思い切りがないあの夜に (ptagoon)
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お笑いコンビの馴れ合い

「川を泳ぐ魚を見たことはありますが、地面に刺さった神を見たのは初めてですよ」

 

 幻想郷。妖怪や神、人間が共生しているここには確かに多種多様な存在がいる。が、彼らは大抵身の丈にあった場所で暮らしているはずだった。例えば、人間に生活を依存している弱小妖怪は人里近くで暮らし、嫌われている妖怪は地底に身を潜めるといった具合だ。

 

 だから、妖怪の山の中腹に鴉天狗の射命丸文がいることは珍しくないし、現人神である東風谷早苗がいることもおかしくはない。が、早苗が地面に突き刺さっているのは明らかに異常であるはずだ。彼女は確かに奇行が目立つが、ここまでではない。

 

「いったい全体何してるんですか。あれですか。ようやく母なる大地に土下座する気になったのですか」

「こんな前衛的な土下座、いくら私でもしませんよ!」

 

 呆れた射命丸が早苗を引っこ抜く。汗のせいか、射命丸の短い黒髪が陽光に照らされて輝いている。が、彼女の顔は鬱屈としていた。いつもは綺麗な黒い翼も心なしかくすんで見える。

 

「まったく。早苗さんは本当に理解できませんね。こんなところで何してたんですか」

「文さんを待っていたんです」

「ご冗談を」射命丸はくすくすと笑う。「私は地中にはいませんよ。なんで地面に頭を」

「私はただ昼寝してただけですよ」

「最近の若者は寝違えると地面に埋まるんですね」

 

 文さん婆臭いですよー、と早苗が笑う。「そりゃあそうですよ」と飄々とした様子で返した射命丸だったが、「神奈子様みたいです」と無邪気に笑う早苗を見てさすがに眉をひそめた。

 

「それは失礼すぎですよ」

「その反応も神奈子様に失礼だと思いますけど」

 

 ぶー、と唇を突き出した早苗は「今日だって神奈子様が」と不満げに頬を膨らませた。幼稚で子供っぽい、彼女らしい仕草だ。

 

「たまには教徒でも集めてこいって、無理やり私を追い出したんですよ。だから私はこんな場所で昼寝をしなければならなかったんです」

「昼寝で教徒が集まるなんていい宗教ですね」

「神奈子様も諏訪子様も私を子供扱いするんですよね」

 

 私はもう大人なのに、と唇を尖らせる早苗の姿は、典型的な反抗期の子供のようだったが、誰もそれを指摘しない。確かに現人神である彼女は年齢的には十分に大人なのだが、精神は全くといっていいほど成熟していなかった。良い意味でも悪い意味でも、だ。

 

「まあ、たしかにあの神様二人は早苗さんを子供扱いしすぎだとは思いますが」

「ですよね!」

「子供扱いというよりは、過保護というべきですけど」

 

 守屋神社。妖怪の山の山頂付近。つまりは今二人がいる場所の近くにある神社。そこが早苗の家であり、彼女の保護者兼神である諏訪子と神奈子がいる場所でもある。あの偏屈な神にとっては、早苗がまだ尻の青い子供に見えても仕方がないだろう。実際、以前に神奈子と会った際には「見てみろ。早苗の寝顔だ」と写真を見せてきたりもした。「可愛いだろう」とはにかむ姿は慈愛に満ちており「家宝にするよ。神の家宝だ」と威張る姿に威厳は一切なかった。

 

「神奈子様も諏訪子様も、私に冷たいんですよ」

 

 早苗はその場に寝転び、射命丸の方へころころと回転しながら側に寄っていく。

 

「今回みたいに、です」

「それでふて寝してたんですか」

「ふて寝じゃないですよー。ただ、春の昼間って気持ちいいじゃないですか。それでつい」

「つい土に埋まってしまったと」

「違いますって」

 

 近くに流れる川のせせらぎが心地よく、しかも木々もない草原の平原であるため、たしかに昼寝するには打って付けの場所ではある。四月下旬の妖怪の山は、色取り取りの花が咲きほこっているため、綺麗ではあった。

 

「いくら心地よい場所だからって、さすがに危ないですよ」だからこそ射命丸は背筋を伸ばした。彼女ほど妖怪の山の恐ろしさを知っている妖怪も少ないだろう。「妖怪に殺されていてもおかしくありませんでした」

「大丈夫ですよ、私は強いので」

「あなたの保護者が過保護な理由が分かりましたよ」

 

 射命丸は周りに揺蕩う薄白い霧を懐かしそうに払いながら目を細くした。彼女の綺麗な翼が僅かに強張る。鴉天狗が好んで履く妙に高い下駄をその場で踏み鳴らしていた。威嚇のようにも、歓迎の儀式のようにも見える。が、彼女は明らかに辟易としていた。いつもであればカメラを取り出してもおかしくないのに、それすらしない。鴉天狗にとって写真を撮ることこそが生き甲斐であるのに、だ。

 

「もうお二人のご飯は作ってあげないんですから」未だにぷんすことする早苗を横目に射命丸は肩をすくめる。

「早苗さん、料理できるんですか」

「もちろんですよ」

「言っておきますが、鍋は料理に入りませよ。特にキュウリ入りの鍋は」

「あれはゲテモノですよ」けらけらと早苗は笑い「きっと今頃、お二人も困ってますよ」と寂しそうに眉をハの字にした。「昼ごはん、まともな物を食べてるんでしょうか」

「大丈夫でしょう。腐っても神です。一日二日何も食べなくても死にはしません」

「勝手に腐らせないでくださいよ。それに料理ができるかも、とは思わないんですか」

「私、常識がありますので」

 

 早苗さんと違って、と余計なことを付け加えた射命丸だったが、「いいんですか?」と早苗が曖昧な質問をすると途端に顔を強張らせた。痛いところを突かれた、というよりは痛いところを我慢していたのに、無残にも追撃を食らったといった様子だ。「私、この前のこと忘れてませんから」

 

「この前のことってなんですか?」

「とぼけないでくださいよー」

 

 まだ足が痛むんです、と明らかな嘘を早苗は吐く。が、射命丸はそれでも慌てていた。普段は冷静沈着で、鬼でもないのに嘘を見抜くことに長けている彼女だったが、早苗の前では情けない姿を晒す。心を許しているのか、それともその逆か。いずれにせよ普通ではなかった。

 

 この前、というのは最近妖怪の山であった些細な事件だろう。犬走椛のけがを発端にしたバカ騒ぎは結果的に平穏に解決したのだが、その途中で射命丸が早苗を殴ったのだ。まあ不慮の事故とでもいうべきだろう。

 

「文さんは何でも知っているくせに、こういう時は知らんぷりするんですから」

「何でも知ってる妖怪なんていませんよ。私だって知らないこともあります」

「例えば?」

「社会の厳しさとか」

「知ってて無視してるだけですよね、それ」

 

 うらやましい! と身をよじらせながら、早苗は「文さんの耳の速さはピカイチですから。飛ぶのも速いですけど」と若干恨めしそうに言った。

 

「私の知っている情報は全部文さんにも漏れていると思ってますよ」

「買いかぶりすぎですよ」

「またまたー」早苗は口笛を吹く。

「文さんはもっと素直になるべきですよ。ここに来るのも、友人の方がよく来るからですよね。まったく。友人に会いたいなら意地を張らずに直接訊ねればいいのに」

「ここというのは」射命丸は分かっているだろうにそんなことを言う。

「この川辺ですよ。暇さえあればここに来るじゃないですか。私、知ってるんですよ。文さんが優しいって」

「何を言ってるんですか」

「困っている人がいたら、自分のやりたいことを放り出してでも助けちゃうタイプですよね。友人の椛さんが困ってた時もそうだったじゃないですか。ザ・お人好しですから」

「それを言うなら、ジ・お人好しですよ。まあ、いずれにしても私は違いますけど」

 

 射命丸は分かりやすく嘘を吐く。端から見れば彼女の表情に変化はないが、翼がやや傾いていた。

 

「私がここに来るのは休憩に適しているからです。誰が妖怪の山に来たのかも分かりやすいですし、妖怪の山に迷い込んだ奴らも、なぜかここに集まりますし」

「天気が良い日は絶景ですしね」

「そうですね」と射命丸も頷く。「まあ今日は曇ってますが」

「まるで私の心みたいですよねー」

「早苗さんはの心はいつでも空っぽでしょうに」

 

 酷いです! と早苗は喚きながら空を見上げた。たしかに視界は悪い。妖怪の山はそこそこ高さがあり、そのせいで降りてきた雲が眼下まで白く染め上げていた。春過ぎには珍しくない天候だが、昼寝日和とは言いがたい。

 

「私の心は空っぽじゃないですよ。こう見えて色々考えているんですから!」

「考えるって」と射命丸は困り顔になる。「何をですか」

「この前なんて私の画期的なアイデアで八百屋さんの危機を救ったんですよ!」

 

 誰も訊ねていないのに、早苗は「人里で仲良しの八百屋さんなんですけどね」と両手を合わせながら嬉しそうに話す。

 

「最近、向かいに喫茶店が出来たらしくて、そこにお客さんを持って行かれて困ってたんですよ」

「私は八百屋の客を持ってこられる喫茶店の方が気になりますよ。生野菜でも売ってるんですか」

「違いますよ! 単に話題な店だったせいで、みんなそっちに行っちゃっただけです」

 ですから、と早苗は胸を張る。「この私がその問題を解決したんですよ」

「いったいどうやったんですか」さして興味もないだろうに射命丸は訊ねる。「土下座でもしたんですか」

「土下座、好きなんですか?」

「いえ。早苗さんが好きそうだと思っただけですよ」

 まあそれはいいじゃないですか、と射命丸は話を促す。「それで、いったい何をしたんですか」

「漫才です」

「は?」

「八百屋さんと二人で漫才したんですよ」

「なんで」

 

 しごく真っ当な疑問に対しても早苗は堂々としていた。

 

「凄かったんですよ。私が突っ込みで八百屋さんがボケなんです」

「逆じゃなくて?」

「どういう意味ですか」

 

 私がボケていると言いたいのですか、と早苗が文句を言う。いえいえ、と手を揺するけれど、結局最後まで射命丸は否定の言葉を言わなかった。

 

「大丈夫ですよ。私、突っ込み上手いんですから」

「とてもそうは見えませんが」

「酷いですね。ちゃんと八百屋さんがボケる度に、しゃらくさいです! と突っ込んでたんですから」

「独特な突っ込みですね」

「ちゃんと八百屋さんも喜んでましたよ。地獄みたいな空気だったとは言ってましたが」

「それ、喜んでないですよ」射命丸は心底呆れた声を出す。「そんなんで、ちゃんと集客はあがったんですか」

「それがですね。不思議なことに上がったんですよ。道を通りかかる人が皆立ち止まってくれて」

「本人が不思議がったら駄目ですよ」

「私、才能あるかもしれません」

 

 目をきらきらとさせた早苗は、甘えるように。というよりも実際に甘えているのだろう。射命丸に抱きついていた。

 

「才能って何のですか」

「誰かを足止めする才能ですよ」

「凄い。将来はカラーコーンになれるかもですよ」

「嬉しくないです!」

 

 それに、と射命丸は首からかけたカメラを右手で弄りながら言う。

 

「地獄みたいな空気だなんて、そう易々使って良い言葉ではないですよ。地獄はもっと酷い」

「まるで行った事あるみたいに言いますね」

「半分はあなた達のせいですからね」射命丸は悲鳴をあげるようでもあった。「守屋神社が旧地獄の──地底の地獄鴉に手を出したから、旧地獄の連中が地上に出てくるようになったんですから」

 

 博麗神社の近くに突如高温の間欠泉と共に地底の悪霊が噴出した異変。結局、間欠泉が吹き出した原因は地底に住んでいる妖怪「霊烏路空」が何らかの力。まあ結論から言えば守屋神社の神に与えられた力を制御しきれず、間欠泉が吹き出していたのだが、それは良いだろう。問題なのは、あの異変の後から地底にいた妖怪が地上へと出始めてきていることである。

 

「お空さんはいいんですよ。可愛いですし。ただ地底にはもっとまずい妖怪がいますからね。怖くて怖くて」

「鬼の方々とかですか?」

「そうですよ」

 

 恨めしそうに射命丸は言う。言いつつも、いつの間にか彼女の手にはメモ帳とペンが握られていた。気が急いているのか、しきりに後ろを気にしているが、早苗のことも気がかりであるらしい。

 

「どうやら守屋神社の神様方は地底の方々と仲が良いとお噂ですが」

「まあ、神奈子様も諏訪子様も顔が広いですからね。誰とでも仲良しです」

「そうではなく」と射命丸が焦れた声を出す。「何か打ち合わせしてるとか聞いていないんですか?」

「打ち合わせ、ですか」

「知らないんですね」

 

 はあ、と何度目か分からないため息を射命丸は吐いた。「親の心子知らずというか」と自分には子供もいないのに言ってくる。

 

「しょうがないですね。折角なのであなた方の仲裁をしてあげますよ」

「仲裁って何ですか」

「おかしいとは思わなかったのですか」

 

 そもそも早苗はいつだっておかしいが、射命丸はそのことは指摘しなかった。

 

「あの子煩悩な神奈子さんが、早苗さんをそんな無意味に家を出すわけがないじゃないですか」

「え」

「今日は守屋神社で旧地獄の面々と妖怪の山の面々の親交会があったんですよ」

 

 射命丸はいつもよりゆっくりと、噛み含めるように言う。

 

「親交会といっても宴会とは違って殺伐としますからね。汚い話もあるでしょうし。早苗さんには聞かせたくなかったでしょう。だから、適当な理由をつけて早苗さんを追い出したんです」

「そんな話、なんで文さんが知ってるんですか」

「関係筋から聞きました」

「関係筋って」

「いえ。知り合いに目が良い奴がいましてね。彼女が、珍しい客人が神社に向かっていったと言っていたものですから、調べたんですよ。私も今からその会合を盗み聞き……情報提供を受けに行くところだったんです」

 

 射命丸は少し不満げな顔をしたが、すぐにいつものにこやかな顔に戻り「ですから」とらしくもなく宥めるような口調になる。「あんまり怒らないでください。神奈子さんも、あなたのためを思って言ったのですから」

「文さんは」

 

 てっきり早苗がへそを曲げると思っていたのだろう。射命丸は慎重に彼女に声をかけていた。が、当の早苗は太陽ですら霞んでしまいそうなほどの笑みを浮かべている。

 

「やっぱり優しいですね」

「はい?」

 

 おーい、と上から声が響いたのはその時だった。何事かと射命丸は声のした方を凝視する。僅かに彼女の顔が強張るが、声の主を見てすぐその表情を崩した。

 

「神奈子さんじゃないですか」

「久しいな射命丸」

「どうしてここに」

 

 守屋神社で祀られている、文字通りの神である神奈子は、紫色の艶やかな髪を指で弄りながら「決まっているだろう」と早苗を見やった。

 

「いじけた早苗を回収するためだ」

「回収って」さすがの射命丸も苦笑していた。

「大丈夫ですよ」が、肝心の早苗の顔に一切の笑みはない。唇を尖らせ頬を膨らませている。「私はもう少し文さんとお話してます」

 

「しょうがないだろう」神奈子は困り果てた顔になる。「早苗は良くも悪くも素直だからね。会談の内容を聞いたら顔色で内容がバレかねないんだ」

「私はそんなに単純じゃないですよ。知恵の輪くらいには複雑です」

「私にかかれば知恵の輪も単純だよ」

 

 神奈子様の晩御飯はキュウリ鍋にします、と不貞腐れた早苗を前に、さすがの神奈子も苦笑していた。

 

「それは酷いな。理不尽で、不条理だ。現実みたいだな。現実作戦だ」

「どういう意味ですか」

「私にも分からん」大きくため息を吐いた神奈子は「分かった分かった」とこれ見よがしに肩をすくめた。

 

「もう会談も終わったから、早く帰ってこい。射命丸と遊ぶのもいいが、暗くなる前には戻れよ」

「分かりましたよ」

 

 では、と神奈子は帰っていく。嵐のようだった。神出鬼没というか、神出神没というか。その身勝手さには呆れることしかできない。

 

 が、射命丸が茫然としているのは違う理由からだろう。彼女は早苗をまじまじと見つめていた。

 

「早苗さん、今日守屋神社で会合があるって知ってたんですか?」

「え? まあ知ってましたけど」

「何ですかそれー」射命丸はその場に崩れ落ちる。「教徒を集めろって追い出されたって言ってたじゃないですか」

「そうですよ。私が会合の内容を知ったら顔に出そうだから、外で信者集めでもしてろって追い出されたんです」

「そう言ってくださいよー」

 

 射命丸の顔が赤くなる。彼女を慰めていたのが馬鹿らしくなったのだろう。が、すぐに顔は白さを取り戻した。目を見開かせ、口を丸くしている。そしてゆっくりと半月状に口を歪ませた。ああ、と声を零してもいる。

 

「早苗さん、最初から私が目当てだったりしました?」

「目当て?」

「おかしいとは思っていたんですよね」

 

 射命丸は心底嬉しそうに笑う。

 

「いくら早苗さんが馬鹿だといっても、無意味に地面に刺さるはずありませんもんね」

「誰が馬鹿ですか!」

「私を待ち伏せしていたんでしょう」

 

 普通に考えれば、待ち伏せをするのであればむしろ空を見上げておくべきだ。射命丸は鴉天狗であり、空を飛ぶ。地面に刺さっていたら見つけることすらできない。が、そもそも。射命丸が飛んでいるのを見つけたとしても、追い付くことはできないのだ。彼女の飛行速度は速い。幻想郷最速の名は伊達ではなかった

 

「そんな奇怪な友人の姿を見れば、私が興味を持つと思ったのでしょう。ここは見晴らしがいいですからね。守屋神社に行く途中にもよく見えます」

「ですね」

「それで私が会談の盗み聞きができないように時間を潰させていたんでしょう」

 

 文さんはザ・お人よしですからね。そう早苗が言っていたことを思い出す。何だかんだ世話焼きな射命丸が、地面に刺さった早苗を放置するはずもないし、早苗と神奈子のすれ違いを放っておけるとは、たしかに思えなかった。普段の彼女は面白い出来事。とりわけ新聞のネタに目がない。それこそ友人を利用してまでネタにたどり着こうとするだろう。が、早苗にだけは妙に甘いのが彼女の悪いところであった。

 

「身内にも内容を隠すような会談。ああ、どんな内容だったのか気になりますね。気になるからこそ。私が興味を持つと思っていたからこそ、私を会談に行けないようにしたかったのではありませんか? 記事にされると思ったのでしょう」

「えっと。それは」

「まったく。私も信用がありませんね。会談の盗み聞きはしないでくださいって、そういってくださった方が確実だったのに」

「だって、文さん。そう言ったら絶対嬉々として守屋神社に行くでしょう」

「そんなことはないですよ」

 

 嘘だった。彼女の性格からすれば、嬉々として会談に乗り込んでいく姿が容易に想像できる。

 

「それに、こっちの方が確実だと私は思ったんですよ!」

 

 にぱっと笑った早苗はその場で立ち上がった。ぐっと体を伸ばし、その場でくるりと回る。天真爛漫なその笑顔は、曇り空を吹き飛ばすほど明るく、綺麗だった。

 

「まあ、私は将来有望なんで」

「どういう意味ですか」

「どうです? 足止めする才能、あったでしょう?」

 

 やっぱり将来はカラーコーンになろうと思うんですよ、と早苗は照れくさそうに笑う。眉間をぐりぐりとした射命丸は、それでも笑みを浮かべながら嬉しそうにはにかむ早苗に近づき、軽く頭をはたいて、言った。

 

「しゃらくさいですよ」

 

 二人の笑い声が、薄白い景色をゆらゆらと揺らす。それでもまだ世界は曇ったままだった。

 



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桃色に変わる薄い日々

 幻想郷には多くの妖怪がいる。鬼のような各々が歴史に残るような強靭な妖怪から、人間より弱い木っ端妖怪まで多種多様だ。が、その中には弱小妖怪であるにもかかわらず、有名で、なおかつ鬼に似ている奴もいる。まあ似ているとはいっても表層だけで、中身も強さも全然違うのだが。何が悲しいのか、彼女の種族には確かに鬼という文字が入っている。

 

「それで、何の用だ天邪鬼」

 

 妖怪の山の中腹。漂う白い雲と霧に覆われた川辺で星熊勇義は笑いながら声を発した。低く、ひりつくような声だが、女性らしい艶やかさも含まれている。

 

 草原の中にぽつんと佇む大岩の上にあぐらを掻き、金色の長い髪を乱雑に搔きむしった彼女は豪快にあっはっは、と笑う。その額には大きな赤い角があった。鬼の象徴だ。天邪鬼にも二本の小さな角があるが、そんなちんけな角とは比較にならないほど大きい。

 

 大きいのは角だけではない。力も態度もすべてが大きい。なぜなら彼女は偉大なる、そして伝説的な種族。「鬼」なのである。しかも、その鬼の中でも最強で傑出している存在。人呼んで鬼の四天王。その一人こそが星熊勇義であった。

 

「下剋上に失敗したお尋ね者のお前がここに来るなんて、どうかしてるとしか思えないけど」

「お尋ね者というが」と返事をしたのは天邪鬼だった。普段は妖怪の山なんて絶対に来ない弱小妖怪だ。生意気で傲慢で貧弱。いつの日か下剋上なんて馬鹿げたことを企み、案の定失敗して指名手配された愚か者だ。

 

「つい最近まで地底に封印されていた嫌われ者には言われたくねえな」

「人聞きが悪いな。そもそも、鬼である私が本気を出せば、地底から脱出することなんて訳ないんだよ。つまり自分の意志で地底にいたんだ。封印ってのはおまけだよ」

「自分の意志? 地上に行きたがってたって聞いたが。じゃあなんで地底にとどまってたんだよ」

「さあな」勇儀は苦笑を浮かべながら首を振る。「私だって分かんないけどよ」

「何だよはっきりしねえな。鬼は馬鹿単純でずばずば言う妖怪だって聞いたぞ」

「その噂を言ったやつを教えろよ。あとで絞めてやる」

「射命丸だ」

「仲間を簡単に売るなよなあ」自分で教えろと言ったくせに、勇儀は眉間に皺を寄せる。「仲間を大切にしないから下剋上も失敗するんだ」

「私に仲間なんかいる訳ねえだろうが」

「おいおい、嘘はよくないぜ」

 

 勇儀の圧力が強まった。それはもちろん比喩的な意味ではあるが、実際の天邪鬼は足を震わせ、その場にへたり込みそうになっている。顔だけは得意げに笑ってはいるが、怯えているは明らかだった。「いいか。鬼は嘘を吐かないし、吐いている奴も許さない。口には気を付けろ。次はないからな」

 

「優しいんだな。てっきり会った瞬間殺されるとでも思ったんだが、失敗しても許されるとは」

「私は無意味に殺しはしないよ。懐が大きいんだ」

「ヤクザみたいなこと言いやがって。それに、意味ならあるだろ」

「なんだ」

「私は指名手配犯だぞ」

 

 鬼人正邪は忌々しそうに、そしてどこか清々しそうに笑う。「幻想郷に真っ向から喧嘩を売った輝針城異変の首謀者だ。殺すに十分な理由じゃねえのかよ」

 

「とはいってもなあ」

 

 勇儀は、はっと鼻で笑う。金色の髪が棚引き、白色の世界によく映えていた。が、彼女が面倒そうに足を地面につけるだけで、轟音が響き、地面が揺れる。妖怪の山全体が恐怖で縮み上がっているのだが、彼女に気づいた様子はなかった。

 

「あれだろ? 一寸法師をだまして、木っ端妖怪を引き連れて幻想郷に喧嘩売っただけだろ? 大したことじゃない。噂の鬼人正邪も思ったより大人しそうだしな。別に、怪しい物も持ってないんだろ?」

「まあな」と天邪鬼は頷いた後で「花火ならあるが」と懐からそこそこの大きさの火薬玉を取り出した。え、と勇儀が声を漏らす。「なんで花火持ってんだよ」

「護身用だ」

「殺意、高すぎるだろ」

 

 見たところ、その花火はただの打ち上げ花火ではなく、攻撃用に調整されているようだった。食らえば、鬼だろうと一溜まりもないだろう。「それ、地雷みたいなもんだろう? どうやって護身するんだ」

 

「そりゃ、地面に埋めるんだろう」

「まあでも、持っているだけなら問題ない。大したことないよ」それでも勇儀はあっけらかんと言った。

「お前の大したことの基準が分からねえよ」

「鬼の四天王である私にタメ口で話すこととかだな」

「大きな懐はどこに行ったんだ」

 

 とにかく、とその場から立ち上がった勇儀は天邪鬼へと近づく。天邪鬼はそれはもう怯えていたが、逃げ去ることはしなかった。普通、彼女のような木っ端妖怪が勇儀を前にしたら、即座に逃げ出すというのに。肝が据わっているようにも見えない天邪鬼が、どうしてここまで彼女に固執するのか。鬼人正邪の名は伊達ではない。そういうことなのか。

 

「なんだよ。聞いてた話と違うじゃねえか。てっきり、お前は弱者を甚振って楽しむような奴だと思っていたが」天邪鬼は軽い口調で言う。「拍子抜けだ」

「酷い言い草だな。弱者を甚振るなんて鬼の誇りに反するだろ。そんな卑怯な真似はしない」

「本当か?」天邪鬼はしつこかった。「もしその弱者が生意気で傲慢なクソガキで、しかも喧嘩をふっかけてきたとしてもか?」

「お前を殺していない時点で、その証明になるだろうが」

「嘘くさいなあ」

 

 鬼は嘘を吐かない。吐けないと言ってもいい。だから、勇儀が弱者を甚振らないというのはこの時点で確定はしていた。そもそも、彼女のことを知っている人からすれば、星熊勇儀が義理に厚く、弱い者いじめを嫌うことは誰もが知っていることであったが、天邪鬼は知らないらしく「食べたりしないか?」としつこく確認していた。

 

「しない。そんなに心配なのか」だったらよ、と勇儀は不本意そうに口を尖らせる。

「約束してやるよ」

「約束?」

「私は絶対に無意味に弱者を攻撃しない。そう約束してやるよ。もし破ったらお前の配下になってやる」

「嬉しくねえなあ」

 

 まあ、鬼は嘘を吐かないのか、とようやく納得した彼女は「なあ鬼。お前に一つ聞きたいことがあるんだが」とまだ自分も質問に答えてもいないのに、彼女は鬼に問いかけた。

 

「なんでお前はこんな所にいるんだよ」

「どういう意味だ」

「鬼の四天王って偉いんだろ? こんな何もねえ草原に一人でいるなんておかしいだろ」

「別におかしくはないが」

 

 勇儀はため息を吐き、こちらを見る。彼女は豪胆で、まさに鬼らしい性格をしているが、だからこそ分かりやすかった。

 

「理由は、そうだな。二つあるよ」

 勇儀はケラケラと楽しそうに笑う。「一つは異変の解決だよ」

「異変?」

「まあ、そんな大それた異変じゃない。最近妖怪の山で不審なことが多く起きてるんだ」

「不審なことねえ」

 

 弱小妖怪である天邪鬼にとっては妖怪の山そのものが不審で怪しく写るのだろう。彼女ははっと乾いた笑い声をあげた。

 

「あれだ。お前、かまいたちって知ってるか?」

「人間の肌を気づかぬ内に浅く切りつける妖怪だっけか」

「あれに近い現象が妖怪の山で多発しているんだ」

 

 はあ、と天邪鬼は気の抜けた声を出す。そんなことか、と安心している様子だった。

 

「だったら、かまいたちを捕まえればいいだろ。というか、捕まえる必要もねえだろうが。幻想郷の日常だ。私なんて毎日怪我だらけだぜ」

「まあ、そうなんだが」と勇儀はどこか面倒そうに自らの長い髪を撫でた。「この前の会議で話題になってな」

「会議って何だよ。偉そうだな」

「守屋神社で会議があったんだよ。私もそこにいたんだが、そこで話題になったんだ。妖怪の山で不自然なことが起きている。気持ち悪いから何とかしようってな」

「ああ」とようやく天邪鬼は合点がいったような顔になった。「射命丸の新聞に書いてあった奴か」

 

 昨日、早苗の企みにより射命丸は守屋神社で盗み聞きをすることは叶わなかった。が、結局は当然のように情報は漏れ、射命丸どころか山中の鴉天狗が会合の内容を記事にしていた。曰く『誰もいないはずなのに後ろから殴られる』であるとか『声をかけられて、水をぶっかけられたと思ったのに犯人がいない』であるとか『気づいていたら地面に頭から埋められていた』であるとか。そういった不可思議なことが妖怪の山で起きているらしい。彼女達の記事はそのような事が書かれていた。

 

「ちなみに犯人はかまいたちではない」勇儀はぽつりと付け加える。

「なんで分かるんだよ」

「私が直接かまいたちに聞いたからだ」

 

 ああ、と天邪鬼は途端に微妙な顔になる。悲しそうな顔にも、嘲るような顔にも見えた。「そいつは可哀想だな」結局天邪鬼は嘲笑することに決めたらしい。

 

「お前と話すなんて拷問と同じじゃねえか」

「酷い言い草だな。光栄だと思えよ」

「お前と会う時にゃ胃痛薬が必須だろうが。何ならお前がもってこいよ。エチケットだ」

「何でだよ」勇儀は鬼らしく豪快に笑う。「鬼が施しをするのは相手を認めた時だけだ」

「認めた相手に胃痛薬を渡す鬼ってのも笑えるな」笑えない、といった癖に彼女は大笑いした。「それと、もう一つ。もう一つここにいた理由はある」

「何だよ」

「友人の気まぐれだよ」

「本当に何だよそれは」

 

 口を三日月のように広げた彼女は「具体的には、お前に会うためだ」と天邪鬼を指差した。

 

「は?」

「射命丸に聞いたんだよ。お前が私を探してるってな。だからここで待ってたんだ」

「あいつ」天邪鬼の顔が苦々しく緩む。「今度会ったら絞めてやる」

「お前には無理だ」あっはっは、と勇儀は豪快に笑う。「まあ。私も天邪鬼に聞きたいことがあったしな」

「嘘の吐き方か?」

「そんなもの聞くはずないだろう」私は鬼だぞ、と勇儀はけらけらと笑う。

「お前、嫌われているんだって?」

 勇儀はまっすぐに訊ねる。そこに悪意や嘲笑はなかった。単純な疑問だ。「聞いたぜ。今幻想郷で一番嫌われている奴はお前だってな」

「鬼も嫌われてるだろうが」

「畏怖されてんだよ」

 

 天邪鬼は怪訝そうに眉を顰めた。おそらく、彼女はここに来るにあたりかなり勇気を振り絞ったに違いない。彼女のような弱小妖怪にとって、鬼とは強大で恐ろしい相手だ。正気であれば、一人で会いに行ったりしない。が、まさか自分自身に用があり、質問をぶつけてくるとは思わなかったのだろう。面白い顔になっている。

 

「で、どうなんだ。みんなに嫌われるというのはやっぱ辛いもんなのか」勇儀はまるで居酒屋での世間話のような、軽い口調で訊ねた。「お前でも大変なのか」

「ああ、辛すぎて毎晩泣いてるぜ」けらけらと軽薄に笑った天邪鬼は「嘘だ」とすぐに否定した。「そんなの、最高に決まってるじゃねえか」

「最高?」

「私は天邪鬼だぞ。誰かに嫌われるために存在してるつっても過言じゃねえからな。むしろ、人に嫌われるために生きてるまである」

「まあ、妖怪は恐れられてなんぼだが」

 

 勇儀はその太い腕を天邪鬼の肩に回した。薄暗い妖怪の山がさらに鬱屈とした雰囲気となる。

 

「お前はそういうタイプじゃないだろう」

「は?」

「いるんだよ。妖怪でも、人間や他の妖怪に嫌われたら割と凹む奴が。お前はどちらかといえば、そういうタイプだ」

「決めつけんなよ」

 

 天邪鬼は首を振る。彼女の肩口まで乱雑に伸びた髪がばさりと揺れる。顔も体も震えていたが、口は動いていた。文字通り口から生まれたのだろう。健気だ。

 

「私は嫌われたいんだよ。誰のためでもねえ。私のために色々やってきたんだ。さも当然にお前のことを知っています、みたいな顔されると腹が立つ。何も知らねえくせによ。勝手に同情して、勝手に憐れんで。そういうのが一番タチが悪い。死ねばいいのに」

 

 普通、鬼にそんなことを言えばただでは済まない。天邪鬼もそれは分かっているのだろう。ひどい汗を搔いている。が、言わずにはいられなかったに違いない。彼女自身の命をかけてでも、彼女は自分の歩んできた道のりを捻じ曲げなかった。こういうのは好まれそうだ。

 

 誰に? 勇儀に。

 

「お前、面白いな」案の定勇儀は天邪鬼に好意の目を向けていた。同時になぜか悲しそうな顔にもなっている。「なら、どうしたらいいんだ」

「どうしたらって何がだよ」

「嫌われ者の友人がいたとするなら、どう接するのがいいんだよ」

「その質問を、友人もいない私にするのが笑える」

 

 天邪鬼はくすりともせずに続けた。「そうだな。まあ、お前みたいなのに絡まれた時点で辟易とするからな。そもそも接するのが間違いなんじゃねえか?」

「それ以外の答えを教えろ」

「贅沢だな。これだから強者は嫌いなんだよ」

 

 天邪鬼はじりじりと体を寄せてくる勇儀から何とか逃れようともがいていた。が、さすがに鬼の手から逃れられるほど彼女の力は強くないようで、観念したのか体をそのまま預けた。「まあ、普通に食い物とか貰ったら嬉しいんじゃねえのか? てことで私にも寄越せ」

「意外と普通なんだな」

「文句あるのか」

「ない。けどなあ」勇儀はどこか遠い目で空を見上げる。地底では見ることができなかった白い雲であるはずなのに、感慨は微塵も見せていない。それどころか、地底にいた時よりもつまらなそうでもあった。「それはもうやったんだよなあ」

「何あげたんだよ」

「団子だよ。そいつ、甘味が大好きだったんだ」

 

 たまたまなのか、それとも常に持ち歩いているのか、勇儀は懐から団子の入った袋を取り出した。一つしか入っていないが、買ったばかりなのか香ばしい匂いが辺りに漂っている。「いつも持ってんのか。大阪のおばちゃんかよ」

 

 言いながら天邪鬼は手を勇儀に向かい突き出した。さも当然のように手を差し出したせいで、勇儀ですら一瞬きょとんとして。

 

「なんだよ、この手は。まさか団子を寄こせってことか?」

「人聞きが悪いな」天邪鬼は心底不本意だと言わんばかりに、眉間に皺を寄せる。「毒見をしてやるって言ってんだよ」

「いらない。毒なんて入っていない」

「分かんねえだろ。万一ってのはある」天邪鬼は頑なだった。そんなに腹が減っているのか、と勇儀は呆れていたが、天邪鬼に気付いた様子はない。「こういうのは私に任せておけって。得意なんだ」

「得意って何がだ」

「人柱になるのが、だよ」天邪鬼は心底得意げだった。「自分の体を犠牲に、安全を確認するんだ。格好いいだろう」

「ただ団子が食いたいだけだろ」

「ゆくゆくはリトマス紙になれるって有名なんだぜ。危険を感知したら赤くなるんだ」

「リトマス紙はそういうものじゃない」

 

 それどころか、よくよく考えなくともリトマス紙に将来なることは不可能だ。私の知識が正しければ、リトマス紙は生物ではない。

 

 勇儀は露骨に肩をすくめていたが、それでも「団子じゃプレゼントにならなかったんだ」とどこか悲痛な声を出した。あれだけ茶化されたというのに怒りもしない。「なんでか分かるか」

「しょぼいからだろ。もっといい物あげろよ」

「いい物ってなんだよ」

 

 そうだなあ、と天邪鬼は間延びした声を出す。何も考えていなかったのだろう。その吊り上がり気味の鋭い目には焦りが浮かんでいた。

 

「蕎麦とかどうだ」

「は? 何言ってんだよ」

「おい、お前蕎麦を馬鹿にしてんのか。いいか。蕎麦は人生なんだ」

「蕎麦を馬鹿にしたんじゃない。お前を馬鹿にしたんだ」

 

 いいか、と天邪鬼は先ほどまでの怯えはどこへやら、途端に強気になり勇儀に向き合った。その時だけ、彼女が本当の鬼になったかのような気さえした。

 

「蕎麦ってのは食うだけで胸が暖かくなるだろうが。私は天邪鬼だから胸なんて暖かくなる必要はねえが、強靭な精神力を持ってない奴らにとったら大きな意味があるんだ。そうだろ? それで、蕎麦を渡す時にこう言ってやるんだよ」

「こうって」

「いつもあなたの傍にいたいってな」

「痛々しいなー」

 

 勇儀は腹を抱え、がははと笑う。「よくもまあ、そんな恥ずかしい事が言えるもんだ。天邪鬼も意外と乙女なんだな」

「私が考えたんじゃねえよ。だがまあ、嫌われてる奴は、そこまで口で言わないと好意を信じられねえんじゃねえの? 知らねえけどよ」

「お前は実際に蕎麦を誰かに渡したことがあるのか。例えば、あの一寸法師とかに」

「なんであいつが出てくるんだよ」

 

 天邪鬼は露骨にむっとする。むっとし、舌打ちをした。「あいつは馬鹿だからな」

「一度神社で会ったことあるが、あの純粋そうな彼女なら何でも喜ぶんじゃないか?」

「いや」と天邪鬼は半笑いで首を振る。「あいつ、意外と変な物ばっか頼むんだってよ」

「へえ。意外だ」

「紅魔館に行ってみたいだとか、有名人に会いたいだとか、無理難題ばっか言ってきやがるらしいんだ。あれだ。一時期姫だなんていわれていたせいで、かぐや姫になったつもりなのかもしれねえな」

 

 一寸法師。少名針妙丸。鬼人正邪に騙され、下剋上に巻き込まれた小人。現在は博麗神社で霊夢と共に寝泊まりしている妖怪だ。その性格はまさに「子供」といった調子で、純粋無垢で幼く元気だ。一緒にいるだけで、世界が明るくなったような気がするほど素直ないいやつだ。

 

「この前だって、紅魔館に行ったら行ったで、鶏ガラに酷い目に遭ったんだ」

「鶏ガラ? 誰だそれ」

「魔女だよ。魔女。うっとうしい紫色のパチュリーだ」

「酷い言い草だ」

 

 あと、あいつがいくら痩せているからといって鶏がらは失礼だ、と似合わないほどまともな指摘をした勇儀に、べえっと舌を出した天邪鬼は「とにかく、あいつもそれなりに我がままなんだよ」と鬱陶しそうに鼻を撫でた。

 

「特にあいつ、最近一寸法師の絵本を読んだらしくてな。いつだって。あ」

 

 天邪鬼は急に口を止めた。首を回し、辺りを窺う。かと思えば、「ちょっと用事ができた」と言い残し、慌ててその場を飛び出していった。川の上流へとすっころびそうになりながら慌てて去っていく。一瞬、というにはもたついていたが、それでも勇儀が止める間もなく天邪鬼は去っていった。何だったんだ、と勇儀が嘆く。結局彼女は何をしに来たのか。最後まで確かめることはできなかった。

 

 南から聞き覚えのある声が聞こえてきたのは、勇儀がその場を去ろうとした時だった。妖怪の山には恐ろしい妖怪がいるはずなのだが、そいつは警戒心を実家に置いてきたのか、平然と歩いている。背丈はあんなに小さいのに、大物のような登場をするのが彼女の。そう。少名針妙丸の凄いところだった。

 

「あ! 本当に鬼がいる!」

 

 針妙丸の無邪気な声を聞き、勇儀は目を丸くし、針妙丸を見た。さすがの彼女も鬼を見るのは初めてのようで、驚きを隠せていない。自分の膝丈ほどしかない彼女は、特注であろう和服を着て、茶碗を頭にかぶっていた。まごうことなき小人の姿だ。

 

「お前、一寸法師か」

「違うよ! 私は針妙丸っていうの!」勇儀を前にしても彼女は怯まなかった。それどころか目を輝かせてもいる。「あなたに会いに来たのさ!」

「私に? 何でだよ」

「博麗神社でね、萃香に聞いたの! 妖怪の山には、一寸法師の絵本に出てくるような強くて格好いい鬼がいるって! 私も小人だからさ。一回会ってみたかったんだ」

 

 勇儀は怪訝な顔をしていたが、すぐに合点がいったのか、にやりと笑った。先ほどまでの天邪鬼との会話を思い出しているのだろう。小人である彼女が、昔からの伝承で描かれている鬼。その代表格である勇儀に興味を持ってもおかしくはない。紅魔館に行きたがるような無鉄砲者なら尚更だ。

 

「お前、たしか博麗の巫女と一緒に住んでるんだよな」勇儀は訊ねる。と、針妙丸は嬉しそうにはにかんだ。「そうだよ!」

「なのに今日は一人なのか。巫女はどうした」

「霊夢には内緒で来たの」にしし、と悪戯っぽい笑みを浮かべ針妙丸は勇儀を見やる。「危ないから嫌だって断られちゃって。だから、目を盗んで一人で来たんだ」

「見た目によらず大胆なんだな」

 

 たしかに、守屋神社ができてから正規ルートを通れば比較的安全に妖怪の山を行き来できる。が、さすがに子供一人では心もとないだろうに。まあ、一番の問題はそこではなく、勇儀そのものだろう。鬼に会えば生きて帰ってこられない。そんな噂が広まっているらしい。強ち間違いでもないのが悲しいところだ。

 

 だが、霊夢の心配は杞憂だった。勇儀が針妙丸をどうこうするつもりはない。が、彼女の判断は懸命だ。こんな子供を最近まで地底に封印されていた暴れん坊に会わせる必要はない。

 

「なあ針妙丸」

 

 自分の恐ろしさを知ってか知らずか、勇儀は妙に楽しそうに言った。「お前、私に会いに行くって話は誰かにしたか?」

「ううん」針妙丸はぶんぶんと首を振る。「誰にも言っていないよ」

「あ、でも」

「どうかしたか?」

「霊夢が誰かに相談してた気がする。夜中、外で話してたのが聞こえただけだけど」

 

 誰だったんだろう、と針妙丸は小首を傾げる。彼女の被った茶碗が大きくずれる。雲が落ち、薄白くなっている妖怪の山の中でも、彼女だけ陽だまりの中にいるような、そんな気さえする。

 

「多分だが」

 

 勇儀はそんな彼女の頭を撫でた。彼女の大きな手は針妙丸の頭よりも大きかったが、力は入っていない。柔らかく、優しい手だった。「そいつ、誰だか私には分かるぞ」

「え、誰」

「さあな」と一度勇儀はらしくもなくとぼけた後で「そいつはゆくゆく、リトマス紙になるらしいぞ」と笑った。

「え?」

「あいつ、本当に素直じゃないな」

 

 私の特技は人柱なんだよ。そう嘯いていた天邪鬼を思い出す。「自分の体を犠牲に、安全を確認するんだ。格好いいだろう」と彼女は笑っていた。もしかして、と思わずにはいられない。天邪鬼は針妙丸が勇儀に会いたがっていることを、霊夢から聞いていたのではないか。あの鬼の四天王の脅威を聞いていた彼女は恐れたのではないか。針妙丸が勇儀に甚振られることを恐れて、事前に勇儀と接触を図ったのではないか。だからあんなにもしつこく、弱者を甚振るかどうか確認していたのではないか。

 

「次そいつに会ったら言っといてくれよ」

 勇儀は面倒そうに、けれども心底楽しそうに言った。

「今度は胃痛薬持ってくるってな」

 

 鬼のお薬便だ、と勇儀は笑う。彼女の笑いが薄白い景色をゆらゆらと揺らす。それでもまだ世界は曇ったままだった。



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悪魔と魔女と怪しい霧

「たまには運動をするのも悪くないと言ったけれど」

 

 妖怪の山の中腹。その中途の草原で足を止めたパチュリーは恨めしそうに隣で微笑みを浮かべる小さな悪魔を睨みながら言った。

 

「どうして山登りなんてしないといけないのかしら」

「いいではありませんか」と赤色の髪を細く長い指で撫でた悪魔はその大きな目を更に見開かせて笑った。底意地の悪そうな笑顔だ。

「外の世界の登山家は言っていたそうですよ。なぜ山に登るのか。家に居場所がないからだ、と」

「それだと私の居場所が紅魔館にないみたいじゃない」

「みたいというか、無いではありませんか」

「あるわよ」

「頑張って探せばあるかもしれませんね」

 

 くすくすと悪魔は笑う。小柄ながらも口は饒舌で、口数が少ない魔女とは対照的だった。案の定魔女はまだ山の中腹だというのに疲労困憊の様子で、ただですら青白い顔から血の気が引いていた。心なしか長くて美しい彼女の紫色の髪もしなびているようにすら見える。

 

「そもそも、空を飛べるというの、わざわざ徒歩で登るなんて非合理的よ。魔女としては許しがたいわ」魔女は誰に対しての言い訳なのか、そんな無茶苦茶なことを言った。「なんで私がこんな目に」

「いいではありませんか。面白い物も見つけられましたし」

「別に面白くはないけれど」

「そうですか?」と悪魔はこてんと首を傾げる。「防腐された幾多の妖怪や動物の死体なんて面白いじゃないですか」

 

 魔女は眉間に皺を寄せた。死体を見てしまった嫌悪感というよりも、面倒ごとに巻き込まれた徒労感によるものだろう。その証拠に彼女は「面倒ね」と呟き、眉間に寄った皺を指でこねている。「いったい何が目的なのやら」

 

 その死体があるのはここからすぐ南へ行ったところ。鬱蒼と木々が生い茂る山肌。その斜面に空いた小さな穴にあった。木の葉や木くずで覆われ死体は隠されていたが、幸か不幸か、悪魔と魔女はそれを見つけてしまった。

 正直に言えば、妖怪の山に死体があることはそこまで珍しいことではない。動物だって季節の変化や食料不足、または捕食されて死んでしまうし、妖怪だって同じだ。何なら人間の死体も転がっていたりもするときもあった。

 

「また誰かがゾンビでも作ろうとしているのでしょうか」悪魔がどこか懐かしそうに言う。

「また? 妖怪の山でそんな物騒なことがあったなんて、私は知らないのだけど」

「大丈夫ですよ」

「大丈夫?」

「我が主様の記憶力には最初から期待しておりませんので」

 

 失礼ね、と表情を一切変えないまま言った魔女は「ゾンビなんて何匹いようが大したことないわよ」といかにも魔女らしいことを言った。

 

「酷いですね。ゾンビを匹だなんて。ちゃんと何『人』と言ってあげてくださいよ」

「あんなもの肉の塊でしょう。あなたはハンバーグも『人』と呼ぶのかしら」

「あり得なくはないでしょう」悪魔は絶対に言う気なんてないくせに勝ち誇っていた。「そう呼べばきっとハンバーグも喜びますよ。照れ隠しに『生焼けになっちゃう』と言ってくれるかもしれません」

「どんな照れ隠しよ、それ」魔女は愛想笑いすら浮かべずに言う。「いい加減怒るわよ」

「私に盾突くと? 愚かですね。魔女一匹にこの私が負けるはずないでしょう」

「魔女は匹で数えるのね」

 

 まだハンバーグの方が匹なら納得できる。挽肉であるし、と心底くだらないことを言った魔女は「あなたは少しくらい謙虚さを覚えなさい」と藪から棒に言った。

 

「そんな意味不明なことを自信満々に言っていたら、まともな悪魔になれないわよ」

「まともな悪魔がいるとでも?」

「どうしてあなたはそんなに傲慢なのかしら」

「失礼な」と悪魔は自らがどれほど失礼かは一切省みずに言った。「私は相手を立てるタイプですよ。傲慢とは対極です」

「何の冗談よ」

「悪魔界のパセリとも呼ばれていたんですよ」

 

 普通に聞けば蔑称としか思えなかったが、悪魔は得意げだった。

 

「素材の良さを引き出せる食べ物。それがパセリです。よくハンバーグについている奴ですよ。嫌われがちな付け合わせですが、メインの良さを無理矢理にでも引き出すのです」

「ハンバーグにパセリは合わないでしょうに。滅茶苦茶よ」

 

 まったく、と重い息を吐いた彼女はふるふると首を振り、「それで」と若干荒れた息を整えながら声を発した。皺がれた声はそれでも美しく、曇った世界を若干震わせる。

 

「そろそろ教えなさいよ、こあ」

「教える? 何をですか。我が主の愚かさであれば教える必要はありませんよ。周知の事実ですから」

「あなたが何の目的もなくこんな所に来るはずがないでしょう。というより、ちゃんと行き先を教えて欲しかったのだけれど」

「あれ、言いませんでしたっけ」

「言ってないわよ」魔女はげんなりとしながら言った。「何しに行くのって聞いたら、ただ『本当の自分を探しに』とだけ言ったのよ。ほんと、勘弁して欲しいわ」

「格好良いじゃないですか」

「よくないわよ」魔女はすぐに首を振る。「むしろダサいわ。もっと何か良い言い回しがあったでしょ」

「真相を探しに、とかどうです。この案はご主人様にあげますよ。泣いて喜んでください」

「いらない。いいから、早く何の目的でこここに来たのかいいなさいよ」

「酷いですねえ」

 

こあ、と呼ばれた悪魔はわざとらしく肩をすくめる。小悪魔だから「こあ」なのだろうが、あまりに安直だ。

 

「いつも紅魔館の図書館で本を読んでいるお前のためを考えてやったというのに」

「あなたはいつだって自分のことしか考えていないでしょう」

「心外ですよ。悪魔は嘘を吐かないのですから」

「嘘を吐かないからといって、本当のことを言うとは限らないじゃない」

 魔女は鋭いことを言う。「はやく目的を言いなさい。でなければ帰るわ」

「せっかちですね。せっかちな女は嫌われますよ」

「悪魔よりはましよ」

 

 はぁ、と一際大きなため息を吐いた彼女は「分かりましたよ」とさもしぶしぶと言った様子で口を開いた。おそらく、初めから言おうと思っていたにもかかわらず、だ。

 

「新聞で読んだんですよ。妖怪の山で何やら物騒なことが起きていると」

「物騒なことねえ」

「妖怪の山で得体のしれない何者かが住人を襲撃しているらしいのですよ。面白くないですか?」

「物騒なのか面白いのかどっちなのよ」

「はい? 物騒なことは面白いでしょうに」

「あなたに聞いたのが間違いだった」

 

 魔女は大体が悪魔の言いたいことを理解したようで、元々苦々しい顔をしていたのに、さらに酷い顔になる。呆れとも違う顔だ。きっと諦めているのだろう。

 

「あなたは、その物騒で面白い事件に首を突っ込むつもりなのね」

「楽しそうではありませんか」

「楽しそうでもないし、私を巻き込んでほしくなかったわ」

「せっかく名探偵になれる好機だというのに」

「あなた一人でなんとかしなさい」

 

 心底辟易としている、といった調子で口をすぼめたのは、なぜか魔女ではなく悪魔の方だった。

 

「私だって、そうしたいのは山々なのですが。あ、死体の山山っていい名前ですね。せっかくなんで妖怪の山から改名しましょうよ。『死体の山』山です。実際、さっき死体の山がありましたし」

「紛らわしいし、言いづらいわ」

「しゃべらな過ぎて表情筋が死んでるからですよ。どうせなら全身死んでくれればいいのに」

「全身死ぬって何よ」

「レミリアのことです」

 

 彼女たちが住んでいる館。紅魔館の主をも悪魔はぶっきらぼうに呼び捨てた。

 

「彼女はあの身長からもう成長しないのです。死んでるも同然ですよ」

「さすがに失礼よ」

 

 いくら魔女でも友人を侮辱されることには我慢ならないのだろう。声自体は平坦なままだったが、それでもはっきりと言った。

 

「それに、背丈で言えばあなたも同じじゃない」

「私はこう見えても昔はナイスバディだったんですがね」

「年を取ることに縮んでいったのね。労わりましょうかお婆ちゃん?」

「誰のせいだと思っているんですかね。この恩知らずは」

 

 それに、と悪魔は指を立てる。彼女の小さな指先から若干の黒い靄が出るが、誰も気にした様子はない。

 

「レミリアが小さいのは背丈だけではありませんよ」

「え?」

「彼女の存在感もまた小さいではありませんか」

 

 そんなことはない。魔女は即座に返す。実際、そんなことはなかった。紅魔館の主。レミリア・スカーレットは幻想郷でもかなりの有名人であり、存在感は大きい。たしかに最近は騒ぎを起こしていないが、別に騒ぎを起こさなければならないというわけでもないはずだ。

 

「甘いですよ」が、悪魔はどうやら冗談ではなく本気で憂いているみたいだった。「いいですか。この世の中には二種類の妖怪がいるのですよ」

「陳腐な言い方ね」と魔女は自分自身が陳腐な魔女であるというのに薄く笑う。「私と私以外とか言わないでしょうね」

「一つは私のように、何もしなくとも有名になってしまう妖怪。もう一つはレミリアのように何かをしないと忘れられてしまう妖怪ですよ」

「忘れ去られる、ね」魔女は自らの頭を抱えるようにし、眉間に皺を寄せる。すでにない記憶を必死に手繰り寄せているような、そんな顔だ。

 

「妖怪はその名を轟かせるほど力が増すそうですよ。逆に、誰からも忘れ去られてしまうと消滅してしまうとか」

「らしいわね。忘れ去られたことがないから分からないけど」

「仮にも知識豊富というテイでしょうに」

「私はちゃんと知識豊富よ」

「もう死に設定ですよ、それ。ちゃんと定期的に成果を見せないと、本当に消えてしまいますよ?」

「失礼ね」

 

 まったく、と魔女は川に寄る。淀みなく流れる川に両手をつけた彼女は、その透明な水に反射する自らの顔をまじまじと見ていた。

 

「入水自殺は流行りませんよ」そんな様子を見ていた悪魔がうんざりとした様子で言う。

 

「どうせ死ぬならもっと面白い死に方をしてくださいよ。魂を引っこ抜かれるとか」

「酷いわね。あなたには人の心がないのかしら」

「なぜあると思ったのでしょうか」

 

 たしかに、悪魔に人の心を求める方がどうかしている。が、当の悪魔は「人の心なんて単純ですよ」と嫌味に笑った。普段は図書館の虫をしている魔女の手下として働いているとは思えないほど残虐な笑みだ。

 

「悪魔ほど心に詳しい存在はこの世にいない。そうでしょう? それこそ、自らの本性や存在価値よりも、人間の心の方が明白で分かりやすい。手に取るように分かるといっても過言ではありません」

「だったらご高説いただきたいわね」

 半ば投げやりに魔女は言う。「そんな痛々しい発言をした責任を取りなさい」

「まあ、簡単に言ってしまえばゴミですね」

 は、と魔女が固まる。冷静沈着で常に均整が取れていた彼女の顔が始めて歪んだ。

 

「ええ。ゴミですよ。薄汚くて見るに堪えない汚物です。嫉妬、憎悪、悔恨。そういったもので満ちている吐き気のするほど悍ましいもの。それが心です」

「捻くれた中学生みたいなこと言わないでほしいのだけれど」

「まあまあ。けれど、大抵の人間。いや人間ではなく妖怪もですが。とにかく。ほとんどの連中はその薄汚さを隠すことができるし、自らの薄汚さにも気づかない。大抵、そういった自分の汚さに気づいてしまうのは」と悪魔は心底楽しそうに話し「自分のことが嫌いな奴らなのです」とこちらに目を向けた。魔女は興味深そうに悪魔を見やる。「どういうことかしら」

 

「自分のことが嫌いな連中は。自分のことを愚かと認識している連中は、だからこそ自らを否定する言葉に過敏に反応する。誰かに認めてもらいたいのか、それとも自らが優れていると、そう言い聞かせた自己暗示が解けるのを恐れているのか知らないですが、虚勢を張り、攻撃的になる。無意味にです。そしてまた自己嫌悪に陥る。自らが嫌な奴という事実に絶望し、また自分のことが嫌いになる。悪循環ですよ。笑えますね」

「まるで、特定の誰かのことを話しているみたいな口ぶりね」

「さあ?」と悪魔は挑戦的に口角をあげる。悪魔は嘘を吐かない。その彼女が否定しないということであれば、つまりはそういうことなのだろう。性格が悪い。

 

「そういう純粋な連中が悪意にもまれ、自信を喪失すると大抵疑心暗鬼になるものです。価値のない自分のことなんて誰も信用しない。そんな卑屈な思想に変わる。責任感があればなおさらそうです。そうなればもう、あとは破滅へとまっしぐらでしょう。愚かで矮小で可愛いですよね」

「見覚えがあるみたいに言うのね」

「私は悪魔ですよ?」

 

 要するに、そういった人間が大好物だと言いたいのだろう。たしかに悪魔は人の心を持て遊び、不幸に陥れ、半ばだまし討ちのような真似をしてでも人間をどん底に陥れる。その絶望を楽しむ種族。悪い種族だ。性格も性根も、すべてが悪い。が、魔女の使い魔だからか、それとも生来の気質だからか、彼女は少し違う雰囲気を醸し出している。

 

「仕方がないですね。少しヒントをあげますよ」

「ヒントって何のよ」

「愚かで矮小で可愛い奴の助け方ですよ」

「別に助けなんていらないわよ」

「お前には言っていません」悪魔は面倒そうに、心底不本意そうに言う。

 

「そういう輩は自分が誰からも好かれることがない。そう信じているのです。ですから、自分のために誰かが何かをしていることに気づけば、それだけで十分なんです。往々にして、そういう奴らはちょろいのですから」

「そんな簡単なものでもないわよ。人間不信になれば、その行動ですら、自分のためではなく。例えば自分の立場や他の誰かのためだと、そう考えてしまう。身内を粛正しまくる貴族はそうだったわ」

「それは覚悟が足りていないんですよ」

 

 急に根性論を言い始めた悪魔にさすがに困惑したのか、魔女は眉間に皺を寄せる。「らしくないわね」とぽつりと零してもいる。よっぽど意外だったのだろう。彼女の眠そうな目が見開いていた。

 

「気持ちが大事だなんて、あなたが一番嫌いそうなのに」

「私は一言も気持ちが大事などとは言っておりませんよ。これだから低能な人間もどきは駄目なのです。気持ちなどといった曖昧模糊とした空虚で空想的な物になんの付加価値もない。あるのは嫌悪感だけです」

「じゃあ、どういう意味よ」

「生物は本能というものを必ず持っている。愚かで矮小な人間や妖怪は失念しがちでありますが。要するに、下心はばれるのですよ。本当に相手のことを思うのであれば、何の見返りも求めてはならない。相手の好意ですら、です。むしろ嫌われてもよいくらいの覚悟が必要でしょう」

「助けた相手に嫌われるなんて、どんな状況よ」

「さあ」

「でも」と魔女は悪魔をまっすぐに見据える。「一人、例外がいるのだけれど」

「例外?」

「私の知り合いに、自分のことが心底嫌いなくせに、自信満々な奴がいるのよ」

「ああ、あの天邪鬼ですか」

 悪魔はにやりと笑う。「あの仲良しの」

「仲良しではないけれど」

「彼女は例外ですよ」

 

 悪魔の私もびっくりです、と悪魔は一切の動揺も見せずに言う。とても驚いているようには見えなかった。

 

「まあ、壊れた心の直し方なら天邪鬼に聞けば教えてくれるでしょうけどね」

「いや」と魔女は首を振る。「正邪のことだから、どうせ適当なことしか言わないわよ」

 それは確かにその通りだった。

 

 悪魔と魔女は、河原の傍で腰を落とした。仲が良いとは思えない二人だが、二人で身を寄せている姿は仲睦まじい姉妹のようにも見える。

 

「だったら。あなたが本当に心が分かるのだとしたら」

 

 魔女は空を見上げながら口を開く。ゆったりとした紫色の服が風ではためき、薄白い景色に溶け込んでいる。

 

「いま妖怪の山で起きている悪戯じみた話題の事件も解決できるんじゃないかしら」

「別に人の心がよめるからといって事件が解決できるわけないでしょうに」ですが、と悪魔は指を立てる。「まあ、私であれば事件の真相解明も時間の問題でしょう。天才ですから」

「だったらいいじゃない」

「いいじゃない?」

「あなた一人で解決しなさいよ」

 

 半ば投げやりに魔女は言う。その口ぶりに悪意はなかったし、億劫さもなかった。いつもそうなのだろう。悪魔が面倒ごとを持ってきて、魔女に押し付ける。嫌な上司と部下といったところだろうか。まあ、使い魔が召喚主に仕事を押し付けているのは理解不能だが、部下の方が立場が弱い社会というのも珍しくはない。

 

「さっきから人に頼ろうとしてばかりじゃないですか。自分で何とかしてみようとは思わないのでしょうか」

「余計なことに首を突っ込むべきではないといっているのよ」

 

 何度目かの反論を試みた魔女だったが、突然「あ」とらしくもない素っ頓狂な声を漏らした。かと思えば底意地の悪い笑みを浮かべ、悪魔に目をやる。どこか生暖かく、薄気味悪い笑みだった。先ほどまでは悪魔の方が主導権を握っていたというのに、今では悪魔もどこか気まずそうに目を逸らしている。まあ、元々使い魔が主より優位な立場にいたのがおかしかったのかもしれないが。

 

「あなた、自分で解決せずに私にやらせようとするのって、もしかして」

「もしかして、何ですか」

「私に成果をあげさせたかったのかしら?」

 

 悪魔は返事をしなかった。ただにこにこと微笑みを浮かべるだけだ。

 

「私に名探偵になってほしかったのかしら」

「滑稽な言葉の羅列ですね。名探偵になってほしいだなんて」

「私のことが心配だったのでしょう?」

 

 勝ち誇ったように魔女は言う。その顔はそこはかとなく嬉しそうだった。

 

「妖怪は皆から忘れられたら存在が消えてしまう。消えないまでも、力は減っていく。それを心配したんでしょう。だから、妖怪の山の事件を解決して、私の知力を証明しようと。世に知らしめようとした。妖怪の山で格好をつければ、鴉天狗が勝手に吹聴してくれるし、打って付けね」

 

 悪魔は返事をしなかった。たしかに魔女はひきこもりがちで、悪魔が外に出さなければ、永遠に紅魔館に引きこもっていてもおかしくない。そう思えるほどだ。

 だから悪魔は恐れた。彼女の存在が希薄になることを。

 

「まあ」と悪魔は魔女から顔を背ける。その声はいつも通り平坦であったが、心なしか少し早口だった。「私は呼ばれてますからね」

「呼ばれる?」

「ええ。悪魔界のパセリと呼ばれているんですから」

 

 悪魔はうふふとわざとらしく笑う。

 

「地味で嫌われがちな付け合わせですが、メインの良さを無理矢理にでも引き出すのですよ。凄いでしょう?」

 

 魔女の存在が忘れ去られて消滅する。はっきり言って杞憂だった。たしかに魔女は引きこもっているが、その名は有名だ。それに、そもそも幻想郷が存在を忘れ去られたものの楽園なのだから、よっぽど大丈夫だろう。だというのに、そんな些末な危険性すら憂慮するなんて。よっぽど心配性なのか。それとも。

 

「そんなに私に消えてほしくなかったのかしら」

 魔女は楽しそうに笑う。「怖い夢でも見て寂しくなったのかしら? それこそ私がいなくなる夢でも見たの? まったく。あなたも子供ね」

「馬鹿にしないだくださいよ」

「耳、赤いわよ」

 

 魔女はそっぽを向く悪魔を楽しそうに眺めている。実際は、悪魔の耳は赤い髪に隠され見えなかったのだが、どうやらその嘘に悪魔は気づいていないようだった。

「これは、あれでしょう」とらしくもなく早口で言う。

「何よ」

「ちょっと、生焼けになっちゃっただけです」

 

 どんな照れ隠しよ、と魔女は笑い、薄白い景色をゆらゆらと揺らす。それでもまだ世界は曇ったままだった。



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ハイセンスな贈り物

「あんた、なんでそんな馬鹿げたことしたのさ!」

 

 妖怪の山の中腹。そこで正座する小人を前に火車、火焔猫燐は憤りを露わにした。赤色の髪を二つの三つ編みにし、緑色のワンピースを着た彼女はその顔まで真っ赤にしている。元々は黒猫の姿の彼女も、今日は人間と変わらぬ姿に化けている。初めは二足で歩くことすら苦労していたというのに、今では猫の姿よりも自然ですらあった。二つの猫耳がせめてもの面影としてあるくらいだ。

 

「一人で妖怪の山に行くなんて危ないでしょ」

「だって仕方ないじゃん!」

 

 何も仕方なくないというのに、針妙丸は声を荒らげる。

 

「ここに格好良い鬼がいるって聞いたんだもん!」

 

 火焔猫燐。皆からはお燐と呼ばれている彼女は、元々は地底の妖怪であった。地底の主。管理者である古明地姉妹のペットであった彼女は、地底でもそこそこ楽しそうに暮らしていた。が、例の異変。地底から怨霊が吹き出した地霊殿の異変以降は博麗神社で暮らしている。針妙丸も天邪鬼の下剋上に巻き込まれた後、神社で過ごしているので、今では同居人とも言えるかもしれない。

 

 そんなお燐がなぜこんな所に来たのか。それはもちろん一人で神社を出て行き、魑魅魍魎はびこる妖怪の山へと無謀にも突撃した針妙丸を心配したからでもあるだろう。が、そもそも彼女が地上に来た理由を考えれば、他の理由も想像がつく。というより、つかなければならなかった。心なしかお燐も呆れているような、同時に緊張しているような顔をしている。

 

「せめて、あたいとか霊夢とかに言いなよね」

 

 頭をがしがしと掻き、両腕で顔をごしごしと拭った彼女は大きなため息を吐く。腰からは二つに分かれた尻尾が所在なさげにぴこりと動いていた。

 

「一人でこんなところを歩いていたら、悪い奴に襲われてもおかしくないでしょうが」

「大丈夫だよ」根拠なんてないはずなのに、針妙丸はえへんと胸を張った。「私は下剋上の首謀者なんだから!」

「失敗したじゃないか」

「まだ失敗していないよ。これからが勝負さ! それに、いざとなったら萃香か霊夢が助けてくれるよ」

「それは……たしかに大丈夫っぽいけどさ」

 

 苦笑したお燐は「それでもさ」と指をピンと立てた。猫らしい鋭い爪が薄白い曇り空を切り裂いたような錯覚に襲われる。「最近、妖怪の山は何かと物騒だからさ。この前の守屋神社の会議で、神様方で緊急会議をするほどには」

「神様方?」

「守屋神社の神様の二人と、あとは地底の鬼のお二人だよ。あたいからすれば、鬼の二人も神様みたいなもんだね」

「そうなんだ!」なぜか針妙丸はニコニコと笑った。その理由をお燐は訊ねなかった。まさか彼女がその鬼に出くわしていたなんて聞けば、きっとお燐はひっくり返ってしまっただろう。そのまましばらく起き上がれないかもしれない。

 

「その会議でさ、妖怪の山で不審なことが起きているって話題になってるんだ。いつの間にか妖怪の山の奴らが悪戯に遭ってるっていうのさ」

「悪戯って?」

「後ろから殴られたり、大事な物を壊されたり、地面に埋められたり。しかも、犯人の姿すら掴めていないらしいんだって。不思議だよね」

「事件だね!」針妙丸は面白そうに声をあげる。「事件が起きたときには、げんばほぞんが大事なんだって」

「現場保存?」

「萃香が言ってたの! 証拠が残っているかもしれないからって。ミステリー小説だとそうなんだって」

「あの萃香様がミステリー小説を読んでいることの方がミステリーだよ」

「萃香は言ってたよ。現場保存するのも大変なんだって。どんな物でもすぐ壊れちゃうから」

「それは鬼の力が強すぎるからだと思うけど」

「でもお燐はそういうの得意そうとも言ってたよ」針妙丸は、自分が褒められていた訳でもないのに、心底楽しそうに言う。「あいつは凄いって」

「光栄だねえ」

「鬼が破壊の化身だとしたら、お燐はホルマリンの化身だって。自棄っぱちになって腐ってたさとりを腐り切らさせずに保管してるからってさ」

「嬉しくないねえ」

 

針妙丸は、こてんと首を傾げ「ホルマリンって何だろうね?」と柔和な笑みを浮かべていた。お燐も毒気を抜かれたのか、ふにゃりとした顔になる。「物を腐らせないようにするための薬だよ。まあ、私は塩を使うけど」

「塩?」

「ご主人様からもらった塩なんだよ。なんか、特別なんだとさ」

 へえー、と針妙丸は頷いたが、実際に懐から塩を取り出そうとしたお燐を見て、慌てて

「それよりさ」と話を変えた。聞く耳を持っていない。いったい誰の影響を受けたのやら。

 

「お燐は私がここに来たって、よく知ってたね」

「え」

「私、誰にも言ってなかったのに」

 

 あー、と気まずそうに頬を掻いたお燐は「実はさ」とてへへと苦笑した。

 

「たまたまなんだよね」

「たまたま?」

「ちょっと地底に寄って行こうと思ってさ。その途中で、たまたまあんたを見つけたのさ」

「へー」

 

 先ほどと同じように相槌を打った針妙丸だったが、先ほどとは違いその目は輝いていた。正座も忘れ、その小さな体を精いっぱい伸ばした彼女は「地底ってどんなところなの?」とお燐に縋りついた。好奇心は猫をも殺す、という諺があるが、針妙丸がお燐に纏わりつくその姿はその体現図とでも言えるかもしれない。

 

「私も行ってみたい!」

「いや」とお燐は苦々しい顔になる。「行かない方がいいよ」

「え? どうして。だってお燐がいた場所なんでしょ?」

「そんなに良い所じゃないからさ」

 

 昔を思い出しているのだろう。お燐はどこか遠い目になった。良い所じゃない、とは言っているものの、その目は穏やかだ。

 

「地底ってのはさ、嫌われた妖怪の隔離所だったんだ」

「かくりじょ?」

「昔、妖怪の賢者がさ。地上にいられないほど嫌われた妖怪を地底に封印したんだよ。封印というか隔離かもしれないけど。とにかく。地底の妖怪は地上に行っちゃだめですよ、って約束をしてたの。だからさ、地底は嫌われ者たちの巣窟だったんだ」

「私の友達も嫌われているけど、地底に行ってないよ?」

「時代じゃないかな」現に地底も今は割と自由だし、とお燐は自らを指さす。たしかに、お燐がこうして地上で堂々と過ごしていることこそが、地底の『封印』が解けたことの証明なのだろう。まあ、封印なるものが何なのか。そもそも本当にあったかは怪しいところだが。

 

「でもさ」針妙丸は無邪気な顔を強張らせ、むむむと唸る。「そんな、嫌われている妖怪が一杯だったらさ、地底は大変なことになるんじゃないの? それこそ約束を破って地上に行っちゃったりとか」

「鋭い」とお燐は小さな生徒を褒める。「その通りさ。でも、それを抑えていたのがご主人様なんだよ」

 お燐は自慢げに腕を組み、胸を張る。「凄いでしょ」

 

「凄い!」針妙丸は素直だった。その小さな頬を赤らめ、その場でぴょんぴょんと跳ねる。「お燐のご主人様は凄い人だったんだね!」

「そうだとも」と頷いたお燐は「そうだったかな?」と急に不安げな顔になった。そして最終的には「そうじゃなかったかも」となぜか落ち込んだ顔になる。

「そうじゃないの?」

「ご主人様はさ。さとり妖怪だったんだよ。さとり妖怪って知ってる?」

「知らない」

「人の心を読む妖怪さ」

 

 人の心を読む。それは読心術とは違った。そんな柔なものではない。もっと残酷で悪辣で、救いようもない能力だ。相手が今何を考えているか。何を思っているか。何を隠したがっているか。それを強制的に暴いてしまう能力。妖怪や人間からすればたまったものではないだろう。生きとし生けるもの、誰だって秘密を持っている。それを暴かれていい気分がするはずがない。その能力のせいか、地底の主。地霊殿の主は嫌われていた。

 

 いや、嫌われていたのは能力のせいではなく、性格のせいかもしれない。

 

「まあ、それで嫌われてたんだけどさ。だから、さとり様なんかは今でも地上に来ないんだよ。怖がってるわけではないんだけど、さとり妖怪の評判をもっと落としかねないって。まあ、元々活発な方ではないんだけどね」

「そうなんだ」

 

 針妙丸は悲しそうな顔で俯く。素直だ。きっと彼女は純粋なのだろう。誰かの不幸を悲しみ、幸福を喜ぶ。子供よりも潔白で、大人よりも強い。

 

「何とかしてあげたいね」針妙丸は心から思っているのだろう。同情とは違ったため息を吐いた。「何かいいアイデアないかな?」

「アイデア?」

「その人が、地上でも怖がられずに外で楽しく過ごせる方法」

 

 それがどれだけ難しいことか、お燐は分かっているはずだった。そもそも、さとりは生来の引きこもりであり、昔は今より幾分か活発だったとはいえ、それでも自ら進んで地底から出ようだなんて、思いもしなかっただろう。そんな妖怪を外に出すなんて、それこそ妹で釣るか住処を爆破するくらいしか思いつかない。

「ねえ」と針妙丸が妙に神妙な顔つきになったのはその時だ。らしくもないほどに真面目だった。「その、さとりさんだっけ。もしかして怖い顔してたりする?」

「え?」

「私の友達もさ、怖い顔な人がいるんだよ。そのせいで指名手配もされてて」

「多分それは顔が怖いせいじゃないよ」

 お燐は申し訳なさそうに言う。「正邪のことでしょ」

「そう! 目が鋭いんだ」

 

 見た目。たしかに大事だ。特に妖怪にとっては大きな意味を持つ。どんなに凶暴で残忍な妖怪だとしても、見た目がかわいらしい小動物のようであれば、まず嫌われない。逆に見た目が恐ろしい奴は、たとえ真面目で優しかったとしても怖がられ、拒絶される。人間がペットの大型犬に襲われる事件が絶えないのはそういうことなのかもしれない。

 

「なるほど。まあ、一理あるかもね」お燐は猫らしい鋭い目を細くし、赤い三つ編みをピンと指ではじく。

 

「あたいも格好いいものとか可愛い物に目がないからね。そういう物を見ると、たしかに大事にしないとって思うよ」

「壊したくないなって思うよ。何なら持って帰りたいくらいにさ」

「猫は色々な物を拾ってくるもんね」針妙丸はくすくすと笑う。「なんでなの?」

「そりゃ、お土産に決まっているさ」

 

 お燐はにししと鋭い歯をむき出しにして笑う。

 

「宝物を見つけたらご主人様にあげたくなるでしょ」

 

 まあ、ご主人様は行方不明なんだけど、と割とのっぴきならないことを言った彼女は、一瞬浮かべた暗い顔を慌てて振った。本人にしては誤魔化したつもりなのだろうが、かえって悲痛に、そして痛々しく見えた。

 

「猫の習性ってのはさ、抗えないのさ」

「そうなんだ」針妙丸はさっきのお燐の不安げな顔を吹き飛ばすためか、いつもより明るい声を出した。「他には猫の習性って、何かあるの?」

「そうだねえ」とお燐は唸る。「私は撫でられるのが好きだからね。お気に入りの櫛を誰かが持っているのを見ちゃったら、その人の方へ突っ込んじゃうんだ」

「へえ」

「昔、その勢いが強すぎて勇儀さんを吹き飛ばしたこともあったよ」

「それは」とさすがに針妙丸も顔を引きつらせていた。「凄いね」

「勇儀さんにも言われたよ。凄いタックルだったって。世界とれるかもってね」

「世界かー」

「世界をとったら、さとりさんって妖怪も外に出てくれるかな」

 厳しいかな、とお燐は笑う。「さとり様は、怖がられたくないみたいだし」

「だったら、さとりさんの見た目を可愛くしちゃえばいいんじゃないかな」

 針妙丸はにぱっと輝かしい笑みを浮かべた。「そうすれば怖がられないかも」

 

 無邪気で純粋な針妙丸らしい単純な発想だったが、だからこそわかりやすく、効果があるように思える。お燐は頷き「それはありだ」と先ほどまでの暗い顔はどこへやら、途端に華やかな顔になる。「大ありだよ」

 

「じゃあせっかくだから何あげるか考えようよ」

「あたい、こう見えてもセンスはあるからね」

 うーんと首を捻ったお燐は「とりあえず、生首のペンダントをつけるのはどうだい?」と一周回ったセンスを早速披露する。

「え」

「どうしたのさ。そんなきょとんとして。ああ。違うよ。本当の生首じゃないよ。本物の生首は重いでしょ。私が言っているのは小さい模型の」

「分かってるって!」

 針妙丸は慌てて声を出す。「そうじゃなくても趣味悪いよ。お燐のスプラッターな趣味じゃなくて、もっと可愛い物の方がいいって」

「可愛い物って?」

「小槌とか。後は琵琶とか人魚とか」

「渋いねえ」

 

 いったい何が渋いのかはさっぱり分からないが、お燐は首を振る。心なしか渋い顔をしているようにも見えた。「もっとインパクトがないと」

「インパクトかー」

 針妙丸は口元に指を伸ばしながら言う。「だったらお燐みたいに猫の真似をしてみたらどうかな?」

「猫の真似?」

「そう! 猫耳のカチューシャ。この前、正邪がつけててめちゃくちゃ可愛かったの」

「個人的には、あの天邪鬼にどうやって猫耳をつけさせたか非常に気になるんだけど」

「似合わないって言ったら付けてくれたよ?」

「あの人も分かりやすいね」

 

 さとり様もそう言えば付けてくれるかな、と無謀なことを言ったお燐は、それでもうーんと首を捻った。

 

「まだパンチが足りないかな」

「人の見た目にパンチを求めちゃ駄目じゃない?」

「そんなことないさ。さとり様は性格にパンチ力があるからね。見た目で誤魔化すためには必要なのさ。シャコくらいパンチ力が必要だよ」

「シャコってパンチ力あるの?」

「ああ。海のボクサーらしいよ。幻想郷には海がないからよく分からないけど」

 それこそ、とお燐は楽しげに言う。「目玉のアクセサリーとか、内臓を模した服とか着たらいいんじゃないかな? 可愛いし」

 

 可愛くないよー、と針妙丸が言ったのと、後方から聞き覚えのある声が聞こえてきたのは同時だった。「まったく」とあきれた声を出すその主は、この妖怪の山で祭られている神の一人。八坂神奈子だ。

 

「あなたが針妙丸だね?」

「私は針妙丸だけど、どうかしたの?」

「頼まれたんだよ。小人が一人で妖怪の山をほっつき歩いているから、家まで送り届けてほしいってね」

 

 それから先の神奈子は容赦なかった。針妙丸がなにやら言おうとしていたが、口を開かせる間もなく引っ捕らえ、どこかに連れ去っていく。お燐には目もくれなかった。一瞬だけお燐は警戒心を露わにし、奪われた友人を取り返そうと鋭い爪を伸ばすも、神奈子が保護者のような笑みを浮かべ、しかも博麗神社の方角を飛んでいったのを見て、強ばった顔を解いた。「まったく」と呆れてすらいる。いったい誰が神奈子に頼んだのかは知らないけど、これで安心だ。

 

「よし!」

 

 威勢のよいかけ声をあげたお燐は、その場をぐるりと見渡し、息を大きく吸った。かと思えば、山頂とは逆方向に足を進め始める。下山をしているのか。地底への入り口である縦穴に行こうとしているのか。いや、下山するのであれば飛べばいいし、地底の入り口はもう少し西だ。ではなぜ徒歩で進んでいるのか。地面に用があるからとしか思えない。

 

「お、あったあった」

 

 声を弾ませた彼女は、中腹の広場から外れた坂へと出ていた。稜線からかなり外れ、舗装も整備もされていないせいで草木が生い茂っている藪の中だ。人間も妖怪も滅多に入り込まない影になった箇所だ。が、日の光が丁度良く入るのか、虫すら湧いていなかった。自然のベッドとでも言うべきだろうか。柔らかい草が立ち並ぶだけだ。

 

「いやあ、やっぱり地上はいいね」

 

 その、天然のベッドに置かれた無数の物を見た彼女は、その内一つを手に取り、背負った。妖怪だ。が、息のない妖怪だ。どうやら老衰だったようで、かなりの年月を生き抜いたせいで、身体全体が皺だらけになっている。が、それでも腐ってはいない。なぜか。防腐処理がしてあるからだ。そして、それは他の死体も同じだった。草のベットの上に寝かせられた成仏待ちの死体は、そのどれもが新鮮で、傷が付かないよう処置されている。幸せ者だな、と思った。

 

「やっぱり、猫としてはお土産をご主人にお持ちしないとね」

 

 あの憎らしく汚らわしくも、どこか放っておけない古明地は、このお土産を貰ってもっちっとも喜ばないだろう。それどころか情けなく悲鳴をあげてしまうだろう。が、なんだかんだペットからのプレゼントを捨てる訳にもいかず、しぶしぶ部屋の近く、人目につきずらい所に置いておく姿が目に浮かぶ。それが叶えば良いな、と本当に思った。

 

「私のお気に入りの死体、喜んでくれるかな」

 

 仲直りのプレゼントだ、とお燐は長らく会っていない主人のことを思い出しているのか、猫らしく目を細める。「我ながら綺麗な死体だね」と喜んでいた。

 

「まあ、伊達にホルマリンの化身やってる訳じゃないか」

 

 お燐の小さな呟きは、自らの悪趣味を自覚していないというのに、どこか悲しげだった。この趣味のせいで彼女は今でも地底がお似合いな妖怪だというのに、まったく気づいていない。

そんな彼女のどこか自嘲気味な笑いが、薄白い景色をゆらゆらと揺らす。それでもまだ世界は曇ったままだった。

 



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火星に住むつもりかい?

 目は口ほどに物を言うって諺、聞いたことがあるか?

 

 妖怪の山の中腹。その河原でいつの日かと同じように腰を下ろした星熊勇儀は、その大きな口をぽっかりと開き豪快に笑った。長い金色の髪は逆立ち、手入れなんてしていないのに綺麗に煌めいている。額から伸びる大きな赤い角が、曇り空を切り裂くようだった。

 

「あれは本当なんだ。いいか。そいつの目を見ればな、大体何を考えているのか分かるんだよ。鬼が嘘を見抜くのはそういうことだ」

「だったらよ」とただですら悪い目つきを半分ほど閉じた天邪鬼は「私が今何考えてんのか当ててみろよ」

「おいおい。私を舐めるなよ」と勇儀は胸を張る。川辺であぐらを掻いて座り、天邪鬼へ人差し指を突き出した。ただそれだけだというのに、天邪鬼は怯え、一歩後ずさる。「お前は今、こう考えているだろ」

「何だよ」

「面倒な鬼に絡まれてしまったなって」

「それは」と天邪鬼は彼女らしい嘲笑を浮かべる。「顔を見なくても分かるだろ。お前と話す奴は全員そう思ってるっての」

「まあな」

「分かってんなら絡んでくるなよ」

 

 それは確かに正論だった。が、勇儀はガハハと豪快な笑い声をあげるだけで、反論もしなければ言い訳もしない。きっと疑っていないのだろう。自らのその理論が破綻しているなんて、微塵も思っていない。

 

 妖怪の山の標高は高い。そのせいかもう夕暮れだというのに既に周囲は薄暗く、どことなく不穏な雰囲気が漂っている。

 

 だが、勇儀がいるだけで、この場は否応なしにも明るくなっていた。朗らかで暑苦しく、そして豪快な彼女らしい空気だ。一人だけ宴会の席にでもいるかのようなテンションであるせいで、その場自体を酒の席へと変えてしまっているような、そんな気さえする。

 

「いいじゃないか。せっかくこの私が特技を披露しているんだから。楽しめよ」

「随分とみみっちい特技だな」はっと天邪鬼は鼻で笑う。「人の顔色を疑うなんて鬼らしくないんじゃねえのか? それこそ、鴉天狗がやることだろうが」

「あいつらは別にやりたくてやってる訳じゃない」

 

 勇儀はどこから取り出したのか、大きな赤色の杯に注がれた酒を一息に飲み干し、喉に詰まった息を吐いた。

 

「あれは、私たち鬼に怒られないようにと、気を使っているだけだろ」

「分かってんなら。いや、何でもねえよ」

「もはや何も言うまいってか?」

「いや」と天邪鬼は首を振る。「別に鴉天狗がお前らに怒られようが、私の知ったことじゃねえしな」

「冷たい奴だな」

「まあな。幻想郷のかき氷の名は伊達じゃないぜ」

「甘い奴ってことか?」

 

 誰も聞いたことがないような呼び名を誇った天邪鬼は、その場から逃げ出したいだろうにその場に腰を落とした。以前、針妙丸関連で勇儀に話しかけていた時とは違い、今回は本当に用はないのだろう。というより、用があるのは勇儀の方だ。

 

「でもなあ。お前がなんちゃって読心術に興味があるなんてなあ」

 

 鬼の前だというのに、天邪鬼は堂々としていた。彼女からすれば、全ての妖怪が自分より強いわけで、鬼も他の妖怪も大差ないのかもしれない。

 

「似合わねえよ。あれか? 誰かから影響でも受けたのか?」

 

 その口ぶりには嘲りが含まれていた。あの鬼が。星熊勇儀が誰かの影響を受けるはずがない。そう思っているのだろう。が、勇儀はなんてこともないように「よく分かったな」と頷いた。普段であれば、「鬼である私が誰かの真似なんてするはずないだろう」と一蹴するはずなのだが、恥じるでもなく、呆れるでもなく平然と頷いた。「その通りだよ」

 

 天邪鬼は一瞬呆然としていたが、すぐに「へえ」と相槌をうった。額に浮かんだ汗を拭いながら「初恋でもしたのか」と調子に乗ったことを言う。

 

「バンドマンの彼氏でもできたか」

「顔色を窺うバンドマンなんていないだろう」

「探せばいるんじゃねえか? 火星とかによ」

「火星にバンドマンがいたら驚きだな。今度探させてみるさ」

「誰にだよ」

「気に入っている部下」

「災難だな、その部下は」

「好きな子ほど悪戯したいだろ?」

 

 天邪鬼は肩をすくめる。結局、誰の影響を受けて顔色を窺うようになったのか聞き出せなかったことに気づいていないのか、脳天気な顔をしていた。元々考えるつもりもなかったのだろう。が、すぐにはっとした。はっとし、何故か気まずそうな顔になる。言って良いのか迷ったのだろう。が、天邪鬼は己の口の悪さに誇りを思っているのか、無謀にも「古明地か」と答えを口にした。「古明地さとりの影響か? お前も心を読みたくなったのかよ」

 

 勇儀が押し黙る。その場でわざとらしく欠伸をし、頬を掻いた。らしくない。豪快で豪胆な彼女が間を嫌い、答えを先延ばしにすることなど本来であればあり得ない。が、今の彼女は絵に描いたような口ごもり方をしていた。

 

「いや、違うだろうさ」

 

 小一時間考えた彼女は、結局そう答えた。嘘を吐かない鬼にとって、この回答は重い物だった。

 

「きっとその妹の方だ」

「妹? 古明地さとりに妹なんていたのか」

「いたんだよ。今はさとりが地霊殿の主。まあ、地底のボスをしているが、昔は妹の方が地霊殿の主をしていたんだぞ」

 

 勇儀は懐かしそうに、同時に忌々しそうに言う。古明地さとりの妹、古明地こいし。さとりと同じさとり妖怪。つまり人の心を読む妖怪であり、そして嫌われ者であった。そう。あった、のだ。今は違う。皆に嫌われ、心を読む己に絶望したのか。それとも他に何か理由があったのか。理由は最早分からないが、古明地こいしは自らの心を読むための第三の目を閉じ、どこかへと消えてしまった。以前起きた地霊殿異変のあたりから、未だに彼女の消息は掴めていない。生きているのか、死んでいるのかすら分からなかった。

 

「もしかして、あの無意識がうんたらとか言う曰く付きの妖怪のことか」

 

 分からないはずなのに、天邪鬼は平然と。さも知り合いかのようにあっさりと重要なことを言った。さすがの勇儀も驚きを隠せていない。目を見開き、天邪鬼に詰め寄っていた。その丸太のように太い腕で天邪鬼の肩を掴み「おい」と顔を寄せる。端から見れば恐ろしい鬼が弱小妖怪に制裁を下しているにしか見えなかったが、表情に余裕がないのは勇儀の方だった。

 

「お前、古明地と会ったことあるのかよ」

「な、何だよいきなり」

「答えてくれ」

 

 あまりの変貌ぶりに天邪鬼もさすがに戸惑っていた。戸惑いすぎて、素直に「会ってねえよ」と返事をしている。彼女が一言目で正直にまともな答えを返したのを初めて見たかもしれない。

 

「ただ、聞いたんだ」

「聞いた? 誰から、何を」

「鴉からだ。しかも、鴉は守屋神社の神様から聞いたらしいから、又聞きだよ」

 

 鴉。つまり射命丸のことだ。天邪鬼にとって、大抵の情報源はそこからだろう。勇儀もようやく冷静さを取り戻したようで、「ああ」と浮ついた声を出し、天邪鬼から手を離した。

 

「守屋神社に一回来たんだってよ。見慣れない妖怪が。ペットがどうこうとか言ってたらしいぜ」

 

 勇儀は苦虫を噛みつぶしたような顔になる。その表情からはどんな感情が渦巻いているかは読み取れない。顔色からでは窺いきれない。が、おそらく後悔と疑念の混ざった、複雑な感情を抱いているのだろう。地霊殿異変。あれは要するに、守屋神社の連中が地底の妖怪。お空と呼ばれる古明地姉妹のペットにちょっかいをかけたために起きた事件だった。今では丸く収まり、解決しているが、一歩間違えれば誰かが何かを起こしてもおかしくなかっただろう。それこそ、主人である古明地姉妹が怒っていてもおかしくなかった。

 

「でもよ、そいつ何か変だったらしいんだぜ」

 そんな裏事情を一切知らない天邪鬼は、お気楽で、それでいてお喋りだった。言わなくていいことをべらべらと話す。「どこか浮ついているというか、ふわふわしているというか」

「お前の語彙力の方がふわふわしている」

「無邪気な子供みたいにも、気の触れた年寄りにも見えたって言ってたぜ。ふわふわしているってのは、鴉の受け売りだ」

「軽い女ということか」

「どっちかというと薄い女だろうぜ」天邪鬼は片頬をつり上げる。

「それは……幸が薄いってことか?」

「まあ、幸も薄そうだったらしいが」と天邪鬼は見たことがないと言った割にはやけに細かいことを言う。「存在感の方が薄かったらしいぞ」

「存在感ねえ」勇儀は自らの指で両方の眉をぐりぐりと押し込み、頬を下げた。「それ、本当か?」

「だから私に聞くなって」

 

 勇儀もその話は知っているだろうに、その口ぶりは疑わしげだった。天邪鬼は妙につっかかる勇儀に違和感を覚えているようだったが、特に気にした様子もなく「射命丸曰く、本当に存在感が薄かったらしいぜ」と地味に責任を転嫁する。「なんつっても、気づいた時には姿を消していたらしいからな。幽霊みたいだったってよ。そこにいたはずなのに、何故かいない。皆から認識されない力か何かを持ってるんだってよ。それが無意識を操る能力だっけか」

「無意識を操るってどういうことなんだろうな」

「分からねえけど、嫌われる才能よりマシだろ」

 どこか自嘲気味に、そして同時に誇らしげに天邪鬼は笑った。「私の唯一の取り柄だ」

 

 勇儀は一気に怪訝な顔になる。いつもはどんな事にも真っ直ぐで、良い意味でも悪い意味でも全てをなぎ倒すような会話術を披露するというのに、いつになく真面目な顔だった。右頬を右手で覆い、その大きな瞳を半分ほど閉じ、地面へと伏せた。

 

「お前より嫌われる才能がある奴、地底にいたぞ」

「何の冗談だよ」

「古明地だよ」

「それは、どっちの」

「どっちも」と勇儀は苦笑し、「特に妹の方が」と付け加えた。「だから信じられないんだよな。あいつの存在感が薄いだなんて何かの冗談だろう。昔のあいつの存在感は凄かったぞ。悪い意味で」

「でも、お前はそんな奴の影響を受けて、顔色を窺うようになったんだろ?」

 天邪鬼は意地悪そうに言う。「心を読みたくなって」

「別に、心を読みたかったんじゃない」

 

 そんな悪趣味なことに興味はない、と勇儀は吐き捨てる。たしかにその通りだ。相手の心を読む。それがいかに陰湿で恐ろしいことか、嫌というほど知っていた。凶悪な能力だ。それこそ、嫌われ者しかいない地底の中でも群を抜いて嫌われているだけはある。

 

「ただ、気持ちが分かるかと思ったんだよ」

 

 勇儀は深くは語らなかった。語るまでもないということなのか、それとも単に言いたくなかったのか。もしかすると、彼女自身理由なんて分かっていないのかもしれない。天邪鬼も一瞬口を開きかけたが慌てて口を閉じた。言いたいことは分かる。そもそも、顔色を見て相手の考えることを察するなんてことは、心を読むとは言わないのではないか。そんなことをしても、さとり妖怪の苦悩なんて分かるはずがないのではないか。さとり妖怪の立場にたってみれば、そんなことで私たちの苦悩が分かるものか、と怒るかもしれない。そもそも勇儀の鋼より堅く図太い精神であれば苦悩することすらないのではないか。そう言いたいに違いない。

 

 が、勇儀の表情は想像よりも真面目で、そして悲痛だった。いったい何が彼女をそこまで追い込むのか。鬼の四天王。酸いも甘いも、友情も裏切りも、栄光も挫折も繰り返してきた彼女がどうしてそんな顔をするのか。分からない。誰も分かるはずがなかった。

 

「なあ、そろそろ出てきたらどうだ?」

 

 唐突に勇儀が言ったのは、しばらく無言が続いた時だった。この重苦しい空気のせいで、心なしか川の水ですら流れるのをやめ、空同様曇り始めているのではないか、と危惧していたところ、「あやややや」と聞き覚えのある声がその川から聞こえてきた。

 

「さすがに勇儀様にはバレますか」

「お前だって、バレていると分かっていたくせに。まったく、いつからそんな図々しくなったのやら」

「元々だろ」と天邪鬼は突然川の中から現れた水浸しになった射命丸にも驚かず、むしろ呆れながら言った。「こいつはそういう奴だ。見て分かるだろ。毛深いから、心臓にも毛が生えてんだよ」

「失礼な。私は毛深くないですよ」

「背中から凄え毛が生えてんじゃねえかよ」

「これは翼です。毛じゃありません」

 

 さすがの射命丸もその目を鋭くする。自慢の翼を馬鹿にされ、かっとなったのだろう。が、すぐに彼女らしい飄々とした顔に戻る。薄ら寒い微笑みは能面のように固定的で、微動だにしていなかった。

 

 射命丸がここで待ち構えていたのは随分と前からであった。近頃自分の休憩スペースであるこの広場を占領されていることを恨んでいるのだろうか。川の中で身を隠し、当たりを窺っていたのだ。

 

 彼女の黒い髪はすっかり濡れ、それは翼も同様であった。が、それでも彼女の機動力は失われていないようで、俊敏な動きで天邪鬼の頭を小突いた彼女は「だから貴方は駄目なんですよ」と酷く曖昧な罵倒をするだけだった。「もっと頑張りましょう」

「何をだ」

「新聞を作ること、とか」

「興味ねえよ」

 

 射命丸にいつもと違うところはなかった。いつも通り飄々としていて、いつも通り傲慢で、いつも通り思慮深い。が、妙だ。だからこそと言った方が良いかもしれない。

 

 鬼。それは圧倒的な強者で、誰もが憧れ、畏敬し、そして怖れる妖怪だ。こと、妖怪の山ではそれが顕著だった。今では河童や天狗が幅をきかせている妖怪の山だったが、元々は。それこそ鬼が地底に行くまでは、他ならぬ鬼という種族が妖怪の山のヒエラルキー。その頂点に立っていた。まあ、頂点に立っていたといっても、政治的な力を用いたという訳ではもちろんなく、その圧倒的な武力によるものだった。

 

 こんな逸話がある。あれは確か、ちょうど勇儀が地底に行く一ヶ月前だったはずだ。

 

 たまたま広場で宴会をしていた勇儀達が鬼同士で喧嘩をしようとしたところ──鬼にとって喧嘩とは仲違いのためではなく、コミュニケーションのためなのだが、とにかく。少年漫画のように拳で友情を通わせようとしていたところ、射命丸が突然現れた。後から知ったことだが、鴉天狗内の賭けに負けて行かされたのらしいが、とにかく。突如現れた彼女は、いきなりその場で土下座を敢行し「どうか、喧嘩はやめてください」と嘆願したのだ。

 

 その時の勇儀も今と同じく、義に厚く、人情もろかったため「何だ。お前は良い奴だなあ」と早合点して射命丸の肩を叩き「友人で喧嘩をするのはよくない。そう思って止めてくれたんだろ? 良い奴だな、お前」と嬉しそうにはにかんだ。

「安心しろよ。この喧嘩はそういうのじゃない。ただ殴り合っているだけだ」

「いえ、そうではなく」と射命丸はおそるおそる言った。「被害が」

「被害?」

「いえ。鬼の方が喧嘩をすると辺りの建物が消し飛ぶので、どうかお止めください」

 

 結局鬼は喧嘩を止めることなく、案の定まわりの建物は崩壊したのだが、射命丸はその時から若干妖怪の山での発言力を高めた。要するに、鬼とは言うことを聞かない災害のようなものであり、それに少しでも抵抗するだけで尊敬されるのだ。逆らえないパワハラ上司、とは妖怪の賢者の総評だ。

 

 つまり、鬼とは、妖怪の山では逆らってはいけない横暴な存在であり、例え鬼が悪いことをしたところで、注意できるものはいない。もし鬼の企みを暴いたり、鬼を成敗できた物は、この妖怪の山では間違いなく好意的に見られるだろう。それこそ、博麗の巫女のように。

 

 だから、射命丸が勇儀の前で平然としているのは、正直言って異常事態だった。いつもの彼女であれば「いやあ、勇儀さんはいつも麗しいですね。向日葵より明るいというか、むしろ太陽そのものというか」と胡麻を擦り、「近くにいるだけで目が眩むというか、汗が出るというか」と若干の棘を刺しつつ「よ、なんちゃって太陽。なんちゃってサニー」と最終的には胡麻をすり続けるのだが、今は普段通り、いつもの通りに話している。いったい彼女に何があったのか。

 

「射命丸はまた新聞のネタ探しか?」そんな射命丸に対し、勇儀もいつも通り朗らかに話しかける。まあ、彼女は胡麻を擦られるのは嫌うタイプなので、問題はないだろう。「いいネタは見つかったか?」

「使えないネタばっかですよ。ここに来たら面白いネタが取れると聞いたんですが」

「誰から」

「早苗さんです」

「多分、それガセだぞ」

 

 てっきり怒ると思ったのだが、射命丸は「やっぱそうですよねえ」とどこか納得がいったかのように頷いた。「彼女はネタ探しに向いてないですから」

「いっそのことお前がネタ作ったらどうだ」天邪鬼は面倒そうに言う。「とりあえずそこの鬼でも殴ったらどうだ。一面は飾れるぞ」

「私を殺すつもりですか」

「おい射命丸。それはどういう意味だ」

 

 がはは、と勇儀は豪快な笑い声をあげる。「私の心の広さを舐めるなよ。殴られたくらいじゃ殺したりはしない」

「半殺しにはするじゃないですか」

「死ななければいいだろう」

「そういう問題じゃないですよ」射命丸はげんなりとする。「それに、勇儀様を殴ったりなんかしたら、殴った私の手が砕けます。あと心も」

「いいじゃねえか。心、砕けてみろよ。お似合いだぞ」天野邪が嫌みに笑う。

「馬鹿にしていますね?」

「当たり前だろ。私を誰だと思ってるんだ」

「指名手配犯」

「天邪鬼だ」

 

 いっそのこと、指名手配犯のインタビュー記事でも作りましょうか、と射命丸は冗談めかす。が、焦ったのは天邪鬼だった。彼女にとって、指名手配はそれほどまでに気に病んでいる事実らしく「いや、それは駄目だ」と即座に否定した。

 

「そうだ。鬼を殴るのが嫌だったら、早苗とやらを殴ればいいだろ。そして記事にしろ」

「なんで早苗さんを殴らないといけないんですか」

「ここだけの話、早苗を殴るとファの音が出るらしいぞ」

「出ませんよ」

「試したことあるのかよ。暴力的だな」

 

 お前も私のこと言えないなあ、と勇儀は笑う。一緒にしないでくださいよ、と射命丸の顔には出ていたが、彼女の口から実際に出たのは「光栄です」という絶対に思っていないだろう言葉だった。

 

「いいか鴉。どうせお前のことだから、早苗とやらをただ叩いただけなんだろ」

「ただ叩くだけってなんですか」

「あれだ。一回水洗いした後、天日干しした後に叩くとファの音が出るんだぜ」

「嘘だ」と勇儀が険しい顔になる。「もう顔色見なくても分かる」

「おい嘘じゃねえぞ。可能性はある。まだ試してねえんだからな。なんだ。お前は逆に試したことあんのかよ。ねえなら文句言うな」

「あなた、よく勇儀様にそんな啖呵切れますね」

「幻想郷のかき氷だからな」

「何ですかそれ」

 

 冷や汗をかく射命丸とは対極的に、勇儀は嬉しそうに笑っていた。その余裕綽々な態度が気に入らなかったのか。それとも単に自分のインタビュー記事以外の候補を増やして欲しかったのか、天邪鬼は「だったらよ」と勇儀を指さす。「お前も何か面白いネタ考えろよ」と眉をひそめた。

「いいぜ。というか、私が新聞のネタを考えること自体が特ダネになるんじゃないのか?」

「勇儀様も萃香様と同じことを言うんだな」

「くっそ不本意だな、それ」

 

 だったら何か意見を出せよ、と面倒そうに言う天邪鬼の前で、勇儀は首を捻った。彼女が迷う姿そのものが記事になりそうだったが、気づいた様子はない。

 

「そうだな。だったら」

「だったら探せばいいんじゃないか?」

「探すって何をですか」

「決まってるだろ」勇儀は得意げに笑い、射命丸のことをじっと見つめた。

「火星にいるバンドマンだよ」

 

なんですかそれー、と射命丸が笑う。その乾いた笑いが、薄白い景色をゆらゆらと揺らした。それでもまだ世界は曇ったままだった。

 



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