディを荒事に動かしたという訳でもないだろうし……ふむ、援軍を引っ張って来たということかな、サウスクラウドボーイは」

 

「まぁ俺たちに消えて欲しいのは何も南雲先輩だけじゃないだろうから、不思議なことでもないけど」

 

 一年や二年だって共通の敵という口説き方をすれば引っ張って来れる可能性は十分にある。

 

 タダ働きは嫌だという坂柳さんや龍園の姿が思い浮かぶ。そもそもあの二人は俺に一位を取って貰わないと困る戦略だという推測ではあるんだけど、その辺はどう思ってるんだろうか。

 

 南雲先輩の協力者は誰で、その共同戦線を作る為にどれくらいの出費を受け入れたのかは知らないけど、下手しなくても家計は火の車になるんじゃなかろうか……もしかして南雲先輩は勝てれば全て支払えると考えている可能性もあるのかな。

 

 学年全ての便乗のカードを一点集中している筈なのでまぁ間違った認識ではない。勝てれば大損にもならない。勝てればな。

 

 パキッと、小枝を踏み折る音がハッキリと耳に届く、いよいよ来るか。

 

「六助、覚悟は?」

 

「フッ、愚問だとも」

 

「よし、悉くを凌駕して叩き潰す……あぁ、でも、大怪我だけはしないように、そしてさせないようにして欲しい」

 

「やれやれ甘いことだと思うのだが……いや、そもそもそれは私のセリフだとも」

 

「それはどういう意味だい?」

 

「勢い余って、という状況を心配しているのさ」

 

「おいおい、そんなことある訳ないだろう。俺はそこまで乱暴者じゃない」

 

「……」

 

 六助は何を言っているんだ君はと言いたそうな顔をする。

 

 まぁ良いさ、俺への誤解はこの局面をスマートに乗り越えることで証明するとしよう。

 

 俺は九号みたいにゴリラ全開な感じで物事を解決することはない。一人の成熟した責任感のある男として冷静かつシンプルに解決するだけだ。

 

 そう、俺は冷静な男、一年生だった頃よりもずっと成長して大人に近づいたのだ。

 

 去年は色々あった、その様々な経験が成長させてくれたのは間違いない。そもそも何もかもを暴力で解決しようというのはあまりにも幼稚で短絡的だと思う。

 

 

「ふんッ」

 

 

 けれど、そんな俺の決意は、こちらに投げつけられて来た石を受け止めて、頭で考えるよりも早く師匠モードの俺が勝手に投げ返してしまったことで、無に帰してしまうのだった。

 

 六助からは、ほれ見たことかと呆れたような顔をされてしまう。

 

 いや、違うんだ……師匠がこうしろって教えて来たもんだから、それに師匠モードの俺が勝手に……。

 

 言い訳だな……もう開き直ろう。結局俺はゴリラってことなんだろう。

 

 

 まぁあれだ、大怪我をさせたり死なせたりしなければ、それはきっとスマートな解決ということなんだと思う。

 

 師匠曰く、結果良ければ全て良しとのこと。

 

 とりあえず襲い掛かって来る全員を叩きのめしてから反省しようか。

 

 

 

 

 



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見せてやるよ、本物の強さって奴を

 

 

 

 

 

 

 

 

 南雲視点

 

 

 

 

 舐めていたと、今になって思う。

 

 優秀な奴だとは理解していたし、飛びぬけた身体能力を持っているとも認識していた。堀北先輩が気に掛けるくらいに頭も回る奴だと。

 

 莫大なポイントと、それを惜しげも無く運用する発想力もある。現に入学当初こそDクラスだったが今ではAクラスに迫れるようになったのは、間違いなくアイツがいたからだろう。

 

 笹凪天武、間違いなく二年生では最高の総合力を持つ相手だ。遊び相手には十分だと考えていたし、実際にアイツはこっちの想像を超えて躍進している。

 

 だがそれでも負けないと心のどこかで思っていたのは、きっと俺が強者との戦いを知らなかったからなんだろうな。

 

 今にして思えば、自分より強い相手と本気で戦ったことがない。堀北先輩は何だかんだで戦いの場に立つことはなかったし、鬼龍院はやる気がない。片手間で戦って勝てる相手としか戦ってこなかった弊害ってことか。

 

 だから俺は、試験の序盤は遊んでいた。幾ら笹凪でもこの長丁場の試験で最初から最後まで走り回ることはできないだろうと考えて、その結果がこれだ。

 

 手元にあるタブレット端末を眺めると、一位の笹凪は既に678ポイントを稼いでいるのが確認できる。二位の俺はまだ300に届かないくらいなので、ダブルスコアどころか試験終了時にはトリプルスコアを付けられていてもおかしくはない。

 

 アイツらの体力が異常だ。高い身体能力を持っているのはわかっていたが、その理解があまりにも浅いことを痛感するしかないだろう。

 

 あれは運動能力が高いんじゃない、ただ単純に怪物なだけだ。休憩も様子見もペース配分も無視してずっと走り回って課題を粉砕しながらほぼ確実にエリア移動では一位で到着する。

 

 優れているのではなく、何かがぶっ壊れて測り切れない存在だとわかっていれば、初日からリタイア覚悟の特攻をしたんだが、今更後悔しても遅いか。

 

 もう正攻法での勝利は不可能だ。ここに来てアイツらの体力が尽きて倒れるだなんて現実感のない妄想はしない。勝つのならば強制的なリタイアしかない。

 

『ねぇ雅、焦ってない』

 

「安心しろよなずな、俺は冷静だ」

 

 無線機の向こうからグループを任せているなずなの声が届く。

 

『本当に? 冷静な人って他人を襲撃したりしないと思うけど』

 

「襲撃じゃなくて妨害だ」

 

『……屁理屈言わないでよ』

 

「こっちのことは良い、お前はグループに集中しろ。笹凪がリタイアすれば一気にトップ争いが苛烈になるぜ。坂柳も龍園も今は味方だが、それも今日だけの契約だ」

 

 そしてもう三年生男子の多くがリタイアしているので、体力面でもかなり厳しい状況になる。ある程度はなずなに任せて課題では上位を独占できるだろうが、基本移動では厳しい戦いになるかもしれない。

 

「そっちは任せたぞ……俺たちは勝つ、勝たなきゃダメなんだ」

 

『雅、今からでも遅くない。変にちょっかいかけずに二位や三位狙いに絞るべきだと思う』

 

「それは敗北だ……二位や三位じゃ意味がないんだよ。一位以外はゴミだろ」

 

 そうだ、勝てないから二位や三位で満足するなんてのはどうしようもない役立たずの思考だ。俺は誰よりも強いという証明をする為には一番以外の数字に意味はない。

 

 俺が裸の王様でないと証明するには、誰よりも強くなければならないんだ。

 

 無線機での通話を終えて俺は近づいて来た手下、桐山の報告を聞いた。

 

 神経質そうで、苛立ちを隠しながらも完全に消せてはいない。桐山はいつだってそんな顔をしている男だ。もっと俺のように余裕を持った方が良いだろうな。

 

「南雲、二年も一年も集まった」

 

「よし、とりあえず全員腕時計を壊せ」

 

「……理由は?」

 

「どうせ笹凪はクラスメイトから細かく情報を貰ってる筈だ。こっちの動きも筒抜けだろう。だがタブレット端末でのサーチは見えすぎるが故の盲目になる」

 

「サーチ機能から身を隠して奇襲するということはわかった」

 

「加えて言うのなら、保険でもある」

 

「保険?」

 

「俺たちがやろうとしてるのは言ってしまえばルール違反スレスレの行為だぜ? ことが露見すれば学校側も問題にするだろう」

 

「今更取り繕ってどうする。俺たちがやろうとしているのはタダの暴力だ」

 

「言い訳や保険は必要だって話だ……まぁ尤も、笹凪は学校側に訴えることはしないだろうがな」

 

 一人でも多くを救って守ることで実力を証明するという、この学校の方針を真正面から蹴り飛ばそうとする奴だ。自分が関わったことで大量の退学者が出たという状況は避ける。アイツはそういう男だ。

 

 だが、もし、その計算が狂って笹凪が学校側に訴えた時に備えての腕時計の破壊でもある。

 

「考えてみろ、もし笹凪が学校に訴えたとしても、この無人島で誰がどこで何をしていたのかを証明することはできないだろ。学校側の判断材料は腕時計のGPSで得た位置情報だけだ」

 

 そして監視カメラの無いこの無人島では言ってしまえばそれだけが「客観的な事実」でしかない。

 

 腕時計を壊してGPS機能を無くせば、誰がどこで何をしていたのかを証明するのは一気に難しくなるだろう。

 

 その数が多くなればなるほど、事実の証明はより難しくなる。

 

 仮にもし、証明が出来たとしても関わった人数が人数だ。一度の試験で70人以上の生徒が暴力事件で退学になりましたなんてことになれば困るのは学校側だ。

 

 そういった意味でも、俺たちのやろうとしていることは最後にはうやむやになる。そもそも俺の知る笹凪は向かってくる相手を正面から叩き潰すことはしても、学校側に泣きつくような男じゃない。

 

「襲撃に関わる奴には腕時計の破壊を徹底させろ。事実の証明を難しくすることもそうだが、もしことが露見しても人数が多くなればなるほど、学校側はうやむやにしたくなる筈だ……一人二人なら学校側も特定や証明は簡単だろうが、何十人もの生徒が行動不明なら幾らでも言い訳できるしな」

 

「わかった」

 

 納得しているのかいないのか、いつも通り複雑な感情を僅かに顔に出しながら、桐山はその場で頷いて見せる。

 

「今回の襲撃を成功させたらお前をAクラスに上げてやるよ」

 

 そして餌を用意するのも忘れない。変に笹凪寄りになられても困るからな。

 

「約束できるのか?」

 

「なんだったら誓約書も作ってやろうか? だからしっかり働け」

 

 すると桐山はわかりやすく集中力を高めるのがわかった。現金な奴だとは思わない、俺を前にすればその反応がとても正しいからだ。

 

 まぁ、笹凪が俺に媚を売って来る姿は想像できないが……。

 

 それはつまり、強敵ということだ。その事実にもっと早く気が付いておくべきだったんだろうな。エンジンをかけるのが幾ら何でも遅すぎたってことか。

 

 現場を指揮する為に滑り台ほどの斜面を慎重に下りていき、この無人島の鬱蒼とした森の中に姿を消していく桐山を見送って、俺は静かに深呼吸をした。

 

「……ガラにもなく緊張してるのか、俺は?」

 

 高鳴る心臓の鼓動はしっかりと感じ取れる、喉も乾いているし、足先は忙しなく貧乏ゆすりを繰り返しているな。

 

 こんなことは初めてだ。いつだって余裕で、どんな時でも楽々と勝って来たから、本当に経験の無い感覚だった。

 

 タブレットの画面を確認して笹凪と高円寺の現在地を示す光点を確認する。そして画面を確認していると大勢の生徒たちの光点が消えて行くのが確認できていく。

 

 どうやら腕時計の破壊が始まったらしい。これで笹凪にも学校側にも誰がどこにいて何をしているのかが見えなくなったということだ。

 

 このまま笹凪と高円寺を包囲していき、一気に襲撃してリタイアに追い込む。やることはとてもシンプルだろう。

 

「悪いな笹凪、だがこれも強さの一つだ」

 

 認めてやるよ、お前は俺を緊張させるくらいに強い。だがただそれだけの男だ

 

 最後に勝つのは俺だ。お前の強さは結局の所個人で積み上げられる限界でしかない。金メダリストでも大勢に囲まれれば勝てない、プロの武術家だろうと集団にリンチされれば一方的な戦いにしかならない。

 

 お前は俺が思い描く実力主義の理想とも言えるのかもしれないが、だからと言って膝を折る訳にもいかないんだよ。

 

 人を従え、意のままに操り、奉仕させることもまた強さの一つだ。強すぎるが故に集団が付いていけない孤独なお前にはできないことだ。

 

 この試験でたった二人で挑むということは、お前に付いていける奴がそれだけしかいないってことだろう。だが俺は違う、大勢の弱者を従えて運用できる王の戦いができる。

 

 それはお前にはない力だってことを教えてやるよ。

 

 ただ飛びぬけた能力を持っているだけじゃできない、強者の器を持つからこそ可能な戦い方がある。見ろよこの人数を、お前に同じことができるのか?

 

 タブレット端末の画面に映る笹凪と高円寺を示す光点は、今は動きを止めているのがわかる。休憩をしているのか、それとも作戦会議をしているのかわからないが、今お前たちは包囲されているんだぜ?

 

「せいぜい足掻いてみせろ」

 

 アイツらを囲むのは全学年合わせて約七十人。それだけ集めるのにかなりの出費を受け入れなくてはならなかったが、それができるのもまた強者の振る舞いだろう。

 

 お前は大量のポイントを持っているのに他者を従えることをしなかったな。いつも誰かを救済する為に使おうとしているようだが、それは王の戦いじゃない。

 

 本当に強い者は、誰かを従える為に資金を注ぎ込むものだ。

 

『南雲、包囲ができた……最終確認だが、本当にやるんだな?』

 

 無線機から桐山の声が届く。大きく局面を動かせるような奴じゃないが、現場レベルで動かせば抜群に相性がいい奴なので、下手なミスはしないか。

 

 こうして最終確認を求めて来るのも、責任のありかを俺に押し付けるという意味もあるんだろうが、俺に指揮をさせて勝ったという実感を持たせたいと言う考えもあるんだろう。桐山はおよそリーダーには向いていないが、誰かの手下になった時は本当によく動く。

 

 堀北先輩もそれがわかっていたんだろうが、生徒会は社会のリーダーとなる人材を集めて育てるという場所でもあるので、誰かの部下である時が一番パフォーマンスを発揮できる男にはそもそも似合っていないんだよな。

 

 桐山は俺に面従腹背だが、皮肉なことにそんな立場だからこそ最も力を発揮できるのだからおかしな話だ。

 

『聞こえているのか、南雲』

 

「聞こえてる、急かすなよ。少しくらいは余韻を楽しませてくれ」

 

『余韻?』

 

「強敵を倒して、俺の力を証明できる瞬間を噛みしめてるんだよ」

 

 この緊張も、胸の高まりも、僅かな焦りも、全ては勝利を彩るスパイスということか。

 

『油断が過ぎるぞ。笹凪も高円寺も強敵なんだ』

 

「言われなくてもわかってるっての、だがこれだけの数に襲い掛かられて勝てる人間はいないだろ。桐山、お前はそれができると思ってるのか?」

 

『……勝てる勝てないの話はしていない。まだ笹凪も高円寺も倒れていないという事実を指摘しているだけだ』

 

「あぁ、そうだな、十分後はどうなってるかわからないが」

 

 どれだけ笹凪の身体能力が優れていようとも、そういう次元の戦いでは無くなるのが数という力だ。ただ走り回るだけならマラソン感覚で勝てるのかもしれないが、襲撃となるとまた話が異なる。

 

「充実してるってことなんだろうな、これが対等な戦いって奴か」

 

 そう考えると、片手間で勝てる戦いの何てつまらないことか。これが俺の求めていた戦い、状況ということなんだろう。

 

「さぁ、楽しませてくれよ」

 

 無線機の向こうで今か今かと指示を待つ桐山が焦れているのがよくわかったので、俺はこう伝えることになる。

 

「やれ、桐山。生意気な下級生をわからせてやれ」

 

『わかった、お前の指示に従う』

 

 こっちの指示だという部分を強調する辺り、こんな作戦に関わっているのに変な所で冷静な奴だ。

 

 しかしもう賽は投げられた。後はただ二人の人間を襲撃して蹴り飛ばすだけの時間だった。

 

 緊張もある、だが安心感もあり、今では喉の渇きも心臓の高鳴りも心地よく絡まって充実感へと変わっているのが実感できてしまう。

 

 これが勝利、これこそが戦い、人生に必要なスパイスだ。

 

 余裕綽々で片手間の勝利を得るんじゃない、焦りと緊張を感じながらの勝利こそが俺の人生には必要だったってことだろうよ。

 

 感謝してやるよ笹凪、お前は俺に充実した時間を与えてくれたのは間違いないんだからな。

 

「勝つのは俺だ、笹凪」

 

 ここからでは現場の様子なんて見えないが、それでも俺は前のめりになって広がっている無人島の深い森を覗き込む。

 

 緩やかな小山の上なので視界は開けているのだが、覗き込んだ所で笹凪たちが見える訳でもない。それでも逸る気持ちがそうさせてしまったのかもしれない。

 

 おそらく現場は荒れに荒れているんだろうが、こちらは穏やかで静かなものだ。或いはそれこそが真の強者のあるべき姿ということだろうか。

 

 人を支配して動かし結果をもぎ取る。それはお前にはできない戦いだってことだ。

 

「お前は知らないんだろうな……これが本物の強者って奴だ」

 

 倒れ伏し、敗北して俺を見上げる笹凪を想像すると、これ以上ないくらいの充実感に包まれるのがわかる。

 

 興奮にニヤついて、心地いい熱に震えてしまう。

 

 

 

 だからこそ気が付かなかったのかもしれない……背後から近づいてくる誰かの存在に。

 

 

 

「がッ!?」

 

 背中に衝撃、それを感じ取った瞬間に、天地がひっくり返って俺は斜面を転がり落ちていくことになる。

 

 誰がとか、痛いだとか、どうすればとか、色々と思う所はあったが、斜面を転がり落ちてグルグルと回転する視界の中では何一つとして意味の無い思考であった。

 

 こうして俺は試験をリタイアすることになる。意識を取り戻したのは船の医務室であり、何が起こったのかは最後までわからないままだった。

 

 

 

 

 

 

「見えすぎるが故の盲目だな。サーチ機能は便利だが、タブレットの画面ばかりを見てるからそうなる」

 

「お~、派手に転がっていったッスね。容赦のないことで」

 

「敵の指揮官が一人でフラフラしてるんだ、討ち取ってくれと言ってるようなものだろ」

 

「まぁそうッスね。でもウチならともかく綾小路パイセンがこんな事して大丈夫なんッスか?」

 

「問題ない、今この無人島では大勢の生徒が腕時計を壊した状態で活動している。行動不明の生徒が増えれば増えるほど、画面しか見ていない学校側が容疑者を絞るのは難しくなる」

 

「そういうもんッスか」

 

「それに南雲はこの試験で一番面倒な相手だ、この辺で処理しておきたかった」

 

「それって今転げ落ちて行った人のタブレット端末でやがりますか?」

 

「あぁ、せっかくだからサーチ機能を使ってポイントを全て消費しておこう。南雲グループの逆転の可能性を完全に潰しておきたい。坂柳との契約でもあるからな」

 

「パイセンって性格が悪いって言われません?」

 

「いや、初耳だ」

 

「まぁ何でも良いんッスけどね。それより腕時計の交換はいつするんでやがりますか?」

 

「喉も乾いて来た、港に戻って暫く休む。交換はその時にするつもりだ」

 

「了解ッス」

 

 

 

 

 

 



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勝ったな、ガハハ

 

 

 

 

 

 

 

 とある三年生視点

 

 

 

 

 

 

 何が悪かったんだろうと、今になって思う。

 

 目の前で繰り広げられる光景は、どこか現実感が無くて漫画や映画の中の世界のように見えてしまう。

 

 暴力が人の形をしていたら、もしかしたらあんな感じなのだろうか。

 

 だってそうだろ、どれだけ鍛えた人間でも大勢に囲まれればどうしようもない。そりゃ最初の一人二人、或いは三人や四人くらいならどうにでもできるかもしれないけどさ、何十人って規模になればどうしようもない。

 

 ましてや相手は素手だ、こっちだってそれは同じだけど太めの木の枝を持った奴とか、そこらへんで拾える石を持った奴もいる。けれど何もかもが上手くいかなかった。

 

 けれどアイツは、笹凪は、一歩踏みしめる度に大地を蜘蛛の巣状に割り砕いて、何気ない動作で樹木を薙ぎ払っていく。

 

 今も、木の後ろに隠れていたクラスメイトをその木ごと殴って吹き飛ばしている。

 

 それほど強い勢いで殴っているようにも見えなかったけど、そいつが姿を隠していた木は内部から破裂したかのように弾けて盾の意味をなくし、後ろに隠れていた奴を吹っ飛ばす。

 

 何でこうなったんだろうか……ついさっきまで「勝ったなガハハ」と笑っていたのに。

 

 南雲の指示で三年生の男子の多くが二年の笹凪グループの妨害に回ったことは知っていた。俺は課題を埋める組だったから関係が無かったけど、アイツらを追いかけ回してた奴らは水不足と疲労でリタイアしてしまい、南雲の奴は急遽一年と二年からも人を集め出した……結構な額を払ったらしい。

 

 当然反発もあったさ、だってアイツの下に集まるポイントはアイツのいう実力のある奴をAクラスに上げる為にあるポイントだ、二位と三位で妥協してれば使う必要もないのにわざわざ下級生に渡す必要はない。

 

 けれど、内心でそう思っても口には出せないのが俺たち三年生だった。男子は根性無しばかりだし、女子は馬鹿ばかりだし、そんなどうしようもない集団に腰かけてるのが南雲だからな。

 

 だから何も言わずにただ従うだけ、それが俺たち三年生の生存戦略……馬鹿にしてるけど俺だってその媚び売る側の一人だ。毎月毎月せっせと南雲にポイントを渡していくだけだ。

 

 こうして二年の笹凪を大勢で襲撃するのだって、その媚を売ることと本質は変わらない。

 

 負けるとは思っていなかった。そりゃ笹凪は学校でも有名で、体育祭でも世界記録を連発するような奴だけど、これだけの人数で囲めばどうすることもできないって思ってたんだ。

 

 同じように襲撃に駆り出されたクラスメイトはヘラヘラ笑いながら南雲から私物を借りるのを妄想してたし、違うクラスの男子はこれで南雲の覚えも良くなるだろうと内心では考えてたのかもしれない。

 

 

 まぁ尤も、その二人はたった今、キリモミ回転しながら吹き飛んでいったけどさ……。

 

 

 死んでないよな? いや、高円寺が地面に落下する直前で受け止めてたから大丈夫そうだ。

 

 何をしたのかはわからない、ただ笹凪の姿がブレたかと思えば、あの二人は吹き飛んでいた。

 

 誰も追いつけない、立ち向かえない、本当に気が付けばバタバタと倒れて行って、叩き伏せられていく。

 

 アイツの一挙手一投足が動く度に誰かが倒れるか吹き飛ばされるかの二択だ。

 

 たった二人の下級生を襲撃してリタイアさせる簡単な仕事の筈だった。けれど一緒に行動している二年はやる気が無いし、これじゃあ数を集めた意味がないだろ。

 

 やる気のある三年生の体力自慢は我先にと突っ込んで叩き伏せられるだけだ……なんだアイツら、普段は南雲と一緒にデカい顔してる癖に。

 

「おい二年!! 何やってんだよ、ぼ~っと立ってるだけかよ!?」

 

 少し離れた位置からAクラスの奴がそんなことを叫んでいるのがわかった。アイツの視線の先には今回限りの共闘関係である二年生がいるのだが、最初からどこかやる気を感じられない連中だった。

 

「はいはい、わかりましたよっと」

 

 急かされたからだろうか、その二年生たちは持っていた石を笹凪と高円寺がいる方向に投げつけるのだが、それはアイツらに命中することはなく、それどころか近くにいた三年生のこめかみに当たる始末だ。

 

「味方に当たってんだろうが!?」

 

「いや、そんなこと言われても困るっての、投げろって言われたから投げただけだし、寧ろあの三年生が邪魔しなきゃ笹凪に当たってただろ今のは」

 

「屁理屈ばっかこねてんじゃねえよ!!」

 

 やる気の無い二年生と笹凪にビビりまくっている三年生のそんなやり取りを見て、俺は最初からこの襲撃が破綻していることを静かに悟る。

 

 一年はどうだとキョロキョロしながら探してみると、半分は叩きのめされて、もう半分は怯えているのか遠巻きに眺めるだけだ。

 

 一応は、仕事をしてますという言い訳作りの為なのか、石を投げてはいるがそれだけだ。笹凪は背後から投げつけても何故か回避するので意味はなく、寧ろこちらも三年生に当たることが多い始末である。

 

 おいおい、70人近くいるのに、まともに働いてるのは三年だけじゃねえか、なんだよこれ。

 

「それより先輩、笹凪がこっちに来てますよ」

 

「あ――――」

 

 上級生を舐め腐った態度で嘲笑う二年に、何かを言い返す前にその体が吹き飛ぶ。俺と同じように背中を木に預けて身を隠していたのに、その木ごと吹き飛ばされてしまう。

 

 なんで笹凪は正拳突きで木を爆発させることができるんだ? これじゃあ盾の意味がないだろ。

 

 体力自慢は初手で叩き伏せられて、背後から襲い掛かる奴は高円寺が同じく叩き潰す、石を投げつけても当たらないし、なんだったら正確に投げつけられてしまう。

 

 いつのまにか、襲い掛かる側だった俺たちは、笹凪から逃げ惑って狩られる側になっていた。

 

「ひッ」

 

 まだ生き残っていた三年生の一人がか細い悲鳴を上げている。そいつは吹き飛んできたクラスメイトを見て腰を抜かしており、尻餅をついてズリズリと後退して逃げようとするのだが、いつの間にか背後に立ち塞がっていた高円寺に止められてしまう。

 

「おやおやボーイ、どこに行こうというのかね? せっかくだから最後まで付き合っていくと良い。賢者は歴史から、愚者は経験からで学ぶらしいからね、二度とこのようなことが無いように、しっかり学んで行きたまえよ」

 

 そんなことを言いながら高円寺はそいつの襟首を掴んで猫のように持ち上げると、何でもないように笹凪へと投げつけてしまう。

 

「ヘイッ、マイフレンド、追加だ」

 

 運動部でそれなりに恵まれた体格をしているのに、高円寺はまるでキャッチボールでもするかのような感覚である。アイツはキリモミしながら回転して笹凪がいる方向に飛んでいって、最後には蚊でも払うかのような動作で地面に落とされてしまった。

 

 せめてもの配慮なのだろうか、高円寺が投げ飛ばしてしまった三年生を迎撃する笹凪の裏拳は少しだけゆるやかだったようにも思える。

 

「やれやれ全く、襲われているのは俺たちなんだけどね。蜘蛛の子を散らすように逃げられても困るな」

 

「ふむん、二年と一年からはあまりやる気を感じられないようだねぇ」

 

「なら何で参加したって話なんだけど……まぁカモ扱いされたのかな」

 

 そんな会話をしながら笹凪は力強く地面を踏みつける。するとそこを中心に地面が蜘蛛の巣状に割り砕かれて大きな揺れが感じられた。

 

 次の瞬間に木の上で身を隠していた三年生がボトっと落ちて来る。

 

「ま、ま、待て……な? 少し落ち着こうぜ?」

 

 南雲と割と近い位置にいる奴だったし、おべっかと媚を売るのが得意なAクラスの男子生徒だ。胡麻をする動作が何とも似合う奴であるが、いつも南雲にやってるであろうそれを今は笹凪にやっているのはどうなんだろうか。

 

 情けないとしか言いようがない上級生の姿を見下ろして、笹凪は呆れるでもなく侮るでもなく、それどころか注意深く観察しながらこんなことを言った。ある意味とても無慈悲で絶望を知らせる言葉を。

 

「すみません、敵対者には教訓を与えるべしと師匠に言われているので、せめて拳骨一発くらいは貰ってください。大丈夫、俺は九号と違って手加減を習得しているので」

 

「い、いや、違う、そうじゃなくてさ――」

 

「大丈夫、何も痛めつけようという話ではありませんよ。ただ軽率な行動をもうしないようにという教訓を得て欲しいんです」

 

 容赦があるのか無いのかよくわからないことを言いながら、笹凪は後ずさりして逃げようとしている上級生の頭に拳骨を落とす。

 

 するとそいつは地面にめり込む勢いで倒れ伏す……手加減したんだよな?

 

「さて、次は……あぁ、どこへ行こうというのですか、桐山先輩」

 

 不思議な色を宿した、テールランプのように光の尾を引く笹凪の瞳は、ギョロっと蠢いて鬱蒼とした森の一角を見つめる。冷たく刺すような迫力と共に呼び止められると、逃げ出そうとしていた桐山の足も止まってしまう。

 

「桐山先輩、貴方が指揮官ということでよろしいですか?」

 

「……そうだ」

 

 黙っていた所でなんの意味もないと思ったのか、渋面を作りながらも桐山は肯定していた。その潔さは事が始まる前に発揮して欲しかったんだが……。

 

「どうしてこのようなことを?」

 

「わかりきっていることだろう。お前を倒さなければ三年生は大きな損失を被る」

 

「あぁ、そう言えば、学年中の便乗カードを南雲先輩に注ぎ込んでいるんでしたか」

 

「知っていたのか」

 

「この試験で最大のポイントを稼ぐには、一位で突破してかつ一枚でも多くの便乗カードを集中させることしかありませんからね。仮にもし南雲先輩のグループが勝てばメンバー全員に100万ポイントが与えられてそれだけで700万、加えて注ぎ込んだ便乗カード一枚辺り50万が貰える……学年全体で50パーセントに入った報酬も足せば2000万くらいは届きそうか」

 

「そうだ、その分、俺たちにはチャンスが回って来る……笑うか? 南雲の為に動いて媚を売るだけの俺たちを」

 

「いいえ別に、それもまた生存戦略であり、戦いの作法の一つですから……勘違いしてらっしゃるのかもしれませんけど、俺は別に貴方たちの行動を責めている訳ではありませんよ」

 

「学校側に訴えるつもりもないと?」

 

「こんなことで問題を大きくしても意味がありませんから。それにどうせ言い訳くらいは用意している筈です。無駄なことをしたくはないですね」

 

 笹凪のセリフに俺と桐山は変な安心感を覚えたと思う。言い訳は用意していてもこれだけ何もかもが滅茶苦茶になった上に、笹凪を怒らせるとどうなるのかわからない状況なので本当に安堵した。

 

「責めようだなんて思ってはいません、そして馬鹿にするつもりもありません。大勢の敵に囲まれるのは名誉なことだとも思っているので……ただ、こういったことが二度三度と続くことは避けたいという考えはあります」

 

「……何が望みだ?」

 

「別に何かを差し出せとか言いません。ただ自覚はしてもらいたいんです。俺と戦うとどうなるのかをしっかりと……まぁ狙いが俺一人だけならいつでもどこでも構わないんですけど、変な自信とか妙な色気を出してクラスメイトとかにちょっかいをかけられても困ります」

 

 笹凪の雰囲気が大きく鋭くなっていく。上手く言葉では表現できないけど、何かが膨れ上がっていくような感じだ。

 

 桐山も同じ物を感じ取ったのか、一歩、二歩と後ずさり、けれど背中を木が受け止めたことで動けなくなってしまう。大量の冷や汗から察するに俺以上に何か巨大な物を感じているのだろうか。

 

「ですので、教訓を持って帰っていただきたい……無駄なことはするべきじゃないと」

 

「も、もう、わかっているッ……俺は、俺たちは、お前とは関わらない、関わりたくない」

 

「えぇ、少しの痛みもあれば忘れることもないでしょう」

 

 いつの間にか笹凪は桐山の首根っこを掴んでいた。たった今まで桐山の正面にいた筈なのに、気が付けが背後に回っていたのだ。

 

 そうなってしまえば、俺はただ同情することしかできない。

 

 だって桐山の体を掴んだ笹凪は、そのままシャツの皺でも伸ばすかのようにバサバサと振り回したからだ。

 

 お前……一応桐山は生徒会で一緒に働く仲なんだよな? 副会長なんだから上司でもある筈だけど、少しは優しくしてやれよ。

 

 あまりにも雑すぎる扱いにドン引きするしかない。桐山はシャツでもシーツでもないんだぞ、人をそんな風に振り回す奴があるか。

 

 衝撃と揺さぶりによって桐山は白目を向いて意識を失ってしまう。人をそんな風に扱えばそうもなるだろう。

 

 最後に笹凪は気絶した桐山をポイッと地面に投げ捨てる……同じ生徒会仲間とは思えない扱いであった。鬼かアイツは。

 

「一年の半分と二年はもう撤退したか、判断が早いな……一体何しに来たんだか」

 

「薄情と言うべきか、賢明と言うべきか迷う所だがねぇ……おっと、まだ一人残っているようだ」

 

 ビクッと、高円寺の指摘に俺の体が震えた。息を潜めて体を震わして木の幹に隠れていたのに、なんで見つけられるんだアイツは。

 

 この木を盾にしようとしても無駄だ。同じことを考えていた奴はその木ごと吹っ飛ばされていたからな。

 

 関わるべきじゃなかったんだ。この数で挑めば一瞬だとかほざいていた十分前の自分をぶん殴ってやりたい。

 

「さぁボーイ、出てきたまえ。なぁに怖がる必要はない、痛いのは最初だけさ」

 

「申し訳ない……可能な限り配慮しますので、どうかこちらに」

 

 脱兎の如く逃げ出そう、一年も二年も逃げ出したんだし、残った三年生も全員伸びている。せめて俺だけでも――。

 

「おやおや、いけない人だ、一人だけ助かろうなどと」

 

「潔く諦めたまえ、時には素直に散ることも美しさの一つなのだから」

 

 陸上部で培った脚力で一気に逃げ出そうと踏み込んで、しかし俺の足首はいつの間にか笹凪に掴まれていた。鉄の鎖で雁字搦めにされたかのような感触が足先から伝わって来た瞬間に――。

 

 俺は、全てを諦めるしかなかった。

 

 そのまま引きずり回されてどこかに連れていかれることになるのだが、もうどうでもいいか。

 

 Aクラスで卒業できればって思ってた、けれど俺は大した力もなくて、何かを成すこともできなくて、中学校から続けていた陸上だって大した成績は残せていない。そんな俺がこの学校で生き残ってAクラスになるには南雲に媚びるしかなかったんだ。

 

 けれど理解できたことがある……平穏は素晴らしいと。

 

 特別なことなんていらないんだ、背伸びする必要もなければできもしないことで必死になる必要も無い。

 

 ただ平凡に、そして平穏に過ごして卒業できればもうそれで良いんだ……とても不思議な感覚だ。

 

 そうか、特別でなくてもいいんだな。Aクラスで卒業するだなんて夢を抱かなくても、人生は平穏であることが一番重要なんだ。

 

 これからは平穏安全に生きよう、俺の人生はそれで良いんだと思う。

 

 

 笹凪からデコピンをされながら、そんな納得を抱くのだった。

 

 

 

 

 



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勢い余って言葉にしてしまった

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 南雲が持っていたタブレット端末を操作して、サーチ機能を連続で使用することで貯まっていたポイントの全てを消滅させることで、事実上このグループの敗退が決定することになる。

 

 全てのポイントを消費した後、丁寧に指紋を拭き取りそれでも心配だったので粉々に粉砕してから海にでも沈めておけば俺が関わったという証拠を発見するのは難しくなるだろう。

 

 変な難癖をつけられても困るからな、証拠や疑惑を残さないのは大切なことだ。

 

 早めに移動するとしようか、この近くをうろついていることを目撃されればそれはそれで疑惑となる。なのでオレは腕時計の交換をする為に港へ進路を変えることになった。

 

 南雲の指示で大勢の生徒が腕時計を破壊した状態で活動していたので単純に容疑者は70人ほどになるだろう。おそらく特定されることはないだろうが、現場から離れておいた方が良いのは間違いない。

 

 なので素早く別エリアに移動してから、タブレットで他の生徒たちの動きを確認しながら移動することになり、ある程度まで港があるエリアまで近づいた段階でようやく落ち着けることになる。

 

 天武と高円寺は大丈夫だろうかと考えて、逆に三年生たちが心配になってしまったほどなので、多分大丈夫なんだろう。

 

 奇妙な話だ、襲われた側ではなく襲った側を心配するだなんて。

 

「パイセン、一つ訊いて良いッスか?」

 

「なんだ?」

 

 鬱蒼とした森を進んで港を目指していると、音もなく樹上を飛び移る鶚がこんな質問をしてきた。

 

「ホワイトルームって実際の所、何を目的にしてるんでやがりますか?」

 

 樹上に視線を向けてみると、枝の上にいる迷彩柄の怪人はこちらを覗き込んでいるのがわかる。

 

「それは、お前の個人的な興味なのか?」

 

「それもあるッスね。けれど雇い主に報告する情報は多い方が良いので」

 

 この場合の雇い主は天武ではなく、政府関係者のことを言っているんだろうな。

 

「実の所、オレもハッキリと把握はしていない。だから表面的なことばかりだ」

 

「つまりは、天才を教育で作るってことだけッスか」

 

「あぁ、それがただの建前でしかないことくらいはわかるが、最終的にどこを目指しているのかを断言することはできない」

 

 そしてそれくらいのことは鶚もわかっているんだろう。

 

「まぁ、当たり障りのない表現をするのならば、優秀な人材を量産するメソッドを作り、増やして、次代の主導権を握るといった所だろうな」

 

 実際に、あの男がそれを目指しているのかもわからない。ホワイトルーム等という政治家にとってはあってはならないアキレス腱をわざわざ作る辺り、もしかしたら場当たり的な対処で生まれた施設であることも否定はできない。

 

「つまりホワイトルームは学校ってことッスか?」

 

「……」

 

「あれ、なんかウチ、間違ったこと言いましたか?」

 

「いや、そうではないが……そうか、学校か」

 

 優秀な人材を育てるという点で見れば、確かにそうなのかもしれない。やっていることは様々な困難を与えて成長させるこの学園と大差が無いからな。

 

 規模や考えや方向性こそ違えど、最終的な終着点は同じだと考えれば、後は誰にとって利益となるのかという話になる。

 

 ホワイトルーム生が将来政治や国政に深く関わるようになればあの男が得をする、そしてこの学園の卒業生がそうなるのならば、政府関係者が得をする。そう考えるとただの政権争いの下準備でしかないのかもしれない。ホワイトルーム生もこの学校の生徒も大差がないか……これまでには無かった考えだな。

 

「鶚、お前から見てホワイトルームはどう見える?」

 

「そんなこと言われても困るッス。ウチはよく知らないんで……ただまぁ、一夏ちゃんくらいが大量にいるんならそこまで大層な施設でもないと思いますよ。ミサイルでも打ち込めば全滅するでしょうから、それか毒でもばらまけば終わりッス」

 

 ホワイトルーム生である天沢をボロボロにしていたので、鶚にとってはそこまで脅威に感じなかったということだろうか。

 

「優秀な人を作りたいって言われても、別にホワイトルームじゃなくてもポンポン生まれてるでやがりますよ。オリンピックに出れる人も、テストで100点取れる人も、世の中大勢いるじゃないッスか」

 

 身も蓋も無い言い分だとオレは思った、しかし確かにその通りではある。別にホワイトルームでなくとも同じことができる人間は世の中には大勢いるだろう。人類は60億以上いて中には天武みたいなのもいる訳だからな。

 

「天才を作るのなら、やるべきなのは教育じゃなくて最強の遺伝子の掛け合わせッスよ。ウチらみたいにね」

 

「英雄の血を貰う、だったか?」

 

「そうッスよ、それを何世代を重ねるのが結局は一番。そもそも教育で才能を育てるなんて一つの要因に過ぎないッス。優秀な人間を育てたいなら場当たり的なことはせず、血と遺伝子の掛け合わせも何世代もやって研ぎ澄ました個体を生産して、そこに改造を施すのが一番でやがります。そいつに子供を大量に産ませれば最強の集団になるんですから」

 

 お前たち忍者は競走馬のブリーダーか何かなのか? 言ってることはわからなくはないが、やってることは倫理を蹴り飛ばしたようなものだ。

 

 いや、天武の知り合いの時点で常識など期待すべきではないか。いつまでもこんな話をしても意味はないので話題を逸らすとしよう。

 

「お前の雇い主はホワイトルームを調べて何をしようとしているんだ?」

 

「ウチはただ雇われてるだけなんで……でも、権力者の考えることなんて皆一緒なんじゃないッスか」

 

「そうかもしれないな」

 

 オレの父親がそうであるように、その政敵だって同じことを考える。己にとっての利益は何かを。

 

 将来的にあの場所がどうなり、どう扱われ、あの場にいる者たちがどこへ行くのかわからないが……少しでも幸福な未来であって欲しいと思うのは、オレも天武に毒されてきているからだろうか。

 

 似合わないな、こんなことを思うのは……だが今は敵だ、そこを見誤らず行動するとしよう。

 

「お……誰か来たみたいなんで、ウチは黙ります」

 

 港まで移動する道中で、誰かがこちらに近寄って来るのがわかった。タブレットを確認してみると、どうやら愛里が一人で行動しているらしい。他のメンバーはどうしたのだろうか?

 

「き、清隆く~ん」

 

 ガサガサと草木を掻き分ける音も近づいて来て、それが目の前まで来た瞬間に、愛里が顔を出す。

 

 無理をして枝葉を掻き分けて来たからなのかジャージはボロボロで、長く歩いたのか靴や足元はドロドロだ。まさに疲労困憊といった感じであり、ここまでの苦労と道中が想像できてしまう。

 

「や、やっと、やっと追いつけたッ……はぁ、はぁ」

 

「愛里、もしかしてオレを追いかけてたのか?」

 

「うん……でも、清隆くん、グルグル無人島を回ってて……でも、港に近寄って来てたから今しかないと思ったん、だよ」

 

 それでそんなにボロボロな姿なのか、そもそも何故オレを追いかけていたのだろうか。

 

「よ、良かった……追いつけ――きゃッ!?」

 

 草木が作る壁から体を引っこ抜いた瞬間に愛里の体は勢い余って倒れこんで来るので、その体を受け止める。

 

「あ、あの、ごごごごめんなさいッ」

 

「いや、気にするな、疲れが出たんだろう」

 

 

 鶚、枝の上でニヤニヤするのは止めろ。見えているぞ。

 

 

「随分とボロボロだな。そうまでしてどうして追いかけて来たんだ?」

 

 胸と腕の中に納まった愛里はその言葉にバッと顔を上げる。見つめ合う形になり、普段の愛里ならばすぐさま飛び退いて距離を取る筈なのだが、今日はそんなことにならずに大慌てしながらこう言ってくる。

 

「あ、あの、あのねッ、えっと、理事長先生と、学校の先生が……すっごく悪いことを考えてるのを聞いちゃったの!! もう、アレだよ、前に皆で観た映画の悪役みたいな感じなの!!」

 

「まずは落ち着くんだ。深呼吸して、冷静に説明して欲しい」

 

 要領を得ない説明である。軽くパニックになっているようにも思えた。

 

 腕の中で深呼吸を繰り返す愛里は、幾度か繰り返すと落ち着けたのか冷静になる。冷静になったことで今の体勢や状況を理解したのか、大慌てで距離を取るのだった。

 

「ごごごごめんなさいッ!?」

 

 そしてまたパニックになってしまう……僅かに視線を上に向けてみると、枝の上で鶚がやはりニヤついているのが見えた。

 

「愛里、それで理事長がどうしたんだ? 何かを聞いたのか?」

 

「あ、あの、うん……えっと、理事長先生と、一年生の担任の先生が森で話してて、私、壊れた腕時計を交換しようと港に帰ってる途中に偶々聞いちゃって」

 

「そうか、どういった内容のものだったんだ?」

 

 すると愛里の視線が右往左往する。こんな反応を見せるということは呑気な世間話では無かったんだろう。

 

 それこそこうしてボロボロになりながら追いかけて来るくらいに、何かを伝えなければならないと思ったに違いない。

 

 月城、少し迂闊すぎるんじゃないだろうか、一般生徒を巻き込むのは止めた方がいい。オレというよりは天武が激怒するぞ。

 

 まぁ今の愛里に目立った外傷はないことから、一線を越えることは無かったようだが、もし引き際を誤っていれば天武が首を引き千切ることを決断する展開だってあった筈だ。

 

「清隆くんを、誘拐するって……話してたよ」

 

 シュンっと、不安そうに視線を下げる愛里には恐怖の色も見て取れる。もしかしたら脅されたのかもしれないな。

 

「そうか……いつ、どこで、どうやってとかは話していたか?」

 

「最終日に、えっと、I2で……だったと思う。聞こえたのは、それだけだよ。後は、七号? よくわからないけど、そっちが本命とかなんとか」

 

 月城はオレを排除するよりも天武の処理の方が優先順位が高いのか? これまでの月城の動きを見ても本気で俺を退学させるつもりがあるのか疑わしい部分はあったな。

 

 変なちょっかいばかりかけてくる、そんな印象ではあったのでもしかしたらオレが退学しないシナリオのようなものでもあるのかと考えていたが、天武に関しては完全に計算と思惑の外ということだろうか。

 

 ただ、月城が何をしようとも天武が倒れる未来が見えない。アイツを倒すのに必要なのは個人や集団の頑張りではなく軍事力の有無だ。

 

 月城がどれほどの軍事力を動かせるのかはハッキリとしないが、まさかこの無人島に戦車を持ってこれる筈もないので、つまりは無意味な仮定である。

 

 そしてもし戦車を堂々と引っ張って来れるような相手ならば、オレはとっくに退学しているだろう。

 

 しかし月城は手の込んだ自殺でもしたいのだろうか? いや、よく考えてみればこれまでもそんな感じだったか……死ぬのならせめて一人で逝って欲しいんだが。

 

「わかった、教えてくれて感謝する。おかげで準備と覚悟を整えることができそうだ」

 

 完全にその情報を前提にして行動することはできないが、一つの目安として準備を整えられる。来るとわかっているのと、不意打ちで来られるのはやはり異なるからな。

 

 とりあえず天武と情報を共有して処理しておこう。ようやく本命の魚が釣れそうでオレとしても安心できるばかりだ。

 

 だが池曰く釣りは根気、食いつこうとする魚影が見えても焦ってはいけない。もう少しだけ隙を晒しておこう。

 

「あ、あの、清隆くん……」

 

 不安そうにこちらを見つめて来る愛里は、オレの袖口を掴んで僅かに引っ張って来る。

 

 こんなに弱々しい姿を見るのは久しぶりかもしれないな。一年生の後半くらいから波瑠加やグループの影響もあってか垢ぬけて成長して来た印象であったが、今は入学したばかりの頃の愛里に近い。

 

 それだけ不安だということだろう。誰かを拉致するだなんて話を聞かされればそうもなる。

 

「どうして、その……理事長先生は、そんなことをしようとするの?」

 

 その質問に、オレは真っすぐと愛里を見つめてこう返す。

 

 

「いいか愛里、よく聞いてくれ、月城は――オレを誘拐しようとはしていない」

 

「ええぇえええ!?」

 

「いや、もしかしたらタダのドッキリかもしれない」

 

「ええぇぇええ!?」

 

「それかサプライズの相談だな。実はオレの誕生日が近いんだ」

 

「清隆くんの誕生日はもっと先だよね!?」

 

「それか、ホールインワンかもしれない」

 

「どういうこと!?」

 

 

 ダメだな、流石にこれで騙される訳もないか。どうしたものだろうか。

 

「心配だよ、あんな怖い人たちに……よくわからないまま襲われるだなんて」

 

 こちらの袖口を掴む指先に力がこもっている。

 

 変に誤魔化しても意味がないか、しかし巻き込む訳にもいかないので上手く伝えられない。

 

「愛里、とりあえず港に進もう。オレもそのつもりだったからな」

 

「あ、うん……」

 

 港がある方角に歩き出すのだが、指先で摘ままれた袖口はそのままだ。振りほどくこともできなかったので放置するしかない。

 

「……」

 

「……」

 

 そして暫く無言のまま森の中を歩く、だがチラチラと視線は感じているので、やはり気になっているのだろう。

 

「心配させてしまったな」

 

「……うん」

 

「だが、深刻に考える必要はない。色々と気になることはあるだろうが、きっと上手くいくだろうからな」

 

「どう、してかな?」

 

「オレは一人じゃないからだ。仲間も友人もいる……そうだな、愛里は天武に勝てると思うか?」

 

「て、天武くんに? それは、絶対に無理だと思うけど」

 

「オレもそう思う……まぁ、なんだ、だから安心してくれ。何が起こったとしても、一人で挑むことはないからな」

 

「それは、違うかな」

 

 天武がいるからという説得力で何とか納得させようと思ったのだが、愛里は意外にも強く否定してきた。

 

「天武くんが百人いても、私は清隆くんが心配だよ」

 

「どうしてだ?」

 

 アイツが百人とか、これから世界でも征服するのかという感じなのだが。

 

 すると愛里は黙ってしまった。何かを言おうかと迷い、しかし口には出せず、何度も言葉と呼吸を詰まらせながらも……やはり摘まんだ袖口は離さない。

 

 力がこもった指先は揺れ動いていて、愛里の中にある不安や迷いを表しているかのようにも思えた。

 

 それでも迷いを打ち消すかのように袖口は引っ張られることになる。

 

 

「清隆くんが……好きだから」

 

 

 まぁオレは天武ほど鈍感ではないので、愛里から特殊な感情を向けられていることは知っていた。うぬぼれなのかもしれないが、きっと間違いではないのだろう。

 

「だから、不安だよ……嘘でも冗談でも、天武くんがいるって言われても、心配になっちゃうな」

 

 以前の、それこそ入学したばかりに愛里ならば自分の中にある感情を言葉にして伝えることはしなかっただろう。いや、できなかったと言うべきか。

 

 だが、去年一年の経験が何かを変えたのかもしれない。それはグループの皆もそうだが、やはり天武の影響が大きいのだろうか。

 

 勉強や運動にも前向きになり、うつむきがちだった視線も前に向けられた姿は、大きな成長を感じられるものであった。

 

 親しくしている波瑠加やグループの皆の影響もあるんだろうが、やはり天武の存在が大きいのだろうか。

 

「そうか……いや、そうだな、心配するのが当然か」

 

「う、うん」

 

 ただ恥ずかしがって照れないという訳ではない。今も自分の発言を振り返って挙動不審な感じになっていた。

 

「あ、あの……その」

 

 顔を真っ赤にして俯いている姿は入学したばかりの頃の愛里を思い出して少し懐かしい気持ちになる。ここ最近はあまり見ることもなかった姿でもある。

 

「愛里、ありがとう。好意を向けられるのは素直に嬉しい」

 

「そ、それは……つまり、えっと、あわわ」

 

「だが、すまない。好意に応えることは難しい」

 

「……ぁ」

 

 こちらを見上げる瞳が動揺しているのがわかる。

 

「そう、だよね……私じゃあ、清隆くんと釣り合わないよね」

 

「いや、そうじゃない。言っただろう、好意は嬉しいと……ただ、なんだ、色々と片付けなければならない問題が多いんだ」

 

 ホワイトルーム関連であったり月城であったりあの男のことであったりと、本当に色々と立て込んでいる。恋愛と言う関係や経験を積んでおきたいという考えもあるのだが、もし狙われたらと考えると現実的ではないからな。

 

 仮にもしそういった相手を見つけるのだとしても、肩の荷が下りた時なのかもしれない。

 

「迷惑じゃ、なかったのかな?」

 

「そんなことはない、嬉しいとさえ思った」

 

 すると愛里はそれは盛大な溜息を吐いてその場に崩れ落ちるのだった。

 

 尻餅をついた状態でヘナヘナと萎んでいく雰囲気さえある。安心半分、不安半分と言った所だろうか。

 

「愛里は悪くない。全てオレの事情によるものだ。だから今は気持ちに応えることはできそうにない」

 

 とりあえず天武と一緒に何もかもを粉砕して身軽になってから考えるべきことなんだろう。少なくともアイツの協力が得られるのならば現実的な選択肢としてそれがあり得るからな。

 

「もし愛里さえ良ければだが、いつか何もかもが片付いた時に、今と同じ気持ちを持っていたら、その時はまた向き合わせて欲しい……恋愛と言う感情はまだまだ理解が浅いが、知りたいとは思っているからな。天武が言うには、一人前の人間になるのには必要なことだそうだ」

 

 都合が良い発言だろうか? だが現状ではそうとしか言えない。

 

 天武曰く、素直であれとのことらしいからな。アイツは何だかんだで正しいことしか言わないので間違いではないんだろう。

 

「わ、私はまだ……清隆くんを好きでいて良いのかな?」

 

「どうだろうな、そんな時が来たとしても愛想をつかしているかもしれないぞ」

 

「そんなことはないよッ」

 

「そうなのか? 愛里はよく告白されているようだし、良い相手が現れるかもしれないじゃないか。波瑠加から聞いたがこの前も上級生に誘われたとな」

 

 寧ろもっとまともな相手を探した方がずっとマシだと思うのだが、そういう話ではないんだろうな。

 

「こ、断ったよ、それは……だって、いつも清隆くんを見てたから」

 

 自分の発言に頬を赤くして俯く。そのまま黙ってしまったので、このままではいつまでも港に戻れないと判断してオレは尻餅をつく愛里に手を差し伸べた。

 

「港に戻ろう。おそらく波瑠加たちは心配しているだろうからな」

 

「あ……うん」

 

 引っ張り上げて再び立ち上がらせると、二人並んで歩き出すことになる。

 

 そして暫く無言の時間が流れるのだが、愛里はオレの袖口をまた指先で摘まんだ。

 

「いつかまた、告白しても良いかな?」

 

「言っただろ、素直に嬉しいと」

 

「うん……その時は、もっと成長した私を見せるからね」

 

 そして開き直ったかのように微笑んで見せた。

 

 そうか、そうだな、入学したばかりの頃の愛里はもういないということか。たった一年と少しだが、成長するには十分な時間だったということなんだろう。

 

 クラスメイトの成長を面白いと感じて、楽しく思えるのは、もしかしたら天武の影響なのかもしれないな。

 

 色々とアレ過ぎて何もかもを破綻させる友人の姿を思い出して、アイツのいない学校生活を思い浮かべるのだが上手くはいかなかった。

 

 ただ一つだけわかることは、きっと今とは大きく異なる何かがあったということだけだ。

 

 きっとそれは、感謝すべきことなんだろう。オレはそんなことを思うのだった。

 

 なんであれだ、一先ずオレがやるべきことは月城の排除なんだろう。最終日に来るかもしれないとわかっているのならば、準備と覚悟を整えておくべきだ。

 

 だがあれだな、月城は未だに天武を敵に回す気があったのか……手の込んだ自殺になりそうだが、ちゃんと考えて行動しているんだろうか。

 

 敵ながら不安になるほどである。天武を倒すには個人ではなく軍事力が必要となるのだが、しっかりと準備を整えた上で挑めているのか心配だ。

 

 敵に心配されるとは、いよいよ末期である。オレは海に沈む月城を幻視するのだった。

 

 しかししつこい奴らだ、今更オレがホワイトルームに戻った所でなんの意義も見いだせない筈だ。何を隠そうオレ自身がそう思っている。あそこで学ぶことはもう何もないと。

 

 

 

 ホワイトルーム最高傑作綾小路清隆は、もうとっくに否定されているのだから。

 

 

 

 

 



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次に備える

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

「で、私たちの心配を他所に二人で何してた訳?」

 

 愛里を引き連れて港に戻ると、波瑠加が私は不機嫌ですと主張するかのように腕を組んで仁王立ちをして出迎えて来た。

 

「ご、ごめんね波瑠加ちゃん」

 

「本当にごめんだってば、どれだけ心配したと思ってるのよ。サーチ機能を使ってきよぽんを追い回してさ」

 

 どうやら愛里はグループのポイントを無断で使っていたらしい。

 

「まぁ別に私たちは上位入賞を狙ってる訳じゃないからそれは良いんだけど、こんな無人島で一人で移動するとかやっぱり心配になる……私何か間違ったこと言ってる?」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 シュンとする愛里を見つめて波瑠加は深い溜息を吐いてから、濡れタオルで汚れた頬を拭い去った。

 

「こんなに泥だらけになって……ほら、シャワー浴びてきなよ。幸いにも今は空いてるからさ」

 

「……うん」

 

 愛里の背中を押して個室シャワーの申請を進めていき、そして今度はこっちを見つめて来る。

 

「それで、結局なんで愛里はきよぽんを追いかけ回してたのよ」

 

「黙秘する、とても個人的な理由だからな」

 

「ほぉ~、誤魔化しますか」

 

 納得がいかなかったのか波瑠加は不機嫌になってしまった。

 

「本当に個人的な話なんだ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「少しだけ、愛里とわかりあえたと思う」

 

「え、なに、もしかして惚気られてる?」

 

「そんなことはない」

 

 納得はできていないのだろうが、波瑠加は何だかんだで他者との距離感を常に意識している部分がある。こちらが頑なだとわかれば踏み込んではこないだろう。

 

「まぁ良いけどさ。何かさっきの愛里、吹っ切れた感じになってたし、やる気みたいなのが感じられたかな」

 

 落ち込むのではなく、開き直れたのならば良かったと思う。今後どうなるかはまだ不透明ではあるが、より成長してくれるのかもしれないな。

 

「ゆきむ~もみやっちも心配してたし、後でちゃんと謝らせるつもりではあるけどね」

 

「そうしてやってくれ」

 

 一人でこの無人島を、それも女子が移動するのは叱られて当然の行動ではある。そこは間違いない。危険すぎるからな。

 

「ところで、明人と啓誠はどこにいるんだ?」

 

「近場の課題にさっき参加するって言ってた。そろそろ食料が足りなくなってきたしさ。それになんか三年生が大量にリタイアしたから上手いことやれば上位50パーセントの報酬も狙えるんじゃないかって話してたしね」

 

 この港エリアをキャンプ地にしていると水はタダで手に入るが食料はそうもいかない。そして天武が暴れ回った結果、確かに大きく順位に変動があったのだろう。既に試験はラストスパートの段階だが、上手く動けば報酬も得られるかもしれないな。5万ポイント程度は今更ではあるが、無いよりはあった方が良い。

 

「きよぽんはどうするの?」

 

「腕時計が壊れたから交換に来たんだ。それとシャワーも浴びておきたい」

 

「そっか、予定が無いんなら今日もここで過ごしていきなよ」

 

「あぁ、そうするつもりだ」

 

 月城も最終日に動くつもりらしいので、ぶっちゃければそれまで暇になる……いや、懸賞金のことを考えれば一年生が派手に動くかもしれないな。

 

 天沢がホワイトルーム生だとほぼ確定したが、まさか一人だけということもないだろう。そう考えると餌としての仕事をしっかりと進めていかなければならないが、まぁ今日くらいは構わないか。

 

 この港エリアにいる坂柳とも、色々と調整しておかなければならないからな。

 

 まずは南雲の持っていたタブレット端末を海に沈めておくべきだろう。指紋を採取されても困るのでこういった所は徹底しておきたい。既に粉々に砕いてポケットに入っているので、機会を窺って海に撒いておこう。

 

 そんなことを考えながらシャワーの申請を済ませてから汗を流し、着替えてからジャージの中に入っていた端末の残骸を海へとこっそりと投げ捨てる。万が一の可能性もあるので異なる場所に少しずつ。

 

 そして全ての残骸を処理すると、この港で打ち合わせをしておきたかった人物、坂柳が陣取るキャンプ地も近くなっていた。以前に話した時もそうだったが相変わらずパラソルの下でグループの指揮を執っているようだ。

 

「おや、綾小路くん、また休憩ですか?」

 

 あちらもオレに気が付いたのか、手に持っていた無線機とタブレット端末を置いて視線こちらに向けて来る。

 

「そんな感じだ」

 

「フフ、のんびりと過ごされているようですね」

 

「退学の心配がないからな」

 

 餌として振る舞いながら獲物がかかるのを待っているだけだ。今のところは七瀬と天沢くらいのものだが、他の一年生や月城の動きも現状では待つしかない。

 

「それより、契約通り処理しておいた」

 

「ありがとうございます」

 

 坂柳はそう言いながら瞳を港に停泊している小型船に向けた。そこではピストン輸送で沖にある豪華客船に負傷者を運ぶ作業が続けられているのが確認できる。

 

 オレがシャワーを浴び終わって外に出た辺りから学校側の職員が担架で運んでいるのは主に三年生だ。やはり天武と高円寺には勝てなかったのか誰もがボロボロでありリタイアしてしまうようだ。

 

 その中にはオレが突き落とした南雲の姿もある。職員が持つ担架に乗った状態で小型船に乗せられてそのまま豪華客船へ運ばれることになるのだろう。どれくらいの負傷かはハッキリとわからないが、あの角度の斜面ならば深刻な事態にはならない筈だ。

 

 全身打撲といった所だろうか、なんであれ復帰は不可能と判断できる。

 

「南雲先輩も不憫ですね。事故に遭わなければ二位になれたかもしれないのに」

 

「そうだな、だがこんな無人島なんだ、足を滑らせることくらいは別に珍しいことでもないだろう……運が無かったってことだ」

 

 南雲の背中の感触はなかなか悪くなかった。きっと小宮たちを蹴り落とした誰かもさぞ気分が良かったことだろう。

 

「それよりもだ、代わりと言ってはなんだが一年生たちの動きに対処したい。手を貸してくれ」

 

「構いませんよ、そういうお約束ですから。それに、私たちにとっても一年生の処理は都合が良いので」

 

「それは、葛城を三位にする為か?」

 

「フフフ、お気づきでしたか」

 

 坂柳の最終的な目標は二位と三位をAクラスで埋めることなんだろうな。便乗のカードを天武に注いでいると推測できるので、クラスポイントもプライベートポイントも今回の試験で大きく稼げるはずだ。

 

 タブレットを確認してみると、今現在葛城グループは四位の位置にいる。三位にいるのは一年生連合のグループだ。差はほんの僅かでしかないが安心はできないか。

 

 パラソルの下で日差しを避けながら、ビーチチェアの腰かける坂柳は怪しく微笑んでいる。三年生を処理したので次の獲物を見定めている顔だな。

 

 上手いこと一年生を処理できれば全体の50パーセントの報酬も二年生で埋められる可能性もある。既に三年生たちは壊滅状態なので不可能でもない。

 

「今現在、三位の位置にいる一年生連合を追い落としたいと思っています。しかし彼らは何故か綾小路くんを意識して動いているようですね、何か理由がおありなのですか?」

 

「ちょっとした報酬を狙っているんだ」

 

「それなら、彼らが綾小路くんを意識している間にこちらも動きましょうか」

 

 坂柳の協力が得られるのならば問題はないだろう。鶚がこちらに指示に従う戦力として動かせはするのだが、天沢の様子を見る限り勢い余って死人が出る可能性もあるのであまり素人にぶつけたくはなかったりする。

 

「仮に一年生連合を処理できたとしても、今度は龍園が上位三組に食い込んで来る可能性もあるが、そこはどう考えているんだ?」

 

 龍園グループの順位は五位である。葛城グループとも一年生グループともほぼ差が無く、それこそどこかの課題で一位を取れば簡単に順位は入れ替わる程度の差だ。

 

「それはそれで困ります。彼は容易に背中を見せる相手ではないでしょうから。ですので利益を提供して一時的な協力関係を作ろうかと、三位を譲っても構わないと思えるくらいのね」

 

「随分と気前が良いな」

 

 すると坂柳は唇を歪めてやはり怪しい笑みを見せる。

 

「フフフ、三年生から臨時収入が得られることになっておりますので。それを龍園くんに渡そうかと」

 

 今現在、担架で次々と港に運ばれてくる三年生から毟り取る算段があるということなんだろう。

 

 坂柳としては増員のカードを得たマイナス分さえ今回の試験で補填できればそれで満足らしい。二位と三位を得られれば利益としては十分ということか。

 

 三年生から得られるプライベートポイントは余剰資金のような感覚なのかもしれない。龍園を動かす餌にしても問題はないという判断なのだろう。

 

 なにせ資金の捻出先は三年生だ。坂柳は何も損はしていない。南雲のポイントで龍園を動かせるとでも考えているらしい。

 

「おそらく一年生は近い内に動くだろう。その時は宜しく頼む」

 

 これはオレ自身の身を守る為と言うこともあるが、坂柳にとっては葛城を三位にする為に必要な行動でもある。もしかしたらオレの要請が無かったとしても勝手に動いたかもしれないな。

 

「えぇ、お任せください。綾小路くんもどうかお気を付けて、順調そうに思えても背中から蹴られてしまうこともあるでしょうから」

 

「そうだな、そうならないように気を付けるとしよう」

 

 南雲の立場になる可能性も否定はできない。それはオレだけではなく坂柳や天武にも同じことが言えるので、最後の最後まで気を抜くことはできない。利確するまで警戒を緩めないのは当たり前のことだった。

 

 南雲があれだけ派手に転がっていったのを見たからな、同じように転落しないように気を付けるべきだ。

 

 普通の生徒ならばリタイアすれば船に戻されるだろうが、オレの場合は月城が迎えに来てそのまま拉致される可能性が高いので、間抜けに転げ落ちることだけは避けなければならない。

 

 一年生の襲撃も懸賞金がある以上は十分に考えられるので、二年生で報酬を独占したい坂柳とも話が通しやすかった。

 

 龍園に関しては、まぁ坂柳が上手く誘導するのだろう。南雲の財布から出るであろうポイントを使って。

 

 坂柳との交渉と確認を終えてオレはグループが作っているキャンプへと戻る。既に啓誠と明人も帰って来ており、昼食の準備を行っているようだ。

 

「き、清隆、来ていたのか」

 

 啓誠がぐったりした様子で浜辺に用意されたブルーシートの上でぐったりとしていた。

 

「オレも休憩だ……それにしても随分と疲れているようだな」

 

「あぁ、運動系の課題に参加していたからな」

 

 割と運動が得意な明人はそこまで疲労している様子はなく、今も昼食の準備をしているのが見える。

 

「参加賞の食料は手に入れたから、まぁ良かったんだがな……それより、愛里も帰って来たようで安心したぞ」

 

 やはりグループのメンバーには不安を与えていたらしい。気持ちはわからなくはないので、こればかりは愛里が悪いと言えるのかもしれない。

 

「深くは聞かないが……問題はあるのか?」

 

「いいや、大丈夫だ。特に問題はない」

 

「そうか、ならば良い。ただ何かあれば相談してくれ。別に俺に限った話ではなく、波瑠加や明人でも構わない」

 

「あぁ」

 

 人との距離感を意識する者が多いグループなので、深く踏み込んで来ないのは過ごしやすい理由の一つでもあるんだろう。

 

 ブルーシートの上でぐったりとしている啓誠は安静にさせておくとして、今日はオレもここで過ごすつもりなので昼食の手伝いをするか。

 

「明人、何か手伝おう」

 

「悪いな、なら魚を捌いてくれ……あの二人に任せると少し不安だからな」

 

 あの二人とは愛里と波瑠加のことである。別に不器用という訳でもないのだが、明人の言い分が何となく納得できるのは何故なんだろうな。

 

 愛里は魚か包丁をすっぽ抜いてしまいそうで……いや、止めておこう。

 

「試験の方は順調か? 一人で挑むのは大変だろ」

 

「絶好調とはいかないが、三年生が大量にリタイアしたらしいから、もしかしたら50パーセント圏内には入れるかもしれないな」

 

「みたいだな、一体何があったんだ」

 

 明人の視線がこの港エリアに次々と担架で運ばれていく三年生たちに向けられる。

 

「オレもわからない。事故にでもあったのかもな」

 

 それかゴリラと遭遇したのかもしれない。三年生たちには同情するしかなかった。

 

 坂柳や龍園からも搾取されるようなので、おそらくあの襲撃に参加していなかった面子には大きな影響が出る筈だ。それこそ物資と水不足でもしかしたら今日中には三年生の90パーセントはリタイアするかもしれない。

 

 上位50パーセントの報酬すら大半が受け取れないまま敗退が確定した状況である。南雲はこの惨状をどう思うのだろうか。

 

 まぁオレには関係がないことだな。蹴りやすい背中を晒す方が悪い。

 

 魚を捌きながら既にリタイアが確定した集団のことは思考の外に追いやる。今考えるべきなのは懸賞金目当てで動くであろう一年生と最終日に待ち構えている月城のことだった。

 

 前者に関しては坂柳もやる気なのでそこまでは心配していないが、問題なのは月城の方だ。愛里が聞いた話ではオレを誘拐することもそうだが、どちらかと言えば天武の排除に重きを置いているような印象を与えてくる。

 

 オレが学校に残るよりも、天武がいる方がずっと何か都合が悪いかのように月城側は考えている可能性もあるのかもしれないな。

 

 つまり天武の存在は完全に計算外だったということだろう。だとしたらオレがこの学園に残ることは計算の内なのだろうか……一度月城から情報を得ておきたいが、簡単に口を割るような男でもない。

 

 まぁ流れ次第だろう。どうせ最終日付近でぶつかることになるんだ。そこで機会があれば情報を得ておきたい。

 

 そんなことを考えると、キャンプファイアーの準備をしていた波瑠加と愛里がこっちに手を振って来た。どうやら後は焼くだけの状態であるらしい。

 

「清隆くん、準備できたよ」

 

 どこか楽し気に、そして朗らかに笑いながらオレを引き寄せる愛里を波瑠加はジッと眺めており、次にオレに視線を向けて「本当に何があった訳?」と聞きたそうな顔をする。

 

 すまない、本当に話せないんだ。

 

 だが波瑠加も最終的には今の愛里を見て納得したのか、オレの脇腹辺りをこっそりと肘でグリグリ押して揶揄ってくるのだった。

 

 なんだそれは、上手くやったとでも伝えたいのだろうか。

 

「波瑠加ちゃん、何してるの?」

 

「ん~、別になんにも……それより魚を焼いちゃおう、ナマモノは足が早いしさ」

 

 誤魔化すようにそう言うと、波瑠加はニヤニヤ顔を隠して調理を開始するのだった。

 

 そこに回復した啓誠と明人も加わり、ちょっとしたバーベキューのような形となってその日を過ごすことになる。試験の最中ではあるが、こんな時間も悪くはないのだろう。

 

「清隆くん、お肉も食べる?」

 

「あぁ、ありがとう」

 

 隣に座ってキャンプファイアーを眺める愛里を見ながら、オレは天武の言葉を思い出す。

 

 天武曰く、青春は大切とのこと。

 

 

 

 



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十二日目

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 試験はラストスパートである十二日目となる。十日目に三年生の襲撃が行われて、当然と言うべきか自然と言うべきか、三年生の大半が消滅した結果、それほど多くポイントを稼いでいる訳でもないのに50パーセント圏内が現実的な順位となっていた。

 

 それはオレだけでなく無人島にいる全ての生徒が言えることである。三年生の90パーセント以上がリタイアしているので単純に順位が繰り上がったからだ。

 

 最初こそ三年生は襲撃に関わった男子が中心に大量リタイアしたのだが、男手の大半を失った上に、南雲の軽率な契約によって水と食料を提供しなければならなかった為、残った女子は持っていた物資の大半を奪われたらしい。

 

 それをしないと賠償として大量のポイントを払わなければならなかったので、嫌とは言えなかったのだろう。しかしそのせいで物資は枯渇、男手の消失、士気の低下、指揮官の不在、勝算の低下、それら全てが噛み合った結果、女子からも大量のリタイア者が出たということだ。

 

 こうして三年生の90パーセント以上がリタイアするのだった。十二日目に三年生の姿を無人島で見ることもなくなり、課題でぶつかりあうこともなくなった。

 

 今、無人島にいる三年生は意地でしかない、それだって最終日まで意地を張っていられるかもわからないので、もう三年生グループは脅威として認識する必要はないだろう。

 

 次にオレが考えなければならないのは一年生のグループである。懸賞金がかかっている以上は避けては通れない。

 

 こちら側に立った七瀬からも、教えていた個人周波数に合せた無線機で一年生が大きく動くと報告も受けている。

 

 十二日に勝負を決めに来たのはありがたくもある。最終日までもつれ込んで月城関連の面倒事と噛み合って貰っても困るからな。

 

 坂柳との協力もある。だから、一年生が今日動くと言うのならば、それは都合も良かった。

 

 タブレット端末を確認してみると一年生の動きもよくわかる。今朝の段階で七瀬が言う襲撃グループの動きが顕著であり、その光点の動きはこちらに向かってくるのが確認できる。

 

『綾小路くん、聞こえますか?』

 

「あぁ、良好だ」

 

 無線機からは坂柳の声が届く。あちらも一年生の動きを把握したのか、動くべき所だと判断したのだろう。

 

『こちらで一年生の動きは押し留めます。しかし本質はそこではありません』

 

「理解している。お前にとっては一年生グループに損害を与えたいんだろうからな」

 

 葛城グループを三位にさせる為には一年生連合に損害を与えることが絶対条件だ。壊滅とはいかなくても人数を減らせばそれで問題はない。

 

 オレという餌に集中している間に、南雲がそうであったように後ろから損害を与えるつもりなのかもしれないな。

 

「別に動きを制限するつもりはない。そちらは好きにやってくれ」

 

『勿論、そのつもりですよ』

 

 不敵な笑い声と共に無線機での通話を終える。改めてタブレット端末を確認してみると、一年生と二年生の光点が接触しようとしているようだった。

 

 ただしこれは表面的なものでしかない。南雲がそうであったように画面に映った情報だけが真実とは限らないので、ずっとそこにだけ集中することはできない。

 

「鶚、そっちはどうだ?」

 

 無線機のメモリを弄って周波数を鶚が持っている無線機に合わせて連絡を取ると、抑揚のない声が届いた。

 

『問題ね~です、目標を視界に入れた状態で監視中ッス』

 

「適当に頼む。無理そうならばそれで構わない」

 

『パイセン知らないッスか? 忍者に不可能はね~です』

 

 そうは言うがオレはお前の実力を細かく把握はしていない。天武と同じ常識を外れた存在であるとは理解しているが、何が出来て何が出来ないのかを完全にはわかっていない。

 

 なので無理なら無理で構わないのだが、忍者に不可能は無いらしいので問題はないんだろう。

 

 タブレット画面を確認してみると幾つかの一年生グループと二年生グループが複数のルート上でぶつかり合っているのがわかる。殴り合いに発展している訳ではないだろうが、足止めや睨み合いが続いていると思われる。

 

 そんな衝突を横に、単独でこちらに突っ込んで来る光点が一つだけあった。

 

 背後を警戒しながらもそいつが近寄って来る方向に視線を向けてみると、草木を掻き分け……いや、踏み砕くように近づいてくる大柄な生徒の姿が確認できる。

 

「宝泉か」

 

 まぁ来るだろう。獰猛なという表現が良く似合う男なのだ、他の一年生と足並みを揃えるのではなく、寧ろ都合良く二年生を押し付けられる存在として扱い、自分だけは単独突破だ。

 

 一学期の大半を病院で過ごすことになったので鬱憤も溜まっているらしい。その怒りを天武ではなくオレに向けて来る辺り、相手を見て殴り方を変えられるくらいの思考力は持っているらしいな。

 

「見つけたぜ綾小路センパイよう!!」

 

 興奮を宿した表情がこちらからも確認できる。邪魔そうに枝葉を踏みつぶして視界を広げた瞬間に力強い視線をこちらに向けて来た。

 

 高い身体能力に、愚かとは言い切れない思考力、何より他者に暴力を振るう行為に躊躇が無い姿勢は素直に脅威と言えるのかもしれないが……比較相手が天武となるとどうしても未熟に思えてしまう。

 

 脅威であることは間違いないのだが、どこまで行っても高校生レベルという表現で落ち着いてしまうのだった。

 

 舐めている訳でも侮っている訳でもない、ただ純粋な戦力評価として、宝泉と言う男は結局は人間という物差しで測り切れてしまうのだろう。

 

 超人と比べると、どこまでいっても普通の人間だった。

 

「待ちに待ったぜこの時をよぉッ!!」

 

「そうか、すまないがお前に関わるつもりはない」

 

「ツレねえこと言うなよおいッ」

 

「悪いがオレは喧嘩が苦手だ、暴力を振るうのも得意じゃない」

 

「雑魚丸出しの思考じゃねえか、なら大人しくポイントになれよ」

 

 宝泉からしてみるとオレは4000万を貰えるだけの景品か何かなのだろうか。それほど脅威には思われていないらしい。

 

 そう言えば宝泉と何かしら力比べをすることは無かったなと思い出す。警戒も脅威も実感できなかったのかもしれない。

 

 まぁなんだって良い、宝泉を処理するのはオレの仕事ではないのだから。

 

 オレは接近する宝泉の拳を敢えて受けてから言い訳できる状況を作ると、協力者にこう伝えるのだった。

 

 

「そんな訳だ龍園、オレを助けてくれ」

 

「ククク、同級生が一年に襲われてるのなら、こりゃ抵抗するしかねえよなぁ」

 

 

 オレは協力者の一人、龍園にそう言ってその場を後にするだけだ。悪いが宝泉と殴り合うつもりは欠片もない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍園視点

 

 

 

 

 

 

「お前らが三年から毟り取ったポイントを全部だ」

 

 十二日目の早朝、朝一で坂柳の使いが来て一年生の処理を依頼されることになり、報酬を要求した。

 

「随分と強気だな。一緒に一年生を……上位グループを追い落とすことが報酬だろ?」

 

 テントの外に出ると待ち構えていたのは橋本だ。相変わらずヘラヘラ笑いながら坂柳の犬をやってるらしいな。

 

「三年と同じこと言ってんじゃねえよ。そもそも坂柳もあの生徒会長からポイントをふんだくってる筈だ。テメエの財布から出す訳でもねえんだ、遠回りな交渉は止めろ……アルベルト、石崎、お帰りだそうだ見送ってやれ」

 

「おいおい待てよ、ちょっとした冗談だっての……わかったって、姫さんも報酬を用意するって話だ」

 

 橋本の背後にアルベルトと石崎が立つと慌てて前言を翻す。最初からそのつもりなら変なジャブを挟むな。

 

「お前さんの言う通り三年からポイントを貰える契約だ、それを全部そっちに渡すって条件で、額は500万。構わないだろ?」

 

「最初からそのつもりなら変な欲を出すんじゃねえよ」

 

 やはり坂柳も三年からポイントをふんだくる契約を結んでいたか。笹凪の襲撃に参加した二年生の状況は報告を受けたが、どいつもこいつもやる気が無かったらしいが、カモにしたってことだろう。

 

 南雲も追い詰められていたんだろうが、幾ら何でも迂闊すぎるな。笹凪の襲撃といい、勝てないギャンブルが好きらしい。

 

 都合は悪くねぇか。どうせこっちも一年は処理しておきたかったからな。

 

 三年生の大量リタイアに加えて、一年生からもそこそこの人数がリタイアしている現状、後は上位の一年生グループを追い落とせば上位50パーセント圏内に俺のクラス全員がほぼほぼ食い込めることになる。5万ポイント程度でしかないがそれでも40人全員ならクラスには200万が入って来ることになる。

 

 更に見方を変えるなら、二年生という学年全体には多少は前後するにせよざっくりと800万ポイント近くが流れて来ることになる。今後交渉するにせよ毟り取るにせよ、あるとわかっている数字を把握できるのは悪くねえ。他所の学年だとなかなか難しいからな。

 

 南雲との契約で得られる500万、坂柳と協力して得られる500万、加えて上位50パーセントでクラスが得られる200万……まぁ上出来か。

 

「ただし契約を結ぶ場合は教師立ち合いの下で契約書を作って貰うぜ? 後ろからブスリなんてゴメンだからな」

 

「ククク、信頼がねぇな」

 

「この学校で一番そこから遠い相手だろ」

 

 橋本は苦笑いを浮かべてそんなことを言ってきやがる。お前の所の坂柳も信頼という点では大差がないだろうが。

 

「良いぜ、契約を結んでやるよ。そっちの条件でな」

 

「そりゃ助かる。俺も姫さんに怒られないで済みそうだ」

 

「条件は報酬だけか? 細かい指定がねえのなら適当に間引かせて貰うぞ」

 

「あぁ、いや、確か何人か指定した生徒がいたな。今現在三位を維持してる一年生のグループのメンバーと動きが危険な宝泉は確実に処理して欲しいってよ」

 

「ハッ、そいつは都合が良いな。契約とは関係なしに処理しておきてえ相手だ」

 

「お~怖ッ、処理だの間引きだの、会話内容が完全にヤクザだな」

 

 橋本、テメエもその会話に参加している一人だってことは自覚してるんだろうな?

 

 まぁ良い、健気に儲け話を持ってきたんだ。契約を結んで邪魔な一年どもを処理するとしよう。

 

 動きを牽制して黙らしておきたい一年もいることだ、ここは坂柳に乗ってやろう。

 

「石崎、クラスの男どもに集合をかけとけ」

 

 三年生は九割がリタイア、一年は今日でトドメを刺す、そしてもうリタイアによる退学の心配はない。

 

 つまり、必死にポイントを稼ぐ理由は無くなったということだ。寧ろここまで大量のリタイア者が出た状況だと、残りの参加者をどれだけ間引くかのほうがずっと重要だろうな。

 

 

 坂柳も似たようなことを考えてるんだろうぜ、一年生を追い込んで上位50パーセントや70パーセント圏内から弾きだせれば、この試験で得られる全ての報酬をほぼ二年生で独占できると。

 

 一位で得られるプライベートポイントは一人当たり100万、二位は一人当たり50万、三位で25万だったか。そこに上位50パーセント圏内に入れば一人当たり5万、70パーセント圏内で1万。便乗のカードを的中させれば更に大きなポイントが動くことになる。それら全ての報酬をほぼ二年生で独占するのならば文句はねえ。

 

 今後集めるにしても、素寒貧のクラスからはどうやっても奪えねえからな。俺たちの学年が儲かるってことは、つまり俺の目標にも近づくことになる。クラスにあるポイントの総額もそうだが、同じ学年にあるポイントの総額も意識する必要がある。

 

 南雲もそうだが、ポイントはそこにあるから奪うことができる。袖も振れない貧乏人を増やしても意味がない。

 

 

 俺が他人を儲けさせるか、つくづく笑えねえな。まぁ今は乗せられてやるとしよう。

 

 

 Aクラスを代表して坂柳が、こっちは俺を代表にして教師立ち合いの下で契約を結ぶ。幾人かあっちのグループから動ける奴を引っ張って来るとして、まず最初に処理すべきはあのクソ生意気な一年か。

 

 クラスの男連中が全員集まったことを確認してタブレット端末を確認してみると、宝泉は綾小路に接近してるのが確認できた。

 

「……意味がわからねえな」

 

 宝泉が綾小路を狙う理由がハッキリとしない。言ってしまえば無意味だ。それによって得られる利益が欠片もねえ。まだ私怨で俺を狙うか、それとも上位三組のグループに襲い掛かる方が納得できるが……何か理由があるのか?

 

 例えば、綾小路を落とすことで何らかの報酬が……いや、今は良い、それよりも一年生の間引きだ。

 

「お前ら、もうポイントを稼ぐ必要はねぇ。ここから先は一年の間引きを中心に動くぞ、上位50パーセント圏内にいる奴らを順次襲撃する」

 

「おいふざけんな、そんなことが学校側にばれたらペナルティが与えられるだろうが」

 

「黙ってろ時任、不服だってんなら一人で寂しく魚でも釣ってろ」

 

 こっちに反発的な奴に構ってる時間もねぇ、早めに移動するとするか。

 

 まずは宝泉、次に三位の一年生グループ、そんで50パーセント圏内にいる一年生だな。

 

 なぁに、生徒同士のイザコザはある程度は仕方がねえとあの理事長も言っていたからな、ある意味では免罪符を手に入れたにも等しい。

 

 だが言い訳は必要だ、俺たちの行動を正当化する言い訳が。

 

 

 そう、例えば、一年生の方から先に襲撃してきて、それを目撃した俺たちが仕方なく応戦したとか、或いは襲われている同級生から助けてほしいと要請されたとかだな。

 

 柄も悪ければ素行も悪い、顔はゴリラで暴力的なイメージもある馬鹿な一年が、とある生徒に殴り掛かって来る映像があれば言い訳の一つくらいにはなるだろう。

 

 

「そう言う訳だ龍園、オレを助けてくれ」

 

 

 宝泉からの攻撃をワザと受けた綾小路は、その瞬間の映像をタブレット端末で録画した俺にそんなことを言ってきやがる。

 

 相変わらず食えねえ男だ、宝泉を処理するのも一人で十分だろうによ。

 

 言いたいだけ言って森の奥に走っていく綾小路を見送って、俺は宝泉と向き合う。

 

 あぁ、悪くねえな、ガンを付け合うなんてこの学校じゃああまり無かったからな、中学時代を思い出すようだ。

 

「龍園、なんでテメエがここにいるんだ?」

 

「それはこっちのセリフだぜ宝泉。こんな所に用はないはずだろ?」

 

「あぁ? ハ、どうやらこっちの動きは筒抜けってことか。他の一年が足止めされてるのも偶然じゃなかった訳だ」

 

「状況の整理は終わったかよ。脳筋なテメエにでも詰みってことは理解できるだろうよ」

 

「詰みだぁ? 貧弱なテメエ一人で何ができるってんだよ」

 

「ククク、理解できてねえなら黙って寝てやがれ。安心しろよ、立てなくなってもまたお姫様抱っこで運んでやる……何せテメエはアンヨもまともに出来ねえみてえだからなぁ」

 

 そう言った瞬間に宝泉の表情が苛立ちに包まれる。どうやらあのお姫様抱っこ事件は相当堪えたらしいな。

 

 あれ以降、宝泉という名前にはお姫様抱っこされたという意味が付随するようになった。そりゃ笑えねえだろ。

 

 別に合図なんざ無かった。ただ俺と宝泉は同時に額をぶつけ合う。

 

 頭が揺れる感覚があるがまぁ良い。こんなもんは挨拶みたいなもんだ。

 

「オラッ!!」

 

 頭突きの次は右ストレートだったが、悪いが予定が立て込んでいるんでな、脳筋と付き合うつもりはねえよ。

 

「やるぞお前ら、出て来やがれ!!」

 

 声をかけると周囲を囲んでいたクラスの男子が姿を現した。濃い木々に身を隠していたのでこれまで気が付かなかったようだな。

 

「ハッ、たかだか二、三人増やした所で、雑魚は雑魚だろうが。わかりやすいな、テメエみてえな奴はやることが昔から相場が決まってっからなぁ!!」

 

「ククッ、大勢に囲まれたから負けましたって言い訳を用意してやってんだよ」

 

 最初に飛びついたのはアルベルトだった。中腰になって背後から宝泉の腰に抱き着くとそのまま転がそうとする。

 

「雑魚が何人群がろうが……あぁ?」

 

 次に石崎が、背中に飛びかかり、今度は足にまた一人、圧し掛かるようにまた一人、そうやって宝泉の動きを封じる人数は俺と小宮と反発的な奴を除いたクラスの男出全員だ。喧嘩が得意じゃない奴も中にはいるが、数が揃うと強気になるのは変わらないな。

 

「悪いな宝泉、テメエに付き合ってやれるほど暇でもないんでな」

 

 一人二人、三人四人で収まらず、無数の相手に纏わりつかれてそれでも暴れまわって抵抗する宝泉に、俺は拾った岩を落とす。

 

 丁度、人間の頭ほどの大きさのそれを落とすのはコイツの膝だ。

 

「がッ!? テメェ……ッ!?」

 

「ククク、笹凪に折られた足はこっちだったか? 悪いな、病み上がりだってのに」

 

 大勢のクラスメイトに纏わりつかれて動きを封じられても抵抗は激しかったが、こいつは一学期の殆どを病院のベッドで寝て過ごしたからな、随分と鈍ってるらしい。

 

「また病院で過ごしてくれ、テメエに学校は似合わねえよ」

 

 笹凪に折られた足は完治していたようだが、再び折られることになる。足が一本潰せればもう何の脅威にもならねえな。後は囲んでリンチするだけだ。

 

 顔面を蹴り飛ばし、ついでに鳩尾も蹴っておく。

 

「大層な喧嘩自慢だったらしいが、こうなっちまえば只の雑魚だな」

 

「これで勝った気になんな――ッ!?」

 

 何となく面が気に障ったのでまた顔面を蹴り飛ばす。

 

「まぁテメエは納得できねえだろうな。だが最後に立ってた奴が勝者なんだよ。あぁだが俺は寛容だ、好きなだけ喚いても構わないぜ……人数が多かったからとか、正々堂々とした戦いじゃなかったからだとか、本気になれば負けなかったとか、言い訳は幾らでもあるだろうからよ」

 

「く、そがッ……こいつらどけろ、タイマンだ、テメエごとき足一本使えないくらいで丁度良いんだよ!!」

 

「そいつはあれか? 正々堂々戦えってことかよ? おいおい健気なことを囀るじゃねえか――――スポーツがやりてえなら他所でやれッ!!」

 

 今度は顔面に踵を落とす。鼻が折れるような感触があったが、まぁ問題はねえ。

 

「覚えてろよ……ここでテメエが勝っても、次に会ったら即殺してやるからよ」

 

「やるなら上手くやれよ? 勝つってのは単純なことじゃねえのさ。もし俺を殴り飛ばせても結果的に退学になったとしたら、それはお前の負けだ」

 

「何抜かしてやがる」

 

「それにだ、悪いが俺には超えなきゃならねえ相手がいるんでな。綾小路も笹凪も、アンヨもまともにできねえテメエごときに食える相手じゃねえよ」

 

 誇りを捨て、意地を捨て、己の全てを賭してもなお手が届かない相手に挑もうってんだ、テメエごときに苦戦すらしたくはねえ。

 

 最後のトドメとばかりに、宝泉の顔面をまたもや蹴り飛ばすと。こいつは完全に意識を失うのだった。

 

 あっけない最後だな、笹凪だったならこの場にいる全員に銃器を持たせても不安なくらいだが、人間という物差しで測れる程度の宝泉ならばこんなもんだろう。

 

「おい、近場の課題にいる教師に宝泉が倒れてるって伝えてやれ。残りは付いて来い、次を潰すぞ」

 

 ほぼ無傷で宝泉を処理できたので次は他の一年生だ……いや、その前に証拠集めだな。

 

「あぁ、やっぱりありやがったか」

 

 気絶した宝泉の懐を探ってこいつのタブレット端末を引っ張りだす。色々と調べ回ると、そこには録画データが保管されていた。

 

 今回の一連の襲撃を行う上での首謀者とのやり取り……言い方を変えれば責任を押し付けられる相手との会話内容だ。

 

 一年の椿桜子、襲撃の責任はこいつが全て取るということになってるらしい。宝泉は脳筋だが暴れられる言い訳くらいは作ってたか。全てはコイツの命令という録音をしっかりと残していたということだ。

 

 だが、この録画データはこっちの言い訳作りにもなり、一年生が共謀して襲い掛かろうとした証拠にもなる。

 

 

 つまりは、俺たちが「抵抗」する大義名分にもなる訳だ。

 

 

 それを確認すると無線機を使って坂柳が使っている周波数に合してこう伝えた。

 

「坂柳、証拠を手に入れた。どうやら一年は組織立った襲撃を行っているらしいぜ」

 

 茶番だな、だが大義名分は必要だ。

 

 そして無線機の向こう側にいる坂柳もそれを待っていたのだろう。

 

『おやおや、それはそれは、実は今も私のクラスの生徒がすれ違った一年生に暴力を振るわれているようなのです。困りましたね』

 

「ククク、そいつは困るな、つい力強く抵抗しちまう」

 

 監視カメラの無いこの無人島で、宝泉の端末に残された録画データはとても大きな意味を持つ「客観的な事実」だ。利用しない手はねえな。

 

 幾らか一年生を間引いて上位50パーセント圏内から蹴り出して、後は三位の位置にいる一年生のグループにも損害を与える。

 

 襲撃を企てた一年生グループからの暴力行為で、仕方なく抵抗するだけというシナリオだ。

 

 あの月城とかいう理事長代理も言っていたな、仕方がないと。

 

 

「よしテメエら……山狩りだッ!!」

 

 

 もう三年は九割近くがリタイアしてる、残った一年も間引けば、この試験は事実上終了することになるだろう。

 

 俺の目標の為に、同じ学年にポイントが大量にある状態の方が都合が良いってことだ。

 

 だから潰れてくれ、なぁに、お前たちがこっちを襲撃してきたんだから、これは仕方がないって奴なんだろうよ。

 

 

 

 

 



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交渉の余地はない

 

 

 

 

 

 

 

 

 八神視点

 

 

 

 

 

 面白い作戦だと素直に賞賛しておきましょうか。少々詰めが甘い所と、他人の能力に依存する所を除けばですが。

 

 僕の目の前には幾人かの同級生がいて、その中心で動いているのがCクラスの椿さんだった。

 

 彼女のOAAの能力はそこまで高くはない。けれど数字に表れていない思考力は持っているんだろう。それか手を抜いているのかはわかりませんが。

 

 自身は退学するから全ての責任を押し付ければいいと、ある意味開き直った方針を示せることもあり、多くの一年生を動かせることにもなった。

 

 宝泉くんも何だかんだで動かせている辺り、何を餌にすれば人を動かせるのかということをしっかり理解していることも評価できる……もっとも、他人に結果を委ねると言う詰めの甘さは減点となるでしょうが。

 

 残念ながらこれでは綾小路清隆は倒せない、倒せてなるものか。

 

 そんなこちらの考えや思考を表に出すことはなく、僕は一年生の指揮を執る椿さんにこう伝えた。

 

「どうやら結果は振るわなかったようですね」

 

 一年生連合が使っているキャンプは今現在作戦本部のような形になっている。連絡用の無線機に幾つかのタブレットが机に並べられており、刻一刻と変化する状況に即応できる状況であった。

 

 その中心で指揮をするのが椿さんだが、大きな溜息を吐いているあたり、頭の中にあった甘い計算はやはり空振ってしまったらしい。

 

 そもそも宝泉くんだけで挑ましている時点で破綻している。彼一人で倒せるのなら何の苦労もしないんだから。

 

「みたいだね」

 

 予定通りなのか、それとも焦りを隠そうとしているのか、表情には動揺が見られない。

 

「聞こえる? 誰が宝泉くんを処理したのか教えて」

 

 彼女は無線機にそう問いかける。返って来たのはおよそ冷静とは言えない声であった。

 

『に、二年だッ!? アルベルトとかいうでっかいゴリラを引き連れた奴らが……うわッ、ち、違う、俺は無関係で――――うわぁあああああッ!?』

 

 次の瞬間、無線機の向こうからは悲鳴と共に何やら不吉な音が届くことになる。まるで複数に囲まれて暴行を受けたかのような音が。

 

 それ以降、無線機から彼の声が聞こえて来ることはなかった。代わりとばかりに聞き覚えのない男性の声が聞こえて来る。

 

『ククッ、次はテメエらだ。せいぜい震えてろ』

 

 まるで質の悪いホラー映画のような展開だと思う。どうやら偵察として動かしている一年生たちの大半が既に処理されているらしい。格闘のプロがいる訳でもなくせいぜいが喧嘩自慢程度なら複数人で囲めばほぼ無力化できる。

 

 龍園と言う生徒の情報は僕も把握していましたが、情報よりもずっと躊躇なく戦う男ということか。

 

 事前に渡されていた全校生徒の情報ではもう少し迂闊で傲慢な男だという印象だったけれど、戦いは数と勢いだということを最低限は理解しているんだろう。

 

 たかだか高校生の喧嘩自慢程度ならば組織力を駆使すればほぼ完封できる。そう考えると龍園という生徒の評価は改めるべきか。

 

「全員撤退、作戦は中止する」

 

 すぐさま椿さんはそんな指示を出す。こちらの最強戦力である宝泉くんを動かせなくなった今、それ以外の手もないか。

 

「椿、俺が出る」

 

「……ダメ、相手は集団で反撃してきた。宇都宮くんが強いのはわかってるけど、一人でいっても返り討ちになるよ。やるにしても数を集めて一筋縄じゃいかないって見せてから交渉にはいるべき。暴力はあくまで見せ札でしかないよ」

 

「やってみなければわからないだろう」

 

 このキャンプ地にいる一年生の中で、腕っぷしに自信があるのは宇都宮くんだけど、相手は個人の戦いを最初からするつもりはない。殴り合いではなく殲滅を目的としているのは明白だ。

 

 スポーツ気分で勝てる相手じゃない。彼の戦闘能力が高校生レベルで語れなかったとしても、そういう話じゃなかった。

 

 或いは僕が協力すれば……いや、ここで二年生を返り討ちにした所で綾小路清隆に要らぬ情報を与えて警戒されるだけか。

 

 状況を俯瞰すれば今がどれだけ拙い状況なのかよくわかるね。一時的な共闘関係を結んでいた三年生はほぼ壊滅、一年生は手痛いしっぺ返しをくらって追い詰められている。そもそも暴力を振るうことに躊躇がなかったり、喧嘩自慢だったりする生徒の大半はこの襲撃に注ぎ込んでいるので、彼らが全滅すればもう後がない。

 

 残るのはほぼ無傷の二年生たちだけ。点を取って優劣を競う試験の筈なのに、いつのまにか相手を襲撃してどれだけの損害を出せるのかが重要になっている辺り、もしかしたら学校側は呆れているのかもしれないな。

 

「なぁ椿、宇都宮、ヤバいんじゃないか? 襲撃される前にさっさとリタイアした方が良いって」

 

「そうだ……勝てるから協力しただけで」

 

「50万ポイントももういらないからさ……その、俺も抜けたいんだけど」

 

「わ、私は、最初から関係がないからね」

 

 

「ウチも帰りたいッス」

 

 

「そもそも最初から無茶だったんじゃないのか? 上級生を襲撃するなんて」

 

「責任はアンタが取ってくれるんだよね?」

 

 連合のキャンプ地に集まった一年生たちの士気は地を這うかのように低い。大した目的や志もなく儲け話にただ集まって来ただけの連中なので仕方がない。旗色が悪くなればすぐこうなることはわかっていた。

 

 彼ら彼女らは軍人でも警察官でもない。ただの高校生でしかなく、それ以外の言葉で表現することができない集団なのだ。少しの不安でこうもなる。

 

 しかし予想以上に二年生の動きや連携が鋭く強固だな。もっと互いを意識して牽制しあっていると思っていたけど、想像していたよりも協力関係を作る柵が低いのかもしれない。

 

 綾小路清隆による動き? 二年生全体に影響を及ぼせるほどの存在感を示していた? それとも友好関係を築いている? タブレット端末で動きを俯瞰して見ると、二年生チームはあの男を援護して守るように動いているのがわかる。

 

 僕が思っている以上に、影響力が強いということか。もしかしたら表向きは敵対しているポーズを取っているだけで、裏では結託しているのかも……いや、綾小路清隆ならば支配下に置いていてもおかしくはない。

 

 なるほど、もう学年全体を支配しているということか、面白いじゃないか。

 

 だとしたら僕があの男を倒すには同じように学年を支配して駒を増やす必要がある。今この場はそういった流れを作るのに適していると言えるのかもしれない。

 

 元からそのつもりではあったんだ、少し予定を早めるだけとも言えるのかもね。

 

「皆さん、一つ提案があります」

 

 不安と恐怖で右往左往している一年生連合に語り掛けていく。優し気に、そしてどこまでも冷静に、強いリーダーシップを感じさせることを意識して。

 

 今までもそう振る舞って来たので容易いものである。学年を支配する為には信頼を積み重ねていくのが一番だろう。ただし示すのはカリスマ性や思考力だけでなく、力もその一つだ。

 

 今は信頼を稼ぐターン、暴力も一つのスパイスとして織り交ぜて行けば良い。

 

「現状、極めて拙い状況にあるのは言うまでもありません。このまま二年生が来るのを待っていてもいずれは捕捉されます。そうですよね、椿さん?」

 

「そうだね」

 

 警戒するような、そして訝しむような表情と視線を向けて来るのは、彼女の中で僕に対する疑念があるからだろうか。

 

 やはり観察力があるな。詰めの甘さはまだ感じられるが、要注意な一年生と認識しておこう。

 

「だ、だったらよ、椿を差し出して俺たちは逃げようぜ……せ、責任は全部お前が取るって話だったよな!?」

 

 焦りと不安に駆られた一年生男子の一人がそんな提案をすると、全体の意識が傾くのがわかる。それで二年生が止まる根拠など何もないのだけれど、藁にも縋る思いという奴なのかな。

 

「確かにそう言ったよ、でも今更二年生が止まることはないと思う」

 

「お、お前がやるって言ったから俺たちはッ!!」

 

「落ち着いてください。今は身内で怒鳴り合うのではなく、解決策を打ち出しましょう」

 

 

「でも手があるんッスか? 八神くん」

 

 

 椿さんを差し出すと言う短絡的な解決方法に流れそうになっていた一年生全体の意識を何とか引っ張り戻す。

 

「二年生たちの目的はわかります。報復と言うよりは一年生全体の追い落としでしょう。考えてみてください、既に三年生の九割ほどを退場させたんです。ならば次は一年生の番、仮にもし今回の襲撃が無かったとしても同じことが起こっていた筈でしょう」

 

「なんだよそれ、最初からそうするつもりだったってのかよ……」

 

「最初から、という訳ではありません。序盤は二年生もまともに試験に挑んでいましたが、三年生の殆どが退場した辺りで風向きが変わりました……二年生はこう思ったんでしょう、一年生を処理できれば試験で得られる報酬のほぼ全てを独占できると」

 

 襲撃の報復という側面もあるのだろうけど、本質はそこだ。

 

「今後も学年を跨いだ試験があると想像するのは簡単なことです。自分たちのクラスだけでなく学年全体の利益というのを考えての行動でしょう。上位三組だけでなく50パーセント圏内の報酬すら独占するつもりなのかと。彼らは感情的に動いているのではなく、計算でこちらを処理しようとしています。重要なのは、計算という部分かと」

 

「つまり八神、お前は交渉が可能だと思っているのか?」

 

「その通りだよ宇都宮くん。二年生の目的は報復ではなく報酬だ。交渉次第では殴り合いにはならないと思うな」

 

 するとこの場に集まった一年生の中に少なくない動揺が生まれる。強い不安に晒された中での僅かな希望となっているのだろう。

 

「なので僕は、まず二年生たちとの対話を提案します」

 

「……対話って言ってもよ」

 

 誰がそれをやるんだと、一年生たちの中で目配りが頻繁に行われていく。結束力も無ければただ報酬に釣られただけの集団なので誰もやりたくはない。

 

 だからこそ、ここで前に出れる人間が今後の主導権を握れる。一目置かれるような存在となる。学年全体を支配する為の最初の一歩とも言えるだろう。

 

 参考にするのはあの生徒会長のような体制だろうか、勝てないと認識させて資金を一ヶ所に集めて僅かなチャンスに賭けるしかないと思わせれば支配も完了する。

 

 

 待っていろ綾小路清隆、すぐにお前と戦える環境を作ってやるよ。

 

 

 その為にもまずは、一年生全体で突出した評価と信頼を稼ぐ必要がある。恩を作り、能力を示して、多くの支持を集めて、最後のひと押しで腕っぷしの強さも見せる必要があった。

 

 まずはこの局面を僕主導で解決すればいい。どいつもこいつも馬鹿ばかりなのでわかりやすい結果が大事だ。

 

 だが二年生たちの動きは想定以上に激しく躊躇が無い、どれだけ頑張ってもイーブンが限界か……。

 

「八神くん、君の目的が見えないんだけど」

 

 こちらの意見を尊重する雰囲気になってきた一年生の中で、椿さんだけは怪しむような視線を向けて来る……やはり警戒されているか。

 

「目的、ですか? それは勿論この局面を切り抜けることにあります。ここまで二年生に躊躇がないとなると、せめて怪我人の数を減らしたいと思っているのは間違いでしょうか」

 

「間違いとは言わないけど、君っていつも何考えてるか読みにくいから」

 

「そうですかね、クラスのことや一年生全体のことばかり考えているんですが……ほら、僕って生徒会役員ですから、おかしなことでは無いと思いますよ」

 

「で、本音は?」

 

「それが本音です。せめてみんなが怪我しないように配慮して行動したい」

 

 どこか眠そうな印象を与える椿さんの瞳が真っすぐにこちらに向けられる。こちらの本質を探ろうとしている瞳だ。

 

「とりあえず行動しませんか? 僕が一年生を代表して交渉に赴きます。彼らの目的は僕たちの排除、しかしそれは計算であって感情的な行動ではないんです。話し合いの余地はある」

 

「でもよ八神、勝算はあるのか?」

 

「……そこは、難しいでしょうね。だけどこのまま何もしないままだと怪我人だけが増えていくと思うんだ。こうなってしまった以上は、そこを一つのラインに設定すべきかな」

 

 この場に集まった多くの一年生の視線と注目が僕に集まるのがわかる。耳を傾け意識を向けて来る。この場の主導権を奪えたということだ。

 

「ある程度、僕たちは順位を下げることを提案しよう。サーチ機能の空打ちを行ってね。そうして上位50パーセント圏内から外れれば自動的に下位にいる二年生たちの順位が上がる筈。そう提案すれば彼らに攻撃する理由がなくなるんじゃないかな」

 

「だけど、そうしたら何も得る物が無くなっちゃうよ? 宇都宮くんのグループは今三位、一位は無理にしても二位なら狙える。それも捨てるっていうの?」

 

「では、このまま二年生と抗争を続けますか? 一体、どれだけの怪我人が出るかわかりませんよ? 三年生すら壊滅させるような集団を相手にするのは現実的ではないかと」

 

「それは……そうだけど」

 

 一年生女子の一人が視線を下げてしまう。もう諦めモードだな。僕の言葉をリタイアする言い訳にしたんだろう。

 

「僕も痛いのは嫌です……根性無しと言われるかもしれませんが、それが本音です。でも皆を傷つけたくないという思いも本音なんだ。なら今は少しでも怪我人を減らすことこそが僕たちが目指す目標だと考えている、どうかな?」

 

 口調や動作は相手に清潔感を与えるように意識しながらも、親しみやすさも与える為に少しだけ崩す。そして真っすぐ見つめると、反論しようとしていた一年生女子は少しだけ頬を赤くして視線を逸らす……チョロいな。

 

 特に大きな反論も無いようなので、この場は二年生と交渉して難を逃れるという方向性になった。

 

 誰がそれをするのかと言えば、やはり僕ということになる。この場の主導権を握れたことになり、同時に一年生の代表という立場を手に入れられたことになる。

 

 生徒会役員という立場もあり、今後は様々な場面で意味を成していくだろう。

 

 一年生の中に、僕がリーダーだという考えが芽吹いた瞬間でもあった。

 

 まぁもっとも、椿さんの疑わし気な視線は今も変わらないけど。

 

「僕たちが現状で得られる最大の利益は身の安全だと認識しましょう。なんとか交渉でそこに持って行かないと……とりあえず各グループのタブレットを僕に預けてください。それらを交渉材料にしてこの抗争を終わらせます。50パーセント圏内や上位三組は難しくても、せめて70パーセント圏内ならあちらも納得するかもしれません。微々たる報酬しか得られませんが、勉強代だと思うべきかと」

 

 サーチ機能を空打ちさせればポイントを減少させることは容易い。殴ってリタイアさせるよりもずっとハードルも低い。そういうことだ。

 

 この場での、この試験での僕にとっての勝利とは一年生全体の主導権を得ることだ。ポイントを得ることじゃない。そう考えるとこの危機的状況も悪い流れじゃないな。

 

 

「ではタブレット端末を借りていきますね……あれ?」

 

 

 交渉材料として必要なタブレット端末は、綾小路清隆や全体の動きを把握する為に連続で使うことを想定して、そして使用するポイントを一つのグループに集中させないように、使いやすいように一ヶ所に並べられていた。

 

 複数のグループのタブレット端末があった筈の場所には、もう一つも置かれてはいない。森の中にあるキャンプ地の中心、折り畳み式の小さな机の上に並べられていた筈なのに。

 

 どこにいった? ついさっきまであったのに。

 

 記憶を探る、本当についさっきまであったのは間違いない。僕が一年生の意識をこっちに引っ張る為に注目を集める前は……あれ?

 

 

 誰かに、盗まれた?

 

 

 その瞬間に冷や汗が流れることになる。タブレット端末の消失は、つまり交渉材料の消失を意味しているのだから。

 

 そして同時に二年生の思惑に気が付く、誰がこの絵図を描いたのかまではわからないが、下手な交渉で妥協するつもりはないということを理解してしまう。

 

 完全に一年を追い込むつもりだ。少なくともタブレット端末を盗んだということは、交渉の余地を無くすことに繋がる。僕たちを強制的にリタイアさせて上下関係と恐怖心を植え付けるつもりだ。

 

 二年生には敵わないのだから大人しくするべき、そんな価値観を一年生に植え付ける為に、徹底的に潰すつもりだとわかる。

 

 まさか綾小路清隆か? 交渉材料を奪って話し合いを破綻させ、龍園を使って一年生を完全に壊滅させる為に――――。

 

 

「拙い、皆、今すぐ腕時計を破壊して船に戻ってください!! 相手は完全にこちらを潰すつもりです!!」

 

 

 

 この試験で徹底的に一年を追い込むつもりのようだ……なるほど、こちらの駒が揃うのを待つほど気長ではないということですか。

 

 面白いじゃないか、良いだろう。本格的に潰す前に前哨戦も悪くはない。付き合って上げますよ、綾小路センパイ。

 

 

 

 

 

 

 



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無人島では背中を晒してはいけない

南雲「お、八神とは仲良くできそうだな」


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八神視点

 

 

 

 

 一年生は混乱の極みにあった。タブレット端末の消失という交渉材料消滅と一緒に二年生の思惑が明るみになったからだ。

 

 ここで徹底的な上下関係を押し付けて心を挫く、余計なちょっかいをかけないように徹底的に叩き潰してゴマすりだけをさせる関係に落とし込む……つまりは痛みによる恐怖を与えようという訳だ。

 

「龍園先輩との交渉は僕が引き受けます!! 皆さん今すぐ船まで帰ってリタイアをしてください!!」

 

「ま、任せたぞ八神、上手いこと交渉してくれ」

 

 逃げる言い訳を用意してやればすぐさま一年生たちはキャンプ地から逃げ出すことになる。根性もなければ勇気もなく、ただ本当に流されるだけの者が多い印象だ。

 

 当然と言えば当然か、軍隊でも警察でもないんだ、寧ろ高校生らしいと言えるのかもしれない。

 

 まぁアイツらのことはどうでも良い、僕がやらないといけないのは交渉だ。僕のおかげで助かったと一年生に思わせるのが今後の統治で大きな意味を持つ。それだけの話でもあった。

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う一年生を見送ってから、僕は僕のやるべきことと向き合う。

 

 或いは二年生との顔繋ぎもそうだろうか、侮れない奴だと思わせれば牽制にもなるし箔にもなる。僕にとってのこの試験での報酬は支配を一歩進めることにある。

 

 まずは交渉だ。最後のサーチを行った時の二年生の位置情報を思い浮かべてそれを頼りに動くしかない。

 

 龍園翔、およそ利口な人間とは言えないが、底辺を舐めるような馬鹿ではないと判断する。少なくともただ暴れることしか能の無い輩ならとっくに排除されている筈だろう。

 

 すぐさま動きだす。キャンプとなっている場所は小高い丘になっている為に緩やかな斜面を下りることになるのだけど、見下ろしてみると僅かな木々の隙間からよく目立つ青色のジャージが確認できる。

 

 かなり距離を詰められているな、もうかなりの数の一年生が襲撃されたのかもしれない。

 

 緩やかな斜面の向こう、木々の隙間から大柄でサングラスをかけた生徒、山田アルベルトの姿が見える。その隣には目的の人物である龍園の姿も確認できた。

 

 彼らの足元には一年生が転がっている。綾小路清隆を襲撃するメンバーの一人であったがリンチされて倒れているようだ。拙いな、一年生全体に二年生と戦うべきじゃないという価値観が広まれば今後が面倒になる。

 

「早めに話を付けないといけないな」

 

 こんな所で苦戦している場合でもないし、綾小路清隆以外の相手に手を煩わしている場合でもない。僕の証明はまだ始まってもいないのだから。

 

 だが同時に昂ってもいた。興奮していると言っても良いのかもしれない。まるで見えない盤上で駒を動かしているかのような気分だ。あの人に挑むという事実に心臓が跳ねる。

 

 楽しい、嬉しい――そして、怖い。

 

 いや、それは考えちゃダメだな、負けを認めるようなものだ。

 

 斜面の下からこちらを見上げる龍園と視線が結び合う。こちらを警戒しているようにも、侮っているようにも見える。

 

 悪いがお前は前座だよ龍園、僕の実力を証明して綾小路清隆に挑む資格があるのだと証明する為の踏み台でしかないんだ。

 

「せいぜい必死に足掻いて見せろよ。悪いがお前程度に苦戦する理由もないんだ」

 

 

 

 そして跳ねの良い踏み台になってくれ。それがお前の役目な――――。

 

 

 

 次の瞬間、天地がひっくり返る。

 

 痛みと、衝撃と、グルグル回る視界が今どんな状況にあるのか教えてくれる。僕は斜面を転がり落ちているということを。

 

 背中に強い衝撃を感じ取った瞬間に、僕の体は投げ出されてそのまま転がり落ちてしまったのだ。

 

 どういうことだ? 何も気配は感じなかったぞ!? 一年生は全員撤退した筈だ。あのキャンプ地には僕しかいなかったのに。

 

 何とか受け身をとって勢いを抑えないと――そんな思考よりも早くホワイトルームで散々鍛えた体は対処に動いていた。

 

 斜面に接する瞬間に痛痒を少しでも減らすように受け身を取る。ただし既に勢いが付いてしまった落下を止めることは叶わず。完璧ではなく最善を目指すことしかできない。

 

 この場合の最善とは、可能な限り負傷を減らすということだ。華麗に着地など不可能なのでそれが限界でもある。

 

 一体誰が僕を蹴り飛ばしたんだ、タブレット端末が盗まれたこともそうだが、どうやら一年生の中には裏切り者がいるらしい。

 

 誰だ? あのキャンプ地にいた一年生の中なのは間違いない。だがそれらしい振る舞いをしている者はいなかった。

 

 或いは椿さんだろうか? 彼女は僕に疑念を抱いていた。このまま勢力を拡大させることを嫌った?

 

 色々な思考が脳裏に生まれては消えて行くのだが、それらを中断させたのは斜面を転がり落ちて地面に着地した瞬間である。

 

 いや、着地とはお世辞にも表現できないか、これは完全な落下であり衝突だ。

 

「グッ……ガハッ」

 

 そこが斜面の下にある地面だと理解した瞬間に感じ取ったのは、内臓が掻き混ぜられたかのような不快感と競りあがって来る吐き気だ。そのすぐ後に鈍痛が全身に広がっていくのがわかる。

 

 意識はある。それは幸いだと同時に得られた最高の結果でもある。突き落とされて全身ボロボロになって気絶する可能性が高かっただけに、最小の被害と言えるのかもしれない。

 

 たとえ足の骨が折れていると確信できるだけの状況であったとしても、気絶はしていなかった。交渉に挑めるのはせめてもの救いだな。

 

「おいおいなんだ、斬新な土下座のやり方だな。転げ落ちて来るとはなかなか笑えるぜ」

 

 体の負傷を確認している僕の頭上から龍園が声をかけてくる。どうやら斜面を転げ落ちて行った先は彼らの近くであったらしい。

 

「確かテメエは八神だな。丁度いい、処理したかった一人だ」

 

「う、ぁ……ま、待ってください、ごほッ……僕は話し合いに来たんです」

 

 足は折れている、多分肋骨も、体中に広がる鈍痛は長引いている。

 

 こうなってしまった以上は仕方がない、この姿を最大限利用して同情を誘おう。

 

「あん? 何言ってやがる? テメエらが徒党を組んでこっちの学年に襲撃かけたネタは上がってんだよ、証拠だって揃ってる。笑わせんじゃねえよ」

 

 そんなことを言いながら龍園は容赦なく僕の後頭部を勢いよく踏みつけて来るのだった。

 

 容赦がないことだ、こっちは怪我人だというのに。人の心が無いのかコイツは。

 

「ぼ、僕たちは、もうリタイアします……そちらに襲撃することも、順位を脅かすこともしません」

 

「で、それをどう証明するってんだ? ダラダラ逃げ回ることもできるよなぁ。確実な証明をしたいならタブレット端末を出せ、サーチ機能の空打ちはこっちでやるからよ」

 

 あぁクソ、無いんだよ盗まれたから。

 

「い、今はありませんッ……ですが、リタイアするのは本当です。僕もこの怪我ですから続行もできません。三位から確実に転落します。他の一年生たちも上級生に恐怖していますから同様です……だから、もうこれ以上は止めましょう」

 

 返答代わりにまた後頭部に踵が落とされてしまう……お前、いい加減にしろよ?

 

「恐怖だと? そいつはこっちのセリフだろうが。お前らが徒党を組んで襲撃してきたから仕方なく抵抗してるだけだぜ。今も怖くて怖くてつい蹴り飛ばしちまったよ」

 

 いけしゃあしゃあとよくもそんなことが言えたものだ。

 

 だが、拙いな、やはり二年生ははこっちを徹底的に追い込むつもりだ。交渉してリタイアさせるよりも物理的に痛みを与えて恐怖を植え付けることを望んでいることがわかる。

 

 一年生全体に、二年生と戦うことを止めようという価値観が広がるのはこちらとしても動き辛くなる。今後綾小路清隆と戦う上でそれは最悪の状況とさえ言えるだろう。

 

 何とかして軌道修正しないと、そう考えた瞬間に龍園はまたもやこちらを蹴り飛ばしてくる。

 

「うぐッ」

 

「いいかよく聞け一年、上下関係って奴は大切だ。二度と舐めた真似をできねえように躾けてやるから覚悟しろ。まさか殴り返されねえと思ってた訳でもねえだろうしな」

 

 そもそも襲撃を計画したのは僕じゃない、ただ都合が良かったから乗っかっただけだ。

 

 だがそんな説明をしてもこの男は聞かないのだろう。そもそも求めているのは謝罪でもなければ追い落としでもない、一年生全体に対する牽制を目的としている相手だ。

 

 順位を落とすのは、言ってしまえばその過程で発生するものでしかない、だとするとやはり交渉は難しいか。

 

 せめてタブレット端末を交渉材料にできれば、押し留める理由の一つくらいにはできたというのに。

 

「だがどうしてもって言うのなら考えてやらなくもねぇ、テメエらの襲撃の落とし前として賠償を支払うって約束するのならな」

 

「僕の一存では、難しいです」

 

「なら寝てろ」

 

 そして龍園は僕の顔面を蹴り飛ばして来るのだった。顎先に当たったそれは意識を飛ばすには十分なものであり、僕はその場で気絶することになるのだった。

 

 まだ、戦ってもいないのに……その価値すらないと言うのか。

 

 許さないぞ綾小路清隆、お前が全ての元凶だな。

 

 憎き相手の顔を思い浮かべながら意識を失うことになる。次に目覚めたのは僕と同じようにボロボロの姿になった南雲先輩と桐山先輩が同じように並べられた船の医務室であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇都宮視点

 

 

 

 

 

 一年生の襲撃は失敗に終わった。宝泉が撃退されただけでなく、ほぼ無傷の二年生が勢いそのままにこちらに報復を行ったからだ。

 

 結束力も、意思も、そして覚悟も足りていない集団と、ハッキリとした指揮系統の下で計算された暴力を振るう集団、どちらが勝つのかは考えるまでもない。

 

 蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う一年をそれぞれ囲んで叩くだけの作業だ、もう戦いですらなかった。

 

 或いはあの場で強いリーダーシップを取れていればと思わなくはないが、その為の実績を持つのは生徒会の八神くらいだ。そしてその八神が交渉役を受け持った以上は俺たちにできることは何もない。

 

「八神は上手く落としどころを見つけられると思うか?」

 

「無理」

 

 隣を走る椿がハッキリと断言した。

 

「二年生はこう言いたいの、逆らわずゴマをすれって。その為の報復で、その為の攻撃、謝罪は求めてないのかもね……襲撃を上手く利用されちゃったかな。まさか宝泉くんがここまであっさりやられるとはね」

 

 そこに関しては俺も驚いている。色々と粗暴で落ち着きのない男であったが、その腕っぷしだけは疑いようがなかった。

 

 結局、個人の腕力などは組織力の前には無意味ということか、情けない話ではあるがこちらに龍園のようにクラス全体を暴力方面に動かせるだけの団結力があれば話は違ったのだろうが、宝泉が潰された時点で一年生全体に恐怖が走ってしまった。

 

「宝泉くんは私との話をタブレットを録画モードにして記録していた筈、それも二年生に渡ったって考えるべき……本当に、やることなすこと裏目に出てる。やんなっちゃうな」

 

 珍しく椿が大きな溜息を吐いている。流石に堪えているようだ。

 

「椿、俺たちはこれからどうするべきだ?」

 

「一人でも多く船まで逃がすっていうのが目標だよ。怪我人が出れば出るほど一年生の間には二年生と戦うべきじゃないっていう価値観が広まることになる、それだけは避けたいけど……」

 

 今後も今回のように全学年で行われる試験があると考えれば、確かにその価値観は致命傷になるだろうな。それこそ戦う前から勝負が決まることになる。

 

 そして、だからこそ二年生は徹底的な報復に動いている。この場の勝利もそうだが、これから先の試験でも有利に動けるようにと。

 

 二年生と戦うべきではない、その価値観はつまり毒であり呪いだ。これが広まればそのまま一年生は事実上の支配下に置かれると言っても過言ではない。

 

 三年生を壊滅させた辺り、どうやら二年生は全学年で最も厄介で巨大な力を持っているということだろうな。

 

「交渉はできないか」

 

「タブレット端末を渡せば報復を止めさせる大義名分くらいにはなったかも、どれくらいの効果があるかはわからないけど」

 

「そもそも何で無くなったんだ?」

 

「八神くんの話を聞いてる間に誰かが盗んだんだろうね」

 

「あの場にいた一年生の誰かが……裏切り者がいるってことか」

 

「かもね、そこまで怪しい動きは誰もしてなかったと思うけど」

 

 俺も同感だ、八神に注目していたとは言え、誰かがタブレットに近づけばわかりそうなものだが。

 

 いや、今考えるべきはそこじゃないか。

 

「宇都宮くん、悪いんだけど一年生の保護をお願いできないかな」

 

「二年生を足止めしろってことか」

 

「うん、ここまでグダグダになった以上はね、せめてそれくらいはしないとさ」

 

 椿はそこで止まるように指示を出す。

 

「八神くんの交渉が失敗に終わったっていう前提で話を進めるけど、二年生たちは一年生を普通にリタイアさせるつもりはない。恐怖心を植え付けるようなリタイアを望んでる。だから少しでも多くの生徒を無傷で船まで戻らせる必要がある、なら」

 

「殿が必要だろうな」

 

「まるで戦国時代の合戦だね」

 

「わかりやすくて良い」

 

「どこがさ……まぁ宇都宮くんはここで待機しておいて、多分だけど逃げて来る一年生はここを通るだろうからさ」

 

 今、俺たちがいるのはD7エリア、港にもある程度近く、しかしまだ走らなければならない絶妙な距離だ。

 

「理由は?」

 

「道ができたから。ほら、見てよ」

 

 椿は指示したのは何度も踏み鳴らされた獣道のような通路であった。生徒が幾度も往復したことで出来上がった足跡や踏み鳴らされた草木などが作り出す道である。

 

「試験も後半になってこの無人島には最初はなかった道が色々できてる。皆無意識の内にこういった道を使ってるんだよ」

 

 そしてその道は真っすぐと港まで続いていた。逆に言えば枝分かれしながらも無人島の奥深くまである程度は続いているのだろう。

 

 なるほど、逃げて来る一年生も、追ってくる二年生も、無意識の内にこの道を使っているということか。だとすると椿が示したこの場所はその道の合流地点とも言えるのかもしれない。

 

 ここで待機していれば、自然とぶつかり合うことになる訳か。

 

「できるだけ時間を稼いで欲しい、まぁこんなこと言うのはアレだけど、無茶はして欲しくはないんだけどさ……いや、ミスした私が言っても意味ないか」

 

「あまり気にするな、お前の方針に乗ったのは俺も同じだ、そして他の一年もな」

 

 唯一の誤算だったのは宝泉が瞬殺されたことだ。相手に勢いを与えてしまったな。

 

「俺はここで殿を務める。椿はどうする?」

 

「他の生徒の誘導かな」

 

「意外だな、もう少し冷めた奴だと思っていたが」

 

「うん、自分でも驚いてる……まぁ、偶にはね」

 

 そんなことを話していると、一年生連合共有の無線通話を受けて慌てて逃げてきた一年生の一部がこちらに走って来る。

 

「宇都宮!! ヤバいぞ!!」

 

 そしてその一年たちの背後には追いかけ回してくる二年生の姿がある。大義名分があるとはいえやりたい放題やってるようだな。

 

「椿、行け、ここは俺が引き受ける」

 

「気を付けなよ」

 

 あの二年生、なんて名前だったか……確か石崎だったか? 手下もいるようだ。

 

 逃げてきた一年生の一団が俺の横を通り過ぎて港まで走っていく、それを確認すると真っすぐと迫る二年生を見据えた。

 

「どけよ」

 

「断る」

 

 二年生の目的は一年生を完全に潰して上下関係を植え付けることだ。戦うべきじゃないという考えや価値観が広がるのは阻止しておきたい。この学校でそんな認識が学年全体に広がればただ搾取されるだけの集団になりかねないからな。

 

 せめて、侮れない奴もいると思わさなければならないだろう。

 

 石崎を筆頭とした二年生と向かい合い睨み合う、三人程度なら初手を間違えなければ対処はできる。

 

 まずはリーダー格の石崎を潰して勢いを掴む。固めた拳で顎先を殴りつけるイメージを作りながら前のめりになっていく。

 

「あぁ、いや、お前って宇都宮か? なら丁度良かったぜ、三位のグループにいる奴だよな。潰せって言われてるんだよ」

 

「やれるものならやってみろ」

 

「ハッ、逃げ回るだけの根性無しどもとは少し違うようだな」

 

 あまり細かく考えるタイプには見えなかったが、石崎はこっちも注意深く観察するだけで殴り掛かってはこない。それどころかこちらとの距離感を常に意識しているようにも見えた。

 

 意外にも冷静なタイプなのか? それとも何か作戦があるということだろうか。

 

 あちらと同じようにこちらも様子や動きを観察していると、また一年生の集団が逃れて来るのがわかった。恐れるように石崎たちを見ているが、視線で先に行くように促すと走り去っていく。

 

 そんな一年生たちを、石崎たちは特に気にした様子もなく見逃した。俺だけに集中してくれるのはありがたいが、動きが読みにくいな。

 

 もっと単純でわかりやすい男かと予想していただけに、冷静な対応は面倒でもある。

 

 だが時間稼ぎと言う点でみればこれはこれでありがたい。少なくとも目的は達成できている。

 

「石崎、何をじっとしてやがる」

 

「いえ、思ってたよりも手強そうだったんで、龍園さんたちを待ってたんですよ」

 

 あぁなるほど、石崎が待っていたのは援軍か、無人島の奥側から姿を現したのは悪名高い龍園とその手下たちだ。既に幾人かの一年生を襲撃したのかどこか満足そうにしていた。

 

 一人二人増えた所で問題はないと言いたいが、あの一際大きな体躯を持った相手が面倒だな。確か山田アルベルトだったか。

 

 宝泉と戦った筈だがほぼ無傷な辺り、そもそも個人の喧嘩など最初からするつもりはないのだろう。思っていたよりも石崎は冷静だ。

 

 下手な意地やプライドを優先するのではなく確実に勝てる戦いをすればいい、そう割り切って動ける相手は厄介でしかない。これはスポーツではなく抗争、そこを一年生たちは勘違いしていたのならこの結果も当然か。

 

「クク、なんだやる気か?」

 

「黙って引き下がれるほど弱くはないつもりだ」

 

「どいつもこいつも、自分は誰にも負けないと勘違いしてやがるな。さっさと消してやるか……やるぞお前ら」

 

 黙ってやられる訳にはいかない。せめて侮れない相手が一年にもいると実感させる必要がある。そうしなければもう今後の試験で一年生に勝ち目がなくなってしまう。

 

 柄ではないかもしれないが、面子は大事だ。

 

 

 

 

 その日、一年生の大半がリタイアすることになる。半分は船に戻り、もう半分は強制的なリタイアという形で。

 

 三年生も一年生もほぼリタイアするという異常事態だった。

 

 無人島には、ほぼ二年生だけが残ることになる。

 

 

 

 

 




課題を担当している教師「なんか生徒たちが課題に参加しなくなった、何で?」


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ラストスパート

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験はもう十三日目となりいよいよラストスパートである。二週間というとても長丁場な試験であったのだが、集中して全力で行動しているとあっという間だったと思えるのだから不思議なものである。

 

 試験の序盤は様々な課題をこなして点数を積み上げて行き、後半でもそのペースが途切れることはなく、既に俺たちのグループは他の追随を許さないほどに圧倒的な点数を記録しているのが十二日目終了時点で確認することができた。

 

 二位との差は既にトリプルスコアを記録している。やりたい放題やってるなと自分でも思うけど、どれだけ点数を高めてもリタイアすれば一発で水泡に帰すので油断はできない。

 

 これまで通り点数を奪い去りながらラストスパートの間は今まで以上に冷静に安全面も考慮しながら行動する必要があった。

 

 どれだけリードがあろうとそれは油断する理由にはならない。ここで油断するような者はタダの愚か者である。

 

 師匠曰く、安心するのは勝った後とのこと。

 

 なので今日も俺は六助と一緒に課題を進めながら点数を稼ぎ、特に安全面を考えながら行動していた。

 

 食中毒には細心に注意を払う、水だって同じ、不意に蹴り飛ばされないように常に警戒をして、念には念をいれて六助とは十メートルほどの距離を維持しながらの移動である。

 

 2人固まって移動した状態で万が一蹴り飛ばされて斜面を転がってみろ、リスクは排しておきたいのである程度の距離は必要である。

 

 勿論、背中から蹴り飛ばされるつもりはないし、もしそうなったとしても怪我をするつもりはないけど、そんな自信は油断する理由にもならないのでここは安全策だ。

 

 どちらか片方が怪我で欠けたとしてももう片方が生存していれば大きな問題はない。

 

 今は距離を空けて移動しているが、目的地まで来ればそれも必要はなくなる。

 

「フッ、港が見えてきたようだねぇ」

 

 十メートル前方を歩く六助がそう言った通り、鬱蒼とした森から一気に視界が開けて白い砂浜が確認できる港エリアまでやってきた。

 

 視界も十分確保できる。そして何より学校側の監視が常にあるのでこの無人島で一番安全な場所とも言えるのかもしれない。坂柳さんもだからこそここを拠点にしているのだろう。

 

 俺たちがここに来た理由、それはラストスパートを乗り切る為の最後の安全策の実施であった。

 

 怪我を防止する、食中毒などに注意する、周囲を警戒する、第三者の視線が常にある場所を確保する。これら全てを満たせる場所がこの港エリアである。

 

 この場所には教師が常にいるので学校側の監視がある。もし誰かに襲撃されても公平な判断材料が確保できる上に常に新鮮な水がタダで貰えるのだ。

 

 つまりこの場所では毒を忍ばせることも暴力的な手段に出ることも難しい訳だ。

 

 だからこそより一層の警戒が必要なラストスパートでは、グループメンバーの一人をここで過ごさせることが一つの安全策となるだろう。

 

 つまり、ここから先は俺と六助は別行動となる。

 

 俺は無人島でこれまで通りエリアを踏んで課題を受けて点数を稼ぐが、六助はこの港エリアで最終日まで過ごす訳だ。指定エリアでの点数稼ぎは最低値となるだろうがリードが巨大なのでそこまで心配する必要はない。寧ろ俺が何かの理由でリタイアした時に備えて六助はここで過ごしておいて欲しいのだ。

 

 別に俺は師匠と違って無敵な存在ではないので、何らかの理由で落とされる可能性は十分にある。例えば月城さんがミサイルをぶっ放してきたら流石に焦るし場合によっては死ぬことだってある。

 

 だから保険として六助は港エリアで最終日まで過ごす訳だ。念には念を入れてという考えは大切だという意見で一致した。

 

 安全策を取りながらも俺は俺で追加の点数を稼ぐつもりなので、より大きなリードを目指すつもりである。

 

「ではマイフレンド、私は優雅に休ませてもらうとするよ」

 

「あぁ、ここならば安全だろうからね。ただ水を飲むときは必ず学校側から提供された物で頼むよ」

 

「言われるまでもないとも、ここまで来てつまらない理由でリタイアするつもりもないのでね」

 

「まぁ六助ならその辺は大丈夫だろうね」

 

 2人で砂浜を歩いで港付近まで近づいていく。そこで俺と六助は余っていた初期ポイントを購買を担当している真嶋先生に支払って、シートとビーチチェアとパラソルを購入した。

 

 六助は早速とばかりに水着になってビーチチェアに背中を預ける。それだけ見るとどこかのリゾート地に見えるな。

 

 隣にいる坂柳さんは「え、何で?」という顔をしているけど。

 

「やぁ坂柳さん」

 

「え、えぇ、どうも……天武くん、調子はどうですか?」

 

「悪くはないよ。まぁ俺はこれからも課題でポイントを稼ぐつもりだけどさ。悪いんだけど坂柳さん、六助の話し相手になってあげてよ」

 

「え?」

 

「フッ、恥ずかしがる必要はないともリトルガール。これもまた一興だ。最終日まで共に語らおうではないか」

 

「……え?」

 

 坂柳さんは隣にビーチチェアとパラソルを並べた六助を見て、次に俺を見て来る。その後も何度か視線を右往左往させている……何故だろう?

 

 話し相手がいて暇しないと思うのだけど、六助は何だかんだで話していて面白い相手だし、坂柳さんも会話が弾むものではないだろうか。

 

 何故か助けを求めるような瞳をしているけど、俺はこれから課題を受けないとダメなので頑張って貰うとしよう。

 

「ではリトルガール。まずは上腕二頭筋の美しさについて語ろうか」

 

「……え?」

 

 うん、何だかんだで会話は弾みそうではある。六助は最終日までここで安全に過ごして貰う形で良さそうだな。

 

 とても楽しそうに話している二人をその場に残して、俺はせっかく港まで来たのだからタダで貰える水で喉を潤しておこう。

 

 よくわからないけど三年生と一年生がほぼ壊滅するという状況らしい。いや何でそうなったんだと思うんだけど……。

 

 こちらに襲い掛かって来た三年生は返り討ちにしたからまだわかる。でもそこからどうして一年生がほぼリタイアするような状況になるのかわからない……あれだろうか、襲撃の際に二年生の姿もあったので、カモにされた結果物資が枯渇したとか。

 

 仮にそうだとしても南雲先輩が対処しそうだけど、あの人は今どこで何をしているんだろうか? リタイアするタマでもないと思うけど。

 

 まぁ考えても仕方がない。三年と一年がほぼ壊滅したので試験で得られる報酬のほぼ全てが二年生で独占することができた。今後も全学年合同で試験があると考えれば大きな意味を持つだろう。他学年に利益を与えないと言うのはとても重要だ。

 

「後は月城さんか」

 

 タダで貰える水を受け取って喉を潤しながら次の脅威に備える。三年も一年も壊滅、リードは膨大、保険として六助は安全圏で待機、後は俺が気を付けるだけか。

 

 月城さんが兵器を引っ張って来るという想定して構える必要がある。そうでなくてもこの無人島ならば色々とやれることもある。

 

「もし俺が月城さんなら、戦略級の弾頭で無人島ごと吹き飛ばす」

 

 そうすれば俺は為す術なく殺されることになるだろう。絶対に勝てる方法である。

 

 それが難しくても最低でも戦車やミサイルを用意していると覚悟するべきだろうな。

 

 師匠曰く、最悪を考えて行動するべきとのこと。

 

 この場合の最悪とは無人島ごと吹き飛ばされること、最善とは戦車やミサイルを引っ張って来られること、それ以下の戦力ならば良かったと思うだけの話なので、強く警戒することに損はない。

 

 これから戦う相手は自分よりも強い、そう考えながら備えることは重要である。

 

 喉を潤してから港を後にして無人島の中に入っていく。多くの生徒が移動したことによってこの無人島にも道が出来ており、序盤よりも動きやすくなったな。

 

 タブレット端末を確認して一番貰える点数が多い課題に向かうとしよう。もう必要ないとも言えるけど、それは油断であり慢心だと戒めておこう。

 

 安心するのは全てが終ってからだろうな。油断してミスしましたでは笑い話にもならない。

 

 一番点数が貰える課題は数学オリンピックであったので生徒たちが作った道を進みながらそちらに近づいていく。高難易度で貰える点数が多い課題は食料や水が貰えないのだけれど、桔梗さんから貰った物資があるので最終日まで補給は必要ない。このまま進もう。

 

 課題が行われる場所まで近づいていく足取りは緩やかなものであった。ライバルがほぼ壊滅したことに加えて、二年生も既に試験が終わったものだと認識しているから課題への参加も積極的ではない。

 

 課題を担当している職員もあまりにも参加者がいないのでどこか暇そうである。欠伸をしていたので本当に参加者がいないんだろう。

 

 もう試験の順位付けはほぼ確定したから生徒の動きも穏やかだ。おそらくこの無人島で積極的に動いているグループは葛城たちくらいのものじゃないだろうか。

 

 彼らは現在十二日時点で三位となっていた。坂柳さんは二位、差はそこそこ、なのでこのラストスパートに全ての余力を注いでいるに違いない。

 

 後は坂柳さんグループも積極的に動いているだろうな。そしてこの無人島で今動いているのは俺と葛城と坂柳さんグループだけという状況なのかもしれない。

 

 港には結構な数の生徒が集まっていたし、後はのんびりと過ごしながら試験の終わりを待つだけだ。葛城は坂柳さんとの勝負もあるので必死だろうけど。

 

 数学オリンピックの課題を済ませながらそんな推測をする。

 

 参加者が俺しかいなかったので問題なく一位を取ることができた。次はエリアを踏んでおくとしよう。連続でスルーをすると点数がマイナスになるので気を付ける必要がある。

 

 着順順位は六助が港にいるので貰えないが、ここまでくれば何も問題はない。

 

「ん?」

 

 指定されたエリアを踏んだ時だ、近くにテントが組み立てられていて良く知る人物の姿を発見できたのは。

 

「お~い、鈴音さん」

 

 その人物とは鈴音さんである、二年生は坂柳さんと葛城グループ以外は殆どが皆と付近でゆったりと過ごしていたのだが、こんな場所でキャンプとは珍しいと思いながらも声をかける。

 

 彼女も俺を認識したのか、振り返ってから少し驚いた顔になり、しかしすぐに穏やかな表情を見せてくれるのだった。

 

「天武くん、久しぶり……という感じはしないわね」

 

「何だかんだで連絡は取り合っていたから、確かにそうかもね」

 

 クスっと、穏やかな笑みを見せてくれる鈴音さんは、どこか安心しているようにも見える。

 

 気持ちはわかる。何だかんだで緊張が続くこの無人島では信頼できる人が近くにいると安心できるものだ。それは俺だって同じである。

 

「ところで鈴音さんはここで何をしているんだい? 二年生は殆ど港にいるみたいだけど」

 

 三年生も一年生もほぼ全滅だからな、もう試験を真面目に続ける意味は殆ど無かったりする。坂柳さんと葛城グループ以外はだが。

 

「看病よ」

 

「看病?」

 

 鈴音さんは疲れたような顔をしてテントの入口を開く。すると中で仰向けの姿勢で寝転がっていたのはなんと龍園クラスの伊吹さんであった。

 

 少し呼吸が荒い、体温も僅かにだが高いようだ。腕時計のアラームがなるほどではないだろうが、体調が少し悪いのかもしれない。

 

「空腹と軽度の脱水症状で調子を崩していたから、私の物資を渡したの……まぁ随分と抵抗したのだけれど」

 

 どうやら彼女は体調不良の伊吹さんを見捨てられずにここから動けなかったらしい。

 

「こ、これで……勝ったと思うなよ」

 

 テントの中で仰向けで寝ていた伊吹さんだが、こちらの会話は聞こえていたのか、漫画の中の悪役みたいなセリフを放った。その顔を悔しそうに歪められており、テントの入口で腕を組んで見下ろしていた鈴音さんを睨みつけて来る。

 

「何を言っているのかしら彼女は、勝った負けたなんて話は誰もしていないわ」

 

「そ、そもそも、アンタが無理矢理私に水を飲ませただけだからな……私は、別に必要無かったのにッ」

 

「施しを受けておいて何を言っているのかしら」

 

「施しぃッ!? 誰も頼んでないんだけどッ」

 

「よく言うわね、あれだけ水も食料も消費しておきながら恩知らずなこと」

 

「……ぐむむッ」

 

 なるほど、鈴音さんの水や食料を消費した以上は伊吹さんはなかなか強くは出れないか。

 

「私は貴女のせいでそれなりの損害を引き受けたのよ。その上で文句を言われても呆れるしかないわ。せめて大人しく過ごすくらいのことはできないのかしら」

 

「……」

 

 とうとう黙ってしまった伊吹さんは、それはもう悔しそうな顔をしながら震えている。

 

「鈴音さん、あまり苛めちゃダメだよ」

 

「そんなことしていないわよ、ただ彼女が現状を正しく理解せずに絡んで来るだけ……はぁ、困ったわ」

 

 そういう言い方をするから伊吹さんが悔しそうな顔になるんだろう。まぁ別に鈴音さんに落ち度は無いしやってることは素直に素晴らしいので、多少はマウントを取るくらいは問題ないか。

 

 もしかしたら長い無人島生活でストレスが溜まっているのかもしれないしな。伊吹さんをチクチクと責めながら鬱憤を晴らしているのかもしれない。

 

「ごめんね伊吹さん、鈴音さんも悪気はないんだ、許してあげて欲しい。ただ体調が悪いのならやっぱり安静にしておくべきだと思う。アラームが鳴るほどではないにしても、悪化すれば煩くなることも考えられる。ここまで来たんだからしっかりと試験を乗り越えよう」

 

「言われなくたって、わかってるっての」

 

 最後に伊吹さんは不貞腐れたようにそっぽを向いてしまう。子供っぽい反応でありどこか可愛らしく感じられた。

 

「まるで子供ね」

 

 だから鈴音さん、そういうことは口にしなくて良いんだよ。

 

 また伊吹さんの機嫌が悪くなっちゃうよ。安静にしておかなければならないのに。

 

 このままテントの入口に立って話しているといつまでも口喧嘩が終わりそうにないので、鈴音さんの背中を押してやや強引にだが距離を取らせておこう。

 

 張り合うのはお互いに万全になってからでも出来るんだ。別に今じゃなくても問題はない。

 

 まぁ伊吹さんはテントの中で放置しておけば良いだろう。腕時計もなっていないのでそこまで深刻になる必要もないだろうから。

 

「はぁ、まったく、世話がかかるのだから」

 

「うん、でもまぁ、嬉しくはあるよ」

 

「どういうことかしら?」

 

「鈴音さんの優しい部分が見れたからさ。何だかんだ言いながら世話してるんだから、嬉しくなったんだ」

 

 素直な気持ちを伝えると彼女は照れたように頬を赤く染め、それを隠すかのように俺の耳を引っ張って来る。

 

「痛いじゃないか」

 

「そういうことを言うのは止めなさい、わかったわね?」

 

 なんだかこういうやりとりも久しぶりな気もするので、安心出来てしまうな。やはり俺も長い無人島生活で疲れていたということだろうか。

 

 後、やっぱり鈴音さんと直接会えたので安心できたらしい。通信越しではなく面と向かってはここが初めてだからな。

 

「天武くん、昼食はもう終えたの? まだなら食べて行きなさい。さっき課題でお肉を手に入れたの」

 

「ありがとう、でもそっちは大丈夫なのかい? 伊吹さんにも物資を提供したのに」

 

 それ以前に鈴音さんはまだ課題を受けていたのか、ストイックなことだ。

 

「問題ないわ、そもそも生肉なんて長く持たないのだから早めに処理しておきたいの」

 

「そうか、なら遠慮なく頂こうかな」

 

 肉は大切だ。桔梗さんから貰った物資で最終日まで無補給で行ける計算だけど、節約するに越したことはない。

 

 小さめのキャンプ用のフライパンで焼かれた肉を分けて貰う。味付けは簡単に塩だけだ。それでもとても美味しく感じられるのだから、疲れと空腹が一番の味付けということか。

 

「高円寺くんはどうしているの?」

 

「港で待機して貰ってる、万が一に備えてね。俺はラストスパートをかけてる状態かな」

 

「そう、十二日目に確認した順位は、二位の坂柳さんとダブルスコア以上を付けていたからある程度はゆったりしても良いと思うけど」

 

「それで負けましたじゃ格好がつかないだろう。やると決めたのなら最後まで油断なく全力を尽くすだけさ」

 

「そうね、貴方ならそうするでしょうね」

 

 これから月城さんも処理しないといけないからな、大人の権力者を侮るほど馬鹿ではないつもりなので、俺が負けることだって十分にありえる。そうなったとしても六助が港で待機してくれているので一位は死守できる筈だ。

 

 リスクを排して後顧の憂いを断ち、全力で挑むとしよう。

 

 頂いた肉を腹に収めて心地いい満足感に満たされていると、ほんの少しだけ気が抜けるような雰囲気になってしまった。

 

 別に疲れてはいない、けれどこの無人島での生活はどうしたって負担がかかる。どちらかと言えば精神的な疲れの方が大きいかもしれないな。

 

 熟睡しないようにして、襲撃に備え、背中から刺されないように警戒して、課題では常に満点を取り続ける。そりゃ疲れるか。

 

 肉体的には何ともないのだが、精神的には少し疲労が感じられる。師匠のように植物のような落ち着いた境地にはまだ辿り着けていないということだろう。

 

 近くにあった大きな木に背中を預けて、そのままズルリと滑るように腰を下ろす。食事を終えたばかりということもあって心地いい熱が腹から広がっていた。

 

「流石の貴方も疲れているようね」

 

「そう見えたかい?」

 

「えぇ、少しだけ。普段はそんな溜息なんて吐かないもの」

 

 どうやら無意識の内に溜息を吐いていたらしい。

 

 鈴音さんはそんな俺をみながらこちらと同じように木に背中を預けて腰を下ろした。

 

「少しくらい休んでも良いのよ。リードは十分だし、今からどう頑張っても逆転は不可能だと思うわ」

 

「かもしれないね、けれどやると決めた以上は全力で最後まで駆け抜けるだけさ」

 

 安心して良いのは結果が出たその瞬間だけである。過程で勝った負けたを語っても意味がない。

 

 なので一位での突破が確実となっていたとしても手を緩める理由にはならない。これで良いと納得するのではなく限界を目指し続ける、それだけだった。

 

 ただまぁ、疲れてしまうのは事実である。

 

 別に限界ギリギリという訳でもないけれど、ほんの少しの疲労が精神的にあるだけだけど、このままの状況が一カ月も続けば苛立ちも感じるのかもしれないな。

 

 やはりまだまだ未熟である。もっと凪の精神を鍛えなければ。それこそ植物のように自然体であることが重要だ。

 

 

 そんなことを話していると、突然に俺の頭が掴まれる。

 

 

「休みなさい。これはクラスリーダーとしての命令よ」

 

「……えっと」

 

 そのまま両手で包まれた頭は隣に座っていた鈴音さんの膝へと置かれることになる。

 

 俗に言う膝枕の姿勢であった。

 

「俺はこれから課題を受けに行くんだけど」

 

「二度も言わせないで、休みなさい。今日一日くらいなら何も問題はないわよ……寧ろ、明日の最終日に備えて気力も体力も備えておくべきね」

 

「そう言えば、最終日は貰える点数が倍になるんだったか」

 

「えぇ、だから今日は休みなさい。これが妥協ではなく戦略的な行動よ」

 

 なるほど、そんな言い訳で休もうということか。

 

 鈴音さんは逃がさないとばかりに、膝に頭を乗せた状態であった俺の眼前に掌を置いた。アイマスクでもしたかのように視界が閉ざされてしまう。ほんのりと暖かい彼女の掌は心地いい。

 

 そのまま俺の瞼は強引に閉ざされることになる。すると不思議なもので、目の奥にあった重さと眠気が一気に膨れ上がってしまう。

 

 いや、この無人島で熟睡するとか、殺してくれって言ってるようなもので……。

 

 そんな意識と反発するように瞼の奥からはじんわりと心地よさが広がっていき、最後には逃れ難い眠気と共に意識が遠ざかっていく。

 

 

「ふふ、おやすみなさい」

 

「うん」

 

 

 最後に俺に膝枕をしていた鈴音さんがそう囁いたことで、まぁ今日くらいはいいかとあってはならない認識を抱いて、深い眠りに落ちるのだった。

 

 間抜けだけど、後頭部に感じる柔らかさは何とも心地いい。

 

 これは仕方がない、誰も抗えないので俺は悪くない。そういうことにしておこう。

 

 

 

 

 



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月城さんなら必ずやってくれるに決まってるだろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やってしまった」

 

 目を覚ました瞬間に自分がとんでもない間抜けを晒していることに気が付く。

 

 いやね、この無人島で熟睡するとか一体何をしているんだって話になる。殺してくれと言ってるようなものだし、背中から刺されても爆殺されても文句は言えないくらいに迂闊な振る舞いである。

 

 もし俺が月城さんの立場なら熟睡している大間抜けを見ればしめしめと思って襲い掛かる筈だ。

 

 まぁそんなことは無かったし、俺は生きているけど、そういう話ではない。

 

 自分の愚かさと迂闊さにちょっと頭を抱えたい気分になりながらも、意識を覚醒させた瞬間に後頭部で感じ取った柔らかさと、俺の髪を撫でていた鈴音さんに気が付いたことでどうでも良くなってしまうのだった。

 

 甘えてしまったか、俺もまだまだ未熟だな……いや、これはこれで成長と言えるのだろうか。

 

「起きたのね」

 

「あぁ……俺ってどれくらい寝てたかな?」

 

 そう訊ねると鈴音さんは持っていたタブレット端末を弄って時刻を確認した。

 

「三時間ほどかしら」

 

「……」

 

 百回は死んでいたな。本当に間抜けな話である。ただ生きてはいるので良しとするしかない。

 

「やっぱり疲れているようね。グッスリと眠っていたわよ」

 

「そのようだ……ごめんね、ずっと眠ったままで」

 

「構わないわよ」

 

 すると彼女はクスクスと笑って見せる。そしてまた指先で俺の髪を弄り始めた。

 

「それほど、退屈はしなかったしね」

 

「えっと……もしかしてずっとそうしていたのかい?」

 

「そんなことある訳ないじゃない、私も少し眠っていたわ。起きたのは三十分ほど前かしら」

 

「そっか」

 

 指先はまだ俺の髪を弄っている、そして額を突くように移動して、最後には鼻先に触れるのだった。

 

 何が楽しいのかその度に唇を緩めている……上機嫌な様子なのでこれはこれで良いんだろう。不機嫌であるよりはずっと。

 

 トントンとノックするように眉間の中心に触れてくる。するとやはりクスクスと笑うのだった。

 

 こそばゆいような、少し照れくさいような不思議な感覚がある。頭を膝枕から上げようとしても何故か押さえ込まれてしまうので逃げられない。

 

 仕方がないか、気の済むまで付き合うとしよう。どうせここまで熟睡したのだから今日の予定は全部吹っ飛んでしまっている。昼食にしてからすぐに眠ってしまったことで今は夕方である。

 

 空もオレンジ色になっており、課題が終了するまで三十分ほど、今更慌てた所で何もできないのでもう開き直るとしよう。

 

 リードは大量にあるので大丈夫だと言い訳しておこうか。

 

「そうだ、鈴音さん。実はお礼を伝えておきたかったんだよね」

 

「お礼?」

 

「ほら、篠原さんが怪我をした時に清隆の通信でさ、鈴音さんはこう言っていただろ。クラス皆に成長して貰いたい、一人に負担をかけないようにしたいって」

 

「えぇ」

 

「そう言われた時にさ、とてもほっこりとした気分になったんだ。一人じゃないと実感できるのは大切なことだなって……うん、感謝の気持ちで一杯になった」

 

「当然のことを言っただけよ、貴方一人に何もかもを丸投げするような集団がAクラスになれるとは思えない。なれたとしても長続きはしないわよ」

 

「うん、そうだと思う……だけど嬉しかったんだ。俺はなんていうかさ、今まではクラスの皆を守るべき対象として見ていたんだよね。そういうとアレだけど、もしかしたらどこかで下に見ていたのかもしれないと気が付いたんだと思う。それは失礼だなって」

 

 守るべき存在であることは間違いない、だけどただそれだけの関係はきっと健全ではない。

 

 背中を預けられる関係であることは重要だ。俺は別に彼ら彼女らの親でもなければ保護者でもない。

 

 そんな俺の言葉に鈴音さんは何も言わなかった。ただ指先は髪を撫でる。

 

「自分でも不思議でさ……今までは何ていうか、俺は俺の中で何かが完結していたんだ。俺が勝手に守って、満足して、それで終わりだって。ただ考えてみれば当たり前のことだけど、クラスメイトは皆それぞれ成長している、守るべき存在じゃなくて背中を預ける存在なんだって思うべきなんだろうね」

 

 それに気が付かせてくれたからこその感謝である。少し傲慢だったことを彼女は教えてくれたということだ。

 

「これまでは俺の満足だけで完結していたけど、きっとそれは間違いなんだって気が付いた」

 

 

 同時にそれは、俺と師匠と敵だけで完結していた世界の終わりを意味していた。

 

 

 俺が満足できればそれで良くて、師匠が満足してくれれば満たされて、邪魔な何かを叩き潰すだけの時間は終わりを告げた。

 

 幼年期の終わりと言えるのかもしれない。天下無双の漢の第一歩でもあるだろうし、正義の味方の入口と言えるのだろうか。

 

「誰かを守るだなんて、自己満足ではなく使命感から言えという話だ」

 

 そんなことも理解しないまま正義の味方だとか天下無双の漢を目指しても意味がないだろう。

 

「だからお礼を伝えさせて欲しい。俺にとって重要な思いに気が付かせてくれたのだからさ、本当にありがとう」

 

 鈴音さんの指先は髪を撫でる。

 

「ほんの少しでも、貴方の力になれたのかしら」

 

「少しどころじゃないくらいにはね」

 

「そう、なら良かったわ」

 

 穏やかな表情で微笑む彼女は、やっぱり俺の髪を撫でたり額を突いたりしてくる。そろそろ恥ずかしくなってきたと言うか、テントの入口付近からもの凄く気不味そうな顔でこっちを覗いている伊吹さんの視線に耐え切れなくなったので、そろそろ膝枕の姿勢から脱するとしよう。

 

 後ろ髪を引かれる気持ちもあったが、いつまでも寝ている訳にもいかないな。

 

「もう良いのかしら」

 

「あぁ、十分休めたよ」

 

「もう少し休んでも良いと思うのだけれど」

 

「おや、鈴音さんはまだ膝枕をしたかったのかな?」

 

 揶揄うようにそう言うと、鈴音さんはキョトンとした顔を見せてから、顎に指を当てて考え込む。

 

 そして仕返しとばかりにこう言うのだった。

 

「天武くんがどうしてもと言うのなら考えてあげなくもないわよ」

 

「……なるほど、魅力的な提案ではあるが、今は遠慮しておこう」

 

「そう、なら続きは試験が終わった後にしましょう」

 

 え、船でも似たようなことをするつもりなのか? それは何というかとても恥ずかしいのだけれど。

 

 伊吹さんに覗かれてるだけでも結構な羞恥プレイだったのだが、船でとか一体何人に見られるかわかったものではない。正直恐ろしいので遠慮しておこう。

 

 そもそも鈴音さんは嫌だったりしないのだろうか? 他人からの視線や評価で揺らぐ人でもないというのはわかるけど、変な噂を立てられても困るだろうに。

 

「そろそろ行くよ。鈴音さんも頑張ってね」

 

「そのつもりよ。もう順位に拘る必要はなくなったけど、今の自分がどれだけのことが出来るか確認したいから課題には参加するつもりではいるわ」

 

 ストイックな人である。既に上位50パーセント圏内に二年生全員が入っているので、上位三組を狙うグループ以外は港でのんびりと過ごしているというのに。

 

 ただ彼女らしくはある。努力の人だからな。

 

「そもそも動くと言ってももう課題はやっていないでしょう? どうせならここで最終日の朝まで休んでいても良いのよ」

 

「いや、できるだけ有利な場所に移動しておきたいからさ」

 

 そもそも男女で長く一緒にいると学校側から変な疑いをかけられかねない。ここまで来たのだから変なミスやツッコミどころを残したくもなかった。

 

 安心も慢心も、全てが終ってから幾らでもできるのだから。

 

 正確には、最終日の段階で誰かと一緒にいる状況を避けたいと言う事情もあった。堅気の人間を巻き込むほど馬鹿ではないと思いたいけど、そもそも月城さんが本当に冷静な行動を出来る人ならさっさと学園を去っているだろうから、完全に敵として信頼することが難しいのだ。

 

 まさか一般生徒は巻き込まないだろうと言えるような人なら良かったんだけど、そこまで断言できるほど月城さんを俺は理解できていないので、ここから先は巻き込めない。

 

 そんな訳でもうすぐ夕方を越えて夜になるのだけど、移動してしっかりと明日に備えておこうか。

 

 タブレット端末を取り出して1点を消費して清隆の位置を確認する。どうやらあちらも最終日に備えて動いているようである。

 

 ある程度の情報は俺と清隆の間で使える周波数を使って無線機で教えてもらってはいるのだけど、細かい調整はやっぱり会って話しておくべきだろう。無線機だと周波数が割られていれば傍受される可能性も絶対にないとは言えないからな。

 

 学校側への、そして月城さんへの信頼がゼロである。学校側から支給されているという段階で疑ってかからないとダメなんだから本当に面倒だ。

 

 さっさと退場させるとしよう。いい加減あの人に振り回されるのも疲れて来た。

 

 大人の権力者なんて南雲先輩よりも遥かに迷惑で面倒だ。邪魔にもほどがある。

 

 そう考えるとこの無人島はとても都合が良いのかもしれない。月城さんにとってもそうだけど、俺たちにとってもわかりやすい隙を晒してくれる好機なのだから。

 

 清隆もでっかい釣り針を垂らして今か今かと待っている状態である。七瀬さんと天沢さんだけが釣果では流石に寂しいので大物もしっかりと釣り上げておきたいのだ。

 

 戦車とか釣れるかな、最近はちょっと浮かれ気味だったので久しぶりに錆を落としておきたいんだよね。

 

 身体能力は去年の今頃と比べればずっと成長しているのは間違いない。けれど武人としてはどうしてもさびてしまっている。九号に眠らされたりとか鈴音さんの膝枕で眠ったりとか、流石に注意散漫である。

 

 人としても成長して、武人としても前に進んで行かなければならないのだ。なので月城さんには期待もしているのだった。

 

 この学校は楽しいけど、全力でぶん殴れる相手がいないのがちょっと残念でもあった。やっぱり殴るなら人よりも戦車とかの方がずっと気楽である。

 

 それか命の危機を感じるような状況が欲しい、錆び付いて弛んだ精神を今一度引き締めたい。人としての成長と武人としての進化は必ずしも一緒ではないので頑張りたいものであった。

 

「清隆」

 

 月城さんが用意しているであろう大規模な攻勢を楽しみにしながら移動したのはG4エリア、岩肌が剥き出しになった山中に足を踏み入れるとすぐに清隆のキャンプ地を見つけることができた。

 

「来たか」

 

 彼は彼で忙しい二週間であった筈なのだが、特に疲れた様子を見せることもなく夕飯を調理していた。

 

「食べていけ、港に立ち寄った時に鶚が船から持ってきたものだ」

 

「……色々と言いたいことはあるけれど、誰かから略奪しなかったことをまずは褒めようか」

 

 九号も成長しているということだろうか。そこは素直に嬉しかった。

 

「彼女はどこに?」

 

「偵察だそうだ。明日に備えてな」

 

「I2だっけ……確かに、地雷でも仕掛けてるかもしれないもんね」

 

「流石にそれはないと思うが」

 

「いや、油断は禁物だよ。大人の権力者というのは平気でそういうことをするからね」

 

 俺も地雷を踏んで死にかけたこともある。爆発よりも早く上空に飛びあがったことで被害は最小限だったけど、二度とごめんであった。

 

 清隆が作った玉ねぎ入りのコンソメスープと焼肉を食べながら、あらゆる状況に対応できるようにイメージトレーニングも欠かさない。

 

 俺が知っている大人の権力者は基本的にやりたい放題する人ばかりだ。月城さんだって同じだろう。戦略級の弾頭を用意していたとしても驚きはしない。相手を警戒するとはつまりそこまで想定することである。

 

 さて九号はどんな情報を持ち帰って来てくれるかと内心では期待していると、俺たちのキャンプ地に音も気配もなく迷彩柄の怪人が姿を現した。

 

「お疲れさま九号、清隆が夕飯を作ってくれているよ」

 

「いただくッス」

 

 意外な返答である。潔癖症という訳じゃないけど、他人が作った物は毒を警戒して食べるような子じゃなかったと記憶していたんだが。

 

 彼女は彼女で人間らしく成長しているということだろう、頭のおかしい超人たちはしっかりと学校に通わせた方が社会的な常識が身につくのではなかろうか。

 

「どんな感じだった?」

 

 猫舌なのかコンソメスープをチビチビと飲む九号にそう訊ねると、彼女は淡々とこう返してくる。

 

「I2エリアにはもうある程度の人が集まってるでやがります。人相の悪い連中が確認できただけで49人いたッス。ただデカめの銃器をぶら下げてるような感じではなくて、小型の拳銃と刃物程度の武装ッス」

 

「そんなものか、狙撃手や戦車や地雷も無いのかな」

 

「無いッス」

 

「バイオ、ケミカル兵器、戦略爆弾は?」

 

「それらしい物は確認できなかったでやがります。罠を張ってる様子もなく、完全に待ち構えているだけの状態ッスよ」

 

「……なるほど、君から見た武装戦力の練度は?」

 

「最低限の統率は取れていたのは間違いないッスね、でもそれだけで、これと言った相手は見当たらなくて……ただ、ウチが発見できなかっただけかもしれませんけどね」

 

「そこは警戒はしておこうか。しかし戦車は無し、地雷も無し、バイオケミカル兵器も無し、用意したのは刃物と小型拳銃で武装した50前後の集団か」

 

 それが相手の戦力の上限とのことらしい。ただ九号が発見できていないだけで隠し玉でもあるのかもしれないけど、見えているだけの戦力はたったこれだけだ。

 

「これはアレなんですかね、ウチらは舐められてるとか? 50前後の素人に毛が生えた程度の連中じゃあ何もできね~です」

 

「いや、月城さんは大人の権力者だ。隠し玉の一つや二つ、それどころか戦艦だって引っ張て来てくれる筈だよ」

 

「ッ!? な、なるほど、島に上陸させてるのはあくまで見せ札程度と考えるべきッスね」

 

「あぁ、その程度のことは容易くやってくれるだろう。大人の権力者の戦いとはシンプルな腕っぷしじゃなくて、持ちうる権力でどれだけの我を押し通せるかだからね」

 

「衛星兵器も動かして来るッスかね」

 

「当然だ、あの月城さんだぞ。やると決めたら衛星だってこの無人島に落としてくるさ」

 

「……相手を舐めてたのはウチの方ってことでやがりましたか」

 

「その通りだ。あの人はニコニコ笑いながら核爆弾のスイッチを押す人に違いないからな」

 

「恐ろしい男ッスね」

 

 そんな会話を九号としていると、コンソメスープを飲んでいた清隆がとても呆れたようにこう言うのだった。

 

 

「そんな訳ないだろ、常識的に考えろ」

 

 

 

 



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試験最終日

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、つまりは試験最終日の朝、朝日が無人島に差しこむと同時に活動を開始することになった。前日に鈴音さんの膝枕で熟睡をかましたことで体調や余力は万全とも言える状態になっていた。九号が懲りずに俺を毒か何かで昏睡させて添い寝しようと画策しても防げるくらいには集中することができていたと思う。

 

 手慰みに行っていた彫刻も今日で最後となると少し寂しいものがある。新しく作ったデフォルメされた兎の彫刻をその場に置いて試験最終日が始まるのだった。

 

 さてまずは月城さんが用意した武装勢力の制圧だけど、これ自体はそこまで大した脅威じゃない。九号が確認した限りだと凡そ50前後の集団に小型拳銃や刃物を装備させた面子とのことで、練度はそこそこらしい。

 

 遠足に来たのかな? それが九号の印象らしいけど、大人の権力者である月城さんはこちらの想定外の戦力を用意していてもおかしくはないので、警戒は高めておく。

 

 なにせあの月城さんだからな、ニコニコ笑いながら大量虐殺兵器を運用してもおかしくはない。そうでなくても平気で毒とかばらまきそうではある。

 

 なので集中して警戒しながらの行動が求められる。ようやく最終日なのだからここまで来てリタイアもしたくは無い、集中していくとしよう。

 

「で、どう動くつもりなんだ? 鶚の話だと50前後の武装勢力とのことだが」

 

 テントを片付けた清隆がそんなことを聞いてくる。

 

「見えているだけの戦力ならそこまで大した戦力じゃね~ですよ」

 

 九号が自信満々と言った感じで自分の胸を叩く。任せてくれと言わんばかりに。

 

 まぁ実際に小型拳銃と刃物で武装した50前後の集団ならば九号にとってはそこまで脅威ではないだろう。彼女は何だかんだでゴリラだからな。

 

「わざわざ相手の都合や状況に付き合う必要はないかな。そこにいるとわかっているんだからこちらから仕掛けよう」

 

「そうッスね。戦は先手必勝、これに限るでやがります」

 

 九号的にも反対はないようなので動くことになる訳だけど、清隆はどうするのかという話にもなる。

 

「月城さんの迂闊な行動はもう釣れた訳だし、清隆はどうする?」

 

 この無人島に50人の武装勢力がいるという状況だけであの人の首を飛ばすには十分すぎる。九号の雇い主に報告すればそれだけで終わりだろう。なので既に決着がついていると言えばそれまでなのだけど、清隆としてはまだ帰るつもりは無いらしい。

 

「餌の仕事はもう終わったが、月城と話して確認したいこともある。もう少し付き合うとしよう」

 

「そっか……まぁ月城さんからしてみれば清隆は商品な訳だし、傷つけたりはしないか」

 

「だろうな、その武装勢力も主にお前を意識した物の筈だ」

 

 ならば清隆が銃で撃たれたりとかは流石に起こらないか? 死なせたい訳ではなく退学させたい訳だし、そんな状況になれば月城さんがただの愚か者というだけの話になってしまう。

 

「ん……なら月城さんは清隆に任せるとして、俺は武装勢力の処理を始めようかな」

 

「ご主人、ウチはどうするんッスか?」

 

「清隆の護衛を任せるよ」

 

「一応、報告材料としてわかりやすい写真とか動画を残したいでやがります」

 

「あぁ、そうか……だとすると立場を逆にするって言うのもアリなのかな」

 

 どうしようかと悩むのだけど、そもそも悩む必要もなかった。

 

「よし、それならもう速度重視で処理しよう。俺と九号でまずは武装勢力を間引く。月城さんも当然処理する。とりあえず動く相手を全員叩きのめせばだいたい解決するって師匠が言ってたしな。清隆もそれで構わないかい?」

 

「構わないが、やりたい放題はしてくれるなよ。後々面倒ごとになるのはごめんだ」

 

「俺も同感だ。可能な限り静かに目立たず退場して貰うつもりだよ」

 

 変な噂をされても困るし、大事になっても面倒である。

 

 幸いにも月城さんの迂闊な行動を釣り上げることはできている。九号も証拠を押さえて上司に報告すればあの人は確実に処理されることになるだろう。変なことをせずに細かい嫌がらせを続けるだけならばこうはならなかっただろうに、無人島ということで月城さんも開放感を得たかったのだろうか。

 

 だが都合が良い、この失態で月城さんには退場するのはほぼ確定である。権力者がアキレス腱を増やしたりツッコミどころを晒すのは止めた方が良いということだ。

 

 世の中、真面目に生きるのが一番である。それができない人が権力者になっても長生きできないということだろう。

 

「正面は俺が、九号は回り込んで背後から順次処理していこう。ただし注意点として死人は出さないように配慮すること。面倒事はごめんだ、良いね?」

 

「了解ッス」

 

 別にわざわざ複雑な指示にする必要もないのでこれで良い。

 

 九号は早速とばかりに岩肌を巧みに下って森の中に姿を消していく。この無人島という環境は彼女にとって動きやすいだろうな。

 

「それじゃあ俺も行こうかな、清隆は月城さんとゆっくり話すと良いよ」

 

「そうさせて貰おう」

 

 あの武装勢力の目的はこちらだろうから清隆は案外すんなりと月城さんに辿り着けるかもしれない。後は適当にぶん殴って話しやすい状況にすれば良いだけだ。

 

 幾ら月城さんでも対話以外の選択肢しか無くなったら唇も軽くなるだろう。

 

「問題なのは、月城さんがどんな奥の手を残しているかだけど……」

 

「そこが気になるのか? 50前後の武装勢力でも限界ギリギリだと思うが。日本でそれだけの集団を作るのがどれだけ危険で難しいことかわかるだろ?」

 

 清隆の言い分は尤もである。銃社会でもないこの国では確かに難しい上に、それを集める上でのリスクの大きさを考えれば普通はそんなことはしない。銃刀法違反どころか下手しなくても国家転覆罪とかになるだろうから、露見すれば一発死刑である。それどころか超人を嗾けられて人知れず闇に葬り去られることだってありえるだろう。

 

 月城なんていう男は最初からいなかった、そういう話にだって普通になると思う。

 

 だから清隆の言うように現状でも相当なリスクを抱えているのに、それ以上のリスクを抱えるのかと言う疑問も確かにある。

 

 けれど俺はこれまで幾度か月城さんと戦って来たんだ、あの人が中途半端な戦力で挑んで来るとは思えない。

 

 戦車か、それともミサイルか、或いはバイオケミカル兵器か、それとも――。

 

 まぁいつまでも警戒していても仕方がないので動くとしよう。丁度清隆の移動エリアがI2に指定されたので、それを挑戦状と受け取るとしようか。

 

「多分だけど、その指定エリアって清隆だけがそうなってるって感じだよね?」

 

「だろうな、あちらもわざわざ他の生徒を巻き込む理由もないんだ。タブレットで確認した所、I2には課題もない。生徒が立ち入る理由はないだろうな」

 

「やってるなぁ……でも何でこんな遠回りなことするんだろうね。清隆を退学させたいならこんなことしなくても難癖付けてさっさと追い込めばいいのにさ」

 

「そこはオレも気になっていた。ここまでリスクを抱えるよりもずっと賢い方法もあった筈だからな。それこそ試験中でなくとも罪状をでっち上げれば良いだけの話だ」

 

 清隆が万引きしたとか、暴行したとか、監視カメラの映像を掌握できる立場にいるんだからそうすればもっと早く仕事も片付いただろう。けれど月城さんはそれをしなかった、この無人島にわざわざ武装勢力を集めると言う意味不明なリスクを抱えるという途轍もない遠回りな方法を取っている。

 

「シナリオありきのプロレスでもしているのかな?」

 

「かもしれないな、どちらにせよ話を聞いてみないことにはわからない」

 

「そりゃそうだ」

 

 なので月城さんをぶん殴ろう。口しか動かせない状況になったら色々教えてくれるかもしれないからな。

 

 そんなことを考えながら俺は清隆を置いて先行するようにI2エリアに移動するのだが、その道中で意外な人物に出会うことになる。現状の無人島では珍しい三年生である鬼龍院先輩その人である。

 

 彼女は単独で試験に挑んでいたのか、南雲先輩のあれらや、やりたい放題する二年生と関わることもなく自由に過ごしていたらしい。

 

「やぁ、可愛らしい後輩」

 

「どうも美人な先輩」

 

 すれ違ったのに無視するというのもアレなので挨拶をすると、不敵な笑みを浮かべてくれた。美人さんなのでちょっとした動作や表情でも絵になる人であった。

 

「鬼龍院先輩、ここで何をされているんですか?」

 

「食料が尽きそうなのでね、近場の課題を受けていたのさ」

 

 俺たちがいるのは現在H4、このまま北東に移動して月城さんを殴ろうと言う計画なのだけれど、割と近くに一般生徒がいるのはちょっと危険だな。

 

「何をしているのかと言えば、君も同じだろう。どこに行くのだね?」

 

「俺たちも近場の課題を受けようと思いまして」

 

「ほう、既に三年と一年を壊滅させて、上位50パーセントを独占した挙句、圧倒的なリードを持つ君がか、試験を真面目に受ける理由もないだろうに」

 

「そうは思いませんよ、どれだけリードがあろうと最後まで全力で走り抜けるだけですから。安心するのも油断するのも全てが終わってからです」

 

「なるほど、尤もな意見だ」

 

 納得してくれたのだろうか? この人の瞳は師匠に似ているのでちょっと緊張するんだよね。

 

「しかし二年生は随分とこの試験で大胆に動いたものだ。一年も三年も無人島から追い出すとはね」

 

「俺はほぼノータッチですけど」

 

「そんなことは無いだろう? 十日目くらいに南雲から私に連絡があったぞ、一緒に君を排除しようとな。まぁ興味が無かったので無視したのだがね……その後南雲がリタイアして三年も殆どが無人島を去った、私はてっきり君が処理したものだと思っていたのだがね」

 

「降りかかって来る火の粉は払いましたけど、それだけです。正直、俺もどうして南雲先輩がリタイアしたのか知らないくらいなんですよ」

 

「そうか、君が蹴り落としたと推測していたんだが、存外、二年生には曲者が多いらしい」

 

 まるで二年生が南雲先輩を処理したと確信しているかのような言い分である。事故の可能性だってあると思うんだが。

 

 まぁなんだって良い、リタイアした真相なんてわかる筈もないのだから。

 

「鬼龍院先輩はリタイアされなかったんですね? もしかして上位三組を目指しているんですか」

 

 すると彼女は少し大仰に両手を挙げて肩をすくめた。

 

「それも一つの手ではあるが、ここまでやりたい放題動いた二年がそれを許すとは思えないしね、ここは無難に上位50パーセント圏内で満足しておくさ。二年生全体が入っているが、席の一つくらいは空いているだろうからね」

 

 確かに三年生の一人くらいは50パーセント圏内に入れるだろう。上位三組さえ脅かさなければ放置する筈だ。

 

「しかし今回の試験は予想以上に面白い結果になった。まさか二年生がここまでやりたい放題するとはね。今頃、船に戻った三年がどんな気分で過ごしているのか興味があるよ」

 

「悔しがっているんじゃないですか」

 

「いや、お通夜状態だろうな。まぁ、これまで殆ど八百長しかしてこなかったツケでもあるんだろう、南雲の命令でしか動けない集団なんだ、その南雲がいなければこうもなる」

 

 南雲先輩のワンマンチームであり競争心もハングリー精神も皆無な集団ということか、司令塔一人がいなくなれば烏合の衆にしかならないということだろう。

 

 俺たちも気を付けないといけないな。まぁ最悪俺が死んでも清隆に丸投げで良いんだろうけど。

 

「私は私で何もしなくても50パーセント圏内に入れたんだ。後はのんびり過ごすとするよ」

 

「上位三組も狙わないと?」

 

 すると鬼龍院先輩は顎に指を当てて考え込む。

 

「或いは上位三組が団子状態ならばそれも良かったかもしれないがね、今更足掻いた所で君との距離は詰められまい」

 

 二位や三位ではなく一位を狙えるのならばそれも良かったということだろうか。

 

「だが、そうだな、このまま終わるのはそれはそれでつまらないかもしれない……ふむ、せっかくこうして顔を合したんだ、どこかの課題で一つ私と勝負しないか?」

 

「俺とですか?」

 

「君以外に誰がいる」

 

「えっと……この後ちょっと予定がありまして」

 

「やれやれ全く、せっかく女性からの誘いだというのに袖にするとはな」

 

「いえ、嫌と言う訳ではないのですけど、優先しなければならないことがありますので、その後で構いませんか?」

 

「ほう、逢瀬よりも優先すべきことなのか」

 

「女性との時間も大切ですけど、友情もまた大切なので……すみません」

 

 そう言って頭を下げると鬼龍院先輩は大きな溜息を吐くのだった。

 

「そこまで言われたらどうしようもないか、ここは引くとしようか」

 

「ありがとうございます。余裕が出来たらその時はご一緒しますので」

 

 ここで変な執着を見せないのは良いと思う。南雲先輩みたいにストーカーみたいな感じになられても困るからな。

 

 勝負は健全に行うのが一番である。月城さんを無事に処理できたら鬼龍院先輩と勝負するとしようか。

 

「それでは俺は移動します、課題が全て終わる時刻までには何とか暇を作りますので」

 

「そうしてくれ、それまで私はのんびり過ごすとしよう……深くは聞かない方が良いのだろう」

 

 俺が向かおうとしている場所は課題もなければ指定エリアでもない。どうやら見破られているらしい。

 

「ご配慮ありがとうございます。鬼龍院先輩は理解のある女性ですね」

 

「フッ、なんだ、今更気が付いたのか」

 

 不敵に笑って彼女はその場を移動することになる。こちらに背中を見せたままヒラヒラと手を振る動作はとても様になっており、女性にこんなことを思うのは失礼なのかもしれないけど男前な人であると思うのだった。

 

「ふぅ、大人しく移動してくれて良かった」

 

 ここで下手に行動を共にするとか言われると面倒なことになったのは間違いない。可能な限り堅気の人間を遠ざけたいという考えは俺も月城さんも共有できていると信じたい。

 

 鬼龍院先輩と分かれて向かう先はI2である。清隆と九号は上手いことやっているだろうかと心配しながらも、俺は俺で油断はできないのでしっかりと対処に集中しよう。

 

 月城さんを格下と思うなど愚か者である。大人の権力者とはただそれだけで警戒すべき相手なのだから。

 

 こちらを倒す為に相応の戦力を有していると考えるべきである。楽観視はできないだろう。九号が見落としているだけで奥の手の一つや二つは用意していると見るべきだった。

 

「さてと、やるか」

 

 I2エリアの手前でリュックを下ろしてまずは体の調子を確認する。熟睡したので体調は万全、疲労も無し、怪我も無し。

 

 天気は快晴、地面はぬかるんでいない、鬱蒼とした森があるので障害物は多い。

 

 まずは鼻で深呼吸、すると森の匂いに交じって僅かに人の匂いが漂ってくる。ほんの僅かな鉄臭さと整備油の匂いも届く。

 

 次に耳を澄ます。自然の中に人間と言う不自然な存在がいるのだから様々な異音が混じっていた。土を踏みにじる音、小枝を折る音、或いは獣とは似ても似つかない呼吸であったりと様々な気配を感じ取れる。

 

 師匠に改造された体は無数の情報を受け取ってくれる。そして森の中に潜む無数の脅威をざっくりとだが認識することができた。

 

 久しぶりの修羅場ではあるので俺もしっかりと身を引き締めて挑むとしよう。

 

 リュックを下ろして身軽になった体を疾走させて一気にエリアに踏み込むと、拳骨一発を目の前に迫った木に叩きつける。

 

 すると内部から爆発したかのように木は粉々に吹き飛んで、その後ろで身を隠していた暴漢を吹き飛ばす。

 

 手に持っていた小型拳銃は地面に転がったので、誰かに使われたり拾われたりしないようにしっかりと回収しておこう。弾を抜いて銃身は握りつぶしておく。

 

 とりあえずこれで一人目だ。すぐさま応戦されてこちらに銃口が向けられるのだが、こんな障害物だらけの場所で銃はあまり役に立たない。

 

 彼らが引き金を引くよりも早く木々に身を隠して走り出す。樹上に飛び移り、別の木に移動してから飛び降りて着地地点にいた暴漢を死なせないように配慮しながら叩き潰す。

 

 やるべきことはこの繰り返しだ。射線と相手の位置取りをしっかりと意識しながら一人一人丁寧に処理していく。

 

 幾つかの銃口がこちらに向けられていることを意識しながら射線を避ける、つい一秒前まで俺が立っていた所には銃弾が突き刺さるのだけど、当たらなければ意味がない。

 

 もっと開けた場所で火力を集中させればまた話が違うのかもしれないけど、森の中は障害物が大量にあるので楽なものであった。

 

 また木を爆散させて身を隠していた暴漢の一人を吹き飛ばす、足は止めずにまた木に身を隠す、その繰り返しを続けていると大勢の注目が集まるので、そんな彼らの背後から九号が襲い掛かる。

 

 音も気配もないままに近づいて背後から口元を覆い隠して何らかの薬品を浸した布を使って意識を奪っていった。

 

 五十人程度の集団なら何も問題はなさそうだな、

 

 さて月城さん、これで終わりということもないだろう。

 

 戦車を持ってこい、久しぶりにあの分厚い装甲を全力でぶん殴りたいんだけど。

 

「話にもならないッスね、遠足でもしに来たんですかね」

 

「小手調べさ、これで倒せれば良し、無理なら本命を動かす、そういうことだ」

 

「なるほどでやがります」

 

 九号が樹上からの背後攻撃で右往左往していた男を蹴り飛ばしてそんなことを言った。少し肩透かしをくらったかのような顔をしている。

 

 やる気が感じられないのかもしれないが……さてどうなるだろうな。

 

 また新しく向けられた銃口から逃れるように動き回りながら、月城さんの作戦を考える。

 

 逆に俺があの人の立場ならどうする? 戦車を持ってくるのは流石に難しいと思うのだろうか? 銃とは話が違うのでわからなくもない。

 

 だとすれば代わりに何を持ってくるだろうか、まさか小型拳銃を大した練度を持たない集団に持たせてそれで勝利を確信するほど間抜けでもないだろう。

 

 それともあの人の中で、俺はこれで勝てると思われている可能性もあるのかもしれない。

 

 いや、流石にそれはないか……だってほら、ようやく本命が来たのだから。

 

 銃を持った暴漢たちを三十名ほど叩き潰した段階で、彼らはもう勝てないと判断したのかさっさと逃げ出すのだけど、代わりに海岸付近から誰かがやって来る。

 

 嫌に大きな気配だ。姿形はまだ見えないけど、かなり腕が立つらしい。

 

「九号、わかるかい?」

 

「ん~……昨日はいなかったんッスけどね、上手く隠れてたんッスかね」

 

 枝の上にいる九号に確認を取ると彼女も気が付いていたらしい。

 

「誰だと思う?」

 

「金にだらしない人じゃないッスか」

 

「そりゃそうか」

 

 九号は迷彩柄のマントの内側をごそごそと漁って何やら物騒な獲物を大量に引っ張り出している。ようやくやる気を出したらしい。

 

 短刀を片手に構え、口の中に針を含み、鹵獲した拳銃を腰に忍ばせる。鎖がジャラジャラ鳴る音もするし、背中に氷柱を突き立てられたかのよう寒気を感じるほどであった。

 

 さて誰が来ると身構えていると、邪魔だとばかりに前方にあった木々が次々と両断されていくのが見えてしまう。

 

 白刃が煌いたかと思えば、木も岩も草も全てが刈り取られて行って鬱蒼とした森が切り開かれていく。

 

 その先にいたのは……鋭い刃を片手に笑う美人さんであった。

 

 脱力した体に反して体幹はしっかりとしており、肩に担いだ物騒な刃物が体と一体になっていると錯覚してしまうほどに自然で、長い髪の向こうで赤く輝く瞳が印象的な彼女は、通称超人八号。

 

「あ~……なるほど、戦車を引っ張って来るよりはリスクも少なくて安いか」

 

 木々や岩を切り倒しながら猛スピードで突っ込んで来るので、こちらも応戦しようとしたけれど、それよりも早く樹上にいた九号が足場にしていた太い枝を圧し折るほどの脚力で飛びついた。

 

「おったなヘラクレス!! 首ッ!! 首置いていきぃ……ッ!? あぁん? 鶚の子燕やないか、何でこんな所におるんや!!」

 

 爛々と輝く瞳と笑顔のまま大太刀を振り回しながらこっちに突っ込んで来た八号は、上空から襲い掛かって来た九号によって阻まれてしまう。

 

 大太刀と短刀が重なり合った瞬間につんざくような音が森の中に響き渡った。

 

「そりゃこっちのセリフッスよ、なんでアンタがここにいるでやがりますか」

 

「雇われたからに決まっとるやろ」

 

「ウチも同じッス」

 

「あんのオッサン、情報と違うやんけ」

 

 やっぱり月城さんに雇われているようだ。だとすると面倒な事態ではある。

 

 八号はどこにでもいるプロの人斬りだ。頭がおかしい超人連中の中でも割と話が通じる方だけど、報酬を貰って契約している以上は話し合いは出来そうにない。

 

「まぁええわ、錦の首はなんぼあっても困らんさかい!!」

 

 そんなことを言いながら大太刀を振り回し始める。相変わらずな様子である。

 

 しかし拙いな、彼女がここにいる理由はつまり月城さんなりの俺対策ということである。だとしたら清隆側にもある程度の戦力を用意していると見るべきか。

 

 どうするかと逡巡して、ここは月城さんぶん殴ることを優先すると決める。

 

「九号、ここは任せる」

 

「了解ッス」

 

「おい待て逃げるんか!? いけずなこと言うなや、こんなええ女を袖にする奴があるかい!!」

 

「悪いね、君と戦うのは嫌いじゃないけど、最優先するほどじゃないんだ」

 

 海岸方面に走り出そうとする俺を阻もうとするけど、九号がそんな彼女の動きを阻止することで楽に逃げられた。

 

 こんな戦力を用意しているとは流石月城さんである。お礼にしっかりと海に沈めてあげないとダメだな。

 

 

 

 



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試験最終日 2

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 随分とあっさり通されるものだと考える。

 

 鶚の報告ではI2エリアには50前後の武装勢力がいるとのことだが、そいつらがオレの行動を阻むことはなかった。気配は感じるのだがそれだけであり、やはり「商品」という立場であることから丁重に扱われているらしい。

 

 月城に辿り着くには都合が良くもある。少なくとも銃で武装した連中に追いかけ回されたりしないのは楽ではあった。

 

 こちらの目標は月城だ、余計な相手は天武に丸投げで良いだろう。銃で殺せるような相手でもないのでその辺の心配はいらないだろうからな。

 

 I2エリアに広がる森を抜けて視界に海と砂浜が広がった。目立つのはこのエリアに人を運んだと思われる中型ボートだろうか。そしてそこには二人の人物が確認できる。

 

 一人は月城、もう一人は一年生の担任教師である司馬だ。愛里の言う通りこの二人はグルで間違いないらしいな。

 

「随分と強引な手段を取ることにしたんですね月城理事長代理、天武が言っていましたよ、ツッコミ所とアキレス腱をわざわざ増やすのは間抜けだって」

 

「返す言葉もありませんよ、本当に無意味なリスクを背負う羽目になりました」

 

 どこか疲れたようにそんなことを言った月城は、中型ボートから下りて砂浜まで歩いてくる。司馬もそれに続いており、どうやらこの二人を相手にすることになりそうだ。

 

 ただ、あのボートにはまだ変な気配がある。奥の手は残しているということか?

 

「しかし綾小路くん、君も随分と大胆に動きましたね。一年生が試験初日にリタイアしたのですから退学のリスクは無くなったのです、船でゆっくりしているという選択肢もあったのでは?」

 

「それだと餌にならないだろう」

 

「なるほど、ホワイトルーム生や私たちを敢えて釣りだす為に動いていたということですか」

 

「おかげで随分とわかりやすい失態を晒してくれたようで満足だ」

 

「失態ではありませんよ、貴方を連れ帰ればそれで私の仕事は終わりなのですから。学校での立場など大した意味は持ちません」

 

「理事長職がどうのなんて話は最初からしていない、何を勘違いしている。アンタの進退と身柄がどこに行くのかという話をしているんだ……気が付いていないのか、もう詰みだということに」

 

「続けなさい」

 

「凱旋するつもりなのかもしれないが、アンタが向かう先はホワイトルームでもあの男の下でもない、もしかしたら東京湾の底か檻の中かもしれないな」

 

「ほう、貴方にそれができるのですか?」

 

「オレがやるまでもないことだ」

 

 そこで月城は考え込む。自分の与り知らぬ所で何かが動いていると想像しているのかもしれない。

 

「迂闊すぎたな、あの男がこの学園に介入しているように。政敵が同じように介入するとは思わなかったのか? そちらの弱点を知りたい相手は存外に多いようだぞ」

 

「……なるほど、それは困りましたね」

 

 少しだけ月城の眉が動く、どうやら鶚の存在は把握できていなかったらしい。

 

「それで、だとしても何の問題が? 今更私が大人しく帰るとでも?」

 

「そんな筈がないだろう、そうなれば困るのはオレだ」

 

 

 何故ならオレは、ただ面倒事を持ち込んで来る相手を叩き潰したいだけなのだから。

 

 

「いい加減、面倒だ。二度と逆らえないように徹底的に粉砕して、オレの視界から消えて貰う為にここに来た。ホワイトルームだの、あの男の思惑だの、お前の考えや目標だの、今更何の興味もない」

 

 それが本音である。次々と面倒事を持ち込んで来る目の前の男を、ただ純粋に叩き潰しただけなんだろう。立場だの思惑だのは後付けでしかない。

 

 この苛立ちを、ただ叩きつけたいだけである。その為に俺はここにいると言っても過言ではなかった。

 

 そして今、その対象が目の前にいる。不思議と晴れやかな気分になるのだから、自分で思っている以上に苛立っていたということだろうか。

 

「月城、邪魔だ、消えてくれ」

 

 浜辺に立った月城に向かって緩やかに歩を進めていく。背負っていたリュックを地面に放り出し、身軽になった瞬間に拳を固めた。

 

「やれやれ全く、随分と短絡的な考えをするようになったものです、誰の影響なのやら。私に暴行を加えるのは非合理的だとは思いませんか?」

 

「どうせ今日でどこかに消える相手なんだ、殴らなきゃ損だろ」

 

 それにどうせ向かってくるんだ、非合理的云々以前に身を守る為の行為でもある。

 

 オレが近づいてくると月城と司馬は警戒しながら身構える。その動作や体幹からもこの二人はよく鍛えられているのがよくわかった。いつも天武に殴られたり蹴られたりしているのでそんな印象は持てなかったが、本来は相当の実力者であるということだ。

 

 比べる相手がゴリラなので弱く見えるだけで、月城が強者であることは間違いない。

 

 そして司馬もまた同様だ。この二人相手だと流石に骨が折れるかもしれないな……そんな風に入学したばかりの俺なら思ったのかもしれない。

 

 

 ああ、だけど、今なら随分と小さく見えるな。

 

 

「左右で挟みます、合わせなさい」

 

「了解」

 

 月城の指示に従って司馬も動き出す。やはり二対一は避けられないか。まぁそれ自体は構わない。どうせ叩き潰すのだから殴る回数が増えるだけだ。

 

「武器などの類を使えば綾小路くんの制圧も簡単なのですが、生憎と貴方は商品です。無事に奪還させることが私の義務ですから――――必要なのは己の拳と判断しました」

 

 武術の経験があるのか構えた姿勢は堂に入っている。司馬もまた慣れた姿勢で拳を固めた。

 

 強いのだろう、経験もあるのだろう、才能もあって、それを研ぎ澄ます努力もしてきたのだろう。

 

 だが、天武との鍛錬を繰り返して来た経験があるからだろうか、迫る拳も鋭い体捌きも鈍間としか表現できなかった。

 

「拳か、天武曰く、どんな場所にも持ち運べる最強で万能の武器とのことだが、お前たちのはそれに遠く及ばないな」

 

 ただ骨と肉を握っただけの塊である。凶器にも武器にも届いていない。ましてや兵器にもなお遠い。

 

 迫る司馬の拳をまずは右手で手首を掴むように受け止める、そして同じタイミングで迫った月城の上段蹴りも左手で受け止める。

 

 これで終わりだな。

 

「ッ!?」

 

「……グッ!?」

 

 後は簡単だ、握った司馬の手首と月城の足首を握り砕くだけであった。

 

 肉と骨が折れる音が掌から伝わって来る。確実な骨折に追い込めたらしい。

 

 天武式改造訓練の賜物で、オレの体も入学当初より遥かに強まったようだ。そう考えるとホワイトルームでの鍛錬はなんとも無駄な時間だったな。

 

 まさか人間の手足を小枝感覚で折れる日が来るとは、天武はいつも手加減に苦労している様子であったが、今ならそれがよくわかる。

 

 まぁ今は良いか、別に手加減するつもりもないのだから。

 

 視線は手首を折られた司馬へと向かう。痛みに表情を歪めながらもこちらへの敵意を減らしていないのだからやはり闘争に慣れた人間なのだろう。そういった相手の心を折るには徹底的な暴力しかない。

 

 もう二度と、オレに関わりたくないと思うまで壊す。

 

 健在だった方の腕でこちらに殴り掛かって来たので、その手首を膝と肘の間で挟んで割り砕く。これで両手が使い物にならなくなった。

 

「グオォッ!?」

 

 ジャージの胸元を掴んで引き寄せて頭突きを食らわせる。鼻が砕かれると同時に鼻血が吹き出るのだが、汚いと思ったので回避しておく。

 

 次は足にしようか、下段蹴りで膝を折り砕き体幹を崩した所で何度も踏みつける。せっかくなので肋骨を幾つか砕いておこう。

 

「何を寝てるんだ。立ってくれ、壊し辛いだろ」

 

「ぇ……ぁ」

 

 倒れ伏した司馬は手足が砕かれた状態なので立ち上がれないようだ。仕方がないのでこのまま踏みつけておくとしよう。

 

 ある程度砕いたらその内飽きるだろう。いや、それよりも前に月城の処理をしないと。

 

 足首を砕いて動きを封じた月城は、ズルズルと体を引きずるようにしながら接岸されていた中型ボートへと移動しようとしていた……いや、何を逃げようとしてるんだお前は。

 

 まだオレの苛立ちは収まってはいないぞ。もう少し手伝ってくれ。

 

 月城がボートへ逃げようとしていたので、足元に転がっていた司馬を投げつけて阻止することにした。

 

 数十キロを超える成人男性を「軽い」と感じられるようになったことに少し驚きながら、キリモミ回転して月城にぶつかる司馬を見ると胸の奥にあった苛立ちが少し和らいだのがわかった。

 

 気兼ねなくサンドバックにできる相手は貴重だな。つくづくそう思う。

 

「どこに行くんだ月城、そこは足場が悪いからこちらで話そう」

 

 接岸された中型ボートの近くは波もあり股下くらいまで海に浸かってしまうので話し合いには向かない。いちいちそんなことを説明させないで欲しい。

 

 投げつけた司馬と倒れ込んだ月城の襟首を猫のように掴んで岸へと引っ張っていき、砂浜の上に放り出す。

 

「……」

 

 司馬は無言だ、いや、意識を失っているようだな。両手と両足は圧し折ってあるのでこいつはこれで良いだろう。

 

 次は月城である。こちらはまだ足の一本が使い物にならなくなっただけなので、まだまだ話し合える。

 

「妙ですね……ホワイトルームに残された貴方の数字は確かに馬鹿げたものでしたが、ここまで異質異常ではなかった筈」

 

 足首が折れていることからまともに立ち上がれず、砂浜に転がるだけの月城は時間稼ぎのつもりなのかそんなことを言ったが……問答に付き合うつもりはないので顔面を蹴り飛ばす。

 

「おごッ!?」

 

「抵抗されても面倒だ、腕も一本折っておくか……利き手は、右だったか?」

 

 構えから利き手は右だと判断してそちらを踏み砕く。五つの指の全てが砕ける音が靴の裏から伝わって来る。

 

 足と手が片方ずつ動かなくなった月城はもうまともな抵抗はできないだろう。

 

「ッ!? 容赦の、ないことだ……少し、話し合いませんか……ここまで大胆に暴行を加えると、それはそれで、問題も大きくなりますよ」

 

「オレも聞きたいことや訊ねたいことは色々あるが、まだ余裕があるから煙に巻かれそうだからな、そちらの口がよく回るその時まで痛めつけるつもりだ……あぁ、こちらの質問に素直に答えたくなったら言ってくれ、それまでオレは適当に憂さ晴らしをしておく。それと、さっきも言ったが、そちらを追い込める証拠は幾らでもある、まだ気が付いていないのかもしれないが、首に縄をかけているのはこちらだ」

 

 最初にこの男が関わって来たのはクラス内投票だったか? なかなか面倒なことをしてくれたものだ。天武がいなければ更に面倒になっていただろう……イラッとしたので顔面に踵を落とす。

 

 その次はなんだったか、あぁ、一年の最終試験だったか、坂柳との対局に悪気も無く介入してきたんだったか。またもやイラッとしたので鳩尾を踏みつける。

 

 ホワイトルームに帰れ帰れと煩わしい男だった。挙句の果てには一年にホワイトルーム生を紛れ込ませてオレに懸賞金までかける始末だ……もしかしてオレは月城から怒らない男だと思われていたのだろうか。

 

 それとも、自分は殴り返されないと思っていたのか?

 

 こんな風に何度も蹴り飛ばされる自分を想像できなかったのだろうか?

 

 やはり苛立ちが募ったので脇腹を蹴り飛ばす。

 

「そろそろオレの質問に答えたくなったか?」

 

「……」

 

「寝るな、起きろ」

 

 鎖骨を踏みつける。折れる感触が伝わって来た。

 

「……うぁ……ぁ」

 

「お前がどうしても質問に答えたいと言うのなら、聞いてやらなくもない……どうだ?」

 

 意識が朦朧としているのか、月城は呻き声を漏らすだけだ。しかしその視線が接岸している中型ボートに向けられると、絞り出すようにこう言い放つ。

 

「やり、たくは無かったのですが……仕方が、ありません、ね……宜しくお願いします……できるだけ、怪我をさせないように」

 

 

 誰に向けての言葉であるかはすぐにわかった。視線の先にある中型ボートがガタっと揺れたかと思えば、船内から一人の男が飛び出て来たからだ。

 

 

 どうやら船に残っていた気配の正体であるらしい。ここまで動く様子が無かった辺り、動かしたくはない駒ということか。

 

 

 

「私は保険とのことだったが? それも七号用の」

 

 

 

 船内から飛び上がって砂浜に着地した男はどこにでも居そうな普通の男であった。黒いスーツにしっかりと絞められたネクタイ、そして整髪剤で固められた頭髪、それだけ見れば生真面目なサラリーマンと言った印象である。

 

 しかしただ立っているだけなのに、そこから発せられる迫力は凄まじい。この男に比べれば月城や司馬はへなちょことさえ表現できるほどだ。

 

 なるほど、あっち側の人間だな。

 

「……誰だ?」

 

「別に名乗るほどの者じゃない……あぁ、いや、これは謙遜でも遠慮でも侮りでもなくて、心からの本音だ。私は何も成せてはおらず、何も守れてはいない」

 

 少し会話が噛み合わない感じもあっち側の住人と言った様子である。堂々と出てきたにも関わらず視線はずっと下げられており白い砂浜を舐めるだけだ。

 

 やる気が感じられない、そして覇気もない、なのに鋭い刃物を突き付けられているようにも思えるのだから不思議だな。

 

「超人なんて持て囃されていようともね、本物の怪物とは異なるのだよ。私は彼らとは違う、そう違うのだよ」

 

「アンタも超人なのか?」

 

「超人二十号、そう呼ばれることもある……しかし不相応な称号さ、私はただ――――」

 

 会話の途中で目の前の男の姿が掻き消える、気が付くとその拳が迫っており、オレ鼻先を潰そうと伸ばされているのだった。

 

 鋭すぎる一撃は完全に回避することが叶わず、頬を掠めるようにこめかみを通り過ぎていくことになる。

 

 

「オリンピックで金メダルを総舐めできる程度の男でしかないのだから」

 

 

 拳が掠った頬からは僅かに血が流れているのが確認できた。避けれたのは実力半分、幸運半分と言った所か。

 

 なるほど、天武ほどでは無いにしても、極めて高い身体能力を持っているのはよくわかった。

 

 目の前の男、超人二十号は、ホワイトルームにいた誰よりも強い。そんな確信を抱けるくらいには、強者であるのは間違いない。

 

「その程度の男になにを成せるというのか、私にはわからない」

 

 また拳が伸びる、途轍もない速度で。しかしそれはフェイントであり、本命は脇腹への膝蹴りであったのでこちらも足を上げて迎え撃つ。

 

 車に撥ねられたかのような衝撃を感じるが、この程度ならば体幹を崩すほどでもなかった。

 

「七号は良い、あれはまさに怪物だ。ヘラクレスと呼ぶに相応しい。しかし私はどうだろうか……才能と言うのはなんとも残酷なものだ。私が凡人の究極ならば、あれは天才の究極なのだろうな、さて君はどうだホワイトルームの最高傑作よ、どちら側だ?」

 

「おしゃべりな男だな」

 

「そう、私はおしゃべりな男なんだろう。いつも何かを問いかけている」

 

 マイペースな雰囲気はどこか鶚に通じるものがある。自分の中で何かが完結している様子は会話というよりは自問自答に近い。

 

「あぁ、なるほど……どうやら君はあちら側の住人のようだ」

 

 幾度かの猛攻を全て防ぎ切り、掴まれて崩されそうな体幹を維持して、不吉を宿した拳を回避すること数十、全てクリーンヒットを避けることは出来たが、掠める攻撃も多かった。

 

 今も脇腹を掠めた貫手によって、ジクッとした痛みが広がっている。

 

 そんなオレを見て超人二十号を名乗った男は、何かに納得したかのように頷く。

 

「遅咲きのようだがよく鍛えられている」

 

 このまま相手のペースに合わせるのは危険か、こちらから前に出るとしよう。

 

 天武の動きをトレースして動き出す。何かを毟り取るように立てられた指先を前にだして肉薄するのだが、当然ながら防がれてしまった。

 

 簡単に倒せる男でもないか、だがある程度の実力はこれまでの攻防で把握することができただろう。

 

 この男はホワイトルームの誰よりも強い、それこそ自身の発言の通りオリンピックで金メダルを総舐めできるくらいには極まっているのは疑いようもない。

 

 一年前のオレならまず勝てなかっただろう……けれど今は違う。

 

 

 オリンピックで金メダルを総舐めできる? それならオレだってできるぞ。

 

 

 超人二十号の猛攻が前に出たオレに突き刺さる。鈍い痛みが体中に広がるのだが、被弾覚悟の前進なのでこればかりは仕方がない。

 

 おそらく技術や場数では話にならないくらいの差がある。なので狙うのは殴り合いではなく、単純な腕力勝負だ。

 

 二十号の拳を敢えて腹筋を固めて受け止める。膝蹴りは同じように膝で阻止する。そうして距離を詰めると、一気に踏み込んで腰に纏わりつくことに成功するのだった。

 

 そのまま相手の腰を起点にクルリと回って背後に移動すると、狙うのは首だ。両手を伸ばして一気に背中から羽交い絞めにする。

 

「見事だ少年……いや、これは一人の戦士に失礼な発言か」

 

 背後からの羽交い絞めが完全に決まれば抜け出すことは難しい。或いは天武ならばオレの両手を強引に引きちぎって脱出するのかもしれないが、この男はどうだろうか。

 

「返礼は……こちらの全力で構わないかな」

 

 首を絞める腕に二十号は指を立てて掴み取ってしまう。そしてそのまま強引に毟り取ろうと力を込めて行く……おいおい、本気で引きちぎるつもりか。

 

 ならこちらは、そうなる前に落とすだけのこと。

 

 首を絞める腕に立てられた指先は杭のようにめり込んでいく、だがそれに抵抗するようにこちらは力を込めて行った。

 

 天武から教えられたな、改造した力の絞り出し方を。

 

 そのコツを思い出しながら二十号の首を全力で締め上げる。後はコイツの指がオレの腕を引きちぎるのが先か、それとも意識を失うのが先かの勝負でしかない。

 

 そして、その決着は思いのほか早く訪れることになる。羽交い絞めしていた二十号の体がガクッと脱力して倒れ伏すことによってだ。

 

「……はぁ」

 

 意識を失ったことを確認するとようやくオレも首から腕を離すことができる。貧血のような症状に陥っているのは全力を出した結果だろう。

 

 強いな、この男、少なくともホワイトルーム生が束になっても鎧袖一触されて叩き潰されるだろう。オレも改造訓練を受けていなかったら危なかったかもしれない。

 

 或いは時の運もあるのだろうか、また違う形で戦えば負けることもあるだろう。本当に紙一重の戦いだった。

 

 だが、勝ったのはオレだ。

 

 体中に広がる鈍痛は酷いものではあるし、腕時計はアラームを鳴らしているが、深刻と表現するほどでもないだろう。

 

 音が煩かったので腕時計は壊しておこう。後で言い訳を考えておかないとな……転んだで問題ないか。

 

 それよりも、俺は月城と話し合いの続きがしたい。

 

 

「清隆~ッ!! 無事か!!」

 

 

 さて月城を踏み砕こうと考えていると、森の方から天武が猛スピードで走って来るのが見える。

 

「そっちは片付いたのか?」

 

「そりゃまぁある程度は、いや、色々と問題もあって……そうじゃなくて、こっちは大丈夫だったのかい? 面倒な駒を月城さんが用意しているのがわかって慌てて駆け付けたんだけど」

 

「それはアイツのことか? 苦戦はしたが、なんとか倒せたぞ」

 

 天武の視線は砂浜に倒れこんでいる二十号に向かった。

 

「あ、この人が来てたのか……清隆、よく勝てたね」

 

「紙一重だった」

 

「そっか」

 

 それで納得したのかウンウンと頷く天武は、次に月城と司馬へと瞳を向ける。

 

「こっちもボロボロじゃないか」

 

「当然だ、まだやり足りないくらいだ」

 

「お、おぉ、清隆が怒ってるのは初めて見るかも」

 

「正当な怒りだろ」

 

 なにせやりたい放題してくれたからな、この程度で苛立ちがどこかに消えたりはしない。そう考えるとオレにも執着する何かが生まれたということだろうか。不思議なものだ。これが怒りと言う感情なのか。

 

 何であれ、月城もこれで口が軽くなることだろう。なのでこう訊ねる。

 

「月城、オレたちに何か言いたいことはあるか?」

 

 最後通告としてそう伝えると、ボロボロの状態で砂浜に倒れこむ月城は、観念したとばかりにこう言うのだった。

 

 

「……そちらに全面降伏しましょう。これまでの行動の全てを謝罪します」

 

 

 あぁ、そうだ、その言葉がずっと聞きたかった。

 

 

 

 

 

 



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試験最終日 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鶚視点

 

 

 

 

 

 

「今時人斬り家業とか流行らないでやがります。時代劇に帰りやがれッス」

 

「あぁん!? 忍者がそれを言うんかいな!!」

 

 白刃が煌くと、無人島の様々な場所にある森が切り開かれていく。構えた大太刀がブンブンと勢いよく振り回されるとその度に太い木や頑丈な岩が両断されていくッス。

 

 ウチが足場にしていた巨木も真っ二つにされて地上に降りるしかなくなる。気が付けば鬱蒼とした森は切り開かれていた大量の丸太が転がって視界が広がっていた。

 

 だからゴリラと戦うのは嫌なんッスよ。自分のやりたい放題するから。

 

「そもそも身分も不確かな相手に雇われるとかアホのすることッス」

 

 身を隠せる遮蔽物が全て切り倒されてしまったので、懐から取り出した発煙筒を投げつける。改造されたそれは大量の煙を吹き出して再び視界を閉ざす。

 

「そっちこそアホかいな、出所がどこやろうが札束がそこにあるんならそれでええねん」

 

 煙の中からそんな声が聞こえて来るッスけど、こっちはその声を頼りにマントの裏側に隠していた刃物を投げつけた。正面から三つ、弧を描き背後から襲い掛かるように三つ、しかしそれらは煙の中から聞こえてきた金属が弾かれる音によって届かなかったことを知らせて来るッス。

 

 煙幕で見えない筈なのにしっかりと弾き落とす辺り、良い感覚を持ってるのは相手も同じ。

 

「しゃらくさいわ!!」

 

 次に豪風が巻き起こるッス。大太刀を一閃するだけでそこに漂っていた煙幕が吹き飛ばされる。

 

 次に暴漢たちから鹵獲した銃を腰のホルスターから抜き放って引き金を弾く。連続して放たれる弾丸は、やはり大太刀で防がれてしまッス。まぁ銃口と指の動きを見切ればどうとでもできるので驚くことでもない。

 

 要は射線と自分の間に障害物さえあれば銃は怖くはない、超人と呼ばれる存在の中では常識とされることでもあるッスね。

 

 銃は雑魚を処理するのに便利ッスけど、超人を殺すにはせめてバズーカでもなければ話にもならない。

 

 月城の足をぶち抜く為に鹵獲した銃でしたけど、八号相手には何の意味もないので重しにしかならない、これも投げつけておくと簡単に弾かれてしまった。

 

 結局、超人は殴り殺すのが一番簡単で話が早い、そういうことでやがります。

 

 潜ませた武器の全てが殴り倒す為に必要な過程でしかない。最後には全力の殴打が一番だとご主人も言う筈ッス。

 

「因みにどれくらいの額を提示されたんッスか?」

 

「前金で一億、成功報酬でもう一億や」

 

「つまり実質一億ッスね。どうせ成功なんてできね~んですから。ご主人に勝てると思ってるんッスか?」

 

 会話しながらも次々と手裏剣や拾った石を投げつける。それら全てが太刀で弾かれるとわかっているので、僅かに生まれた観察の隙間を見つけて八号が切り開いたことでそこら中に転がっている丸太を二つ掴みあげる。

 

 太く分厚いそれを八号に投げつける。まずは右手に持った丸太を、少しタイミングをずらして左手に持った丸太も投擲した。

 

 全力も全力、渾身の力を込めた投擲は、軽く百キロは超えるであろう二つの丸太が投げやりのような速度となるのだけど、それは八号が肩に担ぐ大太刀の切っ先が届く位置にまで近づいた瞬間に一瞬で賽の目状に切り刻まれてしまう。

 

 そうッスよね、これで倒せるようなら超人なんて呼ばれちゃいない。手裏剣も石も丸太も全ては牽制、目くらまし程度にしか最初から期待してね~です。

 

 賽の目状に細切れにされた丸太の残骸がボロボロと降り落ちる中、地面を割り砕いて一気に肉薄していく。その途中でまた丸太を掴むことも忘れない。

 

「ようやく来よったか、待ちくたびれたわ」

 

 切っ先がこちらに向けて揺れ動く、その意識も集中も視線も……そんな八号に向けてウチはまた手に持った丸太を投げつける。

 

 やはりそれは八号が持つ太刀の切っ先により先に進むことはできない。刃の結界とでも言うべきものがそこにはあり、丸太も石も手裏剣も銃弾も、全てが逸らされてしまうッス。

 

 見た目や言動の荒々しさとは異なり丁寧に賽の目状に切り刻む辺り、思っていたよりも几帳面な部分もあるよ~です。

 

 こちらにとっても都合が良い、あれだけ太かった丸太がサイコロ状にカットされた結果、それがまた無数の目くらましになって視界を遮る。

 

 本命はあくまで拳、そして最後の牽制として口の中に隠していた針を八号の眼球向けて吹き放つ。

 

「プッ」

 

「ちょこざいな」

 

 斬撃によって無数のサイコロが転がり吹き飛ぶ中での細い針、しかも八号の集中の全てがウチに向けられている状態、眼球の一つくらいは奪えるという計算だったんッスけど、八号は吹き飛ばした針を見切っていたの前歯で挟んで受け止めてしまう。

 

 そう楽にはいかね~ですか。

 

「ようやくぶった切れるわ、おら首寄こさんかい!!」

 

 口から吹き出した針で眼球を潰してからぶん殴る、そういう段取りであったので八号の太刀がこちらに届く距離になっていた。

 

 ここで足を止めて躊躇するようならば、そもそも近づいてはいないッスよ。

 

 迫る太刀を回避する為に足を止めるのではなく、敢えて踏み込む。前かがみになるように。すると上段切りは空振って肩甲骨付近を太刀の柄が打つ感触があった。

 

 でも刃は当たっていない、それだけで全てが良しッス。

 

 その長物で懐に入られればやり辛いのは当然の理屈、全力でぶん殴るだけの状況はこれで作れた。

 

 指先を真っすぐ伸ばす、刃の如く。そして呼吸法で大量の酸素も取り入れる、何かを爆発させるように。

 

 狙うのはへそ、その小さな穴に指を突っ込んで内臓を引きずり出す。それで九割方の相手は倒せるって師匠は言っていたッス。

 

「……」

 

 一瞬の躊躇は、死なせないようにというご主人の言葉を思い出したからなのか、それとも伸ばした貫手が両断される予感があったからなのか、どちらにせよウチの貫手は八号のへそを穿つ寸前で引っ込むことになる。

 

 次の瞬間、そこに白刃が煌いたのだから、手を引っ込めて後方に飛びのいた判断は間違いではなかったようでやがります。

 

 八号の袖から伸びるのは短刀……なるほど隠し武器を忍ばせてたのはウチだけじゃないってことッスか。

 

 右手に太刀、左手に短刀、二刀一対の姿はまるで……。

 

「ははッ、宮本武蔵みたいやろ?」

 

「そうッスね」

 

「ほんならここは巌流島やね、無人島やし。楽しみにしとったんやでぇ、ようやく決着付けられると思うとったのに、なんで鶚の子燕と戦ってんねん」

 

 あぁ、そう言えば八号の名字は宮本でしたっけ? やけに意識していると思ったらそういうことみたいッスね。騙りなのか子孫なのかは知らないッスけど。

 

 忍者の末裔がここにいるんッスから、侍の末裔がいてもおかしくはない。

 

 また鹵獲した銃を取り出して牽制代わりに乱射する、けれど二刀一対になったことでさっきよりも楽々と防がれてしまう。

 

 射線を見切り、気配を見切り、タイミングを見切り、後は射線上に刃を置くだけ。やっぱり意味がないッス。

 

 まぁ銃を撃つよりぶん殴った方がウチの場合は威力があるので、最初から期待もしていなかったでやがりますが。

 

「ほら行くでぇ、これから大将首を取らなあかんねん」

 

 二刀一対、手数が増えたことで八号の前進は一気に激しくなった。一歩踏み出すごとに地面を蜘蛛の巣状に割り砕き、それだけの脚力で生み出される勢いの全てを二刀の刃に乗せる。

 

 阻む者は無し、そんな表現が良く似合う前進だった。分厚く頑強な岩も、人の胴体よりも遥かに太い木々も、全てが目にも止まらぬ連続切りで丁寧に賽の目状に切り裂かれて道となっていく。

 

 後退しながら試しにとばかりに口の中に含んでいた針を吹き出す、当然ながら切っ先の内側には入れない。

 

 鹵獲した銃も弾が尽きるまで放つけどやはり阻まれる。

 

 マントの内側に隠してあった手裏剣などの暗器類もありったけばらまくがやっぱり届かない。ブルドーザーのように全てを押しのけて、強力な裁断機のように細切れにされていくだけッスね。

 

 あの手の脳筋は毒か、それとも薬品か、もしくは罠で嵌め殺すのがセオリーッスけど、この無人島ではそこまで簡単な話でもない。

 

 今も後退しながらも手製の手榴弾をポロポロとばらまいてるッスけど、爆風も破片も物ともせずに突き進んで来る様子は戦車のようにも見えやがるです。

 

「カカカッ!! ほれほれどこ行くつもりなんや、ピョンピョン跳ねまわりよって、八艘飛びのつもりかいな」

 

 ザクザクとあらゆる物を切り捨てながら突っ込んで来る。この鬱蒼とした森を八号が走り抜ければそこに道ができる。重機いらずッスね。

 

 銃はダメ、刃物もダメ、手榴弾も効果無し、やっぱり全力でぶん殴るのが一番でやがりますが……。

 

 切っ先が届く範囲に入ればその瞬間に賽の目状に切り刻まれてしまう。

 

 今も木々を飛び移る内を追いかけ回して爛々と輝く瞳を向けて来る八号は、簡単には落とせない。

 

 右腕一本犠牲にすればまた懐に潜り込めるッスかね? いや、それだと最終的にご主人に怒られそうで怖いでやがります。

 

 怖いとは……忍者が感じちゃいけない感情ではあるんッスけどね。

 

 まぁ今はウチを追いかけて来る八号の対処が大事、猪突猛進に見えて刃の内側に入るのは至難の業、さてどうしたもんかと木から木へと飛び移りながら爆薬をポロポロと落としていると、いつのまにか視界が開けて白い砂浜にまで辿り着いていた。

 

 う~ん、障害物が無い場所はそれはそれで困る。いや、あっても結局は切り刻まれるので意味がないと言ったらそれまでッスけど。

 

 青い海と白い砂浜だけがあるこの場所は木を飛び移っての移動ができない。剣士相手に平地で戦うような鍛錬は積んでいないので再び森を戦場にしようと考えていると、森を切り刻んで道を作った八号も浜辺にやってくる。

 

「子燕がぁ、ようやく追い詰めたでぇ!!」

 

「しつこいッスね……まぁ逃げ回るのもずっと続けても意味がないんで、そろそろ決着をつけるでやがります」

 

 ここまで来れば仕方がない。手か足を一本捧げて心臓か内臓を抉り抜く。

 

「忍道とは、敵を殺すことと見つけたり……畏れよ我ら鶚忍軍の戦いを」

 

「はッ、ようやくやる気になったんかいな……実家の門前にお前の首を飾ったるわ」

 

 浜辺で向かい合い覚悟を決める、二刀を躱して懐に飛び込むには腕か足を犠牲にする必要があるのは間違いない。せめて愛用の手甲か足甲でもあればと思わなくはないが、無い物ねだりをするほど馬鹿じゃね~です。

 

 指先を真っすぐ伸ばして貫手の片手に、左手は切り落とされる前提で伸ばす、内臓さえ無傷なら何も問題はない。

 

 足元が砂浜なので少し踏み込みが浅くなってしまう。なので近くに転がっていた石を踏んずけて簡易の蹴り込み台とする。

 

 可能な限りの準備を整えてもぎ取る、一秒後の生存と勝利を。

 

「……」

 

「……」

 

 互いに無言で睨み合う、不可視のフェイントを数え切れないほど織り交ぜながら前かがみとなって……いざ勝負。

 

 

 畏れよ、我ら鶚の戦いを。

 

 

 

「いや、止めなさい、なに決死になってるのさ」

 

 

 

 いざと覚悟を決めて踏み出す直前でご主人からの待ったがかかった。そう言えば一足早く浜辺に走って行ったのを今になって思い出す。特に大きな問題もなかったのか怪我した様子もなく、浜辺の一角では既に制圧された月城たちが並べられているのも今になって気が付く。

 

 あっちが問題なく終わったので、浜辺で睨み合っていたウチらに声をかけてきたよ~です。

 

「九号、下がれ。決死で挑まれてもこっちが困るんだ」

 

「了解ッス」

 

 ご主人がそこまで言うのなら引くしかね~ですね。いやぁ、大切に扱われてるようで照れるッス。

 

 ウチと代わるように前に出たご主人は、八号と向かい合いながらも脱力した様子を見せる。それでも深く根を張るような体幹を感じれるので、やっぱりウチとは正反対の体作りをしているようですね。

 

「大将首のお出ましかいな、待ちわびたで。カカッ、楽しもうや」

 

「すまないね。女性を相手に武力を行使するのはどうかと思うけど、君は強いから手加減が出来そうにない、無傷で制圧できない未熟を責めてくれても構わない」

 

「ハッ、紳士なことやな、そやけど余裕ぶるんは勝ってからにしい!!」

 

 八号の姿が掻き消える。そして瞬きする間に刃の結界の中にご主人が包まれることになった。

 

 逃げ場はない、あの森を切り開いた時と同じように賽の目状に切り裂かれて終わる、そうなる筈だったけれど――。

 

「ん、ごめんね」

 

 ご主人は迫る刃を人差し指と中指の間で挟んで横に動かした。するとパキンと薄氷を踏んだかのような音と共に太刀は半ばで綺麗に折れてしまう。

 

 逆の手に持っていた短刀も同様ッス、人差し指と中指で挟まれて綺麗に折れている。

 

「あぁ?」

 

 驚いたような、信じられないような声を漏らす八号の姿は、次の瞬間に海に吹き飛ぶことになる。ご主人の右掌打が鳩尾に刺さったからだ。

 

 何かが破裂したかのような重低音が広がると同時に八号は吹き飛んで、そのまま海を水切りされた石のように二度三度四度と跳ねまわって最終的に十回ほど跳ねてから海に浮かぶことになった。ピクリともしないので意識を失ってしまったよ~です。

 

 

 い、一撃ッスか……いや、ウチが知ってるのは高校に入学する前のご主人なので、今のご主人とは大きな差があるとはわかるんッスけど、以前は八号と互角程度だった筈なのに、知らない間に鎧袖一触できるようになっているとは。

 

 

 ヤバい、カッコいい!!

 

 

「九号、足止めご苦労だったね、お疲れさま」

 

「……」

 

「どうしたんだい、顔が赤いけど」

 

 やはり男は腕っぷし、圧倒的な膂力でねじ伏せてこそ価値がある。徹底的に蹂躙して敗北を植え付けて子種を注ぎ込んで征服してこその男、いや漢!!

 

 想像する、あの膂力で押し倒されて孕まされる瞬間を……ヤバいッス。

 

「大丈夫ッス……ただ子宮がキュンキュンしてるだけなんでッ!!」

 

「あ、ハイ」

 

 何故かご主人はドン引きしている様子ッスけど、こればかりは仕方がない、ウチは悪くない!!

 

 ふへへへ、最強の忍者が生まれる日が楽しみッス。

 

 

 

 



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やらなければならないことがある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月城さんと司馬先生、そしてこの二人が用意した八号と二十号、ついでに銃や刃物で武装した集団約50人を制圧したので、まず捕虜を砂浜へと一人一人並べることになった。

 

 放置していた武装集団もそれぞれ丁寧に制圧して動きを封じて、彼らが持っていた銃と刃物も誰かに拾われたり見つけられたりしても困るのでしっかりと回収する。

 

 五十人以上の人相の悪い集団が浜辺に並べられる光景はなんとも物騒なものである、動けないようにある程度は九号が痛めつけて立ち上がることもできない状態なのだから苦笑いすらも浮かばない。

 

 手足を折られた集団が集団検死であるかのように丁寧に並んでいるのである。笑い話にもならないし何だったら不気味な光景ですらあった。

 

「はい、チーズ」

 

 九号は船から持ってきたであろう自分のスマホでそんな彼らを撮影している。どうやら雇い主へ報告する材料の一つとしているようである。

 

 月城さんは自分が用意した戦力の全てが手足を折られて並べられている光景を何とも言えない顔で眺めている。それを撮影している九号もだ。

 

 まぁこの人に関しては他人を心配している場合ではない。だってロープでグルグル巻きにされて逆さ吊りの状態なのだから。

 

「ご主人、撮影は終わりましたッス」

 

「お疲れさま」

 

「決定的なやらかしの証拠なので後はどうとでも料理できるでやがります。他にも政府の学校で色々と雑な介入もしてましたんで、証拠はある程度は用意できました」

 

 試験だったり人事だったりとかなり介入してただろうからね、しかも何の大義も無ければ意味もない行動ばかりである。正直雑すぎてもう少し慎重に動くべきだと思うくらいには月城さんのやらかしは多い。

 

 アキレス腱やツッコミ所を作らない、それが権力者が長生きする秘訣だというのに、幾ら何でも迂闊な行動が多すぎるだろう。

 

 この武装勢力に関してもしっかりと撮影されているし、月城さんはもしかしたら「そんな男は最初からいなかった」という感じになるのかもしれない。

 

 冥福を祈るばかりである、ただ九号的にはまだ月城さんと話しておくことがあるらしい。

 

 彼女はロープでグルグル巻きにされて逆さ吊りとなっている月城さんに近づいていく。

 

「ホワイトルームってどこにあるんでやがりますか?」

 

「ぐふッ!?」

 

 そして逆さ吊りとなっている月城さんを容赦なく蹴り飛ばした。この人は今、鹵獲した中型ボートに設置されていた漁の網引き用のクレーンにぶら下げられている状態である。

 

 しかもロープでグルグル巻きにされているので、なんだか蓑虫みたいな愛嬌があった……まぁ、逆さ吊りの状態なので欠片も笑えないんだけど。

 

 そんな月城さんに九号は容赦なく暴行を加えて行くのだからドン引きである。清隆も凄く引いた顔をしていた。

 

「構成員の名前とスポンサーの名前も全部吐くッス」

 

 また九号は月城さんの顔面をぶん殴る。殺さないように加減をしているようだけど大きく揺れ動いているのでそれなりに勢いがありそうだ。

 

 しかしあれだな、逆さ吊りにして暴行を加えるとか、まるでマフィアの制裁みたいである。まぁ忍者なんてそんなものなんだろう。

 

 一応、九号にとっては必要なことなので止めることもできない。せめて早めに吐いて解放されることを祈るしかない。

 

「滅茶苦茶やるな、鶚は」

 

「仕事だからね、あまり責めないであげて欲しい」

 

「別に止めたい訳じゃない、見ていると気分が良くなってくるから続けて欲しいくらいだ」

 

 どうしよう、あの清隆がかつてないくらいに上機嫌だ。つまみと酒瓶片手に野球でも眺めているかのようである。普段は無表情なのに今の月城さんの様子を見る瞳はそれはもう楽しそうだ。

 

 月城さん、どうやら貴方はかなり恨まれているようですよ。

 

 ただ正当な怒りでもあるんだよな。流石にやらかし過ぎた結果なんだろう。自業自得である。

 

 しかし逆さ吊りで尋問されている姿は俺としては同情を誘う。捕虜の扱いは国際法で決められているので暴行は推奨されない。

 

 ただ九号にも仕事がある、鶚衆を敵に回してまで月城さんを庇う理由もないのもまた本音であった。

 

「しかしようやく一息つけられるな」

 

「忙しい二週間だったからね」

 

 流石に清隆も疲れがあるのか、砂浜に腰を下ろしてゆったりとしながら九号の尋問を眺めている。

 

「今後、月城はどうなると思う?」

 

「どうだろう、九号の報告次第だろうけど……学校にはいられないんじゃないかな」

 

「流石にやりたい放題やったツケがあるから、そうもなるか」

 

 自業自得としか言いようがない。それでも勝てていればまだ言い訳が出来たのかもしれないけど、負けた上に逆さ吊りである。最早哀れと思うしかない。

 

 暫く清隆と並んで月城さんの尋問を眺めていたのだが、九号が不満そうにこっちに帰って来たことで話が動くことになる。

 

「あの人、ただの雇われなのでそこまで詳しい情報を知らないよ~です。ざっくりとした情報しか持ってませんでした」

 

「そうか」

 

「それでもまぁ報告としては十分なんッスけどね」

 

 隠し切れない失態の数々だけでも九号の雇い主的には問題ないということだろうか、欲しいのは弱点とツッコミ所なのでホワイトルーム関連はそこまで重要ではないらしい。

 

 首に縄をかける決定的な証拠はもう揃っているので、不要と言ってしまえばそれまでか。

 

 九号と入れ替わるように今度は清隆が接岸された中型ボートまで歩いていった。そして船に乗り込むと漁の網引きで使うクレーンを操作し始めた。

 

「月城、幾つか質問がある」

 

「……何でしょうか?」

 

 クレーンを動かすと、当然ながらそこに括りつけられて逆さ吊りとなっている月城さんも動くことになる。こうやってみると本当にマフィアの制裁のように見えた。

 

 月城さんも諦めているのか特に抵抗がない、さっさと終わらせてくれとでも言いたそうな顔をしているな。

 

「まず、お前は本当に俺を退学させるつもりがあったのか? 色々とやらかしてはいたが、どちらかと言えば天武がいることの方が邪魔だと感じているようにも見えた」

 

「否定はしませんよ、私が敗れるシナリオという物もありましたので」

 

「最初から退学させるつもりは無かったということか」

 

「正確な表現ではありませんね、あくまでシナリオの一つ。そうなればそうなったで何も問題はありません。まぁ尤も、私はどちらかと言えば政敵の情報を得る方に力を注いでいましたが」

 

「だとしたら間抜けだな、弱点を探そうとして自分の弱点を晒しているんだから」

 

 清隆の皮肉にも切れ味がある。やはり彼は月城さんのことが嫌いなのだろうか。

 

「学校に忍び込ませたホワイトルーム生は何人いる? 天沢だけか?」

 

「天沢さんは確かリタイアしていましたね、既に処理済みですか?」

 

 すると清隆は突然にクレーンを操作してその先端で逆さ吊りにされていた月城さんを容赦なく海に沈めるのだった……えぇっと、何をやってるのかな?

 

 そのまま暫く海に沈めたままで放置すると、またクレーンを操作して月城さんを引き上げる。

 

「うッ、がふ、ごほごほッ」

 

「質問に質問で返すな、訊いているのはこちらだ。淡々と答えろ」

 

「ッ……天沢さんと、八神くんですよ」

 

「他には?」

 

「……」

 

「七瀬に関してはどうだ、アイツの主張は真実なのか? 松尾の息子の敵討ちがどうのこうのと言っていたが、それが真実である証拠はどこにもない……オレの近くに置く為のシナリオとも考えられる」

 

「どう、でしょうね……私も、全てを知っている訳ではないのですよ。所詮は雇われの処理係、いざという時に切り捨てられるように重要な情報は基本的には伏せられています」

 

「つまり、何も知らないと?」

 

 クレーンが操作されて僅かに月城さんの位置が下がる。頭頂部が海に接するくらいの位置であった。

 

「慎重に言葉を選べ、勢い余って海に沈んでしまうかもしれないからな」

 

「本当ですよ。私は全てを知って把握している訳ではありません。言ってしまえばただ流れてきた情報や指令や駒を右に流すだけの存在、そして私と同じ立場の者は幾人もいる」

 

 嘘を言っているようには見えない、けれどお気に召さなかったのか清隆はクレーンを操作して月城さんを海に沈めるのだった。

 

 そこから十秒ほどして月城さんは引き上げられる……ここまでくると可哀想になってきたな。

 

「私が……はぁ、はぁ、知っているのは、ホワイトルーム生は天沢さんと八神くん、そして七瀬さんは駒の一つという程度のこと……或いは、私とは別のルートで貴方のお父上の息がかかった存在が学校に入って来ていることも考えられますが、そこまでは把握していません」

 

「そうか……まぁ、その発言が真実かどうか判断はできないので、何を言った所で意味はない。仮に尋問して情報を得ても一人だけでなくもっと大勢を拷問して吐かせる必要がある、これ以上は無意味か」

 

 尋問で情報を得るにしても複数の角度から入手する必要がるという点は同意できる。月城さん以外にも何人か捕まえてそれぞれ尋問して、情報の精度を上げていって初めて意味を持つ。

 

 言ってしまえば、たった一人を拷問して得られる情報なんて、なんの信用もないのだから。

 

「……一人だけ尋問して得た情報を信用しないという考えがあるのならば、どうして私はこうして逆さ吊りにされているのでしょうか?」

 

 そんな月城さんの尤もな発言に、クレーンの操作レバーに手をかける清隆は、眉を顰めて当然とばかりにこう言った。

 

「報復に決まってるだろ……それとも、殴り返されないと本気で思っていたのか」

 

「……」

 

「試験に介入したり、面倒な懸賞金をかけたりと色々やってくれたようだな……それに、愛里を巻き込みかけた。もう一度訊くぞ、本当に殴り返されないと思っていたのか?」

 

 そんなことを言いながら清隆はまた月城さんを海に沈めてしまった。彼にしては珍しく強い怒りを感じているらしい。割と正当な怒りでもあるので止め辛いんだよね。

 

 だが殺すまではいかないだろう。いい塩梅でまた月城さんは引き上げられた。

 

 それにそろそろ報復の時間も終わりそうだ。一応、清隆は保険の保険として真嶋先生と茶柱先生にも情報を渡していたそうなので、大人組の二人がこの浜辺にやって来るのが確認できたからだ。

 

 この砂浜に近づいてくるのは月城さんたちが使っていた中型ボートと同型の物である。それが接岸すると船内から真嶋先生と茶柱先生が姿を現した。

 

「笹凪……これはどういう状況だ?」

 

「えっと、月城さんの手引きで武装勢力が無人島に潜入していたので制圧しました」

 

「……」

 

 茶柱先生はまず砂浜に並べられた五十人ほどの暴漢たちを見る。全員が手足を折られて身動きが取れない状態であり、その傍らには折り曲げられた刃物や銃器が置かれている。

 

 そして先生は清隆に水責めをされている月城さんに向けられた。ロープでグルグル巻きにされて船のクレーンに逆さ吊りにされているこの学園で一番偉い人を暫く茫然と眺めていると、最後に理解できないとばかりに大きな溜息を吐く。

 

「い、意味がわからん」

 

 茶柱先生としてはそう言うしかなかったようだ。そりゃそうだろう、学園の理事長のやらかしとしてはあまりにも方向性が違いすぎる。

 

 脱税したとか、誰かを贔屓したとか、個人的な人事をしたとか、裏口入学させたとか、そういう学校権力者あるあるとでも言うべき話ならば理解できるのだろうけど、武装勢力を用意したとか言われても困るのは自然な反応だろう。

 

 隣にいる真嶋先生もなんと言えば良いのかわからないといった表情である。とても正常な反応なので何も間違ってはいない。

 

 手足を折られて浜辺に並べられた武装勢力に明らかにおもちゃとは思えない銃と刃物の数々。それを学園の理事長が用意したとか、一般教員からしてみれば受け入れがたい状況だというのはよくわかる。

 

 しかもその張本人は逆さ吊りで水責めの真っ最中だ。真嶋先生も茶柱先生も「どうしろと?」とでも言いたそうな顔をしていた。

 

「えっと、とりあえずは大丈夫です。武装勢力は全て排除して、武装も破壊しました。月城さんと協力者の司馬先生も拘束しています。近くに脅威はありません、そこは安心してください」

 

 訳が分からないと言いたそうな顔の二人にそう伝える。受け入れがたいかもしれないけどまずは理解して貰わないと。

 

「どうして綾小路は月城理事代理を水責めしているんだ?」

 

「報復だそうです」

 

「……」

 

 先生たちはまた黙ってしまう。来たは良いものの想定を遥かに超える状況に言葉を無くしているようだ。

 

 それでも教師としての立場なのか、絞り出すようにこう言った。

 

「あ、綾小路……とりあえず理事代理を海に沈めるのは止めろ」

 

「……チッ」

 

 今、舌打ちしたのか? あの清隆が? どれだけ月城さんを嫌っていたんだ……気持ちはわからなくはないけど、俺としてはそこまで感情を露わにする清隆が見れてちょっとした衝撃を受けた程である。

 

 これも成長と言うことなんだろうか、あのロボットのような男が遂に誰かに怒りの感情を向けたということだ。

 

 何故か俺はフルマラソンを完走したような満足感と充実感を身に宿す。ただ清隆が怒ってるだけなのに不思議な話である。

 

「月城代理、弁明を聞きたい。貴方は一体何をしているんでしょうか?」

 

「茶柱先生、これは非常に高度な政治的案件です。一教師が、いえ、ただの一般人である貴方が関わるようなことではない。何も見なかったことすることです」

 

「それで済むと思いですか」

 

「済むも済まないも、決定事項です。民間人に抗いようがありません。寧ろ私が抵抗しないだけ――ごぼごぼごぼッ」

 

 清隆、月城さんが喋っている最中にクレーンを操作するんじゃありません。

 

「ぶはッ!? うッ、ごほ……良いですか、私ももう学園を離れることになります、今後手を煩わせることも、こんなわかりやすい弱点を晒すこともありません。ここで見た物は墓まで持って行きなさい、それで納得できない場合はとても面倒なことになる」

 

 逆さ吊りになっている月城さんは視線を先生たちから船の上でクレーンを操作する清隆に向けた。

 

「そういう訳です、貴方の勝ちですよ。私は学園を去りましょう」

 

「去って、どうするつもりだ?」

 

「さて、どうなるでしょうね、私にもわかりませんよ。ただの中間管理職ですので」

 

 一連の雑な介入の証拠は押さえられているので、後はどうにでも料理できてしまうだろう。九号の雇い主の判断次第では学園から離れた瞬間に黒服の男たちに囲まれてどこかに連れ去られるとか冗談抜きで起こるかもしれない。

 

 政治の世界は魔境である。そんな男はいなかったが当たり前のように存在するんだから。

 

「そのことなんッスけど、ウチの雇い主から話があるそうッスよ」

 

 そこで話に加わって来たのは九号である。彼女は懐からゴツイ衛星電話を取り出して見せつけた。

 

 そんな物まで用意していたのか、周到と言うべきなのだろうか。

 

「あ、ちょっと聞かせられない話なんで、先生方は離れて貰うでやがります」

 

「はいわかりましたと言えると思うのか? そもそも君は、えっと……確か」

 

「一年の鶚ッス。さっきの月城の言葉を借りるなら、これは非常に高度な政治的案件です。民間人が立ち入るべきじゃないッス……知っちゃいけないことを知って監視付きの生活がしたいんなら構いませんけど」

 

 真嶋先生と茶柱先生はどうしたものかと視線を絡ませる。大人の協力者だけど、民間人なので出来ることは殆どないんだよな。ただ客観的な視線が欲しかっただけなので、この手の話に巻き込むことはできない。

 

「茶柱先生、真嶋先生、ここは彼女の言う通り離れていてください。お願いします」

 

 頭を下げて二人を遠ざける。巻き込んだ側なのでせめてこの二人の安全は確保したかった。

 

 二人は納得はいっていない顔をしていたけど、強引に背中を押して遠ざける。本当にすみません。

 

 先生二人を会話が聞こえない場所まで移動させてから船まで戻ると、そこでは九号の衛星電話でどこかと通信が繋がっていた。逆さ吊りの月城さんはその衛星電話をとても不審そうに見ている。

 

「……どこの誰と繋がっているのでしょうか?」

 

「政府与党の幹部ッス」

 

「……」

 

 そう言われてしまえば月城さんとしては無視することが出来なかったのだろう。観念したように溜息を吐いてからこう言って来る。

 

「この縄を解いていただきたい。どうせ貴方たちに抵抗しても無駄なのです。憂さ晴らしはこの辺で良いでしょう」

 

 九号は納得したのか懐から刃物を取り出して縄を切り裂いた。すると当然ながら月城さんは海に落ちることになる。それも頭から。

 

 足と手が片方づつ折れているようなので腰位の水位であっても溺れるかもしれなかったので、俺は慌てて彼の体を海から引っ張り出して船まで持ってくる。

 

 月城さんは折れていない方の腕でしっかりと衛星電話を受け取って耳に当てると、あちら側の誰かと会話を始めるのだった。

 

「二級政府案件ッス、ウチらも聞く権利がありません。離れておきましょう」

 

「会話の内容を知ると拙いのか?」

 

「綾小路パイセンはまぁ関係者でもあるんでギリギリッスかね、でもどうせ大人の権力者の話なんて碌でもないことばかりですよ。知らない聞こえなかったっていうのが一番楽だと思うッスけどね」

 

「そういうものか」

 

「知ってしまった結果、押し寄せて来る色々な問題を全てねじ伏せられるのなら話は別ッスけどね。でも面倒ッスよ」

 

「そう言われると確かにそうか……わかった、聞かなかったことにしよう」

 

「それで良いんッスよ」

 

 全部殴り倒して黙らせられるのなら何も問題はない、けれどわざわざそんなことするなんてただのゴリラだ。無意味な問題に首を突っ込む必要はどこにもないという判断は俺も賛成だった。

 

 俺たちとは少し離れた位置、船の船首側で衛星電話を片手にどこかの誰かと会話をする月城さんは、ある意味俺たちを前にした時よりもずっと焦っている様子である。少し冷や汗をかきながら電話片手にペコペコ頭を下げる姿はまさに中間管理職と言えるのかもしれない。

 

 そうやって数分程会話を続けた月城さんだが、話は終わったのか衛星電話をこちらに返して来た。

 

 そして静かに、とても穏やかな顔つきでこう言ってくる。

 

 上機嫌にも見えるし、全てを諦めたような顔にも見えた。どっちだろうな。

 

「話は終わったのか?」

 

「えぇ、色々と実のある契約を結べたと思います。まぁ、これから先は新しい雇い主のご機嫌取りに勤しむことになるでしょう、それも命がけで」

 

「……そうか」

 

 その発言である程度の状況を察したのか、清隆はこんな質問をした。

 

「今後、ホワイトルームはどうなる?」

 

「さて、私にはなんとも。すぐさま潰されるのか、それとも共同経営を持ちかけるのか、或いはある程度泳がしてから完成した商品だけを奪い去るのか、何であれ最早私の与り知らぬ案件です」

 

 おそらく、月城さんは二重スパイみたいな立ち位置になるのかもしれないな。新しい雇い主に継続的に清隆の父親やホワイトルームの情報を流すのだろう。

 

 中間管理職は大変だ。そうとしか思えない。

 

 俺たちにとって重要なのは政治でも裏の取引でも大人たちの都合でも無く、日々の日常と青春である。面倒な話は学園に持ち込まずに大人たちの間でやっていて欲しかった。

 

 まぁ、なんであれ、これで月城さんの排除も確定したので結果としては上々だろう。

 

 全てが片付いたのならば、俺は改めて自分のやるべきことをやるだけである。

 

「ん、全部終わったみたいだし。俺は試験に戻るとするよ。試験最終日は貰えるポイントが倍になるから今からでも頑張らないと」

 

「そうか、そうだったな……今は試験の途中だったか」

 

「清隆も色々あって忘れてたみたいだけど、学生の本分は試験と勉強だよ。武装勢力の排除だとか、政治だとかホワイトルームだとかそんなことはタダの面倒事でしかない。俺たちは学生なんだ、何よりも試験に集中しよう」

 

 ここで俺の本音を伝えておこうか。

 

 武装勢力だとか政治だとか月城さんだとか、普通の学生に何を押し付けているんだ。

 

 

 勉強させろ、体を鍛えさせろ、青春させろ、ここは学校なんだぞ。

 

 

 学校行事に武装勢力を連れて来るとか、少しは常識的な行動を心がけるべきだと思う。非常識にもほどがあるだろう。

 

 そんな訳で俺は学生らしく試験に挑むことになる。それが当たり前で、それが普通だ。

 

 大人の都合に振り回されるのはもうコリゴリである。俺も清隆も学生であることを月城さんは理解して欲しかった。

 

 

 まぁ今更言っても仕方がない。残った時間で課題に挑んで最後の最後まで全力を尽くすだけである。

 

 

 そうすれば長かった特別試験もいよいよ終わりということだった。

 

 

 

 

 

 



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結果発表

長かった無人島編もようやく終わりとなります。次は小話です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二週間、生徒たちはこの無人島で過ごしてそれぞれが最善を目指して切磋琢磨したことだろう。一年生も二年生も三年生もそれは変わらない。きっと俺が把握していないだけで様々な思惑や努力があったのだろう。

 

 結果的に一年生と三年生がほぼ壊滅するという、おそらく学校側の予想を良い意味でも悪い意味でも裏切る形になったのは間違いない。

 

 今思い返してみても長い二週間であったと思う。同時に、いざ振り返ってみるとあっと言う間とも考えられるのだから、とても不思議な感覚であった。

 

 長いようで短く、大変なようで楽しくもあった二週間は、遂に終わりを迎えたのだ。

 

 最終日も最後の最後まで全力で挑み、思い残すことが何一つとしてない試験であったと胸を張れるくらいには頑張れたことだろう。

 

 タブレット端末に試験の全てが終了したとメールが届いたことで、生徒たちはそれぞれ港に停泊している船に戻ることになるのだった。

 

 港に集まって次々と乗船していく生徒たちはそれぞれ安心した様子である。一年生と三年生が壊滅したことで報酬の全てを独占できることに加えて、退学者が出ることもないとわかっているので気が休まっているのだろう。

 

 その代わりとでも言うべきか、完全敗北とさえ言っても過言ではないくらいに徹底的に追い込まれた三年生と一年生はお通夜のような顔をしているのだった。

 

 俺も船に戻り、学校側が生徒たちへの労いとして用意してくれたジュースで喉を潤して、結果発表が行われる食堂へと足を運ぶことになる。

 

「お疲れさま、笹凪くん」

 

「そっちもお疲れさま」

 

 広い食堂では既にBクラスの生徒たちが集まってチラホラと席に座っていた。それ以外にもそれぞれのクラスの生徒も集まっており、自然とそれぞれが固まって結果発表を待っている様子だ。

 

 こうして全体を眺めると二年生は和気藹々としているのだけれど、一年生と三年生は誰もが視線を下げており、葬式でもするのかと思えるほどに沈んだ様子である。

 

「三年生と一年生は、なんというか、数が少ないね」

 

 そんな彼ら彼女らの様子を見た平田はそんなことを言ってくる。確かにこの食堂に集まった一年生と三年生は数が少ない。

 

 怪我人が多いので医務室から動かせないのだろう。自力で歩ける生徒であってもガーゼだったり包帯だったりがよく目立つ、大乱闘でもあったかのような有様である。

 

 対照的に二年生は絶好調と言った感じなのだから、本当にギャップが凄いことになっている。こっちは祝勝気分全開だけど、他の学年はお通夜状態なのだから、既にこの場の主役は俺たち二年生であるかのような雰囲気さえあった。

 

 だが事実その通りなのだろう。50パーセント圏内にすら入れなかったのが一年生と三年生である。どんな言い訳も通じないくらいに徹底的で完全完璧な敗北である。

 

「笹凪くんは何があったのかわかるかな?」

 

「実は俺もハッキリとは把握していないんだ」

 

「そっか、それなら仕方がないね」

 

 平田は深くは訊いてこなかった。実際に俺もどうしてこうなったのか全てをわかっている訳ではないのでありがたい対応である。

 

 他のクラスメイトもどうしてこうなったと知りたいようではあるが、きっと全容を理解している生徒は殆どいないのだろう。俺だってその一人だ。

 

 まぁ今はお通夜状態の他学年よりも、結果発表に集中するとしよう。

 

 しかも学校側からのサービスなのか食堂には既に豪華な料理がこれでもかと用意されていた。バイキング形式なので色々と手を伸ばして試験の疲れを癒すとしようか。

 

 なにせ我慢我慢の二週間だったからな、食べたい物を好きなだけ食べられるとか、あの無人島では絶対に不可能だったことでもある。

 

 なのでまずは肉を皿の上に置く、次に魚、野菜も少々、そしてデザートも忘れない。足りなくなったらまた追加で持ってくるとしよう。バイキング形式なので好きなだけ持ってこれるからな。

 

 そんなこんなで皿の上に大量の料理を載せてBクラスが集まっている一角に戻ると、丁度鈴音さんと視線があったので隣の席に座ることとなった。

 

 彼女もこんな時くらいは贅沢をしたかったのか、皿の上には豪華な料理が載っていた。

 

「お疲れさま、ようやく一息つけるわね」

 

「本当にね、やっとだよ」

 

 無人島にいる間は休まる時間も無かったので、船の中に入ってこうして腰を落ち着けて食事を出来る段階になってようやくゆっくりできる。

 

「自信のほどはどうかしら?」

 

「人事は尽くしたよ、後は待つだけだ」

 

 少なくとも大きなミスはしていないし、つまらない余裕に浸ることもなかった。本当に全力で最後まで走り抜けられたと認識している。

 

 これで勝てないのならば、俺はより強くなる為に鍛錬を積みあげる必要があるだろう。未熟であるということなのだから。

 

「鈴音さんもありがとう。色々と助かったよ」

 

 改めてお礼を伝えると、彼女は少しだけ照れてはにかむのだった。

 

「クラスの勝利の為に当然のことをしただけよ」

 

「うん、そうだね」

 

 勿論鈴音さんだけでなく、クラスメイトたちからはそれぞれ支援を受けた。最初から割り切って一つのグループを徹底して勝たせると言う方針は上手くいったということだ。

 

「鈴音さんのおかげでグッスリできたし、最終日はとても動きやすかった」

 

 少し恥ずかしい思い出ではあるが、あのゆったりとした時間はとても貴重であった。

 

 彼女も無人島での膝枕を思い出したのか、ほんの少しだけ頬を赤くして視線を逸らす。今になって恥ずかしく感じるのならばやらなければ良かったのにと言葉にするのはきっと野暮なんだろう。

 

「そう言えば、船でもまたしてくれるって話だったけど」

 

「……馬鹿なことを言うのは止めなさい」

 

 耳を引っ張られてしまった。どうやらそう甘い話は何度も来ないらしい……いや、時と場所を弁えればワンチャンあるのだろうか。

 

 女性に膝枕されるのは健全な男子高校生として至福の時間であったので、また機会があれば味わいたいものである。鈴音さんの気まぐれに期待するとしよう。

 

 そんなこんなで鈴音さんと食事を続けていると、食堂にマイクから響く大きな声が広がった。この場に集まった生徒たちの視線が自然とそちらに引き寄せられる。

 

 三年Aクラスの担任である佐々木先生が立っており、幾人かの教員の姿が確認できた。どうやら結果発表が行われるらしい。

 

「一時食事、会話を中断してください」

 

 佐々木先生に注目が集まったことで二年生を中心に騒がしかった食堂が静まり返った。ある意味生徒たちにとっては待ちに待った瞬間でもあるんだろう。

 

「無人島特別試験、まずはご苦労様でした。三百名近いリタイア者を出しながらも無事に……えぇ、無事に試験を終えられたことを嬉しく思います。下位五組のグループに関しては退学と言う形になりますが、既に救済のポイントを支払っているので、今回の試験での退学者は一人もいません」

 

 わかってはいたことだが、学校側から改めて宣言されるとやはり安心できるな。

 

「では、これより無人島試験の結果、上位三組の発表を行います」

 

 生徒たちに緊張が走る。順位を確認できていたのは十二日目までだったので、それ以降は確認できなかったのだ。一体誰が入賞したのかは気になるのだろう。

 

 固唾を飲んで佐々木先生の発表を待つことになる。ただある程度の予想はできた。

 

「第三位――二年Aクラス葛城グループ。302点」

 

 そんな発表と同時に、Aクラスが固まっている食堂の一角からは大きな嘆きの声が広がった。声の主はどうやら戸塚であるらしい。

 

 奮戦したようだが一歩届かなかったか、葛城は腕を組んでどっしりと構えた姿勢で静かに現実を受け入れているようだ。坂柳さんとの戦いに敗れてしまったことで遂にリーダーとしての立場を失うことになる。内心はどうなんだろうか。

 

 もしかしたら、全力で挑んでなお負けたのだから、受け入れているのかもしれないな。

 

 そして葛城グループが三位であるのならば、やはり二位はこのグループになる。

 

「第二位―― 二年Aクラス坂柳グループ。326点」

 

 またAクラスからざわめきが広がる。ただ嘆きの声ではなく安心したような、歓喜交じりのものなので、あのクラスの内部でも色々な緊張や思惑があったということだろうか。

 

 坂柳さんはいつものように不敵に微笑んでいる。葛城を三位に食い込ませたことも全ては計算通りと言った顔であった。

 

 そしてこの時点で一年生と三年生は入賞が絶望的であることが実際に確定することになる。わかりきってはいたことだが、改めて突き付けられるとより一層空気は悪くなっていく。

 

 頭を抱えていたり、はしゃぐ二年生に舌打ちしたり、散々な結果に終わった三年生は特に反応が暗いな。

 

 彼らにはもう時間がない、だというのに何の利益も得られなかったのだから、嘆きは他学年よりもずっと大きいということだ。南雲先輩が有望な人物をAクラスに上げるという方針を打ち出してはいるけれど、そもそもその資金が無ければ話にもならない。

 

 今回の試験で敗北したことで、単純にAクラス行きのチケットの総数が減るということである。内心は穏やかではないだろう。

 

 だからこそ、動かしやすくもあるのだが。

 

 色々と三年生に工作できるタイミングでもあるな。あっちだって南雲先輩に見切りをつける頃合いだろう。動きの速い三年生はもうこちらに重きを向けているかもしれない。

 

 まぁ、三年生を動かすのは状況を見計らってからだろう。今は結果発表である。

 

 三位が葛城、二位が坂柳さん、そして残る一位の発表となる。

 

 佐々木先生は手元にあるメモに視線を落としてから、こう言うのだった。

 

 

「第一位、二年Bクラス笹凪グループ……837点」

 

 

「流石に1000点には届かなかったか」

 

 そこを目指すくらいには全力で走り回っていたけれど、安全策として六助を港に置いたことや得点が倍になる最終日に月城さんに構っていたことで最後は失速してしまったからな、こればかりは仕方がない。

 

「全く……素直に喜ぶべきか、呆れるべきかわからないわね。ここまで滅茶苦茶な得点を稼ぐだなんて」

 

「最強の証明をしたかったんだ」

 

「確かにこれだけ圧倒的な点数を叩きだしたのだから、誰も文句が付けられないでしょうけど」

 

 隣の席に座っている鈴音さんは呆れたような、それでいた感心したような表情を見せる。俺としてはこれでも足りないくらいなんだけどね。

 

 もし俺と六助と清隆の三人グループを組めて月城さんに構わなければ、もしかしたら1000点も超えられたのかもしれないな。

 

 けれど今はこれで良いだろう、無いとは思うけどもし来年似たような試験があるとするならば、それまでまた徹底的に鍛え上げて今度は1000点超えを目指すだけである。

 

「貴方の勝利によって300クラスポイントが得られる。だけど流石はAクラスと言うべきなのかしらね」

 

「あぁ、まさか二位と三位を得るとはね、これでポイント差は生まれない」

 

「改めて、手ごわい相手だと認識したわ」

 

 一位は取れたけどポイント差は生まれない。坂柳さんにしてやられたということである。

 

 けれどこれはこれで良い傾向なのかもしれない。今はまだAクラスになるべき時ではないだろうから。

 

 クラスメイトはそれぞれ成長しているけれど、追われる側になるのはまだ早い。

 

「だけど、一位を取ったのは俺たちだ。今は喜ぼうよ」

 

「えぇ、そうね」

 

 勝ちは勝ちである。お通夜状態の三年生に比べれば遥かに得たものが多かった。

 

 一年生はほぼ壊滅、三年生もほぼ壊滅、二年生で報酬の総取り。

 

 それがこの無人島試験での最終的な結果であるのだった。

 

 月城さんは排除できたし、ホワイトルーム生も把握できた。七瀬さんはちょっと不透明だけど大きな問題は無し、まだまだ油断はできないけどようやく一息付けられる。

 

 流石に疲れたな、肉体的にというよりは精神的にだけど。

 

 食事を終えたら部屋でゆっくり休むとしようか。

 

 色々と考えなければならないことも多いのだが、しっかり結果は出したのでそれくらいの贅沢は許される筈だろう。

 

 長い長い無人島での試験はこうして終わることになるのだった。

 

 

 最初に予想していた一位の奪取は達成できた上に、二位と三位も二年生で独占できたことでほぼ全ての報酬は俺たちの学年で奪うこともできた。他所の学年に資金があるよりはずっとありがたい状況だ。

 

 

 つまりこの試験は、二年生の完膚無き完全勝利ということになる。

 

 

 これでようやく、俺は安心して熟睡することができるようになるのだった。

 

 

 師匠曰く、安心するのは勝ちが確定した時とのこと。

 

 

 とりあえず、食事を終えたらぐっすりと眠りたい。それくらいの気の緩みは許されるだろう。

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ままならないことは人生に付き物」

 

 

 

 

 

 

 

 

「それじゃあ行きますよ、鬼龍院先輩」

 

「あぁ、せっかくの機会だ、良き時間にしよう」

 

 試験の最終日、時刻は夕暮れ、午後五時には全ての課題が終わってしまうのでおそらくこれが最後になるだろう。幸いなことに笹凪とも合流できたので、この長かった特別試験の記念として課題で競い合うことになった。

 

 どうやら彼は私と戦うという約束を果たしてくれたらしい。南雲との戦いはあまり積極的に見えなかったが、彼自身は他者と競うことをそこまで嫌ってはいないということだろうか。

 

 なんでも良いか、今はこの時間を楽しむべきだ。

 

 色々と飽きっぽい性格であるとは自他ともに認める所ではあるが、久しぶりに楽しめそうだ。

 

 私と笹凪が受けた課題はボルダリング、壁に付いた突起を使って頂上まで登るスポーツだな。単純なように見えてなかなか難度の高い課題ではある。少なくとも初心者にとっては難しいだろう。

 

 無人島の一角に鉄パイプを固く組み上げて作られた土台に、突起の付いた板が固定された壁を前にして、命綱の付いたハーネスを装着する。

 

 既に試験の決着はついているので課題に参加するのは私と彼だけ、二年Aクラスのグループが顔を出してはいたが、笹凪を見た瞬間に回れ右をしたので二年生での扱いがよくわかった。

 

 まぁ二人きりの方が雑音も少ない、私としてはそれでよかった。

 

「もう時間も残されていない、これが最後の課題になるだろうな」

 

「長いような、短いような、不思議な二週間でしたね」

 

「君は色々と忙しかったようだから、それはそうだろうな」

 

 何やら闘争の匂いを漂わせている可愛い後輩は、さっき別れた時と違って強く鋭い気配をどこか纏っていた。日常生活ではまず感じることのない強い気配だ。

 

 元々、視線を集める引力と人を遠ざける圧力のような物を共存させている不思議な後輩ではあるが、今は特にそれが鋭い。何かしら感覚が鋭敏になることがあったのだろう。それこそ闘争のような。

 

 その雰囲気そのままにボルダリングの壁の前に立つ笹凪は、これから決闘でもするかのように集中している。彼の発する引力はより強まっており、どこか神秘的とも言える様子である。

 

 悪くはない、いつもヘラヘラ笑っている南雲はもう少し笹凪を見習うべきだろう。男はキリッとした顔の方が私としては好みだ。

 

 それぞれ命綱付きのハーネスを装着して壁と向かい合う。準備が整ったので課題担当の教官がスタートピストルを弾かせた瞬間に私たちは同時に突起付きの壁を登り始める。

 

 指先を突起に引っ掛けて体を引っ張り上げ、足先も同じように引っ掛ける。そうやって一つ一つ上に進むのだが、隣にいる笹凪相手に当たり前の攻略法など意味がないだろう。

 

 やるべきなのは真っすぐ進むことじゃない、階段を一つ二つ飛ばすように急ぐことだ。

 

 幸いにも命綱はある。なので慎重さなど投げ捨てて突起に引っ掛けた指を起点に強引に体を引っ張り上げて飛び上がるように上へ体を進ませる。

 

 さてどうだろうかと隣を見てみると、笹凪もやっていることは同じだった。ただし彼は階段一つ二つと言わず、一気に全てを飛び越えたらしい。

 

 視線より少し高い位置にある突起に指を引っ掛け、そこから一気に自分の体を持ち上げる。それだけの動作で数メートル飛び上がり、そこからは足先で突起を踏んで壁を蹴り飛ばしてまた飛び上がる。

 

 そんな二つの動作だけで彼は頂上まで行ってしまった。ボルダリングをしろと思うのは私だけだろうか。

 

 やれやれ、常人のスポーツなど彼にやらせるものじゃないな、生きる世界が違いすぎる。

 

 なんてことを思いながら私も頂上まで辿り着く。どうやら負けてしまったらしい。

 

「大したものだな、こうも一方的とは」

 

「すみません」

 

「謝るな、場合によっては侮辱されていると思う者もいるだろう」

 

「そういうものですか」

 

「南雲などはそうかもしれないな」

 

 アレは優秀だが、視野が狭い。世界が広いことを実感できていないだろう男だ。笹凪はさぞ意識してしまう存在なんだろう。

 

 土台の頂は約十メートルほどの高さになり、そこまで移動すると視界を遮る物も少なくなり夕焼けが広がっているのが見えた……いよいよこの試験も終わりだな。

 

 三年生にとっては地獄のような時間だったのかもしれないが、私にはあまり関係がない。最後にこうして純粋に競い合えたのは収穫と言えるだろう。

 

 二人で土台の頂で夕日を眺める。せっかくなので気になっていたことを訊いておこうか。

 

「それで、君はあの時、一体どこに向かっていたのだ?」

 

「鬼龍院先輩と別れた時の話ですか? 別にどこと言うこともありませんけど」

 

「嘘だな、あのエリアには何故か不自然に課題が無かった。生徒がわざわざ赴く用事はない筈だが」

 

「基本移動だったのかもしれませんよ」

 

「ほう、他のグループメンバーを置いて一人でか、今更1点に必死になるようなこともないだろう」

 

 すると笹凪は苦笑いを作る。誤魔化せると思われていたのは心外だな。

 

「まぁ話したくないのならば深くは訊かないでおこう。だが困っているのならば誰かに助けを乞うのも時には必要だろう」

 

 ふむ、私が言うことではないな。

 

「もし助けてくれと言っていたら、助けてくれたんですか?」

 

「時と場合によるだろうが、これでも先達なのでね、可愛い後輩に助力するくらいはするさ」

 

「先輩って荒事ができるんですかね」

 

「馬鹿を言え、私は淑女だぞ、そんな経験がある訳ないだろう」

 

「なるほど、それでも助けてくれるのですから、鬼龍院先輩は勇敢な方なのですね」

 

「そう褒めるな、照れるじゃないか」

 

 そんな言葉に笹凪はクスクスと笑う。その横顔はどこか少女のようにも見えた。

 

「でも大丈夫ですよ。なんとかなりましたし……それに、道連れが必要な戦いという訳でもなかったので」

 

「ならば良い、余計なお節介だったな」

 

「いいえ、必要なお節介だと思います」

 

 またクスクスと笑う笹凪は、視線を夕焼けに染まる空へと向ける。

 

 私らしくもないな、他者に気遣うなど。

 

 だが、この可愛らしい後輩は誰も辿り着けない場所まで一人で進んで勝手に死にそうな雰囲気があるので、不思議と世話を焼いてしまう。

 

 或いは期待しているのだろうか、そんな男がいることを見てみたいと。

 

 ままならぬものがある。私がもう一年遅く生まれていれば笹凪がどこへ行こうとしているのかもっと見ていられたのだろうか。この学校に留年制度がないのは残念ではある。

 

 南雲ではないが、そういう相手が同学年にいればもっと何かが違ったのかもしれない。

 

 そう思うと、南雲が抱えている物足りなさも少しは理解できるか。

 

 まぁ尤も、同学年にいればアイツも私も今とは全く異なる時間を歩んでいただろうから、やはりままならないものだ。

 

「そろそろ船に戻りましょうか」

 

「あぁ、有意義な時間だった」

 

「こちらこそ」

 

 笹凪が卒業する時、どんな形で終わるのかが気になったが、私がそれを知ることはないのだろう。

 

 うん、やはりままならないものだな、人生とは。南雲もそうやって折り合いをつけれたら良いのだが、きっとそうはならないと思ってしまった。

 

 アレにはアレの考えがある。一度どん底まで落ちれば何かが変わるのかもしれない。

 

 尤も、そこで折れてしまうことも十分考えられるが、そうなったらそうなったで私には何も関係がないことだった。

 

 笹凪に勝ちたいと思う南雲と、笹凪が何を成すのか見たい私、そこに決定的な差があるので、きっと辿り着く結末も違うのだろう。

 

 南雲は後輩などに構わず、前を見るべきだ。

 

 だが、言っても意味がないのだろうな……まぁ、私には南雲の進退など関係がないからどうでもいいか。

 

 折れてしまっても、優秀な者が挫折するなんてことは、よくあることなのだから珍しくもなかった。この学校では只の日常とさえ言えるのかもしれない。

 

 アレは優秀だが、ままならないことばかりだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「指先一つでダウン」

 

 

 

 

 

 

 

 試験が終わって全ての生徒が船に戻ったことで、あたしはようやく動きだすことができる。

 

 ホワイトルーム曰く、最後に立っていればいい。

 

 あの憎き鶚銀子を必ず倒すと誓いを立てる時間だったと思う。リタイアしてから試験が終わるまでの期間は。

 

 あの子に負けて船の近くに投棄されて気が付けば医務室で治療を受けていた。何がどうしてとか、何の目的があってとか考えるよりも先にあたしはホワイトルームで学んだことを総動員していかに銀子を倒すかを思案したと思う。

 

 純粋な身体能力では敵わない、あたしは人間でアレはゴリラ、その気になれば一瞬でねじ伏せられる。それじゃあ無人島の時と結果は変わらない。

 

 だから色々と考える。幸いにも試験終了まで時間はあった。準備する時間も。

 

 折られた腕もしっかりとギプスで固定することができた。いざという時は損傷覚悟で鈍器にも盾にもできる。本来は治療する為に付ける物だけど今は手甲のように使わせてもらおうかな。

 

 試験も終わって生徒たちは船に戻り今は深夜、この日の為に準備した。

 

 目指すは鶚銀子の個室。アイツは堂々と無人島に活動していたけど体調不良で個室を与えられて隔離されているという言い訳を用意していたので、今は一人でそこにいる筈。

 

 舐められたままじゃ終われない、天沢一夏にとって鶚銀子はもう倒さなきゃならない敵になっているのだから。

 

 

 これまでの関係を思い出す。一緒に買物行ったり、カフェでお茶したり、クソダサい陰キャをなんとか見れるようににしたりと随分と手間をかけさせたなぁ。

 

 

 生活力は無いし、何だったらあたし以上に世間知らずっぽいし、食券の買い方やネット通販の仕方も知らないような子だったっけ。

 

 都合の良い駒にするつもりだったけど、気が付けばこの子にはあたしがいないとダメだって思っていたなぁ……まぁ、あたしの知るあの子は全部まやかしだったんだけどさ。

 

 そう、嘘をついていたんだ。あたしは自分のことを棚上げしてそう思っている。

 

 初めての感覚だった。そしてあたしにもそんな考えや感情があったことに凄く驚いていて、だけどホワイトルームの教えもあってまずは勝つことを考えて、だけど凶器を握る度にこれまでの時間を思い出して、だけど鶚銀子を嘘つきで、けれどあたしのことを好きっていって、やっぱり倒さなきゃいけない敵で。

 

 そんな風にグチャグチャな思考をしているあたしは、きっと冷静じゃないんだと思う。

 

 ホワイトルーム生、天沢一夏にそんな側面があるだなんて、あたし自身すら把握していなかった。

 

 グチャグチャな思考のままあたしは今、深夜の船内をひっそりと移動している。目指すのは鶚銀子がいるであろう個室。

 

 船で待機している間に入手したマスターキーを扉に設置されているカードリーダーに差しこむと扉はあっさり開く。

 

 音も気配もなく部屋に入ると、真っ暗な個室の中にベッドが見えた。

 

 ここまで来る間に暗闇に慣れた目はしっかりとベッドの上の膨らみを認識することができる。どうやらぐっすり眠っているらしい。

 

 今ならやれる、そんな確信と共に音も無くベッドに近づいて、あたしは棍棒を振り下ろす。

 

 ずっとあたしを騙してた報復だと勢いを付けた一撃だったけど、銀子ちゃんが潜り込んでいる筈のベッドから返って来た感触は人の体ではなく、ただ柔らかいものだったのだから困惑するしかないよね。

 

 布団の中にいると思っていた銀子ちゃんだが、どうやらそのふくらみは偽装だったみたい。毛布を丸めてそこにシーツをかけて人がいるように見せかけていただけらしい。

 

「ッ!?」

 

 次の瞬間に足首辺りに強い衝撃が加わったことで、あたしはその場で尻餅をつくように体勢を崩してしまう。

 

「夜襲を警戒するのは忍者の基本ッス」

 

 あたしの足首を蹴り飛ばしたのは、何故かベッドと床の間の僅かな隙間に潜んでいた銀子ちゃんだった。

 

 いや、なんでこいつはそんな所にいるのよ!?

 

 体勢を崩して倒れてしまったあたしは、咄嗟に立ち上がろうとするのだけど、片腕がギプスだったのでいつもよりずっと手間がかかってしまう。

 

 当然、そんなダラダラしていたら相手の思うつぼだ。銀子ちゃんはベッドの下から一瞬で這い出て来てこっちの折れていない方の腕を掴んで引っ張り上げると、そのまま軽々と放り投げられてしまった。

 

 しかも背中からベッドの上に落ちるように配慮されている辺り、凄くイラッとするなぁ。手加減されてる訳だ。

 

「ダメっすよ一夏ちゃん。勝てない相手には挑まない、勝負の鉄則でやがります」

 

「……はぁ? 誰が勝てないって?」

 

「だって一夏ちゃんクソ雑魚ッスもん」

 

 もの凄くイラッとする言い方だった。ホワイトルームでは終ぞ感じることの無かった苛立ちが大きくなっていくのがわかる。

 

 そうか、あたしはコイツに勝ちたいのか。たった今、それを理解した。

 

「酷いなぁ、友達に向かってそんなこと言うなんてぇ」

 

 喋りながら、敢えてギプスで固定された手の方で殴り掛かる。怪我が悪化するかもしれないけど鈍器としても使えるのである意味では奇襲になると思ったからね。

 

 だけど銀子ちゃんはそれをひらりと躱すと、人差し指を立てて高速であたしの体の至る所を突いて来た。

 

 あまりにも早すぎたので回避も防御もできず、次の瞬間には金縛りにあったかのように体に力が入らなくなり、ベッドの上に倒れこむことになってしまう。

 

「あ、あれ……なに、これ?」

 

「鶚忍術、秘孔崩しッス……指先一つでダウンでやがります」

 

 意味がわからなかったけど、実際に体は痺れて動かない。

 

「だから言ったじゃないッスか。勝てない相手に挑むだなんて非合理的だと」

 

 動けなくなったあたしを見下ろす銀子ちゃんは、ニヤニヤと笑って足先で転がしてくる。小さな小動物でも弄ぶかのように。

 

 別に痛くはないけど、すっごく屈辱的だから止めて欲しい。

 

 ここからどうなるのだろうと考えていると、銀子ちゃんはシーツを捲ってベッドに倒れこんで来た。あたしと同じようにベッドに寝転がって一緒に眠る形だ。

 

「うへへへ、こうして友達とお泊りするのが夢だったんッス」

 

「強引に動けなくして同衾するとか、かなり変態じゃない?」

 

「だって素直に言っても聞いてくれないじゃないッスか」

 

「当たり前でしょ、あたしと君はもう気楽に付き合える関係じゃないんだからさ」

 

 同じベッドの上で、同じシーツを身に纏って、こっちに身を寄せて頬擦りしてくる銀子ちゃんは凄く面倒。

 

 面倒だけど、体が動かないから受け入れるしかない。

 

 手を繋ぎ合ってお泊り会、まるで本当に友達みたいだ。

 

 お互いに騙し合って、都合の良い存在だと思って、だけどこうしている……不思議だな。

 

「別に気にする必要なんてないッスよ。無人島でも言いましたけど、ウチは一夏ちゃんのこと好きッスから」

 

「……あっそう」

 

「これはアレか、ツンデレという奴なんッスかね」

 

「うざ~」

 

「まぁまぁ、お互いに腹割って本性を晒したんだから、それはつまり親友ってことッスよ」

 

「親友ね」

 

 安い言葉だこと、殺し合っておいて親友とか。でも抵抗できないので受け入れるしかない。

 

「ご主人に袖にされて寂しかったんで人肌恋しかったんッスよ。なので一夏ちゃんが来てくれて嬉しいッス」

 

 そんなこと言いながら銀子ちゃんは身を寄せて来る。すると不思議なことに伝わって来る熱に安心感を覚えてしまう。

 

 誰かに抱きしめられるなんて初めてのことだって気が付く。ホワイトルームでは勿論、顔も名前も知らない親にだってされたことはない。

 

 そして瞼の奥に重みを感じる……眠たくなってきたのかな。

 

 まぁ体も動かないし、今日くらいはこうして一緒に寝るのも良いか。

 

「一夏ちゃん、明日は一緒に遊ぶッス。この豪華客船は色々あって楽しいッスよ」

 

「ん~……まぁ、気が向いたらそれも良いかもね」

 

 報復する機会は幾らでもある、これから先何度でも。ある意味では鶚銀子という少女は、綾小路先輩と同じくらいにあたしがこの学校にいる意味になっているんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君じゃあ勝てないよ」

 

 

 

 

 

 

 二週間ぶりに返って来たスマホの画面を眺めていると、天武くんからメールが届いているのが確認できた。内容はシンプルなもので「桔梗さん、試験の時はありがとう」という短いものだった。

 

 ついでに5万ポイントも振り込まれている。天武くんに物資を渡したことで私たちのグループは皆リタイアしてしまったけど、その補填として送金してくれたんだと思う。この分だとみーちゃんや篠原さんなんかにもポイントを送っているのかな。

 

 何だかんだで律儀な人だし、そういう所をしっかりしているのは良いと思う。私としては彼に恩を売れてしかも厳しい試験を少し早めにリタイアできて、その上で50パーセント圏内に入れた場合の報酬も貰えたので大きな文句はない。

 

 笹凪天武くん、人間の形をしているだけの怪物はとても強力な武器であり敵でもあり友人でもありライバルでもある。

 

 どれくらいヤバいかなんて去年一年で嫌と言うほどにわかった。あれは常識の外にいるゴリラ、いやスーパーゴリラなんだって。

 

 そんな異常性はこの試験でも発揮されたみたいで、楽々と一位を奪い去ってまだまだ余裕な顔で船に帰って来た。

 

 うん、天武くんを敵に回すくらいなら、さっさと味方にして武器にした方が良い。この私がそう思うくらいなんだから相当異常だと思う。

 

 体の内に生まれる嫉妬心や対抗心よりも先に、敵に回しちゃいけないという防衛本能みたいなのが先行してくる辺り本当にヤバい人、それが笹凪天武くん。

 

 まぁ良いけどね、何だかんだで優しいし、意外とお茶目だし、私の過去や本性を知っているのに気楽に接することができる不思議な人だ。敵にするより仲良くなって武器として扱う方がずっと効率的だと思わせられている時点で、きっと私は負けているんだと思う。

 

 櫛田桔梗は笹凪天武に負けてしまった。戦うまでもなくそれを理解してしまった。でもそれは何だかんだで悔しいので、上手いこと誘導して何とか優位性を確立したいのだ。

 

 そんな私の思惑を、きっと天武くんも内心では理解しているんだろうけど、少し苦笑いをして結局は付き合ってくれるのは、きっと彼が優しいからなのかな。

 

 それがちょっと悔しくて、だけど不思議と安心する。敵に回れば核爆弾みたいな人だけど、味方にすればこれ以上ないくらいに頼りになる存在だからだと思う。この安心感は。

 

「絆されてるなぁ」

 

 悔しいことに、それが今の私だった。

 

 本性を知っているのだから、過去を知っているのだから、本来は戦って排除すべきだけど、それが無理だと断言できてしまう。

 

 それでいて気楽に接してくるのだから困っちゃうなぁ。

 

 まぁ、私は彼を敵に回すほど馬鹿じゃない。そんな風に尖った頃の私を慰めておこう。

 

「櫛田先輩」

 

「ん、あれ、八神くん?」

 

 私のスマホに届く色々な人からの「遊ぼう」という誘いに一つ一つ確認しながら船内を歩いていると声をかけられた。そちらに視線をやってみると杖を突きながら体を支える一年生の姿が見える。

 

 丁度、医務室から出てきた所らしい……無人島の試験では大量の怪我人が出たって話だけど、彼もその一人なのかな。

 

 足はギプスが巻かれて、コルセットも身に着けているのだから肋骨も骨折しているみたい。そして体中に巻かれた包帯、誰がどう見ても重症だね。

 

「八神くん、大丈夫? あ、肩貸そうか?」

 

「いえ、大丈夫ですよ。杖がありますから」

 

 穏やかな笑みを浮かべる八神くんは、一年生での評判通り柔和な性格をしているみたい。まぁそういう人ほど内心は腐ってる筈なんだけどさ。

 

 しかしこんなボロボロの様子の一年生を放置したとなれば、私の評判が落ちるかもしれない。なので大丈夫と言われても肩を貸すのだった。

 

「ありがとうございます」

 

「ううん、先輩として当然のことだよ。部屋はどこかな?」

 

「207号室です」

 

 そこまでなら私が後輩に肩を貸している優しい先輩だと、色々な人に見られて印象付けられるから、少しの手間も悪くはない。

 

 八神くんをそのまま部屋まで運んでスマホに届く遊びの誘いを一つ一つ片付けていこうかな。そんなことを考えながら彼を送り届ける。

 

「優しいんですね、櫛田先輩は」

 

「そんなことないよ、当たり前のことをしているだけだから、ね?」

 

「櫛田先輩は中学であれだけ面倒事を起こしたのだから、高校でくらいは上手くやりたいということですか?」

 

「……何を言っているのかな?」

 

「いえ、別に、何となくそう思っただけです」

 

 207号室の扉を開く、同部屋の生徒はいないのか彼と私の二人だけの空間だ。

 

 八神くんをその場で投げ捨てたい気分になりながらもグッと堪える。まずは事情聴取が必要だった。

 

 ボロボロの癖に何故か余裕の笑みを浮かべている。そういう顔は止めて欲しい、ビンタしたくなるから。

 

「ふふ、そう怒らないでくださいよ。簡単に説明すると、僕は櫛田先輩の過去を知っているということですよ」

 

 どこで、とか。どうやって、とか。色々と言葉が思い浮かんでは消えて行くけど、こっちの内心を見透かすような視線にイラッとしたのでまずは落ち着こう。

 

 誰かが八神くんに教えた? 天武くんか綾小路くんか、それとも堀北さんか。

 

 それとも、私が把握していないだけで、もしかしてあの中学校出身だった?

 

「どうして僕がそれを知っているかについては、単純に調べたからですよ。全校生徒の情報を」

 

「ふ~ん、仮にもしそうだとして、どうして今更そんなこと伝えて来るのかな?」

 

 私の過去を今更掘り返して接触する理由はないよね。

 

「最初は僕も様子見だったんですよ。貴方のクラスにいるとある人物を警戒していたので距離を測っていたんです。ですがなりふり構っていられないと思いましてね、わかりやすく駒を作ろうかと」

 

「……へぇ」

 

 つまり過去の情報で私を脅そうとしている訳か。

 

「月並みな言葉になりますけど、過去をバラされたく無ければ僕に従ってください」

 

 柔和な笑顔でそんなことを言ってくる。ほらみろ、やっぱりこういう奴に限って内心は腐り切ってる。はいはい、知ってた。

 

「でも八神くんが私の過去をばら撒いた所でどれくらいの意味があるかな。ちょっとした噂程度で終わりと思うなぁ」

 

「えぇ、かもしれませんね。だけど、そうなることすら貴方は嫌ですよね? ほんの僅かな疑念すら耐え難い気持ち悪さを感じる筈です。皆のアイドル、櫛田桔梗にとっては」

 

「……」

 

「まぁ、脅すだけというのも芸が無いので、利益も提示しましょうか」

 

「利益?」

 

「綾小路清隆と堀北鈴音、そして笹凪天武を退学させる手伝いをしましょう。貴方の過去を知る三人をね」

 

 クスクスと余裕たっぷりの顔を見せる八神くんは、とても楽しそうだ。ボロボロの癖に。

 

「僕に協力してくれますか……いえ、なりふり構わないと言ったのはこちらでしたね、敢えてこう言いましょうか、僕に従えと」

 

 ついさっきまで浮かべていた余裕たっぷりの表情を消して、鋭い雰囲気で切り裂くようにそう要求してくる。

 

 思わず背中が震えるような冷たさがそこにはあった。

 

 冷静になろう、もし八神くんに協力すればどうなる? 理由も意味もわからないけど彼は天武くんたちを退学させたがっている。なら同じクラスにいる私を駒にして彼らと戦うことになるんだろう。

 

 え……戦うの? 天武くんと?

 

 

 あれ、なんだろ、もしかして手の込んだ自殺でもしたいのかな八神くんは。頭良さそうに見えて凄く間抜けに思えてしまう。

 

 

 だって、天武くんと戦うとか……それはもうただの馬鹿じゃないかな。

 

「貴女にも利益のあることです、受け入れてください。どの道、過去というアキレス腱を晒してしまった時点で負け確なのですから、櫛田先輩は従うしかないんですけどね」

 

「そう、だね」

 

「わかってくれましたか、それは良かった。では追って指示を出しますのでそれまで待機していてください。大丈夫、僕に従えば櫛田先輩は勝てますよ」

 

「……納得はしてないけど、今は従うよ」

 

「えぇ、面従腹背でも駒は駒、それで構いませんよ」

 

 この場での会話はこれで終わることになる。最後まであのイライラする笑顔と視線で私を見てきたことにもの凄くイライラしてしまった。

 

 自分が上位者だと理解して、悦に浸っている顔だ。

 

「クソクソクソクソクソッ」

 

 部屋を出て扉を閉めた瞬間に漏れ出てきた呪詛を小声で抑えられたのは我ながら褒めてあげたい。壁を蹴りつけたりしなかったこともだ。一年の頃に綾小路くんに見られて以来そういうことは控えている。

 

「落ち着け、落ち着いて、深呼吸しよう」

 

 怒りと焦りを何とか呑み込む。そして思い浮かべるのは八神くんのことだ。

 

 私の過去を知っている人物がまた増えた、しかも明確にそれで脅して来る上に私を駒にしようとしている。

 

 目的はハッキリとしないけど、誰かを退学させたいということはわかった。

 

 そう考えた瞬間に、怒りも苛立ちも不思議なことにストンと胸で受け入れることができた。

 

 だってそうだよ、ウチのクラスの誰かを追い詰めるってことは、つまり天武くんを敵に回すってことだ。

 

 彼に勝てる? 八神くんが? 寝言でももう少し現実感のあることを言うべきだと思う。

 

 そもそも彼はあれだけボロボロの様子で何を偉ぶっているんだ。自分の姿を鏡で見てから強がれ。

 

 そうだ、あの善人面したクソ野郎はただ手の込んだ自殺をするだけだ。そう考えれば怒りも苛立ちも遠ざかっていく。寧ろ哀れにさえ思えてしまう。

 

 勝手に死ね、私をゴリラと戦わせようとするな。

 

 八神くん、君程度で勝てると思えるのなら夢を見過ぎだよ。天武くんは人間の形をしているだけの怪物だってことを理解できていないからそんな根拠のない自信に支配されるんだ。

 

 私はスマホを取り出して天武くんの宛先を引っ張り出す。

 

 そう、彼は私のおかげで試験に勝てた、そういうことになっている。

 

 彼を武器にすればいい、それだけで八神くんは勝手に潰されるんだから。ここは苛立つのではなく余裕綽々で天武くんを嗾ければ良い。

 

 それだけで勝てる、なんて楽なんだろうか。

 

 何だかんだで天武くんは私のことを嫌ってはいない。何だったら私を守るとさえ言ってくれたのだ。しっかりきっちり守って貰おうかな。

 

 それで良いのだと納得できる辺り、やっぱり私は絆されているんだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夜這いは文化」

 

 

 

 

 ウチの師匠曰く、忍者たる者、優れた遺伝子を収集すべし。

 

 当然と言えば当然、生物とは優秀な遺伝子を受け継いでより優れた個体を生み出すのが本能なのだから、当然ウチもそうするッス。

 

 自作した眠り薬良し、枯れた老人でも最後まで元気になれる媚薬も良し、勝負下着良し。時刻は深夜、絶好の夜這い時間。

 

 そんな訳でウチは今、深夜の船内をこっそりと移動してご主人に接近中ッス。事前の下調べで部屋は把握しているマスターキーも複製済み、教師の巡回ルートも把握済み。

 

 天井に張り付いてゴキブリのように這いまわりながらご主人の部屋に辿り着く。まずはマスターキーをカードリーダーに通して開錠する。

 

 いきなり扉を開けることはしない。同部屋のクラスメイトも同じように眠っている筈なのでまずは彼らが起きないように処置しないとでやがります。

 

 扉を僅かに開いて懐から取り出したスプレーのノズルだけを差し込む。中に入っているのはウチ手製の眠り薬、とても深い眠りに落とすそれを嗅げばまず朝まで起きない、どれだけ隣で暴れようとも。

 

 ボタンを押してガスと共に眠り薬も噴射される。それが十分に部屋に行き渡れば誰もが完全な眠りの海に沈むことになるでやがります。これでどれだけ騒ごうともご主人と二人で過ごせるッス。

 

「うへへへへ……お邪魔するッスよ」

 

 部屋の中に入るとそこには四つのベッドが並んでいるッス。ウチの眠り薬で普段よりもずっと深い眠りに落ちている筈なので起きた様子は無い。

 

 一人は綾小路パイセン、三宅パイセンと幸村パイセンもグッスリな様子。そして残る一つのベッドにはご主人が眠っているのを見てニヤリと笑う。

 

 だが焦りは禁物、前に一夏ちゃんに面白いからと見せて貰った何かのゲーム動画では、凄まじい速度で攻略しながらも祈りと儀式が必要だと言っていた。目標を定めながらも心を落ち着けろということッスね。

 

 なので祈りと儀式はかかせない。とりあえずご主人の枕元で踊って舞って祈りを捧げる。

 

 そこで大事なことに気が付く、化粧をしていなかったことに。

 

 やはり目標を前にして一息入れることは大切、このまま挑めば恥をかく所でやがりました。

 

 化粧とは古くから戦いに通じる儀式の一部、一夏ちゃんに教えて貰った色々が火を噴く時ッスね。

 

 幸いにもこの部屋にいる四人は眠り薬が充満したことで朝までまず起きない。大胆に動いても問題ね~です。

 

 なのでお化粧タイム、部屋の明かりを付けて洗面所へ向かう。

 

 ファンデーションに口紅、やりすぎてもアレなので軽めで良い。少しの遊び心で戦化粧の如くラインを引く。

 

 なんだか歌舞伎の隈取っぽくなったけど、これはこれで良し。相手をビビらせられそうッス。

 

 化粧も終わったので再び部屋に戻る。またご主人の枕元に立って踊って舞って祈りを捧げる。

 

「まずはウチから孕ませて貰うッス」

 

 そんで次は妹、従妹は当然として分家にいる女衆は全員子種を頂戴する。

 

 男十人、女十人、そこから可能ならばもう十人。これで鶚衆も安心ッスね。

 

 お祈りも終わったのでいざ勝負、覚悟するッスご主人。

 

 

 畏れよ、これが鶚の戦い。

 

「笹凪天武、お覚悟ッ!!」

 

 

 その場から飛び上がり、空中から落下する間に服を全て脱いでご主人のベッドに飛び込む。当然ながら右手には媚薬が入った注射を持ってだ。

 

「むッ!? あれ?」

 

 だけどウチの体は途中で制止されてしまう、布団の中から伸びてきたご主人の手によって。

 

 顔面を掴まれてしまった、アイアンクローッスね。

 

 

「寝させろ」

 

「ぬぁぁぁぁああッスッ!!」

 

 

 そんな言葉と共にウチの体は部屋の外まで投げつけられてしまうのだった。途中で脱ぎ散らかされた服も一緒に。

 

 馬鹿な、無人島ではあの薬でしっかり熟睡していた筈。

 

 いや、そう言えば師匠が言っていたッスね。笹凪流の人間に二度目は通じないと。

 

 なるほど、あの薬はもう通じないということッスか。気合入れて作ったのに残念でやがります。

 

 こうも警戒されていると流石に夜這いは難しいか。

 

 仕方がないので服を纏ってから天井に張り付き、とぼとぼと来た道を戻って自分の部屋へと帰る。

 

「まぁそろそろ一夏ちゃんが報復に来そうッスから、今日は我慢するでやがります」

 

 せっかく人肌恋しい気分になっていたのにご主人はいけずッス。なので代わりに一夏ちゃんと今日は一緒に寝よう。

 

 そうと決まれば迎撃態勢を整えないと、まぁ一夏ちゃんはクソ雑魚なんでそこまで大袈裟なものはいらないか。布団だけ偽装しとくッス。

 

 そんで叩きのめして、ずっと夢だったお泊り会をするッス。

 

 いやぁ、何だかんだで学園生活を満喫してるッスね。

 

 天井に張り付いてゴキブリのように移動しながら、ウチは楽しい時間に微笑むのだった。

 

 

 

 

 



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夏休み編
暫くの休息


新しい章となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長く苛烈だった無人島試験が終わった翌日、昨晩に人知れず起こった九号の襲撃を返り討ちした後にしっかりと熟睡できたので、あの試験での疲れもなんとか吹き飛ばせたと思う。

 

 肉体的にというよりは精神的な疲れであったので、柔らかなベッドと枕でしっかり眠れば翌日には絶好調になっていた。

 

 厳しい試験を乗り越えたご褒美なのか、暫くの間はこの豪華客船で自由に過ごすことが許されるので生徒たちはそれぞれ満喫するんだろう。

 

 俺も朝起きて、体を解してから今日はどうしようかと考えた時、現代っ子らしくまずはスマホを確認することになる。すると桔梗さんからのメールが届いており、内容を確認して暫く考え込む。

 

「どうしたんだ?」

 

 同室の清隆も起床したのか、ずっとスマホを眺めて思案しているこちらにそんなことを訊いて来た。

 

 啓誠と明人は既に朝食に向かったのかこの場にはいない、相談するなら今だろう。

 

「実は桔梗さんからメールが届いていてね、どうにも八神から接触されて脅されているみたいなんだ」

 

 スマホの画面、メールの内容を清隆に見せる。

 

「月城からの供述もある。わざわざこっちに櫛田を介して絡んで来る辺り、やはりホワイトルーム生なんだろうな」

 

「だろうね……さてどうしたもんか」

 

「櫛田も随分と素直な反応だな。八神を利用してこちらに干渉する手もあると思うが」

 

「そうかい? 過去の出来事で脅されるとか普通に怖いし、素直とかどうとか以前に単純に八神が脅威に感じたんじゃないかな」

 

「それもそうか、オレたちよりもずっと面倒で厄介な相手だと判断した訳か」

 

「こっちは別に脅してる訳じゃないから自然な反応だよ」

 

 過去の出来事で脅してくる相手とかただただ面倒で恐ろしいだけである。上手いこと利用するように考えるよりも冷静な判断が先に来たということだろうか。

 

 なんであれ助けを求められたのならば動く必要がある。俺にとって桔梗さんはクラスメイトであり仲間でもあるんだから。

 

「八神はホワイトルームからの刺客って考えるとして、どう対処しようか?」

 

「現状ではなんとも言えないな。だが月城の排除もできて奴はバックアップを失った状態だ。小さな綻びを見つけたら一気に落とそうか」

 

「う~ん……今は様子見しかないか。桔梗さんには上手いこと動いて貰うとするよ。寧ろ彼女を介して八神の動きを誘導する感じになるのかな」

 

「今はそれで良いんじゃないか」

 

 そんな感じで桔梗さんには動いて貰うとしよう。彼女は彼女で八神に一矢報いたいだろうし、案外ノリノリで協力してくれるかもしれない。

 

 桔梗さんにメールを送って大丈夫だと言う意思を伝えると、可愛らしい絵文字付きで「流石天武くんだね」と返信があった。何だかんだで余裕があるみたいだ。誰かを素直に頼れるようになったのは良いことだと思う。

 

 今は清隆の言う通り様子見と牽制だな。それしかやれることはない。桔梗さんには少しだけ我慢して貰おう。

 

「とりあえず食事に行くか」

 

「だね、ここの料理は全部タダな上に豪華だから、しっかり贅沢しないと」

 

「無人島ではそうも行かなかったからな」

 

 栄養バーや缶詰も悪くはないんだけど、せっかくの豪華客船なんだから満喫したい。残りの時間はここで好きなだけ贅沢できるので贅沢な夏休みになりそうだな。

 

 なにせこの豪華客船には色々な施設がある。映画館であったり舞台劇であったり、アミューズメント施設にプールからテニスコートまであるのだ、高校生の身分ではまず味わえない空間なのだろう。当然ながら俺だってそう多く経験している訳ではない。

 

 去年の船もそうだったけど、なかなか無い機会なのでちゃんと味わっておきたい。

 

 まぁ尤も、生徒会役員なのでずっと遊んでいる訳にもいかないのだけど。

 

 さぁ朝食だと清隆と一緒に食堂に向かうと、そこでは多くの生徒がバイキングを楽しんでいるのが見えた。

 

 いや、正確には楽しんでいるのは二年生だけで、一年と三年はあまり雰囲気がよろしくない。試験であれだけ蹂躙されてしまったことをまだ引きずっているらしい。

 

 一年生は二年生を見ると露骨に怯えて距離を取る者が多く、三年生ははしゃぐ二年生に舌打ちしたり視線を逸らす者が多い印象だ。

 

 こればっかりは仕方がないか、おそらく二度とないくらいの蹂躙だったのだから、肉体的にも精神的にも深い傷となっているのだろう。

 

 俺も一部の三年生からは露骨に避けられている。それどころか食堂に姿を見せた瞬間に顔を青ざめさせて逃げ出す三年生までいる始末だ。そちらから殴り掛かって来たというのに酷い反応である。

 

 逆に一年生からもの凄く避けられているのが龍園である。彼が手下と共に食堂に姿を現すと一年生たちはすぐさま席を立って大勢が逃げ出すことになる。完全に危険人物として認識されているな。

 

 龍園は龍園で、そんな一年生の反応を気にした様子もなく相変わらず我が物顔で過ごしている。ああいうメンタルを三年生は見習うべきなんだろう。

 

「暫くこういう雰囲気が続きそうだな」

 

「舐められるよりはマシと思うしかないよ」

 

 清隆も一年と三年の露骨すぎる反応を感じ取っていたらしい。

 

 なるようになるだろう。このまま心折れるのか、それともバネにして再び立ち上がるのか、それとも見なかったフリをするのかは知らないけど、それは彼ら次第である。

 

 それよりも今は食事だ。東西を問わず色々な料理が用意されているバイキング形式なので色々と味わうとしよう。

 

 無人島での節約生活で色々とストレスも多かったからなのか、食堂に集まった生徒はそれぞれ食事を満喫しているらしい。当然ながら俺もその内の一人なのだけれど、やっぱり生徒会役員なのでいつまでものんびりとはいかないらしい。

 

 食事をしていると茶柱先生が声をかけてきた。今後のレクリエーションで調整があるようだ。

 

「笹凪、レクリエーションだが、生徒会長が動けないので今から調整しておけ。引き継ぎなども多いだろう」

 

「生徒会長が動けないって、どうしてですか?」

 

 そう言えば結果発表の場には南雲先輩の姿は無かったな。リタイアしたことは把握していたけど、医務室から出られないくらいの重症ということだろうか。

 

「医務室から出せないそうだ。桐山副会長も全身打撲で動けない、二年生が主体になって動けと言うのが学校側の指示だ」

 

 茶柱先生はそれだけ言うと去っていく。生徒は夏休みを満喫しているけど、教師はそうもいかないのか忙しそうだな。

 

「そういう訳でちょっと働いてくるよ」

 

「忙しそうだな」

 

「清隆はのんびり過ごしなよ。疲れてるだろ?」

 

「そうさせて貰おうか」

 

 豪華な朝食に舌鼓を打つ清隆を残して、俺は食堂を後にしてこれから行われるレクリエーションの引継ぎを行うのだった。元々は南雲先輩が生徒会長として指揮する筈だったけど三年生の生徒会役員である二人はどちらも動けないとのことなので、二年生を主体に動くことになるんだろう。

 

 向かう先は医務室だな。引き継ぎするにしてもまずは南雲先輩に話を聞かないといけない。それか桐山副会長だな。

 

 豪華客船なだけあって医務室もしっかりとした作りとなっており、それこそ地上の病院と大差がないくらいに設備も充実しているらしい。長期の入院にも耐えられるくらいの環境だそうだ。

 

 しかしそんな医務室は今、怪我人でギュウギュウ詰めになっているようだ。

 

 ベッドはどれも人が入っており空きが無い、これでもまだ自分で動ける人や軽傷の生徒は部屋で待機させているというのだから、龍園は本当にやりたい放題やったということだろう。

 

 ここまで派手に動いたら学校側に訴えられるんじゃないかと思うんだけど……まぁ龍園も大義名分くらいは用意しているか、そうじゃないとこの医務室の状況で呑気に朝食をしたりはしないだろう。

 

 医務室の中に入るとどのベッドにも生徒が寝かされているのがわかった。特に重傷な生徒はここで厳重に管理されているらしい。桐山先輩はいないようなのでおそらくは部屋で待機が命じられているみたいだ。

 

 それなら南雲先輩はどこだと探してみると、医務室の一角に朝比奈先輩が見つかったのでその傍らにあるベッドに南雲先輩がいると判断して近づいていく。

 

 しかし朝比奈先輩も何だかんだでよく面倒を見ているな。別に交際している訳ではない筈だけど、ダメな男の面倒を見てしまう女性なのだろうか。

 

「おはようございます、朝比奈先輩」

 

「あ、笹凪くん、おはよ」

 

 視線を朝比奈先輩から傍らにあるベッドに向けてみると、そこにはやはり南雲先輩がいた。

 

「よう、笹凪……俺を笑いに来たのか?」

 

「いえ、レクリエーションの引継ぎと確認に来ました」

 

 南雲先輩はやはり重傷であった。左手と左足にギプスが巻かれており、コルセットも装着している。そして全身打撲と言った所だろうか。

 

 腕と足が片方ずつ動かないのでこの医務室にいるのだろう。なかなかの重傷であった。

 

 そもそも笑いに来たとはどういう了見だ、俺は南雲先輩をわざわざ笑いに来るほど暇でもない。

 

「例のレクリエーションなんですけど、南雲先輩が指揮を取れないそうなので、二年生で動けとのことです。注意点などはありますか?」

 

「……それだけかよ」

 

「……どういうことでしょうか?」

 

「笑うでもなく、勝ち誇るでもなく、余裕を見せる訳でもなく、ただ仕事の引継ぎに来ただけか?」

 

 ベッドの上で横になる南雲先輩は、なんというかもの凄く元気がない。無人島の序盤は余裕綽々だっただけにギャップが凄いな。今は何というか、幽霊みたいな雰囲気がある。

 

 普段が普段だけに、弱っている南雲先輩は新鮮に感じる……でもそれだけだ、特に思う所はなかった。

 

「えっと……何かお見舞いの品でも用意した方が良かったですかね」

 

「そうじゃねえよ……いや、そうか、お前にとってあれは戦いですらなかったってことか、最初から眼中になかったって態度で示してるのか」

 

「穿った視方をしすぎです……南雲先輩、疲れているんですよ。今はゆっくり過ごして体の傷を癒してください」

 

「やめろ、俺を慰めるなッ」

 

 情緒不安定な感じだな。大怪我をすると精神的に参るので仕方がないことかもしれない。

 

「雅、落ち着きなって」

 

 朝比奈先輩も南雲先輩を嗜めてる。この重傷で暴れられても困るだろう。

 

「負けて悔しいのはわかるけど、今はしっかり休むべきだよ」

 

 すると南雲先輩は奥歯を鳴らして悔しそうに表情を歪めるのだった。

 

「それで、引継ぎに関してなんですけど」

 

 南雲先輩としてはあの無人島試験の結果は受け入れがたいものなのかもしれないけど、いつまでも引きずられても困る。

 

 ベッドに寝そべってこちらに視線を向けて来る南雲先輩は、色々な言葉を呑み込んでこう言って来た。

 

「船の中にある臨時の生徒会室に資料や配置を纏めたUSBがある。それにデータは全部入ってる筈だ」

 

「了解です。パスワードは?」

 

「3072」

 

 それが聞ければ十分だ。後は学校側と調整してレクリエーションを問題なく終わらせるだけである。無人島のように大量の怪我人が出るようなことは避けたい。普通に楽しくて気楽に終わって欲しいものだ。

 

 この催しに退学の心配がないと事前の打ち合わせでわかったからな、本当にご褒美みたいな感じになれば良い。

 

「それでは俺はこれで退室しますね、どうかお大事に」

 

 知りたいことを知れたし、邪魔するのも悪いと思ってその場を後にするのだけれど、待ったがかかってしまう。

 

「待て、笹凪」

 

「なんですか?」

 

 カーテンで仕切られた医務室を出て行こうとするのだけれど、声をかけられたので振り返る。

 

 だが南雲先輩はそこから何も言わなかった。何を言うべきかわからないのか、それとも内心の思いを言葉にできないのかわからないが、随分と待たされてしまう。

 

 それでも何とか整理できたのか、絞り出すようにこう伝えて来るのだった。

 

「もう一度、俺と戦え」

 

 またそれか、本当に好きだな。

 

「えぇっと、まずは体を癒すべきだと思いますよ」

 

「そんな話はしてねえよ」

 

「重要なことだと思いますけどね……そもそも、今の南雲先輩に俺に構っている時間はないでしょうに。貴方のやるべきことは戦う必要のない下級生と競うよりも、まずは自分とクラスのことですよ。ここに来る前に三年生がこんなこと言ってました、南雲の失態でこんなバカみたいな状況になったと」

 

 この人がやるべきなのは地盤固めである。わざわざ意味のない戦いに集中することじゃない。

 

「貴方はAクラスではない人でも実力によっては引き上げると掲げている、そうでしょう? 色々な思惑はあるんでしょうけど、それそのものは素晴らしいと俺は思っています」

 

 俺がやろうとしている事と規模こそ違うがやっていることは同じだからな。

 

「なら、それを成し遂げるべきだ。それこそが南雲雅という男の実力の証明であり、下級生と戦って勝つことよりも遥かに価値がある勝利ですよ」

 

「ハッ、色々理屈をこね回してるが、俺と戦うのが怖いって言ってるようにも聞こえるぜ」

 

「その発言、滑稽だとは思いませんか。俺だけでなく二年生全てに敗北した後だと」

 

「……」

 

 安い挑発だと本人にも自覚があるのだろう。また奥歯を鳴らしてしまった。

 

 そもそも怖いもなにも、今の自分の姿を見てから言えという話である。

 

「貴方はまず一人でも多くの同級生をAクラスに上げてください。そんな偉業を成せる人ならば、俺は素直に挑みたいと思いますけどね」

 

「時間が無いんだよ、もうッ」

 

「それは南雲先輩の都合であって、俺は関係ありません」

 

 いつまでも駄々に付き合っている訳にもいかないので、やや強引にその場を去ろうとするけれど、また待ったがかかる。それも結構な大声で。

 

「待てッ、待ってくれ……頼む」

 

「ちょっと、雅、安静にしてなきゃダメだって」

 

 南雲先輩は痛む体を動かそうとする、そしてベッドの上で這いつくばって頭を下げるのだった。

 

 土下座である……いや、俺と戦う為にそこまでするのはどうなのだろうか?

 

「一度だけでいい、もう一度だけ俺と戦ってくれ……俺は、俺の実力を証明しないとダメなんだ。こんな、ただ裸の王様がそこにいただけで終わりたくない」

 

 南雲先輩なりに色々な考えや経験を経てここにいるのだろうということは理解する。きっと俺ではわからない虚無感だって抱えているのだろう。

 

 或いは、俺はこの人と同学年ならば幾らでも相手をするのだけれど、学年が違うというのはこの学校ではとても大きな壁がある。

 

 どれだけ頭を下げられようとも、俺はこの人のライバルにはなれないのだ。

 

 ままならないものである。たった一年だけど、されど一年だ。学ぶ場所も隣り合うクラスメイトも競う相手も異なるのだからな。

 

「俺と戦って勝っても何の意味もありませんよ……そもそも、貴方は無関係な人間を巻き込み過ぎる」

 

「安心しろよ、俺とお前で一対一だ。他の奴らは巻き込まない、それならいいだろ?」

 

「その言葉に、何の重みも無ければ信頼も無いと証明したのが、混合合宿での南雲先輩だったじゃないですか」

 

「……ッ」

 

 また奥歯が鳴った。そろそろ噛み砕かれるんじゃないだろうか。

 

「あれが無ければ、貴方の発言を信頼したのかもしれませんけど、残念ですがそうではなかった、それが全てです」

 

「たった一度だけで良いんだ……頼む」

 

 さてどうしたものかと悩む、正直不必要なリスクを抱えたくは無い上に、戦う必要も無いのに上級生と面倒事を起こしたくはない。

 

 何より南雲先輩は信頼できない、それが全てである。

 

 せめて同学年ならば、龍園のように敵として奇妙な信頼を向けることが出来たのかもしれないけど、学年が違うだけでこうも認識に差が出るのは凄いと思う。

 

「南雲先輩、まずは体を癒してください。その上で貴方の宣言通り他クラスの人たちを一人でも多くAクラスに上げてください……その時は、俺から貴方に挑ませて貰います」

 

「時間が無いって言ってるだろうがッ」

 

「その程度のことも出来ないでチャンスを与えられると思うなよ」

 

 少し強めに、僅かに師匠モードになってからそう伝えると、南雲先輩は圧力に体を硬直させてしまう。ベッドの傍らにいる朝比奈先輩も体を震わせた。

 

「甘えるな南雲雅、ただ口だけ開いて餌が与えられるのは雛鳥だけだ。違うだろ、勝ち取って見せろ。俺と戦うと言うのならば駄々ばかりこねてないでやるべきことをやれ、それすら出来ないのなら口だけ開いて雨と埃だけ惨めに食ってろ」

 

 そこまで行った所で師匠モードの俺を強引に引っ張り込んで素面に戻る。

 

「貴方に勝ちたいと、まずはそう言わせてください」

 

 それすら出来ないのに戦えとだけ言われても困る。

 

 言いたいことだけ伝えて南雲先輩に背を向けて医務室を後にする。今度は呼び止められることはなかった。

 

 ただ嗚咽のようなものだけが耳に届くだけだ。

 

 今後、南雲先輩がどうなるのかはわからない。立ち直るのか、それとも完全に折れるのか、どちらだろうな。

 

 だが、もし立ち直ったのなら、成すべきことを成してしっかりとして欲しい。

 

 貴方に勝ちたいと、そう言わせて欲しいのだ。

 

 

 

 



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夏休みでも生徒会は忙しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 この豪華客船の中には臨時の生徒会室として扱う為に用意された場所がある。夏休みであっても生徒間のイザコザの解決であったり学校の運営であったりを進めて行かなければならないからだ。

 

 加えて言うのならば、無人島試験を乗り越えた生徒たちへのご褒美というか、労いのようなレクリエーションが準備されていることから、それに関しても生徒会は関わっていくことになる。

 

 ただ悲しいかな、無人島試験があんな結果で終わってしまったことで今現在、生徒会は人手不足という状況にあるのだった。

 

 南雲先輩は医務室から出せない。桐山先輩は部屋で療養を命じられている。八神も同様。高育が誇る生徒会は残念なことに二年生しかまともに動けない状況と言える。本来ならば余裕を持って動かす筈だった催しに関しても今から動いてしっかりと動かせるように準備しろと学校側が急かすのも当然だ。

 

 本来ならば生徒会全員で動く筈の催しだというのに半分が怪我で動けない。ならば残った人員で余裕を持って準備をするべきだという主張に何も間違いはない。

 

 そんな訳で無人島試験が終わったばかりだというのに動ける生徒会役員は早速仕事であった。愚痴っても仕方がないのでサクサクと進めて行こう。

 

「天武くん、来たのね」

 

 船の中にある臨時の生徒会室に入ると、既に鈴音さんと帆波さんの姿があった。彼女たちは手元の資料を眺めながら何やら相談をしていたらしい。

 

 資料の内容はわかる。要は龍園と坂柳さんが連名で出した訴えである。生徒間のイザコザの対処も生徒会の仕事だからな。

 

 全く、タダでさえ人手不足で忙しいのに面倒事を持ち込んで来るとは、休ませるつもりが無いようだ。

 

「二人ともお疲れさま、審議の準備はどうかな?」

 

「ある程度の状況は把握できたよ。ね、堀北さん」

 

「えぇ、問題なく進められると思うわ」

 

 審議の内容は「一年生が徒党を組んで上級生を襲撃してきた疑惑」である。龍園と坂柳さんの訴えであり、これを許してなるものかという意思が書類から伝わって来るほどであった。

 

 また龍園のなりふり構わない犯罪のでっち上げかと思ったが、ここに坂柳さんが名を連ねている辺り、勝算ありと踏んでいるらしい。

 

 ご丁寧に「客観的な襲撃の証拠」まで用意しているとのことなので、あの二人は一年生を骨の髄までしゃぶりつくすつもりなのだろう。

 

 蛇に隙を見せてはいけないということだ。

 

 この審議に関しても人を割かねばならないので、生徒会はそれはもう忙しいということである。

 

「こっちは南雲先輩から引き継ぎの話を受け取ったよ」

 

 南雲先輩が使う筈だった臨時生徒会のデスクの引き出しを探ると、USBメモリを発見できる。それをパソコンに差しこんでパスワードを打ち込むとレクリエーション関連の情報を回覧することができた。

 

 このレクリエーションに関しても人手がいるんだよな。三人で回すのはやっぱり厳しいかもしれない。これまた愚痴っても仕方がないんだろうけど。

 

「どうしよっか? 審議とレクリエーションの準備で二手に分かれる?」

 

 そんな提案に反対意見は無かったのか、鈴音さんと帆波さんは頷きを返してくれる。

 

「私はそれで構わないわよ」

 

「うん、というかそれしかないよね」

 

「人手不足だからなぁ」

 

 せめて八神が動ければ良かったんだけど……いや、それでも三年生が動けないのなら根本的な解決にはならないか。

 

「いっそ、生徒の中から何人か雇ってみようか」

 

「う~ん、できたら楽になるけど、学校側が許してくれるかな」

 

「いえ、人手不足なのはその通りなのだから、今回は特例として認めてくれる可能性もあるかもしれないわよ。その生徒にはアルバイト代を渡して、代わりにだけどレクリエーションへの参加は出来なくなるような形なら学校側も許可してくれるんじゃないかしら」

 

 レクリエーションの手伝いに参加すると、どこにどんなお宝があるのか事前に把握できるからな、その生徒は当然ながら有利になってしまう。

 

 なので雇った生徒は参加することは出来なくなる。アルバイト代だけで我慢することになるけど、それで良いと言ってくれる人がいてなおかつ学校が許可してくれるのなら行けなくもないか。

 

「まぁその辺は学校と相談で良いか、今すぐは無理だろうからレクリエーション前日の最終的な下準備の時や受付で頑張ってくれるだけでもありがたい。それまでは今の人員で進めて行こうか……振り分けはどうする?」

 

「それなら、私と天武くんでレクリエーションの準備を進めましょう」

 

「審議を俺が引き受けても良いんだけど」

 

「レクリエーションの準備では力仕事も必要だから貴方はこっちよ」

 

「ん、了解」

 

「……ぇ、ぁ」

 

「一之瀬さんは審議の対応をお願いしても構わないかしら?」

 

「あ……うん」

 

 鈴音さんの言葉にどこか歯切れ悪く返事をする帆波さん、何か不満があるのだろうか?

 

「もしかして審議の対応はやり辛かったりする?」 

 

 それが気になったので問いかけてみると、帆波さんは慌てて手を振った。

 

「そ、そんなことないよ」

 

「そっか、出て来るのは龍園と坂柳さんだし、やり辛いなら俺が代わっても良かったんだけど」

 

「大丈夫、本当に何でもないから。こっちは私に任せて、二人は準備を頑張ってよ」

 

 時間は有限な上に人手不足である。早速動くとしようか。

 

 審議は生徒会歴が俺たちよりも長くて慣れているだろう帆波さんに任せて、俺と鈴音さんは雑用とでも言うべきレクリエーションの準備を進めていくことになるのだった。

 

 このレクリエーションだが、要は宝探しゲームである。

 

 船内の色々な所に張り付けられたQRコードをスマホで読み取ることによって報酬が貰えるというシンプルな催しだ。

 

 特別試験ではないので参加するしないも自由であり退学の心配もない。本当にただのレクリエーションである。

 

 宝探しゲームに参加すれば大小様々な報酬が貰える上に、何のリスクもないのだから純粋に楽しめるだろう。こういう催しは凄く良いな、とても面白い上に気楽に参加できるのだから。

 

 見つけることが難しいQRコードを探して生徒たちが船内を動き回ることになる訳だ。ただしどのQRコードが大きな報酬を貰えるかはわからない。

 

 苦労して発見することが難しい場所にあるQRコードを見つけてもちょっとしか報酬が貰えなかったり、或いは凄く目立つ場所にあるQRコードが思っていた以上に高い報酬であったりと、推理力や決断力が求められたりする。

 

 こういう催しを用意できるのは南雲先輩の良い所であると純粋に思う。まぁあの人的には少しでも独占できるポイントを増やしたいと言う思惑もあるんだろうけど、それ込みでも素晴らしい。

 

 変なストーカー気質を発揮しないで、こういう方面のやる気を全開にしてくれたら素直に尊敬できるんだけどな。

 

 まぁ難しいか、本当に残念である。

 

「そうだ鈴音さん、無人島試験の報酬だけど、全部クラス貯金に回すのかい?」

 

 生徒会室から出てQRコードが記された紙を張り付ける下準備の始まりである。ただずっと黙々と話していてもアレなので色々と相談しておこうと思った次第だ。

 

 周囲に生徒がいないことを確認して、ベンチを僅かに動かしてQRコードを裏側に張り付けて元の位置に戻す。その途中でしっかりと読み取れるかどうかもスマホでチェックしておく。

 

 レクリエーションの準備とはつまりこれの繰り返し、中には力仕事も必要な場合もあるのでやっぱり俺はこっちの仕事の方が良いんだろう。

 

 次は自販機の裏かな、そちらも力仕事である。

 

「全てをクラス貯金にするつもりはないわね。50パーセント圏内の報酬に関してはクラスメイトたちの自由にさせるつもりよ。何もかもを貯金するというのもね」

 

「そりゃそうか、夏休みだもんな」

 

 鈴音さんは椅子の裏にQRコードが記された紙を張り付けている。探せば簡単に見つけられるけど、日常生活の中でまずそこにQRコードがあるとは思わないだろう場所だ。

 

 因みに、これらは適当に張り付けている訳ではなく、事前に見つける難易度や読み取った報酬などの違いをしっかりと調整して場所が指定されているものである。あのUSBに入っていたデータは全て俺たちのスマホに移してあるので確認しながらの作業だ。

 

 この船の至る所にこうして張り付ける訳だから、そりゃ時間もかかる。今日一日でやりきるのは不可能だな、しかも人手不足だし早めにアルバイトを雇うとしよう。

 

「便乗カードの報酬で1000万ほどのポイントが入って来るのだから、そちらは全てクラス貯金に回すつもりだけれどね」

 

「あぁ、便乗カードもあったか……ん、今ってどれくらいの貯金があるんだっけ?」

 

 今、クラス貯金に関してはリーダーの鈴音さんに任せている状況である。その為細かい数字まで把握はしていない。

 

「今回の報酬も合わせれば3000万と少しかしら」

 

「おぉ、結構な額だね」

 

 毎月Aクラスから振り込まれていることになっているポイントに関しては俺が補填しているので、今は表向きは継続されていることになっている。そのポイントに加えて毎月クラスメイトから集めているプライベートポイント、そして今回の便乗カードによる大量獲得を合わせればかなりの大金となる。

 

 3000万か、クラス皆で貯めた額と考えれば、なんだか額面以上に貴重に感じる数字である。

 

「資金に関してはかなり余裕が出てきたわね、今回みたいな試験が何度もあれば良いのだけれど」

 

「あったとしてもそう上手くはいかないさ。正直、今回の無人島試験の結果は出来過ぎたと思う」

 

 便乗カードによる報酬だって俺が一位にならなければ得られなかったものだ。それこそ一歩間違えれば全て無駄になっていたことだって考えられる。

 

 また同じように莫大なポイントを得られる試験があったとしても、同じように甘い蜜だけを舐めれるとは思えないしな。

 

 生徒がいないことを確認しながら自販機を動かしてその裏側に紙を張り付ける。果たしてここまでやってQRコードを探す生徒はいるのだろうか? 普通の思考をしていたら自動販売機を動かすと言う発想にならないと思うんだけど。

 

 しかしこのQRコードに関しては難易度が高いことから結構高額のポイントが貰えたりする。挑戦する人は頑張って欲しいと思う。ナットで固定された自動販売機をどう動かすのかという話にもなるけど。

 

「大丈夫よ、またクラスの力を集結すれば結果も伴うわ」

 

「そうあれるように努力するしかないか」

 

「それしかないでしょうね」

 

 食事時を終わったことで静かになって人気も少ない食堂にもQRコードを張り付けて行くことになる。スマホで場所を確認しながら色々とだ。

 

 本当に気楽なレクリエーションなので楽しんでもらえれば幸いである。俺たちは参加することはできないけど、運営側の楽しみもまたこれはこれで良いのかもしれない。

 

 最初は生徒会にそこまで興味が無かったのだけれど、こうして活動してみると何だかんだで忙しくも楽しい。これもまた青春か。

 

「一之瀬さんに任せた審議は大丈夫かしら」

 

「俺たちよりも生徒会の経験は豊富なんだ、任せて正解だと思うよ」

 

 幸いにも一年の時と違って今回は中立的立場である。帆波さんが訴えられている訳ではなく、あくまで生徒会役員として出席するだけだ、何も問題なんてない。

 

 問題なのは寧ろ一年生たちである。龍園と坂柳さんが連名で訴えるとか泣きたくなるだろう。隙を見せたら最後必ず食らいついてくる二人である。

 

 まだ一年生なのだからもう少し手加減して上げて欲しい。帆波さんも難しいバランス感覚を求められるかもしれないな。

 

「こっちはこっちで大変なんだ、まだレクリエーションの開催まで時間はあるけど、しっかりと進めて行こう」

 

「まぁ、部屋にいても休むだけだし、こうして働いているのも悪くないわ」

 

「せっかくの豪華客船なんだ。満喫すれば良いじゃないか」

 

「ワザと言っているのかしら?」

 

 そう言えば去年の豪華客船でも鈴音さんはあまり積極的に施設を利用していなかったな。贅沢すれば良いと思うけど、そもそも一人で利用するほど積極的ではないのかもしれない。

 

 豪勢に遊ぶよりも読書や勉強に集中する人なので、この船の中でもそれは変わらないらしい。

 

「船の施設を利用して遊ぶよりも、こうしている方がずっと気分転換になるわよ」

 

「そうなのかい?」

 

「えぇ、貴方といると落ち着くもの」

 

 クスクスと笑ってそんなことを言ってくる。偶に素面で恥ずかしいことを言うので困るな。

 

 少し揶揄うような雰囲気のまま、鈴音さんは食堂にある消火器の裏側にQRコードを張り付けるのだった。

 

 こちらはこちらで天井近くまでジャンプしてシャンデリアの上に紙を張り付けた。さっきから思うけどこんな場所にあるQRコードをどうやって読み取れと言うのだろうか。

 

「ふふ、困惑している天武くんは珍しいわね」

 

 あの膝枕と言い、ここ最近の鈴音さんは俺をよく揶揄ってくるので困る。そして何だかんだで流されている俺もちょっとどうかと思う。

 

 まぁ気安い関係になれたことは良い傾向だろう。入学当初を思えばな。

 

「でもそうね、貴方がそこまで言うのなら暇を見つけて少し気晴らししても良いかもしれない」

 

「せっかくの夏休みで豪華客船なんだ、それで良いと思うよ」

 

「でも一人で過ごすのもね」

 

 またクスリと笑って揶揄うような表情になる。仕方がないのでエスコートをするとしよう。そんな暇が生徒会にあればの話ではあるけれども。

 

「なら一緒に遊ぼうか」

 

「誠意が足りないんじゃないかしら」

 

「どうかお願いします、一緒に遊んでください」

 

「良いでしょう、そこまで言うのならね」

 

 何故か俺が下手に出る感じになってしまった。いやまぁ、良いんだけどさ。

 

「どこでデートしようか?」

 

「そ、その表現は止めなさい」

 

 また耳を引っ張られそうな気配を感じたので、俺は慌てて飛び上がってまたもや食堂の天井からぶら下がっているシャンデリアの上に紙を張り付けるのだった。

 

「何か希望はあるかな」

 

「そう言われると、とても困るのよ」

 

 インドアな人なのでこればかりはどうしようもないか。そして実は俺もこの豪華客船でどうしてもやりたいことは無かったりする。

 

 ならここは去年と同様で問題ないだろう。

 

「図書室にでも行くかい? おすすめの本を教えてよ」

 

「そう言えば、去年も似たような感じだったわね」

 

 豪華客船に来て読書というのもアレなのかもしれないけど、学校の図書室には無い蔵書も多いので退屈はしない筈だ。それに読書デートと言うのは青春っぽいので満足である。

 

「天武くんはあまり読書はしない……ということも無いけれど、読んでいるのは哲学書ばかりよね」

 

「いや、参考書だったり小説も読んでるけど、あぁでもそこまで頻度は多くないか」

 

 俺が読む本の大半は師匠が書いた奴ばかりである、しかも大昔の奴ばかり。そして師匠は哲学書ばかり書いているので自然とそういった分野を読むことが多くなる訳だな。

 

「そんな訳だから新規開拓もしたくはある。鈴音さんのおすすめを教えて欲しい」

 

「わかったわ」

 

「ただ、生徒会役員に休みがあればの話だけどさ」

 

「アルバイトの件、本格的に進めた方が良いかもしれないわ」

 

「寧ろアルバイトと言わずに新しい生徒会役員をこれを機に集める方向性でも問題はないよ」

 

「生徒会長も、副会長も、それに八神くんも復帰がいつになるかわからないものね」

 

「最悪、アルバイトが見つからない場合は先生たちに協力して貰うから深刻になるほどではないんだけどね」

 

 人手不足は本当に深刻であった。南雲先輩と八神を蹴り落とした奴にはちょっと文句を言いたいほどである。

 

 生徒会役員と教師でしっかりと進めていくしかないだろう。

 

 食堂から船のデッキに移動して、こういった船には付き物である緊急避難用の小舟を持ち上げてその裏にQRコードを張り付けながら俺はそんなことを思うのだった。

 

 夏休みだというのに、生徒会役員は大忙しである。

 

 

 

 



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何かを成せると思っていた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒たちの視線があるので大っぴらにQRコードを貼り付けることはできない。人の気配がない場所から少しずつ用意していくしかないんだろうな。

 

 本来ならば生徒会役員全員でレクリエーション前日か二日前の深夜とかに一気に貼り付ける筈だったのだが、人手不足なので今から準備するしかない状況だった。

 

 その上で審議にも人手を割かれている状況なのだから、それはもう忙しいという訳である。

 

 鈴音さんと一緒になんとか一部は貼り付けたのだが全体の進捗としては二割ほどでしかない。レクリエーション本番までなんとか進めないとダメだろうな。

 

 やはり生徒会の増員は急務である。そして臨時のアルバイトなんかも必要だ。もし集まらない場合は先生たちに協力して貰うことになるので最悪は避けられるだろうけど、この学校の方針として自己責任と自主独立があるので学校側が介入するのは最終段階と考えるべきだろう。

 

 まぁ現状の戦力でなんとかしろと言うことだ。とりあえず本番までなんとかQRコードを全て貼り付けなければならない。もしかしたら生徒が寝静まった深夜にでも駆り出される可能性もある。

 

 こんなに忙しいのは二年生以外の生徒会役員が全滅したからだろう。しかもタイミングが悪いことに審議まで開かれるのだからなお忙しい。

 

 せめて学校に戻ってからで良いのではと思わなくはないが、長引けば長引くほど面倒事も多くなるので早めに終わらせるという考えで俺たちは一致した。

 

「はふぅぅぅぅ」

 

 審議の議長役というか、中立的な立場で参加していた帆波さんだが、色々と心労が重なったのか大きな溜息を吐いて臨時生徒会室のソファーに背中を預けている。

 

 疲れているらしい、参加したのが龍園と坂柳さんという隙を見せたらすぐさま噛みついてくるツートップなので仕方がないことなのかもしれない。

 

 本日の分のQRコードの貼り付けを終えた俺と鈴音さんは進捗を纏める為に生徒会室に帰って来たのだが、そこでこの溜息である。

 

「お疲れさま、一之瀬さん。どうだったのかしら?」

 

「あ、二人ともお帰りなさい……こっちは、ええっと、荒れちゃったかなぁ」

 

「想像に難くないわね、あの龍園くんと坂柳さんの連名での訴えなのだから」

 

 二匹の蛇が一年生という美味しい卵に食らいついている訳だ、可哀想になってくる構図だな。

 

 お疲れのようなので生徒会室にあった設備を使ってお茶を淹れた。橘先輩ポジションを目指している身としては、こういうタイミングで美しくお茶を差し出すものである。

 

「どうぞ、二人とも」

 

「ありがとう。ごめんね、気を使わせちゃって」

 

「喉が渇いていたから助かるわ」

 

 帆波さんは審議の監督で、鈴音さんはレクリエーションの準備で疲れていただろうからな。お茶くらいは俺が用意したい。

 

 きっと橘先輩も堀北先輩に良い感じのタイミングでお茶を淹れていたのだろう。お茶係となっている今ならそれがよくわかった。

 

 三人でお茶を飲んで一息ついてから、気になっていたことを切り出す。

 

「審議が荒れたって話だけど、どんな感じだったのかな?」

 

 生徒会室の椅子に腰かけてそう訊ねると、ソファーに座る帆波さんは少しの苦笑いを見せる。

 

「そもそも龍園くんが提示した客観的な証拠は、確かな信憑性があったものなのかしら」

 

 鈴音さんも気になったのかそんなことを訊ねる。

 

「うん、そこに関しては間違いないと思う。証拠の一つとして預かってるんだけど、二人にも意見して欲しいから聞いてくれないかな」

 

 そこで帆波さんは提出された証拠の一つ、無人島試験で使われていたタブレット端末を取り出して机の上に置く。

 

「これは一年生の宝泉くんが持っていた端末でね、この中にある録画に二年生を襲撃するやりとりが残っていたんだ」

 

 端末を操作してその録画を再生すると、宝泉と椿さんのやりとりが鮮明に残されているのがわかった。宝泉としては責任を押し付ける手段と証拠として録画していたんだろうけど、それを奪われ利用されて「一年生による組織的な襲撃の証拠」として扱われてしまったらしい。

 

「それともう一つ、こっちは録画じゃなくて画像なんだけど、その宝泉くんが綾小路くんに暴力を振るってる場面だね」

 

 もう一つの証拠はタブレット端末で撮影された物であり、確かに宝泉が清隆を殴りつけている様子がバッチリと残されていた。

 

 何をやっているんだろうか、避けることも防ぐことも簡単だった筈だけど、もしかしてワザとこの瞬間を撮影させたということだろうか。

 

「なるほどね、龍園くんのことだからでっち上げの可能性もあると思っていたけど、客観的な証拠をしっかりと用意する辺り、勝ち目があると判断したのでしょうね」

 

 画像と録画、その二つを確認してから鈴音さんは思案する。

 

「けれど、ここまでハッキリとした証拠がある以上は荒れようが無いと思うのだけれど」

 

「要求がちょっとね」

 

 また帆波さんは苦々しい顔になってしまう。苦労が滲んだ顔であった。

 

「まず一年生たちに賠償を求めたの、具体的にはプライベートポイント1000万と、クラスポイントを100、それも全部のクラスから」

 

「全部? 襲撃に参加したクラスだけじゃなくてかい?」

 

「一年生の全部のクラスが参加してたんだよ。全員って訳じゃないんだけど、AからDまで満遍なく。だから龍園くんと坂柳さんは全クラスから賠償させるべきだって主張だったかな」

 

 この襲撃の根底にあるのはきっと清隆にかけられた4000万の懸賞金なんだろうな。それを得る為に一年生たちは結託したのは間違いない。更に欲を出してあわよくば試験で上位にいるグループ、つまりは上級生たちの襲撃もやろうとしていたのだろう……全部が全部裏目に出てしまったようだが。

 

「一年生からしてみれば、受け入れがたい要求でしょうね」

 

「うん、堀北さんの言う通り、凄く反対してたかな」

 

「額が額だもの、仕方のないことだわ。けれど、客観的な証拠を提出した以上は難しいかもしれないわね」

 

 そう、そこが重要なのだ。この学校は基本的には中立的な立場を崩すことはない、もし崩すことがあったとするのならば、それは誰がどう見ても反論することのできない決定的な証拠があった時だ。

 

 そして龍園と坂柳さんはそれを用意している。一年生にとってのアキレス腱を握っている状態なのだ。

 

「仮にもし、龍園くんと坂柳さんの要求が通れば400クラスポイントと4000万ポイントを一年生たちは支払うことになる……まだ入学して半年も経っていない生徒たちにとっては難しい筈よ」

 

「それもあるけど、荒れた理由はもう一つあって……実は一年生から信頼されてないみたいなんだよね、生徒会が」

 

「それは、どうしてかしら?」

 

「審議の場で龍園くんが私にこう言ったの、一年生は上級生を次々と襲撃する計画を立てていた、つまりこれは二年生全体の問題だって……もしかしたら私は龍園くん側に立つのかもって思われたかもしれないんだ」

 

「彼は賠償の山分けを提案したということ?」

 

「うん、おかげで一年生から凄く睨まれちゃったよ」

 

 なんで龍園はそんなことを言ったんだと少し困惑するけど、もしかしたら正当性の主張の一部かもしれないな。もし賠償が認められて払われたポイントを得る段階になったとしても龍園クラスだけが総取りすれば必ず問題になる。

 

 あくまで二年生全体の問題と賠償とすることで、要らぬヘイトを分散しているのかもしれない。

 

 更に言えば、龍園としては同じ学年にポイントがあれば良いと考えているのだろうか、今後奪うにしろ契約するにしろ、他学年にあるよりはずっと手に入れやすいと踏んでいる訳だ。

 

 他学年にポイントがあるのと、同じ学年にポイントがある、これは大きな違いがある。この学校では学年の壁と言うのは大きいからな。無人島試験が特別なだけで本来はポイントの奪い合いは同学年が基本だろうし。

 

 将来的に自分の下にポイントを集める算段ならば、賠償の分配はヘイトの分散にも繋がるのだろう。

 

 もしかしたら龍園は8億ポイント作戦をまだ諦めてはいないのかもしれない。自分のクラスに、それがダメでも奪う前提で同じ学年にポイントを集めさせるつもりだろうか。

 

 狡猾だ、なりふり構わずな所は相変わらずだけど、勝ち筋をしっかりと作ろうとしている。だとすると彼は俺が持っているポイントはAクラスになれなかった時、そして8億ポイントが貯まらなかった時に備えての保険の保険みたいな感じに考えているのかもしれない。

 

 坂柳さんとしても他学年ではなく自分の学年にポイントが流れて来ること自体は歓迎すべきことなんだろう。奪うにしても契約を結ぶにしてもだ。だからこの訴えに乗っかったのかな。

 

 一年生からしてみればふざけんなと言いたくなる状況だろうけど。

 

「状況はわかったわ、苦労したようね」

 

「あはは」

 

 一年生たちと龍園と坂柳さんに間に入ってさぞ苦労したことだろう。俺もそんな状況はごめんだと思うのだから、もの凄く大変だったに違いない。

 

 鈴音さんも同じ気持ちなのか労わるような顔になっている。

 

「でも一之瀬さんはどう判断するつもりなのかしら?」

 

「二人の意見を聞いてからにしようと思ったんだ。どうかな?」

 

 そこで俺と鈴音さんは視線を結び合う、どう判断したものかと。

 

「客観的な証拠を提出されてしまった以上は、無視することはできないよ」

 

「そうね。だけど、龍園くんたちの行動に問題が無かったとは思えない……だって、あまりにも怪我人が多すぎるもの。正当防衛と言い切るには流石に厳しいわ」

 

 難しい判断が迫られるということだ。しかもこれで龍園たちの要求を生徒会が認めた場合は、一年生からの信頼が全て吹っ飛ぶ可能性もある。

 

 しかし客観的な証拠はやはり大きい、無視するにはそれはそれで中立性を損なうことになるだろう。

 

 なるほど、帆波さんの溜息も納得であった。滅茶苦茶面倒な案件だ。

 

「そうなんだよねぇ、一年生に怪我人が多すぎるんだよねぇ……正当防衛とはなかなか言えないかな、寧ろ過剰防衛な気もするし」

 

 困ったようにまた溜息を吐く帆波さん、別に自分に直接的な害がないのに何故か疲れている辺り、龍園と坂柳さんに振り回されているようだ。もう試験も終わったというのに。

 

「でも客観的な証拠もあって、一年生たちが徒党を組んで上級生を襲撃したのもほぼ確実……本当にどうしよう」

 

 喧嘩両成敗で片付けられればいいんだけど、その判断をするには客観的な証拠が邪魔をする。

 

「何も俺たちだけで判断する必要はないんじゃないかな。こういう時は素直に先達の意見も聞くべきだ。南雲先輩は重傷でちょっとあれだけど、桐山先輩ならまだ話しやすい筈だしさ」

 

「桐山先輩かぁ……うん、それもそうだね」

 

 あの人は南雲先輩と違って自室で待機を命じられるくらいには怪我が軽い。何せ全身打撲に追いやったのは俺だからな、骨折させないようにしっかりと配慮したまではある。相談にくらいは乗ってくれるだろう。

 

 そんな訳で俺たちは臨時生徒会室から客室へと移動すると、桐山先輩がいる部屋まで移動することになるのだった。

 

 ノックをすると返答もある。どうやら桐山先輩だけでなく同室の生徒もいるらしい。

 

「ひッ!?」

 

 だが、その同室の生徒は扉を開けて俺を見た瞬間にか細い悲鳴を上げて尻餅を突くのだった……酷い対応である。そっちから殴り掛かって来た筈なのに。

 

 この三年生男子は見覚えがあるな。俺と六助を襲撃してきた三年生の一人だ。隠れていた所を障害物ごと吹き飛ばしたけど。

 

 彼は慌てて立ち上がるとすぐさま部屋を出て船の中を走り去っていく……怪獣と接触したかのような反応である。失礼にもほどがあった。

 

 まぁ気にしても仕方がない、目当ての人物は桐山先輩であるのだから。

 

「桐山先輩、ちょっと相談があるんですけど」

 

 同室のクラスメイトが逃げ出したことで一人残された桐山先輩は、俺の姿を見た瞬間にそれはもう凄まじい渋面を作る。この人はこの人で失礼な反応であった。

 

「笹凪……トドメを刺しに来たのか?」

 

「貴方は俺をなんだと思ってるんですか……そうではなくて、生徒会関連の相談です」

 

「そうか、てっきり……」

 

 てっきり、なんだ、本当にトドメを刺しに来たと思っていたのか、俺はそこまで悪質ではないと思いたいんだけど、この人の中ではそれも可能性に入る位に危険な存在だと考えられているらしいな。

 

 俺からしてみると徒党を組んで襲撃してきた桐山先輩たちの方がよっぽど危険人物である。その辺の自覚をしっかりと持って貰いたい。

 

「桐山先輩、大丈夫ですか?」

 

 帆波さんは相変わらず優しい。やってることは龍園と大差がない桐山先輩だというのにしっかりと心配しているな。

 

「大きな問題は無い、体中が痛むが……それより、相談とはなんだ?」

 

 ベッドに寝そべったまま僅かに首だけ傾けてこちらを見て来る桐山先輩に、帆波さんはこれまでの経緯を説明していった。

 

 龍園と坂柳さんの訴え、提出された証拠、一年生の状況、それらを桐山先輩に説明すると、やはりというか思案顔になる。三年生からしてみても難しい状況らしいな。

 

「なるほどな……判断に迷っているのはわかった。こう言った場合は慣例に従うのが基本になる」

 

「慣例ですか?」

 

「あぁ、過去の慣例を参考にすることが多い、判断に迷ったらだがな」

 

 実際に裁判所でもそういう場合は多いと聞く、判断に迷ったらとりあえず慣例通りに判断を下すという訳だ。それもまた一つの判断方法だろう。

 

「今回の場合は……そうだな、客観的な証拠がある以上はどうしても喧嘩両成敗にはできない。最初に仕掛けた一年生に非があると言う判断が下される可能性が高い、少なくともこれまでの生徒会ではそういった判断で落ち着いた筈だ」

 

「ですが桐山先輩、一年生にも結構な怪我人が出ています。正当防衛ではなく過剰防衛と捉えられるかもしれません」

 

 俺のそんな言葉に桐山先輩はベッドに寝そべったままこう返す。

 

「それを配慮した上でも、客観的な証拠はそれだけ大きい。一年生側にその証拠を否定するだけの物が無いのならば、軍配は龍園側に上がるだろう……だが、怪我人が多いことも事実だ」

 

「はい、それにこのまま二年生に有利な判断を下すと一年生から信頼を失うことだってありえます。その、俺たちは二年生ですから」

 

「だろうな、ならば賠償の額を減らす形となるだろう。龍園と坂柳はどれくらい要求しているんだ?」

 

「一年生全てのクラスにそれぞれ100クラスポイントと、1000万プライベートポイントです」

 

 合計で一年生全体から400クラスポイントと4000万プライベートポイントである。幾ら何でも要求が大きすぎると思うけどそれだけ強気に出れるのが龍園と坂柳さんである。

 

 本当に恐ろしい二人だ。隙を見せちゃダメだってことを一年生たちは学んだことだろう。

 

「ならばそれらの賠償を減らす判断が無難だろうな」

 

「完全に賠償を無くすことは難しいんでしょうか?」

 

 一年生を心配しているのか、帆波さんは眉を下げてしまう。

 

「客観的な証拠がある以上はどうしようもない。この学校でなくとも、裁判の場ではそれの有無が大切だ……心苦しいというのならば、一年に配慮しろ」

 

「……わかりました、どれだけできるかわかりませんけど、頑張ってみます」

 

「それでいい……すまないな、大変な時に休んでしまって」

 

「いえ、そんな」

 

 謙遜するというか、桐山先輩の謝罪に少し慌てた様子を見せる帆波さんを見て、桐山先輩は更に深刻そうな顔になってしまった。

 

「一之瀬、追加で謝らせてくれ……もしかしたら三年は、このまま引退するかもしれない」

 

「え、引退ですか?」

 

「あぁ、俺も南雲もこの様だ。しかも南雲に関しては治療も長引くと聞いている。復帰する頃には新生徒会が動いているだろう。例年通りなら体育祭が終われば新旧の引継ぎがあるんだが、それまでまともに生徒会長が動けないとなると問題だろう?」

 

「待ってください。確か南雲生徒会長は生徒会役員の任期を卒業まで伸ばすと言っていた筈です」

 

 これまで黙って話を聞いていた鈴音さんが、去年の新任挨拶で南雲先輩が言っていたことを思い出したのか話に加わって来る。

 

「学校側が認めないだろう……仮に認めたとしても新しい生徒会に経験を積ませる為にも生徒会長を交代させる筈だ。ましてや俺たち三年は怪我で動けない。だとしたら例年通り体育祭が終われば引退だろうな。学校側はもうそういう認識で動いている筈だ」

 

 そして桐山先輩はともかく南雲先輩は体育祭に参加できるかどうかも不透明なくらいの状態だ。それこそ怪我が治った頃には生徒会長を決める選挙が始まっている可能性すらある。

 

 つまり、もう何をどうしようが三年生の生徒会引退はこの時点で確定しているのだ。寧ろそれがわかっているのだからさっさと生徒会の入れ替えを行う可能性すらもあった。

 

 そうか、南雲先輩はもう生徒会長として扱われないのか、席だけは体育祭が終わるまであるだけで既に事実上の引退という形になっているらしい。

 

 うん? だとすると本当にこれから二年生三人だけで回していかないといけないのか? 八神の復帰も怪しいから新しく人を集めないとダメじゃないか。

 

 人は増やすべきだという話は当たり前だけど、だれを引っ張って来るかも問題だ。そもそも生徒会に入りたいという生徒は四月の段階でやる気を出しているので、今更入りたいという生徒がいるのかな。

 

「ですが桐山先輩は南雲先輩と違って復帰できるのでは?」

 

「かもしれないな……だが、もう良い」

 

 鈴音さんの問いかけに桐山先輩はどこか投げ槍に答えてしまう。このしょぼくれた雰囲気は南雲先輩からも感じられたものである。

 

「俺にできることなど何もなかった……丸投げするようですまないと思うが、俺は引退だ」

 

 心折れてしまったということだろうか、それか本当に引退する良い機会だと思っている可能性もある。どちらにせよ引退する意思は固いらしい。

 

「笹凪、一つ訊いていいか?」

 

「何でしょうか?」

 

「俺たち三年生は強かったか?」

 

「……えっと」

 

「いや、いい、その反応だけでだいたいわかった……お前のように計算の外にいる奴からしてみれば、大差のない行動だったんだろう」

 

 勝手に問いかけて勝手に納得しないで欲しい。確かに大した苦戦はしなかったけど、無駄な行いだったとは思っていないのだから。

 

 桐山先輩は痛む両腕を上げて自分の顔を隠してしまった。俺を視界から遠ざけるように。

 

「本物には勝てない、俺はそれがよくわかった……もう良いんだ、後は受験勉強に集中するとしよう」

 

 あぁそうか、心が折れてしまったのか……怪我をすると情緒が不安定になるというのもあるんだろうけど、桐山先輩は冷静に引退する時だと判断したらしい。

 

 幸いにも南雲先輩と比較的近い人だ。もしかしたら2000万を貰う契約を結んでいるのかもしれない。ならば後は全て受験勉強に集中するべきだと考えても不思議はなかった。

 

「何かを成せると、生徒会に入ったばかりの頃はそう思っていたんだがな……最後がこれとは、本当に笑えない」

 

 既に決意が固いのならばどうしようもなかった。俺たちは引退することになった先輩に頭を下げてこれまでの活躍を称えるしかないのだった。

 

 桐山先輩も南雲先輩も事実上引退が確定か、だとしたら本格的に人を集めないといけないな。

 

 

 

 

 

 



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恥だろうが何だろうが勝ちに行くんだよ

 

 

 

 

 

 

 帆波さんとしては喧嘩両成敗でお互いに反省して気を付けようねとしたかったのだろう。それは間違いではないしとても無難で安全な着地点であるとも思えた。

 

 しかし客観的な証拠があるというのはなかなか難しい。そして一年生たちが先に手を出した上に実際に上級生に暴行を加えている瞬間をしっかりと撮影されている状況である。

 

 それでも二年生たちの報復というか抵抗というか、最早過剰防衛とも言える行いを完全に正当化することなど出来ないのだけれど、なら一年生たちに非が無いのかという話にもなってしまう。

 

 俺たち生徒会は別にプロの裁判官でもなければ弁護士でも検事でもない。しっかりと法を勉強していればまた違ったのかもしれないが、現状では少しばかり龍園に軍配が上がるというのが最終的な判断となってしまう。

 

 この手の問題は生徒の自治や独立なんて建前で誤魔化すのではなく、普通に裁判所や警察に任せるべきだと思うのだが、この学校は外部と遮断されている極めて特殊な学校なのでまた話がややこしくなってしまうのだろうな。

 

 生徒に裁判所まがいのことをやらせるべきではないということだ。それでも学校はやれと言ってくるので何とかして素人の俺たちは結論を出さなければならない。

 

 さてどうしたものかと悩み、生徒会で相談したり教員と話したり、抜け穴や見落としがないか調べたり、学校の慣例や過去の審議を参考にしたりと随分と忙しくさせてくれたと思う。

 

 並行してレクリエーションの準備を進めていく……夏休みを返せ馬鹿野郎と愚痴っても流石に許されるだろう。皆は豪華客船を満喫していると言うのに。

 

 色々と悩みながらも帆波さんは最終的に一年に対して400クラスポイントの支払いという形にしたそうだ。俺がそれを聞いたのは本日分のQRコードを生徒の視線を避けながらひっそりと張り付けた後に臨時の生徒会室に帰った時であった。

 

「はふあぁぁぁぁあ」

 

 この前も聞いた盛大な溜息はちょっと強まっている。審議を終えて気も抜けたのだろうか。

 

「お疲れさま」

 

「あ、ごめんねいつも」

 

 そんな彼女にすぐさまお茶を用意する。何せ俺は生徒会では橘先輩ポジションだからな。

 

「審議、どうだったかな?」

 

「何とか……う~ん、終わらせられたよ」

 

「難しい問題だっただろうから、こればっかりは楽にとはいかないだろうっていうのはわかるよ」

 

「一年生も完全には納得してくれなかったけど、これ以上は無理だって思ってたんじゃないかな」

 

「渋々って感じか」

 

「うん、でもこっちの誠意と言いますか、配慮は伝わったんじゃないかなって」

 

「龍園たちの要求は400クラスポイントと4000万プライベートポイントだっけか」

 

「流石に全部を減らすのは難しいから、そこは二年生側の主張に配慮したけどね」

 

 帆波さんとしても一年生にできるだけの配慮をしたということか。龍園辺りは鼻を鳴らしてそうだけど、審議も終わったみたいなので双方が結果を受け入れたようだ。

 

「一年生にはそれぞれのクラスから合計で400クラスポイントを支払うことになったよ」

 

「プライベートポイントは?」

 

「そっちは無しってことにした。400クラスポイントだけならそれぞれのクラスが100ポイントずつ払うことで負担も下げられるしね」

 

「なるほど、同じ額が減るのなら不満もまだ出にくいか」

 

 全部のクラスが一律で減るのならばクラスポイントに差も生まれない。まだ受け入れやすい判断だろう。

 

 プライベートポイントの支払いに関してはそれぞれのクラスで負担させるとなると既にあるクラスポイントの差が支払い能力の差になってしまうので不公平感を生んでしまう。

 

 それならまだ一律でクラスポイントが減る方がマシである。最悪の中ではの話ではあるけども。

 

 龍園と坂柳さんはホクホク顔だろうか……いや、何を甘いことをと呆れているかもしれないが、生徒会としては二年生も一年生もどちらの信頼を壊せないのでこれで納得して欲しいものだ。

 

 このクラスポイントは被害者で分割、つまりは二年生で分けることになっているので俺や帆波さんのクラスにも100ポイントが入って来ることになる訳である。

 

 たった100ポイント、プライベートポイントに変換すれば1万ほどでしかない。けれどこれが一学年160人と考えれば一カ月で160万となる。一年で1920万が俺たちの学年に入って来ることになる訳だ。

 

 勿論そこまで単純な話でもないし、人は霞だけ食って生きていける訳ではないので全部が全部残る訳でもないけれど、それでも一年間で1920万は大きい。

 

 やっぱり龍園は二年生にポイントが集まるような仕組みを意識しているようにも思えるな。その学年に集まるポイントが多くなればなるほど、最終的に奪う段階で大きな意味を持つ。

 

 まるで家畜業者である。盛大に肥え太らせて時が来たらしっかり利益を上げるのだ。相変わらず恐ろしい男だな。

 

 二年生全体の利益になっているのだからなお質が悪い。もしかしたら二年生の中には龍園よくやったと思う相手がいても不思議ではない。最終的に奪う為に肥えさせているのだとしてもだ。

 

 やはり彼は強敵だな。清隆にぶん殴られた後からは本当になりふり構わなくなったと思う。意地も恥も誇りも捨てて勝利を目指しているという印象である。そういう相手は首だけになっても噛みついて来るので注意が必要だろう。

 

 俺は別に龍園を侮ってはいない、寧ろ最後に首だけになった彼に喉を食いちぎられるのではないかとさえ思う位には警戒もしていた。

 

 なにせ一度完全に叩きのめしたのにしれっと復活している男である。きっと桐山先輩は龍園を参考にするべきなんだろうな。

 

「お疲れさま、本当に大変だったみたいだね」

 

 難しい審議を引き受けて貰った帆波さんにはしっかり感謝と労いを伝えておこう。二年生と一年生に挟まれて大変だったことは想像に難くない。

 

「ごめんね天武くん、レクリエーションの準備、殆ど手伝えなくて」

 

「気にしなくていいよ、こっちは気を遣うようなこともなかったからさ」

 

 胃がキリキリと痛むような状況よりはQRコードの張り付けの方がマシだった。

 

「審議も終わったんだ。帆波さんも豪華客船を満喫したらどうだい?」

 

「そんな訳にもいかないよ。まだレクリエーションの準備だって残ってるんだから」

 

「こっちはある程度は進められたよ。受付の設営も出来てる。大きな問題はないさ」

 

 鈴音さんは今、レクリエーションの受付を先生たちと一緒に準備している。

 

「面倒事を丸投げしてしまったような気がして申し訳なかったんだよね。だからこっちは俺と鈴音さんに任せて、帆波さんは一息入れなよ。なにせ高校生の身分でこんな環境に身を置く機会なんてなかなか無いから、しっかり楽しむべきだ」

 

「そんなこと言われても、困っちゃうな。人手不足な訳だし」

 

「事前準備に長い時間をかけたからこっちは問題ないさ」

 

 本来はレクリエーションの前日の深夜に一気にQRコードを張り付ける予定だったのだが、生徒会の人員が半壊したことで準備期間を前倒しすることになった、おかげで何とか本番に間に合いそうではあった。

 

「こっちは俺たちに任せてよ」

 

「う、うん……ならお願いしようかな」

 

 少し迷ったような顔をしながらも、帆波さんは納得してくれたようだ。しかしこちらを窺うような視線は残っており、何やら話があるらしい。

 

「あのね、その、実はお礼がしたいなって思ってたんだよね。天武くんに」

 

「お礼?」

 

「ほら、無人島で麻子ちゃんを助けてくれたから」

 

「あぁ、あれか……気にしないで、当然のことをしただけだ」

 

「そんな簡単にいかないのが私たちの立場と言いますか……何かお礼をしないと気が済まないよ」

 

「見返りを求めての行動じゃないからなぁ……些細なことだよ」

 

 敢えて言うのならば俺が目指している場所にその行動が必要であったということが報酬なのかもしれない。そう考えると自分勝手な行動だったのかもしれないな。

 

「本当に、気にしないで欲しい」

 

 すると帆波さんは申し訳なさそうに視線を下げる。そんな顔をされるとこっちもちょっと申し訳ない気分になってしまう。

 

「う~ん……せめて少しくらいお礼させてくれないと困っちゃうな」

 

「面倒な審議を引き受けてくれたんだからそれで十分なんだけどね。それに、当然のことをしただけでお礼とか感謝とかちょっと堅苦しいかなって」

 

 助かったよありがとうの一言で完結してくれるのがとてもありがたい。お礼や感謝の表明とか大袈裟過ぎる。

 

「……それならだけど」

 

 帆波さんはちょっと挙動不審と言うか、モジモジと恥ずかしがるような雰囲気になって視線を彷徨わせる。

 

「堅苦しい感じじゃなくてね、ちょっとした話で……その、試験も終わったからお疲れさま会みたいなのはどうかな?」

 

「打ち上げみたいな感じか……帆波さんのクラスでやるのかい?」

 

「うん、天武くんも一緒に参加してくれれば嬉しいな」

 

 ついでにお礼や感謝もそれとなく伝えたいということだろうか、帆波さんの配慮が見え隠れするな。本当に気にする必要なんてないというのに。

 

 ただ問題がある。流石に他所のクラスの打ち上げに参加するのはハードルが高い。こう言ってはなんだが試験で一位を取った相手にいられても帆波さんクラスは居心地が悪いような気もする。

 

「せっかくだけど遠慮しておく、俺がいると雰囲気が悪くなるかもしれないしさ。他クラスの打ち上げにはなかなか難しい」

 

「……そっか」

 

「すまない、気を遣わせてしまって」

 

「ううん、やっぱりクラスが違うと色々あるもんね……仕方がないことだよ」

 

「ただ、帆波さんがお礼をしたいって気持ちは伝わっている、それで十分さ」

 

「なら良かった」

 

 こればっかりはどうしようもない。何だかんだで同じクラスの人の方が気楽に接することができるからな。帆波さんクラスは俺が打ち上げの場にいてもそこまで気分を害さない人が多いだろうけど全員って訳でもないだろう。

 

 空気を悪くする訳にはいかない、神崎なんかは俺をとても警戒しているからな。

 

「……同じクラスだったら、何か違ったのかな」

 

 小さくボソリと何かを帆波さんが呟く。

 

「帆波さん?」

 

「あッ、うぅん、何でもない」

 

 慌てた様子で臨時生徒会のソファーから立ち上がった彼女は、何故かギクシャクした様子を見せた。

 

 せっかく誘ってくれたというのに雰囲気を悪くしてしまったかな。まぁ俺が他所のクラスの打ち上げに参加するよりはまだマシだ。

 

 ただ帆波さんの配慮は素直に嬉しい、それは本音である。

 

 帆波さんは自分のクラスの打ち上げで気晴らしをしてもらうとしよう。本日の生徒会業務も終わったので彼女を見送り、せっかくなのでレクリエーションの受付設営をしている鈴音さんに声をかけてから部屋に帰ろうと考えて生徒会室の外へと出た。

 

 豪華客船では今も生徒たちが思い思いに過ごしているのが確認できる。レジャー施設も豊富なので夏休みを満喫するには持って来いの場所だと改めて認識することができる。

 

 生徒会での仕事が無ければ俺も羽を伸ばすのだが、こればかりはどうしようもない。

 

 そんなことを考えながら船内を歩いていると、船の中にあるバーの一角が視界に入る。正確にはそこにいた人相の悪い男がだけど。

 

 あちらも俺に気が付いたのか、いつも通りの笑みを浮かべている。

 

 せっかくなので声をかけようか、無視するのもあれだし。

 

「龍園、君は何ていうか……バーが似合うね」

 

「クク、なんだそりゃ、こんなもんに似合うもクソもねえだろうが」

 

「いやよく似合う、だって龍園がバーの席に座っていると人相の悪さから任侠映画みたいな雰囲気になるし……すみません、コーラお願いします」

 

 一応、龍園が飲んでいるのは酒ではなくノンアルコール飲料である。そこは学生らしいと言うべきか、この学校じゃなかったら平気で飲酒してそうな男ではあるけど、こんな所で突っ込み所は見せないか。

 

 せっかくのバーなので大人気分を味わう為に俺も飲み物を注文した。コーラだけど。

 

 席に座って久しぶりのコーラを味わう。こういう場所で飲むには相応しくないんだろうけど、師匠と違ってお酒の味はわからないのでこれで十分楽しめる。

 

「ところで龍園、審議の件なんだけど」

 

「なんだ、無遠慮に席について訊くことがそれかよ」

 

「いや、気になったからさ……納得してるのかなって」

 

「一之瀬がつまらん配慮をしなけりゃ今頃1000万が入って来てたんだ。納得してる訳がねえだろうが」

 

「その割には苛立っていないようにも見える。もしかして最初は要求を大きくして、後から本命の要求を通すっていう奴かい?」

 

「わかってんじゃねえか」

 

 なるほど、こういう形に着地することは最初からなんとなく予想していたのか。

 

「なんだ、もしかしてテメエは不満なのか? そっちのクラスにも100ポイントが入るんだ、喜べよ」

 

「よく言うよ、最終的には肥えさせて奪い去るつもりの癖に」

 

「当然だろうが、貧乏人を大量に増やした所で大した旨味もねえんだからな」

 

 やはり最終的には自分の所に集める算段か。まぁ他所の学年から奪い去るよりも機会は多いかもしれないけど。

 

 龍園はバーの席に座った状態で注文した飲み物を呷る……本当にノンアルコール飲料なんだよな? 完全に酒を飲んでいるようにしか見えないくらいに慣れているように見えた。

 

「相手は一年生なんだ、もう少し手加減してあげたらどうだい?」

 

「ハッ、強者の驕りだな。そいつは俺にカードの一つを捨てろって言ってるようなもんだぜ」

 

「そう聞こえてしまったか」

 

「手加減だの配慮だの知ったことかよ。年下だから許してやれ? クソだな……いや、仮にテメエがいなかったら多少の生意気は目をつぶってやったかもしれねえが」

 

「俺がいたから徹底的に一年生を追い込んでいるのかい?」

 

「当然だろうが。テメエを凌駕するのに躊躇してる暇も配慮してるほどの余裕なんざねえよ。こっちはもう恥も誇りも意地も捨ててんだ……あらゆる相手を勝利の踏み台にするだけだ」

 

 曲がりなりにも王を名乗っているんだ、そこだけは譲れないか。

 

 勝利への執念と言うか、渇望のようなものが一年の頃よりも強まったようにも見えた。

 

「笹凪ィ、一年に配慮しろだなんて言えるのは、勝利を得る為に本気になれてない奴だけだ」

 

「なるほどね、確かにそう言われると手加減しろだなんてのは無粋な発言だったかもしれないな」

 

 龍園たちの行動や主張を正当化するつもりはないけれど、恥も誇りも意地も捨てて挑もうとしている相手に手加減しろだなんて言うべきではなかった。

 

 徹頭徹尾、勝利へ邁進する。それが龍園であり、相手が一年生だろうが己の力にする為に奪い去る。

 

 全てを踏み台にして勝利を目指すほどの渇望か、それは俺に足りていない物の一つなのかもしれないな。

 

 そう考えると龍園は南雲先輩と似ているようで正反対でもあるのかもしれない。

 

 あの人は本気の勝負を望んでいながらもどこか本気になりきれていないというか、余裕綽々で勝つことに快楽を感じるよくわからない人だけど、龍園は何もかもを己の力に変えて勝利を目指そうとしている。

 

 恥だの意地だの誇りだのは投げ捨てて、ただの純度の高い勝利への渇望を覗かせていた。

 

 恐ろしい男である。本当に首だけになっても食らいついてきそうだ。

 

「8億に関してもまだ諦めてはいない感じかな、その様子だと」

 

「当然だろうが。テメエの気が変わりましたで何もかもが終わるような話を信頼するかよ」

 

「うん、それで良いと思うよ」

 

 不思議とそう言われるのが嫌な気にはならない。保険の保険くらいに考えて貰えるとこちらとしてもありがたいからな。

 

 だからこそ龍園は何と言われようが勝利を渇望する。たとえ一年が相手だろうと容赦はしない。全ては己とクラスの未来の為か……ツンデレである。

 

「そうだ、試験が始まる前に金田が一年と一緒にいるのをチラッと見たんだけど、もしかして便乗カードを集めていたのかい?」

 

 他学年にカードを売ることはできないが契約で縛ることはできる。やりようによっては一年生の便乗カードで得たポイントを自分のクラスに持って来れる筈だ。

 

「クク、さてどうだろうな」

 

 もし仮にそうならば龍園の懐には大量のプライベートポイントが転がって来た筈である。それこそ100万とか200万ではなくクラス移動が出来るくらいには。

 

 自分で8億集めることもまた本気か……改めて狡猾だと思うしかない。

 

 いつもの笑みを浮かべてグラスに入った葡萄ジュースを飲み干すと、龍園は話は終わったとばかりにバーの席を立った。

 

 そして邪悪な笑みをそのままに、俺にこう言ってくる。

 

「せいぜい余裕をかましてろよ、こっちは何もかもを踏み台にしてその喉に食らいつくからよ」

 

「楽しみにしていると、そう言っておこうか」

 

 全ては勝利の為、当たり前のことだがその思いが二年生の中で最も大きいのは龍園なのかもしれないな。

 

 恐ろしい男である。いつか恥も意地も誇りも捨てて全てを勝利に注ぎ込んだ彼に喉を食い破られる日が来るのかもしれないと考えると、少し楽しい気分になってしまう。

 

「あぁそうだ、テメエにも訊いておきたかった。小宮たちの件だが、どこまで把握している?」

 

「何を期待しているのかは知らないけどさっぱりだ。俺はその現場にもいなかったし報告を受けただけだからね」

 

「そうかよ」

 

「報復するつもりなのかい?」

 

「当たり前のことをわざわざ言わせんなよ。子分が蹴り落とされてんだ、きっちりしっかり指を詰めさせねえとな」

 

 やっぱり彼は任侠映画の住人である。それを改めて認識するしかない。

 

 まぁなんだかんだで彼なりの優しさがあるのだろう。そう考えるとまた少しだけ楽しい気分になるのだった。

 

 

 

 

 

 



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人員勧誘

 

 

 

 

 

 

 

 審議も終わってレクリエーションの準備もある程度は進められたと思う。ただやはり人手不足感は拭えない。朝起きたら豪華客船だというのに生徒会の仕事をどう進めるのかということをまず考えてしまう辺り、俺も結構な仕事人間なのかもしれない。

 

 やっぱり人手不足は深刻である。三年生は実質引退、一年の八神は重傷で復帰が不透明、生徒会の活動に参加できたとしても体育祭が終わったくらいになると思われる。

 

 なので現状は二年生三人で回すしかない……まぁ難しいだろうということで新しい人員を探す必要がある訳である。

 

 朝起きる、そして考えるのは生徒会のことなのだから、学生らしくない生活をしているのかもしれないな。

 

「波瑠加がプールでもどうかと言っていたんだが、どうする?」

 

 顔を洗って今日も仕事だとうんざりした気分になりながらもOAAを確認していると、同部屋の清隆がそんなことを言って来た。

 

「プールかぁ……良いね、夏っぽくて」

 

「そんな捨てられた犬みたいな顔をするのは止めてくれ、こっちとしても忙しそうなお前を置いて遊ぶのも申し訳ないと思っていたんだ」

 

「気遣いありがとう……でも忙しいんだよね」

 

「難しいか」

 

「顔を出せそうならちょっと寄らせてもらうよ」

 

「そうしてくれ、偶にはゆっくり休むのも重要だぞ。夏休みなんだからな」

 

 清隆にも気遣われるくらいに俺は忙しそうに見えるらしい。それもこれも八神と南雲先輩を重傷に追いやった誰かが悪いのだろう。

 

 夏休みを満喫したい気持ちもあるが生徒会の仕事を放置もできないので動くしかない。なのでまず確認するのはOAAである。そこの全体チャットに生徒会業務を手伝ってくれるアルバイトの募集をかけるのだ。

 

 問題が無いようならばこの募集で集まったアルバイトの中から新しい生徒会役員を探すという流れである……来ればの話ではあるが。

 

 ただアルバイトに参加した生徒はこの後予定されているレクリエーションに参加できなくなるから、大金を逃すことにもなってしまう。そこを納得してくれれば良いんだけどね。

 

 プールに行くらしい清隆を見送って俺も部屋を出る。今日もまた生徒たちの視線を避けながらQRコードを張り付ける作業であった。

 

 事前準備に大きく時間を割いていたので進捗自体は問題ない。寧ろ問題なのはレクリエーション本番の受付である。そこにアルバイトたちを投入したい考えである。不正防止の観点からもしっかりと申告させたいので人手がいるからな。

 

 宝探しに参加した大勢の生徒の申告を捌く為にも人手がいる訳だ。

 

 OAAの全体チャットでの勧誘で釣り上げられれば良し、それがダメでも足での勧誘も大切だろうな。

 

 鈴音さんや一之瀬さんも勧誘に励むとのことなので、俺も頑張るとしよう。そんな訳でQRコードの貼り付けと勧誘を同時並行で進めていくことになるのだった。

 

 生徒の視線が多いので昼間は大っぴらに張り付けることはできないので、隙を見つけて一枚一枚丁寧にだな。もし本番までの全ての作業が終わらせられない場合は前日の深夜に駆り出されると思うので安眠の為にも早めに終わらせたいものである。

 

 とりあえずまだ早朝なので食堂だったりデッキにあるオープンスペースにはチラホラ人がいるだろうと思ったので顔を出してみると、そこには見知った顔が発見できた。

 

 穏やかな海風を感じられる船のデッキでは、そこに用意された椅子や机を使って外で朝食を楽しむ者がいる。後輩女子も当然ながら発見できる。

 

 なので声をかける。これもまた勧誘であった。

 

「んぁ? どうしたんッスかご主人」

 

「たまたま見つけたから声をかけたんだ」

 

 デッキの上にあるオープンカフェで朝食をしていたのは九号、そして天沢さんである。何だかんだでこうして一緒にいるのだから仲良くなれたらしい。ちょっと色々とアレな部分にある九号だけでちゃんと友達ができたようで俺は安心している。

 

 困惑することも多いだろうけど、天沢さんにはどうか九号を見捨てないであげてほしい。

 

「天沢さんも久しぶりだね。あ、ここ座っていいかな?」

 

「やっほ、どうぞどうぞ、座っちゃってよ」

 

 許しも得たので二人が使っていた机を俺も利用させて貰おう。ついでなのでここで朝食を取る為にカフェの店員にモーニングセットを注文した。

 

 このカフェはデッキにあるので屋内とは違って随分と開放的である。海風が心地よく日差しを遮るパラソルもそれぞれの机に設置されているので過ごしやすくもあるので朝食を楽しむなら持って来いだろうな。

 

「天沢さん、怪我は大丈夫かい?」

 

「ん~、まぁね、あたしが弱かったからこうなったんだし、そこに文句はありませんよぉ」

 

「一夏ちゃんはクソ雑魚ッスからね、腕一本で済んだのは幸運ッスよ」

 

 サンドイッチを食べながらそんなことを言う九号に、天沢さんはピクリと頬を動かす。

 

 そして彼女はギプスが付いていない方の健在な腕で朝食に使っていたフォークを逆手に持つと、そのまま躊躇なく九号の顔面めがけて振り抜く。

 

「おっと」

 

 だが九号はそんな凶行に瞬き一つせず、平然と天沢さんの手首を掴んで止めてしまうのだった。フォークは眼球に届くことはない。

 

「危ないじゃないッスか、一夏ちゃんはもうちょっと常識を知るべきッス。ここはフォークじゃなくて最低でも手榴弾を使う所でやがります」

 

 違うそうじゃない、君も常識的に考えなさい……天沢さんが使うべきだったのは戦車だろうに。常識的に考えればそうなるぞ。

 

「仲が良さそうで安心したよ。天沢さん、この子はかなり常識外れで世間知らずな所はあるけれど、根はとても良い子……とは口が裂けても言えないが、道理は弁えている。どうかこれからも仲良くしてあげて欲しい」

 

「えぇ……やった私が言うのもなんですけど、いきなりフォークで刺そうとして出て来る言葉がそれって」

 

 何故か天沢さんには呆れられてしまうのだった。

 

「ていうかせぇんぱい、もしかしてあたしのこと、殆どわかってたりします?」

 

「君のことか……ホワイトルーム関係者であったり、月城さんからの刺客であることなら理解しているよ」

 

「ふぅん、因みにですけどいつから気が付いてたんですか?」

 

「違和感を覚えたのは入学式の時だ」

 

「最初も最初じゃないですか……あ~あ、なら全部無意味だったってことかぁ」

 

「八神に関しても疑っていた、後はもう何人かも候補だったかな」

 

「……拓也のことも把握してるんだ」

 

「月城さんが教えてくれたからね」

 

「なにやってんのよあの人、あたしらのバックアップなのにさ」

 

「責めないであげてくれ、月城さん的には仕方のないことだったからさ」

 

「拷問でもしたんですか?」

 

「いや、吐かないと死んでただろうから」

 

 具体的には清隆か俺が海に沈めて放置していたかもしれない。こちらの本気も伝わっていたのか月城さんも口が随分と軽かったな。

 

「そんな訳で俺は君の事情や背景は理解しているよ」

 

「それを知ったからどうするつもりなんですか?」

 

「別にどうとも、君がどこの誰でどんな人間であるかは最初から興味はない。こちらの脅威にならないのならね」

 

「もし脅威になったら?」

 

「さぁ、その時に考えるよ……まぁそうなったとしてもホワイトルーム生であるかどうかはあまり関係もない」

 

 俺にとってはホワイトルーム生であるかどうかは大した意味はない。何もしないのなら普通にそれで良いとさえ思っている。大人の事情に振り回されるよりも学園生活を謳歌して貰いたいとさえ考えていた。

 

「まぁ、君たちを監督している月城さんはもう学園長を辞めさせられるんだ、いっそここから先は開き直って高校生活を楽しむと良いよ」

 

「そんな簡単な話でもないんだけどなぁ」

 

「難しく考える必要はない、天沢さんにはもう友達だっているんだ。きっとあと一歩の話だと思う」

 

 天沢さんの視線が同じ席に着く九号に向けられる。するともの凄く複雑そうな顔になってしまう。友達と認めたくないとでも言いたそうである。

 

「んもう、恥ずかしがる必要はないでやがります。ウチらはもう親友じゃないッスか」

 

「銀子ちゃん知ってるかなぁ、親友は腕を折ったりしないんだよ」

 

「それは一夏ちゃんがクソ雑魚だからそうなるんッスよ」

 

 また九号が煽るようなようなことを言うので、天沢さんはイラッとした顔をしてまたもやフォークで刺そうとするけど、それはフェイントで本命は机の下からの脛への蹴りだったらしい。

 

 だがそれも見切られており、九号は天沢さんの足先を踏みつけたようだ。

 

「ちょっとぉ、痛いんだけど」

 

「ざ~こ、一夏ちゃんのざ~こ」

 

「このッ、こら、動くなッ」

 

 机の下で次々と足を動かして踏みつけ合おうとしているようだ。仲が良いな……うん、そういうことにしておこう。

 

「そうだ、二人にちょっと相談があるんだけど、生徒会に興味はないかな?」

 

「生徒会ッスか?」

 

「あぁ、三年生が大怪我で事実上引退することになって、一年の八神も同様だ。新しく人を集めようという話になって声をかけているんだ。天沢さんもどうだい?」

 

「え~あたしですかぁ、それよりも今はやりたいことがあるんですよねぇ」

 

 未だに机の下では足の踏みつけ合いが繰り返されている。だが九号の瞬発力と先読みには勝てないのか、天沢さんの爪先はずっと先手を取られているようだ……いや、足だけどさ。

 

「何かやりたいことがあるのならそれで良い。清隆もそうだけど、そういうものを見つけるのは大切だ……俺はホワイトルームのことは良く知らないし、軽々しく語ることもできないけれど、この学園にいる間は一人の生徒として楽しんで貰いたいからさ」

 

「それは脅威にならなかったらって話ですよね?」

 

「ホワイトルーム関係なくそれは当たり前のことだ……まぁ月城さんも辞めさせられるんだ、開き直って楽しむくらいで良いと思う。天沢さんは帰りたい気持ちはあるのかい?」

 

「どうだろ、割とあたしは自由に生きたいかなって……でも実際の所難しいかも。そもそも卒業してからどうするんだって話でもあるしねぇ」

 

「う~ん、それは目標の話なのか、それとも戸籍とかそういう話かな」

 

「どっちもですよ」

 

 ホワイトルーム生が戸籍だったりその手の権利を持っているのかどうかは怪しいか。もしかしたら商品としてある程度の価値を示せば与えられるのかもしれないけど、脱走者みたいな扱いだとよくわからない。

 

「そもそも天沢さんはご両親とか知っているのかい?」

 

「いや、知りませんよ。あたしってほら、試験管ベイビーって奴だし」

 

「そうか、だとすると卒業してから後見人のような人を見つけるしかなさそうだけど……どうしたもんかな」

 

「いや、そりゃそうですけど……笹凪先輩、引かないんですか?」

 

「試験管がどうのという話ならそこまではね……別に珍しい話でもないし」

 

「あぁ、確かに、割と聞く話ッスよね。超人量産計画とか、新人類育成計画とか、サイボネティック計画とか、その手の施設は何度か潰したこともあるでやがります」

 

「あったなぁ、とある研究施設で皆同じ顔した兵士がいたりとか」

 

「あれは大変だったッスね……皆腹の中に爆薬を隠してて、一人倒したら誘爆したッス」

 

「後はあれだ、十一号のサイボーグ化事件とか」

 

「あのイカレ科学者ッスか、懐かしいッスね」

 

 九号と一緒に潰した研究所の話である。今思い出しても嫌な仕事だったと思う。

 

 大きなガラス管の中に同じ顔をした人間が大量に並べられている光景はカオスだったな。しかも一人一人が滅茶苦茶強かった。

 

 後は全身を機械化するのが趣味な人の暴走だったりと大変なことばかりである。

 

 そういった施設は意外にも多かったりする、なのでホワイトルームの存在もそこまで驚かなかったと今になって思い出す。

 

「えぇ~……怖ッ」

 

 天沢さんも俺たちの話を聞いてドン引きした顔になっている。世の中、薄暗くてカオスな一面は何もホワイトルームだけではないということであり、天才を教育で作り出す施設なんて可愛いもんだと思えるくらいには滅茶苦茶な奴らが大勢いるのだ。

 

 師匠とかその筆頭だ、あの人は本当に滅茶苦茶で鬼みたいな人である。おかげで俺は機械化もしてないのに何故か改造人間になってしまったんだからな。

 

 九号のご両親……つまりは彼女の師匠も大概だし、世の中まともな大人は案外少なかったりするようだ。悲しいことに。

 

「まぁ困ったことがあれば頼ってよ。もし戸籍が見つからないとかになれば、こっちで用意するから」

 

「え、そんなことできるんですか」

 

「殴られたくなかったら戸籍を適当に用意してくれって政府に言えば、多分」

 

 俺じゃなくても九号がそう言えばそれくらいは政府もやってくれる。超人を敵に回すのと戸籍を一つ作るのと、どっちが楽かという話にもあるのだから。

 

 それくらいのことは押し通せる。政府だって国会議事堂が瓦礫の山になるくらいなら笑顔で用意してくれるだろう。

 

「どうしてそこまでしてくれるんですかぁ? 言ってしまえば敵な訳なんですよね」

 

「俺は別にホワイトルームと敵対している訳じゃないよ。月城さんは俺に実害を出したから処理したけど、別に天沢さんに何かをされた訳でもないからね」

 

「ふぅん……なら実害を出したらどうなるのかなって」

 

「そりゃ対応するよ、月城さんと同じよう」

 

 ホワイトルームとか関係なくそうする。なので敵対するようなことはして欲しくはない。

 

 勿論、八神だって同様だ。現在進行形でこっちに干渉している彼だけど、余計なことをせずに平和な学園生活を送ってくれれば俺としては何の文句もない。

 

 まぁ無理なんだろう。月城さんが処理された段階で動きを止めるのではなく寧ろ積極的になったんだから、戦いは避けられないのかもしれないな。

 

「なんであれだ、自由に生きたいというのならばそれで良いと思う。君がどうであれ俺にとっては後輩の一人だし、生徒会役員としてできることをしよう」

 

「良い人ですね、笹凪先輩は……何の利益もないのに」

 

「利益の話は最初からしていない……いや、そうだな、俺にとっては重要なことなんだと思う。誰かが困っているのならば手を差し出すくらいのことはしないとね。俺が目指しているのは天下無双の漢で、正義の味方だ。俺は俺の為に、誰かの力になるのさ」

 

 すると天沢さんは興味深そうな、それでいて呆れたような顔になって、けれど関心を寄せられるような雰囲気もある複雑な表情を見せる。

 

「天沢さんも遠慮なく頼ってくれて構わない……俺は俺の為に君の力になろう」

 

「……」

 

 こちらの真意や内心を探るように見つめて来る天沢さんだが、そんな様子は数秒後に吹っ飛ぶことになる。机の下で九号が彼女の爪先に踵を落としたからだ。

 

「いったあぁああッ!?」

 

「ウチの種馬ッスよ。色目つかうんなら順番を守れでやがります」

 

「誰が種馬だ」

 

 相変わらずの九号節に苦笑いを浮かべるしかなかった。目の前で起こるキャットファイトを眺めながら注文した朝食を平らげると、手を合わせてから席を立つ。

 

「生徒会の件、考えておいてよ。ダメならダメで構わないからさ」

 

 机の上でも下でも様々な駆け引きを繰り返す二人にそう言い残してから、俺はついでとばかりにQRコードを座っていた椅子の裏側にこっそりと張り付けるのだった。

 

 生徒会は今日も忙しくなりそうだ。

 

 

 

 

 



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忙しい中でも語らいを忘れない

 

 

 

 

 

 

 九号と天沢さんと一緒に朝食を終えた俺は生徒会の業務を遂行していくことになる。賑わい楽しむ生徒たちに気がつかれないようにQRコードを張り付けて行く作業だな。

 

 わかりやすい場所は鈴音さんがやってくれているそうなので、俺は主に難しい場所担当であった。自動販売機を動かしてその裏側に張り付けたり、シャンデリアの上であったりとこれまで張り付けていたが、今度は廊下の天井にある通気口の蓋を開けてそこに張り付けることになる。

 

 こんな場所にあるQRコードを誰が見つけるんだと何度も思うような場所が多いけど、何となく九号ならあっさり見つけそうだなと考えることもできた。最高報酬である100万プライベートポイントはもしかしたらあの子が見つけるかもしれない。

 

 それならそれで良い、レクリエーションは特別試験ではないし参加に関しても完全に自由、しかも運勝負でもあるので本当に気楽な催しだ。誰が勝とうとも恨みっこなしだ。

 

 南雲先輩の発案だったけどこういう物は多ければ多い程良い。殺伐としたこの学校では特にそう感じるのだから、貴重で大切な時間なんだろう。

 

 堀北先輩の世代ではこんなレクリエーションは無かったとのことなので、南雲先輩らしさが出ていることになる……まぁその本人が裏方すら参加できず引退してしまったのは残念ではあるが。

 

 南雲先輩は大丈夫だろうかと思い悩むのだが、傍らには朝比奈先輩がいるので大きな心配はないだろうか。

 

 もしかしたらあの人は体育祭にすら参加できないかもしれないけど、良い機会なのでもう少し自分の近くにいる人と交流した方が良いのかもしれない。後、地盤固めも大切だけど。

 

 俺が心配するようなことでもないか、こっちはこっちで大変なのだから。

 

 OAAを開いて今朝告知したアルバイトの件を全体チャットで確認してみるのだが、やはりこれといった生徒は名乗り出ない。そもそも生徒会に興味がある生徒は四月の段階で動き出しているだろうし、今更やる気を出す者は少ないらしい。

 

 そうなると有望そうな生徒に一人一人声をかけて口説いていくしかないのだが、それはゴリラと思われている俺よりも帆波さんがやったほうがまだ可能性が高いだろう。どうにも無人島試験が終わってからは三年生の集団を叩きのめしたことが全校生徒に広まっているらしく、いよいよ一年生からも恐れ混じりの視線を向けられることが多くなったのだ。

 

 曰く、三年生を悉く叩き潰して笑いながら手足を折ったとか、南雲先輩を捕まえて崖の上から蹴り落としたとか、桐山先輩を小枝のように振り回したとか、あることないこと色々混ざって噂されているのは間違いない。

 

 今も、豪華客船の廊下を歩いていた一年生が、俺を見た瞬間に飛びのいて壁に張り付くようにして道を譲って来るし、前方から歩いて来た三年生が悲鳴を上げて逃げ出したりもしている。

 

 一年生はともかく三年生は幾ら何でも失礼な反応ではなかろうか、そちらから襲い掛かって来たというのに怪物扱いされるだなんて。

 

 誤解を解こうにも三年生の中ではもう関わってはいけない相手だという考えや価値観が広がっているらしいので手遅れなんだろうな。

 

 今度こそ勝てるとすら思われていないのは我ながらやり過ぎたのかもしれない。もう少し加減するべきだったか。

 

 一年生からも三年生からも異常に恐れられて道を譲られる生活はちょっとやり辛いんだけどな。

 

 居心地の悪さを表すように憮然としながら、隙を見つけてQRコードを張り付けていく作業を繰り返すこと一時間ほど、このペースならば本番まで問題なく作業を終わらせられるだろうなと希望が見えてきた頃だ、俺の視界に一人の一年生を発見できたのは。

 

 声をかけようと思っていた一人であったこと、そして四月頃に行われた一年生とペアを組んで行うテストの試験で全体のOAAを確認していたことで、一方的にではあるが知っていたこともあり、名前と能力がすぐさま頭に思い浮かぶ。

 

 石上京、一年Aクラスの生徒であり、高い学力を持っている生徒であった。

 

 彼は友人と一緒に遊戯室で過ごしているようだ。丁度、去年の俺と清隆のようにビリヤードを楽しんでいるのが見える。

 

 この遊戯室にもQRコードを張り付ける為に訪れたのだが、せっかくなので声をかけておこう。一年生を中心に生徒会に誘いたいからな。

 

「すまない、ちょっと構わないか」

 

「あ、やべ……ち、違います、お、俺たちは何もしてませんッ」

 

「ほ、本当ですッ……本当なんですッ、許してください!!」

 

「メカゴリラとか思ってません!!」

 

 ビリヤードに興じていた一年生たちは土下座でもするかのような勢いで頭を下げて許しを請うてくる……俺が恐れられていることに加えて、龍園がやりたい放題やったことで二年生全体が恐怖の対象として見られているからこその行動だ。

 

 つまり龍園が悪い、俺の責任ではないと断言させて貰いたい。

 

「落ち着いて、別にケチを付けに来た訳じゃない。そして君たちを叱りに来た訳でもない。石上に少し話があってね、問題が無いようなら時間を頂戴したい」

 

 そんな提案をすると一年生たちの視線が石上に集まった。

 

「どういった話ですか、笹凪先輩」

 

「俺のことは知っているんだね」

 

「入学した直後の試験で学力の高い二年生の名前と顔は大体覚えました……それに、いえ、なんでもありません」

 

 気になる言い方である。まるで試験以外の何かで俺を知る機会があったかのようにも聞こえる。

 

 石上はこちらを注意深く観察しながらも、クラスメイトに断りを入れてから話をさせてくれるのだった。

 

 少し離れた場所まで移動する。遊戯室の端っこにあるベンチまで。

 

 石上のクラスメイトはこちらを心配そうに見つめている辺り、二年生全体の評価が窺えるな。生徒会は生徒に頼られる存在でなければダメだというのに、悲しいことだった。

 

「話というのはなんですか」

 

「長々と遠回りしても仕方がないから単純に伝えるけど、実は生徒会は人手不足でね、新しく一年生から何人か勧誘しようという話になっている。それで君に声をかけた」

 

「なるほど……どうして俺を?」

 

「偶々ここを訪れたら君がいたから、OAAで高い能力を持っていることがわかっていたから、クラスメイトの様子を見ると慕われているように思えたから……色々と理由はあるけれど、一番の理由は君の瞳かな」

 

「瞳?」

 

「あぁ、恐れるでもなく、侮るでもなく、ましてや遜るでもなく、良い意味でも悪い意味でも強い意思が宿った瞳だと思った。それが決定打になったから声をかけたんだよ」

 

「……」

 

 こちらを観察する瞳と真っすぐ見つめ合う。結び合った視線はそのまま暫く続き、最終的には石上の方から視線を逸らされてしまった。

 

「それでどうだろうか、生徒会に興味はないかな?」

 

「俺は参加するつもりはありません」

 

「ん、なら仕方がないか」

 

「あっさり諦めるんですね」

 

「瞳を見ればわかる。謙遜している訳でも、恥ずかしがっている感じでもない、本当に興味が無いんだろう」

 

 残念ではあるが、こればかりはどうしようもない。強制するようなことでもないからな。

 

「時間を取らせてしまったね、もう行っても良いよ。クラスメイトも君を心配しているようだ」

 

「では、俺はこれで」

 

 踵を返して友人が待つビリヤード台まで帰っていく石上だが、その途中で足を止めてこちらに振り返る。良い意味でも悪い意味でも強い意思を宿した瞳で真っすぐ見つめられる。

 

「またどこかで」

 

「あぁ、君も何か困ったことがあれば遠慮なく生徒会を訪ねてくれて構わないからね」

 

「意外ですね、二年生は頭のおかしい人ばかりだという噂ですけど」

 

「誠に遺憾ながら否定することができない。ただそういった人たちばかりではないということだ」

 

 無人島試験の結果を見る限り、石上の評価は何も間違いではない。普通は他学年の大半を物理的に退場させたりはしないからな。

 

「せっかくなので一つ訊いても構いませんか?」

 

「答えられる範囲でなら」

 

「笹凪先輩は自分より強い人と戦ったことはありますか?」

 

「あぁ、あるよ」

 

「負けたこともありますか」

 

「当然、数え切れないほどある」

 

 師匠とか師匠とか師匠とかな、俺のこれまでの人生はずっとあの人に負けるだけの人生であったと思う。

 

 師匠曰く、鋼は叩いて不純物を削ぎ落とすのだそうだ。

 

「それも意外ですね」

 

「別におかしなことでもない。俺は最強にも最優にも程遠いからな」

 

「謙遜も過ぎれば嫌味になりますよ……それではまたどこかで」

 

 それだけ言い残して石上はクラスメイトたちがいる場所へと帰っていくのだった。

 

 別に謙遜している訳じゃないんだが……俺より強い人なんて世の中沢山いるし実際に何度か戦って殺されかけたこともあるからこれは真実だ。

 

 そして同じように俺より賢い人もまた世の中には沢山いる。知識量では清隆の足元にも及ばないだろうし、師匠だってそうだ、超人連中も明らかに普通の人と頭の作りが違う奴もいる。なので謙遜ではなく純然たる事実である。

 

 しかしあれだ、彼の中でなんの納得があったのかはわからないが、やはり石上の中では俺に関する情報があったようだな。学校の外で何かを知る機会があったのだろうか。

 

 肉体的には普通の高校生そのものなのでホワイトルーム生とは考えられないが……どうだろうな。

 

 考えても仕方がないことか、敵対するならばその時に対応を考えるとしよう。

 

 俺は遊戯室に置いてある自動販売機で飲み物を購入すると、取り出し口から缶を取り出す。ついでにその裏側にQRコードを張り付けてからその場を後にするのだった。

 

 スマホにダウンロードされた船内のマップと、QRコードの張り付け予定場所を確認して問題がないこともチェックしておく、これで遊戯室にもう用は無くなる。

 

 石上には振られてしまったが、まだ候補者は他にもいるので問題はない、問題はないのだが……男子がいなくなるのはちょっと困るな。

 

 いや、女子ばかりになりそうだからちょっと気が休まらないというのが生徒会室にはある。男子一人だけだと色々とアレだからな。一人か二人くらい新しい生徒会役員は男子であって欲しかったのだが、初手から躓いてしまったか。

 

 八神の復帰も不透明なので一年生からは三人くらい生徒会に勧誘するつもりなのだが、それら全てが女子となるといよいよ肩身が狭くなる。

 

 無理を押してでも八神を復帰させるか、石上を無理やりにでも参加させるか、新しい男子生徒を何としてでも捕まえるか、どうすべきだろうな。

 

 どうしたもんかと後頭部をガリガリ掻いて船内を歩いていると、豪華客船の中にあるプライベートプールが近くにあることに気が付いた。

 

「確か皆が遊んでいるんだったか」

 

 清隆たちはプールで遊んでいる筈である。羨ましいことだと考えていると、そう言えば俺も誘われていたことを思い出す。

 

 受付でプライベートプールを利用するメンバーの名前を確認してみると、そこにはしっかりと俺の名前も残されていた。どうやら俺が来ることも想定していたようだ。ありがたい話である。

 

 せっかくなので顔を出そうか、夏休みなのだから息抜きも必要だった。

 

 プライベートプールに顔を出すとそこではグループのメンバーが過ごしているのが確認できる。夏らしい光景でとても良いと思う。

 

「あ、テンテン、顔出せたんだ」

 

「やぁ、ちょっと暇を作れてね。せっかくだから顔を出したんだ」

 

 中に入るとすぐに波瑠加さんがこちらを見つけてくれた。プールの水を掻き分けてこちらに近づいてくると、他のメンバーも声をかけてくる。

 

「顔を出せたのか、良かった」

 

「せっかく誘ってくれたんだ、何とか暇を見つけたよ。明人たちはバレーをしてたのか」

 

「少し体を動かそうと思ったんだ」

 

「……体力的には結構キツイがな」

 

 明人と啓誠もプールバレーを中断してこちらに近寄って来る。啓誠は相変わらずちょっとバテているようだ。プールは思っている以上に体力を消耗するからな。

 

「天武くん、生徒会は大丈夫なの?」

 

「仕事中ではあるけど、少しくらいは息抜きしたくてね」

 

「うん、良いと思う。天武くんは、いつも色々なことを頑張ってるから」

 

 愛里さんの気遣いがとても嬉しい……というか俺はそこまで誰かに心配される生活をしているのだろうか。

 

「どうする? テンテンも来たし仕切り直そうか?」

 

「波瑠加、負けた方がジュースを奢る約束だろう。天武を巻き込んで挽回を狙うんじゃない」

 

「む、バレたか」

 

 どうやらバレーの勝敗で罰ゲームがあるらしい。今の感じだと清隆チームが優勢なのだろうか。

 

「悪いね、本当に顔だけ出しに来ただけなんだ、すぐ戻るから皆で楽しんでよ。俺は雰囲気だけで割と気楽になれるからさ」

 

 そんな訳でズボンを捲り上げて足だけ露出させると、そこだけをプールに浸けてひんやりとした感触を楽しむとしよう。

 

 あまり時間がないので水着に着替えて本格的に遊ぶことはできないが、これくらいは許される筈だ。

 

 皆のバレーを眺めているだけでそれなりに楽しい。清隆が大きくプールから飛び上がってアタックを決めた時は思わず笑ってしまったほどだ。

 

 どうやらジュースを奢る役目は波瑠加さんチームとなったらしい。

 

「はい、テンテンも」

 

「ありがとう。気を使わせちゃったかな」

 

「別に良いって、いつも頑張ってるテンテンにご褒美だよ」

 

「それじゃあ遠慮なく」

 

 受け取ったコーラで喉を潤す。無人島では飲めなかったからつい求めてしまう刺激なんだよね。気づいたら飲みたくなってしまう感覚であった。

 

 明人はまだ体力が余っていたのか、啓誠と一緒にプールを泳いでいる……と言うより、泳ぎを教えているようだ。

 

「ゆきむ~、泳げないことがちょっとコンプレックスなんだってさ」

 

「それで明人に教えて貰っているのか」

 

「後、愛里もね」

 

 そっちは清隆が面倒を見ているようだ。明人と清隆が啓誠と愛里さんの手を支えて泳ぎを教えているらしい。

 

「別に二人ともそこまでカナヅチって感じでもなさそうだけど」

 

「ちょっとくらいはね、でも50メートルを泳ぎ切れるくらいには最低でもなりたいみたい」

 

「あぁ、プールの授業でもそこが一区切りだったか」

 

 息抜きにバレーをしたりしながらも、泳ぎの練習もしているのか。無人島でも勉強をしていたし、ストイックな生活をしているようだ。

 

「ねぇ、きよぽんと愛里、どう思う?」

 

 波瑠加さんはプールから顔を出した状態で、楽しそうに唇を歪めながら清隆と愛里さんを眺めてそんなことを訊いてくる。

 

「ん、前よりも距離が縮まったようにも……見えるかな」

 

「でしょ~、なんかよくわかんないけど、無人島で何かがあったみたいなんだよね」

 

「その何かとは?」

 

「さ~っぱり、でもなんか愛里も吹っ切れたと言うか開き直ったというかさ、前よりも積極的になったように思うんだ~……ほら、水着とかさ」

 

 波瑠加さんと愛里さんが身に着けている水着は、なんというかもの凄く大胆な感じだ。似合っているけど色々な意味で危機感が足りないようにも思えるが……まぁプライベートプールだからな。

 

「確かに艶やかな装いだ。とても似合っているし愛里さんの魅力を際立たせている」

 

 波瑠加さんやグループの影響もあってか、イメチェンだったり勉強に積極的になった愛里さんは今は学年でも注目の的でもあった。以前ならばそういった視線に怯えていたり不安になったりしたのだろうけど、前向きになれるきっかけはとっくに掴んでいたらしい。

 

 上級生や下級生に告白されることも多いとは波瑠加さんのタレコミであったか。

 

「しかしちょっと大胆かな、いや、清隆も意識してるみたいだからこれはこれで」

 

 2人を観察しているとプールに浸けていた足にチョップが振り下ろされた。

 

「じっくり観察しすぎだってば」

 

「あぁ、すまない、無遠慮だった」

 

「邪な感じはしなかったので許す」

 

「ではなぜ叩かれたのだろうか」

 

「ん~、なんとなく? イラッとしたから。それと、私にも何か言うことがあるんじゃない」

 

「そいつはすまなかった……波瑠加さんもよく似合っているよ。美しく艶やかだ、君の魅力を際立たせている」

 

「お、おぉ~……そこまで真っすぐに言われるとそれはそれで困るな」

 

 愛里さんと同じく大胆な水着を身にまとった波瑠加さんだが、こちらの評価に照れてしまったのか、プールの中で身動ぎして肩まで浸かって体を隠してしまった。

 

「ただやっぱり大胆だね、公共の場では自重した方が良いと思う」

 

「そりゃそうでしょ、こんな水着ここでしか着られないって」

 

 プライベートプールだからこそといった所か、後は愛里さんに触発されたのかもしれない。

 

 俺たちの視線は再び清隆たちに向かう。

 

「あの二人、どうなるかな」

 

「なるようになるさ、ただ今の関係を楽しんでいるようにも見えるから、外野がとやかく言うもんでもないよ」

 

 ああ言うのを友達以上恋人未満というのだろうか? 確かに前よりも心理的な距離が近くなったようにも思えるな。

 

「あ~、それはわかるかも。こういう男女グループって色々とアレな所もあるし、関係が壊れるくらいなら今くらいの距離感を楽しむのも良いかもね」

 

 納得したように頷く波瑠加さん。何かしら思う所があるようだ。

 

「あの二人に関してはそれで良いさ」

 

 どうなるかなどわからないが、周りが急かすようなことでもない。なんかいい感じに着地してくれと願うくらいで丁度良いんだろう。

 

「いつかもう一歩踏み込んだ関係になれば祝福すれば良いし、ダメならダメでフォローすれば良い」

 

「愛里ときよぽんに限った話でもないけど、それが一番かもね」

 

 清隆はどうするつもりなんだろうな。彼が誰かと恋人になるにしても片付けなければならない問題が山積みである。仕方がないので卒業したらホワイトルームを潰しに行こうか。更地にすれば彼の問題の大半が片付けられるだろう。

 

 別に俺はホワイトルームに思う所は何もないけれど、これから先も色々と邪魔してくるかもしれないので天秤がそちら側に傾いているのも事実だ。

 

 なので卒業までに今よりもずっと強くなって、一方的に勝利できるように準備しておこう。それが嫌ならば俺たちに関わらないと誓って貰うかだな。

 

 何であれ、青春を邪魔するのであれば容赦はしない。八神も余計なことをせずに大人しく学園生活を満喫して欲しいものである。

 

「私もさ、何だかんだで楽しいよ、今の感じがさ。愛里もそうだけど勉強とか授業とか頑張れてるし、結構気に入ってる」

 

「そりゃよかった」

 

「でもさ、いつか変わっちゃうのかな?」

 

「いつかはそうなるだろう」

 

「例えば?」

 

「卒業だったり、もしかしたら喧嘩したり、誰かに恋人ができたりとかして疎遠になったりとか、色々あるさ」

 

「そっか、まぁそうだよね。この学校だといきなり誰かが消えるなんてこともあるだろうしさ」

 

 プールに浸かったままの波瑠加さんはこちらを見上げて来る。少し不安そうにも見えたので安心させるようにこう伝えた。

 

「できることがあれば全力を尽くす。俺も皆との時間は大切に思ってる、ちゃんと守るよ……いや、そうじゃないな、俺も頑張るから波瑠加さんたちも力を貸してくれ」

 

 すると波瑠加さんはプールに浸かった状態でキョトンとした顔をする。

 

「テンテン、ちょっと雰囲気変わったね」

 

「そうかな?」

 

「うん、前はちょっと大人びてたけど、今は年相応って感じ? いや、達観してるのは相変わらずなんだけどさ、同じ目線になったって何となく思った」

 

「ん……ちょっと思う所があってね、戒めたんだ」

 

「そっか、テンテンはそれで問題ないのかもね。ちょっと幼稚なくらいで丁度良いと思うしさ」

 

 前に六助も似たようなことも言っていたな。

 

「まぁ、いつか変わっちゃうその時まで、楽しくやれたら良いね」

 

「あぁ」

 

 何が来ようとも俺は俺の目標に向かって進むだけである。以前ならばそれは俺の中だけで完結していたことだけど、今は友人や仲間の力を借りることもできるのだ。

 

 そう考えると、少しだけ気楽になるのだった。

 

「それッ」

 

「おっと、何するのさ」

 

 波瑠加さんが突然にプールの水を掬い上げて顔にかけて来た。そうするのは事前動作で予測できていたけれど、避けるのもあれなので素直に受け入れる。

 

「ん~、ちょっとくらいはプールで遊んでみて欲しかったからね」

 

「なるほど、ならお言葉に甘えて、そりゃ」

 

「うわ、ちょっとッ!?」

 

 仕返しとばかりにプールの水面に拳を押し当てて寸勁を叩きこむ。すると大きな波となり、波瑠加さんはプールの向こうに流されていくことになる。

 

 波の出るプールみたいで楽しそうだ、そんなことを思うのだった。

 

 クラスメイトや仲間たちとの関係が今後どうなるかはわからないけれど、今はとても楽しいことだけは間違いない。

 

 これから先、誰かと付き合ったり、或いは喧嘩したり、もしくは去ったりすることがあるのだろうか。

 

 未来のことはやはりわからない、なので今を楽しむだけである。

 

 とりあえず寸勁を連続で叩き込んでプールを掻き混ぜて渦を作った。イチャイチャしている清隆たちも押し流してしまおう。

 

 

 

 

 



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晩節を汚す訳にはいかない

 

 

 

 

 

 

 

 色々と忙しかった豪華客船での夏休みであったが、人手不足が故の準備期間の前倒しによってなんとか形になったと思う。ここ数日は本当に忙しかっただけに本番に間に合ってほっとしたのは秘密だ。

 

 せっかく南雲先輩が良い感じの催しを考えてくれたのだから台無しにはしたくない。もう引退することになっているあの人の晩節を汚したくはないので準備はしっかりしないとな。

 

 色々とアレな人だけど優秀な人であることは間違いないし、考えや発想は面白くもある。OAAの導入であったり試験の大胆な変更であったり、後はこういった催しであったりと本当にやることは一味違うのだ。

 

 ただそれら全てを粉砕するストーカー気質で評価がアレになっているだけなのだ。色々と思う所はあるけれど、晩節を汚したいと思うほど冷めた人間でもない。

 

 なので南雲先輩発案のこのレクリエーションはしっかりきっちり終わらせるとしよう。ミスなく失敗なく異変なくだ。

 

「皆さんおはようございます。午前十時になりましたので、現時点でここに集まっている生徒で募集を締め切らせていただきます」

 

 豪華客船の中央ホールに集まった生徒たちは結構な数だ、今朝のOAAの全体チャットで参加を呼びかけた結果、特別試験でもないし退学の危機もないのでそれならば参加しようと考えた人たちが多いらしい。

 

 良かった、これで閑古鳥が鳴くような事態になれば南雲先輩も草葉の陰で悲しんだことだろう。賑やかなのは良いことである。

 

 生徒会を代表してマイクを持ち、このレクリエーションの説明をすると、中央ホールに集まった生徒たちは耳を傾けてくれた。

 

「え~、生徒会の笹凪です。今回は学校の全面協力の下、ボーナスゲームが開催される運びとなり、学校生活の充実と向上を目指す生徒会の習いから、南雲生徒会長の発案が形になりました。無人島では全学年が争うことになりましたが、このゲームでは学年を越えてペアを作ることが可能です。是非そのメリットを生かして参加してください」

 

 生徒たちの視線が俺に集中する。二年生以外の学年からは畏怖を宿したものなのはもう気にしないようにしよう。

 

「ルールを説明します。今現在、この船内の共有スペースには至る所にQRコードが張り付けられています。それらをスマホで読み取ると報酬が得られる宝探しゲームです。100枚のQRコードはそれぞれ報酬が異なり、必ずしも発見の難易度と報酬の高さがリンクすることはありません。このゲームは運が大きな要素となるからです」

 

 ザワザワと生徒たちが騒ぐのが伝わって来た。

 

「貰えるポイントは一番低いもので5000ポイント、これが全体の半分であり、そして次に多いのが30枚の1万ポイントとなりますね」

 

 そこから順番に報酬が上がっていき、一番大きな報酬は100万ポイントとなる。かなりの大金だな。学校側も太っ腹であった。ただし参加費を徴収するので実はそこまで学校側に出費を強制している訳でもなかったりする。

 

 参加費が1万ポイントだからな、200人近く参加するので報酬の大半がそこから出ることになる訳だ。学校側の負担は思っていたよりも少ない。そう考えると生徒たちの財布から報酬を集めて再分配しているとも言えるのかもしれない。

 

 ただ上手くやれば100万である。これは大きい。

 

 生徒たちも目にやる気が宿っているので食いつきは良さそうだ。

 

「QRコードの数に対して参加者は凡そ200人、半数は報酬を得られないことになりますが、タッグを組むことで報酬を共有することができるのでメリットを生かすことを推奨します。ついでにヒントとなる謎かけもあるので挑戦してみるのも良いでしょう」

 

 だがこの謎かけを解いたとしても得られる報酬は最大で50万である。最高報酬の100万はノーヒントで完全に運任せの早い者勝ちだ。

 

 ある程度の説明が終わったのでマイクを鈴音さんに任す。すると入れ替わるように彼女が椅子から立ち上がった。

 

「生徒会の堀北です。参加される生徒の皆様にお願いがあります。不正防止の徹底の為、参加者には退室時に1万ポイントを支払うと同時に、学年別の名簿に名前を記入してもらいます。代筆などは認められません。第三者の携帯を利用した不正な参加を防ぐ為の措置ですので、どうぞご理解ください。報酬受け取りはレクリエーション終了までにここに戻り報告をお願いします。無視されますと報酬無効の可能性もあります」

 

 そんな説明が終わると同時にレクリエーション開始であった。

 

 ただ悲しいかな、事前にOAAで告知していたというのにアルバイトは集まらなかった。仕方がないので現生徒会員で受付を行い殺到する生徒を捌かねばならない。

 

 俺は二年生を、帆波さんは一年生を、鈴音さんが三年生を担当することになり、それぞれが受付に座って対応することになった。

 

 あれだね、俺が他学年を対応するとほぼ確実に恐れられて避けられるので仕方がない。生徒たちも俺と関わらないで良かったことでホッとすらしているらしい。

 

 生徒会役員なのにその評価はいかがなものか、本来は帆波さんみたいに慕われないとダメだというのに。

 

 そんなことを考えながら受付にやって来る二年生に謎かけが書かれた紙を渡して参加費を徴収していく。

 

 俺に気軽に接してくれる二年生は心の癒しである。過剰に畏れられたり悲鳴を上げて回れ右をされたりしないのは素直に嬉しかった。

 

「忙しそうだね、天武くん」

 

「ここ最近、ずっと生徒会の業務だって言ってたけど、これの準備をしてたんだ」

 

 受付に愛里さんと波瑠加さんが訪れる。どうやらこの二人はタッグを組んで宝探しに出かけるらしい。

 

「それでそれで~、一番高い報酬はどこにあるのかなぁ?」

 

「は、波瑠加ちゃん、ダメだよ困らせちゃうから」

 

「悪いけれどそれは話せなくてね、運勝負で早い者勝ちだから頑張ってよ」

 

「しょうがないかぁ、テンテンのことだから意地悪な場所に隠してそうだし色々探してみるよ」

 

 俺だからどうして意地悪な場所になるのだろうか……そもそもQRコードの場所を指定したのは学校側である。

 

 波瑠加さんと愛里さんは相談しながらも中央ホールを後にした。上手いこと高額報酬を見つけて欲しいものだ。後、楽しんでも欲しい。

 

 さて次は誰だと動きを促すと、今度は清隆が顔を出した。彼も参加するつもりらしい。

 

「忙しそうだな」

 

「でも楽しくはあるよ。こういうのも悪くない」

 

「裏方には裏方の楽しみ方があるということか」

 

 清隆は参加料を払ってから謎かけの紙を受け取った。

 

「協力者は見つかったのかい?」

 

「今の所はいない、悲しいことにスマホにメールの一つも届かないぞ」

 

「明人や啓誠を誘えばいいじゃないか」

 

「興味がないのと、体調不良だ」

 

 それは残念だな、だから清隆も一人なのか。

 

「せっかくの催しなんだ、誰かを誘うと良いよ。タッグを組んだ方が断然有利だから」

 

「そうしたいのは山々だが、簡単にはいかない」

 

 確かに清隆が交流の少ない相手や他クラスの人、ましてや他学年の人と積極的にペアを組むのは想像できない。

 

「ん、空いてるなら、軽井沢さんを誘ってみたらどうだい?」

 

「軽井沢を……何故だ?」

 

「いや、さっきからチラチラこっちを見てるからさ」

 

 俺が指差した方向に清隆が視線をやると、その先で軽井沢さんがビクッと体を反応させているのが見えた。

 

 大勢の生徒たちの人波に隠れていた彼女だが、どうやら清隆にペアがいないことに気が付いて機会を窺っていたらしい。

 

 チョイチョイと手招きすると、軽井沢さんは観念したのかこちらに近寄って来るのだった。

 

「な、なんか用?」

 

 髪を弄りながらちょっと尖った感じを醸し出すのは恥ずかしさを隠す為だろうか。

 

「やぁ軽井沢さん、君もレクリエーションに参加するってことで良いのかな」

 

「まぁね、暇だったし、1万ポイントの参加費でもしかしたら大儲けできるかもって思ったら美味しいから」

 

 そんな言い訳をしながらも彼女の視線は清隆へチラチラと向いているのだから可愛らしくある。

 

「そうか、悪いんだけどペアが決まってないんなら清隆と組んであげてくれないかな。相手がいなくて困ってるみたいなんだ。そうだろう?」

 

「あぁ、それはそうだが……軽井沢が迷惑だろ」

 

「そんなこと言ってないし……むぅ、まぁ笹凪くんがそこまで言うのなら考えてあげなくもないけどさ」

 

 あくまで仕方なくといった姿勢を崩さない軽井沢さんではあるが、緩みそうになる唇をモニュモニュと動かしてなんとか誤魔化そうとしているようだ。

 

「そ、それで、アンタは私と組みたい訳?」

 

 髪を弄りながらそんなことを言う軽井沢さん、清隆は相変わらず感情が読みにくい顔をしているが、何か納得したのかそれとも観念したのかはわからないが、ほんの僅かに溜息を吐いてからこう言うのだった。

 

「わかった、他に相手もいない。軽井沢、俺と組んでくれるか?」

 

「へぇ~……そんなに私と組みたいんだ」

 

 何を言っているんだお前はと言いたそうな清隆であったが、言葉にはすることはなく呑み込んで素直に頷く。

 

「そうだな、お前と組みたい。軽井沢が良い」

 

「たうわッ!?」

 

「たうわ?」

 

 奇妙な声を上げて緊張を露わにする彼女であったが、相変わらず唇をモニュモニュさせながらペアの申請を行っていく。

 

 愛里さんには少し悪い気もするけれど、どっちの味方でもあるので偶にはこういうのも良いだろう。軽井沢さんは楽しそうなので悪い気分にもなっていないようだしな。

 

 さっそくとばかりに宝探しに向かう二人を見送ることになる。楽しんでくれれば幸いである。

 

 さては次は誰だと受付に人を迎え入れると、中央ホールから離れて行く清隆と軽井沢さんに視線をやりながら興味深そうな顔をしている松下さんと、三年生の男子生徒であった。

 

 三年生の受付はここじゃないんだが、と言う前にその男子生徒は俺を見て顔を真っ青にしてしまう。

 

 この人は多々良先輩だったか、南雲先輩と同じクラスで襲撃犯の一人であり、石を投げつけて来たので投げ返した相手でもある。それを証拠に頬には大きなガーゼが張り付けられていた。

 

「い、いや、違うんだ……これは、その」

 

「はい」

 

「そ、そうだ予定があったんだった。悪いな松下、また今度にしてくれ」

 

 俺を見て冷や汗を大量に流す多々良先輩は、そんなことを一方的に捲し立てながら離れてしまう……何がしたかったんだろうか?

 

「やぁ松下さん、さっきの多々良先輩だけど、なんだったんだい?」

 

「何かペアが組みたかったみたいだよ。でもモーション強くてさ、うんざりしてたからありがとね。三年生避けには笹凪くんだなって」

 

「酷い評価だ」

 

「正当な評価でしょ、何か笹凪くん色んな所で噂されてるよ。笑いながら三年生の手足を折って回ったとか、命乞いする生徒会長を崖の下に蹴り落としたとかさ。最後にはメタル化してビームを吐いたとか木を引っこ抜いたとか」

 

「完全に風評だからそれ、俺はただ降りかかって来る火の粉を払っただけだよ」

 

「そうなんだ……あ、それより受付済まして良い?」

 

「参加費は1万になります。こちらに署名もお願いするよ」

 

「はいは~い」

 

 帳簿に名前を書き込んでから松下さんは参加費を払う。彼女もお宝探しにやる気を出しているようで良かった。こうして開催したんだから大勢の生徒に楽しんで貰いたかったからな。

 

「それで、さっき軽井沢さんと綾小路くんがペア組んでたみたいだけど、なんで?」

 

「清隆がペアが見つからなくて困ってたみたいだからさ、軽井沢さんも一人だったしお願いしたんだ」

 

 嘘は言っていない、けれど松下さんは思案顔になってしまうのだった。

 

「ふ~ん、そういうことにしといてあげる」

 

「他意はない、本当だよ」

 

「わかってるって、それじゃあ大金を見つけてくるよ」

 

「頑張って、そして楽しんで欲しい」

 

「うん」

 

 参加申請を済ましたことで中央ホールから松下さんも出て行く、是非とも頑張って欲しいものだ。

 

 振り返って小さく手を振って来た彼女にこちらも手を振り返す、そして次の人を受付に引き入れていく。今度は誰かなと予想しているとAクラスの葛城と戸塚コンビだった。

 

「笹凪、参加を申請したい」

 

「こっちに署名と参加費の支払いをお願いするよ。戸塚もどうぞ」

 

「言われなくてもわかってる」

 

 葛城と戸塚コンビだが無人島試験ではしっかりと三位を得ていた。しかし坂柳さんは二位だったので彼女との戦いでは後れをとってしまった形だ。その辺の所はどう思っているんだろうかと考えていると、こちらの思考を読んだかのように葛城がこう言ってくる。

 

「文句はない」

 

「まだ何も言っていないよ」

 

「だが坂柳との戦いの結果を知りたそうな顔をしていたからな」

 

「確かにその通りだ……遠回しにしても仕方がないから単刀直入で訊くけど、納得はしているのかい?」

 

 リーダーの座を無人島試験で完全に決着をつけるという約束であった筈。しかし反旗を翻そうと考えれば不可能ではないだろう。その辺の考えがあるのかを知りたくはある。

 

「無論、納得している。全力を尽くしたが届かなかった、それが全てだ……俺たちのクラスは長らく不健全な状態が続いていたしな、その責任の一端はこちらにもある。だがこうして決着がついた以上は何も文句などない。Aクラスは完全に一枚岩になったことになる、こちらの派閥の者も全て坂柳に預けた」

 

「戸塚はいるようだけど」

 

「友人とレクリエーションに参加することに何の障りがあるというんだ」

 

「……か、葛城さん」

 

 何故か感極まったように涙目になる戸塚。

 

「そうか、納得しているのなら良かったよ。これから先、Aクラスはより手強くなるってことか」

 

「お前としては争い合っている方が良かったのだろうな」

 

「そりゃ他クラスからしてみればそうだ」

 

「本当に不健全な状態だったな……だがここから先はそう簡単にはいかない、俺は俺なりのケジメとして坂柳に従い、クラスに貢献するつもりだ」

 

 どうやらもう坂柳さんに反発するつもりはないようだ。彼女の下で活動することに文句は無いのだろう。それでも言いたいことはしっかり言うんだろうけど、それこそが健全な組織でもある。

 

「坂柳も随分とお前を意識しているようだからな。試験が終わった後に話し合ったが、お前を倒す為にはクラスの総力で挑む必要があると言っていたぞ」

 

「坂柳さんがそんなことをね」

 

「あぁ、少し意外ではあった、坂柳は常に余裕を崩さず先を見ていると思っていたからな……誰かの力が必要等とは入学当初は言わなかっただろう」

 

 彼女も丸くなった……いや、龍園と同様に成長したということか。

 

 葛城は同級生の癖が強すぎるせいでどこか影が薄く思われがちではあるが、二年生の中でも飛びぬけて優秀な生徒だからな、彼が坂柳さんの下で実力を発揮するとなると強敵になるだろう。

 

 それは坂柳さんもわかっている。全ての力を掻き集めて戦うことになるのかな。

 

「今回の無人島試験でよくわかった。Aクラスのリーダーに相応しいのは坂柳だ。そして同時に笹凪の常軌を逸した実力もよくわかった……いずれ、Aクラスの総力でお前に挑むとしよう」

 

「楽しみにしているよ……あぁ、そうであって欲しい」

 

 葛城は少しだけ微笑みを浮かべて参加申請を済ます……実力に反して色々と不遇な男であったが、ようやく万全に戦える環境に腰を落ち着けられたということだろうか。

 

「そうだ葛城、君って一年の頃は生徒会に入ろうとしていたよね?」

 

「あぁ、だが今はそのつもりはない」

 

「今からでもと誘おうと思っていたんだけど、先手を打たれてしまったか」

 

「OAAの全体チャットでアルバイトの募集をしていたのは把握しているが、人手不足なのか?」

 

「聞いてるかもしれないけど三年の先輩たちが大怪我で事実上の引退でね、だから人を集めているんだ」

 

「なるほど、深刻なようだな……悪い話ではないと思うが、既に二年生はお前と一之瀬、そして堀北がいる筈、それならば組織運営としては一年生を集めた方が良いだろう。体育祭が終われば新旧の引継ぎも行われる、一年生を多く引き入れて今後に備えて経験を積ませるべきだと俺は判断する」

 

「そうか、やっぱ一年生だよなぁ」

 

「すまないな、期待に沿えず」

 

「いや、気にしないでくれ。ただ二年生であっても構わないとさえ思っている。気が向いたら生徒会の扉を叩いてくれ」

 

「あぁ、その時がくればな」

 

 そして葛城は戸塚と一緒に宝探しに赴く。高額のQRコードを見つけるのは難しいだろうけど頑張って欲しい。

 

 しかし残念だ、葛城が入ってくれれば肩身が狭い思いをしなくて済んだんだが……もし八神が復帰しないとハーレム生徒会とか揶揄われそうなんだよなぁ。

 

 一年生の男子候補の一人であった石上は何の興味も示してくれなかったし、どうしたもんだろうか。

 

 どれだけ考えても八神を復帰させてヘイトを押し付けるという考えしか思い浮かばない。俺も疲れているようだ。

 

 それかいっそ清隆を生徒会に誘うか? いや、同じクラスばかりだとそれはそれで問題か、今更だけど。

 

 だったら宝泉はどうだろうか……足と左手を折って右手だけ動かせるようにすれば暴れずに書類仕事くらいはしてくれるだろうか?

 

 幾ら何でも頭のおかしい状況なので却下した。少し冷静になろう。

 

 どうしたものかと受付で生徒たちを捌きながら思い悩む。ある程度は参加申請を終えると少しだけ暇にもなるので本当に真剣に考え込んだと思う。

 

 だが人を集める以外の案が出て来る筈も無く、俺の意識は思考の海から生徒たちの笑い声で引き戻されることになるのだった。

 

 どうやら見つけたQRコードでそれなりに大金を得られたようだ。笑顔で喜んでいるのは一年生である。

 

 その隣では思うように結果が振るわなかったのか、頭を抱えている男子生徒も見える。

 

 酸いも甘いもある宝探しゲームだけど、退学の心配はないので楽しんで貰えているようで何よりだろう。色々と考えなければならないことも多いのだが、ああして生徒たちが楽しんでいるのは素直に嬉しい。努力と準備が報われた気分になるからな。

 

 なので釣られるように俺の頬も緩むことになる。最初はそこまで生徒会に意欲がなかったのだけれど、こうしていると楽しくもあるのだろう。

 

 生徒たちは皆、それぞれが笑ったり残念がったりと気楽に楽しんで貰えているらしいので俺も満足である。

 

 こういうレクリエーションは凄く良い、そう考えると南雲先輩が強制的に引退してしまうのがちょっと残念に感じるのが不思議だ。

 

 まぁ南雲先輩の発案で形になった催しである。最後くらいはしっかりと花を持たせて晩節を汚すようなことにならなくて本当に良かった。

 

 

 

 聞こえますか南雲先輩、生徒たちの楽しそうな声が。これが俺たちから貴方へ贈るレクイエムです……いや、止めておこう、なんだかあの人が死んだみたいになっている。これは流石に失礼な思考であった。

 

 

 

 

 

 



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普通に生きればいい

 

 

 

 

 

 

 

 ある程度の参加申請を捌くと少し余裕が出て来ることになった。レクリエーションに参加する生徒は既に大半が船内に散っており、生徒会役員は彼らの報告を待つだけの状況だ。

 

 中央ホールに作られた受付所の椅子から立ち上がり、近くにある自動販売機から三人分の飲み物を購入すると、その内の二つを同じく忙しく奔走することになった帆波さんと鈴音さんに渡すのだった。

 

「ありがとう」

 

「ごめんね、いつも気を使わせちゃって」

 

「気にしないで良いよ、俺は生徒会のお茶汲み係だから」

 

 橘先輩ポジションだな、何かいい感じのタイミングでお茶を差し入れることに全力を出す所存である。

 

「ようやく落ち着けたけど、生徒会の人手不足は深刻だね」

 

 渡したミルクティーで喉を潤し、一息ついた帆波さんがそう切り出すと、俺と鈴音さんは同意するしかなかった。

 

「今回はなんとかなったけれど、その内、破綻しそうではあるわね」

 

「うん、やっぱり人を集めないとダメだ」

 

「貴方はさっき葛城くんを誘っていたけれど、どうだったのかしら?」

 

「残念ながらその気はなかったようだ、集めるなら一年生にしろって言われたよ」

 

「そっかぁ、葛城くんが入ってくれるなら即戦力なんだけどね」

 

 残念そうに溜息を吐く帆波さんを追いかけるように、俺と鈴音さんも溜息を吐くのだった。

 

「そもそも意欲のある生徒は四月の時点でその意思を示している筈、今更と思うのかもしれないわね」

 

「帆波さんと鈴音さんは一年生の知り合いとかいないのかな?」

 

「う~ん、いるにはいるんだけど、生徒会に入りたいって人はいないんだよねぇ」

 

 視線を帆波さんから鈴音さんに向けると、いるはずがないでしょと視線だけで伝えられてしまう。

 

「俺も知り合いに頼んでみたけどイマイチ手ごたえがない。返事は保留だから完全に望みがない訳でもないけどさ」

 

 天沢さんと九号はどうするんだろうか、できれば生徒会に入って欲しいけど強制するものでもないのでなんとも言えないか。

 

「八神くんが復帰できれば良いんだけど……」

 

「彼もかなりの大怪我よ、体育祭の参加すら怪しいわ。長く離れることになるでしょうし、最悪そのまま復帰しないということも考えられるわね」

 

 南雲先輩と桐山先輩は怪我で事実上の引退であるが、まだ一年生の八神はその限りではない。怪我が治れば生徒会役員として活躍する時間がまだまだ残されているからな。

 

 ただ彼は櫛田さんを介してこっちに攻撃をしかけようとしている。可能ならば大人しく学園生活を満喫して欲しかったのだけれど、脅威になるというのならばどうしたって対応しなければならない。

 

 清隆も同意見なのか、様子見をしながらも排除の選択肢を視野に入れているようだ。こちらの敵にならなければホワイトルームだろうと大した問題はないのだけれど、そうでないのならば話は変わる。

 

 もし八神の暗躍でこっちに被害が出て見ろ、せっかく順調なのに面倒なことになるだろう。

 

 普通の高校生として学園生活を満喫して欲しいもんだ、何も難しいことでもないと思うけど、ホワイトルーム生は変な執着を清隆に向けているからそう簡単にはいかないんだろうな。

 

 清隆に勝った所でなんの意味もないと気が付いていないのが面倒だ。妙な執着に捕らわれた所で天才になんてなれはしないと理解して欲しい。

 

 八神はどうなるだろうな、退学はさせたくないのが本音だけど、こっちに被害を出そうとしている以上は対処しなければならない。

 

 櫛田さんを操っているつもりのようだけど、彼女は初手でこっちに情報を流しているので無意味なリスクになっている。ホワイトルームは天才を作る施設とのことだけどリスク管理は教わらなかったのだろうか。

 

 スパイを作ったつもりで二重スパイを傍に置くとか間抜けにもほどがあるぞ。遠回りなことなんてせずにさっさと清隆と戦えば良いと思うのは俺だけなのかな。

 

「天武くん、聞いているの?」

 

 八神をどうするかで思考の海に溺れていた俺の意識を鈴音さんが引き戻す。

 

「ごめん、えっと、なんだっけ?」

 

「生徒会役員の件よ、考えてみたのだけれど、私が知る一年生で一番可能性が高そうなのは七瀬さんだと思ったのよ」

 

「あぁ彼女か、確かに真面目だし社交性もある。適任かもしれないね」

 

 一年生に親しい知り合いはいないと言っていたけど、そういえば彼女とはそれなりの交流があったと思い出したのだろう。宝泉の印象が強すぎるけど彼女はDクラスの顔役として接していたな。

 

「もしかしたら七瀬さんがDクラスであることを問題視されるかもしれないけれど、それを言ったら私たちも同じ立場だったからどうとでも出来ると思うのだけれど、どうかしら?」

 

「うん、良いと思うよ。後は彼女にその意思があるかどうかだけど」

 

「この後にでも誘ってみるつもりよ。一之瀬さんはどう?」

 

「反対意見はないかな、七瀬さんは審議の時にDクラスの代表として参加してたけど、凄く真面目で話しやすい印象があったしね」

 

 なるほど、例の審議で帆波さんと七瀬さんは接する機会があったのか、だとしたら話しやすくもあるのかもしれない。帆波さんがなんとか一年生に配慮する努力は見ていただろうからな。

 

 問題なのは彼女の意思次第か、ここは要相談である。彼女としても生徒会に入ることで色々と便利なこともあると口説く感じだろうか。

 

 ただ七瀬さんが生徒会に入ると俺はまた肩身が狭くなる。男女比の偏りが凄いことになるからだ。

 

 八神も最悪は処理しないといけないし、そうなってしまえばいよいよ男は俺一人である。ハーレム生徒会とか言われる前に辞表を出すべきかもしれない。

 

 葛城もそっけない感じだったし、八神は先行きが不透明、石上は興味を示してくれなかった。おいおい、男は俺一人とかもの凄く気を遣うじゃないか。

 

 最悪清隆を引っ張り込むしかないか、彼はラノベの主人公みたいに色々な女子から好意を寄せられる男なので、意外にもハーレム生徒会に馴染むかもしれない。

 

 そして俺はしれっとフェードアウトする……うん、それで行こう。あまりにも居心地が悪くなった場合はだけど。

 

 

「フッ、私だ」

 

 

 三人で今後の生徒会について話し合っていると受付に六助が姿を現した。その隣にはどうした訳か王さんの姿もあった。どうやらこの二人でペアを組んでQRコードを探したらしい。

 

 どうしてそうなったと思わなくはないけれど、楽しめたのならば何も言うまい。

 

「六助、王さん、成果はどんな感じだい」

 

「じ、実は、50万ポイントを得られまして」

 

「おぉそりゃ凄い、見つけるのが大変だっただろ」

 

「い、いえ、見つけるのはそれほど苦労しなかったんですけど……その、場所が大変だったから」

 

 50万のQRコードは食堂の天井付近にあるシャンデリアの裏に張り付けられている。あのどうやって読み取るんだよとツッコミが入りそうな場所であった筈だが、こうして報酬を得られたということは上手いことやったんだろう。

 

「参考までに訊くけど、どうやって読み取ったんだい?」

 

「高円寺くんが……その、凄く頑張ってくれまして」

 

 苦笑い気味に、しかし感心もするような表情で王さんは六助を見る。まぁ彼ならばあの難易度の高い場所も上手いことやれたんだろうな。

 

「なぁに、ただジャンプしただけさ。私にかかれば造作もない」

 

「なるほど、確かにジャンプすればいいだけだ」

 

「……えっと、はい」

 

 王さんは俺たちの会話に色々と思う所があったようだが、ツッコミを入れることなくただ肯定するだけである。

 

 きっと六助がシャンデリア付近までジャンプをした段階でもう匙を投げたのだろう。そういう生き物だと受け入れてしまったんだ。

 

 しかし六助はあのシャンデリアのQRコードを読み取れたのか、三角飛びだったのか垂直飛びだったのかはわからないけど、いよいよ超人っぽくなって来たな。多分だけど純粋な身体能力ならもう二十号を超えているかもしれない。

 

 恐ろしい話である……この学校にはゴリラが多い。

 

 二人の報酬申告を受け入れて帳簿に数字を書き込む。この二人が受付に来たということはそろそろ生徒たちも帰還する頃だろうな。

 

 中央ホールの入口に視線を向けてみるとチラホラ生徒たちの姿が見える。良い表情の者、トボトボと歩く者、もの凄くはしゃぐ者、様々な反応を見せており、この催しが生徒たちの間でも好評であることの証明のようにも思えた。

 

 いいレクリエーションである。南雲先輩の引退式としては最高の結果なのではなかろうか。

 

 六助が温まった報酬に満足しながら、そのまま流れで王さんをデートに誘って連れ去っていったことを見送りながら受付の席に座った。俺だけでなく帆波さんや鈴音さんも一緒だ。そろそろ生徒たちが帰って来て得た報酬の申請をしてくるからだろうから備えている訳である。

 

 微笑みを隠し切れない生徒もいれば、不機嫌さを隠そうともしない生徒もいる。明暗がわかれた形だけど楽しんでくれたのは間違いなさそうなので嬉しい限りであった。

 

 受付の獲た報酬の申告をしてくる生徒を次々捌いていると、今度は清隆と軽井沢さんペアが姿を現す。とても満足そうな顔をしているのでどうやら上手くいったらしい。

 

「その様子だと高額報酬を得られたのかな?」

 

「あぁ、予想以上に変な所にあったが、何とかなった」

 

「それは良かった」

 

「凄かったんだよ、なんかもう、完全にゴリラだったッ」

 

 軽井沢さんは興奮したような、そして呆れたような顔をしてそう言ってくる。

 

「二人はどこのQRコードを読み取ったのかな?」

 

「自動販売機の裏にある奴、綾小路くんが軽々と持ち上げちゃってすっごく驚いた」

 

 その時の光景を思い出したのか軽井沢さんは戦慄した様子を見せる。そりゃ普通の人はボルトナットで固定された自動販売機を持ち上げたりはしない、そんなことするのはゴリラだけだろう。

 

 六助もそうだけど清隆もいよいよだな、二十号に勝ってた時点でもう完全に超人である。

 

 二人は30万ポイントを得たと申告してくれた。参加費を差し引いても大金である。満足そうなのでこちらとしても嬉しい限りだ。

 

 六助、王さんペアが50万。清隆、軽井沢さんペアが30万を得ているのでウチのクラスが結構な勝率なようにも思えたけど、俺を避けて帆波さんや鈴音さんがいる受付に申告する生徒たちにもチラホラと高額賞金を得たと言う話があった。

 

 しかし5000ポイントしか得られなかった生徒も多く、やはり酸いも甘いもあるゲームであるということだろう。全員が全員、高額報酬を得られていればゲームが破綻してしまうからこれで良いんだろう。

 

 さて最高賞金を得るのは誰だろうかと考えていると、ニコニコ顔の九号と少し呆れた様子の天沢さんが姿を現したことで確信を得る。

 

 どうやら100万ポイントはこのペアのようだ……本当によく見つけられたと思う。

 

「ご主人、見てください。100万を貰えたッス」

 

「おめでとう。天沢さんも大変だっただろ」

 

「いやぁ、あたしは別にそこまで苦労してませんよぉ……この子が勝手にQRコード読み取って勝手に報酬を得ただけなんで」

 

 きっと幾つかの候補を見つけて厳選するつもりだったんだろうな、けれど九号がここしかないと独断専行したという感じか。

 

 けれどそれでキッチリ100万を得たのだから大したものだ。九号の鼻も天狗のように伸びている。

 

「ていうかぁ、あんな所にあるQRコードとか見つけられる訳ないですよね? もしかして最初から学校は報酬を渡す気が無かったんじゃないかって邪推したんですけど」

 

「天沢さん的には納得できなかった感じか、でも実際にそこにQRコードはあったし、読み取れば報酬だって得られただろう?」

 

「そりゃそうですけど、普通の生徒は絶対取れませんって」

 

「九号は取ったじゃないか」

 

「この子がおかしいだけですよぉ」

 

 100万のQRコードはこの豪華客船の屋上デッキに隠されていた。最高報酬なので当然ながらただそこに足を運んだだけで手に入る物ではないけれど。

 

 このQRコードがある場所、それは屋上デッキの更に上、この豪華客船で最も高い位置にある電波アンテナに張り付けられていた。

 

 当然ながら人が登れるような場所ではない……俺は張り付ける為に登らされたけどさ。

 

 天沢さんの言いたいこともわかるのだ、そんな所に生徒を向かわせるとか殺す気なのかと。風は強いし細いアンテナに支えはないし、落下すれば痛いでは済まない高さだからな。

 

 報酬を渡す気が無かったと言われても反論はできない。そういう場所である。

 

「せぇんぱい、ちょっとこっちに」

 

 100万が懐に転がって来たことにはしゃぐ九号を他所に、天沢さんはちょいちょいと指先を動かして俺を引き寄せる。

 

 そして頭を近づけた俺に耳打ちをした。

 

「あの子、おかしくないですか? 二十メートルくらいジャンプしてアンテナに着地すると、そのままQRコード剥して普通に着地したんですけど」

 

 物理的に不可能な動きを見せられてちょっとショックを受けているようだ。確かに普通に考えればそんなことはできない……俺だって九号のように蝶のような身軽な体作りをしていないから不可能だ。

 

 どっしりと根を張った大樹のような笹凪流に対して、鶚流は真逆の鍛錬と体作りをするからな。軽やかさで言えば忍者に勝てはしないだろう。

 

「天沢さんだから教えるけど、実は九号は忍者なんだ」

 

「はい? 忍者? この現代にそれって……あれですか、中二病とかそういう奴」

 

「嘘偽りなく完全完璧な忍者だ。戦国時代から続く由緒ある一族で、趣味は遺伝子の改造だ……かなり頭のおかしい所があるけれど呆れず付き合ってあげて欲しい」

 

「……なんかすっごく疲れてきたかも」

 

「ああいう人たちって世の中に結構いるから気にしても仕方がないよ。ホワイトルームなんて大した施設でもない、本当に頭のおかしい人たちからしてみればね……だから君はもっと気楽に生きて良いんだ」

 

 少なくとも超人連中にとってホワイトルームという施設は「だからなに?」で終わる環境だと思う。世の中はカオスなことばかりで、どうしようもないくらいにブレーキが壊れた人たちだっているのだ……鶚衆もそうだし俺の師匠だってそうだしな。

 

 後は自分の体を機械化するのが趣味の科学者とか、クローン戦争を本気でやろうとしている集団とか、趣味で国家転覆を目論む教祖とか、3万人以上の構成員を持つ自称正義のヤクザ集団だとか、女湯を覗く為に軍事衛星をハッキングする人とか、人斬りとか忍者とか、どうしようもない人は多い。

 

 なのでホワイトルームという環境で育ったことをそこまで特別視をする必要はないだろう。君たちはとても普通で平凡だと言い切れるくらいには世の中はカオスなのだから。

 

「学園生活を楽しんでくれ。君はとても普通の学生で、それ以上でも以下でもない……できることなら八神にもそれとなく伝えてくれると嬉しいな」

 

「綾小路先輩が笹凪先輩と仲良くなれた理由がなんとなくわかったかも……でも拓也に関しては無理かなぁ、アイツは正しくホワイトルーム生だから」

 

「そうか、それは残念だ」

 

 本当に残念である……止められないのならば、いよいよ排除を視野にいれなければならないからな。

 

「まぁあたしは言われなくても楽しむつもりですよ……銀子ちゃんをぶん殴るっていう目標もできたし~」

 

 なんて物騒な目標だろうか……まぁ目的があるのならばそれはそれで良い、無いよりはずっと。

 

 八神もこれくらい割り切って過ごして貰いたいものだ。ホワイトルームという環境に拘っても意味はないし、清隆に執着しても得る物なんてない。

 

 ホワイトルームなんて、どこにでもある普通の場所である……本当に頭のおかしい人たちからしてみればそういうことになるのだった。

 

 普通の人たちなんだから、普通に学園生活を楽しめばいい。天才なんてものは、百年先の未来が証明するものである。

 

 俺も清隆も九号も、その理論で言えばただの人間であった。

 

 どれだけ優秀であるかではなく、どれだけテストで百点を取れるかでもなく、どれほど優れた身体能力を持つかでもない。

 

 後の世で語られるか否か、それが重要だと俺は思っている。

 

 

 

 

 



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関係の変化

これでこの章も終わりとなります。次は小話です。


 

 

 

 

 

 

 人手不足が深刻な中、それでもレクリエーションは大盛況で終わったと断言できるくらいには盛り上がったと思う。

 

 三年の先輩たちの晩節を汚す訳にもいかず、過酷な無人島試験を乗り越えた生徒たちへのご褒美的な側面もあったので、ミスなく無事に終わったので素直に安心することができた。

 

 こういったレクリエーションは凄く良い、南雲先輩は生徒会長の間に色々とやりたいことがあったようだけど、こういった催しが次の生徒会にも受け継がれて伝統行事みたいな感じになれば良いなとも考えたりする。

 

 真面目一辺倒だった堀北先輩とは異なり、型に嵌らず色々な方向性を模索する姿勢は好感が持てる……何もかもを台無しにするストーカー気質さえ無ければ本当に完璧だったんだけどなぁ。

 

 こればかりは仕方がないか、完璧な人間なんて師匠以外存在しない、人間と言うのはどこかしらに欠点があるものだ。俺もそうだし堀北先輩や南雲先輩だって同様だろう。ホワイトルーム最高傑作である清隆すら欠点だらけなので、本当にどうしようもない。

 

 早すぎる引退を残念に考えながらも、残された俺たちとしてはしっかりと生徒会を運営していくしかない訳だ。そしてこれまでの生徒会が残した物をより良く洗練させて次の生徒会に託す。

 

 堀北先輩が残した伝統、南雲先輩が与えた影響、どちらも力に変えるのが言ってしまえば俺たちの仕事でもあるんだろう。

 

 そして俺たちにしかできない何かを次に残す、その繰り返しである。

 

 何だかんだで俺も生徒会を楽しんでいるのがわかる。組織運営なんてものは師匠の所では絶対に経験することができなかった分野でもあるので楽しくて新鮮でもあるのだ。こんな事ならばもっと早く入っていればと思うほどであり、何事も経験なのだと実感する毎日だった。

 

 せっかくなので今回のレクリエーションを参考にして、またどこかで俺たち主催の催しを開催しよう。それが次の代に続くようならばそれは間違いなく南雲先輩の功績であり実力の証明になるのかもしれない。それこそ戦う必要のない下級生にわざわざ勝つ必要など無いのだ……そこに気が付いて納得して欲しいものである。

 

 南雲先輩と桐山先輩の引退で生徒会もまた大きく変わる、そして関係や環境の変化は何も生徒会だけに留まらず、クラスメイトたちにも同じことが言えるのかもしれない。

 

「そうだ、鈴音さんは知ってるかな、池と篠原さんが交際したってこと」

 

 レクリエーションも終わって生徒会もようやく夏休みとなった。そこで俺と鈴音さんは以前に約束した図書室デートの真っ最中であった。

 

 ただデートという表現を使うと彼女は照れてしまうので、あくまで図書室で共に読書ということになっているらしい。ややこしいよね。

 

 読書家である鈴音さんからおススメの本を教えて貰っていざ読書、俺も布教の為に師匠が書いた本を鈴音さんに推しておいた。

 

 あまり哲学書は読まないそうなので受け入れ辛いかなと予想したけれど、想定していたよりも鈴音さんは師匠の本にのめり込んでいるのがわかる。

 

 暫くそうして互いにおススメの本を読んで過ごすこと一時間ほど、ただ読書に没頭するだけなのもアレなのでお茶の差し入れと共にホットな話題を提供した訳だ。

 

「あの二人が、交際? イマイチ納得できないわね、いつも言い争いばかりしている印象なのだけれど」

 

「嫌い嫌いも好きの内って奴じゃないかな」

 

 そんな表現をすると、鈴音さんは理解できないとばかりに困った表情を見せる。読んでいた本から視線を上げて悩むような声を届かせた。

 

 夏休みもど真ん中であり、娯楽施設が豊富な豪華客船なこともあって生徒たちはそれぞれ思い思いに過ごしているけれど、こうして図書室で過ごす生徒はやはり少ないので静謐としており、そんな声もよく広がった。

 

 顎に手を当てて真剣に悩み込む鈴音さん、そこまで池と篠原さんの交際が納得できなかったのだろうか。

 

「そんな関係もあるさ」

 

「そういうことにしておきましょうか。まぁ私たちがとやかく言うことでもないわよね、他者の交際だなんて」

 

「あぁ、特に意識する必要もないし、騒ぎ立てることでもないんだ。いつも通り接するのが一番だと思うよ。もう高校二年の夏なんだ、色々と関係の変化だって出て来るさ」

 

「それもそうね、もしかしたらクラスメイトの中には交際している人が他にもいるのかもしれないし、特別なことでもないんでしょうね」

 

「いるのかな?」

 

「わざわざ関係を公表する理由もないのだし、おかしな話でもないでしょう」

 

 確かにそうかもしれない、ウチのクラスに限った話ではなく、他のクラスだってどこかの誰かと交際していてもおかしくはない。

 

 もしかしたら学年を越えてそういった関係になることだってありえるんだ。俺が把握していないだけでカップルというのは意外にも多いのかもしれない……というかこの豪華客船では男女二人で過ごす姿が色々な場所で発見できるので意外でもなんでもないか。

 

 池と篠原さんもその一部であったというだけ、高校生が交際するだなんて何も珍しいことでもないんだろう。

 

 清隆や愛里さんだってそうだし、チラホラと関係が変わって来ることはとても自然なことでもある。

 

 俺や鈴音さんだってそうだ。入学したばかりの頃はこうして図書室デートをすることなんて考えられなかっただろうし、関係の変化など当たり前のことでもあった。

 

「あぁ、でも、ここに来る前にあの二人は一緒に行動しているのを見たわね」

 

「デートでもしてたんだろう。俺たちみたいにね」

 

「だ、だから、その表現は止めなさい」

 

 一緒にこうして遊んでいる……読書を遊ぶと表現するのはあれだけど、それでも一緒にいるんだからデートと認識しているんだけど、鈴音さん的にはちゃんと一線があるらしい。

 

 そもそもどうすれば彼女の中ではデートとなるのだろうか、交際している状態で一緒に遊びに行くとそうなるのかもしれないな。

 

 少し焦ったかのような表情を隠すように、彼女は読んでいた本で俺の視線を遮った。

 

 俺は鈴音さんからおススメして貰った本を読み終えたので、座っていた椅子から立ち上がって本棚へと戻す。

 

 この豪華客船の図書室はかなり広く蔵書量も多く、おそらく夏休みの間に全てを読みつくすことは出来ないだろう数がある。おススメされた本も幾つかあるので、後三日ほどはここでこうして過ごすことになるのかもしれない。

 

 俺たちから離れた位置には同じく読書好きの椎名さんの姿もあり、彼女はここでしか読めない本に夢中になっているのが確認できた。

 

 こちらにも気が付いていないくらいに没頭しているほどだ。俺と鈴音さんもそうだけどせっかくの豪華客船でこういった時間を過ごすのはかなり珍しい部類ではなかろうか。

 

「思っていたよりも面白かったわ……いえ、考えさせられると言った方が良いかしら」

 

 鈴音さんも師匠が書いた本を読み終わったのか、同じく席を立って本棚へと近づいて来た。そして持っていた古い本を隙間に戻す。

 

「哲学書というのはこれまであまり読まなかったけれど、今までとは異なる思考を覚えた感じね」

 

 プラスになったのかマイナスになったのかはわからないけれど、何やら思う所はあったらしい。流石師匠である。

 

「次は何を読もうかしら、せっかくだし普段は手を出さないジャンルにするのも良いかもしれないわね」

 

 幾つもある本棚の前に立ち指先が揺れ動く、どの本を読もうかと迷っている様子に微笑ましい気分になってしまう。

 

「天武くんのおススメは?」

 

「これ、この本」

 

 当然ながら推すのは師匠の本である。俺にとってはもう聖書みたいなもんだからな。布教は基本であった。

 

「これね」

 

 俺の指先も本棚を撫でるように揺れ動く。すると同じように本棚の前で揺れ動いていた指先がぶつかることになった。

 

 触れ合った指先はビクっと反応をしたのだが、引っ込むことはなくそのまま静止することになる。

 

「……」

 

「無言になられても困るんだけど」

 

「仕方がないでしょう……どう反応すればいいのかわからないんだから」

 

 本棚の前で触れ合った指先はようやく引っ込んだ。また恥ずかしそうに頬が赤くなっているのがわかる。

 

「貴方は平気そうね……異性と触れ合った場合は、こう、恥ずかしがるものなんじゃないかしら」

 

「指先が触れ合ったくらいでそこまで意識はしないさ」

 

「私はそういった対象として見れないということね」

 

「そうは言ってない」

 

「そう聞こえたわ」

 

「えぇ……」

 

 とても不機嫌な様子になられてしまった。偶にこうなるので困る。

 

 腕を組んでプイッと視線を逸らされてしまう。可愛らしい反応だと思うけど放置しても問題の先送りにしかならないのでなんとか機嫌を取らないと。

 

「そ、そうだ、この本も面白いよ」

 

 また師匠の本をおススメしておこう。困った時の師匠である。

 

「……」

 

 だが鈴音さんの機嫌は直らなかった。俺ならこれで一発なんだけどなぁ……。

 

「いやね、異性と指が触れ合ったくらいで騒いでも仕方がないだろう?」

 

 そもそも無人島で膝枕されたのだ、あれに比べればこれくらいで何を照れろと言うのだろうか。

 

「無人島で膝枕してくれたじゃないか、凄く恥ずかしいことだと今になって思うけど」

 

「指が触れるのは、また違うわよ」

 

 よくわからない主張だけど、彼女なりに変な一線があるということなのかな。

 

「貴方はあまり、異性との接触を意識しないのね。慣れているのかしら……軽薄だこと」

 

 どうした訳か俺への批判に繋げられてしまうのだから困る。

 

「えっと……じ、実は凄くドキドキしました」

 

「心にもない言い訳は結構よ」

 

「いや、本当だって。顔に出なかっただけでちょっと緊張したから」

 

 したかな? うん、そういうことにしておこう。そうしないとまた機嫌が悪くなりそうだ。

 

「それはつまり、私を異性として意識しているということで構わないわね?」

 

「うん……うん? そ、そうなのかな?」

 

「どうなの?」

 

「はい……意識しています」

 

「素直でよろしい、最初からそう言えば良いのよ」

 

 なんだろう、地雷原でも歩いているような気分だ。実際に歩いた経験があるのであの緊張感はよくわかる。迂闊な発言でも挟もうなら即座に爆発しそうな危険性を感じ取れてしまう。

 

 さてどうしたもんかと思考を巡らせていると、鈴音さんが憮然とした表情で俺を見つめて来る。

 

 そして何も言わずに逡巡することになり、何やら悩んだ様子を見せるのだった。

 

 一分ほど無言の時間が流れただろうか、その段階になって彼女は諦めたように溜息を吐いて視線を下げてしまう。まるで負けましたとでも言いたいかのように。

 

「はぁ……素直に池くんと篠原さんを見習うべきなんでしょうね。まさかあの二人から学ぶ日が来るだなんて」

 

 下げられた視線が戻された時、そこには何やら覚悟を決めたような表情の彼女がいた。

 

 深呼吸をして緊張を消し去ろうとして、けれど隠し切れない緊張と興奮が頬を朱に染めているのが見える。

 

「天武くん」

 

「はい」

 

「……」

 

「黙られると困るんだけど」

 

「ちょっと待ちなさい……今、色々と考えているから」

 

「わかりました」

 

 何故か背筋が伸びるような気持ちになってしまうのは、鈴音さんの緊張が伝わって来たからなのかもしれない。

 

「貴方は以前、春休み頃にこんな話をしたのを覚えている? その、一人前がどうのという話よ」

 

「勿論、一人前になるのが俺の目標な訳だし」

 

「そう、そうね、その通りよ、成長はとても大切なことだと思うわ」

 

「うん」

 

「憧れだけでは未熟者、夢だけでは半端者、恋をして一人前だったかしら……そして貴方は恋を知りたいと、そう言ったわね」

 

「そりゃまぁ、俺に足りないものだろうから」

 

「……」

 

「だから無言になられるのは凄く困るんだけど」

 

 また腕を組んでもの凄く戸惑った様子を見せられてしまう。普段の彼女らしくないのでとても反応に困ってしまうな。

 

 そこから意を決するまでに三十秒ほどかかり、ようやく本題へと入ることになるのだった。

 

「私が、その……教えてあげなくもないわよ」

 

「そう言えば以前にも似たようなことを言ってなかったかな」

 

 二年生が始まる前の、春休みにベンチで話した時だ。

 

「えぇ、その手の分野に関しては私は貴方よりも博識だもの。先達が教える、何もおかしなことではないでしょう?」

 

「確かに、何の反論もないけど……うん? あれ? もしかして俺は今、告白されているという認識で良いのかな?」

 

「こ、こ、告白? い、いえ……そういうことではないのだけれど」

 

「違うのかい?」

 

 そう訊ねるともの凄い勢いで視線を右往左往させることになる。しばらく落ち着きなく困惑していたけれど、最終的に大きな溜息を吐かれるのだった。

 

 視線を揺れ動かして不安そうにこちらを見上げて来る様子が、少しだけ可愛らしく思えてしまう。

 

 迷いながらも撤回はできないと判断したのか、どうした訳か渋々と言った感じで彼女はこう言うのだった。

 

「……そう思って貰っても、構わないわ」

 

「なるほど」

 

 まさか告白されることになるとは、以前に桔梗さんが言った時のように冗談めかしというか打算ありきの物ではなく、本当に真っ当な告白であるので面食らった感じになってしまうな。

 

 あぁ、だけど、素直に嬉しくもあった。

 

「……」

 

「……」

 

 本棚と本棚の間にある細い通路で向かい合って視線を結び合う。

 

「どうして無言になるのよ」

 

「いや、どう答えるのが適切なのか考えていた」

 

「それはつまり穏便に拒否したいということかしら?」

 

「そんなことはない、素直に嬉しい気持ちで一杯だからね」

 

「そ、そう……それは、つまり」

 

「だけど、どう返して良いのか本当にわからないんだ。前にも言ったかもしれないけど、恋を知りたくてね、逆に言うとそれを知れさえすれば相手が誰でも良いということにもなってしまいそうなんだ。それは多分、失礼な話なんだろうなって思うんだ」

 

 その言葉に鈴音さんは顎に手を当てて考え込む。その反応は何と言えば良いのか、詰め将棋でも進めているかのようにも見えて来るのだから面白い。

 

 どう動き、どんな言葉で、どう逃げ道を塞いで完全な詰みに持って行くのか、そんな感じである。

 

「なるほど、貴方の言いたいことはわかった……でもそれほど気にすることでもないと思うわよ」

 

「その心は?」

 

「言った筈よ、教えてあげると……だから、失礼だとか不真面目だとか考えずに、受け入れれば良いの」

 

「お、おう……それで良いのだろうか」

 

「えぇ、何も問題はない。貴方は別に誰か気になる異性がいる訳でもなければ、私と交際することに躊躇する理由もない、違うかしら?」

 

「その通りだ」

 

「気持ちの問題が大切だと言うのならば心配はいらない、だって――」

 

 そこで一旦言葉を区切ってから、鈴音さんは恥ずかしさを隠すように深呼吸をしてから俺を指差す。いよいよ詰み手を指すかのように。

 

「私が教えてあげるもの」

 

「……」

 

 なんて男前な発言だろうか、もしかして鈴音さんはプレイボーイなのだろうか……いや、女性だけれども。

 

 いつものキリッとした顔はそのままに、とても力強い意思を宿した視線で見つめられるとこちらとしては何とも言えない気分になる。まるで師匠に見つめられているようにも思えてしまう。

 

「だから貴方は……私と交際するの、交際しなさい、交際すればいいんじゃないかしら……いえ、違うわね、こうじゃなくて」

 

 また言葉を区切ってから大きく深呼吸をすると、彼女は真っすぐ俺を見つけてこう言うのだった。

 

 

「私と交際してください」

 

 

 誰かにこんな言葉を伝えられる日が来るとは思わなかった、欲していながらもどこか遠い世界のように感じていたからなのかもしれない。

 

 あぁ、だけど、目の前にあるな。俺が一人前になれる道が。

 

 誰を恋しいと思えるようになれるんじゃないかと、鈴音さんを見ていると思うことができた。

 

 変に反発する必要もないのかな、池と篠原さんも素直になれたことで交際できたらしいから、参考にするべきなんだろう。

 

「うん、わかった、そう言って貰えてとても嬉しいよ……交際しようか」

 

「……ッ」

 

 そんな返答にピクッと体を反応させて緊張が解けていくのがわかった。

 

「でもいいのかい? 多分だけど俺は好奇心が先に来ているよ、もしかしたら傷つけてしまうかもしれない」

 

 鈴音さんのことは尊敬しているし仲間としても友人としても近しい位置にいるのは間違いない。こういった思いを伝えられて素直に嬉しい気持ちもある。

 

「今は好奇心で構わないわ」

 

「どうしてかな?」

 

 すると目の前のカッコいい少女は、唇を僅かに緩めて自信満々にこう言うのだった。

 

「惚れさせればいいだけの話だもの、貴方の好奇心を他の誰かに向けられる前に確保できたのだから、後はそれだけのこと……そう、それだけのことよ」

 

 言っている間に自分の発言に恥ずかしくなってきたのか、徐々に頬が赤くなっていくのがわかったけれど、とても可愛らしく思えるのだから不思議だ。

 

「なんだか、とてもナルシストな発言に思えるわね」

 

「いや、カッコいいとさえ思ったよ」

 

「つまり惚れたということかしら?」

 

 照れながらもどこか揶揄うかのようにそんなことを言ってくるので、俺はとうとう我慢できずに腹から込み上がて来る面白さを解き放った。

 

「クッ、アハハハッ、フッ、フフッ……そうなのかもしれないね、魅力的な人だと、改めてそう感じたのは間違いない」

 

 うん、そしてそんな人に好意を向けられる俺は、とても幸運なのかもしれない。

 

 笑い終わった後、拗ねたような顔の鈴音さんに手を伸ばす。そして掬い上げるように彼女の手を取った。

 

「もしかしたら失望させてしまうこともあるかもしれないし、恋心よりも好奇心が強いけれど、君に交際を申し込まれて嬉しかったのは間違いない」

 

 この人なら恋を教えてくれるんじゃないかと思う人はこれまでにも何人かいたけれど、ここまで踏み込んで来たのは鈴音さんが初めてである。

 

 だから新鮮でもあり、こそばゆくもあり、嬉しくもあった……うん、そう考えている時点で、きっと答えは決まっていたんだろう。

 

「とても自分勝手だけど、君となら良い関係が作れるんじゃないかな……そんな確信がある」

 

「……」

 

 手を繋ぎ合って無言のままの鈴音さんを見つめた。本当の意味で俺にここまで踏み込んで来たのは、本音を晒し合える関係になれたのは清隆と鈴音さんだけだった。

 

「だから、これから宜しくお願いします」

 

「えぇ、こちらこそ」

 

 繋ぎ合った手を引き寄せたのは果たしてどちらだっただろうか、よくわからない内に鈴音さんは更に一歩踏み込んで来て、自然と額をこちらに預けて来る姿勢になってしまう。

 

 こういう時、肩に手を置いて抱きしめれば良いのだろうか? 誰か恋愛の教科書を用意してくれ。

 

「少しだけこうさせて……ちょっと今は、貴方の顔を直視できない」

 

「耳まで真っ赤になっているよ」

 

「黙りなさい、指摘しなくていいのよ」

 

 抱きしめるのはちょっと勇気が必要だったので、俺の胸元に顔を引っ付けて表情を隠す彼女の後頭部に手を置いて髪を撫でていく。

 

「んッ……」

 

「痛くないかい?」

 

「大丈夫よ……悪い気はしないわ」

 

 少しだけそうやって過ごして、ようやく互いの顔を直視できるだけの準備が整ったのか、鈴音さんは一歩引いて体を話してしまう。

 

 名残惜しいと思わされている時点で、きっと決着はついているんだろうな。

 

「天武くん……その、私たちは恋人ということで良いのよね?」

 

「俺はそのつもりだけれど」

 

「……」

 

「どうしたのさ」

 

「不思議ね、ただ友人から言葉一つ変わっただけで、色々なことが変わるのだから」

 

「気恥ずかしさや、照れのようなものはあるね」

 

「えぇ、だけど……やっぱり悪い気はしないわよ」

 

「俺もだよ」

 

 最後に見つめ合い、共に笑い合った瞬間に実感とでも言うべきものを感じ取ることができた。恋人になったのだという実感だ。

 

 昨日までとは少し違う関係になったことで視野が広がったような気さをするのだから、もしかしたら浮かれているのかもしれない。

 

 しかしあれだな、今ならば正しくこの表現が適しているのかもしれない。

 

「では鈴音さん、これから俺とデートしていただけませんか?」

 

「……わかったわ、まぁ、恋人だものね」

 

 今度は否定されることはなかった。デートという表現を使うとその表現は止めろと言われてしまったけれど、今なら何の障りもない。

 

 恋人なんだ、デートすることをいちいち否定する必要なんてない。

 

「しかし意外だね、鈴音さんがこんなに大胆に交際を迫るだなんて」

 

「池くんと篠原さんにもしかしたら影響されたのかもしれないわね。後、知りたがりな貴方は別の相手とそういう関係になるのかもしれないと前々から危惧していたことも手伝ったんでしょうね」

 

 可愛いことを言ってくれる人である。

 

「でも、良かったわ、こうして一歩進めたのだから」

 

「俺も同じ気持ちではある」

 

 また微笑み合って俺たちは本棚の間にある通路から歩き出す。この狭い通路に入る前とま大きく変わった関係と一緒にだ。

 

 確かに不思議な感覚だな。心臓の動きがいつもと異なるんだから。

 

 

 でも、うん、これは心地いいな。

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

「別に恋心だけの為だけじゃない」

 

 

 

 

 

 

 

 鈴音さんと交際することになった。

 

 今、思い返してもまさかの展開である。望んでいながらもどこか遠いものだと考えていただけに、意表を突かれた形なのかもしれない。

 

 鈴音さんに真っすぐ踏み込まれて全力の右ストレートをお見舞いされた訳である。なんともシンプルなその一撃は躱すことが難しく、もっと言えば守り切るにはあまりにも威力過剰であったので、ものの見事に一撃KOとなってしまった。

 

 うん、真っすぐに見つめられてああ言われてしまうと、もうどうしようもなかったんだろう。俺はチョロいと言うことである。

 

 告白されて素直に嬉しかったので、その時点でもう負けていたのだと思う。

 

 今はまだ好奇心が強いのだけれど、それが恋に変わっていくような確信めいた物もあるので、不思議な感覚でもあった。

 

 うん、変にひねくれたことは言わなくて良いな。俺は彼女と交際することができて素直に嬉しいんだろう。

 

 さてそんな俺にはやらなければならないことがある。それは新しくできた恋人とのデートであったり、勉強や鍛錬であったりするのだけれど、それよりも早く片付けなければならない問題があった。

 

「須藤、ちょっといいかい?」

 

 それは鈴音さんへ思いを寄せている須藤への報告である。以前に隠し事するなと言われてしまったので筋を通さなければならない。

 

 彼は山内や本堂たちと一緒に豪華客船の開放スペースの一つ、テニスコートやバスケットコートがある場所でスポーツを楽しんでいたので声をかける。

 

「おぉ、どうしたんだ、お前も参加してくか?」

 

「それも良いけれど、結構ハードな練習してるみたいだね」

 

 山内と本堂や博士たちの姿もバスケットコートの中にある。池がいないのはきっと篠原さんと一緒にデートでもしているからなんだろう。

 

「ずっとぐうたらしてても体が鈍るからな、夏休みが終わったら体育祭も近くなるしよ。きっちり調整しておかねえと」

 

 ストイックなようでなによりだ。他の面子はぐったりしているけど、彼等にもそういった思いがあったから参加したのかもしれない。

 

「それよりも話があるんだ、まぁお茶でも飲みながら話そう。奢るからさ」

 

「悪いな」

 

 汗を拭って笑顔を見せる須藤、無邪気な顔を見せられるとちょっと申し訳ない気分になってしまうが。筋は通さないといけない。

 

 とりあえずバスケットコートとテニスコートの間にあるコモンスペースに設置されている自動販売機でスポーツドリンクを購入して須藤に投げ渡す。

 

 彼は蓋を開いてそれを飲んだ。運動した後なので喉が渇いていたのだろう。勢いよく飲み干していく。

 

「実は鈴音さんと交際することになった」

 

「ごっふぁッ!?」

 

 そんな彼に対して話しておきたかった内容を飾らず伝えるのだった。

 

「うッ、ごほごほッ……お、お前、いきなりなんてこと言いやがる。クソ、スポドリが変な所に入りやがった」

 

 咽て咳き込む須藤は当然ながら困惑した様子である。

 

「いやッ、えッ……マジで言ってんのかよ?」

 

「あぁ、無人島で言っていただろう、隠し事は無しだと……伝えておくのが筋だと思ったからさ」

 

「お、おぉ、そうなのか」

 

 しかし意外にもそこまで悲しんだ様子はなく、それどころか納得したような雰囲気を見せてきた。

 

「すまない。須藤の気持ちは知っていたけれど、横恋慕のような形になってしまった」

 

「謝んなよ、別に怒っちゃいねえ」

 

「そうなのか?」

 

「まぁな、なんつ~か、自分でもビックリするくらい納得してるぜ。いや、そうなるかもなって何となく思ってたのかもな」

 

 落ち着いてから改めてスポーツドリンクを飲んで喉を潤す。

 

「堀北はあれだ、遠い憧れみたいな感じだったんだろうぜ、お前と同じようにな。だからショックって感じでもないな……いや、ショックはショックなんだが、なんて言えば良いんだろうな、こういうの」

 

 自分の頭をガリガリと掻きながら大きな溜息を吐いて、しかしどこかさっぱりした顔つきで須藤はこう言うのだった。

 

「まぁなんだ、良かったなって、そう言わせてくれよ」

 

「あぁ」

 

 そして須藤はまた笑顔を見せた。内心では色々と思う所はあるのだろうが、それでも笑って見せたのだ。

 

 何というか、随分と爽やかな男になったと思う。入学当初の彼と比べてみると尚更そんな印象があるな。

 

「しかしあれだな、お前と堀北が付き合うってなると……あ~、あれだ、勉強会とか遠慮した方が良いのか?」

 

「馬鹿言うな、続けてくれないと困る。俺も須藤も鈴音さんもな」

 

「だが彼氏がいるんだ、変な噂になったり……いや、問題はねえのか、何か佐藤とか池とか篠原なんかも参加したいみたいなこと言ってたしよ、二人きりって感じでもねえだろうしな」

 

 そう言えば鈴音さん主催の勉強会には参加したい人が増えるかもしれないと言っていたか。

 

「続けてくれればいいさ、須藤の為にもなる……それとも、ちょっと気まずい感じかな?」

 

「無人島でも言ったかもしれねえけど、俺が勉強するのは鈴音目当てじゃねえよ……いや、それもあったんだが、何よりも自分の為だ」

 

 スポーツドリンクを飲み干してから、須藤はゴミ箱の中に空になったボトルを投げ入れる。

 

「あ~……あれだ、実は大学の進学とかも考えてるんだ」

 

「へぇ、プロのバスケット選手を目指していたのに?」

 

「勿論、諦めた訳じゃねえよ。ただちゃんと勉強してしっかり進学すればまた別の進路も見つかったりするかもしれねえだろ。プロは実力勝負で……いや、負けるつもりはねえけどよ、どうしようもないことだってある。その時に大学を出てたかどうかでまた変わるかもしれねえからな」

 

「うん、プロを目指すのなら大学に入ってからでも遅くは無いだろうしね」

 

「あぁ、もしプロになれなくても、学歴があれば何らかの形で関われるかもしれねえからな。やっぱバスケは好きだからこればっかりは諦めきれねえ」

 

「何らかの形……マネージャーとか、或いは運営側みたいな感じか」

 

「おう、まぁ馬鹿には務まらねえだろうから、今から勉強だ」

 

「なら余計に勉強会には参加しないとな」

 

「すまねえ」

 

「謝らないでくれ、須藤の心意気は凄いと思うよ。夢を見つけて、ちゃんと足場を固めて、何が必要なのか知って、努力を重ねているんだ」

 

「褒めるなよ、この学校じゃそれが出来て当たり前って感じを押し付けてくるんだ。俺だけの話でもないぜ」

 

 本当に成長したと思う。あの喧嘩っ早い男が今では好青年である。

 

 やっぱりあれだな、ちゃんとAクラスで卒業させてあげたいな。

 

「夢があるのは良い事だ、人を強くしてくれる」

 

「だな……そう言えば笹凪、こういうこと訊くのもあれだけどよ、お前って将来の目標とかあるのか?」

 

 確かに、須藤とそういった話はしたことがなかったか。

 

「笑わないで聞いてくれよ?」

 

「笑わねえよ」

 

「実は俺は……正義の味方になりたいんだ」

 

 普通なら素面かどうかを疑う言葉でもあるし、良い歳して何を言っているんだと呆れられてしまうんだろうけど、俺の夢と目標はもうそこだと定めているので誤魔化すこともできない。

 

 あぁ、でもよかった、俺はまたこうして夢を語り合える人が増えたんだな。

 

 幸福なことだと思う、人に恵まれた人生を歩んで来たと思っていたけど、改めてそう認識するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「教師たちから見た生徒」

 

 

 

 

 

 

 

「今年の二年生、ちょっと、いや、だいぶおかしくない?」

 

 無人島試験と、その後に開催されたレクリエーションも終わったことで、ようやく私たち教員も一息つけることが出来るようになった。

 

 労いと、ちょっとしたご褒美もかねて私たち三人は船の中にあるバーの椅子に腰を下ろしている。生徒たちには解禁されていない酒類も大人たちだけならば楽しむこともできるだろう。

 

 同期のチエが度数の高い酒を一気に飲み干して開口一番に放ったのが今の言葉である。

 

「佐枝ちゃんと真嶋くんも、そう思わない?」

 

 そんなチエの言葉に私と真嶋は視線を結び合って、仕方がないとばかりに同意するのだった。

 

「無人島試験もまさかの結果だったよねぇ、一年生と三年生をほぼリタイアさせて報酬を独占するだなんて、思いついてもやらないでしょ? しかも大半が医務室送りだし……試験っていうか、もう抗争じゃない」

 

 確かに船の医務室はもう限界ギリギリだという。軽傷の生徒は自室療養を命じるくらいにはキャパが満たされている。

 

「いや、そうじゃねえよ、真面目に試験やれってツッコミたい……やっぱおかしいよ二年生は」

 

 また酒を飲んでチエはだらしなくバーの机に上半身を預ける。

 

「まぁ確かに、予想外の展開ではあった」

 

 真嶋が同意するようにそう言うと、私も同感なので頷きを返す。

 

 ただ二年生全体がと言うよりは、一部の生徒による個人プレーの影響であると信じたくはある。

 

「だが過激なのは一部だけだ、多くの生徒は真面目に試験をこなしていたさ」

 

「佐枝ちゃん、それ本気で言ってる? そっちの生徒が散々暴れまわった結果だと思うんだけど……なに、800点超えって? 人間辞めましたって言ってるようなものじゃない。しかも三年生をボコボコにしたんでしょう」

 

 確かに笹凪と高円寺ペアが出した点数は前代未聞だった。凄いと思うよりは戦慄するほどであり、発表を聞いた瞬間には生徒も教師も凍り付いたほどだったな。

 

 三年生とのイザコザはあったらしいが、細かいことはわからないし笹凪自身も学校に訴えるつもりは無いようなのでうやむやになってしまっている。

 

「Aクラスの坂柳さんも随分と無茶したって聞くよ? 一年生を罠に嵌めて賠償を要求したってさ」

 

 チエの視線が今度は真嶋に向く。絡まれたくないと思ったのか彼は酒を飲んで視線を逸らした。

 

「一番暴れたのはDクラスの龍園だ、アレに比べたら坂柳は可愛いもんだろ」

 

 そして生贄とばかりに一番の問題児の名前を出す。真嶋はよほどチエに絡まれたくなかったらしい。

 

「あぁ、彼ね、ほんっと滅茶苦茶やってくれたわ、後始末するのが私たちだってわかってるのかな? あんなに怪我人出しておいて被害者側にちゃっかり立ってるし……やりたい放題やってくれたもんだわ」

 

 総じて、今の二年生は頭がおかしいという評価にチエの中ではなっているらしい。

 

「やっぱりあれだよね……生徒の質って言うか、クラス分けの基準が何か変わったよね」

 

 それは私も真嶋も同意する所であった。

 

「以前までのクラス分けの基準は、AとBが争い合ってCとDは悪く言えば搾取される為に存在しているような印象だったし、ここ数年はそれが基準になっていた……ある意味では停滞とも言える。確か理事会でもただレールの上を走っているだけだと議論されたらしい、学校側も是正したかったのかもしれないな」

 

「真嶋くんもそう思うんだ? 佐枝ちゃんも同じなの?」

 

「生徒の質やクラス分けに何らかの選考基準が加えられたのは間違いないだろう」

 

「だよねぇ」

 

 またチエがグラスに入った酒を飲み干す……ペースがかなり早いな、悪い酔い方をしそうだ。

 

「なんでよりによってこの年なんだろ。一之瀬さんなら絶対にAクラスになれると思ってたのに」

 

 まるで自分の所の生徒に失望しているかのような発言に、真嶋が眉を顰めながらも反応する。

 

「まだ勝負はついてないだろう?」

 

「うぅん、もうダメだと思う……一之瀬さんは優秀だけど、ただそれだけ。他の学年ならともかく二年生では勝てない。良くも悪くも真面目だからねぇ……特にこの世代には、とびっきりの怪物がいるしね」

 

 またチエの視線がこちらに返って来る。面倒な絡まれ方は私も嫌なので酒に逃げるとしよう。

 

「あの子なんなの? なんでこんな場所にいるんだろ……運動も勉強も、人間離れしてるし、実はサイボーグとかじゃないの、学ぶことなんて無いんだからさっさとどっか行けば良いのに」

 

「チエ」

 

「星之宮」

 

「はいはい、ごめんなさ~い」

 

 生徒に対するいきすぎた発言に私と真嶋が同時に嗜めた。

 

「はぁ、でも実際にそうじゃない……それほど長く教師をしてきた訳じゃないけどさ、笹凪くんみたいな生徒はもう現れないと思うよ。今までの価値観とか流れを全部ぶっこわしてさ」

 

「まぁ確かに、一般的な基準の優秀とは大きく離れた生徒だろうな」

 

「なんだ、真嶋くんだってそう思ってるんじゃん」

 

「去年の堀北や今の三年の南雲、それ以外にも優秀な生徒は大勢いるが、どこまで行っても優秀という言葉で表現できる、できてしまう……だが笹凪に関しては、どちらかと言うと怪物と表現すべきなんだろう、勿論悪い意味ではない」

 

 酷い言い分ではあるが、真嶋の言葉を完全に否定できないのが笹凪という生徒だな。

 

「佐枝ちゃんは自分の所にその怪物くんがいてラッキーって感じ? それ以外にも高円寺くんや堀北さん、平田くんに櫛田さん、それにもう一人もいるもんね~……下剋上も視野に入る訳だ」

 

 まだあの時のことを気にしているのだろう、こいつは私の後ろを歩くことを受け入れられないだろうからな……いや、囚われているのは私も同じなんだろう。

 

 私もチエも、あの時から根っこの部分は何も進んでいないのだから

 

 下剋上か、それを否定するつもりはないが……そんなことがどうでも良くなるくらいの爆弾がこちらのクラスにはあるからな。

 

 真嶋も同じ気持ちなのか、視線を彷徨わせて僅かに恐怖を宿した瞳をしている。

 

「なに二人とも? 視線で通じ合って?」

 

「なんでもない」

 

「そんなことないって、あ、何か二人で隠し事してるんだ? いやらしいことしてる訳ねぇ、はいはいそうですか」

 

「チエ、誤解するな」

 

 思い出しているのはあの砂浜の光景だ。月城理事長の不正現場を押さえる為にボートを使って赴いてみれば、そこに広がっていたのは手足を折られた五十人の暴漢と、その横に証拠物品のように並べられた本物の刃物や銃である。

 

 そんなあってはならない非現実的な光景と状況を見せつけられて唖然としている私と真嶋に、笹凪はさも当然の如くこう言って来たのだ。

 

 武装勢力が無人島に侵入したので排除した、と。

 

 気負うでもなく、緊張するでもなく、誇張することもなく、とても自然体で転がっていたゴミを片付けましたとでも言うかのような気楽さだった。

 

 アレを見た瞬間に私と真嶋は思考を放棄したと思う。あまりにも現実離れした光景だったからな。

 

 真嶋やチエの言葉を肯定する訳でもないが……怪物という表現がよく似合う生徒だ。一般的な常識や考えから逸脱した存在なんだと理解させられた。

 

 あれ以来、私の中に生まれたのは恐怖に近い感情だ……もう笹凪を一生徒として見れないかもしれない。教師としては情けない話ではあるが。

 

 どうにかして利用してやろうと考えていた私をぶん殴ってやりたい。下手な関わりかたをして良い存在じゃないと。

 

 確かに私のクラスには優秀な生徒が多く揃ったが……あそこまで何もかも超越した存在がいると教師としては嬉しいやら恐ろしいやらで情緒不安定になってしまうものだ。

 

 きっと真嶋も同じ気持ちだ。レクリエーションの打ち合わせで笹凪と顔を合した時も、常に震えて冷や汗をかいていたからな……あの光景を見せられたら仕方がないことなんだろう。

 

「それよりも、次の特別試験ってあれな訳じゃない?」

 

 だいぶ酔いが回ったチエが次の話を切り出す。今度行われることになっている、私たちにとっては因縁の特別試験のことを。

 

「よりによってあれが来るとはねぇ~……どうなると思う?」

 

「どうだろうな、アレは人の醜さを表に引きずり出す試験だ、どうなるかなど誰にも読めない……あぁ、だが、クラス内投票の結果を見る限り、二年生は平然と乗り越えるかもしれないな」

 

「真嶋くんはそう思うんだ……まぁ確かに、私たち世代にはいなかった怪物がいるもんねぇ。クラス内投票でもわざわざ他のクラスに塩を送ってたし、何がしたいんだろあの子、意味がわからないよ」

 

 大いに悩むところではあるが、不思議と不安はなかった。今でも夢に思うあの特別試験だが、二人の言う通り二年生にはどうしようもない怪物がいる。

 

 学校側の都合や考えなど蹴り飛ばして、これこそが真の実力者だと証明しようとしている怪物が。

 

 だからだろうか、あれだけトラウマになっていた特別試験が控えているというのに、私の中に不安は存在しないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう絶対にゴリラには関わらない!! 絶対にだ!!」

 

 

 

 

 

 

 全てが終わった、私の完全敗北という形で。

 

 勿論、私が綾小路くんを退学させれないまま学園を去るというシナリオも想定の内だった。しかしその想定の中にここまでやりたい放題されて敗北する計算は入っていなかったのも事実だった。

 

 現に私の足と腕の一本、鎖骨や肋骨の一部が骨折しており、顔は暴行によってパンパンに腫れあがっているのだから、それが想定や計算である筈がない。

 

「よく生きていたものだ……本当に」

 

 超人七号のレポートを見る限り、今私が息をしているのは奇跡に近い。体はボロボロだが幸運であったと言うべきなんでしょう。

 

 まぁ尤も、私をここまでボロボロにしたのは綾小路くんなのですけどね。

 

 彼は彼でおかしな成長をしている、小枝のように私の手足を折り、司馬先生をボールのように投げ飛ばしたりと、ホワイトルームに残されていた情報とあまりにも食い違っている。

 

 あれではもう人間とは言えない……超人だ。

 

 ホワイトルームは天才を量産する施設、人を超えた何かに足を踏み入れる為の環境ではない。ただでさえ綾小路くんはイレギュラーな存在だというのに、それが更に壊れ始めている。

 

 恐ろしい限りだ、やはりこんな仕事を引き受けるべきではなかったということですね。

 

 私と同様にボロボロになった司馬先生には療養を理由に自主退職をすることになり、それは私も同じ。少し身軽になったので最後の挨拶くらいはしておきましょうか。

 

 痛む体を何とか松葉杖で支えて向かう先は、この船の中にあるコンサートホールであった。

 

 既に就寝時間を過ぎている筈ですが、部下の報告によると綾小路くんはそこにいるようです。あのゴリラと一緒に。

 

 同じ場所に担任の茶柱先生もいる辺り、もしかしたら今後行われる特別試験で何らかの情報提供を受けているのかもしれません。

 

 これは弱みになるか? そんなことを考える思考を強引に打ち切った。踏み込むべきではないと本能が察したかのように。

 

 ただ別れの挨拶をするだけ、それならば私はおそらく生還できる……多分、きっと。

 

 コンサートホールに近づくとピアノの音色が耳に届く、それと彼等の話声も。

 

「へぇ、清隆ってピアノ上手なんだね」

 

「無駄にしつこく教えられて来たからな」

 

 エリーゼの為にがコンサートホールに響いている。どうやら奏者は綾小路くんのようですね。

 

「天武は何か弾けないのか?」

 

「さっぱりだ。鍵盤の位置とか音階はわかるけど、それだけだ……とはいえ、せっかくの機会なんだ、教えて欲しいな」

 

「良いだろう、まずは猫ふんじゃったを演奏できるように目指そうか」

 

「なんでそのチョイスなんだい?」

 

「簡単だからだ」

 

 そんな会話をしながら綾小路くんはゴリラにピアノを教え始める。茶柱先生はそんな二人から少し離れた位置でコンサートホールの椅子に腰かけて眺めていた。

 

 邪魔したことで私の首が引きちぎられたりしないだろうか? そんな迷いを内心では抱きながらも、それでも最後の挨拶くらしはしないと考えてコンサートホールに一歩踏み出した。

 

 ピアノの音は止まらない、あの二人はこちらに気が付いているようですが、わざわざ出迎える必要も無いということでしょうか。

 

 この場所には少し不似合いな猫ふんじゃったが奏でられる中、私は徐々にピアノへと近づいていく。丁度演奏が終わったと同時に彼らはようやくこちらに視線をやるのだった。

 

「月城理事長代理、何故ここに?」

 

「なに、ちょっとした挨拶ですよ、お別れのね……だからそう警戒しないでください、茶柱先生」

 

「警戒しない訳にはいきません、貴方は試験の最中に違法な武装勢力を介入させたんですから」

 

「そんなことは無かった、それで納得して全てを忘れなさい。それが貴女の為ですよ」

 

「……」

 

 民間人である茶柱先生を深入りさせると私の首が物理的に飛ぶことになるので、警告するのが限界でしょうね。

 

 元より警察に駆けこまれた所で大した問題にはならない。あまりにも非現実的な上に被害者も存在しないことになっているのですから。

 

「月城さん、あまり担任の先生を苛めないであげてください」

 

「そんなつもりは毛頭ありませんよ。これは警告です、民間人へのね」

 

「何をしにここに来たんだ?」

 

 こちらの会話をぶった切るように綾小路くんが敵意全開でそう言って来た。

 

 随分と感情的な印象を受けますね、ホワイトルームに残された情報ではもっと冷淡で枯れている印象でしたが、この学園生活で色々と感情の発露を学んだということでしょう。

 

「さっき言ったように挨拶ですよ。私はもう学園を離れます、司馬先生も同様です。これが最後となるでしょうからね」

 

「そうか、ならこっちに来て一緒にピアノでもどうだ?」

 

 どうしてそんな展開になるのでしょうか……絶対にごめんだ。

 

「止めておきましょう。弾いている最中にピアノの蓋を閉じられて指を圧し折られそうだ」

 

「チッ」

 

 舌打ちをされてしまいましたね、本気でするつもりだったようです……随分と嫌われてしまったものだ。

 

「まぁまぁ、挨拶くらい良いじゃないか」

 

 そんな綾小路くんをフォローするのが笹凪くんであった。彼は彼で七号レポートとは異なる印象を与えてくるので、こちらも学園生活を得て色々と成長したということでしょうか。

 

 笹凪天武――笹凪製陸戦兵器甲型二種とレポートには記されていた。その性能は言ってしまえば戦車と大差がない。戦車の火力と装甲と突破力を人が持っているということだ。

 

 そして何より恐ろしいのが、彼の師匠を見る限りまだまだ発展途上であるということ……なんで私は彼と戦うような環境に身を置いてしまったんだろうか。

 

 ゴリラは遠くから眺めるもの、同じ檻の中に入ってはいけない。それがこの学園で私が学んだことでもある。

 

「えぇ、挨拶だけです、お別れのね」

 

 笹凪くんは綾小路くんの背中を押して私の前にまで連れて来てくれた。

 

「おめでとうございます綾小路くん。貴方の勝ちですよ……ですが、私が学園を去るシナリオも用意されていたことをお忘れのないように」

 

「そうか、そのボロボロの有様も計算の内だというのなら大したものだ」

 

 皮肉まで言えるようになって、本当に感情的になりましたね。

 

「君は賢い、そして強い、仲間にも恵まれている。しかしどれだけ優れていても子供であることは変わりません。あの人はそこを織り込み済みで私を送り込んでいることを理解した方が良い」

 

「かもしれないな、だがそれがなんだと言うんだ?」

 

「なるほど、もう何の執着もないようですね。お父上にも、あの場所にも」

 

「あぁ、最高傑作綾小路清隆は、もう完全に否定された。それだけの話で、オレはまだ発展途上だ、何の執着を向ける必要があるんだ」

 

 確かにもう天才というよりは超人ですからね……ゴリラと言っても良い。

 

「フッ、どうせなら最後に自主退学を勧めてみようと思いましたが、止めておきましょう。この学園に留まる理由があの人への反発ですらなくなっているのですから」

 

 ならば言うべきことはなにもない。なので私はギプスが巻かれていない方の手、左手を前に出す。

 

「綾小路くん、いずれまたどこかで縁があることを祈っています」

 

「あぁ」

 

 左手での握手が結ばれる、時間にして数秒ほどして何の迷いも無く離れてしまった。

 

「笹凪くん、君とも握手をして構いませんか?」

 

「勿論です。俺も最後に警告をしておきたかったので」

 

 警告? どういうことかと考えている間に私の左手は彼に握られることになった。

 

 その瞬間に深く根を張った大樹を幻視するほどの体幹と圧力を感じ取って、私は握手が悪手であったことを理解する。

 

「実はこの度、恋人ができまして」

 

「なるほど……学生らしくて良いですね」

 

 握手された手を引いてみるが、一向に離れてくれない。それどころか力は増すばかりだ。

 

「それで警告をしておきたかったんです。でもこの学校だと外へメッセージを送ることは難しいので、月城さんから清隆のお父さんに伝言をお願いできますか?」

 

「な、何でしょうか?」

 

 力が増していく、万力で固定されたかのように。

 

「俺に向かって来る分には構いませんけど、周囲の人間や民間人を巻き込むのは看過できません。もし貴方の勢力がそこを踏み間違えた時は、その首を引きちぎりに行くと伝えておいてください」

 

「……グッ」

 

 骨が軋み激痛が広がっていく。だがどれだけ抵抗しようとも掴まれた手は決して外れはしなかった。

 

「後、佐倉愛里さんを巻き込みかけたそうですね……なのでこれは警告です。決して一線を踏み間違えないようにと」

 

「ぐおおおおッ!?」

 

 そして私の左手はその場で握り砕かれることになってしまう。五つの指の全てがあらぬ方向に曲がった段階でようやく手を離されることになる。

 

 少しは遠慮や配慮をしてほしい……こちらはただでさえ骨折だらけだというのに。

 

「伝言、伝えていただけますね?」

 

「つ、伝えておきましょうッ」

 

 どうして私はこうなってしまうのだろうか……それもこれもこんな場所に来てしまったことが原因だ。

 

 

 私はもうゴリラとは関わらない、絶対にだ!!

 

 

 

 

 

 

 



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満場一致試験
迫るイベント


 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 

「ふむ、なるほど」

 

 オレは今、とても重大な仕事を任されている。調べることは膨大であり、知らなければならないこともまた山のように多い。

 

 とりあえずスマホで色々な情報を検索していく。主な検索ワードは「メイド」である。

 

「メイド喫茶……コンセプト喫茶という業務形態があるんだな」

 

 これらはホワイトルームでは教えてくれなかった情報である。メイドと聞くとどこかの金持ちに使える従者のような存在だという認識であったのだが、西暦も2000年を軽く超えた現在、メイドという存在は大きな変化を経ているらしい。

 

 単純な労働者ではなく、どこかアイドルめいた職業になっているのは少し不思議な気分だ。そしてシンプルな奉仕作業ではなく中には歌って踊ってサイン会などを開いたりもすると検索結果には出て来る。

 

 次にオレがスマホで調べたのは各地にあるメイド喫茶のホームページだ。これがなかなか面白い。各店の推しであったりランキングであったりと様々な情報があり、中にはサイン会の告知やコンサートのチケット販売なども行っているらしい。

 

 オレが知るメイドとはとても古い物であったということだ、既にメイドはアイドルと言っても過言ではないのかもしれない。

 

「しかしスカートが短すぎるんじゃないか?」

 

 なんとなく開いたメイド喫茶のホームページの一番上にある、最も人気の高いメイドのプロフィールを見てみる。全身が映る写真付きで手でハートマークを作る姿勢と共に抜群の笑顔を浮かべているのがわかる。

 

 眩しい太ももが露わになっており、ともすれば下着が見えてしまうのではないかと思う程に危機感の無い姿をしていた。これではメイドとしての職務を果たせないだろうというツッコミを入れたいのだが、既に現代においてメイドとはアイドルと大差が無いのでこれで良いのかもしれない。

 

 本当の意味で労働者としてのメイドを求めている訳ではないのだ、オレが知りたいのはこれから行われるクラスでの催しを勝ち抜く為に必要な情報、そして売り上げを確保する秘訣であった。

 

「エロティシズムを感じることが重要なのか……なるほどホワイトルームでは教えられなかった情報だ」

 

 エロは大事だ、古くから芸術的な分野において深く根ざしており、美しさを語る上で切っても切れない分野だろう。

 

 そしてメイドにはそういったエロティシズムをいかに巧みに、しかし下品にならない程度に表現するかが大切であることがメイド喫茶を調べて行く内に理解することができた。

 

 大胆に、だが行き過ぎず、清楚さと潔癖さを表現しながらも、肉体美や容姿を曝け出し、あくまでアクセントの一つとしてエロスというものを添える。

 

 しかし別に長く商売をしたい訳じゃない。何だったら全面的にエロスを押し出す形でも……いや、やりすぎれば学校側から制裁があるかもしれない。やはりほのめかす位が一番か?

 

 今度はメイド、性癖、という検索ワードで色々と調べてみる。するとどのスカート丈が一番であるのか激しく議論されており、フリルの量や髪色との調和などもメイドを語る上では外せないらしい。

 

 とりあえず身近の女子、愛里にメイド服を着させた想像をしてみる……ふむ、これは強力だ。

 

 波瑠加などはどうだろうか? こちらはこちらで悪くない。

 

 クラスメイトの女子を次々とメイド服にしていき、オレが客として訪れた場合どこに目が行くのか、どこを評価するのか、そしてどんなことを印象に残すのかをシミュレートしていった。

 

 チェキ会なるものもあり、中にはツーショット写真を取るだけで結構な売り上げになるそうだ。

 

 ウチのクラスだと誰の人気が出そうだ? 櫛田やみーちゃん、佐藤や松下に軽井沢、そして波瑠加や愛里も人気を得そうではある。特に愛里に関しては芸能人なので普通の生徒よりもずっと慣れているかもしれないので無双する可能性すらある。

 

 後は、堀北はどうだろうか……いや、こいつはダメだな、想像ですらメイド姿にできない。きっとアルバイトの面接に来たとしても速攻で不合格になることだけは簡単にわかってしまった。

 

 まぁ櫛田から愛里あたりが鉄板の戦力か、だがそれが通じなかった時に備えて切り札を用意するのは戦略の基本でもある。

 

 だからこそ堀北にはしっかりメイドをこなして貰いたいのだが、アイツが上手いことメイドとして接客できるとは思えないので別案が必要だろう。

 

 こちらのクラスの女子はレベルが高いとは言えるが、他のクラスだって突出した者はいる。櫛田と愛里の二枚看板で有象無象を処理できるかもしれないが、それは切り札を用意しない理由にはならない。

 

「考えろ……戦いとは始まる前に終わらせるものだ」

 

 通常戦力以外にも誰かいないか? 戦車のような突破力を持った誰かを用意することが重要だ。

 

「いっそ茶柱をメイドに……いや、アラサーには酷な話か」

 

 良い案かと思ったが即座に却下する。そもそも協力してくれるとは思えない。

 

 ならば誰だ? 切り札足りえるのは誰だ……深く深刻に考え込みながらオレはまたメイドに関する情報を次々と調べて行く。検索履歴はもうメイドだらけになっていた。

 

 そしてメイドに関する情報を調べること三十分ほど、オレのスマホに映ったとある情報に天啓を得ることになる。

 

「女装メイド、だと?」

 

 ありえるのかそんなことが? ホワイトルームでは教えてくれなかったぞ。いや、だが、調べてみるとそこまで的外れな性癖ではないらしい。しかし男をメイドにするくらいなら普通に可愛らしい女子をメイドにする方がずっと楽だろうに。

 

 そもそも体も大きく骨格や声などが女子とは大きく異なる男子をメイドにした所で映えるとは思えな――――いや、待て。

 

「天武なら或いは……一考の価値はありそうだな」

 

 オレの親友の姿を思い浮かべる。長めのかつらを被らせれば完全に女子だ。それもとびっきり可愛らしいのは間違いない。なにせ混合合宿の風呂場では色々な相手に避けられてたくらいだからな。

 

 体の線を隠すようにロングスカートとフリルだらけのメイド服も頭の中で着させてみた……おいおい完璧じゃないか。我ながら戦慄するしかない妄想だ。

 

 後は声だが、こちらに関しては何も問題はない。多少の声帯模写くらいはできるだろうし、そもそも天武は高い声を元からしている。

 

 茶柱をメイドとして運用するくらいならば、こちらの方がまだ可能性を感じるのは間違いない。

 

 そうと決まればさっそく行動あるのみ。とりあえず企画書の中にある予算見積りに追加分のメイド服とかつらの予算も加えておくとしようか。

 

「とりあえずはこれで良いか……本番が楽しみだな」

 

 そもそもオレがこうして一人でメイドのことを調べているのには理由がある。別にそういった存在に性的な興味を抱いた訳でもなければ、良からぬ欲望を抱いている訳でもない。

 

 時間は少し巻き戻る。どうしてメイドを調べる必要があったのか、そして何故こんなことを企画しなければならなくなったのか……それは夏休み明けの新学期で、茶柱から告知されたとある催しにクラスが動き出したからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この二学期、お前たちには幾つか大きなイベントが控えている。まずは去年も行われた体育祭だ。10月に行われる学生たちの身体能力を試す試験になるだろう。去年と異なるルールもあるが、必要とされている能力に大きな違いはない」

 

 夏休みも終わって二学期が始まり、最初のホームルームで茶柱先生が開口一番にそう言った。まだまだ残暑が残る季節ではあるけれど、そろそろ秋の目玉イベントである体育祭に向けて動いていくことになっている。

 

 それに加えて今年は去年には無かったある催しが開かれることになっているのを、生徒会役員たちは一足早く知っていた。

 

「そして11月には高度育成高等学校としては初の試みとなる文化祭の開催が決定した。細かい内容は体育祭同様改めて告知していくが、これも9月から並行して時間を取っていく」

 

 するとクラスメイトたちからは色めきだった声や気配が広がった。文化祭と聞いて興奮する気持ちはよくわかる。凄く青春っぽいので俺も楽しみだからだ。

 

 去年は無かったからな、なおのこと期待に胸が膨らむというものだ。きっと楽しめる筈である。

 

 茶柱先生の説明によると体育祭や文化祭では外部から人を呼んでお客として扱うらしい。この学校にしては珍しいことだとは思うけれど、どうやらこれは月城さんの置き土産であるらしい。

 

 月城さん、色々と損な役回りに奔走していたけれど、最後の最後でとても嬉しいプレゼントを置いてくれたようでほっこりした気分になる。今なら笑顔で握手できそうだ。

 

 たとえ外部から来る客に刺客がいたとしても笑って許せるくらいには、俺は文化祭を楽しみにしているのだった。

 

「何の出し物が良いかな?」

 

「貴方は随分と楽しそうね」

 

「そりゃそうさ、文化祭なんだから楽しまないと」

 

 この夏休みから晴れて恋人関係になった鈴音さんは、俺がワクワクしている様子を見て少し呆れたような顔をして……しかし唇の端は少しだけ緩んでいるのがわかる。

 

「文化祭の定番ってなんだろ、中学ではどうだったの?」

 

 そんな質問を後ろの席の清隆と、その隣の席の鈴音さんにすると、二人はどちらも首を傾げてしまう。

 

「いや、わからない」

 

 まぁ清隆はそうだろう。ホワイトルームで文化祭が催される筈もないのだから。

 

「中学の時は、確か郷土歴史のレポートだったかしら」

 

「うん? お祭りなんだよね?」

 

「そんなことよりも勉強を優先していたわね。文化祭も一応はあったけれど自由研究の発表が主だったのよ」

 

 それはそれで楽しそうな文化祭なのだろうか? イマイチお祭り感は無いけれど自作ロケットとか作ってそれの発表とかすれば面白そうではある。

 

「なら今年はお祭り気分になろうよ、お化け屋敷とか開いてさ」

 

「お化け屋敷ね……予算の兼ね合いもあるからクラスと相談しながらにしましょう」

 

 それもそうだ。俺の意見だけでクラスの出し物が決まる訳ではない。茶柱先生の説明を聞くとしよう。

 

 因みに生徒会役員は予めある程度の情報は開示されている。出し物を行う教室はプライベートポイントで確保したりとか、部活動や生徒会としての活動が評価されて予算が多くなるとかだな。

 

 最終的には各クラスで売り上げの順位を競うことになる訳だ、そこはこの学校らしくもあり、文化祭も体育祭も特別試験の一部であると言えた。

 

 まずは楽しもう、せっかくの青春イベントなんだから。

 

 ただ文化祭の開催までまだ2ヵ月ほどの準備期間があるのでゆっくりとで良い。どんな出し物でも何だかんだで楽しめそうではあるしな。

 

「とりあえず、思いつく限りで催しの一覧を出していこうか」

 

 放課後になり迫る文化祭に向けての話し合いが始まることになる。平田が音頭を取ってそう言った瞬間にクラスメイトたちから次々意見が飛び出していく。

 

「文化祭と言ったらやっぱり食べ物系じゃない? ほら、クレープとか」

 

 軽井沢さんの言葉に頷く者が何名か、やはり定番は強いよな。

 

「お化け屋敷とか劇とかも外せなくね?」

 

 そして池の提案に賛成する者が何名かいる。こちらはこちらで定番中の定番なんだろう。

 

「カフェとかも良いかもね」

 

「食い物系は1ヶ所に纏めて提供すりゃいいじゃん」

 

「それはそれでグチャグチャにならねえか?」

 

 クラスメイトからも次々意見や提案が出て来て、平田はそれらの主張を一つ一つ教室の前に設置されている黒板代わりの大型モニターに羅列していった。

 

「気を付けなければならないのはまず予算との兼ね合いだね。何をするにしても上限を意識しなければならないよ。あまり大規模なものだと難しいかもしれない。例えば飲食系だとあまりにもメニューが多いと準備するだけで疲れ切ってしまうだろうしね」

 

「平田くんはどう思うの?」

 

「まだ本決まりではないけれど、もし飲食系にするのなら僕としてはメニューはある程度絞るかな」

 

 予算の都合上それは仕方がない。だとするとそれ以外の部分で勝てるようにならなくてはダメだろう。

 

 出し物をする立地であったり、或いは視線と注目を集めるのに一手間加えたりと、考えられることは色々とある。

 

 まぁまだ先の話なのでゆっくりと詰めて行こう。

 

「一つ提案なのだけれど、いいかしら」

 

「意見は大歓迎だよ堀北さん」

 

「平田くんの言うように文化祭の予算は限られている。けれど机上で幾ら議論してもわからないことは多いわ。仮に屋台でたこ焼きを焼くとしても、どんな材料を使うのか、腕前、様々なものが必要になって来る。それなり、まずはクラスで案を持ち寄ってプライベートポイントを使ってでも繰り返しテストをしていくべきなんじゃないかしら」

 

 プライベートポイントを使ってある程度の形を整えてから主張する訳か。

 

「つまりプレゼンしようってことだよね?」

 

 俺は鈴音さんのそう言うと、彼女は頷きを返す。クラスメイトたちもそこまで反対意見はなかったのか、割と前向きに受け取ってくれているようだ。

 

「ただ気を付けて欲しいのは情報漏洩よ、何をするにしても他所のクラスや学年に注意を払って欲しいの」

 

 こうして俺たちのクラスは11月に開催される文化祭に向けて徐々にだが動き出すことになるのだった。

 

 生徒たちもそれぞれ考えやアイデアはあるようだけれど、誰よりも早く、そしてわかりやすい企画書を出して来たのはやはりというか女子であった。

 

「清隆は何かアイデアは無いのかい?」

 

 体育祭と文化祭を同時並行で準備をしなければならないのでかなり忙しい9月中頃、ここ最近何やら唸っていたり、ブツブツと考え込む様子を見せるようになった清隆に俺はそう訊ねる。

 

「綾小路くん、何か企画があるのかしら?」

 

 鈴音さんも気になっていたのか、放課後になると同時にそう言った。

 

「オレの企画という訳じゃないがプレゼンの準備は進めている」

 

「意外ね、貴方がこう言った催しに積極的になるだなんて」

 

「手伝っているだけだ……佐藤と松下と軽井沢に誘われてな。男子側からの意見も聞きたいと。それで色々と調べている所だ」

 

 そんな彼の言葉に、放課後なので生徒会に向かおうとしていた俺と鈴音さんは視線を結び合った。あの清隆が真剣に悩んで準備を行うプレゼンに興味が出てきたのだ。

 

「丁度いい、天武と堀北にも見せておきたい。今日、これから時間はあるか?」

 

「生徒会の業務があるからそれほど時間は作れないけれど、30分くらいなら問題ないわよ」

 

 すると清隆はスマホで誰かと連絡を取る。問題は無かったのかこれからプレゼンが始まるらしい。

 

「よし、特別練に来てくれ」

 

「構わないが、何をプレゼンするつもりなんだい? 佐藤さんと松下さんに誘われたって話だけれど」

 

「こういうのはインパクト勝負な側面もあるから事前に説明はできない。とりあえずついて来てくれ」

 

 あの清隆がここまで積極的に動くとは、もしかして文化祭が楽しみだったりするのだろうか? 良い傾向だと思うので好きにやらせてあげようか。

 

 そう、清隆にも青春は必要なのだ。文化祭の準備に勤しむのは良いことである。

 

 だから自由にやらせてあげようじゃないか。

 

 

 

 

 そんなことを思っていたのだが、10分後に俺は盛大にこんな考えをしてしまったことを後悔することになるのだった。

 

 

 

 

 

「よし、天武、これがお前の衣装だ。かつらは複数用意しているが、好きな物を選んでくれ」

 

「……え?」

 

 

 特別練にある教室で待っていたもの、それはロングスカートとフリルが沢山付いたメイド服である。

 

 どうやら清隆は佐藤さんや松下さんに誘われてメイド喫茶のプレゼンに協力していたらしい。その企画書の中にはどうした訳か俺がメイド側で接客することになっているようだ。

 

 オッサンにディープキスされそうになったトラウマが蘇ったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 



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メイド喫茶のプレゼン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ~。メイド喫茶Maimaiで~す!!」

 

 清隆に案内されて辿り着いた特別練の空き教室、その扉を開いた瞬間に佐藤さんと松下さん、そして軽井沢さんと王さんが華やかな衣装に身を包んで俺と鈴音さんを出迎えてくれた。

 

 これが彼女たちと清隆のプレゼンか、書類で渡されるよりも説得力とインパクトがあるのは間違いない。

 

「ご注文は何に致しますか? ご主人様、お嬢様」

 

「ちょっと待って。注文の前に聞いてもいいかしら」

 

「え? 何?」

 

「これ、用意するだけでも結構なお金がかかったんじゃない?」

 

 確かに鈴音さんの懸念の通り、とても凝ったメイド服なのでそれなりに高額だった筈だ。レンタルしたのか自作したのかわからないけれど、かなりの出費があったのではなかろうか。

 

 軽井沢さんと佐藤さんは清隆へと視線を向けた。

 

「準備期間は約四日。費用はそこまでかかっていない。全部で1万3200ポイント。ここにいる者で割り勘しているから負担も少ない……衣装はレンタルで教室の装飾に少しといった所だ」

 

 なるほど、凝った衣装だから高いんじゃないかと思っていたけど、予算の都合をしっかりと考えているらしい。

 

 色々と話し合った結果、クラスの女子たちはメイド喫茶で行こうという話になり、男子の意見として清隆を巻き込んだ訳か。

 

「なるほどね……インパクトとしては完璧だったわ。これまで見てきたどの企画よりもわかりやすくて印象的だった。綾小路くん、予算案を見せて頂戴」

 

「これだ」

 

 流石清隆と言うべきなのか、しっかりとした企画書を既に用意しており、それを鈴音さんに渡して来た。

 

 俺も鈴音さんの肩越しに企画書を眺めてみるが、あらゆる方面に隙がなくお手本のような企画書であると思えてしまう。

 

「うん? 衣装のレンタル項目なんだけど、どうしてメイド服が20着以上あるんだい? 予備とかかな?」

 

「あぁそれね……それはほら、あれだよ」

 

 気になった部分をどうしてかと問いかけてみると、軽井沢さんが言葉を濁して視線を逸らす。

 

 軽井沢さんだけでなく、佐藤さんや松下さん、そして王さんだってそれは同じだ。どこか悪ふざけが過ぎた自覚があるかのような反応である。最初は盛り上がったけど最終的には冷静になり、しかし今更引き返せないと思い知ったかのようであった。

 

 うん、なんでこんな変な雰囲気になっているんだろうか?

 

「それはお前の分だ」

 

「うん?」

 

「よし、天武、これがお前の衣装だ。かつらは複数用意しているが、好きな物を選んでくれ」

 

「……え?」

 

 そんなことを言いながら清隆は教室の奥に設置されていた衣装箱の中からロングスカートかつフリル満載のメイド服を取り出して俺に預けて来る。

 

「メイド服には髪色との調和も重要とのことだから、色々と用意してある。個人的には金髪がおススメだ」

 

「君は一体何を言っているんだ」

 

「黒髪の方が好みだったか? 安心しろ、そちらも用意してある」

 

 おかしいな、清隆と会話が成立しない。

 

「あはは、ごめんね笹凪くん。なんか私たちも悪ふざけに乗っちゃってさ」

 

 申し訳なさそうに軽井沢さんがそう言って来るのだけれど、そんな彼女も隠し切れない好奇心が見え隠れしているのが酷いと思う。

 

「いや、でもさ、何か似合いそうって言ったら確かにって思っちゃったし。ね、佐藤さん?」

 

 悪いのは自分だけではないと言いたいのか佐藤さんや松下さんも巻き込み始める。

 

「最初に綾小路くんに言われた時はまさかそんなって思ったけど」

 

「笹凪くんなら行けそうだなって」

 

 佐藤さんの言葉を松下さんが引き継いでそう言い放つ。なんてこった、味方がどこにもいない……いや、クラスの良心枠である王さんならば――。

 

「に、似合うと思います」

 

 清隆、お前、王さんに何をしたんだ? 彼女はこんなことをするような人じゃなかった筈だ。

 

 ま、拙いぞ、俺の味方がどこにもいない。そもそもプレゼンを見に来た筈だというのに何故か孤立無援の状態になってしまっている。

 

 だが完全に焦る必要はなかった。俺には恋人である鈴音さんがいるからだ。彼女ならば俺を助けてくれる筈――そう思って振り返り鈴音さんに助けを乞おうとするのだが、そこには清隆に何やら耳打ちされて考え込む姿が待っていた。

 

 何を伝えているのかはわからない、しかし清隆に何やら囁かれた鈴音さんは、瞼を閉じて何やら考え込んでおり、幾度かコクコクと頷いているのが確認できてしまう。

 

「一考の価値はあるわね」

 

「なん、だと……清隆ッ、貴様何をッ!!」

 

 この最悪の状況に追い込んだ元凶、ホワイトルームの最高傑作はニヤリと唇を歪めてラスボスみたいな顔になる。

 

「全ては勝利の為だ」

 

「す、鈴音さん!! 騙されちゃダメだ、そいつは俺を罠に嵌めようとしている!!」

 

「言った筈だぞ天武、出し惜しみはしないと」

 

 こんな全力の出し方するなんて予想できるか……。

 

「落ち着こう、良いかい? 男がメイド服なんて来ても何の需要も無いんだよ。笑えないくらいつまらない空気になるだけだからさ」

 

「確かにそういった状況になることもありえるでしょうね……だけど、せっかく予備の服があるのだから試しにやってみて、駄目なら駄目で構わないのよ。だけど力があるのにそれを使わないのは愚か者のすることだそうよ、綾小路くん曰くね」

 

 どうして鈴音さんは俺を追い込もうとするのだろうか、そもそも恋人が女装してメイド服を着てるとか普通は嫌な気分になると思うんだけど。

 

 右を見ると軽井沢さんと佐藤さんがどんなかつらが似合うのかキャイキャイと騒ぎながら準備を進めている。

 

 左を見ると松下さんと王さんがメイド服を持ってフリルやスカートの丈を何やら調べている。

 

 後ろを見てみると清隆が着替えるスペースを確保しており、他所から見えないように段ボールで壁を作っているのが見えてしまう。

 

 そして最後に正面、恋人の鈴音さんは腕を組んだ状態でいつも通りキリッとした表情を見せるのだけれど、その瞳には他の者たちと同様に隠し切れない好奇心が見え隠れしているのがわかった。

 

 えぇ……俺たち恋人なんだよね? 普通彼氏の女装とか見たいと思うものなのかな。

 

 だが逃げ場がどこにもない、俺は迫るメイド服とかつらから逃げることはできなかった。

 

 

 清隆が作った段ボールの壁に押し込まれてそこで着替えさせられることになる。

 

 恐ろしいことに以前にメイド服を着させられたあの頭のおかしいミッションの準備段階で女性らしい雰囲気や声を訓練で出せるようになっていたことに加えて、着付けや化粧に迷うことが無いのが何よりも恐ろしかった。

 

 一度覚えたことは二度と忘れないように師匠から改造されたので、メイド服を着て化粧を施す手つきの何と自然なことか。

 

 リップを唇に塗って鏡で色合いを調整している自分を見て、首を吊りたくなったのはとても自然な反応だと思う。どうして俺は学校でメイド服を着て化粧をしているんだ。それもこれもホワイトルームが悪い、潰さないとダメだな。

 

 かつらは……とりあえず黒髪の奴で良いか、師匠っぽいので。

 

 以前にメイド服を着てマフィアやらテロリストやらとドンパチした時も、潜入を容易にする為に女らしさを出せるように師匠を参考にしたものである。

 

 もう二度と役に立つことはないと思っていたのに、人生とはわからないものだ。

 

 黒色のかつらを被って化粧は最低限、少し喉を鳴らして声を整えて、姿勢と佇まいを正す。

 

 集中力を高めていくとそれが一定ラインを超えた瞬間に視界の中で火花が弾けるような感覚になり、俺は師匠モードへと移行するのだった。

 

 このモードになると人格が切り替わるような感覚があるので、別の人間になる時に便利でもある。実際にそんなことは無いんだろうけど、一種の自己暗示みたいなものなんだろう。

 

 今回はそれをちょっと弄って女性側の人格を作る……というより持てる全ての能力を使って女性を「演じる」と言うべきだろうか。俺が積み重ねた努力や経験の全てを何でそんなことに使わなきゃならないんだとツッコミを入れたいけれど、残念なことに味方はいない。

 

 やっぱりホワイトルームは潰そう、八つ当たりでしかないけど、なんとなくそう思うのだった。

 

 何であれ逃げ場がないのならば堂々と正面突破で場を収めるしかない。なので俺は持てる全てで女性を演じるしかないだろう。

 

「天子ちゃ~ん、準備はできた?」

 

 軽井沢さんの面白くて仕方がないという感情が宿った声が段ボールの向こう側から届く……誰が天子ちゃんだ。

 

 いや、ダメだな、やる以上は徹底しないと……俺は女性、私はメイド――よし、いけるね。

 

 

「お待たせしましたお嬢様」

 

 

 声色は少し高く師匠を意識して、雰囲気や佇まいは柔らかな女性を演じる、とびっきりの嘘つきこそが最高に美しいと言えるのだから中途半端な嘘や演技はいらない。

 

 やるのならば徹底、それが笹凪流の武人だ。

 

「「……」」

 

 大きな反応は残念なことになく、ちゃかしていた軽井沢さんも、興味津々だった佐藤さんや松下さんも、そして良心だと信じていた王さんも、親友の清隆も恋人の鈴音さんも、全員が無言である。

 

 そのまま無言の時間が暫く続いて、最終的に一番最初に反応を示したのは佐藤さんであった。

 

 

「かはッ!?」

 

 

 何故か彼女は強烈なボディブローを受けたかのような反応を見せて、その場に膝から崩れるように倒れてしまう。慌てて両隣にいた松下さんと軽井沢さんが支えるのだけれど、この二人も顔色が悪い。

 

「ま、負けた? 男子に、負けた?」

 

 うなされるようにそう呟く佐藤さんであるが、そんな彼女の背中を軽井沢さんと松下さんは撫でている。

 

「やってくれたね天子さん」

 

「落ち着いてください松下さん、どうして私が悪いみたいになっているんですか?」

 

「声や口調まで女子になってる……いや~、これは、え~、悪ふざけだったのにとんだ怪物が生まれちゃったよ。王さんもそう思うでしょ?」

 

「す、凄いです、完璧です……これはもう事件ですよッ」

 

 王さんは戦慄すると言うよりはとても興奮した様子である。普段はとても大人しい子なんだけど今だけは鼻息を荒くしていた。

 

「ヤバッ……あ~ヤバ、ヤバいとしか言えないや」

 

 軽井沢さんは軽井沢さんで、佐藤さんの背中を撫でながら語彙が消滅してしまっている。

 

 なかなかにカオスな状況だな。どうにかしろと清隆に視線を向けると全ての元凶である彼はいつもの無表情を消して良い笑顔を作りこちらにサムズアップをしていた。

 

「完璧だ、お前がナンバーワンだ」

 

 君ってそんなキャラだったっけ? なんで俺が育てたみたいな顔しているんだ? アイドルのプロデューサーじゃないんだからさ。

 

 最後の希望とばかりに真面目で冷静な鈴音さんに視線を向けると、彼女は腕を組んだ状態でそれはもう真剣にこちらを観察してくる。その瞳には一切の妥協がなく一欠片の憂いもない。

 

 否定してくれ、男がメイド姿になっても何の需要もない。いつものように冷静に「こんな馬鹿な企画を通す訳ないでしょう」と言ってくれる筈だ。

 

 そう、鈴音さんなら女装メイドなんて言うふざけた存在を否定してくれる、間違いなくね。

 

「……」

 

 彼女は俺に近づいて来て足から頭までじっくりと眺める。ただ正面からだけでなく、側面や背後に移動してもの凄く注意深く観察してくるのだった。

 

 何か言って欲しい、こっちは地を這うような気分になっているんだけど。

 

「綾小路くん」

 

「なんだ?」

 

「この企画、悪くないわ。まだ本決まりではないけれど、一先ずはこれで進めて行きましょう」

 

「どうしてそうなるんだッ!?」

 

 俺は……じゃなくて私は盛大に叫んだ、信じていたのに!! こら清隆、女子たちとハイタッチするんじゃない、ちょっとは申し訳ないと思え。

 

「私たちのクラスでこれ以上のインパクトを与えられる企画が出ないと思ったからよ」

 

「ま、待ってください鈴音さん、これは非道です、仲間の危機なんですよ」

 

「覚悟を決めなさい天子さん、勝利とはあらゆる努力と手段を行使した先に掴めるものなのよ」

 

「天子さんって呼ぶの止めてッ!?」

 

「落ち着きなさい。大丈夫よ、何も問題はない……その、とても可愛らしいわよ」

 

 こちらをずっと見つめる怜悧な表情が少しだけ赤くなる。恥ずかしく感じているのは私の方なんですけど。

 

「でも、意外ね、まさかここまで似合うだなんて……生命の神秘を感じるわ」

 

「ごめん意味がわからない」

 

 頭を抱えたい気分になった私を真っすぐ見つめる鈴音さんは、コクコクと何度も頷いて満足そうな顔をしている。そしておもむろに手を伸ばして装着しているかつらに触れるのだった。

 

 そのまま慣れた手つきで側頭部にある髪を緩やかに編み込んでいく。最後に懐から取り出したリボンで纏めると、もの凄く照れた表情でこう言ってくる。

 

「ほ、ほら……これで、お揃いね」

 

 確かに鈴音さんの髪型と似ているけれども……え、こんな形で私たちはペアルック経験するの?

 

 照れた感じで指先がもみあげ付近にある特徴的な三つ編みを撫でる様子はどこか嬉しそうであり、恥ずかしさで赤く染まった頬と上目遣いの瞳はとても可愛らしい。

 

 そして俺、じゃなくて私としては、そんな表情を見せられると白旗を上げることしかできない。悔しいことに彼女が喜んでいるとそれだけで何も言えなくなってしまう。

 

 ここに完全敗北が成立することになり、二年Bクラスは文化祭でメイド喫茶を開くことが事実上確定することになるのだった。

 

 

 師匠曰く、勝負には全力を尽くせとのこと。

 

 

 

 

 

 



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色々な変化

 

 

 

 

 

 

 

 事実上、ウチのクラスの出し物がメイド喫茶に確定してしまった。しかもどういう訳か俺はメイド枠として登録されており、カツラを被って化粧を施しフリフリのメイド服を纏って接客することも確定してしまっている。

 

 味方はいない、親友も恋人も俺を追い込んでメイドにしてしまった。もう頭を抱えるしかないだろう。何が恐ろしいって鈴音さんが嬉しそうだから最後には納得してしまった自分の思考が恐ろしい。

 

 まぁ仕方がない。師匠曰く尻に敷かれるくらいで丁度いいとのことなので、これで良いのだと無理矢理にでも納得するしかなかった。

 

 まだ本決まりではないものの、ほぼ確実にメイド喫茶になる方針で十一月までの準備期間を使うことになった。女子たちは何だかんだでやる気になっており、男子もまた可愛らしいメイド姿が見えるとあって興奮しているのがわかる。

 

 そんなこんなで文化祭に向かって進んでいくことになるのだけれど、まだまだ時間がある上に直近に体育祭も迫っている為に、まずはそちらにということになるのだった。

 

「天武くん、行きましょう」

 

「うん」

 

 放課後になると生徒会の業務が待っている。特にここ最近は体育祭が迫っていることもあって中々に忙しい。

 

 放課後になると同時に生徒会へ向かうことも日常になりつつある訳だ。

 

 鈴音さんとの関係もあの船で大きく変わり、恋人として過ごす時間やきっかけが増えたと思う。

 

 休日に一緒に過ごすようになったり、生徒会役員として働いている合間であったり、もしくは昼休みであったりと、恋人になってからというものの一緒に過ごす時間が自然に増えたということだ。

 

 そんな風に過ごしていると自然とクラスメイトたちにも噂されるようになり、ヒソヒソとこちらの関係を探るような雰囲気や視線を感じるようになった。直接的には訊いてこないけれど好奇心はしっかりと感じている。

 

 鈴音さん曰くわざわざ発表するようなことでもないらしい、尤もな意見であり自然と認知されていくだろうという俺も考えていた。

 

 ただやはり気になる人は気になるらしい、放課後になって声をかけてきた波瑠加さんもその一人であったらしい。

 

「テンテン、ちょっと良い?」

 

「これから生徒会の仕事があるんだけど」

 

 波瑠加さんの後ろには愛里さんの姿もある。こちらを窺うような視線をしているな。

 

「そんなに時間は取らせないからさ」

 

「わかった。鈴音さん、悪いんだけど先に生徒会に行ってくれないかな」

 

「あまり暇はないわよ」

 

 そんな言葉に波瑠加さんがこう返す。

 

「ごめんごめん、十分かそこらだからさ」

 

 それくらいなら問題ないと判断したのか鈴音さんは俺に視線だけ送ってあまり時間はかけないようにと伝えて来ると、そのまま生徒会へ進んで行くのだった。

 

 残された俺と波瑠加さん、そして少し離れた位置でこちらを窺う愛里さんが教室に残されることになる。

 

「それで、どうしたんだい?」

 

「ん~……まぁ訊きたいことがあってさ」

 

 波瑠加さんにしては珍しく言葉を濁す。どう訊ねるべきかと悩んでいる様子であった。

 

「えっとぉ……う~ん」

 

 暫く待ってみるがやはり上手い言葉が見つからないらしい。本当に珍しい反応である。

 

「言葉を選んでも仕方がないか、単刀直入に訊くけど……堀北さんと付き合ってるの?」

 

「あぁ、そうだけど」

 

 わざわざ主張することでもないけれど、だからといって隠すようなことでもないので素直に認めると、波瑠加さんはピクッと体を反応させて難しそうな顔をしてしまう。

 

「……あ~、そっか、そりゃそうだよね。まぁなんとなくそうなるんじゃないかって思ってはいたんだけどさ~」

 

 やれやれと言った感じで肩をすくめる波瑠加さんは、しかしすぐに視線を上げて溜息を吐いた。

 

「波瑠加さん?」

 

「ん~?」

 

 そして物凄く面倒そうな返事をしてくる。これはこれで珍しい反応だと思う。

 

 ただそれも一瞬であった。彼女はすぐに頭を振って思考を切り替えると、軽くだが自分の頬をぺちぺちと叩く。

 

「はぁ、こればっかりはどうしようもないか……因みに訊くけとどっちから告白した訳?」

 

「鈴音さんからだけど」

 

「で、ほいほい受け入れたんだ」

 

「その表現はあれだけど、その通りだ」

 

「ほ~、それで最近はよく目と目で通じ合っていたんだね」

 

 そんな感じに見えていたのだろうか? 確かに鈴音さんと視線が合うことは増えたと思うけど。

 

 少しおかしな様子の波瑠加さんではあるが、最終的には唇の端を上げて俺を見つめて来る。

 

「まぁ良いんだけどさ。でもこれで付き合いが悪くなるのはちょっと嫌かも」

 

「そんなつもりは毛頭ない。グループでの交流は俺にとってもう日常だよ。学園生活の中に当たり前に存在していて欠かせないものだ」

 

「そっか……うん、ならいいや。ただ誤解が無いように言っとくけど、別に堀北さんとの時間を減らせって言ってるんじゃないからね?」

 

「別に束縛するようなグループでもないんだ、そういうことだろう。俺にとってはどっちも大切だよ、だからこれからも参加したい」

 

「わかってるならよし、それじゃあ彼女持ちのリア充は置いて、私たちも帰ろうかな」

 

「今日はグループの集まりは無いのかい?」

 

「ん~……ちょっとそんな気分じゃないかも」

 

 そう言って波瑠加さんは鞄を肩にぶら下げて帰る支度を始めた。話は終わったようなので俺も生徒会に急ぐとしよう。

 

「波瑠加ちゃん、行こう?」

 

「うん……じゃあねテンテン、また明日」

 

「あぁ、また明日」

 

 少し離れた位置でこちらの会話を聞いていた愛里さんは、帰宅しようとしている波瑠加さんに寄り添うように立っている。

 

 そしてこちらに視線を向けて少しだけ困った顔をしながらも「大丈夫です」と小声で言うのだった。

 

 二人はそのまま教室を出て帰っていくことになる。俺もじっとはしていられないので生徒会に急ぐとしよう。

 

 放課後になると生徒会役員は忙しくなる。それは目の前に迫った体育祭の準備もそうであるし、更に文化祭も立て続けに迫っている為にその対応に追われているのだ。

 

 しかも三年生は事実上の引退、残った二年生と新たに加えた一年生だけで進行していかなければならない。中々に忙しい日々がここ最近は続いていた。

 

「お待たせ」

 

 生徒会室の扉を開くと一足早く来ていた鈴音さんと目が合う、そして視線を結び合う。多分だけどこういう機会が多くなったから波瑠加さんには目と目で通じ合っているとか言われるんだろう。

 

「それほど待ってはいないわ、それにまだ私たちだけみたいよ」

 

「そっか……あ、お茶でも淹れるよ。それとも珈琲が良いかな?」

 

「なら珈琲を頂こうかしら」

 

 生徒会のお茶係は誰にも譲れない、定期的に俺がお茶を用意しているのですっかり橘先輩ポジションが確立されたと思う、いい傾向だ。

 

 鈴音さんと自分の分、そしてこれから来るであろう二人分の珈琲を用意していると生徒会室の扉が控えめにノックされる。そして廊下側から姿を見せたのは新たに生徒会に入った七瀬さんであった。

 

 人手不足が深刻であったことに加えて、長く生徒会に入って活躍できる時間があるであろう一年生はいないのかという話になり、それならばと白羽の矢が刺さったのが彼女である。

 

 他にも石上だったり候補はいたのだけれど確保できた一年生は七瀬さんだけであり、文句も言えないくらいに優秀な子なので一先ずはこれで良いのだろう。

 

 八神の復帰も不透明なのでもう一人くらい一年生を加えたかったのだが、贅沢は言えない。

 

 一人確保できただけで御の字である。三人と四人では大きな違いがあるからな。

 

「こんにちは堀北先輩、笹凪先輩。今日も宜しくお願いします」

 

「あぁこちらこそ、はい珈琲、ミルクと砂糖はお好みで頼むよ」

 

「わぁ、ありがとうございます」

 

 七瀬さんは元気で礼儀正しい子である。こういう子が一人いると場が華やかになるよね。ウチのクラスの桔梗さんなんかも似たようなタイプだ。社交力があるのでとても話しやすい。

 

 さっそく生徒会にも馴染んでくれているようで安心である……清隆からは注意深く観察して警戒しろと言われているけどね。

 

「今日は何をするんでしょうか?」

 

「後二週間もすれば体育祭だから、そろそろ設営を始めて行かなければならないでしょうね。去年と違ってグラウンドだけで完結せずに学園全体で様々な競技が動くことになるからとても手間がかかるのよ」

 

 その段取りと備品チェックがここ最近の主な仕事であったな。南雲先輩の発案を学園が承認したことで今年の体育祭は鈴音さんが言うように同時並行で競技が進んでいくことになるのだ。

 

 グラウンドでは百メートル走が行われている裏で体育館ではバレーが行われたりと、学園全体で色々と動くことになる。グラウンドだけで完結しないので準備もまた大規模になってしまう。

 

 この大規模な体育祭の提唱者である南雲先輩が指揮を取れないのは何とも言えないな。本来ならば生徒会長として今も手腕を振るっていた筈なのだが、まだまだ怪我は治っていないらしい。

 

 南雲先輩よりは軽傷であった筈の桐山先輩はもう復帰した筈なのだが、生徒会に顔を出すこともなく、完全に意識を受験勉強に切り替えたらしい。図書室に行くと参考書を広げてクラスメイトと勉強している姿がよく見られるようになった。

 

 そんな訳でこの大規模で複雑な体育祭を残された生徒会役員で動かす訳である。そりゃ忙しくなる。

 

「詳しくは一之瀬さんが来てから役割分担を決めるけど、ここからは本当に忙しくなるわ。七瀬さんも頼りにさせて貰うわよ」

 

「はい、任せてください」

 

 幸いなのは七瀬さんがいることだろう。もし二年生三人だけで準備をするとなるとどこかで破綻していたかもしれない。

 

 とりあえず力仕事はこちらに回されるんだろうなと考えていると、生徒会室の扉が控えめに開かれることになった。

 

 姿を現したのは最後の生徒会メンバーである帆波さんである。南雲先輩と桐山先輩は席がまだ残されているが事実上の引退なので、これが現在の生徒会役員ということになるだろう。

 

 せめて後一人くらいは一年生が必要だよな、どうしようもなくなったら九号を報酬で釣って加入させるとしようか。

 

「帆波さん、珈琲で良かったかな?」

 

 生徒会室に入って来て落ち着きなく視線を彷徨わせている帆波さんにそう訊くと、彼女は何故か焦りながらコクコクと頭を揺らす。

 

「う、うん……ありがとう」

 

 ここ最近の帆波さんはいつもこんな感じである。何か言いたいことがあるのか俺をチラチラ見て来るのだけれど肝心な所までは踏み込んでこない。

 

 何か気に障ることでもしてしまっただろうかと悩むのだが、もしかしたらメイド姿で女装していることがどこからか漏れて不審に思われているのかもしれないと考えると怖くて聞けなかったりする。

 

 内心では「こいつメイドになってるんだよな、気持ち悪い」と思われているとしたら、俺はもう立ち直れないかもしれない。

 

 やはりホワイトルームは滅ぼさなければならない、メイド姿の屈辱を思い出す度にそう覚悟するほどであった。

 

「え~っと……今日は、どうしよっか?」

 

 とりあえず全員が珈琲で一息ついた段階で帆波さんがそう切り出す。

 

「ある程度前準備は終わったし、もう二週間もすれば体育祭なんだ。そろそろ設営に入らないとね」

 

 設備や備品のチェックと追加はもう終えている。白線を引いたりとかは体育祭前日にやるとして、問題なのはテントの組み立てであったり貴賓席の用意であったりが特に大がかりなので今から準備すべきだろう。

 

 特に今年は外部から客が来る、その人たちが腰を下ろす場所はしっかりと用意しなければならない。

 

「あ、うん、そうだね……えっと、それじゃあ――」

 

 帆波さんはそこで俺の視線を送る、そして隣にいる鈴音さんを見てから言葉を詰まらせる。

 

「私と……私と、七瀬さんで、体育館での設営をやるね」

 

 そして迷いながらもそう言うのだった。

 

「わかりました、宜しくお願いします一之瀬先輩」

 

 特に不満も無かったのか七瀬さんは笑顔で受け入れる。俺と鈴音さんも問題はないのでこのまま作業を進めるとしよう。

 

 グラウンドには大型のテントを幾つも組み立てないといけないので結構な体力勝負となる。貴賓席にはパイプ椅子も並べて、しかもそれが数百個である。人を呼び過ぎだと思うけど国立の学校と考えたらそれくらいが自然なのかもしれない。

 

 何人くらいいるんだろうね、その中に刺客と呼べるような人が。月城さんたちもあれで諦めてくれればいいんだけど。

 

 なんであれ決まったことは覆せない。来ると言うならば叩き潰すだけである。師匠曰く、相手が諦めてからが本番、二度と立ち向かえないように追撃を叩きこんで後悔させるべしとのこと。

 

「天武くん、行きましょう」

 

「了解」

 

 もしかしたら杞憂に終わるかもしれないけど、外部から堂々と人が来る以上は警戒しなければならないと考えていると、鈴音さんに呼びかけられて思考を戻す。

 

 これからグラウンドで各種設営である。学校側の協力もあるとは言え忙しくなるだろう。

 

 生徒会室を出て俺と鈴音さんはグラウンドに、そして帆波さんと七瀬さんは体育館に向かうことになる。ただその前に帆波さんは俺を飛びとめるのだった。

 

「天武くん」

 

「何かな?」

 

「……えっと、あのね」

 

 そしてまた言葉を濁す。視線を下げてこちらを極力見ないようにしている辺り、俺と視線が合わせられないのかもしれない。

 

 やはりメイド姿がどこからか漏れているのだろうか? 生徒会役員が女装してメイドしているとか苦情が彼女の所に来ている可能性も完全には否定できない。

 

「あの、訊きたいことがあって……」

 

 またもや言葉が詰まる。焦らせるのもあれなので暫く待っていると、俺たちの無言の時間は元気の良い七瀬さんの声で破られることになるのだった。

 

「一之瀬先輩、行きましょう!!」

 

 少し離れた位置まで進んでいた七瀬さんだが、帆波さんが付いて来ていないことに気が付いたのか、振り返ってそう言って来る。

 

「ぁ……うん、すぐ行くよ。天武くん、それじゃあまた」

 

 何か話が、おそらくは生徒会役員がメイド女装なんてするもんじゃないと説教するつもりだったのだろうが、七瀬さんのおかげで助かったことになる。

 

 このまま忘れてくれることを期待しよう。遠ざかっていく帆波さんと七瀬さんの背中を見送ってそんなことを思う。

 

 俺は俺で鈴音さんを追いかけるようにグラウンドに向かうことになるのだった。

 

 生徒会は今日も忙しい、そしておそらく明日も忙しいのだろう。ただ鈴音さんと一緒にいられる時間が多くなるのでそれは良い事なのかもしれない。

 

 俺の青春は順調と言うことだろうか、これがリア充と言う奴なのかもしれないな。

 

 忙しくはあるが、日々充実しているのは確かである。勉強に運動に試験にイベント、そして友人と恋人もいるのだ。

 

 こんな時間がいつまでも続いてくれればとても満足である。

 

 

 

 まぁ尤も、この学校に平穏なんてものを期待するだけ無駄なんだろう。

 

 

 

 そんな確信を現実にするかのように、新しい特別試験が翌日に発表されるのだった。

 

 

 

 

 

 



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決して簡単な試験ではない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体育祭も後二週間ほどとなった九月の中頃、今日も放課後になれば準備に奔走することになるだろうなと考えながら朝のホームルームを待つ。

 

 朝に教室に入ればクラスメイトたちに挨拶して、色々と話して笑い合い、自分の席に着けば清隆と色々相談して、鈴音さんとも主に生徒会のことで話し合う。

 

 いつもの朝である。体育祭は退学の心配もないので安心でもあるし、文化祭もそれは同様なので気が楽でもあった。やはり退学がかかった特別試験になるとどうじても緊張感が生まれるものだけど近くに迫ったイベントはそうではないので本当に安心である。

 

 個人的な思惑と言うか、目標としてはあまり退学者も出したくはない。生徒たちを守りたいという思いも勿論あるのだが、どちらかと言うと自己満足による部分が多い。

 

 この学校は実力を証明しろと言って来る。そして生徒たちはAクラスで卒業することで実力を証明する。

 

 ならば同級生全てをAクラスで卒業させるのが、一番の実力の証明なのではと俺は思う訳だ。最高にカッコいい勝ち方はそれだと思っているので、やはり自己満足でしかないな。

 

 出来るだろうか? この学校の制度ではほぼ不可能なんだろうけど、まぁやれる所までやるしかなかった。

 

 正義の味方になる手始めとして、とりあえずはそこを目標にしているのだ。

 

 学校がそれを許すのかという不安もあるのだけれど、あっちが折れるまで頑張るしかいんだろう。

 

 そんなことを考えていると茶柱先生が教室に入って来る。その横顔を見た瞬間に「あぁまたか」と思ってしまう辺り、俺もこの学園のことがよくわかってきたと言うことだ。

 

「十月の体育祭を前に、お前たちには新たな特別試験に挑んでもらう」

 

 教壇に立って茶柱先生がそう言うと、クラスメイトたちには緊張と動揺が広がった。

 

「へッ、来るなら来いよ、体育祭で無双する前に軽く乗り越えてやろうじゃねえか」

 

 だが俺たちも既に二年生、ただ怯えるだけでなく特別試験と聞いてやる気を漲らせる者もいる。須藤などがその筆頭である。

 

「調子に乗らない」

 

「はい」

 

 そして鈴音さんに嗜められるのもお約束のやり取りとなっているのかもしれない。

 

 ただ須藤だけでなく他のクラスメイトも怯えよりも緊張と集中の方が高いので、良い傾向なのだと思う。一年の最初の頃を考えればずっと。

 

「素直に認めてしまえば、例年であればこの時期に特別試験が行われるケースは少ない。事実、一年生や三年生たちに特別試験が実施されることはないからな」

 

「つまり私たち二年生だけが体育祭前に特別試験をするってこと?」

 

 佐藤さんがどうしてそんなことをするんだと言いたそうな顔になる。確かに不公平感は否めない。ちょっと嫌な気もしてきたな、この学校の性格の悪い所が出て来そうな予感がある。

 

 生徒をいかに篩にかけるのかに全力を尽くす学校なので、本当に嫌な予感しかしない。

 

「お前たち二年生が優秀だからこそ学校側も相応の評価をしているということだ。なにせここまで退学者が出ていないことは学校の歴史でも初めてのことだからな」

 

 退学者が出ていないのなら素直に喜んで欲しい、それが教育機関のあるべき姿だと俺は思う。

 

 月城さんもやりたい放題する頭がだいぶおかしい人だったけど、坂柳理事長も実は大差ないよね。とても失礼なことを考えていると自覚もあるのだけれど、そうと思うしかない。

 

「これから挑んで貰うのは満場一致試験。内容は非常にシンプル、わかりやすく言えばクラスの意思を一つにすることだけだ。複数の選択肢の中からな。明日に始まることになる」

 

「随分と早急ですね」

 

 俺のそんな質問に茶柱先生はこう返す。

 

「今言ったが、とてもシンプルな試験だ。テストで点数を取る訳でもなければ運動能力が求められている訳でもない。紙も鉛筆も必要ないので準備期間も不要だ」

 

「つまり今回の試験は他クラスと戦うようなものではないということですか?」

 

「その通り、このクラスだけで完結する。他のクラスと優劣を競うようなものでもない。試験が始まるとお前たちには五つの課題を出題させてもらう。そして全クラスが共通しているのでそこで差別化されることもない……一つ例題を出そうか」

 

 そこで茶柱先生は教室の前にある大型モニターと自分の端末を同期させてこんな問題を作る。

 

 

 例題 クラスポイントを5失うがクラスメイト全員が1万プライベートポイントを得る。

 

 

 そんな内容の問題を見て俺は色々とこの先の展開を考える。集中力を高めたことで自然と師匠モードになっており、周囲の席のクラスメイトがビクッと反応したのがわかった。

 

 満場一致試験か、ただクラスの意識を一致させるだけならそこまで難しいことではないけれど、それだけわざわざ特別試験なんて銘打たない。

 

 つまり生徒を揺さぶるだけの展開を用意していると見るべきだろう。強制二択を押し付けて来ていると言っても良い。

 

「あくまで例題ではあるが、この問題に対して完全な匿名で40名が提示された選択肢を選び投票することになる。百聞は一見に如かず、実際にやってみようか。タブレット端末を出してみろ」

 

 指示されたことでクラスメイトたちはそれぞれ机の上にタブレット端末を置いた。

 

 そしてそれぞれが思う形で投票していくことになる。ただの例題なのでそこまで緊張することもなく、まずは試しにといった雰囲気であった。

 

 

 第一回投票結果 賛成3票 反対37票

 

 

 これが投票の結果だ。まぁ何の相談もしていないので意見は割れるだろう。当たり前のことだった。

 

 それぞれ言い分はあるだろうが、これはこれで良い。

 

「各々思う所はあるだろうが満場一致ではないので、この場合はやり直しとなりもう一度投票となる。本来ならば次の投票までにインターバルを挟んで、その間に相談や意見交換をする時間があるが今回は省略とする。再び投票を開始するように」

 

 そしてまたクラスメイトたちは投票していく。当然ながらまた意見は分かれることになった。賛成も反対も変化はない。

 

「二回目の投票結果も大きく変わらなかったな。この場合はインターバルを儲けて意見交換をすることになる。こうやってインターバルと投票を繰り返しながら最終的には意見を一致させることが目的だ。もう一つ例題を出そうか」

 

 今度の例題はもっと極端なものであった。クラスの一人に100万プライベートポイントを与えると言うものであり、この投票に関しては全員が反対意見で一致することになる。

 

 流石に一人だけが貰うとなると不公平感が強いと誰もが思うのだろう。何か大きな特別試験で目立った功績を上げた訳でもなく只の投票だけでとなると意見は反対に傾くことになった。

 

 だがこれで意見は一致したことになる、つまりは課題を突破したということだ。

 

「意見が一致したな。これでこの課題は突破となり次の課題も同じように意見を合せることになる。この繰り返しを続けて全ての課題で満場一致にすれば試験が終わることになる」

 

「思っていたよりも複雑で意地悪な試験であることはわかりました。けれどここまでは利益の話しかしていません。リスクの話を聞かせてください」

 

「そうだな、笹凪の言う通りこの試験では相応のリスクも存在している。もし意見が一致しないまま五時間が過ぎればその時点でクラスポイントがマイナス300となる」

 

 茶柱先生の説明にクラスがざわめく。大きすぎるペナルティーなので自然なことでもある。

 

 ただ俺が気になったのは五時間という制限時間だ。わざわざそんな時間を用意するくらいなのだから学校側はそれだけ生徒が迷うことを想定しているということである。

 

 つまり、またもや生徒を篩にかけようと言う訳だ。

 

 ただ話し合って意見を一致させる? それだけ聞けば簡単なように思えるけど俺たちは軍隊でも宇宙飛行士でもない何の訓練もしていない高校生である。40人いればどうしたって意見は割れるだろう。

 

 もし意見が割れてそれが長引く場合のことを考え……いや違うな、重要なのはそこではない、どんな状況になろうと封殺できる用意をすれば良いだけの話だ。

 

 俺にとってこの試験はどう意見を一致させるかじゃない、どれだけの想定を思い描いてその全ての展開でゴールに繋げることである。師匠モードの俺はそんな結論を出している。

 

 だいたいこの先の展開も読める。なので最終確認として茶柱先生にこんな質問をするのだった。

 

「先生、例えばなんですけど、俺や六助や清隆が持っているプロテクトポイントなどはどうなるんでしょうか? もし課題の中にそれらの権利を売るか否かというものがあり、実際にポイントに変換できたりしますか?」

 

「教師側も全ての課題を把握している訳ではないが、おそらくそのような課題は出て来ない。というのも、今回の試験に関してはプロテクトポイントは一時的に無効となるからだ。不公平感を無くす為にな」

 

 茶柱先生は言葉を上手く使って誤魔化しているが多くのヒントが込められた発言である。特にプロテクトポイントが無効となると言った時点で要は「退学者が出る可能性があるから気を付けろ」と言っているようなものだ。

 

 そういう試験であるとわかっただけでも十分である。

 

 後は考えよう……この試験はどれだけ素早く意見を一致させるかじゃない。どれだけ未来を想定できてどれだけ準備できるかの試験であると俺は判断するのだった。

 

 面白いじゃないか、俺は俺の実力を証明する為に全てを引きずり回すと決めている。学校側の方針なんて知ったことではない。

 

 頑張るとしよう、俺にできるのはいつだってそれだけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 満場一致試験が行われることが発表された日の放課後、生徒会での仕事も終えて寮に帰宅したのだが、部屋の中には俺だけでなくお客さんでもある鈴音さんがいた。

 

 夏休みに関係が進展してからというものの一緒にいる時間が増えたと思う。こうして部屋に彼女が上がるのも珍しいことではない。

 

 お茶を飲んだりちょっと愚痴ったりしながら、主に勉強だったり相談だったりをしながら同じ時間を共有する。恋人らしい過ごし方と言えるのかもしれない。

 

「天武くん、貴方は今回の試験をどう思ったかしら?」

 

「満場一致試験か……説明以上に複雑で意地悪な試験だと思ったかな。敢えてクラスを仲違いさせるような展開を作りそうだなって」

 

「そうね、ただ意見を一致させるだけなら特別試験だなんて言わないもの、必ず達成が難しい状況を用意する筈よ」

 

 だから意地悪な試験だと思う。鈴音さんも同意見のようだ。

 

 部屋の中にあるクッションに腰を下ろす彼女に、台所から出て来て紅茶の入ったカップを渡して俺も腰を下ろした。

 

 因みにこのクッションだが彼女が自分の部屋から持ってきたものである。この部屋にはそんな洒落た物はなく、安物のカーペットが敷かれているだけなのが不評であったらしい。

 

 ついでだから俺の分のクッションも購入している。人をダメにするちょっと大きめの奴だ。実際にここに腰を下ろしてのんびりしていると自然と瞼が重くなってくるので確かに人をダメにする効果があるのだろう。

 

 今日は特別試験のこともあって一緒に勉強と言った雰囲気ではない。昨晩に作ったカレーを温め直して食事でもしようかな。

 

 鍋が温まるまでの間、紅茶を飲んでいると、会話は自然と今朝に告知された特別試験が中心になっていく。

 

「どんなことが考えられるかな?」

 

「茶柱先生が例題で出していたけれど、特定の生徒が利益を得るというのはわかりやすい展開だと思うわ。ただあそこまで露骨にはやらないでしょうけど、それでも議論は避けられない」

 

「そうだね、もしかしたら一部の生徒にプロテクトポイントを与えるみたいな課題があってもおかしくはない。けれどもう一つの選択肢としてクラスメイト全員に5万プライベートポイントを与えるとか」

 

 その場合、どっちが得なのだろうか? 当然ながら考え方は人それぞれなので意見は割れることになるだろう。

 

「後はそうだな、今回の試験に限りプライベートポイントをクラスポイントに変換できる。ただしレートは低い、とかどうだろうか?」

 

「それは……」

 

 鈴音さんは実際にその状況になった時を想像して考え込む。難しい判断だろうな。

 

「意見は割れるでしょうね。クラスポイントを少しでも稼いでおきたい生徒、プライベートポイントを保持したい生徒、意見が一致するとは思えないもの」

 

「うん、こんな風に明日出される課題によってはとても長い時間がかかってもおかしくはない。学校側は敢えて五時間もの時間制限を設けているんだ、つまり状況次第ではその時間の全てを使ってでも議論が長引く可能性があることを示唆している」

 

「ただ意見を一致させるだけの試験だけれど、思っていた以上に複雑になりそうね」

 

「逆に言えば、皆を納得させられるならすんなり突破もできるんだろうさ」

 

 そう簡単にいかないから特別試験なんだろうけどね。

 

「鈴音さんはクラスの意見を一致させるように動けばいいと思うよ」

 

「貴方はどうするつもりなの?」

 

「俺は俺で動くつもりだ。ただどちらかと言えばどう意見を一致させるかじゃなくて、どれだけ準備するかだけれどね」

 

「あまり無茶はしないようにしなさい。他所のクラスまで面倒を見る必要はないのだし、たとえ誰かが退学になったのだとしても、それは貴方の責任ではないのよ」

 

「心配してくれているのかい?」

 

「当たり前のことを言わさないで」

 

 少し嬉しい気持ちになったので、俺は隣に座っている鈴音さんの肩を引いた。

 

「ぁ……ちょっと……何をするのよ」

 

「ん、心配されて嬉しかったのと、無人島でのお返しかな」

 

 そして引き寄せた彼女の頭を足の上に乗せた。膝枕の形である。

 

「結構恥ずかしいだろう? 無人島では俺も凄く恥ずかしかった」

 

「……そうね、これから先はもう少し時と場所を選ぶことにするわ」

 

 時と場所さえ良ければやるつもりなのか、恐ろしい人であった。

 

 足の上に頭を置いて横たわる鈴音さんは俺と視線が合うことが恥ずかしくなったのかそっぽを向いてしまう。

 

「髪、撫でても良いかな?」

 

「……す、好きにすればいいじゃない」

 

「それじゃあ遠慮なく」

 

 太ももの上にある鈴音さんの側頭部に触れる、艶やかな髪の感触が指先に伝わって来て心地良かった。

 

「んッ……少しくすぐったいわね」

 

「嫌かな?」

 

「そうは言っていないわよ」

 

 では遠慮なく撫でるとしよう。

 

「柳の如くで良いと思うよ」

 

「何を言っているのかしら」

 

「緊張し過ぎてもダメだし、何も考えずにいてもダメだ。どちらに傾いても良い結果にはならない。君は君らしくいつも通り試験を突破することを考えればいい」

 

 責任感が強い人なので特別試験の度に緊張しているのはわかっている。他のクラスメイトもそうだけれど、彼女は特にそれが顕著だ。

 

 こうして誰かに寄り掛かれることを知った人なのでそこまで心配もいらないが、それでも注意はしておきたい。

 

「不安に思ったり、抱え込み過ぎる前に、こうして俺に頼ってくれ。悩みくらいは聞くし、背中や足を預けることくらいはお安い御用だ」

 

「えぇ、わかってる。そうするつもりよ」

 

「そうか、なら良かった」

 

「そもそも、その言葉は私から貴方に伝えておきたいものだけれどね」

 

「大丈夫、伝わっているから。こうして君に触れていると穏やかな気持ちになる、不思議なことにね」

 

 明日も頑張ろうという気持ちになるのだから本当に不思議な話であった。

 

 暫くこうしていると台所の方から香ばしい匂いが漂ってくることになる。どうやらカレーが煮えて来たらしい。少し名残惜しくもあるがそろそろ離れておこう。

 

 その日は共に夕食を楽しみ、午後八時になる前に鈴音さんは自室へと帰ることになる。一人になった俺はすぐさまスマホを取り出して明日の特別試験に向けて色々と準備や情報収集を行うことになる。

 

 とりあえず他のクラスがこの試験をどう受け止めているかだな。龍園や坂柳さん、そして帆波さん辺りとも連絡を取って確認するとしよう。準備期間など殆どないがやるしかない。

 

 学校側の方針に付き合うなんてまっぴらごめんだ。俺は俺の実力を証明する為に、一から百まで勝手気ままに行動するだけである。

 

 この試験で退学者が出ないと学校側はどう思うんだろうな。いよいよ匙を投げるかもしれないけど、そうであることを願うばかりだった。

 

 ある程度の展開は想像できるし、計算もできる。なのでしっかりと対処していくとしよう。他ならない俺の目標の為にも。

 

 まずは相談だな、そんな訳で最初に龍園と連絡を取り合うのだった。次は坂柳さんで、一番不安の少ない帆波さんは最後で良いだろう。

 

 明日が少し不安で、ほんの僅かにだが面白くもあった。

 

 どれだけの人間を蹴落としたかではなく、どれだけの人間を救ったかが俺の考える実力の証明である。今回もそれは変わらないということである。

 

 

 

 

 



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試験を突破せよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 櫛田桔梗視点

 

 

 

 

 

 満場一致試験が開始されることになる日、私はいつもよりずっと早い時間に学校へ来ていた。昨日の夜に目下最大の目障り要員となっている八神くんから呼び出しがあったからだ。

 

 上級生をこんな朝早くに呼びつけるとは何様だと思うんだけど、過去を脅しの材料にされている以上は逆らえない。

 

 いつか後悔させてやると固く誓いながらも私は朝早くに屋上の扉を開く。するとそこには松葉杖を突いて体を支えるボロボロの姿の八神くんが既に待っていた。

 

 相変わらず無邪気な笑顔を浮かべているけれど、ゴリラにちょっかいを出そうとしているただの自殺志願者だと思えば哀れに思えて多少は溜飲も下がるね。

 

 そう、焦る必要も無ければ脅威に感じる必要も無い、こいつはゴリラと戦って回りくどい自殺をするだけのただの馬鹿なんだって思うことにするよ。

 

 今だけそうやって笑っていればいい、手の込んだ自殺をしたいだけの相手なんだから真面目に付き合う必要もないよね。

 

「おはようございます櫛田先輩」

 

「おはよう……それでこんな朝早くに屋上に呼び出して何の用なのかな?」

 

「いえ、なに、二年生だけ特別試験が挟まれることになると聞きましたので、何でも満場一致試験だとかなんとか。聞いた話によるとクラスの意見を一致させる物だそうですね」

 

 二年生で行われることになった特別試験の噂は他の学年にも広がっているのかな、それ自体は別におかしなことでもないけど、わざわざこうして呼び出したということは口を挟むつもりなんだろう。

 

 本当に生意気な一年生だ、さっさとゴリラに殴り飛ばされればいいんじゃないかな。

 

「なかなか面白い試験だと思いますよ」

 

「まるでこの先何が起こるのかわかってるみたいな言い方だね」

 

「わかりますよ、少し頭を使えばね。わざわざ意見を一致させるだけのことを特別試験なんて銘打つくらいなんです、必ず生徒を揺さぶってくるでしょう……つまりこれは櫛田先輩にとっても好機であるんですよ」

 

「私にね……どちらかと言えば八神くんにとって、じゃないかな?」

 

「さぁ、それはどうでしょう」

 

 とても余裕タップリな微笑を見せてくるけど、八神くんは今の自分の状態を確認してから強がって欲しい。そんなに体中ボロボロでギプスだらけなのでどれだけ強者ぶっても哀れにしか思えないよ?

 

「櫛田先輩は堀北鈴音と綾小路清隆、そして笹凪天武を潰したい、そうですよね?」

 

「うん、そうだよ」

 

 そして笹凪くんがいる以上はそれが不可能だと理解している。

 

 何より誤解がある。今、一番潰したいのは君だよ。過去をネタにしてここまでハッキリと脅して来た相手は八神くんだけなんだしさ。

 

「ならば十分に今回の試験でそれが可能だと思いますよ。貴女が上手く立ち回ればね。とりあえずは堀北鈴音を試験のリーダーにしてください」

 

「わざわざ誘導しなくてもそうなってるよ」

 

「なら何も問題はありませんね、後は櫛田先輩次第だ」

 

 君が思いついて考えるようなことを、他の人が同じように考えないと彼は思わないのだろうか? 特に天武くんはゴリラ全開だけど思考力はしっかりとあるのに。

 

 前から思ってたことだけど、八神くんはどこか自分以外の生徒を未熟で愚かな存在として見ているように思える。

 

 自分は特別だと、意識しているのか無意識なのかは知らないけれど。心のどこかではそんな認識があるのかな、英才教育を受けた人はそういう側面を持つとは聞いたことあるけど彼もそうなのかもしれない。

 

 今も私を見つめる瞳は言葉よりも雄弁に「貴女と僕は違う」と説明していた。きっと彼にとって私はただの駒なんだろう。

 

 本当に苛立たせるのが得意な子だなぁ、天武くんにさっさとぶん殴られて欲しい。それで現実を思い知ってくれるだろうしね。

 

「いいですか櫛田先輩、貴女は自分で思っている以上に窮地に立たされています」

 

 うん、君もそうだけどね。

 

「櫛田先輩の過去を知る人物がいる以上は安全安心な学園生活などできません」

 

 そうだね、君も脅してくるもんね。

 

「僕が取り戻しましょう、貴女が望む安心な生活を」

 

 君が消えてくれれば完璧だよ。

 

「大丈夫、何も心配はいりません。僕が付いていますから」

 

 彼はどの面下げてそんなこと言っているんだろうか……体中にギプスを巻いた状態だというのに。

 

「う、うん……わかったよ」

 

 もう既に彼に関しては見切りをつけている。天武くんがいる以上はそれが一番賢い選択だ。

 

 なので私はここで敢えて彼に乗る。逆らえない雰囲気を出して駒であることを演出する。従順な手駒であることを印象付ける。

 

 彼が油断して隙を見せるその時までは、そんな方針で行くと天武くんとは相談済みだった。

 

「細かな方針や作戦はメールで纏めておきました、試験が始まる前に読み込んでおいてください」

 

「本当にこれで退学に追い込めるの?」

 

「貴女の覚悟次第ですよ。潰されるか潰すか、それができるか否かです」

 

 そんなことを言ってカッコつけながら八神くんは屋上から去っていく。

 

 彼の姿を屋上の扉が完全に隠した段階で、私は懐からスマホを取り出した。

 

 その画面には通話中の表示がある、つまりずっと誰かと連絡を取っていたということだ。

 

 

 ごめんね八神くん、正直に言わせて貰うけど君が勝てるとは思えないんだよね。

 

 

「聞こえてる? 天武くん?」

 

『あぁ聞こえているよ』

 

「八神くんはああ言ってたけど、本当に誰かを退学させることができるのかな」

 

『不可能ではないと思うよ。ただし八神は決定的な勘違いをしている』

 

「勘違い?」

 

『俺の目標を知らないことだよ。こっちは論理や計算で動いていない、自己満足の結果だけを追い求めているんだ。クラスポイントを守るのはその過程でしかないってことさ』

 

 よくわからないけれど、天武くんからは余裕が感じられる。八神くんが出しているそれとは異なって本当に揺るがない力強さが声だけでわかっちゃうね。

 

「あの子、私が言う通りに動かないといよいよ過去をバラして来るんじゃないかな?」

 

『そうなる前に対処するよ』

 

「出来るの?」

 

『その為の前準備として今は従順な存在に振る舞って貰っているんだよ。大丈夫、君は必ず守る』

 

「ふ~ん……そんなこと言っちゃうんだ、堀北さんと付き合ってるのに」

 

 ここ最近の苛立ちの原因でもあるあの噂はおそらく事実なんだろう。見てればそれがよくわかるもん。

 

『ん、鈴音さんと交際している事と、桔梗さんを守る事、この二つは別に反発はしていないじゃないか』

 

「もし私が八神くんの策に乗ったらどうするつもり?」

 

『どうしてそんなことする必要があるんだい? 失敗するとわかっている策に乗るほど君は見境なしじゃないだろう』

 

 そりゃそうだ、私はそこまで馬鹿じゃない。

 

『安心して欲しい。以前に言ったことに嘘偽りはない。俺は君を守るよ、大切なクラスメイトで仲間なんだからね』

 

「そっかぁ、どれくらいまで守ってくれるのかな」

 

『あまり期待されても困るけど、命くらいしか賭けられないよ』

 

 他の誰かがそんなことを言えば呆れるしかないのだけど、天武くんの言葉だと思うと不思議な説得力がある。

 

 本当に、それが必要なら心臓くらい引っこ抜きそうな奇妙な信頼があるんだよね……凄く怖いけど、味方だと考えればこれ以上ないくらいに頼りになった。

 

 堀北さんと付き合ったのは正直趣味が悪いと思ってたけど、私との約束を忘れていないなら今は我慢してあげようかな。どうせすぐ別れてほれ見たことかと笑うことになるんだからね。

 

 そもそも学生時代に付き合った所で大した意味はない、最後に笑っていればそれで良いんだから……そう、堀北は結局私の踏み台でしかないんだ、そうに違いない。

 

「今はそれで良いよ……うん、そう言ってくれるだけで良いかな」

 

『そっか……それじゃあ俺もそろそろ学校に行こうかな。あ、八神から送られてきたメールはこっちに送っておいてくれるかな』

 

「わかった、それじゃあ学校でね」

 

 そこで通話が途切れることになった。そろそろ登校時間だし、ホームルームが始まれば特別試験が始まることになる。

 

 どうなるだろうかと想像してみて、天武くんがいる以上は何をして何が起こった所で大差がないと納得できてしまう辺り、本当に味方で良かったと思うしかないよね。

 

 私も丸くなったものだ……それもこれも、天武くんがいるというのが最大の理由なんだろうね。心の底から勝てないと思わされちゃったんだから。

 

 さっさと堀北と別れちゃえ、女の趣味が悪いのだけは天武くん唯一の欠点だと今更ながら思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八神視点

 

 

 

 

 

 あの女は使えるな、欲望というものに正直で危機感が高い。それが僕から見た櫛田桔梗という生徒の印象だった。屋上で話した時に自分の過去を知る人物を退学させるとなった時に見せた表情には隠し切れない期待が見て取れた。

 

 僕への恐怖半分、期待半分と言った所か、わかりやすくて良い。

 

 だがそれだけで全てが決着に向かう訳じゃない。駒は多ければ多いほど便利だし、月城というバックアップが情けなくも退場となった上に一夏が何の役にも立たない以上はもっと駒が必要だろう。

 

 一年生全体に二年生とは戦うべきじゃないという考えが広まっている中、やはり駒を作るべきは二年生が一番話が早い。

 

 戦力を整えて来る決戦に向けて一歩一歩進んでいく、その先に待つ綾小路清隆に勝つ為に。

 

 櫛田桔梗だけでは話にならないので、せめてもう一人くらいはこちらの駒が必要だ。過去で脅すも良し、甘く囁くも良し、そういう相手はあのクラスにはいるからな。

 

 月城から齎された情報とこれまでの観察と観測、そして僕の頭脳が最も必要だと判断した駒の一つに声をかけるとしよう。

 

「おはようございます、軽井沢先輩」

 

 屋上で櫛田先輩と話した後、松葉杖でボロボロの体を引きずりながら玄関へと向かい、僕は目的の人物が現れると声をかけた。

 

 頭が悪く、判断力も無く、シンプルな愚か者、だが綾小路と同じクラスなだけで駒にする価値がある存在である。

 

 軽井沢恵、過去にいじめを受けていたこともあり、あの櫛田桔梗と同様に操りやすい隙が多い相手だ。何よりも能力が低いので綾小路にも警戒されにくいというのも大きな点だね。

 

 そしてもう一つ、どうにも観察した結果彼女はあの男に特別な感情を向けていることもわかった。なればこそ更に操りやすいというものだ。

 

 本当に、愚かな者は操りやすい。

 

「えっと、ごめん……あ~、一年生だよね?」

 

「えぇ、一年Bクラスの八神拓也と言います」

 

「うん、それで何の用な訳?」

 

 学校の下駄箱で上履きに履き替えながら軽井沢はこちらを窺ってくる。

 

「少しお話をと思いまして……佐倉愛里先輩に関してです」

 

 恋心というのは正常な判断を特に曇らせる。ましてや彼女のように深く考えない相手ならば特に影響が大きいだろう。

 

 目障りな筈だ、あの男と近しい位置にいる佐倉愛里の存在が。これほどわかりやすい隙もなく、操りやすい材料もない。

 

「佐倉さんが何なのよ?」

 

「いえ、綾小路先輩と親しい関係だと思いまして」

 

「……急に見ず知らずの上級生にそんな話をして何がしたいのかわからないんだけど」

 

「おや、苛立ちましたね。どうしてでしょうか?」

 

「知らないって」

 

「ふふ、良いですね、だからこそ軽井沢先輩に声をかけたんです……大丈夫ですよ、損はさせませんから。ホームルームが始まるまでに、僕とお話しませんか?」

 

「……」

 

 軽井沢恵は悩みながらも僕の後に付いてくる……本当に馬鹿な人間は操りやすい。櫛田桔梗もそうだが隙だらけだな。

 

 こうやって一人一人こちらの駒にして操っていくとしようか。そして機を見計らって処分する。そうすれば否でも綾小路は僕を意識することになる。

 

 僕を強敵だと認識することになるんだ、お互いを敵として認めて戦うことになるだろう。

 

 手始めにこの後に行われる満場一致試験を荒らすとしよう。僕が綾小路に挑む最初の一歩だ。

 

 有象無象を排除して僕とあの男だけが向かい合う、ホワイトルーム出身同士だからこそ相応しい戦場がある。

 

 他のどうしようもない愚か者たちは全て踏み台でしかない。

 

 元より、ホワイトルーム出身でない存在なんて大した価値も無ければ脅威にもならないんだから、せいぜい僕とあの男の戦いに花を添える駒であってくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ってことがあったんだけど」

 

「そうか」

 

 軽井沢さんが八神に接触されて何やら吹き込まれたらしい。そして彼女は教室に入ってきて速攻でこちらに報告を上げてくれた。

 

 清隆は顎に手を当てて考え込み、軽井沢さんにこう返す。

 

「特に問題はない。昨晩の打ち合わせ通り動いてくれ」

 

「わかった……あの一年なんなの?」

 

「気にするな」

 

 そんな会話をして清隆と軽井沢さんは席に戻っていくことになる。八神の努力が霧散した瞬間でもあった。

 

 これなら特に気にする必要はなさそうだな。無駄な努力であったということである。

 

 遠回りなことなんてせずに、さっさと殴り合えば良いと思う。八神はもっとシンプルに考えるべきだな。まぁ気にしても仕方がないので今は目の前に迫った試験に集中だ。

 

 

 

 満場一致試験が始まることになる日、クラスメイトたちはそれぞれ緊張した面持ちでその時を待つことになる。簡単なようで複雑な試験であり、ある程度は皆で方針を固められたと思うけれど本番にはアドリブが求められるだろう。

 

 他のクラスも似たような状況だということはよくわかる。昨晩に少し意見交換をしたけれど最終的な利益も提示出来たので大きな問題もない筈だ。

 

 さて俺たちのクラスはどうなるだろうかと考えていると、茶柱先生が教室に入って来る。同時に監視役と思われる人もいるな。

 

「事前に伝えていた通りだが、全ての通信機器を回収する」

 

 茶柱先生のそんな宣言と共に緊張感と集中は最大まで高まることになる。

 

 スマホを預けることは問題ない。前日に意見交換も方針も決めているので後はどう動くかの段階だからな。

 

 ここから始まるのは匿名の投票であり、皆の意見を一致させる試験である。シンプルでありながらこの学校の性格の悪さが覗ける試験であった。

 

 最後にクラスメイトたちとそれぞれ視線を交わしていく、平田に軽井沢さん、鈴音さんに清隆に桔梗さん、昨日チャットで打ち合わせした仲間たちとも意思を確認していく。

 

 八神という懸念材料はあるけれど、あらゆる想定はしたしそれぞれのルートの先を強引にゴールに繋げられるように準備も整えた、後は進むだけである。

 

「さて、そろそろ時間だ。これより特別試験を始める。今日は長丁場になるためにトイレ休憩の時間を最大四回設ける。基本的には満場一致を得て次の課題に進む前にだけ休憩可能としているが、満場一致していない場合はその限りではない。ただし制限時間は休憩中にも進んでいるのでスキップしたいと判断すればそれも許可されていることを理解しておけ」

 

 先生が教壇の前に立ってクラスメイトたちを見渡した。いよいよ特別試験が始まることになるのだった。

 

 モニターと茶柱先生の持つタブレット端末が接続されると、画面に満場一致試験の文字が映される。そして第一回目の課題も表示されていく。

 

 

 課題1 三学期に行われる学年末試験でどのクラスと対決するか選択せよ。

 

 

「見ての通り三学期に行われる学年末試験で戦うクラスを選ぶ課題だ。仮にもしその時までにクラス変動が起こっていたとしてもそのまま適応されることになる。また、希望する選択肢の組み合わせが全クラス不一致だった場合には学校側がランダムに決定することになるだろう」

 

 これはそれほど迷うような課題でもないだろうな。俺たちのクラスの現状の立ち位置を考えれば選択肢は実質一つしかない。

 

 ただ他のクラスと指名が被った際にはランダムになるとのことなので、運要素があることが唯一の懸念か。

 

「では第一回の投票に移る。制限時間は60秒だ。それ以内に投票が無かった場合はペナルティーとなるので注意しろ」

 

 一回目の投票はあくまで様子見、クラスメイトたちもそれはわかっているので各々自由に投票していった。俺もタブレット端末を操作して投票していった。

 

 

 第一回投票結果 Aクラス22票 Cクラス14票 Dクラス4票

 

 

 投票結果はすぐに大型モニターに表示されることになる。わかり切っていたことだがAクラスとの決戦を望む意見が多い。このクラスが今Bであること、クラスポイントも近い位置にいる。三年生に上がる前にAクラスに、そう思う意思が多いということだろう。

 

「満場一致とならなかった為、これからインターバルを設ける」

 

 説明通りこれから話し合いとなるのだが、ここでまず鈴音さんが声を上げる。事前に迷った時は彼女を中心に動くとクラス全体に説明はされていたからな。

 

「一つ目の課題から時間を無駄にしないように、私から提案させてもらうわ。票がバラけているようにそれぞれ思う所があるはず。疑問に思ったことは幾らでも質問してもらって構わないし、クラス全体で遠慮なく意見を言うようにして」

 

 クラスメイトたちの視線が彼女に集中する。それでもブレることも迷うこともない姿勢を見せつけて行く。リーダーらしい姿になったと俺は思うことになる。

 

 最後に彼女は俺に視線を向けてくるので、小さな頷きを返しておく。

 

「私は学年末に戦う相手として理想的なのはAクラスだと考えている。これは私たちの現状を考えると実質選択肢は一つだと思っているわ。一つ上のクラスと戦い勝利すれば三年生に上がると同時にAクラスになる、とてもシンプルね。今まで積み上げた努力と成果を今こそぶつけるべきだと思っているのよ」

 

 現状では龍園クラスと帆波さんクラスとはそれなりの差があるので、仮に負けたとしても一気にDクラスに転落するようなこともない。挑戦的でありながらも安定的とも言えるのかもしれない。

 

 勝てばAクラス、そんなわかりやすさもあるんだろうな。ここは迷うような所ではなく文句が出るような課題でもない。なので次の投票では満場一致となるのだった。

 

 第二回投票結果はAクラス40票で満場一致となる。

 

 他のクラスの指名先が被ることもあるので本決まりではないものの、今はこれで進められるだろう。

 

「満場一致によりこの課題は突破とする。休憩は取るまでもないと思うが、念のために確認しておくが次の課題に移っても構わないな?」

 

 まだ時間は三十分も過ぎていない、一つの授業よりも短い。制限時間がある以上は次々と進めていくべきだな。

 

「構いません、次をお願いします」

 

「わかった、では次の課題に移らせてもらう」

 

 

 

 課題2 11月予定の修学旅行に望む旅行先を選択せよ

 

 

 

 これが2つ目の課題となる。因みに選択肢は北海道と京都と沖縄である。

 

「なんだこれ……簡単すぎないか?」

 

 山内がそんなことを言っている。だが気持ちはわからなくはないし、同時にクラスメイトの大半が似たような印象を持ったらしい。身構えていたというのに想定していたよりも軽い課題であったからだ。

 

「この投票先も先程と同じようなもので、この1票で確定する訳じゃない。残りの3クラスの状況に応じて結果が変わることもあるのでその点は理解しておくように」

 

 茶柱先生がそう言うと同時に皆がそれぞれ思う候補に投票していく。

 

 俺は沖縄に投票しておこうかな、北海道でも良いけど、京都だけはダメだ。あの付近では笹凪流が……師匠が暴れすぎたせいでちょっと評判が宜しくない。確か弟子である俺の首には賞金がかかっている筈なので近づきたくもなかった。

 

 旅行を楽しんでいたらあっちを拠点にしている色々な団体や組織が襲い掛かって来そうだし、やはり沖縄か北海道となってしまう。

 

 クラスメイトも巻き込めないのでそれで行くとしようか。

 

 黒板代わりの大型モニターには投票結果が映し出される。やはりここでも意見は割れることになる。

 

 

 北海道17票 京都3票 沖縄20票

 

 

 まぁ自由に投票させればこうもなるだろう、俺としては修羅の国である京都の人気が少なくてホッとした。

 

 この感じならあっち方面に足を運ぶ必要はなさそうだな。なら北海道だろうと沖縄だろうと構わない。

 

「え~、絶対北海道でしょ!!」

 

「いやいや、沖縄だったら今の季節でも泳げるじゃんか、やっぱ旅行に行くなら南の島だろ」

 

「夏休みに散々泳いだじゃん」

 

「沖縄の海では泳いだことねえって」

 

 どうやら女子はどちらかと言えば北海道、そして男子はどちらかと言えば沖縄といった感じになっているらしい。だとすると京都を選んだ三人は何を思ってのことなんだろうか。

 

「京都は人気が無いんだな……そうなのか」

 

 少しだけ清隆が落ち込んだ様子を見せている……そうか、京都に投票したのは君か。

 

 諦めきれなかったのかこちらに視線をやって仲間に引き入れたそうに見て来るのだけれど、京都は修羅の国なのであまり近づきたくはない。

 

「天武、京都は良いらしいぞ」

 

「すまないね清隆、あっちに行くと戦争になるから嫌だ」

 

 意味がわからないと言った顔をするけれど、事実なのでそれ以上の説明が出来そうにない。

 

 沖縄が良い、北海道が良い、いやいや旅行の定番と言えば京都だ、そんな風に無数の意見が広がって混乱する教室内、どうやら意見を纏めるのは簡単ではないらしい。

 

「思っていた以上に意見が割れるものね」

 

「鈴音さん、どうする?」

 

「五時間あるとは言え無駄にはできないわね、早めに終わらせましょう……皆、聞いて頂戴」

 

 鶴の一声とでも言うのだろうか、色々と意見が飛び交っていた教室は鈴音さんの言葉に静かになって意識と視線がそちらに集中することになった。

 

「色々な意見があることはわかったわ、北海道を選んだ人も沖縄を選んだ人も、そして京都を選んだ人もそうだけれど、重要なのはこの指定先は必ずしも私たちだけの判断で決まるものではないということよ」

 

「そう言えばそっか、一つ前の課題と一緒で他のクラスの判断も重要なんだもんね」

 

 打ち合わせ通り意見が割れそうになった時、軽井沢さんは鈴音さんに同調する姿勢を見せてくれる。重要なのはどこか良いかではなくどう意見を纏めるかであった。

 

「その通りよ、ならばここでどれだけ議論してもおそらく大きく結果が変わることはないわ。本質は意見を纏めることであってどこに行くかは重要ではない。だとすればいっそのこと、遺恨無しでじゃんけんで決めるのはどうかしら?」

 

 仮にじゃんけんで負けたとしても他のクラスの判断もある以上は確定することはない、ならばいっそという考えだろう。クラスメイトの反応を眺めてみると仕方がないという雰囲気が広がっているのがわかる。

 

「反対意見が無いようならば、それぞれの指定先から三名を選出してそれぞれじゃんけんをして貰いましょう。最後まで勝ち抜いた側の意見で纏める、遺恨無しに、構わないわね?」

 

 特に反対意見が出ることはなく、北海道チームと沖縄チームがそれぞれ三名を選出してじゃんけんをすることになり、人数の少ない京都だけがここで迷うことになる。

 

「誰も出ないなら俺がじゃんけんに出よう。必ず京都へ皆を連れて行く」

 

 人数的に不利な京都は勝ち抜き戦である以上は厳しい戦いになるのだが、どうやら清隆同様に京都に投票していた啓誠が名乗りを上げたことで彼が代表となるようだ。

 

 しかしその勇気の輝きは一瞬で終わってしまう。啓誠は僅か一手で前園さんに敗北して戦場から去ることになってしまうのだった。

 

 その瞬間に鈴音さんが残念そうな顔をしたので、どうやら彼女は京都に行きたかったらしい……すまない、でもあそこは頭のおかしい人が大量にいるから俺は苦手なんだよね。

 

 学校を卒業して、ある程度現地の片付けが終わったら一緒に行こうと心に決めておこう。

 

 さてじゃんけんの行方であるが勝ち抜きが進んで行き最後に沖縄を目指す須藤と、北海道を目指す篠原さんの決戦となっていた。

 

「絶対沖縄だ!! ソーキそば!! シーサー!! 海人!!」

 

「絶対に北海道よ!! 蟹!! 温泉!! スキー!!」

 

 両者共に並々ならぬ気合と共にじゃんけんの手を出す。修学旅行の行先を決めるとは思えないほどの迫力と覚悟は凄まじい物がある。

 

 だがじゃんけんは精神論で勝てるようなものではない。須藤の腕力や体力など意味を成さず、彼が固く握りしめて出したグーは篠原さんが出した包み込むパーによって敗北することになってしまうのだった。

 

「やった~!! 北海道だ!!」

 

 篠原さんの勝利によって北海道派は一気に沸き立ち、沖縄派は消沈することになってしまう。無情だが勝負の世界とはそういうものである。

 

「何やってんだよ須藤!!」

 

「クッ、悪りィ……」

 

「まぁまぁ、北海道もきっと楽しいよ」

 

 何だかんだでクラスメイトと旅行に行けば楽しいと思う。京都は物騒だからアレだけど北海道でも沖縄でも大きな違いはない筈だ。

 

 それにまだ本決まりとは断言できない、他のクラスの都合もあるからな。

 

 こうして修学旅行先は北海道で満場一致することになるのだった。

 

 

 ここまではただの様子見、ジャブの応酬でしかない。ただ軽く牽制を繰り返しているに過ぎない。

 

 おそらく本番はここからだろう。この学校がただこれだけで終わらせる筈もないのだから。

 

 

 

 

 

 



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お金があれば大抵のことは上手く行く

 

 

 

 

 

 

 

 

 一つ目の課題、そして二つ目の課題、これら二つを大きな問題も無く乗り越えて俺たちのクラスは上々の滑り出しとなった。どちらも深刻に迷うようなものでもなく、クラスメイトたちも本質は意見を一致させることであると理解しているので試験はスムーズに進むことになる。

 

 ここまで一時間も消費していない、簡単な課題であったこともそうだがまだ本番ではないということだろう。

 

 インターバルを挟んで初めてのトイレ休憩となる。ただ試験は始まったばかりなので誰も席を立つようなこともなく、乗り越えた二つの課題について話し合っているのがわかる。

 

 拍子抜けだと思ったのか気楽な雰囲気も広がっているのが感じ取れた。

 

 俺は軽井沢さんと平田、桔梗さんと清隆、そして鈴音さんと視線を結び合って改めて意思を共有していく。それぞれわかっているのだろう、ここからが本番なんだと。

 

 それぞれと頷き合っていると茶柱先生がインターバルの終了を知らせる。次の課題が俺たちの前に立ち塞がるのだった。

 

 

 課題3 毎月クラスポイントに応じて支給されるプライベートポイントが0になる代わりにクラス内のランダムな生徒3名にプロテクトポイントを与える。あるいは支給されるプライベートポイントが半分になり任意の1名にプロテクトポイントを与える。そのどちらも希望しない場合、次回筆記試験の成績下位5名のプライベートポイントが0になる。

 

 

「いきなり性格悪くなったな」

 

 それは三つ目の課題を聞いて俺が感じた印象である。ここまでの二つはやはりジャブであったらしい。生徒たちを本気で惑わせようとしているのを感じ取れてしまう。

 

 クラスメイトたちもざわざわと困惑した様子であり、どうすべきか迷っているのがよくわかった。

 

 前の二つと違って明確にクラスにメリットとデメリットがある課題であり、今まで以上に意見が分かれることが容易に想像できるだろう。

 

 さてどうすべきかと思考を加速させる。事前の予想と想定でこういった展開があるだろうことはわかっていたが、いざ意見を一致させるとなるとこれがまた難しい。

 

 どのルートを選んでも行き着く先は変わらないと言い切れるだけの準備は前日に済ましたのでそこまで心配はいらないか……まだ本番でもないだろうしな。

 

「投票の前に選択肢2、つまり特定の生徒に付与する選択肢で満場一致になった場合のケースを話しておく。この場合は誰にプロテクトポイントを与えるのかを議論して再度投票となる。当然ながらそこで満場一致とならなければ課題が突破されることはない」

 

 二回連続で意見を一致させなければならない訳か、時間がかかりそうではあるが話の流れ次第ではそういった展開もあるだろう。

 

「どうしようか? 前二つと違ってハッキリとメリットとデメリットがある課題だ。一旦気を引き締めて挑むとしよう」

 

 どこか簡単で浮かれ気分であったので緊張感を持つべきだろうと主張しておく、それも師匠モードでだ。すると皆の意識と集中が高まっていくことがわかった。やはり師匠モードは便利である。

 

 まずはクラス全体の意思を確認する為に投票という流れとなった。当然ではあるが意見は分かれることになるのだろうという推測は、事実そうなる。

 

 

 投票結果 ランダム3名に付与12票 一名を選び付与6票 付与なし22票

 

 意外にもランダム3名に付与が多い結果になったな。もう少し付与なしに偏るかと思ったんだけど。

 

「一回目の投票は手探りとして……皆はどう思うかな?」

 

「選択肢3になるとめっちゃ困るんだけど!?」

 

「俺も困るって!!」

 

 まず最初に声を上げたのは成績下位付近にいる生徒たちである。佐藤さんと池が絶対に嫌だと主張してくる。もし選択肢3になれば貰えるプライベートポイントがゼロになるので必死らしい。

 

「池、佐藤さん、そう焦る必要も無いよ。そうだろう、鈴音さん?」

 

「そうね、仮にもし選択肢3が選ばれて成績下位5名がプライベートポイントを貰えなかったとしても、クラス全体で……いえ、毎月集めているクラス貯金から支給することだって可能だもの。一人の負担はそこまで大きなものでもないわ」

 

 クラスの財布を預かっている鈴音さんは、毎月集めているクラス貯金から支払う方法を提示する。このクラスでは毎月生徒たちからポイントを徴取しているので、プライベートポイントが持って行かれて負担になるのは今更である。

 

「それならば、そこまで否定的になる必要はないでしょう?」

 

「あ、そっか、確かにそれなら大丈夫かも」

 

 佐藤さんも納得した様子である。池もそれならば安心だと胸を撫で下ろしているのがわかった。

 

 これで選択肢3になったとしても大きな問題は無くなったことになる。この試験で重要なのはどのルートであっても納得があることなんだろうな。

 

 ならそれで投票してしまおうかという雰囲気が流れ始めるのだが、それに待ったをかけるように平田が手を上げて見せる。

 

 

「意見良いかな? 僕としては選択肢1、ランダムにプロテクトポイントを三名に付与するというのは議論すべき選択肢だと思う」

 

「でも平田くん、それだとプライベートポイントがゼロになるんだよ、それも半年間も」

 

 軽井沢さんは否定的と言うよりも、敢えてわかりやすく説明する役を意識しているのかもしれないな。女子側の考えを代弁しているような立ち回りでもある。

 

 役割分担を決めていたのでそれで良い、冷静なようで何よりだ。

 

「うん、けれどそれだけの価値があると僕は思う。ただやっぱりプライベートポイントの支給がゼロになることは大きな痛手でもあるのは間違いない……だけど不測の事態が起こった時に安全圏にいられる生徒が三名増えることになるんだ、これは大きいんじゃないかな」

 

「とても大きなストレスになると思うわよ?」

 

「そうだね、堀北さんの言う通りだ。あくまで意見の一つだと思って欲しい……ただ、クラス貯金を考えれば決して完全な0にはならないと思うんだ。プロテクトポイントは簡単に手に入れられないものだしね」

 

「意見の一つとしては一定の理解を示すわ」

 

「うん、僕も決して押し通すつもりはないよ、ただ選択肢3で決まる前にそちらも議論すべきだと判断したんだ」

 

 仮にもし選択肢1になった場合は貰えるプライベートポイントが半年間0になるが、ランダムに三名がプロテクトポイントを貰えることになる。するとどうなるかというと俺たちのクラスは六名が安全圏に入るということだ。

 

 清隆、六助、俺、これが現在プロテクトポイントを持っている三名、無人島とクラス内投票で得た権利である。更に今回の試験で新しく三名が持てたとするならば、結構な余裕が生まれるだろう。

 

 最悪、この六名の誰かを前にだして一度は自爆に近い手段だって取れる。手段が増えるとも考えられるのかもしれない。

 

「悪いが、俺にも意見を言わせてくれ」

 

 次に手を上げたのは啓誠である。こういった場で積極的に主張するのは珍しいと思いながら意見を待つ。

 

「来月からの半年間、俺たちはクラスポイントを増やしていくつもりなんだよな?」

 

「勿論よ、上のクラスを目指す上で停滞していい時期なんてないわ」

 

「ならばプロテクトポイントを得ることは戦略の一つが広まると俺は考える。それを使用することを前提とした作戦なども取れるかもしれない。言い方は悪いかもしれないが、弾は多い方が良いだろう」

 

「幸村くん、なら貴方は平田くんと同様に選択肢1を選ぶべきだと思っているのかしら?」

 

「いや、俺が推す選択肢は二番目。プロテクトポイントを任意の生徒に付与する方だ」

 

「それは、言葉を選ばず言うのなら貴方に付与してということ?」

 

「そうしてくれるなら素直に嬉しいだろうな。けど、現実的じゃない、自分に付与して欲しいと思うのは基本的に全員そうだろうからな」

 

 特にこの学校だととても貴重なものではある。それは間違いない。

 

「しかしランダムな生徒三名にプロテクトポイントを与えたとしてどれほどの効果を発揮するかわからない」

 

「幸村くんは明確に与えるべき相手が浮かんでいるようね。誰に与えたいの?」

 

「戦略的に考えるのならば天武だろうな。だが無人島試験で一位になったことで既にプロテクトポイントを持っているので、ならば堀北に付与するべきだと俺は考えている」

 

「……私に?」

 

「あぁ、OAAでの実力も不満もない。戦力的にも不可欠な存在でもある。ランダムに与える位ならばこれから必要となる戦力に与えてしっかりと戦略的に運用すべきだ。今後龍園や坂柳が堀北を狙い撃ちにすることだってあり得るからな」

 

「なるほどね」

 

「もう一つ言わせて貰うならば、プロテクトポイントを得ても慢心することはないだろうと判断した」

 

「言いたいことはわかるけどよ、高い買い物だぜ?」

 

 自分に付与されることが無ければただプライベートポイントが半分になるだけの課題だからな、本堂のような意見が出ることも自然な流れだろう。

 

「これは投資だと考えればいい、勝つために必要な過程だとな。重要なのは毎月の小遣いじゃなくて最終的な勝利、そして堀北ならば貰えなかったポイント以上の利益を齎してくれると判断しただけだ」

 

「随分な買いかぶりね……暴落するかもしれないのよ?」

 

「リスクを取らないで勝てるとは思っていない」

 

「フッ、フッ、フッ。いいんじゃないかね? 今の提案には私も賛同だよ眼鏡くん」

 

 これまでずっと黙って不敵な笑みを浮かべていただけの六助が初めて会話に参加した。そして意外にも啓誠の主張に賛同する。

 

 いや、別に意外でもないのか、六助にはマネーロンダリング用の会社設立のお礼として1億ポイントほどを渡しているし、無人島試験でもプロテクトポイントを得ているのだ。安全圏な上にAクラスでの卒業も既に確定しているので後はただ学園生活を楽しむだけの立場である。もしかしたらさっさと終わらせる為に意見を誘導しているのかもしれないな。

 

「プロテクトポイントを与える分、堀北ガールには誰よりも必死に頑張ってもらえばいい。君もそう思うだろう、マイフレンド」

 

 同意を求めるかのように六助がそう訊いてきたので、俺は頷きと共にこう返すことになる。

 

 個人的な私情になってしまうけれど、鈴音さんにプロテクトポイントが渡るなら俺としても安心できるからな。

 

「あぁ、確かにランダムでプロテクトポイントを受け取るよりも戦略的な判断だと思うよ。貰えるプライベートポイントは半分になるけれど、それだってクラス貯金を一時的に停止すれば毎月皆が使えるポイントと大差がない額になる。言ってしまえばこれまでと何も変わらない収入と生活になるだろうしさ」

 

 代わりにクラス貯金は半年間の間は増えることは無いのだが、それだって既に十分な額が貯まっているので惜しむようなものでもないだろう。

 

 もしここで反対意見があったとしても、なら別案があるのかという話にもなる。安定的かつ戦略的でもある判断なので、それは投票結果にも反映されることになる。

 

 

 第二回投票結果 ランダム3名に付与0票 1名を選び付与40票 付与なし0票

 

 

 そしてすぐさま誰にプロテクトポイントを渡すのかという投票になり、特に波乱もなく鈴音さんが選ばれることになったので俺としても一安心である。

 

 今後もプロテクトポイントを貰えるような展開があれば積極的に狙っていくのも悪くないかもしれないな。平田や桔梗さんだったり、啓誠や須藤のような生徒にも保持して貰いたい。より安心できる筈だ。

 

 これが有効活用できるか否かは現時点でわからないが、未来の為の布石の一つになれば儲けものと考えるべきなんだろう。投資とはそういうものである。

 

「ここまでは余裕だな」

 

 徐々に性格が悪くなって来ているようにも思えるけど、まだそこまで致命的でもない。しっかりと話し合えばどうとでもできる内容ばかりでだからな。

 

 強い意思で、譲れない何かを固く守らなければならないような選択肢はまで出てきていない。本番はまだ先であるということだった。ここまではどちらかと言えば様子見の段階なのかもしれない。

 

「課題3は以上で終了となる。これより先半年間、プライベートポイントの振り込みは全員が等しく半額となるが、堀北へのプロテクトポイントを今の時点で付与とする」

 

 茶柱先生の宣言にクラスメイトたちは納得するのだった。プライベートポイントが半年間の間半分になるということではあるが、毎月行っていたクラス貯金を停止すれば使える金額はこれまでと大きく変わらないことも大きな理由だろう。

 

 そして先生はタブレット端末を操作して接続された大型モニターに次の課題を映し出した。

 

 

 

 課題4 二学期末筆記試験において、以下の選択したルールがクラスに適用される

 

 

 

 三つある選択肢は難易度が上昇、ペナルティの増加、報酬の減少であった。

 

 これに関しては全ての選択肢でデメリットがあるものだな。利益は一つもない。逆に言えばどれを選んでも大差がないとも言えるものなのかもしれない。ならば少しでもリスクを排する選択肢を選ぶべきだろう。

 

 そして同時に、何を選んだ所で真面目に勉強してしっかりと前に進んで行けば怖くないものである。そんな力説を鈴音さんがした後に行われた二回目の投票でペナルティの増加という選択肢で満場一致となる。

 

 

 これまでにかかった時間は一時間ほど、まだ四時間近い時間が残されていることになる。

 

「次が最後の課題となる。心してかかるように」

 

 あぁ、来るな、この試験の一番性格の悪い部分が。顔を緊張で青くさせている茶柱先生を見ていると、ようやく本命が来たのだということがわかった。

 

 これまでの四つは全てチュートリアル、最初からこの試験はこの課題に向かわせる為だけにあるとさえ思えるものであった。

 

 

 

 課題5 クラスメイトが一人退学になる代わりに、クラスポイント100を得る。

 

 

 

 うん、まぁ、想定の範囲内にあった課題だな。こういった展開が無ければわざわざ特別試験と銘打ったりはしないだろう。

 

 モニターに映し出された課題にザワつくクラスメイトたち、しかし一回目の投票に関しては相談や議論が禁止されているのでとりあえず投票するしかなかった。

 

 困惑と、緊張と、大きな不安と共にそれぞれが指先でタブレット端末を動かして、賛成か反対かの投票を行っていく。

 

 

 

 第一回投票 賛成1 反対39

 

 

 

 今度こそクラスの騒めきがハッキリと耳で感じ取れるものとなった。

 

「誰だよ、賛成に投票した奴は……お前か、高円寺?」

 

 少し苛立った様子で須藤が愚痴り、矛先を六助へと向けてしまう。

 

「おやおや、何の根拠もないのに責められるなんてねぇ」

 

「ふざけんなよ、お前くらいだろうが、こんなひねくれたことすんのはよ」

 

「全くもってナンセンス、そもそも私の中では既に特別試験やクラス闘争などと言うものは決着がついているのだよ。誰が何をしていようが関係のないことだとも。私の心情を教えてあげよう、素早く終わって欲しいの一点なのさ」

 

 億単位のプライベートポイントとプロテクトポイントを持っている六助からしてみれば、何もかもが茶番にしかならないということか。本人が語ったようにさっさと終わらせたい一心なのかもしれないな。

 

「須藤、すまない。賛成に投票したのは俺なんだ。意図しない形で課題を突破することを防ぐ為に敢えて投票を散らすようにこれまで動いてたんだ」

 

「んだよ、それならそう言ってくれよ」

 

「悪かったね、さてこの課題もしっかりと議論していこうか」

 

 クラスメイトたちを見渡してそう宣言してから話を次に進める。ここからが本番なので気合を入れて行くとしよう。たとえ結論ありきの議論であったとしてもだ。

 

「議論って言っても、反対以外ありえなくない?」

 

「いや、もし賛成にした場合はクラスポイントが100貰えるんだ。思考停止して決めて良いことじゃないと思う」

 

 軽井沢さんの言葉を啓誠が否定する。

 

「はぁ? それだと退学する人が出ちゃうじゃん」

 

「わかっている。俺だってそんな展開を望んでいる訳じゃない。結果的に反対で満場一致したとしても、賛成の選択肢を議論して意見をぶつけあってからでも遅くはないと思っただけだ」

 

 誰も退学になりたくはないし、そんな決断をして責任を背負いたくもない。当たり前のことであった。

 

「皆の考えや意見はあるだろうけど、とりあえず俺の話を聞いて欲しい」

 

 このまま放置すると喧嘩になりそうだったので皆の意識と視線をこちらに引き戻す。

 

 俺がやるべきことはいつだって変わらない、どんなときでも自分勝手な目標を目指すだけである。

 

「結論から言わせて貰うけれど、賛成の方向に話を持って行きたい」

 

「おい待てって、それだと誰かが退学することになるんだぞ!?」

 

「落ち着いてくれ、まだ話は終わっていない。賛成で票を固めた上で退学者を選ぶとクラスポイントが100貰える、この特別試験の突破報酬と合わせれば150ポイントが増えることになる。決して少ない数字じゃない」

 

「そりゃそうだけどよ」

 

 須藤の困惑は自然な反応ではある。彼だけでなく他のクラスメイトだって同様だ。

 

「もしこの100ポイントで泣く羽目になったら後悔するだろう。だが退学者を出すだなんて苦々しい経験はしたくはないし誰だってそんな方針には賛成したくはない。そこで提案なんだが、退学者を選んだ上でプライベートポイントによる救済をするのはどうだろうか?」

 

 この学校は性格が悪いけれど「お金さえあればどんな理不尽も吹き飛ばせる」というこの世の真理を看板に掲げている。ポイントで買えない物はないと断言するくらいだし、有事の際にはポイントを払えば退学を回避できるとルール説明にもあった。

 

「クラスポイントも稼ぐ、退学者も出さない、これ以上の利益と結果は無いと俺は思うんだ。ポイント的にも心情的にも、最高の結果じゃないかな」

 

 この方針に関しては前日に平田や軽井沢さん、桔梗さんや鈴音さんとも話し合って決めたことでもある。もしこんな展開があればそういう方針で行くべきだと。

 

 幸いにも金はある。この学校は金があれば大抵の融通は利かせられると主張している。何も問題はないな。

 

 もしかしたらこの試験は俺の資金を削りたい為に作られたのかもしれない……まぁ考えても仕方がないことか。

 

「確かにそれならばクラスポイントも得られて退学者も出ないか」

 

 賛成に関しても議論すべきだと言っていた啓誠も納得した様子である。彼だって別に退学者を出したい訳でもないし、心情的には反対だったんだろう。

 

「ポイントに関してはどうするの?」

 

「それなら俺が工面するから――――」

 

 佐藤さんの質問にそんな返答をするのだけれど、そこで待ったの声がかかる。

 

「待って貰えないかしら……その前に少し話したいことがあるわ」

 

 声の主は鈴音さんであった。この展開は事前に想定していたし相談もしていたので文句があるとは思えないけれど、何か意見があるのだろうか?

 

「天武くんの方針に関しては何も問題はないと思う。この課題を超える上で最高の結果でしょうね……けれど、貴方個人のポイントを使うのは反対よ。退学者の救済に関してはクラス貯金を使うべきだわ」

 

 結局2000万ポイントが減るのならば大した差は無いと思うけれど、彼女の中では大きな意味があるらしい。

 

「無人島で言ったかもしれないけれど、このクラスは一人の生徒に大きく依存している部分がある。何かしらある度に負担をかけている……皆の努力を否定している訳ではないけれど、事実としてそう言った側面があるわね」

 

 鈴音さんの視線がクラスメイトに向けられる。

 

「そして私もまたその一人……けれど、そんな状況に甘んじてはいられない。少しづつで構わないから、一人一人が協力して進んで行きたいと考えているのよ」

 

 最後に彼女の視線は俺へと向けられた。

 

「ただ一人に負担を強いるだけではダメ、私たちはクラスメイトで同じ目標に向かう仲間よ……だから、貴方に甘えるだけでは先がないと思うのよ」

 

 無人島でもそう言っていたな。俺の考えを正してくれた言葉でもある。

 

「だからこそ、退学者の救済にはクラス貯金を使うべきだと主張させて貰うわ。これはクラス全員で集めた資金、一人一人の努力と意思の結果だから今この瞬間に使うべきなんじゃないかしら」

 

 毎月鈴音さんの所に集められている資金は結構な額となっているのだろう。それこそ退学者を救済することに何の問題もないくらいには。

 

「堀北さん、クラス貯金って今は幾らくらいあるのかな?」

 

 平田がクラスメイトを代表してそう訊ねると、鈴音さんはこう返した。

 

「毎月Aクラスから送られてくる100万と、皆から毎月集めているポイント、そして無人島試験で便乗カードによる報酬、それら全てで約3200万ポイントよ」

 

「それだけあるのならば、退学者を救済してもまだ戦略的な運用ができるだけの余裕があるね」

 

「えぇ、そこは心配いらないわね」

 

 特に反対意見も無かったのか、クラスメイトたちはそれぞれ納得したような表情を見せる。

 

 

 

「たった一人に依存するのではなく、全員の力でAクラスを目指すべき、少しづつでもね……勝利とは、思いと努力を束ねた先にあるものだと私は考えるわ」

 

 

 

 そんな彼女の言葉が決定打となり、俺たちのクラスは退学者を出すことで満場一致となるのだった。

 

 その後、誰を退学させるのかという投票に関してはクラス貯金を預かっている鈴音さんが指定されることになり、彼女は2000万ポイントを支払って退学を回避することになり、俺たちのクラスは合計で150クラスポイントを得ることになる。

 

 終わってみればあっという間だったな。なんだったらただプライベートポイントをクラスポイントに変換するだけの試験であったと思う。

 

 お金があれば大抵の融通は利かせられる、それがこの学校が生徒に教えていることでもあるので、正しく教育通りの作戦なのかもしれない。

 

 こうして満場一致試験は終わることになる。後は他のクラスがどうなるかだな。

 

 

 

 

 

 



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勝利とは

これでこの章は終わり。次は小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 坂柳視点

 

 

 

 

 

 

「この課題に関しては、敢えて退学者を出してからプライベートポイントで救済する形にしましょう」

 

 五つ目の課題が提示された時、教室では少なくない混乱と困惑が広がりました。

 

 当たり前と言えば当たり前のこと、ここまで明確に生徒を篩にかけているのですから学校側の思惑通りとも言えるのでしょう。

 

「まぁこの100ポイントを逃して泣くなんて羽目になるくらいなら、それが一番だろうなぁ」

 

 橋本くんが予定通りこちらに意見を合わせて来ます。そして真澄さんも頷きを返す。

 

 事前の打ち合わせでこういった展開も想定できたことなので一部の生徒は冷静そのものですね。

 

「プライベートポイントに関してはごっそりと無くなることになるけど、大丈夫な訳?」

 

「そうですね、真澄さんの言う通りでしょう。けれど問題はありませんよ、私たちのクラスは大きな収入がありますので」

 

「でも龍園と笹凪にも毎月払ってるじゃない」

 

 チクリと、真澄さんがかつての葛城くんのミスを責めると、クラスメイトたちの視線が葛城くんに集中していく。

 

「今更責めても仕方がないことでしょう。それに何とかプラスで抑えられています。そう考えると成果は出ていますよ、一定のね」

 

 まさか私が葛城くんをフォローする日が来るとは、人生とはわからないものです。けれどそれもここまで来てしまえば仕方がないこと、内紛を長引かせてしまったことで一定の配慮が必要になってしまう。

 

 それになにより、彼を切り捨てれば綾小路くんや天武くんのクラスに勝てるとは思えない。どんな戦力であろうとも運用して勝率を1パーセントでも上げなければならないのですから。

 

 戸塚くんにも同じことが言えますね。どれほど錆て短い刃であろうとも、捨てるのではなく研ぎ澄まさなければ彼らには届かない。

 

 果たしてしっかり磨いた所で戸塚くんが役に立つかはわかりませんが、ほんの僅かにでもクラスの力になるのならばやるしかないのです。

 

 全てを力に変えてなお届かないかもしれない相手が同学年にいるのですから、どんな生徒であろうと鋭くしなければならない。

 

 私が戦おうとしている相手はあまりにも巨大、武器は幾つあっても足りないでしょう。ならば私は戸塚くんですら戦力として運用できるようにしなければなりません。

 

「葛城くん、何か意見はありますか?」

 

「いや、無い……退学者を選んでから救済する、これ以上の結果はないだろう。だが少し意外でもあった、お前ならばすぐさま特定の生徒を切り捨ててプライベートポイントを消費しない判断をすると思っていたが」

 

「確かにそれも一つの方針でしょう。ですがそれほどの贅沢は許される状況ではありませんよ。以前ならともかく、今はね」

 

「贅沢?」

 

「えぇ、私たちの学年には常軌を逸した実力者がいます。彼と戦い、凌駕する為には、ありとあらゆる努力と戦力が必要です。葛城くんには成績下位者を中心に放課後に勉強会を開いて貰っていますね、それもまた必要なことだと判断したから任せました」

 

 Aクラスは高い平均学力を持っていますが全ての生徒がそうではない。戸塚くんや他にも何名か学力が低い生徒がいる。そんな生徒たちを葛城くんに任せているのは勝利の為でしかない。

 

「既に使えるか使えないかという状況ではありません、どんな刃であろうとも勝率がほんの僅かにでも上がるならば研ぎ澄まさなくてはならない、違いますか?」

 

「いや、その通りだ」

 

「ですので退学者を選んだ後に救済します。たとえそれがどれほどの鈍らな刃であったとしても、最後に彼の喉元に突き立てるのはそれである可能性がほんの僅かにでもあるのならば守らなくてはなりません」

 

 こちらは既に総力戦の構え。あらゆる武器を集め、あらゆる手段を模索して、あらゆる戦力を鍛え上げる。ただそれだけのこと。

 

 最後の一撃がもしかしたら戸塚くんであるかもしれない……可能性としては極めて低いでしょうが、もしかしたらの展開を捨てれるような余裕も贅沢も許されない。

 

 私が戦おうとしている相手はそういう存在、綾小路くんと天武くんは己の全てを賭して挑まなければならない。

 

 だから研ぎ澄ます、戸塚くんであろうともだ。

 

 そうとも、贅沢は許されない。勝つ可能性がほんの僅かにでも上げれるのならば、誰であろうと叩き直してまともな武器とする。

 

 全ては勝利の為に、彼らを凌駕する為に必要なことでしかない。

 

 何よりも、この学校でもし退学者を出さずに全員がAクラスで卒業することができたのならば、それは綾小路くんに勝利するよりもよほど難しい偉業なのかもしれない。天才の証明になるのかもしれない。

 

 一年の最終試験の後に彼と話したことを思い出す。おそらく不可能な目標を、それでもなお目指すと言った彼の言葉を。

 

 これは証明だ、不可能を可能にして真の実力を証明する為に必要なことなのでしょうね。

 

 その上で私は彼らに勝利する。Aクラスで卒業させて貰うのではなく、彼らがポイントで勝手にAクラスに上がればいい。

 

 

今、私の手元には前日に天武くんから渡された8億ポイントがある。しかしこのポイントに手を付けることはできない。

 

 

 もし私がこの8億を使う日が来るのだとすれば、それは完全な敗北を喫した時になるでしょう。

 

 彼は同級生たちの救済を望みながらも、同時にポイントを突き返してくることをどこかで期待しているのかもしれません。その先で余計な不純物を排した闘争を求めているのでしょうか。

 

 

 いつのまにか彼が思い描いている目的に同調している……不思議なものですね。

 

 けれど、その不可能を可能にできたの者こそが真の実力者なのかもしれない。

 

 完全無欠の完膚無き勝利とは、そこに至ること。

 

 そしてそんな彼らに勝利した瞬間に、きっと私はとてつもない甘美な絶頂に震えることになる。

 

 だから挑みましょう、全てを束ねて。

 

 

 

 

「勝利とは、あらゆる者を従え研ぎ澄ました先にあるものです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 龍園視点

 

 

 

 

「8億だと? お前正気か?」

 

 時任が呆れかえったような、信じられないような声をあげてやがる。まぁまともな感性をしてたらそうなるだろうよ。

 

「俺が酔っぱらってるように見えるのか?」

 

「頭がおかしいってことは間違いないだろうが」

 

「ククッ、そいつはお前が現状を何も理解してねえってことだ」

 

「なんだとッ」

 

 苛立ったようにこちらを睨みつけて来るが無視するように俺は教室の前にある教壇に腰かけた。するとクラスメイト全員の視線がこちらに集中した。

 

「よく考えろお前ら、このクラスは説明するまでもなく脳筋と馬鹿が多い。そんなどうしようもない集団がAクラスになるにはどうすればいい?」

 

「決まってんだろうが、特別試験に勝ってクラスポイントを上げるんだよ」

 

「時任よぉ、そんなもんは大前提だろうが。だから今回の課題でも退学者を選んでプライベートポイントで救済するって言ってんだ。幸いにもポイントには余裕があるからな」

 

「8億貯めるんじゃねえのかよ?」

 

「2000万程度をケチった所でどうこうって額でもねえよ。今じゃねえ、最終的にそれだけあれば良いんだからな」

 

「……不可能だ」

 

「単純な計算だ、今俺たちの学年には毎月どれだけのポイントが学校から流れて来てると思ってやがる。二年だけじゃねえ、一年や三年も考えれば年間で億単位の額は軽く動く」

 

「俺たちの手元には入って来ねえよ」

 

「だが、できれば8億も不可能じゃねえ」

 

 時任以外の反応も見て行く、以前から知っていた伊吹以外はどいつもこいつも間抜け面を晒している。金田は薄々と感じ取っていたのか顎に手を当ててこれからのことを考えているがな。

 

「良いか間抜け共、時任の馬鹿は大真面目に試験に挑んでクラスポイントを上げればAクラスに上がれるなんて儚い妄想をしてるが、現実的に考えれば8億を貯めるのと大差がない夢物語だ。脳筋だけで勝てるほど楽な戦いでもねえからな」

 

「でもアンタはひよりや金田に勉強会を開かせてるじゃない」

 

 伊吹がそんなことを言ってくる、こいつはこいつで脳筋組だから頻繁に参加していたんだったな。

 

「言っただろ、クラスポイントを上げるのは大前提だと。実際にそれが実を結ぶのかどうかはともかく、やらねえという選択肢は無いんだよ。いつかどこかで結果が付いてくるかもしれねえからな……重要なのは正攻法でAクラスになること、そしてプライベートポイントでAになること、そのどちらもが保険であるという点だ」

 

「つまり、どっちも進めて行くってこと?」

 

「これしかねえと決めるよりは選択肢が多い方がマシだろうからな。仮にもし8億貯まらなかったとしても、この中の何人かにチケットはやれるだろうぜ」

 

 そうとも、正面突破だろうと裏口だろうと大差はねえ。結局はどちらも可能性は低いんだから、なら勝率を少しでもあげる為に思考と手段を増やすしかねえ。

 

 金田やひよりに馬鹿どもの面倒を見させているのもその一環、ほんの1パーセントでも勝率が上がるのならば御の字だろう。

 

「時任、テメエはことあるごとに俺にたてついて来たが。入学してからこれまで何をして何を考えて来た?」

 

「あぁ?」

 

「どんな作戦がある? 何を基準にしている? どう勝つ? 何を用意してきた? 何が必要だと思う? 展望や戦略があるのかって訊いてんだよ」

 

「そ、それは……」

 

「もしテメエの話が納得できるものならば、ここで俺が退学してやっても良いぜ」

 

 反抗的なこいつはその言葉に目の色を変える。好機だと思ったんだろうな。

 

「べ、勉強して……試験に勝って……それで……協力して、いや」

 

「そいつはつまり、何もしませんて言ってるのと大差ねえよ。どこのクラスも当たり前にやってることだからなぁ」

 

「だがそれ以外にねえだろうが」

 

「あるだろうが、プライベートポイントを集めるって方法がよ」

 

「現実的じゃねえって言ってんだよ!!」

 

「ククッ、馬鹿と脳筋ばかりで連戦連勝するのも現実的じゃねえっての。良いか、さっきも言ったがまともに勝つなんてものは前提条件だ、並行してプライベートポイントを集めて行く、これがこのクラスの戦略だ」

 

 反抗的な奴だがどうしようもない馬鹿でもねぇ、俺の言っていることに最低限の理解を持っているのは間違いない。感情的に認められねえようだがな。

 

「最初から俺はその為に行動してきた。学校側のルール、各クラスの戦力、ポイントの流れに契約、何もかもがそこに至る為の過程だ」

 

「それは、入学当初に一之瀬さんクラスへかけていたちょっかい等もでしょうか?」

 

 ひよりがちょこんと手を上げて質問してくる。

 

「当然だ。学校側の出方に加えて一之瀬クラスの対処能力が知りたかったからな。余計な横槍が入らなければ賠償金を得る算段だったんだよ」

 

「なるほど、手段はともかくその時から龍園くんは8億を本気で貯めるつもりだったんですね」

 

「言った筈だぜ、俺がこのクラスの王だと……言った以上は勝つ、何かおかしいか?」

 

「いいえ、納得しました」

 

 今になっては懐かしいな、あの時もこうして教壇に腰かけながら宣言したんだったか。

 

「だが計算違いもあった、そこは認めてやる。俺にもまだまだ慢心と甘えと妥協があった」

 

 そして想定していた以上に同学年の奴らは強かった。あの常軌を逸した怪物と不気味な男がいる以上は、こちらも腹をくくって全てを賭して挑むしかない。

 

 余裕綽々で勝てるような相手じゃねえ、何もかもを束ねてもまだ届かねえ、だからつまらねえ反発心を抱く時任だろうが納得させて従えねえとな。

 

 最後に笹凪の喉元に食らいつくのがこいつである可能性も、まぁ1パーセントくらいはあるだろうからな。ならば切り捨てることもできねえ。面倒が極まっているが、アイツに勝つにはほんの僅かな可能性ですら見過ごせない。

 

「で、時任、何か素晴らしい戦略が思い浮かんだのか?」

 

「……」

 

 遂には黙ったか、まぁ俺への反発心だけで視野が狭くなっていた男だ、いきなり戦略を語れと言っても大したことは言えねえだろう。

 

「他の奴らはどうだ? 遠慮なく言えよ、このクラスがどうすれば勝てるのかを」

 

 そして誰も喋らない、教壇に座った俺を見つめるだけだ。

 

 

「何もねえか……なら、あの時に言ったことをもう一度言うぞ、このクラスの王は俺だ」

 

 

 そしてここから先は、あの時に言えなかったことでもある。

 

 

「だからお前ら、俺に力を貸せ……まともに特別試験で勝つことも、8億を貯めることも、決して楽じゃねえ。あぁ認めてやる、俺一人では不可能だ」

 

 全員が驚いた顔をしてやがるな。まぁ俺がお前らに頼ろうとするのは流石に意外だったか。

 

「敵は強い、こちらは馬鹿と脳筋ばかり。だが嘆いた所で何も変わりはしねえ、今あるカードできっちりしっかり勝つだけだ。そして勝利する為にはお前らが必要だ」

 

 前日に笹凪は俺に8億ポイントを渡してきたが、このポイントに手を付けるつもりはねえ。使った瞬間に俺の敗北が確定するようなもんだからな。

 

 この8億は保険の保険、クラスポイントでAクラスになれなかった時に、そして自力で8億を貯めれなかった時に備えての保険でしかない。

 

 自力でAクラスになり、その上でこんなポイントいるかと蹴り返してやれば良い。それもまた前提条件だろうな。

 

「俺はもう恥も誇りも意地も投げ捨ててるぞ、テメエらの何もかもを俺に貸せ、全部を燃料にして勝ちに行くぞ」

 

 俺の全てを賭してなお敵わない、ならここにいる四十人を全て注ぎ込んであの喉元に食らいつくしかねえ。

 

 だからこの試験でもクラスポイントを稼ぐ、そして戦力も守って磨き上げる。どれだけ小さくて脆かろうが牙にしなければならないからな。

 

 時任だろうが真鍋だろうがそれは変わらねえ、まったくもって面倒だなおい。

 

 徹底的に勝ちにいくしかねえ。それこそ限界ギリギリを攻め続ける必要もある。もしかしたら俺はどこかで潰されるかもしれねえがな。

 

 だが問題はねえだろう、もし俺が一線を踏み外して学校を去ることになったとしても、この馬鹿共の面倒は笹凪に丸投げすれば良いだけだ。

 

 そう開き直れば、俺はよりリスクの高い作戦も取れる。

 

 

 

「勝利ってのはな、恥も誇りも意地も、血も肉も努力も意思も、何もかもを火にくべた先に掴み取るものなんだよ……ゴチャゴチャ喚いてねえで、お前らの全部を俺に賭けやがれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一之瀬視点

 

 

 

 

 

 ふと思い出す。以前にあったクラス内投票を。

 

 あの時は南雲先輩から付き合うって条件でポイントを貸す話を貰ったんだっけ。その後に天武くんが……うぅん、笹凪くんがポイントを貸してくれた。

 

 そのおかげで私たちのクラスは特に困ることもなくこの試験を乗り越えることができそう。入学してすぐに始めたクラス貯金を使うべき時が来たのだと思う。

 

 ポイントが潤沢なら、敢えて退学者を選んでそれから救済すれば良い。クラスポイントも貰えて仲間も失うことはない。多分、これがこの試験で一番の結果。

 

「えっと、それじゃあ退学に賛成ってことで良いよね」

 

「良いんじゃないか? プライベートポイントを払えばクラスポイントも増えるんだ、今までの貯金が役に立つよな」

 

 柴田くんがそう言うとクラスメイトたちは一斉に同意してくれた。これ以上ない位の結果だから反対が出る余地が無いんだけどね。

 

「神崎くんもどうかな?」

 

「……問題はない」

 

 ここ最近、思い悩んでいるようにも見えた神崎くんも反対はしなかった。ただその表情は相変わらず深刻なままだった。

 

 きっと……私が不甲斐ないからなんだろうな。

 

「でも流石帆波ちゃんだね、入学してからずっと続けてた貯金だったけど、こんな形で役に立つだなんて。あの時、皆に提案してくれて本当に助かったよ」

 

「だよな、やっぱ一之瀬がリーダーで良かったって思うよ」

 

「うん、やっぱ帆波ちゃんじゃなきゃダメだよね」

 

 クラスメイトが私を褒めてくれる。大したことはしてない……謙遜じゃなくて、本当に大したことはしていない。今、ポイントがあるのだってクラス内投票で天武くんが……違う、笹凪くんが助けてくれたから。

 

 あの時、助けてくれたから、今こうして迷うことなく最善の答えを選ぶことができるんだよね。

 

 だから、私にできたことなんて何もない。ただ助けられただけだもん。

 

「ありがとう帆波ちゃん、帆波ちゃんがいればAクラスも間違いなしだね」

 

「……」

 

「帆波ちゃん?」

 

「あ、うぅん、何でもないよ。それより投票しちゃおっか」

 

 ポイントを使って救済するから迷いようがない。皆は退学者を出す選択肢で意見を一致させることになった。

 

 そして次の投票で退学者を選ぶことになる。皆からのポイントを預かっている私を意見が纏まって満場一致となり、ポイントを支払って退学を回避することになり、私たちはこの特別試験を乗り越えることになった。

 

 皆は笑顔だ、特に苦労することもないままクラスポイントが150貰えたんだから、気持ちはよくわかる。

 

 ただどうしてだろ、私の胸の奥には変な感覚があった。

 

 ここ最近はずっと感じている嫌な感覚、痛いような、チクチクするような、不安と緊張が混ざり合ったそれはいつまでも慣れない。

 

 試験も終わったからクラスメイトたちはそれぞれ帰宅を始めていた。今日はこれで授業もないし、一時間で学校が終わったことから急なお休みみたいな感覚なのかな。

 

「帆波ちゃん、これからケヤキモールで一緒に遊ぼうよ」

 

「あ、うん、そうしよっか」

 

 胸の奥にあるモヤモヤに気が付かないフリをするように私も教室を出て行く。すると同じように満場一致試験を終わらせたのか、笹凪くんたちの姿が廊下に見えた。

 

 きっと上手く終わらせることができたんだろう。凄く安心して余裕が感じられた……笹凪くんなら当たり前のことだよね。

 

「……」

 

 声をかけようかと思ったけれど、笹凪くんの隣には堀北さんがいた、二人は何やら話しながら廊下を歩いていき、最後までこちらに気が付くことはない。

 

「行こう、帆波ちゃん、男子も何人か合流したいみたいだし。カラオケで良いかな?」

 

「大丈夫だよ」

 

 何が大丈夫なんだろう、私にもわからなかった。

 

 クラスメイトと一緒にケヤキモールに向かう途中、私はやっぱり胸の奥にある不安やもどかしさに気が付かないフリをするのだけど、どうしても意識してしまう。

 

 そして自分の右手の小指を左手でギュッと包み込む。そこにある温もりを思い出す度に強くなれる気がしたのに、不思議と今は冷たく感じてしまうんだよね。

 

 今回は上手く行った、けれど次はどうだろう? 更にその次は?

 

 クラスメイトたちは私を頼りにしてくれて、けれどその私は何もできていない。いつだって彼に甘えて助けられてばかりだ。

 

 今回だって――クラス内投票で助けてくれたから余裕があっただけ、そうでなければもっと悲惨になっていたかもしれない。

 

 こんな私がこれからも進んでいけるのかな?

 

 二年生に上がる前に笹凪くんとした約束を果たせるのだろうか。彼に挑んで戦っていけるのかな。

 

 色々な考えや思いがグルグルと回っていくだけ、でも答えは出ないまま進んでいく。

 

 私はこの学校で何がしたいんだろう、どうすれば良いんだろう。小指に触れても答えてくれないし、とても落ち着ける背中の熱はもう思い出すことができない。

 

 それでも笹凪くんと結んだ約束を果たそうと必死になっているけど、自信も結果も上手く繋がらないままだ。

 

 昨日、笹凪くんからは8億ポイントが送られてきたけれど、それは使えない。使ってしまった瞬間に私はもう一生彼と隣り合うことができない気がしたから。

 

 自力でAクラスに上がってポイントを返せるような、そんな凄いリーダーになれたら良いんだけど、今の私は五里霧中だった。

 

 どうすればもっといい方向に進めるんだろう? 

 

 どうすれば恥じることなく向き合えるのかな?

 

 どうすれば対等な存在として隣に立てるんだろう?

 

 

 

 

「どうすれば良いのかな」

 

 

 

 

 その答えは誰も教えてくれなかった。

 

 勝利って、なんだったっけ?

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

「今はそれで良いのかもしれない」

 

 

 

 

 

 

「凄く大変な特別試験だったね」

 

 ケヤキモールにある行きつけのカフェで椅子に腰を下ろした瞬間に愛里がそう言った。今日の午前中に行われた満場一致試験のことを言っているらしい。

 

「そう? なんかあっさり終わっちゃった印象だけど」

 

 とりあえず飲み物とケーキを注文しておこう、最近はちょっと食欲無かったけど、いつまでもそんな状態ではいられないと思うし、特別試験を乗り越えたご褒美と言う意味もあった。

 

 そうとも、砂糖で固められたカロリーお化けみたいなケーキであっても今日だけは許される。何だかんだで食べた分は胸に行くからそこまで注意する必要はないよね。

 

 愛里も同じ気持ちなのか、むむむとメニュー表を眺めてからなかなかにカロリー高めのケーキセットを注文している。

 

 特別試験の後はどうしてもこうなってしまう、別にこれは私たちだけの話じゃない筈だ。

 

「うん、ポイントがあったからすぐ終わったけど……そうじゃなかったらって考えたら、凄く怖くなっちゃって」

 

「まぁね~、その場合はやっぱり反対になったんじゃない?」

 

「で、でもクラスポイントを欲しい人だっていたと思うから」

 

「クラスメイトを切り捨ててまでそこまでするかなぁ……まぁゆきむ~は欲しかったみたいだけどさ」

 

 ただ別に本気だった訳でもないのかな、ゆきむ~もいざ誰を退学にさせるかとなったら流石に迷うだろうしね。

 

「波瑠加ちゃんは、もしそうなったら誰が退学になってたと思う?」

 

「難しいこと訊いてくるなぁ……まぁ、誰かってなると、やっぱりOAAの数値とかを見て決めるんじゃない? 後は納得させやすい人かな。ほら、山内くんとかあの辺」

 

 あの盗撮事件以降、男子の一部は地を這うような評価になっている。今もクラス貯金をする際には多めのポイントを支払う償いの真っ最中だったっけ。

 

 誰を選ぶかと言う話になればやっぱり盗撮犯の中からということになる。おそらく女子は全員が、男子も大半が仕方がないと納得するんじゃないかな。

 

「でも過ぎた話だし考えても仕方ないって、しっかりクラスで貯金を作ってたから問題なく乗り越えられたんだしさ」

 

「うん、そうだね」

 

 そう、誰を退学させるかなんて話はもう終わったのだ。クラスポイントも取れて退学者も出なかった、ケチなんて付けても何の意味もない。

 

 注文してきたケーキセットと檄甘な飲み物が届いたので楽しむとしよう、今日くらいはね。

 

「まぁできればランダムでプロテクトポイントが貰えたら最高だったけどね」

 

「あ、波瑠加ちゃんはそっちに投票したんだね」

 

「最初はね、ランダムだから可能性は低いかもしれないけどワンチャンあったかもだしさ。でも粘るほどでもないから変えたけど」

 

「40分の1だから、やっぱり難しいよね」

 

 テンテンとかきよぽんとか高円寺くんはプロテクトポイントを持っているから除外されるだろうけど、それでも37分の1で貰えたかもしれない……まぁそれでも可能性は低いだろうから難しいか。

 

 できれば私だけでなく愛里にもプロテクトポイントを持たせたかったけど、無い物ねだりをしても仕方がないよね。

 

 ケーキを食べて甘さに舌鼓を打ち、飲み物で口直しをする。ここ最近はちょっと少食気味だったから染み入るような感覚があった。

 

 いい加減立ち直らないとダメだろうし、いつまでもウダウダしてるのは私らしくもない。今日で一先ずの区切りとしようかな。

 

「ありがとね、愛里。ここ最近、色々と付き合ってくれてさ」

 

「え、あッ、ううん、私も一緒にいたかったから、大丈夫だよ」

 

 本当に健気で可愛い子である、上級生や下級生からよく告白されるのも納得だ。

 

「あはは、心配かけちゃったね。でも大丈夫、こういうのを引きずってグダグダになるのは嫌だしね」

 

 満場一致試験での堀北さんを見ていればよくわかる。テンテンに負担をかけさせたくないって言うのは完全に同意だし、そうするべきだというのは正論だ。

 

 だけど堀北さんはそれだけで終わらず、テンテンと同じ目線に立とうとしているのがなんとなくわかった。

 

 あのテンテンとだ、絶対に不可能だしそんなことできる人がいるとは思えない。高すぎる壁にさっさと諦めるのが普通だけど、それでも目指そうとしている。

 

 あそこまで言われてしまえば、目指されてしまえば何も言えない。私はせいぜい足を引っ張らないようにって考えてたけど、堀北さんはその先を目指していた、それだけの話でしかない。

 

「じ、実はね、その、私も傷心気味で」

 

「え、どういうこと?」

 

「き、清隆くんに告白して、フラれちゃって」

 

 それを聞いた瞬間に私は呑み込もうとしていたケーキが途中で止まってしまった。拙い、変な呑み込み方をしちゃったかも。

 

「うッ、ごほごほッ」

 

「大丈夫、波瑠加ちゃん!?」

 

「あ~、気にしないで、喉に引っかかっただけ」

 

 衝撃が大きすぎる。まさか愛里がそこまで大胆に動いていたとは……いや、待って断られたってどういうことよ。

 

「無人島でね、口が滑りましたと言いますか、弾みで」

 

「は、弾みで告白したの?」

 

 コクリと頷く愛里。そう言えばなんかあの辺からちょっと雰囲気と言うか距離感が変わった感じはあったけど、それがきっかけだった訳か。

 

「いやいや、きよぽん何してんのさ……なんで断るかなぁ」

 

「詳しくは話してくれなかったけど、なんだか今はそういうことよりも、片付けないとダメなことがあるんだって……それで、全部が終わったら向き合わせて欲しいって……い、言われたよ?」

 

 体よく断られただけじゃない? それとも先延ばしにする方便とか? いや、流石にきよぽんはそこまで女子を弄ぶことに長けていないと信じたい。

 

「で、でもね。今はダメだったけど、諦めなくて良いんだって思えたの……もっと勉強して、沢山頑張って、今よりずっと素敵な人になって、もう一度告白しようって、考えてるの」

 

「お、おぉ~……きよぽん、罪な男だね。ここまで健気に思われてるのに今はダメとか」

 

 私はもしかしたら勘違いしてたのかもしれない。

 

 愛里はどこか手がかかる妹みたいな存在だと思っていたのだけれど、それはそもそも間違いで……本当は凄く勇気がある子なんじゃないかな?

 

 一歩踏み出して何か開き直った愛里は、消沈するのではなく前を向いて進んで行こうとしている。

 

「愛里は、もう一度告白するつもりなの?」

 

「うん、いつか必ず。もしダメでも、きっと友達として進んで行けると思うから」

 

 あぁ、やっぱりそうだ。この子は本当は勇気のある子なんだな。ずっと寄り添ってくれたこともそうだけど、思いやりだってある。

 

 全く、なんで断るかなぁ、しかもきっぱりと拒絶するんじゃなくて期待を残すとか、きよぽんは中々のやり手であった。

 

「だ、だから波瑠加ちゃんも、その……まだ先のことなんてわからないから」

 

「まぁ、それで良いのかもね。将来なんてどうなるかわからないんだし、今を楽しんでおくべきかも」

 

 勉強や運動や試験だって今まで以上に頑張れば良い、足を引っ張らない程度だなんて思わずに、それこそ堀北さんと同じようにテンテンと並び立てるくらいに高い目標を掲げてだ。

 

 できるかどうかはわからないけど、ここで妥協しているようじゃ絶対に不可能だ。

 

 愛里が見せた勇気と同じように、私も色々と頑張らないと。

 

 今は友達や仲間としての距離感を楽しめばいいか、恋愛事でグダグダになるのだけは絶対にごめんだ。

 

 だからこの青春を楽しもう、愛里のように少し未来に期待しながら、進んで行けば良い。

 

 私はこの学校に来て良かったと思う。仲間も友人もここにいる、凄く贅沢なことなんだと今更ながら実感することができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「共に並び立つ」

 

 

 

 

 

 

 満場一致試験が終わった翌日の放課後、少し気が抜けた感覚があるのは特別試験が終わると必ず感じるものだから仕方がない。

 

 ここ最近のモヤモヤも手伝ってどんよりとした気分になってしまうけど、そんな表情のまま誰かと接する訳にはいかないから、私は生徒会室の扉の前で頬を軽く叩いて気持ちを切り替える。

 

 四月頃はこの扉を開けるのが凄く嬉しかったな……いや、ダメダメ、また気持ちが暗くなっちゃう。

 

 意識を切り替えてから扉を開くと、生徒会室の中には堀北さんだけが待っていた。

 

「お疲れさま、堀北さん」

 

「えぇ、そちらもね、一之瀬さん」

 

 天武くん……いや、笹凪くんはいないみたいだ。不思議とホッとしたような気分になって、そんな自分にまた嫌悪感を抱いてしまう。

 

 私はここ最近、ずっとそんな感じだった。

 

「て……笹凪くんと七瀬さんはどうしたのかな?」

 

「二人は南雲先輩の所よ」

 

「南雲先輩? どうしてかな」

 

「生徒会選挙も近いもの、その打ち合わせと確認、そして引継ぎよ」

 

「あ、そっか」

 

 そう言えば生徒会選挙が近いんだった。南雲先輩は生徒会役員の任期を卒業までにするって就任演説で言っていたけど結局叶うことはなかった。大怪我したこともあって席はまだ残っているけど事実上の引退状態にある。

 

 だから新しい生徒会長を決めないといけない。体育祭が終わった辺りに新旧の引継ぎがあるから、生徒会選挙も近い。

 

「私も手伝うよ、それって選挙関連の書類だよね?」

 

「お願いできるかしら」

 

 堀北さんが見ていた書類を私も確認する。加えて近くまで迫った体育祭や文化祭の準備も進めて行かなければならないから、生徒会は本当に忙しい。笹凪くんが桐山先輩と南雲先輩を無理やりにでも復帰させるべきだと愚痴ってしまうのも仕方がないのかもしれない。

 

 でも桐山先輩はともかく南雲先輩は入院してるんだから難しいよね、朝比奈先輩がよくお見舞いに行ってることを私は知っている。

 

 お互いに書類を確認して色々と迫っているイベントを恙なく終わらせられるように準備しないといけないよね。ずっとモヤモヤしたままだと足をひっぱちゃう。

 

「色々特別試験やイベントも多いから、本当に忙しいね」

 

「そうね。二年生だけが特別試験を挟まれたりしたもの、余計に忙しく感じたわ」

 

 満場一致試験のことだろう。簡単に終わったけれど、体育祭に意識が向いていただけに衝撃は大きかったと思う。

 

「堀北さんのクラスは上手く進められたみたいだね」

 

「幸いにもクラス貯金を上手く使えたから。一之瀬さんの所もそうでしょう」

 

「うん、坂柳さんや龍園くんたちのクラスも同じように攻略したみたい」

 

「資金が潤沢ならばどこもそうするでしょうね」

 

 だから二年生のクラスはそれぞれクラスポイントを増やしたことになる。差は生まれなかったけど完璧な展開なんじゃないかな。

 

「でも恐ろしいとも思ったのよ……もしポイントに余裕が無ければ、きっと大きな決断を迫られていたでしょうから」

 

「それはそうだね、簡単に終わっちゃったけど、凄く意地悪な試験だったかな」

 

「でも一之瀬さんのクラスならそこまで深刻になる必要はないのかもしれないわね。こちらのクラスもある程度は纏まりがあるけれど、貴女のクラスには届かないもの」

 

「そうかな?」

 

「えぇ、私たちのクラスの纏まりはそこまで強いものでもないわよ。一人に依存する強さだから」

 

「それって、笹凪くんのこと?」

 

「その通りよ。他の生徒たちもそれぞれ努力しているし、熱意だってあるけれど、核となっている人がいるからこそでしょうね」

 

 それは凄くわかる気がする、不思議な引力を持つ笹凪くんは視線だけでなく心も引き寄せてしまいそうだから。

 

 誰かに安心を与えることができて、信頼される、決して折れない主柱になれる人だ。

 

「……色々と負担をかけてしまっている、本当に申し訳ないと思っているわ」

 

「仕方がないよ、だってほら、笹凪くんって凄く頼りになるし」

 

 頼り切ってしまっていることを憂いているのか、堀北さんは少しだけ沈んだ顔を見せる。その横顔を見た瞬間に私は変な同情を抱いてしまった。

 

 堀北さんは私と同じように笹凪くんに申し訳なく思っていた、頼ってばかりの状況に申し訳なさを感じて、そして安心感もあるのだと。

 

 それだけ笹凪くんが凄いってことなんだろうな、つい寄りかかってしまうのは凄くよくわかってしまう。ダメなことだってわかっているのに。

 

 そう考えると私は堀北さんと近い存在なのかもしれない、いつだって甘えてしまうから……けれど、そんな親近感がとても的外れで失礼なものだと知ることになるのはすぐ後のことだった。

 

 

「でもそんな彼に甘えてばかりはいられないとは思っているわ」

 

「え?」

 

「彼におんぶに抱っこでAクラスになれたとしても意味はないもの。彼に守られて甘えているだけというのもね」

 

「……」

 

「いつか胸を張って彼の隣に立てるだけの成長を見せたい。とても難しいことだけど、一つ一つ積み重ねていきたい……私個人としてもそうだし、クラス全体としてもよ」

 

「……」

 

「一之瀬さん?」

 

「あ、うぅん、なんでもないよ……凄いね、堀北さんは」

 

「そうかしら? こんなことはどこのクラスでも思っていることでしょう、誰かに憧れて近づく為に努力するだなんて」

 

「うん、そうだね」

 

 とても失礼な考えだった……私と同じだなんて。

 

 彼女は、堀北さんは、笹凪くんと同じ場所に立とうとしている。守られるのではなく守ろうと、助けられるのではなく助けようと、後ろに付いていくのではなく隣に並ぼうとしている。

 

 そんな人だからこそ、笹凪くんはきっと……。

 

 親近感だなんて、もの凄く失礼な考えだ。ただ甘えて支えられてばかりで何も返せていない私が思っちゃいけないことだった。

 

 

 胸の奥の方で、何かが折れる音がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やるなら徹底的に」

 

 

 

 

 

 メイドとはなんだろうか?

 

 俺はその難題に挑む為に清隆から預かったメイド服を着させられて束ねられた書類を前にして部屋で唸っていた。

 

 迫る学園祭、ウチのクラスではメイド喫茶をすることがほぼ確定した訳だが、何を踏み間違えたのかアドバイス役である清隆からは俺がメイドとして接客することがほぼ確定という方針を伝えられている。

 

 酷いよね、男にメイド女装させると、アイツは血も涙もないサイコパスなんじゃないかと疑ってしまうよ。

 

「天武、お前に足りない物はなんだと思う?」

 

 ある日の放課後、文化祭の準備が今から少しづつだけど進められている訳で、つまり俺がメイドとしてしっかりと教育されることになるんだけど、放課後になって部屋に押しかけて来た清隆の最初の一言がそれだった。

 

「冷静さ、じゃないかな」

 

 男をメイドにしても意味がないよねと気が付ける冷静さ、それが足らないと思う。特に清隆には。

 

「違う、エロティシズムだ。良いか、お前の女装は極めて完成度が高く、ユニセックスな見た目も相まってどこか神秘的な美しさがある。剥製にしてオークションにかければ人体収集家が高値を付けるだろう。しかしそこにエロはないんだ、そう、エロがな……オレは少し勘違いしていたんだが、美しいだけではエロは表現できない、同時に可愛らしさだけでもエロは醸し出せない、わかるか?」

 

 滅茶苦茶喋るじゃん、清隆ってメイドの話になると早口になるよね。

 

「お前の美しさはただ美術品としての美しさでしかない。学校の文化祭程度ならばそれも良いと妥協することもできるが、プロデューサーを任された以上は半端なことはしたくない」

 

「あ、ハイ」

 

「佐藤や軽井沢たちのメイド姿はお前も見たな、どう思った?」

 

「凄く似合っていたと思うよ」

 

「その通りだ、アイツらのメイド姿には美しさと愛らしさの中に確かなエロティシズムがあった、お前が持っていないな……どれほど完成度が高くてもそれが無ければメイドとは言えないだろう」

 

「あ、ハイ」

 

 ここまで情熱的に喋るだなんて、もしかしてメイドは清隆の性癖に突き刺さったんだろうか? 変な研究者っぽくメイドを調べているようだけど、興味がないとここまで真剣にはならないだろう。

 

「だが男のオレたちがどれだけ頭を悩ました所で、エロティシズムを、そして可愛らしさや美しさを表現するのは難しいと結論に至った。お前は芸術品のような美しさはあるがどうしても高価な壺や絵画のように思えてしまう、それを是正しなければならない」

 

「あ、ハイ」

 

「そんな訳で有識者を呼んできた」

 

 清隆はそう言って俺の部屋に連れてきた有識者、佐倉愛里さんを紹介するのだった。

 

「愛里、今の天武を見てどう思う?」

 

「す、凄く綺麗だよッ……ふわぁ~、これは凄い完成度だね。天武くんって言われなきゃわからないよ」

 

「あぁ、だがエロティシズムは感じない、違うか?」

 

 君は愛里さんに何を問いかけているんだ? 正気を疑われてしまうぞ。

 

「ぇ、エロティッ!? あ、あの、えっと……」

 

 ほら見ろ、顔を赤くさせて困惑しているじゃないか。

 

 しかしそんな愛里さんだったが、メイド姿の俺をチラチラと見ていく内に表情が真剣になっていく。まるでこれは議論に値すると言うかのように羞恥が消えて行ったのだ。

 

「確かに、清隆くんの言う通り、綺麗だけど、ただそれだけで完結してるの、かな?」

 

 何ということだろうか、愛里さんもこのメイド研究に加わって来るだなんて。

 

「そうだな、そこで愛里からアドバイスを貰いたい。どうすれば天武……天子を変えられる?」

 

「わ、私が?」

 

「あぁ、何せ愛里はおそらく全校生徒で唯一そういった経験が豊富だろうからな。プロの現場に立って見られると言うことを突き詰めた職業に就いていたんだ」

 

「どうかな……沢山失敗したし、もの凄く上手でもないよ。プロのカメラマンさんにも苦労ばかりかけちゃって」

 

「それだ、大半の者にとってその苦労や失敗すらも経験していない。オレは勿論のこと天子や堀北もそうだろう。知っているのと知っていない、そこには雲泥の差がある……だから愛里、色々と教えて欲しい」

 

 清隆が真剣な表情で愛里さんを見つめてそう言うと、彼女はその真剣さに押し負けたのか恥ずかしがりながらも頷いてしまう。俺をエロティシズムを感じさせるメイドにする為に協力することに同意したのだ……世も末だな。

 

「えっと、まずね、これは私がカメラマンさんに言われたことなんだけど……大切なのは自信なんだって」

 

「ほう」

 

「カメラや視線を向けられた瞬間だけは世界で一番綺麗で可愛いって思いこむのが大切なの……私もよく言われたんだ、何度も失敗して、そんな時にカメラマンさんはアドバイスをくれて」

 

 モデルだったりグラビアアイドルの仕事現場か、まるで想像できないな。それは清隆も同じだろう。こればっかりは経験値がどちらもゼロなので素直に興味深い。

 

「ポーズや表情はその前提を超えた先にあるんじゃないかな。え、えっちな雰囲気もそうだと思うの、まずは意識と自信、だよ?」

 

「そう言われても困るな、俺は世界で一番可愛いと思ったことは一度もない」

 

 当たり前のことである。俺は中性的だとよく言われるけれど、体も心も男なのでそんな方向に思考を伸ばす筈が無かった。

 

「ふむ、歌舞伎の女形などは女性の美意識や価値観を学ばせることがあると聞いたことがあるが、ああいうのにもちゃんとした意味があったということか」

 

 清隆がなにやら納得したように頷いている。考えてることはメイドなのになんであんなに真剣に研究してますって顔をしているんだろうか?

 

「天子ちゃん、意識してみて、私は世界で一番可愛いって」

 

「俺は男だよ」

 

「う、う~んと、なら天子ちゃんが思う一番綺麗で可愛い人を思い浮かべて欲しいな、その人っぽく振る舞えるかな」

 

 演技なら得意だ……いや、正確には開き直ってるだけなんだけどさ。集中力を高めて師匠モードになって、それを女性的な人格に接続すれば行ける。

 

 女性らしく振る舞うことはできる、ようは師匠の所作や雰囲気を真似るだけなんだからさ。だけどエロは流石に難しい。やろうと思えば幾らでも女性の精神は作れるけれど、どうしても根っこが男だからエロくはなれないんだ……俺は何を言っているんだろう。思考が毒されてきているな。

 

 とりあえず師匠モードになっておこう。その集中力の全てを演技に注ぎ込む。美しいメイドになれるようにだ。

 

「うん、凄く綺麗だね。こんなに劇的に雰囲気が変わるなんて凄いよ。プロの役者さんみたい」

 

「だがエロティシズムは感じない」

 

 清隆、とりあえず君はそこから離れた方が良いと思う。

 

「そ、それなら、いっそのことスカートを短くしてみるとかは、どうかな?」

 

「いやそれは難しいな、ロングスカートとフリルやリボンで体の線を誤魔化してはいるが、肌が露出すると流石に騙せない。バキバキだからな」

 

「そっかぁ、ならパットを入れてみるべきかな」

 

「パット?」

 

「えっと、だから、その。盛るの」

 

「なるほど、それも一つの手だろうな」

 

 清隆は試しにとばかりに俺の部屋の洗面台に向かってそこから数枚のタオルを持ってくる。それを丸めて俺に投げ渡してくるのだった。

 

「入れてくれ」

 

 なんで君はそんな数学者が難解な数式に挑んでいますって感じの顔になっているんだ? やってることは友人に女装させて色々やってるだけなんだけど……。

 

 ただ恐ろしいことに愛里さんも真剣になっているので断り辛い。仕方がないので俺は丸めたタオルを胸板と服の間に押し込むのだった。

 

「ふむ……悪くはないか」

 

「そうだね、コルセットを付けてくびれを作ればもっと女性らしい姿になると思うよ。天子ちゃん、視線は真っすぐして、顎はちょっとだけ引いて欲しいな。足は爪先を揃えて隙間なく、胸を張るように姿勢を整えて」

 

 どうしようか、愛里さんが何故かプロのカメラマンっぽくなっている。本当に真剣な表情で俺をどうエロくするかを考えているのだ。

 

「う~ん、目力が強すぎるから少しだけ柔らかくした方が良いね。ちょっと修正して、視線はほんの少しだけ下げぎみで、柔らかな感じが良いと思うよ、唇の端を気持ち緩めるくらいで表情も穏やかにして……後は堂々とした自信の中に僅かな羞恥と恥じらいがあれば」

 

 愛里さんが瞳を輝かせて床に寝そべると何故かローアングルからスマホで撮影してくる……もの凄く恥かしいから止めて欲しい。

 

 女性っぽく振る舞っているからなのか、そんなことをされるとどうにも恥ずかしくなってしまうので、思わずスカートを押さえてしまった。

 

「はッ!? いいよ、天子ちゃん、その恥じらいだよ!! それで良いんだよ!!」

 

 清隆同様、愛里さんの様子が少しおかしい。ただ俺を女装させているだけなのにどうしてそこまで真剣になれるのだろうか。

 

「なるほど、天子には恥じらいが足りなかったということか」

 

 清隆は自分のスマホのライトを使って被写体を、つまりは俺を明るく照らして愛里さんの撮影を手伝っていた。

 

「どうかな、清隆くん?」

 

「悪くはない、美しさとエロティシズムが共存している。これがオレが求めていたものだ。流石は愛里だな、お前に協力を要請して本当に良かった」

 

「そ、そうかな……えへへ」

 

 そこ、人を女装させておいてなんかいい雰囲気にならない。

 

「よし愛里、せっかくだからこのままクラスのメイド教育係になってくれ、人の目にどう映るのかをしっかり教えて欲しい。最高に魅力的な女子軍団を作り上げるんだ、お前になら任せられる」

 

「が、頑張るよッ!!」

 

 やる気を漲らして興奮した様子を見せる愛里さんと、そんな彼女を期待した様子で眺める清隆……俺は蚊帳の外である。

 

 

 いや、もういいけどさ、君たちが楽しそうならそれで。

 

 俺はもうメイドとして接客する未来を避けられないと判断して、静かに匙を投げるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな未来もありえる?」

 

 

 

 

 

 それは暴力の化身だった。

 

 雷が人の形をしていれば、大地の揺れが人の形をしていれば、山の噴火が人の形をしていれば、きっとあんな姿をしているのかもしれない。

 

「脆弱すぎる」

 

 ただ一言、無数の屍と瓦礫の山の上でこの世の者とは思えないほど美しい女はそう言った。

 

 かつてそこにあった建築物、国会議事堂は既に瓦礫と化しており、そこを守る為に集まった戦力は軒並み壊滅しているのがわかる。

 

 戦車はひっくり返り、ヘリは墜落して、警察官も軍人も倒れ伏していた。

 

 人を超えた存在、政府から超人と認定された怪物たちすらも同様だ。二十人近くいる超人の中でも戦闘に特化した者たちでさえ横たわっているのが見える。

 

 どれほどの戦いがここで行われたのだろうか、ただ瓦礫の山と倒れ伏す人々だけがそれを物語っている。

 

「わかるかい、弟子よ……これが私が見てきた光景だ。誰も並び立つことの叶わない、誰もを超えることの叶わない絶対の壁であり、強さと才能だ。私よりも優れた人類は存在せず、私より優れた技術もなく、才能も存在しない……あまりにも空虚だ」

 

 瓦礫の山の上で彼女が見下ろす先には、己が手塩にかけて育てた弟子が立っていた。

 

「随分と長く生きてきたよ。もう数えるのもばからしくなるくらいにな」

 

 ただがむしゃらに鍛えて古今東西を問わずあらゆる武術や技術を習得して幾星霜、体は老いから遠ざかるばかりであったらしい。少なくとも彼女は既に人の領域にはいないということである。

 

「生涯無敗……つまらん称号だよ。いつ終わる、いつ死ねる、この思い上がりを誰が正してくれる? ここ百年ほどはずっとそんなことを考えてばかりだった」

 

 彼女はそこで言葉を区切って、己が育て上げた最高傑作を見下ろす。

 

 背中が震えるのはいつぶりだろうか、心臓が不自然に跳ねるのは少なくとも100年振りであるのは間違いない。

 

 これは確信だ、あれならば自分の心臓に指を届かせることができるという確信が彼女にはあった。

 

 試しにと、近くに転がっていたひしゃげた戦車の掴んで投げつけると、その弟子は特に苦労することもなく粉砕して払い除けてしまう。

 

「だが、待ちわびたぞこの瞬間をッ!!」

 

 言葉と同時に彼女は瓦礫の山を踏みつけて一瞬で弟子へと迫る。そしてすれ違いざまに無数の攻勢をしかけるのだが、その全てが相手の命を刈り取るには届かない。

 

 生涯無敗、古今独歩、天下無双を自称して、それが何も間違っていない力を持っている彼女が殺し損ねた、それだけでこの世の何よりも価値がある勲章でもあるのだろう。

 

 瞬きする間に重ねられた拳打と駆け引きは数百を超えていたが、同じだけの手段と技術と経験を持って封殺されたのだ。これが笑わずにはいられようか、歓喜せずにいられようか。

 

 彼女はずっと待っていた、今日この瞬間を。

 

 

「見事だ弟子よ。数多の強敵を屠り、無数の戦場を超え、血肉を削りながら、ようやくこの領域に至ったか!!」

 

 

 いつからだろうか、敵に期待しなくなったのは。

 

 いつからだろうか、差し出される手に間を置かず握り返せるようになったのは。

 

 いつからだろうか、目に映る全てが色あせたのは。

 

 いつからだろうか、全てを見下ろせるようになったのは。

 

 

 そうじゃないだろうと否定するものが現れなくなったのは、いつからだろうか。

 

 

 だが今ここにいる、待ち望んだ英雄が、最強の戦士が、久しく感じることの無かった感情に支配されるには十分である。

 

 これは恋だ、これは愛だ、これは復讐で、願いで、祈りで、どうしようもないほどの絶頂だ。

 

 雷の如き拳が頬を切り裂いた瞬間に体は絶頂に震えて、仕返しとばかりの弟子の体を傷つければ同じだけの快楽が広がっていく。

 

 積み上げた技術の集大成をぶつければ心臓は跳ね上がったし、同じだけの攻勢を返されれば唇が歪む。

 

 血と肉を削り合うことの、なんと美しく甘いことだろうか。

 

 永遠に続け、けれど終わらせてくれ、矛盾したことを思いながら弟子の骨を割り砕くと絶頂して、反撃されてこちらの骨が折れればまた快楽の果てに誘われる。

 

 これだ、これこそが生きていることの証明だ。体中に広がる痛みと流れる血の生暖かさのなんと尊いことか。

 

 

「そうか、私はこの瞬間の為に生きてきたんだな」

 

 

 何の為の人生であったかというならば、まさにそうとしか言えなかった。

 

 だがいつまでも甘美な時間は続かない。物事には必ず終わりがある。夢とはいつか冷めて現実に戻るものである。

 

 互いの体は数百数千の攻勢によってボロボロだ。ここまでくれば残された余力の全てをぶつけるしかない。

 

 

「見事だ、君のそれはもう笹凪流とは言えない。これより先は我流と名乗りなさい」

 

 

 自分が教えた技術は弟子なりの昇華されている、屠った強敵たちから吸収して、学びを絶やさなかった証拠だろう。

 

 だからこそアレはもう自分の知る武術ではない、起源を同じとしながらも異なる方向に進化した新しい笹凪流である。

 

 

 最後の一撃、奇しくも同じ構えであったことは自然なことだろう。起源を同じとしながらも、しかし次の瞬間の攻勢は大きく異なった。

 

 

 

「笹凪流奥義ッ」

 

「笹凪流……いや、我流、奥義ッ」

 

 

 

 膨れ上がる巨大な存在感と熱量は両者の間でせめぎ合い、それが限界まで達した瞬間に二人は全く同時に飛びあがり空中でぶつかり合う。

 

 雷の如く、噴火の如く、地震の如く、圧倒的な熱量を人の形に押し込めた二人は己の間に無数の閃光と衝撃をまき散らして、あまりにも早すぎた為か無数の残像を生み出すことになり、それは殴り合いというよりは集団による合戦にも近い光景であったのだが……永遠に続くかと思われた攻防は、ある瞬間を境に心臓に手を届かせることになる。

 

 

 

「奥義、お返しします」

 

「うん……よい気分だ」

 

 

 最後に心臓を穿った瞬間、とてつもない衝撃波が吹き荒れあらゆる物を押し流すのだった。

 

 

 その日、一つの星が空を流れた、これはただそれだけの話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやそうはならんやろ!!」

 

 

 意識が覚醒した瞬間に私はらしくない大声を上げて変なツッコミをしてしまった。

 

「あ、え……ゆ、夢?」

 

 どうやら私は眠ってしまっていたらしい。周囲を見渡してみると変な彫刻が置かれた部屋が広がっており、そこが天武くんの部屋だと自覚した瞬間に気が抜けるような感覚になった。

 

 教室や生徒会室じゃなくて良かったと、私は安心した。

 

「鈴音さん!? どうかしたの? なんか関西弁の鋭いツッコミが聞こえてきたんだけど」

 

 台所の方から天武くんが顔を出してそう訊いて来たことで、変な安心を感じることになる。

 

 時計を見てみると時刻は午後六時、生徒会での仕事も終わって彼の部屋にお邪魔していたんだったわね。どうやらそこで気が付いたら眠ってしまっていたらしい。

 

 体にかけられていたシーツを折りたたんで、何でもなかったかのように姿勢を正す。変な夢を見て何故か関西弁でツッコミをした私はきっとおかしな相手だと思われたかもしれない。

 

「な、なんでもないわよ、気にしないで。少し夢見が悪かっただけだから」

 

「そうなのかい、何故か関西弁の鋭いツッコミだったけど」

 

「だから気にしないで頂戴……多分、疲れていただけだから」

 

「まぁここ最近は本当に忙しかったから、仕方がないのかもね」

 

 そう、体育祭や文化祭、そして生徒会長選挙も控えていることもあってとても忙しい。きっと変な夢を見てしまったのもそれが原因でしょうね。

 

 関西弁でのツッコミだって、きっと疲れていたから変な混線があったんのだと信じたい。

 

 私はこの醜態を無かったことにする為に、話題を変えながら天武くんと一緒に台所に立つ。

 

「いつの間にか寝てしまっていたみたい。ごめんなさい、私も手伝うわよ」

 

「ありがとう、それじゃあスープの方をお願いできるかな」

 

 微笑んだ天武くんは私の醜態を無かったこととして振る舞ってくれている、本当にありがたい対応ね。

 

 一緒に夕飯を作って、その後に復習と勉強をして、これからについて相談をしているとあっと言う間に午後八時になり、自分の部屋へ帰る段階になると私は妙な夢の内容を殆ど忘れることになる。

 

 それで良かったのだと思う。私はきっと疲れていただけでしょうから。

 

 

 

 

 

 



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二年目の体育祭
迫る体育祭


新章の始まりです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 櫛田視点

 

 

 

 

 

「やれやれ、困ったものですね」

 

 学校の屋上で八神くんがいつもの澄ました顔のまま芝居がかった口調でそう言った。苛立ちは感じないけれど自分の妄想に泥を塗られたようながっかり感があるのかもしれない。

 

 余裕たっぷりではあるのだが、内心では上手く行かなかったことに思う所があるのかな。なんであれ言葉と態度よりもずっと色々なことを考えているのはわかるよ。

 

 だって君、頭の良い馬鹿って表現が一番似合うもんね。

 

 八神くんの思惑はともかく、今は私のことを考えないといけない。度々屋上に呼び出して顎でこき使おうとするこいつは目下最大の敵である。過去をネタにここまで堂々と脅してくるんだから本当に困る。

 

 早めに処理したいけど簡単じゃない。天武くんも今は準備の段階だって言ってっけ。

 

「仕方がないじゃない。八神くんの言う通りちゃんと退学者が出る選択肢に誘導したんだよ」

 

 嘘だけどね。事前に天武くんがそういう展開もあるって相談していたし、その場合はポイントで救済する形にするって話し合いの場で言っていた。つまり八神くんが何をどうしようと結果が変わらなかったということだね。

 

「そうでしょうか? たとえば櫛田先輩が限界ギリギリまで粘り続けるという選択肢もあったと思いますけど」

 

「本気で言ってる? それはつまりクラスポイントを300もドブに捨てるってことなんだけど、しかも誰も退学にできないままね」

 

「そこを上手く誘導してくれるだけの人だと思っていましたけど、少々期待外れですね」

 

 本当にイチイチ苛立たせてくれる子だと思う。外野からできもしないことをただ命じるだけならどんな馬鹿にだってできる。

 

「そもそも八神くんはさ――」

 

 一言くらい文句を言ってやろうと思って口を開いた瞬間に、彼の折れていない方の手が私の首に伸びてきた。

 

 突然のことで何も反応ができなかったこともあるけど、それ以上に素早くて防ぎきれないものでもあったから、もしかしたら八神くんは格闘技でもやっていたのかもしれない。

 

「な、何するのかな?」

 

 喉を掴むかのように触れて来る掌はしかしこちらに痛みは与えてこなかった。ただ添えられているだけ……けれど次の瞬間にはそのまま握り潰されそうな圧力は感じられてしまう。

 

 大人しい顔をしているけど、もしかして喧嘩とか強いのかな? OAAの数値だけ見ればそこまで運動は得意じゃなさそうだけど、本性と同じで能力も偽っているのかもしれない。

 

 やっぱり危険だ、利用とか云々以前にどこで爆発するかわからない相手なんだよね、八神くんは。

 

「櫛田先輩、以前にも言いましたけど、貴女は境地に立たされています。その自覚がありますか?」

 

「わかってる、わかってるけど……無理だったの」

 

 ここは、流石に監視カメラの死角になってるよね? 変な所で用意周到だから面倒だ。

 

「無理なんていうのは、弱者の思考ですよ」

 

 ブラック企業みたいなこと言うのは止めて欲しい。実際に天武くんがいるから無理だったんだもん。その場にいなかった癖に無理難題を押し付けるのは止めてよ。

 

 いや、澄ました顔してるけど、八神くんも焦りがあるってことなのかな。

 

「そもそも櫛田先輩には自覚があるんでしょうか? 貴女の過去を握っているのはこちらで、僕はいつでもそれを広げることができるんですよ……ただの脅しの言葉だと思っているようならそれは勘違いだ。いっそ、立場をわからせましょうか?」

 

「ま、待ってッ……それだけはやめて、お願い、お願いだから」

 

「使えない駒に大した価値はありません」

 

「やめてッ……も、もう一度だけチャンスを頂戴、今度は上手くやるから、ね?」

 

「その考えがそもそも間違いなんですけどね、チャンスなんてものは何度も訪れるようなものじゃない。僕のいた場所ではそれが基本でした」

 

「な、なら、えっと……ポイントを、ポイントを上げるから、もう一度だけチャンスが欲しいの」

 

「ポイント?」

 

「う、うん……私が毎月貰ってるポイントの半分を八神くんに渡すから。そ、それなら、私にはまだ利用価値があるでしょ?」

 

 ここで大切なのは弱々しく怯えて無力感を演出することかな。こびへつらってポイントを提供することで、そうすることでしか生き残れない女だってことを主張することにある。

 

 恐怖に染まった表情を作っておくことも大事、演技には慣れているからこれくらいは簡単にできた。私は今誰がどう見ても覚える無力な女子生徒でしかない。

 

「だ、だから、ね? お願いだから、過去のことは広げないで……そうなったら、私はッ」

 

 我ながら完璧だと思う。八神くんが首に手をかけていることも手伝って、完璧なか弱い女子生徒だ。

 

「なるほど、利益を提示すれば僕が貴女を切り捨てない、惜しいと思う訳ですか。悪くはありませんね」

 

「で、でしょ?」

 

「ですがそれでは50点です」

 

「ほ、他に何が必要なの?」

 

「結果ですよ……まぁ良いでしょう、及第点ということにしておいてあげます。貴女を切り捨てるか否かに関しては次の結果で決めるということで一旦は進めましょうか。そこでもう50点を取れるのならば、貴女は晴れて駒として扱うに値する価値を示すことになるでしょう」

 

「チャンスを、くれるんだね?」

 

 つまりそれまで私の過去を晒さないということだ。どうせ二度も三度もこんな自殺志願者と関わるつもりもないので、それで構わない。

 

 重要なのは、私が持っているポイントを八神くんに渡すことにあるんだから。その事実さえ作れるのならば何も問題はないかな。

 

「えぇ、ですけどよく覚えておいてください。本来、チャンスは二度も訪れないということを」

 

 私はそんな彼の言葉に怯えた様子でコクコクと頷きを返す。無力で恐怖に怯えてなんとか媚を売ろうとする弱い女を演じた。

 

「それでは期待しておきますよ、櫛田先輩」

 

 そう言い残して八神くんは私の首から手を放す。そしてボロボロの体を引きずりながら屋上から校舎の中に返っていくのだった。

 

 私はすぐさま自分のスマホを取り出して八神くんにポイントを送る。今持っている手持ちの半分を。

 

「とりあえずこれで良いのかな?」

 

 天武くんから受け取った作戦の一つはこれで終わった。どんな形であれ私が持っているポイントを八神くんに渡すという事実が必要であるらしい。

 

 つまり作戦の第一段階は終了したことになる。後は天武くんに任せるとしようかな。さっさとアイツを処理してくれることを祈るばかりだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ最近、俺はとても順風満帆なのではないだろうかとよく思うようになった。朝起きてすぐに始める改造トレーニングの充実感は今までよりも大きく、朝食に作った出汁巻卵はこれまでで最高の出来でもあった。

 

 学校に行く前に身だしなみを整える時も鼻歌交じりだったし、寮の外に出た時は珍しい蝶が視界を横切った。

 

 憧れを持つだけでは未熟者、夢を持って半端者、恋を知ってようやく一人前、そう言われて育ったことでそれが俺の価値観になっており、この学校にも一人前になる為に来たという側面が多かったけれど、ようやくそこに指先が届くんじゃないかと思えるようになったから、より充実しているのかもしれない。

 

 改造鍛錬は今まで以上に集中して効果がより実感できるようになり、勉強にだって実が入る。

 

 成長が実感できるようになったとでも言うべきだろうか、これが一人前に近づくということなのかもしれない。

 

 おそらくだが、今の俺なら入学したばかりの頃の俺は瞬殺できるんじゃなかろうか。そんなことを考えられるくらいには成長というものを感じ取れるのだ。

 

 良い傾向だと思う。憧れと夢を知り、恋に触れ始めたことで成長力が上がったのかもしれないな。

 

 そんな切っ掛けをくれた人を登校中に見つけたことで、俺は自然と唇を緩めるのだった。

 

「おはよう、鈴音さん」

 

「えぇ、おはよう」

 

「眠たいのかい?」

 

「そうかもしれないわね、少し夜更かしをしてしまったから」

 

 読書でもしていたんだろう。俺も改造鍛錬に集中すると朝までずっと逆立ちで腕立てとかすることもあるし、気持ちはわからなくはない。

 

「ニヤニヤして、何か言いたいことがあるのかしら?」

 

「いいや、ちょっと寝ぼけ眼な君が可愛らしいと思っただけさ」

 

「……もう、往来でそういうことを言うのは止めなさい」

 

 少し照れたような表情になった鈴音さんは、こちらに流し目を向けてちょっと非難してくるのだった。

 

 恋人という関係になってからより成長を実感できるようになったのは間違いない。夢を自覚した時と同じようにだ。それもこれも彼女がいたからなので感謝しかない。

 

 恋に触れられるようになったからこそ、成長の実感なのだと思う。

 

「体育祭も目前だし、今年はどんな感じに動こうか?」

 

「去年のようにグラウンドだけで完結するようなものではないから、細かな作戦と言っても殆ど無駄になってしまうのよね。団結しようにも人はバラけてしまうし、どうしてもそのクラスの運動能力の平均に落ち着いてしまうんじゃないかしら」

 

「一人当たりで取れるポイントも限られている訳だしね」

 

 今回の体育祭は去年のようにわかりやすい物ではなかった。南雲先輩が考えたらしく、今年の初めの段階で構想があって最終的に学校側が承認した結果の体育祭である。

 

 生徒はそれぞれ学園中で開かれる競技に参加してポイントを稼いでいく訳だ。無人島試験のように。

 

 当然ながらバラけるので鈴音さんの言う通り団結することは難しい。作戦を考えると言っても各々頑張ろうという形に落ち着くだろう。

 

 或いは去年の体育祭のように龍園がよからぬ絡み方をしてくるかもしれないが、それに注意して行動することを徹底させることだろうか。とりあえずクラスメイトには学校の地図を配布して監視カメラの位置を把握させておこう。もう二年目だけで意外な所にあったりするので無駄にはならない筈だ。逆になんでここに無いんだと思うような所もあるのでやはり無駄にはならないだろう。

 

 それが対策、なら作戦はどうなるのかと言うのならば、まぁ勝てるだろう生徒は積極的に大きなポイントを貰える団体戦に参加するというのがセオリーとなる。

 

「ただ、有利な点もあるわよ」

 

「それは一年生のことかな」

 

「えぇ、こう言うのはアレなのだけれど、そこで優位に立てると思うわ。無人島で龍園くんがやりたい放題した結果、大勢の怪我人が出てしまったもの……今年の体育祭に参加できない生徒が多い、それも運動のできる生徒を中心にね」

 

 多分運動能力のある一年生は抵抗が激しかったのかもしれないな。宝泉とか宇都宮とか他にも結構な数の運動能力を持った一年生が今回の体育祭には不参加となっている。ドクターストップがかかった訳である。

 

 おそらく八神などもそうだ、ホワイトルーム生なので抜群の運動能力を持っている筈だから、発揮されることもないのだろう。

 

「残った一年生たちと積極的にぶつかるようにすれば、私たちのクラスの運動能力が低い生徒であっても勝てる可能性はあるわ……少し姑息だけれど」

 

「他のクラスも似たようなことを考えそうだよね」

 

「隙あらば、ということでしょうね」

 

 今の一年生たちは哀れにも捕食される立場である。それもこれもやりたい放題やった龍園が悪い。宇都宮だったり宝泉のような高い体力を持っている生徒が健在であったのならば一方的にはならないのだろうけど。

 

「だとするとこの体育祭は、一年生とどれだけマッチングできるかが大きな差になるのかな」

 

「一人の生徒に稼げるポイントに限界がある以上はクラスの平均勝率を上げる必要がある。そう考えると無視できないくらいの可能性はありそうよ。一年生というパイをどれだけ奪えるかの戦いになることだって十分に想定できる」

 

「逆に三年生はどうかな?」

 

「そちらは……どうかしらね、一年生ほど怪我人は多くないけれど、何名かはドクターストップがかかっているそうだから、そちらも隙あらばと言った感じになるかもしれないわ」

 

 三年生で体育祭に参加できないのは南雲先輩と桐山先輩だろうか。前者はまだ入院中だし、後者は復帰しているけど全身打撲の影響がまだ少し残っているらしい。

 

 普通に歩いたりはできるし日常生活をする分には問題はないらしいが、それでも大事を取ってということらしい。きっとみんなが汗を流している間に受験勉強でもするのだろう。

 

 他の三年生たちの一部、俺と六助の襲撃に関わった者の中にもドクターストップがかかった生徒がいるようだ。加減はしたので骨折まではさせていないのだけれど、全身打撲の影響が残っているらしい。まぁまだ無人島試験が終わって一カ月ほどだからな。

 

 だとすると三年生との競技のマッチングも進めていくべきだろうか? 南雲先輩が入院中なので指揮系統がグダグダになってるらしいし、運動能力を持った生徒の何名かは参加できないしな。

 

 なんてこった、一年生も三年生も、捕食対象じゃないか。俺の頭の中にはパイを切り分ける坂柳さんと龍園の姿が想像されていき、それは風刺画みたいな感じにいやらしい笑みを浮かべながらナイフを持っている姿であった。

 

 一年生と三年生というパイをどれだけ奪い合うかという光景である。でも実際にそうなりそうだから困る。

 

 嫌な想像をしながらの登校して、教室に入ると俺たちはそれぞれ席に着くことになる。体育祭も目前ということもあって授業も体育の駒が多くなっており、一時間目もそうであった。

 

 そんな朝のホームルームを待つ時間だが、教室の隅っこの方で須藤と小野寺さんが何やら話しているのが見えた。珍しい組み合わせもあったもんだと何となく眺めていると、須藤がこっちに手を振って来たので話に交ざることになる。

 

「笹凪、今度の体育祭だけどよ、小野寺と組む感じになるかもしれねえ。クラスの作戦的にはどうなるんだ?」

 

「小野寺さんと? そりゃ二人が組めば上位入賞だって狙えるだろうけど、随分と急な話だね」

 

「俺だって今日初めて提案されたんだよ、というか、組むなら笹凪の方が良いんじゃねえか?」

 

 須藤は小野寺さんのそんなことを言うのだけれど、彼女は首を横に振るだけであった。

 

「いやいや、笹凪くんと組むのは流石にあれかも、だって一人でも勝てる人だし。そもそも堀北さんもいるしさ、変な噂とか勘ぐりされるのも嫌だもん」

 

「なら高円寺はどうなんだよ、悔しいがアイツも相当動けるぜ」

 

「そっちは単純に苦手だから」

 

「あぁ、まぁ、そうか」

 

「ギリギリ須藤くんの方がマシかなって思う。盗撮犯だけど運動能力は認めてるからさ」

 

「……お、おう」

 

 急所を突かれて須藤がうなだれる。やはりあの盗撮騒ぎの件は女子の間でも尾を引いているらしい。当然と言えば当然か。

 

 それでも須藤と組むことを提案する辺り、小野寺さんも上位入賞を目指して冷静に立ち回ろうとしているのだろう。

 

 良い傾向だと思う。この二人だけでなくクラス全体が体育祭を見据えた動きをしているのだから、前よりも団結力が上がったようにも思えるな。

 

 俺はどう動くべきだろうか、八神関連を動かさないとダメだし、体育祭で横槍が入って来る可能性もあるからそっち方面の対処も必要だ。特に目立つ行動をするかもしれない龍園とも話を付けておくべきか。

 

 体育祭が終われば生徒会の新旧入れ替えもあるし、来月には文化祭だ。

 

 あれ、滅茶苦茶忙しくないか? これが充実しているということなのかもしれない。

 

 

 とりあえず目の前の体育祭だけど、外部から刺客が来るかもしれないから九号に警戒して……いや、忠告しておこうか。

 

 気が付いたら死体が学園の隅っこに転がってましたってことが十分にありえるかもしれない。九号ならそれをやるに違いないので殺さないようにとしっかり釘を刺しておかないとダメだろう。

 

 刺客が来なければこんなことを考える必要はないんだけど、素直に諦めてくれることを祈るばかりであった。

 

 なんであれ体育祭が近い、裏も表も頑張るとしよう。

 

 

 

 

 



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悪だくみと打ち合わせ

 

 

 

 

 

 

 

 体育祭が迫る九月、ほぼ設営や段取りと打ち合わせも終わっており、生徒会としても少しだけ暇を作れるようになったので放課後に時間を作ることができた。

 

 後は本番に備えるだけ、最終確認は前日に行う、なので生徒会は久しぶりの休みとなり、そろそろ各方面と打ち合わせが必要だろうということになったので、俺はまずは九号と接触することにする。

 

 彼女はこの学校から支給されたスマホを財布以外の用途で使うつもりがないらしく、未だにアドレスも電話番号も知らないという状態だった。メールや通話が盗み聞きされることを危惧しているのだろうけど、連絡を取りたい時にすぐに話せないのはちょっと不便だな。

 

 仕方がないので一年生のクラスに顔を出して、そこにいないことを確認してからケヤキモールに向かう。

 

 師匠モードに移行してから研ぎ澄まされた感覚で九号の気配を探ると、彼女はカフェの一角でお茶をしていることがわかった。その近くには天沢さんの気配もあり、どうやら放課後に一緒に遊びに来ているらしい。

 

 良い傾向である。あの世間知らずな忍者が人間社会に溶け込めるだなんて素直に驚きでもあった。天沢さんに感謝だな。

 

「九号、天沢さん、ここ構わないかな」

 

「せぇんぱい、おひさしぶり~」

 

「あ、ご主人、どうしたんッスか?」

 

「相談さ、体育祭のね」

 

 2人が使っていたカフェの席に座ってココアを注文しておこう。

 

「九号、次の体育祭では外部から人が来るって話は聞いていると思う」

 

「またとない機会ッスね」

 

「その通り、坂柳学園長もちょっと脇が甘い人だから、俺たちで対処する必要がある」

 

「脇が甘いって言うよりは、もしかして繋がりがあるんじゃないッスか、ホワイトルームとかその辺と」

 

「それがどうかは知らないが、事実だとしてもやることは変わらないよ」

 

「そりゃそうでやがります」

 

「君の伝手で入場者リストを入手しておいて欲しい、臭い人がいたら体育祭期間中に襲撃して眠っておいてもらおう」

 

「無人島であれだけ派手にボコボコにしたんッスから、ここでも突っかかってくるようならそれはもう只の馬鹿でやがりますよ」

 

「さっき言っただろう、やることは変わらないって」

 

 注文したココアが届いたので味わう。苦めの珈琲はあまり飲めないのでやっぱりこれくらいが丁度良いな。

 

「そんじゃあ入場者リストは精査しておくでやがります。怪しい奴がいたら海に沈めておくッス」

 

「そうではなくて、間違っても殺さないようにして欲しい」

 

「海に沈めたら証拠も残りませんよ?」

 

「ここは平和な学園だぞ、事故で動けなくするくらいが限界だ。階段でこけるとか、残暑で熱中症になったとか、何故か気分が悪くなったとか、競技中にボールが飛んで来て顔面に直撃したとか、そういう感じで頼む」

 

 俺も一時期は月城さんをとにかく海に沈めたいと思っていたけれど、アレは反省すべきことだったんだろう。若さゆえの過ちだったということだ。海に沈めるのではなく手足を折るくらいで留めるのが冷静な判断だし、普通の学生の対応と言えただろう。

 

「了解ッス、ご主人がそう言うのなら気を使いましょう」

 

「君が対処することが難しそうな相手が出てきた場合は俺に知らせてくれ、こっちで処理するからさ」

 

「ちょいちょ~い、二人とも良いかなぁ?」

 

 九号と体育祭の打ち合わせをしていると、これまで黙って聞いていた天沢さんが話に加わって来た。

 

「ん、なにかな天沢さん?」

 

「どうしたんッスか、一夏ちゃん?」

 

「いや、あのね、放課後のカフェで滅茶苦茶物騒な話してるなって思って。そもそもそう言った話を敵側のあたしの前でするのはどうなのかなって?」

 

「君を支援する月城さんはもういないじゃないか。ホワイトルームからも追放されたって聞くよ」

 

「そりゃそうですけどぉ」

 

「それともこの話を聞いて俺たちを妨害するのかな? 何の意味があってそんなことするのさ、君はもうそんな理由も執着もないだろう」

 

「後、一夏ちゃんが何をどうした所で大した意味は無いッスよ。邪魔するにしても、死体が一つ増えるだけでやがります」

 

「だから殺さないようにしなさい。君はもう少し普通の学生という物を学ぶべきだ」

 

「フッ、フッ、フッ。大丈夫でやがります。一夏ちゃんに色々教えて貰ってるので、ウチはもう完璧なJKって奴ッス」

 

「すまないね天沢さん、九号と一緒にいるのは苦労するだろう」

 

「はぁ、もう良いや、二人が私なんて眼中になっていうのがよ~くわかったから」

 

「そんなことはない、何が阻んで来てもやることは変わらないと言うだけの話さ」

 

「そうッスね、一夏ちゃんがと言うよりは、一夏ちゃんも含めて全部を叩き潰せば良いだけの話ッス。敵の数なんてチマチマ数えてなんていられね~です」

 

 良いこと言ったぞ九号、確かにその通りだ。敵の数が百だろうと千だろうと最後に立っていればそれで問題はないからな。強さや数ではなくどんな結果を求めるかが重要なのだろう。

 

 外部からもし刺客が来るとして、そいつらが戦車に乗っていたとしてもやることは変わらない。ミサイルをぶっ放してきたとしても最後に立っているのがこちらである為に全力を尽くす。妨害だろうとなんだろうと踏み砕いてだ。

 

「ところで天沢さんは何か訊いてたりしないのかい?」

 

「月城さんが学校からいなくなっちゃったんでわかりませんよ」

 

「いや、一人か二人くらいホワイトルームの息がかかった人は残してるだろ。月城さんと司馬先生は処理したけど、他にいてもおかしくはない……いや、その方が自然な考えだろう。ホワイトルーム生だけに丸投げとか幾ら何でも雑すぎる。九号、そこんとこどうなんだい?」

 

「教師に一人、生徒にも当然いるッス。ウチが把握している限りはですけど。今の所は派手に動くつもりはね~みたいですが」

 

「え、そうなの?」

 

「一夏ちゃんは知らされてないんッスか?」

 

「知らないかなぁ、だって必要最低限な情報しか回って来ないしねぇ……というか、そこまでわかってるんなら銀ちゃんならとっくに処理してるんじゃないの」

 

「いや、ウチの仕事は月城の内偵なんで、その仕事も終わったんで報酬以上の仕事は嫌ッス。そんな訳でご主人、体育祭に来るかもしれない刺客を処理する仕事にはポイントを貰えるでやがりますか?」

 

「当然だ、そこは期待しておいてほしい。あ、天沢さんも手伝ってくれるなら報酬を渡すよ」

 

「堂々と裏切りに誘ってきますね」

 

「味方は多い方が良いだろう? 俺も、君もね」

 

 もし天沢さんが敵対するのだとしても、結局俺たちのやることは変わらないからな。九号の言葉を借りる訳ではないけれど、その時が来れば叩き潰すだけである。

 

 逆に言えば、その時が来なければ天沢さんはずっとこちらの味方にできるということでもあるのだから、そりゃ声をかける、当たり前のことだな。

 

 とりあえず味方を増やす、立派な戦略である。これは二年生全体にも言えることだな。今となっては龍園も坂柳さんも帆波さんも、俺の目標を達成させる為に必要な仲間でもありライバルにもなっている。

 

 できることなら八神もそうであって欲しいのだけれど、だいぶ拗らせてるから難しいかもしれない。退学はできることならさせたくないけど、俺にだって優先順位があるので桔梗さんを守る必要があった。

 

 さっさと諦めて普通に学園生活を満喫すればいいと思うんだけど、そう考えられないのが八神なんだろうか。

 

「実はここ最近、もの凄く不満なことがあってね……ホワイトルームと本格的に敵対することにしたんだ」

 

「あれだけ月城さんをボロボロにしておいてまだ本格的に敵対してないつもりだったんですかぁ?」

 

「俺にそのつもりはないさ。いつだって火の粉を払っただけだから……ただ、ここから先は先手必勝で処理していくつもりだ」

 

「……何があったんです?」

 

 深刻な様子を感じ取ったのだろう、天沢さんも小悪魔的な表情を消して真剣に俺を見つめて来る。

 

「俺はとてつもない屈辱を味わったのさ。最早ここまでくれば戦争をするしかない。徹底的に叩き潰すことで俺の名誉は回復することになるだろう」

 

 それだけ言い残して俺は注文したココアの全てを飲み干すと、改めて決意を固くしてホワイトルーム殲滅を掲げるのだった。

 

 

 彼らは潰す、だって俺はメイドにならなければいけないからな。この屈辱は必ず晴らさなければならない。戦士の恥は戦いでしか拭えないのだ。

 

 

 卒業と同時に殴り込む所存である。覚悟と準備を整えてください。俺から言えるのはそれだけである。

 

 

 九号と天沢さんとの話を終えてからカフェを移動して、次に俺が向かった先はケヤキモール内にあるライブハウスであった。

 

 地下へと続く階段を下りて薄暗い照明が照らす重厚な扉を開く。そう言えば入学したばかりの頃はこの扉のドアノブを捩じ切ったんだったな。今となっては良い思い出である。

 

 そしてあの時と同じように扉の向こうにあるライブハウスには龍園の姿があった。ただガチャガチャと音楽をかけておらず静かなものであり、相変わらず邪悪な笑みを浮かべて待ち構えていた。

 

「クク、ここに監視カメラはねえ、酒でも飲むか?」

 

「ごめん、お酒を楽しめるほど肥えた舌は持ってなくてね、コーラをお願いするよ」

 

 俺は別に龍園を呼び出した訳ではない、その逆で龍園が俺を呼び出したのである。この時期なので迫る体育祭に関して何らかの話があるのだろう。

 

「石崎と山田はどうしたんだい? いつも一緒にいるし、ボディガードなんだろう」

 

「そりゃ必要ならそうするぜ、だがアイツらを肉壁にした所で一秒後には挽肉にするのがテメエだろうが。意味のねえ護衛をワザワザ連れて来るかよ」

 

 どんな評価だ、それだと完全に化け物じゃないか。

 

「それで話って何かな?」

 

「わかってんだろ、体育祭の件だ」

 

「だろうね、でもこうして話し合いの場を持つんだから何らかの契約を結びたいってことなんだろうけど」

 

「間違いではねえが、テメエの考えてる共闘とは違うぜ。そもそも次の体育祭ではどれだけ怪我人だらけの一年生を食えるかが勝負になる。共闘なんざ意味がねえよ」

 

 龍園が無人島でやりたい放題したからな、一年生は主力の大半を欠いた状態で挑まなければならない。運動がそれほど得意でもない者たちを中心に動くわけであり、当然ながら狙い目となってしまう。

 

 今年の体育祭は無人島試験のように全校生徒が様々な競技に任意で参加して競うことになるので、学年が異なる相手とも普通に戦うことになるのだ。そして一年生は主力が怪我をして大半が参加できない、どうしたって狙い目になる。

 

「なら何の話をしたいんだい?」

 

「なぁに話はシンプルだ。テメエが個人で一位になった時はクラス移動チケットを取れって話だ」

 

 うん? どういうことだろうか? 確かにこの体育祭では個人の順位も記録されていて、一位を取った場合は男女ともに200万ポイントか期間限定のクラス移動チケットのどちらかを選ぶことができると茶柱先生はルール説明の時に言っていたが、俺たちの学年は三年生ほど独走状態になっている訳でもないのでチケットはあまり旨味がない。

 

 だというのに取れとはどういうことだろうか。

 

「400万だ」

 

「うん?」

 

「400万でそのチケットを買い取ってやるよ」

 

「破格の報酬だね、体育祭で一位になれば200万かチケットかを選べるけど、普通にポイントを取るよりもずっと利益が大きい」

 

「そうさ、お前にも利益がある訳だ。悪い話じゃねえだろう」

 

「そんな邪悪な笑みで言われてもね、裏があると言っているようなもんじゃないか」

 

「クク、そりゃそうだ」

 

「で、本音は?」

 

「言った通りだ、個人賞で一位を取る可能性が最も高いのはテメエだ。そしてチケットを取れば俺が400万で買い取ってやる、200万の報酬の倍だ、シンプルだろう?」

 

「とてもね、だが裏が見えない取引は嫌だ……回りくどいことはせずに目的を話してくれ、場合によっては協力できるかもしれない」

 

「協力か……まぁはいわかりましたと馬鹿みたいに涎を垂らす訳もないか」

 

 龍園は手元に持っていた炭酸飲料を一口飲んでこんな話を切り出す。

 

「三年生の現状はどこまで把握してやがる?」

 

「南雲先輩が大怪我で入院、桐山先輩は実質リタイア、残った三年生は指揮官不在でグダグダって所は把握している」

 

「そこだ、南雲の統治はもうガタガタ、無人島試験であれだけの醜態を晒した挙句、なんのポイントも得られず終わったんだ。三年生の中には平然とケチ付ける奴もいて、アイツが掲げているAクラス以外の連中を引き上げるという公約もほぼ破綻してるって状況だ」

 

「らしいね、集金体制があるらしいけど、無人島試験が皮算用に終わったから不信感は拭えないだろう。南雲先輩の計算だと学年中の便乗のカードを自分に注いだ上で七人グループで一位を取るつもりだったんだ、それが全部吹っ飛んだと考えれば、本当にチャンスが与えられるのかと不安に思うんじゃないかな」

 

「Aクラスは学年中から集めたポイントで勝ち逃げをするんじゃねえかって噂もあるみたいだしなぁ。笑えねえ奴は多いだろうよ」

 

 もし今の集金体制を続けたとして、じゃあどれだけの人数がAクラスに上がれるんだと考えた時、下手すれば一人二人で終わるかもしれない。そんな不信感を持たれた時点で南雲先輩の統治はガタガタということである。

 

 しかもその本人が入院中なので士気は下がる一方なんだ、三年生の間に広がっている不信感は凄まじいだろうな。

 

 今まであんなに尽くして来たのに、ポイントが思うように集まりませんでしたチャンスは上げれませんなんて笑い話にもならない。

 

「ん、見えてきた。つまり君は三年生にチケットを売りつけるつもりなのか?」

 

「そういうことだ」

 

「誰に売るんだい?」

 

「今の三年は暫定的に朝比奈とかいう南雲の女が仕切ってる、そいつと話をつけるつもりだ」

 

「ふむ……南雲先輩の支配体制を何とか維持する為には、ある程度は公約を達成しないといけない、か」

 

「できなきゃ、三年生は即内乱……ククク、今まで尽くして来たのにって奴だ、馬鹿に一線越えさせるとヤべェぞ、場合によっちゃ死人が出るかもな」

 

 出るかなぁ……無いとは言い切れないよな。南雲先輩とか後ろから刃物で刺されたりしそう。そう考えると本当に深刻な事態に三年生はなっているのかもしれない。

 

 そこまでは大袈裟かもしれないけれど無いとも断言できない。そして朝比奈先輩からしてみれば他のクラスが反旗を翻して内乱状態になることを避けたいだろうな。

 

 南雲先輩に良くも悪くも依存して、彼を中心に物事が進んでいた集団なだけに、ここに来て脆さが浮き彫りになっているらしい。

 

 つまり、それを避ける為には南雲先輩の公約通り、一人でも多くの生徒をAクラスに上げて落ち着かせるしかない訳だ。集めたポイントを還元せずに勝ち逃げなんて姿勢を見せたり見捨てたと思われたが最後、龍園が言う通り滅茶苦茶な状況になる可能性だってある。

 

 だとすればだ、本来はクラス移動には2000万が必要だけど、ここで龍園がもし1000万でチケットを売りつけた場合はどうなるだろうか?

 

 飛びつくだろう、内乱を避ける為に、南雲体制を崩壊させない為に、破格とさえ思うのかもしれない。まさか朝比奈先輩がここまで苦労することになるとは。

 

 今回の体育祭に関しては一位になると200万ポイントか限定的なクラス移動チケットかが報酬で得られるけど、このチケットは三学期になると使えないものである。三年生からしてみれば喉から手が出るほど欲しく、状況が余裕を許さない。

 

 たとえぼったくられているとわかっていても、2000万以下でクラス移動の権利を買えるのならばと考えてもおかしくはない。

 

「事情はわかったよ龍園、面白い考えだと思う。何より三年生の資金を削れるのは俺としては大きい。幾らで売りつけるつもりなんだい?」

 

「まぁ1000万くらいになるだろうな、それ以上となれば足踏みするかもしれねえ」

 

「ん、そんなもんか。だとすると君の手元には俺への報酬を差し引いて600万が残ることになるね」

 

「そういうことだ……加えて言うのなら、あの面倒な元生徒会長が復帰した時に備えて、三年生からポイントを奪っておきてえからな」

 

 それに関しては同意だ。ポイントが少ないとあの人がやるであろう面倒事の規模も小さくなるだろうし、龍園も上の学年の力を削いでおきたいと考えている訳か。

 

「ん、足りないな」

 

「あん? 不満か?」

 

「報酬の有無じゃなくて、やるならもっと大きく毟り取ろうって話さ。そこで提案なんだけど、君からの報酬はいらないからさ、俺もその商談に一枚噛ませてくれよ」

 

 そこで龍園は足を組み直して机の上に行儀悪く乗せてしまった。人の話を聞く態度じゃないけれど、炭酸飲料を飲みながらも視線はこっちの話を促している。

 

「君の戦略、凄く良いと思う。南雲政権が崩壊寸前の三年生の現状を考えれば1000万で買えるのなら悪い話でもないだろう。だが君は俺への報酬を差し引けば手元に600万しか残らない。それで終わりじゃあ大した儲けにはならないだろう?」

 

「もっとデカく稼ごうって話か、当てはあるのか?」

 

「チケットは多ければ多いほど良い、男女別で一位になると選べる訳だから一つの学年にチケットは最大で2枚、全学年で6枚しか最大で得られない訳だ……実は一年生で高い確率でチケットを得られる戦力に心当たりがある」

 

「ほう」

 

 龍園の唇が歪む、儲けを大きくできるかもしれないから当然のことだろう。

 

「その一年は仮にチケットを得たとして、大人しくこっちに渡すのか?」

 

「Aクラスの生徒だからほぼ確実にね、そういったことに価値も感じないだろうし、何よりこちらに好意的だ」

 

「勝算は?」

 

「絶対とは言えないけど、極めて高い確率だ」

 

「……」

 

 龍園は偉そうに足を机の上に乗せながらも思案顔になる。もし俺たちの学年に2枚以上のチケットを集められれば大きな儲けになることは間違いない。そして三年生の現状なども手伝い、大きな好機になると計算しているのかもしれない。

 

「悪くはねえか、だがそれだけで終わりじゃねえだろ?」

 

「あぁ、報酬はいらないと言ったが、チケットの売却金額はそのまま欲しい。首尾よく運べば四枚のチケットを4000万で売却できるかもしれない。折半でどうだ?」

 

「他には?」

 

「きっと君は今こう思っているだろう。俺が協力せずに個人で朝比奈先輩と交渉してチケットを売りつけるんじゃないかってね、だから多少譲歩してもこの契約を結びたい、違うかな?」

 

「遠回しにすんな、さっさと要求を言いやがれ」

 

「今度の体育祭でそっちのクラスは俺たちのクラスに干渉や妨害をしない、去年みたいに裏でコソコソするのは無しだ。それと可能ならば参加競技が重ならないようにマッチング調整をしたい」

 

「構わねえぜ。どうせ一年をメインに潰していくんだ、元々テメエらのクラスに干渉するつもりもねえ。坂柳か一之瀬にマイナスを押し付けるのも当然だ」

 

「契約書も用意できるかい?」

 

 もしここで俺が龍園を無視して個人的に朝比奈先輩と取引した場合は、龍園は全力でこっちのクラスを妨害してくるかもしれない。それはとても面倒だ。ならさっさと利益を山分けにした方が良い

 

「テメエが俺を信用するというなら作ってやるぜ」

 

 

「何も問題はないよ、龍園。敵の数よりも味方の数を多くすることは戦略の基本だからね。俺はそうしてきたつもりだ、これまでも、そしてこれからも」

 

 

「それで、敵になったらさっさと潰せば良いってか? ハッ、相変わらず余裕ぶった野郎だ……だが良いだろう、三年の力を削ぐって目的と、体育祭で他のクラスを追い落とすって目的は一致してるんだからな」

 

 やはり龍園はツンデレである、全然可愛くないけど。

 

 なんであれだ、これで体育祭での懸念事項の一つをほぼ潰せたことになる。上手くやれば俺たちの学年に大量のポイントが入って来ることになるので満場一致試験での出費を全て補填できそうだ。

 

「なら俺と君は協力できる……それともう一つ、男子のチケットは俺が取るとして、女子の方はどうする?」

 

「ある程度の調整は必要だろうな。大人しくチケットを渡す奴を勝たせねえと」

 

「特に指定が無いのならば、鈴音さんでどうかな? それか君のクラスの誰かでも良いけど」

 

 そこでまた龍園は思案顔になる。

 

「アイツならチケットの売却計画に乗って来るか」

 

「前の特別試験でクラス貯金が減ったから渡りに船と思うかもしれないね」

 

「いいぜ、なら鈴音を勝たせてやるよ……妨害もしねえし干渉もしねえ、なんだったらアイツが参加する競技には雑魚を宛がってやってもいい、協力関係を作ってやるよ」

 

「宜しく頼むよ。あぁでもそこまでの八百長は必要ないかもしれないね」

 

「あぁ?」

 

「鈴音さんはそんなことしなくても勝ってくれる」

 

「……今のは惚気か?」

 

「そう聞こえてしまったかな?」

 

「テメエも女の趣味が悪いな」

 

「万が一ということもあるから、状況次第では他の女子生徒に一位を取って貰うこともありえるだろう。その辺の調整と打ち合わせはそっちとこっちでしっかりしておこうか……後、鈴音さんは魅力的な人だよ」

 

「ハッ、多少は同意してやりてえところだが、ここ最近はそうも思えなくなってきやがった。一年の頃はまだ可愛げがあったんだがなぁ」

 

 うんざりした様子でそんなことを言う龍園は、惚気てしまった俺を見て気持ちの悪いものでも見たかのような顔になる。

 

「せっかくだから訊くけど、龍園ってどんな子が好きなんだい? 恋人とか作らないの?」

 

「何が悲しくてゴリラと女の趣味を話さなきゃならねえんだおい、女の自慢がしてえなら俺の視界の外で壁にでも話してろよ」

 

 つれない奴である。俺はいつか龍園と恋愛トークとかしたいんだけど、ライバルとそういう話をするのって凄く青春っぽいからな。

 

 この様子だと先は長そうだ、まぁなんであれ体育祭に向けて準備はまた進んだということである。上手いこと三年生にチケットを売りつけないとダメだな。

 

 俺個人としては、大きなポイントを得られることよりもこの段階で三年生の資金に大ダメージを与えられることの方が大きい。南雲先輩が退院する頃には財布が空になっているかもしれないし、そうなれば今後優位に立てるだろう。

 

 その上で俺たちの学年に大量のポイントが流れてくるならば万々歳だ。ポイントは十分にあるけれども、また面倒な試験を挟まれた時のことを考えて学年全体に余裕を持たせておきたいからな。

 

 そんな訳で三年生たちから毟り取るとしよう。たとえ元手が足りなかったとしても毎月の分割払いとかでも問題ないからな。悪い展開にはならない。

 

 なので頑張らなければならない。少し申し訳ない気もするけれど、三年生たちにとってみれば2000万以下でクラス移動の権利が買えるかもしれないのだから悪い話でもないだろう。

 

 こちらの思惑とは別の人が一位になってチケットを得ることがないように、龍園と協力することになった訳だ。

 

 少なくとも三年生のポイントをこっちの学年に引っ張って来ると言う目的は一致している。相変わらず話の早い男である。

 

 

 色々な意味で体育祭が楽しみであった。

 

 

 

 

 



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師匠曰く、気遣う必要のない相手は大切とのこと

 

 

 

 

 

 

 

 龍園との協力関係の構築と契約書の成立によってとりあえず体育祭での一つの懸念であったあのクラスの妨害や攻撃を回避できる目途が立った。

 

 加えてチケットを集めることでそれをのっぴきならない三年生に売りつける方針もある。上手いことやればクラスポイントもプライベートポイントも大量に得られるかもしれないのは大きい。

 

 こういう盤外戦術を考えさせたら龍園は本当に上手いと思う。三年生すら骨の髄までしゃぶり尽くすつもりなのだから質も悪いけど。

 

「そうか、チケットを三年生に売りつける作戦か」

 

「あぁ、悪いものではないだろう?」

 

「面白くはある、三年生の現状を考えれば飛びつく可能性も十分だ……龍園は本気で8億を貯めるつもりなのかもしれないな」

 

 昨日に龍園とした話と作戦を清隆に伝えると、彼はとても感心した様子を見せた。

 

 体育祭も目前に迫ったこの日、最終的な打ち合わせと作戦会議を放課後に俺の部屋に集まって行っていた。

 

 清隆としては外部から来るであろう来客が気になっているのだろう。あれだけ月城さんをボロボロにしてメッセンジャーにしたけれど、ホワイトルームとしては諦めていない可能性もあるので警戒するに越したことはないということである。

 

「チケットは鶚が取るってことで良いんだな?」

 

「そうッスよ、ラクショーでやがります」

 

「忍者が目立って問題ないのか?」

 

「月城の内偵は終わったんで、ウチはもう学園生活を楽しむだけッス。なので認知を上げても問題はないかと、それに卒業すれば皆忘れるでしょうから」

 

 そしてもう一人、この作戦会議に参加する為に俺の部屋には九号の姿もあった。何故かタンスを開いて俺の下着を漁っている忍者は、清隆の質問に気楽に言葉を返すのだった。

 

「九号にはもし刺客がいた場合に備えて動いて貰う役目もある」

 

「……大丈夫なのか? 死体が出てきたとかになればそれは厄介なことになるぞ」

 

 この反応、清隆も九号の存在を懸念しているらしい。こいつならやりかねないと思っているのだろう。忍者への変な信頼が芽生えているということか。

 

「九号、大丈夫だよね?」

 

「それが主の命令ならば、御意のままに」

 

 流石プロの忍者である。命令には基本的に従ってくれるので本当に助かる。

 

「ご主人、綾小路パイセン、とりあえず言われていた通り来場者の情報を入手したッス」

 

 俺の部屋のタンスを漁って下着を物色していた九号は懐から書類の束を取り出した。おそらく教師側にいる協力者から入手したものだろう。

 

「大半が学校を支援しているスポンサーであったり、政府関係者であったりでやがりますけど、その内の何人かはちょっと臭いッスね」

 

 書類の束を俺の部屋にある机の上に並べて、その中から何枚かを取り出して見せつけて来る。

 

「三号にちょろっと身元を洗って貰ったんですけど、こいつらだけ政府関係者でもなければスポンサーでもなかったみたいッス。綾小路パイセンの父親の息がかかった奴でやがります」

 

 清隆は机の上に置かれた書類を手に取って、そこに張り付けられていた顔写真と情報を確認していった。

 

「何人か知った顔がいるな」

 

「そうなのかい?」

 

「あぁ、この男はホワイトルームでボクシングの教官をしていた、こっちは総合格闘技の教官だ、どちらも現役時代にオリンピックでメダルを取ったらしい」

 

「へぇ、そういう人たちが教官をやってるんだね」

 

 ホワイトルームの内情なんて殆ど知らないけれど、その道のプロが指導しているということか。

 

「こっちの軍人崩れも見た顔だな、主に武器術の対処を教えていた」

 

「武器かぁ、俺も師匠からよく教えられたよ。刀にナイフに槍に銃器に、色々と」

 

「ウチもッス」

 

「どこも似たようなものということか」

 

 酷いよね、この現代社会で世間と隔離されて滅茶苦茶な訓練に身を置くだなんて、俺たちの人権はどこにあるんだろうか。

 

 まぁそのおかげで強くなれたとは思うし、師匠のことは神だと思っているけどさ。

 

「この人たちは表向きの身分としては政府関係者ってことになってるッス。現役時代の情報を見る限りでは雑魚なんでそこまで脅威でもないでやがります。サクッと処理して梱包してホワイトルームに送り返しましょう」

 

 これくらいの戦力しか用意していないということは、今回の面倒事に月城さんは関わっていないということだろうか? あの人の立場が外でどうなっているかはわからないけれど、月城さんが指揮するならば最低でも武装勢力は用意する筈だし多分ノータッチだな。

 

「そうするしかないね」

 

「学園で大っぴらに排除すれば目立つと思うが?」

 

 清隆の尤もな疑問に、九号は自信満々でこう返す。

 

「ウチがこの学園に入学してもう半年近いんッスよ。セキュリティーシステムや監視システムはもう掌握済みッス、ドンとお任せあれ。こんなこともあろうかと理事長室のパソコンや学校のメインコンピューターにも裏口を作ってます。監視カメラの映像を差し替えるくらい余裕ッスよ」

 

 九号への信頼がそこまで無いのか、清隆は俺に視線を向けて確認を取ってきた。

 

「この子はそういうのが得意だから安心して良いよ」

 

「わかった、天武がそこまで言うならば信用しよう」

 

「そんじゃあ体育祭で見つけ次第始末するってことで問題ないッスよね?」

 

「殺さないようにしなさい」

 

「手足を折って段ボールに詰めて送り返すってことッスね」

 

 ホワイトルームにね。誰がそれを開けるのか知らないけれど、中身を見たら腰を抜かしそうだ。

 

 そんな感じでざっくりとした打ち合わせを終えることになる。せっかくだから夕飯も俺が御馳走することになり、台所で調理を開始することになった。今日はおでんを作ろうと思う。

 

「ほうほう、ホワイトルームではそんな鍛錬や勉強をするんッスね」

 

「あぁ、近代スポーツ科学を中心としてカリキュラムが作られていた。効率と数字と言うものをとにかく妄信していたな」

 

「でもそれだとスポーツ選手しか作れないでやがります」

 

「それで良いんだろう。別に超人を量産しようって訳じゃないんだ。オリンピックでメダルを取れるくらいの身体能力と、海外の一流大学を難なく突破できるような頭脳を併せ持った個体を量産できればそこがゴールラインだからな」

 

「ん~……そうなるとホワイトルームは二十号が理想的な存在なんッスかね」

 

「オレはあの男のことはよく知らないが、今言った条件に合う男だったのか?」

 

「そうッスよ。確か滅茶苦茶良い大学を飛び級で卒業して、その後従軍して幾つか勲章を貰ってましたから。最も人間に近い超人なんて呼ばれてるでやがります」

 

 台所で料理を作ってると清隆と九号の会話がこっちまで聞こえて来る。

 

 なんというかアレだな、ホワイトルーム関連の情報を知っている九号相手なら清隆もとても気楽に会話ができるのかもしれない。変に気を遣う必要も無いだろうし、ここまで深入りしてしかも狙われたとしても返り討ちできるくらいの力を持っている相手なので、凄くリラックスしているようにも思えた。

 

 実際に楽なんだろうな、俺相手でもそうだけど背景を知っている相手なら言葉を選ぶ必要も無い。同情されることもなければ気遣われることもなく「へぇ」で済ませる相手というのは清隆にとっては実は貴重な存在ではなかろうか。

 

 もしかしたらあの二人は相性が良いのかもしれない、俺は台所で夕飯を作りながらそんなことを思うのだった。

 

「ん?」

 

 いつの間にか清隆と九号は将棋で遊び始めていたのだが、そんな時に彼のスマホが震えて着信を知らせる。

 

「坂柳の父親からだな」

 

「清隆、理事長先生の連絡先を知っているのかい?」

 

「あぁ、娘の方に教えて貰った、少し話す機会が欲しかったからな」

 

 なるほど、それで連絡を取り合っていたのか、そして今度はあちらから連絡をしてきたのだから、体育祭関連の話でもあるのかもしれない。

 

 清隆はスマホを耳に当てて坂柳理事長と何やら話し合う。けれどそれは長く続くことはなく、こんな言葉で通話を終えるのだった。

 

 

「いえ、不要です。オレはこの学校で、敵対者が泣いて謝るまで徹底的に叩き潰すべしと学びました。なので寮で大人しくしているつもりはなく……えぇ、段ボールに詰め込んでホワイトルームに送り返します、なので大丈夫です。暴力こそこの世で最強の力だと考えを改めましたので、コソコソ隠れるつもりもありません」

 

 そうして通話は途切れることになる。坂柳理事長は唖然としているかもしれないな。

 

 

「おでんでんででん、おでんでんででん……はい、今日はおでんだよ」

 

 

 とある有名なサイボーグ追跡者SF映画の特徴的なメロディーをおでんで再現しながら、俺は鍋を机の上に置くのだった。

 

「それで、なんの話だったんだい?」

 

「刺客が来るかもしれないから、坂柳理事長は体育祭の当日はオレを寮で隔離したかったらしい」

 

「断ったんッスか?」

 

「あぁ、相手がもう関わりたくないと思うまで戦おうと思う。体育祭に刺客が紛れていたとしたら、寧ろこちらの姿勢を示す良い機会だ」

 

「なるほど、綾小路パイセンもわかってきたようッスね。その通りでやがります、暴力こそ至高ッ、ウチの師匠も言ってました、とりあえずぶん殴ればだいたい解決するって」

 

「ん、俺の師匠も言ってたなぁ、難しいことは全部叩き潰してから考えれば良いって。話し合いはその後の方がスムーズに済むらしいから」

 

「この世の真理だな、オレももっと早く気が付くべきだった」

 

 変に勝ち目があるとか思われたり、自分たちは優位なんだって勘違いされるから面倒事が増えるということだろう。圧倒的な暴力でまずは一撃を叩きこむ、話し合うにしろ交渉するにしろ、まずはそこからであると師匠は言っていたな。

 

 暴力が全てではないが、暴力は大切なことでもある。清隆もその辺を理解してきたのか、とりあえずホワイトルームの息がかかった相手を叩き潰して自らの姿勢を示したいのだろう。

 

 ぶん殴って立ち塞がる者がいなくなれば、それはつまり自由ということだからな、とてもシンプルである。

 

 遂に清隆もこの境地に至ったか、順調に成長しているようで俺はとても嬉しくなった。お祝いとしておでんの煮卵は一つおまけしてあげようじゃないか。

 

「まぁ細かく打ち合わせした所でどうやっても当日はアドリブが求められる訳だから、高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に行こうか」

 

「了解でやがります」

 

「相手がドン引きするくらいの状況にするとしよう」

 

 清隆のお父さんは自分の息がかかった人たちがボロボロになって送り返されて来たらどう思うんだろうな。それで諦めることはなかったとしても、同じことを百回くらい繰り返せばもう関わりたくないと思うのかもしれない。

 

 そうなって欲しいものだ。いつまでもこんなことに頭を悩ましたくもないからな。普通に高校生らしい青春を送りたいものである。どうせ卒業したらメイド姿になる腹いせに潰しに行くんだからもう余生の送り方を考えるべきだ。

 

 田舎で畑でも耕しながら静かに暮らす、そういう老後も悪くはないと思う。ホワイトルームなんていう費用対効果が絶対に吊り合わない上にそれほど強くもない人間を大量に作ったって意味はないのだから。

 

 その施設出身の最高傑作は何を間違ったのかメイド狂いだし、八神は視野が狭いし、天沢さんはほぼほぼ裏切ってるし、もう諦めた方が良いと思う。

 

「おでん、うめ~です」

 

「それは良かった。清隆はどうだい?」

 

「美味いぞ、初めて食べたがこういうものなんだな」

 

「えぇ……おでんなんてそこまで珍しいものでもないと思うけど」

 

「いや、いざ作るとなると手間がかかるだろう。一人暮らしではまず作らないんじゃないか?」

 

「あ~、言われてみればこうして何人か一緒に食べる時くらいか、鍋物なんて」

 

「前からコンビニには売っていたから気にはなっていたんだが、なかなか機会が無くてな」

 

 お惣菜とか弁当とか日用品は買うことはあっても、レジ横にあるおでんは見ているだけだったということか。まぁ絶対に買いたいって感じでもなかったんだろう。

 

「パイセン、ホワイトルームでは、おでんは出なかったんッスか?」

 

「基本的に化学目線の食事ばかりだったからな。より効率的に必要な栄養を取る為の食事に加えて、錠剤やプロテインなどが基本だった」

 

 それを聞いて九号は目をパチクリさせた。

 

「やべ~ですご主人、この世の終わりみたいな場所ッス」

 

「食事が味気ないのは俺も嫌だなぁ」

 

「あぁ、あの場にいた時はそれほど気にならなかったんだが、この学園に来てからはそう思うようになったな。決して食えないほど不味くはなかったんだが、なんて言えば適切なんだろうな……効率重視で熱が無かったというか」

 

 そう言いながら清隆は出汁をたっぷりと吸い込んだ大根を食べる。

 

「お前たちはどうなんだ、幼少期から特殊な訓練を積んでいたんだから、食事制限とかもあったんじゃないのか」

 

「いや、ウチはないッス。喰って寝て鍛えて死にかけてを繰り返しただけなんで。そもそも鍛えるんじゃなくて改造ッスからね、寧ろその為に沢山食べたでやがります」

 

「俺も似たようなもんだな、化学目線なんて鼻で笑う人だったから、改造する為に栄養をとにかく蓄えろって言われたよ」

 

 なので滅茶苦茶食べまくってた。それでも日頃の改造訓練のおかげか太ることはなく、寧ろ空腹に悩むくらいで更に食事が多くなるという繰り返しだったな。それが落ち着いたのはある程度体の改造が終わってからだったか。

 

 一日十食とかの生活だったのに脂肪がつくことはなく、全ての栄養は改造に注がれたということだろう。

 

「綾小路パイセン、他にはなんかホワイトルームの面白トークとかないんッスか? むかつく教官の靴に画鋲いれたとか、同僚に変な奴がいたとか」

 

 九号は煮卵に箸を伸ばしながらそんなことを聞こうとする。やはり清隆の背景だったりホワイトルームのことを知っても大袈裟にするでもなく同情するでもなく、ごく平然と世間話の延長みたいな感じで話てくるな。

 

 そんな九号に清隆も気負った様子や言葉を選ぶこともなく、こちらもまた世間話の延長のような感覚で話す訳だ。

 

 

「面白いかどうかはわからないが、一度だけ教官の股間を――――」

 

 

 気兼ねなく、互いの背景を知りながらも大袈裟になる訳でもなく、同情することもなければ、配慮を感じることもない、まさに勝手知った仲の世間話のようなものはそのまま一時間ほど続くことになる。

 

 やっぱり何だかんだで清隆は大抵のことを「へぇ」で終わらせる九号と相性が良いのかもしれない。

 

 彼にはもっとそういう相手がもっと必要なのかもな、見つけるのは難しいだろうけど。俺はおでんを食べながらそんなことを思うのだった。

 

 

 

 

 

 




綾小路パパ「月城からの報告だと清隆は大きな成長をしているらしいな、細かいデータが欲しいが……そうだ、ホワイトルーム時代のアイツを知る教官を送って比べさしてみよう、これなら差もわかりやすい筈だ」


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体育祭準備

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 体育祭が近いということもあって授業も体育が多くなっている。これは去年と同様であり生徒たちはそれぞれグラウンドに縄張りを作って練習に励むことが多い。

 

 今日もまたそんな日であり、二年生は勿論のこと一年生や三年生もまたグラウンドに集まって体育祭に向けて頑張っている光景が広がった。一応、学年によって使える場所が決まっているのだが、そこまで厳しいものではなく偵察がてら他のクラスや学年の様子を見に行く者もチラホラといるのが確認できた。

 

 九月の間はこうして体育の授業も多くなるので、練習と偵察の機会も多くなるのだろうな。

 

 実際、今も偵察の視線は多い。そしてそれは俺たち二年生だって同じことが言えるのかもしれない。

 

 グラウンドを三等分にしてそれぞれの学年が練習する訳だから、偵察と同時に交流の場にもなっているんだろう。中には部活の先輩後輩という関係もあって和やかに談笑する生徒たちの姿もある。

 

 平田などもサッカー部の先輩と話してそれとなくどの競技に参加するのか調べたり、桔梗さんもその交友関係を活かして一年生や三年生から情報を収集しているようだ。

 

 当然ながら他のクラスや学年だって似たようなことをしているのだが……パッと見ただけでも順調なのは二年生だけなのかもしれない。

 

 まず一年生は怪我人が大勢いる。主力を欠いている上にちょっと二年生を怖がっている感じなので距離を置かれているし、三年生にいたってはそれはもう空気が悪い。

 

 そんな両学年に挟まれた二年生は、三分割されたグラウンドの中心で空気の悪さを感じ取っている状態だ。練習しながらな。

 

 

「俺たち無敵のBクラス~、恐れるものなど何もない!!」

 

 

 俺がランニングしながら師匠モードでそう言うと、後ろに続くクラスメイトたちも続いてくれた。

 

 

「「俺たち無敵のBクラス~、恐れるものなど何もない!!」」

 

 

 見ての通り士気は良い感じである。去年の体育祭同様に師匠モードによる洗脳……ではなく、全員の士気を高めるように行動しているので男子チームは鍛え抜かれた軍隊のような動きを見せているのだ。

 

 去年のスパルタ特訓を超えた男たちだ、面構えが違う。今も元気よく掛け声を上げながら俺に続いてくれている。啓誠や博士のような運動が苦手な者たちだって愚痴ることすらしない。

 

 全ては勝利の為、その意思を共有することができた集団は強い。これは決して洗脳している訳ではなく、ただ士気が高まっているだけである。そうに違いない。

 

 

「Bクラスの男子ってやっぱヤバいよな、見ろよあの狂気を宿した目、背筋がゾッとするぜ……変な宗教に嵌ってるみたいだ」

 

 

 こちらの偵察を行っていたAクラスの橋本がドン引きした顔でランニングをする俺たちBクラス男子チームを見ているな。とても真剣に練習をしているだけなのに失礼な反応である。

 

「よし、休憩に入る。各員、水分補給をした後に筋力トレーニングに移るぞ」

 

「「イエッサッ!!」」

 

 うむ、男子チームの仕上がりは完璧である。一糸乱れず敬礼をする姿は完全に鍛えられた軍隊のようである。運動が得意な者もそうでない者も、誰もが覚悟を瞳に宿していた。

 

 良い傾向だ。去年は競技練習をする以前の問題であったが、今なら専門的な訓練をしても問題はないだろう。戦士でないものに技術を教えても意味はないが、今の男子チームならば何も問題は無い。この一年で戦いに挑む心構えは完成したということだ。

 

 彼らを引っ張っていくにはやはり師匠モードが便利なんだよな。去年は堀北先輩に怒られたり茶柱先生に注意されたりしたけれど、今年はそんなこともなく訓練を続けられているのも大きい。俺も皆の意識を引っ張り過ぎないように注意しているので士気が程よく維持されているからだろう。

 

 さて筋力トレーニングは各々に任すことになるだろうけど、せっかくなので休憩時間を利用して他の勢力でも偵察しようかと考えていると、俺の前にスポーツドリンクが差し出された。

 

「お疲れさま、相変わらず男子は頑張っているようね」

 

 鈴音さんそんなことを言いながら若干の呆れ顔である。

 

「ありがとう。喉渇いてたから助かるよ」

 

 差し出されたスポーツドリンクを受け取ってから喉を潤す。ずっと男子チームと一緒にランニングをしていたのでようやく一息いれることができた。

 

「女子チームはどんな感じだい?」

 

「悪くはないわよ、体育祭に向けてちゃんと調整できているもの……まぁそちらほどではないけれど」

 

 だとしたら大きな問題はなさそうだな。男子チームも仕上がりは完璧なのでクラス全体がよく動いている。なかなかの団結力であると言えるのではなかろうか。

 

「勝てれば良いんだけどね」

 

「他のクラスだってただ座している筈もないもの、私たち以上の努力や団結をして、作戦を考えていたっておかしくはないわね」

 

「うん、油断しないのは当然だ」

 

 そしてどれだけ警戒して注意しても相手はそれを凌駕するものだと考えていれば、まさかの展開にも素早く対応できるだろう。

 

「鈴音さんは他の学年をどう見る?」

 

 休憩時間なのでグラウンドの隅に腰を下ろして二人で偵察と観察でも行うとしよう。まず目を向けるのは一年生だ。

 

「一年生はやはり怪我人が多いわね。主力は大半がドクターストップがかかっている。七瀬さんのクラスに至っては始まる前から勝負が付いている状態だもの、難しい戦いを強いられるでしょうね」

 

 彼女の言う通り一年生は怪我人が多く体育祭に参加できる生徒が少ない。中でも七瀬さんのクラスは特に人数が少ないのでほぼ女子だけで挑まなければならない状況にあった。

 

 今回の体育祭では一人の生徒が最大で十種目まで競技に参加できる。それは同時に一人の生徒で稼げる点数の限界があるということである。俺や須藤のような生徒が何十種類もの競技に参加して荒稼ぎするようなことはできない。

 

 一人の生徒に稼げる点数に限界があるということは、自然と人数が多い方が有利になる。その点でも七瀬さんクラスは厳しい戦いになる訳だ。鈴音さんが言うように戦う前から勝敗が決しているという表現も決して過言ではないだろう。

 

 他のクラスも大なり小なり怪我人がいて万全とは程遠い。そんな状態で二年生や三年生と混じっての体育祭なのだから一年生は本当に厳しい戦いになるだろう。

 

「なら三年生はどうかな?」

 

「あちらは雰囲気が悪いわね。ギスギスしていると言うべきなのかしら」

 

 俺たちの視線はグラウンドの一角で競技の練習をしている三年生へと向けられた。こちらは一年生ほど怪我人はいないのだが、まず空気が悪い。

 

 それを証拠に、グラウンドの一角では朝比奈先輩に詰め寄る三年生の姿もあった。

 

「なぁ朝比奈、変な噂を聞いたんだけどよ」

 

「噂? なんのこと?」

 

「……南雲の奴が特定の生徒を退学させたら賞金を与えるってゲームをやってるって噂だ」

 

「なにそれ、初耳なんだけど」

 

 問い詰められている朝比奈先輩は眉を顰めているのがここからでも見える。

 

「なぁ大丈夫なのか? ポイントも思ってたよりも集まらないし、南雲は入院してる、しかも意味が分からない噂だってある」

 

「大丈夫だって、噂は噂、気にする必要ないよ」

 

「お前はAクラスだからそう言えるんだろうがッ!! 俺は南雲からクラス移動を約束して貰ってるんだよ、その為に尽くして来たし協力だってした、でもアイツの計算ほどポイントは集まってない。その上で妙な噂だ、焦るのだってわかるだろ?」

 

「それはそうだけど、下らない噂に振り回されたって仕方ないでしょ。幾ら雅でもそんな意味不明なゲームなんてしないって」

 

「焦ってるのは俺だけじゃないぞ、色んな奴が不安に思ってる……それを忘れんなよ」

 

 唾でも吐き捨てるかのようにそう言い残して、朝比奈先輩に詰め寄っていた男子生徒は遠ざかっていく。

 

 不満を持っているのは彼だけではないのだろう。詰め寄っている光景を見ていた三年生の中には似たような視線をしている者も多い。恐らくは南雲先輩にクラス移動を提案されて手足のように動いていた人たちだろう。

 

「……はぁ」

 

 色々な苦労を感じさせる深い溜息を吐いてから朝比奈先輩はグラウンドの端っこにあるベンチに腰掛ける。南雲先輩に代わって三年生を指揮しているという話だけれど、当然ながら簡単ではないらしい。

 

 

「良くも悪くも、南雲先輩の影響力が大きいんでしょうね、三年生は」

 

 鈴音さんも同じ意見なのか、朝比奈先輩を見てそんなことを言うのだった。

 

「三年生は指揮系統がグダグダなようだね。でも人数差が大きいから結局はAクラスが勝つだろう」

 

 南雲先輩が結構な数を退学させてAクラス以外は人が少ない。そしてそのAクラスも混合合宿以降に俺が反南雲派閥の人たちをクラス移動させたので人数が多い。つまりどれだけグダグダになっていようと最終的にはAクラスが絶対に勝つのだ。

 

 一人当たりで稼げる点数はこの体育祭では上限があるからな、人数が多い方が有利ということだ。

 

「よう、朝比奈パイセン。ちょっと商談でもどうだ」

 

 ベンチに座って苦労を滲ませている朝比奈先輩に魔の手が迫る。いつも通りの邪悪な笑みを浮かべた龍園が近寄っていく。ベンチの後ろ側には山田と石崎が立つ。

 

 嫌な状況だなぁ、あの三人に囲まれるとかこの学校で一番なりたくない状況かもしれない。

 

 龍園が接触したのはチケットの売却交渉だろう。例の南雲先輩の噂を手伝って三年生の不信感は更に深まっているのでより余裕がない。

 

 内乱を避ける為にチケットを1000万で売ると提案すれば、それは三年生に……南雲政権が続くことを求めている人たちにはありがたい商談でもあるのだろう。

 

 そして当然ながら俺たちは大量のポイントを得る。南雲政権は内乱を抑えられる、三年生の一部はAクラスに上がれる、こっちの都合全開だけどなかなか悪くない展開だと思う。龍園もなりふり構わずだな。

 

 龍園と石崎と山田に囲まれている朝比奈先輩に同情しながらも、仕方がないことだと諦めて貰うしかない。

 

「チケット売却作戦、なんとしても成功させないといけないわね」

 

「満場一致試験で大きな出費があったから、ありがたいことでもあるけどさ」

 

「これで他の生徒に一位を持っていかれれば台無しになってしまうのだから、より一層、覚悟を決めて挑む必要がありそうね」

 

「あぁ、でも大丈夫だよ」

 

「天武くんはそうでしょうけど、私はどうかしら。誰よりも強い訳でもないもの」

 

「かもしれないけど、やっぱり大丈夫さ」

 

「その根拠はなにかしら?」

 

「君が頑張り屋だってことを、俺が知っているからだよ」

 

 隣に座っている鈴音さんに視線をやってそう伝える。何も迷いなどないとばかりに。

 

「……そ、そう」

 

 照れてしまったのか少し頬を赤くされてしまった。可愛らしい表情だと思う。

 

「一緒にチケットを取ろう、それで転売して大儲けだ」

 

「当然ね、満場一致試験の出費をここで補填するつもりなのだから」

 

「その意気だ。勝ったら沢山褒めるからそのつもりでいて欲しい」

 

 最近は堀北先輩風に褒めてもあまり来るものがないらしく、素直に俺なりに彼女を褒めておくべきだろう。

 

「楽しみにしておくわね」

 

 まだ恥ずかしさがあるのか頬は少し赤いままだが、彼女はいつもの怜悧な表情に戻って立ち上がる。どうやらやる気を漲らせたようで競技の練習に励むつもりであるらしい。

 

 そんな彼女を見送って俺は俺で体育祭の準備を整える。クラスメイトの洗脳……ではなく練習も大切だけど、同じくらいにポイントも大切だからだ。

 

 特に面倒な南雲先輩の資金源は可能な限り削っておきたい。どうせ復帰した時に変なストーカー気質を発揮するだろうから、ポイントは可能な限り削っておくべきだろう。

 

 チケットの売却もポイント稼ぎという側面もあるのだが、俺としては南雲先輩の資金を削る方に重きがあるのかもしれない。

 

 そんな訳で俺はグラウンドのベンチに座っている三年生に声をかけるのだった。

 

「鬼龍院先輩、練習には参加しないんですか?」

 

 その相手とは三年生の六助こと鬼龍院先輩である。一人でベンチに座って同級生の練習風景を眺めていたので声をかける。

 

「やぁ後輩……なぁに、練習しようとしなかろうと、結果が変わるようなことはないのでな、無駄なことはしたくはないのだよ」

 

「三年生は何がどうなろうがAクラスの勝利でしょうからね」

 

「そうだろうとも、どれだけグダグダであろうとも人数差があるからな」

 

 どこか師匠を思わせる鋭い視線がこちらに向けられる。そして鬼龍院先輩は自分が座っているベンチの隣をポンポンと叩いて見せた。隣に座れといわんばかりに。

 

 遠慮なく腰を下ろす。そして俺は本題を切り出した。

 

「ですが鬼龍院先輩なら個人賞で一位を取れるのでは?」

 

「どうだろうな、ポイントは魅力的ではあるが、200万程度ではそれほど必死になるほどでもあるまい」

 

「一応の確認なんですけど、先輩はAクラスでの卒業だったりは興味ないんですよね?」

 

「あぁ、そもそもそこに固執することが間違いだ。この学校にいる者はAクラスでの卒業特典があれば人生の成功が約束されていると勘違いしているが、ほんの僅かに可能性を上げる程度の意味しかないともっと知るべきだよ」

 

「そこに関しては同感です。重要なのは特典ではなく、社会の荒波に負けない力と意思だということは」

 

 だから俺も、ただ同級生全員をAクラスで卒業させるだけでは意味がないんだろうな。全員に困難を切り開ける意思を持たせることが本当の意味での目的達成になるのかもしれない。

 

「ですがポイントはあればあるだけ便利ですよね」

 

「それはそうだろう。私は色々と出費が多いものでね」

 

「あんまり散財するイメージは無かったんですけど」

 

「まさか、霞だけを食って生きている訳でもないんだ。女には余計にそういうことが多いのさ。それに、君は知っているかもしれないが、卒業後は保有しているポイントを現金に変換できる制度がある。私としてはAクラスでの卒業よりもそちらの方が大きな意味を持つだろう」

 

「なるほど、ならばいいタイミングかもしれませんね……朝比奈先輩が苦労しているようなので」

 

「フフ、追い込んだ側の君がまるで他人事のようなことを言う物だ。南雲が妙なゲームをしていたという噂の出所は君だろう?」

 

「さぁ、それは知りません……それにどうであれ南雲先輩の自業自得ですからやっぱり俺には関係ありません」

 

「南雲も気の毒だな、余計なことせず前だけを見ていれば良かったものを……それで、本題はなんだ?」

 

「南雲先輩の資金を削っておきたいんです。復帰した時に財布が空になっているくらいまでは」

 

「ふむ、君の都合だろう、それは」

 

「えぇ、でも鬼龍院先輩の利益でもあります」

 

「朝比奈が苦労しているようだな、そして現状の三年生の状況に、ポイント……あぁなるほど、つまりチケットを売りつけたい訳だ」

 

「そういうことになります」

 

「私に協力しろと?」

 

「いいえ、鬼龍院先輩がどうしようとどちらでも構いません」

 

 別にどちらに転ぼうとも何の損も無いからね、俺には。

 

 鬼龍院先輩がチケットを得てポイントの代わりに朝比奈先輩に売れば結局は南雲先輩の財布は軽くなる。そうしなかったとしても大して困らない。

 

 なのでどちらでも良い、作戦というのは上手く進めばいいなとちょっと期待するくらいで良いのだろう。これはあくまで予備の作戦でしかなく、本命はこちらで保有することになるチケットだからな。

 

 上手くいってくれることを願おう、体育祭の間は本当に色々な準備をしなくてはならないから、忙しい限りである。

 

 

 まぁ楽しくはある、今はそれで良しとしておこう。

 

 

 

 

 



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体育祭本番

 

 

 

 

 

 

 

 

 色々と準備や作戦会議に費やされた九月も終わり、様々な考えやそれぞれのクラスの方針だったりが入り混じった準備期間も進んで行き、いよいよ十月に入ったことで体育祭も本番となるのだった。

 

 天気は快晴、まだ残暑は僅かに残るのだが暑すぎるということもない。絶好の運動日和でもある。

 

 去年と同様に全校生徒はグラウンドに集まって整列すると、そこで体育祭の開催式を行うことになった。学園で働いているスタッフや大人たちに加えて今年は来賓の数も多い。ざっと数十人の大人たちの姿がグラウンドに作られた貴賓席に確認できる。テレビで見るような大物政治家だったりは流石にいないけれど、与党の議員だったり学園のスポンサーであったりとなかなかの顔ぶれであった。

 

 その中には身分を偽装したホワイトルームからの刺客も確認できる。事前に九号が調べた通りの人物が堂々とこの学園に侵入しているという訳だ。侵入するには絶好の機会だったってことだろう。

 

 そんな彼らと教師たち、そしてスタッフたちの視線を一身に受けながら、俺はグラウンドに設置された壇上で開催宣言を行うのだった。

 

「我々生徒一同はスポーツマンシップに則り、己の実力を証明することを誓い、ここに高度育成高校学校体育祭の開催を宣言します」

 

 マイクにそう語り掛けるとこの場にいる全員に声が届いた筈だ。本来ならばこういった口上は生徒会長である南雲先輩の役目なんだけど、あの人は今も入院中でこの場には来れない。

 

 なので代理として他の生徒会役員が生徒を代表してやることになったんだけど、鈴音さんも帆波さんも遠慮して、七瀬さんも一年生だからと辞退して、最終的に俺がやることになった。

 

 なんて言うかアレだな、船のレクリエーションもそうだったけど、企画の発案者である南雲先輩が参加できないというのはとても寂しいことだと思う。退院しても生徒会長は辞めさせられているし、そう考えると少し同情しても良いのかもしれない。

 

 今度お見舞いの品で果物の詰め合わせでも持って行こう。そんなことを思いながら開催宣言を終えることになるのだった。

 

 宣言が終わると生徒たちはそれぞれがOAAアプリで予約した競技に参加することになる。今年の体育祭は南雲先輩は趣向を凝らしたので去年と異なり報酬もシステムも規模も大きく異なるからである。

 

 まず個人賞で一位を取ったら200万プライベートポイントか二学期の間だけ使えるクラス移動チケットのどちらかを選べる。二位は100万、三位は50万が報酬だ。

 

 これだけでも結構破格な報酬であるし、個人主義というか実力のある生徒を上に引き上げると言う南雲先輩の公約や姿勢を形にする物と言えるだろう。

 

 そして次にクラス単位での勝敗もしっかり用意されている。学園中で行われる競技で生徒たちは勝ち点を重ねて行き、最終的にその合計点で優劣を競う訳だ。こちらは一位になるとクラスポイントが150も貰える。二位なら50、三位で0、四位でマイナス150ポイントとなかなか大きな差が生まれることになるのだ。

 

 最低限三位以上がそれぞれのクラスが目指す成果だろう。尤も、全学年入り乱れての体育祭なので何もかもが計算通りとはいかないだろうが。

 

 南雲先輩発案の体育祭なので個人的な成績も重視されるのだが、ちゃんと学校側は集団戦という側面も重視している。その例の一つとして個人戦に徹するよりも集団での競技に参加した方が貰える点数が多いということがある。

 

 たとえば参加上限が最大で十種目までなので、それら全てを個人戦で終わらせた場合と、全てを集団競技で終わらせた場合では明確に後者の方が差が出来るという訳だ。

 

 なので個人で一位を取る場合はやはり誰かと、或いは何名かでチームを組んで集団競技を総舐めする形がベストである。

 

「それじゃあ行こうか、鈴音さん」

 

「えぇ」

 

 そんな訳で俺は鈴音さんとペアを組んでこの体育祭は行動することになるのだった。開会宣言を終えてから生徒たちはそれぞれ競技に向かう中、まずは彼女と接触した。

 

 学校の様々な場所で色々な競技があり、個人で参加できるものから複数人で参加できるものまであり、二人一組で挑んだ方がやはり点数は稼げる。ウチのクラスでは須藤と小野寺さんもこの形で挑んでいる筈だ。

 

 OAAから事前に参加できる競技をある程度は指定できる。当日になって発表される競技もありどれに参加するのか吟味をする必要があるのだけど、一競技目は大きく変更する必要はないらしい。

 

 開会式が終わったグランドではすぐに競技の準備が始まる。こう言った場所でできるのは百メートル走や二百メートル走、ハードル走や1500メートルラン、色々とあるのだが俺と鈴音さんが参加することになるのは二人三脚である。

 

 百メートル走で一位になるよりも、二人三脚で一位になる方が得点が大きい、参加は当然であった。

 

「OAAで事前登録した瞬間にライバルが全員キャンセルしたのは流石に苦笑いするしかなかったけれど、一応参加者は集まったようね」

 

「あれは笑っちゃったよね」

 

 二人三脚に参加する為に足を紐で結び合っていると、参加する前に起こった珍事件を思い出してしまった。

 

 この体育祭ではある程度は事前にどの競技に参加するのか予約することができるのだが、俺と鈴音さんが二人三脚に参加する申請をした瞬間に、既に申請を済ましていた全員がキャンセルすることになってしまったのだ。

 

 もしや不戦勝かと予想したのだが、どうやら参加者はなんとか集まったらしい。どうやら二位と三位狙いに的を絞った作戦であるらしい。

 

「さて、練習通り行くよ?」

 

「あれをするのね……いえ、それは一番早いとよくわかってはいるのだけれど」

 

 二人三脚と言えば思い出すのが去年の体育祭で俺や須藤がやったペアの相手を体に引っ付けて実質一人で走るという荒業である。二人三脚とはと疑問に思うけれど結局はこれが一番早い。

 

 鈴音さんがこちらに体幹を預けてきたので腰に手を伸ばしてがっちりと引き寄せ固定する。紐で結んだ足すらこっちの爪先に乗せる形である。

 

 一見すると二人三脚だけど、実質は一人で荷物を側面に張り付けた状態で走る訳である。スタートピストルが弾かれた瞬間に一気に加速して風となった。

 

 目指すのは一位、そして去年更新した世界記録を更に更新することだな。

 

「きゃッ!?」

 

 あまり聞き慣れない鈴音さんの焦った声を少し面白く思いながらも一瞬でゴールまで走り抜けた。二位以下とは大差を付けての圧勝なのだが、重要なのは記録の方だろう。

 

 ゴール付近でストップウォッチを片手に記録を測っていた職員に視線を送ってタイムを確認しようとするのだけれど、その人はポカンとした顔のまま硬直しており、その指が動くことはない。

 

 大きく遅れて二位のペアがゴールまで辿り着いた時にようやく思い出したかのように記録を付け始めたので、どうやら俺が去年の世界記録を更新できたかどうかは最後までわからなかった。

 

 ただ問題はないだろう。今の俺なら入学したばかりの頃の俺を瞬殺できるだけの実力があると確信できるくらいなので、多分世界記録は更新できていると思う。

 

「はぁ、はぁ……心臓が止まるかと思ったわ」

 

「大丈夫かい?」

 

「練習で何度も経験したけれど慣れないわね、貴方が見ている世界はちょっと速すぎるのよ」

 

 何故か側面に張り付いていただけの鈴音さんが疲れたような様子を見せる。絶叫マシンでも体験したかのような雰囲気であった。

 

「ふふ、でも面白いだろ? こういうのを矢のように過ぎ去っていく光景って言うのかな」

 

 景色が伸びるとでも言うのだろうか、最近は全力で走るとそんな感じになる。引っ付いていた鈴音さんも同じ光景を見たのだろうけど、だからこそ疲れているのかもしれない。

 

「滑り出しは順調だ。この調子で行こう」

 

「次は卓球のダブルスだったかしら、すぐに体育館に……ねぇ、あれを見て頂戴」

 

 次の競技に参加する為に体育館へ移動しようとした時だ、鈴音さんがグラウンドの一角を指差して注目を促す。

 

 そこでは百メートル走が行われているのだが、その内容があまりにもアレだったので俺たちだけでなく他の生徒や貴賓席にいる来場者たちまで驚く始末であった。

 

 百メートル走に参加しているのはAクラスの生徒である。そして一年生が主だ。

 

「なるほど、坂柳さんはもうなりふり構わなくなったか」

 

 Aクラスの参加者の一人である坂柳さんは杖を突いて悠々と百メートル走のレーンを進んでいるのが見える。この学校で最も運動が苦手と言える彼女ではあるが、そんな彼女が現在一位の位置にいた。

 

 何故そうなるのかと説明するのならば、一緒に参加している一年生が杖を突く坂柳さんの後ろを敢えて走って……いや、歩いているからだ。

 

 ザワザワとグラウンドにざわめきが広がっているのがわかる。明らかな出来レースなのだから当然だろうな。

 

 坂柳さんはそんな周囲からの注目なんてどこ吹く風とばかりに、杖を突いて百メートル走を一位で突破するのだった。

 

「どう思う?」

 

「徹底しているわよ……Aクラスは、一年生を味方に付けた」

 

「あぁ、あれは七瀬さんクラスの生徒だね」

 

「だとすると、七瀬さんは初手から勝利を手放して、坂柳さんから何らかの利益を得ることを主目的にしたということでしょうね」

 

「一年の、それも七瀬さんクラスはほぼ女子だけしか参加できないから、始まる前から敗北が決定していたようなものだ。ならいっそ開き直って誰に負けるのが一番かと考えても不思議ではないかな」

 

 坂柳さんは何らかの報酬を提示したということだろう。そしてそれはこの体育祭で敗色濃厚な七瀬さんや宝泉にとっては「最高の負け方」であるのかもしれない。

 

「拙いわね。天武くん、ハードル走を見て」

 

「あっちもかぁ」

 

 そこでも出来レースが行われていた。坂柳さんクラスのお世辞にも運動能力が高いとは言えない生徒が、一年生を背後に従えながら悠々とゴールしているのが見える。

 

 おそらく、この学園の至る所で似たような光景が広がっているのだろうな。Aクラス主導の出来レース、やってくれたものだ。

 

「あのプライドの高そうな坂柳さんがここまで露骨なことをするだなんて」

 

「恥や外聞を捨てて勝利を取りに来たということさ。この体育祭では参加できる競技数には上限があるし、生徒一人で稼げる点数だって同様だ。勝つためにはクラスの平均勝率を高めるのが基本中の基本だよ」

 

「だからといって、ここまでわかりやすいことをするとはね……」

 

「これもまた戦いの作法の一つさ。卑怯と呼ばれようとも、恥知らずと言われようとも、彼女は勝利に手を伸ばして来た……ああいった人がなりふり構わなくなったというのなら、本当に厄介な相手になりそうだ」

 

 貴賓席ではこの出来レースに苦笑いが広がっており。坂柳理事長が冷や汗をかいているのが見えた。

 

 実力主義を掲げるこの学校にとって、あれはどう映るんだろうな? 何を馬鹿なことをと批判するのか、それともそういった状況を作れることを実力だと評価するのかはわからない。

 

 どちらでも構わないか、出来レースの中心人物である坂柳さんがもう完全に外野を無視して勝利に手を伸ばそうとしているのだから、誰に何を思われてどう言われようとも関係がないのだろう。

 

 全ては勝利の為にか、やはり彼女は強敵だな。ここまで開き直られると一気に手強くなるぞ。

 

「ボーっとしている訳にもいかないわね。天武くん、急ぎましょう。私たちも点数を稼がないと」

 

「どう動く?」

 

「明らかな出来レースを組んでいるとは言え、参加できる競技は十種目まで。七瀬さんクラスと坂柳さんクラスは人数差もあるから全ての競技で完全な出来レースは不可能な筈よ。必ずどこかで他の二年生や三年生とマッチングする競技がある筈、そこで勝ち星を拾って独走を阻止するわ」

 

「それしかないか、可能ならば一番点数を稼いでいる生徒には俺たちや須藤たちをぶつけられるように立ち回ろう。少しでも坂柳さんクラスの平均勝率を下げないと」

 

 当たり前のことではあるけれど、俺たちが勝利を目指しているように他のクラスだって勝利を目指しているということだ。それは坂柳さんだって変わらない。

 

 出来レースなんてと批判している時間があれば、俺たちはまず動かなければならないだろう。

 

 急いで俺と鈴音さんは体育館に向かって卓球のダブルスに参加するのだが、その間に他の競技はどうなんだと確認してみると、やはりと言うべきか一部の競技で七瀬さんクラスと坂柳さんクラスの出来レースが確認できた。

 

 わかりやすいのはバスケ競技だろうか、驚くことに七瀬さんクラスと坂柳さんクラスがしっかりと第一戦目の枠を埋めており、わかりやすい出来レースが行われている。坂柳さんクラスのシュートはなんの妨害もなければ邪魔されることもなく、次々と点数を重ねて行く。

 

 あれじゃあバスケじゃなくてただのフリースローだな。本当になりふり構わず勝ちにきているということか。

 

 鈴音さんも体育館の入口でそんな様子を眺めて難しい顔をしているな。なので落ち着かせる意味も込めてその柔らかな頬を指で突っついた。

 

「何をするのよ?」

 

「いや、難しい顔をしていたからさ」

 

 鈴音さんの頬は柔らかくもスベスベしておりとても触り心地が良い。程よい弾力は病み付きになりそうでもある。

 

「不景気な顔をするにはまだ早いよ、序盤も序盤なんだからさ、違うかい?」

 

「いえ、その通りね、まずは目の前の勝利を得る。そしてAクラスの動きを把握して細かなアプローチを決めるべきね、それで行きましょう」

 

 さっき鈴音さんも言っていたことだがどこかで必ず出来レースは破綻する。参加上限と人数差があるからだ。序盤こそ事前の参加申請を示し合わせて上手くマッチングできたみたいだけど、それだってどこかで限界が来る。

 

 個人賞で一位も取っておきたいので坂柳さんクラスで一番ポイントを稼いでいる生徒と上手く同じ競技で戦えるタイミングを見計らないとな。

 

 ただ今は卓球のダブルスで勝つことが重要だろう。先を見て足元で躓いていては意味がないなんて言うまでもないことだ。

 

 卓球のダブルスは坂柳さんクラスが出来レースを行っているバスケットコートの隣で行われていたのでそこに参加する。体育祭開催期間はこの競技は何回か行われるのだが俺たちはその第一回目に参加申請をしていたので問題なく出場することができた。

 

「さっさと終わらせるわよ」

 

 やる気を漲らせた鈴音さんは美しいフォームで鋭いサーブを放ち、対戦相手の三年生から見事にポイントを得る。あちらは運動部に所属しているペアであったが、卓球の経験はそこまで多くは無かったのか運動能力のみで勝つつもりであるらしい。

 

 それはこちらも同じなのだけど、何も心配はいらない。俺と鈴音さんのコンビに勝てる者はこの競技にはいないだろう。

 

 鋭く打ち返し、甘い球を零さず、左右に翻弄して、トドメを刺す。事前練習でやってきたことをそのままやるだけでほぼストレート勝ちまで持って行けるのだった。

 

 後はこれを繰り返して一位を取るだけ、一先ずはここで勝利をもぎ取ってから坂柳さんクラスの対策に集中するとしよう。

 

 あ、外から来る刺客も排除しないとダメなんだったな。すっかり忘れていた。

 

 あっちからしてみれば子供のお遊びなのかもしれないけど、やってる方は真剣なんだから邪魔しないで欲しい。

 

 貴賓席に座っていた排除対象の顔を思い浮かべながら、俺はそんなことを思うのだった。

 

 

 

 



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体育祭本番 2

 

 

 

 

 

 

 

 

 坂柳さんのまさかの戦略に面食らった訳だけど、ただ困惑して事態を眺めていることはできない。出来レースによる一方的な独走を傍観できる筈もなく、すぐさま対処に動くことになる。

 

 OAAからの事前登録による競技への参加申請である程度は示し合わせていた坂柳さんと七瀬さんだが、全てが全て完全に出来レースを終わらせることはできない。

 

 もし仮に坂柳さんクラスの生徒全員が七瀬さんクラスとマッチングするにしてもだ、ほぼ女子生徒しか動かせない七瀬さんクラスとは人数が合わない。そして競技には最大で十種目しか参加できないのでどうしたってあぶれる者たちがいる訳だ。

 

 つまり全てを出来レースでは終わらせることはできない。どこかで三年生や他の二年生とぶつかりあう競技が出て来るだろう。

 

 そこで上手く勝ち星を拾えて……まぁ五分といった所か。

 

 坂柳さんみたいな人がなりふり構わなくなったとしたら、それはもう厄介な強敵となるに違いない。全てを賭けて勝利を目指す人ほど恐ろしいものはないのだから。

 

 龍園もそうだけれど、ライバルたちの成長は嬉しくもあり恐ろしくもあるな。

 

 いつかこんなポイントなんていらないと言って俺たちを蹴り落として欲しいものである。そうなってくれれば俺はどれほど幸福だろうか。

 

 なんてことを考えているとは露知らず、卓球のダブルスで見事一位になった鈴音さんは難しい顔をまたしていた。

 

「厄介ね、このままだと独走を許すことになってしまう」

 

「出来レースが多いだろうから当然そうなるだろうさ」

 

「個人賞すら怪しいかもしれないわよ」

 

「ある程度の出来レースでクラスの平均勝率を上げるとしても、全部が全部それで終わらせることはできないさ。Aクラスで一番動けるのは男子は鬼頭で女子は神室さんかな、おそらくその二人でペアを組んで個人賞を狙っている筈だ」

 

「私たちと同じように?」

 

「その通りだ。なら話は簡単だね、彼らとぶつかり合う競技に参加するしかない。点数の稼ぎ頭であると同時に、個人賞を狙う上で十種目全勝を目指しているだろうからね」

 

「須藤くんと小野寺さんペア、或いは私と貴方との直接対決をどこかでやって勝つ必要があるということね」

 

「あぁ、それで少なくともチケットは得られるだろう。ただしクラスの平均勝率はそこまで変わらない」

 

「本当に厄介ね、一人の生徒が参加できる競技数も稼げる点数にも限度があることが坂柳さんの戦略を大きく後押ししている」

 

 出来レースを全力でやる相手にクラスの平均勝率で勝利する……うん、無理だ、こっちも同じ戦略で勝ち星を拾わないことにはまず後れを取るだろう。

 

 ざっと計算してみるけれど、甘く見積もっても五分といった所だ。よっぽど上手く立ち回ってもそれなのだから本当に坂柳さんは手強いと言うしかない。

 

 色々と文句を言いたい人もいるかもしれないけど、俺としてはこれもまた戦いの作法の一言で片付いてしまう問題である。

 

 俺と鈴音さんは卓球のダブルスで無事一位を取れたので、とりあえず体育館を出てグラウンドに戻る。すぐさま情報を集めることになった。

 

「あ、龍園? すまないがそっちの状況を……そうか、やっぱり似たような状況か。あぁ、こっちもだよ、完全に出来レースだ」

 

 俺はまずスマホをポケットから取り出して龍園と連絡を取り合う。彼は彼でどこかの競技に参加しているのだけれど、やはりそちらでも出来レースが確認されたらしい。

 

『クククッ、あの女がここまで開き直るとはな、なかなか楽しませてくれるじゃねえか』

 

「それだけこちらを警戒しているということさ、悪いんだけど鬼頭か神室さん……或いは橋本を見かけたら徹底的に邪魔して欲しいんだ。どういう組み合わせかはわからないけど、Aクラスの運動面での主力はその三人だ。隙があれば君の所の山田なんかをぶつけてくれ、勿論こっちもマッチングを急ぐ」

 

『当然だ、このまま独走を許すかよ。テメエは何があろうがチケットを取りやがれ、できませんじゃ許さねえぞ』

 

「言われるまでもないことだ」

 

 Aクラスへの妨害は龍園クラスに丸投げで良いだろう。得意だろうからな。

 

 そして個人部門で一位を取れるだけの相手には俺たちか山田たちか須藤たちをぶつけてなんとか全戦全勝を防ぐしかない。クラス全体でも負けました、個人賞も逃しましたなんてことになれば最悪であった。

 

「天武くん、クラスの全体チャットで呼びかけたのだけれど、Aクラスでペアを組んで動いているのはやはり鬼頭くんと神室さんのようね、平田くんから報告があったわ。それと橋本くんもペアを組んで動いているみたい」

 

 俺が龍園と話している間に鈴音さんはスマホで全体チャットを開き、クラスメイトから情報を集めていたらしい。やはりAクラスで個人賞を狙う面子はその辺になるか。

 

 鬼頭と神室さん、そして橋本のペア、どちらか片方が一位を取れるように動いていると見るべきだろう。本命は鬼頭側だろうな。

 

 この両者の全戦全勝だけは絶対に阻止しなければならず、俺たちとの直接対決が好ましいだろう。

 

 橋本ペアは……龍園に妨害して貰うとしようか。

 

「しかしアレだね」

 

「アレ、とは?」

 

「いや、開会式でスポーツマンシップに則ってなんて言ったけど、ちょっと申し訳ない気持ちになった。妨害とか出来レースなんて言葉が自然と出てきたしさ」

 

 坂柳さんは全力で出来レースをしているし、俺たちは全力で妨害しようとしているし、スポーツマンシップという言葉と共に連想する青春的な状況には遠いと思う。

 

「それは今更でしょう? そんなこと期待するだけ無駄よ、私たちはルールと常識に従うのではなく、そのルールを敷いて利用する側になれというのがこの学校の主張なんだから」

 

 鈴音さんもそんなことを言うくらいには学校への信頼というものがブレているらしい。まぁこの学園の教育を受けた人の多くはそういう思考になるのかもしれない。真面目にやるだけではなく裏の裏まで見通して小さな可能性や穴すら見逃すなと考えるようになる訳だ。

 

 だからなのか坂柳さんを露骨に責めたりはしない。ルールには買収してはいけないと明記されていないのだから、Aクラスの戦略は正当とも言えるからだろう。

 

 尤も、だからといって黙って見ていることなどできない。これもまたこの学園の教育であるのかもしれない。

 

 体育館から出た俺たちは急いで事前予約していたバトミントンに参加して難なく勝利すると、勢いそのままに綱引きとバレーでもあっさりと勝利を重ねた。勢いに任せて瞬殺したと言っても良い。

 

 これで基本となる五種目は最高の結果で終わることになる。問題なのはもう五種目だろう。

 

 ここから先は事前登録した競技ではなく自由にどの競技に参加するのか選べるので吟味が必要だ。やはり鬼頭たちへ黒星を一つは与えておきたいのでそちらに動くべきだな。

 

 なのでクラスの全体チャットで鬼頭がどこにいるのか情報を集めてそちらとマッチングするように動くことになるのだった。

 

 

 

「あと一歩遅かったようだな」

 

 

 

 向かった先はテニスコート、既に参加を申請していた鬼頭と神室さんペアが間に合わなかった俺たちを見てそんなことを言ってくる。ちょっと安心しているのは戦わなくて済むと確信したからだろうか。

 

 だがそうは問屋が卸さない、何としても十種目全勝を阻止したいのでここはちょっと強引にでも割り込ませて貰おうか。

 

「すまない桔梗さん、王さん、ここは参加をキャンセルして欲しい」

 

 参加者も集まったので第四回目のテニス競技が始まろうとしていたのだが、何としてでも鬼頭と神室さんペアとの直接対決を実現しなければならなかったので、桔梗さんと王さんに泥を被って貰うしかなかった。

 

「事情は把握してるよ、仕方ないなぁ」

 

「ありがとう、体育祭が終わったらお礼するよ。王さんもすまないね」

 

「い、いえ、そんな。頑張ってください」

 

 参加を取りやめるた場合は点数が引かれることになってしまう。桔梗さんと王さんはキャンセルした結果マイナスになってしまう上にクラスの平均勝率を下げることにも繋がるだろう。

 

 だが、それらのデメリットに目を瞑ってでも鬼頭と神室さんペアにせめて一度は黒星を与えて俺たちが勝たなければ個人報酬のチケットすら得られないかもしれない。苦肉の策ではあるが背に腹は代えられないのでやるしかなかった。

 

 桔梗さんと王さんに感謝を伝えてから、空いた枠に俺と鈴音さんが滑り込むことになる。

 

「そんな訳で鬼頭、そして神室さん、悪いが俺たちと対決してくれ」

 

 一年生と二年生、そして三年生も幅広く集まったテニス競技ではあるが、最大のライバルは鬼頭たちである。これで勝つことができれば十種目全勝を阻止できるので個人報酬の一位は阻止できる可能性が高い。

 

「どうするのよ、鬼頭?」

 

「笹凪は俺たちの独走を許すほど間抜けな男ではない。どうせ遅かれ早かれこうなっていた筈だ……やるぞ、神室」

 

「はぁ、わかったわよ」

 

 直接対決を避けられないと判断したのか鬼頭と神室さんペアは大人しくテニス競技に参加することになった。或いは他のペアが一位になることに賭けたのかもしれない。俺たちが参加するとなった時点で方針を変えた可能性もあるかもな。事前に坂柳さんからそう言われていた可能性もある。

 

 Aクラスの動き、その目的がクラス報酬の一位である150ポイントであることがわかる。だとすれば個人報酬は得られたらいいなくらいの感覚なのかもしれないな。

 

 事実として、櫛田さんと王さんに参加をキャンセルさせてしまった結果、クラスの平均勝率と得点は少し下がることになっただろう。たとえテニスで勝てず個人報酬の一位から遠ざかったとしても、それだけで鬼頭と神室さんにとっては十分な戦果であるとも言えた。

 

 なるほど、よく考えられている。なりふり構わなくなった坂柳さんは本当に厄介だ。

 

 一人に稼げるポイントに限界があり、参加できる競技も十種類まで、重要なのは突出した個人であると同時にクラス全体の勝率と得点、そこに全てを集約した結果こちらは振り回されているのだから、流れは坂柳さんにありそうだな。

 

 最悪、クラス一位は譲るしかないかもしれない。そしていっそ個人賞に集中した方が良いか?

 

 そう思えるくらいには坂柳さんの術中に嵌ってしまっている。

 

 まぁ今は目の前の勝利だな。まずは鬼頭と神室さんペアの全戦全勝をなんとしてでも阻止するべきだ。それができなければ何も始まらないだろう。

 

 テニスの男女混合ダブルスには全ての学年が満遍なく集まっておりトーナメント戦となる。くじ引きの結果、鬼頭たちとの戦いは決勝戦となった。

 

 また、全ての戦いを完全にテニスの公式ルールで進めるとなると全ての対戦が終わる頃には日が暮れてしまうので、2セットを取った方が勝利となるルールで時短を図っているようだ。

 

「練習通りにいこう。大丈夫、何も心配いらないさ」

 

「当然よ、ここで負けているようでは個人賞すら逃してしまう……必ず勝つわよ」

 

 鈴音さんもラケットを持ってやる気を見せていた。集中力も高まっており、師匠モードに爪先を突っ込んでいる状態である。

 

 こうなったら手が付けられなくなるのは去年の体育祭で実証済みであった。それを証拠に彼女が放ったサーブはちょっとびっくりするくらいの正確さで相手のコートに突き刺さり、大して打ち合うようなこともなくほぼサーブだけで1セットを奪い去るという偉業を成し遂げた。

 

 相手のサーブの時であっても、師匠モードになると動体視力も高まるので何の迷いもなくボールを打ち返してくれた。

 

 対戦相手の三年生もなんとか打ち返してくるのだが、甘く浮いたテニスボールは俺が打ち返す。

 

 全力で球を打ち返すと、おそらくボールが破裂してしまうかラケットの網目に沿ってバラバラに切り裂かれるかのどちらかなのである程度は加減する必要があった。

 

 何かを間違えて相手選手に当てた瞬間に病院送りになってしまうので、本当に気を遣う作業となったが、一回戦も二回戦も鈴音さんの活躍も手伝って問題なく勝利することができた。

 

 大きな問題はない、そして決勝では予定通り鬼頭と神室さんペアとぶつかることになるのだった。

 

「君は出来レースをしないのかい?」

 

「そんなことをせずとも俺は勝つ……と、言いたいが、俺の仕事はお前を釣りだすことだ。遅かれ早かれ個人報酬の一位を取られることを避ける為に直接対決に来るだろうと坂柳は言っていたからな」

 

「君からしてみれば、桔梗さんみたいに競技の参加をキャンセルさせた段階で目的は達成できていると言うことか」

 

「あぁ、競技の参加を辞退させればそれだけで点数が引かれるからな」

 

 たとえここで十種目全ての勝利を手放して個人報酬の一位から遠ざかろうとも、クラス全体平均勝率と獲得点数は高められてクラスとしての勝利には近づくことになる、全ては計算の先にある行動か。

 

「Aクラスは本当に強敵だと改めて思ったよ」

 

「当然だ、お前を凌駕する為に全てを賭けると決めている……この恥知らずの出来レースを幾らでも批判しろ、どれだけでも笑え、それでも俺たちは必ず勝利を掴む」

 

「その覚悟は良し……見事な戦いの作法だと賞賛しよう」

 

 俺と鈴音さんペア、そして鬼頭と神室さんペアはテニスコートに立って向かい合う。この決勝戦を制した方が個人一位を取ることになるかもしれないので絶対に負けられない競技でもあった。

 

「集団戦に私情はいらん……だが、個人戦では話は別だ。こうして向かい合い同じ競技に挑む以上は、当然勝ちに行く」

 

「あぁ、ならば返礼はこちらの本気で構わないかな」

 

 最初のサーブはこちらからだ。鈴音さんからテニスボールを受け取った俺は、それを高く上げてから力を込めてラケットで叩く。

 

 全力でやるとアレなので相応に加減するが、しかし確かに本気ではあった。

 

 放たれたテニスボールはそのまま鬼頭の少し前に突き刺さってしまう。

 

 ボールが跳ねることはなく、見事にコートを貫通して地面に埋まることになるのだった。とりあえずこれで一点。

 

 

「……」

 

 

 先程までの威勢はどこにいったのか、鬼頭はチベットスナギツネみたいな顔になって沈黙することになる。

 

 そんな彼を無視してボールボーイをしていた職員が掘り起こしたテニスボールを受け取って、今度は相手側のサーブとなった。

 

 神室さんが打ったボールはそれなりに速かったが対応できないほどではなく、幾度かの打ち合いの後に甘く浮いたボールを叩きつけて地面にめり込ませる。これで二点。

 

 三度目も変わらず、四度目もまたボールが地面に突き刺さったことで1セット目はこちらの勝利となる。

 

 すまないな鬼頭、本気で挑む以上は手加減するつもりはない。何もできず負けてくれ。

 

 

 このテニスでも俺たちは一位を取ることになり、一先ずは個人報酬のチケットに近づくことになるのだった。

 

 

 

 



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体育祭本番 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 鬼頭と神室さんペアとの直接対決で勝ち星を得る。これは最悪の中での最高を得る為の最低条件だろう。

 

 圧倒的な勝利によって男女混合テニスで一位を取ったことで、とりあえずはその最低条件を突破することができたと思う。今回の試験は参加できる競技は最大で十種類までという制限があるので一つ負けるだけでも明らかな差が生まれるのだ。

 

 これで制限無しだったら俺や須藤が一つでも多くの競技に参加して大量のポイントを稼げてしまうからな。一人の生徒が稼げる点数に上限を付けるのは仕方がないのかもしれない。

 

 その参加上限がある以上はどうしたってクラスの平均勝率を上げる必要があると考え、それならば出来レースが一番早いと坂柳さんは判断したということだ。本当に上手くやったと言うしかない。着眼点が面白いよね。

 

 彼女は本気で勝つつもりだ、そして俺たちは見事に転がされてしまっている。間抜けというしかないが、この行為を責められないのがこの学校であった。

 

 審判を買収していなければそれは違反ではなく戦略と呼べるのだろう。

 

 ただずっと指を咥えて眺めている訳にもいかないので、坂柳さんクラスの平均勝率をなんとしてでも下げるべく動く必要があるし、それが難しくてもどうにかして個人賞一位のチケットだけは死守しないといけないな。

 

「……流石に強いな」

 

「まぁわかりきってたけどさ」

 

 惜しくもテニスの決勝で敗北した鬼頭と神室さんペアがそんなことを言ってくる。神室さんは作戦通りに事が進んだ上に最初から勝つ気もなかったからなのかシレッとしているが、鬼頭の方は眉間に皺を寄せていつも以上に迫力のある顔になっていた。

 

「真剣勝負の結果だ、文句はないが……笹凪、お前は全力を出してはいなかったな?」

 

「鬼頭、どうしてそう思うのかな?」

 

「常に余裕と配慮が感じられたからな」

 

「それは勘違いだ、少なくとも本気で勝利を掴もうとしていたよ」

 

 ただ本気ではあったが全力ではなかった。全力でやるとテニスボールが幾つあっても足らないだろうし、下手したら鬼頭の腹に命中して穴が開いたかもしれないと考えると、あれくらいで良かったのだろう。

 

 テニスコートは穴だらけだが人は死んでいない、完璧な結果だな。

 

「そういうことにしておこう……だが、いずれ全力のお前に勝たせて貰うぞ」

 

「やめときな鬼頭、こいつと身体能力で競っても絶対意味がないから」

 

 神室さんの忠告を無視して鬼頭は俺を力強い視線で睨みつけて来るのだった。別に侮ったつもりもないんだけど、変なライバル心を植え付けてしまっただろうか。

 

 そう言えば去年の体育祭でも何度か鬼頭と戦ったなと思い出す。運動が得意な生徒なのでこういった分野で手も足もでないとなると思う所があったのかもしれない。

 

「来年も体育祭はあるだろうし、それ以外でも幾らでも競える場はあるだろうさ、その時が来るのを待っているよ」

 

 この体育祭でも戦略的な勝利を得るのかもしれないが、鬼頭としては戦術的な勝利もまた欲しかったのだろうか、そういう意思は凄く良いと思うのでちょっと好感度が上がるのだった。

 

 どうして南雲先輩はこうあれないのだろうかと思ってしまうほどである。あの人もドロドロしたストーカー気質を向けてこず素直に戦いに挑んでくれれば良いんだけどな。

 

「さて鈴音さん、次の競技と行きたい所だけれど、その前にお昼にしようか」

 

「そうね、配給所にお弁当があるようだからそこに向かいましょう」

 

 テニス競技を終えて俺たちは少し遅めの昼食となった。腹が減ってはなんとやらだ、師匠も補給は大切とよく言っていたのでしっかりと腹八分目にしておこうか。

 

 なのでグラウンドに設置されているお弁当の配給所に向かおうとするのだけど、その途中で俺たちはとある一年生ペアと出会うのだった。

 

「あ、そっちもお昼ッスか?」

 

「えっと、どうも先輩」

 

 その一年生とは九号とそのクラスメイトの男子生徒である。どうやらチケットを得る為に彼女は同じクラスの男子とペアを組んで体育祭に挑んでいるらしい。

 

 迷惑をかけてないよね? そんな意思を込めた視線を九号に送ると、彼女はそんなまさかと言いたそうな顔になった。

 

「あぁ、丁度テニス競技が終わってね。ちょっと遅めのお昼休みだ。そっちは?」

 

「ウチらはもうお昼休みは終わりましたよ。これから同じくテニス競技に参加するッス」

 

 さっき俺たちがやっていたテニスは三度目の開催だったけど、間を置かずに四度目が行われるので九号と男子生徒はそこに参加するつもりであるらしい。

 

「この子たちが天武くんの言っていた一年生のチケット確保要員なのね」

 

「その通りだよ鈴音さん」

 

「調子はどうなのかしら?」

 

「問題ね~ですよ、これまでの競技でも全部団体戦で一位なんで」

 

「そう、そこは幸いね」

 

「もしかしてそっちは拙い状況なんッスか?」

 

「そういう訳でもないけれど、クラス順位は厳しいものになるかもしれないわね。だから貴女たちは確実に個人賞のチケットを得て欲しいの。約束通り400万で買い取るわ」

 

 鈴音さんがそう言うと九号と一緒にいた男子生徒がホッとした顔になった。どうやら半信半疑であったらしい。そこまで信用されていなかっただろうか……まぁ二年生全体の評価や信頼を考えると不信感も仕方がないか。

 

 報酬の支払いを改めて確約したことで二人はやる気を見せてテニスコートへと進んで行き四回目のテニス競技に参加申請を済ますのだった。

 

 俺たちはお昼休みなのでその場を去るべきなのだろうけど、ちょっと気になることがあったので少しだけ脇で見学することになる。

 

「天武くん、昼食はいいの?」

 

「いや、ちょっとだけ見学しようかなって」

 

「そう、なら私がお弁当だけ取って来るわ。何か希望はあるかしら?」

 

「ん、カツ丼かな」

 

「好きね、カツ丼」

 

「美味しいからね、それにゲン担ぎでもあるからさ」

 

 そう言えば大事な試験の前だったりはよく食べているような気がするな。鈴音さんにも作って貰ったことがあったりもする。グラウンドの配給所にあることを願うばかりだな。

 

 お弁当を取りにグラウンドに向かう鈴音さんを見送った後、視線はすぐにテニスコートへと向けられた。そこでは既に参加申請が終わっており、さっきまでの俺たちと同じようにテニスのトーナメントが開始されていた。

 

「あの、えっと、鶚さん。俺ってテニスの経験が無いんだけど」

 

「無問題でやがります。まぁウチに任せるッス。そう何度もラリーなんてさせませんから。兵は神速を尊ぶ、速攻で終わらせるッスよ」

 

 当然ながらそこには九号と男子生徒の姿がある。あの様子だともしかして男子生徒の方はそこまで運動が得意ではない感じなのだろうか? それでもしっかりと九号がフォローして一位を取りまくっているらしい。致命的な失敗であろうともあの子が全力を出せばそこまで苦労はしないのかもしれないな。

 

 それこそワザと負けようとしない限り、九号が勝利に導いてくれる筈だ。

 

 そんな男子生徒と九号はテニスコートに入って早速一回戦に挑むことになる。別に何も心配はしていないけど、俺がワザワザ見学をすることにした理由の一つは、丁度ホワイトルームからの刺客の一人が貴賓席に座っているのを確認したからである。

 

 まだ大きくは動いていないらしいその男は、抜け出すタイミングを計っているようにも見える。しかし一応は政府やスポンサー関係者という体裁で招かれているので好き勝手に動き辛いのだろう。

 

 なので他の来賓と一緒に集団で移動しながら隙を伺いつつ清隆を探しているのかもしれない。ああやってテニスコート近くにある貴賓席にいるのも全体の流れに乗ってのことかな。

 

 派手な動きこそないものの、ホワイトルームの刺客であることはわかっているので、せっかく視界に入ったことだし処理しておきたかった。

 

 そんな意思を込めてテニスボールを持つ九号を見つめると、彼女は言葉を介することもなくこちらの意思を受け取ったのかコクッと頷いてくれたのでもう安心である。

 

「それでは第四回目の男女混合テニスを行います」

 

 担当教官のそんな宣言と共に競技が始まった。一回戦の組み合わせは九号ペアと三年生ペアの戦いだ。ただ九号がいる以上はまず勝利は間違いないのでそこは心配していない。

 

 重要なのはこのテニスを観戦している来賓たちに交じっているホワイトルームの刺客である。清隆を探しながらも何とか抜け出すタイミングを計っているようだけど、ウロチョロされても困るので見つけたからにはここで退場して貰いたいんだよな。

 

「それじゃあ行くッスよ~」

 

 テニスが始まった。最初のサーブは九号である。そして彼女は俺の期待を百パーセントの形で答えてくれるのだった。

 

 

 

「アアアッ、テガスベッタッス~」

 

 

 

 なんてことを言いながら九号はサーブを放つ。それも全力で。

 

 九号が打ち放ったテニスボールは大気を破裂させたかのような轟音を広げたかと思うと、目にも止まらぬ速度で突き進み相手のコートのエリアに落ちる――ことはなかった。

 

 黄色い尾を伸ばすボールは弾丸のような勢いで何の反応もできない相手選手のこめかみ付近を通り過ぎたかと思えば、そのまま背後にあるテニスコート全体を囲む金網にぶつかって、しかしそこすらも貫通して更に向こうに突き進むのだった。

 

 金網の向こうにあるもの、それは貴賓席である。

 

 九号の放ったボールは金網で勢いを止めることはなく、その向こうにある貴賓席にすら届いて、最後にはそこに座っていた来賓の一人の顔面に直撃してようやく勢いを失い地面に転がることになった。

 

「ん、お見事」

 

 これが無関係な誰かであれば大問題ではあるけれど、顔面でボールを受けたのはホワイトルームからの刺客である。確か清隆が言うには総合格闘技の教官だったかな?

 

「ナ、ナンテコトダ~、コンナジコガオコルナンテ~」

 

 九号はもうちょっと演技の練習をした方が良いのかもしれない。あの子は潜入任務とか得意な筈なんだけど、あんなカタコトな口調で大丈夫なのだろうか。

 

 まぁ大丈夫か、九号の言う通りどこからどう見ても事故なんだから何も問題はなかった。スポーツ観戦中にボールに当たって負傷する、野球でもサッカーでもそしてテニスでもよくある事故だろう。

 

「大丈夫ですかッ!?」

 

 だが事故であっても大惨事であることは変わらないので、貴賓席は大騒ぎとなっていた。特にホスト側である坂柳理事長はそれはもう焦っている。

 

 来賓の大半がスポンサーであったり政府関係者である。そんな身分の人に偽装しているのがホワイトルームの刺客である。そりゃ坂柳理事長も焦るだろうな。

 

「病院の手配をお願いします、それまでは保健室で応急処置を!!」

 

 坂柳理事長は焦りながらもそんな指示を出す。放置もできないので当たり前だった。

 

 俺はそんな騒ぎの中心に近づいていき生徒会役員として振る舞いながら野次馬に加わることになる。

 

 だってホワイトルームからの刺客は一人じゃないからな、重傷者を囲む大勢の来賓の中にもう一人いた。

 

「すみません、ちょっと通してください」

 

 怪我人を介抱する人、それを囲む来賓たち、つまりは野次馬の群れの中に割って入る瞬間に、もう一人の刺客の脇腹に親指を突き立てて衝撃を叩きこむ。確かこの人はボクシングの世界王者だった人だったかな? 突然の衝撃にあっけなく意識を失うことになる。

 

 これだけ人が固まって場が混乱しているので、大半の意識や集中はボールが命中した人に向いている。野次馬の一人が倒れた所で俺が犯人だと思う人はいないだろう。

 

「ん? おいこっちも倒れているぞ!!」

 

「なんだって!?」

 

 また坂柳理事長の焦った声が周囲に広がった。ホスト役も大変だとどこか他人事のように考えてしまう。

 

「理事長先生、こちらの方はどうやら熱中症のようです。保健室で休ませておいた方が良いでしょう。そちらの方は頭部に強い衝撃を受けたようなので大きく動かすことは推奨できません。保健医が来るまで揺らさず放置しておきましょう」

 

「笹凪くん……そちらの来賓は本当に熱中症なのかい?」

 

「まだ残暑がありますからね、水分補給も疎かにしていたようなので」

 

 坂柳理事長はそれはもう疑わしそうな視線を俺に向けて来るのだけれど、証拠は何もない……つまりはこちらも事故である。そうに違いない。

 

 色々と思う所はあるのだろうけどここで論ずる意味はないと判断したのか、坂柳理事長はすぐさま保健医と連絡を取って重傷者の搬送手配を整えていく。

 

 こっちの人は熱中症……ということになっているので動かしても問題ないだろうか? いや、丁度校舎から保健医が担架をもって到着したのでそちらに任せるとしよう。

 

 本物の来賓の人は無傷なのでヨシ、そう、全てヨシと断言できるな。

 

 担架で運ばれていく刺客の二人を見送ってここで用は無くなった。九号は問題なく勝利してチケットを持ってきてくれるだろうから心配もいらない。ようやくお昼休憩に入れそうだ。

 

「天武くん、一体何があったの?」

 

 鈴音さんもお弁当を持ってこっちまで戻って来た。そして当然ながら騒ぎにも気が付く。

 

「来賓の一人が熱中症で倒れてしまったみたいだ。それともう一人は競技中の事故で怪我してしまった」

 

「それはとんでもない状況ね、生徒会としてはどう動こうかしら」

 

「何もしなくて良いさ、保健医も到着したからプロに任せておこう」

 

 実際に素人に俺たちにできることなんて何もない。なのででしゃばることはせずに後は知識と経験を持った大人たちに丸投げで問題なかった。

 

「それよりお昼にしよっか」

 

 テニスコートから少し離れて校舎の片隅にあるベンチに腰掛ける。鈴音さんカツ丼を俺に渡してくれる。ついでにお茶のペットボトルも。

 

 予想外の坂柳さんの戦略と、こっちは一敗もできない緊張感からかなかなか気が抜けない状況だったけれど、こうしてお昼休みくらいはゆっくりできそうだな。

 

「はい、カツ丼」

 

「ありがとう。鈴音さんはサンドイッチか、好きだねぇ」

 

「お手軽だもの」

 

 校舎の隅にあるベンチは近くの木によって木陰になっているので過ごしやすくもあった。もう十月なので夏の暑さもかなり落ち着いてはいるのだけれど、残暑は感じられるのでこの場所は悪くない。

 

 ゲン担ぎのカツ丼も絶品である。まぁ鈴音さんが前に作ってくれたカツ丼ほどでもないけどさ。

 

「皆の様子はどうだったかな」

 

「坂柳さんクラスの戦略に困惑している様子だったわね。お弁当の配給所でクラスメイトと話したけれど、大まかな方針は伝えておいたわ」

 

 運動が得意な面子は可能な限りAクラスとぶつかって勝ち点を稼ぐ方針である。全て上手く行ったとして、しかもそこに龍園クラスの妨害が加わってギリギリで五分と言った所だろけど、やるしかないか。

 

 最低でもチケットの権利だけは確保しなければならないから、どのペアに勝つのかということも考えなければならないだろう。

 

 とりあえずスマホで龍園に各種妨害を依頼しておき、その上で俺たちが上手いことAクラスから勝ち点を奪い去れて……まぁ五分五分と言った所か、甘く見積もっても。

 

「鬼頭くんと神室さんペアには黒星を付けられたけど、他の相手とも直接対決で勝利しておきたいわね」

 

「何としてでもチケットは手に入れないとだからなぁ」

 

 そして勝てば勝つほどAクラスの平均勝率と勝ち点も減らせるので、現状で取れる手段はそれしかないだろう。

 

 少しだけ遅い昼食を楽しみながら鈴音さんと二人でまったりと過ごす。メリハリは大切なので休める時はしっかり休んでおくべきである。

 

 だがそんな俺たちの時間は長く続くことはなかった。この校舎の片隅にあるベンチに向かって肩を揺らしながら大股で近づいてくる柄の悪い生徒がいたからだ。

 

「いた、やっと見つけた!! 堀北、午後の競技で私と勝負しなさい!!」

 

 その相手は伊吹さんである。言葉から察するにずっと鈴音さんを探していたのだろうか。

 

「何か因縁でもあったのかい?」

 

「そんなことある訳ないでしょう、あちらがやけに絡んで来るのよ。あの無人島で受けた施しが我慢できなかったらしくてね」

 

 サンドイッチを食べ終えた鈴音さんは、呆れた視線を近づいてくる伊吹さんに向けながらお茶を飲んでいる。

 

「で、ことあるごとに絡んで来るようになった訳か……フフフ、ライバルって奴かな」

 

「笑いごとじゃないわよ、本当に迷惑しているのだから」

 

 実際にとても呆れた表情をしている。そんな鈴音さんの様子に気が付いたのか伊吹さんは俺たちが座っているベンチ近くまで歩いて来て眉を顰めるのだった。

 

「なに、その顔?」

 

「呆れているのよ、もしかして貴女はクラスでまともに連絡が取れる相手がいないのかしら? クラスの方針や協力関係だったり、現状のAクラスの戦略をまるで理解していない様子なのだから当然でしょう」

 

 無人島の時もそうだったけど、伊吹さんが相手だと入学当初のツンツンした雰囲気が戻るので新鮮であったりもする。

 

 ちょっと意地っ張りになるんだよな、伊吹さんを前にすると。

 

「今は貴女に構って上げられる余裕はないの、大人しくAクラスの生徒の誰かと戦っていなさい。多少は動けるのだからね」

 

「はぁ? 何様のつもりな訳? 私に命令しないで」

 

「子供の駄々に構っている時間も予定もないのよ、こちらはね……それに比べて貴女は、どうしてそこまでお気楽なのかしら」

 

 すると伊吹さんがもの凄く不機嫌な顔になってしまう。

 

「ふん、どうせ負けるのが怖いんでしょ」

 

「……つまらない挑発ね。私たちにはお気楽な貴女と違ってちゃんとした目的があるのよ」

 

 その割にはもの凄くイラッとした顔になっていると指摘するのは無粋なのだろうか。

 

 ただその苛立ちのまま行動するような人でも無く、鈴音さんは少し思案顔になった後、伊吹さんにこんな提案をするのだった。

 

「でもそうね、どうせ貴女が負けるとはいえ、そこまで頭を下げるのなら考えてあげなくもないわ」

 

「はぁッ!? 頭なんて下げてないんだけど!!」

 

 ドスの利いた声は流石龍園クラスとでも言うべきだろうか、伊吹さんのガラの悪さはあのクラスで磨かれたものなのかもしれない。ボーイッシュなスポーツ少女なのに眉間に皺を寄せる表情はやけに似合っている。

 

「まずは残りの競技全てでAクラスの生徒の誰でもいいから勝ちなさい、それができたなら最終競技で貴女と戦ってあげなくもないわよ。ただしその場合でも集団戦になるでしょうから、友達の少ない伊吹さんには難しいでしょうけど」

 

「そ、それくらいできるっての、舐めすぎ」

 

「そう? なら心配はいらないわね、せいぜい頑張りなさい。私に負ける為にね」

 

 最後の最後まで挑発的な姿勢を崩すことなく一方的に伝えるのだけれど、はいわかりましたと逃げ帰る訳にもいかないのが伊吹さんなんだろう。

 

 龍園クラスの狂犬枠でも目指しているのか、しっかり食らいつこうと前のめりになるのだけれど、次の鈴音さんの行動に黙ることになるのだった。

 

「わかったのなら早く帰りなさい、こちらは休憩中なの、邪魔をしないで」

 

 そう言いながら鈴音さんは隣に座っていた俺に体幹を預けて来る。肩の上に自分の頭を置くようにだ。

 

「え、あ、ちょ……な、何してんのよアンタは」

 

「邪魔をしないでと言ったでしょう、そういうことよ」

 

 そんな俺たちの様子を見せつけられている伊吹さんは、さっきまでの狂犬的雰囲気をどこかにやって、羞恥と共に頬を赤く染めて気まずそうに視線を彷徨わせるのだった。

 

 そしてプルプルと震えて、遂にはこの状況に耐え切れなくなったのか、最終的には伊吹さんはこう言いながら逃げ帰ることになってしまう。

 

「こ、これで勝ったと思うなよぉッ!!」

 

 無人島でも聞いた漫画の中の悪役みたいなセリフを言い残して伊吹さんは去っていくのだった。

 

「子供ね、扱いやすくて助かるわ」

 

「フフ、そういう君も少し頬が赤くなっているよ」

 

「指摘しなくて良いのよ、そういうことは」

 

 普段、人前でこんな風にイチャつくようなことはしない。しつこい伊吹さんを追い払う為の手段だったんだろうけど、流石に恥ずかしかったらしい。

 

「それで、まだ離れないのかい?」

 

「……もう少しだけこうしていましょう」

 

「ん、ならもう少しだけ」

 

 ここは校舎の片隅にあるベンチなので目立つようなこともないか、それなら彼女の言う通りもう少しだけこうしているとしよう。休む時はしっかり休んで、落ち着く時はしっかりと落ち着き、勝負事になればちゃんと集中するものだ。

 

 メリハリは大切である。午後からの競技でも勝ち点を得る為に今はゆっくり穏やかな時間を過ごすとしようか。

 

 

 

 

 



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体育祭本番 4

 

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 

 

 

 どうやら坂柳は一皮むけたらしい。オレはそれを体育祭の始まりと同時に知ることになる。

 

 第一回目の百メートル走で自分以外の参加者は一年生で固めて、完全な出来レースで勝利することで勝ち点を稼いだのは素直に感心したほどであった。良くも悪くもプライドが邪魔をしそうではあったが、一年生最後の試験で月城の助力があってなお敗北した経験がアイツを変えたらしい。

 

 出来レースだと非難して、八百長だと笑うことは簡単であるのだが、それでも最終的な勝利を得るのが坂柳であるのならば、それは意味のある行為であった。

 

 勝利への渇望を以前よりも大きくしたとするならば、それは間違いなく強敵となることだろう。

 

 開き直ったとも言えるし、一皮むけたとも言えるし、羽化したとも表現できるのかもしれない。

 

 つまらない意地やプライドよりも先に勝利を目指す、それは正しく戦う者の姿勢である。そして事実として坂柳は初手で王手をかけてきたのだから、その行いはしっかりと結果に結びついている。

 

 強敵だな、改めてオレはそう思った。

 

 坂柳が走った後の百メートル走、二回目のそれに参加して二位という結果になる。その時に生徒用のテントの下で待機していた坂柳が声をかけてきた。

 

「二位、おめでとうございます。綾小路くん」

 

「あぁ、そちらも一位だったな、見ていたぞ」

 

「フフ、褒め言葉と受け取っておきましょう」

 

「皮肉ではない、本心だ」

 

 なりふり構わず勝利を目指す姿勢は素直に評価できる。それができない者も案外多いからだ。

 

「だがそう簡単には進まないだろう」

 

「それはそうでしょうね、龍園くんも天武くんも座したままなどありえないでしょうから……貴方はどうですか?」

 

「どうだろうな、天武や堀北がクラスを導くだろうから、オレの出番はないかもしれない」

 

 実際、あの二人に任せておけば最善の行動はしてくれる。入学したばかりの頃のクラスではないのだ、それぞれが成長して戦いに挑む覚悟は全員がある程度は整えられた。

 

「それに、こっちはこっちでやらなければならないことがあるんでな。体育祭を純粋に楽しめないだろう」

 

「それは残念なような気もしますが、綾小路くんが個人的な都合を優先して動くというのはこちらにとっては喜ばしい展開なのかもしれませんね」

 

 生徒用のテントの下で休んでいた坂柳は、いつもの不敵な笑みを浮かべて立ち上がると、そのまま二百メートル走に参加する為に杖を突いて歩き出す。

 

「あぁそれと、どうやら招かれざる客人が来ているようです。どうかお気を付けください……今もずっと、綾小路くんを見つめていらっしゃいますよ」

 

「そのようだな」

 

「手が足りないのであれば、少しは助力できますが」

 

「問題はない、最初から排除する方向性で行動するつもりだし、段取りも整えていた」

 

「フフ、余計なお世話であったようですね」

 

「そうだ、一つ訊いておきたかった。最高の負け方を求めていた七瀬クラスを味方に付けたお前たちは、一体どれだけの報酬を渡したんだ? 満場一致試験で救済に動いた以上はそれほど懐に余裕がある訳ではないと思うが」

 

 考えられることはそう多くはない、だが坂柳が安易に不利な条件を提示するとも思えないので、やはり学年が異なることを活かしたものになると睨んでいた。

 

 これで一年生の頃の葛城のように定期的にポイントを渡す契約を結んでいたとするならば、Aクラスは資金難に陥るだろうし坂柳がリーダーになった意味もなくなってしまう。

 

「ご安心を、葛城くんと同じミスはしませんよ。確かに私たちは七瀬さんたちに相応の報酬を渡す契約になっていますが、それは卒業手前のことですので」

 

「なるほど、Aクラスで卒業できたとしても、できなかったとしても、卒業手前ならば何も困りはしないか」

 

 三年生最後の特別試験で勝とうと負けようと、その時点で順位が決まる以上は、ポイントなど持っていても仕方がないだろう。

 

 卒業式の日にでも七瀬たちにくれてやればいい、下手しなくても1000クラスポイント以上が手に入るかもしれないと考えれば、確かにこの体育祭で敗色濃厚な七瀬たちからしてみれば最高の負け方なのかもしれない。

 

「だが、そんなことを学校が許すのか?」

 

「さて、どうでしょうね。ダメならダメで、何か問題でも?」

 

 卒業するのだから渡せなかったとしても何も問題はないか、本当に開き直っているな。

 

 だが直接的に渡すことが難しくてもやりようは幾らでもあるか、この学校は規則を多く設けているがどれも穴だらけだから遠回りしての譲渡なら可能だろう。

 

 例えば、賠償金代わりにするとかだろうか。なんであれ卒業間近でのポイント譲渡ならばAクラスの財政や戦略は今現在は何も脅かすことはないか。

 

 怪しく微笑む坂柳は、そのまま杖を突いて遠ざかっていく。そしてそのまま出来レース要員の一年生と合流した坂柳は二百メートル走に参加して、杖を突きながら長い時間をかけて一位を取ることになる。クラスで最も運動面で足を引っ張るであろう坂柳だが、今回ばかりはその弱点を完全に塞いでいるようだな。

 

 余裕綽々で勝利を得ることができるままならば、きっとあのようなことはしなかった。これもまた成長ということなのだろうな。天武的に表現するならばこれも戦いの作法と言う奴だろう。

 

 アイツは、生物としての強度が高すぎるせいで、どんな戦略や不意打ちや罠であってもそれで片付けてしまうからな。そこは天武の良い所であると同時に弱点でもあるのかもしれない。きっと今回の坂柳の戦略も普通に受け入れる筈だ。

 

 それで自分が殺されてしまっても満足した顔をしそうなので、それはちょっと困る。生物の強度が高すぎるのも考えものなのかもしれない。

 

 天武はきっと、背中から刺されても戦いの作法だとか言いそうだ。なら坂柳の戦略など大した問題とも思わないだろうな。

 

 困った親友である。もう少し心が狭い方がいいだろう。

 

 坂柳の出来レースでグラウンドは混乱の極みではあるが、オレはそんな中でさっさと次の競技であるハードル走に参加することになる。さっきAクラスの生徒が出来レースで一位を取っていたが、二回目には主に三年生が固まっていたので問題はない筈だ。

 

 オレとしては外から来る刺客の対処に全力を出したいのでクラスへの貢献はほどほどにするつもりだった。そしてこのハードル走も二位という結果で終わることになる。

 

 最低限五種目には参加義務があるので次々と終わらせるとしよう。坂柳が出来レースと八百長で勝負を決めに来た以上はクラス順位ではおそらく一位を持って行かれるので全力を出す意味はない。

 

 可能性が低いのならば、次善の策であるチケットの確保にリソースを割くべきだな。

 

 ある程度様子見をしながら、個人賞の一位を狙える相手とマッチングするように立ち回れば良い。全ての競技を出来レースで終わらせることはできないだろうからどこかでそういった機会も巡って来る筈だ。

 

 そんなことを考えながらとりあえず三種目目の競技として事前に参加申請をしていた砲丸投げに参加して勝ち点を確保する。

 

 ずっと背中に感じる視線は今は気にしないことにしよう。どうせこれだけの衆人環視の中で大胆な行動などできないのだから。

 

「随分と涼しい顔をしているじゃないか」

 

 四種目目に事前申請していた競技は綱引きだった。何名かの生徒が二手に分かれて引っ張り合うことになる集団戦であり、この体育祭は様々な学年が一緒になって挑む性質上、他学年や他クラスと状況次第では協力することもありえる。

 

 この綱引きなどはまさにその最たる例だろう。オレたち側の綱には一年生から二年生、そして三年生も満遍なく集まっており、それは反対側の綱にも同じことが言えた。

 

 その仲間の内の一人、三年生の鬼龍院と桐山が味方なのは幸運と言うべきなんだろう。

 

 鬼龍院はどこか天武と似た眼差しでこちらを眺めて来る。目つきはさっぱり似ていないのに、その視線だけは重なる所があるな。

 

「どうも、鬼龍院先輩、それと桐山先輩……貴方はドクターストップがかかっていたのでは?」

 

 南雲ほど酷い状況ではなかった筈だが、桐山は全身打撲で体育祭の出場が危ぶまれていた筈だ。

 

「九月時点ではな……今も軽度の筋肉痛のような症状があるが、参加できないという訳ではない。体育祭の前に学校側に申請してしっかりと許可も取った。元生徒会役員として学校行事を盛り上げない訳にはいかないからな」

 

「フッ、よく言う、とうに心は折れていただろうに」

 

 鬼龍院の嘲笑いに桐山は憮然とした顔になる。

 

「聞いてやってくれ綾小路、情けないことに南雲が入院している今だからこそクラス移動のチケットを得ることも現実的だと思ってやる気を出したのだ。現金なものだろう?」

 

 三年生の親玉が入院しており、指揮系統がグダグダであり、積極的に協力して勝とうという勢力も皆無、それならば出来レースにもならないだろうし三年生はクラス闘争がもう終わってしまっているのだ。桐山がチケットを取ることに意欲を出すのも自然な流れなのかもしれない。

 

 既に心は折れているが、目の前に餌をぶら下げればやる気を出すくらいの余裕は残っているらしい。

 

 なにより、南雲の手ではなく自分の力でチケットを取ったという実感は、面従腹背に徹するしかなかった桐山にとっては蜜のように甘いのかもしれないな。

 

「それで二人は協力して挑んでいる訳ですか?」

 

 確かチケットの転売作戦にはこの先輩も巻き込んだと天武は言っていたな。こっちの懐が潤う訳ではないが、それでも南雲の財布を削れるならば儲けものだと。

 

 そしてこの体育祭では個人競技よりも集団競技の方が稼げる特典が大きい、もしチケットを狙うつもりならば鬼龍院と桐山の利害が一致したとも考えられる。

 

「協力とは違う、ただ互いに利用しているだけだ」

 

「そうだな、俺たちにそんな殊勝な心はない」

 

 これが照れ隠しでもなんでもなく、本心からの言葉であることは観察していればわかった。

 

「俺としては鬼龍院がやる気を出していることの方がよっぽど意外だがな。もう三年生も後半になって、いよいよ焦りだしたのか?」

 

「さてどうだか、だが私の思惑など桐山にはなんの関係もないだろう」

 

「それはそうだ……だが、もっと早くやる気を出してくれていれば、また違う結果になったと思わないか?」

 

「そうは思わないがね、君だって内心では足手まといと変人しかいないクラスだと蔑んでいるんだ、そんな連中で何ができる」

 

「……そうだな」

 

 これほど冷めきった関係でありながら二年半もクラスメイトとして過ごして来たとするのならば、さぞ教室は嫌な雰囲気が広がっているのかもしれない。

 

「なんであれだ、足を引っ張らないでくれ」

 

「そっくりそのままお前に返してやる、これまでずっとダラダラ過ごして来たお前と違って俺はずっと努力してきた、この二年半ずっとだ」

 

「だとしたら残酷なことだ、桐山の二年半と、私の二年半では価値が違ったらしい」

 

 そういえば鬼龍院は三年生では唯一、学力と運動能力の数値がA+だったか。別にその二つの項目で凌駕していようと総合力では大差ない筈だが、絶え間ない努力をしてきたと自負している桐山は食いしばって苛立ちを露わにするのだった。

 

 こんな調子で本当にチケットを得られるのだろうか? まぁ得られなかったとしてもこちらに損害はないので別に気にする必要もないのだが。

 

 何であれ今は味方、同じ綱を握って同じ方向に引っ張るのだから、それさえ問題ないならばオレから言うことは何もない。

 

 第三回目の綱引き競技が開始されることになり、何の苦労もなくこちら側が二本先取したことで勝ち点を得ることができた。

 

「次は二人三脚だぞ、急ぐといい」

 

「黙っていろ、俺に命令するな」

 

「そう言うな、命令されるのは慣れているだろう?」

 

 最後の最後まで二人は険悪な雰囲気を和らげることはなく、おそらくずっとこのままなのだろうなと確信できるくらいには両者の間に亀裂があることが窺える。

 

「ではな後輩、君も頑張るといい」

 

「えぇ、そのつもりです」

 

 鬼龍院は天武と似た眼差しでオレを観察した後に、桐山と一緒に二人三脚に向かうのだった。

 

 桐山の苦労がなんとなく察することができるが、最初から何も期待するべきではないと見切りも付けているのだろう、互いに信頼関係など皆無であることがわかる。

 

 だが他にライバルもいない上に南雲も不在、出来レースで終わることもないだろうからあの二人がチケットを取る可能性は高いか。

 

 桐山はおそらく売ることなどせずにさっさとAクラスに移動するのだろうが、鬼龍院の方はどうだろうな。何かしらの契約を結んでいる訳でもないのでどちらに転ぼうとこちらに損害はないので気にするほどでもないだろう。

 

 願わくば朝比奈にチケットを売却して南雲の資金源を削っておいて欲しいものだ。今後が楽になる。

 

 気にしても仕方がないのでオレは五種目目となる立ち幅跳びに参加して、そこでも二位を得ることになった。これで参加義務のある五種目は終えられたので必要最低限の仕事はしたことになった。

 

 問題なのはここからだ、オレにとってクラスの順位は正直どうでもいい、坂柳が開き直った以上はここからの挽回が厳しいということもある。そして何よりも集中すべきはホワイトルームからの刺客だ。

 

 今もねっとりと絡みつくような視線を貴賓席から向けて来る相手が何人かいる。流石にグラウンドのど真ん中で襲い掛かって来るようなことはしなかったが、ずっと隙は見計らってはいるらしい。

 

 そんな視線を背中に受けながらも、丁度昼時であったことからグラウンドの設置された配給所に向かって昼食を取ることにした。

 

「綾小路くん、そちらは順調かしら?」

 

 お弁当の配給所には堀北の姿もある。自分の分のサンドイッチともう一人分のカツ丼を受け取った状態で目が合ったので話しかけられてしまう。

 

「問題はない、勝ち点もある程度は稼いだ」

 

「そう、後半も頑張りなさい……それと、坂柳さんクラスの動きだけれど」

 

「把握しているが、今更どうしようもないと思うぞ。天武や須藤たちでAクラスの生徒から勝ち点を奪って、協力関係にある龍園たちと協力して五分といった所だからな」

 

「五分ね、意外と高いと思うのだけれど」

 

「甘く見積もってだ」

 

「なら、より一層勝ち点に拘らないといけないわね」

 

「チケット確保のことも忘れるな、クラス順位で負けたとしてもチケットを確保できれば最悪にはならない」

 

「勿論そのつもりよ、でもクラス順位の一位だって諦めるつもりはないわ。クラスメイトにも午後からは可能な限りAクラスの生徒とマッチングして勝ち点を奪うように指示を出している」

 

「ならオレから言うべきことはなにもない」

 

 いっそこちらも開き直って、Aクラスの生徒を一人一人追い詰めて再起不能にする方針を打ち出しても良いのだが……いや、止めておこう、戦いの作法に反するという奴だなこれは。

 

 オレ一人ならともかく、そこまで開き直れる集団ではないだろう。

 

 堀北はサンドイッチとカツ丼を持ったままテニスコートがある方向に進んでいく。こちらも配給所でカツ丼を受け取ると、そのまま敢えて一人になれる場所へと移動することになった。

 

 最終確認としてポケットの中に入っていたスマホに届いたメールを確認する。そこには昨晩に鶚から届いたメールがあり、監視カメラの映像をダミーに入れ替えられている場所が記されているのがわかる。

 

 鶚の言葉を借りるならば学校のセキュリティーは好きに弄れる状態であるらしいので、今現在この学校には幾つかの死角が存在するということだ。

 

 向かう先は校舎の中、その中に鶚が作った死角の一つである。

 

 保健室近くの廊下に近寄った瞬間に、ここぞとばかりにホワイトルームの刺客たちは動き出してくれた、こちらの都合良く。

 

 まぁ体育祭を行っている現状、校舎の中であった方があちらとしても動きやすいのだろう。わかりやすくもあって助かった。

 

 この保健室近くの廊下にはしっかりと監視カメラがあるが、もうダミーの映像を走らせてある。処理するには絶好の場所なんだろうな。

 

 

「久しぶりだな、綾小――」

 

 

 人気のない廊下でこちらに声をかけてきた瞬間に、全てを言い終わる前に進路を反転させて一気に肉薄すると、その首に手刀を落とす。

 

「え? あれ?」

 

 この男は確か元自衛官だったか? まだ幼い頃に何度も模擬戦をしたことがあったな。とてつもなく苦戦した記憶があるが、今となってはどこか小さく頼りなく見えるのだから成長というものは恐ろしい。

 

 突然の攻撃に脳を揺らされて体幹が崩れたことに困惑しているのがわかった。どれだけ踏ん張ろうとしても膝は崩れて立ち上がれないのだから混乱しているらしい。ボクシングなどで偶に見られる光景だ。

 

 意識はハッキリしているのに体が踏ん張れない、だから困惑しながら床に転がるのだろう。

 

 そんな倒れ伏した男を観察していると、ホワイトルーム時代の配慮の欠片もない訓練を思い出して少し苛立ったので、追撃として両足を踏み砕いておく。

 

 悲鳴を上げられても面倒なので顎先も蹴り飛ばして意識を飛ばしておこう。これで何も問題はない筈だ。

 

 重傷を負って意識を失った男の襟首を掴んで引きずり回しながら向かう先は近くにある保健室である。そこの扉を開くと薬品や消毒液の独特な匂いが鼻孔を擽った。

 

 ここにいる保健医は鶚の協力者であり、ホワイトルームから来た刺客の処理を任せることになっている筈だが……姿が見えないな、どこかに出向いているのだろうか?

 

「まぁいいか、こっちでしまっておこう」

 

 幸いなことに保健室には事前に配置しておいた段ボール箱が置いてある。中身の入っていない空っぽのそこに刺客の男を入れておこう。後は勝手に処理されるだろうからな。

 

「おや、先客かな」

 

 引きずっていた男を持ち上げて段ボール箱にギュッと押し込んで蓋をしていると、保健室の扉が開いて教員の一人が姿を見せた。

 

「丁度良い、君、彼らも運ぶのを手伝ってくれたまえ。あぁ、君たちはもう良いよ、グラウンドにある臨時医務室に戻りなさい」

 

 その保健医は担架を両手で持っており、同じく担架を手に取って重傷者を運んでいた職員にそう告げると強引に話を打ち切って保健室から追い出してしまう。

 

 残されたオレに押し付けて来るのは段ボール箱だ。そういう段取りであったので困惑もなかった。

 

 担架の上には何がどうなったのか鼻が潰れてしまっている男が一人、そしてもう一つの担架には怪我こそ見受けられないものの、意識を失っている男が一人。

 

 どちらもホワイトルームから送られて来た刺客たちである。どうやってこの状況になったのかはわからないが、流石に相手が悪すぎたらしい。

 

「ではこの者たちも送り返すという形で問題ないのだよね?」

 

「あぁ、段ボールに詰めておこう」

 

「ただ押し込むだけでは途中で意識を取り戻してしまうよ、ここは鶚特製の眠り薬でぐっすりと眠ってもらってからの方が良い」

 

 この保健医は鶚の関係者とのことなのでもしかしたら忍者なのだろうか? 懐から見るからに怪しい薬、或いは毒を取り出すとそれを刺客たちに注射針で打ち込んで行った。

 

「これで暫く目覚めることはないだろう」

 

「それではしまっておくとするか」

 

 治療するつもりもなければ尋問するつもりもない、ただ段ボール箱に入れて配送するだけである。

 

 刺客たちを一人一人段ボールに押し込んでいき、しっかりと梱包しておく。一応空気穴も作っておこうか。配送中に死なれても困るからな。

 

 そうやって段ボール箱に押し込めて蓋をすると、配送票を貼り付けておく。届け先は当然ながら埼玉にあるホワイトルームである。

 

 配送票にホワイトルームの住所を記し、受け取り相手にあの男の名前を書き込んでおく。せっかくだから着払いとかにしておこうか?

 

「それじゃあ後は宜しく頼む」

 

 三つ並んで配送票が張り付けられた段ボールは鶚の協力者に任せておけばいいか。

 

 これが送り届けられて中を開けた瞬間のあの男の顔を思い浮かべると、オレは少しだけ気分がよくなるのだった。

 

 何度でもこれを続けよう、あちらがもう関わりたくないと思うまでずっとな。

 

 鶚や天武曰く、全てを殴り倒して最後に立っていればそれが自由であるらしい。オレとしてもこの世の真理だと思うので相手が折れるまでこれを繰り返すとしよう。

 

 自由って奴はこんなにも簡単なことだったんだと気が付いたのは最近だ。あの無人島で月城をぶん殴って破壊した時に爽快感と共に実感したことでもある。

 

 面倒事はぶん殴って段ボールに詰めて送り返せば全部解決するって、入学した頃のオレに教えてやりたい。

 

 

 

 



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体育祭本番 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼食を終えて暫く鈴音さんと休んだ後、午後の部に挑むことになる。基本的には集団競技に参加した方が勝ち点が多いのでその方面を狙っていくのだが、坂柳さんの戦略によって少しばかり予定の変更を余儀なくされてしまった。

 

 出来レースをする相手に勝ち点で勝つのはやはり難しい、可能な限り妨害をするつもりだしクラスメイトにもそういう指示は出したけれど、それでも甘く見積もって五分の勝率だろう。

 

 そしてクラス順位でも負けて個人賞すらも逃すような状況になれば最悪も最悪である。ならば最悪の中での最良を目指して動くべきだろうというのが思考の中心になっていた。

 

「今、全体チャットで情報を呼びかけたのだけれど、これまで全部の競技で勝っている生徒は橋本くんのペアのようね」

 

 午後の部が始まって一番に鈴音さんはクラスメイトに情報を呼びかけたようだ。そして齎される断片的な情報を繋ぎ合わせてAクラスの成績をざっくりと計算したらしい。

 

 その中で橋本のペアが現在の所は連勝中であるとわかる。彼は鬼頭ほど身体能力が高くはなく、ペアの女子もそれは同様なので基本的に出来レースで勝ち点を稼いでいたのだろう。

 

 もし俺と鈴音さんが先にこちらと戦っていればおそらく鬼頭と神室さんのペアが連勝を重ねていたんだろうな。

 

 逆に言えばここで橋本ペアの連勝を阻止できれば個人賞の一位はほぼ死守できるのかもしれない。十種目全てで勝利できているのは俺たちだけになるからだ。

 

 ただこの男、相変わらずのらりくらりと隙を窺っているようにも思えた。参加義務のある五種目は事前申請をして参加するのだが、残りの五種目に関しては事前申請せずとも参加できる。

 

 ここから先はどこに参加して誰と戦うのか吟味できる訳だ。坂柳さんクラスの方針としては出来レースで勝ち点を稼ぎつつ全体の勝率を上げてクラス順位一位を目指すと言うものだろうけど、個人賞の一位だって狙えるのならば狙う筈だ。

 

 鬼頭と神室さんペアが黒星を得た今、十種目全てで勝利を演出できるのは橋本ペアくらいのものだろう。

 

 彼は立ち回りの上手い蝙蝠みたいな男だからな、自慢のバランス感覚を生かして俺たちとの直接対決を避けながらなんとか十勝を目指しているのかもしれない……いや、確実にそうしようとしている筈だ。

 

 そんな訳でまずは彼に黒星を与えることを主軸として動く方針になったのだけど、やっぱりというか上手いこと立ち回っているなという印象である。

 

「橋本、参加しないのかい?」

 

 クラスの全体チャットで情報を呼びかけた結果、橋本とそのペアの女子生徒はすぐに見つかった。体育館のバスケ競技に参加しようとしていたので俺と鈴音さんもすぐにそちらに向かうことになったのだけれど、橋本ペアは参加受付の前でただ立っているだけで一向に申請しようとはしない。

 

 やりたいことはわかる、参加制限の時間ギリギリまで粘って俺たちとの直接対決を避ける方針だろう。

 

 こちらが痺れを切らして参加すればその間に別の競技に参加すればいい、仮にもしいつまでも粘ったとして参加することができなくなったとしてもこちらの予定と都合を狂わせることができる。

 

 橋本にとってみれば勝利する必要はないのだ、俺たちの時間を消費させて十種目の競技のどれか一つに参加させなければそれだけで良いのかもしれないな。

 

「なぁに、ちょっと迷っているんだよ、バスケはそこまで得意じゃないからな」

 

 いつも通りのヘラヘラした笑顔を見せながら橋本はそんなことを言った。隣にいる女子生徒も頷いており、この二人の近くにいる出来レース要員の一年生も同様だ。

 

「俺たちに遠慮せず、笹凪と堀北は参加して良いんだぜ?」

 

「その間に橋本くんたちは別の競技に参加するつもりなのでしょう?」

 

「戦略的に何も間違ってないだろ、お前ら相手にスポーツ勝負とか馬鹿らしいっての。負けることがわかりきった勝負なんてごめんだね」

 

 飄々とした様子で肩をすくめる橋本は、やはり狙いとしては俺たちとの直接対決を避けて周囲にいる一年生との出来レースで十種目全てを終えたいのだろう。クラス順位も順調だろうし、個人賞も取りたいと欲を出して来たか。

 

「どうする、天武くん?」

 

「時間は有限だよ。何よりも厄介なのは橋本の姿勢だ。彼は個人賞は取れたらいいなくらいの感覚でいるんだ。ここで俺たちに時間を使わせればそれで成果としては十分なんだろうさ」

 

「厄介ね、同率一位じゃチケットは取れないから何としてでも一敗は与えておきたいのだけれど」

 

「ん……とりあえずここはバスケに参加しようか」

 

「構わないの?」

 

「ここで橋本の飄々とした振る舞いに翻弄されることが一番の損害だ。時間を無駄に消費してどこかの競技に参加する時間がなくなって九種目しか参加できませんとかになったら最悪だよ……彼らに関しては龍園クラスに任せるとしよう。あっちもチケットは欲しいんだ、全力で妨害してくれるさ」

 

 協力関係にあるのでそこは信用しても良いだろう。同じ利益を求めている内は龍園だって味方なのだから。

 

 スマホを取り出して龍園に連絡を入れる。橋本の位置情報を共有して徹底的に妨害してくれることを願うか、チケット報酬は山分けなのでしっかりと貢献して貰わないと協力関係を作った意味がない。

 

 龍園にメールを送ってから、俺と鈴音さんは第五回目のバスケ競技に参加することになるのだった。

 

「そんじゃあ俺たちは別の競技に行かせて貰おうかね、じゃあな笹凪、それに堀北」

 

 こちらがバスケに参加することを確認した橋本は、ペアの女子と出来レース要員の一年生と共に体育館を出て行こうとする。

 

 だがそんな彼らの進行方向には、それはもうガラの悪い集団が待ち構えているのだった。

 

 当然ながら龍園たちである。こちらのメールを受け取って速攻で頭数を揃えて体育館に来たらしい。

 

「うげッ」

 

 いつも飄々とした態度を崩さない橋本もこれには苦笑いである。この学校で一番遭遇したくない状況だろうからな。

 

 龍園を筆頭に石崎や山田、そしてあのクラス特有のガラの悪い連中が体育館の入口をに屯している光景は完全に不良漫画の世界である。

 

 嫌な光景だなぁ、あそこを通らなければならない橋本にちょっと同情してしまった。

 

「これより第五回バスケットボール競技を開始する」

 

 だがいつまでも橋本を眺めている訳にもいかない。担当教官がバスケの開始を宣言したので俺と鈴音さんは競技に集中するべきだろう。

 

 集まったのは俺たちと三年生と一年生たちである。それぞれ2チームに分かれて通常のバスケのルールで対戦することになった。男子も女子もごっちゃであるが偏りの無いように配置されたのはある種の配慮かな。

 

 試合開始と同時にパスを受け取って、体育の授業中に観察した須藤の動きを師匠モードでトレースしながら力強くダンクシュートを叩きこんで――。

 

「あッ」

 

 そして勢い余ってゴールポストを粉砕してしまった。リングはひしゃげてしまいバスケットボールも破裂することになる。

 

「「……」」

 

 当たり前のことだけどそれはもう気不味い沈黙が体育館に広がっていく。橋本に絡もうとしていた龍園たちも、その橋本も、競技に参加していた上級生や下級生も、担当教官すら沈黙してしまうのだった。全員がチベットスナギツネになってしまう。

 

 鈴音さんだけは顔に手を当てて仰ぐような仕草をしていた。どうやら俺は呆れられているらしい。

 

 こうなることを避ける為に力を制限したいたのだけれど、テニスの時と違って得点を取る時はゴールリングが相手、人間ではなく無機物だから気を抜いてしまったか。

 

 粉砕されたゴールポストは体育館の床に転がることになってしまう。もう誤魔化しようがなかった。

 

「えっと、すみません……弁償します」

 

 完全に俺が悪いので担当職員にはそう伝えた。困った時は金で解決しろというのがこの学校の教育方針なのでこれしかないだろう。

 

「あ、あぁ、いや……どうだろうな、備品が古くなっていたのかもしれないし、競技中の事故でもあるのでお前に責任はないと思うが、学校側で話して方針を決めておく」

 

「はい、宜しくお願いします」

 

 バスケの担当職員、真嶋先生は俺を恐ろしい何かであるかのように怯えた瞳で見つめて来る。それはなにも先生だけの話ではなく体育館にいる生徒の大半が似たような瞳をしているのが少し寂しい。

 

「真嶋先生……その、俺たち、棄権します」

 

 このままではバスケが続けられないので隣のコートに移動してプレー再開という形になるかと思ったのだけれど、そうなる前に相手チームの三年生が棄権を申し出てしまう。

 

「構わないのか? 競技を途中棄権した場合は点数がマイナスになってしまうが」

 

「はい、笹凪に殺されるか潰されるかもしれません……なので棄権します」

 

「そうか……他の者も同じか?」

 

 どうやら反対意見はないらしい。五人の生徒全員が俺をゴリラだと思っているのか、もう関わりたくないと表情で語って来る……もの凄く失礼な反応だけど、ゴールポストを粉砕した手前、何も文句は言えなかった。

 

 誰もが皆、俺を恐ろしい何かのような視線で見つめて来るのだ。なんだかとても申し訳ない気分になってしまう。

 

 まぁあれだ、時間の節約もできてしっかり勝ち点は稼げたのでヨシとしておこうか。そうやって自分を慰めるしかない。

 

「天武くん、怪我人も出ていないのだし気にしても仕方がないわ、切り替えて行くわよ」

 

 鈴音さんだけは俺を慰めてくれる。ポンポンと肩を叩いて元気づけてくれるのだ。まさか彼女にそんな配慮をされるとは、俺もまだまだということか。

 

「うん、そうだね」

 

 言ってしまえば事故である。九号だってテニスボールで金網を貫通させたりもしていたし、ゴールポストが粉砕されることなんて別に珍しくもないだろう。何せ事故だからな。

 

 対戦相手が棄権したことで俺たちは時間を節約した上で勝利することができた。集団競技なので勝ち点も美味しくチケット取得にまた一歩前進ということである。それに比べればゴールポストが粉砕されたことなんて些末な問題であった。

 

 橋本と龍園たちはどうなっただろうかと様子を窺ってみると、案の定揉めていた。どうやらしっかりと妨害役を進めてくれているらしい。

 

 ゴールポストを粉砕した俺をチベットスナギツネみたいな顔で暫く眺めていた橋本だけど、気を取り直してぎこちなくだが体育館を出て行こうとする。

 

 ただし入口には龍園率いるこの学校で最もガラの悪い集団が待ち構えている状況である。あそこだけ完全に不良漫画の世界であった。

 

 橋本は苦笑いを浮かべながらもペアの女子と出来レース要員の一年生を連れて警戒しながらも入口に近づいていき――――。

 

「ッ!?」

 

 いざ通り過ぎるという段階で入口付近にいた石崎がすれ違おうとするのだが、それを見越していた橋本は進路を急遽変えてしまう。だがそれすらも見越していたのか石崎の背後にいた生徒が橋本とぶつかるのだった。

 

「痛ッ!?」

 

 軽く肩が当たった程度の衝撃なのだがその男子生徒は大袈裟な程に尻餅をついてとても痛がって見せる。あまりにも声が大きく大袈裟であった為に騒ぎを聞きつけて体育館にいた生徒やバスケの担当教官だった真嶋先生の注意を引く。

 

 やりかたが完全にヤクザである。そして何が悲しいってそんな相手と手を結んでいるのが俺たちなのだから、何とも言えない気持ちになってしまった。

 

「痛ぇ、痛ぇよ。テメエ、ワザとぶつかって来やがったな」

 

「おいおい勘弁してくれよ」

 

「ククク、どうした?」

 

「龍園さん、橋本の野郎が肩をぶつけて来やがったんだ!!」

 

 三文芝居もここに極まっているけど、橋本の冷や汗だらけの顔が物語るように有効なんだよな。

 

「やってくれたなぁおい、ウチの主力を怪我させるなんてよ……出来レースの件といいAクラスには恥も誇りもないらしい」

 

 橋本はそれはもう面倒な事態になったと表情だけで主張する。対照的に龍園はいつも通りの邪悪な笑顔を浮かべていた。

 

「なあ龍園、やりすぎじゃないか? 話は聞いてるぜ、俺以外のAクラス生徒にも難癖付けてるってよ、皆迷惑してるしこんなことが立て続けに起これば学校側からも制裁があるんじゃないか?」

 

「だとしたら、そいつはスポーツマンシップって奴を蹴り飛ばして来賓の前で堂々と八百長しているお前らが先だろうな。そっちのやってることを棚に上げて他所のクラスにケチ付けてんじゃねえよ」

 

 こればっかりは龍園が正論であった。橋本も口を噤むしかない。

 

 龍園が正論で殴ってくるとか世も末だな。

 

「行こうか、鈴音さん」

 

「えぇ、私たちは無関係だものね」

 

 表向きはそういうことになっているので、モメている橋本と龍園たちを置いてけぼりにして体育館を出て行こうとする。

 

 当然ながら橋本や龍園の近くを通っても邪魔されることはない。俺と鈴音さんは絡まれることなく外に出れるのだった。

 

「なあ龍園、アイツらの邪魔はしないのか?」

 

「肩をワザとぶつけられてもねえのに何で絡む必要があるんだよ」

 

 そんな会話が背後から聞こえて来る。橋本にはちょっと申し訳ない気持ちになるけれど、易々と勝利を掴ませる訳にもいかないので受け入れて欲しい。

 

 これもまた戦略、Aクラスがそうであるようにこちらもまた清濁併せた行動をするだけである。超えてはならない一線というものを意識しながらだ。

 

 龍園たちと橋本の争いは最終的に放置することもできなかった真嶋先生の介入により事なきを得たようだが、それから先もずっと龍園クラスに付きまとわれることになったので、橋本はさぞ苦労することになる。

 

 なんとかやり過ごして競技に参加しようにもずっとストーカーがいる状態だ。おそらく時間制限が来て出場種目の一つを落としてしまうだろうし、龍園もチケットの転売がかかっている以上はこのまま逃がすようヘマもしないだろう。

 

 こんな感じで個人賞で一位を取りそうな生徒には龍園に妨害して貰うとしよう。十種目全勝して勝ち点が互角だった場合はチケットは取れない上にポイントすら山分けになるので冷徹にいくべきである。

 

 俺は開会式でスポーツマンシップに則るとか言ったんだけどなぁ、やってることは出来レースと妨害ばかりである。この学校には付き物とは言えもうすこし正々堂々とした戦いをしたいものだ。

 

 まぁこれも立派な戦略でもあるし作戦でもあるけれど、俺が想像する青春的な体育祭からは随分と遠い所にあると考えてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 



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体育祭本番 6

これでこの章も終わり、次は小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 Aクラスの妨害を龍園に丸投げしたのが功を奏したのか、クラスチャットに供給される様々な情報を繋げていくと全ての競技で一位を取っているペアが俺と鈴音さん、そして須藤と小野寺さんペアだけであるとわかったのは、俺たちが最後の競技に差し掛かった段階であった。

 

 クラスの平均勝率は、残念ながら坂柳さんクラスには及ばないだろう。こればっかりは出来レースに徹されるとどうしようもないので中々苦しい展開でもある。

 

 ただ個人賞の一位は問題なく取れると確信できる段階まで来れたのは最悪の中では最善でもある。ここは龍園たちに感謝だろうな、橋本も時間切れで九種目までしか参加できなかったようだし。

 

 龍園クラスも帆波さんクラスもそれなりの結果をのこしているが、参加する競技全てで一位を取っているのは嬉しいことに俺たちのクラスだけという状況はとても良い。

 

 勿論、最善はクラスとしても一位になることなのだが、こればっかりは坂柳さんと同じく完全に出来レースで勝ちに行かなければ難しいので今回は諦めるしかなかった。

 

 事前の手回しと段取りの段階で負けていたということだ。まぁこの敗北が学年末にあると推測される大規模な特別試験の時でなかっただけ御の字なのかもしれない。

 

 それにこの敗北で全てのクラスが実感することが出来ただろう。他学年を味方に付ける強みと効果を。それは次の試験で対策になるだろうし手段にもなる筈だ。俺たちは俺たちでいかに三年生から毟り取るかを考えていたので、攻撃対象ではなく友軍でもあるという認識を持てると考えるべきか。

 

 何であれ一位は逃してしまう、これはもうほぼほぼ確定的だ。なので個人賞のチケットの確保に全力を尽くすべきだろう。そんな体育祭であったと思う。

 

 懸念であったホワイトルームからの刺客もしっかりと対処することができた。すれ違いざまに超高速で手刀を叩きこんだり、九号や清隆がそれぞれ対処したりして、最終的には六つの段ボール箱がこの学園からホワイトルームに出荷されることになるらしい。

 

 そんな裏の出来事はあまり興味もなくて、それほど脅威になる相手もいなかったのでイマイチ印象に残ることもなく、俺たちはいよいよ最終種目に挑むことになるのだった。

 

 十種目目は男女混合ドッジボールである、女子だけの競技も男子だけの競技もあるのだが、男女ペアで挑んでいる都合上、この種目に参加することになる。

 

 泣いても笑っても最終戦、ここで勝てば個人賞は確保できることもあって気合も入るのだが。ここで一つ問題が発生することになるのだった。

 

「よっしゃ、行くぜ笹凪!!」

 

「負けないからね!!」

 

 その相手とは対戦相手チームに須藤と小野寺さんがいるということである。

 

「堀北ぁッ!! ここで決着をつけてやるッ!!」

 

 後、ついでに狂犬枠の伊吹さんもいる。須藤と小野寺さんと伊吹さんと残りの二人は一年生男子の計五人のチームであった。

 

 いやいや、戦略的には俺たちと須藤が戦う必要なんてどこにもない。寧ろ別々の競技を受けて勝ち点を稼ぐのが一番理に適っている。

 

 だというのに須藤と小野寺さんはやる気を漲らせているし、団体戦に必要な面子を探していた伊吹さんもそこに便乗した結果、こうしてドッチボールで対戦という形になるのだった。

 

「えっと、鈴音さん、どうしようか?」

 

 俺の隣で呆れた顔をしている鈴音さんにそう訊ねると、彼女は溜息を吐きながらこう返してくるのだった。

 

「仕方がないわね、彼らと対戦しましょう」

 

「まぁ同率一位だとチケットは取れないからそれも良いかもだけど、須藤と小野寺さんに別々の競技をそれぞれ受けて貰って点数を下げるって手もあるけれど」

 

「その必要もないわ。もうどうしようともAクラスの一位突破は避けられないし、ざっくりとクラス全体の勝ち点を計算したら二位は確実みたいだから」

 

 今から得るポイントはほぼ誤差みたいなものということか。

 

「それなら須藤くんたちを別の競技に出場させる理由がないわね、いっそここで勝利してチケットを確実にしましょう」

 

 既に大勢は決しており多少の差は誤差とも考えられるのならば、やる気を削ぐ必要もないか。この競技でもしっかり勝利して須藤たちと同率一位となることを避ける狙いであるらしい。

 

 ついでに言うのならば、ちゃっかり相手チームにいる伊吹さんに勝利しておきたいのかもしれない。

 

 どうであれここまで来れば個人一位は俺たちのクラスで確定なので、そこまで難しく考える必要はないのだろう。最後くらいは出来レースとか妨害とか点数とか考えるようなことは止めて、純粋に競技を楽しむのも良いかもしれないな。

 

 あちらのチームが勝てば須藤たちがチケットを得るようにすれば良い、こっちが勝てば同じようにチケットを入手できる。ならば後は楽しむだけである。

 

 この競技で十種目全てに参加したことになるので、正真正銘この競技で俺たちの体育祭は終わることになる。出来レースも妨害も考えずに頑張るとしようか。

 

 楽しむこともまた重要だ、俺たちは色々忘れがちだけど学生なんだから。

 

 そんな訳で五対五に分かれてドッジボールとなった。こちらの残りの三名は三年生の男子生徒一人と女子が二人の面子である。どうやらこの三人もチケットを狙っているようで、南雲先輩がいない今だからこそ出来レースが破綻しているのでチャンスと睨んで最終戦まで頑張って参加していたらしい。

 

 そう考えると桐山先輩と立場は似ているな。こちらのチームならば勝ち目あると踏んで俺たち側に付いているあたり状況を冷静に見ることもできている。これなら足を引っ張られることもないだろう。

 

「それじゃあ今から第十回目のドッジボール競技を開始するよ~」

 

 担当教官である星之宮先生が甘ったるい声でそう宣言したことで、俺たちは最終競技に挑むことになるのだった。

 

 テニスや卓球と同様にドッジボールの公式ルールが適用されており複雑なことは何もない。ボールを当てれば外野に行き内野に選手がいなくなれば勝利となる。だがここでも時短を意識してなのか、外野の選手がボールを当てても内野には戻れない仕様となっている。

 

 また、最初から外野に一人置くルールなので内野の初期人数は四人となる。こっちからは三年生の一人を外野に配置させて貰うことになった。

 

「へッ、遂にこの時が来たな笹凪」

 

「やる気だね須藤」

 

「おうよ、何だかんだでお前に挑むことはなかったからな、凄ぇ奴とは戦いてえもんだ」

 

 なんだろう、この体育祭で須藤が一番学生らしく汗を流しているんじゃないだろうか。俺は勿論のこと全校生徒が見習うべきなのかもしれない。出来レースとかその妨害とか龍園と一緒に策謀に走り回っていた身としては直視できないくらいに眩しい。

 

 彼はなんというかアレだな、日に日に爽やかさが増していく男である。その内、全校生徒が見習うべき学生らしさを一番身に着けるんじゃなかろうか。

 

 出来レースに必死になってる人も、妨害に力を入れている者も、今一度初心に戻って須藤を見習うべきなんじゃないかな。

 

「なんで眩しそうな顔をしてるんだ、どっか体調悪いのかよ?」

 

「いや、すまない、あまりにも青春力が高くて眩しかったんだ」

 

 南雲先輩のドロドロベチャベチャしたヘドロのような敵対心によく触れていたからか、アレに比べれば今の須藤は清涼剤である。須藤は是非そのまま突き進んで欲しい。

 

「まぁなんでもいいけどよ。せっかくこうして直接対決できるんだ、体調が悪いとか嫌だしな」

 

 ボールを受け取った須藤は肩を回して体を解すと、すぐさま集中力を高めていく。スポーツマンだけあってこういう切り替えは流石と言うべきなんだろうな。

 

「行くぜ小野寺」

 

「うん、全力で行こう」

 

「それと龍園とこの……狂犬?」

 

「おい、それどういう意味?」

 

「いや、なんか色々な所に噛みつきそうな雰囲気があったからよ、気に障ったなら悪い」

 

 須藤から見ても伊吹さんは狂犬っぽく見えるのか。まぁ鈴音さんへ向ける視線と雰囲気を考えればおかしくはないか。

 

「お前らも頼むぜ、笹凪は強い、油断せず全力で行くぞ」

 

 あぁ言うのをリーダーシップと表現するのだろうな、バスケでも中心人物となっていると聞くし、コート上での存在感は教室にいる時よりもずっと大きい。そんな須藤の様子に鈴音さんすら驚いているようだ。

 

 視線を集める存在感に、自然と須藤を中心に動こうとする連帯感が広がっていく。それは一種の安心をチームに与えるものなんだろう。須藤と同じチームでバスケをする選手たちは幸運なのかもしれないと俺は思ったほどである。

 

「これは負けてられないな」

 

 俺もまた師匠モードになった周囲の視線と意識を引きつける。すると正面にいる須藤チームがビクッと体を強張らせたのが見えた。

 

「あっちも本気か、ああなった笹凪は手が付けられなくなるぞ」

 

 冷や汗をかいた須藤がそんなことを言ってより集中力を高めていく。師匠モードの圧力に真っ向勝負を挑める辺り本当に意思の強い男だと思う。

 

 手に持ったボールを一度だけクルリと回すと、準備が整ったのか須藤は全力でボールを投擲してくる、狙いは真っすぐ俺の胸に向けてだ。その速度もコントロールも高校生離れしたものであり普通なら回避を選択するのかもしれない。

 

 だが真っすぐ向かって来る以上は俺は受け止める。手加減する理由も油断する意味もないからだ。

 

「やっぱり楽々と受け止められたか」

 

「残念かな?」

 

「まさか、安心したくらいだぜ……お前は、この程度で倒せる訳がないからな」

 

 投げつけられた剛速球を受け止めた俺を見て須藤は笑みを浮かべる。恐れおののいているようにも、歓喜に震えているようにも見えた。

 

「良い顔だ、返礼はこちらの本気で行かせて貰うとしよう」

 

 例の如く全力を出すと相手を殺してしまうので、常識的な範囲の力加減を心がける……だが、勝利を目指す意思に一切の驕りはない。

 

 全力は出せないけど間違いなく本気だ。俺は本気で今の須藤に勝ちたいとおもった。今ならば敗北したとしても折れることなく進んで行ってくれるという確信があり、もしかしたらこちらに黒星を与えてくれるのではという期待が体を躍動させた。

 

 先程の須藤を真似て大きく振りかぶる、しっかりとつかんだボールは掌に張り付くように握りしめて、いざ投擲というタイミングで僅かに指を引っ掛けて投げつける。

 

「こいやぁあああッ!!」

 

 決死の覚悟で身構える須藤は、投げつけられたボールを受け止める体勢に入ったのだが、そのボールは須藤に当たる直前にほぼ直角に軌道を変えて須藤の隣にいる小野寺さんに向かうのだった。

 

「うそッ!?」

 

「小野寺ッ……させっかよッ!!」

 

 急激にカーブしたボールは狙い通り小野寺さんに命中する。これでまず一人アウトだと思ったのだが、跳ね上がったボールの軌道を瞬時に見切った須藤は見事な瞬発力で駆けだして行った。

 

 そしてボールが床に落ちる前にキャッチして見せる。流石の瞬発力と言うべきだろう。

 

「ごめん須藤くん、無茶させちゃった」

 

「気にすんな小野寺、仲間なんだからな」

 

 ここまでずっと体育祭ではペアを組んで挑んだことで、二人の間にしっかりと信頼関係が構築されているらしい。始まる前は小野寺さんは盗撮犯としてどこか心の距離があった筈なのだが、今はそれも感じられない。

 

 良い関係を築けているようでなによりだ。喧嘩でもしていないかと心配だったが杞憂であったのだろう。

 

 改めてボールを握り直した須藤は真っすぐに俺を見つめて剛速球を投げつけて来る――かと思ったが、そのボールは鋭く外野に待機していた生徒に回される。

 

 正面突破は難しいと判断してのことだろう。冷静な判断であり実際にこちらの内野にいた三年生は対応することができずボールを当てられてしまう。

 

 だが、さっきの須藤の動きに触発されたからなのか、俺もまた鋭くボールの軌道を見極めて跳ね上がったボールを掴み取る。

 

 その高さは体育館にあるバスケのゴールポストよりも更に高い位置だ。垂直飛びの世界記録は軽く超えるものであった。

 

「ははッ、すげえな」

 

「負けたくないからね」

 

「そりゃそうだ、そうじゃなきゃ困るっての」

 

 再び俺に戻って来たボールを握りしめる、そんな様子を見て須藤がまた笑みを浮かべるのだった。

 

「須藤、楽しいかい?」

 

「へッ、言わせんなよ」

 

「野暮だったか」

 

「あぁ、お前に勝ちたいってずっと思ってたんだぜ。どんなことだって構わねえ、ほんの一瞬でも何かで上回りたい……でも変だよな、勝ちたいって思いながら、そうなって欲しくもないって考えてんだよな」

 

「どうしてかな?」

 

「簡単に超えられる相手に憧れてたら意味がねえ……笹凪に勝ちたいって思ってる間は、俺はまだまだ強くなれるってことだろ?」

 

「そうか……そんな風に思われるのは少しおもはゆいが、悪い気はしないね」

 

 気が付けば俺は、誰かに憧れて貰えるだけの人間になれていたと言うことだろうか。入学したばかりの頃の不完全で足りないものばかりだった頃の俺と比べれば、しっかりと成長できているのかもしれない。

 

 ならば負ける訳にはいかないな。超えるべき壁であるし、憧れられる存在でありたいのだ。そう考えると俺はまだまだ強くなれる気がした。

 

 俺が師匠に憧れて強くなりたいと思ったように、他の誰かだって同じように思うこともあるんだろう。

 

 少し恥ずかしい、だが悪い気分ではない。

 

 手に持ったボールを投げつけて須藤チームにいた一年生を排除する。一切の手加減を無くした投擲は見事に内野の数を減らすことになるのだった。

 

 今度は須藤の捕球も間に合わない。跳ね上がるのではなくすぐに床に落ちるように計算したからだ。

 

 そのボールを拾い上げたのは伊吹さんである。龍園クラスの立派な狂犬枠に成長した彼女は目を吊り上げて鋭くこちら側の鈴音さんを睨む。

 

「とうとうこの時が来た……いつも上から目線のアンタを這いつくばらせる時がねッ」

 

 無人島での鈴音さんからの施しがどうしても我慢できなかったのか因縁は深いらしい。ボールを握る両手には力が込められており視線は射貫くかのように鋭い。

 

「よくそんなこと言えたわね、無人島で私の物資をあれだけ消費しておきながら、感謝の言葉一つないなんて本当に子どもなのだから」

 

 そして鈴音さんの姿勢も変わらない。あくまで余裕というものを常に意識している。まぁ内心ではかなり張り合ってるみたいだけど。

 

「そのいけ好かない顔面を吹っ飛ばしてやる!!」

 

 伊吹さんも流石は龍園クラスといった所だろうか、ちょっと冷静さを欠いているようだけど、ガラの悪さは間違いなくあの集団特有のものである。

 

 何より投げつけられたボールの勢いときたら、本当に鈴音さんの顔面を粉砕するかのような勢いがあった。何だかんだで彼女もしっかりと龍園の手下と言うことだろう。

 

「くッ!?」

 

 予想以上に伊吹さんが投げたボールの勢いが強かった為に、鈴音さんは顔面に迫るボールを掴み切れずに両手で守るように弾いてしまった。

 

 アウトにする訳にはいかなかったので跳ね上がったボールが床に転がる前にキャッチすることはできた。

 

「やったッ、勝ったッ、私の勝ちッ!!」

 

「は? 何を言っているのかしら、天武くんがキャッチしたのを見ていたでしょう」

 

「つまり笹凪がいないと負けてたってことでしょ。私の勝ち、完璧な勝利ッ……アンタの負け!!」

 

「……」

 

 伊吹さんの言葉に鈴音さんはとてつもなくイラッとした顔をする。その凍えるような視線は須藤や小野寺さん、そして味方チームの俺ですら背筋を震わせるほどであった。

 

「天武くん、ボールを寄こしなさい」

 

「あ、はい」

 

 持っていたボールを恐ろしさのあまり献上することになる。

 

 そして鈴音さんは固いボールの感触を確かめてから、大きく振りかぶって力強く投げ返すことになる。その先にいるのは当然ながら伊吹さんだ。

 

「ごふぁッ!?」

 

 こちらはこちらで予想以上に投げつけたボールの勢いは強く、伊吹さんは反応できずに鳩尾にボールを受けてくの字に曲がることになってしまう。乙女とは思えないほど濁った声を上げた彼女は崩れ落ちてしまった。

 

「お、おい、大丈夫か?」

 

 須藤でさえ龍園クラスへの敵対心を忘れて、派手に崩れ落ちた伊吹さんを心配するほどである。

 

「こ、これで……勝ったと思うなよ」

 

 最早お決まりとなってしまったセリフと共に、伊吹さんは意識を失うことになった。

 

 鈴音さんもだいぶゴリラかしてきたような気がするな。毎日運動していることは知っていたけれど、ここまでやるだなんて……。

 

「ふん、何度来ても私が負けることはないわよ」

 

 担架で運ばれていく伊吹さんを見て鈴音さんは胸を張ってそう言った。ちょっと気分が良さそうなのは指摘しない方がいいんだろうな。

 

 あの調子だと伊吹さんはまた挑んでくるのかもしれないけど、鈴音さんにも良い刺激になるのかもしれない……うん、多分。

 

「さて、気を取り直して続けようか」

 

「おぅ、そうだな、まだ勝負は終わってねえ」

 

 漫画の中の悪役みたいなセリフと共に担架に乗って体育館を去って行った伊吹さんのことはひとまず横に置いておいて、目の前の競技に集中するとしよう。

 

 なにせ須藤との対決はこの学校ではもう唯一と言っても良いかもしれないほどに、濁りのない青春的時間だからな、しっかりと楽しんでおきたい。

 

 ここには出来レースもないし、謀略や妨害もない。南雲先輩みたいにドロドロベチャベツアした思惑もない。流れる汗はそのまま学生らしさに繋がるのだ。

 

 今となってはそれがどれだけ貴重だろうか、この学校の生徒はもっと須藤たちを見習うべきだと思う。

 

 なんてことを考えながら俺たちは須藤チームとドッジボールを続けることになる。この瞬間だけは混じり気なしの心地いい時間なので純粋に楽しむことができた。

 

 こうして体育祭は終わることになり、俺たちのクラスは残念なことに二位となり、一位を坂柳さんクラスに奪われることになってしまう。

 

 三位は龍園クラス、四位は帆波さんクラスとなり、個人賞の一位は無事に十種目全てを集団戦で勝利した俺と鈴音さんが取ることになるのだった。

 

 当然ながら報酬としてチケットを選択することになり、一年生では九号とペアの男子生徒がチケットを取り、合計八百万を支払って二枚を購入することになる。

 

 これで俺たちの学年で四枚のチケットが集まり、それらを契約通り4000万ポイントで朝比奈先輩に売ることになった。

 

 三年生では思惑通り鬼龍院先輩と桐山先輩がチケットを取ったらしく、体育祭の終了と同時に桐山先輩はAクラスへ移動したと噂で聞き、鬼龍院先輩は1000万でチケットを売却したらしい。

 

 最終的には、南雲先輩の財布から5000万が消えたことになるという訳だ。三年生から大量のポイントを引っ張って来れたと考えれば、無駄な体育祭とは言えないのかもしれない。

 

 欲を言えばクラスとしても勝ちたかったけど、今後の課題としてこの敗北は受け入れるとしよう。

 

 ホワイトルームから来た刺客も全員手足を折って段ボール箱に詰めてから配送することができたから最悪の事態は避けられた。

 

 最後の最後に須藤との対戦で青春的な時間も楽しめたから、最終的にはとても楽しい行事であると俺の中では印象に残るのだった。

 

 次は学園祭である。こちらも学生らしく楽しめると良いと願いながら、今年の体育祭は終わることになる。

 

 

 

 

 

 



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小話集

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「手刀を見逃さなかった人」

 

 

 

 

 

 

 

 正直なことを言わせて貰うなら、綾小路清隆の身柄や情報収集なんてどうでもよかった。

 

 年齢も四十近くになったことで現役時代よりも衰えを実感してきたし、ホワイトルームにいる気持ちの悪いガキどもを蹴ったり殴ったりして貰う給料でそれなりの生活もできている。

 

 もしかしたらこれが充実しているということだろうか?

 

 そんなことを思ってすぐさま頭を振った、これは充実ではなく妥協の先にある生活だと。

 

 元々は自衛官で特殊作戦群に席を置いていた。あそこにいる鷹の目の超人と一緒に表でも裏でも国家の為に戦っていた時はまぁ落ち着く暇も無かったか。

 

 命のやり取りを日常にして過ごす日々、ストレスを感じるのが普通なんだろうが、俺はどちらかと言うとやりがいや充実感をそこで感じていたらしい。

 

 ナイフにこびりついた血と錆の匂いを鼻孔で感じる瞬間、掌に残った生暖かい感触や薬莢から届く焦げた感触なども好ましく思える人間だからこそあの部隊でもやっていけたんだろう。

 

 そんな俺も一線から退く年齢になったことで、背広組になるのかそれとも退職金を片手に田舎に帰るのかを選択することになり、そんな時にホワイトルームにスカウトされた訳だな。

 

 現役時代に蓄積した技術と経験をガキどもに教えるだけで結構な金が貰える。きっとそれは見方によっては良いセカンドライフなのかもしれない。なにせ特殊作戦群にいた頃はいつも死が隣り合っていたからな、それに比べればガキどもを蹴り飛ばして痛めつけているだけなのでとても楽だ。

 

 楽だし、給料は高い、だが残念なことに俺は教師や教官って奴にとことん向いていないらしい。ガキどもが何をしていても充実感は感じられなかった。

 

 天沢も八神もそれなりには鍛えたが結局は頑張った子供程度の実力しかつけられなかったし、俺がいた部隊にはそんな奴らが大勢いたので何も特別なことでもない。

 

 しかし一人だけ印象に残ってる奴がいる。それが綾小路清隆だ。

 

 不気味なこのガキはそれなりに成長したと思う。散々痛めつけたがそれら全てを技術と経験に昇華させたのはコイツだけである。

 

 教えれば全てを吸収したし、鍛えればそれだけ強くなった。この異常さはどこか俺がいた部隊の隊長と通ずるものがあったな。

 

 こいつは将来どうなるんだろうと、ホワイトルームにいるガキどもの中で唯一そう思える相手だった。

 

 

 だがまぁ、綾小路清隆も俺の充実感を満たしてくれるような存在ではなかったのは残念である。

 

 

 歳食ってから若い頃は良かったなんて言う大人になるとはな、部隊で忙しくしてた頃は思いもしなかった。

 

 だが嘆いた所で何かが変わる訳でもない、今日もまたホワイトルームでガキどもを蹴り飛ばして、ある程度成長した奴らを転がして、一定のラインまで技術を修めた奴らを調子に乗らせない為に徹底的に叩き潰す、その繰り返しを今日も続ける。

 

 そんな時だ、ガキどもを蹴り飛ばすだけで高い給料をくれる太っ腹な雇い主が俺をこの学校に潜入させようとしたのは。

 

 詳しい事には興味がなかったので聞き流したが、要は学園にいる綾小路清隆がどれだけ成長したのかという記録やデータを取りたかったのだろう。そして可能ならば連れ戻すことも視野にいれているらしい。

 

 どうでも良かった。そう、俺はこの夢想家の男にもその息子にもなんの興味も持てなかったのだ。

 

 それでもこうしてスーツを着て政治関係者の身分を偽りながら学園に潜入しているのは、給料分の仕事をしなければならないというある種のプロ意識のなせるものだろうか。

 

 俺と一緒に学園に潜入した同僚連中のスタンスもまちまちではあるが、どこかで綾小路清隆と接触するつもりなんだろう。

 

 そこである程度のデータを取れれば良し、もっと上手くいって連れ帰れればなお良し、高望みをしても仕方がないので俺は給料分だけ働くだけである……少なくとも学校に来賓として潜入した時はそんなことを思っていた。

 

 まさかここで退屈が裏返るとは思わなかった、アイツを見た瞬間に背筋が震えて現役時代の充実感が体中に広がることになったからだろう。

 

 心臓から全身に広がっていく熱はいつぶりだろうか、うなじに突き刺さるヒリつくような感触はいつぶりだろうか。

 

 そいつを見た瞬間に、俺の中にあった渇きはどこかにいったのは間違いない。

 

「おっと、大丈夫ですか?」

 

「天武くん、どうしたの?」

 

「いや、この人が急に倒れたからさ、熱中症かな?」

 

「また? ついさっきも似たような理由で倒れている人がいたけれど」

 

「まだ残暑があるからね。鈴音さん、悪いんだけど先に競技の申請を済ましておいてくれるかな、この人は俺が保健室まで運んでおくからさ」

 

「わかったわ、遅れないように気を付けなさい」

 

 一人の女子生徒と男子生徒が学校の廊下でそんな会話をしている。その足元には俺と同じくホワイトルームで教官をしている男が倒れこんでいた。

 

 勿論、熱中症などではない。残暑はあるが倒れるほどではないのだからありえない。

 

 倒れている理由は別にある、俺は少し離れた位置から見ていたからよくわかった。あの男は男子生徒とすれ違う瞬間に目にも止まらぬ手刀を叩きつけられて意識を失ったのだ。

 

 大半の人間にはわからなかっただろう、本当に一瞬のことである。綾小路清隆を探す為に校舎を彷徨っていた同僚も、隣にいた女子生徒も、それこそ監視カメラの向こうにいる奴らだってその鋭すぎる一撃を観測することはできなかった筈だ。

 

 

 恐ろしく早い手刀、俺じゃなきゃ見逃していただろう。

 

 

 退屈が裏返る瞬間は突然だった。その男子生徒を見た瞬間に俺は忘れていた何かを取り戻した気分にさえなったのかもしれない。

 

 こいつなら俺の渇きを潤してくれる、そんな確信と共にそいつの顔を眺めてみると、どうやらホワイトルームの中で情報が共有されている例の特殊なゴリラであると確信するのだった。

 

 なるほど、これが超人か、俺がいた部隊にも似たような奴がいた。偶にこういう奴がいるからあそこは面白かったと今になって理解することになる。

 

「あぁ九号、保健室近くの監視カメラって……そっか、ならちょっと派手に動いても大丈夫そうだね」

 

 その男子生徒はポケットから取り出したスマホでどこかと連絡を取ると、通話が終わった瞬間に隠れて様子を窺っていた俺へと視線を向けて来る……まぁバレるだろうな。

 

「そこの人、出て来なよ」

 

「運命的だと思わないか?」

 

「はい?」

 

「ずっと何かが足りないと思っていた……食後の後にコーヒーが出て来なかったみたいに、朝起きた時に歯磨きを忘れたみたいに、ケーキの上に苺が無かったみたいに、わかるだろ?」

 

「いえ、初対面の人にそんなこと言われても共感できないと言いますか」

 

「渇きだよ、渇望だよ、人生において大切な何かが欠けている感覚だ。俺にとってそれはガキどもを蹴り飛ばすことでもなければ、似合わないスーツを着て学校に潜入することでもない」

 

「はぁ」

 

「強者との戦いだけが満たしてくれるんだ、命のやりとりをしている時だけが生の実感を得られる……お前もその筈だ、そんな俺たちがこうして出会った、運命的じゃないか」

 

「えぇっと……う~ん」

 

「あぁ、皆まで言うな、わかっている……言葉ではなく、こいつで語り合おう。俺とお前は同類、どれだけ洗い流そうとも体に染みついた闘争と血の匂いを消せない殺人中毒者なんだからな」

 

「……ホワイトルームってこんなのしかいないのか、怖ッ」

 

 御託はいい、盛大に楽しもう。もうホワイトルームの都合も綾小路清隆のデータ取りもどうだっていい……俺は俺の人生に足りなかった物をここで満たす。

 

 食後のコーヒーのように、風呂上りのビールのように、酒の隣にある煙草のように、俺を満たしてくれ――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「清隆、この人も段ボールに詰めておいてよ」

 

「コイツも見たことある顔だな」

 

「ホワイトルームの教官だったんだよね?」

 

「あぁ、ちょっと待ってろ、こいつらを詰めてからだ」

 

「これで五人目か、結構な数がいるね」

 

「全員こうなってしまえば何の障害にもならないがな……よし、この段ボール箱に入れておいてくれ」

 

「配送先は埼玉にあるホワイトルームで受取人は清隆のお父さんとして……せっかくだし着払いとかにしておく?」

 

「そうだな、せっかくだから嫌がらせをしておこう」

 

「段ボールを開いた人は腰を抜かすかもしれないね」

 

「だとしたら面白いことになりそうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その先は地獄だぞ」

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、ウチとペアを組んで体育祭に出ませんか?」

 

 鶚銀子という生徒のことは、実はそこまで印象に残っていなかったというのが僕の本音だった。

 

 名前は知っている、同じクラスであることも知っている、だけど考えてもパッと顔や印象が思い浮かばない、そんな生徒だというのが僕の認識である。

 

 それは別に僕だけの話ではなくて、多分だけどクラス全体、もっと言えば学年全体で同じ評価や印象を持たれているんじゃないかな……いや、もしかしたらそういった印象すらも持たずに首を傾げる人が大半かもしれない。

 

 容姿と言動で良い意味でも悪い意味でもよく目立つ天沢さんの陰に隠れてあまり目立たないから余計に印象が薄い。天沢さんが陽キャで目立つから更に鶚さんの印象が薄くなっているんだろうな。

 

 そんな鶚さんがどうした訳か体育祭を目前に僕に声をかけてきた。物凄く意外でビックリしたのは言うまでもない。

 

「むふふ、実は良い儲け話があるんッスよ」

 

 鶚さんてこんな喋り方するんだと今になって知ることになる。もっとオドオドした感じかと思っていただけにこれまた驚く。

 

 鶚さんが言うには今度の体育祭で個人賞の一位を取るとチケットかポイントかを選ぶことができるらしく、そこで得たチケットを卒業間近の先輩たちに高値で売りつけるというものであった。

 

 なるほどと納得する。確かに使用制限のあるチケットは上級生たちにとっては僕たち一年生よりもずっと価値があって重みもあるだろう。一位を取った時に選べる200万ポイントよりも高値を出して買い取ってくれても不思議ではない。

 

 需要と価値がある場所に持って行って儲けを出す、ごく当たり前の転売であった。

 

 けれど疑問がある、そもそも僕と鶚さんで一位を取れるのかという話だ。

 

「そこは心配いらね~です。ほら、無人島で頭のおかしい先輩たちが暴れたせいで今の一年生は運動ができる生徒の大半が出場できないッス」

 

 なるほど、確かに宝泉くんだったり宇都宮くんだったりと、OAAでA評価を貰っているような生徒は軒並みドクターストップがかかっていると聞いている。それなら一歩及ばない程度の生徒でも十分にチケットを狙えるってことか。

 

 鶚さんの運動能力はB評価、僕も中学時代に陸上をそこそこやっていたこともあって同じくB評価、そんな僕たちが組めば可能性はゼロじゃないという鶚さんの言葉に僕は頷きを返す。

 

 この学校に来て暫くたつけどポイントの重要性は語るまでもない、大きく儲けられるなら凄く助かる。もしどこかでAクラスから落ちたとしても上手いこと2000万を貯められたら返り咲くこともできる。

 

 そんな訳で僕は鶚さんと組むことになるのだった。そしてこれが想定以上に上手い判断だと思い知るのは実際に体育祭が始まってすぐだった。

 

「それじゃあ適当に、後は流れで行くッス」

 

「はい?」

 

 二人三脚では鶚さんは僕を側面に張り付けて世界記録を上回り。

 

「とりゃッ」

 

 綱引きでは気の抜けるような掛け声と共に人の束を引っこ抜き。

 

「せいッ」

 

 テニスでは金網を貫通するような剛速球を打ち放ち。

 

「そいッ」

 

 卓球では球をグネグネと曲げて見せて。

 

「ふふん、ウチ最強ッス」

 

 柔道の勝ち抜き戦では先輩たちを一人で全て沈めてしまった。

 

 

 あれ、鶚さんってもしかして凄い人なのか? 僕は本当に流れに従っているだけで十種目全てで勝利することができるのだった。

 

 これまでそんなに目立つようなことはなかったけれど、鶚さんはちょっとアレな子だったということか。オリンピック選手もビックリするような身体能力を発揮して余裕で一位を取ってしまった。

 

「にへへへ、楽勝でやがります」

 

 無事にチケットを取れたことで僕たちは契約通りそれを先輩たちに売却して400万を得ることになる。大金を得たということで鶚さんはとても嬉しそうだ。

 

 ピョンピョン飛び跳ねて喜びを表現しており、そんな動きによって長い前髪も跳ねることでその向こう側にある表情も垣間見えることになる。

 

 

 それを見た瞬間に僕は言葉を無くした。

 

 

 だって鶚さんと言えばあまり目立たないし印象も薄いし、いつも視線を下げていて前髪で顔を隠している人だ。その上で天沢さんみたいに派手な見た目の生徒の後ろ側にいるような人なのに……そんな根暗な印象を吹き飛ばすほどに、前髪に隠れていた彼女の容姿は美しかった。

 

 言葉を無くすとはこういうことなんだと思う。恋に落ちるとはこの状態なんだろう。

 

 そう、僕は鶚さんに恋をしたのだ。

 

「あ、あのさ、鶚さんってどんな人が好みなの……あ、いや、変な意味じゃなくてねッ」

 

「ん~、好みの雄っスか?」

 

 雄? なんで男って言わないんだろ?

 

「やっぱあれッスね、最低でも握力が一トンは欲しいッス」

 

「え?」

 

 いやいや、ゴリラじゃないんだから、一トンとかありえないよ。

 

 でもあれかな、鶚さんってもしかしたら筋肉がある人が好きってことなのかもしれない。

 

 だとしたら僕はどうだろうか? 中学時代は陸上でそれなりに動いていたけれど、細マッチョは維持できていると思うんだ。

 

 色々と情報収集をする必要があるのかな、髪型とかどういうのが好きなんだろうと考えて僕は初めてファッション雑誌を購入したりもした。

 

 そんな情報収集の中で、僕は鶚さんと親しくしている先輩の一人、笹凪先輩に話を聞くことにもなる。

 

 僕が恋をしていること、初恋であること、いつも鶚さんのことを考えて夜も眠れないこと、どうすれば彼女に振り向いてもらえる男になれるのかを教えて欲しいと頼み込んだのだ。

 

 すると笹凪先輩は、それはもう苦い顔をすることになり、僕の方にポンと手を置いて、自殺しようとしている人を説得するかのような雰囲気でこう言うのだった。

 

 

「やめておくんだ、その先は地獄だよ」

 

 

 どうして笹凪先輩はそんなことを言うんだろうか?

 

 鶚さんはあんなに凄くて可憐で美しくて優しいのに、酷い人だと思う。

 

 まぁいいか、焦る必要なんてどこにもないんだ。とりあえず鶚さんは筋肉のある人が好みらしいので、今から格闘技系の部活に入ろうと思う。

 

 そしていつか告白しよう、鶚さんに認めて貰えるような男になる為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういう星の下に生まれてしまった男」

 

 

 

 

 

 

「あれ、南雲先輩、退院できたんですね」

 

 久しぶりに学校に来て生徒会に顔を出すと、そこには笹凪の姿があった。

 

「よぅ、体育祭ではやりたい放題してくれたみたいだな」

 

「そんなことはしていません」

 

「よく言うぜ、三年生から5000万も奪っておいてよ」

 

「でもおかげで南雲先輩の体制は崩壊しなかったじゃないですか。感謝こそされても非難されることはないと思いますよ」

 

 生徒会で書類仕事をしていた笹凪は仕事を一旦止めて椅子から立ち上がると、俺にお茶を用意してきた……何故か橘先輩を思い出す段取りの良さであった。

 

 差し出された紅茶を飲む、美味いのが妙に腹が立つな。

 

「足と腕はまだ治っていないみたいですけど、それでも退院できたんですね」

 

「コルセットが取れたからな、ようやくだ」

 

 無人島で誰かわからないが俺を突き落とした奴のせいで夏休みからここまでずっとベッド生活だ。俺がいない間に二年はやりたい放題するし、三年は不平不満を垂らすだけの集団になってしまった。

 

 何より生徒会が新体制へ移行してしまっている。席はまだ残っているがもう生徒会選挙も間近に迫っているので俺の居場所はどこにもない。

 

 本当に、どうしてこうなってしまったんだろうな。

 

「まぁ無事復帰できたのならよかったです」

 

「それは皮肉か? それとも煽ってるのか?」

 

「前から思ってましたけど南雲先輩はひねくれた受け取り方をしすぎじゃないですかね、純粋にそう思っているだけですって」

 

「そういうことにしておいてやるぜ」

 

 本題は別にある、こいつとジャブを繰り返していることに意味はない。

 

「それよりだ笹凪、こうして尊敬する先輩が復帰したんだからよ、祝いに一勝負どうだ?」

 

「え、嫌ですけど」

 

「つれないこと言うなよ」

 

「まずは体を完全に癒してください」

 

「腕と足が治ったら勝負を受けるのか?」

 

「受けませんよ、無意味なんですから」

 

 俺を相手にそこまで言えるのはコイツくらいだろうな。普通なら腹を立てる所だが、笹凪の瞳には本当になんの興味も好奇心もない……ただ凪いでいて欠片も感情が揺れ動いていない。

 

 お前など戦うに値しない、そう言っているかのようにも思えて少し苛立ちが出てきたのだが、そんな感情を見透かすような視線を感じ取って慌てて引っ込める。

 

「俺に勝った所で貴方の人生になんの影響も与えませんよ。実力の証明がしたいのならば、一人でも多くの生徒をAクラスに上げられるように努力してください。俺に勝つよりも遥かに大きな意味があるでしょうから」

 

「はいわかりましたって言うとでも思っているのか?」

 

「もう半年もすれば卒業なんですから、足元よりも前を見るべきだと思いますけど」

 

「逆だ、もう半年で卒業だからやり残したことをやるんだろうが」

 

「その体でですか?」

 

 確かに腕と足は治っていない、杖がないとまともに移動もできないだろう。だが勝負するだけなら別に体を動かす必要もない。

 

「頭と策略を使うだけなら口さえ動いてればどうにでもできるだろうぜ。丁度、生徒会選挙も近いからな」

 

「生徒会選挙で戦うつもりですか?」

 

「あぁ、聞いてるぜ、お前は鈴音と付き合ってるそうだな。なら当然、次の選挙でアイツを支持する筈だ。なら俺が帆波を支持する……それともお前自身が生徒会長に立候補するのか?」

 

「そのつもりはありません。俺はほら、生徒会長になってやりたいことが無いので」

 

「なら鈴音を支持するって訳だ、良い感じに対戦できる状況だろ」

 

「いえ、鈴音さんを支持するつもりもありませんよ」

 

「はぁ?」

 

「帆波さんだろうと鈴音さんだろうと、どちらが生徒会長になっても俺は困りませんから」

 

「お前にとっては同じクラスの鈴音に生徒会長になって貰った方が有利になるだろうが」

 

 この学校の生徒会長は大きな権限があるし試験のルールに影響だって与えられる。それを求めない筈がないのだが、笹凪は相変わらず瞳に何の興味を映していない。

 

「有利不利であまり物事を考えたことがなくて……それに俺にとって重要なのはAクラスになることではなくて、Aクラスに相応しい生徒を一人でも多く増やすことですから、そもそも目指しているゴールが違うので、俺と南雲先輩はどこまで行っても話が噛み合わないかと」

 

 Aクラスで卒業することに興味はなく、そこに相応しいだけの生徒をどれだけ増やせるかが重要と言う笹凪は、本当に俺とは違う視点を持っているらしい。

 

 お前など興味がないのだと、そう言われている気がしてまた苛立ちが大きくなった。

 

「たとえお前にその気が無かったとしても、必ず帆波と鈴音は争うことになるだろうし、そうなればお前は付き合っている鈴音を支援することになる、違うか?」

 

「う~ん、そうなるんでしょうか? 別に帆波さんが生徒会長になっても問題はないと思いますけど」

 

「鈴音はどう思うだろうな、付き合ってる相手が対立候補を支持したりすれば良い気分にはならないだろうぜ」

 

「そう言われると確かにその通りですね」

 

「だろ? なら俺が帆波を支援すれば自然と俺とお前の代理戦争になる訳だ」

 

「なりますかね、どっちが勝っても俺は困らないんですけど」

 

「もっとやる気を出せよ」

 

「すみません」

 

 いつまでもどこまでも凪いでいる、その瞳がどこを向いているのかもわからない。もしかしたら俺よりもずっと先を、ずっと遠くを見ているのかもしれないが、目の前にいる相手を見ないのはどうかと思うぜ。

 

「もしお前がこの勝負を受けないのなら俺にも考えがあるぜ」

 

「何をするつもりですか?」

 

「さてな、だがもしかしたら誰かが困るかもしれないな」

 

「はぁ……」

 

 気の抜けた溜息交じりの返答は、まるで聞き分けのないガキを諭すかのような疲れが混じっていた。

 

「それで、もしこの勝負を受けるとして、どうするんですか? 勝っても負けても、俺は何も困りませんけど」

 

「そうだな、負けた方が退学するってことでどうだ?」

 

「だからそういう所がダメなんですよ……そもそも、覚悟があるんですか?」

 

「あぁ?」

 

「負けたら退学する、その覚悟があるのかと聞いているんです。この期に及んで自分は絶対に負けないなんて思ってなどいないでしょう?」

 

 そこで笹凪の瞳に初めて感情が見える。こちらを心配するような憐憫交じりの視線だ。

 

「もう一度訊きます、覚悟がありますか?」

 

「……」

 

 笹凪と戦って負けた場合、俺は退学することになる。

 

 敗北した状況を想像してみる、きっとこれまでならば絶対にありえないだろうと判断しただろうし、そんな想像すらできなかったに違いないが――――。

 

 今ならば、そんなもしもの状況がハッキリと想像できてしまった。以前の俺ならば自分が敗北していることなんて妄想ですら浮かばなかっただろうが、今はそうではない。

 

 そんな自分の変化に絶句していると、また笹凪はこう問いかけて来た。

 

「覚悟はありますか?」

 

「いや……その条件での戦いは止めておこう」

 

「よい判断です。自分は絶対に負けないなんて言おうものなら流石に呆れかえってましたよ」

 

 クスリと、少女のような可愛らしい笑みを浮かべたことで、俺は何かを踏み間違えなかったことを確信することになる。もしあのままの条件で戦うことを提案していれば、おそらく笹凪はもう俺になんの興味も向けることはなかっただろう。

 

「賭ける物もなく、失う物もなにも無いという条件ならば、次の生徒会選挙で戦ってみるのも良いかもしれませんね」

 

「本当か?」

 

「自分は絶対に負けないなんて妄想をしている南雲先輩よりも、恐怖を知った今の貴方の方が魅力的ですからね、それも良いんじゃないかと思いましたけど……あ、でもポイントも退学も賭けませんからね?」

 

「それでいいぜ、俺とお前で真剣勝負だ」

 

「その言葉は一切信頼しませんけど……まぁ、ちょっと同情もしていたんで」

 

「同情? どういうことだ?」

 

「いや、ほら、せっかく色々な催しや試験を考えてくれてたのに、無人島で怪我をしたことで南雲先輩は参加できなかったじゃないですか。企画の発案者なのにそれは可哀想だなって思っていて。卒業まであまり時間もありませんし、そう考えたら一度くらいは貴方に付き合うのも吝かではないと言いますか」

 

「何だったって良い、その言葉を忘れるなよ」

 

「はいはい、わかりましたよ」

 

 少し困ったように、しかし仕方がないと諦めたかのように、同情交じりではあるが笹凪はこちらの意思に応じてくれるようだ。

 

 ようやくこの時が来たか、やっとだ、どれだけ待ちわびたか。互いを敵と認識して死力を尽くす戦いを実現することができる。

 

 もう同学年に敵はいないし、Aクラスでの卒業も確定している、卒業までただリハビリをするだけの時間かと思っていたが、やっと振り向いてくれたか。

 

 そうと決まればさっそく動くとしよう。次の生徒会選挙で帆波を何としてでも勝たせないとな。

 

 当然ながら勝負を受けると決めた以上は笹凪だって全力で鈴音を支援するだろう。お互いに勝利を奪い合うことになる。

 

 この瞬間に笹凪は俺を敵だと認めたということだ、病院のベッドではまず感じることの無かった熱のようなものが全身に広がっていくのがわかった。

 

 勢いとやる気を無くす前にまずは相談だな、帆波と打ち合わせしてしっかりと計画を組まないと。

 

 そんなことを考えながらニヤついていると、その帆波と鈴音が生徒会室に入って来た。さっそくとばかりに今度の生徒会選挙の話をするのだが、俺の中にある熱を圧し折るように帆波はこんなことを言うのだった。

 

 

「私は、生徒会長に相応しくありません……生徒会も、身勝手だとわかっていますが、辞めようと思っています」

 

 

 沈んだ表情で帆波がそんなことを言った段階で、俺と笹凪の勝負は破綻することになるのだった。

 

 どれだけ願っても噛み合わない、何度願ってもすり抜けて行く、俺の人生はこんなことばかりだ。

 

 後一年早く生まれていれば、もしくは一年遅く生まれていれば何かが変わったのだろうか。

 

 そう言えば去年の夏休みにケヤキモールに来た占い師はこんなことを言っていたな。

 

 お前はそういう星の下に生まれて来た、とことん巡り合わせが悪い人生だと。

 

 強敵を望んでも現れないし、勝負をしたいと思ってもすり抜けて行く、もし戦いが成立したとしても満足のいく勝利も敗北も得られない。

 

 俺はそういう巡り合せを持った星の下に生まれてきたのだろうか、帆波が生徒会を辞めると言い出したことで、そんなことを思うのだった。

 

 

 

 結局俺は、いつまでも満足はできないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 



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文化祭
文化祭準備


 

 

 

 

 

 

 

 

 体育祭が終わって暫く、11月も目前になった段階でもう夏は完全に姿を消して肌寒さが少しだけ目立つようになった季節、高度育成高等学校では以前から告知されていた文化祭へと徐々に移行していた。

 

 体育祭の終わりと同時に生徒会選挙も行われて……いや、候補者が一人しかいなかったので選挙が行われることもなく鈴音さんが無事に生徒会長として立つことになった。

 

 最初は帆波さんと鈴音さんの一騎打ちになるという話であったのだが、帆波さんの突然の生徒会離脱によって選挙は流れることになり、自動的に鈴音さんが生徒会長となる。

 

 その時の南雲先輩の顔ときたら、色々と煤けていて虚無を宿した瞳をしていたと思う。

 

 いざ待ち望んだ勝負になると思っていたのに、盛大に空振ってしまったことで反動が凄かったのだろうか。朝比奈先輩曰く趣味を無くしたおじいちゃんみたいとのこと。

 

 まぁその内に復活してまたストーカー気質を発揮するだろう。それまでは放置で良いと思う。

 

 問題なのは生徒会だろうか、帆波さんが突然に離脱したことでまたもや人が足りない事態となってしまった。いよいよ九号を引っ張って来るしかないのだが、とりあえず目の前に迫った文化祭の準備を進めて行く方針である。

 

 文化祭、そう文化祭だ。高校生活において体育祭や修学旅行と並ぶ青春イベントの一つだろう。青春渇望症の俺にとっては絶対に外せないものでもあった。

 

 メイド服で女装と言うのはちょっとアレだけれど、それでもクラス全体で出し物をするのだからこれほど楽しみな時間もない。

 

 俺たちのクラスは勿論のこと、全校生徒が文化祭に意識や集中を向ける中、生徒会もまたそちらに向けて動き出していくことになる。

 

 今回の文化祭は月城さんの置き土産であるらしい。あの人の発案であると同時に策略でもあるのだろう。体育祭と同様に外から来賓を招いて行うイベントということだ。

 

 ただ体育祭と違うのは、その来賓が独自にポイントを使ってお客様になるという点だろう、その売り上げを全学年で競い合うという訳である。

 

 退学になったりすることもなく、報酬も美味しいイベントである。特に一位から四位までに入ればクラスポイントが100貰えるのが良い。四位以下でも50ポイント、そして最下位近くでもマイナスにはならない。全学年、全クラスで争う形なので順位は一位から十二位まで決められる。

 

 なので帆波さんの生徒会離脱によって枯れかけていた南雲先輩もやる気を出すのかもしれないな。売り上げで競い合うと提案するかもしれない。まぁ入院生活が長かったせいで三年Aクラスの出し物はあの人ノータッチらしいけど。

 

 一度戦うと言った以上、付き合って上げるべきなんだろうけど、どうなるだろうな。

 

 そんなことを考えながら今日もまた生徒会で文化祭の準備を進めることになる。つい先日までそこには帆波さんの姿もあったのだが、生徒会を辞めてしまったことでもうどこにも見当たらない。

 

 少し寂しさを感じながらも、ここ最近の帆波さんの様子が気になっていたので、一度どこかで話をしてみるべきなのかもしれないな。

 

 彼女のクラスは体育祭で四位になったことで龍園クラスと交代するようにDクラスになってしまったことも、悩みの一つなのだろう。

 

 上手くいかない内はどうしたってメンタルも崩れる。Dクラスになってしまったことで心折れてしまい、それが原因で生徒会を辞めてしまったのだとすれば、ちょっと考え物である。

 

「天武くん、一つ考えたのだけれど、生徒会主催で文化祭のリハーサルは出来ないかしら?」

 

 この度、正式に生徒会長となった鈴音さんは、文化祭準備で忙しくなっている中でそんなことを提案した。

 

「ん……ぶっつけ本番でやるよりは、前準備があった方が良いかな」

 

「えぇ、当日になって問題が浮き彫りになるよりはその方が傷は少ないと思うの」

 

 準備は整えました、しかし本番になって致命的なミスがありましたでは話にもならない。実際に来賓を迎え入れる前に予行演習は必要だろう。

 

「他の人たちは納得してくれるかい? 当日までどんな出店をするのか秘密にしているクラスもあるみたいだけど」

 

「あくまで自主参加に留めるつもりよ、強制じゃないわ」

 

「やりたいクラスだけでってことか、それなら良さそうだね。俺たちのクラスはメイドカフェで接客業だけど、実際にそういった経験がある人も少ないだろうし……いや、中学でアルバイトしてた人とかいるのかな」

 

 いたとしてもメイドカフェで働いていた人はいないと思う。アルバイトと言っても中学生でできるのなんて本当にごく僅かな仕事だけだろうしな。

 

 ぶっつけ本番よりもリハーサルがあった方が良いだろう。それは何も俺たちのクラスに限った話ではない。

 

 物は試しであるし、やらないよりはやった方が良いだろうから告知してみるか、この学校では初めての文化祭でもあるし、事前に経験を積んで改善点が見つかるのならば悪い話でもないだろう。

 

「アルバイトの経験があるとしても新聞配達とかその辺じゃないかしら。メイド喫茶でなくとも接客の経験がある人なんてこの学校にはいないでしょうしね」

 

 普通の学校ならお小遣い欲しさにカフェで働いたりとかするんだろうか? そう考えるとこの学校ではそういった当たり前の高校生の経験値が得られないのかもしれないな。

 

 いや、だからこその文化祭なのだろうか、外部の人と接する機会が少ないのはこの学校の欠点でもあるだろうし、是正したいという考えも根底にはあるのだろうか。

 

「ウチのクラスもリハーサルには参加するんだよね?」

 

「接客の経験が無い人ばかりなのだから、ぶっつけ本番で挑ませる訳にもいかないわ」

 

「そりゃそうだ」

 

 こうして文化祭が始まる前にリハーサルが行われることになった。参加するしないは自由であるが、他所のクラスの偵察もできる上に改善点も事前に見つかるだろうから生徒の反応はそこまで悪いものでもないだろうな。

 

 鈴音さんは学校側との調整や段取り決めに動いているので、俺はとりあえずOAAで生徒へと告知をやっておくとしようか。全体チャットを使って生徒会からの告知という形にしておこう。

 

「楽しそうね」

 

 文化祭に向けて様々な調整をしている俺に鈴音さんがそんなことを言ってくる。

 

「そう見えたかい?」

 

「えぇ」

 

「いやほら、文化祭って初めてだからさ、ちょっとワクワクしちゃって……楽しむことも大切だろうし」

 

「そう……そんなにメイドとして働くことが楽しみなのね」

 

 鈴音さんの容赦ない攻撃が俺の心を傷つけてくる、できるだけ考えないようにしていたというのに。

 

「そ、それは言わないでくれ」

 

「どうしてかしら、あんなに似合っているのに」

 

 どこか楽しそうに、揶揄うようにそんなことを言われても困る。

 

 この学校の生徒会長は恋人にメイド女装をさせてこんなに楽しそうな顔をする人になってしまった……これで良かったのだろうか。

 

「看板娘として期待しているから、しっかりお願いするわね」

 

「……はい」

 

 逃れられないと悟った俺はあっさりと白旗を上げることになる、悲しいね。初めての文化祭でワクワクしていたのにメイドにさせられるなんてさ。

 

「素直でよろしい。それじゃあ職員室に向かって学校に話を通して貰おうかしら、リハーサルでは備品や食材などの消耗品は各クラスからではなく学校側に用意させたいのよ」

 

「了解」

 

 どこのクラスだって予算には上限があるので無駄にしたくはない。消耗品は学校側から出すという形ならばリハーサルにも参加しやすいだろう。

 

 なので命令通り学校側と交渉である。俺は鈴音さんを置いて生徒会室を出ると、その足で職員室に向かうことになるのだった。

 

 ある程度の上限は設けるつもりではあるが、領収書を提出すればその分の予算は学校側から出させるとしよう。

 

 なんて落としどころを考えながら校舎の中を歩いていると、学校の隅っこにあるコモンスペースに深刻な顔をした男子生徒を発見することになる。自動販売機の前にあるベンチに座って目つきを鋭くしていることでその場の雰囲気がピリピリとしていた。

 

 人気のないスペースなのでとやかく言うつもりもないのだが、あちらも視線を上げて俺を発見したのでせっかくだから声をかけることにする。

 

「神崎、もの凄く不景気な顔をしているぞ」

 

「そんな顔はしていない」

 

「そうか、なら俺の勘違いか」

 

「いや……実際に思う所はあったから、間違いではない」

 

 すると神崎は重たい溜息を吐いた。放置するのもあれなので話をするとしよう。帆波さんの様子も訊きたかったからな。

 

 コモンスペースにある自動販売機でココアを購入すると、それが入った紙コップ片手に神崎と同様にベンチに腰掛けた。ただ彼は俺をどこか苦手としていると言うか、警戒しているので隣ではなく真後ろのベンチに座ることになる。

 

 互いを視界に入れずに背中合わせで会話する形だ。

 

「笹凪、噂を聞いたのだが、お前は体育祭でチケットを得て三年生に売却したらしいな」

 

「別に隠すようなことでもないから否定はしないよ、その通りだ」

 

「具体的にはどれくらいの額だ?」

 

「一枚1000万だ」

 

「なるほど……堀北もチケットを得ていたから最低でも2000万は確保したということか、よく考えたものだ」

 

「チケットの価値はそれぞれの学年で違う、わかりやすい転売と言えばそれまでだけど」

 

「だが、実際に形にして成果を得るのは簡単ではない。体育祭では坂柳クラスが猛威を振るったからな、個人賞すら危うかっただろうに」

 

「そこはほら、龍園クラスが頑張ってくれたから」

 

「そう言えば、珍しくあの男はお前たちに突っ掛からなかったな」

 

 おかげで個人賞をスムーズに取れたと思う。アレが無ければ下手すればチケットの権利すら確保できなかった可能性もあるからな、そんな訳で報酬だってちゃんと渡した。

 

 四枚のチケットは全て朝比奈先輩に4000万で売りつけて、その内九号とそのペアの男子生徒から買い取った額を差し引いて最終的には3200万の利益を上げられたので、それを更に折半だ。

 

「大したものだ、お前のような男にとっては特別試験での勝利もポイントを稼ぐことも、簡単なことなんだろうな」

 

「……そう言われてもちょっと困る」

 

「俺には難しいことだ……当たり前のように正攻法でしか挑めないからな」

 

「結局の所、それが一番強いと思うけど」

 

 奇策や謀略に必死になるよりは正面突破で勝てるのが一番良いし、それができる者が一番強い。小技がダメな訳じゃないけどそれが王道になってしまえば肝心な時に何の役にも立たないだろう。

 

「勝てるのならばな……だが、勝てないのならば意味がない。そして俺たちのクラスは遂にDクラスになってしまった」

 

「一時的なものじゃないか、また挽回すれば良い」

 

「簡単に言ってくれるな、こちらのクラスでは不可能だ」

 

「……もうAクラスになるのは諦めたのかい?」

 

「どうだろうな、Aクラスになれるのはお前のような生徒がいるクラスだろう」

 

「帆波さんがいるじゃないか」

 

「その一之瀬も、生徒会を辞めるという話を聞いたぞ……何があったんだ?」

 

「以前にあった騒ぎと過去の件で遠慮するとは言っていたけど」

 

「だとしても生徒会を辞める理由にはならない筈だ……これから得られる利益と立場を自ら捨てているようなものだろう。Dクラスに落ちたことで、もう諦めてしまったんじゃないか」

 

「クラスでの戦いに専念するとは考えられないのかい?」

 

「そう言っていたのか?」

 

「俺に訊かれても困る。神崎、君のクラスメイトで、君のクラスのリーダーで、君のクラスの問題だよ」

 

「尋ねたら答えてくれると? 不可能だ……一之瀬はお前に傾倒しているようにも見える」

 

「もし彼女が挫けそうなら君たちで支えれば良い」

 

「不可能だ、表面上は何も問題がないからな」

 

「相談だったり、話し合いの場を設ければ良い」

 

「不可能だ、俺がそうした所で打ち明けてくれるとは思えん」

 

「なら帆波さんに近しい女子生徒の協力を得るというのはどうだろうか? それなら話をしやすいんじゃないかな」

 

「……不可能だ、一之瀬の周りにいる女子たちは全員が何も問題はないと思考を停止しているだろう」

 

 この感じ、神崎も悩んでもがいているように見えて心が折れているみたいだな。何もかもに投げ槍になっているようにも思えた。

 

「あ~……神崎、とりあえず不可能だを一言目にするのは止めた方がいいぞ。言葉には強い意思と意味が宿る、不可能だと言い続けていればそれがやがて形になってしまう」

 

「誰もが皆お前のように強い訳ではない」

 

 ダメだな、かなり堪えているようだ。ここ最近の帆波さんクラスの状況をそれだけ苦々しく思っているんだろう。

 

「仮にもし、君がAクラスで卒業して希望の進路を得られたとしよう。進学だろうと就職だろうと、不可能だが口癖の相手を重宝すると思うかい?」

 

「だったらどうすれば良い」

 

「君がクラスの状況を変えれば良いだろう。帆波さんを支えるなり、新しく引っ張っていくなりしてさ」

 

「不可能だ」

 

「それを言うな、本当に癖になってしまうよ」

 

 そう言えば師匠もよく大言壮語くらいが丁度良いと口にしていたな。慢心して思い上がるのは論外だけど、気弱過ぎるのもまた考え物であった。

 

「君はAクラスになりたいんだろう?」

 

「当然だ」

 

「なら余計に不可能だと言うべきじゃない、それは君を殺す言葉だよ」

 

「仮に俺一人が努力した所で何が変わる、今のクラスの状況に危機感を持っているのは俺だけだ、誰もが皆流されるだけで過ごしている……それでもまだ一之瀬を中心とした団結力があればよかったんだが、その一之瀬ですら今は頼りなくなっている」

 

 手に持っていた紙コップに入っていた飲み物が空になっていたので、くしゃりと握りつぶしてゴミ箱に投げ捨てる。

 

「安心しなよ、君は必ずAクラスになれるから」

 

「何を根拠にそんなことを言っている」

 

「ここに俺がいるからさ……だが、Aクラスで卒業するのと、Aクラスに相応しい存在であるかはまた別物だ。それを理解しなければきっと意味がないよ」

 

「努力はしてきたつもりだ」

 

「なら不可能だという言葉は吐くべきじゃない」

 

「……」

 

 黙ってしまった神崎を置いて俺はベンチから立ち上がる。

 

「まずは自分にできることを精一杯やってみるべきだ。クラスの状況を変えたいのならば行動して、仲間が必要なら探して、帆波さんを支えるならちゃんと意思を結び合え」

 

「……」

 

「それができない男がAクラスで卒業できたとしても何も成せないぞ……君は勘違いしているようだが、Aクラスでの卒業はゴールではなくスタートだ」

 

 人生は長いし卒業特典を得たとしてもそれで人生の全てが保証される訳でもない。それを理解できていない生徒がこの学校には多すぎる。

 

 極論、Aクラスで卒業できなかったとしても実力で結果をもぎとれば良いだけだ。もしかしたらそれは強者の理論だと神崎は言うのかもしれないけれど、社会でこれほど重要なこともないだろう。

 

「ただ、帆波さんとは少し話してみようと思う。俺としても生徒会を辞めることは気にしているからね」

 

「そうか……そうしてくれ、俺たちの言葉は一之瀬には――」

 

「神崎、言葉は形となり、呪いになる。それを忘れるな」

 

「……あぁ」

 

「がむしゃらに足掻いてみるといい、それでダメなようなら俺が力になろう」

 

「ライバルだというのにか?」

 

「ライバルに手を貸しちゃいけないのかい? 神崎、俺の目標はね、全員をAクラスで卒業させることなんだ」

 

「そんなことは不可能だ」

 

「大丈夫、何も問題はないよ……君は君にできることを全力で頑張れ、まずはそこからだ」

 

 それだけ言い残して校舎の片隅にある自動販売機前のベンチから立ち去ることになった。当初の目的は職員室だったことをここで思い出す。

 

 今後神崎がどうなるかはわからないが、あれほど沈んだ状態でいつまでも嘆かれても困るので、何とかして立ち直って貰いたい。ただAクラスに押し上げるだけでは意味がないからな。

 

 帆波さんとも話し合わないと、神崎同様に沈んでいるのならばテコ入れが必要である。

 

 俺は一年の終わりの頃に結んだ約束をまだ果たしてくれるものだと思っている。あの指切りはとても大切なものだったんだから。

 

 できることならトドメを刺すのは彼女であって欲しい。

 

 

 

 



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メイド喫茶の準備

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会から提案されたリハーサルに関しては無事に学校側の理解を得られた。消耗品を学校側が補填することも無事に受け入れられて生徒にも告知されることになり、評価や感触はおおむね好評と言った感じだろうか。

 

 やはりどのクラス、どの学年もぶっつけ本番はごめんと言うことなんだろう。俺だって嫌だし他の人だって嫌だ。事前に練習できるか否か、そして改善点が見つかるか否かで当日の動きは変わるだろうし、こうやってみるとやはり事前準備や根回しなんかはとても大切なことなんだと思う。

 

 社会に出てからもきっとそうなんだろう。根回しや準備のできない者に何ができるのかという話にもなる。今までこの学校はこういった催しをしなかったし、外部からお客を呼ぶこともしなかったので、これは月城さんの最高の置き土産とも考えられるのかもしれない。

 

 色々とアレな人だったけど、この学校の生徒に足りないものは何なのかをしっかりと理解していたということだろう……まぁ尤も、こういったイベントが多くなると外から人を引っ張って来れるからとも考えられるけど。

 

 無人島に武装勢力を50人近く連れてきた時は笑っちゃったよね、常識を考えろってさ。

 

 次の文化祭はどうなることやら、体育祭であれだけ紳士的に対応したので無茶なことはしないかもしれないけど、来たら来たらでまた段ボールに詰めるだけだしな。

 

 懲りてくれることを祈るばかりである。もうさっさと諦めて見なかったフリをするのが一番平和だと思うし、俺たちにとってもホワイトルームにとってもだ。

 

 なんであれ生徒たちは目前に迫った文化祭に期待と不安を募らせていることだろう。それは当然ながら俺たちのクラスだって同じことである。

 

「ねぇ佐倉さん、髪型なんだけどこれでどうかな?」

 

「え、えっと、纏めた方が良いかも、しれません……メイド喫茶、というか接客業だから」

 

「あぁ~、清潔感とか大事って言うもんねぇ」

 

「は、はい、それにうなじが見えるのは佐藤さんなら凄く映えると思うから」

 

「え、そう? うなじかぁ~……意識したことなかったけど、男子ってやっぱそういうの好きなのかな」

 

「チャーミングポイントだと思うよ」

 

「ねぇ佐倉さん、ちょっとカメラ映りで相談したいことがあるんだけど」

 

「あ、うん、今行くね」

 

 文化祭でメイド喫茶をすることになって我らがクラスも動き出している。そんな中でも目立っているのはやはり愛里さんだろうか。

 

 芸能人という特殊極まる職業、それもグラビアアイドルを経験した彼女にしかわからない視点、評価点を持つ愛里さんは見られるという状況を誰よりも意識することができる。

 

 カメラを向けられた時、誰かに見つめられた時、そういった場面でどう映るのかを最も理解しているのが愛里さんだろう。こればっかりは全校生徒で一番の経験者かもしれないな。

 

「ねぇ愛里、お化粧なんだけどあんまり派手過ぎない方が良い?」

 

「え~と、人によって違うんだけど、波瑠加ちゃんなら控えめな方が良いんじゃないかな」

 

「そう? まぁ接客業で化粧が目立っちゃダメか」

 

「うん、キラキラしてるよりは、落ち着いた雰囲気でメイド服と合う方が良いと思うの」

 

 愛里さんがしっかりクラスメイトに頼られているのを見ると、なんというか感無量といった思いになる、不思議なことに。

 

 清隆も同様なのか、彼は教室の端っこで腕を組んでウンウンと頷いており「オレが育てた」感を凄く出している。あぁ言うのを後方腕組勢と表現するのだろうか?

 

 彼の仕事はメイド喫茶のプロデュースなので軌道に乗った今は殆ど仕事がないらしい、ああやって後方で腕を組んでいるだけなので、そろそろ別の仕事を押し付けるべきなのかもしれない。

 

「て、天武くん……じゃなかった、天子ちゃん、わからない所はないかな?」

 

 クラスメイトから色々な相談を受けていた愛里さんがこちらにも声をかけてくる。誰かに助力をしたいという思いからの行動であり、あの愛里さんがと考えれば物凄い変化とも言えた。

 

 きっと一年生の頃は俺に何かアドバイスをしたいなんて思わなかっただろうし、思ったとしても勇気が出せずに言葉にはできなかった筈だ……確かに今の彼女を見ると清隆のあの態度もわかるような気がする。

 

 クラスメイトはそれぞれ成長している、それは愛里さんだって同じってことだ。

 

「そうですね、ならお化粧について相談してくれますか? 私はあまり詳しくはないので」

 

「うん、任せて」

 

 せっかくなので俺も……いや、私もアドバイスをして貰うとしよう。

 

 師匠モードになった高めた集中の全てをメイドを演じることに向ける、自分の中にあるスイッチを押して切り替えるとでも表現すべきだろうか、俺は俺の持つ能力の全てを女性を演じることに集中することで雰囲気を作り出す。

 

 すると誰かがゴクリと喉を鳴らすことになる。視線をそちらに向けてみると平田が絶句しているのが見えた。そう言えばこの姿は初めて見せたんだったか。

 

「平田さん、どうしましたか?」

 

「え、あ、いや……その、笹凪くんなんだよね?」

 

「はい、勿論です」

 

「……」

 

 彼はまさに絶句という表現がよく似合う顔をしている。そして自分の眉間に寄った皺を揉み解すように指を動かす。

 

「ごめん、ちょっと頭を冷やしてくるよ」

 

 そんなことを言い残して彼はメイド喫茶の準備が進められる特別練の空き教室を後にするのだった。

 

 色々と悩み所があるらしい、私も鏡に映った自分自身を見て脳がエラーを出したので気持ちがわかってしまう。

 

「やべえよ笹凪の奴、アレでしっかり付いてるんだぜ?」

 

「前から美人だと思ってたけど、とうとう開き直りやがったな」

 

「……デユフフフ、やはり男の娘でござるなぁ」

 

 クラスの男子からの評価はそんな感じである。博士も以前の喋り方を思い出すくらいには衝撃的であったらしい。

 

「ぐはッ」

 

「かふッ」

 

 対して女性陣の反応はと言うと、腹部に強烈なボディブローを食らったかのようにくの字になる者が何名かいるな。

 

 波瑠加さんと桔梗さんは衝撃が大きかったのか、血でも吐いたかのような動作をしていた。

 

「テ、テンテン? 本当にテンテンなの?」

 

「はい、似合いますか?」

 

「いや声ッ!? 表情と視線も雰囲気もッ!? かつら被っただけじゃそうはならないってば!!」

 

「ある程度は声真似もできますから、表情や雰囲気は愛里さんに調整して貰いました」

 

「……実は最初から女子だったとか?」

 

「水泳の授業でそうではないとわかっている筈ですが」

 

「そっか、そりゃそうだね……ちょっと私も頭冷やしてくる」

 

 波瑠加さんもまたさっきの平田さんと同様に特別連の空き教室を出て行くことになる。

 

「天武くん……いや、天子ちゃん」

 

「はい、どうしました、桔梗さん?」

 

「くッ……か、可愛い」

 

 何故か桔梗さんは執拗にローキックでも食らったかのように足を震わせながら汗をかいていた。

 

「はぁ、はぁ……ま、まだ、負けては……ぐふぁッ」

 

 何か伝えたいことでもあるのかと思ったのだが、桔梗さんは何かを言うこともなく、不審に思った私は伺うように首を少しだけ傾けるのだけど、その瞬間に見えないボディブローを食らったかのように桔梗さんは折れ曲がって遂には膝を突いてしまうのだった。

 

「わ、私も……頭を冷やしてくるね」

 

 そしてまた一人、メイド喫茶の準備が進められる教室からクラスメイトが出て行ってしまう。何故か私がここにいるだけで被害が甚大なものになってしまうらしい。

 

「俺もちょっと休んでくる……なんか頭がズキズキする」

 

 須藤も教室を出て行ってしまった。それに続くように何名かが退室していく。誰もが脳を破壊されたかのような有様である。

 

「被害は甚大ね、普段の天武くんとのギャップもあるから余計に頭が混乱するのよ」

 

「鈴音さん、やはり止めた方が良いのでは?」

 

「ダメよ、これだけ破壊力があるのだから、外から来る人たちにはとても衝撃が大きいのは間違いない。広告というのはまず目立たせる必要がある、それに天子さんはうってつけなの」

 

 私の恋人は頑なにメイド服を維持させようとしてくる。この人はもう生徒会長なのに私を追い詰めようとしてくるから困る。

 

 以前のようにこめかみ付近から伸びる髪を自分とお揃いの形に結ってくれた。鈴音さん的にはこれは外せないらしい。

 

「……可愛いわね、何度見ても」

 

 綺麗にお揃いの形に髪を結い終わったことに満足した様子の彼女は、改めて私を見つめてそう言った。

 

 そして指先で肌の感触を確かめるかのように頬を撫でて来る、ちょっとくすぐったい上に恥ずかしいので止めて欲しい。こういうのは誰もいない場所でやって欲しかった。

 

「ふぅ……多少は見慣れている私ですらギャップにやられそうになるわね」

 

「それは、なんと言いますか」

 

「間違いなく貴女は完璧な広告塔よ、胸を張って仕事をしなさい」

 

「あ、ハイ」

 

 この期に及んで躊躇する必要はないと判断したのか、生徒会長で恋人の鈴音さんは私をメイド姿で送り出すのだった。この文化祭の後に俺がどう思われるのかはあまり気にしていないらしい。

 

 まぁここまで来れば自棄である。やると決めたからには全力だ。私は全力でメイドを遂行しましょう。

 

 それにだ、女子はメイド役として働くことになる……つまり鈴音さんもまたメイド姿になるということなのだ。

 

 恋人のメイド姿だ、私も男なので……いや、今は違うけど、興味はある。普段の制服姿を見慣れているので余計に新鮮な気分になるのかもしれないしな。

 

 なので私はメイド服を鈴音さんへと押し付ける。ミニスカートのフリフリした奴も捨てがたいけど、彼女にはあまり装飾の多くないシックなメイド服が似合うと思ったのだ。

 

 ロングスカート、エプロン、白と黒のコントラスト、装飾は最小限、これしかない。

 

「何かしらこれは?」

 

「鈴音さんのメイド服です、こちらで見繕いました」

 

「……」

 

「まさか着ないなんて言いませんよね?」

 

「はぁ、仕方がないわね」

 

 男の私が着ているという滅茶苦茶な状況を押し付けて来たのだ、何としてもメイド服を着て貰わないとバランスが取れないだろう。

 

 鈴音さんは受け取ったメイド服に着替える為に教室の隅っこに作られた着替えスペースへと移動する。俺は……ではなく私はワクワクしながらその時を待つことになった。

 

「ど、どうかしら?」

 

 待つこと数分、仕切りの向こうから恥ずかしがった様子の鈴音さんが姿を現す。

 

「完璧です。やはりメイド服はロングスカート、証明完了」

 

 黒髪ととても似合う、いざこうしてメイド姿の鈴音さんを見ると髪が長かった頃の彼女にも是非メイド服を着て欲しいと思ってしまうな。

 

 黒髪ロングのメイド服……また彼女の髪が伸びたらお願いしてみよう。

 

「悪くはないな」

 

 メイド博士の清隆も納得の装いであったらしい、また教室の隅っこで腕を組んでそんなことを言っていた。

 

「だが表情は及第点だ。恥じらいがあるのは良いがまずは笑顔が必要だろう」

 

 百点満点かと思ったがメイド博士の清隆はなかなか厳しい。教室の隅っこで後方腕組勢となっている彼は一人でそんなことを言っている。

 

「可愛いですよ、凄く」

 

「そ、そうかしら?」

 

「あ、写真撮って良いですか?」

 

「それは駄目よ、恥ずかしいもの」

 

 メイド姿で恥じらっている鈴音さんはとても来るものがあった。この彼女を見れただけで全てに納得できるくらいの破壊力があるのは間違いない。

 

 私がメイド姿になることを受け入れたのは、鈴音さんもメイドになるからと期待したからである。彼女の場合は最悪なんで自分がと言いかねなかったからな。私が着るんだからという交渉材料を用意した次第である。

 

 こうしてメイド服を拝めたのだから何も言うまい、私はこの状況も化粧もフリルだらけのメイド服も全て受け入れようじゃないか。

 

「そう言わずに、記念に一枚だけお願いします」

 

「……」

 

 無言は肯定と受け取ってスマホを取り出すと、恥ずかしがっている鈴音さんを被写体として写真を撮っていく、それも連射機能をONにして。

 

 良い、凄く良い、今までの苦労やヒラヒラのフリルだらけのメイド服を着た屈辱も洗い流されていくかのような感覚である。この学校に来て良かったとさえ今は思っているほどだ。

 

「しかしこうやって見ると鈴音さんは燕尾服とかも似合いそうではありますね、ほら、キリッとしているから」

 

「そんなにせがまれても着ないわよ」

 

「もし……私が着るとしたらどうでしょうか?」

 

 そんな交渉に彼女はピクッと体を反応させる。

 

「……考えてあげなくもないわ」

 

 よしよし、言質は取れたな。楽しみにしておこう。

 

 もし来年にも文化祭があるとすれば、執事喫茶とかになるんだろうか? それはそれで面白そうなので悪くはない筈だ。

 

 そんな風に来年を楽しみにしていると、クラス全体の準備が完了したと松下さんが言ってくれた。飾り付けよし、装いよし、清掃よし、後はこのリハーサルでどれだけ問題点を洗い出せるかが重要になるだろう。

 

「では皆さん、リハーサルではありますが本番であると意識して挑みましょう。改善点、問題点、裏方表方問わずに、それぞれ見つけて当日に同じミスをしないように心掛けてください」

 

 作った師匠っぽい声と、師匠モードが合わさったことでより視線と注目を集めることができた。私の声を聞いたクラスメイトたちは思わず背筋をピンと伸ばしたほどである。

 

 程よい緊張感で満たされているのはいい傾向だ。リハーサルではあるけれどしっかり本番を意識しているらしい。

 

 そんなクラスメイトたちに微笑みかける、それを合図にしたかのように文化祭のリハーサルが始まる。

 

 

 よし、私はメイド、最高のメイド、最強のメイド……そうやって改めて自己暗示をかけてから、私は偵察に来るであろう他クラスの生徒たちを迎え入れるのだった。

 

 

 

 

 



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リハーサル 1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回行うのは文化祭当日のリハーサルである、間違っても本番ではない。あくまで予行演習であり問題点や疑問点などを探すことが重要となる。本番さながらに動きながらどこでミスをするのか、どういう場所でミスが起こりやすいのか、今の内に経験しておくことが大切だろう。

 

 だからこそのリハーサルである。そしてリハーサルなのでお客として来る相手は生徒ということになる。

 

 全学年で順位を競い合う以上は全てのクラスがライバルである。なのでどこでどんな出し物や店がなされていて、どのようなサービスがなされているのか偵察に来る訳だ。

 

 当然ながら俺たちのクラスも手の空いている者には偵察をお願いしている。お客として来る以上は出て行けとも言えないだろうから本番をシミュレートするには持って来いだろうな。

 

 リハーサルの開始を告げる校内放送が校舎に広がると、さっそくとばかりに偵察する生徒たちが姿を現す……しかしこうしてみると男子の姿が多いな。やはりメイド喫茶というインパクトは大きいということだろう。可愛らしい女子生徒が普段とは異なる姿をしているのだから一目見たいと思うのはとても自然なことであった。

 

 俺も彼らの立場なら同じことをしただろうから、メイド喫茶という出し物は悪くはないのかもしれない。

 

「お帰りなさいませご主人様」

 

 俺は来客した男子生徒たちに一礼をしてそう伝えてから微笑む。師匠モードの集中と能力の全てを使ってメイドを演じていく。

 

 そう、今の俺の任務はメイドとして振る舞うこと、真剣勝負の場である以上は一切の妥協はいらない。ならば俺は……いや、私は全力でメイドを遂行しよう。

 

 意識の全てを自己暗示でメイドと女性に切り替える。その状態で微笑むと来客した男子たちは途端に情けない顔をするのだった。

 

 デレデレと口元も緩めたり、後頭部を掻いたり、視線を右往左往させたりと忙しそうだ。出迎えた私を足から頭までじっくりと眺めて最終的に視線が合った段階で顔を赤くしてしまう。

 

 掴みは上々、悪い気分にはなっていない。やはりメイドという非日常は衝撃が大きいようだ。

 

「ご主人様、一番テーブルへどうぞ」

 

 教室の入口付近に立って客を出迎えてまず一撃叩き込むのが私の仕事、そうやって頭を揺らしている相手を速やかにテーブルに案内して女子チームがトドメを刺す流れである。戦争において一人がどれだけ頑張っても大きく結果は変わらないが、全体で連携すれば大きな影響を与えられるということだ。

 

「お飲み物はいかがされますか?」

 

 最初の一撃で頭を揺らしている男子たちを椅子に座らせると、すぐさまメイド姿の松下さんがメニュー表を渡す。まだまだ混乱している相手に高めの商品を勧めていた。

 

 よし良いぞ、相手は混乱している。今なら財布の紐だって緩い。しっかりポイントを落として貰うんだ。

 

「ねぇご主人様ぁ、私これを頼んで欲しいなぁ」

 

 そして佐藤さんが追い打ちをかけるように猫撫で声で一番高い珈琲とケーキセットをねだる……その感じだとメイド喫茶と言うよりはちょっと大人な店みたいに思えるので後で指導が必要かもしれない。今日が本番じゃなくて良かったかもしれないな。

 

「チェキ会もありますよ」

 

 何も長く稼ぎたい訳でもない、この一回限りの商売ならば多少はがめつく貪欲に動いても問題はないとはマネージャーである清隆の言葉である。法外な値段は論外ではあるが強気な姿勢も崩しはしない。

 

 初手で脳を揺らされ、女子チームに追い打ちをかけられて断ることも出来ないまま写真撮影をした男子生徒は、最後までどこか夢現なまま店を退店するのだった。

 

 良い流れである。問題なのは文化祭当日に来るであろう酸いも甘いも知り尽くした大人たちに通じるか否かである。耐性のない男子生徒だからいい鴨にできたが大人が相手だと難しいかもしれないな。その辺はリハーサルが終わった後にクラスで相談である。

 

 ただ感触は悪くない。偵察に来る生徒の多くがもてなされた後はデレデレした表情で教室を出て行くからだ。そんな彼らをまた笑顔で送り出すと好印象を残せるのだから幾らでも微笑んであげよう。

 

 笑顔一つで強い好印象を残せるのならば安いものである。そう考えるとなんだか私が悪女みたいだ。

 

「フフフ、ここがBクラスの出し物ですか……メイド喫茶、奇をてらったと言うべきか、それとも王道と言うべきか迷いますが、まずは偵察ですね」

 

「へぇ、意外と衣装とか凝ってんのね」

 

 幾人かの生徒を捌いていると、初めて女子生徒のお客さんが偵察にやってくる。杖を突く音と共に神室さんを引き連れて坂柳さんがメイド喫茶へ来店するのだった。

 

 女性から見た評価や反応なども知りたかったので都合が良い、当日来る来賓は男ばかりじゃないだろうからな。

 

「お帰りなさいませお嬢様」

 

 そんな二人を前にまずはジャブを叩きこむ、微笑みと共に一礼をするのだがやはり男子とは異なる反応を見せてくれるのだった。

 

「ほう、これはなかなか」

 

「は? 何コイツ可愛い……」

 

 坂柳さんはどこか興味深そうにこちらを観察して、神室さんは思わずと言った感じでそんなことを口走る。

 

「あれ、笹凪のクラスにこんな女子っていたっけ?」

 

「お嬢様お二人をご案内しま~す」

 

 神室さんは疑問に思いながらも確信には至っていないようなのでさっさとテーブルへ案内するとしよう。今更バレた所で大した問題はないし時間の問題だけど、少しくらいは抵抗したい気も残っている。

 

 坂柳さんと神室さんがメイド喫茶に入るとクラスメイトたちに緊張が走った。ライバルクラスのボスが直接偵察に来たのだから当然だろう。それでもしっかりと笑顔で迎え入れて対応するのだから立派である。

 

「こちらメニューになります」

 

「ふむ、ではダージリンとケーキセットを」

 

「高くないこれ? どうせインスタントとコンビニケーキでしょ」

 

「真澄さん、お祭り価格と言うものですよ」

 

 坂柳さんがお祭り価格という言葉を知っていることに私はとても驚いた。そんな庶民的な感覚を持ち合わせていたことも。

 

「文化祭という時間、そして実際に支払うのはポイントと考えればこれくらい強気の値段設定でも問題はないでしょう。それもここはメイド喫茶、撮影会などもできるようですから提供するのは良質な商品よりも非日常な時間がメインなのかもしれません」

 

「そういうもん?」

 

「えぇ、それによく観察してください。一見すると奇抜な出し物に見えるかもしれませんが、衣装は凝っていますし、メイクや佇まいはしっかりと洗練されています。誰かが人にどう見られるかを意識して調整したのでしょう、下品にならないラインをしっかりと見極めて清潔感を演出しているようですよ」

 

 坂柳さんと神室さんの会話に耳を立てていると、思っていた以上に好感触な印象を持っているらしいことがわかる。

 

「なかなか悪くありません、これは強敵になるでしょうね」

 

「ふぅん」

 

 興味無さそうに返事をする神室さんはメニュー表から視線を上げて店内を見渡した。そしてどうした訳か教室の入口付近で最初の一撃を叩きこむ役目のある私を見つめてくる。

 

「ところでさ、あんな女子いたっけ?」

 

「あぁ、それは私も気になっていました」

 

「……エロ」

 

「真澄さん?」

 

「あ、いや、なんでもない……誰なのアレ?」

 

「Bクラスの生徒なのでしょうが見覚えがありませんね、ですが女性と言うのはお化粧や装いで幾らでも印象が変わるものですよ。それにあの様子だとかつらを被っているようですから、普段とは大きく異なる印象を与える相手なのでしょう」

 

「ふぅん、あんまり目立たない地味な奴がイメチェンしたってことか……それにしたって変わり過ぎだと思うけど」

 

「意外な伏兵となるやもしれませんね、上手く広告塔として使えれば集客にも繋がるでしょうから」

 

「このクラスの切り札ってことね」

 

「えぇ。しかし私は全校生徒の顔や能力を把握していますがその誰とも一致しません。つまり私の認識の外にいる戦力であり駒であるということ……大変興味深い」

 

 そんな考察をしている二人は、商品の載ったトレイを受け取った私に視線を向けて来る……私がいかないとダメなんだよねこれ。

 

 仕方がないので注文された飲み物とケーキセットを持って行く。当たり前のことだけど二人と距離が近くなるのでまじまじと見つめられることになるのだった。

 

「こちらお飲み物とケーキセットになります」

 

「ありがとうございます。ところで、貴女は見慣れない女子生徒のようですが、どうやら普段はあまり目立たない装いをしているようですね」

 

 美しい宝石のような坂柳さんの瞳が私を見つめて来る。鬼龍院先輩同様にどこか師匠を連想させる瞳だと改めて思う。

 

「なるほど、普段は敢えて存在感を消して行動しており、牙を隠していたと……そして自分の価値を最も示せる環境が来たことで今まで研いでいた武器を抜いたと言った所でしょうか」

 

 うん、勘違いしているな。私は清隆じゃないんだから別に普段から力を隠していたりはしない。

 

「なかなか徹底しているようですね。事実、今まで私は貴女のことを歯牙にもかけなかった……ですがこの局面に来てその存在感、また一人強敵が現れたようですね」

 

 フフフと不敵な笑みを浮かべる坂柳さんは、面白い獲物を見つけたかのようである。

 

「貴女を強敵と認めてお名前を聞いておきましょうか」

 

 さてどうしたものだろうかと悩む、偽名を名乗った所で意味はないし、一時的に誤魔化せた所で問題にしかならないだろう……悩んだ所でどうにもならないので素直に伝えるしかなかった。

 

「笹凪天武と申します」

 

「うん? どうしてそこで天武くんの名前が出て来るのでしょうか?」

 

 本当に訳がわからないと首を傾ける坂柳さん、そこで俺は体育祭の意趣返しというか、ちょっとした悪戯心が生まれたので揶揄うことにする。

 

 もしかしたらメイド姿になったことで知らず知らずの内にストレスが溜まっていたのかもしれない。

 

「まぁまずはお茶をどうぞ、とても美味しいですよ」

 

 坂柳さんはテーブルの上に置かれたティーカップに視線をやると、とりあえず喉を潤すことをしたらしい。勧められるままカップを持って上品な仕草でそれを口に運ぶ、こちらの狙い通りに。

 

「改めまして自己紹介を、笹凪天武です。芸名は天子となっております」

 

 その瞬間に私はかつらを外して本当の姿を坂柳さんたちの前に晒しだす。

 

 

「ごふッ!?」

 

 

 こちらの狙い通り坂柳さんは強い衝撃を受けて飲もうとしていたお茶を吹き出すのだった。普段の不敵な表情や雰囲気はどこかに吹き飛んで、物凄く動揺しているのはちょっと面白い。

 

「うッ、ごほッ、ごほッ」

 

「ちょっと、大丈夫?」

 

 あまりにも激しく咳き込む様子に神室さんが慌てて背中を摩りだした。

 

「も、問題ありません……えぇ、何一つとして。フ、フフッ……まさかこのような形で奇襲を仕掛けて来るとは、流石は天武くんと言っておきましょうか」

 

 ハンカチで口元を拭って隠しながら坂柳さんはそんなことを言ってくる。意地でも余裕の態度は崩すまいと努力しているのかもしれないな。

 

「し、しかしその装いは……なんと言いますか」

 

「あはは、坂柳さんがそこまで驚いてくれるなら大成功ってことなのかもしれないね」

 

 外していたかつらを再び被ると、その瞬間に師匠モードに移行して意識も切り替えていく。愛里さん曰く天才的な役者のような雰囲気の変化らしいので、それを証明するかのように二人は驚いた顔をしてくれる。

 

「どうでしょうか? 我ながら似合っていると思うんですけど」

 

「「……」」

 

 神室さんも坂柳さんも無言である。私が俺であることを認識した上で改めて観察したことで脳がエラーを吐き出しているのかもしれない。

 

 そこにあると思っていた階段を踏み外したような、あると思っていた物が無かったような、決定的な何かがズレてしまったかのように混乱しているようである。

 

 絶句して思考停止するのは坂柳さんにしては珍しい、それほど衝撃的であったということだろうか。

 

 せっかくなのでその場でクルッと回って天子を見せつけておこう。最高の微笑みと共にだ。

 

「ぐッ」

 

「うッ」

 

 すると坂柳さんも神室さんも見えないボディブローを食らったかのように体をくの字に曲げてしまう。桔梗さんも波瑠加さんも似たようなことになっていたけれど、そこまで破壊力のある姿をしているということだろうか。

 

 なんであれこの二人がこんな感じになっているのは新鮮で面白い。なかなか見れるものでもないのでメイド姿になって良かったのかもしれない。

 

 いつもは余裕タップリの坂柳さんも、ツンとした神室さんも天子の前では動揺が激しい、これはこれで戦略的な行動であると言えるのかもな。

 

 予期せぬ形で奇襲を受けて動揺しているのだ、あの坂柳さんがだ。冷静になる前に畳みかけるべきだろうか?

 

 そんなことを考えていると、教室の入口付近がザワついたことに気が付く。

 

 

「ククク、ここがゴリラの店か、少しは楽しませてくれそうじゃねえか」

 

 

 来たな龍園、相変わらず邪悪な笑みをしているじゃないか。

 

 今現在の私は最高で最強のメイドなのでしっかりと接客してあげようじゃないか。

 

 

 



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リハーサル 2

 

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませご主人様」

 

 店に入って来たお客様にはまずジャブを食らわして思考を奪う。師匠モードになった私は全身全霊の微笑みで龍園たちを出迎えるのであった。

 

 龍園を中心に石崎と山田、いつもの三人は俺を見て三者三様の反応を見せる。

 

「やっべ可愛いッ」

 

 石崎はわかりやすいな、肩を揺らしていかにも苛立ってますといった感じだったのに、私を見た瞬間に鼻の下を伸ばしてだらしない顔となった。チョロいので彼はなんの問題もない。

 

「Beautiful」

 

 山田は素直な男である。紳士的にこちらを褒めて来る。まぁこちらも想像通りの反応であった。

 

 問題なのは邪悪な笑みがよく似合うこの学校で一番の曲者である龍園だろう。彼だけはこちらを見た時の反応が読めないからね。さてどうなるだろうか観察してみると、龍園は眉間に皺を寄せてとても難しそうな顔をしているのが見える。

 

「なん、だと? いや、まさか……あれは夢の中の話であって」

 

「こちらのテーブルへどうぞ」

 

 私を見た後に驚いて何やらブツブツと呟いている龍園とデレデレしている石崎と山田を空いているテーブルへと案内して椅子に座らせてメニュー表を渡しておく。おそらく偵察に来たんだろうけど、彼らとの協力関係は体育祭以降も一応は続いているので強くは出れない。

 

 龍園クラスはこちらに対抗するように和装喫茶とのことらしいが、上手いこと対立関係を作って広告と宣伝に繋げられればと思っているので、わざわざリハーサルの日に馬鹿らしい嫌がらせはしないだろう。

 

 つまりこの三人は純粋に偵察に来た訳だ。或いは噂に聞くメイドを見に来たのかもしれない。

 

「ま、真澄さん、今の内に撤退します。覚悟無しに足を踏み入れていい場所ではないようです」

 

「そ、そうね」

 

 龍園たちを席に案内すると坂柳さんと神室さんがそさくさと退店しようとしているのが見えた。今すぐこの蟻地獄から抜け出したいという思いがあったのだろうか。

 

 杖を突く坂柳さんに寄り添って神室さんはメイド喫茶を出て行く、しかし扉の前で振り返って戦慄した表情でこちらを見つめてきたので、とびっきりの微笑みを返しておいた。

 

「くッ」

 

「見てはいけませんよ真澄さん、心臓を掴まれてしまいます」

 

 そんな会話をしながら坂柳さんと神室さんはメイド喫茶を去っていく。フラフラしながらだ。ただメイドとして歓待しただけなのに彼女たちはボロボロな様子なのは少し不思議である。

 

 まぁ彼女たちはあれでいいか、とりあえず龍園たちをしっかりと持て成すとしようか。

 

「ご注文はお決まりですか?」

 

「あ、あのよ、このメニュー表にあるスマイル0ポイントって奴なんだけどよ」

 

「はい、スマイルですね……にこ~」

 

「か、可愛い」

 

「one、more、please」

 

「にこ~」

 

 石崎と山田の注文に素直に答えてとびっきりの笑顔を見せつけると、彼らは深く考えることもなく鼻の下を伸ばす。見慣れない女子生徒がいるとか、こいつは誰だとか一切考えずにメイドに夢中になっているのはかなり間抜けだと思う。

 

「いや、ありえねぇ……絶対にありえねえ、誰かそうだと言ってくれ」

 

 さて龍園はどうだろうかと流し目で確認してみると、相変わらず頭を抱えながらブツブツと呟いている……これはこれで珍しい反応なのは間違いないので新鮮ではあった。

 

 しかし勇んで乗り込んで来たというのにこの有様とは、何が彼をここまで追い詰めているんだろう。

 

 石崎と山田はなんだかんだで楽しんでいるのに、親玉の龍園だけは何もしていないのに溺れ苦しんでいるかのような有様である。

 

「ご主人様、注文は何にされますか?」

 

「……コーヒーを三つだ」

 

「ご一緒にケーキセットもいかがですか?」

 

 頭を抱えた状態で注文してくる龍園は、こちらに少しだけ視線を向けて来る。彼にしては非常に珍しくその瞳には恐怖が宿っているのが見えてしまう。

 

 自分の理解を超えた何かを見た時のように、底知れない深海を俯瞰したかのように、或いは宇宙的な恐怖を感じ取って精神がガリガリと削られているかのような瞳である……流石にちょっと失礼ではなかろうか。こんなに可愛いのに。

 

「男性におススメなのは抹茶ケーキですよ、甘いのが苦手な方でもお口に合うかと」

 

「なら、そいつも頼む……」

 

 最終的に宇宙に放り出された猫みたいな顔になった龍園は、特に抵抗することなくケーキを注文してくれた。

 

「コーヒー三つと抹茶ケーキの注文承りました」

 

 厨房にそう伝えるとそっちを担当しているクラスメイトが応じてくれる。彼女たちは私を見てもそこまで宇宙的な恐怖を感じていないように思えるのだが、龍園との違いはなんなんだろうね。

 

「いやぁ、メイド喫茶って初めて来ましたけど、意外と悪くないもんですね。龍園さんもそう思いませんか?」

 

「……」

 

「龍園さん? どうして宇宙に放り出された猫みたいな顔になってるんですか?」

 

「……」

 

 石崎と会話する余裕もないのか、龍園は再び頭を抱えてしまっていた。

 

 そんな彼らを観察しながら厨房から抹茶ケーキとコーヒーを三人分受け取ってトレイの上に載せる。神室さんの言う通りインスタントとお取り寄せケーキなので出すだけならばそこまで手間もかからない。この辺は回転率を意識すると悪くない感じかもしれないな。

 

「お待たせしました、こちらコーヒーと抹茶ケーキになります」

 

 私が三人が座っているテーブルに近づいて商品を提供すると、龍園は露骨にビクッと体を震わせてしまう。どうして彼はここまで私を恐れているのだろうか。

 

「なぁ、この写真撮影とかも頼めるんだよな?」

 

「はい、勿論です、別途料金は頂くことになりますが」

 

「そんな高いもんでもないからよ、お願いしたいんだが」

 

「わぁ、ありがとうございます!! チェキ会入りました~!!」

 

 チョロいな石崎、彼からなら幾らでもポイントを毟り取れそうなくらいの手ごたえがある。

 

「松下さん、撮影役お願いしますね」

 

「了解~」

 

 近くのテーブルに商品を運んでいた松下さんにカメラを渡して撮影をお願いしてから、石崎と一緒に写真撮影へ移行していく。

 

「あ、石崎さん、ネクタイ曲がってますよ」

 

「やっべ……滅茶苦茶良い匂いがする」

 

 撮影前に身だしなみを整えるのだが、石崎はちょっと制服を着崩していたのでネクタイを締めてあげる。すると自然と距離が縮まるので石崎は更にだらしない顔になってしまう。

 

 鼻孔をフガフガと鳴らしながらそんなことを言ってくる。特別なシャンプーやリンスを使っている訳でもないんだけど、彼的にはとても良い匂いに感じたらしい。

 

「それじゃ撮るよ~、はいチーズ」

 

 カメラを持った松下さんが合図を送ると、私と石崎は隣り合ってしっかりと笑顔で写真を撮るのだった。最後の最後まで彼はニヤつきを隠せないでいるな。

 

 

「なんなんだこれは……ここが地獄か?」

 

 

 龍園は相変わらず頭を抱えているし、山田は次は俺だとばかりに写真撮影を注文している。

 

 普段あれだけやりたい放題している三人ではあるが、可愛いメイドを前にするとこんなもんである。チョロくて助かるよ本当に。

 

「天子さん、次も撮るよ、はいチーズッ」

 

 今度は山田との撮影である。ニッコリと笑いながら密着して最高の笑顔で記録を残す。

 

 普段寡黙で主張の少ない山田もこれには笑顔を見せている。紳士な男ではあるがやはり可愛らしい女子との撮影は思わず唇が緩むらしいな。

 

「……この世の終わりじゃねえか」

 

 いつまでたっても頭を抱えてばかりの龍園は、とにかく己自身を落ち着かせようと必死になっているようにも見える。

 

 それでもこのままではいけないとでも思ったのか、何度か深呼吸を繰り返した後、目の前に置かれたコーヒーカップを持ち上げて味わっていく。

 

 だがカップを持つ手は恐怖で震えており、注がれたコーヒーはボタボタと零れてしまっていた。何があそこまで彼を怯えさせるのだろうか、私たちはただ写真撮影をしているだけなのに。

 

 デレデレと表情を緩ませる石崎と山田は使い物にならないと判断したのか何かを言って来ることもなく。龍園はただただ震える体を落ち着かせることに集中しているらしい。

 

「ご主人様、さっきから震えてますけど、どうかしましたか?」

 

「おい止めろ、絡んでくるんじゃねえ」

 

「え~、そんなこと言わないでください、寂しくなっちゃいますよ」

 

「……」

 

 龍園が震える手を押さえつけて強引に飲もうとしたコーヒーが、彼の口から魂的な何かと一緒に零れ落ちてしまう。それを何とか強引に押し戻すと、大量の冷や汗を流しながら席を立とうとするので慌てて袖を掴んで押し留める。

 

 なに逃げようとしてんだ、私がこんなに恥をかいてるんだからその分もっとポイント置いてけよ。

 

「龍園くんも、写真撮影どうですか? ここでしか経験できないことですよ」

 

「……」

 

「なんと今なら、ラミネート加工もできちゃったりします。これは一生の思い出になりますね」

 

 彼はチラッと視線を自分の手下へと向ける。私と撮った写真を見てそれはもう満足そうな顔をしているので、是非とも同じ経験をしてもらいたいのだ。

 

「君だって本当は可愛いメイドさんとニコニコしながら写真撮影したい筈です。恥ずかしがらなくてもいいんですよ、こんな時まで斜に構えてカッコつけなくてもね。あ、そうだ、せっかくですからこの美味しくなるおまじないもどうですか? とってもおススメなんですよ」

 

「おまじない? それってどういうものなんだ?」

 

 私を見て宇宙猫みたいな顔になっている龍園よりも、石崎の方が食いつきが強い。どうやら彼は私を俺だとは気が付いていないようで、ずっと鼻の下を伸ばしているのだ。

 

「あれですよ、あれ、ほら美味しくな~れって奴」

 

「あぁアレな、それもやってくれるのかよ」

 

 とても興奮した様子の石崎に、メニュー表の一角を指し示す。

 

「特製のオムレツを頼んでくれるのなら、その時にでも」

 

「是非お願いします!!」

 

 石崎は本当にチョロくて助かる。ちょっと将来が心配になるくらいに単純であった。文化祭当日もこんな客ばかりなら本当に楽できるんだけどね。

 

「オムレツ入りました~」

 

 ただ提供するのは本格的な物ではない。そもそも調理免許だったり資格を持っていない私たち生徒が提供できる商品は少ない。変に手作りに拘った結果、材料費が高くなったり食中毒になったりすれば問題なので、このオムレツも冷凍した物をレンジで温めるだけである。

 

 これで良い、下手に手製にすれば料金面でも衛生面でも問題が生まれるからな。そんな訳で温めてケチャップで「カッコいい石崎くんへ」と書き込めば完璧である……彼は単純だからな。

 

「お待たせしました、オムレツでございます」

 

 レンジで温めてケチャップで落書きしただけのそれを石崎の前に置くと、彼はとても期待した瞳で私を見てくる。

 

 仕方がない、やると決めたからには全力である。勝利とは己の全てを総動員して勝ち取るものなのだから、ここで変な躊躇とかはいらない。

 

 だから私は自己暗示でとびっきり可愛らしいメイドであると思い込みながら、全身全霊でおもじないをするのだった。

 

 

「オムレツさん、美味しくな~れ、キュンッ!!」

 

 

 両手でハートを作って愛情を送り込む、これを恥ずかしいと思う私はもう死んでいるらしい。

 

「好きですッ!!」

 

「YES!!」

 

「……おぇッ!!」

 

 反応は正反対に分かれた。石崎と山田はもう天子の魅力にメロメロになっているのだが、龍園はこの世の醜悪の全てを垣間見たかのように気分を悪くしているらしい。

 

 幸せそうにオムレツを平らげる石崎を、龍園は道に転がって飛ぶこともできない哀れな小鳥でも見るかのような視線で見ている……君は本当に失礼な男だな。

 

「げ、限界だ……帰るぞ、アルベルト、石崎、覚悟もなく踏み入るべきじゃなかった」

 

 酷い言いようである。私は勝つ為に全力でメイドを遂行しているだけなのに。

 

「そ、そんな、龍園さんもうちょっとだけ楽しみましょうよ、俺はもっと写真を撮ったりラブラブキュンキュンしたいッス」

 

「……」

 

 残念だったな龍園、石崎も山田も既に落としているんだ。君の味方はもう一人もいない。

 

 そして親玉の龍園でさえ既に満身創痍といった状態である。勇んでメイド喫茶に来たというのに特に騒いだり妨害したりといったことはせず、ただここにいるだけで精神的に参ってしまっているらしい。

 

 冷や汗をかいて気分が悪そうにしている龍園は、こちらにメロメロになっている石崎と山田の頬を結構な勢いで引っぱたいて正気に戻してしまう。

 

「帰るぞ馬鹿共」

 

「あ、あれ、俺たちは一体何を?」

 

「……OH」

 

 フラフラとした足取りで三人はメイド喫茶を出て行こうとするのだった。しかし扉に手をかけた瞬間に龍園はこちらに振り返って真っすぐ見つめて来る。

 

 その瞳にあるのは純度の高い恐怖である。まるで宇宙的な恐怖に触れたかのように精神的な負担とストレスが多いかのようにも見えてしまう。

 

 彼が何を見てどう思ったのかはわからないが、間違いなくそこには恐怖の発露があった。

 

 

「そうか……宇宙は空にあったってことか」

 

 

 最後の最後まで精神を削られながら、龍園たちは去っていく……お前、こんなに可愛いメイドを見てそんなこと言うとか本当に失礼だな。

 

 素直にメロメロになっておけよ、そんな宇宙的な恐怖を感じた猫みたいな顔になるのは止めたまえ。

 

 妨害や偵察に来たかと思えば特に何かするでもなく退散する龍園たち、本当に何をしに来たんだ彼らは。

 

 まぁ大きな騒ぎを起こさず退散させることができたのはヨシとしようか、彼らとはこの文化祭でもちょっとした協力関係があるのでそこまで派手なことはしないだろうとわかってはいたが。

 

 それでもライバル関係であることは変わらないので、難癖付けて来ても不思議ではなかったのだが、天子のあまりの可愛らしさにあの龍園ですら冷静にはなれなかった。

 

 これはつまり大抵の客を魅了できるということである……この勝負勝ったな。

 

 さてこのまま接客業の経験値を高めて本番に挑むとしよう、天子にあと必要なものがあるとすれば経験だ、それが満たされれば古今独歩のメイドになるに違いない。

 

 誰でも来い、全てを平らげて経験値に変えてやる。そんな風に意気込んで再び教室の入口で待機していると、無遠慮に扉が開いて新しい客が入って来るのだった。

 

 

「ふッ、ここが笹凪のクラスがやってる店か、多少は凝ってるようだから期待しておいてやるぜ」

 

 

 次に現れたのは南雲先輩であった。この人まだ怪我が治り切っていないのにわざわざ様子見に来たのか、生徒会も辞めて文化祭の出し物にもノータッチって話だから、もしかして暇なのだろうか?

 

 

 

 



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リハーサル 3

 

 

 

 

 

 

 教室に入って来た南雲先輩はまず周囲を観察する。色々とアレな人だけどその観察眼は確かなのか隅々まで眺めており、客観的な評価や問題点、或いは評価点などを調べているのだろう。

 

 腕と足はまだギプスが巻かれており松葉杖を突きながらワザワザ来る辺り、本当に暇なのかそれともそれだけこちらを警戒しているのか、どちらであってもこうしてここに来たのだから意識はしている筈だ。

 

 彼の瞳は注意深くメイド喫茶の中を観察していき、最終的には私に引っ張られるように視線が固定させる。

 

「お帰りなさいませご主人様」

 

「……ほう」

 

 ねっとりとした視線には興味と熱が混ざっており、女性はこういう視線には敏感なんだということを身を持って理解するのだった。

 

「南雲先輩、テーブルにご案内しますね」

 

「へぇ、俺のことを知ってるのか」

 

「はい、それは勿論です。この学校では有名人ですから」

 

「まぁな」

 

 ちょっと褒めると機嫌が良くなるのでこの人もチョロいんだろうな。それともここ最近の状況に鬱憤が溜まっていたので認められることに飢えていたのかもしれない。

 

「こちらメニューになります」

 

「あぁ、ありがとう、とても助かるよ君は気が利く子のようだね」

 

 後、なんだろうな、普段俺に絡んで来る時はもっと気持ちが悪い感じなのに、今は好青年っぽさを演出しようとしているようにも見える。

 

 あれだ、ちょっと前に帆波さんと接している時のような雰囲気がある。頼れる先輩風を吹かしながらお茶目な感じを作っており、女子受けが良さそうなイケメンって評価になるんだろうな。

 

 なるほど、南雲先輩はとりあえず初見の女子とはこのように接して距離感を測るのか、良いか悪いかは置いておいてやっぱりコミュニケーション能力が高い人ってことだ。

 

 普段はあんなに面倒なストーカー気質を全開にしながら面倒な絡み方をしてくるお世辞にも真っ当な人じゃないけど、今は正統派のイケメンとなっている。やはりこういう感じの方が女性にはモテるんだろうか?

 

 白い歯をキラッと輝かせて南雲先輩はメニューを眺める、その微笑みと横顔はなるほどと納得させる位には爽やかな好青年と思えてしまう……中身はストーカーだけど。

 

「君のおススメは何かな?」

 

「それでしたらこちらのケーキセットとなっております。あ、でも甘い物が苦手なら抹茶ケーキとかもおススメですよ」

 

「なるほどね、ならそれとコーヒーを頼もうかな……ところで、君の名前はなんだったかな? 全校生徒のことはある程度把握していたつもりなんだけど、こんなに可愛い子がいたなんて知らなくてね」

 

「あ、それは、その、普段はこんな格好はしていないので」

 

「あぁやっぱりそうなのか、道理でね」

 

「せっかくの文化祭なのでクラスに貢献できたらと思って、勇気を出してイメチェンしてみたんです」

 

「なるほど、それでこんなに可愛い子に出会えたんだから、俺としては嬉しい限りだよ」

 

 また南雲先輩は白い歯をキラッと輝かせるような爽やかスマイルを見せつけてウインクをして来る。この人の内面を知らない人が見ればとても爽やかな好青年に見えるんだろうな。

 

 注文されたコーヒーとケーキを厨房から受け取る為に一旦テーブルから離れるのだが、その間にも私の臀部辺りを舐めまわすような視線を感じ取ったので思わず背筋が震えてしまった。

 

 今この瞬間程、厨房が手間取ってくれと願ったことはない。接客業でそれは最悪の願いではあるんだろうけど、あのねっとりとした視線はどうにもなれなかった。いや、多分だけど普段が普段なだけに私の視界や思考に変なバイアスというかフィルターみたいなものがかかって南雲先輩を余計に変な目で見てしまうんだろうな。

 

 接客業で客と距離を取りたいなんて考えるのは失礼なので改めなければならない。これもまた経験値となるということだ。

 

「お待たせしました、コーヒーとケーキになります」

 

「ありがとう。そうだ、君の名前を教えてくれないかな?」

 

「天子と申します」

 

「ふぅん、可愛らしい名前だね」

 

「ふふ、そうですか?」

 

「あぁ、とても似合ってるよ。可愛らしい響きがね」

 

 本当にそう思っているのだろうか? とりあえず女子は褒めとけとか思ってそうだけどな。

 

「南雲先輩の名前もよく似合っていると思いますよ、爽やかな感じが」

 

「おいおいあまり褒めないでくれよ、調子に乗ってしまうからね」

 

 誰だアンタ、もっとヘドロみたいな執着に塗れた人だろうが、なんで謙虚に振る舞ってるんだよ。

 

 爽やかな南雲先輩とかそれはもう南雲先輩じゃない、草葉の陰で涎を垂らしながら獲物を前に舌なめずりしてこそこの人らしい振る舞いだろうに。

 

「そうだ、君は俺のことをどれくらい知っているんだい?」

 

「南雲先輩のことをですか……そうですねぇ、この学校の生徒会長で、色々な試験やイベントを考えてくれる楽しい人、でしょうか」

 

「お、そんな風に思ってくれているのなら嬉しいね」

 

 やたらと爽やかな笑顔を何度も見せつけて来る、とてもイラッとするけどそれは俺の認知が歪んでいるからなんだろうな。普通の女子から見ればうっとりする顔なのかもしれない。

 

「夏休みのレクリエーションとかとても楽しかったですよ。去年はああいうのが無かったので余計にそう思いました」

 

 堀北先輩は良くも悪くも堅物だったからな、それが悪いとは言わないけれど、柔軟な発想を実際に形にする南雲先輩はその点がとても面白い。

 

 本当に、そういった方面に感情や執着を全振りしてくれれば素直に凄い人だと思えるんだけど、本質がストーカーだから全部を台無しにしてしまっているのが残念である。

 

「無人島の試験も複雑でしたけど楽しかったです、あれも南雲先輩が考えたんですよね?」

 

「まぁな、全部が全部じゃないが、俺の意見もある程度は反映されている」

 

 褒められて機嫌が良さそうだ。このまま煽てて色々注文させてみようかな。ポイントを惜しむような人でもないだろうし、こういったノウハウを積み上げることは本番でも良い結果を生み出す筈だ。

 

「凄いですね、生徒会長として活動するだけでなく色々な試験やイベントを考えられて、私尊敬しちゃいます」

 

 これは嘘じゃない、私の本音である。

 

 だけどそれら全てを台無しにしてしまうのが南雲先輩であるというだけだ。

 

「ふッ、そう言われると少し気恥ずかしいな、俺はこの学校の生徒会長として当然のことをしているだけなんだから」

 

 本当に誰だアンタ、ハニカミながら謙遜するのは止めろ。

 

「あ、そうだ南雲先輩、こちらの写真撮影とかどうですか?」

 

「ほう、メイドと写真撮影か、しっかりポイントを持って行く辺りちゃんと商売をしているんだな」

 

「はい、それは勿論」

 

「いいぜ、君に出会えたことを記念に、一緒に撮影するか」

 

 こういうセリフを躊躇なく言えるのはこの人の長所だと思う。

 

「それじゃあこちらで撮影しますね」

 

 教室の一角に作られている撮影場所に移動する。南雲先輩は怪我が完治しておらず松葉杖を突いているので傍らに寄り添うようにだ。するとこの人は距離が近くなったことに気分を良くしたのかまた微笑む。

 

「それじゃあここに立ってください」

 

 クラスメイトに撮影役をお願いしてから南雲先輩と並んで立つ。すると彼は寄り添っていることを良いことに私の腰を引き寄せるように密着してくるのだった。とても自然なボディタッチであるとても慣れているようにも思える。

 

「もう、南雲先輩、ダメですよ」

 

「おっと、悪いな。怪我してるから支えが必要でね」

 

 腰に手を回して密着しておきながら悪びれた様子もない。それどころか爽やかな笑顔で断りを入れて来るほどである。一般的な女子はこんな悪戯っ子みたいな無邪気な顔をされるとつい許してしまうものなのだろうか?

 

 いや、あれか、イケメンだからこそ許されるという奴なのかもしれない。この人は自分の容姿に絶対の自信を持っているようだし、能力や実績や雰囲気を客観的に見て魅力という物を最大限理解しているのだろう。

 

 まず女子との距離感を測り、ここまでならば怒られないという行為を観察することに長けており、女子と仲良くなっていくということなのかな。

 

 ナンパ師の才能があるということか、相手に不愉快に思われない絶妙な対応や距離感をしっかりと把握しているのは素直に凄いと思う。大抵の女子はこのイケメンっぷりと爽やかさと悪戯っ子な側面を上手くブレンドした雰囲気についつい気を許してしまうという訳だ。

 

 そしてこうして腰に手を伸ばして引き寄せて来たということは、南雲先輩から見ればここまでやっても怒られない女子と認識されているということである。どうやら私はチョロい女子と思われているらしい。

 

 まぁ実際にその評価は間違いではない、これくらいで怒ったりはしないのだから。

 

「それじゃあ撮りますよ、はいチーズ」

 

 密着した状態で南雲先輩と私は満面の笑みで写真を撮った。これでポイントも貰えるしノルマも達成したことになるので私としてはホクホク顔になるのだった。

 

「ありがとうございます南雲先輩、おかげでノルマが達成できました」

 

「どういたしまして……しかしノルマか、色々と厳しいみたいだな」

 

「はい、でも文化祭で結果を残したいので頑張ってるんです」

 

「良い事だ、勤勉な姿勢は評価しよう」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 テーブルに戻って椅子に南雲先輩を座らせる。いつのまにか私が松葉杖の代わりみたいになっており、その時も南雲先輩は腰にがっつり手を伸ばしていたのだけれど、まぁ怪我人なので許そう。別に腰に触れられることは怒るようなことでもないからな。

 

「それじゃあごゆっくり」

 

「おっと待ってくれ、せっかくだからもう少し話しておこうぜ」

 

「えぇ~、でも他のお客様の対応もしなければなりませんから」

 

「そう言うなよ、なぁに、ちゃんと売り上げには貢献してやるさ」

 

「追加のケーキセット入りま~す」

 

 言質は取れたので一番高い商品を注文するとしよう、この人に関しては懐事情とか考慮する必要がないからな。

 

「君の分もある、一緒に食べよう」

 

 ここはキャバクラじゃありません……まぁ良いか、放置してまたストーカーになられても困るし。

 

 そんな訳で俺は南雲先輩の隣に腰かけることになった。しかしその瞬間に憂いタップリの溜息が聞こえて来るのだった。

 

 こんなに可愛いメイドが隣に座って溜息とはどういう了見だと視線を向けてみると、南雲先輩はなんだか憂い顔をして黄昏ているのが見える。

 

「どうなされたんですか?」

 

 そう言って欲しそうだったので要望通りにしておこう。

 

 すると南雲先輩はまた小さく憂い交じりの溜息を吐く、視線は少し下げられてテーブルの上をなぞっており、なんというか落ち込んだ青年と言った感じの雰囲気を全開にしてくるのだった。

 

「いやな、ここ最近上手くいかないことも多いと思ってな」

 

 まぁこの発言は嘘ではないんだろう、実際に無人島以降は上手く行ってなかった筈だろうしな。

 

 ただこの場でほぼ初対面の天子にそんな話をする必要はどこにもない、この憂い交じりの横顔もきっと計算してやってるんだろうなと何となく察してしまう。

 

 これが普通の女子相手だとイケメンの憂い顔ということで胸をトキめかせたり、キュンとしたりするんだろうか?

 

 きっとするんだろうな、そして南雲先輩はそういう所を計算してこんな顔をしている訳である。

 

「大丈夫です、南雲先輩が凄いことは皆知っていますよ」

 

 これも嘘ではない、方向性と執着がアレ過ぎるだけで優秀な人という評価は確かにあるのだから。

 

「君もそう思ってくれるか?」

 

「はい勿論です、きっとこの学校には南雲先輩にしかできないことがありますよ」

 

 これまたそう言って欲しそうだったので期待に応えるように言葉にしておく。すると南雲先輩は僅かに瞼を開いて感心した様子を見せてくる。

 

 そう言って欲しかったんだろうけど、いざ言われてみると思っていた以上に心に沁み込んだということだろうか。

 

「頑張ってください、南雲先輩が凄い人だってことはちゃんと伝わってますから」

 

「ふッ、だろ? そうだろ? 天子はよくわかってるじゃないか。それだそれ、最近の下級生はクソ生意気な奴ばかりだし、上級生に対する敬意が足りてない奴が多くてな……ゴリラとかゴリラとかゴリラとかさ、ここは動物園じゃないってのに毎日ウホウホと、勘弁して欲しいっての」

 

 うん、機嫌が良さそうなのでこれで良いんだろう。あと誰がゴリラだ、私は改造人間なだけだ。

 

「まぁ上手く行かないことも多いが、焦るつもりもないさ、卒業までじっくりと準備を整えてな」

 

「えぇ、それでこそ南雲先輩です。よッ、男前、生徒会長の鑑!!」

 

「おいおい褒めるな褒めるな、事実だとしてもそういうのは胸に秘めとくもんだ、事実だとしてもな」

 

 さっきまでの計算された憂い顔を止めて南雲先輩は調子に乗り出す。ヨシヨシ、それで良いんだよ、それでこそ南雲先輩である。

 

「だがありがとうな、そう言って貰えて素直に嬉しいぜ」

 

「それなら良かった、沈んでいる姿なんて南雲先輩には似合いませんからね」

 

「そういうことだ」

 

 なんで私がこの人のメンタルケアをしているんだろうか? 今になってそんなことを思うのだった。

 

「そうだ、せっかくだから普段の姿を見せてくれないか?」

 

「普段の?」

 

「あぁ、その姿は文化祭で勝つために気合を入れた感じなんだろ? 俺も君みたいな生徒が二年生にいるって今の今まで知らなかったからな」

 

「確かに普段とは大きく異なる姿ですけど」

 

「だろうな、なら本当の姿も知っておきたいんだ。もしかして普段は眼鏡かけてるとか、もっと髪が短いとかなのか? まぁ女子はイメチェンすると化ける奴も多いから不思議でもないけどよ」

 

「そんな感じですね……まぁ見せても良いんですけど、驚かないでくださいよ?」

 

「安心しろよ、俺はちょっとやそっとじゃ驚かないぜ、何せ心が広いからな」

 

 彼はそこでテーブルの上に置かれていた私の掌に自分の掌を重ねてくる。こういうスキンシップを自然に行えるのがモテる男の条件ということなのかもしれない。

 

「それでは遠慮なく……よいしょっと」

 

 そこまで言われてしまえば私としてもやぶさかではない、ご期待に応えて私から俺へと移行するとしようか。

 

 空いていた手を使って頭に被っていたかつらを外す、ついでに雰囲気も男性寄りに戻す……やっぱりこっちの方が楽ではあるな。当たり前のことではあるんだけど。

 

 そして真っすぐ南雲先輩を見つめることになるのだけど、彼はスンッと表情を無にしてしまう。

 

「……」

 

「南雲先輩?」

 

「……」

 

「どうしたんですか? なんか変ですよ……いや、まぁそれはいつものことではあるんですけど」

 

「……」

 

「あれ、もしかして私が俺だって気が付いてませんでした? 実は内心では気が付いていて悪乗りしてると思ってたんですけど」

 

「……」

 

 どうしようか、南雲先輩がフリーズしたまま帰ってこない。そんなに驚くこともないと思うんだけど、こちらも龍園のように宇宙的な恐怖でも感じているんだろうか。

 

「あ、そろそろ握っている手を放して貰っていいですか?」

 

「……」

 

 フリーズしている割には手だけは素早く離れて行くことになった。そして南雲先輩は黙ったまま立ち上がると、そのままフラフラとした足取りでメイド喫茶を出て行くことになる。

 

 どこに行くんだろうと疑問に思ったので、教室から顔を出して廊下を眺めると、南雲先輩は一番近い位置にあった男子トイレへとフラフラしながら入っていく。

 

 

 

「おええええええええッ!!」

 

 

 そして次の瞬間、彼はトイレで盛大に胃の中身を全てぶちまけることになってしまう。その勢いたるやトイレの個室から廊下にまで轟く程であり、それはもう凄まじいものであった。

 

 失礼な人である、あんなに可愛らしいメイドと楽しい時間を過ごせたというのに、吐瀉物をまき散らすとかさ。

 

「……オレはとんでもない怪物を作ってしまったのかもしれない」

 

 そんな南雲先輩の状況を、教室の前を偶然通りかかった清隆だけが見ており、彼は戦慄したような表情でそんなことを言うのだった。

 

 君も君で失礼だな、天子は最高に可愛いメイドじゃないか。

 

 

 

 



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リハーサル 4

 

 

 

 

 

 

 色々と波乱もあったものの、リハーサルは平穏無事に進められたと思う。俺たちのクラスも大きな波乱もなく、無事に本番に向けて経験値を蓄積できたのは間違いない。

 

 俺もメイドという経験や接客業は初めてであったので本番に向けて上手く調整できた訳だ。

 

 これも社会経験、この学校を出た後にこの経験が役に立つかどうかはかなり微妙な所ではあるのだが、何が活きるかわからないのでこれで良いんだろう。

 

 被っていたかつらを取り去って、メイドを服を脱ぎ去ると同時に思考を戻す。師匠モードで作った女性人格は頭の奥深くに沈めておくとしようか。また本番に使うことになるんだろうけどそれまでは見なかったフリをするしかない。

 

 さて、かつらとメイド服を脱ぎ去って普段の制服姿に戻るとやはりシャキッとするな。スカートはどうにもなれない、こうしてズボンとジャケットのありがたみを感じる瞬間でもある。

 

 軽く施していた化粧も落として鏡を見る……なんだろうな、メイド姿に慣れてしまっていたので鏡に映る俺の顔が以前よりも女性寄りになったようにも思えてしまう、いや気のせいではあるんだろうけど。

 

 後、クラスメイトが俺を見る瞳に大きな変化があるようにも思える、特に男子はサッと視線を逸らしてきて恐怖を宿しているようにも見えてしまうのだ。

 

 どうやら彼らは天子に恐怖を感じているらしい……南雲先輩といい龍園といいクラスメイトといい、どうしてあんなに可愛らしいメイドを怖がるのだろうか、解せないな。

 

 まぁ彼らのことは気にしても仕方がない、須藤も平田も啓誠も明人も俺を戦慄した表情で見て来るけどこればかりは時間が解決してくれる筈だ。

 

「お疲れさま、天武くん」

 

「あぁ、ようやく休憩に入れたよ」

 

 リハーサルでの俺の出番は終わることになる、これから先は休憩になりせっかくなので各クラスの偵察へ行こうという話になった。

 

 偵察という形ではあるが、要は鈴音さんとの文化祭デートだ。

 

 今日は本番でもないしリハーサルでしかないけれど、当日はそこまで大きな暇が作れないだろうからこの日がベストであった。

 

 鈴音さんも慣れない接客業を頑張っていたな、ただ厨房や受付を担当していてお客さん相手はなかなか難しかったみたいだけど。

 

 そんな彼女も制服姿に戻っている、名残惜しくはあるがやはり見慣れた装いが一番である。

 

「では鈴音さん、よろしければデートして頂けませんか?」

 

 ちょっとおどけたようにそう言って彼女を誘う、すると鈴音さんは少しだけ照れたような顔になるのだけれど、そのまま雰囲気に流されることなく冷静になるのだった。

 

「あ、あくまで偵察よ、それを忘れないで頂戴」

 

「勿論、でも純粋に楽しむことも大切だよ。何を面白いと思うのかが重要だろうからさ。同時に、俺たちが楽しいと思えない出し物ならそこまで脅威じゃない、違うかい?」

 

 当たり前のことだな、面白いと思えたり興味深いと思えないとどうしても人気は低くなる、なので難しく考えずにとりあえず純粋に参加して経験してみるべきであった。

 

「ほら、楽しもう。当日はきっとそんな暇ないだろうからさ」

 

「……そうね」

 

 照れて恥ずかしがりながらも何だかんだでデートを受け入れてくれるので可愛らしいと思う。

 

 そんな訳で鈴音さんとデートである。ついでに偵察だ。

 

「鈴音さんはどこが気になる所はあるかい?」

 

「やはり三年生かしら、大規模な出し物があるのよね」

 

「ポイントの使い方をわかってる感じだよね、借りている場所も広いしさ」

 

 今回の文化祭では店を出す場所はポイントを支払って確保することになる。良い所はやはり高いという訳だ。

 

 そんな中で三年生は立地もそうだが広い場所を主に確保している印象があった。つまりそれだけ大規模な催しを考えているということだろう。俺も気になるのでまずは三年生の偵察に赴くことになる。

 

 まず三年生の催しの中で一番目を引くのは迷路とお化け屋敷を融合させた場所だろうか、どこかの遊園地にでもありそうなその場所は、しっかりきっちりホラーテイストを全面に押し出しており、かなり凝っているのがよくわかった。

 

 なるほどな、これだけ大規模な出し物だともっとチープになるかもと思ったけど、流石は三年生と言うべきかしっかりと仕上げて来ているな。

 

 これはAクラスの出し物なのでそう思うのかもしれない、ポイントも潤沢で他のクラスと違って余裕もやる気もあるからだろう。逆にAクラス以外のクラスはどこか投げ槍な雰囲気もある。

 

 どれだけ頑張っても今更覆らない差というのもあるのだろうが、Aクラスへの移動も名言されていないから余計にと言った感じか。

 

 理由は単純で金欠だからだ、体育祭で5000万ほど吹き飛んだので幾ら南雲先輩でも余裕がない。餌をぶら下げることもできない状態なのでAクラス以外はやる気が無いのだろう。

 

 そんな背景を俺が気にしても仕方がないので、この迷路型お化け屋敷の受付に申請して鈴音さんと一緒に体験するのであった。

 

「せっかくだから手を繋ごうか?」

 

「あら、怖いのかしら?」

 

「いや、こういうお化け屋敷だと怖がる彼女と寄り添って歩くのがお約束かなって思ってね」

 

「ふん、この程度で怖がると思わないことね」

 

 まぁ確かにお化け屋敷でガタガタ震える鈴音さんというのもちょっと想像できないけど、そんな姿も可愛いと俺は思う。

 

「なら、俺が怖いから手を握ってくれるかい?」

 

「……仕方がないわね、そこまで言うのなら構わないわ」

 

 可愛らしい人である。

 

「何かしらその顔は」

 

「いいや、なんでもないさ」

 

 三年生の出し物である迷路型のお化け屋敷を二人並んで歩いていく、体育館を貸しきって作られたこの出し物は最高学年が運営していることもあって既に多くの生徒が偵察に来ている。

 

 通路の先から悲鳴のようなものがこちらに届く、俺はお化け屋敷に入った経験が無いのでちょっと新鮮な気分になるのだった。

 

 繋がり合った指先が少しビクッと反応したのはとても微笑ましい気分である。

 

「これは別に怖がっている訳ではないわ、少し悲鳴に反応してしまった……ひゃんッ!?」

 

 いつも通りのキリッとした表情でそんなことを言うのだけれど、その途中で鈴音さんは大きな反応を示す。

 

 何があったんだろうと足元を観察してみると、通路の下側から冷却したタオルを先端に巻き付けた棒のような物が隙間から出ており、それが鈴音さんの足首辺りに引っ付けられたらしい。

 

 薄暗い通路、お化け屋敷という環境でそんなことをされればなかなかビックリすると思う。

 

 その冷却したタオルが巻きつけられた棒はすぐさま隙間の向こう側に引っ込んでしまう。ああやって驚かす役の人が色々な場所に潜んでいるということか。

 

「……」

 

 さっそく驚かされてしまったことで鈴音さんはもの凄く悔しそうな顔をしていた。

 

「お化け屋敷、良い所だ」

 

「怒るわよ?」

 

「すみません」

 

 心なしかさっきよりも結び合った指先にこめる力が大きい、どうやら彼女も余裕綽々に挑める場所ではないと考えを改めたらしい。

 

「ふん、あんな単純な仕掛けで驚かそうだなんて子供だましも良い所ね……ッ!?」

 

 今度は通りかかった壁の向こう側からドンッと叩くような音が届く、普段ならば気にするようなことでもないのだけれど、やはりお化け屋敷と言う環境だと過剰に反応を示してしまう。

 

「……」

 

 そして鈴音さんはもの凄くイラッとした顔をするのだった。こんな単純な仕掛けに驚いてしまった自分に苛立っているらしい。

 

「勘違いしているようだから訂正しておくけど、私は怖がっていないわよ。ただほんの少しだけ驚いただけ」

 

「うん、わかってるよ」

 

「くッ……その顔を止めなさい」

 

「ふふ、ほら進もう」

 

 薄暗い通路を二人で歩いていく。しかし一定間隔で現れる驚かす為の仕掛けは面白いな。BGMなんかもしっかり流されておりより没入できるように雰囲気作りも怠っていない。

 

 後は緩急も上手いと思う、入口付近はとても単純で突発的な仕掛けが多いのだけど、奥に進むに連れて凝った仕掛けになっていくのだ。当日に招待される来賓は家族連れも多いとのことなので、親子で一緒に入ったりもするのかもしれないな。

 

 子供が泣きじゃくって動けなくなるようなラインは攻めない、あくまでいい思い出として残るように配慮しているようにも見える。やはり三年生は強敵であるとこのお化け屋敷を見るだけで感じ取れてしまうのだった。

 

 こういうコンセプトで攻めるのもアリだなと素直に思う。もし来年に文化祭があるようならばちょっと大胆に動いてみるのも良いのかもと俺は考えた。

 

「貴方は、その、あまり驚かないのね」

 

「なんとなく来るなっていうのがわかるからね」

 

 薄暗闇であっても夜目が利くように訓練したからハッキリと見えるし、通路や壁の向こう側にいる驚かせ役の人の呼吸や気配も感じ取れるのでテレフォンパンチになってしまう訳だ。

 

 来るとわかっているのであまり驚かない、それに何より命の危険もないので、驚けないといった方が良いのかもしれない。

 

 流石にいきなりバズーカとか向けられたら驚くし滅茶苦茶怖いと思うけど、幾ら何でもそんな状況はありえないだろう。

 

 自分だけ驚いている状況に鈴音さんはちょっと悔しそうにしている。いや、あれだな、せっかく一緒にいるんだから同じように驚いておこうか。

 

 なので探知範囲を敢えて狭める、感じ取れるのは指先を結び合った鈴音さんだけにすれば突然にやって来るお化けにもしっかり驚ける筈だ。

 

 師匠から常に周囲の気配を探れと言われて来たし、それが常であったのでとても不安なのだけれど、今だけは許して欲しい。

 

 だって同じ時間を共有したいからね、それも大切である。

 

 そんな俺に向かってさっそく冷たい冷気が吹きかけられる。来るとわかっていなかったのでちょっとビクッとしてしまった。

 

「ふふ、ようやく驚いたわね」

 

 いい気味だと言わんばかりに鈴音さんは満足そうにしている。

 

 どうやら指先から伝わる動揺を読み取られてしまったらしい、ちょっと悔しかった。

 

「な、なかなか凝ってるね」

 

 お化け屋敷怖い、単純な仕掛けばかりなのに非日常の空間を作ってそこでやられるととても驚いてしまう。ただこれはこれで面白いんだろうな。

 

 大なり小なりお祭りというのは非日常を楽しむ為にある、ならこのお化け屋敷はしっかりとそのテーマに沿った出し物ということであった。流石は三年生である。

 

「わ、わぁあああああッ」

 

 ただ突然冷気を吹きかけられたり、通路の向こう側から壁ドンされたりするのは驚けるんだけど、ちょっと恥ずかしがりながら可愛らしい幽霊が飛び出てくるのはあまり驚けなかった。

 

「あれ、朝比奈先輩?」

 

 作り物の井戸の中から飛び出て来たのは白装束の朝比奈先輩である。恐ろしいというよりも可愛らしいと思えてしまう装いだな。

 

 勢い余って前のめりになり倒れそうになった朝比奈先輩を鈴音さんと一緒に支える。お化けをお客が助けると言う構図に余計に恐怖感が吹き飛ぶことになる。

 

「大丈夫ですか朝比奈先輩?」

 

「あはは、ありがとう、助かったよ」

 

「天武くん、知り合いなの?」

 

「三年Aクラスの朝比奈先輩、ほらチケットを買い取ってくれた人だよ」

 

 そんな説明に鈴音さんは納得したらしい。

 

「その説はお世話になりました」

 

「気にしないでよ、私たちにとっても都合が良かったからさ」

 

 おかげで南雲政権が決定的な破綻を回避できた訳だからな、お互いにとって良い取引であったのは間違いない。

 

「あ、そうだ、どうかな私たちの出し物?」

 

 それは演者と客側が通路のど真ん中でする会話なのだろうか? いや、アンケート用紙みたいなものが無いから顔見知りに直接聞きたいのかもしれないな。

 

「良いと思いますよ、非日常というものをよく表現できていますし、家族連れをターゲットにしているのでやり過ぎてもいない、良い催しだと思います」

 

 素直にそう伝えると朝比奈先輩は喜んでくれた。

 

「仕掛けは単純ですけど、予算の上限を意識しながら苦労しているだろうことも伝わっています、その上でしっかりと驚かせてくるので三年生は流石ですよ」

 

 これも本音である。嘘偽りなく面白いと思っていた。

 

「そっかぁ良かった、何だかんだで不安もあったからね」

 

 リハーサルをしておいて良かったということだ、おそらく俺たちに把握できない部分できっと三年生にもミスや問題点が浮き彫りになったことだろう。

 

「まぁ尤も、こうして通路のど真ん中で演者と客が話し合うのはどうかと思いますけどね」

 

「それもそうか、それじゃあ続きをどうぞ、ここから先も沢山お化けがいるからね」

 

 朝比奈先輩も楽しんでいるようでなりよりである。生徒会冥利につきると言うものだ。

 

「あ、最後に訊きたいんだけどさ、何か雅の奴がゲッソリした顔で寝込んでるんだけど、何があったか知らない?」

 

「さぁ、俺にはわかりません。変な物でも拾い食いしたんじゃないですか」

 

「う~ん、そっか、なら良いや」

 

 南雲先輩、体調を崩しているのか、一体何があったんだろう。天子と夢のような一時を過ごした後に体調を崩す何かがあったのかもしれないな。俺は関係ないだろうから理由は知らないけど。

 

 まぁ大人しく寝込んでくれているのならこちらとしても何も言うまい、妨害とかいらないちょっかいを出してこないだろうからな。

 

 そのまま俺と鈴音さんはお化け屋敷を全て踏破して出口に辿り着くことになる。その瞬間に鈴音さんは結んでいた手を解いてしまったのは残念であった。

 

「三年生はやはり強敵ね」

 

「あぁ、上手いよね、色々と」

 

 俺たちのメイド喫茶も決して負けていないけど、インパクトや凝り具合はこのお化け屋敷だってしっかりしている。限られた予算内で最高のパフォーマンスを発揮できるように趣向が凝らされていた。

 

 他の三年生クラスはやる気がイマイチ感じられないけれど、三年Aクラスは立派なものである。それが俺と鈴音さんの感想に落ち着いてしまう。

 

「鈴音さん、次はどこに行こうか?」

 

「グラウンドかしら、少し気になる場所があるのよね」

 

 お化け屋敷がある体育館から今度はグラウンドへと移動する。そこでも様々な生徒が色々な店を開いている光景が広がっていた。

 

 別に一つのクラスで一つの出し物と決まっている訳ではなく、生徒たちは各々が自分の予算内で出来ることを懸命に実行しているということである。ウチのクラスからも主戦力であるメイド要員以外の手空きの生徒たちが個人で出店をしたりしている。

 

 このグラウンドにはそういった出店が幾つか並んでおり、なかなか盛況な様子がうかがえる。当日に来賓が来ればまた盛り上がるんだろうな。

 

 せっかくなのでクラスの男子たちが運営している出店を覗いて問題がないか確認するとしよう。ベビーカステラだったり焼きそばだったりとお祭りあるあるな商品が並んでおり、良い匂いが漂ってくる。

 

 こういう雰囲気は凄くいいな、物凄くお祭りって感じだ。

 

「啓誠、どんな感じだい?」

 

「悪くはない、戸惑うことも多いがな」

 

 焼きそばの屋台には啓誠がいた、他にも明人やクラスの男子たち数名で運営しているようである。

 

「幸村くん、衛生面と材料の管理は徹底して頂戴、くどいようだけどね」

 

「わかっている、当然のことだ。食中毒などを出せば大問題だからな、その辺はやり過ぎなくらいに注意するつもりだ」

 

 屋台の裏には冷蔵庫があり、除菌用のアルコールスプレーで定期的に手を清めることを学校側は徹底している。啓誠の言う通りこういうのはやり過ぎなくらいで丁度良いだろう。

 

「包丁だったり調理器具もしっかりと管理して除菌しておこう」

 

 屋台の奥でザクザクと材料を切っていた明人もそう言ってくれた。食品を提供する以上はこういう部分は本当に徹底しないといけない。

 

 見た限りでは大きな問題はないように思える。学校側からもしつこいくらいに衛生面は注意されているので生徒たちはしっかりと対応していた。

 

「明人と啓誠から見てグラウンドで目立つ催しは何かな?」

 

「やはりあれだろうな、どうしても目を引く」

 

「凄い一年がいるぞ、サーカスみたいな動きをする奴だ」

 

 啓誠と明人はグラウンドの中でも特に目立つ出し物に視線をやった。

 

 そこに広がっているのは無数の遊具……いや、竹林であった。いつのまにかグラウンドの一角に幾つかの竹が突き刺さって剣山みたいになっている場所がある。一定間隔で並べられたそれはしっかりと固定されており倒れそうにない。

 

 

「とりゃッ!!」

 

 

 その竹の剣山の上を身軽に飛び回るのは九号だ。彼女は重さを知らない体を駆使してグラウンドに突き刺さった幾つかの竹の上を飛び回り、時に回転したり、時にひねりを加えたりしながら、オリンピックの体操選手もビックリするような動きを見せているのだ。

 

 細い竹の先端から先端へ飛び移る時にクルクルと空中で回転して見事に着地する。平地ならばともかく不安定な足場の、それも先端を斜めに切って尖らせた竹の上でやるのは軽業師も驚愕するだろうな。

 

 ピョンピョンと竹の先端を飛び移りながら空中で回転して捻りを加えて、更には懐から取り出した暗器を両手に握る。

 

「行くよ鶚さん」

 

 すると地上で控えていた九号のクラスメイトと思われる男子生徒が空中を飛び回る九号に向けて幾つかのリンゴを投擲するのだった。彼は確か体育祭でペアを組んでいた子だったな。

 

 投げられたリンゴは空中で軽業を披露する九号の上まで届く、すると彼女は手に持っていた暗器をそれに投げつけてその全てを命中させるのだった。

 

 リンゴは五つ、それら全てに細長い手裏剣が投げつけられて一つも外すことなく突き刺さり、ウニのような姿になってしまう。

 

 そして九号はクルクルと回転しながら別の竹の先端に美しく着地する、見事な軽業と言うしかない。

 

 その瞬間に見物していた他の生徒たちからは「おぉ」と感嘆するような声が広がったのだから、本当に見応えのある動きだったんだろう。

 

「凄いわねあの子……サーカスで働いた経験でもあるのかしら。OAAではそこまで突出した運動能力を持っていなかった筈だけど」

 

 鈴音さんも感心するような、それでいて疑うような感想を漏らしている。

 

 九号も月城さんの内偵が終わったこともあって実力を隠したり敢えて目立たない作戦をする必要がなくなったからはっちゃけてるのかもしれない。まぁあの子が学校生活をしっかり楽しんでいるのなら俺としては嬉しい限りである。

 

 どうせどれだけ認知されても最後には忘れられてしまうのだ、良い思い出であったと九号が振り返る時が来ればそれで良かった。色々とアレな子だけど十六歳の女子高生であることは変わらないのだから、青春は大切だ。

 

「なんであたしがこんなことしないといけないのよ~!?」

 

「ほらほら、一夏ちゃんも頑張るッス。教えてあげた体捌きを披露する時っスよ」

 

「忍者と一緒にすんな!!」

 

 どうやらあの滅茶苦茶なサーカスには天沢さんも巻き込まれているらしい。竹の足場のすぐ隣に作られた大きめの簡易空中ブランコで二人は見事な軽業を披露してくれる。

 

 天沢さんは文句を言いながらも空中ブランコに手をかけて振り子になると、最大まで上昇した瞬間にブランコを握っていた手を放して空中でクルクル回転する。そんな彼女の両手を落下する前に九号が掴むとそのまま二人は別のブランコに移動するのであった。

 

 九号が忍者だし不思議ではないけれど、天沢さんもあんな無茶ブリにしっかり付いていける辺り流石だな、ホワイトルームで運動は散々したんだろうけどサーカスみたいな動きまでは想定していないだろうし、努力の賜物ということか。

 

 学生レベルを超越した見事な軽業に見学していた生徒からはまた感嘆の声が広がる。一流のサーカスにも負けないほどの動きだから見応えがあるんだろうな。

 

「一年生もなかなかやるわね」

 

「まぁアレは一年生というよりあの子たちだからできたことだろうけど」

 

 実際に一年Aクラスは別の催しをメインにしている。アレは完全に九号と巻き込まれた天沢さんと男子生徒が個人でやっていることなんだろう。

 

「それにしても、凄く見応えがあるのだけれど、どうやって料金を支払うのかしら? オープンスペースで堂々とやっているけれどあれでは誰にでも観れることになる、利益が上げられるとは思えないわ」

 

 これが本当のサーカスのように巨大なテントの中に観客を招いてやる形なら入口で入場料を取ったりできるんだろうけど、そんな壁はないので確かに誰でも見放題ということになる。それもタダで。

 

「あ、こっちにQRコードがあるよ。これを読み取ると一定のポイントを支払えるシステムみたいだ」

 

 九号がやってるサーカス会場の付近には看板が立てられており、そこには支払い用のQRコードがあった。

 

「これはつまり、支払いは観客の自由意思に任せるということかしら」

 

「あれだね、おひねりとかそういう奴だ」

 

「……利益が出ると思う?」

 

「どうだろう、でも見応えがあるから、ある程度は支払っても良いと思うんじゃないかな」

 

 タダ観する人もいるだろうけど、支払う人だっている筈だ……そもそも九号に儲けるつもりはないように思える。完全に自分が楽しむ為にやっているんだろう。自己満足で完結しているのでタダ観だって歓迎するかもしれないな。

 

 実際にどれだけの利益を上げられるのかはわからない、その日の流れと来賓のモラル次第では大きな黒字になる可能性だって十分にある。

 

 九号的にはどっちでも良いんだろう、友人と一緒に文化祭を楽しめればそれで満足なのかもしれない。

 

「ほら一夏ちゃんもう一回行くッスよ、次は五回転してから捻りも加えるッス」

 

「……もう好きにして」

 

 まぁ、巻き込まれた天沢さんにはちょっと同情するけど。

 

 彼女には今度何かを奢ろう、そんなことを思った。

 

 

 

 

 



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リハーサル 5

 

 

 

 

 

 

 

 とても見応えのあるサーカス、というか軽業であったので九号が設置している看板にありつけられているQRコードをスマホで読み取っておひねりを投げておこう。一度読み取ると1000ポイントを支払うことになるらしい。

 

 しかし支払いを観客の自由意思に任せるとはとても大胆である。儲けるつもりが無いということなんだろうけど、クラス全体で協力して大きなテントなんかを作って入場料なんかを取ればもしかしたら上位入賞だって不可能ではないかもしれない、それくらい凄いものであった。

 

 まぁ個人の判断にとやかく言っても仕方がない、九号と天沢さんがしっかり文化祭を楽しんでくれるのなら俺個人としても嬉しい限りである。

 

 およそ青春的な時間など望めない二人だからな、少しでも楽しんで欲しい。

 

「他の学年も侮れないものね、メイド喫茶のインパクトに決して負けていないわよ」

 

「だね、中には色物もあるみたいだけど」

 

 ふと視線を出店の一角に向けてみると、そこでは一時間ほど前にメイド喫茶に訪れて天子にメロメロになっていた石崎がネタとしか思えない奇妙な飲み物の店を運営していた。

 

 プロテインだったりジュースだったりクエン酸だったりを混ぜ合わせて飲み物を提供する訳だ、美味しいとは思えないだろうけど筋トレが好きな客には案外受けが良いのかもしれない。

 

 他にも大きな水晶玉を机の上に置いてフードを被り、去年の夏休みにケヤキモールにいた占い師のように個人で占い館を運営していたりとか、ネタなのか真面目なのかよくわからない店も多い。

 

「鈴音さん、何か欲しい物はあるかい?」

 

 そんな出店の中で、これぞお祭りと言った感じの射的場の前を通った時に、色々なターゲットが置いてあることを見つけてそんな提案をした。コルクを空気銃に詰めて発射する昔ながらの形態の店はお祭りには欠かせないんだろうな。

 

「取れるの?」

 

「どうだろ、でも頑張ってみようかな」

 

「ならそうね、あの天子さんのプロマイドをお願いできるかしら」

 

「なんでそんな物が商品として並んでいるんだ!?」

 

 俺がメイド服になった姿を衆目に晒したのはこのリハーサルが初めてだぞ、つい一時間前の事なのに誰が盗撮して現像して商品とした並べたんだ?

 

 射的場のある無数の商品を一つ一つ確かめて行くと、確かに天子ちゃんがメイドとして働いている写真が存在していた。角度的に完全に盗撮品である。

 

「くッ、何度やっても取れない」

 

 俺たちより先に射的に挑戦していた一年生は執拗に天子の写真を狙っているようだが上手く取れなかったらしい。弾代わりのコルクの軌道を確認してみると狙いはそこまで悪くないようだが、的が小さいことに加えてコルクは決して真っすぐ飛ばないので難しそうではあった。

 

「よぉ笹凪パイセン、アンタもアレ狙いか?」

 

 射的場の奥から出てきたのは宝泉である。どうやら彼がここの責任者であるらしい。

 

「宝泉、あの写真なんだかどうやって手に入れたんだい?」

 

「どうもこうもあるかよ、写真撮影が趣味の一年が結構な値段でここだけの話とか言いながら売って回ってるぞ」

 

「その一年の名は?」

 

「タダじゃ教えられねえな」

 

「十万出そう」

 

「鶚とか言ったか、Aクラスの奴だ」

 

 何やってんだあの子は……盗撮されているなんて全く気が付かなかったぞ、というか写真撮影してそれを売り払ってるのか九号は、もしかして俺が知らない内に結構な額を稼いだりしているのか?

 

「数を出し渋ってやがるからな、今じゃプレミアが付いて結構な額になってやがる」

 

 本当にどうしてこうなったんだ、九号は九号でよくわからない商売をしているし、意外と商魂たくましい子だな、思っていた以上に稼いでいるみたいだ。

 

 ちょっと注意しておくか、後で回っている天子の写真も回収しなければならない、これは立派な肖像権の侵害である。せめてこっちに幾らかの売り上げを献上する契約を結ばないとやってられないだろう。

 

 あの子、俺から毎月結構な額の小遣いを貰っているし、何だかんだで個人的に金策に走っていたりする、思っていた以上にこの学園に適応してしっかり稼いでいるようだな。

 

 もしかしたら卒業する頃には当たり前のように2000万ポイントとか保持していそうだ。ああいう子を真の実力者と言うのかもしれないな。

 

 まぁ後で説教である、売り上げの一部はこっちに上納させよう。

 

 とりあえずは今目の前にある天子の写真を回収しないといけない。

 

「ところで宝泉、あのブロマイド写真なんだが、やけに頑丈にできているな。さっきの生徒が何度か命中させているのに全然落ちないじゃないか」

 

「おいおいイチャモンつけてんじゃねえよ、何か証拠があるのか?」

 

 こいつ、わかりやすく阿漕な商売をしやがって、ヤクザが運営している屋台じゃないんだからさ……いや、宝泉が責任者である以上は似たようなものか。

 

「では一度確かめさせてくれないか?」

 

「ふざけんな、一定距離以上近づいたら失格だぜ、営業妨害で訴えるからな」

 

「阿漕な商売するんじゃないよ」

 

「黙ってろ、あの美人のブロマイドが欲しいなら自力で取ってみな」

 

 アレは私なんだよ、という言葉が出そうになるのをグッと堪えて、俺はポイントを支払ってコルクを空気銃に詰め込む。

 

 さてどうしたものだろうかと考えてみた、先ほどの生徒の様子を見る限りあの天子の写真に何かしらの細工が施されているに違いない。それはブロマイドだけでなく高額と思われる商品には似たような細工があるんだろう。

 

 勿論、サクラ要因として落としやすい商品もあるんだろうけど、あの写真は違う。

 

 師匠モードになってよく観察してみると、写真が収められているアクリルボードは見えにくいが同じく透明なつっかえ棒のような物が背面にあるのがわかる。正面からどれだけコルクをぶつけてもあの支えのせいでまず落とせはしない。

 

「ん、正面からどれだけ撃っても無駄だろうな」

 

「どうするつもりなの?」

 

「見えにくいけど支え棒があるから、背後から弾を当てればいいんだ」

 

「完璧な作戦ね、弾は真っすぐにしか進まないことに目を瞑ればだけど」

 

 鈴音さんは呆れたようにそう言うけれど、俺は不可能とは思っていない。

 

 まず調べるのはコルクの形状と重さ、試しに一発目を適当な的に向かって放つ、感触を確かめるだけの行為だったので命中させるつもりはなかったのだけれど、そのコルクは吸い寄せられるようにキャラメルの箱に命中することになった。

 

 続いて二発目、空気銃から放たれたコルクはお菓子の詰め合わせに命中して落とす。これでかなり感触は理解できた。これなら問題なく三発目も当てられるだろう。

 

 真正面から狙ってもまずあのブロマイドは落とせないので、狙うのは背面。昔に二号さんから教えて貰った技術を披露する時が来た。俺は武人なので絶対に必要ないと思っていたけれど、まさか使う時が来るとは。

 

 二号さん曰く、射撃で重要なのは計算と観察、そして未来を観測することらしい。

 

 引き金を引いてコルクを放つ、しかしそれは真っすぐブロマイドへ向かうことはなく、商品が並べられた棚の隅っこに命中した。そこから幾度か棚の中を跳ねまわり最終的にはブロマイドの背面に命中してこちら側に倒すことになるのだった。

 

 やっぱり柔らかなコルクは跳ねやすいな、計算通りの軌道を描いて見事に背後から倒してくれる。

 

 因みに二号さんはこの跳弾による攻撃を一キロ以上離れた距離から実弾で行う。コツは当てるのではなく当たっている未来を見ることらしい。俺にできるのはせいぜい数秒先の未来を見る程度のことだからまだまだ未熟だな。

 

 写真立てのようにして倒れないようにしていたようだが、後ろからコルクを命中させればご覧の通りである。

 

「……チッ、ふざけた真似しやがって」

 

「阿漕な商売はするもんじゃないよ」

 

 商品を落とせた以上は渡さなければならない、肖像権を著しく侵害するブロマイドはなんとか回収することができた。後で九号をとっちめて売り上げの一部を献上させなければ。

 

 仮にブロマイドを売りさばくとしてもそれからである、しっかり丁寧に契約すれば俺にもポイントが入るので嫌とは言えないんだよね。この学校、ポイントはあればあるだけ嬉しいからさ。

 

「それにしてもなんて手際の速さだ、天子の写真がもう出回っているだなんて」

 

「それだけ衝撃が大きかったということでしょう」

 

 鈴音さんは俺が持っていた天子のブロマイドをサッと奪い去る。

 

「え?」

 

「私にくれるのでしょう?」

 

「いや、それは、その……こういうのが出回ると肖像権のあれとかこれとか問題もあるかなって、俺は許可していない訳だしさ。高い確率で盗撮だしお客さんがポイントを払って撮影したものでもないじゃら」

 

 なので出回っているブロマイドは全て回収するつもりだ、九号からも売り上げの一部を回収するつもりである。

 

「一枚くらいは私にくれても良いと思うのだけれど」

 

「……」

 

 ブロマイドは鈴音さんに奪われてしまうのだった。別にこんな盗撮写真の違法品を欲しがらなくても二人きりの時なら幾らでもお願いくらい聞くのに。

 

「ふふ、可愛らしいわね、こういう物を集める感覚がイマイチわからなかったのだけれど、今なら少し理解できるわ」

 

 天子のブロマイドは鈴音さんの持って行かれてしまう。なんでもプレミアが付いているらしいので価値があるかもしれないな。まぁ恋人に保持されるのはまだギリギリ許せるのかもしれない。

 

 後、機嫌が良さそうなので何も言えなかった。天子の写真には妙な作用があるのだろうか。

 

「さて、次は同学年の催しを見にいきましょうか」

 

 気を取り直して偵察を再会する。次に確認するのは同学年の店であった。

 

「龍園との協力関係だけど、このまま続けるで良いんだよね?」

 

「そのつもりよ、欠片も信用はできないし、するつもりもないけれど、お互いの利益のある間は続けるわ」

 

「わかりやすい敵対関係を演出して目立つか……広告にはなるかもね」

 

「そうあることを期待するしかないでしょうね」

 

 その龍園クラスだが、俺たちのクラスに対抗するように和装喫茶を展開している。コンセプト喫茶という形は似通っておりライバル感を演出するには十分だろう。

 

 大切なのは演出だ、色々な店がひしめくこの文化祭に置いて、目立つというのは何よりも重要なことだ。どれだけ良い環境を整えても人目に触れなければどうしても売り上げは伸びないからな。

 

 お互いに競い合っているという演出は一種の広告になる、そういうことである。

 

「笹凪」

 

 同学年の店を偵察するという名目なので色々と見て回っているのだが、そんな時にとある店から声をかけられる。ここ最近は不景気な顔ばかりしていた神崎であった。

 

 一之瀬さんクラスは主にスイーツ系の店を運営しているらしい。こういうのもお祭りっぽくて凄く良いと思う。

 

「神崎、綿あめを二つ頼む」

 

「了解した」

 

 試しに綿あめでも注文しよう。神崎は綿あめ機に割り箸を突っ込んでクルクルと巻き取っていく。なかなかに慣れた手つきであった。

 

「作れたぞ」

 

「ありがとう」

 

 二つの綿あめを受け取って片方を鈴音さんに渡す……こういうのもお祭りデートっぽくて凄く良いな。俺は上機嫌になるのだった。

 

「一之瀬さんクラスは主にスイーツ系の屋台を運営しているのね」

 

「全てがという訳ではないがな。堀北たちのクラスはメイド喫茶だったか、少し噂になっていたぞ」

 

「噂?」

 

「とんでもない美人がいるとな……正直、メイド喫茶という店はどこかネタ枠のような気がしていたんだが、こうして注目を集める辺りしっかりと対策があるようだな」

 

 ここにも天子の噂が届いているのか、我ながら恐ろしい伝染力であった。

 

「当然よ、勝つためにしっかりと戦略を考えているもの」

 

 他クラスが相手なので揺らぐ姿勢を見せず、鈴音さんは必ず勝つという意思を強く見せつける。そんな彼女の姿を見た神崎は屋台の中でどこか眩しそうな表情をしてしまう。

 

「大したものだ、だが俺たちとて負けるつもりはない」

 

「そうでしょうね、お互いに全力を尽くしましょう」

 

「あぁ、そのつもりだ」

 

 多少の揺さぶりなど通じない、鈴音さんの様子を見てそう思ったのだろう。神崎は新しくチョコバナナを作ってこちらに渡してくる。

 

「これは?」

 

「サービスだ、それと少しの感謝もある」

 

「どういうことかしら?」

 

「以前に笹凪が相談に乗ってくれてな、その時の礼だ」

 

 そこで鈴音さんは俺に視線を向けて来るので、頷きだけを返しておいた。

 

「では遠慮なく貰っておくわ」

 

 右手に綿あめを、左手のチョコバナナを持って鈴音さんはちょっと困惑した様子を見せる。

 

「ふふ、片方持とうか?」

 

「その顔を止めなさい」

 

「ん、俺はどんな顔をしていたのかな」

 

「お祭りを楽しんでるようで良かったという顔よ」

 

 そんな顔をしていただろうか? 両手にお菓子を持つ鈴音さんの姿が可愛らしいとは思っていたけれど。

 

「せっかくだ、近くのベンチで食べきってから次に向かおうか」

 

「持ったままと言うのもね……わかった、少し休憩にしましょう」

 

 一之瀬さんクラスが経営しているスイーツ系の屋台の近くにはベンチが並んでいる。他にも休憩できるように椅子とテーブルや日差し避けのパラソルなどを設置されており、その内の一つに俺たちは腰かけた。

 

「これがチョコバナナ……リンゴ飴と綿菓子と並んでお祭りでの三種の神器か」

 

「さ、三種の神器? そうなの?」

 

「俺はそう聞いたよ、リンゴ飴と綿菓子とチョコバナナ、この三つはお祭りでの主役であるとね」

 

「……言われてみれば必ずあるわね」

 

 やはりそうなのか、俺はお祭りに関しては知識として知っていても経験はしていなかったからな。こうして実物が目の前にあるとなんだか感激してしまう。

 

「どうしてそこまでキラキラした目をしているのかわからないけれど……もしかして貴方はお祭りに参加したことはないの?」

 

「あぁ、恩師に引っ付いて世界中を旅して回ってたからなかなかね」

 

「そう言えば天武くんがこの学校に入る前のことはあまり聞いたことが無かったわね」

 

「面白いものでもないからね、でも興味があるのならどこかで話そうか」

 

「そう、なら楽しみにしておくわね」

 

 ドン引きされないと良いな、話す内容は吟味して笑い話になるような物でいいか、カバに追い回されたとかジャングルでサバイバルしたとかそういうので。

 

「まぁこうやってお祭りに本格的に参加するのはほぼ初めてでさ、楽しいんだよ」

 

 しかも恋人と一緒である。俺は今、間違いなく青春ど真ん中の生活をしている。この学校でやりたかった青春リストがまた一つ埋まったことになる訳だ。

 

「鈴音さん、もうちょっとお祭り気分を味わっていいかな? 他にも気になる物が色々あるんだよね。チョコバナナに綿菓子と来ればリンゴ飴も経験しておきたいんだ」

 

「偵察中だということを忘れないで」

 

「大丈夫、まだ時間はあるからさ。ほら、デートでもあるんだしさ」

 

「……少しだけよ」

 

「勿論だ」

 

 鈴音さんの許可も貰えたので他にも色々と挑戦しておこう。知識の中にしかなかった食べ物がこの時期は沢山あるからな。

 

 まずはリンゴ飴、たこ焼きも捨てがたい、他にもいかにもお祭りと言った食品が多いので屋台を眺めるだけで楽しい気分になってくる。

 

「神崎、リンゴ飴をお願いするよ」

 

 スイーツ系は一之瀬さんクラスの屋台に顔を出せば殆ど網羅できそうだな。なので神崎が担当している屋台に戻って追加の注文をするのだった。

 

「意外に甘党なのか?」

 

「寧ろ苦い物や辛い物が苦手なくらいだ」

 

「そうか、リンゴ飴はサイズの大小があるがどちらを選ぶ?」

 

「小さい方を二つ頼むよ」

 

「わかった」

 

 神崎は小さい方のリンゴ飴を二つ渡してくれる。当然ながらポイントも支払った。

 

「少しは吹っ切れたかい?」

 

「嘆いた所で何も変わらないと理解はした……成果があるかどうかは、これから次第だな」

 

 少しだけ以前よりも顔色がよくなったようにも思える、彼の中で何か腹をくくる覚悟が出来たということだろう。

 

「それに、一応は仲間のような者も見つけられた。そちらのクラスの綾小路が紹介してくれてな」

 

「清隆が? 何があったのかは知らないけど、前向きになれたのならば何よりだ」

 

 誰なのかはわからないが、一人で挑むよりはずっとマシだろう。清隆がお節介をきかせたのかな。

 

「呪いの言葉はもう吐くなよ」

 

「わかっている、いずれ俺を殺すかもしれないからな」

 

 うん、今後どうなるかはわからないけれど、以前より確実に神崎は前に進んでいけるようだ。ならば何も言うまい。

 

 少なくとも神崎は大丈夫だろう、清隆も気を利かせたみたいだし、陰ながら支援しているのかもしれないな。

 

 後問題なのは、やはり帆波さんか。

 

 

「神崎くん、そろそろ交代の時間だ……ぁッ」

 

 

 リンゴ飴を受け取って立ち去ろうという段階で、屋台の奥から帆波さんが姿を見せた。彼女は店先にいた俺を見た瞬間に言葉を詰まらせてしまう。

 

「やぁ帆波さん、リンゴ飴、貰っていくよ」

 

「う、うん……どうぞ」

 

「一之瀬、すまないが休憩に入る、店を任せるぞ」

 

「えっと、あ……わかったよ、任せて」

 

 どうやら店番を交代するらしい。せっかくなので帆波さんと話そうと思ったのだが、彼女は俺を見つめて、更には少し離れた場所でベンチに座っている鈴音さんを眺めて、帆波さんは視線を右往左往させてしまう。

 

「あッ、ごめんね、ちょっと用事を思い出しちゃった」

 

「え、うん」

 

 そして慌てて屋台の裏側から出て行ってしまう。店が無人になってしまったのだけれど大丈夫なのだろうか?

 

 帆波さんは生徒会を辞めてから話す機会もなく、どこか避けられているような気もするので困っている。

 

 神崎に言った手前、しっかりと話しておきたいんだが、どこかで隙を見つけないとな。

 

 とりあえず注文したリンゴ飴を持って鈴音さんが座っているベンチに戻る、彼女は彼女で帆波さんのことを心配していたので、やはりちゃんと話しておかないといけないだろう。

 

 文化祭の間に、どこかで機会を探すとしよう。

 

 

 

 



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リハーサル 6

 

 

 

 

 

 

 

 

 帆波さんがどこかに行ってしまったことで無人となってしまった屋台は放置することにした。余所者の俺にはどうしようもないことである。避けられつつある俺がどこかに行けばその内に帰って来るだろうと考えたこともある。

 

 ずっとこのままというのもアレなので、彼女とは話す機会が必要だな。

 

 だがとりあえず今は偵察……ではなくデートだ。リンゴ飴を持って鈴音さんが待っているベンチへと戻っていく。

 

「どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 鈴音さんもあまり食べた経験がないのか、興味深そうに小さなリンゴ飴を見つめている。俺も似たようなものなので気持ちは凄くわかってしまう。

 

 被せられている透明のビニール袋を剥ぎ取ると真っ赤な飴が露わになった。なるほど、まさにリンゴ飴だな。

 

「美味しいね。流石は三種の神器」

 

「そう言えばこんな味だったわね、思い出したわ」

 

「前にも食べたことが?」

 

「子供の時の話よ、兄さんと一緒に参加した地元のお祭りで食べたことがあるの」

 

「あぁ、堀北先輩と一緒にか」

 

 小学校の頃の話だろうか? さぞ可愛らしかったことだろう。

 

 せっかくなので思い出話を聞きながらお祭り気分を味わうとしよう。追加で近くの屋台から焼きそばやたこ焼きを注文して昼食をするのだった。

 

 うん、どれもこれもお祭り価格で、飛びぬけて手間がかかっていたり拘りがある訳でもないけれど、お祭りという環境が最高のスパイスとなっているのかとても美味しい。

 

 いつか卒業したら他のお祭りにも参加したいものである。修業時代はそんな暇が無かったので楽しみだ。

 

 2人で屋台料理を楽しみながら昼食を終えると、校舎に戻って偵察を行っていくことになる。他学年もそうだけどやはり意識するのは同学年なんだよな。

 

「あれは……八神くんかしら?」

 

 校舎に戻る為に下駄箱で靴を履き替えるのだけれど、その時に一年生の下駄箱付近に八神の姿があることを鈴音さんが気が付いた。

 

 彼は外に出ようとしていたのか靴を取り出していたのだけれど、その動作が止まって中を何やら覗き込んでいるのが見える。

 

 そして八神は中から手紙らしき物を取り出すのであった。古典的だがラブレターと言う奴なんだろう。尤も、中身はかなり怪しいんだろうが。

 

「やぁ八神、ラブレターでも貰ったのかい?」

 

「え、あ、笹凪先輩、それに堀北先輩も……なんだかお久しぶりですね」

 

「貴方は怪我で長く離脱していたもの、そう考えてしまうのも仕方がないわよ」

 

「そうですね。あ、堀北先輩、生徒会長就任、おめでとうございます」

 

「ありがとう……尤も、他に候補がいなかったから滑り込めただけだけどね」

 

「あぁ、そう言えば一之瀬先輩は生徒会を辞められたんでしたか」

 

「えぇ、だから相変わらず人手不足なの……見た所怪我は順調に治っているようだし、八神くんの復帰も願いたい所なのだけれど」

 

 鈴音さんはコルセットの取れた八神を見てそんなことを言った、目立つギブスは全て取れており松葉杖も手放しているのでかなり回復しているんだろうことがわかった。

 

 まだ本調子には遠いだろうが、リハビリを繰り返せば完全復活となるだろう。そんな様子である。

 

「そうですね、リハビリがてらそろそろ生徒会に復帰しようと思います。その時は宜しくお願いしますね」

 

「待っているわ……所で、貴方が持っているものなのだけれど」

 

「あぁ、これは、何と言いますか……ラブレターという奴なんでしょうかね?」

 

 苦笑いと共に照れた顔をする八神ではあるが、その内心までは測れない。もしかしたら本当にラブレターである可能性も否定はできないからだ。

 

 何だかんだで人気のある奴だからな、生徒会役員で成績も優秀、紳士的な所もあるので一年ではかなり女子からの評価が高いらしい。ラブレターを貰っても不思議ではないんだろう。

 

「しかし下駄箱のラブレターとは、随分と古典的だな」

 

「笹凪先輩もそう思いますか……やっぱりそうですよね、寧ろ僕はラブレターよりも挑戦状のようなものなんじゃないかと思ってますけど」

 

「挑戦状?」

 

「えぇ、まぁ中身を見てみないことにはなんとも言えませんけどね」

 

「ラブレターだったらしっかりと考えた方がいいぞ」

 

「そうします、これがどちらであったとしてもね……ふふ、楽しみですよ、ようやく僕も本気になれそうだ」

 

 流し目で意味深そうなことを言った八神は、微笑と共に靴を履き替えて外に出て行くのだった……まるでこれまでは手を抜いていたかのような言い方だったけど、肝心な時に突き落とされているようでは本気がどれだけ凄くても意味がないぞと言ってやりたい。

 

 彼に関しては色々と悩みどころではあるんだよな、天沢さんのようにもう少し自重してくれたらいいんだけど、友達でも見つけて学園生活を楽しんで欲しい。

 

 だけど彼の執着や執念とでも言うべきものはずっと清隆に向いている、そこにしか視線を向けられない為にかなり面倒事になっているんだよな。できることなら退学なんてさせたくはないけれど、桔梗さんだったりこっちのクラスメイトを利用して攻撃して来るのは正直迷惑でもある。

 

 可能ならば動きを封じる形で終わらせたいのだけれど、だが果たしてそうなったとして八神が大人しく天沢さんのようになるのかと想像してみると……まぁ無理だろうなという結論になってしまう。

 

 何をどうしようが最後には八神は清隆と戦う為にこっちに迷惑をかけてくる。それ以外の執着が存在しないようにも見えてしまった。

 

 どうしたもんだろうな、一度その執着と感情と信仰の全てを完全に踏み砕いて二度と立ち向かえないように粉々にしてからリセットできれば良いんだけど、そうなると彼の生きる意味が無くなってしまう。

 

 友人がいれば、或いは夢のような物がホワイトルームの外にあれば……まぁ、それが見つかるよりもこちらの動きが早いのかもしれない。

 

 せめて少しでも幸福な未来を思い描いて欲しいものだ。清隆に執着した所でなんの意味もないということを知れば話は違うのだが、それは彼の存在理由の全てなのだからまた話がややこしくなる。

 

「八神くんが生徒会に復帰してくれれば少しは楽になるわね」

 

「あぁ、そうあってくれることを祈るばかりだ」

 

 八神が生徒会としてこれからも活動して卒業まで進む未来はあるのだろうか? あいにくと俺にはそこまで先の未来は読めないので祈ることしかできなかった。

 

 青春を楽しんでくれ、こちらにちょっかいかけずにそれで良いと思う。どうせ卒業と同時にホワイトルームは無くなるんだからそこで悩んでも仕方がないだろうしな。

 

 どうなるにせよ八神の今後を祈るしかない、せめて少しでも幸福であってくれと。

 

「どうやらAクラスはこんな時でも手札を晒さないつもりのようね」

 

 下駄箱から校舎に入ってまずはAクラスの偵察をという流れになったのだが、坂柳さんクラスの催しは確認することができなかった。なぜなら「二年Aクラスの出し物はトラブルが発生した為、本日は行われません」と書かれた看板が立てられており、しっかりとロープまで張られている始末だ。

 

 あからさまに入って来るなという姿勢は、この特別練の三階をAクラスが全て貸しきっているからこできる暴挙だろう。

 

「坂柳さんクラスはリハーサルでの最終調整の必要がないと判断したのかしら?」

 

「当日まで出し物を晒さないという戦略なんだろうけど、それはリハーサルで得られる経験を無視できるほど利益を見込めるものなのかは判断に迷うね」

 

 実際の所どうなんだろうな、Aクラスの出し物がわからないのは不安だけどその不安こそが坂柳さんクラスの目論見なのかもしれない。だからといって今こうしている間にも経験値という点で確実な差が生まれている。

 

「とはいえ坂柳さんのことだ、無策でもなければ無謀でもないんだろう。当日を楽しみにしておくとしようか」

 

「今はそうするしかないわね」

 

 当然ながら坂柳さんクラスは強敵である。体育祭の時もそうだったけど勝利というものに貪欲で徹底的でもあるのでまさに強敵だ。龍園とは異なる方向性の強さなんだよな。

 

 どこまで行っても戦士でしかなく、戦術的な突破力しかない俺には、戦略的な思考で行動する坂柳さんは本当に強敵に思えてしまうな。

 

 鈴音さんも腕を組み坂柳さんクラスの戦略を考え込んでいる、だがどれだけ思考したとしても取っ掛かりもない状況では難しいんだろう。やはり当日の動きを見るしかないか。

 

「次は、あのクラスね」

 

 ある意味では最も警戒すべき相手ではある龍園クラスだ。こちらのメイド喫茶に被せるように和装喫茶を展開しているらしい。共に競い合う関係を演出する為でもあるので止めろとも言い難いのだけれど、俺個人としてはシンプルに面白いと思う。

 

 なにせ和装だからな、あの山奥の神社ではずっと袴姿で生活していたし、師匠も仕事の時はキッチリとしたスーツ姿だったけど平時では好んで和装姿をしていたので慣れ親しんだものなのだ。

 

「やっぱりいいよね、和装……こう、来るものがあるんだよ」

 

「は?」

 

 龍園クラスの和装喫茶がやっている教室まで足を運んで、まずはそんな感想を述べる。隣にいた鈴音さんからは鋭い視線を向けられてしまったけど、嘘偽りない本音であった。

 

「いやさ、メイド喫茶も良いんだよ、良いんだけどさ……やっぱりこう、あるんだよ」

 

 例えるなら故郷に帰って来た時のあの感じ、懐かしさと安心感に満たされる感覚だ。慣れ親しんだ和装を見るとついそう思ってしまうのだ。

 

 やっぱりあれだよね、憧れの人の姿がどうしても重なるので和装は特別な思い入れがあるということなんだろう。

 

「良い……和装喫茶」

 

 なのでそういう評価に落ち着くことになる。まだ店に入っていないというのにだ。

 

「変態」

 

 ただそんな俺の様子は鈴音さんには不評だったのか、ちょっとイラッとした顔で俺の耳を引っ張って来る。まるで目移りを咎められているようだ……いや、実際似たようなものか。

 

「待ってくれ、誤解だ。メイド喫茶も凄く良いと思っている、ただそれはそれ、これはこれと言う奴なんだ」

 

「そうは思えなかったわよ、とてもいやらしい顔をしていたもの」

 

 自分たちのクラスの出し物よりもこの和装喫茶を評価しているようにも見えたのだろうか、ちょっとご立腹である。

 

「大丈夫、鈴音さんの和装も凄く似合うと思ってるからさ、できれば今度着て欲しい」

 

「何を大真面目に提案しているのかしら、そんなことで鼻の下を伸ばしていたことを誤魔化されたりしないわよ」

 

 ダメだ、言い訳すればするほどドツボに嵌っていく。

 

「よし、代わりに天子になって鈴音さんの言うこと聞くからさ」

 

 何が代わりなのだろうか、俺にもわからなかったけれど、鈴音さんはピクッと眉を揺らしたので効果が皆無ではなかったらしい。我ながら天子の存在感が恐ろしくなるほどの反応であった。

 

「和装の天子さん……そう、そこまで言うのならば許してあげる」

 

「ありがとう」

 

 多分俺も自分が何を言っているのかよくわかっていないんだと思う、ちょっと混乱しているのかもしれない。師匠モードによる天子人格を生み出してからというものの、ちょっと精神的な汚染が広がっているのかもしれない、気を付けないと。

 

 何はともあれ偵察である。龍園クラスの和装喫茶へといよいよ足を踏み入れることになるのだった。

 

「お二人ですか?」

 

 喫茶店の入口にある受付ではコンセプト通りに和装姿をした女子生徒がいる、ただし彼女はこんな時でも暇を見つけて読書に勤しんでいるらしい……何を隠そう椎名さんが受付を担当していた。

 

「あぁ、席は空いているかな?」

 

「はい、こちら入場料をお願いしますね」

 

 椎名さんは読んでいた本から視線を上げてそう促して来た。ほう、入場料とな?

 

「この店では入場料を取っているの?」

 

 鈴音さんもそこが気になったらしい。ウチの店にはない試みだからな。

 

「はい、龍園くんが言うには安定的に稼げるとのことですけど、どうなんでしょうね」

 

「客足は鈍るんじゃないかしら?」

 

「かもしれませんけど、その代わりにお店の中での注文は少し格安となってるみたいですよ」

 

 なるほど、どう転ぶかは現時点では不明だが、店の中に入って来てもそこまで大量に注文する客はいないか、そう考えると事前に入場料を取るのは安定的な稼ぎになるのかもしれない。

 

 場合によってはコーヒーだけで一時間粘られるなんてことも当日はあり得るのかもしれない。入場料という考えや方針も決して間違いではないんだろう。

 

 その入場料だって500ポイント程だ、法外でもないしこれくらいならと考えても不思議ではないか。

 

 受付で二人分の入場料を払ってから店内に入ると、そこでは龍園クラスの女子が和装を身に纏いながら忙しそうに動いているのがわかる。

 

「服装だけでもないようね」

 

 教室の中は畳の上に座席がある形でありそんな所でもどこか和を意識させるものであり、誰かが生け花の心得でもあったのか飾られている花瓶なども同様に雰囲気作りを手助けしていた。

 

 龍園の本気が窺える店構えと言えるのかもしれない。彼はなんだかんだで完璧主義者なのかもしれないな。

 

「なるほど、確かにメニューは私たちの店よりも比較的安くしているみたいね」

 

「入場料の分は差し引いてるか、コーヒーだけで一時間とか粘られたりすると考えると悪くはない判断なのかもしれないね」

 

「そんな人いると思っているの?」

 

「お客さんは千差万別さ」

 

 いないとも断言はできない、龍園だってそれはわかっている筈だ。

 

 メニューもまた和を意識するものになっているのはとても丁寧な仕事だと思う。羊羹でも注文するとしよう、あと抹茶も一緒に。

 

「清掃は行き届いている、内装もしっかりコンセプトに合わせて来ている……店員もしっかり対応もしている、思っていた以上に仕上げて来ているわね」

 

 指先がテーブルや床を撫でて埃の有無を確かめる鈴音さんは、どこか小姑みたいな雰囲気がある。しかしケチの付け所がなかったのか少しだけ悔しそうな顔をするのだった。

 

「偵察してわかったことだけど、どこのクラスや学年も一筋縄にはいかない相手ばかりだ。鈴音さんは印象に残った出し物はあるかい?」

 

 注文した羊羹と抹茶を味わいながらそんな質問をすると、同じようにあんみつパフェを味わっていた彼女はこう返す。

 

「一つに絞るのは難しいわよ、規模で言えば三年生だし、見応えで言えばあの一年生のサーカスね、どちらもインパクト抜群だから客足が伸びそうではあるもの」

 

「おまけに坂柳さんのクラスは何をしているのかさっぱりわからない状況だし、そんな相手たちと競い合わなきゃならないんだから大変だ」

 

「でも負けるつもりはない」

 

「あぁ、それでいい、他人と比べても仕方がない。俺たちは俺たちの戦いをしよう」

 

 その為にできることは色々とやってきた、後は全力を尽くすだけの話である。こちらが相手の動きや戦略を脅威に感じているように、相手もまた俺たちの戦略を脅威に感じているんだろう。後は当日の客の流れ次第といった所か、どれだけ流れを掴めるかのタイミングを見極める必要があるのかもしれない。

 

 店の運営に関しては清隆がやってくれるそうなので抜かりはないだろうし、隙あらば動きを指示することだろう。言ってしまえば丸投げであるがそれが一番である。

 

 色々なクラス、色々な学年の考えや戦略がこのリハーサルを通して垣間見えた気がするし、俺たちのクラスも本番に向けて最終調整をすることができた、後は当日を待つばかりであった。

 

 ここまで来ればジタバタしても仕方がないので、後はどっしりと構えて待つばかりなんだろう。なので難しいことは一旦棚上げにして文化祭デートを楽しむことにしようか。

 

 最近は生徒会長になったこともあって鈴音さんも働きづめだったので、いい息抜きにしないとな。

 

 

 

 リハーサルをしっかり楽しんだ後、いよいよ高度育成高校初となる文化祭当日を迎えることになるのだった。

 

 

 

 

 



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来たれ文化祭

 

 

 

 

 

 

 

 

 リハーサルも無事終わり、しっかりと問題点を探し出して経験値を積み重ねたことにより最終調整を済ませられたと思う。後はもうジタバタせずに本番を待つだけの状態となった。

 

 なにせ初めての文化祭、初めての学園祭、そして何よりこの学校としても初の試みであるので生徒会役員である俺は二重の意味で不安や緊張や興奮があることを感じている。

 

 もし失敗なんてことになってしまえば生徒会の責任でもあるのでやはり不安である。それすなわち生徒会長である鈴音さんの失態にも繋がってしまう。問題はないとしっかり調整したつもりではあるのだけれど、当日になってみるまでわからないものだ。

 

 生徒会役員である俺は一般生徒よりも早い時間に学校に向かって最後の確認をおこない、来賓の誘導や面子なども細かくチェックしていく。

 

 体育祭と同様にホワイトルームからの刺客が交じっているという前提で動く必要があるし、変な相手がいればちゃんと処理する方針だ。

 

 これから先もきっと何度も同じようなことが起こるんだろうけど、相手が折れてもう関わりたくないと思うまで徹底的に叩き潰すと決めているので、まぁ来るというのならばそれで構わない。

 

 文化祭当日、接待役である坂柳理事長がちょっと腹痛交じりの顔をしながら対応しているのは、また体育祭のような惨劇が起こるんじゃないかと危惧しているからだろうか。

 

 風の噂ではあるが、体育祭で来賓に交じった刺客を派手に排除したことで、坂柳理事長はスポンサーや政府筋の人からまともに来賓の接待もできないのかと叱られたらしい。

 

 きっと今も胃が痛いんだろうな、俺は他人事のように来賓を迎え入れる坂柳理事長を見てそんなことを思うのだった。

 

 最後のあの人は俺を見てから頼むから大人しくしてくれと言いたそうな視線を送って来る。

 

 ただ残念なことに俺はいつだって振りかかって来る火の粉を払っているだけだし、文句ならホワイトルーム側に言って欲しかったりする。だってあっちが確実に悪いからな。

 

 そんなこちらの意思が伝わったのかどうかは知らないが、坂柳理事長は疲れた顔で空を仰ぐ、胃痛薬でも差し入れした方が良いのかもしれないな。

 

 なんであれ来賓への挨拶は終わったみたいなので、それを見届けた生徒会役員は急いで自分たちのクラスに戻って出し物の準備を行うことになる。

 

 俺は師匠モードへ移行して高まった集中の全てを天子を演じることに傾けて行き、衣服をメイド服に着替えて薄っすらと化粧も施していく。

 

 リップやチークを付ける仕草がやけに慣れていることに気が付いた瞬間に地を這うような気分になるのだけれど、勝利の為だと言い聞かせて気合を入れ直す。

 

 そうとも、勝利とは己の全てを捧げた先にあるものだ。勝利を得る為ならば俺は恥も誇りも捨てて完璧で最強なメイドにだってなるさ。

 

 意識を完全に切り替えれば完全で完璧なメイドの天子となる。これは戦う為の装備であり準備そのもの、戦いの場に赴く為に必要な過程でしかない……そんな風に無理矢理納得させる。

 

 最後に鏡を見て何も問題がないことを確認すると、そこに映っていたのは最高に可愛いメイドであった。

 

 それを確認した俺は思考を私へと切り替える。これで戦う準備は全て整ったということである。

 

「愛里、頑張ってッ」

 

 私専用の着替えスペースから出てメイド喫茶へと足を運ぶと、教室の窓から身を乗り出して祈っている波瑠加さんの姿が発見できた。彼女は彼女でメイド姿になっており美しい装いなのだけれど、自分の姿よりも愛里さんのことが気になるらしい。

 

 窓から身を乗り出して見つめる先は校舎の入口付近、来賓たちが続々とやって来ている文化祭の最前線、私たちのクラスだけでなく様々なクラスがチラシやチケットなどを配っており、自分たちの出し物を目立たそうとしているのが確認できた。

 

 そんな最前線に立つのはメイド服を身にまとった愛里さんである。

 

 波瑠加さんは最前線に立つ愛里さんがとても気になるのか、祈るような顔で窓から身を乗り出して見つめていたのだ。

 

「波瑠加さん、身を乗り出したら危ないですよ」

 

「あ、テンテン……じゃなくてテンコさん。いや、でもさ、やっぱ気になるし」

 

「気持ちはわかりますよ。でも大丈夫、愛里さんは強い人だ……一歩踏み出すと決めたら、真っすぐ進んでいける勇気を持っています」

 

「本当にそう思う?」

 

「はい、入学したばかりの頃ならともかく、今ならば」

 

 去年の愛里さんを思い出す、不安と緊張を感じながら他者との交流に怯えていた時の彼女を。

 

 それが変わったのはいつ頃だっただろうか、グループが結成されて徐々に打ち解けていき、友人と呼べる存在が増えて来たことで、愛里さんもまた成長していった。

 

 勉強を頑張り、苦手な運動にも前向きになったと思う、笑顔を見る機会も増えたのは間違いないし、その胸の内に勇気を宿すことだってできただろう。

 

 後は一歩踏み出すだけ、そしてこれは確信だ、今の彼女ならばそれができる。

 

「波瑠加、天武の言う通り大丈夫だ、見守ってやろう」

 

「きよぽん」

 

 清隆も教室の窓から校舎の入口を眺める、大勢の来賓が入場してくるその場所に立つ愛里さんの姿を見守るつもりのようだ。

 

「不安なのもわかるが、愛里はそこまで弱い奴じゃない……この一年でずっとその片鱗はあった筈だ」

 

 だから祈ったりも不安に思ったりも必要ない、清隆はそんなことを言いたそうである。

 

 そんな意思や思いが波瑠加さんにも伝わったのか、彼女は窓から身を乗り出すのを止めて視線だけを校舎の入口付近にいる愛里さんへ向けるのだった。

 

 俺たちが教室の窓から見守っていることを知ってか知らずか、愛里さんは最前線でメイド服のまま「雫完全監修、最高のメイド喫茶」と書かれた看板を掲げて、こちらにまで届くほどの声量でこう叫ぶ。

 

 そう、彼女は叫んだのだ、羞恥も他者からの視線も跳ねのけて、戦う意思を示してくれる。

 

 

「二年Bクラスの出し物はメイド喫茶になります!! 皆さん、是非ご来場くださぁ~いッ!!」

 

 

 あぁ、良かった、彼女はもう一人の戦士として進んでいけると、教室まで届く声が証明してくれる。

 

 去年の愛里さんを思い出す、そしてメイド姿で宣伝をする愛里さんを見つめる。同じ人だけど、そこには大きな差があった。

 

「ほら、大丈夫ですよ、愛里さんは強い人だ」

 

「うん、そうだね……私のはただのお節介だったのかな」

 

 愛里さんを見つめる波瑠加さんはどこか寂しそうな顔をしている。手のかかる妹が独り立ちしたような寂しさでも感じているんだろうか?

 

「そんなことはないですよ、愛里さんには波瑠加さんが必要です……そんなことは、波瑠加さんが一番わかっているのでは?」

 

「ん~? まぁね、こんなことでセンチになっても仕方がないか……うん、そうかもね」

 

 すると波瑠加さんは自分の頬をぺチペチと叩いてから意識を切り替える。そして力強い視線を私と清隆に向けて来た。

 

「よし!! 私たちも、愛里に負けないように頑張ろっか?」

 

「あぁ」

 

「はい」

 

 そして彼女も愛里さんに負けないように笑顔を見せると、メイドとしてこれから来る来賓の接客に勤しむことになるのだった。

 

 人が人を強くする、愛里さんもそうだし波瑠加さんだって同じだ、つくづくそう思う。特にこの学校に来てからは何度も感じたことでもあるのだろう。

 

 俺自身ですらそうなのだ、他の人たちだって同じように人との関わりを得て成長しているということなんだろうな。

 

 嬉しい限りである、今も大声で看板を持ってメイド喫茶の宣伝をしている愛里さんを見て、そんなことを思うのだった。

 

「皆、これから忙しくなります。ですか焦らず慌てず、リハーサルで培った経験をしっかりと繁栄させて滞りなく業務を勧めましょう……大丈夫、私たちならば勝てます」

 

 天子さんモードでメイド喫茶の運営携わるクラスメイトたちにそう伝えると、彼ら彼女らは大きく頷いて力強い視線を向けて来てくれる。

 

 あぁ、そうとも、愛里さんや波瑠加さんだけの話じゃない、皆がそうなんだな。本当に人が人を強くさせるということだ。

 

「須藤くん、揉め事が起こった際はお願いするわね」

 

「おう任せてくれ」

 

「くれぐれも暴力沙汰を起こさないように」

 

「うッ……わかってるっての」

 

 鈴音さんからも指示が飛ぶ、彼女は彼女でメイド姿になっているのだけれど、やはりキリッとした雰囲気が大きいので身が引き締まるような思いになってしまうな。

 

「天子さんは入口で看板役をお願いするわ、他はローテーションを組んで持ち場をしっかり維持して頂戴。いつも言っていることだけど何かあったら報告と連絡と相談をして欲しいの」

 

 そんな彼女の言葉にまた頷きが広がった。いよいよメイド喫茶の本格始動ということである。

 

 少し耳を澄ましてみると、廊下の方からこちらに向かってくる足音が耳に届く。どうやら愛里さんの宣伝は上手く動いているらしい。

 

 おそらくだが愛里さんが持つグラビアアイドルというステータスや知名度は、この学園にいる誰よりも視線を集めるものだろう。それこそ俺や南雲先輩、なんだったら歴代の卒業者や教員含めて、彼女以上に外の世界で知名度を持つ者はいない筈だ。

 

 つまり彼女は、この学校にいる誰よりも他者から認識されやすいということである。

 

 あぁ、あれってあのアイドルの子か――そんな風に誰かに思われることすら彼女以外の人間にはできない。俺にも清隆にも一年生にも三年生にも。

 

「メイド喫茶やってま~す、よろしくお願いします!!」

 

 そんなグラビアアイドルの愛里さんが、いや雫さんがそう言えば、何人かに一人くらいの割合で興味を持ってくれるかもしれないし、グラビアアイドルとしての彼女を認識できていなくても、あんなに可愛らしい人から宣伝されれば悪い気にはならないだろう。広告や宣伝とはそういうものである。

 

 彼女をグラビアアイドルとして認知している来賓がいれば、あわよくば写真撮影をと考える人だっている筈だ。こればっかりは俺にも真似することができない知名度という武器であった。

 

 あのグラビアアイドルと写真を撮ったと自慢できる、そんなことができるのはこの学校でただ一人だけ。それは彼女しか持っていない力でもある訳だ。

 

 だから宣伝を頑張って欲しい、勿論私たちも店で頑張るから。

 

「メイク良し、衣装良し、笑顔良し」

 

 最終確認を行ってから俺は教室を出て廊下に出ると「グラビアアイドル雫が完全監修したメイド喫茶」と書かれた看板を持って客引きを行うことになる。

 

 愛里さんがメイド喫茶があることを来賓に認知させることが役目であるのならば、私はここがメイド喫茶だとわかりやすい目印になることが仕事と言えるのかもしれない。

 

 実際に、廊下で物珍しそうに右往左往していた来賓たちは、よく目立つメイド服を着ている私を見てここがそうなのかと理解した筈だ。

 

 興味本位に近づいて来て、油断している所を最高の輝く笑顔で突き刺す、それが最強のメイドの仕事である。

 

「お帰りなさいませご主人様」

 

 笑顔である、抜群に可愛らしい笑顔を向けられて嫌な気分になる男なんていない。そしてメイド喫茶初となる来賓のお客様はなんと子連れである。

 

 男性の傍らにいる少年と視線が合うように僅かに屈むと、こちらにも笑顔で魅了しておこう。

 

「ふふ、楽しんでくださいね」

 

 年齢は小学生くらいだろうか、お父さんに付いて来た訳か、この年齢で天子の笑顔を知るとは業の深い男になりそうではあるけど、こんな場所に連れてきたお父さんを恨んで欲しい。

 

 天子の笑顔を向けられて少年は顔を赤くして俯く……残酷かもしれないがこれも仕事でね。君はこれから先、きっとことある事にこの笑顔がチラつくことになるんだぞ、初恋した時も誰かと付き合った時も、まずは天子の笑顔を思い浮かべるんだ、本当にすまない。

 

 顔を真っ赤にして酩酊している親子を店へ送り込む、後はクラスメイトが適当にポイントを搾り取って処理してくれるだろう。

 

 天子の役割は餌をぶら下げて捕食する提灯アンコウやウツボカズラみたいだな、そんな風に思ってしまう。

 

 愛里さんが店を認知させ、私が引きずり込み、クラスメイトがすかさずトドメを刺す、完璧な布陣じゃないかな。後は写真撮影などの付加価値でどれだけポイントを稼げるかが大切だ。

 

 まだ序盤も序盤だが、しっかりとした手ごたえがある。清隆、勝ったぞこの戦い!!

 

 メイド博士の相棒も満足そうに頷いていた、彼は相変わらず教室の隅っこで腕を組んでおり、オレが育てた感を全開にしているようだ。

 

 確かに天子は清隆の発案だけど、怪物を生み出した責任もしっかりと自覚して欲しい。今も何の罪もない少年の将来が心配になってしまったというのに。

 

 だがこれも勝利の為、この学校では恐ろしいことにその言葉以上に尊ばれるものがない。

 

 そして私だってやると決めた以上は勝ちたいのだ、それが少年の心を汚すことだとしても。

 

 師匠、いつか貴女が言っていたことの意味を理解できました……戦いとは悲しいものです。

 

 また来賓が現れたので私は心に突き刺さって刻み込まれる最高の笑顔でお出迎えして、二度と忘れられない思い出を叩きこむ。そして酩酊した彼ら彼女らを店に送り込むのだった。

 

 男性も女性も子供も関係がない、全て酔わせて毟り取るんだ。勝利とは悲しみを踏み越えた先にあるということなんだろう。

 

 

「お帰りなさいませご主人様」

 

 

 そしてまた一人落ちて行く。謝罪はしない、全ては勝利に必要なことだから。

 

 

 

 

 



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懲りない刺客

 

 

 

 

 

 

 

 綾小路視点

 

 

 

 

 順調だな、メイド喫茶の客入りを見てオレはそんなことを思う。まず最初に流れを掴む為に来賓との初接触は愛里に任せたのだが、それが上手くいったのか一先ず第一段階である認知は順調であった。

 

 どれだけ手間暇かけたとしてもそこに店があると知らなければ閑古鳥しか鳴かない、まずは来客に知って貰うという前提条件は上手く進んでいるということである。

 

 次の第二段階は実際に店の中に客を引っ張って来ることだな。認知されても実際に興味を持たれて足を運んでくれるかはまた別の話だ。愛里が宣伝役ならばそれとは別に誘導役がいるのも事実。

 

 だがその誘導役に関しては天武が……いや、天子が上手く機能してくれた。店先に立ってあのメイド服と抜群の笑顔で客引きを行えば、誘蛾灯に群がる虫のように次々と客が教室の中へと入っていくのだ。

 

 おそろしい、誰も彼もが酩酊したかのように思考を奪われて気が付けば店の中で席に着いている。そんなゲストたちからポイントを毟り取るのがクラスメイトの役目である。

 

 愛里で認知させ、天子でおびき出し、クラスメイトがトドメを刺す、事前に打ち合わせした通りのフォーメーションと連携は無事に機能しているようだな。

 

「お帰りなさいませご主人様」

 

 天子が店先で優雅に微笑むと、それだけで周囲がザワつく。更にサービスとばかりに客の一人にカーテシーの姿勢を見せるとまた存在感が増していく。

 

 妄想の中にしかいなかった理想の女性を目にしたかのように、男なら一度はこんな女性と出会いたいと妄想しても現実ではありえないと誰もが考えるのだが、そんなものを否定するかのように現実として天子はそこにいる。

 

 ゴクッと、来賓の一人が喉を鳴らすのがわかった。その隣にはおそらく伴侶と思われる妙齢の女性もいるのだが、そちらすらも酩酊しているように見えた。

 

 もしかして天子は人間を惑わせる特殊なフェロモンでも漂わせているのだろうか? そうとしか思えないくらいに人々を惑わしている。

 

 恐ろしい、オレは本当にとんでもない怪物を生み出してしまったのかもしれない。天子を見る度にそんなことを思ってしまう。

 

 廊下から教室の中を覗いてみると、殆どのテーブルが埋まって万全のパフォーマンスを示している。この調子だとその内に行列ができて店の回転率を意識しないといけないだろうな。

 

 今のところは問題ない、店やクラスのキャパを超えるような事態にはなっていないが、これ以上に客足が多くなるとある程度の調整が必要か。

 

 だがそれは今ではない。今はまだクラスメイトに任せても問題はなさそうだ。ならば今の内にオレはやるべきことをやっておこう。

 

「堀北、看板を貸してくれ」

 

 慣れない接客業に放り込んでもまるで役に立たない堀北は、受付で働かせるか看板を持たせて校内を徘徊させるかの二択であったのだが、こちらの都合を考えると受付に張り付けさせておく方が良い。

 

「宣伝役を引き受けてくれるの?」

 

「今の所は順調だからな、オレがここにいてもやれることはない。行列ができ始めたら櫛田辺りに対処させてくれ」

 

「櫛田さんね……確かに、それが一番かしら」

 

 堀北は一考してから教室の外を見る。天子の奮闘によって客足が途絶えることはないが、店のキャパを超える事態になることも想定できると考えたらしい。

 

 長い間行列で待たせる訳にはいかないので、そちらも飽きさせないような工夫が必要だろうと考えて、ならそれは誰がやるのかと考えれば候補はそこまで多くない。

 

「それじゃあ宣伝役をお願いするわ、くれぐれもサボらないようにしなさい」

 

「オレはそこまで怠惰じゃない」

 

「あら、自称事なかれ主義の筈だけど?」

 

 怪しそうな者でも眺めるかのような視線を向けられるので、居心地の悪くなったオレは宣伝用の看板を持って教室を出て行くのであった。

 

 あのグラビアアイドル雫の完全監修、最高で完璧なメイド喫茶と書かれた看板は女子が派手なデコレーションをしたことでとても目立つ。それを手に持って校内をフラフラするだけで仕事をしているという体裁は整えられるし、ホワイトルームから来ているであろう刺客も接触しやすいだろう。

 

 そんな訳で看板片手に校内を歩いていく、外から来る来賓はほぼ全てが学校の中に入ったのか親子連れなども多く確認することができる。なので普段以上の賑わいが広がっていた。

 

 これだけ大勢の部外者がいれば潜入することは簡単だろうな。生徒も来賓も教師も祭りの雰囲気に浮かれていて、今この場で誰かが暴れ出して重傷者が出るようなことを想像しない。

 

 当然ながら一個人を狙った刺客が紛れ込んでいるなんてまず想像もしないだろう。こんな時でも欠片も隙を見せないのは常在戦場を地で行く天武か鶚くらいのものなのだろうな。

 

 ガヤガヤ、ザワザワと賑わう校内を看板を掲げながら当てもなく歩いていく。グラウンドに出て明人や啓誠たちがやっている店にでも行こうか、それともリハーサルでは確認できなかった出し物でも見に行くかと悩みながら玄関口から校舎の外へと出た。

 

 校舎を中心として様々な出し物が行われており、それは校舎の外も同様である。行き交う様々な来賓も非日常を楽しんでいるのか視線を右往左往させているのは印象的だな。

 

 そんな中でも目立つのは、宣伝の最前線に立つ愛里だろうか。

 

「メイド喫茶やってま~す、宜しくお願いします!!」

 

 普段の愛里からは考えられない程の声量で俺が持っている看板とよく似た物を持ってとても目立っているのがわかる。愛里を中心に人の輪が出来ているほどなのでとても注目を集めているらしい。

 

「あの子って、もしかして雫?」

 

「なんだ、知ってるのか?」

 

「え、父さん知らないの、グラビアイドルなんだけど」

 

「いや、あまりアイドルとか詳しくないからな……でも凄いな、芸能人ってことだし、そんな子もこの学校に通っているんだなぁ」

 

「サインとか貰えるのかな、写真撮影とか」

 

「なんだ、欲しいのか?」

 

「いや、だってさ、そんな機会なんてよくあるもんじゃないしさ」

 

 愛里を中心とした人の輪の中にいる親子連れがそんな会話をしている。中学生と思われる男子はグラビアアイドルとしての愛里を知っていたのか興味を向けており、そんな息子に引っ張られるように父親の方も愛里に興味を示しているようだ。

 

「メイド喫茶か、せっかくだし行ってみるか」

 

「うん」

 

「すみません、チラシを頂けますか?」

 

「はい、こちらをどうぞ」

 

 親子連れに話しかけれても愛里は動じることはなく、メイド喫茶の場所が書かれた宣伝用にチラシを渡すのであった。

 

 変に恐れたり怯んだりするのは広告塔として絶対にやってはいけないことだとわかっているんだろう。微塵も笑顔が揺らいでいない。

 

「……あの愛里がな」

 

 しみじみと、そう思う。去年の姿を知っているだけに、ギャップを感じているのかもしれないな。

 

 恥ずかしがるのでもなく、俯くのでもなく、声が細い訳でもない。去年の愛里を知らない者から見ればとても堂々としているように見えるだろう。

 

 一年半、入学してからざっくりとそれくらいの時間が流れているのだが、一人の少女を成長させるには十分であるということか。

 

「あ、清隆くん」

 

 人の輪を上手く捌きながら来賓たちにチラシを渡していた愛里は、オレに気が付いてこちらに近寄って来る。

 

「順調そうだな」

 

「うん、ちょっと緊張しちゃったけど、皆の足を引っ張れないから頑張らないとって思って」

 

 メイド服を身に纏い、よく目立つ装いになった愛里は大きな注目を集めているので広告役としては十分だろう。今の愛里なら恥ずかしさで俯いて黙ってしまうようなこともない筈なので安心できた。

 

「そうか、この後の予定は覚えているか?」

 

「えっと、ある程度宣伝した後に、今度は中庭で宣伝してから一時間の休憩で、午後からお店で接客役だよ」

 

「おそらく愛里が店に入るタイミングで客足のピークになる、大変だと思うが宜しく頼む」

 

 看板やチラシにはグラビアイドル雫との撮影会は午後からと書かれている。そこが一番の繁盛時になると推測された。

 

「う、うんッ、任せて」

 

 やる気を漲らせて愛里は頷く、この調子なら問題はなさそうだ。店には波瑠加もいるので外よりも動きやすいだろう。

 

 これだけ注目を集めている状態ならば行列すら予想できる。店のキャパをもう少し大きくすべきだったと今更ながら反省するしかない。

 

「あ、あの、清隆くん」

 

「ん? どうしたんだ?」

 

 ある程度の来賓はもう校舎の中に入っているのでそろそろ人気が少なくなって来た、次は中庭での宣伝だと意気込む愛里だが、そちらに足を向ける直前にこんなことを訊いてくるのだった。

 

 少し頬を赤く染め、意を決したようにその場でクルッと回って見せる。そして天子を真似たのか少しだけスカートの端を摘まんでカーテシーの姿勢を作った。

 

「似合ってる、かな?」

 

「あぁ、良く似合っている」

 

 これは嘘でもなければ戦略でもない、本心からの言葉なんだろう。

 

「ふふ、そっか……んふふ、良かったぁ」

 

 唇をモニュモニュと動かして緩みそうになるのを抑えようとしているようだが、ぜんぜん上手くいっていない。少しだらしない顔になっているのだが、それもまたよく似合っているのかもしれない。

 

 せっかくなのでこちらからも訊いておこうか。

 

「愛里、楽しいか?」

 

「え?」

 

「今、楽しめているか?」

 

 どうしてそんな質問をするのだろうと首を傾げている、だが迷うようなことでもなかったのか、愛里は笑顔と共にこう返してくれた。

 

 

「うん、凄く楽しいよ!!」

 

 

 そうか、なら良かった。その返事だけで奇妙な満足感がオレの中に生まれて行く。不思議な感覚だな。

 

「よし、ならお互いに頑張るとしようか」

 

「清隆くんも、宣伝頑張ってね」

 

「どうだろうな、努力はしてみるが愛里ほど目立てないぞオレは」

 

 こればっかりは覆しようがない事実だ、ホワイトルームでどれだけ高い数値を出していようがグラビアアイドルの知名度と存在感には足元にも及ばない。

 

 オレが持つ看板、愛里が持つ看板、どちらに視線が吸い寄せられるかと言えば間違いなく後者だろう。

 

「大丈夫、清隆くんもメイド服を着れば天子ちゃんみたいになれるかもしれないよ」

 

「なんて恐ろしいことを提案するんだ」

 

「悪くないと思うよ?」

 

「……勘弁してくれ」

 

 目の前にいる愛里は頭の中でオレをメイド姿にして姿を想像してアリという判断を下すのだが、オレは絶対に着ないからな?

 

 男がメイド服を着た所でなんの需要もないんだ、ただ頭がおかしいと思われるだけである。天子という例外があるがアレはああいう生物なので仕方がない。

 

 このままでは本当にメイド姿にされてしまいそうだったので、オレは看板片手にその場を去ることにした。そういう仕事は天武に丸投げでいいと思う。

 

 愛里とわかれて次に向かうのはグラウンドであった。明人と啓誠が参加している屋台を見ておこうと考えたからだ。

 

 校舎の中にもかなりの数の来賓がいるのだが、グラウンドもまた盛況であるらしい。まだ昼時ではないと言うのに祭りらしい商品が売れているのがわかる。

 

 やはり目を引くのは、グラウンドの一角で行われている軽業のサーカスだろうか。とても目立つので大きな注目を集めており、グラウンドに展開している屋台で購入した飲み物や食べ物を片手に見学している来賓が多いらしい。

 

 ああいうのを相乗効果と言うのだろうか。サーカスの注目が集まれば集まるほど見学者が多くなり、見学者が増えれば増えるほど屋台の売れ行きもよくなる。

 

 鶚がもっと稼ぐことを意識して見学料などを取る方針ならば、もしかしたら一位になったかもしれない。そう思う程に目立っていた。

 

 まぁ見応えがあるのは間違いない。今も突き立てられた竹の上で見事な軽業を披露している。不安定な足場であれだけ見事に動き回るのは忍者ならではだろうか。

 

「行くッス、ウチのトムキャットホークビートル!!」

 

 リハーサルの時には披露しなかった技も鶚は出しているようだ。どこから連れてきたとツッコミたくなるほどに立派な鷹が鶚の腕に止まっているのが見えてしまう。

 

 鶚は竹の上で軽業を披露しながら鷹を投げ飛ばすと、その鷹は命令通りの軌道を描きながら竹の隙間を潜り抜けて行き、最終的には鶚のクラスメイトと思われる男子生徒が投げていたリンゴを奪い去る。

 

 そしてその鷹はまるで鶚の命令を理解しているかのように彼女の下にリンゴを運んでいくのだった。

 

 

 あれは、なんだ、鷹狩りとか言う奴なのか? 戦国時代の武将みたいな特技を披露する奴だな。

 

 

 だが見応えは確かにある、鶚が鷹を追いかけるように幾つも突き刺さった竹の上をピョンピョン跳ねながら移動すると、それに寄り添うように鷹も優雅に飛ぶ、それはどこか人と鳥が同じ領域にいるかのようで幻想的にも見える。

 

 もしかしたらあの鷹は本当に人間の言っていることを理解しているんじゃないか、そんな風に思えてしまうのだ。鶚の周りを旋回して、指示通り動き、優雅に羽ばたけばそんな印象を与えて来るのは仕方がない。

 

 幻想的、見事な軽業に追従するように動いている姿に多くの者がそう思ったのかもしれない。

 

 感心したような、感嘆したような、そんな声があちらこちらから聞こえて来るので観客たちの評判も良いらしい。

 

 まぁ現代社会でまず見ることのない技術だろうな、鷹狩りなんてものは。物珍しく映るのも納得である。いや、こういうのは鷹狩りじゃなくて鷹匠と言うのだろうか?

 

 せっかくなのでオレも暫く眺めておこう、近くにある屋台に声をかけてからな。

 

「啓誠、売れ行きはどうだ?」

 

「悪くはないぞ、昼時になるともっと忙しくなりそうだ」

 

 グラウンドにある屋台の一つ、啓誠と明人含むクラスの男子たちの有志によって運営されている屋台も順調そうだ。

 

「清隆は宣伝か?」

 

「あぁ、堀北に押し付けられた」

 

 啓誠はホットプレートの上で焼きそばを焼きながらそんなことを訊いて来た。

 

「メイド喫茶の方も客足は順調だ、行列ができそうなくらいにな」

 

「それは何よりだ、こちらもよく目立つ出し物があるから引っ張られるように売れている、これなら順位も期待できるかもしれないな」

 

「そうなれば良いんだがな」

 

「なってくれなければ困るぞ、ほらこれを持って行け」

 

 啓誠は出来上がった焼きそばをプラスチックタッパーの中に入れてこちらに渡してくる。

 

「良いのか? 生徒はポイントを払えないんだが?」

 

「差し入れのようなものだ、後で幾つか作って纏まった数をクラスに持って行くつもりだから構わない」

 

「そうかなら遠慮なく貰うとしよう」

 

 サーカスを観戦するにしてもつまみが必要だと思っていた所だ、なので素直にありがたい。

 

 受け取った焼きそばとメイド喫茶の看板を持ちながら近くのベンチに腰掛ける。ここからならサーカスもよく見える。

 

 なんとなくサーカス会場を眺めていると、鶚に巻き込まれていた不運な生徒、天沢の姿が目に映った。ホワイトルームで散々運動はしてきたのだろうが、あそこまで無茶をさせられたとは思えない。

 

 それでも天沢は恐ろしいことに鶚に振り回されながらも軽業を披露していく、突き立てられた竹の上での三回転半から始まり、捻りを加えてのバク転など、かなり無茶をしているらしい。

 

 一歩間違えれば大惨事間違いなしの状況だが、上手くやれている辺りやはりホワイトルーム生か。

 

 そんな天沢は竹から下りて次の演目である空中ブランコに参加することになる……いや、正確には鶚に引きずられながら強制参加であった。

 

「た、助けッ……誰か助けて、あ、せぇんぱぁぁああいッ、可愛い後輩が窮地に陥ってますよ、カッコいい所を見せて欲しいなぁ~って」

 

「ほら行くッスよ、練習通りやれば大丈夫ッス」

 

 空中ブランコに向かう途中、天沢はオレを見つけて助けを求めて来たのだが、焼きそばに夢中だったので手を差し伸べることはできなかった。

 

 何だかんだで天沢も楽しんでいるのかもしれない、ホワイトルームやオレ以外に執着できる何かが見つかったのならば何よりである。

 

 二人は空中ブランコで見事な回転を披露してくれたので、とても見応えがありオレとしても満足できるのであった。

 

 さて、いつまでも見ていたい気持ちがあるのだが、さっきからオレを覗き見る刺客の視線が気になるので、そろそろ黙らしておこうか。

 

 体育祭の時もそうだったが、無駄だと理解して欲しいものだ。

 

 

 

 

 



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刺客は段ボール箱がよく似合う

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベンチから立ち上がって空になったプラスチックタッパーをゴミ箱に入れてから歩き出す。サーカスは大盛況、引っ張られるように屋台も大盛況、大きな問題はなさそうだ。

 

 なのでまた看板片手に宣伝を行うのだが、それは本命ではない。

 

 こうやって徘徊していると一応は仕事をしているという雰囲気は出せる上に、一人になれる機会が多くなるのがとても都合が良いので宣伝役を買って出ただけだ。

 

 愛里と違って広告塔としてどれほどの意味があるのかはわからないが、とても目立っている様子だったのでオレが頑張らなくても大差はないんだろう。なので体裁だけ整えながら本命の処理を進めようと思う。

 

 ホワイトルームからの刺客が紛れ込んでいる上に、息がかかった生徒もいる訳だからな、こうして一人で動いていればすぐに接触があるだろうと睨んでいたが、想定よりも早く相手が釣れたらしい。

 

 粘つくような視線と、こちらと常に一定距離を意識した立ち回りをしている来賓の存在には気が付いている。この辺で処理しておこう、何よりもオレの安全の為に。

 

 看板を持って宣伝を頑張ってますという雰囲気を可能な限り演出しながら徐々に人気のない場所へと移動していく。

 

 屋上か、それとも体育館裏か、頭の中にある監視カメラの位置を思い浮かべながら死角となる場所の候補を一つ一つ調べて行き、生徒や来賓がいない場所を探していくのだった。

 

「ん?」

 

 人気のない場所を探している途中に、ポケットの中に入れていたスマホが震える。取り出して画面を見てみるとそこには誰の名前も記されてはいなかった。これは以前にも覚えがあるな。

 

「なんのようだ?」

 

 スマホを耳に当ててそう問いかける、すると暫くの沈黙の後にこう返って来た。

 

『月城を排除して、後はホワイトルーム生を排除すれば平穏が戻って来る。そんな勘違いをしているんじゃないかと思って助言でもとな』

 

 この謎の相手との通話は初めてのことではない、一年の時に一度だけ今回と同じように宛名不明の電話があり、その時にも要領を得ない会話が行われたことを覚えている。

 

 あの後、鶚の協力もあって色々と調べた結果、ある程度は把握することができたのだが、この場で連絡してきた意味がわからないな。

 

「確かお前は一年の石上だったか? 無意味な連絡を入れている暇があるようで羨ましい限りだ、そちらのクラスの出し物を手伝わなくて良いのか?」

 

『……驚いた、こちらのことを把握していたとは、閉鎖環境のこの学校でどうやって情報を得たんだ?』

 

「気にするな、お前に落ち度はない……ちょっとしたズルをしただけだからな」

 

 理事長室に盗聴器を仕掛けたりパソコンを勝手に掌握している忍者が知り合いにいるだけだ。挙句の果てにそいつは教師にも協力者がいて外と好きなだけ関わりを持てると来ている上に、高い確率でホワイトルームより上の権力者と関わりがある。

 

 学校の中からでは得られない情報を無数に持っているし、好きなだけ引っ張っても来れる、色々と突飛でふざけた忍者ではあるのでこの手段を頼るのはズルと表現できるだろう。

 

 つまり相手が悪かったというだけで、石上になんの落ち度もなかった。ただそれだけの話である。この現代社会でよくわからない忍者を警戒しろとか無茶にも程があるしな。

 

「それで? ただ助言とやらをしたいだけか? 生憎と間に合っているぞ」

 

『ほう、大層な自信だな、今この学園にどれだけのホワイトルーム関係者が混ざっているかもわからないのに』

 

「言っただろ、ズルをしているとな、完璧ではないがある程度の情報は入っている……それにだ、ホワイトルームの関係者がこちらの想定を超えていたとして、何の問題がある」

 

 オレはこの学校に来て一つの真理を理解したのだ。

 

「十人だろうと百人だろうと千人だろうと、全て叩き潰して二度とこちらに関わりたくないと思わせれば……オレは自由だ」

 

『……』

 

 スマホの向こうで石上が絶句したのが伝わって来る。オレとしても脳筋全開な思考になっていると理解はしているが、結局のところそれが一番だと天武と鶚が教えてくれた。

 

『こちらが思っていた以上に暴力的な男のようだな』

 

「勝手な妄想をしていただけだろう、オレとしてもこの学校に来てから色々と思い知ることや学んだことも多いし、悩んだこともあるが……全てを叩き潰せば良いと結論を出したのは無人島での一件だ」

 

『……』

 

「月城と司馬の骨を砕いて地面に転がした瞬間に、悩んでいたのが馬鹿らしくなった、あぁこれで良かったんだなと納得もできた、そういうことだ。だからお前からの助言は何の役にも立たないし完全に無意味だ……全てを叩き潰す、もう結論が出ている」

 

『そ、そうか……まぁそれも良いだろう』

 

「石上、お前はまだ知らないだろうが人間よりもゴリラの方が自由に生きられる」

 

 何故かスマホの向こう側にいる石上はドン引きしたような声を出している。不思議な奴だ。

 

「そうだ、お前は来ないのか? 今も特別練の屋上からこちらを覗いているようだが、ズルズル引き伸ばされても困る、来るならさっさと来てくれ……オレを自由にする為に」

 

 スマホを耳に当てながら視線を特別練の屋上に向けると、そこには石上の姿があった。校舎の中庭にいるオレとはそれなりの距離があるが確かに視線は結び合っている。

 

 この距離から感づかれたことに驚いているようだな、無理もないだろう。

 

 無人島で二十号と戦った後くらいからより体や感覚が研ぎ澄まされたことがわかる。それも異常な程に。天武に相談してみるとアイツは「強敵に勝利するとそういうことがよくある」と頷きながら言っていたので、超人連中にはあるあるらしい。

 

 強敵に勝つ為に限界を超えると、今後はその限界が基本となるそうだ。

 

 だから石上にも気が付けた、今もこちらに注目する刺客たちの存在にも。

 

『いや、遠慮しておこう。俺はお前の敵でも味方でもないからな』

 

「そうか、その割にはオレの父親と近しい関係のようだが……まぁいい、そういうことにしておこう」

 

 そこで一方的に通話を切ってスマホをポケットに戻す。最後に特別練の屋上から中庭にいるオレを見下ろしてくる石上を眺めてから歩き出す。

 

 アイツがどう思ったかなど大した興味がない、来るなら来るで構わないし、宣言通り敵にならないというならそれでも問題ない。立ち塞がったその時は黙らせればいい。

 

 武力とは、この世界で最も重要な力だ、オレはそれを学んだからな。

 

 あれほど煩わしかった月城も、ぶん殴って沈ませればなんとも静かになった。つまり武力こそが大切だったのだ。

 

 入学したばかりの頃、一撃で自転を狂わせるようなパンチが出せたらと冗談交じりに思ったことがあるが、今現在のオレはそこまではいかなくても大真面目に武力で物事を解決することに一定の重きを置いている。

 

 楽だからな、月城を叩き潰して謝罪させた瞬間にこんなに簡単なことだったのかと理解したということであった。

 

 石上から視線を外してまた看板片手に人気のいない所を探して校内を徘徊していく。さっきの石上を見てわかったことだが屋上にはどこのクラスも出し物は指定していなかった筈なので、あそこならば人気は少ない筈だ。

 

 オレをつけ回しているホワイトルームの関係者も、接触したくて仕方がないといった感じなので、そちらに向かうとしようか。

 

 校舎の中に入って屋上へ、その途中でクラスの様子を見に行ったのだが教室の前には行列ができ始めていたので一安心すると、それだけ見送って階段を昇っていく。

 

 上に進むに連れて人気がなくなっていき、屋上の踊り場付近まで来ると喧騒だけが耳に残る。途中で石上とすれ違うようなこともなく、屋上へは平穏無事に辿り着くことが出来るのだった。

 

 試しにさっき石上が俺を見下ろしていた場所に立って手摺に手をかけて中庭を覗き込んでみると、そこでは文化祭の熱が広がっているのが見える。愛里も上手く宣伝をやっているのが見えるな。

 

 

「私たち二年Cクラスは、今二年Bクラスとコンセプトカフェで売り上げを競い合ってます!! 私たちが負けてしまうと、誰かが責任を負わされて退学するかもしれません!!」

 

 そんな中庭では龍園クラスの生徒も宣伝を頑張っている。物騒な内容に来賓たちはなんだなんだと耳を傾けているのがわかった。

 

 始まったようだな、愛里とは別口の宣伝戦略が。

 

 ああやって対立構造を明らかにすることで注目を集める訳だ。宣伝に於いて何よりも重要なのはまず目立つこと、その為なら不安を煽ることも大切であるし炎上だって一つの手段だ。

 

 龍園クラスの和装喫茶が注目を集めれば集めるほど、対決関係にあるメイド喫茶も注目を集める、そしてその逆だってある。

 

 つまりはそういうことだ、あの必死な主張と対立構造の周知はただの台本ありきのプロレスでしかない。何よりも目立ち注目を集めることが戦略でもあった。

 

「どうか、皆様のご協力をお願いできないでしょうか!! よろしくお願いします!!」

 

 効果があるかどうかはわからない、実際に耳を傾けている来賓の内どれだけの人数が店に足を運ぶのかも未知数ではあるが、宣伝や広告とはそういうものである。

 

 十人の内、一人が興味を持って足を運んでくれるのならば成功とさえ言えるのかもしれない。やらないよりは遥かにマシなんだろうな。その辺は龍園もわかっているんだろう。

 

 そんな龍園クラスの大声はこの特別練の屋上にまで聞こえて来るのだから、中庭付近にいる来賓たちの耳にだって届いている。和装喫茶が目立てば目立つほど対立関係にあると思われているメイド喫茶にも注目が集まる、上手くいくことを願うとしようか。

 

 

 その場で祭りの喧騒を耳にしながら暫く過ごしていると、オレの背後から近づいてくる気配を感じ取ることができた。

 

 

「振り返らず、これを受け取れ」

 

 背後に近寄って来た誰かの声を無視して、オレは堂々と振り返って接近して来た者を視界に入れる。

 

「振り返るなと言った筈だが?」

 

「何故オレがそちらの要求を呑まなくてはならない」

 

 この男にも見覚えがあるな、ホワイトルームで教鞭を振るっていた男の一人だ。まだ子供だった頃に何度も床に転がされたことがある柔道の教官だったな。

 

 その男は俺に白い紙を差し出している。どうやら受け取らせたいらしい。

 

「どうした、受け取れ」

 

「いや、その前に――」

 

「ごッ!?」

 

 とりあえずこの男を処理しておこう。そう思ったオレはすぐさま目の前にいる相手のこめかみに鋭くハイキックを食らわせた。

 

 一瞬で意識を刈り取る一撃をまともに受けて、男は力なく崩れ落ちて行く。

 

 差し出された白い紙を受け取るのは相手を処理してからだ。脅威が目の前にいるのにそちらに視線と意識を向ける馬鹿はいない。

 

 倒れ伏した男が持っていた白い紙を拾い上げて中身を確認すると「迎えに来た、どうするかは自分自身で決めろ、正門で待つ」と書かれており、ご丁寧に電話番号まで記されていた。

 

 意味が分からないな、何故わざわざオレにそんなことを判断させる必要があるんだろうか、選択肢を用意した所で結果はわかりきっているだろうに。

 

 無視しよう、全くもって無意味な提案だな。

 

 白い紙を丸めてポケットにねじ込むと、意識を失って倒れ伏している男の身ぐるみを剥いでいく。懐からスマホを取り出してそれを拝借しておこう。

 

 スマホの中身は後で確認するとして、まずはこの倒れ伏している男を処理しないとな。この男の口さえ封じておけばどうとでもできる。

 

 どうせ叩けば幾らでも埃が出て来る連中なんだ、大事になる前にお帰り願おうか。体育祭の時のように段ボール箱に詰めてな。

 

 男の体を肩を貸すように背負いあげる、そのままオレは屋上と繋がる階段の踊り場まで移動すると、そこにあるダストシュートの蓋を開く。

 

「こういうのをボッシュ―トって言うんだったか?」

 

 そして気絶している男をそこに放り込む。この時の為に鶚の協力者に頼んで終点には色々と細工をして貰った。こいつを背負って保健室まで運ぶのも大変だろうからこれは楽だな。

 

 こういうのは人が入って落ちないようにできているのだが、半開きになっているダストシュートの金属製の蓋を強引に捻じ曲げて開けば人も落とせる隙間を作れる。

 

 後はゴミ捨て場にいるこいつを鶚の協力者が回収して段ボールに詰めて気が付けばホワイトルームだ。また着払いの嫌がらせもセットにしておこう。当然ながら受取人はあの男である。

 

「よし、次だな」

 

 やるべきことは多い、まずはたった今ダストシュートに放り込んだ男が持っていたスマホを取り出して中身を調べる。情報漏洩の意識が低かったのかスマホのパスワードも設定されていないようだな。これでよくホワイトルームなんていう非合法組織に関われるものだ。こちらとしてはありがたくもあるが。

 

 直近のメールのやり取りを確認すると、やはり何名かの刺客が学園に入っていることがわかった。そいつらにこの男に成りすました状態でメールを送る。

 

 内容は呼び出しだ、緊急事態が起こったので話し合いたい、特別練の屋上まで来てくれ、そんな感じとなる。

 

 後は一人一人処理していくだけだ、二十号でもあるまいに、今更ホワイトルームの教官が何十人来た所で大した脅威にはならない。どこまで行っても優秀な一般人でしかないからな。

 

 

 

「ふ、アイツはやられたようだな、だが所詮はホワイトルーム教官陣の中では最弱の男、私は奴ほど楽にいくと思わないことだ」

 

 なにやら偉そうに語っていたがぶん殴ってダストシュートに放り込む。

 

「この鎖鎌の大山田を他の連中と一緒と思わないことだ!!」

 

 こいつのことはよく知らなかったので、やはりぶん殴ってダストシュートに放り込む。

 

「残念だな綾小路清隆、君のデータは全て頭に入っている。私のデータによれば――」

 

 眼鏡をかけた教授もぶん殴って放り込む。

 

「ほおおおおあっちょおおおおおおッ!!」

 

 誰だお前は? 雇われたのか? 会話が成立しそうになかったのでやっぱりぶん殴って黙らせてからダストシュートに放り込むのだった。

 

 合計五人、刺客の全てを放り込んでから、オレは強引に押し広げたダストシュートの蓋をこれまた力づくで閉めていく。ついでに最初の男から奪ったスマホを捨てておこう。

 

 これで問題はないだろう。事前に刺客を処理しやすいようにと幾つかのポイントは鶚が掌握している監視カメラを掌握して貰っている、この踊り場もその一つである。

 

 ここで何があったかなど、監視カメラが役に立たないので誰も知ることはできない。被害者は皆段ボールに詰められてホワイトルームへ着払いだ。

 

「さて、文化祭を楽しむとしようか」

 

 奪ったスマホを見た限りでは刺客はこれで全員らしい、なのでようやく身軽になることができた。

 

 後、面倒なのは八神くらいだが、うん、どうなるだろうな。おそらくオレが何もしなくても勝手に自爆すると思われるが、そうならなかったとしても大した問題はない。

 

 仮に暴れまわるような事態になったとしても、困るのは学校やホワイトルームだ。オレじゃないのでとても身軽である。

 

 こちらの邪魔さえしなければ放置も一つの手なのだが……難しいか。

 

 祭りの賑わいを耳で聞きながら、もう詰んでいる状態の後輩の顔を思い浮かべる。

 

 最後の最後に踏みとどまってくれればいいんだがな、柄にもなくそんなことを思うのだった。

 

 

 

 

 



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メイド喫茶は順調

 

 

 

 

 

 

 

 メイド喫茶は順調である。どれくらい順調かと言えばまずテーブルの回転率がすこぶる良い。誰も座らないということがなくて、注文だってひっきりなしの状態である。

 

 チラッと廊下を見てみると、そこではそろそろ行列ができているのがわかった。長蛇の列と言う状態ではないのだが、このまま伸び続ければゲストを長く待たせることになるだろうし、そこまで根気よく待つ理由もなかったりするので考え物だろう。

 

 長く待たされるくらいなら他の店に行こうか、そう考える来賓は決して少なくはない。私だってそちらの立場であれば似たようなことを思うのだからとても自然なことである。

 

「今更どうしようもないけれど、もう少し店のキャパを大きくしておいた方が良かったわね。大きめの講堂を借りるとかにして」

 

 メイド姿で受付をしていた鈴音さんが行列を見てそんなことを言って来た。私も確かにと頷きを返す。

 

「でもクラスメイトの数には限界があるからどうしようもない部分はありますよ」

 

「それはそうね、女子全員を接客役のメイドとして働かせたとしても二十人が限界。店は大きくできても人手は増やせない以上は……はぁ、難しい物ね、店の運営というのも」

 

 鈴音さんは溜息を吐いて店の運営の難しさについて考え込んでいる。学生の内の経験するようなことでもないので最初から全て完璧に進められないことはわかっていたのだが、いざこうして問題が目の前に現れるとやはり悩んでしまうらしい。

 

 気持ちはわかる、しっかりと準備は整えたつもりだし、これで問題はないとリハーサルでは確認もしたのだが、こうして本番では予定通りにとは行かないのだから。

 

 ただこれはこれで良い経験だと思う。私や鈴音さんもそうだし、クラスメイトもそう、何だったら全校生徒にだって同じことが言えるだろう。外のと関わりが薄いこの学園にとっては丁度いいカンフル剤なのかもしれない。

 

 そんな風に考えるのは、私が生徒会役員として働いているからなんだろう。そこまで熱意があった訳じゃないけれど、いつの間にかこの学園の生徒会役員として色々と思う所が生まれたということなのかな。

 

 この文化祭が全校生徒の成長の場になって欲しい、今ではそう思っている。

 

「こちらのお席にどうぞ」

 

 行列の先頭にいるゲストを中に案内して空いたばかりのテーブルに誘導する。もう何度も繰り返したことではあるが、一向に波が途切れない。

 

「テンテン、あちらのゲストが写真撮影を希望だって」

 

「了解しました」

 

 波瑠加さんが撮影台に立つ来賓からの注文を私に伝えて来る。なのでしっかりとした対応で写真撮影に応じるのだった。

 

 この撮影も慣れたものである。リハーサルである程度は経験できたこともあるが、文化祭が始まってからと言うもののこれまた指名が途切れないからだろう。

 

 撮影台に立つ、笑顔というジャブを食らわせてから主導権を握って撮影をする。偶に絶妙なセクハラをしてくるゲストもいるけど笑顔で対応しておこう。その繰り返しの先にどこか流れ作業のようになってしまっているけど、良いペース配分になっているのは間違いない。

 

 今現在の指名率は私がトップ……つまりゲストから高評価をそれだけ貰っているということだ。

 

 次点は桔梗さん、ちょっと歯ぎしりの音が聞こえて来るけれども、何でもそつなくこなしてくれるのでとても助かっている。それに天子状態で笑顔を送れば心臓でも掴まれたかのような顔になって苛立ちも引っ込めてくれるのでありがたい。

 

 そんな桔梗さんは行列が長くなるにつれて自主的にそちらの対応に動いてくれている。

 

「お待たせしてすみません、良ければこちらをどうぞ」

 

 そう言いながら桔梗さんは教室の外に出来ている行列を形成する来賓たちにクッキーが入った袋を配っていくのだった。ティッシュやチラシ配りなんかもそうだけど、男から渡されるよりも女性からああやって渡された方が不思議と嬉しいものなんだよな。

 

 特に桔梗さんは人との距離感を測るのに長けているので、その辺の塩梅も抜群に上手い。女性には女性の、子供には子供の、そして男性には男性の、不快に思われない接し方を心がけているようだ。

 

 行列のストレスはあれで多少は緩和されるだろう。店のキャパは限界ギリギリだがなんとか凌げている……後はピークをどう超えるかだろうか。

 

 テーブルの稼働率はほぼ百パーセント、メイドの運用率も同様。しかしこの文化祭では生徒は必ず一時間の休憩を挟まなけれならないルールなので常に女子を店で働かせる訳にはいかない、学生の内からブラック企業はダメだと教えている訳だな。

 

 今で限界ギリギリ、まだキャパは超えていない。問題解決役の須藤たち男子チームは皿洗いに回すとして、なんとかこのピークが落ち着くのを待つしかないだろう。

 

 そう、ここがピーク、私はこの賑わいをそう思っていたのだ……それが勘違いであると知ったのは彼女の登場と共にである。

 

 

「お、お待たせ、今から私も接客に出るね」

 

 

 そう、愛里さんの登場によっていよいよ客足は限界突破することになるのだった。

 

 私がピークだと思っていた場所は、どうやらまだ中腹であったらしい。

 

「……武術と同じだな」

 

 限界などないのだと、底などないのだと、果てなどないのだと、武術の鍛錬を続けている内に数え切れないほど思い知った筈なのに、私はここが天井なのだと勝手に思っていたのである……愚かなことに。

 

 ようやくの午後、外で宣伝をして広告塔になっていた愛里さんは一時間の休憩を挟んだ後、いよいよ店に立つことになった。

 

 正直なことを言わせて貰えば、芸能人の知名度や視線を集める力というのを甘く見ていた所はあるのかもしれない。まるで師匠モードになった時のように今の愛里さんは不思議な引力を持っているようにも見える。

 

 午前中の宣伝に力を入れたこともあってか、それともチラシや看板に書かれていたグラビアアイドルの雫との撮影会は午後からという謳い文句に引っ張られてか、いよいよパンクするまでゲストが訪れることになるのであった。

 

「拙いよ天子さん、行列がどんどん長くなってるみたい」

 

 午前中は列ができたとしてもせいぜい数組程度であったのだが、午後に入ってからは一気に客足が伸び始めた。それこそクラスのメイド隊をフル稼働させても一向に行列が縮まらないほどに。

 

 桔梗さんも流石に拙いと思ったのか、慌てて相談してくるほどであった。

 

「仕方がない、緊急対処として廊下での撮影会を行いましょう」

 

「え、廊下で?」

 

「はい、店の中と外で同時に行います」

 

 幸いにも予備としてカメラは二台レンタルしている。そして基本的にポイントで借り受けている店の場所は廊下までなら問題はない。

 

 どうせテーブルの数も椅子の数も限界なのだ、これ以上人を招いてもパンクするに決まっている。

 

「ゲストはここにお茶を飲みに来てる訳でもなければ、料理を食べに来ている訳でもありません、それらはあくまでおまけでありついで……メイド喫茶の主力はあくまでメイドとの時間ですから」

 

 最悪、撮影だけでも後にゲストたちにとって話題となるのならばそれで良いと思う人もいるだろう。招かれている来賓は政治家やスポンサー関連が殆ど、そういえば以前にこんなことがあったんですよという話を支持者とできるような話題を提供できれば満足するかもしれない。

 

 だが雑に扱うという意味ではない、誠心誠意の対応はメイドにとって基本中の基本。これもまた武術でも同じことが言えるな……メイドと武術はもしかしたら通じる部分があるのかもしれない。

 

「鈴音さん、撮影台の準備をお願いします」

 

「わかったわ」

 

「桔梗さん、引き続き外の対応を」

 

「うん、任せて」

 

 最悪なのは不誠実な対応をして印象を悪くして行列から離れさせてしまうことだろう。ならば撮影会だけでもやっておくべきだ。ただずっと外で待たしておいて撮影だけしてさよならではメイド道を汚すことになってしまうので、誠意をしっかりと示しておこう。

 

「愛里さん、君も外での撮影会を頼むよ」

 

「え、あ、はいッ」

 

 客足が伸びた最大の理由は愛里さんが店に入ったことが最大の理由であったので、彼女は廊下での撮影に回しておくべきだろう。

 

 午後になると同時に増えた行列は間違いなく愛里さん狙い。なので長々と待たして店まで引きずり込む前に餌をぶら下げる。

 

「須藤くん、多目的室から椅子を運んで来てくれますか。ゲストの方々を長く立たせたくはないんです」

 

「お、おうわかった、任せてくれ」

 

 厨房場所で皿洗いを行っていた須藤たち男子チームには行列を作っているゲストたちに座って貰う椅子を持って来て貰うとしよう。お願いすると須藤はどもりながらも引き受けてくれるのだった……とても難しい顔をしていたが、まだ天子と接することに頭が混乱するらしいな。

 

「佐藤さん、森さん、お二人は一旦、接客から離れてクッキーを袋に詰める作業に集中してください。行列を作っているゲストの方々に配りますので」

 

「あ、わかった、リボンとか巻く感じかな?」

 

「はい、可愛らしい感じでお願いします」

 

 とりあえず行列の対応はこれで良いだろう。相変らず忙しいが客離れを加速させる訳にもいかなかった。

 

 後は耐え凌ぐだけ、さながら籠城戦の如く、相手の勢いが弱まるまで耐え凌ぐのだ。

 

 廊下の方に視線を向けてみるとそこでは鈴音さんがテキパキと撮影台の設置を行っていた。メイドとして働くよりもああいう仕事の方が彼女的には動きやすいのかもしれないな。

 

 私はキリッした顔をしている鈴音さんが凄く魅力的に思えるんだけど、他の人からするとムスッとした顔に見えるらしい。

 

 なので未だに撮影指名は入っていない。内心ではホッとしているのかもしれないな。無理矢理笑顔で撮影しても多分良い結果にはならなかっただろうし。

 

「天子さん、準備ができたわ。貴女も外の対応をして頂戴」

 

「そうさせていただきますね。王さんによるとそろそろ物資が切れそうなので追加の補充が必要だそうです」

 

 撮影台を作り終えた鈴音さんがそう報告してくるので、私も報告を行う。

 

「そう、かなり余裕をもって用意した筈だったけどそれでも足りなくなりそうなのね……嬉しい悲鳴と言うべきかしら」

 

「そう思うしかありませんね」

 

「ケヤキモールに買い出しに行ってくるわ」

 

「宜しくお願いします」

 

 残っている軍資金で物資を補充するしかなかった。売上競走をしている途中なので売り切れましたとは言い辛い。

 

 ケヤキモールに向かう鈴音さんを見送ってから私も廊下へ出て来賓の対応に回るとしよう。

 

「佐倉さん……随分と慣れてるんだね、凄いよ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 廊下に出てみるとさっそく出来上がった撮影台の上で桔梗さんと愛里さんが撮影会をしているのだけれど、ちょっと桔梗さんの対抗意識が強く出ているようにも見える。

 

 ああやって二人が撮影台に立つとまるでアイドルユニットのように思えるのだけれど、内心ではバチバチと火花が散っているのかもしれない……いや、桔梗さんからの一方的なものだけれど。

 

 どうやら今の愛里さんにライバル心が芽生えたらしい。とても魅力的だからね。私もメイドとして負けてはいられない……なんて考えていると自分が男であることを思い出して気分が地を這うように沈んでしまう。

 

 拙いな、天子人格を師匠モードで作ってからと言うものの、精神汚染が深刻になってきている。文化祭が終わると同時にこいつは封印しないといけない。

 

 なんてことを考えているとは欠片も出さず、私もまた行列を作る来賓の対応に急ぐのであった。

 

 並んでいる行列を観察すると大体半分ほどが愛里さんの宣伝に引っ張られて来たようだ。更にその三分の一ほどがグラビアアイドルとしての愛里さんを知っている人と思われる。

 

 つまり全員が全員、愛里さん目当てではないのだろう。中には可愛いメイド姿で宣伝していたことが印象に残っており、その相手がとびっきりに可愛い子だったという印象で来ている人も多い。

 

 どうしても愛里さんとじゃなきゃ嫌だという熱心なファンは彼女に任せるとして、私と桔梗さんはそれ以外のゲストの相手をするべきだろうな。

 

「ふふ、良ければ一緒に写真撮影でもどうですか?」

 

 来賓の一人、お父さんと一緒に並んでいた小学生と思われる少女にそう声をかける。この子の反応を観察していてわかったのは、目当ては愛里さんでも無ければ喫茶店でもないということだった。

 

 どちらかと言えばフリルが沢山付いた可愛らしいメイド姿に興味があるらしい。これくらいの少女にはこういうヒラヒラでフワフワな装いがとても可愛いものだと思えるのだろう。

 

「本当? ねぇパパ、写真とってもいいかな?」

 

「ん? 良いんじゃないか? まだ行列も続いているからな」

 

 ご両親の許可も取れたのでさっそく少女と撮影会である。やはりフリルやリボンの多いメイド服を可愛らしいと思っていたのかキラキラと瞳が輝いているな。

 

「天子さん、私とも一緒に良いかな?」

 

 さて撮影だと話を進めていると、桔梗さんがこちらに割り込んで来る。さっきまで愛里さんと競うように撮影をしていたのだが、どういう心境の変化だろうか。

 

「……負けたくないんだよね」

 

 そして小声でそう言ってくる、ちょとゾッとするような冷たい感情を瞳の奥に宿しながらだ。

 

 なるほど、桔梗さん的には撮影指名で後塵に甘えることはできないらしい。普段ならともかく今の愛里さんは抜群に可愛らしい上に指名もうなぎ上りだし、それは私も同じ。

 

 皆のアイドル的な立場としても歯がゆい状態なのかもしれない。しかも私に関しては実は男である、そんな相手に指名数で負けたりすれば奥歯くらいは噛み潰しそうだ。

 

「絶対負けない絶対負けない絶対負けない絶対負けない絶対負けない絶対負けない……何がグラビアアイドル、何が男の娘……絶対に負けない」

 

 師匠モードの私にしか聞こえないくらいの声量でそう繰り返している。ちょっと怖い。

 

 しかしそんな内心を少女には欠片も見せないまま見事な笑顔を見せつけると。一緒に撮影台に立って私と一緒に少女を左右に挟むのだった。

 

「ほら天子さんも」

 

「えぇ」

 

 そして少女を中心に互いの手を合わせてハートマークを作る。なかなかに可愛らしいポーズではなかろうか。少女も満足そうではある。

 

「あの、この子とも撮影していただけますか?」

 

「勿論です、お任せください」

 

 少女との撮影を終えると、行列を作っていたゲストの一団からそんな注文が飛び込んで来た。ご両親に勧められてまた別の少女が出て来る。

 

 なるほど、これが桔梗さんの狙いか、子供と接し易い雰囲気と行動を行列を作るゲストたちに見せつけて指名を取ろうという作戦なのだろう。愛里さんはある種の固定客が常にいる状態で撮影しているけれど、桔梗さんにその支持基盤はないので対抗するにはこれしかない。

 

 流石に上手いな、なんであれ行列待ちしている人が飽きないように工夫しているようなのでこちらとしてもありがたい。

 

 だが私とて今は最高で最強のメイドである天子モードである。やるからには全力を尽くす。

 

 

 より深く、より強く、自らの存在を高次に高めていく。瞼を閉じて深呼吸を繰り返し、瞑想の先にある無念無想へと手を伸ばす。師匠モードを深めた時に辿り着くあの感覚を今ここで引っ張ってくるのだ。

 

 

 いつからだったかな、この集中状態を自在に引っ張って来れるようになったのは……師匠に山の頂上から蹴り落とされた時だったか。

 

 大切な戦いの時にこの集中感覚は外せない。たとえそれがメイドであろうとも、戦いである以上は全力を尽くすだけだ。

 

 瞼をゆっくりと開く、その瞬間に最高で最強のメイドは完成することになる。

 

 そこにあるのは引力だ、誰かを酔わせる光だ。極限の集中状態で作り上げる存在感でありカリスマだ。

 

「皆さま、お暇ならば私と写真撮影でもいかがでしょうか?」

 

 優雅にカーテシーの姿勢を見せつけると、無数の視線と意識がこちらに向けられるのがわかった。こういうのを魅了するというのだろうか、或いは見惚れるだろうか。

 

 どちらにせよ負けるつもりはない、演説一つで世論を変えられるような独裁者のように、言葉一つで戦士を奮い立たせる英雄のように、空で最も輝く星のように、人々の視線と意識をこちらに向ける。

 

「くッ……まだ、だよ。まだ私は負けていないッ!!」

 

「こっちだって……天子ちゃん、勝負だよッ」

 

 桔梗さんは苦し気に、愛里さんはどこかムッとして対抗してくるようだ。この最高で最強で完璧で完成した究極のメイドに。

 

 こうして私たち三人は行列を作るゲストの人たちの対応を請け負うことになる。写真撮影の指名率も競う合うことになり、それはもう大量のポイントを稼ぐことになるのだった。

 

 最終的にはお昼時とおやつ時を乗り越えた段階でようやくピークは落ち着くことになるのだが、その間に三人で撮った写真は数え切れないほどであった。

 

 これならば売り上げの上位入賞はできるだろうと確信を抱くと同時に、私はルールで決められていた休憩時間となり戦線を離脱することになる。

 

 気が付けばという奴だな、ようやくの休憩だ。

 

 

 さて、そろそろ八神も動いているだろうし、いよいよそっちに集中しないとな。

 

 

 この学校で見る最後の光景がメイドの天子になるかもしれないけど、踏みとどまってくれることを祈るしかなかった。

 

 

 

 まぁまだ余裕はある、せめて祈りくらいは捧げておこう。どうか冷静に対応してくれますようにと。

 

 

 

 



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文化祭の片隅で

 

 

 

 

 

 

 

 

「休憩入ります。皆さん、後は宜しくお願いしますね」

 

「天子ちゃんお疲れ~」

 

 この文化祭では生徒は必ず一時間の休憩を取らなければならないルールである。国が運営する学校なのだから若い内からブラック企業や残業はダメだと教えているのだろう。

 

 なので私も休憩を取らなければならない。写真撮影の指名率で猛追してくる愛里さんと桔梗さんの存在感があったのでもうちょっとくらい頑張りたかったのだが、退き時を間違えてはいけないのはメイドも武術も同じである。

 

 だから私の仕事はここまでであった。まだまだ体力は幾らでも余っているけれど、ルールなので仕方がない。

 

 仕方がないけれど、勝利する為にはあらゆる努力を惜しむべきではないだろう。なのでせめてもの抵抗として私はメイド服を脱ぐこともなく休憩に入るのだった。

 

 色々とやらなければならないこともあるのでちょっと予定が立て込んでいるのだけれど、清隆が細かい調整をやってくれるとのことなので、私は出番があるまでのんびりとさせて貰おうかな。

 

 ただし勝利への努力は惜しまない。休憩しなければならないルールだけど、それとなく宣伝することだってできるのだ。メイド服はとても目立つし天子は最高に可愛い完成されたメイドなのでそこに立っているだけで宣伝となる。

 

 休憩してるよ? 間違いなくルール通り休憩してるけど、メイド姿で天子が歩くだけで宣伝になるのだから着替える訳にはいかないのだ。

 

 愛里さんが散々宣伝してくれたので今更私が宣伝した所で大した意味はないのかもしれないけれど、一人くらいメイド喫茶に訪れる人が増えるのならばやらない理由はない……これは真剣勝負の舞台なのだから。

 

 そんな訳なので私は天子モードのまま校内を徘徊することになる、よく目立つメイド姿で。これは休憩してるだけだから、宣伝はしてないから、ちゃんとルール守ってるから、何も問題はないと思う。

 

 こうしてメイド姿で校内を徘徊しているとチラチラと無数の視線を感じる。好奇心から下卑た感情まで様々なものではあるが、注目を浴びているので一応の宣伝にはなっているのだろうか。

 

 休憩中なのでクラスの出し物は手伝えないけれど、ピーク時を過ぎたメイド喫茶に一人でもゲストを送り込めるのならば儲けもの、そんな考えがあるからこそのメイド姿であった。

 

 文化祭も後半戦、ラストスパートとも言える。ここでどれだけ出し切れるかが重要になるだろう。メイド姿で校内を徘徊するのだって全ては勝利の為である。

 

 まぁこうして歩いているだけで宣伝になるんだ、一応は休憩中なので看板も持てないしチラシも配れないけど、ただ歩いているだけで目立てるので楽なものだ。

 

「ん……まだ出番はなしか」

 

 スマホを確認してみると清隆からメールが届いており内容は「まだ出番はない。もしもの時は流れでなんかいい感じに頼む」とかなり雑な方針であった。

 

 大丈夫なのか? 最近の清隆はかなり脳筋になってきたから心配である。ごちゃごちゃ小難しく考えないでさっさとぶん殴れという考えには大いに同意できる所ではあるのだが、八神だって馬鹿じゃないんだからそこまで都合良く動くとも思えない。

 

 ホワイトルームで様々なことを経験して様々な知識を得たのが八神である。彼はそんな環境で育って高い成績を叩きだしていたのだ、警戒心だって強いだろうし処世術だって知っている。

 

 つまり彼はとてつもない強敵ということだ。月城さんが大人の権力者として厄介な相手ならば、八神は単純な性能という点でもしかしたら月城さんを上回るかもしれない。

 

 懐に銃を忍ばせているという想定で、腹部に爆弾を隠しているという前提で、実はボタン一つで学園を海に沈める準備を入学してから少しづつ進めていたという警戒くらいは必要な相手なのかもしれない。

 

 侮るつもりはない、ホワイトルーム生ならこの学園を爆破するくらいはするという私は思っているので、八神はとても警戒しなければならない。

 

 もちろん大袈裟な想定であり警戒なのかもしれないけれど、敵を過小評価してもなんの意味もないので、やりすぎなくらいに過大評価するくらいでいい。

 

 私は殺されるかもしれない……敵に挑む時はいつだってその心構えが大切である。必ず勝てる戦いなんてないのだから。

 

 なので今の内に八神を前にした時に備えて精神を集中しておこう。戦いが始まる前にそういった時間が取れるのはありがたい話である。遭遇戦でも無ければ奇襲でもないので精神統一をする時間は幾らでもあった。

 

 そんなことを考えながら出番が来るまで校内を徘徊していると、文化祭の賑わいから少し離れた位置で佇む一人の少女の姿が目に移る。

 

 グラウンドの端っこにあるベンチに座り、何をするでもなくぼんやりと周囲を眺めているのは印象的であった。ついでに言うのならば話しておきたいとも思っていたので声をかけるとしよう。

 

「どうかしましたか、帆波さん」

 

 グラウンドの端っこにあるベンチに座っていたのは帆波さんであった。私と同じく休憩中であったのか、それとも疲れていたので小休憩の途中だったのかはわからないが、彼女が一人でいるのは珍しい。

 

「え、えっと……あの、ごめんね、確か――」

 

 急に声をかけられた帆波さんは私を見てなんだか混乱した様子を見せる。そう言えばメイド姿を見せるのは初めてのことだったと今更ながら自覚する。もしかしたら彼女は見慣れない私の姿に一年生なのかと考えて名前と顔を思い出そうとしているのかもしれない。

 

 だがどれだけ思い出そうとしても顔と名前が一致しなかったのか、最終的には謝罪されてしまうのだった。

 

「なんだかこうして話すのは久しぶりですね」

 

「……」

 

 また深く考え込む帆波さんは、必死に私が誰であるのかを思い出そうとしているようだ。本当にすまない、こんな格好で話しかけてしまって。

 

「誰かわからないと言った顔ですね……ほら、私ですよ」

 

 口調も雰囲気も天子モードなので帆波さんはずっと混乱したままである。なので被っていたかつらを取って雰囲気も戻す。

 

「……えッ、えぇッ? うん、あれ、笹凪くん?」

 

「うん、ウチのクラスはメイド喫茶を出し物にしているって知ってるだろう? 何の因果かメイド役になってしまってね……誤解はしないて欲しいんだけど、別に好きでやっている訳じゃないんだ」

 

 それもこれも清隆が悪い、可愛い子ならばクラスに沢山いるのに俺までメイドにするなんて……この恨み忘れるものか。

 

 まぁ今は帆波さんである。ここ最近は避けられ気味であったので話す機会が欲しかったんだ。

 

 一応は隠れた宣伝中なのでまたかつらを被り直す。するとそれを見ていた帆波さんは物凄く難しそうな顔をしてしまうのだった。

 

「さ、笹凪くん? あ、あれ? か、可愛い、メイド、可愛い、メイド? で、でも笹凪くん……うッ、頭が」

 

 何やら困惑しながら帆波さんはグルグルと目を回す、目の前にある情報を処理できなかったのか最後には頭痛を訴えてしまう。

 

 龍園や南雲先輩もそうだったけど、俺が私である事実を知ることはそんなにも精神的な衝撃が大きいのだろうか?

 

 グラウンドの片隅にあるベンチに座ってグルグルと目を回す帆波さんを放置もできなかったので、とりあえず隣に座って落ち着かせるとしよう。

 

「落ち着いてください、そんなに混乱しなくても、俺が私であるというだけですから」

 

「そこが一番混乱する所だよッ!?」

 

 天子はなんらかの精神汚染をする装置なのだろうか、確かに普段とのギャップと言うか、認識のズレによって大きな衝撃を受けるのはわかるけども。

 

「は~……ほ~……へ~……凄いや、なんか、凄い……人間ってここまで綺麗になれるんだ」

 

 ベンチの隣に座っている帆波さんは、天子モードの私を見て未だに混乱した様子だ。感心したような、呆れたような、恐れるような、奇妙な言葉を発した後に、何やら頭を抱えるのだった。

 

「うッ……また頭がッ」

 

 そしてまた頭痛を感じ取ったのか額を押さえる。天子はどうにも毒になる場合があるらしいので気を付けないとな。

 

「おほん、実は帆波さんと話がしたいとずっと思ってたんだ……ほら、ここ最近はそんな機会もなかったので」

 

「え、それは……その、そうだね」

 

「帆波さん、生徒会も辞めてしまったし、余計にね」

 

「ごめんね……忙しい時に」

 

「止める権利もなかったので何も言わなかったけれど、まぁ納得しているのなら何も伝えるつもりはありません……そこら辺はどうでしょうか?」

 

 ベンチに腰掛けて視線だけを帆波さんに向けると、彼女は一瞬だけ硬直してから次の瞬間には視線を逸らしてしまう。

 

「納得は、してるよ……私は、生徒会には相応しくないって」

 

「それは過去の件があるからですか?」

 

「うん、そうだね……それに」

 

 そこで帆波さんは言葉を区切った。そして視線を右往左往させて彷徨わせるのだが、最終的には空へと向けてしまう。こちらを見つめることは憚られたらしい。

 

「他にも理由があるんですか?」

 

「うん……」

 

「何か悩みがあれば幾らでも聞くんですが」

 

「それはダメだよ、何度も何度も笹凪くんには相談に乗って貰って、何度も助けてくれて……本当にダメだよね、甘えてばかりで」

 

「以前にも言ったかもしれませんけど、誰かに頼るのは悪いことではありませんよ。それができない人よりも、できる人の方が立派ですらありますから」

 

「……」

 

 そんな言葉に帆波さんは空に向けていた視線をこちらに向けて来る。

 

「優しいね、本当に……だから、私はダメなんだと思うんだ。もっと上手くやれると思ってたし、今度こそって思っても、いつもどこかで助けて貰えるって甘えてたんだと思うんだ」

 

 視線が結び合う、不安に揺れ動く彼女の瞳は一年の頃の騒動で見た時に近しいものであった。

 

「きっと私は、クラスのリーダーにも、生徒会役員にもなるべきじゃなかったの……私よりも凄い人は沢山いて、私よりも努力している人だって沢山いる。なのに浮かれてた、私ならって」

 

 ここ最近のクラスの状態や、特別試験での勝敗、上手くいかないジレンマを抱えている内に精神的に折れてしまったということだろうか。

 

「私たちのクラスはAクラスになれない……私がダメダメだから」

 

「渡した八億があるじゃないか」

 

「うん、もうそこにしか頼れないんだよね……そこだけが唯一の救いで、とても残酷なことなんだよ」

 

「残酷?」

 

「うん、私は天武くんに甘えてばかりなんだなっていう証明みたいに感じられるから」

 

 そこまで難しく考える必要はないのだけれど、そういう言葉は飲み込んでおいた方が良いんだろうな。

 

 誇りや矜持は大切なことだ、私にとってはポイントの運用などそこまで深刻に考えるほどのことではないけれど、使う側からしてみれば重たいものであるに違いない。

 

 別に帆波さんだけの話でもなく、同じようにポイントを渡した龍園や坂柳さんだって同じように重みを感じている筈だ。

 

 私としてはこんなポイントなんていらないと言って欲しくもあり、けれどしっかり使って欲しくもありと複雑な考えなのだが、それは渡された側も同じということか。

 

「ねぇ笹凪くん」

 

 いつ頃からか名前呼びではなく名字呼びになっていることに寂しさを感じながらも、帆波さんの言葉を待つ。

 

「ごめんね、約束守れそうにない」

 

「それはアレかな? 一年生が終わる時に結んだヤツ」

 

「うん、でも無理かなって……笹凪くんと並び立てるような、貴方と向かい合えるような、そんな風になりたかったけれど、私は一体何を高望みしてたんだろって最近は思うようになったんだ」

 

 とても暗い表情を見せてくる、やはり思い詰めているのだろう。こういう時は龍園とか坂柳さんのようなメンタルを見習うべきなんだろうな。あの二人は落ち込むとか無縁そうだし。

 

 前からわかっていたことだけど、帆波さんは責任感が強く思いやりの心が強い、それ自体は素晴らしいことだけどこの学校と相性が悪いんだろうな。

 

 もしこの学校でなければ帆波さん以上のリーダーはいないだろうし、この学校の外に出た瞬間に龍園も坂柳さんも足元に及ばないくらいに評価される人だってことをもっと理解できたらいいんだけど、環境がそれを許さない。

 

 この学校の掲げる実力ってなんなんだろう、今の帆波さんを見て私はそんなことを思った。

 

「そうか、約束は守れないか」

 

「ごめんなさい……私は笹凪くんの隣に立つことも、向かい合うこともできないや」

 

 誤魔化すように苦笑いを浮かべたので、ちょっとだけ意地悪なことをしようと思う。

 

 まだ二年生の半ばで諦められても困るのだ、勝てる勝てないの話なんて最初からしていない。私が求めているのはそこじゃない。

 

 人差し指を親指に引っ掛ける、所謂デコピンの形を作ってそれを帆波さんに向けるのだった。いつだったか清隆にした時のように加減を忘れると下手しなくても首が折れてしまうかもしれないので、可能な限り力を抑えておく。

 

「んにゃッ!?」

 

 そうして放たれたデコピンは帆波さんの額を打って変な声を上げさせるのだった。

 

「あのですね、帆波さん」

 

 天子モードを維持したまま話を切り出す。このままグダグダされて困るのは私の方なのだから。

 

「メンタルがクソ雑魚すぎます」

 

「クソ雑魚ッ!?」

 

「脆過ぎてちょっと心配になるくらいです、思春期なので仕方がないかもしれませんけど、変にシリアスな雰囲気を維持されても面倒なので止めてくれませんか」

 

「ひ、批判されてる?」

 

「当然です、ウジウジグダグダと、もっと軽く考えれば良いんですよ。八億あるから何も心配いらないぜベイベーみたいな感じで」

 

「そんな無茶な!?」

 

「持て余してるなら返してください」

 

「……え?」

 

「重たく感じるようなら、返してください」

 

「……」

 

「難しいでしょうね、当たり前のことです。でも、似合わないシリアスな雰囲気を纏っていつまでも嘆かれても困りますよ……なんで私はこの人に八億わたしたんだろうって後悔させないでください」

 

「……」

 

 帆波さんはこちらの言い分に絶句していた、けれど甘い言葉で慰めることは為にならないと判断して意地悪なことを言わせて貰おう。

 

「一之瀬帆波、今から優しい言葉が欲しいか、それとも厳しい言葉が欲しいか選びなさい」

 

「え……えっと」

 

 またもや視線を右往左往させた彼女は、天子モードの私を見つめて来る。

 

「や、優し……んん、厳しい言葉でお願いします」

 

「ではもう一発デコピンを」

 

「んにゃッ!? 言葉じゃなかった!?」

 

 ピシッと音を立ててまたデコピンが炸裂することになった。首の骨を折らないようにするのは気を遣うのでもう止めておこう。

 

 自分の額を撫でる帆波さんを改めて見つめ直してから、希望通りに厳しい言葉を贈るとしようか。

 

 そもそも複雑に考えすぎである、もっと言えば自縄自縛に囚われ過ぎである。責任感が強くて努力を惜しまないことはこの人の美点だけど、それがマイナス方面に向かってしまうとなかなか足を引っ張る感じだな。

 

 額を押さえて涙目になっている帆波さんは、さっきまでのシリアスな雰囲気をふっ飛ばしてこちらを恨めしそうに見つめて来る……そうそう、それで良いんだよ、変にグダグダされるよりもずっと良い。

 

「一之瀬帆波」

 

「ひゃいッ!?」

 

 天子モードで更に集中力を上げて師匠モードを併用すると、強力な圧力でも感じ取ったのか緊張で帆波さんは背筋を伸ばすのだった。

 

「グダグダ悩み過ぎだ、ウジウジ湿り過ぎだ、そんな様でよくもまあクラスのリーダーが務まるものだ!!」

 

「……」

 

 師匠モードによる圧力と、意識を引っ張る引力を発しながら帆波さんを叱りつける。ちょっと申し訳ない気分になるけれど、今の彼女には優しい言葉よりも厳しい言葉の方が適していると判断させて貰おうか。

 

 優しさは人を癒すもので、厳しさは立ち直らせるものである。未だ師匠には遠く及ばない未熟な私であっても、これくらいの偉そうな言動は許される筈だ。

 

「まだ何も終わっていないというのに何を勝手に終わった気になっている? つまらん理屈をこねくり回している間にやるべきことが幾らでもあるだろう」

 

「む、無理だよ」

 

「何故だ?」

 

「私に、そんな力がないから」

 

「自分が信じられないと?」

 

 頷きが返って来る。だからシリアスな雰囲気は止めて欲しい。

 

「そうか、ならもう信じるな……代わりに私のことを信じれば良い」

 

 口調がちょっとおかしいな、師匠モードになるといつもそうなんだけど、今は天子モードも混ざっているのでかなり精神汚染が深刻になっている。

 

「え?」

 

「自分が信じられないのだろう? なら私を信じればいい」

 

 ベンチに腰掛けてこちらを見つめて来る帆波さんの瞳を覗き込むように見つめ返す。

 

 彼女の瞳に映る天子は、師匠モードの影響もあってかやけに眼力と眼光が強い。こんな相手に見つめられると委縮するだろうなと他人事のように考えながら言葉を紡ぐ。

 

「私は君のことを尊敬している、友人としても、敵としてもだ。そんな君だからこそ八億を渡しても惜しくはなかったし、だからこそ渡したとも言える……この人ならばそれだけの価値があると確信したからだ」

 

「そ、そんなこと」

 

「私はそう信じている、ならば何を迷う必要がある? 自分が信じられないならばもう弱い自分は放置しておけ、その代わりに私を信じればいい……君ならばそれができると確信している私をね」

 

「……」

 

 なんて無知蒙昧で力づくの説得だろうか、こいつはもしかして馬鹿なんじゃないかと思わなくもないけれど、嘘偽りのない本音でもあった。

 

「安心しろ、俺が知っている一之瀬帆波はそこまで愚かでもないし弱くもない」

 

 こういうのは変に恥ずかしがったり、言い淀むべきじゃない。舞台役者のように堂々と、いっそやり過ぎなくらいが一番だろう。

 

 なのでとても大仰な動作で、ビシッと帆波さんを指差す。貫くように、心臓を掴むように。

 

 

「私がそう確信している、それ以上の証明なんて必要ない」

 

 

 傲慢な言葉である、だがそれで良かった。

 

「自分では勝てないなんて言葉は、最後まで全力で突き進んだ者だけが使える言葉だ。今こうしてベンチに座って涙目で溜息ばかりついている君に相応しくない……そうに違いない」

 

 指先が伸びる、それは唖然とこちらを見つめて来る帆波さんの肩に乗せられた。ビクッと体が震えるのを感じ取るのだが強引に固定する。

 

「さっさと私を殺しに来い、君ならそれができると思っている」

 

「……」

 

「グダグダ悩んでないで思考しろ、君ならそれができると確信している」

 

「……ッ」

 

「溜息を吐いている暇があるのなら何かを積み上げろ、君ならそれができると理解している」

 

「……ぁ」

 

 涙目が揺れ動く、そして涙が頬に零れ落ちていくが……厳しい言葉が必要とのことなので泣くことすら許しはしない。

 

「泣くな、君にはそんな暇すらない」

 

 頬に流れたそれを指先で掬い取った。

 

「一之瀬帆波、失望させてくれるな。私が君を尊敬しているという言葉を嘘にさせるな……厳しい言葉かもしれないが、突き進め」

 

 とても傲慢で我儘な言葉だけど、そう言うしかなかった。

 

 だって勝手に一人だけで全部が終わった気になられても困るのだから。

 

「そ、それでも勝てなかったら?」

 

「何も問題がない、その為の八億だ……そもそもクラスメイトを勝たせるなんて前提条件はもう突破している。ならば君がやるべきことはもっと単純だ、私に勝つことだろう」

 

 クラス闘争なんてものはもう私たちの学年では既に破綻している。だって全員をクラス移動させられるだけのポイントがあるからな。

 

 なら何故戦うのか、決まっている、意地と信念の為でしかない……そしてそれはとても大切なことであった。

 

 アイツに勝ちたい、あの人に負けたくない、クラス闘争だなんていう不純物を取り払ってそんな思いだけで私たちは今も戦っているのだ。

 

「クラスだとか、リーダーだとか、特別試験だとか、些末なことだ……ゴチャゴチャ悩んでないで、死力を尽くして挑んで来い。私を倒すのだと、そう言えばいいんだ。その先で勝とうと負けようと、八億があるだろう……ん、傲慢な言い方をしようか、私に敵として尊敬されるのはAクラスで卒業するよりも大きな価値があると」

 

「……」

 

「できるね?」

 

「ぁ、は、はい!!」

 

 うむ、とても強引で力任せな話し合いだったな。けれど悩んでいる相手にはそれくらいで良いだろう。

 

「ならば良し、悩むな迷うな卑下にするな、勝利に浮かれるのも敗北に嘆くのもまだ早すぎる。そんなことはどうでもいいからさっさと殺しに来い、それでいいのさ」

 

 最後に話は終わったとばかりに私は微笑んだ。帆波さんの瞳に映る天子は相変わらず眼力がギラギラで恐ろしいのだけれど、笑った顔をみると少しだけ緊張が和らぐのかもしれない。

 

「少しやる気が出てきたのなら、また前進だ。何度か言ったかもしれないけれど私たちにできるのはいつだってそれだけさ」

 

「うん」

 

「それともう一つ伝えておくことがあった。帆波さんの生徒会脱退だけどまだ受理はされていないからね」

 

「え、そうなの?」

 

「人手不足だからね、気が変わるかもしれないってことで鈴音さんが止めている……まぁ今後クラスのことに集中するっていうんならそのまま進めるけれど、どうかな?」

 

「い、今はまだ……わからないかも」

 

「その気があるのなら生徒会に来てくれ……おっと、もうこんな時間か、じゃあ私はそろそろ行くよ、この後ちょっと予定があってね」

 

 言いたい放題言って後は丸投げである。これから先どうするかは帆波さん次第なのでどうとでもするのだろう……彼女はそれができる人だ。

 

「あ、あの、さ、笹凪くん」

 

「ん、何かな?」

 

 さてそろそろ桔梗さんと八神が動く頃合いだと思ったので生徒会室に向かおうとすると、帆波さんがこんなことを言って来る。

 

「あ……えっと」

 

 振り返って再び見つめ合うと、彼女はとても困惑して言葉を濁してしまうのだった。

 

 けれどそれではダメだと思ったのか、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。

 

「私……ま、負けたくない人がいるの」

 

「ん、それで」

 

「どうすれば、良い?」

 

「それを決めるのは君だよ」

 

「もしそれで迷惑をかけちゃっても、かな?」

 

「迷惑をかける自覚があるのかい?」

 

「……うん」

 

「何も問題はないさ」

 

「え?」

 

「君が負けたくないと、そんな風に思う程の相手ならば、そこまで弱い人でもないだろう。帆波さんが強敵に思うくらいなんだから中途半端な気持ちで挑んで勝てないんじゃないかな……つまりその人はとても強い人ってことだ」

 

「そうかも、しれないね……強くて、綺麗な人だね、眩しいくらいに」

 

「そんな相手なら中途半端な意思で挑んだ所で叩き潰されて返り討ちになるだろう、迷いがあるのならば尚更だ……負けたくない相手に挑むのならば、揺るがない覚悟を示すべきだ。私に言えるアドバイスはそれくらいかな」

 

「そっか……そうなのかな」

 

 少なくともその相手を強敵と帆波さんが思っているのならば、ブレブレの状態で勝てるわけがない。

 

 決意が必要だ、覚悟も必要だ、それを貫く意思だって。

 

 それを結べるかどうかは帆波さん次第である。

 

 また深呼吸をした帆波さんは、力を徐々に瞳に宿していく。少なくとも迷いは晴れたらしい。

 

「天武くん」

 

 そして私の名前を呼んだ、名字ではなくまた名前呼びに戻っている。

 

「待ってて……必ず、挑むから、貴方に認められるような敵になるから、もう迷わないから。尊敬してくれるって言葉を絶対に嘘にはさせないから」

 

「うん、待ってる」

 

「もしそれで、私が勝てたその時は――」

 

 そこから先の言葉を彼女は発しなかったけれど、自分の中で大切にするべき言葉であると判断したのか飲み込むことになる。

 

 もう大丈夫そうだ、瞳に意思が宿っている。同時にそれは目の前の少女が強敵になった瞬間なのかもしれない。

 

 最後に、私の喉元を食い破るのは龍園か坂柳さんか、それとも帆波さんかいよいよわからなくなってきたな。

 

 あぁ、だけどそれで良かった。こちらを蹴り落としてこんなポイントなんているかと送り返してくるような、そんな人と出会えるのならば私はとても幸福になれるだろうから。

 

 だから、最後の戦いが今からより楽しみになるのだった。

 

 

 さて、そろそろ時間なので移動しないと、八神がどう出るか不透明なのでしっかりと待機しておきたいんだよね。

 

 思っていた以上に帆波さんをストロングスタイルで背中を押すことになったので、予定時間が迫ってしまっている。

 

 

「きゃあああああッ!?」

 

 

 桔梗さんは大丈夫かなと、生徒会室にいるであろうクラスメイトのことを思い浮かべていると、校舎の方から私がいるグラウンドにまで響き渡るような悲鳴が届くことになってしまう。

 

 うん、あれ? なんか騒ぎが大きいな、何があったんだ?

 

 

「おいヤバいぞッ!! 一年の八神が大暴れしてるってよ!!」

 

「八神ってあれだろ、何か大人しそうな一年だったか? なんで暴れてんだよ」

 

「南雲がぶっ飛ばされたらしい!!」

 

 校舎に近づくと三年生たちのそんな会話が聞こえて来るのだった……いや、ちょっと追い詰めただけでそこまで暴れるってどうなんだ、いくらなんでも沸点が低すぎるだろう。

 

 もしかして隙を晒したことで焦って開き直ったのだろうか、もうどうにでもなれと考えるにしてもいきなりすぎるだろうに。

 

 前から思っていたことだが、八神は頭が良さそうに見えて実はゴリラ寄りの存在なのかもしれない。最終的にはぶん殴って解決とか完全にゴリラだと思った。

 

 ホワイトルームはどんな教育をしているんだろうか、秩序のない暴力はダメだと教えてあげたい。

 

 

 

 



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既に詰んでいたので、後は暴れるしかない男

 

 

 

 

 

 

 

 

 八神視点

 

 

 

 

 

 始まりは下駄箱の中に入っていた一枚のラブレターだった。ホワイトルームで一般的な高校生活の参考として渡された少女漫画の中に似たような状況があったことを思い出す。

 

 これがそうなのかという新鮮さと、これは罠だろうなという冷静な部分が僕にはあった。嬉しさや恥ずかしさよりも先に警戒心が出て来るのはホワイトルームの教育のおかげだろう。

 

 そう、あの場所で鍛えた体と、学んだ知識に間違いはなく、完全完璧な天才としての一歩を踏み出した僕には、このラブレターが文字通りの意味ではないと察した訳だ。

 

 いや、ある意味ではラブレターなのだろう。僕にとって最も憎らしく警戒すべき相手が垂らして来た糸だと考えれば、なるほどこれはラブレターと言えるのかもしれない。

 

 綾小路清隆、僕にとって世界の頂点で、越えなければならない壁であり、完成系。

 

 僕にとっての世界とはホワイトルームであり、綾小路清隆なのだ。

 

 僕の人生とはつまり綾小路清隆と比べられることであり、一から百までそれで完結していることでもあった。

 

 一挙手一投足が、思考の全てが、努力の積み重ねが、ありとあらゆる行動と成果が「綾小路清隆の方が凄かった」で完結することになる。

 

 それを世界の全てと断言しても過言ではないだろう。僕にとってあの男は壁であり月であり太陽であり……やはり世界の全てであった。

 

 悍ましい、憎らしい、気持ちが悪い……そんな感情の中にほんの僅かにある恐怖を見ないふりをしながら、僕はまた綾小路清隆の姿を思い浮かべる。

 

 朝起きて綾小路清隆を憎み、登校中に唾棄して、授業中に呪詛を垂れ流し、昼食の時に吐き気を催し、放課後になって綾小路清隆の写真に釘を打つ。

 

 そして夜寝る時に、背筋が震えるような恐怖を抱きながら眠りに落ちる。

 

 この学園に来てからずっと繰り返したルーティン、歯を磨くようにあの男を思い、風呂に入るように憎み、食事をするように恐怖する。

 

 僕の全て、僕の日常、僕の人生、その全て。

 

 いつになったら終わるのだろうか、どうすれば終わるのだろうか、考えた所で行き着く先は綾小路清隆から完膚無き完全勝利を得ることしかなかった。

 

 だから戦う、ホワイトルームで培った技術と知識と磨き上げた才能の全てを使って、それだけの話でしかない。

 

 綾小路清隆に勝つことができれば、それはつまり世界で最も優れた存在であることの証明に他ならない……ホワイトルームではそう教えられて来た。

 

 きっと僕の細胞の全てはその為にあるのかもしれない、そう思えるほどに何度も何度も何度も何度も言われてきた、あの男を超えろと。

 

 下駄箱の中に入っていたラブレターは、綾小路清隆に挑む為の第一歩なのかもしれない。中に入っていた手紙を読み取り、そこにあったアナグラムを解析してそう理解した。

 

 これはラブレターであると同時に、挑戦状とも言えるのかもしれない。お前に読み取れるのかという侮りと、来るなら来いとでも言いたそうな傲慢な内容だったけど、面白いじゃないか。

 

 構わないとも、どうせ遅かれ早かれぶつかりあう宿命であり運命なのだ、僕と綾小路清隆はそういう星の下に生まれてきているので寧ろ対峙するのは自然なことだろう。

 

 互いを敵と認識して戦う、このラブレターという体裁の挑戦状を始まりとしてだ。

 

 だから僕は僅かな緊張と共にその日を待ちわびた、文化祭も後半、手紙で指定された日時を今か今かと焦らされながら待ち続け、いよいよその日が訪れる。

 

 これもあってかクラスでは午後三時から休憩を取れるように調整もしておいた、無駄な雑音を宿命の戦いに紛れ込ませたくはなかったからだ。

 

 思い描いた戦いと、宿命と運命に彩られた聖戦を、僕はこれから始めることになる。

 

 そんな考えと共に、文化祭の賑わいが広がる校舎を歩いていき、辿り着いたのは生徒会の扉の前だった。

 

 無人島で怪我をしてからはあまり訪れなかったのだが、勝手知ったる場所でもある。だがこの扉の向こうにいるのが宿命の相手だと考えると僅かな緊張も走ることになってしまう。

 

 そんな怯えを見なかったフリをして、僕は宿敵がいる生徒会の扉を開くのだった。

 

 

「八神? 何故お前がここにいる?」

 

 

 だがその扉の向こうに綾小路清隆はいない。生徒会室にいたのは二年Aクラスの担任である真嶋先生と茶柱先生であった。生徒会に属していたことから教師陣とは面識があるのだが、それでもこの教員がここにいる理由がわからない。

 

 そしてもう一人、この生徒会室には僕の想定に無かった人物がいる。こちらの支配下にいる筈の駒の一つ、櫛田桔梗の姿が。

 

 真嶋先生、茶柱先生、そして櫛田桔梗、この三人がここにいる理由はなんだ? 綾小路清隆との宿命の戦いはどこにいったんだ?

 

「や、八神くん……な、なんでここに?」

 

 生徒会室に入って来た僕を見て、櫛田桔梗は怯えたような表情を見せる。

 

 そして真嶋先生と茶柱先生は視線を合わせてどうしたものかと考え込んだ。なんだ、僕がここに来るまでに何を話していたんだ?

 

「茶柱、良い機会だ、八神にも事情聴取をすべきじゃないか?」

 

「……そうだな」

 

 教師の二人はそんな話をしながらも僕を警戒するように見つめて来る、そして生徒会の席に座るように勧めて来るのだった。

 

 なんだ、これはなんだ、うなじに変な悪寒が走っている。綾小路清隆はどこにいるんだろうか。

 

「八神、話がある、席に座りなさい」

 

 茶柱先生がそう言って生徒会室の席を引く、すると真嶋先生は生徒会の扉の前に立ってこちらの逃走を防ぐかのような位置取りをするのだった。

 

「……なんでしょうか?」

 

 抵抗は……得策ではないか、まずは情報収集だな。

 

 そんなことを考えながら指定された席に腰を下ろす。嫌な予感はまだ消えない。

 

 何よりこちらを見る三人の視線が強い警戒と疑念が含まれているのだ。警戒しない方が難しいだろう。

 

「八神、お前には今、カツアゲとイジメの容疑がかかっている」

 

「――――」

 

 茶柱先生の説明に一瞬頭の中が真っ白になった。一つたりとも心当たりが無かった――いや待て。

 

 僕には毎月櫛田桔梗からポイントが送られている、まさかそれをカツアゲされたとこの女は教師に訴えたのか?

 

 不可能だ、イジメやカツアゲがあったなんて証明できる筈がない。いつだって監視カメラの位置は気にしていたし、わかりやすい暴力だって振るったことはない、体に痣でも残せばそれが証拠になってしまうからだ。

 

 落ち着け、証拠はない、今はまだ疑いの段階でしかない筈――。

 

「八神くんが脅して来たんです。もしポイントを渡さないと、クラスメイトを傷つけるって……私、怖くて」

 

 櫛田桔梗ッ!? お前はどの面下げて被害者側に立っているんだ!!

 

「ま、待ってください、誤解があります。そもそも僕はそんなことはしていません。何かの間違いです」

 

「櫛田はポイントを脅し取られていると訴えているぞ。そして現に、櫛田のスマホからかなりの額のポイントが八神に振り込まれていることを学校側は把握している。勿論それだけでカツアゲしたと確定する訳ではないが……訴えがある以上は、調査しなくてはならない」

 

 生徒会室の扉の前に立っていた真嶋先生がそう言った。

 

「なので事情聴取を行いたい。八神、お前はカツアゲの事実を認めるか?」

 

「いいえ認めません、僕はそんなことをしていませんので」

 

「ではなぜ、櫛田からポイントが振り込まれている? そして櫛田はカツアゲされたと訴え出ている?」

 

「……それは」

 

 櫛田桔梗は顔を両手で覆って大層嘆き悲しんだ様子を見せつけていた。その姿を見れば大半の者が可哀想な被害者であると思うのだろう。

 

 そして事実として、僕にポイントを渡しているという状況とデータを学校が把握している以上は、その立場は決して間違いではないということだ。

 

 やってくれたな、もう少し賢い女だと思っていたのだけれど……所詮はホワイトルームの外の人間、愚劣が極まっている。

 

 落ち着け、まだ焦るような状況じゃない。確定ではなく疑惑の段階、冷静に対処してこの場をやり過ごしてから後々櫛田桔梗に報復すればいいだけの話だ。

 

 まだだ、まだ状況はイーブン。

 

 

「まず誤解を解かせてください、僕は――」

 

 

 話の主導権をこちらに戻そうと話を組み立てようとするのだが、生徒会に新しく入って来た第三者の存在によって出鼻をくじかれてしまう。

 

「邪魔するぜ」

 

 生徒会に入って来たのはあの龍園とそのクラスメイト、そして担任教師である坂上先生であった。

 

 また嫌な予感がうなじを走り抜ける……これは、誰が思い描いた状況なんだ?

 

「坂上先生? どうされましたか?」

 

「いえ、実は龍園くんから訴えがありまして、事情を聴く為にとりあえず生徒会室で話でもと……えっと、茶柱先生と真嶋先生は何故ここに?」

 

「我々は櫛田からの訴えを訊いて、八神から事情聴取をしようと思いまして」

 

 茶柱先生と坂上先生は、別に示し合わせてここに来た訳じゃないということか? だとするとこちらの問題とは完全に別口の話なのかもしれない……そんな希望的観測は、龍園がこちらを邪悪な笑みで眺めてきたことで霧散してしまう。

 

「ククク、踊らされてる感じはあるが……まぁ良いだろう、丁度良かったからな。おい小宮、木下、こいつで間違いないか?」

 

「うん、コイツだよ」

 

「間違いなくコイツだ」

 

 まるで示し合わせたかのように、用意していたセリフを小宮と木下は言い放つ。

 

「……なんですか、これは?」

 

 僕の心情はそれで埋められている。うなじの寒気はいつまでも静まらない。

 

「なんですかじゃねえぞ一年、やってくれたなぁおい!! 無人島でこいつらを突き落として重傷を負わせるなんてよ!!」

 

 龍園が邪悪な笑みを浮かべてそう言った瞬間に、生徒会室に集まった全員の内心に新たな疑念が生まれることになった。

 

「おい、どう落とし前つけるつもりだ? そう言えばテメエはこいつらを蹴り落としただけじゃなくて、無人島では徒党を組んで二年生を襲撃しようとしていた一人だったか」

 

 本当になんだこれは……これが綾小路清隆の絵図なのか?

 

 いや、落ち着け、焦った所でなんの意味もない、まずはこの状況を互角に戻さなければ。

 

「龍園先輩、一体なんの誤解をされているんですか、僕には全く心当たりがありません」

 

「あぁん? だがテメエが襲撃を企てた一年の一人だってことは確定しているだろうが、そんな奴の言う誤解ってのはどれくらいの説得力があるんだろなぁ」

 

 疑念は、より強い疑いへと変わっていく。一つ一つのミスならばこれまで生徒会役員として品行方正に積み上げてきた信頼で打ち消せるのだが、同じ数だけの不信が積み重なれば信頼も意味が無くなってしまう。

 

「テメエとはじっくり話し合わねえとな」

 

 龍園の手が無遠慮に伸びて来て、僕の髪を掴んで引っ張り上げてきた。

 

「龍園!!」

 

 わかりやすい暴力行為なのでこの場に集まった教師たちから制止の声が広がるのだが、この男はその程度で躊躇するような相手でないのは無人島での暴れかたを見れば明らかだろう。

 

 いや、だが丁度いい、これで僕も被害者という立場を得ることができる。それをきっかけに話の主導権を取り戻す。

 

「ま、待ってください、痛い、やめてください……僕は本当に何も知らないんです!!」

 

「テメエがこの二人を突き落としたんだろうが!! ネタは上がってんだよ!! 木下と小宮が思い出したんだ、無人島で突き落として来た犯人はお前だってな」

 

「そ、そんな……八神くん、カツアゲだけじゃなくて、そんなことまで」

 

 櫛田桔梗がここぞとばかりに合わせて来る……少し黙っててくれないかな。

 

「あん? カツアゲだ? クク、そいつは大胆だな、気に入らねえ奴を突き落とすはカツアゲするは襲撃を企てるわ……やりたい放題じゃねえか」

 

 拙い、生徒会室にいる全員から疑念の色が強くなっていく。何より拙いのが相手の主張の多くが覆しようがない事実であるという点だ。

 

 綾小路清隆、やはりお前が全ての元凶だな!!

 

「お、お願いします、待って……話を、僕の話を聞いてください」

 

「龍園くん、手を放しなさい。事情聴取が進みません」

 

「坂上、テメエはどっちの味方だ」

 

「まだ疑惑の段階です、それに弁明の権利はありますので」

 

「はッ、良く言うぜ」

 

 だが龍園は僕の髪を手放す、相変わらず邪悪な笑みを浮かべているが、流石に疑念の段階でいつまでも暴力を振るっているのは分が悪いと判断したのかもしれない。

 

 とりあえず言い訳を述べないと、ホワイトルームで培った人心掌握術を活かさなければ。

 

「八神くんと言えば……確か真嶋先生」

 

 こちらのセリフを言う前に、龍園を止めた筈の坂上先生が疑念の瞳でこちらを見つめながらこんなことを真嶋先生に問いかける。

 

「あの日、木下さんと小宮くんが怪我をした際に、八神くんの腕時計の反応は消失していた筈だったのでは?」

 

「確かに、そうでしたね……学校側のデータでは腕時計の反応が消える直前までの動きしか把握できていないが、小宮と木下が付き落とされた地点からはそれなりに近かった筈です。怪我をした二人も一緒に行動していた篠原も犯人は誰かわからないと言っていたので事故として処理されていましたが――」

 

 真嶋先生の瞳も疑念の色が濃くなっていく。

 

「その時はわからないと言ったのに今になって思い出して僕の名前を言った? ありえません!! 腕時計の反応がないことを理由にこの二人が口裏を合わせて僕の名前を出したに決まっています!!」

 

「口裏を合わせる? お前の腕時計が壊れていたことは一般生徒が知れる情報じゃない、それは学校側だけが把握しているものだ。あの時に腕時計の反応が消えていた生徒は二人だけ、その内の一人が八神で、事故現場からそこまで離れてはいないのは学校側もわかっている」

 

 真嶋先生の言葉に、またもやこの場にいた全員から疑いの視線を向けられてしまった。

 

「ありえません!!」

 

「犯人を見たことを思い出した。それを疑う根拠はなんだ八神。言ってみろよ」

 

 また龍園がこちらに手を伸ばそうとしてくるが、それを慌てて振り払う。

 

「誰にも見られる筈がない、完璧に上手くやったはずだ。テメエがそう思ってるからだろうが」

 

「本当に違います。僕は何もしていません、僕にそんな物騒な真似ができるとでも?」

 

「できるだろうさ、お前は無人島で徒党を組んで二年生を襲撃しようとした奴の仲間で、挙句の果てに上級生から堂々とカツアゲするようなヤツなんだからなぁ、お利口そうな顔をしながら内心じゃあ他人を見下してヘラヘラ笑ってたんだろうが……あぁ、わかりやすいぜ、自分以外は無能にしか見えねえって面してやがる」

 

 お前に僕の何がわかるというんだ。その顔でこっちを見るのは止めてくれ。

 

「強引に話を進めないでください、僕の言い分も聞くべきだ、これじゃあただのリンチです」

 

「ほぉ、さぞ御立派な言い訳してくれるんだろうな」

 

「僕は無罪です、それを証明します」

 

 まずは会話の主導権を取り戻さないといけない、全てはそこからだ。

 

 だというのに、まるでタイミングを計ったかのように僕の言葉はまたもや遮られることになってしまう。

 

 

「ん? これはなんの集まりだ?」

 

 

 生徒会室の扉が開いて、廊下から姿を現したのは元生徒会長の南雲雅だった。そのせいで全員の意識と視線がそちらに向いてしまい、僕が話を切り出すタイミングを逃してしまうことになった。

 

 なんだ、これは……一体、何がどうなってる? 綾小路清隆はどこだ、僕とあの男の宿命の戦いはどこにあるんだ。

 

「櫛田に龍園に八神に、それと先生方……どうされたんですか?」

 

「事情聴取の途中だ、生徒会室が空いていたので臨時で使わせて貰っている、すまないな」

 

「あぁ別に構いませんよ真嶋先生、それに丁度良かったので……実は俺も八神に話がありまして」

 

 そう言って南雲先輩は折れた足を庇うように松葉杖を突きながら生徒会室に入って来る。その瞳は僕に向けられていた。もう数え切れないほど感じたうなじの悪寒がまたもや感じられてしまう。

 

「実はタレコミがあってな、無人島で俺を突き落としたのは八神なんじゃないかって話だ」

 

「そんな馬鹿な!?」

 

 他の話ならともかくその話に関しては完全に無関係だぞ、誰だそんなことを言い出したのは。

 

「ククク、おいおい八神。テメエ、本当にやりたい放題じゃねえか、カツアゲに襲撃に複数の生徒を蹴り落とすなんざ……お~、怖え怖え、大人しそうな顔して滅茶苦茶やりやがる」

 

「カツアゲ? 龍園、なんの話をしている?」

 

「櫛田が八神からカツアゲされてるんだとよ」

 

「……ほう」

 

 南雲先輩の瞳もまた疑わしそうな色が混ざってしまう、いつまでたっても話の主導権が握れない。

 

「あぁ安心しろよ八神、俺は生徒会で働いているお前を知っているから、情報元もハッキリしないタレコミを信じて一方的に疑ったりはしないが……しかし、カツアゲ疑惑とはな、とりあえず話でもしようと思っただけだが、どうやら話はかなり複雑らしい」

 

 疑わないと言っている割には、その顔は可哀想な相手でも見るかのように冷めきっている。既に南雲先輩の中では僕は容疑者の一人に入っているらしい……それだけは絶対に冤罪だというのに。

 

 この場にいる全員が、僕を疑っている。既にこいつならやりかねないと言う印象を持たれてしまっている……その時点で学校側は調査をするだろうし、言い訳が出来ない状況だって作り上げるだろう。

 

 

 なにより厄介なのは、僕がその状況や疑惑を覆せないという点だ。疑惑は幾らでもあるけど、証明は一つもなかった。

 

 

「お前か……お前がこの状況を作ったのか」

 

 綾小路清隆……僕の宿敵、越えなければいけない壁、だというのにそいつはまだ姿すら見せていない。

 

 なのに、僕はもう詰みまで追い詰められてしまっている。

 

「何故、こんな馬鹿なことが……ま、まだ彼と戦っても、いや、それ以前の状態なのに? こんなところで、終わる? 終わるなんて、そんな馬鹿なッ……直接相手するまでもないということか。はッ、はッ……ふざけるな、ふざけるなぁッ!!」

 

「落ち着けよ八神、まだお前が黒と決まった訳じゃないんだ、とりあえず話してみろよ」

 

「黙ってろ三下ッ!? これは僕とアイツの戦いだ、無関係の奴が水を差すな!!」

 

「……あぁ?」

 

 落ち着かせようとこちらの肩に手をかけようとしてきた南雲の手を勢いよく叩いて遠ざけると、元生徒会長は苛立ちを露わにするのだった。

 

 けれどここまで来れば有象無象の印象や認識なんてどうでもいい、重要なのはただ一つ、僕にとってはいつだってあの男だけだ。

 

「ははははッ!! いいさ、今から、今からアイツを、アイツをこの手でぶっ殺せばいいんだろう!! そうすれば僕はあるべき場所に帰れる筈だ、道連れにしてやるよ……何を難しく考えていたんだ僕は、最初からこうすれば良かったんだ!!」

 

 複雑に考えすぎていた、もっとシンプルで良かったんだ。ウダウダ悩まずに、頭脳戦だなんて考えずに、最初からこれで良かったんだ。

 

 もっと自由に生きれば良かった、それだけの話である。

 

 あの男を叩き潰す、堂々と正面から殺しつくす、邪魔する者は全て吹き飛ばして、最後の最後まで暴れまわる。そうやって生きればいいだけの話を、なんでこんなに複雑に考えていたんだろうか。

 

 

 全てをねじ伏せれば、それで証明になるんだ。

 

 

 だから僕は、まずは手始めに目の前にいた南雲雅の顔面を全力で殴りつけると、そのまま脇腹を蹴り上げてからくの字に曲がった体を掴み、力づくで投げ飛ばすのだった。

 

 宙を舞う南雲の体は、そのまま真嶋先生を巻き込んで生徒会室の扉を粉砕すると、二人一緒に廊下へと転がっていくことになる。

 

 あぁ、気分がいい。暴力的な行動なんてらしくないと思っていたけれど、こんなにも気楽になれるのか。

 

 僕は理解した、人間よりもゴリラの方が気楽に生きられると。

 

 さぁ始めよう、証明になってくれ綾小路清隆、僕が本物の天才だってことを!!

 

 

 

 




因みに、原作で八神くんを止めて回収しに来たホワイトルームの人たちは、全員が綾小路にボッシュ―トされています。


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なんで男物のパンツを履いているんだろうか?

 

 

 

 

 

 

 八神視点

 

 

 

 

 まだ幼い頃、ホワイトルームの教官に蹴り飛ばされたことをふと思い出す。まだ体も小さくて経験も足りていなかったあの時は、自分よりも大きくて年齢を重ねた教官たちがとても恐ろしい存在に思えていた。

 

 体も大きくて容赦もなく、冷たい瞳で床に転がって吐き散らしていた僕にすかさず追い打ちをかけてくる。何をどうした所で勝てる筈もなく、恐怖と痛みで失禁しながらも稽古は続いた。

 

 とても怖かった、あの暴力が。

 

 とても恐ろしかった、あの膂力が。

 

 そしてとても羨ましかった、あれだけ強ければ好きなように生きられるだろうと。

 

 気に入らない奴を黙らせて、うっとうしい相手にゴマすりさせて、殺したいと思った相手を殺せる。ホワイトルームの教官たちはそれができる立場の者たちなんだろう。

 

 あれほど暴力的に生きられれば、どれだけ気楽で自由に生きられるだろうかと、思わなかったと言えば嘘になる。

 

 目の前にいるこいつらを全員黙らせて、食事はもっと豪華にして、部屋も広くして三時のおやつだって手に入る。好きなカリキュラムは多めにしたり、嫌いな授業や講義は少なくできるだろう。

 

 チョコを食べてみたい、そう思ったけど教官に勝てなかったので諦めた。

 

 外の世界を見てみたい、そう考えたけどやっぱり教官に勝てなかったので諦めた。

 

 幼い頃の、まだ様々なことを弁えていなかった我儘な頃の僕の話だ。

 

 いつしか教官たちは絶対の存在になっていたし、その人たちに勝てないようでは願いも夢も意味がなくなる。しかもずっと綾小路清隆の存在が脳内でチラついていたのだから、そんな些細な願いはどこかに消えていたと思う。

 

 綾小路清隆と比べられる、まだ届いていない。そんな繰り返しを十年も続ければチョコも外の世界もどうだって良くなってしまう。

 

 相変わらず教官たちは圧倒的な力で僕をねじ伏せてきて、それは恐怖の象徴として君臨している。

 

 だけど、来るべき時が来たとでも言うのだろうか、体が大きくなり技術も研磨されて経験が肉体と意思に追いついた時に、僕は一人の教官に勝利することができた。

 

 ボクシングの元プロボクサーだとかなんとか言っていたかな、何十敗もした後にようやく得た一勝だった。

 

 床に倒れる教官、それを見下ろす僕。

 

 その瞬間だったと思う。力でねじ伏せることの素晴らしさを知ったのは。

 

 あの教官が、あの恐怖の象徴が、逆らうことの許されない大人だったというのに、その顎を砕いた瞬間の感触は、夜な夜な布団の中でニヤついてしまうほどに心地いいものであった。

 

 その翌日、その教官は僕を見て少しだけ恐怖しているのがわかったのだ。

 

 それは僕が、あの白い部屋で初めて感じた自由であると同時に開放感であったのかもしれない。

 

 

「あぁ、そうか……これが自由なのか」

 

 

 南雲の顔面をぶん殴り、投げつけて真嶋を巻き込んで生徒会の扉を粉砕しながら二人は廊下へと吹き飛んでいく。

 

 ホワイトルーム曰く、追撃は徹底的に。

 

 その教えの通り、僕は全力で二人を追いかけて廊下にまで出ると、その勢いのまま南雲と真嶋へと追撃を叩きこむ。骨を砕く感触が足裏から伝わって来た瞬間に、あの日教官の一人を床に沈めた瞬間に感じた愉悦を思い出す。

 

 

「きぁあああああッ!!」

 

 

 廊下でそんなことをしていれば当然ながら目立つ、しかも文化祭の真っ只中、当たり前のことだけど目撃されて女子生徒の悲鳴が広がった。

 

 それが呼び水となったのか次々と僕の凶行は周囲に認知されていくことになるけれど、その悲鳴も驚愕もどこか遠い出来事のように思えてしまう。

 

 まるで夢でも見ている気分だ、心地いい高揚感すら胸にある。遠くから聞こえる悲鳴は万雷の拍手であるかのように僕の肌を撫でているとすら認識できた。

 

 廊下に転がっている南雲と真嶋を見下ろせば、その姿があの日沈めた教官と重なって……僕は自然と唇を緩めてしまう。

 

「や、八神……なんてことを」

 

 さっきまで僕たちがいた生徒会室から茶柱の驚愕した声が届いたけれど、もう他者からの評判も信頼も印象もどうだっていい。どうせあのままなら退学になっていたんだ、なら僕は僕のやりたいようにやる。

 

 綾小路清隆、お前をここで今日倒す!!

 

「テ、テメエッ……グッ」

 

 宿敵を探そうと歩き出そうとした瞬間に、床に転がっていた南雲が僕の足を掴んだ。

 

「邪魔をしないでくれませんか、貴方程度が出て来る幕じゃありませんよ」

 

「こ、ここまで舐めた真似するとはな……俺を、誰だと思ってやがる」

 

「温い環境で革命ごっことおままごとをしながら気持ちよくなってた猿でしょう? お呼びじゃないですから、せいぜい勝てそうな相手だけ探して悦に浸っておくべきかと……それくらいがお似合いだ」

 

 掴まれていた足を強引に引きはがしてから、トドメとばかりに腹を蹴り飛ばす。それで南雲は完全に意識を失うのだった。

 

「そいつがテメエの本性か? 大人しそうな顔をしながら内心ではって言ったが、どうやらマジでそうだったみたいだな」

 

「龍園、貴方も呼んでいませんよ。不良上がりがどうこうできる次元の話じゃない……尻尾巻いて消えろよ」

 

「面白いじゃねえか、そっちの面の方が幾分か男前だぜ!!」

 

 生徒会室から飛び出るように龍園がこっちに突っ込んで来る……邪魔をしないでくれよ、僕には倒さなければならない相手がいるんだからさ。

 

「所詮は不良上がり、その程度でどうにかできるとでも――ッ!?」

 

 勢いよく突っ込んで来て殴り掛かって来る、そう判断した踏み込みだったのだが龍園が手に持っていた小さな箱を見てその勢いがブラフであることを看破した。

 

 彼が持っていた小箱、それは生徒会室の中にあったものであり、中には大量の画鋲やピンなどが収められていたことを思い出す。掲示板やクリップボードなどに張り付ける際に何度も使ったものなのでよく覚えていた。

 

 容赦なくその針や画鋲が入った小箱をこちらの顔面に向けて投げつけて来る辺り、やはり武術やスポーツマンと言うよりは喧嘩殺法が得意な相手なのだろう。

 

 何より躊躇の無さが、龍園という男を面倒にしている。勝つ為ならば武器も数もタイミングも手段も問わない。

 

 なるほど、一介の高校生程度ならばそんな躊躇の無さと冷酷さを武器にすれば上手く立ち回れるだろうけど、生憎と僕はお前ら程度が及びもつかない訓練をずっと続けてきたんだよ。

 

 投げつけられた小箱は途中で蓋が開いて大量の画鋲が露わになってこちらに殺到してくるのだが、足元に落ちていた南雲の襟首を掴んで引っ張り上げて盾にすることでやりすごす。

 

 そうやって大量の画鋲を防いだ次の瞬間に、盾代わりにしていた南雲をこっちに突っ込んで来る龍園目掛けて蹴り飛ばした。

 

「チッ!!」

 

 龍園は自分に向かって蹴り飛ばされた南雲を雑に受け止めると、これまた雑に横に置いた。この男なら容赦なく蹴り返してくるかと思ったが、思っていたよりも配慮しているな……流石に死ぬと思ったのだろうか?

 

 まぁなんだっていい、これで勢いは削がれた。

 

「無人島ではやりたい放題してくれましたね、あれは痛かった」

 

 南雲の意識の一部を向けたことを確認して、側面に回り込んで龍園の顔面を殴りつける。

 

「ぐッ」

 

「へぇ、殴られ慣れてはいるみたいですね」

 

 スリッピングアウェーの一種なのか、固い手ごたえではなく頬を滑るような感触があった。クリーンヒットはできなかったようですね。

 

「……一年坊主が、舐め腐りやがって」

 

 怒りは表面上のものだな、内心は冷静になっていて観察しているのがわかった。こちらの動きをしっかりと見ながら対処しようとしているのがわかる。

 

 なるほど、評価を修正しよう。ただの不良上がりではなく、多少はマシな雑魚程度に。

 

「ほら、行きますよ。滑稽に踊ってくださいよ先輩」

 

 ホワイトルームで培った様々な経験と技術、それらを複合した独自の格闘技で龍園を追い詰める。所詮は喧嘩慣れした程度の雑兵、プロの格闘家でもなければ軍人でもない、ただ喧嘩が得意なだけの高校生が何をどうしたところで僕には敵わない。

 

 これは驕りじゃない、純然たる事実だ。お前はホワイトルームを知らないし、知らないのならば勝てる理由がない。ぬるま湯に浸かって自分より弱い者としか戦ったことのないお前にできることなんて何もなかった。

 

 潰す、徹底的に潰す……だってその方が気持ちいいだろうから。

 

 幾度かジャブを押し付けて、その中にフェイントを織り交ぜ、本命の膝蹴りを龍園に叩き込む。やはり殴られ慣れているし蹴られ慣れているのかズルズル滑るような感触があるのだけど、痛痒は確実に積み重なっているのは間違いない。

 

 もう二、三度ほど殴るなり蹴るなりすれば踏ん張りも利かなくなるだろうと思い、綾小路を倒す前の慣らし程度に考えながら下段蹴りを放つ。

 

「クソがッ」

 

「脆いですね、結局は喧嘩慣れした高校生以上の評価は上げれませんよ……跪けよ、雑種」

 

 ふくらはぎに広がった衝撃によって体幹を崩した龍園は、僕の望み通り崩れ落ちた。恨めしそうにこちらを見上げて来るのだけど、それを見下ろすだけで心地良さが広がった。

 

 あぁ、ホワイトルームの教官たちはいつもこの光景を見ていたのか、病み付きになる訳だ。

 

「龍園さん!!」

 

 さてトドメだと考えていると、廊下の向こう側、野次馬を掻き分けるように龍園クラスの生徒が顔を出す。石崎とアルベルトのコンビだ。生徒会室前の騒ぎを聞きつけたにしては到着するのが早い、おそらく龍園がこちらに飛びかかって来る前に援軍を呼んでいたようだ。

 

 だけどそれが何なのかな? 雑兵が一人二人増えた程度でどうしようもないよ。

 

 僕と君たちとでは戦士として決定的な差がある。まずは飛びかかって来る石崎の顎先を蹴り飛ばし、続いて突っ込んで来たアルベルトにも拳を叩きこむ。

 

 ローキックで勢いを止め、鳩尾に掌打を押し付け、鎖骨から喉、最後に鼻先への連続攻撃でアルベルトの巨体は一瞬で沈み込むのだった。

 

 するとまた野次馬の中から悲鳴が広がった。あぁ、けれどそれは今の僕にとって万雷の拍手にも等しい……聞こえるか綾小路、この悲鳴が、お前に同じような状況を作れるか?

 

 

 お前にできないことを、僕はやっている。お前に作れない状況を、僕は作っているぞ。

 

 

 石崎とアルベルトは沈めた、こいつら程度じゃ話にもならない。そして龍園も黙らせる。目につく全てを叩き潰してあの男を引きずりだすんだ。

 

「ッ!?」

 

 だけど油断はしていたのかもしれない、それは素直に認めよう。石崎とアルベルトを倒した瞬間に、気が抜けてしまったのか、背後から迫る一撃を避けきれずにまともに受けてしまった。

 

 脇腹に鈍い痛みが走る、振り返ってみるとそこには体幹を崩していた筈の龍園が立っているのが見える。

 

「クソガキが、あまり舐め腐ってんじゃねえぞ、おら続きだ」

 

「まだ立ちますか、根性だけは認めてあげますよ……まぁ、精神論で勝てるのならば苦労はしませんけどね。僕と同じ土俵で戦えるのはただ一人だけだ」

 

「いけすかねえガキだな、一年前の俺を見てるみてえだ……自分は絶対に負けねえと思ってる目をしてやがる」

 

「貴方たち程度に負ける? 不可能ですよ」

 

 もし僕が負けるとすれば、それは同じホワイトルーム出身者である綾小路清隆だけだ。

 

「そうかよ、それがお前の限界だ」

 

 痛む足を引きずるように龍園が前にでるが、それよりも早く僕は爪先を踏みつけて動きを封じると、トドメとばかりに顎先を殴りつけようとした。

 

 さっさと沈めよ、邪魔なんだよお前は。

 

 

「拓也、止めて!!」

 

 

 けれどその拳は途中で止められてしまう、野次馬の中から飛び出て来た一夏によってだ。

 

「邪魔をしないでくれないかな、今とても良い所なんだからさ」

 

「もう止めよう、こんなことしても何の意味もないよ」

 

「意味ならある、これ以上ないほどに」

 

「俺を挟んでぺちゃくちゃ喋ってんじゃねえよ!!」

 

 一夏に気を取られてしまったことでトドメを刺そうとしていた龍園がまた勢いを取り戻す。右ストレートが顔面に突き刺さるのだけど、こちらもまたスリッピングアウェーでするりとクリーンヒットを避ける。

 

 ただ完全には勢いを削げなかったようだ、ドロッと鼻孔から血が流れて来るのを感じ取れてしまう……まったく、一夏が余計なことをするから。

 

「拓也、これ以上暴れたって、それでどうなるっていうの? 誰も認めてなんてくれないよ……もう、終わったんだから」

 

「はッ、認められる? そんなことはもうどうだっていいんだよ」

 

「……え?」

 

 一夏が驚いた顔をした、確かに僕は綾小路清隆よりも優れていると認められたかったさ、その為に努力してきたしそれは一夏にも伝わっていただろう。

 

 けれどもう、そんなことに大した執着はない。

 

「見てくれよ、この状況を」

 

 僕を見つめる無数の野次馬たち、その誰もが僕を恐れているのがわかる。

 

 その瞳と表情を僕は良く知っている。ホワイトルーム生が教官たちに向けるそれと同質のものだから。

 

 あの人たちはずっとこの表情と視線を見てきたのだ、今ならよくわかる、あれだけ厳しかった理由も、あれほどボロボロにされた理由も。

 

 楽しかったんだろうな、心地よかったんだろうな、自分より弱い者が恐れるように見て来ることが。

 

「僕は理解したんだよ、暴力こそが重要だったんだって」

 

「はぁ?」

 

「立ち塞がる全てを叩きのめして、何もかもを粉砕する。それで良かったんだよ、認められる為に頑張る必要なんて無かったんだ、あの人たちを全てぶん殴って地面を舐めさせれば、それで全て解決だったんだ」

 

 ホワイトルームの教官も、綾小路清隆の父親も、もう止めてくれと言うまで殴り続けて手足を割り砕き、もう逆らいません綾小路清隆よりも僕の方が優れていると言わせれば良かった。

 

 たったそれだけの話を僕はとても複雑に考えていたんだろう。

 

 ホワイトルーム曰く、最後に勝っていればいい。どんな手段を用いても勝利すべし。ならその教えの通り全てを叩き潰して従えてしまえばいい。

 

「そうだ一夏、これが終わったらチョコを買いに行こう。食事制限なんて気にせず食べたい物を食べて、その後は漫画でも立ち読みしようか? それでやりたいことが無くなったらさ、一緒にあの人たちを従えてしまおう」

 

「た、拓也?」

 

「教官たちは全部手足を折る、あの人も当然折る、それで逆らう奴を全て従えたら……僕はあの場所で一番優れた存在になれると思うんだ」

 

 それは綾小路清隆にもできなかった偉業、結末だ。

 

 出来る事ならアイツにも見せつけたいけど、ホワイトルームよりも先に倒しておかないといけないし、そこだけは残念だ。

 

 お前にできなかったことを僕はやったんだって自慢してやりたいよ、まぁここで綾小路清隆は死ぬことになるのでそれは叶わない願いだけどさ。

 

「力だよ、それでいいんだ……あぁ、僕は自由だ」

 

 圧倒的な力で全てを叩き潰す、綾小路もホワイトルームも、それができればつまり自由ということであり、天才と最強の証明になるだろう。

 

 何も複雑なことではない、とてもシンプルだ……最初からこうすれば良かったな。

 

「そう……なら、止めないとね」

 

「手伝ってはくれないのかい?」

 

「ごめん、無理かも……私はこの学校に来て身の程をしる機会があったからさ、強ければそれで良いなんて考えには共感できない。拓也、わかってるの? その言い分って自分より強い人がいないと思ってるから言えることなんだよ」

 

「そうか、ならもういいや……君だけはわかってくれると思っていたんだけどな」

 

 一夏は協力してくれないか、なら邪魔でしかない、処理してしまおう。

 

「井の中の蛙大海を知らず。その一節の通り、私たちはまだまだ未熟だったんだ……だから、もう止めよう? 勝てない戦いなんて意味がないよ」

 

「もう死ねよ、何もなせないお前が生きている意味なんてないんだから」

 

 もう僕の中では一夏は完全に他人になっていた。こういう時、一緒に過ごした時間が走馬灯のように走り抜けるのかもしれないけど、そんなことは無かった。

 

「弱者の思考だ、お前のそれは」

 

「拓也のそれは、強者の病だよ」

 

 一夏が構えを見せる、僕に一度だって勝てたことが無いのに、どうやら戦うつもりらしい。

 

 近くにいる龍園も戦意は挫けていない。それどころか野次馬の中から警備員とやけに視線を集めるメイドがこちら側に飛び出しているのも確認できてしまう。

 

「まぁいいさ、綾小路と戦う前の準備運動には丁度いい。リハビリがてら全員処理してやるよ。ここから先は一切加減しないからな、怪我人も女子供も来賓も、僕の前に立ち塞がるのならば全て倒す」

 

 ホワイトルーム曰く、それは力ある者に許された権利だ。だってそうじゃなきゃおかしいだろ、あの教官たちは僕たちよりも強かったから好きなだけ暴力を振るえたんだ、なら僕は僕よりも弱い者に配慮する必要はない。

 

 ただ、それだけの話だった。

 

 まずは手負いの龍園を処理する、そう思って手を伸ばすのだけど……次の瞬間に僕の手首が両断されるようなイメージが脳裏に広がったので慌てて手を引っ込めることになった。

 

 なんだ、今のは? 何かをされた訳でもないのに、死を幻視したぞ。

 

「全員落ち着きなさい!! 暴徒から離れて!!」

 

 野次馬の中からメイドと一緒に飛び出して来た警備員がそう大声で主張する。煩かったので黙らせようと股間を蹴り上げる為に踏み込もうとして……今度は右足が両断されるイメージがハッキリと認識できた。

 

 実際に切り落とされた訳ではない、けれどそう実感してしまう何かを僕は感じ取ったのだ。

 

 なんだ、これは? 僕は一体何に怯えているんだ?

 

 ズキズキと、斬られてもいないのに広がる痛みに苛まれながら、僕はそれでも踏ん張って前に出ようとするけれど、立ち塞がったのは警備員でも一夏でも龍園でもなく、一人のメイドだけである。

 

「お仕事お疲れさまです。でも下がっていてください、危険なので」

 

 そのメイドは前に出てきた警備員の肩に手を置いて、虹でも注ぎ込んだかのようなギラギラ光る瞳でそんなことを言っている。

 

 不思議と抗うことのできない雰囲気と迫力が感じられてしまう。僕でさえそうなのだから、実際に真っすぐその瞳に見つめられた警備員は尚更そう思ったのかもしれない。

 

 立場上情けないことこの上ないが、警備員は喉を鳴らして慄くようにその場から下がってしまう。それを確認したメイドは、遂にこちらへと振り返る。

 

 そして僕も喉を鳴らした、そのギラギラと光る宇宙的な恐怖を感じる瞳に見据えられて、さっきまであった万能感がどこかに消えて行くのがわかる。

 

 全てを叩き潰して遮る全てを粉砕すれば、それで全てが上手くいくと考えていたついさっきまでの僕はどこにいったんだ?

 

 力さえあれば、それだけで何もかもが解決すると思っていたのに……。

 

 なんだ、なんでも僕は……ただ見つめられただけで背筋を震わしているんだろうか。

 

「ん……まぁあれだよね」

 

 正体不明のメイドが口を開く、その見た目通り可憐な声色である。

 

「出来る事なら穏やかに解決したかったけれど、君はちょっと沸点が低すぎます……もう少し穏やかに過ごすべきだったと思う。平和な学園生活、それはとても尊いものですから」

 

「……」

 

 声色は凪の水面のように穏やかそのものだけど、虹を注ぎ込んだかのような瞳は相変わらず恐ろしい。

 

「まぁ、火遊びがすぎたようですね、変な遠回りなんてせずに、堂々と挑めばそれで良かったのに」

 

 メイドが一歩踏み込む、その瞬間に喉元に何かが食らいついてくる感覚を覚えることになってしまう。

 

 

 力があればそれで自由だと思っていた。

 

 立ち塞がる全てを叩き潰せばそれが証明になると思っていた。

 

 それは間違いではない、ゴリラであればあるほど自由に生きられるのはこの世の真理だ。

 

 けれど一つだけ勘違いしていたのかもしれない。

 

 いや、正確には覚悟が足らなかったのかもしれない。力こそ全てと主張するのならば、自分より強い誰かに何をされても文句はないのだという認識が持てていなかったのだろうか。

 

 だから僕は今、こんなにも焦っているのかもしれない。

 

「ん、ごめんね。でも君は私のクラスメイトを危機に追い込むでしょうから、これは仕方がないことだと思います」

 

 それが僕が最後に聞いた言葉であった。次の瞬間にメイドの姿は一瞬で消え去って気が付けば僕の眼前にブーツの爪先が伸びていたことに気が付く。

 

 踏み込んでのハイキック、何も特別な技ではないけれど、全ての面に於いて極まった一撃だと思う。そうでなければ僕は反応していただろうし防ごうともしていただろう。

 

 それができないということは、遥か高みからの至上の一撃であったということでしかない。人が蚊を払うように、地を這う虫を踏みつぶすように、次元の異なる一撃である。

 

 

 あ、パンツは男物なんだな。

 

 

 走馬灯と一緒に全てがスローモーションで流れる中、僕はハイキックを放ったメイドが男物のパンツを穿いていることに気が付き、まるで危機感のない思考をしていた。

 

 それが僕が見た光景、この学園で最後に見た光景である。

 

 次の瞬間に意識を失うことになるのだけど、それまで僕の頭の中は何故で埋め尽くされていたと思う。

 

 

 だっておかしいじゃないか、あんなに美しいメイドが男物のパンツを穿いているだなんて。

 

 

 体が吹き飛ぶ浮遊感と一緒に、意識が遠ざかっていくのを感じながら、僕は残された僅かな時間でどうして彼女は男物のパンツを穿いているのかを思考して……最後には無駄なことだと納得すると、そこで考えるのを止めた。

 

 

 

 



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文化祭終了

 

 

 

 

 

 

 

 

 思っていた以上に八神が脆かった。それが彼を蹴り飛ばした瞬間に抱いた感想である。

 

 いやさ、相手がホワイトルーム生ってことで警戒してたし、何だったら負けるかもしれないっていう認識を持った上で、決して油断せずに対処しようと思ったんだ。

 

 何より私の知っているホワイトルーム生の基準というか、標準が清隆なので余計に力が入ったのかもしれない。清隆とは何度も模擬戦をしているし訓練もしているし改造訓練もしているからその肉体強度や身体能力も把握しているから、それを基準に考えてしまっていたんだろう。

 

 結論から言うと、もっと限界まで加減すれば良かったと後悔してしまった。

 

 接近してのハイキック、手痛いカウンターを返されないように警戒しながらの一閃、おそらく清隆や二十号ならば対処できたであろうその蹴りに、八神はなんの反応も対処もできないまままともに食らうことになり……もの凄く吹き飛ぶことになる。

 

 二十号ならこれくらいの攻撃は避けただろう、清隆なら防いだかもしれない、つまり私は八神という脅威を暫定的に二十号程度と認識していたということだ。

 

 まずは様子見、感触を確かめる為のハイキック、その一撃で決着がつくとは思っていなかったと言ってしまうと、ちょっと傲慢だろうか?

 

 けれど体をくの字に曲げた八神は、そのまま開け放たれていた生徒会室の中まで吹き飛び、そこにあった机やコピー機などを粉砕しながら跳ねまわり、最終的には壁に突っ込んで静かになるのだった。

 

 あぁ、あのコピー機や机はもう使えないだろうな、そんなことを冷静な部分が考えており、冷静でない部分は盛大に八神の身を案じているのがわかる。

 

 死んでないよな? 八神の戦力を過大評価した結果、思っていた以上の力で蹴り飛ばしてしまったのだ、そんな心配も自然なことなのかもしれない。

 

 慌てて生徒会室の中に入り、師匠モードの観察眼で壁に突っ込んだ八神を観察していき……骨折程度で済ませられたことを確認してから盛大に安堵の溜息を吐くのだった。

 

 良かった、死んでない。なら何も問題はなさそうだな。全て正当防衛として片付けられそうだ。

 

「茶柱先生、坂上先生。それに桔梗さん、ご無事ですか?」

 

 生徒会室の中には先生たちと生徒たちがいたのだが、どうやら八神に巻き込まれて吹き飛ぶことはなかったらしい。わかりやすい怪我は確認できない。先生もそうだし木下さんや小宮、桔梗さんだってそれは同じである。

 

 逆に廊下で倒れ伏している南雲先輩や真嶋先生は重傷と言った感じだ……せっかくある程度回復して退院できたというのに、南雲先輩はまた病院送りかもしれないな。八神の沸点が低すぎた為に起こった悲劇なのかもしれない。

 

 なんて言い訳を内心でしながら、私はくの字に曲がって痙攣している八神を見下ろすのであった。

 

「あ、あぁ、大丈夫だ」

 

 ここ最近、いや、無人島からこっち、茶柱先生には何か恐ろしい野生動物でも見るかのような視線を向けられることが多くなったのだが、今もそれを感じている。ゴリラと同じ檻の中にいるかの様に警戒心をむき出しにしているのだ。

 

 茶柱先生の視線は私と、くの字に曲がった八神を行ったり来たりしており、最終的には教師としての職務を思い出したのか、懐からスマホを取り出して各方面に連絡を入れていく。

 

「や、八神くんは大丈夫なのかな?」

 

「ん、大丈夫ですよ。危険な状態ではありません、意識を失っているだけですので」

 

 桔梗さんは冷や汗を流して、床に転がった八神をそれはもう苦々しい顔で見つめている。一応、八神を追い込むことを頼んで来たのは彼女であり、少しは責任でも感じているのかもしれない。

 

 彼女は八神を黙らせたかったのだが、まさかここまでの事態になると思っていなかったのだろうか。八神の凶行もそうだけれど、その八神の現状に恐怖していることがわかる。

 

 まぁ桔梗さんからしてみれば私や八神が振るう暴力はどこか遠い世界のものだったのかもしれない。なかなか現実感を得られないのかもしれないな。

 

「怪我はありませんか?」

 

「あ、うん、大丈夫。八神くんが暴れ出した時はビックリしたけど、天子ちゃんが来てくれて助かったよ。あのまま暴れたままだときっと怪我人が出ただろうから」

 

 桔梗さんはようやく安全だと理解したのか安堵の溜息を可愛らしく漏らす、その姿は一見すると暴力に震えるか弱い少女のように見えるけど、くの字に曲がった八神を見下ろす視線には僅かな愉悦が見て取れた。

 

 ざまあみろ、言葉にこそしないがそう言いたそうである。過去をネタに脅して来た相手がここまで追い詰められて醜態を晒した挙句、退学不可避の状況にまでなってしまったのだから、桔梗さんとしては嬉しいようだ。

 

 こんなことをしておいてアレだけど、できることなら八神にはもっと落ち着いて対処して欲しかった。難しいのかもしれないけど変な執着に固執するのではなく穏やかに過ごして、なんだったら生徒会役員として頑張ってすら欲しかったけれど、結果はこれである。

 

 難しいな、色々と、暴行まで働いた上にそれを他者に見せつけてしまった以上は退学が免れないだろう。

 

 彼の高校生活はもう終わってしまった、可能ならば天沢さんのような気軽さで生きて欲しかったんだけど……無理だったらしい。

 

 茶柱先生の連絡によって駆け付けた警備員や、病院の職員などが続々と生徒会室前に集まって来て、南雲先輩や真嶋先生、そして八神が担架に乗せられて運ばれていく。

 

 龍園と石崎と山田も怪我を負っているのだけれど、流石は不良組と言うべきなのか自力で立ち上がって平然としている辺り、やはり殴られ慣れているんだろうな。

 

 不良組は別にして、来賓や無関係の生徒が怪我をしなかったのでまだマシか……いや、南雲先輩も無関係なんだけどさ。

 

 八神は今後どうなるんだろうか、警備員に付き添われて運ばれていく八神を眺めながらそんなことを思う。ホワイトルームに帰った所でもしかしたら知らない子扱いされるかもしれないし、清隆のお父さんの判断次第では切り捨てられる可能性もある。

 

 ちょっと手を回しておくか、九号経由で外と連絡をとって綾小路さんに圧力をかけておこう。最後まで面倒みなさいと。それが私にできるせめてもの配慮なのかもしれない。

 

 ホワイトルーム生の中でも優秀だっていう話だから、まだ利用価値だってある筈だ。私が卒業してから潰しに行くまでの短い間だけど重宝されてくれればちょっとは慰めになる。

 

「天子さん、一体何があったの?」

 

 騒ぎを聞きつけたのか、野次馬の中から鈴音さんも姿を現した。

 

「八神が事情聴取の途中で暴れ出したみたいです」

 

「事情聴取? 一体なんの話をしているのよ」

 

「無人島で複数のグループに怪我を負わせた疑惑がありましたので、後、それ以外にも色々火遊びをしていたようです。それを先生たちが調べている途中に突然暴れ出したという状況ですね」

 

 そんな説明に鈴音さんは信じられないといった顔をする。生徒会で働いている八神を知っている分、衝撃が大きかったのだろう。真面目で清潔感のある男子という印象だったからな。

 

「怪我人は?」

 

「南雲先輩と真嶋先生くらいかな、龍園たちは割と平気そうだしね」

 

 一番重症なのが何の関係もない南雲先輩である。今回ばかりは完全に被害者なので心の底から同情するのだった。

 

「そう、まさか文化祭がこんな形で終わるだなんてね」

 

「来賓の方々にも知られちゃったかな?」

 

「完全には誤魔化せないでしょうね、これだけ騒ぎになっているのだから」

 

 そりゃそうだ、今も野次馬の中には来賓の姿がチラホラと見受けられる。せっかく招待された文化祭で暴力事件を目撃とか、この学校に大きな不信感を持たれてもおかしくはない。

 

 また坂柳理事長の胃痛が酷くなるな。体育祭でも来賓を怪我さしたことでかなり小言と嫌味を言われたらしいので、今回もと来ればいよいよストレスで吐血するかもしれない。

 

 また今度、胃薬でも差し入れしておこう。悪いのは全てホワイトルームという方向性に意識を操作するついでにだ。

 

「何はともあれ、文化祭を無事に終わらせようか」

 

「もう無事に終わることはないのだけれど……はぁ、仕方がないわね」

 

 溜息交じりに鈴音さんは生徒手帳で時間を確認すると、既に午後四時に差し掛かろうとしている段階であった。つまり文化祭はいよいよ終わりということである。

 

 最後の最後にケチが付いてしまったけれど、長かった文化祭はもう終わりと言うことだ。

 

 楽しかったな、メイド服はアレだけれど、何だかんだで楽しめた……八神もアレだけど、うん、そういうことにしておこう。

 

「お疲れさま、鈴音さん」

 

「まだ気を抜くのは早いわよ、それにこの暴力事件の後片付けも必要だから、もう少し気を張っておきましょう」

 

「そうしましょうか、まずはこの場を片付けないと」

 

 とりあえず粉砕された生徒会室の扉だったり壊れた備品や机だったりを確認してから予算表を作らないといけない。明日も明後日も使う場所なのだから急いでな。

 

「笹凪、この場の片付けは必要ない。現場保存をしておけ、全て終わってから片付ける」

 

 さてメイドらしくお掃除だと気合を入れていると、茶柱先生が待ったをかける。

 

「あぁ、あれですか、警察とか来ます?」

 

「暴力事件が起これば警察が介入してくるのが社会の基本だ。多少の喧嘩程度ならばともかく、重傷者が出るほどの事態だから尚更な」

 

「お、おぉ……この学園にそんな常識的な判断ができただなんて」

 

 驚愕である、なんだったらこの学園に来てから一番驚いたまである。この閉鎖空間の監獄みたいな学校がそんな道理を示すだなんて。

 

 だが納得でもある、学園としてもみ消したいんだろうけど、生徒はおろか外部から招いた来賓まで目撃されてしまったのだ、ここで下手に内で処理すればそれはそれで厄介なことになるかもしれない。

 

 また坂柳理事長の胃痛が酷くなりそうだ、それもこれもホワイトルームが悪い。

 

「生徒会から一人、事情説明の為に同行してくれ」

 

「わかりました、じゃあ私が引き受けます」

 

 警察に色々と説明しないといけないらしい。教師から一人、生徒から一人だして中立性を示すと同時に、警察が来る以上は私自身も正当防衛であることを主張しておかないといけないので素直に事情聴取に同行するとしようか。

 

 鈴音さんが少し心配そうな顔をしているけれど、何も加害者として捕まる訳ではないので安心して欲しい。文化祭終わりの打ち上げには参加できないだろうけど、こればかりは仕方がなかった。

 

 こうして茶柱先生と一緒に警察への説明を引き受けることになったのだが、彼女は私をとても訝しむような視線で見つめて来る。

 

「ところで笹凪、お前はまさかその姿で警察と話すのか?」

 

「うん? まぁ今は天子モードなので」

 

「そ、そうか……」

 

 何故かドン引きされてしまった。私だって好き好んでこの姿をしている訳ではないのだけれど、着替えるタイミングを逃してしまった。一旦教室に戻って着替えようかと思ったんだけれど、遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきたことでそれも阻止されてしまう。

 

 仕方がないのでこのまま警察に同行して茶柱先生と一緒に事情説明をするとしよう。結果発表を皆と聞けないのは少し残念だけど、八神を追い込んだ者として後始末はしっかりしないといけない。

 

 茶柱先生は私を呆れるやら恐ろしいやら色々と混じり合った複雑な視線で見て来る。無人島以降はちょっと避けられぎみだけどまたそれが加速しそうだな。

 

 寂しくはない、そう言う風に見られるのは慣れている。

 

 

 

 

 

 それからの話をしておこうか。警察が到着すると同時に私と茶柱先生は事情説明をすることになった。監視カメラの映像を提出するだけでなく、どうしてこうなったかの説明である。

 

 警察の人たちは「なんでメイドなの?」と言いたそうな顔を凄くしていたけれど、職務に真面目なのか深くは突っ込んで来ないのでありがたかった。

 

 八神は肩と鎖骨が骨折していたので一時的に病院送りにされて、その後のことは私にはわからない。そこから先のことは学園の外の出来事なので後で九号から情報を売って貰うとしようか。

 

 八神のそれからはわからない。病院で治療を受けた後に当局の世話になるのか、それともホワイトルームに戻されるのか、或いは敵対派閥に身柄を攫われるのか……どうであれ粗末な扱いをされないように圧力を加えておこう。

 

 偽善だが、やらないよりもマシである。ゼロよりは1の方がマシ程度ではあるが。

 

 事情説明が終わる頃には文化祭も完全に終了しており、時刻は午後7時過ぎとなっていた。スマホに届いたメールによると打ち上げは明日になったとのことで、このまま部屋に帰ることになる。

 

 当然メイド服だ。教室に戻った時にはある程度の片付けが終わっており、私の着替えはどこにもなかったのだ。

 

 トボトボと部屋に帰ることになるのだけど、私の部屋の扉が施錠されていないことでどうやら客人がいることに気が付く。

 

 少しだけ扉を開く……爆発物や罠類は無いようだな、そして部屋の中から漂ってくる僅かな甘い香りによって客人の正体が鈴音さんであると推測するのだった。

 

 合鍵を渡してあるので不思議ではない、文化祭終わりに二人でちょっとした打ち上げをしようとも話していたので、どうやら待たせてしまったらしい。

 

「鈴音さん?」

 

 部屋に入って声をかけてみるが返事がない、しかしその理由はすぐにわかった。

 

「寝てるのか」

 

 待ちぼうけている間に眠ってしまったらしい。鈴音さんは机に突っ伏すような姿勢で寝息を立てており、その傍らにはビニールラップが巻かれたホットサンドが置かれている。

 

「待たせてしまったみたいですね、ごめんなさい」

 

 細やかな打ち上げをしようと約束していたのに悪いことをしてしまった、反省しないといけないだろう。

 

 部屋の片隅には教室になかった私の着替えも置いてあったので、これでようやく私から俺に戻れそうだな。

 

 ささっとメイド服を脱いで着替えるとようやく落ち着くことができた。やはりスカートよりもズボンの方が動きやすい。

 

 天子モードは精神汚染が激しいので今後は封印しようと思う。やはり己らしく振る舞うのが一番ということか。

 

「鈴音さん、お疲れさま」

 

 眠っている鈴音さんにそう労う、眠っているので返事はなかったけれど。

 

 自然と指が彼女の頭に伸びて、艶やかな髪を撫でることになった。

 

「ん……」

 

「ごめん、起こしてしまったかな」

 

 そうやって撫でていると鈴音さんは目を覚ましてしまう、可愛らしい寝息を聞けないのはちょっと残念だな。

 

「あぁ、帰っていたのね」

 

「ついさっきね。ごめん待たせてしまったようだ」

 

「構わないわよ、ある程度長くなるだろうとは思っていたから……食事はどうしたの?」

 

「実はまだなんだ」

 

「私もよ、作っておいたから食べましょうか」

 

「うん、ありがとう」

 

 ホットサンド以外にもスープもあるらしいので、温め直すとしよう。

 

「あ、そうだ、文化祭の結果、どうだったんだい?」

 

「一位を取れたわ、無事ね」

 

「そりゃよかった、頑張ったかいがあるというものだよ」

 

「ただ坂柳さんクラスや龍園くんクラスも四位圏内に入っていたから差は生まれなかったのだけれどね」

 

 台所に立ってスープを温め直している鈴音さんは、溜息交じりにそう言っている。結果は伴ったがクラス闘争という点でみれば大きな差にはならなかったので仕方がないだろう。

 

「なに、次また頑張ればいいさ。体育祭の時とは違って一位を取れたのは間違いないんだから」

 

「えぇ」

 

「体育祭も終わったし、文化祭も終わった、生徒会長にもなれたから、ようやく落ち着けそうだ」

 

「無人島での試験が終わってからずっと忙しかったものね」

 

 本当にそうだと思う、休まる時間が随分と少なかった。

 

 でも大きなイベント事は全て終わらせることができたので、やっと羽を休めることができそうだ。

 

 食事を終えたら文化祭の話をしながらゆっくり過ごそう。

 

「よし鈴音さん、イチャイチャしよう、あれだけ頑張ったんだからそれくらい許されると思う」

 

「馬鹿……先に食事を済ませるわよ」

 

 こうして文化祭は終わることになる。予定通りだったことも、想定外だったこともあったけれど、振り返れば何だかんだで面白い時間だったと思えるのだから、きっと有意義なイベントだったんだろう。

 

 来年はどうなるかな。また文化祭があるのならば、楽しめると嬉しいなと俺は思う。

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 「忍者の朝は早い」

 

 

 

 

 

 

 忍者の朝は早い、まだ日が昇るよりも前に意識が覚醒する……と言っても基本的に脳と体を毎日交互に休ませる形なので、完全に眠りに落ちるということはないッス。

 

 太陽が昇るよりも早く眠っていた体と脳が覚醒して体に熱が広がった。それと同時に頭から指先まで動かして本日の調子を確かめるのだった。

 

「ヨシ、問題ね~です」

 

 部屋の中に置いてあった手裏剣と短刀を壁に付けてある的に向かって投げつける、狙った所に寸分たがわず突き刺さったことで本日の調子を確かめることができた。

 

 この学園に来てからかなり平和ボケしている自覚はあるでやがります。狙撃されることも爆撃されることもなければ、テロリストや武装勢力と頻繁に殴り合うこともないような環境なので当然でやがりますが、それでも感覚を錆びさせない為に鍛錬は欠かせない。

 

 人差し指一本だけで逆上がりすると、そのままの状態で腕立て伏せを開始する。足にはポイントで買ったバーベルを指先で摘まんだ状態で固定するッス。

 

 バーベルの重さは百キロ、ちょっと物足りないッスけど、こんな環境なので仕方がない。

 

 指一本で逆立ちして足で挟んだバーベルを固定したまま腕立て伏せを繰り返す。鶚の里にいた頃よりもずっと楽な鍛錬だけれど、器具が少ないので仕方がない。足りない分は回数で補うッス。

 

 そうやって逆立ち腕立て伏せをすること一時間ほど、薄っすらと汗が肌に張り付くようになった頃に、ほんの僅かに太陽の明かりを感じることができる時刻となった……尤も、ウチの部屋は狙撃を警戒して窓に鉄板を貼り付けているので外の様子などわかりませんけど。

 

 それでも腹具合からそんな時間だということがわかったので、早朝の鍛錬は一旦中断となる。

 

 次にやるべきなのは朝食でやがります、なのでウチはまずこれまたポイントで購入した銛を手に取って部屋の外にでた。向かう先は海ッス。

 

「タコ、イカ……真鯛」

 

 それらが取れたらいいなと考えながら、学園の端から銛を片手に海に飛び込む。当然ながら水着に着替えて。

 

 残暑も消えたことで海は冷たくなっており、肌に染み入るような冷たさを感じるけれど、鶚忍者は無敵の忍者、師匠に真冬の山に放り込まれてサバイバルを課せられた時のことを思えば随分と楽に思えるでやがります。

 

 海に潜ると獲物はいくつか見つかる。東京湾はそこまで豊かな海洋資源がある海ではね~ですけど、探せばある程度は見つけられるッス。

 

 狙い通りまずはタコを銛で穿つ、イカと真鯛はいなかったのでとりあえず視界に入ったウツボを穿つ。

 

「ぷはッ……ふう、なかなかの大物ッスね」

 

 タコもウツボも大きい、これなら数日分の食料になるのは間違いない。

 

 獲物をひっさげながら学園がある人工島の壁をよじ登って敷地に帰る。雑木林の中に隠しておいた服に着替えるとレッツらゴーで朝食の準備ッス。

 

「おや、忍者ガール、今日の釣果はどうだね?」

 

「大物ッス」

 

 着替えているとご主人のクラスメイトの高円寺パイセンがランニングしているのが見えた。あちらもウチに気が付いたのか声をかけてくる。

 

 別に親しくはね~ですけど、ウチが獲物を捕る時間帯に決まってトレーニングをしているので話しかけられる機会が多かった。

 

 捕ったタコとウツボを見せつけると、高円寺パイセンは髪をかきあげながら良い笑顔を見せる。

 

「ふむ、相変わらず野性味豊かで大変結構なことだ、この学園で自給自足している生徒など君くらいだろう」

 

「まぁ、人の手に渡った物はあんまり食べたくね~ですから」

 

 潔癖症という訳ではなく、毒物を警戒してのことッス。

 

 なので基本的に自給自足がウチの目指すところ、学食もコンビニもあまり利用しない。自分で捕った食料を自分で調理すれば誰かに毒を盛られるリスクはかなり抑えられる……尤も、この閉鎖環境ではなかなか難しい所ッスけど。

 

 できることなら完全に自給自足が好ましい、いつどこで誰に寝首をかかれて毒を盛られるかわからない世の中、本当に心から信頼する人の手で作られた物でなければ口にしたくはない。

 

 或いは、この人になら殺されても構わないと思えるような人の料理なら毎日でも食べられる。

 

 ご主人が毎日ご飯を作ってくれれば解決なんッスけどね、そこまでは迷惑をかけれない。ウチは配慮のある女なんで。

 

 外で外食する時は基本的に一夏ちゃんと一緒、先に彼女に毒見させてからウチは少し間を置いて食べている、それだってリスクのある行為だと思ってるくらいなんッスから、この警戒心は筋金入りなんでしょう。

 

 ランニングを再開した高円寺パイセンと別れてウチは寮の部屋に戻る。銛の先端にタコとウツボを突き刺した状態なので、寮監に見つかるとまた怒られることになるッス。

 

 前にも似たような状況でエレベーターに乗ったらしこたま怒られたので、今度はそんなヘマをしないようにエレベーターは使わない。寮の壁を走って五階まで辿り着くと、ベランダから部屋へと帰ることになる。

 

 ただウチの部屋の窓は狙撃防止用の鉄板があるので入れない、なので隣の部屋のベランダから寮の中に入ることになるのだった。

 

「一夏ちゃ~ん、あ~け~て~」

 

 隣の部屋の住人である一夏ちゃん、ベランダから声をかけるとウチの友達は泣きはらした顔を布団から覗かせる。

 

 なんか八神がアレなせいで盛大な醜態を晒したらしく、正式に退学になったことでちょっとセンチメンタルな気分になってやがるようです。

 

 あそこまで馬鹿な男でも一夏ちゃん的には退学になったのは悲しいのかもしれない。そこまで強い男でもないのによくわかんね~感覚ッスね。

 

「また海に行ってた訳?」

 

「大物ッス」

 

「タコに、ウツボ? ウツボって食べれるの?」

 

「なかなかうめ~です、一夏ちゃんもどうッスか?」

 

「……食欲ない」

 

 ウチが海から帰って来た時はこうして一夏ちゃんの部屋のベランダを経由して寮に入るのは恒例行事となっており、もう驚くこともないのか平然と窓を開けてくれた。

 

 一夏ちゃんは眠れてないのか隈が目立つ、しかも泣きはらした顔をしているのでせっかくの美人が台無しッス。おのれ八神、退学になっても迷惑をかけるとは……。

 

 ボスッと、体の力を抜いて布団に倒れこむ一夏ちゃんは、何をするにもやる気が出てこないらしい。八神とは幼馴染という奴らしいけど、それだけでここまでショックを受けるのがわからない……意外と一夏ちゃんはダメな男に引かれるのかもしれないッス。

 

 だがこれはチャンスでやがります、相手の心に付け込むには弱っている時が一番、詐欺も宗教も嘘もそこは一緒、傷心中の一夏ちゃんをこのままウチに傾けるには丁度良くもあるッス。そこは八神に感謝ッスね、なんの役にも立たない男だけど一夏ちゃんを弱らせた一点だけが評価するでやがります。

 

 ベッドの上で横になって何もする気がないという雰囲気を全開にする一夏ちゃん、そんな彼女を置いて部屋を出ると、ウチは自分の部屋に戻って冷蔵庫にタコとウツボを突っ込む。

 

 とりあえず一夏ちゃんを元気づける為に料理でも作るッス。せっかくタコを捕まえたのでたこ焼きでも作るでやがります。

 

 絞め殺したタコの足を薄く切り刻んでからたこ焼きのネタを作っていく。あとは専用の鉄板で焼いていくだけ。

 

 材料の大半がウチが直接買った物ではなく、ご主人がウチの目の前で毒見を済ましてくれたものをそのまま下賜してくださったものばかり、可能ならば完全な自給自足をしたいけれどそれが難しいのでこんな手間を加えている。

 

 ご主人にも面倒をかけている自覚はあるッスけど「気にする必要はない」と笑顔で言ってくれたッス、優しい、子宮がキュンキュンするッス。

 

 作ったタコ焼きを一夏ちゃんに持って行く。やはり弱っているのかこちらに視線を向けるだけで何も言ってこない。

 

「ほら一夏ちゃん、あ~んッス」

 

「朝からたこ焼きって、そもそも食欲ないし……熱ッ!?」

 

 隈が目立つ泣きはらした顔は好みじゃないので強引に口の中にたこ焼きを突っ込む。

 

「はふ、はふ……熱ッ……むぐ」

 

「美味しいッスか?」

 

 文句を言いながらも吐き出すことはできなかったのか、一夏ちゃんはアツアツのたこ焼きを食べてくれたッス。可愛い、しゅき。

 

「グダグダ悩んでもしゃ~ねえでやがります。お腹いっぱいになれば大抵のことはどうでもよくなるッスよ、ほら、あ~ん」

 

「……心配してくれてるの?」

 

「そりゃ勿論、ウチは一夏ちゃんのことが好きッスから」

 

「……ありがと」

 

 やはり弱っている、まさに攻め時、あの何がしたかったのかよくわからないまま退場した男は、一夏ちゃんを弱らせる為に存在していたと思えば多少は評価もできるッス。

 

「ほらほら、いつまでも嘆いてないでまずはお腹いっぱいになるッス。そんで落ち着いたら茶をしばいて、更に落ち着いたら遊びに行くでやがります」

 

 そうやって八神を過去の男にすれば、一夏ちゃんはウチだけの物になるという寸法でやがります。

 

 ウチらは親友ッスからね、あの幼馴染を忘れさせることに協力するくらいはお安い御用でやがりますよ。

 

 今日は文化祭の振り替え休日、たこ焼きを食べ終えたらそのままケヤキモールに遊びにいこう。お腹いっぱいになって楽しいことをして、疲れて眠れば八神も過去になるッス。

 

 今はちょっと傷心中でも、そうやって過去になっていく。ただそれだけの話ッスね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ポイントの無駄遣い」

 

 

 

 

 

「なんでメイド服があるんだい?」

 

 文化祭が終わって月曜日、日曜日が文化祭だったので今日は振り替え休日となり休みである。平日なのに学校に行かなくてもいいというちょっと特別感のある日だな。

 

 せっかくなので恋人と一緒に過ごそうということになり、偶には鈴音さんの部屋で過ごそうかと言う話になってお邪魔させて貰っているのだが、そこで俺はメイド服を発見するのだった。

 

 うん? なんでだ? これってレンタルしたメイド服だよな? どうしてハンガーにかかって鈴音さんの部屋にあるのだろうか。

 

「それは、購入したのよ」

 

「ほう……それはまたどうして」

 

「……」

 

 何故黙るのだろうか、ちょっと不信感を込めた瞳で鈴音さんを見つめてみると、彼女は珍しく視線を右往左往させた。

 

「も、勿体ないでしょう?」

 

「コスプレ趣味に目覚めたのかな?」

 

「それは私のメイド服ではなく、天武くんの為の物よ」

 

「……」

 

 まさか天子モードにまたなれって言うのだろうか、恋人に女装させたいとか結構倒錯的な趣味だと思う。

 

「因みに幾らしたのかな?」

 

「ご、五万ポイントほどよ」

 

 レンタルだから安く借りられたけど、実際に購入しようと思えばそれくらいはするか。

 

「無駄遣いじゃないかな」

 

「いいえ、これは必要な出費よ」

 

 何故か自信満々に鈴音さんはそう言った。

 

「だ、だって……天子さんがあれだけで終わるのは、勿体ないもの。偶には、ね?」

 

「う~ん、可愛くお願いされても……いや、だがこれは」

 

 そこで俺はとある名案を思い付く、鈴音さんがそう来るのならばこちらもと言う奴だ。目には目を、歯には歯を、そういうことである。

 

 

 こんなやりとりが行われた数日後、俺の下には龍園から教えて貰ったレンタルショップから購入したとある衣服が届くことになるのだった。

 

 

「何かしら、これは?」

 

「これはね、龍園クラスが使っていた和装だよ」

 

 同じくレンタル品であったのだが店を教えて貰って正式に購入したのだ。

 

 やはり良い、メイド服も良いのだけど、個人的に思い入れのある和装の方が色々と納得できるのだろう。

 

「そう、幾らくらいしたのかしら?」

 

「五万ポイントほどだよ」

 

「無駄遣いね」

 

「そうそれ、それが俺がメイド服を見て思ったことだよ」

 

「あれは必要なものだったのよ」

 

「和装も必要だ……是非鈴音さんに着て欲しい」

 

 すると鈴音さんはモジモジと体を震わせる。

 

「へ、変態……とんでもない要求をしている自覚はある?」

 

「彼氏にメイド服を着させようとする人に何を言われても説得力がありません」

 

 恋人に和装をさせたい俺、メイドにしたい鈴音さん、どちらが変態かと言われれば間違いなく後者だろう。

 

「ほら、試しにさ、鈴音さんって和装も似合うと思うんだよね。うん、そうに違いない」

 

 普段見慣れている制服姿も勿論いい、文化祭で見せてくれたメイド姿だってそれは変わらない、だが俺的にはやはり和装なのだ。

 

 こちらの要求に、鈴音さんはう~んと考え込む……この感じ、もうひと押しすれば行けそうだな。

 

「よし、交換条件として俺もメイド服を着ようじゃないか」

 

 そんな条件を提示すると鈴音さんはピクッと体を反応させる。

 

「……良いでしょう、その言葉を忘れないようにしなさい」

 

 そして渋々といった様子で和装を受け取ってくれるのであった。自分の部屋の浴槽へと引っ込み着替えていく。

 

 交換条件なので俺もメイド服になるとしようか、ハンガーにかかっていたメイド服を手に取ると、俺は私へと変身する為に準備を進めるのだった。

 

 化粧も着替えも慣れたものである。かつらも被って鈴音さんを真似てこめかみ付近を編み込むことも忘れない。

 

「て、天武くん……いえ、天子さん、準備はできた?」

 

「こっちは問題ないよ……いえ、おほん、こちらは問題ありませんよ」

 

 口調と雰囲気も天子モードに合わせる……ついこの間、このモードは封印すると決めたというのに、そんな決意は脆くも崩れ去ってしまったか。

 

 お互いに着替えを済ましたということで合流することになるのだが、鈴音さんは僅かに開かれた浴槽の扉からちょっとだけ顔を出すだけで一向に出て来ない。

 

 恥ずかしいのだろう、メイド服と大差ないと思うのだけれど、鈴音さん的にはそうではないらしい。

 

「ほら恥ずかしがらずに、誰も見ていないのですから」

 

「貴方が見るじゃない、それもいやらしい瞳で舐めまわすように」

 

 どこか呆れたような瞳で見つめてそんなことを言って来る。恋人をコスプレさせようとしているのは君も一緒だと自覚して貰いたいものだ。

 

「まぁまぁ、偶にはこうやって過ごすのも良いと思いますよ」

 

「……」

 

 またもや渋々と言った感じで、鈴音さんは浴槽の扉を開いて部屋まで帰って来る。露わになるのは和装姿の鈴音さんである。

 

「……可愛い、証明完了」

 

「そ、そう?」

 

「完璧ですね、やはり和装、私の目に狂いはなかった」

 

「……目がいやらしいわよ」

 

「そんなことはありません」

 

 それを言い出したら鈴音さんだって天子を見る瞳はちょっと邪である。つまりお互い様だ。

 

「なんだかあれですね、こうやって互いにコスプレをしていると、ちょっと倒錯的な感じですよね」

 

「しかも貴方は女装をしているのだし……これじゃあ、まるで変態カップルね」

 

 自分で言って恥ずかしくなったのか、それとも呆れたのか、鈴音さんは頭を抱えてしまう。今更ながらこの状況をおかしいと思い始めたのだろうか。

 

「良いじゃないですか、こういうのは開き直るくらいが丁度いい筈です。せっかくなので文化祭と一緒で非日常を楽しみましょう……なんならこのままデートに行きますか?」

 

「絶対にごめんよ、それだけはね」

 

「ふふ、なら部屋で過ごしましょうか。さぁお嬢様、なんなりと命じください」

 

「……」

 

 羞恥と照れで顔を赤くしながらも、鈴音さんは慣れていない和装姿のままその日を過ごすことになるのだった。

 

 お茶を入れたり、食事を作ったり、勉強したりするけれど、ずっとメイド服と和装姿だったので非日常を楽しめたと思う。

 

 片方は女装メイドで、片方は和装メイドである。誰に見せる訳でもなく休日にそんな姿をして過ごしているのだから、もしかしたら鈴音さんが言うように私たちは変態カップルなのかもしれない。

 

 でもここ最近は、それこそ無人島以降はずっと忙しかったので、こうやって個人的に楽しみながら穏やかな時間を過ごすことも大切だろう。

 

 楽しむことは重要である、今度は逆に鈴音さんにメイド服になって貰うとしよう。そんなことを思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「不撓不屈」

 

 

 

 

 

 私には負けたくない人がいる。その人はとても綺麗で真っすぐな人、直視できないくらいに。

 

 ある時期からその人を見ることがとても辛くなっていた、私よりもずっと強くて頑張り屋で、そして彼の隣を歩いていけるだけの意思と覚悟を持っていたから。

 

 きっとああいう人だから、天武くんは一緒にいたいと思ったのかもしれない。だって私から見ても眩しいくらいに真っすぐな人だったから。

 

 それこそ嫉妬すら感じられないくらいに、私は心が折れてしまったんだと思う。

 

 でもそれは間違いだって気が付いたんだよね、ただ黙って負けを認めるだけじゃダメなんだって、他の誰でもない天武くんが教えてくれた。

 

 天武くんも、堀北さんも、眩しいくらいに真っすぐで手を伸ばしても届かないくらいに凄い人で、私はずっと足踏みをしているだけなんだよね。

 

 それじゃダメだって、私は気が付いた。

 

 文化祭で天武くんが言ってくれた言葉を思い出す。私を尊敬していると。

 

 たとえ私がどれだけダメダメでどうしようもない存在でも、その言葉と思いだけは否定しちゃいけない、嘘にしてはいけない。

 

 だから私は立ち直ることができたんだと思う。ただ嘆いて沈んでいるだけでは天武くんの言葉を嘘にしてしまうから。

 

 虚勢でも構わない、私は天武くんに認められるだけの存在なんだと、それがただのメッキであっても構わない。その言葉だけは何があろうともう汚せない。

 

 だから私は、久しぶりに生徒会室の扉の前に立つのだった。

 

「こ、こんにちは」

 

 緊張でちょっとだけ声が上ずってしまったけれど、扉の向こうにいる人を考えれば仕方がないと思う。

 

「一之瀬さん? どうしたの?」

 

 生徒会室には当たり前のことだけど堀北さんがいる。けれど天武くんや七瀬さんの姿がないのは幸いだった。

 

「えっと、ね……実は堀北さんに話があって、今は時間があるかな」

 

「構わないわよ、忙しい時期でもないのだから」

 

「ごめんね、忙しい時にいなくて」

 

 そこは本当に申し訳ない、絶対に辞めちゃいけない時に生徒会から離れてしまったもんね。我ながらどうしようもない行動だった。

 

 申し訳ない気持ちになりながらも生徒会室の椅子に座る。

 

「話とは何かしら?」

 

「あ、うん……えっと」

 

 ここまで来てしまった以上はもう帰れない、それにしっかり伝えておかないとまた私は天武くんの言葉を嘘にしてしまう。

 

 深呼吸を一つ、気持ちと覚悟を整える。そして瞼を開いて真っすぐと堀北さんを見つめるのだった。

 

 

「私、天武くんが好き」

 

 

 あぁ、言ってしまった、よりにもよって堀北さんを相手に。

 

「そう」

 

 けれど想定していた罵声や皮肉はなくて、堀北さんはまるで日常を行くかのように平然とそう返してくる。何一つ動揺は見受けられない。

 

「お、驚かないんだ」

 

「驚いてはいるわよ、けれど慌てふためくことでもないわ」

 

「それは、どうしてかな?」

 

「だって天武くんは、魅力的な人だもの……女子が好意を寄せるのはとても自然なことだと思うわ、それが貴女であってもね」

 

「……」

 

 凄く、冷静だ。もっと怒られるものだと思っていたけれど、これはこれで私としても困るな。

 

「それで、そんなことを伝えて一之瀬さんはどうしたいの?」

 

「ど、どうって……それは」

 

 嘘も偽りも許さないとばかりに、堀北さんの瞳が私を射貫く……やっぱりこの人は、強い人だ。

 

「負けたく、ないんだ……ずっと迷ってて、でもそれじゃダメだって思ったの、本当にごめんなさい」

 

「謝られても困るわね、その必要がないもの」

 

「え?」

 

「その謝罪は意味がないのよ、だって私が負けることはないのだから」

 

 堀北さんは私の告白に揺らがず曲がらず、それどころか自信と余裕すら見せてこう言うのだった。

 

「彼は私の恋人、残念だけど一之瀬さんが何をどうした所で話にもならないわ。だから、謝罪なんて必要ないでしょ?」

 

「へ、へぇ~……よ、余裕だね」

 

 堀北さんは当然とばかりに頷く。その姿には私の告白なんてそよ風程度にしか感じていない余裕が感じられる。

 

「当然よ……その、天武くんは私にメロメロなのだから」

 

 ちょっと恥ずかしそうにそう言ってくる堀北さん、余裕たっぷりに見えたけどそういう所は冷静にとはいかないのかな。

 

「メロメロッ!?」

 

「えぇ、それはもうメロメロよ、ちょっと困るくらいにね」

 

「ぐ、具体的には!?」

 

 あの天武くんがメロメロになっている、なんだか想像できないけれど、恋人にだからこそ見せる姿なのかな?

 

「そ、そうね……よく膝枕をせがんでくるかしら、髪に触れてきたり、普段は紳士的なのだけれど、二人きりの時はスキンシップが多くなるわね」

 

「ぐふッ」

 

 堀北さんの言葉に、私は見えない殴打でも受けたかのように腹部に衝撃を感じてしまった。

 

「後は、この前の話だけれど、コスプレまでさせてきたわね……和装メイドにしてきたり」

 

「コスプレ!?」

 

 仲の良いカップルならそういうこともするのかな……いや、でも、なんだか凄く羨ましい。

 

 天武くんとのイチャイチャを照れながら説明した堀北さんは、羞恥の感情を隠してから再びいつもの怜悧な顔に戻る。

 

 とても強くて、綺麗で、私にはない力強い瞳に見つめられると、思わず背筋が伸びてしまう。

 

「一之瀬さん」

 

「なにかな」

 

 堀北さんは腕を組み胸を張ってこう言い放つ。恐れるものなど何もないとばかりに。

 

「せいぜい頑張りなさい、私には勝てないでしょうけどね」

 

 あぁ、やっぱりこの人は私にはない力と意思を持っている。だからこそ綺麗で、だからこそ天武くんの隣に立てるんだろうね。

 

 罵声でもなければ、憤りでもない。ただ冷静に自分は負けないのだという未来を見つめている。本当に強い人だ。

 

 だから、負けたくないと私は思ったんだ。

 

「ふ、ふぅん、余裕だね」

 

「言ったでしょう、メロメロだと」

 

 うッ……やっぱり今は足元にも及ばない。圧倒的な高みからもの凄い力で追い詰められてしまう。今も見えない殴打を食らったかのような衝撃を受けてしまった。

 

 でも、負けてはいられない。ここで怯んでいるようでは生徒会室にまで来た意味がないからね。

 

「そっか、でも先のことはわからないよね、堀北さんが飽きられちゃうかもだし」

 

 こんな毒を吐くとは自分でも信じられない、けれど驚くほどに嘘偽りのない言葉だった。

 

「は?」

 

「あ、ようやく余裕が崩れたね」

 

「……」

 

 イラッとした顔をしている。あの堀北さんが取るに足らない相手である私に煩わされていると考えると……なんだろう、背筋がゾクゾクするような感触を覚えてしまう。

 

「ふふ、せいぜい油断しておくことだね、その内天武くんは私にメロメロになるかもしれないもんね」

 

「……」

 

 バチッと、私たちの間で火花が散ったような気がする。うん、ようやく私は堀北さんに敵として認められたってことなのかな。

 

「宣戦布告はこれで終わりかな、凄く勝手なことを言うけど、私は生徒会に復帰しようと思ってる……確か堀北さんが止めてくれてるって天武くんが言ってたけど」

 

「確かにその通りよ……良いでしょう、生徒会長として復帰を認める」

 

「堀北さん的には天武くんと二人きりになれる時間が少なくなってご立腹なのかな」

 

 また挑発するような言葉を発してしまう、私はどうしてしまったんだろう。

 

「何も心配はいらないわよ、仕事が終わった後にそういった時間は幾らでも作れるから」

 

「ごふッ」

 

 またもや私は見えないボディブローを食らってしまった。ダメだ、やっぱり圧倒的な差がある。

 

 でも、負けてられない、人生で初めて感じる超えるべき壁であり、好敵手と呼べる相手なんだから。

 

 

 勝利とは、不撓不屈の先にある、今なら私は自信を持ってそう言える。

 

 

 

 

 




そろそろ原作に追いつきそう……早く二年生編の結末が見たいなと思うこの頃。原作の様子見がしたいのでちょっと投稿ペースが緩やかになるかもです。すみません。


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修学旅行
修学旅行準備1


お久しぶりです。ぼちぼち更新していきます。アニメも始まるね。


 

 

 

 

 

 

 

 

 体育祭が終わり、文化祭が終わり、ようやくゆったりとできる時間がやってきたように思える。人手不足も手伝って生徒会は重なったイベントの対処に奔走したのだが、それもようやくと言った感じだろうか。

 

 大きな問題もなく……いや、八神関連で最後の最後で問題も起こりはしたけれど、アレは生徒会のミスではないので何も問題はない。

 

 暫くは大きなイベントもないのでゆったりできるだろうと、生徒会室でお茶を飲みながら一息つく。

 

 もうすぐ修学旅行だけどそれだって別に生徒会で動くようなことでもない。つまり細々とした仕事があるだけで生徒会はそれほど忙しいという訳でもなかった。

 

 問題があるとすれば一年生だろうか、八神が退学した影響は思っていた以上に大きかったのか、被害は甚大と言った状況である。

 

 まず八神は一年Bクラスの中でも中心人物であった。そんな彼が文化祭の終わり際でそれはもう暴れまわったのだ。その結果として他クラスや他学年に損害を与えたことで……結構な額の損害が残されたことになる。

 

 あんなにわかりやすく暴力を振るう場面を周囲に晒したので、龍園としてはこれ以上ないくらいに賠償を求めやすい状況である。案の定、彼は八神に、そして彼が所属しているクラスを訴えた。

 

 まぁそうなるだろうなと思う、当の八神が既に退学済みなのでその尻拭いはクラスがすることになるんだけれど、まさに阿鼻叫喚といった様子であったらしい。

 

 まず八神退学によるペナルティで結構な額のクラスポイントが減って、その上で賠償にも頭を悩まさなければならない。自分たちは何もしてないどころか文化祭や体育祭は順調だったというのに、それら全てが吹っ飛ぶくらいの損害を八神一人が叩き出したのだ。

 

 責めるべき相手はもう退学してしまっている。憤りや怒りをぶつけることもできないまま大量の賠償に頭を悩ませているのだろう。

 

 九号が言うには、一年Bクラスの雰囲気は世紀末といった感じらしい。既にクラスに見切りをつけている者すらいるらしい。事実上Dに転落することがほぼ確定な上に借金地獄ならばそうもなる。

 

 そんな彼らの賠償問題は生徒会が片付ける訳だが、議論の余地なく賠償を払えということになってしまった。疑いようがなく八神の凶行は確定しているし監視カメラに撮られたことで映像にも残っており、世界で一番凄い弁護士を引っ張って来ても敗訴は確実だろう。

 

 そして実際にそうなった、一応の配慮として悪いのは八神個人だという方向性に鈴音さんは持って行ったのだが、完全にそれで納得させられる筈もなく、一年Bクラスは大量の賠償を受け入れるのだった。

 

 龍園クラスと南雲先輩とカツアゲされたことになっていた桔梗さん等への賠償である。

 

 クラスポイントもプライベートポイントも全て吹っ飛んだと断言できる。

 

 世紀末にもなるだろう、クラスの雰囲気はギスギスで舌打ちは鳴りやまず、もう学級崩壊に近い様子なのかもしれないな。Dクラスへの降格も確実であり大量の賠償、もうクラス闘争で勝つのではなく個人で2000万貯めて移動しようという考えが蔓延する可能性もあるだろう。

 

 それもこれも八神一人が出した損害だ、そしてその本人はもういない。

 

「生徒会は、一年Bクラスに賠償の支払いを命じます」

 

「……」

 

 そんな鈴音さんの判断に、一年Bクラスの代表者はこの世の終わりのような顔をするのだった。

 

「龍園君クラス、南雲先輩、及び櫛田さんへの賠償も命じる……ただし、分割払いと賠償金の減少も加えます」

 

「はッ、甘い判断をしやがる」

 

「龍園くん、一年Bクラスの生徒は八神くんの行動に関わっていないわ」

 

「だが無関係でもない、集団社会って言うのはそういうもんだろう? 連帯責任でクラスが損害を被る……俺の言っていることは何か間違ってるか?」

 

「いいえ、その通りよ。だから賠償金の支払いに関しては七割ほど認めているもの」

 

「残りの三割はなんだ?」

 

「配慮よ」

 

「犬にでも食わせちまえよ」

 

 そんな風に龍園は吐き捨てるが、鈴音さんが一年Bクラスに一定の配慮を見せるだろうことは織り込み済みだったのかもしれない。それを見越した上で求めた賠償金をちょっと盛っていたのかもしれないな。

 

 思っていたよりもあっさり引いていく、多少の配慮を受け入れてもそれでもクラスポイントもプライベートポイントも手元に入って来るので満足しているのだろうか。なんであれ今日も龍園は変わらず龍園である。

 

 舌打ちをして生徒会室を去っていくのだが、苛ついているのは一年生に向けたポーズだな。

 

「あの、生徒会長……賠償に関してなんですけど」

 

「結論は変わらないわ。八神くんの行動に関しては貴方たちは関係がないことはわかっているけれど、さっき龍園くんが言ったことが全てよ」

 

「どうしようもないんですね」

 

「えぇ、可能な限りの配慮はした……生徒会長と言ってもそれほどできることは多くないの、ごめんなさい」

 

「いえ、ご配慮ありがとうございます」

 

 審議に立ち会った一年Bクラスの生徒は鈴音さんに頭を下げてから、トボトボとした様子で生徒会室を去っていく。これから大変だろうから頑張って欲しい。俺にできるのは祈ることくらいだ。

 

 九号みたいに別にAクラスなんて興味がないぜくらいのスタンスで過ごすのがこの学校は一番いいと思うんだけど、当事者たちはそうはいかないということか。

 

「お疲れさま、配慮配慮で大変だったね」

 

「えぇ、本当にね。龍園くんの主張や要求を完全に退けることもできないから、難しい判断だったわ」

 

「賠償金の減額だけでも十分な配慮だと思いますよ」

 

 記録係として審議に参加していた七瀬さんは鈴音さんの判断をそう評価した。八神の凶行は彼女も聞き及んでいるだろうし龍園たちの主張も決して間違っていないことから、どうやら支持に回ったらしい。

 

「七瀬さん、一年生の様子はどうなっているのかしら?」

 

「Bクラス以外にも影響は出ていますね。問題行動による退学とペナルティがこんなに重たいものなのかと驚いてもいます。あ、でも宝泉くんはちょっと冷静になったかもしれません」

 

 最初に暴力沙汰で退学になるのは間違いなく宝泉だと思ってたけれど、まさかまさかの八神である。

 

 そして七瀬さんの言う通り一年生たちはちょっと冷静になったのかもしれない。ここまで影響の大きいペナルティが科せられるのは稀とは言え、やりたい放題やればこんな結末もあるのだと理解できただろうから。

 

 宝泉が大人しくなるのならこちらとしても歓迎できる……まぁ尤も、龍園と同様に懲りるタイプでもないんだろうけど。

 

「ねぇ天武くん、南雲先輩の様子はどうだったの?」

 

 一年生と龍園たちへの判断を終えた後、生徒会の皆にお茶を用意した段階で、この度改めて生徒会に復帰した帆波さんがそんなことを聞いていた。

 

「私はあまり交流が無かったんですけど、以前の生徒会長の方ですよね? 八神くんに暴行されて重傷だったと聞きましたけど」

 

 七瀬さんもお茶を飲みながら興味を示して来た、鈴音さんも似たようなものである。

 

「昨日に果物の詰め合わせを持ってお見舞いに行ったけど、ちょっと荒れてたかな。元気そうではあったけど」

 

「荒れていたんですか? 南雲先輩と聞くといつも不敵な笑みを浮かべているという印象だったんですが」

 

「うん、七瀬さんの言う通りそんな感じの人だけど、やっぱり八神のアレで思う所があったみたいでさ。ついこの間に退院したばかりなのにまた入院する羽目になったし、色々と思うように行かないからストレスが溜まっていたのかもしれないね」

 

 せっかく退院してさぁこれからだという段階で、一年生に滅茶苦茶にされてまた入院である。なんだかこの入退院の繰り返しは四月頃の宝泉を思い出す動きだ。

 

 八神からの暴行でリハビリ中だった体は再び重傷になってしまい、もう暫くは入院生活が続くことだろう……今回ばかりは本当に完全に被害者だったので、俺は心の底から同情している。

 

 果物の詰め合わせ片手にお見舞いに行くと、それはもうイライラしていた。

 

 その苛立ちをぶつける相手は自分が与り知らぬ所で勝手に退学しており、感情をぶつける相手もいないまま自分は入院生活である。そりゃ荒れるだろう。

 

 せっかくお見舞いに行ったのにまずは舌打ちされてしまったし、大した会話もできないまま追い返されてしまったのだ。無人島以降、本当にままならないことばかりだったので荒れている。

 

 輝かしい道を入学してからずっと歩んで来ただけに、挫折や躓きに弱いのかもしれないな。俺はそんなことを思った。

 

「復帰はまだ時間がかかりそうだね。宝泉の時と同じように病室で授業を受けられるように学校側に申請しておくよ」

 

「それが良いでしょうね、八神くんのクラスからは百万ポイントの賠償で決着を付けたから、南雲先輩にはそれで納得して貰うしかないのだけれど」

 

 ふぅ、と可愛らしい溜息を吐いた鈴音さんは、南雲先輩への賠償金を八神のクラスに払わせる方針であった。とりあえずそれで納得させたいらしい。

 

 しかしあれだな、これだけ大きな影響やポイントを動かした当の八神がもういないというのが何とも言えない。皆、それぞれ思う所や不満があるのにそれをぶつける相手がいないのだから鬱憤が溜まるのだ。南雲先輩もそうだし、一年生もそうだ。

 

 とりあえずポイントを払わせて被害者には受け取らせる、そうやって状況を落ち着かせるしか生徒会としてはできない。

 

 南雲先輩もストレス耐性が低いみたいだけれど、いつかそんなこともあると納得してくれると期待するしかなかった。顔が腫れてイケメンが台無しだったけど、それくらい別に珍しいことでもない。卒業までもうそこまで時間もないから後は心穏やかに生活するべきだと俺は思う。

 

 どうせAクラスでの卒業は確定しているのだ、病室でのんびり過ごすという生活も悪くない……まぁそれで納得するような人でもないんだろうけど。

 

 ストレスを溜めて爆発しないことを祈るばかりである。三年生全体の為にも、そして俺自身の為にもだ。

 

 八神が多方面に深い影響を与えたことで生徒会としても翻弄されている事実に、少しだけ暗い雰囲気となってしまった。

 

 そんな空気を察して話題を変えようと思ったのか、七瀬さんがこんなことを言い出した。

 

「そうだ、先輩方はもうすぐ修学旅行なんですよね?」

 

「あぁ、その通りだよ」

 

「この学校もそういった行事はするんですね、外と接触してはいけないと言っているのに」

 

「まぁだからといって修学旅行はやりませんだと生徒たちの不満も溜まりそうだしね」

 

 そう、我々二年生は修学旅行が近いのだ。体育祭や文化祭と違って生徒会が忙しくなるような案件ではないのでゆっくり過ごせるだろうし、クラスメイトたちと旅行となるとこれまた非日常を味わえて面白くなりそうであった。

 

「旅行先はどこになるんでしょうか?」

 

「まだ発表はされてないんだよね」

 

「そうですか、でもどこになっても楽しそうですね」

 

 帆波さんの返答に七瀬さんはそんな感想を述べる。学年全体での旅行なのだから普段とは異なる空気は感じられるだろうな。

 

 俺としては京都でさえなければそれでよかった。あそこは修羅の国だからな、破戒僧とか野良超人が沢山いるのでできるだけ距離を置いておきたい。鶚忍軍の本拠もあるので絶対に近寄りたくない。

 

 もし京都に旅行で行ってみろ、楽しむどころかずっと襲撃に怯えないといけないから、行くとしても事前に掃除を終えてからという話になる。

 

「七瀬さん、お土産は何が良いかな?」

 

「え、悪いですよそんな」

 

「良いの良いの、ちょっと旅行気分のおすそ分けがしたいだけだから」

 

 帆波さんからのそんな提案に七瀬さんはちょっと恐縮した様子になるのだけれど、断るのもアレだと思ったのか少し考え込む。

 

「あ、でも北海道に決まったのなら、あのなんとかの恋人とか食べてみたいかもです」

 

「あの有名なお菓子だね、もし北海道になったらそれを買って来るよ」

 

 俺はよく知らないけれど有名なお菓子なのだろうか、甘い物は好きなのでこちらでも購入しておこうか。

 

 まぁ現地でどんなことをするのかも、自由時間があるのかどうかもわからないので、機会があればの話ではあるが。

 

 この学校のことだ、修学旅行中に何らかの試験を挟んで来ることだって十分にありえる。その辺の信頼はもう地を這うほどに低い。もし旅行先が北海道でその場所で雪山サバイバルをやれと言われても俺は驚かないぞ。

 

 けれどそうなったらなったでこちらの独壇場になるのかもしれない、極寒の地でのサバイバルとかよく師匠にやれと言われたからとても慣れている。熊とか出て来ても何も問題はない。

 

 流石に雪山のサバイバルで坂柳さんや龍園に上回られる訳にもいかないので、そういった展開になってもしっかり動けるように想定だけはしておこうか。

 

 この学校の修学旅行と聞いてちょっと不安ではあるけれど、京都以外が選ばれることを願うしか今の俺にはできない。北海道で雪山サバイバルは構わないし沖縄で基地襲撃とかもやったことがあるのでまだ気が楽ではある。ただし京都は駄目だ。

 

 それにだ、おそらく二年生の最後にあるであろう特別試験に向けての、最後の休息であるとさえ言えるのかもしれない。一年生の頃も三学期から怒涛の展開であっただけに、苛烈な展開だってありえるだろう。

 

 そう考えるとこの修学旅行は学校側からの最後の配慮なのかもしれない、そんなことを思うのだった。

 

 

 

 

 



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修学旅行準備2

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行が目前に迫る二年生だけれど、その前に学生らしく期末テストを片付けることになった。しかしここまでの学園生活でしっかりと勉強する癖や時間は作れたし、OAAを確認してみると俺たち二年Bクラスの平均学力は割と高めに評価されているのであまり心配はいらなかった。

 

 一番学力評価が低いのは男子は山内でありC-となっている。

 

 そう、クラスで一番評価が低い山内でも既にD評価を超えているのだ。他の生徒たちは軒並みC-以上の評価を得ているので、そう考えると随分と遠い場所まで来たものだと懐かしんでしまう。

 

 一年生の最初辺りを思い浮かべれば、どれだけクラスが前進したかよくわかるよね。このまま平均でB評価まで行きたいと思っていた。

 

 山内も最近は勉強熱心だし、女子チームも頑張っている。なんだかんだでしっかりと成長できているのは嬉しいことだと思う。

 

 いずれAクラスに相応しい生徒たちになってくれることを期待しよう。四十人の裏口入学者を輩出するのではなく、しっかりと成長した生徒たちになれるかどうかが重要だからだ。

 

 クラスもそうだけれど、学年全体にも同じことが言える。そろそろ二年も終わりが近く三年生にもなるので、卒業だって意識することになる。

 

 既にクラス闘争は俺の中では終わっていて、重要なのはその先にあるものになっているということだ。幸いなことに鈴音さんのおかげで俺がこの学園で必要と思ったものは見つかっているのだ、後はやりたいようにやろう。

 

「では期末テストの結果発表を行う」

 

 茶柱先生が教壇に立ってそう言うと、教室の前方にある黒板替わりの大型モニターにテストの結果が映し出された。

 

「まず最下位を取った生徒は山内だ……67点だな」

 

「俺かよ!! あ、でも悲惨な点数でもないよな!?」

 

「入学当初と比べればな、結果的に最下位になりはしたが、お前の頑張りはしっかりと数字として表れているのは間違いない」

 

「へへ、だよな」

 

「まぁ尤も、他の者たちはそれ以上の点数なので油断しないことだ」

 

 しっかりと茶柱先生が釘を刺す。まぁ山内もかなり落ち着いたので調子に乗るようなこともないだろう。

 

 山内の次は本堂でありこちらは70点、決して悪くはない点数である。そう考えるとこのクラスの平均的な能力の高さが伺えるな。本当に入学当初を考えれば遠い所に来たものだ。

 

 一年後はもっと成長できていると願おう。俺自身も含めて。

 

「学年での順位は二位、元Dクラスであることを考えたらよくやったと褒めてやろう」

 

 あまり生徒を褒めることにない茶柱先生もこれにはご満悦である。一位の坂柳さんクラスとも僅差であることを考えれば先生であっても労いの言葉くらいはくれるということだ。

 

「さて、お前たちが修学旅行を楽しみにしていることはわかっているが、その前にやってもらうことがある」

 

 そう言って茶柱先生は自分の端末を操作して生徒たちの電子端末に幾つかのファイルを送信してくる。それを開いてみると何かのアンケート用紙のようなも物が広がっていく。

 

 これはなんだろうか、アンケートであると同時に学年全体の評価項目のようなものがあるな。生徒同士で評価でもするのだろうか。

 

「今から付けて貰う番号は要するに評価順位だ。クラスメイト、そして学年全ての生徒にそれぞれ評価をして貰う」

 

「あの先生、全く知らない相手とかもいるんですけど」

 

 一部の女子からそんな声が上がった。当たり前のことだけど知らない相手を評価することなどできない。

 

「それならそれで構わん。よく知らないから最低評価であっても問題はない。知り合いだから最高評価であってもな。これらのアンケートの結果は外に流出することはないし、何かしら成績やOAAに影響を与えることもないことは断言しよう」

 

 つまり学校側が行うアンケートということだ。成績にも何ら影響を与えないので気楽と言えばそれまでだが、修学旅行の直前で行うのだから何らかの影響があるのかもしれない。

 

 例えば各生徒への評価の分類でチーム分けされるとか、修学旅行先で不意打ちの特別試験を突っ込んできて何らかの影響を与えるとか……この学校を信頼しない方がいいな。

 

 ともあれやれと言われれば評価するしかない。まずクラスメイトたちの評価だけど……まぁ色々あったけれどしっかりと成長して進んでいると確信できているので全て最高評価でも良いんだけれど、順位付けとのことなのでしっかりと考えておこう。

 

 このアンケートで今後の特別試験に何らかの影響があることを考えれば、敢えて天邪鬼な判断をすることもアリだろうか? いや、重要なのはどんな状況にも左右されない心構えなので、そこまで複雑に考えることはないか。

 

 単純にここまでの成長性と、交流、そしてOAAの数値で決めてしまおう。変にアドリブを利かせる必要はないだろう。

 

 とりあえず鈴音さんを一番に置く、次に須藤、成長の揺れ幅を最も大きな評価項目にするとそういうことになる。そこから順番にクラスメイトたちを順位付けていった。

 

 他クラスはどうするべきだろうか? あまり交流がない生徒も当然ながらいるのでそこはOAAの数値順で構わないか、頭の中に二年生全員のOAAデータを引っ張り出してそれぞれ配置していった。

 

 おそらく何らかの形で今後の特別試験や修学旅行に影響を与えるんだろうけど、重要なのは不動の心構えである。周囲の環境に右往左往するのではなくしっかりとした心構えが大切であった。

 

 そうやってアンケートを書き記していくと、クラスメイトたちも同じように終わらせたのか次々と茶柱先生の携帯端末に送っていくことになる。それを確認した先生は次にこう言ってくる。

 

「では満場一致試験の結果を伝えよう。各クラスの判断を総合した結果、修学旅行先は北海道に決まった」

 

 それを聞いた瞬間に、俺は机の下で拳を握りしめて小さくガッツポーズをするのだった。

 

 これで修羅の国に関わらずに済む。最高の修学旅行になることが決定したのだから、ガッツポーズも仕方がないと思う。

 

 既に楽しみである。もし京都だった場合は高い確率で戦争になるので、これほど嬉しいことはない。やっぱり平和が一番である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やけにご機嫌だな?」

 

「旅行先が京都じゃなかったからね」

 

 そうとも、あんな修羅の国に行く必要がなくなったのだから上機嫌にもなる。そんな俺を清隆は不思議そうな見て来るくらいには機嫌がよく見えたらしい。

 

「京都は嫌だったのか」

 

「あそこにはね、破戒僧とか野良超人が沢山いるんだ。九号の実家もある。この世の終わりみたいな土地なんだ」

 

「そうか、京都にはゴリラが沢山いるのか」

 

 そんな風に納得する清隆。別に間違った認識ではないので何も問題は無い。

 

「楽しみだねぇ修学旅行。旅することはこれまでもあったけれど、クラスの皆や学年でなんて初めてだよ」

 

 小学校も中学校も通ってなかったからな、師匠と引っ張りまわされて色々と旅はしたけれど観光って感じではなかったし、本当に楽しみである。

 

「清隆も旅行は初めてなんじゃない?」

 

「言われてみればそうだな。ホワイトルームではVRで色々な場所を疑似的に体験はしていたが、実際に足を運ぶことはなかったからな」

 

「VR? ゲームでもしてたのかな」

 

「いや、あの場所から出ることがない弊害で社会経験や一般的な常識が欠けていたからな。切符の買い方であったり、信号の横断であったり、そういったものを疑似的に体験していたんだ」

 

 なるほど、ホワイトルームではそんなカリキュラムがあったんだな。お金がかかってそうである。

 

 そんなことを考えながら俺と清隆はケヤキモールにあるカフェの椅子に腰かける。お茶しようと言う訳ではなく、単純にここが待ち合わせ場所であるからだ。

 

 カフェの椅子に座って飲み物を注文して暫くすると、待ち人がカフェに現れることになった。一年生の華やかな女子たちである。

 

「あ、パイセン、お待たせしたッス」

 

 姿を現したのは九号と天沢さん、そして七瀬さんであった。

 

「なんでウチらは呼ばれたんッスか?」

 

「清隆が天沢さんのことを心配していてね、話をしたいそうなんだ」

 

「え、綾小路先輩が私と?」

 

 どこか九号に引きずられるようにこちらにやってきていた天沢さんであったが、清隆の名前を聞いて途端に元気を出した。

 

「八神のことで話が聞きたくてな……七瀬も同席するのか?」

 

「はい、お伝えもせずに同席することをお許しください。鶚さんが先輩たちと話すと聞いて気になってしまって……その、天沢さんはホワイトルームの関係者なので」

 

 警戒するように七瀬さんは天沢さんに視線を向けるのだが、どちらかと言えばその隣にいる九号を警戒しているようにも見えた。

 

 まぁそれは仕方がないことではある。だって九号の方が明らかに不審者だし出所の不明の戦力だし、物理的に一年生の中なら最強だろうしね。

 

 それに七瀬さんの立ち位置もまだまだ不透明である。月城さんが残した布石であるという線もまだ残っているのは清隆と共通した認識であった。

 

「天沢、ここ最近は学校も休んでいたようだな」

 

「よく知ってますねぇ……あ、もしかしてアタシのことが気になってたとか? まぁ綾小路先輩ならストーカーも大歓迎、みたいな?」

 

「いや、鶚と七瀬から報告してもらっていたんだ」

 

「ストーカーはこっちだった!?」

 

「知らなかったんっスか? 忍者は日本最古のストーカーッス」

 

「……そんな凄いでしょって感じで胸を張られても困るんだけど」

 

 ドン引きした様子で忍者を見つめる天沢さん。きっと九号みたいな子はホワイトルームにもいなかっただろうからカルチャーショックでも受けているのかもしれない。

 

「七瀬ちゃんは?」

 

「私はストーカーではありません。堂々と調べて報告していました」

 

「それを世の中ではストーカーって言うんだけどね……あれ、なんでアタシが常識的なこと言ってるんだろ」

 

「まぁまぁ、世の中そんなもんッスよ。ほら頼んだパフェも来たんで食べましょうよ。ほら一夏ちゃん、あ~ん」

 

「むぐッ」

 

「思っていたよりも元気そうだな」

 

「そりゃ当然っスよ綾小路パイセン。ウチと一夏ちゃんはマブダチッスから、ツーカーの仲ッスよ」

 

「そうか」

 

 九号が注文したパフェをスプーンで掬ってアイスやクリームを天沢さんの口に押し込む……こら、マブダチなら毒見役を押し付けるのは止めなさい。

 

 天沢さんにまず食べさせて問題はないと判断したのか九号はパフェを食べだす。相変わらず自由で何よりだと思うしかない。

 

「八神が退学してから不調だと聞いていたが、その分なら問題はないか」

 

「あれ、もしかして綾小路先輩、本当に心配してくれたんですか?」

 

「ダメか?」

 

「……いえ、ダメってことはありませんけど、もっと冷めた人だと思っていました」

 

「そうか……そうか? オレはそれなりに感情豊かだと思うが」

 

 同意を求めるように清隆は周囲を見渡すけれど、誰もが皆困ったような顔をしてしまう。

 

「ん、まぁ清隆は情熱的な男だよ」

 

「そうだろう、天武はよくわかてるじゃないか」

 

 謎のドヤ顔である……うん、確かに感情豊かになっているな。清隆も成長しているということだろう。俺は素直に嬉しくなった。

 

「まぁ何であれだ、天沢が問題ないのならばそれでいい。お前は学園での生活を楽しんでいるようにも見えていたのでな」

 

「え、そんな風に見えましたか?」

 

「あぁ」

 

 すると天沢さんは難しそうな表情を作って自分の隣でパフェを頬張っている九号に視線を送る。

 

「ん~……まぁ、思ってたよりは、そうかもしれませんね」

 

「一夏ちゃんは素直じゃね~です。ウチと一緒にいたいからって言えば良いんッスよぉ」

 

「うざ~、ナルシストすぎないかなぁ」

 

「ナルシストも何も、ウチは優秀な遺伝子の集合体ッスよ。美しいのは当然でやがりますし、最高の肉体と容姿をデフォで持ってるんで、ナルシストなんじゃなくて一緒にいたいと思うのが普通でやがります」

 

 じゃれ合う二人を見て清隆は何やら納得したように頷く。

 

「天沢、お前はこれからどうするつもりだ?」

 

「ん~……まだ悩んではいるんですけどぉ、まぁもう少し楽しもうと思っています。やりたいことも負けたくない相手もここにはいるんで」

 

「そうか、それは何よりだ……八神もお前のように開き直れれば良かったんだがな」

 

「難しいでしょうねぇ……拓哉にとっては人生の全てでしたから」

 

「その割には随分と遠回りして空回りした挙句、何がしたかったのかわからないまま退学したんだが」

 

「あはは、間抜けと言われればそれまでですけど、多分ですけど怖かったんじゃないかな、だからあんなに遠回りなことをして空回りしたんだと思います」

 

 どこか憂いと呆れを混ぜ合わしたような表情を見せる天沢さん。

 

「もっと冷静になって、しっかし足元見れてればまた違ったのかな」

 

「いやそれは違うッスよ一夏ちゃん」

 

「何が違うのかなぁ?」

 

 パフェを食べている九号は「フフン」と不敵に笑って胸を張った。

 

 

「八神は種が薄いんッスよ、だから負けたんでやがります」

 

 

 そして九号は堂々とそう言い放つ。

 

「うん? ねぇ銀ちゃん、もしかして下品な話かな?」

 

「雄は子種がどれだけ強いかが重要なんッスよ!!」

 

「なんで大声で主張したの?」

 

 すまない天沢さん、九号はこういう相手なんだ。

 

「いいッスか一夏ちゃん、七瀬さん」

 

「え、私もこの話題に巻き込まれるんですか?」

 

「まずウチが考える男の3Kを教えるッス」

 

「……3Kって何? 七瀬ちゃんわかる?」

 

「あれですよ、えっと、高収入と高身長と……後は、なんでしたっけ、あぁ高学歴でしたっけ」

 

「そんななよなよした物を求めるから現代人は弱くなるばかりなんッスよ。いいですか、男はまず握力が最低でも一トン超え、戦車を素手で殴り倒せる体力、そして雄としての征服力が重要なんッスよ!! そう考えると八神のもやしっぷりは頭を抱えたくなるほどにダメダメでやがります!!」

 

「……えぇ~」

 

「……鶚さんは、とても独特な方なんですね」

 

 もの凄く困惑した様子の天沢さんと七瀬さん……本当にすまない、こういう子なんだ九号は。

 

「まず顔がもやしッス、体ももやしッス。あれじゃあ握力は精々八十キロちょっと、それじゃあダメでやがります。ウチの一夏ちゃんの幼馴染を名乗るならせめて五百キロ超えしてからにしやがれです」

 

「……」

 

 天沢さんが助けを乞うような視線をこちらに向けて来る。俺にどうしろと言うんだ。

 

「そしてあれじゃあ戦車を殴りつぶせないッス!! 当然ながら種も薄い!! ダメダメッス。一夏ちゃんもあんなもやしのことを忘れるのが吉ッスよ。男はゴリラじゃないと生きている価値がないッス!!」

 

 うん、まぁ、天沢さんへのフォローは九号に丸投げで良いかもしれないな。パワープレイで強引に引きずって立ち直らせてくれるだろうから。

 

 清隆の心配も杞憂であったということだ。友達のいる天沢さんならば大丈夫だろう。

 

「えっと、まぁ後は九号に任せようかな。天沢さん、七瀬さん、あまり抱え込まずに誰かにちゃんと相談してね……俺と清隆は修学旅行の準備があるからそろそろ帰るよ」

 

「あぁ、そうだな」

 

 清隆も九号をドン引きしながら見ていたので早く帰りたいらしい。男はゴリラであるべきと熱弁する九号を放置して俺たちは寮に帰ることにした。

 

「しかしアレだな、七瀬の本質はまだわからないままか」

 

「まだ疑っているのかい?」

 

「当然だ、アイツの主張は客観的な証拠がどこにもない」

 

「九号が調べた限りでは戸籍関係や背後関係は問題ないようだけど」

 

「かもしれないな、だが戸籍だったり高校に入る前の状況は幾らでも捏造できる。少なくともあの男ならな」

 

 清隆のお父さんか、この学園にいる俺たちでは中学時代の七瀬さんのことはさっぱりわからない。戸籍だったり在籍記録だったりはそれとなく九号に調べて貰っているけど、その辺はどうなるだろうな。

 

 戸籍だったりとか操作されて綺麗に整えられていると流石に難しいか。

 

「まぁ七瀬さんの立ち位置はそこまで警戒する必要はないと思うよ。重要なのは周囲の環境に流されない心構えなんだから」

 

「そうだな、何が来ても殴って黙らせることが重要だな」

 

 俺はそんなことを一言も主張していないんだけどな……清隆も随分と脳筋になったな。これも成長ということか。

 

 まぁ実際にそれはこの世の真理だ。全てを殴り飛ばして最後に立っていればそれは自由であり平和ということである。

 

 師匠曰く、とりあえず面倒事は殴って黙らせてから話を進めろとのこと。つまりゴリラであることが正しいということだな。

 

 それくらいの心構えで生きるのが大切だ。修学旅行も気楽にいこう。

 

 

 

 

 



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修学旅行 1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アンケートを終えて数日後、いよいよ二年生は修学旅行の日を迎えることになった。学園には大型の旅行バスが並んでおり、俺たちはリュックに私服という普段の制服姿とはかけ離れた装いで次々と乗車していくことになる。

 

 外との関りが遮断されているこの学園では三年間ほぼ軟禁状態という正気を疑うような教育方針であるのだが、流石に教育機関であることは変わらないので修学旅行は行かせて貰えるらしい。

 

 たがこの期に及んでまだ警戒を解けないのがこの学校だと思う。旅行先で突然に特別試験が始まることをまだ俺は疑っていた。

 

「随分と警戒しているのね」

 

「いやぁ、だってほら、この学校だからさ」

 

「……それは、まぁ確かにそうだけど」

 

 同じバスに乗り込んで隣に座ったのは、同じく私服姿の鈴音さんである。

 

「ちょっと前にあったアンケートも気になるんだよね」

 

「修学旅行でのグループ分けに影響していると考えているのかしら」

 

「考えても仕方がないことだとは思うんだけどさ。でもアンケートの結果でこうして鈴音さんと同じグループになれたんだから喜ぶべきなのかもね」

 

「そうね」

 

 クスっと笑みを見せてくれた鈴音さん、修学旅行だけれど同じグループだし、恋人と旅行しているという状況と言っても過言ではない。

 

 そこは感謝である。同じグループになれたことは素直に嬉しいし、勝手知ったる相手がいれば旅行中に特別試験を差し込まれても動きやすい。

 

 携帯端末を開いてみるとそこには同じグループメンバーのテキストが送られてきており。俺と鈴音さん、帆波さんと柴田、金田と伊吹さん、橋本と森下さん、これが修学旅行での同行者たちであった。

 

 一応は全員と顔見知りではあるが、森下さんの印象が薄いな。OAAの数値を引っ張り出すのだけれど、表面的な数字はあまり参考にはできないだろう。まぁ同じグループなので話す機会は幾らでもあるだろうから旅行中に友誼を深めよう。

 

「鈴音さん、どうやら伊吹さんと同じグループみたいだよ」

 

「……だからなんだと言うのよ、興味がないわね」

 

「その割には返答に間があったみたいだけど」

 

 事あるごとに絡まれて面倒だと言いたげな顔をしているけれど、余裕ぶりながらもなんだかんだで意識しているらしい。

 

「せっかくだし仲良くしてみればいいんじゃないかな」

 

「いやよ」

 

 プイっと視線を逸らす鈴音さん、どうやら伊吹さんとの溝は深いらしい。

 

 そんな彼女に微笑ましい気分になりながらもバスは空港へと向かい、そこから飛行機に乗って向かうのは北の大地北海道である。

 

 墜落しなくてよかった、ちょっとトラウマなので内心ではガクブルだった。けれど飛行機が墜落するようなこともなく、俺たちの学年は無事に北海道に辿り着くことになるのだった。

 

 空港に着いてからは振り分けられたグループと合流することになる。幸いと言って良いのかどうかわわからないけど、俺たちのグループは積極的に和を乱すような面子ではなさそうなのでそこは安心である。

 

 六助のグループの人たちは早速頭を抱えているし、清隆のグループは鬼頭と龍園が火花を散らしているし、あれらのグループと比べればなんとも平和だ。

 

 森下さんと橋本は腹の中で何を考えているかイマイチわからないけれど、六助や龍園ほど我が強くはない筈だ。金田は基本的に大人しいし帆波さんや柴田は言うに及ばず。

 

「え~っと、修学旅行中はこの面子で行動する訳だけど、皆よろしくね」

 

 空港に集まった面子に挨拶代わりにそう言うと各々の反応が返って来る。穏やかに微笑む帆波さんに柴田、眼鏡をクイッと上げて会釈する金田に鈴音さんを見て舌打ちする伊吹さん、チャラチャラした雰囲気の橋本にこちらをぼんやりと眺めて観察してくる森下さん……不安はどこにもないな。

 

「よかった、同じグループだね」

 

 朗らかに笑みを浮かべる帆波さんは視線を鈴音さんに向けて来る

 

「堀北さんもよろしくね」

 

「えぇ、よろしく」

 

 穏やかに微笑む帆波さんと、怜悧な瞳の鈴音さんは、自然と握手をしていた。二人は暫くそのまま見つめ合うことになる。

 

 何故か火花が散っているようにも見えるけど、ここ最近は生徒会でもこんな感じである。ある種のライバル心が二人の間に芽生えたのだろうか。

 

 火花を散らしながら握手をする二人を放置して他の面子に挨拶するとしよう。

 

「金田、伊吹さん、よろしく頼むよ。柴田もね」

 

「えぇ、笹凪氏もよろしくお願いします。もし修学旅行中に何らかの特別試験が挟まれれば頼りにさせてもらいましょう」

 

「ふんッ」

 

「お~、そうだな、この面子ならいい結果も出せそうだ」

 

 伊吹さんは相変わらず警戒心むき出しの猫みたいな反応だけど、金田と柴田は話しやすくあるので気楽である。

 

 次に視線を向けるのはAクラスの二人だ。

 

「橋本と森下さんもよろしくね」

 

「まぁ何があるかわからないが気楽にいこうぜ、せっかくの旅行なんだからな」

 

 相変わらずチャラチャラした雰囲気の橋本であるが、言っていることはまともである。橋本の隣にいる森下さんはぼんやりとこちらを観察しながら軽く会釈をするだけだ。

 

「なぁ橋本、森下さんってどういう感じの子なのかな? あまり絡みがなくてわからないんだよね」

 

 橋本を招き寄せて耳元で小声で相談するのだけれど、そうすると彼は盛大に嫌そうな顔をするのだった……なんだその反応は。

 

「一応言っておこう、俺はそっちのケはないんだ」

 

「え、なんの話?」

 

「噂になってるんだよ、笹凪は女装して男を誑かすことが得意なんだってな」

 

「……えぇ~、なんでそうなってるんだ」

 

 どんな噂なんだと思うんだけど、よくよく考えてみれば文化祭で盛大にメイド姿を披露して暴れまわったことを思い出す……あれが原因かぁ。

 

「い、いいか、別にお前の趣味にどうこう言うつもりはないぜ俺はな……だが不必要な接触は避けるべきだと思うんだ」

 

 そう言って橋本は俺からちょっと距離を取る。

 

「落ち着け、あれは戦略上必要だっただけで、別に趣味じゃない。俺は女装趣味でもなければ男を誘惑することもない。くだらない噂に振り回されるな」

 

 それでもなお橋本は警戒するように俺との距離感を意識している……拙いな、もしかして男子から警戒されているのだろうか?

 

「あ~、金田、柴田、二人はどう思っているんだ?」

 

 味方を増やそうとグループの男子二人に話しかけるのだが、橋本同様にどこか余所余所しさが感じられた。

 

「あ~……なんていうんだろうな、あの文化祭ショックの後だと、笹凪が凄く美人に見えるようになったんだよな」

 

「確かに、柴田氏の言う通り妙なフィルターがかかっていることは否定できませんね。以前から中性的な容姿であるとは思っていましたが、メイド姿のインパクトが強かったことでより女性的な印象に傾いたと言った所でしょう……龍園氏たちなどは悪夢にうなされているようですしね」

 

 金田が眼鏡をクイッと上げて冷静にそんな分析をしてきた……え、俺は同級生たちにそんな風に思われているのか? そう言えばクラスの男子たちもここ最近はどこか余所余所しい感じがあったような。

 

 橋本も柴田も金田も下手にメイド姿の俺、天子を意識しないように距離感を維持しているように思える……悲しいことだ。

 

「いや待て、もしかして写真とか出回ってたりするのか?」

 

「なんか高値で取引されてるぜ、お前のメイド姿の写真は。お姫様も一枚持ってたしな」

 

 嘘だろ橋本、女装男子の写真とかなんの需要があるんだ。

 

 地を這うような気分になっていく、まだ修学旅行当日だというのにだ。

 

 そんな俺をフォローする為だろうか、頼れる恋人が味方になってくれた。

 

「安心しなさい天武くん、似合っているのだから堂々としていればいいのよ」

 

「そのフォローはどうなのさ鈴音さん」

 

「うぅん、堀北さんの言う通りだよ!! メイド姿すっごく似合ってた、私も一枚写真を持ってるもん」

 

 帆波さん、君もそっち側に立つのか……というか普通は女装している俺なんて男子と同じように距離を置きたがるものなのでは?

 

 しかし男子と違って女子たちの反応は何故か好意的なのだから不思議である。

 

 最後の助けとばかりに伊吹さんと森下さんに視線を送ってみるのだけれど、前者は興味がないのか鼻を鳴らしてそっぽを向くだけだし。森下さんに関しては自分の携帯端末を弄って俺に天子の写真を見せつけてくる始末だ。

 

「似合っていますよ、自信を持つべきでしょう」

 

 これが森下さんとの初会話である……その写真消してもらえないだろうか?

 

 はい、旅行初日だというのにとても悲しい気分になった。どうやら学校では天子ロスなる状況になっており、写真などが出回っているらしい。

 

 悲しいね、どうやら俺は女装趣味があり男子を誘惑することを楽しんでいるとされているようだ。

 

 内心ではショックを受けながらもグループは移動することになる。初日はスキーの予定であった。

 

 空港からバスに乗ってスキー場へ移動することになる。学校がある東京はこの季節だとまず雪が降らないのだけれど、流石は雪国と言った所なのか結構な積雪量となっているのがわかった。

 

 これならスキーも楽しめるだろうとバスの車内から銀世界を眺めておく。天子ショックから逃避するように。

 

 俺はこれからずっと女装趣味があると思われて学園生活を続けなくてはならないのだ、打ちひしがれるのも仕方がないことだと思う。

 

 まぁ切り替えよう、スキーで汗を流せば嫌なことも忘れられるだろう。師匠曰く、引きずっても仕方がないとのこと。

 

 バスは事故を起こすこともなくスキー場へ辿り着くことになる。そこで俺たちはスキー用具一式をレンタルすることになるのだけれど、ここで問題が発生することになる。

 

「私スキーって初めてなんだよね」

 

 帆波さんはどうやら未経験者であるらしい。

 

「他にも未経験者ってどれくらいいるのかな?」

 

 そう問いかけると橋本と柴田と伊吹さんが経験者であることがわかった。

 

「じゃあ未経験者は俺と鈴音さんと帆波さん、金田に森下さんか」

 

「意外ですね、笹凪天武はスキーができないのですか?」

 

「そんなに意外かな?」

 

「えぇ、特殊な訓練を積んだエージェント疑惑があるので、あらゆる状況に対応するものだとばかり」

 

 森下さんの中での俺ってどんな感じなんだろうか? スパイ映画の主役じゃあるまいし、何でもかんでも完璧にこなせるはずがない。清隆じゃないんだから。

 

 スキー経験がないのは本当のことである。雪山でサバイバルをしたことはあるけどスキー板なんて上等なモノは師匠が渡してくれなかったからな。だから歩いて雪山を彷徨い冬眠していない熊を倒して食糧にする修行しかしたことがない。

 

 なのでスキーは初体験だ。

 

「上級者コースと初心者コースがあるみたいだね。ここはやっぱり初心者コースで慣らすべきなんだろう。経験者組はどうする?」

 

「グループでの行動なんだしわざわざ別行動するのもな……いや、ほら、慣れてないなら経験者組が教えるとかさ」

 

 柴田はそう言いながらチラチラとスキー板を装着している一之瀬さんに視線を送る。なるほど、確かに経験者から教えて貰うのが一番効率がいいだろう。

 

「俺もそれでいい、せっかくの旅行なんだからゆったり行こうぜ」

 

 橋本もそれで問題ないらしい。残る伊吹さんだけどスキー経験のない鈴音さんにマウントを取るだけなので何も問題はなさそうだ。

 

 そんな訳で俺たちは初心者コースを滑ることになった。凹凸も少なければ斜面も緩やかなのでこれならば大怪我にも繋がらないだろう。

 

「おぉ~」

 

「そんな感心した声出すなよ、なんか照れるじゃん」

 

 まずは手本とばかりに柴田が華麗に滑って見せてくれる。スキー板をハの字にしてスピードを調整して手に持ったストックでバランスを維持しながらだ。

 

 さすがにサッカー部所属の運動神経抜群組である。スキーをさせても上手いものである。

 

 伊吹さんも持ち前の運動能力を活かして滑りを見せてくれるのだけれど、何故か猛スピードで滑ってあっという間に遠ざかっていく。

 

「……彼女は本当に子供ね」

 

 そんな伊吹さんに向けて鈴音さんは盛大に溜息を吐いてしまった。

 

「どうしたのさ?」

 

「あの意地の悪い顔を見せつけられたのよ、どうせ私にはできないだろうとでも言いたげな表情だったわ」

 

 どうやらすれ違いざまにまた鈴音さんに上級者マウントを取っていたらしい。

 

 もの凄くイラっとした顔をしている鈴音さん、なんだかんだで悔しいようだ。

 

「天武くん、さっさと上達するわよ」

 

「あぁ、その意気だ」

 

 煽られた結果、スキーに積極的になったようだ。これはこれで上達に必要なことでもあるので、あれが伊吹さんなりの教え方ということだろうか……いや、ないな、ただ煽りたかっただけなんだろう。

 

 こうして俺たちはそれぞれ経験者の指導の下、スキーに挑むことになる。柴田は帆波さんに掛かり切りなのでこちらに手を回す余裕がないので、橋本を手本にするとしようか。

 

「こう板を八の字にしてだな、ストックでバランスを取って……いや、なんかアレだな、人に教えるのって結構ムズイぞ」

 

 それでも橋本は緩やかな滑りをしっかりと見せてくれる。言葉で説明するよりも実際に滑っている姿を見せるほうが分かりやすいと判断したのだろう。

 

 俺はというとまず上級者組の滑りを観察していく。体幹、視線、呼吸、重心、スキー板の角度やストックの使い方。

 

 それらを観察した後に、今度はスキー場全体に視線を向けた。そこで滑っている一般客などの動きも観察していって体に吸収させていくのだ。

 

 一度見れば基礎は問題ない、二度見れば盤石、三度見れば過分なほどである。

 

 できればオリンピック選手とかの動きを観察したかったんだけど、そこまでは流石に贅沢か、ただ滑るだけならば何も問題はないしな。

 

「あ、あれ止まらない……わ、わぁ~!!」

 

 なんてことを考えていると斜面の上から困惑した声が届く。柴田からスキーを教えて貰っていた帆波さんが滑って来るのだけれど、上手くスピードを制御できないらしい。

 

 幸いにも初心者コースなのでそれほど速度は出ていないが、未経験だとどうしても慌ててしまうのかもしれない。帆波さんはそのまま緩やかな速度のまま滑ってきて、何とかストックを使って速度を緩めようと努力するのだが、最終的には俺に向かって突っ込んで来るのだった。

 

 躱してそのまま斜面を滑り落ちていくのを眺める訳にはいかなかったので受け止めるのだけれど、自然と抱きしめるような姿勢になってしまう。

 

「ご、ごごごごめんねッ!?」

 

「あぁ、気にしないで、怪我はないかい?」

 

「う、うん、大丈夫……大丈夫だよ」

 

 こちらの胸に飛び込んできた帆波さんは慌てて突き飛ばすように距離を取った。ちょっと傷つく反応である、やはり女装趣味のメイド好きと思われているのだろうか。

 

 慌てて距離を取られたことにちょっと傷ついていると、今度は怖い雰囲気をした鈴音さんが滑って来る。姿勢も板の角度もストックの扱いも初心者とは思えないほどに整っているので上手いと思ったのだけれど……何故か鈴音さんはそのままさっきの帆波さんと同様に俺の胸に飛び込んで来るのだった。

 

「鈴音さん、どうしたの?」

 

「スキーは難しいわね、上手く止まらなかったわ」

 

 またもや抱きしめて受け止める形になったけれど、鈴音さんは突き飛ばして距離を取ろうとはしなかった。胸元に顔を埋めてくる。

 

「……」

 

 そんな俺たちを帆波さんはちょっと怖いくらいに冷めた表情で見つめて来るのだった。恋人同士のこんな状況を見せつけられればそんな顔にもなるだろう。

 

「ふぅ、ありがとう助かったわ」

 

「どういたしまして」

 

 他の人たちに見られているのでいつも通りそのまま後頭部の髪を撫でる訳にもいかなかったので我慢したが、暫くすると彼女は離れていく。

 

「ねぇ堀北さん……せっかくだし競争しよっか?」

 

「あんな無様な滑り方で挑むというのかしら」

 

「大丈夫、すぐ上手く滑るようになるつもりだからね」

 

「そう、天武くんの手を煩わせないのならば好きにしなさい。貴女も伊吹さんも纏めて叩き潰してあげるわ」

 

 そして鈴音さんと帆波さんは微笑み合ってから移動リフトに乗り込んで山頂へと向かうのだった。

 

「ズリィよ笹凪、一之瀬を抱きとめるなんて」

 

「恋人持ちだってのに贅沢だよなぁ」

 

「笹凪氏はそういう体質なのでしょう。漫画の主人公みたいですね」

 

 柴田は嫉妬交じりに、橋本は飄々とからかい、金田はまたもや眼鏡をクイッとしながら妙な分析をしてから同じように山頂へ運んでくれる移動リフトに乗り込んでいく。

 

「笹凪天武、ラッキースケベという奴ですね」

 

 最後に森下さんは妙な評価をしてくる。不本意極まりない、俺はただ怪我をしないように受け止めただけなのに。

 

「ほら行きますよ笹凪天武」

 

「ん、あぁ」

 

 招かれるように俺もまた移動リフトに腰かける。すると緩やかに動き出してスキー客を山頂まで連れて行ってくれるのだが、隣に座った森下さんが相変わらずこちらを観察してくるので少し困ってしまう。

 

 俺と森下さんが腰かけた移動リフトは緩やかに山頂に向かっているのでしばらくは時間がある。せっかくなのでこれを機会に互いを知るべきかと考えていると、森下さんも待ってましたとばかりに声をかけてくるのだった。

 

「せっかくの機会です、貴方の話を聞かせてもらいましょうか」

 

「ん、具体的には?」

 

「出身、嗜好、趣味、性格、目標、何でも構いません」

 

「森下さんは意外にも好奇心が強いのかな」

 

「そういう訳ではありませんよ。必要があるのならばそうするだけです」

 

「俺を知る必要が出て来たってことか」

 

「その通り」

 

 移動リフトに腰かけて上からスキー場を見下ろしてみると、六助が猛スピードで上級者コースを滑り降りているのが確認できる。相変わらず自由に過ごしているようだ。同じグループの人たちは大変だろうけど。

 

「この学校ではAクラスで卒業することに大きな意味があります。当然ながら私もそれを求める一人です。これまでは坂柳有栖率いるAクラスは一度も下のクラスに落ちることなく進んでこれましたが、同時に貴方がいるクラスから距離を詰められている現状もあります」

 

「君は危機感を覚えた訳だ」

 

「えぇ。事実、OAAの数値だけを見ても現Bクラスの能力は足踏みすることなく絶えず向上している。このまま個性を出すこともなく穏やかに進んで行けるとは思えないのですよ」

 

 これまでは坂柳さんに丸投げしておけばAクラス卒業も現実的だったけど、俺たちのクラスの存在感が日に日に大きくなっていくので、森下さんとしても色々動く必要が生まれたということか。

 

「この修学旅行はいい機会でしょう。他クラスとの交流と銘打っていますが、要は相手クラスの弱点や弱みを握れと学校側は言いたいのでしょうから」

 

「確かに、そういう思惑もあるのかもしれないね」

 

「そういう訳で単刀直入にお尋ねしましょう。笹凪天武、貴方の弱点はなんですか?」

 

 なんとも真っすぐな上にシンプルな質問である。

 

「弱点か……甘いものが怖いかな」

 

「なるほど、饅頭怖い的なアレですか」

 

「バレてしまったか」

 

「では質問を変えましょうか、貴方のできないことはなんですか?」

 

「難しい上に範囲が広すぎるな、出来ないことのほうが多いものでね」

 

「そうでしょうかね、私の知る限り笹凪天武は最も人間離れした人間です。およそできないことなど何もない、違いますか?」

 

「まさか、俺は万能にも完全にも程遠い。俺を育ててくれた恩師に比べれば地を這うアリにも等しいだろう」

 

 移動リフトの上からスキー場を再び眺める。すると上級者コースに清隆がいるのが見えた。同じグループの龍園や鬼頭などの姿もある。

 

「そうでしょうか? 漫画の主人公のように超人的な身体能力を持っているのです。それでいて偉ぶらず、学力も底無し、人を引きつける引力を持ち、他者への配慮も欠かさない……人々の理想を具現化したかのような存在、それが私から見た笹凪天武ですから」

 

「随分と高評価じゃないか」

 

「理想の具現化、こうあって欲しいという願いの結晶……デウスエクスマキナとでも言いましょうか。どんな環境で育てばそんな願望機のような存在になれるのか疑問ですよ」

 

 その表現は寧ろ俺よりも清隆の方が相応しいと思う。

 

「そしてそんな貴方が敵クラスにいる。それはきっと私たちのクラスにとって最大の不幸なのでしょう。なんとかして攻略の糸口を見つけなければなりません。なので弱点を教えてください」

 

「そう言われてもなぁ」

 

「桁外れの身体能力を持っているようですが、どこまでが上限なのでしょうか」

 

「ええっと」

 

「学力に関しても未だ底無しですね。つまりこの学校の環境では笹凪天武の上限を未だに把握できていないということになります。相手の性能限界を知らないまま戦いに挑むのはとても危険、そうでしょう?」

 

 なるほど、森下さん的にはこの修学旅行は相手クラスの戦力を把握する時間でもあるということか。もしかしたら坂柳さんの指示でもあるのかもしれない。

 

 俺と森下さんが腰を下ろしている移動リフトがコースの頂上まで辿り着く。タイミングよく滑り出して俺たちはコースの始まりに立つことになった。

 

「そんな貴方が堀北鈴音と恋仲になったことは素直に驚きですよ。異質異常であるが故に一般的な人間とそういった関係になったのは驚きなので」

 

「まぁあれだ、鈴音さんは懐が広いからさ」

 

「なるほど、他者ののろけを聞くのはこんな気分なのですね」

 

 なんてことを言いながら森下さんは初心者コースをおっかなびっくりといった感じで滑っていくのだった。

 

 なんというか、これまであまり印象はなかったけど坂柳さんクラスにも個性的な子がいるということなんだろう。

 

 この修学旅行ではこれまで知らなかった他クラスの側面を見れるということなのかもしれない。森下さんの言う通り弱点を探ることもその内の一つなんだ。

 

 敵を知り己を知れば百戦危うからず。学校もそういう腹積もりなのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 



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修学旅行 2

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行初日はスキーを楽しむ形となった。手本が良かったからなのか、それとも単純にこれまでの経験が活きたのか、上手い具合に滑れるようになったと思う。

 

 後はこの経験値を元により高度な技術や動きを覚えればいい。今度ネットでオリンピック選手の動きとかを観てみるか。

 

 グループでの行動は……まぁ問題はなさそうだ。伊吹さんのマウントも帆波さんと鈴音さんの対抗心も、程よい潤滑剤となっているしな。

 

 普段、敵となって戦っている他クラスとの行動なのでもっとギスギスするかもと思っていたけれど、滑り出しは悪くない。

 

 最終的には伊吹さんと帆波さんと鈴音さんのデッドヒートの滑りを他の面子で観戦して初日のスキーは終わりとなる。午後五時になると旅館に向かうことになり、そこで一日の疲れを癒すことになった。

 

 風情ある和風の旅館である。温泉もあればちょっとした遊戯施設もあり、夏の豪華客船ほどでなくても十分な憩いの場になるだろう。

 

「しかしアレだな、思ってたよりも堀北って感情的なんだな」

 

「鈴音さんは情熱的な女性だよ」

 

 旅館に着いて割り当てられた部屋に向かい、荷物を降ろした橋本の第一声がそれであった。

 

「情熱、的? いや、もっと冷静で強気なイメージがあったからよ……いや、あのデッドヒートを見る限り強気なイメージはまんまだけど」

 

「凄かったよな堀北、一之瀬もだけど、殆ど経験のない状態からあのレースだし」

 

「鬼気迫ると言った雰囲気でしたね」

 

 柴田と金田も最後のレースは見ごたえがあったらしい。初心者コースとは言えとてつもない速度で滑っていたからな。

 

「帆波さんも鈴音さんもクラスのリーダーなんだ、いざ顔を合わせるとどうしても意識はするさ」

 

「ライバル心って奴か、まぁリーダー同士が顔を合わせてる訳だしな」

 

 そんな風に納得する橋本、彼は部屋の隅に置いたカバンの中からタオルや愛用のシャンプーなどを取り出しているのでこれから風呂に向かうらしい。

 

「食事の前に風呂にしようか?」

 

 なんてことを俺が提案すると、宿泊先の和室に集まった男子たちは全員が硬直するのだった。

 

「……どうした、なぜ黙るのかな?」

 

「笹凪氏は一人で入るべきなのでは?」

 

「ほう、理由を聞こうじゃないか」

 

「文化祭での天子ショックがまだ尾を引いているのですよ」

 

 またクイッと眼鏡を上げて金田がそんなことを言ってくる……天子ショック、別名性癖破壊事件のことか。

 

「勿論、笹凪氏がそういった趣向を持っていないことは理解しましょう。しかし他者からどう見られているのか自覚すべきです……そう、天子はあまりにも可憐に過ぎた」

 

「あれ以来笹凪が美人に見えて来るんだ、不思議と!!」

 

「フィルターがかかってるんだろうなぁ、どうしても天子がチラつく」

 

 柴田と橋本も同意見か、しかし天子ショックはどれほど大きな衝撃であったのだろうか。こうも警戒されてしまうとは、一年の時の合宿ではそこまで露骨に避けられていることはなかったというのに。

 

「もしだ、もし万が一だ……一緒に風呂に入って湯船に浸かっている笹凪の顔に男のアレを反応させてみろ、色々と終わるだろ。お前はもっと俺たちに配慮すべきだ」

 

 橋本の熱弁に柴田と金田がうんうんと頷く……君たち割と失礼だな。

 

「はぁ全く、その調子でずっと旅行を過ごすつもりかい? 入浴の時間は決められているんだからさっさと行くぞ。俺は男だし、別にメイド女装が趣味でもないし、男を誘惑して楽しむこともない、何を意識しているんだ」

 

 結論、相手が意識しすぎなだけである。俺は悪くない。だがああだこうだとうるさいので湯船に浸かる時は半身浴にしておくということで決着となった。

 

 上半身が見えていれば男だと認識されるだろうからな。不自然な話ではあるけれど。

 

 そんな訳で俺たちのグループは温泉へと向かうことになる。相変わらず警戒しているバカな男三人を置いてさっさと服を脱ぐと流し湯をして頭と体を洗ってから湯船へと腰を下ろす。

 

 

「チッ!!」

 

 

 その瞬間に舌打ちが届く、湯気の向こうにいるのは同じように湯船に浸かった龍園である。

 

「酷くないか?」

 

「うるせえ黙ってろオカマ野郎、こっちにくんな」

 

「君といい橋本たちといい、一体なにを意識しているのやら」

 

 本当に失礼な話である……そう言えば文化祭では龍園だけは天子の正体を看破してみせたな。天子に魅了されなかったとは警戒心の強い男である。

 

「うん? 龍園、君の他のグループはどうしたんだい?」

 

「仲良しこよしで風呂に入れってか? 冗談じゃねぇ」

 

「そっちは確か鬼頭と清隆と渡部だったか……うん、ギスギスするのは想像に難くない」

 

 鬼頭と龍園が睨み合っている光景が思い浮かぶ。きっと清隆が抜群のフォロー力を発揮していることだろう。

 

「あんまり同じグループに迷惑をかけないほうが良い」

 

「……それをテメエが言うのか」

 

 溜息と共に龍園は湯船から立ち上がる。

 

「おや、もう出るのかい?」

 

「何が悲しくてテメエとゆったりしなきゃならねえんだおい……天子の笑顔がチラつくだろうがッ!!」

 

 何故かキレられてしまった。苛立ちを表すかのように龍園は大股で温泉を出ていく。同じように入浴しようとしている他の同級生たちを怖がらせながらだ。

 

 情緒不安定な男である……いや、今更だな。

 

「どうしたんだ橋本、そんなに距離を置いて」

 

「何も問題はない……そう、俺は冷静だ」

 

 龍園と入れ替わるように温泉にやってきた橋本は、俺から離れた位置で入浴している。

 

「柴田、君もやけに遠いな」

 

「そ、そうかぁ? 普通だろこれくらい」

 

「……金田は」

 

「おや、眼鏡が曇っているようですな。最近は耳も遠くなって」

 

 金田は何故か老人みたいなことを言いだす。

 

 どうやら天子ショックの影響は俺が思っていたよりも大きいらしい。まさかあのメイド姿がここまで尾を引くことになるとは。

 

 同じグループだというのにやけに離れた位置で入浴する俺たち、これじゃあまるでグループの仲が悪いみたいじゃないか。誰のせいだろ。

 

「はぁ、まったく……幾ら何でも意識しすぎだろ」

 

 天子の衝撃がそれだけ大きかったということか。清隆に怪物を生み出してしまったとか言っていたっけな。

 

「まぁいいさ……それよりも橋本、森下さんってどんな子なのかな?」

 

「森下? どんな奴か……あんまり目立つタイプでもないけど、そう言えばなんか質問攻めにされてたな」

 

「こちらの弱点を探りたいらしい」

 

「あぁ、まぁ学校側もそういう目的で他クラスと絡めたんだろうな……思ってたよりも大胆なんだなアイツも」

 

 湯船に浸かって半身浴をキメている橋本はクラスメイトの顔を思い浮かべて何やら考えている。

 

「正直、あんまり絡みがなくてわかんないな」

 

「そういうもんか」

 

「こういう状況で探りを入れて積極的に動いてるって聞いて驚いてるくらいだしな……ただもう二年も後半だ、色々と焦って来てる奴は多いってことだろ」

 

「もう数カ月もすれば三年になって、卒業も意識するだろうからね」

 

 まだまだ余裕のあった一年の頃とは違うと言うことだ。焦りや葛藤からクラスは勿論のこと個人だって動きや方針が変わることだろう。

 

「やっぱり皆はAクラスでの卒業を目指しているんだよね?」

 

「そりゃそうだろ、そうじゃない奴っているのか?」

 

 色々と人脈を広げて機会を伺っている橋本は当然ながらAクラスでの卒業で得られる特権を欲しているようだ。

 

「柴田もそうだろ?」

 

「そうだな、やっぱAクラスで卒業したい」

 

 橋本の問いかけに柴田は当然とばかりにそう返答して、金田もまた頷きを返す。

 

「進学するにしても、就職するにしても、あった方が当然有利に働きますからね」

 

 風呂場だというのに眼鏡を装着したままの金田はしきりに拭き取っている。しかしそういった彼の瞳は真剣そのものである。

 

「柴田氏も橋本氏も進学を希望ですか?」

 

「まぁ王道だろうな、どんな有名大学にも押し込んでくれて、費用とかも抑えてくれるだろうしな」

 

「俺はスポーツも強い所だなぁ」

 

 なるほど、ぼんやりとだが卒業後のことを考えているらしい。やっぱり進学するのがベストの選択なんだろうか。

 

「なぁ橋本、別に進学するだけならAクラスでの特典も要らないんじゃないかな?」

 

「いやいやごめんだぜ俺は、Aクラスで卒業できなかった奴って評価が付きまとうかもしれないからな」

 

「そういうものか……いや、単純にAクラスで卒業した人よりもいい結果を残せば良いだけだと俺は思っているんだけど」

 

 すると橋本はやれやれと言った感じで肩をすくめた。

 

「笹凪、そいつはお前が強いから言えることなんじゃないか。そりゃお前みたいな奴ならたとえAクラスで卒業できなかったとしてもどうにでも出来るだろうけどよ、大半の奴はそうじゃないのさ」

 

 温泉の湯を自分の顔にかけてから橋本は視線を上空へと向けた。露天風呂なので星空がここからなら見える。

 

「お前は好き勝手生きれて満足して死んで行ける奴なんだろうな、それも自分の力だけで……けど、そうやって生きられない奴が多いと思うぜ。強いお前は、簡単にそう言えるだけさ」

 

 弱者の気持ちがわからないと言いたいようだ……俺は別に強くはないんだけどな、師匠と比べればどうしてもそうなってしまう。

 

「俺は必ずAクラスでの特典が必要だ、その為にはなんだってする……笹凪みたいには生きられないからな」

 

「そうか、目標や譲れないものがあるのは良いことだと思うよ」

 

 当たり前のことではあるけれど、誰にだって求めているものはある。譲れないものだって当然ながら持っている。

 

 過酷な椅子取りゲームをこの学校でしているんだ、覚悟はあるのだろう。

 

「ふと思ったのですが、笹凪氏はAクラスで卒業できたらどのような進路を選ぶのですか?」

 

「金田、どうしてまたそんな質問をするんだい」

 

「いけませんか? この修学旅行の趣旨は敵を知り己を知るという点にあるのです、相手クラスの生徒の表面だけでなく内面も調べたいと思うのは当然のこと。目的は原動力です、貴方を動かす原動力を知りたいのですよ」

 

「なるほど尤もな意見だ……Aクラスで卒業したらかぁ」

 

 目標はある、夢もある、けれどそれはAクラスでの卒業特典を得た所でなんの意味も無いものである。

 

 正義の味方になりたいとか、天下無双の漢になりたいとか言われても学校側は絶対に困るだろうからな。

 

「卒業特典はあまり意味がないかな、俺の場合は……なんていうか、Aクラスで卒業したからといって叶えられる類のものじゃないからさ」

 

「学校はどんな進路でも叶えてくれるって言うのにか?」

 

 柴田がよくわからないといった感じで首を傾げる。

 

「それは違う。希望する進路は用意するけど、後はお前たちの力で頑張れって言うのが学校の主張だよ。正直、特典に盲目になるべきではないと思う。あくまで補助輪が貰えるくらいの感覚で行くべきだ」

 

「まぁテストの点数が低い奴が東大に行くって言われても学校側は困るか」

 

「その辺はどうなんだろうね。歴代の卒業生の中には、実力が伴わないままAクラスで卒業した人もいると思うけど。特典のおかげで上手く成功できたのかな……いや、そんな甘いもんじゃないだろう」

 

 多分だけど、無難に生活することくらいはできるだろうけど、大成功するって言うのは難しいのではなかろうか。卒業生の中で本当の意味で実力者として卒業した人の中でも一握りの人だけが栄光を掴む。

 

 そう考えると、Aクラスでの卒業すらスタートラインと言えるのかもしれない。ほんの少しだけ有利になれる補助輪を与えているに過ぎない。

 

「結局、Aクラスで卒業できても地力が伴わないと意味がないってことだよな」

 

「そして確かな実力を持っていれば、最終的にはAクラスでの卒業特典があまり意味をなさなくなる……難儀な話ですね」

 

 柴田の納得に金田が湯気で曇った眼鏡を拭き取りながらそう返す。

 

 

「話を戻すけど……俺の目標は、とりあえずは正義の味方かな。並行して天下無双の漢を目指そうと思っている」

 

 

 俺がそう伝えると、他の三人はあまり理解ができなかったのか、とても怪しむような顔になってしまう。まぁこんな話を聞かされればこんな反応にもなるだろう。

 

「ほら、Aクラスで卒業した所で、叶えられるものじゃないだろう?」

 

 学校側も絶対に困る。そしてもう少し大人になりなさいと説教でもされそうだ。

 

「……あ~、なんて言うべきなんだろうな。思ってたよりも子供なんだな笹凪は」

 

「そうさ、夢見がちなんだよ」

 

 橋本は苦笑いを浮かべて困ったような顔になっている。当たり前の反応と言えるだろう。

 

 きっとこの修学旅行で俺を探ってより深く理解しようとしていたんだろうけど、最終的にはよくわからない奴と思われてしまうのかもしれない。まぁ、誰かの理解が欲しくて正義の味方を目指している訳ではないので仕方がないことだと思える。

 

 間違っているのは俺の方である。いつまで子供のままでいるのだと呆れられてしまうのも仕方がないだろう。

 

「俺はその目標を叶える為に強くなり続ける。今日の俺よりも明日の俺の方が強くあれるようにだ。とても単純な話だよ金田、目標の為に頑張り続ける、俺の原動力はそんなもんだ」

 

「なるほど、確かにそう聞くと笹凪氏はシンプルな人間と言えるのかもしれませんね」

 

 納得したように頷く金田。

 

「しかしごく一般的なそれとは高さと方向性が異なります……やはり貴方は現実感のない人だ」

 

 けれど最終的にはそんな評価に落ち着いてしまったらしい。やっぱり俺は現実感のない奴だと認識されているようだ。橋本や柴田もうんうんと頷いているので、きっと全校生徒からの基本的な評価になっているらしい。

 

 解せない、俺はただ目標に向かっているだけなのに、理解の及ばない存在だと思われるのは悲しい話だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 堀北視点

 

 

 

 

 

「はふぅ~」

 

 旅館の温泉に肩まで浸かった瞬間に、一之瀬さんが疲れ切った体が蕩けていくかのような溜息を深く吐いた。

 

 まぁ私もそれは似たようなもの、スキー勝負に少しだけ熱中してしまったのだから、慣れないことを続けた体は普段とは異なる疲れ方をしているようにも思える。

 

 温泉に肩まで浸かると、それだけで夢見心地な気分となってしまう……やっぱり疲れているのね。

 

「ふぅ」

 

 私も溜息を一つ……すると疲労が湯船に溶けていくような感覚に陥った。

 

「なによアンタら、老人みたいね」

 

 そんな私と一之瀬さんを見て、伊吹さんが相変わらず挑発的な笑みを浮かべていた。

 

「あぁ~」

 

 しかしそんな彼女も湯船に浸かった瞬間に蕩けたような声を上げてしまう。幼稚な彼女は誰よりもスキー勝負に熱中していたのでより疲労が濃いらしい。

 

「人のこと言えないわね」

 

「……うるさい」

 

「伊吹さん凄かったね、最後の方は矢のように早かったよ」

 

 経験者であったことから少しだけ有利だった伊吹さんは最後のレースで大人げなく勝利を拾いにいった。まさに鬼の形相で。

 

「でも勝ったのは私ね」

 

「はぁ? アンタの目玉はガラス玉かなんかなの? どう見ても私でしょうが」

 

「そう、現実を見れないのね、一センチの差で私が最初にゴールしたわよ」

 

「三人ほぼ横並びだったから、私が勝ってたと思うんだよね」

 

 伊吹さんに現実を知らしめていると、何故か一之瀬さんが介入してくる。こういった争いごとに首を突っ込んで自分の主張を押し付けて来るような人ではなかったと思っていたので少しだけ驚いた。

 

 いえ、私の知っている一之瀬さんはもういないということかしら、穏やかな笑みの奥には確かな闘争心が見え隠れしているわね。

 

「は?」

 

 伊吹さんは一之瀬さんを睨みつける。何を言っているんだとばかりに。

 

「そんなにおかしなこと言ってるかな? だってほら、三人横並びだったでしょ? 運動会みたいにカメラがある訳じゃないんだし、なら私が勝ってたかもしれないよね」

 

 そう言って一之瀬さんは胸を張る。私と伊吹さんを凌駕する豊かな胸元が湯船の中で揺れた……まるでその差で勝ったとでも言いたげに。

 

 お、大きい、改めて見てもその存在感に圧倒される。確かにこの差でゴールに少しだけ早く辿り着けたと言われれば何も言えないかもしれない。

 

 伊吹さんは自分の胸元を見てから次は一之瀬さんの胸元を見て、その圧倒的な戦力差に黙ってしまう。

 

「こ、これで勝ったと思うなよぉ」

 

 苦し紛れにいつもの口上を述べてから伊吹さんは温泉を去っていく。あの圧倒的な戦力を前にして戦意が喪失したようね。

 

「い、伊吹さん、急に走り出してどうしたんだろ?」

 

「子供なのよ」

 

 胸の大きさなんて気にするようなことでもないでしょうに。そもそも大きければいいと言う話でもない……いえ、男子からしてみれば違うのかしら?

 

 さすがに天武くんは違うわよね? そもそも彼は人の体つきや容姿で物事を判断しないでしょうし、生徒会でも一之瀬さんの圧倒的な存在感に視線を向けてはいない。

 

 大丈夫、大丈夫、大きさが重要ではないのだから。

 

「あ、堀北さん、一之瀬さん、二人も温泉にいたんだ?」

 

 伊吹さんとすれ違うように今度は櫛田さんが温泉にやってくる。交友関係が広いことから他クラスの生徒と一緒にだ。

 

 確か彼女のグループは綾小路くんや龍園くんがいたわね、苦労しそうなメンバーばかり。

 

 そんな予想が当たっていたのか、櫛田さんはシャワーを浴びてから湯船に肩まで浸かると、先程の私たちと同じように蕩けた声を上げるのだった。

 

「そっちのグループはどう? 渡辺くんと麻子ちゃんは上手く馴染めてるかな?」

 

「大丈夫だよ、皆良い人たちばかりだし……龍園くんと鬼頭くんがちょっと折り合いが悪いけど」

 

「あはは、相性の悪そうな二人だもんね」

 

 苦笑いを浮かべる櫛田さんと一之瀬さん。言いたいことはわかる、確かにあの二人が仲良く行動している光景を思い浮かべるのは難しいわね。

 

 逆に殴り合っている光景は簡単に思い浮かべることができてしまう。龍園くんの印象が悪すぎるから。

 

「でも何だかんだで上手くやれてる……やれてる、うん、やれてるよ」

 

 自分で言ってて自信が無くなってきたようだ。高いコミュニケーション能力を持つ櫛田さんでもさすがに龍園くんと鬼頭くんの張り合いを和ませることは難しいということだろう。

 

 下手に触らず成り行きに任せる、そんな考えなのかもしれない。

 

 櫛田さんは自分のグループの問題児の顔を思い浮かべて少しだけ苦笑いになるけれど、取り繕うように強引に話題を変えた。

 

「おほん、それよりせっかくの機会だから一之瀬さんに訊きたいんだけど……好きな人とかいるのかな?」

 

「んん? え、えぇッ!?」

 

「実は色んなクラスの男の子から一之瀬さんがフリーかどうか聞かれるんだよね。それでどうなのかなって気になっちゃって」

 

「いいい、いないよいないよ!?」

 

「あ~、じゃあこんな男子と付き合いたいとかは? やっぱり気になる人が多いと思うんだよね。こう、一之瀬さんの理想像をさ」

 

「り、理想像」

 

「そうそう」

 

 そんな質問に一之瀬さんは挙動不審になりながら限界まで湯船に浸かってしまう。

 

「えっと、どうだろ、理想像かぁ……ん~」

 

「カッコいい人とか、男らしい人とか、性格とか容姿とか色々あるんじゃないかな」

 

 おそらくだけど櫛田さんは一之瀬さんの弱みを握ろうとしているわねこれは。いえ、そこまで明確な悪意がある訳ではないのでしょうけど、将来的な役に立つかどうかはわからないにしてもカードを一枚でも集めておきたいのかしら。

 

 彼女の戦略性というか、能力はこうやって世間話の延長で発揮されるということね。私にはない、できない力だから素直に感心する。

 

 コミュニケーション能力による社会への影響力の浸透。櫛田さんの情報収集能力。敵にした瞬間にとても面倒なことになるけれど、味方にすれば心強くもあった。

 

「よくわからないけど……誰かの憧れになれる人、かなぁ。抽象的になっちゃうけど、そんな人がいてくれたら凄く嬉しいな」

 

「ふぅん」

 

 そんな返答を聞かされた櫛田さんの瞳に値踏みするような色が混ざる。一之瀬さんを注意深く観察して頭の中で何やら答えを弾き出そうとしていた。

 

「そっかぁ、憧れになれる人かぁ……ん~、天武くんとかかな?」

 

「ど、ど、どうだろうね……そういうアレじゃなくて、えっと、あ、いや違うんだよ、天武くんが駄目とかじゃなくて」

 

「あぁでも天武くんじゃないよね、だって堀北さんと付き合ってるんだし」

 

「……ごふッ」

 

 その瞬間に一之瀬さんはボディーブローを貰ったかのように小さくうめき声を漏らしてしまう。そんな様子を不審そうに見られながらも今度は私が標的になってしまうのだった。

 

「せっかくだし堀北さんの恋愛トークも聞きたいなぁ」

 

「言わないわよ」

 

「え~、少しくらいあるでしょ? あぁ、それともだけど、天武くんとあまり上手く行ってないから話せないとかかな?」

 

「え、堀北さん、そうなの?」

 

 櫛田さんと一之瀬さんがこちらを探るような眼で見て来るけれど、動揺することなくこう返す。何も恥ずべきところはないのだから。

 

「そんなことない……上手く交際できていると思っている。ただ大っぴらに説明するようなことでもないわ」

 

「そうかなぁ、私、人の恋愛話聞くの好きだけど」

 

 弱みが握れるものね。なんてことは空気を読んで言わないようにしましょう。

 

「じゃあじゃあデートとかどうしてるの?」

 

「普通よ、普通。特筆すべきことはなにもないわよ」

 

 部屋で本を読んだり、彼の芸術作業を眺めたり、膝や肩を借りて身を寄せたり、髪を撫でたり撫でられたり、互いに触れあって、後はメイド服を着せたり……お互いに手探りだけれど色々と試して実験してみて付き合いを深めていられる、つまりとても普通だ。

 

 私には世間一般の交際関係は疎いけれど、別におかしなことはしていないと思う。少なくとも心地いい時間がそこにあるし、それは天武くんとも共有できている。

 

 なんてことをわざわざ説明するつもりはない、だって私と彼だけの時間なのだから。

 

 髪を撫でて来る時の優しい指先も、声色も、肌の熱も、キラキラした瞳も、耳たぶや唇の柔らかさも、食事の好みや願いや熱量も誰かと共有したくない。なんてことを考えると私はもしかして重たい女なのかしら?

 

 でもそれが本音だ。一年の頃に平田くんと付き合ったことを大々的に主張してどんなデートをしたとか色々と聞いてもいないのに説明していた軽井沢さんのようにはなれない。

 

「え~、つまらないなぁ」

 

「つまらなくて結構よ、わざわざ説明するようなことじゃないもの」

 

 これ以上は無駄と思ったのだろう。櫛田さんは一旦狙いを変えて同じく温泉に来た他のグループに声をかけていく。ああやって色々な影響力を高めているんでしょうね。

 

 そして温泉の隅に残された私と一之瀬さんは暫く無言となってしまう。

 

「憧れ、ね」

 

「な、なにかな?」

 

 けれどそのまま黙っている訳にもいかなかったので、こちらから話を切り出しておこう。いい機会なので釘を刺しておかないと。

 

「一之瀬さん、スキーでは随分と大胆に動いていたわね」

 

「え、そうかな」

 

「滑れないフリをして天武くんに抱き着いたでしょ」

 

「いやそれは誤解だよ。本当に止まり方がわからなかったから」

 

 本当かしら、私にはとてもワザとらしく見えたのだけれど……いえ、冷静になりましょう、おそらくこれは私に変なバイアスがかかっているからそう見えたのだと思う。

 

「でもそれを言い出したら堀北さんもそうだよね……すっごくワザとらしく天武くんに抱き止められたけど」

 

「そうね、だってワザとだもの」

 

「あ、そこは認めちゃうんだ」

 

「貴女の香水の匂いを上書きしたかったのよ」

 

「……えぇ、匂いキツイかな」

 

「いえ、別にそうじゃないけれど……不思議と不愉快な匂いに感じてしまうのよね」

 

 本当に不思議な話ね、香水会社が人に好意的に思われるように科学的に研究した匂いを嗅いで不愉快になるだなんて……でも実際にそうなのだからこればかりは仕方がない。ああやってしっかり抱き着いて匂いを消しておかないと駄目。

 

「それに、抱き着いた時の貴女は完全に雌の顔になっていたわ」

 

「……め、雌の顔」

 

「まぁ確かに彼は頭がボーっとするような良い匂いをしているけれど」

 

「匂い自慢かな? 変な惚気られかたしてるね今の私」

 

「けれどそれは私が楽しむものであって、一之瀬さんが胸いっぱい吸うのはどうなのかしら」

 

「吸ってないよ!?」

 

「いいえ、吸っていたわね、抱きしめられた時に深呼吸してたわ」

 

「してない、してないよ……いや、ちょっと楽しみました」

 

「素直でよろしい」

 

 全くもって油断できない相手である。そしてこれはきっと特別試験でも発揮されていくのでしょうね。

 

 私はもっと一之瀬さんを知って理解する必要があるのかもしれない。負けられない、負けたくない、負けては駄目な相手なのだから。

 

 そしてそれはきっと一之瀬さんも同じことを思っている。この修学旅行はライバルのことを色々な意味で理解する為の時間となるのは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 



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修学旅行 3

 

 

 

 

 

 

 

 

 初日のスキーを終えてから旅館の温泉で一休みして疲れを癒し、大盛りの海鮮丼に舌鼓を打った後にしっかりと眠り……いや、眠りはしなかった、一応の警戒として体と脳を半分ずつ休ませる例の休憩方法で夜を凌ぐ。もしかしたら学園の外に出たことで中間管理職の月城さんがまた無茶振りされてこちらに絡んでくるかもしれないからな。

 

 そうやって夜を凌いでいく、幸か不幸かはわからないけれどホワイトルーム関連の襲撃も超人関連の強襲も無かったので一安心である。

 

 さすがに京都ではなく北海道なのでまだ安全であった。俺は……正確には超人の何人かは専用の監視衛星で24時間監視されているので俺がここにいることを知れる人間は大勢いる。しめしめ監獄のような学園から出て来たな、ぶっ殺してやると考える誰かがいてもおかしくはない。師匠の弟子というだけで懸賞金をかけてくるイカれた連中が世の中にはいるのだから。

 

 これが京都であればまず間違いなくそうなっていた。きっと泊っている旅館は本能寺の如く焼き討ちになっていただろうし、移動バスは確実に爆破されていたと思う。

 

 皇居とか、国会議事堂とか、米軍基地とか、近づいたら監視衛星から色々な方面に情報がいって物騒な連中が押し寄せて来ることになる。俺はとても真面目で善良に生きることを心掛けているのに師匠の弟子というだけでそうなってしまうのだ。

 

 しかしここは北海道、修羅の国である京都ではない。移動バスが爆破されることもなければ、旅館が焼き討ちされることもなく朝を迎えられた、平和って凄く尊いものだと思う。

 

 なんてことを思いながら朝風呂を浴びてスッキリすると、修学旅行の二日目を迎えることになるのだった。

 

 爆破されない朝って素晴らしいと思う。さすがは北海道である。京都だとこうはいかない。

 

 さて修学旅行二日目であるのだが、初日と違って決められた予定がある訳ではなくグループごとに自由に行動していいらしい。皆と相談しながら方針を決めるべきだろう。

 

 グループの皆が集合するまで適当に肉体改造訓練をしようかと考えていると、旅館の廊下に清隆の姿を発見した。

 

「清隆、おはよう」

 

「あぁ、おはよう……朝風呂か」

 

「うん、せっかくの温泉だから楽しんで来たよ」

 

 少しだけ疲れが見える顔を清隆はしていた。珍しいこともあるものだと思っていると、その理由は同じグループの龍園と鬼頭の対立であるらしい。

 

 どうした訳か枕投げをして清隆の枕を粉砕する結果になったらしい。それで寝苦しい思いをしたようだ。

 

「鬼頭と龍園か……そりゃ荒れるだろうね」

 

 試しに清隆のグループが泊っている旅館の部屋を覗いてみると、龍園は相変わらず不敵な笑みを浮かべているし、鬼頭は相変わらずの形相でファッション雑誌を読んでいる。その間で帆波さんクラスの渡辺が怖がりながら右往左往している部屋の状況が見えてしまった。

 

「大変そうだね。龍園、もうちょっと仲良くやってみたらどうだい?」

 

 せっかくなので部屋にお邪魔して無駄だろうなと自分でも思う提案を携帯端末を弄っていた龍園にするのだが、わかりやすくあざ笑いを向けられてしまう。

 

「やめておけ笹凪、その男に協調性を求めるなど、犬に猫の真似をさせるようなものだ」

 

 ファッション雑誌をいかつい表情で読んでいた鬼頭が煽るようにそう言えば、龍園もまたあざ笑いを深めていく。

 

「なるほど、苦労しているみたいだね」

 

「わかってくれるか」

 

 渡辺と清隆は苦労していることだろう。こっちのグループは割と協調性のある人ばかりなのでそこは楽である。

 

 こんな感じで上手く修学旅行を楽しめるのだろうか? 清隆のフォロー力に期待するしかなさそうだ。

 

「ところで鬼頭、ファッションに興味があるのかい?」

 

「興味とは違うな、これは俺の目標だ」

 

「なるほど、そっち方面の進路を考えているのか」

 

「意外に思わないのか? 俺がこういった方面を進路にしていることが」

 

「悪いけどファッションはさっぱりなんだ、向き不向きも語れないほどにね。まぁ人の夢や目標を笑えるほど大した人間じゃないさ」

 

「そういうものか……しかし、笹凪はファッションに疎いのか」

 

「さっぱりだよ、だからいつも服は機能性を重視して後はシンプルな無地の奴ばかりでね……意外かな?」

 

「そういったことには気を遣う男であると勝手に思っていただけだ」

 

「流行りとかブランドやセンスがさっぱりだ」

 

 なので俺の私服はとても無難な装いに落ち着くことになる。今も着ている服は本当に無難なものであった。

 

 そんな俺の服を見て鬼頭は「ふむ」と頷く。

 

「俺と異なりお前の容姿はいい意味で視線を集める。ユニセックスな服装が似合うかもしれないな」

 

「ハッ、カマ野郎だからな」

 

 龍園が茶々をいれてきたけど俺と鬼頭はスルーする。

 

「参考にさせてもらうよ、ファッション関連は本当にさっぱりだからさ」

 

「多少なりとも参考になったのならばそれでいい」

 

 そう言って鬼頭は鋭い視線の奥に柔らかな光を僅かに宿してから、手元にある雑誌に視線を落とすのだった。その容姿から怖がられることが多い男だけれど、その内心は山田と同じく紳士的な男であるのかもしれないな。

 

 これなら案外このグループも上手く行くかもしれない。そんなことを思っていると、部屋の隅に置かれていたテレビからこんな情報が俺の耳に届くことになる。

 

 

『では続いてのニュースです。長らく療養されていた直江元幹事長が都内の病院にて亡くなりました。官邸より鬼島総理からのコメントです――――』

 

 

 なんてニュースが耳に届いたことで、俺は部屋の隅にあるテレビに近づいて内容を確かめていく。

 

『人に添うてみよ、馬に乗ってみよ。私が直江先生に出会って間もない頃、贈っていただいた言葉です』

 

 よく師匠に土下座しにくる鬼島総理がテレビに映ってコメントしていた。俺としては土下座の印象が強い人だったけど、よく考えてみれば総理大臣だったなこの人。

 

「……そうか、あの人は亡くなってしまったのか」

 

 聞き覚えのある人の最後に俺はそんな呟きを漏らすのだが、同じように部屋の隅にあるテレビを見ていた清隆がこんなことを訊いて来た。

 

「知り合いなのか?」

 

「うん? ん~、知り合いというか、前にちょっと色々あってさ……この直江っていう人、一度海に沈めたことがあるんだ」

 

「……」

 

 清隆はとても訝しそうな瞳で俺を見て来る「またか」とでも言いたげな顔である。もしかして彼の中では俺はとにかく誰かを海に沈めたい男という立ち位置なのだろうか?

 

「それで、どうしてそんな状況になるんだ? 与党の元幹事長を海に沈める状況がよくわからない」

 

「いや、ほら、手下にならなければ海に沈めるとか詰め寄ってきたもんだから、つい……」

 

「逆に海に沈め返したと?」

 

「うん、それ以来調子を崩して入退院を繰り返してるって鬼島さんから教えてもらっていたけど……まぁ歳も歳だったから大往生か。ベッドの上で死ねるとか、とても恵まれた最後だと思うよ、この人に似合わないくらいにね」

 

 懐かしいなぁ、あれは十三歳になったばかりの頃の話だ。師匠の仕事を手伝うようになってその伝手で色々な人と会うようになったんだったな、世界が広がったことで様々な出会いもあった。ニュースで亡くなったと報道されていた直江さんもまたその一人である。

 

 俺は政治の世界などわからないけれど、色々と手駒を増やしたかったんだろう。直江さんは手下にした十三号と十五号と十九号をけしかけてきた。

 

 あの頃は今以上に未熟であったことから普通に死にかけたけど、最終的には十三号と十五号と十九号を海に沈めた後に、直江さんも沈んでしまった、不思議なことに。

 

 それ以降は直江さんが接触してくることは無くなったけれど、十三号と十五号と十九号の三人とは因縁ができてしまった。向かい合えば殺し合いになるくらいには関係が拗れてしまっている……俺は平和に生きたいだけなのに何故か敵が増えていく、やっぱり不思議な話である。

 

 あれ以来、十三号と十五号と十九号とは顔を合わせれば舌打ちされて射殺すような視線を向けられるようになるのだった。海に沈めただけなのに怒りすぎだと思う。

 

 いやさ、俺もちょっと反省はしているよ? そりゃ利き手を折って直江さんと一緒に海に投げ捨てたのはやり過ぎたとは思っている。でも最初に理不尽な要求をしてきたのはあっちだし、負けたのもあっちだ……状況は甘く見積もって五分だな。

 

 まぁ気にしても仕方がない。親玉の直江さんは亡くなったとのことだし。十三号たちは政府寄りの人たちだから新しい就職先はすぐに見つかるだろう。三人とも人間を辞めているので引く手数多だろうし。

 

 そのまま俺を恨まず生きれば良いと思う。

 

「なんであれ、死ねば仏だ。恨みつらみは口にせずに、冥福を祈るとしよう」

 

 両手を合わせて拝んでおこう。どうか化けて出ませんようにと……まぁ師匠曰くお化けも殴れば良いらしいから、あまり心配する必要はないか。

 

「しかしあれだね、清隆のお父さんにとってはいいタイミングなのかもしれないよ」

 

「どういう意味だ?」

 

 テレビを切り部屋を出て、修学旅行二日目を楽しむ為に俺と清隆はグループとの待ち合わせ場所である旅館のロビーまで歩き出す。

 

「だってあの人、与党の重鎮だったんだからさ。上の席が一つ空いたことになるだろうし」

 

 九号から受け取った情報では清隆のお父さんは政治家に返り咲きたいからホワイトルームを運営しているらしい……なんで出世したい人がわざわざアキレス腱とツッコミ所を増やすのか政治に疎い俺にはわからないけど、なんであれチャンスでもあるんだろう。

 

「ふむ……確かに、そうかもしれないな」

 

「まぁ学園にいる俺たちにはあまり関係がないかもだけどね。最悪、九号にお金を積めばなんかいい感じにしてくれるだろうし、気にしすぎても意味がないけどね」

 

 月城さんを介して色々とやってくれたので、なんだったら卒業と同時に殴りこむのも良いと思う。清隆次第だけど。

 

 そうでなくとも九号にお金を払っておけば話がうまく纏まるだろう。

 

 なんてことを考えながら学園にいるであろう忍者の顔を思い浮かべていると、ポケットに入れていた携帯端末が震える。

 

 どうやらメールが届いたらしい。差出人は件の九号である。メールを開いてみるとそこには自撮り写真が添付されており、まるで「獲ったど~!!」とでも言いたそうな満面の笑みで宝泉の足首を掴んで逆さ吊りにしている光景が広がっていた。

 

 そんなやんちゃ全開の自撮り画像は九号を中心に死屍累々となっており、宝泉以外にも宇都宮だったりが九号に踏みつけられているのがわかった。

 

 状況はよくわからないけれど、全員が胴着姿なことからおそらく一年生の間で何らかの試験があったのだろう。この画像を見る限り九号が暴れまわったらしい。

 

「これ見てよ清隆」

 

「……鶚が随分と暴れているらしいな。忍者が目立っていいのか?」

 

「月城さんの内偵は終わってるだろうから、後はモラトリアムみたいなもんだよ。学校生活を楽しみたいんだろう」

 

 その結果宇都宮は地面を舐めて、宝泉は逆さ吊りにされて自撮り画像の映えに利用されているようだが九号は満面の笑みである。

 

 楽しそうなのでいいか、あの子もさすがに殺しはしないだろうし……多分だけど。でも月城さんが座っていた理事長室の椅子に爆薬を仕掛けるような子だから心配ではあった。

 

 そういえばあの小型の爆弾はどうしたんだろうか? まさか回収せずに坂柳さんのお父さんが引き続き爆弾付きの椅子に座ってたりしないだろうな?

 

 心配になったので俺は九号に理事長室の爆弾を回収したのか確認のメールを送っておく。

 

 暫くすると「あ、忘れてたッス」という返信があったので、これで回収されることだろうと一安心するのだった。

 

 携帯端末をポケットに押し込んで九号のうっかりに微笑ましい気分になる。まぁ人生は多種多様だ、仕掛けた爆弾を回収し忘れることくらいはあるだろう。ましてや彼女は忍者なんだから。

 

「天武くん、お待たせ」

 

 ロビーで暫く待っているとこちらのグループの面子が集まって来た。

 

「おはよう鈴音さん。よく寝れたかい?」

 

「えぇ、ぐっすりとね」

 

 あれだけスキーで動き回っていたので夜はぐっすりだったようだ。伊吹さんや帆波さんもよく寝れたことだろう。

 

 さて修学旅行二日目だけど初日と違って定められた予定がある訳ではない。グループごとに好きに行動して構わないらしい。

 

「二日目だけどどうしよっか? 皆は何か要望はあるかい?」

 

 好きにしろと学校側に言われても案外困るということだ。予定表が真っ白だとそれはそれで難しい。なのでまずは意見を募ることから始めていく。

 

「グループで纏まってさえいればうるさく言われない自由行動って話だろ。俺はのんびり観光でもしたいな」

 

 こういう時にとても無難で真っ当な意見をするのが橋本である。どうとでも取れる言い方も彼らしい。駄目そうならすぐに意見を引っ込めるのだろう。

 

「のんびり市街地を観光もいいかもね。あ、でも個人的には乗馬体験とかしてみたいかも」

 

 帆波さんは旅館のパンフレットを眺めながら色々な体験観光をしてみたいようだ。

 

「乗馬かぁ、俺はそれでもいいぜ」

 

「え、良かったの? 橋本くん」

 

「こだわるようなことでもないしな。馬は馬で貴重な体験になるって」

 

 やんわりと意見が纏まっていく。他の面子も特に「これだ!!」という主張もないらしいので、それでいいんじゃないかという方向に流れていくのだった。

 

 そんな訳で俺たちのグループは乗馬体験に赴くことになる。旅館にあった観光パンフレットには丁寧に道順やバスの発着時間も記されていたのでそれを参考にしながらだ。

 

 旅館を出ると初日と同じようにスキーに行くグループだったり、観光名所に向かうグループだったりと色々とあるのだが、こちらと同じように乗馬体験をするグループもチラホラとある。

 

「因みにだけど乗馬経験がある人っているのかしら?」

 

「俺はあるよ」

 

 鈴音さんの質問にそう返すとグループの皆からは意外そうな顔をされてしまった。

 

「へぇ、どこで乗ったんだよ?」

 

「学校に入る前に外国で……観光に行った時に乗った経験があるんだ」

 

 あまりインフラの整っていない国に師匠と行った時の話である。車よりも馬が重宝されているような地域での仕事で乗ったことがあった。長い内紛でインフラが吹き飛んでいたので馬での移動が基本だったっけか。

 

「笹凪氏、乗馬はどんな感じなのでしょうか? 注意点などはありますか?」

 

「ちゃんと調教された馬ならそこまで心配はいらないと思うよ。多分だけど職員さんも補助してくれるだろうしね」

 

 金田は少し乗馬に警戒心があるらしい。日常生活でまず経験することはないだろうし仕方がないことではあった。

 

 旅館にあった観光パンフレットを眺めてみると、これから向かう乗馬ができる牧場では引退した競走馬などが暮らしているらしい。次世代の競走馬を育てたり観光に利用したりと競走馬のセカンドライフをする場所のようだ。

 

 バスは雄大な北の大地を進んで行き。都市部の外れにある牧場にまで辿り着く。東京と異なり本当に北海道は広いなと思いながらこのグループは乗馬体験をすることになる。

 

 東京ではまず見ない規模の大きな牧場である。競走馬の訓練所でもあるのかコースなども用意されており、多くの馬がいるのがわかる。

 

 引退した競走馬が子育てを頑張っているとのことだけど、仔馬も沢山いるので競走馬を育ててもいるのだろう。

 

「なぁ笹凪、ちょっといいか?」

 

 なんてことを考えながら牧場の中に入っていくと、柴田がこっそりと近づいてきて小声でこんなことを言ってくる。

 

「どうしたんだい」

 

「いや、ほら、お前って彼女持ちだろ」

 

「うん、そうだけど」

 

「訊いておきたいんだけど、どっちから告白したんだ?」

 

「鈴音さんの方からだけど」

 

「あ~、女子からかぁ。それだと話が早いんだけどなぁ」

 

 ふむ、察するに柴田は恋の悩みがあるということだろうか。

 

「その心はなにかな?」

 

「いや、ほら、せっかくの修学旅行な訳だしさ、同じグループにもなれたし……良い機会だと思うんだ」

 

「ほう、お相手は誰なんだい?」

 

 すると柴田はキョロキョロと周囲を見渡して意中の相手に視線を送る。

 

「なるほど、帆波さんか」

 

「バカ、聞こえたらどうするんだよ!!」

 

「落ち着け、大丈夫だよ聞こえちゃいない……つまり柴田はアドバイスが欲しかったということか」

 

 修学旅行で同じグループになれたのだから、いい機会だと思ったのか。

 

「どうすれば良いかな俺、恋人持ちの笹凪ならなんかいい感じのアドバイスをくれるんじゃないかなって」

 

「うぅむ、男女の関係や進展なんて千差万別だと思うんだけど……柴田個人はどんな手ごたえを感じているのさ」

 

「いや、悪くないとは思ってるんだ。同じクラスだしさ、こうして同じグループなんだし、他の奴よりも近い位置なんじゃないかなって……でもほら、一之瀬って誰にでも優しいだろ?」

 

「ふむふむ、ならこの修学旅行はまさに一歩踏み込むチャンスな訳だ」

 

「それそれ……なぁ頼むよ、なんかいい感じにできないか?」

 

「そう言われても困るけど、大したこともできないしね」

 

「大それたことを頼むつもりはないって、ほんのちょっとだけでいいんだ。ほら、スキーの時みたいな二人でペアを組むような感じでさ」

 

「ん、それくらいならお安い御用だ」

 

 俺が特に意識しなくても同じクラスなんだからそうなる確率は高いだろうしな。

 

「助かるよ、いやマジで。俺もさ、そろそろ一歩踏み込みたいって思ってたからさ」

 

 そう言えば柴田は女子人気が高いと聞いたことがある。だけれど彼女がいるとは聞いたことがない。一途に帆波さんに好意を寄せているんだろう。

 

 どうなるかはわからないけど、同じクラスで苦楽を共にしてきただろうし、他の男子よりは可能性が高いことは間違いない。幸運を祈るとしよう。

 

 

「思っていたよりも……ずっと大きいわね」

 

 

 元競走馬を見た鈴音さんの第一声がそれである。少し怖がっているようにも見えるな。

 

 確かに大きい、スリムに見えるけどしっかり張った筋肉や長い脚など、テレビの向こうでしか見ることが殆どない馬はこうして目の前にいると予想以上の存在感を見せつけるのだった。

 

「いい筋肉だよね」

 

「え? そこが気になるの?」

 

「あぁ、熊とは異なる方向性の良い筋肉だ。走ることに特化した体作りを生まれてからずっと続けてきたんだろう……良い」

 

 さながら馬界のオリンピック選手である。見惚れてしまうような良い筋肉だ。師匠もよく言っていたな、人を真似るよりも動物を真似た方が手っ取り早く強くなれるって。

 

 その意識は改造訓練にも反映されているらしい。俺の下半身の筋肉の一部は競走馬を意識して改造されているそうだ。

 

 戦ったら勝てるかな? 俺が動物を見るとまずそんな感情が胸に去来するのはそれが原因なんだろう。

 

 熊、ゴリラ、象、ライオン、色々な動物と戦わされたけど、馬と戦ったことはまだなかったな。

 

 ちょっと競走馬にライバル心を向けていると、そんな俺の内心を見透かされたのか競走馬からちょっと怖がられてしまうのだった……人間と違って敏感で繊細な生き物のようだ、怖がらせてすまない。

 

「馬はとても繊細な生き物ですので、怖がらせたり驚かせたりしないでくださいね。そうしなければとっても大人しい子たちばかりなので」

 

 そんな牧場の職員さんの注意喚起と一緒に、グループのメンバーは用意された馬との対応を説明されていく。

 

 当たり前のことだけど正しく対応すれば何も問題はない。突然の刺激を与えなければ馬たちも大人しいものである。手本を見せるように職員の方が馬の背中に乗ると、俺たちもそれを真似るように背中に跨った。

 

 おぉ、いいな、いつもよりずっと高い視点だ。動物の背中に乗ると毎回新鮮な気持ちになるよね。

 

 他の人たちはどうだろうかと見渡してみると、誰もかれもがおっかなびっくりといった感じである。一応、それぞれの馬には職員さんがいて縄を引いてくれているのだが、それでもだ。

 

「お、おぉ~」

 

 どこか感情の起伏が乏しい印象があった森下さんもそんな声を上げている。怖いような、楽しいような、色々な感情が交じり合った声である。

 

 女性陣はどちらかと言えば怖い感情が多く、男性陣は楽しそうな感情が多い。そんな印象であった。

 

「それでは慣れるまで私たちが引いていきますね」

 

 牧場の職員の方々が馬と繋がった縄を緩やかに引いて先導してくれる。

 

「一之瀬、大丈夫そうか?」

 

「うん、すっごく大人しい子だからね。柴田くんも大丈夫そう?」

 

「あぁ、引っ張って貰ってるだけだしな。一之瀬も怖くなったらすぐに言ってくれよ、俺がなんとかするからさ」

 

 後方からそんな会話が耳に届く。それとなく帆波さんと並べるような立ち位置に誘導したのだけれど、会話が広がっているのならば何よりである。

 

「堀北」

 

「……なにかしら伊吹さん」

 

「こいつで勝負よ」

 

「止めなさい、スキーと違って本当の意味で色々と迷惑がかかるから……地面だって舐めたくないでしょう」

 

「はぁ?」

 

 この二人は相変わらずである。不穏な会話を聞かされて馬を引く職員さんがそれとなく二人が跨っている馬を遠ざけるのだった……ご迷惑をおかけします。

 

 

「お客様ッ!? 困ります!! お客様あああああああッ!?」

 

「ハハハハッ!! 私は今、風になっているのだよ!!」

 

 

 二人の不穏な会話をぶった切るように、牧場のコースに職員さんの悲鳴が広がった。視線をそちらに向けてみると六助が白馬に跨ってそれは見事に疾走しているのがわかった。障害物を飛び越え猛スピードで駆け抜ける姿はさながら戦国武将を彷彿させる勢いである。

 

 そのまま六助は牧場を走り抜けていく。大勢の職員さんを焦らせながらだ。

 

「あぁはなりたくないでしょう?」

 

「……そうね」

 

 それを見せつけられてさすがに伊吹さんも矛を収める。あそこまで自由には生きられないと思ったらしい。

 

「高円寺六助も興味深いですね」

 

「お、森下ちゃん。ああいうのがタイプなのかい?」

 

「橋本正義、少なくとも貴方よりは」

 

「……えぇ」

 

 森下さんはその観察眼で爆走する六助を観察している。そうやって暫く馬上から眺めていたのだが、最終的には彼女も匙を投げるのが六助という男であった。

 

 よく観察したけど、よくわからない奴、森下さんは表情だけで雄弁にそう語ってしまう。

 

「貴方は落ち着いてらっしゃいますね、乗馬経験がおありですか?」

 

「えぇ、嗜む程度ですが」

 

「なるほど、では少しだけ難易度を上げてみましょうか。皆さんにお手本をお願いできますか?」

 

「わかりました」

 

 これまで馬を誘導していた職員さんが手綱を手放す。馬のコントロールをこちらに渡されたので、俺は少しだけ馬を小走りさせるとコースを緩やかに一周させる。

 

「はい、大変お上手ですよ。いいですか皆さん、馬はとても敏感で繊細な生き物です。騎手の動揺を正確に受けとるので、まず馬上では冷静であることを心掛けてください、焦らない、苛立たない、紳士的に振る舞いましょう。細かな技術に関してはゆっくり教えていきますのでご安心を。間違っても強引に走らせないようにしてください」

 

 そんなことを説明する職員さんの視線は今も爆走しながら次々障害物を飛び越えていく人馬一体となった六助に向けられた。頼むからああなってくれるなと祈るようにだ。

 

 大丈夫だと思います。少なくともこのグループの面子ならばだけれど。

 

「鈴音さん、不安ならタンデムでもしようか?」

 

「お願いできるかしら」

 

 幸いにもこの馬はタンデムシートであった。念の為に職員さんに許可を願い出ると、経験者ならば問題ないと判断されたのか許してくれた。

 

 なので二人乗りである。馬を乗り替えて背後から鈴音さんを抱きかかえるようにして手綱を受け取った。

 

 軽く走らせてみると特に苦も無く馬は走ってくれる。さすがの馬力である。やはり一度くらいは競走馬と戦って勝ってみたいものだ……どうにかしてどっかのG1とかに出場できないだろうか? 一位を取る自信はあるんだけど。

 

「……良いわね、こういうの」

 

「そうかい?」

 

「えぇ」

 

 短くそう言うと鈴音さんは俺の体を背もたれにしてくる。確かに良い雰囲気と言えるのかもしれない。そうやって暫く馬を走らせていくと互いの温もりを共有することができた。

 

 良い時間だ、とても心地いい。

 

 

 

「……ごふッ」

 

「お~い、一之瀬、余所見は良くないぞ」

 

 

「ぺッ!!」

 

「伊吹氏、唾を吐くのはいかがなものかと」

 

 

「いいのねぇああいうのも。どう森下ちゃん、俺たちもさ」

 

「ごめんなさい、貴方は好みではありません」

 

「……えぇ」

 

 

 他のメンバーがいる手前、あまり人前でイチャイチャするのもどうかと思うけど、せっかくの修学旅行なので恋人との時間を楽しみたいので少しは許して欲しい。

 

 

 

 

 



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修学旅行 4

 

 

 

 

 

 乗馬体験はグループに好印象を与えたと思う。東京のあの学校にいるとまず経験できないことだろうから余計に新鮮に感じるのかもしれない。修学旅行の醍醐味と言えるのだろう。

 

 柴田と帆波さんも同じクラスであることからよく話しているのでミッションコンプリートである。俺自身は乗馬に慣れない金田や森下さんの補助に回る形となった。

 

 そうやってある程度の経験を積んだら、軽めの障害物コースを全員で回ることになる。小さな段差に足を止めることなく馬を走らせると全員の中に馬との一体感が生まれたと個人的には思う。

 

 いい経験になったということだ。伊吹さんと鈴音さんと帆波さんが相変わらずバチバチにやり合いそうな雰囲気があったけれど、それ以外は平和なものだ。六助もいつのまにかどこかに消えていたし、同じグループの人たちが慌てて追いかけていたけれど、それを除けば始終平和な時間であった。

 

 最終的には全員が軽やかに馬を走らせることができたのだ、日常では得難い経験ではあるので修学旅行は成功と言えるはずだ。

 

「うッ……慣れないことをしたせいか、少し腰に違和感がありますね」

 

 金田がそんなことを言いながら自分の腰を叩いている。どこか老人みたいな動作であったが慣れないことをすればそうもなるだろう。あまり運動が得意という訳でもないし乗馬の影響は大きかったらしい。

 

「あぁ、でもわからなくはないぜ。慣れないことしたからなぁ」

 

「そうですか? 橋本氏はそつなくこなしているように見えましたが」

 

「おいおい、俺もおっかなびっくりではあったさ」

 

「でも面白かったよな」

 

 最終的には柴田のそんな台詞が全てとなる。慣れない乗馬であったが面白かったのだから幸いである。とりあえずグループの皆は腰回りの疲労が溜まっているようなので旅館に辿り着くと同時に温泉に直行することになった。

 

 それは女子チームも同様なのか疲労を溶かす為に旅館の温泉へと足を運ぶことになる。

 

 相変わらず湯船では他の男子から距離を取られがちであったけれど、初日よりはまだマシであった。変に意識するだけ無駄であると思ったのだろう。

 

 清隆のグループみたいに特に不和もなく、六助が振り回している個人先行のグループでもなく、程よいライバル心で上手く回っているグループなので今のところは平穏そのものである。

 

 このまま学校側が変な特別試験を挟み込んでくることもなく、二日目もまた平穏無事に終わると思っていたのだけれど……ここで柴田が動き出す。

 

「……名前で呼びたい」

 

「うん?」

 

「一之瀬を、名前呼びしたい!!」

 

 風呂から上がり、髪を乾かしてコーヒー牛乳を一気飲みしたと同時に、柴田がワナワナと震えながらそう言い放つ。

 

「ふむ、修学旅行はそのチャンスになるかもね」

 

「だろ? それにずりいよ笹凪は、生徒会で同じだからってちゃっかり名前呼びしてるしよぉ」

 

「そう言われても困るけど……別に変に意識しなくても普通に名前で呼べばいいんじゃないかな。断られることもないと思うんだけど」

 

 名前で呼んだからって帆波さんが怒るとは思えない。

 

「い、いやぁ、それはほら……恥ずかしいじゃんか、いきなり呼んで馴れ馴れしく思われるかもだし」

 

「ん、修学旅行なんだしチャンスと思えばいいさ」

 

「だよな……よしよし、やるぞ、俺はやるぞ!!」

 

 脱衣室で浴衣に着替えて気合を入れ直す柴田、幸多からんことを期待しよう。

 

 そこまで気合を入れなくても帆波さんなら名前呼びくらい許してくれると思うのだけれど、柴田的には気合を入れないと駄目な関門なのだろうか。

 

 パンパンと頬を叩いて緊張した面持ちで帆波さんを探し始める彼を見送っていると、興味深いとばかりに橋本が後を追い始める。

 

「人の恋路を覗くと馬に蹴られてしまうよ」

 

「冗談よしてくれよ、こんな美味しい場面見逃せるかよ」

 

「金田となにやら湯船で相談していたようだけどいいのかい?」

 

「問題はありませんよ笹凪氏、こちらの相談は既に終わっていますので」

 

 金田は眼鏡をかけ直して浴衣を身に纏いそう言った。どんな相談をしていたのかはわからないけれど、きっと秘密の話だったのだろう。どちらの思惑が濃いのかはわからないが、色々な相手と交流を結んで機会とカードを増やしている橋本からしてみれば、龍園に近い位置にいる金田は良い商談相手と言った所か。

 

 逆に金田からしてみても腰を落ち着けない橋本は良い相手だ。今後の特別試験が不透明なので色々なカードや縁を作っておきたいと思うのは金田も一緒ということだ。

 

 誰もかれもが生き残りに必死になっている、それだけの話である。

 

 まぁ彼らの密談に俺が首を突っ込む理由はない、金田も橋本も柴田の恋路が気になるのか後を追い始めたので俺も付いていくことになった。

 

「しかしあれだな、柴田も理想が高いつ~か、一之瀬は難しいだろ」

 

「そうかい? 柴田なら帆波さんとも上手くやれそうだと思うけど」

 

「いやいや、俺が見た感じだと脈はなさそうだな。それに一之瀬はなんだかんだで理想が高そうにも見える。金田もそう思うだろ?」

 

「さて、色恋沙汰を饒舌に語れるような身分ではないのでなんとも。しかし気にはなりますね」

 

 どうやら柴田の健闘を肴にすることになったようだ。気合をいれて帆波さんを探していく彼の背中を俺たちは追うことになる。

 

 さて帆波さんたちはどこにいるだろうと探しているとすぐに見つかることになる。どうやら女子チームは温泉から上がってすぐに旅館の遊戯場に足を運んだらしい。

 

 こういった旅館に付きものの卓球台が並んでおり、それ以外にも色々と用意されているのだが、女子チームは卓球勝負に熱中しているようだった。

 

 何が始まりだったのかはわからないが、おそらく伊吹さんが挑発して鈴音さんがそれに乗っかり、何だかんだで帆波さんも参加したと言った所だろうか。

 

 森下さんだけが関せずと言った感じでベンチに腰掛けながらコーヒー牛乳を飲んでいるのが見えた。

 

「ふんッ!!」

 

 鈴音さんが鋭くラケットを振ると、ピンポン玉が凄まじい速度で相手のコートへと向かう。

 

「まだまだ終わらないよ!!」

 

「甘いわねッ!!」

 

 鬼気迫るとでも表現すべきか、鈴音さんと帆波さんの卓球勝負は苛烈を極めている。ちょっと気合が入り過ぎていて怖いくらいである。

 

「お、お~い、一之瀬」

 

 そんな鬼気迫る勝負の眺める柴田は完全に話を振るタイミングを逃してしまったのか小声で話しかけていた……しかしあまりにも勝負に熱中していることから届いていないらしい。

 

 いや、届いてはいるのだろうけどそちらに集中できないのだろうか。それだけ帆波さんは卓球に集中しているのがわかった。

 

「ごめんね柴田くん!! 今は静かにしてて!! 私には、負けられない戦いがあるんだよ!!」

 

「ア、はい」

 

 撃沈である。悲しそうな表情になった柴田はまるでやけ酒でも煽るかのようにコーヒー牛乳を自動販売機から購入してやさぐれることになる。

 

「可哀想に、スタートラインに立つことすらできなかったか……しかし眼福だな」

 

 そんな彼の姿に橋本と金田は合掌を送っていた。視線は卓球をしている二人の胸元に集中しているのはどうなのだろうか。

 

 タイミングを逃してしまった柴田は……まぁまだまだチャンスはあるだろう、焦る必要はないとも。彼は彼で揺れ動くとある部分になんだかんだで視線が釘付けになっているし思っていたよりも立ち直りは早そうだ。

 

「そもそもどうして卓球勝負になったんだい?」

 

 事情説明はベンチに座っていた森下さんからあった。

 

「さぁ、温泉で何やら言い合っていましたが、そこに伊吹澪が介入して卓球勝負という流れになったようです」

 

 よくわからないが、互いのライバル心が爆発するような何かがあったということか。そこに伊吹さんがいつものように発破をかけたと……まぁいいか、殴り合いではなくスポーツで決着をつけるのならば健全な時間とも言えるだろう。

 

 その伊吹さんはというと、卓球台の間に立って審判役をやっているらしい。とても堂々と腕を組んでおり「勝った方を我が食らう」とでも言いたげな顔をしていた。その迫力は完全に戦国武将のそれである。

 

「意外にも一之瀬帆波は負けず嫌いのようですね。これまでの印象とは大きく異なります」

 

「また情報収集かい?」

 

「えぇ、勿論」

 

 ベンチに座ってコーヒー牛乳を飲んでいる森下さんは、注意深く卓球勝負をしている鈴音さんたちを観察している。

 

「私の知る一之瀬帆波はクラスの中心人物であり、敵対よりも平和を尊ぶ人物でした。その行き過ぎた配慮と臆病さは強みであると同時に弱点でもあったと思っています……勝利よりも妥協と仲のいい時間を優先していましたから」

 

「実際に間違いではない分析だ。しかしそれは本質の一部でしかないさ」

 

「そのようですね。負けたくないという思いが一之瀬帆波には欠けていたものであり、最大の弱点でもあったのですから……もし彼女が誰にも負けたくないと覚悟を決めたのならば、Aクラスを脅かす存在になるやもしれません。彼女に足りない物があるとすれば、それは覚悟だけでしょうから」

 

「かもしれないね」

 

「貴方にとっても強敵になるかもしれないというのに、随分と余裕ですね」

 

「彼女が迷いなく突き進んで行ってくれるのならば、こんなに嬉しいことはない……俺は、誰かが頑張っている姿を見るのが好きだから」

 

 勝敗は大切だ、別に勝負を譲るつもりもない。けれど俺の目標や本質はそこではない、それだけの話だ。

 

 人の美しさと可能性は見ていて心地いい。なんてことを考えるのは随分と偉そうなので止めておこう。

 

 森下さんの視線が一之瀬さんたちから俺に向けられる。相変わらず探るような視線であった。

 

「ふむ……勝つ為に本気にならなくても勝てるが故の余裕でしょうか?」

 

「そんな偉そうなもんじゃないよ」

 

 俺も自動販売機でコーヒー牛乳を買い、森下さんと同じベンチに腰掛けて卓球勝負を観戦することになった。

 

「そうでしょうか。貴方がその気になったのならば一瞬で他クラスを殲滅できる。特別試験でも手を抜いていると私は推測しています」

 

「まさか、俺はいつでも本気で挑んでいる」

 

「しかし全力にはなっていない、いつもどこかで配慮している、違いますか?」

 

 探るような視線は相変わらずだ。どうやら俺は森下さんにとってとても興味深い観察対象と思われているのかもしれない。

 

「ずっと疑問ではありました。OAAの数値、そして去年一年の活躍、元Dクラスの貴方たちのクラスは尖った戦力もいれば隙のない安定的な戦力もいて、力強いリーダーもいれば参謀もいる……冷静に見ても粒ぞろいのクラスです」

 

「それは他のクラスだって同じだろう」

 

「まさか、優秀な生徒はどのクラスにもいますけど、そちらのクラス程数が多くはありません。例えばAクラスはどうでしょうか、平均値は高くとも突出した絶対的な戦力はいません」

 

「坂柳さんがいるじゃないか」

 

「頭脳面や判断面ではそうかもしれません、しかし彼女は体が不自由です。誰がどう言おうとそれはリスクでありハンデであることは疑いようがないのですから。もし彼女が不自由なく動けていれば一年の時の無人島や運動会はどうなっていたでしょうね」

 

 ふむ、不信感があると言うよりは、冷静に数字の足し引きを森下さんはしているようだな。

 

「次に一之瀬帆波のクラスはどうでしょうか? こちらはAクラス以上に突出した戦力がいません。彼女と、神崎くらいでしょうか。しかしその二人もどんな局面でも勝てる戦力ではありません」

 

「なるほど、それが森下さんの評価か」

 

「えぇ、平均的な能力が高く欠点らしい欠点がない。逆に言えば突出した絶対的な個人が不足している。対照的に龍園翔率いるあのクラスは平均的な能力が低いもののアドリブ力と判断能力が突出している」

 

 では、と、森下さんは俺たちのクラスの評価をこう述べた。

 

「個人技も平均能力もあり、纏まりもあれば成長力もある、圧倒的な個人もいればそつなくこなせる万能型の生徒も複数いて、リーダー格も多い……よくよく考えてみれば隙もなければ突出した戦力もあるズルいクラスと言えるでしょう」

 

 かなりの高評価だな、確かにこう言われるとウチのクラスは粒ぞろいに思える。

 

「だからこその疑問です。そんなクラスに貴方がいればそもそも特別試験では他クラスと戦いにもならないのではと、しかし現状はBクラスに甘んじている、その理由は?」

 

 こちらの瞳を覗き込むように森下さんは顔を寄せて来る。瞳の奥にある僅かな感情や揺れすらも見逃さないとばかりに。

 

「貴方は全力を出しているけれど、本気にはなっていない、それが理由だと思っています。そうでしょう?」

 

「そんなことはないよ」

 

「全力を出し、本気になれば一瞬で終わる。それこそ夏の無人島では全員を全滅させて一人だけ生き残るようなこともできた、違いますか?」

 

「そんな滅茶苦茶なことはやらないさ」

 

「やれない、ではなく。やらない、ですか……それはそれは、恐ろしいですね。つまりまだまだ手段を選んで他者に配慮する余裕があるということになります、あの過酷な無人島試験でもそうなのですから、貴方の限界は未だに見えません」

 

 森下さんがこちらの瞳を覗き込むのだが、それは俺も同じだ。彼女の瞳の奥に秘められた様々な情報を読み取っていく。それはある意味言葉を交わすよりも雄弁に互いのことを知れるのかもしれない。

               

「貴方はとても綺麗な瞳をしていますね」

 

「ありがとう、君の瞳も綺麗だよ」

 

「誉められるのは悪い気分になりません」

 

 瞳は口よりも物を言うという奴だろうか、しかしそんな俺たちの見つめ合いはすぐに終わることになる。俺と森下さんの間に卓球で使われるピンポン玉が突き刺さったからだ。

 

「天武くん、何をしているのかしら?」

 

「意外だなぁ~、二人って仲が良かったんだねぇ、へ~」

 

 さっきまで激しく鎬を削っていた鈴音さんと帆波さんが満面の笑みでこちらも見つめていた。突き刺さったピンポン玉の速度から察するにかなりの力が込められたスマッシュであったらしい。

 

 おほん、ちょっと気安かったかもしれないな。誤魔化しておこう。

 

 鈴音さんにはお仕置きとして耳を引っ張られてしまった。そんなことをされていると帆波さんが冷たい視線を向けて来て、またもや卓球が白熱することになるのだった。

 

 修学旅行二日目はこうして過ぎていくことになる。

 

 

 

 

 

 



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修学旅行 5

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行三日目の朝が来た。焼き討ちもされていないし、移動バスが爆発することもないし、物騒な連中が屯することもなく、俺たちの修学旅行は平穏そのものであると言えるのかもしれない。

 

 そろそろ学校側が何らかの特別試験を挟んでくるかもしれないと警戒していたのだが、その予感は半分は正しく、もう半分は拍子抜けするものであった。

 

 要はグループで観光名所を巡って集合写真を撮り、それで一定以上までポイントを稼げば報酬を得られるというある種のレクリエーションである。

 

 失敗しても退学することもなく、四日目の自由時間が勉強に当てられるというだけで終わるらしい。さっさ適当に観光名所を巡ってノルマをこなすも良し、貪欲に巡って報酬を得るも良し。

 

 プライベートポイントが欲しければ一日中走り回ることになるだろうけど、報酬がいらないと言うのならばノルマをこなした後は自由に過ごせる。その辺の判断はグループごとにわかれるだろう。

 

「どうしよっか?」

 

 帆波さんはこの課題をこなすのか、自由時間を優先するべきなのか、まずグループ全員の意見を確認した。

 

「個人的には、報酬を狙いたいと思っています」

 

 意外にも強い主張をしたのは金田である。

 

「報酬は3万プライベートポイントとのことでしたが、無いよりもあった方が良いのは当然のことです」

 

 眼鏡のブリッジを指で押し上げて位置調整をしながらそう言ったので、他のグループのメンバーは互いの意思を確認していく。

 

「でも観光してる暇はなくなるぜ。それこそ移動だけで一日終わりそうだけど、それはいいのか?」

 

「橋本氏の意見はまさにその通り、しかしプライベートポイントが潤沢なAクラスやBクラスではありません。リスクなく報酬を得られる機会は逃したくもありません。たった3万プライベートポイントであったとしてもです。柴田氏はどうでしょうか?」

 

「う~ん、そう言われるとそうだな」

 

 金欠組のクラスとしては報酬狙いであるらしい。橋本や森下さんはどちらでもいいというスタンスであるようだ。

 

「鈴音さん、こちらはどうしようか?」

 

「やるならやる、やらないならやらない。どちらにするにせよ、早く判断すべきでしょうね。今みたいに旅館のロビーで話し合っている間も時間は過ぎているのだから」

 

「そうだね、それじゃあ帆波さんに判断を任そうか」

 

「え、私?」

 

「金田と伊吹さんは報酬狙い、橋本と森下さんはどちらでもいい、俺と鈴音さんも似たようなものだ。なら誰かの意思決定に従うよ。一番駄目なのはここで時間を潰すことだろうからさ」

 

「それもそっか……うん、なら報酬狙いで行こうか、皆が良いならだけど」

 

「良いんじゃないか、ダメでも3万ならそこまで惜しくはないし、ノルマはこなせるだろ。四日目に勉強会なんてことにならなけりゃ問題ないさ」

 

 橋本のそんな意見が後押ししてグループは課題をこなす為に旅館を出発することになるのだった。観光スポットを巡って集合写真を撮り、それを繰り返すだけなのだが、土地勘がないと制限時間以内に報酬会得は厳しいのかもしれない。

 

 地図アプリなどをインストールしても段取りまではわからない。タクシーが使えれば話が早いのだが禁止されている。移動はバスや電車などの公共交通機関だけでやるのは難しいか?

 

 こういう時に頼りになるのは地図ではなく土地勘を持った人物である。現地ガイドでも雇うのは……赤字になるだろうから却下だ。

 

 なので俺は九号にメールを送る、日本中に情報収集網を作っている最強の忍軍からの情報ならば何か役に立つだろうと思った訳である。

 

 国会議事堂に繋がる隠し通路から、複雑に入り組んだ下水道の道順まできっと把握していることだろう。そんな期待をしているとすぐにメールが返って来る。メールを開いてみるとやけに細かい地図が添付されていた。

 

 細かな道順から、どの順番でスポットを巡るのが効率的なのか、各種交通機関の時間、休日の平均的な混み具合、色々な情報が羅列しているのがわかった。

 

 本当に仕事が早くて助かる。彼女の頭の中には日本中の隠し通路や表沙汰にできないルートまで色々と入っているのだろう、平和な観光案内くらいは簡単であったか……さすが忍者である、GPS要らずだ。

 

「それじゃあまずは湖のスポットに向かおうか」

 

「え、札幌の時計台じゃないの?」

 

「この時間は観光客でごった返すそうだよ。撮影場所はかなりの込み具合だそうだ。それなら少し遠くても人の少ない場所の方がいいさ。時計台は帰りについででも構わない」

 

「そっか、もしかして天武くんは土地勘があるのかな?」

 

 可愛らしく首を傾げてそう一之瀬さんは問いかけてくるのだが、便利な知り合いの力であることを主張しておこう。

 

「いや、今学校にいる情報通の……土地勘を持った人に効率的な観光地巡りを教えて貰ったんだ」

 

「おいおい、カンニングか?」

 

「違うよ橋本、それに学校関係者と連絡を取ることは禁止されていない。詳しい人に教えて貰っただけさ」

 

 別に責められるようなことでもない。もしかしたら他のグループには北海道出身で土地勘のある人もいるかもしれないし、それを責めるようなことをしても意味はないしな。

 

「報酬を狙うと決めたなら必ず貰おう、その為に様々な方面から情報を得ることもまた正解の一つだよ」

 

 そんな訳で俺たちは迅速な観光地巡りを行うことになる。ルートは既に九号のおかげで定まっているので後は流れ作業であった。

 

 まずは観光客が少ない場所、加えて旅館から距離のあるスポットを優先する。中でもバスが直通している場所が最優先だ。旅館に近いスポットに関しては帰りについでで構わない。朝や昼頃は観光客も多いので減ったタイミングを敢えて狙う訳である。

 

 バスに乗って真っすぐスポットへと向かう。朝早くから凍り付いた湖まで足を運ぶ観光客もいないので移動はとてもスムーズであり、写真を取る場所も混んではいない。

 

 パシャっと全員で集合写真を取ればすぐさま次のスポットへ向かうことになる。最も旅館から離れた場所なので後はゴール地点である旅館までスポットを探索する度に近付いていくことになるだろう。

 

 しかし適切な情報を入手しても時間的にはギリギリかもしれないな。最低限ノルマの集合写真だけ集めて報酬は得られないというグループも多そうではある。

 

「なんだかごめんね、忙しくなっちゃって」

 

 慌ただしく次のスポットを目指すグループに帆波さんが申し訳なさそうな顔をした。

 

「構いません、こちらも望んだことですので」

 

「ごちゃごちゃ言ってる間にさっさと走る」

 

 金田と伊吹さんの返答はそんなもんである。やると決めたのならばダラダラせずにしっかりと報酬を狙う、その行動力はさすがに龍園クラスらしいのかもしれない。

 

「そうね、別に一之瀬さんだけの責任でもないのだし、気にすることではないわよ」

 

「あぁ、鈴音さんの言う通りだ。最終的にこのグループの総意だったんだからね……あ、誰か体力的に厳しい人はいるかな? 荷物くらいはこっちで持つけど」

 

「ではお願いできますか?」

 

 森下さんが遠慮なくといった感じで背負っていたリュックを渡してくると小走りしながらも金田もまた荷物を渡してきた。

 

「笹凪氏、申し訳ありませんが」

 

「構わないよ、遠慮する必要はどこにもない。今はこのグループで同じゴールを目指しているんだからね。皆も遠慮せずに頼って欲しい、体力には自信があるんだ」

 

 全員から「だろうね」と言いたそうな顔をされることになる。だがこれで体力的に不安のあるメンバーの負担は少しは軽くなるだろう。次の観光スポットは自然公園の中でありバスから少し距離がある。ちょっとした登山みたいな感じになるので尚更体力は温存しておきたい。

 

 緩やかな山道を小走りで進んで行き、バスの停留所からざっと三十分ほどの場所でようやく学校が指定した集合写真を取る場所まで辿り着く。観光目的なら近くにあるスキー場などに顔を出してもよかったのかもしれないが、急いでいるのですぐさまバスにとんぼ返りすることになってしまう。

 

「柴田、余裕があるようなら帆波さんの荷物を持ってみたらどうだい?」

 

「え、あッ……そうかもな、一之瀬、頼ってくれていいんだぜ」

 

「えぇ、さすがに悪いよ」

 

「いやいや、今はチームなんだから変な遠慮は無しだって、笹凪もそう言ってたしな」

 

「う~ん、それじゃあお願いしようかな……えっと、ごめんね」

 

「気にすんなよ」

 

 山道を下る間にそんなやり取りもあった。上手いこと二人を近づけさせることはできているのだろうか? 他人の恋路の手伝いをしたことがないのでよくわからない。

 

 しかし柴田は帆波さんに頼りがいのある所を見せられて嬉しそうではある。

 

「天武くん」

 

「あ、鈴音さんも荷物を持とうか?」

 

「いいえ今は結構よ……体力的に厳しくなった時にお願いするわ。それよりも、今のはどういうことかしら?」

 

「どうとは?」

 

「柴田くんをけしかけているようにも見たのよ」

 

「けしかけると言うか、ちょっとした応援と言うか、そんな感じなんだけど」

 

「察するに、貴方は一之瀬さんと柴田くんをくっ付けようとしているのね」

 

「そこまでお節介をしているつもりはないが。ちょっとした手助けをしているだけさ」

 

 すると鈴音さんはとても複雑そうな顔を見せる。珍しい表情をするものだと思っていると、今度は散々悩んだ後に溜息が返って来てしまう。

 

「どうしたんだい?」

 

「いえ、都合がいいような、けれど納得できないような、とても複雑な気持ちなの……はぁ」

 

「……えっと」

 

「別に貴方が悪いと言う訳ではないけれどね」

 

「うん」

 

「ただ、余計なお節介はするべきではないと私は思うわ」

 

「別に強引に押し付けるようなことはしないさ。俺にできるのはいつだってちょっとした手助け程度のことだろうから」

 

 逆にそれ以上を求められても困るというのが本音である。

 

「そうね、あまり残酷なことはしないでおきなさい」

 

 柴田を応援するのが残酷なのだろうか? 鈴音さんの中では叶わない恋という判断なのかもしれない。

 

「……なんで塩を送っているのかしら、つくづく甘いわね私も」

 

 なんて呟きと共にバスまで小走りすると、鈴音さんは車内に乗り込むのであった。

 

「いいかしら天武くん、余計なお節介はいらないの、いいわね?」

 

「柴田と帆波さんは駄目ってことかな」

 

 少しだけ観光客が増えたことで込み始めたバスに乗って、俺と鈴音さんは隅っこの方で話し合う。

 

「ダメ、というか……私はそれでいいと思うのだけれど、いえ、どう説明すればいいんでしょうね、この感情は」

 

 視線は人波の向こうにある帆波さんへ向かう、その隣には柴田が座っていて楽しそうに話しているのが見えた。そんな二人を眺める鈴音さんは、自分の中にある複雑な感情をなんとか噛み砕く。

 

「とにかく、貴方は変な気を回さなくていいのよ。場合によってはとても残酷なことなんだから」

 

 わかったわね? と言いたそうな瞳を向けられてしまうと、俺としては頷くしかない。

 

「良い子ね」

 

「子供扱いしないでよ」

 

「貴方は誰かに配慮できるのに、感情の機微には疎いから子供扱いしているのよ。達観しているように見えて実は子供よね天武くんは」

 

 クスクスと笑う鈴音さん……まさか感情の機微で鈴音さんにマウントを取られる日が来るとは思わなかったな。

 

 一年の四月頃の鈴音さんを思い出す。近寄る者全てを切りつけようとしたあの頃の彼女を知っている身としては、随分と遠い場所まで来たものだと懐かしんでしまう。

 

 子供扱いされたことにちょっと悔しい思いをしたので、少し仕返しをしておこうか。

 

「まさか鈴音さんから感情の機微だなんて言葉が聞けるなんて、俺は嬉しいよ」

 

「どういう意味かしら?」

 

「いや、一年の頃の君はそれはもう尖ってたから……いたたた」

 

 はい、調子に乗ったら耳を引っ張られてしまった。こうされると俺は何もできないのでズルいと思う。

 

「ほら調子に乗っていないで次のスポットに行くわよ、私は続けてもいいけど一之瀬さんたちが怖い目でこちらを見ているわ」

 

 おっと、さすがに人前でイチャイチャするのは避けるべきか。こういったコミュニケーションは二人きりでするものだしな。

 

 次の集合写真を撮る為のスポットに向かうとしよう。橋本や森下さんからもこちらを揶揄うかのような目で見られているし、ここは控えめにしておくべきか。

 

 最後に仕返しとばかりに頬でもつついておこう。すると鈴音さんは照れてくれるのでとても可愛らしいと思うのだった。

 

 

 

 

 

 



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修学旅行 6

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと問題なく報酬を得ることはできた。最初に一番遠い観光スポットを目指して旅館に近寄りながら他のスポットで集合写真を撮る作戦は上手く行ったということである。

 

 時間ギリギリでもなくそれなりの余裕をもって旅館に帰り、撮ってきた集合写真を茶柱先生に提出すると無事合格であった。

 

 報酬は3万プライベートポイントだけであるが、金田が言うように無いよりもあった方が良い。リスクなく手に入れられる額としては上等な部類なのかもしれない。

 

 もしかしたら今回の件がOAAにも影響を与えるかもしれないしな。そう考えると報酬はプライベートポイントだけではない可能性もあるな。

 

 何であれほぼ一日中観光する間もなく動き回っていたのでグループは疲労が濃いようだ。荷物を旅館の部屋に置くとそのまま温泉に直行することになった。

 

 露天風呂もいいものだ、サウナもいい、相変わらず風呂場では他の男子に警戒されるのだけれど、それにももう慣れた。

 

 夕食は大盛りの海鮮丼である。刺身に蟹に、魚介が豊富なのは北海道らしいのかもしれない。

 

 不思議と旅行先で食べる物は平時と比べて美味しく感じるので不思議であった。東京でも海鮮丼は食べられるのにこっちの方が美味しい……思い込みという奴なのだろうか。

 

「思い込みね」

 

 一緒に旅館の食堂で夕食を楽しんでいた鈴音さんはばっさりだ。ちょっと悔しかったので揶揄っておこう。

 

「いやいや、旅行だから美味しく感じるのさ。それに鈴音さんと一緒だから余計にね」

 

「……そう」

 

 少し照れた様子でそっぽを向いた。

 

「うんうん、旅行先で恋人と食事だからより美味しく感じるんだろう、間違いない」

 

 こうやって揶揄っていると鈴音さんは頬を染めてまた耳を引っ張って来るので可愛らしいと思う。

 

「それよりも明日の予定を立てましょう」

 

「ん、何かまた課題を差し込んできそうかな」

 

「それはわからないけれど、どちらにせよ予定は必要よ。何もなければ橋本くんが言っていたようにゆったりと観光でもしておきたいわね」

 

「都市部を散策するのも悪くないか。あ、でもスキーとかもいいと思うよ」

 

「そうね……忘れていたわ、まだ決着がついていないことを」

 

 スキーと聞いて鈴音さんの瞳に闘志の炎が宿る。どうやら初日のスキー勝負を思い出したらしい。

 

 最近の鈴音さんは闘争心が高すぎてちょっと怖いと思う。いや、そういう所も魅力的ではあるんだろうけど。

 

「明日の朝に他のメンバーの都合や要望を聞いて、問題がないようならばスキーにしましょうか」

 

「それでいいんじゃないかな。でも勝負だけじゃなくてゆったりするのも忘れちゃいけないよ?」

 

「問題ないわ、白黒つけた後はそうするつもりよ」

 

 何故だろうか、むきになってずっとバチバチにやりあっている女子チームの姿が思い浮かんだ……まぁ楽しそうなので問題はないか。

 

「卓球のケリもつけないとね」

 

「まだやるのかい? 昨日は最終的には帆波さんに負けていたけれど」

 

「負けていないわ」

 

「え?」

 

「負けていないわ、あれは勝ちを譲ってあげたのよ。だから敗北した訳ではないの。そもそも一之瀬さんは伊吹さんに負けていたし、その伊吹さんに私は勝った……つまり私は負けていない、わかるわね?」

 

「あ、ハイ」

 

「今日はそんな配慮はしない、完全勝利を見せてあげるからしっかり応援しなさい」

 

 気合を込めて鈴音さんは海鮮丼を完食すると、瞳に闘志の炎を宿して今日もまた卓球場へ向かうことになる。なんだかんだで旅行を楽しんでいるようで俺は嬉しいよ。

 

 せっかくだし俺も卓球に興じようか? 旅行先の旅館で卓球するのはある種のお約束だと聞いたことがある。見識を広める為にも旅行あるあるを体験しておこうか。

 

 ただの遊びだし適当に誰か誘って……なんてことを考えながら決戦場へ向かう鈴音さんの後を追っていると、その途中で茶柱先生と星ノ宮先生を発見することになる。

 

 二人は旅館に備え付けられていたマッサージチェアに身を委ねて疲れを解しているようだ。小刻みに揺れてだらしなく脱力していた。

 

 あれもまた旅行あるあるなのだろうか、学校にはない器具なので興味深くはあるな。

 

「あれ、堀北さんに笹凪くんじゃな~い、二人でどうしたの? あ~、はいはい、恋人だもね、あんまり羽目を外しちゃだめよぉ」

 

「……随分とゆったりしてるんですね」

 

 星ノ宮先生のセクハラジャブを軽く躱してから鈴音さんは少し呆れたような視線を向けた。

 

「そりゃもうねぇ~、私たち教師もようやく休息ですぅ。これくらいだらけても罰は当たらないよ~」

 

「そう言えば先生方は観光する余裕もなかったですね」

 

 今日行われた課題の設置であったり、他にも見えない所で先生たちは動いているということか。生徒は修学旅行だが教師はそうもいかないのだろう。

 

「そうそれ、ほんと羨ましいわ~……しかも真嶋くんが入院中だから余計に手が足らなくて忙しくてねぇ。はぁ、楽じゃないわ教師なんて」

 

「そうだな」

 

 茶柱先生も同意する所なのか、マッサージチェアに揺られながら大きく頷く。実際に教師を体験している二人だからこそ納得できるのだろうか。

 

 情熱をもって挑んでも教職は楽ではない、まぁこの学校は特に心労も多そうではある。

 

「歳をとるとマッサージが欠かせなくなる、若いお前たちにはわからないだろうがな」

 

「はぁ」

 

 確かに鈴音さんはよくわからないといった顔をする。そんな彼女を見て茶柱先生と星ノ宮先生は眩しい物を見たかのように瞼を細めるのだった。

 

 若かりし頃を思い出したのか少し悔しそうな顔をする星ノ宮先生……いや、この二人だってまだそこまで歳という訳ではないと思うんだけど。

 

 本人たちにしかわからない何かがあるのだろう。星ノ宮先生は話題を変えるかのようにこう話を切り出すのだった。

 

「それよりも堀北さん、すっかりリーダーっぽくなっちゃって。やっぱりBクラスは居心地良い? なんて元Bクラスの担任が聞いてみたりして」

 

「DでもBでも大差はありません。私が目指しているのはAクラスなのでここは通過点に過ぎません」

 

「言うようになっちゃって」

 

 マッサージチェアに揺らされながら星ノ宮先生はつまらなそうな顔をする。やはり内心では穏やかではないらしいな。

 

「でもどうなのかしらね、確かに堀北さんのクラスは成長著しいけどさ、色々とズルいと思う所もあるのよねぇ」

 

「チエ、余計なことを言うな」

 

「別にいいじゃないサエちゃん」

 

「思ったことをそのまま口にしていい訳ではないぞ」

 

「構いません、言ってください」

 

 他クラスの担任からの印象というのは客観的で別角度からの情報だと判断したのか、鈴音さんが先を促した。

 

「じゃあ遠慮なく。私はさ、クラスを受け持つ担任として常々思ってることがある。AクラスからDクラスまでの先生たちもまた、同じように競いあっている訳。例えて言うなら先生同士でトランプの大富豪をしていると思ってくれていいかな」

 

「大富豪……ですか」

 

「ルールはわかるよね?」

 

「えぇ、まぁ」

 

「配られた手札を使って、一位から最下位までを三年間で決めるわけなんだけど、大富豪は1から13までのカードを出し合うじゃない? 基本的には数字が大きければ強くて小さければ弱いわけでしょ? 3の数字しか持たない生徒が6の数字を持つ生徒と戦っても基本的には勝てない、そうだよね?」

 

「そうですね」

 

「真嶋くんのクラスなんかは最初からいいカードが揃ってる感じかなぁ、そしてDクラスになるにつれて弱いカードになっていく、まぁこれは学校のこれまでの通例みたいなものなんだけどさ」

 

 本当にそうなのだろうか? いや、確かに初期のDクラスは酷いものだったけど、纏まりが無かっただけで基礎的なスペックや成長率はもの凄く高かったように思える……なんて考えは、順調な今だからこそ言えることなのかもしれない。

 

「勿論生徒たちは日々成長していく、3や4の生徒たちだって場合によっては格上を倒せるかもしれない。それは推奨されることだし、だからこそクラス替えという制度がある……でも重要なのは平等に戦うことじゃない?」

 

「平等、ですか? この学校で最も縁遠い言葉のように思えますけど、まず最初に平等など存在しないと教えられた気がするのですが」

 

 そりゃそうだ、格差こそ教育というのがこの学校の在り方である。平等なんて入学する前から存在しない。

 

「もし本当に星ノ宮先生の言う通り平等な戦いが大切だと言うのならば、初期のクラス分けは能力を平等なるように配分すべきです」

 

「それを言われたらその通りだけど、これまではそれが通例だったのよねぇ。それに仮にそうなってもジョーカーの扱いに困っちゃうでしょ?」

 

「ジョーカー?」

 

「そ、なんにでも勝てるズルい札、それだけでルールやバランスが壊れちゃうようなカードがあれば、たとえ平等に振り分けても格差が生まれちゃうでしょ? その辺の所、笹凪くんはどう思うかな?」

 

「さぁ、どうでしょう。戦う相手がどれだけ強くても挑むことも勝つ為に全力を尽くすことは変わりませんから。まぁ、戦力過剰だと思うのならば、いっそそのジョーカーだけ隔離して一人だけのクラスを作るとかどうですか?」

 

「もし君がたった一人だけのクラスに振り分けられたらどうするのよ?」

 

「別に何も、今も言いましたがやることは何もかわりません……寧ろ、刺激的で楽しそうだと思います」

 

 大勢の敵に囲まれるのは、笹凪流にとってとても名誉なことだ。もし全クラスが敵になるとするのならば、それはきっと心躍る状況だ。

 

「ね? こんなカードがあるクラスはズルいと思わない? こっちがどれだけ頑張ってもそれ一枚だけでひっくり返っちゃう。しかも堀北さんクラスは一枚どころじゃなくて下手すれば複数枚あるよね、勝てるわけないよ」

 

「お前の発言の是非は別として、Dクラスの生徒に聞かれたらどうするつもりだ?」

 

 茶柱先生の言うことはまさにその通りだ。星ノ宮先生は自分のクラスの生徒たちを見限っているとも受け取られかねないだろう。

 

「……そうね、ごめんごめん。ちょっとお酒回っちゃったのかも。ジョーカーが幾つも手に入ったのはサエちゃんや堀北さんがラッキーだったから。それを使ってAクラスに到達しても、ズルなんかじゃないよね」

 

「嫌味な言い分ですね、こちらのクラスの苦労も知らないで」

 

「え~、でも事実じゃない?」

 

 鈴音さんは小さな溜息を吐く。

 

「確かに恵まれたクラスであることは認めます。きっと私一人ではここまでこれなかった。そう思わせてくれるだけで良い環境だと思います……ズルいと言われても否定できない部分もありますが、だからといって私たちのクラスの努力を全否定されても困ります。少なくとも、その言葉に憤りを覚えるくらいの努力は積み重ねてきました」

 

「……」

 

「私たちは私たちで色々な物を積み上げてここにいる。それはここにいる天武くんの力であり、他のクラスメイトの努力でもある。隣の庭は青く見えるのかもしれませんが、ただ自堕落に過ごして他人任せにしてきたわけではありません」

 

「そうね……ちょっと言いすぎたわ」

 

「それに……心配しなくても、一之瀬さんは必ず私たちの前に立ちふさがってきます」

 

「え?」

 

「まだ何も終わっていない。諦めているのは教師だけという話をしているんです」

 

 ちょっと棘のある言い方をしてから鈴音さんは再び瞳に闘志を宿してその場を後にする。目指すのは卓球場であった。

 

「はぁ~……若いって凄いね」

 

 星ノ宮先生は懐かしむようにそう愚痴る。老人全開な発言である、まだそこまでの歳でもないというのに。気分が落ち込むと急激に老いるのだろうか。

 

 私はああはなれない、そう思った段階で成長が止まって大人になるのかもしれないな。

 

「笹凪くんはどう思う?」

 

「帆波さんのことですか? それに関しては鈴音さんと同意見です。まだ何も終わってはいませんよ。これは余裕とか、そういう話じゃなくて、当人のやる気と情熱の話ですけどね。そしてこれは坂柳さんクラスや龍園クラスも同じことが言えます」

 

「へぇ」

 

「あ、信じてませんね? まぁ見ててくださいよ、俺たちも帆波さんたちも、坂柳さんや龍園たちだって……胸に情熱を秘めています」

 

「でも勝てるかどうかは別問題じゃない?」

 

「えぇ、けれど挫折して卒業するのと、全てを出し切って卒業することは大きく違います」

 

「私たちはそうはなれなかったわぁ」

 

「そうですか」

 

 茶柱先生もそうだけど、星ノ宮先生も色々と屈折した思いがあるということか。学生時代の三年間にずっと縛られるとか俺は絶対にごめんだけど、そんな風に思える人間ばかりではないか。

 

 人生の3パーセントに、残りの97パーセントを引きずられるなんて、少し哀れに思えてしまう。なんて考えも、誰もが割り切れるものではないのかもしれないな。

 

 俺たちの世代は悔いなく卒業を迎えられるだろうか?

 

 そんなことを思うのだが、結局、俺は一人前になる為に必要な三つは見つけられたので、後はやりたいようにやるだけなので気にするようなことではなかった。

 

 誰が挫折しようとも、もう無理だと泣いても、強引にケツを蹴り飛ばすだけなのだから。

 

 師匠曰く、もう無理だと泣き始めてからが本番らしい。

 

 

 

 

 

 



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修学旅行 7

 

 

 

 

 

 

 雪合戦、それは由緒ある戦い。

 

 雪合戦、それは誇りを賭けた戦い。

 

 雪合戦、それは冬の儀式。

 

 

 

 俺は迫る雪玉を固めた拳で打ち払う。それも一つ二つではなく十や二十といった規模であり、それは絶え間なく迫るので面制圧でも受けているかのような重圧であった。

 

 このプレッシャー、マフィアの大抗争に巻き込まれた時と同じだ。

 

 迫る雪玉は正面からだけでなく四方八方から迫って来る。絶えず、休ませず、隙間なく、まるでしっかり訓練を積み重ねた軍隊であるかのような追い込み方であった。

 

「いいかお前ら!! 隙間を作るんじゃねえ!! 壁だ、面制圧を意識しろ!!」

 

 龍園、君が指揮官か。こういったことに積極的に参加するとは意外に子供っぽい所があるよね。

 

「ではそちらのグループは雪玉供給班に加わってください。これを見本にして綺麗に作ってくださいね。あ、真澄さんですか、今すぐそちらのグループの人たちを連れて旅館の中庭まで来てください」

 

 

 支援班の代表は坂柳さん。この雪合戦に参加した生徒たちを適切に振り分けると、どこかに電話して追加の戦力を引っ張ってこようとしていた。

 

「笹凪天武の実力や限界を測るいい機会となりますね」

 

 森下さんもやる気を出して雪玉を投げつけている。昨日まで俺たちは仲良くやれていたと思うんだけど、あっさり攻勢を強めてきたね……橋本や金田や柴田までも参加しているので、ちょっと悲しい。

 

「皆、天武くんは強敵だよ。ただ真っすぐ投げるだけじゃダメ、二重三重に投げつけないと」

 

 そして帆波さんもあちら側の指揮官となっている。彼女曰く、森下さんと同様にどこが限界なのかを知りたいらしい。

 

 彼女が一声かけるとクラスは纏まるし、どうした訳か他クラスの男子たちも鼻の下を伸ばしてやる気を出しながらあちら側に付く。

 

 気が付けば俺は同学年の殆どを敵に回すという状況に陥っているのだった。

 

 迫る無数の雪玉をまた拳で打ち払っていく。しかし二重三重に重ねられた面制圧は二本の腕だけではなかなか難しい。しかしそんな言い訳で相手が待ってくれる筈がないので、押し通すしかない。

 

 まずは境界を作る、自分を中心に感覚を広げていけば様々なことを感じ取れるようになる。後はその境界に踏み入ってきた物体を正確に排除する。

 

 見るのではなく感じるのだ。見て対処するのではなく感じて対処するのだ。それは迎撃というよりはどこか詰将棋のようにも思えて来る。正確な手順で、正確な順番で雪玉を排除していく。

 

 打ち払うべきものは全て拳で破壊する。命中しないものは無視する。時には破壊することなく敢えて逸らして迫る他の雪玉にぶつけて軌道を変えたりもする。

 

 そうやって二重三重の面制圧を潜り抜けていくのだ。激しい攻勢ではあるがまだクリーンヒットはない。

 

 そして心配する必要もなかった。孤軍奮闘の状態ではあるのだが俺には心強い味方がいるからな。そう、こんな状況でも恋人の鈴音さんならば手を貸してくれる筈。

 

 なんて淡い希望を込めて鈴音さんに救援の視線を送ってみると、彼女は深く考え込んでから真っすぐ雪玉投擲班に加わるのだった。

 

「す、鈴音さん?」

 

「ごめんなさい天武くん。けれど私は貴方を守るだけでなく隣に並び立ちたいと思っている。そう、私は貴方にも勝ちたいのよ」

 

 なんてことを言いながら彼女は俺に雪玉を投げつけてくるのだった……俺たちは恋人同士だよね?

 

 どうしてこうなってしまったんだろうか……最初は旅館の中庭で平田たちがちょっとしたポイントを賭けて行う規模の小さな雪合戦だったのに、気が付けば抗争と言った規模になってしまっていた。

 

 龍園がポイントを賭けることに目を付けて来たからだろうな。奴は参加費を高騰させて俺にポイントを要求してきたのだ。

 

 参加費は1万ポイント、勝てば倍になって返って来る。負ければ取り分の全ては俺が持って行っていい。正直不公平な勝負ではあるけど挑まれた以上はしっかりと対応するだけだ。

 

 もし俺が負けた場合参加者全員に2万ポイントを支払う訳だけど、まぁ勝てば参加費の全てを貰えるんだから文句はない。

 

 そんな感じで平田たちがやっていたこじんまりとした雪合戦は、結構なポイントを賭けた大規模なものとなってしまったのだった。

 

 いいさ、勝てば百万以上の儲けになるし、負けても二百万程度ならば痛くもかゆくもない。何より大勢の敵に囲まれる状況は笹凪流にとって名誉なことである。受けない理由がなかった。

 

 勝利条件は制限時間まで粘るか、クリーンヒットを避けること、逆にあちら側は一発でもクリーンヒットさせれば勝利となる。

 

 公平さも平等さも俺は戦いに求めない。やってやろうじゃないか。

 

 なんてことを思ったのが十分前のこと、俺のメンタルは恋人まで敵に回ったことでちょっと悲しい感じになっていた。

 

 だからといって、負けてやるつもりは欠片もないけれど。

 

 気持ちを切り替える、自分を中心に広げた探知領域に侵入した雪玉は九割を迎撃して残りの一割は敢えて弾いてビリヤードのように玉の衝突を連鎖させて道を切り開く。

 

 クリーンヒットの定義は人それぞれだろうが、明らかな命中であれば龍園は必ず難癖をつけて来るだろうからしっかり迎撃しないといけないな。

 

 時に深く根を張った大樹のように揺らぐことなく立ち続け、時に風に運ばれる花弁のように軽やかに回避する。しかし相手もより強く分厚く攻勢を強めて来るのだった。

 

 自然と師匠モードに移行する。より広くなった自分の探索範囲に侵入してくる全ての雪玉を迎撃していくのだが、それで怯むような敵でもなかった。

 

「雪玉供給班、補給を途切れさせてはいけませんよ」

 

 坂柳さんがいる限り後方からの供給は途切れなさそうだな。今も暇そうなクラスメイトたちを呼びつけて戦力を増やしている。そして絶え間なく供給される雪玉は常に龍園が率いる投擲班に渡されることになる。

 

 鈴音さんや帆波さんも自分のクラスメイトを指揮しながら俺を休ませようとしない。壁を背にして正面のみに集中しようとしても先を読んでいたのか壁際には生徒が配置されていた。

 

 君たち普段はもっとバチバチにやりあって仲が悪いよね? なんで今この瞬間だけは一致団結しているのさ。

 

「皆知りたいのですよ、貴方を本当に倒せるのか否か」

 

 坂柳さんが不敵に微笑む……いや、そんな絶対に勝てないラスボスじゃないんだからさ。俺だって普通に殺されれば死ぬし、できないことの方が多いんだけど。

 

 そんな言い訳はこの場に集まった俺に勝ちたい生徒たちには通じないらしく「何としてでもアイツに泥を付けてやる」と意気込みながら次々と四方八方から雪玉を投げつけてくるのだった。

 

 酷い話だ、バグ満載のボスキャラをどうすれば倒せるのか検証でもしているかのような有様である。そうまでして俺を倒したいとか思われても困る。

 

 そもそもこれまでの特別試験だって別に完勝ではなかった筈だけど、何故ここで一致団結してまで俺に勝ちたいのだろうか。

 

「ふぅ~」

 

 だがまぁ、やると決めた以上は勝つ為に最善を尽くすとも。大きく深呼吸して更に集中を高めて師匠モードを強固にしていけば、迫る雪玉がスローになっていく。

 

「チッ、後ろにでも目が付いてんのかテメエは」

 

 背後から迫る雪玉も全て排除する。正確にはビリヤードのように玉を一つ弾いて連鎖させることで命中する軌道にある雪玉を全て弾くのだ。

 

 そんな芸当を見せると龍園が舌打ち交じりに呆れたような顔をした。しかしこちらの動きを注意深く観察はしており、どこを突くべきかをしっかりと見定めているようだ。

 

 それは後方の指揮をしている坂柳さんも同様であり、こちらは慎重に詰将棋をするかのような雰囲気がある。俺に雪玉をクリーンヒットさせる為にそこまで大真面目にならなくても良いと思う。

 

 どんな形であれ俺の限界を知りたい、森下さんもそう言っていたか、これから戦う相手の上限や限界を知ることが作戦や戦略を考える上での大前提であるとするならば、あちらはまさにそれを知りたいのだろう。

 

 逆に上限を知らないまま挑むことはなかなか難しい。数字が百だろうと千だろうと「わからない」よりはマシと判断したのかもしれない。無人島での三年生たちの襲撃でざっくりと推論はあったが曖昧なものでしかない。

 

 どこが限界なのか、この雪合戦はそれを知るための龍園たちなりの苦肉の策ということか。

 

 いいだろう付き合おうじゃないか、わざわざ勝利を譲るつもりもない。こちらの全身全霊で迎え撃つ。

 

 龍園たちも当然ながら全力だ。こちらの性能と上限を測る為にそれはもうしつこく攻勢を高めていく。四方八方から押し寄せる雪玉は勢いと密度を増すばかりだ。

 

 それら全てを対処していく。躱していなして粉砕して蹴り返して弾いて連鎖させて、その繰り返し。

 

「クソが、坂柳、もっと人手を集めて来い!!」

 

「言われるまでもありません、既に招集済みです」

 

 このまま時間制限まで粘る。しかしあちらの手数は増えるばかりだ。いつのまにかほぼ同学年全員が集まって俺を倒そうとしていた……レイドボスか何かかな?

 

 それとも内心では皆、俺を倒したいと思っていたのだろうか? だとしたら嬉しいような悲しいような複雑な気分になってしまう。鈴音さんもあっち側に立ってるし。

 

 だが簡単に負けてやるつもりはない。たとえ相手がほぼ同学年全員だとしてもだ。迫る雪玉はもはや絨毯爆撃みたいになってるけどそれでも凌ぐしかない。

 

「手を緩めないで、いくら天武くんでも必ずどこかで意識が緩むはずよ!!」

 

 何が悲しいって恋人があちら側にいることである。俺たちは上手くやれてたと思うんだけど、どうやらまだまだ彼女を理解できていなかったらしい。

 

 しかし、どんな形であれ俺に勝ちたいと思ってくれる向上心は素晴らしいと思ってしまうのだから、俺は俺で面倒な男なのかもしれない。

 

 いやほら、恋人が俺を超えて行ってくれるとか、凄く嬉しいからさ。

 

 別にそれは鈴音さんだけの話でもなく、クラスメイトたちや同級生だって同じことである。

 

 傲慢な話だけど、俺を超えていって欲しいと願っていた。なんて言うのはちょっと偉そうではあるけど偽らざる本音であった。

 

 そして、だからこそ、ただの雪合戦であっても簡単に超えられる訳にはいかないのだ。

 

 負けたくないと言う思いが、より集中力を高める。森下さんは俺が本気で戦いに挑んでいないのではと疑っていたのだがそんなことはない。

 

 少なくとも俺はそれなりの負けず嫌いではあるので、こんなことであっても師匠モードにはなるさ。

 

 集中力が高まる度に師匠モードも鋭くなっていく、それに引っ張られるように雪玉の密度も濃くなっていく。制限時間まであと五分ほど、なんとかこのまま粘り切るしかない。

 

 たかが雪合戦、しかしやっている俺たちは真剣そのものだ。遊びだと思っている者は一人もいない。これはもう特別試験である。

 

 残り三分ほど、視界の端に坂柳さんを捉え供給される雪玉の数をざっと推測した後、投擲班の数と位置取りを観察してラストスパートの展開を推測していく。

 

 いけなくはない、もう数人程数が増えれば厳しくなるかもしれないが、ざっとはじき出した計算は俺の勝利を示していた。

 

 このまま勝ち切る。最後の攻勢とばかりに雪玉供給班も雪玉を持って投擲班に加わって来たことで、いよいよ視界が雪玉で埋まることになってしまうが、もう計算は終えている。

 

 大量の雪玉は言わば三次元的なビリヤードに見立てればいい。最初に俺に到達した雪玉を掴み取ると、それを投げつけて次の雪玉の軌道を変える。弾かれたそれはまた別の雪玉にぶつかって、それはまた別の雪玉に影響を与える。

 

 隙間なく投げつけられる雪玉は人の生きる隙間はない。だがこうして連鎖して弾いていけばどうとでもできる。それこそ雪玉一つあれば百個の雪玉を支配できた。師匠モードの演算力ならば即座にそれくらいのことはできるのだ……入学したばかりの頃ならば絶対に不可能なことだったので、そう考えると俺も成長できたということだろう。

 

 計算に狂いはない。投擲班の人数、雪玉の数、位置取り、OAAの数値から推測される投擲力、目に見えない無数の数字を積み重ねていき、俺は手に持った雪玉を弾き出した計算通りに投げつけた。

 

 すると三次元的な連鎖が始まる。俺はもう防ぐことも躱すこともしない。空中で次々とぶつかって軌道を変える無数の雪玉たちは、ただ一つとして俺に届くことはなかった。

 

「よし、これで勝……」

 

 とはならなかった……何故か計算の外にあった雪玉が俺の顔面に命中したからだ。

 

 

「鶚忍術……なかなか使えるな」

 

 

「き、清隆……いつのまに」

 

 俺の鼻先に雪玉をぶつけて来たのは清隆であった。この瞬間まで気配をまるで感じなかったけど、君も参加してたの?

 

 いや、龍園がニヤニヤといやらしい顔をしていることから、最初からあの雪玉攻勢は囮だったということか。清隆を計算の外に置くための派手で目立つ旗でしかなかった。

 

 いや、待て、だとしてもしっかり感知できるはずだけど、今の清隆はやけに希薄な気配しかない。まるで九号が身を隠している時のように。

 

 もしかして君たち隠れて鍛錬とかしてた?

 

 なんてことを思いながら俺は倒れ込むことになる。追撃とばかりに雪玉が殺到して敗北することになるのだった。

 

 まぁこれも良い経験である。旅行先でのちょっとした思い出にもなるだろう。しっかりと受け入れるとしよう。

 

 なんだかんだで楽しかったからヨシとしよう。

 

 俺もまだまだ未熟ということだな、とても当たり前のことをまた改めて理解したのだった。

 

 

 

 

 



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修学旅行 8

修学旅行編はこれでおしまい、次は小話となります。


 

 

 

 

 

 

 どうやら同学年の生徒たちからは俺は「完全に改造人間派」と「絶対に遺伝子操作をされて幼少期から特殊な訓練を積んだエージェント派」に分かれていたらしい。どちらにしても勝てない相手と認識されていたとのことだ。

 

 しかし今朝に行われた雪合戦で敗北したことによって「ギリギリ人間派」が新しく生まれたそうだ。絶対に勝てない相手から何とかすれば勝てる相手と認識されたらしい。

 

「お前も人間だったんだな」

 

 なんてことを嬉しそうに橋本は言ってくる。

 

「ちょっと失礼じゃないかな」

 

「いやいや、サイボーグとかロボ忍者とかダブルオーナンバ―持ちのジェームズボンドだとか色々言われてたけど、さすがにあれだけ囲まれてたら隙くらいは生まれるってわかっただけでも儲けもんさ」

 

「まぁ他クラスの人からしてみればそうなのかもしれないね」

 

 弱点、とは少し違うけど、できないことがあって処理能力の限界もあることを知れたのだ。それは確かに橋本の言う通りこれから戦わなくてはならないクラスからしてみれば嬉しいことなのかもしれない。

 

 絶対に勝てないと思っていた相手も、結局は人間であり限界があると知れたのだから。これまではどこか暗中模索であったのかもしれない橋本たちからしてみれば朗報である。

 

 実際に、俺ににこやかに話しかけて来る彼は「よかった、絶対に倒せないバグキャラじゃなかった」と言いたそうであり、森下さんもそれは同様だ。これまでは勝ち方の分からない負けイベントみたいな扱いだったのかもしれない。

 

 まぁ橋本も森下さんも上機嫌なので俺は嬉しいよ。怖がられたり警戒されるよりもずっと距離感が近く感じられるからな。

 

 これまではなんというか、ちょっと警戒されて怖がられていたのだが、やっぱり人間は欠点のある方が親しみを感じるということなんだろうか。

 

 金田や柴田とも昨日より仲良くなれたというか、心理的な距離が近くなったように思えるので、やっぱり内心では怪物扱いされていたんだろう。

 

 けれどあの雪合戦で怪物から改造人間辺りに認識が下がったらしい。仲良くなれたのならばそれは喜ぶべきことである。

 

「さて、思わぬ形で朝は動いたけれど、いよいよ修学旅行も最終日なんだ。悔いなくしっかり楽しもうか」

 

「だなぁ……でもあっちは相変わらずバチバチにやりあってるぞ」

 

 柴田が視線を向けた先には、上級者コースを勢いよく滑っていく女子チームの姿があった。森下さんを除く三人、鈴音さんと伊吹さんと帆波さんは今日も相変わらずバチバチにやりあっていた。

 

 修学旅行最終日の本日、俺たちは昨日とは異なりゆったりとスキーを楽しむ方針となったのだが、女子チームの闘争心は変わらず発揮されているのでどこか慌ただしい感じとなっている。

 

「まぁあれはあれで楽しそうだから問題はないさ。俺たちもせっかくだから上級者コースでも滑ろうよ」

 

 初心者コースは修学旅行初日で滑った経験からもう大丈夫だろう。せっかくのスキーなので上級者コースを滑りたい。

 

 他のメンバーも異論はなかったのか、凄まじい速度で滑っていった三人を尻目に移動レーンに腰かけてコースの上まで進むのであった。

 

 金田と森下さんはまだまだおっかなびっくりといった感じではあるが致命的な転倒まではいかない。経験者かつ運動能力もある橋本と柴田は問題なく滑れている。

 

 俺も柴田や橋本の滑りを吸収しながら、他にも上級者コースを滑っている観光客の動きも吸収しておけば問題なく滑ることができた。

 

 初心者コースと異なり斜面は急で凹凸もあるのだがこれがなかなか面白い。勢いも付くので技術や経験も求められる。いきなり初心者に滑らせることはできないが、グループのメンバーは上手くやれているらしい。

 

 柴田はチラチラと激闘を繰り広げている帆波さんに視線を送って、橋本は森下さんにちょっかいを出しながらもゆったりとスキーを楽しんでいる。金田はというとまだまだ勢いよくとはいかないのか、慎重に滑っているのがわかった。

 

 鈴音さんと伊吹さんと帆波さんは相変わらずだけど、怪我だけはしないで欲しいと願う所だ。

 

「旅行も良いもんだな」

 

 普段は海の上にある人工島の牢獄みたいな学園にいることから余計にそう思うのかもしれない。何不自由ない環境ではあるのだけれど、なんだかんだで窮屈な思いを抱いていたのだろうか。

 

 いや、それも当然か、学園に来る前は師匠と一緒に色々な場所に足を運んでは死にそうな思いをしていたのだから、平和で安全な学園での生活はどこか武人としての感覚を錆びつかせていったのかもしれない。

 

 別にそれは悪い訳でもない。同時に人として確かな成長も感じられるからだ。

 

 贅沢な話である。そして恵まれた話でもあった。

 

 スキーコースの出発地点で昔の生活を思い出しながら少しだけ溜息を吐く。白い吐息となって広がっていくのがわかった。

 

 旅行を楽しむだけの余裕がある生活はいいものだ。そう考えるとこの学園に来てよかったということだろう。

 

 もう二年生も終わりが近い、すぐに俺たちは三年生となって卒業を意識する最後の学年となる。

 

 どうなるだろうか、やることは決まっているけどなんだかんだで卒業を意識すると寂しいものを感じてしまうのだから、この学園での生活を楽しんでいるということなのかもしれない。

 

 友人もできた、仲間にも敵にも恵まれた、そして恋人もできた。

 

 俺と師匠と敵だけで完結していた狭い世界はもう終わっていて、少しは成長できたとは思っている。

 

「……後一年とちょっとで卒業なんだな」

 

 なんて呟きは白い吐息と一緒に空中に溶けていく。

 

 入学する前の俺を思い出すとちょっと苦笑いが浮かんでしまう。あまりにも視野が狭かったなと。武人としての性質が強すぎて人としては本当に未熟で幼かったな。

 

 今もそれはあまり変わらないような気もするけれど、武人としては錆びて人としては成長できたのかもしれない。今にして思えば師匠は人として俺に超えて欲しかったのかもしれないと考える。

 

 いずれあの人を超えなくてはならないけれど、それは兵器としてではなく、人として為さねばならないことなのかもしれない。

 

 それに気が付かせてくれただけでも、この学校に来てよかったのかもしれない。色々な人を知ることで、武人ではなく人として成長することができたのだから。

 

「天武くん、物思いに耽ってどうしたのかしら?」

 

 これまでとこれからを思っていると、スキー場の移動リフトから鈴音さんが降りて来た。

 

「いや、俺たちも高校生活が半分以上が過ぎてるんだなって思ってさ」

 

「あぁ……確かに、後一年と少しで卒業なのよね」

 

「早いような、長いような、奇妙な一年半だなって感じるね」

 

「充実しているということよ」

 

「うん、その通りだと思う」

 

 スキーコースの一番上に立ってコース全体を見下ろすと、俺たち以外にもチラホラと修学旅行最終日にスキーを選んだ生徒たちの姿が見える。

 

 清隆の姿もあるな、オリンピック選手みたいな動きで滑っている。ここ最近、清隆の超人化が止まらない。なんか知らない内に九号の技術も吸収しているし、卒業する頃には完全にゴリラになっているんだろうな。

 

 清隆のお父さんは苦労すると思う「どうしてこうなったんだろう」って頭を抱えるのかもしれないな。今でさえ完全にコントロールから離れてるだろうし、今の清隆を計算通りとは口が裂けても言えないだろう。

 

 卒業したら卒業したで苦労することになるんだろうな。今の清隆なら平然と海に沈めてきそうだし、捕まえようとしても暴力で封殺される可能性もあった。

 

 もうホワイトルームの運営なんてやめて、真面目に働くべきだと思う。政治家が一発逆転を狙ってる時点でもう駄目だと俺は思う。どうせツッコミ所満載の人なんだから政治家になっても長続きしないだろうし。

 

 ある意味では自分のこと以上に清隆の卒業が気になるな。将来どうなりたいとか、こうしたいとか、そういう展望があるんだろうか?

 

 でもまぁ大丈夫か、しっかりしているし能力もある。邪魔する誰かをぶん殴って黙らせるだけの力もあるので大抵の願いは叶うだろう。やっぱり自由とは腕力ということだ。高度に研ぎ澄まされた肉体は魔法と変わらないとは師匠の言葉であった。

 

「ところで鈴音さん、もう勝負は良いのかい?」

 

「えぇ、だからここにいるのよ」

 

 どうやら伊吹さんと帆波さんとの勝負を越えてここにいるらしい。あのデッドヒートを征して勝者となりようやく満足したということだろうか。

 

 どこか満足そうな顔をしている鈴音さん、かなりの激闘であったことだろう。負けず嫌いな所も素敵だと俺は思うよ。

 

「勝てたんだ」

 

「当たり前でしょう。だからここにいるのよ」

 

 鈴音さんはスキーコースの上からゴール地点を眺める。そこにはちょっと悔しそうな顔をした帆波さんがいてこちらを見ているのがわかった。どういうやり取りがあったのかはわからないが、勝ったからここに来たということなんだろうか?

 

 よくわからないけど、鈴音さんは満足そうなのでいいか。

 

「ねぇ、一緒に滑らない?」

 

「勿論、俺も一緒に滑りたいと思ってたんだ。せっかくの修学旅行なのに鈴音さんはずっとバチバチにやりあってたから寂しかったんだ」

 

「それは悪かったわね。でも負けられない戦いがあったのよ……もしかして、呆れられた?」

 

「いいや、負けず嫌いな君も魅力的だよ」

 

「……そういうことをシレっと言うのは止めなさい。ほら、行くわよ」

 

 少し照れた様子の鈴音さんは俺を肘で突いてから滑り出す。遅れる訳にはいかなかったので後を追うようにストックを動かしてこちらもまた滑り出すのであった。

 

「上手くなったね」

 

「どれだけ勝負したと思ってるのよ、もう慣れたわ」

 

 上級者コースであっても軽快に滑る姿はさすがの成長力である。やっぱり彼女は飲み込みが早い。

 

「貴方も随分と巧みに滑るのね、経験がないと言っていなかった?」

 

「見て知って蓄えたのさ。一度見て覚え、二度見て知れば、三度見て盤石となる」

 

「……そう」

 

 何故か呆れられてしまった。清隆や九号ならば確かにと頷いてくれるというのに。

 

「でもいいわ、それだけ滑れるならいい勝負になりそうね。今から私と勝負しなさい」

 

「ん、なんか最近の鈴音さんバトルジャンキーになってない?」

 

「バ、バトルジャンキーッ!? 何を言ってるのよ、そんなことある訳ないでしょう」

 

 いや、完全に噛みつきまくっている。伊吹さん並の狂犬ぶりである。

 

「ずっと勝負勝負って言ってることに気が付いていないのか。いや、良いんだけど、さっきも言ったけど負けず嫌いな君も素敵だよ」

 

「だ、だから、そういうことを言うのは止めなさい……ぁ」

 

 彼女が言い訳をしている間に俺は先に出て速度を速めていく。

 

「お先に失礼」

 

「ひ、卑怯よ!!」

 

「おやおや、もう走り出しているのに卑怯もなにもないだろう? スタートを切ってるのにどうして速度を合わせる必要があるのさ。あ~、勝ったら何をしてもらおうかなぁ」

 

「くッ……良いでしょう、私が勝ったらまたメイド姿になってもらうわよ」

 

「それだけは絶対にごめんだから負けられないな!!」

 

 修学旅行の最終日、何故か俺は恋人とガチバトルをすることになるのだった。負ければ天子堕ちなので絶対に勝たなくてはならない。

 

 修学旅行が始まる前はもっと恋人との甘い時間を妄想してたりしたけれど、これはこれで楽しいので問題はないか。

 

 卒業してからもこうして旅行してみたいものだ。そう思える時間だったのできっと充実していたということなんだろう。

 

 学校に帰ればまた特別試験が待っているだろうし、今はしっかり楽しむべきだ。きっとそういう時間を知れば知るほど俺は人として成長できるから。

 

 それを理解して欲しくて師匠は俺をここに送り込んだのかもしれない。最近は特にそう思うようになった。

 

 人を知り、己を知る。天下無双の漢とはまずそこから始まるということだ。

 

 

 

 



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小話集

章と章の間にある小話となります。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「鶚忍術」

 

 

 

 

 

 忍者とはなんだろうか? いや、知識としては当然知っている。中世時代の日本にいた諜報要員の総称、もっと現代的な言い方をするならばスパイやアサシンのようなものなのだろう。

 

 実際の仕事は偵察であったり物価や市場の調査だったりであったらしいが。一般的なイメージとしては真っ黒な姿で暗闇に潜んでこっそり襲い掛かって来る存在だ。

 

 近年では漫画や映画の影響でビームを出したり魔法めいたこともできるようなイメージが持たれているのだろう。実際にオレも池から借りた国民的忍者漫画で似たようなイメージを持っていたりする。

 

 しかし結局はフィクションだ。忍者とはこの現代社会では既に空想の産物でしかない。或いは娯楽的なキャラクター程度だろう。侍がいないように忍者も現代社会にはいないのだ。

 

 だがそんな常識を覆す奴が後輩に一人いる。大真面目に「職業忍者」を名乗っている鶚銀子という存在が。

 

 天武も当然の如く忍者として扱っていて、最初はツッコミ待ちなのかと思っていたのだが、大真面目に忍者であった。

 

 ホワイトルームにはいなかった存在であるので素直に興味深い。鶚や天武を見ているとあの場所は随分と常識的な考えで運営されていたのだと感じるほどに現実感のない連中である。

 

 ホワイトルームからでなければ忍者とも出会えなかったのだ。やはり実際に見て知ってが必要ということだろう。あのままホワイトルームにいたままだと、オレの中では忍者はいつまでもフィクションの存在であった。

 

 そう、フィクションの中にしかいなかった忍者がいるのだ、これを興味深いと言わなくてなんと表現すべきなのだろうか。

 

「なぁ、ビームを出せるのか?」

 

「は? パイセン、何言ってるんっスか?」

 

 学園島の片隅、普段は桜並木で隠されている空間、オレと天武がよく模擬戦をしたりする場所で鶚は今日も鍛錬をしていた。文化祭でも使っていた先端を尖らせた竹を地面に突き立てると、その先端に飛び乗って器用にもそこで体操を繰り返している。

 

 あんな高所で足場の不安定な場所でよく体操ができるものだと感心しながらも、オレは興味のままに色々な質問をしていく。

 

「じゃあアレはどうだ、こう、螺旋的な奴」

 

「……」

 

 竹の先端からこちらを見下ろす鶚は何故か呆れたような顔をしている。

 

「九尾になったりとか」

 

「……」

 

「炎や雷を操ったりとか」

 

「……」

 

「なら影分身はどうだ?」

 

「あ、それならできるッスね」

 

「できるのか!?」

 

 驚愕である。フィクションが現実に屈した瞬間だ。オレは漫画の中にしか存在しない妄想が現実になったことに素直に喜ぶ。

 

「ウチの師匠は平然と増えやがります」

 

「うん? 鶚はできないのか?」

 

「師匠ほど上手くはできないッスけどある程度は……いや、まぁ影分身って言っても綾小路パイセンが思ってるようなとんでもパワーで実際に増えるとかじゃなくて、体捌きと瞬発力と気当たりによる錯覚ッスけどね。ファンタジーじゃね~んですから」

 

 それは十分にファンタジーの領域なのでは? そんなツッコミをしても無駄な相手なので黙っておこう。

 

 鶚は竹の先端から降りてきてフワリと着地する。そしてこちらを真っすぐ見つめると、突然に勢いよく踏み込んできた。

 

 真っすぐ突っ込んでくる、そう思ってオレは咄嗟に構えるのだが、それがフェイントであり、独特のステップと緩急をつけた攪乱であったことで迎撃は無意味となった。

 

 常人離れした瞬発力で視界から外れたかと思いきや、突然に姿を現す。その繰り返しに加えて絶えずこちらの急所を狙うような牽制も織り交ぜられていく。

 

 とてつもなく素早いような、とてつもなく遅いような、独特の攻勢が続くとオレは不思議と多対一になっているような感覚に陥ることになる。

 

「……なるほど」

 

 遅かったり早かったり、気配が鋭かったり薄かったり、後ろにいるような気がしたり前や側面にいたりするような錯覚を覚える。

 

 複数人から襲われているような錯覚を覚えさせる、これが鶚のいう影分身なのだろう。

 

 実際に来るとわかっていなければ、相手が複数いると思ってしまうのかもしれない。

 

「まぁこんな感じっスよ。ウチの師匠や上忍たちはもっと上手くやるでやがります。それこそ本当に分身しているみたいに」

 

「面白いぞ。ホワイトルームでは習わなかった技術だ……忍術か、興味深いな」

 

「お、興味があるのならばパイセンも習ってみますか?」

 

「教えてくれるのか?」

 

「会費が必要ッス」

 

「……ポイントが必要なんだな」

 

「初回サービスってことで百万ポイントで良いッス」

 

「高い……高いな」

 

 ぼったくり価格という奴だ。怪しい宝石を売りつけて来る連中でももう少し遠慮するんじゃなかろうか。

 

「いやいやよく考えてくださいッス。綾小路パイセンはさっきこう言いました。ホワイトルームでも習えなかった技術だと」

 

「確かにな」

 

「仮にもあの場所は最高峰の教育と訓練をできる場所ってことでやがります。実際に元オリンピック選手とか軍人とかプロの格闘家がいたんでやがりましょう? そんな連中が忍術を教えてくれましたか?」

 

「む、そう言われると、とても貴重な技術のように思えるな」

 

「むふふ、そうっスよ、これはお得な話でやがります」

 

 ふむ、まぁポイントには余裕があるので百万くらいならば何も問題はないが……いや、貴重な技術と経験を百万程度で買えると開き直る場面なんだろう。

 

 せっかくの機会なので俺は鶚から忍術を習うことにした。通信空手ならぬ通信忍術という奴なのかもしれない。

 

 その日から天武から教わった改造訓練に加えて忍術を習うことになった訳だ。オレはどこに向かおうとしているんだろうと疑問に思ったのだが、ホワイトルームでは得られない物を得る為にこの学園に来たので、これはこれで良いんだろう。

 

「まぁ忍術と言っても大したもんじゃね~です」

 

「そうなのか?」

 

「えぇ、要は数ある武術体系の一つ。空手を極めようとも柔術を極めようとも、行きつく先は結局同じでやがります。そう考えると名前が違う程度の差ッスよ」

 

「ほう」

 

「はい、最終的に鍛えて敵をぶっ殺す。それを達成する為の手段の一つが忍術でやがります」

 

「なるほど」

 

「高度に研ぎ澄まされた肉体は魔法と変わらないとはウチの師匠の言葉でやがります」

 

「わかりやすいな、最近は特にそう思うようになったぞ」

 

「うむうむ、この世の真理ッスね」

 

 ホワイトルームにいた頃は絶対にそんなことは思わなかったので、オレもここに来て成長したということだろう。

 

 こうしてオレは鶚と鍛錬を重ねることになる。竹の上で体操したり、筋肉の作り方や改造のやり方のアドバイスを貰ったり、怪しい薬を飲まされて内臓をグチャグチャにされたり……死ぬかもと思ったが強くはなれたと思う。

 

 特に内臓グチャグチャの件は悪くなかった。血反吐を吐くことになったがそれを乗り越えたらとてつもなく頑丈な内臓になったんだからな……オレはどこに向かっているんだろうか?

 

「エイドリアーンッ!!」

 

「それはなんなんだ?」

 

「前に一夏ちゃんと見た映画では、辛い試練を乗り越えたらこう言っていたッス」

 

 なるほど、そういうものなのか。

 

 不思議な納得をしたオレは鶚と同じように地面に突き刺した竹の先端で体操をしながら同じ様に叫ぶ。

 

「エイドリアーンッ!!」

 

 ホワイトルームではこんな経験ができなかっただろうな、それだけは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「気が付いたら賞金首になっていた件」

 

 

 

 

 

 

「師匠って何歳なんですか?」

 

 

 いつの頃だったかな、ほんの気まぐれで俺はそんな質問をしたことがある。

 

「ごばぁッ!?」

 

 まぁ次の瞬間には吹き飛ばされて神社の正面門を貫通してそのまま長い石階段を百メートルほど転がり落ちることになったんだけどさ。

 

「おっとすまない、つい力が入ってしまった……だが弟子よ、女性に年齢を訊くのはマナー違反という奴だ、今後は気を付けるといい」

 

「わ、わかりました」

 

 全身打撲の状態で殴り飛ばされた地点まで這い戻ってから説教を受けることになる。偶に師匠は鍛錬の途中でこんな風に殴り飛ばしてくるのでもう慣れたものであった。俺も頑丈になったものだと思う、まぁもう十三歳だから成長期という奴なんだろう。

 

「けれど気になってしまって、なんか神社の蔵にある写真とか見ても全然外見が変わってませんよね」

 

「ふむ、まぁ別に教えること自体は構わないが……正確にはわからないのだよ」

 

「自分の年齢がですか?」

 

「そうとも、二百歳くらいの時に数えるのを止めてしまったのでね」

 

「……二百歳? さすがにおかしくありません」

 

 師匠は作ったばかりの大きな石工仁王像をこちらに投げ渡してくる。それを受け取って背中に背負うと、俺はスクワットを始めた。

 

「長生きしているのでな」

 

「いやいや、長生きしすぎですって」

 

 そして師匠は、俺が背負っている仁王像の上に飛び乗って、そこで瞑想しながら体操を始めるのだった……いつもの修行風景である。

 

「人間ってそこまで長生きできませんよね? なにか特別な健康法でもあるんですか?」

 

「別に特別なことは何もしていない。正しい食事、正しい鍛錬、正しい瞑想、正しい呼吸、ごくごく一般的なことだ。一般的な人間であっても、不摂生で怠惰な者よりも運動を欠かさずバランスのいい食事を心がける者の方が長生きするだろう。それと同じことだ。益寿法という奴だ、現代風に言えばアンチエイジングだな」

 

「だとしても長生きです……というか、正しいって言葉の前に極まったって表現が引っ付きますよね?」

 

「うむ、その通り。突き詰めれば鍛錬あるのみだ。極まった鍛錬を繰り返せば誰もが長生きできる……しかし弟子よ、そうも怪しむとは君は私に長生きして欲しくないというのか?」

 

「そういう訳じゃないですけど」

 

「気分が悪いので重量を追加だ」

 

 師匠がどこからか追加の仁王像を引っ張って来る。そしてまた俺が背負っている仁王像に飛び乗って同じようにスクワットを始めるのだった……いつのまにかこういう扱いにも慣れて来た自分が怖い。

 

「因みにですけどいつくらいに生まれたんですかね……幕末とか?」

 

「いや、戦国時代だ」

 

 うん? おかしくないか? いや、幕末生まれとか言われてもかなり頭がおかしいんだけどさ。

 

「いい時代だったなぁ……右を見れば戦場があって、左を見れば戦場があった」

 

 懐かしむようにそう言いながら師匠は俺が背負っている仁王像の上で同じサイズの仁王像を背負ってスクワットをしている。この人も思い出に浸ることとかあるんだな。

 

「戦う相手にも困らなかった。武士も坊主も夜盗も山のようにいたのでな、どれだけ殴って蹴り飛ばしても数が減らなかった……うむ、本当に良い時代だった」

 

「そ、そうですか」

 

「特に坊主はいいぞ、一人殴れば蛆のように湧いて出てくるからな。どこどこの宗派だとか、親の仇だの師匠の仇だの、分派だの総本山だの、下手な武士よりも手強かった」

 

 まるで釣った魚の大きさを自慢するかのような口調である。

 

「あの頃は私も若かったのでよく寺を焼いていた、ついでに神社もな」

 

「何故そんなことを?」

 

「米も金銀財宝も山のようにあったのでな、ある所から奪う、そういう時代であったのだ」

 

 そこで俺はスクワットをしながら師匠が寺や神社を襲撃して次々坊主や破戒僧を吹き飛ばす光景を思い浮かべる。最終的には蔵にあった米俵や金銀財宝を奪った後に火責めとかしてそうだなっと変な納得をすることになった。

 

「寺や神社の襲撃は良いことづくめだぞ。米は大量にあるし何より敵に困らん。次々と刺客が現れては返り討ちにして、そいつらが持ってる銭や食い物をまた奪う訳だな」

 

 思考が完全に追いはぎのそれである。まぁ師匠は力こそパワーな感じの人だし不思議ではないか。

 

「敵に困らず、食い物に困らず、銭に困らない。坊主に捨てる所無しだ」

 

 きっと散々迷惑かけたんだろうなぁ、看板とか定期的に奪って燃やしてそうだ。

 

「平和な時代になるまではずっと坊主を殴り続けていたな……敵の絶えない良い時代だった」

 

「そうですか」

 

「寺も神社もよく燃えるんだ、一度アイツらを捕まえて目の前で看板を焼いてやった時は傑作だったぞ……うむ、昔話をしていたら久々にやってみたくなったな、今度京都や機内にいって寺や神社巡りをしようか」

 

「止めましょう、絶対に止めてくださいね!? 師匠っていつも俺に人様に迷惑かけるなって教えてきますけど、自分はどうなんですか!?」

 

「何を言ってるんだ弟子よ……坊主は人間じゃない。故に人様に迷惑はかからん」

 

 なんて酷い言い草だろうか、俺はちょっとこの人が怖くなった……いや、まぁ、怖いのはいつものことなのでおかしな話じゃないけどさ。

 

 後日、師匠は結局懐かしさに負けたのか、どこかの神社や寺を襲撃したらしい。とても満足そうな顔で帰って来る。

 

 更に後日、師匠の弟子ということがどこからか露見して、俺にまで懸賞金がかけられていることにちょっと悲しくなるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もし修学旅行先が京都だったら」

 

 

 

 

 

 

「「笹凪殺すべし!! 悪鬼死なすべし!!」」

 

 

 松明を持った修行僧や破戒僧がオレたちを追い建てるようにそう叫んでいる。一人二人といった規模ではなく、何十何百と似たような相手がいた。

 

 その誰もが筋骨隆々の姿をしており、本性は袈裟では隠せないかのように暴力的な気配を纏っているのがわかる。

 

「「笹凪殺すべし!! 悪鬼死なすべし!!」」

 

 何度も繰り返される意思を統一させる為の掛け声に、オレの隣にいた天武はそれはもう盛大な溜息を吐いた。

 

「だから京都には来たくなかったんだ……事前に掃除しておかないとこうなるんだからさ」

 

「アレらはお前の客ということで良いんだよな?」

 

「その通りだよ清隆……前にも言ったっけか、京都には野良超人とかやたらと強い修行僧や破戒僧が多いって」

 

「言っていたな、だからといってこうなるとは思っていなかったが」

 

「超人なんて呼ばれる連中にまともな奴はいないよ、俺と師匠以外はね」

 

「乗っていたバスは事故にあうし、旅館は火事になるしで大変だったぞ」

 

「……本当にごめん、せっかくの修学旅行なのに」

 

 修学旅行初日からオレたちは色々な事故に巻き込まれた。バスが突然にパンクして立ち往生したかと思えば、狙ったかのようにそこに車が突っ込んで来たり、宿泊していた旅館が火事になったりと、もう旅行どころではなかった。

 

 それもこれも天武を狙っての犯行らしい。突っ込んできた車は正確にこいつを狙っていたし、旅館を放火したのも天武を炙りだす為だろう。

 

 幸いにも怪我人は出ていないが、焼け出された混乱で天武は孤立して……いや、敢えて単独行動をして皆の安全を確保したようだ。何故かそこにオレも巻き込まれてしまったのは遺憾であるが。

 

「嘆いても仕方がない。これ以上の妨害やテロ行為はさすがに見過ごせないし、せっかくの修学旅行を嫌な思い出だけで汚したくもない……さっさと片付けよう」

 

「それしかなさそうだな」

 

 何故か天武はその掃除にオレを巻き込んだ……いや、別に構わないんだが。

 

 火事の混乱で今ならば生徒が一人二人いなくなっていても気が付かれないだろう。その間に敵対勢力を黙らして残りの日数を安全で平和な修学旅行にする為に、オレと天武は動くのだった。

 

 

 京都、清水寺、深夜であることから観光客もおらず、閑散としている有名な観光名所は今、松明を持って鬼の形相をした坊主たちに囲まれてさながら時代劇の一場面のようなありさまとなっている。

 

 清水の舞台に立ったオレと天武は背中合わせとなって次々に襲撃してくる坊主たちを迎撃していく訳だが、一人一人が異様に強い。

 

「気を付けろ清隆、こいつらは仏門武術の弟子たちで破戒僧だ」

 

「全員強いな」

 

 もしここに天沢や八神といったホワイトルーム生がいたら、五秒でひき肉になるような相手が山ほど出て来る。どいつもこいつも素手でコンクリを破壊できるくらいの攻撃を平然としてくるので困った……ホワイトルームはこいつらを教官として雇った方がいいかもしれない。

 

 だがそれでもやられる訳にはいかないので、天武と背中合わせの状態で呼吸を合わせながら対処していく。どれもこれも一撃必殺の攻撃であったが、なんとか凌げそうだ。

 

 単純な力のぶつかり合いでは数の有利もあって押し負ける、なので受け流し、そらし、相手の勢いを利用してのカウンター主体で戦うとしよう。

 

「こいつらと因縁があるのはわかったが、そもそもどうしてお前の位置がわかったんだ? ただの旅行でここまで大事になるのは不思議なんだが」

 

「多分だけど監視衛星のせいだと思う」

 

 天武は襲い掛かって来た坊主が持っていた錫杖を受け止めて、持ち主を蹴り飛ばしながらそう返してくる。

 

「いやさ、実は監視衛星で24時間監視されてて、国会議事堂とか皇居とか軍事施設とかに近寄ると各方面に連絡が行くんだ……それでバレたんだと思う」

 

「……そ、そうか」

 

 オレとしてはそうとしか返せなかった。超人というのは皆そんな感じで監視されているのだろうか?

 

「あ、因みにだけど清隆も監視されてるらしいよ、九号から教えて貰ったんだけど」

 

「……なんだと?」

 

「無人島で二十号を倒しただろ。それ以降は準監視対象になったってさ。日本だと二百人くらいいるらしい……ようこそ、公安に監視される教室へ」

 

「嫌過ぎる」

 

 なんて会話をしながらも坊主を撃退していく。まだ改造途中の体では殴り合いを征せないので、やはりカウンターを中心に動くのが正解だったな。

 

 相手の力が強い故に受け流して押し返せば楽に戦える。天武はその逆で技よりも力で戦っているようだ。まぁゴリラの中のゴリラなので不通に殴り勝てるのだろう。

 

 天武の拳を突き出せば大気が破裂するかのような衝撃と共に坊主が吹き飛び、鋭く蹴り出せば同じように坊主が吹き飛ぶ。

 

 いや、待て、当たり前のように吹き飛ばしているが、ここは清水の舞台、結構な高さがあると思うんだが。

 

「普通に突き落としてるが、大丈夫なのか?」

 

「問題ないさ、この辺の破戒僧が清水の舞台から飛び降りる程度のことで死ぬはずがないだろう。修行でよくやってるだろうし」

 

「そうか、この世の終わりみたいな土地だなここは」

 

 こんな怪物たちが群れを成して襲い掛かって来るとか、まさに修羅の国である。

 

 死なないのならば問題はないか、オレも足元に倒れている破戒僧たちが邪魔になってきたので、清水の舞台から退場してもらうとしよう。

 

 

「おのれ悪鬼共めッ!! これ以上の狼藉を見逃すものか……ごばッ!?」

 

 

 勢いよく突っ込んできた破戒僧の拳を受け止めて勢いを自分の物にすると、独楽のように回って相手の鳩尾に肘を叩き込む。すると相手の体は吹き飛んで清水の舞台から飛び降りることになった。

 

 やっておいてなんだが死んだかもしれない、ちょっと心配になったので舞台上から見下ろしてみると、オレが突き落とした坊主は地面に叩きつけられたにも関わらず、まるで気にしないとばかりに元気よく階段を上ってこちらに戻ろうとしているのがわかってしまう。

 

 なんだアイツ、怪物じゃないか……正直怖かったのでオレはもう二度と京都に来ないと内心で決めた。

 

 背中合わせのままオレたちは次々と襲い掛かって来る破戒僧たちを千切っちゃ投げ千切っちゃ投げを繰り返す。何度も何度も清水の舞台から叩き落としていくと、さすがに相手も疲労が濃くなってきたのか勢いが和らいでいく。

 

 このまま諦めてくれるか? そんな淡い希望を抱くのだが、一瞬にして否定されてしまう。

 

「拙いッ、鶚忍軍が来た」

 

 最初に気が付いたのは天武である。暗闇から飛来した手裏剣を指先で受け止める。もしそれがなかったらオレの眼球に突き刺さっていたかもしれないな。

 

 暗闇に紛れて清水の舞台に上がって来るのは、足音もなく気配も薄い忍者たちである。猪突猛進で圧倒的な膂力を振り回す破戒僧たちとは違って、静かで冷たい殺気を放ってくる。

 

「鶚? アイツの親族か?」

 

「あぁ、鶚忍軍の本拠は近畿にあるから動かしやすかったんだろう」

 

「なんで鶚の身内が襲い掛かってくるんだ」

 

「いや、職業傭兵だから雇い主次第では敵対することもあるよ。九号は政府寄りだけど、鶚衆全員がそういう訳じゃない……そうだろう?」

 

 天武が問いかけると、オレたちを取り囲む忍者たちの一人が前に出て来る。首に巻いていた襟巻を僅かに緩めると、そこには鶚銀子によく似た顔つきの少女がいた。

 

「御意、我ら鶚衆、本日は京都仏門に雇われております」

 

「そうか、君たちの次期棟梁と俺たちは同盟関係にあるんだけど、その辺はどうなのかな?」

 

「何一つ問題はございません。お姉さまも弱卒はいらぬと言われるでしょうから。ここで我らが死のうとも、貴方が死のうとも、弱い方が悪いで片付く話でござる」

 

 ござる? こいつ、さてはキャラを作ってるな。

 

「なるほど、なら問題はなさそうだね」

 

 問題はないのか? 天武はこういう時の思いきりの良さというか、躊躇の無さは正直恐ろしいな。いや、別に殺す気はないんだろうが。

 

「因みにこれは提案なんだけど、もし俺がそっちの雇い主よりも大きな額を払うと言えば、こちらの味方になってくれるかな?」

 

「いえ、それは難しいでござる……我々の目的は金にあらず、お姉さまが見定めた種馬の味見をする為に参戦いたしましたので」

 

「……うん?」

 

 天武がとても困惑した声を上げた。こいつのこういった反応はとても珍しいな。

 

「笹凪天武、我ら鶚衆の種馬候補第一位、その器が確かなものか確かめさせてもらうでござる!!」

 

 そう言って鶚衆はいやらしい笑みを浮かべると一斉に襲い掛かって来るのであった。恐ろしいことにこいつらの目的は天武の体であったらしい。

 

 鶚はそういう奴だったな、その身内もやはりアレな思考であったということか。

 

「そちらが我らに勝てれば一族揃って嫁となろう、我らが勝てば手足を落として子種を吐き出すだけの装置とするでござる!!」

 

「そうだった、こいつら話が通じないんだった!?」

 

 天武は迫る鶚衆を撃退しながらそう叫ぶ。これまた珍しい反応であった。

 

 大変だなアイツも、どこか他人事のように思いながら眺めていると、何故か矛先はこちらにも向いてしまう。

 

「ついでにそこの男も拉致するでござる」

 

「なんでだッ!?」

 

「風の噂では二十号に勝利したとか、ならば種馬衆として迎え入れよう。皆の者、手足を落とせ!!」

 

「クソ、話が通じない!!」

 

 京都になんてくるんじゃなかった、オレは心の底からそう断言することになる。

 

 鶚衆の攻勢を凌ぐ為にオレと天武は再び背中合わせで戦うことになる。貞操と手足の危機であることから破戒僧と戦っていた時よりも遥かに呼吸を合わせられたと思う。

 

「清隆、暗器や毒に注意を払え!!」

 

「そうらしいな」

 

 まず最初に飛び出してくるのが拳ではなく口から吐き出した針であるのだから、さっきまで戦っていた坊主たちとは根本の戦闘思想が異なる相手ということだろう。

 

 武術ではなく暗殺術を研ぎ澄ました連中、質が悪いのは小技だけでなく身体能力も怪物めいている所だろう。鶚がそうであるように一見華奢に見えるのに殴りつけた時の感触はゴムタイヤみたいな弾力がある。当然、攻撃を受ければタダではすまない。下手しなくてもひき肉になる筈だ。

 

「臆さず進むのだ!! 笹凪の悪鬼をここで滅せよ!!」

 

 鶚衆だけでもかなりの強敵だというのに、清水の舞台から蹴り落とした破戒僧たちも集まって来たのでまた場が混乱することになってしまう。ただ旅行に来ただけなのにこんなことになるとは、超人界隈はどうなってるんだろうか。

 

「ふぅ~」

 

 背中越しに天武が落ち着いた深呼吸を繰り返しているのを感じ取れた。どうやら楽々と凌げる状況ではなくなったということらしい、天武から余裕が消えるのを見るのは初めてかもしれないな。

 

 迫る破戒僧と鶚衆を衝撃波をまき散らしながら吹き飛ばす様は、まさに悪鬼そのもの。味方ではあるのだが底冷えするような迫力があるのは事実である。坊主たちに恐れられるのもなんとなくわかってしまう。

 

「清隆、まだいけるか?」

 

「なんとかな」

 

「そうか、もう少し耐えてくれ……本命が残っているんでね」

 

「うん? なんだと?」

 

 本命? なんのことだ、まだこれ以上状況が悪くなるのか?

 

 さすがにそれはないだろうと高を括っていると、やたらと巨大な存在感を放つ存在が清水の舞台に続く階段を上がって来たことを感じ取ってしまう。

 

 なんだ、この圧力と喉が苦しくなるような迫力は。

 

「僧正だ!! 僧正が参られたぞ!!」

 

 そいつの登場に士気を上げたのは坊主たち、どいつもこいつも筋骨隆々の姿をしているのだが、そんな破戒僧たちですら小枝と称せるほどの体躯と筋肉を持つ男は頭一つどころか二つ三つは大きい。

 

 なんだあの筋肉の要塞は……身長は二メートルを余裕で超えるし腕の太さなんて俺の胴回りくらいあるぞ。

 

「笹凪の小鬼に、そちらは新参の超人か」

 

 放たれる声は、心臓を鷲掴みにされるかのような圧力が内包されている。

 

 強い……いや、強すぎる、ただ立っているだけだというのに、この場にいる全ての者が緊張していた。

 

 明らかな強者、二十号よりも、鶚よりも……なんだったら天武よりも強い?

 

「お初にお目にかかります。自分は笹凪天武と申します」

 

「ほう、あの妖怪女よりは礼儀を知っているらしい」

 

 よし良いぞ、アイツと戦うのは明らかに自殺行為だ、まずは礼儀正しく挨拶をしてなんとか対話に持ち込もう。天武、お前ならそれをやれるはずだ!!

 

 

「クソ坊主が!! 師匠を馬鹿にするとか死にたいみたいだな!!」

 

 

 なんてことを思っていたのに、天武は突然に激怒して筋肉の怪物に膝蹴りをかますのだった……お前はもっと冷静な男だと思っていたんだが、なんでそうなる!?

 

「なるほど、前言を撤回しよう。鬼の子は鬼だな」

 

 何が恐ろしいって、天武の全力の膝蹴りを受けて軽くよろめいた程度で耐え凌いだことだ。完全に化物じゃないか。

 

「恨みない……いや、取り繕うのは止めよう、恨みしかない、ここで死ね笹凪の小鬼よ!! 先祖代々積み重ねた部門の屈辱をここでお返しする!!」

 

「師匠に勝てないからって弟子に当たるとか恥を知るべきだ!!」

 

 両者の拳がぶつかり合うと衝撃波が撒き散らされて周囲にいた破戒僧や鶚衆も吹き飛ぶ。まるで台風がぶつかり合っているかのような光景だ。

 

「余所見をしている場合でござるか?」

 

 こっちはこっちで余裕はなさそうだな。鶚衆がこちらにも迫ってきている。全員が最低でも二十号以上の実力者ばかりであるのでこっちも大変だ。下手しなくても死ねる。

 

「天武ソイツに勝てるのか」

 

「勝つさ、負けず嫌いなんでね」

 

 短いながらも、確かな意思が込められた返答と共に、天武は改めて深呼吸を繰り返す。そこからの変化はまさに劇的であった。

 

 目の前にいる筋肉の要塞とでも言うべき男にも負けない程に存在感が膨れ上がったのだ。他者を圧倒する激しい烈火のような圧力と、内に秘める冷たい氷のような鋭い引力を内包させているようにも見える。

 

 激しさと静けさ、矛盾した力を同時に体に押し込めているようだ。その存在感は筋肉の要塞にも決して負けていない。

 

 こういうのを光と闇が混ざって最強に見えるとか、そういう感じなのだろうか? 

 

「おぞましい技だな、あの妖怪女は弟子にどんな修行を課しているのやら。その年齢でそこまで辿り着くのに数えきれないほどの地獄を巡っただろうに」

 

「バカを言うな、当たり前の努力を積み重ねただけだ……おかげで貴方と互角に戦える!!」

 

「よかろう!! 超えてみるがいい若造がッ!!」

 

 そして両者はぶつかり合う、清水の舞台は激しく損傷して燃え上がり、炎上して最後には消滅することになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ!? ゆ、夢か……よかった、夢だ」

 

 意識が覚醒する、最初に視界に飛び込んできたのは知らない天井であった。

 

 そう言えば修学旅行中だったな、ここまで寝苦しい思いをしたのは昨晩に鬼頭と龍園がオレの枕を使って戦っていたからだろうか。

 

 なんであれ夢でよかった、さすがにあんな状況は絶対にごめんである。せっかくの修学旅行なのになんであんな漫画みたいな展開になるというのだ、ここは現実だぞ。

 

「大丈夫か綾小路、なんかうなされてたけど」

 

「あぁ、問題ない、ちょっと夢見が悪かったんだ」

 

 同じグループになった渡辺が心配そうにこちらを伺ってくる。どうやらオレが飛び起きたことで目が覚めてしまったらしい、悪いことをしてしまったな。

 

「汗びっしょりだぞ」

 

「……そうだな、温泉でも入って来る」

 

 寝汗で浴衣が湿って気分が悪い、まだ朝早いが温泉にでも行こう。それで頭をスッキリさせれば落ち着けるだろう。

 

 せっかくの修学旅行なんだ、面倒事や苦しい思いはしたくない。奇妙な夢はさっさと忘れてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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