黄泉返りの国家転覆 (お前に愛を教える)
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IF
十種影法術IF―交流会―


 初期案としてあった主人公に持たせる二つ目の術式が十種だったら?のサルベージです
 御三家の術式なので血縁関係云々と、当時はまだ貫牛に円鹿といった式神の情報がなかったこと
 当時はそこまで魔虚羅が好きじゃなかった…などの理由でお蔵入りになってたやつですね
 それではどうぞ


 ある昼上がりの禪院家にて。

 使用人すら寄せ付けない、当主にしか許されていないその部屋。

 呑気にかりんとうを頬張る少女に対し、唖然とする老人二人。

 少女、伽藍は寝転びながら、対する老人…直毘人は動きを止めて問う。

 

「………マジか」

「大マジだ、御三家?の十種影法術が、今の私の身体に刻まれているらしいぞ」

「…なるほど、酒を持ってくるべきだったか」

「ふぅん、じゃあ今手に持ってるそれは何だ?」

「水だ」

 

 伽藍のじとー…なんて音が出そうな視線に対して、ただ酒気を帯びた笑い声を返す。

 直毘人は禪院家の当主であり、今目の前で告げられた言葉の意味の重大さを良く知っている。

 数年前、家を飛び出したあの男の子供もそうだったが…まさかよりにもよって受肉元が、と…懸念することは無数ある。

 誰の子か、一体いつどこで漏れ出した血なのか…気になることは山ほどあるし上層部からの小言も面倒臭い。

 が、それよりも重大なのは――

 

「調伏は?」

「流石にまだだ、今は玉犬だけだな」

「ならいい、下手に試行錯誤して"あれ"を呼び出されでもしたらかなわん」

「あぁ…この物騒な気配を醸し出してるあれか」

 

 禪院家の相伝、十種影法術にはその名の通り十種の式神が備わっている。

 しかし最初からそれが使えるわけではなく、最初に与えられる犬の式神、玉犬から術者の人生は始まる。

 式神を呼び出し、従えた式神と己の肉体だけで調伏の儀を行い、討ち果たすことで支配下に置く。

 そうして最終的に、十種類の忠実な配下が手に入る――のだが。

 ある一つの式神、それだけが例外であった。

 

「それは禪院家でも限られた者しか知らん、だが生半可な覚悟で呼び出すなよ、最悪辺り一帯更地になる」

「そうか、気を付けるとしよう」

「………お前だからとはいえ…まぁいいか」

 

 そう言って、伽藍は直毘人が差し出した巻物のようなものに手を伸ばす。

 紙の隅から装飾に至るまで、全てに呪力が込められた見事な品だ、勿論そこに記された内容は言うまでもない。

 それは禪院家の歴史そのものであり、歴代十種影法術の使い手が残した手記。

 

「ほう、なるほど」

 

 紙をめくり、その記された情報全てに目を通す。

 ふむふむ…まるで子供のように目を輝かせる伽藍を、直毘人は面白そうに見つめていた。

 

「わかってるのは九体だけ、だがそれでも充分だろう」

「蝦蟇に貫牛…鵺に、なるほど虎葬ときたか…」

「お前の実力なら特に問題はないだろう?」

「そうだな、どれからかかるべきか…」

 

 むむむと唸りながら、伽藍はしばらく迷い続けていた。

 直毘人は、中身が半分を切った酒壺を揺らしながら言う。

 

「しかし…折角の初儀式だからな」

「む?」

「初めてに相応しい何か…気に入ったやつをやればいいだろう」

 

 伽藍は、その言葉にピクリと眉を動かして。

 

「そうか、そうだな…初めての儀式だ」

 

 そう零してから、何かを思いついたのかニヤリと笑う。

 

「そうだ、最初に調伏させるのだから…うん、決まりだ」

「誰からやる?大蛇か?個人的な意見だが脱兎はやめておけ、あれは本体を見つけるのが面倒だ」

「わかってる、庭借りるぞ」

 

 そう言って、伽藍は庭に向かって歩き出した。

 未だ二日酔いが覚めない直毘人は、その背中を静かに見つめる。

 同時に内心で思い描く未来、それは契約で後に迎え入れることになったあの男の息子。

 伽藍もだ、奇遇にも両者が同じ術式を、同じ血を引き継いでいる、これほど安泰なことはない。

 反対意見は勿論出る、特に伽藍はぽっと出の相伝継承者、それまでの術師としての積み重ねがあるとはいえ、一同を納得させるのは厳しくなるだろう。

 そんなことを考えていた時、だった。

 

「さて…」

 

 伽藍は、そうして庭の中央に立ち、膝をついて何かの構えを取って――

 

「………ん?」

 

 両拳を握り、左腕を剣に見立て、右拳をその内側に置く構え。

 バチン、まるでブレーカーが落ちたかのような幻聴が聞こえ、同時にあふれ出す未知の呪力。

 同時に、響き渡る犬の遠吠えのようなもの。

 ――嫌な予感がする、とても嫌な予感が。

 

「………いやまさか」

 

 いやまさか、それはないだろう。

 わざわざ釘も刺したし、何よりここは禪院家の所有する庭。

 いくら当主自ら許しが出たとはいえ、そこで調伏するのは精々小さな蝦蟇あたりと考えるのが普通だ。

 考えすぎ、ただの杞憂だろうきっ――

 

布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら)

 

 直毘人は吐いた。

 その一瞬で、胃の中の全てを吹きだした。

 しかし、儀式は既に始まっている。

 

八握剣(やつかのつるぎ)…」

 

 伽藍の背後に現れたのは、純白に輝く蛹のような巨体。

 それが、口を開いて産声を上げる。

 

異戒神将(いかいしんしょう)魔虚羅(まこら)

 

 布瑠の言、剣に見立てた式神の掌印による調伏の儀が始まった。

 両腕を解き、ただ自然体に構えるその間、背後に立つ魔虚羅は完全な顕現を果たし、右腕から剣を生やす。

 そして、目の前の障害を消し飛ばそうと右腕を振り上げた瞬間――

 

「領域展開」

 

 伽藍が、それよりも早く掌印を結ぶ。

 

『――ッ!!!』

「黄泉天蓋」

 

 その刹那、魔虚羅を含む半径数mが赤と黒の別世界に引き込まれる。

 辺りに広がる人骨の海、そして禍々しく、そして神聖さすらある骨の社。

 極限にまで小さく、そして地上のみに絞った必中範囲と、持続時間を犠牲とした縛りによる瞬間的な高火力。

 最初に、魔虚羅の腕が消し飛んだ。

 

『~~~ッッッ!!!』

「極ノ番」

 

 魔虚羅の足が、胴が裂かれてバランスを崩す。

 残る左腕、切り離された足も念入りに切り裂き、破片一つも残さない徹底した蹂躙が始まった。

 襲い掛かる敗北、そして死の予兆に方陣が揺れ、最初の適応が始まるその寸前。

 油断も慢心も存在しない、極限まで圧縮された液状筋肉が、追撃として放たれる。

 

「――(ムクロ)

 

 前代未聞。

 歴代初の十種影法術奥義、魔虚羅の調伏は僅か十数秒で果たされたのだった。

 

 

 

 

「…伽藍」

「ん?」

 

 しかしその代償に、禪院家の歴史ある庭が一つ消え去ってしまったのだが。

 関係者によると、直毘人はその日普段の倍は酒を飲んでいたらしい。

 

 

 

 


 

 

 

 

 それから数週間後の、姉妹校交流会。

 東京側の五条、そして京都側の伽藍による最終的な一騎打ち…と時間稼ぎによる作戦勝ち。

 それが本来の歴史、しかしここでは史実とは異なる、理不尽の押し付け合いが始まっていた――

 

「…これは、刀?」

「傑!」

 

 ある世界では、伽藍は開戦直後に投擲した刀を媒体として、時空間転移理論(ワームホールパラドクス)による空間ごとの転送を行い、五条と夏油の分断に成功した。

 そして初手領域展開を披露し、その後は徹底的に時間稼ぎに呈したことによる作戦勝ち…それが史実。

 だが、この世界では――

 

「悪いが、落とさせてもらう」

 

 刀ではなく、その下にできた影。

 そこから伸びる、陶磁器のように白く美しい腕が、それに見合わぬ剛力で夏油の首を絞める。

 生物が無意識に刻む呼吸のリズム、それを読んだ完璧な絞め技が成功し、その意識を刈り取らんとする。

 六眼ですら見抜けない、影からの完全な奇襲である。

 

「――っぁ」

「"蒼"…!」

 

 首を圧迫し、抜かりなく喉仏を掴むことで呼吸を止める。

 瞬時に五条の炸裂した蒼による引力、それに伽藍が身体を引っ張れると同時に夏油の意識が落ちる。

 それを支え、五条は目の前の標的をただ静かに見つめていた。

 仄かに漂う血の匂い。そしてぐちゃりと鈍い音が響く。

 

「…なるほど」

 

 頭上に浮かぶ方陣、そして反転術式によって修復される右腕。

 寸前で脱出できたとはいえ、蒼による引力を受けてもあの程度で済むのかと、五条は考察を続ける。

 伽藍の術式はある程度知っている、だが今目の前で起こっている現象は、その情報どれもが当てはまらない。

 そして何よりも――

 

「糧にさせてもらおうか」

 

 頭上の方陣が黒くなると同時に、伽藍は飛び出す。

 右腕を振るい、無下限によるバリアに触れた途端ヂリヂリと、音を立ててそれを突き破らんと速度を上げた。

 不可侵を破られる寸前、反撃で咄嗟に繰り出した五条の右手が、伽藍の顔面に突き刺さる。

 

「…ハハッいいぞ」

 

 伽藍は笑う、五条が動き出す。

 そして同時に、伽藍の足元に広がる影の中から、赤く鋭い肉の触手が無数展開された。

 それらが鎌首をもたげ、同時に五条の首に向かって放たれる。

 が、それら全てが動きを止める。

 

「アホが、効かねぇっての」

 

 無下限による不可侵を破れず、触手たちは五条の手によって無常に散っていく。

 今の一瞬でわかったのは、伽藍は術者の術式効果を中和する領域展延、それを使えることと方陣がその目印になっていることだ。

 先ほど、方陣が黒くなったときは展延を纏い、無下限による不可侵のバリアを破ったというのに、今は違った。

 伽藍は徒手空拳を避け、液状筋肉によって作り出した無数の触手によるヒット&アウェイに徹しており、しかもそのどれもが無下限を中和できていない。

 わかりやすい弱点だ、しかしそれなのに――

 

「どうした?」

 

 ――ガゴンッ!

 方陣が、一回転して音を鳴らす。

 

「来ないのか?」

 

 ――猛烈に今、嫌な予感がするということ。

 

「上等」

 

 気づかれないよう、こっそりと目配せを終えた後、五条はただ笑う。

 目の前の、すまし顔の気に食わない婆をぶん殴り、そして自分たちの最強を見せつける、それだけだ。

 五条は動く。

 

「"位相" "黄昏" "智慧の瞳"」

 

 術式効果を上げるため、本来は短縮する呪詞を解放。

 同時に駆け出し、必中の技へと昇華させるための選択を、五条は行う。

 ――互いに、右腕を振り上げ。

 

「ッラァアアアアアアッッ!!!!」

「ハァアアアアアアアッッ!!!!

 

 芸術的なクロスカウンターが炸裂した。

 それによる硬直、そしてその隙を逃さんと襲い掛かる蒼の球体を目前に。

 伽藍は仰向けに倒れ込み――

 

「残念」

 

 ドプン…

 まるで水に飛び込むかのような、そんな姿勢と共に影に沈み、蒼が不発に終わる。

 六眼による呪力探知すら届かない漆黒の海、そこを優雅に泳ぎながら、伽藍は再び浮上する。

 ――五条の背後へ。

 

「っそこ――」

「布瑠部…」

 

 五条が咄嗟に振り向く、伽藍が両腕で掌印を形作る。

 そして五条よりも先に、一歩速く伽藍が祓詞を唱えようとする。

 伽藍の表情が、喜色に染まる。

 

「由良由…」

 

 瞬間、伽藍の掌印が解かれた。

 何故。それを感じるよりも早くやってくるのは痛み、そして呪霊特有の濁った呪力反応。

 腕を治癒しながら、伽藍は地上に視線を向ける。

 

「チッ、もう起きたのか」

 

 伽藍は忌々しいという表情を隠さずに言う。

 先ほど、彼女の身体に噛みついていた龍は既に姿を消しており、報復の的を失ったことが更に伽藍を苛立たせる。

 その視線の先で、夏油は構える。

 

「すまない、油断した」

「いいからさっさと終わらせるぞ、嫌な予感がする」

 

 覚醒し、戦線に復帰した夏油に並び、五条は木の頂上で着地した伽藍を見る。

 五条はいつでも蒼を出せるよう、夏油は先ほど戻した虹龍をいつでも呼び出せるように準備を終えており、その立ち姿に隙は無い。

 

「チッ、影に沈めるべきだったか…?」

 

 そう呟く伽藍に対し、夏油は冷や汗を流しながら息を吐く。

 咄嗟に虹龍を出したはいいが、もし一瞬でも戻す判断が間に合わなかったらと考えると恐ろしい。

 肉弾戦は互角、もしくは向こうに分がある現状、数の利はできるだけ失いたくないからだ。

 ――ガゴンッ!

 

「悟、あれは?」

「知らね、でもどうせロクなモンじゃねぇだろ」

 

 再び回転する方陣。

 未知の存在と未知の力、両者の警戒心は臨界点に達し、夏油はもう一体の切り札を呼び出すことを決める。

 

『おおおおおおっ!』

『………』

 

 巨大な一つ目の入道、そして簡易領域を持つ口裂け女。

 先ほど温存した虹龍も含めれば、数の勝負で負けることはないだろう。

 ――そう、相手が伽藍でなければ。

 

「勘違いするなよ」

 

 再び、伽藍が掌印を結ぶことで影が躍動する。

 夏油は再び、その動きを止めるため呪霊に命令を下し、入道呪霊は術式を発動。

 伽藍の立っていた場所が、青の波動に包まれて崩壊した。

 

「的がデカいな」

 

 伽藍は空中に飛び、その両手を重ねて入道呪霊に向ける。

 その矛先は、その巨大な目そのものであり――

 

「まずは目潰し」

 

 バチュウッ!とレーザーのような高音と共に、伽藍の両手から放たれた高圧の水鉄砲。

 入道呪霊がそれに気づき、術式で水を叩き落そうとした時――

 

「満象」

 

 刹那、轟音。

 影、そして水に目の前の式神の姿を見て、五条は伽藍の持つ力の正体にたどり着く。

 しかしたどり着いたところで全てが遅く、何より未だ封じられたままのある情報を、()()()()()()知らなかった。

 目の前では、五条の知る姿とは似ても似つかない、元の数十倍は大きく、そして禍々しい見た目をした満象の姿があった。

 それが入道呪霊を抑え込み、今にも押しつぶさんとする瞬間。

 

「貫牛・渾」

 

 ――バゴンッ!

 それよりも早く、そして一撃で入道呪霊が消し飛び、消失反応が始まった。

 あまりにも素早く、そして一瞬で影に戻ったことで姿は見えなかったものの、その脅威だけはしっかりと感じ取れる。

 強さの格だけならば、あの満象よりも上だ。

 

「なっ…!?」

「よそ見」

 

 木から飛び降りると同時に、伽藍は右手のみで掌印を結び影を動かす。

 人差し指を中指を伸ばし、それ以外を畳んだ犬のような影絵。

 それが伽藍の右半身を包み込み、()()()()()()躍動を続ける。

 

「玉犬」

 

 いつの間にか地面を覆いつくしていた百足の大群。

 それらを、まるで刃物のように鋭く、黒く輝く爪と肉食獣顔負けの筋肉を持った腕が蹂躙する。

 まるで舞を踊るかのように、一回転して死骸すらも残さずに。

 再び襲い掛かる青色の赤子、それらが大量に波のように襲い掛かり、伽藍の身体を飲み込もうとする。

 しかし再び、伽藍は先ほど見せたのと同じ、式神の能力だけを顕現させることで()()()()を右腕から放出。

 それをワイヤーのように木に引っ掛け、再び上空に舞い上がると同時に先ほどと同じ攻撃で一掃する。

 

「――玉犬」

 

 身に纏う影を解除して、伽藍は首を傾げながら言う。

 その表情は、やはりその美しい少女には見合わない凶悪なもので。

 

「これで四対一…とでも思ったか?」

 

 再び、伽藍が結ぶ掌印の数々。

 最初に結んだのは、先ほどのあの掌印。

 それを簡略化させず、本来の手順によって再現する。

 

「玉犬・渾」

 

 両手を合わせ、犬のような形にすることで生まれ落ちる影。

 そこから現れた式神は、五条の持つ知識のどれにも属さない見た目だった。

 その巨体は鬼の如く、枝分かれした宝石のように輝く角と、狼に似た狂暴な顔と剥き出しの牙。

 両腕、両足を彩る巨大で禍々しい爪と、背中から生える真っ黒な翼。

 

「嵌合獣・蓋吞(がいどん)

 

 間髪入れず、再び結ぶ掌印と呪力の起こり。

 左手を軽く握り、右手で角を形作って牛の影絵を媒体に。

 そうして呼び起こす、もう一体の式神。

 

「貫牛・渾」

 

 地面を割るほどの膂力、それが目の前の式神から放たれる。

 緑と灰の巨大な両腕が地面を叩きながら、その顔を五条たちに向け、戦いを喜ぶかのように凶悪に笑う。

 尾から生える蛇、そして正に牛鬼と呼ぶに相応しい巨体と相貌は、式神の中でも上位の存在なのだと、理解した。

 

「嵌合獣・砕仙(さいせん)

 

 並の術師ならば容易に屠れる、圧倒的な力と存在を放つその式神。

 それらが忠誠を誓い、この黄泉返った闘鬼に全てを捧げている。

 その姿を満足そうに眺めた後、両腕を上げて伽藍は言う。

 

「三対四だ。すぐに終わるがな」

 

 まるで新しい玩具を手に入れたかのような顔で

 影の式神たちによる、第二ラウンドが始まった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「虹龍!」

 

 最初に動き出したのは夏油だ。

 式神の召喚が終わり次第、一気に勝負を決める勢いで虹龍は空中を駆け抜ける。

 上空に向かい、そこから更に速度を足して一撃で仕留めるつもりだったのだが。

 

『――』

 

 砕仙と呼ばれた式神が、その両腕を上空に向ける。

 虹龍が一定の高度にたどり着いた時、砕仙は近くにある木々に向かって両腕を伸ばし、握ることで力を貯める。

 まるでスリングショットのように、ギリギリと木々がしなる。

 そして、両者が駆け出した。

 

『~~~ッ!』

『――』

 

 ゴシャア…その音を表すならばそれが最も相応しいだろう。

 上空から速度を上げて降下する虹龍と、それに向かって全力の体当たりを決めた砕仙。

 互いにノーガードでぶつかり合い、両者等しくダメージを受けると思っていた…のだが。

 

「――馬鹿な!」

 

 ()()()()()()()()()()()()

 夏油の持つ呪霊の中でも、最高硬度を誇る鱗と肉体、しかしこの式神はそれらを合わせた防御力を、純粋な火力で突破したのだ。

 頭が半分潰れ、今にも消えそうな虹龍の身体を、再び砕仙が両腕を伸ばして拘束する。

 ――そしてもう一度。

 

『――!』

 

 ゴシャッ!

 至近距離で放たれた頭突き、それによってとうとう限界を超え、虹龍の消失反応が始まった。

 そして同刻。

 

「っ、そっちも来るのか」

『――』

 

 ガンッと鈍い音を立てながら、蓋呑と呼ばれた式神が夏油の前に立ち塞がる。

 五条はその間も、逃げに徹する伽藍を攻め切ることができずに、今も時間を稼がれている。

 その間に、唯一の援軍を呼べる夏油を始末するつもりなのだろう。

 なんとか距離を取って戦おうとする夏油を、五条は歯がゆい思いで見る。

 

(チッ、あっちも潰したいがコイツ(伽藍)が面倒すぎる)

 

 再び、伽藍の頭上でガゴンッと回転する方陣。

 十数年後の彼ならばともかく、()()()()はそれを知らない。

 それ故の致命的な悪手を繰り返していることも、まだ気づけていない。

 しかし無常に、それの解析は進んでいる。

 そんな中、五条は冷静に考察を続けていた。

 

(あの式神…蓋呑はさっき言ってた通り玉犬だな、それに鵺と円鹿を混ぜてある…いや、多分虎葬も混ぜてあるか)

 

 低級の呪霊を使い捨てる勢いで、夏油は防戦一方ではあるがなんとか式神の攻撃をいなしている。

 しかし一対一ではなく、今の夏油は二対一を強いられている、それもいつまで続くかは分からない。

 

(砕仙は貫牛、それに大蛇と…色と残りの推測からして蝦蟇か?クソ面倒臭い戦い方*1しやがる…)

 

 蒼による引力を駆使し、五条は伽藍の防御を突き破ろうと何度も拳を振るう。

 しかしそのどれもが伽藍自身の防御、そして液状筋肉による簡易的な盾によって防がれ、どれも本来の威力を発揮できていない。

 何より伽藍の戦い方が面倒だ、攻めると思いきや、追撃は無下限を破れない肉の触手による無駄な行動。

 展延を使うこともなく、ただただ液状筋肉を使い捨てる勢いの防御と攻撃にあきれ果てた時だった。

 

「…あぁ」

 

 ――ガゴンッ!

 方陣が、四回目の回転を刻む。

 

「そろそろ終わらせよう」

 

 頭上に浮かぶ方陣を掴み、右手で強く握りしめそう告げる伽藍。

 同時に、五条は片手で掌印を結び、呪詞と共に最大火力を放とうと。

 

「"位相" "黄昏" "智慧の瞳"」

 

 出力最大の蒼が炸裂しようとした瞬間。

 

「出番だぞ?」

 

 伽藍が、右手に握る方陣を捨てる。

 同時に広がる巨大な影、それと入れ替わるように、仰向けに倒れながら――

 笑顔で、その言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

布瑠部由良由良(ふるべゆらゆら)

 

 

 

 

 瞬間。

 最大出力の蒼が、()()()()()

 

「は?」

 

 影から出でるは、最強の式神。

 十種影法術の矛にして盾、この数百年、主を持たずに影に封印されてきた忌むべき剣。

 それが数百年ぶりの解放と、新たな主の誕生を祝い、その姿を顕現させた。

 禪院家の虎の子、その式神の名は――

 

「八握剣…異戒神将魔虚羅」

 

 魔虚羅は蒼を容易く切り捨て、ただ静かに主の隣に立つ。

 指示をくれと、今までの者と違い有効活用してみせろと、その自由を噛み締めているかのように。

 その自律した精神を察したのか、伽藍は優しくその右手に触れる。

 同時に、時間稼ぎを終えた蓋呑と砕仙もまた、主の元へ駆けつけた。

 

「言っただろう、五条」

 

 魔虚羅の手に触れながら、今も呆気に取られた五条に対して、伽藍はしてやったりと愉快に笑う。

 剣を構える魔虚羅、角と牙を光らせる蓋呑と、その力強い肉体を見せつけるように威嚇する砕仙。

 それらを背後に置き、伽藍は笑顔で言う。

 

「四対三だ」

 

 再び、式神たちは躍動する――

*1
蝦蟇で拘束して貫牛アタックを絶対当てるクソ合成




(没にしたもう一つの理由)
 伽藍の液状筋肉(一度作れば術式使わずに操作できる&自分の身体の一部判定)と方陣で術者が適応を肩代わりが合わさり、実質十種と別の術式使いながら、しかも安全に適応クソゲーを仕掛けられるという滅茶苦茶相性良い組み合わせのせいで物語が展開できないから

嵌合獣・蓋呑(玉犬+虎葬+鵺+円鹿)
嵌合獣・砕仙(貫牛+蝦蟇+大蛇)
残り(満象.脱兎.魔虚羅)


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本編
1話.日と油


 主人公は善人じゃないです


 時は平安、世は呪術全盛期。

 

 1が生まれれば2が滅び、1を生かすために4が死ぬ。

 血と臓物が地を汚す恐ろしい時代。人の命が通貨のように使い捨てられる、忌まわしい時代。

 だからこそだろう、たとえそれから1000年経とうとも、呪術の発展具合はこの時代が一番だった。

 たとえば領域展開。現代呪術師が夢見る呪術の極致、だが平安の世では、それは比較的スタンダードな技術だった。それでもそれが使える人間に限りはあったが、それらを駆使する精鋭たち、天与の才能を持つ宝石が何百も、何千もいた。

 だが全員が滅びた、1人の鬼神によって。

 

 天上天下唯我独尊。圧倒的な自己、他を顧みない災い。

 

 名を両面宿儺。後の1000年語り継がれる、紛うことなき呪いの王である。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「あー…これはまた、派手にやったね」

 

 ある平安時代の昼下がり、そうぼやく男の目の前に広がるのは、血と臓物で彩られた絨毯だ。

 本来そこに見えるはずの、大地と草の鮮やかな色は、その全てが血と骨の紅白で塗りつぶされている。

 地に転がるかつて人であったもの、男はそれを足で蹴り払い、歩いて話しかけた。

 

 この惨状を引き起こした者へ。

 

「で、どうだった?楽しかった?」

「………………」

 

 ――あっ、これはご立腹だ。

 返事なんて聞かなくてもわかる、もうあからさまに不機嫌だ。

 さっきまで落ち着きを見せて、凪いでいたはずの呪力が、また暴れだして止まらない。

 そしてなにより。振り向いて()()()を見た瞬間に、目の前の老婆は「げっ」と声を漏らしたからだ。

 

「お前、まだ生きてたのか」

「生憎、まだ死ぬ予定はないんだよね。期待に沿えなくて申し訳ないよ」

「ハッ!どの口が言う、死ぬつもりなど毛頭ないくせに」

「あっ、バレた」

 

 ニヤニヤと、相手を小馬鹿にするような、それでいて不気味な笑いを零す傷跡の男を、老婆はただ笑って睨む。

 だが、その銀髪に隠れた鋭い眼光は、80歳を超えているとは思えないほどに狂気的だ。

 男と老婆が旧知の仲でなければ、今頃新たな戦いが発生していただろう。

 

羂索(けんじゃく)、お前はまだこそこそと…裏で鼠のように這いまわってるのか」

「目的のためならあと…そうだね、1000年は続けるかな」

「物好きめ」

 

 まるでクレヨンを握り、白紙を前にした幼子のような、その純粋な己が好奇心を満たすための、果てしない計画。

 男は…羂索はこれからも続けるのだろう。人の身体を乗っ取り、尊厳を凌辱し、周りの全てを不幸にして。

 老婆もそれを理解している、理解しあえてそれには触れない。

 対する老婆の願いもただ一つ、それを邪魔されなければ、それ以外はどうでもいいのだ。

 

「にしても派手にやったねぇ…君もう結構な歳だろ」

「遅い温い甘い、これなら裏梅との戦いの方がまだマシだ」

「え、また喧嘩売ってきたの?君」

「一昨日久しぶりにな、相変わらずの実力だった」

 

 筋肉が衰えようとも、歳を重ねて退化しようとも、決して衰えぬ闘争欲。

 嗚呼、この老婆は相変わらずだと、そう羂索は懐かしさを覚える。

 それと同時に、自身とそう大差ない、たった一つの目的の為に、今日も生きるこの老婆の。

 その進んで生きる姿勢に、改めて彼は好感を持った。

 

伽藍(がらん)、一つ聞いていいかい?」

「どうした、羂索」

「このあとどうするつもり?」

 

 族を滅ぼし、己の欲を満たすため闘いは終わった。

 食欲、性欲、睡眠欲。それらに匹敵するほどの闘争欲を身に宿した、生粋の戦闘狂(バトルジャンキー)

 そんな彼女の答えをなんとなく察しながらも、羂索は聞いた。

 そしてふむ…と、少し悩む素振りを見せてから、彼女――伽藍は答える。

 

「宿儺を殺す」

「いや無理でしょ」

 

 一蹴。

 「マジで何言ってるんだコイツ」そう言いたい顔を必死に抑えながら、羂索はそう返した。

 

「いや必ず殺す」

「だから無理だって」

「傷は癒えた、もう一度行けば今度こそ会えるだろう」

「また裏梅に追い返されるだけだって」

「ぬかせ、ならば裏梅と宿儺両方をだ」

「………」

 

 耳を貸さずにそう言い切った伽藍に、羂索は両手を上げて降参の姿勢を見せた。

 わかっていた、わかってはいたが。どうやらこの年になっても本当に、昔から何も変わっていないとは。

 はー…と気だるげな声を漏らして。

 

「うーん、やっぱりもう頭が手遅…」

 

 一閃。羂索の言葉を遮るように放たれる拳撃。

 ブォンと背筋の凍る音を出しながら、伽藍の腕が空間を切って、目の前にいた羂索に襲い掛かった。

 羂索は寸分でそれを躱し、距離をとる。しかし「あ~…」と、めんどくさそうな顔をした時にはもう遅く。

 

「あっぶないなぁ…今の身体は、そんなに戦闘に向いてないんだけど」

「もし術式がなくても、お前自身の呪力操作があるだろう、やるぞ」

「本当に勘弁してくれないかなぁ…今の呪力量もそんなに自信ないんだけど」

「いつものやるぞ、今から反転術式を使いながら、倒れるまで殴り合いだ」

「ねぇ?人の話聞いてる?」

「勝負開始だ――!」

「ちょ…」

 

 結果は羂索の勝利。

 しかし、この何の得にもならない勝利は、羂索に疲労だけを与えただけだった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「ククク…あぁ楽しかった!久方ぶりの殴り合いだった!」

「私、君のことはまぁまぁ好意的に思ってたんだけど…前言撤回しようかな」

「羂索、ところで例の話だが」

「いやそういうところだからね??」

 

 目の前で仰向けになりながらも、笑いを止めない伽藍に羂索は顔を顰めた。

 たとえ戦闘に向いた身体でなくとも、羂索には自身の呪力操作や結界術、更には徒手空拳の戦闘経験がある。

 そこに、老化の影響で持続力の下がった伽藍の身体能力が相手。結果は最初から目に見えていた。

 だが彼の経験と知識があろうとも、燃費の激しい反転術式を常にかけながらでの戦闘は流石に堪えたようだった。今でも少し息切れをしている。

 

「お前は数十年…いや、数百年後も変わらず生き続けるのだろう」

 

 伽藍は、自分の両手を眺めながら言葉を紡ぐ。

 老いて、皴ができて干からびたその両手、だがそれは決して醜くはなかった。むしろ誇りにさえ思う。

 誰よりも剣を、拳を握り戦い続けた。一人の戦士の記憶そのものだからだ。

 誰よりも見てきた、だから既に理解していた。

 

 ――今日が限界だと。

 

「私は、もう死ぬ」

「…そういうの、わかるんだ?」

「たわけが、私が何年この身体と向き合ってきたと思う?お前のように、身体を変えるやつにはわからんだろうがな」

「あはは」

 

 だがこれでいいのか?本当にこのまま終わっていいのか? 

 否、伽藍の内心は既に、答えを見つけていた。

 

「羂索、お前は遠い未来で、今いる術師たちを起こすと言ったな」

 

 それは昔、伽藍自身も勧誘されたことだ。

 羂索のある目的の為に、呪術全盛をもう一度呼び起こすための計画に。

 

「…噓偽りは許さんぞ」

「はいはい」

「私が聞きたいのは一つだけだ、たった一つの事実確認だ。なぁ羂索、私が…」

 

 

 

 

 

闇より出でて闇より黒く、その汚れを禊ぎ祓え

 

 

 

 

 

 言葉は続かなかった。

 ――"帳"それは本来呪霊を閉じ込め、非術師を災いから守るための結界。それが、たった一人の老婆に牙を剥いた。

 そして瞬時に二人、三人と、全身を黒、黒…黒で染めた、"個人"を捨て去った量産型の捨て駒たちが見える。

 羂索はそれの正体に覚えがあるのか、ひどく顔を顰めて伽藍を見た。

 

日月星進隊(じつげつせいしんたい)…なんで君が目つけられてるのさ」

「この前藤原に喧嘩売ったからか?」

「いや聞かれても知らないよ…っていうかなに、え?なにまた喧嘩売ってるのさ?」

「この前、宿儺の気配を追ったらたまたまかち合ってな」

「うっわぁ…大人しく隠居しときなよおばあちゃん」

「先に貴様から殺してやろうか?」

 

 藤氏直属暗殺部隊。滅私奉公、闇に生き、名を持つことさえ禁じられた、陰に生きる捨て駒の者たち。

 それらが一斉に武器を、呪具を、伽藍に向けて殺気を向ける。

 

「丁度いい、数十年ぶりに共闘でもするか?」

「いや私としても、ここで藤原に勘付かれると不味いし…」

 

 そう言うと、羂索は小さく何かを詠唱し呪力を練ったあと

 

「まぁ頑張ってよ」

 

 姿を消して立ち去った。

 

「…」

 

 …立ち去った。

 

「………………」

 

 

 立ち去った。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

 日月星進隊に与えられた任務はただ一つ、目の前にいる老婆…「伽藍の抹殺」だ。

 隊員たちに"疑問"という概念は存在しない。言われた言葉に頷き、ただ与えられた任務を遂行し、その命散らすのみ。

 だがたとえ厳格化された規律でも、人間の思考そのものを縛ることはできない。

 

 1人の隊員は考える。

 

 本当にこれでいいのか?このまま自分は名すら持てずに死んでいくのか、と。

 そして思い返す、思考を加速させる。

 

 ――伽藍。

 

 記録では、約60年以前から存在し、最近になって活発に活動を始めたとされる、謎の老術師。

 術師といっても様々な種類が存在する。かの邪悪、両面宿儺のように、弱者を甚振る下劣な存在だったり、逆に弱者を助け、善行を積む死に急ぐような愚行を犯す存在。

 

「藤原の使いか」

 

 では、目の前にいる老婆は何か?

 信じがたいが、この老いぼれは一途にも、あの災いの化身である両面宿儺を超えるため、今も研鑽を積んでいるという。

 はっきり言って無理だと思う。なぜならまだ()()()()()()()は、遠目で実際に見たからだ。

 同じ人とは思えない異形。その暴力と殺戮の化身、そして圧倒的な自己を。

 それに伽藍はもう老人だ。あまりにも遅い活動開始時期、もはやその身は骨と僅かな肉と皮のみ。

 ――嗚呼、それなのに

 

「私は今機嫌が悪い…故に手加減はできん、心してかかれ」

 

 その立ち姿からもハッキリ感じる、圧倒的な殺傷能力を。

 ――この"術師"の、実力の壁が見えない…!

 

「……!」

 

 まだ思考を捨てず、「生きている隊員」は考える、故にまだ動かない。

 だが思考を捨て、駒として生きることを選んだ動く屍は、何も考えずに伽藍へ立ち向かった。

 一人は刀を無造作に振るい、一人は触れることで発動する術式のために、両腕を無防備に突き出して――

 

「愚か」

 

 そして文字通り、愚かな駒はその手で切り捨てられた。

 一人は手、腕、肩の関節から輪切りにされた。両腕を失いバランスが崩れて倒れこむ。

 もう一人は足から縦に何重にも切り裂かれた。機能を失った両足はすぐに自重を支えられなくなり、そのまま崩れ落ちて――

 更にそこから、伽藍は刀を何重にも振るった。

 一体いつ取り出したのかわからない、彼女の右手にある、異形の武器。

 人の骨を模した…いや、骨そのもので作られた、あまりにも悪趣味で恐ろしい呪具。それをまるで、子供が玩具を振り回すかのような気楽さで振り、二人の男の首を狩った。

 それはまるで、野菜を調理したかのような鮮やかな切り口で、寸分の狂いは一切ない。

 

 首を狩る、首が落ちる、そしてそれを2つまとめて剣で突き刺す。

 

 これらの作業を目に見えぬスピードで、伽藍は年老いた肉体で成し遂げた。

 まさに神業。だがそれを為し、剣から男2人の頭を抜く彼女の顔は。

 

「…つまらんな」

 

 深い落胆の表情だった。

 

「これでは話にならん…見ろ、目の前にいるのは一人の老いぼれだ。――狩ってみせろ、殺して見せろ」

 

 伽藍は、刀を強く握る。

 

「今から選別を行う――防ぐか、避けて見せろ」

 

 手に骨が突き刺さり、血が溢れて刀身を濡らす。

 地面に垂れた血液が()()し、煙が生まれて大地を焦がす。

 

 単純な呪力強化?否。

 簡易領域で逃げる?否。

 ――避けられるか?否!

 

「では…間引きの時間だ」

 

 伽藍がその剣を構え力を籠める、そして振るう。

 

「生き残って見せろ」

 

 そして襲い掛かるのは。

 

「――"アカガネ"」

 

 何百発もの、燃える血の弾幕だった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「いやぁおつかれ、結構面白かったよ」

「貴様、今までどこにいた」

「あくまでも姿を消しただけさ…うん、この術式は役に立つね。保存する術式の第一候補かな」

 

 戦いとも呼べぬ戦い、一人を残して全滅した日月星進隊は、そのまま姿を消してどこかへ去った。

 日月星進隊は、ほとんどの隊員がもはや人とは呼べぬほどに衰弱した"個性"を持っている。本来なら敵を屠り、それで終わりだった。

 

 だが伽藍は見た、たったひとり生き延びた一人の隊員の瞳を。

 恐らく骨格からして女。彼女は術式で空間を捻じ曲げて伽藍の攻撃を躱した。これだけでも興味を引く…しかし。

 

「羂索、あの女はなかなかいい眼をしていた。誘ってみたらどうだ」

「…藤原の人間を?本気で?」

「どうせあいつも切り捨てられる。藤原とはそういう所だ」

 

 使えぬ駒は捨てるのみ、そして捨てられることに疑問も感じないのが日月星進隊。

 だがあの女は違う。死なない、為る、という燃える願望を持つ生きた瞳だ。

 ――ならば自分も、そう決心し。

 

「話の続きだ、羂索」

 

 伽藍は、この胡散臭い旧知の男と、手を組むことを選んだ。

 

「私が例の話を受ければ数十年…いや1000年後か?さすれば…」

 

 ――宿儺と闘れるのだな?

 その言葉に羂索は、相変わらずの胡散臭い笑みを、より強く浮かべることで答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暇だ」

 

 ボチャン、と適当に投げた人骨が水しぶきを起こしてそのまま沈む。この光景も何百回見ただろうか。

 あの胡散臭い旧知の男と縛りを結んで…どれくらい経っただろうか?

 確かに羂索は言った、数十年、数百年後と。しかしこれは…

 

(暇すぎる。流石にこれは暇すぎるぞ…)

 

「退屈で死ねる…」そう何万も呟いた言葉の1つを、更に再び言葉にする。

 まさか本当に1000年待たせるつもりかと、伽藍は今も呑気に生きているであろう男に腹を立て、歯軋りをする。

 確かに数十年、数百年後とは言った。言ったが、まさか本気で1000年後に、計画を始めるつもりだったとは思わなかったのだ。

 

「…いや、あいつのことだ、機転を利かせていらない寄り道を繰り返しでもしたか」

 

 羂索は基本、己の好奇心に従い行動する傍迷惑な存在である、それはずっと変わらない。

 いつだったか、伽藍は彼が「呪霊と人間の交じり子なんて面白そうじゃないか」なんて言ったことを思い出した。

 …まさか本当に、呪霊との交じり子を作りでもしたか?そう閃き、有り得ると確信した。

 

「それに比べて私ときたら…」

 

 伽藍がこの生得領域に引き籠り、過ごした最初の十年は剣術だ、ただ基礎を振り返り、刀を振って、振って、振って振って振って…

 そしてついに、自分以外はいないはずのこの場所で、対戦相手の幻覚が見え始め、それを切り捨ててからはもうやめた。

 あとは適当に己の術式と向き合う、試行錯誤して失敗して、そしたら反転術式を施す。

 これを繰り返して繰り返して、繰り返して繰り返して繰り返して繰り返して…

 

「生まれて初めてだ…あのろくでなしの腐れ脳味噌が羨ましいなど…!」

 

 結局どれだけ技術を磨こうとも相手がいなければ意味がない。

 どれだけ結界術を極めようとも、見せる相手がいないなら本末転倒だ。

 嗚呼、自由が欲しい…そう再び口にしながら、彼女は生得領域の骨に寝転がる。

 

「…寝るか」

 

 あまりにも長く退屈を経験したからだろうか、今伽藍の特技は、眠くなったら寝る、目を開けたまま寝る、起きたまま寝る。の3つだ。

 

「あまり待たせるなよ羂索…」

 

 ――今日は久しぶりによく眠れそうだ。

 そして、伽藍は幾万回目の睡眠を貪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると裸だった。

 伽藍の今現在は、それ以上でもそれ以下でもない。

 

「……………………………………………………は?」

「あ、やっと起きた」

 

 混乱が覚めない脳みそを、直接ぶっ叩くように聞こえた誰かの声。

 女、女だ。だがその抑揚、あまりにも胡散臭いその喋り方…

 それに悪寒を感じ、伽藍がゆっくり、ゆっくり振り向くと。

 

「あれから1000年、久しぶりだね伽藍」

 

 そこにいたのは、()()()()()()成人女性。

 

「………………羂索、相変わらず趣味が悪いな」

「結構便利なんだよ、この身体」

 

 羂索、羂索だ。

 あの時のような塩顔の男ではない、まだ若さと美しさを残す、魔に染まらぬ女性の身体。

 彼は死体を乗っ取る術式を持っている。死体ならなんでもいい、それが男でも、女であろうとも。

 ――あぁそうだ、こいつは何も変わっていない。その相変わらずさに、伽藍は安心感すら覚えた。

 

「お前、元の性別は何だった…?思い出せんが一つ言えるのは…とてつもなく気色が悪いことだな」

「言うねぇ」

 

 そう言って羂索は笑う。顔も身長も、性別も違うが、唯一変わらないその微笑み。

 変わらない。この男はこうやって、1000年以上生きてきた。

 

「それで?その身体はどうだい?」

 

 羂索はそう言って、伽藍の身体をまじまじと見た。

 それがいっそ、下卑た欲情の視線ならどれだけよかったことか。その瞳からは、羂索本人の純粋な"興味"しか感じない。

 研究者としての、知的好奇心を満たすだけの、その視線。

 

「悪くはない、というより…」

 

 ――恐らく銀の亜種だろうか?と、伽藍はあの時代では見られなかった、俗にいうガラスと呼ばれる、壁の向こうまで見えるほどに透き通ったそれを見た。

 そこに薄く反射され見える、今世の己の姿。

 15…16ほどに見える若い少女の肉体と、斜めに切り揃えられた、ほんの少し黒の交じった銀色の前髪。

 

「髪色は受肉の影響かな、それ以外は"器"そのままだよ」

「器?」

「ほら」

 

 そう言って、羂索が放り投げた布を掴み、伽藍は軽く身に巻いて問う。

 

「流石に、裸のままだとあれだしね」

「…色々聞きたいことはあるが…今は一つだけ聞こうか」

「どうぞ」

 

 聞くのはもちろん、今のこの身体についてだ。

 

「軽く拳を握るだけでわかる…()()はなんだ?天与呪縛か?」

「なにがだい?」

「とぼけるな、()()()()()()()()()

 

 あの時代にも少数だがいた。天与呪縛…生まれついて何かの"縛り"を受けることによる恩恵の数々。

 身体を縛れば呪力が、呪力を縛れば身体能力が。呪術による足し算で、生まれつきのギフテッドを身に宿す。

 だが、これは違う。

 

「私の場合は違う…なんだ?何をした?どうやってこれを成した?」

「ある実験さ」

 

 羂索は「実験」と、ただ一言でそれを終わらせた、それだけだった。

 何十年、いやおそらくは何百年もかけたのだろう。だがそのただ一言に、この術師の人生の、一欠けらが詰まっていた。

 

「君を受肉させるついでに、前から計画してた実験を進めようかと思ってね」

「…それで?」

「君のおかげで成功した」

「そうか」

 

 もういい、答えは聞いた。これだけで充分だ。

 伽藍はそうして、目の前の男に聞く。

 

「で、私は()()()()()()()()

「…へぇ?珍しいね、君が?」

 

 その言葉が、本当に予想外だったのだろう。羂索は今まで見たことのない、心底驚いた顔でそう言った。

 

「やっと何百もの退屈な時が終わったんだ、今は機嫌がいい。それともいらんか?」

「いや」

 

 羂索はすぐに答えた。

 

「せっかく君に"お願い"ができるんだ、なら有効活用しない手はない」

「お前らしい答えだ、変わってなくて安心した」

「こっちこそ」

 

 そう言って羂索は、新たに何かを取り出して伽藍に渡す。

 数枚の緑の紙に、硬い謎の素材で作られた、今の伽藍の姿が描かれたそれ。

 

「…?なんだこれは?外来のものか?」

「あーそっか、昔の文字しか知らないもんね君、これは今の君の住所とか銀行口座、あと免許証だね」

「ぎん…めん、きょ…?」

「ま、細かいことは気にしないで。…記憶を読み取れてないのか…?

 

 伽藍からすれば、それはよくわからない文字の数々…しかしよく見てみると少しだけだが、何故か読める文字が何個かあった。

 そしてそれを読み取り、おそらくこれが自分の名前だろう。と、そう確信して読み上げた。

 

「伽藍…()()伽藍か」

「気に入ったかい?」

「気に入ったも何も、ただ二文字足しただけだろう?」

「まぁまぁ」

「あのなぁ…」

 

 

 

 

「香織?」

 

 

 

 

 …あぁ、この瞳を私は知っている。

 伽藍は、開いた扉の先にいた、男の姿を見て、内心でそう吐き捨てた。

 

「なぁに?仁さん」

 

 さっきまでの声とはまた違う、吐き気のするような、羂索の放つ甘ったるい声。

 

「もうすぐ時間だよ、用事は済んだ?」

「えぇ、もうすぐ行くわ」

「そっか、じゃあね」

 

 やつれた瞳、濁った瞳。何かを信じて何かを捨てた。

 羂索は、あの男の何かすら奪い、凌辱した。

 

「悪いけどそろそろ時間でね、しばらくはお別れかな」

「あの男はその身体の番か?お前は相変わらず気色悪いな」

「それはあっちの方だろ?アイツ、この女が死んだって気づいてるのに、今もあぁなんだよ?キッショ」

「お前というやつは…」

 

 これでこそ呪術師、呪いを廻し呪い呪われる存在。

 羂索も、伽藍も、あの時代を生きた者たちはこうやって生きてきた。ひとでなし、ろくでなしのままあの時代を。

 

「お前は呪術師に向いてるな」

「逆に君は向いてない、だって脳筋がすぎるんだもん」

「よくわからんが、貶されたことだけはわかる」

 

 あの仁という男もいつかは処分されるのだろう。伽藍はそう確信した。

 愛した女の身体で、直接処分されるだろう、羂索とはそういう男だ。どうせ殺すなら、身体を捨ててからでもいいはずなのに。

 

「これからよろしく伽藍、呪術全盛のために?」

「言葉を選ぶな、お前の真の目的などどうでもいい…私の目的は宿儺のみだ」

 

 こうして2人は手を握った。だが、そうだ。

 ひとでなしとろくでなし、相性はさほど悪くはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでだ、最後に一つだけいいか」

「うん」

「そこ、赤子がいるだろう?」

「いるね」

「あれはなんだ」

「私の子供だよ」

「キッッッッッショ!!!」




 伽藍
今作の主人公。術式名???、能力は骨や肉などを作ったり操ったり。
宿儺絶対殺す系女子、受肉先は三輪ちゃんの親族(見た目はほぼ色違い三輪、前髪の向きは反対)
ちなみに裏梅から死ぬほど嫌われてる。というか宿儺からもうざがられてる。


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2話.老・退・劣化

 もうちっとだけ続くんじゃ、感想書いてくれると作者が大喜びします。
 これもいつかの貯めの解放のため…ちゃんと小物っぽく書けてますかね。


 「今の時代を見てきたら?」と、赤子を抱きながら言う羂索に鳥肌を立てながら、伽藍は部屋を出た。

 幸いにも扉は開いたままだったため、見慣れない現代の扉を開ける作業をせずに済んだ。

 部屋を出て通路を歩き始めると、誰かに話しかけられる。

 

「お前も"アレ"の同類か?」

「あ?」

 

 そして瞬時に、不愉快だと怒りを滲ませ、伽藍は声のする方を見た。

 流石に"アレ"と同類扱いはいただけない、というか失礼すぎるだろう。と内心で愚痴を吐きながら。

 

「香織は死んだ」

「あぁ、らしいな。だが生きてる」

「とぼけるな、アレが生きてるだと」

「なるほど、そこまでわかるのか」

 

 伽藍を睨みつけ、話しかける男。

 おそらく、あの仁と呼ばれた男の父親だろう。だがあの男と違い、目の前の男はしっかりと生きた目をしている。

 

「お前たちは何だ」

「ひとでなしとろくでなし。まぁ同じ穴の狢であることは認める」

「なにを企んでいる」

「知らん、私が知ったことか」

 

 怒気を孕んだ目で睨まれたが、それを鼻で笑って無視する。伽藍からすれば、羂索の計画など心底どうでもいい。

 見たところ、術式もない一般人だ、だがその目は鋭く、悪くない。彼女は「術師じゃないのが惜しい」と、男を褒めた。

 

「悠仁に手を出すな」

「…お前、自分で何を言っているのかわかってるのか?」

「アイツの正体もお前のことも、もうこれ以上知るつもりはない」

「賢明な判断だな」

「だが悠仁は違う」

「あんな()()()がか?」

 

 "作り物"、その言葉を聞いた瞬間に、男の怒りの気配が濃くなった。

 なるほど…と伽藍は全てを察した。この男は、あの"完成品"を本当に大事に思っているらしい。

 

「まぁ、期待せずに見届けてやろう。あれがどう呪いを廻すかを」

 

 そう言いながら、伽藍は男の横を通り抜け、そのまま去っていく。

 背中に刺さるその視線、それをどうでもいいと切り捨てながら。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 白い畳擬き、天井の白い漆。それら全てがあの時代では見れなかったものだ。

 

「えぇはい…すぐに…」

「今日どこで食べる?」

「じゃあ、あそこの~~で…」

「本日紹介する商品はこちら!」

「だから!…あぁそうそう」

 

 そして、この人だかりも。

 

「驚いたな…」

 

 なるほど、これが今の。人が織りなす知恵の時代。かと、感動に浸る。

 どこもかしこも、摩訶不思議であふれている。驚くことに、それらに一切呪力は感じない。

 呪術ではない、純粋な知恵だ。人の知恵が、工夫が、あらゆる努力が。

 

「羂索のやつめ、本当に羨ましいことだ」

 

 集落。

 周りの音などもう聞こえはしない、今伽藍が知覚するのは、目に入るその景色のみ。

 天を貫く勢いでそびえ立つ巨大な屋敷。それに貼られた動く絵画。

 

(…素晴らしい)

 

 森林。

 かすかだが呪力を感じるそこに、伽藍は歩を進める。

 あの時代よりも、規模こそは縮んだが、今も健在の自然の香りは、辺りに漂い鼻腔をくすぐる。

 

「…久しいな、この感覚」

 

 そして背筋を直に撫でられるような不快感。これは呪力だ。

 人間ではない、人間の生み出す変にろ過された、練られた呪力とはわけが違う。

 ――呪霊だ、それもかなり近い。

 

 

 

 

 

 道中なぜか、妙に視線を感じた。

 伽藍はそれに、一種の疑問を覚え、すぐに答えにたどり着く。

 

「…今では、服があるのが当たり前なのか?」

 

 なるほど、それなら変に目立つのも当たり前か。

 確かに今の格好は、薄布を適当に巻いただけの、簡素な姿だ。

 

「全く…生得領域に引き籠るだけでは時間の無駄だったな…視覚共有でもさせるべきだったか…」

 

 そして伽藍が着いたのは、街の外れにある――公園の森林。

 一歩踏み出して、入った瞬間感じる不快感。まるで素足のまま、泥を踏んだかのようなその違和感。

 

「生得領域…」

 

 人も呪霊も、意志あるものは皆心に景色を持つ。

 それを結界内に構築し、現実世界に反映させる…だがそれができる実力を持つのは…

 

「準備運動には丁度いい…か」

 

 欲を言えば現代の進化した術師と戦ってみたかったが…まぁいいだろうと、伽藍は妥協する。

 生得領域の具現化は、生半可な実力を持ったものが行えるものではない、つまり少なくとも、ここにいる呪霊は…

 

「希望は壱、最低でも弐だな。壱に準ずる実力ならばなお良しだ」

 

 そのまま結界を潜り抜けて、領域内に侵入する。

 そして広がる呪霊の生得領域、辺り一面が砂に覆われ緑が消えるその景色。

 感覚を集中させて、呪力感知によって、範囲内の呪霊を探る。

 

「…あん?」

 

 肌を刺すような、それでいて痛くも、痒くもないうっとおしく弱い気配。

 

 人。人だ。

 

 お粗末な呪力に不細工な操作。見るに堪えないが、間違いなくこれは術師の気配だ。

 

「…まぁいい、現代呪術師から情報を得るいい機会だ」

 

 軽く肩を回して呪力を練る。

 腕や脚、そんな雑で醜い方法ではなく血管を、骨を、肉の筋ひとつひとつに意識を巡らせ、より強く。

 そして。

 

「――ふっ!」

 

 ――ドンッ!

 轟音。加速し、加速して。更に速く。

 地面を蹴る、沈めて壊す。

 しかしそれは、老いて弱体化したからこそ工夫し、洗練された技術とは程遠い、力に任せた未熟な技術…だが。

 

「いい…いいぞっ!」

 

 ――こうだ、"こう"だ。こうでなくては!

 伽藍は改めて、若返った今の自分に感動し、酔いしれて、感情のままに叫ぶ。

 

「待っていろ…!宿儺ァ!!!」

 

 若い身体の、未だ慣れない呪力の奔流が止まらない。それに気づいたのか、前方から3,4ほどの呪霊の群れ。

 伽藍は瞬時に術式を発動。自らの骨に呪力強化を促し、強化して"それ"を始める。

 成長して肉を突き破り、そのまま露出した人骨を、もう片方の腕で掴み、思いっきり引き抜いた。

 

「"武振熊(たけふるくま)"!」

 

 薄く展開された、硬く鋭利な骨の刃と、それを支えるしなやかな肉の背。

 伽藍が生前から愛用していた呪具擬き…武振熊が再びこの世に顕現した。

 

「悪くない、いい骨だ…!」

 

 老いて脆くなった、あの頃の骨とは違う、若く健康な人骨だ。

 無くなった左腕は反転術式で元に戻す…が、勿論ただ戻すだけではない。

 術式順転による肉と骨の再生、そして足りない神経や皮、爪を反転術式で元通りにする。

 反転術式は燃費が悪い。だからこうして、少しでも節約をするのが一番だ。

 

「――失せろ!」

 

 そして、骨で作った刀を力いっぱいに振るって相手を叩き潰す。

 頭をつぶし、足を蹴りつぶして、そのままついでに叩き切った。

 

「あははははははは!!!!」

 

 目の前の、白いのっぺらぼうのような呪霊は倒れた。だがまだだ、人と違って呪霊は頭がなくても死なない。

 呪霊はそう簡単に死なない。つまり。

 

 まだ壊せる。

 

「アッハハハハハハハハハハハ!!!!!」

 

 踏んで、ちぎって、殴って切って。

 

「もっと…!もっと!!!」

 

 壊して壊して、また壊して。

 少し待って、治ったら再びぶっ壊す。そして――

 

「あははははははははは――は?」

 

 呪力が尽きて再生できなくなったのか、呪霊はそのまま気化し、消失反応を最後に、完全に消えた。

 

「はは…はー、あ~…あぁ?おいおい………………は?」

 

 熱で浮かれた脳が冷える。よく見ると、ついさっきまで握ったままの刀もボロボロだ。もう使えない。

 あ~…うん。そう伽藍は全てを察し、どうやらまた意識が飛んだようだと、自省に耽る。

 そんな時だ。

 

「た、たすか…った?」

「あん?」

「ひぃえ!?」

 

 いつの間にか、目の前で倒れている細身の男。それと目が合うと、すぐに身体を震わる。

 

「お前が術師か?答えろ」

「え、えっとぉ…」

「早く答えろ」

「あ、はっはい!!」

 

 少し苛つきを見せ、目の前の男に顎で答えを促す。

 すぐに男は飛び上がるように正座を見せて、口をパクパクと開閉させた。

 

「さっさと喋れ。生娘でもあるまいに何を戸惑っている」

「き、きむす…!?」

「早く、切るぞ」

「答えます!答えますから!」

 

 伽藍がそう急かすと、男はすぐに言葉を練ろうと息を吸い込んで――

 ふと目の前にある、布に巻かれた彼女の身体をじろじろと見て「ぇ~…」と言葉を発散させた。

 

「え~…そ、その…」

「…お前、こんな身体に欲情してるのか?」

「ちが!違いますって!!!ただ目が勝手にというか…ってそう!質問の答えですが!」

「露骨に話を逸らしたな」

「ごほん!」

 

 伽藍の物好きを見るような態度と、その視線に耐えきれず、わざと声を大きくした男。

 いくら若返り、その身体が男の目に毒とはいえ、彼女の自意識は未だ老婆だったあの頃のまま。仕方がないものだろう。

 

(若いから仕方ないか、あの時代ではそんなことを考える暇はないだろうが…)

「そう!君の言う通り、僕は呪術師さ!」

「ほう、階級は?参か?いや…この感じは肆か?」

「参…?僕は2級だけど?」

「、………………2…に……?」

 

 …弐?

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「こんなのが…こんなのが弐…?現代呪術師だと…!?」

「な、なんで君いきなり怒ってるの…?」

「黙れ、話しかけるな雑魚が」

「ひ、ひどい!?」

 

 目の前の男、現代を基準にすれば2級の座に就くその存在を見て、伽藍の内心は怒りで満たされた。

 

(なぜだ…1000年、1000年だぞ!?1000年も研鑽を積んで血を継いで…それで"これ"だと?馬鹿言うな、ふざけるな…!)

 

 あの懐かしい日々、伽藍が最後に眠った、平安の最後を過ごした昼下がり。

 それが瞬間、脳内にあふれ出した。

 

「なぜだ…あの日瞬殺した、日月星進隊の穀潰しでさえ、こいつよりはマシだった…!こんなの…こんなのっ…!」

「じつ、げつ…?」

「貴様、体術はどれくらいの心得がある?」

「た、体術は自信ないから…あ、その分術式は強いよ!」

「ああああああああああ!!!!!」

「ひぇ!?」

 

 術式が強いから体術はいいだと!?馬鹿なのか?自殺願望者か!?

 伽藍は目の前の、そんな甘い考えを聞いて、怒りで完全に沸騰した。

 

「…おい待てまさか」

 

 術師がこの体たらくならば、呪霊はどうだ?呪術師の基準が下がったのなら…まさか呪霊も…!

 不味い不味い…!それだけは不味い!伽藍はその最悪の事態に思い至り、行動に移す。

 

「(確認しなければ…)穀潰しはそこで見ていろ」

「え、あの…」

「久方ぶりの戦だ…拍子抜けさせるなよ…!」

「ちょ、そんなに呪力垂れ流したら…!」

「何を今更、この程度で取り乱してどうする」

「こ、このままじゃ見つか…!」

 

 ――悪寒。

 

(…なるほど、自分でやっておいて今更だが、()()()で安易に呪力を、術式を使うべきではなかったか)

 

 伽藍が今まで見ていた砂、この領域は、()()()()の呪霊の生得領域ではなかったらしい、結界自体の精度はお粗末だ、だが確かに"必中"だ、完成している。

 ここは呪霊の生得領域ではない。今こうしてる間にも、彼女の呪力を察知し、凄まじい速度で向かってきている。これは――

 

 ――呪霊の、()()()()だ。

 

「そ、そんな…ここにいるのは3級のはずじゃ…」

 

 すぐに異変を察知したのか、男は足を震わせて涙を流している。

 自分たちの方にやってくる、恐ろしく膨大な殺気に。

 

「たかが呪霊ごときに、領域を錯覚させられるとは…ククク…鈍りすぎたな、情けなくて涙が出そうだ」

「そ、そんなこと言ってる場合じゃ…!僕たち殺され…!」

「辞世の句は思いついたか?」

「はっ早く逃げ…」

 

 いや、もう既に手遅れだ。

 

 腕、腕だ。

 目だ、口だ。身体だ。

 

 目の前に降り立つ人型の呪霊。まず目立つのは顔は目が4つ、歯をむき出しにして、まるで愉快だと笑っているようなその姿。

 まるでかの、呪いの王を彷彿とさせるその御形。

 それが目の前に、伽藍と男のすぐそばに降りてきた。

 

「と、特級…!」

 

 男は恐怖の許容値を超えたのか、もう震えは止まり、笑いさえ漏らしている。

 嗚呼いけない、考えを放棄してはいけない。そういう者こそ、この世界ではすぐに死ぬ。

 

『ゲヒャヒャヒャ!!』

 

 呪霊が、咄嗟に攻撃の予備動作に入る。

 青く光る、膨大な呪力を滾らせた、シンプルにして強力な一撃。

 

「っ…!"シン・陰流"…!」

「――"彌虚葛籠(いやこつづら)"」

 

 男は姿勢を低くして、瞬時に結界を生成。対する伽藍は、ただ両手で印を結び結界を生成。

 互いに同じ"簡易領域"、しかしその練度は比べるまでもない。

 

「シン陰流…そうかまだ生きていたのか、あの流派は…!」

 

 "領域展開"、それは呪術の極致と言われるほどの、術師にとっての奥義。

 結界を生成し、そこに自身の生得領域を具現化させたあと術式効果を流し込む…

 これだけだ。しかしたったこれだけを行える人間はそう多くはなかった。しかしこれが使えるものと、使えないものの勝負は目に見える。ならばどうするか?

 そして生まれたのがシン陰流。領域を練れない、展開すらできない弱者の為に生み出された技術。

 門外不出の"縛り"によって効果を底上げし、なんとか実戦で使えるほどまでに、強度を上げた仮初の領域。

 

「――来るぞ、踏ん張れ若造」

「っ…!」

 

 呪霊が呪力を練り上げて、そして放出。

 だがこれだけで地面は抉れ、空間を呪力の波が押し潰した。

 仮初とはいえ、必中の領域に晒された簡易領域は、すでに消耗を始め削られていく。

 そして伽藍の使う簡易領域…彌虚葛籠はシン陰流の原型であり、結界の強度もそれより遥かに上、つまり。

 

 ――ビキッ

 

 男の簡易領域にヒビが入る

 

 

「っ嫌だ嫌だ嫌だ!!!」

 

 ()()()を悟った男の顔が恐怖で歪む。呪霊の圧倒的な呪力と、領域による押し合いによって簡易領域が壊され、ヒビはもう結界の全てに入っている。

 対する伽藍の簡易領域は未だ無傷。そもそもの話、この呪霊の呪力量と出力が異常だからこうなってるのであって、本来結界術の綱引きを、雑な呪力放出でどうにかできるはずもないのだ。

 シン陰流は弱者のため、縛りで出力を強化しているが、結局は使う者次第。

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!たすけっ」

「うるさい、術師なら潔く死ね」

 

 ぐちゃり。言葉にして表すとこんな感じだろうか。

 あっさり、あんなに必死で抵抗して、「死にたくない」と叫んだ、名も知らぬ男の末路がこれだ。

 なんてあっけない。なんてつまらない。伽藍はすぐに興味をなくし、目の前の呪霊にそれを向けた。

 

『ゲヒャヒャヒャヒャヒャヒャ…ヒャ?』

「なんだ、まだ生きていて不服か?」

 

 無傷な伽藍の姿を見た呪霊は、すぐに動きを止めた。

 ぎろり、じろりと4つの目が交互に動いて鋭く射抜く。

 

『――ア!ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!!』

 

 気に喰わない。そんな感じの叫び声だ。

 何で死んでない?さっさと死ね。そんな子供の癇癪のような、身勝手な願望。

 

「――不愉快だな」

 

 悠長に呪力を練り上げてる途中の、呪霊の顔をつかみ抉って。

 

「去ね」

 

 全力の呪力強化で身体を速くし、伽藍はそのまま地面に向かって叩きつける。

 

 ――ドゴォ!

 

 沈む、砕ける落ちる。

 領域が破壊され、本来そこにあった地面に、呪霊の身体は沈む。

 

 もっと深く。

 もっと底に。

 

 

ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!!

アハハハハハハハハ!!!!!!

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

「お前は先ほど、特級と呼ばれていたな?」

 

 呪術師、呪霊は皆共通してその危険度、強さでランク付けを行う。

 4から始まり、3級、2級、準1級と1級…そして特級。

 そして呪霊に限った場合、人間の通常兵器が効くと仮定した場合のランク付けというのがこうだ。

 

 ――2級は散弾銃、1級では戦車でも心細い。特級の場合はクラスター弾による絨毯爆撃。

 

 結論を言おう。たとえ同じ特級呪霊でも力の差は激しい。

 結局はクラスター弾でも倒れるか、なのだ。どれだけ術式が厄介でも、どれだけ呪術を修めているかなど関係ない。

 当事者による判断。"危険度"というバラバラな価値観が特級を作り祭り上げる。

 

「特級の意味は詳しく知らんが、おそらくは強いものを表す言葉だ。ならば宿儺は特級のはず…ただまぁ」

 

 ただ、この場合は。

 

「――お前のようなムシケラ(特級呪霊)が、あいつ(宿儺)と同列などありえんがな」

 

 伽藍と名無しの特級呪霊に、力の差がありすぎたのみ。

 

「~~っ!ァアアアア!!!!」

 

 言葉を理解できるほどの知恵はまだないが、呪霊にとっては関係ない。

 己が生まれる原因となった負の感情。それが直接自分に向けられたのだ。これ以上の説明はいらないだろう。

 ぐちゃぐちゃに引き裂かれた足が再生し、まだ少しふらつきながらもしっかりと立って伽藍を睨みつける。

 

「ほう?まだ呪力に余裕があるのか」

 

 人間と違い、呪霊は反転術式を使わずとも肉体を再生できる。

 そもそも負の感情の塊である呪霊は、呪力の総量も多く、ただでさえしぶとい。

 だが伽藍は、再生した呪霊を見ても顔を変えない。斜めに揃えられた銀髪から覗くのは、1000年前と変わらぬ獣の瞳。

 

「そういえばお前、私の簡易領域を雑に呪力で消し飛ばそうとしただろう?」

 

 呪霊はもう限界だ。今にも襲い掛かりたいという本能を必死で抑え込み隙を伺う。

 伽藍はそれをあえて理解し、話を続ける。

 

「お前も…さっき死んだあの若造も、何も理解していない」

 

 "それ"は本人にとっては戯れのつもりだ。だが呪霊にとってはそうではない。

 特級呪霊でさえ悪寒を感じ、一歩後ろへ下がるほどの呪力の奔流。

 伽藍は笑い、両手を目の前に持ってきて、印を結んだ。*1

 

「いい機会だ教えてやる…――()()()()()というものを」

 

 血。上も下も血で染まる。

 血の大地と骨の花。人骨がまるで花畑のように地面から咲いている。

 いつの間にか、()()()()()()だ。青い空は闇で覆われ、巨大な髑髏が覗き込む。

 恐ろしく悍ましい、平安から()()がえりし呪術の極致。

 

「…領域展開――黄泉天蓋(よもつてんがい)

 

 呪霊が、その上空から覗き込む髑髏を見たのが最後、瞬時に身体がバラバラに刻まれて、潰される。

 ()()()()()()()()()()()伽藍が、そのまま地面へ落ちる呪霊の頭を踏みつぶす。

 

 あっけなく、戦いは終わった。

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

「悪くないな」

「その身体は気に入った?」

「改めて実感する…あぁ、本当に素晴らしい」

「これも貸しにしていい?」

「ハッぬかせ、あれ以上はなしだ」

「君意外とケチだよね、最初から領域展開すればよかったじゃん」

「やはり見ていたか」

 

 戦いが終わり、勝利の余韻に浸る伽藍に話しかけたのは、どういう理屈かは知らんが、彼女の戦いを最初から見ていた存在。

 虎杖香織…もとい羂索は、満足そうに微笑む彼女を見て、その胡散臭い笑みを更に深くした。

 

「どこからだ」

「時間のことなら最初から、場所のことなら空からだね」

「その女の術式か」

「そ、反重力機構(アンチグラビティシステム)。結構便利だよ」

「あ、あん…ぐらび…?」

「ところでそれ、どういうつもり?」

 

 慣れないカタカナにフリーズする伽藍に、羂索はおかまいなしにそれを聞く。

 彼の目の前には、今もなお呪いを引き寄せ、命を奪う凶悪な呪物――宿儺の指があった。

 

「あ?それだと?」

「宿儺の指。それ探してたんだよねー」

「好きにしろ、どうせ私はいらん」

 

 ポイっと、適当に放り投げたその忌み物を、羂索は焦ってなんとかキャッチをした。

 

「…うん、いいね。相変わらずの存在感だ」

「そんなもの集めてどうする、宿儺のことだ、1本でもさほど問題じゃないだろうに」

「ま、集めといて損はないじゃん?」

「それもそうか」

 

 呪力の残穢を残さないよう、丁寧に指を専用の箱に入れ、羂索は満足そうに頷く。

 そしてふと、何かに気づいた後「ちょっと早いな」と呟き、何やらまた別の言葉を呟いた。

 

「…?どうした?」

「あぁいや、今彼にバレるのはちょっと面倒だし…」

 

 そう言って、次第に羂索の姿が透明になっていく。

 その既視感のある光景に、伽藍はハッとして。

 

「おい待て、お前まだそれ(術式)残して…!?」

「しばらくしたら連絡するよ、じゃね」

 

 あの時(平安の時)と同じように、完全に姿を消した。

 

 

 

 

 

「…君が呪霊を祓ったのか」

 

 そして代わりにやってきたのは、人形を操る、黒いサングラスを付けた男。

 

「…あぁそうだ」

 

 あの腐れ脳味噌いつか殴る。

 伽藍の心は、あの胡散臭い男への愚痴で満たされた。

*1
毘沙門天の印でググろう




 伽藍
実を言うと術式の名前はまだ決まってないけど領域展開だけは前から決めてた。
効果とかもちゃんと考えてます。いっぱい考察してね。
虎杖悠仁のプロトタイプ、それなりの身体能力と呪力。


 羂索
あいつまたハイになってるよおもしれー。
ホントは宿儺の指回収したかったけどグラサン野郎が来たから避難。
結構便利、アンチグラビティシステム(ネイティブ)


 虎杖倭助
原作主人公のじっちゃん。羂索も伽藍もロクでもねーやつと秒で認識した。


 名無しの呪術師
シン陰流に甘えて死んだ。まだ呪力放出で迎え撃てばワンチャンあった。
ちなみに上層部からの嫌がらせでこの任務を受けた。


 夜蛾正道
名無しの呪術師が上層部にはめられたと気づき急行。しかし間に合わなかった。
ぬいぐるみが可愛い。


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じゅじゅさんぽ.羂索

 それぞれの視点による番外編


 もっと知りたい、もっと修めたい、もっと、もっと。

 

 子供のように純粋な指針で、老人のように狡猾な手段でそれを成す。呪術を極め、尊厳を凌辱して生きる。

 人を陥れて殺し、辱め、己の目的のためにあらゆる手段を使う、そんな呪術師が羂索である。

 羂索はこれからも。そうして生きて、生きていく。途方もない年月を、この国を。

 

 

 そんな呪術師が出会ったのは、ある破天荒な老婆だった。

 

 

「こんにちは、ちょっといい?」

「殺す」

「あっぶな!」

 

 

 目が合った瞬間にノータイムで殴り掛かられるなんて、アレが初めてだったかもしれない。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 最初にそれを見たのは本当に偶然だった。だがあれから数百年経った今では、この偶然さえも酒の肴にできるというもの。

 普段ならいつものように、ただ己の好奇心に従って実験を、呪術の研究を進めていたのだろう。だけどその日だけは違った。

 その日は珍しく、特に目的もなく、本当に無心のままで足を動かし散歩を続けていた。

 別に人を殺すのが好きなわけではない、あの災厄が擬人化したかのような暴君とは違う。花を慈しむ心もあるし、それはそれとして邪魔者は殺す。メリハリの問題だ。

 

「おや、もうそろそろ冬の時期か」

 

 布一枚では少し肌寒く感じる、些細な気温の変化を感じて腕を摩る。

 羂索とて一人の人間、肌を焼くような夏の日差しは気が滅入るし冬もそうだ。

 そんな中である、ふと、冬近くだとはいえ明らかにおかしい、違和感のある冷気を感じた。

 

「ふむ…これは…」

 

 先ほどまでと違うのは、冷気もそうだが呪力である。つまり今回の冷気は一人の人間によって引き起こされた人工的なものということ。

 羂索は肌から感じる冷気の発生元を一目見るため、前方遠くの景色に意識を向けた。

 

 そしてそれを見た。

 

「宿儺ァアアア!!どこだァアアアア!!!!」

 

 ――嗚呼、花が綺麗だなぁ、なんて。柄にもなく平穏な思考をつい働かせてしまうほどの、なんというかアレな絶叫。

 

「宿儺ァアアアア!!!!宿儺ァアアアア!!!!」

 

 更によく目を凝らすと、そこで誰かが争っているのが見えた。

 辺り一面が氷で覆われ、あらゆる建造物が、文化が崩壊した村の跡地。そこに二人。

 覚えのある呪力に氷。老婆が戦っている相手の正体にすぐ気づいた羂索だが、勿論あの争いに割り込むつもりなど毛頭ない、傍観するに限る。

 そうしている間にも老婆は絶叫し、相手の術師、裏梅は怒りで震えながらも術式によって氷を生み出し攻撃を続けていた。

 

「宿儺ァアアア!!!!宿儺ァアアアア!!!!」

「この気狂いめ…!分を弁えろ貴様ァアアア!!!!!」

「裏梅ェ…!今日こそは宿儺に会わせろォオオ!!!」

「今日こそ貴様を殺してやる…っ!」

「私が死ぬのは宿儺を殺してからだ愚か者がァアアア!!!!」

 

 息をするだけで肺が凍りそうなほどの圧倒的な冷気。それを孕んだ氷柱が宙を舞い、そして老婆のまき散らす血によって蒸発する。

 辺り一面が蒸気で満たされ、その戦闘の熾烈さは秒が過ぎるたびに更に活性化していく。

 

「死ねェェエエエ!!!!」

「貴様が死ねェエエエエエ!!!!」

 

 

 

 

 ……………

 

 

「……おもしろ」

 

 

 

 今思えば結構運命的な出会いだったのかもしれない、なんて。

 本当に柄にもないことを考えた。

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

「なんで君は宿儺を倒したいの」

「なんだいきなり」

「今更だけど私君の事なんにも知らないし、なんであそこまで固執するのさ?親でも殺された?」

「…………」

 

 あの物騒な出会いから数年が経った。

 

 羂索の身体はあの後春が来るまでに二度変えた。一人はある権力者の男でもう一人は齢十にも満たない生娘。

 その間も老婆はずっとあれを繰り返していた。呪力の残滓を追い、走って追いついて喧嘩を売る。これをあと数十も。

 ずっとずっと、何度負けようとも何度引き分けになろうとも。

 だから気になったのだ。

 

「親は生まれた時からいない」

「なんだ捨て子か」

「なんだとはなんだ」

「だってありきたりだし、あの『気狂い老骨伽藍』にしては普通過ぎる」

「お前という奴は…いや待てなんだその呼び名は?」

「裏梅が言ってた」

「いつか殺す」

「だから無理だって」

 

 なんてことのない昼下がりの雑談。

 思えば、昼夜実験に明け暮れた羂索の人生で、この老婆と話す時だけ、穏やかな時間だったのかもしれない。

 

「じゃあやっぱり復讐とか?宿儺恨んでたりする?」

「たわけが、そんなものは一切ない」

「あやっぱり」

 

 違う、断じて違う。と。

 復讐でもなく大義でもない。誰かのためなどもってのほか。

 

「強いて言うなら"呪いの王"が宿儺だから、だ。人間だれしも思うだろう?『誰かに勝ちたい』『誰かを超えたい』『一番になりたい』と。私がそう感じたのがこの呪術であり、その頂点に立つ男があの両面宿儺だから、だから私はあいつを殺したい」

「つまり名誉が欲しいってわけ?」

「全然違う、権力や名誉などどうせいつか無くなる。私は目的ではなく、過程を求めるんだよ。言い換えれば、勝利による結果そのものが目的。戦いは過程ですなわち目的でもある。そこらの戦馬鹿と一緒にするな、一番強くなりたいからあいつを殺す、戦いたいからあいつを殺す。これだけだ」

「難儀だねぇ」

 

 ぶっちゃけて言うと無理である。

 あの災いの擬人化そのものである宿儺に勝てる者などいない。それは彼をずっと前から見てきた羂索だからこそわかる。その熱量は見事だがそれだけだ。

 そんな羂索の考えを察したのか、伽藍は笑って。

 

「あんな風貌をしているが、宿儺とてただの人間。あいつも寿命には勝てん」

「その前に君がぽっくり逝きそうだよね」

「殺す」

「あっぶなぁ」

 

 瞬時に生成された骨の刀を躱して、軽口を叩く。

 

「それまでには決着を付けたいが…流石に苦しい戦いになりそうだ」

「おっ、じゃあこの前の話受けてくれる?」

「それはまだ保留だ。あまりにも突拍子すぎる」

「まぁでも、楽しみにしてるよ、もし成功したら…そうだね」

 

 伽藍の剣術と呪術は平安でも上澄みにあたる。だけどそれでは足りない。

 その程度であの宿儺を殺せるなら、とっくに呪いの王は他の者の称号になっているからだ。

 だけど。

 

 だけど本当に万が一、億が一兆が一にでも"それ"が起きたら。

 

「きっと私は心の底から大笑いすると思うよ」

「楽しみに待っていろ、お前の顎を笑いの力で外してやる」

 

 きっと本当の意味でド肝を抜かれるのだろう。そう感じた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「なんてこともあったねぇ」

「今となっては英断だった、こうして現代を楽しめるからな」

「いや受肉させたの私だし」

「……はっ」

「鼻で笑った?今」

 

 あれから1000年経ったある昼下がり。

 周りには様々な家族、恋人を連れた一般人たちが席に座って食事を取る賑やかな光景があった。そしてこの二人も例外ではない。

 二人だけにしては余分すぎるほどの四人テーブルに、食事に手を付けず肘をついてニヤニヤ笑う羂索と、忙しく両手を動かし食事を流し込む伽藍。

 伽藍は未だ食べようとしない羂索を見て不思議そうに聞く。

 

「なんだ食わんのか?」

「いやいや、今回は結構大事な話なんだよ?」

「お前まさかとは思うが、ファミレスに来たくせに何も頼まず…このまま雑談をするつもりだったのか?」

「あ~…」

「お前マナーがなってないぞ、周りからどう見られると思う?客観的に自分を見ろ」

「まさかよりによって、君に常識を説かれる日が来るとはね…昔の私が見たらきっとショックで寝込むよ」

「お前それどういう意味だ?」

 

 ピザを掴んでかぶりつく、そして器用にチーズを引っ張りながら、水も一緒に流し込む。

 そんな風に器用な食べ方をしながら、会話を続けた。

 

「まぁいい…お前も折角だから何か頼め」

「いや、ぶっちゃけお腹空いてないし」

「お前本当に常識ないな」

「君が言う?」

 

 今の羂索の肉体は若く高身長だ、対する伽藍の肉体は受肉したあの時から成長しておらず子供のまま。

 だがそれは見た目だけで、その内側には数十年分の鍛錬による武術の結晶が眠っているのだが、周りからすれば知ったことないだろう。

 傍からすれば、この二人は年齢の近い親子か恋人のように見えるかもしれない。実際はそんなことないのだが。

 

「せめてドリンクバーだけでも使ってこい、何も入らないということはあるまい」

「うーん…ぶっちゃけさぁ、ここのファミレスそんな好きじゃないんだよね」

「今、こうして食事をしている私の前でよく言えたな?」

「ま、ここを選んだのは安いのもそうだけど…もう一つは…」

「いい、じゃあ私だけで食う。丁度次で最後の注文だからな」

 

 ――すみません店長、俺辞めます。

 ――えっはぁ!?

 

「デザート?何頼んだの?」

「期間限定特大いちごホイップマシマシ特盛パフェ」

「あーうん、その名前でどういうやつかもうわかったよ」

「先ほどメニューを見た時にビビっときてな」

 

 ――おい!ちょっと待てよ!!

 ――次私が行きましょうか?注文。

 ――いや…俺が行くよ。

 

 二人がそんな雑談をしている間に、注文したデザートを作り終えたのだろう。一人の男がその手に巨大なパフェを乗せてやってきた。

 

「おっ来たか」

「うん来たね」

「お客様、お待たせしましたこちら…」

 

 そして。

 

「期間限定特大いち…」

 

 ――ボウッ。と()()()()()

 

「ッきゃあああああああああああああ!!!!!!!!!!」

「――話が長いぞ」

 

 くいっ、と。隣から声が聞こえると同時に、それは指を振るって。瞬く間に店内が炎に包まれ、周りの人間すべてが灰となった。

 子供も、大人も、老人であっても平等に、その命が文字通り燃え尽きて。

 

「…あまり騒ぎを起こさないで欲しいんだけど」

「騒ぐ奴らはもうおらん…なぁ()()、儂は宿儺の指何本分だ?」

「まぁ甘く見積もって8,9本分かなぁ」

「十分!」

 

 まるで火山のような風貌を持つ人型呪霊、顔から枝の生えた呪霊、蛸のように丸い風貌の呪霊。

 そしてそれらと会話をする、()()()()()()袈裟の男。

 

「獄門彊を儂にくれ!その代わり…――五条悟は儂が殺す」

「まぁ頑張ってね」

 

 ある現代の昼下がり、そのお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「パフェが燃えた」

「あっはは」

「羂索、お前こうなることをわかってたのか」

「そんなことないって」

「だったらニヤニヤするなこの馬鹿が!…クソッ、あの火山許さん」

「あ、祓うのはやめて、せめて取り込みたい」

「ふんっ断る」

 

 そんなお話。




 なんだかんだで仲良し…?なのかな…?


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3話.黄泉返り

 伽藍の領域はめちゃくちゃ考えて作ったので効果とかバシバシ考察してください。
 ちなみに作者の好きなキャラは上から順に羂索、パパ黒、大道、理子ちゃんです。


 呪霊を祓ったことを認めた途端、伽藍は車に閉じ込められた。

 抵抗はしない、ここで事を荒立てるよりもこの男に着いていった方が面白そうだと直感したからだ。

 しかし彼女は未だ"車"を知らない、今この瞬間も「牛車の一種か?」と勘違いをしたままである。

 

「で、まさかとは思うが、このまま私を牛なし牛車ごと荼毘に付すつもりか?」

「牛なし…?なんのことだ」

「とぼけるな、今こうやって私を運んでいるこれだ、随分便利なものだな」

「………もしかして車のことか?」

「くるま…ほう、これは車と呼ぶのか!呪力を使わずに動く絡繰り…どういう原理だ?」

「車を知らない…?いやまさか…」

 

 呪霊を祓ったことを認めた瞬間、「着いてきてほしい」の一言で、自身を動かしたこの男。

 伽藍は男を見つめ、先ほど死んだ男とはレベルが違うことを歓喜した。身体も出来上がってるし、何より目がいい。何より今も、こうして警戒心を解いていない。

 確かに、正体不明の誰かが呪霊を祓ったからと言って、それが味方とは限らない…賢明な判断だ。

 

「私はこれからどこに連れていかれる?お前が頭ではないのだろう?他の、今の呪術師の集まりか?」

「…君は」

 

 まず、最初は疑問だった。

 

「今までどのように生活をしていた」

()()()のは最近だ、その前なら…そうだな、殺した相手の身ぐるみを剥いで過ごしてた」

「起きた、とは」

「受肉だよ、呪物が人体と融合して…わかるだろ」

「…君が呪霊とは思えないが」

「別に呪霊だけが受肉をするとは限らない、私がそうであるようにな」

「そうか」

 

 男は、それ以上伽藍に何かを聞いてこなかった。

 そして、少しばかりの沈黙。それを破ったのも男からだ。

 

「私たちが今向かっているのは、呪術高等専門学校」

「こう、とう…なんだ何の場所だ」

「君に合わせて言うなら…そうだな、寺子屋だ」

「…寺子屋とはなんだ?*1

「………は?寺子屋を知らない…?」

 

 その答えがよほど衝撃的だったのか、男はサングラス越しでもわかるほどに、顔を驚愕で染めて言葉を失う。

 そして問う。

 

「君はいつの時代から来た」

「…?あの時代だが」

「そうではなく…寺子屋がない時代…呪術師……まさか…!」

 

 ()()()。男が目を見開いて伽藍を見た時、伽藍もまた、ニヤリと笑ってそれに答えた。

 

「君が生きていたころ、一番有名だった人間の名は」

「両面宿儺一択だ、あいつは強いぞ」

 

 

 

 

 

 今の伽藍は、呪力で編みこまれた縄で完全拘束された状態だ。

 そして目の前には数々の障子と、うっとおしいほどの視線。

 

 そして、彼女の内心は、1つで染まっていた。

 ――おのれ羂索、絶対殴る。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 ただでさえ、薄布一枚だけで移動を重ね、その結果際どい恰好になっているというのに、更にその上から雑に縄で拘束…そういう趣味嗜好を疑ってしまう。

 しかし伽藍の精神年齢はあの頃のまま、毛ほども動揺せず、今もつまらなそうに虚空を見つめていた。

 

「すまない、出会ったばかりの少女にすることではないのは理解している」

「気にするな、私はもうそんな歳ではない」

「いやそれは…なんでもない」

 

 どこか「それは違う」とでも言いたげに言葉を濁すのは他ならぬ、伽藍をここまで送ったサングラスを付けた男、夜蛾正道(やがまさみち)

 そんな彼に、彼女は好奇の目を向ける。

 

「…ほう?お前はいい目をしているな、機会があれば是非相手を願いたいものだ。勿論本気(殺し合い)で」

「勘弁してくれ」

「おや?淑女の誘いを断るのか?」

「推定特級呪霊を難なく祓える腕に…あの呪術全盛期から蘇った存在。一級の俺では身に余る」

「ククク…いやなに、冗談さ」

「心臓に悪いな」

 

 ――勿論、本気なわけないだろう?

 いちいち殺し合いをするのに「今からやろう」なんて萎えることはしない。伽藍はそう内心で笑い、夜蛾を見て呪力を滾らせる。

 ――嗚呼。どうせ殺すなら、真正面から首を落とすさ。

 

「…呪力を抑えてくれ、上層部からの印象が悪くなる」

「いやすまんな、若い身体だと我慢が効かん、その気にさせたお前が悪い」

「誤解を招く言い方はやめてくれ」

「つれないな」

 

 カッハッハと心底楽しそうに、伽藍はこの待ち時間を楽しむ

 そんなこんなで、更に拘束されたまま時間が過ぎて、おしゃべりの時間は終わった。

 次第に1つ、2つと連続して目の前に障子が現れ、そこから声が聞こえる。

 

『お前が受肉した術師か』

「口の利き方に気を付けろよ小僧、先人は敬うものだ」

 

 障子の向こうから聞こえる、ほんの少し警戒の混じった老人の声。

 ――なるほどこいつらが今の"頭"か。伽藍はそう、程度の知れた相手を見下して笑う。

 

 

 

 

『呪霊でもないのに何故受肉できた』

「知らん、もし知ってたとして、お前に教えると思うか?」

 

 嘘である。そもそも伽藍は羂索との「縛り」で、このことを誰かには話せない。

 

『いつの時代の呪術師だ』

「知らん、私は私の生きた時代の名などどうでもいい」

 

 これは本当である。伽藍本人が知っているのは"あの時代"であることのみ。

 だが「あぁそうだ」と、彼女が口にしたことで事態が変わる。

 

「いや、嗚呼…――宿儺だ。私は宿儺と同じ時代を生きていた」

 

 空気が凍る。「まさか…」「本当に…」と、障子からの声がうるさく顔を顰める。

 だがそうだ、宿儺は今でも、1000年経とうとも変わらず言い伝えられている。その事実に歓喜し、それと同時に再び決心する。

 

 ――だが、いつか必ず超えてやる。

 

「あいつの従者ともやりあったこともあるぞ?中々強かったな」

『宿儺は…宿儺のことはどれだけ知っている!』

 

 伽藍の言葉に興奮を抑えきれない様子で聞く老人。しかしこの様子を見て、伽藍は、はてと思う。

 もしや、言い伝えられてる宿儺の情報はそれほどなのか?と。

 

「それに答える前にいいか?この時代では、宿儺はどれだけ知られている?」

「俺が話そう」

 

 そう言って、出てきたのは夜蛾。

 あまりに自然な流れからか、伽藍はクスっと笑いながら言う。

 

「いいぞ、聞かせろ」

「1000年前…君が生きていた時代。平安時代にいたとされる()()、それが仮想の鬼神と同じ名を持つ術師…両面宿儺」

「フン、人間ねぇ…」

 

 まぁ、あんなでも人間だというのだから、不思議なものである。

 目は4つ、腕も4つに腹にも口があるときた。あんな悍ましい姿でも、自分と同じ人間、不思議なものだと伽藍は笑う。

 

「平安…そうか平安か……で?」

「呪術師が総力を上げ挑み、そして負けた…呪いの王」

「ふむ、これも合ってるな。それで?」

「…これだけだ」

 

 ………………ん?

 伽藍はピタリと身体を硬直させて、問う。

 

「ん?それだけ?」

「これだけだ」

「術式は」

「わからない」

「本気か?」

「本気だ」

御厨子(みずし)もか?」

「みず…?」

 

 会津の構築術師でさえ知っていた、宿儺の御厨子も何も知らない。

 その予想外の答えに、伽藍は今までで一番驚き、動揺した。

 

「…誰も見てないのか?書き残してないのか?あいつの力を?」

「呪術全盛期の術師たちが全員で挑んで負けたんだ。そんな化け物に後から立ち向かえる者がいると思うか?」

「私はよく会いに行ったぞ」

「………………」

「なんだその顔は?さては信じてないな?」

 

 確かに少し語弊がある。確かに会いには行った…が、あくまでもそれだけ。

 

「流石に老体では分が悪い。私が相手したのはその従者だ」

「…先ほども言っていたな、あの両面宿儺に従者がいたのか?」

「あいつもそれなりに強かったぞ?あの宿儺が傍にいることを許した存在だ、弱いわけはないが」

 

 裏梅。あれもまた、羂索と手を組んで受肉でもしているのだろうか。

 かつてよく血をぶつけ合ったその存在を思い、伽藍は目を細める。

 

「いつか、この身体で相手したいものだ」

「何か言ったか?」

「いいや何も」

 

 しかし困った。伽藍は内心の焦りを表に出さず、そう思う。

 ここで宿儺の従者という、裏梅の情報という手札を切ったのは痛い。彼女はこれ以上、彼らの喜びそうな情報を知らないのだ。

 というより、宿儺の能力に関する情報は、他ならぬ彼女自身も欲しがっていたことなのだが…

 

「でだ。私はこれからどうなる?殺すか?それとも生かすか?」

『ふむ…そうだな』

 

 障子の向こうの声が、更に騒がしくなった。

 平安から蘇った呪術師…それも受肉だ。本来呪霊に起こりうるはずのそれにどう対処したものか…そういう雰囲気を隠さない。

 そして、結構な時間が過ぎて。

 

『考えがある』

「ほう?言ってみろ」

『私たちとある「縛り」を結ぶならば釈放する』

「いいぞ、では聞こうか」

 

 「縛り」それは呪術における一種の誓約。

 呪術師呪霊関係なく、「呪い」の因果にある者たちに発生する命の鎖。

 縛りを破れば罰を受ける。それは天が定めた世の法則であり、それは()()()()()()()()行為だからだ。

 

『まず大前提として「我々に危害を加えない」だ』

「危害とはどこからだ?お前の首を落としに行く場合か?お前たちの悪意に抵抗する場合も含まれるのか?」

『それは…』

「ゆっくりでいい、互いに確認していこうか」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 縛りを結んだ。内容は3つ。

 

 1.上層部含む、あらゆる呪術師を直接殺してはならない。(ただし呪詛師は例外)

 2.対象が呪詛師かどうかは、呪術規定内の「どれか一つにでも該当した場合」で判断する。

 3.この縛りの期間は、上層部によって定められた呪術規定条約が次に更新されるまでとする。

 

「一応のため監視は付けるが、これで君は自由だ」

「夜蛾、お前は今の私が本当に自由だと思うか?」

「…いや」

 

 監視なら好きにすればいい。人の視線程度が、伽藍という人間の生き方を変えるほどの力があるわけでもない。

 それじゃない、そうじゃない。監視程度が、彼女の自由を妨げるものなはずがない。

 

「監視ではないのなら…縛りか」

「半分正解、と言ったところか」

「上層部の人間は、もう条約を変えるつもりはない、つまり君の縛りは…」

「知ってるさ」

 

 伽藍の縛りは半永久。呪術規定条約は、最後に更新をしたのが数十年前、そう簡単に規則を変えて、下の者が上に付いていくはずもない。

 彼女と縛りを結び戦力にする、そして条約を一生変えずに、彼女という戦力を飼ったままに…それは別にいい。

 

「渡された呪術規定の…この…マニュアル…といったか、これを今から暗記しなければならない」

「呪詛師か」

「そうだ、縛りの関係で、私は相手を瞬時に呪詛師として当てはまるかどうかを認定する必要がある」

「それは…」

 

 夜蛾も途中で気が付いたのだろう、彼女が言っている言葉の意味が。

 呪術師としての仕事で一番優先されるのは呪霊だ。呪霊を祓い被害者を救う。

 呪詛師の討伐も仕事には入っているが優先度は低い。だが伽藍という人間にとっては。

 

「私は殺し合いが好きだ」

「……そうか」

「反応が薄いな、てっきり何故だの理由を根掘り葉掘り聞いてくると思ったが」

「君は呪術全盛の人間だ、現代の常識は通用しない」

「そうだ、私は適度に殺し合いができればそれでいい、この縛りも我慢するさ」

 

 ――まぁどうせいつか、この縛りも()()()()()()()()

 伽藍にはある確信があった、故にそれまでの辛抱だ。

 

「最後に一つだけいいか」

「いいぞ、聞こう」

 

 伽藍はそう言って、振り返って夜蛾を見る。その声や表情からして、きっとそれは彼にとって重要なこと。

 

「君はなぜ呪術師になった、そして今も続けている?そのモチベーションは」

「もちべーしょん?」

「やる気だ、続ける意味だ、なぜ呪いを扱う」

「そんなの決まっているだろう?」

 

 伽藍の目的は、たった1つ。

 

「呪いの王を殺したい。たったこれだけだ」

 

 

 

 

 

「あとこれはどうでもいいことだが」

「なんだ」

「そのサングラスとやらはやめたほうがいいな、少し硬い」

「…そうか……」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「あとは頼みます楽巌寺(がくがんじ)()()

「あぁわかった」

「ふむ…呪詛師の認定とはかなりややこしいようだな…書かれている内容は比較的わかりやすい文体のはずだが…代わりに文章量が多い…本末転倒だろうが」

「…あいつがか?」

「えぇそうです。平安時代…宿儺と同じ、呪術全盛の時代を過ごした呪術師…その黄泉がえりです」

「方法は?」

「呪物となって受肉したと、ただ方法は自分でもわからないとのことです」

「そうか」

 

 車に乗り、後部座席で1人、分厚いマニュアルに見入り、その中身を必死に暗記中の伽藍。

 そしてそれをミラー越しに観察するのは、車を運転する夜蛾と…助手席に座るもう1人の男。

 

「大体"非術師に危害を加えた場合"とあるが、どこまでが危害だ?殺しは論外として呪いは?強さによっては不問になるのか?例えば相手の肌を痒くするとかだ、どう思う?このような子供の悪戯みたいな呪いは"呪詛師"として認定されるに値するのか?」

「…あいつは何を読んでいる?」

「呪術規定第9条…呪詛師認定の条件を確認しているようです、…縛りの関係ですぐに殺しても罰を受けないようにと」

「野蛮だな」

「宿儺のいた時代ですから」

「おい」

 

 マニュアルを閉じ、目の前で話し合う2人に、伽藍は話しかける。

 

「ところで私はどこに行くんだ?あと隣の男は?」

楽巌寺嘉伸(がくがんじよしのぶ)、君がこれから向かう場所の頭だ」

「ん?夜蛾、お前じゃないのか?」

「俺は東京だ、そして君が今から向かうのは、京都の姉妹校だ」

「しまいこう…とやらはわからんが…京都…京か!まだ生きていたのか!」

「ついたぞ」

 

 扉を開けられ、伽藍はそのまま外へ出る。

 そして目の前にある、巨大な校舎をその目で見た。

 

「ここが、呪術高等専門学校か」

「そうだ、楽巌寺先生あとは頼みます」

「わかった」

 

 伽藍が目の前の校舎に夢中になっている間に、夜蛾は車に乗って帰ってしまった。

 彼女からしても、彼の車はとても乗り心地が良かった故に、少し残念だ。

 そして、隣に立つもう一人の男に話しかけられて。

 

「楽巌寺嘉伸。ここで教師をやっている」

「私は伽藍、知っての通り平安から来た」

「ついてこい」

 

 そう言って、歩き始めた楽巌寺の背中を追って、伽藍は歩き出す。

 木目模様の美しい、壁や天井の景観に目を奪われて、問う。

 

「何故ここはこんなに広い?術師がそんなにいるのか?」

「逆だ、呪術界隈は毎日人手不足だ」

「じゃあなぜ」

「この学校は元々非術師が使っていた施設だった、呪術師と非術師、どちらの方が数が上だと思う」

「なるほど」

 

 なるほど、それならこの大きさも頷ける。

 

「呪術全盛を生きた私はここで何を学ぶ」

「呪術だけを学ぶならば学校の意味がない。現代の知識を、常識を、学ばなければならないことは無限にある」

「なるほど」

 

 そうしてしばらく歩いて、扉の前で2人は止まった。

 

「お前は今日から、ここで一人の生徒として授業を受ける。生徒は今のところ…全員で3人だ」

「つまり、この向こうに2人先輩がいるわけだ」

「いや1人は任務でいない、向こうにいるのは1人だけだ、今はわけあって京都に来ている」

 

 扉が開いて、中にある教室の全貌が見える。

 伽藍が今までに見たことのない形の、木製の机と硝子で出来た壁。

 そして。

 

「…………………」

「お前がえー…なんだ?」

「クラスメイトだ」

「そうそれだ、くらすめいと、というやつか?」

 

 夜蛾が車の中で言っていたなと、伽藍は納得して目の前の少女を見る。

 しかし何故か、少女は目の前で先ほどからずっと固まって…わなわなと震えているのだろうか。

 そう疑問を感じると。

 

「な…」

「な?」

「な、な…っ!なんて格好してるのよアンタ!!!」

 

 ………………

 

「あ、まだ布一枚だけだったな」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「うん!やっぱアンタはスーツの方が似合うわね、カッコいいわよ」

「これが現代の衣類…動きやすいな、蹴り技も問題ない」

「ちょっ!いきなりそんな足上げたら…」

「む、破れたな。前言撤回する」

「この馬鹿ッ!!!」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 あの後、瞬時に伽藍の身体をかばう形で上着を被せた後、凄まじい勢いで更衣室に入ってからは早かった。

 そのあまりの速度に、生前の老いた状態の自分なら余裕で追いつけるんじゃないか?と思ったほどだ。

 

(いおり)…そろそろ時間じゃ、…な、いですか?」

「歌姫でいいってば、あと敬語も、じゃ行きましょうか」

「あぁ」

 

 庵歌姫。伽藍が生徒としてくる少し前から、入学が決定していたらしい彼女。

 「つまり先輩ってわけよ」なんて言いながら、きらきらした瞳をした彼女のあとを、伽藍は着いていく。

 星々だったり、譜面が空中に浮かんでるようにも見える。よほど気分がいいらしい。

 

「お待ちしていました。運転も私がさせていただきます、では後ろへ」

「ほう…」

 

 さしずめ移動係といったところだろうか、伽藍は目の前にいる、スーツに身を包んだ女を見てそう推測する。

 先ほどのように、車の後部座席に座って、"窓"の女性の声を聴く。

 

「任務の内容は…参…あぁいや、3級呪霊の群れを討伐だったか」

「そ、ビルの中に6か7はいるって"窓"の人が言ってたわね」

「まど?」

「あーそっか、窓って言うのはね…」

 

 "窓"、それは呪霊は見えるが祓う方法を知らない者、もしくは戦いを恐れて前線に出れなくなった者たち。

 今もなお命を消費する呪術師のために、命を懸けて戦う以外の作業を行い、非術師から存在を隠すために"帳"を下ろしたりする者。

 歌姫のその説明を聞き終えた後に、伽藍は問う。

 

「つまり、窓の仕事は帳を下ろすことか?」

「うーんまぁ簡単に言えばそうなるわね」

「そう…か……歌姫は帳を下ろせないのか?」

「私?うーん…完璧にできるって訳じゃないけど…一応ね、というか完璧に結界術を使える人なんてなかなか居ないし」

「ほう…」

 

 結界術は術式と同じく、本人の才能に依存する技術だ。なるほど確かに、そう考えると帳も下ろせて、なおかつ呪霊を祓えるという存在はかなり珍しいのだろう。

 ただし中には、ただでさえ高い技術を持っているのにも関わらず、努力でそれを神業に昇格させた、ある物好き(羂索)もいるが…あれは別の意味で論外だろう。

 

「着きました」

 

 伽藍が旧知の人間を思い返しているうちに、どうやらもう目的地に着いたようだ。

 車から降りると、目の前から感じる、違和感と吐き気のする気配。これは…

 

「ここに呪霊が…」

「人が死んでるな」

「…えっ?」

「めんどくさい、さっさと終わらせるか」

「ちょ…」

 

 帳を降ろすのを待たず、我先にと駆け出す伽藍。

 慌てて着いてくる歌姫を無視して、彼女は先に建物の中に入る。

 

「ちょっと待ちなさいってば!」

 

 伽藍が立ち止まると同時に、今度は腕を引っ張られる。

 鍛えた体幹でバランスが崩れるのをなんとか抑え、顔を向ける。

 

「どうした」

「どうしたじゃなくて…帳もまだ下ろしてないのに」

「大丈夫だ、早く終わらせよう」

「…その前に!」

 

 びしっ!と目の前に指を立て、更に近づき一歩距離を詰める。

 

「まずは生存者の確認!さっき窓の人から聞いたんだけどここに一般人が…」

「いや、もう死んでるだろう」

 

 酷く静かなこの空間に、彼女の言葉がよく響く。

 互いの無音が、とても居心地が悪い。

 

「…理由を聞いてもいい?」

「匂いだ、あの時代で腐るほど見てきた、聞いて嗅いできた死の気配」

 

 まるで鼻が腐り落ちそうな、今や慣れてしまったあの匂い。

 それが、建物の外からでもわかるほどに強くなっている、それ即ち。

 それを伝える、教える。それでもなお

 

「…それでも」

 

 力強く手を握ってなお、歌姫は伽藍を見つめ返した。

 

私たち(呪術師)は最後まで信じてあげないと…でしょ」

「…あぁそうだな」

 

 強い意志だ。まるで、踏まれる前の花かと思っていたこの少女は。

 踏んだ者の足を切り裂く、鋼の造花であったらしい。そう実感した。

 

「じゃあ行こうか先輩、最後まで信じてやろうか」

「えぇ」

 

 だがしかし

 

『あアア…』

「えっ」

「あ」

 

 少し喋りすぎたようだ、しかも呑気に一塊になって立ち止まって。

 ふと前を見ると、彼女たちと同じくらいの大きさの、人型呪霊が。

 

『アアア!イカナイデ!イカナイデェエエエエ!!!』

「…っあぶ」

「――殺す」

 

 瞬間。術式を発動、今回は骨の強化と増長のみ。骨が右手首から刃物のように露出して血をまき散らす。

 加速して走り出し、そして通りすがりに呪霊の目に、手首から露出した骨をそのまま突き刺す。

 

『エ、エ"エ"エ"…ッ!?』

「さて」

 

 腕力に任せて腕を叩き切る、右を切った後に今度は足を、左も切ってその次に胴を。

 そして首だけを残してから。

 

「去ね」

 

 そのまま足を限界まで上に伸ばし、地面に向かって振り落とす。

 

 ――バゴン

 

 まるで果物を高所から落としたかのように、呪霊の血液が綺麗な円状になって地面に染みを作った。

 そんな彼女の一連の動作を見て歌姫は固まり。そして震えた。

 

「少し油を売りすぎたか…さぁ行こうか歌ひ…」

「………………」

「歌姫?」

「…刃〇のかかと落とし…?」

「〇牙?」

 

 残念だが、平安出身にそれは通じなかった。

*1
寺子屋の起源は室町時代、つまり平安より後




 伽藍
際どい服装のまま3話出演した主人公。
え、エロくないですか?薄布一枚で戦う三輪ちゃんボディエロくないですか?私はエロいと思います。


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4話.貯まる

 呪術廻戦らしいネーミングってなかなか難しいですよね。
 感想いっぱい下さい。


 ――平安時代から蘇った人がいる。

 

 庵歌姫にとって、一応後輩にあたる新入生への最初の認識は純粋な興味だった。

 平安時代、呪術全盛期。それは呪術を修めた者にとっては想像もしたくもない地獄だ。

 

 呪いの王、両面宿儺。

 

 現代のあらゆる呪術師でも、未だに彼の死蝋と化した指を消滅させることはできていない。

 「宿儺の指」、たった一つでも取り込めば呪物の毒に耐えきれず肉体が滅び、呪霊が取り込めばそれだけで特級になりうる劇薬。

 信じられないことに、死してなおあらゆる呪いを廻すこの存在は自分たちと変わらない人間らしい、そんな化け物と、ともに過ごした存在。

 

 どんな人なんだろう。

 

 呪術師というのはその職の性質上、人の死というものに対しての感覚が麻痺している。

 それが平安、しかも呪術全盛期だった場合はどんな人間になってしまうのか、両面宿儺という災いを見て、彼女は何を思ったのだろう。

 恐れが半分と興味がもう半分、歌姫は高鳴る心臓をなんとか抑えながら、開いた教室の扉を見た。

 

 そこにいたのは、自分とそう歳の変わらない少女だった。

 

 だけどその目はあまりにも暴力的で、あまりにも輝きすぎていた。

 そして、その赤く美しい瞳に心奪われたのも束の間。

 

 …なぜかほぼ全裸だった彼女に心底驚いた。

 

「なんて格好してるのよアンタ!!!」

「あ、すまない」

 

 色んな意味で、歌姫の認識が変わった瞬間だった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 まるで某グラップラーのような、鬼気の籠ったかかと落としによって、一瞬で床の染みと化した3級呪霊。

 もとより呪霊相手に同情の余地などないが、まるで某格闘漫画のごとき技のフォームに軽くはしゃいで、その感想を語った後に歌姫は言った。

 

「さ、早く終わらせましょうか」

「あ、あぁ…」

 

 庵歌姫は呪術師である、それなりにネジは外れているしオンオフはしっかりと分けるタイプの人間なのだ。

 先ほどまでの印象と今の印象が変わり替わる様子に伽藍は少し混乱したが「これが現代呪術師か」と雑に納得をして終わらせた。

 

「伽藍、そっちは終わった?」

「問題ない、既に片付いた」

「さっすが!このまま最後まで片付けちゃいましょ」

「あぁ」

 

 会話をしながらビル内を進みそのまま階段前に、その間も警戒心は解かずに注意を払って一歩、また一歩と階段を上り始めた。

 

「どれくらい祓ったかは覚えてる?」

「私が4で歌姫が3、おそらく次で最後だろう」

「それはどうして?」

「気配だ、まぁ言い換えればただの勘だよ」

「流石平安呪術師ね」

「どうも」

 

 二人で軽口を叩きながら扉の前に、扉を開いて、そして二人は顔をしかめた。

 

「…やっぱりか」

 

 ――扉が開くと同時に流れ込んでくる異臭。

 血だ。肉と血が腐り空間を汚す醜悪な気配。

 

『ア、ンア"?』

「悪趣味な…」

 

 まるで虫のように醜い姿をした呪霊、それが既にこと切れ、命が消えた子供の腕をかじっていた。

 

『ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!』

「伽藍、来るわよ」

「言われずとも」

 

 ――ザンッ。

 

 瞬間、歌姫の隣を黒い影が通り過ぎた。

 それはあまりにも一瞬で、それが伽藍による攻撃だと気づくのに数秒かかる。

 

『アれ?い、いだ…』

「全く…記念すべき私の初仕事がこのような雑魚とは…」

『イ、いダい!いダいいいぃいぃいい!!』

「おっと暴れるな」

 

 混乱が覚めて冷静に、歌姫は目の前で起きている現象を再認識する。そして答えはあった。

 

 伽藍の持つ骨の刀身が伸びて、呪霊の身体に刺さっていたのだ。

 

 つまり伽藍は、右手に持つ骨の刀の切っ先を呪霊に向けて、その後刀身を伸ばして呪霊の身体を貫いたのだ。

 歌姫にも見えないスピードで、一瞬で。

 一体何が起きるのか、彼女は何をしようとしているのか、必死に脳を働かせる歌姫の隣で、伽藍は語りだす。

 

「私の術式は骨と肉の創造、操作だ」

 

 伽藍は動きを封じられた呪霊に対して自身の力を、術式の効果を説明する。

 「術式の開示」それは自身の力を相手に晒すという「縛り」のもと、術式の効果を底上げする呪術における重要な要素の一つ。

 

「だがあくまでも作れるのは肉と骨のみ、皮や爪、髪などは作れないがそこはいい。私がこれからすることだが…」

 

 一息。

 

「まず私の持つ刀…"武振熊(たけふるくま)"は私自身の骨と肉で作った呪具擬きだ。しかしあくまでも作り終えた無機物ではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 呪霊の動きが止まる。

 

()()()()()()()()()()()…対象を取る術式が相手の肉体を対象にはできても、その中の内臓を対象にすることはできない*1…だが今言った通り武振熊は私の生きた身体、つまり()()()()()()()()()()()だ。それを今()()()()()()()()()()()つまりは…」

 

 ――お前の身体を内部から直接壊すことができる。

 

 

 

 

 

「終わった…の」

「もう終わりだ、時間を取らせてすまないな」

 

 説明を終えた瞬間、呪霊の身体が刀の刺さった箇所から一瞬で崩壊し、その後風に吹かれた灰のように消えた。

 呪霊を祓ったあと、伽藍は刀を二、三回ほど振った後、それを分解して消した。

 

「ねぇ、今のってもしかして」

「術式反転だ、私の術式は肉と骨の創造、それを反転させれば肉と骨の消滅になる。対人特化型だな」

「………」

「だが呪霊の身体は作りがややこしいからな、ああやって、術式の開示で威力をあげて押し通した。結構便利だぞ」

 

 伽藍はなんて事のないように語るが、先ほど行ったそれは歌姫には遥か遠くのレベルの話だった。

 "反転術式"本来呪術師は負の感情を基にした呪力を使い、肉体を強化したり術式の発動を行う。だがこれに更に呪力を重ね合わせて正のエネルギーを生み出すのが反転術式。数学で表すと-に-をかけて+にする…という感じにだ。

 反転術式を使える呪術師は非常に少ない。グラム単位で、ミリレベルで己の呪力を操作し、1対1で一切の無駄なく呪力を掛け合わせて操作する。それがどれだけ難しいかは言うまでもないだろう。

 更にはそれにより生み出した正のエネルギーを術式に流し込む"術式反転"伽藍のそれは全てが高次元の技術力…――これが平安時代の呪術師。

 

 任務は完了した、あとの後始末は窓の人間に任せればいいだろう。

 後は帰るだけ、だが勿論最後まで油断はしない。そんなことを考えてる最中に伽藍が言う

 

「あと言っておくが、私は己に課した"縛り"で他人の治癒は一切できないからな」

「…つまり?」

「これから歌姫がどんな怪我をしようとも一切治さん」

「はああ!!??」

「じゃあ先行くぞ」

「あちょ、待ってってば!?」

 

 一応全ての呪霊は祓ったものの、そのような言葉を聞いてしまっては最悪の万が一を想像してしまう。

 結局窓の待機する車に乗り込むまで、歌姫の心臓はバクバクと高鳴っていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「えーと、あんたの部屋はここね」

「意外と広いな」

「まぁただでさえ人手不足だからね、部屋は余りあるのよ」

「そういうものか」

「そういうものよ」

 

 無事何事も起きないまま高専に帰ることのできた二人は今、伽藍がこれから住むことになる新たな住居にいた。

 三輪伽藍は平安時代出身だ。現代の知識は全くないと言っても過言ではない、だからこその歌姫(説明役)だ。

 部屋に入り様々な現代家具、電子機器などを眺める伽藍。

 

「これは?」

「これはベッド、まぁ、敷布団の高級版?」

「これは?」

「冷蔵庫、生の食材を腐らないまま保管できる蔵みたいなものね」

「ほう…これは?」

「これはテレビ、えーっとね…」

 

 幸い伽藍の理解力はかなり高く、無駄な説明も求めず最低限の知識を得ようとするおかげで歌姫も説明がしやすく、ありがたかった。

 伽藍は更にあれはなんだ、これはなんだと数回繰り返してうんと唸り。

 

「ありがとう、大体把握した」

「じゃあ私部屋に戻るけど…何かあったら呼んで?」

「あぁわかった、頼りにさせてもらうよ」

「じゃあね」

 

 ベッドの上で座禅を組み始めた伽藍を最後に扉を閉めて、歌姫は自室へと戻る。

 そしてふと、明日の朝の予定を話し忘れていたことを思い出す。

 

「あ、明日の予定言ってなかったわね…」

 

 ついさっき別れの挨拶を終えたばかりでこれは少し恥ずかしい。

 だがこのまま何も伝えないのもいけない、歌姫はすぐに踵を返して伽藍の部屋前に着き、扉を開けた。

 

「ごめん言い忘れてた!明日…は……」

「ん?」

 

 

 

 

 

 この時、庵歌姫は己が幻術にでもかかったのではないかと疑った。

 白くてふわふわな大きめのベッド、木目の美しいタイルと壁、水色の可愛らしいカーペット。

 

 ――それらが全てが血と人骨の悍ましい庭園へと変貌していた。

 

 ぴしゃりと足が濡れ、まるで部屋が水没したかのような感覚を味わったが、それが部屋の床を満たすほどの血液の海だということを脳が拒む。

 救いを求めるように地面から生える、両腕を天に掲げる人骨の群れも、それら全てを真っ暗な空から見下ろす巨大な髑髏も。

 

 そしてそれを見た歌姫は。

 

「…………………きゅう…」

「あっ」

 

 すぐに気絶した。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「う、う~ん…」

「目が覚めたか」

「あ~よかった、部屋が血と骨で満たされたアレはやっぱり悪夢だったのね」

「いやそれは本当だが」

「……………ごめん、今も上に髑髏あるし、現実逃避」

「はぁ…」

 

 目が覚めた歌姫を待っていたのは少し心配そうに顔をのぞき込む伽藍と、更に上からこちらをのぞき込む巨大な髑髏。

 しかもよく見ると、今歌姫が寝ていたのは人骨で作られた山で更に数十個の髑髏と目が合ってしまう。

 少しでも気を抜くとまた気絶してしまいそうな、そんな地獄絵図だ。

 

「で、これはなによ」

「生得領域の具現化。この部屋の空間をそのまま領域に転用したものだ。術式は流し込んでいないし、術式の焼き切れも起きない」

「…あんた領域展開使えるのね」

「まぁ一応」

「はぁ~~~~…」

 

 通常、領域展開を使う際は現実世界の空間を結界で区切り、そこに己が生み出した疑似空間を重ねて術式を流し込む。

 この疑似空間を重ねる、そもそも結界を張る時点で行き詰まる呪術師がほとんどだ。

 だが呪術の核心を掴んだ者、選ばれた才能のすべてを生かしきれた者がたどり着く境地。それが領域展開…のはずだが。

 

「流石平安出身…なんでもありね」

「しかし私の領域展開はそれほど優れたものじゃないぞ」

「ほとんどの術師が領域展開できない中よく言うわ」

「…だが事実だ」

 

 歌姫は呆れたように伽藍を見るが、伽藍の初めて見る悩みの表情を見て、彼女が心の底から本気でそう言ってることを理解する。

 1000年前から当たり前のように神業を披露していた呪いの王、そして1000年の研鑽を経てようやくその土台に立てた者。

 伽藍はその二人のことを思い出す、そして考える。彼らと並ぶには、彼らを超えられるにはどうすればいいか。

 老いて脆くなった腕はもうない、呼吸も苦しくなく活気に満ちている。

 これからだ、これから成長していけばいい。そう結論付けた。

 

「あぁ少し待て…」

 

 伽藍が軽く腕を振るうと、まるでホログラムのように、結界に正六角形のヒビが入り崩壊していく。

 人骨の山は本来そこにあったのであろうベッドに変わり、他全ての景色が本来の部屋へと戻った。

 

「改めてすまない、それで用件は」

「あー…明日は休みだからそのことで」

「なるほど理解した」

「じゃあね…」

「あぁ」

 

 心なしか部屋から去る歌姫の足取りが重く見えたが、きっと気のせいだろうと伽藍は思いこんだ。

 しかし実際のところ、生得領域の具現化をした理由は結界術の練習もあるが、真の理由は別にある。

 

「眠れん………」

 

 1000年以上、受肉をするまでの果てしない年月をこの生得領域で過ごした弊害か、本来は温かく寝心地の良いはずのベッドが、どうしても受け付けられなかったのだ。

 試しに二三度ベッドで寝転び、枕を抱きしめてみても何も感じない。少し面倒臭いがもう一度生得領域を具現化させ、部屋を塗り潰して書き換える。

 

「あ~…落ち着く……」

 

 もはや見飽きたのレベルを過ぎた人骨の群れを抱きしめ、そのまま寝転んで天井を見る。

 先ほどと同じようにこちらを除く巨大な髑髏は、1000年前から表情の一つも変えやしない。

 

「………………ぁ~…」

 

 先ほどとは比べ物にならないスピードで意識がまどろみ、そのまま伽藍は眠りに落ちた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「ねぇお母さん」

「なぁに?××」

 

 廃墟、病院。その中にある小さな箱庭に少女が一人。

 

「この壁の向こうには何があるの?」

「さぁ、何があると思う?」

「え~っとね…」

 

 黒髪の少女は答えに悩み、そのままう~んと何回も唸った。

 

「見てみたい?」

「見たい!」

 

 少女は顔をほころばせて笑う、その様子を見て、母親である女性も楽しそうに笑った。

 

「楽しみね?」

「うん!」

 

 くつくつと笑い身体が揺れる、そしてその前髪から()()()が見える。

 

「本当に楽しみ」

 

 その笑顔はとても純粋で、悪意など一切感じない美しい瞳だった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「やぁ伽藍、久しいね」

「げっ…」

「うわぁ相変わらずの対応」

「羂…いや、香織か。何の用だ?」

 

 翌日の正午、伽藍は今高専近くの商店街にいた。

 歌姫は別の任務があるので寮にはおらず、楽巌寺も教師の仕事があるので忙しい。

 故に伽藍は己の足と目だけで街を散策し、知識を蓄えようと外出を決めたのだ。

 そんな中このエンカウントである、昨日見た夢のことといい気分はあまりよくない

 

「お前、一体何の用で私に会いに来た?私は監視されているはずだろう」

「あんなの上層部の少数が勝手にやってるだけ、もみ消すのは簡単さ」

「…やはりお前の手が既に回っていたか」

「だからこそ君は、あの"縛り"を了承したんだろ?」

「まぁな」

 

 別に好意を抱いているわけではないしむしろ引いている。だが羂索の努力と才能は本物だし、その辺の手腕は信用している。そして推測を立てた。

 …これほどまでの手練れが、現代呪術界に何もしていないわけもない。と。

 だがそれとこれは別だ。

 

「もう一度聞くが何の用だ?」

「デートしない?」

「でーと?」

逢瀬(おうせ)

「死ね」

 

 羂索の顔面に向かって、鋭い拳が放たれた。

 

「まぁまぁ落ち着いて」

「貴様と逢瀬だと?ふざけるのも大概にしろ」

「え、そんなに嫌なの?」

「当たり前だろう、というか第一今のお前は女だろうが」

「泣いちゃいそうだなぁ」

「勝手に泣け」

 

 伽藍の右手を抑え込みながら、心底不思議そうに首をひねる羂索。

 そしてしばらくうーんと唸り、そして言った。

 

「じゃあ今ここで"借り"使おうかな」

「………お前正気か?」

「正気正気」

 

 それはとても、あの羂索とは思えない考えだ。

 伽藍の実力は低くはない、戦力としても優秀な、そんな彼女の手を借りる権利を捨てここで使い果たすなど。

 

「種は撒き終えた、あとは時間が解決してくれるさ」

「ふむ……」

「だから君に手伝ってほしいことって、ホント特にないんだよね」

「理解した」

 

 時が解決する。それはあの「作り物」が晩成することか、それとも…もっと別の何かか。

 だがあの羂索だ、たった一つの選択肢で事を進めるはずもないか。いやそれとも流れに身を任せるか。

 伽藍は訝しげに羂索を見て、ため息を一つ吐く。

 

「いいだろう、しっかり私を楽しませてみろ」

「はいはい、しっかりエスコートしてあげる」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「でどうだった?今の呪術界」

 

 適当な喫茶店に入店し、窓際の席に二人は座る。

 しばらくしてやってきたチョコレートケーキを食べながら、羂索は旧知の女へ問う。

 

「呪術の発展はそれほどだった、呪術の発展はな」

「へぇ?つまり呪術以外に…面白い何かがあったのかな?」

「ベッドとやらはとてもいい、あれは現代の幼子にとっては天からの祝福そのものだろうな」

「あ~、確かに昔は高機能の布団そのものが少なかったからね、寝たの?」

「いや普通に生得領域内で寝た」

「ダメじゃん」

 

 フォークを手に取り、試行錯誤して持ち方を模索する。正しい力の込め方、食べ方を目の前のお手本を見ながら試す。

 会話を続けながらそれを行い、そしてなんとか一口、伽藍は同じチョコレートケーキを口に運ぶ。

 

「美味い…これが現代の甘味か!確か…けーきだったか」

「気に入ったようで何より」

 

 一度成功して勘を掴んだのか、二口目からは何の戸惑いもなくフォークを動かし、羂索と同じようにケーキを頬張る。

 それを見て羂索は目を細める。

 

「上達が早いね」

「見て覚えるのは得意だからな」

「おーこわ、じゃあ君に手札を見せるわけにはいかないなぁ」

「…領域か」

 

 かしゃんと、手にしていたフォークを皿に置いて。

 

「お前はできるのか」

「まぁ一応」

「宿儺と同じ、()()()()()()のことだ」

「……へぇ?」

 

 ほんの少しの驚愕。だがその表情が、伽藍の問いに是と答えた。

 

「どうしてそう思ったのか聞いても?」

「お前の結界術は天才だ、恐らくこの世で三番目には」

「ちなみに上は?」

「言わなくてもわかるだろう?一番は宿儺。二番目は……天元か」

 

 天元、その言葉を聞いた羂索の表情が少し歪んだ。

 

「まぁそうだね、それで?」

「お前は変なところで真面目だからな、この1000年、遊ぶだけに生きたわけじゃないだろう」

「そんなに褒められると照れるなぁ」

「事実だ、私はお前のそういうところは好意的に思っている」

「ほんと君さぁ」

 

 がたりと、テーブルの上に何かが置かれる。

 伽藍が羂索を見ると、先ほどよりもニコニコとした顔で。

 

「これあげるよ」

「なんだこれは?いや待てこの気配は…」

「そ、呪物」

「何のつもりだ」

「それ…」

 

 

 

 

 ――食べてみない?

 

 

 

 

「反転術式の縛りを解くか…」

「言っておくけど私の頭は正常だからね?」

*1
直哉くんの時胞月宮殿もこれを利用している。相手の体内に術式を打ち込み、本来は不可能な体内、細胞への干渉を可能にしているのだ。




 伽藍
生得領域イズ落ち着く。結界術のレベルは羂索がSだとしたらA+くらい。
生得領域に引きこもってた影響で結界術がレベルアップした。ちなみに宿儺の結界術のレベルは暫定SSS。
あの後スーツがまた破れた。


 歌姫
あいつの生得領域怖すぎ。


 羂索
悠仁は仁さんに預けてる。最近ママ友と離乳食トークで盛り上がってるらしい。


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5話.溜まる

 戦闘シーンしか書けない男。それが私。


「呪物は基本的に致死性の毒だ。そもそも呪霊の持つ負の感情の力は結構強めだし、人間には胃もたれするレベルの重さだからね」

「…で?」

「取り込み方は自由でいいよ。そのまま丸呑みするもよし、細かく刻んで流し込むもよし。まぁ一番いいのは丸呑みだけど」

「それをやって一体何の意味があるんだ」

「もう薄々気づいてるんじゃない?」

 

 そう言って、伽藍の目の前に置かれた古い木箱。

 恐らく封印を施している影響だろう、感じる呪力はほんの僅か。だがそれでも間違いなく人に害を与えるであろう、濃密な負の香り。

 それを見て、羂索は続ける。

 

「"宿儺の器"。それのプロトタイプ…試作機が君、つまり今の君の身体には、ある程度の毒耐性がある」

「つまりなんだ、生前の私なら、飲み込んだ瞬間に良くて呪いを受ける、最悪即死の二択だったのが…今の私の身体ならば」

「そう、毒の耐性はかなり高めにして()()()()()ね」

「…………」

 

 まぁ、つまりは()()()()()()なのだろう。

 目の前で微笑みを絶やさない羂索を見て、伽藍は1つの答えを導きだした。

 ――この男は恐らく、宿儺を再びこの世に君臨させようとしている。

 そしてそれを成すためには、呪いの王の呪力と彼そのものへの耐性、つまりは毒に耐えうる素材が必要となる。

 そして…完成したのがあの赤子。

 

 腹違いの、自身の弟にあたるモノ。

 

「わかった、よこせ」

「はいどーぞ」

 

 木箱を手に取り、乱暴に箱を開く。

 そうして何重にも巻かれた、封印の布を剥がしてから。

 

 ――ゴクリ。

 

 一思いに、飲み込んだ。

 

「………まっずいな」

「うわ、実行するの早すぎない?」

「時間をかける意味がないだろう」

 

 喉を通った瞬間に、呪物が溶けて消えていく。

 そんな気味の悪い感覚が、しばらく伽藍の喉に残り続けて、そして。

 

 ――ドクン

 

 彼女の意識は薄れていった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「………生得領域」

 

 目が覚めれば、彼女が1000年近く見続けてきた、あの血に濡れた景色だった。

 なぜまたここに来たのか、今の自分はどうなっているのか?疑問は沸いて止まらない。

 

(あの羂索のことだ…失敗、それも私相手にそれは考えにくい…つまりこれは仕様。奴の想像の範疇…)

 

 羂索は、自身に呪物を取り込めと言った、そして肝心の伽藍は、彼が言うに宿儺の器の試作機。

 器…つまり完成品のあの赤子は、将来的には宿儺の指を吸収し、恐らくは宿儺の完全復活をなすはずなのだ。

 しかし、あの好奇心の塊の羂索が本当に、心から宿儺の復活を望んでいるかどうかはまだわからないが…彼女にとって、肝心なのはそこじゃない。

 

(毒への耐性があるなら…ただ呪物を取り込んで終わり。でいいはず………それなのになぜ生得領域に………)

 

 ――べちゃり。

 

「…あ?」

 

 ぴちゃり、と。

 そんな音が、真っ赤に染まる空からして。

 

『ォ…がァ…ざ…………』

 

 上から、呪霊が文字通り降ってきた。

 

「…はぁ」

 

 …なるほど、これは確かに試作機らしい。

 その"仕様"を全て理解し、その随分と融通が利かない、困った性能に苦笑いを零す。

 

「なるほどな…これは確かに"宿儺の器"には向かんなぁ」

『さン…ざ…ぁ』

「この身体で呪物を取り込み、糧とするには取り込んだ呪物と生得領域で闘りあわないといけない…か……くくく、本当に宿儺の器失格だよ、私は」

 

 今回のような雑魚ならばいいが、これがもし宿儺本人だった場合は今頃、彼女は生得領域とはいえ絶命不可避だっただろう。

 宿儺の指以外全てを取り込み、糧とする伽藍と、宿儺の指を取り込み呪いの世界を廻すあの赤子。

 ――嗚呼、面白いことになりそうだ。

 

「さてじゃあ…」

『おガさ…お"かあサン…』

「死ね」

 

 ――ずちゅり。

 

 瞬間。伽藍の右手から伸びる刀身。

 呪具擬き、武振熊が呪霊の身体を貫き、彼女の体内領域が術式対象を拡張する。

 そして、術式反転と爆発。

 手ごたえなど微塵も感じない。ただしかし、たった今消費した呪力を余裕で賄えるほどの、今死んだ呪霊が持っていたであろう呪力が、彼女の身体に蓄積された。

 

「本当に不本意だが…いい肉体を作ってくれたな羂索」

 

 そこだけは感謝しなくてはならないだろう。

 本当に、本当に不本意だけど。そう付け足して、彼女の意識は暗転する。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「あ、おかえり」

「…どれくらい経った」

「本当に一瞬、10秒もかかってないよ」

「そうか」

 

 目が覚める。

 どうやら今回は成功、特に不具合もなく、羂索の望んだ結果を、自分はきちんと見せられたらしい。

 

「これからは積極的に呪物を回収していくスタイルかな?いいね、地道なレベリングほど単純で楽しいものはない」

「呪物など、そう簡単に見つかるものじゃないだろうに」

 

 相変わらずの、知的好奇心の塊と言うべき存在。

 果てのないその作業、それすらにも楽しみを見出し、笑えるのは流石と言うべきか。

 

「じゃあさてと…そろそろお暇させてもらおうかな」

「なんだもう帰るのか?」

「そろそろ、あの人も悠仁の相手に疲れてる頃だし」

「…うげぇ」

 

 つい口から、心底嫌だという声が漏れてしまった。

 誰を食い物にしようが、使い捨てにしようが、伽藍からすれば知ったことではないが…本当に()()()だけはやめて欲しい。そう思う。

 なまじ見た目は端麗な女性そのものなのに、中身が羂索というだけで一種の拒絶反応が起きるのだ。

 本当にやめて欲しい。そう再び吐き捨てて。

 

「ひっどい顔だなぁ」

「…誰のせいだと?…お前と話すと疲れるな」

「でもまぁ、一人くらい知ってる人間と話ができて良かったんじゃない?」

「…あぁ、それだけは、その通りかもしれない」

 

 1000年前から今日この日まで。伽藍の知る人間は数人だけ。そのうち何人が死んだだろう。

 戦場で、いつの間にか、知らないうちに1人。また1人と死んでいく。

 そんな生前の数十年を。死にかけてもいないのに、走馬灯のように再生していく。

 そうして結局最後は、この胡散臭いこの顔が残るのだ。

 

「…………まぁ、お前の言う通りだ。久しぶりに会えてよかったよ」

「…へぇ?嬉しいこと言ってくれるね、珍しい」

「チッ、若いと口が軽くなってしまうな…フン、さっさと行け」

「うん、じゃあね」

 

 …嗚呼本当に、若いのも考え物だ。

 目の前で心なしか、嬉しそうに笑う羂索を見て、本当にそう思う。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 ある昼下がりの日。

 

「我々窓が最後に呪霊を確認したのが2時間前。そして帳を下ろして20分後に呪霊の反応が消えました」

「中の人間のは」

「両方です。恐らく生存者であろう人の呪力と呪霊の呪力が消えました、勿論中に呪術師はいませんつまり」

「なるほど呪詛師か」

「あとは頼みます…伽藍()()()()

「あぁ」

 

 あれから数週間が経ち、伽藍は上層部の決定により一級の座に就いた。

 なにせ反転術式、更には領域展開も使える平安出身の術師だ。この評価も当然だろう。

 肝心の本人は、まだ満足していないようだが。

 窓の男と会話を終えたあと、伽藍は帳に入って、目的の場所へ向かう。

 場所は高専から少し離れた山の一部、だがこの奥には若者の間で人気な廃病院がある。

 山奥、廃病院。好奇心旺盛な若者からすれば肝試しとしてピッタリな物件だ。

 

「さて…」

 

 足を進めてしばらくすると、廃病院の扉が見えた。

 コンクリートにヒビこそ入ってはいるが、それ以外の景観はまだ今でも通用するくらいには綺麗で。

 遠目から見てもわかるほどには、呪いに侵され腐食していた。

 

「さてどこに…」

 

 扉に向かって一歩、足を踏み込んだ瞬間。

 

 ――目の前の扉に槍が刺さった。

 

「…奇襲をするならもう少し殺意を抑えろ」

「チッ、なんで今の避けられるんだよ…」

「馬鹿正直に頭を狙うからだ、胴体なら危なかったかもな」

 

 伽藍はその攻撃を、頭を横に傾けることで回避。

 だがそれがいかに現実離れした玄人の技術かは一目見ればわかるだろう。

 

 呪詛師の男は警戒心を限界まで引き上げ、呪力を練り上げる。

 

「悪いけど、俺も仕事だからな」

「それは奇遇だな、私もだ」

 

 伽藍が見るのは男の足元。

 大量に血を流し、倒れた女性の身体。おそらくもう死んでいるだろう。

 なら遠慮はいらない。

 

「えー、呪術規定…なんとか条に基づき…えー、なんだ。お前を殺す」

 

 その言葉が終わったときには、数mほど離れていたはずの伽藍が既に男の目の前にいて。拳を振りかぶっていた。

 男は瞬時に防御の構えをとる。

 

「ッ!」

 

 ガンッ。と骨まで響くような重さの一撃が男に襲い掛かる。

 そのまま男は吹っ飛んで、木にめり込むほどに叩きつけられた。

 

「かはっ…」

「まだだぞ」

 

 身体が痺れて動きが鈍る男に、伽藍は容赦なく追撃を打ち込む。

 高く飛び上がり、重力を味方につけて蹴りを放つ。男は必死になって転がってそれを避けた。

 

「ちっ!」

「焦るな、まだ行くぞ」

 

 ――舐められてる。

 

 どう見ても本気とは思えない、それに術式も使わずに殴り合いだけ。

 ふざけるな、せめて本気を出せ。男の中で不甲斐なさとイラつきが、高まりあふれ出す。

 だがそれでも――

 

(強い…!)

 

 ガードに成功しても気休めにしかならない。

 呪力の総量もそうだが出力も高い、男は術式を持っていないが、その代わりに呪力操作などの基礎能力はそれなりに高いと自負していた。

 だが女の前では全てが劣化版になりうる。そう認識するほどの基礎能力の差。

 そして。

 

(それにこいつ…!)

 

 息をつく暇すら与えられない体術の連撃と、この呪力だ。

 

(なんだこいつの攻撃…!防いでも防いでなくても関係ない!威力の大小以前に…"()()"!)

 

 まるで、熱した鉄塊を直に押し付けられてるかのように錯覚するほどの熱、それが呪力によるガードすらも貫通した。

 

「ぎぃ…!」

 

 じわりじわりと肌が焦げて動きが更に鈍っていく。

 呪力によるガードで威力は殺せても、この熱エネルギーだけはどうやっても防げない。

 

 ――呪力特性。

 

 通常呪力は水のような不定形のエネルギーだが、稀に、本当に低い確率で"属性"が付くことがある。

 それはヤスリのように、触れた相手の肌を抉るような殺傷能力を持つ呪力だったり、水すら分解し、相手を痙攣させる雷そのものだったり。

 そして伽藍の呪力特性が持つ属性は――炎。

 本物の炎と同じく、肌を焼き、空気を奪い、見た者全ての生存本能を刺激する原初の恐怖。

 

「がはっ!」

 

 伽藍の蹴りが男の鳩尾に深く突き刺さる。

 そして間髪入れずにまた拳を振るい、そのまま上から叩きつける。

 男の身体が地面へと叩きつけられ、そしてバウンドして浮かんだところをまた蹴り飛ばす。

 

「ぅえぇ…」

 

 胃の中身が逆流して口から零れる。

 呪力も、もうまともに練れはしない。

 

 幕引きの時間だ。

 

「…この技を使うのは久しぶりだな」

 

 ――()()()()

 

 伽藍の左腕から、2本の骨が皮膚を破り突き出した。

 それを右手で握り。痛みなどまるで感じないように淡々と引き抜き構えて見せる。

 

「おいおいマジかよ…」

 

 見てるだけでも鳥肌が立つ作業だ。

 失った左腕はすぐに肉と骨が再構築され反転術式によって元に戻る。

 そして。

 

 ――ポタリ。

 

 骨の剣、その柄から更に枝分かれして生える尖った骨。

 伽藍がそれを握り、手に穴が開くと同時に血液が垂れて剣を濡らす。

 彼女の呪力が血液を包み込み、その1つ1つの血球が、鋼に勝る硬度へと変貌する。

 そして何より。

 

 ――ジュワリ。

 

 地面に落ちた瞬間に血液が蒸発、更に地面も抉られ、その"熱"が周りの空間を支配した。

 呪力特性による血液の高温化、術式による血液の配給と反転術式による回復。

 それら全てが噛み合い、一つの兵器を作り出し。

 

 ――伽藍はそれを、思い切り振りかぶった。

 

「"アカガネ"」

 

 そして数百、数千まで熱された血の弾丸が、男の身体を蜂の巣にした。

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

 ぐちゃりと、形を崩して倒れた呪詛師の死体。

 全身に数十の穴が開いたせいだろう、人の形を保てたのはほんの数秒だけだった。

 それを見て、伽藍はフンと、直ぐに興味を失ってから呟く。

 

「終わったか」

 

 アカガネ。それは伽藍がかつてあの時代、生前の若かりし頃からよく使っていた技の一つだ。

 骨を手に突き刺して、垂れた血液を呪力で強化して硬化、更に呪力特性による加熱であらゆるものを焼き尽くす、燃える弾幕と化すその技。

 歳を取ったせいで、呪力強化による近接戦が苦しくなってきた頃にようやく、1つの技として真に覚醒したのはいい思い出だ。

 しかし、これが意外と使いやすい。

 

「帰るか」

 

 足元で血を流す呪詛師と、その被害者の肉を避けて、目的だった病院に背を向けて歩き出す。

 他に誰かの()()()感じないし、伏兵の心配もないだろう。そう判断して。

 ――そう決めつけて、ふと、伽藍は傍の木々に目を移してそこに。

 

 そこに、人がいた。

 

「は?」

「あ?」

 

 ――いつからいた?

 いやそもそも呪力を感じなかった。でも確かに気配はする。

 ――死体か?だが間違いなく生きてるし、現に今も、彼女のことを凝視している。

 ――呪力のない人間?天与呪縛…?

 

 暫くの沈黙。

 

「呪力が完全にない…天与呪縛の一種か?」

「正解、よくわかったな」

「冷静に見ればわかるさ、それにしても珍しいな」

 

 己の肉体ではなく、呪力そのものを犠牲に得る、圧倒的な身体能力。

 生半可な術師の呪力強化など鼻で笑うほどの、凄まじい出力を、その立ち姿からひしひしと感じる。

 男は喋る。

 

「アンタだろ、最近呪術界で話題の、平安出身の呪術師ってのは」

「うん?あぁそうだが」

「へぇ?」

 

 口元に傷を残す、謎の男。

 先ほどから何かを探るような目を隠そうとせず、伽藍の足から、頭の頂点までをじっくりと観察して。

 

「噂じゃ、あの両面宿儺と顔見知りって聞いてるぜ」

「何回か会ったな、殺されそうになるたびに逃げたが」

「逃げたのかよ、てか逃げ切ったのかよ」

「命あってこその人生だろう?」

「一理ある」

 

 敵意もなし。殺意もなければ害意もなし。

 この男の目的は知らない、が。もう少し付き合ってもいいだろう、そう判断した。

 

「…んじゃ、呪術全盛のベテランから見れば俺はどうだ?」

「?なにが」

「呪力もなければ術式もない、そんな()は嫌いか?」

「…別に」

 

 男の言葉に、伽藍は何をと、くだらないと切り捨てる。

 何やら面白い答えを期待していたようだが、彼女からすれば正直――

 

 どうでもいい。

 

「どうでもいい、心底どうでもいい。呪力だの術式だの天与呪縛だの、所詮は人間を構築する一つの要素にすぎん、なぜそんな些細なことに気を向けなけらばならん」

「クッ…ハハハ!呪術全盛、平安時代の人間が呪術に"どうでもいい"か!」

「なんだ、お前は術式が欲しかったのか?」

「…さァな」

 

 彼女の問いに、少し含みを持たせた言い方で、男はそう返した。

 

「というか、お前は何でこんなところにいたんだ」

「用事だよ用事、そこで倒れてるやつに」

「やつ?」

 

 そう言って、目線を後ろに移して。

 

()()()()?」

「…………」

「?どうした」

「…あー、まァな」

「そうか」

 

 少し言葉の濁った男と、それを疑問に思いながらも、直ぐに答えを返す伽藍。

 

「さっさと殺って帰ろうと思ったんだが…」

「私に先を越されたと」

「そんな感じだ」

「死体はいるか?」

「お、いいのか?」

「勝手にしろ、私はそんな肉塊になんの情もない」

「んじゃありがたく」

 

 男はオェ。と胃の中から何かを吐き出した。

 一瞬それを手のひらに置いたと思ったら、それが一気に巨大化し、男の身体にまとわりついた。

 そして。

 

「食え」

「は?」

 

 男が呪霊に命令した。だが伽藍が驚いたのは、命令の内容ではなくその対象。

 まるで赤子のような見た目をした呪霊は、地面に降り立った後、()()()()()飲み込んだ。

 

「……………」

 

 ――そっちだったか…

 

「んじゃあな」

「おー」

 

 再び小さくなった呪霊を飲み込んだ後、男は凄まじい速度で帳を潜り抜けていった。

 しかし珍しいものを見れた。そう思いながら、もう見えなくなった、男の背中を幻視する。

 ――天与呪縛。それも呪力から脱却したとても珍しいものを。

 

「羂索が見たら喜びそうだ」

 

 さて、私も今度こそ帰るとしよう。

 そう言って、呪詛師だったものを背に、車へと戻っていった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「なんてことがあってな」

「それ術師殺しですよ!?」

「知ってるのか」

「裏じゃめちゃくちゃ有名ですが!?というか襲われなかったんですね…」

「得がないからだろう」

 

 車に戻り、"窓"に先ほどあったことを説明すると、そう返された。

 どうやら彼女の出会った男は、裏ではそれなりの有名人らしい。

 ――禪院甚爾。術師殺しの異名を持つ、凄腕の殺し屋。

 何が目的で、何故彼女と会話をしたのか…それはわからないが。

 

「さて帰るか、案内は頼んだぞ」

「あ、その前にちょっといいですか」

「ん?」

「あ、ここをこう持ってください」

「?これは…」

 

 ぴぽぱぽ…と、携帯電話から発せられる電子音に、伽藍が何だと首をかしげて、覗き込む。

 "窓"の男は、そのまま手慣れた様子で、ある人物に電話をかけて、その携帯電話を渡した。

 

「こうか?」

「そうそう、その後耳にこう…持ってきて…」

「するとどうなるんだ」

『もしもし?』

「うおっ」

 

 突然耳に流れ込む声。

 その慣れない姿に、ついクスっときたのを隠して、男は後ろに下がる。

 

「歌姫…か?」

『久しぶり伽藍、どう?もう任務終わった?』

「あぁ、これから暇だが…」

『ならちょうどよかった、女子会しない?』

「じょしかい」

 

 またもや、彼女からすれば聞きなれない単語だ。

 しかし、彼女の本質をそれなりに知っている、男からすれば、それは吹きだすものだ。

 

『女だけで集まって、話し合いをしながら何かを食べたりするの』

「ほう…」

『せっかく現代に来たんだから、たくさん楽しいこと経験しないと駄目じゃない?でしょ?』

「なるほど一理ある。…そうだな、その女子会とやらに参加させてもらおうか」

『ヨシキタ!あ、ついでに私の友達も連れて行くわ』

「あ、あぁ…」

『じゃまた!』

 

 ブチ。その音を最後に、彼女の身体が硬直し、完全に停止する。

 そして恐る恐る、男は話しかける。

 

「…………」

「ど、どうしました…?」

「知り合いの知り合いとの会合ほど気まずいものはない…とな」

「あ、平安出身でもそこは変わらないんですね」

「おいどういうことだ」

「だって普段あんな非常識ですし」

「おい」

 

 失礼なやつめ。そう彼女は言った。




 伽藍
呪力特性・炎
刀に呪力を纏わせるだけで扇さんの上位互換だよやったね!

 伏黒甚爾
たまたま仕事場所が被って出会った。
タダ働きはゴメンなので即脱退。


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じゅじゅさんぽ.裏梅

 呪術本誌面白すぎたんで急遽書きました、平安アミーゴです。


「………………おい羂索」

「どうした裏梅」

「…なんで、なんで…コイツが、いるんだ…?」

「………面白そうだったから?」

「貴様、そういうところだぞ…!」

 

 8月、まだ夏の日差しが肌を刺す、そんな季節の昼下がりに、ある3人が集まっていた。

 透き通るように穢れのない空気、他に人の気配を感じないほどの山奥の一軒家、そこの庭。

 3人は円形のテーブルに、三つ巴になる形で座っていた。

 

 1人は、額に傷を残し、全身を住職を思わせる、黒い袈裟を着た男、羂索。

 1人は黒の和服を着た、赤の混じった、男か女かわからない、白髪のおかっぱの子供、裏梅。

 そして、リネン僧を彷彿とさせる、動きやすく改造された、真っ白な服に身を包む銀髪の女、伽藍。

 

 腕をついて、不遜の態度を崩さない伽藍を、歯軋りをしながら睨みつける裏梅と、それを愉快そうに笑って見つめる羂索。

 奇妙なこの集まりの最初の話題は、時間の経過で熱を上げる夏の日差しとは反対に、裏梅の周りの気配が冷たく研ぎ澄まされていく様子から始まった。

 羂索は目線の先にある、真っ黒に染まる謎の球体に餡蜜をまぶし、そしてそれを器用にスプーンですくって飲み込んで、話した。

 

「ん…まぁ落ち着きなよ、それに君が危惧してることは起きないさ、理由はどうあれ、彼女も宿儺の復活を望んでるからね」

 

 どの口が。裏梅はそう吐き捨てるのを堪え、目の前の伽藍に続きを促す。

 

「…そうなのか?」

「あぁ」

 

 伽藍の目的は、呪術全盛の時代を生きた者ならば全員が知っている。

 だからこそ、裏梅はこの女が信用できない、この女が嫌いで仕方ない。

 己が敬愛する、偉大な王に牙を剥くこの女が。

 

 どうしようもなく、裏梅は嫌いだった。

 

「私も本音を言うと、宿儺には早く自由になって欲しい」

「ほらね?」

「あと早くブッ殺してやりたい」

「…ほらね?」

「どこがだっ!」

 

 バァン!と、机が割れそうになるほどの力を手に込めて、裏梅は立ち上がった。

 

「そもそもだ!羂索、お前が私以外の術師を蘇らせるのは『死滅回游(しめつかいゆう)』を始める時にだろう!?」

「あー、アレだよ、伽藍も君と同じく特別ってわけ」

「何故今なんだ!それにコイツは確実に宿儺様の邪魔をする!今すぐに殺してやってもいいんだぞ!?」

「なぁ羂索、死滅回游とはなんだ?」

「…あ、そういえば説明するの忘れてた」

「ふざけるな!」

 

 キッと、目を鋭くして裏梅は、伽藍へ更に敵意を剥きだしにして、聞く。

 

「伽藍、貴様…羂索の計画はどれくらい知っている?」

「五条を封印するつもりなのは聞いた」

「それ以外は?」

「知らん」

 

 より一層険しくなる裏梅の殺気、並みの人間ならば失禁し、気絶してもおかしくないそれを、羂索は勿論、伽藍も笑って受け流した。

 

「何度でも言うが、私は呪霊が仲良しこよしで集って革命ごっこをしようが、五条が封印されて日本が滅茶苦茶になろうが…心底どうでもいい」

「うわっ冷た~…君一応同級生だったんだろ?」

「知るか、だが……"成った"直後の、あの天上天下の状態は好きだったな」

「あー…アレかぁ、アレは確かに凄かった」

「腑抜けて調停を選んだ今のアイツに、あの頃の魅力はもうない…くたばるなら勝手にくたばれ。これだけだ」

 

 伽藍は呪術師だ、だがあくまでもそれは、受肉直後に結んだ縛りによってのみ。

 彼女の本質は、どこまでいっても闘争心しかなく、調停や弱者の庇護など眼中にない。

 たったそれだけ、裏梅が懸念していた最悪の事態、あの頃と違って若返った、この闘鬼が敵ではないことが唯一の安堵。

 

「にしてもだ…羂索、計画の大前提である天元の、術式対象化のための同化失敗に、六眼(五条)への対策の獄門彊、そしてそれを成功させるためのガワ(夏油)に、更にそれがたまたま、天元を吸収するために必須な呪霊操術持ち!運がいいなんてものじゃないだろう!?」

「だよね?私も滅茶苦茶びっくりしたもん」

「1000年コソコソ意地汚く生きてきただけあるんじゃないか?本当に偶然か?運が良すぎないか?面白すぎるだろう!?」

「だよね~!」

「今まで散々六眼の因果に苦しめられたからな、これくらいの仕返しは許されるだろう?それに、今のお前を見た五条の顔が楽しみだ…ハッ!天元め、いい気味だ!」

「そうそう、やっと肩の荷が下りるよ…な~んて!」

 

 アッハッハッハ、ガッハッハッハ。

 

 1人、怒りで震える裏梅を前に、2人は息の合った笑いを見せた。

 裏梅とて理解はしている、目の前の男がどれほど、己の計画の為に因果と戦ってきたか。

 それがようやく晩成の時を迎えるかもしれない、その喜びを共有できる相手が、今こうして目の前にいる。

 羂索の喜びも、仕方がないものかもしれない。

 

 しかし、それでも。

 

「まぁとにかく、伽藍は私たちの邪魔はしないよ、呪術上層部との縛りで、術師としてしばらくは仕事続けるけど」

「仕事中の私に会うなよ?私はオンオフ切り替えるタイプの人間だからな」

「えっ?君って元から殺すと倒すしか選択肢ない人間じゃん」

「失礼な、最近は手加減を覚えた」

「あはは、絶対嘘だ」

 

 どこまでも幼稚で、そのくせ誰よりも徹底的に、その欲望を叶えるために生きる男。

 羂索が何故、伽藍という女に目を付けたのかは詳しく知らない。

 だが、こうして本当に楽しそうに、顔を崩して笑うその顔には、確かに――

 

「安心しろ裏梅、宿儺が完全に自由になるまで、私はお前たちの邪魔はしないと誓おう」

「…フン、その言葉、忘れるな」

 

 裏梅と伽藍、2人の間にある感情は、1000年の時を経ても変わらない。

 いや、正確に言えば、伽藍は裏梅に対して、どちらかというと良い感情を向けている。

 だが裏梅は別だ。

 

「君ホント伽藍のこと嫌いなんだね」

「羂索、お前の許可さえあれば今すぐにでも…」

「あー駄目駄目駄目!全く漏瑚といい君といい…カッとなるのは似てるんだから」

 

 嫌でも思い出す、1000年前のあの日々を。

 毎日のようにしつこく、うるさく、どこまでも追いかけて奇声をあげて、自分たちを追いかけたこの女。

 裏梅が今日こそ殺そうと戦闘になれば、期を見計らい引き分けに持ち込み。そしてまた翌日訪れる。

 そして何より、偉大な主である宿儺が直接顔を見せれば、一目散に逃げ出すのだ。

 

 その時の、主の呆けた顔は今でも忘れられない。

 

 毎日毎日、宿儺を出せと叫びながら刀を振るい、いざ宿儺に殺されそうになれば、恥を投げ捨て即座に逃げる。

 毎日毎日毎日、毎日毎日毎日…

 そして時たま、同じく宿儺へ執着心を向ける、会津の術師と仲間割れ(…?)を起こして殺しあう。

 

 裏梅は、伽藍が死ぬほど嫌いだった。

 

「……………………チッ」

「めっちゃ溜めたね今」

「気が進まんが…本ッ当に気が進まんが…!」

「なぁ羂索、私は裏梅に何かしただろうか」

「えっ自覚なし?マジ?」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「お前は相変わらずだな」

「そっちこそ」

「狂ったように戦いを求める、その身の程知らずは治らんのか」

「治そうとも治したいとも思ったことはないな」

 

 ――気に喰わない。

 

「宿儺様の手を煩わせる前に、私が今ここで殺してやってもいいんだぞ」

「やめておけ、昔はともかく、今の私に勝てるのか?」

「試してやろうか?」

 

 ――気に喰わない。

 

 息が詰まりそうになるほどの熱気、伽藍の呪力によって生まれたその炎。

 肺が凍り、壊死しそうになるほどの冷気、裏梅の呪力によって成される氷。

 互いの、刃物のように鋭い視線が交差して、気の抜けた、伽藍の声で霧散した。

 

「興が乗らん」

「ほう、なら私から行くぞ?」

「それに、他ならぬお前が私と闘る利点がない。本気じゃないことくらいわかるさ」

「…………」

 

 ――本当に気に喰わない。

 

 まるで敵なんていないように、1人ベランダでくつろぐこの女が。

 あの、平安の頃から変わらない、どこまでも無関心に達観した、それでいて好奇に突き進む、矛盾した生き方。

 そして何より、その自己を中心とした在り方が、敬愛する主のそれと、どこまでも似ていることも。

 

 気に喰わない。

 

「…気に喰わない」

「気に喰わん、か」

「あぁ、気に喰わん」

「そうか」

 

 苛立つ。

 こちらを挑発しているつもりも、悪意をもって接しているわけでもなく、これが平常。

 その、どうしようもなく自由な在り方が、どこまでも気に喰わない。

 こうして殺気を向けてる間も、意に介さずにいるその姿も。

 

 ――殺せるだろうか?

 

 一瞬、裏梅の脳裏に走る、そんな疑問。

 互いの肉体は最盛期、たとえ若返ったとはいえ、よほどのことがない限り、伽藍に不覚を取ることはないだろう。

 一瞬旧知の仲の、胡散臭い男の顔が思い浮かんだが、しかしそれでも――

 

「闘るか?」

「……興が乗らないのではなかったか」

「今は違う、少なくともお前が、私と闘る意を見せた」

「…………」

「理由はこれでいいだろう?」

 

 ――あぁこれだから。

 

 この好奇を見つけた時の、この顔が。

 どこまでも、呪いの王にそっくりで。

 

「断る」

「…そうか、残念だ」

「ここで騒ぎを起こすと、羂索に小言を言われるからな」

「なるほど、確かにアイツの小言は面倒臭いな」

 

 なら仕方ないと、目を伏せて静かに笑うその姿。

 肌はきめ細かく、輝く髪はあの頃の、老婆として自身と渡り合ってきた姿と似ても似つかない。

 それでも、唯一変わらぬその瞳。

 

「宿儺との戦は、何処で闘るのが一番だと思う?やはり京か」

「知るか、それにお前の骨を埋めるの間違いだろう」

「あとは会津か?いや確かあそこは…」

「やめろ」

「あぁそうだ、(よろず)だ!アイツも羂索と契約したのか?」

「やめろ」

「クク…そうだそうだ、アイツの宿儺への恋慕は中々だったな」

 

 なんてことのない、夏の昼下がり。

 山奥の美しい山荘で、どこまでも笑いは続いていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして2ヶ月後。やはりあの時の直感は。

 

「ッヒッハハハハハハ!!裏梅ェエエエッ!!!!」

「この…気狂いがァアアア!!!!」

 

 ――やはりコイツは殺しておくべきだった。

 

 10月、ハロウィンの渋谷にて、やはりあの時の直感は間違っていなかったと。

 横で爆笑している羂索を後目に、裏梅はそう実感した。




 伽藍
宿儺を出せ→あっ宿儺来た!やべっ次殺されるかも…よっしゃ逃げよ→宿儺を出せぇええ!!
これを続けて死ぬほど嫌われた。


 万
宿儺を取り合い殺し合い、女って怖いね。


 宿儺
勝手に争え。


 裏梅
頼むから死んでくれ。


 羂索
草。


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6話.京の禪院①ー呪い愛ー

 お久しぶりです。
 デュエマに10万使ったり、親の仕事場が倒産したり、ついでに卒業式を終えたり色々ありました。


 ――あぁどうしてこうなった。

 自分らしくもない、完全に無駄で、どうしようもなく意味不明な行動。それが、伽藍の内心でずっと廻っている。

 彼女が女子会とやらに参加し、歌姫と再会を果たしたあとだ、窓に次の仕事場まで送ってもらおうと車に乗り込んだ。そこまではいい。

 

 そこからだ、そこから彼女の計画が大いに狂った。

 

 己の鍛え上げた直感が、呪力の残り香に反応して「あっちに行け」と騒ぎ出したのだ。

 車を止めさせて降りる、その後それに従い、彼女は向かって歩く、そして見えたのは呪霊の生得領域だった。

 侵入する、呪霊を祓う。そしてすぐに戻るつもりだったのだ。

 

「………………ぁあ?」

 

 呪霊の消失と同時に崩れゆく景色、そうして露わになった瓦礫と、消えゆく華美な内装のその向こうに。

 

 ――子供がいた。

 

 その隣には、恐らく母親であろう女性と、複数の子供()()()()()が地面に散乱していた。

 ありふれた悲劇だ。見えないがために危険を察知できず、知らぬ間に身体を蝕まれる。

 そんな様子を、母が怪異に襲われ朽ちていく様子を眺めて、ただの子供が耐えられるものではない。

 目はうつろで、開いたままの口からは言葉にならない音が漏れ続けていた。

 

「はぁ…」

 

 これは、彼女にとってはただの気まぐれだ。

 

「おい、そこの」

 

 ――きまぐれだった。

 伽藍の言葉に、子供は振り向かない。

 

「壊れたか?それともまだ使えるか?」

 

 相変わらず返事はない。

 

「…………はぁ…」

 

 ――捨て置くか?

 かつてあの時代を生きていた頃、この程度のありふれた悲劇と、被害は腐るほどあった。

 それを今更、子供の一人がそうなったとしても、自分からすれば心底どうでもいい。どうせ置いたとしても、誰も気にしない。

 伽藍はそう判断し、子供を無視して帰ろうとしたが、子供は素早い動きで回り込んで、彼女の足にしがみついた。

 

「……おい」

「…………」

「…………歩きづらいから離れろ」

「………」

「ちっ、餓鬼が…」

 

 その小さな腕を目一杯広げて、今もこうして、彼女の足取りを止めようとする子供。

 壊れそうなほど脆く、小さく輝く瞳が彼女を見上げて、そして互いに見つめあった。

 ()()()()()()()()()()()()、青空のように澄んだ()()()()()

 おそらく()()()()だ。そして生みの親の死体を、ただ茫然と眺めていたこの子供は、何を血迷ったか、彼女を母と呼びだした。

 

「つまらん冗談はやめろ」

「…おかあさん」

「違うと言ってるだろうが」

「…ちがわないもん………」

「チィッ…!」

 

 ――あぁ本当に面倒臭い。

 この子供も、こんなことになった原因である自分自身も。

 嗚呼、羂索のやつが見たら笑いそうだ。そう伽藍はため息を吐いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…………」

「…………」

「おい」

「はっはい!」

「何だ?さっきから?私に聞きたいことでもあるのか?」

「えっ!あ、はいっ、えと…」

「悪いが説明は省く、面倒臭いからな」

「…………はぁ…」

 

 「一体何が…」窓の男の内心はそれだった。

 この青髪の子供が、伽藍の何に触れたかはわからない。だが、伽藍の膝の上に座り、向かい合って見つめあうその光景は、まるで親子のように見える。

 しかし、この短い付き合いでも、男は理解していた。故に安心できなかった。

 知っていたからだ、伽藍という女の精神性というものを。

 その間も、子供は手を伸ばして、玩具のように伽藍の頬を掴んで、弄ぶ。

 

「…ふぉい」

「もちもち」

「しゃわりすぎだ、ひゃやくはなしぇ」

「びよ~ん」

「…糞餓鬼が」

「ぴゃわっ!?」

 

 ビクン!と身体を震わせたあと、子供はケラケラと、楽しそうに笑って伽藍に抱き着いた。

 その間も、伽藍の表情は文字通り、何の変化もなく無表情のままだ。

 

 ――これだ。

 

 任務の途中で何回も見た。一般人が傷ついた姿も、死体も、仲間が血を出して倒れる姿も。

 呪術師はどこか壊れている。それは常に目の前に死が迫り、そして死に触れ続ける弊害と言ってもいい。不幸に慣れてしまう、死を当たり前と思ってしまう。

 人の苦しみに、喜びに、どこか歪な反応を見せるようになる。

 

 だが伽藍は違う。

 

 彼女にとって、これら全てが当たり前なのだ。

 今でも覚えている。この数週間の任務の中で見せた、彼女の表情と言葉を。

 

 

「生き残りはいない。さっさと次に行くぞ、時間の無駄だ」

 

 一般人の死体を一瞥して帰った時の、興味を失った無関心の態度。

 

 

「腕?悪いが他人に反転をかけるつもりはない。その程度自分で治せ」

 

 戦いに巻き込まれ、欠損した術師に向ける、弱者を見つめる軽蔑の視線。

 

 

「早く立て、死にたいなら勝手にすればいいが、私の手を煩わせるなよ」

 

 仲間のはずの人間に向ける、()()()()()()()()瞳。

 

 

 ――怖かった。

 味方だと思えなかった。

 仲間だと信じられなかった。

 今はこうして子供を抱きかかえてはいるが、それがいつまで続くかがわからないと、そう思ってしまう。

 彼女は呪詛師ではない、なのに、今こうして同じ空間にいるだけで、生殺与奪を握られているようで。

 

「おかあさん」

「…なんだ」

「…えへへ」

「…………」

 

 今でこそ「面倒臭い」で済んではいるが、それがいつ豹変するかわからない。

 あの、心を折るような侮蔑の言葉。存在を否定するような冷たい瞳が。

 それが、太陽のように純粋な、今こうして笑っている子供に向けられるかと思うと。

 

 男は怖くて仕方なかった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 面倒な相手だった。

 

 伽藍はそう言って、つい先ほどまでの戦いを思い返す。

 今回の呪霊の生得領域は、どうやらあらゆる効果をそぎ落とす代わりに、領域内の時間を外より早くする能力を持っていたようだった。

 先に迷い込んだであろう呪詛師たち。そして領域の主である呪霊と、その仲間であろう低級呪霊の群れ。そして他ならぬ伽藍。

 

 勝負は丸三日続いた。

 

 呪霊を祓う。呪詛師を殺す。

 呪霊を祓う、呪詛師を殺す。

 呪霊を祓って呪詛師も殺す。

 呪霊を祓いながら呪詛師を殺し。

 殺して殺して、返り血を浴びて飲む。

 

 殺して、殺して、また殺して…

 いつしか笑い声が聞こえなくなり、それが他ならぬ、自分自身のものだと気づいた時には、全てが終わっていた。

 

「ふむ、これで終わりか」

 

 足元でうずくまり、動きを止めた呪詛師の首をはねて、そう呟く。

 その時、また血が顔に飛んで、それを舌で舐めてふき取る。

 そのおかげで、伽藍の口元は綺麗なままだが、それ以外の場所は全て黒、本来赤いはずの血は、時間の経過により黒く変色し、衣服や髪といった、彼女の全身を黒に染めている。

 仕事が始まる前は、真っ白だったはずの仕事着が今や見る影もない。

 そしてフラリと。頭を直接湯煎されたような、嫌な感覚が頭を包み込んだ。

 

「っと…少しばかり飛ばしすぎたか」

 

 たとえ呪霊といえど、生得領域…もとい領域展開時には、時間の概念にさえ手が届くことがある。

 今回の場合もそう、いくら体感時間でといえども三日。その間ずっと、無限に近い数湧いて出る呪霊の大群に、術式の仕掛けを見破るまでずっと、伽藍は刀を振るっていたのだ。

 そうして不眠のまま、三日間ずっと戦いっぱなしというのは、流石に無理が来たようだ。

 

「…さて」

 

 目をつむって意識を脳だけに集中させる。

 脳の血管一つ一つにまで呪力を流し込み、衝突する呪力の割合を調整していく。

 1.3、2.4…3.3――

 

「――――よし」

 

 シュウウ…と白い煙が全身を包み込み、酷使した筋線維たちと、壊れかけの脳細胞が癒され、そして反転術式による治療が完全に終了した。

 

「さて」

 

 ぐちゃり、と。醜い音が伽藍の腕、そして呪霊の死体の両方から発せられる。

 彼女が腕を突っ込み、右へ左へと傾けて、その奥にある目当てのものを掴んで、取り出して笑う。

 

「これか…」

 

 それは、この呪霊の最後のあがき。

 "周囲に害を及ぼさない"という縛りで自己を保管し、破壊と死から免れる悪足搔き。宿儺の指と同じく、呪物と称される忌み物。

 この判断は、きっと本来ならば正しいのだろう。確率は低いものの、いつか受肉を果たし、そして復活を遂げて現世に降臨できるタイムカプセルなのだから。

 しかし今回は。

 

「相手が悪かったな」

 

 伽藍はそう言って、呪物を口に入れ、そのままゴクリと飲み込んだ。

 

 ――ドクン!

 

 一瞬、彼女の全身に現れる紋様と、意識の暗転。

 すぐに自身の生得領域に引きずり込まれて、目の前の呪霊との、第二ラウンドが始まった。

 

「い"い"い"、お"さい"せ"」

「死ね」

 

 ――パァン!

 伸びた刀身が呪霊に突き刺さり、そのまま体内で枝分かれして切り刻む。

 再び意識が暗転し、呪物が完全に分解され、消えた。

 

「ふむ……この程度か」

 

 所詮は呪霊。呪いを糧にできるこの身体でも、得られる恩恵はほんの僅か。

 三日間戦い続けた報酬にしては、かなりしょっぱいそれに、伽藍は眉をひそめた。

 

「…はぁ」

 

 呪霊を祓う、呪詛師を殺す。

 まるで()()のように同じことを繰り返す。

 

 …嗚呼。

 

 ――退屈だ。

 

 

 

 

 

「お疲れ様です、伽藍さん」

「…なんだ、まだいたのか」

「…?え、えぇ…」

 

 伽藍が帳から出るとすぐ、外で待機していた窓の男に迎えられた。それに適当に返して、そのまま車に乗る。

 

 ――そういえば、外ではそんなに時間は経っていなかったか。

 

 そう考えると男の反応も当たり前かと考える。確かに数十分ほど別れただけで「まだいたのか」は疑問に感じるだろう。

 そしてぐるりと、何かを探すように首を動かした後、聞く。

 

「…………おい」

「は、はい」

「…アイツはどこにいる?」

「あぁ、あの子なら…」

「――えいっ」

 

 男がそれに答える前に、調子の良い声と衝撃が伽藍の胸を襲う。

 気配自体は察知していたし、隠れていたことも理解していた。だが何のためにかが分からない。故に無視していたが…

 

「…なにをやってる?」

「おかあさん、おかえり!」

「おい、コイツは何をやってるんだ?」

「…子供というのはそういうものですよ」

「フン、理解に苦しむな」

 

 そう言って、今も抱き着いたままの少女を見て、首を傾げる伽藍。

 男はそんな彼女の言葉に、何かを言いたそうな顔をした。

 

「何だ?」

「…いえ、何も」

「そうか、で。この後の予定は?」

「きゃっ」

 

 目の前にいられると邪魔だから。

 伽藍はそれだけの理由で、少女を腕に、腰を乗せるように持ち上げて、顔が隣に並ぶようにする。

 すると、少女はしばらくポカンとしたあと、また笑いだす。

 それを見て、より一層困惑を深める。

 

「…わからんな、下ろしてもいいか?」

「もうすぐ着きますから、すみませんがもう少しそのままで、あと…」

「わっ、おかしだ!」

「丁度いい時間ですからね、おやつの時間です」

「ありがと!まどのおにーさん!」

「ちゃんとお礼が言えて()()()()はいい子ですね」

「えへへ…」

 

 車を走らせつつも、器用に会話を続ける男を座席越しに見ながら、伽藍はため息を吐く。

 

「慣れたものだな」

「任務中、あなたの代わりに育ててますから」

「だから、任務中も私が連れていけばいいじゃないか、前からそう言ってるだろう」

「絶対ダメです」

 

 理解できないと、顔で表して男は続けた。

 

「あなたの今の格好、客観的に見てくださいよ、真っ黒じゃないですか」

「血は乾いてるからいいだろう、それに匂いしもない。そういう素材だからな」

「あなたはよくても霞ちゃんは違います、あの子に血の雨を浴びせるつもりですか」

「…?ダメなのか?」

「はい、絶対。もし霞ちゃんが戦いに巻き込まれたら…」

「別に死んだらそこまでだろうに」

「っ」

 

 男の身体が強張る。

 

「…あなたはもし、もしその子が死んでしまったらどう思いますか」

「…?いや別に」

「……私は、あなたが怖いんです」

 

 緊張を解くように、一息吐いて。

 

「呪術師は死に慣れます、しかしあなたは慣れるんじゃなくて、それが当たり前になってるんです」

「ほう?」

「いつかそれが、その子を傷つけるんじゃないかと」

「…それで?」

「あなたは…その子をどうし」

 

 男の言葉を、伽藍は軽い威圧を込めた、呪力を浴びせて黙らせる。

 その凄まじい威圧に、男は冷や汗を垂らしながら、言葉を待つ。

 

「なぁ?」

「…………」

「随分と言ってくれたが、お前は私が敵になるかも…なんてくだらないことに怯えているのか?」

「それは」

「ハッ、誤魔化さなくていい」

 

 馬鹿馬鹿しい、くだらなさすぎて欠伸が出そうだ。伽藍はそう、男に語り掛ける。

 

「お前は私の何が気に喰わないんだ?強さか?態度か?あぁそれとも、この前死んだ術師の弔いでもすればいいのか?」

「……」

「私はな、どうでもいいんだよ」

 

 血が沸き立つ喜びも、痛みも。

 

「どいつもこいつも柔らかくて脆いものばかり、術式だの、呪力だの」

 

 息もできない戦火を、死を。

 

「御三家だの権力だの、伝統だの誰かのためだの…大義だの」

 

 伽藍にとってはそれこそが至上。

 それに以外は知らない、興味ない。どうでもいい、本当にくだらないこと。

 

「私の望むものはそこにない、だからな」

 

 ――私は私の味方なのだからと、そう笑う。

 

「だから…()()()()()()()()

「…………」

 

 鏡越しに見える、男の震えた瞳と視線。

 自分の望む答えじゃなかったことの落胆と、ほんの少しの軽蔑と。それ以上に。

 

 ――彼女を畏れる、恐怖の瞳。

 

「…ケヒッ」

 

 それが、ほんの少しだけ心地よかった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 車を降りて、伽藍は霞を片腕に乗せて、目の前にある豪華な門を潜って足を踏み入れる。

 

 京都、禪院家。

 

 呪術御三家の一つとされ、その中で最も武力に優れた組織。

 伽藍がここに呼ばれたのは、()()()()が理由だった。

 

「わーおっきい」

「懐かしいな、平安の頃に見た外観とそう変わらないじゃないか」

 

 いくら今の呪術界が昔にこだわる嗜好だとしてもだ、ここまで現代からかけ離れた"和"とは思わなかった。

 

「ようこそ、いらっしゃいました」

 

 しばらく観察を続けていると、使用人であろう女が伽藍を迎え、軽くお辞儀をして話し出す。

 

「禪院家当主、禪院直毘人様がお待ちです」

「あぁ」

 

 人形のように、無表情で決められた動きをする女。

 その隣で、霞と同じほどの歳の、小さな少女もお辞儀をした。

 

「ふむ…丁度いいか」

 

 相手の年齢も近い、それに、このまま抱き抱えたままなのも面倒臭い。

 そう判断して、伽藍は腕の力を緩めた。

 

「そこの、コイツの案内を頼めるか?」

「真依、案内を」

「は、はい…」

 

 地面に降ろすと、霞はそのまま走る勢いで、真依と呼ばれた少女に向かう。

 そうして、彼女の両腕を掴んで、指を握って笑いかけた。

 

「わたし、霞です!」

「は、はい」

「三輪霞です!」

「は、はい…」

 

 いくら同年代の子供とはいえ、一応相手は客人だ。

 どう返せば良いのかと、真依の態度は硬いままだ。

 そして。

 

「一緒に遊ぼ!」

「そ、そんな…私などでは…」

「別にいいだろう、構わんな?」

「…有難く、真依。無礼のないように」

「行こっ!真依ちゃん!」

「ひゃっ…!」

 

 二人は手を握って走り出す。

 そのままあっという間に姿が見えなくなって、子供の笑い声が響きだす。

 再び会話が紡がれる。

 

「感謝します、伽藍様」

「かまわんよ、私自身もアレの相手に困っていた」

 

 女の後ろ姿を追いかける形で、伽藍は歩き続ける。

 長い長いその廊下を、歩きながら意識を他に回していく。

 

(…視線が想像より多い)

 

 ひそひそ、じめじめと、伽藍に向ける疑惑の視線と言葉たち。

 友好的ではない、だが露悪的なものでもない。これは…

 

「あれ、お客様ですか」

 

 廊下の角を曲がる瞬間、聞こえてきた若い男の声。

 

「蘭太様、お久しぶりです」

「はい、やっと任務が終わったので帰って来たんです、それで…」

 

 視線が合う。

 

「もしかしてあなたが?」

「平安出身、三輪伽藍だ。蘭太と言ったか?」

「あ、はい」

 

 こほん、と、咳払いをひとつ。

 

「禪院蘭太です、初めまして」

「あぁ」

「平安時代…呪術全盛期を生きた呪術師…本当にこの目で見れるなんて」

「まぁ確かに、滅多なことがないと見れんだろうな」

「両面宿儺のことも、その目で見たと聞きました」

「あぁ、何度かこの目で見たぞ」

「へぇ…女なのに凄いですね」

 

 そう感心して、何か用事を思い出したのか、すぐに会話を切り上げた。

 

「じゃあ、あとは頼みます」

「了解しました」

「それでは、いつか」

「あぁ」

 

 そう言って、蘭太は速足で駆け出した。

 なるほど確かに、御三家の中でも特に、武力に優れているだけはある。

 まだ甘さは感じるが、その立ち振る舞いは間違いなく強者のそれ。これは期待が持てそうだ。

 

「それでは伽藍様」

「あぁ、それじゃあ…」

 

 

「あー、腹減ったわ」

 

 間延びした、男の軽い声が聞こえた瞬間。伽藍の足と息が止まる。

 そして、周りのひそひそ話は鳴りを潜め、その内容の鋭さが一段階上がる。

 

 中庭に、全身を痣と傷だらけにした少女が倒れている。

 

 使用人の女は一瞬だけ、その少女に恨みに似た感情を込めた瞳を向けて、そしてすぐに無表情へと戻した。

 

「最初の数発は問題ないんやけどなぁ、ちょっと本気でやったらこれや」

「っ…!」

「情けないなぁ、妹が見てないからって、こんな惨めな姿見せてええん?」

「足、退けろよ…っ!」

「アハハ、これは笑うわ。まだ痛めつけられたいん?」

「ぐ……」

「あーうざ、どの口でほざいとんねん。ガキ」

 

 ひとしきりケラケラと笑ったあと、男は気分を悪くして、少女の頭を下から思いっきり蹴りあげた。

 唾と血を吐いて身体が仰け反り、少女が再び地面に倒れる。

 

「…直哉様」

「お、丁度ええわ、また真希ちゃん伸びたからなぁ、適当にその辺ほっといてな」

「……はい」

 

 女は当然、この男に文句など言えない。

 ただ言われたように作業を行い、彼の意見を肯定する。

 伽藍は知っていた、この目の前にいる金髪の男が、どのような立ち位置にいる男かを。

 

 禪院直哉。

 

 禪院家が誇る精鋭部隊、その中でも、選ばれた実力を持つものしか入ることが許されない「炳」の筆頭であり、次期当主最候補。

 実力も血筋も文句なし、だが彼が周りに、それを歓迎されない理由はただひとつ。

 それがこの性格。

 

「でや、君は初めて見るわ、誰や?」

「伽藍だ。1級術師をやっている」

「ほー…君が例の?奇遇やなぁ、俺も1級術師やねん。ま、正確には特別1級術師やけどな」

「特別…確か高専に通っていない人間に与えられる階級だったか?」

「流石、物分りが早うて助かるわ」

 

 伽藍の名前を聞いた途端、直哉の笑みの種類が変わった。

 相手を見下す傲慢な視線が、今度は相手を試すようなものへ。

 

「なぁ、パパとの対談ってどれくらいかかるん?」

「さぁ…ただ、それほど時間はかからないかと」

「ま、その時はその時や。それに…こんな機会滅多にないやん?」

「…まさか」

 

 瞬間。直哉の全身を呪力が包み込む。それは既に、臨戦態勢に入ったということであり。

 

 空気が変わる。

 

「直哉様、抑えてください」

「伽藍ちゃん、ええよな」

「愚問」

 

 ――ホォォォオ…!

 伽藍の紅い呪力が、空間を歪ませて熱を生む。

 呪力特性による熱が、木製の廊下に焦げ目をつけて、更に温度は上がっていった。

 そして。

 

「術式解放…」

 

 ――ブチリ

「…マジか」

 

 "それ"は、特別1級術師として数々の修羅場を潜った直哉から見ても、常軌を逸する行動だった。

 伽藍の術式は知っていた。骨と肉を創り出し、そして操作するシンプルで強力な術式だ。

 だが逆に言えば、術式使用時に起こる肉体の損傷、骨が皮膚を突き出したり、肉が剥がれる痛覚というものが、使用者に襲い掛かる毒だ。

 

「君、痛覚ないん?ちょっと引いたわ」

「慣れればそうでもないぞ?」

 

 前腕の、筋線維の一つ一つが意志を持ったように、まるで蛇のようにうねりだし、ワイヤーを形成するかのように編み込まれていく。

 そしてそれを覆う形で、骨が肉を突き破り、鎧のように成形されていった。

 術式と己の血肉で作った、殴り合い専用のグローブ。

 

「いつでもええで」

「そうか」

 

 互いに腰を落として、腕を向けあい姿勢を変える。

 衝突する呪力と戦意に反比例して、周りから音が消えた。

 

 ――ゴッパァ!

 

「チィ…!」

「ッハハハハ!」

 

 互いの()()が互いの頭を蹴り、そして互いに左腕で防御を行う。

 怪我をさせてしまう、してしまうなどという甘い考えは、もはや欠片も頭には残っていない。

 空気を切り裂き、それすらも凶器にしてしまうほどの速度で、首を、胸を、互いに攻め合い殺気をぶつける。

 直哉は右腕を構える。勿論それは伽藍にも見られている。

 幾千、幾万の読みあいの中で、こんな素直な攻撃が当たるなど思ってはいない。

 右腕を振るう、伽藍はしゃがんで避ける。

 直哉はそこで、あえて更に踏み込んで加速を行った。狙いは――

 

(首…!)

 

 見事な一回転を果たし、直哉の右足が鎌のように襲い掛かる。

 一度両手でしゃがんでしまった伽藍に、これを受ける手段はない。そのままクリーンヒットすると思った瞬間。

 

(取った――っ!?)

 

 目の前から伽藍が消えた。

 

(何が…――っ!!??)

 

 そして瞬時に、直哉の顔面に襲い掛かった衝撃。

 意識が混濁しつつも、身体は負けじと反撃を繰り出すが、目の前の伽藍には当たらない。

 

「シャチホコかいな…!」

「一本取ったな」

 

 両腕で身体を支えつつ、先ほどよりも更に低い姿勢で、地面に張り付く伽藍の姿。

 そしてまるでシャチホコのように、足裏で蹴りを放つカウンターを繰り出したのだ。

 

「まだや…!」

「上等」

 

 互いに指を鳴らし、再び臨戦態勢に入ろうと構えた瞬間。

 

 

 

「何をやってるんだお前らは」

 

 乱入者の声で止められた。

 

「直哉、これ以上やるならこっちにも考えがあるぞ」

「わかった、わかったちゅうねん。うるさいパパやでホンマ」

「伽藍、お前もだ。何喧嘩を買ってるんだ」

「ふむ…続きはまた次回だな」

「次回じゃない、お前たちもさっさと持ち場に戻れ」

 

 その言葉で、静観していた周りの使用人たちが、一斉に散っていった。

 たった一言で、辺りの空気を掌握し、そして仕切ってみせた。この男こそ。

 

「さっさと話を終わらせるぞ、来い」

「あぁ、わかったよ」

 

 禪院家26代目当主、禪院直毘人である。




 伽藍
呪術界の腐った文化も、男尊女卑の思想も、全てが「どうでもいい」
基本的に超実力主義者なのであらゆる不幸と被害者は「ふーん」で済ます、死んでも興味なし。
任務中、重症を負った仲間をそのまま無視して、呪霊との戦いを楽しんだことで見殺しにし、軽い騒ぎを起こした。
本人は「弱いのが悪いんだろ」の精神。死んだのがそれなりの実力者だったら「どうせ死ぬならさっき戦えば良かった」とか言う。

 霞ちゃん
勿論あの子、とんでもないやつに拾われた。
他の家族は荼毘に伏しました。


名前  :伽藍(がらん)
性別  :女性
年齢  :82歳(生前)~17歳(現在)
誕生日 :10月31日
身長  :176cm
所属  :京都府立呪術高等専門学校2年
入学方法:推薦
階級  :1級呪術師
特技  :戦
好物  :食べられるもの
苦手  :食べられないもの
ストレス:もっと強い人間と戦いたいのに戦えない
備考  :最近羂索に子守り歌を教えてもらった。


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7話.京の禪院②ー茶番劇ー

 直毘人すき。


「直哉と言ったか?アイツはいいな、将来期待だ」

「フン…確かに実力はある…が、性根の方に少々問題があるがな」

「なんだ、あの程度可愛いものだ。それに強い人間と言うのは揃って我が強いものだからな、あれくらい大目に見てやれ」

「確かに、他ならぬお前自身もそうだからな、伽藍」

「おいおい、私なんてまだ優しい方だ。宿儺なんて赤ん坊みたいなものだぞ?まぁ、アイツは癇癪で泣くのではなく人を殺すがな」

「ブッハッハッハ!呪いの王を赤ん坊呼ばわりか!」

 

 御三家、禪院家の当主と。一介の1級呪術師。

 互いに階級は同じ1級術師だが、本来なら同じ肩を並べて、こうして談笑しながら歩くなどありえない関係だ。

 

 この例外を除けば。

 

 本来かけ離れた場所にいるはずの2人は、今こうして一緒に歩いている。

 その会話も弾み、互いに無駄な緊張もない、砕けた空気だ。

 

「相変わらずだ、最後に会った時と変わらんようだな」

「変化は人によって意味が変わる。退化して衰えるか、成長して高みに昇れるか。私の変化は後者であって欲しいがな」

「その戦闘狂(バトルジャンキー)ぶりも変わらん。うちの連中も少しは見習ってほしいものだがな」

「ほう?私としては現代術師最速…と呼ばれるお前と戦ってみたいんだが」

「もう引退した。正確には…今は現代術師()()だ」

「…なに?」

 

 "現代術師最速"

 

 それこそ禪院直毘人の異名。その由来は彼の生得術式である、"投射呪法"による圧倒的移動速度によって付けられたものだ。

 己の視界を画角とし、1秒以内に己の肉体と、その動きのフレームを作り上げ、トレースする近代の術式。

 まるでアニメのように、それでいて素早く、力強く、最高速度は音速にまで至る。

 それ故に最速。だからこそ伽藍は心底驚いた。

 

「何があった、衰えたということはあるまい」

「五条家の小僧だ、今はアレが最速になった」

「…五条、か。確か…」

「"無下限呪術"だ…知ってるだろう?」

「………正気か?」

 

 扉を開けると、当主のために用意された静かな和室が目に入った。

 2人はその中央の机を挟むように座り、互いに茶を飲みながら話す。

 はて、と。

 

「無下限呪術使い…昔に何度か見た、確かに破壊力と利便性は見事なものだが…」

「だが?」

「所詮その利便性は机上の空論だ。所詮一発屋だろう、燃費が悪すぎる」

 

 "無下限呪術"

 

 それは現在、御三家の一つである五条家の相伝術式。

 収束する無限級数。永遠の距離と空間を支配し、現実に顕在化させる究極の術式。

 だがその実態を知った時。それを思い返しながら、伽藍は苛立ちを隠さずに続ける。

 

「私も最初見た時は感激したさ、嫉妬するほどにな…だが最初だけ、素質だけだ!一度術式順転を発動するだけで、呪力も脳もやられる、評判詐欺もいいところだ!」

 

 無限という概念。それは本来人に宿る術式の、内包に囚われない対象、まさに無限の可能性を感じる外延能力。しかし、現実はそう甘くはない。

 本来この世界にありはせど見えない。それどころか観測すらできない"無限"という概念。それを扱うには言葉通り骨が折れるもの。

 無下限呪術使いは皆、ただ術式を発動しようとするだけで脳が焼かれ、呪力のほぼ全てを持っていかれる。

 それほどまでに、制御の利かない暴れ馬なのだ。

 

「あんな欠陥術式を相伝に?何の冗談だ、笑えんぞ?」

「ッハハハ!それ、五条家の奴らの前では言うなよ?これ以上の面倒は御免だ」

 

 由緒正しい相伝と家系、呪術界でも頂点に君臨する地位。それにここまでズバズバと言えるのは彼女こそだろう。

 それ故に、彼女には"強さ"以外の要素がノイズなのだ。

 たとえ歴史が浅くとも、逆にどれだけ由緒正しい古代からの術式でも、伽藍という術師にとっては、"強ければ"それでいい。

 直毘人にとって、それは心地の良いものだった。

 

「フン、本当のことを言って何が悪い」

「まぁ落ち着け、確かに無下限呪術は俺も思うところがある…だが逆にだ」

「逆に?なんだ」

「無下限呪術を完全なノーリスクで使えたら…それは、どれだけの高みに至れる術師になれると思う?」

「…………なに?」

 

 ゴツン。と湯呑が置かれる音が響く。

 しばしの沈黙、そして。

 

「ありえん…とは言い切れんな、方法は?」

「方法もクソもあるか、呪力操作、それに術式や天与呪縛とは違う…アレは完全な、正真正銘天からの祝福(ギフト)だからな」

「…六眼(りくがん)か」

「知っていたか」

「あぁ勿論」

 

 六眼。その言葉を口にして、伽藍の表情は更に歪む。

 

「天元に星漿体(せいしょうたい)…チッ、忌々しい…呪いの因果に守られた、呪術の子守り道具が」

「…………今のは聞かなかったことにしよう、お前の首が飛ぶのは勘弁だ」

「無下限呪術に六眼…か……ハッ、なるほど。どうやら相当運がいいようだな?その五条家の餓鬼は」

「あぁ、数百年ぶりの抱き合わせだ」

 

 100数年、そして生まれた赤子と、それに生得術式が刻まれ、尚且つそれが相伝である…

 それは、どれほどの確率を超え、因果に愛された者が得られる特権なのだろう。

 あぁ、忌々しい。忌々しく、そして何より。

 

「私も…どうやらまだくだらない人間のようだな。どうやら未だに、それへの嫉妬心を捨てきれんようだ」

「意外だな、お前ほどの女でも嫉妬をするのか」

「当然」

 

 直毘人にとって、その独白は驚きのものだった。そして同時に納得もした。

 目の前の実力者が、どれほど強さと戦いを求め、そして愛しているかは理解している。

 

 呪術師というのは、才能が8割の世界だ。

 

 生まれつきの呪力量に呪力出力、そして生得術式と結界術。唯一例外なのは…呪力操作の精度くらいのものだろうか。

 だからこそ、彼女が努力では決して埋められないものである、六眼という呪術の寵愛に対して、これほどの感情を持っていたことに驚いたのだ。

 

「幻滅したか?こんなどうしようもない女に」

「お前は少々血生臭いところはあるが、逆に安心した」

「安心、か」

「お前も、嫉妬のできる1人の人間だということがだ」

「っく、ククク…!」

 

 くつくつ。まるで可笑しいと。

 

「なぁ、直毘人」

「なんだ」

「お前は、いい男だな」

 

 伽藍は悪戯じみた、控えめな笑顔を見せて笑った。

 

 ――あぁ、これだから。

 

「外見詐欺もいいところだ、並みの男は騙されそうだな」

「ほう?お前は騙されないのか?」

「あぁ、勿論」

 

 当たり前だろう、と。

 直毘人は残りの茶を飲み干して、お返しに、自分も静かに笑った。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「前置きはこれくらいにして…本題に入るとしようか、伽藍」

「あぁ」

「この前の合同任務での責任…そのことだ」

「あぁ」

「先に言っておく、禪院家は、俺はお前に何もしない」

「ほう?」

「下の奴らが色々と言ってくるだろうが…無視しろ、関係ない」

「なるほど」

 

 それなりの談笑を終えて、いざ始まった本題。

 しかし、その終わりもあっという間で。

 互いに茶のおかわりを口にして、しばしの沈黙が降りる。

 

「等級は2級…かと思われていたが、その実1級呪霊が4体という階級詐欺、よくあることだ」

「だがお前と一緒に祓った」

「あぁ、だが1人死んだ」

「らしいな、だがよくあることだ」

「お前が助けを無視をした若造が、だ」

「らしいな、それだけか」

「あぁ、それだけだ」

 

 ――嫌だ!助けて!死にたくな…!

 そう言って、呪霊に喰われて死んだ若者。直毘人はそれを思い出し、しばしの沈黙を下ろす。

 伽藍は「あー…」と、気の抜けた言葉を漏らして、結局「顔が思い出せん」と切り捨てた。

 

「死にたくない、そう泣き叫ぶ術師を、お前は無視した」

「悪かったか?」

「いや、結局弱いやつは死ぬ、それが今回あれだっただけで、それにこの程度のことはいくらでも起きる」

「同感だ」

「だからだ、今回の話はこれで終わりだ、俺はな」

「…つまり?」

 

 伽藍とて理解はしている、いくら当主が良しと言ったからとて、その下につく者全員が、同じように良しと納得するはずがない。

 必ず、どこかに亀裂が入るもの。

 

「くだらん嫌がらせや背中を狙う行為…お前なら何の問題もない、だがそういう輩こそ、くだらない手段に頼るようになる」

「そうだな…とりあえず狙うのはあの餓鬼()と…あとそれと関わりのできた…真依か、私ならあいつらを狙う」

「まぁ、それが一番手っ取り早いだろうな」

「面倒なものだ…だが」

「あぁ、だからこそ。それに対する回答も簡単なものだ」

 

 人は一度恐れたことを、者を、恐れたという事実を忘れることはなくなる。

 ならば覚えさせればいい、くだらない手段では意味がないことを。

 ならば恐れさせればいい、一生消えない恐怖と記憶を。

 

「建前は…集団での戦闘訓練とにでもするか?まぁ何にせよ、お前を勝手に目の敵にしている奴は簡単に乗ってくるだろう」

「本当にか?そんな馬鹿正直に向かってくるか?普通」

「あぁ来る、なぜなら()()()()()()()だ」

 

 禪院家に非ずんば呪術師に非ず 呪術師に非ずんば人に非ず。

 

 それは禪院家の人間にとっての共通意識。

 呪術を至高とし、それ以外は役立たずとして切り捨てる、どこまでも腐った意識。

 そして女は、同じ立場にあがる価値すらなく、胎としての役割のみ。

 だが、伽藍にとっては気に留めるほどのものではない。

 

 唯一、それは。

 

「私は、宿儺のいる時代を生きてきた」

「あぁ」

「あの時代を、血肉沸き踊る時代を生きてきた」

「あぁ」

「だが女というだけで、戦いもせず見下すのか?」

「あぁ」

「私よりも弱い、有象無象がか」

「あぁ」

 

 空気が軋む。

 

「張り合いのない雑魚どもが、私をか」

「気に喰わんか」

「あぁ気に喰わんとも、俄然やる気が出てきたさ」

「ならいい、いい刺激になるだろう、どうせなら思い切りやれ」

「言われずとも」

 

 平安より黄泉返りし闘鬼、伽藍。

 

「有象無象共に魅せてやるさ」

 

 その凶悪な笑みは、どこまでも呪いの王(両面宿儺)にソックリだった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 当主、禪院直毘人による招集。

 

 それは瞬く間に広がっていき、その日禪院家にて待機していた術師たちが、全て一か所へと集められた。

 禪院蘭太、そして直哉を含む"炳"の数名は既に任務で出ており、残る数人が集まる形になったものの、残った者も、選ばれた実力者だ。

 それらが一斉に集まることに、疑問を感じるのは当然といえるだろう。

 

「ったく…なんだって今日なんだろうなぁ」

信朗(のぶあき)様、これ以上は…」

「あーわかってるわかってるって!俺も怒られるのは御免だ、てか何の用でだよ、お前らなんかした?」

「い、いえそんなことは…」

「だよなぁ?俺も覚えないし…あ、マジな?振りじゃないぞ?吉本みたいな」

 

 等しく、頭髪と服装を統一し、"個性"を殺した剣士の集団。

 それら先頭に立つ、これらを率いる男のぼやきが、全てを語っていた。

 

 躯倶留隊(くくるたい)隊長、禪院信朗。

 

 躯倶留隊…呪術を至高とし生きる禪院家にとって、術式を持たずに生まれた子は、落伍者として一生を過ごす、役立たずだ。

 髪も、服も、出来損ないに自由はない。

 術式を持たない禪院家男児は、皆躯倶留隊への入隊を義務付けられており、日夜武芸を叩きこまれる。

 役立たずといえど、刀を握れば多少はマシになる。そんな考えが当然とされるのが禪院家。

 

「うーい、到着しまし…」

 

 スパンと、景気よく襖を開けて、足を踏み入れた信朗は、すぐに言葉を失い、口をあんぐりと開けた。

 

 辺り一面が真っ赤に染まる、水面上の世界。

 

 本来そこにあるはずの畳や、調度品などの姿は既になく、あるのは花のように地面から咲く、人骨の腕だった。

 一瞬脳が混乱し、直ぐに思考が回転を始める。

 

「………………びっくらポンだぜ…」

 

 信朗は静かに、部屋の中央で、人骨によって形成された玉座を見た。

 目を閉じて、まるで眠っているかのように在る、その姿。

 信朗は知っていた、その正体を。

 

 平安より黄泉返りし闘鬼、伽藍。

 

 呪術界を騒然とさせた、呪術全盛から訪れた呪術師。

 

「…こりゃあ…」

 

 いくら術式がなかろうと、躯倶留隊とて呪術に身を置く立場の人間。

 それ故に、今こうして目にしている景色の正体に気づき、そして驚愕する。

 これは、れっきとした結界術だ。

 

(領域展開…だよな?いや似てるけど違う?それにこの違和感…)

 

 もしこれが戦闘中であれば、今頃自分は領域の必中効果によって、既にこの世からいなくなっているだろう。

 訓練?だがそれでも今か?こうして自分が来る前から、消耗の激しい領域展開を使う意味がない。

 思考は続く。

 

(どっちにしろ俺らが呼ばれたのには理由があるはずだ、それを…)

「――おい、いつまで続ける気だ?」

「安心しろ、もう集まった」

 

 信朗の思考を覚ましたのは、目の前の女…伽藍の苛ついた声と、それに答える老人の声。

 ハッと人骨の山の向こうに目を向けると、そこには当主である、禪院直毘人と少女がいた。

 それによく見ると、その周りには、見慣れた炳の術師たちと、禪院の人間ではない術師たちがいた。

 

「フン、じゃあもう始めてもいいのか?」

「好きにしろ、あといい加減この趣味の悪い空間をどうにかしろ、自分の子供に何を見せてるんだお前は」

「すごい!真っ赤だね!」

「…養子とはいえ親子か」

「どういうことだお前」

 

 目の前で行われるやり取りに、信朗はただただ困惑を極める。

 なぜ平安出身とは言え、未だ地位も信頼もない1級術師の女が、御三家の当主である直毘人と気さくに会話をしているのか。

 そしてそれ以上に、今回自分たち躯倶留隊が呼ばれた理由が――

 

「なら、始めよう」

 

 ――ゾクリ

 開かれた、その瞳。

 どこか暗く粘ついた、悪意に似た黒い輝き。

 そしてそれが意識から外れるほどの、その数倍光る赤い輝き。

 それに当てられただけで、まるで蛇に睨まれた蛙のように、身体に硬直が走った。

 

「さぁ、いつでもいいぞ?」

 

 領域が解体され、本来そこにあった禪院家の部屋。

 足元にあった、血の池の感触も消えて、完全に元に戻ったことがわかる。

 ミシリと、伽藍の素足が畳を踏む音が聞こえる。

 

「かかってくるといい」

 

 首をかしげて、まるで知人との会話をしているかのような、完全に脱力した態度。

 かかってこい。その言葉はわかる。だが誰も動かない。

 

「どうした?」

 

 訓練、それはもう既に理解した。

 もう始まっているのだ、既に開始の合図は鳴っているし、あとは自分たちがかかるだけ。

 ――それなのに…!

 

「…来ないのか?」

 

 ――身体が動かない!

 刀は握った、足腰に力も入っている。それなのに、それなのに身体は動かない。

 隙だらけだ、油断もしている。それなのに、自分の刀が当たる確信が得られない。

 信朗だけではない、他の隊員も、見えない実力という壁を理解し、かかることができない。

 そのまま膠着が続き、それを破ったのは伽藍だった。

 

「…おい直毘人、話が違うぞ」

「フン、俺も驚いてる。まさかここまでだったとは…」

「それはどっちの意味でだ?」

「両方だ、まさかここまで臆病で、危険意識があったとは…」

「おじいちゃん、どういうこと?」

「術師として合格だが、それとして不合格…?ということだ、わかるか?」

「ふーん…?」

「ブッハッハッハ!まだ子供には早かったか!」

 

 失望。

 言葉で表すならそれだろうか。伽藍の躯倶留隊を見つめるその目は、どうしようもない侮蔑の視線であった。

 はぁ…とため息を零し、すぐに言葉を続ける。

 

「おい…私は、女だ」

 

 ――お前たちは、私を下に見ているのだろう?

 その言葉で、躯倶留隊の動きが止まる。

 躯倶留隊に限らず、呪術界に溢れたその思想、それを直に指摘され、一瞬動揺が走る。

 そしてふと、何かを閃いたかのように顔を明るくし、手を叩く。

 

「あぁそうだ、折角なら褒美もやらんとな!」

 

 れ。と舌を出して、伽藍は挑発的に笑って見せる。

 

「金銭は腐るほどあるだろう?ならば地位か?いいや、今の私にそのような力はまだない…となると」

 

 確かに、その特殊性ありきとはいえ、今の伽藍はただの1級術師だ。

 そんな伽藍が、この男たちに与えられる褒美、それは――

 

「私に一撃を入れられたら、ソイツと床を共にしてやろう」

 

 空気が凍った。

 

「…は?」

「床だ床、まさか未経験ということもあるまい?」

 

 直毘人の、不意を突かれた言葉が、今この場にいる人間の全てだった。

 平安。呪術全盛の時代を生きた、真の術師と言っても過言ではない彼女の、その身体。

 

「安心しろ、これは"縛り"だ。お前たちの誰でもいいぞ、私に一撃を入れられたら…――お前の種を貰ってやる」

 

 先ほどまでの、挑発的な表情ではなく。

 1人の女としての、煽情的な顔で笑い、舌を出して誘って見せた。

 

「ッラアアアアアアア!!!」

 

 そうして1人、隊長である信朗の指示を待たずに、本能に任せた叫びと共に駆け出した。

 一度、そうして規律の乱れた隊というのは、そのまま将棋倒しに滅茶苦茶になる。

 すぐさま連携を失い、2人、3人と滅茶苦茶に走り出し、刀を振るう。

 

「よぉし来たっ!」

 

 手を広げて、伽藍はそれを歓喜して、どこまでも愉快に笑って迎え撃った。

 男が振るう刀を、ただの呪力強化で迎え撃つ。

 真っすぐ、伽藍に突き付けられた刃先から、伽藍の拳がなぞるように加速する。

 

 ドチュ。

 

 伽藍の纏う呪力、その特性によって加熱され、一瞬で溶けて消えた刀。

 男が一瞬、それに驚愕して視線を逸らした後、すぐに勝負はついた。

 

「はい次」

「アガッ」

 

 バキ、ゴチャ。

 男の背中を転がるように、空中で回転し、蹴りを放つ。

 

「はい次」

「ぐぎゃ」

 

 ゴキ、ベチャ。

 強く握りしめた拳が、男の顔面を陥没させ、燃やす。

 

「はい次」

「あばばっ」

 

 ズチュン、…チーン。

 伽藍の蹴りが、男の股間に炸裂した。

 

「あ、不味いところに入ったな今」

「オ"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"!!!!!」

「スマンやりすぎた、とりあえず眠っとけ」

 

 伽藍の拳が、股間を押さえて蹲る男の鳩尾に突き刺さり、そして意識を奪う。

 それを見て、信朗と直毘人は勿論、それを観戦していた他の男術師は、心底その男に同情した。

 そうして死屍累々となった躯倶留隊の山を眺め、伽藍は満足そうにうん、と頷いた。

 

「いたそー…」

「アレを見てそれだけか…つくづく親に似てきたな」

「ほんと!?私お母さんそっくり?」

「あぁ、将来期待だ」

(おい!なんでアンタ達だけは楽しそうなんだ!?)

 

 そう、信朗がちょっとした恨みを込めた視線を向けると、直毘人は知らん顔で目を背けた。

 勿論信朗はかかってなどいない。流石に魅力的な餌を見せられようとも、実力差くらい理解している。

 そしてあっと、伽藍が思い出したかのように声をあげて、信朗の方を見て言った。

 

「お前はどうするんだ?やるか?」

「あ、遠慮しときます」

「よろしい」

 

 勘弁してほしい、あんなのを見てしまったら戦う気なんて起きやしない。

 伽藍も満足したのか、それ以上何も言わずに終わらせた。

 

「なんだつまらん」

 

 何か(直毘人)聞こえるが無視だ無視。自分だって情けないのは自覚してる。

 でもそれ以上に、これ以上怖いのは勘弁だ。

 だって冷静に考えたら平安だもん、あの両面宿儺のいた時代だもん、絶対無理だもん。

 信朗の脳内では、そんな言葉で溢れていた。

 

「…しーらね」

 

 信朗は考えを放棄した。

 そして帰って、今日は早く寝ようと決めた。

 きっと夢 いい夢が見れるだろう、そう信じて。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「やはり、素手での喧嘩も悪くないな」

「お母さん強かったね」

「当たり前だろう、この程度は朝飯前だ」

 

 軽く躯倶留隊を放り投げた後の、喧嘩の余韻に伽藍は浸る。

 しかし、彼女が事前に予想していたよりも、思った以上には楽しめた。術式がなかろうとも人は強くなれる、久しぶりにそれを実感できたから。

 今もこうして、自分の腕に座る霞もそう、いつかは自分に並ぶのだろうか?自分の首を飛ばせるのだろうか?

 その可能性が愛おしい。伽藍はそう、いつか訪れるであろう戦いの愉悦を想像して、笑う。

 

「こんにちはー!」

「っ、こ、こんにちは…」

 

 霞が廊下ですれ違った、先ほどの戦いを見ていたであろう男に挨拶をする。

 すると一瞬、男は伽藍にも目を向けて、そそくさと通り抜けていった。

 

(…ふむ、どうやら直毘人の予想は正しかったようだ)

 

 あの、本当にやる意味があったのかすらも怪しい茶番。

 だがどうやらあの一戦で、伽藍への畏怖は本当に、以前よりも深まったようだ。

 本来警戒する必要など皆無のはずの、霞への視線にも、恐怖の感情が混じっている。

 

「じゃあ帰るか」

「うん!」

 

 少々手間がかかったものの、これで自分への、無駄な妨害はなくなるだろう。伽藍はそれに納得し、歩き出す。

 だが逆に、それでも尚、彼女へ向かう者がいるのなら、それはきっと――

 

「お姉ちゃん!」

「ってて…心配すんなっての、この程度かすり傷だ」

 

 声が聞こえる。

 

「…あっ」

「ほう」

 

 中庭、伽藍が直哉と拳を交えたその場所で。

 全身を傷だらけにした少女と、それを介護するもう一人の少女。

 その後姿を見て――

 

「確か…真依といったか」

「っ、はい…」

「それとは姉妹か?」

 

 伽藍に気づいた真依が、恐る恐る彼女の疑問に答える。

 そしてなるほど。そう彼女は納得して、先ほど直哉に嬲られていた少女に視線を向ける。

 にしても、これほどの傷を負っても未だ意識が残っているとは、よほど素の肉体が頑丈なのだろうか。そう疑問を感じて。

 

「おい、お前の名前は何だ」

 

 伽藍がそう問うと、その少女は顔をあげて、彼女を睨め返した。

 

「…あ?お前こそ誰だよ」

「…ハッ、よく吠えるな」

 

 ――あぁ、これだから餓鬼は面白い。

 コイツもいい目を持っている。新たな好奇を見つけ、伽藍はそう笑みを漏らした。




伽藍
 見込みのあるガキンチョ大好き、実は処女。


直毘人
 観戦中、ずっと三輪ちゃんに髭触られてた。


信朗
 多分私くらいです、呪術の二次創作にこの人出すの。


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8話.日と星

 我ら、平安アミーゴ。


「お姉ちゃんっ!」

 

 禪院家、その中庭の中央で、禪院真依は声を上げる。

 彼女は双子だ、呪術界では凶兆とされている、一卵性双生児の妹。

 そして、毎日のように行われる、禪院直哉による訓練を称した虐待は、今もこうして彼女に牙を剥いていた。

 

「ってて……心配すんなっての、この程度かすり傷だ」

 

 直哉によって顔面を蹴られたものの、その生まれついての頑丈さにより、軽い出血で済んだのは幸運だろう。

 だがその特異性は、呪術を至高とする禪院家では忌み嫌われるものだった。

 

 禪院真希。禪院真依の双子の姉にして、呪力を犠牲とした天与呪縛を持って生まれた者。

 

 術式はおろか、呪力すら持てず、更に女として生まれてきた真希の、禪院家での扱いは最悪に位置するものだ。

 今こうしてる間も、傷だらけの少女を助けようとする者も、心配するような者もいない。

 そんな彼女を蔑み、甚振る当主候補の直哉の顔、それは、一種の侮蔑と――

 

「…クソッ」

 

 全身に走る鈍い痛みが、真希の思考を鈍らせる。

 胃液がこみ上げてくるほどの焦燥と、その様子を見て、更に焦る妹の姿。

 震える身体を誤魔化すように、指に力を入れて、地面を更に強く握りしめる。

 

 そんな時だった。

 

「――おい」

 

 どこまでも無機質な、誰かの声が聞こえてきたのは。

 

「…あ?」

「お前の名前は、何だ」

 

 知らない。少なくとも禪院家では聞いたことのない、誰かの声。

 嘲笑の気配も、落胆の声でもなく、そこにあるのはただの疑問の感情。

 心の底まで見透かされたような、よく耳まで通る覇気のある声。

 

「…お前こそ誰だよ」

 

 常に虐げられてきた影響か、反射的に真希は顔を上げ、声のする方を睨み返す。

 そこにあるのは憐みか、嘲笑か、とにかくどんな瞳だろうと、それを潰す勢いで睨み返そうと力を込める。

 そうしてそこにいたのは、白く輝く銀髪をなびかせた、自分と同じ女の人で。

 ほんの少しあっけにとられて、そして目の前の女が、面白そうにハッと、頬を吊り上げ笑ったことで意識が戻る。

 

「よく吠えるな、その反骨ぶりは見事だと言ってやる」

「…ハッ、んだよ…お願いすれば助けてくれんのか?」

「ほう?私に助けて欲しいのか?なら今助けてやろうか?」

「っ…いらねぇよ…!」

「フン。ならいい、元より助ける気など微塵もなかったから安心しろ」

 

 そう言って、真希が手をついて立ち上がる間も、彼女は真希を見つめるだけで、何も干渉をしてこなかった。

 どうやら、彼女は本当に助ける気などなかったようだ。

 真希としても、そんな憐みや情けで、助けられるつもりなどなかったためそれはいい。

 だが、落ちこぼれの烙印を押された真希へ、じっと向けるその瞳が不気味だった。

 ほう…と、まじまじと、隣で肩をビクリと震えさせる真依を見つめて。

 

「お前が、妹か?」

「っ…はい」

「あんまりだな、これは酷い。呪縛もない…肉体は普通、しかし生まれついての呪力量がそれか?しかも双子か…術式は……」

「ッおい…!」

「となるとお前が姉か。そっちは呪力が…か、これも酷いな。基礎的な呪力を練ることすらできん、呪力強化などもってのほかだ、しかも肉体の強化幅が…」

「黙れよ…!」

 

 一人推察を始める姿を睨み、真希は声を荒げる。

 自分はいい、どれだけ見下されようが、どれだけ踏みつけにされようとも耐えてやる。

 必ずいつか見返してやる、そしていつか、この世で一番大切な妹のためにこの場所を、禪院家を変えてやると。

 だから。

 

「その目で、真依を見るな…!」

 

 品定めするかのような視線、禪院家で毎日のように向けられるそれを、妹に向けるなと。

 遥か格上の相手に、無謀に睨みつけ、吠えた。

 

「…いい。実力、立場両方が不相応だが、故に気に入った」

 

 そして、女はそう言って、満足そうに目を細めて、自分を睨む真希を見つめ返す。

 その顔には更に、隠しきれない期待と好奇が浮かんでいた。

 だが先ほどと違い、そこには確かに、一種の敬意が含まれていた。

 

「私は伽藍。呪術全盛、平安の世を生きてきた生き残り。改めて聞く、お前の名前は?」

「……真希」

()()。そうか、覚えておこう」

 

 苗字は聞かない、対する真希も、答えるつもりはない。

 高貴な血、生まれつきのハンデ(天与呪縛)。それらは全て価値に値せず。

 伽藍が求めるのは、欲望への"飢え"と、それを望み続ける個人の"我"。

 

「お前は何故強くなりたい」

「私が、禪院家当主になる。そうしてこの腐った家を変えてやる」

「できるのか?お前に」

「やってやる。出来損ないが当主になって、アイツらの悔しがる顔を笑ってやる」

「悪くない、熟した時が楽しみだ」

 

 そう言って、隣に立つ青髪の少女を抱きかかえた伽藍は、もう用はないとでも言うように、背中を向けて歩き出した。

 その足取りはどこまでも、力強くて堂々としたもの。禪院家では見られない、美しい女性の仕草。

 真希が最後に見て、聞いたのはその姿と、伽藍がふと零した独り言だった。

 

 

「お前が、()()()()()()が楽しみだ」

 

 

 それが妙に、耳に残って仕方なかった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 こうして思い返してみると、やはりここに来て正解だったと、伽藍はそう実感する。

 たとえ衰え退化しようとも、それを受け入れられない者がいたのだとしても。

 確かにいたのだ、かつての自分と同じ、目指す者がこうして。

 

 己の我を突き通す者(禪院直毘人)、望みの果てを目指す(禪院真希)者。

 

「おかあさん…?」

「…気にするな、少し考えていただけだ。もう一人で歩けるか?」

「うん!」

「降ろすぞ」

 

 ふむ、やはり子供は元気なものだ。

 自分がどうだったかはよく覚えていない、が。しかしここまで、活気溢れる程では無かったはずだが…

 

「あまり遠くに行くなよ」

「はーい!」

 

 そう返事しながら、霞は全速力で、伽藍から離れて行った。

 

「……………」

 

 ――あの餓鬼…!

 

「ッハハハ!平安術師様も、子育てに苦労するもんなんやなぁ」

「…やはり居たのか、直哉」

「おっ気づいてた?真希ちゃんと話してる時から、実はこっそり後ろで見てたんやけど」

「通りで、視線を感じたわけだ」

 

 気づかなかったわけではない。凪いではいるが、確かにそこには呪力の気配を感じた。

 なにより視線、体温。その他の人間の残す残穢が、こちらを射抜いていたから。

 

「にしても、なんであんな出来損ないに目掛けたん?」

「アイツか?あー……まぁ、あれだ。期待半分…そんな感じだ」

「やめといた方がええで?俺の方が見所あると思うんやけどなぁ」

「ハッ。最低でも、直毘人程の男になってから言うんだな」

「うげぇ…それ反則やって」

 

 まるで勘弁だと言うように、直哉は顔を顰めた。

 しかし口ではそう言いつつも、実父の実力は認めているようで、それ以上は言わなかった。

 

「お前もいい目をしている、次会った時が楽しみだ」

「なんや、もう行くんか?」

「あぁ、世話になったな」

「もう少しいてもええんやで?パパも伽藍ちゃんのこと気に入ってるみたいやしな」

「知ってる。それに、近いうちにまた来るさ。ここは居心地がいい」

「ハハハ、それはよかったわ」

 

 伽藍と同じ、(呪い)の極致を目指す者。

 彼女が禪院家を出ようと歩き出した時、直哉はいつの間にか、彼女の隣に立って、話しかける。

 

「にしても、全く派手なことするなぁ。女なんやからもっとお淑やかな方がええんちゃう?」

「フン、くだらんことを」

「いやいや。女は普通、男の後ろ歩いて付いてくるべきやと思わん?」

「どうでもいいな。もし私にそうしろと言うなら、今ここでお前の背中を蹴り上げてやる」

「うわ、こわ~」

 

 どこまでも澄んだ、強さへの渇望。

 歳をとり、衰えていく日々の中でも、伽藍が忘れなかったそれを、直哉は今持っている。

 彼はふと足を止めて、吐き捨てるように言った。

 

「どいつもこいつも、得物ぶら下げて偉そうにしてるくせに、誰もその強さを信じひん」

「…………」

「多分俺だけやった。いや、もしかしたらパパはわかってたかもしれへんな」

「……それは」

「誰も、甚爾くんの強さを、"あっち側"の存在を見いひんかった。馬鹿な奴らやで」

「……」

「術師殺し…って言われてる殺し屋や、会ったんやろ?」

「ああ」

 

 ――なるほど、この男が求める強さの先は"これ"か。

 天賦の肉体、この世で最も縛られた者でありながら、呪いから脱却した自由な男。それを伽藍は思い返す。

 

「残念ながら闘ることは無かったが…それでもわかる。アイツは強い」

「当たり前やろ、甚爾くんなんやから」

「ククク…そうだな。あれほどの逸材を捨て置くとは、あまりにも勿体ない」

「自分の方が弱いくせに、それを自覚してる癖にや。呪術も使えん猿やって、隠れて笑うんやで?ウチのおっさん共は」

「つまらんな」

「あぁ、しょうもないわ」

 

 本当にくだらないと、2人で笑う。

 

「今のあんたは、あの時見た…あの目と同じやった」

「…思い出話か?」

「あぁ、もっと聞きたい?」

「いや遠慮する。"それ"は、自分のためだけに取っておけ」

「…そうやな、そうさせてもらうわ」

 

 どうやら、直哉の言う"あっち側"とやらに、伽藍は既に含まれているらしい。

 呪力、身体能力……それらを明確に区別するものじゃない、純粋な"力"。

 いつか彼が見たそれは、きっと彼女も望む、強さの象徴と一緒なのだろう。

 

「また会おう、直哉」

「あぁ、ほなまた」

 

 ――嗚呼、本当にいい目をする男だ。

 その瞳を見て、より一層そう思う。強さへの渇望だけなら、もしかしたら真希を超えるかもしれないと。

 まるで、昔の自分を見ているような気分だった。

 

 

 

 

 

「あ、お母さん!」

「やぁ、君が伽藍かい?」

「は?」

 

 目の前には、浮遊する蛇のような形をした式神。

 それとじゃれ合う霞の姿と、それを見守る金髪の女。

 

「ところで…どんな男が好み(タイプ)かな?」

「あ?」

 

 とても、面倒くさそうな予感がした。

 

 

 

 

 

「……お前は誰だ、いきなりなんだ」

「アッハッハ。すまない、自己紹介がまだだったね?特級術師、九十九由基(つくもゆき)……って言えばわかるかな?」

「…………………………あぁ、そうだな」

「え、もしかして知らない?」

「知らん」

「マジが~!?…あ、ここ座る?」

「…あぁ」

 

 すぐに切り替え、九十九は一緒に、公園にあるベンチに伽藍と同時に座る。

 そしてその反応を見るに、どうやら自惚れではなく、本当に自分を知っているはずと思い込んでいたらしい。

 見た感じ敵意はなく、だからといって無防備という訳でもない。

 その全身からは、一定の出力を保ちつつ、呪力が溢れその身を保護している。

 間違いなく、強者のそれ。

 

「う~ん…自分で言うのもアレだけどさぁ、私結構な有名人だよ?」

「あ~?………んんん…」

「ほら、思い出した?思い出しただろ!?」

「あー、確か……」

「おっ!なんだい?」

「よく任務をほっぽり出して、海外に遊びに行くろくでな…」

「はいストップストップゥ!それ以上はメッ!!」

 

 ワタシ、コウセンキラーイ。と、棒読みで目を背ける九十九。

 その、一気に威厳だったり、強者特有の威圧感が消えた様子を見て、伽藍は勘違いだったか?と疑問を浮かべた。

 

「でも、今は君の話題で持ち切りさ。なんてったってあの平安、呪術全盛期から黄泉返ったんだってね?」

「お前も話を聞きたいのか?」

「うーん…それも魅力的なんだけど……今回は逆かな」

「なに?」

 

 九十九のその言葉に、伽藍は少なくとも一種の驚愕を覚えた。

 呪術全盛期。現代の呪術を修めた者なら、皆が欲しがる様々な知識。

 実際彼女も、軽い結界術や術式の取り扱いなどの、呪術の知識を聞かせてくれと頼まれたことがある。

 しかし今回は。

 

「今回は私。他ならぬ、私の話を君に聞いて欲しくてね…平安術師様?」

「……聞かせてみろ」

「いいね、話が早くて助かるよ」

 

 さて…と。手を組みなおして、九十九は話す。

 

「私には目的があってね、何だと思う?」

「頭を殺して王になるのか?」

「物騒!?違う違う!…私の目的は平和だよ、平和」

「……はぁ?」

「うわなにその顔」

 

 どんな考えが出るかと身構えたら、出てきたのはある意味確かに、突拍子もない愚かな考えだ。

 

「呪霊をなくしたい、呪霊の生まれない世界を作りたい…といったところかな」

「…呪霊をなくす?」

「そ、なくすの」

 

 そもそも呪霊とは、(おり)のように積み重なってできた負の感情。

 その他の動物ではなく、人間の生み出す負の力、呪力が呪霊を作り出す。

 呪霊をなくすことは、それすなわち呪力をなくすことで。

 

「まさか、全人類から呪力をなくすとでも言うつもりか?」

「おっ?まさにそれを今から言うつもりだったんだよ。あ、もしかして…」

「禪院甚爾だろう、私も会った」

「イイネ!話がどんどん進展していく」

「あぁ、そ――」

 

 そして、ふと遠くで、霞の嬉しそうな声がする。

 ふと目線を向けると、凰輪(ガルダ)と呼ばれた九十九の式神と、楽しそうに遊んでいる霞の姿が見えた。

 …もう少し警戒しろ。そんな戒めの目線を彼女に向ける。

 

「あれは君のお子さん?」

「一応、血は繋がってない養子だがな」

「いやいや超そっくり…と、話を戻すけどね…」

 

 そうして、九十九が語ったのは本命の手段。

 

「術師から呪霊は生まれない…あ、これは流石に知ってるか」

「当たり前だ、死後呪いに転ずるのは含めないよな?」

「勿論」

 

 術師は非術師と比べて、周りにまき散らす呪力が少ない。

 勿論、術式や本人の呪力量、そして呪力出力によっても変わるものだが。

 つまり。

 

「極論だけどね。全人類が術師になれば、呪いは生まれない。ってことだよ」

「…………………フッ」

「え、なにその反応」

「冗談はいい、早く聞かせろ」

「え、結構本気だったんだけど?」

「…………………………はぁ?」

 

 二回目だ。

 どんな答えを聞かせてくれるかと思ったら、出てきたのは荒唐無稽な理想話。

 それに伽藍は、より冷めた表情で言う。

 

「くだらん、まさか本気で術師が呪いを生まないと?何の冗談だ」

「まぁそうだよねぇ~…流石に考えが甘かったかなぁ」

「術師がその気になれば、呪霊など簡単に作れるだろうが。実際今も残っている、簡単な式神術もそう。馬鹿馬鹿しいな」

「じゃあ逆にだ、非術師を一斉に粛清するとかは?」

「余計ありえんな」

 

 個体差はあれ、皆呪いを宿して生きている。

 死後呪いに転じたり、人の怨嗟が地に焼き付くのもそう、たとえ非術師だろうが変わらない。

 人を殺す力に目覚めるきっかけが、皆平等に与えられる。

 それが、それこそが――

 

「それが"死"だ、死ほど最も身近で、最も恐れられる起爆剤はない」

「術師だけの世界だと、量より質の呪いが廻る。非術師を間引けば、大量の怨嗟が土地を汚す…か」

「くだらんな」

「あーわかる、本当につまんなそうな世界だよねぇ~!」

 

 ――なんだ、コイツは何をしたい?何を望んで生きている?

 伽藍は今も尚掴めない、九十九という女の本性が理解できない。

 どれが本当なのか、それとも全てが本音なのか?わからない、わからないが、何より。

 ――何故、私は()()()()()()()()()()()()()()

 

「う~ん、となるとやっぱあれかなぁ…」

「…………前振りが長い、話すならさっさと話せ」

「あ、ごめんごめん。じゃあ言うね?私が真に望む世界、それは――」

 

 そして、九十九はその顔を、より深い笑みで染めて、言った。

 

 ――呪力からの"脱却"だよ。

 

「…脱却だと?」

「そ、この世界から、完全に呪いを消す」

「…禪院甚爾のようにか?」

「あーちょっと違うかな」

 

 そう言って、うーんとこめかみを指で押さえて、九十九は唸る。

 

「世界中で一人だけ、禪院甚爾だけがサンプルだから断言はできない、けどね。簡単に言うと、全人類を彼のようにするんじゃなくて、彼も含めた全人類を一般人化させる…って感じ?だからね」

「…理解した。天与呪縛の仕組みからして、甚爾には本来、宿()()()()()()()がどこかにあったはずなのだろう?」

「…その通り、天与呪縛は足し引きだ、何かを捨てて何かを得る。何かを得るために、やむなく何かを捨てないといけない。禪院甚爾はそれだった」

 

 呪力がない存在、呪いに縛られることによって、逆に呪いのしがらみから解き放たれるという、矛盾した恩恵。

 しかし結局は、その天賦の肉体を得るためにも、本来自分が持つはずだった呪力を犠牲にしている。

 非術師でも呪力を持っているからこそ、持っていないことによる恩恵の足し算が成立するのだ。

 

「全人類のデフォルトが彼になるなら…希少性という天秤は崩壊し、フィジカルギフテッドの足し引きは成立しなくなる。つまりは超平和!世界から呪霊がいなくなる素晴らしい世界ってわけ」

「…………………………」

「こんなの上層部には言えないしね、自分の呪術を捨てて、これから一般人になろうなんてさ」

「………………………………」

「伽藍くん、君はどう思う?」

 

 九十九はそう言って、伽藍の顔を覗き込む。

 呪霊のいない、呪術の使えない。それでも確かな、平和の訪れる世界。

 呪いのない、平和な世界を解き、その答えをしろうと距離を縮める。

 

「…それは…………」

 

 呪いのない…呪いも……………

 

 

 

 

 

つまらん世界だ

 

 ――闘いもない世界を想像して、伽藍は吐き気がした。

 

「…君は反対なのかい?」

「あぁ、ふざけるな。そんな世界の何が楽しい、何が面白い?想像しただけで反吐が出る」

「……理由を聞かせて貰ってもいいかな」

「愚問だな。大体私は、私以外どうでもいい、人の不幸せをどうにかしたいなんて思ったこともない」

 

 血肉沸き踊る闘い、己の自己と技術を高めるための、純粋無垢な殺し合い。

 その果てに得られる、成長の実感。それがない、必要の世界など。

 伽藍はいらないと、そんなものは必要ないと切り捨てる。

 

「そもそも、呪霊がいなくなるのも考え物だな。呪術師と違って、呪霊は鍛錬の必要もなく、高頻度で素晴らしい実力を持ったやつが沸いてくる。それを賞味できなくなるのもな」

「ハハ…まるで呪詛師みたいだ」

「それが何だ、そもそも目的が違うんだ。私は呪霊のいない世界も、牧歌的な平和も望んではいない」

 

 呪霊、術師、人間。これらは――

 

「これらは皆、平等に価値のある"可能性"なんだ。真の強さの先、ただ武術を修めただけでは到達できない、真の強さへの挑戦権を持つもの」

「……」

「わかるか九十九、術式や天与呪縛など、所詮は個性。肌の色が違うようなものだ」

 

 あの、呪い廻る平安の世。確かに宿儺は世界の中心だった。

 全てが彼を畏れ、崇め、命を散らして大地に焼き付かれた。

 圧倒的な、自己の王。

 

「これらは可能性、強さの果てに到達する者たち。それを左右するのは個人の我…"天上の意志"に他ならない」

「天上の意志…君はそれに入ってるのかな?」

「さぁ、知らん。だが強いて言えば…お前は違うとだけ言っておこうか」

 

 ――お前じゃない、私でいい。あの呪いの玉座と、天上の位を奪うのは。

 

「霞、帰るぞ」

「はーい」

 

 特級術師。一級と違い、並外れた実力と「国家転覆が可能であること」が加味され認定される真の強者。

 伽藍はそれと会ってみてどんな刺激が貰えるかと期待した。が、とんだ期待外れだった。

 "国家転覆が可能"それすなわち国と闘い勝利することのできる、選ばれた強者だというのに。

 

「……違う」

 

 なぜそこで止まる?なぜもっと我を突き通さない?

 なぜ、自分を中心に考えようとしない。

 

「…違う」

 

 ――いないのか、宿儺と同じような…いや私のような者でもいい。

 嗚呼、どうか、私の前に、私と同じ意志を持つ者を――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏、青い空。

 

「…あ?誰だよオマエ、歌姫の知り合い?」

 

 目を焼いてしまいそうなほどに、輝く白髪と。

 

「口の利き方には気を付けろ、餓鬼」

「アァ?」

 

 宝石のような青い瞳,

 

 

 

 そこには確かに、天上の意志が宿っていた。




 伽藍
双子ギミックは初見で見抜いた。妹の犠牲なしでどこまで行けるかワクワクしてる。
呪霊術師人間、強いやつはどんとこいスタイル、脱却は反対、だってつまんなそうだもん。
天上の意志を目指してる。歯車メンタルは大っ嫌い、もっと自己出そうぜ?


 九十九
平安時代の人ならいい意見聞けるかな、と思ったら相手が悪かった。
宿儺と羂索を野薔薇で割って三輪のコップに入れたみたいなのが相手だもん、仕方ない。

 直哉
伽藍の目が、初めて会った時の甚爾と一緒だった。
フィジギフの価値をちゃんとわかってる伽藍は嫌いじゃない。


 五条
何だコイツ


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じゅじゅさんぽ.三輪霞

 短めの番外編。


 あなたに出会ったのは偶然だった。

 あなたに拾われて、生きる方法を教えてもらったのも偶然で。

 ほんの気の迷いだったけれど、それがとても嬉しくて。

 

 あなたの「気の迷い」で、私は今を生きていれる。

 

 誰よりも戦いが好きで、帰ってくる度に全身を返り血で真っ黒にして。

 最初は怖くて泣いていた私を、困ったように見下ろしていたあなた。

 

「おかあさん」

「…あぁ」

 

 面倒臭そうな顔で、ただ手を置くだけの作業だったけれど。

 その手の温かさが好きだった。嬉しかった。

 

 

「お母さん」

「あぁ」

 

 いつしか後ろをついて歩くのが普通になって。

 誰を気遣うこともなく、自分のペースのまま歩くあなたを追いかけた。

 

 

「…お母さん」

「あぁ」

 

 一緒に刀を握るようになって。ぶつけ合うようになって。

 いい太刀筋だと、褒められるのが嬉しくて。

 

 

「…おかあさん…」

 

 そして――

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「ちょっと!?その子誰よ!?」

「拾った、一応養子ということになるな」

「学生同士の集まりで自分の子供連れてくるとか、ヤバ。うける」

「硝子!なに笑ってんのよ!?」

 

 今でも鮮明に蘇る。

 まだ彼女が、学生服に腕を通して、子供だったころ。

 

 10年前の、青い夏。

 

「こんにちは、君の名前を教えて?」

「はい!三輪霞です!」

「おーめっちゃ元気じゃん、可愛い」

「伽藍!あんたちゃんと面倒見れるの!?」

「問題ない、飢えさえしなければ人は生きていける」

「問題ありだっての!」

 

 これは、遠いあの日の記憶。まだ刀の握り方も知らなかった頃の。

 呪術師、三輪霞の淡い記憶。

 

「おかあさん」

「なんだ」

 

 自分とは違う、鏡に映ったように正反対の前髪と、陽光を反射して輝く銀の長髪。

 太陽のようにぎらついた、鋭く光る赤い瞳。

 

 それが、とてもかっこよかったと。

 

 今でも覚えている。

 

「私、おかあさんみたいになれるかな?」

「さぁな」

「もっと大きくなって…綺麗になれる?」

「さぁ」

 

 彼女は虚空を見つめて、さてどうしたものかと相槌を打った。

 

「うお~…クールだ」

「伽藍あなたねぇ…」

 

 昔から変わらない、どこか達観しながらも、今尚燃え続ける炎のように、静かに光を宿した瞳。

 虚空を見つめて…彼女は、今はない何かを、虚空に見立てて生きていた。

 どこか寂しそうに見えた、その瞳。

 

 そして、この時に決意したのだ。

 

「ねぇおかあさん」

「なんだ」

 

 その瞳を見て、霞は――

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「お久しぶりです、歌姫先生」

「…驚いた、昔から思ってたけど…本当にそっくりね。親子というより姉妹みたい」

「そ、そうですか…」

 

 あの日から10年、全てが変わった。

 

 顔に傷跡こそついてしまったものの、歌姫は他の生徒から愛される良き教育者に。

 周りに隠れてタバコを吸っていた家入は、今ではよっぽどのことがないと吸わなくなった。

 他ならぬ自分自身も、今や立派な呪術師の端くれ。

 

 そして。

 

「硝子にはもう会ったの?」

「はい、昨日東京の方に任務がありまして…その時に。相変わらずでした」

「ふふふ…またタバコ吸ってたりした?」

「あぁいえ、それが驚くことに、私が来た時に灰皿がなかったんです。私が来るから控えていたと」

「あら、毎日そうだと良かったんだけどねぇ」

「あはは…その…結構ギリギリでした、直哉さんがいたので…」

「げぇっ!あいつも居るの?相変わらずだった?」

「か、軽めの煽りを…」

「ムカついたら言いなさいよ?私がぶん殴ってあげるから」

「あ、あはは…」

「あっ!そうだ!五条には会った!?何もされてない!?変なこと言われてない!?」

「い、いえ!…特に何も…」

 

 誰よりも高潔な精神を持っていた男は、新たな大義のために死んでしまった。

 誰よりも自由で、傲慢だった筈の男は次世代の教育者に。

 

 みんな変わった。

 

「ただ…お母さんによろしくって言ってました」

「会ったのね!?…ん?伽藍に?」

「はい……その、連絡を取ってくれないから、私に伝えてくれと」

「……そう、か……ねぇ、伽藍は元気?相変わらず戦いに明け暮れてる?」

「はい、もうかれこれ1週間は戦いっぱなしかと」

「やっぱり!?もう!いくら反転術式で脳を治せるからって!……そう、元気なのね」

 

 時が経ち、背も伸びて、成長していったのは霞だけではない。

 彼女がこの世に蘇ったその日から、常に彼女は行動を起こしている。

 

「大変だろうけど…頑張りなさい」

「はいっ!早くお母さんに勝たないといけないので!」

「…あー、そ、そうね…」

「濁された!?」

 

 決して衰えぬ闘争欲。学生だったころから苛烈だったそれは、今でも変わらない。

 むしろ成長してると言ってもいい、日に日に戦意は昂っていって、そのうち実体化でもしそうなほどだ。

 

「あっ、ではそろそろ任務ですので…それではっ!」

「えぇ、またね」

 

 駆けていくその後ろ姿を、歌姫はじっと眺めた。

 長い髪をたなびかせ、スーツに身を包んだその姿は。

 

「あぁ……本当にそっくりね」

 

 あの日見た、彼女の後ろ姿と同じだった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 "窓"の人間にとって、車での仕事は当たり外れがある。

 基本呪術師は我が強い。それが車のように、密室状態の空間だとそれをより強く実感することを、たった今理解した。

 

(ど、どうしよう…)

 

 今回、車を運転している窓の男――伊地知潔高の内心は、ハッキリ言って滅茶苦茶だった。

 

(な、何も喋らないっ!?)

 

 その原因は後部座席に座る…本来親子のはずの二人組。三輪霞と三輪伽藍である。

 伊地知が車のエンジンを入れ、走らせた時には全てが遅かった。

 せめてこの時に、エンジンの騒音に便乗して、何か適当な話題を振るべきだったのだ。

 しかしいくら反省をしても、この嫌な静けさをどうにかする手段はない。

 

「…………」

「…………」

 

(…………)

 

「……………………」

「……………………」

 

(えっ、親子ですよね!?何ですかこの空気!?)

 

 普段彼が相手をしている特級術師なら、自分から頼まずとも話題を振り、座席を蹴ってくるような絡みを見せてくれただろう。

 しかし残念ながら、今日彼は別の仕事でいない。というかそもそも、同じ術師の頂点である特級術師が、同じ任務を受けるなど滅多なことがないとありえないのだ。

 それすなわち、彼女たちをどうにかできるのは、今ここにいる伊地知本人のみということで。

 

(う、うーん…)

 

 しかし、ミラー越しに後部座席を確認しても、状況は数十分前から変わらない。

 伽藍は腕を組み、目を閉じて何も喋らず。霞は静かに、外の景色をじっと見つめている。

 しかし本当に、この二人は養子の関係とは思えないほどソックリだ。

 違うのは、普段よく見る表情くらいのものだろうか。明るく輝くように笑う霞と、まるで獣のように笑う伽藍。

 なまじ顔の基本パーツが同じなだけに、ギャップの凄まじさがえげつない。

 

(伽藍さんはいつもこうだけど…霞さんは珍しいな…)

 

 普段から明るい子だとは思っていた。そのため、いくら呪術師としての仕事中とはいえ、親子での明るい会話があると思っていた。しかし、現実は意外にも静かなものだった。

 別に不仲と言うわけではないのだろう。普段からよく2人でいる様子は話で聞くし、それに喧嘩をしたというわけでもなさそうだ。

 それに空気も違う、静寂こそ流れてはいるが、その間に流れている空気は剣呑なものではない。

 しかしそれはそれとして、どうしようもなく気まずいのは確かだ。

 

(ど、どうすれば…!?まだ時間はかかるし…な、何か会話の種を…)

「あの…伊地知さん?」

「はいっ!?なんでしょう!?」

「あー…気を遣わせちゃってすみません…えっと…そうだ、お母さん」

「…ん?」

「さっき、久しぶりに歌姫先生に会ったんだけどね?」

 

 静寂の空気に耐えきれず、焦りに焦った伊地知にとって、それは救いだった。

 霞の言葉を聞いて、ようやく伽藍は瞳を開けて、その先の言葉を促す。

 よかった、これで何とかなる。そう思ったのだが。

 

「ほう、どうだった?」

「元気そうだったよ、あと、お母さんがまた不眠で任務に行ったことを怒ってた」

「……それは面倒臭いことになった」

「素直に心配かけてごめん、でいいのに」

「いやしかし…」

「絶対その方がいいよ?」

「………そうか」

(良かった…空気が回復した…)

「でも相変わらず五条さんは嫌いみた…あ。」

「…………そうか」

「……うん」

「…………」

「…………」

「………すみません伊地知さん、後は頼みます…」

(何をっ!?)

 

 ――この空気を!?私にどうしろと!?

 不味い、いや何が不味いのかはわからないが、何かとてつもなく不味い空気が流れているのが分かる。

 

「…………」

「…………」

「…………ひょぇ…」

 

 結局、目的地に着くまで3人は、ずっと無言のままだった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 今回、伽藍と霞が任務を行うのは、ある朽ちた老人ホーム。

 2人は、同じタイミングでこの建物に入り、伽藍が帳を下ろすことで仕事が始まった。

 

『闇より出でて闇より黒く、その汚れを禊ぎ祓え』

「…お母さん」

 

 今回の相手は本来、伽藍が来るのはありえないほどの、下から数えれば早い難易度の仕事のはずだった。

 

「この前の教えは覚えているか」

「うん、大丈夫」

「ならいい、じゃあやってみろ」

「――うん。」

 

 娘からの問いに、伽藍はあくまでも淡々と返す。

 それは、たとえ親子でも、戦場では同じ戦士の1人として扱うことになっているからだ。

 それは、他ならぬ霞自身の願いでもあり、そして伽藍の方針でもある。

 

 帳の呪力に反応して、建物の奥から呪霊が沸いてやってくる。

 

「お"ぐす、おくスり…」

「イいイ位いいいいいゐっ!」

「…ッ!」

 

 カマキリに似た容姿の低級呪霊2体を見て、霞は右手に持つ呪具を強く握りしめた。

 

 呪具の刀を構え、霞は滑るように地面を走る。

 

 呪霊はすぐに反応し、背中から複数の触手を飛ばす。

 霞はそれを見て、後退はせずに速度を上げて、それらを潜るようにして近づいた。

 

 一閃。

 

「アぎ"」

「ふっ…!」

 

 呪力を纏わせた刀が空間を滑る。

 ブォンと、空気を切り裂く音が聞こえた時には、既に呪霊の身体は半分になっていた。

 

 ――違う。

 

 この程度の呪霊を祓うのは簡単。しかしわざわざこの任務を受けたのは、霞の技術を上げるため。

 "それ"を達成するためには、今のようにただ切って祓うのでは意味がない。

 相方がやられて、より敵意を強くした呪霊が、命を奪おうとその腕を伸ばす。

 身体を反らし、できるだけ無駄な動きをせずに最低限の疲労で攻撃を避ける。

 

 ――感じろ。

 

 呪力じゃない。空気の流れでもない。

 その周り、空間そのものを頭から除外しろ。自分が気にするのはそれじゃない。

 猛攻を続ける腕を、刀の側面で弾き、逸らす。

 刀は本来、意外と脆いものだが、霞が今持っている呪具は、並大抵のことでは壊れない。

 

 ――今ならいける。

 

 意識がより鮮明に、時間の流れが、動きがゆっくりと。

 全ての腕を弾き、無防備になった呪霊の、その正面。

 

 ここで成す。

 

「――ッ!」

 

 敵を切れ、空気を切れ、空間を、気配を。

 

 ()()()すらも――

 

 

 ゾッン

 

 

 呪霊を超え、その向こうの壁にすら届く斬撃。その調べ。

 霞の持つ()()()()()が、その効力を真の意味で発揮した故に起きた現象。

 

 その音を聞いて、伽藍は閉じていた瞳を開けた。

 

「…ふむ」

 

 首をかしげて、あくまでも淡々と。

 

「最初、失敗しただろう」

「うん」

「だが、この前に比べればマシな方だ」

「うん」

「次は最初から成功させろ」

「わかった」

「さっさと行くぞ」

 

 言葉は最低限、任務で学べることが無くなれば、また次の任務へ急ぐ。

 刀を握って、拳を握って、飲食すら忘れて戦場に浸かって…

 

「お母さん」

「あぁ」

 

 三輪霞は今日もついていく。

 それは、いつしかの約束を果たすため。

 

 いつか、必ず。

 

「行こう、お母さん」

「あぁ」

 

 あの日の、彼女の続きを見るために。

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

 今でもその顔を覚えている。

 一緒に車に乗っている時、誰かと話をしている時、他ならぬ自分自身と話している時すら、どこか達観した、退屈そうな顔を見せた彼女。

 

「戦うの楽しい?」

「あぁ、勿論」

「ごはん食べる時より?」

「あぁ」

「じゃあ、私強くなるから!強くなったら、私と戦おっ!」

「…なに?」

 

 そんな彼女が、この時目を丸くして、声を上ずらせた。

 

「お前がか?」

「うんっ」

「私に?」

「勝つ!」

「…本気にしていいんだな?」

「うん!"約束"だよ」

「…ククク……」

 

 細く、柔らかい手のひらで、彼女は頭を優しく撫でて。

 

 

「…言ったな?精々励め」

 

 

 この時、本当に嬉しそうな顔で笑ったのだ。




 勘のいい人は斬撃の効果音で分かったと思います。


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9話.姉妹校交流"戦"①ー黄泉の名乗りー

 ???「互いの術式が煙たいのに領域を展開しないのは、領域の押し合いに自信がありませんって言ってるようなもんでしょ」


 呪霊の繁殖期が過ぎて、少しばかり落ち着きの訪れた夏。

 冷気の籠る教室で、伽藍は歌姫と話をしていた。

 

「………はぁ、五条家の餓鬼と…なんだって?」

「ム・カ・つ・く・の・よ!!アイツら揃いも揃って私のことバカにしてきてぇ…っ!」

「…………それは、まぁ…」

「しかもね!1人可愛い子がいたのよ!?それなのにあの子校舎裏で…」

「…………なんだ」

「タバコ吸ってたのよ!?未成年で!!」

「……あぁ」

「まぁそれでも!それでもあのクズ2人に比べれば!超超超…ちょ~~マシだからいいとして!アイツら…」

「………」

 

 ――長い。

 もうかれこれ、10分くらいは続いてるのではなかろうか。

 まるで呼吸しながら声を出しているのではと思うほど、一語一句を繋ぎ合わせた愚痴が、歌姫の口から溢れ出ている。

 血管が浮き出るほどの怒りを見せたり、1人優しい後輩を語る際に頬を緩ませ声を弾ませたり……

 まるで演劇のように、彼女の顔が変わる様子を、伽藍は眺め続ける。

 

「確かにアイツは特級だし!?私はアイツと比べたら全然弱いけど!それでも!私の方が先輩なんだから…」

「………はぁ」

「あんたはあんな風になっちゃダメよ!?今のままでいなさい!」

「……………あぁ」

「あーーーーっホントムカつく…!」

 

 ――疲れた。誰か変わってくれないだろうか。

 また勢いの増した歌姫の様子に、伽藍はそう内心で、もう一度ため息を吐く。

 すると、ガラガラと教室の扉が開いて。

 

「なんの騒ぎだ、伽藍」

「五条家、態度、ムカつく」

「……もういい、全部理解した」

「助かる」

 

 そう言って教室に入ってきたのは、正装なのか、いつもの服とは少し違う、白い和服に身を包んだ男、楽巌寺。

 そんな彼も歌姫と同じく、途中で五条の名前を聞いて、顔をしかめてため息を吐いた。

 どうやら、彼も五条悟と呼ばれる男に、あまりいい印象を持っていないようだった。

 

「楽巌寺、助けてくれ。私の代わりに話し相手をしてやってくれ」

「東京校へは電車で向かうことになっている、早く行くぞ」

「おい、無視をするな無視を」

「…あの糞餓鬼の話はしたくない、さっさと忘れて出るべきだ」

「忘れると言っても、これから交流戦なんだろ。どっちにしろ会うのだから意味ないだろうに」

「正確には交流会だが……まぁいい、とにかく。それでもストレスが違う」

「嫌われすぎだろ」

 

 一応他校とはいえ、まさか一応生徒であることに変わりはない…はずだが、どうやら本気で嫌っているらしい。

 

 ――しかし交流戦、交流戦だ。

 

 伽藍は抑えきれない笑みを向けながら、話す。

 

「しかし楽しみだ。無下限呪術と六眼の抱き合わせに…懐かしい、呪霊操術の使い手か!いい、素晴らしいな!」

「…そんなに楽しみか」

「勿論、五条家のはともかく、まさかこの時代で再び、呪霊操術使いと相まみえる機会が訪れるとはな…!」

「…おい」

「取り込んだ呪霊はどれほどだ?等級は?極ノ番は使えるのか!?」

「落ち着け」

「ククク…早く闘りたいものだ!なぁ?歌姫」

「ちょっと!いきなり私を巻き込まないでよ!」

 

 伽藍の言葉を聞いて、また始まったと言わんばかりの、面倒臭そうな顔をする2人を後目に、彼女は考える。

 

 ――姉妹校交流会。

 呪霊の発生が落ち着き、術師の仕事が減る、この時期だからこそ行える恒例行事。

 二日に分けて行われる様々な競技、そして何よりその相手。

 無下限呪術と六眼がどれほどか、これに関しては考えるだけ無駄だろう、なにせそもそも六眼の事前情報が少なく、考察も妄想にすぎないから。

 つまり今、伽藍が考えるべき対策相手はもう1人、呪霊操術の使い手である片方の術師だろう。

 

「まぁ、私がやるべきことは決まっている。あとは流れに任せるだけさ」

「…ねぇ、伽藍」

「…?どうした歌姫」

「本気なの?」

「…本気、と言われてもな。そもそも私は五条とやらの実力も知らん」

「だからよ!アイツは…」

「無下限呪術と六眼の抱き合わせ。想像もつかんが強いのはわかる、それにかなり厳しい戦いになるだろう」

「……」

「だがな」

 

 だが、それだけだ。されるがままは許さない。

 

「六眼、天元。私はアイツらが嫌いだ、だが今日この日に、呪術の寵愛を受けたソイツらを越えなければ…私は宿儺には勝てない」

「……」

「たかが六眼。そんなものよりも、宿儺の呪力操作の方が恐ろしかった」

 

 嗚呼そうだ、何も怖くない。

 

「たかが無限。宿儺の、あの理不尽極まりない斬撃の方が恐ろしい」

 

 あれから1000年、それでも伽藍は、"これ"を変えるつもりはない。

 

「1000年も前で申し訳ないが、最強の術師は変わらない――宿儺だ」

 

 ――待っていろ天上の王。世を作る災厄の王。

 そこに立つのは、この私だ。その決心は変わらない。

 

「だからこそ超えてやる。それに…私は」

 

 そうして伽藍は、自分にも言い聞かせるように、目の前の2人に宣言する。

 

「…私は、天下無双を目指す者だ」

 

 そんな彼女の宣言は、広く静かな教室に、よく響いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それに、今回の作戦の鍵はお前なんだぞ」

「…えっ」

「いいか?先に話しておくが、私にはもう1つの………」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 2006年夏、東京都立呪術高等専門学校。

 まだ日差しの鋭い野外に、男の声が響き渡る。

 

「なー、めんどくせぇしこのままバックレねぇ?」

 

 男の態度はどこまでも傲慢で、しかしそれが許されるほどの、圧倒的な存在感を放っている。

 目を焼くほどに、美しく輝く白髪と。宝石のように青く輝くその瞳。

 何百年ぶりの、六眼と無下限呪術の抱き合わせ。五条家の生んだ最高傑作。

 

 ――五条悟。

 

 呪術の寵愛そのもの、因果に守られ愛された、宝石のように輝く青い瞳を、気だるげに歪ませため息を吐く。

 

「てかさぁ、俺さっさと帰って、久しぶりにデジモンしてーんだけど?」

「悟。相手が相手だよ?どうせ勝負はすぐ終わるんだし、いいじゃないか」

「あー、確かにそうだわ。ならいっか」

「そ・れ・を!私の目の前で言うなってのよ!!」

 

 そして五条を窘めるようにしつつ、更に挑発の意味を込めた言葉を漏らす、特徴的な前髪の男。

 世にも珍しい、呪霊操術の使い手であり、既に一級術師の肩書を身に着けた、新たな原石。

 

 ――夏油傑。

 

 この2人の煽りに、顔を真っ赤にして叫ぶのは本来、この天才2人の先輩であるはずの少女、庵歌姫。

 そして、怒りに震える歌姫に対し、声がかけられる。

 

「先輩。このクズ共は気にしないで頑張ってください、私は応援してますよ」

「~~~ッ…!私にはあんただけよ!硝子っ!」

 

 唯一、純粋に自分を慕い、味方をしてくれる少女に対し、歌姫は感極まって抱きついた。

 そして歌姫に抱きつかれながら、口にタバコを加えるのは、あの五条悟でさえ今は使えない、他者を癒す高等技術…反転術式の使い手。

 

 ――家入硝子。

 

 抱き着かれながら、五条ら2人に中指を立てて挑発する家入、それに反応する五条と夏油。

 学生らしく、和気藹々とした会話をしながらも、彼らは全員、間違いなく呪術師の1人なのだ。

 

「おい。もうそろそろ開始の時間だ、早くしろ」

「ゲッ、夜蛾センセーもう来てんのかよ」

 

 そしてそんな彼らを導き、教育する者もいる。

 黒いサングラスを掛けて、異様な覇気を纏いながら、隣に可愛らしくデフォルメされたぬいぐるみを侍らかせている男。

 夜蛾は他の3人にも目配せをして、先陣を切って歩き出した。

 五条たちはそれを追う。

 

「へいへい…ってか相手歌姫?マジ?そーいや今は京都にいるんだっけか、アレ?前から?どうだっけ」

「ちょっと!なんで私の情報そんなにあやふやなのよ!」

「だって興味ねーし」

「アンタってやつは…っ!」

 

 傲岸不遜、相手を揶揄う青い瞳は、どこまでも孤高に輝いていた。

 

 青、星のように煌めく瞳。

 ――そして。

 

「…ほう」

「おや、久しぶりだね。五条くん」

 

 声が聞こえ、足を止める。

 そうして、五条は目の前に現れた、銀髪の少女2人を見て、片方に話しかけた。

 

「ありゃ、冥さんじゃん久しぶり」

「フフフ…数週間ぶりかな?会えて嬉しいよ」

「おー、それは嬉しいね。…あれ?まさか冥さんも出んの?俺ら2人だけだけど、ぶっちゃけ負けないよ?」

「いや、今回は遠慮させて貰うよ。烏たちで映像を撮ってくれと頼まれてね、二つ返事で受けてしまった」

「あーなるほど~…で」

 

 五条から冥さんと呼ばれた少女…――冥冥はその美貌を魅惑的に歪ませて、ニッコリと微笑む。

 そして、五条の持つ青い視線が、冥冥の隣に立つ、もう1人の女へと向けられる。

 

「誰だよオマエ、歌姫の知り合い?」

 

 腕を組み、黒いスーツに身を包んだ、五条とはまた違う、銀に輝く髪を靡かせる女。

 そして現代術師最強の男へ、臆することなく睨みを利かせた。

 

「口の利き方には気をつけろ、餓鬼」

 

 赤、夜のように深く在る、その瞳。

 

 

 波乱はもうすぐそこに。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「硝子、もしかしてあの人が?」

「そ、なんか平安時代から生き返ったっていう人、意外だよね」

「あぁ…なんというか……」

 

 ――若いなと、夏油は零す。

 

 一般家庭からとはいえ、夏油自身も呪術の知識を積極的に取り入れている最中。

 そんな中耳に入ったのは、今とは比べ物にならないほど、呪術が発展し戦で乱れた時代、平安。

 そこからの黄泉返り、一体どんな人間なのかと、今の今まで疑問を感じていたが…

 

「まるで悟がもう1人いるみたいだ、強さじゃなくて…なんというか、雰囲気がだけど」

「そりゃ呪術全盛を生きてたらしいし、あれくらい傲慢な性格じゃないと、今まで生きていけなかったんじゃない?」

「そうか…」

 

 髪色こそ似てはいるものの、瞳の色は赤と青、対照的で、どちらも負けずと輝いている。

 互いに視線が絡み合い、言葉は無くとも気配が変わる。

 

「…どうなんだろ、アレ」

「どうって?」

「いや…悟みたいだって言っただろう?もしかしたら、案外仲良くやれるんじゃないかと思ってね」

「うーーん…いやむしろアレは…」

 

 夏油の考えに、「どっちかというと逆に…」と、難色を示す家入。

 夏油がその言葉に首を捻ると、五条の声が聞こえてきて。

 何を話すのかと思って耳を傾けて…――夏油の幻想は破壊された。

 

「へー?お前が、伽藍ってやつ?」

「あぁそうだが」

「へー?じゃあお前か。最近若返ったからってヨイショされてる平安ババアは?」

「そういうお前は。運良く六眼を持って生まれて、反転も使えないくせにヨイショされてる最強様か?」

「は?」

「あ?」

 

 ――前言撤回。

 夏油は気づいた、気づいてしまった。

 互いに不遜、己を至上とする精神の持ち主なのは一緒だ、だがその性質が違う。

 五条が油なら伽藍は水、伽藍が油なら五条は水なのだ。

 そのベクトルの違う傲慢さが、今こうして爆発を起こしていた。

 

「ハッ!何ムキになってんだよババア?身体が震えてんぞ?」

「そういうお前は声が震えてるぞ、そっちこそ必死になるなよ」

「はー?震えてねーし?あーこれだから、年寄りは決めつけが強くて困るんだよなぁ」

「全くこれだから餓鬼というのは…自分のことを何も理解してないのだな、哀れだ」

「は?」

「あ?」

 

 ヤバい、なんというかヤバい。

 普段夏油自身や、家入と歌姫に話しかける時の煽りではない、本気だ。

 普段見慣れない2人の態度に、あの歌姫でさえおろおろと、焦りを見せている。

 ヒートアップし続けていく2人の緊張感、そしてあっ!と、五条が声をあげて。

 

「もしかして?オマエ、六眼持ってないからって嫉妬しちゃった?うん?そうなんだ??」

「……なんだと?」

「おっ?反応あり?やっぱそうなんだ?いやー辛いなぁ!これが、持たざる者と持って生まれた者の差ってやつ?」

「………」

「まぁ仕方ないよね?まぁ俺のことだから六眼なくても最強だし?気にしなくていいよおばあちゃん」

「………フン。反転術式も使えんくせによく言う、今の努力が足りてないんじゃないのか?」

「…あ?」

「そこの家入は使えると聞いたぞ?最強様が聞いて呆れるな?うん?」

「…はいムカついた、テメェ絶対泣かす」

「…こっちも腹立たしくて仕方がなくてな、宿儺を差し置いて、お前ごときが最強だと?身の程を知れ」

 

 呪力。

 五条の放つ、圧倒的な質量の呪力と、伽藍の放つ、肌が焦げそうになるほどの熱を持った呪力。

 それらがぶつかり、そしてそれに比例した、濃密な殺気が場を支配する。

 

「…おい、お前ら落ち着け」

 

 夏油や家入たちでさえ、呆気に取られたその一幕を、割って入って止めたのは、夜蛾だった。

 

「…早く開始場所につけ、さっさと試合を終わらせるぞ。このままではグラウンドが壊れる」

「……チッ」

「フン」

 

 舌打ち、睨み、悪意を孕んだ視線を交差させ、五条と伽藍は背中を向ける。

 その様子を、夏油は最後まで見て、呟く。

 

「…もしかして、相性悪い?」

「当たり前だろ馬鹿」

 

 本当に何言ってるんだコイツ。という目を向けられて、夏油は苦笑混じりに笑った。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「いいか?まず私が最初に―――をする…そうしたらお前は―――を狙って…」

「そ、それならいけそうだけど…でも大丈夫?だって…」

「心配するな、なんとかなるさ」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「悟、準備はいいかい?」

「ア"!!??」

「うわ…めっちゃイラついてる…」

「当ッたり前だろうが!?お前はムカつかねぇのかよ?」

「悟が2人いるみたいで、見てて面白かったね」

「巫山戯んな!!」

 

 姉妹校交流会。その最初を飾る競技である、呪霊討伐競走。

 互いに決められたエリア内の、放し飼いされた様々な呪霊を祓い、その数と質を競い合う競技だ。

 去年の分を含めれば、五条と夏油はこの競技に参加するのは2回目となる、故に。

 

「じゃあ、始めようか」

「チッ。さっさと終わらせよーぜ」

 

 2人は既に、対処法を知っていた。

 

(放つ呪霊の階級は…2級でいいか、あと索敵特化の為に4級を大量にばらまいて…)

 

 手を顎にやり、自分がこれから何をするのが効率的か、思案する。

 夏油の待つ術式、呪霊操術は、取り込んだ呪霊を自律行動させたり、自分の命令に従わせ、かなり自由の効く行動をさせることが出来る。

 つまり、手数の多さが勝利に近づくこの競技は、夏油にとって相性がいい。

 

(今回も悪いけど…楽して勝たせて貰おうかな)

 

 それは圧倒的な数の暴力。

 人間だけでは限界のある、範囲や移動に関する問題を、様々な地形に対応する形で、必要な分だけ呪霊を放ち命令する。

 これをするだけで、去年と同じように…夏油はその場から動かずとも、この競技を征せるはずだった。

 

(じゃあ早速――)

 

 数体、呪霊を放とうと術式を解放した瞬間。

 ――空間を焼き切る、空気の断末魔が聞こえた。

 

「…っおい!」

「っ!?」

 

 瞬時に呪霊を取り出す動作をやめ、夏油は飛来する"何か"に意識を向けて、全身に呪力による強化を施す。

 そして飛来した"何か"は、夏油の目の前で一気に高度を落とし、そのまま地面へと突き刺さる。

 それは、肉のように赤く、そして骨のように白い物質でコーティングされた、呪力の籠った刀だった。

 

「…これは、刀……」

 

 投擲か?しかしこの距離から?

 狙いが外れた?なら次に自分がすることは…

 

 予想外の出来事に、夏油はその場に留まり、考える。

 

 ――()()()しまった。

 

「……ッ傑!!」

 

 その刀に秘められた"何か"に気づいた五条が、咄嗟に声を出して手を伸ばす。

 しかしその手が動く一瞬前、刀が分離し触手が伸びて。

 

「なっ…!?」

 

 夏油の身体に触れた瞬間、その全身を黒い光で覆い尽くして。

 

「……………はっ?」

 

 夏油の姿が、五条の()()()()()()()()

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「……悟?」

 

 バシャリと、足が濡れる感触が遅れてやってくる。

 ハッと周りを見渡すと、先程まで自分が居た、森の入口ではないことがわかる。

 周りが木々で覆われた、森の中心点。

 

「一体何が…」

「…ふむ。上手くいったみたいだな」

 

 声。そして瞬時に自分を挟む形で、呪霊を呼び出しその身を固める。

 バシャリ、バシャリと音が続いて、心底楽しそうな、女の声が聞こえてくる。

 

「ほう、私の声に反応した瞬間ではなく、反応しながら呪霊を出すか…しかも集団に備え、前後に挟んで隙もない…へぇ?」

 

 赤。親友の持つ、宝石のような瞳とは違う。

 見た者を虜にする、まるで妖刀のような雰囲気を纏った瞳。

 それが心底愉快だと、そう歪んで光を灯す。

 

「やるじゃないか、最近の術師にしては」

 

 平安から黄泉返った術師、伽藍。

 それが今、目の前に。

 

(…落ち着け、まずは情報整理だ)

 

 何故、自分は五条と離れ離れになったのか。

 何故、相手はこうして1人で自分の前にやって来たのか。

 夏油は考える。

 

(どうする…私は相手の戦闘スタイルを知らない…生半可な賭けは止めるべきだ)

 

 呪霊操術の強みは数だ、取り込める数に限度はなく、個を超越する圧倒的軍団。そんな相手に、わざわざ1人だけで相手するなど、普通は考えられない。

 平安時代を生きた術師が、呪霊操術の強みを、知らないなどありえない。

 つまり、相手は自分に対し、何らかの対策を持っているということ。

 

(他の式神使い同様、ステゴロで勝負を仕掛けるつもりか…?だが実際…悟を外して私を相手しようとしてる時点で、向こうの勝ち筋はそれだけだろう)

 

 夏油は考える、相手が一体何を狙っているのか、そして、自分が何をするべきか。

 だがそうして考えて、自分には五条がいる。そのことに安堵して、答えを見つけた。

 

(なら…"こう"だな)

 

 自身の背後に置いた呪霊を、前に配置し姿勢を崩す。

 あえて重心をずらして防御のみに特化したスタイルーー

 

 ()()()()()()()()()

 

(直接殴りに来るならむしろ好都合だ…このまま勝ち筋を作ってやって、そこを狙った瞬間を叩く…!)

 

 体格の隠れる服装、そして本人の術式や今の姿勢から、相手からすれば、今の夏油は接近戦を避けているように見えるだろう。

 しかしそれこそが夏油の狙い、夏油本人は、格闘技の技術だけなら、五条悟すら超えうる存在。

 そして何より、自分には五条がいる。だからこそ、相手は勝負を焦り、甘い攻めをしてくると確信した。

 だがしかし。

 

「いやいや」

 

 だからこそ、夏油は"それ"に気づけなかった。

 それは合掌。人差し指と中指を伸ばし、中指のみを合わせる形で更に、親指、薬指、小指を曲げて絡ませる。

 

「相手がわざわざ、射程距離に入ってきたというのに」

 

 "それ"は、武を表す神、毘沙門天の祈り。

 そしてそれは、夏油や五条ですら辿り着けていない――呪術の極致。

 

「なぜ相手の戦法に、馬鹿正直に付き合う必要があるんだ」

 

 "それ"に気づいた瞬間、夏油の行動は決まっていた。

 自分の持ちうる呪霊の中でも、"領域"を展開できる、準一級以上の位を持つ呪霊を放つ。

 それと同時に、言葉と呪力の奔流が、夏油を襲う。

 

()()()()――」

「ッ!!」

 

 血が溢れる。肉が沸き立ち天へと昇る。

 そうして現れる、祈りを捧げる骸骨の群れ、口から杭を差し込まれ、串刺しにされながらも、それでも祈りをやめぬ、哀れな骸の信者たち。

 その顔は捻れ、他の骸と融合し、そのオブジェクトの中央は、禍々しく美しい、青色の単眼を構築して、こちらを睨み、恨みを込める。

 そしてこれらを覆い尽くす、巨大な肋骨と頭蓋骨で作られた、神聖なる骸の祠。

 

「――黄泉天蓋(よもつてんがい)

 

 暴威の玉座、現る。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 領域展開。それは呪術を極めた者の、己の世界に空間を染め上げる、結界の到達点。

 知識としては知っていた、だがそれ故に、対処法も知っていた。

 

『ワ、ワタシ…キレイ……?』

 

 口裂け女。怪談として古くから語れる呪霊。夏油はそれを召喚し、領域を展開して迎え撃つ。

 呪霊操術の唯一の弱点は、取り込んだ時点で成長が止まり、呪霊の強さは変動しないことだろう。

 だがそれを差し引いてもなお、口裂け女の領域を夏油は選んだ。

 

『ワ、ワタシ…』

 

 ギリギリと、口裂け女の持つ鋏が音を鳴らして威圧を増す。

 口裂け女の領域は、相手が質問に答えてから"必中"が発動する簡易領域。

 質問に答えるまで、こちらは何もできないが、だがそれ故に押し合いも強く、領域対策に優れたもの。

 そして、ゴリゴリと凄まじい音を立てて。

 

「?私の領域にその程度の術で耐えられると思っているのか?」

 

 口裂け女の領域が削れていく。

 

(…!馬鹿な…!)

 

 夏油は、一方的に押し潰されていく口裂け女の領域を見て動揺する。

 互いに領域を展開した際、その勝負の決め手となるのは技術。

 相性、呪力量、より洗練された難易度の高い結界術の使い手にこそ、勝利の女神は微笑みを漏らすのだ。

 

 黄泉天蓋は他の者の領域と違い、結界で相手を閉じ込めない。

 

 己の生得領域の形に合わせ、寸分の狂いなく結界を構築し、その中にオブジェクトを具現化させる、それは今までの領域の常識を覆す異端の技術。

 呪いの王、両面宿儺の領域が「キャンパスを用いず、空に絵を描く神業」だとするならば、伽藍の領域は「描く絵に合わせ、自らキャンパスを削ってから描く絶技」だろう。

 これは術式を自覚し、そこから逆算する形で体内の領域を把握し、齢80まで戦い続けてきた、伽藍だからこそ至った技術。

 そしてこれにより、伽藍の生み出す領域は。

 

 ()()()()()()()()()()。宿儺と同じ縛りとなる。

 

「若いが見事だ、もし領域を展開した直後に、簡易領域を貼りながら逃げられていたら…私は負けていた」

 

 領域が崩壊し、夏油の身体が、領域の"必中"範囲に晒される。

 

「だが私は、お前たちとは違い…"生きて"いたんだ」

 

 それは、勝利が確定した、呪いの調べ。

 

「山高水長!怨嗟の時代!澆季溷濁(ぎょうきこんだく)の!――平安の世(呪いの世界)を!」

 

 ――ドゴンッ!

 

 伽藍が力強く、手を振り下ろすと同時に、凄まじい衝撃が辺りを飲み込む。

 地面が陥没し、そこにはいつの間にか、巨大な骨の腕があった。

 蜘蛛の巣状に亀裂が走って、砂埃が舞う様子を、静かに眺めた。

 

「まぁ、これが限界か」

 

 術式反転。伽藍の領域の必中効果は、それによる相手の皮膚、内臓を除いた部位の分解。

 ひとたび必中効果に晒された相手は、具現化した骨の攻撃を受けると同時に、体内へ領域を流し込まれる。

 これにより、本来は干渉されず、伽藍の術式反転から身を守れる相手は、体内への干渉を許す状態となり、あらゆる部位が分解され死に至る。

 

 まさに、必中必殺の領域。

 

 しかし今回は交流会、対戦相手の死亡は敗北に繋がり、できるだけ領域の手加減をする必要があった。

 故に今、伽藍が選んだのは術式の調整、体内へ領域を打ちこむまでは一緒だが、術式反転はぶつけず、衝撃のみで意識を奪うことだった。

 

(残りの呪力は大体4割ほど…最初に使った"アレ"が予想以上に…)

 

 ――悪寒。

 

(ッ!これは…!)

 

 凄まじい敵意、それは先ほど、夏油がいたはずの場所から注がれるもの。

 油断すれば、足が震えてしまいそうになるほどのプレッシャー。

 

(クク…さて、ここからが本番だ)

 

 呪力を流す、精神を押しとどめる。

 くだらないことは考えず、今自分にできることを――

 

「さあ、天下無双の糧となってもらおうか」

 

 伽藍の術式は、まだ回復していない。

 




 領域解説

名前:黄泉天蓋
由来:伏魔御廚子と対になる名前をイメージしました。
例:伏魔(旧聖書)→黄泉(日本神話)、御廚子(仏具の保管庫)→天蓋(仏具の保管庫の上にあるパーツ、私の方が上じゃい!の意)

よく呪術二次で、皆ポンポン閉じない領域作ってるじゃないですか?
フザケンナ!そんな簡単に、呪いの王の技術を真似できてたまるか!で作者が生み出したのがこれです。
領域展開したときに出てくるオブジェクト、それと全く同じ形で先に結界を作ってからピッタリ当てはめる。
これにより宿儺のような高難易度ではない、なんなら仕様的には劣化した領域にはなりますが。
逃げ道を与えていることには変わりないので、呪術の縛りシステム的には宿儺と同じ仕様と詐欺れるわけです。
あとはそこに直哉領域の、体内への干渉を可能にできる技と、羂索の使う術式反転の領域必中を合わせてズドン!(百〇観音壱〇掌)です。


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10話.姉妹校交流"戦"②ー黄泉と無限ー

 高評価と感想をくださると作者が歓喜します。
 あと作中で一番カッコいい反転術式のシーンってボンバイエでの欠損を治す羂索だと思うんですよ。
 目をつむりながら考察して欠損治すのカッコよすぎ。


「はは、これは驚いた。…まさか夏油君が一撃でやられるとは」

「あぁ、交流会なのが幸を奏したな。これが実戦なら…」

「フフフ…想像するだけでゾッとしますよ」

 

 目の前にある複数のテレビ画面――そこに映る伽藍の姿。

 そして、それを眺めているのは冥冥と夜蛾、そして家入の3人だ。

 本来、呪いはスマホなどの映像機器には映らない。しかし今画面に流れている映像は、会場を飛行している烏が見ているもの。

 冥冥の術式、黒鳥操術で操った烏の視界を共有することで、こうして呪いを可視化し、映像化に成功している。

 

「領域展開は当たり前…流石魔境、平安と言ったところですかね。フフフ、それともただ…彼女が特別なだけなのか」

「必中だけじゃない、恐らくは必殺の要素も組み込んである。気絶で済んだのは…彼女が手加減をしたからだろう」

「ハハッ、マジで一瞬じゃんウケる」

 

 伽藍が先ほど使用し、勝負を決めた技術…領域展開による一撃を見て、愉快そうに笑うのは家入だ。

 普段クズと2人を蔑んではいるものの、これでも本人なりに彼らの実力は認めている。故に驚いたのだ。

 

「呪霊操術で一気に呪霊を出されたら、本体を叩くのに時間がかかる…だから勝負をつけるなら、即領域展開からの一撃鎮圧は理にかなってる…けど」

「そう、領域展開後は術式が焼き切れ、しばらくは術式の使用が困難になる…それに領域展開自体にも、莫大な呪力を消費してしまうからね」

「へー、意外と使い勝手悪いんだ」

「だからこそ余計に、相手はここでは使わないと無意識に決めつけてしまったんだろうね」

 

 家入の言葉に反応し、答えを返す冥冥。

 冥冥も伽藍と同じく、1級術師の地位に付く強者だ。しかしその実力の差は、間違いなくレベルが違うもの。

 より笑みを深くして、冥冥は言う。

 

「領域展開を奥の手でもなく、ああやって手段の一つとして即切ることができるのは…本当に見事という他ないね。夏油君自身も思っていただろうけど…ここで自分を倒しても五条君がいる…その考えを読まれたが故の敗北さ。だから後半失速することも顧みず、初手最大火力で攻められた」

「ふ~~ん…」

「しかし問題はここからだ」

 

 心底感心した風に頷く冥冥の隣で、より視線を険しくして夜蛾は言う。

 

「術式が焼き切れ、呪力を大量に消費した今の彼女に…悟と戦える力は残っているのか?」

「普通なら無理…いや。そもそも並みの術師なら、いくら全開でも五条君には勝てないでしょうね」

 

 五条悟は最強である。

 これは揺るがない事実であり。呪詛師、術師例外なくそう確信していることだ。

 呪術に愛された因果の眼、六眼と最強の無下限呪術。しかしこれすらも、五条悟という人間の付加価値にすぎないのだから。

 

「冥、君は彼女の様子を見たのだろう。どうなると思う」

「…フフフ、そうですね」

 

 冥冥は伽藍のことを知っている。

 それは事前に仕入れた情報でもなく、彼女本人から聞いたということでもない。

 他ならぬ、冥冥自身が得た情報だ。

 

「彼女は珍しい…呪力特性を持っているおかげで、術式なしでもそれなりに戦える。あと接近戦もかなり得意そうでしたね」

「…その情報はいくらで買ったんだ」

「いやいや。これは自分で集めた情報ですよ。彼女のことを知りたがってる人間は大勢いる…あ、これはサービスです」

 

 前代未聞、死して黄泉返り、呪術界に衝撃を与えた存在。

 そんな彼女のことを知りたがる人間は大勢いる、それは術式だけに留まらず――

 故に冥冥は観察したのだ。伽藍が初めて任務をこなしてから、今この瞬間まで。

 

「"術師殺し"すらも平等に…現代術師とは倫理観が随分違うようで」

 

 冥冥は見た。呪術師として本来、守護すべき人間に向ける姿勢とはかけ離れた、その生き方をする存在を。

 呪霊、術師、人間。あらゆる存在を、()()()()()()()()()()()その在り方。

 

「さて…どうなることやら」

 

 心底興味深そうに、冥冥は画面の中で睨みあう、五条と伽藍の姿を見てそう呟いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 空間が捻じれ、空気が割れる。

 それを錯覚してしまうほどの、濃密な殺意と呪力が練り合わせられ、今こうして目の前から放たれている。

 

「……来たか」

 

 伽藍は瞬きを忘れて、目の前にいる"最強"を見る。

 呪力量、出力。術式に因果の寵愛…それを差し引いてもなお、油断をすれば再び震えそうになるほどの――圧倒的存在感。

 その忌々しくも美しい、蒼色の瞳に射られがらも…伽藍は挑発的な笑みを浮かべた。

 

「随分と遅かったじゃないか。お前がぼうっとしてる間に、お前のお友達は一瞬でやれたぞ?」

 

 術式はまだ焼き切れている。未だパフォーマンスは万全ではなく、残りの呪力量も心許ない。

 凌ぐ方法もあるにはある…が、この男を相手に、それが完全に通用するとは思えない。

 "それ"はあくまでもセカンドプランにしておくべき…そう結論付けて、伽藍は続ける。

 

「あいつなら大丈夫。とでも思ったか?だがその油断と傲慢がこのザマだ、どんな気分だ?」

 

 恐れを隠し、挑発を続ける。

 少しでも時間を稼ぐ、相手がまだ、自分の話を聞いているうちに。その1秒も無駄にはしない。

 2秒、3秒…そんな僅かな時間でも、今はそれが命綱だ。

 

「ククク…さてどうする?最強様の力とやらを――」

「お前さ」

 

 ため息。それを一つ零してから言葉を紡ぐ。

 しかしその仕草の一つ一つに、濃密な殺気が込められていた。

 

「何調子乗ってんだよ、そんなにまぐれが決まって嬉しいか?」

「…クク、そのまぐれにやられたのはどこの誰だ」

「あとお前、言葉には気をつけた方がいいぞ?――今際の際だぞ」

 

 来る。

 五条がゆっくりと、腕を引き絞り拳を握る。

 その様子を見て、咄嗟に伽藍は腕、そして腹部と足に呪力強化を施し、防御の構えをとった。

 そして一撃が来る瞬間。伽藍の身体に凄まじい衝撃が走りーー

 

「………は?」

 

 ――伽藍の身体は宙を舞っていた。

 そして瞬時に襲いかかる激痛。腹部はその一撃で肉が抉れ、腕は威力を殺しきれずにちぎれてしまった。

 音が遅れて聞こえるほど、加速したその身体が思い切り、背後の大木に埋められるほどにぶつかった。

 

「~~~ッ!!」

 

 ――威力を殺しきれなかった!

 伽藍はそう内心で叫び、その痛みに顔を歪ませた。

 身体が無意識のうちに、踏み込みの動作を決めていたのが幸いだった。咄嗟に足に回した呪力のおかげで、飛ばされる衝撃をほんの少し緩和できたから。

 

(なんだ…いくらなんでも速すぎる…!予備動作はともかく、空気の揺らぎすら感じなかった…!?)

 

 ブチリと、折れかけた腕が自重に耐えられずに崩壊し、新鮮な血液が溢れ出る。

 抉れた腹、砕けた内臓と肋骨。何処からどう見ても瀕死のそれを、伽藍は他人事のように観察しながら考える。

 

(無下限…距離、無限……届かない、押し返す…なるほど)

 

 ゆっくり、ゆっくりと両腕を脱力させ、目を瞑って意識を集中させる。

 

(無限の距離、攻撃が届かない現象を見るに…無下限とは一種の"押し返す力"…いや、あくまでもそれは結果そのもので、正確には"収束する無限級数"…中央に向かう無限の概念に触れたから、傍から見れば押し返したように見えるだけ…)

 

 両腕の傷跡を上にして、できるだけ血液を失わないように体勢を整える。

 その間にも、思考は加速する。

 

(それの収束出力を限界まで上げ、虚空の球体を作り出す技…または対象を吸い込む力か?となると…あれが"蒼"か…)

 

 術式順転・蒼

 

 それは無下限呪術の基礎にして奥義、あらゆる対象を破壊、引き込むことができる万能の力。

 おそらく先程の攻撃もそれだ。空気の揺らぎ、拳を振るう予備動作の違和感。

 その正体は恐らく。

 

(拳を握り、適当に振るったあとに…そこに引き込む形で、上手く合わせて"蒼"を発生させる…座標の概念すら操るか、全く何処までも巫山戯た能力だ…)

 

 伽藍の折れて千切れた右腕、そして砕けた左指から、白い煙が発生する。

 動画を逆再生したかのように、ゆっくりと指や腕、そして服に隠れた腹が再生し、元に戻っていく。

 

(見てからの反応はほぼ不可能…となると、攻撃の予備動作を読んで回避の先出しをするべきか?……最悪足を犠牲にしてでも腹と頭は守るべきだな)

 

 伽藍は普段、肉体の欠損を再生する場合、術式である程度カバーしている。

 術式で失った肉と骨を補完し、反転術式で残る皮膚のみを再生する。この技術のおかげで、伽藍は呪いの王にも引けを取らない、圧倒的な持続力と再生力を手にしたのだ。

 しかし今、伽藍の術式は焼き切れている。今の再生もそうだが、術式の補助なしでの欠損の回復は少なくない呪力を消費してしまう。

 伽藍だからこそ今はこれで済んではいるが、それでもこれ以上の負傷は避けたい。

 

(術式が回復するにはまだ時間が掛かる…が、出し惜しみはできんな、セカンドプランと並行して闘るべきか。…ん?)

 

 無くした腕が再生し、万全の肉体に戻ったと思った瞬間。伽藍はふと右手に意識を向ける。

 

(チッ…()()()か)

 

 "それ"を見て、伽藍は心底不愉快だと眉をひそめ、違和感を取り払うように右手を振るった。

 

「…待たせたな」

 

 目の前で、黙って再生を見届けた五条へ向けて歩く。

 右拳を握り、獰猛に笑って見て話す。

 

 

 伽藍の右指には、亀裂のようなものが入っていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…やっぱ再生できたのかよ」

「なんだ。てっきりそのつもりで攻撃したのかと思ったぞ」

「あー、さっきは血が上ってたからな」

「ククク…すまんすまん、煽りすぎたか」

「まぁいいか…再生できるんなら手加減はいらねぇよな」

 

 一触即発。

 五条の周りに貼られた無下限呪術が、伽藍の腕を受け止めたのが開始の合図だった。

 瞬時に動きが止まり、速度の落ちた身体を捉え、五条が腹部に向けて拳を放つ。

 ゴッ!と鈍く響く音が聞こえたと同時に、伽藍の身体が再び吹っ飛ぶ。

 そして瞬時に、その足を潰そうと放たれる"蒼"伽藍はそれを回避。そして二回、三回と跳躍を繰り返して距離を取る。

 

「チッ…」

「ハッ、どうした逃げ腰になってんぞ?」

 

 挑発を返し、伽藍はそれを聞きながら、忌々しく顔を歪めて舌打ちをした。

 

「術式の方はそれほどでもないが…肉体強化が酷い。ムラはあるが最低で1割…チッ、くたばりぞこないが」

 

 ガリガリと右指を擦って、血管が浮き出るほどに拳を握る。

 五条は伽藍が何を言ったかは聞こえなかったが、それでも彼女に"何か"が起こったことはわかった。

 

 だがそれで手加減するほど甘くはない。

 

 ガンッと、五条の拳がクリーンヒットし、伽藍の顔面に傷を残す。

 瞬時に傷を治し、直ぐに蹴りで反撃をするも、無下限呪術に阻まれ届かない。

 五条は畳みかけて殴る、蹴る、殴る殴る、そして蹴る。

 

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

 

 伽藍は必死に防御をしながら、それでも確かに、その一撃は骨まで届いた。

 そのうち痛みに耐えられず、体勢が崩れた伽藍の腹を蹴り飛ばし、五条は無情にも呪力を練る。

 

「術式順転…――出力最大」

「――ッ!」

 

 "蒼"

 

 より巨大に、あらゆる物質、空間を抉る無限の質量が襲い掛かる。

 五条がさながら指揮のように、指を振るって操作すると、速度を上げながら伽藍を追いかけた。

 

「チッ…」

 

 防御は不可能。

 もし触れれば最後、その圧倒的な収束反応に巻き込まれ、全身がぐちゃぐちゃに崩壊するだろう。

 伽藍は呪力効率を無視して、全力で呪力強化を施して逃走した。

 しかし無限の概念を内包したその攻撃を、純粋な呪力強化で振りほどくのは容易ではない。

 とっさに動いたが間に合わず、伽藍の足の先端に触れ、その右足が捻じれるように半壊した。

 

「ぐっ…!」

 

 バランスを崩し、そのまま地面に倒れる伽藍。

 その隙を逃さず、五条は瞬時に加速し近づいて、握った拳を顔面へと向けた。

 10cm、5cmと、頭と地面との距離が近づく一瞬の時間。それと同時に、五条の拳が近づく。

 

 そして伽藍はそれを上回る速度で、右手を地面に触れさせ呟く。

 五条の拳が、伽藍の頬に触れた瞬間。威力が発生するその刹那。

 

 

禍津日(マガツヒ)――蜘蛛の糸

 

 

 ――ッガガガガガガガガガ!!!!

 地面から蜘蛛の巣状に隆起し、肉と骨を合わせ、鋭い刃に形成したものが襲い掛かる。

 肩と腕。咄嗟に呪力で強化し受け止めたことから、かすり傷で済んだものの、五条は一瞬あっけにとられた。

 

「テメェ…!?」

 

 ――無下限呪術を突破しやがった!?

 それは、理論としては正しい、いくらあらゆる障害を受け止める無限のバリアといえど、常にそれを貼っているわけではない。

 たとえば食事、常に障害を受け止めてしまうなら、食事用の箸や食事そのものさえ防いでしまう。

 五条の無下限呪術はいわばマニュアル操作だ。あらかじめ受け入れるもの、防ぐ障害をフィルタリングし、適度に合わせて調整を繰り返す。

 ならばその隙を突けばいい。そう考えるまではいい。しかしそれは実質不可能なもの、しかし今こうして、無下限呪術は一瞬突破された。

 

(いや違う…偶然だ。だがコイツ…バリアのフィルタリングを更新した一瞬の無防備に…ふざけんじゃねぇぞ…運が良すぎるだろうが)

 

 しかしそれは偶然の産物。実際この反撃が成功したのは完全なる運。

 もしもう一度同じことをしろと言われても、伽藍はもうできない。それほどまでのラッキーパンチだ。

 そして体力差、いくら反転術式で誤魔化しても、領域展開から始まる様々な呪力消費。それが今になって襲い掛かってきた。

 

「オイオイ、息が荒いぞ?喘息か?」

「はぁ…抜かせ、こんなの散歩のようなものだ」

 

 伽藍の呪力はあと2割。いくら慣れてるとはいえ、度重なる欠損の修復、しかも術式による補助なしは苦しいものがある。

 それに、構築術式とまではいかないが、伽藍の術式はお世辞にも、燃費が良いとは言えないもの。

 未だ軽い切り傷で済んでいる五条と、もはや満身創痍の伽藍。勝負は目に見えている。

 

「…お前の術式、構築術式ほどじゃねぇけど燃費悪いんだろ、無理すんなって」

「…六眼か。チッ…本当に腹立たしいな。それは…!」

「肉と…なんだ、重なっててよく見えねぇけど骨も行けんのか?じゃあ最初のアレはどういう原理だよ」

「言うわけないだろうが…」

 

 フラリ、朦朧とした意識を留まらせ、伽藍は地面から生やした肉に触れる。

 

「…確かに。"禍津日"は燃費も良くない、だが応用性はかなりある。肉を作るだけでなく、作り変えることもな」

「へぇ…さっきから出しっぱにしてたそれも、ちゃんと意味あったのか」

「あと、私の作る骨、肉には共通した原理があってな。…あくまでもそれは、自分の()()()()()に過ぎないこと」

 

 術式の開示をし、右手から触れた肉塊が溶けて混ざり合う。

 そして一つ、二つと液状の繊維へと変貌し、それが伽藍の腰へと纏わりついた。

 まるで鳥のかぎ爪のように、はたまた百足のように多足状に、自由自在に変化するそれを見て、五条は目を輝かせる。

 

「…わお、もしかして()()()()ってやつ?現代の構築術式使い涙目じゃん。すっげ」

「猿真似だ。私が生きていた頃、構築術式で全く同じことをしていた小娘がいてな…参考にさせてもらった」

 

 次第にそれは枝分かれして、変形が終わるころには、腰から伸びる四本の触手が完成した。

 しかしその表面は鮫の肌のように、細かくザラついた形状になっている。

 

(今更だけど、やっぱ術式は回復してんのか…でも)

 

 残りの呪力量的に、領域展開はかなり厳しいだろう。

 それにもし、自分が巻き込まれたとしても、無下限呪術ならば容易に突破できる。

 たとえ展開されても、相手の必中効果が発動する前に、蒼による引き寄せが先に当たるからだ。

 しかし、それでも。

 

(嫌な予感しかしねぇ…なんだ?)

「術式解放…」

 

 漠然とした不安。それの疑問に首をかしげていると。伽藍の行動が始まる。

 瞬時に細かく、半径数cmほどまでに縮小した触手を飛ばし、五条の周りを囲む。

 無下限に触れるギリギリ、そこで停止し、伽藍の合図と共に行動を開始した。

 

「禍津日――"十角水車"」

 

 十角形の形に配置された、いくつもの肉の触手たち、それが膨張し、ギャリギャリと回転を開始する。

 しかし、無下限に触れるギリギリで行われているため、速度は減速せずに加速を続ける。

 次第に甲高い音を立て、その回転が限界にまで達して。

 

(?なんだ…)

 

 そして一瞬。五条が意識を離した瞬間に。"それ"は起きた。

 

 

 

「――領域展延(りょういきてんえん)

 

 ギャリギャリギャリギャリギャリッ!!!

 と凄まじい音を立てて、五条の周りに展開された、無下限のバリアが突破され、その攻撃が届こうとした。

 

「ハァッ!?」

 

 咄嗟に跳躍し、肉の触手の隙間を潜り抜け、五条は何とかそれを回避した。

 

「おま、はぁ!?ちょっと待てよ!?」

「待たんわ!!」

「待てって!!!」

 

 ギュインと音を鳴らし、まるで鞭のようにしならせて放つそれ。

 それを必死に避けながら、五条は思考を続ける。

 

(なんだ…もしかしてアレが領域展延か?前どっかで聞いたような…そりゃ領域展開が使えるんだからこっちも使えて当然…じゃなくて!何であいつ…)

 

 五条は無下限による防御を破られたことによる焦り、そして謎の技術による未知の戦闘法。それらの考察を並列で処理しながら、襲いかかる触手をさばいていく。

 ()()()()()()使()()()()()、領域展延を纏っているように戦う伽藍を見て、更に思考は謎へ落ちる。

 

(条件があるとはいえ…相手の術式の無効化なんて事、余程の欠点か弱点があるはずだ……とりあえず、わかるまで術式さばいて観察するしかねぇか…あいつの身体、どういうわけか六眼でも全部見れねぇし)

 

 更に勢いを増して迫りくる様々な触手たち、それを器用にさばきながら、五条は伽藍の攻撃の種を探る。

 領域展延。それは呪術の極致、領域展開とは斜めに位置する異端の技術。

 本来、領域展開を行う結界内に、己の術式を流し込む行為を省き、領域内に空白を作り身に纏う。

 領域展延を使うためには、既に術者が領域展開を使える状態でなければならない。これは呪術における、結界術の足し算にあたる要素でもある。

 故に伽藍は術式が回復するこの時まで、領域展延を使えなかった。

 そして、五条悟唯一の誤算。

 

 伽藍は術式を使っているのではなく、展延開始時から()()()使()()()()()()

 

 領域展延中、その欠点として術者は術式が使えず、必然と肉弾戦を強いられる。

 しかし、伽藍の術式は構築術式と同様。()()()()()()()()()()()()()()

 己の呪力で操作し、自由自在に形を変える液状筋肉。そしてそれは今も活動を続ける、伽藍の肉体の一部であり。()()()()()領域展延と相性がいい。

 予め肉を作ってさえいれば、領域展延中に術式が使えずとも、単純な呪力操作でカバーができる。

 ただの猿真似では終わらせない。会津の構築術式の使い手を見て、そしてそれを超えて見せた。

 

 どこまでも純粋な、闘争欲が生んだ兵器。

 

「禍津日――」

「ッ!」

「"奇面人形"」

 

 肉の触手が薄く、平らに広がって面積を大きくする。

 まるで命を吹き込まれたかのように、白く染まった仮面を付けた、三頭身ほどの人型の何かが生まれた。

 

「人形と私…合わせて5人だ、卑怯とは言わないよな」

「はぁーっ!!??卑怯だろテメェ!!正々堂々戦えっての!!」

「悪いな、耳が遠くて何も聞こえん」

「やっぱババアか?」

「殺す」

「やっぱ聞こえてんじゃねぇか!!」

 

 無下限による守りはもう意味をなさないと気づいたからか、五条は既に術式による守りを解いている。

 攻撃の際、自身と相手の空間にだけ蒼を発生させ、自分を加速させることで攻撃を繰り返す。

 しかし領域展延中、術者は水を纏って身を守っているようなもの。五条の徒手空拳による打撃は、先ほどまでよりも効果が薄い。

 ――そしてそれは人形も例外ではなく。

 

「~~~ッ!うっぜぇし熱い!さっさと壊れろよ!?」

「そう言うな、もう少し有栖(アリス)とあそんでやれ」

「こいつら名前あんのかよ…」

「ちなみにもう一人の候補は禍斗呂異怒(マーガトロイド)だ」

「厳つすぎんだろ!!」

 

 さながら不死身のゾンビのように、殴られては起き上がり、しつこく纏わりつく人形たち。

 そして一瞬の隙を、伽藍が的確に援護する形で打撃を入れる。

 唯一マシなのは、伽藍の疲労がとうとう、反転術式で隠せないほどまでに溜まってきたことか。

 必要な呪力操作のみ、これ以上の触手は増やせない。そもそも展延を解いた瞬間、伽藍は一撃でやられてしまう。

 

(クソッ…この数の差でもまともな傷を与えられんとは…)

 

 息切れをしながらも、必死で攻撃を続ける伽藍の内心は、目の前の不条理への畏怖と、同時に沸き上がる歓喜。

 

(嗚呼…本当に楽しい)

 

 初めて宿儺を見た時の、あの目と同じだった。

 どこまでも輝く、圧倒的な自己と意志。

 天上の意志。こいつを超えたい、五条悟を倒したい。そしていつかは――

 

(頼んだぞ…歌姫)

 

 沸き上がる歓喜を力に変え、伽藍はまた拳を振るった。




 伽藍
宿儺公式夢女子こと万さんの液体金属をトレース。あと地味に素の反転術式の練度は羂索並み。
術式で作った肉は自分の身体と同じ判定→なら身体に纏う領域展延も行けるっしょ!の理論。
あと今日の朝決まりました、推定主人公の術式名はマガツヒです。
ちなみに技名の元ネタわかりますかね?私の好きな作品なんですが(十角水車.奇面人形)

 五条
反転や領域が使えなくても間違いなく最強。
やっぱ無下限呪術チート過ぎませんかね。

 冥冥
実は伽藍のパパ黒遭遇時を観察してた。

 万
その昔、虫の筋肉を纏う都合上、直ぐに丸裸にされるので互いに素手で殴りあってたらしい。


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11話.姉妹校交流"戦"③ー"浴"ー

伽藍「獄門彊を持ったままだと?縁起でもない海にでも捨てとけ」
羂索「いいね採用」

 的なことを書こうかと思ってたんですけど、本誌で羂索がマジで深海に捨ててたのでびっくりしました。多分書きます。


「クッソ…うざってぇな…」

 

 目の前に迫りくる人形たちの群れ、そこに紛れる形で襲い掛かる伽藍自身の攻撃。

 四方八方に散らばり、細かく分離した触手を操る人形と伽藍、五条はそれらを回避し、それが無理なら腕で防御をしてダメージを防ぐ。

 そして同時にやってくる、両腕に走る違和感。それに五条は腹を立てる。

 

「アッチィなこの…火傷したらどうすんだよ」

 

 "これ"だ。

 五条は微かに煙の発生した両腕を振って、この厄介な攻撃に眉をひそめる。

 呪力特性。それは術式や天与呪縛によるものとは違う、戦闘における優位性の一つ。

 術式効果はともかく、シンプルな呪力強化による攻撃であれば、誤差はあれど、こちら側も呪力で迎え撃つことで防ぐことができる。

 しかし呪力特性による影響は、術式効果と同じく単純な呪力強化では防ぎづらい。それすら無視できるほどの、圧倒的な呪力量と呪力出力があれば話は別だが…

 

(しかもどういうわけか…こいつの熱が()()()()()()()()()()()…早く無下限を破った原理を見抜かねぇと…)

 

 原子レベルの呪力の精密動作を可能とする、全てを見抜く祝福の眼。それが六眼だ。

 六眼の前ではあらゆる術式、呪力。呪いにまつわるものの原理を見抜くことができる…はずだった。

 しかし最初に、五条が伽藍を見た時に感じたのはある違和感。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 ありえないことだ。本来術師の持つ呪力の流れ、そこから逆算する形で輪郭を成す生得術式。

 しかし伽藍のそれは、さながらアニメーションを作る際の、背後から光を差し込む形のように違和感の残るもの。

 それの影響か、本来呪力の流れから逆算し推測できるはずの領域の仕様、それの解析に時間がかかってしまうのだ。

 

(それのせいで、領域展延の弱点を見抜くのも一苦労だ…クソが、めんどくせぇことしやがって)

 

 しかしこうしている間にも、伽藍の呪力特性による熱の温度は上がっていく。

 今でさえ火傷ギリギリの熱量だというのに、これ以上時間を掛けて本当に火傷をするのは避けたいところだ。

 領域展延の原理に、呪力特性の持つ仕様の解明。これらの問題に五条は、心底嫌だとばかりにため息を吐いて。

 

「とりあえず… ――全部ぶっ潰す」

 

 自分の身体が巻き込まれる範囲、その限界に近い距離に術式を発動させる。

 下手をすれば足…最悪頭までが粉々になる行為。しかし原子レベルの精密動作により、五条は見事それをやり遂げた。

 

「術式順転…"蒼"」

 

 ズズズ…と、文字通り目の前に虚空の球体を発生させ、一斉に襲いかかろうとした人形たちに牙を剥いた。

 

「――ッ!」

 

 伽藍はとっさに反応し、それを避ける。

 しかし反応が遅れ、巻き込まれた人形三体は、そのまま無防備に引き寄せられ、一か所に纏められた。

 そして。

 

「フンッ…!」

 

 一閃。

 熱をやせ我慢で耐え、"蒼"による吸引力を利用した五条渾身の一撃。

 それが人形を纏めて粉砕し、伽藍の制御を離れ、形を失った液状筋肉はそのまま地面に落ちる。

 

「ッ!クソ…」

 

 すぐに再び"蒼"を発生させることで、伽藍の身体を引き寄せ、防御の構えを取らせる暇もなく、再びその腹部に拳をねじ込もうとする。

 無限級数の引力による絶大な衝突力が、伽藍の内臓を傷つけ、その身体を壊しかけたその時。

 

 ガツンッと、まるで金属板が抉れたかのような音がした。

 

 五条が音の発生源に目を向けると、自分の拳が板状の何かに阻まれていることに気づいた。

 先程の"蒼"の際、伽藍は咄嗟に残る一体の人形を分解、再構築することで作ったプレートを挟むことで、瞬時に防御してみせたのだ。

 それを見て、五条はニヤリと笑う。

 

「へぇ?咄嗟に分解する判断力もだけど、まぁまぁやるじゃん」

「…それはどうも、お褒めに与り光栄だな」

()()使()()()()()()()よくやるよホント」

 

 ピクリと、伽藍の眉が揺れ動いたのを五条は見逃さなかった。

 そしてこれにより、五条の推測は確信へと至る。

 

「最初。俺はお前が術式を使って戦ってると思ってた、でもそれだと違和感がある」

「…なんだ」

「"ストック"だよ。いくらお前の術式の燃費が悪いとはいえ、液状筋肉なら話は別だ。内部構造に空白を作るだけで、触手の表面積を増やして攻撃することだってできるはず」

 

 五条が最初に違和感を覚えたのは、伽藍の扱う肉の触手が消耗するばかりで、一向に補填や修復などの動作を見せなかったこと。

 抉れた触手の部分を、他の部位から持ってくる形で補うその姿が、まるで()()()()()()()()()()()だったのだ。

 そして極めつけは先ほどの現象。人形たちを破壊した時、液状筋肉は抵抗すらせず形を失った。

 伽藍の触手の動力源が術式そのものであるならば、現在進行形で肉を作り、()()()()()はずなのに、それが失われた時の慣性、()()()すら、六眼には映らなかった。

 

「予め肉を作る…そして出来た液状筋肉は、呪力を通し続ける限り自在に操れる。そして領域展延の弱点…お前は展延中、術式を使えない」

「……」

「つまりお前は術式を使わないまま、領域展延のデメリットを踏み倒して…呪力オンリーで戦い続けてたわけだ。当たりだろ?」

 

 五条の得意げに歪んだ顔。それを見て伽藍は心底悔しそうに顔を歪めた。

 「当たりだ」と、五条の言葉を肯定して伽藍は、はぁー…と疲労の混じった息を吐いて。

 

「いくら六眼があるとはいえ…予想よりも早い、単純な呪力操作と結界術にはそれなりに自信があったのだが」

「今までの六眼持ちと一緒にすんなよ――()()最強だから」

「…ふふ、ふふふ…」

 

 五条のどこまでも自信に溢れた瞳、態度を見て、伽藍は身体を震えさせた。

 忌々しい因果。そのはずだった青い瞳を見て、クスクスと笑う。

 そして、どこか吹っ切れたような、その表情。

 

「ククク…ッハハハハハ!!そうか!そうだなお前は!――最強か!!」

 

 ――あぁ、間違いなくこいつは宿儺と同じだ。

 どこまでも自由で、自己の在り方とその存在感。あの呪いの世界(平安時代)と同じように。こいつは世界を掌握する存在だ。そう伽藍は確信した。

 伽藍の持っていた嫌悪感は、既に消え失せた。

 

「いい、いいぞ…ならば私は命を燃やしてお前を超える…いや、超えて見せる…!」

 

 残り僅かの液状筋肉、それが伽藍の手、足にだけ集中して纏わりつく。

 そしてそれが意味するのは腹部や関節部分の防御を捨てた。正真正銘殴り合いの真っ向勝負。

 

「"貴様は"後で殺す。…今だけは大人しくしてろ」

 

 ギリギリと音の鳴る程に、拳を握る。

 亀裂の入った右指を、ガリガリと引っ掻いて、五条以外の誰かに話しかけるように呟いた。

 ふう。と息を吐いたあと、軽く目を瞑って意識を集中させる。

 

「…領域展延」

 

 なけなしの呪力を振り絞り、その身を新しく作り直した結界で覆いつくす。

 肉の触手は作らずに、正真正銘己の肉体のみに纏わせた、それは本来の領域展延そのもの。

 しかしもって数十秒。だがその衰えぬ闘争心と殺意は、目の前の最強に負けないほどに輝いていた。

 

「…しゃあねぇ、付き合ってやるよ」

 

 その意図を汲み、五条は腰を落として構えを取った。

 目の前にいる女を一つの脅威と見なし、全力で相手をすることにしたから。

 しかしそれでもその態度は、どこまでも傲慢さがにじみ出たもの。

 

「嗚呼…いい、()()()と再び相まみえるとは!」

 

 しかし伽藍はそれを見て笑う。

 いい、それでいい。と、残りの呪力、疲労を無視して叫ぶ。

 文字通り、その身を焼き尽くすほどの、戦いへの執着心と勝利への渇望。

 それが音となり、声となって空気を震わす。

 

魅せてみろ!!五条悟!!!

 

 再び、戦いの音が鳴り響く。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 ガンッ。

 五条の放つ"蒼"による収束。伽藍の常軌を逸した、呪力強化による走りの音が。

 

 ヂヂ…

 音速に匹敵するその豪速。それによる、空間が裂ける大音量が。

 

 

 ヂリッ…

 無下限呪術による最強の概念防御と、それを打ち破らんとする、伽藍の呪力強化と領域展延が。

 

「――ッ!」

「ハハッ!いいぞ!」

 

 空間が歪むほどの鍔迫り合い、互いの拳、足技が残像を焼き付ける。

 拳が空間に線を作り、それを防ぐ形で別の線が刻まれる。無限の概念を纏った拳と、それに食らいつく純粋な呪いの強化。

 無下限による一瞬の減速、それがなければ今頃、並みの術師ならば瞬時に肉塊となっていただろう。

 咄嗟に放たれる伽藍の拳、それを"蒼"による収束反応で真上にずらし、無防備な腹に拳を打ち込み吹っ飛ばす。

 しかし瞬時に、道連れ覚悟で放たれた伽藍の蹴り上げ。それをなんとか腕で防ぐ。

 遥か遠くに飛ぶ伽藍を見ながら、五条は未だ痙攣の止まらない腕を摩って舌打ちを零す。

 

(こいつ…肉体強化の出力がイカれてやがる…"蒼"の加速がなかったら危なかったな…)

 

 術式はそれほど、しかしそれでも、並みの術師すら上回る伽藍の呪力出力。

 だがそれすら霞んで見えるほどの、常軌を逸している出力が肉体強化。――そのフィジカルだ。

 唯一の安堵は、残りの呪力量的にも、そう全力の連発ができるほどではないのが幸いか。

 

(しかも…)

 

 ヒリヒリと、より違和感の強くなった腕を摩って、五条は顔を顰める。

 

(さっきとは比べ物にならねぇくらい熱い…これ以上は勘弁だな)

 

 体術も恐ろしいが、それ以上にこの熱が厄介だ。

 五条の呪力量、出力がいかに優れたものといえど、これ以上は身体が持たないだろう。

 不快感の残る腕を後に目線を向けると、更に温度を上げて、全身から激しく煙を放出する、伽藍の姿があった。

 一歩、二歩と、伽藍がこちらへ向かって歩くたびに、地面の草が燃えて、水が蒸発していく。

 

「いい、体術も見事…私の知り合いにも、それなりに武術を嗜んでいた奴がいるが…あいつとは比べ物にならん」

「ハッ、この俺を同じに見るなっての」

「そうだな…――お前は特別だ」

 

 もはや傷を治すことすらやめ、獰猛に笑って血を拭う伽藍。

 口からは血液が逆流し、溢れた新鮮な血液で、はだけた胸元を赤く染める。

 対する五条は軽い火傷と切り傷。それ以外の傷や疲労もなく、完全に勝負はついたようなものだ。六眼による、極限まで減らした呪力ロスにより、五条に呪力切れの概念はない。

 いくら伽藍の方が、純粋な体術の練度が上だろうと、残る呪力量や既にボロボロの身体での速度の低下により、これ以上の殴り合いは分が悪い。

 そして若返りの影響で、身体が頑丈になった伽藍といえど。

 

「っ"…ォェエ"エ"エ"ッ"…!」

 

 ――ついに限界が訪れる。

 ビチャビチャと、粘性の高い血液が口、そして裂けた腹からドプリと漏れて、片膝をつく形で倒れ込む。

 そして大量の失血により、伽藍の目は落ち着きを失い、今にも気絶しそうな程に消耗した。

 

「っ…おい、お前…!」

「う…ぐ…っ、ハハッ…まさか?やめろと言うつもりじゃないだろうな?」

 

 ジュウウ…と、肉の焦げる音が辺りに響く。

 それと同時に、目の前からタンパク質が溶けた時の、あの不快感の強い異臭が立ち上った。

 五条がまさかと、伽藍の腹部を見て顔を歪める。

 

「お前マジかよ…死ぬぞ」

 

 呪力特性。あれから更に時間が過ぎて、今や五条でさえ重症を負いかねないほどに熱されたそれ。

 伽藍はそれを自ら傷口に、手のひらを練り込む形で当てて傷跡を焼いていた。

 血液が沸騰し、肉が溶けて液体になるほどにまで、伽藍は熱の籠った手で傷跡を摩りながら笑う。

 

「…舐めるな、この程度で死ぬほど耄碌していない」

 

 ズシン。と、まるで肩に重しを乗せられたかのような重圧がその場を支配する。

 

「…これで、最後だ」

 

 正真正銘、残る全ての呪力が、伽藍の全身を包み込んだのを、五条は見た。

 それが偽りでないことは、六眼、そして他ならぬ五条自身が信頼した、彼女という人間性が証明する。

 

「…来いよ」

「言われなくとも」

 

 拳を引いて、伽藍の左腕が突きの構えを取る。

 勝負を決める、最後の音が鳴り響く瞬間――

 

 

 

「…"武振熊(たけふるくま)"」

 

 伽藍は()()()()()()()()()

 

「はっ」

 

 硬直。目の前で起こった事態を、脳が一瞬理解するのに遅れが生じる。

 五条が硬直しているその刹那、秒数にして約0.5秒のうちに、伽藍の引きちぎられた腕が、みるみるうちに剣へと変化を遂げた。

 そして、残った呪力全てで、肉体強化を施し、それを投げて叫ぶ。

 

 

「――歌姫ッ!

 

 

 ――今回の交流会は二対二のチーム戦。

 

 ――最初に傑がやられた、そしてすぐにこいつと戦った。

 

 

 ――じゃあその間、もう一人はずっと…!

 

「っまさか!!」

 

 五条がハッと視線を後ろに向けた先、今まで意識すらしなかった、もう一人の敵。

 戦力にならないと思ってた。だからずっと控えてたと思ってた。

 ずっと、ずっとこいつと戦って、それで…

 

 ――()()()()()()()()()()()

 

「――待ってたわよ!伽藍!!」

 

 必死に"何か"を惹きつけるかのように、後ろに視線を向けながら、全力で走るその姿。

 それに向かって、豪速で放たれる伽藍の投擲された肉の剣。

 

 六眼が把握する。五条の推測が確信へ至る。

 

 伽藍の真の狙いは――

 

『いイいいぜんざ…』

禍津日(マガツヒ)…!」

 

 瞬時に倒れ込むように、姿勢を低く剣を避ける歌姫の後ろ、そこにいたのは呪霊。

 この交流会における、最も階級の高い準1級。そしてこれが最初で、最後の――

 

「――"蜘蛛の糸"」

 

 剣が刺さった瞬間、枝分かれするように展開された肉の刃。

 それが呪霊の肉体を分解し、呪霊の消失反応が起こると同時に、会場のスピーカーから声が響いた。

 

「――そこまで!時間切れだ!

 

 時間制限、それを知らせる夜蛾の声が響いて、交流会は終了した。

 目の前で、消えていく呪霊の死体を見て、五条は問う。

 

「…お前、最初からこれを狙ってたのか」

「……ハッ、悪いな。だが言ったろ、お前に勝つと」

 

 再び鮮血の溢れる、失った左腕をかばう形で手を当てるその姿。

 痛々しい。しかしその表情は、してやったりと、まるで子供が悪戯に成功したかのような笑顔だった。

 

 ――完全に騙された。

 

 四方八方から襲い掛かる触手、視界だけでなく、呪力反応に神経を注ぎ、それに集中させられた。

 伽藍の呪力のみに強く反応し、それ以外の呪力を、完全に意識の外に追いやってしまった。

 味方のことなんて、完全に考えていなかった。

 

 目の前の戦いに必死で、本来の勝利条件を忘れてしまった。

 

 ()()()()()()()で、負けてしまった。

 

「ッヒ、ヒヒヒヒ…!嗚呼、その顔が見たかった!」

 

 呆気にとられる顔、五条のその表情を見て、血が噴き出すのもお構いなしに伽藍は笑った。

 ゴポッと気泡が発生するほどに、喉に血液が溜まるほどの重症でも、笑う。

 

「ざまぁないなぁ五条!まんまと出し抜かれた気分はどうだ!?」

「ふっざけんじゃねぇぞ!こんなのノーカンだノーカン!」

「ハッ!敗者の戯言など耳に入らんなぁ!」

「お前はボロボロ、俺はほとんど無傷!はい俺の勝ち!俺の大勝利!」

「はぁーっ!?最初から全力を出していればお前のような餓鬼、余裕だ余裕!私の勝利だ大勝利!」

「テメェ泣かすぞ!!」

「こっちこそ泣かしてやるわ!!舐めるな糞餓鬼!!!」

「ちょ、あんたら落ち着き…ギャーッ!!伽藍アンタ身体大丈夫なの!?」

「う、ううん…」

「あ、おい傑さっさと起きろ!今からこいつボコる!」

「いいだろう…お前ら全員もう一度負かす!」

 

 重症なのを無視して、ギャーギャーと髪を引っ張られ、引っ張りの喧嘩をする伽藍と五条の2人。

 それをあわあわと止めようとする歌姫と、未だ昏睡状態の夏油。

 

 夜蛾が走って止めに入るまで、このカオスはずっと続いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 その情報は、ある意味でこれまで以上に呪術界を沸き立たせた。

 "最強"の存在、五条悟を出し抜いた、その事実に。

 勿論、本人からすれば真っ向勝負で勝ったというわけではない。万が一互いに全開の状態で勝負したとしても、勝っていたのは五条だろう。

 それほどまでに、五条悟とは圧倒的な存在。故に誰もが彼を畏れ、恐怖し認めていた…が。

 それの均衡が崩れた。

 

「アンタのせいで、裏の仕事が余計に増えて困ってるんだがなぁ…」

「なんだ、仕事が増えて良かったじゃないか」

「それ嫌味か?それのほとんどが五条悟関連なのが疲れたんだよ」

「ハッ、私が作戦勝ちできたから自分も…なんてクチか」

「正解」

 

 山奥、呪術上層部の手も届かない廃墟。

 その崩れた鉄筋を潜り抜け、会話をする2人。

 

「にしても、よくこんな場所を見つけたな。上層部にも把握されてないだって?」

「以前はな。ここはかつて崩壊した呪詛師たちのたまり場でな、その古くなった記録を知り合い(羂索)に消してもらった、だからここは誰にも知られていない」

「……上層部のデータベースに介入できる存在…か、知りすぎたら消される奴だな」

「賢明な判断だ」

 

 おーこわ。とわざとらしくおちゃらけて、タバコを片手に笑う髭の生えたスーツの男。

 名は(コン)時雨(シウ)。呪詛師含む、いわゆる裏の世界の仲介役だ。

 そして、そんな男と気楽に会話し、歩を進める女こそ――

 

「しかし最初は驚いたんだぞ?まさかあの平安術師様が、直々に俺に依頼してくるなんてな」

「お前は裏でも有名だった、それに仕事ができる男は嫌いじゃない」

「ありがたいね」

 

 その言葉に、フン。と満足そうに笑う、黒の混じった銀髪の女――伽藍は「それに」と続けた。

 

「"これ"を成すには、今の術師に依頼するわけにいかん」

「…それは同感だ、一応できるだけコネを使って集めたんだが…」

 

 ガチャリ。と、古く開きにくくなった扉を捻って、廃墟の中心へと向かう。

 そして、目の前に広がる景色を見て固まる伽藍に、時雨は説明を続けた。

 

「依頼通り、老若男女問わず…呪詛師たちをできるだけ集めてきた」

「最低でも50はいればいいかと思ったが…これは」

「これが新規のお客様ならそうしたさ。だが今回は他でもない…アンタからの依頼だからな。張りきったさ」

「やるな、やはり私の勘は当たっていた」

 

 呪詛師。一般人を悪意のままに呪い、殺す呪術界の敵。

 それらが、伽藍の目の前にはおよそ120ほど…――死体となった状態で転がっていた。

 

「これだけの数、仕留めるのに苦労したろう」

「古い付き合いのやつがいてな、そいつにかかれば、術師はお茶の子さいさいだ」

「甚爾か。ククク…やはり勿体ないな」

「まぁ『できるだけ血を出すなってのは死ぬほど面倒臭い』って愚痴ってたが」

「それは譲れん、今から行うことには血が必要だ」

 

 シュルルと、伽藍の術式による触手が、目の前の死体を一つ、一つと絡めとり、上空へ運んでいく。

 そして一つ一つ丁寧に、上空に広がる麻布に置かれていく様子を、時雨は眺めながら言う。

 

「しかし一体何をするつもりだ?血で何かの儀式でもするつもりか?」

「あながち間違ってはいない、今から行うのは確かに、儀式の一つではあるからな」

 

 そして全ての死体を積み上げて、伽藍は再び触手を再展開した。

 バキバキと、形を変えて硬質化し、巨大な石のような形にして――

 

 それを一気に麻布に向かって落とす。

 

 グチャグチャ、ベキベキと雑音をまき散らし、麻布から血が漏れて、その下にある穴へ落ちていく。

 黒く、赤く、どこまでもおぞましく輝くその液体を見て、伽藍は満足そうに微笑んだ。

 

「"浴"は知ってるだろう?家宝を外敵から守るため、蟲毒で厳選した血液を使い、呪具化させる儀式だ」

「……知ってはいるが、まさか人間で再現したのか?」

「たかがムシケラの生き血より、こっちの方が効果は強いだろう?」

「……確かに。こりゃ周りにバレたら大変だわな」

 

 伽藍はそう言いながら上着を脱いで、白くハリのあるワイシャツ姿を晒し出す。

 ワイシャツすらも脱ぎ去り、ベルトを外してズボンを下ろす、そして順番に足をズボンから引き抜いて、完全な下着姿へ。

 そのまま上から順に、最後に残った黒い下着すら外して、全裸になって歩き出し、目の前の池に片足を浸ける。

 そしてそのまま血の池の中央まで歩くその行動を、どこか気まずく目線を迷わせながら時雨は問う。

 

「あー…そんなのに浸かってなにするつもりだ?」

「"魔"に近づくのだ。この()()()宿()()…くたばりぞこないの小娘の魂を殺すために」

 

 伽藍が忌々しく、右手に向ける視線の先。そこには以前よりも大きくなった、亀裂の走った指があった。

 何の偶然か、伽藍が最も得意とする肉体強化の出力。それを偶然にも受肉元の少女は妨害した。

 そしてそれが交流会という戦いの場で、成功してしまったのが運の尽き。

 

「しばらく浸かる、見たければ勝手にしろ」

「あ、じゃあ遠慮なく」

 

 両腕を広げ、重力に任せて背中から倒れる伽藍の姿を、時雨は最後まで見届けた。

 そして同時に、あの平安の頃と同じように、伽藍の魂は穢れ、堕ちていく。

 その身が、魂が"魔"へと近づくと同時に。

 

 ――この世から、一人の少女の魂が消えた。

 

 

 

■■■

 

 

 

「……よく考えたらここからじゃ見えねーな」

 

 "浴"を開始し、現在進行形で浸かる伽藍を、水面越しに見て、はぁー…と時雨はため息を吐いた。

 

「さて、次の仕事はどうしようか」

 

 タバコを咥え、専用のパソコンで裏の仕事を探る時雨。

 裏の依頼にも様々な種類がある、単純な暗殺、危険な器物の輸送など…

 しかしどれもパッとしない、無心で画面をスクロールする作業を繰り返し、目を顰める。

 それをしばらく続けていると、ふと目に留まる依頼があった。

 

「へぇ…?これは中々……」

 

 時雨の目の前に映ったのは、ある教団が裏に依頼した案件。

 

 

 ――星漿体(せいしょうたい)の暗殺。その一つの依頼が、時雨の興味を引いたのだ。




 伽藍
作戦勝ち、そもそも交流会の勝利条件は「祓った呪霊の数」なので、限界まで時間稼ぎをして勝利。
肉体強化だけなら出力は宿儺と同レベルです、ステゴロババアです。ビルをぶち抜くパンチができます。
だからこそそれを邪魔されてムカついた、浴で受肉元の少女の魂は沈みました。かわいそ。

 孔時雨
マジでカッコいい、アニメ楽しみですね。

 星漿体
逃げろ理子ちゃん。

そしてハーメルン史上初、主人公に浴をさせた称号は私のものです!いぇい!
……だよね?


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じゅじゅさんぽ.伽藍

 伽藍の過去とちょっと未来の話、昼にパフェ食いながら書きました。


「あなたは暖かい」

 

 それを聞いたのは何時だったか。

 誰が言ったのだろう。若い女か、男か老人か。

 もしくは自分の妄念が産んだ、ありもしない言葉だったのか。

 いいや確かに聞いた。本来ならすぐに頭から消えるであろう、ただの雑音一つが、何故だかこうして蘇る。その原因が分からない。

 あぁそうだ、それを聞いたのは、街中を歩いた時にだった。

 特に理由も、目標もなく街を歩く。

 そうして最初に目にしたのは、母が親を抱きしめながら笑う姿。

 

 なんだ、ただの親子か。

 

 だからなんだと区切りをつけて、歩きだそうとしたその時にだ、伽藍は確かに聞いたのだ。

 なんの変哲もない、昼下がりの街中で、他の誰かが言ったその言葉。

 

「あなたは暖かい」

 

 何を当たり前のことをと、だがそれだけでは終わらない。

 確かに、伽藍の耳にはその言葉が残っていた。

 何故だか残って、今こうして回帰している。

 

 なにを…

 

 暖かいのは当たり前だ、人には肉がある、血がある、臓がある。

 それが廻って熱を持つ、生きるからこそ熱がある。

 だからこそ、それを奪って、殺して、ちぎって、引き裂いて。

 吹き出す命と臓物を、浴びて飲む行為こそが、あの平安の時代で、他ならぬ自分がやっていた事こそが――

 

 …なにを

 

 "抱きしめる"…その行為が妙に腑に落ちない。

 力を込めない。噛みもしなければ呪いも吐かない。

 

 …………

 

 触れるだけ、皮膚があるせいで肉が削げない。

 皮膚で包んでいるせいで、臓物は綺麗に吹き出せない。

 何故、それで暖かいと感じられるのか。

 

 フン。と、疑念を吐息にして吐き出して。

 伽藍は再び歩き出す。

 

 何故、何故残る。

 

 分からない。

 やはり分からない。

 伽藍は、それが分からない。

 

 

 初めてこの力の存在を知った時。

 初めてこの力の使い方を知った時。

 

 初めて、母なるものを殺した時。

 

 

 "親"とは何なのか、伽藍はその時からわからない。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 伽藍は捨て子である。

 かの鬼神、両面宿儺と同じよう、彼女とて人の子、女から産まれ地に落ちる。

 故にこの場合、表現するならば育ての親だろう。

 その昔、伽藍は齢40程の、薄目の女のもとで育てられた。

 

 女は"悦"に浸るのが好きだった。

 

 女はその昔、大層麗しい者として、都を騒がせた女だった。

 時の帝すらも魅力し、その機嫌を取るために、3つの家が滅ぼされたとも噂された。

 ひとたび彼女が月を望めば、それを手にしようと、あらゆる男が空を飛ぶ。そんな荒唐無稽な事すらが、本当に起こりうる。そんな女。

 女はそれを20年繰り返し、そうしていつしか噂から消えた。

 

 肌は乾き、皮膚は少しづつ爛れていく。

 

 滅ぼした家の者からの視線よりも、非難されるような蔑みの視線よりも。

 女は他の何よりも、自分の顔へ向ける自分自身の視線が恐ろしかった。

 鏡から、水から、あらゆる角度から見る自分の顔を、"醜い"と感じる。

 日々老いていく自分への恐怖、それへと向ける、自分を見下す自分自身の蔑み。

 二律背反が身を沸騰させ、女はどうしようもなく震えて過ごした。

 

 "浴"という儀式がある。

 

 それは家宝を守る為、器物を呪物へと変化させることで、外敵から守る儀式の一つ。

 蠱毒で厳選した、呪いの篭った虫をすり潰し、その鮮血を貯めていく。

 虫を育て、殺し、潰して絞って、そうして家宝は己以外に牙を剥く、呪いの武器へと変化する。

 

 女はそれに目を付けた。

 

 ――血がいる。

 

 虫などでは足りない。かつての美貌、己の最盛期を取り戻すには、これでは足りない。

 

 ――若い血を。

 

 人だ、もっと人を。女だ、私より醜く、そして生きた女の血が欲しい。

 

 ――もっと…もっと…!

 

 そんな女が目を付けたのは、運良く"術式()"に覚醒したばかりで、未だに常識を知らぬ哀れな少女。

 女の執着が牙を剥く。

 

 ――もっと寄越しなさい!もっともっともっと!!

 

 その少女は、世にも珍しい銀髪の女。

 そして術式もいい、彼女なら、他の血を混ぜずとも、彼女のみから血を収集できる。

 故に、故に彼女を選んだのだ。

 

 女は日が昇るたび、縛って攫ったその少女を、文字通りに捌いた。

 肉が裂けて、その血を一滴も無駄にしないよう。敷いた布に染み込んだ血すらも、飲み干す勢いで貯めていく。

 血が溜まる。肉が裂けて、少女の術式がそれを元に戻す。それと同時に、少女の呪いは強くなる。

 

 いい、それでいい。その呪いが私を若く美しくする。

 そして何より、少女の悲鳴が心地よい。

 

 女はいつしか、自分が若くなろうとすることよりも、その少女の悲鳴を聞くことを目的にしていた。

 痛みに慣れて、いつしか悲鳴を上げなくなった時、女は少女の目を抉った。

 そうして再び溢れた血を、女はかき集め"悦"に浸る。

 皮膚が剥がれ、大気に晒され痛む腕を、女は無情に叩いて甚振る。

 

 そうして幾年が過ぎて、とうとう準備は整った。

 赤。都の整備された観賞用の池よりも、遥かに巨大で悪趣味なそれ。

 底は浅く、寝転ばないと全身が浸からないほどだが、その液体全てが、一人の少女から作られたもの。

 文字通りの、生きた血を溜め込んだ究極の呪い。"浴"の準備は整った。

 

「若く…若返…若く…美し……」

 

 女はもはや普通ではなかった。

 返り血を浴びすぎたからか、それともこれが、本来の"人間"の姿なだけなのか。

 女は一歩、二歩と"浴"の場所に近づいて、高らかに笑って足を踏み出す。

 

「これで!これで私はまた――!」

 

 喜びと期待で顔を歪ませ、目の前の血に飛び込む勢いで足をあげた瞬間。

 

 ボチャリ。音にするとそんな感じだろう。

 

 女の足の先が血に浸かると同時に、女の首が落ちて、沈んだ。

 バシャン!と、バランスを崩した女の身体も、血に落ちて沈む。

 その後ろで、肉で出来た刀を持った、全身を血塗れにした少女が立っていた。

 

「………」

 

 少女は服を脱ぐ、その全身には未だに、かつての"悦"の後遺症というべき、数多の傷跡があった。

 

「…………」

 

 足を入れる。

 

 まだ塞がっていない、付いたばかりの傷に血が染みる。

 しかし少女は顔色を変えない。もはやそれは慣れたもの。

 傷に染みる、その感覚に心地よさすら感じて、そうして血の中央へ向かい、少女は目を閉じその身を委ねる。

 

「………………………」

 

 ドポン。少女は背から倒れて血に浸かる。

 黒く、赤く、深く、そんな液体に全身を浸らせる。

 落ちて、堕ちて、その身が穢れ、呪われ、その魂が"魔"へと近づいていく時に。

 

 少女(伽藍)は一言、呟いた。

 

「………意外と暖かいな」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…さん」

 

 声が聞こえる。

 

「…か……ん」

 

 意識が覚醒していく。

 

「お母さん…?」

「……随分と、まぁ」

 

 そうして目が覚め、伽藍は目の前にいる、青髪の少女の顔を見る。

 いつの間にか、眠っていた自分をどれくらい見ていたのか、伽藍は頭をガシガシと掻きながら問う。

 

「私はどれくらい寝てた」

「さぁ、私が来た時にはもう寝てたし…そっとしとこうかなって思ったんだけど」

「いや、いい。…そうか交流戦か」

「交流戦じゃなくて交流会ね」

 

 懐かしい夢を見たものだ。

 そう内心で呟き、伽藍は"この後"の予定を話している少女――他ならぬ自分の娘、霞を見つめる。

 受肉し、二度目の生を受けた伽藍は、今やその容姿は器に寄ったもの。

 そして何の因果か、こうして拾った子供までもが…本当におかしなものだ。

 

「霞」

「なぁに?」

 

 背も伸びた。

 あの頃の自分と同じ、黒いスーツを身に纏い、呪力の籠った日本刀を腰に携えている。

 髪色、前髪の向きこそ違うが、それ以外はほとんど、自分とそっくりだ。

 

 ――あなたは温かい。

 

「……ふむ」

 

 いつしか聞いたその言葉。

 伽藍は首をかしげて再び考える。

 

「おい」

「な、に…」

 

 フッと慣れた動作で、呪力強化を施した足で、加速して近づいた。

 普段の戦闘で目が慣れてる影響か、その瞬間移動に近い接近を、霞は目で追って硬直する。

 

「え、あの…」

 

 その手を掴む。

 

「お母さん…?」

「霞」

 

 伽藍の方が背が高い、故に少し屈んで、下から覗き込む形で視線を向ける。

 

「動くな」

「えっ」

 

 掴んだ腕を後ろに引いて、困惑で固まるその顔を、更に近づくように誘導する。

 そして更に、姿勢を低く下にして。

 

「違う…やはり何かが違う……」

「お、お母さん…?な、に…」

 

 ぐっと更に近づく。

 伽藍の鼻が霞の喉に、当たりそうになるほど距離が縮まる。

 

「……違う」

 

 やはり違う。

 

「……………ふむ」

「ぇ、あ…あの…?」

 

 もう片方の手で、目の前にある髪を触る。

 自分とは違う、血の染み込んでいない、青く清潔な髪をさらりと撫でる。

 ふわり。と、石鹸とほんの少しの、汗の染み込んだ匂いが鼻腔を擽る。

 

「違う」

 

 自分とは違う。やはり違う。

 血と臓物の腐臭がしみ込んだ、自分の髪とはまるで違う。

 

 ――あなたは温かい。

 

 あの言葉。何故か自分の記憶に残るそれが、再び脳内をよぎる。

 あの親子のように、街中で見た"普通"の親子のように、腕と身体を――

 

「…わからん」

「あ、あの…な…」

 

 そうして数秒、その体勢のまま時間が過ぎて。

 ガタン!と、襖の開く音が聞こえた。

 霞はそれを聞いて、ギギギとブリキのように首を動かした。

 そうして空気が固まり、コホンと咳ばらいをしてから、目の前の少年は話す。

 

「…伽藍先生」

「なんだ加茂か、何の用だ」

「…もうすぐ交流会が始まるので、早く来て欲しいと学長が」

「あぁ、そうか」

「……ところでどういう状況で…?」

 

 加茂。と呼ばれた少年は、今も密着をしたままの、目の前のクラスメイトとその親を見る。

 その視線の意図に気づき、霞はカ~っと顔を赤くし、伽藍はうん、と体勢を元に戻して言った。

 

「今のはなんでもない、忘れろ」

「いや無理では…?」

「無理だよ!?」

 

 伽藍の言葉に、加茂と霞の2人は息をぴったり合わせて反論する。

 顔を真っ赤にして、あわあわと腕と口を動かしてどうにか弁明しようと、加茂へ話しかけて奮闘する、霞の様子を眺めて呟く。

 

「……わからない」

 

 ――あなたは温かい。

 

 わからない。自分は何が違うのか。

 この香りも、柔らかさも、あの時の自分とはまるで違う。

 血も、肉も、どれも柔くて、暖かい。

 でも、あの日感じた暖かさとは違う。

 

 あの街中で見た、"普通"の親子とはなんなのか。

 伽藍はまだ分からない。

 

 

 まだ、それがわからない。




ちなみに薄目の女は非術師です。
夏油の思想にも当てはまるけどぶっちゃけ本人はどうでもいいので今の今まで忘れてた。
全部弱かった自分が悪いと思ってるので同情されても「はぁ…?」ってなる。


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12話.懐玉①ー沈ー

 日間ランキング4位行ってました、みんなありがとう!


 盤星教(ばんせいきょう)

 それは、遥か昔から日本を守護する偉大な結界術師、天元を崇拝する非術師の宗教団体。

 彼ら信者は天元こそを主神とし、それ以外のもの…"適合者"である星漿体は不純物、穢れと見なしている。

 そんな彼らにとって、天元の進化を止める"同化"は耐えられないこと。

 だからこそ、こうして闇サイトで依頼を出したのだ。

 

「盤星教に術師と戦う力はない…ま、信者のほとんどがというより、全員が非術師だからな」

『へェ、それで?』

「向こうもヤケクソか、馬鹿みたいな報酬金を出して来た。しかも必要経費も向こうが持ってくれるとさ」

 

 目の前で定期的に、気泡の発生するおぞましい血の池を見ながら、時雨は電話で会話を続けた。

 

「どうだ禪院、星漿体暗殺…一枚噛まないか?」

『ア~…そうだな。いいぜ、その話受けてやる』

 

 電話越しに聞こえる、男の答えに時雨はニヤリと笑う。

 呪術界において、天元とその適合者である星漿体は、何にも代えられない重要なもの。

 それの護衛となれば、今呪術界を騒がせているあの男…最強の術師、五条悟もやってくるだろう。

 ――だがこの男ならそれすらも…

 

『あ、後もう俺は禪院じゃねぇ、婿に入ったんでな』

「…またか?飽きねぇなお前も」

『言ってろ、今は伏黒だ』

「そうか、じゃあ終わったらそっち行く、詳しい話はまた後でだ」

『アァ?今日他に仕事入れてたのか?』

「あぁ、例の平安術師様からの依頼だ」

『…へェ?』

 

 時雨の通話先の男、"術師殺し"と呼ばれ、裏の世界で暗躍する、かつて御三家の一員だった男。

 禪院――もとい伏黒甚爾は興味深そうに聞いた。

 

『呪術全盛の呪いの知識…興味深いな、何やってんだ?』

「"浴"だ、お前も聞いたことくらいはあるだろ」

『アァ?そりゃまた随分古臭…あぁそうか、平安だからな』

「俺も思った。だが流石平安出身だ、中々に頭がイカれてやがるぜ」

『…へェ?依頼は確か呪詛師の死体だろ、その血で呪具でも作るのか?』

「それでも充分すぎるくらいだが…おっと、今終わるとこだ」

 

 ブクブクと、突如目の前の池から、先ほどよりも凄まじい勢いで気泡が発生したのを見た。

 時雨は電話を耳に当てたまま、目の前の光景に魅入られ、じっと視線を向け続けた。

 そして。

 

 ――ドパッ

 

 目の前の血が瞬時に舞い上がり、まるで噴水のように宙に舞う。

 その液体の一つ一つに、限界まで濃縮された人間の怨嗟が込められていることを考えると、時雨はそれに浸かる目の前の女に、畏怖の感情を覚える。

 そうして血が再び落ちて、時雨は目の前に立つ、女の姿、こちらを射抜く瞳を見た。

 

 呪いを宿した、真っ赤に染まる理外の瞳。

 

「呪具じゃねぇ、あの血の池に浸かるのは、他ならぬアイツ自身だ」

『…マジで言ってんのか?』

「マジだ。今目の前で、全身真っ黒のアイツがいる」

『俺でもしねぇぞ?汚れるってレベルじゃねぇだろうが』

「ハハッ、言えてる」

 

 ひたり。血のしみ込んだ髪から、余分な血を滴らせながら、伽藍は歩き出す。

 シュウウ…と右指から白い煙が発生し、みるみるうちに亀裂が元通りに戻っていく。

 拳を閉じて、開いての作業を数回繰り返し、伽藍は満足そうに微笑み。

 

「終わったのか?」

「ふむ。急ごしらえでロクに濾すこともできんかったが…この程度でも"コイツ"には毒のようだ」

「なるほど、俺にはさっぱりだ」

「そういえば、結局最後まで見てたのか」

「まぁな」

 

 ポチッと電話の通話画面を閉じて、時雨は目の前の羞恥心の欠片もない伽藍にタオルを渡す。

 それを受け取り、軽く身体を拭きながら、目線を逸らしたままの時雨に伽藍は言う。

 

「まぁいい、だがこれでようやく不愉快な存在は消えた」

「で、これからどうするつもりだ?」

「あぁ?そうだな…」

 

 血に濡れた髪を拭き、言葉を濁しながら呪力を身に纏う。

 呪力特性による熱が、ほんの少し残った血液を残さず蒸発させて、独特な異臭が立ち込めた。

 身体の余分な水分を飛ばして、下に散乱する下着を拾いながら続ける。

 

「何もない、餓鬼()は知り合いに預けているからな、適当な荒事に首でも突っ込むか」

「オイオイ、突っ込まれる側が不憫すぎねぇか?」

「知らん。私の好奇に当たったのが悪い」

 

 下着を付けて、ワイシャツに腕を通しながらそう言ってのける伽藍に、時雨は心底同情するような視線を虚空に向けた。

 だが無理もない、呪術界に身を置く存在ならば、目の前にいる女がどれほど制御不能で恐ろしい存在かは、身に染みて知っている。

 この女の退屈しのぎで、潰される組織や任務のことを考えると、時雨は乾いた笑いが出てきた。

 

「今のところは何をする気だ?どうせなら仲介役やってもいいぞ」

「それは魅力的だが…悪いが先約がある、後の機会に頼んだ」

「へぇ?どんな内容だ?」

 

 そう聞くと、伽藍はフン。とまるで可笑しいと言わんばかりに楽しそうに笑った。

 そして、残る上着を羽織りながら口にする。

 

()漿()()()()()だ。これまた面白そうなのがやってきた」

「へぇ~………………………………。は?」

 

 その予想外の答えに、時雨はビジネススマイルを忘れて素で驚いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 2006年 8月

 

『続いて昨日、静岡県浜松市で起きた爆発事故、原因はガス管の――』

 

 夏、まだ日差しの強さが最高潮に達したままの正午過ぎ。

 伽藍が数日前、自分に連絡を送った男…夜蛾に会うため、東京校にやって来た…のだが。

 

「ゲッ!お前なんでここにいんだよ!?」

「夜蛾についでに頼まれてな。お、サングラスは外したのか?それも似合うな」

「…それはどうも」

「それにしても…ククク、なんだ五条!その様は!?ッハハハ!!」

「テメェもう一度泣かす…!」

「悟、正座」

「…ハーイ」

「クハハハハハ!!」

「~~ッ!!!」

 

 伽藍が扉を開いて目にしたのは、目の前で正座をしながら、夜蛾の放つ怒りのオーラに委縮している五条の姿。

 事の発端はこうだ。二日もの間、消息不明となっていた歌姫、冥冥の2人を救出するために派遣された東京都1年。

 そして2人を救うため、五条は本気の"蒼"を発動、しかも"帳"を降ろすのを忘れていたという始末。

 隣で爆笑を続ける伽藍を睨みつけながらも、律義に正座を続けたままの五条を見て、夜蛾は「全く…」とため息を吐きながら言う。

 

「今回彼女を呼んだ理由だが…悟に傑。お前たちの任務にも関係する」

「…あ?硝子は行かねぇのかよ?」

「硝子は留守だ。それに今回の任務は、お前たちだからこそできるものだ…少し待ってろ」

 

 そう言って、何か用事を思い出したかのように、教室を出る夜蛾。

 その姿が、窓越しに見えなくなったのを確認して「あーーー」と長いため息を吐く五条。

 

「そもそもさぁ、"帳"ってそこまで必要?」

 

 本来術式含む、あらゆる呪いに関連する現象は、特異なものでなければ一般人には見えない。

 故に五条は疑問に感じたのだ、わざわざ元から見えない一般人相手に、過剰に見えないように細工するその工程に。

 その問いに、手を組みなおして説き伏せるのは夏油。

 

「呪霊の発生を抑制するのは何より、人々の心の平穏だ。そのためにも、目に見えない脅威は極力秘匿しなければならないのさ、それだけじゃない――」

「ア"ーわかったわかった。…ったく、弱い奴等に気を遣うのは疲れるよホント」

 

 五条があからさまに顔を歪め、その言葉に嫌悪感を示しながら、やれやれとばかりに、サングラスを弄ってぼやく。

 そのありふれた日常の光景。

 

「それは同感だな」

 

 そして先ほどの五条の言葉に、同意するように頷くのは伽藍。

 その意外な言葉に夏油は一瞬、ピクリと反応して問う。

 

「…それ、とは?」

「五条の言うことは心底同意する。無駄に数の多く、質も悪い弱者の加護ほど無駄でくだらんものはない、だろう?有象無象の命など、私からすれば心底どうでもいい」

 

 ハッ!と両手を上にして、馬鹿馬鹿しいと吐き捨てるその姿に、どこか悪寒を感じた夏油。

 そして家入は言わずもがな、五条もバッと起き上がって反応した。

 

「おっ!わかる?」

「あぁわかるとも、呪術(ちから)を振るうのに理由などいらん。暴力は所詮暴力、それに意味を付けるのは、それによる不条理から目を背けようとする弱者の理論だ。私たち強者がわざわざ、なぜそんな愚図どもに歩み寄らねばならん?」

「へぇ~?ちょっとはわかる奴じゃんお前」

「フン。お前こそ、そこだけは仲良くやれそうだ」

 

 言い切った。

 伽藍のその、どこまでも傲慢で悪辣。そして残酷なまでに実力主義な偏った思想。

 それを晒した伽藍の顔は、優越感でも疑問でもなく、「何を当たり前のことを」と言わんばかりの無表情。

 夏油は、そのあまりの温度差に言葉を失う。家入でさえ、手に取ったタバコを落としたほどだ。

 

「…ちょっと夏油、あいつらの思想危険すぎない?」

「あ、あぁ…流石の私もちょっと引いたよ…」

 

 ヒソヒソ、2人で隅っこに集まり、目の前の危険人物たちを指さして言う。

 そうしている間に、再び教室の扉が開き、戻ってきた夜蛾が言葉を放つ。

 

「…お前ら何をしてるんだ?」

「せんせー、この問題児2人をどうにかしてくださーい」

「くださーい」

「…悟、伽藍。とりあえず席につけ」

 

 本来、問題児として家入に摘発されるはずの夏油すらも、こうして夜蛾に助けを求めた時点で全てを察した。

 はーい。と、特に反発することもなく、機嫌よく座る五条を見て、夜蛾は背筋に冷たいものが走った。

 

「…お前たち、さっき何を話してた?」

「弱者どうでもよくね?って話」

「天下無双の糧の話だ」

「もういい、黙れ」

 

 一蹴。

 もはやこれ以上反応するのはやめた方がいい。そう確信して話を切り出す。

 

「さて、今回の任務は悟と傑…そして急遽参加することになった伽藍。お前たち3人で行ってもらう」

「アァ?なんで3人?ぶっちゃけ俺だけでもよくね?」

「それは…――天元様からのご指名だからだ」

 

 ピクリ。

 天元の名を聞いた瞬間に、どこか不穏な気配を保ったまま、眉をひそめて反応した伽藍には、誰も気づかない。

 

「依頼は2つ…"星漿体"、天元様との適合者。その少女の護衛と――()()だ」

「……はぁ?」

 

 五条の呆けた声と同時に、この事件は始まった。

 

 ――全てが壊れた夏の思い出、それの序曲。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 今回、天元との同化という重大な行事は、何重にも隠蔽された情報工作のもと、誰にも邪魔されずにひっそりと終わる。

 しかし今回、何故か星漿体の…少女の所在が漏れ、これを機に大きく動き出した存在が3つ。

 

 天元の暴走による、呪術界の転覆を狙う呪詛師集団「Q」

 天元を崇拝し、星漿体を良しとしない過激派団体、盤星教「時の器の会」

 そして、星漿体とその護衛の二つを沈めようとする、漁夫の利狙いの一般呪詛師たち。

 

 これらの脅威を跳ね除け、星漿体を天元の元まで送り届ける、それが今回の任務だ。

 

「てかさ~」

「うん?」

 

 予め伝えられていたビルへ…星漿体のいる場所へ向かいながら、自販機で購入したコーラを飲みながら五条は問う。

 

「呪詛師集団の"Q"はわかるけど…盤星教の方は何でガキンチョ殺したいわけ?」

「盤星教が崇拝しているのは天元様だ、あくまでも純粋な…ね。だから星漿体…つまりは不純物が混ざるのが許せないのさ」

「ほ~」

 

 天元との同化、それを行う理由の一つが、天元自身の術式によるもの。

 天元の持つ術式は「不死」だ。だがあくまでも死なないだけで不老ではないため、たとえ死ななくても無限に老化を繰り返す。

 ただ老化を重ねるだけなら問題はない…が、問題が一つ。

 

「簡単に言えば、ある一定までの老化を終えると、術式が身体を創り変えようとするんだ、それを防がないといけない」

「ふ~ん?盤星教ってもしかしてバカ?下手すりゃ日本終わるじゃん」

「さぁ、私に宗教関連の内容はよくわからないし…それに盤星教は非術師の集まりだ、特に気にしなくていいだろう」

「ま、そうだな」

「それに何故か、()()()()()()()()()()()。君を狙う無謀な奴等も大勢来るだろう」

「…ハッ、問題ねぇよ。俺達最強だし」

 

 自信。光って輝いて見えるほどの、傲慢で信頼の積み重なったその言葉。

 それを見て、どこか満足そうに一瞬笑って夏油は言う。

 

「…悟、前から言おうと思ってたんだが、一人称"俺"はやめた方がいい」

「あ"?」

「伽藍のように"私"か…最低でも"僕"にしな」

「はぁ嫌なこっ…」

 

 ――ゴゴゴゴゴゴ…

 

「…何の音?」

 

 ふと耳に入る謎の轟音。

 五条と夏油はしばらく無言で見つめあい「まさか…」と2人同時に目をビルに戻した。

 

 ――ゴゴゴゴゴゴ…!

 

 よくよく聞いてみると、何やら人の悲鳴やら、建築物が破壊される様子やら。

 すると一瞬で、ビルの上部が木端微塵に吹き飛んで、2人で一緒にあー…と言葉を濁して。

 

「……これでガキンチョ死んでたら俺らのせい?違うよな?」

「…とりあえず救助を…」

 

 ――ドゴォン!!!

 

 空を舞う2つの人影、ただしその片方が、すぐに自分たちの知る存在だと気づくと、すぐに笑いを取り戻す。

 すぐに臨戦態勢に入り、夏油は呪霊を、五条は術式をより強く展開して駆け出す。

 

「俺達も行くぞ」

「あぁ」

 

 "それ"は、上空からでもよく聞こえた。

 まるでそれは、かつての王による蹂躙を、再び再現したかのようなもの。

 

――ハハハ

 

 笑う。

 

ッヒ、ヒヒヒヒ…!

 

 嗤う。

 

ッハハハハハハハ!!!!

 

 哂う。

 白い制服、そして口を覆う形の黒いマスクを身に着けた男――"Q"の戦闘員は空を飛ぶ。

 殴られ、蹴られ、その内臓をぐちゃぐちゃにかき混ぜられ、まるで子供が遊ぶかのように一方的に弄ばれる。

 呪霊術師…呪詛師人間これらすべて。皆、彼女の前では等しく倒されるべきものに過ぎない。

 

そんなものか!?呪詛師!!!

 

 黄泉返し闘鬼、伽藍の熱は、未だ冷めぬまま。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…あ?なんだもう死んだのか?くだらん」

 

 ボウッ。一瞬で手に掴んだ男の死体を、伽藍は呪力による加熱で燃やし尽くし、そのまま地面に落ちた灰を踏みにじる。

 

「終わった?」

「問題ない、脆すぎて話にならんな」

 

 背中から聞こえる声に、伽藍は退屈だと言わんばかりに顔を歪ませて呟く。

 一足先に、星漿体の所在地に着いたはいいが、こうしてやってきた呪詛師はどれも弱い。

 

「つまらん、心底不愉快だ…こんなもので本当に、五条をどうにかできるとでも思ったのか?」

「弱いと実力差がわからない、だからこうして数に任せた無駄なことをするんじゃないかな?」

「…理解に苦しむな」

 

 未だビルに残るQの残党の気配を探りながら、伽藍、そして夏油は話す。

 事前情報よりも遥かに多い、呪詛師たちの軍団。伽藍だけでなく、夏油も最初は期待し、胸を膨らませたものだが…

 そしてトンッと、背後から鳴る着地の音を聞いて、伽藍は身体を向ける。

 

「…ほう?ソイツがか?」

「そ、なんとか回収はできたよ」

「ふーん…」

 

 まるでエイのような形の、浮遊する能力を持った呪霊。それを操る夏油と、その上で眠る三つ編みのセーラー服を着た少女、伽藍の視線にはそれがあった。

 落下の恐怖で気絶したのだろう。今も眠る少女のその姿を見て、伽藍は呟く。

 

「…まぁいい、とにかくこいつを安全な場所に置いてからだ」

「うわ…めっちゃまともなこと言ってる…」

「は?」

 

 装飾は完全に半壊、コンクリートやその中の鉄筋までもが、熱で燃やされドロドロになったこの惨状。

 その景色と伽藍の交互に視線を向けて、夏油は乾いた笑いを零しながら言った。

 

「もう一人、付き人らしい女性がいてね、その人も回収してくる」

「そうか、コイツは任せろ」

「頼んだ」

 

 星漿体の少女、それを抱きかかえる形で持つ伽藍。

 今も眠り続けるその顔を見て――

 

「…星漿体か」

 

 どこか、懐かしさを感じるような表情を見せ、独り言を漏らした。

 しばらくすると「ううん…」と少女が動きを見せて。

 

「…っ!」

「起きたか、小娘」

 

 べちぃ!と、柔らかい頬が潰れる快音が響き渡り、ギャーギャーと身動ぎを始めて暴れだす。

 落ちそうになる少女の身体を、伽藍は器用に姫様抱っこの形で抑え込み、その間も少女は話す。

 

「下衆め!妾を殺したくば、まずは貴様から死んでみせよ!」

「騒ぐな、それとも…喋れないように黙らせてやろうか?」

「…ギャーッ!黒井ー!助けてーっ!!」

「騒ぐな」

 

 ジタバタ、ジタバタと暴れだす少女を器用にあやしながら、抱きかかえる姿勢を崩さない。

 そんなやり取りをしばらく続けている時――背中に刺さる鋭い殺気。

 伽藍が何かと振り向いた瞬間、目の前に襲い来る、爆発の熱気が皮膚を焼いた。

 

 ――ボンッ!

 

 再びビルの上層を、焼け野原にする勢いで放たれた数多の爆発。

 辺りが呪力による残穢、熱による息苦しさで満たされると同時に、男は喋る。

 

「…ったく、話が違うぞ。何故こいつがいるんだ…」

 

 白いスーツに身を包み、黒のマスクで口を隠す――"Q"戦闘員、コークン。

 事前に仕入れた情報と違い、イレギュラーが参戦している状況に愚痴を吐きながら、服についた埃を掃う。

 

「だが悪く思うなよ、恨むなら天元を恨むんだな」

 

 近距離での爆発、それは熱により膨張された空気が肌を焼く、人体に最も損傷を与える攻撃。

 いくら本人が呪力で防いだとしても、呼吸器を熱でやられてはひとたまりもない。

 それに護衛の星漿体には、敵と戦う力もなく、呪力による防御で守ることもできない。

 ならば――

 

「悪くない攻撃だった。痣になるかもな」

 

 ――術式で防ぐまで。

 コークンが目を見開き、視線を向けた先には球体の何かがあった。

 そしてそれは、瞬時に細かく分離され、その中にいた無傷の星漿体、そして伽藍の姿を晒しだす。

 

「…っ化け物が!」

「?クク…私程度が化け物だと?随分甘く見られたものだ」

「っ。ちょ、近…」

 

 ひらり。より顔が近づく形で少女を抱きかかえたまま、華麗に伽藍は飛んで宙に浮く。

 純粋な肉体強化、それの常軌を逸した出力により、飛行をしているように錯覚するほどに、上空へと跳んで見せた。

 そのあまりの高さに、警戒心を忘れ、必死に伽藍の首元に抱き着く少女。そして、同時にQへ放たれる弾幕の群れ。

 その一つ一つが、肌を焼き肉を溶かす灼熱の攻撃。

 

「ちょ!ちょちょちょちょちょちょ!!!!」

禍津日(マガツヒ)…」

「ギャアアアッ!!!???」

 

 少女の悲痛な叫びが、空気を裂く轟音によって埋もれ、加速は止まらない。

 身に纏っていた液状筋肉を、少女の肉体を庇う形で展開され、身体を壊しかねない風圧から身を守る。

 そして自然落下に任せ、伽藍は笑う。

 

「嗚呼…確か"こう"だったな…!」

 

 歳をとって、肉が衰え動きが鈍った。

 呪力が上手く、以前のように滑らかに動かなくなった。

 "眼"が、感覚が。自分のすべてが劣化した。

 

 だが今は違う。

 あの呪いの王のように、――自由に。

 圧倒的に!

 

 ――ギュンッ!!

 

 空気の破裂、そして空間を割る勢いの伽藍の脚力が、より強い轟音を鳴らす。

 空間に線を刻み、その()()()()()凄まじい勢いでビルに突っ込むことで、更に一階部分が抉れ、木端微塵に吹き飛んだ。

 血も肉もない、正真正銘惨状そのものに、液状筋肉の繭から解かれ、腕の中でしっかりと捕まっていた少女はぷるぷると震えだした。

 

「あ、あわわわわ…」

「ハハッ、少しはしゃぎすぎたか」

「タ、タスケテーッ!」

「お、お嬢様!?」

「あん?」

 

 まるで小動物のように縮こまり、涙目で震える少女を抱きかかえたまま、伽藍は後ろに視線を向ける。

 トンッと、軽い着地音が2つ鳴って、先ほど別れたばかりの夏油と、メイド服に身を包んだ女性が走り出す。

 その女性を見て、少女はパアッと顔を輝かせた。

 

「く、黒井ーっ!」

「そ、そちらの女性も、こちらの方と同じ味方です…多分」

「嘘じゃ!絶対嘘じゃ!修羅の顔じゃ!悪党の気配じゃった!!」

「夏油、その女は誰だ?」

「あ、あぁ…星漿体の世話係をやってる人だけど…その…」

「はーなーせー!」

「…いつまでそうしてるんだい?」

 

 ぐぐぐ…と胸元を思いっ切り押す形で、どうにか伽藍の腕から逃れようと足掻く少女。

 しかし悲しいかな、そもそもの素の身体能力、そして伽藍本人の呪力強化により、もはや石像のそれと変わらぬほどにうんともすんとも言わない。

 そして、しばらくそれを繰り返した後、もう諦めたのかその体勢のままゴホン!と咳を一つこぼして。

 

「フン!その実力、妾の護衛に充分すぎるくらいじゃ、褒めてつかわすぞ!」

「そうか」

「その体勢だと締まらないね」

「理子様、流石にそのままというのは…」

「う…うるさいっ!うるさいったらうるさい!!」

 

 伽藍、夏油、黒井の順で冷静に放たれる指摘。

 それに顔を真っ赤にして叫ぶ少女――"星漿体"天内理子。

 彼女こそ、日本の未来を守るための贄であり、日本を守る守護者そのものでもある存在だ。

 

「…あっ!学校!そういえば今何時じゃ!?」

「ま、まだ昼前ですが…その……」

「行く!行くったら行くのじゃ!」

「……………」

 

 随分元気なものだ。

 伽藍は勿論、傍で見ていた夏油もそう感じるほど、その様子は年相応の"少女"そのもの。

 それを見て、伽藍は聞いた。

 

「小娘、一つ聞きたいことがある」

「むっ?」

「お前は、()()のが怖くないのか」

 

 息を吞む音が聞こえた。

 いくら日本の未来のためとはいえ、今からこの少女に訪れるのは人身御供そのもの。

 内心ではそう思っていたのだろう、黒井の持つ気配が、ほんの少し冷たくなったのを感じた。

 そしてそれに、純粋な笑顔と言葉で天内は返す。

 

「フン!いいか?天元様は妾で、妾は天元様なのだ!同化を死と混同するでない!」

「自我が消えるわけじゃないから、死ぬわけじゃないとでも?」

「勿論!」

 

 その時、夏油だけはそれを見た。

 普段の、あのどこか遠い何かを見つめる視線でも、戦いの愉悦に浸る視線でもない。

 

「…天元め」

 

 どこか、妬ましさを含んだ視線を。




 伽藍
「残酷なほど実力主義」これが彼女の全てです。
 若返ったので空気蹴りができます、でも宿儺ほど自由には動けません。(宿儺が舞空術みたいに自由自在に突っ込むなら、伽藍は霹靂一閃のようにカックンカックン動いて突っ込む)
 どうやら天元、天内理子に何やら思うところがあるようだが…

孔時雨
 めっちゃビビった。マジかどうしよ…とはなったけどすぐに対策を思いつく。

伏黒甚爾
 対策は既に思いついた。

五条
 画面外でバイエルと戦ってた。


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13話.懐玉②ー三枚卸ー

 知り合いに「もう一定のブランド得たんだからタイトル変えたら?」って言われたんで変えてみました。


「お前さ、俺のこと舐めてんだろ」

「ぁ…が……」

「お前程度がさぁ、俺の敵になれるとでも思ったか?思い上がりもここまで来ると気色悪ィんだよ」

「……っ!」

 

 "それ"は、誰がどう見ようと圧勝そのものだった。

 全身を血塗れにし、首を絞められ宙に浮く敗者の男と、それを絶対零度の眼差しで見つめる勝者――五条悟。

 時は数分前に遡る。

 夏油が先に、暴れる伽藍の元へ駆けると同時に、五条は突如、自分に向かって投げられたナイフを見た。

 しかし特殊な呪具ならともかく、ただのナイフごときならば彼の…無下限呪術の敵ではない。

 そして鳴り響く拍手の音、その先には呪詛師集団"Q"の、他ならぬ最高戦力であるバイエルがいた。

 

『君知ってるよ、五条悟…強いんだって?』

『あ?』

 

 そう話しかけるバイエルに、五条は顔を顰めて、不愉快だと思った。

 自分に向かって話しかける彼のその顔が、どこか見下したものだったから。

 

『噂が本当かどうか試させてよ、ちょっと気になってたんだよね』

『ふぅん…ルールでも決めるか?俺もやりすぎで怒られるのは勘弁だし』

『いやいや、そんなのいらないよ……君の命さえ貰えれば』

『…ア?』

 

 本来秘匿され、関係者以外には広まらない筈の交流会の情報。それが何故か漏れていた。

 例え関係者に限れど、その内容が呪術界を騒がせたことに違いはない。そこから人伝いに広がり、呪詛師の耳にも入った…と五条は予想していた。

 だからいつかは…このような男がやって来ることも理解していた。

 あの女が出来たから自分も、そんな浅はかな考えで、五条悟という最強に向かう者たち。

 だが、今目の前にいる男を見て五条は――

 

『…殺すか』

 

 ただ純粋に"不愉快"の感情を覚えた。

 

「なんとか言えよ?雑魚のくせに出しゃばりやがって…」

「ぉ……ガ……」

「お前程度にさ、()()()()同じことが出来るわけねぇじゃん」

 

 ドゴンと、"蒼"による引力を発生させて、五条はバイエルを吹き飛ばして吐き捨てる。

 そのまま目の前で、ずるずると背を引きずって、倒れる敗者を見下す。

 くだらない、少し力を見せれば、すぐに威勢と傲慢が削れ、光を失ったその瞳。それを彼は、汚物を見るように蔑んで見つめる。

 

「悟」

 

 その苛つきを隠さず、周りに殺気をまき散らす五条に話しかける男。

 他ならない、彼がこの世で1人の親友として認め、自身と同じ最強と呼ぶその男。

 

「傑、ガキンチョは?」

「なんとか間に合った、ケガもないし心配ないよ」

 

 夏油は、五条の前で倒れる男に目を向けた後、すぐに戻して話し続ける。

 その不機嫌さを隠さない、退屈そうな背。

 

「まさか本当に、馬鹿正直に君を攻めに来るとはねぇ」

「にしても、俺の事舐めすぎだろ、雑魚のくせに調子乗りやがって」

 

 その、未だに苛つきを抑えきれない様子の五条に、夏油は少し違和感を持つ。

 喧嘩を売られれば、それを数倍にして返してから、相手を嘲笑って水に流す、そんないつもの様子と違うから。

 

「大体、領域展延の1つも使えねぇで馬鹿正直にナイフ投げ?ありえねぇだろ、事前情報くらいしっかり集めとけ」

「…悟?」

「体術もダメ、目もダメ、予備動作の1つくらい把握しとけってんだ。あと我慢強さ、ちょっと痛いだけで戦意喪失しやがって」

「悟」

「血を流しながらでも殴り掛かれよ、いや当たんねぇけど、それでもそれくらいの気概は見せてくれって話で」

「君、実は伽藍のこと結構気に入ってるだろ」

 

 ビクッ。

 五条はその言葉に対し、一瞬身体を硬直させて、そのまま目を泳がせる。

 それを見て、夏油はやっぱり、と微笑ましいものを見るようにして笑う。

 

「………別に興味ねぇし」

「まぁあの人も隙あらば煽ってくるけど、君のことめちゃくちゃ気に入ってそうだからね」

「だから知らねぇって」

「私はすぐにやられちゃったけど…あの戦い、楽しかったんだろ?」

「…チッ」

 

 初めてだった。

 呪術界のことを詳しく知らない、入学当初の戦いとは違う、正真正銘自身のことを認知し、それでもなお立ち向かった彼女。

 あの時の、グラウンドを破壊した夏油との喧嘩とは違う。確かにそれは一種の戦いだった。

 勝った、だがそれはあくまでも自分の戦いに勝っただけ、彼女は最初から、彼女は彼女自身の勝負の為に、己の命をかけて()っていた。

 ――あの瞳。

 

「ま、勝負には負けたけど戦いには勝ったし?次も俺が勝つっての」

「…ふふふ、そうだね」

「おいなんだよその顔」

 

 赤。自分と同じく、不遜に光を放つその存在感。

 あの輝き、決して折れぬ、圧倒的な自己と野望。それが今も、五条の記憶に焼き付いて、離れない。

 

「ってか、星漿体どこ行ったんだよ、お前離れていいのか?」

「あぁ、そのことなんだけどね…」

 

 そしてふと、何故か夏油と共に行動をしていない、護衛対象の少女がいないことに気づき、五条は聞く。

 夏油はそれに、少しややこしいことになった。と言わんばかりに、一瞬顔を複雑そうにしたあと、言った。

 

「どうしても、学校に行きたいって言うからそれで…」

「…は?」

「伽藍と一緒に学校に向かった」

「は???」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 同時刻。"Q"を壊滅、そして"星漿体"天内理子の確保に成功した護衛チーム、その動きの情報を仕入れたある男。

 ベンチに座り、馬券を握って笑うその男に、話しかける形でもう1人が現れた。

 

「で、どうするつもりなんだ?」

「アァ?」

「伽藍だよ、ただでさえ難易度が高いってのによ、あいつがいるせいで更に面倒臭い」

「…ア~、あいつか」

 

 ほのかに香る芝の匂い、人の歓声と罵声が入り混じる競馬場、そこで話す2人の男。

 今回の、盤星教からの暗殺の依頼を受け、天内理子の殺害を目的とする呪詛師、伏黒甚爾とその仲介人、孔時雨。

 前回、わけあって彼女の依頼に答えたものの、まさかの彼女が自分たちの敵になるという、想像したくなかったことが現実になり、時雨はため息を吐いた。

 だがそれを見てもなお、伏黒甚爾は、"術師殺し"は笑って言う。

 

「あいつはいい、俺らは終始五条の坊と、もう1人のガキを優先すりゃいいさ」

「いやいや、流石にそれはリスキーすぎる。あいつはある意味五条よりも制御が効かねぇ、下手すりゃ直に叩かれるぞ」

「いや、そりゃねぇから安心しろ」

 

 あの、制御不能の狂戦士の姿を思い返しながら、時雨は鳥肌の立つ腕を、スーツ越しに摩って言う。

 だがそれでも心配はいらないと、余裕を消さずに笑う彼を見て、疑問に思った。

 

「そもそも、あいつが今回の護衛に立候補したのは、星漿体の所在がバレたって()()()()()()

「?それがどう大丈夫なんだ、どっちにしろ、あいつが護衛してるってことに変わりはない」

「あぁ、そうだな…ア"ッ!」

 

 ビーッ!と、突如鼓膜を震わす大音量の、勝負の終わりを告げるアラームが鳴り響く。

 目の前で着いた決着、その結果を見て甚爾は、チィッと不快そうに馬券を握りつぶした。

 

『先頭、6番波多野ゴールイン!1番、洞口ゴールイン――』

「やっぱり、お前は楽して稼ぐの向いてねぇな」

「うっせ」

「でだ、結局何で大丈夫なのか教えろ」

 

 そもそも、ただでさえ困難とされる五条悟という鬼門の突破。

 そこに同学年の術師、そして他ならぬ伽藍。それでもなお、甚爾が問題ないと断じるのは、本人の性格的にも、実力が理由というわけじゃないだろう。

 それを知っているからこそ、時雨は疑問に思ったのだ。

 

「ハッキリ言う、伽藍は()漿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。結局あいつは戦いたいだけで、星漿体の近くにいれば嫌というほど呪詛師がやってくるからな。だから今回の護衛に立候補したんだ」

「いや、なら余計おかしい。あいつは星漿体を"Q"から守って戦った、興味がないなら見殺しにするか、わざわざ庇わないで1人で戦えばいいだろ」

「だからだ、あいつは今、()()()()()()だ」

 

 まず最初、術師殺しとして甚爾が対策を考えたのは、伽藍という人間の性格とその特徴だ。

 傲慢、自己を至上のものとし、それ以外の何かに興味を見せない。自己中心的な性格、それが彼女だ。

 闘争こそが通貨、闘争こそが血肉を作り、形作っていると言っても過言ではない戦闘狂(バトルジャンキー)

 ――だがそんな彼女の戦い、それにはある共通点があった。

 

「あいつは、ただ命のやり取りだけが好きってわけじゃねぇ、文字通り"戦い"ならなんでもいいのさ」

「どういう意味だ?」

「五条の坊は、最初から天元からの指名での護衛だ。だが伽藍は途中からの参加。あいつの性格、それと護衛中に見せた違和感のある立ち回り。そこが妙に怪しくてな」

「それが、さっき言ってた"()()"ってやつか?」

「そうだ、どこから漏れたかは知らねぇが、交流会でのあいつの立ち回りからも間違いない」

 

 ただ、目の前に立つ敵を屠る一方的な戦い。

 互いの生死をかけた命のやり取り、しかし伽藍にとっては、それも戦いの1つに過ぎないのかと思っていた。

 だが交流会、彼女が自身の持つ力を全て駆使し、生き残りではなく、()()()()()()()()()()()のを知って、理解した。

 その違和感の正体こそ。

 

「あいつにとっての戦いは1つだけ、それが()()()だ」

「あぁ?ルール?」

「あいつは交流会で、呪霊を祓った数による作戦勝ちを選んだ。だが普段の呪詛師を殺しまくるあいつの姿は、どう見ても命のやり取りによる真剣勝負、つまりあいつは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってわけだ」

「…つまり、今回のあいつの決めたルールってのが…」

()()()()()()()()…星漿体を守り、そして呪詛師たちを殺す…それがどこで終わるのか、そこを突けば…星漿体のガキは殺せる、というよりは殺させてくれるだろうな」

「そのルールってのに、星漿体の生死が直接関係すると思うか?」

「絶対ねぇな。あいつの性格上、あいつがガキ1人の命に、自分の力を守るために使うわけがねぇだろ、勝負が終わったあと、星漿体が死んでも絶対何も思わねェ」

「…だからこれか」

 

 ――目標情報――

 ・天内 理子(アマナイ リコ)

 ■廉直女学院(れんちょくじょがくいん) 中等部2年※生死問わず

 $300,000――

 

 そう言ってカバンから取り出して、開いたパソコン画面に映るのは、今まさに話していた"星漿体"天内理子の暗殺依頼。

 呪詛師が蔓延るこの現代日本、都市伝説で語られる闇サイトも侮ることはできず、今もこうして彼女の命を狙う者たちが押し寄せている。

 しかし時雨が最も驚いたのが、その賞金額だ。

 

「しかしだからと言ってな…盤星教からの手付金、3000万全部使うか?普通」

「言ったろ、そもそも相手は元から五条の坊、伽藍がいなくてもタダ働きさせられたさ。うん百年ぶりの六眼と無下限呪術の抱き合わせだ、誰もあいつらを殺せない」

「………お前もか?」

「さぁどうかな」

 

 そう言って、大胆不敵に笑って見せるこの男に、時雨はこれまでの信頼を含め、同じように笑って見せる。

 賞金がかかる時間は残り39時間、それまでの間、賞金につられる愚かな呪詛師、そしてそれを警戒し、神経をすり減らされる五条一行。

 "術師殺し"の魔の手は、確実に迫っていた。

 

「ま、俺もしばらくしたら参加する。3000万、しっかり戻しとけ」

「馬鹿言え、その辺の匿名掲示板と一緒にすんな、掲載料に手数料諸々含めて――」

「あー聞こえねぇ聞こえねぇ」

 

 そんな彼の姿を見て、一瞬額に血管を浮かべるものの、ふと"あること"を思い出し、「あぁそういえば」と切り出す。

 それに甚爾は、悪びれもせずに言い返した。

 

(めぐみ)は元気か?」

「……誰だっけ?」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「付いて来なくても良いと言っておる!」

「別に、お前が死のうと割とどうでもいいが、私の定めた勝負に反するからな。ありがたく守られろ」

「ふっ不敬じゃ!貴様不敬じゃ!!」

「はーうざ」

「ムキーッ!!」

 

 廉直女学院(れんちょくじょがくいん)・中等部。

 星漿体の役目を終えるまで、彼女が通うこととなっていた学校、そこに向かう形で天内、そして伽藍は共に歩いていた。

 そもそも呪詛師たちに狙われ、いつその魔の手が襲い掛かるかわからない現状で、高専に戻らずここに来るのは悪手だろう。

 しかし他ならぬ、天元の命令だ。"天内理子の要望には全て応えよ"…そして天内の要望とは、最後に友人のいる、この学校に通うこと。

 

「大体、友達に見られたらどうするんじゃ!それに移動する度にメールすればいいじゃろ!」

「五条らならともかく、私は一応お前と同じ女だ。別に気にしなくていいだろうに、それに入れないということもない、上に情報を入れて貰ったからな」

「気恥ずかしいわ!」

「…チッ」

 

 ズンズンと、背後で心底面倒くさそうにする伽藍を後にして、早足で先に進む天内。

 しかしすぐにそれに気づき、伽藍も歩くスペースを上げて、天内の隣にピッタリ立つことで更に速度が上がる。

 ズンズン、ズンズンと、次第にもはや走っているのと変わらないスピードで並走し、グングン加速を続けて走り、結局天内がバテたことで鬼ごっこは終わる。

 

「ぜぇーっ…ぜぇ…」

「…おっそ」

「黙れ!!貴様が体力お化けなだけじゃ!」

 

 未だ息切れの止まない天内と、それを本気で驚いたように見下す伽藍。

 そして互いに煽り、煽られ、五条や夏油といい、"星漿体"相手でも変わらないその態度に、天内はより一層頬を膨らませて怒る。

 

「大体!いくら貴様らが強いとはいえ、もう少し態度…を…っ――」

「おい、そっちは危ない」

 

 そっと、振り返った拍子に足を引っかけ、態勢を崩した天内の腰に手を添えて、そのまま抱き寄せる形で、伽藍は歩道の方に引っ張り込む。

 普段の、あの暴力と殺戮に塗れた身体能力と違って、花を触るようなその力加減に驚いたのも束の間。

 脇下から腕を通し、腰を支えたままの伽藍に、ぺしん!と再び平手打ちを放って騒ぐ。

 

「~っ、放せ!放せーっ!」

「私の勝負の終わりが"事故"になるのはごめんだからな、嫌ならもう少し周りに目を配れ」

「ぐ、ぐぐぐ…」

 

 女学院まで目と鼻の先、目の前の角を通り、その後直進を続ければいいだけだ。

 あとは適当なことを言って、自分から引き離せばいい…そう内心で決めて、天内は歩き出す。

 そしてしれっと車道側を歩き、エスコートを続けたままの伽藍が、ふと歩みを止めることで事態は変わる。

 ――悪寒。

 

「…ほう、これは…」

「な、なに…?」

「いやなに、いい機会だからな。――広く使おうと思っただけだ」

 

 ――ブンッ

 天内の制服を引っ張り、伽藍は一気に上空に向かって急加速をする。

 呪力による強化ができない、天内の肉体に害が出ないギリギリの速度、そしてビルの屋上へ降り立ち、目の前の男を見る。

 

「お前が、今回の相手か」

「あぁ、今夜は(うなぎ)だな。人を殺して食う飯は上手いんだ――そこのガキを譲れ」

「…ひっ」

 

 その邪悪な殺意が、紙の覆面を被った呪詛師の男から発せられ、それに当てられた天内が小さな悲鳴を零す。

 そして、男が術式を発動する様子を、伽藍は静かに見届ける。

 

「術師でもない、中坊殺して3000万だ、こんなにおいしい話はない」

「だから悪いが」

「ここで1回死んでくれ」

 

 ズズズ…と、まるで粘土をこねるように、男の身体が変形し、そのまま2つに分裂する。

 そこから更に2つ、更に3つと分裂をすることで、男は5人に増殖し、伽藍たちを囲む形に陣取った。

 だがそれを見ても、この闘鬼の笑みは止まらない。

 

「ククク…単純な数の暴力か、だがそれもいい。悪くない」

 

 バキンッ。伽藍の皮膚から、赤い血を滴らせて黒く光る、液状筋肉によって作られた触手がその姿を見せる。

 そして、それが円を描くように伽藍の背中、そして天内の背中に展開され、文字の刻まれた光輪を彷彿とさせるオブジェクトを生成した。

 

()()()()()には丁度いい」

「なっなんじゃこれ!?おい!なんじゃ!!」

 

 初めて見るその術式、それに興奮しながら、自分の背中を見る天内を抱きかかえる。

 そして伽藍は足を踏み込んで――

 

「まずは1匹」

 

 ゴンッ!と伽藍の裏拳が男の顔面を砕き、その凄まじい呪力出力による腕力で、そのまま首と胴が泣き別れになる。

 更に遅れてやってくる、腕を振るったことによる空気圧。それが凄まじい風を生み出し、屋上を支配した。

 いつの間にか、自分の分身の背後に移動していた伽藍を見て、男は動揺する。

 

「お前、今何を…」

「――おしゃべりをする余裕があるのか?」

 

 ――グシャッ!

 再び消される分身、今度は蹴り上げられた伽藍の足が、男の身体を下から裂いて、消滅させる。

 先ほどの、屋上へ駆け出した時のあれとは比べ物にならない。

 その物理法則を無視した規格外の速度に、男は更に潰された分身を後目に、残る分身を操作しながら考える。

 

(ありえねぇ…どういう原理か知らねぇが…あの輪っかを付けた途端だ。あいつ、ガキが風圧で潰れるのを防ぎやがった…!)

 

 もし、先ほどのように伽藍が天内の身体を優先し、速度を落として相手するのならば、まだなんとかなった。

 しかし今、彼女は天内の肉体への害を考える必要もなく、最高速度に近いそれで、今も蹂躙を続けている。

 

「おい」

 

 ――瞬間。目の前に現れる伽藍の姿。

 

「ガっ――」

「お前が本体か?」

 

 伽藍が突き出した右腕が、ザシュッと男の身体を貫通し、そのまま体内をえぐりながら、脳天に向かって拳を突き上げる。

 途端に、今までの分身と同じように、粘土が溶けるように消えるそれを見て、伽藍は舌打ちを零す。

 

「これも外れ…運が悪いな。いや待て、この気配…」

「――ッ」

 

 バコンッ!逃走を図ろうと駆け出す男とその分身体を、伽藍は瞬間的に上空へ、そして蹴り落とす形で防ぐ。

 そして再び、片方の分身が溶けてなくなる様子を見て、なるほど。と口にした。

 

「先ほど、私は片方を弱く、そして片方を殺す威力で蹴ったのだが…勿論、普通なら残るのは弱く蹴った方だ。だがおかしい、私の勘では強く蹴った方が本体だと思った」

「ぐ…っ」

「しかし今、お前はこうして生き残っている。5人のうちどれかが偽物…というわけでなく、全員が分身であり本体だった…というわけか?」

「……っ!」

 

 正解だ。

 六眼を持っているわけでもなく、ただ己の勘、そして呪術の知識と観察眼の全てを駆使し、こうして見切ってみせたその女に、男は畏怖を覚える。

 しかし、だからといって状況が絶望的なのは変わりない。こうして彼女の前に立った以上、敗北の先にあるものは――

 

「では、幕引きといこうか?」

「わわっ」

 

 シュルル…と、天内の目と耳を隠すように、液状筋肉が肌を伝い、彼女の身体を包み込む。

 突如やってくる不可思議な感触に、くすぐったいと可憐に笑う少女の前で、行われるのは残酷な処刑だ。

 

「――さて」

「~~~ッ!!」

 

 赤。血よりも深く、そして黒く光る、その瞳。

 それに魅入られた数秒が、男にとってはまるで数分の体験のようだった。

 

 ――バッッ!

 

「っぐァ…っ!?」

 

 刹那。反応なんて、できるわけない。

 まさに一瞬で、男の身体は半分まで切られ、大量の血液を漏らして倒れ込む。

 しかしその姿を見て、伽藍は心底驚いたように興奮して言った。

 

「…ははっ!何だお前?三枚に(おろ)すつもりだったがなかなかやるな」

 

 なぜ助かったか、今の攻撃の原理は何だったのか、それはもはやどうでもいい。

 男は目の前で、心底楽しそうに笑って自分を見下す、この悪魔が怖くて仕方がなかった。

 

「っ!」

 

 逃げる。

 

「それにしても、体内は一種の領域というのがまさか、座標指定にまで影響するとは…全く、慣らし運転はもう少し続けるべきか」

 

 震える足を何とか抑え、男は背を向けて走る。

 

「しかし、それにしても運がいい…咄嗟に呪力を固めた場所が、斬撃の場所とたまたま噛み合ったとはな?…さて」

 

 それは、1秒にも満たない処刑執行だった。

 

「すまんすまん、流石に手を抜きすぎた…――次は本気でやってやる」

 

 全力で逃げたはずの、男の目の前に見える伽藍の背中。

 

「――禍津日(マガツヒ)…」

 

 その"何か"を振りかぶったような姿勢と、その手指の先から、細く練られた液状筋肉がある。

 男がそれを見ることができたのは、死に晒された故の覚醒か、それとも走馬灯による副作用か。

 

「"卸し(はち)"」

 

 ――キンッ

 

「――あ、ア"」

 

 男が最後。ズレて暗くなる視界を最後に、何とか聞き取れた斬撃音。

 それが、冥土の土産となった。




 伽藍
エスコート技術は羂索の真似。


どっかで聞いたことある効果音だなぁ~()


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14話.懐玉③ー予兆ー

 貯めの回です、特大の爆弾を仕込んであります。


「だあああああああッ!!いくらなんでも多すぎだろうが!!」

「驚いたね…いやまさか…流石にこれは正気を疑うよ…」

「あーしんどっ!…いやマジふざけんなよ雑魚が…」

「わかるよその気持ち」

 

 場面は変わり、伽藍とは別行動を行っていた五条と夏油。彼らは目の前に重なって山を作る、数十もの呪詛師たちを見て声を荒げる。

 呪詛師御用達の闇サイト、しかしいくらなんでも襲来する数が多すぎる。

 実際先ほども、伽藍からの連絡で呪詛師がやって来たことは知った、しかしいくら非術師が相手だからと言っても。

 廉直女学院。そう、女学院に大の大人たちが、馬鹿正直に突っ込んで来るとは思わなかったのだ。

 

「…ハァ」

「はぁ」

 

 互いに全く同じタイミングで、心底うんざりした声を出して、視線を交わす。

 

「傑、お前手持ちの呪霊何体減った?」

「今のだけで13…どれもすぐ負けるくせに、皆一丁前に監視用の呪霊は祓うんだから勘弁してほしいよ」

「…その手に持ってるジジイもかよ」

「うん、さっきバッタリ会ったから軽く捻ったんだけど…」

「た、太助…」

「太助って誰だよ」

「いや知らないよ…」

 

 顔を凹ませ、うわ言のように何かを呟く老人を片手に、夏油は「はぁー…」と、再び補給しなければならない呪霊のことを思い、気が滅入る。

 一方五条も、女学院に破壊被害が出ないよう、普段の数倍意識を集中させて、術式を発動して戦った影響か、疲労が溜まっているようだ。

 そして再び。

 

「あーーーーーー…」

「…しんどいね」

 

 口をそろえて愚痴を吐く。

 自分たちが必死に手加減をして戦っている間、あの星漿体の少女はのびのびと学業を楽しんでいるのだろう。

 伽藍もそうだ、あの戦闘狂(バトルジャンキー)のことだ、どうせこのような不利やハンデも受け入れ、楽しむのだろう。

 

「…あ、そういやあのメイドは?」

「ん?あぁ、黒井さんか、確か伽藍のところに行ったよ」

「あぁ?なんで?」

「あの人にも渡したいあるからって。そうそう私たちも」

 

 あぁそういえば。そんな風にふと声に出した五条に、夏油は呪霊を取り出し、その体内に収納していた何かを取り出して、五条に渡す。

 それの正体に気づき、五条はすぐにおっと声を上げて、それの箱を開けた。

 そしてその中身を見て、笑みを深くして上機嫌に言う。

 

「結構美味そうじゃん、伊達にメイドやってないか」

「だね、じゃあ食べようか」

 

 やっと訪れた休憩の時間。それを噛み締めるように、2人はそれを食す。

 ――その休息の時間すらも、"術師殺し"の計画の内だとわからずに。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 襲い掛かる呪詛師を返り討ちにし、天内とたちは無事廉直女学院にたどり着いた。

 今、彼女は教室でクラスメイトと楽しく雑談をしており、後に控える同化のことなど微塵も気にしていない様子で。

 そんな姿を、木の上から窓を覗く形で、伽藍は待機しながらも護衛を続けていた。

 

『どうだい?彼女の様子』

「悪くない。下手に気負ってる様子もないしな、何の心配もいらんだろう」

『ならよかった。私たちも呪詛師たちを狩っていくから…そっちは頼んだよ』

「あぁ」

 

 慣れた操作で携帯電話を操作し、それを片手に伽藍は木の上で待機したまま、通話先の夏油にそう答える。

 天元との同化まであと数十時間、今も絶えず襲い掛かる呪詛師たちを駆逐し、やっと訪れたつかの間の休息。それを貪りながら、彼女は考える。

 

(さて、今のところは順調…この調子なら、()()()()も直に叶う)

 

 伽藍は笑う。そしてそんな彼女の思惑は、"術師殺し"の予想通り、星漿体である天内のことなど、最初からどうでもいいと切り捨てるもの。

 だがそんな男ですら見誤った、彼女の真の目的。

 誰もそれに気づかない。彼女の目的とその理由は、1000年生きた好奇心(羂索)も例外ではなく、未だ彼女以外は知らないもの。

 

(にしても…天元、何を考えている…?怪しい…が、だがそれでも私の目的は変わらん。さて…どうしようか)

 

 伽藍は、この同化の依頼を聞いたとき、ダメもとで上層部に懇願し、この任務に参加できないかと聞いた。

 呪術界…いや日本という国の未来を掛けたこの重大任務に、いくら実力が保証されようとも、不確定要素である自分自身は無理かと、そう思った。

 しかし結果はこう、何を思ったか、何を感じたのかは知らないが…天元は任務への参加を受け入れた。

 伽藍という平安時代を生きた、かつての自分を知る存在を、何故か認めたのだ。

 宿儺に次ぐ、この世界で最も優れた結界術の使い手である天元。それの慢心か、それとも計算か。

 だがどちらにしても変わらない。伽藍が最初に、この任務に参加した()()のためにも、あらゆる障害は取り除く。それだけだ。

 

「あ、あの…」

「あん?」

 

 己の目的を振り返り、口を歪める伽藍に、木の下から話しかける人物、それに怪訝な様子で返す。

 そして木の下にいたのは、星漿体である天内理子の世話係のメイド服の女性、黒井美里。

 彼女は下を覗き込む伽藍の顔を見て、一度ぺこりと頭を下げてから、言った。

 

「お疲れ様です、体調のほうはどうですか?」

「お前は…確か黒井だったか?」

「はい。ところで…お腹は空いてませんか?ずっと付きっ切りでしょう?」

 

 そう言って、黒井は手に持っていた箱を取り出し、木の上に座る伽藍にもよく見えるように、両腕を上げてそれを見せた。

 その箱越しに伝わるいい匂いに、彼女は器用にトッ…と軽快な音を立てて、木の上から飛び降りて、それを受け取る。

 

「遠慮なく貰う…が、そこまでの心配はいらん、反転術式にはそれなりに自信があるからな。飲まず食わずでもしばらくは生きていける」

「いやそういう事ではなく…というか反転術式…使えるんですね」

「その気になれば、心臓なしでも数分は生きていけるかもな。それ以上は流石にきついが」

「ははは…ご冗談を」

 

 さも事実かのように、荒唐無稽な伽藍の自信溢れる言葉に苦笑いを零して、黒井はそう返す。

 器用に弁当を開けて、中の具材を箸でつまんで食べる彼女の姿を、黒井はじっと見つめる。

 

「綺麗な箸使いですね」

「伊達に長生きしていないからな、忘れようとも忘れられんさ」

「…長生き、ですか」

「あぁ、長生きした」

 

 伽藍は自分の右手を、かつて老いたあの肌とは違う、若返り白く光るそれを見つめ、あの魔境の思い出に耽る。

 あの時代。弱者は常に命の危機に侵され、強者は弱者を踏み潰し、嘲笑う闘争の時代。

 そんな時代を生きた者、力を求め、そして手にして、なんの不自由もなくあるがままに生きた選ばれし者。

 そんな、どこか老人に共通する哀愁を漂わせた彼女を見て、黒井はおそるおそる聞く。

 

「あの…どうか不躾でなければ…1つ聞きたいことが」

「…なんだ」

「天元様の…同化のことで、その…」

「…あぁ」

 

 もしかしたら。黒井の心の中では、そんなある1つの推測が立っていた。

 呪術全盛を生きた、呪術に生きて、呪術に死んだ彼女が常に見せる、天元への敬意のなさ。

 そしてそれは妬みのようで、恨みでもあるかのような悪感情。

 ――予感。

 

「1000年前、確かに私は天元を知った。それに同化も…この身をもってそれを知った」

「…やはり、そうでしたか」

 

 天元の老化、そして肉体が限界を迎え、進化を始めるのは約500年周期。

 呪術全盛、平安時代はおよそ1000年前であり、単純計算でも2回はその訪れるはずだ。

 本当に2回だったのか、それとも1000年以上前から、何十回も同化は行われたのかは定かではない。実際に行われた同化の数…しかし今重要なのはそこではない。

 

「同化後…星漿体は」

「例外はない。天元と同化を果たした者は皆共通して、意志の統合された…生きた屍となる」

「…屍、ですか」

 

 ばっさりとそう言い切った伽藍に、黒井は一瞬身体を硬直させて、すぐに息を吞んだ。

 ミシリと、彼女の右手に握る箸が折れて低い音が鳴り、そしてすぐに顔を歪めて、彼女は続ける。

 

「怠惰、無自覚の傲慢とそして偽善…あの自己を曝け出し、血で血を流すあの時代で、あいつはくだらん調停を選び引きこもった」

 

 それは、現代の呪術界に身を置く者ならば、絶対に口にしないこと。

 

「死ぬことなど誰にでもできる。不死の術式を持とうがそんなことは関係ない、死とは生命の終わりであり、それと同時に個が終わることも意味する。…何故力を振るわない、何故自由に生きようとしない?」

 

 それは、まるで吐き捨てるようで。

 

「勿論理解はしているさ。人間誰しもが平等に、命を懸ける勇気を持っているわけではない。だが天元もそうだが他の弱者もそう、何故考えを放棄して行動するのではなく、放棄して行動を起こさない?」

 

 それは、誰かに言い聞かせているかのようで。

 

「呪霊術師人間…どれもそれは変わらない。まずは一歩、自分の理想へ、欲望へと一歩近づく…そうして無駄な建前を捨て、己の欲望のためだけに甚振り、奪い、殺す純粋な闘争…その成長と快感を、実感を知らないまま死んでいく者を…私は嫌悪する」

 

 そうして、伽藍はゆっくりと頭を上げる。

 校舎の向こうに広がる青い空に、まるで語り掛けるかのように。

 

「貴様に言っているんだぞ、天元」

 

 空を睨むその瞳には、隠しきれない侮蔑の色が浮かんでいた。

 呪術界に染まらない、その孤独に輝く思想と在り方に、固く閉ざした思いが零れる。

 

「…理子様には、家族はいません」

「死別か」

「はい。幼いころに、事故で」

「そうか」

 

 つい零れたその言葉。しかしそれへの反応は冷たく無関心なもの。

 護衛対象の過去、普通の人間なら少なくとも一定の興味を引くそれも、伽藍はすぐに詮索するのをやめた。

 唯一、彼女が興味を持ったのは。

 

「お前は天元を、上の言葉そのままを受け入れ認めるつもりか?」

「…なにを」

「お前はどうなんだ、あれが天元と同化することを…本当に心の底からいいと思ってるのか?」

「………私は」

「フン。わかりやすい」

 

 ――嗚呼、この人は危険だ。

 無造作に相手の悩みに踏み入り、そして感情を踏みにじる不遜な態度。

 なんて自由で、それでいて蠱惑的な、ある邪悪さを感じてしまう。

 

「認めたくないのだろう?否定したいのだろう?…誰にも渡したくないんだろう?」

「………」

「それでいい。元より、あんな腑抜けの言う事を聞く方がおかしいのだ。恥じるな、お前は正しい」

 

 ――まるで蛇。

 かつてそれに唆され、禁断の果実を口にしたというアダムとイヴ。

 彼らもこのような感覚だったのだろうか、思考が熱に浮かされ、まるで自分の意思こそが至高のように錯覚する。

 

「助けてやろうか?黒井。お前の望み通り、あれを天元から守ってやろうか?」

 

 かつてあの時代で、自由を求めた藤原の使いが、焦がれて瞳に焼き付かれた、その天上の赤い瞳が。

 今、再び光を強く放った。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

(さて…と)

 

 人気のない、学校の廊下を1人練り歩き、すぐ隣にあった空き教室へ入っていく。

 そして扉を閉めて、一度深呼吸を挟んでから、伽藍はある準備を始めた。

 

「…やるか」

 

 伽藍は目の前に向かって手をかざす、するとカシャア…と、まるで薄い氷が割れるような音が鳴り響き、教室の空間が変化を始めた。

 正六角形の、まるでホログラムが構築されるかのように、その景色が歪み、変えられる。

 そうして、辺り一面が畳で埋め尽くされた、和室のような世界が広がるのを見て、笑う。

 

「久しぶりだったが…どうやら衰えてはいないようだ。ここまでは順調」

 

 空性結界(くうせいけっかい)。それは結界術に長けた者、そしてそれを極めた者が、自在に世界を彩ることができる万能の空間。

 術者の技量、そして知識量によって、それは文字通りあらゆる世界を、文明の建築物…更には無限に広がる平原すらも作り出し、操ることができる。

 だが今回、伽藍がこの結界を作ったのは――

 

「もっとも、ここからは()()だがな」

 

 伽藍は()()を、一度経験したばかり。

 感覚は把握した、完全にそれを成す為のレベルで知覚するまでには至らなかったものの、文字通りの賭けをするには十分すぎるほど。

 彼女が望む目的、そして勝負の集大成。

 

「勝負だ。――天元」

 

 ズズズ…

 空気が淀み、悪寒すら感じるほどのプレッシャーを、構築した空性結界で抑え込みながら。

 

「――フンッ!」

 

 伽藍は()()を実行した。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「おい、天内はいるか?」

「………………………………えっ」

 

 授業が終わった昼食の時間。中等部校舎のクラスには人が溢れ、皆が談笑しながら食事をとっていた。

 そんな中訪れる、生徒ではない謎の存在。クラスにいた全生徒の視線が、それに集中して時間が止まる。

 ぱちくり、数秒の沈黙と硬直が訪れて――

 

「あ?」

「な、な………」

 

 先に、状況をいち早く理解した天内がぷるぷると震えだした。

 

「おい。お前弁当忘れてただろう、早く取れ」

「なんでここにいるの!?」

「いいから早く取れ、私は忙しいんだ」

「勝手に来ないでって言ったじゃん!」

「じゃあ昼飯はどうするんだ」

「それとこれは別!」

 

 気恥ずかしさと混乱で慌てる天内。しかしそれに知ったことかと、伽藍は堂々と教室に侵入してそれを開ける。

 ふと鼻腔を刺激する弁当のいい香りに、動きが止まったのを狙って、伽藍は天内の口にそれを突っ込んだ。

 

「ほら食え」

「んぐっ!」

「これも食え」

「んんっ!?」

 

 箸で掴んだ具材をタイミングよく、次々と口に入れながらも、喉につまらないよう器用にお茶も飲ませる。

 一瞬喉に引っかかった何か、しかし即座にそれを誤魔化す形で、液体が喉を通ったことで違和感が消える。

 そうして俗にいうあーんが終わり、天内はすぐに正気を取り戻して叫ぶ。

 

「ちょっと!?いきなり何するの!?」

「黒井から今日は自信作と聞いてな、すぐに感想を欲しがっていたからこうしたまで」

「意味わかんないって!?」

「だがもういい、()()()()()

 

 何か、本来とは別の意味を含んだその言葉。

 しかしその光景を見て興味が湧いたのか、彼女の近くの席に座っていた数人の女子生徒が騒ぎ出した。

 

「何!理子お姉さんいたの!?」

「ちが…違うって!そんなんじゃないって!」

「おねーさんスタイル凄っ!身長何センチあるの?」

「ちょ…ちょちょ!」

 

 世にも珍しい銀髪の少女。普段見慣れないそれに興味を持つのは必然だろう、だが天内はそうじゃなかった。

 傲慢不遜、暴虐に染まる戦闘狂(バトルジャンキー)。まだ行動を共にして少ししかたっていないが、天内の伽藍に対する評価はこうだ。

 五条や夏油に似た、だがそれとは決定的にベクトルの違うひとでなし。そんな危険人物に触れてほしくない、そんな彼女の心配など知らずに、生徒たちは更に騒ぐ。

 

「おねーさん高校生?」

「あぁそうだ」

「髪綺麗だ…すっごいサラサラしてる」

「おい触るな」

「うわっ!腹筋バキバキじゃん!?ヤッバなにこれ!!」

「触るなと言っている」

「ちょっ…みんな落ち着いてってば!」

 

 わーわーわーわー。

 生徒たちがもみくちゃになり、ひとしきり騒いだ後、異変に気づいた教師が教室に入る。

 数回手を叩いて、生徒たちを静めて騒ぎを終わらせて、すぐに伽藍に気づいて話しかけた。

 

「はいはいそこまで!困りますよ、いくら身内とはいえ」

「あぁ悪い、だがすぐ帰るから安心しろ」

「いや、そういう問題ではなくてですね…」

「えー?おねーさんも一緒に食べよー?」

「こらっ!だからいけませんよ!」

「悪いが遠慮する。じゃあな天内、授業が終わったらな」

「いいから…はよ帰れ!」

 

 伽藍は天内に、そのまま背中を押される形で教室を追い出される。

 その後、ピシャン!と思いっ切り扉が閉められる様子を見て、すぐに切り替えた。

 

「…さて、戻るか」

 

 そもそもの話、伽藍がわざわざこの校舎に無断で侵入し、雑用を引き受けたのには訳がある。

 本来ならば、教師にもある程度顔の利く黒井が行くはずだった、が。伽藍はあえて、彼女の代わりに弁当を届けた。

 彼女と別れ、自分1人で行動するために。

 

 そして、ある目的を遂行するために。

 

「さて…どうなるかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天内理子の懸賞金取り下げまで、残り30時間を切ったころ。

 星漿体護衛チーム、一同は現在。

 

「――めんそーれ!

 

 沖縄に来ていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「すみません…一瞬とはいえ、やはりあの人と離れるべきでは…」

「いや完全にあいつが悪い、なんで護衛だってのに使用人と別れるんだよ、馬鹿だろお前」

「すまんすまん、だが結果オーライというやつだ。今はこの海を楽しもうじゃないか」

「なぁ傑、こいつ1回殴ろうぜ」

「悟…」

 

 黒井が伽藍と別れ、単独行動になった瞬間を狙われたのか、彼女は不意を突かれる形で呪詛師に捕らわれ、天内との交換材料となった。

 だがただの呪詛師程度が、五条ら理外の外にいる存在に抵抗できるはずもなく、あっという間に勝負はついた、のだが――

 

「本当に気にしなくていいですよ、実際悪いのは伽藍です」

「は、はぁ…」

「あと、1体でも監視用の呪霊を付けなかった私の責任でもある、それに不意打ちだったんでしょう?」

「えぇ…しかしいくら不意打ちとはいえ……護身術にはそれなりに自信があったのですが…」

 

 言葉そのままに、黒井はいつの間にか背後を取られ、そして気絶させられ人質となった。

 しかしいくら非術師の分類に入る黒井といえど、襲われた時の記憶すらないのは違和感が残る。

 相手が呪詛師だったから、という理由でも納得はできるが…

 

「しかしそれより私は、相手がわざわざ沖縄を選んだ理由の方が気になります」

「時間稼ぎじゃないんですか?万が一理子様を殺められなくても、明日の満月に間に合わないようにするために…」

「もし私なら、もっと交通インフラの進んでいない地方を選びますよ」

 

 そう続ける夏油だが、実際内心はある一種の焦りを見せていた。

 あまりにも多すぎる呪詛師の襲来、今は沖縄の空港で、後輩の術師に待機してもらってるとはいえ、まだ油断ができない。

 それに、このチーム最強の男である五条の、ある異変にも気づいていた。

 

(悟は…まだ術式を解いてない。昨日からずっと出しっぱなしか)

 

 不眠不休、いくら呪力ロスを0にできる六眼を持っているとはいえ、その疲労までを無効化できるわけではない。

 今でこそ海を楽しみ、ケラケラと笑ってはいるが、間違いなくそこには疲弊の色が見えた。

 反転術式が使えないため、それを誤魔化しているのは彼の胆力と演技力。

 

「ブハハハハハ!ナマコナマコ!!」

「キモッ!キモなのじゃーっ!!」

「ハハッ!確かにこれは醜悪だなぁ!!」

 

 目の前でナマコをつつき、投げつけあう姿を見て、夏油はやれやれと首を振った。

 あの様子なら、恐らく今日も沖縄に滞在する予定だろう。本来なら今すぐにでも高専に戻り、安全を確保するべきなのだろうが――

 

(仕方ない、それに心配いらないだろう)

 

 私たちは最強だから。その言葉を内心で呟き、夏油は目の前で笑う親友と、その仲間を微笑みながら見守る。

 黒井もそうだ。久しぶりに見た、天内の楽しそうに遊ぶ姿に、薄っすらと涙を浮かべながら、目の前で水をかけあって遊ぶ3人を見る。

 

「ギャハハハ!ほぅらこっちだ!」

「ギャーッ!?やったな貴様!ほれこっちもじゃ!!」

「ククク…ならばこちらも迎え撃つまで!」

 

 バシャバシャと綺麗な音を響かせ、3人は夏の海を楽しんで笑いあう。

 そしてその途中で、五条は伽藍の姿を凝視し、ピタリと動きを止めて。

 

「…おい、伽藍」

「どうした?」

「お前、なんかあったか?」

 

 サングラスをずらして、伽藍のつま先から頭のてっぺんまでを、じーっと見つめてそう問う。

 その様子に、天内は何かがあったのかと首をかしげて、五条と一緒に伽藍を見つめる。

 伽藍はしばらく、その視線を黙って受け入れた後。

 

「特に、何も」

 

 そう、笑って言った。




今日ティアキン買ったので、これから更新遅れるかもしれない。
しかしこれから、壊玉編には6つほど山場があります。お楽しみに。


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15話.懐玉④ー成道ー

 投稿ミスすまない、まずは山場1個目。


『で、私としても、これは予想外だったんだけど?』

「なんだ嫌か?久しぶりに、知人との会話を楽しみたい欲くらい、私にもあるぞ」

『全く嬉しいこと言ってくれるね。ま、どうせそれだけじゃないんでしょ?要件はなに?』

「あぁ、わかってるならそれでいい。…あと1つ。それさえ揃えば、私の目的は達成される」

『へぇ…聞こうか』

 

 午前2時。草木も眠る丑三つ時に、部屋に響く誰かの声。

 沖縄のあるリゾートホテル。天元との同化を控え、今もなお徹夜で、ホテルの外で警備を続ける五条とは別に、月明かりに照らされたその一室。

 窓から見える月を見ながら、会話を続ける伽藍。彼女は自分の話す声が、他の誰かに聞こえてしまう心配など一切せず、平常のままでいた。

 携帯越しの相手…羂索へ、今も隣で寝ている最中の星漿体の少女、天内を見つめながら、話し続ける。

 

「その前に聞いておくが…お前もこの餓鬼を狙ってるのはわかってる。そしてやけに呪詛師の集まりがいいと思ったんだ、それもお前だろう?いくら甚爾でも、ここまでの数は用意できんはずだからな」

『こっちも必死なんだって、やっと500年経ったっていうのに、折角のリベンジチャンスをこのまま見守るだけなんてさ』

「待て、忘れたとは言わせんぞ。天元と六眼はともかく、星漿体すら因果で守られているだろう?…天元は最も、星漿体の排除すらも意味がないとなると、無意味だ」

『いや、そうとは限らないよ?』

「…なんだと?」

 

 その自信に溢れた様子に、伽藍は待てと反応した。

 羂索は2回、天元を手中に収めようと六眼に挑み、敗れた。その話は過去に、伽藍が羂索本人から聞いたこと。一度目は真正面から挑み…敗れ。その反省からか、2回目の羂索は徹底していた。

 今度は同化が始まる十数年前から根を回した。六眼も星漿体も全て、生後一月に抹殺した。

 それでも彼らは現れた、まるで無意味だと嘲笑うように、星漿体は同化を果たし、六眼はそれを守護した。

 彼らは因果で繋がっている。たとえどれだけ足掻こうと、彼らはそれを嘲笑う。

 

『呪いの因果を絶つ為には、呪いに囚われたままじゃ駄目なんだ。宿儺ならもしかしたら…だけど、それも希望的観測でしかない』

「ならば余計どうするんだ、お前はこっちに強く顔は出せないのだろう?」

『だから彼を利用したのさ、呪いの因果から外れた…呪力が0の彼にね』

「…甚爾か」

 

 その言葉を聞いて、伽藍はようやく羂索の言っていることが理解できた。

 天元の作った因果のシステム、それはこの世に存在するあらゆる人間、呪霊に干渉する運命操作だ。

 呪力を持ったものは皆、この籠に閉じ込められ、不変永久の安穏を貪るようになる。

 だが逆に、呪力がない強者ならば――

 しかしそれはあまりにも勝算の少ない博打だ。いくら甚爾がイレギュラーとはいえ、運命に守られた六眼に届くかなど、誰にもわからないのだから。

 

「全く…相変わらずの博打だな、なんというか…お前らしい」

『言ったろ?1000年生き続けてきたけど、完全に呪力から脱却して、しかも星漿体を狙ってるんだなんて、こんなの必死になるしかない』

「フン。成功したらどうする?どっちにしろ、天元の同化を防いだ後、あいつをどうにかするのは骨が折れそうだ」

『うーん、まぁなんとかなるでしょ。今のところは呪霊操術を考えてるんだけどね』

「おいおい、お前天元を呪霊扱いするつもりか?」

『駄目だった?』

「呪霊の方がマシだ」

『あっははは!それちょっとわかるかも』

 

 同化まであと十数時間。そして現れるのは甚爾、羂索の用意した刺客たち。

 その果てに訪れる結末、運命に抗い、そして結果を掴もうとしたその末路がどうなるか。

 気になる…が、今の伽藍はそれ以上に、心のどこかに、まるで杭を打ち込まれたような衝撃を感じた。

 

「そうか、お前はずっと昔から…因果に抗っていたのか」

『え、信じてなかったの?』

「いや、そうじゃない。ただ…そうだな、改めていいと感じたまで」

 

 ある種の諦めがあったことは認める。いくら殺そうと、邪魔しようと、因果はそれを嘲笑って無視をする。

 ()()()、伽藍が見た同化による光景は、今も忌々しく残っていた。

 だが羂索は1000年、自分が生得領域で呆けていた間も、ずっと抗っていたのだ。500年ごとに備え、何度も、何度も。

 

「…さて、話を戻そう。私がお前に頼みたいことだが」

『"頼み"…ねぇ?ぶっちゃけ君が何したいかとか全然わからないんだよね、実際護衛に参加したって聞いた時は本当に驚いたもん』

「それはそれでだ、私には目的がある。その種は撒き終えた…あと残るのは…」

『なんだい?』

()()()()()()()()()()?」

『――っ!』

 

 呪霊ではない、人間が呪物へと成るのは実質不可能。

 そもそも受肉という過程を挟むとはいえ、実質的な不老不死を可能とするこの技術は、あの平安の頃でさえ浸透していなかった。

 何故なら誰も、生物に宿る"魂"を知覚することができなかったからからだ。だからこそ伽藍含む、呪物となった術師たちは皆、羂索と契約した。

 そして伽藍も、宿儺と同じように、己の魂を指に凝縮し――

 

「私が求めるのはあの身体。宿儺は魂を20分割したが、私はそうじゃない」

『…だね』

「魂の格が違う、と言ったらそこまでだ。だが違う、私のかつての身体には…あるはずだ、魂の搾りかす…いいや、もう1人の私自身が」

『宿儺が特別なだけで、君の魂はちゃんと凝縮してるって言ったら?』

「抜かせ、私がその程度で終わるものか」

『…ハハッ、よっぽど自信があるみたいだね、自分に』

 

 どこか愉快そうな抑揚、しかしその反応で確かに、羂索は伽藍の問いに是と答えた。

 かつての身体、そこに宿る自分の魂。それを何故、今になって求めたのかはわからない、が。

 必ず面白いことが起こる。そう羂索は確信した、だからこそ言う。

 

『じゃあ聞かせて。それで、面白いものは見れる?』

「あぁ、面白いのを見せてやる」

『言質取ったよ』

「あぁ、縛りだ」

 

 伽藍のその言葉に、羂索はやれやれと返した。

 あの時代、平安で出会ったこの存在。どこまでも愚直で、けれどどこか愉快な存在。

 何十年も変わらなかった、その在り方。彼女が死んで、それから1000年経って、そして復活したとき、何を見せてくれるのか。

 あぁでも、きっと。

 

『期待してるよ』

「…ハハッ、任せろ」

 

 この予兆は、きっと正しいだろう。

 羂索はそう確信した。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 ビーーーッ!

 

「さて、ここが高専結界内だ。高専関係者以外が入ると警報が鳴って…」

「お、おおう…」

 

 ビーーーッ!

 

「あとは高専内の地下…薨星宮(こうせいぐう)にエレベーターで…」

「傑」

「本殿に着いたらあとは門を潜って、その後は天元様が…」

 

 ビーーーッ!

 

「…傑、これもしかしてだけど」

「言うな、私も本気で驚いてるんだって…」

「…羂索、お前マジか?」

 

 pm.14:57

 天内理子の懸賞金取り下げまで、()()3()()

 目の前に連なる鳥居を見ながら、辺りに響く大音量に、皆は全く同じ反応を見せて、そして心底呆れた。

 五条と夏油はともかく、この状況に一番驚いたのは伽藍だろう。いくら事前に刺客の数を増していたのを知っていたとはいえ、まさかこのレベルだとは思わなかった。

 鳴り響くブザーに動じることなく続々と到着、3000万の報酬を目当てに、ギラついた殺意と欲望を隠さず、残された刺客が目の前にやって来た。

 

「…悟、本当に大丈夫か?」

「問題ないって、傑達は天内優先で、真っすぐ天元様のとこに向かってくれ」

「…油断するなよ」

「誰に言ってんだよ」

 

 いくら高専内とはいえ、全力での無下限術式は避けたい事態だ。

 それはあくまでも最終手段、しかし相手は高専内に馬鹿正直に侵入する愚か者たち。引き際を弁えられない中途半端な実力者こそ、ある意味では恐ろしいものだ。

 そしてもう誤魔化しの効かなくなってきた疲労。更に求められる術式の精密操作、ハッキリ言って面倒臭い。

 が、それでも五条悟が苦戦することなどない。それは客観的な事実であり、変えられない真実だからだ。

 

「で、どうすんの?誰から先にやる?」

 

 夏油達を先に行かせて、五条はサングラスを外してそう言う。

 普段なら問答無用、すぐに"蒼"でも発動して、すぐに相手を潰せばいい話だ。だが今回は制限時間がある、この無駄な会話すらも、今の自分にとっては戦略の1つだ。

 目の前の、懸賞金目当てにやってきた呪詛師、およそ10名のリーダー格であろう、一回り身体の大きい男は腕につけた時計を見て、それに返した。

 

「今のだけで30秒…確かにこのままでは間に合わない…が、簡単なこと」

 

 1人、2人と男が並列で並び、そして先ほど後ろに控えていた、残りの男全員が前へと出た。

 ピタリと静止し、肩を並べてこちらを眺める、その息の合った行動に、五条はピクリと眉をひそめて反応した。

 

「…へぇ、流石にそこまで馬鹿じゃなかったか」

 

 懸賞金の取り下げまであと2分。

 このまま律義に潰しあいの、血みどろの混戦を繰り広げ、結局ターゲットの殺害が果たせないのならば、今となりにいる商売敵と手を取り合うことも選ぶ柔軟さ。

 ただ金が欲しいだけ、たったそれだけの為に、ここまでできるのは流石というべきか。

 その薄汚い生き方に、ある種の関心を示すものの、やはり馬鹿らしいと五条は切り捨てる。

 

「やっぱ馬鹿だろ、そのやる気をもうちょい別のとこで生かせよ」

「確かに報酬を独り占めできないのは認める…が、それでも1人あたり300万にはなる」

「知っている、お前はずっと術式を解いていない…溜まっているのだろう?疲労が」

「それに貴様は先ほど、別の人間と戦い体力を削られている…今なら確実に倒せるぜ」

「聞いてる?」

 

 五条の呆れた声を無視し、男たちは準備を終えて力を込めた。

 品行方正とは無縁のオーラを放ちながら、次々と構えだす男たち。武術のぶもない構えだが、確かに裏付けされた実力は見える。

 そして、男たちは一斉に走り出して、叫んだ。

 

多勢に無勢だいっけぇ

 

 ちなみに、勝負は一瞬でついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「傑、そっちはどうだ?」

『今から本殿に向かうところだ、悟もすぐに来てくれ』

「あぁ、了解」

 

 pm.14:59

 軽い運動を終えた五条の背後で、山のように積まれた男たち。

 何の問題もなく、拍子抜けするほど圧倒的に終わったこの戦いは、ある意味では良かったと言えるものだ。

 天内理子の懸賞金も、もう取り下げられ、それに本人ももう、既に薨星宮へと向かっている。

 

「チッ…二度とゴメンだ、ガキのお守は」

 

 pm.15:00

 懸賞金が完全に取り下げられ、やっと終わった仕事にため息を吐いて。

 五条が術式を解いて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――トスッ

 

「………あ?」

 

 五条の背中を、誰かが刀で貫いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 薨星宮・本殿

 

「では、私はここまでだ」

「………なんだって?」

「もう私の勝負は終わった、後は好きにしろ」

 

 目の前にそびえ立つ、巨大な樹木に見とれたのも束の間、突如そう言って立ち去ろうとする伽藍に、夏油は話しかける。

 確かに護衛は終わった、後は天内が目の前の門を潜り、天元に会うだけだ。

 しかし何故このタイミングなのか、その疑問に答えるように、伽藍は肩を竦める。

 

「待て、勝負?いやそんなことよりも…」

「悪いが予定がある。この後のことは任せたぞ?お前たちが何をしたがっているのかは、もう知ってるからな」

「……」

「どこへでも逃げるがいいさ、私は賛成だからな。天内を同化させるつもりなど、最初からなかったんだろう?」

「――えっ」

 

 同化をさせるつもりはない。その言葉を聞いて、どこか顔を暗くしていた天内は、突然のことに驚き反応する。

 そう、五条と夏油は決めていた。最初から、夜蛾の言った「護衛と抹消」…その言葉に含まれた意味と理由を察して。

 ――もし星漿体が同化を拒否したら、その時は同化はなしにすると。

 

「じゃあな、後は勝手にしろ」

 

 自分たちの決意、そして天内を守る意思を固める夏油に背を向け、伽藍はそのまま歩いて去った。

 その相変わらずのマイペースさに、やれやれと首を振って、夏油は続けた。

 

「彼女の言った通りだ。私たちは君が、同化しなくてもいいと思ってる」

「…なん、で」

「うちの担任は脳筋でね、こんな風になっちゃったけど、きっとあの人もそうしろと言うさ」

「…でも」

「君の未来は私たちが保証する、どんな選択をしようともね」

 

 ――いつからそう決心したのだろう。

 両親はいない、それももう悲しいとも思わない。

 自分は特別だと、いつかのためだと大切に扱われて、ろくに外にも出られなかった。

だから、せめて最後までは行きたかった。学校へ、友達に会いに。

 

「…私ね、昔からあまり外出できなかったんだ」

「うん」

「だから学校が楽しかった、友達と一緒に話せて、嬉しかった」

 

 でも、いつかは終わる。

 何故なら自分は星漿体(特別)だから、日本のため、国中の人間のために、身を捧げないといけないから。

 でも自分は大丈夫、両親もいない、だから1人でも大丈夫だと。

 そう思っていた、思っていたのに。

 

「でも…でもね」

「…うん」

「私、やっぱり…っ」

 

 初めてだった。

 目に焼き付く白髪、特徴的な黒髪と、傲慢不遜な灰色の髪。

 特別だった自分なんて知らないと、"普通"に接してくれるこの3人。

 そんな彼らと一緒に、自分を守ってくれた家族。

 

『――理子様』

 

 大好きだった。

 

『理子様…どうか…!』

 

 あわよくば、もう1人の家族(黒井)と。

 

「私…もっとみんなと一緒にいたい…っ!」

 

 沖縄の海、澄んだ青。

 初めて食べた料理、それを共有して、一緒に笑いあった1日。

 水族館で見た、巨大な生き物の放つ、神秘の美しさ。

 今でも忘れられない。記憶の中で、今も青が澄んでいる。

 

「色んな所に行って…色んなものを見て、もっと…もっと…!」

「大丈夫だよ、理子ちゃん」

 

 その心を聞いて、夏油はより決心を固めて手を差し出した。

 前代未聞だ。星漿体と同化を果たせなかったら、天元は進化し日本が終わるかもしれない。

 だが、それでも。

 

「――私たちは、最強なんだ」

 

 そう、自分たち(最強)なら大丈夫だから。

 何も怖くない、何も心配ない。

 

「君の未来は私たちが保証する。だからね」

 

 もう一度、差し出した手を前に突き出して、続ける。

 

「…帰ろう、理子ちゃん」

 

 その差し出された手を見て、涙で濡れた顔を袖で拭って、天内はそれを握る。

 そして優しく、微笑んで頷いた夏油を見て、自分も同じように、笑って頷いて。

 

「…うん!」

 

 ――タンッ

 それと同時に、天内の頭を無情にも、弾丸が貫いた。

 

 

 

 

「………理子ちゃん?」

「ハイお疲れ、解散解散」

 

 ドクドクと血を流し、冷たく倒れる彼女の様子を。

 夏油、そして他ならぬ彼女を殺した男…"術師殺し"伏黒甚爾は眺めて、そしてやっと仕事が終わったと言わんばかりに、そう呟いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「で、結局あてはあるの?」

「問題ない、私のことは私が一番理解している。それに天元の結界は変なところで甘い、この程度なら潜り抜けられるさ」

「頼もしいね、じゃあ細かい指示は頼んだよ」

「あぁ」

 

 ギギギ…と、目の前の重厚な鉄製の扉が開かれ、その中にある真っ白な空間が露になる。

 その純白の世界に足を踏み入れた2人は、その後一列に並んで歩き出す。1番前を歩くのは、十字の縫い目を頭に残し、魅惑的な雰囲気を醸し出す黒髪の女性。

 虎杖香織…もとい、その正体である羂索は、一歩後ろを着いてくる形で歩く女に、やれやれと首を振って話しかける。

 

「にしても、君に身体のことは言ってなかったし、話題にも出してなかったから驚いたよ、なんでわかったのさ」

「フン。受肉を果たした後、妙な気配をここから感じてな、最初は気のせいかと思ったが…」

「なるほど、センサーみたいなものか」

 

 灰色の髪を片手で弄り、境界のない純白の世界を見渡す女――伽藍はそう言って、目線をある場所で止めて指を差す。

 

「ここだ」

「了解」

 

 羂索がその壁の前に立ち、そのまま片手をかざして呪力を込める。

 そして一瞬。空間に亀裂が走った後に、目の前の壁が、正六角の形で膜が剥がれるように変化する。

 カシャア…と、ガラスの砕けるような音が鳴り響き、目の前にある景色が一変した。

 

「木を隠すなら森の中…宿儺ほどじゃなかったけど、間違いなく君も天元に警戒されていたからね」

「…だからあえてここに置いたのか?」

「そ、宿儺の方はまだ特定できてないけど…君のは無事さ、ほら」

 

 高専内・忌庫(きこ)

 宿儺の指、そしてそれに匹敵する危険な呪物を保管する、高専が管理している保管庫。

 本来、忌庫そのものの場所やそれに連なる通路は、天元の結界術により高頻度でシャッフルされ場所が特定できない。

 しかし今回は()()がある。自分の別れた魂、そして肉体を創り出し、操る術式による副次的効果によるセンサー。

 伽藍の感覚を頼りにすれば、隠された近道の扉を見つけることはそう難しいことではない。

 

「………………」

「どうした?」

 

 そして立ち止まり、目の前に立ち尽くす伽藍に、羂索は首をかしげて話しかける。

 2人の目の前には、座禅を組んだ体勢のまま死蝋(しろう)となったかつての身体。

 何か思う所でもあるのか、そう推測する羂索に、伽藍は話す。

 

「………随分と」

「なんだい?」

「綺麗なままだな、服もあの頃のままだ」

「軽い呪具になってるからね、うん。それにしても本当に懐かしい」

 

 白を基本とした、リネン僧侶を彷彿とさせる独自の服装に、右腕だけ袖を通さない、片肌脱ぎと呼ばれるかつての着こなし。

 あれから1000年経ってるというのに、未だ純白のままの、その着物とさらし。

 変わっていない、最後に己が死んだあの瞬間から、時が止まったままかのようだ。

 

「さて、じゃあこれからどうするの?」

「ん?あぁ…こうするつもりだ」

 

 一体かつての身体で何をするのか、疑問に感じる羂索にすぐ答える形で、伽藍は喋りながら腕を振るった。

 ゴリッ!と、死蝋の肉体が引きちぎられる鈍い音が響き、伽藍はかつての自分の頭部を口に持ってきて――

 

「………んあ」

 

 ――ガブリ

 ズチュ、凝固した血液と肉が割れ、それが啜られ血肉となる音。

 バリッ、ガリッと更に何かが削れる音も聞こえ、それが頭蓋骨をかじる音だと気づいた途端、羂索は眉をひそめた。

 

「………………君さぁ」

「なんだ」

「もう少し戸惑いとかないわけ?てか美味しいの?」

「さぁ…ただビーフジャーキーに似た感じだな、だがあれに千切れ紙を混ぜたような、そして妙にザラザラとした舌ざわりが…」

「あーはいはいそこまで。…君ホント宿儺に似てるよね、そういうとこ」

 

 頭蓋骨、かつての脳味噌を平らげた後は、残る四肢に目標を移す。

 右腕を千切り、そして千切り終えた右腕に視線を集中させて、そこにかつて人差し指があったであろう、歪に欠損した右手を眺めたあと、その端から小指を齧って、引っ張る形でそれを食す。

 

「機会があればとは思っていた、だが別に絶対というほど、これを求めていたわけじゃなかったんだがな」

「ん?じゃあなんで今更?」

「ふむ…魂の補給が丁度良かったからな」

「………ふーん」

 

 ガリッ、ゴリッ、ベキキッ、ズチュッ。

 背中を向けて、片指を耳に突っ込む形で問う羂索に、伽藍は身体を食しながら答える。

 魂の補給、それが意味することが何なのか、推測を立てながら、平行でパソコンでの作業を続け、そして声を荒げた。

 

「………あっ!マジか!」

「どうしたいきなり」

「いやさっき連絡来たんだけど、盤星教がやたら大騒ぎしててさ、どうやら成功したみたいだよ?星漿体の暗殺」

「………ほう?」

 

 ごくんっ、残る身体を齧りながらも、器用に会話をして笑う伽藍。

 羂索の言った、暗殺の成功。それ即ち、彼の賭け、そして"術師殺し"が因果を破壊したことの証明でもある。

 本当に、本当にあのイレギュラーが運命を破壊したのかと、ただただ歓喜に満ちて笑いが止まらない。

 

「ッハハハ!そうか!ついにとうとう…ざまぁないな天元!」

「で、どうする?君のことだからどうせ…」

「あ?決まってるだろう」

 

 ペロリと、口周りに残った肉片を舐めとって、伽藍は残ったかつての服を手にして、笑いながら言う。

 

「次の相手はあいつだ、行くぞ」

 

 ()()()状に輝きを放つ赤い目が、更に強く光り輝いた。




 伽藍の正装はティアキンガノンをイメージしてくれれば。
 そしてやっと次回…やっと書きたかったところが書ける…!


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16話.懐玉⑤ー魔の者ー

 そして更に山場1つ…私はかつてこの主人公を表現するために、一人称視点はいらないと悟り全文を修正して三人称視点にしました。
 そして今回のお話で、伽藍というキャラクターをより知ってもらえるといいなぁと思います。
 ちなみに、伽藍というキャラクターと羂索の関係性は「夏の庭 The Friends」を見て思いつきました。


「五条悟は俺が殺した」

「そうか、死ね」

 

 凶弾の後、先に動いたのは夏油だった。

 すぐに呪霊操術による数多の呪霊を召喚、配置し、目の前の侵入者に殺意を向け、戦闘準備を終えた。

 

「ハッ、焦んなよ」

 

 タンッと、再び放たれる3発の弾丸。夏油はそれを察知し、すぐさま呼び出した低級呪霊を壁にすることで防ぐ。

 だがその一瞬で視界から外れ、それを見逃さなかった甚爾はすぐに高所に避難し、続けた。

 

「話の続きだ。俺は体内に武器を格納できる呪霊を飼っててな、普段はそっちに任せてある。……あぁ皆まで言うな、今度はその呪霊の呪力で、透明じゃ無くなるってんだろ?」

 

 伏黒甚爾は前代未聞、己の持つ全ての呪力を失う天与呪縛をその身に受けている。

 それによる呪術的ステルス、結界術も呪力センサーも、呪力がない故に彼を無機物と判断し、誰も彼に気づかない。

 だから彼は銃を使った。呪具でもない、正真正銘、呪力の籠っていない非術師の道具を。

 そして同じように、先程は呪力ない刀で五条を刺し――

 

「お"え"っ」

 

 甚爾が嘔吐きながら舌に出したそれ、夏油の肉体に刻まれた術式が反応し、それこそがこの男の武器、呪具を持ち運ぶ武器庫そのものだと理解した。

 瞬く間にそれは大きさを変え、器用に彼の身体にまとわりつく。

 

「呪霊に自分の身体を食わせてサイズを落とす…で、俺がそれを腹にしまう。透明人間は臓物まで透明だろ?これで俺はあらゆる結界を素通りできるってわけだ?まぁ蠅頭はともかく、一度に取り出せる武器の量はちと…」

「――もういい」

 

 自身の特殊な肉体の仕様、それの説明を続ける甚爾に夏油は一言返す。

 親友を殺したと、そういうこの男に、目の前で少女を、天内を無惨に殺したこの男へ怒りを込めて。

 

「天与呪縛だろ、情報の開示か?私たち(術師)と同じ様に性能の上昇か?…何故私たちの場所がわかった?私たちは、微塵も残穢を残さなかった…!」

「人間が残すのは呪力だけじゃねぇ、足跡に匂い…五感も呪縛で強化されてんだ」

「……ここに来るまでにもう1人いただろう、メイド服を着た女性だ、彼女はどうした?」

「あ?知らねぇよ適当に切ったし…ま、多分死んでんじゃね?」

「死ね」

 

 殺意を込めてそう返し、夏油は先ほど呼び出した全身を白で染めた龍の姿をした呪霊、虹龍(こうりゅう)を放つ。

 甚爾は超越した動体視力で牙、そして顎の動きを見切り、身体を畳んで逆に向かって飛んだ。

 その行動に夏油は一瞬驚いたものの、虹龍は主の命令を遂行して、そのまま飲み込み、噛み砕こうとした瞬間。

 

 ――ビィィィィッ!

 

「なっ…!」

「呪霊操術か、烏合だな」

 

 虹龍の口内で筋肉を捻り、その反動で一気に回転を上げて、内側から切り刻む。

 夏油が調伏させた呪霊の中でも、虹龍は純粋な硬度のみならば最高峰のものだ。しかし今の甚爾にとっては、それは何の障壁にもなりはしない。

 彼が手に持っている、茶色の毛で施された鍔と大ぶりな刃。それは()()()()()()()()()()()()()()切り裂ける呪具。

 ――魂すらも切り裂く呪具、釈魂刀。それが夏油の主戦力の1つを、無慈悲にも両断した。

 

「ッ…クソ」

「おせぇよ」

 

 すぐさま後ろに控えていた呪霊を前に置いて、態勢を立て直そうとしたのも束の間。

 一瞬で迫りくる甚爾の蹴りには間に合わず、そのままボギッ!と鈍い音を立てて、そのまま壁に吹っ飛んだ。

 

「ガハッ…!」

「張り合いがねぇな、もう終わりか?」

 

 いくら格闘技を嗜み、鍛えた夏油とはいえ、この暴君の前ではほとんど意味がなかった。

 どれだけ意識を集中しようと、それを超える速度と戦略で甚爾は襲い掛かる。呪霊の展開も、今回の相手に勘付かれたら終わりだ。

 そう、だからこそ――

 

「万が一もある、死なねぇ程度に適当に…」

 

 ――グラリ

 

「…あ?」

「…ッ、かかったな」

 

 格納呪霊からもう1つの呪具を取り出し、それを抜こうとした甚爾の身体が、突然崩れる。

 その異常に、甚爾は冷静に夏油の姿を観察し、その背中に隠れて置かれた、右腕に集中した違和感を見て、舌打ちを零す。

 

「クソ…」

 

 そう吐き捨てながら、甚爾はまだ狂った感覚に抗おうと、全身に力を込める。

 彼がその一瞬で目にした"それ"は、夏油の手のひらに収まるほどのサイズだった。その歯を剥きだしにした魚型の呪霊が、地面の中を溶けるように泳ぎ続け、くるっと旋回した瞬間、甚爾は再び態勢を崩す。

 その昔、かつて(なまず)は地中に潜み、地震を引き起こす怪異として語られた過去がある。そしてその効果は、対象者の平衡感覚を狂わせ、まるで落下しているかのように錯覚させる…シンプルで強力なもの。

 時代にして江戸中期、しかし江戸と言えど、過去から生き続けたその呪霊は、間違いなく積み重ねた歴史の強さがあった。

 

「終わりだ…!」

 

 大鯰の呪霊を放ち、態勢の崩れた甚爾に向かって、夏油は即座に走り出す。

 そしてすぐに右腕をかざし、今も態勢の崩れたままの、甚爾の肩に顎を乗せた格納呪霊に、術式を発動した。

 呪霊操術は対象の呪霊と、術者本人の実力差によって調伏の条件が変わる。そしてそのレベルが術師換算で2段階離れているならば、弱らせる必要もなく無条件で取り込むことができるのだ。

 今回の格納呪霊は等級も低く、夏油との実力は遠くかけ離れている為、本来ならば無条件で取り込める。故に夏油は隙を晒してでも、甚爾に近づき術式を発動した、が。

 

「馬鹿が」

 

 バチンッ!と夏油の腕が弾かれ、取り込みの作業が中断され、夏油の身体が硬直する。

 確かに格納呪霊の等級は低く、夏油の実力ならば無条件で取り込める。しかし甚爾は格納呪霊と主従関係を成立させており、呪霊操術の影響を受けない。

 刹那。

 

 ――ガリィ!!

 

 すぐさま平衡感覚を取り戻した甚爾が、一瞬で手に持っていた釈魂刀で夏油の胴体を十字に切り裂き、そのまま顎を揺らす形で蹴り飛ばすことで、勝負はついた。

 

「ったく、やっと勘が戻ったと思ったのによ」

 

 意識を失った夏油の頭を踏みつけ、甚爾はやっと完全に仕事が終わったとあくびを噛みしめて、格納呪霊を地面に降ろす。

 そして格納呪霊にターゲットの収納を命令し、すぐにぐーっと腕を伸ばして、呟く。

 

「んじゃ、さっさと行くか」

 

 脳天を撃ち抜かれ、死体となった星漿体…天内を格納呪霊が捕食し、それを確認した後、甚爾は再びそれを身体に巻き付かせて、言葉を零す。

 

「……運に恵まれたな」

 

 甚爾が夏油の命を奪わなかったのは、呪霊操術によって体内に蓄積された呪霊の存在があったからだ。

 極ノ番はともかく、呪霊操術にはまだまだ謎が多く、もし呪霊を蓄積したまま、術師が死ねばどうなるか…そのリスクを危惧したのだ。

 もし夏油が呪霊操術を持っていなかったら、術式を持っていなかったら、きっと今頃――

 

「だがその恵まれたお前らが、俺みたいな"猿"に負けたってこと、長生きしたけりゃ忘れんな」

 

 嘲笑。そして自虐の含まれたその言葉を吐いて、すぐに「あっ!」と顔色を変えて、そういえばと続けて。

 

「あーそうだ、"恵"って…俺が名付けたんだった」

 

 今の今まで忘れていた、とっくに売買の契約を終わらせた息子を思い出して。

 

「ま、いっか」

 

 すぐにどうでもよさげに、鼻歌を歌いながらその場を去った。

 

 

 

 

 そして薨星宮を出るための、エレベーターの前に着いた甚爾が見たのは。

 

「やぁ甚爾」

「は?」

 

 衣装こそは変わっているが、間違いなく以前出会ったあの女。

 全身から呪力を滾らせ、好戦的な笑みを浮かべる、戦闘狂(伽藍)の姿。

 

「久しいな、少し付き合え」

「………マジか」

 

 そう呟いて、心底嫌だとばかりに顔を顰めた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「その顔でいいんだ?」

「………何か不満が?」

「いや今更だけどさ、一応顔は自分のに変えられるのに…ずっと器のままだったからね」

「ふむ…別に生前の姿にこだわりもないしな、何か問題が?」

 

 かつての自分の身体を食し、文字通り万全となった伽藍に、そう羂索は問うた。

 対する伽藍も、本当にどうでもいいというのがわかる程に、あっさりと答えて作業を続ける。

 既に高専所属者の証明であるスーツは脱いでおり、今から生前着ていた、あの服を着ようとしていたところだ。

 

「もしお前が言うなら、変えてやらんこともないが…」

「あぁ…いやいいよ。ただ、若いころの君がどんな風貌だったのか…実はちょっと気になってたからね」

「…お前変わってるなぁ」

「それほどでも」

 

 生前好んで着ていた衣服を、器用にはたいて皴を伸ばし、左腕でそれを持ったまま、伽藍は残る右腕で今の服を脱ぐ。

 シャツを脱ぎ、その後下着に手をかけたところで、背中にふと視線を感じて、それがいつもの胡散臭い、興味が溢れた彼の視線だと気づいて、話しかけようとした瞬間。

 

「巻いてあげるよ、貸して」

「っ、おい」

 

 手に持っていたさらしをスッと奪われ、突然のその行動に、伽藍が疑問を感じたのも束の間。

 脇下を通す形で胸、そして腹へと軌道を描き、さらしを巻き始めた。

 自然と距離の近づく身体、彼の衣服と自身の肌が擦れ、妙にくすぐったい感触が伝う。

 

「ほら、これでいい?」

「…あぁ」

 

 もう一度胸、そして腰と丁寧な動きでさらしを巻いて、しばらくその作業を繰り返す羂索。

 その、あまりにも彼らしくないその様子に、伽藍はずっと気になっていたことを聞いた。

 

「なぁ、羂索」

「なんだい?」

「お前は、なんで私にここまでするんだ?」

 

 口八丁で相手を丸め込み、相手を利用し使い捨てる…あの時代を生きた者たちにとって、羂索とはそういう男だ。

 所詮彼にとって、協力関係などそれだけに過ぎず、いつでも使い捨てられる、いつでも切って逃げられるように、そう立ち回る男。

 呪いの王すらも例外ではない、自分の興味のためならば、彼すらも利用するのがこの男だ。

 

「流石に私でもわかる。わざわざ呪物として切り離した後の、あの身体を取っておくなんて普通じゃない」

「そうだね」

「服もそうだ。何故ずっとこのままだった、何故ずっと…わざわざ手入れまでしていた」

「…そうだねぇ」

「何故、お前はあの頃から、ずっと」

「終わったよ」

 

 ハイ終了。そう言ってお茶らけた様子で両手を上にして、いつもの胡散臭い笑みを浮かべた羂索。

 だがその一瞬に隠れた、彼らしくない一面を確かに、伽藍は見た。

 それは生前にも、何度か見たもの。

 

「君は、ずっと昔から変わらないね」

 

 その言葉はある意味で、彼らしいものだったものの、同時に彼らしくないものでもあった。

 変化を求め、停滞を嫌う彼が、何故か不変を肯定するその違和感。

 

「でも、君は飽きないほどに変わっていく」

「………矛盾してないか?変わってるのか、変わってないのかどっちだ」

「矛盾してないさ、君は姿や価値観、嗜好は変わるけど…その在り方は変わらない」

「…?お前何言ってるんだ」

「ま、今はいいか――どうだい?着心地は」

 

 しばらくして、生前と寸分変わらぬ、あの頃の服装になった伽藍を見て、羂索はより満足そうに微笑んだ。

 手を開き、そして握って首を回す。千歳振りの、正真正銘本当の自分が帰ってきたことを実感し、伽藍は続ける。

 

「お前は、昔から胡散臭い」

「うん」

「厄介ごとを持ってきて、そうして勝手に私を放って…またやって来る」

「だね」

「だが、くだらない目的の為にも、身を削るその努力は認めている」

 

 かつて宿儺を求め、その従者である裏梅と、しのぎを削る様子を見たことから始まった。

 羂索が伽藍に向けた、ほんの少しの興味。そこから始まった今の関係、いつものように返り血を浴び、静かに座る伽藍の横にいつも、この男は座っていた。

 

『…お前また来たのか』

『まぁね、嫌だった?』

『……興味ない、失せろ』

『まぁまぁ、ちょっと興味深いものがあってね……ある国から取り寄せた菓子なんだけど』

『…今回だけだ』

 

 ある計画の失敗により、彼が命を狙われ、その巻き添えで自分も狙われた日々。

 

『おい糞餓鬼…お前今度は何した?』

藤氏(とうし)の内部の機密情報を狙ったんだけど…縫い目でバレちゃった♡』

『だからって五虚将(ごくうしょう)に狙われる馬鹿がいるか!?貸しだからな…!』

『あ、今は戦闘用じゃないから先に逃げるね』

『ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッ"!!!』

 

 宿儺の怒りを買い、彼の呪術をその身に受けて、なんとか瀕死のまま逃げた時。

 

『…なんで君生きてんの?』

『ククク…流石にちょっかいをかけすぎたか…』

『うわ気色悪…ちょっと血出すぎじゃない?てか死んどけよ人として』

『あ"ー…うるさい』

 

 その時に、違和感は感じるべきだったのだろう。

 あの血に塗れた日々、その合間にあった、確かな関係。

 

「…行ってくる」

「そう」

 

 その言葉は短いものだった。だがこれでいい、今の自分たちには、これで。

 

「行ってらっしゃい」

 

 忌庫を出るその時、そう投げられた言葉に、伽藍は手を上げて答えた。

 

 

 

 

「服装、変えたのか」

「そうだが、何か?」

「随分といいモンで作ってるな、様になってるぜ」

「フン。流石ヒモだな」

 

 油断も、隙も晒さず、そう言ってのけた甚爾相手に、伽藍はハッと息を吐いて、その言葉に両手を上げて返した。

 

「だが……」

 

 いいもので作った。というのは間違いではないだろう、何せ今巻いているさらし含め、自分の服は術式で作った肉の繊維で編んだもの。

 呪力の通りも悪くなく、下手をすれば一般の呪具よりも遥かに強化効率もいい、だがそれが1000年、こうして残っていたのは間違いなく。

 

「……嗚呼、そうだな」

 

 歳はずっと離れていた。

 1000年呪物として、屍のように生き永らえ、そしてその間彼は、文字通り生き続けた。

 だがその経験の差が離れる前、あの合従連衡の呪いの世界。確かにそこにあったのは。

 

「――知人()が作ったものだからな」

 

 確かにあったその関係。

 それを自覚して、伽藍は笑って言い切った。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 ――さて、ここからどうしようか。

 今の甚爾の内心は、とりあえずこの場をどう潜り抜けるべきか…それで埋め尽くされていた。

 相手は今までの相手とは違う、それは実力の問題ではない。実力だけならば、万全の五条悟に勝てる人間など、この世に存在しないからだ。

 だが五条とは違い、伽藍という人間は、その精神性こそが問題だ。

 守ることに集中し、身を削る五条たち若者とは違い、この女は本当に、自分こそが至上と考える厄介なタイプの人間だ。

 そしてふと、対策を練る甚爾の目に、彼女の背中に隠れる形で立っていた…見覚えのある男が話しかけてくる。

 

「悪い、流石にこいつには逆らえなかった」

「…まぁしゃあねぇ、気にすんな」

 

 伽藍の背後でタバコを咥え、片手で軽い謝罪をするスーツを着た男…時雨。

 彼の姿を見て、甚爾は何故伽藍がこの場所に来たのかを全て理解し、そして同時に哀れんだ。

 並みの相手ならともかく、傲慢不遜なこの戦闘狂が相手では、いくらプロの仲介人といえど逃げるのは不可能だろう。

 だが余計にわからない。甚爾は目の前に立つ彼女に問う。

 

「今更何の用だよ、もう星漿体は死んだぜ」

「らしいな、だが今はどうでもいい」

 

 コキリと首を鳴らして、本当にどうでもよさげにそう言った後、伽藍は右手を甚爾に向ける。

 全身の細胞が危険だと叫び、横に避ける形で甚爾が跳躍した瞬間、彼女の術式が地面を破壊した。

 ドゴンッ!と彼女の術式によって作られたそれを見て、甚爾はやりづらい…と愚痴を吐いた。

 その一瞬の攻防を見て、時雨は気楽に口笛を吹いて。

 

「ひゃーおっかねぇ、おいどうすんだ禪院」

「お前ちょっと黙ってろ。…おいおい、マジで勘弁して欲しいんだが?」

「焦るな。勿論、タダでとはいかんぞ?」

 

 地面を破壊した肉の槍、それが瞬時に分解され、それが()()()()()()()()消えた。

 その、一瞬見えた謎の光に、甚爾は違和感を覚えるも、まずはさておいて。

 甚爾は伽藍の言った言葉に反応し、聞き返す。

 

「"タダ"ねぇ…俺はタダ働きは御免だ。どうせソイツから聞きだしたんだろ?」

「あぁ」

「なら、聞かせて貰おうか」

 

 まるで試すかのように、手の平を向けてそう切り出す。

 時雨はその甚爾の様子に、誤魔化しきれない違和感を覚えた。

 自分は禪院甚爾という人間を知っている。それは確かだ、だが今の彼が見せるのは、自分が彼に出会った頃に似た気配。

 彼がまだ、呪術師の世界にいたころの。

 

「なァ平安術師様、お前は俺と戦いたい、だが俺は今すぐトンズラこいて、さっさと賞金手にして帰りたい」

「らしいな」

「俺はさっさと死体を渡しに行けばいい。お前が戦う理由はあっても、俺にはないだろ」

「あぁ」

「じゃあ教えてくれ」

 

 いつもの彼ならすぐ逃げた。話なんてしないで、さっさと目的を果たして姿を隠す。ほとぼりが冷めるまで。

 だがこうして、わざわざ戦う理由を聞くその姿、それはきっと――

 時雨はこの会話の意図に、彼が望む答えを察し、それでも黙っていきさつを見守る。

 そして、それに対する伽藍の答えは。

 

「俺がお前と戦って、もしそれで勝った場合…お前は俺に何をくれるんだ?」

 

 

 

 

――全て

 

 

 

 

 数秒の間すら置かず、至極当然と瞬時に言い返す。

 一瞬で終わったその答え。説得力も、合理性もまだ何もない一言だが、まるで天啓のように、この空間を支配した。

 

「…は?」

「ありえん話だ。だが、私が全霊で勝負し…負けたということはそれ即ち。私の天下無双は既に途絶えたということ」

 

 天上天下、この世に存在すべきは己、そして己以外の何か。

 子供のように我儘で、それでいて洗練された武人の悟り。だがもしそれが終わったら?もし自分という人間の、存在価値がなくなったら?

 ――その答えが、これだった。

 

「文字通り全て。全財産から我が魂まで、私という個人の存在を全て放棄してやろう。私にとっての敗北とは、そういうことだ」

 

 両面宿儺を超えるため、一度の敗北も許されない。

 常勝、必勝。それこそが伽藍という人間であり、それこそが唯一の価値、そして当たり前のもの。

 もしそれが無くなれば、もはやそれは死んだもの、死んだ自分は自分ではなく、取るに足らない有象無象。

 

「終わった私に興味などない。煮るなり焼くなり、辱めるなり好きにしろ」

 

 自分以外はどうでもいい、常に勝利し、高みを目指す自分以外はどうでもいい。

 負けた自分はただの死体、考えるだけで反吐が出る。それこそが伽藍という人間の、歪で真っすぐな信条だった。

 

「…本気か?」

「あぁ本気だ」

「…撤回はしねェよな?」

「言ったはずだ、()()()()()

 

 ヌプンと、甚爾が格納呪霊の口から呪具を――釈魂刀を取り出して、それを構える。

 対する伽藍もそれを見て、ニヤリと笑って、すぐに同じように武器を取り出す。

 

「"武振熊"」

 

 ズズズ…と、また、甚爾が先ほども見た黒い光が空間に現れる。

 そしてそれに右手を突っ込んで、そこから現れた赤い刀を見て、甚爾は眉をひそめた。

 

「…お前、やっぱり」

「さて、始めようか」

 

 互いに刀、そしてその切っ先を向けあって、いつ始めてもいいように、空気が硬く強張りだす。

 そしてその様子に、やはり…と時雨は確信を深め、そしてタバコを新しく咥えて言った。

 

「おい、勝負を始めるのは勝手だが…星漿体は先に渡してもらうぞ」

「あ?…まぁいいか、いいぞ」

「んじゃ遠慮なく、おい禪院」

「アー…そうだな」

 

 ゴトンッと格納呪霊の口から、地面に乱暴に降ろされた…かつての少女だった死体を見て、時雨はさて…と両腕で抱え、そして歩き出す。

 そしてエレベーターが起動する音が響き、完全にそれが止んだのを待ってから、再び2人は構えだした。

 

「これでもう1つ、私と戦う理由ができたか?」

「全く…あのガキどもの方が何百倍もやりやすいっての」

 

 依然楽しそうな様子を隠さず、そう言った伽藍に、甚爾は呆れてそう返す。

 相手の戦法、そして術式などの情報は一応知ってはいるが、だからといって有利になるわけではないだろう。

 むしろそんなのお構いなしに、突っ込んでくるからこその強さが、彼女にはある。

 だが――

 

「俺の呪縛が珍しいのはわかってるが…それだけじゃねぇだろ。お前が俺と戦いたい理由」

「ククク…そうだな」

 

 ――ドクン

 甚爾の磨かれた直感と、天与の肉体が異変を叫ぶ。

 

「確かにお前は強い…が、確かにそれだけなら興味は引かれなかった。だがお前は天元の作ったシステムを壊し、そしてあいつを負けさせた」

 

 ――ドクン

 以前変わらぬ伽藍の立ち姿、だがその内部で、"それ"が躍動する。

 

「忌々しい因果を壊し、運命に抗ったお前だからこそ…」

 

 ――ドクン

 

「…おい、お前」

「正真正銘、()()()姿()で闘える」

 

 呪縛によって因果を超えて、天与の肉体を得た甚爾だからこそ、"それ"に気づいていた。

 最初に出会ったあの頃から、全身から感じていたあの違和感。

 人間誰しもが持つ魂、それに連なるある違和感。

 ――身体の中に隠された、"それ"が連結して強くなる、その異変。

 

「嗚呼…血が沸き、肉が躍る…!そして身体の隅々までが…!」

 

 釈魂刀を使いこなせる、無機物の()すら観測できる目を持っているからこそ、それが理解できた。

 呪力が迸り、その熱で空間が歪曲するその間にも、彼の目は伽藍の身体に起こる異変を見逃さなかった。

 呪力、そしてそれだけではない感覚…魂の感覚が、伽藍の身体を移動し、額に集中し、そして。

 

「更なる力の解放を渇望している…!」

 

 その額に。

 

――ッデアアアアアアッ!!

 

 ()()()()が現れたのを見た。

 

「…マジか」

 

 本日2回目の言葉を呟いて、甚爾は先ほどまでの緊張すら忘れて、そう呟いた。

 今までデフォルトだと思っていた伽藍の身体、そして魂は万全ではなく、今のこの姿こそが彼女の全てであると、そう確信した。

 呪い、呪われ…血と魔を浴びて生きた彼女の、その魂の本来の姿が。

 ――魔に近づいた、()()()としての完全な姿。

 

「嗚呼…久しい感覚だ…!」

 

 その感触を噛み締めるように、両腕を広げた伽藍の腕に、黒い紋様が刻まれる。

 そして肩、首から顔へとそれは広がっていき、魔の紋様が全身に現れた。

 たちまちその変化は加速し、銀色に染まる髪が、鮮血を思わせる赤へと点灯し、そしてしばらくして、銀色の髪が完全に赤色に変わった。

 紋様を刻んだその姿は奇しくも、あの呪いの王に似た姿で――

 

「禪院甚爾、お前は私の天下無双の…その糧でしかない」

 

 紋様が刻まれた右腕を向けて、変化する前と変わらない、あの笑みを浮かべて、そう続ける。

 

「両面宿儺という主菜の前に現れた、ただの副菜。所詮、食膳に添えられた…ただの(うお)

 

 ()()()()に変化した、その3つの目が黒く光る。

 そして再び刀を構え、歪んだ笑みをそのままに、言い放つ。

 

「まずはその鱗から剥いでやる」




 夏の庭 The Friendsは名作なのでみんな見て。


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じゅじゅさんぽ.鹿紫雲一&羂索

 歳の離れた友情いいよね


「全く…こんなに散らかして」

 

 400年前のある時代。

 かつて見た景色を思い出す、人の血と臓物が地を汚す広場に足を踏み入れて、男はそう呟いた。

 そしてその惨状の中心に立つ老人。その背中越しでもわかる、退屈そうな気配をひしひしと感じながら、胡散臭い笑みを浮かべて聞いた。

 あくまでも、胡散臭く。

 

「どうだった、楽しかった?」

「…羂索か」

 

 額に縫い目を残した塩顔の男――羂索は依然変わりなく、その退屈そうな様子の老人を見て言葉を投げかける。

 だがそれに対する老人の答えは、先ほどと変わらない、退屈そうな態度だった。

 

「その様子だと…満足いかなかったみたいだね」

「全くだ、どいつもこいつも腑抜けばかり。…やはり貴様と戦るべきだったか」

 

 歳を重ね、筋肉も骨も衰えた老兵。だがその身を包む呪力と闘争欲は、今もこうして、羂索の肌に危険信号を送っている。

 どこか既視感を感じるその存在に、懐かしむように笑って返した。

 

「勘弁してよ、今は特に戦闘向きじゃないんだ」

「…フン。本当かどうか怪しいな、お前ほどの男が、何の対策もなしに来るはずもなかろう」

「なんのことやら」

 

 ニヤニヤと、まるで危険なんてないように、変わらず自然体でそう言い切った羂索に、老人は鼻で笑う。

 実際だからなんだというのか、今やこうして老衰し、満足に戦えない今の自分では――

 そうだ、だからこそ、羂索という男は話しかけてきたのだ。それを痛感して、老人は歯軋りをする。

 

陸奥(みちのく)の方には面白そうなのがいたよ、何でもあの伊達藩で歴代一の呪力出力だそうだ」

「ッゴホッ!……嫌味か?今のこの姿を見て、本当に行けるとでも」

「だね、手ぬぐいいる?」

 

 ガフッ!そう続けて咳をすると同時に、更に喉から血が噴き出し、老人の手を赤く染める。

 老衰、病。もはやまともに戦える、限られた時間もあと僅か。

 もはや、選択は決まっていた。

 

「…羂索。貴様の知る術師の中で、最強の術師は」

「宿儺だ。600年も前で申し訳ないが、これは譲れない」

 

 今もなお語り継がれる、かつて世を血で染め上げ、呪いで廻した伝説の王。

 両面宿儺。老人はその、今や届かない孤高の存在を想起し、そして続ける。

 

「では…"例の話"甘んじて受け入れよう」

 

 こうして老人――後の死滅回游遊泳者、鹿紫雲(かしも)(はじめ)は契約を果たした。

 400年後の現代で、再びこの世に黄泉返るために。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…これが呪物か、しかも人間だと?」

「そ、凄いでしょ。結構苦労したんだよね」

「にわかには信じられんが…お前が言うならそうなのだろうな」

 

 契約は済んだ。後は鹿紫雲の魂を凝縮し、呪物として切り離す…それで終了だったのだが。

 せめて最後は何か面白い話を。と、老人の我儘を聞いて、羂索はそれに答えた。

 

「これは術式が面白くてね、何と自分の身体を爆薬にして吹っ飛ばすんだ」

「…それでどうやって戦うんだ」

「なんと歯を折って投げ飛ばしたり、目を抉ったりして爆発させたり…」

「…想像したくないな」

「これはねー…」

 

 目の前にずらっと並ぶ、様々な色と形をした人の指。

 これら一つ一つが、かつて羂索と契約をして、呪物となった生きた者。

 すっと指を取って、それを回して観察しながら、鹿紫雲は問う。

 

「呪物となっている間、意識はどうなるのだ」

「さぁ?私は呪物になったことはないし…個人差あるんじゃない?意外と一瞬で済むかもよ?」

「……そうか」

 

 かつて外国の技術を取り入れ、空を飛んだ術師。

 絵巻物を模倣し、それに伴った術式を発現させたある一族の男。

 契約書を使うことで、その事象を再現する切れ者の男。

 ――それら数々の強者、そして指ごとに放つその威圧感の違いに、鹿紫雲は目を輝かせた。

 

「これらの圧は凄まじい…これがお前の言う…」

「そ、呪術全盛…平安に生きた術師たちだよ」

 

 そして目線を向けた先、一回り大きな箱に詰められた、無数の指たち。

 そしてその指の中でも、ひときわ異彩を放つものがあった。

 指の形や色は特に変わらない。だがそれらが放つ呪いの気配、それが鹿紫雲の肌を刺したのだ。

 

「これは会津に住んでいた、ある術師の指でね…あれから600年経ったけど、彼女ほどの構築術式使いはまだいないね」

「ほう、構築術式だと?」

「そ、面白いことに構築術式の燃費の悪さを…蟲の筋肉で補っていてね、なかなか強かったよ」

「なるほど…蟲か」

「よくやるよねぇ」

 

 それぞれの指を差し、そしてそれに答えながら、細かく解説を挟むと同時に思い出を語る。

 羂索のこの記憶力の良さは大したものだと、そう感心をしながら、鹿紫雲はある指を見た。

 

「おい羂索、これはなんだ」

「ん?…あぁそれはさっき言った、宿儺の従者の指だよ。自分も呪物にさせろーってうるさくてさ」

「そうじゃない、その隣だ」

「……あぁ」

 

 鹿紫雲が指を改めて差して、それの示す指に気づいた羂索は、一瞬目を見開いて、そして答える。

 

「これは…君と同じように、老衰したから呪物になったんだ」

「凄まじい圧だ、隣の…先ほど言っていた宿儺の従者と変わらんではないか」

「そ、死にぞこないのくせにさ、気配だけは一丁前なの」

 

 ひょいっとその指を手に取って、くるくると回しながらそうぼやく羂索。

 その回転を続ける呪物を、鹿紫雲はじっと視線を凝らして、そしてまさかと呟いて。

 

「お前、まさか"これ"だったのか?」

「うげっ!?ホントやめてよ…あんな狂った骨の塊みたいなやつと?何の冗談なんだよ」

「……すまん」

 

 普段の胡散臭い仕草を忘れるほど、心底心外だと嫌がる羂索の姿を見て、鹿紫雲は咄嗟に謝罪の言葉を漏らした。

 しかしはてと、初めて見たその側面に、鹿紫雲はフンと笑って。

 

「まさかお前にそういう一面があったとはな、ただ終始胡散臭い詐欺師と思ってはいたが」

「えー?そんな風に思ってたの?」

「まぁ、少しは変わった」

 

 自分にはいただろうか。鹿紫雲はふと戦いに染まった自分の人生を思い返して、そして目を瞑る。

 瞼の裏に浮かび上がるのは、かつて戦い、血を流し、そして皆共通して死んで終わる、強敵たち。

 皆結局自分にやられ、そして骸となって成れ果てる。

 

「羂索、お前に最後に、聞きたいことがある」

「……なんだい?」

「もし、お前の話を受けて受肉を果せば――」

 

 パリリッと、鹿紫雲の呪力特性による雷が空間を裂いて、そして音を響かせる。

 そして、続けて口から紡がれた言葉を聞いて、羂索は。

 

「さすれば、宿儺と()れるのだな?」

 

 どこか懐かしいという表情をして、頷いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「さて、後は飲み込むだけか」

 

 時は流れて現代――新たなる肉体の器、虎杖香織の死体を乗っ取った羂索。

 彼は千歳の約束のため、そして己の好奇のために、最後の仕上げに取り掛かった。

 

「ほら、さっさと起きて」

 

 病室のベッドで静かに眠る、銀髪の少女にそう言葉を投げかけて、同時にその口の中に、羂索は赤く変色した指――呪物をねじ込み…そして飲み込ませる。

 約束と好奇、それらを同時に果たすため、羂索はわざわざ2回、女の身体を乗っ取り、子を孕んで"それ"を作った。

 ドクンッ!と少女の身体が大きく揺さぶられ、そして痙攣を始める様子を、彼は黙って見守り続ける。

 

「いやー、思った以上に苦労したね。流石に陣痛を2回連続で経験するのはキツかったなぁ」

 

 最初の出会いは気まぐれだった。

 あの平安の時代、血をまき散らしながら、叫んで刀を振りかぶる老婆を見て、「面白そう」と思ったのが始まりだった。

 日々戦いを繰り返し、宿儺を求めて従者と殺し合い、そして時折宿儺の呪術を喰らい、そして瀕死になってまた戦う。

 命なんて最初からないみたいに、文字通り毎日、身と命を削る戦い方。

 死体を乗っ取り、常に安全に生き続ける自分とは違う、その在り方。

 

『君はいつになったら死ぬのかな?』

 

 その蛮行を見続けて、そう聞いたのはいつだったか。

 歳なんて感じさせない、豪快な戦いっぷりと、どれだけ瀕死になろうとも、反転術式ですぐに生き返るこの老婆。

 何度も何度も、瀕死になって復活し、戦いを続けて疲労するかと思ったら…全然そんなことなくて、また戦う日々。

 死体を乗っ取り、寿命をやり直す度に目的を変えていた自分とは違う。この歪な命の、真っすぐな輝きに、いつしか心惹かれて。

 

『宿儺を殺すまでは死なん、お前こそいつ死ぬんだ』

『残念。君よりは長生きするよ、1000年くらいはね』

『…ハッ!相変わらずの生き汚さだ』

『褒め言葉として受け取っておくよ』

 

 ある日に、特に用件はなかったけども、隣に座って駄弁る時間。

 失敗したある実験、それの愚痴を吐きながら、持って行った菓子を料金に話をしたり。

 「いつ死ぬのかな」なんて思っていたことも忘れ、なんだかんだの付き合いを続けた時代。

 いつしか観察だとか、目的だとかを忘れて、歳の離れた友人のような、その関係性が生まれた日々。

 ――だが彼女は、突然それを言った。

 

『…私は、もう死ぬ』

 

 冷や水を掛けられたかのようだった。

 あれだけ命を燃やし、何があろうとも死ななかった彼女が、自分という存在の終わりを自覚した。

 宿儺と違い、裏梅と違い、彼女はあの時まで、呪物となることに賛成しなかった。

 契約が既に済んでいる前者と違い、彼女はずっとあるがままを受け入れ、いつものように命を削った。

 ――そして、彼女がそれを言った時。

 

『…話の続きだ、羂索』

 

 彼女がようやく話を受け入れ、そして承諾した時。

 

『さすれば、宿儺と()れるのだな?』

 

 ――その時、自分の内に沸いた感情は確かに。

 

 

 

 

 

「……おっ」

 

 ――ドクンッ!

 

 突如痙攣が止み、そして一瞬全身に刻まれた紋様。

 そしてたちまち、少女の肉塊がそれを抑えて、うっすらと瞼が開けられる。

 そしてそこに見えたのは、あの頃と変わらない…呪いに染まる理外の瞳。

 

「………………………は?」

 

 姿も、声もだいぶ変わってしまったが、それでも共通するその抑揚。

 彼女らしい、変なところで純粋な、その幼い驚き方。

 

「あ、やっと起きた」

 

 あれから時代は変わった。呪術こそ退化をしてしまったものの、この世界には面白いもので溢れている。

 人も多くなった。昔と比べ、空気こそ汚れてしまったが、あの青い空は…平安の頃から変わらない。

 だが、そうだとしても。

 

「あれから1000年…」

 

 最初に彼女と会うのは自分でいい。変わってしまった人間…時代と違って、あの頃と変わらない、胡散臭い自分こそが相応しい。

 勝手に形を変えないように、頬を、喉を必死に偽って、1000年前と変わらない、あの話し方を意識して。

 この内心を勘付かれないように、何も変わっていないと思わせるために。

 

「久しぶりだね、伽藍」

 

 今、自分はちゃんと、あの頃と(胡散臭く)同じように笑えているだろうか。




筆が進むぅ


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じゅじゅさんぽ.万

 筆が進みまくる、次は本編描きます。


「見つけたわ…私の恋の宿敵!」

「………はぁ?」

 

 雲ひとつ無い晴天。しかしその青い空とは裏腹に、その大地は真っ赤に染まり、異臭を放っている。

 そんな臓物で作られた絨毯の上で、退屈そうにため息を吐いた、全身を返り血で真っ赤にした老人――伽藍に言葉を投げかけた女。

 白の和服に身を包んだ、黒の美しい長髪と、麻呂眉を携えたその姿に、伽藍は一瞬既視感を感じて、その後女が続けた言葉に首を傾げた。

 

「裏梅から話は聞いたわ…貴方も私と同じ…あの人に愛を与える人間…!」

「はぁ?」

「でもダメよ!妾なんて許さない…あの人に愛を与えるのは私!私以外は許さないわ!」

「……はぁ」

「つまり貴方も敵…恋の宿敵であり排除する対象なのよ…っ」

「……………」

 

 ――こいつもイかれてる奴か。

 伽藍は自分のことを棚に上げ、頬を赤に染めて、麻呂眉を指で整えながらそう続ける女に、そう思った。

 くねくねと身体を揺らして、夢見心地に呪いの王を語るその姿を見て、背中に冷や汗をかきながら、それに返す。

 

「……まぁ、頑張ればいいんじゃないか」

「手を引くなら今のうちよ…たとえ許されないとはいえ、貴方も私と同じ…彼に"愛"を与えようとした人間…」

「話を聞け」

「同じ女同士、1人の男を求めたなら…その後起こることもわかってるでしょう?」

「こんな老いぼれに何を言ってるんだお前は」

「愛に歳は関係ないわ!そう、だからこそ許せない…禁断の愛、私よりも背徳感に満ちたその関係!」

「…………」

 

 くるくる。手を胸に当てながら、まるで舞でも踊っているかのような動きを続けながら、女は伽藍に話し続ける。

 正直、伽藍は最初の言いがかりの時点で、無視をして帰ることも考えていた…が。

 伽藍は目の前の女の正体を知っていた、故に無視をせずに、こうして会話に付き合っていた。

 

「わからないなら仕方ないわ…宿儺に愛を教え、そして彼を殺すのは私よ」

「愛など知らんしどうでも良い…が、殺すというのは論外だ」

「…なんですって?」

「宿儺を殺すのは私だ、私こそが次の――呪いの王に相応しい」

 

 ピクリと、伽藍の言い放った言葉に反応し、その顔を不機嫌に染めあげる。

 そして瞬時にその身体を、黒い液状の金属と、筋繊維が包み込み、姿を変える。

 女性らしい柔らかな身体が、たちまち見上げるほどの背丈と、平均男性を超える筋肉量を纏って、そして動き出した。

 

「寝言は寝て死になさい――伽藍ッ!」

「遊んでやろう、来い――(よろず)

 

 数多の生体機能を流用、特化させた肉の鎧。

 それによる膂力、そして俊足と生成した金属による中距離戦闘。これこそが平安最強の構築術式使い――それが彼女の、万の戦闘スタイルだ。

 構築術式による燃費の悪さ…それを少量の筋肉量でも海を渡れるほどの、昆虫のエネルギー効率を当てはめることでカバーした。

 そしてこれらが合わさることで放たれる一撃。半自律制御によって形を変える液体金属と、昆虫の筋力が組み合わされた剛力。

 

「…面倒な」

 

 次々と放たれる即死級の一撃。全盛期ならまだしも、今の老いた身体では、躱す受けるで精一杯。

 あくまでも視線は万本人に、しかし残る死角からの一撃を、歴戦の経験で磨いた勘で、身体を捻って避ける…が、それも限界が来るだろう。

 その間も万の剛腕による2本の拳撃、そして物理法則を無視し、自在に形を変える液体金属が、伽藍の身体を貫かんと暴れだす。

 この連携で何人がやられたのか、伽藍は彼女によって滅ぼされた、藤氏(とうし)直属精鋭部隊――五虚将(ごくうしょう)のことを思い、苦笑いを零した。

 ――だが。

 

「だが少々…」

 

 ――()()()()()

 伽藍が相手の懐に入り込み、瞬時に手のひらを当てて、動きを止めたことで"それ"が始まる。

 その異質な行動、そして他ならぬ自身の身体に発生した異変に気づいた万が、それを防ごうと拳を振るった瞬間。

 

 ――トンッ

 

「……えっ」

「相性が悪すぎたな、小娘」

 

 パシャッ。水が零れた時のような、そんな音が周りに響き、万の纏った肉の鎧が、一瞬で分解されて消えてしまった。

 先程までの、まるで丸太を彷彿とさせる剛腕も、いつのまにか万本人の生身の腕に変化しており、それが伽藍の手のひらにぽすんと抑え込まれる。

 

「私の術式は肉と骨を作り、操るもの…簡単な話だ。お前の作った肉は、私の術式反転で一瞬で消せる」

「ちょ、ちょっとちょっと!?」

「勝負は終わりだ、さっさとお前も帰れ、私は宿儺を追う」

「待ちなさいってば!」

 

 老いて脆くなった身体に力を込めて、呪力による強化を施して走り出す。

 万の呪力出力も、他の術師と比べても遜色ないレベルだったが、肉体強化というくくりの中では、伽藍には勝てない。

 たちまち遠く、その後ろ姿が完全に見えなくなってから、万はぷるぷると震えて。

 

「ふ、ふふふふ…いいわ。貴方がそうするなら、こっちにも…いい考えがあるわ…っ!」

 

 新たに昆虫の生体機能を、その背中に巨大な羽を作り出し、すぐに跳躍して宙に浮かぶ。

 そして一気に空気を蹴るように、身体を前項姿勢にしてから、叫んだ。

 

「次は勝つわよ!…恋の盟友ッ!」

 

 こうして、ある老人と小娘との関係は始まった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「宿儺に会えないわ」

「奇遇だな、私もだ」

 

 ちりんちりん。と、鳴り響く音。

 

「貴方も?奇遇ねぇ私もなのよ」

「何故だろうな」

「なんでかしらねぇ」

「…万、お前少しやりすぎたのではないか?」

「伽藍こそ、もう少し喧嘩売る頻度少なくしたらどうなのよ」

「………裏梅が見たら発狂しそうだねぇ、この集まり」

 

 ちりんちりん、夏の日差しと共に耳に届く、その清涼感と、どこか重厚感を感じる青銅の音。

 ある山奥の屋敷の中、その縁側に集まるこの3人。そのうちの、()()()()()()()()()()は、目の前で団扇を仰ぐ伽藍たちに、そうため息を吐きながら言う。

 まだ珍しい、世に完全に浸透していないこの貴重品を眺めながら、万はふーんと首を傾げて。

 

「ただの青銅の塊が…悪くないわね、私も作ってみようかしら」

「ちょっと?それ買うのに結構苦労したんだよ?そう簡単に贋作を作られたらさ…私の苦労が……」

「いいじゃない羂索。せっかくの構築術式なんだから、これくらい許されるわよ」

「……私が許したくないんだけど?」

「ッハハハ!これからは、お前が万の贋作元を買えばいいんじゃないか?」

「勘弁してってば…」

「でだ、宿儺の場所だが…羂索、お前も知らんのか?」

「うーん…さぁ?あんなのでも私たちと同じ人間だし、北の方にでも涼みに行ったんじゃない?」

「ふーん…」

 

 実の所、羂索は既に宿儺たちの所在を把握済みである。

 だが今は、それを伽藍に、勿論万にも言うつもりはなく、しばらくはこうして涼を取るつもりだ。

 その理由は他ならない、宿儺の従者である裏梅から、凄まじい形相で釘を刺されたのだ。

 

『おい羂索…頼むから…頼むから頼んだぞ…ッ!』

『…言葉使いがおかしくなってるよ?』

『いいかッ!?貴様は数日だけでいい!あの気狂い婆と!糞眉女を抑えていればいい!いいんだッ!!』

『あーー…あ、うん』

『気狂い婆と糞眉だ!気狂い婆と糞眉!気狂い婆と気狂い婆だッ!』

『………水飲む?』

『わかったな!!!???』

『………』

 

「どうした羂索」

「あー…ちょっと裏梅が可哀想に思えてきてね」

「…ふーん」

 

 嘘はつかない。

 だがあえて核心に触れることは言わず、あくまでも本題に掠るくらいのことは言う。

 伽藍は妙に勘が鋭い、ここでもし「何も考えてないよ」なんて言ったら、すぐに真実を言い当ててきただろう。

 羂索に残された時間はあと数日、だがその数日が、どうしようも長く感じた。

 

「あーーー…退屈だ。万、闘るか?」

「嫌よこんな暑いのに。あーー…水浴びたいわ」

「近くに川があるんだけど、水浴びでもするかい?」

「何よ羂索気が利くじゃない!じゃあ早速行くわよ!」

「よし、川の中で闘るか」

「馬鹿じゃないの貴方」

(相変わらずだなぁ…)

 

 だがこれで更に数時間、時間を稼ぐことには成功した。

 どうせ途中でヒートアップして、彼女たちは互いにぶっ倒れるまで戦い続けるだろう。

 その後はどうしようか…と、羂索がぐーっと背伸びをしながら考えてる時だった。

 

「あぁそうだ羂索」

「なんだい伽藍」

「もしや"南"か?」

「………はい?」

「あとでだ、宿儺の正確な居場所を教えろ」

「……」

「どうせ知ってるんだろ」

 

 ――ごめん裏梅。

 羂索は心の中でそう謝罪して、すぐに気持ちを切り替えて、「まぁ仕方ないか」と呟いて、歩き出した。

 

 

 

 

 そして数日後、羂索は裏梅に凄まじい勢いで追い回され、久しぶりに身体を取り換えることになったという。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 11月16日

 pm.16:00

 

「……器から情報は得たから知っていたけど…本当に貴方なのね」

「あぁ、千歳振りか?万」

 

 東京、第1結界(コロニー)

 その積み重ねられた人間の死体、その山で座っていた、かつての構築術式使い――万。

 彼女は再びこの世に黄泉返り、そして1000年ぶりの戦闘を楽しんで、生を実感していた。

 そしてそこに現れたのは、同じく平安の時代を過ごした仲間、伽藍。

 

「面影も…いいえ、あるわね。その…彼に似た目と、暴力的な気配は変わらない」

「羂索も同じようなことを言っていたな。そんなにか?」

「なに?やっぱり今もあいつと仲いいの?相変わらずね」

「……フン」

 

 ドサッと、同じように死体の上に腰を下ろして、その隣に座る伽藍。

 万はその横顔をじっと観察して、そして続ける。

 

「知っているでしょう?受肉体は、その受肉元から記憶を得られる」

「らしいな、私は何故か有耶無耶だったが」

「貴方のことも見たわ、随分よくしてたみたいじゃない?この"器"と」

「あ?」

 

 万は胸に手を当てて、伽藍の顔を下から覗き込むように、鼻と鼻がぶつかる距離まで接近して、その顔を見た。

 かつて同じ時を過ごした少女、その魂が沈み、肉体を奪われた様子を見ても、彼女の顔は変わらない。

 その様子に、万は満足そうに微笑んで。

 

「もしかして腑抜けちゃったのか…なーんて思ってたけど…無駄な心配だったわね、貴方はそういえば、絶対に変わらないタイプの人間だったわ」

「わかっているならそれでいい。で?この雑魚どもでは満足いかんだろう?」

「…何よ、貴方こそわかってるじゃない」

 

 互いに同じタイミングで、死体の山から飛び降りて、そして互いに向き合う。

 呪力が迸り、互いの殺気が空間を断裂させるほどに濃密になって、緊張感が高まる。

 しかしすぐに、万は身体を震わせて。

 

「でもね…私1つだけ許せないの」

「あ?何が」

「私てっきり、貴方が復活するときは老人のままだと思ってた。だって貴方は、見てくれとかに興味なかったじゃない?」

「いやそれは変わらんが」

「嘘よ!!!」

 

 ビシッ!そう勢いよく指を差して、万は今も首を傾げたままの伽藍に、怒りを滲ませて叫ぶ。

 

「何よその身体!何よその顔!!若返っただけじゃなくて…更にリニューアルですって!?」

 

 水すら弾きそうなほど、きめの細かい肌と、卵のように丸く小さな顔。

 見た者を引き込ませる、その赤い瞳は健在のままで、生前より更に若さと美しさによる輝きを醸し出している。

 片肌脱ぎによって、露出度の高くなった戦闘服と、さらしを巻いた腹と胸が纏う、その色気。

 そう、万の女としての勘が、彼女が敵だと叫んだのだ。

 

「許せなかった…恋の相談役として慕っていた相手が…その実一番の強敵だなんて…!」

「何にキレてるんだお前は」

 

 1000年の時を経て、恋する女の嫉妬と戦闘欲が、爆発した。

 だがそのモチベーションは、今までとは少々違うものだったらしい。




 いい加減本編書かないと…
 運が良ければ7日にまた出せるかな…


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17話.懐玉⑥ー驚箱ー

 更に山場を2つ、物語は加速します。


 最初から、油断なんてしてなかった。

 相手の実力を見誤ったつもりもない。むしろ、十二分に理解しているつもりだった。

 だが今では、目の前に立つこの"鬼"の誘いを受けて、刀を抜いたことを後悔しそうになるほどの、思考のループがさっきから続いているのも事実。

 

「…不味ったな」

 

 ――タダ働きなんて御免だ。

 そうだ。結局のところ、残る仕事は殺した星漿体の死体を持って、盤星教に渡せばいいだけ。

 誰が邪魔をしようとも、呪力のない故、逃げに徹した自分ならば…誰にも邪魔されないはずだった。

 そうだ、そう言って、さっさと死体を渡しに行って…金を貰って終わりだったはずなのに。

 

『――全て』

 

 あの、こちらを射抜く赤の瞳。

 負けなんて選択肢にない、あの傲慢に塗れた瞳。

 

『"終わった私"に興味などない』

 

 呪力のない自分に向ける、あの挑戦者の瞳。

 見下すも、見上げるもない平等な――

 

『言ったはずだ、好きにしろ』

 

 どうでもいい、どうでもいいはずだった。

 

「…クソ」

 

 ――全く、自分に腹が立つ。

 甚爾は右手に握る呪具、釈魂刀をより強く握って、目の前で静かに、こちらを観察する彼女を見る。

 赤い髪、全身に刻まれた黒の紋様と、額で存在感を放つ第三の目に、その異質なプレッシャー。

 まるで自分を中心に、全方位から刃の切っ先を向けられているかのような、肌を直接刺すような威圧感。

 これが、呪術全盛を生きた術師。

 

「……はぁ」

 

 数秒、息を吐いて脱力。

 

「…ッ」

 

 そして瞬間、足を踏み込んで。

 

「――ッ」

 

 刹那。空気が割れた。

 

 ――ガンッ!

 

 甚爾が全力で振り上げた釈魂刀が。

 伽藍の構えた肉の刀が熱による空気の歪みを纏いながら。

 

「ほう…っ?」

「クッソ馬鹿力が…!」

 

 それらがぶつかり、そして一気に鍔迫り合いへ移行する。

 しかし一切の呪いを捨て、究極の肉体を手にした甚爾の膂力にすら、この女は食らいつく。

 いや、むしろ――

 

「嗚呼、やっと感覚が戻ってきた…!」

 

 ()()()()()()調()()

 

「っやべ…!」

 

 咄嗟に力を抜いて、相手の体勢が崩れた瞬間を利用して跳躍、そしてすぐに格納呪霊の口に釈魂刀を仕舞い、また新たな呪具を取り出す。

 カシャンと、金属が擦れて音を奏で、そしてそれを力いっぱい引っ張り、甚爾は数mもの長さを誇る、鎖型の呪具を装備した。

 

「――フンッ…!」

 

 ゴウッ!と、伽藍がその鎖を視認した瞬間に、目に見えぬほどの速度、そして手慣れた動作でナイフを装備した甚爾が、それを投擲した。

 そのあまりの手際の良さに、伽藍が感心しながら首を傾け、そして甚爾へと視線を向けた瞬間だった。

 

「種明かしの時間だな」

 

 今にも接近を開始し、再び戦闘が始まるその寸前。

 ジャララ…と、()()()()()()()()鎖の擦れる音に反応し、伽藍は動きを止める。

 そしてその瞬間。伽藍の身体の周りに漂い、宙を泳ぐ鎖の見て――

 

「なるほどな」

 

 ヒュルッと器用に首周りで輪を描き、その後投擲したナイフが甚爾の手に戻ってから、伽藍は全てを理解した。

 あえて余分に周りに敷かれた鎖はデコイ、その真の狙いは、甚爾の膂力と鎖の耐久性による。

 

「グッ…!」

 

 ――絞殺。

 それに気づき、そしてその対策を思いついた伽藍は、焦らずそれを実行する。

 ものの一瞬で幅を縮めた、自身の首と鎖の間に、ねじ込む形で刀を突き刺し、そして刃を立て、力を込める。

 

「さてどれほどか」

 

 ミシリ。握った刀から鈍い音が発生し。

 鎖との間に火花を散らし、まるでその周りの空気だけが、凝固し、時が止まったかのように錯覚するほどの。

 天与の肉体と、闘鬼の腕力による、純粋な力比べ。

 

 ――ガリガリガリガリガリガリガリッ!

 

 鎖の劣化などおかまいなしに、甚爾は更に力を込め、地面が陥没するほどにまで体重をかける。

 対する伽藍も、その歪にかけられた重力と腕力に耐えながらも、刀を握る手に変わりはない。

互いの動きに変化はないものの、その間も鎖を通してせめぎ合う、常軌を逸した怪力がしのぎを削っていた。

 だが次第に。

 

「~~ッ…!」

「いい腕力だ…!」

 

 ――甚爾の方が押され始める。

 ミシリと、先程よりもより一層低く、鈍い音が鳴ったと同時に、伽藍の首を絞めかけていた鎖が解かれていく。

 いくら鎖越しとはいえ、全力を振り絞って引っ張ったその威力は、数字では到底表せない膨大なもの。

 だが伽藍の、()()()()()()()によって、次第に刀身が入るので精一杯だった筈の、首と鎖の距離が離れていき、今にもその捕縛から逃れようとした瞬間。

 

「おっ?」

 

 くらっ、いきなりそう身体の重心がズレて、伽藍は片足を前に、なんとか姿勢を堪える。

 先ほどまで引っ張り合いをしていた、つまり()()()()()()()()()()()()()()()()という、異常事態。

 そして目線を上に、再び上に、そして鞭のようにしなり、自身に襲い掛かる鎖の側面と、その先にあるはずのナイフが再び、甚爾の手に戻っていた様子を見て、考察を続ける。

 

(なるほど…どういう原理かは知らんが、あの鎖は伸縮自在、あれが限界ではなかったのか)

 

 ――呪具、万里ノ鎖。

 万里ノ鎖はある条件を達成すれば、際限なく鎖が伸び続ける強力な呪具。

 その条件はたった一つ、鎖の反対側…それを相手に観測されないというものだ。

 だが甚爾はその反対側を、常に格納呪霊の体内に収納しており、鎖のみを常に出し続けている。

 ほぼ無条件で常時発動するその効果、そして再度放たれる鎖の波、ただ呪力の込められた金属といえど、それを手にしているのは天与の暴君。

 その腕力と同時に、遠心力を味方に襲い掛かるそれは、いくら呪力で強化したとしても受けたくはない。

 

「ならば…」

 

 ――近づくまで。

 

「ハッ…!」

 

 完全に感覚を取り戻した、異次元の速度による急接近。

 まるで蜘蛛の巣のように、目の前に展開された鎖の弾幕、収縮を繰り返す安全地帯。それに、針に糸を通すような正確さで、身体を畳んで潜り込む。

 そして着地、再び走り出す工程を同化、一切の無駄なく接近を果たした伽藍が、刀を振るって。

 

「引っかかったな…!」

 

 ――その瞬間。鎖が回帰する。

 最初に投擲し、この部屋の空間の端に追いやられた鎖の軌跡。

 その後首を絞めようと、円を描いて宙に留まった鎖の軌跡。

 そして先ほど、伽藍の身体を打ち砕こうと放たれた鎖の波、その軌跡が。

 

 ――ジャラララララララッ!!!!

 

(…なるほどな)

 

 先ほどのとは違う、今度は首だけではない。

 足も、腰も、自分自身すら巻き込んだ、鎖による道連れ攻撃。

 最初に投げたナイフと、それに付随する鎖の仕込み、あれの真の目的がこれだったのだろう。天与の肉体によって、それすら傷をつけうるほどの、圧倒的な収縮速度による、殺傷攻撃。

 

(…"使う"か?)

 

 今この瞬間、自身に向かってくる鎖を見ても、伽藍の態度は変わらない。

 いや、むしろ相手がこうして自爆をするというのならそれでいい、それに相手がどれほど強靭な肉体を持とうとも、結局呪術は使えない。

 自分は反転術式が使える、だが甚爾はそうもいかない。焦らず、冷静に呪力強化を施して――

 

「…………」

 

 ニヤリ、と。

 

「…バァカ」

 

 その、勝ち誇ったような笑顔を見て。

 自身を抑える()()を見て。

 伽藍は一気に警戒心を上げる。

 

「…まさか!」

 

 最初に放ったナイフ、その後襲い掛かった鎖による拘束。

 そして再び放たれた鎖の波と、今こうして、周りから襲い掛かる鎖たち。

 最初、投げたナイフを中心に、鎖を宙に敷いて輪を作る。そしてその後、ナイフを回収し、綱引きへ…

 ――ナイフはどこに。

 

「上か!」

 

 サッと目線を上に上げ、そして数十cm先で今も落下を続ける、見失っていたナイフを発見した。

 どれほど距離を離していたのだろう、その自然落下による加速と、鎖の収縮による加速が合わさり、ただのナイフと侮れない威力が内包されている。

 そして、甚爾は片腕で伽藍の肩を抑えながら、再び格納呪霊の口に右手を突っ込み、新たな呪具を取り出す。

 

(俺の"読み"が外れていなけりゃ…)

 

 鎖によって逃げは封じた。

 上空は呪具のナイフがある、跳躍による回避はない。

 鎖を潜り抜けるのは不可能、先ほどと違い、更に感覚を狭くした安全地帯を、今こうして抑えられている状況から通るのは難易度が高い。

 そして唯一、彼女が取れる選択肢は――

 

禍津日(マガツヒ)…」

 

 ――術式による、防御装甲の生成…!

 

(さて…ここからだ)

 

 伽藍の術式、禍津日は構築術式と同様、術式使用後も残り続け、そして自身の肉体領域を共有する第三の部位となる。

 つまり今、自分が使おうとしている"これ"も、伽藍が肉体を生成し終わった後は役に立たず、何の効果もない。

 だがそれは、()()()()()()()()()()

 つまり肉体を構築し切っていない、今の状態ならば――

 

(これも、効く…!)

 

 甚爾が格納呪霊の口から取り出した、その呪具が放つ異質な存在感に、伽藍はすぐに気づいた。

 瞬時にそれに反応し、甚爾が振るった伽藍の首元、そこに術式を集中させて発動し、生成途中の筋繊維がそれに触れようとする。

 片方の刃が欠けた、十手に似た形状の呪具が、伽藍の生成した肉に触れた瞬間。

 

 ――パシャッ!

 

 その肉が、()()()()()()()

 

「なっ…!」

 

 その現象に、伽藍は驚愕を隠せず、そのまま動きを止めてしまう。

 領域展延や、領域内に引きずり込まれた際の、術式の中和や塗り替えとはまた違う。

 術式が完全に焼失し、その効果がないものとなったありえない現象。

 ――特級呪具、天逆鉾(あまのさかほこ)。それによる効果は、()()()()()()()()()()()

 上空からのナイフ、そして天逆鉾と万里ノ鎖による連撃が伽藍に襲い掛かり――

 

「…見事」

 

 ――キィンッ!

 

 甚爾は、目の前で起こったその現象を見逃さなかった。

 まずナイフ、それが伽藍の頭に突き刺さるかと思いきや――それがいきなり動きを止め、まるで何かに弾かれたかのように宙を舞った後、すぐ彼女の隣に()()()()

 そして天逆鉾が、彼女の喉を裂こうとした寸前に、彼女の姿が突然消えて、それと同時に鎖も運動量を失う。

 先ほどまで猛り狂っていた、鎖の動きが突然止み、そして甚爾の背後から、声が聞こえた。

 

「"これ"を引き出そうとしたのか、いつからだ?」

「最初から、テメェやっぱそうだったんだな」

 

 パキッと、プラスチックを割ったかのような軽快な音が鳴り、そう続ける伽藍の背中に後輪が生成される。

 幾何学模様と、解読できない文字のような形をしたそれが、黒く光ると同時に、3つの目がこちらを射抜く。

 そしてその様子を見て、甚爾はやはりと笑って。

 

(あぁ…やっぱそうだ、間違いねぇ)

 

 何故か流出した交流会、その情報。

 その中に、伽藍の戦闘データやその術式、勝負の内容なども入っていた…が、その中にあった違和感。

 彼女は、夏油傑とタイマンに持ち込み、そして領域展開を披露したが――

 

("あれ"は、どう考えても禍津日じゃない…あの術式じゃどうあがいても、転移なんてできやしねぇ)

 

 本来の術式とは違う、しかし間違いなく存在するその力。

 呪具、呪霊のそれでもない。そして今披露したそれを見て、甚爾の直感、そして推測は確信に至る。

 

(あれは、"テレポート"だった)

 

 伽藍は――2()()()()()()()()()()()()

 

(伽藍は2つ目の術式を持ってる。それがあのテレポート…ありえないわけじゃねぇ、そもそも術式は肉体に刻まれるもの…あいつは人間だが受肉してる、なら使えない道理もねぇ筈だ)

 

 荒唐無稽な話だ。だがこの目の前に立つ女は、常識の範疇には収まらない存在。

 あの、度々見た黒い光。情報の中でも、夏油は黒い光に包み込まれ、そして転移をしたとも残っていた。

 恐らく、あれこそが転移の発生現象。

 

(3つ目の術式は…考えたくねぇな、そこまで行くと4つ目の術式も警戒することになる。それにこいつの性格上、戦法はともかく能力の秘匿はしないはずだ)

 

 発動条件は?消費呪力は?

 それに今もそうだが、元から持っていた術式とのシナジーはどれほどか。

 転移によるデメリットは?術式名は?

 

(まぁ…とりあえず今言えるのは……)

 

 頭の中で浮き上がり、そして解決しないまま溜まっていく疑問。

 だが間違いなく、今この瞬間に、言えることは一つ。

 

(面倒だ…!)

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「さて…正念場だな」

 

 術式の概要は暴いた。

 だがそれだけ、術式名も発動条件も、実際は何も分からない。

 しかし披露させた。この術師の種を暴き、そして認めさせたという事実。

 それが、伽藍の気を良くさせた。

 

「…素晴らしい」

「あ?」

「やはり、お前はいい男だと思ってな」

 

 髪色も、その姿形が変化しようとも、以前と変わらないその微笑み。

 闘争を求め、そして愛する彼女らしい…その態度に鼻で笑って、甚爾は返す。

 

「お前じゃなけりゃ、喜んで受け止めたつもりだったんだがな」

「ほう?私は本気で言っているんだぞ?1000年前では見れなかったからな…お前のような()()は初めてだ」

「………は?」

 

 伽藍が、当然と言ったその言葉。

 だが甚爾にとっては、"それ"は有り得ないもの。

 術師、かつて自分はその家に生まれ、そして生まれた瞬間から放棄した、その存在。

 

「……なに、を」

「…?違うのか?結局のところ天与呪縛も…お前の呪力を代償にして成っている。ならばお前も呪術に生きる者だ。それはつまり、術師と言えるのではないか?」

「…馬鹿言うな。俺は生憎簡単な呪術も使えねぇ、術師なんかじゃねぇよ」

「…フン。難儀なものだ」

 

 ()()()

 それを無視するように、気づいてしまわないように、甚爾は瞬時に駆け出した。

 伽藍もまた、その一瞬見えたその表情を見て、彼の内面に隠されたものの正体に、やはりと確信を深めて、迎え撃った。

 

「…面白いものを見せてやろう」

 

 そう言って、伽藍は手に握った肉の刀を振り上げ、そしてそれに黒い光を纏わせる。

 みるみるうちに、細く、鋭利な切れ味を誇っていた刀が膨張し、赤黒い、棍棒のようなものに変化した。

 呪力を流し込み、呪力特性による熱、そして純粋な呪力エネルギーが凝縮され、密度と熱が大きく、高まっていき。

 そしてそれを、一気に振り下ろす。

 

――ッダアアッ!

 

 ドゴンッ!と、硬く整備された地面が一瞬で破壊され、その衝撃が伝染し崩壊する。

 そしてその崩壊した地面の、割れ目に染み込むような形で、また黒い光が点灯し、そして赤黒い液状の何かが散布された。

 伽藍を中心に、半径数十mにも及ぶその専用のステージは、彼女の術式によって作られた、液状筋肉で組み上げられたもの。

 

「クッソ…」

 

 液状筋肉。つまりはもう術式を発動し、完全に作り終えた肉体そのもの。

 つまり天逆鉾は通用しない。だがおかしい、彼女が液状筋肉を作るには、それ相応の工程を挟む必要があったはずだ。

 何故いきなり、しかも大量に展開ができたのか?新たな疑問が湧くも、今はわからないと切り捨てて。

 ――更に。

 

「次は…これだ」

 

 再び変形を始める武器。今度はより長く、そして先ほどの刀よりも細く、刃も短く飾られたもの。

 刀、棍棒と続いて今度は薙刀。そしてそれを両手で構え、伽藍が腰を落として呪力を込める。

 伽藍の足、そして彼女自身の影が赤く、そして黒い光に包まれた後。

 ――真っすぐ、甚爾に向かって加速した。

 

「~~ッ!?」

 

 咄嗟に何とか横に避け、そして掠って出血をした腕を摩りながら、甚爾は目線を伽藍に向け直した。

 突進を放った後、彼女は依然変わらない、あのこちらを試すニヤニヤとした表情で、振り返って目線を向けていた。

 ――遊んでやがる…!

 

「"こっち"は慣れてねぇんだよ…!」

 

 このままじゃ埒が明かない。そう判断して、甚爾は再び格納呪霊の口から釈魂刀を取り出し、そしてそれを万里ノ鎖と連結させた。

 それを数回、ブンブンと振り回して具合を確かめた後、思いっ切りそれを投擲した。

 

 ――ガァンッ!

 

 指揮をとるかのように、スナップを効かせて腕を振り上げ、猛スピードで放たれた攻撃、それのコントロールを取る。

 釈魂刀の、硬度を無視する絶大の威力が、天与の肉体によって更に底上げされ、あらゆる障害を破壊し突き進む。

 そしてそれだけではない、他ならぬ甚爾の視力、無機物の魂すら知覚するそのセンスが、この攻撃を更に上の次元へと押し上げた。

 

「シッ…!」

 

 今も伸縮を繰り返す万里ノ鎖、地面に壁、そして伽藍の作った肉を切り裂きながら、行進を続ける釈魂刀。

 それらの制御に求められる膂力、そして武器を扱う格闘センス。"術師殺し"と呼ばれる所以が、ここにあった。

 だが。

 

「禍津日…」

 

 それらが届く寸前に、伽藍は地面に手を当てて、そして術式を発動する。

 

「"蜘蛛の糸"」

 

 一瞬で更に、既に崩壊していたはずの地面が更に分解され、その瓦礫と砂埃が空中に舞い上がる。

 瓦礫は問題ない、釈魂刀の前では何の妨げにはならず、あらゆる硬度を無視して切り刻めるからだ。

 普通なら、伽藍が不利になる状況。だがこれによる目的は防御ではない。

 つまり、これで不利になるのは――

 

(クソが…!()()()()…!)

 

 視界を封じられた、甚爾のみ。

 数多の瓦礫と砂埃が辺りを埋め尽くし、甚爾の視線から、伽藍の姿が完全に消える。

 その結果、甚爾は釈魂刀の本領である、魂への攻撃のための、相手の魂の知覚が不可能となった。

 しかしそれでも。

 

「まだだ…!」

 

 再び鎖による捕縛、釈魂刀によって作られた軌跡を追って、甚爾は再び鎖を収縮させた。

 そして、一気に鎖を締め付けて、上から落ちる形で配置した釈魂刀と一緒に、最後の仕上げに取り掛かる。

 

 ――ゾンッ!

 

 一気に加速し、地面に垂直に突き刺さる釈魂刀。

 そしてその後、何も存在しない空間を締め付けるように、万里ノ鎖が絡まって…地面に落ちるのを見た。

 目の前には、誰もいない。

 

「クソが……」

「たまげたな、実際」

 

 そして目の前から、再びあの黒い光が発生して、そこから潜り抜ける形で、伽藍の姿が露わになる。

 勿論。その赤い髪も、紋様の刻まれた身体にも、一切の傷はない。

 だが、先ほどよりも一層、楽しそうに微笑んで。

 

「私の転移を予測し、あえて転移先の穴を作ったのは見事だった。もしお前の推測通りなら、今頃私はお前の射程距離内に転移してしまい、蜂の巣になっていた」

「………」

「良かったが…甘いな、そこまで不便なものじゃないぞ?この術式は」

「…やっぱテレポート術式か、便利なモンだな」

「いいや、正確には違うな」

 

 まるで玩具を自慢するかのように。

 伽藍は両腕を広げて、甚爾の問いに答えて、そして続けた。

 

「この肉体(受肉元)に刻まれていた術式…"時空間転移理論(ワームホールパラドクス)"…それによる異空間への一時的な避難、そして転移門の生成と移動…タイムラグなどいくらでも作れる、お前の攻撃が止んで、安全になってから出ることも可能だった…というわけだ」

「………ご丁寧にどうも、だが次はもう効かねぇぞ」

「いいや、もういい」

 

 再び、伽藍の右腕が黒い光に包まれ、そこから液状筋肉が発生する。

 そしてそれは、たちまち弓矢の形状に変わり。それを持ち、甚爾に向けてから、続けた。

 

「そろそろ勝負を終わらせよう、お前の種は大体暴いた」

「…なんだ、殴りに来ないのか?」

「あぁ。これでいい」

 

 ギリッ…更に追加で生成された液状筋肉が、矢そのものとなって、そして伽藍の弓に配置される。

 呪力特性による熱。そして圧縮された液状筋肉そのものが、肌を刺すような威圧感を与える。

 

「少々熱いぞ?」

 

 そして、ゆっくり、ゆっくりと指が離れ、その矢が放たれようとした瞬間。

 ――甚爾の行動は、咄嗟だった。

 

「~~~~ッ!!!」

 

 ――ドウッ

 

 一瞬で、薨星宮の天井を突き破り、甚爾は外へ吹っ飛ばされ、そして落下して倒れ込む。

 まるでそれは、火山が噴火したかのような威力。肌を焼く熱が、目が溶けそうな程の熱風も、全てが常軌を逸した有り得ない威力。

 咄嗟に天逆鉾を盾に、全力で力んで防御していなければ、今頃炭になっていただろう。

 

「ガハッ…!」

「…ほう?なんだまだ生きていたか」

 

 消えていく、放った矢と持っていた弓、それらを放棄しながら、伽藍は上から見下ろして言う。

 身体はまだ熱く、痛くてたまったものではないが、それでも甚爾は冷静に、観察を続けて話す。

 

「ハッ…なるほど、いくらでも使いまわせる液状筋肉…それをあえて使()()()()()縛りで威力を上げたのか」

「正解だ。だがそれだけではないぞ?」

「矢だけじゃねぇ…使い捨てるのは弓もか、全く滅茶苦茶…」

「甘いな」

 

 ――ニヤリ。

 変わらない。その心底楽しそうな笑顔が、何故だか今は、無性に恐ろしくて仕方ない。

 種に気づいたから?まだ生きているから?違う、この笑みの正体は――

 

「時空間転移理論は、異空間を経由することで疑似的な瞬間移動を可能としている、だがここに収納…保管できるのは無機物と、私の身体のみ」

「…あ?」

「だから、あえて作ったのだ」

 

 ――先ほどまでの、あの量の液状筋肉はどこから。

 ――あえて作った、それが意味する真実。

 

「箱は、()()()()()だろう?」

 

 そして、伽藍の上空に発生する、あの黒い光。

 だがそれは、今までとは比較にならないほどの、広範囲に展開されたもの。

 そしてもう一度、伽藍は笑みを歪めて、呟いた。

 

 

 

 

(フーガ)

 

 

 

 

 伽藍が手を、下に降ろすと同時に、その光の中から、"それ"が露わになった。

 液状筋肉、それによって作られた弓50と、矢80。

 簡単なことだった、使い捨ての強力な武器があるならば、――作り置きして保管すればいい。

 そして、それが意味することは。

 

「は?」

 

 その光景に口をあんぐりと開けて、思考を停止した甚爾の前で、伽藍は作業を続けたままで。

 再び弓、そして矢を手にして

 

「さぁ、好き勝手しようか」

 

 今も困惑を続け、硬直したままの甚爾に、3()()()()が放たれた。




 今回の開の元ネタは宿儺ではなくNo.9の方です。
 芥見先生のオリジン、No.9を皆も読みましょう。


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じゅじゅさんぽ.九十九由基

 お待たせしました…今回のじゅじゅさんぽを挟み、ようやく本編に戻ります。
 てなわけで明日の7時…めっっっちゃ超気合い入れたシーン出します…期待していてください。


 ――"声"が聞こえた。

 あの大嫌いな、そして同時に憐憫を感じる、同族の声。

 なんと奇遇で、なんて腹の立つことだろうか。

 たとえ1000年前だろうと、その呪縛からは逃れられない。

 

「初めまして、お嬢さん」

「…!初めまして!」

 

 まだ年端もいかない、元気溢れる青髪と笑顔。

 自分が目的とする、最近話題になっている、ある術師。それが拾ったという少女、それが目の前に。

 呪術に身を置く者の、その風習がまだ染み込まず、星のように輝くこの子供の仕草が。

 どうしようもなく、尊いものだと思った。

 

「初めまして、私は九十九由基だ」

 

 そう言って、九十九は目の前の少女と目線を合わせる。

 相手の顔と同じ高さになるまで、腰を下ろしてそう聞くと、少女はニコッと笑って、それに返した。

 

「初めまして!」

「アッハッハ!元気な子は好きだよ。…さて、綺麗なお嬢さん、伽藍…って人は知ってるかい?」

「…?あそこにいるよ?」

「…お母さん。かい?」

「うん!」

 

 話によれば、例の平安術師がこの子供を拾ったのは、偶然なのだという。

 そのことを含め、彼女の周りの話はよく耳に入るものだ。裏の世界でも、常に彼女は注目の的。

 その雄姿も、畏怖されるが故の横暴も、全てが共有されていた。

 ――故に、九十九にはある不安があった。

 

「お母さんね、さっきお兄さんと話してたよ」

「ん?お兄さん?」

「金色で、耳がキラキラしてる人」

「…あ~~~」

 

 少女の言った人物の特徴。それに心当たりがあるのか、九十九は「ゲェ~ッ」と顔を歪ませて、不快さを露わにした。

 禪院家、そして金髪といえば、当てはまるのは1人だけだ。――禪院直哉。あのどうしようもない人でなし、そして反吐が出るほど、男尊女卑の思想に固まった男。

 そんな男が、一体何の用で彼女と話しているのか、そしてどのような会話をしているのか…今の自分には、わからない。

 

「………」

「どうしたの?」

 

 そう、少しだけ舌足らずに言う少女。

 そしてやはり、その瞳はとても美しく、呪いの世界に身を置く自分とは、違うものだと実感する。

 自分が最後に、この目をしていたのはいつだったか。いつか、彼女の言う"母"という存在も、この目の輝きを奪うのだろうか。

 そんなことを、考えていた時だった。

 

「わっ…!?」

「あっ!おいコラ!」

 

 突如。自分の背後で宙に浮かび、待機していたはずの式神が動き出し、目の前の少女に向かって飛行した。

 そして器用に身体をしならせ、シュルル…と、少女の身体に巻き付いて、その柔らかい頬に頭を擦る。

 自身の持つ術式のこともあり、そのいきなりの行動は、九十九にとってはかなり心臓に悪い。

 

「かわい~」

「…いや、マジでどうしたよ君?」

 

 呪具化するまでに生涯を共にし、そして相棒となった式神に、そう困惑の目を向ける。

 しかしその目線にお構いなく、今も少女と戯れる相棒の姿。

 

「この子、名前は何ですか?」

「あー、凰輪(ガルダ)だよ、ナカヨクネ」

「はーい」

 

 恐れ知らずというか、何というか。

 好奇心旺盛で、本来の子供というのは皆こうなのかと、呆れながら、ため息を吐いた時だった。

 

「あっ!お母さん!」

 

 ――"声"が聞こえる。

 あの、忌々しい風習と、そして犠牲に囚われた者の声。

 だが今の自分は、そんな哀れみの感情の、一切を忘れて彼女を見た。

 

「…やぁ、君が伽藍かい?」

 

 ――似ている。

 かつて一目見た時の、現代最強とされる術師、五条悟に似た気配。

 圧倒的。しかしそれを見せびらかすような態度でもなく、あくまでも自然体のまま、その不遜な姿を見せている。

 しかしどこか、浮世へ興味の薄れた、あの瞳。

 ――呪いに染まる、理外の瞳。

 

「ところで…どんな男が好み(タイプ)かな?」

「あ?」

 

 その、心底不快だと言わんばかりの表情までも。

 ――本当に、彼に似ていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「久しぶりだね、伽藍」

「…またお前か」

 

 あれから1年経った。呪霊の繁殖期に入りかけた、ある夏の頃。

 蒸し暑い、更には風も吹かない負の循環。しかし彼女は相変わらず、その表情を変えていない。

 退屈そうに虚空を見る、強者故の孤独な瞳。

 最後に会った時から、変わらない。

 

「1年ぶりかな、また会えてうれしいよ」

「そうか、何の用だ」

「つれないねぇ」

 

 こちらが話しかけても、相変わらずの塩対応だ。

 九十九が彼女に、自身の望む世界の形…そのプロトタイプである思想を語ったきり、関係は途絶えたままだった。

 呪霊の生まれない世界、単純明快な世界平和の実現。それの反応も、やはりあの時と変わらず、冷たいもので。

 

「お前はまだ、あの退屈でつまらん思想を掲げているのか」

「…マジで変わらんね君は、もうちょい甘くなってもいいんじゃない?」

「論外だ」

 

 唯我独尊。術師らしからぬ、弱者の救済など頭にないこの存在。

 その暴悪な態度。しかし皆が認めるその実力と、彼女と繋がる実力者の関係者たちが、彼女の全てを許している。

 ある意味で、伽藍という術師は五条と同じ、全てを思うがままにする権力を持つ者だ。

 

「上層部はもうてんやわんやさ。理由は知ってるだろう?」

「…?わからんな、何故私にそれを問う」

「おいおいそりゃナシだろ、未来の()()()()様」

 

 特級術師。その言葉を聞いた瞬間、その表情をぴくりと変えて、すぐに元に戻す。

 だがその一瞬にだけ見えた。どこか純粋に名誉を喜ぶ伽藍の表情を見て、九十九はニヤリと笑って。

 

「へぇ~~?随分可愛いところがあるじゃないか?うりうり」

「やめろ離せ不愉快だ」

「アッハイ」

 

 つんつんと頬を突いた指を掴まれ、すぐに声色を低くした様子を見て、すぐに引いた。

 「相変わらず冗談が通じないな」そう、やれやれと言わんばかりに首を振って。

 

「五条くんは元より…夏油くんも君も、これから同じ立場というわけだね」

「あー…まぁそうだな」

「あれ?嬉しくないの?さっきとテンション違うけど」

「…別に」

 

 また、だ。

 あの瞳。五条と似た気配でありながら、決定的に彼と違う、その瞳。

 彼より暗く、彼より禍々しい気配を纏いながらも、孤独に満ちたその瞳。

 

「やっと、やっと宿儺と同じ位になれただけ。この程度ではまだ足りん」

「へー、前から聞きたかったんだけどさ」

「…なんだ」

「君、友達とかいないの?」

 

 ――友達。

 だが、九十九はそれを言い終えたと同時に「しまった」という感情に襲われた。

 孤独な瞳、先ほど見たその光に集中して、彼女の生きた年代を、忘れてしまっていたから。

 そう、彼女は平安出身、故に彼女の知人は――

 

「…友達、か」

 

 だが、その顔は過去を憂うようでも、回想に耽るようでもなく。

 

「さぁな?」

 

 どこか、満足した笑みだった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「初めまして。禪院の子、道真の血、呪胎九相図(じゅたいくそうず)()()()、そして」

 

 ――宿儺の器。

 薨星宮、その最奥。

 辺り一面が白に染まる空間、本殿へ繋がる筈の通路はそこになく、本来侵入者を拒絶する隔離空間。

 しかし、そこにいるのは全知の術師、天元。

 

「…私には挨拶なしかい?天元」

 

 本来の人とはかけ離れた姿。円柱状の頭部、そして彼の男(宿儺)を彷彿とさせる、二対の目。

 その、この国を守る術師…守護者とは無縁の容姿に、九十九以外の人間は困惑しながら、そして彼女たちの会話のいきさつを見守る。

 

「君は初対面じゃないだろう、九十九由基」

「………」

 

 九十九と天元、両者の溝は深く、そして他の者は理解できないもの。

 星の資格を持ち、かつては身を捧げることが至上とされてきた、その立場故の対立。

 故に、その空気は硬く険しく。

 

「…何故、薨星宮を閉じた」

「…羂索に君が同調していることを警戒した、私には人の心までは分からないのでね」

 

 目的も、理由も、その過去も。

 両者の間で繰り広げられる、その不信さを隠さない言葉のやり取り。

 しかしそれでも、九十九は私情を捨て、今必要な情報のみを聞きだす。

 

「羂索?」

「かつて加茂憲倫、今は夏油傑の肉体に宿っている術師だ」

「…慈悲の羂、救済の索か。皮肉にもなっていないね」

「……」

「だが、それだけじゃないんだろう?」

 

 そう言って、九十九は自身の背中に隠れる、もう1人の少女に目を向ける。

 特徴的な前髪、その青のカーテンの向こうで、揺れるように輝く、最初に出会った頃と変わらない、美しい瞳の光。

 その瞳が、怯えたように光が濁るのを見て、それでも天元は続ける。

 

「羂索だけではない。君たちが…伽藍と同調していることも、警戒していた」

「おいおいおい。()()()はともかく、私まで言われる筋合いはないと思うんだが?」

 

 天元は木のようなもの、日本全土に超高度の結界――浄界を貼っているからか、それとは別か。

 この全知の存在は、日本国内で起こったことの大体を把握、理解することができる。

 だがそれでもなお、九十九という存在に警戒をしたのだ。

 

「言ったろう、私は人の心までは理解できない。それに君たちこそ、()()は予想できなかったはずだ」

「……っ」

「ハイそこまで、さっさと理由を話してもらおうか」

 

 青髪の少女が、身体を震えさせたのを知覚し、パンッと、手を叩いて会話を止めさせ、九十九は再び天元を見る。

 その顔には、先ほど以上に露わになった不快感と、「早く話せ」という催促が含まれており。

 

「…では、伽藍について語ろうか」

 

 そう、天元が切り出したことで、話は始まった。

 

「彼女の目的は、皆も嫌というほど知っているはずだが…」

「…両面宿儺の殺害、だろう」

「だが、それだけではない」

 

 九十九の答えに、天元は訂正を加えながら、続けた。

 

「伽藍が望む世界は、血と闘争で満ちた秩序のない世界。しかしそれでは、羂索の目的とは利害が一致しない。あの子の目的は人類と私の同化…同化するための人員が極度に減るのは、あの子からすれば困りものだろう」

「……羂索の目的はなんとなくわかった。だが余計にわからん、それが何故、私たちを拒絶する理由に繋がる」

「利害が一致しないのに、だよ」

 

 羂索と伽藍、両者の利害を超えた関係。

 そう、利害を超えた関係が、天元の違和感と、警戒心を刺激した。

 故に、自分たちもそうなのではないか、と。

 

「死滅回游のことは知っているね、あの子は真人から抽出した術式…無為転変(むいてんぺん)で過去に契約した…大人数の術師を黄泉返らせた」

「…無為転変による、呪物の器を人為的に作る行為。それが?」

「しかしあの子は、それより前から、伽藍をこの世に黄泉返らせた」

 

 ――君、友達とかいないの?

 不意に、九十九の脳裏に浮かび上がる、あの頃の会話。

 

「これだけは、私が予想できなかった行動だ。宿儺の従者だった裏梅はともかく、彼女を優先して黄泉返らせた理由がわからない」

「……」

 

 ――…友達、か。

 

 人の心まではわからない。そう最初に言った天元とは別に、九十九は内心で、全てが線で繋がった。

 

(ひとでなしの癖に…)

 

 利害を超えた関係。

 1000年経とうと、超えようと、決して変わらず今も続く、その答え。

 

 ――さぁな?

 

 あの、どこか満足そうに笑った彼女の姿を思い出し。

 九十九は軽く、舌打ちを零した。




 明日…7時(大事なこと)に出します。


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18話.懐玉⑦ー挑戦者ー

 滅茶苦茶頑張りました、最後の詠唱はめっちゃ気合い入れました。
 高評価&感想おなしゃす!


 目の前で吹き上がる、空高く連なる3本の炎の柱。

 それによる熱波と、辺りに響く他ならぬ、彼女の戦闘を楽しむ笑い声が聞こえてから、羂索は呟いた。

 

「いや宿儺のこと好きすぎでしょ」

 

 相変わらずの執着だ。

 子供のように純粋な憧れと、模倣(コピー)本物(オリジナル)を超えようとするその気概。

 当てつけのつもりだろうか、1000年経っても変わらず執着される、呪いの王のことを考え、羂索はくつくつと笑う。

 

「にしても…」

 

 ――赤。

 あの、黎明を思わせる銀色の髪、それが鮮血を思わせる赤へ。

 紋様もそう、まるで本当に、あの呪いの王に近づき、そして超えようとする彼女らしい、あの変化。

 確かに、あれは正しく――

 

「まさか、君が魔の者になるとはねぇ…天使が見たら発狂しそうだ」

 

 天使。

 かつて自身と同じように、平安の時代に名を轟かせた、腕利きの術師。

 受肉による自我の殺害、そして何より魔の者――宿儺のことを目の敵にし、屠らんと躍起になっていた者。

 驚くだろうし怒るだろう。何せ自身が目の敵にしている存在、それと同一のものが増えたのだから。

 

「ま、()()どうしようもないんだけどね」

 

 そう、伽藍と違い、天使は未だ呪物のまま眠っており。それが解かれるのは、何時になるかはわからない。

 今もこうして、呑気に眠っている間にも、彼女は更に魔に堕ちていく。

 だが契約は契約、いくつか不都合はあるものの、受肉の約束はきちんと果たさなければならない。

 

「でも、近いうちにマーキングは済ませとかないとね」

 

 誰にしようか、その辺の適当な孤児にでも飲ませようか。

 そんなことを考えながら、羂索は再び、フンフンと鼻歌を歌いながら、目の前の景色にのめり込む。

 そしてフッと、こちらにまで届く風が鼻先に当たって。

 

「おっ、耐えた」

 

 炎が消えると同時に飛び出した黒い影、それに目を凝らしてみると、炭を被った男の人影が見えた。

 どうやら、術師殺しもただではやられず、なんとか直撃を避けて防御に成功したようだ。

 しかしそれも、あと数秒しか持たないだろう。

 

「ホント、退屈しないな。君は」

 

 ――彼女なら、宿儺を超えられるだろうか?

 今は無理だ。たとえ若返り、新たな術式をその手にしても、あの最強には届かない。

 だが、あくまでもそれは今の話。宿儺の指を開放し、計画を本格的に始めるのは、まだ十数年後の話だ。

 そして、その時にもし――

 

「面白いのが見れそうだ、思った以上にね」

 

 自分の真の計画。そういえば彼女には、まだ全て話していなかったか。

 いつ教えてあげようか、そしてそれを知った時、どんな顔をするのかな。

 そう、彼女が自分に向けてよく見せる、あの困惑と呆れの混じった顔を思い出して。

 

「さて、これが終わったらマーキング作業を進めるかな」

 

 そう、考えていた時だった。

 

 ――ドクン!

 

 1000年鍛え続けた己の直感が、叫び狂う。

 

「…っ!?なんだ……っ」

 

 なんと荒々しく、それでいて神々しさも感じる存在感。

 ただ呪力を垂れ流し、こちらに向かって歩いてくるだけの姿。

 それが、とてつもなく嫌な予感がして。

 

「……いやいやいやいやいや」

 

 そしてくっきりと見えた、侵入者の正体。

 ――白髪と青い瞳の、その正体を見た瞬間。

 

「…マジでどうなってんだよ君は」

 

 そう、羂索は苦笑いを零した。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 攻撃が止んだ。

 いや、通常ならば良いことである。しかし今の甚爾にとって、その安息は手放しで喜べるものではない。

 そしてそれは伽藍も同じ、今行おうとしていた追撃、術式の使用を一時停止するまでの、異様なプレッシャーがその場を支配した。

 ――青い瞳。

 

「よぉ、久しぶり」

「………マジか」

 

 本日三度目。

 しかし、その声色は今までで一番、どこか哀愁を漂わせたもの。

 喉を貫き、腹から足までを切り裂いて、とどめに脳味噌を貫いたはずの、現代最強の術師。

 五条悟は、死んでいなかった。

 

「反転、術式…!」

「正っ解ッ!」

 

 とんっ、そう軽快な音を立て、頭をこついてケラケラと笑う。

 そしてそのまま数秒、同じ作業を繰り返して。

 

「お前に喉をブチ抜かれた時、反撃は諦めて反転術式に全神経を注いだ」

 

 とんっ、とんっ。

 

「呪力は負の力、肉体の強化はできても再生はできない」

 

 とんとんとん。

 

「だから負の(エネルギー)同士を掛け合わせて、正の(エネルギー)を作る…それが!反転術式!」

 

 とんとんとんとんとんとんとんとんとん。

 

「言うは易し、俺も今までできたことねーよ!だが死に際で掴んだ、呪力の核心ッ!」

 

 ケラケラケラケラ。

 焦点も、情緒不安定に復活のメカニズムの解説、そして自慢。

 三日三晩、徹夜による原子レベルの呪力、術式操作の疲労と、そして襲い掛かった、物理的な脳へのダメージ。

 生まれて初めて成功させた、再生による脳の治癒。その全能感と万能感、そしてこの気配の既視感。

 甚爾はそれを確信する。今の五条は俗にいう――

 

「お前の敗因は、あの時俺を首チョンパしなかったこと…そして頭を刺すのに、あの呪具を使わなかったこと!」

 

 ――ギィイイイイイイ!

 

「…っまさか!」

 

 ()()という状態で。

 

「術式反転…」

 

 その、無下限の収束が膨張し、空間を()()染め上げる

 

「""」

 

 最強。それの目覚め、そして調べが。

 この世界に、産声を上げた。

 

「…おい、五条」

 

 勝負の邪魔をするなとも、後でとも言えずに、伽藍はそれを黙って見ることしかできない。

 無下限による引力と発散による、今始めた空中飛行で、彼は有頂点のまま降りてこない。

 ――だが、その瞳は。

 

「…嗚呼、いい」

 

 まるで、現世のことなど知らないと。

 命も、過去も、贖罪に悔やみも、あらゆる有象無象を切り捨てる、究極の自己。

 世界の中心に自分が立つ、星の枢軸を己の存在に重ね合わせる。どこまでも突き抜けた天上の光。

 嗚呼、やはりと。伽藍が歓喜を抑えられずに、その頬が歪むのを放置していた時。

 再び、辺りに響く鎖の音。

 

「…なるほど」

 

 伽藍は、その音の発生源に目を向けて、そう来なくてはと、頷いて笑う。

 術師殺し。甚爾が再び万里ノ鎖と、先ほど彼を倒した呪具、天逆鉾を振り回し、現れる。

 釈魂刀より身軽、故に強力な貫通力とスピードを纏ったその攻撃が、地面を抉りながら高度を上げて、襲い掛かる。

 それを紙一重で避けながら、五条は。

 

「…ごめん、天内」

 

 一言だけ。たったそれだけを呟いて、彼はすぐに目を向けた。

 疲労と、だが溢れ出す活力と、呪力を抑えずケタケタと笑い。

 そして、"それ"を成す。

 

「あ"ー…今は」

 

 代々伝わる相伝の術式。そのメリットは先人たちの残した、術式の取扱説明書があること。

 

 "九鋼(くこう)"

 

「ただ」

 

 デメリットは、代々受け継がれ、情報として、形として世に残るからこそ。

 

 "偏光(へんこう)"

 

「ただ…」

 

 術式の情報が、漏れやすいこと。

 

 "(からす)声明(しょうみょう)"

 

この世界が心地良い

 

 だが、今五条が放とうとしている"それ"は、五条家の中でも限られた人間しか継承されないもの。

 それ故に、今の甚爾では気づけないもの。

 

 "表裏(ひょうり)狭間(はざま)"

 

「"虚式(きょしき)"」

 

 全てを圧する青の引力。

 全てを均する赤の波動。

 それらが混ざり、作り上げる。

 

「"(むらさき)"」

 

 ――全てを穿つ、紫の閃光。

 

「…嗚呼、本当に、お前は…!」

 

 勝負は、終わった。

 とっさに投げた天逆鉾、しかしそれが間に合わず、術師殺しの肉体を、天賦の身体能力を貫通し、穿った。

 腕は消滅、脇も、腹も抉れた彼の命は、あと数十秒で尽きるだろう。

 しかし、その無常な景色を見ようとも、五条の態度は変わらない。

 右手は上に、左手は下に。

 ――あらゆる道徳を凌辱する、究極の自己愛そのもの。

 

天上天下唯我独尊

 

 そこには確かに、天上の意志が宿っていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 やっぱり、タダ働きなんてするんじゃなかった。

 大人も、子供も。女男も関係なく、金のために殺して奪った。

 そんな自分には、これが相応しい末路だ。

 

「…最後に言い残すことはあるか」

「ねぇよ」

 

 ――全て。

 

 あの瞳。

 自分が焦がれて、最後の最後まで捨てきれなかった、その存在が向けた、真っ直ぐな視線。

 2回も、それに執着して、自尊心なんて思い出したから、捨てた筈のそれを、再び拾い上げたから。

 

(…自尊心(それ)は捨てたろ)

 

 捨てた筈だ。憧れも、愛も、自分の価値も。

自分も他人も尊ぶことない、そういう生き方を選んだつもりだった。

 ――だが目の前には、文字通り現代最強と成った術師。

 

「…………ァ~、そうだ」

 

 だから、これは軽い意趣返しだ。

 

「2、3年すれば…俺のガキが禪院家に売られる。()()()()()

 

 否定したくなった、自分を認めさせたかった。

 その自尊心のために、普段の自分を曲げてしまった。

 ――その時点で、負けていた。

 

「意味わかんねー…なんで俺がお前のガキを」

「……………」

「…クソ、知るかっての」

 

 甚爾の呟いたその言葉に、五条は少し落ち着きを見せた顔を崩し、困惑を隠さずにそう返す。

 そして一言。言葉を返して目の前で佇む、一度自分を破った男の、その有様を見た。

 

「…じゃあな」

「………フン」

 

 自分を殺した男だ、少女の命を奪った男だ。

 だからだろうか、五条はただの恨みではない、それとは別の哀れみ、戦いを終えた男の感情を覚えた。

 今の自分の目的は少女の在り処だから。

 五条はすぐに、天内の居場所を探すため、甚爾の横を通り抜け、そして駆け出す。

 

「…ハハッ、ザマーミロ」

 

 それを目線で追った後。

 あの、困惑を隠さず声を荒らげた様子。それが、何故かおかしくて、その姿を思い出して、甚爾は笑う。

 抉れた脇腹、そして腕から、血液は今も漏れ続けており、自分の命の終わりを直感する。

 ――その時。

 

「なんだ、お前」

 

 その時。再び甚爾の耳に入ったのは。

 

「やはり術師に成りたかったのか?」

 

 あの、自分が望んだ存在の、納得したような優しい声。

 目の前で相変わらず、あの赤い髪をうならせて、全身に刻まれた紋様をさらけ出す女、

 本来の目と、額で光る第三の目が、淡くその輝きを見せる。

 

「あーわかっている。どうせ呪力が云々、術式が云々の話だろう?さっきも聞いた」

 

 伏黒甚爾、もとい禪院甚爾。

 初めて彼と会った時、そして戦いの中で見せた困惑の表情。伽藍は既に、その内心に秘めた思いに気づいていた。

 彼の生まれを表す苗字と、そしてそこから導き出された答えを知って。

 それでも、なお。

 

「だが、やはりくだらんな」

 

 伽藍は、そう切り捨てた。

 

「お前は、あの家では特異だった。だがそれの何が悪い?お前はあれらより弱かったのか?あれらにいいように使い潰されていたのか?」

 

 その時。伽藍の脳内に映し出されるのは、あの禪院家での一幕。

 皆が興味を持ち、そして見下し恐れる流れ、だがその中で、唯一光っていたもの。

 ――強者である自分を恐怖し、そして畏怖する弱者たち。

 

「獣が獣であることを恨むように、人が人であることを悩むように、矛盾したくだらん心だ。超常に位置するお前が、何故己より下の者に、羨望の眼差しを向ける必要がある?」

 

 禪院直哉は認めていた、そしてその父である、直毘人すらも。

 呪力や術式など、所詮個人を形成する1つの要素にすぎない。それしか見ない有象無象に、何故自分が憧れるのか。

 自分が求めていた特別。既に自分は、その特別から認められていたというのに。

 

「それが嫌なら、全て壊してしまえばよかったのだ。打算も計画もなく、ただ己の快、不快に従ってな」

 

 もしそれを実行すれば、今のような生活は得られなかっただろう。

 常に追われ、そして命を狙われ恨まれる。だがそれでも、自尊心など捨てる必要はなかった。

 だが間違いなく、己のこの感情に掻き回されることもなかった。

 

「お前の手で憧れを潰し、そしてくだらないものと切り捨てればよかったのだ。未来も、全てを捨てて。その思い切りと、何かを掴む己の"飢え"…お前にはそれが足りなかった」

 

 あぁそうだ、結局は逃げるようにあの家を出て、そして今日まで生きていた。

 あの時、気に食わない人間も、家そのものも、全部壊せば、何か変わったのだろうか。

 だが、結局は後の話。

 

「…そうかも、な」

 

 伽藍に挑み、五条に挑まれ、そしてどれも敗北した。

 捨てきれなかった自尊心。それにしがみついた今の自分は、彼女からすれば、それはもう惨めだろう。

 自虐、そして後悔を孕んだため息と同時に、甚爾はそう言葉を返す。

 だが、直哉、直毘人といった者だけでなく――

 

 

 

 

「だがまぁ、お前との闘いは楽しかったぞ」

 

 

 

 

 間違いなく、伽藍も認めていた。

 

「呪霊術師人間…1000年前、私はあらゆる魑魅魍魎と闘い、そして勝利し、名を轟かせた」

 

 ()()()()

 呪力があるから?ないから?だからなんだというのか。

 伽藍にとって、呪力などなくとも、()()の可能性は無限であり、魂を観測する目さえも得られる、才能の宝。

 真の強さ、それは術師も、呪霊といった人外だろうと関係ない。

 

「だがその中でも、お前のような()()は初めてだった」

 

 彼女は、今まで見せた中で一番の、とてもやさしい表情をして。

 

 

 

 

――誇れ、お前は強い

 

 

 

 

 そう、言い切った。

 

「……ハハッ」

 

 呪力のない自分が、術師だと。

 呪術全盛を生きた、正真正銘の術師そのものである彼女が、自分を同じ、呪いを扱う仲間だと。

 術師、そのものであると。

 

「…クク、ッハハハ!」

 

 古臭い風習に囚われ、全盛を呪術を求めた、かつての家。

 そこに住む、自分を蔑んでいたあの男たち。

 それらが、欲しくて止まないだろう言葉を、今。

 

「…ザマァみろ」

 

 嗚呼、本当におかしくって仕方がない。

 血液の流れが乱れ、出血量を更に増やしながらも、その笑いは止まらない。

 そしてついに、正真正銘の終わりが近づいてきたとき――

 

(嗚呼…なんで今更)

 

 捨てた。

 かつての自分を忘れるために、顔も名前も忘れたはずの、我が子の姿。

 本当の終わりが訪れた時、最後に見たのは愛した女ではなく――

 

「…今更」

 

 何故今更、それを思い浮かべたのだろうか。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…逝ったか、甚爾」

 

 あの、躍動する肉体の気配。

 因果を超えた呪縛による、その存在感が消えたのを最後に、伽藍はそれに近づいた。

 

お、かあさん?

「ほう?これは中々…」

 

 かつて彼の相棒だった。数々の呪具を収納していた格納呪霊。

 それが、主従関係を破棄されたことにより、晴れて自由の身になったからか、甚爾の身体を降りて、這いまわっていた。

 

「お"エっ」

「これはいい、戦利品として貰うか」

 

 呪霊の尻尾を掴み、ぶんぶんと上下に揺さぶって、その体内にあった甚爾の遺品、それらを出す。

 十手に似た刃と、どこまでも伸びる鎖の呪具、それらが地面に乱雑に落ち、そして――

 

「…気に入った。こいつは優先して格納しよう」

 

 鞘のない、柄の部分を茶色の毛で装飾された。先ほど自分を切ろうとしていた呪具。

 伽藍はそれを手に取り、軽く二度振ってその心地を確かめた後、術式を発動した。

 

「さて、あとはどうするか…」

 

 そう呟きながら、自身の背後に発生した黒い光、その渦の中心に刃を差し込み、そして収納する。

 第二の術式、時空間転移理論(ワームホールパラドクス)による、無機物の半永久的な格納空間。

 自身の作り出した空間に、戦利品が完全に収納されたことを確認し、満足そうに笑った後。

 再び、目の前で眠る男の顔を見る。

 

「…今更、か」

 

 最後に彼は、誰を想って呟いたのだろうか。

 

「女か?いやそれとも…そうか、先ほどの五条との会話は…」

 

 自分とは違う、正真正銘血の繋がった実子。

 どれほどなのだろう、今際に思い出してしまうほどの、その呪いは。

 

「今更。そうだ今更か」

 

 しばらく、その言葉を繰り返し呟いて。変わらず、フンと笑って歩き出す。

 ――(宿儺)ならば、知っているだろうか。

 この世の誰よりも、人の心を理解し、そして踏みにじる呪いの王なら――

 

「さぁな」

 

 だが、1つ言えることは。

 宿儺はともかく伽藍は、それの存在を知ってはいるが、あくまでもそれだけということ。

 ――その本質も、真の価値も。

 

「私はそれ()を知らん」

 

 伽藍は未だ、それを知らない。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 こつ、こつ、こつ。

 

「私のこの姿には、見た目以上にある変化があってな」

 

 ――誰に話しかけているのか。

 傍から見れば、伽藍は今、独り言を呟きながら、ただ歩いているだけに見えるだろう。

 しかし、この会話を聞いているのは、伽藍以外に1人いる。

 

「呪力出力も、生前よりも少し上がってな。…待て、これは若返ったからか?まぁいい、とにかくだ」

 

 目の前にそびえ立つ、その巨大な枯れ木。

 その、根元から感じる気配。それに目を向けながら、伽藍は続ける。

 

「複雑な結界術は、単純な呪力や術式では突破は難しい。天使のような、特攻を持った技でもなければな」

 

 ――薨星宮、本殿。

 全てが終わり、無常に散らばる、星漿体の少女の血痕。

 それを踏み越え、そしてこの最奥で見ているであろう、その存在に向かって、笑う。

 

()()から引きずり降ろしてやる」

 

 伽藍は術式を発動。そして地面に向かってそれを向け、ある行動に出た。

 猛り狂う呪力の奔流、そして展開された液状筋肉が、1つに纏まり凝縮され始める。

 

禍津日(マガツヒ)

 

 ――呪術を極めることは、()()()()()()()こと。

 

「"三雀羅(みじゃくら)"」

 

 大地を焦がす灼熱の光、天さえ燃やす紅蓮の嵐。

 捻じれ、混ざり、そして圧縮される膨大なエネルギー。

 それらが集い、伽藍の目の前で、更に炎を練り上げながら、全てを破壊する球体が顕在化する。

 

「"正鵠(せいこく)"」

 

 目の前でうねる、赤く輝く球体が、更に躍動…膨張し、そして無理やり抑え込まれ、その反発力を高めていく。

 呪詞(じゅし)掌印(しょういん)といった、術式を構成…あるいは発動させるまでの手順を、いかに省略できるかで、術師の腕は決まるもの。

 ――だが伽藍は、それら一切を省略しない。

 

「"狭間石(はざまいし)"」

 

 呪詞、掌印の2つをあえて使用。そして儀式として昇華し、呪術の効力をより強く練り上げる。

 伽藍が今放とうとしている"それ"は、通常ならば威力が足りず、目的を達成するには不十分なもの。しかしそれはあくまでも、手順を省略した…簡易的な発動をした時の話。

 儀式による効力の上昇。しかしそれでも、精々得られる向上の恩恵は、110%ほどが限界だろう。

 ――だが、この闘鬼は違う。

 

「"(よい)火祭(ひまつり)"」

 

 儀式だけでなく、伽藍本人の身体強化を、"それ"に注ぎ込むことでの、無理やりな威力の倍化。

 ただでさえ、ギリギリだったその膨張を更に、無理やり上から抑え込み…破壊力を上げる異常な行動。

 本来ならば有り得ない、術式仕様を無視した威力の足し算。並みの術師ならば、まともに威力を増幅できず、呪力が枯渇するその戦法。

 ――しかし伽藍は、自身の膨大な呪力量と、()()()()()でそれをカバーしていた。

 

「"水鏡(すいきょう)残花(ざんか)"」

 

 呪いの王(両面宿儺)に匹敵する、その圧倒的な呪力出力。

 そして呪詞、掌印。昇華された儀式による、底上げされた増加効力。

 ――それらと共に、一切の手順を省略せず放つ。

 

(ごく)()(ばん)

 

 ――2()0()0()%()()

 

(ムクロ)

 

 ――超高密度の、穿通(せんつう)の一撃。

 

 

 

 

 薨星宮の地下に展開されていた、数千もの空性結界。

 それらが突如、外部からの衝撃に反応し、身を守ろうと活動を始める。

 少しでも衝撃を逃がすため、そして結界の崩壊を守るため、それらに付けられた循環機能が暴れだし。

 ――そして一瞬で、数千の結界が全て破壊された。

 

「嗚呼…変わらんな」

 

 カシャアアア…そう硝子の割れたような音と共に、侵入者は笑って身を乗り出す。

 全身に刻まれた紋様と、赤い髪。それらがその存在感を、嫌というほど活性化させる。

 

「ここは相変わらず埃臭い。犠牲と傲慢と…生き汚い、偽善の匂いがするな」

 

 伽藍は、目の前で腕を組み、こちらを見つめるその存在に。

 

「久しいな――天元」

 

 ニタリ。

 そう歪に歪んだ表情と、そして心底馬鹿にしたような声色を隠さずに、そう言った。




 解説
極ノ番 躯(むくろ)

 詠唱
"三雀羅" "正鵠" "狭間石" "宵の火祭" "水鏡の残花"

 術式で作った筋肉をぎゅうぎゅうに圧縮し、その反発力を一方向に集中し放つ極ノ番うずまきのような技。
 しかしあちらと違い、発動には自分の呪力を使わないといけないのと、貯め時間を増やすことである一定まで威力が上昇していく違いがある。
 そして裏技として、あくまでも作る筋肉は自身の身体の一部、つまり自身の強化出力の恩恵をそのまま受けられるということ。
 それにより、本来は決まっている圧縮の限界値を自身の出力が高ければ、それをゴリ押しで無視し圧縮のレベルを上げることができる。
 これにより、術者依存の呪力出力による足し算で、時間さえかければ数十倍にまで威力をあげることができる。


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想起.星の失格者①ー星と月ー

 星の資格を持った、ある少女のお話。


 ――蒸し暑い。

 何故こうも、人は戒律によって定められた行事を神聖視して、自ら不便を選ぶのだろう。

 山奥に立つ、人の気配も薄い…この屋敷の縁側で正座をしながら、黒髪の少女はそう呟いた。

 この場所に来てからというもの、もはや既に見慣れてしまったこの服装。機能性など知ったことではないというように、ただでさえ暑いこの季節に、何十にも重ね着をするなど正気の沙汰ではない。

 しかし文句を言ったところで、この不便は変わらない。

 

「暑い…この服装はどうにかならないの?」

御子(みこ)様。それは選ばれた者の特権、そして身を清めるための神聖なものです」

「…はいはいわかったわよ」

「御子様。言葉遣いにはお気を付けを」

「…わかりました」

 

 肩に触れる程の、短く切り揃えられた、己の髪を指で弄りながら、少女はそう気だるげに返す。

 悪趣味な、しかし今ではもう疑問にすら思わなくなった、布で隠された召使いの顔を見て、少女はまたため息を吐いて。

 

「それで、今日の行事は何でしょう?」

「まずは日課の"禊"…そしてその後は日が落ちるまで、祈りと贖罪の儀式であります」

「…食事くらいは取らせて欲しいものですね」

「御子様」

 

 …嗚呼また始まった。

 こちらの冗談も、嫌みも全部正直に受け止めて、戒めるようなこの喋り方が大嫌いだ。

 少女は三度、相変わらずの熱と光を放つ、忌々しい青い空を仰いでから、呟いた。

 

「…退屈だわ」

 

 一体いつまで続くのだろうか。

 この退屈な時間は、そして今も胸でつっかえている、この違和感が晴れるのは。

 

(…嫌だなぁ……)

 

 少女の記憶は朧気だ。

 気が付いたら裸で、この屋敷の中の、十坪はある部屋にいたところから、記憶の再生は始まっていた。

 それ以前の記憶はない、自分の名前はおろか、先ほどまで何をしていたのかも。

 目を覚ましてすぐに、少女はぐるりと周りを見渡して、その後自分の身体を観察して、そして恐怖した。

 服は着ていない。少女の控えめな胸や、その恥部に至るまでが露わになっているにも関わらず、何故か整えられた髪と肌。

 そこだけはまるで、新品の部品と交換でもしたかのように、艶と輝きを纏っている黒髪と、そして汚れの一つもない地肌。

 その歪さが、とても気味が悪かった。

 

『嗚呼…嘆かわしや』

 

 その部屋の中で、自分を囲う形でぎゅうぎゅうに座って、瞬きすら忘れてこちらを見る男たち。

 男の視線。それが少女の身体に集中している事実に鳥肌が立ち、すぐに身体を隠すように身を縮こまらせる。

 その後男たちが、一斉に涙を流して嘆き、悲しみ。そしてたちまち崩れ落ちて、叫びだす。

 

『穢れた魂…これではいかぬ…これではとても…!』

『落とさなければ…このままでは穢れが生まれてしまう』

『許されぬこと…それは決して許されぬこと』

『嗚呼…星の輝きが濁っている…濁りは排除せねば、洗わなければ!』

「い、いや…っ!」

 

 飛び跳ねるように、男たちが数人がかりで少女に向かい、そしてその身体を抑え込む。

 腕、腰を無造作に、少女の痛覚を刺激しながら、大人の腕力が掴んで持つ。

 そして、ガラッと襖の開く音が聞こえ、目線をなんとか男たちに向ける。

 

「いやっ…やめて…!やめて!」

 

 夜の冷えた空気が今の少女の肌を伝って、その生理反応と、狂ったように泣き叫ぶ男たちの様子で鳥肌が立つ。

 男たちは変わらずに「穢れを落とさなければ」と、屋敷の外にあった泉の前に到着し。

 

『星の導きを』

『"禊"の準備を』

『あの御方(おかた)に捧げる準備を』

 

 そして。

 

「いやあああああっ!!!」

 

 ドボン。冷えた泉の中に、少女はそのまま放り投げられる。

 その冷たさと、いきなり潜水したことによる息苦しさで、咄嗟に顔を水面から出した瞬間。

 

『穢れを!』

「ごぽっ…」

『洗わなければ!洗わなければ!』

 

 少女が窒息しそうになるのもおかまいなしに、男たちは頭を押さえて、そして叫ぶ。

 なんとか必死に頭を上に、死に物狂いで呼吸を確保して、なんとか意識を落とさずに少女は耐える。

 

『あの御方に…!』

 

 水と空気を同時に吸って、涙と呻きを漏らしながら聞いたそれ。

 記憶もない、突然ここにいた自分の、生まれた理由はなんなのだろう。

 

『あの御方に捧げよ――!』

 

 "あの御方"なら、知っているのだろうか。

 ジジジ…と、何かを訴える耳鳴りと共に、そんなことを思った。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…やっと終わった」

 

 喋り方も、服装も、気がつけば彼らの言う通り、彼らの好みに染め上げられて。

 必要最低限の食事に、風邪をひく限界まで泉に浸かり、祈りを捧げる日課。

 …いつになったら変わるのか、まだわからない。

 ただ一つ言えるのは、この退屈でつまらない日常が、やはりどうしようもなく嫌いだということ。

 

「御子様」

「…なによ、もう日課は終わったわよ」

「……本日はある客人が来ております」

「…客人?」

 

 いつもの日課、昼にほとんど水でふやけた、粥擬きを胃に流し込み…そして日が落ちるまで泉で祈る。

 空腹なんてしばらくして慣れた。どれだけ訴えても、どれだけ怒ろうとも変わらない。

 自分の周りに潜む、このおどろおどろしい気配と人間の動きは、からくり人形のように一定だ。

 

「御子様はたいへん立派になられました、後は星の再生を待つその時まで…」

「相変わらず気持ち悪いわね…」

「御子様」

「…わかりました、それで?」

 

 ――怪しい。

 少女がまず最初に疑ったのは"客人"ということ。

 自分は数年ほどここで住んでいたが、その間屋敷の人間以外とは、一切会ったことがない。

 それなのにいきなり、しかもこの召使いの言うことだ、信用などできない。

 

「…今更私に会おうなど、一体どのような用件で」

「貴方様の輝き…それを濁らせないようにと、上が用意したものでございます」

「…そうですか」

 

 上、上と来たか。

 どうやら今回は、今までの泉に浸かったりなどの、胡散臭い儀式とはわけが違うらしい。

 だがどうせ同じこと、誰が来ようと何をしようと、こいつらの息がかかっていることに変わりはないのだから。

 

「数年前に、ある都を傾けた女が"浴"を行おうとし、そして人知れず行方を消しました」

「…それで?」

「その時攫われたのは()()の少女。それの影響か、京では人攫いが横行しました」

「…初耳ですね」

 

 ジジジ…

 耳の奥で響く違和感。いつもこうだ、泉から上がった後は毎回、こうして耳鳴りに苦しむ。

 この耳鳴りを訴えても、召使いは何も関与しない、むしろそれに苦しむことを良しとしているかのようだ。

 だから、もういい。

 

「それの保護…と言ったところですか?随分とお優しいですね」

「…それもあります、しかし第一は貴方様」

「はいはい…それで、その人はどちら…に……」

 

 ――風が吹く。

 濡れた着物と、未だ乾いていない髪が冷えると同時に、身体の熱が奪われていく。

 しかしこの瞬間に、自身の身体が震えたのは…きっと寒さが原因ではないだろう。

 召使いの背中、その陰に隠れた位置に立つ、もう1人の人間。

 

「…えっ」

 

 ――()()

 少女の視線に気づき、召使いの背中から顔だけを出す形で、その人物は現れる。

 同じだ。自分と同じ、まだ大人になる前の、純粋な少女。

 自分のとは違う、光を吸収する黒ではなく、光を反射するような美しい、その銀髪。

 

「あ、なた…」

 

 目線が合う。

 互いに言葉はまだなくて、ただ息を吐くかのように掠れて、零れ出た一言だけ。

 じっ…と、銀髪の少女は更に数十秒、目線を向け続けて…そして。

 

「お前…」

 

 たった一言、呟いた。

 

「お前が"星漿体"か?」

「…はっ?」

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 銀髪の少女は喋った。

 それはもう喋った、召使いの殺気を受けながらも、何も知らないように喋り続けた。

 もうとにかく喋った。

 

「この国は天元という名の、ある術師が守護しているんだ」

「へ、へぇ…」

「しかもずっと昔からだ、もう100歳超えてるなんて話も聞いたな」

「………あの」

「しかも天元は不死の術式を持っていてな…」

 

 ――これ本当に聞いてもいいのだろうか。

 途中から、召使いは凄まじい形相をしながらどこかに行って、それっきり帰ってこない。

 しかし変なところで気が利くようで、泉から出たばかりの冷えた身体を、少女はあらかじめ用意してくれた布を纏って、彼女の話を聞いていた。

 

「凄いだろう?だがしばらく生き続けると、身体が進化して人じゃなくなるらしい…そこで選ばれたのがお前だったんだ」

「…それが星漿体?」

「そう、それが原因だろうな…ずっとこんなことしてるのか?」

「…うん」

 

 予想していた人間像とは、ずっとかけ離れた存在。

 警戒心はとっくに無くなった。この自由奔放な態度からは、一切の嘘を感じない。

 少女は、身体に纏った布をより強く握って、そして聞く。

 

「名前もわからないし…お腹も空いたし、それに…」

「は?お前馬鹿正直に何も食べてないのか?」

「…えっ」

 

 少し待ってろ。そう言って、自分の着物の内側を探る様子を、少女は見つめる。

 そしてしばらくして「あったあった…」と、満足そうに微笑んでから、それを取り出した。

 

「ほら、食べろ」

 

 その手に握られていたのは、丁度少女の手のひらに乗るかの大きさを誇る、橙色の何か。

 少女が生まれて初めて見るそれに、困惑している間にも、彼女はもう1個それを取り出して、齧り付きながら続けた。

 

「食え、腹減ってるんだろ」

「…でも」

「いいから、どうせあいつらは見てないんだ」

 

 誘惑。

 しかしそれは、今の少女にとってはとても、我慢ができないものだった。

 初めて会った、今までの人間とは違う存在を放つ、この銀に眩しく光る彼女。

 今まで経験していたことを、真正面から「くだらない」と笑って、切り捨てる彼女。

 ――答えは決まっていた。

 

「………」

「どうだ?」

「…………おいしい」

「そうか」

 

 生まれて初めて、あの味も食感もない粥擬きとは違う…心の底から"美味しい"と言えるもの。

 感極まって、涙を流すその様子すら、彼女は同じように笑って言う。

 

「なんだ、この程度で泣くのか?」

「うるさい…泣いてない」

「いい、本当に美味いだろ?なら何も恥ずかしくない」

 

 同じ笑み。だけど先ほどの、この狂った儀式や屋敷に住む人間に向けたものとは違う、優しいもの。

 少女はその笑顔を見て、自然と自分も、同じように笑っていたことを自覚する。

 そして互いに向き合って、もう一度笑い出す。

 

「はははっ!なんだお前も笑えるじゃないか」

「ククク…そうね、そうだったわね」

 

 かくして星の資格を得た少女は出会った。

 ――月のように白く、光輝くある少女と。




 貯めの章です。
 ちなみにさっと3話くらいで終わります。


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想起.星の失格者②ー月と油ー

 まずはちょっと情報開示。
 すみません、読者の皆様…退屈かもしれないかもしれませんが…どうしても本編のあるシーンのためにも、この章は必要なのです。
 どうかお付き合いください。


 夜の闇は贔屓をせず、皆に平等にその暗く、静かな帳を降ろして世界を染める。

 皆平等に、自然の作った河口たちの奏でる、この耳を擽る清涼の音も、耳に安らぎをもたらす。

 そう、平等に。

 

「ふむ、次の満月まであと少しか」

 

 ――平等に。悪人にもその音を響かせて、心を満たす。

 

「これで大体は始末したかな?やはり疲れるね」

 

 ぴちゃり。

 草履が足元に広がる赤い液体に触れて、粘性を含んだ音を響かせる。

 その仕草からは、一切の罪悪感を感じない。

 生気を失い、曇った硝子玉のような目を開いたまま、仰向けになって倒れる人間の死体、それを見つめながら、男は続ける。

 

「赤子を殺すのは本来、心がそれなりに痛めつけられるものだけど…ま、仕方ないね」

 

 目の前には、周りに広がる惨状に気づかないまま、今もなおぐっすりと眠る赤子。

 しかし男が近づいて、その足音と身に纏う、返り血による異臭で意識が覚醒し、視線を向ける。

 人殺しの気配。しかしまだ純粋で、穢れを知らないその赤子は、それには気づけず目をぱちくりとして。

 

「………ぁ、うぅ」

「はぁ…()()さえなければ、まだ可愛げがあったんだけどな」

 

 その、光を吸い込み人を虜にする、宝石のように輝く青い瞳。

 呪術の因果と寵愛によって守られた――六眼と呼ばれる世界の宝が、そこにはあった。

 自身に迫る命の危機、それがわからずきょとんとしたままの、目の前の赤子に手を向けて。

 

「悪いね、じゃあ」

 

 ばしゃっ。

 赤子の身体を包む上等な絹、そしてそれに劣らない、赤子のもちりとした肌と、サラサラの髪。

 それらが赤と臓物で埋められ、鼻から上の部位を完全にねじ切られて、そして絶命する。

 そして再び返り血を浴びて、男はやれやれと首を振った。

 

「全く…これでもう大丈夫かな?本当探すのに苦労したよ、これでここも…」

 

 ――()()()()()も終わりかな?

 そう静かに笑って、手に付いた汚れを布でふき取りながら、男は歩みを続けて目線を上にする。

 月、月だ。己の望む結末と過程、それを成すための下準備。

 完全な円に近いものの、まだ完全ではないその輝きを見て、男は更に顔を歪める。

 

「今の身体では少々…だが背に腹は代えられない、か」

 

 積み重ねられた知識と経験、それらを編んで、求める答えへと突き進む。

 確率なんて話じゃない。だがもし失敗したとしても、それで得た経験と知識すらも、次への糧にすればいい。

 未だ調停と守護を選び、死人のように生きる"あれ"とは違うのだから。

 

「さぁて、どうなるかな」

 

 かたんっ、仕事が終わってできた暇な時間。それをどう消費しようかと悩んでいた男の耳に、それは聞こえた。

 先ほどの衝撃、それによって古くなった、この屋敷の戸が壊れたのだろう、目の前に落ちる、古ぼけた紙束を男は見る。

 

「…ふーん、何が書いてあるかな」

 

 呑気に鼻歌を歌いながら、男は目の前に広がる紙を丁寧に広い、そして片手で持って集めていく。

 そうして6枚ほど集めてから、男は身体の動きを止めて、今手に持っている紙の、その表面に書かれている文字を見て。

 

「…………こ、れは」

 

 心底驚いた顔で、そうしてしばらく口を開けたまま放心を続けた後。

 くっくっくっ…そう愉快そうに笑った後に、天を仰いでげらげらと。

 

「くっはははは!なるほどね!そうだったのか道理で!…君はそこにいたんだね」

 

 そう不敵に、そして懐かしそうに笑う男の額にある、その悪趣味な()()()すらも。

 ――月は、平等に照らしていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「お前寒くないのか?」

「…寒いわ、それにお腹も空いたままだし」

「今日も柿を持ってきたんだ、食うか?」

「…食べる」

 

 少女たちが出合い、そしてこの関係が成立してから数週間。

 自分がこうして、冷える季節の中でも関係なしに、泉に浸かって祈る様子を、彼女はこうして退屈そうに、静かに観察していた。

 変化も喜びもない、退屈なこの暮らし。

 

「次の満月まであと…どれくらいだ?わからん」

「慰めならもう少し上手くやって、そっちが切り出したんでしょ」

「あー、うん。まぁなんとかなるだろ、別に死ぬわけじゃないらしいぞ?」

「…嘘よ」

「あくまでも合体だからな、意識が消えるわけじゃないしそれに…」

「黙って!」

 

 "天元との同化"

 上手く言葉を伝えようと、銀に輝く髪を指で弄りながら唸る彼女、それが言った同化という儀式。少女はそれがおそろしくて仕方がない。

 適合者…星漿体である自分が天元と一体になり、人身御供そのものになることで、この国の安穏を維持する…それは理解している。

 わかっている。自分がもし、それを放棄して、それでこの国が終わったら無意味だ。

 

「一生そこから出られなくて、そして私が私以外と、合体して1人になる?そんなの…」

「おい」

「嫌よ、私星漿体なんてやめたい!星の資格なんていらない!」

「落ち着け」

 

 声を荒げ、そう叫ぶ少女。だがその様子を見つめる目の前の彼女は、相変わらず己の銀髪を弄ったまま。

 そしてもう一度「うーん…」と唸って、首を傾げてから彼女は言った。

 

「よし、気分転換しよう」

「…………なに、いきなり」

「いいから、もう日没だろう?ならば余計に都合がいい」

「…どこに」

 

 身体を拭いて、泉で冷えた体温を元に戻すため、今着た服の袖を掴んで、彼女は言った。

 そして一度、こちらの顔を覗き込んで、にやりと笑ったあと、少女の手を握って。

 

「どうせまだ時間があるんだ、なら今の内だ」

「ちょっと、だから…」

「いいから」

 

 ぐっと、少女の身体が横転しそうになるほど、身体を傾け、引っ張って走り出す。

 突然のその行動に、少女は目を白黒にして。

 

「えっ!ま、待って…!」

「こっちだ!」

「ちょっ…!もうすぐあいつらが…!」

「問題ない!何故か最近、あいつらは私たちの邪魔をしない!」

 

 山道を沿って、転げそうになるほどに加速を続けて、2人は更に駆け出した。

 少女の手を握ったまま、今も笑って先頭を走る彼女の姿は、まるで何も心配いらないと、そう安心させてくれる。

 走って、息が切れて苦しくなっても、それでも今は、そんなことが気にならないくらいに。

 今、自分は未知への歓喜が湧いているのだと、そう自覚する。

 そうして木々を超えた先、今まで自分がいた場所とは違う、その景色。

 

「…すごい」

 

 森を抜けた先にあった、人だかりと赤い炎。

 炎だけではない、その熱気に加算して、人間の放つ存在感と、その声までが熱を作り出し、そして輝いていた。

 ――熱い、炎。

 

「どうだ?見事だろう?」

「………うん、凄い」

 

 ジジジ…

 耳鳴りが、また少女の頭に響く。

 

「暑いな」

「うん」

「目的地はこの先だ、どうしようか?」

 

 ――まるで月のように。

 控えめに、だけどその抑揚は間違いなく、日に劣らぬ力強さを秘めていた。

 ジジジ…

 

「じゃあ走ろう」

「うん」

 

 ジジジ…

 

「せー…っの!」

 

 走る。

 上空で迸る火花、そして自分たちの身体とそう変わらない、目の前の大人たちの、力強い足。

 それらの間を潜って、そして走って、走って。

 

「っはは…あはは!」

「クク…ッハハハ!」

 

 もう何がおかしいのかわからなくて、そのわからないことが面白くて。

 走って、走り続けてを繰り返して、人だかりを抜けたその先に。

 

「よし――飛び込め!」

「ハハ…はっ?ちょ――!?」

 

 目の前に広がる水面、あの普段浸かる、冷たい泉とは違うもの。

 そこに反射し、目に飛び込む月の形。

 ――満月の、美しい月輪。

 

「がぽっ!」

 

 どぼん!美しく描かれていた月の映像、それが乱れて滅茶苦茶になる音が。

 声が埋もれて、水に溶けて無くなる間にも。

 

(水…沈…)

 

 ジジジ…

 耳鳴りは、止まなかった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「ぶはっ!いやぁ流石にびっくりしたか?」

「………うん」

「どうした?やっぱり落ち着かないか?」

 

 全身を濡らし、再び水の中で膝を丸め、俯く少女に、彼女は顔を覗き込む形で問う。

 あの後、しばらく水の中で息を止めて、水上を眺めているうちに、一時的に耳鳴りは止んだ。

 だが、今もこうして自分を襲う違和感、そして謎の焦燥感は、治らない。それどころか、再び突然、耳鳴りが再来することもある。

 

「なぁ、いいか」

「…うん」

 

 目線は合わせず、少女は月を見ながらそう答えた。

 対する彼女は、やはり癖なのか、己の銀髪を弄りながら、同じように目線を他に向けて、言う。

 

「私はな、最初お前が同化するって聞いても、可哀想としか思わなかった」

「………死ぬわけじゃないのに?」

「すまん。あれは嘘だった」

 

 ぎちり。そう少女の手を取って、そして強く握りしめながら、彼女は言う。

 

「どうでもよかった。だってお前は他人だし、今も実際、私はお前の名前も知らない」

「うん、私も知らない」

「私は名前がない。気が付いたら人攫いにあって、気が付いたらここにいた」

「………うん」

「私は運が良かったって、中には連れ去られて…肉を剥がれたやつもいるらしい」

「…そう」

 

 ジジジ…

 名前も知らない、血のつながりもない。

 結局どこまでも他人で、そして何の共通点もない。

 だけど、一緒に暮らした数週間で、人は変わる。

 

「私は、お前に消えて欲しくない」

「…えっ?」

「あー…だから、その…あぁもう!つまりだ!」

 

 ばっ!両腕を掴んで、彼女は少女の顔を、より深く覗き込む。

 その時、空を舞って水滴を散らす銀髪が、とても美しいものだと、少女は思った。

 そして、彼女が続けたその言葉に、少女は。

 

「帰ろう!私と一緒に!」

「はっ?」

 

 ――何を馬鹿なことを。

 少女は目の前で、相変わらず楽しそうに笑う彼女に、そう疑問を抱く。

 

「帰る?どこに」

「どこか!」

「…私たち、家ないし」

「私たちがいるところが家だ!つまりここも家!」

「…馬鹿」

 

 わかっていないのか?

 星漿体である自分が役目を放棄すれば、それ即ちこの国の終わり。

 自分の我儘で、数多の人間が犠牲になり、そして息絶える。

 ――それなのに。

 

「…追手が来るよ」

「逃げる!」

「…戦うことになるよ」

「戦いは嫌だ!でも…それでもなんとかする!」

「…本当、馬鹿」

 

 嗚呼…本当に馬鹿だ。

 だけど、今はこの言葉が、彼女の能天気な態度が本当に、嬉しくて仕方ない。

 

「じゃあ、次は私の番ね」

「なに?なんのことだ?」

「勝負よ勝負」

「…はぁ?」

 

 子供の約束。

 だがこの幼く、純粋ゆえの言葉の繋がりが、今ではとても心地が良いもの。

 呪いもない、愛で作られた…縛りではない約束事。

 

「約束よ、そして勝負の内容は…私の同化を防げるか」

「…あぁ」

「私を――助けてくれる?」

 

 何の保証もない、だが今では、この言葉が少女たちの世界の全て。

 空で輝く満月も、今追ってきてるであろう、あの屋敷の召使いたちもいない。

 少女たちだけの、優しい世界。

 

「ああ、約束だな!」

 

 そして彼女は銀の髪を靡かせて、上空で輝く満月にも負けない、白く光る笑顔でそう返して。

 

「えぇ、約束」

 

 対する少女も、それに負けない、日のように力強い笑顔で、答えた。




 次回、全ての種明かしです。
 昨日感想は全然来なかったのに…めっちゃお気に入り増えててびっくらこいた……


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想起.星の失格者③ー日と月ー

 超急いで書いたのでかなり雑です、これから加筆修正していきます。
 そしてお待たせしました…これで過去編は終了、次回にじゅじゅさんぽを挟んだ後に本編投下します。
 めっちゃ気合いいれます、滅茶苦茶盛り上げるつもりなので、楽しみに待っていて下さい。


 ジジジ…

 

 耳鳴りはまだ止まない。止んだと思っても、それがただの勘違いだったかのように、再び頭が割れそうになる。

 音。

 

 ジジジ…

 

 今日はずっとこうだった?いや多分、少しだけ止んだ時間があったかもしれない。

 わからない、もうこの頭に響く、不快な音が当たり前になったからかもしれない。

 あったはずの安息も、本来の自分も思い出せない。

 

 ジジジ…

 

 いや、確かこれが止んだのは…

 

 ジジジ…

 

 水、そこに落ちて――

 

 

 ジジジ…

 

 

 沈んだ時。

 

 

 

 ジジジ…

 

 

 

 ――意外と温かい。

 

 

 

 ●に沈んだ時。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「魂って何なんだろうな」

「…どうしたの、いきなり」

 

 背中が痛い。

 それはそうだ。まともな敷き布もなく、衣服越しとはいえ、砂に寝転ぶのは楽ではない。

 痛いのかくすぐったいのか、どちらともいえない不快感。それに顔を顰めながら、少女は聞き返す。

 

「なんだっけ、あいつらがいつか言ってた…魂を清める?とかそういうの」

「…あぁ、あの寒くてつまらない作業ね」

「あー、あれホント嫌いなんだよな、私もやったけど」

「…なにそれ初耳なんだけど」

 

 ()()()()

 それを神聖なる泉と祈りで浄化し、その身を"あの御方"――天元に捧げる儀式。

 星漿体という時点で、既にその身は天元と同一、適合者としては何も問題はなく、儀式をする理由がわからない。

 それなのに、何故自分はあの儀式で――

 

「肉体と魂…その関係性はよくわからない…が、無関係ということもないだろうな」

「…どうして」

「私がそうだから」

 

 何が"そう"なのだろう。

 少女は何も変わらない、彼女の様子に疑問を抱いて、その横顔を見た。

 その表情はいつものとは違う、どこか達観したかような、薄い笑み。

 彼女は自分の髪を持ち上げ、月に照らしながら、輝くそれを少女に見せて、言った。

 

「私は、最初からこんな髪じゃなかった」

「…待って、じゃあなんで」

「お前とは逆だった」

 

 ジジジ…

 

 美しい、そう感じて今まで、ずっと彼女の存在そのものを証明していた髪。

 それが偽りだと知ったから?違う、この耳鳴りの正体は――

 

「人攫いにあったのは」

「それは偶然。前に銀髪の子供が攫われた事件があっただろ?あれとは別だ」

「…そう」

 

 ジジジ…

 

「祈り?が原因かは知らん。だがあいつらの言う、魂がどうのこうの儀式をやってから、私はこんな髪になった」

「…なん、で」

「だから、私はずっと聞きたかったんだ」

 

 あの、耳鳴りが鳴った場面。

 祈りの儀式、水に浸かる時、ある限られた時にだけ、それが一回り激しくなった。

 

「お前…」

 

 あの、違和感の正体は。

 直感。しかしそれを、少女に教えてくれたのは。

 

「元の髪は何だったんだ?」

 

 魔に染まった、他ならぬ自分の魂。

 

 

 

 

 思い出す。

 

 

 

 

 ――意外と温かい

 

 

 

 

 血に沈んだ時。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「魂は肉体に付随するものです」

 

 肉体は所詮部品。

 その本質は、個人がそれぞれ持ちうる魂、そしてその情報のみなのだと。

 目の前で、そう喋る召使い、その顏を隠す布が、ゆらゆらと揺れる。

 

「あの御方に捧げる肉体…そう、肉体は所詮肉体ですが、あの御方なら別なのです」

「……そう」

「だから私たちは最初、あなたを見つけてとても興奮しました。…最初だけは」

 

 あの、美しい銀髪も、少女たちの世界を照らした月もない。

 逆戻り。またあの、息苦しくて退屈な、木造と悪意に満ちた屋敷。

 銀髪の彼女は、もういない。

 

「魔に染まったあなたの魂…必死に削ぎ落しました。その影響でしょうね、記憶も髪も変わったのは」

「…あぁ」

「しかしもう用済みです」

 

 一転。今まで随分よくしていたくせに、まるで汚らわしいものを見るかのように、顔を顰めて見下す彼女。

 布で顔は見えないが、その顔がどのように変形しているかは、その声の抑揚で分かる。

 

「その点、彼女は素晴らしかったですね。何せ私たちが必死で育てたあなたより…資格をお持ちでした」

「…資格、か」

「えぇ、とても光栄なことに。あなたと違って」

「…くだらん」

「あなたと違って」

 

 二度、まるで親が子に言い聞かせるように、まるで戒めるように。

 

「同化は果たされました…あとは好きなようにしてくださいな、失格者さん」

「…そう、か」

 

 少女の約束。

 結局それは果たされなかった。いやむしろ、勝負が成立していない。

 同化をさせず自分を守る、確かにそれは守られたが、少女はそんなことを願ってはいない。

 

「私の勝負はどうなる」

「はぁ?なにを…」

「答えろ。私は天元と同化する予定だった、それを防ぐのが私の――」

「あははははははは!!!」

 

 笑う。

 

「勝負?何を言ってるんですか?まさか本気で、同化を断れるとでも?」

 

 哂う。

 

「全くこれだから…頭の方も魔にやられたのですか?いい機会なので教えてあげましょう…」

 

 嗤う。

 

「天元様は偉大な御方…自身の危機を防ぐため、その程度の不都合はねじ伏せられます」

「………」

「あの御方は…作ったのですよ、運命を。因果を!」

 

 誰が、どのように生きようと関係ない。

 それを嫌がろうと、それを静かに受け入れようと、そこに対した差は存在しない。

 己の勝負は、天元の手によって意味の無いものへ成り下がられた。

 

「己と星漿体…そして六眼に結び付く因果。あなたたちが愚かにも、結んだ約束や勝負など知ったことではありません」

「…」

「勝負なんて、成立していなかったのですよ」

 

 ――私を助けてくれる?

 "それ"を言った時、まだ少女の魂は戻らず、少女とは言えない別の何かだった時。

 あの時、それを言った時の心境はどうだったか、何を望んで、何を求めてそれを言ったのか?

 ――嗚呼、そうだ勝負だ。

 

「…くだらん」

 

 あの、子供だから成立した約束。

 子供だからこそ、真実に気付けず結んだ誓約。

 だがその実態は、所詮定められた因果の下で作られたもの、故に何の意味もない。

 

「お前も…」

 

 相変わらずの、顔も見えないこの召使い。

 気配はまだある。どうやら同化が果たされご機嫌なのか、屋敷内に全員が集まっているらしい。

 

「私も…」

 

 いいように扱われ、危うく本来の自分を殺されるところだった。

 なんて情けない、そしてなんと哀れで醜い、弱者に成り下がった自分。

 ――そんな自分を愚かにも、助けようとした。

 

「お前も」

 

 あの、月のように笑う彼女。

 だがもういない。彼女はもう天元の、天元そのものと成り、個人としての我は消えた。

 ――腹が立つ。

 

「私の勝負を、お前たちは…」

 

 彼女のことなど、もはや今はどうでもいい。

 今、少女の心に会った感情は、悲しみでも憎しみでもない。

 たった1つ、確固とした感情。

 

「…不愉快だ」

 

 そして彼女は"それ"を使う。

 削れた魂が復元され、そして元に戻ったが故に、再び使えるようになったそれ。

 彼女の身体に刻まれた、呪いの力が名を持って、再臨する。

 

 

 

 

禍津日(マガツヒ)

 

 

 

 

 魔の者は、こうして再び黄泉返る。

 

 

 

 

 記録 ■■■■年書記

  ■■■■■属地 ■■村(現・■■■町)

 

 事件概要

  星漿体の同化、それを邪魔しようと企む呪詛師の排除。

  呪詛師は逃亡。無事同化は成功し、進化は無事止められた。

 

 

 

 

  それと同時に起こった、ある事件。

  都も北家の息もかからない、ある山奥に隠された、小さな屋敷で起こった大量殺戮。

  その屋敷内は、天井から縁側の裏側にいたるまでが、臓物が染み込む地獄絵図となっていた。

  あまりにも荒唐無稽。しかし何故そうなったのか、何故「荒唐無稽」と呼ばれ、忌まわしいものとして扱われているのか。

 

  そこにいた使用人たち、そしてそこで生きていたとされる、星の資格を持った少女たち。

 

  彼女たちはどこに行ったのか。

 

  彼女たちはどのように生きていたのか。

 

  これらの記録は、一切が破棄されている。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「………クソ」

「おはよう伽藍、随分嫌そうな顔してたけど」

 

 ――日。

 目を開ければ、あの頃見た満月とは違う、肌を焼くような明るい太陽。

 そしてそれを覆うように、寝ている自分を覗き込む、特徴的な前髪と、五条袈裟。

 その、胡散臭い顔に安心感を覚えながら、伽藍は話しかける。

 

「…()()、その恰好はどうした」

「ちょっと野暮用でね、今ちょうど帰ってきたところさ」

「…熱くないのか?」

「あぁ、以外と平気」

 

 ()()()

 一瞬、男の名を呟くときに、その額に残る縫い目を見た後、周りをぐるっと見渡して、そう返す。

 あくまでも皮。この旧知の男の名は、今手を組んでいる彼らにはまだ教えない。

 あくまでも計画のため、信頼関係など、どこにも無い名前のやり取りだが、例外なのは今いない、白髪の術師を含めた3人のみ。

 

「真人は?」

「散歩だ、あいつは気分屋だからな」

「なるほど、じゃあまだ時間かかりそうかな」

「羂…夏油、お前漏瑚は?」

 

 この名前は慣れないな。そう心で零しながら、伽藍はこの男に焚き付けられ、無謀に戦いを挑んだ呪霊のことを思い、ニヤニヤと笑う。

 どうせ手も足も出せず、仲間に助けられて来るのだろうと予想し、目の前に泳いでやって来た、その仲間の呪霊の頭を撫でながら、言う。

 

「ぶぅー?」

「…こんな見てくれでなぁ…呪いというのは本当に面白い」

「あ、それ漏瑚の前で言っちゃ駄目だよ、うるさいから」

「はー…面倒臭いなアイツ」

「"真の人間"らしいからねぇ」

 

 目の前の海で、ぷかぷかと漂う赤い呪霊。

 蛸のような見た目だが、そのサイズはかなり大きく、愛くるしい見た目とは別の、威圧感を与えてくる。

 たとえ呪胎とはいえ、間違いなく特級に区分されるその存在。

 

「ハッ。よく言うな、呪霊の分際で」

「ぶぅー!ぶぅーーっ!」

「あらら、陀艮怒っちゃった」

 

 陀艮と呼ばれた呪霊が、伽藍の言葉に反応し、声を荒らげて反抗する。

 その様子を見ても、2人は何も怖がらず、むしろ面白がってケラケラと笑う。

 そして、そんな愛くるしい見た目をしている呪霊が作る、この広々とした空間を、もう一度見渡して。

 伽藍は、先程の夢を思い出して。

 

「…嫌な夢を見た」

 

 そう、不快そうに呟いた様子に。

 夏油と呼ばれた男は、目をぱちくりとして。

 

「珍しい…一体どんな夢を?負けた夢でも見た?」

「それの方がまだマシだ…最初の同化と言えばわかるか?」

「あ、そういう…」

 

 その言葉を聞いて、夏油は顔を歪めて「げぇーっ」と言いそうに、顔と腕の両方で表現して。

 その後、どこか彼女らしくない、彼女の気配を察知して。

 

「…伽藍?」

 

 伽藍は、目の前で変わらずに、ぷかぷか漂う呪霊を見つめ。

 その後、彼以外に誰もいない、今のこの状況を把握して、陀艮にも聞こえない、静かな声量で、続けた。

 

()()。お前の話を聞かせてくれ」

「…いいけど、結構長いよ?」

「あぁ、構わん」

「何の話にしようか、契約した術師の話でもする?」

「いいや」

 

 伽藍は、もう一度顔を合わせて。

 今までの、あの不快感から目を背けるように、腕を組み直してから。

 あの、耐え難い屈辱を忘れるかのように。

 

「…今は、お前の話が聞きたい」

 

 まるで日のように、輝いた顔を見せて、そう笑って言った。




 選ばれたのは月だった。
 そして皆様、お待たせしました…次から本編軸に入ります。


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19話.懐玉⑧ー呪胎戴天ー

 作者「ボケーッ。繋ぎの場面、書いとけ言うたやろうが」
 作者A「おいっ。コーヒー買ってきてくれ」
 作者「なんじゃあ、この汚い描写は」
 作者B「あのう、戦闘シーン見せましょうか?」
 作者C「新しい設定はりますか?」
 作者「そんな余裕あるかあ」
 作者B「あのう、戦闘シーン見せましょうか?」

 予約投稿数時間前の、自分達との壮絶な会話である。


「久しいな、天元」

 

 未だ修復の間に合わない、崩壊した結界の縁に腰かけて、赤い侵入者はそう言葉を投げかける。

 笑い。見下し、そして侮蔑の入り混じる視線と声色を混ぜながら、しばらく見つめてから、そこから飛び降りて。

 その、同心円状の3つの目を、ギロリと向けて、侵入者は――伽藍は言う。

 

「相変わらずのようだな、弱者の庇護と調停に甘えた…その醜く無様な生き方は」

 

 一斉に破壊された空性結界、それらが時間を掛け、瞬く間に修復されていく様子を、一瞬目線を向けて認知する。

 数個ならともかく、数百もの複雑な、それも結界術の頂点の1つでもある空性結界を、マニュアル操作で並列に行う存在。

 その、相変わらずの化け物ぶりと、同時に"甘えた"その行動に、伽藍は顔を顰めた。

 ――自分への警戒など、まるでしていないかのような態度。

 

「だが…嗚呼そうだ」

 

 そうだ、今はそれより、もっと優先することがある。

 目の前で腕を組み、こちらを見つめる全知の術師、天元。

 ――その、人間からかけ離れた御形を見て、伽藍は。

 

「クッ…クヒッ!クヒヒヒ…!」

 

 一瞬、その姿を見た時の硬直、そして次第に興奮が落ち着き。

 今一度冷静に、目の前の存在がどんな姿をしているのかを理解して、伽藍は笑う。

 

「クハハハハハ!なんだ天元、その間抜けな面は!?」

 

 灰色に染まる、円柱状に伸びる頭部。

 本来ある筈の黒目は存在せず、その純白に染まる二対の目が、こちらを見つめる。

 ――この気配、そして4つの目。

 

()()は、お前が望んで成った姿か?いいや違うか、だとすれば皮肉なものだ」

 

 嗚呼、実に惨めなことだ。

 1000年以上己を犠牲に、この国と人間の為に身を投げ出して守ってきた存在。

 それの終わり、術式による肉体の進化が辿り着く先は――

 

「…まるで宿儺のようだな」

 

 魔に染まり、あの平安の世を地獄にした鬼神。

 結界術の究極、浄界を数多に展開し、呪霊の発生と弱体化に勤しむ守護者。

 相反する立ち位置にいるはずの存在、だがその終着は、結局同じということか。

 ――嗚呼、なんて愉快なことだろう。

 

「そういう君こそ、あの頃と比べて随分変わったじゃないか」

 

 伽藍の挑発、しかしそれに対して、天元は特に反応を見せずに返す。

 姿形が変わろうと、やはり変わらないなと、伽藍は舌打ちを零し。

 

「話題を逸らすな、相変わらず説法を垂れ流すのが好きみたいだな、お前は」

「…君がここに来た理由は知らないが、まさかこのまま帰るわけでもないだろう」

「あぁ、今は気分がいい…そうだな付き合ってやろう」

 

 ――カシャアアア…

 伽藍、そして天元の2人が同時に腕を振るい、純白の壁と、崩壊した瓦礫のアンバランスな空間が捻じれ、変化する。

 無機質な廃墟は、たちまちモダンな雰囲気を纏った、灰色のソファーと木目調のタイルで彩られた、現代の部屋へと。

 空性結界、結界術の応用の1つで、2人はそれぞれ衣装も変えて、そして続けた。

 

「飲むかい」

「遠慮なく」

 

 最初に着ていた、白の礼装ではなく、灰色のシャツと黒いズボンを、そしてそれらを引き立たせるように調整された、更に深く、光を吸い込む黒のコート。

 天元はそれを身に着けて、モダンなこの部屋に合った空気を作り出して、伽藍に問う。

 

「君は…」

「舐めるな」

 

 対する伽藍も、それに抵抗する形で衣服を調整。重厚さのあった着物を捨て去り、すらりとした足が露出する、視線を集める黒のミニスカートへ。

 そして首元を隠すように襟を伸ばし、少し手首が隠れるよう袖の調整された白のシャツ。それらを身に纏って、天元からグラスを受け取った。

 

「受肉…いや、これはあの子の入れ知恵かな」

「現代の服装も悪くはない。まさか、引きこもりのお前もするとは思わなかったが」

「これでも、色々見てきたからね」

「…フン」

 

 ゆらゆら。グラスの中で揺れる、青く光る美しい液体。

 空性結界によって作られた、所詮は呪力と、結界による演算コードが生み出した、実体のある幻、偽りのものだ。

 ミニスカートが揺れる。伽藍は天元から受けとったそれを手に、足を組み直しながら、この偽りの世界に意識を溶け込ませる。

 全ては結界術による偽物。だがそれでも、そこには至高の美があった。

 

「所詮お前(天元)が作ったもの、と…切り捨てるのは簡単だ」

「安心するといい、毒を君に盛る度胸もないしね」

「ほざけ、そもそも反転術式が使えるから意味ないだろうが」

 

 別に、今更この腑抜けに、自分を害する力がないことは見るまでもない。

 伽藍はそう確信している。守護に徹した天元に対して、直接的な戦闘力による妨害など、警戒するだけ馬鹿馬鹿しいものだからだ。

 実際今もこうして、元気に自分の隣に座って、グラスを呷る天元の姿さえ、本物ではない。

 本来ならば天元は、薨星宮本殿のあの大木の中で、死体のように丸まって()()()いる。

 

「呑気なものだ。私に殺されるのが怖くないのか?」

 

 伽藍が先ほど行ったことは、呪術界に敵対しうる行為だ。

 上層部と結んだ縛りのこともある。もし天元がその気になれば、上層部に口出しをする形で、伽藍の行動を縛りの罰に当て嵌めることもできる。

 だが天元はそれをしない。どういう理屈か、現世に強く干渉しないこともそうだ、どういう線引きがあるのかは知らないが、天元には天元の考えがある。

 そして何より、今こうして自分自身が、同じ空間と席にいるというのだから。

 一息。

 

「君は、相変わらず乱暴だね」

 

 向けられた殺意、呪力と熱といった圧力をその身に受けながらも、天元はあくまでも軽くそう返す。

 自身の防衛も、身動ぎの1つも見せず、あくまで諭すように、やれやれといった態度で。

 何も恐れず、あくまでも自然体で。

 

「君が黄泉返ったことは見ていた、あの子と縛りを結んだのだろう」

「…あぁ」

「君の目的は、あの頃から変わらないのかな」

「おい」

 

 待てと。伽藍はより強く眉間に皴を寄せて、歯軋りをしながら会話を止める。

 ずっと昔から、相変わらず変わらないこの仕草。この達観した態度と、自分の全てを知っているかのように諭すような口の利き方。

 伽藍は、これが大嫌いだった。

 

「ふざけているのか?」

「ふざけてないさ」

 

 ――ギヂリ

 一般人ならば秒も持たず、即失神と失禁をしてしまうほどの、濃密な死の匂い。

 血管が浮き上がり、その表情から"不快"以外の感情が消え失せ、そしてスン…と無表情に戻る。

 伽藍は、ゆっくりと手のひらを向けて

 

「"(ユウ)"」

 

 右手の人差し指、そして中指を拳銃のように見立て、天元に向かってそれを向け、そう呟くと同時に、術式を発動する。

 禍津日(マガツヒ)による筋線維の生成、それが瞬きする間に広範囲に根を伸ばし、そしてワイヤーのように、硬く張り巡らされた肉の触手が、辺りを覆いつくす。

 だが、それら全ての触手には、伽藍の莫大な呪力出力による、絶命の一撃が込められている。

 

「…前より強力になっているのか」

「狸が、お前の目的に気づいていないとでも?」

 

 空中で連結し、天元の首を狩るかのように配置された肉の触手。

 それらが呪力特性による熱で、更に熱く輝くと同時に、伽藍はそれを更に、天元の首に向かって近づける。

 

「お前が。私を星漿体の護衛への参加を認めたのは、私に対する当てつけか?」

「………」

「私にも、同化を止めさせようとでも?」

 

 ――くだらない。

 実にくだらないことだと、伽藍は呆れを込めた息を吐いて、両手を上に向けた。

 その目には、先ほどの敵意が少し薄れ、失望の色がより強く写っていた。

 

「馬鹿馬鹿しい、そしてどこまでもお前は愚かだ。私の何を見てそう思う」

「1000年前の、あの同化ぶりだね。私()()がこうして会うのは」

「あ?」

 

 同化とは文字通りの合体。星の資格を持った者と、天元が同一の存在となり、肉体と記憶が合成される。

 つまり、今の天元の中には、薄れてはしまったものの、確かにあの頃の――

 

「気色の悪いことを言うな、私の知り合いに、勝負を捨てた腑抜け者はいない」

「腑抜け…か」

「あぁ、お前は腑抜けだ」

 

 ――あの、勝負の約束を結んだ少女。

 

「そして天元、お前は…」

 

 そして、再び変化する空性結界。

 モダンな空気を醸し出すリビングが、瞬く間に純黒の空間に変化し、その天井を赤い炎で埋め尽くす。

 肌を焼かれそうになるその温度と、自身の記憶を刺激する光景に、天元は身体を強ばらせる。

 この熱は、天井にある炎のものか、それとも――

 

「…この子()も、申し訳ないとは思ってる」

「なぁ、天元」

 

 ――ズシンと、空気が更に重くなる。

 その、禍々しく光る目が、暗闇の中で、赤く輝く呪いの目が、天元の全身を鋭く貫く。

 そこには、純粋なある疑問。

 

「あの日、全てを忘れて削られた日々」

 

 自身の記憶、歴史を忘れ、いいように飼い慣らされていたあの時代。

 ――だがそれでも忘れなかった。"勝負"という自身のオリジン。

 伽藍という人間を彩る、その背景。

 

「…いや、それはいいか。しかしもういい加減、お前の的外れな懺悔は充分だ」

 

 ――天元はわかっていなかった。

 何故、伽藍は自身を憎むのか、何故これほどまでに怒っているのか。

 そして何より。

 

「お前は私を、どれだけ侮辱すれば気が済むんだ」

 

 ――伽藍という人間の、歪んだ価値観を理解できていなかった。

 

「君のことはよくわからないな」

「当たり前だ。私のことを知るのは私だけ、私を理解するのは私だけ」

「…あの子もかい」

「羂索…は、むしろ近いか?いやどうだろうな」

 

 誰にも語ることはなかった、伽藍という人間の価値観の全て。

 彼女を敬い、恐れる者、彼女を憎み、怒る者。

 そしてかの呪いの王と、唯一隣に立つ友でさえ、伽藍という存在を知らない。

 ――まだ、その口から漏れていない。

 

「"勝負"というのは、人間に限らず。生命が持ち、そして自ら忌避するものだ」

 

 再び、空性結界にヒビが入り、その空間が新たに染め上げられる。

 その景色は、先ほどの熱く燃える、あの禍々しい世界とは違う。

 それは、辺り一面凪の水面。

 

(よろず)が言っていた…"戒律と、それから来る憎悪では愛を超えられない"…それは確かに、ある意味では正しい。だが私は違う」

 

 そうして紡がれる、伽藍という人間の本音。

 一歩、足を踏み入れる度に、モダン風の衣類が黒く光り、そして別の姿へ変化する。

 

「戒律も、人の善意も。全ては"原初の闘争"から始まったものだ」

 

 純白に輝く白のベールが、伽藍の身体に纏わりつき、そして修道女を思わせる形へ。

 全身に刻まれた紋様が、赤く光を放つ長髪が、全てが変化し、元の姿へと戻る。

 

「"何かを食べたい"…"何かが欲しい"…"何かを何処か遠くにやりたい"……その"何か"に対する、物欲や色欲、食欲…悪意といった個人の求める願望がぶつかり、そして"闘争"は生まれる」

 

 月。辺り一面に広がる凪の景色が、空に浮かぶ月を映し出す。

 天元は未だ静かに、目の前の、かつて星の資格に踊らされていた少女の、今を見る。

 しかし、その姿には。

 

「約束、ルール…戒律に法律。それはいい、だが私が許せないのはただ1つ…"闘争"だ!嗚呼くだらない!闘争を封じた世界など、大人数の善意によって成り立つただの歯車!そんな人生、何が楽しいというのだ?」

 

 足を踏み入れ、水面に波が生じて月が歪む。

 ばしゃっ、そんな耳を癒すような音も、この演説の前では何の役にも立たない。

 どこまでも自分勝手で、強者に位置する自分しか興味のない、そんな思想。

 

「闘争こそ、この世で最も厳守されなければならない権利だ。逆恨み、私怨の復讐。そしてそれらが生み出す第二の、第三の悪意と報復の歴史…人はそれに適応し、再び闘争の意を取り戻す」

 

 水飛沫が舞う、伽藍は踊る。

 赤から戻り、その美しい銀髪が、水と共に宙で踊る、幻想的な風景。

 だがその美しさとは裏腹に、彼女の目はあまりにも、おどろおどろしい赤で染まっていた。

 

「闘争…勝負こそ人間の華。そして私の人生は勝負であり、勝負のもとに、全てが決まる」

 

 魔の者の証明である、その全身に刻まれた紋様を消して、完全に元の姿へと戻る。

 そして伽藍はその右手を前に、そして握って続ける。

 

「両面宿儺を超えるため、私に真の意味での敗北は許されない。故にだ、私はお前の因果が憎い」

 

 ギリィ…骨が軋んで音が鳴るほど、その右手が硬く握られる。

 そしてその握力以上に、伽藍は全身から呪力を放出し、呟く。

 

「私の望んだ勝負を、決着をお前は侮辱した。勝つことは勿論、敗北による不利益の許容も、私は飲み込んでやるつもりだった」

 

 ――だが、実態は違った。

 

「何が因果だ、何が六眼だ。私の望んだ勝負の行く末は、最初からお前の手で決まっていただと?」

 

 因果の介入。それこそが、伽藍という人間が唯一、認められずに怒りを向けた理由。

 勝負を誰よりも尊重し、重要視する彼女という人間が、自分で決めたはずの勝負に、天元という第三者の介入があったことに気づいた。

 

 ――その怒りは、何事にも変えられないものだった。

 

 もしもあの時、伽藍が盤星教の人間に負け、天元と同化することになったとしても、伽藍は全てを受け入れた。

 敗者として、あらゆる要求や辱めを受け入れ、そして黙って死んでいただろう。

 天元が唯一、伽藍を誤解していたのは――

 

お前(天元)も、お前(星漿体)のことも…」

 

 伽藍は最初から。

 

()()()()()()()()

 

 彼女(星漿体)のことなど、最初からどうでもよかったこと。

 

「…君の闘争についての思想はわかった。だがそれはあくまで、闘争についてだけ」

「あ?」

「君は、何故戦う」

 

 ぴちゃん、舞った水によって濡れた髪と、純白の布が重みを増して、水面に再び波を作る。

 その、濡れて額にくっつく前髪の向こうで、呪いに染まる赤い目は、疑問の光で輝いた。

 

「…?わからん、戦うのが楽しいから?」

 

 あの、王に通ずる巨大な気配。

 見た者を恐怖させる、呪いの暴悪。

 ――それら一切が消えた、呆けた顔と気配。

 

「うーん…まぁ切るのは悪くない…殴るのもそうだし、手段は違うな」

「……」

「となると…あ~そうだ、そうだそうだ!やっと言語化できそうだ」

「…」

「なぁ天元」

 

 まるで、善悪を知らぬ幼子ように。

 

「力に溺れるのはいけないことか?」

 

 二コリと、不気味なほど柔らかい笑顔でそう言った。

 

「あの時代。私は切って、切り伏せ、殺し、生きて…そして常に勝ち続けた」

 

 戦闘狂、バトルジャンキー。

 呪術に魅入られ、王に魅入られ、そして彼を目指して生き続ける闘鬼。

 伽藍の価値観、それらを築き上げた原初の欲求、そして目標。

 

「その度に、私の名は広がっていった。京は勿論…私はそうして、己の存在を証明した」

 

 弱者の守護も、救済も。

 強者の特権も、それに付随する社会の構築も。

 ――伽藍の求める欲に、それらは入っていない。

 

「気に喰わぬ者を殺した、暇つぶしとして殺した、殺したいから殺した。…だが、皆が私を敬った」

 

 自身の武力を求め、飼い慣らそうと接触してきた者もいた。

 純粋なる殺し合い。それを求めてやって来た者もいた。

 ――それらも切り伏せ、そして更に信仰される。

 

「鍛え上げた技術。それらを披露するのは楽しい、そしてそれの餌食となり、死んだ者を見て…更に私を恐れる視線…それが、私はとてもたまらんのだ」

 

 細胞が震えだす恐怖、存在するだけで、周りを不幸にするその呪いの気配。

 伽藍はそれが好きだった。何十年、常に勝ち続け、そして死をまき散らした自分に酔い、そして天下無双を証明する。

 ――しかし。

 

「だがそれでも、あの呪いの王には敵わなかった」

 

 今でも覚えている、あの新嘗祭(にいなめさい)に招かれた、宿儺の姿を。

 神々に祈り、そして五穀豊穣を願う神聖な儀式。それにあの災いの化身を、悪王そのものを呼び出した。

 そして彼を恐れ、畏れ、信仰する滑稽な姿。

 

「力を振るえば皆が魅入る。強大な力は火と同じ、恐怖し、求め…そしてどうしようもなく人という命を、1つに集めて燃やし尽くす」

 

 ギラッと、その瞳の輝きが加速する。

 ――その瞳に、あの呪いの王の御形が幻視される。

 

私も、ああなりたいのだ!

 

 水面の上で、もう一度足を力いっぱい踏み込んで、大量の水を舞わせて笑う。

 両腕を、顔を、頭上に見える月に向けて、そして再び告白する。

 

「力を振るって証明したい!もっと恐れろ!畏れろ!そうして私が王なのだと、この大地に刻み込め!」

 

 大義も理由も、力を抑圧する理もいらない。

 伽藍が力を振るうのは、気に入らないから、何かが欲しいからというだけ。

 どこまでも自分勝手に、この力を振るって弄ぶ。

 

「私が宿儺を殺し…呪いの王を継承すれば、今度は立場が逆になるかもな」

 

 ――だがそれもいい。

 いや、それこそが真の目的。そして自身の望む循環そのものだ。

 伽藍は、そう語る。

 

「私が焦がれ、そして追いついた呪いの王という称号…今度は私から、それを奪おうとする者たちが現れる」

 

 負けたらそれまで。伽藍の自分に付けた価値というのは、何処までも自分中心でありながら、武人の誇りを感じられるもの。

 しかし力を振るう理由は違う。伽藍が力を振るうのは、誰かを殺し、そして命のやり取りに魅入られたのは。

 ――たった1つ、好き放題したいという汚れた欲望。

 

「嗚呼いい…今度はどのような者が来るのだろうな、どのような闘い方を見せてくれるのだろうか…!」

 

 殺意、欲望。それらが呪力と共に練られ、炎となって顕在化する。

 その恍惚とした顔、そしてドス黒い圧倒的な気配と強さ。

 伽藍という人間も、間違いなく。

 

――どのように殺させてくれるのか!

 

 両面宿儺に次ぐ、暴悪なる王の資格を持つ者だった。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「君はあの時、間違いなく星漿体の彼女と仲が良かった筈だけど」

「あ?もうどうでもいい。正直、顔も特徴も思い出せん」

「…やれやれ、やっぱ似た者同士だね」

 

 ――薨星宮本殿。

 そこに集まり、羂索は伽藍の会話を聞き終えた後、首を振って笑う。

 伽藍が先ほど、極ノ番によって破壊し、そして滅茶苦茶にした地面、空性結界は完全に修復されており、先ほどまであった、地下まで繋がる巨大な穴は、見る影もなかった。

 その仕事の速さに、伽藍は顔を顰める。

 

「相変わらず引き籠るのが上手い。やはり浄界を複数張る奴は違うな」

「そんな人間の空性結界をぐっちゃぐちゃにしたのは誰さ?流石にあれはびっくりしたよ」

「だが面白かったろう?あの天元が、この私によって面食らったのだからな」

「やっぱ君最高」

 

 ――日が落ちる。

 天元は同化に失敗し、術式によって身体を創り変えられ、そして進化した。

 伽藍はそれを見るつもりだった。目の前で変化し、人から離れていく天元を、鼻で笑ってやるつもりだった。

 だからこそ、伽藍はこうして薨星宮にやって来た、だというのに。

 

「…あいつ、全然自我を失ってなかったぞ」

「うーん、これはちょっと予想外。まぁ大丈夫だよ、どっちにしろ、私たちの計画は揺るがない」

「…結界術というのはやはり面白いな。己の精神さえも留められるのか」

 

 天元は、自身の結界術によって、本来進化する肉体に引っ張られ、消失する筈だった自我を留まらせ、そして耐えた。

 これによって、天元は肉体組織が呪霊に近い存在になりながらも、同化の必要がない、大地と一体化した存在となった。

 ――ここから、全ては始まった。

 

「羂索。面白いものを見せてやると言ったろう」

「…なるほど、ここから本番というわけか」

「あぁ全く…」

 

 因果は壊され、運命は歪む。

 天元は受け入れた。それによって、どれほど危険な未来が訪れるかも知らないで。

 ――いや、知っていて受け入れた。

 

「…つくづく」

 

 笑う。

 

つくづく!

 

 嗤う。

 

つくづく愚かだなぁ!――天元ッ!!!

 

 哂う。

 ゲラゲラと、楽しそうに伽藍は笑う。

 ――やっと、やっと()()()()()のだ。

 

「お前のことだ!どうせ全て見通していた、見通すつもりだったんだろう!」

 

 閉じられ、誰の干渉も受けない薨星宮。

 その奥で、今も眠るようにこちらを見ているであろう天元に、伽藍は声を荒げる。

 

「天内理子の要望は全て受け入れろ?罪滅ぼしのつもりかは知らんが、それがお前の弱さだ!」

 

 天元の、現世の観察条件。

 それは誰にもわからない。わからないからこそ、伽藍の胸の内に残る、この屈辱を晴らすには、これしかなかった。

 

「犠牲に目を背けたいのか?それとも彼らの善意に甘え、己の思考から目を逸らしたか!?だがその結果がこれだ、お前は今回!()()()()()!」

 

 ――そして、答えは。

 

「触れていないだけ?それがどうした!?お前が先ほど、私に対して()()()()を切り出さなかった時点で、お前の負けだ!」

 

 ニヤリと、その顔が更に歪み、瞼と意識が落ちると同時に、呟いた。

 

「私の――勝ちだ」

 

 

 

 

「あぁ、()()()の勝ちだ」

 

 

 

 

 ――こつんと、石畳をローファーが叩く音。

 関係者以外は入れない、この空間に入ってきた謎の存在。

 その、黒髪を靡かせて、新たな侵入者は不敵に笑う。

 

「なるほど、肉体の所有権が変わると片方の意識は消えるのか」

「…………」

「まぁ良い、最悪意識のみを片方に逃がすことができると考えれば上々か」

「…おいおいおいおいおいおい」

 

 何事もないように会話を始めた侵入者を見て、羂索は顔を驚愕で染める。

 面白いものとは言った、そして彼女の出鱈目ぶりも見た。

 ――しかしこれは。

 

「言ったろう?羂索」

 

 ――三つ編みにした黒髪が揺れる。

 その、血の染み込んだ女学院の制服と、そしてヘアーバンドが、彼女の正体を証明していた。

 だがその気配、そして何より、呪力と声と、魔の者の証明である、全身に刻まれた紋様が、もう1つの答えを導く。

 羂索の目の前に立ち、胸に手を当て、誇らしく笑う少女の――

 

「面白いものを見せてやると」

 

 ()()()()のその額には、第三の目が輝いていた。




 敗北=死の武人的な考えは持ってるけど、それはそれとして力振るうのが楽しい!な野蛮人。


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じゅじゅさんぽ.家入硝子

 母の日に出す予定だったお話を消化。


 家入硝子の朝は早い。

 伝統を第一に、由緒正しい呪術を扱う京都校とはまた違い、東京校でもそれなりの情報は集まっている。

 一般人の学校であるような、人体について詳しく書かれた本だったり、先人たちの残した、呪術のマニュアルなど。

 戦闘の行えない家入にとっては、これらの情報は、周りから人一倍求められるものだ。

 

「……だる」

 

 担任の姿が見えないことをいいことに、家入はこっそり持ち込んだタバコを咥え、そして煙を吐きながら呟いた。

 家入は術師の中でも珍しい、反転術式の運用、しかも正のエネルギーのアウトプットができる存在だ。

 だからこそ、危険の付きまとう戦闘要員ではなく、救助要員としての活躍を期待され、こうして広い書物の山に閉じこもっている。

 ――しかしそれにしても。

 

「チッ…あいつら遅いな…」

 

 普段自分の周りでバカ騒ぎし、そしてうざいくらいに絡んでくるあの男たち、普段はあれほどうるさいのに、今となっては少し恋しい。

 最強と呼ばれる2人の術師、五条と夏油は今任務に出ている。

 そのため、家入は朝から、今の今までずっと1人だ。

 

「なんだ、今はお前だけか」

「そ、先輩も任務だしね」

「なるほど、歌姫か」

「そーそ…」

 

 唯一手放しで尊敬できる、自分と同じ女の術師、歌姫のことを想いながら、家入は答える。

 ポウッと、タバコの煙を綺麗な輪っか状に吐いて、背中に体重を掛けながら、今の問いに答え。

 ぐらりと、背を傾けた先の――

 

「…は?」

「久しぶりだな、家入」

 

 目の前。

 文字通り目と鼻の先で、首を後ろに傾けたその場所にいた人物。

 それが放つ赤い目の光が、至近距離から注ぎ込まれた。

 そして、恐る恐る聞く。

 

「……マジ?なんでここに?」

「暇だからな、それに現代の知識にも興味がある」

 

 そう言って、丁寧にバランスを崩さないよう、家入の座る椅子を抑えながら、片手に複数の本を支えて、彼女は言う。

 そうしてゆっくり、椅子の角度を元に戻した後、近くにあったもう1つの椅子を持って、家入の隣に置いて、そこに座った。

 

「ふぅん…これが現代のか…」

 

 特徴的な、斜めに切り揃えられた前髪を払い、その美しい銀髪を輝かせて彼女は――伽藍は本に没頭する。

 伽藍が最初に手にしたのは、家入も入学時に軽く読んだ、呪術の基本が書かれた入門書のようなもの。

 丁寧に1枚、ぺらりとページを捲って、その文字を目で追っていく。

 

「…………」

 

 静かに文字の世界に入り込み、そして集中する伽藍の姿を、家入は自分の読書を止めて、それに魅入る。

 彼女のことは知っていたし、それにどのような時代を生きていたかも知らされている。

 呪術全盛に生きた彼女が、現代の言葉で語られる呪術のノウハウに、どのような反応を見せるのか、それが気になったのだ。

 そうして数秒――

 

「あ?」

 

 さてどうなる。と、思った矢先。

 伽藍は途中で、いきなり声を荒げ、ページを捲る動作を止めた。

 

「……おいおい、これが基本だと?何の冗談だ」

 

 バタン!そんな音を立てて、伽藍は不機嫌そうに本を放り投げ、そして額に手を当て、ため息を吐いた。

 そしてギリィ…と、歯軋りを零しながら、言う。

 

「簡易領域……シン陰が今でも残っているのはまだしも、何故他にはない?たかが門外不出の縛りだろう、シン陰にばかり甘えて、自分で作ろうという気概すらないのか?」

「…えっと」

「なぜ彌虚葛籠がない?まさかあれすらもロクに構築できないのか?いやしかしな…だからといって既存のシン陰を…いや待て待て」

「あの……」

「そもそも結界術の基本もなっとらん!天元の補助ありきでの帳など、天元がいなければ何もできない木偶の坊だ!浄界や空性結界はまだしも…シン陰以外の簡易領域の作り方くらい書いたらどうなんだ?落花の情は…及第点か、そもそも結界術に依存しない、純粋な呪力放出という技術を差し引いても、単純な必中領域に対する反撃としてならともかく、必殺の領域に対する手段としてはあまりにも…」

「…………」

 

 ネチネチネチネチネチネチ。

 退化、劣化した現代の呪術を見て、伽藍はやれやれといった態度を隠さずに、文句を吐き続けた。

 しかし、家入はその言葉の中から聞こえる、浄界や空性結界といった、呪術の達人のみが理解できるとされる単語を聞き、伽藍という人間がどの立ち位置にいるかを理解した。

 

「フン。やはり現代の呪術は駄目だな…呪術は駄目、となると…」

 

 そう言って席を立ち、再び後ろに立つ本の山の中から、1つ、2つと新たな本を引っ張り出す。

 それらを机の上に、バッと散らして広げた後、目に留まった1つの本を取り出して、それを家入に見せた。

 

「お前、確か医学を学んでいるんだったな」

「えっ?」

 

 椅子を引っ張り、家入の隣にくっつくように配置し、本を広げながら、更に距離を近づける。

 ふわりと、伽藍の髪が舞って、家入の真横に、その顔が置かれる。

 そして、すっと本に描かれた絵に指を這わせて。

 

「どうしてもここがわからん」

「え?あぁ…これは、確か…」

 

 伽藍がそう言って指差したのは、現代で言う高校生がやっと学ぶような内容のもの。

 簡単な臓器の名称、そしてその役割や大きさ、成分や見た目。

 しかし、現代の色で綴られたそれは、伽藍の興味を強く引いたらしい。

 

「――これは、ここ。胸の真ん中あたりの絵だから…」

「なるほど、確かに胴を袈裟切りにした時に…」

 

 非戦闘員というのは、やはり逃れられない、妬みの相手となるものだ。

 呪霊と戦うことは、常に死を背負って、命の価値観や己の肉体を犠牲にする、どうしようもない理不尽との戦い。

 故に、安全圏で作業をする家入のような、非戦闘員は蔑みの的となる。

 ――しかし、彼女は違う。

 

「ねぇ、平安術師さん」

「伽藍でいい、なんだ?」

「なんで私に聞いたの?」

 

 伽藍という人間は、呪術に誇りを持った、五条や夏油と同じ、理外の存在に位置する者。

 五条のように「自分以外は弱い」といった、根底的な平等もそうだが、それとは違う、別の価値観がある。

 家入は、それが気になって仕方なかった。

 

「?お前が医学に詳しいから?」

「でも私は弱いよ、呪霊もロクに祓えないし」

「…?それが?」

 

 まるでおかしいと、伽藍は首を傾げて、家入を下から覗き込む。

 その目には相変わらず、蔑みの色など、どこにもなかった。

 

「人の強さは千差万別。お前は確かに戦えないのだろうが…お前には知識という武器がある、私はお前が弱者だとは思わん」

「……変なの」

「そうか?真の弱者とは、"今の自分に甘える者"だ。お前は違う、お前は私から見ても、充分魅力的だと思うが?」

 

 片手を軸に、顔を傾けたままケラケラと笑いながら、そう言い切る彼女に、家入は呆気に取られて言葉を失う。

 彼女の武勇伝、そして悪い噂を聞いて、どこか理解した風だった今までの自分が、まるで間違いだと殴られたかのようだ。

 伽藍は、続けて語る。

 

「群れで助力し、互いを慰めあうのは弱さだ。だが鍛え上げた者同士が、技術や命を交換し、やり取りすることは弱さじゃない」

「ふーん…」

「だから私はお前を選んだ。では、ご教授願おうか?」

 

 ――変な人。

 俄然として変わらない、家入が伽藍に向ける印象はこれだ。

 残酷なまでに実力主義。しかし、彼女の示す実力は、呪術だけに留まらない。

 人という、人間という存在の意欲を尊重する、変わった価値観。

 ――家入硝子はまだ。

 

「…いいよ、付き合ってあげる」

 

 この時はまだ、彼女を理解できると思っていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「…どうした?その花束」

「さっきの任務で貰った」

 

 やっと仕事が終わり、これから一息つけると思った矢先、目の前に現れたこの花束。

 

 ――薔薇。しかも真っ赤に染まる綺麗なものだ。

 

 突如扉をノックする音が聞こえ、何だと扉を開けた家入の前に、突如現れたこの花たちの匂いが、先ほど淹れたコーヒーの匂いと混ざり、少し気味が悪い。

 それらの元凶である花束を、片手で持ったまま、伽藍は首を傾げて問う。

 

「どうした?」

「…誰から貰ったのさ、助けた人から?」

「そうだ、まぁ別に何だという話だが」

 

 伽藍はそう言いながら、きょろきょろと周りに目線を向けて、近くに置いてあったゴミ箱を見つけて、その花を放り投げた。

 ガシャン!と、ゴミ箱が音を立てて倒れ、数枚散ってしまった花弁と共に、地面が汚れる。

 伽藍はゴミ箱に近づいて、落ちた花弁とその他のゴミを、もう一度ゴミ箱に戻して、ガンッ!と思い切りふたを閉めて圧縮した。

 

「…渡したやつも報われないな」

「その場で捨てなかっただけありがたく思え、それに花は腹の足しにもならん」

「…あのさぁ」

 

 無惨に潰れた花たちを見て、家入はため息を吐きながらコーヒーを飲む。

 あれから10年、だがその年月では、彼女の歪んだ心を矯正するには至らなかった。

 いや、最初から彼女は変わっていない、彼女はずっと昔から、この価値観と目のまま。

 いっそのこと、人の心を理解できない化け物ならば、どれほどよかったのだろう。

 

「…なんだ?」

「別に」

 

 人の心を理解している、理解し尊重できるからこそ、彼女の歪さが悍ましい。

 ソシオパスに近いだろうか、どこか自分の持つ感情にさえ、達観した別視点を持つ彼女の心。

 未だ理解が及ばない、彼女のそれを考え、再びコーヒーを淹れ直そうとした家入だが。

 

「あ、あの…」

 

 ふと、鈴が転がるような声が響き渡る。

 その声に反応し、家入は扉の方を見て、そして「あぁ」と、話しかけた。

 そして伽藍も、その新たな存在に目を向ける。

 

「霞、元気そうでよかった」

「家入先生も、元気そうで何よりです」

 

 血は繋がっていない、しかし母と瓜二つ。

 その、斜めに切り揃えられた特徴的な前髪と、青に輝く長髪。

 家入はどうぞと、手で案内をする形で、少女を部屋に招き入れる。

 少女、霞は手を後ろに、何かを隠しながら歩いてきて。

 

「あ、お母さん…その」

「…?」

「えっと、今日はその…」

 

 もじもじと、何とか言葉を続けようと試行錯誤をする霞の後ろで、揺れる赤い花を見て、家入は全てを悟った。

 そうだ、今日は彼女にとっても関わりのある日。だからこそ、霞は今日このタイミングでやって来たのだろう。

 クラスメイトの前では、気恥ずかしくてできないから。

 

「今日、母の日でしょ?だから…はいっ」

 

 そう、顔を真っ赤にして差し出した、赤く鮮やかに光る花。

 カーネーションと呼ばれる、母によく贈られるその花が、伽藍に向けて花開く。

 それを見て、伽藍はしばらく考え込み、そして聞く。

 

「それは、お前が私にか?」

「…うん」

「私の為か?」

「……うん」

「そうか」

 

 ひょいと、伽藍は霞の手からカーネーションを取り、そしてその匂いを嗅ぐ。

 「花か…」と、呟いて、再びその匂いを嗅いで、それを上から、下から眺める。

 そうしてしばらく、くるくるとそれを回転させて、観察してから、言った。

 

「悪くないな、礼を言う」

「…!そっか」

 

 返事はぶっきらぼうだったものの、その言葉に偽りはない。

 その、どこか薄っすらとだが、嬉しそうな雰囲気を察知して、家入は顔を顰める。

 霞はその言葉と行動を見て、満足そうに笑った後、すぐに家入の方に向かって、頭を下げて。

 

「じゃあ、失礼しましたっ」

「元気でな」

 

 楽しそうに、廊下で1回転しながら駆け出す霞の後ろ姿を見て、家入は微笑ましいものを見るように笑う。

 育ての親が育ての親なだけあって、彼女の教育には少し懸念があった。が、どうやら心配はいらないようだ。

 そして、今もカーネーションを持ったまま、興味深そうに観察を続ける伽藍を見て。

 

「母の日には、よくカーネーションを贈るものだそうだ」

「そうか」

「あの子も緊張しただろう、だが喜んでもらえて良かった」

 

 家入は、目の前でそう返す伽藍に、どこか冷たいものを見る視線で、そう話しかける。

 研究者にも似た、あの無機物のような静かさを孕んだ、冷たい視線。

 ――彼女のタチの悪いところはここだ。

 

「感謝の気持ちか…あいつがわざわざこれを選んだのだろう?」

 

 そう言って、嬉しそうに笑う伽藍は、そのカーネーションを上に掲げ、そして再び回転させて呟く。

 

「感謝…ふむ、娘からというのはこんな感じか、いいな」

 

 満足そうに、笑ってそう呟いて。

 

「あいつが花をか…それに贈り物、そうか。まぁ…」

 

 伽藍は、そのカーネーションを強く握りしめた後。

 

「やはり嬉しいものだな」

 

 それを、燃やして灰にした。




 宿儺と違って人の愛は理解できてないけど、それ以外は理解してる(できてない)なオリ主。
 ちゃんと自分のために用意してくれたっていうのも、嬉しいって思う気持ちも理解はしてるけどすぐポイする(花は邪魔だから)。


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20話.玉折①ー従者ー

 理子ちゃん生存ルートです(闇落ちしないとは言ってない)


 ――パチパチパチパチパチパチ。

 

「…悟?」

「……傑か」

 

 盤星教本部、星の子の家。

 そこに集う信者たち。それらが皆、笑顔で死体を囲い込み形で、並び立って拍手する異常な光景。

 瀕死の重傷をなんとか、高専に戻ってから家入に治療してもらった夏油は、この人だかりの元凶である、それを見た。

 この部屋の中心で、正に"最強"となった術師――五条悟は立っていた。

 

「…怪我。硝子には会えたんだな」

「あぁ、私は平気…」

 

 そう、言い切る前に夏油は、五条の腕の中で眠る、少女の遺体を見て言葉を止める。

 血が固まり、脱力したその腕には、一切の生気がなく、彼女がもう死んだことを、どうしようもなく表していた。

 涙を流して、帰りたいと、そう願った彼女の、哀れな今の姿。

 ――彼女は、死んだ。

 

「……ッ、悟」

「なぁ、傑」

 

 目を、周りの信者へと向けてから、五条は一言、親友の名前を呟く。

 未だ、興奮と熱が冷めず、どこか浮ついた思考のままなのだろう、反転術式によって癒えた脳と、そして吹っ切った精神。

 天秤のように。このまま傾いて、取り返しのつかないことになる危なさを秘めた、そんな目で。

 五条は、問う。

 

「こいつら、殺すか?」

「……ッ!」

「今なら、何も感じない」

 

 ――何があった…!?

 五条悟という人間を、誰よりも理解していると自負していた夏油だが、今の彼の姿を見て、その自信が揺らぎすらしていた。

 あの傲慢不遜な男が、ここまで無機質な、冷たく無情な目をすることがあったのか。

 彼が言う、「殺す」の意味とその重さを瞬時に理解し、夏油は歯を食いしばる。

 ――彼のこれからは、自分が握っている。

 

「………」

 

 ――パチパチパチパチパチパチパチパチ。

 今も尚、笑顔を絶やさず拍手を続ける信者たち。

 その気味悪く、殺意さえ湧くような醜い在り方に、夏油は顔を顰める。

 ここで、所詮非術師の彼らを殺すのは、簡単なことだ。

 呪力を込めて、適当に腕を振るうだけでいい。

 ――いや、そもそも自分が。

 

「――いや」

 

 なんとか、震えずに言葉を発して、夏油は五条の顔を見て、そしてそう切り出す。

 ――簡単だ。だからこそ、ここで道を踏み外すわけにはいかなかった。

 

「いい、意味がない」

「……意味、ね」

 

 今ここにいるのは、星の子の家の中でも、呪術を知らない真の一般人たち。

 呪術界を知り、あえて非術師の立場に甘えることで、自分たちから身を守る今回の主犯とは違う。

 純粋に、狂った哀れな人間たち。

 

「それ、本当に必要か?」

「…大事なことだ。特に術師にはな」

 

 ――本当に?

 

(…そうだ、これでいい)

 

 もし、私怨に任せて彼らを害せば、これまでの全てが無駄になる。

 自分だけならいい、それに彼を、親友の五条を巻き込むことは、絶対にあってはならない。

 呪術は、非術師を守るためにある。

 

 ――誰の為に?

 

(術師は、非術師を守るため…)

 

 ――()()()

 

「…………」

 

 そこから先は、よく覚えていない。

 目の前で車に積まれる、天内と道中で発見したメイドの――黒井の遺体が、扉が閉まることで見えなくなる。

 しばらくエンジン音が鳴り、そして車が走り出して、それが小さく見えるまで、立ったまま呆けていた。

 

「…ごめん」

 

 何の意味もない。何の価値もないその懺悔。

 それでも、夏油はそれを呟くしかできなかった。

 そうして、しばらく繰り返し謝罪の言葉を漏らす夏油の隣で。

 

「…天内?」

 

 その時、五条だけが、何かに気づいたように声を漏らしていた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「起きろ、小娘」

 

 声が、聞こえた。

 

「……………うぅん…」

 

 まどろみの中、少しずつ覚醒していく意識と共に、天内は瞼を開く。

 

「……えっ」

「フン。どうやら間に合ったようだな」

 

 ――赤。

 目が覚めた途端、目の前に広がるのは、血と暗黒で染まる不気味な空間。

 視覚に訴えてくるような、そんな殺風景なそれと同時に、耳に入る誰かの声。

 この地獄の中央にある、人骨で作られた山の上で、"彼女"は頬杖を突きながら、大胆不敵に笑っていた。

 

「ここは私の生得領域。お前と私の魂が密接な関係になったからこそ、今こうしてお前はここにいる」

「…伽藍、なの?」

「そうか、この姿を見せるのは初めてだったな」

「でも…だってそれ…!」

 

 あの、黎明のように輝く銀髪ではない。夜の闇を具現化したかのような、その()()()()

 服装も違う、あの高専関係者が身に着ける黒のスーツではなく、リネン僧侶を思わせる白の着物を、片肌脱ぎにした独自のスタイルで、伽藍はそこに座っていた。

 ――だがしかし。

 

「嗚呼。この身体も悪くはない、そうだろう?」

「…私、が…いる」

 

 ――目の前にいるのは、間違いなく()()1()()()()()()()()()

 その、片肌脱ぎによって露出した肩と腕、そして綺麗に組まれた、すらりとした細い足は、自分と同じ姿とは思えない、独自の色気を醸し出していた。

 右腕に走る黒の紋様。そして暗闇の中で目立って光る、額に見える第三の目すらも、その装飾はどこか麗しい、妖気すら感じるものに仕上がっている。

 同じ人間であるはずの彼女が、今はどう見てもそうとは思えない、人外じみた異質な気配を醸し出しながら、頬杖を突いた姿勢を変えず、視線を向ける。

 

「お前が目覚めるのを待っていた。記憶はどこまである?」

「ここは…それに私、確か…」

 

 あの、脳を貫く熱い衝撃。

 耳に残る鉄の音、そして最後に見た、自分の頭から噴き出す血液。

 覚えている。そしてすぐに答えにたどり着く、そうだ、自分は。

 ――天内理子は死んだ。…そのはずだった。

 

「言ったろう。ここはあの世ではない、私の生得領域だ」

 

 ザプン!と、一面に広がる赤い水面が破裂し、水飛沫を上げて、伽藍は降り立つ。

 その、額を含めた3つの瞳が、それぞれ独立した動きで視線を向けて、ギョロリと天内に向けて固定される。

 そして一歩、天内の前に近づいて、そして話しかけた。

 

「条件は3つ。それを吞み、そして受け入れるのならば…私がお前の身体を治し、そして()()()()()()()()()

「……えっ?」

 

 さも当然かのように、生き返らせると言い切った彼女に、天内は掠れた声を漏らして反応した。

 生き返らせる、どうやって?それに自分たちは本当に死んだのか?じゃあ今目の前にいる彼女は何なのか…

 疑問が疑問を呼び、そして連鎖して新たに生み出されていく。

 

「私は宿儺ほどではないが、反転術式にはそれなりに自信がある。しかしそれでも精々、身体部位や脳の一部の欠損を修復するのが限界だ」

 

 だが。そう付け足して、伽藍は首を捻ってから言う。

 自分と同じ顔なのに、そこには自分以上の、輝きに満ちた自信があった。

 

「だから私は縛りを設けた。内容は…反転術式のアウトプット。簡単に言えば、他人を治すことができなくなる代わりに、自分を治す時の消費呪力の低下と、治療速度と精度の上昇だ」

 

 しかしそれだと矛盾する。と、伽藍は語る。

 

「わかっている、それなら何故自分を生き返らせられるのか…だろう?簡単だ、治すのは確かにお前だが…()()()()()()()()

 

 さらり。天内の耳に手を添えて、そして髪に触れると同時に、伽藍は更に一歩近づく。

 その、赤く輝く呪いの瞳に、じっと魅入られながらも、天内は耳を傾ける。

 

「私とお前は一心同体…お前は私にとって、心地よい"檻"そのものだ。あくまで私は、私の怪我を治すだけ、わかるか?」

 

 それだけではない。そのことは、伽藍という人間を詳しく知らない、天内でもわかることだった。

 何故ここまで、彼女は楽しそうに笑うのか、何故今もこうして、自分に優しく触れるのか。

 

「だが、勘違いはするな」

 

 ぐいっと、突如首を掴まれて、顔を上に向けられる。

 至近距離の、上から覗き込むように見つめる伽藍の、その赤い視線が熱を帯びる。

 ほんの数cm、唇と唇が触れそうになるほどの距離感で、伽藍はその無機質な瞳を注ぎ込む。

 首に添えられた右手と、髪を撫でる左手は、赤い視線の持つ熱とは別に、氷のように冷たかった。

 

「お前に選択肢はない、お前の選択権は私が握る。お前の未来も、価値も…」

 

 夏油の贈った、あの輝くような優しい言葉ではない。

 それは、悪魔の取引だった。

 

「――全ては、私のものだ」

 

 どれほどそうしたのか。

 気が付くと、無理やり支えられていた手が解かれて、自由になった首が、ひりひりと痛みを発していて。

 目の前に、彼女が差し出した右手があった。

 

「条件は3つ。1つは"これからの自分の人生を、私にのみ捧げること"…そして2つ目は"私が許可した内容以外を、口外することは禁ずる"…まぁ、基本はこれでいい」

 

 難解で複雑、他者との間に発生する言葉の縛りを、伽藍はすらすらと音読、そして内容を提示する。

 天内にとって、それらがどのような価値を生むものなのか、どのような意味があるのは理解ができない。

 だが、伽藍という人間の今までが、それらが一切の無駄がないものだと、証明するには充分だった。

 

「最後。3つ目の縛りは簡単だ、基本、身体の所有権はお前優先だが…私がある言葉を使った時のみ例外で、問答無用で"所有権を切り替える"というものだ」

 

 ふむ…そう片手で顎を摩りながら、しばらく考えて。

 

「合言葉は…そうだな、久闊(きゅうかつ)にしよう。"私がこの言葉を使った場合は、無条件に身体を明け渡せ"」

 

 これにより、縛りの内容提示と成立までの一歩手前の状態が完成した。

 ――あとは、天内がこれを受け入れるのみ。

 

「さぁ、起きろ」

 

 右手が動く、それがぴたりと、目の前の彼女の手に触れる。

 天内理子は、この悪魔の取引を――

 

「お前には、やって貰わなければならんことがある」

 

 手を握って、受け入れた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

「と、いうわけだ」

「いや意味わかんねーって、なに?君呪物になる時のあの感覚掴んじゃったの?」

 

 いやいやと、その言葉にツッコミを入れて、羂索はため息を吐いて目を瞑る。

 ぽくぽく。蒸した茶葉と、部屋に広がる畳の匂いが混ざり合って、独特の和やかな雰囲気をこの空間の中に作り出していた。

 部屋の中央に置かれた、茶色の机を囲うような形で、3人…いや、4人は会話を続ける。

 

『しかし"檻"というのも存外悪くない、知識も増えるし、何より新しい身体というのも新鮮だ』

「うおっ…本当におでこから声がする…」

「鏡貸してあげようか?」

 

 ひょいと、天内は目の前で、ニコニコと笑う羂索の手から鏡を借りて、今の自分の顔を見る。

 いつの間にか意識が戻り、こうして再び生を受けた彼女は、興味津々で今の変化を、意識を失い眠っている伽藍の隣で確認していた。

 じっ…と凝視して、しばらくその姿勢のまま固まっていると、再び額に目と口が現れる。

 

『ほう?鏡越しに見る私はこうなっているのか』

「うぎゃあああっ!?なにこれ!?キモッ!!私の身体どうなってるの!!??」

「おい、一応それは私の片割れだぞ。まぁ宿儺の指換算で…たかが1本分のだが」

「あれっ消えた…」

「あー…だから遺体を食べて魂の補給をしたのね、そりゃ完全体のままがいいか」

 

 同心円状の模様が刻まれた赤色の単眼と、その下に生える形で現れる口。

 その未だ実感の湧かない、自分が"檻"となった事実に驚きながらも、天内はそろりと、それらが先ほどまで生えていた額を手で撫でて、呟く。

 

「てことは…伽藍は2人いるってこと?どっちが本物…というか本体?」

『本体も何も、この弱く別れた方の私も"伽藍"そのものだ。…まぁ、強さに限定してどちらが本物か?という問いなら…勿論"そっち"が本物だ』

「まぁそうなるよねぇ」

 

 今度は額ではなく、天内の右手の甲に、にょきっと口を出して、もう1人の伽藍はそう答える。

 それに「ぴぎゃっ!」と声を出して驚き、ぱちん!と、天内が手の甲を叩いて騒ぎ出したのを見て、羂索は「ところで…」と切り出した。

 

「身体は違っても意識は同じ…天内理子の肉体に意識を傾ければ、本体の意識が消えて動けなくなるってことでいい?」

『その間、私は天内の身体を自由にできるということだ』

「あー、だからそっちの伽藍は寝てるのか」

 

 本体である伽藍が眠れば天内へ、天内の中の伽藍が眠れば本体へ。

 分割した魂による複数体の受肉というイレギュラー、それがこれの原因なのだろう。

 

「君も伽藍で君も伽藍…名前が同じなのはまぁ…一応同一人物だから仕方ないけどさ?あまりにもややこしくないかい?」

『ふむ…それは確かにそうだ、名前変えるか?』

「軽すぎウケる」

 

 あまりにも早すぎるその切り替えに、羂索はどっと笑い出して手を叩く。

 彼女らしいと言えば彼女らしい、どうやらフィクションでよく謳われる、自分VS自分なんてことは起こらなさそうだ。

 羂索は続ける。

 

「いや、どっちかというとコードネームに近い感じかな、それも君じゃなくて…天内理子のね」

「…嗚呼なるほど」

 

 ふむ…と、意識を切り替え腕を組んで考える本体の伽藍と、天内の額から溶けるように消えたもう1人の伽藍。

 それらを交互に眺めた後、羂索は言った。

 

「正直、天内理子の復活は私の予想外だったよ。天元も同化に失敗し、予想外の戦力も手にしたんだ、これを失うのはあまりにも惜しい」

「つまり」

「受肉の影響と小さく分けられた魂のおかげで、答えに行きつく人間は少ないだろうけど…万が一もあるだろう?」

 

 最大の悩みである五条悟、そして夏油傑に彼女の生存がバレるのは面倒臭い。

 なによりその代償の"受肉"というのもかなりグレーなものであり、それに彼女を上手く使いたい羂索にとってもそれは避けたい。

 伽藍はフンと「だろうな」と言わんばかりに息を吐きながら首を傾けた。

 

「そうだな、裏梅のように好きに使うためにも必要か」

「…ん?なんで裏梅が出てくんの??」

「実を言うと宿儺が羨ましくてな。私も欲しかったんだ、裏梅のような従者が」

「えっマジ?」

 

 まさかのカミングアウトを零した伽藍に、羂索は目を見開いて驚きを露わにする。

 それもそうだ。あれほど負けず嫌いで、意地っ張りな彼女が、まさかの「羨ましい」という言葉を使うなんて。

 この驚きも、仕方が無いものだった。

 

「ふむ、梅…そうだ花から取ろう、春と秋……そうだ、桜蘭(おうらん)だ」

「え、そんなアッサリ?私それ名乗らないといけないの?」

「……」

 

 羂索が「えぇ…」と困惑を隠さないまま、目の前で伽藍は「意外といいな」と、噛み締めるように呟いていた。

 その間、まさかのフィクションでよく見ていたコードネームの付与というイベントを経験してしまった天内は、呆然と呟いた。

 

「なんか…これから慣れていくんだろうなぁって思う自分が怖い…」

「あー…まぁいいんじゃない?これから一心同体なんだし」

「…大変ですね、色々」

「…長生きしてるからね」

 

 死んだ目で見つめ合いながら、天内と羂索は互いにはぁー…とため息を吐く。

 お互いに非常識の世界に住む人間だが、一応、一般人の持つ常識というものも理解はしている。

 だからこそわかる。今の自分の状態が、どれほど異常なものなのかを。

 

「伽藍が苦労かけるよ」

「かけられますよ、これから」

 

 昔から知っている、伽藍という人間の奇想天外な行動と。従者という立場に縛り付けられた、天内のこれからを想像して、羂索はそう言葉を贈る。

 天内もそれを既に覚悟していたのか、目の間の指でつまんで、本日何度目かのため息を吐く。

 そして。

 

「あぁ、そうだ伽藍」

「なんだ」

「単刀直入に聞くけど、なんでその身体を手に入れたのさ」

 

 羂索は伽藍にそう聞いて、こてんと首を傾げて返事を待つ。

 天内もその答えが気になるのか、隣に座る伽藍へ視線を向けて反応を待った。

 そうして暫く考え込んで、伽藍は一言返す。

 

「…嫌がらせ?」

 

「は?」

「天元への嫌がらせ?あー…どうせ同化するなら不純物にしてやる…的な」

「…あ、そう……」

 

 絶句。

 それはもちろん羂索だけではなく、天内ですらも同じ反応を見せ、そして口を開けたまま硬直していた。

 …いや、流石にわかってはいる。言葉の通りなのはそうだろうが、彼女の目的はちゃんと他にもあるだろう。

 ただ今はこれしか言わないだけで、必ず何か、彼女はやり遂げるはずで――

 

「ま…まぁ…今はいいや……ところで、身体の所有権とかはどんな感じ?」

「あ、そのことなんですけど…」

 

 話題を変えようと、再び天内に話しかける羂索。

 その問いに答えようと、口を開いた天内だったが。

 ――それより先に、伽藍の口から言葉が紡がれた。

 

「"久闊(きゅうかつ)"」

「たし、か――」

 

 ――ドクン!

 

「…へぇ、なるほど」

「――嗚呼、やはりこの肉体も悪くない」

 

 突如だ。肉体だけでなく、気配や呪力といったあらゆる存在感が、何の前触れもなく、突然ぐるんと変化した。

 眠るように意識を失う伽藍の隣で、パラパラと、殻が破れるような形で天内の目の色が変化し、そして同心円状の赤い目が現れて、ギョロリと視線を周りに向ける。

 肉体こそ天内のものだが、額に生じる第三の目と、全身に刻まれた紋様が、彼女も魔の者であることを明らかにしていた。

 羂索は興味深そうに呟く。

 

「縛りによる肉体所有権の強制切り替え…これなら表に立ってる人格が気絶したとしても、内から声をかければすぐに復帰できるってわけか」

「そういうことだ、見抜くのが早いな」

「…で、()()()()は?」

「あるわけないだろう」

 

 ガタンッ!と甲高い音を立てて、肘で机を突き、天内の身体と顔で、天内らしからぬ狂暴で、自信に満ちた笑みを纏って、桜蘭は言う。

 

「私の縛りは"所有権の切り替え"…切り替えだ、切り替え。ここまで言えば流石にわかるだろう?」

「あー…ズルくない?それ」

「良い良い、この程度は治療代の一部だ」

 

 ぐびっと目の前に置かれた湯呑を手に取り、流し込むようにしてお茶を飲みながら、伽藍は「さて…」と切り出す。

 

「そろそろ、本題に入ろうか」

 

 そして再び降りる硬直。その空気は、今までとは比べ物にならないくらいに、重い。

 

「まずは、"こいつ"の事からだ」

「あぁ」

 

 目の前に置かれた湯呑を手に取り、伽藍はやかんに残っていた余りのお茶を入れながら、話す。

 

「私が求めるのは…羂索、お前に天内の育成を頼みたい」

「ほほう?それはそれは」

 

 カタンッと無造作に置かれたやかんの音と、そして同時に伽藍が湯呑を手にして、お茶を飲みだす音が同時に鳴る。

 羂索の目は、伽藍に対して今も、まっすぐに向けられたままだった。

 

「天元が愚かにも捨て、そして目を背けた、壊れた因果に見放された星漿体…しかも天内の天元への適性は、他に類を見ないレベルだ」

「だから、私たちが使ってやろうと?」

「そうだ、ただでさえ壊れた因果を、星漿体そのものの手によって直接、更にぐちゃぐちゃにできるんだぞ?」

「なるほど、そりゃ確かに面白い」

 

 ごぽぽ…伽藍が持つ、空になった湯呑に向けて、羂索がやかんを傾けながら、まるで悪戯を考えている子供のような表情で、その提案に頷く。

 

「それに、天内理子と五条悟の関係性も…悪くはないしね。いいよ、私のあらゆる結界術のノウハウをお教えしてあげよう」

「助かる」

「じゃあ最後は私」

 

 はいはーいと、調子よく右手を挙げてそう言う羂索に、伽藍の視線が集中する。

 そしてしばらくして、いつの間にか天内の身体から移り、元に戻った伽藍と天内の2つの視線に反応し、羂索は言う。

 

「私は…うん、特にないかな。あとは駆け足で行くだけだよ」

「だろうな」

「えー?」

 

 伽藍はそう言葉を返して、硬く険しかった空気が和んでいった。

 敵は多い、困難の壁も遥かに高い、だがここにいる"4人"を、誰も止めることはできない。

 かくして、千歳を超えた会合は、再び強く結ばれる。

 

「じゃあ、これからもよろしくね」

「嗚呼、改めてよろしく頼む」

 

 そう、この会合を締めくくろうとした時、ピーッ!と、部屋に響き渡る、甲高い機械音。

 羂索が「いっけな~い」とわざとらしく、部屋の扉を開けて鳴き声の元へと駆け出していく。

 そしてその後姿を、伽藍と天内は静かに見つめていた。

 

「…そろそろ飯か」

「そうだね」

 

 鼻腔を擽る、炊けた白米のいい香りが、扉を通ってこちらにもやって来る。

 いつの間にか話に夢中になっていたが、今の時間はちょうど晩飯にはぴったりだ。

 高専関係者からの追及は面倒臭いが、この空腹には逆らえない。

 

「おーい、せっかくだからご飯食べていかない?」

「食う」

 

 即答。

 伽藍はひょいっと、扉の向こうから覗く形でこちらに問いかける羂索にそう答える。

 その隣では、天内が先ほど起こった所有権の強制切り替えがよっぽど不思議だったのか、己の手のひらに向けておずおずとした視線を向けている。

 そしてそんな和気藹々とした空間を、ニコニコと眺める羂索の後ろから、もう1人が冷たい目で見ていた。

 

「…あ」

 

 その人物の正体に気づき、伽藍は「あぁ…」と手をポンッと叩いて納得したあと。

 

「悪いな倭助、しばらく邪魔させてもらうぞ」

「帰れクズ共」

 

 いつかの病院で会ったきりの、あの老人に話しかけ、そしてピシャリと拒絶された。




 虎杖家にお邪魔する平安コンビ。


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21話.玉折②ー間章ー

 約三か月ぶり、あと今回から大分書き方とか雰囲気とか変わってるかもしれない。
 多分この世界線だと青のすみかが流れる背景で羂索と伽藍が仲良くガネーシャ呪霊狩ってアオハルしてる。
 (久しぶりすぎて書き方忘れちゃってるからめっちゃ短い、ごめん)


 あの、護衛任務から一年後の夏。

 災害の影響もあったのか、蛆のように呪霊が湧いた夏。

 まだ殺傷力を孕んだ日差しを浴びながら、夜蛾は歩く。

 校舎を出てすぐ右に見える、木下で眠る彼女に話しかけた。

 

「伽藍、少しいいか」

 

 呪術高専、東京校の庭に生える木の下。

 草と土で構成された自然のベッド、その空間を贅沢に貸し切った2人の人間。

 夜蛾の声に彼女、伽藍は変わらず陰の中で寝転びながら、灰色の前髪をかき上げて返す。

 

「夜蛾か、何の用だ?」

「今日、任務の予定は」

「あったらこんな風に時間を使い潰したりはせん」

 

 "術師殺し"そして天元の"同化"の失敗。

 だがその代償として、最強の術師であった五条悟は、よりその存在を高位のものへと至らせた。

 より脅威を増す五条の力に比例して、彼は1人であらゆる村、街へと駆り出されて力を振るうようになった。

 そのしわ寄せが来たせいだろう。その結果、五条以外の術師…特に伽藍は暇であった。

 

「なら良かった、ある一年の術師についてやって欲しいんだが」

「あ?」

 

 五条には届かぬ、しかし間違いなく絶対的強者である彼女。

 伽藍の存在は、1級や2級呪霊の討伐には決して収まらない程のものである。

 それ故に、伽藍は夜蛾の言葉に顔を顰めた。

 

「つまりそれは…私にそいつの面倒を見ろということか?」

「そうだ」

「それはまた突然だな」

 

 伽藍は自身に投げかけられたその言葉に、まるで予想外だと首を捻る。

 ため息を吐いて、その後自身の腹の上で寝転ぶ少女、己の娘の青髪を弄りながら、ふむと考え込む。

 その仕草は一年前と変わっておらず、彼女の瞳には退屈の光が帯びられていた。

 

「理由は」

「悟たちは別の任務だ。それに、前からお前には会わせておきたかったのもある、いい刺激になるだろう」

「だが何故私なんだ?私が行ったところで、どうせすぐに片がつく…見るだけではロクな経験は積めんぞ」

「………」

 

 術師の成長とは、文字通り命の危機を経験してこそだ。

 伽藍はそう考える。肉を、骨を裂かれて、折られても濁らない意志の強さ、それに付随する呪術の成長。

 それを失ってもなお、夜蛾は伽藍に話を持ち掛けた。

 

「…本来は、ただの2級呪霊の討伐任務だった。だが、任務先の村の歴史を調べてみた結果…」

「あーもういい、とりあえず嫌な予感がした…ということでいいか?」

「…あぁ」

「そうか」

 

 切り離された村、歴史と呪霊。

 おぼろげながらも話の輪郭を理解し、伽藍はしかし深く考えずに切り捨てた。

 

「あー…そうだ確か七海と…灰原といったか?まぁいい、丁度暇を持て余していたところだったしな。それに…"試運転"の予定もあった」

「…そうか、なら頼む」

「あぁ」

 

 伽藍はそう返し、重心が崩れないように、自分の上で眠る娘、霞の身体を片手で持ち上げて、支えながら起き上がる。

 まだ昼寝中なのもあったのか、伽藍に抱かれたまま、歩く際の振動でも彼女は起きなかった。

 適当な車を見つけようと視線を向けたその時、一瞬だけ校舎の方に視線を向けてから「あぁ…」と言葉を零して歩き出した。

 

「丁度いい、あいつがいるのか」

 

 伽藍は、今ちょうど教室から出てきた男に向かう。

 

 

 

 

 

「うげっ…」

「なんだその面は」

「ちょ…マジで勘弁してくれって!」

「断る」

 

 伽藍が話しかけた途端、すぐにその顔をしかめて、早歩きで去ろうとした男。

 しかし一歩踏み出した途端、首を潰す勢いで腕を伸ばし、そして華奢ながらも恐ろしい指の力で捕らえられる。

 ジタバタと抵抗する男に対して、伽藍は変わらず拘束を続けた。

 ミチ…と鈍い音が鳴る。

 

「タンマタンマ!逃げない!マジで逃げないって!」

「それでいい。すぐに終わらせてやるから、安心して私の言うことを聞け」

「あ~…」

 

 伽藍の剛力に、男…日下部(くさかべ)篤也(あつや)は尻すぼみになっていく悲鳴を漏らす。

 彼は伽藍の言葉を聞き、動きを止めて「はぁ…」とため息を吐いた。

 強情な彼女相手に、自分では太刀打ちできないと悟ったのだろう。

 

「…拒否権は?」

「返事はOK。もしくはハイか分かりました、後は了解だけだ」

「拒否権は??」

「返事」

「OKハイ分かりました了解です」

 

 日下部は口笛を吹きながら、目の前で「そうだそれでいい」と言わんばかりの伽藍に白い目を向ける。

 そしてふと、彼女の背後にあるもう1つの気配に気づき、覗き込むようにして身体を傾けた。

 

「おっ」

「あっ」

 

 びくりと肩を震わせてから、少女は顔を上げる。

 

「…」

「…」

 

 じーー…

 

「……」

「……」

 

 互いに視線が交差する。

 

「………」

「………」

 

 じーーー…

 

「初めまし」

「初めまして!」

「お、おお…」

 

 ぱあっと花が咲いたような笑顔に押され、日下部はつい仰け反りながら声を漏らした。

 サラサラとした少女の頭部に手を置きながら、伽藍は話す。

 

「日下部、お前シン陰の門下生だったろう」

「…え、マジ?」

「こいつも入れろ、ついでに私がいない間も、お前が見ていろ」

「…えぇ~……」

 

 めちゃくちゃである。

 門外不出の縛りによって得られる恩恵、秘匿された技術をよこせと言う。

 あまりにも傲慢で、そして変わらぬ唯我独尊っぷり。

 やはり彼女は実力は劣るとはいえ、五条と同じ存在なのだと理解した。

 

「見ておけ、しばらくすれば帰ってくる」

「はっえ、ちょ…」

 

 日下部の言葉を完全に無視し、伽藍はそのまま歩き出した。

 申し訳なさも、頼みを聞いたことの感謝も何もない、傲慢の背中。

 そして同時に見えた、細長い黒の包と呪いの気配を、日下部は見た。

 

 

 

 


 

 

 

 

「初めまして!僕は…」

「灰原、彼女はもう知ってます。あとその挨拶もこれで3回目です」

「初めまして!」

「……」

 

 ――なぜこうなった。

 両隣に座る彼らから目を逸らして、呪術高専一年生、七海建人はそう内心で呟いた。

 左で騒ぐクラスメイト、灰原雄は普段から元気に溢れた男だったが、今回は"彼女"が相手だ。

 七海が信頼はしているが尊敬はしていない、実力以外は話にならないと、そう五条に対して思っている。

 彼と似てはいるが、どちらかと言えば静かな方に当たる、彼女の傲慢で堂々とした性格なら、少しは静かになると思っていたのだが…

 

「伽藍さん!好きな食べ物はなんですか!」

「食えるものならなんでも」

「食べられないものってなんですか!」

「木と石」

「なるほど!」

「……」

 

 何だこの会話。

 面白味もない、意味もない退屈な会話な癖に、妙に音量だけ大きいのが余計に腹が立つ。

 彼女も彼女で、一回目律義に無視をせずに返事を返し続けているのも原因だろう。

 こういうタイプは、反応を貰うと更に騒ぐせいで余計うるさくなるというのに。

 

『次は~〇〇駅~○○駅~』

「行こうか」

「……はい」

 

 一足先に電車を降り、先頭を歩く伽藍を追う。

 歩くペースを落とさず、器用に取り出した小銭で運賃を払う後ろ姿を眺めて、七海は思う。

 

(……この人本当に平安人ですか…?)

 

 コソコソと、駅の周りの人間たちの声が騒がしくなる。

 街中だから…というのもあるだろうが、七海はそれだけが理由ではないことを理解していた。

 

「話だけでもぉ~」

「悪いな、先約がある」

 

 どこかの事務所からスカウトされているのだろう、特徴的なネクタイをした20代の男からの名刺と言葉を完全に無視していた。

 しかし彼も諦めきれないのだろう、早歩きで並走しながら必死にプレゼンを続けていた。

 

「普段はこうも騒がれんのだがな」

「髪色もあるでしょうが…制服じゃないのもあるでしょうね」

 

 速度を落とし、七海の隣に立った伽藍。

 しかし彼女が話しかけた途端、周りに立つ男たちの気配が鋭くなったのを、七海は感じた。

 

「その服どうしたんですか」

「どうせ大した相手じゃない、だったらいっそ気分転換にとな」

「……歌姫先輩ですか」

 

 七海が唯一、知人の中で手放しに尊敬できる先輩の名前を出したのは、今の伽藍の格好が、普段の彼女らしくないものだと思ったからだ。

 普段のあの、片肌脱ぎの着物や高専の制服とは違う、現代らしいファッションなのが一番の理由だろう。

 灰色の髪に負けない純白のシャツもだが、一番違和感を感じたのは下。

 ミニスカートである。

 

「しかし現代の服も悪くない…まぁ着慣れた服が一番だが、たまには悪くないかもな」

「…そうですか」

「似合ってますよ!」

 

 お気楽なものだ。

 いくら彼女にとって格下もいいところとはいえ、七海たちにとっては2級でさえそれなりの脅威だというのに。

 こうして呑気にファッションを楽しむ彼女を見ていると、やはり妙な気持ちになってしまう。

 

「できるだけ手出しはしない、安心して身を削れ」

「…お言葉に甘えて」

「頑張ります!」

 

 ため息を吐いて、七海は再び早歩きを始めた彼女を追う。

 "なんてことのない2級呪霊の討伐"に向けて、彼女たちは歩き出す。

 

 思えばここから、彼らの青い春は壊れたのかもしれない。




 明日は頑張って書きます。


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22話.玉折③ー土地神ー

 昔の勘を早く戻さなきゃ…
 次回、本気出します。


 七海たちが足を踏み入れた時には、既に駅から歩いて1時間は経っていた。

 しかしそれでも、まだ夏の日差しが鋭く強いままで。

 木々の隙間から零れる、光の線が顔に触れる度に顔を顰めながら手で傘を作る。

 

「この辺り…ですか」

 

 長い時が過ぎたのだろう。

 目の前にある石階段は、かつては匠の技術で作られたのであろう細かい装飾まで、年月の風化によって見る影もない。

 雑草と木の根が絡み合い、目の前の階段はある神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 

「神社…ですか、しかしこれは…」

 

 七海は口調こそ冷静なものだが、実際その内心は不安で埋め尽くされていた。

 隔離された村の中、そこで生まれた信仰と、失われた信仰。

 

 村、信仰、忘れられた神社。

 

 七海と灰原の脳裏に、嫌な予感が浮上する。

 

「フン、所詮民に忘れられた敗北者だ。どうせ大した力じゃない」

「……」

 

 …が、我先にと歩き出した伽藍の声を聞いて、七海はため息を吐く。

 2級案件のはずだ。しかしどう考えても、この先にいるのは厄ネタそのもの。

 産土神(うぶすながみ)信仰、本来自分たちを守護し、そして外敵を排除してくれるはずだった、民によって作られた神。

 しかし忘れ去られ、その本質を荒魂へと変えてしまった、神座から引きずり落とされた哀れな敗北者。

 足を止めた七海たちに振り返りもせず、伽藍は階段を上っていった。

 

「…行きますか」

 

 灰原に関しては、よっぽど彼女のことを信頼しているのか、顔に一切の不安を見せずに歩き出す。

 七海は不安を捨てきれないまま、灰原に続く形で階段を上った。

 

「おい」

「…?はい」

 

 何十段もあるそれを上り切り、目の前になんとか最低限の形を保ったままの鳥居を発見し、そして足を止めた。

 他ならぬ、伽藍が興味深そうにそれを観察していたから。

 

「生得領域…それも入り口だ」

「…やはり、この先にいるのは」

「行くぞ」

 

 足を踏み入れる。

 そして更にもう一歩、前へ進んだと同時に、伽藍の姿が完全に見えなくなった。

 おそらくは、この鳥居がトリガーなのだろう、つまりここを通り抜けた先には――

 

「行きますか」

「うん!」

 

 七海はそう言って、背負った呪具の鉈を取り出す。

 灰原もそれに答えるように返事をしてから、七海と並んで鳥居をくぐる。

 ――その瞬間、彼らは目を奪われた。

 

「……っ、これは…!」

 

 暗闇だ。

 目を閉じるのとは違う、一切の光も、雑音すらも聞こえない真の静寂。

 聞こえるのは己の声と呼吸音、そして隣で動揺する灰原の声。

 それ以外は、何も聞こえない。

 

「…不味い」

 

 七海の術式、十割呪法は対象に7:3で"点"を作り、そこを弱点とする能力。

 どんな物質、どんな生物にも弱点を作り出せる強力なもの、だが。

 今は、見えない。

 

「灰原、いますか」

 

 視界を完全に封じられた今、七海の術式は機能しない。

 それどころか、先ほどまで聞こえていたはずの、草木が揺れるあの音すらもない。

 ソナーなどの手段も通じないだろう、つまり今彼らにとって、唯一頼れるものは――

 

「いるよ!でも何も見えないけどね!」

「…おそらく、ある一定の距離が離れた場合はこうして会話すらできないのでしょう、今こうしてる間も、伽藍さんの声が聞こえないのがその証拠です」

「おー…つまり今からあの人に近づけばいいのかな?」

「どうやって?今の私たちには、あの人を知覚する手段がない」

 

 呪力探知すらも鈍い。

 おそらくはこの生得領域…それの環境効果というべきもののせいだろうか。

 本来術師にとっての命綱でもある呪力感知、それすらも封じられている今、今の自分たちは俎板の鯉。

 いつ、こうして動けない自分たちに呪霊が襲ってくるかわからない。

 

「うーん…耳をすませば…」

「……呪力強化を忘れずに、いつ襲い掛かれても大丈夫なように備えておきましょう」

「了解!」

 

 ――ゴンッ!

 

「………」

「今何か聞こえた?」

 

 ――ザンッ!

 

『ゥアアアアアアッ!!!』

『うーん少し違う…やはり、すぐ甚爾のようにはいかんな』

「…」

「聞こえたよね?」

 

 灰原の問いに、七海は真っ暗な空間の中で、額に手を置いてため息を吐く。

 …わかっていた。というよりかは「どうせこうなるだろう」とは最初から薄々気づいていた。

 おそらくはこの領域の呪霊、それの悲鳴と彼女の声が聞こえたと同時に、目の前の暗闇に亀裂が走る。

 

「…やはりあの人も"そっち側"ですか」

 

 領域が解体され、七海たちの目に光が戻る。

 目の前には、おそらく今回の目標であろう、どう見ても2級ではない、最低でも1級レベルはある堕ちた土地神。

 かつては人間を守り、力を振るったかつての神は、今こうして地面に這いつくばっていた。

 

「お前たち、何故鳥居をくぐってからずっと立ったままだったんだ?」

「…?何故それが」

「声は聞こえんかったがな、少なくとも"気配"は感じた」

「……」

 

 さも当然のように言い切った伽藍に対し、七海は呆れと同時に、一種の敬意すらも感じてしまった。

 あの世界で、七海たちは呪力感知すらも封じられ、あらゆる感覚器官が麻痺していた。

 その中、先ほどのように呑気に会話をしている間ずっと、彼女はこの暗闇の世界で戦っていた。

 ふと、七海は彼女が右手に持つ刀に視線を向ける。

 むき出しとなった刃、そしてそれから放たれる異様な呪力を。

 

「いいな。思った以上に使いやすい」

 

 ――ゾンッ

 伽藍が機嫌よく、片手で軽く振るった瞬間、その呪具が持つ効力が最大限に発揮された。

 土地神の身体が、無常に両断される。

 

『ア"ア"ア"ア"ア"!!』

「クヒッ…いい声だ、唆るな」

 

 ボコボコと切断された身体から肉が溢れ、無数の腕が生成されて牙を剥く。

 しかしすぐに、それら全てが伽藍によって細切れにされ、再び痛い悲鳴を上げた。

 

『~~ッ!』

 

 土地神の呪力が溢れ出す。

 一気に何十個もの腕、そして呪力を纏った触手が襲い掛かり、伽藍の目の前を埋め尽くした。

 しかし、伽藍の笑みは失われていない。

 

「阿呆が」

 

 足を開き、伽藍はその場にしゃがみこみ、そして右手に持つ刀、釈魂刀を横に構える。

 左手は刃に添え、そして現れる、呪力と"結界術"の反応。

 

()()()()()

 

 その瞬間、彼女の斬撃が前方を埋め尽くした。

 

「居合、夕月」

 

 彼女にとっては所詮遊び。

 呪力放出、そして流れによって作られる抜刀術の加速などしなくても、ただ力を込めて振るうだけでいい。

 たったそれだけで、彼女の攻撃は音を置き去りにし、刀は鉄さえも切り刻む。

 所詮遊び。彌虚葛籠や領域展開とは違い、いつでも気軽に使えるこれは、彼女にとっては絶好の手加減技なのだ。

 

『~~~ッ!!』

「簡易領域、抜刀」

 

 ――ゾンッ!

 再び放たれる、彼女独自のカスタムによって進化した、速度のみを強化した抜刀術。

 それによって加速した釈魂刀の斬撃が、再び土地神の身体を魂ごと切り刻む。

 

『ォオオオオオ!!!!』

「ハハッ…いいなぁお前!もうしばらく遊べそうだ!」

「…行きますか」

 

 そうして土地神を嬲っている伽藍から目を逸らし、七海は灰原を連れて社の方へ向かう。

 任務の目標である呪霊、土地神はすぐに死ぬだろう。しかし彼女に任せっきりでは何の意味もない。

 そして何より、こういう人の居なくなった場所というのには、十中八九呪術の厄ネタというのが存在するものだ。

 

「確か…この辺りに…」

 

 七海はその勘を頼りに、社の中で一層強く感じる呪いの気配に向かって、腕を伸ばした。

 そして。

 

「…ッ、これは…」

 

 鍵が壊され、開いたままの扉の中。

 その、呪いの気配の正体は、いくら七海でもすぐにわかる。

 隣に立つ灰原も、事態の深刻さを理解し、笑みを消してゴクリと喉を鳴らした。

 

 

 何重にも巻かれ、そして瘴気を放つ"指"が、そこにはあった。




 土地神の能力は完全なオリ妄想、七海の術式を徹底的にメタりました。
 次回土地神リベンジなるか…?


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23話.玉折④ー黒い火花ー

 少し、感が戻ったかな


 その指が放つ瘴気に吐き気がする。

 それは七海は勿論、灰原でさえ普段の無邪気な顔は鳴りを潜め、その額に冷や汗を一滴流していた。

 禍々しい呪いの源、視界が揺れそうになるほどのプレッシャー。

 目の前にあるのは、呪術全盛の世から存在し、今の今まで存在し続けている真の呪物。

 

「宿儺の指、ですか」

 

 それも二本。

 毒を以て毒を制す。本来はこの指が持つ強大な気配を利用して、呪霊を寄らせないように放置していたのだろう。

 信仰が失われ、土地神は呪霊へと堕ち、それに伴い人はこの社を離れ、管理することすらやめてしまった。

 皮肉にも、それによって封印に綻びが生じ、逆に呪霊にとっての餌になってしまっている。

 時間はない。こうしている間にも、箱から解き放たれた指の呪力を求め、呪霊がやって来るだろう。

 

「二本もあるなんて珍しいね」

「どちらにせよ、早く立ち去るのが一番です」

 

 灰原の言葉に、七海はぶっきらぼうにそう返す。

 今も戦闘を楽しんでいる彼女の笑い声と、そして土地神の苦痛の叫びを耳にしながら、目の前の箱に触れる。

 警戒心を強くし、指を持ちながら歩き出した時、「うーん」と訝しげな声がした。

 七海はそれに反応し、振り向く。

 

「でも、なんで今まで無事だったんだろうね」

「…というと?」

「これ、封印が緩んでたのって結構前でしょ?なのに今まで無事って…」

「……」

 

 灰原のその問いに、七海はふと考える。

 宿儺の指は猛毒だ。だが知性のない呪霊がそれを取り込めば、その呪力を自身のものにすることで、知能のない低級呪霊でさえ特級に変貌することがある。

 つまり、呪霊にとっては画期的で、そして簡単に強くなれるお手軽なアイテムのようなもの。

 

(なぜ、今まで無事だった…?)

 

 不完全とはいえ封印されていたから?それとも、偶然誰も手にできなかったから?

 それとも、呪霊がこの場に近寄ることさえ…

 

(……)

 

 ――"偶然"?

 

「…まさか」

 

 それにしてはおかしい。

 そうだ、呪霊にとっては極上の餌。だがそれと同じくいたはずだ。

 そう、ここにはいたではないか、呪霊に堕ちたかつての神が。

 人を災いから守るはずだった、あの神が。

 

「……」

 

 忘れられた神。

 産土神信仰。

 堕ちてしまった守護神。

 

「……なるほど」

 

 七海の脳内で、ある一つの答えが構築された。

 何故今の今まで指が無事だったのか、そしてこの場所に住み着いていた土地神という問題も。

 だが、それを仲間に共有するには既に遅く。

 

『――ア"ッ"!』

 

 一瞬聞こえたうめき声。

 そしてすぐ、切れ味の鋭くなった風が頬を擽った。

 

 縋るように、それは残された使命を守り続けてきた。

 

 呪霊からこの地を守る。たとえ人々に忘れられ、己自身も狩り続けてきた呪霊と、同じ存在へ堕ちようとも。

 それは、本能から目を背け続けてきた。

 

「なっ…!」

 

 驚く七海に目もくれず、"それ"は彼の手に握られていた指のみを狙っていた。

 咄嗟に鉈を振り、反撃をするも難なく躱され、そしてそれの狙い通りに奪われる。

 

「ほう…」

 

 その様子を刀を片手に、彼女はただ何もせず、しかしどこか期待を含ませた目を向けている。

 残された本能というべきか、"彼"は朧げになった知性と呪霊の本能がせめぎ合い、指を外敵から守ってきたのだろう。

 しかし伽藍の暴虐によって、"彼"の中の知性と呪霊の本能の天秤が崩れ、指が持つ魔性の呪力に理性を溶かされた。

 

『ォ、お"オオオ…!』

 

 伽藍の視線が土地神を刺す。

 七海から奪い、手にした宿儺の指二本。それがまるで水に沈むように、土地神の身体に取り込まれていく。

 ズタズタに裂かれた身体は再生し、より強靭に、より鋭く素早く動けるように進化する。

 纏う呪力と強者の気配は、以前とは比べ物にならない程膨大で。

 

 土地神が、真に生まれ変わる。

 

『鬆伜沺螻補?ヲ』

「させんよ」

 

 より禍々しく、より人間に近い身体に進化した土地神。

 それが腕を伸ばし、何かの詠唱を完了させる前に、伽藍の足がめり込んだ。

 轟音を鳴らし、木々が崩壊して土地神が飛ばされる。

 

「再生が早い…いや違うか、私への対策で望んでそう進化したのか」

「…すみません、私のミスです」

「気にするな。お前のおかげで面白いのが見れそうだ」

「…嫌味ですか」

 

 先ほどよりも早く、そして残像すら見えない速度で掴まれながら、七海はそう言葉を返す。

 両脇で抱えられ、身体を浮かせる七海と灰原の重さがあるというのに、伽藍の動きは鈍っていない。

 そうしている間にも、土地神の姿は更に変化していく。

 

「玩具ばかりでは感覚が鈍る。あれは私が相手するとしよう」

「…頼みます」

「物分かりがいいな、実力を弁えてる奴は嫌いじゃないぞ」

 

 絞り出すように言った七海に、伽藍は両腕の拘束を解いて言う。

 相手は伽藍が受肉直後に相手した特級呪霊とは違う、所詮知能のない低級呪霊が宿儺の指によって強化された、そんな下奴とは違うのだ。

 

 元は最低で1級。それが宿儺の指を二本も取り込んだ存在だ。

 

 人間の手のみで構成された身体、全身に刻まれた黒い紋様と、紫色の肉体。

 身に纏う呪力の底知れなさに取り戻した知性、人間とは別系統の法則で成り立つ言語。

 目の前にいるのは間違いなく、特級の中でも上位に君臨するであろう強者。

 

「灰原」

「了解」

 

 彼女たちの間に自分たちが挟まる余地はない。

 二人はそれを理解し、そして距離を離して視線のみを向ける。

 後方の二人に目もくれず、ただ目の前の敵にだけ、あの赤く染まった呪いの目を向けた。

 

「ディナー…の前のおやつ、と言ったところか」

 

 VS元土地神、その呪いあいのゴングが鳴った。

 

 

 

 


 

 

 

 

 最初に動きを見せたのは土地神だった。

 

『繧ォ繧(蟇)』

 

 土地神が、練り上げられた呪力と共に掌印を結ぶ。

 足元に広がる、黒く不気味な液状の呪力、そこから這い出るように、赤と黒に染まる、おどろおどろしい見た目をした蛙の式神が湧きだした。

 人間とそう変わらない大きさと不気味な見た目に、伽藍は興味深そうに声を漏らす。

 

「ほう…」

 

 それと同時に放たれる三本の舌を、首と胸を横に動かすことで回避する。

 遠距離で攻撃してきたのは3匹。しかし召喚された蛙の数は、見たところ9匹といったところか。

 残る6匹は――

 

「まぁ、そうなるか」

 

 特に警戒も驚きも見せず、自分の足元に固まる蛙を見下しながら、伽藍は笑う。

 ()()()()()()そこにいた蛙。それぞれの膂力もなかなかのものだ。本気で呪力強化を施せば大したことはないが、わざわざそれをするつもりは彼女にはない。

 じっと目を凝らし、自分の知覚能力に意識を注ぐ。

 

「となると、最後の1匹は…」

 

 ――上か!

 

 上空で膨張し、質量と殺傷力を高める蛙の気配。

 高所というアドバンテージ、そして拘束までも成功している今、並みの術師ならば危機とはいかずとも、それなりに面倒臭い展開だ。

 

禍津日(マガツヒ)…」

 

 スローモーションに映る視界と景色。

 その中で、彼女の指を鳴らす動きだけが、それ以外の全てを置き去りにした。

 

(ユウ)

 

 彼女の周りが赤く燃える。

 蜘蛛の巣状に張られた液状筋肉、そして呪力特性による高熱によって、肉が焼かれる異臭と不快音が響く。

 

『ギ、ぎ魏…』

「しぶといな」

 

 融は伽藍の作った液状筋肉、それによる"本来は捕縛のみを目的とした"技だ。

 細く、それでいて強く練られた糸を使い、対象を縛り上げるだけの技。だがそれも、伽藍が使えばわけが違う。

 伽藍の莫大な呪力出力と、それに連動して締め上げるその工程にも、彼女の圧倒的な身体能力が加算され、本来は殺傷力のないはずの技にすら致命傷を産む力を与える。

 呪力強化を施し、足元で固まる蛙たちを全て蹴り上げ、それらも全て融で作り出した糸に捕縛され、身体を軋ませながら締め上げられる。

 

「……」

 

 一瞬、こちらに向けて視線を向ける伽藍。

 その姿に困惑と覚えると同時に、七海の耳に言葉が流れ込む。

 

「"顕在(けんざい)"」

 

 絶命直前の蛙の姿など見向きもせず、伽藍は言葉を紡ぐ。

 七海はその言葉と、そして練られる呪力の波を観察し、そしてその答えに行きついた。

 あれは、呪詞だ。

 

「"懸河(けんが)"」

 

 ギヂリと、その締め上げる力が強く。

 

「"赤月焔(あかつきほむら)"」

 

 ミヂリと、その糸が更に赤く、より燃えるように光り輝く。

 

(ユウ)

 

 再び指を鳴らした時、上空と地上。それらの場所で囚われていた蛙の全てが崩壊した。

 呪詞の後追い詠唱によって、出力を更に引き上げた融が、蛙たちを切断してもなお勢いを止めず、その矛先を標的に向ける。

 

「禍津日…」

 

 糸がまるで生物のようにうねり、それが今も掌印を結び、再び式神である蛙を召喚しようとしている土地神へ駆けていく。

 

(テン)

『――!』

 

 土地神は、それを両腕を前にして受け止める。

 鋭く、より速度を上げて襲い掛かる赤く染まる刃物を、文字通り肉を切らせて防いで見せた。

 

「…」

 

 再び、彼女はこちらへ振り向く。

 その様子と、そしてこれから彼女が行うであろう呪術の神髄を、七海は余すことなく見つめた。

 

「"糜爛(びらん)"」

 

 右手を包丁に見立て、振り下ろす。

 その仕草を、もし会津の構築術式使いが見れば「彼だ」と確信することだろう。

 

「"毘藍婆(びらんば)"」

 

 そして紡がれる、術式効果を上げるための呪詞。

 

「"(くろがね)摩耗(まもう)"」

 

 伽藍のその動作と同時に、土地神の身体に、深く鋭い線が刻まれた。

 

『~~ッォ"ア"ア"ア"!!』

(テン)

 

 ――見せている。

 禍津日によって作られた液状筋肉と、伽藍の莫大な呪力出力による破壊力が牙を剥く。

 その間、痛みに悶絶する土地神を、ただ何もせず見下している彼女の姿を見ながらそう確信した。

 速度も威力も、彼女にとってはすぐに終わらせられるはずのそれが、現にこうして七海だけでなく、灰原でさえ知覚できるほどに抑えられている。

 何より、土地神の攻撃の全てが彼女にしか向けられていない。

 

(術式対象を彼女のみにする即興の縛り…しかし、それでも術式による効果は置いておいて、単純な必中攻撃すらも呪力強化の差でダメージがほとんどない…)

 

 相手からすればこれほど理不尽なことはないだろう。

 本来視覚や触覚を奪い、まともに戦闘すらできなくなるはずの術式効果すら、何故か彼女には通用しない。いや、効いてはいるが意味がない。

 単純な膂力、そしてアジリティですら遠く及ばない。もし、彼女があの赤い髪と、第三の瞳を開いた本気で勝負していれば――

 同時に。

 

『…!』

 

 より鮮明に、呪霊としての本能に支配された土地神の視界が赤くなる。

 

『……!』

 

 呪霊としての本能、それは人間を害し、人を呪う性。

 人間を食い物にするはずの自分が、あまつさえその人間に弄ばれ、何より手加減すらされている。

 

『譫ッ繧梧惠繧ょアア縺ョ雉代o縺』

 

 傷つけられた自尊心と怒り、そして燃費を無視し、本気であふれ出す呪力。

 辺りの暗闇がより黒く、そして深く染め上げられ、七海の背に冷たい感覚が走った。

 

『――領域展開』

 

 その言葉が紡がれた瞬間、伽藍の顔に歓喜の色が浮かぶ。

 最初から見せていた、あの中途半端で技とも言えないものとは違う、真の強者のみに許された、呪術の極致と呼ぶに相応しい奥義。

 不味いと、七海が手に持つ鉈を振ろうとした瞬間。

 

「シン・陰流」

 

 一瞬でこちらに移動した伽藍が、七海と灰原の前に立つ。

 

「――簡易領域」

 

 伽藍が両腕で印を結び、腰を落とすと同時に領域が抑えられる。

 弱者の領域、しかしそれも使う人間によっては、こうして決して侮れない強者の技の一つに化ける。

 あっという間に展開された簡易領域は、七海だけでなく灰原さえ飲み込み、その身を必中から守っている。

 

「……」

 

 彼女は簡易領域を展開した後、一言も発さずにいた。

 

『……?』

 

 領域展開、そして更に追加で召喚した大量の式神による必中効果が起こる筈が、何も起こらない。

 簡易領域に対する知識の欠如、それによる一瞬のフリーズだったが、何より土地神は伽藍の様子に疑問を感じた。

 その瞳には、失望の色が浮かんでいた。

 

「やっと魅せてくれると思ったのだがな」

 

 少しずつ削られていく簡易領域。

 それに対し、何の危機感や焦りすら見せずに、伽藍は言葉を紡ぐ。

 

「視覚を奪い、触覚を奪う単純で強力な術式…だがここまでお膳立てしてやっても、結局は"必中のみ"の初歩的な領域しか作れないのか」

 

 簡易領域が更に削られる。

 

「まぁ、その再生力は褒めてやろうか。おかげでどれだけ卸しても楽しめる…それだけだがな」

 

 簡易領域が破壊の一歩手前の状態へ。

 

「ッ伽藍さ――」

 

 三人を巻き込むように、普段より広く、そして強度を下げた簡易領域。

 稼げる時間は精々数秒、伽藍は問題ないだろうが。七海、特に灰原にとっては致命傷になりうる。

 焦り、声を出すと同時に、七海は再び目撃する。

 

「せめてもの餞別だ」

 

 土地神を遥かに凌駕する呪力量、そして莫大な呪力出力。

 それと同時に伽藍の両手が、毘沙門天の印を結ぶ。

 

「本気の力と姿は見せん。が、()()()()は見せてやる」

 

 それは、目の前の者とは比べ物にならない、真の意味での呪術の奥義。

 

 

 

 

「領域展開」

 

 

 

 

 赤が、黒を飲み込まんと躍動する。

 間欠泉のように吹きだす血液、そして肉と骨で彩られた社。

 その中央に位置する、蒼く澄んだ巨大な単眼と、周りに散らばる無数の人骨たち。

 

黄泉(よもつ)天蓋(てんがい)

 

 暴威の玉座、再び顕現。

 

 

 

 


 

 

 

 

 伽藍の術式、禍津日による効果は三種類。

 

 捕縛と拘束に優れ、利便性の高い液状筋肉"融"

 収縮と反発を利用し、あらゆる無機物を一撃で粉砕する液状筋肉"吞"

 そしてあらゆる有機物、人間を溶かす――

 

()()()()…!」

 

 呪力と呪力を掛け合わせ、生まれる正のエネルギーを生得術式に流し込むことで生まれる現象。

 そして黄泉天蓋に付与され、必中必殺として機能する効果こそ。

 

 術式反転"(ミソギ)"

 

 術式反転のことは知っていた。だがそれもここまで、高出力のものが存在するとは。

 七海の驚愕を置き去りに、黄泉天蓋がその真価を発揮する。

 かつての交流会とは違う、手加減無用の即死技が、土地神に向けられる。

 

『髮?、ァ』

 

 黄泉天蓋が土地神の領域を塗り替え、その主導権を強奪した瞬間、辺りに糸が張り巡らされた。

 伽藍、そしてその近くに立っていた七海と灰原以外の全て、土地神と大量に召喚された式神たちが、その糸に触れる。

 ドロリと、触れた場所から肉が溶けだす。

 

『――ア"』

 

 黄泉天蓋が領域の主導権を握ると同時に、必中効果範囲内に展開された"融"が、その暴虐を開始する。

 融を起爆剤に、触れた対象…生物の体内に領域を注入することによって、術式反転の効果対象を体内にまで拡張する。

 そして理不尽に理不尽を重ねる、呪詞の後追い詠唱。

 

「"須臾(しゅゆ)霧雨(きりさめ)"」

 

 少し弱く設定しすぎたか。

 そう、いたずらっぽく笑って、伽藍は呪詞を紡ぐ。

 

「"逢魔(おうま)夢境(むきょう)"」

 

 呪詞が紡がれる度に、領域内の赤い光がより強くなっていく。

 溶けていく身体を必死に抑える土地神が、その違和感に気づいた時にはもう遅く。

 

「"(たけ)(まなこ)"」

 

 伽藍の領域は土地神のそれとは違う、必中必殺の領域。

 領域展開と同時に張り巡らされた融に触れたが最後、もはや対象に生きる術はない。

 

「"泡沫(ほうまつ)目覚(めざ)め"」

 

 必中効果範囲内の生物には"禊"

 無生物には"吞"が。

 

 ()()()()()()()()()()

 

「禊」

 

 絶え間なく、浴びせられる。

 

 

 

 

 ――ザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッザッ

 

『ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ア"ッッ!!!!!!』

 

 地上を這う式神、空へ逃げた式神。

 伽藍に向かって駆け出した式神、そして地中に隠れていた式神たち。

 それら全てが破裂する。

 

「クヒッ」

 

 笑う。

 

「クヒヒッ…!」

 

 嗤う。

 

「いいぞ!まだくたばってくれるな!」

 

 哂う。

 絶え間なく浴びせられる破壊の雨。

 肉が溶け、血しぶきを散らすその惨劇を見て、七海は言葉を失う。

 土地神も負けじと、反撃のリソースを肉体の再生に注ぎ込んでいるのだろう。

 式神が全滅した後、それらを再召喚することもなく、溶けた肉とを元に戻そうと必死に呪力を垂れ流している。

 しかし今でも土地神が倒れていないのは、その努力が報われたのではなく――

 

「七海、お前の術式は十割呪法といったな」

「…はい」

 

 最低でも倍以上。

 七海の"縛り"によって呪力量を上げたとしても、彼女の壁は高すぎて見えない。

 なによりあれほどの呪力出力、そして術式反転に領域展開を使用してもなお、呪力総量が想像よりも減っていない。

 

「領域というのは千差万別、だがその中でもある違いがあってな。それがオブジェクトの有無だ」

「オブジェクト…この社のようなものですか」

「そうだ」

 

 領域内に存在する建造物(オブジェクト)は、基本的には呪術的には価値のないものとされている。

 あくまでも構築した結界内、そこに生得領域を具現化させることで生まれる"景色"のようなものだからだ。

 唯一、例外があるとするならば――

 

「以前はマニュアル操作だったが、今は融に触れた生物と無生物をトリガーにしたオートマ操作に変えてある。おかげで一度展開さえすれば、領域展延や領域効果とは独立した、肉体に刻まれた術式の運用ができるようになった」

 

 最強(五条)にはまだ届かない。

 最強(宿儺)には、まだ並べない。

 では、あれらに並ぶにはどうすればいい?

 

「…しかしいくら領域に付与された術式があるとはいえ、術式の焼き切れは…」

 

 領域展開後の術式の焼き切れ、五条悟だけではなく、呪いの王たる宿儺でさえ逃れられない代償。

 伽藍の術式の格はそれなりに高い、そして黄泉天蓋を発動し、付与された術式が継続的に発動させている不慣れな技を使った今、すでに術式は焼き切れてしまった。

 今の伽藍に、術式の使用は困難だ。

 

「安心しろ、私は…」

 

 七海の声を遮り、伽藍は右手を握り、その人差し指と中指のみを立てる。

 そして、深く息を吐いた後。

 

「反転術式には自信がある」

 

 ――それを、()()()()()突き刺した。

 

「っ…ぐッ!」

 

 ()()が破壊され、大量の血液があふれ出す。

 その奇行に七海、そしてぼうっとして観察を続けていた灰原が目を見開く。

 伽藍が刺さった指をぐるんと動かし、それと同量の、もしくはそれ以上の反転術式による治癒を意味する煙が噴き出した。

 

「く、クク…()()()…!」

 

 伽藍の頭上に、収縮された赤色の宝石。

 焼き切れているはずの術式使用、七海がそれに驚く。

 同時に、伽藍は胃液と血液を吐きながら掌印、そして出力向上の呪詞を紡ぐ。

 

三雀羅(みじゃくら)

 

 脳が壊され、元に戻り。

 再び破壊、そして再生を繰り返し、伽藍の求める"ある場所"がリセットされる。

 

正鵠(せいこく)

 

 土地神は、逃れる術を持たない。

 

狭間石(はざまいし)

 

 120…130……

 省略されない呪詞と掌印が、術式効果を底上げする。

 

(よい)火祭(ひまつり)

 

 一瞬、瞼の裏に浮かんだあの景色。

 伽藍という人間が、生まれて初めて味わった敗北と、その約束。

 それらを嘲笑うかのように、呪いを籠めた言葉を紡ぐ。

 

水鏡(すいきょう)残花(ざんか)

 

 領域内の環境要因による、術者の全能力強化。

 昇華された儀式、そして底上げされた術式効果の、赤い火花。

 

 その全てが、感覚が鮮明にわかる。

 

 超高密度の穿通の一撃。

 今までも何回か使ったそれ、だが今回は違った。

 脳を破壊したことによる死の間際。より繊細な技術と失敗は許されない命そのものを駒とした賭け。

 思考がスパークし、だがそれ以上に確固とした、ある全能感に支配される。

 

「――(ごく)()(ばん)

 

 放出される赤い波動。

 それがぶつかり、肉を抉り、土地神と領域そのものを飲み込まんとした瞬間。

 

(ムクロ)

 

 黑い火花が、微笑んだ。




 連載20何話にてようやく主人公の技解説ってマ?


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24話.玉折⑤ー絶対的な強者、それ故の孤独ー

 友情フォーエバー


『お前は何故愛を語る』

 

 血と肉片で溢れかえった大地。

 青く澄み渡る天井の下、勝者は敗者に問いかけた。

 

「あら、逆に貴方にはわからないのかしら」

「知らん」

 

 返り血に染まる老婆、そしてその足元で仰向けになって倒れる女。

 幾千と繰り返した殴り合い、呪い合いのその結果は、相変わらず老婆の必勝で彩られていた。

 

「いいえ、貴方は宿儺と同じ存在。ズレてしまった時間がもしも、彼と同じ場所だったとしたら…」

 

 (よろず)はそう、僅かな嫉妬を含んだ声色でそう呟く。

 

「私なら理解してあげられる、私ならいつか、彼の隣に立つことができるはず。そう思ってたわ」

「それも普段から言う、孤高の侘しさというやつか」

「伽藍、貴方はどうなの」

 

 ――絶対的な強者、それ故の孤独。

 老婆、伽藍がこの女と出会ってから時たまに説かれる概念。

 超常に位置し、人外の域にまで達したことによる孤高、そして抜きん出て並ぶ者のない、それ故の孤独。

 

「貴方も、必ず感じたことがあるはずよ」

 

 寂しく、ただ孤高に輝く瞳を見た瞬間から、万の心は宿儺のものになった。

 あの切り口が愛おしい、あの孤独を独り占めしたい。

 ――あの孤独を、自分だけのものにしたい。

 

「絶対的な強者、それ故の孤独…宿儺に愛を教えるのは…貴方は一人じゃないと教えるのは」

「…万」

 

 熱の入った彼女の言葉を遮って。

 伽藍は一言呟いた――

 

 

 

 


 

 

 

 

「……黒閃(こくせん)

 

 古びた社、丁寧に植えられていた無数の木々。

 それらの原型が完全に失われ、見るも無残な焦土と化した目の前の景色に、七海は呆れた声しか漏らせない。

 

 黒閃。

 

 それは、打撃との誤差0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる空間の歪。

 その威力は平均で約2.5乗であり、その発動確立の低さと難易度の高さから狙って出せる術師は存在しない。

 だがその難易度故に、それを経験した者とそうでない者の差は、壁という言葉では表現しきれないものとなる。

 

「嗚呼クソ…治したというのにまだ頭が痛む…もうしばらく反転をかけ続けるしかないか…」

 

 自分で自分の頭を突き刺し、そして治すという奇行を終えた伽藍は、目の前の土塊に埋もれた目当てのものを探っている。

 脳細胞の破壊、そして再生による一種のハイ、元から持っていた呪術の超越したセンスによって、彼女は黒い火花に微笑まれた。

 だが。

 

「嗚呼、痛い…」

 

 彼女は、相変わらず不機嫌なままだった。

 

(脳細胞…術式の刻まれている部分…ざっと右脳前頭葉辺りの破壊と再生…最初から反転術式を全開にしてから指で直接破壊は…流石に無駄が多すぎる)

 

 領域展開後には術式が焼き切れ、術式の使用が困難になる。

 これは"焼き切れ"という表現が使われているように、機械のオーバーヒートに近い問題と言えるだろう。

 単なる肉体の損傷を正のエネルギーで修復するのとは違い、術式が焼き切れてしまったが最後、機械と同じよう冷却されるのを待つしかない。

 だが、あの術式が焼き切れてしまった直後、伽藍の脳裏にふとよぎったのはある知識。

 朧気にだが覚えていた、もしくは自分でふと考え着いたのかは知らないが、そんなあやふやな知識とイチかバチかの実行だった。

 

(最善は脳そのものを最小限の呪力で破壊し、即反転術式をかけることだが…慣れてない今、それは得策ではないか)

 

 もし呪力で脳を破壊する際、術式の刻まれている右脳…前頭葉付近のみを破壊できなかったら?

 ――呪力は腹、しかし反転術式は頭で回すものだ。

 万が一失敗し、脳に後遺症が残る可能性を考え、伽藍は先に反転術式による正のエネルギーを全開に治癒を施しながら、指で直接破壊してみせた。

 

(しばらくは控えた方がいいな…)

 

 脳というのは人体のブラックボックスだ。

 たとえ伽藍が高度な反転術式、それも欠損や脳の修復まで行える人間だったとしても例外ではない。

 治そうと思って治せるほど単純ではなく、現にこうして倦怠感は拭えず、更に反転術式の出力すらも落ち始めている。

 脳が完治するまでには、もうしばらく時間がかかるだろう。

 

「…これか」

 

 頭痛に顔を顰めながら、伽藍が起き上がる。

 右手に目当てのものを握り、痛みを誤魔化すように額を指で擦りながら、七海たちの方へ向かった。

 

「宿儺の指、それも二本ですか…」

 

 存在するだけで呪霊を誘い、そして不幸をまき散らす真の呪物。

 それを仮封印もせず、なんてことないように持つ伽藍に対し、七海はそう呟いた。

 黒閃と、同時に辺り一帯に充満する彼女の残穢。

 おそらく最低でも一か月は、呪霊はここを訪れようとは思わないだろう。

 

「もし私たちだけだったなら今頃、最低でも片方。最悪二人とも死んでいたでしょう」

「ん、あぁ…」

 

 全開の反転術式と後遺症によるものだろうか、眠気を感じた伽藍が、気だるそうに言葉を吐く。

 七海への返事は適当。まるで幼子のように、うとうととまばたきの感覚を早めていき。

 

「大丈夫ですか?」

「ん、さっさと帰るぞ…私はもう寝る…」

「…………(嫌な予感しかしない)」

 

 ふと、一瞬だけ完全に意識を落としたかのような静寂が訪れ、しかしすぐに目覚める。

 じぃーっと、突然目を見開いて目の前の空間を凝視する。

 そうして数十秒。

 

「…フン、やっと来たか…お前たちもついでに送ってやる」

「…?いえ、その状態だと心配しか…」

 

 

 

 

「伽藍、お待たせ」

 

 

 

 

 ――目の前の空間に歪が生じた。

 水が湧き出るように、黒い液体が溢れ出して巨大化していく。

 

「遅い、早く転送しろ」

「羂…師匠に用事を頼まれてた時に呼ばないでよ」

「アーアー、聞こえんな」

 

 すらりとした足と、美しい三つ編みの黒髪。

 背と声の抑揚から、少女の年齢は中学生ぐらいだろうか。

 とにかく、目の前で会話をする伽藍、そして新たに参加した謎の()()()()()()少女に、七海は話しかけることにした。

 

「あなたは?」

「あっ、初めまして天な…ン"ン"ッ!……お、桜蘭…です」

「天な桜蘭だ」

「伽藍殴るよ?」

 

 …どうやら仲睦まじいようだ。

 顔を隠す能面に似た形の仮面も気になる…が。

 やはり、一番気になるのは――

 

「仲いいんですね!」

「あ?あぁそうだな」

「妹とか?俺も妹がいてですね…」

「あ、そうだな」

「…(返事が適当すぎる…)」

 

 灰原のキラキラとした笑顔、そして相変わらず動じない唯我独尊っぷり。

 そんな彼女が隣に立つことを許し、何よりこうして気にかけた視線を向けている。

 桜蘭と呼ばれていた少女の謎は深まるばかりで。

 そんな内心を察したのか、伽藍は少女の肩を掴み、そして得意げに笑って言う。

 

「私の側近だ、これからも上手く使ってやるつもりのな」

「…じゃあ送るけど、()()()先は高専でいい?」

「あぁそれでいい」

 

 ぱしっと腕を振り払い、少女は七海、灰原の背後に立つ形へ。

 

「…?」

「見てろ」

 

 困惑する七海に対し、伽藍はそう言って少女を見つめる。

 息を吸って、ゆっくりと吐いてから、少女は"それ"を行った。

 

「…"時空間転移理論(ワームホールパラドクス)"起動」

 

 練り上げられる呪力、()()()()()()の使用。

 そして七海の目に映る"呪力の起こり"そして――

 

「"七曜(しちよう)"」

 

 術式効果を上げる呪詞。

 

「"相違(そうい)"」

 

 掌印が。

 

「"冬極(とうきょく)船橋(ふなばし)"」

 

 伽藍は勿論、七海や灰原を包み込む、領域に近い黒の外殻が構築される。

 灰原は突然の異変に驚きの声を、七海は声こそ出さなかったが同じように驚き。

 伽藍は最後、外殻の向こうに透けて見える少女に微笑んで。

 

「悪くない」

 

 そう満足そうに言った。

 

 

 

 


 

 

 

 

 その夏は蛆のように呪霊が湧いた。

 蛆のように沸いた呪霊を、ただただ取り込み奔走する日々。

 

 あの日から。

 

 あの日からずっと、自分に言い聞かせてきた。

 

(ブレるな…ブレては…)

 

 あの星漿体の任務から一年しか経っていないというのに、この校舎は少し変わったように感じる。

 また背が伸びたからだろうか、それとも長い間任務に身を入れていたせいで、自分の通う学校すら忘れかけていたのか。

 夏油傑の心は、まだあの一年前に取り残されている。

 

「よっしゃぶん殴ってやりなさい伽藍ッ!全てはアンタにかかってるのよ!」

「死ななきゃ私が治してやるからさ、死ぬ気で五条の顔凹ませてやりな」

「待て待てな~んにも事前情報がねぇじゃん、頼むぜ野次馬共」

「フフフ…反転術式に目覚め、真に最強へ目覚めた五条君と、相手をするのは黄泉返りの()()()()か…ドキドキするね」

「おかーさん頑張れー!」

 

 夜蛾は任務で高専におらず、今校舎にいるのは彼らのみ。

 故にこうして、ある祭りごとが始まっていた。

 

「どっちも応援したいけど…七海はどっちが勝つと思う?」

「ノーコメントでお願いします。"やってらんねー"二人の勝敗なんて、考えるだけ惨めになるだけです」

「伽藍ッ本気で殴るのよッ!」

 

 あくまでも純粋に勝敗が気になる灰原と、予想をかなぐり捨てた七海。

 誰よりも声を張り上げ、応援の声を飛ばす歌姫と、その隣で面白そうに観察を続ける家入。

 無理やり連れてこられた日下部。その膝元に座る霞と、ついでに冥冥と夏油の観客に囲まれて、数十m先の彼らは言葉を交わす。

 

「ルールはどうする?」

「ふむ…そうだな、途中までは互いに徒手空拳以外での術式使用は禁止…お前は蒼による引力と打撃、私は液状筋肉を身体に纏う以外は禁じよう」

「いいね、じゃあ()()()()は」

「領域展開だけは例外としよう。私も、本気でお前を領域で殺す――」

 

 ボルテージの上がる観客、そしてそれとは反対に冷静に、あくまでも勝負の決め事を話し合う五条と伽藍。

 だがそれを見ている者たちは騙されない、その瞳の奥に、両者とも隠し切れない闘争心と殺意が滲み出ていることを。

 

「それじゃあ用意…」

 

 予め用意していた競技用のピストル。

 それを灰原が空に向けて、声を発すると同時にシン…と静寂が訪れる。

 

「――ドンッ!」

 

 それと同時に、天にも届く勢いで、砂埃が飛び散った。

 

 

 

 

 

「で、君はどう考えてるのかな?日下部」

「何で俺に聞くんだよ」

 

 目の前で残像しか残らない、常識外れな格闘技術の応戦を繰り広げる五条と伽藍。

 最初の方はなんとか必死に追っていたが、しばらくして完全に疲れたのか、ほぼ全ての人間がぼーっと観戦を続けていた。

 

「君の正直な考察を聞きたいね、五条悟と伽藍…どのような戦いになるのかを」

「…俺も別に、アイツのことを詳しく知ってるわけじゃねぇ」

 

 いいか。と視線を周りに向けてから、皆が日下部の言葉の続きを待つ。

 そして「はぁ」とため息を吐いてから、言った。

 

「六眼がある時点で呪力効率、それも消費呪力のロスはほぼ0なんてイカレ仕様だ。伽藍の呪力効率も馬鹿げた次元のものだが…やっぱそれでも限界がある」

「ほう…」

 

 だが。

 

「だが唯一、伽藍が五条に勝ってる要素がある。それが呪力出力だ」

「でもちょっと待って、確か伽藍の術式は…」

 

 日下部の言葉に待ったをかけたのは歌姫だ。

 

「伽藍の術式は肉と骨を作る…創造系の、それこそ構築術式に近いものじゃない」

「…あぁ、出力が高いおかげで、一度の消費で作れる量は多くなるだろうな…言いたいことはわかる。五条と違って、()()()()()()()()()()()んだろ?」

 

 五条の術式、無下限呪術ならば誤差だろうが、このハンデは見て見ぬフリはできないものだ。

 あくまでも殺傷能力はおまけで、その本質は物を作ることであり、攻撃用の術式ではない伽藍では、いくら呪力出力の優位性があろうとも分が悪い。

 

「しかし、彼女はそんな弱点をそのままにする人じゃない」

 

 今まで静観を続けていた七海。彼が突如語りだしたことに周りが驚く中、その空気に少し機嫌を悪くしながら続けた。

 

「それはあくまでも順転、それも彼女にとっての小技にすぎない…術式反転に極ノ番、彼女は術式の弱点を既に克服している」

「…あー、つまりだ」

 

 ――音が止む。

 

「そういや、アイツ肉弾戦では使わないって言ってたが…」

「彼女の領域の必中効果は術式反転…最初からこの勝負を狙っていたのでしょう」

 

 目の前でうねる呪力の嵐。

 砂埃のその向こう、砂越しに見える青い瞳と、三つの赤い瞳。

 

「さぁて、ここからがある意味本番だな」

 

 片手で結ばれる帝釈天の印。

 両手で結ばれる毘沙門天の印。

 

「――くるぞ」

 

 

 

 

『領域展開』

 

 

 

 

無量空処(むりょうくうしょ)

黄泉天蓋(よもつてんがい)

 

 彼らの身体が領域の外殻に閉じ込められた。

 

 

 

 

 

 ――互角。

 五条の領域は、会得してからさほど時間が経っていない。

 まだ甘さの残る結界の構築、そして呪力の循環と細かな設定。

 しかしそれらのハンデがあっても、伽藍は自身の持つ領域の必中命令の押し合いを"互角"にしか持ち込めなかった。

 

(わかっていた…)

 

 知っていた。

 五条悟に"予想"は当てにならない。

 並みの術師が領域を会得したとしても、伽藍ならば圧倒的な技量と経験値によってすぐに塗り替えられる。

 少し手こずる相手だったとしても、宿儺と同じよう、自分には()()もあったのだ。

 

「ッ…!そう来るか」

 

 放たれる伽藍の拳、それを()()()()()五条は笑う。

 以前とは比べ物にならない出力、そして切り替えによって纏う領域展延によって、五条の周りに展開された無下限を中和していた。

 領域展延で使えないのは生得術式のみ、一度領域を展開し、結界に術式を付与さえしてしまえば展延と元の領域の同時使用が可能となる。

 

「っ!」

「…!」

 

 ――領域がせめぎ合う。

 ギャリギャリガリガリと音を響かせ、いつ互いの領域が壊れてもおかしくない状態だ。

 殴り、殴られ、そして互いに反転術式によって傷を癒す。

 本気だ。試合とは別に、彼らは本気で相手を殺そうと(必中効果)戦っている。

 

 ――足りない。

 

「殴り合いってのもさ、悪くないんじゃない?」

「同意だ」

 

 ――足りない。

 

「足りねぇよな、伽藍」

 

 ――絶対的な強者、それ故の孤独。

 

「…何がだ」

「強者の孤高ってやつ、お前も感じたことあるだろ」

 

 幾千、数万発もの殴り合いの後、静かに崩壊する二人の領域。

 互いに術式は焼き切れ、肉弾戦のみが許された状態へ。

 

「お前は、私の知り合いと似たようなことを言うんだな」

「ソイツは知らね、でもさ。あながち的外れってわけじゃないっしょ」

 

 勝負はもう終わった。

 勝敗なんて決まっていない、引き分けというのもおこがましい、ただの試合放棄だ。

 普段ならそんなもの、すぐに切り捨て戦いを再開するはずだった。

 だが、今はこうして語りたいと、ふとそう思ったのだ。

 

『宿儺に愛を教えるのは…貴方は一人じゃないと教えるのは…』

「嗚呼、そうか」

 

 強すぎる力は自己を歪ませる。

 孤独と孤高は侘しさと虚しさをその身に刻む。

 伽藍は全て察した。この五条悟という人間も、同じように愛を求めている。

 自分が独り占めをしたいと、自分だけがわかってあげられるのだと、そう心のどこかで思っていたのか。

 だが。

 

「しかし悪いな、私は…」

 

 唯一、彼女が求めるのはただ一つ。

 たった一つの勝利と栄光。

 

そんなもの(強者の孤独)に興味はない――()()()()なら一人でやれ」

 

 ただただ、それ以外はどうでもいい。

 強者の孤独も、侘しさも。

 愛を与えたいという戯言も。

 

 ただ、心底どうでもいい。




 伽藍は孤独を感じてません。
理由としてはそもそも強いっちゃ強いけど別に宿儺五条ほど圧倒的じゃなかったが一つ。
もう一つは羂索や万裏梅といった強さ関係ない知り合いがたくさんいたから。
あと万が一宿儺が孤独を感じてたとしても「知らね〜!勝手に孤独感じて私に倒されろ!!」ってなる。


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じゅじゅさんぽ.虎杖悠仁

 ゆっくりと書く時間が欲しい


「うん、大分行けるようになったね」

「あっ先生」

「話しかけても問題なしと」

 

 爆薬が炸裂する音、入り乱れる男女の悲鳴。

 目の前の刺激的な映像に釘付けになりながらも、虎杖悠仁は言葉を返す。

 

「前より出力上げたんだけどねぇ、成長早いね」

「押忍っ」

 

 呪術高専地下の一室。

 書類上、虎杖は既に少年院で死亡したままであり、生存の真実を知る者は少ない。

 その一人が目の前にいる現代最強の術師、五条悟である。

 

「それじゃ、もう次のステージに進んでもよさそうだね…あぁそれと、もういい時間だしご飯食べに行っておいで」

「えっ?あぁ…なんか時間の感覚狂うんだよな…」

 

 朝起きる、テレビを起動し映画を再生。

 そしてじっと、呪骸を手に精神統一と呪力のコントロール。

 徹底的に基礎を練り上げるその作業が、今の虎杖の日課であった。

 

「部屋を出て近くに階段があるから、そこを登ったらすぐわかると思うよ」

「了解!」

 

 ギュルルルルと腹から出たとは思えない轟音をまき散らしながら、虎杖は部屋を飛び出す。

 階段を登ると照明のみが光源だった先ほどとは違い、窓から差す日差しが辺りを照らしていた。

 

「え~っと確か…」

 

 登ったらすぐにわかると、確か彼はそう言っていた。

 だから自然と、より強く日差しを受け入れる巨大な窓に視線を移した時だった。

 ――誰かがいる。

 

「っと、やべ…」

「………」

 

 ハッと口を抑え、ゆっくりと姿勢を低く、壁に隠れるようにして観察をする。

 今の自分は死人であり、今ここで自分の生存がバレるのは少し不味い。

 

()()

 

 ――彼女が、こちらへ問いかける。

 

「そう警戒するな、五条から話は聞いている。食いたいならさっさと食え」

 

 一瞬、その呼ばれ方に身体を震わせたものの、「五条から話は聞いた」という言葉を聞き、虎杖は警戒を解いて近づいた。

 まじまじと視線をこちらに向けて「ほう…」と興味深そうな声色で呟いてから、彼女は続ける。

 

「…随分成長したな」

「え?」

「いや、なんでもない」

 

 斜めに切り揃えられた特徴的な前髪、それに隠れて顔は見えなかったが、彼女の誤魔化す態度からしてふと出てしまった言葉のようだ。

 

「…あっ!五条先生と知り合いなら知ってるかもっスけど一応…」

「必要ない。虎杖悠仁…宿儺の器」

 

 その時、虎杖は初めて彼女の顔を真正面から見た。

 月光のように輝く銀髪の向こうに、まるで血のようにおどろおどろしい輝きを見せる赤い眼。

 ――恐ろしい?いや違う。

 

「名前…」

「伽藍。いいから、食うならさっさと食え」

 

 話すのが面倒臭い。そんな態度を隠さずに視線を手元の本に向けた彼女。

 ただ何故か、虎杖は目を離すことができなかった。

 机の上に置かれた、おそらく五条が用意したであろうコンビニで売られているようなパンやジュース。

 それらを手にしながら、虎杖は話す。

 

「えーっと、伽藍…さん?先生?」

 

 気さくに呼んでもいいのか、それとも畏まった言い方の方がいいのか。

 両方の呼び方と可能性を試す問いを選んでみた。

 伽藍はぶっきらぼうに返す。

 

「先生でもさんでも好きに呼べ」

(あっ先生なのは合ってるんだ…)

 

 部屋に充満するコーヒーの深い香り。

 あまり専門的な知識はないが、それでもいい豆を使っているのだろうとわかるくらいには、香りと色の全てが高水準。

 彼女は、これが好きなのだろうか。

 

「それどこのコーヒー?美味そう」

「友人からいい豆を送ってもらってな、あとはただ淹れるだけだ」

「へ~」

 

 よく見ると、台所の方に先ほど使ったのであろうドリッパーが置いたままだった。

 湯気が発生しているのを見るに、まだ淹れたてで冷めていないのだろう。

 

「えっと、俺も飲みたいんスけど」

「好きにしろ、あとそのちぐはぐに丁寧な言い回しをしようとするな、普通でいい」

「ハイっス!」

 

 片手で敬礼のポーズを取りながら、虎杖は相変わらずの態度を取る伽藍にそう返し、台所へ向かった。

 既にコーヒーの抽出自体は終わっていたため、後は用意したコップに入れるだけだ。

 淹れたてのコーヒーがコップの中で渦を作り、かき回されて香りがより強く放たれる。

 そしてすぐ、味見ついでに一口だけ飲んでみてから、虎杖は目を見開いた。

 

「美味しいな」

 

 嫌いな食べ物や飲み物は特にない。

 コーヒーもその一つで、今までの印象としては好きでも嫌いでもない、中間に位置する飲み物だった。

 だが、この味を知ってしまうと考えが変わりそうだ。

 

「おい」

「うおっ!?」

 

 隣から聞こえる声、そして感じる気配と同時に声を張り上げる。

 先ほどから声も物音もさせずにいたのにも関わらず、文字通りいつの間にか隣に立っていた。

 

「よこせ」

「あ、はい」

 

 大人しくドリッパーを差し出すと、返事と同時にひったくられる。

 相変わらず興味のなさそうな、冷たい表情を見せる彼女の横顔に、何故か虎杖は目を離せない。

 既視感?いやこれは――

 

「う~ん…」

 

 違和感。

 

「なぁ、先生」

「…なんだ」

 

 ――違和感。

 

「俺らさ、どこかで会った?」

「さぁな」

 

 違和感の正体は、まだわからない。

 どこかで会った、街中?それとも以前学校で?

 いや、無意識な勘がそれらの択を拒否している。

 

「うーん…なんか違和感が…」

 

 チラリと彼女に視線を戻して、気のせいかなと話を切ろうとした時だった。

 ――頬に指が添えられる。

 

「ぅえ!?」

「………」

 

 じーっと、先ほどとは打って変わった興味深そうな視線。

 目の下、あの日呪いを食してこの世界にやって来た証である傷を撫でる。

 

「……ここに、か」

 

 その赤い目がより強く、より輝いて光る。

 その視線、その好奇心が向けられる真の先――

 どろりとした、悪寒の走るそれ。

 

「!?っとそれじゃ!」

 

 鳥肌の立つ、危険予知にも似たその感覚に従って、虎杖は部屋から飛び出して逃げた。

 あの赤い目と、そして上擦った声と狂気を孕んだ気配を必死に頭から消そうとして、ふと虎杖は気づく。

 

「そういや…」

 

 普段から互いに無干渉。

 話すこともなく、興味を向けることもない者ではあるが、妙に静かな彼を思い出し。

 

「宿儺、何も言わなかったな」

 

 再び、違和感を覚えて歩き出した。

 

 

 

 


 

 

 

 

 ――夢を見る。

 渋谷、ハロウィン、塵となった目の前の景色。

 まどろみの記憶の中。

 

『あの女だけはやめとけ』

『悠仁の前で変な話はやめて下さい』

 

 虎杖の記憶に残る中で、まだ強く生命に溢れた祖父の姿。

 ドス黒い眼を見せる父の姿。

 

『お義父さん』

 

 額に刻まれた縫い目。

 

『…なんの話ですか?』

『お前のことだろう』

 

 ――顔が見えない。

 

伽藍、そういえばこの子に会うのは久しぶりなんじゃないかい?』

『そうか、最初に会ったのは病院でだったな』

 

 より敵意を強く剥き出しに、目の前の二人を睨みつける祖父の姿。

 虚ろな目で、縫い目の付いた彼女へうっとりとした表情を見せる彼の姿。

 ただ、"彼女"の姿だけは不鮮明。

 

『仁、少し貸せ』

 

 視線が揺れて、より強い光が目に差し込んだ。

 いつの間にか所有権が変わり、今の自分を抱きかかえているのは彼女らしい。

 相変わらず、顔はわからない。

 

『…可愛くない面だ』

『えー?折角私が産んだのに~』

『黙れ』

 

 熱い手だ。

 言葉と態度の冷たさとは裏腹に、彼女の身体が持つ熱は心地よい。

 だがその奥に隠れた、敵意の炎による熱さを見抜く。

 

『おい』

『そう声を荒げるな、赤子を甚振る趣味はない』

『ぅあ…』

 

 赤子特有の柔らかい頬を、器用に抱きながら指で突かれる。

 意識がハッキリと、そして記憶の中の景色全てが鮮明になっていく。

 

『…ハハッなんだ、お前やっぱり』

 

 祖父の姿、母の姿、そして隣に立つ父の姿と――

 

()には似てないな』

 

 心底愉快だと笑って言う、伽藍の姿。




 宿儺ァ…!(フルフルニィ


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25話.玉折⑥ー贅沢者めー

 感想が欲しい!(クソデカ声)めちゃくちゃ喜びますのでどうかお願い致します…


 崩壊した外殻から姿を見せた二人。

 伽藍のどこか、子供に向ける達観した眼差しと五条のギラついた視線。

 先ほど話していた内容は聞こえなかったものの、"何か"があったのだろうと、その表情が証明していた。

 

「おっかねぇな、あんなのに挟まりたくねぇよ俺」

「同意だね」

 

 轟音、そして吹き荒れる砂嵐。

 五条と伽藍、両者の乾いた笑いに苦笑いを零しながら、日下部と冥冥は観察を続ける。

 

「あいつら、今術式焼き切れてるんだよな?術式なしであれかよ…」

「術式を鍛えるよりも先に、身体を鍛え上げた方がいいというのはあながち間違いじゃないらしいね」

 

 夏油の目に映るその殴り合いは、彼からしても別次元のものだった。

 勿論純粋な武術という点でなら夏油には及ばない、親友のよしみで軽く教えた五条もそうだが、やはり一番異質なのは伽藍の戦法。

 息をつく暇もなく繰り広げられるそれを、日下部たちは勿論歌姫や家入、そして七海たちも冷や汗を流しながら観戦する。

 

 地を這い、相手の関節部分を重点的に狙う。

 目潰し金的、あらゆる危険技も躊躇なく狙い、むしろ自分へのカウンターは一切考慮していない。

 どこまでも攻め、攻撃こそ最大の攻撃。

 

 まるで獣だ。人でありながら野生の戦い方に身を落とす彼女の戦い方に、五条も最初は手を焼いていたことからも、その厄介さがわかるというもの。

 だがそれも――

 

(慣れたか)

 

 五条悟には通じない。

 

「はは、あんな悟久しぶりに見たな」

 

 最後に本気で殴り合ったのはいつだっただろうか。

 訓練の中、決まった型で互いに拳を交え、そして畳の上に倒れたあの日々を思い出す。

 だが不思議なことに、喉からは掠れた声しか出てこなかった。

 

「――ッラァ!!!」

「ハハハハハハハッ!!!」

 

 あの時の笑い声を思い出す。

 目の前で頭を押さえつけられ、すぐに追撃の蹴りを喰らいながら、伽藍は痛みに怯むことなくカウンターを胸に叩きこむ。

 ルールに縛られない全力、むき出しの敵意と削れる肉と血のそれらが、飛沫のように宙を舞う。

 初めて同級生と喧嘩をして、初めて親友が生まれたあの日と同じで――

 

(私は)

 

 ()()()()()()()

 無意識のうちに目を逸らしていた事実、方向性が違うと、彼にはできず自分にはできるという慰めに近いそれ。

 わかっている、比べるだけ愚かなものだ。五条悟という存在、規格外な超常をだ。

 だがどうしても妄想してしまう、もし自分も彼女のように――

 

(…私も)

 

 あの、個の強さを少しでも持っていればと。

 

 

 

 


 

 

 

 

『領域展開』

 

 術式が回復し、再び二人の領域がせめぎ合う。

 結界内に濃縮された無限の情報、ひとたびそれを浴びれば最後、脳は壊され絶命に至る致死の恐怖。

 だが、その程度の恐怖では。

 

「――ははっ!」

 

 ――この闘鬼は止まらない。

 領域の必中効果と術式効果、そして展延による無下限の中和。

 本来一つの術式が領域内限定で効力を変え、その対策のための択すらもが理不尽、それが無下限呪術。

 圧倒的アドバンテージ差、その距離を己の体術、技術を使って死ぬ気で縮める。

 

「こっちだ」

「うげっ」

 

 展延によって無下限を突破され、腕を掴まれた瞬間、顔面に拳を叩き込まれる。

 負けじと腹を蹴り返し、互いに痛み分けに終わってから、再び両者は距離をとる。

 

(チッ、やりづらい)

 

 結界条件、そして付与した術式の精度に呪術の引き算。

 最低限のコスト、最大限のパフォーマンスを老練された技術によって顕在化させる伽藍。

 常人を超越する呪いの才華、数十年の蓄による圧倒的な経験の壁がある筈だった。

 

「…ハッ」

 

 ――嗚呼、それなのにこの男は…!

 

「ハハッ!いいぞ!」

 

 ――目の前の化け物はそれすらも。

 伽藍の拳が、五条の拳が。

 互いに互いの頭を潰す勢いで交差し、ぶつかり、火花を上げて空気を切り裂く。

 黄泉返ったことによる肉体の最盛期を手にした伽藍と、恵まれた眼、恵まれた身体能力による純粋な闘争心によるコミュニケーション。

 

 ――ガリガリガリガリ!

 

 その泥臭い殴り合いと同時に、ヂリヂリと目に見える勢いで、あっという間に削られる領域の必中範囲。

 目を見開き、今度は五条が歓喜に叫ぶ。

 

「――ハハハハハッ!」

 

 勿論、削られる勢いが強いのは伽藍の黄泉天蓋であり。

 より強く、押し合い勝負を制したのは無量空処。

 硝子が割れるような、あの結界が崩壊する音が響き渡る。

 

「…っ、クソッ」

 

 両者が領域を展開して13秒後。

 伽藍の必死の抵抗も虚しく、より勢いを強くした無量空処。

 ――それにより、伽藍の黄泉天蓋が崩壊する。

 

「~~~ッ!」

「喰らったな!――無量空処を!」

 

 続けて崩壊した無量空処のこともあり、伽藍が無限の情報を流し込まれた時間は延べ2秒にも満たない。

 異変を感じた瞬間、伽藍は頭部を主軸に精度を度外視した、全力の反転術式を施した。

 襲い掛かる死の予兆、破壊される脳細胞と呪力を生成、頭で反転させる巧妙なプロセス。

 絶命という概念が背に立つその瞬間を、伽藍は死ぬ気で乗り切ろうとした。

 

「ぅぇ…ッ」

 

 襲い掛かる脳へのダメージ、治しきれない負担と不快感に、伽藍は本気で苦しむ声を漏らす。

 なんとか意識は落とさんと血走る眼。だが想像を絶する苦痛と不快感に胃液をぶちまけ、片手で何とか抑えながら立つ。

 まともに格闘戦のできない現状、再び五条の魔の手が襲いかかると思われた。

 だが、そんな無防備な彼女を見ても。

 

「なぁ、お前は」

 

 五条は、動きを止めた伽藍に向かわなかった。

 

パンピー(非術師)に気遣う必要なんてないって言ったよな」

「……あぁ?」

「弱者に気を遣う必要もない、とも言った」

「……」

 

 壁を乗り越え、人知を超越して。

 人間という枠組みの外へ、その身と精神を置いてから感じていたもの。

 五条悟という人間の、心に存在するある価値観。

 

 ――それは、ある線引き。

 

 元から存在していたそれが、一年前のあの日から更に、より強く確固としたものへとなった。

 元から並ぶ者がいなかった現実が、より残酷な現実を見せるように。

 満たされる人間としての心、そして足りない、もっと寄越せと叫び出す、己の中の闘争を求める心。

 

 友と並ぶのとは違う、求めるのは力の発露。

 孤独ではない、友はいる。だがそれとは別にどうしようもなく溢れる力の欲望。

 ――強者故の孤独、強者故の侘しさ。

 

 だから聞きたかった、だから知りたかった。

 誰よりも力と闘争を求め、誰よりも修羅の道を行く彼女なら、力に苦しむ者の思いも理解できるのではと。

 ――彼女なら、この苦しみの答えを示してくれるのではと。

 

「…嗚呼なるほど」

 

 一瞬、五条の問いに目を丸くした伽藍はしばらく呆けて。

 五条の言わんとすることを理解し、笑って。

 

「お前も、か?」

 

 まるでしょうがないと言うような、心底呆れた表情を見せた。

 

「いつの時代もこうして湧く…何故皆が、揃ってこうも同じ話題を擦るのだろうな」

「…?」

 

 困惑する五条を前に、伽藍は懐かしいと、そう呟いて思い出に浸る。

 伽藍の脳を過ぎるのは、かつて同じ問いを己に投げかけたあの少女。

 絶対的な強者、それ故の孤独。伽藍も同じ孤高の者だと認め、そして同情されたあの過去。

 

「お前は、その答えを知っているだろうに」

 

 諭す、示す、呆れ、失望…

 伽藍の目に映る様々な色の形、だがその中でも――

 

「続きだ」

 

 ――仕方ないと悪戯に笑い。

 伽藍は、再び問いかける。

 

「知りたいのだろう?納得のできる答えが欲しいんだろう?なら見せてやる…」

 

 憎しみの視線、好敵手へ向ける熱。

 今まで向けられたそれとは違う、五条の身体を貫くそれは。

 

「来い、()()

 

 とても、新鮮なものだった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 先ほどの問答の時間で、伽藍の脳は最低限の回復を果たした。

 だがそれでも、まだ癒しきれていない破壊された脳細胞があることは確かであり――

 

「領域…」

「させん」

 

 帝釈天の印を結ぼうと手を動かした五条へ、伽藍は液状筋肉を放出した。

 破壊されたのは結界術を司る脳細胞、呪力操作の延長戦である領域展延、そして術式の発動は難なく行える。

 

「器用なことを…」

 

 五条の手のひら、そして指の長さ全てにピッタリな大きさの専用の拘束具。

 領域展開はおろか術式発動のための手印すらも妨害できるため、術師にとってはこれ以上ない嫌がらせだろう。

 咄嗟に自由な左手で印を発動しようとした隙を、彼女は逃さない。

 

「"糜爛(びらん)" "毘藍婆(びらんば)" "(くろがね)摩耗(まもう)"」

「ッ!」

 

 術式効果を向上させる呪詞、それと同時に六眼が鮮明に解析する、呪力の起こり。

 完成直前の左手の手印を解き、五条は伽藍の攻撃の()()に専念した。

 

「――(テン)

「っぶね!」

 

 凝縮、そして解放。

 だがその瞬間六眼が見破った、液状筋肉による斬撃全てに纏われた領域展延。

 無下限に任せた防御は無意味だろうと五条は把握した。

 

「――(ユウ)

 

 そして今度は詠唱なし。

 直前まで隠された呪力の起こり、それに気を取られて硬直した瞬間、五条の身体を液状筋肉が締め付ける。

 呪力による防御は成功しているとはいえ、こうして動きを止められている事実。

 ――その隙を、彼女が見逃すはずがない。

 

「"顕在(けんざい)" "懸河(けんが)"」

 

 後追いの詠唱、それにより更に拘束力を増した液状筋肉が、五条の身体を蝕んだ。

 

"赤月焔(あかつきほむら)"

 

 

 

 

 伽藍は普段、()()()()()()()を除き、術式によって筋肉しか作らない。

 それは形を自在に変え、あらゆる場面に対応でき、火力も高い故の選択だ。

 骨の創造も弱くはないが、それでも液状筋肉という破格の存在を前にしてはその価値も霞む。

 

 故に、伽藍は縛りを己に課した。

 

 それは元より高性能な液状筋肉を、更に高次元のものへと昇華させるためのダメ押しのようなもの。

 だからこそだろう、伽藍の行うそれは、呪術の世界において非常に画期的で合理的――

 

「五条」

"逆鱗(げきりん)" "接合(せつごう)"

 

 伽藍の得意げな笑みと、同時に嘲笑うように詠唱を続ける()()()()

 心底楽しそうな声色を出す伽藍本人の口。そしてその額と腕、少量の液状筋肉を纏ったそこに作られた、人工的な発声器官。

 

「避けてみろ」

"双児(そうじ)妖星(ようせい)"

 

 圧縮した液状筋肉、それの方向性を極限まで絞り、ただひたすらに貫通力を高めた技。

 先ほどまでの経験から、おそらくこの技も無下限を破るために領域展延を纏っているのだと理解した。

 故に五条はこの瞬間、無下限のバリアに回す分の呪力すらも防御のために使い、純粋な呪力強化による防御に挑む。

 

「――(ゴウ)

 

 ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリッ!!!

 片手で防ぎ、反撃の為の手印を結ぼうと考えていた五条の策を嘲笑うかのような破壊力。

 右手の甲を突き破り、そのまま頭を穿たんと前進を続ける液状筋肉を止めるため、五条は残る左手を駆使し何とか力の流れを操作する。

 

「ッてぇ…」

 

 穴のできた右手を見ながら、同時に右腕全体に走る高熱による不快感。

 呪力特性による影響は純粋な呪力強化でも防ぎきれないのもあり、どうしようもなく腹が立つのだ。

 眉を顰める五条に対し、伽藍は再び話し続ける。

 

「1000年前、私にも愛がどうたらとほざいた小娘がいてな」

 

 パキ…プラスチックのような軽やかな音を立てながら、液状筋肉が伽藍の背後で円を作る。

 そしてそれの上下対称の形で再び作られる発声器官。

 試行錯誤を繰り返し、その合理的な構造はある一種の機能美へと進化の道を辿っていた。

 

「ソイツが言うには、私も宿儺と同じよう…圧倒的な力を持つが故に孤独であると、渡り合える者がいない故の苦痛と寂しさを感じているのだと」

 

 ()()()()()()()()

 そう吐き捨てて、伽藍は続ける。

 

「生憎私には理解ができんが、まぁ奴の"言いたいこと"は少しは尊重できるつもりだ、それこそ今の貴様にピッタリでな」

 

 線引きを施すほど、伽藍は他者を愛することもない。

 誰かを愛そうと思うほど、伽藍は良心が残ってもいない。

 

「力の発露を求めたいか、ありのままの自分を受け入れる相手がいないから苦痛を感じる?」

 

 阿呆が。

 その言葉には、彼女が歩んだ人生の渇きが滲み出ていた。

 

「勝手に見限り、諦めの殻に閉じ籠るその様…嗚呼本当に、若いころの自分を見ているようで腹立たしい」

 

 力を求め、名声を求め、暴れて殺して名を轟かせた若かりし頃。

 いつしか肉が落ち、皮が強張りだしたころ、己の年齢を言い訳にしまいと目を逸らしたあの日に、伽藍は人生で二度目の敗北を経験した。

 

 呪いの王、両面宿儺。

 

 必死に挑んだ、そして逃げた。

 いつか勝てる、負けない限り自分は勝てる。そんな自分の自尊心を守るための価値観に逃げて。

 「もし自分が若かったら」なんて思ってしまった瞬間に、伽藍は目の前が真っ赤になった。

 

「力の発露を求めるならば縛りを課せばいい、自ら弱者の舞台に降り立ち、同じ立場からの全力を出せばいいだけだ」

 

 ありのままなどくだらない。

 そんなものは自分を偽る弱者が出す言葉だ。伽藍は黄泉返ってから自らを偽ったつもりは一度もなく、ありのまま、そのままだ。

 

「この世界に、真に孤独な人間などいない。人は誰しも誰かを利用し、されて。そうやってこの世界で呪いは廻る」

「お前はどうなんだよ」

 

 孤独な人間などいない。

 その言葉は誰でもない、五条が一番理解できることだ。

 天上天下、唯我独尊の彼が唯一尊ぶ、そして大切にする友情。

 あの傲慢不遜な戦闘狂の口から、そんな考えが出てきたのには驚いたが。

 

「満たされる孤独と力の発露を求める心は矛盾するか、それとも…これも愚かだって?」

「尊重したうえで進言してやろう、愛などロクなものじゃない」

 

 再び、伽藍は平安の世で築き上げた価値観を語る。

 

「他者を満たそうとも考えたことはない、満たされるのは私でいい。私を敬い、恐れ、そして愛することが重要であるが故に」

 

 友情も、愛情も。

 共に肩を並べ合い、そして笑いあうのも全ては「自分のため」

 だが友と違い愛は違う。利益と打算で関わり合える友と違い、伽藍にとって愛は妄言。

 

「愛は弱さだ、譲渡は罪だ。原初の欲望…闘争を放棄した臆病者以外は許してやる。だからこそ愛に縋る者は愚かだ」

 

 あの呪いの廻る平安の世で伽藍は呪いの王が全てを蹂躙する光景を見た。

 愛を尊び、そして縋った者からそれを利用され、いいようにされて殺される。

 どれも結局例外はなく、この呪いの世界では、愛ほど弱く要らないものはないと。

 伽藍は、そう結論付けた。

 

「…疲れるだろ、それ」

「愚問だな。私には飽きさせないこの世の中と、変わらず悪趣味な友がいる」

 

 だからこそ、五条と伽藍は真の意味では。

 

「死ぬまで、私は啜り足掻き生き続けるさ」

 

 理解できない間柄であった。

 

 

 

 

「"顕在(けんざい)" "懸河(けんが)" "赤月焔(あかつきほむら)"」

 

 

 蒼による引力、それによる超加速でそれを回避し、五条は再び伽藍と向き合う。

 

「やるな」

 

 だがすぐに、伽藍は片手で印を結びながら五条に向き合う。

 五条が蒼を展開するよりも早く、伽藍はその技を発動させる。

 その背後で、二つの口が()()()動き出した。

 

"糜爛(びらん)" "毘藍婆(びらんば)"

"奈落(ならく)" "五月雨(さみだれ)"

()()――」

 

 (テン)(セツ)

 前代未聞の呪詞の同時多重詠唱による合わせ技。

 それが、五条に牙を剥く。

 

"(くろがね)摩耗(まもう)"

"(いまし)めの熱海(ねっかい)"

「――(ケガレ)

「――(あか)

 

 吞による斬撃を、広範囲を飲み込む折が逃げ場を防いでサポートする。

 だが五条は一瞬の隙を見逃さず、赫による発散に切り替えてそれらを崩壊させた。

 覆しきれない術式の格差、そして五条の反撃は続く。

 

「飛び道具ばっかつまんねぇだろ」

 

 重式の反動で動けない伽藍を、蒼の引力で無理やり引き寄せる。

 なんとか振り切ろうと足を踏み込むも抵抗虚しく、伽藍の身体は五条にいいようにされてしまう。

 

「ぐっ…」

 

 同時に、五条の全力で放たれたボディブロー。

 蒼による引力、五条の呪力強化と体術によって、まるで不意にカウンターを喰らった時に近い不快感が襲い掛かる。

 痛みに慣れた彼女でも顔を顰める技の連続に、負けじと液状筋肉を展開した。

 

(ユウ)

 

 五条の身体ではなく、その周りに展開された液状筋肉。

 どれもが無下限を貫く可能性がある以上、むやみに突っ込むのは得策とは言えないだろう。

 

(でもまぁ)

 

 ――なら近接戦を続けるまで。

 

「"位相(いそう)" "黄昏(たそがれ)"」

 

 先ほどよりも強く、先ほどよりも重く。

 遂に解禁した無下限の呪詞を、五条が詠唱を終わらせようとした時。

 周りに展開された液状筋肉が、球状に圧縮される。

 

「――(ムクロ)

 

 瞬間、五条の背中に熱塊が押し付けられる。

 

「~~っが!」

 

 詠唱を中断され、威力不十分のままに放たれた蒼。

 ダメージはそれほど、それどころか無量空処に始まり、伽藍は反転術式を多用しすぎたせいか、傷を治す速度が落ち始めている。

 元からの体力の差もあり、五条に万が一はない。

 このまま互いに攻撃を叩き込み、そして反撃を繰り返していくだけ――

 

 

 

 

 そのはずだった。

 

 

 

 

「死ぬなよ、五条」

 

 突如抱きしめられ、目の前には彼女のニヤリとした顔。

 同時に向けられたその声には、偽りのない心配の意があった。

 

「はっ?」

 

 液状筋肉が五条の身体を、そして他ならぬ伽藍の身体を同時に締め付ける。

 同時に六眼が解析を完了し、目の前で起こっている現象の正体を五条に伝えた。

 ――既視感。

 

 伽藍は一年前に()()を見た。

 

 無限に形を変える液状筋肉と、放出の際に工夫を凝らす呪術の計算式。

 だが何かが足りないのだ。真の意味で相手の意表を突く何かが。

 真の意味で、自身の術式を生かすその技を。

 伽藍が最初に言葉を紡ぎ、それに続く形で第二、第三の口から呪詞が紡がれる。

 

「"七堂(しちどう)"」

"末光(ばっこう)"

"降魔(ごうま)転身(てんしん)"

 

 凝縮された時間の中、唱えられた未知の呪詞。

 伽藍の身体を包む赤い稲妻、そして同時に走る悪寒。

 だがその間も、彼女の背後から呪詞は流れ続ける。

 

"摩耶(まや)三業(さんごう)"

"(むく)いの芳年(ほうねん)"

 

 未知という点なら、先ほどまでの呪詞とそう変わらない。

 わからないなら備えるだけ、今までと同じよう、防御に全神経を注ぐだけ。

 では、何故五条はこの詠唱に驚いていたのか、何故つい動きを止めてしまうほどの衝撃を受けたのか。

 それは――

 

「…()()

 

 術式順転、反転を重ね合わせ術式効果を進化させる。

 文字通り、()()()()()()()()の術式発動。

 己の命すらも薪としたことによる恩恵が、その蛮行をより高次元のものへと昇華させた。

 

「―― "火産(ホムスビ)"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前…頭おかしいんじゃねぇのか…!?」

 

 術式反転による人体の蒸発。

 それらをより効率的に、より早く成すために伽藍が生み出したのが火産である。

 圧縮された液状筋肉が自分ごと相手を貫き、壊しながら溶かす…まさに対人間に特化した自爆技。

 防ぎきれなかったダメージと、未だ再生途中の左腕を支えながら、目の前でこの惨状を生み出した本人、伽藍へ信じられないものを見るような目を向けた。

 

「人間、歳を取ると色々なことを経験するようになる」

 

 無量空処から始まった反転術式の長期間使用。

 元から治癒力の落ちた状態であるのにも関わらず、何を考えたのか彼女は本気で自分ごと殺すつもりで自爆を行ったのだ。

 自分の呪力であるはずだが、それでも五条よりも傷は深く、顔の半分は骨が見えており、両腕は未だに欠損したままで治っていない。

 足もそうだ、実際に一番再生が追い付いていないのが下半身であり、それらは液状筋肉で作った義足擬きでなんとか立っている状態。

 立つのもやっとであろう、しかしそれでも彼女は…負けず嫌いであった。

 

「これもいい経験になった、次はもっと威力を上げるか」

「お前マジで死んでも知らねぇぞ…」

 

 五条の心底呆れたといった言葉に、伽藍は壊れた顔が気にならないくらいの、無邪気な笑い一つ返して答えた。

 




 五条(HP60/100)
 伽藍(HP10/100)
くらいです、あとやっぱり呪詞を考えるのは楽しい。


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26話.玉折⑦ー南ー

 主人公は北へ全力ダッシュしてます。


 あの日から、ずっと自分に言い聞かせてきた。

 

 ――五条悟は俺が殺した。

 

 胸を焼き焦がす怒り、視界が歪むほどの憎しみ。

 この道を選んだ時から、既に覚悟はしていたはずだった。

 

 ――もっとみんなと…一緒にいたい…!

 

 掻きむしっても収まらない、喚きたい程のやるせなさ、苦しみ。

 涙を流し、やっと自分の望みを口にできた、一人の少女の姿。

 

 ――星漿体のことは気にしなくていい。

 

 あの日から、自分の何かが砕けたような気がした。

 目の前で涙を流し、家族との別れを惜しむ彼女。

 まるで無価値だと切り捨てられ、意味の無いものだと後押しされた彼女の犠牲まで。

 

「…これはなんですか?」

 

 ――いつまで、これが続くのだろう。

 

 

 

 

 

「なんだ、辛気臭い顔しやがって…お通夜か?」

「…相変わらずズバッと来るね」

 

 顔を合わせてすぐそう言う伽藍に対し、夏油は乾いた笑いを零す。

 以前よりマシになったとはいえ、変わらず不快感を与える夏の日差し。

 悩みのこともあり、苦しそうな顔をしているであろう自分にも、彼女は相変わらず自分優先な傲慢そのものだ。

 

「フン、じゃあ…『どうした?何か悩みがあるのか?聞いてあげるから話してみろ』…これでいいのか?」

「…まぁいいや、今は毒を吐きたい気分だからね」

 

 ――特に君には。

 その言葉は、飲み込むことにした。

 

「…何のために戦ってるのか、少し分からなくなってきたんだ」

「…?自分のため以外にあるのか……?」

「…あ、うん」

 

 ポカンとしたその表情を見るに、嫌味でもなく本気でそう思っていたのだろう。

 弱者救済のため、身を削ってきた夏油には想像の付かない境地、そして得た力だ。

 

「…盤星教で見た景色が、人の醜さがどうしても頭から離れないんだ」

「人の醜さなど今まで見てきただろうに。なぜ今更」

「…そうだね、きっとあの子の死が理由だろうね」

 

 過去の罪を懺悔するかのように、夏油は少し掠れた声で続ける。

 

「みんなと一緒にいたい、もっと生きたいって言ってくれたのに。私は彼女を守ることができなかった」

「……天内か」

「うん、九十九由基……あの特級術師が言うには、天元様は何故か安定しているから気にするな。とも」

 

 含みのある言い方で聞き返す伽藍、夏油はそれに気づくことはなく、強く拳を握って。

 

「なら、何故理子ちゃんが死ななければならなかった?」

「……」

 

 天元は安定している、同化はしなくても大丈夫だった?

 ならば最初から、彼女にはただの少女の幸せが訪れるはずだったではないか。

 無情にも、あのような死を迎えていいはずではなかったはずだ。

 

「彼女の死に…意味はあったのか?」

 

 伽藍は、その問いに答えなかった。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「酒が上手い」

「私が来るといつも飲んでるような気がするんだが」

「飲んれないよ?アッ」

「わざとらしい」

 

 酒を飲む、適当に駄弁って余韻に浸る。

 ありふれた日常の一コマ、だがそれを演じているのは禪院家、その頂点に立つ当主である直毘人である。

 齢六十を超えてなお現役、その戦闘力と娯楽趣味は衰えず、見た目とは反比例しどこまでも若々しいもの。

 

「例の話は聞いた、若返ったからといって無茶をしすぎだろう」

「…そうだな、お前も受肉してみたらどうだ?世界が文字通り変わるぞ」

「遠慮しておく。お前と違ってそこまで人を捨てるつもりはないからな」

「おい」

 

 本来使用人だけを部屋に入れ、一人で酒に浸るこの男が、わざわざ追加の酒を用意してまで彼女を呼ぶ。

 若返ったという違いはあれど、互いに同じ老練の呪術師でありながらも保守的な考えとは離れた存在。

 同族意識、仲間意識とも言うべきその距離感に、誰も口を挟む者はいない。

 

「……うん、やはり現代の素晴らしい点はこの悦楽だ。酒も食事も見事なものだな」

「昔の食事か…今のが当たり前に感じる俺には想像もしたくないな」

「まぁ待て、米に味噌はこれが結構美味くてだな…特に新嘗祭の時の…」

 

 バシッ

 常人ならば、その音の鋭さと同時に飛来する拳の圧に恐怖し、身を強張らせてしまうだろう。

 それを伽藍は先ほどからずっと、片手でいなしていた。

 

「クソがッ!」

「新嘗祭に宿儺を招くか…やはり今聞いてもなんというか…」

「だろう?私も何を言ってるこの馬鹿は、としか思えなくてな」

「死ねッ!」

「お前もそれに招かれたのか?」

「あー、いや私は遠くから覗いていただけだ。しかしその後にな…」

「くたばれッ!」

 

 鬼気迫る表情で殴りかかる少女の攻撃を全て、片手でいなしながら平然と会話を続ける伽藍。

 直毘人もわかっていてあえて無視し、むしろ必死になんとか一撃入れようと足掻くその様子を肴に酒を飲んでいる。

 疲労の色が見え始め、僅かに動きが鈍った瞬間に少女…真希の額に人差し指が突き立てられる。

 

「終わりだ、前よりは大分マシになってるじゃないか」

 

 そう言い終わるや否や、真希は己の額に突き立てられた指を両手で掴み、思いっ切り横にねじった。

 

「フンッ!」

「腰が入ってない、もっと力を上手く使って折れ」

「があああああっ!」

「楽しそうだなぁ?真希」

 

 必死に広範囲に指を動かし、ぐわんぐわんと身体を揺らしてもうんともすんとも言わない。

 純粋な力比べ、戦いとも呼べないそれに惨敗している現状、そして何より真希にとっては気に喰わない爺という扱いの直毘人に馬鹿にされていること。

 負けず嫌いにも近い必死の抵抗を続けながらも、それでも伽藍に良い様に遊ばれていた。

 

「お前との話は飽きんが、このお転婆娘は考え物だな」

「いいだろう別に、私は気にしないしそれに…こっちも面倒臭い餓鬼を押し付けられる」

「そろそろ真依も戻ってくるところか」

 

 ギャーギャーと叫びながら暴れる真希を、終始片手でいなし続ける伽藍と、相変わらずずっと酒を飲み続ける直毘人。

 いつからか恒例となったこの集まり、そして時間の余韻に浸っていると、襖が開いて声が聞こえた。

 

「お母さん!」

「当主様、耳に入れてもらいたい情報が…」

 

 真希に似た黒髪の少女、真依の手を引っ張りながら部屋に駆け込む青髪の少女、霞。

 そして同時に急ぎ足で直毘人に近づき、何かを話す使用人の女性。

 

「…それは確かか?」

「間違いありません、上層部も大混乱です」

「そうか…これはまた面白いことになった」

 

 背中から抱き着かれ心底面倒くさいとため息を吐いた伽藍の隣で、直毘人は愉快に笑ってそう言った。

 伽藍はどうしたと話しかける。

 

「上層部…もしや宿儺でも復活したか?」

「まさか、それにもしそうだとしても、お前が先に気づかんはずもなかろう」

「それはそうだ。では…」

「あぁ、どうやらあの若造…」

 

 ――何のために戦ってるのか、少し分からなくなってきたんだ。

 あの日の、夏油の顔が脳裏に浮かぶ。

 

「夏油傑が呪詛師認定された」

「そうか」

 

 

 

 


 

 

 

 

「あぁ、やっぱりいた」

「…前よりはマシな目になったな」

「そう?なら良かったよ」

 

 周りには一般人がいる、呪術は使えない。

 普通ならそうだが伽藍は違う、彼女は気分次第で、場所都合問わず好きに暴れるだろう。

 しかし夏油は、わざわざ彼女を探し…こうして話しかけてきた。

 ――夏油には、ある確信があった。

 

「一応聞いてやる、本当に自分の意志でか?」

「あぁ、みんな殺したよ」

「理由は」

「術師だけの世界を作るんだ」

「くだらん」

 

 終わらないマラソン、止まらない犠牲の連鎖。

 術師が生まれ、身を削って死んでいく中、それを生み出す全ての元凶の生みの親である非術師。

 悩みに悩み、たどり着いたその極論。

 進むべき道は、もう既に決まっているのだ。

 

「随分とまぁ立派な考えだな、尊敬に値する」

「お褒めに預かり至極光栄」

 

 伽藍の皮肉に対し、夏油は以前よりも明るく、霧の晴れた笑顔でそう返した。

 疑惑。

 

「にしても、よく私に会おうと思ったものだな?」

 

 その様子に少し不快感を示しながら、伽藍は夏油にそう問いかけた。

 しかし夏油は相変わらず、あの胡散臭い笑顔を浮かべながら話し続ける。

 そして、確信に触れる。

 

「君は今…悟にしか興味ないだろう?」

「なんだ。わかってるならそれでいい」

「…もうちょっと誤魔化してもいいと思うんだけどな」

 

 目指すは頂点、望むは王の立ち位置。

 討ち果たすは強大な壁、乗り越えるべきは最強の敵。

 ()()()()がどのような道を選ぼうとも、彼女にとってはどうでもいい。

 それが夏油の確信だった。彼女にとって、自分を含む有象無象はわざわざ気にかける程でも、手をかけてくれるほどの関心がある訳では無い。

 彼女は、面倒くさがって殺しには来ないと。

 

「全く…まさかここまでの馬鹿だったとはな?」

「……」

 

 失望。言い表すならそれが一番相応しい表情だろう。

 夏油の言葉を聞き終え、直ぐに伽藍が見せたその感情。

 

「お前の意志、お前が選んだ最善の選択のように見えて、結局は己の逃げ道を肯定するための弱音に過ぎん」

「………」

「救いたい対象を変えただけに見えて、その本質は以前よりも劣化した…くだらん自己肯定感を指針とした馬鹿の考えだ」

 

 何度も、何度も目を合わせて続けて。

 何度も、馬鹿だと呟いて。

 

「両親を殺したらしいな?それも自分の逃げ道の逃げ道…それに頼る選択を自ら壊さないといけないほどだったのだろう?」

「……」

「力に溺れた餓鬼の定石だ。自分ならできる、やれると愚かに夢想し…後先を考えず愚直な道をただ走る」

「…」

「お前はただ逃げただけだ。自ら定めた指針の苦難に耐えきれず、楽な道を選んだ臆病者だ」

 

 慰めも、説得もない。

 あるのはただの落胆と失望の罵詈雑言、手をあげることもなくただひたすらにそれを向ける。

 伽藍のその言葉、そして視線を身に受けながらも、夏油は――

 

「うん、そうだね」

 

 ただ、笑いながら受け入れた。

 

「……意志は固い、か」

「…予想外だったよ。まさか君が、私をそこまで心配してくれていたとは思わなかった」

「興味はない…が、年寄りの忠告だ。それに餓鬼の悩みは聞き慣れている。…チッ、ここまで言ってやったのだぞ?本当に行くのか?」

「あぁ、やることは決まったからね」

「……あっそぉ」

 

 誇張した独り言、そして聞いて損した。そう付け足して。

 立ち上がり、歩き出した夏油の背に向け、伽藍は再び問いかける。

 

「その道は()()だぞ」

「覚悟の上さ」

「なら勝手にしろ、張りぼてのその達観が、崩れる様を見るのは楽しみだ」

「ははっ、性格悪」

 

 そして直ぐに興味を失って、すぐに伽藍も背を向ける。

 その時、己の肩に近づく小さな気配に視線を向けると、以前見た烏が止まっていた。

 

「…言っておくが、私は非術師だけを殺そうなど思ってはいない」

 

 烏自身は困惑の意を見せ、首を傾げて目を合わせる。

 だがその向こうにいる…"彼女"には届いているだろう。

 そして、誰にも聞かれない小さな声で、伽藍は笑いながら声を零した。

 

「どうせ殺すなら…国ごとだ」

 

 歯車は、既に役割を放棄した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だ漂う呪霊の残穢。

 辺りに充満する血と臓物の腐臭と、焦げた木造建築の匂いが鼻腔を擽る。

 ――旧██村、夏油傑が皆殺しにした住民たち、それらの住んでいたかつての地。

 

「まだ若いのによくやるよねぇ、その道を選んでもロクな末路じゃないだろうに」

 

 額に残る縫い目を掻きながら、侵入者はそう零す。

 おちゃらけた口調とは裏腹に、その声色はとても愉快だ。

 そして、それを戒める誰かの声。

 

「まだ死んでから日が浅い…早く準備しないと勿体ないよ」

「仕事熱心なことで。ま、私は評価するけどね」

「いいから、早く」

 

 白く美しい着物に身を包みながら、もう一人の侵入者は呆れた顔でそう返す。

 真面目な口調とは裏腹に、その声に籠る熱は冷たい。

 ぐるりと辺りを見渡してから、少女は問いかける。

 

「それで、ここはバレないんだよね?」

「問題ないよ、何せ私のお墨付きだから」

「…まぁいっか」

 

 いつの間にか用意していた台車、そこにかつての住民の死体を乗せて、涼しい顔である場所へ運び出す。

 その背中を眺めながら、縫い目の侵入者…羂索はへぇと興味深そうに目を輝かせた。

 

「(抵抗感の消失に彼女への従順っぷり…これも縛りの影響かな?)それで、あとはどうするの?」

「あとは伽藍を待つだけ、それに…時間も」

 

 ぬらりと輝く赤い湖。

 凝縮された腐臭と、常人ならば即失神するであろう地獄絵図。

 ぼとぼと、無造作に死体を投下させながら、従順な侵入者は満足そうに頷いた。

 残るは、彼女を待つのみ――

 

「ここなら、伽藍も満足できる"浴"ができそう」

「たまには王道に帰らないとね、今回は…久しぶりに()()()()()を試すとしようか」

 

 砕けた宝玉と曇った青空。

 その中で、彼女を取り巻く赤い呪いは、今も禍々しく輝いていた。




 作って遊ぼ(白目)


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27話.玉折⑧ーそして0へ至るー

 長かった


「伏黒恵君…だよね?」

「何その顔」

「いやソックリだなと」

 

 あらゆる情報を集めては捨て、邪魔が入る前に接触して意を問いただす。

 五条悟、天与の暴君の血を引く禪院家の鍵、伏黒恵は邂逅を果たした。

 

「君のパパさぁ、僕がドン引くくらいの筋金入りのクズでねぇ、まぁ君のこともそいつからちょちょーいって聞いて…」

「どうでもいい」

 

 五条にとって禪院、もとい伏黒甚爾は特別な存在であると言える。

 初めて己を殺した者、生まれて初めての緊張、そして純粋無垢な闘争を交わした男。

 だがそれらを知らない、知りようもなかった息子にとっては。

 

「どうせ他の女のとこだろ、もう長いこと顔も見てない」

「……まぁいっか。とりあえずさ、君に聞きたいことがあるんだよね」

 

 伏黒恵は禪院家に売られる。

 そのことを本来知っているのは、売買の契約を持ち掛けた甚爾本人と禪院家の一部の人間。

 

 のはずだった。

 

 だがあの時、甚爾が今際の際に零した心を聞いたのは。

 あの遺言と、そして情報を知ったのはもう一人――

 

「銀色、もしくは赤色の髪をした女が来なかった?」

「来た」

 

 その言葉を聞いて、五条の表情に険しさが生まれる。

 あの時、伏黒恵の存在を知ったのは五条だけでなく、伽藍もだ。

 五条家と禪院家はかつての御前試合の影響で今も仲が悪い、だが伽藍はそうじゃない。

 御三家も何も、彼女が普段から懇意にしている当主、直毘人に直接問いただせば直ぐにその存在の情報を得られたから。

 ――遅かったか。

 

「来たけどすぐに帰った、おかげで津美紀を誤魔化すのに苦労した」

「……………そっか」

 

 情報を確認したかった?それともただ一目見て終わり?

 それともブラフ?本当の目的が存在するのか…?

 目の前で困惑する恵をよそに、五条はサングラスの奥で思案に耽る。

 しかし、この場でいくら考えても答えは出ない、五条は再び視線を合わせて。

 

「それじゃあ聞こう、君は禪院家に売られる…それで本当にいいかい?」

「そこに行けば津美紀は幸せになれるのか?」

「――ない、100%ない」

 

 それは断言できる、そう付け足して五条は立つ。

 禪院家は男尊女卑、それを踏みつぶせる圧倒的な自我と力があればともかく津美紀はそうはいかないだろう。

 先ほどから、ベランダからこちらに向かって手を振る少女を、五条は六眼で観察してそう確信した。

 間違いなく、皆が不幸になる。

 

「…大丈夫、任せなさい」

 

 雑にごしごしと頭を撫で、五条はそう言って笑う。

 戻れなくなった親友、居なくなった親友の言葉が、今も胸を刺したまま――

 

『君は最強だから五条悟なのか?五条悟だから最強なのか?』

「強くなってよ、僕に置いて行かれないくらい」

 

 

 

 


 

 

 

 

「時に天内、私の欠点はなんだと思う」

「………え"」

「地頭は良いくせに脳筋な選択しかしないところだと思うよ、あとはいちいち目先の闘争目当てに合理性、知性、感性全てをドブに捨てる…」

「羂索、お前は後で殴る」

「…(先に言われた……)」

 

 旧■■村のある一室の中。

 村のいたるところに血と呪霊の残穢が残り、腐りかけの肉による腐臭で満ちており、その全てが目の前の池に集中していた。

 伽藍、そして天内と羂索の目の前には、あの真っ赤な血の泉。

 

「私の術式、禍津日(マガツヒ)は万の構築術式に比べれば遥かにマシだ、それでもやはり限界はある、六眼があれば話は別だったのだがな」

「それは以前にも聞いたね、その対策が液状筋肉…予め作り置きすることで生産コストを抑えてるんだろ?」

「あぁ、後はこの肉体のだが…」

 

 後ろで楽しそうに話す二人、話に付いていけない一人。

 天内は最初、伽藍に命じられたままに池の準備を続けながら、背中で不満をアピールしてみる。

 暫く談笑は続いて。

 

「この肉体の術式、それのおかげで液状筋肉の持ち運びもかなり楽になった、受肉様様だな」

「へぇ、最大でどれくらい持ち運びできるの?」

()()()()()()()()()()術式効果と出力、後は燃費か?とにかく使い勝手を上げるため工夫は加えているが…まぁざっと最大出力の躯を連続で…10発くらいは持ち運べる」

「…それって結局どれくらい?」

 

 伽藍の唯一の欠点にして弱点、それが術式による武器の製造。

 最も低コストで量産できる液状筋肉でさえ、実戦で使える触手状に加工する分だけで、自己補完の呪力では釣り合いが取れないほどである。

 どうあがいても実践的ではない、しかし伽藍自身の異常な呪力量と出力、そして本人の格闘センスによってデメリットをカバーしているのが現状。

 

 今の伽藍の目的、それはカバーする弱点そのものを消すことだった。

 

 まず最初に、彼女が思いついたのは作り置き。

 平安の頃、構築術式によって使い捨てることなく呪力操作によって長持ちをさせることができ、それさえあればいつでも戦闘態勢に、そしてわざわざ燃費の悪い術式を発動する必要がない。

 強くなるため、自分よりも遥かに年下の戦闘スタイルを、伽藍は一度見ただけで完全に模倣してみせた。

 そして幸運なことはもう一つ。

 

 伽藍は黄泉返りの受肉を果たした際、()()()()()()()()()()()を無意識のうちに止めていた。

 

 更に愉快なことに、羂索でさえ知り得なかった受肉元の少女の身体…それは現代でも稀に見る、肉体に術式が刻まれているにも関わらず、脳が呪力を生み出す構造をしていない宝の持ち腐れ。

 それを伽藍という悪魔が奪い、己のものとしたことで本来以上の輝きを持って世に放たれた。

 二つ目の術式、時空間転移理論(ワームホールパラドクス)によって作られる異空間という、液状筋肉の保管庫にピッタリの存在だった。

 

「そうだな…今の私が平安にいると仮定して…五虚将(ごくうしょう)日月星進隊(じつげつせいしんたい)、ついでに捏漆鎮撫隊(でっしちんぶたい)と本気で殺し合いを…まぁ7回はできるくらいか、途中で自己補完の呪力で液状筋肉を足していけば…ざっと12回はこれを繰り返せる」

「笑っちゃうよね」

「…(私どれも知らないんだけど)」

 

 わざとらしく吐いた天内のため息が聞こえてないのか、それとも聞く気なんてさらさらないのか。

 今も目の前の血の泉に一つ、二つと夏油の放った呪霊によって食い殺された村人、そして伽藍と羂索がついでに持ってきた呪物などを投げ入れ、わざわざこのためだけに伽藍が作った、液状筋肉の棒を使ってかき混ぜる。

 闇より黒く、暗く、冷や汗が出てくるほどの悪臭と瘴気を感じながら、その作業を続けていた。

 

「で、結局これからどうするの?」

「どうもこうも、最後の仕上げだ」

 

 羂索がそう聞くと、伽藍は右手を時空間転移理論によって生まれた異空間に突っ込み、そこから肉と骨で作られた武器を取り出す。

 それは生前から愛用していた、術式によっていつでも作り、治し、顕現させてきた刀――

 

武振熊(たけふるくま)か、それも久しぶりに見たね」

「餓鬼でもわかる単純なことだ、液状筋肉を満足に使うには自己補完の呪力では足りない。しかしだからといって…外付けの呪力では余計心許ない、ならばどうするか」

「…つまり?」

「簡単なことだ、()()()()()()()()()()

 

 術者は武器に呪力を流し、強化して戦いに身を投じることもある。

 その際込めた呪力量、そして戦いを続けた年月と、術者の術式とが連鎖反応を起こし、時に術式効果を持った特別な道具、呪具が生まれることがある。

 そう、()()()()()が刻まれた呪具――

 伽藍の狙いはそれだった。

 

「嗚呼、浴の用意をするって聞いたから呪具は察してたけど…まさかそれを、とはねぇ」

「浸けるのは…1()0()()だ、10年もあれば充分に呪具としての務めを果たせる」

 

 伽藍は目の前の泉に、武振熊を放り投げる。

 見事に泉の真ん中に矛先を向け、そしてゆっくりと沈んでいく様子を満足そうに眺めてから、羂索に背を向ける。

 再び異空間への扉を開き、その先へ足を踏み込もうとする。

 ああそうだ、その言葉を最初に持ってきて。

 

「天内、お前は暫くここに来て武振熊の様子を観察しろ」

「えー…めんどくさい……」

「じゃあ、私もたまに来てもいいかい?人体を基にした半呪具を本格的に浴に浸ける…しかも君のなんて初めてだからさぁ」

「好きにしろ」

 

 そう言ってから、完全にその身体を異空間に収納して姿を消す。

 呪力の残穢、そして気配が完全に途絶えたと共に、羂索は呟いた。

 

「…ちょっとだけ覗いてもいいかな?」

「いや駄目でしょ、浴って詳しくは知らないけど…私でもそれは良くないってなんとなくわかるし」

「フフフ、確かにそうだ」

 

 じーっ…

 掴みようのないその態度に、天内は視線を冷たくしてため息を吐く。

 ぶっきらぼうで命令以外ロクに喋らない伽藍と違って、こいつ(羂索)のお喋りは面倒臭いのだ。

 

「友達いないでしょ、絶対」

「へぇ、それじゃあ君が友達になってくれるのかな?」

「やめて、ただでさえ教えを乞うてるってだけで寒気がするのに」

「友達に限らない話だけど、人と人の交流は知識の吸収以上に人生を豊かにするんだよ」

「いや知らないってば」

「ちなみに私の友達の条件はね…①私を退屈させてはならないこと ②私と対等であること あとは…」

「…うざ」

 

 お喋りは正午から夕方まで、羂索の一方通行で終わった。

 

 

 

 


 

 

 

 

「術師の強さは才能で決まる。それは呪霊が見えるか否か、呪力を扱える脳の形をしているのかという前提条件から始まるのも理由だろう」

「術式持ってないのが目の前にいるんだけどな」

 

 刀を握り、姿勢を低くしていつでも走り出せるようにする日下部。

 たとえどれほど優れた術式を持とうとも、脳が、身体が呪力を練ることができないのならば意味がない。

 天与呪縛もある、それがかの天与の暴君と同じ様いい方向へ働くのならともかく、ほとんどの天与呪縛は文字通り術者を縛るものでしかない。

 ――では、最も重要なものは何か?

 

「呪力量、呪力出力、生得術式の有無に結界術の才能…これらを最低限行使できる才能の資格、そしてその純度だ」

 

 人間とは鉄である…伽藍はそう考えている。

 強さに限らず何かを求める、何かを成そうと努力し突き進む意志の強さ、そしてそれが折れた時の人の弱さ。

 呪いの廻るこの世界で、数え切れないほどの挫折と成功を繰り返す人間を見てきた。

 人は、人間は鉄と同じで叩けば叩くだけ強くなる。

 その鉄に勝る覚悟と意志があってこそ、人間は恵まれた者を超えていけるのだと、そう考える。

 

「才能が8割、だからそれに落選したから一生弱いまま…なんてものは欺瞞だ、弱者が己の逃げ道を作るために吹聴したただの戯言、聞く価値もない底辺の考えだ」

「お気遣いどーも…っ!」

 

 日差しが強くなり始めた昼過ぎ。

 校庭では校舎の方にまで響くほどの、鉄同士がぶつかる音が何度も響き渡っていた。

 伽藍は続ける。

 

「術式が無くても戦い方はある、私の知る限りだと…天与呪縛すらない本物の一般人と言うべき存在が、呪具を片手に術師を切ったのを見た事があるからな」

「で…俺もそこに辿り着けるから頑張れと…っ!?」

「知るか、それに答えるのは私じゃない」

 

 伽藍は背後に立つその気配と、同時に首に向かって加速する刀身を鼻で笑う。

 遠慮や配慮などどこにもない、相手を絶命させる勢いの攻撃に目も向けず、ただ右腕だけを動かしてそれを防ぐ。

 ガキンッと再び鈍い音を立てて、伽藍の持つ、その辺で拾える何の変哲もない木の棒が、日下部の真剣による攻撃を完全に抑え込んだ。

 ため息。

 

「さっきよりも良い、やればできるじゃないか」

「いくら呪力強化があるとはいえ…マジで真剣を棒で止められると凹むんですけど…?」

「なに、呪力出力の恩恵だ」

「自慢…かよ!」

 

 首、胸、腰と見せかけての頭…

 それら全ての攻撃が等しく防がれ、届かずに鈍い音を立てて終わる。

 伽藍は一切の反撃も、身体を動かしての回避なども行っていない。

 そこを突こうと日下部が棒を持っていない左手…彼女の左半身に向かって攻撃をするも、それすら読まれて防がれる。

 右へ左へ、左から右へと、まるでお手玉のように棒を入れ替え、日下部が行動する前から持ち替えを成功させているのだ。

 つまりはフェイントすらも読まれているということで――

 

「右、次は右手首…これは左目、あとは…」

「解説しながら避けんな…っ!」

「すまん、あまりにも目が正直なものでな」

 

 夏油傑が離反し、呪詛師として認定されてから数日。

 呪術界はやはりと言うべきか、今まで制御が効きにくかったとはいえ間違いなく優秀な人材であった夏油傑もとい呪霊操術を失ったのがかなり痛いらしい。

 今まで彼が処理していた全国各地の呪霊発生の頼りは、あの五条が自分の分も含めて全て担当しているとも聞く。

 では伽藍はどうか。

 

「…てか、特級術師様がこんなことしてていいんすか…?」

「九十九由基に言え、あいつがあぁなんだ。私も便乗してサボっても罰は当たらん」

「……………」

「それにあれと違ってたまには受けてやるつもりだからな、霞の慣らしにも丁度い…なんだその顔」

「うわぁ…」

 

 日下部篤也はビビりである。

 死にたくないし出来れば危険なことはしたくない、しかしそれでも人は助けたい。

 術師としての最低限の志を未だ忘れていない彼にとって、目の前の女はどう映っていただろうか。

 そんな日下部の視線を向けられている伽藍はといえば、ただ少女のようにこてんと首をかしげるだけ。

 

「あぁ、そういえば五条のやつは教師になるらしいな。私も考えてみるか」

「…え、何の冗談?」

「割と本気だ。そうだな、霞に物を教えるのに私自身が経験を積む意味もあるが…」

 

 現代最強の術師、それの選りすぐりの優れた原石たち。

 一体どんな強さを持っているのだろう、どれほど自分を楽しませてくれるのだろう。

 そして何より、彼が育て上げたその生徒たちを――

 

「自分の育てた生徒が、私の育てた生徒に真っ向から負ければ…あいつはどんな顔をするのだろうな」

「…最低すぎんだろ動機が…」

「おいおい、私たちは術師だぞ?嫌がらせしてなんぼ…じゃないのか?」

「あー、そりゃそうだ」

 

 伽藍の目的は変わらない。

 あの平安の頃から、自身が井の中の蛙であったことを痛感したあの頃、()()()()を奪われた頃からずっと。

 肉は朽ち、骨が脆くなったあの頃に比べれば、今の自分は遥か上の強さを身に着けたと自負している。

 しかし足りないのだ、いくら力を鍛え上げ、そして満足したとしても。

 

「――えいっ」

 

 淡い青の気配がする。

 有害ではないと既に判断していたため、伽藍はその突進を甘んじて受け入れる。

 視線を下にすれば、腰に抱き着く青髪の少女。

 

「…霞」

 

 術式はない。

 結界術もそれほど、出力量ともに一般的で、原石とは程遠いただの石。

 天与の暴君の息子であるあの少年ならば、磨けばダイヤにもルビーにもなれるだろうが、この少女はそうはいかない。

 伽藍はそれでも信じてる、賢者では成し得ない、愚者が貫くからこそたどり着ける境地を。

 かつて老化の道を進み、しかし生き続けた自分だからこそ――

 

「霞」

 

 伽藍は膝を曲げて、視線の高さが合うようにしてから話しかける。

 その珍しい姿に日下部は目を丸くし、霞はこてんと首をかしげて。

 

「お前は刀を握れ」

「…?うん」

「とにかく握ってそれを振るえ、ただただ愚直に馬鹿の一つ覚えのように」

「?わかった!」

 

 右手を取る。

 血に濡れた自分のとは違う、未だ少女特有の柔らかさと美しさを残したままの、その小さな手のひら。

 そこに先ほど持っていた木の棒を置いて、握らせる。

 

「朝起きて数秒と、食事を終えた直後の数秒、それと就寝前の刹那の無意識…それ以外は許さん、それ以外はずっと頭の片隅に、刀を持つ自分をイメージしろ、刀を箸の代わりにするんだ」

 

 それは、ある意味では期待と言える感情だったのかもしれない。

 呪いの王と同じ、圧倒的な自己とそれ故の実力を持った"天上の意志"を持って生まれた者。

 五条悟もそうだった、しかし今の彼にあの時の、禪院甚爾を討ち果たした時の強さはもうない。

 

 ――あいつは腑抜けたのだ、伽藍はそう吐き捨てる。

 

 彼は区切りを作ってしまった、人を愛するために自らに調停という縛りをかけた。

 両面宿儺以外に初めて、この男になら殺されてもいいと思わせた彼は、伽藍のそんな思いに唾を吐いた。

 

「ドアノブを回す時、手ではなく先に刀が出るくらいにのめり込め、それを突き詰め、そして極めて私に届け」

 

 棒を握らせた手を、更に上から包み込んで動かす。

 困惑する霞の前で、伽藍の白く細い首に、その棒が押し付けられる。

 

「いつか、刀を箸にし呪術を混ぜて、縛りすらも使い捨てる時が来た時には…」

 

 それは歪で、歪んだ本望。

 それは真っすぐで、どこまでも汚れた悪の本能。

 それは、愛という言葉ではくくれない悍ましいもの。

 

「お前が、私の首に届くほどになったら」

 

 威圧的でも、自暴自棄というわけでもない。

 ただの常識なのだ、彼女にとって敗北は死、そしてその死は最も価値があるものでありながら、今の彼女が忌み嫌うもの。

 両面宿儺は死後呪物となり、長い時をかけて今も復活を待っている。

 呪いの世界を、あの平安の時代を作ったのは宿儺だ、宿儺がいたから呪術が発達し、宿儺がいたから怨嗟の嵐が生まれた。

 しかしそれは、()()()()()()()()

 

「…霞」

 

 両面宿儺を超え、呪いの王の座を奪う。

 かつて奪われた、同じ言葉でありながら自らの誇りでもあった()()()()を奪還し、初めて自分は"伽藍"となれる。

 超える、彼以上に歴史に残る、王の何かを達成して初めて、本当の意味で宿儺に勝てる。

 呪術全盛の時代は、宿儺が呪物となって居なくなったのを機に衰退していった。

 たとえ人知を超えた災害であろうと、いなくなれば風化して消えてしまう。

 宿儺でも抗えなかった、その自然の理に。

 

「私を台風の目に、そしてお前がその引き金を引け」

 

 自分が死んで、世界が変わればそれでいい。

 負けるつもりは毛頭ない、死も敗北も、今はまだその時ではないから。

 だが絶対はない、絶対がないからこそ呪術全盛の世は終わりを迎え、こうして腑抜けた時代が訪れた。

 安寧を貪る腑抜け、それらが跋扈する世で、自分の死を意味がある物にできたのなら――

 

「……」

 

 日下部も霞も、ただ静かにその言葉を聞いた。

 戦いを求め、勝利を渇望し、そして敗北を忌み嫌っている筈の彼女が見せた「殺してくれ」というその言葉。

 歪んだ願望だ、どこまでも他人のことを考えず、自分の名誉と快楽を求めただけの下種以下の欲望。

 ――ただ、その言葉は間違いなく。

 

「お前が、私を殺して見せろ」

 

 間違いなく、この言葉は呪いそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――時は流れ、西暦2016年。

 

「来ちゃダメだ――里香ちゃん!」

「リカ?」

 

 記録、11月東京。

 同級生による執拗な嫌がらせが原因となり首謀者含む、4名の男子生徒が重傷を負う。

 

 

 

 

 そして、0の物語が始まった。 




 やっと0が始まる


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28話.オリジン0

 昼寝しすぎて休日が…


 術師を殺す。

 術師でなくとも強者は殺す。

 殺して沈めて、そうして出来上がった骸の山で、ただ退屈そうに腰かける女がいた。

 

(…あぁこれは)

 

 これは過去の自分だ。

 自分が特別だと思いあがり、孤独だと、自分が絶対的強者だと思いあがっていた頃の自分。

 その退屈そうな視線も、自分の特別さに付いてこれない者を見下すその視線も、ただただ不快で仕方がない。

 

(愚かだな)

 

 そうして女は歳を取る。

 戦を扇動し、術師を殺し、時に大胆不敵に社を燃やし。

 敵なんていない、自分だけが特別だと。

 

(…本当に)

 

 そして鬼神が誕生する。

 人間とは遠くかけ離れたその姿、呪いに愛され、呪いを愛するためだけに生まれたその御形。

 掌印を結んだまま、強者を蹂躙する圧倒的な暴。

 まるで手足のように、呪具を振り回し4本腕と一体化する舞。

 呪詞を絶え間なく詠唱する、その二つ目の口も。

 ――奪われた、()()()()も。

 

(嗚呼…本当に)

 

 "呪いの王"は宿儺だけだ。

 かつて自分が暴れ、呪いを廻したと思い込んでいた全盛の頃ですら、自分をそう呼ぶものはいなかった。

 だが()()は違う。

 ()()()()は私のものだ、せめてそれだけは奪うなと。

 

「…本当に」

 

 忘れられ、風化し、より優れた歴史に埋もれ。

 そうして宿儺に隠れ、いつしか伽藍のことを語る人間はいなくなった。

 ――それがとても。

 

「――不快だ」

 

 右手を前に、人差し指と中指以外を折りたたみ、残る二本指を向ける。

 掌印を結び、呪力を練り上げ、紡ぐのは呪詞。

 

「"三雀羅(みじゃくら)" "正鵠(せいこく)" "狭間石(はざまいし)"」

 

 凝縮された液状筋肉、それがビー玉サイズの禍々しい黒球にへと変貌を遂げる。

 質量保存の法則を無視した膨大な量の破壊兵器が、たった数cmの中に押し込められた。

 力を込める。

 

「"(よい)火祭(ひまつり)" "水鏡(すいきょう)残花(ざんか)"」

 

 ――極ノ番(ムクロ)

 迸る閃光と衝撃、たったそれだけの詠唱と技で、目の前の空間に穴が空く。

 硝子が割れるような音が響き、周りの景色が元に戻ると、伽藍の目の前には消失反応が始まった呪霊の肉体があった。

 ――やりすぎた。

 

「くだらん、呪物も回収できずただ不快にさせられただけか」

 

 八つ当たり気味にほんの少しだけ残った液状筋肉を握りつぶして、伽藍は歩き出す。

 呪詞による威力の向上が原因なのだろう、よく見れば予め降ろしておいた帳すらも貫通し、ゆっくりとだが崩壊を始めていた。

 ため息。

 

「やはり私が降ろすべきだったな、まさかこの程度の強度とは…」

 

 既に消えた領域、間違いなく非術師にも見えるであろう液状筋肉の閃光、そして崩壊する帳。

 顔を真っ青にして慌てる補助監督を後目に、伽藍はある場所へ向かうため、術式による転移の動作に入る。

 伽藍は以前から、ある仕事を自ら受け持っており今日がその予定日だった。

 薄く笑って。

 

「見込みのある奴がいればいいが」

 

 楽しみだと、そう言った。

 

 

 

 


 

 

 

 

 (むた)幸吉(こうきち)は困惑していた。

 遠隔操作している筈の傀儡、その不変のはずの顔パーツがまるで動いたかのような気さえした。

 

 ――そう、目の前で楽しそうに会話をする青と銀のドッペルゲンガーが全ての原因である。

 

 順を追って話そう。時は少し遡り、昼食も終わって軽い休憩時間の途中、自分たちの担当教師である歌姫のある言葉。

 

『10分後にグラウンド集合、あと覚悟しときなさいよ』

 

 何を覚悟すればいいのか、そもそもその心底同情するといった風の顔はなんなのか。

 他のクラスメイトも同じで、普段は見せない彼女のその表情に困惑したまま、ぞろぞろと校舎を出る。

 その時にふと、いつもなら一段と目立つであろう、あの青髪のクラスメイトがいない。

 

「どうした、メカ丸」

「三輪がいなイ、加茂たちは先に行ってくレ」

「わかった」

 

 与幸吉…もといメカ丸はそう言って教室へと足を運ぶ。

 踏み込むたびに、ぎしりと木々が軋む音が響き、その拍子に鼻腔を木材の香りが擽る。

 東京校と違い、未だ改装の進んでいない箇所は複数あるものの、これはこれで悪くないと思っている。

 そうして、普段自分たちが良く使っている教室について。

 

「三輪、いるか」

「あ、はい!」

 

 にぱー

 その時の表情を言葉で表すならばきっとこうだろう。

 術師の中でも珍しい、青色の髪に切り揃えられた前髪と、その人を寄せる穏やかな性格。

 変わり者の多い呪術界において、彼女のような存在は片手で数えるほどしか見たことがない。

 その見るだけで無条件に癒される笑顔と、鈴のように可憐な声。本人は知らないが実は引く手あまたであり…

 メカ丸は続けて。

 

「集合時間も近イ、何か探し物カ?」

「うん、いつも使ってる刀なんだけどね…」

「…?腰にあるじゃないカ、それとも今出したところカ?」

「あー、そっちじゃなくて…」

 

 ()1()()()()、三輪霞。

 平安から続く呪術の派閥、シン・陰流の門下生であるものの生得術式なし。

 しかしその呪具と剣術、簡易領域を貼れる結界術の才能の要素が加わり、同じくシン陰門下生である日下部篤也と同じ域…ということでもある。

 だが正直なところ、メカ丸は霞という人間が本当に()()()()()なのか…と疑問に思っている。

 天与呪縛による術式効果範囲、そして本来の実力以上の呪力出力を与えられ、更にはそれと噛み合った傀儡操術。

 他にも準1級術師はいるにはいるが…そちらは御三家の相伝を引き継いでいたり、任務での功績といった要素がありそこまで疑問には思わない。

 ――初っ端から好みの女を問いただして来たドルオタの問題児は除くが。

 

「これ、久しぶりに使おうかなって」

「それも刀…なのカ?」

「うん、普段使ってるのとは違って、こっちはちゃんとした呪具」

「…そうカ」

 

 結構お気に入りなのだと、霞の持ち上げた竹刀袋に似た形のバッグを持ち上げ、笑ってそう言う。

 しかしその、布越しに伝わる強烈な呪力と圧力は機械の身体でも充分に知覚できるほどで――

 

「普段は使わないのカ?それがあれば大抵の呪霊は直ぐに祓えるだろウ」

「あはは…流石ですね~、私の勝手な戒めなの、これに頼り切りだと色々鈍りそうで」

「そうカ」

 

 共に教室を出て、他愛のない会話をしながらグラウンドへ向かう。

 本当に他愛のない話だ、昨日は何を食べたか、この前の任務は大変だったとか、この後の予定はとか。

 そして、その中でも彼女が唯一頬を更に綻ばせるのは――

 

「それでね、お母さんがね」

「昔お母さんが」

「お母さんが言うには…」

 

 クラスメイトが全員集まり、かつて一度歓迎会なるものをしたことがある。

 天与呪縛で外出できないメカ丸は、ただその様子をモニターから眺めていただけだったのだが、それでもあの空気が好きだった。

 女の好みを問われ、その返事に満足できなかったのか、あるドルオタと加茂家の当主候補が軽い喧嘩をしたり。

 同じ女の術師仲間として、教師を含む女子メンバーが一丸となって盛り上がったり。

 自分に健全な肉体があればと、更に強く渇望した機会だった。

 

「私、お母さんしかいないんです」

 

 その言葉が妙に、メカ丸(与幸吉)の耳に残った。

 確かあれは、親の話をしていた時だった。

 

「あぁでも、血が繋がってるってわけじゃなくて…どっちかというと義理になるのかな」

 

 外国人の親を持ち、俗に言うハーフという存在の少女、西宮桃が始まりだったはず。

 その時に一度だけ、彼女のオリジンを知ったのだった。

 

「呪霊に襲われて、それで私以外皆死んじゃって」

「たまたまお母さんがその時に来て」

「その時に引っ付いてお母さ~ん…って」

 

 少しはにかみながら、彼女はそう語った。

 こんなにもよく笑い、こんなにも優しく、他人に笑いかける彼女でさえ、呪いという不幸には抗えないのか。

 意味のない憤りすら覚えたメカ丸は、その時から彼女のことが気になった。

 

 何故笑える、何故強くあれる。

 

 彼女のオリジンを知りたくなって、それからよく行動を共にするようになった。

 ――そして今。

 

 

 

 

 

「来たか」

「すまん加茂、遅れタ」

「気にするな、どうやら向こうもまだのようだ」

「ならよかっタ、東堂は任務カ」

 

 校舎を出て、先に待っていたクラスメイトに謝罪をして、メカ丸と霞はグラウンドに着いた。

 グラウンドには、歌姫や西宮といったメンバーが先に一か所に纏まって集まっており、少しでも霞と話を続けるために、ゆっくり歩いたことに軽い罪悪感を覚える。

 予定よりも少ないが、あんなでも他に替えの効かない優秀な人材であることは間違いないため、仕方のないことなのだろう。

 ふと、こめかみを押すクラスメイト――禪院真依に視線を移して。

 

「…どうしタ」

「いや…なんでもないわ」

「なんでもない人間はそんな顔をしないと思うのだが」

 

 はああぁぁぁ…と、特大のため息を吐く真依に、隣から憲紀がそう口を挟む。

 一体何が彼女をここまで…そんな風に思っていた時だった。

 ――知らない誰かの呪力反応。

 

「…?」

 

 敵襲、それはない。

 高専結界内では登録された呪霊、術師以外の呪力に反応しサイレンが鳴るようになっている。

 つまりこれは高専関係者の呪力、もとい術式であり――

 空間に黒いヒビが入る。

 

「あっ」

 

 隣で一瞬、呆けたような霞の声をメカ丸は聞いた。

 たちまちその黒い何かは、人が一人通れるくらいの大きさになって――

 

「ほう、これは」

 

 銀。

 最初に、メカ丸が感じたのはその光だった。

 五条悟の白とは違う、あちらが陽光を反射する太陽そのものなら、こちらは月光に近いもの。

 輝くその銀髪と、メカ丸が普段見慣れたのとは逆の前髪、そしてその奥で黒く光る真っ赤な瞳。

 それが、目の前に。

 

「歌姫、あの半裸の餓鬼はいないのか?」

「…あいつは任務、残念だけどまた今度ね」

「それは残念、あいつはいい芯を持っていたのだが」

 

 目の前の光景を見て反応は様々。

 まずは真依、目の前の彼女の顔、姿を見るなりこれでもかというほどの、あのドルオタと対峙した時にも負けない表情を。

 西宮は驚愕。最初にその顔を見てフリーズした後、隣にいる霞と行ったり来たりで視線が落ち着いていない。

 加茂も同じく、あまり表情には出ていないが、やはり驚愕の色が浮かんでいた。

 ――そして。

 

「お母さん…!?」

「やっぱりカ」

 

 わかっていたという風に、メカ丸はそう言って視線を合わせた。

 どこまでも彼女とそっくりで、そして似つかぬ凶悪な気配を持つそれに。

 

 

 

 


 

 

 

 

 伽藍という人間は、どちらかと言えば裏での方が知名度が高い。

 本人が積極的に任務を受けようとする意がなく、完全に自分の趣味、その時の好奇心優先でブラブラと日本各地を飛び回る。

 術式のこともあり、一度彼女を逃せば次に捕まえるのは六眼持ちでもないと不可能。

 更に極めつけは、寄り道感覚で道中の呪霊、特に呪詛師を狩りまくること。

 

 任務の手続きすらせずに勝手に、しかも後処理もせずに殺す、祓うだけ。

 

 消失反応のある呪霊ならともかく、呪詛師の死体は常に残ったままだ。

 その結果朝のニュースで、彼女が殺した呪詛師の死体による山が報道されたことだってある。

 とにかく殺す、呪詛師を殺す。

 恨みでもあるのかというレベルで呪詛師の集団、個人であろうととにかく積極的に殺しに行く。その結果付いた異名が"二代目術師殺し"

 そういうわけで補助監督からは嫌われるし、何より高専関係者は積極的に彼女に関わろうと、そもそも話題に出そうともしない。

 その因果か、彼女のことを詳しく知るものは意外と少ないのだが、彼女を表すとしたらこうだろう。

 ――すなわち究極の野蛮人。

 

「と、いうのが俺の知る情報ダ」

「…特級というのはやはり皆おかしいのか?」

「可愛さとは無縁…」

 

 霞の母親、更には養子として迎え入れたという情報があれば、いくらメカ丸といえど簡単に情報は入手できる。

 ストーカーみたいだと一度自己嫌悪に陥ったことはあるが、別に隠された情報ではなかったので今はこれでいい。

 ()()()()()()()()()だけは調べられなかったものの、知りたい情報は知ることができた。

 そんなメカ丸の情報を聞いて、真依は舌打ちをして。

 

「相変わらずねあいつ、来なくていいのに」

「…真依は何があっタ?」

 

 キィィッとでも言いそうなくらいには、しかめっ面をする真依。

 メカ丸が聞くと、真依は思い出すようにぽつぽつと語りだした。

 

「あいつ、禪院家の当主と仲がいいのよ。よく酒を持ってきてどんちゃん騒ぎよ」

「…禪院家の、というと禪院直毘人か?意外だな」

「そのせいで何度夜中に起こされたか!しかも本人はそれを自覚してるのが腹立つ…!」

「…そうか」

 

 ――思ったより俗っぽい理由だな。

 喉まで出かかったその言葉を、憲紀は流石に我慢した。

 だが、それよりも今は…

 

「相手はどうあれ、特級術師直々に手解きをしてもらえるんだ、全力を尽くそう」

「…………」

「真依?」

「………………………………………わかったわよ」

「長いナ」

 

 ガシャン!と乱暴に拳銃を取り出し、八つ当たり気味に装填してズカズカと歩き出す。

 西宮や憲紀もそれに続き、メカ丸も歩くと同時に、目の前の親子を見やった。

 

「…そんな顔もするのカ」

 

 同じ笑顔だが、それは普段自分やクラスメイトに向けるのとは違うことがわかる。

 笑顔を一切崩さず、ただ楽しそうに親子の会話を楽しんでいるようだ。

 

「それでね、この前日下部さんが…」

「…あぁ、やっと来たか」

 

 そうして、メカ丸たちが彼女たちの近くに着いて。

 それに気づいた彼女は、伽藍はこちらに視線を向ける。

 

「お前が加茂か」

「はい」

「術式は赤血操術…いいな、悪くない」

 

 一人ずつ、彼女は問いかける。

 皆の術式、もしくは等級を聞いて、その答えにうんうんと頷いて何かを考える。

 時には面白いと目を輝かせ、時にふぅんと冷めた態度を取ったりとわかりやすい。

 そして。

 

「そうだな、それぞれの実力、術式に合った特訓というのを考えるのも仕事の内…だがな」

 

 ――違和感。

 一瞬、その会話の中で感じた言い表すことのできない違和感に、メカ丸は嫌な何かを全身で感じた。

 ただの会話、しかし何か、何かが…

 

「術師の勝敗を最後に決めるのは肉体、たとえどれほど呪術に精通してようがいないが、最後はフィジカルが勝敗を決める」

 

 この気配。

 いや違う、この違和感は空気だ。

 

「なら簡単、結局は身体を鍛えれば人間は平等に強くなれる、だろう?だから…」

 

 彼女は笑う。

 ただその視線は自分たちにではなく、虚空を見つめているかのように真っ黒で虚ろ。

 その一瞬、両腕を広げて彼女が言うと同時に。

 

「呪力強化はしないでやる。私に一撃を入れろ、勝負は今か」

 

 

 

 

 ――霞が、彼女の首を切った。

 

 

 

 

「…はっ」

 

 いや、避けられた。

 刹那。再び繰り広げられる金属による演劇と、全力の親子での鬼ごっこ。

 残像が残る勢いで首を捻り、そして後方に跳んだ伽藍を追うように、霞が低姿勢のまま駆け出した。

 みるみるうちに距離を離し、あっという間に豆粒のような大きさにまで遠い場所へ。

 憲紀、西宮や真依もだが、メカ丸も含めて全員が、今目の前で起こった出来事を理解するのに時間がかかっていた。

 その間も、彼女たちは戦っていた。

 

「――何やってんの!もう練習は始まってるわよ!」

 

 先に混乱を解除し、声を張り上げて歌姫が叫ぶ。

 続けて憲紀、その次に西宮とメカ丸が霞後を追うように走り出す。

 

「及第点、しかし固まって動く癖はいい」

 

 首を左に、背後からの斬撃も簡単に避けてそう笑う。

 彼女にとって、今はまだ未熟ではあるが充分磨きがいのある原石…だった評価は更に上へと昇華した。

 憲紀が両手を使って照準を合わせる。

 

「赤血操術…!」

 

 それは御三家、加茂家の相伝であり奥義穿血。

 それの初速は音速に至り、たとえ距離が離れていることで効力は充分でなくとも、妨害はできるはず。

 そして、人体を穿つ赤のレーザーが放たれた。

 

「穿血…!」

 

 バシュウッと圧縮されたことによる高音が鳴り、それが前方で争う霞と伽藍の間を通り抜ける。

 それにほんの少しだけ驚いた顔を見せて、満足そうに笑った彼女の首へ。

 

「…ッ!」

 

 ――ガギッ

 間違いなく隙を突いた…とは言わない。

 彼女の反射神経に戦いの経験があれば、この程度の攻撃などとうの昔から予知していたはずだから。

 それなのに無抵抗、いやこれは――

 

「残念」

 

 ――伽藍の首、そこに生えたもう一つの口。

 それが霞の振るった刀を力強く噛み、そしてバキンッと簡単に折って見せる。

 折られ、刀身が半分も残っていないそれを、霞は間髪入れずに投げた。

 勿論それも避けられる、しかしその一瞬の隙が、身体を傾けたそのタイミングで。

 

「…今」

 

 

 

 

 ――ゾンッ!

 

「……………ほう」

 

 空間、無機物有機物を超えた何か、それに干渉したかのような気配を、メカ丸たちは感じていた。

 何が起こったか、そもそも今手に持っているその呪具は何なのか、わからないことだらけだが兎に角。

 今、霞がしたのは、目の前で起こっていることは――

 

「悪くないな」

 

 伽藍の右腕が、呆気なく切断された現実だった。




 ちなみに呪力出力は
 伽藍>越えられない壁>天与呪縛メカ丸です


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29話.躊躇

 殺し愛


 切断された腕が宙を舞う。

 それはまるでお手玉のような軽やかさでありながら、しかし間違いなく加茂の目の前では、人の腕が鮮血を散らしながら舞っていた。

 切られたのは二の腕の先まで、伽藍は咄嗟に己の髪で腕を強く結び、止血を行うがその間も少女の連撃は止まらない。

 母の腕を切ろうとも、その攻撃は止まらない。

 

「躊躇いがないな」

「あった方がよかった?」

「いいや、もしもあったら、私はお前に捧げた十数年を無駄だったと後悔するところだった」

「ならよかった、次は左ね」

 

 霞が振るう刀が、再び不気味な効果音と共に斬撃の跡を残す。

 一振り、二振りする度に地面がナイフを落としたバターのように切れていき、それを伽藍は紙一重で避けていく。

 「試してみろ」と言わんばかりの笑顔で、残った左手を振りながら。

 

「ふん、後で頭を撫でてやろうか?」

「上等」

 

 母からの挑発、そしてそれを笑いながら受け流して刀を振る。

 右下から左へ、再び切り上げるように刀が加速すると、それに負けない速度で身体を捻ることで回避。

 まるで舞を披露するかのような軽やかで、しかしその一撃一撃が間違いなく、本気で首を落とす勢いで放たれていることも確か。

 右から下へ、袈裟切りの動きが一瞬見えた途端、両者は既に距離を取っており。

 同時に、伽藍へ向けて斬撃と衝撃波が放たれた。

 

「メカ丸!」

「すまん、やっと隙を突けタ」

 

 メカ丸は今も右手を砂埃に向けたまま、霞に謝罪をして再び呪力を込める。

 突然のその攻撃に、加茂が声を荒げた。

 

「おい、メカ丸…」

「躊躇するな加茂、本気でやらないと狩られるのは俺達ダ」

「確かに、今のに躊躇は一切なかった」

 

 そう言って、一歩横に移動する形で避けていた伽藍は興味深そうに視線を向ける。

 止血も既に済んでいるおかげか、先ほどよりも流れる血液は少ない。

 

「やはり、お前はいい目をしているな」

「…機械の身体に言われてもコメントに困るナ」

「そう言うな、私が褒めるのは滅多にないんだぞ…っ!」

「…加茂!」

 

 メカ丸が再び、先ほどと同じ呪力放出によるビームを放とうとした瞬間、伽藍は駆けだした。

 一瞬遅れて加茂がそれに反応して動く。

 

「赤血操術、確か近接戦闘に特化した技があっただろう、使わんのか?」

「言われずとも…!」

 

 赫鱗躍動、それは赤血操術の数ある技の一つ。

 赤血操術は術者の血液を自在に操る術式であり、そしてそれは血中成分も例外ではない。

 血液そのものの速度もさることながら、昔に比べ遥かに技術と知識が発展した現代だからこそより凶悪に、そして御三家に相応しい相伝として紡がれてきた。

 加茂の右目が赤く光る。

 

「ほう」

 

 呪力強化による恩恵、それはやはり呪力出力が一番効果的なのは確かだが、間違いなく素の身体能力も要となる。

 10に2を掛け算して強くするのが呪力強化だとするならば、元の肉体を11や12ならばどうなるか。

 差はそこまでない、意味はないと切り捨てるのも一つ、だが間違いなく言えるのは、最後に術師同士の勝敗を分けるのは肉体の強度ということ。

 赫鱗躍動による身体能力の強化に重ね掛けして、更に呪力強化によってその速度を上げていく。

 同時に。

 

「ハハッ、いいぞ霞」

 

 音もなく首を襲う斬撃。

 霞の放つ"万が一"を考慮しない殺意の一撃。だがそれよりも素早く背を反ることで、その勢いと共に空中で回転してから蹴りで答える。

 上下が反転した伽藍の身体と、そして残った左腕が加茂の顔面へ向かって放たれた。

 

「っメカ丸!」

「"刀源解放(ソードオプション)"」

 

 それを受け止め、加茂が叫ぶとともに右腕を変形させたメカ丸が動き出す。

 おそらく狙っていたのだろう、先ほどからずっと、援護したくてもできないよう加茂と直線に並ぶよう、もしくは霞をメカ丸の遠距離攻撃に巻き込めるように立ち回りながら、今も攻撃をいなし続けている。

 伽藍が、受けられた左手で強く加茂の手を握り返す。

 そしてそれを軸に、今度は空中で横に回転しながら、その刃物の攻撃をいなしてみせた。

 

「刃物もあるのか、それはいいな」

「猿カ…!?」

「猿か、あいつを思い出すな」

 

 上から叩きつける形で、蹴りを放ちつつ首を捻る。

 三度隙を狙って放たれた斬撃をノールックで回避し続けながら、加茂の連撃もいなし続ける。

 それも、左手のみで。

 

「……っ馬鹿な…!」

 

 加茂の身体能力は術師ということもあって常人を遥かに凌駕している。

 だがそれでも他の強者に比べると一段劣る、それを補う意味でも赫鱗躍動は強い。

 今の加茂は赫鱗躍動によるフィジカル強化、そこに重ね掛けされた呪力強化もあって早い。

 ――それなのに。

 

(先ほどからずっと…!ずっと素の身体能力でこれか!?)

 

 伽藍はずっと()()()使()()()()()()

 呪力を掛け合わせて行う反転術式もそうだが、今の彼女は文字通り一般人と同じ境地。

 銃弾を弾ける鎧もなければ、呪いを祓う矛としての力も宿っていない。

 実際先ほどからずっと、攻撃を躱すかいなすかだけでいるのもそうだ。

 ずっと、呪力を使わず多対一で有利なままなのだ。

 

「目は口程に物を言う」

 

 フェイント、しかしそれも読まれる。

 完全にできた致命的な隙、肝臓から肺に至るまで全ての弱点を晒した加茂の真下で、伽藍は姿勢を低くしたまま何もしない。

 それに焦って蹴りを放つも、その勢いに便乗する形で自ら身体を押し付け、上空へ舞う。

 

「無理するな、疲れてるだろう」

「それはそちらの方が適切かと」

 

 いくら伽藍の身体能力が優れていようと、呪力強化をしない時点で天と地ほどの差が生まれる。

 こうしている間にも、伽藍の方が消耗も激しく、そして呪力による強化の壁によって伽藍の攻撃は通じない。

 加茂とメカ丸の近距離での攻撃、そしてそれらによって生まれる隙を全て逃さずに霞が刀を振るう。

 攻撃時に限定した呪力の強化、そして身体を最低限に動かしていることでの消耗の少なさ。

 加茂やメカ丸の攻めとは違い、今の伽藍の縛り内での戦闘においては、霞が一番の強敵であった。

 

「はぁ、チッ…」

 

 息切れ。

 一瞬だが確かに見えた、疲労とパフォーマンスの低下を表す音。

 そしてすぐに、飛び込むように前方へ転がりながら、再び斬撃を避ける。

 だがそれによりメカ丸、加茂を巻き込むように立ちまわっていた伽藍の位置が、壊れた。

 

「…っと」

 

 左腕で地面を殴って身体を支え、すぐに体勢を戻した伽藍の目の前。

 呪力と風を帯びた箒と、そしてそれを凌駕する刀から生まれる圧。

 

「付喪操術…!」

「…っ!」

 

 上空からずっと、隙を狙って息を潜めていた西宮とその隣に立つ霞。

 巻き込みを気にしない、最大火力の斬撃が二つ。

 伽藍は、跳んだ。

 

(さて…)

 

 たった数秒の滞空、そして確かに感じる無音の世界。

 このまま睨み合いを続けたところで、伽藍が常に不利なまま攻撃をいなすことになる。

 せめてもの意趣返し、その攻撃を誘うため、この無防備をわざと曝け出す。

 スローモーションに動く世界、最初に動いたのは西宮。

 

「鎌異断ッ!」

 

 足が地面につく数センチ手前、伽藍の目前に風で作られた斬撃が襲い掛かる。

 未だ滞空したまま、呪力強化を施していない今の自分が喰らえば、()()()()()を今日ここで使う羽目になる。

 それなのに、伽藍の瞳は一切の汚れが存在していない。

 ただその目が見るのは。

 

「――御廚子に比べれば脆弱すぎる」

 

 たった数センチ、されど数センチ。

 それだけの距離と落下によって生まれる体重のコントロール、踏み込みという作業を行うには充分すぎた。

 一瞬の移動、そして同時に行う半身の構えによって、ギリギリでそれを避けてみせる。

 斬撃の威力を上げるため、砂利などが混ざっている影響もあり、伽藍の頬はボロボロだった。

 そして、最後――

 

「――霞ィ!」

「………」

 

 

 

 

 その呪具が放つ気配、そしてそれを持った少女が持つ剥き出しの殺傷能力。

 殺意の籠った振り上げられた右腕、しかしそれ以外の身体がまるで、風船を付けたかのように軽やかな動きで。

 本来鞘を使って加速させたシンプルな、高速の居合切りが最大の武器である筈のシン・陰流の門下生には似合わないその構え。

 棒を握るかのような馴染み具合、まるで歩く時の人体のような、完成されたその動き。

 刀を武器ではなく箸に、肉体の一部として馴染むほどにのめり込んだ者が見せる、完全な統一化がそこにはあった。

 十数年前、"術師殺し"禪院甚爾を討ち果たした五条、しかし彼が持っていた呪具は死後、ある人物が盗み、私物としていた。

 その中の一つ、あらゆる物体の硬度を無視し、魂すらも切り裂く特別な呪具。

 ――その名は、釈魂刀。

 

「シン・陰流…」

 

 本来シン・陰流の抜刀術は、刀と鞘の二つがあって成立する。

 歯車のように鞘の中で呪力を走らせ、抜刀による速度を上げて切り裂く、どこまでもシンプルで強いそれ。

 平安から続くその抜刀術は、しかしあまりにも釈魂刀と相性が悪かった。

 

 簡単なことだ、釈魂刀を収められる鞘などこの世に存在しない。

 

 あまりにも鋭い切れ味、生物に限らず、無生物の魂すらも殺す究極の刃物。

 鍔と脛巾を付けたとしても、納刀ならともかく抜刀の度に腕を失う最悪が存在するのだ、しかも剥き出しの殺傷能力は刀身を覆うはずだった持ち主の呪力操作にすら影響を及ぼす。

 だが、いつの世にも例外は生まれる。

 

「居合」

 

 両足を地に付けた居合でも、しゃがんだ状態から放つ居合の斬撃でもない。

 簡単なこと、簡単であると同時に、道を進んだ者が皆後にできなくなるその境地。

 必要な力だけ、必要な時必要な量それを使って身体を動かす、武具を躍らせる、たったそれだけのこと。

 

 この世に全身を使って、全力で箸を握る者など存在しないから。

 

 釈魂刀、その能力である硬度を無視して切り裂く異能。しかしその効果を十二分に発揮するためには、無生物の魂すら観測できる目が必要となる。

 無生物の魂、それは常人、術師ですら到達できるものはごく僅か。

 そして同時に、それを観測できる者は――

 

 

 

 

「ナイスよ」

 

 伽藍は霞の斬撃を防げない。

 当然だ、呪力強化を施しても防げるかわからない、それほどに硬度無視というのは強力だから。

 同時に避けるのもそれに匹敵するほどに厳しいとも理解していた、遠距離はともかく、中距離において本物の釈魂刀が放つ斬撃はほぼ絶対。

 空気を、空間すら捻じ曲げるほどの異端な力を、今の伽藍が避けられる確証はない。

 ――だが、彼女たちはそれを信じた。

 

「…ははっ」

 

 凝縮された時間の中、伽藍は想定よりも離れた距離を走る斬撃を横目に見る。

 だがその背後で、ただ笑顔で伽藍の背中に拳銃を向けるのは――

 

「禪院真依…!」

「じゃあね」

 

 人間を殺す本来の威力と用途を持った実弾。

 それが、伽藍に向けて放たれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、霞の釈魂刀に当たった。

 

「ッな…!」

 

 霞は真依が拳銃を向けた時点で、再び斬撃を放とうとしていた。

 それは確信、信頼とも呼ぶべき予感のようなもの、そして伽藍は、母は娘の期待を裏切らなかった。

 

「うっそ…!?」

「ドンマイ!」

 

 身体を回転させ、辺りに血液をまき散らしながら伽藍は叫ぶ。

 よく見ると頬は赤く色づいており、その瞳は落ち着きを忘れて不気味に揺れ動いていた、おそらくハイになっているのだろう。

 一瞬残像が残る程の回転、そして背中から撃ち抜いたはずのそれが、不自然な軌道変化と共に、運よく釈魂刀にぶつかる?いいやこれは…!

 ありえない、しかし同時にそれしか考えられず、その現実に真依は叫んだ。

 

「弾丸を身体で滑らせた…!」

「正っ解っ!」

 

 不意打ちで襲い掛かる弾丸の衝撃で、霞の身体は今も硬直したまま。

 そして空中できりもみ回転を続ける釈魂刀に向かって手を伸ばし、そして跳び出す。

 

「――はは」

 

 刀身のことなど一切恐れず、一発で柄を握って満足そうに笑う。

 そして降り立つと共に、伽藍は左腕を振り上げ、釈魂刀を使って斬撃を飛ばす。

 勿論、その威力は霞と同じ――

 

「…やっぱあんた滅茶苦茶よ」

「実弾は正直驚いた、一応先に言っておいたが…まぁ杞憂だったな」

「フン、あんたはどうせ死なないでしょ」

 

 数メートル離れているはずの真依に向かって、寸分の狂いなく拳銃の先端のみに当たるように調整され放たれた斬撃。

 こうして会話をしている途中で、やっと伽藍の背中と切り落とされた右腕から、反転術式を使っている証拠である白い煙が発生していた。

 つまり今の斬撃も、呪力強化を施さずにしてみせたということで。

 

「うーん…届かなかった」

 

 未だ痺れの取れない右手を摩りながら、霞は不満げにそう呟く。

 伽藍はそんな彼女の頭に右手を伸ばし、途中で切り替え左手を頭に乗せた。

 

「以前より切れ味も頻度もよくなっていた、その調子だ」

「…今右引っ込めた?嫌がらせか何か??」

「さぁ?結局切り落とせなかった左腕がなんだって?うん?」

「ぐぐぐ…」

 

 本当に悔しいのだろう、目を><の形にして、両腕をブンブン振り回す霞の姿を、メカ丸は静かに見守っていた。

 やはり、ちぐはぐなのだ。

 

「三輪があそこまでやるとは…メカ丸は知っていたのか」

「…いヤ」

 

 あの、純粋に親に甘える少女の姿も。

 普段学校で見せる、優しく笑顔溢れる姿も。

 先ほど、メカ丸たちでさえ息が詰まる程の、あの殺傷能力も。

 

「…何故だろうナ」

 

 いつかは知ることが叶うのだろうか。

 呪術界とは不釣り合いの、花が咲くような優しい笑顔。

 何故そのままでいれる、何故そこまで強くあれる。

 何故、そこまで人を愛せる。

 そして何故、本気になって親を殺しに行ける。

 

 わからない。

 

 わからないからこそ恐ろしく、だがそれ以上に彼女を知りたい。

 彼女が見る世界、そして彼女を構成した何かと、そんな彼女が愛する母。

 歳の近い女子と仲良くするにはどうすればいいか、メカ丸はあるドルオタに悟られず、その知識を得るためにはどうするかを内心で考えた。




 無生物の魂ってなんだよ(哲学)


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