青春時代というものがろっくなのかもしれない (粗茶Returnees)
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ここがおれのバイト先です

 特に何も考えずに書いていこう思います。


 

 高校生と言えば青春。青春と言えば友情、努力、勝利……は少し違うけど、友情は合ってる。部活とか。野球ならやっぱり夏の甲子園が毎年盛り上がる。

 部活以外だと青春っぽいものは恋愛。フォーリンラブ。

 高校2年生ともなった今年。一番青春の時期ではなかろうか! 水族館、海、花火、祭り、クリスマス、バレンタイン! 

 

「なら早く彼女作りなよ」

 

「がはっ」

 

 同じクラスの金髪サイドポニー。笑顔の弾ける伊地知に辛辣な言葉をぶっ刺された。誰にでも優しいと評判な人なのに、時々こうして正論パンチを浴びせてくるんだ。

 ちなみにこの人はバイトの同僚でもあり、店長さんの妹でもある。

 

「なんだお前。まだ彼女できてなかったのか」

 

「ッ!」

 

「1年くらい言い続けてるよな。夏休み入る前には作れそうなのか?」

 

「女子との出会いもないですよチクショぉぉ!!」

 

「私たちはノーカンなんだ」

 

「じょし? ──いだだだだじょーだんですごめんなさい!」

 

「お姉ちゃん。ゴミ出ししてくるね~」

 

「お前ら飽きないのな」

 

 握力前よりも上がってるよね。掴まれてる二の腕がめちゃめちゃ痛いよ。ドラムか。ドラムのスティックを握ってるからそれで鍛えられるというのか! 人の骨をミシミシ言わせる握力とか化物だろもう。

 店長もため息をついてないで助けてほしいですね。あなたの妹このままだとうっかりで傷害罪とか犯しかねない成長を遂げてしまいますよ。

 

「なんか失礼なこと考えられてた気がする」

 

「そんな滅相もない」

 

「その言い回しってことは図星だよね」

 

「決してそのようなことはござりませぬが」

 

 おかしい。握力だけならまだしも、体格が勝っているおれがぐいぐいと引っ張られて連行されてるのは、何回考えてもおかしい。そのほっそい体のどこにそんな力が。

 

「おはようございます。あれ? 先輩たちまた何かやってるんですか?」

 

「あ、良いところに来た喜多ちゃん! 助けてほしい! ちょっと失礼なことを言っただけなんだ!」

 

「失礼なことは言ったんですね……」

 

「別に君から女の子として見られたいとは思わないけどさ。女子というカテゴリにはちゃんと入れてほしいよね」

 

「それはもうパッシー先輩が悪いです」

 

「喜多ちゃんと後藤ちゃんのことはいつも女の子扱いしてます」

 

「へー。普段から私のことを女の子とは思ってなかったんだ」

 

「ひ、卑怯な! 誘導尋問だ!」

 

「いや今勝手に自滅したからね?」

 

 喜多ちゃんが助けてくれない。「ごゆっくりどうぞ」とか言って素通りしていく。見捨てないでよ。このままだと焼却場送りにされちゃうよ。

 ここは後藤ちゃんに助けを求めるか──

 

「あっ……」

 

 目があった瞬間視線を外されてしまった。喜多ちゃんの後ろに隠れる後藤ちゃんは今日も小動物みたいだね。まだ慣れなくての照れ隠しなのかな。急がずにゆっくりと自分のペースで人に慣れて行くといいよ。できれば見守っていたいものだね。

 

「いや今のそういう反応じゃないでしょ。ぼっちちゃんの反応を都合よく解釈し過ぎ」

 

「ふっ。付き合いの浅い伊地知にはまだわからないだけだろ」

 

「何か言い始めた」

 

「おれは後藤ちゃん検定3級の持ち主だぞ!」

 

「微妙だね! ドヤれる資格でもないし、そもそもそんな検定ないでしょ!」

 

「おれが主催した。ちなみに1級保持者は後藤ちゃんのご家族」

 

「会ったことないくせに!」

 

 会ったことなくても後藤ちゃんを誰よりも知っているのはご家族だろ! 名誉とも言える1級を取ってしかるべき存在だ。もはや問うまでもない。

 そういえば後藤ちゃんの両親はどんな人なんだろうか。今の後藤ちゃんを暖かく見守っているのか、それともあまり賛同できていないのか。前者な気はする。そうであれ。

 

「ところで伊地知。おれの視界が逆さになってるんだけど」

 

「足掴んで引っ張るほうが楽だと思って。段差あるから頭打つよー」

 

「手を離してくれないかな。絶対こっちの方がしんどいだろ」

 

 気をつけてねとかでもなく、段差で頭を打つことが前提になってる。しかも男一人引きずりながら階段を上がれると思ってらっしゃる。

 駄目だこりゃ。聞く耳を持ってくれてない。頭を打たないように首を上げておこう。最近おかげさまで首の筋肉がついてきた。筋肉ががっしりと硬い男子は女子受けも良いらしいし、ここは伊地知に感謝だな。

 

「ありがとな伊地知」

 

「えっ、頭打つことに目覚めてる?」

 

「そんなハードな趣味はない」

 

「ふーん? よっこいしょ」

 

「ぶへっ!」

 

 軽い掛け声で人を投げないでもらえますかね。この時間なら他のゴミがないから、ゴミ袋たちと同居することもないけど、ゴミ置き場に投げ込まれるのは未だに悲しいんだから。

 

「デリカシーってものを身に着けてよね~。そんなんじゃいつまで経っても彼女できないよ?」

 

「彼女ができてからの方が、デリカシーが身につくと思います」

 

「それも一理あるか」

 

「あと、これでもモテようと努力はしてるんだぞ」

 

「たとえば?」

 

「気遣いのできる優しい男ってモテると思うんだ」

 

「好感は持たれやすいね」

 

 迷子になっている人がいたら声をかけて道案内したり、子供だったら一緒に親御さんを探したり。重たい荷物を持ってる高齢者がいたら手伝ったり。最近だと海外の人にも声をかけて手伝うようにしてる。

 

「英語喋れたっけ?」

 

「ボディランゲージと翻訳。仲良くなった人とは連絡先交換してお互いに教え合いしたり」

 

「行動力おばけ!」

 

「人間ですー!」

 

(最近差し入れをくれる人が増えてるのはこういうことか。お姉ちゃんはお客さんが増えてほしいって複雑そうだったけど)

 

「虹夏。まだかかりそう?」

 

「あ、リョウ。ううん、ゴミ捨てなら終わってるよ」

 

「ナチュラルにゴミ扱いはやめない?」

 

 伊地知を呼びに来たのは山田リョウ。もう1人のクラスメイトにして同僚。勉強が全くできない同盟を組んでいる。

 さっきの喜多ちゃんと後藤ちゃん。山田と伊地知の4人で結束バンドという名のバンドを組んでる。駆け出したばかりで、でこぼこフレンズ。

 

「パッシー」

 

「どうした山田。小銭は落ちてなかったぞ」

 

「何色?」

 

「水色だな」

 

「なんでいきなり色の話してんの? ドル?」

 

 アメリカのドル紙幣には水色とかはなかったはず。他の国は知らない。見たことない。イギリスはそもそもドルでもなかったか。ユーロでもないし。今度聞いてみよ。

 

「虹夏は今日何色?」

 

「何聞いてんの急に!? ……ッ! ~~!」

 

「パッシーの態勢と虹夏のその位置関係だと、もはやそれ見せに行ってる」

 

「個人的には見えそうで見えないチラリズム文化が好みなので、モロは逆にさめだはっ!」

 

「変態! バカ! アホ! 独り身!」

 

 独り身はそれ店長にも刺さるから! 

 あと罵倒するバリエーション増えたんだね。成長を感じるよ。去年はバカ以外何も出てこなかったのに。その手の言葉の語彙のなさが、人の良さをよく表してる気もする。

 伊地知の光る部分だ。友達としても鼻が高い。

 

「虹夏に踏まれて満足気な顔してる。やっぱりドMだ」

 

「ドMじゃねぇよ! やっぱりってなんだやっぱりって!」

 

「放っといて早く戻ろ、リョウ」

 

「冷たいなほんと。はぁ。喜多ちゃんに告白でもするか」

 

「フラレるんだからやめとけば? もう12回はフラレたでしょ」

 

「15回だ」

 

「あれ? そうだっけ? いつの間に」

 

「虹夏がトイレに行ったりお手洗いに行ったり花を摘みに行った時だった」

 

「それ全部一緒だね。そんなすぐに何回も言ってたら、軽い人間って喜多ちゃんに思われてるんじゃない? ただでさえぼっちちゃんにも告白してたのに」

 

「2人ともかわいいから仕方ない」

 

 一緒にバイト先のライブハウス。スターリーに戻ろうとしたら伊地知に距離を取らされた。これが心の壁というやつか。随分と分厚くなったものだ。胸は控えめなのに。

 

(またなんか失礼なこと考えてる気がする)

 

「リョウは告白された?」

 

「私はされてない」

 

「見境ないとでも思ってる?」

 

「そのわりには店長にも告白したらしいね」

 

「えっ!?」

 

「あ~~。面接の時か」

 

 そんなこともあったな。自己紹介の時に間違えたんだった。それがあったのに採用してくれた店長は優しい。採用された後に先輩スタッフに軒並み申し込んで、店長にコブラツイスト決められたんだっけな。

 

「なんで山田が知ってんの?」

 

「PAさんから聞いた」

 

「あの人か」

 

「やっぱり見境ないじゃん。仮に付き合えたとしてもすぐ他の子に目移りして浮気しそう」

 

「それはない。おれって一途だし」

 

「ほいほい告白してる奴が何言ってんの?」

 

「だからこそ、おれと付き合ってくれる人がいたら、その人のことを大事にする」

 

 人付き合いを大切にする派だぞ。

 金の切れ目が縁の切れ目、なんて関係は大人になってからでいい。間に何か物がないと続かない関係っておれからしたらだいぶ寂しい。だから小学生の頃の友達とも今でも遊んだりしてる。

 

「結局いつも揃って戻ってくるよな。パッシーはさっさと仕事戻れ」

 

「りょっか! その前に喜多ちゃんに告白してきまーす!」

 

「お気持ちは嬉しいですけどお断りしますね」

 

「フラレましたー」

 

「早えよ! 即落ち2コマかよ!」

 

 今の速さなら1コマで終わってたかもしれない。でも感触は悪くなかった。柔らかい笑顔でフラレたので、これは少なくとも嫌われてるわけではなさそう。諦めるなおれ。頑張れおれ。

 

「おうおう。仕事を頑張ってくれ」

 

「彼女できたらケーキ奢ってください」

 

「求めるものがかわいいな。一切れで売られてるやつでいいなら考えてやる」

 

「よし!」

 

「お姉ちゃんそんなこと言ったら、ケーキをモチベーションにして彼女作り始めちゃうよ」

 

「それはさすがにないだろ。……ないよな?」

 

 

 



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伊地知虹夏との付き合いは短い

 

 伊地知虹夏という人間と出会ったのは、高校に入ってからだ。クラスが一緒だったのと、委員会活動でペアになったのがきっかけ。男子の間でじゃんけん大会が開かれて、最弱王が委員長。そこから負けた順に委員会に所属していって、そしたらペアが伊地知だった。

 ペアになったからと言って、クラスでよく喋るようになるわけでもない。男子は男子。女子は女子で喋る。だから比較的仲のいい女子くらいの収まりだった。

 そこが変わったのは、スターリーができてバイトを始めてから。まさかそこが伊地知のお姉ちゃんの店だとは、採用されてから知ってお互いに驚いたものだ。

 

「あはは~。なんか懐かしく感じるね。スターリーができたのは最近なのに、前から仲良かった感じする」

 

 そりゃあスターリーが最近できただけで、おれたちが知り合ったのは去年なんだからそう思っても不思議はな……いや不思議だわ。

 クラスは去年に引き続き、今年も同じになってる。去年は席が近くなった時は、喋ることもあった。今年はバイトの都合上、下校時でも喋るようになったからそれが影響してるのかもしれない。でも「前から仲良かった感じする」とはならないだろ。なるのか? 不思議ではない?

 

「そういうことじゃないんだけどな~」

 

「そんなふわふわに言われても」

 

「ふわふわかな」

 

「もふもふだな」

 

「ふわもふか。あっ! ふわもふと言えばこれ見てよ!」

 

「ドラムは硬いと思うんだけど」

 

「違った。これじゃなくてこっち」

 

「ペンギンのぬいぐるみ?」

 

「そう! しかも赤ちゃんペンギンのやつ! かわいいよね~」

 

 たしかに赤ちゃんペンギンはふわふわそうな毛を持ってるし、それをぬいぐるみにしたらふわもふになるよな。伊地知はわりとこういうのが好きらしいけど、本人曰く「お姉ちゃんにプレゼントしてる」とのこと。絶対自分の分も確保してると思うね。

 

「まさか買えと?」

 

「そんなことは言ってないよ?」

 

「ちらちらと画面とこっちを交互に見てるくせに!?」

 

 態度がもうそれだよ。促してきてるよ。誕生日でも近いんだっけ。あれ、誕生日いつだっけ。

 

「プレゼントって女の子は喜ぶことだけどな~」

 

「もう露骨なんですけど!」

 

「サプライズが嬉しい人もいるから覚えとくといいよ」

 

「欲しいもの提示されてたらもうサプライズも何もない!」

 

「私が欲しいとは言ってないじゃん」

 

 なんでそこでひっくり返してくるんだ。わかんないよこの人。伊地知虹夏がわからない。週間でコラム書けそうなくらい伊地知がわからない。

 世の中の男性先輩方。こういうタイプの人とはどう接したらいいっすか。ヤホー知恵袋で相談すればいいですか。

 

【自慢話?】

【相談と見せかけたスキ自語は新しいな】

【妄想乙】

【その手のタイプはまず序盤は真っ当な選択肢を避け、わざと距離感を作り、2個目のキャライベから接近を試みれば多くは個別ルートに入れる。個別ルートに入ればそこからの選択肢(表示を省略)】

 

「何も役に立たねぇぇぇ!!」

 

「うわっ!? どうしたの急に!?」

 

 何が知恵袋だコノヤロー! 一番知恵袋っぽい回答も的外れな方向で話が進んでる。なんでギャルゲー攻略に困ってる前提で話を進めてるんだよ。しかも省略された行数が10行ってどういうことだよ。怖えよ。

 

「ネットって頼りにならないこともあるんだな」

 

「頼り過ぎは現代っ子の悪い点って言われがちだよね」

 

「依存レベルの人もいるから言われるのは仕方ない」

 

「SNSとか使ってるんだっけ?」

 

「使ってるけどロイン以外はアカウント教えない」

 

「ちぇー」

 

 教えたとしても、伊地知とはあまり縁がないだろうな。喜多ちゃんはSNS女子って感じだけど、伊地知は意外とそうじゃない。使ってそうで使ってないタイプ。使ってても喜多ちゃんほどの運用はない。

 

「それで?」

 

「うん?」

 

「わざわざバイトの休憩時間を合わせてきたのは、何か他に話があるからじゃねぇの?」

 

「え、バレた。明日雪かな」

 

「扱いが酷い。普段は休憩時間被らないんだから勘ぐるって……」

 

 伊地知はバンドのことを大切にしてる。バイト中は基本的に後藤ちゃんのフォローに回るけど、喜多ちゃんの様子も見守ってる。だから休憩時間だってバンドメンバーで被るように、店長に合わせてもらってる。

 そうしてるのに、今日はおれに合わせてきた。それはもう何かあるんだと疑うってもんよ。

 

「大したことじゃないんだけど」

 

「そっか。じゃあおれソシャゲの周回あるから」

 

「最後まで聞け!」

 

「大したことじゃないって言ったじゃん……」

 

「ああもういいよじゃあ!」

 

 わけがわからないよ。店長助けて。あなたの妹の情緒がおれにはわからない。

 

「なんで私とリョウには告白しないのかなって聞いてみたかっただけ」

 

「いいよってそっちの意味か」

 

 話さないよってことじゃなくて、赤裸々に言うねってことなのね。紛らわしい。日本語って難しいなぁ。

 

「それはほら、見境ないわけじゃないって話したじゃん」

 

「そうだけどさー。これだけいろんな人に告白してる人に1回も言われないって、女子としての自信がね」

 

「伊地知は伊地知だし。まぁでも、伊地知のことが好きな人もいるから安心して」

 

「そうなの? クラスに?」

 

「こ、これ以上は言えないでござる! 守秘義務があるのだ!」

 

「ちょっ! 気になっちゃうじゃん! 来週からクラスの男子を疑っちゃうって!」

 

「くぅぅ~! 伊地知の聡明さが仇になったか!」

 

「お前のわかりやすさのせいだァ!」

 

 乱心でござる! 伊地知殿が荒ぶっておられる! 

 

「それは一旦置いといて」

 

「頑張って忘れよ」

 

「で、えーっと。何の話だったっけ。伊地知のアホ毛の話だっけ?」

 

「それは絶対違うね」

 

「アホ毛あるのに頭いいよな。アホ毛なのに」

 

「偏見がこじつけレベル。はぁ、いいや」

 

 告白云々の話だったのは覚えてる。特に答えないといけない話でもないし、このまま有耶無耶にさせてもらうとしよう。そして忘却の彼方へ!

 

(とか考えてそうな顔してるな)

 

「そうだ伊地知。女の子紹介して」

 

「私の友達ほとんど知ってるじゃん。紹介も何もないよ」

 

「友達少ないのか」

 

「そうは言ってないよね? それに紹介とかはいいじゃん」

 

「というと?」

 

「目先の目的は夏休みでしょ? 彼女できなかったら一緒に花火大会行こ」

 

「条件が悲し過ぎて今から泣ける」

 

「できないって自分から決めつけてない!?」

 

 出会いがないんだから仕方ないじゃないか。良くも悪くも学年内で知られちゃってるみたいだし、誰もOK出してくれない。だから前提条件が校外の人間になってきて、これがもう希少価値の塊。

 それはそうと、いったいどういう風の吹き回しだろうか。アホ毛ヘリコプターでもやってるのか。

 おれ達男子の間では伊地知と山田はセットだぞ。……なるほどセットか。

 

「山田のお守役を手伝えってことだな。生憎とおれは祭りだと役立たずになるぜ!」

 

「自信満々に言うことじゃないでしょ。それと、リョウは来ないよ」

 

「ん? じゃあ後藤ちゃん? でも後藤ちゃんがそんな人の多いところに行くとは……あいや、バンドメンバーとなら行くこともあるか」

 

「そうじゃなくって。2人で」

 

「後藤ちゃんとおれ!? セッティングありがとな!」

 

「違う! 私と!」

 

「……。へ~。…………ええっ!?」

 

「そんな驚く!?」

 

 だって伊地知が山田とセットじゃなくて、後藤ちゃんとか喜多ちゃんがいるわけでもない。そんな場をなんで用意してくるんだ。

 

「青春だなんだーって何回も耳にしてたら、そりゃあ私も意識するよ。男の子と花火大会は青春でしょ?」

 

 わからない。

 おれには伊地知虹夏が何を考えているのか、何を思ってそんなことを言ってくるのかわからない。

 だってまだ先の季節の話なのに、楽しそうに話してるんだ。

 それなのに条件をつけてきている。おれが彼女を作ったらどうするつもりなんだ。

 なぜ伊地知はこんな条件をつけたのか。その日考え続けたけど、さっぱりわからなかった。

 

 



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喜多郁代はかわいい後輩

 

 バイトを始めたのはスターリーが店を開いてから。だから喜多ちゃんが伊地知たちとバンドを組み始めた時のことも知ってるし、失踪した時のことも知っている。

 そのことに対して特にコメントする立場じゃないから、「一大事だなぁ」くらいしか言わなかった。後藤ちゃんの加入、そこからの喜多ちゃんの復帰。結束バンドが4人になって、本格的に始動できるようになって。

 その時の伊地知の喜びようは、店長も優しい顔を見せたほどだ。

 快く迎え入れた伊地知の心の広さ。罰とか言いながらもバイトとして雇った店長の後押しも、姉妹揃って優しいのなんの。

 喜多ちゃんも喜多ちゃんで、それに甘えるわけでもなく真剣にバンド活動もバイトも取り組んでる。良い子ですよほんと。学校で絶対モテてるね。

 たぶん友達が多すぎて男子からしたら近寄りがたいんだ。違う理由での高嶺の花になってると見た。残念だったな秀華男子諸君。君たちが感じている女子ガード(肉壁)は、ここスターリーには存在しない。アプローチできてしまうのだ!

 

「ごめんなさい」

 

「ぎゃふん!」

 

 まぁ、壁があろうとなかろうと、OKが出るかは別の話だけどね。

 

「パッシー先輩って、部活動されないんですか? 運動神経良いとリョウ先輩が言ってましたよ」

 

「部活?」

 

「はい。部活してる人ってモテるイメージありません? 野球部とかサッカー部とかバスケ部とか」

 

「まあね。でもおれには無理だな」

 

「そうですか? お断りしてる身で言うのもなんですけど、パッシー先輩ってルックス良いですよね。それで運動神経も良いなら」

 

「集団行動無理!!」

 

「あぁ……」

 

 野球は集団競技ではあっても、実質的に個人競技にも近いって話はわかる。何かが起きない限り、ピッチャーとキャッチャーとバッターの3人での勝負になるんだし。

 それでも練習とかは集団じゃん。あれ無理です。あと部活のノリがとても駄目。暑苦しいの何の。

 そんなわけで、チームスポーツのサッカーとかバスケも無理。

 

「テニスとか陸上とかは?」

 

「試合だけでいいならってなる」

 

「スポーツ嫌いなんですか?」

 

「全般的に好きだけどね~。遊びの範疇を超えてくると飽きちゃうんだよ」

 

 冷めると言ってもいい。だから真剣に取り組む人たちといると、邪魔になっちゃう。そんなわけで部活はお断り。

 

「それでバイトですか」

 

「バンドマンってモテるだろ? 客が多いとそれだけ出会いも多い!」

 

「そこでバンドマンになるって選択は取らないんですね!?」

 

「彼女できて不和に繋がるの嫌だし」

 

「バンドしたら彼女ができるって自信はどこから来るんですか……」

 

「自分を信じるのは大切なことだよ」

 

「この流れじゃなかったらかっこよかったのに。店長さんによく採用されましたね」

 

「男手あった方がよくない? って感じでアピールしてたら採用された」

 

 実際ここのスタッフって圧倒的に女性が多い。おれ以外の男の人どこ? 客ぐらいかな!

 そんなわけで、力仕事とかはよく任される。身長も女性よりはあるから、高いとこの荷物を取ったり逆にそこに移動させたり。雑用全般任されております。給料に色つけてくれてもいいよ。

 

「喜多ちゃんがバンドしてるのは、山田に惹かれたからだっけ?」

 

「はい! リョウ先輩の路上ライブがカッコよくて! 普通とは違う感じで、憧れたんです」

 

「山田の生態は普通じゃないな。後藤ちゃん程じゃないにしても」

 

「後藤さんはそういうところも可愛くていいんですよ。ギターを弾いてるときはカッコイイですし」

 

「ギャップ凄いよね。それだけ1つのことに打ち込めるのは良いことだ」

 

「本当に凄いですよね。私は後藤さんほどの情熱はなくて」

 

「そうなの?」

 

 スタジオでの練習だけじゃない。後藤ちゃんに教わって練習してる時間もあるはず。それに、たしか後藤ちゃんが言ってたけど、復帰前から指は固くなっていたとか。

 それは、それだけ練習しないとそうはならない。ギタリストの打ち込み具合は、その指を触るだけで察せられるものだ。(by後藤ひとり)

 情熱がなければそうはならない。

 

「喜多ちゃんは喜多ちゃん。後藤ちゃんは後藤ちゃん。あの子って何年も練習してるんでしょ? その時間は巻き戻せないよ」

 

「ですよね。後藤さんに追いつくのは難しいですよね」

 

「そうじゃなくて」

 

「へ?」

 

「これまでのことより、これからのことを考えようよ。喜多ちゃんには喜多ちゃんの良さがあるんだから」

 

「私の良さですか? 例えばどんなことでしょう?」

 

「かわいい」

 

「ありがとうございます。…………え、終わりですか?」

 

「違う違う」

 

 続けざまに言ったほうがいいのかな。

 

「自分を客観視できてるところ。努力家なところ。周りをよく見てるところ。気を使えるところ。優しいところ。綺麗な歌声を持ってるところ」

 

「じゅ、十分です! ありがとうございます!」

 

「えー。もういいの?」

 

 遠慮しなくてもいいのに。

 

「まだ会って短いのに、そんなにすらすら出てくるんですね」

 

「何も考えずに告白してるわけじゃないからね。おれはバンドやってないし、その分人を見る時間がある。ライブない日とか暇じゃん?」

 

「店長さんに怒られますよ」

 

「仕事はしてます」

 

 やることがなくなって暇になっちゃうんだから、それはもう仕方ないじゃないですか。それならもう先に帰ってもいいんじゃ、という話になりそうだけど、それも店長が許さない。

 だって店長は後藤ちゃんのことを気に入っているから。そう、駅までは見送って、後藤ちゃんが電車に乗るところまで見届けないといけないのだ。そんなことしなくたって、日本は平和なんだから大丈夫だろうに。ジャージ&スカート且つギター持ちは痴漢も遠慮する。

 

「先輩の家ってこの辺でしたっけ?」

 

「そう。学校から近くて、ここにもそこそこ近い」

 

「近さだけで選んでますよね」

 

「よくわかったね」

 

 学校の門から20歩で家に着く。ギリギリまでゆっくりできるからおかげさまでよく遅刻してる。油断して遅刻とかあるあるだよね。

 学校から近いともなると、バイトのない日はよくたまり場にもなってる。放課後に友達が家に来てワイワイ遊ぶのだ。最近のブームはマルオパーティー50ターン。たいてい終わらない。

 

「友達とそうやって遊べるのいいですよね~。小学生の頃は私もよく友達と遊んでましたよ。懐かしいですね」

 

「中学生からどんどん生活が変わっていくよね。スマホも持ったり。イソスタに目覚めたのは中学生の頃から?」

 

「そうですね。やっぱり友達と一緒のをやっちゃうんですよ」

 

「陽キャの苦労というか、陽キャ女子の苦労って感じか」

 

「男子はないんですか?」

 

「イソスタとか持ってても、喜多ちゃんみたいにガッツリじゃないかな。ゲームなら流行る」

 

「先輩はどういうゲームをされてるんですか?」

 

 いろいろやってるね。人気ゲームからクソゲーまで。ジャンルもいろいろ。友達と盛り上がれるゲームとして、大富豪とか人狼とかFPS系もある。

 どれもガッツリやり込んでるわけじゃないけどね。エンジョイ勢ってやつ。

 

「アウトドアもインドアも好きなんですね」

 

「飽き性だから余計にかな」

 

「告白は飽きないのに?」

 

「憧れみたいなとこある」

 

 飽きっぽい性格だから、不変っていうのは憧れる。後藤ちゃんが何年もギターを引き続けてる事とか、素直に尊敬できるんだよね。

 おれからしたら恋愛もそんな感じ。その人のこと一筋で、何年何十年と好きでいるのは凄い。そういう人間になれたらいいなって思う。

 

「周りからしたら遊び好きの軽い男に見えるだろうけどね!」

 

「いえそんな! ……はい、正直そう思ってました」

 

「だよね~。作戦変えるか」

 

 でもどうしたらいいんだ。デートを重ねてから付き合うっていうのがオーソドックスなのかな。先に告白してからデートをする人もいるような。

 人それぞれと言えばそれでおしまいか。あ、押して駄目なら引いてみよとも言うか。実践してみるか? 実践してみて誰も押してこなかったら、距離開くだけの致命的な失策にもなるような。恋愛難しい。ギャルゲー今度買ってこよう。

 

「先輩。よかったら今度の休みにお出かけしませんか?」

 

「ん、荷物持ちだな! ばっちこい!」

 

「……オネガイシマース」

 

 



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山田リョウは盟友で悪友

 

 山田リョウと言えば伊地知虹夏とのハッピーセット。そんな認識が男子の中にはある。なにせノートを写させてもらっていたり、制服を直してもらっていたり、移動教室の時に起こされていたり。とまぁそういうことが多いから、「この2人はよく一緒にいるよな」となる。伊地知に用があるときに山田に居場所を聞いたり、その逆も然り。

 他の女子が言うには、山田は1人でいることが好きな人間なようだ。それなのに伊地知とは一緒にいるということは、それだけ2人の仲が良いということ。親友と言って間違いないだろう。

 

「虹夏にはこれからも世話をしてもらうつもり」

 

「介護じゃないんだから」

 

 この2人は中学からの付き合いらしい。友達になってからずっとクラスが一緒なんだとか。1人が好きな山田と誰とでも喋れる伊地知が、どう仲良くなっていったのか。流れは想像できてもきっかけは不明。ちょっとは興味があるトピック。

 それよりも気になる話は、結束バンド以前は同じバンドじゃなかったという話。伊地知はバンドそのものに思い入れがありそうで、山田は上手いベーシスト。仲の良さを考えると意外な話。

 

「そう? 小学生が友達同士で別々の野球チームにいるのと一緒だよ」

 

「わかりやすい例えだな」

 

 おれと山田が話すようになったのは、バイトを始めてからだ。伊地知とは前から時たま話してたから、そこが違うポイント。春休み明けの課題テストの点数を見せ合って、熱い握手を交わしたのが始まり。

 

「お前ら中間テストで赤点取ってくるなよ。進級に響くようならバンド活動とバイト時間減らさせるからな」

 

「そんな殺生な! 考え直してください店長!」

 

「横暴。職権乱用」

 

「点とってくればいいだけだろ。パッシーは次席入学だったって虹夏が言ってたぞ」

 

「なんで知られてるんだ……!?」

 

「2位入学がその後のテストで悪い点取りまくれば知られる。学年内じゃ有名な話」

 

「一夜漬けで入学しただけでー。半分夢の中で入試解いてたら当たりまくっただけなんですよー」

 

「似てるポイント発見。抜け駆けしたら許さないから」

 

「任せろ。山田の期待は裏切らねェ」

 

「足引っ張り合うなよ」

 

 その次席入学の話はおれが一番信じられなかったし、家族も信用してなくてカンニングしたのかと疑われたものだ。保護者面談の時にその話が持ち出された時も「他の生徒と間違えてませんか?」って担任に言ってた。

 

「そういや山田って作曲担当だっけ? 進捗どうよ」

 

「ぼちぼちかな。ぼっちの作詞に合わない曲を作ったら没になるし、今はぼっち待ち」

 

「作って置いとくパターンもあるくないか? 温めておいた曲ってのも有名な作曲家のインタビューでちょくちょく聞くワードだけど」

 

「まぁね。それでもいいんだけど、ライブがあるから期限も大まかに決まってる。ぼっちとのタイミングが合わないと、2曲が中途半端にもなりかねない」

 

「なるほどなー。さらっと話してるけど、作詞も作曲もどっちも凄い技能だよな。おれには無理そうだ」

 

「パッシーならきっとすごいおもしろい(おかしい)曲とか詞ができると思う」

 

「今なんか変なこと言わなかった?」

 

「そんなことはない」

 

 否定するなら目を合わせろよ。口元がぷるぷるしてるの隠せてないぞこの野郎。

 

「ぷふっ」

 

「笑ってんじゃねぇか!!」

 

「でも実際、どういう詞とか曲が受けるかは、出してからじゃないとわからない。良い曲に仕上げても、それが人気になるかは出たとこ勝負」

 

「あ~。たしかにおれも、好きなアーティストがいてもその中でもお気に入りの曲とかあったりするな。アルバムとかシングルの売上で数値化もされるもんな」

 

「そういうこと」

 

 シビアな世界だ。ネットが普及してなかった時代なら、人気な曲がどうやって全国的に知られるか。その戦略も苦労が絶えなかったと思う。

 逆にネットが普及した今は、ボカロの人気も出たり配信サイトが増えたり。誰もが挑戦できるような時代になってる。今度はどうやってその荒波に飲まれずに自分たちの曲に注目させるか。それが課題になる。

 

「音楽業界も大変だな~」

 

「気が向いたら作曲やってみて。どこかのフレーズだけでも光るものがあればそこ貰うから」

 

「分け前よこせコノヤロー」

 

「うちの庭の草でいい?」

 

「やっぱいらね」

 

 伊地知も大変だな。もし山田がひとり暮らし始めたら、伊地知がそこに通う姿が想像できる。通い妻ならぬ通い友達。それならもう同棲してしまえ。いやいっそ初めから2人で住む部屋を探しちゃえ。

 

「ナイスアイデア。それ貰う」

 

「お前の生活なんでそんな他力本願なの?」

 

「私の目は音楽だけを見据えている」

 

「カッコイイけどダサいぞ!」

 

「一言で矛盾するのうまいね」

 

「実は地頭が良い」

 

「ダウト」

 

「神経衰弱で決着つけてもいいんだぜ?」

 

「フッ。望むところ」

 

「働けよ」

 

 店長それおれのトランプ。没収は勘弁してくださいよ。あとで必ず返してくださいよね。昼休みとかに大富豪とかで遊んでるんですから。

 先生に没収されないのかって? 先生にはバレてないからセーフセーフ。もしもの時の緊急避難先だって確保してる。生徒指導部とは仲がいいのだ。

 

「ね、パッシー。そろそろ次のドッキリ考えない?」

 

「前仕掛けてから2週間くらいは経つっけ」

 

「前やったのが20日前。虹夏の警戒も薄れてきてるはず」

 

「ドッキリって考えるのも大変だよな~。インパクトを求めつつ、やり過ぎないライン」

 

「骨折ネタはやり過ぎっぽかったから封印だね」

 

 伊地知が本気で信じ込んじゃったから誤解を解くのが大変だったな。折れてないよとアピールするために山田に叩かせたら、山田がガチ説教食らってたし。結局伊地知を連れて病院に行って、事情を説明してレントゲン写真を撮ってもらって、そこからなんやかんやでようやく伊地知も納得したからな。

 あの時の苦労は大変だったし、伊地知を本気で心配させてしまったのが心を痛めたもんだ。山田と2人で土下座した思い出。

 

「まさか病院の先生までグルって疑われるとは思わなかったな」

 

「私の親が医者で、2人のノリを虹夏も知ってるからだと思う」

 

「お前の親どうなってんの?」

 

「いろんな意味でパッシーとは会わせたくない」

 

 話の流れからして、山田の親もドッキリとか進んで仕掛けちゃうタイプなのかな。仲良くなれそうだ。

 あ、だから会わせたくないわけね。

 

「初回みたいなイタズラレベルに戻してもいいかもな」

 

「ドラムのスティックをスティックパンに入れ替えたやつか。すぐバレて私が真っ先に疑われた」

 

「その後道連れにされたな」

 

「やっぱり刺激が欲しい。虹夏はいい反応する」

 

「リアクションいいもんな。何か思いついたか?」

 

「パッシーずっと彼女欲しいって言ってるし、付き合った宣言してみる?」

 

「それはやってもすぐにバレるだろ」

 

「じゃあ実は付き合ってましたドッキリ」

 

「誤解を解く苦労が尋常じゃないぞ」

 

 骨折ドッキリの時は医者という第三者がいたからよかったのに。これで信じ込まれたら第三者による補助がない。どうしようもなくなる。

 これは危険だから却下だ。

 

「あれだな。ドッキリするにしても、伊地知の信じやすさが問題かもな」

 

(虹夏って信じやすいタイプじゃないはずだけど)

 

「驚かす系が後腐れなくて良さそうだな。壁からドーン的な方向性」

 

「じゃあもう壁ドンにしよう」

 

「考えるのが面倒くさくなってきてるよな」

 

「私がぼっちに壁ドンする」

 

「あれ? ターゲット喜多ちゃんに変わってない?」

 

「パッシーは虹夏に壁ドンで」

 

「壁ドンは確定なんだ」

 

「すぐに終わるから楽」

 

「やっぱ面倒くさくなってんじゃねぇか! 言い出したの山田なのに!」

 

 その後も話し込んではみたものの、代案として良いものが出てきたわけでもなく、結局壁ドンということに決まった。

 おれは「壁からドーン」を話していたのに、いつの間に「壁にドーン」になっていたのか。山田は話のすり替えがうまいな。

 そして決行の日、山田は後藤ちゃんに壁ドンをして、おれも伊地知に壁ドンをしてみた。山田のほうが先に行っていたせいか、伊地知からは「はいはい。お疲れ様」って流されてしまった。

 見事に喜多ちゃんだけは後藤ちゃんが壁ドンされたのを見て黄色い悲鳴をあげてた。

 

 

 



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後藤ひとりはかっこいい後輩

 みなさんの反応に喜びの舞をしております。あざすです。


 

 後藤ひとりは尊敬できる後輩だ。本人の内気な性格とコミュ力の低さとエトセトラを差し引いても、それでもおれは後藤ちゃんを尊敬できる。伊地知に言われてギターヒーローの動画を見たけど、プロレベルだと思えるくらい演奏が上手かった。

 それは何も後藤ちゃんが天才だからじゃない。センスはあったのかもしれないけれど、彼女の実力は努力を積み重ねた結果によるもの。動画を遡っていけば、その成長を見て取れる。

 何年間も練習を積み重ねて積み重ねて。腐らずに実直に。1つのことを続けてきた。陳腐な言い方になるけれど、すごい事なんだ。

 

「あっ、ありがとうございます。……えへへ」

 

 相変わらず目を合わせて話すことはないけれど、ふにゃふにゃに顔を緩めて後藤ちゃんは照れてた。あまり褒め過ぎるのもよくないって伊地知に注意されてるから、後藤ちゃんを褒めちぎることができない。いずれそれができるタイミングがあればいいな。

 

「あ、あの……えっと」

 

「ゆっくりでいいよ」

 

「は、はい。……パ、パッシー先輩は、バンドやらないんですか?」

 

「バンドか~」

 

 ライブハウスでバイトしてるのは、バンドに興味があるからじゃないかって推測したのかな。その推測は遠からずってとこだね。

 

「バンドに限らずだけど、音楽は聞く側が好きなんだよね。カラオケに行ったらもちろん歌うし、友達と即席バンドだーとか言って遊ぶことはある。でもその程度」

 

 本気で取り組むことはない。経済的な事情も何割かある。それよりも続けられるかはわからない。これまでの経験でも、どこかで満足して終わっちゃうことが多かった。

 習い事とか部活とかは大して迷惑かけることもなく抜けられるけど、バンドはそうもいかないから。

 

「そ、そうなんですか」

 

「そうなんですよ」

 

(どうしよ。私から話振ったのに止まっちゃった。先輩いろいろ話してくれたのに広げられない!)

 

「後藤ちゃんってなんでギターを始めたの?」

 

(気を使わせてしまった! 虹夏ちゃんにも喜多さんにもいつも気を使わせちゃってるし。私ってなんでこうなんだろ)

 

「後藤ちゃーん? おーい」

 

「はっ! す、すみません」

 

「ううん。それで、バンド始めたきっかけってある? カッコイイから?」

 

「あっ、はい! あ、いや。その……世界平和のために」

 

「マイケルかな?」

 

 あの人バンド系の人じゃなかったけど。そこは置いとくとして。後藤ちゃんのこれは頑張って誤魔化そうとしてる感あるな。信じるのは喜多ちゃん辺りか?

 

「インタビューとかでよく聞くきっかけってさ。多少脚色されてたりすることもあるよね」

 

「あっそうなんですか?」

 

「正直に話してる人もいるだろうけど、エピソード風にすると言葉って選んじゃうじゃん? ニュアンスが事実とズレることもあるっていうか。ぶっちゃけ全部要約すれば、カッコイイからになると思ってる」

 

「それは言い過ぎなんじゃ……」

 

「ははは。かもねー。そういえば後藤ちゃん。このバンドでよかったの?」

 

「え? それって、どういう」

 

「いやー。後藤ちゃんの性格考えたら、頼みを断れなくて流れでメンバーになったんじゃないかと思ってさ」

 

(図星!)

 

「おれの即席残念ギターで、あの時の場を誤魔化す羽目にならなかったのは嬉しかったけど」

 

 弾いたこともない楽器でもなんとかしてくれって頼み込んできてたの、どう考えてもおかしいよな。コードとかもさっぱりだっていうのに。伊地知は時々無茶ぶりしてくる。

 

「あっ、で、でも」

 

「うん?」

 

「きっ、きっかけはそうなんですけど。でも、結束バンドに入れたのは、嬉しかったです。わ、私、ずっとバンド組みたいって中学生の時から、思ってたので」

 

「そっか。それならよかった。……おれから言うのもおかしいけど、ありがとう後藤ちゃん」

 

「えっ、え?」

 

 後藤ちゃんにも喜多ちゃんにも言ってないだろうけど、伊地知はあの日相当焦ってた。それはもう、おれにギター弾けと頼むほどに焦ってた。

 本番での出来はともかく、それを救ったのは後藤ちゃんだ。バンドそのものに熱意を持ってる伊地知を助けて、しかも喜多ちゃんを呼び戻した。結束バンドのリーダーは伊地知だとしても、結成に欠かせなかった核は後藤ちゃん。

 他のバンドの演奏を、羨ましそうにも見ていた伊地知を知ってるから、お礼を言いたくもなる。

 

「後藤ちゃんは今でもカッコイイよ。あ、もちろんとてもかわいいよ!」

 

「え、えへへ。そんな大したことは~」

 

「バンドのでは良い方向に転んだけどさ、断りたいことを言えるようにもなろうね。言いにくい時は手伝うからさ」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 断らない人と断れない人は全然違う。断らない人は自分の判断でそうしてるけど、断れない人は押し切られてるだけ。それで都合のいい人間なんて思われるのも迷惑だ。

 バンドとバイトを通じて、後藤ちゃんが少しずつ成長できると先輩としても安心できる。

 おれの告白はきっぱり断れるのにな。不思議だな。

 

「そうだ。一応ここのって接客業なわけだし、1日あたり何人のお客さんの顔を見ながら接客するって目標立ててみない?」

 

「あっ来世の後藤ひとりにご期待ください」

 

「即答! 2人は頑張ってみない? 2人だけ」

 

「それなら、たぶん……」

 

「目を見て話すのが苦手なら、相手の鼻とか口に視線を向けるのも手だよ。それでも相手は目が合ってるって認識するらしいし」

 

「口……」

 

 後藤ちゃん的には、視線が合った時のあの感覚が苦手なんだろうな。気持ちはわからないでもない。慣れない人は慣れないやつだ。

 

(相手の口を見るって、なんかちょっと刺激的なような……)

 

「ぼんやり相手の顔全体を見るのもあるけど、これは人によっては話聞いてないって思われかねないかな」

 

「すみませーん。注文いいですか?」

 

「どうぞー。後藤ちゃんできそう?」

 

 顔が崩壊してる。ダメそう。

 視線を見る限り、顔上げようと頑張ってみてるっぽいね。いい傾向だ。

 とりあえずこのお客さんはおれが対応するか。後藤ちゃんには、頑張れそうな時に頑張ってもらうとしよう。

 

「後藤ちゃん、お客さんを見ようと頑張ってたね」

 

「け、結局ドリンク入れただけでしたけど」

 

「苦手なことに挑戦してるんだから偉いよ。焦らず慣れていこう」

 

「あっ、は、はい!」

 

 店長の気持ちもわかる気がするなー。一生見守っていたい。何このかわいい生物。

 

「パ、パッシー先輩」

 

「ん?」

 

「パ、パッシーってあだ名はいつからなんですか?」

 

「ここでバイトを始めてすぐくらいかな。貴重な男手なもんだから、雑用とかいっぱいやっててな。山田がそこからパッシーってあだ名をつけたんだよ」

 

(それってパシリってことなんじゃ……」

 

 後藤ちゃん。心の中で言ってると思ってるだろうけど、声に出てるからね。そしてそれで正解だよ。山田のドストレートなネーミングで決まったんだから。

 

「あっリョウさんに付けてもらってるの、一緒ですね」

 

「ぼっちってあだ名をつけたのは山田だったらしいね」

 

 他人からしたらイジメ発言とも受け止められるあだ名だよな。後藤ちゃんが気にせずに受け入れてるから定着してるし、伊地知もそっちで呼んでる。

 

「えへへ、お揃いですね」

 

「嬉しそうだね」

 

「は、はい。パッシー先輩との共通点発見できましたから」

 

「んー?」

 

「に、虹夏ちゃんと先輩は仲いいですよね。2人とも心を開いてる感じで。リョ、リョウ先輩とも仲良くて。き、喜多さんとはイソスタとか、SNSで話が盛り上がってて」

 

 結構周りの人間のこと見てるんだ。俯きがちで、人との距離の調整が苦手なだけか。

 

「わ、私は何もなくて。正反対ですし、バイトは同じですけどそれだけで。だ、だからお揃いなのがあって、嬉しいです……」

 

 駅までは送ってるけど、これは喜多ちゃんも一緒にいるから別扱いなのかな。

 言いたいことはなんとなく分かった。後藤ちゃん目線だと、他のメンバーとはそれぞれ唯一なものがあって、後藤ちゃんにはそれがなかったと。

 そう思われるような特別なことなんて何もないんだけどな。

 

「あっ、気になってたことがあったんですけど。い、いいですか?」

 

「どんとこい」

 

「パ、パッシー先輩のお名前って何ですか?」

 

「わーお」

 

 そうかそうかそう来たか。これはもうぴえんを超えてぱおん。目頭が熱くなるってものだわ。

 

 



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喜多ちゃんへ 60kgまでなら持てます

 連絡を忘れてましたが、原作沿いで書くのは作業感あってあまり好きではないので、原作の展開は基本的に裏で起きてるものと思ってください。必要なとこだけ絡みます。


 

 喜多ちゃんと言えば、結束バンドで唯一と言ってもいい陽の中の陽属性人間。伊地知も陽寄りだけど、喜多ちゃんは振り切ってる。イソスタの更新も多いし、写真も綺麗に撮れる。自撮りとか本当に上手い。

 バンド活動を始めてからはバイトにギター練習、歌の練習とこなしているのに、友達付き合いも忘れない。陽キャは体力おばけなのかな。

 

「先輩お待たせしました。早いですね」

 

「やっほー喜多ちゃん。大して待ってないよ」

 

「今来たとことは言わないんですね。言いそうなのに」

 

「丁度来たところならそう言うけど、そういうわけでもないし。5分くらいしか待ってないからね。それに喜多ちゃんも集合時間より早く来てるじゃん」

 

「遅れないように早めに家を出たので。今日はお願いしますね」

 

「いくらでも張り切って持つから任せて!」

 

そういうことじゃないんだけどなぁ

 

 喜多ちゃんが珍しくぼそぼそ喋ってたけど、何を言ってたんだろう。

 それはそうと、うまく合流できたのはよかった。喜多ちゃんとは最寄り駅が違うから、目的地の駅での集合になる。どの改札口で集合にするのか。それを事前に決めておいて正解だな。男友達との場合、集合する駅を決めてても結局違う場所で集合してた。だいたい本屋かゲーセンかコンビニ。

 

「今日は何を買う予定?」

 

「ん~、まだ秘密です。ついてきてください」

 

「OK。おれがはぐれないように気をつけてね」

 

「どういうことですか!?」

 

「気になるものを見つけるとふらふらと吸い寄せられるといいますか。樹液に誘われるカブトムシのように」

 

「絶妙にわかりづらいです」

 

 なんでだ。カブトムシはかっこいいだろ。

 花に誘惑される虫のようにってセリフを、言葉にする直前で気合で変換したんだけどな。喜多ちゃん的には不評だったみたい。ニュアンスさえ伝わっていればいいか。

 

「先輩。私と来てるんですから、他のものに目移りしちゃうのは傷つきます」

 

「喜多ちゃんだけを見てるよ」

 

「そ、それはそれで恥ずかしいですけど。とにかく行きますよ」

 

「はーい」

 

 女の子って難しいなぁ。

 今日は周りに目を配るのを控えめにするとしよう。喜多ちゃんの言い分だって当然のことだ。一緒にいるのがつまらないと態度で示してるようなものだもんね。学びだわ。

 

「喜多ちゃんって虫苦手?」

 

「苦手ですよ。蝶が飛んでるのを見る分にはいいですけど、近くだと身構えちゃいますし、蜘蛛とかGとかは逃げます。先輩は平気なんですか?」

 

「カブトムシとかクワガタとか。カッコイイ系は大丈夫。蝉取りは中学までやってたし、高校生になっても友達とカブトムシ取りに行ってる。甲殻類はとてもいい」

 

「先輩。甲殻類はエビやカニのことで虫は違いますよ」

 

「えっ!? 17年間甲殻類だと思って生きてた! みんなに教えとかなきゃ!」

 

「先輩の高校って私のとこより遥かに頭いいですよね!?」

 

 そう言われても。思い込みで信じてたこととかはあるじゃないですか。角が2本あれば全てガンDAムだと思い込んでたみたいな。

 ロインのグループで教えてみたらみんな驚いてた。喜多ちゃん博識だな。さすが喜多博士だ。

 

「あれ、今17才なんですか?」

 

「そうだよ」

 

「誕生日いつだったんですか?」

 

「今年は始業式と被ったかな」

 

「数字で言いましょうよ……。始業式って全校一緒なんでしょうか」

 

「だいたいは同じだと思う。めいびー」

 

 誕生日は基本的に春休みの終わりか始業式と被るから、小中高と1年時に友達から祝われることは少ないと思われがち。大体はそうなんだろうけど、ありがたいことに小学生時代の友達やら中学生時代の友達から祝ってもらえてる。高校もそうでした。

 

「あ、ここですね。着きましたよ先輩」

 

「わりと近かったね。カフェ?」

 

「はい! ここ今人気が高くなってるとこなんです! 先輩ケーキがお好きだとも聞いたので、ここに来ようって決めてたんです!」

 

「えっ女神!?」

 

「あはは。そんな大げさな。……あの、先輩……? 崇めるのやめてもらっていいですか?」

 

「ありがたやー。神のお言葉ー。ジャンヌ・ダルクー」

 

「神じゃないですしジャンヌ・ダルクは女性です!」

 

 あの時代ってブラ存在してたのだろうか。ノーブラで鎧は痛いと思うんだけど、もしかしてその痛みの腹いせに大砲ぶっ放してたのかな。これ以上はやめとこう。喜多ちゃんがいるんだから。

 

「予約していた喜多です」

 

「喜多様ですね。ご案内します」

 

 男友達とはこういう話します。それはもう、思春期男子ですから。でも女子をエロい目では見てません。下から派生した考察をするだけです。健・全!

 あれ? 今予約してたとか言わなかった? 人気店なのに並んでる人いないなと不思議に思ってたけど、ここって予約限定?

 

「そうなんですよ。だから予約が取れた日にお出かけを合わせたって形です」

 

「後輩に何から何までしてもらってる……。腹を切ってお詫びします」

 

「私がお誘いしたんですから。気にしないでください」

 

 喜多様優しい。

 

「予約限定ってことは、制限時間もある? 焼肉屋……スイパラみたいに」

 

「何も誤魔化せてませんけど。時間は2時間制です。早く退出しても、次のお客さんが早めに来れるってわけでもないので、気楽に過ごせるんです」

 

「なるほどね~」

 

「本当は時間を無制限にしたかったらしいんですけど、人気が出たからこういう形にしてるみたいです」

 

「人気店ならではの悩みだね」

 

 たしかにカフェって時間制限がないイメージがある。内装も落ち着いた空気感があって、周りの話し声がするのに静かな印象がある。

 

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 

「1番人気でお願いします」

 

「言い方が……私はこのタルトを」

 

「かしこまりました」

 

 さてはこのお姉さん競馬に興味ある人だな。にやけそうになるのを必死に堪えてた。おれはテレビで見てるだけです。高校生だし。

 

「喜多ちゃん」

 

「なんですか?」

 

「服とても似合っててかわいいよ」

 

「今なんですね。てっきり似合ってないと思われてるのかなって心配しました」

 

「これは本当にごめん」

 

「ふふっ、いいですよ。私も何も言ってませんでしたし」

 

 おしゃれな洋服を着てきた喜多ちゃんと違って、おれはテキトウに服を選んできたからなー。選んだというかタンスの引き出しの上から順に取ったというか。いつもと同じノリにするべきではなかったな。おれ反省。

 

「先輩はおしゃれに興味ないですか?」

 

「動きやすさとかで選んじゃうからなー。スポーツウェア大好き」

 

 夏場とか特に。夏の部屋着はバスケウェアです。バスケ部に入ったことないのに。

 

「女子目線だとやっぱり服は選んでほしい?」

 

「そういう子は多いと思いますよ。私は奇天烈な服装じゃなければ大丈夫です」

 

 俺の服装見ながら言ったね。2着くらいはおしゃれな感じの買います。はい。

 

「この後買いに行きませんか? 男の子の服選びしてみたいです」

 

「もちろんいいよ。おれとしても助かる。……もしかして今日買い物の予定なかった?」

 

「そうですよ。先輩は荷物持ちって考えてたみたいですけど、私そんな失礼なことしませんよ」

 

 荷物持ちって失礼なことなのかな。あ、まだ遊んだこともない先輩を、いきなり荷物持ちにすることがってことか。喜多ちゃんはいい子だな。ほっぺを膨らませてるのもかわいい。

 

「主目的は買い物じゃないです。先輩ともっとお話してみたいなと思ったから、お誘いしたんですよ」

 

「そうだったのか。よし、質問コーナー始めます! お便りどうぞ!」

 

「も~、そういう形式じゃないですよ」

 

「冗談です」

 

「お待たせしました。こちらが1番人気オリジナルショートケーキ。完璧な仕上がりを見せております。甘さ控えめのクリームがイチゴの酸味を引き立てお口の中を疾走させることでしょう。こちらがタルトです」

 

(差が! お姉さんの癖も強いし、先輩もグッじゃないですよ! 何を通じ合ってるんですか!)

 

 ハッ! しまった! 喜多ちゃんと来てるのに、あまりにも強烈な店員さんに釣られてつい乗ってしまった。店員が男の人だったらまだセーフだったのかな。

 

「喜多ちゃん写真撮る?」

 

「そうですね。先輩のも寄せてもらっていいですか?」

 

「どうぞどうぞ。納得の1枚が撮れるまで」

 

「ありがとうございます。すぐ終わらせますから」

 

 女子のこういう時の「すぐ」って何分だろう。うちの母親の「もうすぐ」は10分くらい。

 何分でもいいんだけどね。喜多ちゃん真剣だし、楽しそうでもある。見てるこっちも微笑ましくなる。

 写真を撮ってる喜多ちゃんを撮ってみようか。黙って撮るのは盗撮か。やめとこう。

 

「先輩も写ってください」

 

「自撮りか。いいよ」

 

「いきますよー」

 

 撮った写真はロインで共有してもらい、他の写真はイソスタに投稿された。慣れてるだけあってどの写真も写りがいい。もちろん投稿されてるのは、数ある写真の中から厳選されたものだろうけど。

 

「遅くなっちゃいましたけど、お誕生日おめでとうございます」

 

「ありがとう喜多ちゃん」

 

 この店でたっぷり時間を費やした後、テンションの上がった暴走喜多ちゃんに着せ替え人形にされました。喜多ちゃんが楽しそうだったのでOKです!

 

 



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見逃してください伊地知先生

 


 

 結束バンドのメンバーは、誰もがバンドのことを大切に思っている。そしてメンバーのことをそれぞれよく見ている。山田はよくわからないけど、他の3人はそれが分かる。

 リーダーを務める伊地知はそれが顕著だ。まとめ役なのとあのバンド中核で潤滑油だから、余計にそういう場面が多い。本人の性格もあって面倒見がとても良い。普段から山田を介護してるし。

 

 その性格がまさか、こんなことに繋がるとは思わなかった。

 

「はい現実逃避しない。真面目に勉強して」

 

 放課後の教室で伊地知に勉強を見られております。他には誰もおらず、「勉強」というワードだけでおれの友達は全員逃走。それに紛れて山田も逃走。おれだけは伊地知に捕まってしまった。あいつら憶えてろよ。机にトラップ仕掛けてやる。

 

「期末テストはまだじゃん? おれ山田と同じで一夜漬けタイプなんだけど」

 

「去年たしか夏休みに補習受けてたよね」

 

「ハハハ」

 

「進級もギリギリだったって先生から聞いてるよ」

 

「ハッハッハ」

 

「一夜漬けタイプはそうかもだけど、勉強全然しなかったってことだよね?」

 

「そのと~~り。進級できる点は最終的に取れてるから大丈夫なんだよ」

 

「夏休みの補習は回避しよーよ」

 

 補習って聞くと面倒なイメージが強いだろうけど、実際教師としても面倒なんだろうけど。受けてみると案外楽しいんだよねアレ。普段の授業より断然面白い。

 普段の授業は進捗を気にしないといけないけど、補習はそうはならない。時間を使って説明ができちゃう。つまり面白いエピソードなんかも出てきちゃう。これが新鮮で楽しい秘密。家が学校から近いのもあって、時間も気にしないでいい。

 去年なんて質問とかも重ねて先生と盛り上がった結果、夜まで補習が続いて充実感満載。満腹状態で先生と校舎を後にしたからね。おかげで課題テストはバッチリでした。

 

「補習でやってない範囲はボロボロなんだけどなーこれが」

 

「もう、笑い事じゃないでしょ」

 

「伊地知も受けてみるか? 楽しいぞ。先生が晩飯奢ってくれたりするぞ」

 

「本当に楽しんでたのは聞いててわかるけど、今年はダメ」

 

「ふむ?」

 

「補習の日が花火大会と被ってる」

 

「……なるほどー」

 

 忘れてたわけじゃないぞ。本当だ。

 夏休みまでに、おれに彼女ができなかったら伊地知と花火大会に行くって話だよな。ちゃんと覚えてましたよ。なんでこんな条件つけてるのか謎だからよく覚えてますとも。

 花火大会と被ってるなら、それは回避を狙ったほうがいいな。彼女ができたとしても、「補習あるんだー」とか言ったら別れを告げられそう。 

 常識的に考えたら、それまでに補習終わるだろって話だけどそうはならない。おれはおれをよく知っている。興が乗っちゃうね。

 

「伊地知は優しいな」

 

「なにが?」

 

「おれが彼女にフラレないように手伝ってくれて」

 

「いや彼女いないでしょ」

 

「花火大会までにはいるかもしれないだろ! こうなったら原宿かどこかでナンパを繰り返すしか……!」

 

「それはやめたほうがいいよ本当に。3回目で心折れるでしょ」

 

「つまり2回で成功させれば!」

 

「変な方向にだけアクセル全開だね!」

 

 彼女を作るのが目標なんだから、こういう方面には全力になりますとも。去年は江ノ島に行って友達とナンパしてたもんね。大学生のお姉さんたちに可愛がられて終わりました。おかしいな。

 

「ナンパで思い出したけど、水着と下着ってほぼ一緒じゃない?」

 

「さいてー」

 

「男だとワンチャンバレない気がする」

 

「続けるんだ!? この話やめよーよ! というか勉強しなよ!」

 

「くっ、戻された」

 

「油断もスキもあったもんじゃない」

 

 そう言うわりには伊地知も楽しんでたような。いえ何でもないです。

 伊地知はバンドもバイトもしてるのに頭いいよな。勉強時間どこから確保してるんだろう。作詞と作曲をしないからかな。これ言うと怒られる気がする。

 

(失礼なこと考えられてる気がする)

 

 あのアホ毛って実は受信用のアンテナなんじゃないかな。逆三角形みたいになってるけど、もしかしたらワイファイなんじゃないか。脳に直接受信していてそれで問題を解けているとか? 満点を取らないようにわざと間違えることでバレないようにしてる説。あると思います!

 

「できたぞ」

 

「一区切りついた?」

 

「折り鶴!」

 

「……」

 

 無言でニッコリされたら怖いよ。5年前ならチビってたね。

 腹をくくるとしよう。真面目に解いてみるとしよう。理系は嫌いだけど、やってみるとしよう。後藤ちゃんだって苦手なことに挑戦してるんだから。先輩のおれも逃げるわけにはいかないな。

 

「急にやる気出したね」

 

「花火大会は彼女と行きたいからな」

 

「ぼっちちゃんのイマジナリー彼氏と一緒じゃん」

 

「後藤ちゃんイマジナリー彼氏いたの? よし、明日もう一度告白してみよう」

 

「何がよしなの!?」

 

 むっ。イマジナリー彼氏がいるからこそ、告白を断られてる可能性もあるか。まずは後藤ちゃんのイマジナリー彼氏を超えるとこからだな。こちとら3次元だぞ。2次元に勝ってやる。

 勉強しながらの雑談って頭が大忙しだ。伊地知はよくこれができるな。

 

「って伊地知も落書きしてるじゃん!」

 

「なっ! 落書きじゃないもん! バンドTシャツのデザイン考えてたの!」

 

「人には勉強しろって言うくせに!?」

 

「私テスト対策はしてるし」

 

「くっ、何も言い返せねぇ!」

 

「折れるの早っ!」

 

 伊地知がしてると言うのならしてるんだよ。元々おれより頭良いんだから、こんな早くから勉強する必要もないだろうしな。

 

「分かりづらかったところは、授業の復習してるからね」

 

「優等生だな。偉いな~伊地知は」

 

「あははー。ありがとう~。あ、これからも勉強見てあげようか?」

 

「それは嫌だ」

 

「即答された」

 

「ベンキョウ、ヤダ、ヤ、ダダダダダ」

 

「わかったわかった! わかったから落ち着いて!」

 

 ふう。危ない危ない。拒否反応を起こすところだった。

 

「そういやアー写? は前に撮ってたな。その写真を使ってるとこは見たことないけど」

 

「そ、それはこれからだよ。人気バンドになっていってから、実用性が出てくるんだから」

 

「そういうものなんだ。喜多ちゃんいるんだし、SNSとかで使えばいいのに。トゥイッターかイソスタ辺りで」

 

「無名の内から始めるのちょっと怖いというか……。ぼっちちゃんも心配だし」

 

「依存症の素質ありそうだもんな」

 

 喜多ちゃんはすでに依存気味だけど、後藤ちゃんは始めたら亜音速で追い越して依存の極地に至りそう。ごめんね後藤ちゃん。悪く思ってるわけじゃないんだ。

 

「なんでぼっちちゃんの写真に頭下げてるの? あとなんでぼっちちゃんの写真持ってるの?」

 

「店長が撮ったやつ」

 

「誰が撮ったかは聞いてないし聞きたくなかった事実!」

 

「そういやアー写見たことないや。どんな?」

 

「そうだっけ? ちょっと待ってね。はい、この写真だよ」

 

 伊地知のスマホの画面いっぱいに写真が表示されてる。4人でジャンプしてる写真だけど、これだけでも個性が見えてくるの面白いな。後藤ちゃんが俯いてるのもとてもらしい。

 伊地知と喜多ちゃんが両端で満開の笑顔で跳んでるのもらしいや。山田は相変わらず表情が無だし。

 

「いい壁で撮れたでしょ~。アー写ってのを抜きにしてもお気に入りなんだ」

 

「どちらかと言えば壁かもしれないけど、壁ってほど壁じゃなくないか?」

 

「いやいや、どこからどう見ても壁写真でしょ」

 

「そんな自分で断言しなくても……。自信持てよ伊地知。良いことあるって! 良さは別にもあるから!」

 

「……さては違う話してるな?」

 

 ちくしょう。真面目に勉強してたせいでとんでもない失言をしてしまった。

 あれ。急に視界が真っ暗になったな。こめかみに圧を感じるというか……。

 

「いだだだだ! ごめんなさいごめんなさい!」

 

「なんでそういう話に持っていくのかなー?」

 

「わざとじゃないんです!」

 

「私に対してデリカシーないのなんでなのかな? ぼっちちゃんと喜多ちゃんにはこういうこと言わないよね?」

 

「分けてるわけじゃなくて自然と言っちゃうだけなんです! 悪意はないんですほんとに!」

 

「……ばか」

 

「ぐぉぉ……頭割れるかと思った……」

 

 伊地知の小さな手1つでなんでアイアンクロー成立してたんだ。指が伸びるのか? ゴムなのか? 

 それはそうと、ドラムをしていてもやっぱ女子の手だったな。やわらかいんだな。

 

「さ、気を取り直して。勉強再開するよ」

 

「中も外も頭痛い……」

 

「中はともかく、外は自業自得だからね?」

 

「はい」

 

「勉強頑張ってみようよ。お、同じ大学目指してみよーみたいな」

 

「pardon?」

 

「あはは、なんちゃってー! あはははは……はぁ、忘れてください」

 

「情緒大丈夫か?」

 

「うるさいよ」

 

 そっぽを向かれてしまった。

 大学ね。伊地知は進学希望なのか。というかもう考えてるのか。行きたい大学とかも決めてるのか? 地に足付けてちゃんと前を見てるんだな。

 

「卒業はともかく大学はないな」

 

「そ、そうだよね。ちなみにさ。どの大学考えてるか聞いてもいい? それとも専門学校?」

 

「あー違う違う。そうじゃない」

 

「え?」

 

「おれ大学には行かないから」

 

 経済的にも厳しいし。

 

「だから伊地知と同じ学校ってのは、高校が最初で最後だな」

 

「ま、まぁそういうのは珍しくないもんね。うん。スターリーでは付き合い続くよね」

 

「え? スターリーも高校で辞めるけど」

 

「……ぇ」

 

 店長には面接の時に話してたんだけどな。どうやら伊地知には伝わってなかったらしい。

 



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伊地知虹夏がわからない

 珍しく前回との前後編です。


 

 今日は途中から伊地知の調子がおかしかったな。調子というか様子というか。激的に変わったわけじゃなくて、普段と変わらないように演じてる感じだった。

 話してた中で伊地知が一番驚いてたのは、高校卒業でスターリーを辞めるってところか。そのタイミングでバイトを辞めるのって、珍しくはないと思うんだよな。店長も納得してたし。

 それともあれかな。男手が消えるのが痛手ってことなのかな。もしそうなら、おれが思っていたよりスターリーに貢献できていたってことか。これからも頑張ろう。

 それは一旦置いといて。

 

「むずかしい」

 

 勉強は花火大会のために。それはありがたい話だからいいとして、教室で勉強する必要はあったのかな。図書室でもよかった気がするんだよな。それ以外だと最寄りはおれの家だけど、いきなり異性の家にってのは躊躇うよな。伊地知の家に行くのも同じこと。

 そう考えていくと、やっぱ学校で勉強ってのはわかる話。それでも教室である必要性が不明。

 あの状態にする理由があったはず。2人だけになる必要性……。

 

「さっぱりわからん」

 

 女子って世界のどんな謎より難しい。

 

 

 

 

 

 

「? 虹夏お前今日はバイト休みだろ。どうかしたのか?」

 

 あたしたちの家は3階。スターリーはその建物の下にあるライブハウス。バイトがある日はそのまま直行して、ない日は3階の自宅に入る。

 今日は休みだから本当ならそうやって家に帰るんだけど、今日はここに寄ることにした。お姉ちゃんと一緒に住んでるんだし、待っていてもよかったけど先に話をしておきたかったから。

 

「お姉ちゃんにちょっと話があって」

 

「私にか。もうライブを始める時間なんだけどな……」

 

「大丈夫ですよ。私達で回しておきますから、お話聞いてあげてください」

 

「わかったよ。しゃーねーな」

 

(満更でもないくせに)

 

 お姉ちゃんはいつも意地悪な言い方する。そんなに渋々って態度見せてこなくたっていいじゃん。

 

「それで話って? 夕飯先に食べたいなら食べてていいぞ」

 

「そういうのならロインで連絡するよ。そうじゃなくて、お姉ちゃんは知ってたの?」

 

「は? 何が?」

 

「っ、……高校でスターリー辞めるって話」

 

 なんでだろ。言葉にするのが詰まっちゃった。口が急に重くなってる。

 

「ぼっちちゃんが!? 辞めちゃうのか!?」

 

「いやぼっちちゃんじゃなくて!」

 

「ほっ。違うなら……あー、パッシーのことか」

 

「うん」

 

「知ってたも何も、面接の時にあいつから言ってたからな。高校卒業までの2年だけでも雇ってほしいって言われた」

 

「あたし聞いてないよそんなの」

 

「言ってなかったからな。聞かれなかったし、私から言う話でもないだろ」

 

「それは、そうだけど」

 

 お姉ちゃんは雇う側の人間で、従業員のプライバシーとかも守らないといけない人間。私が知らないだけかもしれないけど、こういう話は普段からあまりしてない気もする。聞いたら教えてくれてたのかな。

 ううん。それもないよね。そしたら「私じゃなくて本人に聞けよ」とか言われてた。

 出会いがあれば別れもある。それは当たり前のこと。高校進学で別々になった中学の友達だっているし、高校の友達だって他にも進路が別れる。

 

「あいつは相変わらずのバカだけどさ、バカなりに考えてることはあるんだ。そこは理解してやれ」

 

「……わかってる」

 

「言いたいことは本人にもな。ま、愚痴くらいなら私が聞いてやってもいいぞ」

 

「お姉ちゃん、今日の夕飯はなんか食べてて」

 

「えっ、あ、あぁ。お前も何か食べろよ」 

 

「うん」

 

(ピザでも頼んどこ)

 

 お姉ちゃんは料理が苦手。だからあたしがいつも作ってる。でも今日は料理をしたくない気分だ。

 スターリーを出て家の中に入ったら、自分の部屋に鞄を置いてベッドに座った。あたしの部屋にはリョウの私物がいっぱいあって、置かれてる漫画もリョウのやつ。映画のDVDとかもリョウので、よくわからないやつもリョウの。あたしの私物は少なめ。

 ベッドに置いてあるぬいぐるみを1つ手に取って、それを抱きしめた。

 

「あたしが変なのかな」

 

 ぬいぐるみを抱えたまんまベッドに横になってみた。話しかけても、当たり前だけどぬいぐるみはそこにあるだけ。返事なんてない。

 もやもやする。落ち着けない。頭の中を整理しようとしても、息を入れたくても上手くいかない。

 

「あたし、なんで」

 

 なんだか息苦しい。

 

──ピンポーン

 

 誰だろ。宅配かな? お姉ちゃんかお父さんが何か頼んでたのかな。

 

「はーい。……どうしたの?」

 

「よっ伊地知。さっきぶり」

 

「う、うん。そのお腹何?」

 

「実はおめでた」

 

「いやいや、男の子はそうならないでしょ。走ってきたの?」

 

 汗をかいてて息もきれてる。おちゃらけてるけど、それも今はしんどそう。

 

「いやー、なかなか見つからなくてさ。なんとか買えてよかったよ。はいプレゼント」

 

「これって」

 

「あ、服の下に入れてたけど、おれの腹に直接は当たってないぞ。エア・リズムの助着てるからな!」

 

「そこじゃなくて」

 

 これ……あたしが前に言ってたペンギンのぬいぐるみだよね。こんなになるまで探してくれてたんだ。

 

「なんで今?」

 

「え。今日が伊地知の誕生日じゃなかったの? プレゼント期待して教室で勉強してたのかと思って、急いでぬいぐるみ買ってきたんだけど」

 

「あたしそんながめつくないよ!? それに今日別に誕生日じゃないし」

 

「なんですと!? えぇぇ……とりあえずそれ誕プレってことでいいですかね」

 

 仕方ないなぁ。

 

「いいよ。大切にするね!」

 

「あとはこれもプレゼント」

 

「もう1個あるんだ」

 

 もう1個は包装されてて中身がわからない。ここで開けていいか聞いたら「お好きにどうぞ」だってさ。珍しくちょっと緊張してるね。

 

「リボン?」

 

「ほら、サプライズがどうとも言ってたし。何がいいか考えたら、伊地知って結構リボン付けると思ったから」

 

「……普段から落ち着いてこういうことができたらモテるのに。彼女もできるんじゃない?」

 

「おれから今の言動を取るのは人間から二足歩行を奪うようなものだぞ」

 

「むしろ今が四足歩行になってるよ」

 

「酷い言いようだな!」

 

 あたしの友達とかクラスの子からも「良い人なんだけどなぁ……」って評価なんだから。良い人止まりでもあって、そこからマイナスが入ることもある。

 それで彼女ができてないのは、勿体ないよ。

 

「自分を抑えてまで誰かと付き合うのって、それはもう青春としてどうかと思う」

 

「まぁ、それもそうだね」

 

「さてと、夜に悪かったな。また明日ー」

 

「もう帰るの? ちょっと休んでからでもいいんじゃない?」

 

「いやいや、腹減ったしさ。帰って晩飯食べて寝るよ」

 

 この時間なら親御さんが夕飯をもう用意してるよね。それなら引き止めるのは悪いよね。

 

「今日は親が夜勤だから、その辺でテキトウに食べるけどな」

 

「あ。それならあたしもまだだからさ、一緒にどう?」

 

「ステーキ食べに行くつもりなんだけど、来るのか? 太るぞ?」

 

「奮発してるね! ステーキかぁ」

 

「ファミレスだけどな!」

 

「ファミレスかよ! しかも1人でそこに行くつもりだったの!?」

 

 あたしなら絶対無理だよ。1人ファミレスとかいたたまれないよ。

 

「で、どうする? 行くなら準備待つぞ」

 

「行く! ちょっと待ってて!」

 

 財布と鞄を用意しようと部屋に入りかけて、そこで1回玄関に振り返った。

 突然来られたから、話したかったことも聞きたかったことも吹き飛んじゃってる。だからそれはまた今度にしよう。

 言っとかないといけないことを、今言おう。

 

「プレゼントありがとう。すっごく嬉しい!」

 

 支度をすぐに済ませて、貰ったリボンを早速腕に巻いた。

 

 



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後藤ちゃんの家? スーツかタキシードだな!

 

 後藤ちゃんの家に行ってバンドTシャツのデザインを考えるらしい。片道2時間かけて高校に通っている後藤ちゃんの家に行くということは、遊びに行ったら往復4時間ということ。長くない? アトラクションの待ち時間じゃないんだから。

 

『パッシーお前も行ってこい』

 

「は? 店長正気ですか? 見捨てる気ですか!?」

 

『喜ぶどころか怯えるんだな』

 

「女子の家に他の女子たちと行く男子なんて、許されるのは小学生か頭おかしい大学生くらいですよ!」

 

『一応その手の大学生に謝っとけ。一応な』

 

 あれ混ざってて何が楽しいんだろうか。実は足として使われてるだけじゃなかろうか。従者として扱われて終わりだと思うんだ。

 ハーレム状態? そうするのはネジが壊れたチャラ男だけだと思います。

 

「真面目な話、なぜに行く必要が? 結束バンドのTシャツのデザイン決めですよ? おれ、部外者、アンダースタンド?」

 

『馬鹿にしてるだろお前。店長命令だ。行け。今日のシフト分は働いたことにしてやる』

 

「行ってきます!」

 

 これ拒んだらバイト行っても帰らされてシフト削られるだけだね。賢いおれには分かるんだ。

 

 そんなわけで後藤ちゃんの家に行かないといけないわけなんだけど、最寄り駅が同じの伊地知と先に合流。そこから喜多ちゃんと合流してから、後藤ちゃんの家に向かう。そんな流れになりました。

 

「喜多ちゃんとの集合時間に遅れないようにねー」

 

「ナチュラルになぜ家にいる」

 

「迎えに来たら上がっていってって言われたから」

 

「母さん……。駅集合でよかっただろ。ロインでもそういう話になったよな?」

 

「変な服着ていきそうだなって思ったから、チェックも兼ねて」

 

 どちらにするか悩んでいたタキシードもスーツも、この流れのせいで却下させられた。挨拶に向かうのなら正装にするのは常識ではなかろうか。非常識? そんな馬鹿な。

 合流した喜多ちゃんにも「それはやめて正解ですね」って言われちゃったしよ。2人ともどうしちゃったんだ。そんなことでは「服装自由です」とか言われた会社説明会で、1人だけスーツじゃないみたいな展開になるぞ。

 でもあれって、自由だからスーツである必要性は本当にないはずだよな。

 

「先輩スーツを持っていたんですね」

 

「身長も止まったからな。スーツを仕立てておいて損はないし」

 

「ですね! ところでタキシードはなぜ?」

 

「結婚式用とか、パーティー用」

 

「ず、随分先のことを考えてるんですね」

 

 実際もう使ってるからな。去年のクリスマスパーティーは、男友達だけで全員タキシード着用。立食パーティー再現して楽しんでた。お酒はなしの料理は各自が用意。料理下手な友達が多いから、ピザが圧倒的に多かったのも楽しい思い出。

 

「今年もするんですか? タキシード姿見てみたいです」

 

「明日店で着ようか?」

 

「お願いします!」

 

「着なくていいから! せめて今年のクリスマスパーティーとかにして!」

 

 スターリーでパーティーでもするんだろうか。おれはまだ何も聞いてないぞ。と言ってもまだ夏だしな。伊地知が店長と何かしら話し合ってる段階なのかも。

 そんなこんなで電車にガタゴトと揺られ、辿り着いたは後藤家。結束バンドを歓迎する横断幕が張られているから間違いなくここだね。

 

「後藤ちゃん遊びに来たよー」

 

「横断幕はスルー!?」

 

「え、だってそれ結束バンド向けのやつだし」

 

 山田は今日来ないらしい。遠出が面倒くさかったんだろうな。マイペースオブザイヤーだよ山田は。

 

「よっ、ようこそいらっしゃいました。いっ、いぇぇぇい」

 

「イェーイ! 楽しんでるね後藤ちゃん」

 

「あっえっ? パッシー先輩も来てくれたんですか?」

 

((自然に流した!))

 

「店長に行ってこいって言われたから」

 

「あっ、嬉しいです。お、男の人呼ぶの初めてで。あっ友達呼ぶのも初めてですけど」

 

「そうなんだ。なんか光栄だね」

 

「あら? 後藤さん、前よりもパッシー先輩と話せるようになったのね」

 

「言われてみれば、ぼっちちゃん横向きながら話さなくなったね」

 

「そこは後藤ちゃんの努力の証だよねー」

 

「あっはい!」

 

 嬉しそうに笑顔を浮かべてるのはいいけど、星形メガネと付け髭してるせいでシュールさが勝ってるよ。こういうところも後藤ちゃんのかわいいところか。

 

「ぼっちちゃんに甘いよね」

 

「私もそう思います」

 

「そんなことはないだろ」

 

 少なくとも店長ほどじゃないって。

 

「あ! お姉ちゃんのお友だちだ! ほんとにいたんだ!」

 

「本物だよ~」

 

((ぼっちちゃん(後藤さん)……))

 

 奥の部屋から出てきたのは、後藤ちゃんの妹のふたりちゃん。犬の名前はジミヘンらしい。さらにはご両親まで出てきて、2人ともぴしっと固まってしまった。後藤ちゃんの友達が来るだけでそんな衝撃……あるんだろうな。初めてって言ってたし。

 

「ひとりちゃんの虚言に付き合わせてしまってごめんなさい」

 

「ん?」

 

「男装までしてもらっちゃって……」

 

「あの、本物の男なんですけど……」

 

「彼氏バイトをしてもらってごめんなさい!」

 

「そんなバイトしてませんけど!?」

 

「お、お母さん! パッシー先輩に失礼だから!」

 

((大声初めて聞いた))

 

「あなたがパッシー先輩? 男の子だったのね~」

 

 おやおや? 後藤ちゃんの両親に両脇を固められたぞ?

 

「ちょっとお借りするわね~」

 

「あっ……」

 

「連れてかれたね」

 

「ドラマみたいなこと本当にあるんですね」

 

 リビングへとどなどなされた。後藤ちゃんたちは部屋に行ったっぽい。あとで合流ってことになるね。

 まずはこの場を切り抜けねば。

 

「パッシーくん、と言ったね」

 

「はい」

 

 あだ名だけど。

 

「娘とはどういう関係なのかな?」

 

「バイト先の先輩後輩ですね。バンドの方は全然関わってないですよ」

 

「そっか~」

 

 急に緩くなったな親父さん。

 というか本当に慣れないことだったんだろうな。すぐにやめてる。人の良さが感じられるし、後藤ちゃんのことを暖かく見守ってるのも伝わってくる。後藤ちゃんがやりたいことをやれてるのは、この人たちが親だからなんだ。やっぱ環境って大事だ。

 

「いや~これやってみたかったけど、結構疲れるね。慣れないことはするもんじゃないな~」

 

「お付き合いしてないのは少し残念だけど、娘と仲良くしてくれてて嬉しいわ」

 

「えーっと。これのために運ばれました?」

 

「「正解!!」」

 

「仲いいですねぇ」

 

 2人揃って親指立てちゃってるよ。ノリもいいんだろうな。親バカなとこもありそう。

 

「パッシーくんには一度お礼を言いたくてね」

 

「お礼を言われるようなことは何もしてないですよ?」

 

「してるさ。君や結束バンドの人たちもね。ひとりは家でも口数が少ないんだけど、話の割合が最近変わってきててね。バンドの話とバイトの話が大半なんだ」

 

「ひとりちゃん、他人と接するのが苦手でしょう? だからバイトの話を聞いて大丈夫か不安だったの。あの子自身も、私たちより不安に思ってたはずで」

 

 初日は伊地知が付きっきりだったか。傍目から見てる分でも、苦手なのは十二分に理解できた。

 

「それでも頑張れてるのは、きっとパッシーくんたち、周りの人たちのおかげ。だからありがとうってお礼を言いたかったの」

 

「……後藤ちゃんが自分で頑張れてるからですよ。芯の強い子ですから」

 

「最近バイトを楽しいと思えてるみたいだから、これからも娘のことを頼むよ」

 

「楽しめてるなら嬉しいですね。一緒にスターリーで働いてる間は、任せてください」

 

 親父さんと熱い握手を交していると、リビングのドアががちゃりと開いて後藤ちゃんが入ってきた。握手してるおれ達を見て完全に思考を停止してる。

 

「今パッシーくんに、ひとりちゃんのことをお願いしますって話してたところなのよ~」

 

「あっ。そ……え?」

 

「せっかくだから、今日を機にひとりちゃんって呼んでもらうのはどうかしら?」

 

「へっ、変なこと言わないでよお母さん」

 

「あらあら」

 

 目線をあっちへこっちへと飛ばしまくった後藤ちゃんが、近くまで来て耳元で囁いてくる。両親には聞こえないような声量だ。

 

「い、今まで通りでお願いします。そっ、そっちの方がす……いいです」

 

「うん。わかった。それでここに来たのは飲み物を取るため?」

 

「あっはい」

 

「手伝うよ。一緒に行こうか」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 後藤ちゃんは後藤ちゃん。呼び方を下の名前にするだけで、距離感はぐっと縮まる。それを後藤ちゃんはお気に召さなかったようだ。

 いや、ふんわり笑えてるのを見ると、今の感覚がいいんだろうな。

 それなら、これからも後藤ちゃんで呼ぶとしよう。

 おれと後藤ちゃんの距離は、きっと今が最適なんだ。

 

 

 



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山田先輩からのお言葉

 

 後藤ちゃんの家に行くというイベントは、おおよそ無事に終わった。私服を着た後藤ちゃんが可愛いらしいのなんの。前髪を上げられた途端溶けたけど、蘇生には成功しました。伊地知と喜多ちゃんの蘇生も必要だったのは疲れたね。

 

「結局デザインはどうなったの?」

 

「なんでおれに聞くんだよ」

 

「一緒に行ってたんでしょ? 決まらなかったのは知ってるけど、その後虹夏が決めてるはず」

 

「決めてたな」

 

「パッシーなら知ってるはず」

 

「どこからきたその確信」

 

 正解だよ。後藤ちゃんと駅でお別れして、喜多ちゃんとも途中で別れ、しれっとおれの家に上がった伊地知がデザインを決めてたよ。バンドの人気が出たら物販にも使いたいとかで、シンプルなデザインに落ち着いてたな。

 

「服を作ってもらうための依頼も済ませた?」

 

「それも済ませてある。バンドの人数分だけだから、数日で作ってもらえるらしい」

 

「そうなんだ」

 

「曲の仕上がりはどうなんだ? オリジナル曲を披露するんだろ?」

 

「本番でのお楽しみ。がっかりはさせない」

 

「それは楽しみだな」

 

 バンド活動をしてないおれが、結束バンドのことをとやかく言うのは烏滸がましい。日々の努力を知っている。頑張ってほしいと思える人たちが活動している。

 それで「楽しみにしとけ」と言われるなら、心待ちにしておけばいい。オーディションでは後藤ちゃんが一瞬だけ技術跳ね上がってたし。

 あれってたぶん……まあ、言わないでいいか。後藤ちゃんは後藤ちゃんだ。

 

「パッシーの家はウェルカム対応だと聞いた」

 

「友達限定でな」

 

「私達は友達」

 

「家に来ようとしてるのはバレバレだぞ。なに? なんでお前ら急に家に来たがるわけ?」

 

「虹夏は知らない。私はお菓子目当て」

 

「潔く言ったな! 食事代ぐらい残して浪費しろよ」

 

「難しいこと言う」

 

「難しくはないだろ」

 

 伊地知って山田の面倒を見てるわりに、お金周りは言及しないんだな。もしくはもう諦めてるかのどっちかか。

 

「ところでパッシー。最近裏切り行為が目立つね」

 

「いつから味方だと錯覚していた?」

 

「なん、だと?」

 

「で、裏切り行為って何?」

 

「期末テストに向けて勉強してる」

 

「あ~~。それな。花火大会が補習の日と被ってるから、そこを回避するために勉強中」

 

「勉強しない同盟はどこいった」

 

「勉強できない同盟だっただろあれ」

 

 成績悪いもの同士で仲良くする的なやつ。そうは言っても判定ガバガバで自己申告制。そんなもんだからクラスの男子は全員この同盟に所属している。

 

「彼女まだできてないのに」

 

「彼女作るために街に繰り出したいんだけどな。バイトもあるし、休みの日は遊びの予定が入ってたりでなかなかいけない」

 

「もう手詰まりだね」

 

 まだ慌てるような時間じゃない。夏休みまでもうしばらくの猶予はある。

 問題はやはり起点か。出会いは大切。きっかけがなければチャンスへと繋げていけない。合コンとか行っちゃうか? あれって高校生でも行けるのかな。さすがに高校卒業してからじゃないと駄目なのかな。

 学校外の何かしらのサークルに参加してみるとか? 出会い目的で行くのは失礼過ぎるよな。

 

「誰と遊んでるの?」

 

「友達。喜多ちゃんと遊ぶ割合も増えてきたけど」

 

「へー。2人が仲良くなってたのはそういうことか。最近告白してないのはなんで? 遊ぶようになってるなら好感度上がってるでしょ」

 

「ギャルゲーみたいに言うなよ。押して駄目なら引いてみろ作戦を実施中」

 

 鍵作品のゲームはなんであんなに感動系が多いんだろ。ぼろぼろに泣かされまくってるんですけど。

 

「仮に喜多ちゃんと付き合えたとして、先のこともOKくれるかはわからないな」

 

「結婚?」

 

「そうじゃなくて。もちろん付き合うのなら本気でその人だけを見るけど、おれは高校卒業したらスターリー辞めるしさー」

 

「そうなんだ。初耳。それ虹夏に話した?」

 

「この前言った」

 

「何か言ってた?」

 

「んーー、いや、特には。流された感じだったな」

 

「なるほど。辞めてその後は? 就職?」

 

 山田からこんなに質問されるのは珍しいな。進路の参考にでもするつもりなのか?

 

「卒業した後はバックパッカーで旅してる」

 

「就職じゃないんだ」

 

 就職と言えば就職なんだけどな。思い返してみれば、誰にも話したことなかったっけ。おれがオーチューブのアカウントを持ってるのと、ブログを書いてるの。

 元々は父親がやっていたことを引き継いでおれが運営してる。いろんな場所に行って、道中とかそこでの交流、目的地の撮影からの編集。そういうので収入を得てる。父親は会社でも働いてたから、休みを利用してって形だった。副業ってわけ。

 おれも今は高校生だから、その範囲も限られてる。卒業したら本格的に活動開始になる。

 

「安定性なさそう」

 

「バンドマンに言われたくない。あと、ちゃんと収入が今もあるんだからな」

 

 引き継いだ時はそりゃあチャンネルの登録者数とか右肩下がりだったけど、今は段階的に増えていってる。どうしても更新頻度が遅いから、目先の悩みはそこだけ。

 

「そっか。海外に行くんだ」

 

「いろいろと見てみたいからな。だから誰かと付き合えたとしても、そこを理解してくれるかはわからない」

 

「私みたいな人間なら気にしないけど、他の3人みたいなタイプには厳しいだろうね」

 

「そうだよなー。いずれ落ち着く予定だけど、それも日本じゃないからなー」

 

「どういうこと?」

 

「知り合いを通じてイギリスの会社の人の目に止まったみたいで、声かけられてる。バックパッカーするのも、日本からイギリスに行く道中だよ」

 

 最初は父親宛に来た話だと思っていたんだけど、どうやらおれ宛だったらしい。翻訳を使いながら内容を理解して、英語が得意な友達にも助けてもらいながらやり取りした。

 

「イギリスと言えばバンドの聖地! そっちで有名になって私たちを招待して」

 

「自力で来いよ!? バンド活動を続けていくなら、上を目指していくんだろ?」

 

「もちろん。行ってみせる」

 

 それが叶うのなら、結成当初から知っているものとして鼻が高い。古参ファンムーブができちゃうな。厄介な古参にだけはなりたくないから、そこは気をつけねば。

 

「今のうちにサインでも書いとこう。将来高額になる」

 

「そうなってる頃にはお前金欠生活してないよな」

 

「楽器関係に使ってる」

 

「説得力が強い」

 

「事前にサインを量産しといて、将来の資産にしておく」

 

「お前のサインだけ安くなりそう」

 

 山田楽器店でも開けるようになってるかもしれない。もしくはYAMADAミュージアム。入場料はもちろん取るんだろうな。値段の設定は高過ぎないようにしてほしい。

 

「おれの進路の話だけどさ、まだみんなには言わないでおいて」

 

「元からそのつもり。こういうのは自分から話すべき」

 

「ありがとう」

 

「いつ話すとかはパッシーの自由だけど、虹夏に最初に話してほしい」

 

「伊地知に? 軽くだけ話しちゃってるからか?」

 

「そんな感じ」

 

 それだけじゃないよな。本当はきっと、山田に話すよりも先に伊地知に話しておくべきだったんだ。高校でスターリーを辞めるって話した時、驚きもあったんだろうけど、それよりもショックを受けてる感じだった。

 流されたから理由を話してなくて、ずるずると今日になってる。

 友達にはやっぱり話しておかないといけないよな。

 

「伊地知に話すとして、喜多ちゃんにも話すし、後藤ちゃんにもだな」

 

 これもう纏めて全員に話したほうがいいんじゃ……。

 

「絶対に虹夏には先に話して。後輩組は纏めてでもいいけど」

 

「あ、はい」

 

 いつになく真面目に言われてしまった。普段から表情が変わらないポーカーフェイス山田なのに、わかりやすく真剣だ。

 

「これは私なりのアドバイスだから」

 

 女子側の視点、同級生でもあり伊地知の親友でもある山田のアドバイスだ。ありがたく受け取っておこう。

 もしこれ以上重要な意見があるとしたら、それは店長の意見くらい。でも店長からは何も言われてない。あの人は大人として常に一歩引いてるからな。

 

「なあ山田」

 

「なに?」

 

「そろそろ戻らないと店長に怒られるんじゃね?」

 

「大丈夫。さっきから窓越しに見られてる」

 

「何も大丈夫じゃないやつ!」

 

 2人揃ってこってりと怒られました。

 

 



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マーメイド喜多ちゃん

 

 現状を整理しよう。

 目標は夏休みまでに彼女を作る。現在は期末テストも終わって夏休み直前。テストの方は伊地知の監視下で勉強してたから問題ない。少なくとも補習は回避できる。

 夏休みでの障害はこれで排除できた。これで思う存分彼女と過ごすことができる……ってなるはずだったのになぁ。

 

「遠い目をしてますけど、先輩大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だけど大丈夫じゃない」

 

「どっちですか」

 

「夏休み直前だけど、彼女いないなぁと思って。野郎だけで遊ぶ夏もそれはそれで楽しいんだけどさ」

 

 実際去年はめちゃめちゃ楽しかった。弾丸旅行とかダーツの旅とかしてたおかげで、動画撮影もブログの更新もできたからな。キャンプをしたり日本の秘境に行ったり。あれ、彼女いなくても充実して……げふんげふん! 彼女はほしい!

 

「男の子の遊びってやっぱり全然違うんですね」

 

「おれたちが標準かは別としても、違うのは違うと思う」

 

 他の宿題を犠牲にしてクラスの男子で合作自由研究したのも面白かったな。でかいものを作っても、おれの家が学校の目と鼻の先だからすぐに運び込めたし。

 アームストロング砲装備2分の1サイズザク○Zを作ったのは力作でしたね。先生たちも無言で拍手を送ってくれたものだよ。

 

「先輩の学校ってうちより遥かに頭いいはずですよね!?」

 

「全力でふざけた方向に活用するのも楽しいもんだよ。大目に見られるのは学生の間だけなんだから」

 

「イメージが壊れてく……」

 

「今年は何にするんだろうな」

 

「あれ? 先輩が企画したんじゃないんですか?」

 

「おれは場所の提供して、製作の一部を協力しただけだよ」

 

「先輩以上の人がいるってことですか」

 

 おれを何だと思ってるんだろう。喜多ちゃんって慣れてくると遠慮なく言ってくるタイプだよね。いえ大歓迎です。節度さえあれば遠慮はなくていいと思う。

 女子の夏休みってどんなだろう。結束バンドだと4人それぞれ別の過ごし方をしてそう。喜多ちゃんなら友達と過ごす時間が多いんだろうね。イソスタ映えするポイントに行くのかな。

 

「そうですね。いいねが欲しくなるので」

 

「SNS中毒だねぇ」

 

「だから、水族館(こういうとこ)に行くのは案外ないんですよ」

 

「魚ってイソスタ映えしないの? しないか」

 

「水槽次第です」

 

 魚博士のアカウントはそらもう魚だらけなんだけどな。撮り方にもよるんじゃないかな。

 考えてみたら、喜多ちゃんのイソスタの写真は固定されてるものが多いか。魚とか動物とか、そういう動くものは全然ない。友達との写真があるくらい。

 

「リニューアルオープンしてから来てみたかったんですよ。付き合ってもらってありがとうございます!」

 

「おれの方こそありがとう。嫌いじゃないけど、あんまり来る機会がないからさ」

 

 喜多ちゃんの友達ならお願いしたら付き合ってくれそうだけどな。周りを見ても、女子だけで来てる人だって珍しくない。家族で来てる人が一番多いか。男だけってのは、魚好きそうな人くらいで希少種だな。

 

「先輩は水族館に来るのはいつぶりですか? 私は小学生の時に家族で来たのが最後です」

 

「思い出の場所がリニューアルしたから来たって感じ?」

 

「いえその時は別の場所なんですけどね」 

 

「そうなんだ。おれが最後に来たのは……春休み以来か」

 

「結構来てますね!?」

 

 魚博士な友達がいるからですとも。おかげで魚の知識が増えたり、なんてことにはなってないんだけどな。その友達が1人の世界に入るタイプだから。それなのに誘ってくるのは「1人で行くとか精神的にキツイだろ!」っていう、後藤ちゃんみたいな理由。

 水族館の定番と言えば何だろう。大型の水槽? イルカショー? アシカショー? おれはサメがカッコイイと思うね。

 ジンベエザメがいないのは残念。大阪か沖縄に行けばいるみたいだけど、他にもどこかにいるんだっけ。どうだっけな。

 

「喜多ちゃんは見たい魚とかいる?」

 

「魚ではないですけど、ペンギンは見たいですね。かわいくて見てて癒やされます」

 

「ペンギンもいいよね~」

 

 口の中さえ見なければ。あれって本当なのかな。実はコラ画像だったりしないかな。

 もし本当だとしたら、ペンギンは「口さえ開かなければ……」生物に認定されるな。なんだ。おれと一緒じゃないか。ということはつまり。

 

「おれもペンギンだったというわけか」

 

「え、急にどうしたんですか?」

 

「これからはパッシー改めペンギン先輩と呼んでもらってもいいよ」

 

「パッペン先輩ですね!」

 

「そこ略すの!?」

 

「うーん、でもパッシー先輩の方が呼び慣れてるのでこっちにします」

 

 喜多ちゃんに振り回される日が来るとは。喜多ちゃんならOKです!

 

「こうやって見てると、シュノーケリングかスキューバダイビングをしてみたくなるなー」

 

「スキューバダイビングは、ウミガメと泳げたりするやつですよね。テレビで見たことあります」

 

「そうそう。海の中を泳いで間近で魚を見るやつ。シュノーケリングは海面から海の中を見て楽しむやつね」

 

「どっちも楽しそうですね! でも海の中は少し不安です。海開きした今みたいな時期から、海の事故は毎年ニュース出ますし」

 

「安全を絶対に保証するのは無理だからねー。登山だって危険は伴うわけだし」

 

 登山で人気な山なら、整備されてて登山しやすくなってる。それでもそれは道が決まっているだけであって、道をそれて転落しようものなら怪我じゃすまない。そうじゃなくても、富士山とかは高いからこそ高山病があったりする。

 

「先輩は泳ぐの得意ですか?」

 

「バッチリ泳げる」

 

「じゃあもし私がする時は先輩もお誘いしますね」

 

「うん?」

 

「シュノーケリングに。軽く調べてみたら、スキューバダイビングは資格がどうとか出てきたので」

 

「なるほどね。それバンドのメンバー誘わなくていいの?」

 

「先輩だけ男の子って状態になりますよ?」

 

「よしやめとこう」

 

 おれが友達を呼んで人数調整することはできるけど、そしたら今度後藤ちゃんが拒絶反応起こす。なんでも誘えばいいってわけじゃないな。

 

「シュノーケリングだとできないと思うけど、魚と一緒に泳ぐ喜多ちゃんは絵になるだろうね。マーメイド的な」

 

「私が人魚なら、先輩はおとぎ話の王子様ですね」

 

「どうも下北沢のプリンスです」

 

「あ、やっぱピエロかも」

 

「リストラ!?」

 

 王子からピエロへの転落ってどういうこったい。どんな人生の転がり方をしたらそうなるんだろ。ネット小説とかにならありそう。

 

「んー」

 

「どうかした?」

 

「いえ、魚と一緒にっていうのを想像してみたんですけど。こんな感じですか?」

 

 大型水槽の前に立った喜多ちゃんが、魚たちを背景にポージングをしてみせた。月並みだけどその姿は本当に絵になっていて、思わず言葉も目も奪われた。

 

「先輩?」

 

「あぁ、いや。なんというか、幻想的だったから」

 

「撮ってもらってもいいですか? 自分だとわからないですし」

 

「いいの?」

 

「私がお願いしてるんですよ?」

 

 くすくすと笑われて、それはそうだとおれも力が抜けるように笑った。お願いされてる立場で、許可を求めるのはおかしなことだ。

 

「それじゃあ撮るよ」

 

 喜多ちゃんがさっきと同じポージングをして、スマホのカメラのシャッターを1回だけ押す。

 

「もういいんですか?」

 

「うん」

 

 なんだか、これを何回も撮るのは違う気がした。けれどこれが、喜多ちゃんの納得できるものとは限らない。そのことが頭から抜け落ちていたのはおれの落ち度だ。

 

「やっぱりもう何枚か撮ってみようか」

 

「……人が多いですし、そのチャンスはなかなか来なさそうですよ」

 

 喜多ちゃんに目を奪われたのは、どうやらおれだけじゃなかったらしい。喜多ちゃんがいた場所にはすでに他の人がいて、思い思いに写真撮影が始まってる。

 これじゃあ当分は写真を撮れなさそうだ。

 

「見せてもらってもいいですか?」

 

「いいけど、写真としてはどうだろうな……。おれが見たものを写真として収めたやつだから」

 

 近くによった喜多ちゃんがスマホの画面をじっと覗き込んでる。もしかして、フォローの言葉を考えてるのかもしれない。喜多ちゃんは優しいから。

 

「ありがとうございます先輩。この写真嬉しいです!」

 

「嬉しいんだ」

 

「はい! 先輩にはこう見えてたんだなって。先輩の見たものが私にも共有されるのって、なんだかロマンチックじゃないですか」

 

「その発想はなかった。これが男女の思考の違いってやつか」

 

「ふふっ、どうでしょう。今度は他のところで2人で撮りましょう! ここに来た記念に! 思い出として!」

 

「いいね。基本的に一方通行みたいだから、この先で良さそうな場所は逃さないようにしようか」

 

「はい!」

 

 喜多ちゃんはよく笑う子だ。眩しい笑顔をしていて、そのあまりもの眩しさに頭がショートさせられる。今だって、ガンガンと頭が鳴っている。

 



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花火と伊地知 似てるようで似てない

 

 喜べばいいのか。それとも悲しめばいいのか。

 笑えばいいって? ガハハハハハぁ……。

 彼女はできなかった。夏休みに突入して今年も男夏祭りだ。去年と少し違う点があるとすれば、バイトしてること。そして伊地知と花火大会に行くことか。

 おれと伊地知の家は、そこまで遠く離れてるわけじゃない。最寄り駅は同じだし、高校も同じだし。中学は校区の都合で違っただけっぽいな。

 本日は花火大会当日。楽な服装で行こうかと思ったけど、なんでもいいわけでもなさそう。服はそこそこいい感じにしました。

 

「あれ? 駅に集合じゃなかったっけ?」

 

「前は迎えに来られたし、今度はおれがドッキリ仕掛けようと思って」

 

「ドッキリを仕掛けたつもりじゃなかったんだけどなー」

 

「浴衣着てるんだな」

 

「うん。こういう時じゃないと着る機会ないし、持ってるなら着ないと勿体ないからね」

 

「なるほどなー。綺麗だ」

 

「~~っ。ありがと」

 

 一言しか言えなかった。モテる男ならきっともっと相手を褒めることができるんだろうな。ここか。こういうところの差がおれと彼女持ちの差だと言うのか! 

 開き直ってしまうと、それだけ褒められるのは逆に薄っぺらく感じるから一言のほうが……いやでも一言とか簡素すぎるよな。

 気持ちか? 気持ちさえ伝わればいいのか? プレゼントと同じ理屈? 伊地知はどういうタイプだ。

 

「褒められた後にそうやって悩まれると、ちょっと引っかかるなー」

 

「あ、ごめん。もっと言葉を尽くせたらよかったなと思ってたとこ」

 

「そんなのいいよ。上辺だけじゃないってちゃんと伝わってるから」

 

「天使?」

 

「人間だよー」

 

 下駄を履いた伊地知が足軽に飛び出してくる。店長は今日もスターリーにいるようで、家には他に誰もいない。鍵を閉めた伊地知が振り返り、それに合わせて髪が揺れる。その髪を束ねているのは、プレゼントしたリボンだ。こうして使われているのを見るとむず痒い。羞恥心ってやつか。

 

「これ? 髪ゴムで纏めて、その上からリボン巻いてるんだ~。おしゃれじゃない?」

 

「うん」

 

「もしかして照れてる?」

 

「答えませーん」

 

「あっ、ちょっと待ってよ」

 

 階段を駆け下りてると後ろから慌てた声が降ってくる。慣れない履物で転ばれるのは怖いから、踊り場まで降りたらそこで待った。

 

「早めに歩かれたら今日は追いつけないんだからね」

 

「わかってるって。変なこと言われない限りは待つ」

 

「いつも変なこと言ってるのは誰だったかな」

 

「山田」

 

「間違ってはないね」

 

 駅に移動してそこから会場のある最寄り駅へ。大都会ともなれば当然人も多い。伊地知みたいに浴衣を着てる人たちもそれだけ増えている。

 祭りと言えば出店が定番。今日はここで夕飯も兼ねるつもりだから、いろいろと店を回っていきたい。

 

「花火まであと2時間か~。早めに着いたね」

 

「何か食べたいし、並ぶこととかも考えたらこれぐらいじゃないか?」

 

「それもそっか。ね、何が一番好き?」

 

「難しい質問だ。夏だからかき氷は外せないし、祭りとなるとチョコバナナにりんご飴。焼きそばとか焼き鳥、フランクフルトも捨てがたい。綿菓子もあるし、たこ焼きとかベビーカステラもいい線いってる」

 

「あはは! もうそれ全部じゃん!」

 

「そうとも言う。伊地知は何か食べたいものあるか?」

 

「かき氷は私も食べたいかな。でも焼きそばとか食べるなら、先にそっちがいいかも」

 

「じゃあそうしよう。順番に回るとして、焼きそばからフランクフルト、たこ焼きに行ってチョコバナナ、その後にかき氷にするのが回りやすいな」

 

「すごっ、人多いのに見えるんだ? 身長あっていいなー」

 

「180cmもないし見えないって。匂いを嗅ぎわけてる」

 

「こういう時だけ特殊技能出してくるね!?」

 

 祭りという空気がおれの内なる魂を呼び起こすのだ! 射的とか金魚すくいとかヨーヨー釣りとかやっていきたいね。ヨーヨー釣りは去年取り過ぎて強制終了させられたけど。一緒にやってたちびっ子たちにすらドン引きされた。お兄さん悲しいよ。

 これだけ人が多いと知り合いと会いそうなのに、人が多いからこそばったり会うこともなさそう。

 人は多いけど、祭り限定ですいすいとすり抜けて移動できる。今日は伊地知が一緒にいるから、離れないように気をかけた。それで疲れるなんてことはなくて、自然体でそれができる。伊地知相手は、気を張る必要がない。

 

「結構食べたね。あたしはもうあとはかき氷で十分だけど、足りてる?」

 

「おれは多めに買ってたからバッチリ足りてる」

 

 日が沈んでも夏は夏。暑くて汗だって普通にかく。かき氷を脇に置いて、伊地知はラムネをごくごくと飲んでる。ラムネも定番メニューだ。

 

「そっちのかき氷もひと口ちょうだい」

 

「伊地知のもくれよ?」

 

「もちろん。あたしケチじゃないんだから」

 

 おれのかき氷はイチゴ味。伊地知のかき氷はブルーハワイ味。

 ちらっと見えた伊地知の舌は、かき氷で青色になっていた。その事を言うと、照れたようにはにかんでた。おれのはイチゴ味だから色の変化はない。

 今は河川敷に設置されてるシートの上に座ってる。場所を確保できたから、この後はもう花火が始まるまでここをキープ。

 

「花火まであと10分くらいか。2時間なんてあっという間だったね」

 

「祭りは楽しいからな」

 

「そうだけど、そうじゃないんだよ?」

 

「とんちはわからないんですけど」

 

「誰と来たかも大事ってこと。一緒に来れたから、あたしは楽しめてるの」

 

 それはつまりどういう……。だって今日のこれは、おれに彼女ができなかった時って条件で。だからそれに近い形になるように伊地知が付き合ってくれてること。……そこはなんか違うか。

 この辺のはいいんだ。伊地知が楽しんでくれてる。それで十分じゃないか。うだうだ考えるのはらしくない。

 明るい笑顔を浮かべてる伊地知に、今話したほうがいいか。花火が終わってからよりも、その前に伝えときたい。

 

「伊地知。スターリーを辞めるって話だけど」

 

「っ! ……うん。いいんじゃないかな。バイトだもんね。高校卒業は区切りになるし」

 

「ちょっ、話を聞いてください」

 

「聞きたくない!」

 

「伊地知には自分の口で話したいんだ!」

 

 誰かから伊地知の耳に入るのは嫌だ。山田に言われたからじゃない。山田の言葉を受けて、考えて、おれがそう思ったから。

 最終手段はロインか手紙だけど、それも嫌だ。おれの口で、おれの言葉で、全部話したい。

 目を合わせてはくれないけれど、伊地知は耳を傾けてはくれた。話していいらしい。伊地知にはそんな表情をしてほしくなかったし、何よりもさせたくはなかったな。

 

「知り合いを通じて、イギリスの人と知り合ってな。卒業したらそっちに行くんだ」

 

「……いなくなっちゃうんだ」

 

「会えなくなるわけじゃないし、余裕ができたら日本に遊びに来るというか。……うん、絶対来るよ。伊地知に会いに」

 

「へ?」

 

「結束バンドの音楽好きだからさー。二度と会わないとかは寂しいじゃん。ネットがあるとはいえ、やっぱ生がいいし」

 

「あ、あーー。そういうことね。それあたしついでじゃん」

 

「そんなことはないです」

 

「どうせドラムは後ろにいて見えないもんね。目立たないし映えないしそのくせ音がでかいからミスだけは目立つし」

 

「不貞腐れて候。そうは言うけど、おれは結束バンドのライブ中伊地知をよく見てるぞ」

 

 バンドの中でドラムが一番好きなんだよね。それに伊地知は心底楽しそうに演奏してる。

 

「ほんとかなぁ? この前のライブだって、喜多ちゃんとかぼっちちゃんにライブがどうだったーって話してたじゃん。2人のこと見てたんでしょ」

 

「聞かれたから答えただけで……、視覚的にどうしてもってとこは否定できないです。はい。けど、音は伊地知の音に集中してるんだ」

 

 ドラムの音が目立つからじゃない。その音を聴きたいから集中してる。

 だって、

 

「だっておれは伊地知の──が好きだから」

 

 あれ? 花火の時間前倒しされてない?

 予定変更は仕方ないか。この花火を目に焼き付けよう。伊地知の虹の笑顔には及ばなくとも、人々を笑顔にさせられる華やかな花を。

 



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伊地知星歌はわからない

 

 私、伊地知星歌と妹の伊地知虹夏は12歳差の姉妹だ。それは虹夏が生まれた時に私が12歳だったということ。虹夏が物心を覚えたくらいの年齢で、私は高校生あたりだったということになる。

 虹夏が覚えていないような、幼い頃のエピソードだって私は覚えてる。だから昔のことでも虹夏が覚えているようなエピソードなら、私だって覚えていることになる。

 覚えている。分かる。だから私はずっと悩んでる。

 

 "パッシーを雇うことが正しかったのかを"

 

 

「パッシーくんですか。私は大助かりですよ。バカなのに仕事の覚えはいいですし、働き者ですから」

 

「お前はそう言うだろうな」

 

 PAを担当してるこいつからしたらそうなる。いや、他のスタッフもそう言う。パッシーは特に機材系に興味を持つから、時間があると聞きに行ってその仕事を覚える。突き詰め始めたら機材のメンテナンスまで覚えそうになってる。男心がくすぐられるからだとか。女だから欠片も共感できねぇ。

 店長をやってる私からしても、働き者のパッシーは助かる。ぼっちちゃんたちが働くようになってからは、主にぼっちちゃんのフォローが増えてるけど、教育の手間が省けるのは楽だ。

 パッシーがいるとぼっちちゃんも、普段よりは前向きに努力できるみたいだし。

 でも、虹夏の姉としては素直に喜べない。

 

「まずは私に挨拶しに来いってやつですか? シスコンですもんね」

 

「ここが店内じゃなかったらシメてたわ」

 

「お酒の席では無礼講ということで」

 

「お前が言うな」

 

「それで、虹夏ちゃんがどうかしました? たしかに最近……花火大会の後くらいから、少しぎくしゃくしてるみたいですけど。見てる感じ、パッシーくんはいつも通りですよね。返事待ちとか?」

 

「えぇー? 先輩の妹ちゃん告白されたんですかー?」

 

「なんでここにいんだよ」

 

「だってここ居酒屋ですよ!」

 

「お前が言うと理由になるな」

 

 酔っ払い常習犯の廣井きくり。大学の後輩で、ぼっちちゃんとはいつの間にか知り合ってた。ぼっちちゃんを気に入ってるようで、台風の日にわざわざライブにも来てた。

 正直こいつまで混ざってくるとは思わなかったけど、居座るなら諦めるしかない。席移動しきってるし。

 こいつは見るからに駄目な大人だが、口が軽いわけじゃない。口止めしとけば必ず黙る。

 

「パッシーと虹夏の間に何があったかは知らん。聞いてないし」

 

「えー。つまんなーい」

 

「黙れ酔っ払い。何があったかは知らなくても、虹夏がぎこちなくなる理由は予想がつく」

 

 印象的な何かを言われたんだ。それが思春期らしい恋愛のやつなのか、それとも音楽関連なのか。なんにしても、虹夏にとってインパクトのある何かを言われた。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「今から話すことは誰にも話すなよ」

 

「任してくださいよ先輩」

 

「不安が拭えないが、まぁいい。もし話したら東京湾に沈めるから」

 

「あははは。……え、まじで?」

 

「……虹夏とパッシーは高校で知り合ったんじゃない。2人は同じ小学校に通ってた」

 

「スルーされた。マジなんだ」

 

「廣井さん黙りましょうねー」

 

「パッシーは記憶喪失だ」

 

「はい? 記憶喪失?」

 

「あー、私みたいにお酒で記憶が飛ぶとかじゃなくて、ガチなやつですか」

 

「ガチなやつだ。本人の性格とかは今と大して変わらない。誰とでも仲良くなるような奴で、女子の中だと虹夏が一番仲良かったみたいだな」

 

 面接の時はただの同姓同名かと思った。虹夏の反応を見て、パッシーがあいつだと確信した。

 その時は雇うつもりはなかったのに、虹夏にとってどっちがいいか迷った結果採用した。

 

「女子は男子より早熟ってよく言うだろ? 私もあの時は虹夏がマセたと思ってた。本人からしたら、それが本気だったらしい」

 

「虹夏ちゃんはパッシーくんのことを好きだったと」

 

「好き、ぐらいに可愛らしく収まってたらよかった。虹夏は本気で恋をして、あいつと将来の約束までしてたらしい。よく家にも呼んでたし、2人の写真もアルバムができるくらい母さんが撮ってたな」

 

 虹夏の部屋にある虹夏ヒストリーにも、何枚か写真がある。虹夏にとって、それも大切な思い出だからだ。パッシーが覚えてなくても、虹夏だけはその記憶を持ってる。

 2人だけの思い出が、今は虹夏だけのものになっちまってる。

 あいつがその頃に虹夏の気持ちをどう捉えていたのかは、今じゃ聞き出せない。まぁ、恋愛を知ってる奴の言う本気とはズレてただろうけどな。少なくとも約束は交わしてたから、子どもなりには真剣だったかもしれない。

 

「母さんが亡くなって、お通夜やら葬式やらしてた時だ。あいつも事故にあって、父親と記憶をあいつは失った。その時は知らなかったが、どうやら事故より前の記憶の一切を失ってる」

 

「一切って……それで虹夏ちゃんのことも」

 

「先輩のお母さんが亡くなられた時って、7年か8年前だから。えーっと、妹ちゃんはまだ小学校中学年くらい? 同じ学校ならそこからまた仲良くなれたんじゃないですか?」

 

「あいつが事故に遭った時は親の実家に行ってた時だ。病院もそっちで、入院生活の後もそっちの小学校に通ってたようでな。こっちに戻ってきたのは中学生の時だ」

 

 履歴書でもそうなってた。受験の時だって、虹夏がパッシーを見かけたって言ってたしな。

 だから、パッシーが虹夏のことを覚えてないと知った時、いったいどれだけのショックを受けたのか。そんなの私じゃ想像もつかない。

 母さんが亡くなって、立て続けにあいつがいなくなった。あの時の虹夏は精神的に相当参ってた。父さんは仕事に忙しいし、私は家族よりもバンドだったから。虹夏の拠り所になってた2人を、虹夏はほぼ同時に……。

 

「記憶を失おうと本人なのはそうだ。けど、虹夏が忘れることなく会いたがってたあいつはもういないんだ」

 

「虹夏ちゃんにしかわからない違和感もあるのかもしれないですね」

 

「虹夏がパッシーと話してるのを見てたら、変わらないんだなって傍から見てそう思ってた。虹夏が笑えてたから、良かったんだって。それなのに今は……な」

 

「まぁー、私らはどうすることもできないから見守るしかないですね」

 

「それがわかってるから飲んでんだよ」

 

「ですけどこれは時間が解決するものでもないですよね。パッシーくんには見えてないものがある。必要なピースを持ってすらいない状態ですし」

 

「下手に大人が出しゃばるものじゃないって~」

 

「徹頭徹尾一歩引いておくのもどうなんだって話ですよ。必要ならお節介を焼くべきです」

 

「だァァ! うるせェェ!」

 

「「ええぇぇ!!」」

 

 飲むしかねぇから飲んでるけど、飲んだら飲んだで思考が固まらなくなってくる。

 私は虹夏に何をしてやれる? 母さんなら、こういう時どうするんだ。

 

「そういえば廣井さんっていつパッシーくんと知り合ったんですか?」

 

「うちのギターと知り合いなんだってー。一緒にドージンシ? ってのを作ってるよ」

 

 虹夏にとってパッシーは何なんだ。あいつと同じなのか、別として見てるのか。

 それとパッシーは、自分の記憶喪失についてどう捉えてる?

 記憶が戻るものなら、住んでた街に戻ってきたことで、虹夏にも再会したことで刺激されそうなものなのに。それがないってことは……もうあいつは戻ってこないのかもな。

 

 



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後藤ひとりの先輩

 

 ギターを始めてからというもの、夏休みはいつもギターを弾く生活だった。やっぱり訂正。夏休みに限らずギター生活を送ってきてた。

 毎日6時間以上ギターの練習をしていて、動画投稿も始めるようになって。登録者数とか温かいコメントが増えていくのが嬉しかった。認められてる感じがして、賞賛コメントもあったりして。承認欲求がどんどん満たされていく。

 SNSまで始めちゃったら承認欲求モンスターになっちゃうから、そこは自分でブレーキをかけてる。自律できる女です。

 そんな私だけど、今年の夏休みは違う。だって結束バンドのみんながいるから、遊びに行くことも……あったはずなんだけどなぁ。いつ誘われてもいいように予定は全部空けてたけど、誘われることはありませんでした。

 パッシー先輩も夏休みに入ると「〆切り、トーン、ペタ……」とか偶に目が逝っちゃってて。それが治ったと思った時に「星って好き?」って聞いてくれて、プラネタリウムに連れて行ってくれた。人がそんないっぱいじゃないところを選んでくれて、おかげで作詞にも生きてる。遊んでくれた後は「じゃ、自由研究を兼ねて樹海行ってきますわ」とか言って1週間くらい音沙汰なかった。虹夏ちゃんともちょっと気まずそうだったな。

 気づいてたけど、聞く勇気もなくて今は夏休み明け。最後の日に結束バンドの4人で江ノ島に行ってた。

 

「後藤ちゃん調子どう?」

 

「あっ、え? パッシー先輩?」

 

「喜多ちゃんから話を聞いて来たけど、元気そうだね」

 

 江ノ島に行って私は全身筋肉痛になってて、なんとか学校に来たけど、放課後に足を捻っちゃった。

 喜多さんが保健室まで付き添ってくれて、手当もしてくれた。どこかに行っちゃったなって思ってたら、パッシー先輩に連絡してたんだ。

 

「保健室の先生は?」

 

「それが探したんですけど、今日はもう帰ってしまったみたいで」

 

「始業式だからかな」

 

 あ、喜多さん先生も探してくれてたんだ。優しい。

 

「先輩のアドバイス通り、後藤さんの患部は冷やしてます」

 

「うん。やり過ぎちゃってるね。後藤ちゃんの顔色まで青くなっちゃってるよ」

 

「ご、ごめんなさい後藤さん!」

 

「あっ、い、いえ大丈夫です」

 

 寒くて足の感覚なくなってきてたけど、やっぱりこれやり過ぎだったんだ。パッシー先輩が来てくれてよかった。

 

「氷はもういらないから捨てるとして」

 

「捨てときますね。湿布を取ってきたほうがいいですか?」

 

「うん。あとは包帯なんだけど」

 

「先輩の鞄から出せばいいですか?」

 

「よくわかったね」

 

「先輩なら保健室の包帯を無断で拝借はしないかなって思ったので」

 

 喜多さんすごい……。パッシー先輩のことなんでそんなにわかるんだろ。なんだか虹夏ちゃんみたい。

 

「全身筋肉痛の中よく学校に来たね。休むのもありだったんじゃない?」

 

「あっ、喜多さんに昨日話したんです。江ノ島の帰りに、が、頑張ってみるって」

 

「後藤さん……!」

 

「あっ、で、でも怪我したのは私のせいで。喜多さんのせいじゃないですし、普段から外に出とけばそもそも筋肉痛にならなかったわけで」

 

 い、言えない。頑張って学校に行ったら、パッシー先輩が褒めてくれるんじゃないかって浅ましくて邪な考えもあったなんて。

 

「後藤ちゃん偉いね。おれならそれを理由にして休んでた」

 

「え、えへへ~」

 

「やっぱり先輩、後藤さんに甘いような」

 

「そんなことはないって。ほら、後藤ちゃんの家から学校って片道2時間でしょ? 全身筋肉痛だと相当きついじゃん」

 

「そう言われると、たしかにそうですね」

 

 パッシー先輩がやっぱり褒めてくれた。いつも頑張ったところを褒めてくれるから、こんな私でも頑張ろうって思える。

 逆に頑張ってないところ、頑張れないところはもちろん褒められない。先輩はテキトウに言ってるんじゃなくて、ちゃんと相手のことを見てるんだ。

 

「後藤ちゃん。足に触れても大丈夫?」

 

「あっ、うぇっ? ぇ、ぇと……」

 

「よしやめとこう。軽くでいいから足動かせる?」

 

 痛くない範囲でいいみたいで、言われた通り動かしてみた。自分でもあんまり動かせてないことはわかった。捻挫くらいだったらいいなぁ。家から学校の往復がしんどい。

 完治するまで家で療養なんてことになったら、学校に再登校するハードルがどんどん高くなっていく。富士山レベルになってしまう。

 

「今できることは、あとは湿布を貼って包帯で固定することくらいかな」

 

「先輩なんで包帯持ってるんですか?」

 

「来る途中で買っといた」

 

 出費させてしまった! 私なんかのために先輩の貴重なお金が使われてしまってる!

 

「は、払います」

 

「え、いいよ。大した出費でもないし」

 

 そうこう言ってる間に喜多さんが湿布を貼ってくれた。包帯は先輩がやるみたいです。「触れたらごめんね」と先に謝られてしまった。むしろ手当してもらってるのに、反応してしまう私がどうかと思う。わざわざ高校まで来てくれてるし。

 

「巻き方は簡単だから、後藤ちゃんも覚えててね」

 

「あっはい」

 

 先輩が説明しながら包帯を巻いてくれてる。私と同じ怪我をしたことがある人から、このやり方を教わったんだとか。その人も病院で教わったから間違いないって。

 ところでこの巻き方……うん。覚えられないかもしれない! 

 

「自分でやる時にわからなかったら聞いてね」

 

 見抜かれた!?

 

「さてと、それじゃあ帰ろうか。家まで送るよ」

 

「え、えぇっ!? そ、そんな悪いですよ遠いのに。1人で帰ります。ありがとうございました」

 

「怪我人を1人で帰らせるほど鬼畜じゃないんだけど!?」

 

 先輩は本気で言ってくれてる。いつもなら私の意見を通してくれるのに、今回は譲ってくれない。正直に言うと、そうしてくれるのはすごい助かる。でも申し訳ない気持ちだって同じくらい、ううん。それ以上にある。

 

「早く治してくれたらそれでいいよ。どうしてもって言うなら、今度ケーキでもくれたらいいよ」

 

「あっ、はい! ホールで買います!」

 

「ホールじゃなくていいよ!?」

 

 喜多さんも駅まで付き添ってくれた。本当は先輩に合わせようとしてくれてたけど、先輩がそこまではしなくていいって断ってた。ちょっと不満そうだった。喜多さんも先輩と仲良くなってるし、もしかしたら先輩の告白も通るんじゃ……。

 あれ? 最近告白してる先輩を見てないような? 夏休みだったから会ってないっていうのは置いといて。バイトで会う時も言ってなくて。

 もしかして! 私わかっちゃった。名探偵ぼっち爆誕!

 

「せ、先輩と喜多さんってお付き合いされてたんですね」

 

「してないけど?」

 

「え?」

 

「え?」

 

 し、してなかったぁぁぁ! 恥ずかしい! 穴があったら入りたい! 

 

「じゃ、じゃあなんで最近告白してないんですか?」

 

「…………ほんとだ。してないや。喜多ちゃんと話すのが楽しくなって忘れてた」

 

「え、えぇ……」

 

 包帯で補強してても歩くのは痛みを感じる。だから先輩におんぶされて、私は先輩の背中でスライムみたいに溶けちゃうんだ。

 お兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかな。

 

「あっあの、先輩は……なんで私に優しくしてくれるんですか?」

 

「んー。それに答えるには、さっきの告白の話とも絡むかな」

 

「へ? あっ、はい」

 

「おれ記憶喪失なんだよね」

 

「えっあっ、え?」

 

「小学校中学年以前の記憶がなくて。だからかな、不変のものに惹かれるんだよね」

 

 ただ飽き性だからじゃなくて。失った経験があるから……。

 

「記憶がなくなる前に本気で好きだった人がいたかもしれない。告白する時、いつも怖いんだよ。またその人の時みたいに、相手を忘れちゃうかもしれないから」

 

 不変に憧れて、恋愛をしたくて。本気でそれを望んでいて、同時に恐怖も感じてる。

 知らなかった。全然そんな感じがしなかった。怖いもの知らずだと思ってた。先輩にも怖いものはあるんだ。

 喜多さんにいっぱい告白できてたのは、その時はまだ喜多さんとそこまで仲良くなかったから?

 

「記憶を失うと0からのスタートになって、独りになるんだよ。寂しかったそれを友達が打破してくれた。だから後藤ちゃんのことを放っておけないんだ」

 

 後ろから顔は見えないけど、声でわかる。先輩は今優しい顔をしてる。

 

「後藤ちゃんは山田みたいに、1人が好きってわけじゃないもんね」

 

「い、いつから気づいてたんですか?」

 

「すぐにわかったよ? 山田を知ってたから余計に対比できてわかりやすかったし」

 

「あっ、あの……パッシー先輩」

 

「ん?」

 

「お、お名前をお伺いさせていただきたいです」

 

「なんか急にバグったね」

 

 温かく笑ってる先輩が、名前を教えてくれた。その名前を忘れないように、何度も心の中で呟いた。

 

「とうとう後藤ちゃんから名前呼びされるのかな?」

 

「あっ、それは無理です」

 

「違うかー」

 

「で、でも……いつか、きっと呼んでみます」

 

「うん。楽しみにしてる」

 

 



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喜多郁代の事件簿

 

 2学期にもなって夏休み気分が抜けてなんやかんや。後藤ちゃんと喜多ちゃんが通う秀華高校の文化祭の話が上がってきた。クラスの出し物だけじゃなくて、有志による個人の出し物もあるんだとか。後藤ちゃんはそれに出たいけど、今一歩勇気が出ないといった状態。

 伊地知と山田は、後藤ちゃんの気持ちを優先。どうするかは後藤ちゃんに任せたらしい。

 そういうふうに話が進んでいたらしいんだけど、喜多ちゃんが申し込み用紙を出しちゃったんだとか。それを知って後藤ちゃんは魂が抜け、キャンセルしようと喜多ちゃんが生徒会長に話したらキャンセル不可。

 これで喜多ちゃんは殺人未遂となってしまったのだ。

 

「それで喜多ちゃんはちょっと元気がなかったんだ?」

 

「はい……」

 

 今は文化祭前にある中間テストに備えての勉強会。後藤ちゃんの壊滅的な成績をどうにかしようと奮闘中。休憩も兼ねて喜多ちゃんに声をかけて、一旦後藤ちゃんから離れてる。

 ごめんね後藤ちゃん。仲間外れにしてるつもりはないから。寂しそうな目線に気づいてたけど、胸に突き刺さったけど、待っててほしい。代わりに店長置いといたから。

 

「謝った方がいいってわかってるんですけど、それが怖くて……」

 

「わかるわかる。謝るのも勇気がいるからね。中学時代にロケット花火が校長室の方に飛んでいった奴とかいたし」

 

「それニュースになっててもおかしくないですよね!?」

 

 一緒に謝りに行ったの懐かしいな。たまたまその現場を見ちゃって、成り行きでついて行った。校長が良い人でよかったよ。昔のヤンチャ時代の話とか聞かされて、「打ち込みたくなったら校長室だけにしなさい」って言われたな。

 その花火野郎も夏休みのワイルドキャンプに来てて、サバイバル技術が高くなってた。火起こしとか助かったし、食べられるものと食べられないものを把握してたし。

 

「先輩の交友関係時々おかしいですよね」

 

「飛躍的な成長をしてる奴がいるだけです。話を逸しちゃったな。喜多ちゃんは、後藤ちゃんが悩んでることに気づいてたけど出しちゃったんだよね?」

 

「はい……。だからそれを知ったら流石に後藤さんも怒ると思って……」

 

 後藤ちゃんが人に怒るところは想像つかないけど、仏じゃないから怒る時は怒るんだろうな。それがあるから、喜多ちゃんも最後の1歩を踏み出せないと。

 それもそうだよな。最悪の場合バンドの絆に亀裂が入っちゃう。謝罪がトドメになる可能性もあると。

 

「後藤ちゃんがどう思うかは、おれには憶測でしか話せないけど、あの子はそこまで後ろ向きじゃないよ」

 

「……?」

 

「普段の言動で考えたら後ろ向きの代表格に思えるかもしれないけど!」

 

 「これぞ後ろ向き人間の生き方!」って体現してるような存在だけども。後藤ちゃんは前を見れる子なんだから。こと音楽に関しては芯が強くなる。

 伊地知曰く、後藤ちゃんの目標は結束バンドを最高のバンドにすることらしいし。カッコイイよね。

 

「普段の様子を見てたら想像しやすいと思うけど、後藤ちゃんって周りに振り回されやすいでしょ?」

 

「申し訳ないけどそうですね」

 

「後藤ちゃんってそこで卑屈になることはないんだよね。結束バンドにしてもそうだし、なんだかんだでバイトも頑張れてるし」

 

 バイトに関しては辞めるのを言う勇気がないだけかもしれないか。収入が他にもあれば辞めててもおかしくないよな。バイトの理由もチケットのノルマ代稼ぎだから。

 

「とにかく、音楽関係なら後藤ちゃんは前を見て進める子だから。おれの予想では、喜多ちゃんが思ってるようなことにはならないね」

 

 最悪の場合は訪れない。

 

「だといいんですけど……」

 

「結局は行動を起こしてみないとわからない。喜多ちゃんが決意を固められた時に動いたらいいんじゃないかな」

 

 相談している時点で、喜多ちゃんは謝るべきだと判断できてる。おれに話してきてるのも、どうしたらいいかを悩んでるからじゃない。喜多ちゃんの考えに賛同できるかどうか。そこを求められてる。

 そしておれは背中を押す。そうした方がいいと思ってるから。

 

「そういえば、文化祭ライブの楽曲とかは決めてる?」

 

「いえまだですね。テストの後に決めるんだと思います」

 

「なるほどね。……謝る時、不安だったら付き添うよ」

 

 リミットは文化祭までだろうけど、文化祭ライブに向けた練習だって直に始まる。本格的にそこに焦点を当て始める時が、実質的なリミットになる。じゃないと喜多ちゃん本人が気にして練習に打ち込めないだろうからね。

 だからタイミングとしてはそこか、あるいはテスト前に話して解決するかの実質的2択。これで解決すればテストにも集中できるようになる。

 文化祭に向けて頑張ろうってなって、ブーストがかかるかもしれない。

 

「優しいですよね先輩。でも、これは私1人でやります」

 

「そっか。それならおれはいつも通り見守るだけかな」

 

「ありがとうございます。先輩が見ていてくれるって思うと頑張れます」

 

「いつも頑張ってるじゃん」

 

「いつもより、ですよ」

 

「無理だけはしないでね」

 

「はい!」

 

 話せたことで気が楽になったのかな。喜多ちゃんの眩しい笑顔が光度を取り戻してきてる。完全復活したら、元を通り越した光度になって目を焼き尽くされるかもしれない。

 最後に見えるものが喜多ちゃんの満開の笑顔なら、それはそれでありか。……いや、見えなくなる笑顔もあると思うと、それは嫌だな。

 

「そろそろ戻ろうか。後藤ちゃんがさっきからこっち見てる」

 

「先輩と後藤さん、また仲良くなってますよね」

 

「家まで送った時に結構話したからかな?」

 

 あとは背負って後藤ちゃんを運んだからか。物理的に距離が縮まってたから、それの経験で後藤ちゃんの心の壁が少し下がったっぽい。

 未だに目を合わせて話すことはないんだけどね。目を合わせようとして泳ぎまくることが多い。あれでよく目を回さないなと感心もする。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

「1人だけを見てたら他の子は妬いちゃうんですよ」

 

 保育園か何か?

 

「おいパッシー。勉強再開しろよー。私も仕事あるんだから」

 

「りょっか」

 

「言われちゃいましたね」

 

 喜多ちゃんのさっきの言葉は……それに珍しく目を逸らされたし……。

 

「なぁパッシー。数学Ⅰと数学Aの違い分かるか?」

 

「店長バカですねー。数字とアルファベットの違いくらいわかりましょっ」

 

「そういうことを聞いてんじゃねぇ!!」

 

「いだだだだ!! いたいいたい! ギブギブギブ!!」

 

 場を和ませようとしたジョークだったのに。はぁー、骨がイカれるかと思った。伊地知の制裁の方が優しいんだな。求めてはいないけど、やられるなら伊地知にしてもらおう。

 ところで、おれが技を決められるのを2人ともナチュラルにスルーするよね。何事もなかったように勉強を再開してるよ。

 後藤ちゃんと喜多ちゃんは、テーブルを挟んで向き合う形で座っていて、2人の間になるようにおれの席がある。

 山田は本人の家で勉強中で、伊地知は……どこ行ったんだろう。伊地知も自分の部屋かな? これなら2人に話すには丁度いいか。丁度いいけど、今でいいのか?

 今にするか。伊地知と山田にはもう話してることだから。2人にも今話しちゃおう。

 

「再開して早々悪いんだけど、ちょっといいかな」

 

「なんでしょう?」

 

「?」

 

「大したことじゃない……というかおれの進路の話なんだけど」

 

「はい」

 

「高校卒業したらスターリー辞めるねって話」

 

「「え?」」

 

「イギリス行ってる」

 

「そ……そう、なんですね。す、凄いですねイギリス」

 

「まぁ結束バンドのライブ見にたまには帰ってくるから」

 

 2人の反応を見て思った。伊地知の時もそうだったけど、簡単には会えなくなることを惜しんでくれる人が、おれにもいるんだな。

 男友達たちはノリがいいから「遊びに行ったら泊めてくれ」「飯不味レポートしてくれ」とか、そんな感じで後押ししてくれる奴らばっかだったから。距離なんてなんぼのもんじゃいって感じで、これはこれで嬉しかった。

 それとは違う形で、おれとの縁を大切にしてくれる人たちがいる。これほど嬉しいことはない。

 

「……」

 

「?」

 

 目は伏せられていて、後藤ちゃんの表情は見えない。テーブルの下で、服の裾の端っこを摘まれているのは、喜多ちゃんからは見えてないんだろう。上の空って感じになってるのもあるのかもしれない。

 後藤ちゃんは何も言わなかったけど、ただ一度だけ、小さく首を横に振った。

 



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後生です。冬コミマは見送りましょうよイライザ先生

 

 テストも無事に終わって一段落。スターリーをそのうち辞めるって話をしたことで、あの時は空気が終わってたけどそれも時間が解決してくれました。たぶん。少なくとも2人とも普通に接してくれてる。

 

「ぼっちちゃんたちを新宿FOLTに呼んだからさー。パッシーも来なよー」

 

「バイト中なんですけど酔っ払いさん」

 

「連れて行っていいですよね先輩」

 

今日は暇だから行ってこい(そいつを早く追い出せ)

 

 見放された。店に酔っ払いがいるのは面倒くさいって? それはもうド正論だ。スターリーは居酒屋でもないからね。

 

「前から気になってたけど、2人は知り合いなの?」

 

「知り合いの知り合い。だから他人」

 

「私に対してあたりが強くない?」

 

「常時酔っ払ってる人は知り合いでもないです。関わらないでー」

 

「そんなこと言っちゃって。ライブ来たがらなかったってイライザに言っちゃうよ~?」

 

「この……! 良い性格してやがりますねェ!」

 

「待って。イライザって誰?」

 

 伊地知にぽんと肩に手を置かれた。ニコニコしてるのに、目が全く笑ってない。こんなに怖い伊地知を見るのは久々だ……久々か? いや初めてかもしれない。

 なんか喜多ちゃんにも冷たい目をされてる。嘘だろ。おれ何かやっちゃいました?

 まだあわあわ慌てる時じゃない。こういう時こそ冷静に。クールになるんだ。

 

「イライザっていうのは、おれに英語を教えてくれてる人だよ。結構前にそういう人がいるって話したことあっただろ?」

 

「あ~。うん、あったね。その人がイライザさんで、廣井さんの知り合いなんだ?」

 

「そう。SICK HACK(シクハック)のギタリストでイギリス人。日本に来て3年目の女性」

 

「あ、ライブに行ったことがあるから、リョウ先輩もご存知なんですね」

 

「そういうこと。パッシーと仲いいのは知らなかった。どういう関係?」

 

「イライザが先生で、おれがアシスタント」

 

「ん??」

 

 全員が首を傾げてしまった。いや待てよ廣井さん。あんたは知ってるだろ。なんで揃って首を傾げてるんだ。

 

「イライザは日本のアニメが好きで来日してるんだよ。コミマも好きで、自作した同人誌を出したりしてる。今年の夏も付き合わされました」

 

「あっ、パッシー先輩言ってましたね。し、〆切りがどうとか」

 

「へ~? ところで、もってどういうこと?」

 

 今日の伊地知はとても怖いです。助けて店長。おれが何をしたって言うんですか! 交友関係で詰められるの怖すぎるっピ!

 

「去年も手伝っただけで……、それ以上でも以下でもないです」

 

「えー。本当に何もなかったの? イライザの家に泊まり込みだったんでしょー?」

 

「後藤ちゃんあいつ黙らせて! いだいです伊地知さん!!」

 

 肩がもげるぅ……!!

 泊まり込みだったけども本当に何もなかったよ。だって〆切りに追われてたんだもん。徹夜しながら作業しないと終わらなかったんだもん。なんでイライザ「手伝ってくれるからページ数増やしても終わるよネ!」とか思っちゃったんだよ。給料払ってくれ!

 

「本当にそのドージンシっていうのを作る以外何もしてない?」

 

「一緒にご飯は食べました」

 

「そういうのじゃなくて」

 

 それ以外だと……風呂は当然別々だし、トイレもそうだし。睡眠は闇の彼方に消え去ったし。伊地知が気にするようなことは……あ。

 

「イライザのギターは聴いたかな」

 

「それならいいや」

 

「いいんだ!?」

 

「なんでそこで驚くの!?」

 

「え、いや……てっきり……いえ何でもないでござる」

 

「……はぁ。その人ギタリストなんでしょ? それなら聴いたっておかしくないじゃん。別にあたし以外の音はーなんて言わないよ」

 

「虹夏は束縛女子だと思ってた」

 

「次の駅で降ろしてあげるよリョウ」

 

「ごめんなさい」

 

 束縛系とかじゃなくて束縛って断言しちゃうの勇者過ぎるだろ。伊地知に対して濁さないのは、2人の仲の良さって感じがするな。

 

「パッシー先輩。イライザさんってどんな方なんですか?」

 

「良い人だよ。日本語も流暢だから、英語で分からないところも聞きやすいし。教え方も上手いんだよな~。おれもアニメ好きだから、例え話をアニメでやってくれる」

 

「先輩って英語の成績よかったんでしたっけ?」

 

「いえ全然」

 

「え!?」

 

「イライザが教えてくれたイギリスのテストならそれなりに良い点取れてるよ。日本の英語の問題がややこしくて」

 

「それよく聞きますけど本当なんですね」

 

 なんというか、訳すっていう段階を挟むからややこしいんだよな。英語脳とか日本語脳とか言うけど、この「脳」と「訳す」は別のスキルな気がする。だからイギリスのテストは素直に点が取れる。日本で国語(日本語)の試験を受けるようなものだ。

 

「新宿ついたから降りるよ若者たちー」

 

「若くないって認めてますな」

 

「ははははは! ぽかっていいかな。いいよね。ね? ぼっちちゃん」

 

「えっ、あっ……ええっと……」

 

「はいはい。早く移動するよ」

 

「虹夏、引率の先生みたい」

 

(聞きたかったこと聞けなかったな……)

 

 駅のホームに降りた途端帰ろうとする後藤ちゃんを、伊地知と面倒を見ながら移動開始。後藤ちゃんはとうとうおれを盾に活用できるようになったらしい。仲良くなった証がこういうパターンで出てくるのは悲しさが混ざってくるな。

 後ろにいると安心するって? いくらでもおれを活用してくれていいよ! なんですかな伊地知さん。後藤ちゃんがいなかったら俺の背中を使ってもいいぞ。

 

「パッシーがこっちに来るの久々だよね~」

 

「元々通ってたわけでもないんですけど」

 

「そうだっけ? 覚えてないやー」

 

 覚えてないのは別にいいけどさ。酒のせいで道を忘れるのはやめなよ。自分が拠点にしてるライブハウスの場所くらいは、酔っ払っていても行けるようにしてくれ。

 この人が拠点にしてる新宿FOLTは、SICK HACK以外にも拠点として活用してるバンドがいる。そういうのはスターリーも同じ。結束バンド以外にも、常連のバンドたちはいる。

 結束バンドと同世代のバンドの1つ、SIDEROS(シデロス)だって新宿FOLTのバンドだ。

 

「ふ、雰囲気が怖いです……」

 

「大丈夫だってぼっちちゃん。どこのライブハウスも似たようなもんだから」

 

(それなら私もスターリーで少しは慣れて…………イキってごめんなさい)

 

 後藤ちゃん。背中に隠れる時にタックルするのはやめてください。

 

「大丈夫だよ後藤ちゃん。あそこの目つき悪い女の子は同世代だし、睡眠不足で目つき悪いだけの大槻ヨッコーだから」

 

「誰が目つき悪いヨッコイショウイチよ!!」

 

「そこまで言ってない」

 

「へ、へいヨッコイショウイチ」

 

「何こいつ!?」

 

「ひぃっ!」

 

「大声出してビビらすなよ」

 

「パッシー、知り合いなら紹介して。虹夏の目が怖い

 

 本当だ。喜多ちゃんも一緒になってる!

 

「大槻ヨヨコ。SIDEROSってバンドを組んでる。こいつもコミュ症だから仲良くしてあげて」

 

「どんな紹介よ!? ていうかアンタね! 急に来なくなったかと思ったら女の子をゾロゾロと引き連れてきて!」

 

「連行された側だが?」

 

 おれに拒否権がなかったんだよ。あったら断ってる。

 話が長くなる前に店長の銀ちゃんに挨拶しとくか。

 

「あ?」

 

「お姉ちゃんに会いたい……」

 

「よしよし。この人優しい人だから怖がらなくていいぞー伊地知」

 

「あらあんた久しぶりじゃない! 元気にしてそうね! この子たちはお友達? ……両手に花どころか両手に岩石状態ね~」

 

「実際重たい」

 

 伊地知の攻撃。伊地知の攻撃。スネはやめなさい。

 

「あ、この子たちが結束バンドの子たちなの? 廣井が迷惑をかけてごめんなさいね~」

 

 さてさて、おれとしてはイライザに捕まる前にどこかに隠れておきたいんだけど、イライザは今どこにいるんだろうか。リハはもう終わったらしいし、控室かな。

 おや、あの和服を着崩してるイギリス人は。

 

「あー!」

 

「やべっ!」

 

 男の第六感が告げている。悪い予感がビンビンにしてる!

 よくわからないけど結束バンドと一緒にいる時にイライザと接触するのはよくない! 急いでこの場から離脱を……チクショウ! 伊地知と後藤ちゃんに両腕掴まれてるから逃げられねぇ!

 

「も~~! ライブに来てくれるなんて久しぶりだネ! 寂しかったんだから!」

 

「ごふっ!」

 

 イライザの突進を見て後藤ちゃんと伊地知が手を離してくれたから、イライザを受け止めることはできた。危ないから二度としないでほしい。店内で走るな。

 あとライブに来てないだけであって、英語を教わる時には会ってるだろ。

 

「パッシー先輩。私、ちょーっとお話したいです」

 

「奇遇だね喜多ちゃん。あたしもそうなんだ~」

 

 山田と後藤ちゃん助け……うそん、もう距離取ってる。大槻も逃げやがった。

 こうなったら店長である銀ちゃんになんとか場を収めてもらうしかないか!

 

「青春ね~。青春ロックじゃない」

 

「そんなこと言ってないで助けて!?」

 



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文化祭は後藤ちゃんの引き立て役

 

 うちの進学メインの固い学校に対して、後藤ちゃんと喜多ちゃんが通う秀華高校は結構ゆるい。後藤ちゃんが上下ジャージ、申し訳程度に制服のスカート着用というスタイルで通えてるくらい、あの学校はゆるい学校だ。懐の深い学校とも言える。オープンマインドだ。

 だからこそ文化祭もいろんな人が来れるようになってる。一般公開。他校の生徒も可能。地元の人たちも可能。ザ・お祭り。

 

「文化祭に来られて嬉しい! 本当にアニメみたいだネ!」

 

「アニメが現実に寄ってるんだよ」

 

「このお店から回ろうヨ!」

 

「好きにすればいいから引っ張るな!」

 

「楽しそうだね~」

 

「伊地知さんも機嫌直してください」

 

「別に機嫌悪くなってないけど? 一緒に回ろうよって話してたのに当日になって他の人も追加されたことなんて全ッッ然気にしてないけど?」

 

 気にしてるゥゥ!! めちゃめちゃ怒ってるゥゥ!! 山田、伊地知をどうにかしてくれ山田! 自業自得? 巻き込むな? 何が!? 

 このお祭りを楽しみにしていたのが昨日までのこと。厳密には今日の朝まで。玄関を開けてみたら家の前でにこにこ笑顔なイライザと、拗ねた伊地知と遠い目をしてる山田がいておれの胃は終わりを告げた。

 イライザが来るなんておれも思ってなかったから被害者だよ。でも伊地知的には山田とおれと3人で回りたかったっぽい。イライザとも仲良くしてほしい。その人おれの先生なんだから。

 

「虹夏は怒りんぼさんなんだネ!」

 

「これ煽り? 煽りだよね?」

 

「切り替えてよ頼むから……。後藤ちゃんのとこに遊びに行くんだろ?」

 

「このまま行ったらぼっちがさすがに困る」

 

 だよな。ナイスだ山田。いいアシストだ。

 

「だから私1人で行ってくる」

 

「待てやこら」

 

 とんでもない裏切りだ! ブルータスもびっくりだ。明智光秀も目を逸らすレベルだぞ。上げてから落とすな!

 

だって面倒くさいし(だって面倒くさいし)

 

「声ダブらせて言うな。おれの責任ではないんだし助けてくれ」

 

「身から出た錆」

 

「錆びついてねぇよ」

 

 何もしてないんだよ本当に。

 なんでだろうな。イライザに触れられる度に伊地知の視線が刺さる。伊地知とも手を繋げばいいのか? いやいやまさかそんな。子どもじゃあるまいし。

 あるいはもしや。イライザに慣れてたから何とも思わなかったけど、異性同士の接触がよく思われてないのか? ……それはそうか。思考を放棄するようになってたから忘れてた。当たり前だったわ。

 

「イライザ」

 

「なに?」

 

「手を握るのやめようか」

 

「ブロは私のこと嫌いになっタ?」

 

「なってない」

 

「じゃあ大丈夫だネ!」

 

 あれ? おれって今会話をしたはずだよな? 

 駄目です。何も打破できません。

 

「虹夏も素直になればいいのに」

 

「ちょっ、リョウ! ……あたしだって迷ってるんだから」

 

「余裕を持つのは大事だけど、悠長にしてても問題。イライザはそういうのじゃなさそうだし、虹夏もやりたいようにするべき」

 

「そうかな」

 

 2人とも何の話をしてるんだろ。できれば移動してほしいな。イライザを引き止めるのも限界がある。腕が引き千切れそうだ。おれの方が腕力あるはずなのに。

 

「イライザはどこに行きたがってるの?」

 

「全部だヨ! まずはここから!」

 

「チョコバナナか~。お祭りの定番だね」

 

 高校生の文化祭でチョコバナナ出せるんだな。りんご飴もあるのはなんでだ。チョコバナナはまだしも、りんご飴ってそんな簡単に作れるものなのか? べっこう飴じゃなくて?

 

「食べ歩きもしやすいし、さくっと買って他も回ろう」

 

「制覇狙ってみる?」

 

「虹夏太るよ」

 

「ド、ドラムで燃焼できるから」

 

 伊地知が太ったら……失礼な想像はするもんじゃないな。学習したんだおれは。

 高校生レベルのチョコバナナと侮っていたら意外や意外。なんとチョコ味といちごチョコ味の2つ用意されていた。

 限られた予算をどう使うのか。このクラスは種類をもう1つ追加して、他は衣装やら何やらに回したっぽい。いちごチョコがあるのならここはいちごチョコを買うしかない。特別感あるとそっちに流れちゃうもんだ。

 

「ふふっ。ブロ、お揃いだネ!」

 

「イライザはてっきり2種類食べるかと思った」

 

「他にもいっぱい食べたいカラ!」

 

「なるほど。伊地知と山田は普通のか」

 

「シンプルイズベスト」

 

「交換しあえるからね。一口どうぞ」

 

「正直味変わらないと思うんだけど」

 

「うん?」

 

「いえいただきます」

 

 一口目を貰ってもよかったのかな。伊地知が差し出してきてるからにはいいんだろうな。

 味の感想はというと、チョコバナナですとしか。だって特別な隠し味があるわけでもないし。ところでイライザ。そのメモは何だ? 何をメモした?

 

「私にも一口ちょーだい!」

 

「それなら私のを食べさせてあげる」

 

「ありがとうございます! お礼に私のもどうぞ!」

 

「いただきます」

 

「伊地知もおれのを一口食べるか?」

 

(先に食べさせちゃったからこれって……)

 

「伊地知さーん?」

 

「はっ! あぁうん、もらうね!」

 

「そんな勢い良く食べなくても……」

 

 結構がっつり食べられちゃった。そんなにお腹空いてたのかな。よく食べる女子は嫌いじゃない。美味しそうに食べてたら尚さらだ。伊地知の表情も和らいでるし、一安心だな。残りを食べるとしよう。

 

「パッシーは気にしないタイプか」

 

「なにが?」

 

「なんでもない」

 

(はぁ。気にしてたあたしがバカみたい)

 

 はぁぁ。なるほどなー。俗に言う間接キス的な? いやでもペットボトルやらコップやらスプーンやら、そういうものでの出来事でもないし。気にしなくてもいいんじゃないかな。

 

「人が多いから校舎内暑いな」

 

「そう? 私は暑くないヨ?」

 

 イライザの服装は涼しそうだもんな。そういうことにしとこうか!

 

「次のお店行こうヨ!」

 

「引っ張るなって。伊地知、喜多ちゃんとは合流するのか?」

 

「ここまで来たらそうしようかな。ロインで連絡取ってみるね」

 

 少し棘があったような。

 そういえば後藤ちゃんのクラスってたしか2組だよな。クラスの出し物が……ここに行くの? おれが? 他に男子がいないこの状態で?

 

「どうかしたノ?」

 

 まぁ待て落ち着けおれ。ここは共学なんだ。クラスの男子だって教室にいるはず。大丈夫。女子校に来てるわけじゃない。

 

「も~~! 無視しないでヨー!」

 

「あ、ごめん。考え事してた」

 

「喜多ちゃんとは、ぼっちちゃんの教室の前で集合になったよ」

 

「りょっか。……ちょっと知り合いに会ってくる」

 

「えー! 一緒に全部回ろうヨー!」

 

「すぐ戻るから。後藤ちゃんのクラスのとこで合流するから」

 

「破ったら釘千本だからネ!」

 

「針じゃなくて!?」

 

 打ち込まれるの!? グロすぎるんですけど!

 

「行ってらっしゃい。りんご飴は欲しいでしょ? 買っといてあげる」

 

「ありがとう伊地知」

 

(嘘つく時の癖は変わってないんだね)

 

 伊地知にもすんなりと見逃されたな。今日の予定のことを考えると、申し訳無さが半端ない。これの後は伊地知の要望に全部従うとしよう。イライザは……明日もあるからいいだろ。飛び入りなんだし、そこは抑えてくれ。

 向かう先はどこかの教室でもなく校舎の外側。

 パンフレットを見てすぐに気づくべきだった。後藤ちゃんのクラスの出し物がメイド喫茶なら、後藤ちゃんがその現実に耐えきれなくなることを。これが杞憂で済むのなら何よりだ。後藤ちゃんも変わったということだから。

 これが杞憂じゃなかった場合、放っておくことはできない。後藤ちゃんの青春コンプレックスが加速する自体になる。青春時代がイコールで黒歴史になるなんて、将来の後藤ちゃんが一生苦しむ気がする。

 探す場所は簡単。人がいなさそうなところ。

 

「すなわちこういうところ」

 

「ぇ、えっ!? パッシー先輩!? な、なんで」

 

「文化祭だし遊びに来た。床に寝転がってたら、綺麗な髪が汚れちゃうよ」

 

「あっ、いえ。特にこだわった手入れとかしてないですし」

 

「汚れは払おっか。自分でできそう?」

 

 男のおれが髪に触れた日には、後藤ちゃんは蘇生に半日を要することになるかもしれない。本人の許可なく触るべからず。

 

「あっはい。たぶん……」

 

「そっか。状況を見るに……メイド服を着るのまではできたけど、そこから耐えきれなくなったと」

 

「じょ、女子全員接客と言われて……」

 

「人によってはその服が嫌って人もいるもんなー。おれの意見では、後藤ちゃんめっちゃかわいいよ」

 

「~~! あっ、ありがとうございます」

 

 メイド喫茶の鉄板セリフとも言える「萌え萌えキュン」系列。今まであれを言われたいなんて思ったことなかった。だがしかし、後藤ちゃんのこの姿を見たらその気持ちも理解できてしまう!

 これ頼み込んだらセクハラになるかな? 耐えるしかないか!

 

「せ、先輩」

 

「なんでしょう女神様」

 

「あっ後藤です。……その、も、もえもえキュン

 

「ブハッ!」

 

「え!? せ、先輩鼻血がすごい勢いで出てますよ」

 

 我が生涯に一変の悔いなし(スキーーーー!!)

 

 

 

 

 




 次回との前後編になると思います。

Q なぜぼっちちゃんがこのセリフを?

A 主人公の心の声がダダ漏れだったから


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伊地知の歩幅

 

 貧血になるほど鼻血を出したのは人生で初めてかもしれない。後藤ちゃんは普段ジャージ姿でいることで、己の武器を抑え込んでいたんだね。もし後藤ちゃんが普段からおしゃれとかしてたら、おれは推し活を始めていた。間違いない。

 いや待てよ。メイドということは従業員。従業員ということはチップを払える。貢げるじゃん。

 

「後藤ちゃん……お礼のスパチャ(ゆきち)

 

「えっ」

 

「こんな額しか払えなくてごめんなさい」

 

「う、受け取れないです。せ、先輩にはいつもお世話になってますし」

 

「世話なんてしてないでござる」

 

(1キュン1万円……)

 

「こーらっ! ぼっちちゃん困ってるでしょー」

 

「あれ? なんで伊地知たちこっちに?」

 

「ぼっちちゃんがいないなら、ぼっちちゃんのクラスに入っても意味ないじゃん」

 

「それなら後藤さんと合流しようってなったんです」

 

「あ、喜多ちゃんも合流できたんだ。早かったね。走ったの?」

 

「いえ走ってませんけど」

 

「あれ?」

 

(あ、やっぱり先輩。数分意識飛んでたんだ)

 

 おれの時間だけ狂ってるのか? 実は地球人じゃなかった説。ないな。

 

「さっきおもしろそうな教室見つけたかラ、そこ行きたいデス!」

 

「おもしろそうな教室?」

 

「おばけ屋敷」

 

「あ~。どこかのクラスは必ずやるよな。おれはどこでもついていくけど、行きたくない人いる?」

 

「怖いの苦手だけど、文化祭くらいなら大丈夫だよ」

 

「本当か? 無理はするなよ」

 

「うん。もしもの時はよろしくね」

 

「壁りょーかい」

 

「はぁ」

 

「心配しなくていーヨ虹夏! ゴーストは私がバスターするから!」

 

「イライザおばけ屋敷はそういうとこじゃない」

 

「え?」

 

 おばけ屋敷って言ってるのになんで違うの、みたいな顔してるんじゃないよ。ガンアクションもないから。そういうのをやりたかったら遊園地とかに行きなさい。

 

「じゃあ連れていってブロ」

 

「バンドメンバーで行ってみたら?」

 

「ブロと一緒に行くのが1番楽しい!」

 

「……そりゃどうも」

 

「見習ったら?」

 

「うるさいよリョウ~」

 

 イライザと2人で遊びに行くとお守り要素が出てくるんだよな。犬と散歩してる飼い主と見せかけた、犬に振り回される人間っていうイメージがぴったりになる。

 おれももちろん楽しんでる。疲れがいつもの1.5倍溜まるだけだし。初めて2人で遠出した時はヤバかった。電車で寝ちゃって2人仲良く他県に行っちゃった。もう二度とあれは御免だ。

 

「クラス単位でのおばけ屋敷ですし、決まったルートを通って終わりですよ。肝試しみたいなものですね」

 

「残念です……。峰打ちだけにしときマス」

 

「攻撃が駄目ですよ!?」

 

「おばけ屋敷ってこの人数で同時に入れるのか? 2人か多くて3人じゃね?」

 

「受付で聞いてみましょう」

 

 伊地知にしても喜多ちゃんにしても、話を運べるタイプだから助かるな。おれは気兼ねなく話すとすぐ脱線するタイプだから、普段はそこを意識してる。男同士なら意識しない。

 ミーティングとかディベートとか、そういうやつの進行役が2人には似合うんだろうな。山田も後藤ちゃんもそういうのは縁がないから、バランスが取れてる。

 

「2人1組みたいです。もしくは1人で挑戦してもいいんだとか」

 

「ならおれは1人で行くとして」

 

「そうすると奇数になっちゃうので駄目です」

 

「私も1人でもいいヨ? 最速記録目指してみる!」

 

「趣旨がズレてますって!」

 

「グーチョキパーで別れたらいいんじゃないかな? 早く決めないと順番回ってきちゃうし」

 

「そうしましょうか」

 

 そんなわけでやってみたら、おれと伊地知がグー。山田と喜多ちゃんとイライザがチョキ。後藤ちゃんがパー。1組はこれで決まった。

 

「パッシー先輩、チョキ出すのかと思いました」

 

「グー出したらチョキに勝てるからな!」

 

「じゃんけんじゃないですよ……」

 

 残りの2組は、後藤ちゃんと山田。イライザと喜多ちゃんに別れた。後藤ちゃんと山田の独特なペースペアは、お化け役のほうが心配だ。自信無くさないといいな。

 一番最初に入ったのは、イライザと喜多ちゃんのペア。喜多ちゃんがイライザの手綱を握れるのか。不安を残して突入していった。

 

「そろそろあたしたちも行こっか」

 

「来年の文化祭に活かせるか、じっくり吟味していくかー」

 

「ここは純粋に楽しもうよ。相手もやりにくくなっちゃうよ」

 

「それは一理ある」

 

 百理かもしれない。

 教室で行われるおばけ屋敷って不思議だよな。教室の大きさは決まっていて、どういうルート設定を行っても距離はたかが知れている。「文化祭の時だけ壁をぶち抜いて他のクラスと合同です!」なんてことはできない。

 それなのに、それなりの長さがあると感じてしまう。いつもの教室より広いと錯覚する。こういうのが、心理的うんたらかんたらなのだろうか。

 

「心理学とか学んでみたいな~」

 

「専攻したいって程じゃないけど、あたしも興味あるな~」

 

「大学に行けば勉強できるんじゃないか? 他の学部の授業にも混ざれるんだろ?」

 

「単位が取れるかは別みたいだけどね。それに心理学の授業が行きたい大学にあるかもわからないし」

 

「それもそうか」

 

 ところで、入ってそうそう伊地知に手首を握られてることは、指摘したほうがいいのだろうか。怖いのが苦手らしいし、これくらいなら流すべきか。伊地知の握る力が強いから、外に出た頃には痕がくっきり残りそうだ。

 

「うまいこと薄暗くしてるよね。近くまで行かないと見えないし」

 

「怖いなら怖いって言えばいいのに。冷静ぶっちゃって」

 

「なんの話か、なーァァっ!?」

 

 おばけ役に驚かされた伊地知の声のほうが驚くんですけど。そうは言ってもこればっかりはどうしょうもないよな。会話も怖さを誤魔化すためだったか。

 

「さ、次に行ってさっさと出ような」

 

「先に行かないでよ」

 

「一緒に行くって。前歩くから、ついてこいよ」

 

「やだ。横がいい」

 

 手首どころか腕まで拘束された。そんなに怖いならやっぱ後ろにいるほうがましだと思うんだけどな。伊地知が横と言うのなら横だ。

 歩くペースもそんなに遅いわけじゃない。そりゃあ、いつもよりは歩幅も小さくてペースも落ちてる。それでも後ろに追いつかれるほど遅いわけじゃない。

 山田のことだし、追いつかないようにペースを調整してるんだろうな。伊地知の反応を楽しんでそう。

 

「……いつも、あたしに合わせてくれてるよね」

 

「何が?」

 

「歩く速さ」

 

「そうだっけ? 意識したことないな。放課後にスターリーに行く時は基本いつも一緒だから、それで合うようになったんだろ」

 

「ううん。最近じゃないよ。初めて一緒にスターリーに行った時から、ずっとだよ」

 

「最初から? それじゃあ、おれは気を使える男ってことだな!」

 

「そうだね。前から、人に合わせられてたね」

 

「優男目指してますから」

 

 これで誰からも告白されたことないのは、世界からの呪いに思えてきたな。もしかして今のトレンドが変わってるのか? 優男はもう時代遅れだと言うのか!?

 

「ね。あたし待たせちゃってるけどさ」

 

 待たせ……イライザと喜多ちゃんを? 後ろの山田たちもかな? 伊地知なら山田のことを見抜いててもおかしくない。

 

「もう少し、待ってもらっててもいいかな」

 

 それおれに聞いても答えられないことでは? あるいは全然違う話か?

 

「す、好きって言われたのは嬉しかったよ」

 

 あ、花火大会のあれか。危ない危ない。勘違いしてたのがバレてたら、伊地知に怒られたぞ。

 返事をもらうような話でもない気が……いや、それを決めるのはおれじゃない。伊地知が決めることだ。返事の有無も受け手次第。伊地知がしたいと言うのなら、おれはそれを待ち続けるとしよう。

 

「伊地知が待てって言うなら、いくらでも待つよ。国内にいる間だと嬉しいかな」

 

「そこまではかからないよ。でもありがとう」

 

「どういたしまして?」

 

「なんで疑問形なんだか。……ちゃんと、あたしの言葉にして伝えるね」

 

 こういう話を2人でいるタイミングにするのはわかるけど、

 

「きゃああ!!」

 

 おばけ屋敷を進んでる真っ最中なの忘れてるよな。

 

 ここを完走したあとに、後藤ちゃんのクラスに行ったところまでは覚えてる。みんなのメイド姿が可愛さ満点だったのと、オムライスはなぜか鉄の味がした。

 

 



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伊地知虹夏と幼馴染とヒーロー

 

 今日はぼっちちゃんの家に来てる。ギターヒーローとしての動画撮影を見学させてもらうのが目的。ぼっちちゃんは、文化祭ライブでギターが壊れちゃって、この前新しいギターを買ってる。そのお披露目も兼ねての動画撮影。

 

「ハプニング有りだったけど、文化祭ライブ盛り上がってよかったね」

 

「あっはい。み、みんなへの声援が凄かったですね。私には全然……」

 

「そ、そんなことなかったと思うよ! 土壇場でボトルネック奏法して注目浴びてたし、その後のダイブでもさ」

 

「パ、パッシー先輩しか受け止めてくれなかったですけど」

 

「いなかったら床に激突してたよね」

 

「あっ、あれってどうやったんでしょう? わ、私ダイブしたのに、先輩に受け止められた時には上を向いてて」

 

「本人に聞くしかないんじゃない? あたしも見てたけど分からなかったし」

 

「……はっ、恥ずかしい、です」

 

 かわいい。持って帰りたい。……じゃなかった。

 ぼっちちゃんがお姫様抱っこで受け止められて、それはそれで大盛り上がりしてたなー。ぼっちちゃんは顔を真っ赤にして溶けてたけど、その後の最後の一曲はちゃんと弾けててバンドマンって感じだった。

 

「お姫様抱っこされてどうだった?」

 

「えっ、あっあんまり覚えてないです」

 

 ありゃま。

 

「で、でも……いえやっぱり何でもないです」

 

 あぁ、羨ましい。

 いいなぁぼっちちゃん。あたしでもお姫様抱っこされたことないのに。あたしがしてもらうはずだったのに。大きくなったら、してくれるって言ってたのになぁ。

 本人が覚えてないんだから、こういう口約束も無かったことになってる。いっぱい口約束して、いっぱい将来のことを話してたのに。

 

「に、虹夏ちゃん?」

 

「え? ああごめんごめん。動画撮影するんだよね。何か手伝えることある?」

 

 ぼっちちゃんはギターヒーローさん。その事を知ってるのは、結束バンドだとあたしだけ。リョウと喜多ちゃんには、いずれぼっちちゃんから話すことになってる。それはぼっちちゃんのソロの技術力の高さと、グループでの演奏力が釣り合ってないから。

 あたしが手伝えることは、機材の設置の手伝いくらいで、あとは見守るだけ。編集とかもぼっちちゃんが自分でできるからね。

 改めて見るとやっぱり上手い。ぼっちちゃんのギターの腕は、本領発揮したらバンド内で飛び抜けてる。今は合わせに慣れてないから目立ってないだけ。ぼっちちゃんが慣れるのが先か。あたしたちが追いつくのが先か。

 結束バンドを最高のバンドにすると言ってくれたぼっちちゃんを、本当にぼっちにしないためにも、あたしももっと頑張らなきゃ。

 

(今日の虹夏ちゃん情緒が不安定だな)

 

 ぼっちちゃんの動画って、サムネもタイトルもシンプル。概要欄の虚言は凄いことになってるけど、登録者が増えてるのは動画の内容が要因。実力でファンを獲得できてる。

 

「あっ、初コメ来た」

 

「早っ!?」

 

 さすが、ギターヒーローともなるとガチファンがいるんだね。というかこの名前……。

 

「こ、この人いつもすぐに見てくれて、コメントもすぐにしてくれるんです。が、頑張ったところとか、欲しい反応してくれて」

 

 だろうね。普段あんな感じで毎日を花火みたいに生きてる人間だけど、ちゃんと細かいところまで見てるからね。というか、ぼっちちゃんがギターヒーローだってこと知ってるのかな。気づいてても驚かないけどさ。

 

「ねぇぼっちちゃん。ぼっちちゃんはさ、バンドが売れるようになって、収入も安定するようになったら、バイト辞める?」

 

「えっ……あっ……」

 

 ぼっちちゃんの性格なら、接客業はすぐに辞めたいか。でも言い出せないんだよね。あたしの夢も知ってるから、直接あたしに言うのも気が引ける。

 ……ずるいことしちゃったな。

 

「まぁ辞めたとしても、スターリーには遊びに来てよ。あたしの願望だけど、売れるようになっても、練習場所はスターリーがいいかなー」

 

「あっ、はい。……パッシー先輩は……」

 

「あ、もしかして話聞いた?」

 

「き、聞きました。喜多さんと一緒に」

 

「ふんふん。じゃあ全員知ってるんだね」

 

 そっか。いつも頼ってる先輩がいなくなるなら、収入も得られるようになるとぼっちちゃんが辞める可能性も高くなるか。

 本人は分かってないんだろうなー。周りに与える影響も、どれだけ慕われているのかも。

 

「ぼっちちゃんはさ、残っていてほしい?」

 

「えっ、パッシー先輩にですか?」

 

「うん。あたしはなんだか分からなくなっちゃって。考えちゃうともうぐっちゃぐちゃ。だから他の人にも聞いてみたいなって思って」

 

 お姉ちゃんは最初から知ってたし、止める気もない。自分のやりたいようにやってて、お母さんが亡くなっちゃってからはスターリーを作ってくれた。そんなお姉ちゃんだから、人の進路に口出ししないんだろうね。

 リョウも何も言わない。本人の意思を尊重するとか言って、それ以上は話を広げない。

 喜多ちゃんは、どうなんだろう。今度聞いてみようかな。他のことも兼ねて。

 

「わ、私もあんまりわかんないんです」

 

 足を撫でてる。そういえば始業式で怪我してたんだったね。捻挫ですんでよかったよ。もう治ってるみたいだし。

 

「パ、パッシー先輩には、いつも助けてもらってて。バイト頑張れてるのも、いてくれるからで。あっ、も、もちろん虹夏ちゃんたちもですよ!」

 

「あはは、ホントかなー?」

 

「ほ、本当です! に、虹夏ちゃんがいなかったら、私、今も1人でギター弾いてました。虹夏ちゃんは私のヒ、ヒーローなんです」

 

「へっ?」

 

 そ、そうやって断言されるの恥ずかしいなぁ。あたしだってあの時困ってて、助けてくれたのがぼっちちゃんだったのに。

 

「は、話を戻そうよぼっちちゃん」

 

「あっ、そうでした。せ、先輩がいなくなるのは……寂しいです。胸がきゅってなります。で、でも先輩の進路だから、見送らなきゃとも思ってて」

 

「そっか。それでどっちとは決められないんだ」

 

「は、はい」

 

 ぼっちちゃんもそういう感じか~。あたしのとはちょっと違うけど、似たりよったりだね。

 

「に、虹夏ちゃんは?」

 

「あたし? ……ぼっちちゃんはどこまで知ってるの? スターリーを辞めるって話くらい?」

 

「あっ、き、記憶喪失のことも知ってます」

 

「そうなんだ。そこまで話してたんだ」

 

「あっ喜多さんは、知らないと思います。べ、別の日に聞いたので」

 

「なるほどね」

 

 ぼっちちゃんには話してるんだ。……そっか。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あたし達はね、幼馴染なんだ。小学校が一緒だったの」

 

「……!」

 

 リョウと知り合う前のあたしの親友。大切な友だちを超えた大切な人。まだ17歳なのに、この先もう二度とこんなに人を好きにならないと確信してるくらい、あたしは焦がれる恋をした。

 

「記憶喪失になった事故で1回転校してて、再会したのは高校に入学した時。……記憶喪失だって知ったのも高校生になってからだよ」

 

 再会したと思っているのはあたしだけ。向こうにとっては初めまして。

 あの時、うまく笑えてたかな。作り笑いだったこと、気づかれてたのかな。どっちでもいいか。

 

「あたしね、好きだったんだ。本気で好きで、本気で結婚したいって思ってて、約束までしてたくらいだよ」

 

 いやー、あの時のあたしは勢いが凄かったなぁ。今のあたしにはあそこまでグイグイ行くのはできない。

 

「その時の記憶を全部で失われてて、どうしようかなって感じ」

 

「ど、どう?」

 

「……当たり前だけど、記憶がなくても本人は本人なんだよ。癖は変わらないし、相変わらずだなって思うところもあるし」

 

 100%同一人物。そんなのあたしが間違えるわけない。

 それなのに、あたしがそれを素直に受け止めきれてない。不幸な出来事で、あたし達の関係をリセットされた。この気持ちは胸にあるのに、0に戻された。スタート地点に戻された。

 その証拠にあたしは「伊地知」って呼ばれてる。昔は「虹夏」って名前で呼んでくれてた。呼ばれる度にチクって刺さるんだ。現実っていう針が。

 

「側にいて欲しいし、思い出してほしい。けどそれって今を認めてないことになって、同じなのに別人と捉えてることになる。いなくなったら、諦めもつくかなって考えたりしちゃう。あたしって……ずるいよね」

 

「そ、それは違う! と、思います」

 

「ぼっちちゃん……?」

 

「わ、私は虹夏ちゃんみたいに、誰かを好きになったことはないけど。でも、そ、それが大事なのは分かります。う、うまく言えなくてごめんなさい」

 

「ぼっちちゃん……」

 

「あっ、虹夏ちゃんがパッシー先輩のことをす、好きなのも伝わってきます」

 

「……ぇ」

 

「だ、だって。そうじゃなかったら悩まないと思って……。か、勘違いですよね。あ、あははー。分かった気になって調子乗りました。ごめんなさい。私なんて恋愛も知らない幼稚園生以下の生物なんです」

 

「ぼっちちゃん戻ってきてー! そんな悲観しないで! ぼっちちゃんにも好きな人できるよ! 初めは気になってる人、とかからだって言うし」

 

 ぼっちちゃんの青春コンプレックスを刺激しちゃったぁ! 冷静に考えてみたら大打撃を与える話題でしかないのに! 

 あたしのばかーー!!

 

 でも、いつかぼっちちゃんのことを理解して支えてくれる男の人が、現れたら嬉しいかな。

 

 



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山田リョウの存在の大きさたるや世界のYAMADA

 

 山田リョウとの関係は良好と言って差し支えない。気兼ねなく冗談を言い合う、雑談を交わせるような距離感。お互いに線引きをするからこそ保たれる関係は、常に「仲いい友だち(悪友)」になっている。

 そんな山田と知り合ったのも高校生になってから。中学は一緒じゃなかったし、伊地知と同じでクラスメイトだったから知り合った。

 高校って他クラスとの交流が基本的にない。あっても体育とか合同でやる授業だけで、男女は別れるから他クラスの女子なんて接点が作りづらい。

 山田と仲良くなったのは……話すようになったのは、スターリーでのバイトが始まってからだ。伊地知を介しておれたちは知り合った。

 第一印象は「不思議な奴」だったけど、知ってしまえば「バカ」に変わる。異性で気が合う友達というのは、たぶん希少だと思ってる。だからそういう意味でも、山田と知り合えたのは良かった。

 

「照れる」

 

「表情変えずに言われてもな」

 

 山田と知り合えてよかったと思えるのは、それだけが理由じゃない。結束バンドはまだしも、おれとは必ず一定距離を保つ山田だからこそ、話せることがあるからだ。

 もちろんそういう相手は男友達にもいる。クラスメイトは伊地知と山田がバンドを組んでいることを知ってるし、おれがスターリーでバイトしていることも何人かは知っている。当たり障りない範囲で話をすることも珍しくない。

 それでも山田はある種特別だ。唯一無二のポジションにいる。女子視点の意見をくれる貴重な存在でもある。

 

「真面目な話になりそうだね」

 

「たまにはな」

 

「私に店選びを任せたのは正解。ここは虹夏たちも来たことがない喫茶店。…………ぼっちは来たことある」

 

「後藤ちゃんが用もなく来ることはないだろ」

 

 喫茶店巡りが好きだなんて聞いたこともない。1人になれて落ち着ける場所を好むタイプだし。そういう意味では山田と重なっていて、この喫茶店を好きになっていてもおかしくはないけども、後藤ちゃんは来ないはず。

 来店したからには注文もする。ケーキセットという文字が見えてしまってはそれを選ばない道理はない。自家製チーズケーキと紅茶のコンビネーション。聞くだけでも楽しみだ。

 

「パッシーの真面目な話ともなれば、ある程度予想はつく」

 

「その予想を聞く前に確認させてほしい。お前が伊地知の親友として、どこまで知ってる?」

 

「抽象過ぎ。……全部とは言えないけど、だいたいは知ってると思う。虹夏から()()()()()()()()

 

 怖いくらいに、欲しい情報を的確に出してくるな。

 けど、それならおれも踏み込んで聞ける。

 

「おれと伊地知って高校以前に……小学生の頃に知り合ってたのか? おれ実は」

 

「パッシーが記憶喪失なのも知ってる」

 

「っ! ……そうなのか」

 

「うん。虹夏から聞いた」

 

 それはつまり、おれの質問への回答だ。

 おれは伊地知と知り合っていた。記憶を失う前に。俗に言う幼馴染だったってことか。

 そうなると合点のいく場面がいろいろとある。伊地知の「前から仲良かった」発言も、感覚的な話じゃなくてそのままの意味。初めて一緒に並んで歩いても歩幅が自然にあったのは、体が伊地知を覚えていて自然に合わせられたから。おれの癖とか見抜けていたのも、おれのことを知っていたから。

 伊地知からのサインは出ていた。おれがそれを受け取らなかっただけ。……考えてもみれば、きっと昔のおれと伊地知は相当仲が良かったんだなって推測できる。

 

「……はぁぁ。前のおれは、きっと伊地知のことが好きだったんだな」

 

「へー。そうなんだ」

 

「山田は伊地知からどういうふうに聞いてたんだよ」

 

「大雑把にだけ。虹夏が持ってる写真がベース」

 

「写真?」

 

「そう。昔の2人の写真」

 

 なるほどな。だから喜多ちゃんとツーショットする時に、頭痛を起こしていたわけか。前のおれにとって意味のある行為……大切なことだったんだな。

 それはそれとして、頭痛を起こしてまで訴えかけないでほしい。喜多ちゃんに勘付かれて誤解されたら目も当てられない。最低な男に成り下がっちゃう。

 

「事前確認はこのくらいかな。本題に入ろう」

 

「そうだな」

 

 チーズケーキめっちゃうめぇぇ。ケーキ屋に負けてないぞ。レシピも手作りとか最強じゃん。マスターかっこよ。

 

「虹夏のことで悩んでるんでしょ?」

 

「エスパーかよ」

 

「結束バンドだと虹夏だけが昔からの知り合い。そうやってパッシーを見てたら、細かいとこに気づける」

 

「他人に興味がないと思ってたけど、案外見てるのな」

 

「虹夏が気にしてなかったら注視してない。クラスメイト兼バイト仲間ってだけ」

 

 伊地知が親友だからか。本当に仲がいい。良い友人関係だよ、ほんと。

 

「伊地知だけは、初対面なのに初対面って感じがしなかった。親でさえ誰だこの人ってなったのにさ」

 

 感覚ではそうだったけど、一切覚えていないのも事実。記憶喪失以前の友達は数人いて、そいつらは「記憶がない? それはそれ。これはこれ。今日から友達。Understand?」なんていうパワフルスタイルだった。

 伊地知のせいにするつもりは一切ないけど、伊地知は初対面として接してきてた。だからおれも、そうなんだと思い込んでた。

 

「まぁ、昔のおれの知り合いだと名乗られても怖いんだけどな」

 

「有名になった途端いきなり連絡してくるクラスメイトとか、親戚を名乗る知らない人みたいに?」

 

「たぶんそんな感じ」

 

「それで、パッシーは虹夏のことをどう悩んでるの?」

 

「記憶が戻らないから、昔は昔、今は今って切り離して考えるようにしてる。それなのに伊地知だけは、昔が首を突っ込んでくる。……今のおれの、伊地知に対する感覚がわからないんだよ」

 

 昔の感覚に引きずられてのものなのか。

 

「私にパッシーの気持ちも苦しみも共感することはできない」

 

「うん」

 

「それでも言えることがあるとしたら、好きに理由はいらない」

 

 恋愛相談のつもりじゃなかったんだけど……そこはいいか。

 

「好きか嫌いかで言うと、虹夏のこと好きでしょ?」

 

「そりゃもちろん」

 

「なら、それでいいと思う。私は好きな理由とかなくていいと思ってる。だって理由をつけたら、それが逃げ道になるから」

 

「具体的にすることが?」

 

「私の意見ってだけ。……好きな理由をどんどん作ったら、そうじゃないところは好きじゃないって話になる。相手の全部を好きになるのは当然無理。でも、明確に分けちゃうとそれを理由に離れやすくなる」

 

「言いたいことは分かる。……好きなことだと饒舌になる山田の口から、そういう話が出るのは意外だな」

 

「私は好きなことの良さを語ってるだけ。賛否あるのは認めてる。好きなものは好き、シンプルイズベスト」

 

「好きなものは好きか。そりゃそうだ」

 

 切り離そうとして、きっぱりと分けられるものじゃないのは理解してる。同じ体で同じ魂。ただ記憶がないだけ。周りからしたら同一人物。

 それでもおれにとっては、記憶喪失前の自分は他人だ。知らない誰かだ。話をされても写真を見ても、実感が湧いてこないんだから。

 自分の感覚に自信が持てない。それなら、自分で断言できるようになればいい。ハッキリさせたらいい。おれが伊地知のことを、本当の意味でどう思っているのかを。

 

「ありがとう。おかげで整理できた」

 

「どういたしまして。私としても、バンドに支障が出てきたら困るから」

 

「おれの問題では?」

 

「……先は長いね」

 

「さすがに時間はかけるぞ。結束バンドも未確認ライオットに向けて活動するんだし、邪魔したくないからな」

 

「パッシーって、気付けるのにこういうのは鈍感」

 

 男友達にもなんかそれ言われたな。

 

「それはそうと、山田には伊地知と直接話せって言われることも想定してたんだけど」

 

「本来ならそうするべき。これに関しては虹夏が話さないし、それでパッシーも詰まってたから話に乗っただけ」

 

「山田って良い奴だよな」

 

「そんな私への報酬はあって然るべき」

 

「うん?」

 

「ここのお会計と帰りの電車賃出して」

 

「山田っていい性格してるよな!」

 

「ありがとう」

 

「今回は褒めてない!」

 

 



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喜多郁代の挑戦状

 

 私は今の生活に充足感を抱いてる。勉強はそれなりにできて、運動だって苦手じゃない。友達もたくさんいて、憧れてる好きな先輩と同じバンドを組めてる。同い年にも最高にかっこいいギタリストのひとりちゃんがいる。優しくて、私たちを引っ張ってくれるリーダーもいる。

 何よりも、生まれて初めて心惹かれる男の先輩に出会えた。

 こんなにきらきらしてる生活を、私自身が送れてるなんて過去の私はきっと信じない。

 だって私は、何か特筆できるようなものを持っていないんだから。

 

「あたしと喜多ちゃんの2人で出かけるのって、あんましたことないよね」

 

「そうですね。休憩中にコンビニに出かけるとか、それくらいですね」

 

「いやー、こういうのも先輩のあたしから誘うべきなんだろうけど、遠慮しちゃってたよ」

 

「伊地知先輩の優しさがあってこそですね」

 

 私がいつも学校の友達と遊んでるから、考えたことはあってもなかなか誘いづらかったんだと思う。パッシー先輩も、伊地知先輩のことを「遠慮しがち」って言ってた。

 

「予定を合わせればこれから増やせますよ」

 

「予約制なのが喜多ちゃんらしいね。いつもイソスタ映えするとこに行ってるの?」

 

「そういう場所が多いですけど、友達が行きたがってるところに着いていったり、テレビで紹介されてたお店に行ったりもしますよ」

 

「へ~、メディア抜きで行く場所ってないの? バエとかも狙わない場所」

 

「パッシー先輩と出かける時に行ってます」

 

「へ、へ~。たしかに2人がバイト来ない日あるけど、2人で出かけてたんだ」

 

「たまたま休みが重なってる時だってありますよ。あの人は交友関係私より広いですから」

 

「たしかに。この前散歩中の保育園の子どもたちに囲まれてたし……謎だよね」

 

「それは初耳です」

 

 保育園の子どもに知り合いがいる、とかならまだしも……先輩の口ぶりからしてその保育園の子どもたちに認知されてたってことになる。いつそんなところに繋がりを増やしてるんだろう。

 この前ライターさんが来た時も、結構スムーズに警察官を呼んでた。接点がわからない。

 

「私もっとしっかりしなきゃ」

 

「どうしたの急に?」

 

「いえ、ライターさんが来た時にパッシー先輩に助けられたなーって」

 

「話をしながらしれっと店の外に誘導してたっけ。あの時は頼りきってたけど、自分たちで対応できるようになった方がいいのはそうだね。いつまでも頼れるわけじゃないし」

 

「ですね」

 

 パッシー先輩は卒業したらいなくなる。それまであと1年半だけ。いつもなら長く感じるその期間が、今はとても短く感じる。

 世界が変わるっていうのは、こういう感じなのかな。価値観が変わるというか、物の見方が変わるというか。

 

「伊地知先輩って、パッシー先輩のこと好きですよね」

 

「ふぇっ!? ぇ、なん……えっ!?」

 

「見てたら分かりますよ~。何かあると必ずパッシー先輩の方を見ますし」

 

「そうなの!?」

 

 自覚なかったんだ……。

 パッシー先輩はいろんな持ち場をできちゃうから、バイト中に持ち場が変わることも珍しくない。ひとりちゃんとドリンク担当の時だけは変わらないけど、基本的にはいろいろとこなしてる。

 伊地知先輩はそういう時、必ずパッシー先輩を見てる。目で追ってる。私も追うようになったから、伊地知先輩のことにも気づけた。

 

「他にもリハの時とか、一曲終わるとすぐにそっち見てますし」

 

「あたしの前にいるのによく気づけるね!?」

 

「否定しないんですね」

 

「あっ! ~~~!」

 

「店長とかPAさんにバレバレですよ」

 

 私も2人からの証言があってこう言えてるだけ。

 

「伊地知先輩は、パッシー先輩のことを好きってことで合ってますか?」

 

「え、あーー。……ちょっとそれが悩んでて」

 

「悩む……? ハッ! まさかロックバンドは恋愛禁止ってことですか!? もしくはメジャーデビューするまでは認めない的な誓約を!?」

 

「そんなことはしてないよ!? ただ……あたしの気持ちが誰に向けてなのか分からなくて」

 

 パッシー先輩では? 喜多郁代脳内総会を行っても、満場一致でパッシー先輩ですよ。

 

「……たぶん本人は喜多ちゃんに話してないと思うし、だからあたしが話したってことも黙っててほしいんだけど」

 

「何かパッシー先輩の秘密ですか?」

 

「そんな感じだね。……っ、記憶喪失なんだよ」

 

「は?」

 

 え……誰が? ううん、それはパッシー先輩だ。話の流れからしてそうだ。

 記憶喪失? いつから? そんな話私知らない……聞いてない……。ひとりちゃんは知ってるのかな。

 

「小学生の頃だから、喜多ちゃんのことを忘れられてるとかはないよ。そこは安心して」

 

 そう言われてほっとしてる自分がいた。そんな自分を、私は嫌悪した。

 だって重要なのはタイミングじゃない。パッシー先輩本人にとって、それがあったという事実が重たいはず。物忘れとは比べ物にならない。苦悩だってあった……ううん、あるはず。

 

「元々は私と同じ小学校で、事故の後引っ越してどこかのタイミングでまた帰ってきたみたい。だから一応私たちは幼馴染ってことになるんだ」

 

 軽く言ってるけど、「一応」という言葉は辛く感じるものがあった。

 

「その時の好きだった気持ちを引きずってるのか、それとも今に惚れてるのか。そこをハッキリとできないから悩んでる」

 

 伊地知先輩が抱えているものは、私が思っていた以上のものだった。私が抱いてる感情よりも大きなものに思えた。伊地知先輩に比べたら、私は軽いのかもしれない。

 でも、だからって遠慮する理由にはならない。私は自分の気持ちに正直でいたい。負けたくない。

 そして()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「伊地知先輩知ってました? パッシー先輩っていっぱい告白してましたけど、一度も誰にも好きとは言ってないんですよ」

 

「え、そうなの? 告白されたことないから知らなかった……。じゃあなんて言われるわけ?」

 

「パッシー先輩が魅力を感じる箇所を言って、付き合ってくださいって言うことが多いですね」

 

「さすが、2桁回数告白されてる喜多ちゃんが言うと違うね」

 

「あはは。ですから私、パッシー先輩に惚れられてから告白したいんです」

 

「なるほどね~。…………へ? 喜多ちゃん今なんて?」

 

「私はパッシー先輩のことが好きです。まだふわふわとした気持ちですけど、私は本気なんです」

 

 ふとした時に目で追ってしまう。話してる時も、ロインでやり取りしてる時も嬉しくなる。他の人と話してると、妬いちゃうことだってある。

 もっと私のことを見てほしいし、ライブだって私の歌声をもっと聴いてほしい。綺麗だって言ってくれた私の歌を。

 パッシー先輩の何が好きとかは、正直まだわかってない。恋愛漫画を読んでて、似てるなって思って、そうなのかなって思った。それぐらいにふわふわだけど、一度そう思ったら断定できちゃう。

 好きなの。

 

「伊地知先輩にはちゃんと伝えておきたくて」

 

「喜多ちゃん……」

 

「正々堂々と勝負したいんです。恨みっこ無しで」

 

「ま、まぁ同じバンドだしね……」

 

「はい」

 

 もし違うバンドだったら、こうやって宣言することはなかったと思う。けれど同じバンドで、私にとっても大切なバンドだから。壊したくなんてないから。

 たとえ私が負けたとしても、バンドを続けられるように。解散なんかにならないように。

 わかってる。

 スタートラインは一緒じゃない。条件は何1つ揃わない。決して対等なんかじゃない。私の勝ち目は高くない。

 それでも諦められない。諦めたくない。

 だって初めて男の子を好きになったんだもん。先輩のことを考える時間が増えたんだもん。一緒にいて、たくさん笑い合いたい。

 

「パッシー先輩は、押して駄目なら引いてみろ作戦中なので、誰にも告白してない状態です」

 

 だから勝負しやすい。後ろ髪を引かれるようなことはない。

 

「私の一方的な自己満足なので、乗らなくてもいいですよ。私はただ伊地知先輩に宣言しときたかっただけですから」

 

「……あたしは……」

 

 私は負けない。負けたくない。

 今なら理由も見当がつくけど……。伊地知先輩はパッシー先輩のことを、名前でもあだ名でも呼ばないんだから。

 

 



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後輩の成長を見守るのが生き甲斐

 

 結束バンドが目標に立てた未確認ライオット。それは10代のアーティストを対象にしたロックフェスで、新人発掘のイベントでもある。そこに出場したバンドがメジャーデビューすることもあるとか。主に優勝したバンドがそうなるんだろうな。

 そのフェスに出るにはデモでの審査、ネット投票、審査員の前でのライブがあるんだとか。長い予選を経て出場できるわけだ。練習にも熱が入るわけだよ。

 

「あっ、先輩」

 

「お疲れ様後藤ちゃん。今日もドリンク頑張ってたね」

 

 今日は後藤ちゃんと伊地知の2人でドリンク対応。伊地知のように接客するのは当分まだできなさそうだけど、初めに比べたら随分と接客できるようになってる。カウンターの裏に隠れる時間も減ってきてるし、手際もよくなってる。

 

「え、えへへ~。きょ、今日は3人、目を見ながらできたんです」

 

「へ~! 成長したね後藤ちゃん! なかなか超えられなかった壁をとうとう突破したじゃん!」

 

「で、ですかね。あっ、サイン会でも神対応で有名になります」

 

「神対応か~。線引きはちゃんとしときなよ? 度が過ぎる要求をするファンも出てくるかもしれないし」

 

「あっ……はい」

 

「後藤ちゃんが有名人になると、先輩としても嬉しいな。今のうちにサイン貰っとこうかな」

 

 頑張った後藤ちゃんの笑顔を見てるとこっちも元気になるね。髪留めで纏められてる部分の髪もひょこひょこ動いてる。この髪って伊地知みたいなアホ毛ではないよな。横に飛び出てるけど……飛び毛?

 

「成長と言えば、後藤ちゃんおれと話す時も顔を逸らさなくなったね」

 

「あっ、そ、その節は失礼なことを……」

 

「いやいや。誰だって苦手なことあるんだし、嫌われてるわけじゃないって伝わってたから」

 

 苦手に思われてた可能性は残ってるけど。今はこうして話せてるのだからそんなことは取るに足らぬ小事。

 顔を逸らさなくなっただけで、今でも目は泳いでるからね後藤ちゃん。目が合うとシャトル並みの速さで目を飛ばしてるし。ちょくちょく人間以外の生命体になるの面白い。

 

「せ、先輩のことは全然嫌いじゃなくて。に、苦手ってわけでもないんです。今は」

 

 やっぱり?

 

「あっ、年上の男の子と話すことが全然なかっただけで。だ、だから苦手っていうのはそういうことで」

 

「あはは、それならよかった」

 

「ほ、ほんとですよ?」

 

「うん。わかってるよ後藤ちゃん」

 

 ほっと安心してる後藤ちゃんの小動物感たるや。刺さる人には刺さるんだろうなー。店長とかがそうだし。

 後藤ちゃんの演奏で惹かれてるのは、後藤ちゃんファンの1号さんと2号さん。廣井さんはお気に入りって感じだな。あれで見る目があるんだから、酔っぱらいも侮れない。

 

「あっ、先輩」

 

「うん?」

 

「い、今は先輩と話すの楽しいです」

 

「嬉しいね」

 

「あ、あと、……その……安心するんです」

 

「もっと嬉しいね」

 

「い、いつも見守ってくれてて」

 

 店長はおれ以上に後藤ちゃんのこと見てるのにな。後藤ちゃんに正しくそれが伝わるのはいつになるのやら。

 

「だ、だから」

 

 後藤ちゃんに袖を小さく摘まれた。それはいつかの勉強会の時のように。

 

「い、いなくならないでください」

 

「後藤ちゃん……」

 

 まさか後藤ちゃんにこういうことを言われる日が来るとは。それだけ打ち解けられていたという事実は喜ばしい限りだ。おれが思っていた以上に、後藤ちゃんと仲良くなれていたらしい。 

 後藤ちゃんはコミュニケーションが苦手な子だ。人と話すだけでも勇気が必要な程に。ご家族とか、一部の人間相手にはそのハードルが下がるにしても、おれ相手だとまだハードルが存在する。今だって後藤ちゃんの手は震えている。

 その気持ちを汲みたくもなる。応じたい気持ちも湧いてくる。

 

「ごめん」

 

「……ッ!」

 

 けどこれは譲れないんだ。

 

「後藤ちゃんの気持ちは嬉しい。結束バンドがメジャーデビューしていく姿を一番近くで見たい気持ちもある。でも、このチャンスを逃すわけにはいかないんだ」

 

「あっ、ごめんなさい……。せ、先輩の人生の選択なのに、我儘を言ってしまって」

 

「謝らないで。そう思ってくれる人がいることが、本当に嬉しいんだから。むしろおれの方が謝る立場かな」

 

「そ、そんなことないです」

 

「ううん。変わらないことに憧れすら抱いてるのに、おれ自身が国を出ていくんだから。支離滅裂だよね」

 

「い、いえ。……先輩の中では、きっと筋が通ってるんだと思います」

 

 どこまでも優しい子だな。他のバンドメンバーにしてもそう。優しくて、人を大切にしていて。だから応援したくなる。

 

「パッシー先輩、ひとりちゃんもお疲れ様です」

 

「お疲れ様喜多ちゃん」

 

「あっお疲れ様です」

 

 最近喜多ちゃんと話すことが増えた気がするな。反対に伊地知とは若干距離を感じる。またおれ何かやっちゃったのかもしれない。今度時間を作って伊地知と話さないと。

 

「何の話してたんですか?」

 

「え、えっと……」

 

「後藤ちゃんが成長したなって話。ついに3人のお客さんと目を合わせて接客できたんだって」

 

「そうだったんですね! すごいわひとりちゃん!」

 

「そ、それほどでも……あります。へ、へへへ」

 

「次はワンステップ飛ばして5人に挑戦ね!」

 

「ごっ!?」

 

「それはまだ厳しいみたいだから、いずれね」

 

「み、みたいですね。先輩、接着剤どこでしたっけ?」

 

「時々鬼畜だよね」

 

 すぐさまくっつけなくても、時間をおいて待っておけば後藤ちゃんも元通りになるんだけどなー。

 

「ところで喜多ちゃん、何かあった?」

 

「へ?」

 

「気のせいだったらそれでいいんだけどさ。何か悩みがあるみたいだから」

 

「あはは……、先輩にはお見通しでしたか」

 

「喜多ちゃんっていつも楽しそうに笑ってるからさ。ギャップで気づきやすかっただけだよ」

 

「先輩いつも私のこと見てくれてるんですね」

 

「え……まぁ、そりゃあ大切な後輩だし。結束バンドファンでもあるし」

 

 ストーカーみたいにガン見してるわけじゃなくて、だから犯罪臭するような行為はしてないんですよ。本当に。信じてください。

 

大切な後輩、かぁ

 

「喜多ちゃん?」

 

「いえ。こっちも頑張らないとなーって」

 

 こっちもとは。

 

「……悩みというか、気になってることがあるんです」

 

「行きつけのカフェの新メニュー?」

 

「そっちじゃなくて。え、新メニュー出るんですか? SNSに載ってなかったですよ?」

 

「うん。カフェのマスターがそう言ってた」

 

 メニューが出たら行くとしますか。喜多ちゃんとよく行ってるあのカフェ。段々マスターの目が温かくなってるんだよね。常連だからかな。

 

「も~、すぐ脱線しちゃうじゃないですか」

 

「ごめんなさい」

 

「この前ライブ映像を見たんですよ。店長が撮っていたのを元に」

 

 店長の後藤ちゃん盗撮のあれか。もう職権乱用というか犯罪に片足突っ込んでるのでは。

 

「それで、私の声が楽器に消されてるなって気づいて」

 

「ふむふむ」

 

「先輩、私の歌声を綺麗だって言ってくれてましたけど、どれぐらい聴こえてました?」

 

 これは……変に取り繕う方が駄目なパターンだな。正直に話したほうがいいやつだ。それに結束バンドのライブ中って、おれがドリンク担当になるからわりと離れてる。本当に聞こえていたのかと疑問に思われるのも無理ないな。

 

「曲調によって聞こえる箇所と聞こえない箇所はあったよ。サビとか熱の入りやすいとこはバッチリ。逆に落ち着くとこはあんまり」

 

「っ! そう……ですか」

 

「今まで黙ってたのは、おれがそういうことを言う立場じゃないから。結束バンドのマネージャーでもないし、アーティスト活動してるわけでもないし」

 

「私も今まで聞いてなかったですもんね。先輩はどうすれば改善できると思いますか? いっぱい練習したら変わりますか?」

 

「練習は大事だろうけど、闇雲にしても効果は薄いんじゃないかな。これはどういう分野でも当て嵌まることだと思う」

 

 勉強にしてもスポーツにしても、目的をはっきりとさせてそれに合った練習やら対策をするのがいい。なんて言ってもおれはアーティストじゃない。ボーカルのことはさっぱりわからない。

 

「そんなわけで、先輩ボーカルから話を聞くのがいいんじゃないかな」

 

「先輩ボーカルですか? でも私他のバンドの方を全然……」

 

 しれっと廣井さんがボーカル兼ねてること忘れてるよね。そうしたいのも分からなくはないとも。酔っぱらいは参考にしたくない。

 

「年が近い人で紹介できる人いるから。不安なら後藤ちゃんと一緒に会ってみるといいよ」

 

「ゔぇっ!?」

 

「2人とも会ったことあるよ。紹介するのは、新宿FOLTを拠点にしてるバンドマン。大槻ヨヨコだから」

 

「あっ、ショーイチさん」

 

 それで覚えちゃったのか後藤ちゃん。

 大槻から苦情入るなこれは。

 

 



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メーデーメーデー。後藤家は手に負えません

 

 世界には不思議がいっぱい。地球という大自然は人間の想像を遥かに超える。世界三大なんたらとかもそう。自分が生きてる地球にあるとは思えないスケール。

 社会にも不思議がいっぱい。改善するべきことを改善しないのは何故なのか。嫌な風習とかは消えたらいいのになと、ニュースを見ながら思うこともしばしば。

 人間にとって謎なのは、個人的にはやっぱり人間だと思う。どれだけ仲が良くても、相手の思考を完全に読み取ることはできない。だってそこにはその時々の感情がノイズとして入り込むから。意見だって気分で変わる。

 そんな感じで、女子の考えることは分からないなぁとしみじみ思うこと2時間。

 

「ようこそ! パッシーくん、喜多ちゃん!」

 

 おれは喜多ちゃんと一緒に後藤ちゃんの家へと来ていた。

 うん、何故だ。

 

「ささっ、上がってちょうだい」

 

「お邪魔しまーす」

 

 喜多ちゃんは楽しそうだね。同級生の家に泊まりに行くっていうのは、高校生になっても大きなイベントだからかな。同性だと気兼ねなく入れるのもあるだろうね。

 いやほんと。なんでおれも後藤ちゃんの家に泊まりに来てるんだろうか。

 おれは喜多ちゃんに大槻を紹介して、アドバイスしてやってくれとお願いしただけなのに。

 大槻は喜多ちゃんと後藤ちゃんを連れてカラオケに行ったんだとか。これは素人目に、いかにもそれっぽいなと思った。気兼ねなく歌える場所って考えたら、そりゃあカラオケかスタジオだしね。

 そこで大槻は喜多ちゃんの歌を聴いて、今の状態についてズバズバと指摘。悪い点を言ってから良い点を言いたかったらしいけど、ダメ出し中に後藤ちゃんのカット。悪役みたいになっちゃったとか。電話越しに愚痴を聞きました。

 

「せ、先輩すみません。私……まだ喜多さんと長時間は……」

 

「そんなとこだろうとは思ってたよ」

 

 できれば伊地知あたりを頼ってほしかった。花の女子高生の家にいきなり泊まりに行くとか、ダイナミックエントリーにも程がある。

 大槻の意見は「歌詞の内情を知れ」だとか。カラオケとは違うらしい。気持ちの込め方とかの話だろうか。おれにはわからん。

 ともかく、大槻のアドバイスを聞いた喜多ちゃんが、週末に後藤ちゃんの家に行くことを決め、カラオケ日の翌日におれが後藤ちゃんに頼まれてなうだ。普段目を伏せてる後藤ちゃんの上目遣いに耐えられる奴いる? いねぇよなぁ! 脳死でOK出しちゃって意識がハッキリしたときには電車の中だったよ!

 

「今回を機に後藤ちゃんと喜多ちゃんの仲が深まるといいね」

 

「あっ……頑張ります……ガフッ」

 

「そんなに!?」

 

 後藤ちゃんって喜多ちゃんのこと苦手だったっけ? いろいろと正反対だからかな。

 

「テキトウな話をしてたらいいんだよ。誰だって話をしないと相手のこと分からないじゃん? おれだって後藤ちゃんのこといっぱい聞いて、いっぱい話して、それで今があるわけだし」

 

「た、たしかに」

 

「まぁ、喜多ちゃんの方からぐいぐいと話をしてくるだろうし、話題なく気まずくなることはないと思うよ」

 

 さすがにブレーキは備わってるはず。いくら今回が歌詞のためとはいえ、後藤ちゃんが嫌がるようなことを喜多ちゃんがするとは思えない。

 

「何か1つ、後藤ちゃんから質問してみてもいいんじゃない?」

 

「えっ、質問ですか」

 

「簡単なことでいいから。何か気になることとか、もしくは後藤ちゃんがまだ知らない喜多ちゃんのこと。後藤ちゃんからも頑張って踏み出してみよ?」

 

「うっ……はい」

 

 後藤ちゃんからしたら大変な課題になっちゃったかな。でも後藤ちゃんなら達成できるはず。仮にできなかったとしても、試みた努力は認めないとね。

 初めから諦めるかもしれない? 今の後藤ちゃんはそうならないよ。

 

「ねぇねぇパッシーさん! あっちであそぼー!」

 

「いいぞー。何して遊ぶ?」

 

「あっ……」

 

「後藤ちゃん、またあとでね」

 

「あっはい。また」

 

 後藤ちゃんの妹のふたりちゃんはまだ5歳。元気が有り余ってるというか、元気の塊。天真爛漫な子供の笑顔ってなんでこんなにかわいいんだろうか。後藤ちゃんのかわいさともまた違う。

 

「あのねー! この前テレビで見たやつやってほしいんだー!」

 

「ほうほう。どんなやつ?」

 

「フリン!」

 

「……風鈴?」

 

「ふーりんじゃなくて、フリン!」

 

 影響されるにはまだ早いんじゃないかなー。最近の子どもはおませさん的なやつなのか?

 

「さすがにこのパッシーでも不倫は厳しいかなー」

 

「ママー! ダメだってー!」

 

「あら、久々に制服着てみたのに」

 

「なんでノリノリなんですか!?」

 

「せっかくだから?」

 

「なにが!?」

 

「僕も浮気現場を目撃した夫役でスタンバイしてたのに」

 

「生々しさ出してきた!」

 

「ワンワンワン!」

 

「なんて!?」

 

 自由な家風だなァこの家族は! 後藤ちゃんが比較的まともに思えてきた! いや後藤ちゃんは紛れもなくいい子だけども!

 

「喜多ちゃんは日曜日に帰るって言ってたけど、パッシーさんも日曜日に帰るのー?」

 

「一応その予定だね」

 

「じゃあ一緒にお風呂入ろー!」

 

「うーんそれは駄目だねー」

 

 身構えないでくださいよ親父さん。ロリコンじゃないんで。あとその吹き矢はどこから取り出したんですかね。しかも御札が貼られまくっててめちゃくちゃ呪われそうなんですけど!

 

「ちぇー。ならおねーちゃんと入ってー」

 

「もっと駄目だね!?」

 

 何が「なら」なの!? 

 おれ以上に驚いた親父さんが咽ちゃってるよ。

 

「それより、何か遊びしない? まともなやつ」

 

「んー、流行ってるやつでもいい?」

 

「もちろん。どんなのが流行ってるの?」

 

「この御札を使うんだよ!」

 

「なんで?」

 

「おねーちゃんの背中に貼っつけるの」

 

「なんで?」

 

「おねーちゃんに見られたら負けだよ!」

 

 達磨さんが転んだの後藤ちゃんバージョン!? 御札を貼っつけるとかやってることがイジメに思えてくるんですけど!? 幼稚園生だから許される遊びだからね!? 

 いいんですかご両親。幼稚園生のふたりちゃんだけならまだ見逃せる範囲ですよね。おれがやったら駄目なやつですよね。

 

「手を抜くとふたりが怒るからハンデなしでね」

 

「走るのは駄目よ~」

 

「自由の度が過ぎてる!」

 

 ちくしょう。この流れを作ってしまったのはおれだ。1回はこの遊びに付き合うのが筋ってもんだ。ごめんね後藤ちゃん。本当に嫌だったら今度後藤ちゃんの我儘を1つ聞くね。おれの人生に影響ない範囲で。

 後藤ちゃんの部屋は2階にある。ふたりちゃんと犬のジミヘンと一緒にそっちへ移動。カモフラージュも兼ねて、後藤ちゃんの部屋の1つ隣で待機だ。

 後藤ちゃんのお母さんは、後藤ちゃんのリアクションを見たいから制服を着たままでいるらしい。子持ちにもなってノリノリで制服を着れるってメンタル最強じゃないかな。親父さんの方も「僕も着るかぁ」とか言ってたけど、まさか制服持ってるのか? 残すものなのか?

 

「パッシーさんっておねーちゃんのことすき?」

 

「好きだよ。ギター弾いてるとこ、かっこいいじゃん。ふたりちゃんも好きでしょ?」

 

「うん! 相思相愛だね!」

 

「意味違うからねー」

 

「あれー?」

 

 こういうのって何て言うんだろ。以心伝心? これも少し違う気がする。駄目だわからん。伊地知なら知ってるのかな。

 

「さてさて、どっちから行く?」

 

「んーとねー。ジミヘンは最後でしょー」

 

「カウントしてるんだ……」

 

「ここはお手本を見せてあげます!」

 

「ありがたやー」

 

 ふたりちゃん、堂々と大きく腕を振って部屋を出ていったな。慣れ切ってる感じがすごい。いろんな意味ですごい。

 ところで今回は喜多ちゃんも後藤ちゃんの部屋にいるわけだけど。たとえ後藤ちゃんに気づかれずに部屋に入れても、喜多ちゃんにはバレるよね。どうするんだろ。

 ジミヘンと一緒に廊下に出て見守ってみる。

 ふたりちゃんはドアを少し開けて中の様子を確かめてるな。そこまでは予想通り。あ、やっぱり喜多ちゃんにバレてるな? 何か手でサインを送って……中に入っていった……。さては喜多ちゃんを味方につけたな。

 

「ふふん! こんな感じ!」

 

「おみそれしました」

 

「次はパッシーさんの番ね!」

 

「すぐに行っても気づかれやすいから、ちょっと時間おいてからでいい?」

 

「いいよ!」

 

 トランプを使っての7並べ。ジミヘンも参加してきたんだけど、なんで犬で7並べできるんだよ。賢い通り越して怖いわ。

 そうやって時間をおいたら、後藤ちゃんの部屋に接近。足音も消して完璧なスニーキング。ドアを開けるのも慎重にやってまさに隠密。

 部屋を見てみると……うんシンプル。最低限しかないね。じゃなかった。女の子の部屋をじろじろ見るのはよくない。

 最大限警戒しないといけない喜多ちゃんは……寝てるね。猫みたいに寝てるね。なんで? 謎だけどいいや。これは絶好のチャンス。後藤ちゃんの様子を確認してっと。

 

「「あ……」」

 

 がっつり目が合いましたね。これで縁ができたな! もうとっくにできてたわ。

 

「お、おしゃれな部屋じゃなくてごめんなさい」

 

「謝らないで!?」

 

 後藤姉妹式達磨さんが転んだは、おれの完敗に終わった。

 あ、喜多ちゃんの歌は後藤ちゃんと女子トークしたら改善したらしいです。さすがは後藤ちゃんだ。

 



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伊地知の音には敏感です

 

 バイトがある日は伊地知と山田と一緒に下校する。クラスが同じで、行く先も同じなのだから別れてスターリーに向かう必要がない。おれの家は文字通り学校の目と鼻の先にあるけど、待たせるのも嫌だから着替えに戻ることもない。伊地知は一旦自分の家に帰って、着替えてから降りてくる。

 バイトがない日は友達と遊んでいるし、週に1回はイライザに英語を教えてもらってる。元々は月に1回程度だったものを、先月くらいから頻度を増やしてもらった。イライザの時間を貰うことになるし、半月に1回でお願いしたら毎週にされた。ありがたさと申し訳無さが混同したよ。

 それはさておき、バイトが休みの日はおれがスターリーに行くことはない。スタ練もしている結束バンドに比べたら、おれの方が行く頻度が少ないわけだ。

 

「珍しいね。バイトないのにスターリーに来るの」

 

「まぁなー。伊地知は家に帰って勉強か?」

 

「ガリ勉に思われてる? あたしは自主練するよ。今日はバンド練ないけど、未確認ライオットに向けてちょっとでも腕上げたいし」

 

「まじめ~」

 

 自主練か。部屋空いてるのかな。あーでもドラムってたしか、ドラムに見立てての練習ができるんだっけ。ノートとか教科書とか使って。伊地知ってシャーペンでリズム刻んでることあるもんな。授業中は抑えてるのに、休み時間とか叩いてることわりとある。

 

「スターリーに何しに行くの?」

 

「伊地知のドラムを聴きに」

 

「それ今決めたよね!? 元々の予定どこいった!?」

 

「元々の予定も似たようなものだから気にしない気にしない」

 

「えーー、なにそれ」

 

 おれは結束バンドのライブが大好きだ。生で聴くのが一番好きだ。今は未確認ライオットに向けて練習してるから、ライブも控えめにしていくらしい。そうなるとどうなるかと言うと、ぶっちゃけ恋しくなる。聴ける間に聴きたいからな。

 だからスターリーに行って、店長が撮影してあるライブ映像を見させてもらおうかなぁぐらいに思ってた。

 

「おれは伊地知の音が好きだからな」

 

「っ! そ、そうなんだ。でもぼっちちゃんのギターとか、喜多ちゃんの歌をすっごく気に入ってるよね」

 

「それはそう。結束バンドだし」

 

「うん」

 

「あれ、言ったことなかったっけ? おれが一番好きなのは伊地知のドラムの音だぞ」

 

「ふ、ふ~ん? そうなんだー」

 

 ちょっと伊地知さん? 反対向かないでもらっていいです? 言ったことを話半分とかに思われてない? 大丈夫?

 

「聞いてる。ちゃんと聞いてるから!」

 

「本当かー? っと、前見てないぞ危ないぞ」

 

「わっぷ」

 

 歩きスマホしてる人にも問題あるけど、なんにせよ伊地知がぶつからなくてよかった。

 

「ごめん。強く引っ張っちゃった。腕痛くないか?」

 

「う、うん。ありがと」

 

 よかった。伊地知に痛い思いをさせなくて。

 男女で筋力量違うし、男の思ってる以上に女の子は繊細だとプロレスマニアが言ってたから、やっちまったかと焦った。ヨシさん? 霊長類最強の人とか、バリバリ鍛えてるアスリートは別でしょ。

 伊地知はアスリートでもないし、たぶん体格とか平均的な日本人女性。……細いよな。人間の体って細くても健康的に生きられるんだな。

 

「デリカシーないこと考えてる?」

 

「細いなって思ってる。……これもデリカシーないか。もしくはセクハラか?」

 

「それなら大丈夫かなー。体型を気にする人にとっては褒め言葉だし。一応付け足すと、あとは相手との関係次第」

 

 上下関係があってこういうこと言うとセクハラって捉えられるってやつね。主に年齢によるものなのかな。何歳までは許される?

 

「こういうのは、そもそも聞かれた時だけ答えたらいいんだよ」

 

「勉強になります」

 

「うんうん。デリカシー身につけていってね~」

 

「後藤ちゃんや喜多ちゃんのためにもな」

 

「あたしも入れろよ」

 

「伊地知はもう、諦めてくれ」

 

「はぁぁ。前向きに特別扱いって捉えとくね」

 

「どうぞ」

 

「肯定するんだ……」

 

「間違ってはないからな」

 

 こんな特別扱いを喜ぶ人はいないだろうな。改善する気は少ししかない。別に伊地知を辱めたいわけでもなくて、ノリで許される範囲で済ませてるだけ。これも、伊地知だから許してくれるっていう範囲に甘えてるか。

 考えてもみたら、伊地知の優しさに甘えてることが多い。気づいてなかったことも含め。駄目な男にはなりたくないな。

 

「あたし着替えてからスターリーに行くから、先に行っといて」

 

「りょっか」

 

 スターリーの中には店長やPAさん、他にも先輩スタッフたち。緩い職場の雰囲気が和むのなんの。

 

「お前今日休みだろ」

 

「伊地知の自主練見学に来ただけなんで。部屋空いてるんですか?」

 

「出演バンドが来るまでならな」

 

「1時間は練習できると思いますよ」

 

「ふむふむ。ドリンク取っていきますねー」

 

「払っていけよー。てか上に自販機あるだろ」

 

「買うの忘れてたんですよ」

 

 ここでドリンク代払うとなると、コップ1杯で500円。高いな。自販機で500mlペットボトル3本買えるわ。伊地知に立て替えてもらって買ってきてもら……自分で買うか。

 荷物を置いて店の外へ。階段を上がってコーラを購入。炭酸系って自販機で買うと泡立つから、すぐに開けると吹き出しちゃうよな。トラップだろ。

 

「あれ? 外で待ってたの?」

 

「飲み物買いに出てきた」

 

「ロインで言ってくれたら買っといたのに」

 

「伊地知に甘え過ぎるのもなーと。心境の変化ってやつ」

 

「あたしは頼ってもらえる方が、嬉しいよ?」

 

「うーん、だとしてもこういうのは何か違うじゃん?」

 

 山田ならどうするんだろ。学校生活を見ていても、伊地知による山田の世話はなかなかなものだよな。そこまでしなくてもいいのではってことをしてる。

 

「それより、自主練するんだろ? 1時間くらいしか使えないみたいだから、早く行こうぜ」

 

「練習するのあたしだけだけどね」

 

 伊地知と2人で中に戻って、準備も手伝ったら自主練スタート。ライブの時はどうしても距離ができるから、こうして間近で伊地知のドラムを聴けるのは貴重だ。

 ところでこれ、じーっと見つめててもいいんだろうか。伊地知の邪魔になるかな。邪魔はしたくないんだよな。

 

「ちょっと恥ずかしいけど、気にしないでいいよ。見てくれてる方がいい」

 

 何曲か聴いた後、伊地知に聞いてみたらそう言われた。そういうことなら、このまま見続けるとしよう。 

 あの細い腕でしっかりと音を出せる伊地知のドラム。バンドの演奏を支える柱の1つ。伊地知と山田。2人のパートが演奏の要。

 伊地知の演奏は好きだ。それは技術力云々の話じゃない。プロレベルの人たちに比べたら、そりゃあ伊地知はまだ及ばない。だとしても、伊地知の演奏に一番引きつけられる。

 とはいえ、ライブ時の演奏と練習時の演奏は印象が変わる。練習は向上するための時間。ライブは持ってるものを出し切り、楽しむための時間。目的がはっきりと異なってる。

 

「伊地知って今何考えて演奏してる?」

 

「え?」

 

 それを加味しても引っかかる。今の伊地知の演奏は、ちょっと違う気がする。

 

「なんて言ったらいいかな……いつもより音が硬いというか……。音に硬さはないんだけど、えーっと」

 

「あ、大丈夫。言いたいことは伝わってるよ」

 

「エスパー?」

 

「人間だよー。……ドラムは演奏を支えるでしょ? リズムを取るメトロノームになる。あたしがみんなの足を引っ張るわけにもいかないから」

 

「足を引っ張る?」

 

「ぼっちちゃんは言わずもがな、リョウも上手いでしょ。喜多ちゃんだって、春から始めたのにどんどん上手くなってる」

 

「焦ってるわけね」

 

「っ! ……そうだね」

 

「技術とかはおれには分からない。伊地知の焦りも理解はしてやれない。でも今のままなのは、よくないな」

 

「だから練習してるんだよ」

 

「あ、そっちじゃない」

 

「なにが?」

 

「練習は必要。伊地知のことだから、自分の課題も見えてると思う」

 

 演奏中も意識して叩いてるところが何回も見えた。

 伊地知は今、その課題とか練習とかで頭がいっぱいになってきてる。積み重ねは大事だ。飛躍的に簡単に上達するのは、初心者が中級者に上がる段階くらいのもの。そこからの成長は小さな積み重ね。

 だから伊地知が間違ってるわけじゃない。否定なんてしない。

 それでも気になったからには、今回ばかりは口出しさせてもらう。

 

「気分転換しに行こう」

 

「へ?」

 

「今から遊びに行くぞ。2人で」

 

 




つづく


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晴れた空がよく似合う人

 

 人との距離感、関係性。それを言葉にするのは、カテゴリーを作って整理するため。

 家族はお父さんとお姉ちゃん。お母さんは亡くなったけど、今も心の中にいる。リョウは友達の中でも一番の友達。いわば親友。あたしは友達のカテゴリーが広い方だと思う。クラスメイトもほとんどを友達だと思ってる。

 ぼっちちゃんと喜多ちゃんは、友達で後輩でバンド仲間。どれか1つでって言われたら、友達って言うかなぁ。バンドの大事なメンバーだけど、知り合ったきっかけがバンドなだけで、仮にこの先何かがあって解散しちゃったとしても、あたしは友達であり続けると思う。だから友達。

 こうやって区分ができるのに、彼だけはできない。幼馴染は幼馴染でも、忘れられてるから成り立たない。バイト仲間は距離がある。友達は……ちょっと寂しい。

 あたしにとって何なんだろう。喜多ちゃんみたいに、ばしっと決められてない。

 

「伊地知の番だぞー」

 

「あ、うん。……あれ? またストライク取ったの?」

 

「力こそパワーってな」

 

「バカ丸出しじゃん」

 

「おれがスコア勝ってるが?」

 

「ぐっ、そうだけど……!」

 

 スターリーから連れ出されたあたしは、2人でボウリング場に来てる。他のスポーツもゲームもできる大型アミューズメント施設。高校生は時間制限あるし、ここにあるものを全部回れる時間はない。

 あたしはボウリングの初心者じゃないけど、上手いわけじゃない。友達間だと良い勝負になるんだけどなー。

 

「惜しかったな~。もう少しでスペアだったのに」

 

「狙うの難しいよね」

 

「端っこは特にな」

 

 そう言いながらカーブでスペア取ってくるのはやめてほしい。勝てないのはいいとしても、ここまで差が出てくると自信をなくしちゃいそう。

 

「伊地知ならできるって」

 

「え~、そう言うならアドバイスしてよー」

 

「アドバイス? それなら」

 

 どこを狙えばストライクになりやすいのか。それはあたしも知ってる。アドバイスされたのは、投げる時にどこを見たらいいのか。あとは手とか腕とか、そういう細かいところまで。

 言われたことを咀嚼して投げてみると、うそみたいにあっさりとストライクが取れた。教えるの上手いんだね、今も。

 

「本当にストライク取ってる……!」

 

「あれ?」

 

 なんかめっちゃ驚かれてる。そのために教えてくれたくせに!

 

「教えてくれた通りにしただけだよ」

 

「一発でその通りにできるのすごいな」

 

「教え方がいいからだよ」

 

「まぁな!」

 

 ドヤられた。謙遜しないんだからー。

 

「このまま逆転できたりして」

 

「手加減はしないぞ?」

 

「そこはしてよ」

 

 じーって見つめてたら結局手加減してくれた。押してみると弱いのは、やっぱり一緒なんだ。

 優しいというか甘いというか。誰かに強く当たることは滅多にない。怒った時を除けば、心底相性が悪い人が相手の時。今年で強めに当たった人と言えば、あのライターさんかな。あの時はちょっと怒ってた。

 

「あーあ。全部負けたー」

 

「3ゲーム目は接戦だっただろ」

 

「手加減してくれたのに負けるのは悔しいよ」

 

「手加減しても勝ちたくなるのが男の(さが)ってね」

 

「負けず嫌いなだけでしょ」

 

「そうとも言う」

 

 ボウリングが終われば休憩を挟んで、今度はゲームコーナー。アーケードゲームって言うみたいだけど、あんまあたしは分かってない。

 

「あっちの賑やかなのは?」

 

動物園(収容所)

 

「え。なにそれ」

 

「伊地知には関わってほしくない世界」

 

「説明になってないんだけど……」

 

 遠目に見ても何種類かのゲームが纏まって設置されてるのが分かる。ゲームの台数も多いし、人気があるゲームのはずだよね。なんでそんな呼び方されてるんだろ。

 

「いろいろ知ってるんだね」

 

「ボウリングのためによく来るし、待ち時間の間にゲームも定番の流れだからな」

 

「なるほどね。あっちのゲームはやったことあるの?」

 

「何回かは。面白いんだけど、うるさい人がそこそこいる。オンライン対戦でマナー悪い人もそこそこ。だからそれ以降はやってない」

 

「そうやって聞くと気になってくるんだけど……」

 

「それよりこっちのゲームやろーぜ。シューティング」

 

「露骨にそらすね!?」

 

 本当に嫌そうな顔してる……。まぁあたしも興味本位ってだけだから、絶対にやりたいわけじゃない。後ろから見るくらいはしてみたかったかな。

 ところでこのゲーム本当にシューティングなの? なんか大きな箱に見えるんだけど。

 

「これの中に入ってやるゲーム。座りながらできるし楽だぞ」

 

「難しいやつ?」

 

「カーソルが出るからまだ優しい方。リロードもしやすいし」

 

「へ~。よし! 塗り絵ゲームで鍛えたあたしのエイム力を見せてあげる!」

 

 箱の中に入って並んで座る。お互いに100円ずつ入れて、ボタンを押したらゲームスタート。

 こういうゲームってストーリーもあるんだ。なんか偉いっぽい人が研究成果を語ってる。

 

「スキップするか」

 

「え?」

 

「え? もしかして見たかった?」

 

「うん。でも流れてると気になるくらいだからいいよ」

 

「じゃあステージクリアしたら、そこからは流すわ」

 

 さらっとステージクリアを宣言してる。ところでこのシューティングゲーム。箱だけじゃなくて、ゲームの世界でも雰囲気が暗いような……。

 

「ぇ……きゃぁぁぁあ!!」

 

「耳が……!」

 

「なんでゾンビ!? あたしが怖いの苦手って……!」

 

「ゲームなら大丈夫かなって……」

 

「ゾンビはお化け屋敷より怖いじゃん! ばかぁぁ!!」

 

「あ、ちょい。2Pモードソロプレイはきつい!」

 

「自分でやって!」

 

「そうする!」

 

 あたしが銃を横に置いちゃったから、それを取るためにあたしの後ろから手が回される。拾うとそのまま本当に2丁でシューティングを始めちゃって、こうなると自然とあたしと体が触れ合う。

 

「悪い伊地知! ステージクリアまでは我慢して!」

 

「う、うん」

 

 ゲーム画面は怖いから見れなくて、そうなると視線の置き場に困る。視線を動かしてる間も、ゲームの音は関係なく耳に入って来る。ゾンビゲームは言わばパニックもの。必死な声とか非現実的な声がさらに恐怖心を煽ってくる。

 それなのにあたしは、むしろ安心が勝ってた。落ち着きを取り戻して、上がってた息も整えられていく。

 一緒だ。昔もそうだった。あたしは怖がるとよく側にひっついてて、落ち着かせてくれてた。あたしにとって安心できた場所の1つ。それは今でも変わらないみたい。

 

「ふー。ステージクリア。どうする? ストーリー見るか出るか」 

 

「……見る」

 

「見るのか。怖いなら無理しなくていいぞ」

 

「ううん。今は大丈夫」

 

「そっか。腕どけるからこれで離れられるぞ。待たせてごめんな」

 

「……」

 

「あの、伊地知さん?」

 

「ばか」

 

「えぇ……」

 

 あたしが動かなかったから、諦めて今の態勢でゲームを続行。昔の自分はよく耐えたものだよ。こんなに胸がドキドキするのに。

 これは心臓に悪いや。怖い時に落ち着ける方法なのに、違う理由で落ち着けなくなるなんて。

 昔のことはよく覚えてる。忘れたくない大切な記憶たち。あたししか知らない。共有できない孤独だけど愛おしい記憶たち。よく覚えていて、成長した今との違いを教えさせられる。

 例えば声。声変わりしてるから昔より低い。例えば体つき。女子とは違ってガッチリしていて、成長した男の子なんだなって示される。

 変わっていないものだってもちろんある。それは同一人物なんだから当然。そう。当たり前のことなんだ。

 

「ねぇ」

 

「ゔぇっ!?」

 

「そんな反応する?」

 

「耳元で急に囁かないでくれます!?」

 

「むぅ」

 

 喜多ちゃんの気持ちにようやく向き合える。あたしはこれまで逃げてただけなんだ。過去を見てただけだった。

 あたしの気持ちだって本物だ。誰にも負けない。忘れられたとしても、あたしの気持ちは変わらない。リセットされるというのなら、何度だって0から始める。そしてあたしのことを好きになってもらう。

 

「あ、死んだ。それで、伊地知は何言おうとしてた?」

 

「うーん、やっぱりいいや。喜多ちゃんにルール違反しちゃうかもだし」

 

「なんで喜多ちゃん?」

 

「なんでだろうねー。考えてみて」

 

「そうしてみる」

 

 ゲームが終わればそこからは2人でご飯を食べに行って、下北まで戻る。家まで送ってくれて、あたしはそこでお礼を言った。

 

「楽しめたか?」

 

「うん! おかげさまで」

 

「それならよかった」

 

「ドラムも楽しめよって、そう言いたかったんだよね? ありがとう」

 

「っ! 気づかれてるとこれはこれで恥ずいな……」

 

「えへへ。あたしは2級の資格持ちだからね~」

 

「どんな資格だよ」

 

「あたし主催の資格。1級持ちはご家族」

 

「なんかデジャヴ」

 

 どこかの誰かさんが、いつぞやに言ってたぼっちちゃん検定と同じだからね~。

 

「なんにせよ、伊地知が楽しめたのは本当によかった。伊地知は楽しそうに笑ってるのが一番似合うからな」

 

「~~っ、も~。何でそういうこと言うかな」

 

「え、これ駄目なやつ?」

 

「駄目じゃないから困るの!」

 

「そんなめちゃくちゃな……」

 

 もっと話してたいけど、帰るのが遅くなっても悪いよね。明日また学校で会えるんだから。

 

「明日学校来るよね?」

 

「そりゃあな。また明日」

 

「うん! また明日。おやすみー!」

 

 きっと本人は気づいてない。

 あたしが笑顔でいられる場所を(晴れた空に虹は映えることを)

 



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山田リョウの思案

 

 私と虹夏は親友。私は1人でいることを苦に思わないタイプで、虹夏はパッシーほどじゃなくても交友関係が広い。パッシーからすれば、私と虹夏が親友であることが少し不思議らしい。

 人間関係ってそういうものだと思う。不思議な組み合わせは他にも多い。私からすれば、パッシーとSICK HACKのイライザの組み合わせが不思議。普通に考えれば接点が謎。

 けどこういうのは、結局それを第三者が知らなかっただけ。知らないことは不思議で、分からないものになる。

 きっかけだって、特別なものの方が少ない。

 関係の改善、あるいは進展だって同じこと。特別なことがあったかは別。

 

「おはよー」

 

「おはよ。珍しいね虹夏がギリギリなんて」

 

「あはは。誰かさんが全然出てこなかったからね」

 

「あー。こっちも珍しいね。今日は遅刻じゃないんだ」

 

「ふぁ~ぁ。誰かさんに呼び出されたからな」

 

「あたし昨日連絡したじゃん」

 

「朝メッセ見た。深夜に送られてきても寝てるって」

 

「も~!」

 

 つまり深夜まで悩んでたってことか。

 何があったのかは知らないけど、2人はとても仲良くなった。昔の距離感がこうだったのかもしれない。これまでにあった壁がなくなってる。正確には虹夏の方から崩してる。

 

「ネクタイも何で緩めてるの!? 家出る時に締めたのに!」

 

「首元が窮屈だったから。いつも緩めにしてるじゃん」

 

「いつもより緩くなってる!」

 

「風紀委員より風紀委員してない?」

 

 「いつもネクタイの締まり具合見てるんだ?」とか「今日パッシーのネクタイ締めてあげたの?」とか、ツッコミたいことが次々と出てくる。

 それを言及する前に担任が入ってきたから、2人もそれぞれの席に着いた。

 

「今日も常習犯はちこkいる!? どうした!? 何か悪いことでもあったのか!?」

 

「家凸されたぐらいですかね」

 

「物騒だな! 個人情報の流出にはみんなも気をつけるんだぞ。近年はSNSが普及して、そこきっかけで被害が出ることも珍しくなくなってるんだから」

 

 特定班とかいるらしい。怖い世の中だ。

 

「山田さん。あの2人ってできてるの?」

 

「できてない」

 

「あれで?」

 

「あれで。今のだって、似たことなら私も虹夏に言われる」

 

「……たしかに」

 

 自分で言ってなんだけど、私って傍から見てたらあんな感じのことを虹夏にしてもらってたのか。

 まさかパッシーがライバルになる日が来るとは。

 

「記憶が戻ったのかと思ったらそうでもないのかー」

 

「そうでもないんだなーこれが。昔のおれって、さっきみたいなことしてたのか?」

 

「どうだったかなー。1つ言えることは、伊地知のおかん力が増してるな」

 

「察し」

 

「HR始まってるんだから静かにしろー」

 

 来たら来たで周りが話したがる。パッシーはいっそ遅刻してるほうがいいのかもしれない。

 パッシーの記憶喪失の件は、別にみんなに知られてるわけじゃない。今話しかけた男子も虹夏と同じ小学校。つまりパッシーとも友達。2人が仲良くしてたから、もしかしてと思って話に出したんだと思う。

 今の話が気になってざわついてた教室も、進学校というだけあって先生の一言ですぐに静かになる。HRのあとはまたその話になるんだけどね。

 

「記憶喪失の話だけであんな盛り上がるか?」

 

「珍しいから仕方ないよ」

 

 昼休みになって解放されたパッシーが、中庭の芝生に寝転んだ。虹夏がその側にハンカチを敷いてその上に座ってる。

 ここの芝生は美味しくないけど、寝転ぶには気持ちいい場所。服が軽く汚れちゃうのは残念。

 ところで今日のお昼を調達したいだけの私は、なんで2人の様子を見ないといけないんだろう。たまたま場所が被っただけにしても、運命のいたずらにはため息をつきたい。

 

「パッシーっていつも学食で食べてるよね?」

 

「うさぎみたいに草を食べてる奴に話しかけられるのは初めてだな」

 

「またお腹壊すよリョウ」

 

「食べられる草を覚えた。パッシーのその弁当は?」

 

「た、たまにはお弁当一緒に食べようよって誘っただけだよ」

 

「伊地知が朝くれた」

 

「ちょっ! なん……! も~~!」

 

「危ない危ない! 弁当溢れるって」

 

「溢れるのはおかず。そして溢れた分は貰う」

 

「溢れなくても分けるけど!?」

 

「パッシーはいい人。さすが。朴念仁」

 

「あれ貶されてない?」

 

 分けてくれるのは嬉しいけど、その弁当をなんで虹夏が用意してきてるのかは真剣に考えた方がいい。だって、私ですら虹夏に弁当を用意されたことがないんだから。

 ほら、虹夏も複雑そうな気持ちを抑えて愛想笑いしてる。

 

「せっかくだけど私はいい。今日の草は一味違う」

 

「そんな食レポ聞きたくねぇな。今度早起きできたら弁当作ってやろうか?」

 

「卒業まで気長に待つ」

 

「ナメてらっしゃる」

 

「パッシーは料理できるの? いつも学食なのに」

 

「できるぞ。親が基本夜勤だから、自分で用意することあるし。イライザの家に行ったらおれが作ってる」

 

「ふーん? イライザさんの家によく行くんだ?」

 

「そうは言ってないでござる」

 

「あたしにはそう聞こえたよ?」

 

「気のせいなり。山田、help」

 

「発音いいのイラッとしたからヤダ」

 

「どんな理由だよ!?」

 

 うっかりすることあるよね。パッシーは基本的にはその場にいない女子の話を避ける。郁代からそう学んだからだとか。それなのに失言しちゃってるのは、どんまいってところで。虹夏にぽかぽか叩かれてるのも当然の流れかな。

 

「おっ、玉子焼きうめぇ」

 

「叩かれながら食べてる人初めて見た」

 

「口に合ったならよかった~。男の子にとって量は物足りないかもだけど」

 

「作ってもらってるんだから文句も出ないって。伊地知は料理上手なんだな」

 

「お姉ちゃんが料理下手だから、あたしがいつも作ってるんだよ」

 

「なるほどなー。伊地知の料理好きかも」

 

「ほんと!?」

 

「弁当を少し食べただけだから、まだはっきりとは言えないけどな。玉子焼きにしても、味付けが好みに合ってる」

 

「そっか。それなら嬉しいな。こ、これからも作ってあげるよ?」

 

「さすがにそれは伊地知に悪いし」

 

「うん。それなら私の分もほしい」

 

「リョウはお金使い見直しなよ」

 

 虹夏はあんま考えてないだろうけど、今日みたいなのが続いていくと外堀から埋めていくことになる。クラスのみんなからしても、見え見えなぐらい分かりやすい。パッシーがどう応えるか。あとはそこだけって見られてる。

 私は私の一番の友達に笑っていてほしい。そのために必要なら手を貸す。

 ただ今のバンドの関係が崩れるのは嫌。結束バンドで音楽活動を続けていたい。ぼっちはともかく、郁代のことも気にしとかないと。

 

「ね、ねぇ。クリスマス……一緒にパーティーしない?」

 

「クリスマスは予定入ってる。ごめんな」

 

「えっ……そ、そうなんだ。友達多いもんね」

 

「今度は徹夜しないで済むといいなって思ってる」

 

「体に悪いからちゃんと寝てね」

 

「努力はする」

 

 徹夜……クリスマス……。パッシーの予定が何なのか分かったかも。今度は名前を出さなかったね。成長が涙ぐましいよ。

 それはそうと、あれの日程ってたしか。

 

「……虹夏」

 

「なに?」

 

 クリスマスってそんな特別なのかな。私にはピンと来ない。でも虹夏にとっては、落ち込むくらい特別視するイベント。店長の誕生日もそこだし。

 クリスマスはともかく、代替案は提案できる。郁代には悪いけど。

 

「初詣2人で行ってきたら? パッシーの予定まだ空いてるはず」

 

 小声で虹夏にだけ聞こえるように話してみると、虹夏はその日のことを考えて顔がちょっと赤くなった。クリスマスも自分で誘ってたわりに、恥ずかしそうにするよね。

 

「あ、あとで聞いてみる」

 

「今聞けばいい。善は急げ」

 

「だって……がっついてるみたいで、変に思われたくないし。さっきクリスマス断られたから他も断られるの怖いというか」

 

「ヘタレ」

 

 初対面でぼっちを勧誘した時くらいの行動力が、こっちでも活かせたらいいのに。

 

 



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大槻ヨヨコとパシリ男

 

 あいつと出会った場所は、私がバンドの活動拠点にしている新宿FOLT。その当時すでにイライザさんと知り合ってたらしく、SICK HACKのライブを見に来てたところを知り合った。

 よくライブに来てたのに、ファンというわけじゃないらしい。「友達が楽しそうにしてるのを見ると、こっちも楽しくなるじゃん?」とかそういう理由で来ていた。来なくなったのは、新たなライブハウスSTARRY(スターリー)ができてから。

 理由はそこでバイトをするため。徒歩圏内でのバイト先ともなれば、そりゃあそこを選ぶ。でもそれだけが理由じゃないのは、イライザさんじゃなくても、私でも分かった。新宿FOLTでのバイトは断っていたんだから。

 結束バンド。ふざけた名前に聞こえるバンド。そこのギターも、姐さんが気に入っている。そのせいで姐さんは、よくSTARRYに行くようになった。

 私情まみれの個人的な感情だけど、私はこのバンドを認めていない。それなのに。

 

「本番前は緊張するっすよねー」

 

「SIDEROSの皆さんも緊張するんですか?」

 

「そりゃあしますよ」

 

「全然そうは見えない」

 

「自分より緊張してる人がいたら逆に落ち着くっていうあれっす」

 

「あ~。それって私たちのこと?」

 

「いえうちのリーダーです」

 

「大槻先輩が毎回3日前から緊張で寝なくなるんですよ」

 

「寝不足でその目になってただけ!?」

 

 う、うるさいわね。慣れないものは慣れないんだから仕方ないじゃない。

 

「ヨヨコ先輩ってライブ中も半目になってるんですよ~」

 

「そうなの!?」

 

 それはもっと早く教えてほしかったのだけど!? なんで誰も言ってくれないのよ。気づいてたなら教えてくれたっていいじゃない。あいつも気づいてたはずよね。なんで言ってくれないのかしら。……面白いからとか言いそうね。言ってきたら殴ってやる。

 

「SIDEROSはメンバーの入れ替わりが激しいって聞いてたけど、その理由ってもしかして」

 

「お察しの通りっす。大槻先輩がコミュニケーション苦手なので」

 

「パッシー先輩もそう言ってましたね」

 

「あいつと言えば……あら? 後藤ひとりは?」

 

 私のことをヨッコイショウイチとか呼んできた、ピンクジャージの後藤ひとりがいなくなってるわね。うちのメンバーも結束バンドも気づいてなかったみたい。どこに行ったのかしら。リハも終わって本番前だというのに。

 

「うーん、完成版完熟マンゴーにもいないね」

 

「なにそのダンボール!」

 

「ぼっちの鎧」

 

「小学生の工作じゃないんだから!」

 

「ぼっちちゃんのお父さんが作ったんだって~」

 

 親が作るんかい! 夏休みの子どもの自由研究を手伝う親のそれじゃない! 

 

「これすごいっすね。腕とかも動かせるようになってるっすよ」

 

「喜多さんはなぜゴミ箱を確認してるんですか?」

 

「ひとりちゃんは閉鎖的な環境か、人気のなくてジメっとしてるナメクジが好みそうな場所に隠れるので」

 

「さすがにゴミ箱には入らないんじゃないですかぁ?」

 

「いやぼっちはスターリーのゴミ箱によく入る」

 

「客用のゴミ箱は大きいからねー」

 

「控室のゴミ箱は小さいので入らないっすよ~」

 

「ひとりちゃんなら分裂して入りますよ~」

 

「……後藤さんって人ですよね?」

 

 何の話してるのよ。何がどうなったら後藤ひとりが人間じゃないって話になっていくのよ。疑うべきは後藤ひとりの生態じゃなくて、ナチュラルに鬼畜なことを言ってる喜多の方でしょ。

 結束バンドの他の2人もなんでそこを流してるのかしら。日常茶飯事ってことなの? これが? 頭痛くなってきた。

 ただでさえこっちは寝不足でエナドリ決めてるのよ。まともな会話をしてほしいわね。

 

「お、同年代のバンド同士仲良くなってんじゃん」

 

「パッシー先輩! 来てくれたんですね!」

 

「そりゃあね。アウェーでのライブは緊張するだろうけど、頑張ってね。バンド活動を続けていくならむしろアウェーが多くなるんだし、今日は第一歩ってことで」

 

「はい! ところでひとりちゃん見ませんでした? いつの間にかいなくなっちゃって」

 

「後藤ちゃんなら後ろにいるけど?」

 

「ほんとだわ! コアラみたいにくっついてる!」

 

 だからその子人間よね?

 

「ひとりちゃんどこに行ってたの? トイレ?」

 

「あっいえ。き、緊張するから外の空気を吸おうかと」

 

「外に出ようとしたところで、お客さんの入りを見て固まってたところを保護しました」

 

「そうだったんですね。でも緊張は解れてるような?」

 

「あっ、それは……えへへ」

 

 あいつのことをちらっと見たわね。まぁ分かるわ。不思議と緊張を解してくるのよねそいつ。私も前までは助けられたものよ。

 

「? 幽々、この部屋冷房ついてたかしら?」

 

「ついてないですよぉ」

 

「それにしては部屋が寒くなったような」

 

「それはあの2人のせい。ある意味4人ともか」

 

 結束バンドのベース、名前はたしか山田だったわよね。彼女の視線の先には、笑顔を貼り付けたボーカルの子が、後藤ひとりの腕を掴んで部屋の隅に連行してる。ドラムの伊地知も同じね。あいつのことを、後藤ひとりとは反対側に連れて行っているわ。

 音楽も一通り聴いているし、ライブも一度見させてもらっているけれど、結束バンドってこんなホラーバンドだったかしら。

 

「これに関しては主にパッシーの責任」

 

「そうみたいっすねー。大丈夫なんすか?」

 

 人間関係の拗れがバンド解散に繋がるのはそう。それはもうよく知ってる。

 2人が別々の人間に気があるのなら、こういう心配を誰もしなくてよかったのに。気持ちを向けられた人間に全責任があるとは言わない。それはもう理不尽でしょ。

 それでも、外野からすればうまいこと収拾をつけろと言いたくなることでもある。取るべき責任はそこだ。後腐れないように努める。そこだけは必要になると私は思ってる。

 

「私はあんまり心配してない。気にはかけるけど」

 

「信頼してるんですね~」

 

「虹夏も郁代もしっかり者だから」

 

「あ、そっち?」

 

「冗談。パッシーもやる時はやる男。学校でもそう」

 

 たしかにそういう男ね。楽観的に考えているくせに、要所要所は真面目に客観的に判断する。だから信用が置ける。ただし誰も傷つけないような選択肢は存在しなくて、あいつはその選択ができる人間。

 後藤ひとりが解放されたようだけど、大丈夫なのかしら。喜多さんにビクビクしてない? ビクビクするのはいつものこと? そう。

 

「虹夏も終わったみたいだね」

 

「男の方も部屋を出ましたね~」

 

「あの人の名前って何なんすか?」

 

「え、覚えてない」

 

「えぇ……」

 

 同じ学校でクラスメイトなのよね!? ……私も人のことは言えないか。

 そもそも関わりがない人間のことを覚える必要ないわよね。いくらクラスが一緒だからって。3学期にもなれば自然と覚えるものだし、それくらいでいいわよね。

 

「へー。あの人って海外に行くんすか。凄いっすね」

 

 海外? 

 そう。そういうことだったのね。

 

「そうなんだ~。高校卒業したら行くから、あと1年とちょっとだけ」

 

「先輩にはもっとライブを見てほしかったんですけどね。もう決めたことみたいなので」

 

「結束バンドさん準備お願いしまーす」

 

「あ、はーい! 喜多ちゃん、ぼっちちゃん。大丈夫?」

 

「はい!」

 

「……はっ! あっ、はい!」

 

「リョウも行くよ~」

 

「結束バンド」

 

「?」

 

「前のライブより良くなってたわ。いつも通りできれば大丈夫。努力は裏切らない」

 

 ……少なくとも音楽は裏切らない。

 

「あっ、ありがとうございます。ヨッコイさん」

 

「ヨヨコよ!!」

 

「あっご、ごめんなさい」

 

 ちょっと強く言い過ぎちゃったわね。あとで謝っておかないと。

 

「ヨヨコ先輩どうかしたんですか?」

 

「ちょっと機嫌ナナメっすね。カルシウム用意しとくっすよ」

 

「必要ないわ。ライブが終わったら、結束バンドに話があるだけだから」

 

「後藤さんはコミュニケーション苦手みたいですし、大目に見てあげましょうよ~」

 

「そっちじゃないわよ」

 

 そこまで怒ることじゃないんだから。

 ただ、さっきの会話は一言申したくなるわよ。本人が言ってないからでしょうけど、彼女たちは気づきもしてない。あいつの決意がどういうものなのかを。

 あいつが新宿FOLTに来なくなったのと、STARRYの開業時期は重なる。それまでバイトをしなかった男がそこでバイトを始めた。明確な理由を知らなくても、核が誰なのかは見たら分かった。

 イライザさんに真剣に英語の指導を頼んでたのもその辺。

 全部が全部。誰の為なのかが明白なのよ。

 あいつは結束バンドを強く信じてる。

 それを知らずに……。もっと実力を付けて駆け上がらないと許さないわよ。あいつが……私の歌を初めて認めてくれたあいつが、その人生を掛けてるんだから。

 ま、一番の座は私のものだけど。

 




 評価者数が100に到達して喜びの舞。ありがとうございます!!
 私もね、リアクションあると嬉しいのです。栄養素です。
 そんなわけで、オラに元気を分けてくれー!


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クリスマス。イライザとのフロントライン

 

 SICK HACKが主催のクリスマスライブ。結束バンドとSIDEROSが演奏した後に、本命のバンドが登場。3人のこのバンドは相変わらず上手いしファンを熱狂させる。魅力が溢れてるバンドだ。廣井さんが最後にライブを無茶苦茶にするところまでがセットだけど。

 

「いつものことだから諦めてる」

 

 イライザ的には、これはこれで有りだと思ってるらしい。アニメにいそうなキャラしてるからだろうな。志麻さんはライブ後に鬱憤を晴らすべくドラムを叩きまくる。良くか悪くか、めきめき技術は上がってる。

 

「結束バンドのライブも良かったネ」

 

「盛り上がる、まではいかなかったけどな」

 

「まだ原石だヨ。これから伸びる。初めてのお客さんも、ファンにできるようになる」

 

「イライザって結束バンドのこと評価してるんだな」

 

「当り前だヨ! いいバンド。私好きだヨ。それに、ブロのお気に入りバンドだもん」

 

「最後のは理由にならないだろ……」

 

「なるヨ。私でもヨヨコでもない。ブロが選んだバンド。伸びてくれないとネ」

 

「……嫉妬?」

 

「うん。Jealousy」

 

 あっさり認めた。

 少し勘違いされてそうだな。おれはSICK HACKのライブも、SIDEROSのライブも好きだぞ。

 

「一番は結束バンドだよネ」

 

「そこはそうだな」

 

「ほら、妬いちゃう理由だヨ」

 

「大槻は一番への執着強いけど、イライザも拘ってたっけ?」

 

「音楽活動してるから、私の音で引き付けたいんダ」

 

 ……イライザのギターも、大槻の歌声も好きだけどな。結束バンドを選んだというよりかは、いろいろと重なってそうなっただけ。

 応援したい夢があって、それに力を貸せそうな話が届いた。やりたいことを見つけた気がしたんだ。

 

「責めてるわけじゃないヨ? 私もヨヨコも、ブロを目的にバンドしてるんじゃないカラ。そう思ったなら、自意識過敏だヨ」

 

「自意識過剰な」

 

「そう! 過剰!」

 

 それぐらい分かってる。自惚れてるつもりはない。ただ、意識されたらこっちも意識するというだけ。

 

「あ、そっちじゃなくてこっち」

 

「イライザの家はこの道を真っ直ぐだろ?」

 

「家に行く前にケーキ買っていくヨ。予約してあるんだカラ」

 

「クリスマスケーキとな! 最高かよ!」

 

「ふふっ、ブロはケーキが好きだもんネ」

 

 クリスマスはケーキ屋にとって一番の稼ぎ時。ピザ屋も忙しい印象があるな。受け取る時にちゃんとお礼を言わなきゃ。

 クリスマスケーキと言えば、王道のイチゴのショートケーキ。イライザが予約していたのは、2人で食べ切れる大きさのケーキ。小さめでかわいい。ネームプレートにハートが書かれてるのもかわいさを増してる。

 名前が書かれてないネームプレートとはこれ如何に。

 

「ケーキも買えて、あとは家でご飯だネ!」

 

「リクエストは?」

 

「うーん、温かいのがいいネ!」

 

「温かいのね。冷蔵庫の中を確認してから何にするか決めるか」

 

 必要なら買い出しに行かないといけないけど、それは滅多にないんだよな。初めの頃はよく2人で買い出しに行ってた。今はおれが家に行く日に合わせて、イライザが事前に買い物をしてくれてる。

 

「イライザって人との距離感近いよな」

 

「仲良くなりたいからだヨ」

 

 おれの左腕ががっつりと絡められてる。スキンシップが多いのは今さらで、慣れたからこれについてどうこう言うつもりもない。その辺の通行人とかに勘違いされても、関わることないから気にもしないし。

 知り合いに見られて勘違いされたらさすがにそれは焦るけどな。

 家に到着すれば、荷物を置いて冷蔵庫を確認。イライザが買ってきたものを見て、ホワイトシチューを作ることに決定。パンもあるし、米もある。シチューだけだと寂しいから、他にも何品かは作ろうかな。

 

「今から作るけど、イライザはそれまで製作に取り掛かっとくか?」

 

「ううん。一緒に作るヨ。今回はページ数減らしてるから、ちょっと余裕あるんダ」

 

 それは非常に助かる。徹夜しないと間に合わないという地獄ではないようだ。

 イライザの家にはそれなりに来てるから、エプロンも2人分ある。食器類も来客用があるから、それを使わせてもらってる。

 

「指を切らないようにな」

 

「大丈夫だヨ! 私だって料理できるんだカラ!」

 

「そういえばそうだった」

 

 おれが作ってばかりだから忘れてた。

 イライザは意外とできることが多い。ハーフということもあるけれど、日本に来て3年目なのに日本語が堪能。18歳になって渡航してきたという胆力に、好きなことに邁進する行動力。バンド活動に同人誌作りがそうだ。どっちも日本では一般的ではない。

 周りとは違うこと、普通ではないこと。それを気にも止めずに行動できる勇気だって、素直に凄いことだと思ってる。

 

「~~♪」

 

 何よりもイライザは楽しそうにどれもやる。料理にしたってそうだ。そのポジティブさには、出会った頃から助けられてる。恥ずかしいから本人には言わないけどな。

 

「ブロもワイン飲めたらいいのに」

 

「日本だと20歳からだ」

 

「ならイギリスで一緒に飲もうネ」

 

「帰国予定あるの?」

 

「そっちの予定に合わせて戻るヨ。ホームステイ先、決めてないでショ?」

 

「そりゃあまだだけど……」

 

「私の実家にするといいヨ。パピィもOKって」

 

「ありがたい話だな。……イライザには世話になってばかりだ」

 

「お互い様だヨ。日本に来た私を助けてくれたのがブロなんだカラ。すっごく嬉しかったんだからネ!」

 

「イライザが日本を楽しめてるなら何よりだよ」

 

「むー。分かってない」

 

 分かってないって何をだ。イライザがぼかした言い方をしてくるのは珍しいな。

 それはさておきだ。おれの方がやっぱりイライザに恩がある。就職先だって、イライザの父親経由で話が降りてきた。具体的にはイライザがおれの話をして、イライザの親が動画なりを見て、そこから会社に話が行き、目に止まったようで話が来た。

 その種明かしをされたのは、本格的に採用が決まってからだったんだけどな。イライザ自身もこの話は知らない。それでも彼女に恩を感じずにはいられない。

 

「ブロ」

 

「うん?」

 

「まだ名前で呼んじゃダメ?」

 

「それは……」

 

「理由は聞いてるケド……、私は名前で呼びたいヨ」

 

「……」

 

「私にとってブロは日本の最初の友達で、一番の友達。一番大切な人。ブロにとって私は、数いる友達の1人だろうケド」

 

「っ、そんなことない。おれにとってもイライザは初めての国外の友達だ。いっぱい助けられて……だから、その」

 

「いじわる言っちゃったカナ」

 

 ソファに座らされて、頭を抱きかかえられる。イライザのやわらかくて甘い匂いにパニックにされたのに、ゆっくりと頭を撫でられて落ち着かされた。

 

「ブロはね、ブロのことをもっと好きになろうネ。私も、ヨヨコも、結束バンドの人も、昔のブロを知らない人は多いんだヨ。今しか知らなくて、今のブロが好きなの。loveの人もいるネ」

 

 伊地知は昔のおれを知ってるけど、昔のおれを見てる感じがしない。最近、本当の意味で目が合うようになったと思う。

 

「ブロも実は気づいてるんだよネ? 答えは出せそうカナ?」

 

「……まだ分からない。分からないんだよイライザ。誰かを選ぶのって、なんでこんなに苦しいのかな」

 

「それは優しいからだヨ。日本人は優しい人多いケド、ブロはその中でも優しい。相手の気持ちを考えられる人。私はそんなブロが好きだから、協力したくなる」

 

「……」

 

「答えを出さないことが、一番酷いことの時もあると思う」

 

「そうだよな……」

 

「いっぱい考えて、いっぱい一緒に遊んで。そしたら決められるんじゃないかナ。付き合うために告白ってイギリスにはないし、私はそう思うヨ。デートしたりたくさん話さないと、相手のこと分からないカラ!」

 

 それはたしかにそうだよな。

 デートってどこからどこまでがデートなんだろうか。男女2人で出かけたらデート? やっぱりそう? ……これまで結構デートしてきてね?

 

「ありがとうイライザ。少し思考が晴れた」

 

「うん! 私はお姉さんだから、いつでも相談に乗るからネ!」

 

 普段は人を振り回すタイプなのに、イライザはこういうところがあるんだよな。頼りがいがあるというよりかは、気持ちを前向きにさせてくれる。

 

「ご飯食べたら、頑張って同人誌書こうネ!」

 

「あ、はい」

 

 




 評価増えて承認欲求が満たされていっております。ありがとうございます!


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喜多ちゃんによる職場訪問

 

 世間一般的に、クリスマスのあとは年末年始。大晦日とか正月とかそっちに目が向く。大晦日の特別番組、正月番組、駅伝なんかも新年の行事で注目を浴びやすい。

 けれどそれは世間一般での話。オタクの場合はそうじゃない。オタクの最大のイベントはクリスマスでも正月でもない。ビッグサイトにて行われる東京夏の陣&冬の陣ことコミマである。コミマ名物始発ダッシュ(危ないからやめようね)があったり、すんごい経済効果を生んでいたり、年で一番献血が行われたりと、それはもう大きなイベントだ。

 

「設営完了! あとは時間まで待つだけだネ!」

 

「弁当持ってきてあるし、朝ごはんにしようか」

 

「うん! 楽しみ~」

 

「定番のおかずしか入ってないぞ」

 

「それがいいんだヨ! アニメで見るお弁当もそういうのが多いでショ!」

 

「もしくはダークマターの2択だな」

 

「イギリス料理より酷い見た目のご飯のパターンもあるよネ」

 

「え、自分で貶す?」

 

「本当に美味しくナイ……。一緒にイギリスに行った時はブロがずっとご飯作っテ?」

 

 ご飯を作るのはいいけども、親が泣くぞそれは。

 というか、それってイライザの味覚が変わってないか? 元々はイギリスでの食事で生きてきたんだし。日本に来て3年目になると変化が起きるものなのかな。

 弁当はイライザの家で作った。泊まり込んで同人誌を完成させて、印刷の依頼だったり受け取りだったり。その後はダンボールへの詰め込みに、ここまでの運搬。一度家に戻ったタイミングはあるけど、ほとんどイライザの家にいたな。

 これは去年もそうだった。去年の年越しはイライザとだったから、あけおめとおたおめを同時にしたな。今年はそうはならないけど、誕生日祝いはしないとな。

 

「お弁当が朝ごはんで、コンビニで買った軽食が昼ごはんってなんか逆だよな」

 

「私はブロのご飯を最初に食べられて嬉しいヨ」

 

「よく平然と言えるな……」

 

「本当のことだもん」

 

「イライザ……オタクはちょろいからあんまそういうこと言うなよ」

 

「? ブロにだけ言うネ!」

 

 だからそういうところなんだよな! 駄目だ何も分かってない。諦めよう。

 

「慌てるのかわいい」

 

「揶揄うなよ……」

 

「ふふっ。ブロのおかず1つ分けテ」

 

「中身一緒なんだけど」

 

「分けテ」

 

「……どれがいい? イライザのおかずと1つ交換な」

 

「うん! 私このタコさんウィンナー貰うネ!」

 

 イライザの箸の持ち方は綺麗だ。日本人でも綺麗な持ち方に苦戦する人はいるし、諦めてオリジナルの持ち方をする人も珍しくないのに。イライザは諦めずに修得してる。

 好きこそ物の上手なれってことだ。

 イライザはアニメが好きだから、そこで見たシチュエーションを真似たがる節がある。このおかず交換もそういうこと。タコさんウィンナーを選んだのは、日本の弁当くらいでしか見ないから。たぶん。日本だけだと思う。

 日本人としては食べ慣れたあの味を、イライザは美味しそうに食べている。業者の人にこの反応を見てもらいたいくらいだ。多少なりとも喜んでくれると思う。

 

「イライザ、ハンバーグちょうだい」

 

「だめ」

 

 流石に駄目か。ハンバーグはお弁当の人気おかずランキングで堂々の1位(おれ調べ)。これは当然の返し。

 

「それならミートボール」

 

「だめ」

 

「なんと!」

 

 まさかミートボールも駄目だと!? 3個入ってるうちの1個をくれたらいいだけなのに。譲歩しやすく、タコさんウィンナーとの交換も成立しやすいラインのはず。それなのにこれも断るとは、何ならくれるんだ。

 

「ブロ、口開けて」

 

「は?」

 

「あーん。どう? 美味しい?」

 

 何言ってんだとぽかんとしていたら、ミートボールを口に入れられた。いいんかい!

 いやそれはもうどうでもいい。イライザの拒否理由が、おかずのことじゃなくて食べ方にあったのは予想外だ。おれが食べるんじゃなくて、イライザに食べさせられるというシチュをしたかったとは。

 それぐらいなら家でしてたのに。弁当はまた別か。

 

「美味しいよ」

 

 弁当用意したのおれだけどな。

 周りからの視線があっても、イライザが止まらないことにはやめようもない。

 ここはアニメ好きの人たちが集まる場だ。イライザにとっては友達を作りやすい場所でもある。しかし男女比は圧倒的に男が多い。金髪アニメ好きハーフ女性という特盛り属性を持つイライザは、希少価値が高いことだろう。

 下心ありで仲良くなろうとする奴は寄せ付けさせない。同行してる友人として、これだけは守らないといけないラインだ。

 そうして始まったコミマ。ぞろぞろと流れる人の波を眺める。イライザの同人誌は1次創作。2次創作はネットのみ。……手がけ過ぎでは?

 

「完売したら嬉しいナ」

 

「そうだな」

 

 初回は半分残っちゃったからな。あの時のイライザは……。

 

「ブロ?」

 

「売れるよ。イライザの漫画はSNSでも広めてるんだし」

 

「ブロのそういうとこが好きだヨ」

 

 面と向かって言わないでほしい。年上感の薄いイライザの花の笑顔を向けられると照れるんだから。

 ともかく。日本3年目のイライザは、オタ活用のトゥイッターのアカウントも持ってる。今回売る同人誌の宣伝もしてあるし、試し読みできるように数ページは公開済。それなりに好評だった。

 それが実を結んで、1人また1人と買っていってくれる。中には喜ぶイライザ目当てで来てる人いるな? まぁそういう人たちは前回とかも来てるし、リピーターだからありがたい存在ではあるんだけど。

 

「ようやく着きました~! 先輩たちの場所ここだったんですね!」

 

「は……? え? 喜多ちゃん!?」

 

「本当に来てくれタ~! 嬉しい!」

 

 イライザは知ってたのか!? おれは何も聞いてないが!? 2人揃って何だその顔。さてはグルだな!!

 

「イライザさんのアカウントをフォローしてるんですよ。それで先輩も来られるということで、私も来てみました!」

 

「連れてこられた佐々木です。喜多がいつもお世話になってます」

 

「あぁいやいやこちらこそ。じゃなくて!」

 

 喜多ちゃんの陽のオーラがこの場では強過ぎる! 周りのテーブルの人たちの目が潰れてるよ。なんか崇め始めてる人たちもいる。気持ちはよくわかる。喜多ちゃんはとてもかわいい。

 

「食わず嫌いもどうかなって思って。先輩がいますし、経験してみるにはこの上ないタイミングじゃないですか」

 

「それはそう。大丈夫だった? 変な目にはあってない?」

 

「変な人たちならいっぱい目にしました」

 

「ならOK」

 

「イライザさんのどーじんし? 読んでみてもいいですか?」

 

「もちろん! 買ってくれるともっと嬉しい!」

 

「もちろん買いますよ!」

 

 喜多ちゃんに、喜多ちゃんの友達の佐々木さん。イライザもいるからこの場所だけ空気感変わったな。心なしかいい匂いもする。清涼剤だとでも言うのか。これが乙女パワー。

 

(このキャラのモデルって……)

 

「?」

 

「ふふっ。exactly!」

 

「なにが?」

 

(手伝ったのに気づいてないんだ!?)

 

「私もこれ買いますね」

 

「ありがとう! 喜多の友達もいい人だネ!」

 

「面白かったんで。過去作もあります? 残ってたら売られることもあるってネットで見かけたんですけど」

 

「お客様は神様ってこういうことなんだネ!」

 

 たしかそれ意味合い違うからな。字面では合ってるけども。

 

「こっちの本が過去作だヨ!」

 

「さっつー太っ腹ね」

 

「シリーズものみたいだし、最初から読みたくなるじゃん」

 

「それなら私も買おうかしら」

 

 友達が何冊も買ってたら、「自分も買った方がいいやつ?」ってなることあるよね。そういう理由だけで買いそうなのは後藤ちゃんだけど。陽キャには陽キャの苦労があるってやつだ。

 

「先輩たちはお昼どうされるんですか?」

 

「コンビニでおにぎり買ってあるから、それで済ませるつもり。完売までは時間いっぱい粘るつもりだし」

 

「そうだったんですね。それなら丁度よかったです」

 

「丁度いいとは?」

 

「お弁当を作ってみたので、よかったら食べてください!」

 

「え、喜多ちゃんたちが食べる弁当じゃないの?」

 

「いえ、差し入れしたいなと思って作ったんです。ご迷惑でしたか?」

 

「そんなことはないよ。ありがとう喜多ちゃん、美味しく食べるね」

 

 しゅんって落ち込んだ顔をされては断れない。というか動機も動機だ。それを聞いて断ることなんてどうしてできようか。米1つ残さずに食べ切らせてもらうとも。

 喜多ちゃんって料理できたんだっけ。お弁当を作ってくれたんだし、できる側か。

 

「よかった~! イライザさんのもありますから、よかったらイライザさんもどうぞ」

 

「ありがとう喜多! 私今日貰ってばっかりだヨ」

 

「……先輩の料理もいただいたということで合ってます?」

 

「そうだヨ。ブロはお弁当も上手!」

 

「へー。そうなんですね~」

 

(あぁ、この人がパッシー先輩ってことね。たしかに顔がいいな)

 

 喜多ちゃんがピリピリしてるね。イライザは無自覚にやらかしちゃうんだから~。

 

「今度喜多ちゃんに作ってあげようか? 3学期のどこかで山田にも弁当作るし」

 

「どこかってアバウトっすね」

 

「朝起きれるかが問題だからな!」

 

「あ~、たしかに」

 

「それでしたら先輩、明日のお昼ご飯作ってください」

 

「明日!?」

 

 すんごい急だね。お昼の時間帯ならたしかに空いてるけども。

 

「食材は買って行けばいい?」

 

「喜多の先輩ってフッ軽なんですね」

 

「どのみち弁当箱を返すために会うからね。食べ終わるまで居てもらうのも悪いし、洗って返したいじゃん」

 

「常識あったんですね」

 

「喜多ちゃんおれのことなんて話してるの?」

 

 目を逸らすんじゃありません。

 

「常識がなさそうでありそうでやっぱりない人」

 

「ちょっ、さっつー!」

 

「逆がよかったよ」

 

「せ、先輩信じないでください! 今は全然思ってないですし先輩は素敵な方でカッコよくてだから私は! ぁ……っ~~~! また明日ー!!」

 

「喜多ちゃん!?」

 

「私もこれで。イライザさん、応援してます」

 

「ありがとう! またネ~!」

 

 喜多ちゃん……お会計を立て替えてくれた佐々木さんにお礼言うんだぞ。

 




どっかのタイミングで、それぞれのif(√)回しようかなぁとぼんやり考えてます。(単発話で)


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喜多ちゃんのシェフやります

 

 喜多ちゃんが差し入れしてくれた弁当箱の返却。それにプラスでお礼として料理を振る舞う。それが喜多ちゃんの家に行く理由。1人で行くとなると緊張するものだ。高校生になって女の子の家に行くって、ハードルが高過ぎるのなんの。後藤ちゃんの家に行った時は、伊地知とか喜多ちゃんとかいてくれたから、それも紛れていただけ。

 友達の付き添いとして行っていた……構図としては少し不思議なところがあるな。2回目の訪問の時なんて泊まりだったし。一度だけ、朝起きたらふたりちゃんが布団に紛れてて大変だったな。後藤ちゃんのお母様とジミヘン以外味方がいなかった。

 それはともかく、喜多ちゃんの家には泊まりで行くわけじゃない。お昼ご飯を作って食べてもらい、そこそこに雑談を挟んだら帰る流れだ。緊張はするものの、あの時に比べれば幾らか気が楽ではある。

 

「先輩、いらっしゃいませー」

 

「これ、つまらないものですが。あと弁当箱も」

 

「わざわざすみません。今晩にでも家族でいただきますね。ふふっ、先輩緊張してます?」

 

「バレた? 緊張もするよ。1人で女の子の家に来てるんだから」

 

「それならよかったです」

 

「なんで?」

 

「だってそれって……。いえ、なんでもないです」

 

「気になるんですけど!?」

 

(女の子として意識してもらえてる……なんて直接言えないや)

 

 喜多ちゃんが黙ってしまった。どうやら教えてもらえないらしい。

 家に上がらせてもらって、食材を持って台所にお邪魔させてもらう。ひとり暮らししてるイライザの家と、家族で生活している喜多ちゃんの家では、台所の広さも変わってくる。というか、おれの家に近いな。ある意味慣れた感じでできそうだ。

 

「喜多ちゃんにはかわいらしいのを貰ったから、ここは男飯でお返しさせてもらいます」

 

「ガッツリ系ですか?」

 

「一瞬それも考えたけど、喜多ちゃんにとってカロリーが高過ぎる可能性大だからやめた」

 

「そしたらその分運動しますけど、配慮してもらってありがとうございます。何を作るか聞いてもいいですか?」

 

「親子丼」

 

「男飯?」

 

「おれが作るから男飯ってことで! まぁ、無難に得意料理から選ばせてもらいました」

 

 丼系=男飯じゃ駄目? 駄目かぁ。カツ丼とか牛丼なら男飯感あるけど、たしかに親子丼はその印象が弱いかもな。

 親子丼を作る上での注意点としては、鳥にちゃんと火を通そうぜってとこだな。これだけが大事で、これが一番大事。あとはなんやかんやで完成する。

 

「ところで喜多ちゃんだけ? ご両親は?」

 

「両親ならおじいちゃんとおばあちゃんを迎えに行ってます。夕方に帰ってくるので、それまでは2人ですよ」

 

「そうなんだ。年末は親の実家に帰る人が多いけど、喜多ちゃんのとこはそうじゃないんだね」

 

「去年までは実家に帰ってましたよ。おじいちゃんたちが気を利かせてくれて、今年からはこっちなんです」

 

 友達付き合いとしても、その方がいいのかもな。喜多ちゃんなら友達と初詣に行くんだろうし、高校生になったからその行動力の制限は減らそうって方針かな。

 

「先輩もこっちなんですね」

 

「中学からはそうだね。祖父母のことは好きなんだけどね」

 

「もしかして嫁姑問題ですか?」

 

「いやいや仲良くしてるよ。父親が死んでから、おれへの可愛がりが加速したっぽくて。甘やかされることに慣れてもなんだし、年1で会うことで落ち着いた」

 

「あ……ごめんなさい」

 

「気にしないで。喜多ちゃんに話してなかったもんね」

 

 父親が死んでからというのは、おれの記憶が失くなってからというタイミングと一致する。ダブルパンチが効いてしまったんだと思う。

 喜多ちゃん、なんだかそわそわしてるね。自分の家で他人に料理を作ってもらうことって、そうそうないからか。

 

(先輩エプロンも似合うなぁ。今度は一緒に作れたりしないかしら。先輩と並んで……)

 

「喜多ちゃん顔赤くなってるけど大丈夫? 熱ある?」

 

「ひゃい! だ、大丈夫です! 元気ですよ!」

 

「そう? もし本当に体調が悪かったらちゃんと休んでね。おれもお昼用意して、片付けたら帰るから」

 

「本当に大丈夫ですからずっといてください!」

 

「ずっとは難しいなー。海外行くし」

 

「ぁぅ……」

 

 喜多ちゃんがテーブルに突っ伏した。後藤ちゃんならこういうのよく見るけど、喜多ちゃんがやるのは珍しい。……ずっと、か。後藤ちゃんにも似た内容を言われたっけ。後輩からそう言われるのは、先輩冥利に尽きるね。山田は山田らしい反応で、伊地知は……どうなんだろうな。花火の時の反応からして、あんまり賛成っぽくはないよな。

 薄情なのかな。どのみち進学はないから就職で、進路を決めないといけない。祖父母はお金を出すって言ってくれてたけど、大学は高い。2人の生活もあるんだし、自分たちのために使ってほしい。

 

「喜多ちゃん?」

 

 席を立ったのは見えてたから、飲み物でも取るのかなと思ってたらそうじゃなかった。後ろに来られて服を摘まれてる。背中に感じるのは喜多ちゃんの頭かな。

 包丁を使い終わった後でよかった。切ってる時だと危なかった。

 どうしたのだろうと待ってみても、しばらく無言が続く。体調が悪いというわけじゃないのなら、ここは待ち続けることにしよう。

 鶏肉の火の通り具合を確認してると、喜多ちゃんがぼそっと話し出す。

 

「行っちゃうんですよね」

 

「そうだね。卒業して何日かしたら」

 

「どうしてもですか?」

 

「どうしても。おれのやりたいことでもあるから」

 

「先輩のやりたいことって何ですか……! そこじゃないとだめなんですか……!」

 

「……会社は他の似たとこでもよかったかもね。でも、日本じゃできないから」

 

「っ!」

 

 服を強く握られたのを感じる。

 おれの考えは、やりたいことは、理解されないことなのかもしれない。あるいは納得できないことなのかもしれない。もし逆の立場だったら……おれはどうするんだろうか。

 腕が前に回される。背中のほぼ全体が喜多ちゃんに当たってることがわかる。これにはさすがに鼓動が煩くなる。

 

「私じゃ……だめですか? 私じゃ、先輩の理由になれないですか?」

 

 そんなことはない。ただ、

 

「……誰であっても変わらないかな」

 

 たとえ誰かと付き合えたとしても、選んだことを取り下げたりはしない。もし変わるのだとしたら、それはおれが結束バンドと出会わなかったらという話になる。

 自分の憧れと矛盾が生じてる面があるのは自覚してる。不変に憧れながら、環境が変わる選択を取ってる。これまでできた縁と離れる選択肢を取ってる。

 それでもおれは、結束バンドを好きであることを変えてない。これまでも、これからも応援したいバンドだ。

 

「だから、ごめんね喜多ちゃん」

 

 振り返って喜多ちゃんの琥珀の目を見つめた。釣り目でいつもはぱっちりとしてる目だ。いつも元気がその目に灯ってる。それが今は釣り下がっていて……潤んでる。

 

「……もう、振り向かないでくださいよ。後ろにいた意味、ないじゃないですか」

 

「ごめん」

 

 顔を伏せられてそれ以上はもう見えなくなった。誰でもそうだよな。そういう顔は、他の人に見られたくないもんな。

 分かってる。原因はおれなんだ。おれが傷つけてる。きちんと全部を話してないからだ。話したとして納得してもらえるかは分からないけど、何も言わないんじゃ知ることもできない。

 話そうとして、言葉が胸で突っかかる。言葉が出なくなる。きっとまだ誰にも言ってないから──じゃない。話せないのはそういうことじゃない。

 人が泣いていたら優しく接する。例えば迷子の子とか、目線を合わせて頭を撫でて落ち着かせたり。でも喜多ちゃんは子供じゃないし、おれにそんな資格はない。

 だから動きかけた手もピクリと止まる。

 

「先輩」

 

「ん?」

 

「鶏肉、焦げません? 大丈夫ですか?」

 

「やべ」

 

 慌てて振り返ろうとして、喜多ちゃんがいることを思い出して踏み止まる。慎重に丁寧に喜多ちゃんの腕の中を再度回転。鶏肉へと向き直って再開。ちょっと焦げたけど、これぐらいならいいでしょう。多少の焦げはスパイスということで。

 

「ありがとう喜多ちゃん」

 

「いえ……邪魔しちゃってるのは私ですから」

 

「ううん。これ以外のことでも、いろいろと含めてね」

 

「……どういたしまして。もう少し、このままでもいいですか?」

 

 お昼ができるまで、喜多ちゃんはこのままだった。

 彼女を泣かせてしまったことを、おれはずっと覚えてる。

 

 



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年末年始。伊地知虹夏を添えて

 

 年末。1年の終わり。大晦日。

 特番として鉄板な歌番組も、知らないアーティストが多いとただのラジオ番組。ゲラゲラ笑える系の番組を見ようとして母親とリモコン戦争。叩いてかぶってじゃんけんぽん大会へと発展。白熱した勝負は18ラウンドにまで突入して、最後には敗北。3カウントKOまで決められた。

 熱くなり過ぎたものだから汗もかく。順番に風呂に入ってさっぱりして、母親がいない間にチャンネルを変えたら3カウントでKO。年の終わりに敗者という烙印を刻まれ、それを噛み切るように年越しそばを食べた。

 

「ごちそうさま。出かけてくる」

 

 家で年を越してから伊地知と初詣に行く予定になっていたのに、「若い者同士で年越してこい」的なことを母親に言われて変更を余儀なくされた。電話越しに伊地知の戸惑っていた様子も伝わってきたけど、どういうわけか向こう側からもOKが出ている。

 伊地知の家までそう遠くもない。自転車で行った方が楽ではあるから、バイトの時はたまに自転車を使ってる。今回は初詣が主目的。自転車は邪魔になる。

 深夜ともなると冷え込む。アウター以外にもマフラーと手袋を装備。ニット帽はないから完全装備ではない。それでも十分暖かい格好だ。

 それに比べて、

 

「寒いだろそれは」

 

「意外とあったかいよ? 制服の方が寒いかなー」

 

「女子はスカートだもんな。やっぱあれ寒いんだ」

 

「そりゃあね。若さパワーで耐えれてるだけ」

 

「若さとか言っちゃったよ」

 

 伊地知が着てるのは着物だ。初詣をする女性客でよく見かける格好。着物ってなんでこんなに人を綺麗にするのだろうか。魅力が溢れてる。

 

「かわいい」

 

「っ! ぁ、ありがと」

 

「え? 何が?」

 

「へ?」

 

「ん?」

 

(自覚ない?)

 

 結局伊地知にはぐらかされた。なんで急にお礼なんて言ったんだろ。……あれか? 1年のお礼というやつか? それならおれも言わないといけないな。

 

「この1年、ありがとう伊地知」

 

「……そう言われるとなんか寂しく聞こえちゃうからやだなー」

 

「えぇ……」

 

 伊地知から言い出したことなんじゃ……。

 ならこの話は終わりとして、それより伊地知がなんでもう着物の着付けが終わってるんだろ。初詣に行くにしてもまだ時間がある。準備するの早すぎない?

 

「お姉ちゃんが出かけろってさ。時間あるし、ちょっと寄り道とかしてから行かない? こういう時間に外を出歩くこと普通はないしさ」

 

「……そうだなー」

 

「……夜遊びは感心しないなぁ」

 

「何も言ってないで候」

 

「はいダウト」

 

「うぐっ」

 

 言い訳は、しないでおくか。補導されてないのは運が良かっただけだし。

 今日は大晦日。初詣に行くという言い分があるから、警察にも大目に見てもらえるはず。たぶん。maybe。

 

「っとそうだ」

 

「なに?」

 

「着物が似合ってるとこ悪いんだけど、一緒にいるおれが寒く感じてくるから」

 

「え、いいよいいよ! あたしは別に!」

 

「聞きませーん」

 

 おれのマフラーを解いて、それを伊地知の首に巻く。うん。やっぱり着物とマフラーは見た目の相性がよくない。異文化の雑な組み合わせ。手袋はまだマシに見えるだろうか。

 

「そこまではいいってば!」

 

 そう言っている伊地知の手を、手袋を外して直接触れる。控えめに言っても、その手が暖かいとは言えなかった。

 

「も~。……それなら左手のを貸して」

 

「なんで?」

 

「いいから」

 

 半ば奪う形で手袋を取った伊地知は、それを自分の手につける。空いている右手がおれの左手を掴み、アウターのポケットに突っ込まれた。

 

「これならお互い寒くないでしょ」

 

「そうだけどさ……」

 

 自分のポケットの中に女子の手が入ってるとか、鋼のメンタルじゃなかったら血を吐いて気絶してるぞ。心臓に悪いったらありゃしない。

 意識しないようにしても、狭い場所で触れ合う手の感触を脳が認識する。小さくてやわらかい手。細い指。指と指の間を縫うように、少し冷えた指が伸びてくる。

 寒くないなんて言ってたけど、やっぱり寒かったんだろうな。耳も赤くなってる。

 

「伊地知さん」

 

「周りに誰もいないから」

 

 ポケットに手を入れている以上、伊地知と距離を取ることはできない。時折、衣の擦れ合う音が静かな町に抜けていく。

 誰もいないとは言っても、それはこの周辺にはいないというだけ。電車も残り2、3本は走る。24時間営業の店には当然店員がいるし、そこを利用する客もまばらにいることだろう。

 ただこの瞬間だけは、おれたちだけが外を歩いている。

 

「伊地知って初詣は毎年店長と行くのか?」

 

「うん。あとはお父さんもだね。いつも忙しくしてるけど、年末年始はさすがに休みだから」

 

「今さら聞くのもなんだけど、今年はよかったのか? 父親と過ごせる時間だったのに」

 

「珍しくお酒で酔い潰れてたし、行ってこいって言ってくれてたから大丈夫だよ」

 

 潰れるほど飲んだ理由は……考えないでおこう。なんか背筋が寒くなってきたわ。

 

「そっちこそよかったの? お母さんと2人暮らしなんでしょ?」

 

「十字固されながら行けって言われた」

 

「あ、あはは……相変わらずバイオレンスだね」

 

「……相変わらずってことは、うちの母親とも知り合いだったんだな」

 

「ぁ」

 

「まぁ、おれが忘れてるだけだもんな」

 

「謝らないでね」

 

「!」

 

 まさに口走りそうになったことを先制で止められた。重なっている手が強く握りしめられる。

 

「事故なんだもん。受け入れるしかないから。……だから謝らないで」

 

「……そうだな」

 

 そうだろうと思っていたことの確証を得た。伊地知が家に来た時、母親の機嫌が良かったのも繋がる。それぐらい、おれたちは仲が良かった。あるいは、関係が深かった。

 謝ったとして、それは何への謝罪になる? 誰が悪い? 何が悪い? 事故当時のことを言えば、事故を引き起こしてしまった犯人だろう。それも結局、おれにとっても()()()()()()()。「そうなんだ。へー」程度しか思ってなかった。恨むこともなく、受け入れた。

 一緒なんだ。

 

(あたしは謝られる資格もない。だって、覚えられてないことを分かっていて、それでも昔を求めていたんだから)

 

 空気を変えようと空を見上げた。東京は夜でも明るい都市だ。夜空に光る星々はほとんどが見えなくなる。夏休みに後藤ちゃんとプラネタリウムに行ったように、星を見ようと思うと人工のものか、あるいは街明かりから離れた場所に行くしかない。

 天体観測も今度やってみたいな。キャンプを兼ねてやるのも良さそうだ。

 

「星見えた?」

 

「何個かは」

 

「好きだもんね」

 

「うん。……先になるだろうけどさ、キャンプしに行かない? 天体観測もできるところで」

 

「キャンプ! いいね行きたい! それで先っていつのこと?」

 

「未確認ライオットの後」

 

「それ半年は先じゃん……。春休みとかゴールデンウィークは?」

 

「そこは人も多くなるからなぁ。待てないなら適当な週末とか?」

 

「そうしようよ。練習ももちろん大事だけど、息抜きも必要だからね」

 

 伊地知がそれでいいのなら。日程とかは後日決めるとして、場所も探しておかないとな。おれはともかく、伊地知はキャンプ経験なさそうだし。

 

「あ、除夜の鐘が聞こえてきたね」

 

 ぶらぶらと歩いていたら、どうやら寺の近くに来ていたらしい。全部で108回鐘を鳴らすんだとか。それが煩悩の数と同じという話。多いな。

 その鐘の音を聞きながら目的の神社へと進んでいく。有名で大きな神社なら、人の数も比例して多くなることだろう。神宮とか凄そう。まぁでも、年が明ける瞬間に神社にいる人は、初詣の総数からしたら少ないのも事実。

 

「そろそろ手を離すか」

 

「あ、そうだね」

 

 ポケットの中から手を出すと、手袋を外してそれを代わりにポケットの中へ。伊地知に貸していたものも回収した。神社に来ると水で清めないといけないしな。

 

「神様に何をお願いするか決めてるのか?」

 

「決まってるよ~。何個でもいいんだっけ?」

 

「え、知らん」

 

「えー。ま、いいや。お願いしたいことは全部お願いしよっと」

 

「そんな多いのか……。煩悩まみれ」

 

「3つだけだよ!?」

 

「んー、多いとは言い切れない微妙さ!」

 

「微妙で悪かったね」

 

 伊地知が何をお願いするのか。2つくらいは予想できるけど、それを聞くのは野暮ってやつだ。おれも自分の願い事はあまり言いたくないし。

 

「年が明けるまでのカウントダウンする?」

 

「境内に入ったし、それはちょっと」

 

「だよね。スマホで確認だけはしとこうよ。すぐに言えるように」

 

「競争じゃないんだから……」

 

「ある意味競争だよ」

 

 平和に行こうぜ。平和に。

 

「伊地知」

 

「なに?」

 

「今年もありがとう」

 

 高1の時から、委員会でも助けられてたからな。

 

「あたしの方こそありがとうなんだけど」

 

「かな? ()()も、1年間よろしく。あけましておめでとう」

 

「ああぁぁ!! ずるいよ! ずるい! あたしが先に言いたかったのに!」

 

「どんまい!」

 

「もう! ……あけましておめでとう。今年もよろしくだけど、1年じゃないよ」

 

 来年の2月に卒業式だしな。

 

「そういうことでもないから」

 

「考え当ててくるのやめようぜ」

 

()()()()()よろしくね? この先も、いなくならないでね。あたし寂しいのイヤなんだから」

 

 

 



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伊地知星歌の姉心

 

 パッシーは虹夏の幼馴染だ。家族想いの虹夏が同じだけ、あるいはそれ以上に想いを寄せていた相手でもある。

 家族ってのは、単純に考えれば生まれた時から与えられる居場所だ。私が生まれた時、私の家族は父さんと母さんだった。虹夏が生まれた時、妹ができた。虹夏の場合、生まれた時から両親と姉がいる。家族はその時からいる。

 それは特別な存在でもある。同じ空間で生活して、笑って、時に怒って、泣いて……よく泣かせていたのは置いといて。悪かったなとは今思ってるさ。ともかく、家族ってのは初めからあるもので、大切なものだ。

 マセガキだった虹夏は、本気でパッシーと結婚したがっていた。どうやったら結婚できるのかを母さんに聞いてたし、子供はどうできるのかを父さんにも聞いてた。

 家族じゃない、いわば他人である男と家族になりたがる。その想いの強さは、ある意味生まれた時からの家族に向けるものより強いと思う。

 

「虹夏にもとうとう男が……そうだもんなぁ。かわいいもんなぁ。ちっちゃい頃はパパと結婚するって言ってくれてたのに……」

 

「完全に酔い潰れてんな。その手のやつを本気で捉えてたのかよ」

 

「本気じゃなくても嬉しいものだろぅ! いつも家になかなかいれないのにさぁー。それでも言ってくれてたんだぞぉ! 虹夏に子供ができたら旦那さんをパパって呼ぶんだろうな。……他にパパが……ぐぁぁぁ!!」

 

「うるせぇぇ!! てかあいつら付き合ってねぇぞ」

 

「……なんで? 虹夏に魅力を感じてないの? は? 虹夏を振るなら処すけど?」

 

「めんどくせぇぇ」

 

 明日になったら忘れてるんだから尚の事タチが悪い。……今回の場合はいい方に転ぶか。

 ともかく、昔の虹夏の想いは一度止まった。今も虹夏の中にあるんだろうが、別と判断して切り替えられてるみたいだ。そしてまた、虹夏の中で芽ばえた。……いや、昇華した。

 虹夏を見てて思ったのは、子供の頃って恋を知らなくとも愛を漠然と理解しているということ。昔のあれは「愛」で、今の虹夏は「恋」をしている。

 恋愛、恋から愛へと変わるなんてとんでもない。恋は飛来する流星だ。一時期その人の中にあって、やがてそれは流れていく。恋心は他の形に変わっていく。

 楽しそうに弁当を作っていた。いつもなら味付けの確認で済ませる工程も「この味でいいのかな?」なんて思考を挟んでた。喜んでほしいと思って作っていた虹夏の姿は、身内びいきだとしても誰よりもかわいい奴だ。

 

「虹夏が結婚したら虹夏のご飯を食べられなくなるのか……父さん寂しいよ」

 

「じゃあ反対するのか?」

 

「虹夏に相応しい相手か判断してから送り出すとも……! カハッ!」

 

「ダメージ負い過ぎだろ……」

 

「娘の幸せを願い、喜ぶのが親というもの。……その後の食事問題は一大事だがそれはそれ」

 

 そこはたしかにやばい。私は苦手だし、父さんも得意ではない。毎日弁当だと出費が嵩むしな……。ライフラインに影響でかいな。虹夏に頼りきってたのが原因か。

 虹夏は充実した生活を送れてるだろう。バンドを組んで、本気で活動できている。パッシーとの関係は……まぁ後腐れなく落ち着いてもらうとして、一緒に過ごしてるのは楽しそうだ。戦力的にバイトで同じ配置にしてやれないのは、堪忍してほしい。

 

「年も明けたんだから、自分の部屋で寝てくれよ」

 

「虹夏の着物姿、写真撮ったか?」

 

「撮ったしロインで送ってやるから、ベッドに行けって」

 

「かわいかったなぁ。ウェディングドレスも似合うだろうなぁ……ぐすっ」

 

「おら、いい加減寝てくれよー」

 

 父さんをベッドに突っ込ませて、リビングで片付けを終えたら私も部屋に行って寝る。虹夏が帰ってくるのを待つのはやめた。パッシーのことだから、必ずあいつが家まで送り届けてくる。心配する必要はない。

 パッシーにはパッシーの人生がある。あいつの道がある。どういう選択を取ろうと、私は口出しをする立場にはいない。相談とかされたら答えるけど、そうじゃないなら干渉しない。姉としては、妹を泣かせない選択をとってほしいけどな。

 虹夏にとって、パッシーの存在は大きい。想像よりも大きい。

 虹夏のトレードマークとも言えるリボン。今年……じゃなくて去年か。去年にパッシーはプレゼントしたようだが、()()()2()()()だ。過去にもプレゼントしたことがある。

 あの後虹夏がアルバムを開いて、両手に2つのリボンを握りしめていたことを、あいつは知らない。その胸中を私も推し量れない。私にできるのは、妹を見守ることだけだ。

 

 朝になって起きると、さすがに虹夏も家に帰ってきてた。補導されたわけでもなさそうで一安心。ソファで虹夏の横のパッシーも揃って寝てることには度肝を抜かれた。新年早々ドッキリだ。

 着物から部屋着に変わってはいる。虹夏のではないパーカーに袖を通して寝てる姿は、愛らしさの他にもこみ上げて来るものがある。

 

「もっと暖かくして寝ろよ……」

 

 毛布を持ってきてそれを2人にかける。なんとも幸せそうに寝てる我が妹は、さぞかしいい夢を見てるんだろうな。

 だけど場所も悪いし状況もあんまよくはない。父さんがまだ起きてこないことが幸いだ。出てくる前にどっちかには起きていてほしい。面倒事のフォローはしないぞ。面倒だからな。

 

「あれ……店長?」

 

「わり、起こしちゃったか」

 

「いえ……寝転んでないと寝付き浅いだけなんで……。というか寝落ちです」

 

「だろうな。飲みかけだった飲み物は捨てといたぞ」

 

「ありがとうございます。ところで……」

 

「虹夏なら部屋に運んでもいいし、そのままソファに寝かせてもいいぞ」

 

「店長が運んでくれるんですか?」

 

「いややらねぇ」

 

「ならここに寝かせるしかないですね」

 

 ま、17の男が同い年の女子の部屋に勝手に入るのはキツイわな。本人が隣で寝てるなら尚の事だ。……余計な心配かもしれないが、虹夏の部屋には昔の写真も多い。それが変な刺激になるのも困りものだ。

 

「……実は起きてたりしない?」

 

「いや、それ寝てるぞ」

 

「離してくれないんですけど」

 

「ベッドにぬいぐるみ置いて寝てるからな。昔から抱き癖があるんだよ」

 

「寝てる時ってこんなに力入るっけ……」

 

「なんだったら虹夏を起こしていいぞ」

 

「うーん。それはやめときます。起こしづらい」

 

 気持ちはわかる。気持ちよさそうに寝てるやつを起こすのは躊躇うよな。

 

「んで? 虹夏がお前のパーカーを着てる理由は?」

 

「着てみたいって言うから貸しただけですよ。大きめのパーカーが好きらしいんで」

 

「たしかにサイズは違うけどさ」

 

 まぁいいか。本人たちがそれでいいなら、余計なことは言わないでおこう。10代って難しい時期だしな。

 

「そうだ。誕プレありがとな。部屋に置かせてもらってるわ」

 

「いえ。パーティーには参加できなかったですし、普段お世話になってるから誕プレくらいは渡しときたかったので」

 

 私がサプライズ派なのは知らなかっただろうけどな。不覚にも喜んじまった。

 

「お前の誕生日は4月だったよな。お礼は考えとく」

 

「えぇ。普段のお礼に渡しただけですよ」

 

「こっちも礼したいことがあるんだよ。虹夏のことでな」

 

「……」

 

「その様子だと、虹夏と昔馴染だったことは知ったみたいだな」

 

 年相応な困り顔をしやがって。忘れたからってとやかく言わねぇよ。私だってはっきりとは覚えてなかったんだ。記憶ってそういうもんだろ。人によってまちまちだ。どれを大切に覚えているかも違う。

 

「昔の関係を引きずる必要はねぇよ。互いにな。虹夏だってそこは割り切るようにしたんだ。つまんねー同情をしようもんなら、今の関係が崩れるぞ」

 

「そう、ですよね」

 

「今の虹夏をちゃんと見てやれ。ぼかさずに、過去を考えずに。お前がどう決断しようと、私はお前の選択を押してやる」

 

「……いいんですか?」

 

「そりゃあ姉としては妹を応援したいけどな。でもお前は、大丈夫に振る舞うだけの男だ。自分の傷を隠そうとするガキだ。だからお前のことだって応援してんだよ」

 

 姉貴分としてな。

 ソファにパッシーが沈む。数秒の沈黙を挟んで虹夏のことを見た。そんなタイミングでパッシーのスマホから着信音が鳴った。その音を目覚まし代わりにして、眠そうに瞼を擦りながら虹夏が起きた。

 

「なんで電話番号知ってるんだろ……」

 

 さらっと怖いことを言いながらパッシーが電話に出た。脳の認識が追いついてきた虹夏は、状況を把握してコイみたいに口をパクパク動かす。

 虹夏にとっちゃあ、今の状況は刺激が強いもんな。

 

「旅行? 大丈夫ですけど。……え、後藤ちゃんと? 待って待ってそれは! ……切れちゃった……」

 

「……へー。ぼっちちゃんと旅行に行くんだ?」

 

「聞こえてた?」

 

「聞こえてないけどなんとなくで分かったよ」

 

「き、決まったわけじゃないし……後藤ちゃんも嫌がるんじゃないかな」

 

「どうだろうね。でもいいんじゃない? ゆっくりしてきたら。この年末予定詰め込み過ぎて疲れてるでしょ」

 

 なんだっけ? 同人誌製作にコミマ、打ち上げからの昨日は別の予定を挟んで虹夏と初詣だっけか? まぁ、詰め込んでるな。

 

「えっと、いいのか?」

 

「なんで?」

 

「伊地知機嫌悪そうだから……」

 

「悪くないですー。ぼっちちゃんとの旅行は全ッ然気にしてないから」

 

(絶対気にしてるじゃん……! 店長ヘルプ!)

 

 あの野郎、ぼっちちゃんと旅行に行くのかよ。

 

(こっちもダメそう!! お土産で許してもらおう。……さすがに保護者同伴だよな。そこは信じていいよな!?)

 



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お母さん! 私のライフはもう0だよ!

 

 私こと後藤ひとりは、後藤家の長女。お父さんとお母さんがいて、年の離れた妹がいて、ペット犬のジミヘンがいる。そんな私は昔からぼっち生活をしてる。お父さんもお母さんも社交的で性格が明るくて、いつも笑顔でいる人たちなのに、妹のふたりも両親に似た性格なのに、私はぼっち生活を送ってる。

 人と話すことが全然ない生活をしてきたから、言葉の最初には「あっ」ってつけちゃうし、人と目を合わせて話すこともパッシー先輩が同じ空間(半径15m以内)にいてくれないとできない。同じバンドの人たちとでさえ、まだハキハキと話すことはできない。

 そんな私に当然交際経験はなく、むしろそういう雰囲気は青春コンプレックスを刺激されてダメージを負うし(最近喜多ちゃんと虹夏ちゃんから青春オーラを感じてるけど、不思議とこの2人のは大丈夫)、友達だって全然いない。

 友達とのお泊りもハードルが高い。虹夏ちゃんとなら大丈夫だと思う。そんなレベルの私にお母さんが最大の試練(死刑宣告)を与えてきた。

 

「福引当たっちゃったからパッシーくんと使ってね♡」

 

 すんごいニコニコされながら渡されたのは、1泊2日の温泉旅館宿泊券。略して旅行券。

 渡されたのは1枚だけ。この1枚が2人分。

 お父さんとお母さんで使うという選択肢は、

 

「ひとりとふたりを残してはいけないでしょ」

 

 という至極真っ当なもの。うん。家事できないもんね。じゃあお母さんとふたり、もしくはお父さんとふたりという組み合わせはどうかと聞いても、お父さん(お母さん)を差し置いては行けないと2人揃ってそう言われた。

 退路を断たれた私に逃げ道はなく、迎えたのは旅行当日。というか言われた翌日。お母さんに荷物を用意されて、先輩が来るのを待ってる。

 

「そわそわしてかわいいわねひとり」

 

「こ、この服が落ち着かないだけ!」

 

「大丈夫! 似合ってるわ!」

 

「そういうことじゃなくて!」

 

 私の愛用ジャージはお母さんに回収されて、代わりに用意されたのはタンスに眠っていた服。お母さんの趣味で選ばれてるから、私の好みとは違う服。フリルのついた長袖の上下。下はスカート。かっこよくない……。

 これで先輩に会うのは、なんか嫌だなって思ってたらチャイムが鳴った。そのパッシー先輩が来ちゃった。

 もたもたしてるとお母さんに何を言われるかわかったものじゃない。荷物を持ってリビングから玄関にダッシュ。靴を急いで履いて先輩を連れて逃走……したかったのに。靴もいつものと違うから履くのに手間取ってる。

 

「後藤ちゃんちょっとストップ」

 

「あ、はい」

 

「たしかこういう靴のはここが……うん。足を入れていいよ」

 

 先輩に手伝ってもらいました。かっこよくないポイントが加算されていく。

 

「あれ? ご家族は……」

 

「あら言い忘れてたわ~。旅行券は2人までなの。だからひとりのことお願いね」

 

「ま!?」

 

 先輩、母が騙してごめんなさい。私は先輩側です。

 抵抗しても無意味だから、私の準備が終わると顔を引き攣ってた先輩も諦めて切り替えた。高校生だけでの宿泊には親の同意書が必要で、お母さんはそれも用意してある。先輩の分も。なんで?

 

「温泉自体は楽しみだし、行きますか」

 

「あっ、はい」

 

「ライブ以外でジャージじゃない後藤ちゃんを見るのは新鮮だね」

 

「に、似合わないですよね。お母さんにジャージを取られたので仕方なく」

 

「まさか。似合っててかわいいよ後藤ちゃん」

 

「ぅぇっ!? ……ぁ……ぅ」

 

「あ、ごめん。後藤ちゃんの趣味じゃないなら、似合ってるって言うのは皮肉になっちゃうかな」

 

「い、いえ……。ほ、褒められるのは嬉しい、です」

 

 喜多ちゃん曰く、お母さんが買ってくる服は甘い系というものらしい。私はかっこいい系が好き。だから先輩が気にしたのも合ってる。

 それでも嬉しさがこみ上げて来る。だって人に褒められること少ないんだもん! コメント欄を除けば8割が先輩からの供給。私の承認欲求のほとんどを1人で賄ってくれる。

 

「あの……お母さんがすみません。先輩にご迷惑をかけて。い、嫌ですよね、私なんかと」

 

「てい」

 

「ほぇ?」

 

 痛くない強さで、優しくチョップされた。先輩はちょっと怒ってるような。指摘が当たっちゃったから?

 

「後藤ちゃんのお母さんに振り回されたのはそうだけど」

 

「す、すみません」

 

「後藤ちゃんと旅行に行くことが嫌なわけないじゃん」

 

「え、なんで……」

 

「なんでもなにも。先輩後輩を無視したら、友達じゃん。友達と旅行に行くのは楽しいし、後藤ちゃんとだからこそ楽しめることもある」

 

「あっ、私はつまらない人間なので、ご期待には添えないかと」

 

「逆に後藤ちゃんは嫌だった?」

 

「そ、そんなことないです」

 

 ずるい。そんな風に聞かれたら否定するしかない。でも、これは本心で言ってること。いつもの癖で反射的に答えちゃったけど、嘘じゃない。パッシー先輩とのお出かけは楽しい。プラネタリウムの時も、ぽかぽかしてた。

 

「あっ、でも。これを虹夏ちゃんとか喜多ちゃんに知られたら、また詰め寄られそうですね」

 

「ははは。だろうね~。伊地知にはもうやられたけど」

 

「早っ!?」

 

「伊地知といたタイミングで電話が来たからさ。それはそうと、後藤ちゃんは初詣に行った?」

 

「あ、行きました。喜多ちゃんに誘われて、喜多ちゃんの友達と一緒に。カラオケも行ったんですけど、歌が上手いと思われてて……」

 

「バンドしてたら上手いって思われるアレか。お疲れさま。後藤ちゃんも今日はゆっくり休もう」

 

 改札を通って駅のホームへ。次の電車が来たらそれに乗る。途中で乗り換えも挟むちょっと長い移動。私は通学で慣れてる。

 三が日だからか、人はいつもより少ない。席が空いてるから先輩と並んでそこに座った。

 虹夏ちゃんには知られてるみたいだけど、喜多ちゃんは知らないはず。後ろめたさはある。喜多ちゃんとはコイバナをしたことがあるから、その時に私は知ってる。

 本当ならお母さんに猛反対して断った方がよかった。きっとそう。それなのに、先輩と旅行に行きたいって気持ちもあって、口だけの文句になっちゃった。私は悪い女だ。

 

「後藤ちゃんって温泉好き?」

 

「あっ、温泉の雰囲気とかお湯とか、落ち着けて好きなんですけど、人がいるとちょっと」

 

「他人に肌を見られるのが嫌な人はいるよね。そりゃそうなんだけど」

 

「そ、それもあるんですけど、なんで陰キャがここにいるんだよってジロジロ見られて落ち着かなくて」

 

「そんな酷い客はそうそういないと思うんだけど!? 後藤ちゃんの場合……」

 

「? わ、私の場合は何ですか?」

 

「……いえ、これ言うとおれが捕まるので黙っておきます」

 

 私のことを先輩が言うと捕まる→先輩は優しいから私を擁護してくれる→陰キャを擁護した罪→先輩が死刑!?

 そんなの嫌だ!

 

「わ、私1人が死刑になりますから」

 

「どう飛躍したの!?」

 

「い、陰キャに社会の居場所はないです……」

 

「そんなことはないって。……うーん、誤解させたままなのもよくないし、あとで理由については言うか」

 

「あっ今じゃ駄目なんですね」

 

「うん。電車の中ではよくないね。旅館についてからでいいかな」

 

 先輩がそう言うのならその時で大丈夫。

 旅館……人はあんま多くないよね。あ、でも冬休みだからやっぱり多いのかな。全然調べてないけど、人気のところなのかな。

 人気のところでも、たぶん部屋から全然出ないかも。ゆったりまったりしたいし、旅館で作詞してみるのも有りかな。なんかプロみたいでかっこいい。

 

「後藤ちゃん?」

 

「はっはひっ! ご、ごごめんなさいもたれ掛かっちゃって。重たいですよね」

 

「そんなことはないよ。乗り換えの駅までまだまだあるし、近くまで行ったら起こすから寝てていいよ。昨日のカラオケとかで疲れてるでしょ」

 

「あっ、ありがとうございます」

 

 パッシー先輩は優しい。目線を合わせて、私のレベルを汲み取って接してくれる。何が不得手なのか、頑張れることと頑張れないことを見分けてくれる。

 私はふたりのお姉ちゃんだけど、こういう風にはできない。パッシー先輩がお兄ちゃんだったらなぁ……。

 

「寝付きいいんだ……。お疲れさま後藤ちゃん」

 

 本当はまだ寝付けてない。でも寝たフリをして先輩の肩に寄りかかってる。

 あの2人の気持ちは知ってる。

 でも、これくらいなら甘えてもいい、よね?

 

 

 




思ったより増えたので次回に続きます。
バレンタイン近いですね。間に合いそうになくて舌をなみました。失礼、かみました。


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後藤ひとりと近くて遠い

 

 ガタゴトと揺れる電車を乗り継いで、たどり着いたのはお母さんが当てた旅行券の旅館。1泊2日の温泉旅館で、夕飯と朝ご飯がついてる。お昼ご飯はここに来る途中で先輩と食べたから、あとはゆっくりするだけ。

 自分の部屋じゃないし、ギターがあるわけもない。ジャージもない。完熟マンゴーもいないしで防御力は0の紙装甲。

 チェックインとかは、福引当てたお母さんの娘である私がするべきなのに先輩がやってくれた。私は先輩の陰に隠れてただけ。

 旅館といえばやっぱり「和」って感じで落ち着く。海外の人は異文化を感じて楽しむから、これって日本人の感覚かな。日本に慣れた人なら同じになる? イライザさんは…………落ち着きそうにないかも。

 

「こちらのお部屋になります。館内着をご試着して、サイズのご確認をお願いします」

 

「わかりました。後藤ちゃんも袖を通してみよっか」

 

「あっ、はい。……あの」

 

「ん?」

 

「……ぁ、あっち見ててもらって、いいですか?」

 

「お客様。服の上からのご試着で構いませんよ」

 

「ぇ、ぁ……」

 

 館内着ってここで過ごすための服で、だからどのみち今着てる服は……あ、サイズ確認だからそこまでする必要はないってこと!? 恥ずかしくて土に埋まりたい!

 

「おれの方はサイズ大丈夫そうです。後藤ちゃんも大丈夫そう?」

 

「大丈夫みたいですね」

 

 先輩に声をかけてもらったのに、俯いて無言で頷くだけの反応をしちゃった。でも今は顔をあげられない。恥ずかしい。すごく熱い。

 

「お食事の時間はどうされますか? 5時半から7時半までの間で、30分毎に予約を承っておりますが」

 

「それなら7時でお願いします」

 

「かしこまりました。お風呂は夕方4時から夜10時までご利用いただけます。朝のお風呂は朝の6時から8時となっております」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

「何かございましたらそちらのお電話でお申し付けください。それではごゆっくりとお過ごしください」

 

 仲居さんがいなくなって、私も少し気持ちが落ち着いた。荷物を部屋の隅に置いたら、押し入れを開けて中を確認。中には布団とかシーツとか枕とか入ってて、下段にあるスペースを見つけるとそこに吸い込まれた。とても落ち着く。

 

「早速ベストポジションを見つけたね」

 

「あっ、すみません。せっかくの旅行なのに」

 

「ううん。ゆっくりするのが目的だし、後藤ちゃんの落ち着ける状態が一番だよ」

 

 またそうやって言ってくれる。先輩はいつだって優しい。みんなに優しい。それは見ていて分かってるし、だからこそ私のことを気にかけてくれてるのも気づけた。

 良い捉え方をしたら特別扱いをされてるということ。反対にすると、それだけ面倒を見られてるということ。手のかかる後輩なんだ。

 

「や、やっぱりそどったっ……!」

 

「大丈夫!? 今鈍い音したけど」

 

 勢いよく頭をぶつけた。痛みに耐えながら押し入れからのろりと出ると、ぶつけた場所を先輩が優しく撫でてくれた。痛みはズキズキと続いてる。それを和らげるくらい先輩の優しさが染み込んでくる。またぽかぽかしてきた。

 

「あ、ごめん。勝手に髪に触れちゃって」

 

「……ぁ」

 

 私は人付き合いが苦手だ。初対面の人とうまく話すことなんてできない。自分から話をするのは登山並みのしんどさ。それが男の人となったら富士山レベル。

 私が唯一話せるのは、お父さんとかおじいちゃんとか家族とあとは先輩だけ。唯一じゃなかった。

 男の人に触れられたら体が爆発する。魂が抜ける。その自信が有り余ってるのに、先輩の手が離れたことが寂しかった。

 

「それで後藤ちゃん。急にどうしたの?」

 

「あっ、いつも先輩に合わせてもらってるので、今日は逆でもいいんじゃないかなー、なんて」

 

「ありがとう後藤ちゃん。近くに庭園があるみたいだし、ちょっと散歩しに行こうか」

 

「は、はい」

 

 よかった。先輩はアウトドアも好きな人だから、ずっと部屋にいるより断然楽しめるはず。うまく誘導できた。……あれ? これも先輩が合わせてくれただけでは?

 

「ん?」

 

「い、いえ」

 

 パッシー先輩なら見通しててもおかしくない。

 うわぁ、もう何をしても考えが堂々巡りになっていきそう。

 

「おーい」

 

「はっ!」

 

「おかえり。後藤ちゃんってこういう人の少ない場所でも苦手?」

 

「こ、これくらいなら落ち着けます」

 

 旅館のすぐそばにある庭園は、日本式の庭園になってる。池もあって水中には鯉が泳いでる。日本庭園と聞いてイメージできる景色。

 人が全然いなくて、耳を済ませると風に揺れる草の音、私たちの歩いてる音、水の流れる音が聞こえてくる。

 落ち着けるけど、これって私が話をしてないから聞こえる音で。それってつまり私いてもいなくても変わらないんじゃ? な、何か話をしてアピールしなきゃ。でもこの空気感を壊しちゃうような。先輩の邪魔をしちゃうかな……。

 

「あそこのベンチにしばらく座ってみない?」

 

「ひゃい!? ご、ごめんなさい。なんでしょう!?」

 

「あそこに座ってみるのはどうかなって。この空気感って地元じゃなかなか味わえないし」

 

「い、いいですね! そうしましょう!」

 

 やっぱり話はしないほうがいいんだ。地蔵にならなきゃ。

 

「あ、無言じゃなくていいからね?」

 

「え!?」

 

「後藤ちゃんって誰かといる時に無言なの無理でしょ」

 

 はい……。グループで私が喋らないだけとかならまだしも、今みたいに1対1で無言なのはキツイです。あ、やっぱりずっと私だけ話してないのも寂しいです。結束バンドでハブられたりしたら首吊り待ったなし。

 

「それに、後藤ちゃんといるんだし2人で話していたいもんね」

 

 嬉しくてくすぐったいことを先輩が言ってくる。それが何故か心地よくて、無自覚に頬が緩むことも多い。

 話したいことだってないわけじゃない。いつも私の話を楽しそうに聞いてくれるから、私も自然と先輩にあの話をしよう、この話をしようってなる。

 今みたいに。

 

 

 

 温泉には夕飯を食べる前に入った。先輩が夕飯の時間を7時にしたのは、6時代にご飯を食べるお客さんが多いから。その分温泉に入る人が少なくなる。考えた素振りもなかったのに、すぐにそうやって判断してくれる。

 温泉にどれぐらい入るかは難しい。部屋がパッシー先輩と同じで、鍵は先輩に持ってもらう。平均的に女子の方が長風呂になるらしいから。

 そうなると、私が長風呂し過ぎるとその分先輩を待たせてしまう。けどすぐに上がると私が待ってたってなっちゃう。だからこれは心理戦だ。勝たないといけない。できる。私は頑張れる子になったんだ!

 

「ご飯の時間もあるし、遅くても6時40分には一度部屋に戻るようにしよっか」

 

「あっ、はい」

 

 私の戦いは先輩の力で回避された。

 髪が長いから、お風呂に入ったあとは乾かすのが大変。そこに時間がかかっちゃうから、逆算して何分までに温泉から出るかも決めた。それでも最大1時間は入れる計算。……先輩はどこまで考えてくれてるんだろう。

 

「布団はさすがに間開けて敷こうか」

 

「そ、そうですね」

 

 温泉を満喫して、ご飯も美味しくいただいたら、あとは寝るだけ。

 窓の側には椅子が置かれてて、先輩はそこに座って外を見てた。何を見てるのか気になって、私も向かいの椅子に座る。

 

「ここは星が綺麗に見えるね」

 

「あっそうですね。空にいっぱい見えます」

 

「これでも見えてるのは、宇宙の中の一部だけなんだから面白いよ」

 

「パ、パッシー先輩は星とか宇宙も好きなんですか?」

 

「うん。ロマンあって好き。後藤ちゃんは? 作詞でも星座になれたらを書いてたけど」

 

「あ、はい。で、でも先輩程じゃなくて。あれもきらきらしてるなって思って書けたもので」

 

「へ~。そういえば後藤ちゃんの作詞話って聞いたことなかったね。あれは誰か意識して書いたってこと?」

 

「ぅぇ……。ぁ……ぅ……」

 

 温泉から上がって1時間以上経つのにのぼせてきた。顔がすごく熱い。

 だめだ。他の歌詞のことならたぶん話せるのに、「星座になれたら」だけは話せない。そういうつもりで書いたわけじゃないのに。

 

「聞かれて恥ずかしいこともあるよね」

 

「……」

 

 何か言おうとして、何も言えなかった。館内着をきつく絞めちゃったのかな。ちょっと苦しい。

 

「これだけは言わせて。後藤ちゃんの歌詞、好きだよ」

 

「ぇぁっ……! ぅ……ぁ、ありがとうございます」

 

 も、もう耐えられそうにない。恥ずかしさと嬉しさとごちゃごちゃだ。心臓がばくばく煩い。

 急いで布団の中に飛び込んで包まった。ついでに電気を消しちゃったけど、先輩なら自分の布団に難なく入れると思う。だってパッシー先輩だもん。

 

「おやすみ、後藤ちゃん」

 

 布団越しに聞こえてきた先輩の声は優しくて、あったかくて。

 目を瞑っていたら流れるようにそのまま寝ることができ……なかった。パッシー先輩と同じ部屋で寝るのは緊張する。何かされるかもとか、そういう心配じゃない。

 パッシー先輩だとしても……だからこそどきどきしてる。

 

「せ、先輩は…………寝てる……!」

 

 あれから何分なのか、何十分なのか。いつの間にか先輩は自分の布団で寝てた。完全に眠ってた。

 私がいても気にしてないみたい。たしかイライザさんの家に泊まったりしてるから、それで慣れてるのかな。イライザさんはパッシー先輩のこと、どう思ってるんだろう。

 

「初めてかも」

 

 先輩の寝姿を見るのは。

 布団から出て先輩の近くに行く。先輩は今私の目の前にいるのに、すごく近いのに、遠い場所にいる。そんな気がする。

 いなくなっちゃうことを考えると、胸の奥が苦しくなる。意味が分からなくて、悲しくなって。

 触れてみる。目の前に本当にいる。なのに遠く感じる。

 漫画とかだったら、こういう時にき、きききすとか、しちゃうんだろうなぁ。そんなシチュエーションだと気づいたら、また心臓がバクバクしてきた。

 いっそこれなら、

 

「……む、無理無理無理ムリ!」

 

 そんなの私がすることじゃない。私みたいな陰キャオブ陰キャが、いくら先輩が優しいからってこんな。お兄ちゃんみたいだからって甘え過ぎはよくないよね。……ブラコン? いやいやいや。

 

「先輩。パッシー先輩。……、──さん。~~っ!」

 

 やっぱりまだ駄目。たとえ先輩が寝てても名前を呼ぶのは恥ずかしい。で、でも諦めない。絶対に。

 

「絶対に、呼べるようになりますから。だから……待っててください」

 

 いつかその日まで。願わくば──で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝が来て。目が覚めて。パッシーはぼんやり考えた。

 同じ布団に後藤ちゃんと寝ているという状況に。

 

「いやいや。そんなはずはない、あり得ない。夜1人で自分の布団で寝たはずだし」

 

 ただし記憶がないことが「=」で証明になるわけではない。

 

「……違うよな? 何もしてないよな?」

 

 



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アポ無しリアル凸は心臓に悪い

海外行ったり、海外の友達が遊びに来てたり。なんやかんやとバタバタしてました。
あとちょっとで終わるので最後まで頑張ります。


 

 人間誰しも風邪を引く。一度も引いたことないという人は超健康な肉体をゲットできたことをご両親に感謝するべき。

 そんな訳でおれは絶賛体調不良中。心当たりは特にないけど、体調を崩す時って半分くらいはそうなるよな。最後に風邪を引いた時はたしか、去年の春先に友達と季節外れの水風船で遊んでた時か。螺旋丸は修得できなかった。

 おれの部屋は家の2階にあるけど、階段の登り降りもダルいぐらいには体がキツイ。最終手段として来客用の布団をリビングに運び込み、そこで寝ることにしてる。

 これなら冷蔵庫も近いし、トイレも近い。階段から転げ落ちる心配がなくてベストだ。

 水分をしっかりと取って、BGMとしてテレビをつけておく。流れてる内容は特に頭に入ってこない。何度も寝ようとすると普通は寝付きも悪くなるものの、体が疲れてるからそうはならない。すんなりと就寝できた。

 そうやって過ごしていると、トントントンと包丁で何かを切っている音がする。料理をしているらしい。

 

「起きたんだ? 体の調子はどう?」

 

「……伊地知? なんで」

 

「風邪を引いたって聞いたから。あたしが一番家近いし、看病をしようと思って」

 

「気持ちは嬉しいけど風邪をうつしたら悪いし」

 

「帰らないよ」

 

 先回りされて言葉を潰された。しかも若干怒り気味だ。

 

「看病するって決めたんだから今日は帰らないよ」

 

「頑固……。ん? ぇ、今日は?」

 

「あ……あーー、ごめんごめん。勢い余って言い過ぎちゃった。さすがに夜には帰るよ? たぶん

 

 最後に何かぼそっと言わなかった?

 

「学校でみんなびっくりしてたよ。風邪ひくんだって」

 

「おれだって人間ですー。って学校?」

 

「うん。今日始業式だったから。だからあたしだってほら、制服でしょ?」

 

「コスプレかと思った」

 

「そんな趣味あたしにはないから」

 

 人のパーカーは着るくせに。

 

「それにしても珍しいよね。始業式に来ないなんて初めてなんじゃない?」

 

「そうかもなー。気にしたことはなかったけど」

 

「皆勤賞は取れないね」

 

「狙ってないから大丈夫。無理してまで取るものでもないし、休む時は休むよ」

 

「それがいいね。食欲はある? すぐにお粥作ろうか?」

 

「軽く食べたいかな。今作ってるやつは?」

 

「これはあたしのお昼だね」

 

「自由だなぁ」

 

「おばさんが好きに使っていいって」

 

 言うだろうなー。たとえこれが伊地知じゃなくても言いそうだ。よく遊びに来る友達も自由に過ごしてるし。

 

「作ったら言うからそれまで横になってなよ。まだしんどいでしょ?」

 

「それは伊地知に悪いから」

 

「だーめ。病人は素直に甘えなきゃ。早く治してくれるのが一番なんだから」

 

「……わかった」

 

 後半部分はぐぅの音も出ない正論だった。病人が無理をしないのはそうとしても、素直に甘えろと言われて甘えるのは抵抗がある。単純に恥ずかしい。しかも同い年の女子にそう言われてるんだ。

 気持ちを紛らわせようとテレビに意識を向けた。昼の番組はニュースかドラマが多い。ニュース番組は今話題のことが中心。見ていて面白いかと聞かれるとそうでもない。

 正直に白状してしまえば、ご飯ができるまで横になれるのはありがたい。熱が下がっているわけでもないし、体は今もダルい。ただ、心配されるよりは安心させたい気持ちが勝つ。だから平然と振る舞う。

 

「そうだ。待ってる間に体温測っといて」

 

「気が向いたら」

 

「じゃあまだ熱があるんだ?」

 

「何がじゃあなんだ」

 

「心当たりはあるでしょ」

 

 見えはしないけれど、やれやれと肩をすくめているのは目に見えてる。図星ではあるから余計に反応しづらいな。

 人の気配がしたからそっちに顔を向けると、いつの間にか忍び寄ってた伊地知がそこにいた。細くてひんやりとした手が前髪を除けてでこに当てられる。冷えぴたみたいで気持ちいい。

 

「やっぱり熱い。わかりやすい嘘をついちゃってさー。あたしがいたら迷惑?」

 

「そんなことはない。いてくれて嬉しい。一家に一人欲しい」

 

「あたしは1人しかいないからなー。誰かの虹夏にだけはなれるかな」

 

「ファンができていくんだから、みんなの伊地知になるんじゃないか?」

 

「それはそれで嬉しいよ? それとこれとは別って話。アーティストとしてはもちろんそう。でもあたし個人としてはね。女の子だし、結婚は憧れるよ。ウェディングドレスとか着たいなー」

 

「……そっか」

 

 「着てみたい」じゃなくて「着たい」なのか。それだけ伊地知の中では明確なんだ。

 その姿を想像しようとしてみて、しんどいからやめた。頭をまともに働かせられるコンディションではないらしい。

 

「ご飯食べられる? あたしが食べさせてあげよっか?」

 

「そこまではしなくていい」

 

 それはもう羞恥プレイだろ。純粋な優しさでの発言だから、余計にこっちが気恥ずかしくなる。そういうことは子ども相手にやってほしい。後藤ちゃんの妹のふたりちゃんとか。

 ご飯を食卓に用意してくれている伊地知を、ふらつくのを耐えながらぼんやり見る。

 その姿は様になっているというか、伊地知の家庭を考えれば当然だけど手慣れてる。家庭的な女の子ってやつ。良い母親になれるんだろうな。

 

「その前に良いお嫁さんになりたいかな~」

 

 心を読まないでほしい。

 

「いやいや、声に出てたよ」

 

「まじで?」

 

「まじで」

 

「……本当になれると思うよ」

 

「うん。ありがとう」

 

 思うというか、確信してる。伊地知はそうなる。結束バンドの中で一番そうなれる。

 

(誰かの、にはなりたくないんだけどなぁ)

 

「そういえば山田は学校来てた?」

 

「リョウ? ううん。リョウも休んでたよ」

 

「なるほど」

 

「何か知ってるの?」

 

「……何日か山田が休み続けたら、押しかけに行けばいいと思う」

 

「そうなんだ。そうするね」

 

 あっさり受け入れたな。もっと聞かれるかと思ったのに。聞かれたところで、山田からは「キャンプのやり方教えて」とロインで連絡が来ただけなんだけどな。

 

「病人相手に詰めたりしないよ。それより病院には行った?」

 

「行けてない」

 

「風邪薬は?」

 

「それはある」

 

「食べ終わったら飲んでね」

 

「……おかん」

 

「母親じゃないですー」

 

 伊地知って人に厳しくできるんだろうか。廣井さんにはあたりが強いけど、仲いい人にはできてないよな。山田にも結局甘いし。……厳しくする努力はできるか。

 あーだめだ。やっぱ今日は思考が纏まらない。

 お粥があったかいことしか分からない。あと伊地知は今日も笑顔が眩しい。ほっとする。

 お粥を食べ終えて、伊地知に用意された風邪薬を飲む。家に置かれてる薬系統の位置を把握してるのは何でだ。昔と場所が変わってない? そういうことなのか? いやそれでも知ってるのは謎だが。

 

「ごちそうさま。ありがとう伊地知」

 

「どういたしまして。食器は洗っとくから横になってて」

 

「それはおれがやるから。それぐらいできる」

 

「今は無理でしょ。いいから布団に横になって」

 

 伊地知にぐいぐいと引っ張られる。体が弱ってる上に、ご飯を食べて眠気が押し寄せ始めてもいる。抵抗らしい抵抗もできない。

 それが逆に良くなかったのかもしれない。おれの無抵抗に近い状態は伊地知の予想にもなかったんだろう。敷いてある布団に足を取られ、伊地知が倒れ込む。それに引っ張られておれも巻き添えだ。

 

「うっ……」

 

「ごめん伊地知。すぐにどくから」

 

 布団に倒れ込んだから頭を打つとかはなかった。そこは良かったけど、おれがその上に倒れてしまった。成長期を終えた男子高生はそりゃあ、鍛えてない女子からしたら重たいはず。

 接触していて感じる柔らかな肢体。鼻をくすぐる伊地知の甘い香り。手入れされているさらさらの髪。

 ただでさえ思考が纏まらない今のおれにとって、押し倒してしまったような状況も含めて全部が追い打ちだった。

 それなのに、背中に腕を回されて離れられない。何を考えてるのか分からない。

 

「重いだろ。どくから離してくれ」

 

「……心臓ばくばくだね」

 

「話聞いてる!?」

 

 頭が痛くなるから大声では言えなかった。

 肘をついて少しは上体を起こしてみる。伊地知の顔を見ると病人のおれと同じかそれ以上に赤くなってた。

 

「見られちゃった。恥ずかしいね」

 

「なら離してくれよ」

 

「あたしから離れたいの?」

 

「っ……!」

 

 言葉が完全に詰まる。何も、言葉どころか声すら発せられなかった。頭をギターで叩かれたような衝撃だ。

 分かってる。きっとこの言葉は、今の状況のことだけを指してるんじゃない。

 

「あたしは……嫌かな」

 

 

 



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山田リョウの交通整理

 

 ぼっちほど青春に対する感情は持っていない。コンプレックスがあるわけでもなく、憧れがあるわけでもない。ぼっちのあの感情は、青春に憧れているからこその反動なんだと思う。

 歌詞にさえ載せられるほどのエネルギー。一種の才能。私には無い発想による作詞。それで曲が思いつくこともあるから、私にとっては幅が広がってる。逆のパターンもありけり。この前がそうだった。

 ぼっちは面白い。見ていて飽きない。そのぼっちがパッシーに懐いてるのも、犬が尻尾振って追いかけてるみたいで良い。

 

「ぼっち。パッシーと何かあった?」

 

「ぇ……」

 

 だからそんなぼっちが、パッシーとぎこちなくなってれば簡単に気づける。虹夏も郁代も気づいてるはずだけど、あの2人からは聞けないだろうね。店長はぼっちに嫌われたくないから踏み込まない。姉妹揃ってヘタレてる。

 

「パッシーを避けてるように見える」

 

「あっ、そ、そんなつもりはないんです。冬休み明けからパッシー先輩の様子が変で……。わ、私何か嫌われることしちゃったのかなって」

 

「ぼっちの奇行を受け止めてる男が今さら嫌うのはない」

 

「で、でも」

 

「うーん。冬休みにパッシーに会った?」

 

「あっ、はい。い、一緒に温泉に行きました」

 

「いいね。家族も?」

 

「そ……その……ふ、2人で」

 

「日帰りとかならそれもできるか」

 

「あっ泊まりです」

 

「ぼっちやるね」

 

 思ってたよりデカイのが釣れたな。これ虹夏たちが知らなくてよかった。どうなるか予測がつかない。

 それにしてもパッシーと泊まり。パッシーがぼっちにぎこちなくなって、それがぼっちに伝播してお互いにぎくしゃくしてるのか。……なるほど。

 

「ぼっち」

 

「え……え?」

 

「パッシーを殴ってもいいよ」

 

「何でですか!?」

 

 むっ、これはもしや合意のもとというやつか。それなら私からはとやかく言わない。ぼっちは頼み倒せば渋々でもOKを出してくれるほどに押しに弱い。べた褒めしながら押してみると驚くほどあっさりだ。一度これをやって、虹夏とパッシーから説教を受けた経験がある。

 ……ということはパッシーからの頼みではない? 逆パターン? まさかぼっち……、人は見かけによらないと言うし……。

 

「なんか物騒な話が聞こえてきたんですけど?」

 

「パッシー。ぼっちに襲われた感想は?」

 

「襲われてないが?」

 

「じゃあストレートに聞く。ぼっちに卒業させられた気分はどう?」

 

「何の話してんだよ!?」

 

「わ、私パッシー先輩を襲ってないです! 寝ただけです!」

 

「語弊のある言い方やめようね!?」

 

 顔が真っ赤になってるぼっちが言うと、より一層そっち方面でイジれそう。

 そうは思ってもそんなことはできない。虹夏と郁代が何の話をしてるんだろうとこっちを見てきてる。確定していない情報で2人を爆散させるわけにはいかない。ここは当時のことを私が聞き出して真相を確かめなければ。

 

「寝たというのは大人の意味で?」

 

「お、おとな……? ……~~っ!! ち、ちがっ! わ、私そんな……! 信じてくださいパッシー先輩!」

 

「もちろん後藤ちゃんの言うことを信じるよ」

 

 半溶け状態で訴えるぼっちを、パッシーがしっかりと受け止める。赤子をあやすように、パッシーがとんとんと優しくぼっちの背中を叩いていると、ぼっちも落ち着いてきて形態が人間に戻った。

 

「何も起きなかったならそれが一番だよ。あの時は起きたら後藤ちゃんが真横で寝てて、それで頭がバグっちゃってさ。真相が知れてよかった」

 

「ご、ごめんなさい。迷惑をかけてしまって」

 

「迷惑ってほどじゃないけどね。それにおれも変に距離感狂わせてごめんね」

 

「い、いえ」

 

「ぼっちの寝顔を見られて眼福だったもんね」

 

「そんな余裕はなかったよ」

 

「ちぇ」

 

「おい」

 

 ネタが見つかったかと思いきやそうはならなかったか。でもパッシーとぼっちが寝たという事実だけは、今後も使える必殺の刃になると思う。

 ぼっちとパッシーのズレも元通り、プラスマイナスでは間違いなくプラス。これでぼっちのモチベーションも上がるはず。

 ……いや、上げても無駄になるかもしれないか。なにせ来週にはバレンタインデーが控えてる。去年までなら虹夏からチョコをタダで貰うイベントに過ぎなかった。今年は必ず変わる。そしてこれまでの関係も変わる。

 

「ガールズトークするからパッシーは仕事してて」

 

「お前らも仕事しろよ……」

 

「任せた」

 

 わがままだなと言いながら、パッシーはそれを受け入れた。私たちの担当分を片付けるべく離れていく。申し訳なさそうにその背中を見つめるぼっちを呼んで、虹夏と郁代の所に行く。

 なんの話をしていたのかは当然聞かれたけど、適当に捏造話も混ぜてやり過ごす。

 そんなことよりも大事なことがある。

 

「チョコ作るの?」

 

「「っ!!」」

 

「え、作るんですか?」

 

 露骨にびくって反応する2人に対して、ぼっちは目を丸めて驚いてる。たぶん「これからみんなでチョコ作るのかな?」とか思ってるんだと思う。

 

「ざ、材料は何を買えばいいですか? カカオ豆ってスーパーで売ってますかね。あっ、でも専門店的なところの方がいいですかね」

 

「違う違う。ぼっちステイ」

 

「へ? あっはい」

 

「……渡さないって選択肢は2人の中でないとは思ってる。でも、答えは出るよ」

 

「わかってます。……でも自分の気持ちに正直でいたいです」

 

(あっ、チョコ作りってそういう。で、でも大丈夫なのかな。答えが出たとして、それでバンドに亀裂が入ったりしたら……。そ、そうなったら私どうしたら)

 

「心配しないでひとりちゃん」

 

「ひゃっ!? え、あ……」

 

「どうであれ恨みっこなし。そういう風に話してるの。ね、先輩」

 

「うん。まぁ正直怖いし、目の前で見せつけられたら流石に技を決めたくなるけど」

 

「え」

 

 郁代が固まった。

 

「でもバンド解散とかは絶対にないから。夢も目標も投げ捨てたりなんかしない」

 

「あ……よ、よかったです。私、このバンドがなくなったら嫌だなって。だから」

 

「そうだよね。ぼっちちゃん。私もその気持ちは一緒だから」

 

 虹夏がぼっちの手を握って笑いかける。それでぼっちも表情が和らいで、途端に足の力も抜けてその場に崩れ落ちた。

 虹夏だけじゃない。ぼっちだけでもない。私も郁代も、この結束バンドがなくなることは嫌だ。私はこのバンドで音楽を続けていく。他のメンバーなんてあり得ない。考えもしない。

 

「あっ、じゃ、じゃあみんなでチョコ作ってみませんか?」

 

「ひとりちゃんそれはちょっと……」

 

「う、うん。ごめんねぼっちちゃん。私も1人で作りたいかな」

 

「そ、そうですよね。ごめんなさい調子乗りました。食パン焼くのが限界の私なんて足手まといですもんね。へへっ」

 

「あ、ごめん! そういうことじゃなくて!」

 

 ぼっちって料理できないのか。料理ができるイメージはたしかになかったけど、まぁ大儲けするバンドになれば金銭面を気にしなくていいし、食べることには困らないな。

 

「ぼっちはみんなで作って誰に渡したかった?」

 

「あっ、バレンタインって誰に渡すのかを気にしなくていいってテレビで見たので。だからその……いつもお世話になってる店長さんやPAさんたちにも渡せたらいいなって思って」

 

「ぼっちちゃん……」

 

「で、でも私料理できないですし。そ、それでみんなで作れたらなって……邪な考えをしてすみません」

 

「そんなことないわ! 素敵よひとりちゃん!」

 

「え?」

 

「スタッフさんたちの分も一緒に作ろっか! 誰かさんの分は個人でやるとして」

 

「そうですね。そうしましょう!」

 

「みんなで作るならリョウの家の台所を借りたいんだけど」

 

「まぁそれぐらいなら。今年のチョコも期待してる」

 

「リョウも作るんだよ」

 

「……はい」

 

「頑張りましょうねひとりちゃん!」

 

「あっ、は、はい!」

 

 




次回、ifを抜けば最終回(の予定)


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恋を溶かして愛に固めて

 お待たせしました。お待たせし過ぎたのかもしれません。(すんません)
 文字数増えたけど最終回なので分割やめました。


 

 2月14日はバレンタインデー。日本だと女子が男子にチョコレートをあげる日。もとい好きな人に贈る日。つまりチョコレートを渡すことは、告白しているのも同然。

 毎年毎年この時期になると片思いの曲を弾いてほしいとコメントが来る。私には二重にしんどい時期だった。学校で青春コンプレックスを刺激されるというのに、ネットでもズタズタと刺してくる。何回かはリクエストに応えて弾いたことはある。

 そしたら「ギターヒーローさんの演奏で勇気が湧いて渡せました!」とか「おかげで付き合うことになりました! ありがとうございます!」とかコメントが来たことも。その度に「もう二度と弾かない!!」と1人で宣言してた。

 そんな憎たらしくもあったバレンタインデーも、今年は印象が違う。これまでは作ることがなかったからかな。いざ作る側になると、喜んでもらえたらいいなってそんな気持ちが強くなった。

 

「えへへ~」

 

「ひとりちゃんまた世界に入り込んでない?」

 

「あっ、今回は違います。店長さんたちに喜んでもらえたらいいなって」

 

「ふふっ、そうね。ひとりちゃんも一生懸命作ったものね」

 

「は、はい!」

 

(溶けるまで混ぜてもらったのと型に嵌める作業だけしてもらったけど)

 

 虹夏ちゃんにも「うまく混ぜれてるね」って言ってもらえた。私はもしかしたら料理の才能があるのかもしれない。パティシエの道もあるのかな。取材がいっぱい来たりして。

 

「店長にはひとりちゃんから渡してね」

 

「あっはい。……はい!? む、むむむむむりです! 喜多ちゃんがしてください!」

 

「私は他のスタッフさんに渡すから。リョウ先輩にもプレゼントしたいし」

 

「じゃ、じゃあ虹夏ちゃんに。そ、そうですよ虹夏ちゃん! 虹夏ちゃんと店長は姉妹だから虹夏ちゃんにお願いすれば」

 

「伊地知先輩からは渡さないって本人が言ってたわよ。先輩は先輩で店長の分も用意したんじゃないかしら。『お世話になってる人へ』ってひとりちゃんの案に感心してたもの」

 

「そ、そうですか? ふへへ」

 

「完全に前半の記憶消えてるわよね。……私も両親に作ったわ。2人とも喜んでくれてた。これもひとりちゃんのおかげ」

 

「そ、それほどでも……あります、なんて。へへへ」

 

「ふふふ、ひとりちゃんはご家族に渡した?」

 

「へへへ……ぁ……ま、まだです」

 

 作ってあるのに、今日の朝に渡そうと思ったのに渡せなかった。なぜか急に恥ずかしくなって、部屋から持って出ることすらついに叶わなかった。あのチョコ実はスーパー磁石かなんかで、私の部屋にくっついてるのかもしれない。

 

「帰ったら渡さなきゃ」

 

「が、がんばります」

 

 喜多ちゃんとそんな話をしていたらスターリーに到着。決戦の時は目前に。ここは一度風林火山を唱えて士気を上げて、兜の緒を締めてから突入しよう。

 

「ほら入りましょひとりちゃん」

 

「うぇっ、え? ま、待ってください。心の準備が」

 

「待ってたら日付変わっちゃうもの」

 

 ぐさっ!

 

「それにこういうのはノリと勢いで乗り切ったほうが楽なのよ」

 

「……」

 

「ひとりちゃん階段に気をつけてね」

 

 きょ、今日の喜多ちゃんが鬼畜に思えてきた。いやいやいや、喜多ちゃんは陽の人間というだけだからそんなはずは。対極の私にとって今回の状況もあって刺さるだけ、のはず。

 スターリーに入ると、いつも通り先輩たちが先に来てた。いつもと違うのは、パッシー先輩がテーブルに座ってて、そのテーブルの上に貰い物の山があること。すごい。なんかもう忘れちゃってたけど、パッシー先輩は人気があるタイプの陽の人だった。

 

「おはよう2人とも。どれか食べる?」

 

「おはようございます。それはお相手の方に悪い気が……」

 

「ここに積んであるのはクラスで交換会したやつだから食べていいよ。伊地知と山田が貰った分もあるから、ほら。こうやって同じ種類のがそれぞれ3個あるんだよ」

 

「あ、そうだったんですね。そういうことでしたら少しいただきますね」

 

「うん。後藤ちゃんも取っていいよ」

 

「あっ、い、いただきます」

 

 てっきりパッシー先輩のだけかと思ったらそういうことではないらしい。お菓子の交換会……楽しそう。

 

「個人的に貰ったものもあるんですか?」

 

「それは鞄の側に置いてあるあの袋の中」

 

「……モテるんですね」

 

「他クラスからの友チョコ。市販チョコ率100%」

 

「コメントに困ります」

 

「あはは。まぁ貰えたのは嬉しかったよ。ホワイトデーのお返しの量が多いのだけは大変かな」

 

「それを緩和するためにクラスでは交換会したんだもんねー」

 

「そういうこと」

 

 虹夏ちゃんが人数分のドリンクを持ってきてくれた。リョウ先輩もその後ろでお菓子をぼりぼり食べてる。無心で食べてる。喜びそうなイメージがあったのに目が死んでるのはなんでだろう。

 

「チョコ味だらけで飽きてきた」

 

「あっ、なるほど」

 

「貰い物に文句を言わない。リョウはスナック系も貰ってたでしょ」

 

「ポッキーもトッポもチョコじゃん」

 

「微妙なラインのを貰ってますね……」

 

 味変にはならなさそう。

 これだけチョコを貰ってるなら、作ってきたチョコを渡すのは逆に迷惑になるのかな。食べ切るのが大変そうだし、チョコは食べ過ぎると鼻血が出ちゃうし。

 もし私が渡したやつがトドメになって先輩が搬送されたりなんてしたら……。

 

「わ、私自首します……!」

 

「なんで!?」

 

「話が見えてこないけど、後藤ちゃんはそんなことしなくていいからね」

 

 話が見えてないのに肯定される……。先輩の優しさが染み込んで苦しい。

 

「この量を見て渡すのは申し訳ないですけど。先輩、私からもお渡ししますね」

 

 喜多ちゃんがぶっ込んだ! え、ええぇぇ!? こんな、みんなの前で堂々と!? 喜多ちゃんの心臓どうなってるの!? 

 

「ひとりちゃんの提案で、スターリーの皆さんに配ろうってなったんですよ」

 

 あ、そっちか。びっくりした。そ、そうだよね。陽キャ=クレイジーモンスターじゃないもんね。

 

「そうなんだ。喜多ちゃんも後藤ちゃんもありがとう」

 

「いえ、私はひとりちゃんの提案に乗っただけですから」

 

「それでも作ってくれたのは喜多ちゃんでしょ? 嬉しいよ。ありがとう」

 

「~っ、は、はい」

 

 喜多ちゃんが珍しく照れてる。初めて見たかもしれない。

 

「じゃあ私も便乗して」

 

「山田が……作った……!?」

 

「あまりにも失礼。私だって作れる」

 

「そこじゃなくてだな」

 

 パッシー先輩がリョウ先輩から貰った箱を開封してる。箱の包を外して、開封して。中から出てきたのはポッキー詰め合わせ。

 うん、おかしい。リョウ先輩も作ってたはずなのに。

 

「味の感想期待してる」

 

「メーカーに感想送るわ。さては山田、自分で食べただろ」

 

「会心の出来だった。そして美味しかった」

 

「お前が感想言うのかよ!」

 

「お菓子でも貰えただけありがたく思うといい。世の中には欲しくても貰えない人だっている」

 

「理論武装してくるんじゃねぇよ。これはこれで山田らしくていいと思うぞ」

 

「ふっ、予想通りの着地点」

 

「も~リョウったら。せっかくみんなで作ったのに」

 

「さ、次は虹夏。乗るしかないよこのビッグウェーブに」

 

「……あー。あたしのは()の冷蔵庫で保管してるから、バイト終わったら取ってくるね」

 

「みんな作ってくれてるのか。ありがとう」

 

「他の人のがメインだから、パッシーのはついで」

 

「お前は食べただろ」

 

 わ、私も渡さなきゃ。紙袋の中に入れてあるやつを。

 だ、大丈夫。そんな真剣な雰囲気になってない。みんなが気楽な雰囲気を作ってくれてる。このビッグウェーブに乗らないといけないのは私だ。

 

「あっ、ぱ、パッシー先輩」

 

「ん?」

 

「わ、私も……作ってみました。よかったら食べてください。……みんなで作ったので、味は大丈夫だと思います。で、でも形は悪いから、やっぱり気が向かなかったら捨ててもらって大丈夫です。烏の餌にでもしちゃってください。へへへ」

 

「そんなことするわけないじゃん」

 

「ぇ」

 

「後藤ちゃんからも貰えて嬉しいよ。ちゃんとおれが食べるし、ホワイトデーにお返しもするからね」

 

「ぁぅ……ぇ、へへ」

 

 やっぱりだ。先輩の優しさが私の胸をぽかぽかさせてくれる。温かい言葉ってこういうことなのかな。

 

「さ、ぼっち。この勢いで次は店長にGO」

 

「ゔぇっ……!?」

 

 か、完全に頭から消えてた。喜多ちゃんにも言われてたけど、みんなの中でその役目は私って決められてたのかな。私だけ省かれて? へへっ、ぼっちです。

 

「一緒に行こうか後藤ちゃん」

 

「あ、お願いします」

 

 席を立った先輩の後ろを、店長へのチョコが入った紙袋を片手に張り付く。私のぽかぽかスポットの1つ。

 

「店長。後藤ちゃんからのありがたいプレゼントですよ」

 

「は? え? まじでぼっちちゃんから?」

 

 あ、やっぱり私みたいな陰キャが持ってきたチョコって欲しくないですよね。

 

「普段お世話になってる人たちに渡すって企画したらしいですよ。他のメンバーがちょうど他の人たちに配りだしてるでしょ?」

 

「あぁ、そういう感じね。ふーん? ちなみに誰提案?」

 

 先輩がチラッと私を見た。それで店長にも伝わったみたい。店長がじーっとこっち見てる。気持ち悪いことしてごめんなさい。罰として退職しますね!

 

「ぼっちちゃんって割とそういうところあるよな」

 

「ご、ごめんなさい!」

 

「謝ることじゃなくね!?」

 

「へ!?」

 

「めっちゃいい考えだぞ。ぼっちちゃんの人の良さが出てる。人との繋がりを大切にしたいって伝わってくるしな」

 

 て、店長に褒められてる? 褒め殺しからのクビ宣言?

 

「ありがとなぼっちちゃん」

 

「は、はい。今までお世話になりました」

 

「なんて?」

 

「ひぇ。ごめんなさい。やっぱり何でもないです」

 

「なんか2人の会話って勝手に変化球になるなー。後藤ちゃん、今のは店長が素直にお礼を言っただけだからね」

 

「そ、そうなんですね」

 

「えっ、どう誤解されてたの?」

 

 じっと見つめられて目が泳いでたら、先輩が話題をずらしてくれて窮地を脱せた。日頃のお礼をしたい日なのに、今日もまた助けられてる……。

 

「後藤ちゃんこの後スタ練だったよね? 頑張ってね」

 

「あっはい。がんばります」

 

「……もっとわかりやすく喜んであげたらいいのに」

 

「うっせ」

 

 私がここを離れる口実も作ってくれた。先輩はいつもきっかけ作りをしてくれる。

 スタ練があるのは本当だし、後ろめたいことは何もない。それなのに、ここを離れるのはちょっと寂しかった。

 

「ひとりちゃんうまく渡せた?」

 

 合流した喜多ちゃんに早速聞かれてこくりと頷く。パッシー先輩がいてくれたおかげで、店長に渡すことができた。喜んでくれてたらいいな。

 私はもう今日の課題を終えて疲労を感じてる。これから練習だけど、それまでは完熟マンゴーの中に篭っていたい。そう思って完熟マンゴーを引っ張り出したところで、ふと気になってしまった。わかってることだけど、喜多ちゃんは今日渡すのかなって。

 

「あっあの……き、喜多ちゃん」

 

「なぁにひとりちゃん?」

 

「そ、その……喜多ちゃんは……あの、えと……チョコ……」

 

「あ~、うん。パッシー先輩に渡すわよ」

 

「で、ですよね」

 

「ひとりちゃんは」

「が、頑張ってください!」

 

「……ぇ?」

 

「そ、その……どっちかだけを応援するのは私にはできなくて……。でも誰も応援しないのもできなくて……」

 

「……」

 

「ぅぇっ? え?」

 

 無言で喜多ちゃんに抱き締められた。横を見ても喜多ちゃんの顔は見えなくて、見えるのはさらさらした綺麗な髪だけ。

 どうしたらいいのか分からなくてそのままで固まってたら、何度か深呼吸した喜多ちゃんがそっと離れた。

 あれ……? 喜多ちゃんの目……。

 

「ありがとうひとりちゃん。私今から渡してくるわね」

 

「あっはい。……えっ!? い、今からですか!?」

 

「うん! 勇気をもらえたから」

 

 こ、これでもし喜多ちゃんが……そしたら私のせい……? 

 

「自分のせいとか考えないでね」

 

「!」

 

「その時は……それは私の魅力が足りなかっただけだから。これは私のことなんだから、ひとりちゃんが背負わないで」

 

「あっ……! ご、ごめんなさい」

 

「ううん。……私もきつく言い過ぎちゃった。ごめんねひとりちゃん。行ってくるね」

 

「は、はい。行ってらっしゃいです」

 

 ぱたぱたと出ていく喜多ちゃんの背中を見て、胸がまた苦しんだ。それが何なのか。私はこの時ようやく自覚した。誰かのその確定的な行動を見ないと気づけないなんて、私は私のことに鈍感なのかもしれない。

 喜多ちゃんの「ごめんね」も、このことを含めてだったんだ。

 

「あれ?」

 

 先輩が誰かのものになる。私以外の誰かの特別に。

 そう気づいたときにはぽたぽたと涙が溢れてきた。拭っても拭っても止まってくれない。

 

「ぼっち」

 

「す、すみません床を汚しちゃって。目にゴミが」

 

「言わなくていい。我慢しなくていい」

 

 引き寄せられて、私はリョウさんの腕の中で静かに泣き続けた。

 私の青春は、気付いた時にはもう終わってた。

 

 

 

 

 

 

 あたしは今も昔も気持ちが変わらない。好きになる人は1人だけ。きっと生涯変わらない。叶おうとも叶わなかろうとも、あたしは生涯でただ1人を好きになる。そんな確信がある。

 それはもしかしたら、恋をしている真っ最中だからかもしれない。これが叶わなかった時、それから何年も経ったら、あるいは別の人にまた惚れることもあるかもしれない。その方がきっと現実的だ。

 だけどそんなもしもは来てほしくない。1つの未来()を叶えたい。青春ってきっとそういうものだ。

 

「今日は送っていかないんだ?」

 

「山田が駅まで行くってさ」

 

「リョウも女子なんだけどなー」

 

「…………ほんとだ」

 

 ……冗談だよね? あ、これはガチだ。ガチでその事が抜け落ちてた顔だ。

 はぁって自然とため息が出た。そりゃあ出るよ。親友のことを女子として見ろとは言わないけど、見てほしくないし。それでも性別くらいは覚えておいてほしい。

 2人で夜の下北を歩いてる。こういう機会は意外と少ない。意図して作らないとないし、そうするならリョウの揶揄いが待っているのも確実。

 正直に言えば、恥ずかしさがあって誘えないのもある。

 

「……ねぇ」

 

 目的地があるわけじゃない。ただの気まぐれの散歩。家に帰るわけじゃない。だって、この時間帯で、女子の私を放っておくなんてしない性格なんだから。

 どこに向かうかを聞きたいわけじゃない。決めたいわけでもない。

 声をかけたのは、話を切り出すため。

 

「おれがイギリスに行くのは変わらないぞ」

 

「……知ってる」

 

 切り出したかった話はすぐに答えが来た。私の考えが読まれたのか、それとも元々その話がしたかったのか。どっちもかな。

 

「理由は聞いてもいいんでしょ? そりゃあ向こうから声をかけられるなんて全然聞かない話だし、就職希望だから願ったり叶ったりな話なんだろうけど。本当にそれだけ?」

 

 私のことながら「それだけ」なんてよく聞けたな。十分理由になる。目的と一致してるんだから、断る理由がない。

 それなのに言葉が零れたのは、他の可能性も聞きたいから。私自身が私を納得させたいから。

 小さな公園の前で足が止まった。星が全然見えない夜空を見ていた目が、ゆっくりと私と合った。

 

「おれは伊地知のドラムの音が好きだ」

 

「うん」

 

「中学の文化祭で聴いたときから惹かれてた」

 

「うん。……うん? え、そんな前から!?」

 

 てっきり高校に入ってからだと思ってたのに。そうじゃなかったんだ。そんな前からあたしの音を聴いてくれてたんだ。

 

「文化祭に行ったのは偶々だよ。友達と家で遊んでたけど、せっかくだから文化祭行ってみね? って話になって行っただけ。ステージでの出し物を見に行ったのは、たいていの店が閉まってたから」

 

 あたしたちのライブは昼からだった。そのタイミングで来てたなら、中学生レベルの文化祭だし閉まってるのも仕方ない。その偶然がなければ、あたしの音は聴かれてなかったんだね。

 

「きっかけがそこだったけど、タイミングは関係ない。中学だろうと高校だろうと、伊地知のドラムの音には惹かれる。誰よりも楽しそうに、誰よりも好きなんだって気持ちが音で伝わってくる。それはずっと変わってないからさ」

 

「そ、そうかな? あはは、なんか照れくさいや。……それなら、なんで? なんで近くで聞き続けてくれないの?」

 

「好きだから」

 

「っ!」

 

 急に顔が熱くなった。違う。今のはそういう意味じゃない。音の話。話の流れからして間違いない。

 それなのにあたしは瞬間で勘違いしてドキッとした。

 

「伊地知の音をもっといろんな人に聴いてもらいたい。それこそ世界中で」

 

「……その会社って」

 

「イベントを手がける会社だよ。その事業の中にライブもある。おれは友達と企画して旅行先で遊ぶこともあるから、そこに目をつけてもらえて呼ばれた」

 

 ライブ……じゃあそっちに行っちゃうのは、あたしが……。

 

「おれは向こうで頑張るから、伊地知も結束バンドのみんなと大きくなってくれ。将来、おれが手がけたイベントに呼ばせてほしい」

 

「そんなの……急にいわれたって。あたし、今整理が追いつかなくなってきて……」

 

 そう言ったら待ってくれる。そういう人なのはもうみんな知ってる。ぼっちちゃん相手だとそういう面がよく出てるからね。

 気持ちを落ち着かせて、言われたことを整えていった。あたしのドラムを好きでいてくれてること。結束バンドを信じてくれてること。世界に出るきっかけを、足がかりを作ろうとしてくれてること。

 

「なんでそこまでするの?」

 

 ブログとかで宣伝することだってできる。動画投稿もしてるみたいだから、それこそ紹介動画とか作ることもできる。フォロワーが多いなら十分見込みもあるのに。それなのにどうして。

 

「好きな人のためには頑張りたいだろ?」

 

「……ぇ」

 

「おれは伊地知虹夏のことが好きだ」

 

「な、ん……」

 

「理由を挙げろと言われたら言えるけど、伊地知虹夏だから惚れたんだ」

 

 思わずにやけそうになるのを必死に堪えた。

 言ってほしかったことを言われた。言葉が胸の内に染み込んで熱を帯びてくる。胸がいっぱいで苦しい。

 それに喜多ちゃんのことが気になった。でもあたしにそれを聞く資格はない。あたしから聞く権利もない。喜多ちゃん本人が話さない限り、あたしは知っちゃいけない。

 

「……海外の件。伊地知に聞かれなかったら理由は話さなかったんだけどな。自分よがりの考えだし、厚かましいし」

 

 どうだろうね。舞台を用意してくれるのは嬉しい。例えそれが知らない人だとしても、ライブの機会をくれるのはありがたい話だ。

 自ら理由を語りだして「だから用意しました」とか言われたら、その時に初めて厚かましいというか、恩着せがましく思うかもしれない。そこも結局話し方と態度で印象も変わるんだけどね。

 うん、やっぱり気にし過ぎだよ。

 

「これ。今日はバレンタインだから、伊地知用に別で作っておいたんだ」

 

 あたしが無言だったから気まずかったのかな。一度視線が逸れてから鞄から取り出されたのは、丁寧にラッピングされた小さな箱。教室で配ってたのとは明らかに違う。あっちはそもそもラッピングされてなかったし。

 あたしはそれを受け取ると胸に抱えて、あたしからも特別のチョコを渡した。

 

「同じこと、あたしも考えてた」

 

「えっと……」

 

「あたしも、陽人(はると)くんのことが好き」

 

 そう言ったら目を丸くして驚かれた。名前を呼んだことかな。それとも、それだけ鈍感だったのかな。どっちもだろうね。

 榎本陽人くん。大切だった(呼べなかった)名前。これからも大切になった(呼べるようになった)名前。思い出の中じゃない。目の前にいて、隣にいてくれる大好きな名前。

 あたしのチョコを受け取ると、そのままぎゅって抱き締められた。ううん。これも考えることが同じ。あたしからも腕を回してた。

 昔とは当然違う。視線の高さも、体の大きさも、体つきも。……あたしはぼっちちゃんほどはないけど。

 

「今開けてもいい?」

 

「いいぞ。おれも開けていいか?」

 

「恥ずかしいからやだ」

 

「えぇ……」

 

「あはは、冗談だよ。開けて」

 

 公園にあった1つだけのベンチ、触れ合うのも気にせずに詰めて座って、交換し合った箱をそれぞれ開けた。

 

「おお~、綺麗な丸型。ハートじゃないんだ?」

 

「ハートで作るのは恥ずかしいだろ」

 

「あたしはハートで作ったんだけど!?」

 

「伊地知はハートで作っても可愛いからいいだろ!」

 

「かわっ……! ~~~~っ! は、陽人くんだってハートで作ってもかわいいよ!」

 

「え、おれが無理」

 

「も~~! ホワイトデーのお返しにはハートで作って!」

 

「ハートは来年のバレンタインじゃ駄目?」

 

「駄目。来年は一緒に作るんだから」

 

 一緒にハート型で作るのは…………うん、それはちょっと恥ずかしくもあるよね。でもいい。それでもあたしは一緒がいい。

 作ってくれたチョコを1つ食べてみる。食べやすい大きさで、甘くて美味しいミルクチョコ。あたしよりも美味しく作ってない? 悔しい。

 わかりやすく拗ねてみるとドヤられた。腕をつねって八つ当たり。

 

「向こうに行っても、遊びに帰ってきてくれるんだよね?」

 

「もちろん」

 

「それなら」

「残りの1年はずっと側にいる」

 

 先回りされちゃった。でもいい。そう言ってくれてるんだから、それなら1年間でいっぱい思い出を作るんだ。止まってた虹夏ヒストリーも更新していこう。

 2人での写真と、みんなでの写真を。……比率は2人での写真を多めにしたいかな。

 

「互いに成長したら、また一緒にいよう」

 

「約束、だからね」

 

 一度は必ず来る物理的な別れ。今想像するだけでも辛かったけど、それを溶かすように口を重ね合って注いでいく。

 チョコよりも蕩けて甘い愛を。

 虹が輝くところは決まってる。明るい陽のあるところだ。

 

 

 




 最後まで読んでくださった方々、ありがとうございます!
 バレンタインデーに合わせられたらなぁと個人的に悔やんでます。
 なんか本編で書き忘れたこともあるようなないような。いつものことですね。
 if話も纏めて投稿しようかとも思ってたんですけど、そしたらホワイトデーにも間に合わなくなっていたので諦めました。書けたら2人分か3人分纏めて投げます。(イライザだけ前提条件から変わってくるのでズレるかも)
 喜多ちゃんの出番が少ない? それも含めてif話に詰め込むよ!
 そんなわけで、とりあえず本編は終わりです。2度目になりますがありがとうございました!


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