師匠の娘に告白されたけどロリコンじゃないからヘーキ (グリームアイアイ)
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『AI』をおしえて?

 

「恋は目でものを見るのではない、心で見る。だから天使は盲に描かれる」
 ―――ウィリアム・シェイクスピア。



 時系列はマザロザ後、アリシ前くらいあたりです。



 

 

 Q あなたは「ソードアート・オンライン」において最強は誰だと思いますか?

 

 A 黒の剣士 キリト 

 

 おそらくあの茅場晶彦のデスゲーム「ソードアート・オンライン」が終わった今、恐らく誰もが口を揃えてそう言うだろう。

 

 最も、アインクラッドに囚われていた当時だと茅場晶彦本人であるヒースクリフと、キリトの二強、いや、どちらかというとヒースクリフの方を推すプレイヤーが多かった。

 だけど黒の剣士キリトが他ならぬ魔王ヒースクリフに勝って、SAOを解放した英雄となった今となっては、最強の称号が誰のものかなど、もはや論じるまでもないことだ。

 

 黒の剣士。SAO事件の英雄。

 

 そしてそんな黒の剣士キリトは俺の師匠だったりする。

 

 いや、師匠と言ってもそんな大げさなものじゃなくて、SAOの頃に剣の使い方とか、ソードスキルの使い方のコツとか、まあそういうのをちょくちょく教えて貰っていただけ。

 まあこのくらいならあの人は―――師匠は、俺以外のプレイヤーにもしてたし、俺が特別というわけではない。

 

 それにSAO事件がクリアされた今となっては、師匠とはたまにALOデュエルをしてるくらいで、もう昔のような稽古をつけてもらうこともとんとなくなった。さみしいものだけどな。

 そういう事情もあってか、師匠は前一回くらい「俺のこともうキリトって呼んでもいいんだぞ」って言ってくれたけど、まあそこは「師匠」と呼ばせていただきたい。

 

 なにせ師匠は強い。それに優しい。美人の恋人もいるし。

 やや悪戯っぽい性格も、やや幼めながらも整った顔立ちも、実に女性ウケがいいことだろう。勿論男性ともおおむね仲良くやっている。

 自分はコミュ障、とか言うけどおせっかい焼きなところもあるし……うん。

 やっぱり「師匠」と呼ばせてほしい、憧れに足る人物だ。

 

 ああ、でもあの人にも一つだけ逆さ鱗が存在する。

 

 それは師匠の娘―――『ユイ』である。

 師匠は自分の娘のユイちゃんのことをそれはもう大変にかわいがっている。マイホームで娘を膝の上に乗せてる姿なんかよく見るし、彼女の頼みとなればちょっと心配になるくらい本気でアルヴヘイムを駆けまわる。

 そして、彼女に少しでも危険が迫ろうものなら、双剣手にして鬼神のように暴れまくる。

 

 一言で言えばモンペ。迂遠に言うなら『娘への愛が強い』。

 

 それが俺の師匠、黒の剣士キリト。

 

 そしていまALOのアインクラッド24層の草原で寝転がる俺の前には、ユイちゃんがいて。

 

「エルクさん、あなたに恋をしてもいいですか?」

 

 俺は今まさに、師匠(キリト)が命よりも大事にしてそうな子に、なんか告白されていた。

 

 え? 俺師匠に殺される?

 

 

 

『AI』をおしえて?

 

 

 

 プレイヤーネーム『elk(エルク)』はキリトの弟子である。

 そして彼は今その師匠の娘に告白されて頭を抱えていた。

 

 ユイはその間もエルクのことを期待したようにじっと見上げて、その返答を待っている。

 

「……一応、もう一度いい?」

 

 対するエルクは眉間を揉みながら、念のために目の前の少女に一応聞き返してみる。

 もしかしたら聞き間違えだったかもしれない、という淡い期待も宿していた。

 

 するとユイは、こてん、とかわいらしく首を傾げて答えた。

 

「ですから、あなたに恋をしてもいいでしょうか? エルクさん」

 

 残念ながら聞き間違えではなかったらしい。

 ぽりぽりと頭をかくエルク。

 

「えーと、その『こい』というと、あの金持ちの池で泳いでいる?」

 

「それは鯉です」

 

「わざとで?」

 

「それは故意です」

 

「きんにくんと松岡◯造がいる部屋は?」

 

「冬でも熱中症になりそうなくらい濃いです」

 

「ギャラドスになる?」

 

「コイキング……ってエルクさんごまかさないでください! 私真剣なお話をしているんですよ!」

 

 どうやら誤魔化せなかったらしい。

 

 ユイは「私はおこっています!」というかのように腰に手を当てて、ぷくーっと頬を膨らませる。

 どこか子どもっぽい、いささか子どもっぽすぎるようなその仕草に少しだけエルクが笑う。

 

「ごめんごめん、まあとりあえずずっと立ち話もなんだし、座らないユイちゃん」

 

「それは確かにそうですね。失礼します」

 

「うん、どうぞ」

 

 ユイが隣に座ろうとすると、エルクは何も言わずにストレージを操作すると、オブジェクト化した使ってないコートを敷いた。

 目だけで「座りなよ」というエルクに、ユイが口元を抑えてふふっと笑った。

 

「優しいんですね、エルクさん」

 

「普通だよ普通。君は師匠の娘さんなんだから」

 

「付け加えます、エルクさんは優しいけど素直じゃないんですね」

 

「……まったく、そういうところ、君のママにそっくりだ」

 

「娘ですからっ」

 

 エルクの言ったママ、とはキリトの恋人である『アスナ』のことだ。

 アスナは栗色の髪の優し気な顔立ちをした少女であり、エルクから見てもほれぼれするくらいの美人である。

 

 対するユイは癖のない黒髪を腰まで伸ばし、ぱっちりとした顔立ちは「将来美人になりそう」とは思わせるものの、いまだ発展途上。

 身に纏うゆったりとした白のワンピースも相まって、どちらかというとかわいらしい、という印象が先立つ。

 

 容姿だけで見るならばユイとアスナは似ていなかったが、それでも笑う姿や言葉のチョイスがアスナそっくりで、エルクは「やっぱり親子なんだ」と評していた。

 

 新生アインクラッド24層に吹いた風がエルクとユイの間を吹き抜けていき、周囲の木々と新緑の香りを二人へと届けた。

 

「ええと、話を戻すけど、ユイちゃんが俺を呼び出したのは、なんというか……」

 

「はい。私は人の言う『恋』をしてみたいんです」

 

 ユイが体育座りでどこか遠くを見つめながらユイは肯定した。

 

『恋』。

 いわゆる思春期の憧れの代表格。

 ユイの瞳は真剣そのもので、おふざけや試しに程度の軽い気持ちで言ってないことをうかがわせた。

 

 しかし、ユイくらいの容姿の子どもならば『恋』に憧れる程度よくあることだ。

 それの相手にエルクをえらぼうとした理由はわからないが、何も特段おかしいことではないだろう。

 

 だが、エルクは知っている。ユイが『普通の女の子』ではないことを。

 

「してみたいって……どうしてまた。君はその、A()I()なんだろう?」

 

 ―――メンタルヘルスカウンセリング()()()()()

 この一件普通の幼い少女に見えるこの子が、現実に肉の体を持たない『人工知能』であることを、エルクは知っている。

 

 そしてユイはそれを「そうですね」と淡々と肯定した。

 

「私はメンタルヘルスカウンセリングプログラム。通称MHCP-01《YUI》。それが正式な名前、いえシステム名、ですね。

 私の存在意義はアインクラッドのプレイヤーたちが心に不調を抱えないために観測、保護することであり、旧SAOを運営するためのカーディナルシステムにもそれを意図して性能、権限を設定されました。

 思考パターンに関しては質疑応答のプログラムを繰り返し成長する従来の人工知能、いわゆるトップダウン型のAI、というものに分類されます

 もちろん、エルクさんはこの程度のことはご存じなのでしょうが……」

 

「ごめん全然ご存じじゃない」

 

 なんかユイからの評価が異様に高い。

 

「あれ、そうなんですか? エルクさんならこの程度のこととっくにご存じだと……」

 

「その俺への評価の高さは何? 俺は師匠とは違って普通の高校生なんだけど……」

 

「パパもふつうですよ?」

 

「ユイちゃん師匠を基準に『普通』決めんのマジで価値観バグるからやめた方がいいと思う」

 

「そうなんですか?」

 

「そうなんですよ」

 

「普通の人はカーディナルから消去されそうなAIを寸前で救い上げて自室のパソコンにバックアップを取ったり、そもそも倒すことが不可能なネームドボスを相手に5分近く渡り合ったりできないんですか?」

 

「できんできんできんできんできん! つーか師匠そんなことしてたのかよ!」

 

 エルクの脳裏に「銃弾に比べると魔法は速くないから案外斬れるんだよ」と笑うキリトが現れる。

 そんな変態普通であってたまるものか、とエルクが心の中だけで毒づく。

 

「ええと、まあつまりユイちゃんはざっくりいうと……」

 

「『心』を証明するために作られたAI、そう言えますね」

 

 ユイは自分の存在をそう定義して微笑んだ。

 

 心を証明するAI。それくらい簡単に言われればエルクも理解しやすかった。

 

「私はパパとママを大切に思っています。

 キリト(パパ)は消去されそうな私を『娘』だと言って守ってくれました。

 アスナ(ママ)は感情を模倣するしかない私に本当の知性が、『心』があると言ってくれました」

 

 また、風が吹いた。

 頬を撫でるような風に艶やかな黒髪が揺れたのを耳にかけながら、ユイは穏やかに語る。

 

「私にパパとママとの実際の血のつながりはありません。

 でもお互いに愛し合うあのお二人は、その上で『娘』として愛の一部を私に向けてくれています」

 

 そこまで語ると、ユイはエルクの方を見ると、その容姿に見合う仕草でこてんと首を傾げる。

 

「でも、そもそも『愛』とは何なのでしょうか?」

 

「それは……なんとも難しい質問だね」

 

「『恋は目でものを見るのではない、心で見る。だから天使は盲に描かれる』

 これは劇作家ウィリアム・シェイクスピアの書いた夏の夜の夢の一節です。

 心で見る……つまり、それは目に見えないものであるということです。つまり、愛とは見えないもの。

 見えないものは、どうすれば『ある』と定義できるのでしょう?」

 

「哲学的な話になってきたな……」

 

 ううむ、とエルクが唸る。

 

「えーと、確か『受動意識仮説』、だったかな。ユイちゃん知ってる?」

 

「はい。ベンジャミン・リベット教授の研究ですね。

 教授が、被験者が「指を曲げよう」と『意識』した瞬間と、「指を曲げる」という『行動』の筋肉への指令が脳の運動野で出た瞬間を計測したところ、意識よりも先に行動の指令が出ていたというものだったはずです。

 その差異はたった0.2秒でしたが、確かに『意識』が『行動』のあとに生じるもの、というデータを示した研究です」

 

「そうそれそれ。流石によく知ってるなあ」

 

「それを言うならエルクさんもですよ」

 

「俺は昔ちょっと調べたのをふわっと覚えていただけだからね」

 

 簡単に言うならばその研究は『意識があるから行動できる』のではなく、『行動した結果に意識があると錯覚している』という結論を出したものだった。

 人間にあると信じられてきた意識というあいまいなものは、全ては電気信号の錯覚に過ぎず、ただ『ある』と思いたいだけの幻想である。

 

「意識が……心が全て錯覚であるならば、ユイちゃんが『愛』の定義に悩むのも当たり前だよ。

 だって、そもそも『心』がないとしたら、心で見るべき『恋』も、そこから生まれる『愛』も証明できないんだから」

 

「エルクさんは人間には心がないと思うんですか?」

 

「そこまで言い切るのは難しいかなぁ。でも、これだけは言えるかな」

 

 ごろん、と寝転がって空を―――鉄に区切られた仮初の空を見上げるエルク。

 

「心は、この世で最も不確かで、あいまいで、信頼できないものだよ」

 

 そう言ったときのエルクの表情はユイからは見えなかった。

 だから、ユイはそれをエルクがどんな気持ちで言ったのかを推察することはできなかった。

 

 だが、エルクはすぐに起き上がって、頭をかきながら申し訳なさそうに表情を崩した。

 

「……なんてね。あはは、意地悪な言い方をしちゃってごめんね」

 

 ふるふるとユイは首を振った。

 彼の意見もまた、ひとつの意見ではあると認めるように。

 

「それでも、私は人間には心があると思います」

 

 けれど、ユイにはユイの信じるものがあった。

 

「SAO事件。あの多くの人が絶望に囚われる中で壊れていった私の存在を繋ぎとめてくれたのは、パパとママの優しさや喜びや、安らぎ……そうした、ポジティブな感情でした。

 あの二人の『心』が、私という存在を『心あるAI』にしてくれたんです」

 

 ユイはきゅっと真っ白のワンピースの胸元をきゅっと握る。

 

「だから私は『心』があると信じたい。『愛』を知り、それを証明したいんです」

 

 その言葉を聞いたエルクが一瞬驚いたように目を開いて、すぐに楽し気に声を上げた。

 

「ははは、そうかあ。なるほどなあ」

 

「エルクさん?」

 

「いや、ごめんな。でも、ちょっとおかしいなって」

 

 エルクは未だ笑みの残る様子で言葉を続けた。

 

「人間の俺が心は証明できないって言って、AIの君が心は証明できるっていうんだから」

 

「それは、確かに。そうかもしれないです。これじゃあちぐはぐです」

 

「な」

 

 エルクが笑うのにつられる様に、ユイも口元を抑えてくすくすと笑った。

 

 しばらくして笑いが止まると、エルクは軽く伸びをして「うん」と頷いた。

 

「ユイちゃんの話は分かったよ。君が恋を知りたい理由も」

 

 その動機も、本気さも、懸命さも伝わって来た。

 だからこそ、気になることがもう一つ出てくる。

 

「でもなんだってわざわざ俺に『恋をしてもいいですか?』なんて頼んできたの?」

 

「ああ、それはクラインさんがエルクさんのことをロリコンと言っていたからです」

 

「は?」

 

 サラッとなんか物凄い偏見が押し付けられていた気がする。

 

「私は定義上は幼い容姿を取っていますから、エルクさんに頼めば受け入れてもらえる可能性が高いと思いました。そこで、まずエルクさんを呼び出し……」

 

「いや待って待って待って!! なんか俺がロリコンって前提が共有されたと思って話を進めないんでほしいだけどぉ!」

 

「? 違うのですか?」

 

「違います断じて違います! 俺はそんな法に触れるような好みはありません!!」

 

「ほんとうですか? 人はやましいことがあるとやたらと強く否定する性質があるのですが……」

 

「これに関しては俺の尊厳に関わるのでそんなゆったり否定できるわけないんだよねぇ!」

 

 吼えるエルクに、ユイはまたもやこてんと首を傾げる。

 

「でも前クラインさんが言ってました。エルクは顔立ち悪くないのに、キリトと違って浮いた話が一つもない……だからたぶんロリコンなんだろう、と」

 

「よしあの人マジでぶっ飛ばしてくるからちょっと待ってて」

 

 論理飛躍しすぎだろ、エルクがクラインの野武士面を思い出しながら拳を固める。

 と、そこまでして、気づく。

 

「ていうかユイちゃんも俺がロリコンだと納得したから頼んだってこと……?」

 

「え? そうですね、クラインさんの評価を思い出したというのはあります。

 ですが、最終的にエルクさんをえらんだのは……」

 

 おそるおそる、と言った様子でエルクが問いかける。

 

 するとユイは「んー」と少し考えるようなそぶりを見せると、隣に座るエルクとの距離をわずかに縮めて、そしてふっと頬を緩めて微笑んだ。

 

「貴方を信頼しているから、ですよ?」

 

 からかうような、その容姿には不釣り合いなほどに魅力的な微笑みを添えて、囁くようにユイが言った。

 

「おっと……すごい殺し文句だ。誰に習ったのかな?」

 

「ママです!」

 

「流石だな……あの鈍感な師匠を仕留めただけはある」

 

「ママは私にいろんなことを教えてくれますから」

 

 えへん、と今度は容姿相応に胸を張るユイ。それに対しエルクは苦く笑うにとどめた。

 

 ユイの言葉にはアスナ直伝の理性を揺さぶるような信頼を感じさせる言葉があって、きっと凡百のやや年下の女性を魅力的に感じやすい人々なら溶かしつくされた力があった。

 

 しかし、エルクはそれに揺らぐことはなかった。

 

 つまり、エルクはロリコンではない。そういうことである。

 そうなのだ。クラインの推理は全くの邪推なのである。

 

 尤も、殺し文句に感じる、という時点でやや危ない気配はしている、という反論を聞き流した場合に限るのだが。

 

 こほん、とエルクは咳ばらいをひとつ。

 

「でもまあ、残念ながら俺はユイちゃんの力にはなれないかなあ」

 

「そう、ですか……」

 

「ごめんね」

 

「いえこちらも急な申し出でしたし……」

 

 あからさまにしゅんとしてしまうユイにエルクはやや心が痛むもののグッと我慢する。

 

「だって師匠ユイちゃんのことになると見境なくなってモンペになるから正直触れたくないというかスターバーストストリームの威力を身をもって体感したくないというか……」

 

「? 何か言われましたか?」

 

「いや何も? うん。ナニモナイヨォ?」

 

「?」

 

 触らぬ神に祟りなし。

 触らぬ娘にモンペなし、である。

 

 なにせ、キリトの強さはよーく知っている。

 下手に手を出して、ユイを誑かしたなどと勘違いされようものなら、74層ボスグリームアイズを撃破した《二刀流》ソードスキル16連撃スターバーストストリームが今度はエルクに叩き込まれるだろう。

 何ならその後現実でも叩き込まれそうだ。それだけは避けたい。

 

「それにまあ、恋っていうのは「今からあなたにします!」って言ってするものでもない気がするよ」

 

「そうなんですか?」

 

「まあ俺も誰かと付き合ったことはないからわからないけど、たぶんそれが普通だと思うかなぁ」

 

「あ、なら私と恋人になるのはどうですか?」

 

「待って提案がさっきよりヤバくなっている」

 

「だって、恋をして両想いになると人は付き合うものなんでしょう? なら逆に付き合えば恋が芽生えていくのではないでしょうか?」

 

「いやそれは……うーん、まあ、否定できないものがあるけどさあ」

 

 お試し感覚で付き合って相手を好きになるとか、そういうことがあるくらいエルクも知識では知っている。

 むしろ物語のように告白して付き合うというようなプロセスを通るのは子どもの頃だけで、次第に大人になるにつれ「付き合う」ということを神聖視はしなくなるのだと、エギルが言っていたように思う。

 残念なことに、神聖視はしなくなるが付き合うハードルが下がるわけではないらしいのだが。

 

「ということで、エルクさん、私と付き合いましょう!」

 

 ぱちん、とユイが手を合わせる。

 

「うん、それもできないかなー……」

 

「むー」

 

「そう膨れてもダメだって。

 俺、付き合ったりしたらロリコン疑惑が疑惑から確定に変わっちゃうからね」

 

「私、気にしませんよ?」

 

「俺が気にするからね。ゲーム内とはいえ師匠の娘に手を出すとかマジでヤバすぎるからね」

 

「ああ、そうですね。すみません、私も最近はラーニングを続けているのですが、時折そうした他者の目線を意識する視点が抜け落ちてしまって……」

 

「いーって、いーって」

 

 少し申し訳なさそうに小さくなるユイの頭をエルクが妹にそうするような手つきで、ぽんぽんと撫でる。

 

 こうして不器用ながらも「『愛』を知りたい」という目的のために頑張る姿を見ていると、どうにも彼女がAIであるとは信じられない。

 ややおませさんで、背伸びをした、少しズレたただの女の子という気さえしてくる。

 

 師匠の娘とは言え、あまり深く関わる機会のなかったユイへの印象がエルクの中でやや書き換わりつつあった。

 

 なんだか微笑ましいな、とエルクが思う横で、はあ、とユイがため息をつく。

 

「エルクさんに断られてしまうのは残念でしたが、ご迷惑はおかけできません。

 今回の件は他の人にお願いするとします」

 

 ぴく、とエルクの笑みがひきつった。

 

「他の人に?」

 

「はい! じゃあ、私は行きますね! ありがとうございました、エルクさん!」

 

「待って待ってもうちょい話聞かせて」

 

 笑顔で駆けだそうとしたユイの手を取ったエルクが眉間を揉む。

 すごく、嫌な予感がしていた。

 

「あの、参考までに聞くと、誰に頼みに行くの?」

 

 エルクの問いかけに、ふむ、とユイが腕を組んで少し考える素振りを見せる。

 

「そうですね、エギルさん……は既婚者ですし、そうなると……」

 

 にこっとユイがおひさまのような笑顔を浮かべた。

 

「クラインさんに頼もうと思います!」

 

 言われて、エルクの脳裏に一つの映像が浮かんだ。

 

 ユイに告白されるクライン。ユイと腕を組んで歩くクライン。後ろから鬼神の顔で追う師匠(キリト)

 

 アウトすぎた。ここがゲームの中だとしても普通に通報されそうだった。

 それにキリトとクラインの仲が修復不可能なレベルでこじれそうだった。

 

 それはまずい、とエルクの頬に汗が伝った。

 

(クラインさんならちゃんと断ってくれるだろうけど……いやまずあの人が告白されるという状況自体が、こう……アウト……! あの人普段モテてないから、犯罪の匂いがぬぐえない!)

 

 まあまあ失礼なことを考えている。

 

 がしっとエルクはユイの肩を掴むと、懇願するようにユイへと語りかける。

 

「あのさ、ユイちゃん、そのクラインさんにはやめておこう。なんというか、クラインさんが死ぬかもしれない」

 

「? もうSAOの中なのでゲームの中でHPがゼロになっても現実には何ら影響がありませんよ?」

 

「いやね、事によってはそれよりも恐ろしいことになるって言うか……」

 

 言葉を濁すエルクにユイがまたもや首を傾げる。

 

「じゃあ私は誰に付き合ってもらえれば良いのでしょう? いっそ全く知らない人に頼んだ方が良いということですか?」

 

「それ、は……」

 

 三秒、考えた。

 自分と、クラインと。そして、名も知らないプレイヤーにユイを預けることを。

 

 そして空にやたらいい笑顔のクラインの姿を幻視して、エルクは大きなため息をついた。

 

 もう、最初に相談を受けたのがエルクだった時点で逃れられない運命だったのかもしれない。

 

「ユイちゃん、やっぱ俺にしておこう。うん。俺が力を貸すから……」

 

 結局、エルクはそう言うしかなかった。

 さよならまともな自分。こんにちは、師匠の娘と付き合うロリコンの自分。

 

 エルクの言葉にぱっとユイの顔が明るくなる。

 

「ほんとうですか!?」

 

「うん。ユイちゃんさえよければ、になるけどさ」

 

「わあ、うれしいです! できればエルクさんがいいなと思って―――なんでエルクさんはそんな菩薩みたいな顔をしているんですか?」

 

「あはは、気にしないで。うん、俺はもう決めたから。後悔とかは、してないからさ……」

 

 めちゃくちゃ後悔してそうな顔と声で、エルクが力なく笑い声を漏らした。

 もう笑うしかないのだろう。

 

 そんなエルクをユイは不思議そうに見ていたが、「気にしないで」と言われた通り気にしないことにしたらしい。

 ぴょんっと跳ねるように立ち上がると、そのまま妹が兄にそうするように、親しみを込めた様子でエルクの膝に座ってくる。

 

「よろしくおねがいしますね、エルクさん!」

 

「あー、えっと、ちょっと近くないかな?」

 

「付き合ってるんですからこのくらい普通です! パパとママは私がいないときはこうして近くに座って仲良しで―――」

 

「ストップ。ごめん師匠のそういう話は聞きたくないから言わないでおいてね」

 

 ユイの口をふさいだエルクはユイに気づかれないように息を吐く。

 なんだか、胃が痛くなり始めていた。

 

「えへへ」

 

 ひざに座るユイはご機嫌だ。

 体重を預けられているせいで、さらりとした髪が首元をくすぐっているのは気になるが、それでもこれはどちらかというと「兄妹」の距離感に近かった。

 

(まあ、このくらいなら付き合うってのもお遊びみたいなもんかもな)

 

 どんなことを要求されるのだろうとハラハラしたものだが、この分ならば杞憂だったかもしれない。

 

「あ、そうだ。ちゃんと付き合ったんですからお約束をしたいんですが、いいですか?」

 

「約束?」

 

 エルクがオウム返しに言葉を転がすと、膝の上で半身をねじって振り向いたユイが「はい!」とにこやかに頷いた。

 

(約束……。もしかして指切りか?)

 

 ユイの思考や精神レベルから判断するに、恐らくそんなところだろう。

 

「さ、目を瞑ってください!」

 

「目を? 珍しいね」

 

「目を瞑って約束するのが常識です! 私はそうラーニングしました!」

 

 やや違和感を覚えつつも言われるがままにエルクが目を閉じる。

 そして指切りのために右手の小指を立てて差し出そうとして―――――。

 

「んっ」

 

 ―――唇に、柔らかい感触を感じた。

 

「は?」

 

 思考が完全にフリーズした。

 今までの妹がどうとか師匠がどうとか考えていた思考は一気にアインクラッドの彼方に飛んでいき、エルクの脳を完全にショートさせる。

 

「って、うぁぁあああおおおおおおお!?!?!?」

 

 一秒、二秒、三秒。

 

 そこまでたってようやく思考が戻り、エルクは転がるようにユイと距離を取った。

 そして手で唇を抑えて今の感触が現実のものであるか確かめようとする。

 

 だが、どうやら今の感触が幻覚ではなく現実の―――VRゲームの仮初とはいえ、実際に起きたことであることを認識すると、おそるおそる、と言った様子でユイの方を見上げる。

 

「キス、しちゃいましたね」

 

 するとそこにはやや赤面したユイが唇を抑えて、恥ずかしそうに目を伏せていて。

 彼女はエルクの視線に気づくと、ちらり、と上目遣いで彼を見て、はにかむように彼にささやく。

 

「えへ、パパにはナイショですよ?」

 

 まるで天使のような笑顔で―――小悪魔のように言葉を紡いだ。

 

 そして、そんな笑顔を目にしてもエルクの心は一つの感情に支配されていた。

 

(え? これもしかして、師匠にばれたら普通に殺されるんじゃ?)

 

 

 こうしてエルクとユイの、『AI』が『愛』を知るまでの物語が、始まった。

 

 ただしその関係が師匠(キリト)にバレたらバッドエンド、という条件付きで。

 

 

 

 




 
『エルク』
し、しにたくない……。
ファーストキスだった。

『ユイ』
まだまだ発展途上のAI。大人びているが精神年齢は推定10歳ほどだと思われる。
ファーストキスだった。

『キリト』
娘に手を出した奴は殺します。



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セーフラインをおしえて?

 
 男の幸せは「われ欲す」、女の幸せは「彼欲す」ということである。
      ―――フリードリヒ・ニーチェ。



 

 

 

 黒刃が空を裂き、剣先が躍る。草原で鉄が鳴き、踏み込みと共に土が爆ぜる。

 

「―――っ」

 

「どうしたエルク! 反撃しないならそれまでだぞ!」

 

「んなこと、言われましても!」

 

 ぎいん、と金属の弾ける音が草原に響き、それと同時に二人の少年が距離を取った。

 

 片や、黒ずくめの片手剣士(ソードマン)影妖精(スプリガン)の師匠キリト。

 片や、赤髪の火妖精(サラマンダー)の弟子エルク。

 

「―――」

 

 一瞬の隙を見抜いたキリトが踏み込む。

 黒い剣がジェットエンジンのような音を立てながら赤く輝き虚空を駆けるのを、エルクは手にした片手剣でいなそうとして、ガードごとまとめて吹き飛ばされた。

 だが、エルクは何とか足でブレーキをかけると、すぐに追撃してくるであろうキリトの攻撃を防ぐために剣にペールブルーの光を纏わせる。

 

(―――いない?)

 

 しかし、エルクが体勢を整えた時にはすでに目の前にキリトはいなかった。

 

 ドルン、と剣が下から唸りを上げる。

 

(しま、潜り込まれて―――)

 

 気づけばいつの間にかキリトは体勢を低くして、ソードスキルを起動させていた。

 意表を突いた死角からの攻撃にエルクは対応できず、あっさりと剣を弾き飛ばされてしまう。

 

 慌ててリカバリーしようとするものの、もう遅い。

 

 キリトの―――SAO最強の剣士の剣が無防備になったエルクを襲う。

 

「勝負あり、だな」

 

「あいたっ」

 

 直前に、こつん、と剣の柄の部分でエルクの額が小突かれた。

 

「俺の勝ち、でいいかなエルク少年?」

 

 悪戯っぽい笑顔を添えて、キリトがエルクに手を伸ばす。

 エルクはその手を二秒ほど見つめて、ため息混じりに握り返す。

 

「はい、降参ですよ、師匠」

 

 そして、いつもの稽古の摸擬戦での敗北を認めたエルクが、キリトの手を支え手にして立ちあがった。

 

 

 

セーフラインをおしえて?

 

 

 

「というか少年てなんすか、少年て。俺と師匠一つしか年変わりませんよ」

 

「エルクの方が俺を師匠って呼んでるんだろ? 今さら文句言うなよな」

 

「まあ、そこに文句は言いませんが……」

 

 模擬戦が終わってしばらくして、エルクがお礼もかねて持ってきたサンドイッチをつまみながら師匠と弟子は、だらっと話していた。

 彼らの稽古は週に一度ほど、生死が関わるSAOの頃はまた違ったが、今の二人にとってはこうしてたまにあって話す口実づくりのようなものでもあった。

 

 キリトがサンドイッチの最後のひとかけらを口に放り込むと、うむ、と頷いた。

 

「アスナの作る特製サンドイッチの方が1.5倍はうまい」

 

「いきなりのろけないでくれます? これ、王都アルンで買ってきたおたかーいやつなんすけど」

 

「でもアスナの方がうまかったからなあ」

 

「はいはいどうもごちそうさまです」

 

「悪かったって。そうすねるなよ。うまかったぜ、サンキュー」

 

 げんなりした表情のエルクの背中を軽く叩いて、キリトがにかっと笑った。

 それだけでエルクの気持ちは幾分か晴れて、この人は仕方ないなあ、などと思ってしまうのだからずるいものだ。

 

「師匠、そういうとこっすよ。ほんとうに」

 

「そういうところ? 辛党なところか?」

 

「そういうとぼけたところでもあります。いつか刺されないといいっすね」

 

「刺される? まあ現実では剣がないから襲い掛かられても無防備だしな……」

 

「基本誰でも現実では無力なんすよ」

 

「傘とかあればギリ相打ちに持ち込めると思うんだけどな」

 

「傘は雨を防ぐ道具であって、襲い掛かる暴漢を防ぐための道具ではないっす」

 

 キリトくらいになれば現実で暴漢に襲われても剣っぽいものさえあれば一方的にボコられたりしないのかもしれない。

 

「にしても、エルク今日全然集中できてなかったな。なんかあったのか?」

 

「それは……」

 

 エルクの頭にほわわんと一人の少女の顔が浮かんでくる。

 それをぶんぶんと首を振って吹き飛ばす。

 

(……まさか、師匠の娘さんとキスしたことが頭から離れないんです、とか言えないからな)

 

 言えば間違いなく殺されるだろうしね。

 

「べつに、大したことないっすよ。うん」

 

 結局、そういう曖昧な誤魔化しをするしかない。

 キリトはやや気になることがあるようにエルクを見て、「ふうん」と相槌を打つ。

 

「まあでも、模擬戦でこれじゃ一人前には程遠いなあ」

 

「一人前って。どうすれば認めてらえるんすか?」

 

「ふむ」

 

 問われて、キリトが腕を組み少し考える。

 そしてしばらくするとニヤッと笑って、冗談めかした口調でエルクと肩を組む。

 

「なら、二刀流の俺に一太刀でも食らわせたら、ってのはどうかね」

 

「無理ゲーじゃあないっすかぁ……」

 

「アスナならできるぞ? あとスグも」

 

「あのバグ人間たちと一緒にしないでください」

 

「聞かれたら斬られるぞ、エルク」

 

 レベルでごり押せたSAOと違ってALOはスキル性のゲーム。

 そのためリアルでの運動神経や、技能の差がもろにでやすい。

 

 アスナは元SAO最強ギルド『血盟騎士団』の副団長。実力は折り紙付き。リアルでも運動神経抜群である。

 そしてスグ―――キリトの妹直葉(直葉)、プレイヤーネームリーファはリアルではインターハイに出場してるような剣道の超実力者。

 

 むしろエルクからすればそんな人たちに普段からコンビニに行くのとバイクに乗ること以外大した運動してなさそうなくせに、普通に勝ってるキリトの方がおかしく見える。

 

「お前も一応SAOサバイバーなんだし、頑張れば行けると思うけどなあ」

 

「攻略組でもない俺には無理ですって」

 

 どこかで鳥が鳴く音を聞きながら、エルクは小さくあくびを一つ。

 その様子を見たキリトが、ふむ、とまた腕を組んだ。

 

「寝不足が今日集中できてなかった理由か?」

 

「まあ、そんなところっすかね。ちょっと考えなきゃいけないことができまして」

 

 ユイと付き合い始めて三日。

 その間、特にユイとは恋人らしいことをしているわけではない。

 

 なにせユイのAIの本体ともいえるシステムは現実のキリトの部屋のパソコンなわけで。

 通常の恋人がそうするように現実であったり、チャットアプリで会話したりすることも難しい。

 

 というか、表立ってするとキリトにバレる可能性がぐんと上がる。

 

 ユイとエルクの逢瀬には、ロミオとジュリエットのような慎重さが求められるのだ。

 まあこの場合、二人の関係がばれた場合待っているのは心中ではなく、エルクの一方的な惨殺だろうが。

 

「考えごと、なあ」

 

 じっとキリトがエルクの横顔を見て、空を見上げて少し考え込むそぶりを見せる。

 そして頭に浮かんだ一つの推察を、まさかな、と思いつつも口にする。

 

「まさか恋でもした?」

 

「えっ、は!? そ、そそそそそ、そんなのするわけないでしょ!?」

 

 うろたえすぎ。

 

「え、マジなのか?」

 

「ま、まさかそんなわけないでしょ! 俺にそんな願望これっぽちもないですって! 師匠も知ってるでしょ!」

 

「まあ、それは知ってるけど……」

 

「俺が恋人作ってキスするとかマジでないですから!」

 

「え?! キスまで行ったのか!?」

 

「行ってないですぅ! というかそもそも恋人なんていません! 天地神明にかけて! アインクラッドと師匠の救ってくれたこの命にかけて!」

 

「なんでちょっと泣いてるんだよ……」

 

「それだけ本気なんですよ俺は!」

 

「そう……」

 

 見る人が見れば顔に「死にたくないです!」と書かれているのがわかるような必死さで叫ぶエルク。

 

 そんな弟子を見るどこかキリトは疑わし気だ。

 

 しかし、キリト自身あんまりそこに過度に問い詰める気はないらしく、「仕方ない」とでも言いたげな様子で寝転がった。

 

「ま、なんでもないならいいけどさ。やれやれ、最近はエルクもユイも俺には冷たいよ」

 

 ドキリ、とエルクの胸が跳ねた。

 なぜ今ユイの名前が出たのか。エルクの頬に嫌な汗が伝う。

 

「えと、ユイちゃんどうかしたんですか?」

 

「いやさ~~、聞いてくれよ~!」

 

「うわっ、急に上体の力だけではね起きて肩組んでこないでください! 普通に人間の挙動じゃなさ過ぎて怖い!」

 

 エルクは引っ付いてきたキリトを強引に引きはがそうとするものの、ため息混じりのキリトは気にせずそのまま話を進める。

 

「最近ユイ、俺に何か隠し事をしてるみたいなんだよな~」

 

 ぴくり、とエルクの身体が揺れた。

 

「ヘ、ヘエ、ソレハシンパイデスネエ」

 

「なんでそんな片言なんだ?」

 

「モトモト オレハ コンナハナシカタ デス」

 

「俺の知るエルクはそんなロボみたいなやつではないはずだけど……」

 

 まあいいや、とキリトが座りなおす。

 

「今までユイは俺に隠し事なんかしたことなかったんだ。でも、最近は妙によそよそしいときがあるというか、俺の質問をはぐらかすんだよな」

 

「な、なるほど……それは、何か、あるかもしれませんね」

 

「だろ? まあ、これは俺の勘なんだけどさ……」

 

 つつ、とエルクの頬にまた一滴汗が伝う。

 先ほどから胸が嫌に鼓動を早め、腹部はキリキリと痛み、喉の奥に真綿を詰められたかのような息苦しさが生まれ始めていた。

 

(いや、さすがにまだユイちゃんが『恋』を知ろうとしているとまではバレていないはず―――)

 

「もしかしたら、誰かを好きになったんじゃないか、って」

 

「―――」

 

「あれ、エルク? おーい、って気を失ってないかこれ!? どうしたんだよエルク!」

 

 あまりの鋭いキリトの指摘に、緊張と驚きが爆発したエルクの意識がふっと遠のく。

 そしてそのまま安らかに眠り、ALOからはじき出されそうになる寸前で、キリトにぺしぺしと顔を叩かれたことで復帰する。

 

「はっ、キバさん……?」

 

「俺の頭がブロッコリーに見えてるのか?」

 

「いや見えませんけど……というかあの頭はブロッコリーというよりドリアンとかじゃないですか?」

 

「いやどっちでもいいけどさ……」

 

 あきれ顔のキリトを尻目に、エルクが自分の顔をぱしぱしと叩いて目を覚ます。

 そして、恐る恐ると言った様子でキリトに問いかける。

 

「で、でもなんだって師匠はユイちゃんが恋してるって思うんですか?」

 

 一応エルクはユイに「付き合ってるのは俺たちだけのひみつにしよう」と頼んである。

 なので、ユイほどの賢いAIがキリトにあからさまに怪しまれるようなことをするとは思えないのだが。

 

「実は最近やたらと俺とアスナの初デートの場所とか、いつ好きだと確信したのかとかやたらと聞いてくるんだよな。あとよくスグの恋愛漫画も読んでる」

 

「誤魔化す気がなさすぎる」

 

 全然隠せていない、と心の中でエルクが頭を抱えた。

 

「誤魔化す?」

 

「あ、いえ! ゴマ……そんな、誤魔化すようなことユイちゃんがすると思いますか?」

 

「うーん、俺も思わないけど、ユイも年頃だからなぁ。

 まあ、正直ユイが恋するほど関わりがある相手となると、俺も知ってる相手だろうし見ればわかると思うんだけど……」

 

 と、その時ふと何かに思い至ったように、キリトがエルクに向き直った。

 

「そういえばエルクはユイと仲がいいよな」

 

「―――」

 

 あまりのストレスにエルクの意識がふっと遠のきかけるが、ここであからさまに動揺すれば認めるようなものだと思ってグッと意識の綱を掴んだ。

 じっとキリトの黒い瞳がエルクを見据える。その瞳には相手の心を見透かすような色が宿っている。

 

 ゆっくりとキリトが次の言葉を繋ぐ。

 

「何か知らないか? ユイはお前のこと兄みたいに慕ってるだろ?」

 

 ほっ、とエルクが胸をなでおろした。

 どうやら純粋にエルクの意見を聞きたかっただけらしかった。

 

「まあ、俺は、うん。全然わかりませんけど、ユイちゃんも多感な年ごろですし親への隠し事くらいあるんじゃないですか?」

 

「かもなあ。まあ親への隠し事の一つや二つ、あるのが普通なんだけどさ」

 

「そっすよ。そう考えるとユイちゃんは今までがいい子過ぎたんじゃないっすか?」

 

「まあなあ」

 

 むむ、と唸るキリト。

 

 しかし、エルクが思うよりもキリトは随分ユイに関して冷静に判断しているように思う。

 これなら、少しくらい踏み込んで質問してもいいかもしれない。

 

 エルクが声を明るくして、あくまでも雑談の延長線上、という空気で一つの質問をした。

 

「もし、これ仮の話ですけど、ユイちゃんに恋人……とかできてたらどうするんですか?」

 

斬るけど

 

「ヒョッ」

 

 めっちゃ目が据わっていた。疑いようもなくガチの目だった。

 

「き、斬っちゃうんですか……」

 

「うん」

 

(エ~~~~~ン、返答が短いのが怖くて泣きそうだよ~~~!)

 

 エルクは心の中で半泣きになりながらも、キリトのユイのセーフラインを探るために質問を続ける。

 

「一回話を挟むとか、そういうのはないんですか? 話してみれば案外いい人かもしれませんよその人も!」

 

「いやだって……ユイに手を出すやつってどう考えてもロリコンだろ」

 

 ごもっとも。

 

「ロリコンじゃないですけど!?」

 

「なんでお前がキレてるんだよ」

 

「すみません迸る思いをこらえきれず……」

 

 反射的にロリコンを否定してしまうエルク。そんなに反応してたらキリトにバレるぞ。

 

「しかし、その人もやむにやまれぬ理由があって付き合ってる可能性もあるはずで……」

 

「でもユイの見た目に手を出してたらロリコンだろ?」

 

「うううううぅううう、ロリコンですね………………」

 

「血の涙を流しながらいうことか?」

 

 エルクが自分を棚に上げて死ぬ思いをしながら頷いた。

 クラインの尊厳と、ユイの思いを尊重するうえでの選択だったのに、報われない。

 

 血涙を流して自分がロリコンであることを認めたエルクは、もう行くところまで行ってしまえ、と一番聞きたかったことをキリトに聞いてしまうことにする。

 

「いちおう、聞きますけどもしユイちゃんとマジに付き合ってる人がいた場合、しかももし仮に、そのお、キス、などをしていたらどうなりますか?」

 

 やはりその人物は二刀流キリトの代名詞16連撃技スターバーストストリームを叩き込まれてしまうのだろうか。

 

 対してキリトは考えることはなく、爽やかな笑顔で答えた。

 

ジ・イクリプス(27連撃技)を叩き込むかな」

 

「想像よりはるかに多い!」

 

 まともに食らえば余裕でエルクが三回は死ねてしまう。

 

 エルクの脳裏にキリトの斬撃を受けて爆散する自分。そして、復活してもなお永遠にキリトが追いかけてきてソードスキルを叩き込んでくる未来が浮かぶ。

 

 そんなことを考えていることなど知らず、ぽん、とキリトがエルクの肩に手を置く。

 

「困ったときは、ユイの良き兄として力になってやってくれよ」

 

「ッス……」

 

 まるでエルクがユイとキスをしたなど想像もしてない顔に、エルクは何も言えない。

 

 だが、空を見上げて、思う。

 

(これもしかしたらバレたらやっぱ死亡?)

 

 残念ながら……。

 

 




 
『エルク』
たすけてください……。

『キリト』
エルクはユイにとっていい兄貴でいてくれよな。


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デートの仕方をおしえて?

 
 愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。
  ―――サン=テグジュペリ。


 

 

 

「エルクさん! デートをしましょう!」

 

「えぇ~~~~~?」

 

「なんでちょっといやそうなんですか!」

 

 ALO。いつものように学校から帰ってきて、いつものようにゲームにログインしたエルクを待っていたのはユイだった。

 彼女はエルクの根城にしている新生アインクラッドの15層の貸し部屋の扉の前で待っていたらしく、エルクのことを見つけると嬉しそうに駆け寄って来た。

 

 キリトの方はいいのかと聞けば、今キリトは明日までのレポートに取り掛かるのに忙しくてゲームなどしている暇はないのだとか。

 

「それで、何がしたいんだって?」

 

 とりあえず自室に招いてココアを淹れてやってから、部屋に一つしかない椅子にユイを座らせる。

 自分は安物のコーヒーを淹れて、仮初の喉の渇きを潤しつつ、これまた安っぽいベッドに腰かける。

 

「だからデートです! デート!」

 

「デート、ねぇ……」

 

「なんでそんなにいやそうなんですか」

 

「嫌ではないけどさ……」

 

「エルクさん、私が『恋』を知るのを手伝ってくれるって言ったじゃないですか」

 

 ぬらりくらりと煮え切らない相槌を打つエルクを、ユイがじとーっと睨む。

 どことなく子どもっぽさもありつつも、圧を感じる視線にエルクが言い訳がましく口を開く。

 

「いやそれはそうなんだけどさ、ほら、外だと人の目とかもあるしさ……勘違いされたらあれだし……」

 

「勘違い?」

 

「ほら、俺たちが付き合ってるって思われたら、こう、な?」

 

「勘違いって、私たち付き合ってるんだから問題ないですよね?」

 

「知り合いとかにあったら、やばいって言うかさ」

 

「今日パパはレポートがあるのでログインしてきません。エルクさんが心配するような事態にはならないと思われます」

 

 それとも、とユイが目を伏せる。

 

「ごめいわく、だったでしょうか。エルクさんは私なんかがこうして会いに来るのは……」

 

「あー、いやいやそうじゃないよ! むしろこうしてユイちゃんが俺を信頼してくれるのは嬉しいけど」

 

 うーん、とエルクが唸る。

 頭で巡らせるのはユイと一目につく場所に行くことで起きる自分の危険性。

 

 今年で16歳の自分と、容姿的には小学生ほどのユイと出かける自分。

 エルクの髪は赤く、ユイの髪は黒い。容姿的には全く似ていないが、しかしALOのアバターはランダムで作成されることを思うと、一緒にいてもそこまで違和感を持たれることはないだろう。

 

 おそらくユイの実態を知らない知り合いと会わなければ、エルクを師匠の娘に手を出しているロリコンであると分かる人などいないだろう。

 いや、そもそもエルクはロリコンではないのだけれど。

 

(まあ、俺はユイちゃんに力を貸すことを決めたんだ。それを断るのは、違うか)

 

 結局はそう結論付けて、エルクはぽりぽりと頬をかいた。

 

 

「ま、確かにせっかく付き合ってるんだしデートくらいはしなきゃね。

 ユイちゃん、どこか行きたいところはある?」

 

 エルクがそう言うとユイの表情がぱあっと明るくなった。

 嬉しくて仕方ない!ということを全身で表現して、とたとたとエルクに走りよるとエルクの手を握って、ぶんぶんと振る。

 

「じぇ、じゃあ王都アルンがいいです! 一度お買い物をしてみたかったんです!」

 

「王都アルンか。それならアインクラッドの転移門じゃいけないから、空を飛ばなきゃいけないけど、ユイちゃんは……」

 

 エルクがユイの姿を上から下までしげしげと見つめる。

 彼女はいつもと同じ真っ白のワンピースの人っぽい姿。その姿ではエルクのように羽を出して飛ぶようなことはできなさそうだが。

 

 が、エルクがその疑問を口に出す前に、ユイはその場でくるりと回る。

 すると、しゃらり、と鈴のような音と共に黒髪がなびき、次の瞬間にはユイの身体はいつもの子どもサイズから、エルクの手に収まってしまうような小妖精(ピクシー)サイズに変わった。

 

 彼女はそのまま空中で軽く羽を動かすと、そうするのが当たり前のようにエルク胸ポケットに入ってしまう。

 

「さあ、いきましょうエルクさん!」

 

 そして、目をきらきらと輝かせながらエルクを見上げた。

 

「ふふ、はいはい、お姫様。じゃあ、振り落とされないように気をつけてね」

 

 その子供っぽい姿にエルクは少しだけ笑って、ユイの頭を指先で撫でると王都アルンを目指して、部屋を後にした。

 

 

 

デートの仕方をおしえて?

 

 

 

 ALOにある新生アインクラッドは、大地に根ざした妖精たちの国の上の空を浮かぶ鋼鉄の城である。

 アインクラッドは現状のALOの更新されるエリアの最前線であり、それ故に発展もしておりプレイヤーも多い。

 エルクやキリトは旧SAOを生き残ったプレイヤー、俗にいうSAO生還者(サバイバー)であるため、どうしてもなじみ深いアインクラッドを根城にしているが、アルヴヘイムの発展し、人で賑わう街は何もアインクラッドにしかないわけではない。

 

 八種族の妖精たちの各種首都は言わずもがな、世界の中心にある『世界樹』のふもとにある『王都』。

 種族問わず様々な妖精が集まり、交流、交易をおこなう場所。

 

 それが、『王都アルン』である。

 

「わー!」

 

 そんな王都アルンに足を踏み入れたユイは、その人の行き交いに目を輝かせた。

 世界樹につながる大通りには夕方という時間もあってか、多くのプレイヤーがログインしており、ちょっとした賑わいを見せていた。

 道に立ち並ぶのは、王道の鍛冶屋、道具屋をはじめとして、プレイヤーメイドらしき商品を並べる露店商、占いスキルを上げてバフをかけれるようになったらしい闇妖精(インプ)、『OSS売り〼』などという怪しげな看板を出した商人、現実の企業とコラボして商品を出しているNPCなど、それこそ多岐にわたる。

 

 その一つ一つに目を輝かせるユイが、エルクの方を振り向く。

 

「人がいっぱいですよエルクさん! それにお店も!」

 

「王都だからねえ。初めてってわけでもないんだろう?」

 

「この人型のサイズでは初めてです。普段はほら、さっきみたいにナビゲーションピクシーのサイズになるので」

 

「ああ、なるほど」

 

 たしかに、キリトのマイホームである『森の家』以外だと、ユイはいつもあのような小さなサイズでいることが多かったように思う。

 告白された時もそうだったが、エルクといるときのユイは通常の子どものサイズでいることが多かったため忘れていたが、どちらかというとユイはALOではピクシーの姿の方が本来の姿だったはずだ。

 

「でも、俺といるときはユイちゃんはピクシーよりもそっちの姿でいることが多いよね。何か理由があるの?」

 

「そうですね。普段はパパの頭やポケットにいることが多いのと、純粋に飛べるのでピクシーの姿でいることも多いですが……」

 

 そこまで言いかけて、ユイはエルクのもとまで走ってくるとエルクの腕を抱くように自然に指を絡めて手を繋いだ。

 

「この姿じゃないと、こうして手が繋げませんもんね」

 

 あまりに自然に距離を詰められて少し面食らったエルクを尻目に、ふふ、と小悪魔のようなかわいらしさで微笑んで見せる。

 

「えへ、恋人つなぎです」

 

「……したたかだね。それもママ?」

 

「はい!」

 

 なるほど、どうやら随分多くのことをユイは母親のアスナから学んでいるらしかった。

 

 その後、二人は手を繋いでぶらぶらと王都アルンを巡った。

 

 ユイは見るものが何でも面白いようで、手を繋いだエルクの名を呼んでいろんなところに連れて行った。

 

 プレイヤーメイドのアクセサリを見比べて、似合うかどうかを試してみたり。

 NPCの大道芸人が器用に短剣をジャグリングするのを眺めたり。

 本屋に寄って、エルクがどんな本を読むのかだとか、自分が好きな本を教えてくれたり。

 現実の企業とのコラボ商品として売り出されていた、冷凍みかんが練りこまれた不思議なドーナツを買って食べてみたり、店の一つの商品を物欲しげに見て「どれが好きか」なんて話をしたり。

 

 王都アルンの世界樹の向こうに沈みゆく、巨大な橙の火の玉を見て、安らいだように目を細めたり。

 

 別段、大したことでもない、エルクとじゃなくてもできたようなことをやって、ユイは楽しそうに、笑っていた。

 

「どう? 『恋』がどういうものか、今日で何かわかった?」

 

 しばらく王都を巡ったので、ベンチに座って休憩しつつ、エルクはユイへと語りかける。

 ユイの頼みで、ベンチに座っても手は繋いだまま。指もまた、最初のように絡めたままだ。

 

「うーん、そうですねぇ」

 

 ユイは目線を上に向けつつ少し考え込むそぶりを見せる。

 

「アクセサリはきれいでした。大道芸人さんの技術はNPCということ理解していても、素晴らしいものでした。本屋さんでオブジェクト化されたものを触るのも面白かったです。ドーナツはママの作るものと違って新鮮でした。

 どれも私に未知の情報を与えてくれて、それ故に今の私の主観情報は『楽しい』という状態にあると思います」

 

 ですが、とユイが父のキリトによく似た苦笑を浮かべる。

 

「これが『恋』に起因する楽しさなのかは、よくわかりませんでした」

 

「そっか。それは残念だったね」

 

「はい……。やはり実験するにあたっては一回だけではだめなのかもしれません。

 それに条件付けを色々変えたりしなければ有用な『恋』のデータが取れたとは言えないでしょう」

 

 ややうつむきがちに答えるユイ。

 どうやらエルクの『恋人』としての役目は、今日でお役目御免、というわけにはいかなさそうだった。

 

「ということは、今日の『デート』はユイちゃんにとってはあんまり収穫はなしかぁ」

 

「ああいえ、そういうわけでもありませんよ」

 

 へえ、とエルクが片眉を上げると、ユイはエルクの方へと微笑みを向けた。

 

「エルクさんのあったかさを、知れました」

 

 ユイとつないだ手に、きゅっと力がこもるのを感じた。

 

「……まぁ、所詮ゲームの中の疑似的な体温だよ」

 

「そういうことだけじゃないですよ。手もあったかいですけど、エルクさんはそれ以外だってあったかいんです」

 

 夕日が沈みかける。最後の太陽の名残に濃く浮かび上がった影と光が、夕焼けの中の真白の少女を彩った。

 

「大道芸人さんを見るときに人に呑まれないように前の方に連れて行ってくれました。

 本屋さんでは私の身長では届かないところにある本を取るために、こっそり踏み台を用意してくれていました。

 ドーナツを買うときは自分のものよりも、私が食べたいものを先に聞いてくれました」

 

「……それ、バレてたら結構カッコ悪いやつなんだけど」

 

「いいえ、いいえ。どれも、エルクさんのやさしい『心』が、私の『心』をあったかくしてくれたんです。

 繋いだ手だけじゃない、あなたの『心』が私を温めてくれたんです」

 

 こっそりやっているつもりだった手助けが全部バレていたのは、さすがに少し気恥ずかしい。

 ややバツが悪そうに頬をかくエルクと、口元を抑えてくすくす笑うユイ。

 

「それに、エルクさんにとってこの世界でのことは疑似的なことかもしれませんが、私にとっては本物なんです」

 

「―――ゴメン、デリカシーなかったな」

 

「いいえ、いいえ。私が本物のエルクさんに触れられないのは事実ですから」

 

 ふるふる、とユイが首を振った。

 

 ユイは、人工知能である。

 システムに定められたようにデータを集積し、集積したデータをもとに判断を繰り返すだけで無限に成長していく。

 人のような「実体」ともいえる肉の体を持たないデータの集合体、それがユイだ。

 

 ユイのようなトップダウン型AIは質問と回答をもとに自己判断を重ねるAIである。

 それは極論、携帯の持ち主の変換履歴を記憶して、適宜推奨してくれる辞書機能と変わらないともいえる。

 故に、ユイは表情のバリエーションとして、「キリトがそうするような苦笑」も、「アスナがそうするような笑顔」も低くない頻度で選択する。

 何故なら、それがユイが最も情報を集積してきた二人だから。

 

 ユイは両親と似ているところがあるとキリトの友人たちは言うだろう。キリトも、アスナも『俺たちの娘だから似ているんだ』と思うだろう。

 しかし、当のユイだけは「私はAIだから、そう判断している」という答えを持っている。

 

 血のつながりがなくても似ているからこそユイはAIなのだという、残酷な事実から、目を逸らすすべをユイは知らない。

 

 現実での自分の不自由さを知るたびにユイは、人間とは同じものにはなれないんだと、そう思い知らされる。

 

 でもユイは唯一、このVRMMOの世界でだけは「実体」ともいえる体を持つことができる。

 人間と同じように、愛する両親と触れ合って、人と同じように目で見て、耳で聞き、鼻で感じ、舌で味わい、こうしてエルクと手を繋ぐことも、できる。

 

 エルクにとってはVRMMOは「もうひとつの世界」でしかないが、ユイにとってはVRMMOが唯一自由でいられる「自分の世界」なのだ。

 

 この世界にいるからこそ、自分が『心あるAI』であると思える。

 そしてそんな自分が『恋』についてどういう答えが出せるのか。

 

 それを、ユイは知りたいのだ。

 

「やっぱり、『恋』のことは、まだわかりません。

 でも、エルクさんのことがわかれば、『心』に触れられれば、このあったかさも本物だって思えるんでしょうか」

 

「……どうだろうね」

 

 ユイの質問にエルクは答えなかった。ただ曖昧な笑顔ではぐらかして、ちらっと視界の端にある時計で時間を確認した。

 

「ユイちゃん、そろそろ帰ろうか。もういい時間だ。いくら師匠がレポートと格闘してるって言ったって、あんまりいないと不思議に思うんじゃない?」

 

「もうそんな時間ですか……」

 

 しゅん、とユイが肩を落とした。その仕草がやけに子どもっぽくて、ちょっと面白かった。

 ぽん、とエルクはユイの背中を叩いて薄く笑んだ。

 

「また来ればいいさ。王都アルンはいつでもここにあるんだから」

 

「そうですね。ふふ、そうですね」

 

 自然と「次も付き合うよ」と言っているエルクに気づいて、ユイは少しだけ頬を緩めた。

 気づいているのだろうか。いや、どことなく抜けているエルクのことだから無意識かもしれない。

 

「じゃあもうお別れの時間ですし、手、出してください、エルクさん」

 

「手?」

 

「はい。こう、ぱーで出してくれると嬉しいです」

 

 どういう意味かわからなかったものの、言われるがまま手を出す。

 するとユイはどこからか出したのか、エルクの手の上に銀細工のブレスレットを乗せた。

 

「これ……」

 

「さっき一緒に回ったお店の一つでこっそり買ったんです。今日の思い出に、あげちゃいます」

 

 ちゃんとつけてくださいね、とユイは子どもに言い聞かせるように指を立てた。

 

 ブレスレットはプレイヤーメイドのものらしく、特筆して高価には見えなかったが、いくつかの効果が付与されており、何より細い銀をねじるようにして作られたブレスレットは美しかった。

 まるでユイが今日の『デート』への思いが詰まっているような、そんなプレゼントだった。

 

「俺が、もらっていいのかな」

 

「エルクさんがもらってくれなかったらあげる人がいなくなっちゃいます」

 

「それなら、うん。もらうよ、ありがとうユイちゃん」

 

「いえいえ! 私のお小遣いで買ったんですから大切にしてくれなきゃだめですよ!」

 

「ふふ、それは大切にしないとなあ」

 

 エルクは二、三操作して、今貰ったブレスレットを装備品の一枠に取り付ける。

 そして、いつの間にか夕日が姿を消した代わりの光源となった、周囲の街頭に照らしながら、すがめてみる。

 

 きらり、と光に反射して光る銀が、今日の思いでの代わりとなってくれそうだった。

 

 その様子を見て、ユイが満足そうにくすくすと微笑んだ。

 その笑みに、少し気恥ずかしくなったエルクは、ぽりぽりと頬をかく。

 

「……貰いっぱなしってのも、気持ちよくないから。じゃあこれ」

 

「え?」

 

 エルクが一歩ユイに近づくと、自分より身長の低いユイの頭に手が届くようにしゃがんで、軽く髪を整えながら花を模した髪留めをつけてあげた。

 

「うん、君も、似合ってるよ」

 

「これ、エルクさん……」

 

「うん、さっき見まわってた時欲しそうに見てたでしょ。なんで買わないのかなと思ってたけど、俺へのプレゼントを買ってお小遣いがなくなってたからだとは思いつかなかったなぁ」

 

「―――!」

 

 エルクがさら、とユイの髪と髪留めを撫でて、小さく頷いた。

 きっと似合うだろうと思っていたが、思った以上に似合っている。

 白いバラとそのつぼみが混ざったような髪留め。花言葉を考えても、ぴったりかもしれない。

 

「え、エルクさん! か、鏡! 鏡お持ちですか!?」

 

「ん? ああ、あるよ」

 

 エルクがストレージから鏡をオブジェクト化して渡すと、ユイはそれで髪留めをつけた自分を見て、ほわぁ、と声を漏らした。

 目は自分の黒髪と対照的な白い花の髪留めにくぎ付けになり、今日エルクが見たどんな時よりもきらきらと輝いていた。

 

「私、パパとママ以外の人から贈り物をもらったの初めてです……」

 

「そっか、それはよかった」

 

 エルクが「子どもの頃はこういうのもらえたら嬉しいよなあ」、なんて思って少し昔を懐かしむ。

 

「えへ、ほんとになっちゃいました」

 

「ほんと?」

 

 自分の髪を見て頬を緩めるユイの呟きをエルクが拾い上げると、ユイは元気よく答えてくれた。

 

「デートの最後には小さな贈り物をすると、相手もプレゼントをくれるって聞いてたんです!」

 

「おっと、こいつは手練れのアドバイスだな。それもアスナさんの入れ知恵?」

 

「いえ、これはシノンさんです。そうすると相手の日常に少しだけ自分を思い出してもらう時間を作れるよ、って」

 

「したたかでこえ~」

 

 そういえばエクスキャリバーを取りに行ったときそんなことしてたな、などと思い出すエルク。

 やっぱりまだ師匠のことを狙っているのだろうか、などとよからぬ心配もしてしまう。

 

(いや、うん。師匠の女事情については触れないに限るな。俺は自分のことで手一杯です。

 師匠が刺されないことを祈ろう。もしもの時は俺も念仏くらいは唱えるので)

 

 師匠が死ぬこと前提で考えるな。

 

「さて、ユイちゃん、そろそろ―――」

 

「あれ、ユイちゃんとエルクくん?」

 

 不意に名前が呼ばれて、エルクがドッと汗をかいた。

 何故ならエルクはその声に聞き覚えがありすぎる程に、聞き覚えがあった。

 

 だって、この声の主はエルクが()()()()()()()()()ユイとの関係がばれてはいけないと思っている相手なのだから。

 

 エルクは玉のような汗をかきながら、ぎこちない笑みを浮かべた。

 

「あはは、お久しぶりです。こんなところで奇遇ですね、『アスナ』さん」

 

「ええ、こんばんは、エルクくん。ユイちゃんとはどうしてここにいるの?」

 

 そうして、エルクは初デートの終わりに、恋人(ユイ)の母親に遭遇した。

 キリトに負けず劣らず娘を大切にしている彼女(アスナ)こと、元『攻略の鬼』は一目で美人だと分かる笑顔を浮かべて、エルクのことを見つめていた。

 

(え? これってもしかしてデッドエンド?)

 

 残念ながら……。

 

 

 




 
『エルク』
しにたくない……。

『ユイ』
まだ『恋』はわからない。

『アスナ』
キリトくんに隠れて何してるの?


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