【改稿前版】唯神夜行 >> シキガミクス・レヴォリューション (家葉 テイク)
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第一部 そのメイドは星を見た
01 あるいは、ありふれた序章


 知っての通り、陰陽術の再発明によって、社会は大きく様変わりした。

 

 

 日本国民の九六%が陰陽術を使用できるようになり、義務教育に陰陽術の授業が加えられるようになってから久しい昨今に生きる御前達のような若者には実感が薄いかもしれないが──この世を陰陽と五行の二つの法則で切り分け、既存の科学理論とは異なるレイヤーで万物を管理する技術の登場は、端的に言って人類社会に大きな大きなブレイクスルーを齎した。

 

 方術や星読みといった技術によるストレートな恩恵や、陰陽五行説のスケールで現実を観測し直すことによるちょっとした()()の活用──いわゆる霊能も地味に人類の発展に貢献していたが、実際のところ、こういうのは枝葉末節でしかない。

 

 方術や星読みといった技術は、確かに人類文明全体で言えばかなりのプラスになった。しかし如何せん人は瞬間を生きる生き物だ。アレらは目に見える恩恵がない。精々数十年の統計を眺めてようやく分かる程度のものだ。

 霊能に至っては──アレを取り回せるような陰陽師はほんのひと握りの達人レベルだからな。

 結局のところ、大多数の一般市民にしてみれば、陰陽術単体の恩恵っていうのはそれだけでは()()()()()()()()()()程度の実感しかなかった、と言えるだろう。

 

 だからまぁ。

 陰陽術の再発明から始まった一連の流れの中でもっとも大きな変化は、旧来の式神技術と現代の科学技術が組み合わさった新技術──いわゆる『シキガミクス』の登場かね。

 内部に陣を刻んだ木造機構。正式名称を霊力式駆動木機──有り体に言えば安価に製造・運用できる木製のロボット技術の登場によって、労働・通信・運搬・医療・娯楽などなど、人類のQOLってヤツは劇的に向上した。さっき話した霊能も、シキガミクスを介することで劇的に取り回しがしやすくなったしな。

 まぁ、分かりやすい超常現象よりも結局地味な労働力の発生が人々の暮らしに貢献するあたりは、なんというか所詮は人間って感じだが。

 

 ともあれ、そうした陰陽術の再発明から始まった一連の流れは陰陽革命──シキガミクス・レヴォリューションと呼ばれ、産業革命やIT革命に連なる新たな人類のターニングポイントとして人類史の一節に明確に刻み込まれたのだった。

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 では、ここで思考を逆行させてみよう。

 

 技術というものは常に、必要に駆られて生み出されるものだ。

 人は闇を克服する為に灯りを発明したし、病を克服する為に薬を発明したし、戦を克服する為に武器を発明した。

 それなら、陰陽術は何のために再発明された? 方術や星読みといった技術から始まり、陰陽や五行といった既存の科学法則とは異なる理論で世界を捉え直し、挙句の果てにシキガミクスなんてモノを生み出してまで──そんな技術を世に送り出すほどの『必要』が、どうして発生したのか。

 

 要点を最初に言おう。

 

 

 ──五〇年ほど前、怪異は()()した。

 

 

 妖怪、幽霊、化生、精霊、それと、神様。

 一般に『怪異』と呼ばれる概念で括られるそれらは本来、明治維新の頃を最後に根絶し、歴史の表舞台からは消え去ったはずだった。それによって怪異を管理する為の技術である陰陽術も徐々に廃れていったのだから。

 だがあの日──現代社会は突然、怪異の脅威に再び見舞われた。

 

 『百鬼夜行(カタストロフ)』。

 

 のちにそう呼ばれるあの『災害』の影響で、根絶したはずだった怪異は今や日本全国津々浦々に散らばってしまった。

 今となっては、日本人の死因のベスト10には怪異との遭遇事件が食い込んでいるというのだから、人類が必死になって陰陽革命を起こすのも宜なるかな、といったところだろう。

 

 ………………。

 

 ──くく。

 

 ああ、すまない。悪かったよ、だからそんなに『白々しいことを言うな』って顔でこちらを睨みつけないでくれ。

 だが、怪異の再発も満更悪いばかりではなかっただろう?

 なんだかんだで陰陽術のお陰で人類の生活水準は向上したのだし、ここ一〇年は怪異絡みの死者数も減少傾向だ。それに何より、陰陽術には──というより、シキガミクスには特大の『恩恵(オマケ)』もあった。

 

 これに関する説明は必要かな?

 

 ──まぁ、要らないか。

 何せその具体例が、今まさに御前の目の前に『いる』のだからな。

 

 

──『シキガミクス・レヴォリューション』

序章 より

 

 

 


 

 

 

01 あるいは、ありふれた序章

>> GRAND FOREWORD

 

 

 



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02 その女、メイド

 国立大史局学園──通称『ウラノツカサ』。

 

 

 それは、太平洋沖に浮かぶ淡路島ほどの大きさの巨大人工浮島(メガフロート)全域を敷地とする、小中高一貫の巨大教育施設である。

 言わずと知れた国内唯一の陰陽師養成機関であるこの学園は、イベント一つとっても通常の学校とはスケールが違っていた。

 学園祭のような学校行事にしろゴールデンウィークのような大型連休にしろ──その影響は、『都市機能』にまで影響を及ぼす。

 

 ──ゴールデンウィーク、二日前。

 新学期が始まり、生活環境が一変してから初めての大型連休。さらに、連休明けからは新しい学年で初めての学校行事である文化祭の準備が始まるというこの季節。

 学園は連休に向けた内外の生徒の移動準備と学園祭関連の物資搬入の影響で、いつにも増して人の流れが複雑になっていた。学園の警備システムは『外』との窓口の警戒にリソースを割かれ、平時と比べると『内』の防備は緩くなる。

 生徒達にしてみれば、年に数回訪れる『羽目を外しても叱られにくい時期』だが──そんな、学園全体がどこか浮足立ったような雰囲気に包まれる時期のことだった。

 こんな浮ついた空気の時には、何かしらの『事件』が発生するものである。

 たとえば、こんな風に。

 

 

「たっ、助けてくださいましぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」

 

 

 ──少女の悲鳴が、浮ついた空気の『ウラノツカサ』に響き渡った。

 

 島式の地下鉄ホームを連想するようなだだっ広い廊下を、一人の少女が激走する。

 『廊下を走ってはいけません』というありきたりな警句を蹴り飛ばす勢いで全力疾走している声の主は、傍から見ればどこかの名家の御令嬢といった風体だった。

 年齢はだいたい高校生くらいか。絹の糸のように滑らかな髪を波打つように伸ばしたプラチナブロンドのロングヘア。高貴な印象のブルーのカチューシャ。サファイアのように輝く蒼い瞳。陶器然とした白く滑らかな傷一つない肌。学校指定の純白の制服(ブレザー)を真面目に着こなしているにも関わらず、その端から漏れた差分を数えるだけで生まれの違いを感じさせるような、そんな容姿。

 総じて、令嬢。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 どこからどうみても深窓の令嬢といった風貌の少女なのだが、にしてはあまりにも所作が庶民的に過ぎる。

 ぜえぜえはあはあと肩で息をしながら、妙にフォームよく全力疾走しているのもそうだが、顔は汗まみれ、目元は半泣きでその上ちょっとぐずついている。とてもではないが、『深窓の令嬢』という優雅な形容が似合う状態ではない。そんな状態を気にしてもいないあたりが、彼女の地金を表しているようでもあった。

 彼女が、何故このように慌てふためいているのかと言えば────

 

 

「だから観念しろと言ってるだろ! わたしはオマエをブッ倒して安泰な転生生活を送るんだぞ!!」

 

 

 ──今まさに、謎の少女に追われているからだ。

 

 目の覚めるような青髪のポニーテール。獰猛な魚類を思わせるギザギザの歯と不敵な笑み。年の頃は令嬢風の少女よりも下──中等部くらいだろうか。

 令嬢風の少女と同じ純白の学生服を彼女よりもラフに気崩したその恰好は彼女もまたこの『ウラノツカサ』に所属する学生であり──即ち、陰陽術に通じていることの証明でもあった。

 それを象徴するように、右手で()()()()()()()()()奇妙なパントマイムめいた体勢をとる。

 

 

「こ、降参だって言っているでしょう!? どうしてわたくしへの攻撃を辞めないのです!?」

 

「わたしの目的はそんなんじゃないと言っているだろーが! ──『皮剥上手(ピーラージョーズ)』!!」

 

 

 次の瞬間には、パントマイムは事実へと変貌していた。

 現れたのは、まるで水中にいるかのように空中を泳ぐ二メートルほどの大きさの『木製のサメ』。髪色と同じ青にペイントされた体躯をうねらせたサメ型の機体──皮剥上手(ピーラージョーズ)は、静かに令嬢風の少女へ照準を合わせていた。

 肩越しにその様子を見て思わず息を呑んだ令嬢風の少女へ、青髪の少女はせせら笑うように言う。

 

 

「何を驚いてるんだぞ。シキガミクスは『札』から呼び出す。オマエもウラノツカサの学生なら知ってるだろ。それともわたしがシキガミクスを使わずにオマエをボコボコにするとでも思ったか?」

 

 

 ──シキガミクス。

 これこそ陰陽術の再発明によって人類が手にした技術の中でも極めつけ。平たく言えば、霊力によって稼働する木製のロボットである。

 陰陽術を修得している者はこのシキガミクスを己の意のままに操ることができ──そして陰陽師はさらにそのシキガミクスを自分専用に開発できる。

 『ウラノツカサ』に所属する学生にしても、それは同じことだった。──青髪の少女が操るこの木製のサメのように。

 

 

「…………っ!!」

 

 

 逃走一辺倒に限界を感じたのか、令嬢風の少女も逃走の足を止め向き直る。

 そして差し出すようなその手に──木製のGペンが現れた。

 

 

「わ……わたくしのシキガミクスはこれなのですわ! 戦闘用ではありません! それに痛いのは苦手ですわ! 何かお困りなら相談に乗りますから、もうこんなことはやめてくださいまし!」

 

「だァかァらァ……」

 

 

 半泣きの令嬢風の少女の命乞いにも、青髪の少女は応じない。

 むしろ話が通じない苛立ちをあらわすかのように傍らの皮剥上手(ピーラージョーズ)がヒレを傾けると、

 

 

「それならさっさとおとなしくわたしに倒されろって、何度も言ってるんだぞ!!」

 

 

 突風のような勢いで、サメ型の機体が令嬢風の少女目掛けて突撃した。

 

 

「きゃああああああああ向かってきましたわぁぁぁあああああああああああ!?!?!?!? …………っ!! ええい『飛躍する絵筆(ピクトゥラ)』!!」

 

 

 絶叫する令嬢風の少女だったが、判断は冷静だった。

 突進してくる皮剥上手(ピーラージョーズ)に向かって令嬢風の少女が木製のGペン──飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を向けると、その大きさがまるで槍か何かのような長さまで伸長したのだ。

 

 

「お願いですから弾かれてくださいましぃ!!」

 

 

 しかし。

 

 ガイン!!!! と、二メートルほどに伸びた飛躍する絵筆(ピクトゥラ)は逆にあっさりと弾かれてしまう。

 

 

「…………!!」

 

「できるじゃないか、戦闘!! やっぱり手札を隠し持ってたな……油断ならないぞ!」

 

 

 辛くも飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を手放すことは回避できた令嬢風の少女だが、しかしその代償は大きかった。弾かれた筆槍に体を殆ど引っ張られ大きく体勢を崩した彼女は、無防備な脇腹を獰猛な木製のサメの目の前に晒すことになる。

 当然、令嬢風の少女に打つ手は、ない。

 

 

「……!! 悪く思うなよ、こーしなくっちゃ、この世界じゃ生きていけないんだぞ……!!」

 

「おいおい待てよ。そんな理由でウチのお嬢様を傷つけられちゃ困るんだが」

 

 

 だから、その直後に青髪の少女の背後から放たれた声に関しては、令嬢風の少女の感知するところではなかった。

 

 

「しまっ、皮剥上手(ピーラージョーズ)!! 戻、」

 

 

 青髪の少女が咄嗟に両腕を顔面の前で交差させて防御態勢に入ったのと同時に、ゴッ!! という鈍い打撃音が響いた。

 長物によるものらしき一撃を食らった青髪の少女は、自分が突進させた皮剥上手(ピーラージョーズ)のすぐ近くまで転がるようにして吹っ飛ばされる。

 

 そこに立っていたのは、彼女達と同じく学生────

 

 ──()()()()()()

 

 

 純白の学生服とはかけ離れた黒衣の装い。

 といえば聞こえはいいが、黒衣の上に纏うエプロンドレスに、頭部についた白いフリルのついたヘッドドレス、膝丈のミニスカート、真っ白いニーソックス、漆黒の革靴といった衣装は、どこからどう見ても──

 

 

「えっ、メイド?」

 

 

 ──ありていに言えば、その女はコスプレ感丸出しの全力全開ミニスカメイド衣装を身に纏っていた。

 

 

 


 

 

 

02 その女、メイド

>> HOMEY ARMY

 

 

 


 

 

 

「かっ、薫織(かおり)ぃ!!」

 

「あーはいはい。助けに来るのが遅れたのは悪かったから、早く逃げろお嬢様。邪魔だから」

 

「わたくしもうダメかと、死ぬかと……」

 

「……あのシキガミクスじゃ死にはしねェだろ。それに……」

 

 

 ──そのメイドは、名を園縁(そのべり)薫織(かおり)と言う。

 一応こんなナリでも正真正銘このウラノツカサの学生であり、令嬢風の少女と同じ高等部一年生であった。

 

 

メイド(オレ)がいるんだ。お嬢様にそんな危難は降りかからねェよ」

 

「………………!!」

 

 

 その立ち姿を見て、青髪の少女は思わず息を呑む。

 衣装の陳腐さとは対照的に、鋭い刀剣のように研ぎ澄まされた体躯。一七〇センチほどもある女性としては大柄な体格は、しなやかなシルエットを保ちつつも確かに引き締まった筋肉で覆われていて、見る者に雌豹のような肉食獣を彷彿とさせる。美しさよりも強靭さの方が目に付く姿だった。

 

 

「な……なんでメイドがウラノツカサに……?」

 

 

 もちろん、令嬢風の少女や青髪の少女を見れば分かる通り、ウラノツカサには指定の制服が存在しており、多少の改造や着崩しはあれど基本的に皆が着用している。

 それゆえに、そのメイドの姿は悪目立ちしていた。

 たとえるならば、電車移動をしている全身タイツのアメコミヒーローのような異物感。当の本人がそれを気にもせず平然としているから、余計に異常さが目立っていた。

 

 

「何を驚いてやがる」

 

 

 じろり、と場違いなメイドは怪訝そうに目を細める。

 メイドらしからぬ、重々しい威圧感ではあった。

 肩の長さくらいまである外はね気味のショートカットに、確かな意志の光を感じさせる赤銅の瞳。微笑みを向ければ間違いなく見る者を虜にするであろうその美貌は、しかし今は鋭い戦意によって刀のように研ぎ澄まされている。眉間にしわが寄せられ、敵対者を射抜く眼光は人ひとりくらいなら既に殺していそうなほどの刺々しさを秘めていた。

 

 

「ただちょっと、メイドなだけだろうが」

 

「いやそれがおかしーんだよ!!」

 

 

 困惑する青髪の少女を周回遅れにするようなその泰然自若とした佇まい。

 当然だが、『メイド』は『ただちょっと』とか『なだけ』とかといった言葉とは結び付かないものである。

 そういうわけで絶賛悪目立ち中のコスプレメイドは、肩に乗せていたデッキブラシをゆったりとした動きで振り下ろした。

 まるでホームラン宣言でもするみたいにデッキブラシを青髪の少女へと向けて、メイドは淡々と話す。

 

 

「さっきも言ったがそいつはウチのお嬢様でな。そう容易く傷をつけられると、メイドである(オレ)の沽券に係わる」

 

 

 メイドってそんなボディガードみたいな職業意識が必要だっけ……と素朴な疑問を抱きかけた青髪の少女だったが、このままこのメイドのペースに乗せられていては自分の本来の目的が達成できない、と首を振って気を取り直す。

 

 

「だから悪いが、」

 

 

 瞬間、メイドから放たれる闘気が爆発的に増大する。

 唐突なコスプレメイドの登場に動揺していた青髪の少女も、此処に至り臨戦態勢へと移行した。

 その後ろで令嬢風の少女がそそくさと戦線からの離脱を完了させたのを見届けた薫織(かおり)は、にいっと笑みを浮かべてデッキブラシを構え、

 

 

「『ご奉仕』の時間だ」

 

「……な、なら、オマエをぶちのめしてからアイツもぶちのめすまでだぞ!!」

 

 

 その動きを制するような青髪の少女の言葉を合図に、皮剥上手(ピーラージョーズ)が突進を開始する。

 狙いは当然、目の前のメイド。

 その動きに呼応するように薫織(かおり)は瞬時に腰を低く落とすが──皮剥上手(ピーラージョーズ)は臨戦態勢のメイドの手前二メートルほどで急停止する。

 

 

「!!」

 

 

 戦闘メイドの表情が強張った、その次の瞬間。

 ゴッブァ!!!! と、津波のような暴風が吹き荒れた。

 それは、皮剥上手(ピーラージョーズ)が体を捻ったことによって引き起こされた『空気の高波』だった。

 当然、その場で身を屈める程度では到底防ぎようもない圧倒的な暴風だ。まともに食らえば人体ならソフトボール投げのような勢いで吹き飛ばされるのは確実である。

 いかに霊能を操れる陰陽師といっても、その身体能力は一般人相当。つまり、こんなものをまともに食らってしまえば一たまりもない。

 

 はずなのだが。

 

 

「良いね、派手なシキガミクスじゃねェか。浪漫がある」

 

 

 楽し気なメイドの声が()()()()()()()()聞こえてきた瞬間、青髪の少女は心臓が止まるかと思った。

 

 暴風を巻き起こした皮剥上手(ピーラージョーズ)の真下。

 そこに、スライディングのような姿勢で滑り込んでいた薫織(かおり)の姿があった。

 

 

「はっ!? 何!?」

 

 

 その光景を、青髪の少女は一瞬理解できなかった。

 確かに、皮剥上手(ピーラージョーズ)の真下にいれば暴風の影響は限りなく小さい。機体をうねらせることで発生させる『空気の高波』は、その性質上攻撃範囲が前方に絞られるからだ。

 そういう意味で、真下に飛び込むことでこのメイドが難を逃れたという展開自体は、何の異常性もない。

 もっとも、皮剥上手(ピーラージョーズ)の動き始めを見てから一瞬のうちに移動する俊敏性があることを異常と呼ばないならば、という但し書きはつくが。

 

 

「だが、狙いが大味すぎるな」

 

 

 不可避のはずの広範囲に向けた暴風。それを無傷でやり過ごされた──だけではなく、それを可能にしたのが常識外の機動性であることに、青髪の少女は一瞬思考を空白で埋められた。

 その間に、薫織(かおり)は行動を続けた。

 薫織(かおり)は両腕を地面に立てると、腕力だけで身体を前方へ押し出す。滑るようにして皮剥上手(ピーラージョーズ)の真下から抜け出た薫織(かおり)は、そのまま前転。前転の勢いで立ち上がると、振り返りざまにナイフを取り出し皮剥上手(ピーラージョーズ)へダーツでも投げるみたいに投擲した。

 

 が、これは()()()()()()()()()()何かに弾かれてしまう。

 

 

「…………、」

 

 

 弾かれたナイフを横目に見ながら、薫織(かおり)は正面──即ち青髪の少女へ向き直る。

 青髪の少女はそこで、薫織(かおり)が『自分と皮剥上手(ピーラージョーズ)の間』に割って入ったことに気付いた。

 

 

「ぴ、皮剥上手(ピーラージョーズ)! 戻るんだぞ!!」

 

 

 先ほどのような展開を警戒して、青髪の少女はすぐさま皮剥上手(ピーラージョーズ)に呼びかけた。青髪の少女の指示に従い、サメ型の機体が即座に少女の傍らに戻る。

 なお、戻る際に薫織(かおり)を轢くような軌道で移動していたはずなのだが、これは当然のようにバク宙によって回避されてしまった。

 

 

「なるほどな。大元の気流操作能力を、機体を動かす『移動用』と機体を防備する『防御用』で使い分けてるのか」

 

 

 本体の近くへと戻った皮剥上手(ピーラージョーズ)を一瞥して、薫織(かおり)は感心するように言う。

 

 

「……ご名答だぞ。そーだ、皮剥上手(ピーラージョーズ)の真骨頂はその身に纏う『鮫風』!! 暴力的な気流で、触れた相手をズタズタにできるんだぞ!」

 

 

 青髪の少女は、能力を言い当てられたにも拘らず不敵に笑みを浮かべる。

 即ちそれは、自信の表れでもあった。

 機体を纏う風は、ナイフだろうが槍だろうが触れる前に弾き、そして敵に突進するだけで、その肉体をズタズタにすることができる。

 ゆえに、()()()()

 空中を縦横無尽に泳ぎ回る機体は、最強の盾と最強の矛の役割を同時にこなしてくれるのだ。まるで因幡の白兎の毛皮をズタズタに引き裂いた神話の世界の和邇(サメ)のように──その暴威は余人には対抗できない。

 

 

「このシキガミクスは、わたしの身を守る為に作った機体だ。霊能もその為に考えられる最強の形にカスタマイズしてる! この()()()()()()()()()()()()()()()で生き残るなら……最強の存在はサメに決まってるからな!!」

 

「……、まァテメェのおかしな趣味はどうでもいいとして、その『身を守る為の機体』で、なんでウチのお嬢様を襲ってんだ?」

 

「フン。そー言うってことは『霊威簒奪』のことを知らないな、オマエ。とんだモグリだぞ」

 

 

 青髪の少女は小バカにした態度で笑うと、得意げに人差し指を立てて続ける。

 

 

「陰陽師が霊能を扱う時には霊気を消耗するけど……陰陽師は、霊気を一〇〇%完璧に活用できるわけじゃない。たとえば、戦いに負けたらその陰陽師は敗北のショックで霊気を知らず知らずのうちに放出するんだぞ」

 

 

 そして、と青髪の少女は続けて、立てた人差し指を薫織(かおり)に向けた。

 

 

「戦いに勝った陰陽師は、勝利の高揚感で霊気を吸収する能力が上がる! つまり、陰陽師との戦いに勝つと、勝った分だけ強くなる! それが『霊威簒奪』だぞ!!」

 

「あー、はいはい。それで弱そうなウチのお嬢様に狙いを定めた、と」

 

 

 得心がいったからか、スッ、と薫織(かおり)は肩の力を抜く。

 脱力した薫織(かおり)の動きに青髪の少女が怪訝な表情を浮かべた瞬間、

 

 

「……って納得する訳ねェだろボケ!!」

 

 

 ドシュ!! と、薫織(かおり)が体の陰に隠していた左手から、青髪の少女目掛けてナイフが回転しながら投擲される。

 しかし、これ自体は青髪の少女にとっては予想外の事態ではなかった。ナイフの投擲は先ほども見ていたし、その前段階の行動から既に青髪の少女は薫織(かおり)の行動を怪訝に思い、警戒している。

 だからあっさりと皮剥上手(ピーラージョーズ)は青髪の少女の前に盾になるよう動き、ナイフはその表面に展開されている『鮫風』に弾かれた。

 

 彼女にとって予想外があったとすれば──それは、その後のナイフの軌道。

 

 『鮫風』に弾かれたナイフは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()青髪の少女の額に向かって吹っ飛んだのだ。

 息をする間もなかった。

 ガッ、と。

 

 青髪の少女が何かする前に、彼女の額にナイフ──()()が衝突する。

 

 

「ひぁっ、」

 

「メイドの手練をナメるなよ。()()()()()()()()()()()()、それを計算に入れてナイフを投げるなんざ造作もねェ」

 

 

 頭蓋を揺らされ、思わず数歩ほどたたらを踏むように後ずさりする青髪の少女。

 時間にすれば、ほんの一秒の停滞。

 

 しかしその間隙は、一瞬のうちに『空気の高波』の致傷圏内から抜け出せる俊速のメイド相手には、まさしく致命的な時間だった。

 

 

「『霊威簒奪』。負けた陰陽師は、勝った陰陽師に霊気を奪われるんだったか?」

 

 

 メイドにはとても見えない禍々しい威圧感を放ちながら。

 

 気付けばコスプレメイドは、青髪の少女の眼前に立っていた。

 

 そして。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 主人に襲い掛かる下手人に対し、そのメイドは迅速に『お掃除』を開始する。

 

 

 


 

 

サメ型のシキガミクス。全長は二メートルほど。

鋭くとがった歯が特徴的で、歯は実は装填式。やろうと思えば射出も可能。

 

空中遊泳する能力。

シキガミクスを取り巻くように気流を生み出し、それにより空中を水の中のように移動できる。速度も本物のサメ同等の速さで移動することができる他、旋回性については本物以上。

また、機体周辺に強力な気流を纏う『鮫風』を備えており、防御力についても優れている。

 

ただし、空気がなければ泳げない他、牙による攻撃を成立させる関係上口内に続く領域には『鮫風』は効果が薄く設定されている為、リスクを恐れず口内に攻撃されると内部にダメージが入りやすい。

 

元々は単純な気流操作の霊能だったが、機能を分割特化させることで気流操作の強度を向上させている。

皮剝上手(ピーラージョーズ)

攻撃性:80 防護性:55 俊敏性:70

持久性:60 精密性:5 発展性:70

※100点満点で評価

 

 

 


 

 

 

 

「あァ? ほれ、この通り。秒殺だ、あんなん」

 

 

 薫織(かおり)はうんざりした調子で、廊下の隅っこで蹲っていた少女に声をかける。

 その右手には、首根っこを掴まれた状態で気絶した青髪の少女の姿もあった。当然、麻縄でぐるぐる巻きにして拘束されているが。

 

 

「……にしても、これで何度目だ? 『霊威簒奪』に釣られてお嬢様に襲い掛かってくるバカ。いい加減に元を断たねェと、いくら(オレ)がいるっつってもそろそろヤバいな」

 

「面目次第もございませんわ……」

 

 

 答えたのは、先ほどまで追い回されていた令嬢風の少女だった。

 しょげた声色で答えた令嬢風の少女は、しょんぼりしながら立ち上がる。

 遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)

 薫織(かおり)とは同級生の友人であり、彼女を雇用する現在の『ご主人様』でもあった。

 

 

「お嬢様は(オレ)の『ご主人様』なんだ。このくらいはやって当然。……むしろ、さっきは危険に晒しちまったしな。面目ねェのはこっちだよ」

 

「いやそれは全然良いんですけれども……メイドってそんなボディガードみたいな職業意識が必要でしたっけ?」

 

 

 奇しくも先程ブッ倒された下手人と同じ疑問を抱くご主人様だったが、メイドの方はやはりこれを完全にスルーして、

 

 

「……それより、『霊威簒奪』をどうするか、だな」

 

 

 そこだけ見ればいかにもメイドらしい物憂げな表情を浮かべて言う。

 

 

「特に、『弱敵を倒せばお手軽にパワーアップできる』って風説が流れてるのがマズイ。お陰で非戦闘タイプのお嬢様が狙われるハメになってる訳だし。まったくはた迷惑な野郎共だが……」

 

「……うーん、でも、お相手の気持ちも分かる気がするんですのよねぇ。だってこんな世界ですし……」

 

「襲われてる被害者が敵に同情してんじゃねェよ」

 

 

 ぺし、と軽く流知(ルシル)の額を叩くと、薫織(かおり)は横合いへ視線を逸らす。

 廊下の窓の外では、連休前の慌ただしい人の流れが学園を行き交っていた。そんな人の営みを眺めながら、薫織(かおり)はぽつりと呟く。

 

 

「…………()()()()()、か」

 

 

 


 

 

 

 ────『シキガミクス・レヴォリューション』は名作だった。

 

 『シキガミクス・レヴォリューション』。

 作者・虎刺(ありどおし)看酔(みよう)、イラスト・オオカミシブキによる洞窟文庫刊行のライトノベル作品だ。

 その人気はすさまじく、原作小説は一巻発売当初から大ヒットを飛ばし、その勢いのまま有名少年漫画雑誌でコミカライズ連載を開始し、有名制作会社からアニメ化、破竹の勢いで発表された劇場版映画は日本の映画興行収入のランキングを塗り替えた。

 商業的な実績で作品の良し悪しを語るのはあまり行儀がよくない行為だが、しかし『商業的成功』という一面において、このコンテンツのクオリティが日本史に名を遺すレベルで確固たる評価を得たのは間違いなかった。

 ──惜しむらくは、原作小説自体は作者病没の為に未完で終わってしまったことだろうか。

 

 魅力的なキャラクター、奥深い世界観、息もつかせぬ急展開の連続、そしてそれらが絡み合って生まれるドラマの数々。

 どんなキャラクターにもしっかりとした過去があり、悪役にさえそのルーツには相応の悲劇が絡み合うことでただ倒されるだけの敵キャラではない魅力が与えられている。

 だからこそ『シキガミクス・レヴォリューション』は空前の人気を博し、世界中で愛された。

 そして世界中を席巻した『シキガミクス・レヴォリューション』は、圧倒的な知名度を持っていた。

 敢行されるライトノベルを逐一読み漁るようなラノベ好き、毎週様々な漫画雑誌を購入しては連載をリアルタイムで追いかけるような漫画好き、毎クール深夜アニメを一通りチェックするようなアニメ好きといったマニア層から、学校で話題になっていたからとりあえずチェックしたような学生、普段はサブカルなんか触れたことのないご老人といった一般層、果てはたまたま居間でやっていたアニメを見ていた通りすがりの猫まで。広まりすぎて作品を楽しむことを強制する同調圧力が『シキハラ』なんて造語で呼ばれてお昼のワイドショーで取り上げられるくらいには、誰もが知っている作品だった。

 

 そしてそれだけ多くのファンがいれば、一定数のファンはこんなことを空想する。

 

 

 もしも自分があの作品の世界にいたならば、どんな風に人生を過ごしていくだろうか。

 

 

 そうした世界に『転生』する──といったような創作の話だけではない。

 行ってみたい作品、使ってみたい能力、友達になってみたいキャラクター──そうした雑談のタネにするようなごく普通の『空想』の対象に、この魅力的な作品は多く選ばれた。

 ひょっとしたら、『シキガミクス・レヴォリューション』ではない作品でそんなことを考えたことがある人もいるかもしれない。

 それは、その作品がその人にとって素晴らしいものだった証明だ。その作品の世界観を愛し、キャラクターを愛し、物語を愛しているからこそ、その中に入り込みたい、触れあってみたいと願うのだから。

 そうした心の動きは、その作品を愛しているからこそ出てくる発想だ。

 

 

 ──ただし。

 そうした憧憬に、果たして『作品』は応えてくれるか?

 

 素晴らしい物語には、相応の失敗が、相応の窮地が、相応の悲劇がある。主人公が誰かを救う華々しい活躍の裏側には、逆説的に救われるべき痛ましい被害者達の苦しみが存在しなければならない。

 

 もしも、その作品に転生した自分が『現実』だったならば。

 異能と戦いがあるということは即ち、それに自らの身が晒される危険があることを意味する。

 世界に変革を起こした新技術の席巻は、それに伴う技術の利権が争いを生むことを意味する。

 ──魅力的な敵役達は、虐げられている当人から見ても魅力的だろうか?

 ──才能なき者達にとって、手の届かない異能は浪漫だろうか?

 

 

 それらの疑念は、自ずと転生者達(かれら)に──()()()()()()()に一つの疑問を抱かせる。

 

 即ち。

 

 

 ハッピーエンドが約束されていない現実は。

 かつて憧れた名作の世界は────

 

 

 ──果たして本当に、自分が生きていたい『現実』か?

 

 




主人公・園縁(そのべり)薫織(かおり)

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ヒロイン・遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)

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03 世界を諦めない者

「…………こんな世界、か」

 

 

 ──コスプレメイド、園縁(そのべり)薫織(かおり)の半生について話すならば。

 

 彼女の半生は、まさしく『破天荒』と呼ぶに相応しいものだった。

 陰陽術の名門・園縁(そのべり)家に長女として生まれた彼女は就学前に陰陽術の基礎を修得し、若くして園縁(そのべり)家の次期当主としての将来を熱望されるようになる。しかし、彼女は小学生になる直前に突如として生家を出奔。以降、園縁(そのべり)家の追手を掻い潜りつつ、小学生の年齢にして放浪の旅をするようになる。

 単なる無鉄砲かと思いきや、修得した陰陽術で民間陰陽師として普通に名を馳せるわ、盆と正月には帰省するものだからいつしか園縁(そのべり)家の方も半ば出奔を黙認してしまうようになるわと来れば、園縁(そのべり)薫織(かおり)の『破天荒』の質が分かろうものだろう。

 そうしていつしか『必殺女中(リーサルメイド)』というおかしな二つ名で呼ばれるようになった頃、個人的な恩義のある知り合いに依頼され、依頼主の娘──令嬢風の少女こと遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)の護衛としてウラノツカサに中途編入するに至る。

 

 しかし、この名物メイドの半生を語る上では、幾つかの説明不能な謎があった。

 

 何故、これほど早く、そして高度に陰陽術を扱うことができたのか。

 何故、幼くして出奔して一人で生き抜こうなどと思ったのか。

 何故、そのままたった一人で一〇年近く社会活動を営み、大成できたのか。

 

 

(オレ)にとっては、思う存分メイドをやれる世界だが」

 

 

 何故、そんなにも──破天荒(メイド)なのか。

 

 

「アナタこの前、()()からメイドだったって言っていましたわよね? 思う存分メイドをやれるとかは世界関係ないのではなくて?」

 

 

 ──転生。

 それらの疑問に答えるならば、ひとまずこの答えが分かりやすかろう。

 

 端的に言えば、園縁(そのべり)薫織(かおり)はこの世界に生まれる前の『記憶』と『経験』、そして『価値観』を有しており──この世界では、彼女と同じように『シキガミクス・レヴォリューション』を()()()、もしくは()()ことのある人間が生前の人格を保持して生まれてくるケースが多数確認されている。

 このウラノツカサで確認されているだけでも、およそ一〇〇人。転生者であることを他者に隠している者も含めれば二〇〇人はくだらないだろうと言われ、ウラノツカサの全校生徒のおよそ二割弱は転生者が占める計算となる。先ほどの青髪の少女もそうだし、薫織(かおり)流知(ルシル)もまた数多いる転生者の一人だ。

 

 

「……ああ、わたくしできることなら、あと五〇年早く生まれたかったですわ。そうすれば平和な時代のうちに『シキレボ』の世界の楽しいところを思うさま堪能して寿命で死ねましたのに……」

 

「お嬢様、七〇弱じゃ人間死ねないモンだぞ」

 

「そんなこと言われても、わたくし前世の享年は三〇前でしかも病死でしてよ! 人生一二〇年とかとんだ欺瞞ですわ!!」

 

 

 うんざりしたように肩を落とす流知(ルシル)の横で、自らの主に声をかけるにはあまりにもガラが悪いコスプレメイドはぽんと落とした肩を叩く。

 

 

「それに、五〇年前だとちょうど『陰陽再黎明編』のあたりだから今より治安悪いし」

 

「どの時代も最悪ですわよねぇこの世界!! 救いはないのぉ!?」

 

「お嬢様。口調、口調が崩れていますわよー」

 

 

 本格的に項垂れてしまった流知(ルシル)の背中を押して無理やりに歩かせながら、コスプレメイドはぽつりと呟く。

 

 

「救い……救いねェ」

 

 

 『シキガミクス・レヴォリューション』の世界は、確かに危険と隣り合わせである。

 何しろ怪異との遭遇事件が日本人の死因のトップ10にランクインしているし、政府は怪異対策に追われていて陰陽術犯罪に対する法整備すらろくに整っていない。百鬼夜行(カタストロフ)という霊気の大規模暴走事故が発生すれば、都市などたちまち壊滅してしまうほどだ。

 

 

「……『草薙剣』があれば、他の皆さんもまだ未来に希望を持てたんでしょうけど……」

 

 

 ──ただし、そんな世界にも救いはあった。

 

 『草薙剣』。

 神話に語られる剣と同じ名を持つ、『陰陽革命』初期に作成されたシキガミクスだ。

 その刃は百鬼夜行(カタストロフ)の原因となる霊気の淀みを解消し、回避不能の災害のはずの百鬼夜行(カタストロフ)を未然に防ぐことができると言われている。──というか、実際にそういう能力があった。

 『原作』においても、この『草薙剣』は何度となく主人公一行ひいては世界を救うキーアイテムとなっていた。

 このように、『シキガミクス・レヴォリューション』という物語では百鬼夜行(カタストロフ)に対抗する手段もきちんとあり、それらと主人公達の活躍によって辛くも世界滅亡の危機を毎回逃れているのだが──

 

 

「…………なんか()くなっていますものね、『草薙剣』」

 

 

 しかし、それは一つ歯車が狂えば『逃れられないバッドエンドが幾つも転がっている世界』という事態にもなりかねない。

 そしてそのトリガーは、割合間近に迫っていた。

 背中を押されるがままに歩いていた流知(ルシル)は自分の足で歩き始め、薫織(かおり)の横に並んで言う。

 

 

「多分、転生者の誰かが持って行っちゃったんだと思うんですけれど……客観的に見ればヤバイなんてもんじゃないですわよ。『原作』が始まるの、三日後ですわよ。三日後」

 

 

 ──それは、『シキガミクス・レヴォリューション』の物語の最初。

 そこで一度、世界は滅亡の危機に瀕することとなる。

 人為的な事件ではない。陰陽術を学ぶ場所である『ウラノツカサ』では、島中に日常的に霊気が発散される環境が生まれている。この環境は霊気が大量に滞留することで暴走を起こす百鬼夜行(カタストロフ)が非常に発生しやすい条件が整っており──『草薙剣』はそれを抑止する役割を持ったシキガミクスだった。

 『シキガミクス・レヴォリューション』一巻ではこの『草薙剣』を私欲の為に奪おうとする敵が登場し、それに対し主人公達が立ち向かっていくことになるのだが──この世界では既に、その『草薙剣』が紛失してしまって存在しない。

 

 もちろん、転生者達はまず最初にこの『草薙剣』の復元もしくは代用を考えた。

 しかし、『草薙剣』は()()()()()()()()によって構築されているため、真っ当な方法では代用も複製もすることなどできない。

 

 つまり、いわゆる一つの、詰み状態。

 しかも、『草薙剣』ほどの超重要シキガミクスの紛失なんて事実は公表できないので、転生者達は『ウラノツカサ』に入学し、それなりに学園の状況に精通するようになってようやくこの事実を知るわけなのである。

 知った時には、既に手の打ちようがなくなっているこの地獄。

 

 

「しかも、物語全体から見れば、あそこは別に大一番ってわけではありませんもの。ステージ1で、もうこの体たらく。その後の波乱万丈の物語を考えたら、『原作』開始直前のこの時期に学園にいる生徒の何割かはもう自暴自棄なのかもしれませんわ……」

 

 

 ご覧の有様である。

 数日後の逃れられぬ最悪の事態(カタストロフ)。それによるある種の末法思想が、この学園全体を包み込んでいるのだ。

 世界の危機は、この世界が『シキガミクス・レヴォリューション』の世界である限り当然のように降りかかる。そんな『世界の流れ』に対し、一個人ができることなど限られている。であるならば──現状に絶望し、『世界の危機によって全てが終わった後』を見据えた行動を取るのが賢い選択になるのかもしれない。あの、青髪の少女のように。

 ただし。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そこで、薫織(かおり)は足を止める。

 

 

「世界の現状がどうだろうが関係ねェ。『やりたいこと』があるから、その為にも世界は終わらせねェ」

 

 

 地下鉄のホームのようにだだっ広い廊下を進んだ、その終着点。

 彼女達の前には一つの教室──より正確には『部室』があり、スライド式の引き戸には『ライトノベルイラストレーション研究部』という胡乱な看板がかけられていた。

 

 

「その為に、(オレ)達がいる。だろ?」

 

 

 ニッと勝気に笑うメイドの横顔に滲む不敵さは、そうした絶望や無力感からはかけ離れていた。

 

 

 


 

 

 

03 世界を諦めない者

>> CREATER B

 

 

 


 

 

 

 ──何も、この世界の行く末を知る者(てんせいしゃ)の全てが悲観論に囚われているわけではない。

 このコスプレメイドをはじめ世界の現状を正しく認識した上で『世界の破滅』を回避する為に活動している転生者も、相当数いる。何もすべての転生者が世界の行く末を悲観しているわけではないのだ。

 

 そうした転生者達を分類する手軽な区分は、こうした『部活』であった。

 『シキガミクス・レヴォリューション』は序盤の主な舞台が学園内である関係上、多くの組織が部活動の形で登場する。

 『ウラノツカサ』では部活動は申請さえすれば生徒が自由に設立できる為、数々の胡乱な部活が誕生していたわけだが──転生者達もこの流れを汲み、各々部活動を結成し自分たちの望む世界の為に活動しているのだった。

 薫織(かおり)流知(ルシル)が所属しているのは、この『ライトノベルイラストレーション研究部』。その名の通り、ライトノベルのイラストについて研究したり、描いてみたりするといういかにもなサブカル系の部活だったが──その真価はそこにはない。

 

 

「う~ん、頼れる発言。先輩感心しちゃうわねん」

 

 

 と。

 部室の前で話している二人に向けて、軽薄そうな女の声がかけられた。

 

 

「…………うげ」

 

 

 薫織(かおり)の口から形容しがたい呻き声が出てくるのも宜なるかな。

 

 そこにいたのは、痴女だった。

 

 学校指定の制服──ではあるのだろうが、白のブレザーを着ずにその内側のワイシャツだけを着ている、のはまだいい。

 しかしそのボタンは全く留められておらず、シャツ自体を胸の下あたりで結んで済ませている。当人がかなりの巨乳なのも相まって、かなり危険な状態に陥っていた。

 狼を連想させる癖毛気味なダークシルバーのロングヘアをポニーテールにしているだとか、胡散臭そうな糸目だとか、すらりとした高身長のモデル体型だとか、そういう印象が完全に塗り潰されたような『キャラクターデザイン』。

 その蠱惑的な肢体をいっそコメディに映るほど大袈裟にくねらせながら、女は言う。

 

 

「乱れに乱れ、崩れに崩れたこの世界で、それでも『シキガミクス・レヴォリューション』を楽しみ尽くす。その為に必要なら、世界も救ったりしちゃう! いやぁ~、我が部の精神を体現する部員達に恵まれて、お姉さんってば幸せ者だわぁ!」

 

 

 ──痴女の名は、嵐殿(らしでん)柚香(ゆずか)

 彼女もまた薫織(かおり)流知(ルシル)と同じく転生者であり、こんなナリで彼女達の保護者的な立ち位置──つまるところこの胡乱な部活動の部長の座にいる女だった。

 

 

「絵面が最悪なんだよ悦に浸るな変態。……んで、情報はつかめたんだろうな?」

 

「そりゃもちろんよぉ。お姉さんのこと誰だと思ってるの~?」

 

 

 嵐殿(らしでん)はちらりと薫織(かおり)の引きずっている青髪の少女に視線を向けると、そこは黙殺して胡散臭さいっぱいの笑みを浮かべてこう告げた。

 

 

 

「『霊威簒奪』。この()()()()について調査してきたから、さくっと報告しちゃうわよん♪」

 

「デマぁッ!?」

 

 

 嵐殿(らしでん)の台詞に一番リアクションを示したのは、薫織(かおり)でも流知(ルシル)でもなく──青髪の少女だった。

 麻縄でぐるぐる巻きにされた状態の青髪の少女は、一瞬間が空いてから自分の状況に気付く。世にも気まずそうな表情で再度黙った青髪の少女に対し、目を丸くしたのは流知(ルシル)だ。

 

 

「え……もう意識を取り戻してましたの!?」

 

「あらん? 流知(ルシル)ちゃんてば気付いてなかったの? 薫織(かおり)ちゃんの様子からしててっきりカマをかける流れかとばっかり~……」

 

 

 嵐殿(らしでん)の言葉を聞いて、流知(ルシル)は唖然としたまま傍らに立つメイドに視線を向ける。謀反メイドはむしろ気付いていなかったのかとばかりに呆れた表情で流知(ルシル)のことを見ていた。

 いやだわ、と頬に手を当てる嵐殿(らしでん)に、開き直った青髪の少女が拘束されたまま言い募る。

 

 

「か、カマってことは……!」

 

「あっ、情報の真偽について(そっち)は事実よん♪ カマって言ったのは、既知の情報をあえて話してあなたの反応を伺ったってコトねぇ」

 

「……っ、なんで……なんでそんなことが分かるんだぞっ!! 『霊威簒奪』は……『裏設定』の情報は確かなスジから仕入れたんだぞ!! デマなはずないんだぞ!!」

 

 

 麻縄でぐるぐる巻きにされているにも拘らず、青髪の少女は吠えた。

 それに対し、嵐殿(らしでん)はにっこりと眼を細めたまま、そっと倒れた状態の青髪の少女を座った体勢にしてやりつつ、

 

 

「なんでって……それはね~、あなたみたいなおバカ~なコを返り討ちにした後、拘束して首絞めて気絶させては目覚めさせて首絞めて気絶させて~を一〇〇回繰り返したけど、ま~ったく目に見えた変化がなかったからよん♪ 信じられないならあなたでも試してあげよっか、()()()()()()()?」

 

 

 じいっと目を見据えられた冷的(さまと)には、すぐに分かった。

 温和そうに細められたその目の奥にある瞳は、一切笑っていない。

 

 

「…………!?」

 

 

 冷的(さまと)静夏(しずか)。言っていなかったはずの今世の名を言い当てられ、思わず息を呑んだ青髪の少女──冷的(さまと)からスッと一歩引いて、嵐殿(らしでん)は冗談を言うときのような気軽さで笑う。

 

 

「な~んてウ~ソよう! イヤねぇ、お姉さんも流石にそんな酷いことできないわよん!」

 

「た、た、性質悪い冗談だぞ、オマエ……」

 

「……君の立場で、優しく取り扱ってもらえるとでも? 襲撃犯さん」

 

「ま、まぁまぁまぁまぁ! 師匠もそのへんにして差し上げて!」

 

 

 ただでさえ冷え切った空気がさらに冷え込みかけたところで、慌てて流知(ルシル)が割って入る。

 すると嵐殿(らしでん)はまるで先ほどまでの冷たい顔色こそが冗句だったかのようにけろっと表情を明るくする。

 

 

「んも~、悪かったわよぉ。怖かった? ごめんなさいねぇ、()()を襲われたから仕返しに、ちょっと怖がらせちゃおっかなって茶目っ気よ~!」

 

 

 オホホ、と嘯きながら嵐殿(らしでん)はくるりとその場で回って、

 

 

「……ま、ホントのことを言えば、デマだっていうのは最初から分かってたの。だってお姉さん、『シキガミクス・レヴォリューション』原作のイラスト担当だも~ん」

 

 

 ──そう、あっさりと言った。

 

 『シキガミクス・レヴォリューション』イラスト担当、オオカミシブキ。

 『シキガミクス・レヴォリューション』のキャラクターデザインからメカデザイン、果ては都市などの背景デザインまで担当していたというイラストレーターである。

 非常に多作で、『シキガミクス・レヴォリューション』以外にもイラスト系SNSで掲載していたイラストや短編漫画などをまとめて定期的に商業出版するような人気クリエイターだった。

 『シキガミクス・レヴォリューション』原作者とは高校時代からの友人、かつ公私共に親しいことで有名で、生活能力のない虎刺をサポートする為に殆ど同棲状態で生活をしていたとか、『シキガミクス・レヴォリューション』の印税で得た虎刺の莫大な資産の管理を一手に取り仕切っていたりとか、とかくエピソードに事欠かない人物で──その中で、『シキガミクス・レヴォリューション』の設定を非公開のものに至るまで聞かされている、と言われていた。

 

 ──『ライトノベルイラストレーション研究部』。

 つまりは、そういうことである。

 

 

「だから、お姉さんは『シキガミクス・レヴォリューション』の設定なら裏設定までバッチリ把握してるの~。……『霊威簒奪』なんて事象は、その中には存在していない。絶対にね」

 

 

 そこだけは、嵐殿(らしでん)は真顔で断言した。

 しかしその表情はすぐにへにゃりと柔らかくなり、また元の調子に戻って話の続きを始める。

 

 

「調査してたっていうのは()()()()()じゃなくて、デマ情報の出どころなのねん。冷的(さまと)ちゃんは周回遅れにしちゃって悪いけど~」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 

 平然と言う嵐殿(らしでん)に、冷的(さまと)は世にも情けない表情で溜息をついてしまう。

 ──冷的(さまと)の立場からすれば、仕方のないことだった。何せ彼女は百鬼夜行(カタストロフ)の阻止について『できる訳がない』と諦めて、『滅んだ後の世界』で有利に立ち回る為に『霊威簒奪』の噂に飛びついたのだ。

 これがデマとなれば、冷的(さまと)は無用に他人を襲っただけである。無駄な恨みを買っただけという最悪な展開なのもさることながら、成果が得られなかったことで改めて『誰かを一方的に傷つけようとした』事実が背に圧し掛かる。

 

 

「ま、そこで罪悪感を覚えられるんならまだ救いようはあるだろ」

 

 

 そんな冷的(さまと)の様子を見て、薫織(かおり)はふんと鼻を鳴らして言う。流知(ルシル)に目配せをして頷くのを確認した後、薫織(かおり)は項垂れる冷的(さまと)を縛っていた縄を解いてやった。

 

 

「……い、いーのか? 急に襲い掛かった上に追いかけまわして、けっこー本気で攻撃したのに」

 

お嬢様(アイツ)が良いって言ってるしな。それにこの通り、(オレ)は無傷だし」

 

「うぐっ」

 

 

 言外に格が違うと言われてしまった冷的(さまと)は苦し気に呻くと、また先ほどのように項垂れてしまった。実際、戦闘の流れ自体はほぼ必殺女中(リーサルメイド)のペースで進んでしまっていたので言い返す余地もない。

 しばし気まずそうに視線を彷徨わせた後で、冷的(さまと)はおずおずと口を開いた。

 

 

「その……、……ごめんなさい。勘違いで襲って……、いや、そもそも襲ったこと……」

 

「いいんですのよ。分かっていただければそれで。いやぁ本当によかったですわ、無事に和解できて」

 

 

 項垂れながらもか細い声で詫びた冷的(さまと)に、流知(ルシル)はにっこりと微笑みかける。

 

 

「……それで! デマの出どころって結局どこだったんですの? 師匠」

 

 

 少し湿っぽい沈黙が流れかけたところで、流知(ルシル)がパン! と手を叩いて話を切り替える。

 一部始終を楽しそうに眺めていた嵐殿(らしでん)だったが、話を振られたことで『そうね~』と相槌を打ってから、

 

 

「まず、この噂って妙な点があるのよねぇ」

 

 

 と、徐に話し始めた。

 

 

「『裏設定を発見した』。これ自体はまぁいいわ。でも、その検証はどうやってやったのかしらん? 霊力の増減なんて見た目では分からないじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………あ、確かに」

 

 

 言われて、まんまとデマに引っかかっていた冷的(さまと)は納得してしまった。

 『勝敗によって霊気に変動が発生した』という情報が事実だとして、そんなものを感知できるような人間はほぼいない。この情報自体、その確認の難しさを利用して広められている節がある。

 

 だが一方で、転生者達だってただのバカというわけではない。むしろその多くは前世である程度の人生経験を積み、多少の賢しさを備えた人間である。

 検証ができないということは、目に見える根拠がないということだ。いかに百鬼夜行(カタストロフ)による滅亡が回避できない状況とはいえ、果たして全く根拠のない情報を信じたりするだろうか。

 ──答えは、否。おそらく、個人個人に何かしらの『信じるに足る理由』があったはずだ。

 たとえば、情報源が個人的に信頼できる相手だったとか。もしも信頼を置く相手から伝えられた情報だった場合は、根拠がなくても信じてしまうかもしれない。

 

 では、冷的(さまと)にデマを聞かせた人物は誰からその話を聞いたのか? さらにその『誰か』はどこから情報を仕入れたのか? そうして大元を辿っていけば、おのずと答えは見えてくる。

 

 

「その前提を考えた時点で、ある程度アタリはついてたんだけどね~。調べてみたら、案の定だったわよん♪ デマの出所、その名は…………」

 

 

 そこまで言って、嵐殿(らしでん)はその名を口にした。

 

 

「……『生徒会執行部』」

 

 

 ウラノツカサ生徒会執行部、通称『生徒会』。

 『原作』には存在しない、学内最大の転生者組織。

 その正体は、未確認の者も合わせれば総勢二〇〇人程度の転生者がいるという『ウラノツカサ』において、実に五〇人以上にも及ぶ()()()()構成員を誇る超巨大組織である。

 実質的に学園の運営を支配しているこの組織の長には、こんな噂がまことしやかに囁かれていた。

 

 ──噂に曰く。

 

 

 

「『()()()()』、トレイシー=ピースヘイヴン」

 

 

 

 『生徒会長の正体は、「シキガミクス・レヴォリューション」の原作者である』、と。



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04 ご奉仕の時間

「……それで」

 

 

 カチャリ、と。

 木製のスクールチェアに腰かけた冷的(さまと)は、手に持った白い陶器製のティーカップをゆっくりと学習机の上のソーサーに置く。

 学習机、のはずだった。

 『はずだった』というのは、その天板には真っ白いテーブルクロスが敷かれており、学習机の要素は傍から見たらテーブルクロスから伸びるパイプの足しかないという意味だが──

 

 

「なんなんだよ、この状況っ!?」

 

 

 冷的(さまと)のツッコミが、その『部室』の中で空しく響く。

 流知(ルシル)嵐殿(らしでん)もこの状況には慣れ切ってしまっているのか、優雅にお紅茶を楽しむのみ。傍でしれっと給仕をしているコスプレメイドだけが、我関せずとばかりにテキパキ働いていた。

 

 ──現在地、ライトノベルイラストレーション研究部・部室。

 『立ち話もなんだから~』という嵐殿(らしでん)の提案により、冷的(さまと)も含め四人で部室に入ったのだが──イラストと銘打たれている割には五台ほどの()()パソコンと()()プリンタがあるだけの殺風景な室内は、明らかに場違いなお茶会要素が点々と散らばっていた。

 まぁそれは十中八九このガラの悪いメイドの趣向なのだが、問題はそこではない。

 

 

「このテーブルクロスとかっ、ティーカップとかっ! さっきまでなかったよな!? どっから出てきたのこれ!?」

 

「それはちょっとそのへんから」

 

「収納上手かっ!?」

 

 

 当然ながら、部室にはお茶会セットがしまえるような収納スペースはない。

 なおも食い下がる冷的(さまと)だが、どうやら薫織(かおり)の方はこの一連の流れを完全にギャグとして処理するつもりらしい。しかもちょっと目を離した隙に、テーブルの上にはなんともおいしそうなお茶菓子が配置されていた。無駄に完璧な仕事であった。

 冷的(さまと)、ツッコミを諦める。

 

 

「……さて、話を戻そう。『生徒会長』がデマの出どころってことは、冷的(さまと)の情報源も生徒会(そこ)か?」

 

「もぐ。いや、わたしに『生徒会』の知り合いはいないぞ。わたしに『霊威簒奪』の情報を……聞かせたヤツは確信を持って断言してたけど、『生徒会』かどーかは……正直……」

 

 

 冷的(さまと)はそう言って、食べかけのクッキーに視線を落とした。

 給仕は一人だけ部屋の隅に佇みながら、あえてそこには触れず、話を逸らすように言う。

 

 

「にしても、まさかデマの出所が生徒会長本人とはな。確かな情報なのか? それ」

 

「ええ。複数の生徒会役員からの証言を入手済みよ~」

 

 

 ──元々、『生徒会』という組織はただのモブに過ぎなかった。

 『シキガミクス・レヴォリューション』において、基本的に勢力争いは『部活』単位で行われていた。作中で陰謀を張り巡らせるのも生徒ではなく教師が主となっているという事情もあり、『原作』でも名前が出てくることはほぼない。精々、サブキャラクターの設定に組み込まれている程度。

 そんな組織だったはずなのだが──転生者が溢れたこの世界においては、『ウラノツカサ』でも最大の生徒組織ということになっていた。

 そしてその長が、トレイシー=ピースヘイヴンである。

 

 

「…………本当の本当に、会長は原作者なのか?」

 

 

 冷的(さまと)が、おそるおそる問い返す。

 ピースヘイヴンが『原作者』というのは、転生者の間では有名な話だった。

 というのも、本人が原作者であることを吹聴しており、そして実際にそうとしか思えないほどに卓抜した陰陽術の腕前を持っているのだ。

 『原作』に関する情報が、『生徒会』を出どころに広まっている。であれば、そこに『原作者』かつ『生徒会長』であるピースヘイヴンが関わっていないという方が不自然だろう。

 

 

「間違いなく、トレイシー=ピースヘイヴンの正体は虎刺看酔ねぇ。むか~し、本人と直接話したことがあるから。これは確実よ~」

 

 

 顔色を伺うように問いかけた冷的(さまと)に、嵐殿(らしでん)はきっぱりと答える。その答えを聞いて、冷的(さまと)は静かに項垂れた。

 無理もない。本来であれば最も信頼できる情報源であるはずの原作者が率先してデマ情報の流布に関わっているとあれば、最早検証していない『裏設定』の情報など何も信用できなくなってしまう。

 それだけではない。

 『原作者』がデマを流布しているという事実。これも、考えてみればかなり深刻な情報だった。明らかに原作者自身が転生者に向けて『悪意』を以て混乱を齎そうと動いているのである。ただでさえ絶望的な情勢なのに、さらに希望が失われたような気分だった。

 

 

「……ま、アレもアレでまだこの世界のことを諦めてはいないはずだけど……でも、なーんでよりによって自分の作品についてのデマ情報なんて流すのかしらね~」

 

 

 嵐殿(らしでん)は頬に手をあててぼやきつつ、もう片方の手でお茶請けのクッキーをつまんだ。

 

 

「……問題は、『生徒会』から流れたデマのせいでウチの流知(ルシル)ちゃんが襲われてるってことよね~。まだ連休前だっていうのに、冷的(さまと)ちゃんで三人目。このままじゃ捌き切れなくなる……というか」

 

 

 クッキーをつまんだ嵐殿(らしでん)は、それを両手の指で挟みなおして半分に割る。

 

 

流知(ルシル)ちゃん以外の被害者のことも考えると、今度は報復やら予防攻撃やらで、学園全体を巻き込んだ暴動が起きちゃうんじゃないかしら~ん?」

 

 

 もしそうなれば、当然学園はバラバラになってしまうだろう。今まさに割られたクッキーのように。

 

 

「ひえ…………」

 

 

 至極殺伐とした嵐殿(らしでん)の予測に、流知(ルシル)は青い顔をする。

 もしそうなれば、もう世界滅亡の危機どころの話ではない。『原作』が本格開始する時系列に到達する前に生徒の暴動で学園が本格的な無法地帯になってしまえば、いよいよこの世はどうにかなってしまうだろう。

 メイドは不安そうにしている流知(ルシル)を横目に見遣り、

 

 

「気にすんなよ。()()()()()()()()()()()()()。それに、策が不発(シク)っても最悪お嬢様の命だけは護れる準備はしてるし」

 

「わたくしだけじゃ困りますのよ!」

 

「……、……まァ、そりゃそうだけどな」

 

 

 気軽そうに言う薫織(かおり)だったが、逆に憤慨したように返す流知(ルシル)に言われてバツが悪そうに視線を逸らした。

 一連のやりとりに含まれた文脈を知らない冷的(さまと)は当然首を傾げる。それに気付いた流知(ルシル)はパンと手を叩いて、

 

 

「そうですわ! 無事に冷的(さまと)さんとも和解できたことですし、この機にアナタも一緒にこの『ライ研』に所属しませんこと? わたくし達としても仲間が増えるから歓迎しますし!」

 

 

 そう、朗らかに提案した。

 流知(ルシル)冷的(さまと)が返答するよりも先に続けて、

 

 

「ああ、ご心配なさらずに。薫織(かおり)が言っていたように、わたくし達も百鬼夜行(カタストロフ)に対して無策というわけではなくてよ。実はわたくしの──」

 

「遠慮しておくよ」

 

 

 そこで。

 ぽつりと、しかし断ち切るような鋭さで、冷的(さまと)は言葉を差し挟んだ。

 

 

「はえ? どういう……、」

 

「遠慮しておく。わたしなんかを誘ってくれたのは嬉しいんだぞ。でも……わたしに仲間は要らないから」

 

 

 静かに言って、冷的(さまと)は立ち上がる。

 しかし、流知(ルシル)としては納得ができない。彼女の言う通り百鬼夜行(カタストロフ)については策があるのだ。仲間は多いに越したことはないし、冷的(さまと)にしたって『シキガミクス』を失っている以上身を寄せる場所は必要なはずである。

 なおも言い募ろうと立ち上がり、

 

 

「どうしてですの? 襲撃のことを気にしているならどうかお気になさらずに! そんなことよりも今は互いに協力し合うことの方が、」

 

「うるさいなぁ!!」

 

 

 一喝するような冷的(さまと)の叫びで、その言葉は強制的に止められてしまった。

 

 

「あ……、も、申し訳、」

 

「要らないって言ってるだろ!! 今更!!!! 『仲間』なんてものっ!!」

 

 

 泣き叫ぶようにそう言い放った後、我に返ったのか冷的(さまと)はすぐさまハッとした表情になる。

 一瞬の間があった。しかし冷的(さまと)はその表情をすぐさま苦渋に歪めると、流知(ルシル)が何か言い返す前に走り去って行ってしまった。

 

 

「あっ! 冷的(さまと)さん!」

 

「行かせとけ」

 

 

 反射的に呼び止めようとした流知(ルシル)を、薫織(かおり)は声を上げて制止した。

 

 

「あのサメガキにも事情があんだろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………、」

 

 

 どこかズレたところこそあったが、冷的(さまと)は決して根っからの悪人というわけではなかった。というより、転生者というのは大抵がそうだ。平和な社会で人格形成を済ませた転生者は、根っからの悪人など滅多にいないし、何もなければ大それたことなどできない。

 そんな彼女が見ず知らずの人間を襲うなんて凶行に出たということは、必然的にそれ相応の悲劇があったはずだ。

 ──それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が。

 

 

 


 

 

 

04 ご奉仕の時間

>> FIRST ORDER

 

 

 


 

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 冷的(さまと)が走り去った後の部室にて。

 嵐殿(らしでん)は先ほどまでとは打って変わった態度で切り出した。

 

 

「……毎度思うが、その変わり身どうにかなんねェのか」

 

 

 げんなりした表情で、薫織(かおり)がぼやく。

 

 『シキガミクス・レヴォリューション』のイラストレーター・オオカミシブキの性別は、純然たる男性だった。

 心と身体の性別が一致していないということもなく、心も身体も男性である。そして今世においても、嵐殿(らしでん)は身体こそ女性であるものの、性自認は変わらず男であった。

 当然というべきか、先ほどまでの嵐殿(らしでん)の態度は『おふざけ』であり──こちらの方が『素』だ。こんな『素』なのにあんな『おふざけ』をしているからこそ、余計に異常なのだが。

 

 

「『これ』も大事な息抜きなのよん♪ なんならエンドレスでコッチでもお姉さんでいいけどな~」

 

「んで、冷的(サメガキ)のことって?」

 

 

 即座にしなを作って言う嵐殿(らしでん)のことは無視して、メイドはさっさと話を前に進める。

 嵐殿(らしでん)もさらっと元の調子に戻って、

 

 

冷的(さまと)静夏(しずか)は、数日前に所属していた部から退部しててな」

 

 

 頬杖を突きながら、嵐殿(らしでん)は軽く語る。それは、薫織(かおり)達と合流する前に調べた『霊威簒奪』のデマ拡散ルートの調査の中で浮かび上がった内容だった。

 

 

「『B級映画研究部』。俺達と同じように、趣味に邁進しつつ──世界の現状を憂いて対策を練る、そんな部だったようだ」

 

 

 すっかりぬるくなった紅茶を口に運びながら、嵐殿(らしでん)は続けて、

 

 

「……崩壊のきっかけは、部長の乱心だったと聞いている。『霊威簒奪』のデマに乗せられた部長が、部員達を襲った。その後は部員同士のサバイバル。勝ち残ったのは冷的(さまと)ちゃんだけだった。あとは全員保健棟(びょういん)送りだ」

 

「そ、それって……!」

 

「……すまんね。どこかでそれとなく教えてあげられていれば、ああは拗れなかったんだが」

 

 

 嵐殿(らしでん)は申し訳なさそうに目を細めて、

 

 

「ともかく、彼女は信じる仲間達に裏切られて()()()()()()()ってこと。そして信じていた絆の瓦解と引き換えに入手した情報……デマを疑うことは心情的には無理だよなぁ」

 

 

 『霊威簒奪』。

 陰陽師を倒すことで、その霊気を己のものにして能力を強化できる『裏設定』。

 その情報が引き起こすのは、即ち陰陽師同士の私闘の散発である。そこに『草薙剣』の不在による慢性的な治安の悪化が重なれば──冷的(さまと)の例のような『かつての仲間同士による裏切り』は当然発生しうる。

 そして人間心理として、自分の大切なものと引き換えにして得た情報は()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり、疑うという発想自体を自分から排除してしまう。

 『霊威簒奪』の急速なデマ拡散には、そうした事情があるのかもしれない。

 

 

 ──そしてそんな情報に翻弄されて『仲間』を失い、そうして世界に絶望した人間にとって、流知(ルシル)の提案はまさしく傷口に塩を塗り込むような痛みを伴っていたのではないか。

 

 

「そ、そんなの……! じゃあ、私が言ったことは……!」

 

「お嬢様は別に悪かねェだろ」

 

 

 メイドは冷的(さまと)の分の食器を片付けながら適当そうに言って、

 

 

「お前は『仲間を増やしてェ』っていう当然の理屈に従って相応の提案をしただけ。アイツはアイツで事情があって交渉は決裂した。そこに誰の落ち度もねェよ」

 

「ま、諸悪の根源はデマをばら撒いた生徒会長だしな。いや~、あの原作者野郎、随分悪辣な手を使うもんだわ~」

 

 

 けろりと言う嵐殿(らしでん)だったが、流知(ルシル)は押し黙って俯いてしまう。

 彼女の痛みは。

 それを無神経にほじくり返したという失点は、『行き違い』なんて言葉で納得できるような重みではなかったはずだ。

 だって、彼女は叫んだ後すぐに自らの行いを省みた。衝動的な叫びがどんな影響を周囲に齎すかを理解していて、それでも手を取るという選択肢を選び取れなかった。それほどの痛みだったのだ。

 ──なら、そんな痛みを押し付けた自分には相応の責任がある。流知(ルシル)は、そう思っていた。

 

 

「……まァ、そんな理屈で納得するタマじゃねェことは分かっているが」

 

 

 俯く流知(ルシル)とは対照的に、メイドの方はあっさりとした調子だった。

 

 

「アイツには色々と考えを纏める時間が必要ってことだ。お前のお節介癖は知っているが……ちょっかいかけるにしても、アイツの気持ちが落ち着いてからにしな」

 

「…………うん、分かった。……分かりましたわ」

 

 

 ぽん、と宥めるように頭を撫でられながら、流知(ルシル)は噛み締めるように頷く。

 一秒後には、流知(ルシル)はすっかり元の調子で前を見据えていた。

 

 

「……さて、それじゃあこれからのことについて話そうか」

 

 

 そんな二人を微笑ましそうに眺めつつ、嵐殿(らしでん)は次の話題を語り始める。

 

 

「とりあえず、流知(ルシル)ちゃんの為にもデマの流布を止めるのは前提として。問題は生徒会長の狙いだ。虎刺看酔を前世から知る者としては、アイツがここまでする裏には絶対に何かの『計画』が動いてるはずだと思うんだよなぁ」

 

「……『計画』ですの?」

 

「そそ。アイツ、前世から企み事大好きだったからな。絶対に、何かしらの『計画』があるはずだ。だから、それを知っておきたい」

 

 

 まるで世間話でもするみたいに言って、嵐殿(らしでん)は腕を組む。両腕で大きな胸を押し上げるような態勢をとった嵐殿(らしでん)は、さらに続けて、

 

 

「具体的には、トレイシー=ピースヘイヴンの側近レベルの『生徒会』役員の頭脳を確保できれば最高だね」

 

 

 なんてことを、しれっと言い始めた。

 

 

「頭脳を確保……そ、それってもしかして、拉致ってこと!? そんなこと本当にできますの……?」

 

「まぁ、できるかどうかで言えば余裕だろうが……」

 

 

 実現性にすら想像が及ばない一般お嬢様とは対照的に、先ほどしれっと転生者を完封した戦闘メイドは渋々といった感じで首筋に手を当てて、

 

 

「だが、気は進まねェな。捕まえて尋問するってことだろ? ()()()()()()()()()()()()

 

「あー! 違う違う! そうじゃない。すまんね、勘違いさせた」

 

 

 吐き捨てるように言う薫織(かおり)に、嵐殿(らしでん)は慌てて手を振って否定する。

 

 

()()()()()()()()()()()()()。俺のシキガミクスは()()()()()()()もできるわけ。詳しい内容は企業秘密だから、二人にも教えられないが……対象に触れるだけで問題ない。それならどう?」

 

「……なるほど」

 

 

 嵐殿(らしでん)の提案に、薫織(かおり)は考えながら頷いた。

 拉致ではなく、接触。薫織(かおり)嵐殿(らしでん)のシキガミクスは一部知っているが、おそらくその応用で相手の思考なり知識なりを読み取ることができるということなのだろう。

 

 

「それなら(オレ)は文句ねェ。それじゃ、生徒会室に乗り込むか? 陽動が要るだろ」

 

「陽動もメイドのやることではありませんわよね」

 

 

 ニヤリと笑っているところにツッコミを入れる流知(ルシル)だったが、乗り込み志願メイドはこれを完全にスルー。雇い主として、いつかメイドの職分についてちゃんと話し合いたいと思う流知(ルシル)であった。

 

 

「あ、あの~。イラストレーター・オオカミシブキの名前を使って対抗の噂を流すのは駄目ですの?」

 

 

 仕方がないので、流知(ルシル)は遠慮がちに手を挙げながら話し始める。

 

 

「何も、相手の計画を全部知る必要はないと思いますの。というかその為に生徒会室に乗り込むとか危なすぎるし……。たとえば、噂を書き換えてしまえば相手の計画は狂いますわよね? それでも目的は果たせるのではなくて? 何も生徒会室に乗り込まなくても……」

 

「お前は戦闘の危険を避けたいだけだろ」

 

「ど、どうですのっ!?」

 

「うーん、難しいだろうねぇ」

 

 

 流知(ルシル)の提案に対し、嵐殿(らしでん)から帰ってきたのはやんわりとした否定だった。

 

 

「向こうの方が噂の流布に割ける人員も、使用しているネームバリューも上だ。対抗してもあっさりと潰されるだろうし、下手をすれば『嵐殿(らしでん)柚香がオオカミシブキというのはデマ』という形でこちらの手札まで潰されかねない」

 

「…………じゃ~やっぱり乗り込むしかありませんわね~……」

 

 

 肩を落としながら、流知(ルシル)は観念したように溜息を吐く。

 

 

「……いや、別にお嬢様は付いて来なくていいんだぞ? 陽動は(オレ)一人で十分だし、何ならこの後は(オレ)の部屋に避難しておけば、久遠(くおん)もいるし安全だろ」

 

「それじゃ妹さんを頼っているみたいで情けないじゃありませんの! わたくしだってアナタのご主人様なのですから、メイドが陽動に行くのなら付き添いますわよ~……」

 

「アイツ、()()()だから気にしなくていいんだが……」

 

 

 本当に渋々という形ではあるが、流知(ルシル)の方はもう自分から行かないという選択肢を排除しているようである。妙なところで律儀な少女だった。

 ともあれ、方針は固まった。

 薫織(かおり)流知(ルシル)が陽動の為に生徒会室へ向かい、その混乱に乗じて嵐殿(らしでん)がピースヘイヴンの腹心から情報を奪う。それによってピースヘイヴンが『原作者』としてのネームバリューを利用してデマを流してまで進めたがっていた『計画』を暴く。

 その為に、各々が行動を開始しようとした矢先。

 

 

「うわァァあああああああああああああああああああああああああああああああああ!?!?!?」

 

 

 と、少々色気のない少女の悲鳴が、廊下から響いてくる。

 薫織(かおり)が即座に部室の扉を開けると、『それ』はすぐに見えた。

 

 

 部室から一〇〇メートルほど。

 そこにいたのは、地下鉄のホームのようなだだっ広い廊下ですらも窮屈さを感じさせるような体躯の、巨大な百足だった。

 いいや。

 より正確には、巨大な百足の妖怪・大百足──()()()()()()()()()である。

 黒光りする光沢と、大量に伸びる鋭い脚。生物的な動きは、機体に刻まれた『MM-Mega_Centipede』というロゴがなければ、本当に異形の化け物にしか見えないかもしれない。

 まるで、怪異と見紛うような機械。それが、今まさに少女に向かって襲い掛かろうとしていた。

 ただし、別に異常事態というわけではない。それを証明するように、人工の大百足はその機体から自動音声らしき感情を感じさせない言葉を発する。

 

 

『こちらは「ウラノツカサ生徒会執行部」です。シキガミクスによる暴行事件の容疑者として、生徒会室まで同行を願います』

 

 

 その機体の名は、『シキガミクス・メガセンチピード』。

 『生徒会』が所有する()()()()()()()()の一機で、怪異・大百足をモチーフにした『ミスティックミメティクス』シリーズの一つである。

 

 

「うあ、ああ……」

 

 

 そして、その絡繰り仕立ての大百足に襲われているのは──青髪の少女。冷的(さまと)だった。

 何のことはない。流知(ルシル)を襲ったところを他の生徒に見られていて、通報を受けて捕まったといったところだろう。

 これ自体は、何も間違っていない。冷的(さまと)流知(ルシル)のことを襲ったのは事実だし、色々と事情があったにせよ、その行いを正当化することはできない。

 

 その上で。

 

 

「あ、ああ~! 生徒会の方! 誤解ですわ! 誤解! ()()()()()()()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 

 流知(ルシル)は一寸の迷いもなく『メガセンチピード』まで駆け寄り、そしてその取り締まりを止めに入った。

 身の丈と比較するのも馬鹿らしくなるくらい巨大な百足ロボに対し、流知(ルシル)は引き攣った笑みを浮かべながらも見上げ、

 

 

「いやぁ、お手数おかけして申し訳ありませんわ。ちょっと熱が入りすぎたせいで誤解を生んでしまいましたのね。今度からは気を付けますので、どうかこの場は……」

 

「な、何言ってるんだぞ、オマエ……。わたしはオマエのこと……」

 

「わーわー! 勘違いされてしまうようなこと言わないでくださいまし!」

 

 

 何事かを言いかけた冷的(さまと)の口を慌てて抑え、流知(ルシル)は囁くように言う。

 

 

「……ごめんなさい。アナタの事情、後から師匠に……嵐殿(らしでん)さんに聞きましたの。知らなかったとはいえ……辛いことを思い出させてしまいましたわね」

 

 

 でも、と流知(ルシル)は言う。

 

 

「それでもやっぱり、わたくしはアナタのことを放ってはおけませんわ。だって、アナタが苦しんでいるって知ってしまったから」

 

 

 そんな理由で。

 それだけの理由で、流知(ルシル)は笑いかける。先ほどまで一方的に追い掛け回され、命からがら逃げていたはずの相手に対して。

 彼女の瞳を真っ直ぐに見据えて、もう一度手を差し伸べる。

 

 

「だから……『仲間』じゃなくたって良い。助けられたなんて思わなくて良い。今はただ、私のワガママに付き合って」

 

「……オマエ…………」

 

「お嬢様。お話し中のとこ悪いが、向こうはそれじゃあ納得してくれねェようだぞ」

 

 

 と。

 流知(ルシル)冷的(さまと)の手を取ったところで、いつの間にか流知(ルシル)の前方に立っていた薫織(かおり)が声をかける。

 見ると、二人のやりとりを見ていた『メガセンチピード』がギギギ、と不気味な音を立てて二人に向かって上体を持ち上げているところだった。

 

 

『……警告。違反生徒取り締まり中の干渉は一般生徒には認められていません。退避しない場合は、妨害行為として取り締まり対象と見做します』

 

「え、ええぇ!? 今の流れはわたくしの度量に免じて冷的(さまと)さんのことを許してあげる感じではありませんの!?」

 

「それを自分で言えちゃうトコが、お前の良いところだよ。お嬢様(アホバカ)

 

 

 慌てふためく一般お嬢様を背にして、メイドが戦闘態勢に入る。

 臨戦態勢の獣の唸り声じみて低い声色で、薫織(かおり)は続けて、 

 

 

「そもそも襲撃のタイミングが良すぎんだろ。最初からどうせ取り締まりなんか()()に決まってるだろうが!」

 

 

 『メガセンチピード』が、その巨体全体をまるで大きな鞭のように振り下ろす。

 対する薫織(かおり)は、どこから取り出したのか、いつの間にか手に持っていたデッキブラシを両手で振り回すと、振り下ろされた『メガセンチピード』の機体側面に思い切り叩きつけた。

 ゴッガァァァン!!!! と。

 まるで重機か何かの駆動音かと錯覚するほどの凄絶な轟音が、『ウラノツカサ』の廊下に響き渡る。

 衝突の衝撃で軌道をズラされた『メガセンチピード』の一撃は、薫織(かおり)から逸れる形で廊下にめり込んでいた。──当然、その背後にいる二人にも、危害は加わらない。

 

 あっさりと脅威を退けた戦闘メイドは、何でもないように背後に守る自分の主人に呼びかける。

 

 

「一応言っておくが……そいつはお嬢様を襲った下手人で、守る理由なんか何一つねェ。これから『生徒会』と一戦構えるってんだ。そいつを見捨てて陽動に使った方が、多分(オレ)達の目的はスムーズにこなせるだろう。その上で聞くぞ」

 

 

 まるで、主人の意を問う従者のように。

 あるいは、協力を申し出る友人のように。

 

 

流知(ルシル)は、どうしたい?」

 

 

 だから、流知(ルシル)は迷わず答えた。

 

 

「決まっていますわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを悪用して不当に冷的(さまと)さんを攻撃しようとするのなら……『生徒会』とて許せなくてよ! わたくしは、()()()()()()守りたい! 薫織(かおり)、お願い! 冷的(さまと)さんを救って差し上げて!」

 

「仰せのままに、お嬢様」

 

 

 したがって、薫織(かおり)もまた迷わず応じる。

 今日一番に楽しそうな──それでいて猛獣のように好戦的な笑みを浮かべて、不良気味のコスプレメイドは宣言した。

 

 

「それじゃあ、『ご奉仕』の時間だ」



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05 世界を諦めた者

 ──シキガミクス。

 それは最早、日本国民の生活に密接にかかわるものとなっている。

 冷的(さまと)が扱っていた皮剥上手(ピーラージョーズ)のような、固有の霊能を持つ()()シキガミクスだけではない。部室に置かれていた木製パソコンや木製プリンタのような()()()()などは、固有の霊能こそ持たないが陰陽師以外にも等しく扱える。むしろこれらの()()シキガミクスこそが歴史の特異点となった『陰陽革命』の原動力であり、そして──

 

 

『こちらは「ウラノツカサ生徒会執行部」です。速やかに戦闘態勢を解除し、投降してください。指示に従わない場合、武力を以て鎮圧行動に移ります。その際に発生した負傷については、当執行部は一切保証いたしません』

 

 

 木造りの大百足。怪異を模した『ロボット』もまた、そうした歴史の特異点を生み出した()()シキガミクスの一種だった。

 

 

「わわっ、動き始めましたわよ薫織(かおり)! わたくし達はどうすれば!?」

 

「下がってろ。集中できねェから」

 

 

 『メガセンチピード』を前にしながら、薫織(かおり)はそう言ってデッキブラシを構える。

 『ウラノツカサ』の廊下全体を埋め尽くさんばかりに蠢く『メガセンチピード』は、その敵対行動を以て完全に優先対象を薫織(かおり)に変更したらしかった。ギギ、と機械仕掛けの関節が虫が蠢くような耳障りな音を立てながら、薫織(かおり)の方へ向き直る。

 おそらく二〇メートル程度はある体躯を持ち上げたその姿は、最早百足というよりも神話に現れるような大蛇のそれにも近しい威容を誇っていた。その一連の動きを見ていた戦闘メイドは、すぐに動けるよう身を低く屈める。

 戦端を切ったのは、『メガセンチピード』の方だった。

 

 

『投降の意志なしと判断。鎮圧します』

 

 

 グオォ!! と持ち上げた上体だけで、五メートルほどか。それを鞭のようにしならせた『メガセンチピード』は、まるで持ち手が一人しかいない大縄跳びの縄のように地面を掬い上げる軌道でひと薙ぎにする。

 ──『ウラノツカサ』の廊下は道幅が一〇メートル強、天井までの高さが五メートルある非常に広々としたつくりだが、体長二〇メートルほどもある『メガセンチピード』がその胴体を使って目の前をひと薙ぎにすれば、どれだけ広かろうが関係ない。ただそれだけで、陰陽師だろうとなんだろうと戦闘不能にする、圧倒的質量。それに対し薫織(かおり)は──

 

 たん、と軽い音を立てて跳躍し、致命の一撃を容易く回避した。

 人間の領域を、遥かに超えた機動力で。

 

 

(あのメイドの異常な身体能力……たぶん、あの目立つメイド服そのものがシキガミクスなんだ!! それなら、あのコスプレも納得……いや納得できないけど……)

 

 

 とはいえ、あの身体能力にも限度はあるだろう、と冷的(さまと)は予測する。攻撃を回避したあたり、おそらく真正面からは撃ち合えないとか、そのくらいの限界があるはずだ。

 鮮やかな回避を見せた戦闘メイドだが、それを後方から見守っていた冷的(さまと)は心配そうに声を上げた。

 

 

「マズイんだぞ! 『メガセンチピード』のヤツ、()()()()()()()()()()()()()()っ! 空中に逃げたオマエを叩くつもりだぞ!」

 

 

 空中。

 身動きが取れない薫織(かおり)に、何もない空間を薙いで頭を低くした姿勢の『メガセンチピード』の頭部センサが焦点を合わせる。

 『メガセンチピード』が攻撃に使ったのは、頭側の体躯五メートルほど。全長を二〇メートル程度とした場合──残り一五メートルは、すぐにでも動ける待機状態ということになる。

 即ち。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(何となくだけど……分かってきたんだぞ! あのメイドの霊能は、おそらく身体の精密操作! わたしを追い詰めたあのナイフも、霊能で精密に回転を調整していたに違いないぞ!)

 

 

 ただ、それが霊能なのだとしたら、薫織(かおり)の現在の状態は非常に厳しい。

 先ほど薫織(かおり)は『メガセンチピード』の一撃を叩いて逸らしたが、あれは地に足をつけた状態で、なおかつ冷的(さまと)に向けた攻撃を横から逸らしただけだ。

 踏ん張りの効かない空中で、しかも自分自身を狙った一撃。仮に薫織(かおり)のシキガミクスが『メガセンチピード』と同等の膂力を持っていたとしても、どう考えたって力負けする状況だ。薫織(かおり)の霊能が単なる『精密動作』であれば、そもそも霊能を活かすどころの話ではなくなってくる。

 

 

(クソっ! 旧型の『メガセンチピード』くらい、皮剥上手(ピーラージョーズ)が健在だったら手助けできるのに……!)

 

 

 ドヒュ!!!! と。

 まるで矢のような速度で、『メガセンチピード』の尾に当たる部分が突き出された。実在の百足同様に鋭く伸びた脚を備えた尾部の一撃は、食らえば貫通は免れないだろう。

 対して、薙ぎの一撃を跳躍して回避した直後の薫織(かおり)は空中にいて、それ以上攻撃を回避するようなことは──

 

 

「や、やめてくれェ!!」

 

 

冷的(さまと)さん。……ウチのメイドを、あまり甘く見ないことですわ」

 

 

 焦る冷的(さまと)を窘めるように、流知(ルシル)が落ち着き払って宣言した直後。ゴガンッ!! と、デッキブラシの一閃がその一撃をあっさりと叩き落した。

 別にさしたるトリックがあったわけではない。ただ、手に持ったデッキブラシを振り下ろしただけ。ただそれだけのアクションが、全長二〇メートルにも及ぶ巨躯との肉弾戦にも打ち勝てる──ただそれだけのこと。

 その事実を『メガセンチピード』の判断能力に悟らせない為の、あえての跳躍。『メガセンチピード』も冷的(さまと)も、まんまと薫織(かおり)の誘いに乗せられたにすぎない──というわけだ。

 

 

「そもそも。旧型の『メガセンチピード』ごときに力負けするようなシキガミクスで、一〇年以上も民間で陰陽師をやっていける訳がありませんもの」

 

「じゅ、みん、え……?」

 

必殺女中(リーサルメイド)は伊達じゃない、ということですわ」

 

 

 はたき落とされた『メガセンチピード』の尾部は、そのまま頭部に勢いよく叩きつけられる。司令塔たる頭部への衝撃で一瞬行動が停止した隙を、百戦錬磨のメイドは見逃さなかった。

 

 

「『メイド百手(ひゃくしゅ)』──」

 

 

 その手にあったデッキブラシが──突如として、消失する。

 代わりに次の瞬間には、空中で振りかぶられたメイドの足先に一本のアイスピックが()()()()

 

 

「あ、れ? 足……? アイスピック……??」

 

 

 一部始終を眺めていた冷的(さまと)が茫然として呟いたのも束の間。

 薫織(かおり)の足が、勢いよく振りぬかれる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「──『曲芸奉仕(アトロイドサービス)』!!」

 

 

 ズガン!! と。

 蹴り飛ばされたアイスピックが、寸分違わず『メガセンチピード』の脳天に突き刺さった。

 

 

 


 

 

 

05 世界を諦めた者

>> CREATER A

 

 

 


 

 

 

 薫織(かおり)はアイスピックの着弾を確認すると、さらにその頭を踏みつけにして跳躍し、流知(ルシル)達の許へと即座に戻ってきた。

 離れたところで戦闘メイドの『ご奉仕』を見守っていた流知(ルシル)は、突然飛び跳ねて戻ってきた従者を驚きながらも出迎える。

 ただし。

 

 

「わっ、もう倒せましたの薫織(かおり)!?」

 

「まだだ! ()()()()()()()()()()! っつーわけで、とりあえず此処は抱えて逃げさせてもらうぞ!」

 

 

 受け答えもそこそこに、言うだけ言って薫織(かおり)は二人を両肩で俵担ぎにして走り出してしまう。

 

 

「きゃああああ!? 薫織(かおり)、お尻を突き出す格好はイヤですわ! せめてお姫様抱っこ!」

 

「文句があるなら自力で体勢変えろ! 今は逃走優先!」

 

「そんなことしたら落ちちゃいますわよぉぉおおおおおおおお!!」

 

 

 横は横で阿鼻叫喚の様相を呈していたが、薫織(かおり)は取り合わない。

 メイドらしからぬ全力疾走で早々に『メガセンチピード』を撒いた薫織(かおり)は、適当な支柱の陰に二人を下ろす。

 

 少々の沈黙が続いた。

 真っ先に口を開いたのは、ギャアギャア騒いでいた流知(ルシル)ではなく冷的(さまと)の方だった。

 

 

「……なんでわたしを庇った?」

 

 

 俯きがちにしながら、冷的(さまと)は何かに耐えるように流知(ルシル)に尋ねる。

 

 

「わたしは……わたしはオマエのことを襲ったのに。せっかく差し伸べてくれた手を払ったのに。シキガミクスだって今は壊れてて、利用価値もないんだぞ。まさかそんなことを一切気にしない底抜けのお人好しって訳でもあるまいし……!」

 

「あァ……、まァ似たようなモンだな」

 

 

 混乱の坩堝の中で藻掻くような冷的(さまと)に対し、薫織(かおり)はあっさりと言った。説明を引き継ぐように、流知(ルシル)は徐に口を開く。

 

 

「……冷的(さまと)さん、『ズムプリ』はご存知でして?」

 

「え? いや……」

 

「『プリズムプリンセス』。わたくしが子どもの頃にやっていたアニメでしてよ。……そのメインキャラの一人……『黒衛(くろえ)嶺亜(レイア)』という女の子が、わたくし大好きだったのですわ」

 

 

 流知(ルシル)は何か遠くを見つめるようにして、

 

 

「意地悪で、口うるさくて、ちょっと捻くれてて……最初はなんて酷い子なんだって思ってましたけど、本当はとても心優しくて、そして誇り高くて……そんなカッコイイ彼女に、子どもの頃のわたくしは憧れていましたの。まぁ、前世はだからどうというわけでもなくサクッと死んでしまったのですが」

 

 

 だからこそ、と流知(ルシル)は言う。

 

 

「今世こそは、彼女を理想にして生きてみたいのですわ。色々と思うようにいかなかった前世ですけれど、今度こそは、あの人のように気高く心優しく生きてみたい、と。……というわけなので! わたくしは自分の理想に見合う行動をしているだけですので、べつに深い理由とかはなくってよ!」

 

 

 少しだけ照れくさそうに最後の方は語調を張り上げると、流知(ルシル)はそう言い切ってしまった。

 ただ、冷的(さまと)にだって流石に分かる。

 独力で『メガセンチピード』を叩き潰し、二人の非戦闘員を抱えて余裕をもって逃走が可能な強者(メイド)とはわけが違う。冷的(さまと)()()()を相手に必死に逃げ回る程度の力しか持たないこの少女が、それでも理想を貫き通すことがどれほど難しいか。

 一度折れてしまった冷的(さまと)だからこそ、それが良く分かる。

 

 

「…………ありが、と」

 

 

 気付けば、冷的(さまと)はくしゃくしゃに顔を歪めて、涙を流していた。

 『仲間』に裏切られた時に、涸れ果てたと思っていた涙だった。

 

 

「たすけてくれて……ありがとー……!!」

 

「……いいんですのよ。……というか、結局助けたのは薫織(かおり)ですしね」

 

「あ? (オレ)は『メイド』として、お嬢様が助けるって言ったから手ェ貸したんだ。そこはお嬢様のお陰で良いだろ、別に」

 

 

 ふいに話を振られた薫織(かおり)は、みなまで言わすなとばかりに手をひらひらと振る。

 二人の優しさに、冷的(さまと)はしばし静かに泣いていた。

 

 ややあって。

 涙を拭った冷的(さまと)は気を取り直すと、周辺の気配を探って索敵中(メイドの職能で可能かは気にしてはいけない)の戦闘メイドに対して尋ねる。

 

 

「ところで……オマエ、何だったんだ、アレ?」

 

 

 冷的(さまと)の脳裏には、ピクリとも動かないまま視界の外へと消えてしまった『メガセンチピード』の姿が今もこびりついていた。

 その頭部には、何度見てもアイスピックが突き刺さっていた。戦闘中、虚空に突然現れたアイスピックが。

 

 だが、あの現象は何度考えてもおかしい。

 このメイドの『シキガミクス』の霊能は『身体の精密操作』。ナイフの軌道を精密に調節したのも、蹴りでアイスピックを精密に突き刺したのも、この霊能があってのことだ。あの道理に合わない挙動は、そういうことでないと説明がつかないはず。

 

 

「オマエの能力は、肉体の精密操作なんじゃなかったのか……?」

 

「いや、それは単なるメイドの嗜みだ」

 

 

 なお、道理は引っ込んだ。

 

 

「いや、嗜みってレベルじゃなかっただろーが!?」

 

「まァまァ落ち着け。人体は意外と限界を知らねェんだから」

 

 

 憤慨する冷的(さまと)だが、適当に言う薫織(かおり)のどうでもよさに押し流されて無理やり宥められてしまう。出来ちゃってるんだからしょうがないのだ。

 そうしてひと心地ついた冷的(さまと)に向かって謎解きをするように、戦闘メイドは腕を組みながら言う。

 

 

「そもそも、おかしいとは思わなかったか?」

 

 

 つまりは、己の霊能の秘密──その根幹についての情報を。

 

 

「最初の戦闘。(オレ)は体の陰からナイフを取り出した()()()()()()が、それは本当に(オレ)の懐から取り出したものだと確認したか? 部室で目を離した隙にお茶会の準備が整っていたのは? 『メガセンチピード』との戦闘の時にいつの間にかデッキブラシを取り出したのは?」

 

「…………、」

 

 

 言われてみれば、確かにおかしな点は幾つもあった。

 状況に翻弄されていた冷的(さまと)には、気付けなかったが。──いや、冷的(さまと)が状況に翻弄されて気付けないように、このメイドが盤面をコントロールしていた、と言った方が正しいか。

 

 

(オレ)の霊能は、『女中道具』……メイドの仕事道具の『取り寄せ』だ」

 

 

 たとえば、掃除の為のデッキブラシを取り出したり。

 たとえば、調理の為のナイフやアイスピックを取り出したり。

 たとえば、接客の為のティーセットや紅茶、お茶菓子を取り出したり。

 

 それらを総じて、『女中道具』。

 これを自在に取り出すのが、このコスプレメイドの持つ霊能である。

 

 

「『女中の心得(ホーミーアーミー)』。メイドらしい霊能だろ?」

 

「ま、まー……」

 

 

 得意げに言う危険メイドに、冷的(さまと)は歯切れの悪い答えしか返せなかった。

 『家庭的な軍隊(ホーミーアーミー)』。メイドに結び付けるにはあまりにも物騒すぎる語彙だが、しかしこのメイドらしい名ではあった。

 

 

「……そういえば! まだ倒さないってどういうことですの!? さっきトドメを刺してしまっていた方がよかったのではなくて!?」

 

「あんなもんいつでも潰せる。それより、あの図体のデカさだ。生徒会室近くまで引き寄せて暴れさせりゃあ、陽動の目的も十分達成できるだろ」

 

 

 思い出したように慌てる流知(ルシル)に、薫織(かおり)はあっさりと答える。相変わらず、戦力のスケールが違うメイドであった。

 あっさりと流知(ルシル)の懸念を流した後、薫織(かおり)冷的(さまと)の方へと視線を向ける。意図が分からず首を傾げる冷的(さまと)に、薫織(かおり)は少し呆れたように溜息を吐き、

 

 

「回避不能の百鬼夜行(カタストロフ)を数日前に控えてるっていうこの状況で、お前みてェなサメガキを『生徒会』がわざわざしょっぴくってのは不自然だ。それも旧型とはいえ『メガセンチピード』まで引っ張り出してな。……お前、何か狙われるような心当たりでもあるか?」

 

 

 ピースヘイヴンは何やらデマを流して策略を練っているようだが、『霊威簒奪』による学園での大規模暴動にしろ、百鬼夜行(カタストロフ)にしろ、タイムリミットはもうすぐそこまで迫っている。

 であるならば、たとえ計画通りであったとしてもピースヘイヴンの余裕は削られてきているはず。少なくとも、無駄な手は打たないだろう。いくら学内で派手に戦闘をしでかしたといっても、そんなものは昨今の学園では日常茶飯事。こうも素早く、制圧用の『シキガミクス』を駆り出すのはやはり異常だと言える。

 

 薫織(かおり)の疑問に対して冷的(さまと)は首を振り、

 

 

「い、いいや……。わたしも全然心当たりはないんだぞ」

 

「…………ってことは……。…………まァよく分かんねェな。考えても意味ねェだろうし、とりあえず今は棚上げしとくか」

 

「だいぶあっさりしてるな!? なんか引っかかるんじゃないのか!?」

 

「考えても分かんねェことに拘泥すんのは時間の無駄だ。それより今は仕事の最中だからな。距離を詰められる前に生徒会室まで行くぞ」

 

 

 ひょい、と。

 そこまで一息で言い切ると、怪力メイドは流知(ルシル)冷的(さまと)のリアクションを待たずにまた米俵でも担ぐみたいに二人の少女を肩に抱える。細身の癖に、非常にマッシブなコスプレメイドである。

 

 

「……ちょうど、『メガセンチピード』もこっち来たしな」

 

 

 言い添えられた不良メイドの呟きの通りに、であった。

 

 

 ゴガンッッッ!!!! と。

 

 

 巨体の大百足が後者の壁や床にぶつかりのたうち回りながら三人の背後──正確には流知(ルシル)冷的(さまと)の眼前──に顔を出す。

 

 

「~~~~~~~~~~ッ!?!?!?」

 

 

 声にならない悲鳴を上げたのは、どちらだったか。

 二人の恐怖が明確な絶叫に変化するよりも早く、薫織(かおり)は跳ねてその場を離脱する。全長二〇メートルはある巨体を感じさせないほど『メガセンチピード』は素早かったが、まるでインパラのように軽やかな足取りで縦横無尽に駆け巡るメイドを捉えることはできない。

 

 それどころか、回避されることによって地面や壁に衝突するたび、『メガセンチピード』の機体の破損は広がっていき、それに応じて動きの精彩も失われる。

 このままいけば、『生徒会室』に辿り着く頃には薫織(かおり)の目論見通り殆ど暴走のような様相を呈して、運用者である『生徒会』にすらも牙を剥きかねない状態だった。

 

 

「しっ、死にますわッ!? 薫織(かおり)、せめて顔を、顔を前の方に! こんな大迫力、寿命が縮んで今この場で死にますわ!?」

 

「口調が崩れてねェな! まだ良し!」

 

「わたくしの口調を平常心バロメータみたいに使わないでくださいましぃ!!」

 

 

 言い合っている間にも『メガセンチピード』は薫織(かおり)に攻撃を仕掛けてくるが、全力疾走中の超人メイドはそちらを見もせずに跳躍しては回避していく。

 下段の横薙ぎは単純な跳躍。続く袈裟斬りは身を屈め。縦の叩き落としはサイドステップで苦も無く躱し。あまつさえ、隙があれば足を止めて横蹴りで機体ににダメージを蓄積させることも忘れない。しかもこのメイドは、それを二人を肩に抱えて後ろを一度も振り返らずに実行しているのだ。

 『危なげない』という言葉がこれほど似合う逃走劇も、早々ないだろう。あまりの安定感に、むしろ助けられているはずの冷的(さまと)の方が不安になってくる始末だった。

 

 

「なっ、なんで躱せるんだぞ!? 後ろに目でもついてるのか!?」

 

「流石にそこまで人間離れはしてねェよ。窓のサッシとか扉の金具とかガラスとか、そのへんの環境物に反射して映る景色を見て把握してるだけだ」

 

「まだ後ろに目がついてた方が人間っぽいと思うぞ……」

 

「まァ、メイドだし……」

 

 

 言われてみれば、確かに目を凝らすとそういった部分に『メガセンチピード』が映っているのが見えないこともない。

 ……のだが、それを飛び跳ねつつ『生徒会室』という明確なゴールを頭に入れて実行するのがどれほど難しいことなのか、凝視していてもそんな米粒みたいな情報から正しい情報を獲得できるのか。そもそもメイドであることは関係あるのか。冷的(さまと)には何も分からなかった。

 

 

「……よし、このへんで良いだろ」

 

 

 メイドはふいにそう言うと、抱えていた二人を地面に降ろす。

 突然の着地と少しの慣性で軽くよろめいた流知(ルシル)冷的(さまと)だったが、顔を上げるとそこが生徒会室の前であることを示す教室表札(プレート)が。

 流石に、流知(ルシル)の行動も早かった。

 即座に身を低くして駆け出すと、そのへんの廊下の支柱の陰に身を隠す。

 

 

「ほらっ、冷的(さまと)さんもこちらに! 薫織(かおり)の戦闘に巻き込まれますわよ!」

 

「なんと言うか、オマエも手慣れてるな……」

 

 

 呆れつつ、自衛手段を持たない冷的(さまと)も同様に支柱の陰に身を隠す。

 とはいえ、此処は既に敵地の近く。『生徒会』の人員に捕まってしまう可能性もあるので、警戒は忘れないでおく冷的(さまと)である。

 

 

(……こっちのお嬢様の方は、どーも警戒心とかそーいうのが薄いみたいだしな……)

 

 

 自分がしっかりせねばなるまい。

 前世も含めればもう三〇歳を超える大人なのだから、と冷的(さまと)は自分を奮い立たせる。

 

 そう、覚悟を決めた瞬間だった。

 ゴガァアン!!!! と派手な音が、流知(ルシル)達の隠れている支柱の向こう側から響き渡った。

 何が起こったのか、を伺う必要すらない。隠れている支柱の陰からでも見えるように、『メガセンチピード』の残骸が転がってきたからだ。

 

 

「ど……どういうことですの!? もうちょっと暴れて混乱を誘うのではなくて? ついうっかり壊してしまいましたか!?」

 

「いや、あまり暴れられても厄介なのでね」

 

 

 答えたのは薫織(かおり)ではなく、鈴が転がるような少女の声だった。

 落ち着いた大人のような口調とは裏腹に、その声色は童女のように弾んでいる。それでいて、声色からだけでも感じるくらいに──その声からは、明らかな敵意が滲み出ていた。

 おそるおそる顔を出すと、そこは凄まじい戦場だった。

 

 まず、『メガセンチピード』は粉々に砕けている。

 おそらく頭部の付け根あたりが起点となっているであろう破壊の痕は、まるで巨大な鉄球のような『何か』がめり込んだであろう事実を示唆している。それが一発ではなく、複数発。『メガセンチピード』の機体は完全に大破していたし、廊下にもその破壊の余波が及んでいた。

 

 

「か、薫織(かおり)──!」

 

 

 反射的に自身のメイドの身を案じた流知(ルシル)だったが、その心配が杞憂であることはすぐに分かった。『メガセンチピード』から数メートル。廊下の壁際のところに、薫織(かおり)は無傷で佇んでいたからだ。

 そして──その彼女の視線の先。

 『メガセンチピード』の残骸たちが散らばる中心地点に、『そいつ』はいた。

 

 大空のような、スカイブルーの長髪。

 深海のような、エヴァーグリーンの瞳。

 口元は三日月のようにゆったりと笑みの形に伸び、佇まいからは余裕が滲み出ている。

 

 旧式とはいえ、二〇メートル以上の巨体を一瞬にしてバラバラにしてみせたその張本人は、支柱の陰から顔を出した流知(ルシル)冷的(さまと)に対してウインクすらするほどに自然体だった。

 

 

「やぁやぁ、初めましてといったところかな。私はトレイシー=ピースヘイヴン。この学園の生徒会長、だが……」

 

 

 そいつの名は。

 

 

 

「『虎刺(ありどおし)看酔(みよう)』という名の方が、君達にとって重要度は高いかね?」




ちなみに、シキガミクスの能力の採点基準は下記のとおりです。
※基本的には能力自体の評価は含まず、機体自体のスペックとする
※『皮剥上手(ピーラージョーズ)』の俊敏性などそれを抜いたらゼロ同然のものは除く

0:赤子並、無力
10:一般児童並、酔っ払い並(精密性)
30:一般男性並
50:プロ並
70:猛獣並み、世界記録並(精密性)
90:機械並
100:無敵

・攻撃性:能力を除いたシキガミクスそのものの攻撃性能の高さ。
・防護性:シキガミクス自体の頑丈さや防御行動のとりやすさ。
・俊敏性:シキガミクス自体の動きの素早さ。またはシキガミクスを装備した本体の俊敏性。
・持久性:シキガミクス発動時の霊気の消耗度。30でマラソン程度、90で直立程度の消耗。
・精密性:シキガミクス自体の動作の正確さ。
・発展性:シキガミクスの技術的伸びしろ。応用性は含まず、高ければ高いほどより発展の余地がある。


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06 見えない暗殺者

「さてお客人達。君たちの名を伺っても?」

 

「…………遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)と申しますわ。こちらはわたくしのメイドの園縁(そのべり)薫織(かおり)で、こっちがご友人の冷的(さまと)静夏(しずか)さん」

 

 

 ピースヘイヴンの初手が対話だったからか。

 流知(ルシル)は支柱の陰から完全に出ると、そう言って一礼した。

 

 

「あぁ、遠歩院(とおほいん)君か。君のことは知っているよ。学園祭の準備で色々協力してくれていると聞いているからね。いやぁ、設立一か月だというのにライ研の活躍は目覚ましいな!」

 

「何故、『霊威簒奪』なんてデマを撒いた?」

 

 

 両手を広げて演劇でもするみたいに語るピースヘイヴンの言葉を遮るようにして、薫織(かおり)は問いかける。

 腕を組んで佇む姿は戦闘態勢とは程遠いが、それでも彼女の放つプレッシャーは並の生徒なら気圧されてしまいそうなほどに強大だった。──しかしピースヘイヴンはそんなものに意も介さず、

 

 

「随分急くな、園縁(そのべり)君。時間稼ぎが目的なんじゃないのかい?」

 

(オレ)が必死に稼がなくても、どうもお前が勝手に時間を稼いでくれているみてェだしな」

 

 

 平然と薫織(かおり)達の目的を言い当てたピースヘイヴンだったが、薫織(かおり)は欠片も動じずに言い返す。

 

 というか、そもそもこの盤面でピースヘイヴンが登場してくるのは、そのくらい異常なことなのだ。

 『生徒会長』という立場を持ち、最大派閥を率いているピースヘイヴンには、『シキガミクス』を含めて大量の手駒が存在している。通常であれば、長であるピースヘイヴンはそれらを指揮をする立場であり、こうして現場に出てくることなどありえない。

 

 

(あるとすれば……『大ボスが登場する』っていうイベントを発生させることで、こちらの動揺を誘うとかか?)

 

 

 想定外の事象が発生したことで、嵐殿(らしでん)の判断を鈍らせ、こちらの行動を後手に回す作戦であればピースヘイヴンが突然矢面に現れたことにも納得がいく。

 もちろん、だからといって敵の目的がそうであると断定するのはあまりにも危険な判断だが。

 

 

(まァ、敵の目的がどうであれ(オレ)は自分の役割を果たすだけだ。作戦負けしていた場合はその時リカバリすれば良い)

 

 

 懸念材料はあるが、薫織(かおり)はそこで迷いを押し殺す。

 行動する前から正解が明確に見えていることなど、現実では早々ない。そうした迷いが実戦では致命的な隙を生むことを知っている薫織(かおり)は、迷いを自覚しながら『迷わない』ことができた。

 それに、このピースヘイヴンの動きは薫織(かおり)達との目的とも合致する。目的は全面戦争というわけでもない。よって薫織(かおり)はあえて戦闘態勢を解きながら、

 

 

「ただでさえ、もうじきやってくる『百鬼夜行(カタストロフ)』のせいで学内の治安は終わってんだ。ここに『霊威簒奪』なんてデマをぶち込めば、学内がどうなるかくらい分かんだろうが」

 

「んー……。そもそもシロウ……ああ失礼、柚香(ゆずか)の言は疑わないのかね?」

 

 

 少し困ったように、ピースヘイヴンは首を傾げる。

 

 

「君達は『霊威簒奪』とかいうデマの出所は私だと考えているようだが、その情報もどうせ彼女からだろう? しかもあの胡散臭さだ。彼女が虚言を吐いて私を黒幕に仕立て上げようとしている可能性を何故考えない?」

 

「『メガセンチピード』を出して来てんのに今更すぎんだろ」

 

 

 飄々と問いかけるピースヘイヴンに対し、薫織(かおり)の返答は一切ブレなかった。

 

 

「『メガセンチピード』の目的は人質調達だ。『シキガミクス』を失った冷的(さまと)を攫えばこっちとしては見捨てる訳にはいかねェからな。(オレ)はそっちにかかりきりになる。ウチのお嬢様の性格(キャラ)を知っているなら、真っ先に考える手だよ」

 

 

 即座に切り返されたピースヘイヴンは、浮かべた笑みに少し気まずそうな色を滲ませ、それから大して間も置かずに答える。

 

 

「……『メガセンチピード』を使った襲撃が私の陰謀であることは認めよう。だが、それは柚香(ゆずか)から君達を引き離すのに必要なことだった。潔白でないからと言って黒幕であると断ずるのは早計ではないかね?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…………、」

 

 

 薫織(かおり)が突きつけるようにそう言うと、ピースヘイヴンの滑らかな言葉が暫し止まる。

 

 

「仮にデマの出所があの痴女野郎だったとして。アイツ自身が言っていたように、そんなもんは所詮搦め手にすぎねェ。基盤も権威もテメェ自身の方が上だ。テメェがシロなら、あっさりと潰せるはずだろうがよ。こんな噂」

 

 

 そこまで言い切った薫織(かおり)は、溜息を吐くように目を伏せてから、

 

 

「答え合わせをしに来てんじゃねェんだ。お前は黒幕。それは前提。こっちが聞きてェのは周回遅れの悪足掻きなんかじゃなくて、『霊威簒奪』なんてデマを撒いた黒幕サマの意図だっつってんだよ」

 

「…………治安悪化という特大のデメリットを加味してもなお果たさねばならない目的があるから、と言っても……おそらくは納得してもらえないだろうね」

 

 

 観念したからか、ピースヘイヴンはバツの悪そうな笑みを浮かべて答えていた。

 

 

「虚偽の情報を真実だと思い込ませるのは、全体の虚偽の中に一握りの真実を加えておけばそう難しくはないんだ」

 

 

 そして、ピースヘイヴンはそんなことを言う。

 

 

「この場合、一握りの真実とは『陰陽師は常に一〇〇%のコントロールで霊気を操れる訳ではない』という部分があたる。『読者』にとって既知の情報は、そこから続く新情報もまた事実であると認識しやすくなる」

 

「……まァ、それが百鬼夜行(カタストロフ)が引き起こされる理由でもある訳だしな」

 

 

 百鬼夜行(カタストロフ)とは、空間中における霊気の淀みが一定濃度を超えることで発生する霊気災害だ。

 そして、その原因となる霊気は怪異の活動や人類が発動する陰陽術の余剰霊気が蓄積されることによって発生する。──もっとも、この事実は世情不安を抑える為に表向きには公表されていないが。

 人類の生活を豊かにした陰陽術だが、それを無秩序に行使すれば百鬼夜行(カタストロフ)が起きて大規模な被害が齎される。それが『原作』にて語られたこの社会の歪みだった。

 

 

「まさにそこだよ。『霊威簒奪』のデマは()()()に流したんだ」

 

 

 ピースヘイヴンは、我が意を得たりとばかりにぱちんと指を弾く。

 

 

「『霊威簒奪』を信じた者達は、やがて来る百鬼夜行(カタストロフ)によって破綻した社会に備える為に力を得ようとするだろう。そして散発的な戦闘が行われれば、その分余剰霊気は大気中に放散される。──つまり、場の霊気淀みの濃度が上昇するスピードも上がり、百鬼夜行(カタストロフ)までのリミットが短くなるというわけだ」

 

「……分からねェな。それじゃあ結局テメェの首を絞めているだけじゃねェか」

 

 

 薫織(かおり)は怪訝そうな表情を隠そうともせずに言った。

 ピースヘイヴンの話を聞くだけだと、『霊威簒奪』は百鬼夜行(カタストロフ)の進行を早めているだけのように聞こえる。

 だが、百鬼夜行(カタストロフ)とはそもそもただの災害だ。霊気の淀みが崩壊することによって、広域に霊気による破壊が発生し、その際に霊気が結合することで大量の怪異が自然発生する。

 霊気の破壊という第一波と、大量発生した怪異の襲撃という第二波。人類はまだ、この災害を克服することができていない。──精々、『草薙剣』をはじめとした何らかの特殊な方法によって霊気の淀みが一定量以上に大きくならないよう管理するくらいしかできないのだ。

 

 つまり、百鬼夜行(カタストロフ)を早めるなど普通ならば自殺行為。

 そんなことをするのは──

 

 

「世界を巻き込んだ壮大な破滅願望でもあるってんなら話は別だが……」

 

「まさか。そんなチンケな悪党をやるつもりは私にはないよ! これでも私は学園全体を支配する黒幕をやってるんだぞ?」

 

 

 ピースヘイヴンは、心外とばかりに眉をひそめた。

 それから少しムキになったように声を大きくして、

 

 

百鬼夜行(カタストロフ)の発生を()()()()()()というのが重要なんだ。霊気の淀みが暴走し、崩壊と共に数多の怪異を生み出すあの災害を! 私がこの手で管理するということが! ……とここまで言えばおおよそ策略の概要くらいは分かるかね?」

 

「……いやァ…………全く」

 

「えー! もう、少しは考察とかしてくれよー……。張り合いがないぞ」

 

 

 ピースヘイヴンは分かりやすく肩を落とした。

 

 

「まー、理由はそれだよ。隠してもどうせバレるだろうから言ってしまうが、確かに被害は一定数発生する。だが私はこの世界を投げ出すつもりはないよ。私は私なりの陰謀(やりかた)で、この世界を今後も運営していく。この世界を作った責任者としてな」

 

 

 そこまで言うと、ピースヘイヴンはパンパンと手を叩く。

 同時に、薫織(かおり)は身を低くして神経を尖らせていく。

 

 

「話は此処までだ。十分にヒントは出してやったことだし、残りは君達で考えてくれたまえよ」

 

 

 直後、だった。

 

 ドッッッ!!!! と、薫織(かおり)の身体が独りでに真横へ吹っ飛ばされたのは。

 

 

 


 

 

 

 

06 見えない暗殺者

>> MURDEROUS CLARITY

 

 

 


 

 

 

 

 

画:レナルーさん(@renaru_ex

メイド服型のシキガミクス。

服の生地に織り交ぜたり、各種装飾に備え付ける形でシキガミクスを実装している。

その為、普通の衣服でありながらシキガミクス相応の防御力を備えている。

 

『女中道具』を取り寄せる能力。

この『女中道具』は前以て作成した『裏階段』に保管されている物品で、発現した段階でシキガミクスの一部として扱われ、霊力によって強化される。

『裏階段』に保管してさえいればどんなものでも『女中道具』として扱うことができるが、本体のこだわりの為『掃除用具』『調理器具』『食器類』『食材』『寝具』以外のメイドに関係なさそうな物品はほぼ置かれていない。

 

また、本体に限り『裏階段』へ瞬間転移することが可能。再転移すると元の位置に戻る。

『裏階段』は屋根と壁がある屋内にシキガミクスと同様の陣を床一面に記せば最大で一〇個まで作成可能で、現時点で貸倉庫や洋上のクルーザーなど全国に七か所ほど『裏階段』が存在している。

 

元々は瞬間移動系の霊能だったが、本人の類稀なメイド欲によって物品のアポート能力に調整されている。

 

女中の心得(ホーミーアーミー)

攻撃性:70 防護性:70 俊敏性:70

持久性:90 精密性:90 発展性:95

※100点満点で評価

 

 

 


 

 

 

「なッ…………!? 薫織(かおり)ぃ!!」

 

「心配要らねェ! 防御はしている!!」

 

 

 思わず悲鳴を上げた流知(ルシル)だったが、薫織(かおり)はと言えば吹っ飛ばされる直前に両腕を交差させて身を守っていたらしく、ダメージ自体はそこまででもないようだった。

 そのまま薫織(かおり)は空中で一回転して、その後すぐさま跳躍し、流知(ルシル)冷的(さまと)の元へと戻る。

 

 

「…………ピースヘイヴンは……もう離脱したか。チッ、まんまと逃げられちまったな。まァ、ある程度の時間と情報は得られたから良しとはするが……」

 

 

 すっかり戦闘モードになっている薫織(かおり)だったが、今この盤面には欠落しているピースが一つだけあった。

 それは──薫織(かおり)を吹っ飛ばした攻撃の正体。

 あの場には、薫織(かおり)流知(ルシル)冷的(さまと)、それとピースヘイヴンの四人しか人影は存在していなかった。となると、アレ自体はピースヘイヴンの能力のように思えるが──

 

 

「……今のはピースヘイヴンの能力じゃねェな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。逆に言えば、シキガミクスの姿すら確認できない能力ではねェってことだ」

 

 

 最初の時点では能力を出し惜しみして確実な不意打ちを行おうとしたという可能性もあるにはあるが、それならばわざわざシキガミクスを見せながら『メガセンチピード』を破壊するより、能力を使って『メガセンチピード』と戦っている薫織(かおり)の隙を突く方が合理的である。

 そう考えると、先ほど薫織(かおり)を攻撃した敵はピースヘイヴンとは違う新手で、ピースヘイヴンとの会話に熱中している薫織(かおり)を襲ったが、寸前のところでガードされてしまった──という流れなのだろう。

 

 

『『『……参ったな。まさか初撃を無傷でやり過ごされるとは思っていなかった』』』

 

 

 と、あたりからほぼ同時に、複数の声が重なって響いた。

 

 少年──というには、あまりにも落ち着いた声色だった。

 声の張りは確かに少年なのに、まるで四〇過ぎの壮年の策略家を相手にしているような──そんな気配が、声の裏から漂っている。

 見れば、廊下の各所には校内放送用の小型スピーカーが幾つも配置されていた。

 薫織(かおり)はつまらなさそうに鼻を鳴らすと、

 

 

「なるほどな。ピースヘイヴンの突然の登場は時間稼ぎかつ、お前の奇襲を成功させる為の囮だったって訳だ。得心がいったよ」

 

『『『……お陰様で不発に終わったがね』』』

 

「お前、自分の姿を消すタイプの霊能使ってんだろ? 視覚的な無敵にかまけて足音消し忘れてたぞ」

 

 

 存在を認識できないままの完全なる不意打ち。

 その攻撃に薫織(かおり)が対応できたのには幾つかの要因があるが、そのうちの一つに『襲撃の直前に敵の足音が聞こえていた』というのがあった。

 それに加えて、スピーカー──即ち自分の声の位置が特定しづらくなる工夫を施しているところを見ると、透明になるとか、対象の視覚から自分を消すとか、そういう霊能である可能性が高くなってくる。

 そこまで一瞬で思考を巡らせた戦闘メイドに対し、声の主は少しばかり言葉を選んで、

 

 

『『『……ご忠告痛み入る。流石は必殺女中(リーサルメイド)といったところか。だがそれはつまり、聴覚を潰せば打つ手がなくなるということにもならないかね?』』』

 

 

 直後。

 複数のスピーカーから、荘厳なオーケストラ音楽が鳴り響いた。

 突然の爆音に薫織(かおり)は眉を潜めつつ、舌打ちする。

 

 

流知(ルシル)とサメガキは……戦場から退避し始めている、か。サメガキと一緒に行動させておいて正解だったな。あっちの方がまだ平和ボケ度合いは薄いし)

 

 

 視界の端で走り去って行く二人の影を見たメイドは、口端に笑みを浮かべる。

 

 直後──ガチャチャチャチャチャチャチャン!! と。

 薫織(かおり)の背後に、大量のフォークやスプーンが撒き散らされた。

 

 

『『『……何かね? 意図が読めないが……』』』

 

「気にすんな。単なるメイドの仕事だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 事も無げに。

 薫織(かおり)は、この場において最悪の可能性を指摘する。

 

 

「あるいは、(オレ)にその可能性を警戒させることで隙を誘発させるとかか? いずれにせよメイドとしては放置していていい可能性じゃねェな。だから、テメェがお嬢様を襲いに行けばいくら大音量でも掻き消せねェ音が出るように『鳴子』をバラ撒いておいたってだけだ」

 

『『『…………、食器を粗末に扱うのはメイドとしてまずくないかね?』』』 

 

「……落第メイドか。悪くねェ響きだ」

 

 

 不良メイドはどうやら無敵だったらしい。

 襲撃者はその様子を見て大きく息を吐くと、一転して悠長な態度を取り始めた。

 

 

『『『……やれやれ。これは長丁場になりそうだ。……まずは自己紹介をしてもいいかね?』』』

 

 

 オーケストラをBGMにしながら、ゆったりとした調子で襲撃者は語りだす。

 

 

『『『……私の名は打鳥(だどり)保親(やすちか)。……生徒会副会長の任を仰せつかっている。会長の「腹心」と、そう受け取ってもらっていい』』』

 

「ほォ、そいつは都合がいい。こっちの目的は生徒会の攪乱だ。重要ポストをボコボコにできりゃあ、組織に与える衝撃ってのも十分だろ」

 

『『『……血の気が多いな。……何かね? 私程度であれば問題なく倒せるとでも?』』』

 

「そうだと言ったら?」

 

『『『……何も言うまい。……相手が勝手に油断してくれているならば、その機に乗じない手はないのだから』』』

 

 

 会話が、そこで一旦途切れる。

 薫織(かおり)は、静かに敵の能力の本質を測っていた。

 

 

(『音』で自分の存在を塗り潰しにかかったところからして、光学的干渉で自分の姿を消しているか、(オレ)の視覚に干渉して自分を見えなくしているのは確定。……本体の姿が見えねェのは、(オレ)と同じように着用型なのか、あるいは使役型を遠隔操作しているのか……)

 

 

 シキガミクスには、その運用方式によって幾つかの種類が存在している。

 冷的(さまと)皮剥上手(ピーラージョーズ)のようにシキガミクス自体を操作することができるタイプは『使役型』。

 流知(ルシル)飛躍する絵筆(ピクトゥラ)のようにシキガミクスを陰陽師自身が手に取り扱うタイプは『装備型』。

 薫織(かおり)女中の心得(ホーミーアーミー)のようにシキガミクスで本体の動きを補佐するタイプは『着用型』。

 他にも『展開型』や『封印型』など色々種類はあるが、大概のシキガミクスはこの三つに分類される。

 

 着用型は術者本人がシキガミクスの駆動によってダメージを受けないよう精密に調整する必要があり、運用難易度が高い。だから基本的に、シキガミクスによる攻撃があるのに周辺に本体らしき人影がない場合、真っ先に疑うべきは使役型シキガミクスの遠隔操作だ。

 シキガミクスは霊気によって動くため、カメラに用いられている霊気が届く範囲であれば遠隔操作が可能である。もっとも、この場合シキガミクス視点の視覚のみで操作を行う必要がある為、人体スペックを超える動きをさせることが難しくなるという欠点があるのだが──

 

 

(透明化したシキガミクスと周囲に見当たらない術者という状況の場合、まず真っ先に思い浮かぶ敵の霊能と運用方式(タイプ)は二つ)

 

 

 警戒を解かないまま、戦闘メイドは思考を巡らせていく。

 

 

(1.遠隔操作の使役型で、シキガミクス自体が(オレ)に見えなくなっている。術者は此処にはいない。2.(オレ)に見えなくなる霊能の着用型で、術者が自ら攻めてきている)

 

 

 とはいえ、薫織(かおり)は可能性を提示した時点で、既に答えをある程度絞っていた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 遠隔操作使役型と、着用型の違い。

 それは、着用型が遠隔操作の使役型と違って人体の限界を超えた挙動を取れるという点にある。

 つまり、着用型の攻撃は最低でも人体を超えたスペックになる。直前に足音を聞いた段階からでは、さしもの女中の心得(ホーミーアーミー)でも動作が間に合わないというわけだ。

 

 

(だが、そうすると疑念が生まれる。自身を透明化するってことはあらゆる光学情報が素通りしてしまうってことだ。そうなれば光はレンズに結像しないから、映像情報を取得することもできねェ。……前世(むかし)読んだことあったな、確か透明人間の実現性だったっけか)

 

 

 物体を透明にする霊能自体は、そこまで珍しいモノではない。武器を透明にしたり、地形を透明にしたりする戦略上のメリットは計り知れないからだ。たとえば何の変哲もない弓矢を透明にするだけでも、敵の回避難易度は大幅に向上するだろう。

 ただし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()を構築することはほぼないと言っていい。至近操作の使役型だとしても目視でシキガミクスの挙動を確認しづらいし、遠隔操作の使役型にしても光がカメラを素通りすることでろくに映像を取得できなくなるのだ。

 同様の理由で、着用型のシキガミクスでも透明化の霊能を構築することはまずないと言っていい。

 

 

他者(オレ)の視覚に干渉している……さっきは可能性として挙げたが、ねェな。もしそれが可能なら、どう考えても視覚を奪った方が遥かに話が早えェ)

 

 

 透明化も視覚干渉もあり得ない。

 となると、敵の霊能については第三の可能性を考えなければならないが──薫織(かおり)は、既にその答えに辿り着く為の材料を握っていた。

 

 

(……考えられるのは()()()だな)

 

 

 だいたいのアタリをつけた戦闘メイドは、スッとデッキブラシを取り出して構える。

 そして、不可視の暗殺者に対してはっきりと宣言した。

 

 

「──さて、そろそろ『ご奉仕』の時間と行くか」



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07 陰謀は重層する

 ──こんなはずではなかった。

 

 打鳥(だどり)保親(やすちか)は、既にそんな心境になっていた。

 元々、簡単な任務のはずだったのだ。生徒会長トレイシー=ピースヘイヴンが矢面に出て注目を奪っている間に、目下一番の障害である必殺女中(リーサルメイド)を無力化。可能であれば、遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)を拉致。これを以て、()()()()()()()()()()『オオカミシブキ』を機能不全にする。

 その点で、透明になれる打鳥(だどり)のシキガミクスは最適だったはずなのに。

 

 ふたを開けてみれば、完璧なタイミングでの奇襲は土壇場で防御されてしまった。

 そもそも、アレがケチのつき始めだ。なんだ? 足音が聞こえたとは。目の前に最大の敵がいるにも拘らず何故そんなに注意深く周辺を警戒できるんだ? メイドという言葉では説明がつかないだろう流石に。

 

 それでも咄嗟の機転で生徒会権限を使い、校内放送をジャックして音の弱点を潰し、遠歩院(とおほいん)拉致の可能性を意図的に残して相手の判断能力に圧をかける戦法を思いついたのはよかった。しかし、あのメイドと来たら即座に対応して地面にスプーンやらフォークやらをバラ撒く始末。お陰で打鳥(だどり)は強制的に必殺女中(リーサルメイド)との一対一を余儀なくされた上に、戦闘区域も制限されてしまった。

 

 

打鳥(だどり)君、ちょ~っと調子が悪そうだけど、大丈夫かい?」

 

 

 横から、先ほど戻ってきたトレイシー=ピースヘイヴンが退屈そうに打鳥(だどり)を覗き込んでいる。

 

 ──生徒会所有の準備室。

 打鳥(だどり)は、そこから薫織(かおり)と戦闘を繰り広げていた。

 

 

「……会長が遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)を確保しに行ってくれれば、私も少しは楽をできるのですがね」

 

「はっはっは、冗談はよしてくれ打鳥(だどり)君。遠歩院(とおほいん)君は囮だよ。彼女の周辺には柚香(ゆずか)の警戒網が敷かれている。私が勇み足を踏もうものなら、ヤツは嬉々として私と接触するか……あるいはその隙に君を叩きに来るだろうね」

 

「…………!」

 

「何より、ご主人様をダシに使えばあのメイドのことだ。キレて手が付けられなくなると思うよ?」

 

 

 そんな忠誠心があるようには見えなかったが──と打鳥(だどり)は思うが、ほかならぬ会長の言うことだ。打鳥(だどり)としては疑う余地もない。それより問題は、目の前で繰り広げられている戦闘だ。

 画面内の戦況は、完全に硬直している。戦闘メイドは目に見えない敵を見つけ出すことができていなかった。

 

 

(……いくら俺のシキガミクスが遠隔操作の使役型とはいえ、此処まで決め手に欠けるものかね!? いや……それはない。今までの校内での戦闘だってもう少しうまくことを運べていた。あのメイドがイレギュラーなんだ……!)

 

 

 ──打鳥(だどり)のシキガミクス『場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)』は、人型のシキガミクスである。

 電球のように膨れ上がった頭部を合わせて体長は一・五メートル程度で、少し小さめの成人男性くらいの体躯はある。格闘能力はそこまで高くないが、それでも決して非力というほどではない。シキガミクスの頑丈さと併せて、頭部に一撃入れれば人間であればあっさり昏倒する程度の攻撃力はある。

 にも拘らず、打鳥(だどり)は一撃であの戦闘メイドを倒すイメージが湧かなかった。

 

 

(そして……一撃で倒すことができなければ、待っているのはカウンターからの即死!)

 

 

 百鬼夜行(カタストロフ)がすぐにでも起きかねない状況でシキガミクスを失うのは致命的だ。いくら自分がピースヘイヴンの庇護を受けているからといって、自衛手段が失われることを許容するのは別問題なのだから。

 

 

(だが……やるしかない! このまま戦況が硬直し続ければ、おそらく今フリーになっている嵐殿(らしでん)柚香(ゆずか)の思うつぼ! いやそれだけじゃない……痺れを切らした園縁(そのべり)薫織(かおり)が此処を放棄していまえば、俺は完全に遊兵になってしまう! 生徒会長の描く社会に乗るって決めたんだ……。……こんなところで、会長の計画が狂ってしまっては困るんだよ……!!)

 

「そうだ、打鳥(だどり)君」

 

 

 と、戦況を脇から見ていたピースヘイヴンが、軽い調子で声をかける。

 ただし。

 

 

「前々から思っていたんだけどね……()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 当人がどれだけ軽いつもりで発した言葉でも。

 その知識が、その発想が、何かを致命的に変えてしまうこともあるのだが。

 

 

 


 

 

 

07 陰謀は重層する

>> DEEP-LAID PLOT

 

 

 


 

 

 

 

 ──状況は、概ね薫織(かおり)の狙い通りに進んでいた。

 

 こちらのアキレス腱である流知(ルシル)冷的(さまと)は戦場から離脱。敵の腹心である打鳥(だどり)はシキガミクスをこちらに釘付けにし、トレイシー=ピースヘイヴンの守りは手薄。ここまで派手に暴れれば、今も潜伏しているであろう嵐殿(らしでん)は完全にフリーだ。陽動としての目的は十分に達したと言える。

 

 

(……だが、此処で満足しているようじゃまだまだメイド足り得ねェ)

 

 

 園縁(そのべり)薫織(かおり)は現状に甘んじない。

 陽動は十分できているが、ピースヘイヴンの動きからしてあちらの作戦もかなり進行しているようだ。このあたりで敵陣営にダメージを与えて計画に遅れを出さないと、嵐殿(らしでん)にも不測の事態が発生しかねない。

 先ほど『作戦負けをしていた場合はリカバリをすればいい』と薫織(かおり)は考えたが、余裕があるならばそもそも作戦負けをしないよう努力をすべきである。

 ゆえに、相手に揺さぶりをかけるべく行動を始めようとしたところで──

 

 薫織(かおり)のこめかみ辺りに、突如として不可視の『何か』が衝突する。

 戦闘メイドの身体が横薙ぎにされるが──

 

 

「ッ」

 

 

 衝突の瞬間に反射的に体の勢いを合わせて投擲物の威力を殺していた薫織(かおり)は、体を傾がせながらも意識はしっかりと保っていた。

 硬直状態が破られたことへの緊張。敵シキガミクスの接近に対する警戒。自分が受けたダメージへの不安。当然、様々な懸念が瞬時に脳裏を過るが──。

 

 戦闘メイドは迷わなかった。

 

 ズバォッッ!! と、風を斬る音がした。

 それが横薙ぎにされて乱れた態勢から右足を勢いよく振り上げた蹴りであると打鳥(だどり)が気付いたのは、薫織(かおり)が受け身を取って立ち上がってからだった。

 遅れて、何かが突き立ったような音が響く。

 天井を見上げれば、天井にはアイスピックが突き立っていた。

 

 

(明らかにクリーンヒットしているはずなのにカウンターだけでなく、霊能の行使まで合わせてくるか……! 肝が冷える……!!)

 

 

 ただし──

 

 

『『『……何かね? 突然何もないところを蹴りだして。退屈でもしていたか?』』』

 

 

 手ごたえは、なし。

 遠隔操作使役型であれば、攻撃後すぐさまヒット&アウェイで退避できるほどの敏捷性は持ち合わせていない。攻撃をした直後で、今の蹴りを回避することはできないのだが──

 

 ──パラパラと、粉々になった木片が戦闘メイドの足元に散らばっていた。それを見て、薫織(かおり)は舌打ちする。

 

 

「……自分を対象にするだけじゃねェのか。となると、厄介になってくるな……」

 

 

 崩れ落ちていたのは、木製の箱のようなもの──シキガミクスによる小型家霊製品の残骸だった。おそらく、打鳥(だどり)はそれを『透明化』して投擲したのだろう。

 警戒状態の薫織(かおり)であれば、たとえ『透明化』していたとしても命中は至難。だからあえて『透明化』した適当な物品を投擲し、そして──

 

 

「……加えて本命の一撃。やられたな」

 

 

 一回目の投擲自体は、命中こそすれ受け身を取ることでダメージは最小限に抑えられた。

 それを見越した打鳥(だどり)は、さらにもう一回投擲を行っていたのだ。

 シキガミクスを身に纏っている薫織(かおり)は、霊気による防御で一般人よりも耐久性が上がっているが──同じく霊気を帯びている家霊製品であれば、その防御を貫通して純粋な衝撃によるダメージを与えることができる。

 言わば脇腹に野球ボールを思い切り投げつけられたような状況である。戦闘慣れしていない流知(ルシル)あたりがモロに食らっていれば、今頃二本の足で立っていることすらできなかっただろう。

 

 

『『『……分かるかね? 今の一撃は、私の策略が君の処理能力を超えた証左だ。此処から先は早いぞ。……雪崩れるように君は劣勢に追い込まれていくだろう』』』

 

 

 ただの一撃、と思うかもしれない。

 だが現状、薫織(かおり)打鳥(だどり)に対して有効な手を打つことができていない。この状況は、打鳥(だどり)寄りの硬直状態なのだ。この盤面で打鳥(だどり)薫織(かおり)に一撃を入れることができたということは、その状況のまま硬直状態が続いていくことを意味する。

 ──たとえ薫織(かおり)がどれほど戦闘慣れしていたとしても、そのスタミナは人間相応でしかない。つまり、いずれは体力の限界が来て薫織(かおり)の方が先に膝を突くことになる。

 そのくらい、今の一撃は重い意味を持っていた。

 

 

(まさか、これほど劇的に変わるとは!)

 

 

 モニタ越しに盤面を見据えながら、打鳥(だどり)は内心でほくそ笑む。

 

 

(『透明化』は場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)の機体にのみ作用させるのが限界だと思い込んでいたが……確かに、霊能の仕様を考えれば他対象も可能にする余地はあった……! それが此処まで私の戦略を広げるのか……!)

 

 

 ちらり、と打鳥(だどり)は視線を横にズラす。

 何やら木製のタブレット端末を使って作業をしているらしいピースヘイヴンの表情は此処からでは伺い知れないが──やはり、原作者。その知恵は凡百の転生者でしかない打鳥(だどり)とは比べ物にならないくらい有益だ。

 

 

伽退(きゃのく)あたりは冷ややかだが、やはりこの人は勝ち馬だ……! こっちに着いて行けば、俺が破滅することはない!!)

 

 

 確信めいた予感を以て、打鳥(だどり)場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)を操作する。

 『透明化』を維持している場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)は、薫織(かおり)から見て左斜め前五メートルの位置にある支柱の陰にいた。

 霊能が十全に働いているなら隠れる必要はないのだが、今は攻撃の直後だ。あの戦闘メイドであれば攻撃の方向から現在地くらいは平気で割り出しかねないので、念の為移動して身を潜めているのである。

 

 

(それに……ヤツの霊能の弱点も分かってきた)

 

 

 過去の戦闘、そして今回の戦闘を遠隔監視していた生徒会は、既に女中の心得(ホーミーアーミー)の大まかな霊能の分析は終わっていた。どこかに保管してある道具を引き出す霊能。これが、薫織(かおり)のシキガミクスの神髄である。

 ナイフ、アイスピック、デッキブラシ……その種類は多岐に渡り、その多彩さは敵対者にとっては手数の読めなさに直結する。その対応力も含め、園縁(そのべり)薫織(かおり)は──必殺女中(リーサルメイド)は手強いのだ。

 

 だが、手数の多さはある弱点と直結する。

 ──それは、処理能力への負担だ。

 確かに女中の心得(ホーミーアーミー)は多彩な手数を誇り、戦闘において無数の選択肢を持っている。だが、それは『戦闘中に考慮すべき可能性が多い』という欠点でもある。相手の攻撃に対して常に複数の対応策が頭の片隅にあり、それを選択しながら戦う──時間に余裕があるのであればそれでも問題ないのかもしれないが、戦闘はリアルタイムに状況が変わり、そして敵は待ってなどくれない。

 未知の事象や予想外の展開があれば、それらの負荷はダイレクトに処理能力に重くのしかかっていく。──そんな状況で無数の選択肢を自前で確保してしまえば、目の前の敵に対する行動も疎かになりかねない。

 

 

(向こうだってプロだ。通常であればそんな心配は要らなかったのだろうが……俺の霊能は相性が悪かったな。このまま負荷を強めていけば、早晩処理能力の限界を迎えるはず……!!)

 

 

 オーケストラの音の中に紛れる小さな物音の聞き取り。

 敵霊能の分析。

 この戦闘の外にある状況への思索。

 そしてそもそも、今まさに向かっている世界の破滅への危惧。

 

 これだけ考えるべき事柄が積み重なって、普段通りのパフォーマンスが発揮できる人間などいるはずがない。あとは消化試合だ。

 功は焦らない。確実に、完璧に、必殺女中(リーサルメイド)を削り倒す。油断も慢心もなく、打鳥(だどり)はそのタスクを消化しようとして──

 

 

 カッ!! と。

 

 

 突如、眩い光が場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)のカメラを焼いた。

 

 光の正体は、なんて事のない携帯端末だった。

 薫織(かおり)が取り出したスマートフォンタイプの霊話端末のカメラ機能によるフラッシュが、焚かれていただけだ。

 さらに薫織(かおり)はあたりを縦横無尽に跳ね回りながら、パシャシャシャシャ!! と位置と方向を変えてシャッターを連続していく。

 シャッターライトに照らされて壁や床が明滅し──遠く離れた位置に、ぽつんと影が伸びる。

 

 

(…………?)

 

 

 突然の奇行に、打鳥(だどり)はタブレット端末を見下ろしながら首を傾げた。

 当然だが、シキガミクスのカメラ機能はカメラのフラッシュ程度で破壊されない。場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)の『透明化』のカラクリにしても、別に強い光によって瓦解するような性質のものではない。だから、大した意味はないはずなのだが──

 

 

「なるほど、そこか」

 

 

 ぐりん、と。

 橙黒のメイドの視線が、場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)のカメラを通して打鳥(だどり)を射抜いた。

 

 

『『『ひっ……!?』』』

 

 

 理屈は分からない。

 だが、明確に『バレた』と判断した打鳥(だどり)がシキガミクスを退避させるよりも早く。

 

 ガッシャアアアアアアアアア!!!!! と、薫織(かおり)は大量のフォークやスプーン、ナイフといった食器を場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)にバラ撒いた。

 

 

「……最初から、ずっと考えてはいたんだ」

 

 

 謎の奇行を働いた薫織(かおり)は、それですべての処置が完了したとばかりに囁いた。

 先ほどまでのような高速機動をすることもなくゆったりと歩く薫織(かおり)は、そのまま話を続ける。

 

 

「シキガミクスの機体自体を透明化させる霊能は、術者自身が操作不能に陥るリスクが高すぎるから使えない。なら、いったいどういう手を使ったのか? そこで思い出したんだ。『透明』って言うと色合いが透き通っているイメージだが……現実に研究されていた『透明化』ってのがどういう代物だったか」

 

 

 ──だが、打鳥(だどり)はまだ別に追い詰められているわけではない。

 確かに足元には『鳴子』代わりの銀食器たちが散らばっているが、足の踏み場もないというわけではなかった。幸い薫織(かおり)は腹部へのダメージが効いているのかゆっくり歩いているし、今なら距離を取って逃げることも可能である。

 

 

「原理としては、プロジェクションマッピングが近いんだろうな」

 

 

 薫織(かおり)は、端的に指摘した。

 

 

「テメェの霊能は、周辺の映像をリアルタイムで投影することにより、周囲の景色に溶け込む『カメレオン』。……おそらく、陰のような周辺物への影響にも、リアルタイムで映像を投影することで違和感を消していたんだろうよ」

 

 

 機体以外の物品に『透明化』──光学迷彩を施したのはピースヘイヴンの発想だが、原理としては陰を消す投影の用途と変わらない。もっとも、霊能の射程範囲である一〇メートルを超えてしまえば投影は解除されてしまうし、あくまでも機体を中心とした『投影』なので、遮蔽物が挟まってしまえば遮られた部分については通常の見え方に戻ってしまうが。

 

 

(…………待てよ? ()()()()?)

 

 

 そこで、打鳥(だどり)はようやく気付いた。

 『投影』の射程距離は機体から半径一〇メートル──ということは、機体の影が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「そろそろ気付いたかよ。さっきのカメラのライトは、テメェの機体から影を伸ばす為のものだ。デフォルトじゃ『投影』で影を塗り潰すよう設定しているんだろうが……射程外にまで影が伸びちまえば、隠しきれねェテメェの尻尾は(オレ)にも見えるようになる」

 

『『『………………!!!!』』』

 

 

 確かにそれならば、薫織(かおり)打鳥(だどり)の位置を見抜いた理由も分かる。

 本来は考慮する必要もないくらいのレアケースかもしれない。そんな状況が自然に発生することがほぼあり得ないし、仮にその状況が偶発的に成立したとしても、普通に戦闘していれば見落とす可能性の方が高い。

 ただし、意図的に脆弱性を突こうと思えば話は別だ。霊能の──シキガミクスの戦闘とは、とどのつまりそういうこと。その想定の広さと深さが、霊能の盤石さに繋がるのだから。

 

 だが、最早打鳥(だどり)の関心はそこにはなかった。看破された霊能の弱点など今は良い。そんなものは後からいくらでも調整できる。それよりも、今はこの場から退避しなければならない。

 今このタイミングでシキガミクスを失えば、来るべき百鬼夜行(カタストロフ)を丸腰で迎えなければならなくなる。そんな最悪の事態に陥ってしまえば、せっかく『原作者』という勝ち馬に乗った意味も無に帰してしまうからだ。

 まだ、逃げて仕切り直せばどうとでもなる。この戦闘メイドから逃避さえすれば。

 

 なのに。

 

 

『『『……ど……どういうことだ!? 場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)が……動かない!? ……何をした!? お前の霊能は物品の取り寄せのはず……こんな霊能は……!?』』』

 

 

 まるで旧式のコンピュータか何かのように、場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)の動きは緩慢になっていた。

 

 

「さァな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 適当そうに言って、薫織(かおり)は足を止める。

 彼我の距離は、いつの間にか二メートル弱にまで縮まっていた。

 

 

「テメェの霊能、よく手が込んでんな。単に機体だけや陰に対してのみ投影をするだけだと、反射物から機体情報が漏れてしまう可能性がある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 『メガセンチピード』戦で薫織(かおり)がやったように、意外と校舎内には反射物が多い。

 そこから情報を受け取ることができるかどうかはさておき、『透明化』という自分の居場所を隠すことが重要な霊能ならば、それらに対しても欺瞞情報を投影することで自分の居場所を隠すよう設定しておくのはある意味では当然である。

 もちろん、それだけの作業を人力で実施するのは不可能なので、場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)は全自動で周辺の情報を読み取り、そして欺瞞情報を投影するよう設定されていた。

 だからこそ、『場当たり主義の迷彩』というわけだ。

 

 ただし──全自動とはいえ、その処理能力には限界が存在する。

 打鳥(だどり)自身は意識もしていなかったが、最初に薫織(かおり)によって『鳴子』としてばら撒かれていた無数の食器類に欺瞞情報を投影したことで、場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)の処理能力には確かなダメージが入っていた。

 そこに来て、自分の周囲に大量の食器類である。顔が映るくらいに綺麗な銀食器は当然景色を余すことなく反射する為に場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)はご丁寧にそのすべてに対して全自動で欺瞞情報を投影し──

 ──結果として、処理能力の限界を迎えた。

 

 

『『『……ば、バカな……!? ……開発者は俺だぞ!? その俺すらも意識していなかった仕様を突いて、シキガミクスを操作不能に陥れる!? そんなことできるわけ……!!!!』』』

 

「何言ってやがる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 呆れたように、薫織(かおり)は言う。

 

 

「気付かれてねェとでも思ったか? 最初から想定していたなら、そもそもシキガミクスに射撃能力を搭載しているべきだからな。どうせ、脇で片手間の指示出しでもしているピースヘイヴンの入れ知恵だろ」

 

 

 完膚なきまでに、図星だった。

 ──自分で設計開発したモノ、なんて言葉に意味はない。そんなものを易々と踏み越えてくるのが──『本物の実力者』の世界だ。

 

 

「悟ったか? 理解したか? ……そんじゃあ、『陽動』の仕事を果たさせてもらうぞ。メイドとしてな」

 

 

 それが、最後だった。

 打鳥(だどり)は『投影』を解除して処理落ち状態を解消しようと試みるが、そもそも対象指定を全自動にしていたのがまずかった。何度能力を解除しようとしても足元の銀食器たちが欺瞞情報の投影対象に選択されてしまい処理落ちが解消されない。

 そうこうしているうちに、戦闘メイドは移動を終えてしまう。

 

 

「『メイド百手』」

 

 

 至近距離。

 まさに肉薄と表現すべき距離で、メイドの拳が振り上げられ──

 

 

「『鉄拳奉仕(フィストサービス)』!!」

 

 

 ──そして、シンプルに振り下ろされた。

 

 


 

 

 

電球のように巨大な頭部を持つ人型のシキガミクス。体長はおよそ一・五メートルほど。

灰色をベースにした都市迷彩のカラーリングをしている。

 

透明になる能力。

機体を外部から透明になっているように見せることができる。

これは本当に透明になっている訳ではなく、正確にはプロジェクションマッピングのように外部の景色をリアルタイムで機体表面に投影する『光学迷彩』である。

この投影は機体周辺にも影響を及ぼすことができ、影や周辺の反射物にも着彩することで疑似的な完全透明を実現した。

また、この能力を応用することで二つ程度ならば機体以外のものも透明化可能。

 

一方で、大量の物質に対してリアルタイムで投影を実行するのは非常な演算負荷がかかる上、対象の算出自体はオートで実施しているため対象の取捨選択ができず、負荷によっては機体スペックが落ちることもある。

 

投影が届くのは機体から半径一〇メートル程度。

つまり、一〇メートル以上にまで影が伸びるなどした場合は影を消しきることができず、透明化に不備が出る。

 

元々は光線操作系の能力だったが、レーザーのような高出力の実現ができなかった為妥協で今の形に至る。

場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)

攻撃性:50 防護性:60 俊敏性:60

持久性:60 精密性:60 発展性:10

※100点満点で評価

 

 

 


 

 

 

 

「片付いたみたいね」

 

 

 と。

 場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)の頭部を一撃で陥没させた鉄拳メイドの前に、嵐殿(らしでん)が現れた。それを見た薫織(かおり)は眉をひそめて、

 

 

「……どういうことだ。(オレ)が陽動やってるうちにお前は腹心の情報を抜くって手筈じゃなかったか。もしかして失敗したか?」

 

「んもう! 失礼しちゃうわね~! ……情報は生徒会の書記の子から抜き終えた。こっちの目的は完了だ。ただし、拾った情報が大分マズくてな。その為に、一刻も早く生徒会長のところに行かないといけない。場所は分かっているから、さっさと行こう」

 

「おい、その前に生徒会長の計画を共有しろよ。あと流知(ルシル)達は?」

 

「そのへんの部屋に隠れさせている。今はとにかく時間がないから詳しい話は後で。早くしないと間に合わなくなる!」

 

 

 そう言って、嵐殿(らしでん)は走るようにして薫織(かおり)を先導する。

 あまりにも性急な話運びに対して薫織(かおり)が不信感を覚えなかったのは、その横顔に不自然さを上回るほどの鬼気迫る焦燥感が現れていたからだ。

 こういう場合は、安心の為に行動を遅延させるよりも、あらゆる方面の『不測の事態』に備えておいた方が総合的には上手く立ち回れるものだ。経験上そう判断した薫織(かおり)は、それ以上何も言わずに嵐殿(らしでん)の後を追走する。

 

 果たして、目的地はすぐ近くだった。

 生徒会室から少し離れた場所。何の変哲もない空き教室に見せかけられた扉の前で、嵐殿(らしでん)は立ち止まる。おそらく、陽動用の襲撃を事前に察知してこちらの方に本拠地を移していたのだろう。

 走った後だからか肩で息をしている嵐殿(らしでん)は、背後に控えている戦闘メイドに視線を寄越すと、

 

薫織(かおり)。此処だ」

 

「了解了解」

 

 

 不良メイドは、特に断りを入れなかった。

 バギャア!! と、派手な音を立てて生徒会準備室の扉が蹴破られる。薫織(かおり)はすぐさま室内へ飛び込み、嵐殿(らしでん)もそれを追うようにして室内に入っていく。

 

 そこには、二人の男女がいた。

 

 一人は、打鳥(だどり)保親(やすちか)。生徒会副会長でありピースヘイヴンの腹心だ。

 もう一人は、トレイシー=ピースヘイヴン。生徒会会長であり、今回の黒幕。彼女もまた、此処で潜伏していたらしい。

 

 いずれも、顔ぶれとしては薫織(かおり)の予想の範囲を超えないものだ。他の伏兵は気配を探る限りはおらず、この室内にいるのは薫織(かおり)達を含めて四人だけ。

 ただし──状況については、薫織(かおり)が予想すらしていない異常事態となっていた。

 

 端的に説明するならば。

 

 

「……あれ……? 違う……俺は、勝ち馬、に…………?」

 

「…………トラ…………?」

 

 

 打鳥(だどり)保親(やすちか)が握っているナイフが。

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()



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幕間-1 目指すは煌めく姫ではなく

 『プリズムプリンセス』は、名作だった。

 

 ……なんて堂々と言うのは、()()()()だと憚られるけどさ。

 でも、私は大好きだった。後に続く『プリズム』シリーズの金字塔。長らく途切れていた日曜朝の女児向けアニメ枠を復権させたその功績は日本史にも載っていいレベルだと、私は本気で思ってる。

 

 何が凄いって、私が一番に推したいのはキャラクター描写の巧みさ。

 アニメをあんま見ない非オタの大人はバカにしがちだけど、アニメのキャラクター描写ってどのアニメも本当に凄く考えられてるんだよね。だから『ズムプリ』が凄いのは『キャラクター描写の納得感』や『キャラクターを好きにさせてくれる手腕』じゃなくて、『キャラクターに対する評価を視聴者に掌返しさせるストーリーの腕力』。そして『キャラクターに対する評価を掌返しすること』自体が、物語の納得感を高める要素になってるところ。

 つまり、長所であるキャラクター描写の巧みさがダイレクトにストーリーの納得に繋がっているっていう全体の構造が、私が思う『ズムプリ』の一番の魅力かな。

 

 私の最推しは、『ズムプリ』主人公チームの中で最年長のレイア様。あ、黒衛(くろえ)嶺亜(レイア)っていう子ね。ちなみに、ヴィジュアルはこんな感じ。

 金髪でふわふわロングでエアインテークがあって、釣り目で神経質そうなしかめっ面で……典型的なイジワルお嬢様って思った?

 まぁ~初見の人はみんなそう思うんだよねぇ。うん分かる分かる。私も子どもの頃最初はそう思ってた。

 

 実際、中学二年生の主人公……橙山(とうやま)蜜柑(ミカン)っていうんだけど、その子の一個上の先輩で、すっごく口うるさいわけね。

 ミカンちゃんはけっこうヤンチャっ子なんだけど、先輩で同じ部活……ああバレー部ね……のレイア様はそんなミカンちゃんのことをいっつも注意してばっかりなんだ。いわゆる小姑みたいな?

 『プリズム』として参戦してからもそれは変わらなくて、主人公チームでも最年長だからってピリピリしてる感じなの。そのくせ『プリズム』としての力量はそんなないから、メンバーの中では一番弱いし、あまつさえミカンちゃんに助けられたりすることも多い……っていうのが序盤のレイア様の立ち位置。

 もちろん、そんな中でもいいところは出てくるんだよ? しっかり者だからメンバーの勉強を見てあげたりとか、責任感で押し潰されそうになっているマリンちゃんのことをそれとなく察して、ミカンちゃんにフォローするよう促したりとか。ああ此処もレイア様のいいところで、いつも口うるさくしてて嫌われている自分の言葉じゃ響かないからってわざわざミカンちゃんにフォローするようにそれとなく促すその優しさが本当によくってね……! ……あ、そこはいいから続きいけって? はい。

 

 まぁそういうわけで、多分大人が見れば好きな人がけっこう出てくるであろうレイア様だったんだけど、子どもの頃の私は本当にこのキャラが苦手で……。何せミカンちゃんに感情移入してるからね。口うるさく言ってくる先輩っていうキャラで、もう拒否反応がね。……思えば、お母さんの口うるささとかをレイア様に投影して見てたのかもしれないなぁ。

 そんな風にしてヘイトを貯めてたレイア様だったんだけど、物語の中盤になってくるといよいよ苦戦が多くなってきてね。

 その頃になってくると主人公チームも強化フォームとかが出てくるのね。でも、レイア様にはいつまで経っても出てこない。レイア様は焦るし、主人公チームもそんなレイア様に気を遣うしで……段々空気が悪くなっていっちゃうの。悪の組織からも、いつもピリピリしているレイア様は利用できるんじゃないか? って話になってきて……。

 

 そして、ちょうど物語も折り返し地点。

 今となっては恒例だけど、ちょうどこのタイミングでOPが後期OPに切り替わるんだよね。

 そこで……出ちゃったんだよ、OPに。今までの共通衣装の黒バージョンじゃない、フリルも何もなくて禍々しくてちょっと大人っぽい、悪堕ち衣装のレイア様がさ……。

 もう最悪のネタバレだよ! レイア様、やっぱ悪堕ちしちゃうんだって! そりゃそうだよねって! 尊敬してる先輩が悪堕ちしちゃうミカンちゃんが可哀想とか、散々責任とか偉そうなこと言っといて悪の誘惑に負けちゃうのとか、当時の私はすっごいショックだったんだよ……。……あと、これ後からネットを見て知ったんだけど、当時の『おおきなおともだち』も祭状態だったらしいね。鬱展開確定来た! とか、ミカンちゃんの情緒はもうボロボロとか、すごい言われようで、後から見てめちゃくちゃ笑っちゃった。

 

 そして運命の悪堕ち回。此処は、『プリズム』オタクの中では今でも伝説として語り継がれてるよ。私も、長い『プリズム』シリーズの中でこの回が一番好きだね。

 ついに悪の組織(アンクリアーズ)に捕らえられてしまったレイア様。敵の装置を取り付けられて、邪悪なエナジーを注入されて心の中の嫉妬や劣等感を増幅させられてしまう……。

 同時進行で、レイア様を助ける為に幹部のハピエロットと戦うミカンちゃんなんだけど、ハピエロットからは『もう遅いハピ~』とか『もうじき憧れの先輩に会わせてやるハピ~。お前の知ってる先輩はもういないハピけどな~!』とか、もう最悪の煽りの数々で……私は当時泣きながら見てたんだけどさ……。そこでミカンちゃんが言うんだよ。

 ボロボロの状態で、敵幹部の攻撃を幾つも受けてもう立ってるのもやっとって状態でさ。

 

 

『こんなチンケな作戦なんかで、先輩を悪の道に堕とす? ……アンタ達、レイア先輩をナメんのも大概にしなさいよ』

 

『あの人は、アンタ達が思っている一万倍、一億倍、一兆倍強い人なんだからっっ!!!!』

 

 

 ……で、そんなミカンちゃんの言葉に呼応するように、敵の機械に繋がれたレイア様から黒くて禍々しいエネルギーが大量に放出されてね。

 敵の拠点にいた連中も最初は『やった! 実験成功だ! 「プリズム」を我が陣営に引き入れることに成功したぞ!』って喜ぶんだけど……すぐに様子がおかしいことに気付くわけ。

 おかしい、計器の反応が異常すぎる。こんなに強いパワーは考えられない。

 それもそのはず。レイア様は、嫉妬や劣等感に吞み込まれたんじゃなくて……自分の中の嫉妬や劣等感を認めた上で、自分に散々お小言を言われても着いてきてくれて、そして一生懸命に前を見据えるミカンちゃんの向上心を尊敬してるんだ! ……って、自分の中の負の心を乗り越えたんだ。

 嫉妬や劣等感を認めたことで、その負の感情のパワーを自在に操れるようになったレイア様の姿はアンクリアーズの幹部みたいな悪そうな恰好になっちゃったんだけど、もう全然禍々しくなんか見えないわけ。むしろ、カッコよくしか見えなくて……。

 そのまま敵拠点を壊滅させたレイア様は、今にもミカンちゃんにトドメを刺しそうになってたハピエロットを上空から叩き潰して助けに来るのね。で、この後が最高の場面。

 

 

『あら、ミカンさん。またお召し物が乱れていましてよ。……まったく、身嗜みは人を作るといつも言っているでしょう?』

 

『…………そういう先輩こそ、随分なカッコしてるじゃないですか!』

 

 

 満面の笑みを浮かべるミカンちゃんに、不敵な笑みを返しながらレイア様が手を伸ばして、その手がガッチリ掴まれて……。

 憧れの先輩に助けてもらって、心配事もなくなったミカンちゃんはレイア様と一緒に並んで、立ち直ったハピエロットと対峙! 逃げようとしたハピエロットの影をレイア様が縛って捕まえて、そこにミカンちゃんのフルパワープリズムシャインバースト! レイア様の作り出した影の檻ごとハピエロットを消し飛ばすんだけど、強化されたっていうのに自分の技を跡形もなく消し飛ばすミカンちゃんを見るレイア様の目が本当に優しくて優しくて……ああ思い出しただけで泣けてくる。

 それでこのエピソードの最後のやりとりも最高でね。

 

 

『アナタはそのまま、いつも通りでいなさい。わたくしはそんなアナタを、陰から支えて差し上げますから』

 

『えー! 何でよ? 先輩も一緒にいてくれなきゃヤですからね! 先輩は私が一番尊敬してる人なんですから!!』

 

『……隣にいるには、アナタはやかましすぎるんですのよ』

 

 

 それで、二人だけしか知らない事件は人知れず幕を下ろすの。他のメンバーとかは全く出てこない二人だけの話で、この後もレイア様はサポート的な活躍がメインになるんだけど……もうさ? それすらも別の意味が見えてくるじゃん。最年長として皆を支えようとする意志とか……。

 太陽を司るミカンちゃんに対して影を司るレイア様って関係性で、ミカンちゃんはレイア様に自分の傍らで輝く月であることを求めるんだよ!! もう……もう……!! 最高でしょ!? いや当時の私はそんなこと思わなかったけど! ただ普通に感動して泣いてたけど! もうこの話擦るだけで日付超えるんですけど!!

 

 ……ああうんごめん。話が逸れたね。

 

 えーと、なんだったっけ。

 ああそう、私がなんでお嬢様を目指してるか、だっけ。

 

 つまりね、子どもの頃の私は、そんなレイア様に憧れてた。だから小さい頃の私は、レイア様の真似をしてたんだよ。お嬢様口調をしたり、しっかり者になろうとして身の回りのことを自分でやろうとしたりね。ああいうトコが女児向けアニメとしても優秀なとこだったんだろうなー……。

 まぁでも、そんなのも一瞬のことで、レイア様の真似はすぐ辞めちゃったんだけどね。だって、お嬢様口調なんて恥ずかしいし。

 

 思えば、前世は長いようで短かったなー。

 恥ずかしさで蓋をした憧れは、いつかまた取り出せると思ってた。生活が安定して、自分のことがちゃんとできるくらいに余裕ができたらさ、お嬢様口調の真似したりとかそういうのじゃなくて……もっと本質的なところで、あの人の生き方を体現できるかなって。

 でも現実には、結局私は三〇前に死んじゃって。生活も全然安定なんかしなかったしね。デザイン業のブラックさナメんなよNPO代表!

 

 ……うん、分かってるよ。生活が安定したらなんて、私の場合はただの言い訳だった。レイア様の真似と同じ。そうやって周りから抜け出して踏み込むのが、一人で突き進むのが怖かったから、二の足を踏んでいただけ。

 始めようと思えば、出る杭になる覚悟を決めれば、誰だっていつだって憧れに生きることはできる。アナタを見てれば嫌でも分かるよ。……だから、今度は最初から。恥ずかしさなんかで憧れに蓋をしないつもり。

 不出来でも、カッコ悪くても、憧れからほど遠くなっちゃっても。……やれる限り自分の理想を追い求めてみる。

 

 

 そうすればきっと、『今度』は胸を張っていられるはずだからさ。

 

 

 


 

 

 

幕間-1 目指すは煌めく姫ではなく

>> VIRTUOUS ARROGANCE

 

 

 


 

 

 

「あぁでも、将来の夢は流石にもうちょっと安定させたいかな!」

 

 

 陶磁器のティーカップに口をつけて喉を潤した流知は、そう言って話を締めくくる。

 居候のコスプレメイドを自室に招いての親睦会は、八割が彼女のオタクトークに終始していたが──この居候のコスプレメイドは、何が楽しいのか文句ひとつ言わずに(脱線を指摘はしたが)二時間に及ぶトークに付き合っていた。お茶会の支度をしながら。

 居候メイドは流知の言葉に興味深そうに眉を動かして、

 

 

「へェ、そりゃ前世で痛い目見たからか?」

 

「まぁそんなところかなー。前世で私が早死にしたの、絶対仕事が忙しくて不摂生だったからだと思うんだよ! だから今世は陰陽師の資格とってどホワイトな環境を作って、できた余裕で趣味としてイラストやったり、なんかこう……慈善事業的なことをやれたらなって。まだ具体的なことはなんともだけどさ……」

 

 

 そこまで言うと、流知は恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

 

「…………夢、ないかな?」

 

「十分夢はあるんじゃねェの?」

 

 

 居候のメイドは壁にかけてある純白の制服に視線をやってから、

 

 

「そもそも来年まで学園が存続してるかも分かんねェんだ。そんな鉄火場に乗り込む予定を抱えておきながら、臆面もなく『将来』の話ができるようなヤツはお嬢様くらいだろ」

 

「……そ、そうでした……! 『シキレボ』本編の事件、今年から始まるんだよね……!」

 

 

 さあっと顔を蒼褪めさせた流知は、しかしぐっと眉に力を入れて持ちこたえる。

 

 

「でも、薫織と一緒なら何とかできるよ。神織(こうおる)さんもいるんだしさ。私も頑張るから! ……ああそうだ。塾の先生が言ってたんだけどさ、『ウラノツカサ』にはアクの強い生徒がいっぱいいるから、埋もれない為にはキャラづけが肝心とかって言ってて……」

 

「くっだらねェ……キャラづけなんて別に要らねェだろ」

 

「鏡見てから言って?」

 

 

 どう考えてもコスプレ不良メイドはキャラづけの塊であった。

 流知は気を取り直すと、傍らに佇むメイドの顔を見上げ、

 

 

「ねえ薫織。どんな感じがいいかな?」

 

「…………、」

 

 

 問いかけられたコスプレメイドだが、答えを用意するつもりは毛頭なかった。というか、話を聞いていればこの少女の中で答えが決まっていることなど分かり切っている。これはただ、踏み出す為の最後の一押しが欲しいだけだ。

 ……それは甘えでもあるが、しかしそのくらいはいいだろう、と居候のコスプレメイドは思っていた。この甘ったれな、それでいて夢に真っ直ぐな少女が一人で道を進めるまでの補助輪(メイド)。そういう役割くらいを果たすだけの奉仕甲斐(りゆう)は、既に見せてもらっている。

 

 

「んじゃ、お嬢様のロールプレイでもしてみればいいんじゃねェか。辞めたんだろ? 憧れに蓋すんの」

 

「それ、良い! 採用! いや、採用ですわ!」

 

 

 ────三月。

 遠歩院流知と園縁薫織が、『ウラノツカサ』高等部に入学する一か月前のことだった。



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08 ある陰謀の頓挫

 その瞬間。

 時の流れが、緩やかになった。

 

 否、それは感覚の世界の話でしかない。この極限状況に至って、薫織が認知能力をフル回転させた結果、あらゆるものの速度がコマ送りになっただけ。

 薫織の経験上、事態が修羅場に突入すればこうしたことはままあった。だから彼女は、コマ送りの世界の中で迅速に自分にできる行動をとった。

 

 ──生徒会長トレイシー=ピースヘイヴンは、既に手遅れだった。

 背中から刺されて胸から突き出たナイフの位置は、的確に心臓を貫いている。これはどう見ても──事態発生から短時間で死亡するという本来の意味で──即死だ。即座に治療できる方法がない以上どうしようもない。

 

 

「トラっっっっっ!!!!!!!!」

 

 

 悲痛な叫びが、嵐殿の口から発せられた。

 叫びが向けられた先は、言うまでもなくトレイシー=ピースヘイヴンだろう。ピースヘイヴン自身が嵐殿のことをシロウと呼んでいたことと併せ、おそらく前世での呼び名だと推測できる。

 無理もない、と薫織は頭の片隅で考えていた。嵐殿とピースヘイヴンの間柄にどんな関係があるかは詳しくないが、薫織だって流知がああなったら同じようなリアクションをするだろう。つまりそれだけの関係性が、嵐殿とピースヘイヴンの間にはあったということだ。

 彼女が異常なまでに焦っていたのは、生徒会メンバーから情報を得たことでこの状況を予見できたからなのだろうか。

 

 なんにせよ、嵐殿が冷静さを失っている時点で薫織が最も警戒すべきは、伏兵の潜伏と奇襲だった。嵐殿は今冷静さを失っている。敵がこの精神状態を狙っていたなら、反射的にピースヘイヴンへ駆け寄った嵐殿は格好の的になりかねない。

 すぐさま視線を走らせて室内の気配を確認し始めたところで。

 

 嵐殿が、一歩目を踏み出した。

 

 目を血走らせた嵐殿の身体から、ズウ──とスライドするように人型のシキガミクスが現れる。

 嵐殿の髪色と同じくすんだ灰色をした、狼頭の獣人だった。

 幻影から現実へと切り替わった機械的な狼男がその足で地面を踏みしめる。

 

 そこで、薰織は室内に敵の気配がないこと、及び嵐殿がシキガミクスを発現したことを把握する。

 ほんの刹那の時間、薰織の行動が硬直したのは、彼女自身が嵐殿のシキガミクスを見たのが初めてだったからだ。これまで嵐殿は味方である薰織と流知に対してもシキガミクスを見せたことがなかった。信頼されていない訳では無いと理解していたが、度を越した秘密主義だと考えていた薰織としては──先程の絶叫と併せて、この事態が嵐殿にとってそれほどの非常事態であるとの認識を強固にする。

 

 嵐殿が、二歩目を踏み出した。

 

 伏兵の懸念を排除した薰織は、改めて現在の室内の状況を確認する。

 八メートル四方程度の手狭な空間には、作業机が雑然と配置されていた。部屋の奥に配置されている生徒会長用のデスクを中心としてコの字の形に並べられた作業机にはシキガミクス製のパソコンが置かれている。

 ピースヘイヴンがいたのはこのうち生徒会長用の作業机の手前で、作業机に腰掛けて入口の方を向き直っていたところで後ろから打鳥が寄りかかるようにナイフを突き刺したという格好になる。

 

 声からして、打鳥が先程打倒したシキガミクスの使い手。伏兵の危険性を排除した今、目の前の男の正体を瞬時に推測した薰織が真っ先に警戒したのは、予備のシキガミクスによる場当たり主義の迷彩(ハプハザードアサシン)の『透明化』だ。

 専用シキガミクスは基本的に製造・維持コストが高く、霊能自体がシキガミクスを使い捨てることを前提としてでもいない限り、複数機を所持していることは滅多にない。ただし別に『所持できない』という訳ではなく、敗北に備えてシキガミクスを複数機所持する例は稀ではあるがあった。

 伏兵がいない以上、この場で最悪の展開は『透明化したシキガミクスによって取り乱した嵐殿も暗殺される』というパターン。薰織がそこまで思考をめぐらせる頃には、その手の中には数本のナイフが発現されていた。

 

 

「念には念を入れておくか……!」

 

 

 そうは言ってもそこまでの最悪がやって来る可能性は高くないと踏んでいた薰織だが、『可能性に目を瞑る』のと『実際に潰し切る』のとではその後の行動のキレが断然変わってくることを彼女は経験で知っていた。

 一投、二投。まずは此処に隠れられていたら自分が割って入る前に暗殺されかねないという所へナイフを投擲する。

 

 嵐殿が、三歩目を踏み出した。

 

 果たして、二投のナイフはそれぞれ乾いた音を立てて壁や床に突き立つ。──シキガミクスに弾かれたり、回避の足音が立つ様子はなかった。

 

(いないか……! 一手無駄にしたがまァ良い。最悪よりはマシだ! それより嵐殿の野郎は……!)

 

 

 薰織が索敵を完璧に終わらせた頃には、既に嵐殿は四歩目を踏み出していた。

 そして、そのタイミングで嵐殿の傍らを併走していたシキガミクスも本格的に動き出す。

 

 遠隔操作使役型のシキガミクスと違い、多くの至近操作使役型シキガミクスはカメラ機能をオミットしている。これは人外の速度で行動している物体を一人称視点で操作することが難しいというのが主な理由だが──この関係で、至近操作使役型のシキガミクスは術者から二メートルから五メートルの範囲で戦うのが最も戦いやすい距離であるとされていた。

 ただし、嵐殿はそんな至近操作使役型のセオリーを完全に無視して、シキガミクスと一メートル程度の距離を保っている。まるで──シキガミクスからピースヘイヴンを受け取ろうとしているような位置取り。

 

 そして、嵐殿のシキガミクスが胸を貫かれたピースヘイヴンに触れる直前のことだった。

 

 じろり、と。

 ピースヘイヴンの視線が、事の次第を冷静に観察していた薰織の視線と絡みつく。

 

 そして、それと同時に──

 

 ──音もなく。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

08 ある陰謀の頓挫

>> OR START OF COMEBACK

 

 

 


 

 

 

「トラっ!?」

 

 

 狼狽えた声とは裏腹に、嵐殿は腰を低く落としそれまでの前のめりな姿勢から一転して冷静さを取り戻していた。

 同時に、薫織もまた長物のデッキブラシを手元に取り寄せて改めて周囲の警戒を始める。

 

 

「随分取り乱すじゃあないか。いや、嬉しいね。親友」

 

 

 ──ピースヘイヴンの声は、部屋の隅から聞こえた。

 位置取りとしては、入り口から見て左側の奥。コの字に並んだ机の角に位置するところで、ピースヘイヴンは壁に背を預けて腕を組んでいた。

 その胸に、貫かれたような痕はない。

 

 タン、と。

 その姿を認めた薫織のすぐ傍まで、嵐殿が一息で下がる。

 

 

「……悪いね。先走った」

 

「無理もねェよ」

 

 

 二人は言葉少なに意思を交わすと、改めて全域への警戒を張り巡らせる。今この部屋では、複数の異常事態が並行して発生している。

 一つは、ピースヘイヴンの腹心を自称している男の裏切り。

 一つは、確かに致命傷を負わされたはずのピースヘイヴンの復活。

 一つは、ピースヘイヴンの瞬間移動。

 原因が別かどうかは分からない。全て同一の根源から始まった事象なのかもしれないし、そうでないかもしれない。何も分からない以上、これ以上この場に留まるのは得策ではないのだが──

 

 

「……あ、あれ……? 勝ち馬……『契約』……」

 

「……ああ、すまないが打鳥君。君への対処は()()()()()()()

 

 

 事態は、二人が行動を起こすよりも先に進展した。

 

 

「『崩れ去る定説(リヴィジョン)』」

 

 

 言葉と共に、人影が在った。

 紳士然とした風貌の人型シキガミクスは、しかし生物的にも見えるほどに筋骨隆々なシルエットを持っている。遠めに見れば大男のようにも見える外観だったが、その顔つきはカメラの眼球にスピーカーの口と、一目見れば分かる程度に機械的なパーツで占められていた。

 ──ちらりとだが、あのシルエットは薫織も見たことがある。アレは、『メガセンチピード』を破壊したときに一瞬だけ現れたシキガミクスだ。

 

 

(…………? 何か妙な……)

 

 

 そこに一抹の違和感をおぼえた薫織だったが、崩れ去る定説(リヴィジョン)は止まらない。次の瞬間には、その巨躯は打鳥の傍らに移動していた。

 

 

(……!? 瞬間移動(オレとおなじ)、……いや違う! ()()()()()()()()()()()()()!! おそらくは(オレ)以上の速度で……! アレがヤツのシキガミクス!!)

 

 

 剛腕が、一閃した。

 それだけで茫然と佇んでいた打鳥は叩き伏せられ、全身の半分が床にめり込んでいた。圧倒的破壊力──いや、『メガセンチピード』を大破させていたことを考えると、打鳥を血煙に変えずにただ叩き伏せただけに留めたその精密性が際立つか。

 すぐさま撤退しようと、警戒を嵐殿に任せて彼女を抱え腰を低く落としていた薫織だったが、そこに遅れてピースヘイヴンの声がかかる。

 

 

「ああ、待ってくれないか!?」

 

 

 その声が意外にも切羽詰まっていたので、薫織は一瞬だけ行動を保留し。

 

 

「すまないが私も連れて行ってくれ! 少々、マズイことになったらしい!」

 

 

 ──危うく、ずっこけるかと思った。

 

 

 


 

 

 

紳士然とした風貌の筋骨隆々とした人型シキガミクス。

体長は二メートル前後。紳士服のような意匠で、遠目に見たら人間と見紛うような見た目。ただし、カメラの瞳にスピーカーの口と、顔は一目見れば分かる程度に機械的。

 

能力は、一切が不明。

 

ただし──『無敵』であることは確か。

崩れ去る定説(リヴィジョン)

攻撃性:100 防護性:100 俊敏性:80

持久性:70 精密性:80 発展性:70

※100点満点で評価

 

 

 


 

 

 

 それからしばらくして。

 生徒会準備室から撤退した薫織、嵐殿、そしてピースヘイヴンは──適当な廊下の支柱の陰で、一旦立ち止まっていた。

 別の空き教室に隠れている流知達と合流するわけには、まだいかない。なりゆきでピースヘイヴンと共に逃げてきたが、一応コイツは学園を巻き込む陰謀の黒幕で、本人の自白もあるのだから。

 

 

「んで」

 

 

 薫織は片目を瞑りながら腕を組んで、

 

 

「どういうことなんだ? 嵐殿が死ぬほど焦っていた理由も、テメェが刺された理由も、(オレ)は何一つ分からねェんだがよ」

 

「それについては、俺から説明しよう」

 

 

 話を引き継ぐようにして、嵐殿が口を開く。

 

 

「まず、コイツの状況だが……端的に言うと、()()()()()。コイツの部下、生徒会の書記長に伽退(きゃのく)悠里(ゆうり)って女子生徒がいるんだが、ソイツが中心になって生徒会役員の半分が反旗を翻した形だ」

 

「はァ? 何でまた。生徒会の連中にとってはコイツは『勝ち馬』なんじゃなかったのか?」

 

「学園の『外』の利権だよ」

 

 

 問いを重ねる薫織に、嵐殿は即答する。

 

 

「このバカは百鬼夜行(カタストロフ)を利用する『計画』を立てていたが──そこには破壊が伴う。百鬼夜行(カタストロフ)によって大規模な破壊が発生すれば、組織としてのセキュリティも弱まる。その機に介入すれば、唯一の陰陽師育成機関を牛耳ることができる。是非とも牛耳りたい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『ウラノツカサ』は唯一の陰陽師育成機関だ。……そう考える組織だって、少なくはない」

 

「だからピースヘイヴンが進めている百鬼夜行(カタストロフ)の前倒し自体は許容して、ピースヘイヴンを暗殺することであえて完全にアンコントローラブルな百鬼夜行(カタストロフ)を発生させて学園自体をぶっ壊そうとしてるってことか?」

 

「ということらしい。俺はその情報を別の生徒会書記の生徒から知って、慌てて薫織と合流した……って訳ね」

 

 

 とんでもない話だった。

 何より、外部組織が凶行に踏み切った理由が百鬼夜行(カタストロフ)の前倒しに学園の独裁と、どこまでもピースヘイヴンの身から出た錆なところが救えない。

 

 

「テメェが復活した理由は?」

 

「それは企業秘密だ。教えることはできないな」

 

「チッ……」

 

 

 舌打ちするが、薫織はそれ以上追及しようとはしなかった。本能的に、此処についてはどう掘り下げようと有益な情報が得られるとは思えなかったのだ。むしろ此処で下手に拘泥すれば、ピースヘイヴンとの敵対関係がより強固になってしまうリスクもある。

 

 

「……な? マズイことになっただろう?」

 

 

 そう言って、ピースヘイヴンは苦笑しながら肩を竦めた。

 この状況でコミカルな動作をしてきやがる黒幕野郎に腹を立てた薫織は、無言でバカの頭を殴打する。

 

 

「いたぁ! 酷いな……。まぁ、そこの柚香が盗み見た通り、私の計画は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことに意味があったわけだが……その為の手足となる生徒会メンバーの半数が敵対したとなると……どうなるか分かるかね」

 

 

 ピースヘイヴンは一呼吸おいて、

 

 

「つまり」

 

 

 神妙な面持ちで、こう告げた。

 

 

「『霊威簒奪』のデマ拡散から始まり、君達が抵抗していた私の計画は────早くも失敗が確定したことになる」

 

 

 もう一発ブン殴った。

 

 

「痛いなぁ!? 私のこの至宝たる頭脳がバカになったらどうしてくれる!?」

 

「うるせェボケ!! 今まで散々こっちを振り回してくれやがった黒幕野郎が今更ラスボス降りますっつったら、もう殴るしかねェだろうが!!!!」

 

 

 憤慨するピースヘイヴンだったが、悪態を吐く暴力メイドにハァと溜息を吐く。

 気を取り直して調子を取り戻すと、ピースヘイヴンは咳ばらいを一つして話を前に進めた。

 

 

「とにかく。破壊と混沌しか生まない百鬼夜行(カタストロフ)など百害あって一利なしだ。現時刻から私は誰が敵だか分からない生徒会を離れてひとまず百鬼夜行(カタストロフ)を阻止する為に動くつもりだが……君達も似たような感じだろ? 一緒に協力しないかね?」

 

 

 悪びれた様子もなく協力を申し出てくる元黒幕バカに、『コイツもう五発くらいブン殴ってもいいんじゃねェかな……』とわりと真剣に考える鉄拳メイド。

 だが、これ以上話の腰を折ってもしょうがない。薫織は仕方なく真面目なテンションに戻りながら、

 

 

「協力の意志が偽装でない確証は? つい数分前まで敵対してたんだ。裏切らない確証がねェ限り(オレ)は納得できねェぞ」

 

「確証は出せない。それは悪魔の証明だからな。だが、『()()()()()()()()()()()()()()()

 

「!!」

 

 

 その言葉に、薫織と嵐殿の息が詰まる。

 

 

「君達の『策』は分かっている。何らかの方法で私の頭の中を覗き『草薙剣』の内部血路の図面を確保して、()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 確かに、その解決策は的を射ている。その為の設計図を私から提供しようと言っているんだ」

 

 

 急転直下の提案。

 ピースヘイヴンからの提示に、まず口を開いたのは嵐殿だった。

 

 

「…………その解法があると分かっていたなら、何故『シキガミクス・レヴォリューション』を……捨てた?」

 

「……、……『草薙剣』の紛失はきっかけでしかなかった。言っただろう。私が見据えている問題の根は、もっと深いところにあるんだよ。シロウ」

 

 

 互いに、少女とは思えないくらいにくたびれた声色。

 そこには見た目からは想像もつかない重い歴史があるのだろう。薫織には二人の文脈を伺い知ることはできないので、ただ黙って二人の話の成り行きを見守る。

 ピースヘイヴンはそこで、パンと手を叩いて空気を切り替える。嵐殿の方も納得はしていないが、それ以上この話題について拘泥するつもりはないようだった。

 

 

「ともあれ、だ! 私のことは信頼できないだろうし、今すぐ信頼できるだけの材料を提示することも私には不可能。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これでどうかね?」

 

「…………有能なカスほど扱いに困るモンもねェな」

 

 

 つまり、薫織にも彼女の加入を拒否するだけの材料はないということだった。

 

 

「さて、懸念事項は解決したな! では晴れてラスボスは廃業だ。これからは先達として、君達に協力させてもらうよ」

 

「なんでコイツこの流れでこんなイキイキできるんだ?」

 

「……気にしないでやってくれ。コイツは前世(むかし)からこういうヤツなんだ……」

 

 

 何故か二人を先導して歩き始めるピースヘイヴンの背を眺めながら。

 薫織は、『流知にどう説明したもんかな……』などと益体のないことを考えていた。






イラスト:丸焼きどらごんさん
打鳥君のイラストを描いていただきました!
ありがとうございます! ……何故お前が……?


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09 神に愛された少女

「…………で、あのー……」

 

 

 遠歩院流知は、現状を測りかねていた。

 

 ──生徒会準備室での一幕からしばらくして。

 別室で待機していた流知と冷的は、薫織達と合流して、一旦は一番安全な薫織の自室へとやってきていたのだが──

 

 

「なんで生徒会長がいるんですの?」

 

 

 薫織の部屋の一室──ホテルの一室のような、ベッドが二つと化粧机だけがある簡素なベッドルームにて。

 まるで整えたてのようにきれいなベッド(無論メイドがベッドメイキング担当)に腰かけて、流知は問いかけた。

 

 ──何故か目下最大の敵であったはずの黒幕・トレイシー=ピースヘイヴンがパーティにいるという事実。これは流石に、流知でなくとも目が点になるだろう。というか、流知の隣に腰かけている冷的など、先ほどからずっと首を傾げすぎて、そろそろ首の角度が九〇度に達しそうだった。

 

 

「『霊威簒奪』の黒幕は会長という話でしたわよね。もしかしてもう既に和解して、お友達になられたとか? ならもう、百鬼夜行(カタストロフ)の心配はなくなったのかしら」

 

 

 傾きすぎた冷的の首を元に戻してやりながら、流知は問いかけた。

 だいぶ希望的観測に満ちた流知らしい予測だったが、この状況ならばそう思うのも無理はないか、と薫織は頷く。

 

 

「いや? 百鬼夜行(カタストロフ)のリスクは解消されていないよ。というか、これから何とかしようという段階だ」

 

 

 だから、しれっと答えたピースヘイヴンにお嬢様らしからぬ愕然とした表情を浮かべた流知を、薫織は責められなかった。

 

 

「……お嬢様、顔。顔」

 

 

 お嬢様がしてはいけない感じの顔になりかけていた流知を窘めつつ、殊勝なメイドは主導権を取り戻す。

 

 

「端的に言うと、まずコイツは部下に裏切られて生徒会を追われて、」

 

「なんて?」

 

「気持ちは分かるが、話が進まねェからツッコミは後でまとめて聞く」

 

 

 薫織はスッと手を差し出して流知を制止しつつ続ける。

 

 

「……んで、生徒会を追われたことでコイツが推し進めていた百鬼夜行(カタストロフ)を用いた計画は頓挫した。だが計画が潰れても途中まで推し進めた百鬼夜行(カタストロフ)が中止になるわけじゃねェ。制御を外れた百鬼夜行(カタストロフ)はいずれこの学園に大打撃を与えるだろう。……っつか、それが裏切った生徒会役員──伽退の狙いだな」

 

「急転直下ですわ……」

 

「ただ学園をぶっ壊すのは、この黒幕(バカ)の望むところじゃねェんだと」

 

 

 薫織はコンコンと裏拳でピースヘイヴンの頭を叩きながら、

 

 

「そういうわけで、(オレ)達とコイツの利害が一致した。身を寄せるところがねェコイツを一旦(オレ)の自室で匿い……全員で作戦会議をしたい、ってのが今までの流れになる」

 

「一番の山場は、明日の生徒集会だな。連休前だからということで全校生徒が集まることになるし、私の登壇予定もある」

 

 

 薫織の説明を引き継ぐように、ピースヘイヴンが話を切り出す。これに対し、冷的はぽかんとしながら問いかける。

 

 

「……なんで生徒集会が問題になるんだぞ?」

 

「連中が暗殺を狙うなら、そこが一番やりやすいからだ。どうせ向こうは百鬼夜行(カタストロフ)を起こすつもりだ。騒ぎを起こすことに躊躇はあるまい」

 

「思ったより大問題だったぞ…………」

 

 

 何せ、目的が暗殺である。敵もそれなりに戦力を揃えるだろうし、阻止するとなったら相応の戦闘が勃発するのは避けられまい。それが、全校生徒のいる場で巻き起こるのだ。発生するパニックだけで、人が死にかねない。

 薫織は苦い顔をして、

 

 

「っつか、それはそれで問題だぞ。全校集会でドンパチやるってんなら久遠が巻き込まれるじゃねェか」

 

「……久遠?」

 

 

 薫織の口から出てきた見知らぬ名前に、冷的は首を傾げる。

 というか、それ以前にこのメイドの権化のような女がご主人様たる流知以外の特定個人を心配するような言動が、イメージに似合わない。そういう意味でも疑念をおぼえた冷的に、流知はあっさりと答える。

 

 

「薫織の妹ですわ。小等部入学組で、中等部の二年生ですわよ。……薫織と一緒にこの部屋に住んでいるから、もうすぐ帰ってくると思いますけれど」

 

「ヴェ!? それって……わたし達は此処にいて大丈夫なのか!? なんか知らない人が大量に来てるけど……」

 

「わたくしも師匠も久遠ちゃんとはお友達ですし、別に大丈夫ですわよ」

 

「え、じゃー知らない人はわたしとコイツだけ……?」

 

 

 不審者Aと自分が同じ立場なことに慄いている冷的はさておき。

 

 

「しかし、妹の心配とはずいぶん妹想いな姉じゃないか。意外だぞ」

 

「意外は余計だ。……っつか、妹想いじゃなくて、」

 

 

 そう薫織がぼやいた瞬間──噂をすれば影、というタイミングでガチャリと勢いよく扉が開けられる。

 その場の全員の神経が部屋の入口の方へ集中したタイミングで、

 

 

 

「たっだいまーなのでーすっ!!」

 

 

 

 溌溂とした声が、室内に届いてきた。

 ぱたぱたと小走りで駆ける音が連続し、そして薫織達がいるベッドルームの前で立ち止まる。

 

 

「お姉ちゃん。玄関に靴がいっぱいあったけど、お客さんなのですー?」

 

 

 廊下から顔を出したのは、純白の学校指定の制服を身に纏った中学生くらいの少女だった。

 薫織と同じ漆塗りのような黒髪に、くりくりとした大きな紅い瞳。ただし、そこから与えられる印象はまるで違った。

 たとえるならば──黒猫。

 癖毛気味の髪は動くたびに揺れてどこか猫耳を思わせるし、楽し気に緩められた口元からは動物的な愛嬌が感じられた。

 姉と、そう呼ばれた薫織は、その姿を嫌そうに一瞥したあと、ピースヘイヴンに向き直ってこう続けた。

 

 

「…………()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

09 神に愛された少女

>> UNTOUCHABLE GIRL

 

 

 


 

 

 

「コイツが(オレ)の妹の園縁久遠。ちなみにコイツも転生者だ。前世は地域猫」

 

「………………ね、ねこ………………?」

 

 

 宇宙が背景になりそうなくらいの困惑を見せた冷的だったが、気にしてはいけない。『シキガミクス・レヴォリューション』はたまたま家に上がり込んだ猫だって見たりするのである。

 ならば、猫が転生したりしたってなにもおかしなことはない。ないのだ。

 

 

「あ? これ転生者の集まりだったのです? 初めまして! 園縁久遠なのです。これでも園縁家の跡取りなのです。媚を売っておくと将来安泰ですよ」

 

「自分から媚を推奨するなや」

 

 

 べし、と薫織が久遠の頭を軽くはたく。

 その様子をにこにこと眺めながら、嵐殿は未だに動揺している冷的を指し示す。

 

 

「この子は今日知り合った冷的静夏ちゃん。久遠ちゃんの一個上ねぇ」

 

「おー! 中等部の知り合いを連れてくるのは初めてなのです!」

 

 

 久遠は呑気に手を叩いてから、

 

 

「あともう一人は会長なのです? 生徒会長と仲良くなるとは、お姉ちゃんも偉くなったものなのです」

 

「余計なお世話だ。……あー、姉ちゃん今から難しい話するから、お前は向こうの部屋に行ってろ」

 

 

 『えー、まぁ分かったのですー』と言って居間の方へ駆けて行った久遠を見送り、薫織は改めて向き直る。どことなく、先ほどよりも緊張感に満ちた面持ちだった。

 口火を切ったのは流知だ。

 彼女は遠慮がちに手を挙げて、

 

「思ったのですけれど、暗殺の危険があるのでしたら、明日は休めばよろしいのではなくて?」

 

「いや、()()()()()()。相手が絶対に暗殺しに来るということが分かっているんだ。つまり私は一〇〇%囮にできる優良素材なのだよ」

 

「ご自分を大事になさって!?」

 

「……まァそこ自体は大丈夫だろ。原理は分からねェが、コイツ一回刺されてるけど無傷で復活してるし。たぶん残機制なんじゃねェかな」

 

「あっはっは! だったら私ももうちょっと気楽でいられたんだがねぇ」

 

 

 楽しそうに笑うピースヘイヴンは流知の目から見れば十分気楽そうなのだが、きっと当人にしか分からない悩みでもあるのだろう。

 いまいち深刻度が分からない流知を置き去りにするように、ピースヘイヴンは続ける。

 

 

「一〇〇%囮に使えるということは、相手の行動を誘導できるということだ。これを利用しない手はないだろう?」

 

「……ピースヘイヴン暗殺に全力を出す生徒会反乱分子どもを(オレ)達が叩け、と?」

 

「その通り。話が早くて助かるよ」

 

 

 パチン、とピースヘイヴンは指を弾く。

 実際、これが一番実現性が高いのは間違いないだろう。反乱分子にとってはピースヘイヴンの暗殺が絶対条件だし、この機会を逃せばピースヘイヴンは百鬼夜行(カタストロフ)まで雲隠れしかねない。

 そう考えれば、確実に姿を現す生徒集会での暗殺は反乱分子にとっては避けようがないイベントになる。──そして、それが分かっていればこちらも幾らでも対策することができる。

 

 

「生徒集会には、通常通り参加する。君達はその間に伽退君を打破してくれ。流石に生徒会の反乱分子全員は難しいだろうが、明確に『外』の手の者である伽退君が潰れれば、残った反乱分子は烏合の衆。どうにでも処理できるはずだ。どうだい、シンプルな構図になっただろう?」

 

「…………いや……無理だな」

 

 

 弱音を吐いたのは、意外にも普段は強気なメイドだった。

 

 

「そーなのか? わたしは聞いてて上手くいきそーな気がしてたけど……」

 

「そうじゃねェ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 一般生徒への被害の危惧。

 それは、何だかんだで善性に属する選択を好む薫織らしい理由ではあった。つまるところ、一般生徒に被害が及ぶ危険を許容するなと言いたいのだろうか──とピースヘイヴンが推察したところで、違和感に気付いた。

 

 

「…………()()()?」

 

『────良く分かっていますね、薫織』

 

 

 直後。

 冗談抜きで、その場にいた全員の呼吸が止まった。

 

 

「…………君の妹は、怪異を宿しているのかい?」

 

 

 ()()()は、化粧机に備え付けられた小さな椅子に楚々と腰かけていた。

 漆黒の髪に、鶯色の瞳。肉抜きされた巫女服のような装束は、他の者が身に纏えばコスプレ衣装のようにも見えたかもしれないが──()()()の場合、まるでそれ自体が肉体の一部のように、自然と馴染んでいた。

 

 

「あ、カガミサマ。ごきげんようですわ」

 

「ご無沙汰してるわね~」

 

『遠歩院に、嵐殿ですか。息災そうで何よりです』

 

 

 ──『怪異』。

 百鬼夜行(カタストロフ)の副作用によって発生するものが一般的だが、実際のところはそうとも限らない。そしてこの怪異は、発生理由や成長経緯によって幾つかの種類に分けられる。

 

 一つ目は、妖怪。純粋に怪異として生を受けた存在で、これは百鬼夜行(カタストロフ)からしか生まれない。

 

 二つ目は、幽霊。人から発生した怪異で、本来は死と共に拡散する霊気が何らかの形で離散せず留まることによって誕生する。

 

 三つめは、化生。動物やモノなどが成る怪異で、年月を経るか何らかの理由で大量の霊気を浴びるか、いずれにせよ霊気の蓄積によって誕生する。

 

 四つ目は、精霊。自然物から発生する怪異で、何らかの事情で土地や事物に霊気が蓄積することによって誕生する。

 

 そして最後が──『神様』。

 最初から神様として怪異が誕生することは原則的になく、上記の『怪異』が力を得ることで到達する領域がこう呼ばれている。

 その脅威は凄まじく、単体で百鬼夜行(カタストロフ)と同じだけの被害を齎すことができるとも言われ──実際に、『原作』でも物語の最後までパワーバランスではトップを保っていた。

 

 

『そして──アナタの問いに答えます。私は、怪異ではありません。──「神様」と呼んだ方が脅威把握としては適切でしょう』

 

 

 ──そして、園縁久遠は『神様』に愛された少女だった。

 遠くから加護を与えるのではなく、直接自分自身が久遠に憑くという形で。

 

 

『初めまして。園縁家に祀られている「神様」──花蓮と申します。家の者からは、「華神様」と呼ばれていますが』

 

園縁家(ウチ)は代々『花園の神(カガミサマ)』……まぁコイツを祀る神職の家系でな。……ちなみに、コイツも転生者だ。三〇〇〇年前のな」

 

「『神様』がっっ!?!?」

 

 

 そこで、あまりの事態に固まっていた冷的の脳が再起動を果たした。

 前世が猫の次は、今世が神である。なんというか、何でもありな有様だった。確かに転生する対象が人間だけだなんて誰も決めていないのだから、有り得る話ではあるのだが。

 流知と嵐殿は驚愕していないあたり、おそらく二人に関しては既知の情報なのだろうが──冷的にしてみれば、驚天動地もいいところである。

 

 ともあれ、園縁久遠に憑く形で、『ウラノツカサ』には『神様』がいる。

 そして、園縁久遠が『神様』に憑かれているということは。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 この『神様』が、学園内で猛威を振るうということ。

 たった一人で、百鬼夜行(カタストロフ)と同等の被害を齎すと言われているほどの存在が、である。

 

 

『ピースヘイヴンさん、いえ、()()()()。私はアナタに返しきれない恩があります』

 

 

 そう言って、花蓮はじっとピースヘイヴンを見据える。

 『神様』が初対面の一個人に恩を語るのは、どこか奇妙ではあったが──きっと、長くこの世界を生きた彼女にだけ分かる『何か』があるのだろう。その場の誰もが、そこに秘められた文脈に対してあえて問いただすようなことはしなかった。

 

 

『──それは、この世界を組み上げたアナタに帰属する恩です。──だからこそ、私はアナタが為そうとしていた「決着」については──目を瞑ります。最悪、私が久遠を護ればいいだけの話でしたし』

 

 

 過去形で語っているのは、ピースヘイヴンが推し進めていたという百鬼夜行(カタストロフ)を利用した計画のことか。

 やはり『神様』らしく、その思惑についてはある程度知っていたのかもしれない。ただ、花蓮はそこで言葉を区切り、

 

 

『しかし──アナタ以外が引き起こした事態については別です。もしも何者かが久遠に危害を加えた場合、百鬼夜行(カタストロフ)を待たずしてこの島の機能は完全に失われるとお考え下さい』

 

「…………そ、それなら、オマエが伽退とかを倒せばいーんじゃないか?」

 

 

 震えつつ、冷的が当然と言えば当然の疑問を問いかける。

 とはいえ、街一つを容易に消し飛ばせる『神様』に意見するのだ。どれだけのプレッシャーがかかっているかは、想像すらもできないが。

 それを察したのか、花蓮が直接答える前に薫織が代わって答える。

 

 

「そうもいかねェようになってんだ。花蓮は久遠に憑くときの契約で、久遠に危険が迫らない限り暴れられねェよう行動を縛られてるからな。『憑く』ってのも、そう便利なモンじゃねェらしい」

 

「な、なるほど…………」

 

 

 『原作』においても『神様』は物語序盤から登場していたが、『神様』達が物語の中心にならず主人公達によって事件が解決されていたのも、こうした事情が関係している。

 理由は一様ではないが、土地やモノに縛られているなどの理由で『神様』の多くは現世に干渉するのに一定の制約が存在している。

 この花蓮の場合──久遠の肉体に己を『封印』することで土地の制約を回避する代わりに、久遠に身の危険が迫らない限り具体的な干渉をすることができない、という制約が。

 つまるところ、『爆弾』が一つ増えたということだ。それも、一度起爆すれば学園全体が跡形もなく消し飛ぶレベルの。

 薫織は状況を総括して、

 

 

「被害の黙認は論外。できれば、集会当日にぶっつけで阻止することになるのも避けたい。……今日中に連中を倒すのがベストだな」

 

「厳しいが…………なるほど、確かにそうせざるを得ないな」

 

 

 渋い顔をしながら、ピースヘイヴンは頷く。

 実際に、今日中にことを収めるのは難しいだろう。伽退は周到に準備していたであろう暗殺を失敗したばかりなのだ。まずは一旦水面下に潜ることで追撃を回避しようと考える。

 それを暴くのは至難の技だし、下手に動けばさらなる暗殺を狙われかねない。ピースヘイヴンの能力は未知数ではあるものの──

 

 

(なんだかんだでこの調子だからな……)

 

 

 ピースヘイヴンを横目に見て、薫織は内心で嘆息する。とてもではないが、絶対に殺されないから安心! とは言えなかった。

 

 

「じゃ、何手かに分かれて行動したらどうかしら~? 私とトラ、流知ちゃんと薫織ちゃん、冷的ちゃんと久遠ちゃんは此処で待機って感じで~」

 

「ちょっと待て!? それだとわたしがこの神様と一緒にいるってことにならないか!?」

 

『──あら、冷的は私と一緒に過ごすのは嫌でしょうか? こう見えて私はゲームもいけるクチなのですが。一緒に久遠とプレイしましょう?』

 

「…………えへ、わたしもゲーム大好きだぞ、えへへへ……」

 

 

 世界一辛い接待ゲーム大会が確定し、世にも悲しい笑みを浮かべる冷的。とはいえシキガミクスを失っている彼女の留守番は確定なので、こればかりはどうしようもないのだった。

 薫織はそんな組み分けを提案した嵐殿を横目に見ながら、

 

 

「今日中に、生徒会の反乱分子を叩き潰す。……百鬼夜行(カタストロフ)の解決についちゃあ、それが片付いてからってことになるな」

 

 

 ──百鬼夜行(カタストロフ)を推し進めていたかつての原作者と、それに抗うかつてのイラストレーター。

 明らかに作為のある提案だったが、薫織はあえてそこに言及することはしなかった。

 

 ようやく交わった道だ。

 世界を諦めない者と、世界を諦めた者。積もる話も、あるだろうから。




ストックが完全に切れましたので、更新頻度少しゆっくりになります、




イラスト:丸焼きどらごんさん
冷的のイラストを描いていただきました! ありがとうございます!


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10 最悪の二択

「…………やっぱり納得いきませんわ」

 

 

 薫織(かおり)と連れ立って歩きながら。

 流知(ルシル)は、考え込むようにしながらも呟いた。

 

 

「何がだ?」

 

 

 横を歩く薫織(かおり)は、そんな流知(ルシル)に問いかける。問われた流知(ルシル)は言葉を選びながらも、

 

 

「決着を急ぐ理由ですわ。明日暗殺される危険があるなら、どう考えても会長に明日の生徒集会を欠席してもらった方が良いはず。目標である会長が現れないなら、生徒会の方々だってそもそも暗殺騒ぎを起こせないでしょう? ……むしろ、こちらから行動するということはいたずらに危険(リスク)を増大させるのではなくて?」

 

 

 流知(ルシル)の言は、道理だった。

 あの場では生徒集会へのピースヘイヴンの登壇は必須というような扱いになっていたが、それはあくまで『ピースヘイヴンを囮にすれば相手の隙を突けるから』という理由ありきだ。

 暗殺騒ぎが花蓮を刺激することに繋がり、それを回避するのが最優先──という理路であれば、選ぶべきは『今日中の決着』ではなく『登壇の中止による暗殺騒ぎそのものの阻止』。

 戦闘を嫌う流知の性格ゆえではあるが、至極理性的な発想である。

 

 ただし、此処には一つ共有されていない前提があった。

 

 

「……ああ、そういえばお嬢様には言ってなかったっけか」

 

 

 薫織(かおり)は何かを思い出したように言って、

 

 

 

伽退(きゃのく)は、霊能で他者を操作する」

 

 

 

 そんな衝撃の事実を、あっさりと話した。

 

 

「生徒会室でピースヘイヴンの野郎が裏切られた時、裏切ったピースヘイヴンの腹心……打鳥(だどり)とかってヤツの様子がおかしくてな。言動がふわふわしていたし、不自然に『契約』という言葉を口走っていた」

 

 

 思い返すように薫織(かおり)は続けて、

 

 

「おそらく……『契約』を軸にした精神操作系統の霊能だろう。精神操作系統の霊能は陰陽師相手では顕在化している霊気の影響で著しく効果が減少するが、相手に『同意』させた場合にはその限りじゃねェし」

 

「そ、そうなんですの……?」

 

「あァ、民間時代に何人か見たし……っつか、『原作』でも登場してたし解説もされてたろ、『精神操作』系統の霊能」

 

「……、……わたくしは後追いだからコミカライズの関係性読みがメインだったんですぅー!!」

 

「………………」

 

 

 『ファン』としての嗜好の違いが浮き彫りになったところで、薫織(かおり)は誤魔化すように咳ばらいを一つする。これ以上は深刻な喧嘩の入り口になりかねなかった。

 流知(ルシル)は話を逸らすようにして、

 

 

伽退(きゃのく)さんが洗脳系の霊能を持っているということは分かりましたわ。ですが、それと今日中の決着に拘るのは繋がらないのではなくて?」

 

「明日は全校生徒が集まる生徒集会だって言ったろ?」

 

 

 首を傾げる流知(ルシル)に、薫織(かおり)は呆れたように言って、

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 当たり前のことのように、最悪の可能性を提示する。

 

 

「全校生徒の中の不特定多数がヤツの手駒になっちまえば、あとはもう分の悪い消耗戦だ。つまり、ピースヘイヴンが登壇しようが登壇しまいが明日の生徒集会で連中は動く。……そして、それに久遠が巻き込まれたらどうなると思う?」

 

「………………考えたくありませんわね」

 

 

 愛しの久遠がバカの手駒にされる。良く考えずとも、花蓮の地雷をストンピングしている状況だ。確実にその場で爆発するし、そうなれば全校生徒が花蓮の怒りに巻き込まれかねないことになる。人的被害は、計り知れないレベルになるだろう。

 ──そして、薫織(かおり)のこの最悪の懸念は、さらに最悪なことに実現性がかなり高い未来だった。

 

 

「連中も流石にピースヘイヴンと(オレ)達が組んでいることは把握済みのはず。となれば真っ先に狙いてェのはお嬢様──だが、こっちはガードが堅い。(オレ)がいるからな。だから必然的に、狙われるのは久遠になる」

 

「それは……」

 

 

 それをあの場で話せば、花蓮は『つまり現時点で久遠は身の危険に晒されている』と解釈したはずだ。そうなればどこにいるとも分からない伽退(きゃのく)を叩き潰すまで無制限に破壊を撒き散らす暴走機関車が誕生してしまう。だから、あの場では話す訳にはいかなかったのだった。

 

 

「な? だから今日中に決着をつけるしかねェ……どころか、もうすぐにでも伽退(きゃのく)を見つけて叩かなきゃならねェんだ」

 

「……そ、それって、事前に会長と師匠とで話し合って考えたんですの?」

 

「特には。でもまァ、アイツらも同じようなことは思い至ってんだろ。でなけりゃ流知(ルシル)と同じように集会不参加を提案するはずだし」

 

 

 あっさり言うメイドだったが、流知(ルシル)としては戦慄するばかりだった。

 思考の回転速度もそうだが──そもそも、会話の前提として必要とされる想定の複雑さの次元が違う。

 と、そこで流知(ルシル)はハッとして、

 

 

「……ん? でも、そうなると現状はマズイのではなくて? わたくし達が外に出ているということは、久遠さんの守りががら空きになってしまいますわ。相手が久遠さんを狙っているのであれば、その動向は筒抜けということに……」

 

「むしろ、それを狙ってる」

 

 

 神をも恐れぬメイドはあっさり頷いて、

 

 

「十中八九、向こうは(オレ)達の留守を突いて久遠を狙いに(オレ)の部屋へやってくる。獅子身中の虫を作り出す千載一遇の好機だからな。(オレ)達はそれを逆に狙って叩くわけだ」

 

「…………それって……」

 

「あァ。万一突破されて花蓮が出張ってきた場合、まず間違いなく(オレ)達が久遠を囮にしたこともバレる。そうなれば(オレ)達も神様(ヤツ)の報復対象に仲間入りだな」

 

「最悪じゃありませんのそれ~~~~~~~~~!!!!!!!!」

 

 

 あまりのことに頭を抱える流知(ルシル)だったが、生徒集会での洗脳が相手の既定路線である以上、相手にその方針を捨てさせるにはこれくらい大きな隙を見せないといけないという事情もある。薫織(かおり)達としても苦肉の策なのであった。

 

 

「だから、とっとと潰す。お嬢様と(オレ)、会長と嵐殿(らしでん)のペアで別れたのも迎撃と遊撃の二手に分かれる為だ。ちなみに役割としては(オレ)達が迎撃」

 

「……つまり、師匠たちが空振りしたらわたくし達が責任重大になるということでよろしいのかしら?」

 

「察しが良いじゃねェか。冴えてるな、お嬢様」

 

 

 薫織(かおり)はニッと笑いながら流知(ルシル)の頭に手を置き、

 

 

「なァに心配は要らん。拠点防御と迎撃はメイドの十八番だ」

 

「そんな訳ないですわよね???」

 

 

 


 

 

 

 

10 最悪の二択

>> HELL OR HELL

 

 

 


 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 二人の少女達は、横並びになって無言で歩く。

 長身の嵐殿(らしでん)と比べ、中等部程度の見た目に見えるピースヘイヴンは横に並ぶと姉妹のようですらあったが──二人の間に横たわる重々しい沈黙が、そうしたほのぼのした印象を全て消し飛ばしていた。

 

 

「アナタの部下から()()()()()()()

 

 

 歩きながら、嵐殿(らしでん)は言う。

 

 

百鬼夜行(カタストロフ)を起こし、()()()()。部下達もこれ以上の詳しい情報は知らされていなかったわ。……そんなことだからあっさり反旗を翻されるんじゃないかしらん?」

 

「耳が痛いな。だが、君にとっては都合がよかったんじゃないか?」

 

 

 嵐殿(らしでん)の言葉が、止まる。

 

 

飛躍する絵筆(ピクトゥラ)の霊能があっても、大前提として私から設計図を掠め取れるかは五分五分だっただろう。反乱があったお陰でこうして平和的に私から設計図を得られるんだから、君としては万々歳。違うか? 柚香」

 

「だとしても、友人の人望が音を立てて崩れていって楽しくなるほど()()クズじゃないからね~、トレイシーちゃん」

 

 

 互いに今世の名で呼び合うのは、隔意の証か。

 互いに互いの腹を探り合うようにしながら、二人は先を急いで行く。

 

 

「しかし妹(くん)の方は彼女に任せてよかったのか? 私達が衝突しなければ彼女一人に任せることになるだろう」

 

薫織(かおり)ちゃんは、流知(ルシル)ちゃんが後ろにいる時の方が強いからね~」

 

 

 どういう原理か知らないけど、と嵐殿(らしでん)は言う。

 おそらくメイドなので、お嬢様を護ってると気分が乗るのだろう。これで納得できている時点で、だいぶ精神の深いところをあのメイドに毒されている気がしないでもないが。

 そんな精神汚染メイドの話はさておき、ピースヘイヴンは嫌そうに目を細めながら嵐殿(らしでん)に断りを入れる。

 

 

「……万一突破されたら、私は逃げるが構わないな」

 

「どうして始める前から失敗することばかり考えるのよぉ~。もうちょっと明るく考えましょ?」

 

()()()()()だ。常に最悪を想定し続けるくらいでちょうどいいだろう?」

 

「……それを、アナタが言うのね」

 

 

 そこで、また会話の流れが途切れた。

 数秒か、数分か。時間の経過すらも曖昧になるような重苦しい沈黙の後、二人の足音だけが廊下に響く。

 

 

「思えば……こうしてきちんと話をするのは()()()()()になるか」

 

 

 それは、()()()()()高校三年生ということになっているトレイシー=ピースヘイヴンの言葉としては明らかに異常だった。

 さりとて、『前世』を計算に含めた話でもない。彼女は前の生の最期を、横を歩く少女に看取られているのだから。

 

 

 ──それが示すのは、つまり。

 

 

「今年で三八歳。はっはっは、陰陽術で若さを保っているとはいえ、流石に物悲しくなってくるなぁ」

 

 

 『ウラノツカサ』の事情に詳しい学生は、転生者に限らずピースヘイヴンのことをこう呼ぶ。

 永久に生徒会長の座に君臨する者──『永世会長(デスポット)』、と。

 

 考えてみれば、自然の流れではある。

 小等部から数えれば一二年の在籍期間がある『ウラノツカサ』だが、いかにピースヘイヴンが原作者であろうと、ほんの十数年程度で原作ではモブの集まりにすぎなかった組織を学園最大の派閥へ変貌させ、大量の汎用シキガミクスを配備した万全の支配体制を作り出し、世界を揺るがすような計画を練ることなどできはしない。

 校則は問題にはならなかった。そんなものは、生徒会長になって学園の権力構造の頂点に立った時点で容易に握り潰せた。

 

 

「君もよくやっているな。学籍もないのに二〇年間も素知らぬ顔で学生をやっているなんて正気の沙汰じゃないぞ」

 

「だぁって。アナタを放ってなんておけないもの~」

 

 

 からかうようなピースヘイヴンの物言いを、嵐殿(らしでん)は頬に手を当ててさらりと躱す。

 ──ピースヘイヴンが規則を強引に捻じ曲げて二〇年間生徒会長をやっているなら、嵐殿(らしでん)は規則をすり抜けて二〇年間学園に留まっているのだった。

 通常であればそんな横紙破りは通らないはずだが、彼女の手腕と──ピースヘイヴン自体が規則を捻じ曲げていることによる混乱で、そんな無法が罷り通っている。

 

 

「……どうして、デマなんて流したんだ」

 

 

 そこで。

 耐えきれなくなったように、嵐殿(らしでん)はぽつりと呟いた。

 

 

「『シキガミクス・レヴォリューション』の裏設定? ……そういう風に自分の作品を()()するような人間じゃなかっただろ、お前は」

 

「おいおい、神聖化しすぎじゃないか、『シキガミクス・レヴォリューション』を。あんなものは、今となっては実現することのない虚構の歴史に過ぎないだろ?」

 

「…………、」

 

 

 嵐殿(らしでん)は沈黙するが、彼女がその回答で納得した訳ではないことは傍目にも見て取れた。

 それほど、彼女にとっては大きな問題だった。

 『シキガミクス・レヴォリューション』とは。

 虎刺(ありどおし)看酔(みよう)とオオカミシブキが、多くの関係者達が作り上げたあの作品とは、そういう聖域であるべき部分だった。単なる策謀の為にその価値を毀損できるような、そんな手札の一枚であるべきではなかった。

 少なくとも、オオカミシブキにとっては。

 

 

「分かった分かった。デマを撒いたことは詫びるよ。多くの生徒達の人間関係を破壊したことにではなく、『前世(あのころ)』に大切にしていたモノへ背を向けたことについて」

 

「煙に巻こうとするな。俺は『何故デマを撒いたんだ』と聞いているんだ」

 

「単にそれが最善手だと判断したからだが?」

 

「『霊威簒奪』がか? 生徒会長として学校行事を掌握できる立場なら、学内での試合イベントを増量した方が霊気の蓄積速度は速いし波風も立たないだろう」

 

「……君の存在を意識していたからだよ。学内で混乱が起これば遠歩院(とおほいん)君も巻き込まれるし、そうすれば君の行動も縛れるだろ?」

 

「…………、」

 

 

 ピースヘイヴンはすらすらと語るが、嵐殿(らしでん)はただその様子を横目に見ているだけだった。

 証言については全く信用されていないらしい。ピースヘイヴンは困ったように肩を竦めると、続いてこう返した。

 

 

「そうこうしているうちに目的地だぞ、()()。さて、()()()()退()()()()()()()()()()、こっちは簡単な作業に入るとしよう」

 

「はぁい。…………ごめんね、薫織(かおり)ちゃん、流知(ルシル)ちゃん~」

 

 

 その会話のやりとりを以て、二人の間に横たわる空気が弛緩する。

 居合わせた者の精神を削る類の重々しい沈黙から、空々しい喧騒へと。

 

 一旦足を止めて二人が見上げた先。

 そこは先ほどまでの校舎の外──正確には、部活動や生徒会活動にまつわる教室が集約された『部室棟』の外だった。 

 彼女達の視線の先にある校舎は、『図書棟』と呼ばれている。図書館を校舎単位まで拡大した施設で、四階建ての建物には総勢二〇万冊にも及ぶ本が所蔵されていると言われていた。

 

 ──嵐殿(らしでん)が生徒会書記から得た情報では、伽退(きゃのく)達はこの図書棟を根城にしているとの情報があった。

 遊撃するならば、此処に突貫するのが話は早い。──もっとも、それだけ騒ぎを大きくすれば、向こうも当然手薄な久遠たちの方を狙ってくることは容易に想像できるが。

 

 というわけで。

 原作関係者二名は、敵の本丸にカチコミへ向かう。──防備を二人の後輩(今世年齢二二歳差)に丸投げして。

 

 

 


 

 

 

「あァ……お嬢様。どうやら予想は悪いほうに当たったらしいな」

 

 

 時を同じくして。

 足を止めた薫織(かおり)は、片手にデッキブラシを発現させながら廊下の先を見据える。

 

 そこにいたのは、深緑色のストレートヘアを腰ほどまで伸ばした、物静かな少女だった。

 眼鏡の向こうの落ち着いた眼差しと言い、楚々とした歩き方と言い、およそ戦闘とは無縁のような印象を見る者に与える。こんな状況でなければ──いや、こんな状況であっても警戒することを忘れてしまいそうなほどには。

 ただし。

 その全身からは、尋常ではない戦意が滲み出ている。──既に外面を取り繕うような段階は過ぎ去っていると悟っているのか、敵対心を隠そうともしていない。

 

 そして──隠そうともしていないのは敵対心だけではなかった。

 

 傍らに佇んでいるのは、人型のシキガミクス。

 体長二メートル程度の機体の頭部は顔面にあたる部分がデジタルモニタのような作りになっており、能面のような表情を画像で表示している。

 新聞紙を巻きつけたみたいに文字列が乱雑にプリントされた体躯の中で、左胸に浮かび上がる『NO』の文字が特徴的だった。

 

 

「…………こちらの素性は、わざわざ説明せずともよろしいでしょうか」

 

 

 秘書然としたその女は、左手の指でメガネを静かに押し上げながら口を開いた。

 

 

「ピースヘイヴンがいないのは好都合。必殺女中(リーサルメイド)も厄介ですが、アレよりはまだマシです」

 

「へェ、見くびられたモンだな」

 

「『外』で名を上げた()()で、『この世界』の上位層に食い込めるとは思わないことです。……それは、大前提なのですから」

 

 

 傍らのシキガミクスが、両手を構えてファイティングポーズをとる。

 

 

「先に警告しましょう。『自分』を保ち続けたいのであれば、今すぐ降伏して私に道を譲ることをお勧めします」

 

「何? ガチで戦って勝てる気がしないから勝ちを譲ってくださいだって?」

 

 

 静かに言う秘書然とした少女──伽退(きゃのく)悠里に対し、薫織(かおり)はあくまでも勝ち気な笑みを崩さず返した。

 挑発に対し、伽退(きゃのく)は特に言い返さない。代わりにその傍らに立つ機体のデジタルの表情が、引き裂く笑みを表示して──

 

 

「……『押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)』」

 

「『女中の心得(ホーミーアーミー)』」

 

 

 二人の『プロ』が、激突する。






イラスト:王者スライムさん
伽退を描いていただきました!ありがとうございます!!


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11 このクソったれな世界で

遠歩院(とおほいん)さんは距離を取らなくてよろしいのでしょうか」

 

 

 伽退(きゃのく)押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)に構えをとらせつつ、薫織(かおり)に向かって問いかける。行動とは裏腹に、友好的な響きを聞く者に感じさせる声色。聞いた流知(ルシル)は一瞬力を抜きかけて、慌てて気を引き締め直した。

 

 

遠歩院(とおほいん)さんの霊能は知っています。飛躍する絵筆(ピクトゥラ)は触れた物質の表面にイラストの完成品を描くだけの霊能……。戦闘区域にいては、貴方も集中できないのでは?」

 

「ほォ、こっちの心配をしてくれるのか?」

 

「まさか。必殺女中(リーサルメイド)を倒した功績は『外』へ戻った時の私の評価に関わりますので。そこに『非戦闘員を人質に使った』という要素が加わるのはなるべくなら避けておきたいだけです」

 

「そうかい。だが問題はねェ。(オレ)はメイドだからな。ご主人様が居た方が強いんだ」

 

「はあ……()()()()()()()()()()

 

 

 いつもと変わらない様子で不敵に笑う薫織(かおり)に対し、伽退(きゃのく)は今までの敵とは違い、苦笑も困惑もせず辟易とした様子で溜息を吐いた。

 

 

「偶にいると聞いたことはありましたよ……。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。厄介だから気をつけろと、先輩に言われたものです」

 

「へェ? 後輩想いな良い先輩もいたもんだな」

 

「一昨年、貴方に刑務所送りにされましたが」

 

 

 伽退(きゃのく)は、一ミリも笑わずにそう付け加えた。

 挑発的な笑みから一転して気まずそうに苦笑した正義のメイドに対し、伽退(きゃのく)はやはりにこりともせずに、

 

 

「……戦う前に、私の霊能について説明しましょう」

 

「ッ、」

 

 

 直後、だった。

 伽退(きゃのく)が説明を始めるより先に、薫織(かおり)の身体が弾けた。──否、弾けたのではない。常人では目視すら難しいほどの刹那に地を蹴ったことで、残像すら残さない速度で伽退(きゃのく)へと()()()のだ。

 

 

薫織(かおり)!?」

 

 

 ワンテンポ遅れて、流知(ルシル)薫織(かおり)の行動に気付くが──遅い。彼女が戦闘メイドの姿を目で追った頃には、薫織(かおり)は既に押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)に肉薄していた。

 

 

(……! やはり機先を制してきたか!!)

 

 

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の眼前に着地した薫織(かおり)は、その勢いのままに深く深く身を沈め──

 ぐるん、と。

 その場で前方宙返りをするようにして身体を回転させた。遠くから見ていた流知(ルシル)はその動きを見て相手の頭部を狙った逆サマーソルトキックかと咄嗟に思ったが、

 

 

「……!」

 

 

 グオッ!! と押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が大袈裟に身体を逸らしたことで、薫織(かおり)の攻撃がそれだけに終わっていなかったことを悟る。

 その証拠に、薫織(かおり)の蹴りが空振りに終わった後には、地面にアイスピックが突き立っていた。

 

 ──曲芸奉仕(アトロイドサービス)

 もし仮に押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が安直に防御を選択していれば、発現されたアイスピックがその機体に確かなダメージを与えていただろう。

 恐るべきは、その凶兆を察知して慎重に初撃を躱した伽退(きゃのく)の警戒心か。──初撃を回避された薫織(かおり)は、逆サマーソルトキックの空振りという致命的な隙を見せる。

 

 

好機(チャンス)!!!! ()()()使()()()()()、ダメージは与えるに越したことはない!!)

 

 

 その隙を、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が狙う。

 薫織(かおり)は地面に片膝を突いた状態。いかに彼女が大型肉食獣にも等しい体のバネを備えているにしても、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の身のこなしも平均的な至近操作使役型のそれだった。

 行動直後の薫織(かおり)に、攻撃を躱すような余裕はない。

 

 戦闘メイドの頭部へ目掛け打ち下ろされる右の拳。

 しかし──それが実際に直撃する前に、虚空に紙袋が出現し拳を阻む。

 

 

(!? 抵抗……空間に固定されている!? 否、これは霊能の性質!! 本来は枷になるだろうが、それを盾にしたのか!!)

 

 

 本来、紙袋程度であれば中身が何であれ押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の膂力の前では障害にすらならない。一瞬にして破壊し攻撃を続行できるので盾には成り得ない──のだが、今回は例外が発生した。

 ──女中の心得(ホーミーアーミー)が取り寄せた『女中道具』は、発現直後はその場に固定される。

 これは空気も含む発現場所の物質を押しのける為に必要な機能だが、同時に咄嗟に武器として取り寄せた『女中道具』も直後は自由に取り回せないという枷でもある。ただし──それも逆用すれば、瞬間的な盾として利用できる。

 

 

(クソが!! 咄嗟過ぎて動作の停止が間に合わない! 発現された紙袋を破壊してしまう!!)

 

 

 薫織(かおり)がそのまま飛びのいた直後。

 ボファ!! という音を立てて、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)が殴りぬいた紙袋から真っ白な煙が飛び出した。

 

 

(煙幕!? 毒ガス……いや、紙袋のパッケージから見ておそらく小麦粉!! だとするなら次の手は煙幕に紛れた強襲……! この状況はマズイ!?)

 

 

 伽退(きゃのく)の判断は早かった。

 

 

押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)! 私を吹っ飛ばしなさい!! 煙幕の届かない方へ!!」

 

 

 小麦粉の煙幕の向こうの声。

 それを耳にした薫織(かおり)は、追撃の為に準備していた前方への跳躍を取りやめ、バックステップして煙幕から距離を取った。

 直後、ブオン!!!! とメジャーリーガーのフルスイングよりも豪快な風切り音と共に、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の剛脚が煙幕を切り裂いた。

 もしも薫織(かおり)が言葉を信じて追撃をしていた場合、その横っ面を蹴り叩くような軌道で。

 

 カランカラァンと、それを追いかけるように()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にデッキブラシが落下する。

 

 

「……自傷覚悟の撤退、じゃなかったよなァ今の。嘘つきめ」

 

「お互い様だろカスが。何手先まで読んで手ぇ打ってんだ気持ち悪りぃ」

 

 

 煙幕の切れ間から覗いたのは──緑髪の少女の、憎々し気に歪められた表情だった。

 そこに、先ほどまでの秘書然とした落ち着きと行儀の良さは存在していない。路上のチンピラよりも粗暴で、研ぎ澄まされた悪性がそこには宿っていた。

 その変節自体には眉一つ動かさず、薫織(かおり)は内心で舌打ちする。

 

 

(……チッ。結局攻めきれなかったな。ここから無理に攻撃を仕掛けても逆にカウンターの危険の方が高い、か……)

 

 

 スッ、と。

 未だ宙に漂っていた小麦粉が、一瞬にして消え去る。

 

 

「だが……今の攻防は無意味だったなぁ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……テメェのクソ想定通り、私の霊能は『契約』よ」

 

 

 それを見て、伽退(きゃのく)は間髪入れずに宣言した。長めの前髪をうざったそうにかき上げながら、

 

 

「私とシキガミクスが口頭と文面の両方で提示し、相手が承諾した『契約』を遵守させる霊能。それが押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)だ」

 

 

 ──『精神操作』系統の霊能は、陰陽師など自身の体外に霊気を出して操る術を持つ者に対しては霊気によるレジストで大した効果を発揮しない。そうした弱点に対して多くの陰陽師がするアプローチの方法が、『契約』である。

 ただし、もちろん契約成立に至るまでのハードルは高い。相手が契約内容を認識すること、選択権を与えられた上で契約内容を承諾すること。ここまでしなければ、霊気によるレジストを無視した『精神操作』は発動できない。

 『原作』においてはそもそもレジストを無意味化するくらいの高出力に霊能をブーストするという大掛かりなギミックを利用したり、ゲームの勝敗を承諾・拒否と定義するタイプの霊能が登場していたが──押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)はそのどちらでもなかった。

 

 伽退(きゃのく)は右拳を突き出させた己のシキガミクスを親指で指差して、

 

 

「文面はこのシキガミクスの顔面モニタでも提示できる。ちなみに、私の契約においては承諾・拒否は冷静な判断を促す為にシキガミクスに設置されたボタンによってのみできる仕組みだ。……どうだい、良識的だろ?」

 

 

 右拳には、左胸に浮かび上がる『NO』の文字と似たようなフォントで『YES』という文字が浮かび上がっていた。

 

 

「まあ、拳についてっから、もしかしたら戦闘中にうっかり触れちまうかもしれねえが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 つまり、仮に押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の右拳を躱しきれず食らってしまった場合でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という理屈が通ることになる。もちろんこれは暴論だ。暴論だが──魂の同意が絡む『契約』というのは、得てしてそうした論理を超越した領域の影響が如実に出る。

 

 

「……ヤクザかよ」

 

「大正解♡ 褒めてやるよボケ」

 

 

 事前に文面と口頭で契約内容を告知すれば、右拳で殴るだけで相手に『契約』をさせる霊能。

 まず大前提として自身の能力における契約メカニズムを説明しなければならないという縛りはあるにせよ──あまりにも、文字通り『無法』だった。

 

 

(……今の話からして、一発で『契約』を履行させることはできねェはず)

 

 

 伽退(きゃのく)は『契約』のプロセスを契約元に都合よく整えることによって半強制的に対象を操作することができるようにしているようだが、そもそも霊気によるレジストを無効化できるのは、『同意』によって霊気が他者の干渉を阻害しなくなるからだ。

 言うなれば、ファイヤーウォールの除外対象に設定されるようなもの。その為には、形ばかりの『同意』ではなく心からの同意が必要となる。それを無理やりなプロセスにすれば、当然その分の歪みは発生する。

 

 

(おそらく、複数回同じ『契約』を承諾させなければ履行はさせられねェ。最低で二回、著しく戦況を悪化させる『契約』ならば三回以上……履行にはそれだけのハードルがあると見た)

 

 

 それでも、本来であれば直接戦闘すら厳しい霊能で至近操作使役型のシキガミクスを運用しているのは流石と言わざるを得ないが。

 とはいえ、説明されてしまった以上迂闊に相手の攻撃を受ける訳にもいかなくなった。

 薫織(かおり)はじりじりと間合いを測りながら、

 

 

「随分と創意工夫したもんだ。洗脳能力で前線を張れるシキガミクスを構築してるヤツは初めて見た」

 

「だろうなぁ。私も随分苦労したわ。()()()()()()()()()()()だからよぉ」

 

 

 伽退(きゃのく)は首に手を当ててコキリと音を鳴らしながら、

 

 

「あのカス野郎は何かやろうとしているようだが、アイツの好きになんて世界を運営させてやるかよ。あの野郎にも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(……煤けていやがるな)

 

 

 凶笑(きょうしょう)を浮かべる伽退(きゃのく)を見て内心で吐き捨て、薫織(かおり)は転がっているデッキブラシとアイスピックを解除する。

 

 

(……在庫にはまだ余裕があるが、補充のタイミングもある……。百鬼夜行(カタストロフ)を控えている以上、あまり無制限に『女中道具』を大盤振る舞いしてもいられねェ)

 

 

 女中の心得(ホーミーアーミー)は『女中道具』を()()しているのではなく、あくまでも『裏階段』と呼ばれる別スペースに置いてある物品を()()()()ている。

 ゆえに、扱える『女中道具』の数には制限があるし、貴重な物品は使い潰すことも難しい。今のところ薫織(かおり)は在庫に余裕があるものを多用しているが、これは長く戦い続けていれば傾向として相手に分析されてしまうリスクも孕んでいた。

 

 

(ここまでの攻防を見た限り、敵機(ヤツ)(オレ)の速度はそう変わらねェ。真っ向からやり合えば何発かはもらっちまうが……この場合の『何発か』はコイツ相手には致命的……!)

 

 

 何せ、右拳による攻撃はクリーンヒットだろうと防御だろうと関係なく『同意』カウントだ。何発ももらえば重い『契約』も履行されてしまう可能性を考えると、近接戦闘のスペックが拮抗している相手と殴り合いを行うのはかなりリスキーな決断になる。

 

 

(……だが一方で、向こうはさっきの攻防で接近戦時の『取り寄せ』による防御を見た。アレがある以上、純粋な殴り合いでは(オレ)の方が一枚上手と認識したはず。ならば……使ってくるとしたら、霊能の使用を制限するような『契約』になってくるか……?)

 

 

 霊能の制限を掲げておけば、薫織(かおり)は接近戦に対して常にプレッシャーを与えられ続けることになる。着用型がその性質上長期戦に弱いのと併せ、短期決戦を度外視するなら有効な戦略になる。

 そう考え、その裏をかこうと薫織(かおり)押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)へと跳躍した瞬間。

 

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の顔面のデジタル表示が、文章の形に変化する。

 表示された文面を読み上げるようにして、その背後にいる伽退(きゃのく)は禍々しく宣言した。

 

 

「『()()()()()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。』!!」

 

 

 その言葉を聞き、薫織(かおり)の脳裏に電流が走る。

 

 

(やられた……! 野郎、霊能の使用条件である事前告知を利用して、自分の攻撃対象を明示してきやがった!!)

 

 

 これが、薫織(かおり)を対象にした『契約』であれば問題はなかった。分の悪い戦いではあるが、至近操作使役型と着用型では細かな動作の精密さや立ち回りで僅かに着用型の方が上回る。決して勝ち目のない戦いではないし、この百戦錬磨のメイドであれば十分勝ちの可能性は見いだせた。

 ただし──ここで流知(ルシル)のことを『契約』の対象として指定してきたということは、この攻防のどこかで流知(ルシル)を狙った行動を取りますと言っているようなものである。

 たとえば、極端な話右腕を切り離して流知(ルシル)に投げつけたとしても、『契約』は成立してしまいかねない。レアケースではあるが、能力の性質を考えれば右拳のスペアを伽退(きゃのく)本人が所持しているという可能性だってある。

 いや──それ以前に、敵はそもそも洗脳した手駒を複数有しているはずなのだ。そう考えると、洗脳した手駒に右拳のスペアを持たせてくることすら思考の俎上に載せられる。

 

 この時点で、薫織(かおり)の思考リソースは『後ろにいる流知(ルシル)を攻撃させないように立ち回ること』を第一優先しなくてはならなくなった。

 それを、薫織(かおり)が実際に動き始めた直後に提示したのだ。タイミングまで含めて完璧である。

 

 

流知(ルシル)を置いて跳躍したのは失敗だった! 後ろの気配は……()()ない! 手駒に流知(ルシル)を襲わせる路線はなし! ならばどういう手を打ってくる……!? ……いや、まさか……!!)

 

 

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)は、右手を引き絞った攻撃態勢を取っている。おそらく薫織(かおり)が飛び込んできたのを迎え撃つ腹だろう。

 平時の薫織(かおり)であれば、あのくらい見え見えの攻撃は同じようなスペックの持ち主であろうと簡単に躱すことができるが──

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! 今はいないとはいえ、右拳を持った手下に流知(ルシル)を襲われたらその時点で(オレ)の負けだからだ!! そしてコイツはそこまで計算していやがる!!)

 

 

 その思考を裏付けるように、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の顔面のデジタル表示がブレる。

 そしてその内容を、伽退(きゃのく)が読み上げた。

 

 

「『園縁(そのべり)薫織(かおり)は三秒の間、身動きを取らないものとする。』!!」

 

 

 薫織(かおり)が相手の拳の動きから攻撃箇所を読んで両腕を交差させた瞬間。

 ドッゴォ!!!! と、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の右拳が、薫織(かおり)の防御に突き刺さる。熊の腕の一振りにも匹敵する一撃に、薫織(かおり)の身体がまるで野球ボールか何かのように軽々と吹っ飛ばされた。

 

 

 


 

 

 

 

11 このクソったれな世界で

>> NONETHELESS

 

 

 


 

 

 

「かっ、薫織(かおり)ぃ!!」

 

 

 直撃。それを意味することを考えて、流知(ルシル)が悲痛な声を上げるが──その予想に反して、戦闘メイドは空中でくるりと身体を回転させて、四本の四肢で着地する。

 ザザザ! と地を滑るようにして流知(ルシル)の傍らまで下がった薫織(かおり)は、そのまま危なげなく立ち上がる。

 

 

「……あれ? 『契約』効いてないんですの?」

 

「敵前で三秒も静止なんて半分自殺しろって言ってんのと同じだ。ま、次食らったらヤバそうだが」

 

「えぇ……」

 

 

 ──実は、これも押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の弱点だった。

 『契約』の難度によって履行までに必要な承諾の数が変わる。それは一体だれが判断しているか? ──それは、精神操作をレジストしている『契約』相手側の認識だろう。

 つまり、敵の想定によって『契約』の履行に必要な承諾の回数にばらつきが発生するのだ。そして──その想定が重い人間ほど、履行までの承諾回数(ハードル)(たか)くなっていく。

 もっとも、これは本来であればそこまで問題にはならない。何故なら、認識とは理性ではなく直感によって決まるからだ。『三秒その場で静止しろ』と言われても、それを危険と思うのは普通ならば『敵を目の前に三秒も棒立ちしたら危険だよな』と思う理性だ。

 直感的には『三秒はなんか嫌だな』程度にしか思わない人間が大半だろうし、それではレジストは大して働かない。直感的に『三秒は死ぬから絶対にマズイ』と思える意志力──それがあって初めて発生する弱点なのである。

 

 そんな意味不明な方法で弱点を暴かれた伽退(きゃのく)はというと、全く取り乱した様子も見せなかった。

 

 

「予想はしてたが、これでも耐えるかよ。フッ飛ばしておいて正解だったわ。インファイトに徹してたら手痛いカウンターだったなこりゃ」

 

「……ケッ。(オレ)に『契約』を履行させたかったら、文末には『お願いします園縁(そのべり)薫織(かおり)様』って追加しておくんだな」

 

 

 流知(ルシル)を背に守りながら、薫織(かおり)は地に膝を突いて言う。

 拳をモロに受けた右腕が痺れるのか、横合いに右腕を振る姿は──防御してなおダメージが蓄積しているのが傍から見ても明白だった。

 伽退(きゃのく)は嗤いながら、

 

 

「さて、これで一発よ。……流石のテメェも次を食らえば確実に履行が始まる。さてさて、後がなくなってきたなぁ、必殺女中(リーサルメイド)?」

 

「テメェこそ。メイド(オレ)の地雷を踏んだ自覚はあるか?」

 

「覚悟すら、してきたが?」

 

 

 そこで、薫織(かおり)は複数の気配を感知した。

 廊下のそこらにある支柱の陰。そこからゆらりと分離するように現れたのは──複数人の少年少女。それぞれが右腕につけている『生徒会』の腕章は、彼らが生徒会役員であることを示していた。

 

 

「……コイツらは、」

 

「私が洗脳した雑魚どもよ。まさか、手駒もなしにテメェに挑むと思っていたか? バカが。押し売りの契約(デモンズカヴァナント)の本領は『契約』で雁字搦めにした木偶人形を利用した人海戦術!! 覚悟しろよ必殺女中(リーサルメイド)。テメェには此処から、何もさせねェ!!」

 

 

 勝ち誇る伽退(きゃのく)

 確かな劣勢に追い込まれながら、窮地のメイドは──

 

 

「……全く以て煤けていやがる」

 

 

 静かに、悪態を吐いた。

 ぴくりと、伽退(きゃのく)の眉が動いた。

 

 

「……あぁ? 何が悪い。コイツらはどうせ他人の尻馬に乗ることしかできねぇ庶務のカスだ!! 副会長の打鳥(だどり)ですらそうだった! 確かな自分の意志ってモンを持ってねぇヤツが良いように使われるのが、この世界の仕組みよ。原作者(クソカス)だってやってんだろうが」

 

 

 苛立たし気に舌打ちをして、

 

 

「だから私は工夫した。精神操作なんて使い出のねぇザコ霊能を使って、クソみてぇな生活環境の私がどうやって生き残るかを考えた。そしてここまで来た!!」

 

 

 それは、伽退(きゃのく)悠里(ゆうり)という女の生きてきた道を想像させるには十分すぎる言葉だった。

 怪異と霊能によって、霊能絡みの事件に対しては警察組織の対応すら追いついていない世界で。義務教育で陰陽術を教えられているような環境が半世紀近く続いているにも拘らず、陰陽術の普及率が()()()()()()()というのはどういうことか。

 残り四%──そこに含まれる劣悪な生活環境では、最低限の教育すらも行き届いていない。そういう現実で生まれ育った人間が、どういった人生を歩んでいくのか。

 

 

「それを強者側(テメェ)にどうこう言う資格なんてねぇ。『神様』に愛された名家に生まれておいてそのアドバンテージをあっさり捨てて、それでも自分の力で確かな地位を築き上げることができるテメェみたいな選ばれた側の人間には!!!!」

 

「……なら、わたくしが言いましてよ」

 

 

 だから答えたのは、薫織(かおり)の後ろにいる流知(ルシル)だった。

 

 

「絵を描くくらいしか使い道のないシキガミクスを作って、デマが流れてからはいっつも誰かに追われ続けて、今も薫織(かおり)に守られていなければすぐにでも誰かに攫われてしまいそうな弱者(わたくし)が言いますわ。アナタは、絶対に間違っていると!!」

 

 

 膝を突く薫織(かおり)の横を歩き、そして彼女の前に出て。

 流知(ルシル)は、胸を張って言い切った。

 

 

「……、温室生まれのお嬢様風情が、」

 

「違います。わたくしが言いたいのはそこではなくってよ。アナタが酷いお生まれなのも察しはつきました……。なればこそ、生まれの悪さを盾にして悪行を正当化しているアナタは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ご自分で愚弄なさっています!!!!」

 

 

 手に持った木製のGペンを突きつけながら、流知(ルシル)は怒る。

 

 

「此処へ辿り着くまでさぞ苦労があったことでしょう。努力があったことでしょう。わたくしなんかでは遠く及ばないほどの……。……ですが、ならば『外』の影響がないこの学園でなら新たな人生を掴み取ることだってできたはず!! アナタの尊い努力に見合うだけの、輝かしい未来を目指すこともできたはずです!! 結局アナタは、私怨に駆られて全て壊すことを優先しただけですわ!! そしてその逃げ道に、アナタが必死に克服してきたはずの過去を使おうとさえしている!! これがアナタが積み重ねてきた努力への愚弄でなくて何だというのですっっ!!!!」

 

 

 自分のことを狙われただとか、ピースヘイヴンのことを殺そうとしただとか、学園全体を巻き込む百鬼夜行(カタストロフ)を見過ごそうとしているだとか、そういう最初に目につく相手の悪意にではなく──それに手を染めた伽退(きゃのく)が、一番最初に踏みつけにしたモノに対して。

 おためごかしの綺麗事ではない。本気の本気で、()退()()()()怒っている。

 だから、伽退(きゃのく)は。

 

 

「な、なんだお前……き、気持ち悪……」

 

 

 恐怖した。

 コイツは、必殺女中(リーサルメイド)の付属品なのではなかったのか? ただの時代錯誤なお嬢様言葉だけが変人ポイントな一般人。非戦闘タイプのくせに妙なシキガミクスを構築してしまったせいで色々と目をつけられている不憫な女。

 それが、伽退(きゃのく)の理解している遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)という女だったはずだ。それが──この違和感はなんだ? まるで、心に直接触れられているかのようなこの不快感は──。

 

 

「確かに」

 

 

 そこで、薫織(かおり)が口を開いた。

 

 

(オレ)強者(メイド)だ。テメェの言う通り、どれだけ慮ったつもりになっても本当の意味で弱者の側には立てねェ。……だから、誰かを護ることはできても、誰かを救うには至らねェ」

 

 

 メイドらしくその手にデッキブラシを掴みながら、メイドらしからぬ構えを取って立ち上がる。

 

 

「ただ、それでも。ゼロから何かを生み出すことができるご主人様(ヒーロー)ご奉仕(てだすけ)することはできる。その手足となって、描く未来を実現する絵筆にはなれる!!!!」

 

 

 莫大な闘気が、その全身から噴き出した。

 

 状況は何も変わっていないはずだ。

 周囲には伽退(きゃのく)の手駒がおり、流知(ルシル)は狙われている。薫織(かおり)はあと一発食らえば『契約』の履行が始まりゲームオーバー。状況は、圧倒的に伽退(きゃのく)が有利。──そのはずなのに。

 

 

(なんだこの焦燥感は!? 何か見落としがある!? 今のやりとりの陰で何か対策を打たれていた? もしかして舌戦に動揺して見逃していた? ………………あ? 動揺? 私が? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 

 油断なく状況を検証する、その鋭い思考。

 それが、皮肉にも伽退(きゃのく)の逆鱗に触れる最後の一押しになってしまった。

 

 

「んなわけねぇだろうが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!」

 

 

 絶叫。

 髪を振り乱して叫んだ伽退(きゃのく)は、前髪の奥から覗く瞳で怨敵を睨みつけ、宣言する。

 

 

「『()()()。やれよ、カスども。善人(クズ)を潰せ!!」

 

 

 『甲は乙が「契約だ」と合図をした後に一番最初に受けた指示を遂行するものとする。』。その契約の履行を開始した生徒会役員たちが動き出したのと、同時。

 黒橙のメイドが、一筋の黒い矢となって伽退(きゃのく)へ殺到する。

 

 

「長期戦だと摺り潰されると判断して、こっちに突撃して短期戦狙いか! だが後がねぇなぁ……テメェはあと一回で履行確定よ!!」

 

「さて、それはどうかな?」

 

 

 そう言って薫織(かおり)は、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の間合いの外で急制動をかける。

 そして手に持ったデッキブラシを、まるでバットでも持つみたいに構えた。そのスイングの軌道上に、白い布とアイスピックが発現される。

 

 

(布? ……デッキブラシで飛ばす飛び道具の切っ先で、飛んでくる方向を判断できないようにするためか! 最悪、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)を飛び越えて私を狙ってくる可能性すらある……。なら!)

 

 

 それに対し、伽退(きゃのく)は前進を選択する。

 押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)との距離を詰めることで、その機体を盾にする戦略だ。そして押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)自体も──地を蹴って、薫織(かおり)へと強襲を仕掛けた。

 

 

(間合いの外で飛び道具ってことは、向こうのハラは近距離戦回避!! ならこっちが接近戦を仕掛ければ意表を突かれて行動に遅れが生じるはず!!)

 

 

 悪魔の笑み。

 そう表現するに相応しい禍々しさで、伽退(きゃのく)薫織(かおり)を嘲笑う。

 

 

(確実に一発分の隙は稼げるわ! そして三秒も押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の前で棒立ちになるってことは、死も同義!! 勝負を焦ったなぁ……必殺女中(リーサルメイド)!!)

 

 

 ただし。

 伽退(きゃのく)の予想に反して、向かってくる押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)にも臆さず薫織(かおり)はデッキブラシをフルスイングした。

 弾き飛ばされたアイスピックは白い布を貫いたまま押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の下あご辺りに突き刺さるが──当れだけで文面が読めなくなるほど破壊されることはない。多少動揺はしたものの、伽退(きゃのく)は流石の精神力で慌てることなく宣言した。

 

 

「『園縁(そのべり)薫織(かおり)は三秒の間、身動きを取らないものとする。』!!!!」

 

 

 そして押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の右拳が、薫織(かおり)の脇腹に突き刺さった。

 ごふっ、と薫織(かおり)の口から、肺の中の空気が絞り出される音がした。ひぅ、と流知(ルシル)の声にならない悲鳴が聞こえて、伽退(きゃのく)はようやく勝ちを確信する。

 

 

「っしゃあ!! ザコが!!!! テメェはただでは殺さな」

 

 

 

 ぐりん、と。

 

 

 

 伽退(きゃのく)の言葉の途中で、必殺女中(リーサルメイド)押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の首を両手で捩じり落とした。

 シキガミクスとしての機能が停止し霊能も解除されたのか、流知(ルシル)に襲い掛かっていた生徒会役員の少年少女達もその場で固まる。

 

 

「い……、…………は?」

 

 

 思考が、停止する。

 行動を縛られ、まな板の鯉になったはずの敵の、まさかの反逆。己の愛機の破壊。特大の異常事態が、伽退(きゃのく)から思考能力を奪う。

 

 

「あー痛てェ。……だから言っただろうが」

 

 

 そう言って、薫織(かおり)は首から上を失ったシキガミクスを横合いに蹴り飛ばし、泣き別れになった押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)の頭部を改めて伽退(きゃのく)に見せる。

 デジタル表示の顔面には相変わらずの契約文が表示され、そのアゴに当たる部分には白い布をピンで留めるようにしてアイスピックが突き立っていた。

 そして、その白い布にはこんな文言が書かれていた。

 

 『()()()()()()()()()()()』。

 

 

「テメェ自身が言ったことだ……。テメェの霊能は、文面・口頭の両方で提示した『契約』が対象。つまり、どちらか片方でも欠けていれば対象外になる。……そして、シキガミクスで提示した文面とは言ってもそれは()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 つまり、顔面に表示された契約内容に続く形であれば第三者の『追記』が認められる。

 

 

「なっばっ……バカな……!? 確かにその方法なら私の霊能をハッキングできるかもしれねぇが! その文面はいつ用意した!? テメェの霊能は物品の取り寄せ……あらかじめ文字が書かれた布なんて…………あっ」

 

 

 そこで、伽退(きゃのく)は思い出した。

 触れただけでイラストの完成図を描くことができる霊能の持ち主があの場にいたことを。

 戦闘メイドの後ろにいた彼女が具体的に何をしていたかは、伽退(きゃのく)からでは見えなかったことを。

 ()()()()退()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あ……あの時、お前ッッ!!!!」

 

 

 伽退(きゃのく)薫織(かおり)を詰る直前。

 あの時、薫織(かおり)は背中に隠して白い布を『取り寄せ』ていたのだ。そしてその意を汲んだ流知(ルシル)は、その布にあの文言を書いた。そしてその後で白い布を『裏階段』に戻したのだろう。

 

 伽退(きゃのく)の違和感は正しかった。

 あそこで唐突に飛躍する絵筆(ピクトゥラ)が握られていたこと。それ自体は、確かにおかしな流れだった。伽退(きゃのく)が気付くべき、敵の反撃の兆候だったのだ。

 だが、気付けなかった。

 己の心の大事な部分に触れられ、動揺してしまっていたから。

 

 

「うあ、」

 

「テメェは強かったよ。(オレ)一人じゃ勝ち目は薄かったかもな。……テメェの敗因を一つ挙げるとするならば」

 

 

 デッキブラシを消した薫織(かおり)は、ゆらりと伽退(きゃのく)に近づいていく。

 その拳は、まるで岩石のように固く握り締められている。

 

 

「この物語(せかい)は、誰かが食い物にされて泣きを見たまま終わるような、そんなつまんねェ未来が蔓延る最悪の場所じゃねェってこと」

 

 

 二メートル、一メートル。

 

 ゼロ。

 

 鼻先がくっつくくらいに肉薄しながら、

 

 

「そんなこと、(オレ)に言われなくたって知っているだろうが」

 

 

 メイドが、その右拳を振るう。

 

 

(オレ)達が焦がれ憧れたあの物語は、本当はこんなもんじゃねェってことくらい!!」

 

 

 ──今度は、伽退(きゃのく)は何も言い返さなかった。

 

 

 


 

 

 

面がモニタのようになっている全長二メートルほどの人型シキガミクス。

普段は顔をデジタル表示しているが、短文(一二〇字以内)を表示することもできる。また、胸元に『NO』、右拳に『YES』と書かれたボタンが設置されている。

 

『契約内容』を遵守させる能力。

対象との間で締結された契約を履行させることができる。

 

シキガミクスと本体が口頭・文面の両方で契約を提示すると、契約対象との間で『仮契約』が結ばれる。

『仮契約』中は契約対象には一切行動の制限は発生しないが、契約に対してシキガミクスの体表に設置されたボタンによる『YES』か『NO』かの選択肢が提示されることになる。

提示された契約に対し、対象が『YES』のボタンを押すと契約が成立し、相手はその契約内容を履行しなくてはならない。反対に『NO』を押せば、契約は破棄されもう一度契約内容を口頭・文面の両方で提示しなくてはならない。

また、この契約締結は必ずしも相手の意志によってボタンを押下させる必要はなく、たとえば拳を押し付けることで『YES』ボタンが押されても、押し付けた対象が契約対象自身であれば『契約に同意した』ことになる。

 

契約を履行させるときの挙動は『契約内容』にもよるが、原則的に即座に『契約内容』を履行しようと愚直に行動する。『契約』を時間差で履行させたり状況に応じて行動を分岐させることもできるが、『契約内容』はモニタに投影可能な一二〇字以内に収めなければならない。

ただし、頭部に文書を貼り付けることで文字数を拡張し、より正確な『契約』を設定することは可能。この場合も口頭での読み上げ自体は必須となる。

 

履行することになっても契約対象の意識は残っている為、契約対象の意志に反しすぎる『契約内容』を問答無用で履行させることはできない。重い契約を遵守させるには、何度も同じ『契約』を重ねて同意させることで『契約』を重複させる必要がある。

基本的に、行動の一部を制限するような『契約内容』なら一~三回、思考や記憶の一部改変を含む行動強制なら五~一〇回、対象の目的や生命維持に反する行動であれば二〇回~相手の意志力次第という目安。(例外はある)

 

元々は『相手の精神を操作する』という使い勝手の悪い霊能だったが、即時戦闘可能なように調整が行われた。

押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)

攻撃性:70 防護性:65 俊敏性:65

持久性:30 精密性:40 発展性:20

※100点満点で評価



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幕間-2 そのメイドは星を見た

(日付的には)昨日も更新しておりますので、ご注意ください。


「はー…………」

 

 

 ──そこまで読んで、俺は一旦本を閉じた。

 

 『シキガミクス・レヴォリューション』一巻・序章。それを読んだ俺の感想は──『良く分からねェ』だった。

 最近ガキどもの間で流行っていると聞いたから読んでみたものの、如何せん最近はこういうのへの馴染みがとんと浅かったせいか、イマイチピンと来なくなっている。

 いや、序章だけじゃ面白さなんて分からんってことは分かっているがな? ただ、突然良く分からん世界観の説明が入ってきたから驚いたというか──ああいうのって読み流した方がいいのか? まァ、読んでいればなるほどってなる瞬間があるのかもしれないが。

 ああ。こういう時に、価値観の鈍化を感じる。

 俺も学生時代は映画にゲームにアニメにとサブカルには一通り触れてきたのになァ。今となってはもう映画と小説しか触る気にならねェ。しかも、映画館に見に行くことなんか滅多にねェ。もっぱらサブスクで見られる映画配信ばっかりだ。──精神の老化が進んでいる。そんなことを、切実に思ってしまう。

 

 だが、最近はガキどももこういうのが好きらしいし、俺も代表として共通の話題くらいは作っておかないといけないしな……。ただでさえ、メイド服(俺の恰好)は評判が悪いし。何だよ、『代表の大腿筋は凶器なのでせめてロングスカート履いてください』って。いいじゃねェか大腿筋が凶器でもミニスカート履いたって。まァガキどもが近寄らなくなるから、今はロングスカート履いてるがよ……。

 

 

「あー! メイド長がシキレボ読んでるー!」

 

「え、マジ? ついにメイド長も読み始めたかー」

 

 

 と、本を持ちながら暗澹たる想いで思考を巡らせていたらガキどもの声がした。

 本の背表紙で肩をトントン叩きながら、俺は立ち上がって走り寄ってきたガキどもへ向き直る。

 

 

「おー、ついに俺もシキレボデビューだよ。これ面白いかー?」

 

「あー!? 面白くないっつったらぶっ飛ばすぞー!」

 

「まだ序章しか読んでねェから。聞いてるだけだよ」

 

 

 やいのやいのと周りで騒ぐガキどもの頭を撫でながら、腰を落として話を聞く。ガキどもは口々にシキレボがどういう話かをペラペラ喋りだすが、ネタバレ──いや、言うまい。聞いた俺が悪い。

 

 

「あのね、神織(こうおる)さんとね、浄蓮(じょうれん)さんがね……」

 

「草薙剣がカッコイイ!!」

 

「こないだ皆で見に行った映画、凄かった!! 僕は不浴戸(あびぬど)さんが好き!」

 

「まず一期見てからでしょ! ねーメイド長一緒に観ようよ!」

 

「あーはいはい。んじゃー観るか」

 

 

 こないだ、強情(せび)られてアニメの円盤買ったからな。談話室に行けば見られるだろ。

 

 周りで騒ぐガキどもを適当にいなしつつ談話室に行き、ポータブルシアターの設定をする。

 幾つかの音響設備と投影設備を無線同期させたもので、ある程度広い空間があれば自宅で映画館みたいな観賞体験ができる優れものだ。お陰で映画館業界は客足を奪われない為に色々苦労した──と、昔の友人から愚痴を聞かされたっけ。

 

 

「おっ。代表、シキレボの上映会するんスか?」

 

 

 と、色々と設定を調整していると、騒ぎを聞きつけて様子を見に来たスタッフの一人──伊藤が声をかけてきた。

 俺は頷いて、

 

 

「あァ。ガキどもが一緒に観ようってな」

 

「ははっ、代表嬉しそ」

 

「黙れ」

 

 

 ゴッ。

 からかってきた伊藤に愛の拳を打ち込んで黙らせる。ガキどもが余計にうるさくなるからそういうからかいは大人しかいねェところでやれって言ってんだろバカめ。

 そんで不心得者に上映準備の続きを任せた俺は、ガキどもを連れてデカイソファに体重を預ける。ガキどもは我先にと俺の膝やら肩やらに飛びつきながら、

 

 

「メイド長って、なんかシキレボに出てきそうだよなー」

 

「分かる分かる! 筋肉ムキムキだし! キャラ濃すぎ!」

 

 

 ガキどもが口々に言う。筋肉量は別に関係ねェと思うが……キャラが濃いってのは、俺も自覚がないでもねェ。

 っつか、これは俺の持論だが──

 

 

「人の心に残るモンってのはだいたい『濃さ』を持ってるもんだ。時間や事件で洗い流されねェくらいの『濃さ』を。ま、収斂進化みてェなモンだな。俺の場合は──」

 

「しゅうれん進化?」

 

「何それ」

 

「黙って聞きな」

 

 

 俺はガキどもの頭を撫でて、話し始める。

 

 

 ──恵まれていた。

 

 生まれは裕福な家庭だった。少なくとも生活に困窮した記憶は一度もねェし、幼少時から学校教育以外に習い事を幾つもしていた。

 ガキの頃の俺はそんな恵まれた家庭で育ったのに相応しい甘ったれで、この世に自分と同じような幸せが満ち溢れていると信じて疑ってもいなかった。

 

 そんな俺が、世界には意外と理不尽が転がっていると知ったのは──九歳の頃。

 学校の友達と遊びに行ったデパートで発生した火災に巻き込まれた時だった。

 赤に染まる視界。遠くから聞こえる人の叫び声と、消防車のサイレンの音。熱で歪む思考の中で、物陰に蹲っていた俺は死を待つだけの弱者に過ぎなかった。

 

 人は死ぬ。

 

 劇的でウェットな経験とかではなく──端的でドライな事実として。人は死ぬ。死ねてしまう。自分自身で身を以て、命というものの脆さを痛感した。

 そんな時だった。──あの人が俺を助けてくれたのは。

 

 

 メイドだった。

 

 

 おそらく、デパートのフードコートにあったメイド喫茶の従業員。大学生くらいだろうか。多分メイドマニアが見ればキレるような、ヒラヒラにミニスカートのフレンチメイド。コスプレ丸出しの恰好だった。

 そこら中、炎が回っていて、自分も逃げなきゃ危ねェって時に──あの人は、物陰に転がっていた俺を見つけて拾い上げてくれた。

 

 

『大丈夫!? 今外行くからね! あともう少しだからね!』

 

 

 あの人は俺にそう呼びかけて、九歳のクソガキを背負ってそのままデパートの外まで連れ出してくれた。

 背中に負われていたから、あの人の顔は分からない。その足で彼女自身も病院に行った後、彼女は名乗り出ることもしなかったから──お礼の一つも言えていない。

 きっとあの人はそれで良いと思って名乗り出なかったんだろうし、俺も今更彼女を探し出してお礼を言いたいなんて思ってもいねェ。あの人がどこの誰かなんてことは、この際まったくどうでもいいことだ。

 ただ──あの時から俺の中で、あの人の背中が人生の柱になった。

 あの時感じたあの人の背中のデカさに恥じない人間でありてェ。あの時受けた恩に対して、誇れる人生でありてェ。

 

 

「……このメイド服は、その決意の証って訳だ。俺にとっちゃ、この格好はスーパーヒーローの衣装みてェなモンなのよ。シキレボに出てきそうってのは、そういうとこだろうな」

 

 

 (色々とナイーブな事情もあるので)生まれが云々とか死生観とかのところはあえて端折りつつ。

 もう何度となく語った俺のオリジン、いわゆる一つの鉄板トークをした俺は、ガキどもの反応を伺うが──

 

 

「メイド長もう始まる! 静かにして!」

 

「ねぇこの予告編の円盤ないの?」

 

「この話何度目だっけ?」

 

 

「…………このクソガキどもは…………」

 

 

 全く響いていなかった。

 自分の昔話を若者に聞かせるのはジジイの証、だったっけ。嫌だね、こういう形で自分の老いを痛感するのは。俺ももう中年が見えてくる歳か──。

 ただ、俺はそれ以上口を開くことはなかった。

 周りでワチャワチャしているガキどもの目に、星のような輝きが爛々と光っていたからだ。コイツらはもう、物語の世界に夢中になっている。

 

 ま、いいけどな。

 

 ──大学時代にネット上で知り合って意気投合し、俺の意志に賛同してくれた仲間達と共にNPO法人を立ち上げてから、もうすぐ二〇年になる。

 人は死ぬ。物語の世界のような伏線なんかなく、突然、あっさりと、理不尽に死ぬ。──だから、護るヤツが要ると思った。警察もそうだし、消防もそう。社会には誰かを護る為の役割が複数あって、色んな切り口の窓口が必要になる。俺は、そんな誰かを護る為の窓口に加わりたかった。

 色々ある窓口の中で俺に一番適性があったのはNPO法人という切り口だった、という話。──災害救助や炊き出し、支援物資輸送なんかをメインに活動していた俺達がこうして児童養護施設の運営をするようになったのには我ながら驚きだったが。

 災害やら事故やら──諸々の事情によって俺達の施設にやってきたコイツらは、最初は大なり小なり世界に絶望していた。当たり前だ。両手の指で数えられる程度の年齢の子どもがその身に余る悲劇を押し付けられて、それで希望なんか持てる訳がねェ。

 俺達も一丸となってガキどものケアをしてきたが──コイツらが今こうして笑顔を取り戻せているのは、やっぱり物語の力だと思う。

 

 

『読んだ後に、あー良かったってなるんだよね』

 

 

 シキレボを読んだあるガキが、俺に勧めてきた時の言葉だった。

 

 

『悪人もいるし、悲しいことも起こる。もちろん主人公もそれに立ち向かうんだけど、主人公だけじゃないんだよ。主人公が立ち向かう裏でいろんな人たちも同じように戦ってて、主人公の頑張りのお陰でそういう人たちが報われてくれる。だから、最後はあー良かったって思えるんだ。なんか、ほっとするっていうか』

 

 

 そう言って綻ぶ様に笑ったそいつは、二年前まで笑うことも泣くこともできなくなっていたガキだった。

 

 もちろん、物語と現実を混同するわけじゃねェ。エンタメとして作られている小説の中にある法則を現実に適用することはできねェし、そんなもんは過度な期待でしかねェってことは分かってる。

 でも、物語が全く読んだ人間に影響を及ぼさねェかと言うと、それも違うだろ。

 少なくとも、ガキどもは希望を与えてもらった。

 俺達だけじゃどうしようもなかったヤツらの心を、物語は解かしてくれた。その物語(せかい)は、そうできるだけの希望が渦巻く場所だった。それは動かしがたい事実だ。

 

 

「ねぇねぇメイド長! どうだった?」

 

「続き早く観ようよ」

 

「シキレボ、面白かったよねー!」

 

「今日は終わりだって伊藤さんがー」

 

「えー!!」

 

 

 二時間後。

 途中休憩も挟みつつ、五話分を一気に見た俺に、一緒に横で見ていたガキどもが口々に感想を求めてくる。

 確かに、面白いは面白かった。感情描写と映像表現が綺麗に噛み合っているところとか、それでいてバトルアニメらしい派手さは損なってなかったりとか。子供から大人まで楽しめるアニメっていう触れ込みは間違っていなかった。

 ただそれ以上に──俺は上映中のガキどもの熱中具合に圧倒されていた。

 コイツらは、あの上映の束の間、確かにあの世界で生きていた。主人公と、ヒロインと、仲間達と一緒に戦っていた。主人公が怒れば怒り、ヒロインが泣けば泣き、仲間達が笑えば笑う。そうさせるくらい、そこは魅力的な世界だったのだろう。

 

 

「……あァ、ちょっとハマっちまうかもしれねェなァ」

 

 

 原作、読んでみよう。

 素直にそう思えた。

 

 

 ──『シキガミクス・レヴォリューション』が原作者病没の為未完になるのは、その数年後。

 そして関係者がその遺志を継ぎ、コミカライズ版が原作者の遺した草案(プロット)を元に大団円を迎えるのは、さらにその十数年後のことだった。

 

 

 


 

 

 

幕間-2 そのメイドは星を見た

>> IMAGINE

 

 

 


 

 

 

「っつーわけで、(オレ)はあの人の背中を追いかけてメイドをやっているんだな」

 

 

 ──遠歩院家の居間にて。

 まるで初めて来た家で過ごすみたいにちょこんと座っている流知に対し、勝手知ったる我が家のような面構えで給仕をしながら、薫織はそこまでを話した。

 話の流れとしては何のことはない前世トーク。『貴方は前世で何をしていましたか?』だ。そこから話されるには、あまりにもアクの強いエピソードだったが。

 

 

「いやあの、メイド服着てNPO法人の代表て」

 

「あー、まァその辺は当時から色々と言われたな。変態とか、不謹慎とか」

 

 

 変態不謹慎メイドは昔を懐かしむように頷き、

 

 

「だが、人は慣れる生き物だ。一〇年も続ける頃には誰も何も言わなくなったよ」

 

 

 言われて、流知は正直愕然としていた。

 変態とか不謹慎とか言われること自体に対して、このメイドは理解は示している。つまりこのコスプレ不良メイドは正気のまま、一般人と同じ良識を持ち合わせた上でこの異常コスプレをしているということになる。──という事実についての驚愕はもちろんそうだが、それよりも。

 

 

「……わ、私そのNPO法人の代表、中学生の頃にニュースで見たことあるんですけど!?」

 

 

 ──目の前の人物が、前世から既に『何者か』であったという事実に、流知は驚愕していた。

 

 

「へェ。いつの話だ?」

 

「えーと、覚えてるか分からないけど、新しくできた児童養護施設のおかしな所長みたいな特集で」

 

「あー、あれか。あのあと苦情が凄かったなァ……。……ってか確かあの時(オレ)まだ三〇代だったはず。その時中学生って、結構ズレてんのか。死亡から転生までのスパン」

 

 

 意外な発見をした薫織だったが、肝心の流知はというと、目の前の人間をニュースで見たことがあるという事実に目を白黒させるばかりであった。

 

 

「有名人……前世が有名人だぁ……。そんなことあるんだ……。勝手に、転生って普通の一般人がするものだと思ってたよ……」

 

(オレ)だって普通の一般人だったと思うが……。……何なら前世の知り合いに出くわすことだってあるんじゃねェか? (オレ)はもう初対面で抱きつかれた経験が二回ある。どっちも前世の知り合いだった」

 

「前世が一目で分かりすぎるんだね……」

 

 

 確かに、ここまであからさまにメイドなヤツなど前世を含めても早々いないだろう。

 それ以前に顔が広すぎるとか、前世の知り合いと出会えるほど今世の行動範囲も広いんだとか、色々とツッコミを入れたいところはあったが、それについては最早流知の感情が追い付いていなかった。

 

 

「っつか、もう一五年もこっちで生きてんだ。今更、前世なんて関係ねェよ。今の(オレ)はほんの一五歳の小娘で、ただのメイドの園縁薫織。そんなに肩ひじ張って構えてくれるな」

 

「……ちょっとデリカシーに欠けてたのは謝るけど、『ただの』では全然ないよね???」

 

 

 ──ともあれ、そんな薫織の態度のお陰か、流知は知り合って三日目にして、前世での最期の年齢差を気にせずに話すことができるようになったのであった。

 

 なお、このあと原作者だのイラスト担当だのに鉢合わせして『何者かってレベルじゃないよぉ!!』と悲鳴を上げることになるのは、また別の話である。



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12 ある反逆の終了

 戦闘メイドが生徒会書記長と激戦を繰り広げていた、ちょうどその頃──。

 

 

「早速困ったな」

 

 

 嵐殿(らしでん)とピースヘイヴンの原作者チームは、目的地である図書棟に入るその前に立ち往生していた。

 

 生徒会執行部の本拠地としては、生徒会室が存在する部室棟があたる。

 しかし、生徒会執行部は役員だけで五〇人はいる大所帯である。活動中その全員が生徒会室に詰めているわけにはいかない。したがって、役職を持たない庶務の生徒は図書棟で様々な書類仕事をやるというのが通例になっている。

 嵐殿(らしでん)とピースヘイヴンは、そうした庶務生徒達が詰めているところへ乗り込んで反抗の機運を完全に叩こうとしている訳だが──

 

 

「そういえば、私の生徒証が連中に監視されている可能性を考えてなかった。どうしよう柚香(ゆずか)

 

 

 ──図書棟は、蔵書の盗難を抑制する為に入場時に生徒証に内臓されている陰陽回路(OC)チップを使って個人認証をしている。ピースヘイヴンも嵐殿(らしでん)もそれぞれのやり方でこの生徒証問題は自力で解消しているものの、この入場記録自体は生徒会執行部権限でいくらでも随時閲覧できるような仕組みになっていた。

 つまり、正規の方法で図書棟に入場した場合、ピースヘイヴンが侵入したことが生徒会執行部側に速攻でバレてしまうということになる。

 

 

「あらぁ、大変そうねぇ。お姉さんにはなーんにも関係ないけど」

 

 

 が、駅の改札機のような認証システムを前にして立ち往生するピースヘイヴンの横をするっと通り抜けて、嵐殿(らしでん)はいとも容易く認証システムを通過していく。

 同じ立場だと思っていたピースヘイヴンは目を丸くして、

 

 

「ええっ!? 柚香(ゆずか)は何で大丈夫なんだ!?」

 

「そもそも私自身の生徒証は書類上卒業した段階で失効してるしぃ。今私が持ってるのは、他の生徒の生徒証を複製したものだから。別にスキャンとかしても私だってバレる道理はないのよん」

 

「何だそれ、ズルいな……。私にも一枚分けてくれないか? どうせ複数持ってるんだろ?」

 

「嫌よ。何で私が協力しなきゃいけないの? 自分で何とかしなさいよ」

 

「えーっ!! ケチ!!」

 

 

 不満そうに唇を尖らせてぶーぶー言う元ラスボスだが、嵐殿(らしでん)は取り合う気もないらしい。

 

 

「何もできないなら私はさっさと先に行っちゃうわよぉ? 別に侵入がバレたって困らないんだし、盛大に侵入して陽動でもやったらどうかしら」

 

「そしたらお前が侵入してることも言って力の限り足を引っ張ってやる」

 

「このカス……!!」

 

 

 ギリィ……! と奥歯を噛み締める嵐殿(らしでん)だが、元ラスボスはそんなことはどうでもいいとばかりに地団太を踏んで、

 

 

「ウワーン!! なんとかしてくれよー! なーんーとーかーしーてーくーれーよー!!」

 

「分かったから敵地で泣き喚くんじゃない生徒会長!!」

 

 

 嵐殿(らしでん)は頭痛をこらえるようにこめかみを指で抑える。

 

 

「……トレイシーちゃん。何か勘違いしているようだけど、私達は仲間同士じゃないわ。たまたま利害が一致しているから一時的に行動をしているだけで、私たちは敵同士。あまり馴れ合わないでくれるかしら?」

 

「それは君が、昔の感覚に戻ってしまうからかい?」

 

「…………、」

 

「待て待て待て待て! 今のは私が悪かった!!」

 

 

 一気に冷え込んだ空気のその場を後にしかけた嵐殿(らしでん)に、ピースヘイヴンは慌てて待ったをかける。

 その様子を見て重いため息を吐いて、嵐殿(らしでん)は問いかけた。

 

 

「次はないからね。……でも、アナタならこんな認証システム程度いくらでも通過できるんじゃないの?」

 

「そうだが、君、それを見て私の霊能の推測材料にしようとしてるだろ」

 

 

 しれっと言われて、嵐殿(らしでん)は思わず息を呑んだ。

 コメディなノリに隠して、確かに嵐殿(らしでん)はピースヘイヴンの霊能について確認しようとしていた節はある。

 ──都合三八年ほどこの世界で活動していて、それなりに互いのことを認識していた期間も長い二人だが、それでも未だにお互いの霊能についてはほぼ把握できていないと言ってもいい。

 既に野望は折れた──と宣言しているピースヘイヴンに対して嵐殿(らしでん)が未だに能力を知ろうとする姿勢を崩さないのは、前世(かつて)の姿を知っているからか。

 

 

「もう計画自体は潰えているので教えてしまっても問題はないのだが、せっかく今まで隠し通してきた霊能なんだ。さっさと教えてしまうのも味気ないだろう?」

 

「アナタはまたそうやって……」

 

 

 ピースヘイヴンはそう言って、茶目っ気を出しましたとばかりにウインクをする。嵐殿(らしでん)は呆れたように首を振って嘆息するしかなかった。

 嵐殿(らしでん)の雰囲気がいくらか弛緩したのを見て取ったピースヘイヴンは、頼りなさげな笑みを浮かべて言う。

 

 

「……それじゃあ、スペアの学生証貸してくれないか?」

 

「そもそもスペアの学生証なんて今持ってないわよん」

 

「ちくしょーっ!!」

 

 

 だん!! と、膝から崩れ落ちるピースヘイヴン。

 彼女に憐れみの視線を投げかける嵐殿(らしでん)と併せ──彼女達が転生者の中でも指折りの重要人物であるとは、余人には分からない有様だった。

 

 

「それじゃ、私は一足先に潜入してるわぁ。トレイシーちゃんは派手に突入して暴れちゃってねぇ」

 

「え!? おい待て! 柚香(ゆずか)! 待って!!」

 

 

 必死に呼び止めるが、嵐殿(らしでん)は最早ピースヘイヴンの方へは振り向きもせず、ひらひらと手を振って立ち去ってしまった。

 そうは言っても実は戻ってきて面倒を見てくれるんじゃないか? とちょっと期待していたピースヘイヴンだったが、三〇秒ほど待っても嵐殿(らしでん)が戻って来ないのを確かめると、いそいそと立ち上がる。

 俯きがちなその表情は遠目には伺い知れないが──

 

 

「……分かった。じゃあもう全部めちゃくちゃにしてやる」

 

 

 顔を上げたその、いっそコメディに触れ切った不機嫌そうな表情。

 

 直後。

 

 トレイシー=ピースヘイヴンの姿が、()()()

 

 

 

 …………。

 

 …………。

 

 

 

 それから一〇分ほど後。

 嵐殿(らしでん)とピースヘイヴンは、それぞれくたびれた様子で図書棟から退場していた。

 

 

「……というわけで、普通に全員ボコった訳なのだが」

 

「アナタの中でさっきまでの戦闘はカットされてる扱いなのね……」

 

 

 そうぼやく嵐殿(らしでん)は、服装こそ乱れていなかったが、うっすらと汗をかいている。

 隣を歩くピースヘイヴンも、手をパンパンと叩いて一仕事終えた感を演出していた。どちらもこの世界でも有数の実力者である二人には似つかわしくない苦戦の跡を感じさせる姿だったが──

 

 

「……アナタ、加減とかできないわけ?」

 

 

 ──そんな二人の惨状も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「私が居なかったらどう考えても図書棟倒壊してたわよ……?」

 

 

 大前提として、生徒会執行部の造反勢力は完全壊滅していた。

 彼ら彼女らの扱うシキガミクスは一機残らず大破し、本人たちも今も大小さまざまな負傷を負って図書棟の床に転がっていることだろう。──生徒会執行部の半数、およそ二五名ほどが、である。

 伽退(きゃのく)の霊能に屈服して寝返ったり、あるいは直接的に霊能によって洗脳されたり、普通に口車に乗せられたり──造反した役員達はその程度のレベルの人間でしかない。

 それでも陰陽師として陰陽術を修め、シキガミクスを行使する能力を持った人間が二五人である。少なくとも、二人なんていうごく少数で対応するならば、ぶつかり方を工夫しない限り手痛い反撃を食らうのは確定のはずである。

 だが、彼女達の常識外れはそこに留まらなかった。

 

 

「壁は壊す、天井は壊す、床は壊す。……挙句の果てに私の方に敵が大量に雪崩れ込んでくるように仕向ける。いやがらせにしても陰湿すぎないかしらぁ?」

 

「フンっ。私を見捨てた罰だ」

 

 

 『メガセンチピード』を殴打のみで粉砕できる、圧倒的な戦闘能力。

 それはつまり、平凡な建物の建材など発泡スチロールのように粉々に殴り砕くことができるということである。そしてそれは、屋内というある種の限定された地形戦において、『地形を無視できる』というカードとして機能する。

 ピースヘイヴンは、己の霊能を秘匿する為にこのカードをとにかく使い倒した。

 結果として、図書棟は倒壊していないのが奇跡というレベルで破壊され尽くしてしまったのだが──

 

 

「それに、造反者を叩きのめしたはいいが、この後が問題だ。何せ首謀者の伽退(きゃのく)も併せて生徒会執行部の人員が半減してしまう訳だからな。学生牢の逼迫も問題になりそうだし、生徒会執行部の影響力も激減だ。組織の長としては頭が痛いことばかりだよ」

 

「うーん、お姉さんてば自業自得以外にかける言葉が見つからないわ」

 

「お姉さんを自称するならもう少しママみを出せ変態痴女め」

 

 

 何らかの拘りが見える恨み言を吐き、舌打ちを一つ。

 

 

「ともかく、だ。これで後顧の憂いは断った。だが大丈夫なんだろうな?」

 

 

 嵐殿(らしでん)の横を歩いていたピースヘイヴンは、前に出てからくるりと振り返り、上目遣いで嵐殿(らしでん)の目を見据えて念を押した。

 ──反乱分子の大半は鎮圧できた。だが、あくまでも計画の首謀者は伽退(きゃのく)であり、彼女の目下の目的は園縁(そのべり)久遠。そして、園縁(そのべり)久遠への加害は即ち神様の逆鱗への抵触を意味する。導き出されるのは、然る後の破滅だ。

 

 

「君のところのメイドがしくじっていたら、私はこれから高飛びの計画を練らなくちゃならなくなるんだがね」

 

「それなら心配には及ばないわよん」

 

 

 冗談めかしたピースヘイヴンに、嵐殿(らしでん)はスマートフォンタイプの霊話端末をちらつかせながら笑う。

 

 

「さっき薫織(かおり)ちゃんと連絡がついたわ。伽退(きゃのく)ちゃんは無事確保したって」

 

 

 


 

 

 

 

12 ある反逆の終了

>> DEEP GROOVE

 

 

 


 

 

 

 というわけで、紆余曲折ありはしたものの、薫織(かおり)流知(ルシル)嵐殿(らしでん)とピースヘイヴンはそれぞれ自分達の役割を全うして合流を果たした。

 

 

「……面倒臭せェ役目を押し付けやがって」

 

「そうですわよ! 結局ボスは薫織(かおり)が倒したんですからね!」

 

 

 もっとも、薫織(かおり)達には言いたいこともあるようだったが。

 シキガミクスを破壊して無力化した伽退(きゃのく)を学生牢に放り込んだ薫織(かおり)達は、薫織(かおり)の自室で嵐殿(らしでん)達と合流した後、開口一番にそんな文句を言っていた。

 

 

「それについては感謝する。ありがとう助かったよ。私が迎撃役を買って出ていたら伽退(きゃのく)君はおそらく警戒して表に出てこなかっただろうからね」

 

「うぐぅ……素直に感謝されると強く出づらいですわ……」

 

「バーカ。それを狙って殊勝な態度とってんだよ」

 

 

 速攻で丸め込まれた流知(ルシル)の頭をポンポンと叩きつつ、薫織(かおり)は真っ直ぐにピースヘイヴンを見つめる。

 

 

「まァ実際のところ、面倒臭せェ役目を押し付けたことについてはもう良いがよ。伽退(きゃのく)のヘイトは大分根深そうなモンがあったぞ。テメェ、何かあくどい真似を別口でやってたりはしてねェよな?」

 

「思い当たる節がありすぎて心当たりが絞り切れない……というのが本音だが」

 

 

 薫織(かおり)の詰問に対し、ピースヘイヴンはあっさりと答えた。

 

 

「彼女は『外』の裏社会からの刺客だったんだろう? ならばおそらく、動機の大半は世界の現状……自分が経験してきた苦境を『設定』した私への恨みだろう。正当な憎しみだな」

 

「…………くっだらねェ」

 

 

 薫織(かおり)はつまらなさそうに舌打ちを一つして、

 

 

「サブのプランを裏で走らせているとかって訳じゃなさそうなのは分かった。無粋なことを聞いたな」

 

遠歩院(とおほいん)君。君のメイドって任侠と書いてメイドと読ませるタイプなのかね」

 

「わたくしもまだ完全には掴み切ってないんですの……。雰囲気は何となく分かりかけてきたのですが……」

 

 

 メイド観。人生観に並ぶ難しい話題である。ひょっとしたら、この突然変異メイドのそれを完全に推し量ることなど不可能なのかもしれないと、流知(ルシル)はどこか諦め混じりに考えていた。

 

 

「オマエら遅かったな。わたしは、わたしは、ずっと、ずっと待ってたんだぞ」

 

 

 と、震える声を抑えながら四人を出迎えたのは、留守番係に任命されていた冷的(さまと)だ。

 神様相手の接待ゲームを余儀なくされた冷的(さまと)は、ぷるぷると生まれたての小鹿みたいな感じになっている。全体的に不憫極まりない有様であった。

 

 

「あー……なんというか、申し訳ございませんわ。カガミサマも、そう怖いばかりの方ではありませんのよ?」

 

「まァお嬢様は神様(ヤツ)に多少気に入られてるしな」

 

「だと思ったぞオマエ昔話で良い思いするタイプだもんなー!!」

 

 

 わーん! と冷的(さまと)は目をバッテンにして泣く。神様は不平等である。もっとも、神様と一緒にゲームをしても特に何の祟りもない冷的(さまと)もまた大分気に入られている部類ではあるのだが。

 

 

「さて、本題だ。いよいよ『草薙剣』のコピーに入っていくぞ」

 

 

 冷的(さまと)が合流してきたところで、ピースヘイヴンがどかっとベッドに腰かける。神様と久遠は居間でゲームの続きをしているらしいので、こういった込み入った話をするならば今がチャンスなのであった。

 

 

「まずは前提の共有をするか。たまに誤認している読者もいたことだしな」

 

 

 ピースヘイヴンはそう前置きをしてから、

 

 

「『草薙剣』とは『神様』スサノオノミコトの霊能を()()()()使()()()()()()()()特殊なシキガミクスだ」

 

 

 転生者(どくしゃ)にとっては大前提。

 その事実を、原作者は語っていく。

 

 

「分類としては『神託型』に分類される。怪異や霊魂を機体に封じる『封印型』だと誤解されがちだが、究極的にはスサノオの協力がなくとも運用できるのが『草薙剣』の長所でもあり短所でもあった」

 

「せめて強奪された時の為のセーフティ機能くらいつけとけよと思わなくもねェが」

 

「仕方があるまい。下手に認証機能をつければ悪用されるリスクの方が高かったのは原作(れきし)が証明している」

 

 

 ──もちろん、『草薙剣』のセキュリティ的脆弱性については原作でも改善が提案されたことがあった。

 たとえば、利用者を登録して強奪のリスクを減らそうというもの。しかし、その施策が検討された直後に発生したのが、利用者候補となった人員の誘拐と成りすまし。霊能というあまりにも自由すぎる概念の前では、下手なセキュリティは却って強奪者に利するという結論がなされたのも無理はなかった。

 結局は、霊能によるごり押しが通じないくらいの物理的な障壁で『草薙剣』を守るのが『原作』での結論だったが──結果として、何らかの方法でこの物理的な障壁を貫通して『草薙剣』を奪われてしまったのが現状のウラノツカサである。

 

 

「本来、余剰霊気は『常世』という追加領域に退避することで霊気の淀みを解消し、百鬼夜行(カタストロフ)を防止する仕組みになっていた。だが、五〇年前の怪異の『再発』によってこの機構は最早機能不全に陥っている。……『草薙剣』の霊能は、こうした余剰霊気を『常世』へと移送することだ」

 

 

 霊気淀みを解消し、百鬼夜行(カタストロフ)を防止する霊能。だからこそ、『草薙剣』は百鬼夜行(カタストロフ)に対するジョーカーとなっていた。

 ただし、この霊能は百鬼夜行(カタストロフ)にのみ有効となるわけではない。

 人に向ければ、その身から放たれる顕在霊気を丸ごと『常世』に移送されることになる。必然的に、『草薙剣』の太刀を受けた者の霊能はキャンセルされるのだ。

 ──霊能阻止(スキルジャミング)。『草薙剣』が何者かによって盗難の憂き目にあったのも、こうした戦力としての優秀さが関係しているのは間違いない。

 

 

「とりあえず、『草薙剣』を再建する」

 

 

 そんな絶望的な状況において、『ライ研』が用意していた策というのは。

 

 

「……その話は前にも聞ーたけど、具体的にどうするんだぞ? 流知(ルシル)の霊能って、戦闘タイプではないらしーけど……」

 

「ああ、わたくしの霊能は飛躍する絵筆(ピクトゥラ)。このシキガミクスが触れたものの表面に望んだイラストの『完成図』を出力することですわ。ほらこんな風に」

 

 

 言って、流知(ルシル)は何気なく適当な紙に木製のGペンを触れさせた。

 とん──とそこから水面に波紋が広がるようにして、白紙の表面にイラストが広がっていく。浮かび上がったのは、金髪碧眼の神経質そうな美少女の姿。

 

 

「おおっ!? すご!! これが流知(ルシル)の霊能なのか?」

 

「ええ! これこそ世界最高の霊能ですわ! 出力できるイラストはわたくしがきちんと完成図までイメージしている必要があるとか、わたくしの画力で描けるものでないといけないとか、多少の制約はありますが……下書きとか線画とかそういうのをすっ飛ばして、どんな場所にも好きな画材でイラストを描くことができるんでしてよ!! しかも一度描いたイラストは時間経過でも解除されません!」

 

 

 胸を張って力説する流知(ルシル)

 実際、イラストを描くものにしてみれば夢のような霊能であるのは間違いないだろう。戦闘においてはほぼ無意味もいいところな霊能だが。

 ただ、それだけに冷的(さまと)の脳内に当たり前な疑問が生まれる。

 

 

「凄い……とは思うけど、これがどーやって『草薙剣』の再建に繋がるんだぞ?」

 

「シキガミクスってのは、()()()()()()()()()()()()()モンだろ」

 

 

 首を傾げる冷的(さまと)だったが、薫織(かおり)の一言を聞いてそのまま顔を蒼褪めさせる。

 それは──つまり。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「と、とんでもないチート霊能だぞ……」

 

「此処だけ聞けば、そうかもしれねェが……」

 

 

 唖然とする冷的(さまと)だったが、薫織(かおり)の含みのある言葉を聞いて思い直した。

 確かに、作中の重要なアイテムを完璧に複製できるという点だけ聞けば反則(チート)級の霊能だが──あまりにも活躍できる場所がピンポイントすぎるのだ。

 乾いていないペンキなどを使って足場を悪くする応用もあるにはあるが、触れたところからイラストを描くという霊能の性質上、影響を真っ先に受けるのはよほど状況をコントロールできない限り自分になってしまう。引火しやすいシンナー等を発現して火をつけるにしても同様の難点が立ちはだかるし──考えれば考えるほど、戦闘的な意味での伸びしろが見いだせなくなる。

 むしろ──。

 

 

「察したか? ……この話が下手に広まれば、流知(ルシル)はシキガミクスの複製ってところだけが無用にピックアップされて警戒されるだろう。人格的にも霊能的にも戦闘向きじゃねェのに、たった一つの抜け穴みてェな悪用法だけがクリティカルすぎる。……これはそういう厄介なシキガミクスなんだよ」

 

「な、なんて難儀な……」

 

 

 冷的(さまと)だったら、その事実に気付いた時点で速攻で放り投げるシキガミクスである。もっとも、放り投げたところで『そんなシキガミクスを運用できる』という事実があるだけでその後も狙われ続ける、そういう類の厄ネタなのだが……。

 そう考えたら、流知(ルシル)を襲った際の薫織(かおり)の異様な合流速度の早さにも頷ける冷的(さまと)だった。むしろ、冷的(さまと)流知(ルシル)を襲えたのがある種のイレギュラーと呼べるかもしれない。

 

 

(……考えてみれば、コイツにしたら自分を襲ってきたわたしは、『稀有な霊能を狙ってきた怖いヤツ』に映っていたのかもしれないな……)

 

 

 改めて自分の罪を思い出した冷的(さまと)は、人知れず落ち込んで視線を下に落とす。

 薫織(かおり)はそこから話を若干逸らして、

 

 

「それに、飛躍する絵筆(ピクトゥラ)がいくら理論上完璧な内部血路を描けるとしても、霊能の性質上、元となる図面がなければお話にもならねェ。原作者(ピースヘイヴン)っていう『完璧な図面を用意できる存在』がいて初めて実現する策なんだよ、これは」

 

 

 だからこそ、ピースヘイヴンから図面を引き出すことが可能(という触れ込み)な嵐殿(らしでん)のはたらきが重要視されていたという部分もある。もっとも、今はピースヘイヴン本人の協力を取り付けることができているが。

 

 

「だからわたくし、最初に冷的(さまと)さんに襲われた時は、てっきり何か再現して欲しいシキガミクスの図面でもあるのかと思ってましたの」

 

 

 世間話でもするみたいに、流知(ルシル)はのほほんと言った。思い出したくない己の罪をつつかれた冷的(さまと)はしゅんと俯いて視線を逸らす。

 なお、元凶であるピースヘイヴンはどこ吹く風であった。

 

 

「そ、その節は……悪かったんだぞ……」

 

「あ、いえ! そうではなくてですね、あの時『困っていることがあるなら協力しますわ』って言っていたでしょう? アレ、実はちょっと『草薙剣』の図面を持ってるんじゃないかって期待も半分だったのでしてよ。わたくしを襲うということは、わたくしの霊能に何かしら期待している可能性があるということですから……」

 

 

 流知(ルシル)は気まずそうに苦笑して、

 

 

「わたくし、レイア様ほど人間ができているわけではありませんの。だからこういう風にわりと現金なことを考えていたりするので……あんまり気にしすぎないでくださいましね」

 

「……なんていうか、もー、わたし、オマエに一生頭が上がらない気がしてきたぞ……」

 

「どうして今の流れでそうなるんですのっ!?」

 

 

 


 

 

 

一目で全体が木製だと分かるGペン型シキガミクス。

片手で扱える通常サイズだが、持ち手を捻ることで最大で一・五メートル程度まで伸長し、槍のように取り回せる。槍状態では通常の槍に比べるとかなり細身となるが、それでも鉄棒以上の頑強さを誇る。

 

触れたものの表面にイラストを描いていく能力。

書く動作を行わず、触れた箇所からインクが広がるように描画される。

また、下書きなどを無視していきなり術者のイメージしたイラストの完成形を描画することができる。

 

材質も無視することができ、ガラスの上に鉛筆画を描いて定着させることも可能。また、乾燥具合や塗料の材質なども実在する限りで自在に設定できる。

 

元々は物質創造系の能力だったが、本人の趣向でイラスト具現化能力に調整された。

飛躍する絵筆(ピクトゥラ)

攻撃性:40 防護性:40 俊敏性:20

持久性:20 精密性:本人次第 発展性:70

※100点満点で評価

 

 

 


 

 

 

 そんなこんなで。

 ピースヘイヴンが『草薙剣』の設計図を書いている間、暇になった面々は居間でゲームをしている久遠達と合流することに。

 

 

『おお、戻ってきましたか冷的(さまと)。待っていましたよ』

 

「何だよサメガキ、お前も好かれてんじゃん」

 

「わたしみたいな小悪党はいつ神様の逆鱗に触れるか分かったもんじゃないから怖いんだぞ……!」

 

『この小動物感、可愛いと思いませんか? 薫織(かおり)

 

 

 完全に愛玩動物としての好意であった。

 神様の尺度での『好かれている』は、必ずしも人間の尺度で喜ばしいものとは限らない。冷的(さまと)の震える理由が何となく分かった薫織(かおり)である。

 非常に気の毒な事になっている冷的(さまと)に対して、ゲームを一時中断した久遠は肩を組みながら、

 

 

「まぁまぁ。静夏(しずか)はわたしの友達ですから、花蓮ちゃんも手荒な真似はしないのです。そんなに緊張するこたぁないのですよ」

 

「あ、姐さん……!」

 

「そういう格付けになってんのか……」

 

 

 ちょっと見ない間に久遠を姐さん呼ばわりすることになっている冷的(さまと)に、薫織(かおり)は少なからず同情の念を禁じえなかった。

 ちなみに久遠は中学二年生なので、中学三年生の冷的(さまと)は前世も(猫なので)ほぼ存在していない下級生の舎弟みたいなことになっているのだった。

 

 

「よーし、わたくしも混ぜてくださいまし!」

 

「お! 歓迎するのです流知(ルシル)ちゃん。何故ならこのゲームは四人用なので……!」

 

『──フ、果たして人の子に私の牙城が崩せますか──?』

 

「ゲームでそんな神様アピールされても困るんだぞ」

 

 

 なんだかんだでワイワイと楽しみつつある(地味に神様にツッコミもできてる)四人を少し離れたところから見守りながら──薫織(かおり)はダイニングテーブルについた嵐殿(らしでん)にお茶を振舞う。

 

 

「……ああ、ありがとう」

 

「あんま根詰めすぎんなよ」

 

 

 現状は、至って順調である。

 当初の予定とは違い戦闘なしにピースヘイヴンの協力を取り付けることができた為、ほとんどのメンバーが消耗することなく『草薙剣』複製にこぎつけることができた。

 今は肝心の『草薙剣』の機体を作る為の素材がないが、生徒会の権力を使えばそれも労せずこなすことができる。この分ならば、明日には『草薙剣』を製造して百鬼夜行(カタストロフ)の危険をとりあえず消し去れるだろう。

 もちろんその後も世界の危機は頻発することになるが、それでもジョーカーを再建できれば『避け得ない世界の終わり』というウラノツカサ全体を覆う閉塞感は打破できる。

 しかしそれでも、当事者の心労が完全に消え失せる訳ではない。特に、ピースヘイヴンと嵐殿(らしでん)──否、『虎刺看酔』と『オオカミシブキ』の関係性を断片的ではあっても知っている薫織(かおり)としては、そこが気がかりになっていた。

 

 

「何か、気になることでもあんのか。わざわざヤツと一緒に行動するなんてよ」

 

 

 本来であれば、あの場で嵐殿(らしでん)はピースヘイヴンと行動を共にする必要はなかった。

 お互い腕の立つ使い手だし、霊能の都合上、単独行動を好んでいる嵐殿(らしでん)としても誰かと共に行動するのは足枷にしかならない。

 それをおしてピースヘイヴンと行動を共にしたのは──一緒に行動することで霊能を探りたかったという思いももちろんあるにせよ、一番大きい動機は『現在のピースヘイヴンを見定めたい』という気持ちであることに疑う余地はない。

 

 

「……俺は、今から二三年前、高校生の時にトラと再会してね」

 

 

 溜息を吐くみたいに、嵐殿(らしでん)は話し始めた。

 

 

「俺は編入組だったからな。当時から既に、トラは生徒会長をやっていた。驚いたよ。生徒会は俺の知っているあの世界と違って、しっかりとした組織として成立していた。まるでフィクションに登場する生徒会みたいだった」

 

 

 生徒会執行部は、元々モブの集団のような脇役じみた組織だった。精々サブキャラクターのプロフィールに載っている程度の属性。それが生徒会執行部というものだった。

 

 

「当時から、既に『草薙剣』は失われていてね。トラは『草薙剣』に変わるセーフティネットを構築しようと模索している段階だった。俺も、二もなく協力を申し出たよ。……あの頃は、……いや何でもない」

 

 

 嵐殿(らしでん)はそこで言葉を止めて、静かに頭を振った。

 聞かずとも、その言葉の続きは薫織(かおり)には分かっていた。『あの頃は幸せだった』──嵐殿(らしでん)の表情は、そう如実に語っていた。

 無理もない、と薫織(かおり)は思う。無二の親友と共通の目的の為に力を合わせられる環境。どれほどの苦境だったとしても、当時の嵐殿(らしでん)は幸せだったに違いない。そしておそらくは、ピースヘイヴンにとっても。

 

 

「それから三年間、俺は生徒会副会長としてトラの右腕をやっていた。霊能は互いに秘密にしていてな。『全力で隠すから当ててみろ』……そういう遊びが好きなヤツなんだ」

 

 

 しかし──三年後。つまり今から二〇年前、二人に転機が訪れる。それも、これ以上なく悪い転機が。

 

 

「高校三年生の秋だった。俺達は、『草薙剣』の代用に成功した。今回のような完璧な複製ではないが、少なくとも『原作』における役割を果たすくらいのことはできるようにはなった」

 

「それは……スゲェじゃねェか」

 

「ただ、当時の生徒会役員が欲に目を眩ませてね。完成した代用品を盗もうとした」

 

 

 ──百鬼夜行(カタストロフ)の防止。余剰霊気の移送というのは、人間相手に使えばあらゆるシキガミクスを機能停止に追い込むことができるジョーカーになる。

 手にすることができれば、最強の切り札を獲得できるのと同義だ。ウラノツカサから卒業間近で百鬼夜行(カタストロフ)に巻き込まれる危険も薄い人間であれば、魔が差すこともあるかもしれない。

 

 

「…………、」

 

「もちろん盗難は阻止された。俺とアイツがいるんだ、当然だろう? ……ただ、信じていた仲間の裏切りに遭ったアイツは、そこで絶望した」

 

 

 悲痛な面持ちで、嵐殿(らしでん)は静かに言い添えた。

 痛恨。そう表現するのが相応しいくらいに──己の罪を責めているような表情だった。

 

 

「二〇年後の百鬼夜行(カタストロフ)を阻止したところで、意味がない。誰かが少しでも欲をかけば即座に瓦解する。ならば、ただ穴埋めをするだけでは対応として不十分だ。……ま、詳しいやりとりは省くが、そこで発生した方針の違いによって、俺達は袂を分かつことになったんだ」

 

「……その話を聞く限りじゃあ……」

 

「ああ。……現状は、ヤツが絶望したとりあえず目先の破滅を防ぐ、言い換えれば『誰かが欲をかけば瓦解する』方針でしかない。ヤツの策が頓挫したことでとりあえず妥協をしているならば、俺の取り越し苦労でしかないが……」

 

「随分警戒してくれるじゃないか」

 

 

 そこで。

 話に割って入るように、ピースヘイヴンがダイニングテーブルにつく。

 予想外の乱入に息が止まる嵐殿(らしでん)とは対照的に、薫織(かおり)は静かにピースヘイヴンの分の紅茶をテーブルに置いて、

 

 

「設計図は?」

 

「書き終わったよ! 後は明日、生徒会所有の資材をかき集めればいい。あー、遠歩院(とおほいん)君の霊能が使えれば楽だったんだがね」

 

 

 ピースヘイヴンはそう言ってから、温かな紅茶を一口含み、喉を潤す。

 

 

「……警戒するのも無理はないと思っているよ。そう思われても仕方がないだけのことを、してきた自覚はある。詫びるつもりはないが」

 

 

 寂しそうに言って、ピースヘイヴンは視線を横合いにずらす。

 エヴァーグリーンの瞳には楽しそうにゲームに興じる四人の姿が映っていた。

 

 

「だが、私は別に仲間(かれら)に絶望した訳じゃない。今こうして此処にいるのも、それが理由さ。……これだけでは、信じるには足りないか?」

 

 

 ピースヘイヴンの視線が、嵐殿(らしでん)と交錯する。

 先に視線を落としたのは、嵐殿(らしでん)だった。そんな彼女に寂しそうな笑みを向けてから、ピースヘイヴンはきっと表情を切り替えると、立ち上がって声を張り上げる。

 

 

「…………さて! 仕事も終えたし、私もゲームに混ぜてもらおうか!! どれ、負けたヤツが交代するルールで行こうじゃあないか!」

 

 

 四人でゲームに興じている集団に飛び込んでいくと、ピースヘイヴンは大人げなくコントローラ争奪戦を勃発させていく。

 

 

「あ、わたくしもうそろそろ寝ようと思っていたので、代わりにどうぞ……」

 

「駄目だ! 今日は徹夜でやるぞ!!」

 

「ええ!? 明日は全校集会ですわよ!? 他にも色々目白押しなのですから、明日に備えて寝ましょうよぉ!」

 

「フハハハ陰陽術を極めれば睡眠など不要! よって徹夜ゲーム!」

 

「いやあああこの人精神が明日の講義のことを一切考えない男子大学生になってますわああああ!?」

 

 

 なんだかんだで仲間の輪の中に入って行って笑うピースヘイヴンの横顔を見て、薫織(かおり)は静かにダイニングテーブルにつく。

 

 

「まァ、飲めよ。(オレ)にゃあ、話を聞いてやることしかできねェが……」

 

「十分だよ」

 

 

 ぬるくなった紅茶を啜って、嵐殿(らしでん)は一言、呟くように言った。喧騒の環の中にいる誰かさんには絶対に聞こえないような声量で。

 

 

「……今は、それだけでも十分だよ」



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13 裏切りの胎動

 世界がヒビ割れるような音が、どこか遠くから聞こえていたような気がした。

 

 濛々(もうもう)と立ち込める煙。破砕された壁──木材の破片。その中心では、半ばめり込むような形で一人のメイドが壁に背を預け座り込んでいた。

 否──座り込んでいたというよりは、()()()()()()()()()というべきか。いったいどんな衝撃を加えられれば人体が原型を留めたままこんな状態になるのか、そんな感心さえ抱いてしまうほどに、現実離れした光景だった。

 

 

薫織(かおり)……!!」

 

 

 メイドの傍らには、一人の少女がいた。

 美しい金髪が振り乱れるのもお構いなしにメイドに呼びかける少女の横顔は、血と涙に汚れていた。

 

 

「大丈夫だからね!! 心配要らないよ! 今、今、久遠(くおん)ちゃんを呼んだから!!!!」

 

 

 しかし──血に汚れた横顔は、別に彼女の負傷を意味しているわけではない。

 夥しい血液の源は──座り込んだメイドの脇腹にあった。

 

 

 端的に言うと、メイドの脇腹には風穴が空いていた。

 

 拳大の穴が、ぽっかりと。

 そしてそこから、生命の源が漏れるみたいに夥しい血液が流れ出て、漆黒のメイド服をどす黒い赤に染め上げていた。

 

 

「カガミサマが……『神様』が来ればきっと何とかしてくれるから!! だからそれまで絶対に意識だけは保つんだよ! 分かった!? ねぇ返事してよ!! ご主人様の命令だよ!!」

 

 

 しかし、呼びかけられたメイドの視線は、虚ろに宙を彷徨うばかり。

 少女に握られたその手も、今は握り返す力すらないようだった。

 

 そんな二人に、ひとつの影が差す。

 光を遮るように佇むそいつは──嘘みたいに冷たい眼差しで、死にゆくメイドの姿を見下ろしていた。

 

 メイドは、虚ろな眼差しでそいつを見上げ、ぽつりと一言、溢すようにその名を呼んだ。

 

 

 

 

「…………(らし)殿(でん)

 

 

 


 

 

 

 

13 裏切りの胎動

>> FOR THE AMBITION

 

 

 


 

 

 

「…………んぁ?」

 

 

 翌朝。

 夜を徹してのゲーム大会の途中で脱落した流知(ルシル)は、甘い匂いとフライパンで油が弾ける音で目を覚ました。

 おそらくキッチンで薫織(かおり)が料理をしているのだろう。むくりと身体を起こすと、隣のベッドに冷的(さまと)と久遠が転がっているのが見えた。薫織(かおり)の部屋の寝室にはベッドが二つあるので、徹夜のゲーム大会で寝落ちした者からベッドに放り込まれたのだろう。

 

 

「お風呂、途中で入っておいて正解でしたわぁ……」

 

 

 欠伸を噛み殺しながら、流知(ルシル)は掛布団を避けてベッドから降りる。他人様の部屋のベッドなのでとりあえず形だけでも整えておきたいところだったが、それをやると後で異常メイドから文句を言われるのであえてそのままにしておく。ご主人様なのになんで文句を言われるんだろう。流知(ルシル)はちょっと不思議に思った。

 

 そんな日常の不満はさておき、流知(ルシル)は朝ごはんにあずかるべくダイニングへと移動する。

 薫織(かおり)の部屋──に限らず、『ウラノツカサ』の学生寮は基本的に1LDK脱衣洗面所風呂トイレ付が基本だ。玄関から一直線に伸びた廊下に脱衣洗面所・バスルームとトイレ、寝室がそれぞれついていて、その先の突き当りにリビングとダイニングとキッチンがあるという構造になっている。

 左手にキッチンと対面式のダイニング、右手にリビングがあるので、1LDKという字面に反してかなり開放的な作りになっている──が、薫織(かおり)の部屋は昨日夜遅くまで遊んでいたにも拘らず、信じられないほど綺麗に整頓されていた。

 

 

「……おう、おはようお嬢様」

 

「あら~流知(ルシル)ちゃん、おはよう~」

 

 

 ダイニングまでやってくると、キッチンでは薫織(かおり)が料理を、ダイニングでは嵐殿(らしでん)が配膳をしている。

 流知(ルシル)はそこで薫織(かおり)がどことなく不機嫌なことに気付いた。

 

 

「おはよう、お二人とも。……薫織(かおり)、どうしてちょっとムッとしてますの?」

 

「……料理の隙を突かれて配膳役を取られた」

 

「なんなんですのその地雷……」

 

 

 普段はどこか超然としているメイドが『拗ねた部分』を見せるところがそこなのか……と思うと何か複雑な気持ちになる流知(ルシル)だった。

 そこで、流知(ルシル)はふと気付く。

 

 

「そういえば、会長はどうしましたの? 寝室にもいませんでしたけど」

 

「あァ。ヤツなら今朝早くに出て行ったよ。生徒集会の準備があるんだと。執行部半分が学生牢送りになったから仕方ねェんじゃねェか?」

 

 

 薫織(かおり)はそう言ってから数枚の紙束を虚空から『取り寄せ』ると、

 

 

「ちなみに、設計図はちゃんと預かってある」

 

 

 直後、パンと音を立てて設計図が消え去る。

 『裏階段』に収納しただけなのだが、この様は何度見ても不思議だ、と流知(ルシル)は思う。

 

 

「……いやお待ちになって。あの方、わたくしが寝落ちしたときもまだゲームやっていましたわよ? いったいいつまでゲームやってたんですの?」

 

「さァなァ。お子様組が寝落ちして、お嬢様がソファの上でくたばったあとは、カガミサマとゲームやってた。(オレ)はその後日の出まで寝てたから知らねェが……多分完徹してんじゃねェか?」

 

「ええ……」

 

 

 一応生徒会長のはずなのに一番挙動がヤンチャなのはどういうことなのだろうか。あと地味にこのメイドも日の出まで寝ていたって睡眠時間はとんでもないことになっているのではないだろうか。色々と不思議である。

 

 

「というか、昨日も少し話していましたけど、あの人あれで三七歳ってマジなんですの……?」

 

「まぁ、子どもっぽいわよね~」

 

「いえそうではなく。挙動はさておき、見た目は本当に高校生相当じゃありませんの? 三〇過ぎのお肌じゃありませんわよ……」

 

「あ~……。まぁ、アイツは陰陽術を極めてるからねぇ……。陰陽術は霊気の流れを読み操る技術でしょ? 普通は体内の霊気の巡りを調整して健康になる程度で、劇的な変化はないんだけど……アイツレベルになるとね~。不老不死に片足突っ込んじゃうというか」

 

 

 嵐殿(らしでん)は笑い話のように言うが、もちろんこれはとんでもない話である。

 確かに陰陽術は霊気を操る技術だ。陰陽術が義務教育となったこの世界では、誰もが子どもの頃から陰陽術に親しんだ結果、がんリスクが大幅に低下し、健康寿命は一〇〇歳を超えるほどになった。ただそれでも老いを克服できた人間はいないし、年齢相応に体力も落ちていくことになる。

 二〇巻近い『原作』の歴史において、登場したいかなる強者であっても、人間の範疇に収まっている存在が不老不死という領域に辿り着いたことはない。そう言えば、ピースヘイヴンがどれほどのイレギュラーかは分かるだろう。

 もしもその霊気制御技術をきちんと全世界に開陳すれば、おそらく十数世代クラスで陰陽術の基準が更新される。──そのレベルで、『格が違う』。

 

 

「ち、ちなみに師匠も……?」

 

 

 そして、その傍らにあり続けた『オオカミシブキ』としての顔も持つ目の前の少女も、同じく不老である。そう思い問いかけた流知(ルシル)に、嵐殿(らしでん)は苦笑してから答える。

 

 

「いーえぇ。私のは自前の霊能を使った裏技よん♪ ……だから、技術力合戦とかではあんまり期待しないでねぇ」

 

「……師匠は心配性ですわねぇ。昨日の様子を見る限り、会長と敵対するような展開はありえないですわよ」

 

 

 ピースヘイヴンの計画は最早潰えた。彼女は百鬼夜行(カタストロフ)を使って何かをしようとしていたようだが、その計画を実行する為の手足たる生徒会執行部が半分も離脱してしまった以上、計画は進めることはできない。

 そういう意味でも、これまで共に行動していた感覚から言っても、ピースヘイヴンの裏切りの可能性を考える意義は薄いだろう。彼女は、世界に絶望した大袈裟な自殺志願者という訳ではないのだから。

 

 

「……いや、まだ根本的な解決には至っていないからねぇ? この件が終わったらしれっと裏切るとか、全然あるラインだと思うし」

 

「どれだけ信用がないんですの……」

 

 

 あるいは前世の分だけ不信が蓄積されているのかもしれないが、酷い言われようである。

 そんな風にお喋りをしているうちに目が冴えてきた流知(ルシル)を見て、クッキングメイドは朝食のホットケーキ(流知(ルシル)の好物)を焼き上げながら、

 

 

「そろそろできるぞ。歯ぁ磨いて顔洗ったらお子様組を起こしてきてくれ」

 

「はぁい、分かりましたわー」

 

 

 お母さんメイドの号令を受けて、長女お嬢様は洗面所へとはけていく。

 その後ろ姿を見送りながら、薫織(かおり)は溜息を吐いて、

 

 

「……っつか、まだ百鬼夜行(カタストロフ)の危険が去った訳でもねェんだけどな。この図面がちゃんとしているかの検証もできてねェんだし」

 

「それは言わないでおいてあげましょ~♪」

 

 

 


 

 

 

 それから少しした後。

 朝食を済ませ、薫織(かおり)の部屋から自分のクラスへ出向いた流知(ルシル)は、同じクラスの面々と共に全校生徒の集まる第一体育館へとやってきていた。

 普段は薫織(かおり)達と行動を共にしている流知(ルシル)だが、彼女にも彼女の学校生活があり、交友関係がある。今は薫織(かおり)達と別れて、そうした自分の交友関係の中にいた。

 なお、彼女の友人達は別に転生者というわけではなかった。

 もちろんクラスにも転生者は何人かいるし、その中には転生者であることを公言していない者もいる。しかし──同じ転生者である流知(ルシル)には、何となく分かるのだ。転生者と、そうでない者の違いが。

 転生者は流知(ルシル)を含め、()()()()()()が普通とは違う。キラキラと眩しいモノとして見ているか、あるいはグズグズに燻ったモノとして見ているか、その両極端だ。嵐殿(らしでん)は前者で、最近戦った伽退(きゃのく)は後者である。

 半面、転生者でない者はそもそも『()()()()()()()()()()()()。何故なら、彼らは『そういう枠組み』自体を明確に実感する機会がないから。

 もっとも、

 

 

(中には例外もいるけど……)

 

「姉御ォ!!」

 

 

 一瞬、ヤンキー漫画に迷い込んだのかと錯覚するほど暑苦しい声が、下手なドーム球場よりも広い体育館に響き渡る。

 見ると、騒ぎの源は隣のクラスの集団だった。純白のブレザーと濃紫のスラックス/プリーツスカート姿の学生達に紛れるようにして──いや全然紛れてない異物感で、黒橙のメイドが堂々と重役出勤を決めていた。

 

 

「お疲れ様です姉御ッッッ」

 

「遅かったっすねぇメイド長!」

 

「ちょっと野暮用がな。いいから静かにしろやバカども。周りの迷惑になるだろ」

 

 

 当たり前のように転生者にも転生者じゃない者にも慕われている異常メイドは、そうやって平然と喧騒の中心に存在していた。アイツを見ていると転生者とかそうじゃないとかは些細なことのように見えるのだが──ここはけっこう重要な対立軸であるはずである。たぶん。

 流知(ルシル)は心の中でほろりと涙を流しながら、

 

 

薫織(かおり)……。知ってる……? 私この前転生者同士のお喋りを聞いちゃったけど、アナタって他の転生者から原作乖離の結果発生したバグキャラだと思われてるんだよ……)

 

 

 悲しき事実である。

 流知(ルシル)も、通りすがりの転生者達が『あんな濃いキャラがなんで原作に出てなかったの? BD特典の小説で登場したキャラ?』『そういえばメイドキャラいなかったしな……。あり得る』『原作乖離の結果誕生したキャラとかじゃないの?』と話しているのを聞いてしまったときは、なんともいたたまれない気持ちになったものだ。

 

 と、心で涙を流していた流知(ルシル)を見つけると、薫織(かおり)は集団の輪から出て流知(ルシル)にちょいちょいと手招きをする。流知(ルシル)はこくりと頷くと、友人に断りを入れてから薫織(かおり)の方へと駆け寄っていった。

 なお、薫織(かおり)の変人っぷりに内心で呆れている流知(ルシル)であるが、そんな薫織(かおり)をメイドとしている流知(ルシル)もまた周囲からはまぁまぁやべーヤツとみられているのだが、それは本人は知らないことである。

 

 

「どうしたんですの? ……あまり人の多いところでアナタと一緒にいると、わたくしまで変に噂されそうで困るのですが」

 

「口調をお嬢様にしておいてよく言うな」

 

 

 ド正論であった。

 

 第一体育館。

 全校生徒一〇八〇人+αが一堂に会した全校集会を開けるだけあって、体育館はドーム球場数個分ほどの広さが確保されている。あまりに広すぎるせいか、壇上の様子を映す為にどでかいハイヴィジョンがその上に設置されているほどである。

 そんな大容量の体育館の端っこの方に集まった二人は内緒話をするようなトーンで、

 

 

「そういえば、今日は遅れて来たんですのね。薫織(かおり)にしては珍しいですわ」

 

「あァ。コイツを組み立てていてな」

 

 

 そう言って、薫織(かおり)はパッと虚空から一本の木剣を取り出す。そして何でもないように、

 

 

「『草薙剣』のレプリカだ。さっき材料を集めてちょちょいと作った。まだ内部血路はね、」

 

「ばっっっ!?」

 

 

 帯刀メイドが最後まで言い終わる前に、流知(ルシル)は慌ててその木剣を体で覆い隠す。

 それから一層声のトーンを落として、

 

 

「なっ……何を考えていますの!? こんなところで! 誰かに見られたらどうしますの!!」

 

「だから場所を変えてんだろうが」

 

「……ま、まぁいいですわ。いきなりこれを出してどういうつもりなんですの」

 

 

 薫織(かおり)は言われて、『草薙剣』のレプリカを放り投げて流知(ルシル)に手渡す。流知(ルシル)は慌ててそれを受け取りながら、

 

 

「だから説明!! いい加減怒るよ!!」

 

「タイムリミットが分かんねェんだよ」

 

 

 薫織(かおり)は肩を竦めて、

 

 

「元々、生徒会連中は生徒集会の最中にあの野郎の暗殺を目論んでいた。つまり、百鬼夜行(カタストロフ)はこの時間にカタをつけねェとマズイ程度には差し迫った状況だったと推測できる。悲観的に見て、多分今日中ってトコだな」

 

「それは同意しますが……」

 

「……だが、昨日あの馬鹿は図書棟に乗り込んで派手に暴れた。……霊気淀みってのは霊能の大量使用によって加速する。数十人規模の戦闘なんて起きた日にゃあ……タイムリミットがどこまで縮まっているか分かったもんじゃねェだろ」

 

 

 言われてみればその通りであった。

 驚愕の事実に愕然とする流知(ルシル)だったが、しかし反論もある。

 

 

「で、でも……会長だってそんなこと気にした様子ではなかったじゃありませんの」

 

「あの野郎の性格を思い出せ。百鬼夜行(カタストロフ)を安全確実に潰す方法を手に入れて、設計図をそれが実現可能な勢力に預けた。……その事実に安心して手前が起こした戦闘の余波を考慮に入れ忘れ、その結果、生徒集会の最中に百鬼夜行(カタストロフ)勃発! ……いかにもありそうな展開だと思わねェか?」

 

「た、確かにありそう……」

 

 

 何せ相手は『霊威簒奪』のデマをばら撒いて百鬼夜行(カタストロフ)の勃発を早めようとしていたら、そのどさくさに紛れて暗殺されかけた黒幕野郎である。最後の詰めを誤って大惨事なんて可能性は、全然ありえた。

 なので、そこをカバーする為の転ばぬ先の杖というわけである。

 流知(ルシル)は感心しながら飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を手に取り、

 

 

「そういうことなら、ささっと終わらせてしまいましょう。あ、薫織(かおり)。手が足りないので設計図をわたくしに広げて見せてくださいます? 見ながらでないとちゃんとイメージが湧かないので……」

 

「あいよ」

 

 

 『草薙剣』のレプリカをいじると、柄に当たる部分に蓋のようなものがあり、そこを開くとシキガミクスの内部構造が確認できた。流知(ルシル)は手早くそこに絵筆の槍を差し込む。

 そして薫織(かおり)が広げたものを目視確認し、

 

 

「……飛躍する絵筆(ピクトゥラ)、発動っ」

 

 

 ──劇的な現象は、何もなかった。

 するる、と何かが滑るような音が一、二秒ほどしたかと思うと、その音もすぐに止む。流知(ルシル)はさっと飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を解除すると、『草薙剣』の内部構造を確認して頷く。

 ぱん、と乾いた音を立てて木札に変わった『草薙剣』を掌に載せると、

 

 

「よしっ! これで完成ですわ!」

 

「ん。流石はお嬢様」

 

 

 頷く薫織(かおり)ににっこりと微笑んで、流知(ルシル)は『草薙剣』の木札を差し出す。こういうのは戦闘能力のある薫織(かおり)に持っておいてもらった方がいいだろう、という判断である。

 しかし薫織(かおり)は無言でその手を押し返した。

 

 

「……? どういうことですの?」

 

「いや、その札はお嬢様が持っとけ。自衛用になるだろ」

 

 

 これに目を丸くしたのは、流知(ルシル)だ。

 

 

「はぁ!? 何を言っておりますの!? こんなものを持っていたら逆に狙われるんじゃありませんの!?」

 

「『草薙剣』が本物なら並みのシキガミクスは返り討ちなんじゃねェの? ……なんにせよ、情報がどこから漏れるか分からねェんだ。(オレ)もなるべくお嬢様を守るが、いざって時の武器はあった方がいい」

 

「……あ、あまりにも物騒ですわ……」

 

 

 しかし、そう言われてしまっては全く武力を所持していないのもなんとなく怖い。流知(ルシル)はすごすごと木札を胸元にしまい込む。

 ちなみに、多くのシキガミクスはこうして木札にして服の内側など分かりづらい場所に仕込んでおくのが通例だ。どうせ霊気を巡らせればシキガミクスは術者の傍らに発現するので、どこにどう保管していても問題ないのである。

 もっとも、流知(ルシル)のようにべたな場所にしまっていたら発現前に攻撃を食らって木札そのものが破壊されて使用不能になるリスクもあったりするのだが──そもそも発現前に懐に直接攻撃を食らうような状況は死んだも同然という観点から、この辺りは誰も気にしていなかった。

 

 

「じゃ、(オレ)はクラスに戻るぞ。集会中に何か異常があったらすぐ拾うから」

 

「あっ、分かりましたわ……」

 

 

 言いたいことだけ言ってさっさと行ってしまう要件メイドの背中を見送ってから、流知(ルシル)は遅れて自分のクラスの方から友人たちが視線を向けていることに気付いた。

 

 

(はぁ……。薫織(かおり)ももうちょっと目立たない方法を選んでくれたらいいのに。アイツは人の目に無頓着すぎるよ)

 

 

 とはいえ、本人に人目を気にするという発想がなさすぎるのだから仕方がない。薫織(かおり)のそういうところが好きでもある流知(ルシル)としては、なんとも痛し痒しといったところなのだった。

 そうして自分のクラスの集団に戻ると、早速友人たちが声をかけてくる。

 

 

「……ねぇねぇ流知(ルシル)ちゃん。さっきの人って確かE組の園縁(そのべり)さんだったよね?」

 

流知(ルシル)ちゃんと園縁(そのべり)さんって……いったいどういう関係?」

 

「どうもこうも、ご主人様とメイドですわよ」

 

「ごしゅじんさま!?」

 

 

 げんなりとしながら、流知(ルシル)は生徒集会の開始を待つ。

 トンデモワードの出現に目を丸くした生徒達の様子は、流知(ルシル)にとっては気にもならなかった。──コイツもコイツで、大概である。

 

 

 


 

 

 

 生徒集会は、(つつが)なく進行していった。

 

 学長の言葉に、理事長の言葉。生徒指導担当からの注意事項に新年度の表彰者。連休後に始まる学園祭の準備についての予告etcetc...。諸々の式次を終え、最後に生徒会長の言葉となった、その後のこと。

 ざわざわ……というさざめきのような騒めきと共に、式が一旦停滞する。一分ほどそうして何も進行がないまま、流知(ルシル)も事態に困惑していたが──

 ズダッ!! と。

 真横に着地してきた黒橙のメイドに、思わず飛び上がったことで事態の進行は再開した。

 無言のままに流知(ルシル)を肩で抱えた薫織(かおり)は、そのまま体育館の外へと走り出す。

 

 

「なっ……なんですの!? 薫織(かおり)、どうしましたの!? 百鬼夜行(カタストロフ)ですか!?」

 

「あァ! クソ……(オレ)としたことが、抜かった!!」

 

 

 珍しく慌てた様子で薫織(かおり)が答えた瞬間、ぐぐっ、と地震のような揺れが、空間全体を波及していった。

 まるで胎動のような音をBGMにしながら、薫織(かおり)は言う。

 

 

()()()()…………(オレ)達を裏切りやがった!!」



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14 縛られた神秘

「あの、薫織(かおり)。……裏切りって……?」

 

 

 例によって俵のような形で、お尻を前に向けて肩に担がれながら。

 流知(ルシル)は戸惑いつつ、薫織(かおり)にそう問いかけていた。

 

 現在、暴走メイドは廊下を全力疾走中。それにしては流知(ルシル)のお腹にそこまで負担がかかっていないのが不思議だった。

 

 

「決まってんだろ。ピースヘイヴンの野郎だよ!」

 

 

 吐き捨てるように言って、

 

 

「昨日の段階で、もっと深く考えておくべきだった……!」

 

 

 流知(ルシル)を俵のように肩に担ぎながら、爆走するメイドは忸怩たる思いを滲ませながら呻いた。

 その様子にただならぬ非常事態の気配を感じつつ、流知(ルシル)は身をよじってなんとか顔を前方に向けようとしながら問い返す。

 

 

「何がですのっ?」

 

「何故、花蓮(かれん)の野郎がピースヘイヴンの計画の内容を知っているような口ぶりだったか、をだ。……あの時はそれどころじゃねェ危機が転がっていたから気にする余裕がなかったが……そもそも、『神様』っつったって別に全知全能って訳じゃねェだろ」

 

 

 それは、『原作』においても提示されている事実だ。

 『神様』は全知でも全能でもない。本質的には、ただ圧倒的な出力を誇るだけの『怪異の一種』。それが、この世界においての『神様』だ。

 だから、秘されていた事実を知っているならばそれは長い歴史からの推察であったり、何かしらの情報源があったり、さもなくば特有の霊能だったり──とにかく何かしらの『からくり』がある。無条件に何もかもお見通しというわけではない。

 そして。

 

 

「ヤツの霊能は、詳細じゃねェが概要が分かる程度には(オレ)も見たことがある。確かにほぼほぼ無敵みてェな霊能だったが、他者の頭の中を読み取って企みを全部問答無用で暴くようなモンじゃなかった。(オレ)はてっきり何かの繋がりで知ったモンだと納得しちまっていたが……」

 

 

 薫織(かおり)は真実後悔しながら、

 

 

「……そうじゃなかった。花蓮(かれん)側に特別な事情があったんじゃねェ。ピースヘイヴンの野郎が進めていた企みの方が、特別だったんだ」

 

 

 そう、断言した。

 

 

「会長の企みが……? あの、百鬼夜行(カタストロフ)の前倒しがですの?」

 

「『神様』に限らず、怪異ってのは存在の維持に霊気を必要とする。だから現世に存在する連中は生物、とりわけ人の霊気を取り込んでいるわけだが……『神様』は特別でな。連中は、大気中に残存している霊気を吸収することで存在を維持することができる」

 

「それは流石に覚えていますわよっ! それがどうしたんですの?」

 

「おそらく『神様』は、その生態上霊気の流れをある程度読むことができる」

 

 

 言われて、流知(ルシル)は思わず言葉に詰まった。

 

 

「……これは『原作』では明言されていねェ。『神様』は大抵独自の情報網を持っていたし、本筋に絡みづらい以上、作中でのそれらしい描写も『「百鬼夜行(カタストロフ)」前に意味深な表情で霊気が荒れていることに言及すること』くらいしかなかったからな。いわば……『裏設定』だ」

 

「『裏設定』……」

 

 

 流知(ルシル)が言葉を濁すのも無理はない。

 そもそもの発端となった『霊威簒奪』だって、そもそも裏設定という触れ込みで広まったデマだ。そんな『裏設定』がこの局面に来て重要な判断基準となることには、何か皮肉な因果を感じざるを得ない。

 

 

「つまり、花蓮(かれん)の奴がピースヘイヴンの計画について知った風な態度を取っていたのは、ピースヘイヴンの計画の全容を察していたからじゃあなく……『神様』の生態として、ピースヘイヴンの計画によって変容していた霊気の流れを把握していたからって訳だ」

 

「カガミサマが会長の企みを察知していた理屈は分かりましたわ。でも……それって結局、『百鬼夜行(カタストロフ)を前倒ししようとしていた』ことを知っていたってだけでしょう?」

 

「あァ。(オレ)も最初はそうかと思った。だがヤツはあの時こう言っていただろ? 『アナタが為そうとしていた「決着」には目を瞑る』って」

 

「…………?」

 

 

 意図が読めずに首を傾げる流知(ルシル)に、薫織(かおり)はさらに説明を重ねる。

 

 

「あの時点で周知の事実だった百鬼夜行(カタストロフ)の前倒しをわざわざ濁した言い回しで表現したことに違和感を覚えてたんだが……あの時点で、ヤツは『神様』としての感覚で霊気淀みの集積に何かしらの異常を検知していたんじゃねェのか」

 

「え……それって」

 

百鬼夜行(カタストロフ)のコントロール。おそらく、それがヤツの狙いだろう」

 

 

 薫織(かおり)は、端的に断言した。

 

 

 


 

 

 

 

14 縛られた神秘

>> SOOTY DIVINITY

 

 

 


 

 

 

 ──百鬼夜行(カタストロフ)とは、霊気淀みの濃度が一定を超えて、霊気が暴走する事象。その際に発生するのは、大規模な霊気の奔流による物理的な破壊と、大量の怪異の自然発生。

 発生する怪異は純粋な霊気の結合によって発生した妖怪、大量の霊気を浴びたことで器物が変質した化生、霊気の奔流によって命を落とした人間の幽霊。強さも種類も状況によるのでまちまちだが、場合によっては大怪異と呼ばれるような強力な個体が発生することもある。

 『原作』では、それによるピンチが何度かあったし、敵の黒幕が百鬼夜行(カタストロフ)によって命を落とした後幽霊の大怪異に変貌して第二ラウンドが始まる、なんてこともあった。

 

 

「短い付き合いだが……ヤツの人間性の一端くらいは(オレ)にも分かる。アイツは確かにカスでクズだが……意味のない破壊に意味を見出してバカ真面目に計画を打ち立てるような、どうしようもねェバカではねェ」

 

 

 そんな百鬼夜行(カタストロフ)によって発生する怪異を、任意で調整することができるとしたら?

 

 大量に怪異を発生させる百鬼夜行(カタストロフ)の霊気の奔流を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「あの野郎はおそらく……自分の思い通りの大妖怪を作り出す為だけに、百鬼夜行(カタストロフ)を引き起こそうとしている」

 

「そ、そんなこと、できるわけ!」

 

 

 反射的に流知(ルシル)が言い返したのも、無理もない。

 百鬼夜行(カタストロフ)の原理を考えてみれば分かるだろう。そもそも、百鬼夜行(カタストロフ)で怪異が生まれるのだって大規模な霊気によって偶発的に引き起こされる事象なのだ。原始の海に落ちた雷で、偶発的に原始生命が生まれるようなもの。

 これを狙ってやろうというのは、原始の海に雷を堕とすだけで海に複雑な脊椎動物を生み出そうと言っているようなものだ。

 まさに、神の御業。

 しかし。

 

 

「できねェと、言い切れるか? 相手はこの世界の法則を作り出した張本人だぞ」

 

 

 陰陽術を極めた不老。高性能なシキガミクス。確かに確定していたはずの死の回避。

 見え隠れしている事象を並べ立てるだけでも、ピースヘイヴンがこの世界でも有数の猛者なのは分かる。それを考えれば──可能性は大いにあると言えるだろう。

 そしてこの推論が正しいなら、ピースヘイヴンが出番になっても現れなかったのは百鬼夜行(カタストロフ)の発生現場でその動きを精密に調整しているから──ということで、一連の流れにも筋が通ってしまう。

 

 

「で、でも望み通りの怪異を生み出せたとしても、怪異は怪異ですわよ? 狙い通りに動くとは限らないのではなくって……?」

 

「おそらく、『封印型』にでも取り込むつもりだろうな。元を正せば、それが()()()()()()()だし」

 

 

 流知(ルシル)の懸念に、薫織(かおり)はあっさりと返す。

 

 ──シキガミクスは、『怪異の再発』に対する抑止力として発明された。では、それが具体的にどういう機能を以て抑止力とされたのか?

 その答えが、『封印型』と呼ばれる運用方式(タイプ)である。

 怪異は、特定の条件を満たすことで何かに封印することができる。『神様』をその身に封印している久遠の例がその典型だが──かつては現人神や人柱と呼ばれた『それ』を現代のロボット工学を用いて再現したのが、原初のシキガミクスであった。

 原初のシキガミクスは何らかの方法で弱らせた怪異を機体に封印することでその霊能を人間の為に行使する『封印型』が主。現在主流となっている『陰陽師の霊能の使用補助・利便性向上』としての機能は、技術の発展に伴って派生したオプションに過ぎない。

 もっとも、ランダムに発生する怪異をリスクを負ってまで封印して運用するより術者の霊能をカスタマイズする方が圧倒的に安価・安全かつ強力ということで、今はほぼ廃れた運用方式なのだが。

 

 この流行り廃りについては、何かと例外の多かった『原作』においても、数えるほどしか例外はなかった。

 ただし、その数少ない例外があまりにも有名すぎるせいで、いまいち例外感が薄かったという評もあるのだが──。

 

 

「……つまり、神織(こうおる)さんと浄蓮(じょうれん)さんの再現ってことですの?」

 

「ああ。そういうことになるだろうな」

 

 

 神織(こうおる)悟志(さとし)と、浄蓮(じょうれん)

 それは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ウラノツカサ高等部一年、神織(こうおる)悟志(さとし)。彼の持つシキガミクスの運用方式は『封印型』。彼のシキガミクスには──『神様』にも届きうる大妖怪、『()()()()()()()()』が封印されている。

 

 

「既存の主人公とは異なる『軸』の獲得。……なるほど、こう表現すりゃあ世界を諦めちまった原作者らしい『決着』じゃねェか」

 

 

 新たなる主人公の資格の創出。

 即ち、かつてあった物語の完全なる放棄。

 霊気の流れを感知することによって、花蓮(かれん)がその前兆を前以て把握していたのであれば──それを彼女なりの『決着』と表現するのは納得がいく話だ。

 

 そこで薫織(かおり)は足を止めて、

 

 

「…………ってのが(オレ)の推論なんだが、どうだ?」

 

 

 地下鉄の島型ホームのような、太い支柱が幾つか立つばかりのだだっ広い廊下──その片隅でまるで幽霊のように希薄な存在で佇む女に、そう問いかけた。

 

 

『──概ね間違いありません。正解と言っていいでしょう』

 

 

 黒髪の巫女──花蓮(かれん)はただ目を伏せて、簡潔に答えた。

 そんな『神様』に向かって、薫織(かおり)はあくまで警戒を解かないままに問いかける。

 

 

「んで、愛しの久遠をほっぽってこんなところまで来た理由は? (オレ)達はこの先の百鬼夜行(カタストロフ)に用事があるんだがよ」

 

『──安心してください。私は貴方達のどちらにも肩入れするつもりはありませんよ』

 

 

 花蓮(かれん)は顔を上げると、真っすぐに薫織(かおり)の方を見て答えた。

 

 

『貴方達は、どちらに向かおうとしていますか?』

 

「……屋上。空から霊気淀みを確認して現場に出向くつもりだ。流石にこの鳴動だけじゃ位置までは分からねェからな」

 

『手間を省きに来ました。──それでは間に合わなくなる可能性があるので』

 

 

 そう言って、花蓮(かれん)はスッと横合いを指差す。

 

 

『第七体育館。虎刺(ありどおし)先生はあちらにいます。霊気の淀みがどんどん収束していますから、間違いないです』

 

「……アイツの肩を持つんだか、こっちの肩を持つんだか、はっきりしねェ態度だな」

 

『言ったはずですよ。私はどちらにも肩入れするつもりはありません、と。──あちらの計画を阻止せず見過ごす以上、それに釣り合う手助けをしているまでです』

 

 

 言い繕うような言葉のあと、花蓮(かれん)は目を逸らして、

 

 

『──私は、この世界に転生して救われました。己の魂を賭けてもいいと思えるくらいに大事な人との出会いを、永劫に渡って見守っていたいと思えるものを、与えてもらいました。そしてそれは、この世界を──「シキガミクス・レヴォリューション」を作ったあの方への恩です。だから──この世界に生きて初めて幸せになることができた私は、もしもあの方と巡り合えたなら、この力であの方の手助けをすると決めていました』

 

 

 話の内容は半分も薫織(かおり)には分からなかったが、想像はできた。

 三〇〇〇年も前に転生した転生者が、人間を辞めて『神様』になってまでこの世に生きている、その熱量。そこに思いを馳せれば──この『神様』がどんなことを考えているかはなんとなく予想できる。

 そしてそれは、『神様』として悠久の時を生きる彼女にとっては間違いなく希望だったはずだ。

 だが──現状が彼女の望んだ通りでないのは明白だろう。彼女がこの状況でしている『手助け』とは、その力によって恩人の望みを叶えることではなく──自分の意に添わぬ活動をしている恩人の所業を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ということでしかないのだから。

 

 そこまでを斟酌して、薫織(かおり)は端的に、

 

 

「くっだらねェな」

 

 

 そう、切り捨てた。

 

 

「ちょっと薫織(かおり)! 酷いですわよ!」

 

『良いのです、遠歩院(とおほいん)。図星である自覚はありますので』

 

 

 花蓮(かれん)への恐怖心から──というよりは、純粋な同情心から憤って見せた流知(ルシル)に対し、花蓮(かれん)は柔らかく微笑みながら答えた。

 

 

『少々、長く生きすぎたのかもしれませんね。──こうはなりたくないから、しがらみの類は最低限に抑えたつもりだったのですが』

 

「……まァ任せとけ。結局、これは生者の世界の問題だからな」

 

 

 疲れたように漏らす花蓮(かれん)に、薫織(かおり)は背を向けながら答える。

 ひらひらと手を振った薫織(かおり)は、廊下の窓に足をかけて、

 

 

「情報ありがとよ。助かったぜ、花蓮(かれん)

 

 

 そう言い捨てて、窓の外へと跳び立った。




特に深い意味はないのですが、覚えやすい感じにタイトルを変更しました。気軽にこういう調整ができるのもweb連載のいいところ。


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15 されど筆は踊らず

2022年最後の更新になります。


 ──第七体育館。

 部活棟の西側に配置されているその建造物を目の前にして、流知(ルシル)は身震いをする。

 

 

「こ……此処が百鬼夜行(カタストロフ)が起きようとしている現場なんですのね……! なんだか緊張してきましたわ……」

 

「お嬢様は(オレ)の後ろに。基本的には戦闘は(オレ)が引き受ける。……おそらく嵐殿(らしでん)のヤツも独自に行動しているだろうから、来たらそっちと合流して指示を仰ぎつつ行動してくれ」

 

「わ、分かりましたわ」

 

 

 いつもの粗暴な態度とは違う、テキパキとした指示。そこに薫織(かおり)の本気を垣間見たような気がして、流知(ルシル)は気後れしてしまう。……普段は異常メイドだのなんだのと言っているが、本質的に園縁(そのべり)薫織(かおり)は『一〇年間たった一人で陰陽師としてこの世界を生き抜いてきたプロ』なのだ。

 人間的な経験値も、陰陽師的な経験値も、流知(ルシル)とは文字通り桁が違う。本当なら、こういう場に流知(ルシル)がいること自体が場違いだと思えるほどに。

 

 

(……それでも私がこの場にいるのは、多分私のことを尊重してくれてるからなんだろうな)

 

 

 この粗暴なメイドは決してそれを認めようとはしないだろうが、流知(ルシル)はそう思う。

 世界の命運だとか、生命の危険だとか、そういうのはもちろん怖い。でも、友達である薫織(かおり)がたった一人でそういったものに立ち向かっているのを知っておきながら、安全な場所でのうのうと過ごしていたくない。

 普通ならそんな気持ちはわがままだと切り捨てられてしまうんだろうけれど、薫織(かおり)はそんなわがままを聞いた上で、最大限流知(ルシル)に寄り添ってくれる。それがありがたくもあり、ちょっとだけ申し訳なくもある。

 

 

(……い、いやいや! 昨日の伽退(きゃのく)さん戦の時みたいに、私の霊能が突破口になるかもしれないんだ。自分で言うのもなんだけど、飛躍する絵筆(ピクトゥラ)はトリッキーな霊能だから……何かのタイミングで、私の手助けが薫織(かおり)の助けになる可能性は常に否定できない!)

 

 

 相手は、原作者。

 どんなものが出てくるか分からないこそ、少しでも手札は多いほうが良い。流知(ルシル)はそう考えて、自らを奮い立たせる。

 

 

「あ~、良かった。間に合ったみたいねん」

 

 

 と。

 そうやって戦意を高めていた流知(ルシル)の背中に、聞き覚えのある声がかけられた。

 

 

「遅かったじゃねェか。先に行ってるところだったぞ、嵐殿(らしでん)

 

「んもう。着用型の薫織(かおり)ちゃんと一緒にしてほしくないな~。お姉さんってば生身で、しかもこの爆乳よん?」

 

 

 そう言って、今まさに駆けつけてきた少女──嵐殿(らしでん)はギリギリワイシャツでつなぎ留められている胸を両手で押し上げて見せる。言われてみると、頬に流れる汗を見る限り確かに急いで此処にやってきたことは間違いなさそうだった。

 薫織(かおり)は無駄に卑猥な台詞回しをしていることには一切触れずに、

 

 

「ともあれ、一緒に行動するならそっちの方がありがたい。お嬢様のことは任せてもいいか? (オレ)は相手の懐に潜り込んでからが仕事だからよ」

 

「え~……。薫織(かおり)ちゃん、そういう態度は流知(ルシル)ちゃんに良くないと思うな~」

 

「は……?」

 

 

 穏やかに、しかし非難するような色の嵐殿(らしでん)の言葉に、薫織(かおり)は意図を図りかねて一瞬間が空く。そこに流知(ルシル)が口を挟もうとした直前で薫織(かおり)ははっとした。

 確かに今の話の流れだと、『足手纏いの流知(ルシル)を邪魔にならないところに置いて行こうとしている』というように受け取られかねない。それでへそを曲げるほど流知(ルシル)は子どもではないが、変に気を張ってしまう可能性はある。──嵐殿(らしでん)がわざわざ話を混ぜっ返したのは、そのリスクを前以て潰す為だろう。

 薫織(かおり)は言わなくともそんなことは通じているだろうと考えてわざわざ口には出していなかったのだが──案外、そういうコミュニケーションの甘えから綻びというものは発生するものである。

 薫織(かおり)はあえて心外というような声色を作って、

 

 

「馬鹿、そういう意味じゃねェよ。お嬢様はこっちの切り札(ジョーカー)だ。対して(オレ)は切り込み隊長。同じ場じゃ運用できねェから、その間の安全をお前に守ってくれって言ってんだ」

 

「あ、そうだった~? ひょっとしてお姉さん野暮なこと言っちゃったかしらん?」

 

 

 『ごめんなさいね~』とにっこり微笑んで、嵐殿(らしでん)はあっさり引いた。実際のところ指摘は図星だった薫織(かおり)は、少し気まずそうに流知(ルシル)には見えない形で目礼した。

 当の本人は、いつものように感情の読めない笑みを浮かべているだけだったが。

 

 

「でも、これから立ち向かう相手は、こういう些細な綻びも利用してくる相手だってこと、忘れないようにね。…………冷的(さまと)ちゃん達は、実際にそれで仲間を失っているんだから」

 

「は、はい……」

 

「了解」

 

 

 噛んで含めるような嵐殿(らしでん)の忠告に頷き──それから、三人はそれぞれ行動を始める。

 行く先は、ピースヘイヴンの待つ万魔殿。

 

 何が出てくるかは、全くの未知数だ。

 

 

 

15 されど筆は踊らず

>> WROUGHT MYSTIC

 

 

 

「やぁ! よく来たなぁ三人とも!!」

 

 

 ──と身構えていた薫織(かおり)だったが、体育館に入った直後にステージの上からそんな声をかけられた時は、思わずずっこけそうになってしまった。

 

 

「……って、柚香(ゆずか)はどうした? てっきり一緒に来たものと思っていたんだが……なんだ、外しちゃったじゃないか。こういうのは一緒に来てくれないと困るぞ。恥ずかしいだろう」

 

 

 ステージの上の演台に腰かけたピースヘイヴンは、そう言って口を尖らせる。その頭上には──世界という絵画を水で溶かしたような空間の歪みが。

 対するメイドご一行は──薫織(かおり)流知(ルシル)の二人きりで、一緒に来ていたはずの嵐殿(らしでん)はそこにはいなかった。

 

 

「大体、想像はつくがね。正面から園縁(そのべり)君が、背後から柚香(ゆずか)が挟み撃ちにする手筈だろ?」

 

 

 そんなことを言うピースヘイヴンからスライドするようにして、紳士服姿の男が現れる。

 否──それは男ではなかった。紳士服然とした意匠をしているが、カメラの瞳にスピーカーの口、機械的なパーツによって形作られたその相貌は、それがシキガミクスだと雄弁に語っていた。

 

 

「一応、礼は言っておこうかな。ありがとう。実は伽退(きゃのく)君が反逆しようとしていたタイミングが私にとってはかなり困るタイミングでね」

 

 

 紳士服姿のシキガミクス──崩れ去る定説(リヴィジョン)がステージから飛び降りるのを尻目に、ピースヘイヴンはそう言って語り始める。

 

 

「何せ、予定では百鬼夜行(カタストロフ)は全校集会の最中に発生することになっていた。この時間に全校集会で大量の洗脳を行われてみろ。彼女達の反乱を許せば、私の計画が失敗する可能性はかなり高かった」

 

 

 だからこそ、生徒会役員の半分を学生牢送りにすることになったとしても、ピースヘイヴンは昨日のうちに反乱分子を鎮圧しておく必要があった。その為の即席の手駒として、利害が一致した薫織(かおり)達を利用した訳だ。

 

 

「しかし、あそこまで鮮やかに解決してくれたのは助かったよ。お陰で反乱のせいで微妙に完了していなかった計画の下準備を無事に終えることもできたからね」

 

「……百鬼夜行(カタストロフ)の誘導、か?」

 

「凄いな。もうこちらの目的まで読まれていたか。そう。私の目的は、百鬼夜行(カタストロフ)による怪異の生成の『精密操、」

 

 

 そこまでピースヘイヴンが口にした直後のことだった。

 

 

 ゴバッ!!!! と、ピースヘイヴンの頭上の天井が崩落する。

 否、それは崩落というよりは──

 

 

『グワァァアアアアアアアアアアアアウッッッ!!!!』

 

 

 狼頭の獣人の両拳による、『破砕』だった。

 

 半径五メートル。

 人間の膂力では回避しきることが不可能なほどの範囲の天井が『破砕』されて降り注ぐ。その立役者は──

 

 

「さぁて…………終わらせに来たわよん! トレイシーちゃん!!」

 

「天井抜くとか、不意打ちに許されるスケール感じゃないだろ……!」

 

 

 嵐殿(らしでん)柚香(ゆずか)

 ダークグレーの長髪を重力に靡かせながら、己のシキガミクスの背に乗った彼女は頭上からピースヘイヴンを強襲した。

 そして、そのタイミングが戦闘の合図となった。

 

 

「通常の回避や防御では防ぐことができない範囲攻撃──こちらの正体不明の霊能を使わせる手筈、といったところか。だが、甘いな!」

 

 

 言葉と共に。

 ピースヘイヴンは、まるで猛獣のような身のこなしでステージ上から飛び降り、あっさりと嵐殿(らしでん)の攻撃範囲から逃れてしまう。

 

 

(なんだ……? あの敏捷性は人間の限界を超えてるぞ。……まァ相手は原作者だ。何があってもおかしくはねェ、か)

 

 

 突然の機動性強化に少なからず混乱する薫織(かおり)だったが、そこであえて彼女は思考を止める。

 まだ、情報は全く出揃っていないといっても過言ではない。此処で混乱するよりも、ある程度情報が出揃うまで一旦思考は棚上げしておくべきだ。

 

 

(……なんにせよ、当初の作戦でもあった『不可避の不意打ちでピースヘイヴンの霊能を使わせる』策は失敗だ。次は『シキガミクスと術者の分断』だが……)

 

 

 多対一ならば、術者とシキガミクスを分断するのが対陰陽師戦でのセオリーである。陰陽師を超常たらしめるのはシキガミクスであり、術者が最大の弱点となるからだ。

 ただ、薫織(かおり)は当初の作戦通りにピースヘイヴンと崩れ去る定説(リヴィジョン)の分断に動けずにいた。

 

 

(…………もし、仮にピースヘイヴンが術者自身を自分のシキガミクス以外の『着用型』シキガミクスで強化していたとしたら。ヤツはおそらく霊力が許す限り、今みたいな機動で動き回ることができる。……そんな状況で(オレ)が分断に動いたタイミングで流知(ルシル)を狙われたら終わりだ)

 

 

 シキガミクスは一人の術者につき一機までがセオリー。

 だが、それはあくまでもセオリーの話だ。複数の専用シキガミクスを設計することができないだとか、同時に複数の異なるシキガミクスを運用する思考リソースがないだとか、維持コストが莫大にかかるだとか、操作に必要な霊力の問題で短時間しか実現できないだとか、そうした現実的問題がその理由であって、別に『一人につき一機しか使えない』という確たるルールがある訳ではない。

 そうした技術的問題を克服することができれば──もっとも『原作』にそれを克服した者はいなかったが──理論的には一人が複数のシキガミクスを運用していてもおかしくはないのだ。

 

 

『ガルゥゥアアアッ!!!!』

 

 

 そこで、嵐殿(らしでん)のシキガミクスが瓦礫の破片を崩れ去る定説(リヴィジョン)目掛け投げつける。

 拳のみで体育館の天井を破砕したその膂力は凄まじく、崩れ去る定説(リヴィジョン)は両腕を交差させて防御する。

 薫織(かおり)は、その隙を逃さなかった。

 

 ドシュ!! と、嵐殿(らしでん)の攻撃に合わせるようにして、ピースヘイヴンの太腿にナイフが投擲される。これはピースヘイヴンの常人を遥かに上回るスピードの蹴りによって弾かれたが──これは薫織(かおり)にとっても想定通りのことだった。

 直後、木目の床をめり込ませる勢いで踏みしめた薫織(かおり)は、そのまま反作用でピースヘイヴンへと接近していく。

 

 

「おいおい、こっちは術者だぞ。少しは加減しようとは思わないのか?」

 

「抜かせ、インチキ野郎!」

 

 

 両者の間合い、二メートル。

 『着用型』においては一触即発の間合いで薫織(かおり)はダン!! と地面を踏みしめる。人外の膂力で踏みしめられた木目の床が、まるで水飛沫の様に木片を散らし──さらに、体の陰に隠していた右手からナイフが放られる。

 ピースヘイヴンの頭部を狙った一投は、首をひねることで簡単に回避されるが──直後。

 ボファ!! と、その背後で、真っ白い煙の塊が生じる。

 

 

「!?」

 

 

 突然の異常に目を剥くピースヘイヴンだったが、すぐさま状況は把握できた。

 

 

(そうか、わざわざ大仰な動作で地面を踏みしめたのは聴覚と視覚の両面から隠れた行動を悟られない為のブラフ! 本当の目的は体の陰で『取り寄せ』た小麦粉を、こちらの視界の外を通して後ろに投擲することだったか!!)

 

 

 ナイフの投擲は、ピースヘイヴンへの攻撃ではなく小麦粉の袋を破壊して煙幕として撒き散らす為の策。

 そしてそこまでして成し遂げたかったのは──ピースヘイヴンと崩れ去る定説(リヴィジョン)の分断だろう。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)の膂力と敏捷性は、どう考えても至近操作使役型のそれ。つまり目視操作ができなくなれば操作性は大幅に落ちる──というところなのだが。

 

 

「分断それ自体は予想できていても、このやり方は想定できなかっただろ。動揺が動きに出てるぞ、黒幕サマ!!」

 

 

 一瞬の動揺。

 その隙を突くようにして、薫織(かおり)がピースヘイヴンに肉薄する。

 腰をくるりと回して勢いをつけた右足が、ピースヘイヴンの側頭部に直撃し──

 

 

 ──次の瞬間、薫織(かおり)は床に転がっていた。

 

 

「……な、」

 

 

 薫織(かおり)がそのままピースヘイヴンの追撃を受けなかったのは、殆ど反射的に彼女がそのままハンドスプリングのような勢いで体勢を立て直して咄嗟に距離を取り直したからだ。

 そうでなければ、今頃倒れた薫織(かおり)の頭はピースヘイヴンの追撃で床にめり込んでいたことだろう。

 

 だが、薫織(かおり)の動揺はこの時ピークに到達していた。

 

 

(馬鹿な!? 今、確かに(オレ)の足はピースヘイヴンに直撃していた! 手応えもあった! にも拘らず、次の瞬間には俺が床に倒れていた!! ……ダメージを受けたのは右脇腹か。蹴りを躱されてノーガードの脇腹に拳を撃たれた……って感じだが)

 

 

 体勢を立て直した薫織(かおり)は、そのまま白煙を背にしたピースヘイヴンを見る。平然と佇む彼女には、頭部を思い切り蹴られた直後にはまったく見えなかった。

 

 

(……ダメージがない。回復したというよりは、ダメージ自体をそもそも受けていないって感じだ。……無敵……いや、()()()()()()()()()()()()……?)

 

 

 薫織(かおり)は口元を拭って、

 

 

「随分重い一撃を放ってくれるじゃねェか。ただの術者じゃできねェ芸当だぞ。シキガミクスを纏っている(オレ)に生身でダメージを与えるってのは」

 

「生身ではないからな」

 

 

 そう言って、ピースヘイヴンは制服の襟をぐっとひっぱってその下を見せる。

 そこにあったのは乙女の柔肌──ではなく、木目の『何か』だった。

 機械的な意匠ではあるものの、どこか末期患者の腫瘍めいた不気味さを伴うそれ。ピースヘイヴンは少しだけ自慢げにしながら、

 

 

「着用型汎用シキガミクス『MM-Terminal_Scarface』。以前、ミスティックミメティクス社に開発協力した時にできた代物でね。かつての歴史ではついぞ実装されなかった着用型の汎用シキガミクスだよ。……もっとも、扱いが難しすぎて私にしか扱えず、結局この試作品を作ったきりで開発打ち切りになった失敗作だけれど」

 

「……末期型人面瘡(Terminal_Scarface)、ね……。開発打ち切りになったのはそのセンスのせいじゃねェのか?」

 

 

 ブラックユーモアにしても笑えねぇぜ──と吐き捨てながら、薫織(かおり)は両拳を掲げてファイティングポーズをとる。

 それに応じるようにして、ピースヘイヴンもまた構えた。

 

 

「自前のシキガミクスに加えて汎用シキガミクスの操縦か。随分大変そうじゃねェか。持つのかよ?」

 

「心配してくれるのか? ありがとう。だがそれには及ばないさ。消耗はまぁまぁ大きいが、汎用シキガミクスと専用シキガミクスの同時運用程度なら二〇分は持つ」

 

(……後ろのシキガミクスを動かしながらどうやって(オレ)を相手にしてんだって聞いてんだがな……!)

 

 

 歯噛みする薫織(かおり)だが、相手は規格外の化け物。不可能を可能にしているくらいで驚いていては、思考を周回遅れにされている良い証拠だ。薫織(かおり)は懸念は全て一旦脇に置いて、目の前の事実だけを見据える。

 

 ピースヘイヴンは、攻撃を『なかったこと』にできる。

 ピースヘイヴンは、こちらに認識されないうちに攻撃を放つことができる。

 ピースヘイヴンは、シキガミクスを操縦しながら術者での戦闘をこなすことができる。

 ピースヘイヴンは、着用型のシキガミクスを持つ薫織(かおり)と同等に動くことができる。

 

 つまり。

 

 

(分断してもなお、条件は五分……いや、霊能の分こちらがかなり不利……だな)

 

 

 先ほどから音沙汰が一切ない白煙の先の戦場を考えても、あまり状況は芳しくないだろう。率直に言って、戦況はかなり不利。それが客観的に盤面を見渡した事実だった。

 その事実を認識しながら、薫織(かおり)はそれでもなお攻撃的な笑みを浮かべる。

 

 

「上等だ。相手にとって不足なし。メイドの底力ァ見せてやるぜ、原作者ァ!!」

 

「……フフ、望むところだよ、読者君!」

 

 

 第二ラウンド。

 両者の衝突が、再び始まる。






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画:柴猫侍さん(@Shibaneko_SS

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画:丸焼きどらごんさん(@maruyakidragon

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16 破局

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。


 ──薫織(かおり)がピースヘイヴン本体と相対していたのと、ほぼ同時刻。

 

 天井を破砕してピースヘイヴンを襲った嵐殿(らしでん)は、崩落によって発生した粉塵の中、ピースヘイヴンのシキガミクス──崩れ去る定説(リヴィジョン)を見据えていた。

 術者が薫織(かおり)と相対している以上、崩れ去る定説(リヴィジョン)の操作はほぼ不可能──というのが常識的な判断。そうした前提があるにも拘らず、嵐殿(らしでん)は己のシキガミクスを伴わせたまま、間合いを測るようにして沈黙を保っていた。

 

 

『ガルゥゥアアアッ!!!!』

 

 

 と、そこで嵐殿(らしでん)のシキガミクスが沈黙を破るかのように瓦礫片を崩れ去る定説(リヴィジョン)へと投擲する。

 それから、事態は急速に動いた。

 亜音速の瓦礫片を前に両手を交差させた崩れ去る定説(リヴィジョン)は、そのまま瓦礫を地面に弾き落とす。そのタイミングに合わせる形で、薫織(かおり)がピースヘイヴンの視界の外側を通るような形で、薫織(かおり)が小麦粉袋を山なりに放り投げた。

 嵐殿(らしでん)はそれを崩れ去る定説(リヴィジョン)の背中越しに確認すると、ステージの上から軽やかに飛び降りる。そして、相手の意識を自分へ縫い留めるように話しかけた。

 

 

「さて……本体じゃないのはちょっと残念だケド、お姉さんと一緒に遊ばない?」

 

『……………………』

 

「あら、シカト? 悲しいわねぇ~。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 単なるシキガミクス。

 ──そのはずの機体に、嵐殿(らしでん)はまるでピースヘイヴンに呼びかけるように声をかける。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)が非常に人間らしい所作で肩を竦めたのは、その後だった。

 

 

『まったく、驚かせてやろうと思ったのに。仕掛け甲斐のないヤツだよ』

 

「仕掛けは『封印型』、でしょう?」

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)の口のスピーカーから流暢な言葉が聞こえたことへの動揺は、一切なかった。

 言い当てられたその言葉に、崩れ去る定説(リヴィジョン)はぴくりと反応する。

 その直後。

 

 ボファァッ!! と白い煙が爆発のように広がった。

 

 薫織(かおり)が投擲した小麦粉が、その後にさらに投擲されたナイフに突き破られて撒き散らされたことによるものだ。フレンドリーファイアや逆用を警戒した薫織(かおり)によって、ナイフ自体はその後すぐに解除されているようだが。

 ──術者とシキガミクスの分断。そのセオリーが遂行されたことに気付いた崩れ去る定説(リヴィジョン)は、呆れた様子で首をかしげて言う。表情など存在しないはずなのに、妙に人間的な所作だった。

 

 

『…………狙ったか?』

 

「まぁね」

 

 

 嵐殿(らしでん)は悪戯っぽく笑う。

 

 

 ──『封印型』。

 シキガミクスの原初の形。怪異をシキガミクスの機体に封じ込めることで、その霊能を人間が自在に運用できるようにする運用方式(タイプ)

 それが、この世界における原則だ。

 

 

「……自分の魂魄の一部を封印しているのね?」

 

 

 だが、あらゆる原則には例外が存在する。

 『シキガミクス・レヴォリューション』という物語は、特にそうだった。

 

 

『術者の人格に寄せた高度なAIを組み込んだ自動操縦型という可能性もあるだろう。作中でも簡単な条件に従って動くシキガミクスは登場させたはずだが、封印型だと判断した根拠は?』

 

「そこまで高度なAIを開発する工学的技術力がない。そもそもアナタは陰陽術の世界的実力者という()()であって、シキガミクスそのものの工学的技術力水準では他の技術者とそう変わらないもの。まぁ精々、大天才ってところかしら?」

 

 

 嵐殿(らしでん)はやれやれと言った感じでお手上げのジェスチャーをしてみせる。

 原作者という下駄がなくとも大天才。確かにお手上げと言いたくもなるだろう。

 

 

「他方、自分の魂魄の一部を封印する『封印型』なら、完璧に自分の思考を持った手駒を増やせる。それに何より、『作中的にはとっくに使い古しの技術を応用した驚異の新技術』なんて例外大好きのアナタらしいやり口じゃない」

 

『結局決め手はメタ読みか。作者からしたら、あまり歓迎できない読者だな』

 

「私は制作側(イラストレーター)なもので」

 

 

 短く言い切った嵐殿(らしでん)の言葉の裏に、どれほどの感情が横たわっていたか。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)は、それ以上無意味な否定を挟まなかった。

 

 ──通常、『封印型』は怪異を封印する運用となる。

 だが、そもそも怪異とは霊気の淀みから生まれるもの。つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言い換えることもできる。

 そして、霊能を操り、怪異が好んで襲い、そして幽霊という種別の怪異に変貌することからも分かる通り──人間の魂魄は、霊気によって構成されているものである。ならば、その一部を分割して封印することで『術者と同じ自我を持つシキガミクス』を構築することもまた可能なのは、当然の帰結。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)が至近操作使役型の中でも最高クラスの格闘性能を持っているにも拘らず、カメラとスピーカーを有し、術者と隔離されてなお自在に動けるのは、そういうからくりがあったのだった。

 

 

「………………」

 

『………………』

 

 

 二人の間に、数瞬ほどの沈黙が流れるが──やがてゆっくりと、嵐殿(らしでん)のシキガミクスが身を低くして戦闘態勢をとる。

 狼頭の意匠に相応しい野性味ある動きを始めた機体に応じるように、崩れ去る定説(リヴィジョン)もまた拳を構えた。

 

 

「一つ、言っておくわ」

 

 

 言葉と同時に。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()

 

 

「アナタが本当に野望を成し遂げたいなら、私を殺す気で来なさい。まぁ、アナタに殺されてあげるつもりなんて毛頭ないけれど」

 

 

 そして。

 薫織(かおり)とピースヘイヴンの衝突の裏で、もう一つの戦闘が巻き起こった。

 

 

 


 

 

 

 

16 破局

>> CATASTROPHE BEGIN

 

 

 


 

 

 

 先手を打ったのは嵐殿(らしでん)の方だった。

 シキガミクスと術者、同じ姿となった一人と一機は、全く同じ速度で合流すると同時に、シキガミクスの方が崩れ去る定説(リヴィジョン)目掛けて細かい破片や砂粒を蹴りで巻き上げる。

 目潰しで眼前が遮られた一瞬。その間隙を縫うようにして、一方の嵐殿(らしでん)崩れ去る定説(リヴィジョン)へと走っていく。

 

 

(変身の霊能!! おそらく生徒会役員の思考から伽退(きゃのく)君の計画を知ったのはこの能力の応用……変身対象の記憶している知識や記憶も把握できるのか!! 霊能まで利用できるとしたらマズイな……。私に変身しないところを見ると何らかの制約はあるのだろうが、最悪この場で触れられたら私の霊能がバレるだけでなく、利用される可能性すらある!)

 

 

 その刹那、崩れ去る定説(リヴィジョン)は瞬時に思考を巡らせる。

 

 

(そしてこの局面で全く同じ姿に変身するということは、こちらを攪乱する狙い! 全く同じ身体能力になっているようだが、おそらくそれはブラフ! シキガミクスの方は本来のスペック通りに戦えると考えるべき!! つまり戦闘しながら常にどちらが『本物』かを記憶し続けていなければならないわけだが……)

 

 

 目潰しからの攪乱。注意深く観察していれば、どちらが本物かは判別できそうなものではある。しかし、その場が天井を破壊されてまだ間もなく、土煙が濛々(もうもう)と立ち込めていることを考えても──常人であれば瞬時に看破はできないだろう。

 そして、一瞬でも判断を迷えば意識の外から『亜音速の格闘性能』を保持した嵐殿(らしでん)が襲い掛かってくる。本体自身をベットしたあまりにもリスキーな策だが、そのリスクへの動揺も含め正常な対応は難しい。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)はそこまで嵐殿(らしでん)の狙いを看破して、

 

 

(だが、こちらの機体性能を甘く見てはいないか? シキガミクス技師としても大天才……君自身が言ったことだ)

 

 

 ──崩れ去る定説(リヴィジョン)は、どちらの嵐殿(らしでん)が本物かを既に看破していた。

 そもそも、顔面に備えられたカメラはメインカメラであると同時にデコイでもある。別に、人間と同じようにカメラが二つでなければいけない理由などない。機械の処理能力を持っている崩れ去る定説(リヴィジョン)は、実際には関節各部に仕込まれたカメラによって同時に複数の視点から周囲の様子を観察することを可能としていた。

 そしてその視点からは──本物の嵐殿(らしでん)がどちらか、はっきりと分かる。

 

 

(向かってきた方が本体! 向かってきた方をシキガミクスだと判断して警戒しても、本体だと看破して攻撃しても、どちらにせよノーマークのシキガミクスが襲い掛かってきて最低でも相打ちに持っていける二段構えの策か……だが、本体だと分かっていれば対応は容易い)

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)は向かってくる嵐殿(らしでん)本体の方へ対応するフリをして、おそらくその後方から強襲をしかけてくるであろう嵐殿(らしでん)のシキガミクスの方を警戒する。

 そして、殴り掛かる嵐殿(らしでん)の拳を片手でいなそうと崩れ去る定説(リヴィジョン)が右手を掲げた瞬間、

 

 

「…………『継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)』」

 

 

 ギュオ!! と、()()()()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()

 

 

『なッ、ば』

 

 

 一瞬のことだった。

 完全に想定外の事態に、崩れ去る定説(リヴィジョン)が目の前の現実を認識し終わる、その前に。

 

 嵐殿(らしでん)柚香(ゆずか)の右拳が、崩れ去る定説(リヴィジョン)の頭部を完全に破壊した。

 

 

 


 

 

 

 嵐殿(らしでん)柚香(ゆずか)が生来持っていた霊能は、『触れた人間に変身する』というもの。

 それだけでも十分有用な霊能ではあるが──嵐殿(らしでん)はシキガミクスを用いて、この霊能をとある形に調整する。

 その完成形が──『移植』であった。

 

 

『ガァルルルルルルルァァアアアア!!!!』

 

 

 ダークグレーの長髪をうねらせて、その美貌に似つかわしくない野生の唸り声をあげて嵐殿(らしでん)は拳を振るう。一発。二発。三発。四発。──最早数えることすらできないほどの、拳のラッシュ。

 一秒にも満たない時間の間に降り注ぐ拳打の雨によって、崩れ去る定説(リヴィジョン)は粉々のスクラップへと変貌する。完全なる再起不能を確認した嵐殿(らしでん)──正確にはその姿へと変身した継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)は、そこで手を止め、

 

 

『やあ』

 

「………………!?」

 

 

 刹那、嵐殿(らしでん)の思考が混乱する。

 シキガミクスの後方に控えていた本体・嵐殿(らしでん)の眼前には──

 

 ──今まさに破壊したはずの、崩れ去る定説(リヴィジョン)が佇んでいた。

 

 その機体には一つの破損もなく。

 そして、茫然としている嵐殿(らしでん)目掛け拳を引き絞り──

 

 

「っ、継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)!!」

 

 

 ガギン!!!! と、寸でのところで嵐殿(らしでん)はその拳を受け止めることに成功した。

 ──否、嵐殿(らしでん)ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『……「入れ替わり」か?』

 

 

 直前に殴り掛かった嵐殿(らしでん)の姿の継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)から視線を動かさず、崩れ去る定説(リヴィジョン)は言った。

 

 

「…………残念、ハズレよん」

 

『なら「移植」か』

 

 

 嵐殿(らしでん)柚香(ゆずか)のシキガミクス、継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)の霊能は『移植』。

 シキガミクスは術者が触れたことのある人間の姿を寸分違わず模倣することができる。そしてその状態で変身対象に触れることで、任意の部位を対象の部位と入れ替える形で『移植』するのだ。

 この『移植』によるダメージは発生せず、全く同じ肉体ゆえに拒否反応も発生しない。完全完璧な回復能力だが──術者たる嵐殿(らしでん)のみ例外的に、触れずに『移植』を行うことができる。

 

 そしてその奥義が、『全身移植』によるシキガミクスと術者の瞬間的な入れ替わりだった。

 

 

「残念、それもハズレ」

 

『そうか? まぁ良いよ。発生する事象は分かった。原理は問題じゃない』

 

 

 表情一つ変えずに嘘を吐く嵐殿(らしでん)だったが、崩れ去る定説(リヴィジョン)はさもどうでもよさげに切り返して、

 

 

『……いや、実際のところ、本当に危ないところだった。初見の、無警戒の霊能だったというのもあるが……知略の上では上をいかれていたよ。偶然本体が霊能を使っていなければ、私は完全に破壊されていただろうな。……向こうで霊能を使わされるほどに本体を追い詰めてくれた園縁(そのべり)君に感謝しなくては』

 

 

 脱力して言う崩れ去る定説(リヴィジョン)を避けるように、先ほどまで本体だったはずの嵐殿(らしでん)が信じられない身のこなしで跳躍して一方の嵐殿(らしでん)へと合流する。

 

 

(……また入れ替わったか。おそらく入れ替わりは瞬時、かつインターバルや回数の制限もほぼない。ネタが割れたとしても手強さはさして変わらないか。……厄介な(よくできた)霊能だな……)

 

 

 ──戦闘開始から、一〇秒が経過しようとしていた。

 白煙ももう掻き消え、ピースヘイヴンと薫織(かおり)の戦場も崩れ去る定説(リヴィジョン)の視点からよく見えている。それを改めて確認すると、崩れ去る定説(リヴィジョン)は声を張り上げる。

 

 

『随分余裕そうだな二人とも! 非戦闘員をこの場に置いておくなんて!』

 

 

 その声を聞いて、あまりにも激しい戦闘を目の前に竦み上がっていた流知(ルシル)がぴくりと肩を震わせる。

 

 

「あァ……!? あのシキガミクス、今自分で……」

 

園縁(そのべり)君! よそ見とは寂しいな!」

 

「チィ……!」

 

 

 薫織(かおり)がすぐさま口を挟もうとするが、ピースヘイヴンがそれを許さない。

 術者と自我を共有している崩れ去る定説(リヴィジョン)は己の目論見を本体も理解したのを確認すると、さらに言葉を続ける。

 

 

『それとも、私が彼女を狙わないとでも思ったか? 親近感を抱いてくれていることは喜ばしく思うが、楽観的だねぇ! 現状、戦況は私の方が優勢だ! 一瞬のスキを突いて彼女を殺そうと動くことは可能だし、そうすれば彼女を守る為に君達は高確率で痛手を負うだろう!』

 

 

 嵐殿(らしでん)は動けない。

 この挑発が、嵐殿(らしでん)の攻撃を誘発させるものだと分かっているからだ。──先ほどの攻撃を無効化された現象、あの原理が分からないうちには、攻撃しても嵐殿(らしでん)が追い詰められるだけになるのは間違いない。

 それを良いことに、崩れ去る定説(リヴィジョン)は悪辣な声色で流知(ルシル)に呼びかける。

 

 

『……こんな風に、ねぇ』

 

 

 言葉と同時に、崩れ去る定説(リヴィジョン)は隠し持っていた木片を横合いに投擲する。

 亜音速で空を引き裂く木片は、薫織(かおり)が投げたナイフによって簡単に弾かれ、あらぬ方向へと飛んでいくが──

 

 

「どういうつもりだ、コラ」

 

『こちらの台詞だが。……彼女のような非戦闘要員を戦場に連れ出して、狙われないとタカをくくる方が無責任だと思うよ?』

 

「……ナメやがって。いいか、流知(ルシル)は、」

 

 

 薫織(かおり)崩れ去る定説(リヴィジョン)に反論しようと声を上げた、その瞬間だった。

 流知(ルシル)は何も言わず、体育館の外へと走り出す。

 

 

「あの馬鹿……真に受けやがって!」

 

「おっと。行かせないよ、園縁(そのべり)君。もう少し私と遊ぼうじゃないか」

 

 

 流知(ルシル)を追おうとする薫織(かおり)だが、目の前のピースヘイヴンはそれを許してくれない。歯噛みする彼女の視界の端から、走り去る流知(ルシル)が消えていった──。

 

 

 


 

 

 

(…………どうして、会長は私のことをあんなにおどかしていたんだろう)

 

 

 一方。

 走り去った流知(ルシル)はというと、静かにそんな思考を走らせていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(私が非戦闘要員で、薫織(かおり)の弱点になりうるのなんて、私自身が一番よく分かっている……。それでも『いざって時』の為のジョーカーとして待機するのを決意したんだ。会長だってそのことは十分理解しているはず。だって、短い間とはいえ一緒に過ごしたんだもん。……そんなことも分からない人だとは思えない)

 

 

 結局は裏切られた関係だが、そもそも最初は黒幕として出会った間柄だが、それでも一緒に遊んだ仲として──流知(ルシル)は、既にピースヘイヴンのことが好きだった。

 その彼女が、流知(ルシル)の覚悟や決意を軽く見るような()()()()()()()()とは思えない。嘘つきで裏切り者で外道だが──ピースヘイヴンは良い人だ。それが流知(ルシル)の本音だった。

 だからこそ、あの悪辣に振り切れたような挑発がどうしても不自然だったのだ。まるで、流知(ルシル)のことをどうにかして怖気づかせて戦場から遠ざけたいかのような苦し紛れの脅しの数々が。

 

 

(……あのまま私が戦場にいたら、会長はたぶん困る状況だった。これは、きっと間違いないはず)

 

 

 流知(ルシル)はそこで、足を止める。

 そもそも体育館から一時逃げ出したのも、思惑通りの状況になったとピースヘイヴンに勘違いさせる為。自分の存在がピースヘイヴンにとって致命的になるならば、こっそり体育館に忍び込み直してしまえばいいのだ。だが、それよりも先にピースヘイヴンの思惑を読む必要がある。

 何故、ピースヘイヴンは流知(ルシル)のことを戦場から遠ざけたかったのか。

 

 

(私のシキガミクスに戦闘能力はない。だから、参戦されたら困るとかそういうのじゃない気がする……。だとすると、霊能関連? でも、今から準備をしてどうにかなるものなんて……、……あ!!)

 

 

 そこで、流知(ルシル)はようやく思い出した。

 

 

(私、馬鹿だ!! あるじゃん! 『草薙剣』が!!)

 

 

 己の懐にある──最大のジョーカーを。

 

 

(『草薙剣』があれば、百鬼夜行(カタストロフ)はキャンセルされる。妨害しようとしても霊気を相殺されるから、霊能が使用不能な隙が生まれてしまう……! 私が百鬼夜行(カタストロフ)を邪魔するだけで、会長はめちゃくちゃ困るんだ!! なんでこんなことに気付かなかったんだろう……!)

 

 

 そうと決まれば、あとはもう再度体育館に突入するだけだ。

 体育館には正面入り口の他に、準備室を経由する裏口が二つほど存在している。鍵を破壊するだけなら戦闘中のピースヘイヴンには気づかれないだろうし、準備室はステージのすぐ近くに繋がっている。そこからなら、おそらく誰にも気付かれずに百鬼夜行(カタストロフ)の霊気の淀みに接近することができるはず。

 

 

「えいっ」

 

 

 最大(二メートル)まで伸長させた飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を使い、流知(ルシル)は体育館裏口の扉の鍵を破壊する。

 いかに非戦闘タイプとはいえシキガミクス、通常の物質でしかない裏口の扉はあっさりと破壊された。

 

 

(……霊気の淀みに、近づくんだよね……)

 

 

 嵐殿(らしでん)が天井を崩落させてくれたおかげで戦場はステージから離れた場所になっているが、それでも体育館の入り口付近よりはずっと近くになる。もしかしたら流れ弾のようなもので負傷する可能性だってゼロではない。

 嵐殿(らしでん)の霊能を知らない流知(ルシル)にとっては、そこはかつて読んだフィクションの世界よりもずっと重たいリアリティを持つ危険区域だ。

 それでも。

 

 

(……私が上手くやれば、一気に状況を変えられる。最低でも会長の目的を潰すことができて、高確率で、生まれた隙を突いて会長を倒すことができる……!)

 

 

 ならば、やらない理由はない。

 裏口から準備室に入った流知(ルシル)は、飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を解除すると『草薙剣』を呼び出す。

 両手剣サイズの木剣はずしりと重たいが、流知(ルシル)は気にせずに準備室からステージへと移動していく。

 天井が崩落した薄暗いステージには、大きく空いた穴から差し込む太陽の日差しと、その風景を歪める直径三メートル程度の『空間の歪み』──霊気の淀みがある。

 ステージの下では、まだ薫織(かおり)嵐殿(らしでん)、ピースヘイヴンが戦いを繰り広げている最中だった。──もっとも、薫織(かおり)嵐殿(らしでん)も多少先ほどよりも負傷を重ねているようだったが。

 

 

(……!)

 

「ッ、流知(ルシル)!? 何してんだそんなところで!」

 

 

 真っ先に気付いたのは、流知(ルシル)に背を向けているはずの薫織(かおり)だった。おそらくメイド特有の感覚で流知(ルシル)の足音を察知したのだろうが、相変わらず常識離れした感覚である。

 

 

「会長!!」

 

 

 流知(ルシル)薫織(かおり)の言葉には答えず、手に持った『草薙剣』を掲げる。ピースヘイヴンの表情が強張るのを見て、流知(ルシル)は己の推測が正しかったことを確信した。

 

 

「アナタの野望は──これで終わりですわ!!!!」

 

 

 そしてそのまま、霊気の淀みへと『草薙剣』を放り投げ──

 

 

「やめろ流知(ルシル)!! それは罠だ!!!!」

 

 

 薫織(かおり)の言葉で、流知(ルシル)の思考は完全に停止した。

 しかし、もう行動は止まらない。我に返った時には既に、『草薙剣』は流知(ルシル)の手から離れていて──

 

 そして、霊気の淀みと衝突する。

 瞬間、霊気の淀み全体が一瞬鳴動したかと思うと、そのまままるで掃除機に吸い込まれるかのように『草薙剣』へと吸収されていった。

 

 後には、全てを呑み込みステージの上を転がった『草薙剣』だけが残る。

 

 

「…………え……?」

 

 

 何も、起こらない。

 薫織(かおり)の言葉に停止していた流知(ルシル)の思考が、徐々に動いていく。何も起こらないということは、『草薙剣』は霊気の淀みを消すことができたのでは?

 ──いや。

 『草薙剣』は、霊気を()()()()霊能を持つ。

 ならば、先ほどのような『吸い込まれる』動きはおかしい。あれはどちらかというと、『封印型』のシキガミクスに怪異が封印されるかのような──、

 

 

「く、はははっ」

 

 

 笑い声が。

 まさしく耐えきれなかったという風体の笑い声が、漏れた。

 

 

「はははははははっ!! ありがとう遠歩院(とおほいん)君! 君のお陰で!! 私の計画は完成した!!」

 

 

 笑い声の主は、今まさに投擲された『草薙剣』の設計図を描いた張本人であるピースヘイヴンだった。

 そう。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 そもそも、ピースヘイヴンは最初から薫織(かおり)達を裏切るつもりだった。であるならば──裏切るつもりの相手に、馬鹿正直に本物の『草薙剣』の設計図を渡してやる必要もない。

 考えてみれば当然の話だが──だからこそ、ピースヘイヴンはそこに至る思考の道筋を断つ策を打った。

 

「怖かったろう? 場違いだと思ったろう? それでも君は必死に仲間達の助力たらんと、自分が役に立てる要素を探したはずだ。私はそれに賭けた! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

 流知(ルシル)のことを執拗に挑発し、そしてわざと追い立てるような行動をとったのも、それが理由だ。あからさまに流知(ルシル)を遠ざけたい意思を匂わせれば、流知(ルシル)が思考の前提に『ピースヘイヴンは自分にあの場にいられたら困る何かを抱えていた』という情報を置くのは無理からぬことだ。

 そこさえ固まってしまえば、あとは間違った前提の上に推測を積み重ね──そして自らの手の中にある最大のジョーカーを見つけてしまう。

 

 

「正直なところ、私はかなり追い詰められていてね。伽退(きゃのく)君をはじめとした生徒会の半数が離反したことで、百鬼夜行(カタストロフ)誘導の下準備は結局完了できなかったんだ。だから一か八か……君の反則的な霊能によるショートカットに頼った。賭けだったよ。園縁(そのべり)君が君に『草薙剣』として偽装した起動トリガーを預けてくれること。君が私の威圧に屈せず戦い続けてくれること。君が私が仕組んだ罠に気付かないでいてくれること!! 随分薄氷の上に成り立った策だったが……私は勝った!!!!」

 

「あ、あ…………わ、わた、わたし……」

 

「聞く耳を持つなァッ流知(ルシル)!!!!」

 

 

 そこで、一陣の風が舞った。

 演説に夢中だったピースヘイヴンは無視して、薫織(かおり)はステージ上の流知(ルシル)のもとへと駆ける。

 

 

失敗(しく)った……! 『草薙剣』が罠であることなんか分かり切ってたってのに、その共有を忘れていた!! 嵐殿(らしでん)に事前に忠告されてたってのに……!!)

 

 

 もちろん、『草薙剣』が罠である可能性について、薫織(かおり)は最初から想定していた。何ならピースヘイヴンが裏切る前からその可能性を考えていたくらいだ。

 だから、ピースヘイヴンの裏切りが確定した段階で薫織(かおり)の中で『草薙剣』が使ってはいけないものであることは自明となっていた。だからこそ──薫織(かおり)はそれを『わざわざ言うことでもない』と考えてしまっていたのだ。

 ──少しでも綻びがあれば、この黒幕(ピースヘイヴン)はそこを突いてくる。それもまた、嵐殿(らしでん)から警告されていたことだったというのに。

 

 

(……だが、まだ終わっちゃいねェ。流知(ルシル)が此処にいるのは僥倖だ。霊気の淀みがシキガミクスに内包されているのも考えようによっちゃあこっちに有利。あとは流知(ルシル)さえ守り切れば──)

 

「あっごっ、ごめ、ごめんなさい……! 私、役に立とうと思って、とっ、取り返しのつかないことっ……」

 

「だから聞く耳持つなっつってんだろ! アレもアイツの話術だ! お前の心を折る為の! 現状はこっちの有利に進んでる!! お前がこっちの切り札なのは何一つ変わらねェ!!」

 

 

 とにかく流知(ルシル)を持ち直させる為の言葉を吐きながら、薫織(かおり)は状況を把握し直す。

 現在地はステージの上。背後には流知(ルシル)。眼前二メートルほど先に、百鬼夜行(カタストロフ)を内包した木剣。

 ステージの下には崩れ去る定説(リヴィジョン)とピースヘイヴン、少し離れたところに嵐殿(らしでん)と彼女の姿をした継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)

 

 

(……流知(ルシル)の精神状態を立て直す為には、(オレ)の策を伝えればいいが……今それをやると、ピースヘイヴンはマジで流知(ルシル)を潰しにかかる。…………できねェな)

 

 

 この状況では、秘密の内緒話をする余裕もない。何かを手渡そうものなら、ピースヘイヴンのことだしそれだけで流知(ルシル)のことを重要人物と見做して本気で狙いだすだろう。

 流知(ルシル)のことを利用するだけ利用したと思っているこの状況は、ある意味では非常に安全な状態でもあるはずなのだ。

 

 

(クソったれ……。マジで前以て言っておけば良かったことばっかりじゃねェか。流知(ルシル)にプレッシャーを与えねェようにと余計な気を回したのが完全に裏目に出てやがる……! ……いや、こんなもん結果論だ。終わったことに気を取られている時点で半ば敵の術中……! 切り替えろ、お前はメイドだろ!!)

 

 

 心の裡で己を叱咤すると、薫織の目の色がスッと平時に戻る。それを認めて、ピースヘイヴンは一瞬だけ忌々し気に眉を顰め、

 

 

「先ほど、君は私の狙いを『大怪異』の誕生と看破したが……これは正確には少し間違いでね」

 

 

 いかにも上機嫌といった調子で、そんなことを語り出した。

 謎の霊能によるカウンターを警戒して嵐殿(らしでん)が攻めあぐねているのを良いことに、ピースヘイヴンは続けて、

 

 

百鬼夜行(カタストロフ)を精密調整して望んだ怪異を生み出そうとしているという君達の見立ては正しい。ただし、それはただの怪異ではない。百鬼夜行(カタストロフ)の力を一点集中して、望んだ怪異を生み出せるならば……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 つまり、それは。

 

 

百鬼夜行(カタストロフ)により『神様』を生み出し、シキガミクスに封印する。……神織悟志のシキガミクスとなった『浄蓮の絡新婦』のようにな!」

 

 

 大妖怪を操る少年──を超える。

 主人公の、上位互換。

 

 計画の全貌を詳らかにした黒幕は、次にこう宣言した。

 

 

「さあ、唯神夜行(ゆいしんやこう)の開幕だ」

 

 

 ────直後。

 木剣から迸った霊気の奔流が、薫織(かおり)の身体を貫いた。



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幕間-3 かつて見た夢の終わり

「終わったよ」

 

 

 ベッドの横の丸椅子に、男が腰かけた。

 さらりとした茶色い前髪が、目にかかる。それを指で払ってから、男はベッドを見ず、壁の方へ視線をやった。優し気な眼差しに、爽やかな笑み。一〇人に見せれば一〇人が好青年だと答えるような、完璧すぎて逆に胡散臭さを感じさせるような人の良さを感じさせる男だった。

 その横顔は、不思議な若々しさを感じさせる。年の頃は三十路を間近に控えているというのに、見た目には一〇代かそこらにしか見えない。

 ベッドの上で横たわる痩せぎすの男と比較して、まるで生命を吸っているかのような美しさだった。そんなことを言われれば、きっとこの男は困ったように苦笑するのだろうけれど。

 

 ──ピッ、ピッ、という電子音が、まるで返事みたいに室内に響いた。

 

 

「まったく、仰々しいったらありゃしないとは思わないかね」

 

 

 ややあって、ベッドの上から言葉が返ってきた。

 痩せぎすだが、それでもなおギラギラとした迫力を持った男だった。腰かけた青年とは対照的な、少年のような溌溂さを称えた笑み。しかしその活力は、まるで身体から魂が抜け出る直前のような不吉さを見る者に感じさせる。

 肩程まで伸ばされた硬質な印象の黒髪も、濃紺の瞳の輝きも、瘦せ衰えてなお在りし日の力強さを思い起こさせるには十分だった。

 

 

「今時心電図モニターなんて、終末期の患者に使うかね。看取る遺族の心理的負担になるから、もう死が見えてる患者には使わないのがセオリーだって聞いたぞ」

 

「仕方がないだろ。お前の命はそれだけ大事なんだ。自覚してくれよ、虎刺(ありどおし)看酔(みよう)先生」

 

「分かっているよ。全くイラストレーターだっていうのに編集者みたいだな、お前は」

 

 

 そう言って、虎刺(ありどおし)看酔(みよう)と呼ばれた男は、静かに目を閉じた。

 横に座る青年の表情が、にわかに固くなる。ただ、これはいつものことだった。いつもだ。目を瞑るたびに、そのまま目を開けなかったらどうしようという不安に襲われる。口を閉じたまま、二度と口を開かなかったらどうしようという恐れに呑まれる。青年にとっては日常茶飯事だった。

 

 

「……キャラデザ、ありがとうな。シロウ」

 

 

 青年は、オオカミシブキというペンネームで、イラストレーターとして活動していた。

 本名は、伊上(いかみ)士狼(しろう)といった。

 

 

「……やめろよ、トラ。礼なんて今まで言ってなかったろ」

 

「仕方ないだろう! なんだか最近本当に……色んなことが有難く感じるんだ。礼を言わずには、いられない。死期(トシ)かね」

 

 

 そう言って、虎刺(ありどおし)は息を吐くように笑った。

 虎刺(ありどおし)看酔(みよう)──その本名は、有村(ありむら)虎仁(とらひと)。彼のことをよく知る者──士狼(しろう)などは、彼のことを『トラ』と呼んでいた。

 二人は、高校時代からの親友だった。

 

 

「……まだお前も若いだろ。これからが長いぞ。覚悟しておけよトラ。今にベッドの上で米寿を迎えるハメになるからな」

 

「勘弁してくれ。床擦れで背中の肉が全部抉れてそうだ」

 

 

 ハッと軽い調子で笑い、それに合わせて士狼も笑う。

 客観的には、ちっとも笑えるような話ではない。ただ、二人は少しだけ、病室を漂う重苦しい空気が軽くなったような気がした。

 

 

 ──『シキガミクス・レヴォリューション』は名作だ。

 原作小説は一巻が発売されてから間もなく重版出来。コミカライズは飛ぶ鳥落とす勢いで、とんとん拍子でアニメ化、映画化、各種スピンオフの展開──人々はその奥深い世界観と濃密な人間関係から織りなされるストーリーに心を奪われた。

 後世の評論家は口をそろえて言う。

 『シキガミクス・レヴォリューション』は名作だ。あえて欠点を挙げるとするならば──

 

 ──その物語が、作者の手によって最後まで紡がれなかったことだろう、と。

 

 

 有村(ありむら)虎仁(とらひと)は、死病に侵されている。

 その病の名がなんであるかは、この際問題ではない。重要なのは、この男が病魔によって余命幾許(いくばく)もなく、そしてそれによって己が紡いだ物語を最後まで見届けることができない、ということ。

 ただ、『シキガミクス・レヴォリューション』は最早大きくなりすぎた。

 たとえ彼が死ぬとしても、物語の終着点は完成させておかないといけない。もはやこの物語の行く末は、彼一人の命の範囲を大きく超える広大な領域を左右するものとなっていた。

 

 だから彼は既に完結までの残り三巻分のプロットを用意していたし──それを受けて、士狼もキャラクターデザインやメカニックデザインなどの作業を進めていた。

 過去形なのは、それらの作業が士狼のやってくる前のタイミングで完了しており、今日彼がこの病室にやってきたのは、その報告も兼ねてという事情からだ。

 

 

「……思い返せば、長いようであっという間だったな」

 

 

 目を瞑りながら。

 寝物語を聞かせるような調子で、虎仁(とらひと)は話し始めた。

 

 

 ──出会いは、高校生だった。

 教室の隅で落書きをしている大人しい少年を捕まえて、『俺と一緒に創作しないか!?』と声をかけた破天荒な少年が、全ての始まり。

 たった二人で文芸部を立ち上げようとして見事に(定員割れの為)失敗し、勝手に空き教室を使って放課後に活動を始め。

 文化祭で勝手に同人誌を頒布するゲリラ活動をしては教師に怒られ、それでもめげずに続けていたらいつの間にか高校にファンができて文芸部の定員が集まってしまった──そんなバカげたエピソードが湯水のように湧いてくる、そんな青春。

 

 高校を卒業して大学に入ってからも、二人の交流は続いた。

 エロゲを作りたいと言い始めた虎仁(とらひと)の為に一からエロ絵の勉強をして、そうして発売した『雷想(らいそう)のリリス』は不思議なほどに大売れ。結局大学時代に四作も発売した。

 その過程で知り合ったサークルメンバーとの関係は、今も続いている。

 

 いよいよ大学も卒業というところでも、波乱はあった。

 士狼(しろう)がイラストレーターとしての道を進むことを決めた大学三年の秋。虎仁(とらひと)は洞窟文庫大賞で見事大賞を受賞し──そして、『シキガミクス・レヴォリューション』を世に送り出した。

 当然、イラストは士狼(しろう)に依頼された。虎仁(とらひと)は、あの時士狼(しろう)を誘ったのとまったく同じ笑みで『俺の小説には、お前の絵以外ありえないだろ!』と断言していた。

 

 それから瞬く間に八年の月日が流れた。

 資産の管理が杜撰すぎて危うく脱税しかけた虎仁(とらひと)を見かねて資産管理の為の会社を設立したり、エロゲ時代の業績(一応名義は分けていた)が何故か週刊誌にスキャンダルとして載せられたり、その影響で何故か『雷想(らいそう)のリリス』が全年齢版で販売されてアニメ化したり、とにかくいろいろなことがあった。

 そのたびに虎仁(とらひと)は楽しそうに笑い、士狼(しろう)は頭を悩ませつつもその後ろを追いかけていた。

 

 

「もう、パソコンに向かうこともできないが……士狼(しろう)のお陰でデザインもあがったし。あとは姉御先生が上手いことやってくれるだろう」

 

「…………ああ。そう、だな」

 

「あー、そう考えるとちょっと悔しいな。私が死んでからの分は、姉御先生だけのものだ。あの人の前をちょっとだけ先に行くのが楽しかったのに」

 

「…………そうだな。姉御先生は、ちょっと喜ぶだろうな」

 

「悔しいと言えば、そういえば番外編のネタもまだ幾つかあるんだよ。アニメの続きが出たら特典SSに使おうと思ってたんだが……プロットだけでも残しとけば良かったな。士狼(しろう)、後で話すからメモっといてくれないか? 私の死後にでも、関係者のネタにしてもらってくれ」

 

「…………ああ、いいよ。あとでメモとってくる」

 

「はー……。考えてみたら色々出てくるな、悔しいやつ。最後の三巻、最高の内容だったろ。『シキガミクス・レヴォリューション』の集大成だ! 絶対に全世界が『シキガミクス・レヴォリューション』色に染まる。色んなとこに協力してもらって、『シキガミクス・レヴォリューション』完結記念フィーバーみたいなの、やりたかったなぁ……」

 

「………………ああ。やりたかったなぁ」

 

 

 そこで。

 二人の男の言葉が、途切れた。

 

 

 押し殺すような呼吸の音。

 蜘蛛の糸のように細い声色のそれが、少しだけ連続して。

 

 やがて、虎仁(とらひと)が口を開く。

 

 

「無念だ…………!!!!」

 

 

 男の本音を表すような、ボロボロの涙声だった。

 

 

「見届けたかった……!! 私の、私達の作品の最後を……! その後も!! お前と新しい物語を作りたかった! しわくちゃのジジイになるまで……もっともっともっと……!!」

 

 

 顔を歪めて泣く親友を見て、士狼(しろう)も限界を迎えた。

 横たわる親友の手を手に取って、彼は言う。

 

 

「約束する」

 

 

 ぽつりと、しかし刻み込むような重さで、士狼(しろう)は断言した。

 そしてそのまま、泣きじゃくる親友の目を見据える。

 

 

「必ず、お前から預かった物語を最後まで紡ぎ切る。それで、いつか俺がお前のところに逝けたら……その時に、ゆっくり話させてくれ。お前が紡いだ物語が、どう終わりを迎えたのか。どれだけの人に読まれたのか。どれだけの人を驚かせて、喜ばせたのか。……そしたら、また二人で何か作ろう。シキレボでも良い。別の何かでも良いから」

 

 

 祈るように。

 願うように。

 

 夢見るように。

 

 

 

「また、二人で」

 

 

 

 

 ──オオカミシブキ。

 本名、伊上(いかみ)士狼(しろう)

 

 虎刺(ありどおし)看酔(みよう)の死後、その莫大な遺産の大半を投じて貧しいクリエイターの為の財団を設立する。この遺産の利子を使って設立された虎刺(ありどおし)賞はエンタメ小説界のノーベル賞とまで呼ばれるほどになり、多くのクリエイターの憧れの的となる。

 漫画版『シキガミクス・レヴォリューション』の完結後も精力的に活動し、多岐に渡るスピンオフ作品を含めた『シキガミクス・レヴォリューション』IP群の設定監修に協力するなど、コンテンツ運営にも終生尽力する。

 『シキガミクス・レヴォリューション』IP群が一応の落ち着きを見せた年の冬、自宅で眠るように息を引き取る。享年一〇八歳。遺骨は生前の遺言通り、虎刺(ありどおし)と同じ墓に収められた。

 虎刺(ありどおし)同様、生涯独身だった。

 

 

 


 

 

 

幕間-3 かつて見た夢の終わり

>> THE REGRET

 

 

 


 

 

 

 ──なんで、あの時伝えられなかったんだろう。

 

 二〇年経った今でも思う。なんで、と。

 

 

「トラ……! 俺達は……! まだ……!」

 

「悪いな、シロウ。もう……もう、やめにしたんだ」

 

 

 空色の髪をたなびかせたかつての親友は、悲しそうに笑っていた。

 世界を諦めたような笑みで、トレイシー=ピースヘイヴンになったかつての親友は言う。

 

 

「こんな世界を『保つ』為の努力をするのは……!」

 

 

 最初に巡り会えた時に、話すべきだった。

 俺達が紡いだ物語が、どうやって終わりを迎えたのか。どれだけ、読んだ人々を笑顔にしたのか。長い長い旅路の話を──いの一番に伝えるべきだった。

 

 

『お前も知ってるだろう? 今、かなりヤバイ状況だからな……。だから、その話は後にしよう。全部落ち着いて、安心して世界が回るようになって、平和になった世界で、ゆっくり聞かせてくれよ』

 

 

 そう言って笑う希望に満ち溢れた横顔に、夢を見てしまったのだ。

 似合わなくも美少女になってしまった二人で、平和な世界を眺めながらああでもないこうでもないと、『実物』を前に旅路の土産話をする未来を。

 それも悪くないと、思ってしまった。きっと本当は、あの時のあいつが一番欲していたのは──まさにその思い出話だったはずなのに。

 

 

「確かに裏切りはあったかもしれない! でも、そんなの些末な問題だろ!? 計画に狂いはない! 『草薙剣』はいくらでも作れる! だから……」

 

「だから? そういう問題じゃないんだよ、シロウ。気付いたんだ、私は。……『草薙剣』の不在は問題じゃない。一番の問題は、シキガミクス一つがなくなるくらいで世界の終わりだなんだと大袈裟な問題になってしまう、この世界の構造の脆さだろう!?」

 

 

 トラは、そう断言してみせる。

 涙はない。だが、その心が泣いていることは俺にはよくわかった。だから俺は、何も言えなかった。

 

 

「何故そうなった。……私だ。私のせいだ!! エンターテイメントとしての緊張感を持たせるために!! 何かボタンを一つ掛け違えるだけで世界が滅ぶかもしれない、そんな不安定な世界を作り上げた元凶は、この私だろうが!!!!」

 

「違う、違う。違うよ、トラ……」

 

「何も違わないだろっ!?!?」

 

 

 そんなんじゃない。

 そんなこと言わないでくれ。確かに、ピンチはいっぱいあったかもしれない。巡分満帆なだけの物語じゃなかった。前世じゃ、『実は修羅の世界』だなんて面白がられたこともあった。

 でも、でも……。

 

 

「この世界は終わっている!! いくら小手先で百鬼夜行(カタストロフ)を退けたところで、それが何になる!? そもそもこの自転車操業の世界のシステムをどうにかしなくちゃ、この歪な世界のシステムの犠牲になる人はいなくならない!!!!」

 

「でも、だったらそれでも一緒に……。かつての形じゃなくたって、俺にお前を支えさせてくれよ……」

 

「信じられない」

 

 

 足元が。

 崩れ去ったみたいな、そんな感覚があった。

 

 

「お前は、『シキガミクス・レヴォリューション』を諦めてないだろ。目を見れば分かるよ。何年の付き合いだと思っているんだ。お前は『あの作品』への未練を捨てられない。だから絶対にどこかでブレる。私と意見を違える。……最初から決裂が見えている相手を懐に入れるほど、私はお人好しじゃないよ」

 

 

 拒絶される。

 それがこれほど心を深く切り裂くものだと、俺は知らなかった。

 

 

「だから、此処からは私一人だ。私一人で、この世界を変える。『シキガミクス・レヴォリューション』じゃない、もっと正しい形で、世界を運営する。その為に…………お前は、要らない」

 

 

 視線の高さが急激に低くなって、俺は自分が膝から崩れ落ちたことにようやく気付いた。トラは……そんな俺を一瞥して、そのまま背を向けて去って行ってしまう。

 行かないでくれと、叫べるものなら叫びたかった。

 でも、叫べなかった。もしも声に出して、トラに拒絶されたら、その時は今度こそ、俺は二度と立ち上がれなかっただろうから。

 

 

「ああ、そうだ」

 

 

 そんな俺に、トラは──トレイシー=ピースヘイヴンは、背を向けたままこう言い残した。

 

 

「邪魔は、するなよ。……もしも私の前に立ちはだかるようなことがあれば、お前でも容赦はしない」

 

 

 ──それから、二〇年。

 

 トラとは、会話一つしていない。

 

 

 


 

 

 

狼の頭を模した機械的な人型のシキガミクス。

体の各部には歯車の意匠のプロテクターが施されている。

 

『移植』を行う能力。

このシキガミクスは、このシキガミクスまたは術者が触れたことのある対象の姿に自由に変身することができる。変身状態で変身した対象に触れることで、シキガミクスと対象の部位を交換する形で、シキガミクスの部位を瞬時に『移植』する。

『移植』にあたり縫合痕などは一切発生せず、拒否反応の類も存在しない。実質的に、対象箇所の回復と同義。血液のみの『移植』による輸血も可能。

 

『移植』した後の肉体は完全にこの能力の影響下から外れ、霊能が解除されるということがない。

仮に『移植』した後に変身を解除しても、対象の『移植』箇所がシキガミクス化することはないし、反対にこのシキガミクスの『移植』箇所は解除されると変身前のシキガミクスの機体に変わる。この際、『移植』部位に負傷があった場合は、それに応じた破損が発生する。血液の『移植』は血液量に応じた内部血路の欠損という形で反映され、程度によっては四肢の機能停止を引き起こす。

 

『移植』した際に変身対象とこのシキガミクスを区別する基準は頭部(厳密には脳)。

頭部の半分以上を『移植』した場合、対象の意識及びこのシキガミクスの操作権は『移植した後の側』に移り、実質的に両者の位置関係が交換される形になる。

 

変身できるのは、過去一か月の間に触れたことがある対象。また、触れた時点の状態にしか変身はできない。ただし、例えば一度触れた後に数年が経過した場合、再度触れることで数年前の状態に変身することは可能。

定期的に全身『移植』を行えば、事実上の不老不死も実現できる。

 

術者自身に対しては例外的に触れずとも変身及び『移植』が可能で、〇歳~一八歳まで好きな年齢の肉体で『移植』できる。

なお、陰陽術を極めている為、術者本人も本来の霊能(単なる変身能力)のみではあるが行使可能。

 

元々は単なる変身能力だったが、本人の強い未練からくる徹底的なカスタマイズによって性質が大きく変化している。

継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)

攻撃性:95 防護性:90 俊敏性:75

持久性:30 精密性:70 発展性:0(完成)

※100点満点で評価



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17 崩れ去る定説 ①

 そもそも、百鬼夜行(カタストロフ)によって怪異が発生するのは何故なのか。

 

 それは、怪異という存在が根本的には霊気の塊であることに起因する。

 百鬼夜行(カタストロフ)──正式名称を『霊気濃度臨界超過崩壊』。霊気淀みの濃度が維持可能な限界点を超えると、霊気は拡散しようと乱雑に動きはじめ、これが結果として百鬼夜行(カタストロフ)の第一の現象である『霊気の奔流』を呼び起こす。

 しかしこの時、霊気の拡散は()()に起きる為、一定確率で『臨界濃度の中でさらに濃度を高める』方向性に動く場合も発生する。結果、臨界濃度を超えて収束した霊気は、まるで食塩水が結晶化するみたいにして具象化するのだ。──それが百鬼夜行(カタストロフ)時に発生する『怪異』である。

 

 これは、この世界の『設定』を一から構築したトレイシー=ピースヘイヴンしか知らない事実。未だこの世界の何者にも解き明かされていない世界の法則の秘奥である。

 

 そしてその秘奥を知るピースヘイヴンは考えた。霊気濃度臨界超過崩壊の際に発生する霊気の乱雑な拡散を、一定方向に整えることができないか──と。

 元々は、無秩序な破壊を生み出す百鬼夜行(カタストロフ)の被害を少しでも軽減する為に考案された技術だったが、この時ピースヘイヴンにとっても想定外の結果が起こった。

 実験的に百鬼夜行(カタストロフ)の五〇%を収束させてみたところ、超強力な大妖怪の発生が確認できたのだ。この怪異による被害はピースヘイヴンの霊能により事なきを得るに至ったが、この方策では霊気の奔流による被害を抑えることはできても、新たな怪異の被害が発生することが分かった。文句なしの失敗である。

 

 しかし、ピースヘイヴンはこの失敗にこそ着目した。

 

 怪異の誕生が避けられないのなら──その怪異をシキガミクスに組み込むことで、制御すればいいのではないか。それが可能なのであれば、百鬼夜行(カタストロフ)による被害を無効化しつつ最強のシキガミクスを手に入れることすらできるのではないか。

 

 そうした発想によって実行された計画が、『唯神夜行』である。

 

 ピースヘイヴンが『草薙剣』の内部血路に偽装するように設計し、流知(ルシル)薫織(かおり)が製造したシキガミクスは、霊気淀みを構成する霊気を全て封入し、内部で一定方向に収束させる機能を持っている。

 このシキガミクスは内部に蓄積した霊気を粒子加速器のように一定方向に回転させ、うずまきのようにやがて中心で収束する仕組みを持っている。この仕組みによって膨大な量の霊気が一点に集中し、『神様』が誕生するという仕組みなのだが──

 

 

「……馬鹿な」

 

 

 その時。

 ピースヘイヴンは、顔を引き攣らせて状況を睥睨していた。

 

 ステージ中央に、『唯神夜行』を秘めたシキガミクス。そこから三メートルほど離れたところに、遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)。そこから一メートルほど離れた壁際にめり込む形で倒れている園縁(そのべり)薫織(かおり)

 ステージの下から一〇メートルあたりの位置に嵐殿(らしでん)継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)、さらに少し離れたところにピースヘイヴン。

 これが、今の戦場の状況だった。

 

 ピースヘイヴンはひと跳びでステージまで移動すると、信じられないようなものを見る目で己が設計したシキガミクスを見遣る。

 

 

()()()()()……!? あり得ない。そうはならないように設計したハズ……!? ……まさか、園縁(そのべり)の血に対する『神様』の加護が干渉したか……!?」

 

 

 園縁(そのべり)久遠(くおん)の例から言っても、花蓮(かれん)園縁(そのべり)の血族に『加護』を与えているのは明白だった。

 『加護』、といってもその性質は千差万別だ。久遠(くおん)のように『神様』本体が憑くケースもあれば、『神様』の霊能の一部を運用できるようになるケースもある。

 薰織(かおり)が戦闘に利用しないところを見ると、そこまで大層な『加護』ではないのだろうが──しかし、怪異の影響を受けていることに変わりはない。何かしらの霊気的干渉の可能性は否定できなかった。

 

 

「ぐ…………!」

 

 

 呻くものの、ピースヘイヴンはそれ以上の身動きが取れない。

 計画の失敗が確定したわけではなかった。

 もしも仮に『唯神夜行』に何らかの綻びがあって、計画が破綻しているならば、今頃シキガミクスは瓦解して霊気の奔流が勃発していないとおかしい。霊気の奔流が薫織(かおり)の脇腹を直撃したのは計算外だが、だからといって失敗と判断するのは早計だ。

 ただし、成功を確信するのもまた早計。

 シキガミクス自体は薫織(かおり)に対する一撃を入れた後は静かに内部で霊気を収束させているが、いつまた暴発が発生するか分からない以上、迂闊に近寄ることも難しかった。

 

 

薫織(かおり)……!!」

 

 

 そんな中、二もなく動き出したのは流知(ルシル)だった。

 流知(ルシル)は今にも暴走しかねないシキガミクスのことなど無視して背を向け、そして薫織(かおり)に向けて駆け出していた。片手に携帯端末を持っているあたり、おそらくは既に久遠(くおん)あたりに連絡をつけているのだろう。程なくして久遠(くおん)が『神様』を伴ってこちらにやってくるはずだ。

 

 

「ごめん……ごめん……なさい……私の、せいで……」

 

 

 流知(ルシル)薫織(かおり)の傍に膝をつくと、弱弱しく消え入るような声で詫びる。

 実際問題、ピースヘイヴンの悪辣な誘導があったとはいえ最後の一手を打ったのは流知(ルシル)だ。彼女の抱える罪悪感は、計り知れないものがあるだろう。

 

 

(………………、)

 

 

 ピースヘイヴンはその後ろ姿を見て何かを言おうとして、

 

 

「…………、……大丈夫だからね!! 心配要らないよ! 今、今、久遠(くおん)ちゃんを呼んだから!!!!」

 

 

 その後の流知(ルシル)の『虚勢』に、言葉を失った。

 

 

「カガミサマが……『神様』が来ればきっと何とかしてくれるから!! だからそれまで絶対に意識だけは保つんだよ! 分かった!? ねぇ返事してよ!! ご主人様の命令だよ!!」

 

 

 おそらく、罪悪感にまみれていただろう。

 己の失策で、親しい相棒を傷つけ──命の危険に瀕させてしまったのだ。泣き喚き、許しを乞いたくなるのが正常な感情のはず。にも拘らず、流知(ルシル)はそうはしなかった。痛む心に鞭を打ち、自分が倒れ伏すメイドに対してできる最善を考え、それを遂行する。

 力もなく、信念もない、本当にただの転生者(いっぱんじん)にそれを行うのが、どれほど難しいことか。

 

 

「………………嫌になるな」

 

 

 ピースヘイヴンは誰に言うでもなく呟くと、『唯神夜行』を秘めたシキガミクスを回収に向かう。

 計画の失敗を疑う気持ちはある。しかし躊躇する気持ちは完全に失せていた。ただの一般人がその危険を無視して最善の行動を取ろうとしているのに、この状況を築き上げた元凶自身が怖気づいていては、今まで犠牲にしてきた世界に示しがつかない。黒幕としての、意地だった。

 そうしてピースヘイヴンがステージの方へ足を向けたタイミングで、

 

 

「お待ちなさい」

 

 

 見るとそこには、目元を赤くした流知(ルシル)が涙を拭って佇んでいた。

 その手には、二メートルにもなるGペンの槍──飛躍する絵筆(ピクトゥラ)が握られ、地面にその穂先を突き立てていた。

 

 

「……園縁(そのべり)君の命乞いかね。それなら心配には及ばない。どうせその傷では戦線離脱は免れないだろう? 私は私の目的さえ達成できればそれでいい。そのまま大人しくしてくれているなら、これ以上彼女を傷つけるつもりはないよ」

 

「何を勘違いしていますの」

 

 

 流知(ルシル)は、冷え切った声色でピースヘイヴンのとりなしを切り捨てる。

 

 

「わたくしが、まだ盤面にいますのよ。忘れまして? 我々の陣営におけるジョーカーはこのわたくし。その認識が足りていないのではないかしら」

 

「……何を、」

 

飛躍する絵筆(ピクトゥラ)ならば、あのシキガミクスに突き立てるだけで内部血路を書き換えられます。そうすればアナタが企んだ唯神夜行は簡単に崩れ去りますわ」

 

 

 ピースヘイヴンの動きが、止まる。

 その視線を、注意の全てを目の前の令嬢風の少女に集中させる。

 

 

「死ぬぞ。十中八九、霊気淀みは暴走する。上手くいったとしても、園縁(そのべり)君ともども命を落とす。そんな方針は最初から破綻しているじゃないか」

 

 

 声が強張っていくのを、ピースヘイヴンは自覚していた。

 しかし、流知(ルシル)はまるで感情を感じさせない平坦な声で、あっさりと切り返す。

 

 

「だから、なんです? ……薫織(かおり)はもう、……駄目ですわ。助かりません。だったら、薫織(かおり)をこんな風にしたアナタの野望を道連れにして死を選びますわ」

 

 

 その、真っ青な瞳が──ピースヘイヴンの目には、世界全てを憎んでいるように見えた。

 

 瞬間、ピースヘイヴンは鋭く声を上げていた。

 今まさに、その善性を踏み躙った張本人のくせに。

 

 

「待て!!」

 

 

 親しい友人を己の判断ミスで死に追いやってしまった。一縷の望みをかけた助けも、おそらく間に合わない。その元凶である憎き黒幕の野望だけが成就してしまうという状況。──自棄になって自滅を選んでも、ちっとも不思議ではない。

 少なくとも、ピースヘイヴンにはそう考えてしまう気持ちが()()()()()()

 だからこそ、全ての元凶であるくせに、ピースヘイヴンは気付けば心裡(しんり)から流知(ルシル)を制止していた。

 

 

「……今の言葉は撤回しろ。()()()()()()()()()。邪魔さえしないなら救命措置は私がとってやる。園縁(そのべり)君が死ぬことはない。だから、君が……君が()()なる必要はない。それに君が……、」

 

 

 『君がその心根を闇に堕とすことは園縁(そのべり)君だって望まないだろう』。そこまで言いかけて、ピースヘイヴンは状況の不自然さに遅れて気が付いた。

 

 ──そもそも、本当にその気ならわざわざ自分に注目を集めるような真似はしないのでは?

 

 この距離だ。流知(ルシル)がどんなに策を講じようと、ピースヘイヴンの動きの方が早いのはどう考えても明白。それなのにわざわざ自分の目的を宣言するのは道理に合わない。

 もちろん、ピースヘイヴンへの憎しみからあえて不合理な行動を取ったという可能性はある。だが、今はそれよりも違う可能性を危惧するべきだ。例えば──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、とか。

 

 

「しまッ──」

 

 

 反射的に、ピースヘイヴンは自身のシキガミクスである崩れ去る定説(リヴィジョン)を見る。

 やはりというべきか、同じ思考回路を持つ崩れ去る定説(リヴィジョン)はピースヘイヴンと同じように流知(ルシル)の一挙手一投足に注意を向けているようだった。だが、この状況での肝はそこではない。

 

 

「今更気付いてももう遅いですわ!! 玉砕覚悟の自爆特攻!? それも薫織(かおり)を巻き込んで!? そんな選択をわたくしが捨て鉢になって選ぶ!?!? ……馬鹿にしないでくださいましっ!! わたくしは薫織(かおり)のご主人様でしてよ!! ……彼に顔向けできないような選択、するわけないでしょうがっっ!!」

 

 

 不敵な笑みを浮かべる流知(ルシル)の背後。

 薫織(かおり)の傍には──嵐殿(らしでん)が佇んでいた。本体ではない。流石に本体が移動するのに気付けないほどピースヘイヴンの集中は乱されていなかった。流知(ルシル)の変節とそのシキガミクスに対する警戒と説得、それによって全神経が流知(ルシル)へと集中した数瞬の隙間を縫うようにして、継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)薫織(かおり)の元へと移動したのだ。

 

 

「師匠、薫織(かおり)をお願いします。カガミサマのところに運べば、きっとまだ間に合うはずっ……!!」

 

「それには及ばない」

 

 

 嵐殿(らしでん)の姿をした継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)が、倒れ伏す薫織(かおり)を見下ろす。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを見上げて、薫織(かおり)はぽつりと呟く。

 

 

「…………(らし)殿(でん)

 

「喋るな。……『継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)』」

 

 

 継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)がその場に屈むと同時、ギュオ!! とその姿が薫織(かおり)のものへと変化する。

 変化はそれだけではなかった。

 まるで画面が切り替わるかのように突然に、継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)の脇腹にぽっかりと赤黒い穴が空いた。それと引き換えに、薫織(かおり)の脇腹が何事もなかったかのように修復される。

 

 ──『移植』。

 衣服すらも、瞬時に回復していた。

 

 

「解除、っと」

 

 

 薫織(かおり)の声で呟いた継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)の一言と同時に、その姿がブレる。

 先程までの不自然なほどに人間的な姿から──脇腹が()()した狼頭の獣人型シキガミクスの姿へと。

 

 

「…………まんまとハメられたという訳か……っ!」

 

 

 此処に至り、ピースヘイヴンはほぼ状況を理解していた。

 つまり、流知(ルシル)がシキガミクスを破損させる云々は完全なるブラフ。自暴自棄になったように見せたのもただの演技で、ピースヘイヴンの注意をごく短い間でも自分に集めて嵐殿(らしでん)薫織(かおり)を治療する為の隙を与えたという訳だ。

 ──もっとも、嵐殿(らしでん)の霊能を知らない流知(ルシル)は、自分が戦場に取り残されるのを覚悟の上で薫織(かおり)を戦場の外へと運び込むつもりで買って出た囮役のようだったが。

 

 嵐殿(らしでん)の霊能が『移植』であることはほぼ読めていた。つまりピースヘイヴンはこの展開を読めていてしかるべきだったが──流知(ルシル)の気迫に()()()()。『この女はやりかねない』。そう思わされた時点で、この状況に辿り着くのは確定していたのかもしれない。

 

 

「だが!!」

 

 

 明確な失策。

 しかしピースヘイヴンの精神は、〇コンマ一秒の停滞もせずに次の手を叩き出していた。

 

 

園縁(そのべり)君の治療の為にシキガミクスを離したのは失策だったな、柚香(ゆずか)! お前自身のガードががら空きだぞ!!」

 

 

 ピースヘイヴンが嵐殿(らしでん)へ向き直ろうとしたのと、ほぼ同時に。

 

 

『いや待て「私」!! 飛躍する絵筆(ピクトゥラ)が発動している! そちらに意識を向けていては間に合わなくなるぞ!!』

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)からの警告で流知(ルシル)の方を向き直り、そしてピースヘイヴンは目を疑った。

 流知(ルシル)が床に突き立てた飛躍する絵筆(ピクトゥラ)から──赤い紋様が『唯神夜行』のシキガミクスへと伸びているのだ。

 先程流知(ルシル)は『突き立てる』という表現を使ったが、飛躍する絵筆(ピクトゥラ)の霊能は穂先が触れたところから伸びるように発動していく。それならば、別に直接突き立てずとも床や壁を使って離れた場所にも絵画を描けるのは自然のなりゆきである。

 

 

「ば、かな……!?」

 

 

 今度こそ、ピースヘイヴンの思考は混乱の渦に叩き込まれた。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)流知(ルシル)を叩かせる為に跳躍させながら、ピースヘイヴンは叫ぶ。

 

 

「馬鹿なことを!! 自暴自棄の自爆はしないんじゃなかったのか!? 何故……!」

 

「馬鹿はアナタですわよ!!」

 

 

 しかし、流知(ルシル)は一寸の躊躇も迷いもなく、明確に断言した。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!! ならもう『唯神夜行』の暴走なんてノーリスクも同然でしてよ!! ……あまり、わたくしのメイドをナメるな!!」

 

 

 ゴッギィィィィン!!!! と。

 

 その信頼に応えるように、崩れ去る定説(リヴィジョン)の拳が受け止められる。

 受け止めたのは──

 

 

 

「……やれやれ。病み上がりにメチャクチャ言ってくれるお嬢様だぜ」

 

 

 

 黒髪紅目。場違いなコスプレ衣装に身を包んだ──筋金入りのメイド。

 園縁(そのべり)薫織(かおり)

 

 即座に、今度はピースヘイヴンが動く。着用型の汎用シキガミクスーー『ターミナルスカーフェイス』による補佐を受けた肉体が、過たず流知(ルシル)を狙うが、それは狼頭の獣人に防がれてしまう。

 

 

「シロウ……!!」

 

「年貢の納め時だよ、トラ。……お前の野望は、ここに潰えた」

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)は、薫織(かおり)に。

 ピースヘイヴンは、継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)に。

 

 二つの刺客が抑えられた結果、流知(ルシル)が描いた内部血路は『唯神夜行』のシキガミクスまで到達し。

 

 

 直後。

 

 ()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

17 崩れ去る定説 ①

>> RAGE AGAINST THE WORLD act1

 

 

 


 

 

 

 そこはまるで、大破した宇宙船内部のようだった。

 それまで戦場だった体育館──正確にはその空間全体の至る所に亀裂が走り、その奥から星空のような闇が覗いている。

 

 そして、あらゆる物質が静止していた。

 

 飛躍する絵筆(ピクトゥラ)から伸びる赤黒い紋様も、戦塵も、薫織(かおり)も、継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)も、そしてピースヘイヴンや崩れ去る定説(リヴィジョン)自身まで、この世の全てが動きを止めていた。

 

 

「……危ないところだった……」

 

 

 そんな中で、ピースヘイヴンはひとり呟く。

 と同時に、世界が運動を再開した。──()()()()

 

 飛躍する絵筆(ピクトゥラ)から伸びる赤黒い紋様が、先端からどんどん消えていく。継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)とピースヘイヴンの距離が離れていく。薫織(かおり)と衝突した崩れ去る定説(リヴィジョン)が元の位置へと戻っていく。

 まるで、時間が逆行しているかのように。

 

 

「まさか……遠歩院(とおほいん)君が此処までやるとは思っていなかった。彼女はただの紛れ込んだ一般人だと……稀有な霊能を持つだけの非戦闘要員だと……。侮っていた。心からお詫びする、遠歩院(とおほいん)君」

 

 

 逆行に身を任せながら、ピースヘイヴンは言う。

 そこで、世界は再度動きを止めた。

 

 

「そして崩れ去る定説(リヴィジョン)。この世の『時』を五秒だけ巻き戻した……」

 

 

 グッ、と。

 ピースヘイヴンは屈み、ステージ上に転がる天井の破片を拾い上げた。

 同様に世界が徐々に歩みを再開し始める中、ピースヘイヴンは独白する。

 

 

「『一秒』。一秒だけ……世界は私の霊能に()()()()()()。『時の慣性』と、私はそう呼んでいるが……。そしてその時間、私と私の魂魄を保有している崩れ去る定説(リヴィジョン)のみが!」

 

 

 ピースヘイヴンは改めて流知(ルシル)の方を見る。

 位置的に、流知(ルシル)を直接狙うことは不可能だった。立ち塞がった薫織(かおり)が盾になっていて、ここから一秒以内に流知(ルシル)を直接攻撃することはほぼ不可能。──できたとしても、直後に手痛い反撃を食らうことになるだろう。それでは、『唯神夜行』への干渉を防げても先がない。

 

 

「『時』を『書き換える』。……それが私の霊能、崩れ去る定説(リヴィジョン)……即ち『改稿』だ。もっとも、『時の慣性』に囚われている君達には聞こえていても認識できないだろうが」

 

 

 ピースヘイヴンはそこで、薫織(かおり)の身体の端から僅かに飛躍する絵筆(ピクトゥラ)がちらついているのを確認した。霊気を帯びたシキガミクスは、通常の物質では破壊することはできないが──破壊できないだけで、()()させることはできる。

 つまり。

 先程拾った瓦礫片を投擲することで、流知(ルシル)飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を取り落とさせることは可能。

 

 

「重ねて言うが本当に危ないところだった……。遠歩院(とおほいん)流知(ルシル)。間違いなく、これまでで一番私を追い詰めたのは君だったよ」

 

 

 ドヒュ!! と、ピースヘイヴンが飛躍する絵筆(ピクトゥラ)目掛け瓦礫片を投擲する。

 投擲された瓦礫片は過たず飛躍する絵筆(ピクトゥラ)に命中し、飛躍する絵筆(ピクトゥラ)は弾かれて霊能も中断される。──これで、『唯神夜行』の阻止は無効化された。

 

 

「……やれやれ」

 

 

 庇うように流知(ルシル)の前に立った薫織(かおり)がそう呟いた瞬間、ピースヘイヴンと崩れ去る定説(リヴィジョン)以外の全てが『時』に追いついた。

 

 

「……………………流知(ルシル)

 

「いったた……。大丈夫ですわ。何かされたみたいで、飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を落としちゃってますけど……」

 

「そうか……。……、……いや、ありがとう。助かった」

 

 

 薫織(かおり)は、喉まで出かかった謝罪の言葉を呑み込んで、素直な感謝を口にした。

 そして、後ろで張り詰めた流知(ルシル)の雰囲気が少しだけ綻んだのを感じ取り──自分の選んだ言葉が間違っていなかったことを悟る。

 

 

「どんなもんですか。わたくしだって、やるときはやるんですのよ?」

 

「ああ……そうだな。流石は(オレ)のお嬢様だ」

 

 

 ステージ上には、中央の『唯神夜行』を秘めたシキガミクスを挟むようにして、ピースヘイヴンと薫織(かおり)継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)、そして流知(ルシル)が向かい合う。

 ステージの下では、崩れ去る定説(リヴィジョン)嵐殿(らしでん)が向かい合う形となっている。

 

 

崩れ去る定説(リヴィジョン)! こちらに!」

 

『分かった』

 

 

 人数不利を解消する為、崩れ去る定説(リヴィジョン)を呼び寄せるピースヘイヴン。

 状況は、振り出しに戻った。──いや。

 

 

(……継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)、だったか。あの霊能……傷の『移植』もできるとしたら厄介だな……。私が触れられた時点で姿をコピーし、あの大怪我をこちらに『移植』される可能性がある)

 

 

 見たところ継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)の動作に陰りは見られない。ということは、強力な即死技を入手した分相手の方が有利になったと見るべきだ。もちろん『破損部分は「移植」できない』という縛りがある可能性も十分考えられるが、この状況での楽観視は即・敗北に直結するのだから。

 その事実を踏まえ、ピースヘイヴンは尚も不敵に笑う。

 

 

「それでこそだ。我が野望の最後に立ちはだかる難関達よ。そのくらいの強敵でなければ、越え甲斐というものがない!!」

 

「言ってろ、落第黒幕(アホボス)め」

 

 

 両手を広げ高笑いをするピースヘイヴンに対し、薫織(かおり)は腰を低く落として拳を構える。

 

 ────最終ラウンドが、幕を上げた。

 

 

 


 

 

紳士然とした風貌の筋骨隆々とした人型シキガミクス。

体長は二メートル前後。紳士服のような意匠で、遠目に見たら人間と見紛うような見た目。ただし、カメラの瞳にスピーカーの口と、顔は一目見れば分かる程度に機械的。

術者の魂魄の一部を『封印』することによりシキガミクス自身の判断で行動する自立稼働を可能としている。なお、術者とシキガミクスで自我は共有している。

 

『時』を書き換える能力。

霊能を発動すると、まずこの世の『時』が最大五秒まで巻き戻る。術者だけが巻き戻った後も未来の記憶を保持したまま行動を変更し、『時』を書き換えることができる。

『時』を巻き戻してから一秒ほどは『時の慣性』とでも言うべき力が働き、術者以外の存在は本来の時の流れの通りにしか現実を認識できない。その為、術者以外から見たら認識が追い付いた瞬間に突然直前までの状況が変化したように見える。

(術者がナイフで刺された瞬間に『時』を書き換えて回避した場合、刺されて致命傷を負ったはずの術者が復活してさらに瞬間移動をしたように認識される)

『時』を巻き戻す時間は一秒未満を設定することはできず、能力発動後は再発動までに一〇秒ほどのインターバルが必要となる。

 

元々術者が生まれつき備えていた霊能も、上記と完全に同じ。また、陰陽術を極めている為シキガミクスなしでも霊能を行使できる。

このシキガミクスに霊能の調整・補助機能は存在しておらず、その神髄は魂魄の一部を『封印』している部分にある。

魂魄の一部を『封印』したこの機体は、術者と同様に自分の意志で霊能を発動することができる。

また、霊能発動中でも『時の慣性』を無視して自立稼働することができる。(逆もまた然り)

本来は上述の制限の為、発動する間もなく失神・即死した場合は『時』を書き換えることもできなかったが、このシキガミクスがあることで、シキガミクスと術者が霊能を発動する間もなく両方とも思考能力を奪われない限り、不死身となった。

 

なお、他方の霊能発動中やインターバル期間中にさらに霊能を発動して時を巻き戻すことはできない。

崩れ去る定説(リヴィジョン)

攻撃性:100 防護性:100 俊敏性:80

持久性:70 精密性:80 発展性:70

※100点満点で評価



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18 崩れ去る定説 ②

「お前の霊能ももう察しがついた。その対策もな」

 

 

 ピースヘイヴンが実際に行動を起こすよりも、一瞬早く。

 薫織(かおり)はそう宣言してみせた。ピッと人差し指をピースヘイヴンへ向け余裕を持って佇む姿は、なるほど確かに自らの勝利を確信しているかのようだ。──少なくとも、十数秒前まで腹に穴を開けられていた女と同一人物とは思えない不敵さがあった。

 

 

「……ほう。ちょっと前まで生死の境を彷徨っていたとは思えない威勢の良さだ。流石はメイドだな」

 

「そこで(オレ)を殺しきれなかったのがテメェの失敗だよ、ピースヘイヴン」

 

 

 しかし、薫織(かおり)はピースヘイヴンの挑発など全く意に介さない。

 そればかりか嘲るような色の笑みを浮かべて、両手を腰に当ててくつくつと声を上げる。

 

 明確な油断。

 そう判断したピースヘイヴンだったが──その場では動かなかった。

 

 シキガミクスは、悉く霊気を帯びている。そして『怪異』がそうであるように、多くのシキガミクスには物理的な攻撃は通用しない。例外は内部血路を熱で破壊しうる炎などだが──『着用型』の場合、この『物理攻撃への耐性』が本体にも波及している場合が大半である。

 つまり、シキガミクスに遠距離攻撃機能を持たない崩れ去る定説(リヴィジョン)がたとえそのへんの瓦礫を投擲したとしても、薫織(かおり)は体勢をにわかに崩すことこそあれどさしたるダメージは受けない。

 それが追撃に繋がるならまだ良いが、それを見いだせていない状態で無駄な攻撃を繰り出すのは薫織(かおり)の挑発に乗ってなお有効打を見いだせていないことを意味する。それでは、ピースヘイヴンの精神が今のやりとりで無視できないさざ波を立てられていることを自分から認めているようなものだった。

 

 

園縁(そのべり)君の言動が真実にしろブラフにしろ、あの態度の目的は明らかに私と崩れ去る定説(リヴィジョン)の意識を集めてシロウに対する警戒を薄れされること……。……良し、崩れ去る定説(リヴィジョン)はヤツへの警戒を解いてはいない……)

 

「あー、もしかして勘違いしてるのか?」

 

 

 油断なく盤面を把握しようと心がけるピースヘイヴンに対して、あくまでも強気で薫織(かおり)は言う。

 

 

「これは、駆け引きなんかじゃねェ。単なる宣言だ。霊能を察した察してねェで余計な腹の探り合いにリソースを割くのは、(オレ)の好みの()り方じゃねェんでな」

 

 

 その姿に、ピースヘイヴンは一人の男を幻視する。

 別に見知った顔ではなかった。ただ、目の前の少女の生き方の背景に──裏打ちされた、確かな『人生』の影が見えた。

 誰かの為に戦い、誰かを護り、誰かを救い、そうやって一つの歴史を築き上げてきた一人の男の人生が。

 

 

(ハッタリではない)

 

 

 だからこそ、ピースヘイヴンは速やかにすべての楽観を捨てた。

 

 

(こちらに心理的圧迫を与えようとかなんてチャチな思惑はない。本気で園縁(そのべり)君は私の霊能を看破した。そしてその上で、それを包み隠さず正直に宣言している。……駆け引きの為ではなく、おそらくは()()()()()()()()()()()()()

 

 

 合理性で言えば、仮に霊能の原理を看破したとしてもその事実はギリギリまで伏せておくべきだろう。相手が霊能の原理を知られていないという前提で動いていた方が、行動にも油断が生じやすい。だがあえてそれをしないということは──あらゆる言い訳を封じて、その上で完璧な勝利をしてみせるという宣言に等しかった。

 

 

「……随分、ナメられたものだな」

 

「高く買ってもらえるほど、テメェに黒幕としての格があるとでも?」

 

「あるさ。これでも二〇年はこの学園を支配してきた大悪党だ!!」

 

 

 言葉と同時に、ピースヘイヴンはステージ上へと駆けて『唯神夜行』のシキガミクスを手に取ろうと動く。しかしそれは当然薫織(かおり)が阻止しにかかる。

 両者がほぼ同時にステージ上のシキガミクスを取りにかかったこのタイミングで、奇しくも二人は同時に状況を判断した。

 

 

((このままシキガミクス奪取を優先すれば、確保の瞬間を狙われる))

 

 

 ゆえに二人の目的は、シキガミクス奪取と見せかけてその瞬間の攻撃に対するカウンター。

 互いに『着用型』を纏った二人は流星のようにステージ中央まで駆け──そして一瞬後には、シキガミクスの一歩手前の距離で互いに拳を交差させていた。

 

 互いの拳を互いに受けつつ、そして互いに拳を繰り出す体勢。

 しかし、霊能が絡んだ戦いはそこでは終わらない。

 

 

「『崩れ去る定説(リヴィジョン)』」

 

 

 刹那、世界が静止し、空間の切れ間から星空のような異空間が展開されていく。

 逆行していく世界の中で、ピースヘイヴンは静かに宣言した。

 

 

「『一秒』……時を巻き戻した。そして書き換える。この先一秒……君は私の行動の変化に適応できない」

 

 

 一秒の逆行が終了し、世界が運行を再開する。

 互いにシキガミクスへ駆けていくピースヘイヴンと薫織(かおり)。この先の一秒間の未来は既に確定している。シキガミクスに到着する直前に薫織(かおり)とピースヘイヴンは互いに攻撃を仕掛け、そして攻撃は互いに受け止め合う。

 しかし、この時にピースヘイヴンがほんの少しだけ異なる位置にいればどうなるだろうか。

 薫織(かおり)の攻撃を回避し──そして自分だけが薫織(かおり)の防御を貫けるような立ち位置にいれば。

 

 

「これが『崩れ去る定説(リヴィジョン)』だ……。たとえ君が私の能力を看破し対策を打とうとしようが──()()()()()()()()()()()()()()()()。君の『対策』が始まる前に、既にな……」

 

 

 空を切った拳──それを掻い潜るような姿勢で、ピースヘイヴンは言う。

 無理な姿勢ではあるが、『ターミナルスカーフェイス』を纏い運動補助を受けているピースヘイヴンにとって、この程度の姿勢は格闘家が臨戦態勢をとっているよりも自然な体勢だった。

 

 

「私の霊能を看破したという君の発言、信じよう。そして私に何もさせるつもりがないというその自信もな……。だからこそ私は君という宿敵が、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 致命。

 薫織(かおり)の拳を掻い潜ったピースヘイヴンは、そのまま必殺の蹴りを薫織(かおり)の喉笛へと叩き込む。喉を突き抜け、延髄に蹴りの衝撃が伝播するような勢いでピースヘイヴンのつま先が薫織(かおり)の喉笛に突き刺さった。

 

 

 


 

 

 

18 崩れ去る定説 ②

>> RAGE AGAINST THE WORLD act2

 

 

 


 

 

 

「か、薫織(かおり)……!」

 

 

 その様子を、薫織(かおり)の背中を信じて見守っていた流知(ルシル)の声色にも、不安の色が混じっていく。

 いや──本来それですらおかしいのだ。傍目から見れば、今攻撃が相打ったはずのピースヘイヴンの体勢が一瞬にして変化して、薫織(かおり)の喉に蹴りが突き刺さっているような状態なのだから。

 

 

「……やはり……な……」

 

 

 しかし。

 致命の一撃を叩き込まれたはずの薫織(かおり)は、今まさに蹴りを叩き込まれたはずの体勢で、当たり前のように声を発していた。

 その声色に、痛みや予定外の展開への動揺は一切存在しない。ただただ、粛々とした冷静さがあった。

 

 それもそのはず。

 薫織(かおり)の喉元には──銀色のナイフが現れていて、ピースヘイヴンの蹴り脚に突き刺さっていたのだから。

 

 

「何ィいいい!?」

 

 

 足先からじんわりと広がる痛みに、ピースヘイヴンは短く声を上げる。

 

 

女中の心得(ホーミーアーミー)の特性か……!!」

 

 

 同時に、ピースヘイヴンはほぼ正確に現状を把握していた。

 

 女中の心得(ホーミーアーミー)とは、『裏階段』という別の空間に保管しておいた物品──『女中道具』を取り出す瞬間移動系の霊能。そして瞬間移動の際には転送先の物質を『押しのける』形で『女中道具』を発現するのが、女中の心得(ホーミーアーミー)の特徴だった。

 その仕様を実現する為に、取り寄せた『女中道具』は発現直後はその場に固定されることになる。これは取り回すまでに一瞬のラグが生まれるという欠点であると同時に、咄嗟に()()()()()()()()()()()()()()使()()()という長所としても機能していた。

 薫織(かおり)はこの特性を利用し、崩れ去る定説(リヴィジョン)が発動する前の『一度目』の時点で既に、攻撃の瞬間にピースヘイヴンから死角となる喉元にナイフを発現していたのだ。おそらくは、ピースヘイヴンが相打ちから『時』を書き換えてこちらを攻撃することを全て計算した上で。

 

 ──無敵に思える崩れ去る定説(リヴィジョン)の『穴』。

 それは、『一周目』の能力発動時点の知覚は何ら変わらないピースヘイヴン自身の知覚によるということ。無数のカメラを備える崩れ去る定説(リヴィジョン)が発動する場合は別だが、ピースヘイヴンが霊能を発動する際にピースヘイヴン自身が認識していないものを計算に入れることはできないのだ。

 

 

「メイド百手(ひゃくしゅ)、『遮蔽奉仕(プロテクトサービス)』」

 

 

 『一手』。

 霊能発動(リヴィジョン)によって得ようとしたアドバンテージが失われたその一手で、薫織(かおり)は新たな行動選択の余地を手に入れた。つまり。

 

 

「からの、『曲芸奉仕(アトロイドサービス)』だッ!!」

 

 

 薫織(かおり)は『時の慣性』に追いついた直後、思い切り頭を振って喉元に発現したナイフにヘッドバッドの準備態勢に入っていた。間違いなく、既に軽く突き刺さったナイフに頭突きを食らわせることでさらに深く突き立て、ピースヘイヴンの機動力を奪いにかかる作戦だ。

 ピースヘイヴンは咄嗟に蹴り脚を引くことで攻撃を回避するが──薫織(かおり)の今の攻撃が、単なる予備動作に過ぎなかったことを直後に思い知る。

 

 たたんっ、と。

 頭突きをした勢いそのままに、薫織(かおり)は両手を床に突いた。

 そのままハンドスプリングの要領で飛び上がり、空中で身体を一回転させ──勢いを全て足に一点集中させた踵落としを、体勢が崩れたピースヘイヴンに振り下ろす。

 ピースヘイヴンはやっとの思いで両腕を交差させてこれを受け止めるが、一七〇センチ近い筋肉質の薫織(かおり)の全体重をかけた一撃を、『着用型』シキガミクスの運動性能で叩き込まれたのだ。『ターミナルスカーフェイス』を貫通してピースヘイヴンの両腕にじんじんと重く響く痛みを生み出していた。

 

 さらに、薫織(かおり)の動きはこれで終わらない。

 

 

()()()()()()?」

 

 

 そう問いかける薫織(かおり)の眼前に、洗剤が現れる。

 

 

(浴びせて滑りやすくすれば機動力激減!! かけた後でさらに別種の洗剤をかければ至近距離から毒ガス……! ()()の布石か!!)

 

 

 即座にその危険性を理解したピースヘイヴンだが、全体重を乗せられている状態では即座の回避は不可能。崩れ去る定説(リヴィジョン)も──薫織(かおり)との戦闘で『時』の『書き換え』を使う必要性が高い本体を気遣ってか、手負いの継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)攻略に手間取っている。

 能力発動から、まだ一秒も経過していない。崩れ去る定説(リヴィジョン)の再発動まであと九秒強必要というこの状況で──

 

 

「そう焦るな、園縁(そのべり)君」

 

 

 ゴギン、と。

 ピースヘイヴンの右肩関節がひとりでに外れ、薫織(かおり)の蹴りをそのまま受け流していく。

 

 

「なッ!?」

 

「『ターミナルスカーフェイス』は『着用型』だが、肉体の()()が目的ではない。その真価は肉体の()()だよ」

 

 

 脱臼に痛みか、額に脂汗を流しながらピースヘイヴンは蹴りを受け流されて体勢を崩した薫織(かおり)に攻撃を仕掛け──ずに、宙に浮いた洗剤をまず左手で殴り飛ばす。流知(ルシル)がいる方向に、だ。

 

 

「……テメェ!!」

 

 

 すぐさまピースヘイヴンの狙いに気付いて洗剤の『取り寄せ』を解除する薫織(かおり)だが、意識を一瞬でも逸らされたのは紛れもない事実。その一瞬でピースヘイヴンは拳を振るった体勢から持ち直し、そして右肩の関節も回復していた。

 さらにピースヘイヴンが身を低く構えた、ちょうどその瞬間。

 

 

「えいっ」

 

 

 横合いから、流知(ルシル)の気の抜けた声。

 そして次に、大きめの木片がまるでボウリングのピンみたいに『唯神夜行』のシキガミクスをステージの奥まで弾き飛ばしていた。

 薫織(かおり)とピースヘイヴンの行き着く間もない攻防──しかし、流知(ルシル)だってただ黙って見ていたわけではなかった。

 飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を強制的に手放させられた流知(ルシル)は、自分が即座に霊能による妨害を実行できないと悟り、次善の策として『ピースヘイヴンがすぐに回収できない場所』まで『唯神夜行』のシキガミクスを移動させる方法を必死に考えたのだ。

 その答えが『大きめの木片をぶつけてカーリングみたいにシキガミクスを弾く』だったのは、直前に自分が同じことをされたことを差し引いてもあまりに原始的すぎる選択だったが──しかし、この場においてはそれが功を奏した。

 

 

「あ、」

 

 

 想定外の指し手の、想定外の一手。

 薫織(かおり)とピースヘイヴンの思考が同時に空白で染められるが、それも一瞬のことだった。

 此処で、両者の勝利条件の違いが如実に表れる。薫織(かおり)はピースヘイヴンに『唯神夜行』を遂行させなければいいが、ピースヘイヴンは『唯神夜行』を宿したシキガミクスを確保して計画を完遂しなければならない。

 だからピースヘイヴンは反射的にステージの奥に飛ばされたシキガミクスの方を目で追い──対する薫織(かおり)は即座にシキガミクスの処理を流知(ルシル)に任せる決断を下し、そしてピースヘイヴンへの攻撃へと移った。

 

 

「よそ見は厳禁じゃねェか、ラスボス様ァ!!」

 

「くっ……!!」

 

 

 思い切り振りかぶったミドルキックは流石にピースヘイヴンの両腕にガードされてしまうが、しかし勢いまで殺しきれる訳ではない。

 そのままピースヘイヴンの身体は数メートルほど後方、体育館中央側へとフッ飛ばされ──ステージ上から離脱することになる。

 この時点で、ステージ東袖に流知(ルシル)、西袖に『唯神夜行』のシキガミクス、中央に薫織(かおり)、ステージ下にピースヘイヴンという立ち位置となった。ピースヘイヴンは流知(ルシル)の方へ視線を走らせるが──どうやら弾いた飛躍する絵筆(ピクトゥラ)は運悪くステージ上の壁に柄の方が突き立ってしまったようだった。あの分なら仮にすぐさま引っこ抜こうとしても数十秒は霊能を使うことは難しいだろう、とピースヘイヴンは判断する。

 

 

「……流石だな」

 

 

 ピースヘイヴンはすっと居住まいを正すと、薫織(かおり)に向かって拍手をする。

 これは霊能発動のインターバルまでの時間稼ぎの意味もあったが、一方でピースヘイヴンの偽らざる本心でもあった。

 

 

「今の動き。確かに私の霊能を完全に看破していなければ不可能な動きだった。そうだ、私の霊能は『時』の『書き換え』。この世の時間を数秒ほど巻き戻し、そしてその中で私だけが行動を変更することができる」

 

「……!! そんなデタラメな……!」

 

 

 当然そんなことは考えもしていなかったらしい流知(ルシル)が、霊能のスケールの大きさに息を呑む。しかしやはりと言うべきか、薫織(かおり)の方は少しも動揺していない。

 ピースヘイヴンの足から、ナイフが音もなく消える。おそらく逆用を警戒したであろう薫織(かおり)は、血が一滴も零れ出ないピースヘイヴンの足先を眺めながら、

 

 

「動ける時間は精々一秒程度、だろうがな」

 

 

 ピースヘイヴンの説明に、冷静に補足を入れた。

 

 

「テメェは未来の出来事を予知した上で行動することができる。だが、未来の予知は何もテメェの専売特許じゃねェ。当たり前な予測を積み重ねていけば()()()()()()()()未来は予知できる。テメェが狙うであろう位置を予測して防御を置けば、そこに勝手に引っかかる形でテメェの攻撃は防げんだよ。さっきみたいにな」

 

「簡単に言ってくれるね。君のそれを霊能抜きでやっていると言われたら、困惑と共に憤慨する人間が大半だろうよ」

 

「だが可能だ。ご主人様の命を受けたメイドならな」

 

 

 ステージの上から、黒幕を見下しながら。

 薫織(かおり)はそう言って、ピースヘイヴンに宣言した。

 

 ──ただし。

 

 忘れてはいけないのは、ピースヘイヴンは曲がりなりにもこの世界を二〇年近くにわたって掌握し続けてきた実績を持つということ。

 その悪辣な発想が、()()()()()()()()()()()()()()で潰えると考えるのは、あまりにも楽観的過ぎだ。

 

 

「では、こうしよう」

 

 

 言葉と同時に、ピースヘイヴンと崩れ去る定説(リヴィジョン)が互いに向かって駆け出す。一切の意思疎通を省いた行動だったにも拘らず、同じ意思を持つ二つの戦闘者は寸分違わない意図で同時に行動を果たした。

 即ち。

 

 

「選手交代だ」

 

 

 今までの、『本体がシキガミクスと同等に動ける』程度のスケールとは桁が違う。

 現存する中で間違いなく『最強』の性能を誇るシキガミクスが──主人を背に守るメイドへ牙を剥く。



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19 崩れ去る定説 ③

 一瞬で、崩れ去る定説(リヴィジョン)の姿が掻き消えた。

 

 ──否、消えたと錯覚したのは、おそらくこの戦闘を横合いから眺めている余人だけだ。薫織(かおり)の目には、地面を蹴り高速で接近してくる敵機の姿がありありと映っていた。

 振りぬかれる右拳を、上体を逸らしたスウェーでもって回避する。しかし、それが限界。薫織(かおり)がそこから態勢を整えるよりも早く、崩れ去る定説(リヴィジョン)は左拳を構え終えている。

 

 

「────」

 

 

 これ以上の回避はできない。不可避の状況で、崩れ去る定説(リヴィジョン)はさらに無造作に左拳を振り下ろす。

 それだけで。

 ぐりん!!!! と薫織(かおり)の身体が、冗談みたいに錐揉み回転した。横倒しにした竹トンボみたいな恰好で回転するその姿は、傍から見れば致命傷すらも想像できたが──しかし、それは実像とは異なる。

 

 

『しまッ──』

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)が呻いたのも束の間、その顔面に、回転の勢いをそのまま載せた薫織(かおり)の蹴りが叩き込まれる。

 攻撃を受けた側が派手に吹っ飛ぶと、それだけの運動エネルギーがあるのだからと大ダメージをイメージするものだが、それは厳密には間違いである。攻撃を受けてその場から微動だにしないということは、その分の運動エネルギーは受け手の肉体に直接吸収されたということ。それよりも、吹っ飛んでいる方がその分『移動に運動エネルギーが使われている』ということであり、見た目よりもダメージは少ない。

 この場合、薫織(かおり)はあえてその場で回転することにより、崩れ去る定説(リヴィジョン)の必殺の一撃によるダメージを受け流すだけでなく、その回転の勢いを攻撃に利用したのだ。

 

 ──ただし。

 

 

『──ってもいないか……微妙に。……やれやれ、油断も隙もない』

 

 

 放たれた薫織(かおり)の蹴りは、崩れ去る定説(リヴィジョン)の右掌によって完璧に防がれていた。

 そして、蹴りをガードされた薫織(かおり)──二本足で佇む彼女の左肩は、不自然にだらりと垂れ下がっていた。

 

 

『だが、さしものメイドと言えど今の一撃を無傷で切り抜けることはできなかったようだ』

 

「危機感が足りてねェな」

 

 

 楽しむような笑みを言葉に滲ませる崩れ去る定説(リヴィジョン)に対し、薫織(かおり)は嘲るような笑みを重ねた。

 

 

「理解しろ。今の局面でテメェは(オレ)を仕留め損ねた。その意味をな」

 

『随分露骨に圧をかけてくるじゃないか、らしくもない。存外劣勢かね?』

 

 

 言葉は刃。

 それぞれが相手の精神に対してその刃先を突きつけながら、互いに戦局を認識していく。

 

 客観的な事実を言えば──薫織(かおり)の劣勢は疑いようがなかった。渾身の格闘戦ですら終始崩れ去る定説(リヴィジョン)に上を行かれ、残ったのは左肩の負傷。四肢の内一つが使えなくなった状態で、最強のシキガミクスを相手にするのはいかにも心許ないと言える。

 ただし。

 

 

「何故霊能を使わなかった?」

 

『…………』

 

 

 薫織(かおり)の言葉に、崩れ去る定説(リヴィジョン)は答えない。

 

 

()()()()()()()()()()()

 

 

 沈黙した崩れ去る定説(リヴィジョン)にさらにダメ押しを仕掛ける形で、薫織(かおり)は続ける。崩れ去る定説(リヴィジョン)は、最早隠す意味もないとばかりに沈黙を保っていた。

 

 

「一度発動すれば以降一〇秒は再発動ができない。つまり、使いどころを誤ればそれ以降は霊能なしで切り抜けなくちゃならねェんだ。当然、使うタイミングには細心の注意を払うよなァ……。……その結果、絶好のタイミングを逃すことになっちまっているが」

 

『図星だな……。だがこれが君に対する最善だ。霊能は保険として使い、あくまで基本はこの圧倒的なスペック差でゴリ押し。そうすればやがて君の継戦能力は底を突くだろう』

 

 

 つまり、持久戦。

 ただでさえ、薫織(かおり)崩れ去る定説(リヴィジョン)では着用型と封印型というスタミナ消費の差が存在する。『待ち』の戦法を撃たれれば、セオリーで考えると薫織(かおり)は勝ち目がなくなるが──

 

 

「……馬鹿野郎が」

 

 

 薫織(かおり)はむしろ、叱責するような色を以て崩れ去る定説(リヴィジョン)を喝破する。

 

 

「そんなつまらねェ戦法、自ら逆転負けのフラグを立てに行っているようなモンじゃねェか」

 

『現実と物語を混同するんじゃない。浪漫だなんだで理想論に傾くのはもうたくさんだ。君も前世で良い大人だったのなら、いい加減に現実を見ろ』

 

 

 そうして、崩れ去る定説(リヴィジョン)の姿が再び消えた。

 体育館の地面をめり込ませながら、肉眼では追い切れないほどの高速で薫織(かおり)に肉薄する瞬間──崩れ去る定説(リヴィジョン)は確かに聞いた。

 

 

「逆だ、逆。混同じゃねェ──」

 

 

 臨戦態勢のメイドの口から洩れた、その台詞を。

 

 

「『超克』するんだよ。物語で、現実を!!」

 

 

 先程とは違い、右フックで防御の手薄な薫織(かおり)の左側を攻めていく崩れ去る定説(リヴィジョン)。これも上体を逸らしたスウェーで以て回避する薫織(かおり)だったが、しかし崩れ去る定説(リヴィジョン)に同じ手は通用しない。

 ガッ!! と薫織(かおり)の足を破壊する勢いで振るわれた足払いを、薫織(かおり)は大きく体勢を崩しながらも寸前のところで飛び跳ねるようにして躱した。

 しかし、そこが限界だ。

 足払いを躱したことで、薫織(かおり)は横倒しの姿勢で完全に空中に放逐された。こうなってしまっては、先ほどの様に身体に回転をかけて攻撃の威力を逃がすこともできない。いや──そもそも、回転で威力を逃がすような甘い攻撃を崩れ去る定説(リヴィジョン)に期待することもできない。たとえば、肘と膝で胴体を挟み込むような攻撃を使えば、逃げ道などなくじかに最強のシキガミクスの膂力で内臓を破壊されることになるのだから。

 

 そして実際に、崩れ去る定説(リヴィジョン)が選んだトドメもその通りだった。

 

 

『これで詰み(チェックメイト)だ、園縁(そのべり)君!!』

 

 

 左肘と右膝を立てて、まるで肉食動物の顎めいて薫織(かおり)の腹を食いちぎらんと挟み込む姿勢に入る崩れ去る定説(リヴィジョン)。しかしその刹那──トドメを刺される直前の薫織(かおり)は、一切の動揺なくこう返した。

 

 

王手(チェック)の間違いだろ、ピースヘイヴン」

 

 

 


 

 

 

19 崩れ去る定説 ③

>> RAGE AGAINST THE WORLD act3

 

 

 


 

 

 

 ──そしてその直後、薫織(かおり)の姿が崩れ去る定説(リヴィジョン)の目の前から掻き消えた。

 否。崩れ去る定説(リヴィジョン)の身体各部に内蔵されたカメラは、その瞬間に薫織(かおり)がどう動いていたかを克明に捉えている。

 

 

「──メイド百手、『飛石奉仕(ステアウェイサービス)』」

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)の殺人的足払いを無理やり回避する形で中空に放られていた薫織(かおり)の足先があった空間には、いつの間にか小さめのショッピングバッグくらいの缶が存在していた。

 そして、何より。

 薫織(かおり)の身体は、崩れ去る定説(リヴィジョン)の前から一瞬にして右方向に移動していた。

 

 

『──!! 盾としてではなく、即席の足場として利用したか!』

 

 

 その言葉を証明するように、薫織(かおり)はさらに空中に発現された缶の上に着地し、そしてそのまま崩れ去る定説(リヴィジョン)の真上へと跳躍した。

 

 女中の心得(ホーミーアーミー)で発現した『女中道具』は、発現直後その空間に固定される。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──頭上からの攻撃。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)がそれを警戒し、臨戦態勢を整えた瞬間──薫織(かおり)はさらに空中にショッピングバッグくらいの缶を発現する。それを受けて、崩れ去る定説(リヴィジョン)は予測を修正した。

 

 

《背面攻撃か──!! 確かに想定外。だがこの程度の想定外ならば、スペック差で十分ゴリ押しできる!!》

 

 

 予測したのは、頭上からの攻撃に見せかけて背後に着地してからの不意打ち。

 しかしそれでも、彼我の速度差はまだ崩れ去る定説(リヴィジョン)に分がある。さらに、崩れ去る定説(リヴィジョン)の身体各部にはカメラが内臓されているのだ。背後は必ずしも死角にはなりえない。薫織(かおり)が着地した直後のタイミングで攻撃を合わせることも十分に可能、

 

 ──そこまで考えたところで、崩れ去る定説(リヴィジョン)は気付く。

 

 

《いや……違う!! 園縁(そのべり)君の目的は見え見えの背面攻撃などではない! 迎撃にこちらの意識を集中させておいて、先ほどの空中跳躍を使って本体(わたし)に奇襲を仕掛けることか!?》

 

 

 証拠に、身体各部に内臓されたセンサーは薫織(かおり)が空中で顔の向きをピースヘイヴンの方へ向けていることを感知していた。

 本体・ピースヘイヴンとの距離はおよそ一〇メートル程度。この短距離であれば、薫織(かおり)の方が早く動いていればピースヘイヴンの奇襲まで崩れ去る定説(リヴィジョン)から逃げ切ることはおそらく可能である。

 だが、此処で浮足立ってピースヘイヴンの護衛に完全に重心をかけるのは却って下策だ。崩れ去る定説(リヴィジョン)は波立ちかけた心を落ち着けて、あくまでも冷静に考える。

 

 

《確かに奇襲のリスクはある。だが、そう見せかけて本体を守ろうと動いた隙を突く作戦という可能性もあるだろう。顔の向き程度はいくらでも誤魔化せる。此処は下手に動くよりも──》

 

 

 ダン!!!! という地響きめいた音が、体育館に響き渡る。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)が選んだのは迎撃でも追撃でもなく──その場を『力いっぱい踏みしめる』という行動だった。

 ただし、最強のシキガミクスの膂力によって繰り出されたのであれば、ただそれだけの行動が明確に戦局に影響を及ぼす一撃となりうる。まるで水面に小石を落とした時のような形で()()を上げる木目の地面の残骸が、崩れ去る定説(リヴィジョン)とピースヘイヴンの間を覆う壁のようにして展開される。──薫織(かおり)が下手に突っ込めば、着用型シキガミクスゆえに負傷はないにしても、彼女の期待する奇襲性能は失われるような妨害である。

 それでいて、『その場で床を踏みしめる』というアクションは下半身の行動である。仮に薫織(かおり)が奇襲にみせかけた崩れ去る定説(リヴィジョン)への攻撃を企図していたとしても、十分に迎撃が可能であったが──

 

 しかし、薫織(かおり)が行ったのはピースヘイヴンへの奇襲でも崩れ去る定説(リヴィジョン)への攻撃でもなく、単なるその場での跳躍だった。

 ショッピングバッグくらいの缶を足場にしてさらに跳躍した薫織(かおり)は、直後にたった今足場にした缶を解除してしまう。

 

 

《何……? 上に跳躍することで飛沫の壁を乗り越えるつもりか……? だが今の轟音で本体も園縁(そのべり)君の危険には気付いたはずだ。おそらく望むような奇襲効果は得られない。とすると何か違う狙いがある……?》

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)の脳裏に、幾つかの可能性がちらついていく。飛び道具による遠隔攻撃、ステージに移動しての『唯神夜行』の処理、あるいは重量物の発現による圧殺か。あらゆる可能性を考慮して構えていると──

 

 

「……初志貫徹して『待ち』は崩さず、か。つまんねェぞ、最強」

 

 

 ひゅるん、と。薫織(かおり)はロープを発現すると、体育館の天井に引っ掛けてそのまま空中で宙ぶらりんの格好となった。

 追撃も、奇襲も、想定外の策もない。単なる小休止の発生に、崩れ去る定説(リヴィジョン)は怪訝そうに身構える。

 

 

『どういうつもりだ? 空中でも機動性が失われないという君の特性は理解したが、そうして攻撃の手を止めれば私が先手を取り、君は後手後手になっていくばかりだと思うがな』

 

「あァ、それは分かっている」

 

 

 焦燥を煽る目的の崩れ去る定説(リヴィジョン)の言葉に、薫織(かおり)は素直にうなずいて見せた。

 まるで、そうして悠長に構えていることそのものが作戦とでも言うかのような圧倒的自信を携えながら。

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

 唯一使用可能な右手に、束になった大量のマッチ棒を発現した。

 両足でロープを挟み込んだ薫織(かおり)は、ロープでマッチ棒を擦って一気に大量の火種を確保する。

 

 

『炎……?』

 

 

 シキガミクスにとって、火は弱点の一つだ。

 基本的に霊気を帯びない物質の攻撃は通用しないシキガミクスだが、内部の回路は熱によってダメージを受けうる。木製であることも手伝って、火はシキガミクスにとっては天敵なのである。

 だが一方で、そんな分かり切った弱点を放置するほど陰陽師は馬鹿ではない。大多数のシキガミクスは耐火・耐熱塗料によって全体を覆うことで炎対策を行っている。大量の可燃物を浴びているならともかく、マッチ棒程度の火を被った程度で無力化することは不可能だ。

 しかし、薫織(かおり)ほどの実力者がこの局面で無意味な行動を取るとは思えない。念には念を入れて、薫織(かおり)から距離を取ろうと足に力を入れたところで、

 

 

 ずるっ。

 

 

 ──と、崩れ去る定説(リヴィジョン)()()()()()()

 地面が変形していたわけではない。ただ、足元に『何か』が撒かれていたのだ。足に力を入れるだけで滑ってしまうような液体が。

 そしてその瞬間、崩れ去る定説(リヴィジョン)薫織(かおり)が炎を用意した真の理由に思い至る。

 

 

「メイド百手、『熾火奉仕(イグナイトサービス)』!」

 

『うおおォォおおおおおおッッ!? 「ガソリン」かッ!!!!』

 

 

 足元に撒かれ、今まさに滑った原因は──大量のガソリンだ。嗅覚を持たないゆえに気付くのが遅れたが、足元を確認すれば微妙な光の反射具合から特定は容易だった。

 そしてそれ以上に危険なのは──それが分かったところで、粘性の液体によって足を取られ転倒した直後では、大量のマッチの火によるガソリンの引火は不可避という点だ。

 

 

「ご明察──こいつは『ホワイトガソリン』の缶だッ!」

 

『ま、さか……先ほどまで足場に発現していた缶は、このための……!!』

 

 

 全ては、この戦況を描くための布石だった。

 飛石の為に発現した缶は、薫織(かおり)の言葉通り『ホワイトガソリン』──屋外でのバーベキューでコンロの火種に使用する携行用液体燃料である。これを足場として使用しつつ、中のホワイトガソリンを垂れ流すことで引火の準備を整えていたのだ。

 もちろん、積極的に撒いている訳ではないので、崩れ去る定説(リヴィジョン)が足元に警戒すればガソリンが漏れ出ていることに気付くこともできたかもしれない。

 だからこそ、薫織(かおり)は『飛石奉仕(ステアウェイサービス)』を見せた後にすぐ崩れ去る定説(リヴィジョン)の上方に位置取りすることでその注意を上に向けた。さらに、本体を狙うそぶりを見せることでその警戒を全て自分に集中させたうえで、あえてロープで宙吊りになることで他への警戒が散漫になるように仕向けたのだ。

 

 その結実として現れたのが、この火責め。

 しかもガソリンによる『まとわりつく炎』は、耐火・耐熱塗装による防御すらも超えて内部に熱を与え──それだけでなく霊気を帯びている『女中道具』によって発生した炎もまた霊気を帯びている為、シキガミクスにも極めて有効になっている。

 いかに崩れ去る定説(リヴィジョン)が最強のスペックを持つとはいえ、浮遊することができるわけではない。地面を踏んで移動しなくてはならない以上、ガソリンで床全体を滑りやすくされては踏ん張りが効かない。大量のマッチを迎撃しようとしても、ガソリンにまみれた今の機体では確実に引火は免れない。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 詰み(チェックメイト)

 その言葉が、崩れ去る定説(リヴィジョン)の脳裏を過る。

 

 

『…………!』

 

 

 しかし、崩れ去る定説(リヴィジョン)には窮まった盤面を覆す霊能がある。

 それが──、

 

 

『「崩れ去る定説(リヴィジョン)」発動……「時」を、書き換える!!』

 

 

 

 直後、世界が崩落していく。

 空間そのものに走った亀裂の向こう側から見える宇宙のような暗闇から噴き出す突風に押し流されるような形で、世界全体の時間が巻き戻る。

 

 

『ハァ……ハァ……。なんというヤツだ……「園縁(そのべり)薫織(かおり)」……。まさかここまでの圧倒的スペック差を戦略で埋めてチェックメイトにまで持っていくとはな……』

 

 

 時の遡行に従い、空中に放り投げられた大量のマッチ棒が薫織(かおり)の手に収まっていった。

 体育館の天井から吊るされたロープに掴まる格好の薫織(かおり)が真下にいる崩れ去る定説(リヴィジョン)へ話しかけていく姿が逆行する。

 

 

『だが、戦況の決定権は私が持っている! 時間遡行完了後の「一〇秒」! この一〇秒ですべてのカタをつける!!』

 

 

 天井に投げられたロープが薫織(かおり)の手元まで戻り、そして虚空へと消える。

 そして崩れ去る定説(リヴィジョン)の真上を取っていた薫織(かおり)の身体が徐々に地上へと降りていくが──、

 

 

 ググ、と。

 そこで、薫織(かおり)の時間遡行が緩やかになっていく。当然、足元にあるガソリンはまだ引いてはいない。

 

 

『何……? 馬鹿な、これは……』

 

「違うぞ、崩れ去る定説(リヴィジョン)!」

 

 

 そこで、背後から本体・ピースヘイヴンの声がかけられる。

 

 

「『五秒』だ……既に時間遡行の限界秒数に到達している! これ以上の遡行はできない!!」

 

 

 ピースヘイヴンの言葉を受けて、崩れ去る定説(リヴィジョン)はようやく薫織(かおり)の行動に隠されたすべての意図に気付いた。

 先程のロープで天井にぶら下がっての小休止。アレはガソリンに注意を向けさせないだけでなく──崩れ去る定説(リヴィジョン)の遡行限界まで『時』を巻き戻してもガソリンをなかったことにさせない為、即ち詰めの為の『待ち』だったのだ。

 愕然とする崩れ去る定説(リヴィジョン)に対し、遡行の限界ギリギリの境地にいるピースヘイヴンは言う。

 

 

「シロウはこの後の一秒で確実に倒す! この状況、もはや園縁(そのべり)君による炎上を阻止するのは不可能だが……お前が炎上してから完全に焼け落ちるまでのその時間で、決着をつけるぞ」

 

『……了解した!』

 

 

 崩れ去る定説(リヴィジョン)が応じた瞬間、虚空に生じた亀裂は消失し、そして再び時が正しい運行を開始する。

 

 

『しかし「崩れ去る定説(リヴィジョン)」! ここから先「一秒」は我々のみが「時」を書き換える──!!』

 

 

 背後のピースヘイヴンが継ぎ接ぎ仕立ての救済(ザ・リグレット)の脇をくぐって嵐殿(らしでん)を押し倒したのと同時に、崩れ去る定説(リヴィジョン)は腰を低く落として構える。足元のガソリンは、やはり消えてはいない。この状況で下手に移動しようとすれば足を取られて転倒し、逆に隙を生んでしまうだろう。

 だからこそ──あえて炎上は受け入れ、燃え尽きるまでの数秒で二対一の盤面を形成し、勝負を決する。その為の『待ち』の構えである。

 

 

 薫織(かおり)が跳躍し、一秒が経過する──。

 

 

()()()()()()()()()()。ならこの後がどうなるか分かってるだろ?」

 

 

 そして『時の慣性』が終わった直後、薫織(かおり)はそう断言した。

 ──『時の慣性』に囚われている者は、『一秒』の間に生じた動きの変化についていくことができない。それは裏を返せば、『時』を書き換えた場合はその瞬間に動きの差分がはっきりと表れるということにもなる。空中に位置していた薫織(かおり)は、一瞬前まで戦っていたピースヘイヴンが嵐殿(らしでん)を押し倒したことで霊能の発動を悟ったのだ。

 

 

「その反応。やはり『四秒後』の(オレ)は既に詰めていたらしい……そして今再びの」

 

 

 空中で、薫織(かおり)は手の中に大量のマッチを発現する。

 そしてそれを別で空中に発現したマッチ箱にこすりつけることで着火し、崩れ去る定説(リヴィジョン)にばら撒く。足元のガソリンで身動きが取れない崩れ去る定説(リヴィジョン)は、それを回避する術を持たないが──

 

 

「『熾火奉仕(イグナイトサービス)』だ!!」

 

『だが、ただではやられんッ!!』

 

 

 足元にばら撒かれたガソリン。これは崩れ去る定説(リヴィジョン)の機動力を潰す薫織(かおり)の策だが──考えようによっては、崩れ去る定説(リヴィジョン)の手元に大量の可燃物を用意したとも言える。

 炎上を回避しようとしても行動を無駄にするだけだが、炎上を不可避のものとして受け入れれば、逆にその大量の可燃物を()()()()だけの余裕が生まれるのではないだろうか?

 

 

『私が焼け落ちるのはいい……。だが君にも同じ目に遭ってもらうぞ!!』

 

 

 ヒュドッ!! と、崩れ去る定説(リヴィジョン)薫織(かおり)目掛けて勢いよく足を振る。

 それだけで、ガソリン塗れの足は可燃物の水弾を薫織(かおり)に向かって放った。こうすれば、崩れ去る定説(リヴィジョン)の炎上は避けられないまでも、薫織(かおり)自身も炎上は不可避となるだろう。

 

 

《『女中道具』の解除による回避……その可能性もあるだろう。しかし、果たして水滴単位を選択しての解除が可能なほどの精密さが君の霊能にあるか!? いや、不可能だ……! ()()()()()()()()()()()()()()! 女中の心得(ホーミーアーミー)による発現の解除はできて部品(パーツ)ごと! 液体や粉末の解除は一括でしか不可能だ!! つまり解除すればこの『詰め』の盤面を放棄することになる!!》

 

 

 ──崩れ去る定説(リヴィジョン)の見立ては、実際に正確なものだった。

 

 女中の心得(ホーミーアーミー)、『裏階段』と呼ばれる事前準備した倉庫に格納されてある物品を『女中道具』として手元に瞬間移動させる霊能。

 発現直後はその場に強い力で固定され、その後は自由意志で解除することができる。発現・解除は部品ごとに行うことができ、たとえば一つのマッチ箱を『マッチ棒』と『マッチ箱』に分けて発現することで取り出しの手間をなくすことも可能である。

 ただし──個別発現・解除の限界は『もともと分かれているもの』ごととなり、組み立てられた椅子をバラバラに解除することなどは不可能。また、粉末の集合体や液体などは発現時の一塊で『一つ』とカウントされるため、個別に解除することもできない。(ピースヘイヴンは知らないことだが)伽退(きゃのく)との戦闘において小麦粉を煙幕として使用した際、個別ではなく全体を一括で解除していたことからもこの性質は明白だ。

 

 そうした個別の事例を知らないにも拘らず、それまで培ってきた経験則からこの法則を暴き出し即座に突いて来た崩れ去る定説(リヴィジョン)の洞察は優れていると言わざるを得ない。

 ただし。

 

 

「あァ、テメェならそこまで読むと思っていた」

 

 

 そう言い残し──薫織(かおり)はその場から、()()()()




次回は明日20:00更新予定です!


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20 崩れ去る定説 ④

昨日も更新されていますのでご注意ください。






画:レナルーさん(@renaru_ex

メイド服型のシキガミクス。

服の生地に織り交ぜたり、各種装飾に備え付ける形でシキガミクスを実装している。

その為、普通の衣服でありながらシキガミクス相応の防御力を備えている。

 

『女中道具』を取り寄せる能力。

この『女中道具』は前以て作成した『裏階段』に保管されている物品で、発現した段階でシキガミクスの一部として扱われ、霊力によって強化される。

『裏階段』に保管してさえいればどんなものでも『女中道具』として扱うことができるが、本体のこだわりの為『掃除用具』『調理器具』『食器類』『食材』『寝具』以外のメイドに関係なさそうな物品はほぼ置かれていない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『裏階段』は屋根と壁がある屋内にシキガミクスと同様の陣を床一面に記せば最大で一〇個まで作成可能で、現時点で貸倉庫や洋上のクルーザーなど全国に七か所ほど『裏階段』が存在している。

 

元々は瞬間移動系の霊能だったが、本人の類稀なメイド欲によって物品のアポート能力に調整されている。

 

女中の心得(ホーミーアーミー)

攻撃性:70 防護性:70 俊敏性:70

持久性:90 精密性:90 発展性:95

※100点満点で評価

 

 

 


 

 

 

20 崩れ去る定説 ④

>> RAGE AGAINST THE WORLD act4

 

 

 


 

 

 

『な……何ィ!? 園縁君が消えたッ!?』

 

「落ち着けッ! 『私』! 彼女の霊能の基盤は『瞬間移動』……どこかに転移した可能性はあるが、()()()()()()()()()()()()()()()()ッ!」

 

 

 ピースヘイヴンは、薫織の霊能の隠された機能──『「裏階段」への転移』を知らない。薫織にとってはこれは『女中道具』の整備の為の機能なのでほぼ使わないと同時に、非常時の緊急回避だから完璧に秘匿していたのだ。

 嵐殿すらもこの応用は知らず──知っているのは流知のみである。(そして彼女はこの局面に至るまでその機能のことを忘れていた。あまりにも使われなさ過ぎたので)

 

 ゆえに、ピースヘイヴンはこう考える。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 その為に周辺を走査するのに使った〇・一秒の注意。──その注意が、勝敗の分かれ目となった。

 

 

 ブア、とマッチの炎が崩れ去る定説(リヴィジョン)に引火したのと、同時。

 崩れ去る定説(リヴィジョン)の頭上に薫織の姿が再び現れる。当然、崩れ去る定説(リヴィジョン)が弾いたガソリンはとうに薫織の位置を通過しており、引火の危険性はゼロ。

 さらに炎が全身のカメラを覆って頭上への警戒力が低下したその一瞬──

 

 

「『三秒後』の(オレ)の代わりに言っておく。チェックメイトだ、原作者」

 

 

 薫織の全体重を載せた踵落としが、崩れ去る定説(リヴィジョン)の脳天に直撃した。

 

 

『ば……かな……』

 

 

 炎熱による内部回路の破損に加え、無防備な頭部から全身を貫く渾身の衝撃。それを受けた崩れ去る定説(リヴィジョン)は、速やかに活動を停止する。

 そして──そこへギリギリ間に合わなかったピースヘイヴンの襲撃も、薫織の蹴りによって文字通り一蹴される。薫織は崩れ去る定説(リヴィジョン)の四肢を踏みつぶして完璧に破壊すると、

 

 

「勝負はついた。崩れ去る定説(リヴィジョン)が機能を停止した以上テメェにもう勝ち目はねェ……。霊能は脅威だが、テメェ自身のスタミナがもうじき底を突くだろう」

 

 

 その言葉を、ピースヘイヴンは黙って聞いていた。

 呼吸は荒く……その顔には大粒の汗が幾つも流れている。

 

 

「複数シキガミクスの並行稼働。そのデメリットがモロに出ているみてェだからな」

 

「…………何なんだ……いったい……」

 

 

 ピースヘイヴンは、呻くように呟いた。

 

 

「何なんだ、君は……。君だって分かっているはず。『シキガミクス・レヴォリューション』では駄目なんだ……! アレでは世界は守れない。だが、私の計画ならばそんな不確かさは存在しない。『神様』と原作者、世界を運営することができるだけの力があれば、安全に世界の危機を取り除く道筋だって見える。それを私情で邪魔をするのであれば……君達は自分の感情でみすみす世界を危険に晒す大罪人になるぞ?」

 

 

 息も絶え絶えに、ピースヘイヴンは薫織のことを糾弾する。

 世界の運営。その重大すぎる責任を口にしながらも、ピースヘイヴンはちっとも臆した様子を見せない。だが、薫織もまたたじろぐ様子は見せなかった。

 

 

「お得意の詭弁だな。──『唯神夜行』によってテメェが世界の運営権を握れるとして、今この世界の運営権を握っている連中はどうなるよ」

 

「…………、」

 

「『シキガミクス・レヴォリューション』という作品において社会の運営を担っていた実力者達……『オオヒルメノミコト』率いる神宮勢力や『スサノオノミコト』、『奥の院』のような世界の裏側で暗躍する連中がテメェの台頭や世界の管理を黙って見ているとは思えねェ。……間違いなく戦争になる。そしてそれによる被害も生まれる。だろ?」

 

 

 ピースヘイヴンは、答えない。そこに、ピースヘイヴンの欺瞞があるのだ。

 つまり、『唯神夜行』は安定した世界の運営を約束するが、それと引き換えに旧体制との衝突による短期的な大量の被害を確実に生むということ。

 

 その指摘を受けて、ピースヘイヴンは観念したように頷いた。

 だが、その瞳から力は失われない。

 

 

「……認めよう。確かに私のやり方では短期的な衝突は発生するだろうし、それによってダメージを負う組織や意義を失う勢力もある。だが、それらは最悪の事態に比べれば微々たるリスクだ。あの物語(せかい)を継続させていれば、私のやり方の比ではない規模の被害が生じる」

 

 

 ピースヘイヴンは胸に手を当てながら真剣に語り、

 

 

「それに、この世界は最早『シキガミクス・レヴォリューション』ではない。一歩間違えば世界が滅ぶシナリオで、これほど大量のイレギュラーが生じてしまった。最早原作者である私にすら管理することはできない。だから、この物語(せかい)は破棄して、全く新しい、私がこの手で管理でき、犠牲も生まれないシステムを作り出す! そうすれば少なくとも世界が破滅の危機を迎える可能性はなくなるだろう?」

 

「……、」

 

「それとも、名作の出来事が消えてしまうのが惜しいとでも考えているのか? だとすればそれはナンセンスの極みだ。世界をコンテンツとして見ている楽観論に過ぎない。あらゆる前提が狂ったこの世界では、もはや主人公が主人公としての働きをしてくれるかどうかさえ定かではないのだから」

 

 

 両手を広げて、ピースヘイヴンは語る。

 この物語(せかい)は──『シキガミクス・レヴォリューション』は、もう駄目だと。

 こんな物語(せかい)では、誰も幸せになんてなれないのだと。

 

 自分がこれから築き上げる現実(せかい)ならば、多少の犠牲は許容することになるが、最悪は回避できるのだと。

 

 

「で、テメェはどうなる?」

 

 

 それに対し。

 薫織は、心底呆れ返った表情で問い返した。

 

 

「…………………………は?」

 

 

 想定の埒外の切り返し。余りの想定外に、ピースヘイヴンの思考は一瞬空白で染められた。

 

 

「テメェの言う『危険のない世界』が成立して、最小限の犠牲で世界が運営されていくようになったとして、だ。そんな世界で、世界を上手く回す為の歯車として永劫に機能し続けるであろうテメェは何のメリットを得る? って聞いてんだよ」

 

「……そんなものは……」

 

 

 不要だ、と言おうとして、ピースヘイヴンは一瞬だけ口を噤む。その間隙を縫うように、薫織は続けた。

 

 

「テメェの救済は、そもそもテメェ自身が救われることを度外視している。当たり前だよなァ。テメェの陰謀はテメェ自身の罪の意識から出発したモンだからだ。……黒幕さえも幸せにならねェような陰謀が、世界をよりよい形にする? ンなしみったれた野望、信じられる訳がねェだろうが」

 

 

 薫織は苛立ちすら見せながら右手で頭を掻き、

 

 

「大体よォ……どいつもこいつも、浪漫が足りてねェんだよ。明日世界が存続するかも分からねェから……誰かを食い物にして自分の身を守る? そうなった原因に対して復讐をする? 自分自身さえも犠牲にしてシステムを刷新する? ……全く以てくっだらねェ!!!!」

 

 

 叫びながら、薫織は拳を握る。薫織の眼前で燃え盛る炎は、まるで彼女の怒りを示しているようですらあった。

 

 

「テメェの作る全く新しい現実(せかい)は、確かに既存の世界の危機を克服した安全な世界になるのかもしれねェ。テメェ自身も含めた少数の犠牲のみで、確実に世界が運営されていくのかもしれねェ。だが……テメェはまだ自分が描いた物語(シキガミクス・レヴォリューション)の結末も知らねェだろ!」

 

「……………………こんな現状を生み出した筋書きごときなど、もう未練なんてない。ハッピーエンドなどとうに望めなくとも……せめて、せめてバッドエンドだけは回避する責任が私にはある」

 

「何がバッドエンドだけは回避する、だ……」

 

 

 そして、薫織は炎を踏み越えた。

 業火を背にしながら、薫織は一つの事実をピースヘイヴンに突きつける。

 

 

「テメェが作り出したその世界がいかに上等でも! その光景を見ているテメェ自身が完璧に救われてなきゃ、その結末は〇点のクソバッドエンドシナリオだろうが!! テメェは! この世界中の人間に! 『私たちは貴方の犠牲のお陰で幸せに暮らしていけています』なんてクソみてェな十字架を背負わせる気かっつってんだよ!!!!」

 

「……だったらどうしろと言うんだ」

 

 

 薫織の語調に引きずられるように、ピースヘイヴンの声にも徐々に感情が乗っていく。

 

 

「現にこの世界は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()! なら、こんな世界に至る原因を作り出した元凶であり、現にこうして多くの犠牲を容認している極悪人が救われているかどうかなんて、そんなものは些細な問題だろう!?」

 

「自分の罪を認めるのは結構なことだ。……だが、テメェが生み出した物語(せかい)の美点から目を背けるのはちとフェアじゃねェんじゃねェか? なァ、流知!!」

 

「……なに?」

 

 

 そこで。

 ピースヘイヴンはようやく気付く。ステージ上に立つ流知が、いつの間にか飛躍する絵筆(ピクトゥラ)を引き抜いて構えていたことに。

 

 

「あッ──」

 

 

 『唯神夜行』の内部血路の書き換え。

 それを危惧したピースヘイヴンの予想を大きく上回って、流知は無言で壁に絵筆を突きつけた。

 

 その瞬間、霊能が発動する。

 

 

 ──そこにあったのは、大勢の人間の笑顔だった。

 構図は、上空から地上に立つ人々を描いたもの。空を見上げた老若男女が、みな屈託のない笑みを浮かべているイラストだ。

 白を基調とした学生服を身に纏った黒髪の少年。少年の傍らに寄り添うように佇む和服を纏った白髪の少女。老境に差し掛かった小太りの男。高飛車そうな顔つきの金髪の少女。豪快な印象の和装の男。雅な印象の和装の女。

 それこそ数十人単位の人間や人外が一堂に会して幸せそうな笑みを浮かべている光景が、ステージの壁面全体に()()()()()()()描かれる。

 

 

「…………こ、れは…………」

 

姉御先生(コミカライズ側)が…………どうしてもと譲らなくてね…………。そんな私信みたいなことはやめろと俺も言ったんだが……」

 

 

 気付けば、ピースヘイヴンの背後から嵐殿の声がした。

 振り返ると、押し倒されて気絶していた嵐殿はフラフラとよろめきながら立ち上がっているところだった。

 

 

「『ラストシーンは、これ以外にあり得ない』『真っ先に天国に逝っちまったあの馬鹿を、皆が笑顔で見送る。それが()()()()「シキガミクス・レヴォリューション」のラストだ』…………だそうだ。ちゃんとお前のプロット通りにやって最後がこれじゃあ、俺も認めるしかなかったよ」

 

 

 言われて、気付く。

 あのイラストの全員が、()()()()()に向かって笑いかけていることに。

 

 

「……大好きな場面ですわ。中学生のときにはじめてこの作品を読んでから……いっぱいこの場面を模写しました。他にも色々……それがもとで、わたくしはイラストレーターを志すようになりましたの。だから今でも見ないで描けましてよ。…………このシキガミクスを設計して……この世界に原作者(アナタ)がいると知った時……いつかこの場面を見せてあげたいと思った」

 

「………………こ……こんな……こんなことが……」

 

 

 ピースヘイヴンの身体が、よろめく。

 それは身体のダメージなんかではない。もっと根幹にある『何か』に強大すぎる衝撃を受けたことで、魂の芯が揺らいだのだ。

 

 

「テメェは知っているはずだ」

 

 

 そこに、薫織が言葉を紡ぐ。

 

 

「物語の最後。最後の最後に生じた三千世界の崩壊に向かって、人間も怪異も、清貧なる聖女神も権力にまみれたタヌキジジイも、全員が全員一丸となって『幾千鬼夜行(カタストロフ)』に立ち向かったあの物語を!! テメェが一番よく知っているはずだろうが!! テメェが生涯をかけて描き切った()()()()は!! どんなトラブルやハプニングが起ころうが、コイツらならきっと最後の最後にはきちんとハッピーエンドを掴み取れるって信じられる、希望の物語だったんじゃねェのか!!!!」

 

 

 ──『シキガミクス・レヴォリューション』は名作だった。

 

 原作小説だけに飽き足らず、コミカライズ、ボイスドラマ、アニメーション、劇場映画、スピンオフ、あらゆるメディアミックスは成功をおさめ、そして世間はみなその物語を読んで束の間、空想の世界を満喫した。耐えがたい災害によって大切なものを奪われた子どもたちが、空想の世界で心を癒し立ち直るだけの活力を育むことができた。

 その物語に特殊な効能があるわけではない。ただ、その希望の物語が──誰かの心を奮い立たせることができたというだけの話ではあるが。

 だが、それはとあるメイドにとっては世界を揺るがすほどの大偉業だったに違いないはずなのだ。

 

 

「物語と同じような奇跡がきっと起きてくれる……なんて楽観じゃねェ。現実にこの世界にはハッピーエンドを掴み取ることができるほどの千両役者が大勢いて、この世界の奥の奥まで知り尽くしているテメェがいて、そして世界もテメェも救いたいと願う(オレ)達がいる!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ッッ!!!!!!」

 

 

 答えは、なかった。

 ただ、ピースヘイヴンは静かに膝を突いた。それが、全ての事件の終着を意味していた。

 

 

 そして、それが合図となった。

 

 

 


 

 

 

 どぐん、と。

 

 唯神夜行が、鳴動する。

 

 

 


 

 

 

「な……!?」

 

 

 突如ステージの方から発生した波動に、薫織は茫然とした視線を向ける。

 小心者の流知は脱兎のごとくステージから転げ落ちて逃げ出しており、そこだけは安心できたが──しかし、それ以前の問題が発生していた。

 『唯神夜行』を内包していたシキガミクスから、大量の霊気が迸りつつあるのである。

 

 

「…………そうか」

 

 

 小さく、ピースヘイヴンが呟いた。

 

 

「おかしいとは思っていた。私の計算は完璧だったはずなのに、何故園縁君を霊気の奔流が直撃したのかと。……あそこから、既に計算は狂っていたんだな」

 

「おい、どういうことだ黒幕野郎。まさかテメェまた……」

 

「ああ、私の失敗だなこれは」

 

「このおバカ!?!?!?」

 

 

 胸倉に掴みかかろうとする流知だったが、これは薫織によって抑えられる。

 

 

「『唯神夜行』は通常の『百鬼夜行(カタストロフ)』と違い、神様を生み出す術式だ。一分の無駄もなくすべての霊気が神様の生成に使われる計算になる。一方で、神様は大気中の霊気を取り込むことで存在を維持することができる唯一の存在だ。……つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何ですのそれ!? それじゃあつまり、アナタは自分が生み出して利用しようとした神様の挙動を読み違えて勝手に大ピンチに陥っているってことですの!?」

 

「まぁ、そうなる」

 

「このおバカ!! ええい離して薫織! この人三発くらい叩いても許されると思う!!」

 

「落ち着け流知。半殺しにしても許されるレベルだが、一旦待て」

 

 

 流知を宥め、薫織はピースヘイヴンの様子を見る。

 己の策謀が暴走したにしては、ピースヘイヴンは落ち着き払った様子だった。

 

 

「なに、問題といっても、不完全な神様の誕生と共に霊気の奔流でこのあたり一帯が更地になるだけだ。大した問題じゃない」

 

「そんなの大問題に決まって……っ」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 黒幕の言葉に、その場が凍り付いた。

 

 

「私を誰だと思っている? 霊気の挙動を知り尽くし、そして霊気操作を極めて独力での霊能発動を可能にした人間だ。端的に言って、その気になって適切な準備を整えれば神様になることすらできるレベルだぞ」

 

 

 ピースヘイヴンは少しだけ誇らしげに胸を張って、

 

 

「その私が魂を使い潰すレベルですり減らせば……まぁ、霊気の奔流程度なら十分相殺可能だな。中の神様は……この鳴動だ。放っておいても術式の不発に伴って存在の維持すらできずに消えるだろう」

 

「アナタ……この期に及んでまだそんなことを言って……!」

 

 

 つまり──自己犠牲。

 自分が死ぬことによって、その計画を全て無に帰し丸く収める、と。この黒幕はそう言っているのだ。

 そして黒幕は困ったように笑いながら、こう続けた。

 

 

「ところが、ここで一つ計算外の事象が発生した」

 

「この上、さらに何かあるんですの!?」

 

「ああ。……なんと、私は死にたくなくなってしまったんだ」

 

 

 そんな、当たり前の欲望を。

 

 

「それこそ『この期に及んで』……と思うかな。だが、諦めていたのに……今更になって見たくなってしまったんだよ。()()()()を。誰もが笑って、同じ方向を見る……そんな最高のハッピーエンドを。私もそこで、一緒になって笑っていたいと、思ってしまったんだ」

 

 

 それこそが。

 それこそが、おそらくはこの世界に蔓延っていたとある邪悪(ぜつぼう)の敗北であり。

 そして、そうした邪悪(ぜつぼう)に立ち向かっていた者達の勝利だったのかもしれない。

 

 

 だから、二人は静かに語り合う。

 

 

「ねぇ、薫織。お願いがあるのですけど」

 

「なんだ、お嬢様」

 

 

 ここまでくれば、あとはもう単純だとばかりに。

 令嬢は、メイドに命ずる。

 

 

「あの馬鹿な黒幕を……いいえ。わたくし達を……陳腐な最悪の結末(カタストロフ)から救ってくださいまし!」

 

「仰せのままに」

 

 

 そしてメイドは、獰猛に笑った。

 

 

「さァ────『ご奉仕』の時間だ」

 

 

 


 

 

 

「こんなモンに、奇跡や気合は勿体ねェ」

 

 

 今にも暴走しそうな『唯神夜行』を前にして、薫織は鼻で笑うように言い切った。

 『時』すらもその手中に収めた黒幕を下したそのメイドは、あくまでも不遜に、

 

 

「勝つなら完膚なきまでに、瀟洒でスマートな勝利を。それがメイドだ。……っつーわけで」

 

 

 その手に、一枚の紙が現れる。一面に何らかの図式が描かれた、正方形の紙だ。

 薫織はそれを流知に手渡す。

 

 

「これは?」

 

「逆転の一手。……そいつを床一面に描いてくれるか? 材質は(オレ)の血だと最高だが、まァ簡単に消えなければ何でもいい」

 

「わ……分かりましたけど……」

 

 

 突然の指示に怪訝そうな表情を浮かべながらも、流知は床面に絵筆を突き立てて霊能を発動し、薫織が渡した紙の通りの紋様を地面に描いていく。

 それを見ながら、薫織はゆっくりと語り始めた。

 

 

(オレ)女中の心得(ホーミーアーミー)は、こうやって陣を刻んだ家屋・『裏階段』の中の物品を手元に瞬間移動させる霊能だ。瞬間移動させた物品・『女中道具』は基本的にそのままだが、(オレ)が望めば元の『裏階段』に戻すこともできる。(オレ)は単純に解除と呼んでるがな」

 

 

 取り寄せと、解除。

 瞬時に多彩な物品を取り出し扱うことができるのが、女中の心得(ホーミーアーミー)の最大の強みと言えるだろう。

 

 

「そして……(オレ)だけは例外的に『裏階段』に転移することができる。各『裏階段』の整備の為の機能だが……ま、応用すれば緊急回避程度には使える。さっきみてェにな」

 

「……なるほど、アレはそういうカラクリか……」

 

 

 ピースヘイヴンは納得するが、しかし流知は首を傾げたままだった。

 

 

「そこは既に知っていますわよ。問題は、その霊能を使ってどうやってこの状況を解決するのかってところではありませんの? 今聞いた限りでは、どうしようもないように思えるのですが……あっ、終わりましたわよ」

 

「あァ。まァ論より証拠だ。まずは見てな」

 

 

 薫織は軽い感じでそう答えて、

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 ──そこは、大海原の只中であった。

 雲一つない晴天。穏やかな水面。波間で揺れるそのクルーザーは、三六〇度全方位を海に囲まれている。丘陵めいて波立つ海面の向こうには、島の一つも確認できない様子だった。

 太平洋。

 此処がそう呼ばれる海域であることを、それらの情景が如実に示していた。

 太平洋の只中で太陽の光を反射する真っ白い船体には、『第六裏階段』という文字が記されている。

 そして──薫織はその上に佇んでいた。

 

 

女中の心得(ホーミーアーミー)。やれやれ……とりあえず準備は完了だな」

 

 

 『裏階段』への瞬間転移。

 これが策の第一段階だ。そして次の段階で、ひとまず()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「そして流知に刻ませた陣により……()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ここでもう一度、女中の心得(ホーミーアーミー)の霊能を整理してみよう。

 女中の心得(ホーミーアーミー)は、『裏階段』に存在する物品を本体である薫織の手元に瞬間移動させる霊能だ。

 薫織の個人的なこだわりから取り寄せる物品は『掃除用具』『調理器具』『食器類』『食材』『寝具』といったメイドの業務に関係する物であることが大半だが、別に霊能的な制限がそこにあるというわけではない。

 

 つまり。

 

 

「『()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ズ──と。

 掲げた薫織の手の先に、禍々しい気配を放つ一本の木剣が現れる。

 『唯神夜行』。

 その術式と、神様を生み出すほどの霊気を封入された邪剣は──こうして学園から切り離された。この時点で、霊気の奔流によって大量の被害が生じることはない。薫織の目的も、達成されたも同然だった。

 ただし。

 

 

「……残念そうだなァ、()()()

 

 

 薫織は、ゆったりと呼びかけた。

 『唯神夜行』のシキガミクスに──否、()()()()()()()()()()

 

 

 最初から、不自然ではあった。

 

 神様の発生により、その霊気を取り込むという挙動で計算が狂い、術式が暴走した?

 ピースヘイヴンの分析は確かに的を射ている。だが──にしたってタイミングが最悪すぎるとは思わないだろうか。

 一度目は霊気の奔流が薫織の脇腹を直撃するように。

 二度目はピースヘイヴンが自らの負けを認めた直後に。

 まるでより盤面を混沌に陥れられるタイミングで暴れているような、そんな悪意すら感じるような動き。

 

 そして──何より、『霊気の吸収』は別に神様の存在が成立した時点で自動的に発生するわけではないのだ。あくまでも、()()()という話。つまりやろうと思わなければ霊気の吸収は起きないし、仮に生まれたての神様が本能で動いているのであれば、自らの存在を不安定にしかねない行動は本能的に忌避するはずなのだから。

 そうではないとすれば──残る可能性は一つ。

 

 明確な、悪意。

 

 ゆえにこそ、薫織は決断する。

 この神様を、世に放ってはならないと。

 

 

「行き違いだったら悪りィからな。一応弁明は聞いておくぞ。何か言い分はあるか?」

 

『………………………………』

 

 

 しかし、シキガミクスの奥にいる神様は何も語らない。

 語れないのではなく、語らない。──そう直感できるほどに、生々しい沈黙がそこにあった。

 薫織は溜息を一つ吐いて、そして言う。

 

 

「分かった。じゃあ──こっちも遠慮しねェ」

 

 

 直後、薫織の身体が天まで跳ねた。

 大量の『女中道具』を足場代わりにして、そして空まで駆けあがったのだ。

 一気に三〇メートルほどの高さまで飛び上がった薫織は、船上の木剣に焦点を合わせると、今度はまるで逆回しの映像のように船へと駆け下りていく。

 

 シキガミクスの奥にいる神様も──それを黙って見ているわけではない。

 迸るのは、紫電。

 霊気の奔流が、雷のように流れて薫織を突き破らんと弾かれる。──それは、かつて薫織が手も足も出ずに瀕死の重傷を負わされた一撃。まさしく雷速のそれは、いかに霊気で強化されていようと人間の身では回避することも叶わない。

 まさしく、神の一撃。

 

 

「……自然現象気取ってんじゃねェぞ、怪異風情が」

 

 

 その一撃は、薫織の脇腹を庇うように発現されたナイフの束によって完全に防がれていた。

 

 

「テメェの一撃がどれほど速かろうが、その根底に悪意が、意図があるのならそれを先読みして行動することは誰にだって可能だ。……分かるか、神様」

 

 

 神の一撃を掻い潜ったメイドは、落下の加速をその足先に乗せて、神様に告げる。

 

 

「テメェの負けだ。おとなしく幽世にすっこんどけ!!!!」

 

 

 メイドの蹴りが、木剣を叩き割り。

 

 直後、大規模な霊気の奔流が、クルーザーごと周囲五キロメートルに破滅的な爆風を撒き散らした。

 

 

 


 

 

 

「か、薫織!!」

 

 

 同時刻。

 園縁薫織は、ウラノツカサの第七体育館に存在していた。

 

 その右足は、よほどのダメージを負ったのかグチャグチャになっていたが──

 

 

「か、薫織ぃ……あ、足、足が! た、た、大変! 師匠! 師匠! 薫織の足が、足が! 早く治さないと!!」

 

「いちいちそんな世界の終わりみてェな顏すんな。最初から嵐殿に治してもらうのをアテにしてる覚悟の負傷だっての」

 

「はいは~い。正直今も頭クラクラなんだけど……放っておくと命の危険っぽいし、お姉さん頑張っちゃおっかな~」

 

 

 左足だけでケンケン歩きになりながら、薫織は狼狽する流知の頭をぽんぽんと撫でる。

 そんな薫織に肩を貸しながら、ピースヘイヴンは静かに問いかけた。

 

 

「……どうなった?」

 

「いちいち説明が必要か? ……決着つけてきたよ。テメェの陰謀全部にな」

 

「…………」

 

 

 その言葉に、ピースヘイヴンはただ沈黙を守った。

 感謝をすればいいのか、謝罪をすればいいのか。とにかく、世界は救われた。大げさではなく──『シキガミクス・レヴォリューション』という物語(せかい)は、この戦いによって守られた。

 良くも悪くもその物語(せかい)に深く関わりすぎたピースヘイヴンには、こういう時に口にできる言葉が思い当たらない。

 

 そんなピースヘイヴンに、薫織は軽い調子でこう続けた。

 

 

「これにて、ご奉仕完了。……どうだ黒幕(げんさくしゃ)。これが、『ハッピーエンド』ってヤツだよ」

 

「…………ああ、そうだな。完敗だ、ヒーロー」

 

「何言ってんだ」

 

 

 全ての陰謀の元凶の肩を借りながら。

 世界を救った女は、笑いながら返す。

 

 

「ヒーローなんてガラじゃねェ。(オレ)はメイドだ。……大切な連中(ごしゅじんさま)を守る、最強にして無敵のな」




次回は3/21 20:00に更新予定です!次回、第一部最終話!


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21 そしてまた、新たなる序章

一時間遅刻です!


 ──そうして、生徒会長トレイシー=ピースヘイヴンの陰謀は幕を下ろした。

 

 学園中を巻き込む『霊威簒奪』の騒動はありはしたものの、それはあくまで全校生徒の一割しかいない転生者の一部でのみ出回った噂。多くの生徒達にとっては──『シキガミクス・レヴォリューション』に登場する主要な人物達含め──生徒会長の挨拶がなかったことを除けば、何事もない終業式を経てゴールデンウィークを迎えたのだった。

 

 ゴールデンウィーク初日。

 薫織と流知は、()()()()()の為に一つの校舎へと足を運んでいた。

 

 その校舎の名は、正式名称を『特別生活指導過程学習棟』。

 生徒数は一〇〇〇人を超え、そしてその全校生徒が一つの島で生活しているというこの学園都市では、その一〇倍近くの人員が都市運営の為に必要となる。占めて一万人もの人間が生活する環境ではインフラはもちろん、犯罪への対応も不可欠となる訳だが──『ウラノツカサ』はその性質上、学生の大半が陰陽師という異能を扱う技術を持つ人間となる。

 そして一〇〇〇人も学生がいれば、当然その中のいくらかは犯罪に手を染めることも想定しなければならない。この校舎・通称『学生牢』は、その為に存在する問題生徒収監施設でもあった。

 先日の『生徒会』のクーデターにおいては、伽退(きゃのく)悠里(ゆうり)を始めとする多くの反逆生徒がこの学生牢に収監されたが──その後のピースヘイヴンの陰謀の失墜に伴い、多くの生徒は仮釈放として寛大な処分を受けていた。

 

 ゆえに、薫織達の目的は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……なんだか、こういうところにはあまり来たくありませんわね……」

 

 

 学生牢の受付を済ませて、まるで古い校舎のような木造の廊下を歩き──流知は不安そうに言う。周囲を忙しなく見渡す彼女の横顔には、明らかに普段と異なるロケーションに身を置く緊張が見て取れた。

 まぁ、『ウラノツカサ』の外で喩えれば凶悪犯罪者が収容されるような刑務所に足を運んでいるようなものなのだから、それも当然かもしれないが。

 

 

「心配すんなよ。中にいる連中がどんなモンかは知らねェが、()()()()()()鹿()()。そう考えたら大したことねェように感じるだろ?」

 

「まだ見ぬ悪人たちの格を勝手に下げるのはあまりよろしくありませんわよ……」

 

 

 対照的に泰然自若としている薫織の言葉に、流知はちょっとげんなりしてみせる。

 今回、二人が学生牢に足を運んだ目的。

 それは──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 


 

 

 

 学生牢の中でも最奥、地下四階の一番奥にある『特別教室』に、その人物は収監されている。

 遠隔操縦の汎用シキガミクスに案内され、重々しい鉄の扉が開いたその先には刑務所の面会室のような小部屋があり、その先に透明のプラスチック板を隔てて広い空き教室のような空間が広がっていた。

 

 

「──やぁ、よく来たね」

 

 

 そしてその空間の中心。

 学校においてあるそれそのものの学習机の上に腰かけながら、空色の髪の少女は薫織達を出迎える。

 

 トレイシー=ピースヘイヴン。

 永世会長(デスポット)にして、現在は最重要問題生徒として学生牢への無期収監を言い渡されている罪人でもあった。

 

 

「……随分と良い暮らしをしているようだな。大人しく収監されたのは反省のあらわれか?」

 

 

 つまらなさそうにしながら、薫織は問いかける。

 ピースヘイヴンは頷いて、

 

 

「まぁそんなものかな」

 

「原作者である自分はもう表舞台には関わらない、か? 言っておくが、そりゃ潔さに見せかけた無責任だぞ」

 

「勘違いしないでくれ。別に私は責任を放棄するつもりなんかないよ」

 

 

 鋭い薫織の言葉に、ピースヘイヴンは心外そうに切り返す。

 ──ピースヘイヴンは、既に学生牢への無期収監を言い渡されている。彼女が生きてこの学生牢を出るには、それこそ学園が転覆するレベルの異常事態が発生しなければならない。そういう風に、()()()()()()()()()()のだ。

 ただしピースヘイヴンはそんな前提を打ち崩すかのように、

 

 

「そもそも、私は今以てまだ生徒会長のままだしな」

 

 

 と、とんでもないことを言い始めた。

 

 

「……は? 学生牢に収監されてるのに? ……あァ、まだ手続きが終わってないからか」

 

「いや違う。そもそも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「急に何を言ってるんですのこの極悪人???」

 

 

 ──殊勝な姿を見せていたから、流知も若干忘れかけていたが。

 そもそも、責任感からの行動とはいえピースヘイヴンは学園全体を揺るがす『霊威簒奪』のデマを流して多くの転生者を手玉にとってきた悪人である。そしてそんな悪人が二〇年も権力の頂点に立っておきながら、ルールを自分に都合の良い形に変えていないわけなどないのである。

 

 

「そういうわけだから私自身は罪を償う為に牢屋暮らしだが、生徒会長としての影響力は変わらず行使し続けるし、シキガミクスも問題なく運用する。君達を此処まで案内した『スニークウルフ』達も私が操作していたんだぞ」

 

「この学園ヤベェな」

 

 

 得意そうに言うピースヘイヴンに、薫織は真顔で言うしかなかった。

 

 

「それに、私の崩れ去る定説(リヴィジョン)は封印型だ。私からどれだけ離れようと私と同等の判断力を有して活動ができる。……そうなってくると、本体たる生身の私がこうやって安全な場所に引きこもっていた方が総合的には都合が良いんだよ」

 

「あー…………」

 

 

 そもそも、今回の事件の前段にあった『生徒会』のクーデターにしても根底には『ピースヘイヴンは殺そうと思えば殺せる』という判断があった部分はあるだろう。そうした危険を排除することが、この無駄に恨まれている落第ラスボスの治世を安定させる効果があると言われれば──それは否定できない。

 もっとも、罪を償う為の収監に思いっきり実利的な狙いを含めているこの原作者の図太さには薫織も閉口してしまうが。

 

 

「それで? 君たちの要件はなんだね。昨日の今日で私の様子を見に面会までしてくれたのなら、大変光栄だがね」

 

「んなわけねェだろ。自分を知れ、自分を」

 

 

 楽しそうに笑うピースヘイヴンに、薫織は吐き捨てるように言い返す。

 そして彼女は視線をピースヘイヴンの座る机の左奥へと移す。そこには──純白の学生服を纏うピースヘイヴンとは違い、黒のスーツを身に纏う灰色の髪の女がいた。

 

 

(オレ)達の要件はこっちだよ。……なァ、()殿()

 

 

 女の名は、嵐殿柚香。

 ピースヘイヴンとは前世から続く戦友であり──そして今世においては、ピースヘイヴンの陰謀を防ぐ為に薫織達を導いた人物でもあった。

 あった、のだが……。

 

 

「テメェ、()()()()()()()()()()()()

 

 

 本日付で、とある辞令が下った。

 その辞令とは、『ウラノツカサ』に一人の校医が着任したというものである。そしてその校医というのが、彼女。嵐殿柚香──というわけである。

 水を向けられた嵐殿は軽い感じで頷いて、

 

 

「まぁ、私が学生をやってたのって、このコの暴走を止める為だからねー。実際に止めることに成功した以上、ズルして学生である理由もないし。知ってた? お姉さんってば肉体的にはともかく戸籍上はもう三八歳なのよん。この二〇年の間に医師免許も取ってるから、ちょうどいいし校医として公式に学園に在籍しちゃおっかな~って。ほら、回復役として私優秀だし~?」

 

「医師免許なんて持ってたんですの……」

 

「そりゃもちろん。何せ霊能的にも人体への理解は深めないといけませんから」

 

 

 言いながら、嵐殿は何やら室内の片づけを再開する。

 ──というわけで、嵐殿は学生身分を返上し、学生牢付きの校医として正式に『ウラノツカサ』に雇用されたのだった。学生牢に収監されるような生徒はもれなく陰陽師として優れた能力を持っている上に往々にして血の気が多いので、確かに嵐殿のような反則級の回復霊能の持ち主が所属するのは組織的にもプラスと言えるだろう。

 彼女のピースヘイヴンを世話する横顔の幸せさを見たら、そんな真っ当な理屈を超える私情の存在を疑わずにはいられないが。

 

 

「ケッ、ワンコ野郎が……。元鞘に収まった瞬間、嬉しそうに尻尾振りやがって」

 

 

 薫織は憎まれ口を叩くが──本題というのはまさにそこにあった。

 話を引き継ぐように、流知はガラス板に備え付けられた机をバン!! と叩きながら言う。

 

 

「それよりも!! 重要なのはこのままだとライ研の存続が危ういってことですのよ!!」

 

 

 ──『ウラノツカサ』では、生徒の自主性を重んじる校風から自由に部活動の設立を申請することができる。一応形式上は『生徒会』に申請する形だが、『生徒会』がその申請を弾くことは一切なく、兼部も許されているなど非常に緩い。

 ただし──一つだけ部活動の成立には条件があり、三人の定員が課せられているのである。

 当然、定員が割れれば部活動は廃止となる。これまでは嵐殿が裏から色々と手を回して学生としての身分を確保していた為ギリギリ定員を守れていたが、嵐殿が校医として正式に雇用されたということはそうした裏技が使えなくなることを意味する。

 するとどうなるか。薫織と流知しかいなくなったライ研は定員割れとなり、一週間の猶予期間ののちに廃部が決定してしまうのである。

 

 気炎を上げる流知に対し、ピースヘイヴンは首を傾げながら、

 

 

「私の陰謀は阻止できたわけだし、それが目的で集まっていたライ研は解散しても別にいいんじゃないか?」

 

「馬鹿ぁ!! そっちの目的は確かに達成できましたけど!! そもそも私はライ研の活動に本気でしたのよ!! アナタだってわたくしが生徒会活動に協力してたりしていたのはご存知でしょう!? ライ研がなくなるなんてやだぁ!!」

 

 

 ──とのことであった。

 何のことはない。目的の為に集まった関係性ではあったが、流知にとっては既にその集まりが掛け替えのない財産になっていた、ということ。これにはそういう事情を想定していなかった嵐殿も、自分が引き金を引いてしまったがゆえに非常に気まずい表情を浮かべる。

 

 

「あー……その……ごめん、ねぇ?」

 

「師匠の薄情者ぉ!! 私のイラストのお陰でトレイシーさんを口説き落とせたようなもんなのに!!」

 

「あ、うん。本当にごめん。勝手に話を進めて反省してます」

 

 

 ちなみに、この問題については薫織も全然意識していなかった為、この二人について何か言える立場ではなかった。

 今朝になって辞令が出たことを話題に出したところ、大層慌てだした流知を見て慌てて学生牢まで飛んできた次第なのである。

 

 

「ねぇ薫織、お願い! ライ研を続けられるようにできないかしら!?」

 

「……だそうだが、生徒会長。お得意の不正行為でどうにかならねェか?」

 

 

 明け透けに不正の頼みをする薫織だったが、ピースヘイヴンは静かに首を横に振る。

 

 

「残念だが、私はルールを変えてから動くから不正は今回以外していないぞ。つまり、答えはNOだ。諦めて代わりの部員を探すんだな」

 

「こんなときばっかり真面目ぶるんじゃないですわよダメ人間!!」

 

 

 当然すぎるツッコミを入れる流知だったが、今回の生徒会長はどうやら清廉潔白モードのようだった。やはり、どうしても代わりの部員を集めるしかないらしい。──薫織の眼から見れば、ピースヘイヴンの態度には『君ならそのくらい楽勝だろ』という楽観もあるように思えたが。

 

 

「……うぅ、薫織ぃ」

 

 

 勝手に万策尽きた気になっている流知に見上げられ、薫織は面倒くさそうに溜息を吐く。

 頭を搔きながら、メイドはどうにも締まらない調子でこう言ったのだった。

 

 

「はァ……。仰せのままに。『ご奉仕』の時間といかせてもらいますか」

 

 

 


 

 

 

21 そしてまた、新たなる序章

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 そういうわけで、薫織達は学生牢を後にして校舎を彷徨い歩いていた。

 新しい部員──と言っても、既に世間はゴールデンウィーク。全寮制の『ウラノツカサ』といっても、大部分の学生達は学外に帰省しているのが大半だし、それに伴って島内のインフラを維持する為の人口も大幅に少なくなる。必然的に校舎の中にいる生徒は激減しており、そういう意味でも部員探しは難航しそうだった。

 

 

「さて、お嬢様に問題だ。この帰省シーズンに『ウラノツカサ』に居残ってるヤツってのはどういうヤツだと思う?」

 

「え~……学校が好きな人とか、学校でやりたいことが残ってる人とか……?」

 

「発想が善だなァ。間違いじゃねェが、そういうヤツは学校生活が充実してるから新入部員向きではねェな」

 

 

 薫織は楽しそうに笑って、

 

 

「答えは問題児。家庭に問題があるとかで帰省したがらないヤツ。補習で帰省することもできねェヤツだ」

 

「あ~……」

 

 

 納得すると同時に、流知の表情が渋いものになる。

 つまり薫織の問いかけは、言外に『この時期に学園に残っているヤツなんてろくなヤツいねェぞ』と言っているようなものだからだ。そして、流知のような人畜無害な生徒はそうしたヤンキーに対して無条件に忌避感を覚えるものである。(常に行動を共にしている薫織の言動も大概ヤンキー並みに柄が悪いのでは? とは言ってはいけない)

 

 

「まァそんな顔するな。アテはある。そうだな──」

 

 

 言いかけたところで、薫織は視界の端に緑髪の女子生徒の姿を捉えた。

 女子生徒の方も薫織の存在に気付いたのか、ぴくりと眉を動かしてから──非常に嫌そうな顔をした。

 

 

「よォ、シャバの空気は上手いか? ()退()

 

 

 ──伽退(きゃのく)悠里(ゆうり)

 『生徒会』クーデター騒動の主犯であり、押し売りの契約印(デモンズカヴァナント)という洗脳タイプのシキガミクスを扱う陰陽師だった。薫織に倒された後はクーデターの主犯として学生牢に収監されていたのだが、そのクーデター対象が学生牢に叩き込まれたことで、『生徒会』の混乱を抑える為に条件付きで釈放されているのだった。

 

 

「……何が何やらさっぱりですよ。私は、貴女に負けて収監されていたはずなんですがね」

 

「テメェは気付いていなかったようだが、ピースヘイヴンは『霊威簒奪』のさらに奥に陰謀を企てていた。(オレ)達が阻止したから、アイツは無事学生牢行きって訳だ。『生徒会』の半数が学生牢に入った上に会長まで学生牢じゃ『生徒会』の運営が破綻するから、とりあえずテメェらは釈放になったんだろ」

 

「………………もしかしなくてもこの学園、今かなりヤバイ状況だったりするのでしょうか」

 

「ま、ピースヘイヴンがやる気だしそう酷いことにはならねェと思うが……」

 

 

 冗談抜きに、戦後まもなくくらいに制度はガタついている状況である。ちょっと顔を蒼褪めさせた伽退の感覚は正しいと言わざるを得ないだろう。

 ただ、()()()()()は本題ではない。薫織はこほんと咳払いをして、

 

 

「ところで、だ。今(オレ)達の部活が定員割れしてんだが、入る気はねェか?」

 

「えぇ!?」

 

「はぁ!?」

 

 

 薫織の言葉に、流知と伽退が全く同時に声を上げた。

 

 

「貴女、正気ですか? 私は戦略上必要だったとはいえ一度は彼女のことを害そうとした人間ですが……。というか、彼女だって驚いているではありませんか」

 

「あ、いや……。あまりにも予想外だったから声を上げちゃいましたけど、よく考えたら特に問題はありませんわね」

 

「大ありだろうが」

 

 

 あまりに能天気な台詞に、思わず地が出て声を荒げる伽退。

 ヤンキーというよりヤクザな顏が出て来たことで、流知は小動物みたいに縮こまってしまう。

 

 

「……やるわけねェだろ。ただでさえ、私は今後の身の振り方を考えるので忙しいんだ。お友達ごっこに精を出す余裕なんかねェよ」

 

 

 吐き捨てるような伽退の拒絶に、流知はさらに落ち込みも加えて水浸しの小動物みたいに哀れな顔になっていく。伽退はさらに溜息を吐いて、

 

 

「……っていうか、テメェらも分かってんのか? ピースヘイヴンがどういうつもりであれ、アイツは確かに表舞台から退く決断をした。どう取り繕っても、これから『外』の介入が増えていくことは避けられねェ。ただでさえこれからは『原作』の時期に入って、世界は混沌としていくってのにだ」

 

 

 それは、実際に『外』の組織に身を置いていたことのある彼女だからこその危惧だろう。彼女はそのまま二人のことをじっと見据えて、

 

 

「そんな時期に呑気に部員探しなんかしてる場合かね」

 

「逆に聞くが」

 

 

 その視線に対して、薫織は少しも視線を逸らさなかった。

 

 

「テメェは、そのくらいでこの世界がどうにかなるとでも思ってんのか?」

 

「…………、」

 

 

 その答えは、少し前までならばYESだっただろう。だが、事情は既に変わっている。

 ちっぽけな復讐の意思は、簡単にへし折られ。

 そしてその憎しみを向けた先は、今や報いを受けている。

 ──そしてそれらを成し遂げたのは、目の前の二人なのだ。伽退がクーデターや大規模洗脳なんていう暴挙に出ても成し遂げられなかったことを、この二人はあっさりと成し遂げている。まるで、物語の主人公みたいに。

 

 

「……私と同じ癖に」

 

 

 小さく呟いて、伽退は頭を振った。

 『あの物語』に登場していなくたって、何かを成し遂げることはできる。そんなことは──多分、伽退自身だって最初は屈託なく信じられていたはずなのだ。いつしか、そういうものを信じるには重荷が積み重なりすぎてしまったが。

 だが、最初から分かっていたはずなのだ。

 だって彼女がこの世界に生まれて来た最大の理由は──あの物語が、好きだったことにあるから。

 

 

「……思わねェよ。私が大好きだったあの作品に生きる人達は、そんなに弱くはないから」

 

 

 


 

 

 

 ともあれ、部員勧誘自体は断られてしまった。

 伽退と別れた薫織と流知は、校舎を出て通学路を歩いていた。やはりゴールデンウィーク帰省の影響で人通りは激減しているが全く人がいないわけではない。ぽつぽつとすれ違う通行人を横目に見ながら、流知は目に見えて肩を落としていた。

 

 

「……良い感じの流れだったじゃありませんの……。なんであの流れで入部してもらえないんですの……?」

 

「まァ、馴れ合うのが嫌いなタイプってのはいるからな」

 

 

 ぶーぶーといじける流知だったが、薫織の方は大して気にもしていないようだった。

 すたすたと流知を先導するように歩く薫織の背中を見ながら、流知は怪訝そうな表情を浮かべて、

 

 

「……ところで今はどちらに向かっているんですの? なんだか足取りに迷いがないみたいですけど」

 

「あァ。ちょっと顔を出しときたいところがあってな。多分、このへんで……」

 

「あーっ!!!!」

 

 

 と。

 そこまで薫織が言いかけたところで、あどけない少女の大声が通学路に響き渡った。

 

 

「オマエ達! なんかあの後色々大変だったんだってな! 久遠姐さんから聞ーたぞ!」

 

 

 そこにいたのは、青髪をポニーテールにしたサメのようなギザ歯の少女。

 冷的(さまと)静夏(しずか)──彼女もまた、かつては薫織達と衝突した敵だった。『霊威簒奪』のデマに踊らされた仲間達に裏切られ、自身もデマを信じて流知のことを襲ったりもしたが、彼女に関しては割と早いうちに和解していた。あの時は、断られたまま入部関連の話はうやむやになってしまっていたが──。

 

 

「(薫織! でかしましたわよ! 確かに冷的さんなら仲も良いですし、安牌中の安牌でしてよ!)」

 

 

 グッ! と拳を握って薫織に目配せしながら、流知は笑みを浮かべる。

 何せ、冷的とは薫織の部屋で一晩中ゲームをして遊んだ仲である。彼女自身は元々自分が参加していた部活動を退部しているし、彼女ならばライ研に参加してくれる可能性は高い。

 

 

「冷的さん。実は──」

 

「そーそー。オマエらに会ったら報告しよーと思ってたんだ。わたしも──あれから色々考えてな」

 

 

 言いかけたところで。

 冷的は、少し照れくさそうにそっぽを向いてそんな風に切り出す。

 

 

「わたし、元の部活の仲間達とやり直すことにしたんだ」

 

 

 そんな、再起についての話を。

 

 

「一時は、色んなものに絶望して、何もかも諦めてヤケになってた。でも、オマエ達のお陰で……もう一度やり直そうって思えたんだ。…………本当にありがとう。全部、オマエ達のお陰だ」

 

「…………、……そ、そんなそんな……」

 

 

 それ自体は、非常に喜ばしい話だ。

 裏切られたといっても、それは世界の終わりによる絶望が蔓延した極限状態によるもの。冷的の仲間達が性根から悪人だったというわけではないだろうし、様々なわだかまりを乗り越えてもう一度失われた絆を取り戻せるのであれば、それは心裡から祝福すべきことである。

 

 

「……よく、乗り越えたな」

 

 

 そんな冷的に、薫織はとても優しい笑みを浮かべながら、拳を突き出す。

 冷的もまた、そんな薫織に少し目を潤ませながら、拳を突き出し返した。

 

 

「あぁ!」

 

 

 拳を打ち付け合わせる二人のことを笑顔で見守りながら、流知は口に出しかけた言葉を呑み込むのだった。

 かつての仲間と再び部活動を立ち上げようという少女に入部を求めるような厚かましさは、流知にはなかった。

 

 

 


 

 

 

 そんなわけで、結局アテは完璧に外れてしまい。薫織と流知は、薫織の部屋のある学生寮マンションに向かっていた。

 流知の方は完全に知人のツテ路線を諦めてこの一週間の新入部員にかけて入部募集ポスターを作る気で色々試案していたのだが、薫織の方は特に何も考えていなさそうな調子で気楽そうなものであった。

 

 

「薫織、なんでそんな気楽そうなの? この時期じゃ新入部員は大体部活動決めてるし、薫織はかなり浮いてるから部員になってくれる人なんていないかもしれないのに!」

 

「浮いてるのはお前も大概だからな」

 

 

 『えっそうなの……?』とカウンターで顔を蒼褪めさせる流知に、薫織は溜息を吐きながら、

 

 

「それに、こういうのは肩肘張ってたって余計に疲れるだけだぞ」

 

「だって~……」

 

 

 半泣きでぶーたれる流知が二の句を継ごうとしたタイミングで、薫織が不意に足を止める。

 遅れて足を止めた流知が怪訝そうに薫織の方へ向き直ると──

 

 

「話はこの人から聞いたぞ。水臭いじゃないか!」

 

 

 そこにいたのは、先ほど別れたはずの冷的。

 ──と、かなり不本意そうにしている伽退だった。

 

 

「部員、探してるんだって? そーいうことならわたしも協力するぞ。『ウラノツカサ』は兼部オッケーだし。ね、お姉さん!」

 

「い、いや、私は……」

 

 

 人懐っこく笑う冷的にたじたじとなっていた伽退は、そこで鋭い眼光で薫織を睨みつけると、高速で距離を詰めてきた。

 声を殺した伽退は、忌々しさを隠そうともせずに言う。

 

 

「言っておくが、これは私にとっても計算外だからな……! ただ通りすがりにテメェらの交友関係上で一番部員に該当しそうな人物を見かけたから、人脈を伸ばすつもりで話題に出したら話の流れで一緒に来ちまっただけだ……!! 別に私に入部の意思は……」

 

「どーしたんだぞ?」

 

「あ、いや……なんでもありませんよ」

 

 

 首を傾げる冷的は、猫かぶり状態で押しの強さに弱い伽退が振り払うのは少し厳しいようだった。

 薫織は『いい機会だし、まァ適当に押してコイツも部員にしとくか』と勝手に心の中で決める。

 

 

「あら~、なんだかんだで部員、あっさり集まってるじゃな~い」

 

 

 と。

 話がまとまりかけたところで、スーツ姿の嵐殿が合流してきた。

 

 

「嵐殿柚香……? なんですあの恰好」

 

「あァ、アイツは今日付けで学生牢の校医になったんだと」

 

「はぁ……?」

 

 

 首を傾げる伽退だが、このへんの話は細かく説明してもだいぶ意味不明である。薫織は早々に説明を諦めて疑問は流すことにした。

 嵐殿の方は楽しそうに身体をくねらせながら、

 

 

「せっかく教員になったんだし、顧問の先生も必要かな~って思ってね。関連書類を集めて来たのよ~」

 

 

 と、手に持ったファイルで扇のように自分をあおいでいた。

 なんだかんだで嵐殿のことを師と仰いでいた流知も、嵐殿が部活動に合流できそうなことに明確に表情を明るくする。

 そんな流知にウインクをしたりしながら、嵐殿はさらに続けて、

 

 

「ついでに、入部届も預かってきたわよ~」

 

「……宛名は?」

 

「トレイシー=ピースヘイヴン」

 

「とっとと燃やしな」

 

 

 


 

 

 

 ──そんなこんなで、ライ研は廃部の危機をその日のうちに乗り越えることに成功したのだった。

 正味、廃部の危機なんて本当にあったのかと言いたくなるレベルのあっさり具合だったが──それはさておき。

 

 

「しっかし、こんなにあっさり解決するんだったら(オレ)が手を打つまでもなかったな」

 

 

 その後。

 書類仕事を買って出てくれた嵐殿や入部希望の面々と別れて歩く学生寮マンションまでの道すがら、薫織は拍子抜けしたように言っていた。

 流知はそういえばと思い返しながら、

 

 

「薫織、なんだか今日ずっと余裕そうでしたわね。もしかして何かしてくれてたんですの?」

 

「おう。どうにもならなかったら久遠に入部してもらうつもりだった」

 

「あ~…………」

 

 

 言われて、流知はすべてに得心がいった。

 園縁久遠。確かに薫織の妹ならば、入部くらいは頼めばあっさりOKしてくれることだろう。心当たりの人員にあたってみつつ、どうにもならなかった時の為に安牌も用意しておく。やはりどこまでも用意周到なメイドであった。メイドというのは用意周到なものだから、当然といえば当然なのだが。

 

 

「まァ、お嬢様の人徳のお陰で無事に部員は揃ったし。これで新生ライ研も無事発足できるってもんだ」

 

「……そうですわね! いやー本当に、一時はどうなることかと思いましたけど……かつては敵同士だった人達がこうして部員として名乗りを上げてくれるなんて、本当に嬉しいことですわ! 文化祭に向けて、心のエンジンがかかるってものですわよ!」

 

「頼むぜ部長。おそらく残った部員で絵心があるのはお嬢様だけだからな」

 

「へ? 部長?」

 

 

 何気なく言った薫織の言葉に、流知は首を傾げる。

 薫織は頷いて、

 

 

「当たり前だろ? 部活の存続を一番に願ったのもお嬢様だし、一番やる気があるのもお嬢様だ。お嬢様以外に誰が部長をやるっていうんだよ」

 

「おぉ……、何かのリーダーをやるのなんて、今世の小学六年生でやった給食の班長以来かも……」

 

「それはリーダー経験に数えられるのか?」

 

 

 真顔でツッコミを入れる薫織だったが、流知の方はもう薫織のツッコミなど耳に入っていないようだった。

 それはそれで、やる気があるなら望ましい。薫織は苦笑しながら、流知の背中を軽く叩いて横を追い抜いていく。

 

 

「その調子で頼むよ。期待してるぜ、お嬢様」

 

 

 そうして、帰路について──

 

 

「うわっ」

 

「おっと」

 

 

 その直前の曲がり角。

 薫織は、出会い頭に一人の少年と衝突しかけた。素早くバックステップで回避した薫織によってぶつかることはなかったが、少年の方はそうはいかなかったらしい。受け身を取ろうとして逆に態勢を崩してしまい、よろめいてしまう。

 その少年が明確に転倒するその直前、素早く切り返した薫織が少年の肩を支えて転倒を防ぐ。──この間、〇・一秒であった。

 

 

「悪かったな。不注意だった」

 

「いや、こちらこそ」

 

 

 とはいえ、それだけの遭遇である。

 薫織は少年に頭を下げ、気合を入れ続けている流知の肩を押して立ち去っていく。

 

 その後ろ姿を眺める少年──。

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()

 

 

『どうした、悟志(さとし)。何か気になることでもあったか? ……いや、あのコスプレメイド衣装は嫌でも目を惹くが』

 

「………………いや」

 

 

 白髪の女にそう呼びかけられた少年は、暫し薫織達の後ろ姿に視線をやっていたが、やがて前を向き直ってそんな軽い否定の言葉を入れた。

 少年は再び歩き始め、

 

 

「なんでもなかった。何事もない……」

 

 

 彼は、彼の道を歩き出す。

 

 少年の名は、神織(こうおる)悟志(さとし)

 かつて、『シキガミクス・レヴォリューション』と呼ばれた物語──

 

 

「何事もない、ただのすれ違いだった」

 

 

 ──その、主人公となった少年だった。

 

 

 


 

 

 

 ────同時刻。太平洋。

 

 水平線の向こうに沈む太陽によって橙色に照らされる水面の上に、何かが浮かんでいた。

 激しい破壊の痕を感じさせるその破片群は、かつて園縁薫織というメイドによって所有されていたクルーザーの残骸であった。

 このクルーザーは、『唯神夜行』と呼ばれる儀式によって発生した大規模な霊気の奔流に晒され、大部分は粉みじんとなったが──その中でも幾つかのパーツは、こうして奇跡的に原型の一部を留めながら太平洋を漂っているのだった。

 

 ただし。

 ここで重要なのは、そんなクルーザーの残骸などではなかった。

 正確には、クルーザーの残骸たちが散らばる水面の隙間。

 

 そこに。

 

 

 ()()()()()()()()()()()

 

 

 桃色の髪を波に預けて仰向けに揺蕩っているその女は、とても機嫌がよさそうに、今にも鼻歌を歌わんばかりの調子で波音に耳を傾けていた。

 太平洋のど真ん中で、船の残骸と共に漂う女。それだけでも異常性十分な光景だったが、しかし女にはさらに異常な特徴があった。

 それは、服装。

 こんな海のど真ん中、しかもゴールデンウィーク初日だというのに──女は、安っぽいスーパーで売られているコスプレのような薄っぺらいミニスカサンタの衣装を身に纏っていた。

 

 女は、本当に楽しそうに微笑みながら言う。

 

 

『ん~、そろそろ太平洋も十分満喫しましたねえ』

 

 

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『こうして無事に降誕することもできた訳ですし、そろそろ始めるとしますかあ』

 

 

 その女神は、禍々しい悪意を称えた笑みを浮かべ、そうしてこの世に産声を上げた。

 

 

 

『いざ。望まれてもいない物語(プレゼント)を、世界へ☆』

 

 

 


 

 

 

第一部 完

 




これにて第一部、完! ご愛読ありがとうございました。二部はまたそのうちやると思います。
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あとがき


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