殺人鬼に集まられても困るんですけど! (男漢)
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#1 俺に宿る殺人鬼達

 

 

 

 

 

 

 

 ――――浮遊人格統合技術。

 

 

 精神科学の著しい発達によって生み出されたそれは、簡単に言えば。

 『異世界で死んだ人間の人格を、記憶そのままに自分へインストールする』技術だ。

 

 そしてインストールされた側はいきなり体を乗っ取られる訳ではない。

 心の中に同居人が増える感覚である。 

 

 

 ……一体何を食べたら、異世界から人格を引っ張って来るなんておかしな技術を開発できるのかは分からない。

 ともかくだ。

 

 その技術が生み出されたことで、異世界のニュートンとかアインシュタインに相当するような超天才達の人格が続々と集まり、世界中の科学とかそんなのが一気に発展した。

 

 

 そうすると、各国は我先にと優秀な人格を求めるようになった。国が発展し経済も潤う、優秀な人間はいくら居ても困らない、当然だ。

 だが誰にでも、優秀な人格が宿る訳ではない。異世界で死んでしまった変哲もない凡人が宿る事もある。優秀な人格が宿るには『適正』と『運』が必要なのだ。

 

 

 そして優秀な人格を求めすぎたこの国は……狂った政策を始めた。

 10歳になった子供全員に統合技術を施し始めたのだ。技術を施すと言っても、軽く注射をするだけなのだが、まだ未成熟な子供に見知らぬ人格が入り込むなどどんな影響があるか分かった物ではない。

 

 だが国の始めたそれの効果は絶大で、経済は一気に発展を始めた。

 誰も文句は言えない。口を閉じざるを得ない。例えその裏にある影が、どれだけ大きくとも……。

 

 

 

 

 

 

「ほーら。すぐ済むから、ね?」

 

 白衣に丸メガネ、七三分けの小奇麗な格好をした男が注射を手に近づいてくる。

 当時10歳の俺―――日高 俊介(ひだか しゅんすけ)は注射よりも、不安げに肩を掴む母の手の方が痛かったのをなぜか覚えていた。

 

 黒と赤が濁り混じったような色の注射液が腕の中に入っていく。

 そして注射針が離れた瞬間、バチチッと目の奥に電気が走ったかのような感覚がした。初めて感じる感覚に思わずギュッと目を閉じてしまう。

 

 白衣の男が優しい声色で訪ねてくる。母の心配げな声も一緒だ。

 

「どうかな? 誰か入って来た?」

 

「俊介、大丈夫? 無理しなくていいからね?」

 

 10秒ほど経ち、やっと目の感覚が普段通りに戻って来た。

 そしてゆっくりと瞼を開けた瞬間。

 

 

 狭い部屋の中に、十数人ほどの半透明の男女達が立っていた。

 

「ぁ………」

 

 全員が並々ならぬ、一般人には絶対に纏う事の出来ない怖気のする雰囲気を放っていて。

 しかも半透明だったせいで、目の前に居る全員が幽霊だと勘違いしてしまって。

 

 心霊系がすこぶる苦手だった俺は白目を剥いて、椅子から転げ落ちるように気絶した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから7年。

 俺が気絶した事で母親が盛大にブチ切れ、白衣の男の制止も聞かず、俺を無理やり連れて帰ったそうだ。

 

 そのおかげか俺は『人格統合の適正ナシ』と判断され、普通の男子高校生として認識されている。まぁ人格が入って来たとしても、凡人である可能性は十分にある。毎日数多の子供を相手にしているのだ、いちいち調べる気もなかったらしい。

 

 でも本当に良かった。

 俺が実は多くの人格を内に宿していて、それが全て――――。

 

 

『な、な、な。あそこの女の人、すっごく可愛くない!? 一回吊るしてみよ、な、な、な!?』

『おい、うるさいぞ!! 品行方正な学生生活を送る俊介の邪魔をするなど―――』

『いい子ぶってんじゃねーよクソサイコ!! テメェは俺よりよっぽど殺しまくってんだろうが!!』

 

 

 

 それぞれが暮らしていた異世界で、史上最悪と謳われるほどの―――『()()()』だなんて。

 

 

 バレたら大問題どころではない。最悪逮捕、そして処刑……。

 国は異世界からの人格がどれだけの影響を及ぼすかよく知っている。過剰すぎる対応も、ありえないという事はないはずだ。 

 

 

 ちなみにさっきから騒いでいる、ボロ布を上から荒縄で体に巻いた、服とは言えない何かを着ている痴女紛いの俺っ娘が『ハンガー』。

 華美すぎず、かといって質素すぎず、見る物に清らかなイメージを与える服を着た生真面目そうな男は『サイコシンパス』だ。

 

 ちなみにこれは彼らの本名ではない。覚えやすく呼びやすいように、あだ名で呼んでいるのだ。

 

 

『……大変だな。俊介』

「何とかしてくれないか? 今日から2年生だってのに……」

『同情以外できない』

 

 黒を基調とした、落ち着いた色合いのコートを纏う、大人びたこの男性は『ヘッズハンター』。

 大人びた印象を感じるが、向こうで死亡した時はまだ18歳だったらしい。殺人鬼たちの中で最も落ち着いていて、最も何もしてくれない。ずっと寝てるかこうして偶に言葉を掛けてくるだけだ。

 

 

 半透明のハンガーとサイコシンパスが目の前で騒ぐのを無視し、学校への道を進んでいく。

 

「はぁ」

 

 彼らは俺の頭の中にある黒い空間……俺は見たことのない空間で静かに過ごすか、半透明のまま目の前で何かしている。

 100メートルまでは俺から離れられるのだから、何処かに行っていてくれればいいのに、大体俺の近くに居る。本当に勘弁してほしい。

 

 

 だが、今日からは高校2年生。

 この新しい始まりを機として、この殺人鬼共に侵食された日常を平凡な物に変えて見せる。

 

『あーっ! 俊介、ちょっと待てよォ!』

『むっ! もっときびきび歩くのだ、人は元気よく歩く者に悪感情は抱かないものだからな!!』

 

 

 喧嘩していた2人が後ろから追いかけてくる。

 

 本気でうるさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 始業式を終え、クラスの振り分けも終わり、それぞれの教室に向かう。

 普段は面倒くさい学校など憂鬱でしかないが、これからは晴れやかな気分でニコニコスカッと通うことが出来そうだ。

 

『なんでそんなに嬉しそうなんだよ?』

 

 ハンガーが頭にハテナを浮かべながら聞いてくる。

 いつもならこういう質問に人のいる場所では答えないが、今日はとてもいい気分だ。携帯電話を耳に当て、誰かと通話している振りをしながらハンガーに言った。

 

「学校で一番かわいい夜桜 紗由莉(よざくら さゆり)さんと一緒のクラスになれたからだよ!」

『……ああ! 吊るしたい女と近くに居られるって事か! そりゃ嬉しいな!』

「全然ちげーよ!!」

 

 最近『吊る』か『吊らない』しか喋ってないぞ。またぬいぐるみをありったけ吊りまくらせる時期が近づいて来たようだ。親に見られるとヤバいのでなるべくやりたくないが、仕方ない。

 

 ……話を戻そう。

 

 

 夜桜 紗由莉。

 この高校に通う2年生で、とても頭が良く、家がかなりのお金持ちらしい。身長は160センチ前後で、艶やかな黒髪を肩まで伸ばしている。そして滅茶苦茶顔がいい。テレビに出てくる女優ですら余裕で凌駕しているんじゃないか? という位には美人だ。

 

 ただそんな彼女の特徴をまるっと掻き消すくらい、重要な事が1つ。

 彼女は『人格持ち』なのだ。詳しくは知らないが、とびっきり優秀な人格を。

 

 頭が良くて、お金持ちで美人で、しかも優秀な人格持ち。

 将来が光り輝くレールで舗装された人生を歩んでいくことだろう。そこに俺のような凡人が入り込む隙は無い。

 

 

 ……でも、何も思う所はない。

 俺は夜桜さんの事が好きだ。『見た目に惚れたんだろ?』って言われればそりゃあ否定できない。けど他にも理由はある。

 

 この高校に俺が入学したばかりの頃。

 熱で少し体調を崩していたがテストだったので無理に登校し、案の定体調は悪化。人目に付きにくいところで座り込んでいたところ。

 

 「―――だ、大丈夫?」

 

 偶々通りがかった彼女が、肩を持って保健室まで連れて行ってくれたのだ。

 

 惚れるには余りに単純すぎる理由だが、誰も俺の体調の悪さなんかに気づいてくれなかった中、彼女だけが気づいてくれた気がしたのだ。顔を真っ赤にして座り込んでいる奴がいたら誰だって保健室に連れていくだろうけど。

 

 

 ……でも、俺と同じように夜桜さんに惚れてる奴は何人もいる。でも誰も彼女には関わろうとしない。

 ハッキリ言って、『住むステージ』が違うんだ。

 

 

 

 携帯電話を耳から離し、再び教室へ向かい始める。

 その背後で俺の独白を察したかのように、サイコシンパスが顎を押さえて首を傾げた後、思いついたように言った。

 

『ならば私に体を任せるといい! 俊介のためなら恋愛の1つや2つ、簡単に叶えてみせようじゃないか!』

 

 そう言って近づいてくるサイコシンパス。

 こいつヤバい。目がマジだ。

 

 

「―――やめろ!」

 

 

 

 思わずそう叫んで、ハッ!と口を押さえる。

 携帯電話を耳に当てるのを忘れていた。これじゃあ一人で勝手に叫んだヤバい奴扱いされるし、最悪人格持ちだとバレる。

 

 周囲の目から逃れるように、顔を俯かせ、教室へと駆け足で向かっていった。

 

 

 

 

『あーあ、何やってんだよサイコシンパス』

『むむ……。ヘッズハンター、今のは何が悪かったのだ? 私にはさっぱり……』

 

 彼がそう何もない所に向かって言うと、その場に突然、黒いコートを翻してヘッズハンターが現れた。

 

『中から見てたよ。アレは、まあ、叶えない方がいい恋もあるってことだ』

『でも俊介は小桜という女性が好きなのだろう? ならば叶えた方がいいではないか』

()()な。……俊介は俊介なりに、恋心を整理しているんだろう。なら俺たちが横から口出しする事はない。もし俊介が何かやろうってのなら、その時に力を貸せばいいさ』

 

 ヘッズハンターの言葉にポン!と手を叩くサイコシンパス。

 理解したような仕草をしているが、本当に理解できているかは怪しい物だ。こいつはそういう奴だから。

 走って行った俊介の後を、彼が少しでも心の整理が出来るように、ゆっくりと追いかけて行った。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 鞄を肩に提げ、帰り道を一人で歩いている日高俊介。

 

 いや正確には一人ではない。彼にしか見えないが、彼の周りをハンガーがぐるぐると遊んでほしそうな犬のようにぐるぐると歩き回っていた。

 

 

『なぁなぁなぁなぁなぁ』

「…………」

『吊ろ吊ろ吊ろ吊ろ吊ろ』

「うるさいな!」

 

 思わず声を荒げてしまう。だがこの辺りは人通りも少ない。声を多少出したとて、誰かに怪しまれる心配はない。

 触れることはできないが、手を払ってハンガーに離れてくれと示す。

 

『そんな風に言わないでさぁ。せっかくサイコ野郎も中に籠ったんだ。今は2人っきりなんだぜ?』

「よく分かんないけど、中から俺のこと見てるんだろ?」

『出てこない奴の事なんか気にしなくていーって。なぁ、いけない()()()……しに行かない?』

「いかない」

 

 もし初対面の女性にそんな事を言われたら、少しだけ生唾を飲み込んでしまうだろうが。

 相手はド級の殺人鬼だ。いけないアソビなんてぼかした言い方の内容など、簡単に予想できる。俺は逮捕されたくないのだ。

 

 

 ―――そんな折の事だった。

 

「………!!」

「ッ………!! …………ろ!!」

 

 曲がり角の向こうで、何やら揉めている声が聞こえる。男性と女性の声だ。

 ゆっくりと近づいていき、顔を少しだけ出して様子を伺うと。

 

 

(!? ゆ……誘拐!!)

 

 

 女子生徒が1人、顔に袋を被せられて誘拐されようとしている。

 彼女は男3人に体を押さえ込まれながらも必死に抵抗し、頭に被せられていた袋を強引に外した。

 

 そして袋が外れて見えた、その顔は。

 

「よッ………」

 

 紛れもなく、夜桜さんだった。

 

 

 ―――聞いたことがある。

 優秀な人格持ちを狙った誘拐事件が、時折起きることがあると。

 誘拐された人物は碌な目に遭わず、最後の一滴まで甘い汁を絞りつくされ、発見される頃には大抵死体か精神が壊れてしまった後だと。

 

 

『あ~あ、ありゃやべ――――俊介後ろだ!!』

 

 横から同じように覗いていたハンガーが突然、そう叫んだ。

 彼女ならば回避できたのかもしれないが、こっちはごく普通の男子高校生だ。

 

 背後から迫り寄っていた男の殴打に耐え切れず、意識を呆気なく手放してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




習作


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#2 箱の中にぶちまけられた化け物

 

 

 

 

 ひんやりとした感触が頬に当たっている。しかも固い。

 目を開けてそれが床だと分かった時、手が背中で手錠につながれていて動かせないので、背中の力だけでゆっくりと起き上がった。

 

 気絶していたからか、しょぼしょぼとした目を肩でこすり、覚醒させた瞬間。

 俺の中に宿る殺人鬼達が全員、至近距離で俺の顔をじっと見つめていた。

 

 

「うわーーーーーっ!?!?」

 

 

 余りの圧にビビって大声を出すと、殺人鬼達が全員ほっとしたような表情をし、姿をフッと消していった。恐らく俺の中に帰って行ったのだろう。

 最後に残ったのは、頭に巨大なたんこぶを3つ生やしたハンガーと。

 

「ど、どうしたの……?」

 

 俺と同じく手を背中で手錠に繋がれた、夜桜さんであった。

 さっきは殺人鬼達が目の前にいたせいで見えなかったのだ。そして彼女には殺人鬼の姿は見えない。だから自分に叫ばれたと思ったのだろう。

 

 動揺を隠しきれないまま、あたふたと言葉を紡ぐ。

 

「い、いやえっと、その……ろ、牢屋! 牢屋に入ってるからビックリしたんだ!」

 

 さすがに嘘が下手すぎるだろ。

 自分でも滅茶苦茶な言い分だと思いながらも、言ってしまったからにはそれで押し通すしかない。

 

 だが彼女の優しすぎる性格か、それともこの異常な状況で判断力が鈍っているのか。

 

「そっか、そうだよね。私だってこんな状況なら驚いちゃうから……」

 

 あっさりと俺の嘘を信じてくれた。やはり彼女はこの世に降臨した天使だった。

 

 

 彼女とある程度のコミュニケーションを取った所で、辺りを見回す。

 先ほどは牢屋と言ったものの、ここは凡そ一般的にイメージされるような刑務所の牢屋よりも更に酷い。

 

 ベッドもトイレもないし、明かりもない。窓は鉄格子が掛けられた物が手が届かない所に1つだけポツンとある。

 扉は錆びまくっているが、曲がりなりにも鉄製。鍵は当然かけられているし、平凡な男子高校生が破ろうとして破れるものではない。

 

 

 そして。

 最後に、部屋の隅でポツンと座るたんこぶを生やしたハンガーの方をじとっと見た。

 夜桜さんが目の前にいるため話しかけられないが、頭をかく振りをして、暗に『そのたんこぶはどうした?』と聞く。

 

 ハンガーは顔をそらし気味に、ぽつぽつと話し始めた。

 

『……その、俊介を守れなかっただろ……? それの罰として、他の奴にやってもらったんだ…………』

 

 自分で殴ってくれと他の殺人鬼に頼んだのか? 何やってるんだ。

 アレは俺が不用意に近づきすぎたのも悪いんだ。『気にするな』と、ジェスチャーで伝える。

 

『そ、そういう訳にはいかねえよ……。ホントにごめん……』

 

 ハンガーがここまでしんみりとした所を見るのは初めてだ。おかしな感覚になる。

 そして彼女の方にばかり視線を向けていると、夜桜さんが不思議そうな表情で尋ねてきた。

 

「部屋の隅ばかり見つめてどうしたの?」

 

「えっ? あいや、別になんでもないよ。掘れそうな隙間がないかなって探してただけで」

 

「そっかぁ、頭良いんだね」

 

 貴方の方が滅茶苦茶頭良いです。というかさっきから嘘を信じやすすぎだろ、本当に天使か?

 ……そういえば、俺、夜桜さんと殆ど関わった事なかったんだったな。こんなに嘘を信じやすい人だって事も、初めて知った。

 

 好きな人の一端を知れたようで、少しだけ心の中が温まる。

 

 

 その瞬間。

 ガチリと、牢屋の唯一の扉の鍵が開いた。身が強張り、扉から入ってきた人物の方に振り向く。

 

 そいつは身長が2メートル近くはあろう屈強な男で、手錠で繋がれた俺や夜桜さんがどれだけ頑張っても太刀打ちできそうにない。

 彼が俺と夜桜さんを無理に立たせつつ、嘲笑を込めた声で言う。

 

「あーあ。可哀そうに、たまたま近くにいたってだけでなぁ」

 

 確実に俺に向かって言った言葉だ。イラッとはするが、何も言い返さない。

 俺たちが部屋から出ていくのに従って、部屋の隅に居たハンガーもとぼとぼと後を追ってくる。

 

 

 そうしてしばらく歩いたところで……俺たちは開けた空間に辿り着いた。

 そこは、天井のトタン板が剥がれ落ち、辺り一面錆だらけの廃工場だった。俺たちが先ほど閉じ込められていたのも廃工場の一室なのだろう。

 

 夜桜さんだけが別の男に肩を掴まれ、工場の中心へと向かっていく。俺は先ほど牢屋から連れ出した屈強な男と壁際に居た。

 

 

「これが、例の人格持ちなの?」

 

 工場の中心にいたのは、少し厚化粧気味の派手な格好をした女性だった。距離と余りの化粧の濃さから、詳細な年齢は分からない。成人はしているだろうが。

 

「ああ。異世界でとんでもない爆弾を作った奴の人格を持ってるんだと。なあ?」

 

 夜桜さんの肩を掴む男が、彼女にそう問いかける。

 だが彼女は何も答えない。それにじれったくなったのか、握りしめた拳で思い切り夜桜さんの頬を殴った。

 

 

「ッ!!」

「暴れんじゃねえって」

 

 身をよじらせるが、体を掴む男の手から逃れられない。

 地面に倒れてしまった夜桜さんが無理矢理体を起こされ、頬から垂れる血もそのままに、濃い化粧の女の前に突き出された。

 

「何してるの? せっかく見た目だけでもいい商品になりそうなのに、勝手なことしないでくれる?」 

「ギャーギャー言うなって。こりゃあ今から教え込んでんだよ」

 

 何が教え込むだ、あの野郎。

 だがあの女の言いぶりからして、夜桜さんは、優秀な人格を求める誰かに商品として売られるのだろう。そしてその末路は想像に難くない。

 

(何とかして夜桜さんを助けないと……!)

 

 恐らくボス格であろうあの2人、俺を抑え込む男の他にも、大量の男達が闇に紛れるように立っている。

 どう助ける? どう逃げる? 一般高校生の俺に出来る事なんか全くない。

 

 

 だけど、殺人鬼達の力を借りるのは……。

 彼らが俺の中に宿っている事がバレるだけでヤバいのだ。借りたくない。借りたくないが、しかし。

 

 俺が最後の一歩をなかなか踏み切れないでいる中。

 

 

 

「ま、そうね。多少の痛みなら今のうちに植え付けておいてもいいかしら」

 

 そう言って夜桜さんの前に居る女は、煙草に火をつけ。

 口を無理矢理に開かせ、彼女の舌の上へ煙草を押し付けた。

 

 

「――――――――ッ!!」

 

 

 夜桜さんの顔が苦痛に歪み、目の端から涙が漏れる。

 舌というのは食物を摂取するときに必ず使う器官だ。そこを火傷させると、何かを食べる度に激しい痛みを感じることになる。ストレスで人の判断力を鈍らせるために痛めつけるには最適の場所だ。

 

 

 俺の判断が遅かったせいで、彼女に余計な傷がついた。

 最初からこうしていれば全て早かったんだ。俺の自己保身が彼女の怪我を招いた。

 

 ………けど、だからと言って、俺に何かできるわけじゃない。

 

 

 俺はただ――――彼らに体を貸すだけだ。

 

 

 

 

「サイコシンパス」

『ああ。心得たぞ!』

 

 彼に体を明け渡す。

 一瞬俊介の体から力が抜け落ち、すぐに、異質な雰囲気を纏い始めた。

 

「ああ、もしもし、そこの屈強な暴れ者」

「あ? 何ッ――――」

 

 俊介の体を掴んでいた屈強な男が、突然、よだれを垂らし始めた。

 目の焦点は合わず、カクカクと体が震え出す。

 

「俊介の体を離した後、気絶してくれるかね」

「…………」

 

 男は何も答えず、体を離し。

 一番近くの壁に全速力で頭をかち当て、その場に崩れ落ちるように気絶する。そしてその顔は、不自然に、赤ん坊のように、無邪気に笑っていた。

 

 

 

 

 ―――サイコシンパス。殺害人数、およそ1600人。

 

 彼は、元の世界ではとある宗教の教祖をやっていた。虚弱なため一般的な成人男性よりもかなり力が弱く、そのため、重く華美な装飾を付けた服は好まなかった。

 

 彼の言葉にはカリスマ性がある。蠱惑的な響きがある。麻薬のような中毒性がある。

 ありとあらゆる褒め言葉でさえ、彼の声の美しさは言い表せない。一国の主が国庫の全てを明け渡し、彼の声を聞くことを縋ったほどだ。

 

 

 そしてサイコシンパスは、自らの手で人を殺した事はない。死ねとも殺せとも命令した事はない。

 

 

 1600人という数は、虚弱な体質の彼が流行り病によって死亡した時。

 彼の声を再び聴こうと、自ら彼の墓の近くで生き埋めになった者の数なのだ。

 

 その世界の誰かが言った。

 奴は喉に……『悪魔』を飼っていたと。

 

 

 

 

 

 

 サイコシンパスは俊介の事を非常に気に入っていた。

 今まで自分の周りに居る人間は、自身の声にだらだらと涎を垂らして縋りついてくる汚らしい屑共ばかり。流行り病で床に臥せたときは、このまま死ねると喜びもしたものだ。

 

 ………だが、俊介は違った。

 

(私の声に媚びた反応をせず、あまつさえ友のように気軽に接してくれたのは君が初めてだったのだ、俊介。君がこの先正しく幸福に生きるためならば、私はいくらでも声を出そうじゃないか)

 

 

 パチンと指を鳴らす。

 私がこの場にいる全員をやってしまってもいいが、あの、こ……よ……何とか桜という人物まで駄目にしてしまう。

 

 だからここは、先ほどヘマをやらかした馬鹿者にチャンスを譲ろうではないか。

 

「ハンガー。さっさと来い」

『……俺が?』

「さっさと変わるのだ。ここで動かないと、お前、いつ俊介に許してもらうつもりだ?」

 

 

 瞬間、ハンガーの目の色が変わった。

 サイコシンパスから体の主導権を奪い取るように変わり、ゴキゴキと手の骨を外して、手錠を取る。

 

「ふぅ……ヤな気持ちなのに……吊ると思うと体が熱くなっちゃう」

 

 胸の高ぶりが抑えられない。

 けど俊介は人を殺すのを嫌がる。どれだけ相手に怒ってても多分嫌がるし、今殺したら、きっと二度と許してもらえない。

 

 ゴキン!と外した手の骨を一息に戻す。

 

「ふぅ……」

 

 熱っぽいため息が思わず口から洩れた。

 それと同時に、左手で、右手の指先から腕を通り、肩までゆっくりと撫で上げる。

 

 身長や体の重さこそ違うものの、身体能力は俺の生前と全く同じ。これが俊介の体の一番不思議な所。俊介の体はそれぞれの殺人鬼ごとに、身体能力も、体内の構造も、見た目と体重以外は何もかも変化する。

 

 

 近くにとぐろ巻きにされていたボロい荒縄を掴み、そのまま夜の闇に溶け込むように、空高く飛び上がった。

 

 

 

 

 ―――ハンガー。殺害人数およそ300人。

 貧民街に生を受けた彼女は、幼少期から人を吊り殺す事に快感を覚えていた。逆に言えば、それ以外の感情が非常に希薄で、楽しみが人を吊り殺す事しかないという生粋の人殺しでもあった。

 

 平民から貴族まで貴賤なく吊り続けた彼女は、やがて国王軍に追われるようになる。大人数からなる犯罪組織でもない、一犯罪者としてへの対応としては余りに過剰すぎるものだった。

 

 そして、根城にしていた貧民街の一軒家へ攻め入って来た兵士を100人あまり吊り殺した後に。

 見る者全てに恐怖を与える恍惚とした表情のまま、自身も根城の中で、首を吊っていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――シャッ!

 

 何かが擦れるような音が静かに鳴る。

 それと同時に、廃工場を囲んでいた男の気配が1人ずつ減っていく。その事に夜桜を掴むボス格の2人が気付いたのは、何もかもが終わってしまった後であった。

 

 

「何……?」

 

 

 厚化粧の女性が、眉をひそめながら辺りを見回す。

 夜の帳に冷やされた風以上に冷たくおぞましい何かが、辺りに漂っていた。今自分は、足を踏み入れてはいけない場所に入っているのではないかと。

 

 男の方も違和感を感じたのか、大声を上げる。

 

「おい、お前ら!!」

 

 シン……と闇に声が掻き消えていく。

 その数秒後、ギッギッという何かが軋むような音が断続的に響く。一体どこから響いているのかは、空から降り注ぐ月光のおかげで、すぐに分かった。

 

 

 その音の正体は。

 廃工場の梁から吊り下げられた幾人もの男達が、その体重で梁を軋ませる音だった。

 

 

「あ~あ……見つかった」

 

 

 何処からともなく響いた、怪しげな声が耳に入った瞬間。

 ボス格の2人の首に輪っか状の縄が括り付けられ、そのまま上空へ一気に吊り下げられたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ブラブラと揺れる、吊り下げられた彼らの姿を見て、ハンガーは思う。

 何と愉快な光景なのか。人の顔が赤に青と色とりどりに変化するこの景色は、何度見たって楽しめる、俺だけの宝石箱だ。

 

 でも。

 これを()()()()()()()()()()のなら、どれだけ幸せな事か。

 

 俺達殺人鬼が体の主導権を握る時、俊介の意識は完全に消えている。俺達が何をしたって、俊介は何も見えないし何も聞こえない。だからこの景色を共有する事が出来ない。

 

 この景色を俊介と共有するには。

 俊介が自分自身の意思で、誰かを吊り上げないとならない。

 

(いいなぁ、見たいなぁ。俊介と一緒に、この景色)

 

 他の奴らには中に籠ってもらって、この景色を二人きりで眺める。なんてロマンチックなんだろうか。

 

 今まで他人に抱く感情なんて、『吊りやすいか』とか、『吊ると楽しいか』とか、そんな事ばかりだった。

 

 でも俊介と出会ってからは、彼に嫌われたくないし、ずっと離れたくないし、楽しいことは何でも共有したいと思うようになった。胸がドクドクと煮えたぎるように熱くなることもしょっちゅうある。

 

 何を犠牲にしたって、何を吊ったって、例え自分の命を吊ったとしても、俊介の傍に居たい。

 

 

 ―――ああ、きっと。

 これが俺の感じる、初めての恋心。

 

 

(好き。好き。心がグチャグチャに溶けそうなほど大好き。

 ――――何があったって絶対に離さないからな、俊介♡)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っと」

 

 俊介の事を考えているうちに、少し時間が経ってしまっていた。そろそろ降ろさないと、全員窒息で死んでしまう。……別に全員殺したって構わないが、俊介に嫌われる可能性がある以上、『殺さない』が絶対の答えだ。

 

 垂れ下がる荒縄を一本、強く引くと、梁に吊られていた奴らが一気に地面へと落下した。

 5メートルほどの高さから意識混濁のままコンクリートの地面へ落ちたのだ。全員足の骨がイカれただろうが、毛ほどの興味も抱かないほどにどうでもいい。

 

 

 そして、廃工場の中心であたふたとしている少女が一人、ポツンと残された。

 

「ん……あの夜桜って女の子はどうすっかな」

 

 ハンガーは闇に身を紛れさせながら、彼女の方をじっと見つめた。

 当然、姿は見られるようなヘマはしてない。彼女からすれば、この状況を俊介がやったなんて毛ほども思わないだろう。

 

「うーん……。めんどくせえし、帰るかぁ」

 

 どうせここに居る奴らはもう全員動けない。帰ろうと思えばいくらでも帰れるだろう。

 

 

 記憶を消すためにキュッと絞めてもいいが、彼女は……俊介が好いている女だ。

 

(どうせ俊介が初めて吊るのなら……あいつがピッタリかな?)

 

 初めては誰の手の垢もついていない、極上の物を味わってもらいたい。

 それはハンガーからの、俊介へのとびっきりの思いやりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――こうして。

 何かが起こりそうで、結局何事も起こらなかった夜は、緩やかに明けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




殺人鬼達は全員、日高俊介にやや重めの感情を抱いている物とする。


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#3 ちょっと近づけた……かも

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めたら家のベッドだった。

 殺人鬼達に体を貸している間は、俺の意識は全くない。眠っているというか、気絶しているというか、体の主導権が戻ってくるまで意識がワープする感覚だ。

 

 

 いくら夜桜さんを誘拐した悪人とはいえ、殺されると逮捕のリスクがあるし寝覚めが悪い。

 なので、俺の中に宿る殺人鬼の中で最も人を殺さず制圧するのが得意な、サイコシンパスに変わったのだが。

 

『うむ、あの後ハンガーに体を変わったぞ!』

 

 サイコシンパスがにこやかな笑顔でそう言った。いやなんで勝手に変わったんだよ。

 だがハンガーが言うに、『殺してはない。夜桜も放ってきたけど無事』との事なので、多分大丈夫なのだろう。よく近くでうるさくしているが、嘘を吐いた事はない。

 

 

 ……まあ、ハンガーは殺人鬼達の中では、まだ落ち着いている部類だ。

 中にはとんでもなく頭がハッちゃけた奴もいる。サイコシンパスがそいつらに体を変わらなかっただけ、運が良かったとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そして、翌日。

 

 夜桜さんがマスクを着けたままだが登校していたのを見て、ほっとしたのも束の間。

 

 放課後になった瞬間、彼女に半ば引きずられるように無理やり図書室へ連れていかれたのだった。

 

 

 

「昨日、あの後どこへ行ったの?」

 

 彼女の綺麗な顔で視界が埋め尽くされる。

 いつも人がいない図書室だが、今日は当番の図書委員でさえサボっているのか、部屋の中には夜桜さんと俺の二人しかいない。

 

「え、えーっと……なんのこと……ですか?」

「とぼけないでよ。あの廃工場での事。私と一緒に連れてこられたのに、姿を消したでしょ?」

 

 ハンガーが勝手に帰ったので俺はマジで知りません!

 咄嗟に何か言い訳を考える。殺人鬼達のせいで急に一人で喋り出したり変な動きをしたりする事が多々あるため、こういう言い訳を咄嗟に考えるのは少し得意になっていた。

 

「そ、その。人が吊るされていって隙が出来た瞬間に、怖くて、一目散に逃げてしまって……」

 

 ハンガーのやり口は知り尽くしている。多分あの工場にいる奴を全員吊るし上げたんだろう。にしても、もっと格好いい言い訳はなかったのか。

 ただ俺のその言葉を聞くと、夜桜さんは少し離れ、ふ~っと安堵のため息を吐いた。

 

 

「もー、あの後、私一人で君の事を探してたんだよ。でも、私より先に逃げられてたんだね。本当に良かった」

 

 

 ……天使?

 彼女が図書室の椅子を1つ引き、座る。目の前に座るよう手で促されたので、『何だろう?』と思いながら同じように座った。

 

「私、夜桜 紗由莉って言うの。昨日は本当にごめんね、私のせいで厄介事に巻き込んじゃって」

「あ……日高、俊介です。それとアレは、夜桜さんは全く悪くないですよ」

「うん。……でも私が、そういう人格持ちだから、起きた事だもの」

 

 あんなのどう考えても誘拐犯たちの方が悪い。夜桜さんが気に病むことなど何一つないのは確かだ。

 だが彼女は少しだけ顔を俯け、申し訳なさそうな顔をしていた。

 

 

 事件から話を逸らそうと、話題を変える。

 

「そういえば、夜桜さんに宿る人格は……」

「え? あ、うん。その……なんだか異世界ですごい爆弾を作ったらしいの。私はよく知らないんだけどね」

 

 

 ――爆弾。

 日夜殺人鬼達と一緒に居るせいか、使用用途が犯罪まがいの事しか思いつかない。

 

 だが爆弾とは、鉱山で山を掘り進めるために使われていたともいうし、今でも建築物を破壊するのに爆弾が使われる。かのノーベル賞の由来にもなったノーベルさんもダイナマイトを開発したことで有名だ。危険なイメージとは違って、きちんと社会のために役立つ、立派な物なのである。

 

 

 俺は彼女に尋ねる。

 

「夜桜さんに宿る人格の名前は、何て言うんですか?」

「それがね……彼女の名前、『バクダン』なの。多分偽名なんだけど……『それ以外に名乗る気はない!』って言い張ってて」

 

 ……彼女に宿る人格は女性らしい。うちの殺人鬼達に似て何ともまあ、キャラの濃そうな人だ。大変そう。

 

 

「あ! よかったらちょっと会話してみる?」

「え?」

 

 会話? 突然見知らぬ人格と?

 戸惑いを感じつつも、彼女がそのバクダンなる人格と切り替わるのを待つ。……だが一向に意識が切り替わる気配はなく、何やら机の上にペンと紙を置き始めた。

 

「? 人格を変えないんですか?」

「あー……。日高君は多分、人格持ちじゃないんだよね?

 人格を切り替えるってとっても危険な事なんだよ。精神が段々おかしくなっちゃうし、最悪体が戻らないなんて事もあるから……」

 

 

 えっ。何それ怖い。

 俺は本当にどうにもならない状況の時は、躊躇なく殺人鬼に体を変わってもらう事にしている。だがそんな事を続けるうちに、俺の精神も歪んでいっているのだろうか? そう考えると少し身震いがした。

 

 

 彼女がペンを手に持ち、ふふん!と自慢げな表情を浮かべる。

 

「そこで! 私はいっぱい修行して、体の一部だけをバクダンが動かせるようにしたのです!」

 

 何それすごい。

 恐らく右手にペンを持っていることから、筆談をしろ……という事だろうか? とても器用で便利な技術だ。帰ったら俺も練習しよう。

 

 

 そして、ピクッ!と彼女の右手が動いた瞬間。

 

 

 

 

 

 ――――――ズガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!

 

 

 

 

 

 恐ろしい速度で彼女の右手が動き始めた。

 そして紙の上に描かれていったのは、滅茶苦茶に緻密な何かの設計図だった。……いやこれ、絶対爆弾の設計図―――。

 

 

 ガシッ! と夜桜さんが右手を左手で掴む。

 そしてにこっと、爽やかな笑顔をこちらに向けて言った。

 

「ごめんね、今は調子が悪いみたい! 今日はもう帰るね!」

 

 絶対嘘だ。

 この設計図よく見たら、なんか『100km死滅』とかとんでもない事書かれてるし! 夜桜さんの中のバクダンって絶対ヤバい奴だろ! 俺の殺人鬼に負けず劣らずの!

 

 机の上の紙を滅茶苦茶小さくして、勢いよく立ち上がる夜桜さん。

 なんだか彼女の気持ちが凄くわかる。多分この後、俺が暴れる殺人鬼達にやるのと同じように、バクダン相手に叱り散らかすのだろう。

 

 

 右手を抑えたまま急いで図書室から出ようとする夜桜さん。

 そして扉に手を掛けたその時、こちらに振り返った。

 

「そうだ、日高君! これからは私と話す時、敬語じゃなくてもいいからね!」

「え?」

「じゃあまた明日!!」

 

 そう言って彼女は図書室から出て行った。

 ぽかんとする中、彼女の言葉を頭の中で反芻する。

 

 

 『敬語じゃなくてもいいからね』、『また明日』……。

 それはつまり、明日も……彼女と会話していいという事なのだろうか?

 

 いやいや、でも俺と優秀な人格持ちの彼女とじゃあ、住むステージが違うし……。

 

 

 ――そこで、さっきのバクダンの奇行を思い出す。

 

 

 案外、彼女も内に宿る人格の事で、苦労しているのだろうか?

 そう考えると、なんだか遠い世界に住んでいた夜桜さんの事が、一気に身近に感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自宅。

 あの後、再び誰かが誘拐される事件に遭遇するなんてことはなく、無事に帰宅する事が出来た。

 

 制服を脱いでベッドに腰かけ、内に宿る殺人鬼の1人を呼び出す。

 

「ドール! 出てきてくれ!」

『はーい!!』

 

 元気のいい声と共に、目の前に現れた半透明のゴスロリ少女。

 140cmほどの小さな体躯で、黒い髪を腰辺りまで伸ばし、人の目を惹きつけてやまない華美なドレスを着ている。

 そして両手の甲には歯車とメーターが組み合わさったような不思議な機械を付けていた。

 

 

 正直、滅茶苦茶かわいい。夜桜さんのような美人タイプではなく、思わず守ってあげたくなるような愛くるしさのある可愛いタイプだ。

 ……でも、こんな可愛いドールも、一応殺人鬼なんだよなぁ。他の奴らに比べたら殺害人数はかなり少ないけど、立派な人殺しだ。

 

『お兄ちゃん、どうしたの?』

「少し試してみたい事があってな。俺が右腕だけドールに主導権を譲ってみるから、少し動かしてみてくれないか?」

『わかった!』

 

 なんて元気のいい返事なんだ。かわいい。

 意識を集中させ、右腕だけドールに譲るよう強く念じる。すると、右腕から力が抜けて完全に動かせないのに、俺の意に反してぐりぐりと腕が動き始めた。

 

『うん、問題なく動くよ!』

「おおっ! じゃあ少し、そこのぬいぐるみを操ってくれ!!」

 

 俺が視線をやった先には、色々な殺人鬼のストレスの捌け口となってボロボロになったテディベアがあった。一番酷使しているのはハンガーだ。

 

 ドールが右腕を上げ、ぬいぐるみに手のひらを向けた。

 彼女はその名の通り、手で人型の物体を人形のように操ることができる。どうやっているのかを聞いてみた所、『ぎゅっとやってくちゅくちゅ!』という意味不明な答えが返って来たので未だ不明だ。

 

 

『えいっ!!』

 

 彼女がかわいらしい声と共に、ドールが人形を操ろうとする。

 

 ……所で。

 アニメでは糸使いのキャラが、他人を操ったりするときに、人間に再現可能なのかと思うぐらいぐねぐねと手を動かしていたりする。

 

 手が柔らかいのはとても良い事だが、一般男子高校生の俺の指はあんな可動域まで動かない。

 しかしドールは人形を操るために、指を糸使いのように思いっきり動かす。

 

 

 

 するとどうなるか。

 

 

 

 

「――――痛い痛い痛い痛い痛い!!!」

 

 

 

 

 腕を動かしているのはドールだが、感覚は俺と思いっきり繋がっている。ドールは平然としているが、俺にはとても耐え難い痛みだ。

 

 

 ……しばらくこの技は封印とする。

 

 

 

 

 

 

 

 



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#4 最強(無制限)

 

 

 

 

 

 朝。鳥のさえずる音が響く中、さんさんと降り注ぐ日光が顔に当たる。

 暖かな光が瞼の裏を刺激したのか、深い眠りの中からゆっくりと、自然に意識が持ち上がってきた。

 

 

「んぐぁ~……っ……」

 

 目が覚めると共に、寝っ転がったまま、足と腕をピンと張って伸びをする。

 時計が指す時間は9時きっかり。学校がある日なら大遅刻だが、そんなことを気にする必要もない。

 

 なぜなら、今日は土曜日なので学校が休みなのだ。

 2年生になって初めての休日だからか、心がとても晴れやかな気持ちに包まれる。夜桜さんに会えないのは悲しいけど。

 

 あくびをしながらベッドから起き上がり、寝ぼけ眼を擦りながら瞼を開いた瞬間。

 

 

 半透明の、黒くて途轍もなくイカつい鎧が、部屋の隅でちょこんと体育座りをしていた。

 

「っげっ!!」

 

 ビックリしすぎて変な声が出た。

 黒い鎧はゆっくりとこちらに顔を向け、そのまま、幽鬼の如く静かに立ち上がった。鎧の身長は2メートルを少し超えたくらいなので、ベッドの上に座ったままだと物凄く大きく感じる。

 

 

「お、おはよう……『ダークナイト』」

 

 この黒い鎧の名は『ダークナイト』。

 自発的に外に出てくる事は滅多になく、俺もあまり呼ぼうとはしない。確か最後に顔を見たのは1ヵ月ほど前だったはずだ。

 

 

 なぜ他の殺人鬼たちよりも、接触する機会を避けようとしているのか?

 

 それは一重に、ダークナイトが殺人鬼達の中で頭一つ抜けて()()だからだ。

 

 ダークナイトは鎧を脱げず、喋ろうとすれば『グア』とか『ギャ』しか言わない。だがそれは彼(彼女?)の理性がぶっ壊れているのではなく、『()()』を受けているからである。

 

 

 ガチファンタジー異世界で生きていたダークナイトは、魔王という人類の敵から魔物へ闇落ちする呪いを掛けられたという。

 そしてその呪いの効果で、『瘴気』という自分より格下の生物を問答無用でブチ殺すオーラが常に溢れるようになったらしい。

 

 

 ……しかし、ダークナイトは普通に呪いや瘴気関係なく魔王を斬り殺し。

 その後も街の中に普通に入ったり、瘴気が効かない生物を斬ったりしていたらしい。闇落ち云々の前に元々辻斬りをしまくる殺人鬼気質だったので、周りが静かになったくらいの感覚だったとのこと。

 

 

 …………どっちが人類の敵だよ。

 

 

 

 

 

 ゴソゴソと、ベッドの下にある小さな引き出しを引く。

 中に入っていたのは、A4用紙にプリントされたひらがな五十音表。ダークナイトは喋れないので、このひらがなを指さしてもらいコミュニケーションを取るのだ。さっきの魔王と呪いの事も、この表を用いて3時間かけて聞いた話である。

 

 

 五十音時が載っている方をダークナイトに向ける。

 すると彼が人差し指で、ひらがなを二つ指さした。

 

『ひ ま』

 

「……暇、ってか」

 

 今日はダークナイトのご機嫌取りで終わりそうだ。

 万が一イライラを爆発させて体の主導権を奪われたら、その時点で俺の人生が終わる。周囲の人間は瘴気であっという間にあの世行きだ。

 

「って言っても、暇を潰せそうな場所ってなあ…………」

 

 俺の体を貸すのは論外なので、ダークナイトが傍から見ているだけで楽しめる事を考えなければならない。

 

 とりあえずベッドを出て、外出用の服を着てから、一階のリビングに降りる。

 パートに行く母親が残していった遅めの朝食を取りつつ、何かないかとテレビを点けた。

 

 

『――――では続いて、()()()()()()()()についてのニュースです。』

 

 

 一番目に映ったのはニュース番組だった。ちょうど例の技術についてのニュースがやっており、ふと気になって、リモコンを弄る手を止める。

 

『浮遊人格統合技術を開発した『榊浦 豊(さかきうら とよ)』さんと『榊浦 美優(さかきうら みゆう)』さんが、先日、『更なる進化を遂げる研究がついに実を結んだ』との発表を行いました。一体どのような内容なのかはまだ発表されておらず――――』

 

 

 ……榊浦豊と榊浦美優。

 父と娘の親子である精神科学研究者であり、15年ほど前に浮遊人格統合技術を開発した2人だ。娘の榊浦美優の方は途中から研究チームに加わったらしいが。

 

 そしてなんとこの超天才親子、なぜか顔もモデル顔負けレベルに整っている。なんで?

 俺の知っている頭のいい人間が漏れなく顔もいいのは一体どういうことか。世の中理不尽だ。

 

 

『本日、榊浦父娘は研究所周辺を凱旋するご予定です。』

 

 

 凱旋って、スポーツ選手じゃあるまいし。

 と思ったが、世界を根底から揺るがす発明をした研究者が新たな研究を成功させたとなれば、そういう事もありえる……のか? 

 

 パッ!と凱旋で回るルートがテレビに表示された。

 ……家から10キロほど進んだところの大通りを通るらしい。その通りの近くに映画館もある。映画なら傍から見ているだけでも楽しめるはずだ。

 

 

「よし、ついでに凱旋をちょっと見に行くか」

 

 

 俺の人生を殺人鬼まみれにした2人の顔を拝みに行くとしよう。

 バイクのキーを手に取り、外に置いてあるバイクに跨って、件の大通りへと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人が凄い!

 そう思わず叫びたくなるほど、多くの人が榊浦親子を一目見ようと集まっていた。

 

 バイクを近くの駐車場に止めた時から声が聞こえていたが、まさここまでとは。

 いくら凄い研究者だからって、ちょっと通るだけなのにここまで人が集まるのか。なんて人気だ……。

 

『(´・ω・`)』

 

 ダークナイトが鎧の何処から取り出したか分からない半透明のナイフで、鎧の腹部分に顔文字を彫っていた。五十音表がない時はこうやって大体の感情を表すのだ。鎧は呪いの効果により自己修復するので5秒も経てば消える。

 

 しかしこの顔文字はどういう意味だ? 人の多さにげんなりしてるのか?

 と思ったら、半透明の手をそこら辺の人の頭に勢いよく振り下ろしていた。勿論その手はすり抜ける。

 なんだ、鬱陶しい周囲の人を殺せなくてげんなりしてるだけか。よかった(?)。

 

 

「なぁ、『更なる進化を遂げる研究』ってマジで発表されんのかな?」

「分かんねーよ。この凱旋のどっかで内容を発表するかもって噂だけど……」

「まぁ所詮噂だよな……。あーあ、俺にも人格が宿るような研究だったらいいな~」

 

 

 近くに居た男性2人の会話が耳に入る。

 なるほど、その研究の内容が発表されるかもという噂が広まってるのか。それを知りたくてこんなに人が……。

 

 

 

 

 ――――キャァアアアアアアアッ!!!

 

 

 

 

 右側から鼓膜が破れそうなほどの、黄色い悲鳴が上がり始めた。

 榊浦親子が近づいて来ているようだ。なんだか周囲のテンションとちょっと見に来ただけの俺のテンションに差がありすぎて、段々辛くなってきた。

 

 本当にちょっと見たら離れよう。

 

 

 目の前に人が固まりすぎているため、ちょっと背伸びをして、榊浦親子を見ようとした瞬間。

 

 

 すぐ横に居るダークナイトが、どこか高い場所を指さしているのに気が付いた。

 

「ん? 何してんの?」

 

 周りの人がうるさすぎて、少し俺が喋ったくらいじゃ怪しまれないだろう。

 彼が何も答えず一点を指さし続けるので、仕方なく指の先に視線を向けた。

 

 

「?」

 

 

 …………なんかある。なんか屋上でキラッと光ってる。

 世界を揺るがす研究者2人、凱旋、それが通る近くのビルの屋上でキラッと光る物。

 

 

 ……もしかして。

 スナイパーライフ――――。

 

 

 

「よし逃げよう」

 

 考えるのを止めた。これ以上ここに居ると絶対碌なことにならない。

 踵を返そうとしたその時、ダークナイトが俺の前に一瞬で回り込んだ。

 

『◟(∗ ˊωˋ ∗)◞』

 

 腹には興奮した様子の顔文字。動きも心なしか軽快で、まるでこれから起こることに備えてウォーミングアップしてるみたいだ。

 

 こいつ、容赦なく暴れられそうな相手を見て喜んでやがる……!

 

 

「いやだいやだ、絶対嫌だ! 俺は帰るぞ!!」

 

 

 少し強めに意思表示すると、ダークナイトがスンッ……と動きを止めた。腹に刻まれた顔文字も消えていく。

 嫌な予感が背筋に走ったその瞬間。

 

 ダークナイトが体の主導権を奪おうと、物凄い速さで俺の体に手を伸ばして来た。

 

 咄嗟に後ろに飛び跳ね、その手を回避する。こいつ、あぶ、あぶな……ッ!!

 一発目は気合で回避したが、二発目は絶対に無理だ。向こうもそれが分かってか、ゆっくりと近づいてくる。

 

 

 今この場に居る人間を皆殺しにするか、屋上でキラキラ光る何かにちょっかいを掛けに行くか。

 悩みに悩んだ末、ダークナイトと共に、件のビルの屋上へと歩を進めた。

 

 

 

 

 

 



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#5 認識不足

 

 

 

 

 

 

 

(い、行きたくねぇ~~~~!)

 

 

 件のビルの階段を登る中、切にそう思った。

 今は3階、あと1階登れば光る何かがあった屋上だ。相当古いビルなのか壁の所々にヒビが走っており、人の気配は全くない。

 

 

 後ろのダークナイトがワクテカしているのにかなり苛つきながら、足音を殺し、屋上の様子を伺い見る。

 階段と屋上を繋ぐ扉はなぜか開きっぱなしで、外の様子は丸見えだが……。

 

 

(……何もないな。光りそうな物すらも、ない)

 

 屋上には何も置かれていなかった。全く使われていないのだろう。唯一ある落下防止の手すりも、錆びだらけでとても光りそうにない。

 

 眉を顰めつつ、チラリとダークナイトの方を見る。

 

『(*゚д゚*)』

 

 

 ちょっと楽しそうな顔文字を腹に刻んでいた。クッソ腹立つ。

 何もないから帰っていいだろと思ったが、ダークナイトは階段に立ちふさがって退く気配がない。

 

 

 ビキビキと破裂しそうなこめかみの血管を手で抑える。

 屋上入ってちょっと見回して終わりだ。そうしたら映画館にもよらず真っ直ぐ帰ってやる。

 

 そして苛つきすぎたからか、冷静さを失ったまま屋上へと足を踏み込んだその時。

 

 

 

 死角であった()()から誰かが飛び込んできたのに、一瞬遅れて気が付いた。

 

 

 

「ッ!?」

 

 覆い被さってこようとするのを、咄嗟に前に飛び込んで回避する。

 だが避け切れなかったのか、頬に一筋の熱い感触が走った。少し遅れて感じる痛み。鋭利な物で切られたようだ。

 

 屋上の入り口から距離を取りながら振り返る。 

 そこに居たのは、アーミーナイフを前に構え、背中にスナイパーライフルを背負った、怪しげな格好の男。

 

 

「どうやって嗅ぎつけたか知らんが、一人で来たのは早計だったな。機関の手の者よ……!」

 

 

 凡そ一般男子高校生には逃げられない速度で、一気に近づいてくる男。

 まずい。速すぎて人格を切り替えている暇がない。

 

 

『右腕を渡せ!!』

 

 

 いきなり脳内に響いた声。聞き覚えのある声だ。

 声の主に右腕の主導権を渡し、そのまま俺の右手が、振り下ろす男の手首を受け止めた。

 

 鈍重な足の動きからは考えられないほど素早い腕の動き。怪しげな男が目を見開いて驚く。

 

 

『俊介、このまま全力でこいつに近づいていろ』

 

 

 すぐ傍に居たのは―――黒いコートを翻し厳しい目つきをしている、ヘッズハンターだった。

 どうやら危険を察知して咄嗟に出てきてくれたようだ。人格を切り替えるのには少しかかるが、体の一部を渡すだけなら時間は要らない。その事に気付いてか、俺に大声で呼びかけたようだ。

 

 

『ダークナイトの遊ばせには困ったもんだ――――な!

 

 

 掴んでいる手首を弾き、男の顎をアッパーで跳ね上げる。

 人の顔面を殴る気持ち悪い感触が手に伝わるが、ヘッズハンターはお構いなしに、怪しげな男を攻撃し続けた。

 

「ッ、く、クソ!!」

 

 

 ――――ババババババババババババッッッ!!!

 

 

 男も負けじと、ナイフで応戦し始める。

 だが向こうは両手でこっちは片手、しかも下半身が一般男子高校生の俺なのに、ヘッズハンターの方が素人目でも分かるくらいに圧倒していた。

 

 

「きッ、貴様ァ!! 何だそのちぐはぐな強さはッッ!!」

 

 

 仕方ねえだろ下半身は男子高校生だぞ!!

 ヘッズハンターがナイフを弾き飛ばし、人体の弱点である正中線の数か所に深く拳を打ち込んだ。うめき声と共に男が足をもつれさせ、数歩後ろに下がる。

 

 決まったか? と思った瞬間。

 懐のホルスターに隠すようにしまっていた拳銃を抜き放ち、俺の頭に狙いを定めた。……って、マジかよ!!

 

 

『俊介、左腕を渡してやるんだ』

 

 

 静かに響くヘッズハンターの声。

 誰に――!? と考える暇もなく、左腕の主導権を空けた瞬間、誰かがスッと入り込んだ。

 

 左腕がグンッ!と持ち上がり、指が激痛と共に意味不明な挙動を始める。

 そして、男が握っていた拳銃を自身の太ももに向け、そのまま引き金を引いた。

 

 

――――バンッ!!!

 

 

「っぐぁァいッ!?」

 

 噴き出る鮮血と共に困惑した様子の男が倒れ込む。

 それを冷めた目で見下ろしたヘッズハンターが、俊介に右腕の主導権を返し、姿を消した。もう動く必要はないと判断したのだろう。

 

 

『お兄ちゃん。大丈夫?』

「ああ、ありがとう……どっ、ドール」

 

 左腕の主導権を握っていたのは、ゴスロリ少女のドールだった。

 ただなんだか、いつもより顔が怖いというか、身震いするような雰囲気を放っていて、言葉が少しどもってしまう。

 

『ねぇねぇお兄ちゃん。その頬の傷……痛いよね?』

「えっ?」

 

 自分の頬を右手で触る。アドレナリンのおかげか全く痛みを感じていなかったものの、割と心配になる量の血が流れ出ている事に気付いた。

 

「いやでも、今はそんなに痛くは……」

『痛いよね?』

「痛いです」

 

 そう答えた瞬間、ドールが男の腕を操作し、拳銃で彼の頬の肉ごと耳を吹っ飛ばした。

 

 そこで思い出す。

 こんなに可憐で守ってあげたくなるような姿をしていても―――ドールは、異世界で史上最悪と謳われるほどの殺人鬼なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――ドール。殺害人数およそ80人。

 

 爵位を持つ貴族の五女として生まれた彼女。

 親からは他の貴族と関係を結ぶ政略結婚のための駒としか見られておらず、兄と姉からは死んだ側室の娘と疎まれ、家族からの愛情を一片も受けた事がなかった。

 

 寂しくて仕方のなかった彼女は、自室の中に人形を仕立て、それを理想の兄と妄想して過ごすようになった。

 

 人形を操って一人芝居を行い、精神をギリギリで保っていた彼女。

 だが屋敷の中で、ドールが気味の悪い人形に話しかけ続けていると噂になり始めた。彼女の父はおかしな噂が屋敷の外にまで広まるのを危惧し、彼女の部屋に訪れ、人形を捨てようとする。

 

 理想の兄を捨てられまいと抵抗した彼女は、父を操り、窓から転落させる。

 父は首の骨を折って即死した。

 

 実の父を殺しても何も感じなかった彼女は、一体自分にとって何が大切なのかを理解する。

 屋敷で働く使用人と血の繋がった家族を操り、自ら首の骨を折らせ、殺害した。

 

 

 そうして空っぽになった生家(オリ)の中を、兄を連れて闊歩する。

 だがそのまま屋敷の外へと飛び出すことはなく、兄を抱いたまま自室に戻り、眠りにつく。腕の中に居る兄と夢の中で過ごすために。

 

 

 そうして、ドールは人とは思えない……まるで人形のような美しさを保ったまま、餓死したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベッドの中で眠って、暗い場所を歩いていたら、突然目の前が光り出して。

 光が収まった時にはもう、お兄ちゃんがそこに居た。

 

『お兄ちゃんと私はね、ずっと一緒に居るの』

 

 誘えば一緒に何処かへ出かけて、遊んでくれるお兄ちゃん。

 一生懸命に何かをしている時もあるけど、近くに行けばニコッと笑ってくれるお兄ちゃん。

 

 絶対に手放さない。

 傷つける人間は許さない。

 

 

 目の前の、お兄ちゃんの頬に傷をつけた男。

 どうせ生きていても何の価値もないし、殺しちゃってもいいよね。

 

 腕を操り、手で頭を掴ませる。

 屋敷のメイドと血が繋がっただけの人間を殺した時と一緒、顎と頭頂部を持って時計回りに一気に回すだけだ。

 

 指を動かそうとした瞬間、左腕の主導権が無理やり奪われた。

 お兄ちゃんの方に顔を向ける。

 

 

「ドール、やめてくれ」

『……どうして?』

「いくら何でも、殺しちゃ駄目だ……」

 

 

 …………。

 

 

『お兄ちゃんがそう言うなら仕方ないよね! わかった!』

 

 

 優しいなぁお兄ちゃんは。

 そんな所も含めていっぱい好きだよ……お兄ちゃん。

 

 

 でも、その優しさを私だけに向けるようにするには、どうすればいいのかな?

 お兄ちゃんの周りの人間がみんないなくなれば……私だけを見るようになるのかな。

 

 もっと私を見てね、お兄ちゃん。

 

 でないと……寂しくて、暴れちゃうかも♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 いくら人が集まって歓声を上げていたからって、屋上で拳銃を二発も撃ったのは不味かった。

 榊浦親子の凱旋は即刻中止、ビルには警察が駆けつけた。

 

 俺は動けなくなった怪しげな男を簀巻きにし、他のビルの屋上を伝ってその場から逃げた。

 スナイパーライフルと拳銃を所持してるような奴だ、まさかこっちに疑いが向くことも……多分ないだろう。

 

『(*´꒳`*)』

 

 ダークナイトが腹に顔文字を刻んでいる。

 無事に家まで逃げ帰れたからまだいいものの、こいつのせいで今日はとんだ一日になった。割と本気でキレそうだ。

 

「お前……」

 

 時折ダークナイトの暇つぶしに付き合い、トラブルも起きることはあるが、今日のはいくら何でもやりすぎだ。

 声を荒げそうになった時、ふと、ヘッズハンターが言っていた言葉をなぜか思い出す。

 

 

『ダークナイトの()()()には困ったもんだ』

 

 

 ……遊ばせ? 遊ばせってなんだ。普通そんな言い方するか?

 ヘッズハンターが間違っているといえばそれまでだが……。

 

 

 ベッドの下の引き出しから、ひらがな五十音表を取り出す。

 それをダークナイトに見せたまま、話し掛けた。

 

「なあ、もしかしてだけどさ……今日って、俺に遊ばせてたのか?」

 

 彼が手を動かし、ひらがなを指さす。

 

『う ん』

「……あれのどこが遊びだって?」

『ひ と な ぐ る 。 た の し い 。 ち が う ?』

 

 

 …………。

 デカいため息が漏れる。

 

 つまりは……多分、こうだ。

 

 ダークナイトは暇だったので俺と出かけ、その時にビルの屋上に楽しそうな物を見つけた。

 しかし親が幼子にご飯を分けて食べる様を眺めるように、俺に楽しい事を譲り、それを眺めて満足した……そんな所じゃないだろうか。

 

 多分、大通りで無理やり体を奪おうとしたのも、『楽しい事があるのに遠慮して嫌がってるふりをしてる。しょうがないから体を変わって連れて行こう』くらいの感覚なのだろう。

 

 

 問題は、俺には人を殴ることがちっとも楽しめない所だが。

 

 

「なぁダークナイト。俺、本当に人を殺すのは好きじゃないし、殴るのも好きじゃないんだ」

 

『―――グギャ』

 

 

 彼からおかしな声が漏れた。恐らくビックリしたのだろう。

 プルプルと震えた指でひらがなを指さす。

 

『ほ ん と ?』

「本当に好きじゃない」

『ご め ん な さ い』

 

 

 ダークナイトの全身がカタカタ震えだす。

 今日一日の大騒動の根本の原因は、お互いの認識のすり合わせ不足だったようだ。

 

 

 人を殺すのは好きじゃないと前に伝えた事はあるが、だからと言って殴るのは好きとはならんだろ。 

 と思いはするものの、それは俺の常識だ。異世界、それも殺人鬼のダークナイトにとってそれは当たり前ではないのだろう。

 

 

 彼が善意でやった物だと分かると、なんだか怒る気力もなくなった。

 ベッドに座り、震えるダークナイトに手をふらふらと振る。

 

「まぁ……もう怒ってないよ。今度はまた別のことしような」

 

 

 そう言うと、ダークナイトは再び五十音表のひらがなを指さした。

 

 

『つ ぎ は 、 も っ と た の し い こ と す る』

 

 

 ダークナイトと会うの月一じゃなくて年一くらいにならないかな。

 結構本気でそう思った一瞬であった。

 

 

 

 

 

 



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#6 人生の攻略本が欲しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソッ!! ――――いってェ!!」

 

 黒を基調とした飾り気のない部屋の中で、男が目の前にあった机を苛立ちの声と共に蹴り上げた。

 机は地面に固定されているのか全く動かず、逆に男が足を痛そうに抑える。

 

 

 その様子を見て、棒付きキャンディを舐める小柄な女が呆れた様子で言った。

 

「何やってんのバーカ」

「……やってらんねえよこんなの!! お前もそう思うだろ!?」

「まぁ何も思わない訳ではないけどさ。気にしても仕方ないでしょ?」

 

 

 彼らが着る黒スーツの左胸には、小さなバッジが付いている。金を地に、黒い2本の二重らせん構造が交わったマークだ。

 見覚えがないのも当然である。新設されたばかりの上、人目に付かないように行動している彼らのチームの事を知っているのは一部の人間だけなのだから。

 

 黒い二重らせん構造はDNA。

 それが交わっているという事はすなわち、人間同士が融合している事を表す。

 

 

 彼らは『()()()()()()()()』。

 その名の通り、浮遊人格統合技術に関する犯罪の中で特に重要かつ危険な物を、担当・鎮圧する部隊である。一応警察組織に属してはいるものの、殆ど別組織のような扱いだ。

 

 男は苛立ちを隠せないまま椅子に座る。

 

「榊浦親子も何考えてやがる……! 世界中から狙われる国家の重要人物の癖に、いきなり凱旋がしたいだと!? たったの3日前に言われて警備の手配が完璧に出来るわけねえだろうがよ!!」

 

 

 机の上に散らばる紙の資料は全て、先日の榊浦親子の凱旋についての物だった。

 凱旋途中で突如銃声が鳴り、即刻中止。彼らが銃声の鳴ったビルに駆け付けると、そこにはスナイパーライフルを担ぎ負傷した男が簀巻きにされていた。

 

 調べた結果、このスナイパーライフルを持った男は他国の工作員だった。

 他にも金で雇った多くの下手人をダミーとしてあちこちに手配させて警察をかく乱し、本命のこいつが、榊浦親子を狙撃するつもりだったらしい。

 

 ありきたりすぎる手だが、事実銃声が鳴るまでこちらも全く気づけなかったのだ、何も言い返せはしない。

 

 

 警備の粗を徹底的にマスコミに突かれた警察組織は、しばらく弱体化するだろう。人格犯罪対処部隊も多少の影響を受ける。

 

 

 ―――だが、それよりも問題なのは。

 

 

「一体誰がこいつを捕まえたかってことだよ……!!」

 

 

 この男はかなりのエリートだ。

 全ての訓練で一番優秀だったのは勿論の事、異世界でナイフを使う戦闘技術を極めた人格を内に宿している。そのナイフ捌きには相当の自信があったはずだ。

 

 しかし、男の持つアーミーナイフには多少血が付着していたが、それだけ。

 後は一方的に攻撃され、簀巻きにされてしまっていた。

 

 資料に穴が空きそうなほどに見つめていると、突然、部屋の唯一の扉が軽い音を立てて開いた。

 

 

「うん、あらかた聞きたい事は全部聞けましたね。後は警察の方に任せましょう」

 

 入ってきたのは長身の、眼鏡をかけた細身の男だった。

 椅子に腰かける男が眉間にしわを寄せながら、口をとがらせて言う。

 

白戸(しらと)よォ、一体誰がやったのかは聞き出せたのか?」

「良い質問ですね牙殻(がかく)さん。…………『怪人二十面相』の仕業ですよ」

「!! チッ、マジかよ……」

 

 牙殻と呼ばれた男が顔をしかめた。

 

 

 『怪人二十面相』。

 

 それは人格犯罪対処部隊で、トップクラスに危険視されている人物の一人の名前だ。とある小説の大怪盗の名を借りた物である。

 報告事例は数年前からチラホラ上がっているが、未だに捕まえられていない。

 

 彼に関して得られている情報は、10代前半から後半の男という事と。

 『()()()()()()()()宿()()()()()』かもしれない、という事だけだ。

 

 

 複数人格持ち。

 

 浮遊人格統合技術はその性質上、異世界から呼び寄せた人格を記憶ごとその身に宿らせる。

 

 そして適正アリの人物でも、平凡や優秀な人格関係なく、大抵その身に宿るのは1人だけ。

 しかしもし、複数人の人格が宿ってしまった場合……宿主は高い確率で精神がぶっ壊れる。

 

 当たり前だ。

 常識も考え方も過ごしてきた人生も違う人格がいくつも頭の中に入ってくる。そんな物、人間の脳では耐えられない。

 今世界で最も多くの人格を宿している人物でも、確か4人だったはずだ。その人物は頭が壊れ、今は精神病院で全身を拘束されたまま暮らしている。

 

 だがこの二十面相はそれ以上の数の人格を宿している可能性が高い。

 やらかす事件の幅が大きすぎるのだ。

 

 

「クソがよ……」

 

 

 10年ほど前から国が焦って浮遊人格統合技術を子供に施し始めた結果、その管理体制は杜撰な物となった。

 この二十面相も恐らく、その杜撰な管理体制から適正ナシと判断されたのだろう。

 

 

 複数人格持ちは精神が壊れ、イカレた奴が多い。

 ゆえに二十面相がどんな事件を起こすかは、分かったものじゃないのだ。

 

 

 

 ……ありえない確率の話だが、例えもし、4人以上の人格を持ったまま精神を保っていたとしても。

 そいつは絶対に……マトモな人間じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダークナイトとの遊びを終えた疲れで、残っていた休日は全て睡眠に使ってしまった。

 残る体の気だるさを無視し、学校まで体を引きずる日々が数日続いた頃。

 

 朝起きた時に、半透明の長身の女性がベッドの傍に立っていた。

 

 

『わらわ、綺麗……?』

 

 

 出たなこの野郎。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 180センチに及ぶ身長と、適度に引っ込み膨らんだ異性の情欲を掻き立てる肢体。肩甲骨を覆い隠すほどに伸びた宝石のようなブロンドの髪。昔の日本で高貴な身分の女性が着ていた十二単に似た服を、肩や胸辺りを少しはだけさせて着ている。

 そんなやや目の吊り上がった、人間の限界を超えた美しい狐顔を持つ彼女。

 

 彼女の名は『キュウビ』だ。名前の由来はその綺麗な狐顔からで、九本のしっぽを持ってたり狐耳が生えていたりするわけではない。

 多少髪の色を変えたりマッチ程度の火を生み出す妖術は使えるらしいけど……。

 

 

 

 

 

 ベッドから起き上がりつつ、彼女の問いに適当に答える。

 

「はいはいキレイキレイ」

 

『やだ! もっとちゃんとわらわの目を見て綺麗って言ってくれなきゃや゛~だ~~!!』

 

 キュウビが床に思いっきり寝っ転がって、おもちゃを買ってもらえない子供のようにジタバタと駄々をこね始める。180センチの絶世の美女がそんな風に暴れると、綺麗と思うよりも哀れと思う気持ちしか上がってこない。光のないレ〇プ目だからちょっと怖いし。

 

 

 ダークナイトのようなマジのイカれ方とはまた別の面倒くささ。

 

 ……キュウビは、端的に言うと、若干メンヘラが入っているのである。

 

 

 

 

 

 キュウビは元々メンヘラだった訳ではない。

 むしろ出会った頃はかなり高慢ちきで、異性だろうが同性だろうが全て自分の前に服従して当然、この世で自分が一番人を虜にする魅力を持っているというプライドがあった。

 

 そんな彼女の自尊心を粉々にぶっ壊したのが、『サイコシンパス』だった。

 

 

 キュウビは自分の姿を見れば誰でもイチコロという自負があったが、ただ喋る声をそよ風にのせる程度に聞かせるだけで、人間を麻薬中毒よりも酷い声中毒にするサイコシンパスを見て滅茶苦茶にショックを受けた。

 

 

 

『こいつわらわ゛よりも格上じゃあ゛~~~~!!』

 

 

 

 人を虜にする事だけは誰にも負けないという一点だけでプライドを保っていたのか、自分の一番得意な事を完璧に上回られたキュウビの精神は粉々に砕け散った。

 そして毎日、俺の中にいるか外に出てぼーっと部屋の隅で座っているかしかしない、廃人みたいな生活を送り出したのだ。

 

 

 

 ……そこで終われば万事解決だった。部屋の隅に置物が1つ増えるだけで、何の問題もない。

 だがそうはならなかった。ここから先の話は……俺がやらかした話だ。

 

 

 

 彼女がメンタルブレイクしたのは俺が14歳……中学2年生もそろそろ終わる冬の時分だった。

 当時思春期真っ只中だった俺は、目覚め始める性欲のコントロールの仕方もまだよく分かっていなかった。

 

 それでまあ。

 部屋の隅で傾国の美女が、半透明で殺人鬼とはいえ肩や胸をさらけ出しながら、ずーっと座っているのだ。殺人鬼というだけで魅力は99%ぐらい減少するものの、残りの1%は積もって溜まっていく。

 

 そしてついに、我慢できなくなってしまって。

 そういう欲を込めた目で一瞬、チラッと見てしまったのだ。

 

 

『―――!!』

 

 

 キュウビが一瞬でこっちに顔を向けた。見たこともないような満面の笑みで。

 

 やばいと思って顔を逸らすも時すでに遅し。

 こいつは顔と体で人間を虜にしまくってきた部類の人間。そういう目には慣れているどころかカモンバッチコイの全受けスタイルの人間だ。俺が向けるような分かりやすい視線に気付かないはずがなかった。

 

 彼女がニヤニヤしながら傍まで寄ってくる。

 プイッと顔を背けるも、こちらの顔を覗き込むために反対側へちょこちょこ歩いてくる。そうして、艶のある声で言った。

 

 

『俊介、見たじゃろ?』

「見てないです」

 

『見たじゃろォ!? わらわを()()い目でェッ!!』

 

「見てないですッ―――!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………。

 そんなこんなで。

 

 

 

『わらわのこともっと褒めてくれなきゃ嫌じゃあ~~~』

 

 

 

 粉々に砕け散った精神を俺のエロい目という接着剤で直した結果、歪な精神構造をした美女メンヘラ褒め言葉クレクレマシンが出来上がった。

 俺はどうすれば良かったんだ? 誰か教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に着き、教室に行って自分の席に着く。

 そして当たり前のようにキュウビが机の上に座った。邪魔だよ!!

 

 

「あっ、おはよう日高君!」

「あっ……おっ、おはよう」

 

 席に座ってキュウビの方を睨んでいると、今来たばかりの夜桜さんが声を掛けてくれた。

 思わず破顔して、多分情けない顔をしながら挨拶を返す。

 

 

 すると、頭の上の方におどろおどろしい闇の籠った視線が降り注ぎ始めた。

 視線の主はもちろん、キュウビ。光の入らない濁った眼でこちらを見下ろしている。

 

 

『…………』

 

 

 なんだか面倒な事になりそうな気配がする。

 キュウビがゆっくりと机から降りたのに合わせて、俺も椅子から立ち上がった。

 

 

『わらわに体の主導権を寄越せ! この雌、刺し殺してくれるわ!!』

 

 

 何でキレてんだよテメェ!!

 夜桜さんが戸惑いの表情を浮かべているのも気にせず、教室から飛び出し、追いかけてくるキュウビから全力で逃げる。

 

 幸い、キュウビの身体能力は他の殺人鬼と比べて低い。ハンガーやダークナイトなんかは無理だが、彼女相手なら何とか逃げ切れる。

 いやまあ、あんなクソ重そうな和服を着て走れる時点でおかしいのだが。

 

 

 

 

 そうして校内を全力疾走すること、数分。

 

 

 そろそろ彼女の怒りも冷めてきたころだろう。熱しやすく冷めやすいのが特徴だ。

 HRも間もなく始まる。急いで教室に戻ろうと、走ったまま曲がり角を曲がろうとしたその瞬間。

 

 

「ッうわっ!!」

「きゃっ!!」

 

 ちょうど向こうから曲がってきた誰かと、思い切りぶつかってしまった。

 声からして恐らく女の子、体重と速度の差で吹っ飛ばしてしまったようだ。

 

 

 

「す、すみません!! 大丈夫ですか!!」

 

 

 咄嗟に謝りながら、倒れた女の子の落とした鞄を拾う。

 

 ――――そして、ふと、感じる違和感。

 

 

(……なんでこんな、ずぶ濡れなんだ……?)

 

 

 鞄の持ち手が、強く握れば水が出そうなほど水分を含んでいるのだ。

 今日は生憎の快晴、しかもここ一週間は晴れ続きのため、道は水たまりもないほどに乾燥している。雨で濡れるはずがない。

 

「だ、大丈夫です」

 

 起き上がり、俯くように伸ばした黒い前髪で顔を隠す彼女。

 俺の手にある鞄を奪うように取り、そのまま、自分の教室があるであろう道へと駆けていった。

 

 

「…………」

 

 

 俺はなぜかその背中が気になって、彼女の走っていく姿をじっと見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





誤字報告をくれる方、いつも感謝しています。


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#7 『いじめの解決の仕方』←検索

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 学校が終わり、自宅に戻ってからも、俺は頭を悩ませていた。

 何に頭を悩ませているのか?

 

 それは今日、たまたま曲がり角でぶつかった女子生徒の鞄が不自然に濡れていた事に対してだ。

 道端で水撒きをしているのに巻き込まれたと言われれば、そりゃまあ、そこまでなのだが。

 

『な~に悩んどるんじゃ、俊介?』

 

 キュウビが顔を覗き込んでくる。

 ……こんな何でもないことを相談するのは少し憚られるような気もしたが、一人でうだうだ悩んでいたってしょうがない。キュウビの方に顔を向け、悩みを話す。

 

 

 事のあらましを全て聞き終わったキュウビは、特に悩む様子もなく、あっさりと答えた。

 

『うん。ま、『()()()』じゃのう。よくある事じゃ』

「いじめ……?」

『間違いないじゃろう。わらわもよく、腐った豚の血をぶっかけとったし。大体雰囲気で分かる』

 

 

 激ヤバ女め。

 でもまぁ、いじめか…………。俺の通ってる学校で…………。

 

 

『しかし仮にいじめだとして、一体何の問題があるのじゃ?』

「…………」

『今朝関わりを持ったばかりの女に、わざわざ手助けする義理もあるまい。自分でどうにかできぬのならば、死ぬるのが世の道理よ』

 

 

 いじめって自分でどうこう出来る問題か?

 とは思いはしたものの……まさにキュウビの言う通りなのだ。

 

 

 ただ同じ学校に通っているというだけで、あのぶつかった女子生徒とは何の関わりもない。夜桜さんのようにこちらが一方的な好意を抱いている訳でもない。

 

 確かにいじめは悪いことだ。だからと言って無条件に助けるほど、俺はヒーローじゃない。むしろ関わり合いを避けるただの一般人なのだ。

 自殺でもされたら寝覚めは悪くなるが、一ヵ月もすれば何も感じなくなるだろう。

 

 

 望むのは平穏な生活。

 わざわざ面倒事に突っ込むことはない。

 

 ま、あそこで()()()()()関わりを作ったのは忘れることに――――。

 

 

 

「あっ」

 

 

 

 バッと起き上がる。

 手でさするのは、つい先日付けられた頬の傷。変な男が持ってたアーミーナイフで付けられた傷だ。

 

 あの時はドールが暴走しかけて時間がなかったため、つい血の付いたナイフを回収するのを忘れたまま逃げてしまっていたのだ。

 

 まあそれだけなら、問題ないことはないが、リカバリー可能な範囲だ。

 今まで殺人鬼達が突然暴れ出して、色々巻き込まれた事は何度もある。その時に、血液はないとしても、多分髪の毛とかそんな物は落としていってしまっている。

 

 

 そして血液や髪の毛からはDNAが取れ、それで個人を特定するDNA鑑定が出来るらしい。

 だが俺は最終兵器『仮病』を使いまくり、病院で血液採取する機会なんかは全部サボりまくって、今の今まで()()()()()調()()()()()()()()()()()()

 

 

 俺のDNAは今も、正体不明の変な事をする奴として、警察のデータベースに保存されているんじゃないだろうか。

 それだけなら、これからの生活に気を付ければさして問題はない。

 

 俺という個人が特定できる生活圏内で、DNAが発見されない限りは。

 

 

 

「…………ちょっと、ちょっとな? 確認程度な?」

 

 

 冷や汗を手に滲ませながらスマホを開き、インターネットで『DNA鑑定』と検索する。

 

 まさかそんな。

 ちょっとあの子の鞄を持ったくらいで、DNAが出るような、そんな馬鹿な事があるわけないよな? 世界の科学はそこまで進歩していないはずだ。進歩していないでくれ。

 

 

 警察が公表する、科学捜査についての小難しいことが書いてあるサイトを開く。

 それの一番最初の辺りに、どでかくこう書かれていた。

 

 

 

『物体に付着した微小な手の皮膚から、DNAが採取できます』

 

 

 

 

 ――――終わった。

 

 

 

 ――――というか、ぶつかった時点で髪の毛とかが付着した可能性があるから、鞄関係なく終わってた。

 

 

 

 この瞬間に突然、俺のDNA情報を警察が処分するなんてミラクルが起きるはずない。未来永劫保存されるだろう。

 

 

 そしてもし、このままいじめが横行し、あの女子生徒が自殺したらどうなるだろう?

 

 

 

 ①警察が彼女の事を調べまくる。

 ②付着した髪の毛とか手の皮膚とかから、俺のDNAを採取。

 ③簀巻きにした男のナイフから取ったDNAと合致。

 ④流石に生活圏内の高校まで特定されたら逃げられない。俺、逮捕。

 

 

 

 

 俺の人生を牢屋まで直行させる奇跡の四連コンボだ。

 まあ彼女が一年ぐらい先に自殺したとかなら、俺のDNAを採取される可能性は低いだろう。けどもし明日に自殺でもされたら、俺の人生は丸ごと吹っ飛ぶ。

 

 

「ぐぉぉぉおお…………どうすんだよもぉぉおおおお…………」

 

 

 頭を悩ませるが、やる事なんてわかり切っている。

 明日自殺すれば俺は終わるけど、1年後なら多分大丈夫! なんて、不確定な物に人生を委ねる訳にはいかない。

 

 どうにかして彼女に対するいじめを止めて、自殺なんて最悪な結末を迎えさせないようにしないと。

 牢屋の中で一生を過ごしたくはない。

 

 

「キュウビ」

『ん? なんじゃ俊介』

「もしお前がいじめをするとしたら……一体、どんな場所でする?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 善は急げとよく言ったものだ。無償の善なる行いなんて偽善まがいの物はさっさとやって、さっさと終わらすに限る。俺の場合は偽善じゃなくて人生掛かってるけどな!

 

 

 ただ、俺はいじめの解決なんてした事がない。小学生くらいならぶん殴って教師にチクって終わりだが、高校生のいじめにもなると陰湿度が桁違いとネットに書いていた。

 

 だからまずは情報集めだ。

 いつどこでいじめられていて、誰がいじめているのか、それを調べないと解決しようもない。

 

 

『俊介~? その、例の女子生徒かは分かんねーけど……なんかやってそうな場所は見てきたぜ』

 

「ありがとうハンガー。それで、用意した縄だけど……ホントに虎縄で大丈夫か? もっと良い奴も買えたぞ?」

 

『上等上等。俺が向こうで使ってたのに比べりゃ、よっぽど頑丈だ』

 

 

 俺とハンガーは放課後の旧校舎に来ていた。正確には旧校舎の屋上だ。

 新校舎が10年ほど前に出来てから、この旧校舎は使われなくなったらしい。入り口は施錠されているが、校舎をグルっと回った裏の方の窓から侵入できるそうで、一部の生徒の溜まり場になっているのが現状であった。

 

 

 そしてキュウビによると、いじめなんて物は大抵の場合、人目に付きにくい所でやるらしい。

 

『ま、わらわは公然とやっておったがの! すました顔の女を人前で蹴り飛ばした後、わらわの虜にして靴を舐めさせるのが面白いんじゃ!』

 

 クソ女め。

 

 

 

 

 

 ……ともかくだ。

 この旧校舎に集まる一部の生徒というのは、まあ、かなりガラが悪い。そのせいで一般生徒はここに近づかない。

 そして教師も、旧校舎の事は見て見ぬふりをしているのか、外からチラッと見るだけで中まで巡回しに来ない。

 

 まさに人目に付きにくい、いじめをするのには格好の場所という訳だ。

 

 

 ハンガーに両腕の主導権を渡し、屋上の少し頼りない手すりに虎縄を引っ掛け、体にも縄を巻く。そして縄を掴んだまま何もない背後に体重をかけ、そのままハンガーに尋ねる。

 

 

「それで、その変な奴らが集まってる場所はどこなんだ?」

『こっから少し下がった所だ。窓もあるからよく見えると思うぜ』

 

 

 半透明のハンガーが、先にいじめの現場らしき物を見つけてきてくれたのだ。こういう時、俺以外に見えない半透明の姿というのは便利だと思う。

 

 そしてなぜ、俺が実際に見に行く準備をしているのか? ハンガーに現場の状況を聞けばいいじゃないか? という疑問も起きるだろう。

 

 

 まあ、ハンガーが普通の人間ならそれでも良かった。だが彼女は異世界の殺人鬼だ。

 

 この前のダークナイトの件みたいに、お互いの認識の差でとんでもないすれ違いが起きたらとても困る。そのため、少し危険を冒してでも、俺が実際に見に行くことを決めたのだ。

 

 

 

 

『ゆっくり行くから、足踏ん張ってろよ俊介!』

 

 

 

 旧校舎の壁を足で踏みしめつつ、ロープを少しずつ離して降りていく。

 まるで特殊部隊になった気分だ。

 

 一応人目に付きにくい場所で、校舎の壁の色と似た服を着ているが、誰かに見られたら堪ったモノではない。思ったよりも太ももがキツいし、さっさと終わらせたい。

 

 

 目的の窓まで辿り着いた。

 体勢を変え、地面と水平になり、左目だけで中を覗き込めるようにする。

 

 そうしてそーっと、中の人物達にバレない様に、窓の淵から目をはみ出させた。

 

 

 

 

 中には女子生徒が5人、集まっている。……ってここ、女子トイレじゃねえか。

 

 

「―――何考えてんだよ!!」

 

 

 金髪の女子生徒の、甲高い声が響く。

 彼女がそんな声と共に殴ったのは、つい先日、俺がぶつかってしまった女子生徒だった。

 

「いい加減、転校しろよ!! お前がいるとマジで迷惑なんだよ!!」 

 

 他の女子生徒も、一斉に彼女の事を痛めつけ始める。

 結構容赦のない攻撃だ。顔を傷つけてはいないが、服で隠れている所に青あざが大量に出来るくらいの威力はある。

 

 

『なんか切羽詰まった顔してんな~。ま、俺も人を殴るのはそんな好きじゃねえけどさ。手ぇ痛くなるし』

 

 

 ハンガーが俺の背中に張り付きながら、そんな事を言った。半透明の幽霊みたいな物だから重さは感じないけど、それでいいのか。

 

 でも確かに、いじめって実際に見たことないけど、あんな辛そうな顔でするものなのか?

 キュウビは人を痛めつける話で心底楽しそうな顔をしてたけど、アレは比較対象としては不適当だ。

 

 

「うっ、ううっ……」

 

「泣いてんじゃねッ――――!!」

 

 

 黒髪の女子生徒が嗚咽を始める。

 それにイラついたのか、金髪の彼女が思い切り手を振り上げて――――。

 

 

 

「――――お前たち、何してるんだ!!」

 

 

 

 

 突然、女子トイレの扉が壊れそうな勢いで開いた。

 開けたのは俺と同じ制服を着た男子生徒。なんとなく見覚えのある顔だ、恐らく同じ学年だろう。

 

 黒髪の生真面目そうな男子生徒が入ってきた瞬間、金髪の彼女たちは一斉に顔をしかめた。

 

人を寄ってたかって殴って、何を考えてる!! ……大丈夫か?」

 

「う、うん……」

 

 彼が殴られすぎて立てなくなった黒髪の彼女に近づき、肩と腕を持って立ち上がらせる。

 そうして、キッ!と虐めっ子の方を一睨みしてから、女子トイレを出ようと歩き始めた。

 

 

(……なんだよ。俺が何かしなくても、ちゃんと助けてくれる人がいるじゃん)

 

 

 そう思い、若干の敬意をこめて、彼が女子トイレを出ていくまで見送ろうとした時。 

 

 

 突然、あの男子生徒が濁り切った眼をこちらに向け、窓の外にいる俺と目を合わせてきた。

 背中に悪寒が走り、一気に背中をのけぞらせ、窓から頭を離す。

 

 

 

(ッ!? バレた……?! でも、なんだあの目は……!!)

 

『……へェ~…………』

 

 ハンガーが少し、微笑みながら声を漏らした。

 そして、静かな声で俺に言う。

 

 

『俊介。もしこれ以上首を突っ込むなら、気を付けた方がいいぜ。

 俺は人間関係の事なんて大して分かんねえけど……。

 

 ――――ちょっと()()そうなのは確かだからな』

 

 

 

 その言葉が本当だと感じたのは、存外、すぐ後の事であった。

 

 

 

 



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#8 ガッツな握手!!

 

 

 

 旧校舎での一件。

 あの男子生徒の濁り切った眼が忘れられず、俺は、いじめに関しての調査を続けることにした。

 

 

 あのいじめられていた黒髪の女子生徒の名は『本橋 千晶(もとはし ちあき)』。俺と同じ二年生だ。

 

 虐めっ子の……一番最初に殴っていた、恐らくグループの主犯格であろう金髪女子生徒の名が『細木 香織(ほそき かおり)』。どうやら一年生らしい。後輩には見えない派手さだ。

 

 そして件の男子生徒の名が『星野 省二(ほしの しょうじ)』。予想通り、二年生だった。

 

 

 いじめられっ子の本橋はどうやら、小学6年生の頃にこの辺りに引っ越してきたようだ。

 そして、家が隣同士になった星野と仲良くなり、ずっと一緒にいるらしい。

 

 

 それと、気になる情報が一つ。

 

 

 本橋が一年生の頃、細木とはまた別の、当時三年生の女子生徒が彼女を虐めていたという。

 だがその虐めていた女子生徒は、学校卒業直後にプッツリと消息を絶ったそうだ。

 その後を引き継ぐように、細木が本橋を虐めだしたらしい。

 

 

 学校の名簿を見たり、裏サイトの学校掲示板を探ったにしては、なかなか情報を集められた方だと思う。最後の情報は掲示板から得たため信ぴょう性が低いが、まあないよりはマシだ。

 

 

 

 A4用紙にそれらの情報を書きまとめ、頭を悩ませる。

 盛大におかしいだろ! と思うような突っ込みどころはない。気になるとすれば、消息を絶ったという情報だが………。

 

 

 机の上にある紙を覗き、顎を抑えるサイコシンパスが言う。

 

『…………ふむ。全員、私が聞き出せば早いのでは?』

「それは最終手段……いや、絶対ナシだ。なしなし」

 

 全く見知らぬ悪人相手ならともかく、同じ高校の人間を声中毒にするのは不味すぎる。

 そんな俺の言葉に呼応するように、ベッドの上で寝っ転がっていたキュウビがバッと起き上がって声を荒げた。

 

『そうじゃそうじゃ! 貴様の出る幕なんかないんじゃ、中に引っ込んどれ!!』

『キュウビ……。それはお前も同じことだろう。今の状況でお前に一体何ができる? 言ってみろ』

『やかましい!!』

 

 ギャーギャーと、背後で取っ組み合いになりながら騒ぎ出す2人。

 サイコシンパスはそこら辺の小学生相手に腕相撲で負けそうなくらい弱いので、キュウビに一瞬でマウントを取られ、ボコボコに殴られていた。

 

 

 

 ……うるせえ。

 喧嘩するのが目に見えてたから、キュウビとサイコシンパスは引き合わせたくなかったんだ。サイコシンパスが中に居るか、キュウビがさっさと中に戻るかすればこうはならなかったのだが。

 

 溜め息と共に音楽をガンガン鳴らしたイヤホンをして、2人の声をシャットアウトし、頭の中で考えを纏め始める。

 

 

 

 星野という男が見せた、あの濁り切った眼。

 あんな目をすることが出来る奴は絶対に正気ではない。断言できる。うちの殺人鬼が偶に見せる物と酷似しているからだ。

 

(何かしらの犯罪者の人格持ちか……?

 でもそんな危険な人格持ちなら、国に管理されているはず……あっ)

 

 そういやド級の殺人鬼の人格持ちが野放しにされている事を忘れていた。

 低い確率だが、危険な人格の持ち主がなんの管理もなく生きている事は、あり得ない訳ではないのだ。

 

 

(……でも、となると、おかしくね?)

 

 

 仮に星野が、犯罪者の人格持ちだとしよう。

 奴には人格が完全に切り替わる際の一瞬の硬直がなかった。入って来てから出ていくまで、絶対に同じ人格だったはずだ。

 

 つまり、あの濁った眼をした犯罪者の人格が、虐められっ子の本橋を助け出してそのまま出て行ったという事になる。

 

 ……意味が分からん。なんでわざわざ、トイレに入る前に危険な人格に変わる必要があるんだ。

 俺はあんまり気にしないけど、夜桜さんの言葉では人格の切り替えはかなり危険な行為らしい。用心のためと言っても、リターンとリスクが合っていなさすぎる。

 

 …………う~ん。

 

 

 

 

 

 

 イヤホンを外し、机に突っ伏しながら頭のもやもやを声に乗せて発する。

 

「わかんね~~~!!」

『うおっ』

「ん?」

 

 誰かが驚いた声が聞こえ、その方向を向くと。

 そこには気まずそうな顔をしている、ヘッズハンターが立っていた。

 

 

『その……。中から、大体の事のあらましは見ていた。……ちょっと、良いか?』

 

 

 親指で、部屋の扉の方を指さす。

 その後に、喧嘩をしているキュウビとサイコシンパスに目を向けた。少し場所を変えて話したいという事だろうか? 断る理由もないので、ヘッズハンターが部屋の外に出ていくのを追う。

 

 

 家の外にまで出て、まだしばらく歩く。

 そうして、家からギリギリ100メートルの場所にある公園に辿り着いた。元々人が居る事も少ない上、夜も近づいて来たからか、無邪気に遊ぶ子供の姿もない。

 

 

『よっ』

 

 ヘッズハンターが軽い掛け声と共に、2メートル程の高さがあるジャングルジムの頂点に飛び乗った。身体能力が高すぎる。

 童心に帰ったつもりで、誰かに見られないことを祈りながら、同じようにジャングルジムの頂点まで登った。

 

 

 公園の周りを覆う木々の隙間から、赤い夕陽が沈んでいくのを、静かに眺める。

 一体何の用事だろうか。ヘッズハンターがこんな風に呼び出してくるのは初めてだ。

 

 半透明の彼が気まずそうに頭をかき、ふーっと息を吐いてから、ぽつぽつと言葉を発し始めた。

 

『その、だな。今俊介が関わっている、虐めの件だけどな』

 

「……うん」

 

『俺はこれ以上……関わらないでやって欲しい、と、思っている』

 

「えっ?」

 

 

 いきなり何を言い出すんだ。

 と思ってヘッズハンターの方を見たが、彼も自分自身で無茶苦茶な事を言っているのが分かっているのか、顔を俯けていた。

 

 

『……そういえば、話したことなかったよな。俺が初めて人を殺した理由』

 

 

 確かに、ヘッズハンターからそういう話を聞いたことはなかった。

 殺人鬼達には、自分が元の世界で何をしていたか話す奴もいるし、話さない奴もいる。話したくないのなら聞かないでおこうと、俺もわざと首を突っ込まなかったのだ。

 

 だが彼が話したいと言うのならば。

 コクリと頷き、話の続きを促すと、彼はそれに誘われるように言葉を紡いだ。

 

 

 

『俺には同い年の幼馴染の女の子が居てな。

 ずーっと一緒だったんだが……ちょうど、俊介と同じ年で、彼女は虐めを受けるようになった。

 

 なぜなのか、理由は今でも分からないが……学校一の不良グループからのたちの悪い虐めでな。段々エスカレートしていって、教師ですらも見て見ぬフリをしていたよ。俺も怖くて、少し彼女から距離を取っていた。

 

 そして……ある日、彼女は俺の家に訪れ、助けを求めて来たんだ』

 

 

 そこまで話したところで、ヘッズハンターが額を手で押さえた。

 何か言葉を掛けようとしたが、彼が覚悟を決めたような表情で、すぐに話を続ける。

 

 

『俺は……その不良グループにビビって、玄関の扉を閉めて逃げた。

 

 そしたら…………次の日、彼女は自宅で()()してたよ。

 

 俺に相談してきた、そのすぐ前に、不良グループの男共から性的な乱暴を受けたらしくてな。『限界です』……って、滲んだ文字で遺書に書いてあった』

 

 

 思い出すのも辛そうな顔をするヘッズハンター。

 今の話の流れから分からないほど、俺も鈍感じゃない。彼が初めて殺した人間というのは……。

 

 

「……まさか、その不良グループを」

 

『ああ。()()()()にした。……何もかも遅かったけどな』

 

 

 思わず生唾を飲んでしまう。

 ヘッズハンターの言う『バラバラ』とは比喩表現ではなく、正に言葉通りの意味なのだろう。

 一見すれば何でもない、そこら辺に居そうなほど精神的に落ち着いている彼も、立派な殺人鬼なのだ。

 

 

『―――俺はビビって、彼女を助けられなかった。

 ……けどさ。あの星野って男は……違った。

 

 俊介の考える通り、アレはマトモな人間の眼じゃない。

 明らかに犯罪者……もしかすると、俺達と同じ()()()()()()が入っている。

 

 …………でもッ!

 小さなころから一緒に居る、幼馴染を、虐めから助けたんだ。

 

 例えどんな奴だったって……。

 それだけで俺は、あの星野って奴を、『()()()』だって思っちまうんだ…………』

 

 

 

 殺人鬼・ヘッズハンターの独白。

 それは、多くの人間を殺した犯罪者とは思えないほど、ごくごく普通の男の吐露だった。

 

 

「星野が良い奴だから……これ以上、俺に虐めの件に関わるなってこと?」

 

『無茶苦茶な事を言ってるのは分かってる!

 でも……俺が進めなかった未来が、すぐそこにあるんだ。

 

 星野を手助けしろとは言わない。

 せめて、関わらないで、そっとしてやって欲しいんだ……』

 

 

 彼の言葉には、もっと隠された意味があるような気がした。

 自分は殺人鬼だから関わっちゃいけないという遠慮とか、あったかもしれない幸せな別の未来を見ていると辛いとか。全て俺の勝手な想像だけど……そう外れてもいないだろう。

 

 

 だがヘッズハンターの言う通り、星野が危険な人格持ちの疑いが高いとはいえ、俺の目の前で殴られていた本橋を助け出したのは事実。

 

 星野の善性に任せて、これ以上関わらない選択を取ることも出来る。

 

 

 ――――だけど。

 

 

 

「悪いけど……嫌だ」

 

『!! 何でだ……ッ?!』

 

 ヘッズハンターが目を見開き、驚いた顔をこちらに向ける。自分の心からの願いがきっぱりと否定されたからか、その視線には怒りも若干籠っている。

 相手は落ち着いているとはいえ、殺人鬼。数年も一緒に居るが、恐ろしいと感じる時はある。

 

 だが、ヘッズハンターの願いを飲むわけにはいかない。

 背中にビッショリと汗をかきながら、彼の眼をしっかりと見た。

 

 

「関わらない選択をするのは簡単だけど……()()したら、もう戻れない。

 

 だったら、俺は……納得の行くところまで調べ切ってから、関わらない選択をしたいんだ。

 まだ時間はある。即断即決も良いけど、ギリギリまで粘って決める方が……後悔もないだろ?」

 

『…………』

 

 

 俺のありのままの気持ちを、ヘッズハンターに伝えた。

 殺人鬼達と暮らしていると、否が応でも面倒事に巻き込まれることがある。その時に、後の自分がなるべく後悔しないような選択をする事は、俺の精神を保つための一種のポリシーになっていた。

 

 このポリシーばかりは、いくら彼の願いといえども曲げられない。

 関わらない選択を取ってもいいが、それは確実に『今』じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

『…………ふっ』

 

 

 ヘッズハンターが顔を俯かせ、鼻で笑った。

 そのあと、自分の両手で顔を隠し、ごろんとジャングルジムの上で寝転がる。

 

『俊介は、またすぐに逃げようとした俺よりも、ずっと強いんだな……』

 

「え? 何?」

 

 彼が口を手で隠しながら、何かをぼそぼそと呟いた。

 何を言ったのか聞き取るために顔を近づけようとするが、それを避けるように、彼はバッと起き上がる。

 

『何でもない。……ありがとう。やっぱりすごいな、俊介は』

 

「?? え、あ、うん……。

 結局、まだ虐めの件には関わるってことでいいのか……?」

 

『ああ。

 それと、俺にも是非協力させてくれ。他の奴らに比べると、出来ることは少ないけど……』

 

 

 何を言う。

 殺人鬼の中で一番落ち着いているヘッズハンターが協力してくれるだけで、どれだけ俺の精神衛生が保たれる事か。

 偵察もよし、相談相手にもよし、うるさい殺人鬼を何処かへ放り出すもよし。とんでもなく頼りになる。

 

 

 

「じゃあ、さっそく明日から調査を始めよう」

『分かった』

 

 

 俺とヘッズハンターは、お互いに握手をした。

 ……互いに触れられないから、握手の真似をしただけだけど。

 

 

 心の中ではガッツのある熱い握手をした気分になったから、良しとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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#9 雨を呼ぶ、てるてる坊主の吊るし方

ちょっと短め


 

 

 

「あ”ん? 誰だお前、話しかけてくんじゃねーよ」

 

 うおっ、こわ~……。

 一つ下の後輩とは思えない眼光だ。街中で会ったら絶対に目を合わせない自信がある。

 

 彼女は虐めを行っていた、金髪女子生徒の『細木 香織』。

 無論、放課後の校舎裏に座っていた彼女に話しかけたのも、虐めの件の調査についてだ。

 

 

 

 

 

 

 

『消えた三年生の件も気になるが……まず探るべきはこっちだろう』

 

「え? ……なんで?」

 

 ヘッズハンターが指さしたのは、紙に書かれた細木香織の名前。

 普通こういうのって、星野とか本橋とかの、虐められている側から探っていくもんじゃないのか。なぜわざわざ危なそうな方から……。

 

『俊介には分からない感覚だろうが、俺達含めて犯罪者ってのは視線に敏感だ。黒に近い星野側よりも、学校でたむろする不良生徒の方がまだ探りやすい』

 

「……星野に察知されにくい方から探るってことね」

 

『話が早くて助かるよ』

 

 大体の理屈は分かった。

 でも、どうやって探るんだ……? また覗きか?

 

『直接アタックだ』

 

「――――え”っ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その、別に、大した用事はないんですけどぉ~…………」

 

 人を陰キャとか陽キャで判別するなら、俺はかなり陰キャ側だ。

 細木みたいなゴリゴリの、陽キャを超えた不良相手には緊張して声が上ずってしまう。

 

「チッ。……二年生が何の用だっつーんだ、目障りだからどっか行けよ」

 

 彼女が手に持っていた水のペットボトルを口に付けながら、鬱陶し気にそう言った。

 視界の端で、ヘッズハンターがこちらを見ながら立っている。……その横にはなぜか、ドールも立って、こちらに手を振っていた。何してんの?

 

 

 クソ、このままじゃ黙って突っ立ってるだけじゃ埒が明かない。

 『ええいままよ』と、覚悟を決めて言葉を口にした。

 

 

「その、()()()()っていう男子生徒の事で、聞きたいことが――――」

 

 流石に『虐めをしてますか?』なんて直接的すぎて聞けない。虐められっ子の本橋の名前も同じ理由でダメ。なので星野の名前を出すように、ヘッズハンターと事前に決めていたのだが―――。

 

 

 

 

 ――――バンッ!!

 

 

 

 

「いたッ!」

 

 彼女が、殆ど空になったペットボトルを投げつけてきた。

 

 頬には何筋もの汗が流れ、顔色は蒼白に染まっている。開ききった瞳孔が微かに震えているその表情は、一目で尋常ではないことが分かった。

 フルフルと震えた唇で、細木が言う。

 

 

「その名前を口にするんじゃねえよ……!」

 

 

 やばい地雷を踏んでしまったようだ。

 あっちもこっちも。

 

『お兄ちゃーん……』

『ステイ、ステイ、落ち着け』

 

 ドールの眼から光が消えるが、ヘッズハンターが肩を掴んで言い聞かせる。

 何処もかしこも修羅場だ。

 ペットボトル投げられたぐらいじゃ何ともないから、頼むから落ち着いてくれ。

 

 

「ちょ、ちょっと落ち着………」

 

 

「うっせえな!! 二度と話しかけてくんじゃねえ!!」

 

 

 

 

 

 彼女が突然立ち上がり、俺から一刻も早く距離を取りたいと言った様子で、裏門の方へと走って行った。……何も聞けなかったな、結局。

 

 しょうがないかと思っていると。

 ヘッズハンターが眉間にしわを寄せたまま、俺に向かって言った。

 

 

『追いかけるぞ。両足渡してくれ』

 

「……マジ?」

 

『元々、直接聞いて素直に話してくれるなんて思っちゃいない。星野の名前を出して、どういう反応をするかを探るのが目的だったんだ。

 これで虐めの件について、笑い交じりに話そうものなら……まぁ、それは置いとくとして』

 

 置いとくなよ。話そうものなら何だよ。怖い所で止めないでくれ。

 

 

 ……でもまぁ、彼女は虐めの件について笑い交じりに話すどころか、顔面蒼白になって逃げて行ったのだ。

 ヘッズハンターも想定していた反応とよっぽど違ったのか、少し強引にでも調査の続行を決めたようだった。俺も、気になる事を後日に回すよりも一気に調べ切った方がいいかもしれないと考え、彼の意見に肯定の意を込めて頷き返す。

 

 

 彼に両足を渡すと、一般男子高校生とは比べ物にならない脚力と速度で走り始めた。

 

「どぅわっ!? 速すぎるって!!」

『口閉じてろ、舌噛むぞ!!』

 

 そのまま人目のない裏路地に入り、室外機やパイプを足場にして、4階建てはあろうビルの屋上まで一気に登る。なんて身体能力だ、オリンピック選手でもここまで出来るかは怪しいんじゃないだろうか。

 

 

 ビルの屋上から下を覗くと、焦った様子で、外聞も気にせず走り続ける金髪女子生徒の姿が1人。先ほど出て行った細木に間違いない。

 

『何処に向かってる……?』

「あの方向は確か……言い方は悪いけど、ちょっと寂れた住宅地があったはず」

『なんだって? じゃあまさか、家に帰ってるのか?』

 

 

 

 

 

 

 途中、繁華街や駅の方に繋がる曲がり角はあったものの、彼女は脇目も振らず住宅地の方向に走り続ける。セットしているであろう金色の髪は汗で肌に張り付き、薄めの化粧は汗で崩れかけ、息も絶え絶えだ。

 

 

 そしてやがて、築数十年は確実に経過しているであろう古い二階建てのアパートで足を止めた。

 錆まみれの階段を一気に登り、廊下の一番奥にある扉の鍵を焦った様子で解除して、勢いよく中に入る。

 

 

志穂(しほ)! 林太郎(りんたろう)!」

 

 

 1LDKの部屋に発するにしては、大きすぎる声量で誰かの名前を叫ぶ。

 そうすると、奥の部屋から小学校低学年くらいの子供が2人、姿を現した。

 

「おねえちゃん、声大きいよ!」

「また隣のおっさんに……うわっ!」

 

 細木が2人の子供に思い切り抱き着く。

 その表情は安堵に包まれていて、目の端には、涙も滲んでいるように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺たちは、細木が居るアパートの、すぐ近くの家の屋根に座っていた。

 

 

『お兄ちゃん、大体こんな感じだったよ』

 

 

 ドールに渡していた左腕の主導権が返ってくる。

 彼女に、ガシャポンで出てきた小さな熊の人形を操ってもらい、部屋の様子を教えて貰っていたのだ。偵察に行ってもらうよりも早い、いわゆる生中継的なアレである。

 

 しかし、ドールに教えて貰った部屋の様子。

 星野の名前を聞いた彼女が真っ先に取った行動が、恐らく弟と妹であろう2人に会いに行く。想定外すぎる行動に、ヘッズハンターと俺は驚きを隠せない。

 

 

「一体、何がどうなってるんだ?」

『……分からん。ただ、星野に怯えてるみたいだな。それも真っ先に家族の心配をするほど、尋常じゃないくらいに…………』

 

 

 ヘッズハンターの顔が曇る。

 ……俺は、殺人鬼達とのあれこれのおかげで、人並み以上に勘が良くなった方だと自負している。だから何となく、感じるのだ。

 

 

 

 俺達は多分……なにか、盛大な勘違いをしているんじゃないか? と。

 

 

 

 ハンガーの言った、『ちょっと厄介そう』という言葉が、頭の中で何度も響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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#10 勘

 

 

 

 

 

 

 状況がかなりきな臭くなってきた。

 あそこまで明らかな態度なら、俺でも分かる。虐めている側の細木はなぜか星野に怯えている。

 

 この件は余り先延ばしにすると、取り返しのつかない事態にまで及ぶ可能性が出てきた。

 細木の事を調べたばかりだが、今日中に、行けるところまで調査を済ませるべきだ。

 

 

 ―――彼女が星野に怯える理由。

 

 

 それの真相を探るには、やはり、危険を承知でも調査すべき場所がある……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 俺が居るのは、星野の家からちょうど100メートルの場所。

 特に何かある訳でもない、雑草が生えた小道の影だ。

 

 ヘッズハンターは星野の家と、その隣にある本橋の家の偵察に向かっている。

 ドールに人形を操ってもらっても良かったのだが……人形は人形、半透明で俺以外に見えない殺人鬼達と違って、星野に認識される可能性がある。

 

 

 という事で。

 俺は一人、ヘッズハンターが偵察から帰ってくるのを、この場で待ち続けるのだった。

 

 

「……はぁ」

 

 こういう待ち時間はスマホでも弄って潰すのが定石だが、今はそういう気分にはなれない。

 ため息交じりに、地面に生える雑草を足先で弄ぶ。

 

 星野は一体どういう男なのだろうか。マトモじゃないのは確かだが。

 

 果たして、家の中を調べれば分かるのだろうか? 

 

 

 ……というより俺は、星野の事を調べ上げて、結局どうする気なのか。

 

 星野はちょっと異常者、だけど虐めから幼馴染を助けるような良い奴でした! なら、関わらない選択をするだけだ。

 ただもし、彼が心の底から真っ黒に染まっている犯罪者だった場合は……俺は、どうするのが正解なのか。

 正解か不正解か、そんな綺麗に白黒が分かれている問題なのか。

 

 

 そんな事を、考えていると。

 

 

 

 

 

 

 ――――背後から突然、首に腕を回された。

 

 

 

「初めまして。旧校舎の女子トイレにいた、覗き魔さん?」

「―――ッ!!」

 

 

 

 その声は、間違いなく。

 旧校舎の女子トイレで聞いた―――『()() ()()』の声だった。

 

 

 反射的に振り返ろうとするが、首に回された腕の力が強くなり、制止される。

 

 

 

「おい、こっちを見るなよ。……俺の家の近くで、コソコソと何をやってる?」

「…………」

 

 

 まさか、ここに居ることがバレるとは……。

 いや……多分、この辺り一帯を監視していたのだろう。女子トイレでこちらの存在を感知し、覗いていた『誰か』が自分を調べに来ることを予想して。

 

 

 普段この辺りでは見かけない、怪しげな動きをする奴がいれば、それがビンゴなのだ。

 目立たない小道で立ち呆ける俺など、まさにそれに該当する。

 

 

 中から誰か、殺人鬼を呼び出すか?

 いや、だが……これは絶好のチャンスだ。星野の方から俺に近づいて来たのだから。俺の方から近づくよりも、幾分かは警戒も少ないはずだ。

 畏れる気持ちを噛み殺し、必死に考えた皮肉なセリフを放つ。

 

 

「女子トイレの中を覗き込むよりも、堂々と入る方が問題じゃないか……?」

「へえ……言うじゃないか。

 ただな、虐めから幼馴染を助けるためだったんだ、しょうがないだろ?」

 

 

 さも当然と言った口調で言い返してくる星野。

 

 

 ……直接会ったら、よく分かる。

 やっぱり、こいつは何かおかしい。

 

 そもそも、旧校舎の女子トイレなんて人気(ひとけ)のない場所に、幼馴染を助けるためにいきなり現れるのがおかしいんだ。普通は虐めの現場の場所なんて分かりっこない。

 そして、例え事前に場所が分かっていたとしたら、普通なら先回りするなりそこに行く前に一緒に帰るなりして虐めの発生自体を防ぐだろう。

 

 冷や汗を流しながら前を向いたままでいると、星野が小馬鹿にしたような口ぶりで言った。

 

 

 

「ははっ……頭の中で、必死に何かを考えてるな? なら俺も今、お前について考えて、分かった事を1つ言ってやるよ」

 

 

 星野が俺の耳元に口を近づける。

 そうして、そっと囁くような小さな声で、言葉を発した。

 

 

「お前、『()()()()』だろ」

 

 

(ッ!!)

 

 抑えきれない動揺で、ビクッと体が震えた。

 今まで誰にも明かしたことがないし、バレたこともない、俺が人格持ちだという秘密。それがあっさりバレてしまうとは。

 

 星野が辺りを見回しながら言う。

 

 

「お前の中の人格に、俺の家を偵察させようとしてたな?

 こんな場所から偵察しようとしてた所を見るに、自分の限界距離すら知らない素人らしいが…………」

 

(……?)

 

 

 殺人鬼が俺と何処まで離れられるかなんて真っ先に調べた。

 約100メートル、それ以上は絶対に離れられない。透明な壁がある感じで、進もうとしても進めないそうだ。

 

 何言ってるんだこいつ……と思いながらも、口には出さない。

 暫く黙っていると、やがて星野は満足したかのように、俺の首から腕を外す。

 

 そうして俺の前に歩いていき、顔もこちらに向けず、ひらひらと右手をこっちに振った。

 

 

「もういいや。これ以上、俺の家に近づくなよ。

 ……手塩かけて育ててきたのが、そろそろ()()するんだ。お前が何もしてこなければ、俺も何もしない。今日と同じ明日が来るって奴だ」

 

 

 

 小道の先の大通りに出て、曲がっていき、次第に姿が見えなくなる星野。

 奴の姿が完全に見えなくなったところで、小道の横のコンクリート塀に思い切りしなだれかかった。緊張が抜けたからか、全身から汗が一気に吹き出し始めている。

 

 

 

 

 ―――と、そこで。

 

 

 

 

『俊介! 大丈夫か!?』

 

 

 ようやく偵察を終わらせたのか、ヘッズハンターが小道の中へ慌てて戻ってきた。どうやら小道から出て行った星野の姿を見たようだ。

 額に流れる汗を手で拭いつつ、彼の言葉に答える。

 

「大丈夫だけど、今すぐここを離れよう。……クソ、久々にマジで怖かった…………」

 

『……俺の方も、少しびっくりするような惨状だったよ。とりあえず家に戻ろう。それから話す』

 

 そうして俺達は、互いの情報を共有するために、自宅へと帰ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッズハンターは、星野の家の前に居た。

 壁が白色に塗りたくられた、2階建ての平凡な一軒家だ。

 

 半透明の、幽霊みたいな物である彼は、すり抜けようと思えば扉や壁は簡単にすり抜けられる。

 簡素なリビングを通り、二階へと向かって、廊下の一番奥にある部屋の扉の前に立った。

 

 

『……ここか』

 

 

 ヘッズハンターの勘が騒いでいる。ここが星野の部屋、この家で一番怪しい気配を放つ部屋だと。

 扉の取っ手を掴むまでもなく、すり抜けると、其処には。

 

 

 

 

 ――――ごく普通の部屋が広がっていた。

 

 

 

 

 室内を見回しながら、彼は一人で呟く。

 

『……おかしいな』

 

 ヘッズハンターの勘は、俊介の磨かれた勘のそれより何十倍も鋭い。一度怪しいと感じたのなら、それは絶対に外れることはないのだ。

 

 ここには何かがある。だが、明らかにおかしな所は見当たらない。

 そうして暫く部屋を見回して考え…………気づく。

 

 

『部屋のインテリアが、()()……?』

 

 

 一度口にして、再度見回せば、やはりそうとしか考えられない。

 

 部屋の隅にある上部が開いた長方形ボックスには、日本刀を模したプラスチック製の玩具が何本も突っ込まれている。

 高校生が使うにしては少し小さい学習机には、透明なデスクマットの下に、少しデザインが古臭い戦隊ヒーローの下敷きが大事そうに挟まれていた。リーダー格であろう赤い男の頭が、パイナップルの葉っぱみたいに爆発している。なんだこれ。

 

 

 

 ……そしてヘッズハンターは、部屋の端を沿うように引かれている、一本のプラスチック製の線路を注視した。

 

『埃が被ってるな……』

 

 線路の先にある、電車を模した玩具も同様に埃を被っている。

 部屋のあちこちにある玩具も同じだ。こんなに部屋の中を玩具で埋め尽くしているのに、それに長らく触った形跡がない。まるで、突然興味がなくなって、そのまま片付けてないみたいだ。

 

 

『…………』

 

 

 後で俊介と一緒に、この部屋の事を調べてみよう。

 ヘッズハンターは早々に部屋を後にし、隣の虐められっ子……本橋の家に向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 集合住宅地だからか、大体同じ間取りの家の中を進み、本橋の部屋の扉の前に立つ。

 これまた怪しい気配しか感じないが、それで物怖じするヘッズハンターではない。取っ手を掴むことなく、扉を一気にすり抜けた。

 

 

 

『ッ……』

 

 

 

 思わず顔をしかめてしまう。

 ここは、星野の部屋とは全く違う。

 

 

 ()()()()()()()

 

 

 暗いフローリングの部屋の中にあったのは、布団と、乱雑に積み重ねられた教科書類と、部屋の中央にポツンと置かれた写真立ての3つだけだ。

 

 写真立てを持つことは出来ないので、頭を下げて写真を覗き込む。

 

 中に入っていたのは、今よりも少し若い、中学生くらいの星野の写真だった。

 暗い部屋の中で、これだけが輝きを持っていると錯覚してしまうくらい、ピカピカに磨き込まれている。

 

『?』

 

 ふと、写真立ての裏側に何か書いてあるのに気が付いた。

 ちょこちょこと後ろに回ってから頭を下げて覗き込むと、そこには、『彼に頼るしかない。』と書かれていた。

 

 

 

 ……これで、2つの部屋の大体の事は調べ終わっただろう。

 そう判断して、ヘッズハンターは俊介の下へと戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俊介はヘッズハンターの話を聞き終わった後、椅子の背もたれに体重を掛けた。

 

「う~ん……どっちもヤバいな」

『ああ。ただ俺は、星野の部屋の方が嫌な感じがしたな……』

 

 星野の部屋。

 妙な幼さを感じる玩具の数々と、それに長らく触れた様子がないちぐはぐな部屋。

 確かに異常ではあるが……。

 

 

 

 男2人の深刻そうな顔を何度も見渡し、ドールがばっ!と手を上げ、声を出した。

 

『お兄ちゃん、次は私が行ってみよっか? 人形とかがあるなら、私、どれくらい昔に作られたのか分かるから!』

「いや、星野の家に近づくのはもう危険だ。でもありがとう、ドール」

『うん……』

 

 しょんぼりするドール。

 恐らく、辛そうな顔をする俺たちを見て、彼女は役立てる事がないかと進言してくれたのだろう。可愛い。

 

 

 そうか。しかし、人形がどのくらい昔に作られたかを見分けられるか。

 ドールは凄いなぁ…………ん?

 

 

「昔?」

『どれくらいに作られたか分かる?』

 

 

 俺とヘッズハンターが互いの顔を見合わせた。勘が働いたのだ。

 

 

 埃を被った玩具。

 それらは長らく使われた形跡がない。恐らく年単位で。

 

 一体それらの玩具は、いつから使われていないのだろう?

 そして、なぜ使われなくなったのだろう?

 

 そこにあの部屋の……そして星野という男の秘密が詰まっている気がする。

 

 

 

『……日本刀のおもちゃ、プラ製の線路と電車……。いつ作られたか特定できそうな物、あるか?』

「日本刀のおもちゃと電車のおもちゃは、何時の時代だって作られてる。特定するのは無理だ。何か特定のコラボキャラがプリントされてるなら別だけど…………」

 

 ヘッズハンターが云々と部屋の中を、扉をすり抜けた時から自分の動きを再現するように思い返す。

 そして小さな学習机の前にまで来たところで、あるものを思い出し、カッと目を見開く。

 

 

『特定のキャラ……。そうだ、下敷きだ、()()()()()()の描かれた下敷きを見たぞ!』

「どんな戦隊ヒーロー?」

『なんかこう……全体的に古臭かった。赤いリーダー格の頭が、パイナップルの葉っぱみたいに爆発していたな』

 

 

 は? そんなダサい戦隊ヒーローが居るわけないだろ。

 と思いはしたものの、パソコンを開き、ヘッズハンターとドールと一緒に過去の戦隊ヒーロー一覧表を見る。

 

 そして下にスクロールしていくと……存外、すぐにそのパイナップル爆発戦隊ヒーローの写真が出てきた。嘘だろ?

 

「マジか……マジでパイナップル爆発だ……」

『わっ……お兄ちゃん、この子すっごく可愛い!』

『な、本当にパイナップルが爆発したみたいだろ!?』

 

 

 誰がこんなダサいデザインを考えたんだ。売れる訳ないだろ、こんなの。

 写真をクリックすると、パイナップル戦隊ヒーローの情報が出てくる。予想した通り、その戦隊ヒーローのシリーズは一瞬で打ち切られ、次の世代へと交代させられていた。

 

 

 えーと。

 パイナップルヒーローのグッズ集なるサイトをクリックする。

 案の定、全て生産中止と赤い文字で書かれてはいたが、ヘッズハンターの言っていた例の下敷きはすぐに見つかった。

 

 

 

「発売されてたのは……えっと……――――えっ?」

 

 

 

 何時まで発売されていたかの日付を見て、俺は一気に顔を青ざめる。

 そんな俺の顔色の変わりようを見て、ヘッズハンターは真剣な表情になり、俺に尋ねてきた。

 

 

『一体、何時なんだ?』

「…………発売されてたのは、7年前の10月頃までだ。

 

 

 ――でも、その()は……()()1()0()()になって、()()()()()()()()()()()()()()()()なんだよ」

 

 

 

 

 

 

 やけに働く勘が、星野という男の秘密を、遠慮なく明かそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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#11 激突直前

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧校舎の裏側にある、校舎内に侵入できる唯一の窓。

 そこを越え、西から降り注ぐ夕暮れの光を浴びながら、廊下を歩く人影が一つ。

 

「…………」

 

 その男は、手に持っている自身のスマホに視線を落とす。

 開いているメッセージアプリには誰かから、『旧校舎 2階 第一教室』と簡素なメッセージが届いていた。

 

 

「ッ、ゴホン……」

 

 

 喉を指で押さえ、声の調子を整える。

 あくまで今発見したかのような感じで、怒りの混じった声色を意識すると、上手く行くのだ。

 

 

 そうして、第一教室の中が見える直前まで来たところで。

 教室の中にいる人間の気配が、『()()』だけである事に気付く。

 

「へぇ……」

 

 

 今日は大変な1日になりそうだ。まさか、()()も肉塊を運ぶハメになるとは。

 

 一切の緊張なく、第一教室の扉に手を掛け、静かに開いた。

 

 

 中に居た、今しがた教室に入ってきた男を睨みつける人影が1つ。

 その人影が、忌々しそうな声色で言い放った。

 

「……お前、割とマジでイカれてるな、星野」

「一体何の用かな、日高俊介……」

 

 

 相対する、2人の男。

 日高俊介がなぜ、星野がメッセージアプリで誘われた先に居るのか。

 

 その答えは、つい数時間前の出来事にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星野の家を調査した翌日。

 昨夜からヘッズハンターが俺の中に籠り、そのまま出てこなくなった。

 

 本人は、『事態の重さを認識できていなかった。恥ずかしい』と言っていたが、そんな生易しい理由ではないだろう。 

 顔こそ普段通りなものの、全身の血管が煮えたぎるような怒りが体から溢れ出ていたからだ。

 

 

「…………」

 

 

 星野の部屋の状況。7年前に発売中止された、超絶不人気の戦隊ヒーローの下敷き。

 

 これは余りにも弱い証拠で、真相はあの男自身が語るまで分からないが……。

 恐らく、星野は『星野』じゃない。正確には、俺たちの知っている星野とこの世に生を受けた星野は別人なのだ。

 

 

 夜桜さんがチラッと話していた、人格の『()()()()』。

 俺は体の主導権を何度か奪われたことはあるものの、最後には必ず主導権が返ってきていた。だから俺は俺としてここに存在している。

 

 だがもし体の主導権が返ってこなかったら?

 俺の体を乗っ取ったまま、殺人鬼の誰かが俺の代わりに日々を過ごす事になるだろう。

 

 

 そんな事を、もし、星野が10歳の頃からやっていたら?

 

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 思案にふける中、ふと、教室のすぐ横を通る廊下の方に目を向ける。

 窓ガラス越しのため声は聞こえないが、あの金髪虐めっ子の女子生徒『細木』が口をパクパクとさせながら手をこまねいていた。

 

 目が怖い。けど、何の用だろう。

 教室から廊下に出ると、細木に胸倉を掴まれ、ぐんぐんと何処かへ引っ張られていく。道中、俺たちの姿を見た生徒は、俺の方を見て『絡まれて可哀そうに』とでも言いたげな目をしていた。

 

 

 3分もそうしていると、中庭の端の方にあるベンチに辿り着いた。

 辺りをグルっと校舎で囲まれているため、人の眼はあるものの、ここで何かを話したって会話の内容は誰にも聞こえやしないだろう。

 

 

 細木が先にベンチに座る。俺も、人一人分の距離を空けて座った。

 彼女が口を両手で覆いつつ、睨みながら言葉を発した。

 

 

「お前、昨日……なんのために、私の前で星野の名前を出した?」

「……いや、先生から進路の事を聞いてくれって頼まれて……」

 

 咄嗟に口から出る嘘。

 細木はそんな言葉を一蹴する。

 

「ふざけた嘘は止めてくれ。そんな要件なら、不良の私に話しかけるわけないだろ。

 ……私は馬鹿だけど、今だけは本気で頭回してるんだよ。それくらい見破れる」

 

 流石にこの嘘はキツかったか。

 ただ、どうする。星野の名前を出したのは、虐めの件について調べていたからだ。それを虐めの主犯格にそっくりそのまま話すのは憚られる。女子トイレ覗いた件も話さなきゃ駄目だし。

 

 星野の件は拗れまくり始めている。下手に関わると危険だ。

 ここは穏便に彼女に引き下がってもらうしかない、そう頭の中で結論を纏めようとした時。

 

 

「……言えないのなら、私の考えを話してやろっか?」

 

 

 細木がこちらを向いて、言った。

 

 

「お前は何らかの理由で星野の()()()を知った。それで、奴の事を知ろうと、私に近づいて来た……。そうじゃないか? どんな理由かは全くわかんないけど」

 

「…………」

 

「図星か。……ま、その理由を聞くつもりはないから」

 

 

 『ぶつかった女子生徒の事が気になって、女子トイレを覗いたら、ヤバそうな目をした男がいたので調べ回ってました』とか誰が言えるんだ。俺の方が頭おかしい奴だろ。

 

 俺がずっと黙ったままでいると、細木が、人一人分空けていたベンチのスペースを詰めてきた。

 

「お前の事は知らないけど、私は今、結構ヤバいんだ。

 …………頼む。星野を何とかしてくれるなら、私に出来ることは何でもする」

 

 

 彼女の手が、俺の手にそっと触れる。そしてお互いの肩がゆっくりと当たり始めた。女性特有のふんわりとした匂いが鼻孔をくすぐる。

 

 

 ―――え? いや、これ、どういう事?

 

 

 頭が追い付かない。ここまで異性に近寄られたのは母親以外では初めてだ。

 苦手なタイプの金髪陽キャの細木だが、思わず意識してしまい、心臓がバクバクと鳴り始める。

 

 そうして、彼女の顔に目をやった所で。

 

 恐怖で真っ白に染まった唇が、ふるふると、微かに震えているのに気が付いた。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 体温が一気に冷えていく感じがした。

 細木の肩を突き離し、今度は俺が彼女の方に向き合う。

 

「――――ああ。俺は星野の事を調べてるし、もしかしたら何とか出来るかもしれない。

 ……だけどその為には、あいつの事をもっと知りたい。何か知っているなら教えて欲しい」

 

 

 俺の顔を見て、細木は一度目を見開き。

 そして、覚悟を決めたように、顔を真っ青にしながら事の経緯を話し始めた。

 

 

 

 

「この学校で噂になってる、卒業後に消息を絶った女子生徒の事を知ってるか?」

「知ってる」

「その人は私の……まぁ、不良グループの先輩でさ。結構仲も良くて、先輩が高校入ってからも連絡とり合ってた。

 ……そして、先輩が卒業式を終わらせた日の夜……こんなのが来た」

 

 

 細木がスマホを見せてくる。

 恐らくその先輩とのメッセージのやり取りの履歴なのだろう。

 

『たすけて』

『しぬ』

 

 先輩がそう送ったが最後、何も返信が来ることはなく、後は細木が掛けた不在着信が何個も連なっていた。

 

 

「……その日の夜はずっと先輩からの返信を待ってたけど、結局来なかった。翌日の朝になって、先輩の家に様子を見に行こうとした時だよ。

 ……()()()()()()()()()()()()

 

 

 そこから一気に、細木の様子が急変する。

 何かに怯えるように体を震わせ、顔を真っ青を通り越して血の気のない白色にしながら、話を続ける。

 

 

「や、奴は私にいきなり紙袋を押し付けてきて。中を見たら……

 

 ―――……ら、ラップに包まれた、見覚えのあるマニキュアが塗られた指が何本も入ってて、めっ、目玉も1個入ってて…………うッ!!」

 

 

 吐き気を催したのか、口を手で押さえる彼女。

 目をギュッと瞑って辛そうにしていたが、何とか中の物を飲み込み、息苦しそうに呼吸を荒げる。

 

 

「水、買ってこようか」

「いや、大丈夫、後で思いっきり吐くから……。

 ……それで、星野は私に『この女の後を継げ』って言ってきたんだ。継がないなら、私と私の妹と弟を、袋の中身と同じ目に遭わせるって……」

 

 

 ……消えた3年の女子生徒には、本橋を虐めていたという噂があった。

 そして彼女が消えてすぐに細木が入学し、本橋を虐め始めた。星野が継がせた行為とはこれで相違ないだろう。

 

 虐めを指示した星野が、虐められている本橋を華麗に助ける。

 完全な自作自演、マッチポンプだ。

 

 

 この話が本当なら、星野は倫理観が根本から欠如した『()()()』である可能性が非常に高い。というか、間違いない。

 

 

「あいつはもうすぐ『熟成』が終わるとか言ってた。多分それが終わったら、色々知ってる私も先輩と同じ目に合っちまう!

 なあ頼む……最悪、私はどうなってもいいんだ! けど、私よりよっぽど頭も良くて素直な妹と弟だけは、何とか……!!」

 

「大丈夫」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、彼女に言う。

 

 

 この学校には、人殺しがのほほんとした顔で歩き回っている。

 それを許せないなんて言うほど、正義感が強いわけじゃない。

 

 

 

 ただ、俺は()()()だけだ。

 中で烈火のごとくブチ切れているであろう、ただの人殺しなんて生温いと感じるような(殺人鬼)に。

 

 

 

 細木に、放課後、旧校舎に星野をおびき出してほしいと頼んだ――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後、旧校舎の第一教室。

 机と椅子は部屋の後方に纏められているため、教室内は多少動き回っても大丈夫なくらい広い。

 

 

「お前が人殺しって事も、本当の星野じゃない異世界の人格って事もとっくに見抜いてんだよ」

「ふーん……俺の事、そこまでお見通しか。ちょっと舐めてたな」

 

 

 ポリポリと頭をかく星野。呑気な仕草だが、刺さるような警戒と殺意の視線はずっとこちらに向いている。

 そして突然、パン!と手を叩いた。

 

 

「ならば自己紹介でもしよう。()の本当の名前は『カズマンス』。けどもう、星野の方が呼ばれ慣れたかな?

 元の世界では7人ほど殺した。が、まぁ、捕まって死刑になって、こっちの世界に来て。後はそっちの想像通り、人格を乗っ取ってここに居る……という訳だ」

 

「……殺人鬼じゃんか」

 

「余り驚いてなさそうだな?」

 

 

 7人? 少なくね? と思ったけど、よく考えれば十分すぎる程殺してる。俺の中の奴らの桁がおかしいだけだ。

 

 星野が懐から何かを取り出す。

 太陽の赤い光が鈍く反射するそれは――硬い物でも抵抗なく切れそうな、刃渡り15センチ程の厚いナイフだった。

 

 

「私は、人が裏切られた瞬間を見るのが大好きなんだ。だから本橋を、何年も掛けて育ててきた。私の事を信用するようにな。

 良き隣人であり良き幼馴染であり良き男である……養殖ってのは結構疲れると思ったよ。養殖業者の方々は本当に尊敬するね。最近は港にある養殖場に足を向けて寝ていないくらいだ」 

「最後のは知らねーよ」

 

 

 星野がこちらに、コツコツと足音を鳴らしながら近づいてくる。

 

 

「もうすぐ、本橋の熟成が終わる。その瞬間私は、このナイフであの子を殺す。

 完全に信用しきっている人間に腹を刺された時、あの子はどんな表情をするだろうか…………」

 

 

 本橋が自殺どころか誰かに殺された、なんて事になったら、警察は本腰を入れて捜査してくる。

 3年の女子生徒のように行方不明扱いならまだしも、もし死体や彼女の部屋から俺の痕跡なんて出てこようものなら……一発逮捕だ。

 

 

「まぁ、その前に、死体を4つ片付ける必要があるかな。お前と細木と細木の弟妹……」

「俺を殺すつもりか?」

「家に近づいて来た時からそのつもりだった。もっと先の予定だったけどな」

 

 

 星野が後数歩進めば、ナイフの射程範囲内に俺の体が入る。

 そこで奴はピタリと止まって、首を傾げた。

 

「本当にビビらない奴だな。何か仕掛けてるのか?」

「特に何にも」

「頭が壊れているだけか? ……気分を害した。そうだ、お前と関わりのある()()という女も狙おうか」

 

 

 

 

 ――――――。

 

 

 

 目の前が一瞬真っ白になり、頭の血管がはち切れそうになる。

 なるほど、これは今にも狂いだしそうな怒りだ。

 

 

『おい俊介、一旦落ち着けって!!』

 

 目の前の星野には見えていないだろうが、俺の横ではずっと、ハンガーがそう叫んでいた。

 星野に全くビビっていない理由もこれだ。いざとなれば横っ飛びで回避し、ハンガーに体を変わるつもりだった。

 

 

『あの間抜け面の馬鹿は俺が仕留める、だからヘッズハンターを出すのは止めとけ! 本当に力加減が出来ないほど()()()()ぞ!!』

 

「今の言葉で分かった。こんな怒りを我慢させてたら、いずれ暴走する」

 

 

 細木の前でヘッズハンターを出すと内心誓ったものの、本当に星野を殺してしまいそうで、右腕だけしか主導権を渡さないつもりだった。

 

 だけどヘッズハンターは、俺が今感じた怒りと同等かそれ以上の感情を抱えているはず。彼が人を殺す理由になった幼馴染への虐めを、まさかマッチポンプ目的で裏から無理やりさせていたなんて、彼からすれば耐え難い行為だろう。

 今の怒りを知ってしまった以上、彼にそんな我慢を強いることは出来ない。

 そして今、彼にこの件を解決させなかった時……俺は不完全燃焼で後悔する気がする。

 

 

「……? 暴走?」

『あーあ、大変な事になるぞ……。人の形が残ってればいいけどな、こいつも』

 

 

 星野の意味が分からないといった顔と、ハンガーの呆れた顔から視線から外す。

 

 後の事は後で考える。

 今はただ、尾を引く後悔を残さないように。

 

 

 首元に手を当て、己のうちに呼びかけるように、そっと呟いた。

 

 

「殺さなきゃ何やってもいい。徹底的にやっちまえ、『()()()()()()()』」

 

 

 右腕だけではない、全身の主導権を中から呼び出した彼に変わる。

 その瞬間、俺の意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ヘッズハンター。殺害人数およそ700人。

 

 幼馴染が自殺した怒りから、自宅にあった剣鉈を2本持ち出し、自殺の原因となった虐めを行っていた不良グループをバラバラに切り裂いて殺害。

 その殺人をきっかけに、眠っていた身体能力と勘の良さを覚醒させた。

 

 人外染みた身体能力と勘の良さを持っていて、剣鉈の一振りで人体を真っ二つにし、何百メートル先からの狙撃を感知して避ける事が出来る。

 

 そして何より異常だったのは、殺人の仕方だ。

 自殺した幼馴染と似た顔の女性Aを見つけた瞬間、視界内に入った周囲の人間を無差別に殺害しながら女性Aに一直線に近づき、その女性Aの頭部を斬り取って持ち歩いていたのだ。

 

 腐敗し始めた頭部は近くの寺か神社に安置されていた。

 

 

 一度ターゲットを見定めると、拳銃を所持した警官がいくら束になっても止められない異常なまでの危険性。

 警察組織はヘッズハンターの逮捕を諦め、射殺前提の計画を立て始めた。

 

 そして不良グループの殺人から1年が経過したころ、女性を殺害してターゲットを失い、暴走を止めたヘッズハンターに警察所属の特殊部隊が強襲。

 ヘッズハンターは特殊部隊全員を殺害するも、右太ももに被弾。大動脈を損傷。

 

 失血死は免れられないと悟ったのか、近隣のビルの屋上に凶器の剣鉈と女性の頭部を置いたのち、飛び降り自殺を行った。

 

 

 

 彼が殺人を行う度、被害者の女性の顔と幼馴染の顔との類似性は段々と低くなった。

 

 

 屋上に残された女性の頭部は、もはや、彼の幼馴染の顔とは似ても似つかぬものだったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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#12 進むべき指針

 

 

 

 

 

「………?」

 

 星野は訝しんだ。

 目の前にいる日高が一瞬硬直し、纏う雰囲気の質が一気に変容したのだ。

 

 そして、そういう一気に様子が変わる行為に星野は覚えがあった。

 

「なるほど、人格を変ッ――――」

 

 

 言葉を言い終わる前に、星野の顔面に拳が突き刺さる。

 防御も出来ないまま後方に吹っ飛ばされ、教卓を弾き飛ばしながら、黒板に勢いよく背中を打つ。

 

「ッ!? っ……な」

 

 咄嗟に立ち上がり、折れた鼻を左手で押さえつつ右手でナイフを前に構えた。

 速すぎる。全く目で追えなかった。

 

 

 フッ!と日高の姿が消える。

 その瞬間、目の前に現れる拳。今度は身構えていたからか視認できた。

 

 首を逸らし、寸での所で回避する。

 背後にあった黒板に拳が突き刺さり、巨大なひびが入ると共に、粉塵が舞い上がった。

 

 

「なんて力だ……ッ!」

 

 振り返りながら放ってくる裏拳をナイフで弾こうとする。

 が、手首を思い切り掴まれ、天井に放り投げられた。背中を天井でしたたかに打ち、肺の中の空気が全て漏れ出る。

 

 

 床が遥か下にあるという奇怪な視界に戸惑う暇もなく、日高が飛び上がる。

 空中でぐるっと体勢を変え、星野の腹に鋭い蹴りをぶち込んだ。

 

 

 旧校舎全体が揺れる程の衝撃。

 天井に張り付いていた埃と共に、眼下への床へ勢いよく落ちる。

 

 

 

「ごぁ……ッ!」

 

 

 なんて化け物を中に入れてやがる。人間の動きじゃない。

 それに、この人間を攻撃する時の余りに容赦のない動き。私には分かる。

 

「おッ、お前……私と同じ『人殺し』だな……!」

「……だったら?」

 

 日高の中の誰かが答える。

 それに畳みかけるように、言葉を紡いだ。

 

「その日高の体は特別製だ……! 私達異世界の人格は、宿主との相性の高さで、元の体の特徴の継承率が決まる……。だがその身体能力、元の体の100%を引き出しているだろう!?

 宿主を乗っ取ってしまえ! 二度と体の主導権を返すな、そのまま第二の人生を生きろ……!! お前も一度死んだ身なら、人生をやり直す事の意味が分かるはずだ……!!」

 

 星野の言葉。

 ……それを聞いて、日高の中のヘッズハンターは、心の底から彼の事を軽蔑した。

 

「浅ましい考えだ。第二の人生を送るために、今自分を殺すと大変な事になるから、殺さない方がいい……いや、殺さないでくれと言ったところか」

「……ッ」

 

 ヘッズハンターは拳を握る。

 

 

「俊介は指針だ。大海原を渡る時に、最も信頼できる光の道筋だ。俺みたいなどうしようもない殺人鬼に歩むべき道理を教えてくれた、普通の……良い奴だ。

 お前みたいな、真っ先に宿主を乗っ取るような屑と俺を一緒にするな。俊介に主導権を返さないなんて考えたこともない」

 

「ぐッ……馬鹿にするなァ!!

 

 

 星野が、懐からこっそり取り出していた一本の投げナイフを投げつける。

 それはヘッズハンターの眉間に一直線に飛んでいき―――右手の人差し指と中指で挟むように受け止められた。

 

「殺しはしないさ。俊介がそう言ったんだからな。

 ……『()()』、はな」

 

「ッぁ…………」

 

 

 勝てない。今の体でも、元の体でも。

 

 星野はそう思った瞬間、撤退の一手を取った。

 

 

 

 一度引き返し、武器と地の利を整えてから勝負を掛けに行く。

 まずは旧校舎から脱出をしないと、どうにもならない。

 

 咄嗟に転がりながら立ち上がり、教室を飛び出す。

 

 そのまま廊下を走る―――ことなく、頭の前で腕を交差させ、外に通じる窓ガラスをぶち破った。 

 ここは2階。地面までそう高くはない、多少足が痺れるもののすぐに逃げられる。

 

 

 

 そうして着地の体勢を取った瞬間―――グンッ!! と体が上に引っ張られるような感覚がした。体の落下が止まる。

 頬に一筋の汗を流しながら、後方を振り返ると。

 

 

「お互い、人殺し風情と人殺し風情だ。ちょっと死が近づいたくらいでビビるなよ」

 

 

 ヘッズハンターが、窓の縁に右手を掛け、左手で星野の首根っこを掴んでいた。

 星野が窓ガラスをぶち破った瞬間、一瞬で窓の外に出て彼を捕まえたようだ。

 

 

「―――ふんッ!!」

 

 

 窓の縁を離し、掛け声と共に、両手で星野を屋上へぶん投げるヘッズハンター。

 自身は外の地面へと着地し、そのまま校舎の外壁を蹴り上げ、一気に屋上へと昇る。

 

 

 

 星野が屋上へ落下するのと同時に着地した。

 奴が息も絶え絶えに、地面から立ち上がろうとするのをじっと見続ける。

 

「はーッ……はーッ……」

「まだ骨も折ってないだろ? 立てよ」

 

 

 そうやって、じっと星野を見続けていたその時。

 奴がニヤリと、あくどい笑みを浮かべたのが見えた。

 

 その場から動くことなく、首を右に逸らし、背後から飛んできたボウガンの矢を回避する。

 勘が鋭すぎて気付かなくて良い事に気付く時もあるが、こういう時は便利だ。

 

「なッ! 気づいていたのか!!」

「今気づいた」

 

 どうやら屋上には、星野が仕掛けたいくつかのトラップがあるらしい。

 まぁボウガンの矢でにやけていた所を見るに、碌な物は仕掛けていないだろう。

 

 

 星野が立ち上がり、両手に厚いナイフを持って、切りかかってくる。

 それをその場でいなしながら、脇腹を蹴り飛ばし、体を吹っ飛ばす。

 

「ぐはッ……くっ、な、何なんだ!! お前、私は、この養殖に6年も掛けたんだぞ!!

 それを、あともう少しの所で、お前らはッ!!」

 

「……そういう、後もう少しで叶う誰かの幸せを奪うのが、『殺人』って行為だ。

 お前も何度もやったんだろ? 俺達は人を殺したその時から、いつか回ってくる因果に怯える日々を送る事になるんだ」

 

 

 不良グループも、幼馴染を虐め殺したすぐ後に因果が回ってきた。

 多分俺も、いつか因果が回ってくる。それがいつかは分からないが、絶対に来る。

 

 

「願わくば、その因果が俊介にまで及ばないことだな……」

 

 俺一人で受けられるなら、どんな因果だって受け入れよう。

 ……まぁ、とりあえずは俺の因果より、目の前のゴミ虫を始末しなければいけない。

 

 

 

 星野がナイフを持って突っ込んでくる。

 最初の方はこの間屋上で会ったスナイパー男よりも良かったが、段々と動きが粗雑になってきた。

 

 手首を掴んで頭突きをし、そのまま地面に叩きつける。

 その瞬間起動する、屋上に仕掛けられたトラップ。足を糸で引っ掛けた瞬間、そこにクロスボウの矢が何本か飛んでくる粗雑な物だ。

 

 

 素手で矢を弾き飛ばし、最後の1本だけ右手で掴む。

 

 そのまま、尖った矢を星野の足の甲に突き刺した。

 これで星野は動きが更に鈍くなる。元の身体能力がヘッズハンターに劣っているうえ、全身を何度も叩きつけられ、骨にいくつかヒビが入っているだろう。

 

 これでもう逃げられない。

 星野が最後の希望として握っていたナイフを、足で踏み砕く。

 

 

 屋上のフェンスに背中を預け、座ったままの星野を見て、ヘッズハンターはふーっと息を吐いた。星野がこれだけ瀕死なのに、息一つ乱していないのは、人間の道を踏み外しかけているとしか言いようがない。

 

 

「……終わりか。イライラさせてくれた割には、呆気ない幕切れだったな」

「待て……私から、まだ聞き出したいことがあるんじゃないか……?」

「ない」

 

 

 ヘッズハンターが足を上げ、星野の右肩を踏み砕いた。グリグリと足を押し付け、念入りに肩の骨をぐちゃぐちゃにする。

 

 それを、あと三回。

 左肩、右足、左足と続け、星野の四肢を完全に砕き切った。

 

 

「……これでよし」

 

 

 こうすれば、骨を外すだけより、確実に動けなくなる。ハンガーのように身じろぎ一つで骨を嵌められたら困るからな。

 

 うめき声をあげるだけの何かになった星野に軽蔑の視線を向ける。

 だがそれ以上興味を持つこともなく、中にいる殺人鬼の1人と人格を交代した。

 

 

 

 日高の体から一瞬、ガクッと力が抜けた瞬間、纏う雰囲気が先ほどとは別の物になる。

 そうして、新たに入った人格が、喉を押さえつつ声を出した。

 

「…………あー

「ッ!?」

 

 思わず体が跳ねる星野。

 これは誰だ。さっきの鬼のように強い人格でも、日高本人でもない。

 

 いやそれよりも、この声は……この声は……()()()()()

 

 顔を振り、その声に魅了されないよう理性を保ちながら、言葉を発する。

 

「ぐォぁ、あ……ふ、複数人格……だと……!?」

ほ~う……。私の声が効いているな。俊介の体に宿るイカレ殺人鬼共には効かないんだが……なるほど、中途半端なお前みたいなのには効くのか

 

 

 複数人格。

 人間の脳みそに1人追加するだけでもキツいのに、2人以上追加するとなると、高確率で脳みそがぶっ壊れる。まさに浮遊人格統合技術に適性が高すぎるが故の不運だ。

 

 だが、こいつは。

 日高俊介は複数人格でありながら、完全な理性を保っていた。

 

 星野は魅了されないように耐えつつも、言葉を発する。

 いや言葉を発する行為自体で、自身の理性を保とうとしていたのかもしれない。

 

 

「う、ぐぉ、あ、お前ら……! 何人、入ってやがんだ……!」

は? 何人? …………ふむ。私達が何人いるか、か。いいだろう、特別に教えてやろう

 

 

 日高の中にいる人格――サイコシンパスが星野の前にしゃがみ込む。

 そうして、手の中にあるスマホを弄り、彼に見せた。

 

私はこの世界のタロットカードという物が好きでね。私の世界ではこういう占い方法はなかった

「あ”……!?」

 

 サイコシンパスが持つ手に映っていたのは、鎧を着た髑髏が馬に乗っているカード。

 

 

タロットカードの『死神』だ。さて、これは何番のカードか知っているかな?

「ぅ…………」

 

 そろそろ星野の理性がキツくなってきたようだ。むしろ、常人ならサイコシンパスの声を少し聞いただけで気が狂い理性が吹っ飛ぶのだから、ここまでよく持った方だと言える。

 

 最後に星野が、絞り出すように、答えた。

 

 

「……じゅ、う……さん………」

まぁ、そういう事だ

 

 

 星野の理性が完全に飛ぶ。

 そうして、サイコシンパスの声を聞いたいつもの愚図共と同じように、よだれを垂らしながら媚び寄ってくる人間の尊厳を捨てた何かに成り下がった。

 

 こうなってしまったら、元の精神状態に戻るのには途方もない年月が掛かる。

 精神が戻るのが先か、寿命で死ぬのが先か……。まぁそのくらいの長さだ。

 

 

 

んん……入口まで行ってから、俊介に変わるか

 

 

 

 

 サイコシンパスは伸びをしながら、旧校舎の階段を降りて行く。

 

 

 

 ――――そうして、学校を暫く悩ませていた虐め問題は、旧校舎で精神を破壊された生徒が見つかるという更なる大混乱を持って幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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#13 マジ?

 

 

 

 旧校舎での一件は、屋上に座り込む瀕死の星野を発見した生徒から報告を受けた学校側が、すぐに警察に通報した。

 

 

 それのせいで旧校舎一帯は警察によってすぐに封鎖。

 翌日になると、学校の中は、一体旧校舎で何があったかの話題で持ちきりになった。

 

 曰く『死体が出た』だとか、『爆弾が見つかった』だとか、根も葉もない噂が飛び交う。

 

 

 そんな中。

 恐らく真相を知っている唯一の人間である俺は、割と本気で頭を抱えていた。

 昼休憩、中庭のベンチに座り、誰にも聞こえない声量で愚痴を吐く。

 

「あー……クッソ……」

 

 まぁ、予想は出来ていた。

 ヘッズハンターが星野とやり合えば、恐らく瀕死までボコボコにするであろう事も。そして警察が出張ってくるであろう事も。

 

 星野が瀕死のままメンタルブレイクしていたインパクトで、本橋の虐めの件から視線は逸れるだろう。

 それだけが不幸中の幸いだ。

 

 

 ヘッズハンターが俺と同じようにベンチに腰掛け、申し訳なさげな声で言った。

 

『俊介、すまん……』

「いや、全部分かってた上で体を変わったんだから、ヘッズハンターは悪くない。むしろ、サイコシンパスに後始末を任せたのは凄く良かったよ」

 

 

 サイコシンパスのおかげで、星野の口から俺の名前が出ることはない。

 代償として、星野の精神が完全に壊れたが……元の世界どころか、こちらの世界でさえ殺人を犯しているのだ。その罰が下ったのだろうと考える。

 

 

「でも、本当にどうするかは思いつかないんだよな~……」

 

 

 星野相手にヘッズハンターが傷を負わされるとは思わない。

 だが動き回る関係上、髪の毛なんかは絶対に落としてしまうだろう。

 

 それが偶々回収されてDNA鑑定でも掛けられたら、俺がこの事件に関わっている事がバレる。

 そこから芋づる式に、俺という個人まで警察の手が辿り着くのは目に見えていた。同じ学校だし、逃げようにも逃げられない。

 

 頼むから見つかんないでくれ。見つかってもせめて指紋くらいにしてくれ。

 指紋とか靴の足跡ぐらいなら誤魔化せるんだ。

 キュウビの力でだけど。

 

 

 そんな風な事を、空を眺めながら考えていると。

 

「よっ」

「ん?」

 

 右の方から聞こえた声。

 その方向を向くと、そこには、あの金髪虐めっ子の細木が立っていた。

 

「……旧校舎に警察が集まってたな。しかも、死体が出たとかなんとか……」

「いやぁ、それは嘘じゃないっすかね……」

「フッ。変に謙遜する奴だな、お前。()()()()()()()()

 

 

 ピクッ! と体が反応する。

 ……まさか、ヘッズハンターの戦いを見ていたのか? 警察に密告するつもりか? と、細木の方を見る。ともすれば睨んでしまっていたかもしれない。

 

 俺の警戒の籠った鋭い目つきを見て、細木が右手を顔の前で否定するように振りながら言った。

 

 

「昨日、お前と星野が出会う前に仲間の奴らと学校中の生徒を帰らせたんだ。旧校舎だけでなく、現校舎の方もな。巡回してた教師連中にも停学覚悟で絡みに行って、旧校舎が見えない所で立ち止まらせた。

 

 そして、旧校舎からお前が出てきた所で、私が中に入って星野の事を学校に知らせた。こっそり結果を見に行っただけだけど……まさかあんな事になってるとはね。

 

 ……安心しなよ、お前の姿を見たのは私だけだ。警察にも色々聞かれたけど、『いつも通り旧校舎でたむろしようと思ったら、屋上で星野を見つけた』って以外は何も言ってない。

 

 それに屋上まで人間ぶん投げるとか、あんなの誰も信じないって。私が頭おかしい奴だって思われちゃうから」

 

 

 

 彼女が余りに信じられない光景を見たからか、それとも星野という重圧から解放されたか、ほんのり顔を赤らめた朗らかな笑みを見せた。

 

 

 ――警戒を解く。

 その言葉が本当ならありがたい限りだ。

 

 誰が星野の事を学校側に伝えたのかと思っていたが、細木がやっていたのか。もしその伝えた誰かが俺の姿を見ていたら、どうにかしなきゃと思っていたが……何もせずに済みそうで良かった。

 

 

 

 お互い何もしゃべらず、緊張しまくったお見合いのような状況が1分ほど続いた後。

 ポンと、突然、細木が何かを思い出したように話し始めた。

 

 

「そういやお前、知ってるか? 昼休み明け、体育館で緊急の()()()()があるらしいぜ」

「? 全校集会? ……旧校舎の件かな」

「それもあるけど、なんか……別の要件もあるって噂だ。化学の授業を受け持ってた教師が大怪我負って退職したらしくて、その代わりが来るとかなんとか」

 

 

 ――なんだか嫌な予感がする。

 このタイミングでの全校集会か。……何事もなければいいけど……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧校舎内。

 警察によって閉鎖されたその校舎の中で、一人の男が苛立ちを隠せない様子で声を荒げていた。

 

「ふざけんなッ!! 何で今更、捜査打ち切りなんだよ!! 1日掛けてやっと証拠を集め終わった所だろうが!!」

「い、いや……私にそんな事言われましても……」

 

 声を荒げている男は、人格犯罪対処部隊の1人、『牙殻』。

 同じ警察である刑事に対して怒鳴るその剣幕は尋常な物ではなかった。

 

 

 それもそのはずだ。

 彼ら人格犯罪対処部隊……縮めて『人対(じんたい)』は、この事件が人格犯罪であると真っ先に気付いた。ヒビ割れた黒板、そのヒビの中心に残った深い拳の跡を見れば、一発で分かる。

 

 

 相当強力かつ危険な人格が、星野という生徒に瀕死の重傷を負わせた。

 そう考えた人対の気合の入りようは凄まじいもので、現場に残された痕跡を余すところなく調べ始めたのだ。

 

 牙殻の背後から声を掛ける、キャンディーを舐めている小柄な女性。

 

「やめなよ牙殻。その人に怒鳴っても仕方ないから」

「んだと……! (みどり)、テメェは何とも思わないのかよ!! あの『()()()()()()』の痕跡が出てきたんだぞ!!」

 

 

 黒板の近くで、積もった粉塵の上に落ちていた数本の黒髪。

 昔から現場にあったのなら粉塵の下にあるはず。だが、粉塵の上に乗っていたということは、つまり、星野か犯人かしかありえない。

 それをDNA鑑定にかけた結果……なんと、今までコツコツと集めていた『怪人二十面相』の物と一致したのだ。

 

 

 翠と呼ばれた女性が、刑事に問いかける。

 

「ねぇ。一体何処から、捜査打ち切りの命令が下ってきたの?」

「……詳しくは分かりませんが、こういう事件が、こんな短期間で打ち切られることはまずありません。警察上層部からか、それすらも頭を下げざるをえない誰かからか……。……すみません、これ以上は」

「うん、分かってる。もしそのクラスの人間だったら、これ以上口にするのは危険だもんね」

 

 

 牙殻に絡まれていた刑事が、すっと頭を下げた後、他の警官の所へ駆けていく。

 それを見届けた後、人対の2人がお互いの顔を見合わせた。

 

 

「白戸が星野の所に向かって調べてる。どうやら星野って子、殺しをやってたみたい」

「聞いたよ。部屋とか諸々の様子から、10歳の頃に体を乗っ取られてたっぽいってな……チッ、胸糞悪い話だぜ」

 

 

 星野省二。

 今回の事件の被害者であり、女性を1人殺害した疑いのある人物である。

 

 両肩と両足首の骨が完全に砕かれており、精神が幼児退行よりも酷い状態までぶっ壊れている。例え怪我が治ったとしても精神が治る見込みはなく、この先一人で食事を摂ることすらままならないそうだ。完全な再起不能である。

 

 病院で色々手を尽くしているらしいが、殆どは無駄に終わっているらしい。

 事件のことについて聞くどころか、本当の星野の人格を引っ張り出すのすら不可能だそうだ。体の主導権を乗っ取られたままの7年というのは、余りに長すぎた。

 

 

 

 牙殻が忌々し気に言う。

 

「けど体の主導権を乗っ取られたなんて話は、この仕事やってりゃ何回も聞く」

「そうだよね。……じゃあ、この事件の捜査が打ち切られた理由って、何なのかな?」

 

 翠の言葉に、牙殻は考えた。

 人格犯罪はいくつも対応してきたが、ここまで捜査が強制的に打ち切られた事はなかった。 

 

 ということはつまり、今までにはなかった、()()()()()()()()()()()がこの事件に関わっていたという事だ。少なくとも、警察に手を出してほしくない何か。

 

 …………。

 

 

「……すまん、分からん」

「ちょっと、勘弁してよ」

「俺は頭使うのが苦手なんだよ。戦うのが仕事だからな」

 

 翠が呆れた様子で、目の前の男に向かって説明し始めた。

 

 

「怪人二十面相について分かってることは、複数の人格を宿しているかもしれないって事と、1()0()()()()()()()()()()って事。

 

 今まで怪人が起こした事件は、場所も時間も間隔も関連性が殆ど無くて滅茶苦茶だった。ただ現場から採取された痕跡から、同一人物って事がかろうじて分かってただけ。

 

 でも今回、怪人が起こした事件の場所は学校。もし怪人が星野を狙ってたとしても、部外者が入り込みにくい学校内でやるのは不自然。少し外に出て歩いた道端の方が遥かに怪しまれない。

 しかも今までと違って、怪人はどこか甘かった被害者の口封じを完璧にやってる。つまり?」

 

 

 彼女の言葉に、頭を悩ませ。

 そうしてようやく、気付く事が出来た。

 

 

「…………!! そうか、この学校の関係者……生徒として通ってる可能性が高いって事か」

 

「そういう事。被害者の口封じが今までの事件より完璧にされてるのも、自分の顔と名前を知ってるからだろうね。

 

 今までの事件と決定的に違うのは、『怪人の正体に一気に近づいた』というこの一点だけ。

 捜査を打ち切られたのには多分これが関係してる」

 

 

 納得の行った様子の牙殻。

 そんな彼の表情を見て、翠は呆れた様子のまま、新しいキャンディの袋を開く。口にパクリと咥え、そのまま、吐き捨てるように言った。

 

 

「ま……今のは証拠から推察した私の予想。そしてここまで考えられる相手なら、そう待たなくても、すぐに何らかのアクションを起こすんじゃないかな。これも予想だけどね」

 

「……は? 小難しい事言うなよ」

 

「そんな難しい事言ってないけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全校集会が始まる。

 生徒たちは、旧校舎の件が明かされるのかと騒いでいたり、逆に面倒くさそうにしていたりと、各々自由な反応を見せていた。

 

 俺はじっと、緊張した面向きで舞台の方を見ている。

 すると、背後から肩をトントンと叩かれた。振り返る。

 

 そこには夜桜さんがいた。

 

「あっ、夜桜さん。どっ……どうかした?」

「ちょっと暇だなぁって思って話しかけてみただけ。こういう待ち時間って、退屈じゃない?」

 

 夜桜さんが言うなら俺はいつだって退屈だ。

 ぶんぶんと首を縦に振って肯定する。

 

 

「そういえば知ってる? 旧校舎に居た警察の人、さっき慌てて帰って行ってたよ。先生と話してるとこ見たんだけど、『捜査は終わりました』って」

「え?」

 

 

 馬鹿な。まだ捜査し始めてから1日くらいだ。

 いくら何でも、あの旧校舎を1日で調べ切るなんてのは無理だろう。何かあったのか?

 

 

「あっ! 始まるみたい」

 

 

 彼女が咄嗟に舞台の方を見るのにつられて、俺も舞台の方に視線を向ける。

 スーツをかっちりと着込んだこの学校の校長が舞台袖から出てきて、少し緊張した様子のまま、舞台の右端に立った。

 

 

「こんにちは。

 えー、本日旧校舎で行われていた捜査の件ですが、先ほど無事に終了し、警察の方々が帰られた事を皆さんにお伝えします」

 

 

 『えー』だとか、『なんだよ』とかいう風な声があちこちから上がる。

 余りに短い捜査に、他の生徒たちは大した事件じゃないと悟ったようだった。あの事件の概要を知っているなら、1日という短い期間で終わるはずがないのはすぐ分かる。

 

 1年生のエリアにいる細木が、困惑した様子で俺の方を見ている。だが無視した。こっちを見るな、疑われるから。

 

 

 

 

「そして、皆さんにお知らせがあります。

 2年生の化学の授業を務めていた山田先生が、先日、交通事故によって意識不明の重体となり、退職することになりました。」

 

 

 来たか。

 細木が言っていた新しい教師の件だ。

 

 

 ……とてつもなく、嫌な予感がする。

 

 

 

 校長が緊張を隠しきれない様子で、流れる汗を純白のハンカチで拭う。

 

「そして新しく、本校に、先生がいらっしゃることになりました。何でも、本人たっての強い希望だという事で……。

 

 私は、断言します。あなた達は本当に運が良い! 私も学生時代、出来る事なら、このような偉大な人物に教わりたかった! この人の授業を受けることは、あなた達の将来において、間違いなく大切な財産になる事でしょう!!

 

 ……では、先生、舞台の方へどうぞ」

 

 

 校長が、恭しく、舞台袖にいる誰かに呼びかけた。

 

 

 それと同時に、舞台袖から、白衣をたなびかせながら歩き出でてくる猫背気味の人影が1つ。

 その姿を見た生徒達から感嘆と困惑の声が漏れる。

 

「すげぇ美人……」

「きれー……」

「ちょっと待てよ、なんであんな人が……」

 

 

 俺も、舞台袖から出てきたその人物には見覚えがあった。

 嫌な予感の正体が分かり、冷たい汗が全身を流れる。

 

 

 その人物は、舞台の中央に立つマイクスタンドのマイクを手に持つ。

 そうして、少しハスキー気味の声で喋り始めた。

 

 

 

「皆さん、初めまして。本日からこの学校で化学を教えさせていただく、

 

 

 ――――榊浦 美優(さかきうら みゆう)』と申します。

 

 

 授業の担当は化学ですが、大体の学問は修めたので、どんな教科でも質問があれば気軽にどうぞ」

 

 

 

 

 浮遊人格統合技術の開発者、榊浦親子。

 

 その片割れ、娘の榊浦美優が、そこに居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









星野初登場ですぐにマッチポンプがバレて、慌てて話を組み替えた結果、虐められっ子の本橋の霊圧を消してしまった俺の姿はお笑いだったぜ。

変にシリアスになりましたが、次からはちょっと明るい雰囲気に戻ります。


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#14 GWは男三人でレッツGO

 

 

 

 

 

 

 

 榊浦美優が化学の授業担当になってから1週間。

 何度か彼女が授業をしに教室に来て、ちょっと警戒しながらも、真面目に受けてみた。

 

 

 死ぬほど分かりやすい。

 

 

 頭の集中力が数段階ほど引き上げられている感覚だ。変な電波を放ったり装置を使ったりしている訳でもなさそうなので、多分、彼女の純粋な技術なのだろう。浮遊人格統合技術なんてトンデモ開発をする精神科学研究者は格が違った。

 

 生徒からの質問も完璧に答えているようだし、教師の仕事の合間に研究もしているらしい。

 

 

 でも、質問しに行った生徒の話を(盗み)聞きすると、質問に答える代わりに、普段の高校生活の様子を根掘り葉掘りと聞かれたそうだ。何でも精神科学の研究の一環で、健全な高校生の学生生活とその中での精神の状況が云々かんぬん……。

 

 とにかく、学校の内部事情を聞きまくっているそうだ。

 

 

 ……余り近づかないようにしよう。

 警察ですら怖いのに、浮遊人格統合技術の開発者とか、一体どこで人格持ちだと見抜いてくるか分からん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、更に少し日々が過ぎて。

 新しい一年が始まって、初めての大型連休――――『()()()()()()()()()』がやって来た。

 

 

 今年は運が良い。間に平日が挟まっておらず、一週間丸々休みだ。

 しかし特に予定は決まっていない。積みゲーはもうないし、どうしたものか。

 

 

「…………どっか行くか」

 

 

 せっかくの長期間の休みだ。

 バイクを使って、気ままに遠出してみるか。目的地は……適当に北上して、県境を越えた所に、有名な温泉街がある。そこで一泊して帰ってこよう。

 

 

 遠出用の服に着替え、玄関のすぐ傍にある駐車場に置いてあるバイクの前に立つ。

 ……このバイクは俺が買った物だが、正直、俺は全くもってバイクに詳しくない。

 

 せいぜい知っている事と言えば、このバイクが150ccである事と、黒を基調として地面に平行に白いラインが走っているのが格好いいという事だけだ。

 

 

 じゃあ何でバイクに乗ってるかというと。

 まぁ、中の奴の1人に、どうしても買ってほしいと強請られたからだ。

 

 首元に手を当て、その人物を呼び出す。

 

 

「『()()()()()()』、バイクの調子を見て欲しい」

『よし来た! …………ねぇ、ニトロ付けていい?』

「駄目」

 

 

 中から出てきたのは、半透明の、空色の作業服を着た中性的な人物。髪はボブカットで、作業服よりも更に色が薄く、白みがかっている。

 身長は155センチ辺りで、声も低すぎず高すぎずと言った感じなので、パッと見た感じでは性別がどちらかは分からない。

 

 でも一応男だそうだ。

 

 

『このバイクっての、いつ見てもいいよね。僕の世界にはこんなのなかったからさ。まぁなかったと言うより、生まれる前に廃れてたから見た事ないだけだけど』

 

 半透明のまま、バイクの周りを目視点検の為にぐるぐる回るマッドパンク。

 

 

 彼は作業服を着ているが、一応、元の世界では機械とかエネルギーとかに関係する研究をやっていたらしい。ある日、新エネルギーを利用しての発電施設を作ったはいいものの、()()()()()()()()、施設を中心に島一つ分くらいの範囲内にいる生物を全て溶かしてしまったらしい。自分は防護服を着ていたとの事。

 

 いやいや、ちょっとのミスじゃないとは思ったが。

 『元々町一つ分くらいは覚悟してたから、誤差!』との事。どう考えても誤差じゃねえだろ。しかもその町一つ分の被害が出るかもしれないリスクすら誰にも言ってなかったらしいし、完璧な確信犯だ。

 

 

 そんなマッドパンクの為にバイクを買った理由。それは単純だ。

 『この格好いいバイクを買ってくれないと、俊介の家の電子レンジを、歩くマイクロ波照射装置にするぞ!』と脅されたからだ。技術の暴力。

 

 

『……バイクのこの辺りに、厚めの刃物を用意しておけ。出来る事なら反動を少なくした短機関銃もだ』

『いいね!』

「良い訳ないだろ!! 一発で捕まるわ!!」

 

 

 俺の背後から出てきた180センチ前後の人影。

 物々しいガスマスクを被り、体に隙間が出来ないように防弾チョッキやヘルメット、分厚い皮の上着などをガッチリと装備を着込んだ男。腰や背中に武器を付け、銃のような形をした物も見える。

 

 彼の名前は見た目そのまんまの、『()()()()()』だ。

 

 

『そもそもバイクなんて物は遠出には向かない。乗るなら装甲車か、改造を施したトラックだ』

「乗らねーよそんなの」

 

 

 

 ガスマスクは生物兵器禁止条約という物がなかった世界……つまり、バイオハザードみたいなゾンビを生み出す生物兵器を国同士が本気でぶっぱなし合い続けた結果、壊れちゃった世界で生きてきたらしい。

 そして、詳しい事は話したがらないのであまり聞いたことがないが、とにかくいっぱい殺したそうだ。なのでまだ、平和な世界に上手く慣れないのだと言う。

 

 

『……俊介は警戒意識が低すぎる。いくら平和な世の中と言えど、いつ何処で、何が起きるか分からないんだぞ』

「心配してくれるのはありがたいけど、この国で刃物や短機関銃を持ち歩くのは過剰すぎるから」

『俺は世界一安全と言われたシェルターが、ふとしたきっかけで壊れた所を見たことがある』

 

 

 だとしてもそんな危険物は持ち歩けんわ。

 しかし、ガスマスクが心配して言ってくれているのは分かる。彼も他の殺人鬼のように意固地な方だ、何か対策をしないと引き下がらないだろう。

 

 少し悩み、思いつく。

 

 

「……そうだ、ガスマスクも外に出て着いてきてくれないか?」

『何?』

「刃物や銃を持つより、ガスマスクが傍にいた方が多分安全だろ?」

 

 

 道中、恐ろしい男を後ろに乗せることになるが、危険物を持ち歩く事よりはマシだ。

 彼は少し悩む素振りを見せたのち、コクリと頷いた。

 

 すると、バイクの目視点検を終えたマッドパンクが口を尖らせて言う。 

 

『あ、ずっる!! だったら僕も連れて行ってよ!』

「いや、中で見てればいいだろ。2人もバイクに乗れないし、向こうで外に出れば……」

『俊介と話しながら一緒に行くのが楽しいんじゃんか! 乗せろー!!』

 

 

 そう言ったと同時に、飛び掛かってくるマッドパンク。

 そうして、なんやかんやあった結果。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ドッドッドッドッドッドッドッドッドッ

 

 

 

 

 唸り声をあげるバイクに跨る俺。

 エンジンタンクと俺の股の間に出来たわずかな隙間に、寝そべるよう乗っているマッドパンク。

 その全てを見守るように、後方で腕を組みながら鎮座しているガスマスク。

 

 

 ただの遠出が、なんでこんな意味不明な事に。

 

 

 変な事が起きないように祈りながら、アクセルを捻った。

 

 



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#15 面倒事

 

 

 

 

 

 軽く200キロは走っただろう。

 高速に乗っていたため、特に問題もなく温泉街に着く事が出来た。久しぶりの長い運転であったため、腰が少し痛い事以外は。

 

 マッドパンクとガスマスクが先に降り、最後に俺が降りて、鍵を取る。

 朝方に出発し、ちょうどおなかが空いてくる昼頃に着けたのは良かった。そこら辺にあったパンフレットを回収し、今日の宿と、どこか美味しい店がないかを探し始める。 

 

 そんな俺が歩く背後を、きょろきょろと辺りを見回しながら付いてくる2人。

 空から降り注ぐ日光で道の至る所に流れる温泉がキラキラと輝いているのを、物珍し気に見ていた。所々から湯気の上がっている温泉街独特の雰囲気は俺も結構好きだ。

 

『綺麗だなぁー……な、ガスマスク』

『…………ああ』

「えーっと……温泉まんじゅうじゃないんだよな、今は。もっとガッツリ食えるとこ……」

 

 そんな風に歩いていると。

 何処かから、歌声のような物が聞こえてきた。

 

 

「~~~♪ ―――♪」

 

 

 女性の声……。素人でも上手だと分かるくらい、魅力のある声だ。

 パンフレットから顔を上げると、少し歩いたところに人だかりが出来ているのが見えた。

 

 後ろの2人と顔を見合わせ、その人だかりに近づく。

 すると、恐らく地元民らしき老婆たちの中心で、『マオ』と手作り感満載のポップな看板を立てた小学校高学年くらいの女の子が歌っていた。

 

 

「ハッハッハ! 儂の歌声に、酔いしれな!!」

 

 

「きれいな歌声ねぇ~」

「ホント、上手~」

 

 老婆たちが和やかな顔で、歌に耳を傾けている。

 

 多分、地元アイドルか何かだろうか。

 結構綺麗な歌声だったし、後で調べてみよ。

 

 

 

 そんなこんなで、パンフレット片手に歩いていると、ちょうど良さげな食事処を見つけた。

 店の外に置いてあるかつ丼の衣が良い感じの狐色をしていて、とても食欲がそそられる。……まぁ、これはただの食玩サンプルだけど。

 

 白の布に黒い文字で『さくら』と書かれた暖簾をくぐり、中に入る。

 お客さんは俺以外にもちらほらと居る。カウンターの方から『お好きな席にどうぞ~!』と声が聞こえたので、適当に空いているカウンター席に座った。

 

 カウンターでいそいそと作業をしていた女性がこっちに振り返る。

 

「いらっしゃいませ! ご注文は―――……えっ!? 日高君?!」

「なっ……よ、()()()()!?」

 

 頭に赤い三角頭巾を巻いた、エプロン姿の夜桜さんがそこに居た。

 余りの驚きに椅子から落ちそうになるが、何とか堪える。すると夜桜さんが水を机の上に置きながら、ニコッと笑った。

 

「うわ~、すっごい偶然だね! どうしたの、家族で旅行?」

「あ、いや……その、一人で……」

 

 すっごい恥ずかしい。GWにやることがないから一人で温泉街まで来ましたとか、友達のいない寂しい奴だって言ってるようなもんだ。

 

 気恥ずかしさを払うように、話題を咄嗟に切り替える。

 

「それより、夜桜さんこそここで何を?」

「ちょっとした手伝い。このお店、おじいちゃんのやってる所なの」

 

 そこで、チラッと横を向き、暖簾の『さくら』という文字を見る。アレは夜桜さんの苗字の『桜』を取った物だったのか。クソ、先に気付いておけばもっと見た目を整えて入店できたのに。

 

 夜桜さんがパッとメモを取り出す。

 

「それで、ご注文は?」

「あ、かつ丼一つお願いします」

「はーい!」

 

 

 パタパタとカウンターの中でせわしなく動き始めた彼女を見る。

 そうしていると、いつの間にか右横の空いている席に座っていたマッドパンクが、にやにやした顔でこちらを見ていた。

 

『俊介、あの女の子が好きなのかぁ~? ちょっと手伝ってやろっかぁ~?』

「手出したらキレるぞマッドパンク」

『うわっ、マジ声……ごめんって』

 

 ドスを利かした小声で、横に居るイカレ研究者を脅す。

 こいつは強めに言っておかないと、頭が良い分何をしでかすか分からん。

 

『そうだ俊介、それでいい。油断ならない相手には遠慮するな』

 

 なぜかしれっと、俺の左隣に座っているガスマスクがそう言った。2人揃って空いた席に座って何やってんだよ。俺が飯食ってるところより、外の様子見てた方が楽しいだろ。

 

 

 程なくして運ばれてくるかつ丼。

 空腹と、夜桜さんが運んできてくれたからか、普段食べる物よりも十数倍は美味しく見える。近くにあった割りばしを取り、パチン!と割った所で、夜桜さんが話しかけてきた。

 

「そういえば、今日泊まる宿は決まってるの?」

「え、いや……どこか空いてる所を、こっちに来てから探そうかなって」

「あー……それはちょっと難しいかもね。この時期、今の時間はまだ少ないけど、夜になると旅行客の人が一気に増えるから。何処も予約いっぱいだと思うよ」

 

 

 よく考えてみれば、そりゃそーだ。

 地理に詳しくない俺でさえ知ってるくらいのポピュラーな温泉街だ、GWになると人でごった返すことくらいは予測しておくべきだった。

 

 うーん。

 最悪泊まれないとなったら、家に帰ってもいいんだけど、結構面倒だよな……。

 

 

 眉間にしわを寄せて悩んでいると、夜桜さんが手を口に当てて笑いながら言った。

 

「ふふっ。日高君って真面目そうに見えて、ちょっと抜けてるよね。よかったら泊まるところ、紹介しようか?」

「えっ!! い、いいの?」

「おじいちゃんの友達が経営してる旅館なんだけどね。少し山を登った所にある、知る人ぞ知る宿って感じだから、この時期でも部屋は少し残ってると思うよ。後で電話してあげるね」

 

 

 夜桜さんはやはり天使だった。

 天使ってどこにでも現れて助けてくれるんだなぁ……。しゅごい……。

 

 

『おーい俊介、トリップすんなよー』

『薬物を吸った人間と同じ表情……この女、快楽物質を散布するタイプのB兵器かッ!?』

『ガスマスクもトリップすんなよー』

 

 

 かつ丼は天国に昇りそうなくらい美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜桜さんの紹介で、その山の上にある『折川旅館』の部屋を一室予約する事が出来た。

 バイクですら山の麓までしか行けず、そこから宿のある場所までは徒歩で登って行かなければならない。しかも結構急だ。これ、客がいない理由、知る人ぞ知る宿という以外に立地の問題もあるんじゃないか。

 

 

 そうしてしばらく、汗を拭いながら歩き。

 深い谷に木製の吊り橋が掛かっており、その先に、夜桜さんから紹介してもらった旅館があった。

 

「…………」

 

 なんかやたらと古い橋だな。

 人が渡る分には問題なさそうだけど、何かあったらプチンと切れそうだ。

 

 

 

 ツカツカと橋を歩き、旅館に辿り着く。

 夜桜さんは旅館と言っていたが、一般的に旅館と聞いてイメージする物よりは多少小さい。ちょっと大きめの民宿、と言った方が合っているだろう。

 

 橋を渡り終わった所で、旅館の引き戸がカラカラと開いた。まだノックもしていないのに……これがプロか。

 女将と思わしき和服を着た40~50歳くらいの女性が、綺麗な仕草でお辞儀をしてくれる。

 

「ようこそいらっしゃいました、日高様。私、当旅館女将の『折川 祐子(おりかわ ゆうこ)』と申します」

「あ……日高俊介です。よろしくお願いします」

「ご丁寧にどうもありがとうございます。では早速ですが、お部屋の方にご案内させていただきます」

 

 

 中に入り、スリッパに履き替え、トコトコと女将の後ろを着いていく。

 途中、温泉の暖簾も見えた。夜桜さんは、ここの旅館の温泉は色々な成分が入っており体にとても良いと言っていた。後で入ろう。

 

 

「ここが日高様のお部屋でございます。鍵は紛失されますと、弁償していただく決まりになっておりますので、管理にはお気をつけください」

 

 チリリンと渡されたのは、鷹のレリーフが彫られた飾りのぶら下がった鍵。

 俺の目の前にある部屋の扉には『鷹の間』と書かれている。なるほど、分かりやすい。 

 

 

 女将が去っていくのを後ろ目に、部屋の中に入る。

 荷物を置く……と言っても、元々一泊分の着替えと財布と携帯しか持っていなかったため、背負っていたバッグを下ろすだけだ。

 

『俊介、窓の外見てみろよ! いい景色だぜ!!』

「え、ホント?」

 

 マッドパンクの言う通り、窓の外を見てみる。

 本当に、息を呑むほどいい景色だ。山に登っているうちにいつの間にか時間が経っていたようで、赤い夕陽が地平線の向こうへと沈みかけていた。

 

 この景色だけでも、今日この旅館に来た価値はあると思ってしまう。

 だが本番はこれからだ。食事に風呂と、まだまだ楽しむことはある。

 

 

 と、そんな事を考えていると、早速扉がノックされる音が聞こえた。

 食事は部屋に運んできてくれるとかそんな事を女将さんが言っていたな。部屋食か……まぁ、中の人格との話し声を気にすることなく食べれるし、そっちの方がいいかな?

 

 

「失礼します」

 

 

 そんな風に言って部屋の中に入ってきたのは、小学校高学年くらいの女の子。

 ……ん? なんか見覚えがあるな。

 

『さっきの歌ってた子じゃないの?』

 

 マッドパンクが言う。ガスマスクもその言葉に頷いた。

 そうだそうだ、確かに同じ顔だ。でも、人前で歌っていたあの時とは全くテンションが違う。物凄く落ち着いているというか……若干おどおどとした感じだ。

 

 

 ……公私でキッチリ分けるタイプなのかな。

 まあいいか。

 

 

 

 彼女が夕餉を運び終え、部屋から去る。

 俺の財布から出せる金額で食っていいのかというほど、とても豪華な食事だ。豪華すぎてどうやって食べるのが正解なのかいまいち分からないくらいだ。

 

 こういう時はうってつけの人物がいるな。

 首元に手を当て、恐らく中で寝ていたであろうその人物の名を呼ぶ。

 

「キュウビ!」

『なんじゃなんじゃ、ふわぁぁ……んぁ? おお俊介、なかなか良い物を食べておるの』

 

 彼女は国王を惑わせて国を傾けたと豪語するほどだ。

 当然、こういった豪華な食事を口にする機会も幾度もあっただろう。異世界とこっちの世界の食べ方が同じかは分からないが、全く知らない俺よりはマシなはずだ。

 

「豪華すぎて食い方が分からない! ちょっと教えてください!」

『ほーう? いいじゃろう。まずは右腕の主導権を渡せ、それからあ~んで食わしてやろう』

「食い方を教えてほしいのに何であ~んになるんだよ!!」

 

 

 そんな感じでギャースカギャースカ騒ぎながら食べていると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――キャアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、女性の甲高い悲鳴が旅館中に響いた。

 一瞬で殺人鬼達と俺が立ち上がり、部屋の外に飛び出して、声のした方に走る。

 

 すると、廊下の途中にある部屋の一つの扉が開けっ放しになっていて。

 

 その部屋の中には、胸に包丁が深々と刺さった死体と、扉の近くで腰を抜かし顔を青ざめさせた女将さんがいた。

 

 

「ッ」

 

 

 殺人鬼達と長く一緒に居るが、本物の死体を見るのはこれが初めてだ。

 異常な光景に顔をしかめるものの、女将さんほどのショックはない。悲鳴で何かあると先に分かっていたからだろうか。

 

 

「……女将さん、大丈夫ですか。とりあえず部屋を出て、みんなを集めましょう」

「え、えぇ、はい……」

 

 腰の抜けた彼女の肩に腕を回し、立たせる。

 その際にキュウビに目配せして、部屋の前で待機するように暗に伝えた。誰かが勝手にこの部屋に近づいた時、分かるようにだ。

 この旅館の敷地内くらいなら余裕で100メートル圏内であるし、何も問題ない。

 

 

 せっかくの旅行が、何やら厄介な事に発展しそうだ。

 女将さんに肩を貸したまま、部屋の外に出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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#16 それでも俺は(全面的には)悪くない

 

 

 

 

 

 時刻は夜中の8時頃。夜の帳が降り、風が冷たくなる時分。

 

 

 ……とても面倒な事になって来た。

 旅館の中で一番広い玄関前にある椅子に座り、ため息を吐く。

 

 現在、折川旅館に居る全ての人間が玄関前に集まっていた。

 この旅館を経営する折川親子3人、俺を含む客が4人、計7人だ。

 

『1人死んだくらいでわざわざ集まるかねぇ……』

『同感だな。ただの包丁程度、単独でも対処は十分に可能だ』

 

 マッドパンクとガスマスクがつまらなさそうに言った。お前ら基準で物を見るな。

 まぁでも、俺も正直、この旅館での一件は殆ど終わったと感じている。

 

 

「クソ、この中に人殺しがいるっちゅうんかい!」

 

 

 客の中の一人、スーツ姿に眼鏡を掛けた、神経質そうな中年の男がそう言った。

 ちなみに、被害者をぶっ刺した殺人犯はこの男だ。

 

 ハンガーに頼んで各部屋を見に行って貰ったら、この男の泊まっている部屋の洗面所に、血を洗った跡が残っていたそうだ。

 多分、刺して部屋に戻った所で女将が死体を発見したから、完璧に処理できなかったんだろう。旅館の大将に頼んですぐに全員集めてもらったし。

 

 

「……とりあえず、自己紹介じゃないのか? こんな状況だが、お互いの名前も分からないんじゃどうしようもないしな」

「フフフ……私もその案、異論ありません!」

「ちっ、殺人犯と名前交わすとか冗談ちゃうで……!」

 

 

 何処か粗暴さを感じさせる黒スーツの男性、中学生が考える探偵みたいなちょっとキツ……無理のある恰好をしている女性、殺人犯がそれぞれ順番に自己紹介を始めた。

 

「俺の名前は牙殻 零次(がかく れいじ)。一応、警察だ。今日は休暇で来たんだけどな……」

「私は名探偵、坂之下 風華(さかのした ふうか)!! 親からは『真面目に働けや』ってよく言われてます!!」

「チッ……ワイの名前は真下 札人(ました さつひと)。製薬会社に勤めとる」

 

 

 変な人達ばっかだなぁ。いや、俺も人の事言えなかった。

 自己紹介の順番が回って来たので、ぺこりと頭を下げながら言う。

 

 

「日高俊介です。学生で……ここには温泉旅行に来ました」

「けっ! 兄ちゃん、こんな状況でそないな澄ました顔して、実は犯人とちゃうんか?」

 

 お前が言うな。

 どうやってこのエセ臭い関西弁の男を犯人として吊るし上げるか考えている時、坂之下さんがいきなり高笑いし始めた。

 

 

「フフフ……アハハハハ! こんな事件、この名探偵が一瞬で解決してあげますよ!!」

「解決した事あるのか?」

「そんなこと聞かないでください!!」

 

 

 牙殻さんの言葉が彼女のハートに刺さる音が聞こえた。

 多分解決した事ないんだろうな。いや現代社会で、探偵が出張るような状況って殆どないだろうけども。

 

「私、頭は悪いですが、この恵まれた勘と閃きで犯人を割り出してあげます!」

 

 探偵で頭が悪いって致命的な欠点じゃないのか。

 そう思ったが、坂之下さんがうんうんと頭に人差し指を当てて唸りだすのを、全員で見つめる。

 

 そして30秒ほど経った時、彼女が突然顔を上げて、大声で言った。

 

 

 

「――――分かりました!! この旅館に、人殺しは()()()居ます!!」

 

 

 

「女将さん、ワイ今すぐ帰るわ」

「ですが真下様、今一人で行動されるのは危険では……」

「人殺しと一緒にいる方が危険や」

 

 

 華麗にスルーされたな……。

 坂之下さんに向ける全員の目が一段と冷え込んだのを感じる。

 

『おっ、当ったりぃ~』

『中々見どころのある直感だ』

 

 だが、殺人鬼達からの感心したような目線だけは暖かかった。いやなんで俺の中にいる殺人鬼の数まで当ててきてんだよ。

 

 

 ……ん?

 俺の中の殺人鬼が13人。エセ関西弁の殺人犯が1人。なのに、15人?

 1人多いな。一体どういうことだ? 彼女の勘が外れていると言えばそれまでだが。

 

 

 そんな風に考えている中、女将の制止も聞かず、無理に玄関扉を開けて外に出ようとする犯人の真下。

 そして、外の様子を見て、驚いた様子で声を張り上げた。

 

 

「―――は、橋が壊れとるやないかッ!!」

 

 

 その声に反応し、全員で外の様子を見に行く。

 確かに彼の言う通り、来るときにはあった橋が何処かへ消えていた。底が見えないほど深い谷は、ヘッズハンターくらいの脚力ならともかく、常人には橋無しで渡ることは出来そうにない。

 

 

 牙殻さんが僅かに残った橋の残骸に近づく。

 そして吊り橋を吊っていたロープの断面を見て、背後にいるみんなに向けて言った。

 

「断面が綺麗すぎるな。経年劣化で千切れた物じゃない、明らかに人為的にやられている」

「そんな……これでは警察の方をお呼びしても、この旅館まで渡れません!」

「いや……それは大丈夫だろう。警察にはヘリがある、天気さえ荒れなければ心配はない」

 

 

 そう言って空を見る牙殻さん。

 日はすっかり落ち切っているが、雲の姿はどこにもない。この調子では天気が荒れる心配もないだろう。俺が何かするまでもなく、警察の手によって事件はあっさりと解決しそうだ。

 

 旅館の中に入り、ふと、夕食が途中だったのを思い出す。

 おかげで腹の中は5割ほどしか満たされておらず、腹の音が鳴ってしまった。だが死体を見て間もないからか、食欲は余りない。

 

 

 水で胃の中をタプタプに満たそうと、近くに居た、女将さんの娘さんに声を掛ける。

 

「すみません。申し訳ないですけど……水が何処にあるか教えて貰ってもいいですか?」

「えっ、は、ひゃい……」

 

 彼女がトコトコと台所の方に歩いていくのに着いて行く。犯人が分かっているとはいえ、女の子をこの状況で一人にさせる気はない。

 

 

 コップを受け取り、地下から汲み上げたであろう綺麗な水を注ぎ、一気に飲み干す。

 ……この水、今までに飲んだことがないくらいに美味い。もう一杯飲むが、それも美味かったので、どうやら喉が極端に渇いていたからという訳ではなさそうだ。

 

 

「すごく美味しい水だね」

「その、この辺りのお水や温泉水には、とても珍しい成分が混じっているんです。それが旨みだったり、体が良くなる効能を引き出したりと、良い効果を起こしているんですよ」

 

 

 へー……。

 その成分のおかげで、ただ汲んだだけの水がこんなに美味しいなんて、とても信じられない話だ。ペットボトルに詰めて販売したら、こぞって人が買いに来るだろう。俺も買いに行く。

 

 

「そういえば……えーっと」

 

 

 彼女の胸の辺りに白く刺繍されている、『折川 結城(ゆうき)』の文字。

 コップを流しの中に入れ、彼女に話しかける。

 

「結城ちゃ……さんって、確か麓の温泉街で歌ってたよね? とっても上手だったよ、なんかその……そういうアイドル活動的なのをやってるの?」

 

 見知らぬ小学校高学年相手にちゃん付けはまずいな。

 そう思いながら彼女の方を見ていると、ぶんぶんと首を横に振って、こちらの言葉を否定してきた。

 

「違います違います! アレは私じゃなくて、その、私の中の」

「……もしかして、()()?」

「は、はい。『どうしても歌で世界を支配したい』って言ってて、私は人前に出るのが苦手なので、必死に断ったんですけど……」

 

 

 この子、人格持ちだったのか。

 ちょっとデリケートな所突っ込んじゃったかな。

 

 彼女が気まずそうにしている俺の感情を察したのか、おどおどした様子で言う。

 

 

「その、もしよかったら話してみますか? 歌が上手っていうのは、()()に直接伝えてあげた方が喜ぶと思いますから」

「え? あ……そうだな、じゃあ、せっかくなら」

 

 

 好意を無下にするのも悪いな。そう思い、彼女の言葉に肯定の意を返した。

 

 すると、静かに『マオ』と呼んだ結城さんの頭がガクッ!と揺れる。

 そして次の瞬間、ギラリ!と真っ白な歯を覗かせ、先ほどは天と地ほどのテンションで彼女が喋り始めた。

 

 

「中から見ておったぞ、平民!! 耳がとろけて思わず服従しそうなほど儂の歌を上手いと感じるとは、なかなか分かっておるではないか!!」

 

 

 上手だと思ったのはホントだけど、そんなには言ってないです。

 

 

「よいよい、謙遜するな。だがその態度、なかなか嫌いではないぞ」

 

 いや別に謙遜して……ん?

 ちょっと待てよ。

 

「なんだ」

「…………もしかして、俺の心の言葉を読んでる?」

「当たり前だ。平民の心言ごとき、この体でも簡単に感じ取れる。儂でエロエロな妄想をしてもすぐ分かるからな」

 

 しねーよ。

 ……というか、人の心の言葉を簡単に読めるって、相当ぶっ壊れた性能してないか?

 

 

 途端に目の前にいる少女、マオの事が気になってくる。

 もし心を読める以外にもいろいろ出来るなら、多分、俺の中にいる殺人鬼達と同等レベルに強いだろう。

 

 いったい異世界ではどんな人物だったのだろうか。

 

 

「ほう、儂の正体が気になるか?」

「……まあ、それなりには」

「くーーっ!! 儂の魅力(みりき)の正体が気になっちゃうかぁ、そっかぁ!! やっぱ儂、歌手じゃなくてミステリアスなアイドル路線でも行けるな!! 暴力はいかん、ラブ&ピース!!」

 

 

 突然何を言ってるんだ?

 そう口にする暇もなく、マオがそこらにあった台の上に乗り、バッサァ!と服を翻しながら堂々と宣言した。

 

 

 

 

 

「儂の真の名前は、アルベール・ガイアスト・サッドローム!!

 

 とある世界で、闇に巣食う全ての魔の物をまとめ上げ、全世界支配の一歩手前まで行った女帝…………つまり、『()()』なのだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 アルベール・ガイアスト・サッドローム。

 ――――()()

 

 凄く聞き覚えのあるワードだ。

 正確には、俺の中に住む殺人鬼の中で、ダントツ一番強いあの黒騎士からの話で聞いたことがある。

 

 そして、赤くて丸い果実と言えば、真っ先にりんごを思い浮かべてしまうように。

 

 

 もやもやと頭の中に、魔王という言葉と関連性のある『ダークナイト』の姿を反射的に思い浮かべてしまった。

 

 

「……あ? 平民、そのすがた、おまえ」

 

 

 マオ――――恐らく魔王から取った名前の彼女が、顔を青ざめる。恐らく俺の心の中のイメージまで読み取ってしまったのだろう。

 全身が電気ショックでも食らっているみたいに痙攣し始め、大きく見開いた目を血走らせ、そして、大きく息を吸い。

 

 

 

 

「――――アムッッグアアッギャアガアガアアァアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 

 

 

 

 化け物みたいな声で叫び始めた。

 その声は当然、台所の中を越え、玄関前にいる他のみんなにまで届く。

 

 そして、他の客と折川夫妻が台所に駆け付け、見た物は。

 

 

 口の端から泡を吹きながら、陸に揚げられた魚のようにビチビチと跳ねる、マオこと折川結城の姿と。

 それを必死になだめようと不審な動きをしている、日高俊介――俺の姿だった。

 

 

 台所に他の人たちが入ってきたのを見て、弁明しようと口を開く前に、地面に押さえつけられた。

 俺の腕と首を掴んで完璧に拘束しているのは、警察である牙殻さんだった。

 

 

「悪いが拘束させてもらうぞ……!! 状況がよく分からんがな……!!」

 

 

 ガスマスクが俺と変わろうとするが、それを目でけん制する。

 今のこの状況で警察に俺が人格持ちだとバレたら、更に最悪な事になるからだ。女児を怪しげな人格の力でおかしくした変態犯罪者……プラス殺人もくっついてきて、一気に豚箱行きだ。

 

 

 結束バンドで両手を後ろで縛られる。

 仕方ない。こんな旅館内で殺人が起きた状態で、あんな場に居合わせてしまったんだ。怪しまれて当然、拘束を受け入れるのもやむなし。

 

 

 

 でも言わせてください。

 女将さん、俺の事をヤバい変態を見る目で見ないでください。

 

 俺が全部悪いんじゃないんです。

 

 マオが一瞬であんな風になる『()()』をやらかした、ダークナイトの奴が悪いんです。

 だからこの罪は誤解です。俺は誓ってやってません。

 

 

 この罪は誤解なんです――――。

 

 

 

 そんな俺の心の叫びは誰にも届くことなく、牙殻さんに別室へと連行された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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#17 誤解まみれだ!!

 

 

 

 

 

 酷い雨が壁を殴る音が聞こえる。

 さっきまでは雲一つない夜空が広がっていたというのに。

 

 

「…………」

 

 

 後ろ手を拘束され、旅館の中の一室に座り込んでいる。

 牙殻さんにこの部屋まで連行され、そのまま放置されているのだ。

 

 部屋の中は窓のない密閉空間で、所々に保存用の食料品だったり、透明な袋に包まれた数枚入りのタオルだったりが見える。恐らくここは旅館の倉庫なのだろう。

 

 ガスマスクが俺の顔の横にしゃがみ、話しかけてくる。

 

 

『外に出るか?』

「うーん……。出ても疑われるし、このまま座ってても犯人として警察に突き出されそうなんだよな」

 

 ダークナイトの何かのせいで、マオが痙攣発狂して捕まってしまったのがかなり不味い。

 あのエセ関西弁を犯人としてさっさと吊り上げないと。俺が犯人に仕立て上げられそうだ。

 

 

「…………とりあえずこの結束バンドを外すか」

 

 

 このまま座ってても何も始まらない。しかし無闇にこの部屋の外に出れば、また牙殻さんに取っ捕まって、今度は警察にまで連行されそうだ。

 

 とりあえず、何かないかこの部屋の中を探ってみよう。

 ガスマスクに両腕を譲り、結束バンドを外してもらう。素手で刃物もないのにどうやったのかは分からない。

 

 

『マッドパンクは外の様子を見に行った。俺は俊介の側に居よう』

「ああ、ありがとう。それと……いざ何かあった時は、遠慮なく体を奪ってくれ」

『いいのか?』

「条件は知ってるだろ?」

 

 

 ――――体の主導権を奪う条件。そんなに大層な物でも難しくもない。

 

 ①体の8割以上が重なっている事。

 ②頭と頭が重なっている事。

 

 この2つだけだ。

 こんなゆるゆるな条件、明らかに異世界から来た人格側の方が有利だと思うんだよな。まあそんな事考えても仕方ないけど。俺が自分で調べただけで、他の人がこれと同じなのかも分からないし。

 

 

 倉庫の中をガサガサと調べ始める。

 と言っても、食料品やら旅館整備の道具やらが出てくるだけで、そんなに面白い物は出てこなさそうだが……。

 

 そして、倉庫の奥の方に積まれていた何かの紙束を持ち上げ、パラパラと捲っていく。

 軽く100枚近くありそうなそれの殆どは、旅館の売り上げだとか税金だとかの金に関する書類だった。

 

 

「こんな所にお金の書類を置いてちゃダメだろ……」

 

 

 大将さんに女将さん、結構杜撰なところあるんだな。

 そう思いながらもパラパラと紙を捲り続け……一番下にあった書類の内容に目が留まった。

 

 

「これは……」

『……土地の売買に関する物だな』

 

 その書類は要約すると、この折川旅館と、折川旅館が所持する周辺の山の土地を売って欲しいという内容の物だった。

 提示された金額はとてつもなく、0が9個も並んでいる。いくら有名な観光地の近くの土地とはいえ、余りに破格すぎる金額だ。金に関する知識が全くない高校生の俺でも、この内容が異常なのは一目で分かる。

 

 そして、折川旅館にこの売買を持ちかけたのは……。

 

 

「……渦島(うずしま)製薬……」

 

 

 医学なんてこれっぽっちも知らない俺でも聞いたことがある社名だ。確か、相当規模のデカい、所謂国を動かす大企業の一つだったはず。

 

 なんだか、ヤバい所で点と点が繋がってきた気がする。

 あの真下とかいう男、製薬会社に勤めているとか言っていた。被害者の男はまだ調べていないが、もし被害者も製薬会社の人間だったとしたら、もしかしたら犯人は……。

 

 

 

 ――――ガンッ!!

 

 

 

 倉庫の唯一の扉を、思い切り叩かれたような音がした。

 持っていた紙束を置き、ガスマスクに両腕を渡して、扉の方を睨む。

 

 

 数秒後、扉の鍵を外し、中に入ってきたのは。

 

 

「……!? 真下……!!」

 

 

 包丁を持った、明らかに正気ではない様子の真下であった。

 クッソ、やっぱりこいつが犯人だったのかよ!!

 

「ガスマスク!!」

『頼まれた』

 

 刃先を前に構え、突進してくる真下。

 俺の両腕を操るガスマスクが、一瞬で包丁を叩き落とし、真下の両肩の骨を外して地面に叩きつけた。

 

 肩甲骨の間を強く踏めば、両腕が動かない真下はもう立ち上がれない。拘束完了だ。

 

「いきなりなんだよ……」

 

 

 倉庫で拘束されてる俺なら簡単に殺せるとでも思ったのだろうか。

 いや、普通の奴は殺しやすいというだけで人を殺さない。そんなことを考えるのは俺の中の奴らくらいだ。

 

 真下をそこら辺にあった縄で縛り上げ、倉庫に放置する。

 

 

 何かがおかしい。

 マッドパンクとキュウビが旅館の中に居るはずだ、2人に合流しつつ情報を集めよう。

 

 警戒しながら倉庫の外に出る。

 ガラス窓に横殴りの雨が叩きつけられ、時折雷でバッと廊下全体が光る。閉じ切った倉庫の中だと分からなかったが、こんなに酷い雨が降っていたのか。

 

 廊下を曲がり、暗闇を歩く。

 すると、被害者の部屋の前に、キュウビが立っているのが見えた。

 

『…………』

 

 不機嫌そう。

 牙殻さんに廊下を連行されている時、何かしようとした彼女を無理やり制止させたんだよな。仕方ないだろ、あんな状況でキュウビと変わったら絶対大変な事になる。

 

「誰か通った?」

『…………肥満男。女』

 

 相当怒ってるな……。帰ったら何かしてあげないと。

 肥満男ってのは多分、中年腹が出てる真下の事だろう。ただ……女とはどっちの事だ? 女将か、坂之下さんか?

 

 

「ありがとう」

 

 彼女に礼を言い、被害者の部屋の中に入る。

 当然、遺体はそのままで、胸には包丁が一本ぶっ刺さっている。

 

 スマホで『渦島製薬』の公式ホームページを開きながら近づくと、胸の辺りから名刺が飛び出ているのが見えた。

 指紋が付くのを恐れて触ることは出来ないが、微かに見えるロゴマークは確かに『渦島製薬』の物だ。

 

 

「やっぱり渦島製薬……。それで、この旅館の土地の売買を持ちかけたのもこの会社か」

 

 

 0を9個も並べるような額を出して土地を買いたいなんて、相当異常だ。

 金という力は集まれば集まるほど怖い、これは人が何人か消えてもおかしくないくらいの額なのだ。

 

 踵を返し、部屋の中から廊下に出る。

 

 

「おや?」

 

 廊下には坂之下さんが居た。ハンカチで手を拭いている事から、トイレにでも行っていたのだろう。

 

「さっき拘束されたはずでは……?」

「ま、真下さんに襲われて、逃げ出してきたんです」

「何ッ!? 犯人め、ようやく尻尾を出しましたね!!」

 

 そう叫んで、ドタドタと先ほど俺が拘束されていた倉庫に駆けていく坂之下さん。

 ふぅ~……と一息吐きたくなるが、そこでふと思い出す。

 

 

 キュウビは確か、中年男と女が廊下を通ったと言っていた。

 この旅館に居てかつキュウビが女と言いそうな人物は、坂之下さんと女将のみ。マオは小さすぎる。

 

 一体2人が何をしに通ったか知らないが、真下が俺を襲ってきたのは事実。

 だがあの真下の持つ包丁には血も何も付いていなかった……つまり、真下は俺の事は襲ってきたくせに、女将の事は襲わなかったのだ。

 

 

「……くッ!」

 

 

 嫌な予感がした。

 坂之下さんが倉庫に向かったのをすぐに追いかける。

 

 

 別にそう遠い距離ではないので、廊下を曲がった先の倉庫まで1分もかからず辿り着いた。

 すると、倉庫の中でせっかく縛った真下の縄を解く女将と、その傍で立ち呆ける坂之下さんが居た。

 

 

「何やってるんですか」

 

 女将に、低くした声で言う。

 すると彼女が縄を解く手を止め、ゆっくりとこちらを振り返った。

 

 

「……困ります、日高様」

『俊介、目を見てはならんぞ』

 

 いつの間にか背後についてきていたキュウビ。部屋の前に突っ立ってるのに飽きたのか、それとも俺の危機を察してこっちに来てくれたのか。

 マッドパンクの姿もチラリと見えたので、多分2人で戻って来ただけだろうとは思うが。

 

『陰道の禁術か……。ふん、物騒な物を教えた奴がいるものじゃ』

「知ってるのか?」

『似たような物をな。アレは平たく言うと、洗脳の術じゃ。しかし術の掛け方が未熟……誰かから教わったものじゃろう』

 

 マオに続き、また同じ世界から来た奴がいるかもしれないのか。

 だが今はそれよりも、目の前の女将だ。

 

 

「女将さん……あなたが黒幕だったんですか?」

「人聞きが悪いことを言わないで下さい。全ては……この渦島製薬が悪いんですよ」

 

 そう言って、俺が出しっぱなしにしていた例の売買に関しての紙を指さす。

 

「折川旅館とこの周辺の山の土地は、代々私の一族が管理してきました。いくらお金を積まれても、お譲りできるものではないんですよ」

「それと今回の殺人に、一体何の関係が?」

「……このお方々は渦島製薬の役員。これ以上土地の売買を渋ると、強硬手段も辞さないと言ってきたのですよ」

 

 

 土地を譲りたくない女将。

 なぜかは知らないが、どうしてもこの土地が欲しい渦島製薬。

 

 それらがこじれに拗れまくった結果、起きたのが今回の殺人事件だったようだ。

 

 ……あれ? じゃあ何で俺、狙われたんだ?

 渦島製薬との関わりなんて何もないし、今日泊まりに来ただけのただの一般客だぞ。

 

 

「……ですが、貴方はとっくにそんな事、ご存じでしょう?」

「は?」

「私の娘に手を出そうとするなんて……貴方方にはよっぽど、人の心が御有りでないようですね」

 

 ゴミを見るような目で俺を見つめる女将。

 

 あー。

 俺、渦島製薬の一派と勘違いされてるのか。人格が違うとはいえ、自分の愛娘を陸に揚げられた魚みたいにされたら、そりゃ疑うよな。

 

 ……とんでもない誤解だよ!!

 

 

「い、いや、アレは誤解で―――」

「言い訳は必要ありません!」

 

 女将の言葉を皮切りに、キュウビの言う禁術で洗脳された、坂之下さんと真下が襲い掛かってくる。

 

『2人纏めてか。俊介、その場で足に力を入れていろ』

 

 しかし、たかが一般人。

 両腕の主導権をガスマスクに渡した瞬間、2人は一瞬でその場に叩き伏せられた。無理もない。頭を使う勝負ならともかく、腕っぷしの勝負なら負ける道理はない。

 

 

「な……」

 

 

 唖然とする女将に一歩で近づき、地面に叩きつけて拘束する。

 完璧な関節の極め方だ、ただの女性に解けるはずがない。痛みに苦悶の表情を上げる女将が叫ぶ。

 

「くッ、折川旅館は私の大切な場所……渦島製薬には絶対に渡しません!!」

「すみませんが俺、渦島製薬と関係ないです。娘さんの事は事故です、ごめんなさい」

「え?」

 

 

 そうしていると、牙殻さんが倉庫の中に入って来た。

 俺が関節を極めたまま状況を説明すると、頷き、女将を結束バンドで拘束。

 

 こうして、折川旅館での殺人事件は幕を閉じた。

 

 

 

 ……なんか釈然としない終わり方だな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 昨日の嵐は嘘のように晴れ、警察から、ヘリがこちらに着くまで一時間程だという連絡が来た。

 

 ちなみに昨日、雲一つなかったのに突然嵐が来たのは、どうやらマオのせいらしい。

 感情の高ぶりで周囲の天気を引っ搔き回してしまう事が稀にあるのだとか。

 

 気持ち一つで天気を操れるような化け物にダークナイトは本当に何をしたんだ。

 そういう疑問を胸に抱きながら、ヘリが来るまでの一時間の間、どうやって時間を潰そうかと考えていると。

 

 

「風呂入ってねーじゃん」

 

 

 そう、この折川旅館の名物である温泉に入っていなかった。

 女将は完璧に拘束しているし、一応操られていたとはいえ、人を刺した真下も拘束しておいた。

 

 

 部屋の中のバッグから着替えを取り出し、温泉に向かう。

 服を脱いで腰にタオルを巻き、脱衣所と温泉を仕切るすりガラスの扉を開けると。

 

 

「おぉ……」

 

 

 朝日の光で黄金色に光る湯の上に、青々とした木の葉が付いた枝が枝垂れている。まるで、意思のない木すらもその温泉に漬かりたがっているようだ。

 シャワーや鏡はそれぞれ3つしかなく、大人数が一気に入ることは出来ない。しかし、人工物が余りないからこそ、この自然と温泉のまじりあった美しい風景が保たれているのだろう。

 

 夜桜さんがこの旅館の温泉をおすすめした理由が分かる。

 本当に殺人事件とかに巻き込まれずに、この温泉に入りたかった。

 

 

 体を洗っていると、カラカラと脱衣所の扉を開く音が聞こえた。

 

「……ん。ああ、入ってたのか」

 

 牙殻さんだった。同じく温泉に入りに来たようだ。

 俺と一つ開けたシャワーの前に座り、同じく体を洗い始める。

 

 

 そして2人同時に、黄金色の温泉の中に体を落とした。

 昨日の疲れをほぐすように、微かな湯の流れを体全体で感じていると、彼が話しかけてきた。

 

「昨日は悪かったな。拘束してしまって」

「あ……いえ、大丈夫です。あんな状況でしたから」

 

 まあ、俺だってあんな場面を見たら拘束してただろう。明らかに怪しかったし。

 

 

 

 そうすると、牙殻さんは俺の顔をじっと見たまま。

 

「君、人格持ちだな?」

 

 そう言ってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ミステリ物書ける人は凄いと思いました。
ネタをこねくり回してもどうも上手く行かなかったので、かなり駆け足です。ご容赦ください。


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#18 デス・鬼ごっこ

 

 

 

 

「君、人格持ちだな?」

「違います」

 

 一瞬で否定し返した。

 だが内心はバクバクだ。警察に人格持ちだという事がバレるなんて冗談じゃない。

 

 しかし、俺が否定するのを見越していたのか、彼は右手を振りながら言った。

 

「気にしなくていい。君の年齢だと、強制的に浮遊人格統合技術を受けさせられたんだろう。国の管理下から離れていても、犯罪さえ起こさなければ俺は気にしないさ」

 

 どうやら、俺が国の管理していない人格持ちでも気にしないらしい。

 いや、俺の場合は殺人鬼がいっぱい中に居るからバレるとヤバいんです。

 

「それに……人格持ちなら分かるだろう? 俺の人格を飛ばしていてな、倉庫で一人で喋る君の姿を見てたんだ。まぁ、その後すぐに戻したせいで、あの真下の凶行に気付けなかったんだけどな」

「ッ……」

 

 

 人格の偵察か。

 クソ、相手にやられるとこんなにも厄介なのか……。

 

 多分見られたのはガスマスクと喋っている所だろう。そんな場面を見られたのなら、致し方ない。

 

 

「……はい。軍人が一人、中に」

 

 

 ダメージを少しでも減らす作戦だ。

 幸い見られたのはガスマスクと話している所、こう答えていれば問題ないだろう。

 

 牙殻さんが「ほぉ」と感心したように言う。

 

「軍人か。魔法とか使うタイプか?」

「いえ、銃とかそんな感じの」

「なるほど、こっちとそんなに変わらない世界か」

 

 ……なぜ軍人と聞いて、魔法が真っ先に出てくる。

 俺はダークナイトなんかのガチファンタジー世界から来てる奴を知ってるから、異世界に魔法があるっていう事は知っている。だが普通の人は魔法なんて知らないし思いつかない。

 

 もしかしてこの人、かなり浮遊人格統合技術について詳しいんじゃないか?

 

 

「……牙殻さんの人格は、魔法とか使えるんですか?」

「いや。俺のは魔法とかはないけど、ファンタジーっぽい世界から来た奴でな。獣人って奴らしい、分かる?」

「分かります」

 

 獣人っていうと、アレか。体から毛が生えてたり、獣耳が生えてたりする奴。

 アニメとかだと人間に近い姿で、可愛かったりするけど……。

 

「所々ふさふさで胸筋ムキムキの、無口な奴だよ。言う事聞いてくれるのは嬉しいけどな」

 

 異世界の現実の獣人って言ったら、まあそんな物か。

 

 

「そうそう、魔法と言ったらな。今回、女将もそういう、異世界絡みの技術を使って犯行に及んだそうだ。つまり人格絡みの事件ってことだ」

「…………」

 

 キュウビもそんな感じの事を言っていた。

 誰かが教えただろう禁術を女将は使っていたと。この世界に人を洗脳する禁術なんか存在しないはずだ、可能性が高いとすればそれは、異世界から来た人間が伝えた物だろう。

 

「そうなると、これは俺の管轄の事件になる」

「……管轄? 人格絡みの?」

「ああ。俺は警察所属の『()()()()()()()()』って所で働いててな。特に隠してる訳でもないがそう有名でもないからな、知らないだろ?」

 

 人格絡みの事件を管轄する、人格犯罪対処部隊……。

 ……まさに、俺が一番関わっちゃいけない人じゃないか。殺人鬼の人格持ちなんて、絶対この人の担当だろ。

 

 

「しかし、そうだな。君は今学生だろ? しかもGW……遊ぶべき時期だ。

 ヘリが来て谷の向こうに渡ったら、そのまま帰るといい。俺の管轄の事件だ、この会話を事情聴取代わりにして、君への捜査を終わりとする」

 

「え? だ……大丈夫なんですか?」

 

「文句は言わせない。人格絡みの事件が増えつつあるのに、人員は増やさない上の奴が悪いんだ。これくらいの我儘は通してみせるさ」

 

 ……何だ。

 初対面の時は結構粗暴に見えたけど、実際話してみると、結構良い人なのかもしれないな。

 

 

「それともう一つ。その軍人にもお礼代わりとして……良い技を教えてやろう。

 浮遊人格統合技術で宿った人格には食欲がない。だからと言って、美味い物を食べて嬉しくない事はないんだ」

 

 そう言って、温泉の上をぷかぷかと泳いでいた木の葉をこちらに渡してくる。

 それを受け取り……首を傾げた。

 

「これで何を? まさか……葉っぱを食べさせるんですか?」

「違う。その葉っぱの周りに、もう一つ半透明の葉っぱが重なっていて、そのまま重力に従って落ちるイメージをするんだ」

 

 ……意味が分からないが、とにかくやってみよう。

 言われた通り、葉っぱにもう一枚葉っぱが重なっている様子を想像して、するりと落ちるイメージをする。

 

 すると。

 

「……!」

 

 殺人鬼達と同じ半透明の葉っぱが、温泉の上にふわりと落ちた。

 そのまま波の流れに従って、湯の上を泳いでいく。

 

 葉っぱの流れを顔で追っていると、牙殻さんが驚いたような表情で言う。

 

「……一発か、凄いな。

 その技は手に触れた物を、人格達にも触れるようにコピーする技だ。当然味のある食べ物も大丈夫。それに一応言っておくと……この世界の食べ物は()()()らしいぞ」

 

 そう言って、彼は立ち上がった。

 温泉から上がるようだ。

 

「じゃあな、犯罪は起こさないようにしろよ? もしやったら……取っ捕まえに行くからな」

 

 

 そのまま彼は脱衣所に入った。

 人格犯罪対処部隊……なんて物騒な部隊だ。しかも俺の知らない技をポンと出してきた。浮遊人格統合技術についての造詣が俺よりも圧倒的に深い。

 

 二度と会わない事を祈ろう。

 もし次に会う事があったら、その時は……きっと碌な事にはならない。

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 温泉を上がって直ぐに警察のヘリが来て、無事に谷の向こう側に渡った。

 拘束されていた女将と真下は警察に連行されていった。異世界絡みのおかしな技術を使っての犯行だったが、人格犯罪対処部隊の牙殻さんがいたことで、逮捕までの流れは比較的スムーズに行われた。

 

 そして彼の言葉通り、俺は碌な手続きも事情聴取もなく、その場での解放が許された。

 

 その時にチラリと、マオこと折川結城の姿が見えた。

 ……母親である女将が逮捕されたせいで、彼女の人生は辛くなるだろう。

 

 だが……ただの高校生である俺には、どうしようもない。女将の仕業で人が一人死んだのは本当なのだから。それにマオとは機会があれば、またいつか会うだろう。その時まで2人共々無事であることを祈ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――それじゃあ、帰るか」

 

 

 大変なGWだった。

 ただの旅館への温泉旅行だったのに、殺人事件に巻き込まれるなんて……最近、なんか運が悪いな。お祓いに行った方が良いかもしれない。

 

 

 山を降り、麓の駐車場に停めてあったバイクに跨る。

 この温泉街に来た時と同じ、マッドパンクとガスマスクと俺の三人乗りだ。

 

『怪我無く終わって幸いだったな』

「まぁ、それはそうだけど……」

『僕なら別に怪我したって治せるよ? ネジとかあれば』

 

 マッドパンク、お前は一体どんな治療をする気なんだ。

 

 ……でもまあ確かに、今回はダークナイトとの遊びとか星野の件に比べれば、まだマシだったかな。

 

 何せ、殺人鬼に体の主導権を渡すほど危険な状況がなかった。

 死体を見たのにはびっくりしたけど……案外、身構えてれば何とかなるもんだって事も分かったし。別にもう一度見たいとかは思わないけど。

 

 

「今から出たら昼頃には家に帰れるか……」

 

 

 ハンドルを捻り、エンジンを吹かす。

 そういえば、夜桜さんの所にも顔を出したいな。殺人事件の事で心配させてしまってるかもしれないし。

 

 ……いやでも、全く心配されてなかったらどうしよう。『生きてたの?』なんて言われたらショックでぶっ倒れる自信がある。

 

 

「…………」

 

 

 止めとこう。学校でもまた会えるし、その時に顔を合わせればいい。

 決してビビッて会いに行かないとかそういう訳じゃない、違うったら違う。

 

 そんな俺の顔を見て、マッドパンクが呆れた様子で言う。

 

『チャレンジしないと何にもならないぞ~』

「うるさいッ」

 

 お前は新しい発電施設にチャレンジして、島一つ分の生き物溶かしたただろうが。お前は全く気にしていないが、本気で取り返しのつかない失敗がこの世にはあるんだ。

 

 

 

 バイクを発進させ、温泉街を抜け、高速道路に入る。

 このまま数時間ほど走らせれば、無事に家に到着だ。しかし旅館では朝食を取っていないし、何処かのサービスエリアに寄って小腹を満たしたい気分でもある。

 

 

 

 そんな事を考えながらバイクを走らせ続け―――約1時間。

 

 

 

 現在の時間は朝の8時。そろそろ最寄りのサービスエリアで食事を取ろうかと考えていた時だった。

 ガスマスクが後ろを振り返り、呟いた。

 

『……怪しい奴らが近づいて来ているな』

「え?」

 

 ミラー越しに、背後を見る。

 確かに、黒い車が1台、フルフェイスのヘルメットを被ったゴツいバイクが3台、後ろから迫ってきていた。

 

「そんなに怪しい?」

『ああ。あのバイクと車が現れた瞬間、他の車が姿を消した所がきな臭い』

「…………」

 

 確かに、さっきから他の車を見かけていない気がする。

 けど、偶然って可能性も……。

 

『そんなに考え込むくらいなら、盗聴してみればいいじゃん』

「え?」

『そこら辺の無線機の声を拾う位なら簡単に出来るよ。左腕貸して』

 

 

 言われた通り、マッドパンクに左腕の主導権を渡す。

 そして彼がスマホの画面をトットッとタップした瞬間、ザザッと無線機のノイズのような音がスマホから響いた。いつの間にこんな物を仕込んでいたんだ。

 

 問い詰める間もなく、スマホから男の声が聞こえ始める。

 

 

『――アレがターゲットか?』

 

『ああ。……ったく、ただのガキに、なんでこんなに頭数揃えてんだ』

 

『本社がそれだけ、あの土地の事を他の企業に知られたくないって事だ。警察の上層部は買収済み、後は関わった人間を全員消せば終わり。事件は闇に葬られる』

 

 

 

 ――左腕の主導権を返してもらい、スマホを懐に戻す。

 

 

 …………マジか。

 マジじゃないか。本気で命を狙ってきてる感じの奴らじゃないか。こんな朝っぱらから。

 

 感じていた空腹など何処かへ吹っ飛び、嫌な汗が背中を伝い始める。

 しかも、あのバイクの端に付けている細長い物……ミリタリーには詳しくないが、多分銃だ。あんなので撃たれたら、本気で死んでしまう。

 

 

 

 ――――ブゥゥゥゥゥゥゥウウウウウン!!!

 

 

 

 ハンドルを全開で捻り、フルスピードを出しながら叫ぶ。

 

「ガスマスク、何とか出来ないか!?」

『……武器が欲しい。銃があれば言う事ないが、それに近い物でも良い』

 

 そう言ってチラリとマッドパンクの方を見る。

 彼は肩をすくめつつ、静かに頭を横に振った。

 

『作れないことはないけど、高速道路なんて何もない所じゃ無理。何か材料が欲しい』

「クソ……! 分かった、今すぐ市街地に降りる!!」

 

 標識を見て、最寄りの出口を探す。

 

 今すぐにでもガスマスクに体を変わりたいが、人格変更時の一瞬の硬直がネックになる。

 現在のバイクの速度は時速120キロ、1秒程度の硬直とはいえ、ハンドルをあらぬ方向に切って大事故を引き起こす可能性があるのだ。

 

 

 この高速道路を抜けるまでは、俺がバイクを操作するしかない。

 恐らく荒事のプロであろう数人を相手に、命がけの鬼ごっこが始まった。

 

 



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#19 任務でGO

 

 

 

 バイクのハンドルを思い切り捻る。

 だが絶対的な速度を左右するエンジンは向こうの方が圧倒的に格上、このまま走っていても追いつかれるのは目に見えていた。

 

 

 チラリと、視界の端に映った標識を見る。

 

(1番近いインターまで3キロ……!)

 

 普段ならちょっとの距離と考えるが、こんな状況では絶望的な程遠くに感じる。

 俺には余りに荷が重すぎる状況だ。

 

『俊介、安心しろ。銃弾の大きさなんてたかが知れている、動き回っていればそうそう当たらん』

 

 そういうもんなのか……!?

 ミラー越しに、背後の男がバイクの端に固定してあった細長い小銃を手に取ったのが見えた。そして狙いをこちらに定め、引き金に指を掛けて。

 

 

 ――――バババババババババババッ!!

 

 

 聞きなれない生の銃声。それが自身に向けて放たれた物だと思うと背筋が凍る。

 一気にハンドルを右へ左へと傾け、蛇行運転で銃弾を避けた。

 

 パリン!と右のミラーが割れる。

 割れたミラーの欠片が弾け、頬の肉を裂き、鮮血が空を走る。頬がカァッと熱くなるが、アドレナリンのおかげか痛みは感じない。

 

 そんな俺の頬の傷を、マッドパンクが光の消えたどす黒い眼で見た。

 

『……ガスマスク』

『分かっている。だが今はどうにもできない』

『これ以上は……』

 

 

 マッドパンクとガスマスクの纏う雰囲気が一段とおどろおどろしくなり始めた。

 怖いから俺の前と後ろで喧嘩しないでくれ!

 

 左のミラー越しに、銃を持った男の乗るバイクが近づいてくるのが見える。

 さっきはギリギリ避けられたが、これ以上近寄られると流石に無理だ。

 

 

 再度見える標識。

 最寄りのインターまでは残り1.5キロ。近づいてはいるがまだ遠い。

 

「ガスマスク、こういう状況の時は……どっ、どうすればいいんだ!?」

『スピードを落としてぶん殴る』

 

 出来るかアホ!

 バイクを運転する技術だって並、体の強さも並の俺に出来る芸当じゃない。

 

 そう悩んでいる間にも、相手は確実に当たる距離まで着々と近づいて来ている。

 …………。

 

 

「左腕だ、ガスマスク」

 

 やるしかない。

 右手でブレーキを一気に握り込み、120キロから60キロまで瞬時に減速する。 

 

 咄嗟の行動だったが相手も猛者だ。一瞬で銃を構え、乱射してくる。

 ここまで来たらもうヤケだ。頭を下げて更に減速して、相手のバイクの右側に着く。

 

 

「なッ―――」

 

 相手の焦る声。それを意に介すことなく、ガスマスクの操る左腕が動いた。

 左手で小銃の筒先を掴み上げ、空に向かって発砲させる。弾が切れた瞬間、銃を絡めとるように奪い、銃床で相手の顎を殴り飛ばした。

 

 意識が混濁したのか、バイクのハンドルから手を離す男。

 すかさず再度体を殴りつけ、相手の体を後方へ吹っ飛ばした。彼は地面と平行になるように宙を飛び、背後を走っていた黒い車のフロントガラスにぶち当たる。

 

 視界を防がれキャリキャリと減速していく車。

 そんな後方の様子を見ながら叫ぶ。

 

「おいアレ死んでないか!?」

『わざわざフロントガラスに吹っ飛ばしたんだ、全身の骨にヒビが入るくらいで済む』

「本当かよ……!!」

 

 

 ガスマスクが弾切れの銃を捨てた左手で、主のいなくなったバイクのハンドルを掴む。

 相手も今の応酬で俺が只物じゃないと分かったのか、一斉に銃を構え出し始めた。

 

 焦る俺を気にせず、静かにガスマスクが言う。

 

『一気に加速する』

「は!?」

 

 主の居ないバイクのスピードを一気に加速させる。

 それと同時に、減速していた俺のバイクのスピードもそれにつられる様にみるみる上昇していく。相手方の格上エンジンを利用した訳だ。

 

 だが。

 

 

「うおおおおおおおっ!!?」

 

 

 他人のバイクで加速なんて、当然、滅茶苦茶危険だ。

 右手で俺の乗るバイクを必死にコントロールするが、今にもこけそうなほど車体が揺れる。

 

 火事場の馬鹿力でハンドルを車体を保ち続け、10秒ほどで俺のバイクが120キロに到達。

 その瞬間、加速に使っていたバイクのハンドルを離す。

 

 

 スピードに耐えられずにこけ、ガシャンガシャンと音を立てながら吹っ飛んでいくバイク。

 それは銃を構えていた他のバイクの主を巻き込み、もろとも吹っ飛ばして行った。

 

「おいやっぱアレ死んでないか!?」

『9……8割くらいの確率で死んでいない』

「ちょ……おい!! 駄目だろそれ!!」

 

 

 

 

 ようやくインターに到達し、減速することなく脇道に逸れる。

 料金所のバーを吹っ飛ばしつつ、高速を降りた先の道を全速力で走って行った。

 

 温泉街のような場所とは違い、全くもって人の居ない場所だ。なぜ高速の出口が設置されているのかも分からないほど寂れている。

 人が住んでいるのかも怪しいほどボロい民家が木々の間に並んでいるだけだ。

 

 

「ここら辺来た事ないから全然分かんねえ!! マッドパンク、何処に行けば銃が作れそうだ!?」

『……あそこの廃ホテルに入って!』

 

 

 右手に見えたのは、心霊スポットと言われても疑わないほど廃れているホテルだった。

 ホテルというにはカラフル過ぎる色で、こんな人気のない場所で……。

 

 あっ、あれラブホテルじゃないか……!

 

 

『俊介、もっとスピード上げないと!』

「わ、分かってるよ!!」

 

 

 ホテルの入り口のガラスをぶち破り、そのままバイクから飛び降りる。

 コンクリートの壁にぶつかったバイクから嫌な音が聞こえたが、俺の財布から万札が何枚か消えるだけだ、大したことない……。

 

 

 廃ホテルの中にあった階段を一気に駆け上がる。

 それと同時に、俺を追いかけていた奴らが廃ホテルの中に侵入してきた音が聞こえた。

 

 

「探せ!!」

 

 

 そんな声を耳に挟みつつ、俺はホテルの階段を更に上る。

 このホテルにはいくつか建材が残っている。建物自体は出来上がっているので恐らく、改修工事か何かをしている最中に、資金難でそのまま放棄されたのだろう。

 

 駆け上る俺とガスマスク、その背後をひーこら言いながら付いてくるマッドパンク。

 4階まで上り、近くの部屋に入り扉を閉める。

 

 

『ぜぇっ……ぜぇっ……運動は苦手なんだって……』

 

 マッドパンクが息を切らしながら扉をすり抜けて来た。半透明の幽霊みたいなのに動くと疲れるのか……。

 

「この辺りので作れるか?」

『えーっと……あ、いいのがあるね』

 

 両腕をマッドパンクに渡す。

 すると、窓の傍にあった何かの工具を指さした。それに近づき、身をかがめ、拾い上げる。

 それは俺でも知ってるような、ポピュラーな工具だった。

 

「電動ドライバー……?」

 

 

 建物の中で雨風に晒されていないからか、そこまでボロくはない。

 流石にバッテリーの中身はなさそうだけど。

 

『よし、電気はスマホから奪うかな。最悪爆発しそうだけど。後は撃つ機構と弾と……』

 

 

 爆発……?

 バイクの修理代に加えてスマホまで買い替えるなんて、俺の財布が木っ端みじんになるぞ。

 

 恐ろしい事を呟きながらマッドパンクがカチャカチャと電動ドライバーを弄り回す。

 数分もすると、階下から幾人もの足音が聞こえてくる。もうすぐそこまで来ているのだ。

 

「ま、まだか?」

『ん………出来た』

 

 

 そう言って、目の前に持ち上げられた改造電動ドライバー。

 バッテリーとスマホを充電用のケーブルで無理に繋いだそれには、ブラブラと十何発の釘がぶら下がっている。

 

『射程は多分4メートルちょっとかな。5メートルも届きはするけどそんなに威力ないと思う。それで、トリガーを押したままネジを3秒回転させて、離すと飛ぶ。リロードは一発一発手で先っぽに嵌める。OK?』

 

 

 ……本当にそれは銃と呼んでいいのか?

 余りに貧弱すぎる性能だ。いや、放置されていた電動ドライバーからこれを作れただけ凄いと言うべきか。

 

 俺ならこんな物で小銃を持ってるような奴らと戦おうとは思わない。

 だがガスマスクは、コクリと肯定の意を込めて頷いた。

 

『構わない。充分だ』

 

 その返答を聞き、俺は首元に手を当てようとして、動きを止める。

 

 

「その、一応の確認だけど……殺さないでくれよ?」

『もちろんだ。任務内容は、殺害せずに対象を制圧、拘束……。問題ない』

 

 

 自信たっぷりとはまた違う。

 まるで出来て当然、歩くことに対していちいち喜びもしない……そんな何の感情も籠っていない返答に、なぜか俺は少し安心する。

 そして首元に手を当て、ガスマスクと体を変わった。

 

 

 

 ――――ガクッと体が揺れ、一瞬の硬直。

 

 

 バッと顔を上げ、すぐに、やたらと慣れた手つきで簡易銃をチェックし始めた。

 

 そんな俊介の中身……ガスマスクに、マッドパンクが話しかける。

 

『お前さ、分かってると思うけど』

「ああ。殺しはしない。……ただ相手はプロだ、制圧時に両腕が折れても仕方あるまい」

『なら良いよ』

 

 近くにあったベッドの布を破って顔に巻き、両目の部分にだけ穴を空ける。

 いつもガスマスクをしていたからか、何かで顔を覆い隠していないと上手く調子が出なくなってしまったのだ。

 

 

「……行くか」

 

 

 簡素な銃を肘を引いて構えつつ、部屋の扉を開けた。

 任務の時間だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――ガスマスク。殺害人数は、とても数えきれない。

 

 

 国家間が生物兵器を撃ち合う戦争を行い、崩壊してしまった世界。

 

 一息で内臓が溶ける細菌、自然環境を崩壊させるプランクトンなど、様々な生物兵器が用いられたが、その中で一番猛威を振るったのは人を媒介に生物を生きた死体に変える……所謂ゾンビウイルスであった。

 

 そんな世界に生を受け、非凡なる戦闘の才能を発揮。

 ゾンビウイルス撲滅を目標に掲げる組織に入り、組織の特殊部隊のリーダーとして、数多の高難度任務を成し遂げた。

 

 そして部隊所属から8年後、遂にゾンビウイルスの開発を行った極秘研究所の情報を入手。

 特殊な変異を遂げた生物が蔓延る研究所の最奥にて、治療薬の資料と現物を手に入れ、隊員全員と共に生還した。

 

 

 ……しかし、手に入れた治療薬は、ゾンビウイルスを予防する物ではなく。

 ゾンビに変異してしまった者を、元の人間へと治すワクチンだった。

 

 

 治療薬が世界の主要シェルターへ広まると共に、数多の任務で多くの感染者を殺害したと広く名の知れていた特殊部隊員は全員拘束。罪状は大量の『殺人』であった。

 

 ただ、彼らが殺したのは人ではなく危険な感染者だ。

 治療薬で感染者が人に治り始めた興奮と混乱で一時的に拘束されているだけ、ただの休暇として安全な牢屋の中で過ごすだけと説明された。

 

 

 そして個別に収監された牢屋の中で半年ほど過ごし、釈放の目途が立ったと知らされる。

 他の隊員の姿が見当たらないのを不審に思いつつ、案内されたのは、怪しげな暗い部屋。

 

 部屋の中にはむせ返るような血の匂いが充満しており、足を止めた瞬間、後頭部を硬い物で殴り飛ばされた。

 両手は背後で手錠に繋がれており、顔から地面に倒れる。

 

 

 そこで聞かされた、他の隊員の末路。

 治療薬が広がるにつれ主要シェルターの人々が、感染者となり殺された大切な人を助けたかった事や、シェルター内の人口問題や身分格差から来る食料問題などへの怒りを爆発させ、大きな暴動を始める。

 

 頭を悩ませた各シェルターの首脳陣は、感染者殺しとして名の知れていた特殊部隊員に怒りの矛先を向けさせることを決め、メディアに世論を誘導させた。

 

 そして一人一人が生贄として、牢屋から出されていくと共に、口にするのも憚られるような恥辱と苦痛を受ける姿を世界中に放映されながら死んでいったと言う。

 

 

 それを聞いたガスマスクは、監獄内の人間を全員殺害。

 自身が所属していた組織の研究所に乗り込み、命がけで発見した治療薬……それが効かない様に設計された、新たなゾンビウイルスのサンプルを入手する。

 

 そして、世界中に治療薬散布の目的で発射されるはずだったミサイルを乗っ取り。

 入手した新種のゾンビウイルスを治療薬の代わりに積み込んで、世界中の主要シェルターに向けて発射した。

 

 

 

 ――――20時間後。

 

 

 モニターで、世界が取り返しのつかない状態になるのを眺めながら、拳銃で自身の脳幹を破壊した。

 

 

 死亡した彼の姿を、その世界の誰かが見ることは永遠になかった。

 

 

 

 

 

 







感染者殺害数≠人間殺害数だったのが、=に変わっちゃった件。
どっちにしろウイルスミサイルでいっぱい殺してるけど。


そして申し訳ありませんが、明日は作者の私用で更新が出来ません。


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#20 廃ホテルにて

 

 

 

 部屋の扉を開け、隙間から身を滑り込ませるように外に出て、扉を閉める。

 今いるのは4階、恐らく相手は今4階に上ろうとしてきている所だろう。

 

 ならば相手は階段の上からの攻撃を最も警戒しているはず。その隙を突こう。

 そこら辺に落ちてあったカラビナで銃をベルトループに引っ掛け、廊下にある割れた大窓から飛び降りた。

 

 この廃ホテルの外観は俊介のバイクに乗っていた時によくチェックしていた。

 目論見通り、すぐ下の同じ位置にあった3階の割れた大窓に入る。

 

 

『ロープなしで普通やる?』

 

 

 天井をすり抜けてくるマッドパンク。

 

 空を飛ぶタイプのB兵器相手ならこのくらいは普通にやっていた。他の隊員も出来た。

 壁に肩を這わす寸前を意識しながら移動し、廊下の曲がり角から階段の方を覗き見る。

 

 そこには5人の小銃を持った男達がいた。

 おおむね予想通りの数だ、任務続行に支障はない。

 

 

 奴らとの距離は6メートルほど。

 弾が届かないな……。どう近づくか。

 

 策を考えながら、チャージの為にトリガーを引いたその時。

 ギュイイインとモーターの特徴的な回転音が響き、階段の近くにいた奴らが全員こちらに気付いて近づいてきた。

 

 

「……消音性能にも問題ありだな、この銃は」

 

 

 まぁ、向こうから近づいてくれるならその方が幾分楽か。

 

 3秒経過した瞬間、壁から半身を出し釘を撃つ。

 射程距離内に接近していた一人の足に深く突き刺さり、奴が悶絶するのを横目に体を引っ込めた。

 

 刹那、曲がり角の向こうから銃弾がバババッと放たれ始める。数秒待ってみるが、弾が途切れる気配はない。順番にリロードして撃ち続ける、基本的かつ効果的な連携だ。

 こうも隙間なしに撃たれていると、流石に体を出せないな。

 

 

 

 踵を返して退却しつつ、落ちていた鉄筋を拾う。

 先っぽを壁でガンガンと叩いて曲げ、腰から取ったカラビナを外れないように引っかける。

 

 適当な部屋の中に入り、ベッドのシーツを破り裂いて簡易的なロープを作る。そしてそれをカラビナに括り付けた。

 超簡易的だが……これで杭付きロープの完成だ。

 

 

『手際いいねぇ~』

 

 

 マッドパンクが感心した風に言う。

 現地の道具を使うのは基本だからな。複雑な道具は無理だが、これくらいならすぐに作れるよう鍛えた。

 

 部屋の扉から死角になっている角へ身を隠し、杭をそっと地面に置く。

 

 

「…………」

 

 

 扉が軋む音と共に、ゆっくりと人が部屋に入って来るのを感じる。

 息を限界まで潜めて、相手が部屋のクリアリングをしようと銃先を覗かせた瞬間、それを掴み上げた。

 

 

「! 敵ッ―――」

 

 ごちゃごちゃ叫ばせる前に喉を突き、股間を蹴り上げる。

 プロテクターを入れていたようだが、周辺の肉を巻き込むように蹴れば多少悶絶するくらいのダメージは入る。コツだな。

 

「退け!!」

 

 部屋の中に入って来ていたもう一人が、狭いにも関わらず小銃を撃ち放ってきた。

 金的を決めた男をぶつけ、小銃の狙いをブレさせる。

 

 瞬時にマッドパンク製の銃にぶら下がっていた釘を一本抜き、相手の膝に合わせて思いきり踏みつけた。硬いプロテクターを容易に貫通し、膝の皿を砕き、どす黒い血が溢れ始める。

 

 

『うわ、こりゃあ酷い』

 

 半透明の殺人鬼が感情のない声でそう呟くが、気にしない。

 部屋の外には満足に動ける者があと2人居るはずだ。このまま決めたい所だが……。

 

 未だ悶絶する男の右腕の関節を砕き、腰に納めていた拳銃とナイフを奪う。

 

 

 拳銃のトリガーを扉の外に向けて引くが、鈍い音と共にトリガーが固まってしまった。

 銃の側面を見ると、赤い文字で『生体認証不一致 トリガーロック』と表示されている。

 

 

(初めて見る技術……()()()()()()か。面倒な)

 

 

 現時点で解除するのは不可能だ。

 拳銃を捨てて踵を返し、走りながら置いてあった杭付きロープを回収する。

 

 部屋の外から銃弾の嵐が迫って来るのを感じながら、飛び蹴りで窓を壊しながら外へ飛び出した。このまま地面へ落ちればほぼ死ぬが、決して自殺をしたい訳ではないし、俊介の体を傷つけたい訳でもない。

 

 

 外壁を強く蹴り、隣室の窓に向かって杭をぶん投げる。

 時速百何十キロで投げられたそれは容易く窓を破り、もろくなった床に突き刺さった。

 

 

「……よし」

 

 正直、成功率は9……8割くらいだった。まぁ上手く行ったから気にしなくて良いだろう。

 外壁に両足を付け、ボロ布から作ったロープを登攀し、隣室の中へ入る。

 

 

「おい、外に飛び降りたぞ! ……確認しろ!!」

 

 

 先ほどまで居た部屋からそんな声が聞こえた。

 ナイフの刃先を右の親指と人差し指でつまみ、左手で銃の回転チャージを始める。

 

 窓から上半身を飛び出させ、隣室の男が地上を確認しようと身を出した瞬間、二の腕にナイフを投げつけた。

 

 

 部屋の中に身を戻し、駆け足で隣室へと戻る。

 入ってすぐの場所に居た男は、一番最初に足を撃ち抜いた男だった。他の負傷者の手当てをしていたようだが、顎を蹴ってダウンさせる。

 

 その次に、小銃をこちらに構えた男に回転を終えた釘を撃つ。

 トリガーに掛ける人差し指を第三関節から吹っ飛ばした。痛みに一瞬動きを固めた所を、腕を取って壁に投げ飛ばす。

 

 最後の一人。

 先ほど投げナイフを投げた男には、手に持っているマッドパンク製の銃を丸ごと投げつけた。

 

 

『おい!! 人が作った物で何やってんだお前!!』

 

 

 気にしない気にしない。

 宙に散らばった釘を数本取って指の間に挟み、釘を生やした拳でぶん殴った。プロテクターでも防弾チョッキでも守っていない部分を狙ったので、釘が深々と突き刺さり、黒い血が服をどくどくと染め上げていく。

 釘を抜くと出血が酷くなるので抜きはしない。まあこのままなら失血死することもないだろう。

 

 

 

 緊張を解く。とりあえず、銃を握れそうな者はいなくなった。

 

 しかし意識はまだあるため、念入りに止めを刺すこと数分。

 最初の宣言通り、襲ってきた5人のうち、両腕の骨が無事な者はいなくなった。さっさと気絶していればここまでやる事はなかったのだが。まあ、後遺症は多分……麻痺くらいで済むだろう。

 

 

 

 チラリとスマホの時計を見る。

 

「……大体10分くらい、か」

 

 かなり慎重にやったとはいえ、こんな奴らを制圧するのに10分も掛かるとは。以前なら同じ条件でも8分で行けただろう。

 少し動きが鈍ったようだ。ヘッズハンター辺りに組手を手伝ってもらうか……。

 

 

 

 

 

 そんな事を考えつつ、男達の体を見ていると。

 

「ん」

 

 ふと懐に、武器とはまた異なる、何かおかしなものが入っているのに気が付いた。

 手を伸ばしてまさぐり、それを引っ張り出すと。 

 

 

「……何だこれは?」

 

 俺の世界でも、この世界でも見たことのない、不思議な形状をしたガジェットだった。

 厚さ3センチ程度の黒い円盤であり、中心に銀色の円状のボタンが付いている。

 

 試しにボタンを押してみると、ブゥン……! と低い音を立てながら、緑色のホログラムが浮かび上がった。

 浮かび上がったホログラムにはパスワードの入力画面が表示されており、これ以上は見れそうにない。ただ、この謎のガジェットがとんでもないテクノロジーで作られているという事だけは分かった。

 

 

 マッドパンクの方を見ると、軽く頷いている。一体これが何なのかは分からないが、持ち帰って解析してみてもいいだろう。

 俊介が嫌がるのなら、その場で破壊するが。

 

 立ち上がり、安全な所まで移動して俊介と変わろうかと考えていた、その時。

 

 

 

 

 

「―――強いな、お前」

 

 

 

 

 

 窓のすぐ傍から、男の低い声が聞こえた。

 瞬時に近くの寝転がっている男からナイフを奪い、飛び下がりながら構える。

 

 目の前に居たのは。

 妙な雰囲気を纏う、旅館で出会った、牙殻零次と名乗る男だった。

 

 彼が静かに言う。

 

「日高君……じゃないな。軍人の人格の方か」

「…………」

「そう警戒するなよ。俺や旅館に居た人達も、この黒い奴らに襲われたんだ。向こうの奴らを片付けた後、急いで()()()追いかけて来たんだが……杞憂だったみたいだな」

 

 

 『走って』?

 馬鹿な、あの旅館からここまでは百キロ以上離れている。俊介はサービスエリアには止まらずノンストップでバイクを走らせていたから、ここまでは大体1時間で来たはずだ。

 

 牙殻と名乗る男のズボンの裾が、やけに土で汚れているのが見えた。

 これがもし言葉通り、自分の足で『走った』というのならば……目の前にいる男は、時速100キロ近くで走る化け物という事になる。

 

 

 彼が倒れる男の近くでしゃがんだ後、傷口にそっと触れる。

 

 

「……かなり派手にやったな。しかもこのやり方、殺せなかったんじゃなくてわざと殺してない。元の世界じゃかなり有名だったんじゃないか?」

「答える気はない」

「怖いな。……ふっ、ここまでの人格と会ったのは久しぶりだ」

 

 

 そう言うと、牙殻がくるっと身を翻した。

 

 

「本来ならこの事は報告するところだが……襲撃を予想できず、俊介君を帰らせちまった俺の失態だしな。この惨状は、『俊介君を助けに来た俺が暴れた』って事にしてやるよ」

「自分の失態を隠ぺいするつもりか?」

「そっちにも悪い話じゃないだろ? このまま平穏な生活を保てる。

 お前は多少危険性を感じるレベルの強さだが、こんな奴らに正当防衛やったくらいで俺はガタガタ騒がねえよ」

 

 

 窓の縁に足を掛ける牙殻。

 その状態のまま、そっと静かに、言い放つ。

 

 

 

「それに俺()が本気で暴れたら、こんなホテルの1つや2つ、簡単にぶっ壊しちまうからな。

 お前くらいなら、いつでも捕まえられんのさ」

 

 

 

 

 

 その言葉を残して、彼は窓から飛び降りて姿を消した。

 ガスマスク……日高俊介を捕まえなかったのは、彼の優しさからか、圧倒的な強さから来る自信なのか。

 

 

 それは実際に、いつの日か、互いの強さを競う時まで分からないだろう。

 

 

 しばらく窓を眺めていたガスマスクは、踵を返し、廃ホテルを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 牙殻零次。

 その男は、街の中を歩きながら、とある事について考えていた。

 

 それは……休暇で訪れた旅館で出会った、日高俊介と言う青年の事だった。

 

 

『……はい。軍人が一人、中に』

 

 

 

 軍人が()()

 

 それはまるで、他にも誰かいるが、それを隠しているような……そんな言い方。

 

 

 だが牙殻はそこまで頭が良い方ではない。

 ただ少し、その言い方に引っかかりを覚えた程度だ。他の人格がいる! と確信は出来なかった。

 

 

 だから彼は、ホテルに着いた後、日高の戦いを少しだけ観察していた。

 無論、危険な状況であればいつでも助けに行ける場所でだ。

 

 

 電動ドライバーを改造した銃を用い、中々の手際で多勢の戦闘のプロを捌いていく青年。

 何度も訓練されたであろう滑らかな動きと適切な判断は、確かに軍人のそれに見えた。

 

 

 唯一、あの電動ドライバーを改造した銃。

 アレだけは、軍人が作れるのかと疑問に思ったが……まぁ、オーバーテクノロジーを感じさせる代物ではなかったし、作れない事もないのだろう。

 

 

 結果。

 

 

 日高俊介に他の人格が居る可能性は限りなくゼロ、という結論に牙殻は行きついた。

 あそこで軍人ではなく、変な機械を作る天才だったり妙な魔法を使ったりする人格と体を変えていたなら、話は別だったが。

 

 

 牙殻は手に持ったあつあつのメンチカツをコピーし、隣を歩く自分に宿る人格の手に落とした。

 

「ま、複数人格なんてそうそういないしな。だろ、()()()()()

『うま……うま……』

 

 ほふほふとメンチカツを頬張る、ダンケルクと呼ばれたふさふさの毛を生やすマッチョ獣人の男は、まるで牙殻の話を聞いていない。

 話を全く聞いてくれていない事に少し苛つきながらも、彼と同じように、牙殻はメンチカツを頬張った。

 

 

 

 

 

 

 ――――そして、そう遠くない未来。

 

 牙殻は、『今回の自分の判断が間違っていた』と思い知るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








何気に今までで一番難産でした。


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#21 お客さん、帰れ

 

 

 

 

 GWは終わった。

 体を休めるどころか痛めつけられたくらいの、大変な休日だったのは言うまでもない。

 

 しかし……。

 

 

「日高君、大丈夫だった!? ごめんね私が紹介した旅館なのにあんな事件が起きちゃって……!! ホントに……!!」

「い、いやいや、大丈夫だよ」

 

 

 学校で夜桜さんが俺の手を握り、ぶんぶんと振りながら涙目で謝って来てくれたのだ。

 正直旅館の事件よりその後の襲撃の方がだいぶヤバかったが、夜桜さんの手に触れられただけで心のストレスは全て吹っ飛んだ。

 

 だが、この話題はもう口にしない方が良いだろう。

 夜桜さんも昔からの知り合いがまさか殺人の容疑で逮捕されるなんて、少なからずショックを受けたはずだ。心の傷をわざわざ抉り返す必要はない。

 

 

 

 そして、いつも通りの学校での一日を終え、帰宅する。

 部屋に入るなり中から人格を一人呼び出して、両腕の主導権を譲った。

 

「マッドパンク、あとどのくらいでパスワードは解けそうだ?」

『今日中には終わるかな。ホント、見た事のないテクノロジーだよ……まさに異世界の技術って感じだね』

 

 そう。

 彼が今取り組んでいるのは、襲撃犯たちが持っていたらしい謎の端末の解析だ。

 

 二度と関わり合いになりたくないため、正直捨てたかったが……。

 だがもしこの情報源を捨てて、油断している時に再び襲撃なんてされたらたまったものではない。そもそも、もう一度襲撃してくる気があるのかも知りたい。この先一生周囲に警戒を張り巡らせたままピリピリと過ごすなんて嫌だ。

 

 

 そういう理由もあって、ここ5日の間、マッドパンクに解析を頼んでいたのだった。

 

 

 両腕を渡したまま、することもないのでボーッと彼の作業を見つめること、1時間。

 ピピッ!という軽い音と共に、円盤の機械からいくつものホログラムの画面が表示され始めた。

 

「うおっ!?」

『腕返すよ。パスワードは解除したし、操作は僕が口頭で言うから』

「お、おう……」

 

 そしてマッドパンクの言うままに、ホログラムに指を当てた。

 緑のホログラム……。質量がない光のはずなのに、なぜか触れている感覚がある。凪の水面に皮一枚分だけ触れているような感じだ。

 

『この機械、渦島製薬のサーバーに直接繋がってるみたいだよ。けど、良い構造してる癖に使い方が雑。多分作った奴と使い方を考えた奴は別なんだろうね、僕ならもっと上手く使える』

「例えば何に使えるんだ?」

『そうだな……本物そっくりのホログラムミサイルを他国に撃ってみるとか』

 

 お前の使い方の方がよっぽど危険だよ。

 マッドパンクのヘンテコ具合はいつも通りなので、無視してホログラムを操作する。

 

 

 明らかに社外秘っぽい資料がいくつもある……。開発中の薬剤の最新情報なんて、絶対漏らしちゃダメな奴じゃないのか。

 

『一応言っとくけど、僕は殆ど何もしてないからね。その機械、元々あんな奴らが持ってちゃ駄目なくらいの情報にアクセスできるんだよ』

 

 ……。

 中からガスマスクを呼び出し、尋ねる。

 

「ガスマスク、何でこんな物を持ってたんだと思う?」

『そうだな……。例えお抱えの兵士であっても、その時の雇い主の事情で突然裏切られる事がある。余計な事を知りすぎたとか、金にがっつきすぎたとか、単純に邪魔になったとかな。

 その万一の裏切りへの対策として、雇い主の弱点を隠し持っていたんじゃないか、と思う』

 

 

 ふーん……。

 確かにアクション映画とかでも、主人公の雇い主が裏切ったって所から始まるストーリーは結構あるしな。映画と現実を同一視する気はないが、似たような事は起こってもおかしくないのだろう。

 

 

 再びホログラムを操作し始める。

 だが、表示されている大体の資料は専門用語だらけで、とてもではないが俺に理解できる代物ではなかった。

 

 ただ見た感じ、襲撃計画とかそれに関係するような物はどこにも見当たらな……。

 

 

 

「……何だこれ?」

 

 ふと目に留まる、一つの資料データ。

 そのデータには……『渦島製薬 榊浦 豊 共同研究』と、簡素な言葉が名付けられていた。

 

 榊浦 (とよ)

 浮遊人格統合技術を作り出した、榊浦親子の父親の方の名前だ。

 

 彼は身長180センチくらいの、ピンと背筋を張った渋みのある顔立ちの男性である。

 白髪交じりの髪を短くまとめたその姿は、ハリウッド俳優にも負けない程のイケメンだ。事実、最高のイケおじとか何とか言われていて、かなりモテるらしい。……50歳は過ぎているだろうに。

 

 

 

 その資料を開き、内容を詳しく見る。

 他の物と同じように専門用語だらけだが、何とか読み解いて分かったのは。

 

 

「浮遊人格統合技術の、()()()()……?」

 

 

 ただの男子高校生の俺が、踏み込んではいけない領域。

 そんな場所に今、足を踏み入れかけているような気がした。

 

 しかし好奇心に勝てないのも事実。

 ホログラムを操る指を抑えられず、文章の先を読み進める。

 

 ……が、気合を入れて読み進めた所で、全く理解はできない。

 先ほど必死こいて読み解いた所よりもさらに難解度が上がっており、俺の頭脳ではもはや太刀打ち不可能であった。

 

 

「マッドパンク、これ……意味分かるか?」

『専門外はNOセンキュー。『人類の進化』がどうだこうだと書いてるのは分かるけど。でも多分、そんなに重要な情報は書かれてないと思うよ』

「何でそんなの分かるんだ」

『大事な情報は自分の研究所にしまっておくでしょ。共同研究とはいえ、このレベルの研究の秘密を他社のサーバーに不用意に置いておかないと思うし』

 

 

 ……浮遊人格統合技術を作った榊浦親子が行う研究は、国が大々的に予算を投じている。言ってしまえば、国が面倒を見ている研究なのだ。

 

 大企業の渦島製薬のサーバーとはいえ、国が面倒を見る研究の大事な秘密情報を置いておく訳がない……のかもしれない。

 俺は研究者じゃないからそこんとこはよく分からん。マッドパンクの言葉を信じよう。

 

 

 

 黒い円盤の銀のスイッチを押して、ホログラムを消す。

 ぐ~っと伸びをして、大きくあくびをしながら、ベッドの上に倒れ込んだ。

 

「結局、もう一度あいつらが襲撃してくる可能性は低いって事でいいのかな」

『一ヵ月は様子を見る。それで何もして来る気配がないなら、警戒を解いてもいいだろう』

 

 

 ガスマスクの言葉に、やっぱりそれくらいの間は警戒してなきゃいけないかと、少しの面倒くささを込めた息を吐いた。

 

 ……それにしても、まさかここで榊浦の名前が出てくるとは思わなかった。

 しかも『最終段階』とか『人類の()()』とかって……まさか、榊浦親子がまだ内容を明かしてない、新しい研究の内容って奴じゃないのか。

 

 

 こわ……。

 最近変な事に巻き込まれてばっかりなんだ、妙な事からは離れてゆったり過ごしたい……。

 

 

 と、そんなことを考えていた、その時。

 

 

 

 

 

 ―――ピンポーン!

 

 

 

 

 

 突然、軽いインターホンの音が一回、家の中に響いた。

 両親が仕事でまだ帰ってきていないため、俺が出るしかないのだが……今日、何か荷物届いたりするって言ってたっけ?

 

 ガスマスクとマッドパンクに中に戻ってもらい、トントンと階段を降りて、玄関に向かう。

 そして覗き窓から外を見ることもせず、ガチャリと扉を開けた。

 

 

 この時、面倒くさがらずに一度外を見ていれば、絶対に居留守を使ったのに。

 

 

 

「こんにちは」

「は?」

 

 

 

 異性どころか同性すらも魅了する、ハスキー気味の声。

 172センチの俺と同じくらいの身長だが、若干猫背気味なせいか、こちらを見上げている三白眼の双眸。目の下にあるクマが少し目立っていた。

 その人物が、手にぶら下げているレジ袋を上げ、俺に見せる。

 

 

「や、男子高校生が好きな物ってよく分かんないからさ。駅で売ってる冷凍餃子を持ってきたんだけど、これでいいかな」

「…………は?」

「じゃ、失礼して」

 

 

 至極当然のように家の中へ入ろうとするその人物の肩を掴み、押し返す。

 いや、は、何してんの?

 

 

 押された肩を空いた手で払い、彼女が眉間にしわを寄せた。

 

「痛いな、何するの」

「こっちの台詞だッ………ですよ。一体何しに来たんですか、()()()()

 

 

 俺の目の前にいるのは。

 つい最近俺の学校に赴任してきた、『()()()()』その人なのだ。

 

 

 彼女が美しい顔で、ニコリと笑い。

 

「……中で話そっか」

 

 人を惑わせる怪しげな雰囲気を纏いながら、静かにそう言ってきた。

 俺は……。

 

 

「帰って下さい」

 

 

 そう言って、玄関の扉を閉めた。

 すぐに鍵を掛け、チェーンロックも掛ける。これで完璧だ。

 

 ふーっと息を吐きながら部屋に戻ろうとすると、ドンドンと玄関を叩く音と共に、彼女の声が聞こえてくる。

 

「なっ、ちょっとまっ、わざわざ餃子まで買って持って来たのにそれはないんじゃないかな!」

 

 知らねえ。

 というか普通、初めて訪ねる家に餃子を手土産にするのはないだろ。いくら男子高校生の大半が、俺も含めて餃子が好きだと言ってもだ。

 

「歩いて行ってきたのに! 運動苦手だけど歩いて行ってきたのに!」

 

 そんな簡単に出歩いちゃ駄目な人間だろアンタ。

 階段を上って部屋に戻っても、ドンドンと扉を叩き続け、ピンポンを鳴らし続け、挙句の果てにはすすり泣く声まで聞こえてきた。

 

 

 近所の人にもし通報でもされたら、更に話がこじれそうだ。

 榊浦美優が家の前で泣いてたなんて、絶対警察に変な目で見られる。俺は何にも悪いことしてないのに。

 

 

 両親が帰ってくるまで、まだ時間はある。

 仕方なく玄関の扉を開け、榊浦美優をリビングへと招き入れた。

 

 

 ちなみに、すすり泣く声は演技だったようで、リビングに入るなりけろっとした顔で紅茶を要求してきた。

 

 

 クッソ腹立つ。

 

 

 

 

 

 



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#22 浮遊人格統合技術

 

 

 

 

 

「パック紅茶だね」

 

 戸棚の奥にあったリプトンのパックを使った紅茶を渡すと、真っ先にそう言われた。

 いや事実だけど、なんかムカっと来るな。

 

 茶菓子はなかったので出さない。あっても出さない。

 俺は榊浦先生の向かい側の椅子に座り、膝の上で手を組む。

 

「……それで本当に、何の用ですか」

「ん?」

 

 彼女はいつもの白衣姿ではなく、パツパツのジーパンと白のTシャツに黒いアウターを羽織るという姿をしている。

 この間、デパートでこんな感じの服の組み合わせを見たな。マネキンに飾られてた、5月にピッタリなコーディネーションって奴。

 

 

 ……とりあえず見た目の話は置いておいて。

 彼女が一体何をしに俺の家に来たのか、そっちの方が問題だ。

 

 場合によっては、簡単に帰すわけにはいかなくなる。

 

 

 動揺と緊張を顔に出さないように手に爪を食い込ませていると、彼女が紅茶の入ったカップを置いてあっけらかんと言った。

 

「そうだな……じゃあまず、最近の悩み事は?」

「はい?」

「悩み事。ある?」

 

 なやみごと……?

 

「特にはないです」

「精神衰弱……気分が落ち込んだ事による体調の不調とかはない?」

「それも特に……」

「ふーん」

 

 

 何の話?

 質問の意図が分からずに首を傾げていると、彼女が目を閉じて言った。

 

 

「君さぁ、GW中に殺人事件に巻き込まれたよね。警察から学校に連絡が来てさ、事件のショックで心身に大きな影響がないか確認に来たんだよ。校内で人間の精神に一番詳しいのは私だしね」

 

 

 ……。

 つまりは、アレだ。彼女はカウンセラー的な役割で俺の家に来たって事か。

 

 よくよく考えれば、確かに納得がいく。

 殺人事件に巻き込まれるとか、普通はショックだもんな。普段から殺人鬼と関わってたり、その後の襲撃だったりのせいで、あんまり落ち込んでない俺がちょっと変わってるだけで。

 

 

 彼女がカップを再び持ち上げ、残った紅茶をくいっと飲み干してから、静かに話す。

 

「けど驚いたね。私、研究柄、人の気持ちを見抜く目はある方だけど……君は本当にビビってない。10歳の頃に浮遊人格統合技術……あの注射は受けたよね? 中に誰かいたりしないの?」

「いませんよ」

「ふーん……。それはなんとも、残念で悲しい事だね」

 

 

 ……『()()()()()()()』だって?

 

 

 浮遊人格統合技術は世の中に様々な恩恵をもたらしてる。

 科学の発展が著しく進んでるのも、この技術のおかげだ。

 

 だがそれと同時に、異世界から来た人格は厄介な問題をいくつも引き起こしているのも事実。

 

 星野のように宿主の体を乗っ取ったり、旅館の女将が使ったような異世界の危険な技術を他人に教えたりなど。

 

 夜桜さんが誘拐されたのも、人格のせいではないが、浮遊人格統合技術の弊害であることは間違いない。そもそも、10歳の子供に異世界の人格を宿らせるような技術を無理やり施すことが少しおかしいんだ。

 

 

 俺は、空のカップを指で弄んでいる彼女に、鋭い視線を向ける。 

 

「榊浦先生。1つ、質問してもいいですか」

「ん? ああいいよ、何か分からない教科でも――――」

 

 

 その言葉を遮るように、力強い声で言い放った。

 

 

 

「―――『()()()()()()()()」って、一体何なんですか」

 

 

 

 

 俺の言い放った言葉を聞いた彼女は、妖しい笑みを浮かべ、空のカップを置く。

 

 勢いで言ってしまったが、かなり迂闊な発言だったかもしれない。

 だけど……こんな技術を作った片割れの一人に、一度、話を聞いてみたかったんだ。ここは俺の家、学校や何処かの店よりよっぽど安全だ、聞くタイミングはここしかない。

 

 

 彼女が面白さをこらえきれないと言った表情で言う。

 

「ふふ……。あの学校に赴任して、そんな事を聞いて来たのは君が2人目だよ」

「1人目は、一体誰なんですか」

「夜桜っていう可愛らしい女の子さ。優秀な人格を中に入れてる子だね」

 

 

 ――一体何故、夜桜さんがそんな事を。

 そう考えるが、すぐに思考を振り払い、榊浦先生の言葉に意識を集中させる。

 

 

 

「しかし……浮遊人格統合技術が何か、ね。ふわっとした質問で少し答えづらいな。もっと具体的に言ってくれないかな」

「……じゃあ、どうしてあんな技術を作ったんですか?」

「うん。それなら答えやすいかな」

 

 先生が背もたれに更に体重をかけ、腕を組む。

 

 

「―――正直な話、浮遊人格統合技術は偶然の産物なんだ」

「偶然の産物?」

「そう。……私のお父さんは元々、解離性同一性障害っていう神経症について研究していたんだよね。どういう奴か知ってる?」

「……概要くらいは」

 

 確か、色々な人格が心の中にあるっていう奴だ。

 俺の状況と似てるけど、ちょっと違う。彼女が言った方は、もっと人格が混じり合っている奴だ。

 

 

「話が早くて助かるよ。

 …………従来、解離性同一性障害の治療には長い時間が必要だった。別に無駄な時間とかって言う訳じゃあないけど、患者の人生の時間の多くを病院通いに消費させてしまうのは事実。お父さんはそれを解決する方法を研究していて、編み出した」

 

「解決……?」

「簡単に言うと、主人格と別人格を完全に剥離させるのさ。1枚の紙を、ハサミで2枚に切るみたいに。そうすれば時間は掛からない」

 

 

 人間の精神をそんな、粘土みたいに弄る研究をしていたのか。というかそれは本当に解決と言っていいのか?

 ……けど人格の剥離なんて、異世界の人格を宿らせる浮遊人格統合技術と丸きり逆じゃないか。

 

「でも、この人格の剥離にはものすごーく大きな問題があったんだねぇ」

「どんな問題ですか?」

「主人格の体が()()

 

 あっけらかんとそう言い切る、榊浦美優。

 それは既に解決した問題だからなのか、研究者として失敗を冷静に見つめているからなのか、それとも人の死にそこまで関心がないからなのか。俺には分からない。

 

 

「人体実験をして、その上、死人まで出したんですか」

「うん。まあ、浮遊人格統合技術の有用性が示されてからその情報は完全に消されたけどね」

「…………」

「そんな怖い顔しないでよ。死人を出したのは1人だけ、ホントだよ?」

 

 

 1人でも死人を出してるだけで大問題だろ。

 が、口には出さない。

 

 

「その頃に、海外の大学を飛び級した私が研究チームに加わってね。

 人格の剥離で主人格が死ぬのなら、とっとと蘇らせればいいじゃん! って発想で、人格を剥離した直後に蘇生薬をぶち込んだら」

「ぶち込んだら?」

「主人格の体に異世界の人格が宿ってたってわけだねぇ。いやぁ、不思議不思議。剥離させた別人格は……何かどっか行っちゃったけど。

 ま、その異世界の人格が宿る方法を確立させたのが、『浮遊人格統合技術』の正体ってわけ」

 

 

 いや何やってんだよこの研究チームやばすぎだろ。

 榊浦美優が関わり合いになりたくない危険人物第一位にめでたくランクインした所で、ふと、気づく。

 

 死んで蘇ったら、異世界の人格が宿ってた?

 それじゃあまさか……10歳の頃のアレって、まさか。

 

 

「俺が10歳の頃に刺された注射の中身って、まさか、()()()?」

「おっ、半分当たり! アレの中身、元々別の人格を持っていない子の精神を真っ二つにしてもう一回元に戻す薬と、蘇生薬をブレンドさせてるんだよ!

 いやぁ、夜桜って子も君も勘が良いねえ! ブレンドした身としては鼻が高いよ!!」

 

 

 よし帰らせよう。

 こいつらなんつーもん作ってんだよ。後そんな物を10歳の子供に打つとか何考えてんだ。

 

 榊浦の肩を数ミリ指が沈むくらい強く掴み、玄関まで連行して、外に放り出す。

 彼女が玄関を出てすぐの柱に頭をぶつけ、赤くなった鼻を押さえた。

 

「いったぁ!!」

「申し訳ありませんが、帰って下さい」

「つつ……。あ~もう、浮遊人格統合技術の中身を知ると、いつもこんな反応されるんだよね。

 一生一緒の友達が中にいるのが、とっても楽しそうだと思わないのかい?」

 

 

 思うかアホ。

 玄関の扉を閉め、チェーンロックを掛ける。

 

 久々に本物の狂気を見た気がする。

 星野の奴は人殺しではあったが、その考えは多少理解できた。

 

 ただ榊浦親子に関しては、何を考えてそんな物を作ったのか、本気で理解できない。

 

 

 というか、彼女が俺の学校に突然やってきた理由はなんだ?

 あんなレベルの研究者が教師になるなんて普通ありえないが、事実、星野の件の後に彼女はすぐ赴任して来た。

 

 まさか、あの星野の件に関係している誰かを探しに来たとか。

 虐められっ子の本橋も虐めっ子の細木は調べられただろう。

 

 警察も彼女も把握していないとすれば、星野をボコボコにした張本人……すなわち、俺。

 

 ……関わり合いになりたくない理由がまた1つ増えた。

 

 

 夜桜さんが、浮遊人格統合技術の事を榊浦に聞きに行っていたのも気になるし。

 なんだか、とんでもなく疲れた。いやまあ、あの技術の事を聞けたのは良かったけど……こんなの知っていいのか?

 

 けど、彼女は中身の事を話したらいつも同じ反応をされると言っていたし。

 聞かれないから言わないだけで、聞かれたら普通に教えるんじゃないだろうか。多分。

 

 

 疲れの混じったため息を吐きながらリビングへと戻り、彼女が使ったカップを片付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





一気に書きすぎて頭こんがらがってしまい、おかしな事を書いているかもしれないので、後日ちょっと修正するかもしれません。
設定はそんなに変えないので気にしないで下さい。


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#23 優秀な人格

 

 

 

 

 

 

 榊浦美優と会話をした、数日後。

 

 夜桜さんが学校を休んだ。

 

 

 ……かなり珍しい事だ。

 俺を含め、彼女に好意を抱く何人かの男子生徒が落ち着かない様子でそわそわとしている。

 授業の内容も、夜桜さんが休んだ事と、後ろの奴らのせいで全く頭に入ってこない。

 

『はい僕の勝ち~!』

『はあ!? おいこれで何回連続だよ!!』

『私のサイコロを操るイカサマか……』

『お前らがクソ弱いだけだよ~ん、べろべろばあ~~!!』

 

 

 教室の後ろ側で、最近発売されたボードゲームを広げて遊ぶ半透明の男が4人。

 マッドパンク、ヘッズハンター、サイコシンパス、ガスマスクが半透明の皿に乗った和菓子の羊羹を賭け、熱い勝負を繰り広げていたのだ。

 

 勿論、ボードゲームも皿も羊羹も、俺が牙殻さんに教えて貰った技でコピーした物である。

 

 先ほどから連勝し続けているマッドパンクが、羊羹を口の中に丸ごと放り込んだ。

 もにゅもにゅと口を動かし、甘い汁の付いた指を軽く舐めてから、他の3人に向かって言う。

 

『この羊羹って奴、美味しいね。僕の世界じゃこんなつやつやプルプルした甘い物はなかったよ』

『……まぁ、羊羹くらいなら食った事あるからいいけどさ』

『俺はない』

『私もない』

 

 ヘッズハンターは味を知っているらしいが、サイコシンパスとガスマスクは食べた事がないようだ。なのでより一層、羊羹とやらを味わってみたかったらしい。

 いや本物の羊羹は俺がもう食ったからコピー出来ないけど、言ってくれたらもう少し多めにコピーしてたよ。

 

 

 

 そして時間も過ぎ、昼休憩。

 適当な場所で、母が作ってくれた弁当を貪っていた時のことだ。

 

 校内の至る所にあるスピーカーと放送のマイクが繋がる音がザザッと鳴り、

 

「2年2組の日高俊介君、2年2組の日高俊介君。昼食後、職員室までお越しください」

 

 という放送が流れた。

 職員室に呼び出されるのなんて、小学生の時に掃除係の仕事を忘れてしまった時以来だ。懐かしい。

 

 

 でも……一体全体、何で呼び出されたんだ?

 

 テストの点も滅茶苦茶良い訳ではないが、悪い訳でもない。いつも学年平均の点数からプラスマイナス5点くらいだ。

 授業中もたまに寝たりはするが、問題になるほど悪い事はしていない。なんか提出物でも忘れたかな……。

 

 

 そう思いながら昼食を済ませ、職員室に向かうと。

 

 

 

「こんにちは」

「…………」

「そんなに嫌そうな顔しないでよ」

 

 

 なぜか榊浦美優が、職員室に入って来た俺に真っ先に声を掛けてきた。

 彼女は長い白衣を羽織ったまま、他の教師よりも座り心地のよさそうな椅子に深く腰掛けている。机の上にはジャンクフードの包み紙が適当に置いてあった。

 

 

「そうそう。君って友達いないんだねえ」

「はい?」

「ちょっと君の事を調べてみようとしたんだけど、どの生徒に聞いても、君とは親交がないから何も分からないってさ!」

 

 

 よし、帰るか。

 なんでわざわざ職員室まで来たのに罵倒されなきゃならないんだ。俺の陰キャ気質を馬鹿にしないで下さい。

 

 踵を返して職員室を出ようとすると、彼女が少し焦った様子で言葉を投げかけてきた。

 

「ちょ、ちょっと! 関係ない話してごめんって、今日はちゃんとした用事だから」

「……何ですか」

「今日欠席の夜桜紗由莉(さゆり)さんに、化学のテストに関係する大事なプリントを届けて欲しいんだよ。君の家と彼女の家の方向が同じでね」

 

 

 そう言って教えられた住所は、確かに俺が帰る道の先にある、金持ちの家が並ぶ住宅街の物だった。

 

 

「まあ正直、彼女の知能ならこんなプリント、あってもなくても同じだけどね。で、どうする? 届けてくれ――――」

「届けます」

「おぉう。力強い返答」

 

 

 プリントを届ける事を口実に、夜桜さんのお見舞いに行けるのだ。

 こんなチャンスを逃すわけがない。

 

 気に食わない彼女の顔面へ内心中指を立てながら、職員室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 一度家に帰り、マッドパンクが直したバイクに跨る。

 この間の襲撃で、スマホとバイクの修理のせいで俺の財布がご臨終……になるかと思われたが。

 

 スマホは丸ごとではなくバッテリー交換、バイクはマッドパンクが修理に使った材料費だけで済んだおかげで、大体万札が2~3枚天に召されただけに終わった。当初予想していたダメージに比べれば、全然軽いものだ。

 

 

 という訳で、俺の財布の中はまだ潤っている。

 潤うというより、湿っていると言った方が適切だが。しかしお見舞いの品を買うくらいは辛うじて残っている。

 

 バイクで一度デパートに寄り、栄養ドリンクと喉に優しいゼリーをなけなしの金で購入。

 夜桜さんが休んだ理由は分からないが、多分風邪か体調不良か、そのどちらかだろう。風邪も体調不良も栄養ドリンクを飲んで寝て治すに限る。ゼリーは美味しいから買った。

 

 

 レジ袋に詰めた見舞いの品を持って、夜桜さんの家へと向かう。

 デパートからバイクで2~30分も走らせると、辺りが大きな家だらけの地域に入り始めた。

 

 

『(∗︎*⁰꒨⁰)』

 

 ちなみにだが、ダークナイトの1ヵ月に1回の暇つぶしと被ってしまったせいで、彼が外に出て来ている。今も60キロ近くで走らせているバイクに並走してきているのだ。鎧の腹に顔文字を刻む余裕すらもある。

 

 こいつだけは中に戻ってくれと頼んでも絶対に戻らないので、思い切り釘を刺す。

 

「ダークナイト! お前、絶対に暴れるなよ!! 暴れたら本気でキレるぞ!!」

『(* ̄∇ ̄)/』

 

 本当に分かってるのかよ。止めようがないからマジで怖いわ。

 夜桜さんの家に行くのを中断しようかと思ったが……やっぱり、彼女の様子が気になる。

 

 

 

 

 そうこう考えているうちに、『夜桜』と書かれた表札が掲げられている家の前に着いた。

 レンガの高い塀と鉄格子の門扉の先に、バスケットコートが2つは入りそうな庭が広がっている。そしてその庭の先に、二階建てで横に広い、輝くような白色の家が立っていた。

 

 

「すご……」

 

 金持ちというのは知っていたが、まさかこんな豪邸を持っている程だったとは。

 俺の感覚ではこの辺りの家は全て豪邸だが、彼女の家はそんな中でも一段格が上だ。どれだけの金をつぎ込めばこんな家が手に入るのか、俺には見当もつかない。

 

 

 こんなんじゃあ、俺が持ってきた見舞いの品なんか安っぽすぎて逆に迷惑かもな。

 まあ最悪、プリントだけでも渡せばいいんだ。

 

 門扉の物々しさとは裏腹に、一般家庭に付いていそうなほど簡素なインターフォンを押す。

 すると5秒もしない内に、インターフォンの向こう側から女性の静かな声が聞こえてきた。

 

 

『どちら様でしょうか?』

「あっ、すみません。おれッ……僕は夜桜紗由莉さんと同じクラスの者で、日高俊介と言います。化学の先生から預かったプリントを届けに来ました」

 

 

 ……敬語、これで合ってるかな。

 使う事があんまりないから、どうにも苦手なんだよな。

 

 そんな事を考えていると、インターフォンの向こうから、再び同じ女性の声が響いた。

 

 

『かしこまりました。ただいま門を開けますので、そのまま中にお入りください』

 

 

 その言葉と同時に、ギィィと音を立てながら自動で門扉が開いていく。

 俺がきょろきょろしながら中に入ると、同じようにして、ダークナイトが背後を付いて来た。

 

 庭はやや広い草むらという感じだが、敷地の端の方には池も見える。金魚でも飼っているのだろうか、用事がないので見に行くことはないが。

 

 

 

 門扉から豪邸の玄関扉まで一直線に伸びる道を歩き、シックな色合いをした重厚な木製の扉の前に着く。

 その瞬間、ゆっくりとその扉が開かれた。

 

 扉を開いたのは……黒髪を後ろで三つ編みにして、メイド服を着た、20代そこらの女性だった。

 

 

「ようこそいらっしゃいました、日高様」

「あ……ど、どうも、よろしくお願い致します」

 

 

 ビックリして変な挨拶をしてしまった。

 こんなアニメや漫画みたいな、完璧にメイド服を着こなした女性が出てくるなんて思わなかったのだ。

 

 鞄からプリントを取り出そうとすると、丸眼鏡をキランと光らせたメイドさんが、玄関扉を開いたまま身をどかした。

 

 

「お嬢様が、直接お受け取りしたいとおっしゃっています。どうぞ中へ、お部屋へご案内いたします」

「えっ……あっ、はい」

 

 

 応接間とかで会うのかな。こんなに凄い豪邸だし、イースターエッグとか置いてるのかな。

 と思っていたら、なぜかメイドさんは二階へと上り始めた。

 

 応接間って大体1階とか、入口から近い所にありそうな気がするけど。

 

 

『(・ω・)』

 

 ダークナイトが感情の感じられない顔文字を刻んでいる。一体何を考えているんだ。

 

 2階の廊下を奥に進むにつれて、なんだか、雰囲気が怪しいものになり始める。何というか、廊下の壁紙の所々が不自然に新しいのだ。まるで傷ついたから、その上から補修を何度も行ったかのような感じである。

 

「お嬢様の部屋はこちらでございます」

 

 そう言ってメイドさんに案内されたのは、廊下の最奥にあった白い扉の前であった。

 

 いや、男を女性の私室にいきなり案内するのはどうなんだ。応接間とかそういう所で会う物じゃないのか。

 そんな事をメイドさんに突っ込む勇気はなく、勇気を込めてドアノブに手を掛ける。 

 

(……よくよく考えれば、ここは夜桜さんの私室なんだよな……。クソ、変に意識する……)

 

 

 邪な目的でここに来たんじゃない。

 俺はプリントを届けに来た、ついでに見舞いに来た、OK? OK!! 

 

 

 ドアノブを捻り、ゆっくりと扉を開いた。

 

 

 

 

「グォォォオオオアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」

 

 

 

 

 扉を閉めた。

 

 なんか中から化け物みたいな咆哮が聞こえた気がするな。部屋間違えたのかな?

 メイドさんの方を見るが、彼女はなぜか頷き、もう一度扉を開けとジェスチャーして来た。

 

 それに従い、もう一度、ゆっくりと扉を開く。

 

 

 

 

「死ねぇぇえええええええ!!!! リア充爆発して死ねぇぇぇえええええええ!!!!!」

 

 

 

 

 ―――扉を閉めた。

 

 なんか夜桜さんの声で、とんでもない事を叫んでいるのが聞こえた気がするけど、あんな天使みたいに優しい人が死ねとか言わないよね?

 

 メイドさんの方を見るが、彼女はなぜか諦めたように首を横に振っている。

 嘘だろ? ここ本当に夜桜さんの部屋なの?

 

 

 もう一度開けようかどうか迷い、決心して、ドアノブに手を掛けようとした瞬間。

 

 向こう側から、ギィッと扉が開いた。

 素早い動きで俺の手首が掴まれ、扉の隙間から血走った目がこちらを覗いてくる。

 

 

「ヒヒッ……イヒヒヒ…………」

「ひぃ」

 

 

 怖い。

 空気が漏れたような、情けない声が思わず出るくらいには怖い。

 

 

「こぉんにちはぁ……日高君、日高君、ひだかしゅんすけ………ヒヒッ」

「ど、どうもこんにちは」

「私を()()を見るような目で見るなァ―――ッ!!」

 

 

 いきなりキレ始めた。

 どうすりゃいいんだよ!

 

 

 手首をぐいぐいと部屋の中に引っ張られるが、恐怖で力が入らず、室内に引きずり込まれた。

 柔らかなカーペット、その上に散乱した大量の紙の上に倒れ込む。

 

 

「ヒヒヒヒヒヒヒ」

 

 

 夜桜さんが扉を閉め、とんでもない笑い方をしながらこっちを見た。

 怖すぎて思わず後ずさりした時に、ふと、カーペットの上に散乱していた紙に何か書かれているのに気が付いた。

 

 何かをビッシリと書き込んだ紙はカーペットだけではなく、机の上やベッドの上、壁にも大量に画鋲で張り付けられている。

 

 

 そして、肝心の紙に書いている内容は。

 『手軽に作れる爆弾』と銘打たれた、ホームセンターで揃うような材料で、手りゅう弾を作るための工程を詳しく記した物であった。

 

 紙を手にしたまま、頭の中を整理するように呟く。

 

 

「爆弾……ばくだん……()()()()……?」

 

 

 パッと彼女の顔を見上げた。

 夜桜さんの中には、とても優秀な人格が入っている。

 

 そしてその人物は、異世界でとんでもない爆弾を作り上げた人物であると。

 

 

「もしかして、夜桜さんの中にいる……『バクダン』、なのか?」

「イヒッ……そのと~りぃ~……」

 

 

 国から認められるほどの、優秀な人格。

 夜桜さんの体を借りたその人物が今、俺の目の前に立っていた。

 

 

 

 



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#24 どこ行った

 

 

 

 

 部屋の中を埋め尽くす、爆弾の設計図が書かれた紙。

 正確にいくつあるかは分からないが、多分、100個近くはあるだろう。

 

「これ全部、自分で書いたのか……?」

「そ、そう……。ヒヒッ、特にこれなんかが一番いい」

 

 ベッドの枕元に置いてあった紙を掴み、こちらに投げてくる。

 難解な図面と文字だらけだが何とか分かったのは、破片で殺傷能力を増すよりも、広範囲を炎で焼き切る事をベースとした爆弾という事だ。

 

「……大学で研究ばっかしてた私を蔑んだ目で見てたリア充共を一気に焼き上げるのに最適……」

 

 並々ならぬドス黒さを混ぜた言葉を漏らすバクダン。

 一体元の世界で何があったんだお前。

 

 この大量の爆弾の設計図は気にしないことにしよう。多分知るだけで不味いレベルの物が混じっているだろうから。

 

 

 手に持っていたお見舞い品と鞄から出したプリントを見せ、彼女に尋ねる。

 

「このプリントを夜桜さんに届けに来たんだけど……」

「グギッ」

「え?」

「グギギギッ、せっ、青春いべんとぉ……! 私にはなかったのにぃ……!!」

 

 いちいち言葉に反応するなこいつ。

 俺も自分を陰キャ気質だとは思うけど、バクダンは闇を煮詰めまくったような雰囲気と目の色をしている。

 

 

 バクダンが突然立ち上がり、頭をガシガシとかいて髪を乱し始めた。

 

「私だってぇ、私だってぇ、こんな風になる気はなかったのにぃ! あぁぁあああああああ!!!」

「まっ、落ち着け落ち着け!」

「うわぁぁぁああああああ!!!」

 

 彼女が両腕をバッと、左右に振る。

 その瞬間、服の裾から1ミリくらいの小さくて黒い物が大量に飛び出した。

 

 本能的に嫌な予感がして、近くにあった椅子を引き倒す。

 そして椅子の陰に隠れたその時。

 

 

 

 ――――ドォォォオオオオオン!!

 

 

 

 小さくて黒い物から炎が吹き上がり、屋敷全体を揺るがすほどの爆発を起こした。

 隠れていた椅子は吹き飛び、服が少しだけ焦げる。

 

「あつッ……っよ、夜桜さん!?」

 

 爆発の中心にいたバクダンの体……夜桜さんが危ない。

 煙を手で払いながら顔を上げると、部屋の中で仁王立ちしていたにも関わらず、無傷のままの彼女がそこに立っていた。

 

 

「な……」

 

 

 こんな狭い部屋の中で爆発物を使っておいて、自分だけは無傷。

 壁や家具は無茶苦茶な事になっているのにも関わらず、彼女の立っている所だけが、まるで何事もなかったかのように無傷のままだった。

 

 

 その時、ヒラリヒラリと目の前に紙が舞い落ちてくる。

 紙を掴み、中身を読む。

 

 そこには、『マイクロボム』なる縦1ミリ×横1ミリ×高さ1ミリの極小サイズの正方形爆弾の作り方と詳細が記されていた。

 体に忍ばせ、室内で使う事を目的とし、使用者には被害が及ばないような設計だと。

 

 

 いくら使用者に被害が及ばないからと言って、室内で爆弾使うか普通。

 壁が傷つきまくっているのを見て、この部屋の外の廊下の壁紙がやけに新しかったのも、バクダンが何かやらかしたのを補修したからなんだろうと察する。

 

 

 部屋の窓を開け、新鮮な空気を吸い込んだ後、彼女の方を向く。

 

「バクダン、お前……なんで夜桜さんと体を変わってる!?」

 

 夜桜さんがバクダンと体を変わりたがらない理由も分かる。爆弾に関しての知識は天才かもしれないが、倫理観も爆発させているこいつはかなり危険だ。

 とすればなぜ、夜桜さんはバクダンと今、体を変わっているのか。

 

 バクダンが三日月のような笑みを浮かべながら言う。

 

「ヒヒッ……それはぁ、本人が変わりたいって言ったからだよ」

「何だって……!?」

「別に私としては、体がある方が何かとやりやすいから、困る事もないしぃ」

 

 自分から変わりたい……!?

 彼女の肩を思わず力強く掴んでしまう。

 

「夜桜さんが自分から変わりたいだなんて、一体どういう事だよ!!」

「ヒッ、ひょっ、ちっ、ちかッ……」

「答えろ!!」

「しっ、知らない知らない知らない!! 言ったから離れろってぇえ!!」

 

 顔を真っ赤にしたバクダンが胸を突き飛ばして来たので、大人しく離れる。

 

 

 もし彼女の言葉が本当だとすれば、夜桜さんは危険を承知で体を変わるほどの、自分の中の人格にすら明かさない程の悩みを抱えていたという事だ。悩み……学生の悩み……?

 

 まさか、また()()()か?

 

 全身の血液が煮えたぎるような感覚がする。

 今度はヘッズハンターに剣鉈を持たせるしかない。

 

 怒りに体を支配されかけた所で、ぶんぶんと頭を振って頭を冷静にする。

 いじめなら流石に同じ体に入っているバクダンが気付かないはずがない。そもそも夜桜さんがいじめられるような事があったら、俺がとっくの前に気付いて犯人をボコボコにしている。

 

 

「……悪いけど、今日は帰る」

 

 

 持ってきたプリントとお見舞い品を、部屋の比較的焦げていない所に置く。

 顔を真っ赤にしたままバクダンが頭を押さえるのを横目に、部屋の扉を開け、廊下に出た。

 

 

 

「……やはり、駄目でしたか」

「?」

 

 廊下に出るなり、部屋の外で待機していたメイドさんが、そんな事を呟いた。

 俺は眉間にしわを寄せながら、彼女に尋ねる。

 

「やはり駄目とは一体どういうことですか」

「お嬢様は昨夜から、バクダン様と体を変わられているのです。今までも体を変わられる事はありましたが、こんなに長く変わられているのは初めてで……」

 

 ここで言うお嬢様とは、夜桜紗由莉という人格の事を指している。

 

「では今回は……バクダンが夜桜さんに体を返さないという事ですか?」

「いいえ。今回は……バクダン様がお嬢様に体を返しても、すぐに体を変えられるようなのです。つまり、お嬢様自身が体に戻ることを拒否されているという事態でして。

 お嬢様のご学友の日高様なら、もしかしてと思ったのですが……」

 

 

 もしかして俺なら、夜桜さんが体に戻ってくるよう説得できるかもと思ったのか。

 それならそうと最初に説明してほしかった。事情も分からずに突っ込んだからバクダンに爆弾をぶっ放されただけだぞ。知ってたらもっとうまく言葉を選べたのに。

 

 俺は眉間のしわを解き、再び彼女に尋ねる。

 

 

「こんな風になった事に、心当たりはないんですか?」

 

「申し訳ありませんが……。旦那様や奥方様も、勿論(わたくし)共メイドも、お嬢様には丁寧な接し方を心がけておりました。

 紗由莉様は(わたくし)共のお嬢様というだけではなく、この国に認められた非常に優秀な人格を宿らされている御方ですから」

 

「…………」

 

 

 俺よりも身近にいるメイドさんが分からないのなら、俺に分かるはずがない。

 夜桜さんがなぜ体を譲り続けるのか……。

 

「すみません。今日は帰ります」

「はい。……また、いつでもお越しください」

 

 

 一度家に帰って、明日、彼女の学校生活から原因を探ってみよう。

 夜桜さんは学校で色々な事に精を出していると聞く、もしかしたらその何処かに原因が……あるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 

 

 夜桜さんが行方不明になったと、メイドさんから連絡があった。

 

 

 

 夜中に屋敷の壁と塀を吹っ飛ばし、どこかへ消えたのだという。

 

 俺は学校に仮病の連絡を入れて休み、バイクにキーを挿す。

 

 バクダンが勝手に脱走したのか?

 夜桜さんがバクダンと協力して脱走したのか?

 それとも……また誰かに誘拐されたのか?

 

 

 昨日からずっと傍に立っているダークナイト。

 だが今は暇つぶしの遊びに付き合っている暇はない。

 

 じっとこちらを見ている彼に話しかける。

 

「ダークナイト。俺は今から夜桜さんを探す。多分……昨日、お前も何処かから部屋の中を見てただろ? あの子だ。

 俺はバイクで走るから、それに負けない位の速度で移動しつつ辺りを探し回ってくれ。見つけたら俺の所へ」

 

 

 そう言うと、ダークナイトは力強くサムズアップし、勢いよく空へと飛び上がった。

 軽く50メートル近くは飛んだ後、足元に地面と平行な黒い円状の何かを作り、そこへ着地して空中に直立する。……なんだあの技。

 

 空から手を振ってくるダークナイトに軽く手を振り返す。

 

 

 まあいいや。

 ダークナイトのやる事なす事にいちいち気を取られていたら日が暮れる。

 

 首元に右手を当て、中から一人、殺人鬼を呼び出す。

 

「出てこい、()()()()

『むッ』

 

 

 出てきたのは、半透明の黒装束の男。

 身長は大体ガスマスクと同じ180センチ前後だが、服の上から見える体格はそこまでゴツイものではない。軽やかな動きが得意そうだという印象を受ける。

 

 彼が口元を覆う黒い布をもごもごと動かしながら、俺に向かって言う。

 

 

『拙者を呼び出すとは珍しいでござるな、俊介殿』

「ああ。だけど今日はもう一人呼ぶからな」

 

 

 首元に手を当てたまま、中に居るもう一人の殺人鬼の姿を思い浮かべながら、名前を呼ぶ。

 

 

「出てこい、()()()()()()

 

 

 その言葉と同時に現れたのは、顔の上半分を隠す黒い兎のマスカレードマスクを被った、白ワイシャツにサスペンダーを付けた黒のスキニーズボンを履く半透明の女性。

 身長170センチほどの彼女は鮮やかな赤い色の髪をポニーテールにし、肩甲骨の間まで伸ばしている。右手には革張りのクラシックなアタッシュケースを持っていた。

 

 桜色の唇を開き、見た目の予想よりも少し高めの声でトールビットが言う。

 

『おやおや。珍しいコンビだ』

「ああ。今日は少し厄介な物事でな」

 

 

 

 この2人は少し特殊な殺人鬼だ。

 

 ニンジャの方は、この世界の『忍者』と大体同じような格好と技術を使う奴で、数々の奇々怪々な未解決事件を引き起こしたらしい殺人鬼だ。元の世界の事は詳しく話してくれないので過去は余り知らない。

 

 そしてトールビットの方は誘拐アンド殺人を繰り返してきた殺人鬼である。アタッシュケースの中身には、あんまり使い道を想像したくない拷問器具が入っている。こっちも自分の過去は話さないが、代わりに過去に行った拷問内容を喜々として話して来る。やめろ。

 

 

 トールビットの言う通り、あまり呼ぶことはない二人だが、今回は事情が事情だ。

 1年の時、体育祭で活躍する夜桜さんをこっそり撮った写真を2人に見せる。

 

 

「この写真に写ってる夜桜さんを探したい。力を貸してくれ」

 

 

 その写真を見た2人は、眉を上げながら言った。

 

『懐かしい。これ、拙者が手伝った盗撮写真でござるな』

『そうなのかい。盗撮ってのは犯罪だよ俊介。ま、私達が言えた義理じゃないけどね!』

「変な皮肉を言うな。あとこれは盗撮じゃないッ」

 

 

 余計な事を口にするなニンジャ。

 確かに校舎の隙間から保護色を全身に纏って撮ったが、これは断じて盗撮じゃない。警察にバレなきゃ理論上法に触れたことにはならない。

 

 なぜか盛り上がり始めた2人を手で宥める。

 

「とにかく! 夜桜さんは昨日の深夜に姿を消したらしい。それの追跡を手伝ってほしいんだ」

『全然いいでござるが……。拙者達だけでは、正確な位置を探るには時間が掛かるでござるぞ』

「大体の位置で良いんだ。細かい場所は……」

 

 

 そこで言葉を止め、空を見上げる。

 2人もそれに続くように顔を上に向け、納得したような顔をした。

 

『相変わらずだね』

『アレは真似できんでござるなぁ』

「真似しなくていいから」

 

 ダークナイトが2人に増えるとか考えるだけで胃が痛くなる。

 

 

 

 数分経ち、大体の話を終え、詳しい追跡調査は向こうで始めるという風に話が纏まる。

 俺はバイクに跨り、

 

「それじゃ行くか」

『……? バイクで行くのかい? 徒歩じゃなくて?』

「徒歩で行くには少し遠いからな……あっ」

 

 

 そう言った所で、ふと気づく。

 このバイクに、この3人で乗るのは無理だと。マッドパンクのように小さい奴が1人混じっているならともかく。

 

 

「ごめん、呼び出しといて悪いけど……1人中に戻ってくれない? このバイク、3人で乗れないわ」

『へー。それは良……いやいや、残念残念。私が中に戻るよ』

 

 そう言って一瞬で中に戻ろうとするトールビットを、ニンジャが引き留める。

 

『おおっと。俊介殿、そうやって3人で乗るのを諦めるのは早計でござる』

「は?」

『為せば成る。工夫は人間の本懐。つまりは……こうだァ!!

 

 

 ニンジャが飛び上がり、俺の頭の上に着地した。

 何してんのお前? 重さは感じないけど尊厳が傷ついてる気がする。

 

 

『こうすれば3人で乗る事も容易いでござる……』

「これ3人でバイクに乗ってないよね。俺とニンジャとトールビットじゃなくて俺&ニンジャとトールビットになってるよね」

『広義的には乗ってるでござる』

 

 乗ってないよ。

 

 そう思ったところで、顔の前に半透明の紙が現れた。ニンジャが服の裾から糸で垂らしているらしい。

 彼が垂らした紙には、『トールビットは強がる癖にバイクが苦手』と書かれていた。

 

 つまり俺の頭に無理矢理乗って、強がるトールビットがバイクに乗らざるを得ない状況を作ろうとしてんのか。何しょうもない悪戯してんだよ。

 

 トールビットが、仮面越しでも分かるくらい顔を青くして冷や汗を流しながら、平静を装った声で言う。

 

『いや気遣って無理しなくていいからね。ニンジャは後ろ乗りなよ。私中に居るから』

『いらぬ』

『乗れって』

『断る』

乗れよ!!

 

 

 彼女がアタッシュケースの中から丸鋸刃を取り出し、ニンジャに投げつけた。

 だがニンジャは懐から出した小刀でそれを弾く。そして片足立ちになり、意味不明な決めポーズをしながら言った。

 

 

『これが拙者の忍道……。すなわち、()()()()()()()()()()()()()()!!

『うっ……』

「良いから早くしろよ」

 

 

 俺がそう言うと、トールビットはおっかなびっくりな足取りで、バイクの後部座席に跨った。

 ハンドルを握る俺の腹に手を回し、耳元でささやいてくる。

 

『俊介、このバイクって危ないんだろう? スピード遅めで行こうじゃないか。危険だしね、色々危険だし』

「遅めに行くわけないだろ」

『え?』

 

 ハンドルを全力で回し、エンジンを思いっきり吹かす。

 速度計の針を一気に60キロまで進め、夜桜さんの家がある場所まで走らせ始めた。

 

 

 そして夜桜さんの家に向かう間ずっと、背後から荒い息遣いや甲高い悲鳴が響いていた。

 変に強がって苦しむくらいなら、苦手だって言えばいいのに。

 

 

 そう思いながらも、バイクを高速で走らせ続けた。

 

 

 

 

 

 

 



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#25 失恋の前歌

 

 

 

 

 

 夜桜さんの家の近くまで辿り着き、ブレーキを掛ける。

 俺の腹を掴んでいたトールビットが手を放し、絶え絶えな声で言った。

 

『つ、着いた……?』

「着いた、けど……」

 

 当然と言えば当然か。

 彼女の家の周りには警察の車が止まっており、周囲を封鎖していた。建物の壁と塀を吹っ飛ばしたんだ、そりゃあ警察も来るだろう。

 

 一応警察から見えない位置でバイクを止めたので、向こうから俺の姿は見えていないだろう。別に見られた所で何だって感じでもあるが。

 

「悪いけど、家の方は100メートル内まで近づけそうにない。ギリギリ……あの塀の方だけだ」

『ま、どうなるかは分からんでござるが……とりあえず行ってくるでござる』

『ふーっ……。じゃあ私も行ってくるとしよう』

 

 トールビットが生まれたての小鹿のような足取りで歩いて行った。

 そんな彼女の膝の裏をニンジャが蹴り飛ばし、顔面から転んだ様子を見て高笑いしている。あいつホント性格悪いな。

 

 

 2人が行ってる間、こっちからも少しだけ探ってみるか。といっても、俺の力で探る訳じゃないけど。

 懐からガシャガシャで出た3センチほどの関節可動式のクマのフィギュアを取り出す。そして首に手を当て、中から彼女を呼び出した。

 

「ドール、ちょっと出て来てくれ」

『はーい! どうしたのお兄ちゃん?』

「この人形を操って、あそこのパトカーの近くにいる警察の話を盗み聞きしてほしいんだ」

 

 そう言って、塀の穴から少し離れた所に止まっているパトカーに背を預け、何やら話している警官2人を指さした。

 左手をドールに渡した後、人目に付かない所に隠れ、右手でフィギュアをぶん投げた。3センチのフィギュアを何メートルもいちいち歩かせていたら時間が掛かるからだ。

 

 ドールの操る左手がうねうねと動き、数秒も経つと、ピタリと止まる。

 彼女は眉間にしわを寄せ、何度か首を傾げた後、こちらを向いて言った。

 

『んーと……。お話の内容がよく分からないから、言ってることをそのまま伝えてもいい?』

「それでいいよ。ありがとう」

『えへへ』

 

 かわいい。

 

 ドールが軽く息を吸い、警官の話している事をそっくりそのまま真似し始める。

 

 

『国認定の人格持ちが逃げ出したからって、こんなに人数必要か? ただの女子高生だろ』

『ただの女子高生がこんなゴツイ塀を吹っ飛ばせるかよ。それにお上は、犯罪組織や他国の誘拐を危惧しているらしい』

『おいおいおい。犯罪者が身代金目的の誘拐するならともかく、他国がか? 国会議員とかじゃないんだぞ』

『何でも、国家間の戦争を変えるような爆弾を作れるんだと。噂だけどな』

 

 

 そこまで聞いた所で、ドールに向かって「充分だ」と言う。

 

 国家間の戦争を変えるような爆弾って、バクダンの奴、一体何を作り出したんだ。

 

 フィギュアを歩いて戻って来させた所でニンジャとトールビットが戻って来た。

 ニンジャが左腕の主導権を俺に返したドールを見て、不思議そうな声色で言う。

 

『むッ。なぜドールが外にいるでござるか?』

「ちょっとこのフィギュアで盗み聞きしててな。ありがとうドール、また今度お礼するよ」

『うん! いっぱい遊んでねお兄ちゃん!』

 

 太陽のような笑顔を浮かべながら、ドールがフッと姿を消した。中に戻ったのだ。

 

 俺はバイクに体重を預けながら、2人に尋ねる。

 

「どうだった?」

『物凄い壊れ方だったでござる。拙者の持つ忍者爆弾の十数倍の威力でござるな』

『誘拐であんな派手な吹っ飛ばし方をするのはありえない。十中八九、自分から出て行ったんだろうね』

 

 ……まぁ、この2人が言うんだ。

 屋敷から出て行ったのは完全に、夜桜さんかバクダン、どちらかの意思だったんだろう。

 

「行く先は?」

『東でござる』

『瓦礫の粉に辛うじて残ってた足跡が東の方に向いててね。その足跡のサイズは警察のどれとも一致しなかった。警察でないなら、その夜桜という子ってわけさ』

 

 

 流石、未解決事件常習犯と誘拐事件常習犯だ。こういう時は頼りになる。

 バイクに跨り、エンジンを掛ける。

 

「それじゃ早速……」

『ちょっと待ってくれないかい。ニンジャ、今度こそ後ろに』

「ニンジャ、乗せろ」

 

 二度も時間を食う訳にはいかない。

 合点承知と呟いたニンジャがトールビットを後部座席に放り込んだ瞬間、バイクを発進させた。

 

 ニンジャは足が速い。

 走り出し立てのバイクに簡単に追いつき、俺の頭に飛び乗った。やっぱり頭に乗んのかよ。

 

 

 

 

 

 

 東へとひたすらバイクを走らせる。

 上空にいるダークナイトは辺りを見回しているものの、未だに反応はない。

 

 走らせ続けるにつれ、住宅街から離れ、人気(ひとけ)のない場所へ入って行く。

 声を張り上げ、背後の人物に尋ねる。

 

 

「本当にこっちであってるのか、トールビット」

『ひゃあ!』

 

 

 駄目だ、トールビットは頭が回ってない。

 もう1人の人物に叫ぶように問いかける。 

 

「……ニンジャ!」

『徒歩で移動している関係上、そう遠くには行っていないはずでござる。車で誘拐されていれば話は別でござるが……』

「不吉な事を言うな!」

 

 可能性の一つとして挙げたという事は分かっているが、つい怒りに任せて言葉を放ってしまった。

 内心でニンジャに謝る。もっと頭を冷静にしないと。

 

 閑静な畑の中に、一直線に走るボロボロの道を走る。コンクリートで舗装されているものの、経年劣化で所々割れているのだ。

 畑に植えられているのは恐らく米だろう。しかしまだ5月なので、黄金色ではなく、生命力を感じさせる青々とした畑が広がっている。

 

 

「この辺りには確か……」

 

 

 記憶を探る。

 確か近くの山の上に、街を一望できる神社があったはず。

 

 ただその神社は一度死亡事故が出てから人が余り寄り付かなくなった。

 

 神社の一角の木の葉が開けた場所。そこから街が一望出来るのだが、そのすぐ下には高さ15メートルくらいの崖があるのだ。

 柵の高さはせいぜい1メートルくらいで、数年前に柵の近くで体勢を崩した人が転落死したとニュースになった。絶景スポットと地元民の間では有名だったが、それから寄り付く人は皆無となったのだ。

 

 

 

 そんな事を考えていた時、ダークナイトが目の前に降って来た。

 吃驚して急ブレーキを掛けるが、すぐには止まれず、彼の体をすり抜ける。そういえば普通にすり抜けられるんだった。

 

「み、見つけたのか!?」

『…………』

 

 ダークナイトは何か言う事もなく、先ほど考えていた神社のある場所を指さした。

 

 夜中に1人で抜け出して、人のいない、高い崖のある神社に行く……。

 

 

 そんな状況を想像し、サァッと顔から血の気が引く。

 まさか、飛び降り自殺を考えているんじゃあ……!

 

 

 ダークナイトが見つけたという事は、まだ夜桜さんは神社にいるはず。

 法定速度を余裕でぶっちぎる100キロまでエンジンを吹かし、神社のある山の麓まで一気に走らせた。

 

 背後から悲鳴が聞こえるが、構っている暇はない。

 

 

 幸い500メートルも離れていない場所なので、すぐに麓まで辿り着いた。

 バイクを適当に止め、山頂の神社まで続く長い階段を見上げた。俺の脚力では時間が掛かりすぎる。

 

 

「ニンジャ!! 両足だッ!!」

『合点承知でござる!!』

 

 

 彼に足の主導権を渡した瞬間、階段を10段飛ばしで上り始めた。

 目測400~500段近くある階段を30秒もかからずに上り切り、彼が足の主導権を俺に返す。

 

 

 神社を走り、崖のある場所が見えるところまで移動する。

 するとそこには、予想通り、夜桜さんがいた。

 

 彼女は柵に両手を掛けて、どこか哀愁のある面向きで眼下に広がる街を眺めていた。

 俺は間違いなく人生で一番速く足を動かして、彼女の下へと走って行った。

 

 

「夜桜さぁあああああん!!!」

 

「へっ? ひっ、日高く――――」

 

 

 夜桜さんの左側方へ半ばタックルするように突っ込み、地面へと引き倒した。

 そのまま彼女の両肩を掴み、ガシガシと前後に振る。

 

 

「自殺なんてしちゃ駄目だ夜桜さん!! 何か悩みがあるなら俺が何でも解決するから!!」

「ちょ、ちょっ、ちょっと待って! じっ、自殺なんて考えてないよ!?」

「えっ!!??」

 

 

 彼女の言葉を聞き、徐々に頭が冷静になっていく。

 

 そうだ、自殺なんて考えていたならとっくにもう彼女は……。

 何せ昨夜から今朝までかなりの時間があったのだ。ここまで徒歩で移動したと考えても、1~2時間も前にはここに到着していたはず。

 安堵の籠った息を吐き、肩を掴んでいた手を離す。

 

 

「そ、そっか……。よかった……」

 

 

 マジでほっとした。

 それと同時に、今のこの状況を冷静になった頭で理解する。してしまう。

 

 俺は今、彼女を力づくで地面に引き倒し、あまつさえその腹に乗っているのだ。

 所謂マウントポジションである。何してんだ……!

 

 

「ごめん!!」

 

 そう叫びつつ、一瞬で右側の地面へと転がった。服が土まみれになるが気にしている場合ではない。夜桜さんに嫌われる方が遥かに問題だ。

 

 

 ポカンとした表情の夜桜さんが上体を起こし、やがて口元を手で押さえ、クスクスと笑い始めた。

 

「全然気にしてないよ。私が自殺するかもって思ってやってくれたんだよね? むしろ、心配させちゃったこっちがごめんねだよ」

「えっ、おっあっ……」

 

 

 脳が溶け、呂律が回らなくなる。陰キャ気質の俺に彼女の笑顔は眩しすぎるのだ。

 

『間抜け面を晒しているでござるなぁ』

『(*´艸`)』

 

 俺の顔を覗き込むように、ニンジャとダークナイトが姿を見せる。

 そこから退いてくれ、夜桜さんが見えなくなるだろ。

 

 

 1分もすれば理性を取り戻し、服の土ぼこりを払って、ゆっくりと立ち上がる。

 同じように立ち上がった彼女の方を見て、言葉を慎重に選びながら尋ねた。

 

「……えっと。夜桜さん……どうして、あんな派手な家出なんかしたの?」

「…………」

 

 彼女は何も言わず、再び、崖の前にある柵に手を掛けた。

 そのまま街を見下ろしつつ、静かに言う。

 

「最後に見ておこうかな、ってさ。色んな場所の景色を」

「……最後?」

「うん。……私ね。そろそろ、バクダンに()()()()()()()()って考えてるの」

 

 

 ッ!

 動揺が隠しきれず、頬に汗が伝う。

 

 いったいどうしてそんな事を考え始めたんだ……?

 そう尋ねるよりも前に、彼女が言葉を紡ぎ続ける。

 

 

「昔から、勉強もスポーツもいっぱい頑張ってみたんだけど……全部、優秀な人格持ちって事に潰されちゃうんだ。みんな、私に優秀な人格が宿ってるって所だけ見て、私の努力は何も認めてくれない。

 だから通う高校はさ、わざとレベルを落としてみたんだ。悪い事をして、誰かに怒られてみよっかなって。でも誰も何も言わないの」

 

 

 俺は黙って話を聞く中、一人で納得する。

 夜桜さんは滅茶苦茶に頭がいい。彼女ならばもっとレベルの高い進学校にも余裕で合格できたはずだ。

 

 しかし、俺でも受かるような普通の高校に彼女は通っている。ずっと前から疑問に思っていたが……そんな理由だったのか。

 

 

「それでも必死に頑張り続けてたんだけどさ。……この間、偶々2人きりになった時、榊浦先生に聞いてみたんだ。浮遊人格統合技術なんて物をどうして作ったんですか? って」

「…………」

「そしたらね? 私たちは異世界の優秀な人格を宿らせるためのモルモットだーって……大体そんな感じの事を言われちゃってさ」

 

 

 多分夜桜さんは、あの注射の中身について話しているのだろう。

 10歳の頃に一度死亡させ、蘇生薬で蘇らせる。やってる事の残酷さは実験動物のモルモットに対するそれと殆ど同じだ。そう表現したくなる気持ちもわかる。

 

 わざとぼかした言い方をしているのは、俺があの注射の中身を知らないと思って、配慮しているからだろう。

 

 

 夜桜さんが柵を握る手に力をぎゅっと込める。

 

「産まれた時からずっと、優秀な人格を宿らせるためだけに生きてきたんだ、って思ってさ。

 そしたら……私の努力なんて何の意味もないんだって、さっさとバクダンに体を譲っちゃった方がいいんだって考えるようになって。

 

 ……あ! バクダンの事は嫌いじゃないよ? むしろ好き。ずっと友達のいない私の初めての親友だしね。バクダンなら私の体をきっと上手く使いこなしてくれるから、安心して託せるの」

 

 

 俺は顔を伏せながら、彼女に向かって言う。

 

「……体を譲ろうと考えているなら、どうして、この場所へ?」

 

「体を完全に譲る前に、思い出として綺麗な景色をいっぱい見ておこうと思ったんだ。といっても、バクダンが体を動かしている間、私の意識はないんだけどね……」

 

 

 こちらを見て、はにかんだ笑みを見せる夜桜さん。

 俺はまだ顔を伏せたまま、再度彼女に尋ねる。

 

 

「次はどこへ?」

「うん……。実は、次を最後にしようと思っててさ。『()』だよ」

「そっか」

 

 

 顔を上げる。

 彼女の悩みを知って、俺はもうどうするべきか分からなくなった。

 

 

 だって、優秀な人格持ちだからと彼女の事を避けていたのは……。

 まさに、以前の()()()()()()()事なのだから。

 

 

「警察が出動し始めてる。海は遠いし、多分着く前に捕まるよ」

「でも行くよ」

「どうしても?」

「うん」

 

 

 

 

 ―――後悔しないような選択をする。

 

 これが俺の信条だ。何かを選ぶ時の根本の考えだ。

 

 ただこの考え方は……実は、俺の中にいるとある殺人鬼の言葉を少し変えた物なのだ。

 

 

『自分がやりたいと思ったことをやりなさい』

 

 

 これを言った彼女の名は、『()()()()()』。

 初めて彼女と会った時、俺はこの言葉に……なぜか感銘を受けた。

 

 実はこの言葉の方が、本当の俺のマインド……根本の考え方だと言える。

 

 『後悔しないような選択』と変えたのは、後先考えずに自分がやりたいことばかりをすると、本当に取り返しのつかない選択をしてしまうかもしれないからだ。いわゆる制限である。

 

 

 だけど、俺は今、どんな選択を選んでも後悔する。

 

 彼女をこのまま行かせても、ここで食い止めても、きっと後悔する。

 どっちの方が後悔が軽いとか重いとか、そんな優劣が付けられないくらいに。

 

 だから、後悔しないような選択なんて物は考えない。

 

 俺は……『自分がやりたいと思ったこと』をする。

 

 

 

 

 努めて優しい声色を作り、彼女に言う。

 

「海まで送って行きますよ」

「え?」

「俺はバイクで来たから、徒歩よりも速く行けますし……」

 

 

 夜桜さんがバクダンと変わるのを、俺には止められない。

 止める手段がないし、止める権利もない。

 

 

 だから、夜桜さんが海を見てバクダンに変わる、その最後。

 それを見届けるたった1人になりたいという我儘くらいは、叶えてもいいんじゃないだろうか。

 

 

「じゃあ、お願いしてもいいかな」

「……はい」

 

 

 夜桜さんが先に歩いていき、その背後をついて歩いていく。

 

 俺にとっては余りいい結末とは言えない。

 でもこれが彼女の選択で、それが幸せだと言うのなら……心臓が張り裂けるような後悔を死ぬまで抱えることになっても、やり遂げてやる。

 

 

 そんな決意を抱きながら、俺は地面を踏みしめた。

 

 

 

 

 





うーん


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#26 絶対にやり遂げる

 

 

 

 

 夜桜さんに「バイクを取って来る」と言い、階段を降りてすぐの所で待機してもらう。

 そして少し離れた場所に停めていたバイクの所まで移動し、彼女に声が届かない距離であるのを確認してから、傍に居るニンジャに話しかけた。

 

「海に行くまでに、確実に警察が絡んでくるな」

『……本当にいいでござるか?』

「ニンジャが気にすることじゃない、俺が決めたことだ。……それより、警察をどう撒くか考えないと」

 

 

 海までのルートはいくつかあるが、どのルートでも絶対に夜桜さんの家の近くを通らなければならない。そして彼女の家の近くには警察が何人も待機していた。

 

 見つからないのが最善だが、余り期待はできないだろう。

 

 

 前回襲撃して来た奴らの様に、何処かに誘い込んで叩きのめすわけにも行かないからな。

 警察は数が多い、戦ってる間にドンドン増えられたら困る。

 

 もう1人、近くに居たトールビットに尋ねる。

 

 

「トールビット。良い案あるか?」

『……キュウビに頼んだらいいんじゃないかい?」

「キュウビ? ……ああ、なるほど」

 

 そういえば、キュウビは顔を変える怪しげな術を使えるんだった。

 俺の前であんまり使いたがらないからすっかり忘れてたな。

 

 

 首に手を当て、彼女を呼び出す。

 そして今の状況と、キュウビにやってもらいたい事を簡潔に説明した。

 

 話を聞き終わったキュウビは、何処からともなく取り出した扇子で口元を隠しながら頷く。

 

『ほーん。まぁ、俊介の頼みなら全然構わんのじゃ。あの夜桜という女がいなくなるならわらわにとっても万々歳じゃしのぉ。……ただ、条件が一つ』

「何だ?」

『右腕か左腕、どちらかを渡してくれんと術は使えぬ。それだけじゃ』

 

 術を使う条件の話か。

 片腕くらいなら問題ない、彼女の提示した条件に肯定の意を込めて頷いた。

 

 

 

 

 

 

 バイクを手で押し、夜桜さんの所まで持っていく。

 メットインスペースから、バイクを買った時に一緒に買ったヘルメットを取り出し、彼女に渡した。俺が被るヘルメットはマッドパンクが作ったものだ。

 

「これヘルメット。……殆ど新品だから、あんまり匂いしないと思うよ」

「うん、大丈夫」

 

 そう言ってヘルメットを被り、俺に少し遅れてバイクに乗る夜桜さん。

 後部座席から振り落とされないために、脇腹を両手でギュッと掴んでくる。

 

「…………」

 

 思ってたより辛い。だがもう覚悟は決めてるんだ。

 バイクから少し離れた所で、トールビットとニンジャがこちらを見ている。俺は後ろの夜桜さんにバレない様に小さく頷いた後、2人に中に戻っているように伝えた。

 

 2人には呼び出しといて悪いけど、ここからは出来るだけ必要最小限の人数で進めたい。俺の我儘だ。

 

 

 

『俊介、こっちは準備OKだ。いつでも行ける』

 

 左側には、半透明な事を除いて俺のバイクと全く同じものに跨りハンドルを握るガスマスクが居た。その後部座席にはキュウビが両足を側方に放り出して乗っていた。一応、片手でガスマスクの肩を掴んではいるが。

 

 

 ―――体の一部を渡すこの技は、その一部を操る人格が外に出ていなければならない。

 実に便利なこの技だが、どんな物事にもちょっとした弱点がある。この技も例外なくちょっとした弱点がある。

 

 それは、体の一部を渡しているだけで、視界の共有はしていないという事。

 つまり半透明の人格が俺の近くにいないと、体の一部を動かせはするものの俺の姿が見えないため、何かあった時に対処できないという所だ。

 

 それに加え、殺人鬼達は俺から100メートルまで離れられる。

 もしバイクで時速60キロで走った場合、殺人鬼はそのまま時速60キロで俺から離れていき、100メートルの所にある見えない壁に叩きつけられるのだ。かなり痛いし、100メートル先からでは俺の姿も上手く見えない。

 

 

 それを解決するためには、超簡単な話、向こうにも時速60キロで追っかけてきてもらうしかない。

 そのため俺の乗るバイクをコピーし、運転が人格達の中で一番上手なガスマスクに頼んだのだ。キュウビを運んでくれないかと。

 

 

『声が聞こえないくらいには距離を空ける。見失う事はないから心配するな、2人で話せ』

 

 

 ありがとう、ガスマスク。

 内心でそう礼を言いながら、俺はハンドルを捻った。

 

 スピードが十分に乗った所で、キュウビに左腕の主導権を譲る。念のため運転のいろはは口頭で伝えたが、右腕だけでも十分ハンドル操作は出来る。大きな問題はない。

 

 

 左腕を譲って数秒後、俺の左手の指が勝手に動いた瞬間、顔がぽぉっと熱い物に覆われるような感覚がした。

 サイドミラーで確認すると、俺と夜桜さんの顔、バイクの色まで変わっている。これでバレる事はまずないだろう。

 

 

 背後にいる夜桜さんが広がる畑を見ながら、楽しそうな声色で言った。

 

「日高君ってバイクの免許持ってたんだね、全然知らなかった!」

「うん、まあちょっと色々あって……。しっかり捕まってて!」

 

 彼女につられて楽しくなった俺はハンドルを更に捻り、スピードを上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜桜家の周辺。

 塀の捜査を進める警察官から少し離れた所に止まるパトカーの中で、長身の眼鏡の男が退屈そうに本を読んでいる。

 彼の胸には、二重らせんが絡み合ったバッジ……『人格犯罪対処部隊』のバッジが付けられていた。

 

「全く、退屈な事この上ないですね」

 

 そう呟く男の名は白戸 成也(しらと せいや)

 読んでいる本は黒魔術に関する物で、何度も何度も読み込まれた後が残っている。

 

 助手席に座る白戸に、ハンドルを握る警察官は緊張と懐疑の籠った眼差しを向けていた。

 人対なんて、凶悪な人格犯罪にしか出動しないような部隊の1人が、なぜこんな場所にいるのか。

 

 

(人対が出張って来るほどの事案じゃないだろ……? たかだか女の子が一人、家出したってだけなのに)

「私もそう思っていたんですが、上から出ろと言われまして。お国には逆らえませんね、お互い」

 

 

 警察官はその言葉に納得しそうになり……そして、困惑する。

 

「な、なぜ私の考えている事を!?」

「魔法です」

「まっ……まほう……?」

 

 白戸が本を閉じる。

 持っていた鞄の中にその本を入れ、後部座席に放り込む。

 

「ま、それは置いといて。その夜桜という子、見つけましたよ」

「えっ!? ど、何処ですか!?」

「アレです」

 

 焦る警察官を横目に、白戸が少し離れた道を走るバイクを指さした。

 確かに後部座席に黒髪の女の子が乗っている。目を細めながらそれをよく見て……首をかしげる警察官。

 

 

「見間違いでは? 私、視力には自信があるんですが……あの子の顔は夜桜紗由莉とは全く似ていませんよ」

「なるほど。じゃあこうしましょう」

 

 

 白戸が手のひらを顔の前で重ね合わせた。

 パトカーの中に不可視の風が微かに吹いたと思った瞬間、先ほど指さされたバイクが、唐突に大きく揺れた。

 

 彼が「ふぅ」と息を吐き、再度見るように顎で促す。

 警察官がそれに従い、もう一度注意深く見ると。

 

「―――な!? た、たしかにアレは()()()()()()()だッ!! しかもバイクの色まで変わって……なぜ?!」

「魔法……に似た物でカモフラージュされていたんです。異世界の人格か、もしくは異世界絡みの技術を使う者か。どちらにせよ、人格犯罪者による誘拐ですね」

 

 

 そう静かに言った白戸を、化け物でも見るかのような目でみつつ、無線機を取る警察官。

 近くのパトカーに夜桜紗由莉を見つけた旨を伝え、幾台ものパトカーで例のバイクを追いかけ始めた。

 

 

 周囲が慌ただしくなる中、白戸は静かに呟く。

 

「さて、退屈はしなくなりそうですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクを走らせること十数分。

 海に行くまでのルートで絶対に通らなければならない、夜桜さんの家の近くに来た。

 

「うわ~……私の家、警察の人がすごい集まってるね」

「うん。離れてるから大丈夫だとは思うけど、一応顔下げといて」

 

 

 実際はキュウビの術で顔を変えているから、バレるはずがないんだけど。

 さっさと通り抜けようと、バイクのスピードを上げようとした瞬間。

 

 

「――――あっつッ!!」

 

 

 左手が突然どす黒い炎に包まれた。

 思わずハンドルの操作を乱してしまい、バイクを大きく揺らしてしまうが、何とかこけることなく耐える。

 

 1秒もしない内に炎は消えて火傷もないが、さっきの熱い感触は確かに残っている。

 滅茶苦茶に嫌な予感がするぞ、何なんだ。

 

 脇腹を握る夜桜さんの力が強くなる。

 その時、背後を走っていたガスマスクのバイクがエンジンを大きく唸らせながら、俺の横に並んできた。

 

 キュウビが珍しく焦った様子で叫んでくる。

 

『俊介! すまん、わらわの術が誰かにかき消された!』

「何!? どういうことだよ!!」

『顔変えの術がかき消されたって事じゃ!! 元の顔に戻っておる!!』

 

 

 サイドミラーで確認する。

 確かに、俺と夜桜さんの顔もバイクの色も元に戻っているのが見えた。

 

 その瞬間、特徴的なサイレンの音を鳴らし始めるパトカーの群れ。

 明らかにこっちを見据え、追いかけてこようとしているのが分かる。

 

 

「……キュウビ! ナンバーを焼き切れ!」

『分かったのじゃ!!』

 

 左手が勝手に動き、バイクのナンバープレートにボッと青い火が点火される。

 一瞬のうちに表面が焦げ、次第に溶けていき、どろどろの液体となって地面に滴っていった。あそこまで溶かせばナンバーの復元は出来ない。

 

 

 夜桜さんが困惑した様子で叫ぶ。

 

「日高君!? さっきから一人でどうしたの……ッ、まさか」

「良いから捕まってて! 俺が……絶対に海まで連れて行くから!!」

 

 

 

 警察がその気だって言うなら、こっちだってやってやる。

 俺は夜桜さんを絶対に海まで連れて行くって決めたんだよ。こんな所で邪魔されてたまるか。

 

 

 被っているマッドパンク製のヘルメット、その側面にある小さなボタンを押す。

 すると、ヘルメットが一人でに動き、顔が全く見えないフルスモークのヘルメットへと変形した。

 

 それと同時に中から1人呼び出す。

 

「ヘッズハンター!!」

『どうした―――どぉおおおっ!!??』

 

 

 中から彼を呼び出した瞬間、ヘッズハンターは地面に着地してずっこけた。高速で動いている中呼び出したんだ、仕方ない。

 

 だがすぐに立ちあがり、人外染みた動きで急加速して俺の乗るバイクに追いついて来た。

 息切れしながら、バイクのマフラーに器用に足を掛けて乗る。

 

『はーっ、はーっ……ど、どうし……。……ああ、なるほどね』

「警察からの攻撃を感じたら避ける方向を言ってくれ」

 

 ヘッズハンターは俺が何か言う前に、警察のパトカーを見て納得したらしい。

 

 キュウビの術を強制的に解除するなんて絶対に碌な相手じゃない。かなり危険だ。

 だが何か厄介な事をされそうな時、ヘッズハンターの滅茶苦茶に鋭い勘は役に立つ。彼の指示に俺の運転技術が追い付くかは別として。

 

 

 背後から警察のパトカーが幾台も追いかけて来た。

 どのパトカーにキュウビの術を解除した奴がいるか分からないが……。

 

 

 俺はハンドルを全開まで捻り、スピードを上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 









お気に入り数が10000突破しました! ありがとうございます!


いたずらで前回後書きに「うーん」、今回後書きに「ち」と書いて繋げちゃお~と小学生並みの感性でニチャ笑いしてたら、とんでもないタイミングでお気に入り数が10000突破してしまいました! すみません!!


あと久しぶりにランキングみたら、オリジナル月間ランキングの1位にこの作品がありました。知らなかった……。


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#27 最強(右腕)

 

 

 

 

 

 パトカーの中から、前を走行する一台のバイクを見据える。

 面倒だが、後部座席に乗っている夜桜紗由莉が死なないくらいには魔法の威力を絞らなければならない。

 

 手のひらを合わせ、手で印を組む。

 異世界から流れ着いた理に反した技術はいくつもあるが、白戸が使うのは最もオーソドックスであり、本人の才能に多くが依存される『内包魔力式魔法』だ。

 

 これは自身の中に流れる『魔力』なる目に見えないエネルギーを使い、『魔法』を使う方式。

 

 外部からのエネルギー……電力等を魔力に変換して外部装置に溜めて魔法を使う『外包魔力式魔法』もあるが、それを使う位なら最初から科学の武器を使った方がマシだ。白戸から言わせれば無駄が多すぎるし、()()()がない。

 

 

 魔法とは身一つでぶっ放すからこそ()()()()()

 そういうポリシーが白戸にはあった。

 

 

「さて……どれくらいやれるか、試してみましょうか」

 

 合わせていた手を放し、右手の人差し指を立て、バイクに向けて一文字に切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺達は豪邸が並ぶ住宅街を抜け、寂れた商店街の中を爆走していた。屋根は老朽化で軋んでいるが、地面は綺麗なコンクリートで舗装されている。

 巨大デパートの弊害で人が全くいないここは、それ相応に入り組んでいて、デカい車を巻くにはピッタリだ。 

 

 

 バイクの後部にしがみついていたヘッズハンターがパトカーの方を見て叫ぶ。

 

『来るぞ、俊介!』

「どっちに避ければいい!?」

『……ブレーキ掛けて右!!』

 

 言われた通りにブレーキを掛ける。左手はキュウビに渡したままのため、右のブレーキだけだが。

 前輪のタイヤだけにしかブレーキが掛からないが、それを利用し、後輪を滑らせるようにバイクの前輪を右側に向けた。

 

 その瞬間。

 

 

 

 ――――ズドォォォォオオオン!!

 

 

 

 轟音と共に地面が爆ぜ、噴き上がったコンクリートが高さ10メートルほどの所にある屋根をぶち破った。

 ブレーキで止まっていなければ確実にバイクがやられていただろう。

 

「なッ、なんつー馬鹿みたいな攻撃だよ!!」

 

 あんなの直撃したら洒落にならないぞ。

 キュウビと一緒にハンドルを捻り、バイクを急発進させる。

 

 パトカーにはこんな急カーブは真似できまいと思っていたが、地面のコンクリートを湾曲した斜めに浮き上がらせ、逆に加速して来た。

 何だよその技、ミニ四駆みたいな事しやがって!

 

 

「クソっ!! やばいやばい!!」

 

 焦って上手く頭が纏まらない。

 警察に本気で追っかけられるのは初めてだが、ここまで厄介とは。ただの男子高校生が警察から逃げ切るなんてやっぱ無理なのか!?

 

『俊介、左に避けて右だ!!』

 

 ヘッズハンターの声。それと同時に、目の前に無数の直径30センチほどの火の弾が現れた。

 ハンドルを左に傾け、火の弾を避ける。だが右に避ける際、焦りでハンドル操作をしくじってしまい、バイクが揺れてしまった。

 

「やばッ―――」

 

 倒れはしなかったものの右に避け切れず、火の弾が目前に迫る。

 大火傷を覚悟した、その瞬間。

 

 

 矢の形をした青い炎が迫る火の弾を撃ち落とした。

 

 唸るエンジン音と共に、ガスマスクのバイクの後部座席に乗ったキュウビが姿を現す。そして扇子を口の前に構え、自信満々な雰囲気を纏わせながら言った。

 

『はん、このわらわの存在を忘れられては困るのぉ! ちょこまかとした術なぞわらわがどうにかする、ビビらず行くのじゃ!!』

「……ありがとな、キュウビ!!」

 

 

 そうだった。

 別に俺の力だけで逃げ切らなきゃいけない訳じゃない。寧ろ俺に出来る事なんて殆どないから、誰かの力を借りるんだ。……借りる相手が殺人鬼って言うのはどうかと思うけど。

 

 

「ダークナイト、降りてこい!!」

 

 神社で一度降りてきていたが、その後空に戻っていたダークナイトを呼ぶ。

 彼は何十メートルもの高さから余裕で地面に着地し、そのままバイクと並走し始めた。時速80キロ以上は出してるのに。まあ予想はしてたけど。

 

「……ダークナイト。もしお前に、3秒間右腕を渡したなら……瘴気は何メートル広がる?」

『10』

 

 何処からともなく取り出したナイフで、一瞬で数字を彫るダークナイト。

 そうか、10メートルか。

 

 

『待て俊介、本気か!?』

 

 ガスマスクが声を張り上げる。

 

 ダークナイトの瘴気は格下の生物を問答無用で殺す、それはすなわち……俺が最も忌避する人殺しを、いとも簡単にやってしまうということだ。

 だが向こうが埒外の相手だっていうなら、こっちだって埒外の奴を出さざるを得ない。商店街の中は入り組みすぎて、見えない所に人が居る可能性があるため渡さないけど。

 

「なるべく渡したくないけどな! けどいざとなったら……本気(マジ)だ!!」

『俊介油断するな、次は真正面に来るぞ!!』

 

 ヘッズハンターがそう叫んだ瞬間、目前に土の壁が地面からせり上がった。

 

 

『陽道・焔火炎(ほむらかえん)!!』

 

 

 左手が勝手に動き、土壁を青い炎のビームが貫いた。服越しだが肌が焼けるような熱を感じる。キュウビの奴、こんなに強力な火を出せたのか。全く知らなかった。

 土が融解して出来た穴をバイクで突破する。

 

 パトカーがあの土壁で少しでも止まってくれる事を期待したが、土壁が何もなかったように地面に引っ込んだ。自分で出した壁なんだ、そりゃ引っ込められるよな。

 

 

 そうしてカーブを抜けた頃、ヘッズハンターが舌打ちをする。

 

『……チッ。次は避けられんな』

「マジかッ―――ヘッズハンター! 両足渡す!!」

『話が早くて助かるな、その子は俊介がしっかり抱えてろ!!』

 

 左腕の主導権をキュウビから取り戻し、夜桜さんが脇腹に回していた手を左手で強く掴む。

 

「絶対に離れないでくれ、夜桜さん!」

「う……うん!!」

 

 彼女が俺の背中に体をぴっとりと付ける。左手は俺に掴まれ、右腕は俺の右肩を通して左肩をギュッと掴んでいた。これなら多少の事でも離れない。

 

 一体何が来る……!?

 そう思ったのも束の間。

 

 商店街の左右の建物が、ミキミキと音を立てて倒れ始めたのだ。屋根のプラスチックが砕け、パラパラと降って来る。

 建物はちょうど俺達の行く先を塞ぐタイミングで倒れてきていた。このままでは建物の瓦礫に阻まれて進めなくなってしまう。人が居ないからって、なんて無茶苦茶な事を。

 

 

『バイクをスピード上げてそのまま走らせろ!』

 

 

 マジかよ!? ……いや、俺は信じるぞ!

 指示通りエンジンを思いきり吹かしてスピードを乗せる。

 

 

 そして建物が目前に迫ったその瞬間―――バイクから勢いよく跳んで、倒れる建物の中へと突っ込んだ。

 

 

 バイクは倒れ行く建物と地面のギリギリの隙間を通り、乗せられたスピードのまま、幽霊が運転しているかのように一人で進んでいくのが見えた。

 だが問題はバイクより、俺達の方だ。

 

「うおおおおっ!?」

「きゃああああああっ!!」

 

 俺と夜桜さんが悲鳴を上げる。

 

 崩れ行く建物の中。こんな所に入るなんて凡そ正気の沙汰じゃない。

 1秒ごとに形が変わる室内を、ヘッズハンターが操る両足が縦横無尽に飛び回る。不安定な足場にもかかわらず、その脚力は衰えを見せる事がない。

 

 目の前に降って来たコンクリート片を空中回し蹴りで叩き割り、窓ガラスをぶち破って脱出する。

 

 ちょうど建物から脱出した瞬間、1人で走っていたバイクが下から姿を現した。

 その上に勢いよく飛び乗り、一瞬で両足の主導権が帰って来る。急いでハンドルを握り、揺れるバイクを全力で押さえた。

 

 

 揺れが収まり、バイクを再加速できるようになった頃、不思議な笑みが漏れる。命の危険を乗り切った高揚感からだろうか。

 

「ははっ、ははは……すご、すげ!」

『いや、今のは結構危なかったな……上手く行ってよかった』

 

 ふーっとため息を吐きながらそう言うヘッズハンター。

 成功する確証はなかったのかよ。いやまあ仕方ないか。

 

 

「でもまぁ、流石に撒けたろ……」

 

 そう呟き、サイドミラーをちらっと確認した瞬間。

 倒れ切った建物に、ぽっかりと黒くて巨大な穴が開いていた。

 

 

「なんだあれ―――ッ!!」

 

 思案する暇もなく、その穴から土埃まみれのパトカーが飛び出して来た。地面に勢いよく着地し、何度かスリップしかけながらも持ち直し、こちらを追いかけて来る。

 

 そんなパトカーの車内に、目を血走らせて歯を食いしばりながらハンドルを握る警察官と、その助手席で涼しそうな顔をしている眼鏡の男が見えた。

 

 あの眼鏡の男の方、こんな状況であそこまで落ち着いているなんてありえない。

 だとするならば、この一連の異常現象はアイツの仕業か。黒い穴からはあのパトカー以外出てきていないし、アレさえ潰せば追跡は終わる。

 

 

「キュウビ、距離を稼げ!」

『ハハハ、わらわに任せておくのじゃ!!』

 

 左腕をキュウビに渡す。

 パトカーの前に幾重もの火柱が噴き上がり、それを避けようとハンドルを切ることで少しずつ向こうのスピードが落ちる。だが眼鏡の男が指を一文字に振った瞬間、火柱が黒い炎に包まれて掻き消された。

 

 

 キュウビが憎々し気に眼鏡の男を睨む。

 

『チッ……。左手だけの不完全な術を消した程度で良い気をしおって』

「いや充分だキュウビ!! ありがとう!!」

『……んっ、うむ……』

 

 

 

 商店街を抜ける。

 

 抜けた先は、これまた人の気配が全く感じられない交差点だった。山、海、街の3つの行く先に分かれている。

 

 海に行くまでの最後の分岐点だ。

 ここを超えると、パトカーを撒いても行く先がバレてしまい、海で静かに過ごせない。

 だからここが最後の砦。ここで決める。

 

 

 

 パトカーが十分に離れているのを確認し、バイクを止める。

 

「夜桜さんはバイクに乗ったまま、絶対に近づかないで!!」

 

 じゃないと本気で死ぬ。

 ヘッズハンターに両足を渡し、バイクから10……念のため13メートルほどパトカーのやってくる方向にひとっとびしてもらった。

 

 

 奴らがやってくる方向に顔を向け、仁王立ちする。

 夜桜さんとの距離は13メートル、パトカーとの距離は大体30メートル。

 十分だ。

 

 

 いつの間にか傍に居たダークナイトに言う。

 

「3秒だ。パトカーの中の人間は殺さずに、ここから進めないようにしろ」

『(*`・ω・)ゞ』

 

 本当に分かってるのかなぁ……。

 いや、俺はもう覚悟を決めた。ここから先には進めない、ここで絶対に奴を止めるには、こっちの規格外を出すしかないんだ。出来れば出したくなかったけどな!

 

 

 スーッと肺に深く息を吸い込み、覚悟と共に勢いよく叫んだ。

 

「ダークナイト、右腕だ!!」

 

 

 

『――――グギャァァアアアアアアアォオアアアアアア!!』

 

 

 

 彼が雄たけびを上げた瞬間、右腕からドス黒い瘴気が溢れ出した。

 助手席で涼しい顔をしていた眼鏡の男が焦った表情を見せる。だがそれを意に介する事もなく、ダークナイトは右腕を思いきり振り抜き。

 

 

 ――――轟音と共に、黒い嵐が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひっくり返ったパトカーのドアを蹴り飛ばし、中から這い出る男が1人。

 咳き込みながら立ち上がった眼鏡の男は、先ほどバイクを追いかけ回していた白戸成也だった。

 

「ゲホッ、ゴホ……。ああ、これは……もう追跡できませんね」

 

 辺りの状況を見回し、彼が呟く。

 

 先ほどまで変哲もなかった交差点は、今は見るも無残なほど酷いものだった。

 

 

 黒い嵐が吹き荒れ、信号と電柱は根こそぎなぎ倒された。勿論パトカーがひっくり返されたのもこの嵐のせいだ。

 コンクリートはズタボロに割れ、ささくれの様に逆立っている。ゴム製のタイヤでここを走れば即パンクだろう。

 

 そして何より目についたのは。

 天変地異でも起きたのか。路面に走った亀裂から先の地面が勢いよく上昇し、白戸の前に高さ10メートルほどの見上げるような崖が出来上がっていた。

 

 白戸は崖に触れ、呟く。

 

「これは……魔法を使うことなく、ただ大量の魔力を込めた腕を勢いよく振って、天変地異を起こしたのか……。うーん、化け物ですね」

 

 

 今しがた眼前で起きた事。

 現代風に例えれば、火力発電所並の発電量を、自転車を人力でこいで発電させているのと同じ。

 

 常人……いや、生物の枠に収まる物には到底不可能な芸当である。白戸にはこんな事、真似しようとも考え付かない。

 

 しかも大量の魔力が吹き荒れた事で、白戸の体内の魔力にまで影響が出ている。

 魔法が上手く使えないので、崖の上にパトカーを移動させることもできないのだ。もうどうすることもできない。

 

 

 ふーっと、白戸がため息を吐く。

 

「しょうがない。撤退しますか」

 

 ……正直、白戸にも分かっていた。

 夜桜紗由莉は誘拐ではなく、自分の意思であのバイクに乗っていたと。遠目からでも、人間に魔法かそれに類する技術が掛けられたかどうかくらいは見抜ける。

 

 まあ、放っておけば勝手に帰って来るだろうとは分かっていた。

 だが暇だったので追いかけた。最後のは少し恐ろしかったが、なかなか楽しかった。熱が入りすぎて、商店街を少々壊してしまったが。

 

 

「それにしても……あの余りに多彩すぎる技。多分、アレは『()()()()()()』ですね。

 しかしまあ、あんな化け物まで中に宿らせているとは。アレを捕まえるのは、牙殻に任せましょうか」

 

 

 あのバイクの男が何者かを見抜く。

 それくらいの仕事は、白戸はキッチリやっていた。

 

 尤も、『怪人二十面相』が昔から追っている人格犯罪者とはいえ、今は必死に追う気分ではない。走って追いかけても追いつけるわけがないし、面倒くさいのだ。

 白戸はそれくらいには、仕事でほどほどに手を抜く男であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――そうして。

 

 多少の面倒事を乗り越えた後。

 

 

 日高俊介と夜桜紗由莉を乗せたバイクは、海に辿り着いた。

 

 

 

 



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#28 こういう事もある

 

 

 

 

 

 波の音が響き渡る砂浜。

 その砂浜で半透明の人間が2人、並んで体育座りをしていた。

 

 

『わらわさぁ……俊介が怖がると思ってさぁ、ずっと術の出力を制限して来たんじゃよ……』

『そうか……』

『でも今回の件でさぁ、つい思いっきり術を使っちゃったんじゃよなぁ……』

『そうかぁ……』

『ぬあああっ、俊介が怖がってわらわにおかしな目を向けてきたらと思うと気が狂いそうじゃあ~~!! なんでわらわはあそこで思いっきり術をぉ~~!!』

 

 

 砂浜の上でゴロゴロ転がり始めるキュウビと、それを感情のこもっていない瞳で見つめるヘッズハンター。

 彼は『なぜ俺がこいつの愚痴を聞かなければならないんだ』と、静かに考えていた。

 

 

 1分ほど経ってもまだブツブツ言いながらキュウビが転がっているので、面倒混じりの息を吐きながら言う。

 

『……俊介は男子高校生だ。俺もそうだったけど……そこらの年頃の男ってのは、ド派手な魔法をカッコいいって思ったりする。だから怖がられるとかは、そんなに心配しなくていいんじゃないか』

『なぬッ。本当か』

『マジだ。……俺の世界とこの世界はかなり似てるし、男の感性も大体同じだろ』

 

 適当に考えて喋った慰めの言葉。

 だがそれを真に受けたキュウビは一息で立ち上がり、扇子を仰ぎながら大きな声で笑い始めた。

 

『ワハハハハ!! やはりわらわは運が良いのう、面倒な謀略をせずともここまで上手く事が運ぶのじゃからな!! これで俊介はわらわの術にゾッコンじゃ!!』

 

 

 あー……やっぱこいつ馬鹿だな。さっきより余計にうるさくなったし。

 ヘッズハンターは、あのまま落ち込ませていた方が良かったかと少し反省した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バイクを無人の駐車場に止め、砂浜を歩く。

 今はまだ5月、海水浴の客は1人もいない。せいぜい砂浜の遠くの所に、豆粒程度の散歩客が見えるだけだ。ここで何を話したって誰にも聞こえやしない。

 

 

「……綺麗だね」

「そうだね」

 

 

 夜桜さんにつられ、海の方を見る。

 波の一つ一つに太陽光が反射して、白と青が1秒ごとに形を変えながらキラキラと光る、天然の宝石箱。自然の雄大さに圧倒されるというのはこういう事なのかと、心の中で静かに思う。

 

 

「日高君って……人格持ちだったんだね。しかも複数……」

 

 

 突然、夜桜さんがそう言った。

 まあ流石にバレるよな。明らかに普通の高校生には出来ないことやりまくってたし。

 

 特に否定することもなく彼女の言葉に肯定する。今更、夜桜さんに隠す気もない。

 

「うん。人格持ちだよ」

「いったい、中に何人居るの?」

「……13人」

「じゅっ……!?」

 

 彼女が目を見開く。

 他の人格持ちは大体1人だけだし、俺の13人は結構珍しいんだろうなと思ってたけど。

 

 

 震えた声色で夜桜さんが言葉を紡ぐ。

 

「い、今一番多い人でも確か4人だって聞いたよ」

「そうなの?」

「うん……。国に認められた人格持ちが集まる会みたいなのがあって、そこに出席した時にちょっと聞いたんだ。その4人の人は今、精神病院に入院してるって」

 

 

 こわ。精神病院に入院って何があったんだ。

 でもまあ、今確認されている最高が4人ってだけで、確認されてない奴の中では俺より多い奴がいるかもしれないし。全員殺人鬼ってのは多分俺ぐらいだろうけどな!

 

 

 彼女が俺の左腕を引きながら言った。

 

「ね、日高君の中の人格ってどんな人たちなの?」

「えっ? えーっと……」

 

 

 全員超が付くほどの常軌を逸した殺人鬼です。

 なんて言ったら流石にドン引かれるよな。

 

 だが俺の悩みを見越したかのように、夜桜さんがトンと自分の胸を叩いた。

 

「大丈夫大丈夫、ドーンと言ってみて! バクダンがあんなんだし、危険な人には慣れてるから!」

「えぇっ……いやぁ、まぁ、バクダンより酷いっていうか」

「ささ、ほらほら!」

 

 

 …………。

 隠し事は、もうやめてみるか。

 

 彼女は俺に悩みを打ち明けたんだしな。バクダンにすら明かしてなかった秘密の悩みを。

 俺もそろそろ、この胸に抱える秘密の悩みを誰かに共有する時が来たのかもしれない。彼女はもうすぐいなくなるけど。

 

 

 緊張で乾く口内。舌が口の中に張り付くが、それを無理に外し、空気を吸い込む。

 そして噛みしめるようにゆっくりと、言葉を放った。

 

 

「その、さ。俺の中の奴らは、全員……『()()()』なんだ。それも1人や2人じゃなくて、いっぱい……」

 

 

 俺の人生の、一番の秘密であり弱点。

 それをさらけ出して真っ先に感じた感情は、『恐怖』だった。当然っちゃ当然ともいえる、夜桜さんが怖がって逃げて警察に通報でもすれば、俺の人生は一巻の終わりだ。

 

 だけど、それでも俺は、この秘密を共有することを選んだ。

 どうなってもいいさ。他でもない夜桜さんに止めを刺されるなら、それもそれでいい。

 

 

 お互いに足を止める。

 そうして1分ほど、静かに海を眺め……突然、夜桜さんが「ぷっ」と口から空気を噴き出した。

 

「ふふ……。なーんだ、そういう事だったんだね」

「何?」

「私と君が一緒に誘拐された時あったでしょ? 誰が助けてくれたんだろうと思ってたけど、他でもない、日高君のおかげだったんだね」

 

 さっきの警察との応酬を見れば、流石にそっちも勘づかれるか。

 

 

 それを言い終わると、彼女が俺から数歩離れ、海の中に入って行く。

 ちゃぽちゃぽとくるぶしまで水につかった所で、こちらを振り向いた。彼女の足から広がる波紋が波にかき消される。

 

 

 逆光の中でもしっかりと見える程眩しい笑顔を見せ、彼女は言った。

 

「ありがとう。もう憂いはないよ」

「……うん……ッ」

 

 その言葉に、少し目頭が熱くなる。

 5月にしては生暖かい風よりも、更に熱のこもった息が口から漏れる。……涙がこぼれる前兆だ、でも堪えないと。彼女の最後の姿が涙で滲んだ姿なんで絶対に嫌だ。

 

 

 夜桜さんが、笑みを消し、優し気な眼差しで俺の顔を見つめる。

 

「……ね、日高君」

「?」

「私ね。君の事、結構()()だったよ」

 

 そうして、彼女は体を一瞬硬直させた。

 

 人格を変えた合図だ。 

 これで彼女はもう二度と戻って来ない。

 

 

 

 

「…………」

 

 眼に溜まった熱い物をこぼさないように、空を見上げる。

 この後、バクダンを家の近くまで送り届けなくちゃならない。夜桜さんはいなくなっても、夜桜さんの体は生き続ける。バクダンの物となって。

 

 だけどちょっとくらい、この場所で。

 座り込むくらいは――――

 

 

 

 

 

「――――うだらぁああああああッ!!!!」

 

 

「何ッ!?」

 

 

 ――――ボギャアアァアアアアッ!!!!!

 

 

 

 海から勢いよく走り出したバクダンの拳が、俺の顎に鋭く突き刺さったッ!

 不意の攻撃にたまらず重心を崩し、背中から砂浜に倒れ込む。幸いバクダンの力はそこまで強くなく、脳震盪は起こさなかった。

 

 上体を起こしながら、殴った拳を痛そうに押さえるバクダンに叫ぶ。

 

「てめーバクダン、何しやがるッ!!」

「黙れよこのリア充ッ!! 私はッ、リア充が爆発するところは見たいけど……こんな理想の青春からのガチの悲痛お別れは見たくなぁいッ!!」

「はァ!?」

 

 

 そう言って、バクダンの体が硬直する。人格変更の合図だ。

 ピクリと指が動いたものの、またすぐに体が硬直する。人格変更の合図だ。

 

 動き、硬直し、動き、硬直し、動く。

 それを大体300回くらい……時間にして10分ほど繰り返していた所で、夜桜さんの体が膝を突いた。ど、どっちの人格だ!?

 

 

「はーっ……はーっ……。ど、どうして変わらないの、バクダン!?」

 

 あの人格は、よ、夜桜さんの方だ。

 彼女は何もない所に顔を向け、そう叫んだ。恐らくそこに半透明のバクダンがいるのだろう。

 

 夜桜さんはバクダンの方をキッと睨んでいたが、突然目を見開き、次第に頬を赤く染めていく。

 

 

「そッ……そんなんじゃないからッ!!」

 

 そう叫んで立ち上がり、彼女は何もない所に鋭い上段蹴りを放った。なんて速さだ、俺だと防ぐことも出来ず側頭部に決められるだろう。夜桜さんは意外に武闘派だったのか……。

 ただ半透明のバクダンに蹴りが当たる訳もなく、その足は空をすり抜ける。

 

 

 数秒の沈黙。

 

 夜桜さんはそれ以上人格を変更しようとせず、肩で息をしながらこちらを向いた。そしてなぜか真っ赤な顔を手で隠し、指の隙間からこちらを見ている。

 

 

「…………」

「…………」

 

 彼女が一度でも、こうして戻ってきてくれたのは嬉しい。それは本当だ。

 けど、どうすんだよこの空気。お互い気まずすぎてとんでもない事になってるじゃないか。

 

 

「日高君?」

「はい」

「私が()()()()って言ったのは、そういう意味じゃないからね? 友人として、友人としてだから!!」

 

 

 顔を赤らめつつ、手を顔の前でブンブン振りながら言う夜桜さん。

 

 ……友人としてかぁ。

 最後くらい、異性として好きとか言われてみたかったけどな。どうせまた、彼女はバクダンと人格を変わるんだろうし……。

 

 

 そう思っていたら、突然、夜桜さんが俺の右手を引いた。

 

「日高君、ちょっと遊んでかない?」

「えっ? で、でも、バクダンに体を譲るんじゃあ……」

「…………もうやめることにする! いっぱい迷惑かけてごめんね、日高君!!」

 

 

 ――――ホント?

 じゃあ夜桜さんの人格はいなくならずに、まだ学校に通い続けるってこと?

 明日もおはようって言い合えるってこと!?

 

 

「やったぁあああああ!!」

 

 

 なんかよく分からないけど、全部上手く行ったぞ! 最高だ!!

 俺は夜桜さんに引かれていた手を、逆に引き返すように、前へと思い切り走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(日高君の中には、13人もいて、それが全員人殺し。それが一番の秘密。

 それを知ってるのは私だけなんだよね、日高君…………)

 

 

 夜桜紗由莉。

 

 母と父から受け継いだ美貌と明晰な頭脳、そして人並み以上の高い身体能力。どんな分野でも大成する事は間違いなし。

 だからこそ、両親は彼女を厳しく育てた。一流の人間になれるようにと。

 彼女もまた両親の思惑を理解し、その期待に応え、メキメキと能力を伸ばしていった。

 

 しかし。

 

 10歳の頃、強制的に受けさせられた浮遊人格統合技術の注射により、彼女には異世界に生きた人の理を越える天才爆弾技師……()()()()が宿ってしまった。

 

 

 その日から両親は、今までの厳しさを翻し、彼女を甘やかすようになった。

 良い事をしても悪い事をしても、『優秀な人格持ち』だからと褒めつくしてニコニコしているだけ。

 

 『成功が確約されている』ではない、優秀な人格が宿った時点で夜桜紗由莉は『()()()()』のだ。厳しく育てる必要はどこにもなかった。

 

 

 そんな両親の変わりぶりが、10歳の彼女にはたまらなく気味が悪かった。

 小学校でも今まで仲良く遊んでいた同級生は少し距離を取るようになり、進学した一流の中学校でも同じように距離を取られる。

 

 ならばと、レベルを一気に下げた高校に通っても親は何も言わず、同級生は距離を取る。

 心底気味が悪かった。顔に貼り付ける笑顔だけが上手くなった。

 

 

 そんな時。

 帰り道に、優秀な人格持ちを狙った誘拐犯に襲われた。

 

 最初は撃退しようと抵抗したが、次第にやる気が失せた。むしろ今ここで誘拐された方が、誰か自分の事を見てくれるんじゃないかと、そう思ったほどだ。

 

 そうして体から力を抜き、睡眠薬らしきものをしみこませたハンカチを口に押し込まれた時。

 曲がり角の向こうから、同じ高校の制服を着た男子高校生が倒れるのが見えた。

 

 目を覚ました時、彼は廃工場の同じ牢屋の中に居た。

 巻き込んで申し訳ないと思いながらも、私は大男に誘拐犯のボスらしき2人の前に連れ出され、舌を焼かれる。

 

 痛いと思いながらも我慢していたら、いつの間にか、誘拐犯たちは全滅していた。

 誰がやったのかは分からない。共に誘拐された彼を探すが、彼もまた、どこかへ姿を消していた。

 

 

 翌日、共に誘拐された彼を学校で見つけた。名は日高俊介。

 それから彼にはバクダンを紹介し、学校で時折会話する仲になった。

 遠慮しがちな面がある彼だが、私は久方ぶりの人との会話に心が温かくなるような感じがした。

 

 温泉街でも彼と会った。

 学校の外で見る彼はどこか鋭い気配を放っていたが、私の顔を見ると、すぐにふにゃっとした雰囲気になった。

 

 私がバクダンに体を譲る前に神社に訪れた時、誰よりも真っ先に、私を探しに来てくれた。

 警察の追ってから振り切り、約束通り海まで連れて来てくれた。

 

 

(どうして彼は私と会って雰囲気が変わったり、わざわざ危険を冒して、ここまで連れてきてくれたんだろう?)

 

 

 何でだろう。

 ついぞ最後まで答えが分からぬまま、バクダンと体を変わった。

 

 ……だが、バクダンはすぐに体を返して来た。私も体を変わるが、すぐに返して来る。

 それを300回ほど繰り返し、精神的な疲れで私は膝を突いた。そしてバクダンの方を向く。

 

「はーっ……はーっ……。ど、どうして変わらないの、バクダン!?」

『は~~ぁ!? それはこっちの台詞だよ!! あの男はどう見ても紗由莉に惚れてるだろ、私を身が悶えるような甘酸っぱい青春の間に挟みこまないでくれるかなぁ??!!』

 

 !?

 いや、それは違う。彼は他のみんなと同じように、私の優秀な人格持ちだって事に……。

 

『私がどうのこうの考えてるかもしんないけどぉ、あいつはどう見たってお前の事を見てんだろ! あいつの私への口調と紗由莉への口調の違い、ものすげぇからな!? 爆竹とミサイルくらいちげえぞ!!』

 

 

 ……私?

 バクダンじゃなく……夜桜紗由莉という人格を見てくれてるの?

 

 

「そッ……そんなんじゃないからッ!!」

 

 照れ隠しでバクダンを蹴り払い、ほてる顔を手で覆いながら、日高君の方を見る。

 その眼は確かに……バクダンではなく、()を見てくれていた。

 

 ああ。

 日高君って、私の事が好きなんだ。

 

 人から避けられるうちに鈍くなっていた夜桜紗由莉の感覚でも、彼からの好意がハッキリと感じ取れた。

 途端に気恥ずかしくなり、口から言葉が飛び出る。

 

「私が()()()()って言ったのは、そういう意味じゃないからね? 友人として、友人としてだから!!」

 

 

 これは嘘。

 

 うーん、私ってこんなにチョロかったのかな。

 ただ……私の事を一途に見てくれる人を、思わず()()()()()なんて。勿論異性として。

 

 

 ……バクダンに体を譲るのはやめた。

 日高君が私を見てくれるのなら、この体は頼まれたって譲ってやらない。偶に渡すくらいならいいけど。

 

 

(日高君の一番の秘密を知ってるのは私だけ)

 

 私の一番の秘密であり、悩みを知ってるのも日高君だけ。

 

 だけど私の悩みは今解消された。

 だから、私は今、一方的に彼の秘密を握っているということだ。なるべくやろうとは思わないが、いつでも彼をコントロールできる情報を握っているということだ。

 

 

(…………♡)

 

 

 湿気を孕む吐息が口から漏れる。

 この感情は恋なんて呼ぶには軽く、愛なんて呼ぶには一途すぎる。

 

 

 多分これに名前を付けるなら……。

 ()()()、が正しいのかな。

 

 

 私は、彼が握る手を()()()離さないように、強く握りしめる。

 

「いたッ!」

 

 日高君の声がやけに耳に響いた。

 

 

 

 

 

 

 






夜桜紗由莉の心情を盛るペコ!
なお盛りすぎて1000字くらい削った模様。そのせいで所々変になってるかも。ゆるして


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#29 結果丸見えだけどやりたくなる事もある

 

 

 

 

 中間テストの時期が迫って来た。

 と言っても俺は一夜漬けで平均点のプラスマイナス5点取れるので、特に心配することもないのだが。

 

 でも大学の受験勉強ともなるとそうは行かないよなぁ。

 工業高校みたいに就職が強い学校じゃないし、多分俺も大学に進学するんだろうけど……俺の高校のレベルからして、国立の有名大学に行くのは厳しそうだ。

 

 あー……でも夜桜さんってどこの大学に行くんだろう。俺とは比べ物にならない程頭いいし、滅茶苦茶良い大学に行くんだろうな……追いかけられるかな、俺。

 ……って、その話は今はどうでもいい。今日は休日だしな、勉強の事は頭から追い出そう。

 

 

 

 首に手を当て、殺人鬼を一人呼び出す。

 

「出てこい、ダークナイト」

『グ?』

 

 目の前に現れるは、身長2メートルの黒い鎧。

 警察からの追跡を振り切る時、初めて彼に力を振るわせた。正直何が起きたかよく分からなかったが、彼のおかげであの眼鏡の男から逃げ切れたのは確かだ。

 

 信賞必罰。ってほど上から目線であーだこーだする訳でもないけど、彼らに助けてもらったお礼をせねば俺の気が済まない。

 特に夜桜さんの件に関しては、殆ど俺の我儘で警察からの追いかけっこが始まったようなものだし。

 

 

 椅子に座り、目の前のダークナイトに言う。

 

「この前、右腕を渡して助けてもらっただろ。ヘッズハンターとキュウビとガスマスクにはもうお礼して、ダークナイトが最後なんだ。何か欲しい物とかあるか? 行きたい場所でもいいけど」

『…………』

 

 ちなみに他の3人は全員食べ物が欲しいと言っていた。

 でもダークナイトは鎧が脱げないらしいし、多分食べ物は無理だろうな。何が欲しいんだろ。

 

 

 そう考えていると。

 彼は意外にも、俺が朝食として食べようとしていたハムと卵が挟まれた市販のサンドイッチを指さした。

 

「……え。こ、このサンドイッチか? まあ、別にいいけど……」

 

 誰かにあげるのかな?

 そう思いながらサンドイッチを手に持ち、ダークナイトの左手の上にコピーした。半透明のサンドイッチが彼の大きな手のひらに落ちる。

 

 サンドイッチを一瞥したダークナイトは、空いた右手を自身の顔の前に持っていき。

 

 

 ――――ガリ

 

 

「は?」

 

 突然、自身の頭をすっぽりと覆う兜をガリガリとかき始めた。

 数秒程それを続け、何をしているんだと困惑していたその時、ガキン!と右手の指先が兜面を突き破った。

 

 金属が千切れる音を響かせながらダークナイトは右手を引っ張り、顔を覆う兜面の下半分を引きちぎる。

 

 

 その時、彼の顔が下半分だけとはいえ、初めて見えた。

 ……ダークナイトの強さは半端じゃない。それだけに、鎧の中に入っているのもとんでもなく筋骨隆々とした強面の漢なんだろうと思っていた。

 

 だが、壊れた兜の隙間から見えた顔の下半分は。

 男のそれとは全く思えない、玉のような肌と、リップでも塗ったようなプルンとした桜色の唇だった。

 

 

「ッ!?!?」

 

 

 口を開き、白い八重歯を覗かせるダークナイト。

 サンドイッチを口の中に放り込み、もっしゃもっしゃと咀嚼する。5秒もすれば兜面は再生したが、ダークナイトはその後も咀嚼し続け、ゴクンと音を響かせながら飲み込んだ。

 

 

『(*^ー゚)b』

 

 

 美味しかったのか、ダークナイトは腹にナイフで顔文字を刻んだ後、姿を消す。

 だが俺はダークナイトが消えた後も、頭の中で理解が上手く追いつかなかった。

 

「…………」

 

 ダークナイトは。

 彼ではなく、()()であった……その可能性が浮上し始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って事があったんだけど……皆どう思う?」

『いやいやいや……ありえないでしょ』

 

 俺は男組の殺人鬼を全員集め、ダークナイトの女性疑惑について話し合っていた。

 マッドパンクが俺のベッドに腰掛けながら、肩をすくめてそう言う。

 

『でも確かに、誰もダークナイトが鎧を脱いだ所を見た事がないでござる』

『いやでもな……あいつの身長、2メートルはあるぞ。男でもそうそういない高さだ』

 

 ニンジャの言葉に、ヘッズハンターが困惑した様子で返す。

 身長2メートル……男性でもそうそういないのに、女性ならばもっと珍しいレベルの発育の良さだ。

 

『まぁ、俺達はそれぞれ別の世界生まれだからな。俺の世界ではB兵器に寄生されて、身長が5メートルにまで肥大化した女性もいた。ダークナイトの世界では女性の発育が良かったのかもしれん』

『身長2メートルで人外染みた身体能力か。いささか想像しにくい発育だな。なぁ、マッドパンク』

『僕はたしかにチビだけど元気いっぱいだっつーの! 虚弱なお前と一緒にすんなよサイコシンパス』

 

 サイコシンパスは175センチと少し高めだが、小学生にボコボコにされるほど体が弱い。

 対してマッドパンクは155センチと小さめだが、一応サイコシンパスに勝てるくらいには腕っぷしがある。一般高校生の俺でも勝てそうなくらいの弱さだけど。

 

 まぁ、どんぐりの背比べをする身体能力クソ雑魚組は置いといて。

 

 俺の中にいる殺人鬼達をダークナイトを除いて男女別に並べると、こんな感じだ。

 

 

女性

①ハンガー

②ドール

③キュウビ

④トールビット

フライヤー

エンジェル

 

 ……フライヤーとエンジェルには最近会ってないな。でもあの2人怖いんだよな。

 

男性

①サイコシンパス

②ヘッズハンター

③マッドパンク

④ガスマスク

⑤ニンジャ

クッキング

 

 このように、男女の比率はダークナイトを除くとちょうどトントンなのだ。

 

 もしダークナイトが女性だったなら、殺人鬼達は女性の方が数が多くなる。

 

 別に女性の方が多かったからって、何か問題がある訳じゃないんだけど。

 俺を含む男達の肩身がちょっと狭くなるだけだ。気持ち的に。

 

 ……いや、待てよ。

 俺達素人が云々悩む前に、そもそも男組の中に人体に詳しい奴がいたじゃないか。

 

 

()()()()()はどう思う?」

 

 部屋の隅の方にいた彼にそう言う。

 

 壁に体重を預けながら立っていたクッキングは、片目をウィンクさせ、ちょっと低めの声で答えた。

 

『鎧を着て素肌が全く見えないんだから、分かりようがないわねんッ。でもまぁ男でも女でも、相当な筋肉を備えているってことだけは分かるわ』

 

 

 カラフルな長そで長ズボンの服を纏い、腰に小さな白いエプロンを巻きつけている男。身長は180センチより少し高いくらいで、服の上からでも分かるほどに逞しい筋肉をこさえている。

 唇に真っ赤っかの口紅を塗り、チークで頬を赤く染め、まつげは滅茶苦茶に巻いているが、爪だけは綺麗に整えられていた。

 

 彼の名前は『クッキング』。見た目と口調に少しオカマが入っている。

 

 名前から大体察せるが、彼は人の体を料理して他人に食わせまくってた殺人鬼だ。正直殺人方法の狂気度で言えば13人の中でも結構上の方だと思う。

 そして人を料理しまくっていただけあって、人体にはかなり詳しい。

 

 

「まぁ、鎧着てたらそりゃそうだよな……」

 

 仕方ないか。

 そう思っていたら、ベッドに腰掛けていたマッドパンクが突然立ち上がった。

 

 

『だーっもう、気になったら解明が研究者の基本だ! こうなったら、ダークナイトの鎧をぶち壊してでも性別を確かめてやる!』

「は?」

『馬鹿かお前。結果見えてるぞ』

『ビビるなよヘッズハンター! 僕はやるぞ!!』

 

 なぜか気合を入れ始めたマッドパンク。そんなに気になるか? 今まで俺達が勝手に勘違いしてただけで、聞いたらちゃんと教えてくれそうな気もするけど。

 

 というか、ダークナイトの鎧をぶち壊すという事は、それすなわち。

 あの化け物に喧嘩を売る、という事に他ならない。

 

『そもそも僕は昔から男女関係なくダークナイトが気に入らなかったんだ!!』

『自分より身長が遥かにデカいからか?』

『…………』

 

 ガスマスクのナイフより鋭い一撃が彼の心に突き刺さった。

 身長が小さいの、結構気にしてたんだな。まあ13人の中で下から2番目だもんな。一番下はまだ未成年のドール。

 

 今度カルシウムたっぷりの食べ物でも渡してあげるか。既に死んでいる半透明のマッドパンクの身長が伸びるかわかんないけど。

 怒り肩を揺らし、大股で歩くマッドパンク。

 

『もう決めた、絶対ボコボコにしてやる! ビビる奴は付いてこなくていーよだ!』

『あーあ。ガスマスク殿、余計に焚き付けてしまったでござるな』

『もしマッドパンクちゃんが殴られたら、そのままお陀仏もありえるわねん』

『む……』

 

 

 半透明の彼らが死ぬのかは分からない。なぜなら死ぬほどの致命傷を負った事がないからだ。

 ただ彼らがお互いを攻撃した時、痛みは感じる。もしダークナイトにマッドパンクが思い切り殴られたら、死にはしないかもしれないが、精神が壊れる程の痛みを味わうことになるだろう。

 

 

『……仕方ない。俺もやろう』

『ふーむ、なら拙者も参加するでござる』

『おいおいこの流れ……ったく、マジかよ』

 

 ガスマスクとニンジャの参加表明に、ヘッズハンターが首を横に振りながらため息を吐いた。

 一種のお祭りみたいな物だ、この流れは。殺人鬼達は全員、それなりに我が強いが、お祭りのような陽気な流れには流されやすい傾向にある。

 

 

 

 

「やめといた方がいいと思うけどな」

 

 

 やがて、男組の殺人鬼の全員が参加を表明し。

 

 近くにある公園にダークナイトを呼び出して、全員で一気に襲い掛かっていたものの、10分も経った頃には全員が見事にボコボコにされていた。

 

 

『(≧∇≦)』

 

 

 ただ、ダークナイトは人間相手に久しぶりに暴れられてかなり楽しかったみたいだ。満足げに腹に顔文字を刻み、両腕をブンブンと振り回している。

 

 まあ彼女(?)が楽しかったのなら……それでいいのか?

 

 

 公園の至る所に転がる半透明の人間を見て、俺は首を傾げた。

 

 

 

 

 






いわゆる人格一覧発表回。
ダークナイトの性別はいつか判明します。もう殆ど出てるけどな!


オリジナル四半期ランキング1位になりました。
感謝


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#30 人格犯罪

 

 

 

 人格犯罪。

 それは浮遊人格統合技術によって生まれた闇。

 異世界の人格やそれらが伝えた異世界の技術でもって行われた犯罪の事を指す。

 

 普通の方法で行われる犯罪とは一線を画すほどに凶悪。

 だと言うのに、国……いや世界はマトモな対策を講じようとしない。

 

 なぜか?

 

 それは偏に、浮遊人格統合技術による恩恵が大きすぎるからだ。

 

 地球温暖化、食糧問題、エネルギー問題。

 それらは異世界からの技術により真っ先に解決されたものである。

 

 単純な科学技術の飛躍も著しく、国内の経済は以前の常識では考えられないほどに潤った。国が潤えば上流の自分達の暮らしも潤う。

 イカれた注射を10歳の子供に行う事を義務付けてからは正に破竹の勢い……蘇生薬が体に合わない等の多少の死亡事故をもみ消してでも強行するだけのメリットは十分すぎる程にあった。

 

 

 凶悪な人格犯罪。それが増え始めている事は重々承知している。

 そして、人格犯罪をどうにかしようとするのならば、浮遊人格統合技術を法で禁じるのが一番早く効果的である。そんな事は頭の固い国の上層部も分かっている。

 

 

 だがそんな事をすればどうなるか。

 自国でそれを禁ずれども、他国は禁じない。そうなれば、自国は確実に他国……世界の進化に置いてけぼりにされる。

 

 それに……そんな理屈を差し置いても。

 

 一度異世界の技術で得た、極上の甘い蜜……それを自ら手放すことになる。

 そんな事を許容できるはずがなかった。

 

 

 だが人格犯罪に無対策を続けては、馬鹿な記者が闇を暴こうとおかしな事をしでかすかもしれない。

 

 ……こうして、形だけの人格犯罪への対策として。

 国民の目が闇に向きすぎて、浮遊人格統合技術へのバッシングが始まらないように。

 

 予算も人員も回されない、不遇な立ち位置にある『()()()()()()()()』が出来上がった。

 

 

 願わくば、馬鹿な民衆がこのまま浮遊人格統合技術に興味を向けないように。

 そう考えながら、彼らは極上のワインが注がれたグラスを傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 凡そ人が出入りしているとは思えない程寂れた、とある廃マンション。

 高い柵で覆われたそれは、身の程知らずの若者が度胸試しに訪れ、行方不明になったという噂がある。

 

 ……そんな怪しい廃マンションの2階の角にある一室は。

 その外見からは想像もできない程、豪華絢爛な内装が広がっていた。

 

 

 その華美な椅子に相応しくない雰囲気を漂わせる男が、厚底の靴を机の上にドカッと乗せ、ふーっと口からたばこの煙を吐く。

 それを見て、別の椅子に座っていた妖艶な女が立ち上がり、近づく。

 

パーバラ、どうしたの?」

「全く……馬鹿なことしたな~と思ってよ……。見たらわかるぜ、それ」

 

 そう言ってパーバラと呼ばれた男は、机の上にあるタブレット端末を指さした。

 

 女はそれを持って幾度かタップして操作し、「ああ……」と納得の声を漏らす。

 

「あそこのデパートの奴……裏切ったのね」

「そーだよ。結構いい()()場だったんだが……ビビったんだろーな」

 

 

 彼らは人格犯罪者のグループだ。

 異世界の技術で精製された、既存の物より安価で遥かに中毒性が高い薬物を売り捌いている。

 小悪人を雇って街の裏で売っている事もあれば、表通りで薬物を混ぜた飴をただの飴と称して配布し中毒者を増やすなど、その凶悪さは留まるところを知らない。

 

 そして彼らは、薬物を売って得た大金を使って、大規模施設の管理者を買収する事を覚えた。

 

 大きなデパートともなれば、表通りよりも遥かに人が密集する。

 人目に付きにくいデパートの裏で飴から育てた中毒者に薬物を売ることも出来るし、倉庫の一角に薬物を纏めて置くことでいちいち輸送する手間とリスクも省ける。

 

 

 が、こんな人道に反しすぎた方法には当然、恐怖する者も存在する。

 そんな奴らは逃げたり、警察に通報しようとしたり、実に面倒な反応をしてくれる。

 

 

 女がタブレットを置き、言う。

 

「どうする?」

「最近、裏切る奴が少し出てきたからな。今回は見せしめとして派手にする」

「ふーん……。でも人対*1はどうするの? おかしな事をしすぎたり、手間取ったりすると出てくるわよ」

「事前に他の場所で騒ぎを起こす。それに、牙殻さえ出てこなけりゃ何とでもなる」

 

 

 それを聞いて、納得したように立ち上がる女。携帯電話を手に取り、他の仲間へ召集の連絡を入れ始めた。

 男が指に挟んでいた煙草を口に咥えて吸い、煙を吐いた後、彼女に尋ねる。

 

「そういや知雫(チダ)。お前たしか……『()()()()』の女将に術を教えたとか言ってたよな」

「ん……あぁ、そうね。でも術の才能はないし、結局渦島製薬に土地を奪われてるし。クソの役にも立たない婆だったわ」

 

 何の遠慮もない物言いをする知雫と呼ばれた女。

 彼女に対し、男は煙草を向けながら更に尋ねる。

 

「結局あの土地は何なんだ?」

「……あそこの山の地下にはね。例えば、魔法における魔力のような、世の理に干渉する力の源があるの。それが僅かに漏れ出した物が渦島製薬の求める新成分ってわけ」

「…………その源ってのは、正確には何なんだ?」

「さぁ。掘ってみないとよく分からないわ。いつからあるのかもね」

 

 

 知雫にも、あそこに何が眠っているのかはよく分からない。恐らく渦島製薬も地下に源が眠っているとは気づいていないはずだ。

 もしあれが何かを知っている者がいるとすれば。

 

 それもまた、世の理を越えるような存在なのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校の昼休み。

 今の俺は、今までの人生の中で最高と言ってもいいほどに機嫌が良い。今なら殺人鬼の誰かが問題を起こしても、笑って済ませられるだろう。

 

 それはなぜか?

 

 今朝、家を出て登校している途中に()()夜桜さんと出会い、そのまま一緒に学校に来られたからだ。今まで一度も会った事ないのに。

 

 そして昼休みになると、彼女は俺に手作りの弁当を渡してくれた。

 先日の件のお詫びとお礼らしい。

 

 彼女は「一緒に食べたかったけど、用事が出来ちゃった」と引きつった笑顔で言い、なぜかどす黒いオーラを漏らしながら職員室へと向かっていった。

 

 ガスマスクに頼んで見に行ってもらうと、謎の男にバイクで誘拐されていた事について、担任に事情聴取されていたという。

 

 

『受け答えに問題はなかった、俊介の名前も出しそうにない。……というかアレは、逆に教師の方が脅されていたな……早く終わらせろと……』

 

 何を言っているんだ。

 あの天使のように優しい夜桜さんが、教師を脅すわけないじゃないか。

 

 

 

 彼女が作ってくれた弁当を食べ終わり、元の状態に包みなおしてから、スマホを弄る。

 適当にウェブサイトのトップに上がっていた記事を眺めていると、ふと、とある記事を見て指が止まった。そして誰にも聞こえない声量でぼそっと呟く。

 

「……なつかしーなこれ……」

 

 

 偶々見つけたその記事では、幼いころに狂ったように食べていた駄菓子が紹介されていた。

 

 

 小学6年生の時、甘辛いソースを絡めた肉詰めのその駄菓子が滅茶苦茶に好きで、俺は1日に十本以上も食いまくっていた。月の小遣いをそれに全て費やすこともあったくらいだ。

 

 もっと食べたかったが、親にねだっても「食べすぎだ」と買ってもらえない。

 でも俺は溺れるように食べたい。山のように食べたい。でも小学生6年生が持つ金なんてたかが知れている、駄菓子を湯水のようには買えない。

 

 そんな時に俺の中から出てきたのが、()()()()だった。

 

 

『拙者、銭稼ぎは得意でござる!』

「……例えば、どんな風に稼ぐんだ?」

『ハハハ! ゴミから漁ったり、暗がりに手を突っ込んだりであるな! 汚れはするが、多少の銭稼ぎならこれで充分!』

 

 俺は当時、殺人鬼達との付き合いがまだ浅かった。まだ12歳で、出会ってから2年しか経ってなかったし。

 よってニンジャが一体どういう奴なのかもまだ見極めきれていなくて、うっかり、体の主導権を渡してしまったのだ。

 

 

 

 ―――そして、次に意識が戻ったのは翌朝の自室の中で。

 俺の目の前には、見事な札束のピラミッドが出来上がっていた。確実に一千万円以上はある。

 

「なッ……ニンジャお前これ、どうしたんだよ!?」

『無論、ゴミの巣窟から漁って来たのでござる! これだけあれば駄菓子を山のように食う事は造作もなし!!』

 

 よくよく話を聞くと。

 闇金業者が集まるビルの中に突入し、全員を半殺しにして金庫の中身を全て奪い、業者は縛り上げて外国行きの貨物船の中へ叩き込んだそうだ。業者は不法入国により向こうでとっ捕まるだろう。

 元の世界では未解決事件の常習犯だった故、証拠隠滅に抜かりはないらしい。

 

 いやそういう事じゃないだろ。何してんのお前???

 銭稼ぎって言うか、それただの強盗じゃん。これ持ってちゃ駄目な金じゃん。

 

 

 俺はその金を黒いゴミ袋の中に詰め込み、近くの山の適当な場所に埋めた。

 ニンジャは首をかしげていたが、流石に持ってられんわこんな金。

 

 

 

「あったなぁ、そんな事も……」

 

 今となっては良い思い出……でもないな。多分あの金まだ山に残ってるし。

 けど、なんか久しぶりに食べたくなったな。あの駄菓子、どっかに売ってたっけ? よく行ってた駄菓子屋は中学卒業した頃に潰れたらしいし。

 

 スマホで調べると、以前夜桜さんのお見舞い品を買いに行ったデパートの一角に売っている事が分かった。バイクですぐ行ける距離だ。

 

 

 ……よし。

 

 今日家に帰った後、ちょっと買いに行ってみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
人格犯罪対処部隊



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#31 なんでそんなにいるんだよ

ちょっと下ネタ注意


 

 

 

 

 もう何年も前だけど、未だに色褪せる気配を見せない記憶。

 

 

 ……私の父は口にするのも憚られるようなクズで、闇金から信じられない金額を借りた後、私と母に借金を押し付けて姿を消した。

 

 当然、闇金の取り立ては私たちの所へやってくる。

 法の庇護が通用するような相手でもなく、私と母は毎日ひもじい思いをしながら、お金を何とか返していた。

 

 だけど、向こうは利子率だなんだと理由を付けて、月に取り立てる金額を段々と吊り上げてくる。

 

 これは成長してから分かった話だが……。

 私と母の容貌は貧相な格好をしていても分かるほどに優れていた。それで、借金額を不当に吊り上げていき、返済が出来ないことを理由に私達を水商売……それもかなりヤバい裏の方に堕とそうと画策していたみたいだった。

 

 

 ―――そして、迎えた夏のある日。

 とうとう母は借金返済のためのお金を捻出できなくなった。一ヵ月に30万円も返済しろだなんて余りに馬鹿げてる。

 母はしわくちゃの札や汚れまみれの小銭を混ぜた20万円を差し出すのが精いっぱいだった。

 

 

 20万円を乱雑に奪った取立人は、母を思い切り怒鳴りつけた。

 

「てめぇ、10万も足りねェじゃねえかよ!!」

「い、一ヵ月に30万も返済なんて無茶です……! 最初はもっと少なかったのに……!」

「お前のクソ亭主が借りた金だろうがよ!!」

 

 男の太い腕で、細木のような母が思い切り殴られた。

 夜中の公園だというのに、取立人は一切遠慮することがない。まあそれもそうだろう。この辺りは家なしのホームレスが住む場所、警察の巡回なんて滅多な事がない限り来ない。

 

 気味の悪い笑みを浮かべる男が言う。

 

「前から言ってたけどよ……借金返済できなかったらどうなるか、分かってるよな?」

「……どうか、娘だけは、お願いします……!」

「娘も一緒に決まってんだろうが!!」

 

 そういって、男は私の腕を引っ張った。

 中学生だというのに余りに細すぎる私の体では、その力に勝てるわけがない。それでも全身を蟲がはい回るような生理的嫌悪を感じ、思い切り抵抗した。

 

「嫌ッ! やめて!!」

「うるせぇな、大人しくついてくりゃ……いいんだよッ!!」

 

 

 男が再び拳を振りかぶる。その狙いは私。

 思わず目をギュッと閉じて、身をこわばらせた瞬間。

 

 

 

「―――いっったああああああ!! ……でござる」

 

 

 

 声変わり前の、少し幼さの感じる声が大きく響いた。

 腕を掴んでいた手はいつのまにか外れていて。閉じていた目を恐る恐る開くと。

 

 

 私よりも小さい……小学校の5、6年生くらいの男の子が、取立人の前でわざとらしく頬を押さえていた。

 取立人が振りかぶった拳を戻しながら叫ぶ。

 

「あァ!? 何の用だ、関係ねえガキは消えろ!!」

「いいや関係はあるでござる。貴様は拙者の事を殴り、この体を傷つけた! この代償はとんでもなく高くつくでござるぞ!!」

「当たってねぇだろうが、感触がなかったぞ!!」

「……忍法・スリッピングアウェーを使わせた代償は高くつくでござるぞ!!」

 

 

 そう言って、そのおかしな口調の男の子は足を大きく後ろに振りかぶった。

 

「行くぞぉ! 忍法・土目潰しィ!」

「チッ!!」

 

 取立人が地面から飛ぶ土を警戒し、両腕を下に向けて交差させる。

 その瞬間、男の子がポケットから取り出したライムを握りつぶし、取立人の眼に投げつけた。果汁の目つぶしだ。せこい。

 

「ぐあッ!?」

「まだだァ!! 振り上げた足はまだ生きているぞッ、忍法・金的!!」

 

 勢いを衰えさせることなく、取立人の股間に吸い込まれる足。プチッという嫌な音が聞こえた。

 

「まだ止まらんぞ! 忍法・一本チ〇ポ背負い投げ!!」

 

 二本もあったら怖いよ。

 男の子はすぐに足を戻し、身をかがませながら180度回転しつつ、取立人の足の間へ滑り込む。

 そのまま右手でつぶれた股間を握り、左手で足を崩して、男を顔面から地面へ突っ込ませた。

 

 

 ピクピクと痙攣する取立人を見下ろしながら、ビシッと片足立ちの意味不明なポーズを決める男の子。

 

「取るに足らぬ雑魚であった……でござる。

 ……とと、そうではなかった。貴様ァ、よくも()()殿の体に汚い棒を触らせたでござるな!! 慰謝料を頂戴するでござる!!」

 

 

 取立人の懐をまさぐり、先ほど母が渡した金と、他の人物からも取り立てたであろう金を奪い取る男の子。

 それらを全て小さな手で「ひーふーみー」と数え終わった彼は……取立人の首根っこを掴み、思い切り引っ張り上げた。

 

「貴様、全然足らんでござる!! もっと出せ!! 棒も潰すぞ!!」

「そ、それ以外……な……ない……」

「何ィ!? ならば貴様のアジトに連れていけ!! 根こそぎ奪……取り立てるでござる!!」

 

 

 そう言って、男の子は取立人をずるずると引っ張り、どこかへ去って行った。

 

 母と私は目の前で起きたことが上手く理解できず、ポカンとしたままだったが。

 

 翌日には取立人の所属していた闇金のビルは、もぬけの殻となっていて。

 来月も、再来月も、そのまた次の月も、取立人が姿を現すことはなかった。

 

 

 何があったのか詳しくは分からないけど、これはきっと、あの男の子がやったんだろうと分かっていた。

 

 あの子が誰だったのかは分からない。

 きっと良い人物でもないんだろうけど、私と母を、どうしようもない理不尽から救ってくれたのは事実だ。

 

 私よりも小さなあの男の子は紛れもなく、私を闇から救い上げてくれた正義の()()()()だった。

 

 色褪せる事のない記憶の中で、彼が自ら名乗った『()()』という名前だけは頭の中に刻み込まれている。

 

 

 いつの日か、あの男の子に再会できることを信じて。

 

 私は今日も黒いスーツを身にまとうのだった。

 

 

 その時ふと、時間確認の為に点けていたテレビに目が行く。

 ……懐かしいお菓子のCMがやっていた。貧乏な頃、おなかを満たすのによく食べていた奴だ。不思議と気分が明るくなっていたのも覚えている。

 

 あの男の子と出会って生活が改善してから、食べなくなったんだっけか。

 

 

 ……なんだか、久しぶりに食べたくなったな。

 今日はちょうど暇がある。時間を見て買いに行ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺がよくバイクで訪れる巨大デパート。

 以前警察と暴れ回った商店街から客が居なくなった原因であり、あそこで店を持つ者から多少の恨みを買っている。

 

 だが普通に生活する高校生の俺としては、商店街よりも多彩で色々な専門店が揃っているデパートの方が何かと利用しやすいのが現実だ。それに陰キャ気質ぎみの俺には、デパートとかデカいチェーン店の店員と客のちょっとドライな関係の方が性に合う。

 

 まあそんなデパートも最近、ネットショップに負けかけているらしいが。ビジネスの世界の争いは激しいな。

 

 

 バイクを駐車場に止め、中に入る。

 このデパートは地下1階と地上4階の合計5階建てで、建物の端から端まで優に400メートル近くはある。

 駐車場は地下と地上に2つ。出入り口は1階と2階に3つずつ。

 

 1階から4階まで吹き抜けになっている箇所が幾つもあり、そこから上を見上げると、なかなかに爽快な景色が見える。けどここから上を見上げてぼけーっとしてるとおのぼりさん丸出しでちょっぴり恥ずかしい。

 

 

 入ってすぐの所にあった施設内マップを見る。

 

「えーと。駄菓子屋は……マジか、4階のかなり奥だな」

 

 最上階の最奥から手前側に遡って2つ目……そこに目的の駄菓子屋があった。

 よく来るのに駄菓子屋があるなんて聞いた覚えがないなと思っていたが……そんなに奥の方にあったのか。そりゃあ見たこともないわけだ、用もなく最上階の最奥付近なんて行かないし。

 

 さっさと歩き、エレベータで一気に4階まで行く。

 ただ一番奥まで歩くだけなので迷うはずもなく、キョロキョロとそこら辺の店を眺めながら歩いていると、すぐに到着した。

 

 

 

「おお……」

 

 思わず声が漏れた。

 デパートの中は近年の技術向上からか、猫の顔がプリントされた自走型のロボットが何かの荷物を運んでいたり、店の看板が飛び出すホログラムだったりと、SF小説のような近未来化を遂げ始めている。

 

 

 だがこの店は、小学生の頃に通い詰めた駄菓子屋を過去からそのまま切り取ったような風貌をしていた。木製の看板と赤いのれん、カラフルな菓子が棚いっぱいに敷き詰められ、ブーンと機械音を上げる冷蔵庫がアイスを冷やし続けている。

 

 人によっては古臭いと思うかもしれないが、俺はこの雰囲気は結構好きだ。

 ノスタルジー……って奴だろうか。

 

 

 のれんを押しのけ、中に入る。

 ここに来たことはないが、幼いころの記憶を呼び覚ます懐かしい光景に思わず息を呑……む事はなかった。

 

 

 駄菓子屋という子供の楽園に似つかわしくない、黒いスーツをカッチリと着た小柄な女性が立っていたからだ。

 戸棚の方を黙って見つめているだけにも関わらず、身が震えるような剣呑とした雰囲気を放っている。正直言って近づくのがちょっと怖いくらいだ。

 アレが本物のバリキャリウーマンかと適当な事を考えながら、彼女から見えない場所まで移動する。

 

 こっち側の棚にお目当ての駄菓子がないかと探し始めた時、レジの奥側からひょこりと女性が顔を覗かせた。彼女は目を見開き、大きく口を開けてよく通る声を出す。

 

「はっ……貴方は!!」

「? ……あ」

 

 レジから聞こえた声に、思わずそちらを振り返る。

 その顔には非常に見覚えがあった。

 

 

「フッフッフッ……少しぶりですね!! まさか、名探偵たる私の表の姿を発見するとは、貴方にも探偵の素質が……!!」

「……就職おめでとうございます」

「あっハイ」

 

 彼女の名は坂之下 風華(さかのした ふうか)。旅館殺人事件に一緒に巻き込まれた、自称名探偵フリーターだった。

 黒髪を肩の辺りで整え、丸眼鏡を掛け、この駄菓子屋の名前がプリントされた深緑色のエプロンを身にまとっている。

 

 

 以前の恥ずかしい探偵姿よりもよっぽど落ち着いている格好の坂之下さんはカウンターに手を置き、口を尖らせた。

 

「あの事件の後、親から『真面目に働けよお前』と想像を絶するガチギレをされまして。仕方なく、探偵業の合間にここの店員を務めている訳です」

「はぁ……そうですか」

「1階に彼女もいますよ!! 折川 結城(ゆうき)ちゃん、たしかマオって名前でちょうどライブをやっているはずです。私も後でサボって見に行きます」

 

 

 おい、何でそんなに集まってるんだよ。

 あの温泉街からこのデパートまで結構距離あるのに。そんな偶然ある?

 

 困惑を隠しきれないまま、俺は彼女の言葉に答える。

 

「まあ、そうですね。後で行ってみます」

「フフフ。では善は急げという事で、日高()()さん、何をお探しですか?   貴方は甘党だと私の勘が告げています! よって貴方が探しに来たのはこんぺいとう―――」

「全然違います。えっと、この駄菓子なんですが……」

 

 そう言って、スマホに表示されたお目当ての駄菓子の画像を見せる。

 しょぼんとした彼女はそれを見てすぐに、俺の背後を指さした。

 

「ふむ。『ハッピーサラミ』はあそこの棚ですね」

「ああ、ありがとうございま……」

 

 

 黒スーツの小柄な女性が思いっきりこちらを見ていた。

 しかも坂之下さんが指さす先は、まさにその女性の目の前。つまり、彼女の真横に行かなければその駄菓子を手に取る事が出来ない。

 

「さ、ちゃっちゃとどうぞ!! 名探偵の私はレジ業務もあまり失敗しません!!」

 

 あまり?

 

 

 覚悟を決め、黒スーツの女性の横に並ぶ。彼女は顔をこちらに向け、俺の顔を下からガン見してきている。怖い。

 右手を伸ばして、『ハッピーサラミ』が入った籠に手を入れ、わしづかみにする。その時、チラリと彼女のスーツの左の胸元に金色のバッジが付いているのに気が付いた。

 黒い二重らせんが2つ、交差するように重なっているマーク。一体どういう意味が籠っているのだろう。少なくともこんなバッジをつけている人を俺は見たことがない。

 

 

「……年齢も大体合ってる……」

 

 

 離れる瞬間、彼女がそんな事を呟いたような気がした。

 だが俺はそれ以上関わり合いになりたくないので、さっさと坂之下さんの所に持っていき、会計を済ませる。

 

 店から出る時も彼女は俺の事をガン見し続けていた。

 

 別に何もしていないのに、なんだか悪い事をしてしまった気分だ。

 店を完全に出て女性の死角に入った瞬間、俺はエレベーターに向けてダッシュした。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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#32 マオとダークナイトの関係

 

 

 

 

 エレベーターで1階に降りる。

 扉が開いていの一番に耳に入ってきたのは、温泉街で聞いたマオの歌声だった。相変わらず人を魅了する綺麗な歌声だ。

 

 入って来た出入口とは真反対の場所だったからか、ライブをやっていたのに気付かなかったみたいだな。

 声のする方向に足を進め、ライブが見える場所に移動する。

 

「~~~♪ ―――♬」

 

 エスカレーター近くの少し開けた場所にある簡素なステージの上で、マオは歌っていた。

 老若男女が設置された椅子に座ってマオの歌を聞いている。設置された椅子は1つも空きがなく、立って聞いている人もいる程だ。

 

 俺も柱の側に身を寄せ、後ろの方に立って彼女の方を見ていると。

 突然彼女の目がギョロッと動き、俺の顔の方に向いた。

 

 

「――――ぐッ、―――♪」

 

 何かうめいたぞ。

 汗なのか冷や汗なのか分からないものが頬を伝いながらも、何とか声をそのままに保っている。キレのいいダンスも人を惹きつける笑顔もそのままだが、目だけはずっとこちらを向いていた。

 

 それから1分ほどで曲が終わる。

 彼女はマイクを強く握り、観客に向けて力強く言い放った。

 

「よーし、一度休憩だ! 休憩後は儂の歌を2曲予定しているからな、しっかり所用を済ませておけ!!」

 

 

 ……流石に休憩後も聞く気はないな。

 彼女が裏の控室のテントに入っていくのを見つつ、俺も踵を返そうとすると。

 

『平民、こっちに来い』

 

 頭の中にマオの声が響いた。

 いやあ、気のせいでしょ。そんなテレパシーみたいな事が出来るわけないし。

 

『儂は魔王だぞ、念話くらい出来る。さっさとこっちに来い』

 

 気のせいではなかった。

 人目を気にしつつ、こっそりとマオの入っていた白いテントに近づき、一気に中に忍び込む。

 

 

 テントの中には組み立て式の長机とパイプ椅子が設置されていた。

 机の上には新品のお茶や水のペットボトルが数個ずつ置かれており、マオはその中の1つを手に取って椅子に全体重を預けていた。

 

 テント内にマオ以外の人はいない。

 俺は彼女が座る椅子の前まで移動し、近くに合ったパイプ椅子を引き寄せて座る。

 

「平民……なぜここに居る」

「こっちの台詞なんですがそれは……」

 

 なんでみんなここに集まってるんですかね。

 特にマオと折川結城は折川旅館に住んでいたはずなのに、何故こんな離れた場所のデパートでライブを開いているのか。

 

「ふむ。その質問は結城が答えた方が良いだろうな」

 

 そう言ってマオが体を一瞬硬直させる。

 バッと再び顔を上げた彼女は、先ほどの自信満々な雰囲気ではなく、何処かおどおどとした雰囲気を纏っていた。

 

 

「あれ、え……? 日高さん? それにまだライブは終わって……」

 

 本体の折川結城さんの方だな、この反応は。

 彼女はすぐ左側の何もない方向を向き、時折頷いている。恐らく半透明のマオから話を聞いているのだろう。

 

 1分もして、彼女はこちらの方に向き直り、頭を下げた。

 

「日高さん、お久しぶりです。マオから話は聞きました。折川旅館では、私の母が……申し訳ございません」

「いや、全然気にしてない……事もないけど、君が悪くないのは分かってるから。謝らなくてもいいよ」

「……ありがとうございます。それで、なぜここに私がいるか、ですね」

 

 そう言って、彼女は説明し始めた。

 

 あの事件の後、元々危うかった折川旅館の経営が完全に上手く行かなくなった事。流石に殺人事件が起きた旅館で泊ろうという客は居なく、今後の宿泊予定が全てキャンセルになったのだという。

 そしてこれは俺の推察だが、多分昔から渦島製薬に何かされていたんだろうと思う。渦島製薬からの嫌がらせで経営が段々と行き詰まっていき、あの殺人事件を機に完全に壊れたのだろう。

 

 そして折川親子は旅館と周辺の土地を売り、彼女のお父さんがこのデパートで働き始めたらしい。

 

「父は今、このデパートの3階の和食料理店で働いています。それに合わせて、私もこっちに引っ越してきたんです。ここから車で20分くらい走ったところですね」

 

 そう言って彼女に説明された家の場所は、俺が通う高校から徒歩10分も歩かない場所だった。

 

 はえ~。

 じゃあ今、俺の生活圏内に魔王が住んでるって事? やめてくれよ。

 

「……マオが『こっちの台詞だ平民』、だそうです。どういう事ですか?」

「…………いや」

 

 半透明の状態でも心読めるんかい。

 やっぱ魔王って凄いな……。ダークナイトはどうやってトラウマを植え付けたんだ。

 

 折川結城さんが何もない所にコクリと頷き、体を硬直させる。

 雰囲気が一気に変わったのを見て、マオに体を渡したんだなと分かった。

 

 水を一口含んだのち、マオがタオルで顔を拭きながら言う。

 

「とまあ、そういう訳だ。まさか住んでる所まで近いとは思わなかったが」

「……聞くの怖いんだけど。マオって……ダークナイトと何があったの?」

「ダークナイト?」

 

 ああ。

 すっかり馴染んだから忘れてたけど、ダークナイトは本名じゃなくあだ名だった。彼女にダークナイトの風貌と、この前それをイメージした瞬間、彼女が魚みたいに気絶した事を伝える。

 

 マオは話を聞くうちに顔をみるみる青くし、すっかり血の気の引いた顔色のまま、顔の前で手を組む。

 

「……なるほど、()()()()()の事か……」

「それが、ダークナイトの本名?」

「そうだ。人の形をした生物の最高傑作、最強、儂は奴の右に出る生物を見たことがない。まさかこの世界にまで来てるとは……儂失禁していい?」

 

 なんでだよ。

 

「分かっておる、家でする。……うむ、アニーシャと儂の関係な。

 元の世界で、当時、人間と魔族はかなりデカい戦争をしていた。当初は魔族側が優勢だったんだが……ある日突然戦場に現れて、魔族の軍勢2万と武闘派の将軍を血祭りに上げたのがアニーシャだった。

 アニーシャは魔族の将軍を殺し回り、魔族側が次第に劣勢になり始めたんだが……またある日、突然人間側の軍勢と将軍を殺し始めた」

 

 は?

 

「あれだけ殺し回っていた魔族に見向きもせず、突然人間側に攻撃を始めてな。当然魔族が優勢になるんだが……そしたらまた、魔族を殺し回り始めた。

 つまり劣勢側の味方に付き、優勢側の敵になるという行為を繰り返していたわけだ。ハハッ、当時のストレス思い出して儂泣きそう」

 

 何してんだよダークナイトの奴。

 魔王が人類の敵って言ってたけど、それより遥かにヤバい事やってるじゃねーか。

 

 

「戦況が無理やり五分?になった状態が長引いたもんで、魔族は想定よりもかなり疲弊していてな。それで儂は、魔族が劣勢の時にアニーシャを魔王城に呼び出した。

 

 そして儂は命を削る禁術を使い、アニーシャを魔物化させた。この禁術はな、魔物化させた生物を術者の支配下に置くものなんだが……なぜか支配が効かなくて、ボコボコに殴られた」

 

 目から光が消え、乾いた笑みを漏らすマオ。

 なんだか可哀そうになってきたな。

 

 

「そこでドアホ部下の一人が、『()()様なら……!』と漏らしおってな。

 魔神っていうのは()()()()()()()()()()を捧げてお呼びする、魔族側の最高戦力でな。

 でも魔神は何もかもぶっ壊し尽くして、せっかくの人間の土地が無駄になるから、儂はこの戦争で出すつもりはなかった」

 

 

 ……あっ。

 何か大体察せたぞ。

 

「だっ、だけど……アニーシャは魔神を呼び出すために、わ、儂の体を足先から細切れに…………おぇっ」

「ふ、ふくろ!」

「うっぷ……!!」

 

 手に持っていた駄菓子屋の袋からサラミを全て取り出し、マオの口の前に持っていく。

 彼女はレジ袋の中に大量のゲロを吐き、顔を真っ青にしたまま、こちらを向いた。

 

「うう……。平民、お前は役に立つなあ。儂の部下もお前くらい役に立てば、儂はあんな目に……」

「は、話の続きはまた今度でも」

「いや、今話す。この機会を逃すと儂は二度と喋りたくなくなる」

 

 マオは口周りをティッシュで拭き、深く息を吸う。

 

「それでまあ、儂の悲鳴と共に魔神が召喚されてな。アニーシャに襲い掛かっていたんだが……。

 戦ってたのは大体30分くらいか。最後はアニーシャの剣で全身細切れにされて死んでおったわ、ハハハハハ。しかもアニーシャ無傷だし、もうやだ」

 

 何か、やっぱ苦労してんだな。

 俺もダークナイトの相手をする時はよく苦労してるし……流石にマオほどじゃないけど。

 

「魔神が死ぬと共に、召喚の代償であった儂も死んだ。そして気づいたら……この体の中に居た。これで儂とアニーシャの関係は全てだ」

「……なんか、すいません。辛い事思い出させちゃったみたいで」

「平民の気遣いが心に染みる。……アニーシャを御せるお前が魔族に生まれてたらなあ、儂はあんな目に……」

 

 

 世界が違うんで流石に無理じゃないかな。

 あと俺もダークナイトを御してるわけじゃなくて、共存してるだけだし……。言う事聞いてくれないことも結構あるし。

 

 マオが余りに疲れているので、先ほど机の上にバラ撒いたハッピーサラミを1つ手渡す。

 

「これどうぞ。ただのお菓子だけど……」

「おお、助かるぞ」

 

 個包装されたハッピーサラミを受け取り、ピリッと包装を破るマオ。

 そして、口の中に入れようとした所で。

 

 

 

「――――おい」

 

 

 

 彼女が突然どす黒いオーラを纏いながら、明らかに敵意を込めた低い声で言った。

 その敵意の矛先は……目の前に居る俺だった。

 

「平民。貴様、儂がこんな下らん物に気付かないと思ったか」

「え……?」

 

 マオがサラミを握りつぶし、更に眼光を強める。

 だが俺には、彼女に敵意を向けられる心当たりが全くない。ただ買ってきた駄菓子を彼女に渡しただけだ。疲れている時に甘辛い駄菓子はやめろとか、そういう好みの問題か?

 

 そのまま数秒間、お互いを見つめ合っていると。

 フッと、マオが眼光を弱めた。

 

「本当に心当たりがないらしいな……ならばいい」

「な、何が……?」

 

 彼女が、机の上に散らばるハッピーサラミを指さす。

 

「そこにある、平民の持ってきた駄菓子だ。

 ……ほんの微量だが、『()()()()()()』が入っているぞ」

 

 

 

 …………は?

 

 

 

 俺が動揺の表情を浮かべた瞬間、中から一斉に、殺人鬼達が全員飛び出して来た。

 マオが驚愕の声を漏らす。恐らく俺の脳内を読み、その光景を見たのだろう。

 

「どおッ!? な、なんだこの数は!? ……しかも、あっ、アニーシャ……」

『…………』

『ダークナイト。今はそっちじゃないだろ』

 

 ヘッズハンターが、マオの方を向いていたダークナイトの腕を叩く。

 殺人鬼達が視線を向けるのは、俺と、机に散らばるハッピーサラミの方だ。

 

『今のは本当なのか?』

『分からぬ。そも、このサラミを食べたことがある人格はいないでござる。常に俊介が味わっていた故』

 

 人格たちが話し合う中、1人が俺に近づいてくる。

 いつものふざけた雰囲気ではなく、何処かピンと張り詰めた雰囲気を纏わせるクッキングだった。

 

『俊介ちゃん。少しで良いから、私に体を変わってくれるかしら』

「あ、ああ」

 

 そして俺は体を変わり、意識を落とした。

 

 

 日高俊介の意識はなくなったが、その体はクッキングによって動かされる。

 

 彼は机の上に散らばったハッピーサラミの包装を破り、真っ二つに割ってから、鼻に近づけた。

 スンスンと何度か鼻を鳴らしてから、殺意の籠った表情でそれを握りつぶす。そしてすぐに俊介に体の主導権を返した。

 

 

 意識が戻る。

 周囲の光景が全く変わっていない事から、1分も経たぬうちに体が返ってきたようだった。

 

 俺はすぐ傍に居たクッキングに尋ねる。

 

「……ッ、どうだった?」

()ね。量にしてほんの少しだけれど……それでも問題なくらい中毒性が高い物が入ってるわ。恐らく今も食べ続けていれば、俊介ちゃんの体は確実に……』

 

 咄嗟に口を押さえる。

 マジかよ、昔から食ってた駄菓子にそんな薬物が……。

 

 かなり気分が悪くなり、顔色も多分青くなっているが、吐き気は何とか押さえる。

 

 クッキングが俺に頭を下げる。

 

『ごめんなさい、完全に私の失態だわ。まさか何度も口にしていた物に、こんなのが混ざっている事に気付かないなんて』

「い、いや……。大丈夫だ。いつも俺が食ってたからな、気づかないのも無理は……」

『何度も食べていたからこそ、私が……』

 

 未だ謝り続けるクッキングの足を蹴る、マッドパンク。

 

『今気にするのはそこじゃないだろ。大事なのは俊介の体に悪影響が残っていないかだ』

『……含まれていたのは本当に微量よ。軽い中毒者にして購買意欲を激しく高める程度ね。けど、何年も食べていない俊介ちゃんにもう影響はないわ。口にするのはもう止めた方が良いわね』

 

 言われなくても口にしない。

 というか、薬物が駄菓子に含まれているって……。

 

「そういう薬って高いんだろ? なんで何十円で売られてる駄菓子に含まれてんだよ……」

『……言うか迷ったのだけれど。重度の中毒者に育てるために、少量の薬物を混ぜた食品を食べさせるという方法があるわ。重度に育てるには余りに量が少ないけれど……このサラミもそれの一環かもしれないわね。

 でも、何年も食べていない俊介ちゃんの体に影響はほとんど残っていない、それは本当よ』

 

 

 吐き気を堪えながら、立ち上がる。

 この駄菓子は返品してこよう。無理なら家で燃やす。

 あと坂之下さんにも、それとなく『これを置くのはやめた方がいい』と伝えないと。俺も親にダメと言われなければ、際限なしに食べ続けて、今頃どうなっていたか分からない。

 

 

「悪いけど、もう行く」

「あ、ああ……。達者でな」

 

 マオが多少ビビりながら、エレベーターに向かう俊介の姿を見送る。

 彼女は俊介の思考を読み取り、それを通して、殺人鬼達の姿を見ていた。

 

 俊介はショックで気付かなかったのかもしれないが。

 彼の背後にいた人格たちは全員、尋常ではないほどの()()を放っていたのだ。魔王であったマオが思わずビビるくらいの、どす黒く濃密な殺気を。

 

 

「もし、薬を混ぜていた犯人が目の前に現れたら……とんでもない事になるかもしれないな。

 

 ……まあ、そんな偶然はそうそう起こらんだろう」

 

 

 マオは一人で、そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 





感想で駄菓子に薬入ってるの一瞬でバレてて草。


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#33 やりたいと思った事をしましょう

 

 

 

 マオと別れ、エレベーターに乗る。

 彼女のライブに人が集中しているからか、俺以外にエレベーターに乗っている人はいない。すぐに乗ってきそうな人もいなかったため、4階のボタンを押して扉を閉じる。

 

 ググッと、重力の影響で体にGが掛かる。

 最近の高級なホテルでは、反重力装置なるものでこういうGを感じなくなっているというから驚きだ。

 

 

 扉の上部にある階数表示器を眺めながら、最上階まで到着するのを待つ。

 途中で誰かにボタンを押されて止まる事もなく、そのまま一直線に上へと向かっていると。

 

 

 ――――ガァン!!

 

 

 大きな音を立て、エレベーターが停止した。それと同時に室内灯が音もなく消える。だがすぐに停電灯の淡い光がパッと室内を照らした。

 突然の停止に体が大きく揺れ、床に膝を崩しかけるが何とか持ちこたえる。

 

「……停電か!?」

 

 不運にもほどがある。

 壁に手を突き、階数ボタンの上にある非常ボタンを見る。

 

 連絡先は警備室となっていて、ボタンを押すと向こうの部屋と連絡が繋がるそうだ。

 人生でこんなボタンを押す機会、一度も訪れない人も珍しくない。一瞬押していいのかと迷ったが、今押さなければどうにもならないと思い、すぐにそれを押す。

 

 ガーッという砂嵐の音が一瞬鳴り、すぐに止む。

 それと同時に警備室から少し焦ったような男性の声が聞こえてきた。

 

『こちら警備室です!』

「す、すいません。エレベーターが停電で止まったんですが……」

『申し訳ありませんお客様! ただいま各所で停電の影響が出ておりまして、もうしばらくお待ち下さ―――ギャッ!!

 

 

 通話の向こうから、男性の悲鳴が短く響く。

 そのまま通話は強制的に切れ、エレベーター内に静寂が広がった。

 

「…………は?」

 

 警備室で何が起きた? 意味が分からない。

 分からないが……とにかく、余り良くない事が起きているのは分かった。

 首元に手を当て、中の殺人鬼に呼びかける。

 

エンジェルはここに。それと、誰か外を見て来てくれ」

 

 そう言うと、エレベーター内に半透明の人間が2人、姿を現した。

 

 

『私が外を見てくるわ。ちょっと待っててねん』

 

 どうやらクッキングが出て来てくれたようだ。先ほどの薬物の件を負い目に感じているのだろうか。

 彼は扉をすり抜け、外に出て行った。

 

 

 そしてエレベーター内にいるのは、俺とエンジェルの2人だけになった。

 彼女が俺の顔を見下ろしながら、鈴の鳴るような声で話す。

 

『……私を呼び出すとは、珍しい』

「エレベーターは3階と4階の間辺りで止まった。もし脱出するなら、エンジェルの怪力が必要だからな」

 

 女性に怪力と言うのはいかがなものかと思うかもしれない。だが実際、彼女は恐ろしいほどの膂力を持っているのだ。

 

 

 エンジェル。

 

 身長190センチくらいの長身を持つ彼女は、全身を真っ白な拘束衣で覆われている。

 だが動きを制限されているという訳ではなく、両足と両腕を拘束するための厚い白いベルトは、強い力で引っ張られたかのようにズタズタに千切れていた。胸元のベルトは千切れていないため、FだかGぐらいはある豊満な胸が白ベルトで強調されていて、少しだけ目に悪い。

 

 真っ白な髪をボブという髪型にし、そのシミのない真っ白な肌と相まって、全身が輝くような白色に包まれている。だが彼女の名前の由来になったのは、全身が白いから……というだけではない。

 

 彼女は背中に翼があるのだ。片翼2メートルくらいの巨大な白い翼が。

 拘束衣の背中に肩甲骨が見えるようなひし形の切れ込みが入っており、其処だけ彼女の素肌が覗いている。そして翼の根本と彼女の肩甲骨が、頑丈な糸で絶対に外れないように無茶苦茶に縫われていた。

 

 

「……相変わらずだけど、痛くないのか? その翼」

『縫った当時はそれなりに。今は全然痛くありませんよ。動かしてみましょうか』

「おお~」

 

 

 ちなみにこのエンジェル。

 素手の喧嘩ならばヘッズハンターを倒せるくらいに強い。ボコボコにされたヘッズハンター曰く、『剣鉈がないと何回やっても勝てない』らしい。

 俺が彼女を怖いと思う理由の1つがこれだ。人外身体能力のヘッズハンターが負けを認めるってどんだけだよ。

 

 

 エンジェルが肩甲骨を動かし、パタパタと器用に翼を動かすのを眺めていると。

 ぬーっと、扉からおかまの顔だけが透けて現れた。怖すぎる。

 

『俊介ちゃん。外はかなり大変な事になってるわねん』

「え?」

『なんだか怪しげな集団が客を集めてるわ。1階と2階の出入り口も封鎖されてるみたい。このままエレベーターの中に居ると、いずれ見つかっちゃうかも』

 

 

 何が起きてるんだよ。テロか?

 エンジェルが翼を動かすのを止め、静かに目を閉じる。

 

『なるほど。では、さっさと脱出しましょうか』

「……まあそうだな、とりあえずエレベーターから出るか。エンジェル、両腕」

 

 両腕の主導権が彼女に渡る。

 エレベーターの扉の隙間に手を入れ、1秒の力のためもなくこじ開けた。3階と4階の間だからか、扉の先には壁が広がっており、上の方に微かに4階の床が見えた。

 

『俊介。ジャンプしてください』

「分かった。……よっと!!」

 

 勢いよく真上に飛ぶ。といっても一般男子高校生のジャンプ力なんてたかが知れているが。

 しかしエンジェルは一瞬で、エレベーターの天井と4階の床の隙間に指を差し込んだ。余りに隙間が狭すぎるので、右の中指一本しか入っていないが。

 

 ただ彼女は中指を差し込んだまま、エレベーターの天井を左手で押す。

 中指が床に沈むがそれすら厭わず天井を押し続け、エレベーターを4階まで無理矢理持ち上げた。

 

 エレベーターから出て、近くの物陰に身を隠す。両腕を返してもらう事も忘れない。

 

 

『さて……どう脱出しましょうか』

「…………」

 

 4階には坂之下さん、1階には折川結城さんが居た。……いや1階の方はマオがいるから大丈夫だと思うが。 

 

 しかし、坂之下さんはただの一般人だ。

 

 デパートで客を集めているという奴らが何者か知らないが、もしかしたらかなり危険な奴らで、命まで奪われる可能性も……。

 いや、彼女とは折川旅館で事件に一緒に巻き込まれただけの関係だ。

 わざわざ助けに行く義理は……。

 

 

 少し黙っていると、エンジェルが身をかがめ、俺の顔を覗き込んできた。

 

『俊介、何か悩んでいますね。脱出方法以外の何かを』

「ッ」

『自分がやりたいと思った風にやりなさい。最良の選択などこの世にはありません。選択には責任が伴いますが、やりたいと思ったのならそれすら踏み越えていきなさい』

 

 …………殺人鬼の論理だな。

 やりたいと思った事を何でもやってたら取り返しがつかなくなるだろ。踏み越える責任にも限界がある。

 

 

 でも、今だけはエンジェルの言う事を聞こう。

 彼女の方を向き、声を潜めながら言う。

 

「ここから少し進んだ所の駄菓子屋へ行く。そこに坂之下さんがいるなら連れて行くし、いなかったら脱出しよう」

 

 一応、知り合いだから最低限助けには行く。

 でも至る所を探し出してまで助ける気はない。それは流石に、一般男子高校生に出来る範疇を越えているし、普通にちょっと怖い。殺人鬼達が居るから何にも怖くないとかそういう訳ではないのだ。

 

 

 辺りを警戒しながら進む。

 スタッフ専用の搬入路を通り、駄菓子屋のすぐ傍で出る予定だ。こうすれば幾分か見つかる可能性も低い。

 

 そうしてぼんやりとした明かりしかない、搬入路を進んでいると。

 何やら壁や床を叩いたりするような、暴れるような音が聞こえてきた。

 

 

『ちょっと見てくるわね』

 

 クッキングに先行してもらい、音の原因を見て来てもらう。

 1分もしない内に戻って来た彼は、なぜか、黒い雰囲気を纏っていた。

 

「どうしたクッキング?」

『いえ何でも。それとちょっと……中に戻ってるわね。あと、進んでも問題ないわ』

「あ、ありがとう……?」

 

 

 どうしたんだろう。

 首を傾げつつも搬入路を進むと、恐らくデパートの品物を置いておくためにある倉庫の扉があった。その中から件の暴れるような音が響いており、耳を近づけると、厚い扉の向こうから声も聞こえる。

 

 

 クッキングは進んでも問題ないとは言っていた。

 だが中に入っても問題ないとは言っていない。果たしてこの中に入るべきなのか。

 

 扉の前で数秒立ち止まりながら悩んでいると、突然、扉が勢いよく開いた。

 反応する間もなく壁に押し付けられ、額に黒く冷たい物を突き付けられる。

 

 

「動くと殺……え?」

 

 俺を壁に押し当てた女性が、呆けた声を出す。

 彼女は駄菓子屋にいた黒スーツの女性だった。しかもそこで、俺の額に突きつけられているのが拳銃だと気づく。

 

「ご、ごめんなさい。敵かと思って……」

 

 ヤバすぎだろ。いきなり拳銃を頭に突きつけてくるなんて。

 彼女が離れるが、俺はまだ額に何か当たっているような感覚が続いていた。乱れた呼吸を何とか整え、顔に流れた汗を服の裾で拭う。

 

「大丈夫……で、す」

「すみませんでした……。先ほど犯人に客が集められていたので、私のように逃げられた人がいるとは思わず。一体どうやって?」

「エレベーターの中に偶々いて、さっき抜け出して来たんです」

「なるほど、そうでしたか」

 

 女性は懐から警察手帳を取り出し、俺に見せる。

 

「私の名前は翠 夏樹(みどり なつき)。警察所属の『()()()()()()()()』の者です。ご安心を」

 

 

 ……人格犯罪対処部隊? マジかよ。全然安心できないんですが。

 内心だらだら冷や汗を流すが……俺はまだ彼女にはボロを出していない。大丈夫、大丈夫。

 

「現在、デパート内は7人の人格犯罪者によって占拠されています。……クソ、せめて牙殻がいれば……」

 

 人格犯罪者7人に占拠?

 しかも、牙殻さんか。あの人そんなに強いのかな? 俺には拳銃を余裕で人に突きつける翠さんの方が強そうに見えるけど。

 

「ひとまず部屋の中へ。捕まえた犯人が1人いますが、外よりは安全です」

「あ、はい」

 

 

 そう言って、倉庫に案内される。

 中には段ボールが山積みになっており、その一角に、スキンヘッドの男が顔面から血を流しまくりながら倒れていた。

 俺はその男を指さす。

 

「アレは?」

「今回の犯人の一人です。情報を聞き出すために少し強めに拘束しました」

 

 強めっていうか、半殺しっていうか。

 男は完全に気を失っているようで、ピクリとも動かない。エンジェルの方をチラリと見るが、特別警戒していないので、狸寝入りをしている訳じゃあなさそうだ。

 

 そんな男が突っ込んでいる段ボールの山から。

 微かにではあるが、何か、白い粉末のような物が漏れているのが見えた。

 

 普段ならあんな白い粉、砂糖か塩かだと思うだろうが、先ほどの駄菓子の件で俺には全く別のものに見えてしまっていた。

 翠さんが男の方を一瞥して、すぐに顔を逸らす。

 

「この人格犯罪者とこのデパートの管理人は繋がっていたらしく、異世界の技術で精製された()()をこの施設内で売り捌いていたらしいですね」

「薬物?」

「ええ。食べ物に混ぜて中毒者を育てたりと、かなり手広く……どうしました?」

 

 

 思わず気持ち悪くなって、口元を押さえる。

 だがそんな不快感よりも気になるのは、エンジェルの反応である。

 いつも冷徹な表情を浮かべている彼女が、俺でもはっきり分かるくらい口角を上げて微笑んでいるのだ。人の苦しみを見てそんなに楽しいかチクショウ。

 

 

 彼女は俺の口を押さえる反応を見て首を傾げていたが……すぐに懐から白くゴツイ銃を取り出し、倒れている男の方に向けて引き金を引いた。

 

 パシュッ!という軽い音と共に、何処からともなく現れた淡く光る縄が男を簀巻きにする。

 それを見た彼女は白い銃をしまい、こちらを向いた。

 

 

「私は行きます。

 貴方はこの倉庫に隠れていて下さい。あの男が目を覚ましても無視するようにお願いします」

 

 そう言って翠さんは、扉を開き。

 

「あの時は、ありがとうございました。()()さん」

 

 俺にハッキリと聞こえるが、それでも静かな声量でそんな事を言い、扉を閉めた。

 倉庫の中に静寂が広がる。

 

 

 

 ―――数秒の静寂の後、エンジェルがくつくつと声を出して笑い始めた。

 

『フフフ。クッキングが殺気を放っていた理由が分かりました』

「殺気?」

『フフフフ』

 

 怖いよ。何か言ってくれよ。

 いやでも、こいつらが食べ物に薬物を混ぜてたからといって、本当に同一犯なのかは分からないんだよな。それでも凶悪な犯罪をやってるのには違いないけど。

 

 

 ……というか、ちょっと待てよ。

 翠さんが去り際に言った『()()()()()()()()()()()()()()()』って何? 別に何かした覚えないんだけど……。

 記憶を探っていくが、あんな女性を助けた覚えはない。

 

 ……まあ、俊介なんて名前の男なんていくらでもいるからなぁ。多分勘違いだろ。

 殺人鬼に体を渡している時の行動は、俺の記憶にないけど……まさかな。全員人助けを好んでするようなタイプじゃないし。可能性ありそうなヘッズハンターとかガスマスクとかなら、口裏合わせとしてちゃんと言ってきてくれそうだし。

 

 

 もうそれはいいや。

 とりあえず、ここから駄菓子屋まで100メートル圏内に入ってるだろうし、誰かに偵察に行って貰おう。

 

 坂之下さんが居たらここまで連れてきて、居なかったらここで休む。下手に動いたら逆に怪しまれそうだしな。人格犯罪対処部隊なんて物騒な名前の人達に目を付けられたくない。

 

 

 そう思いながら首に手を当て、中から誰かを呼び出そうとした瞬間。

 背後に居たエンジェルが静かな声を投げかけて来た。

 

『あとで謝ります』

「は? 何が――――ッ!?」

 

 

 俺が振り向いたその時、彼女が物凄い勢いで覆い被さろうとしているのが見えた。

 まずい。こいつ、体の主導権を無理やり奪う気だ。

 

 咄嗟に飛び跳ねて避けようとするが、背後からの完全な不意打ちで、ヘッズハンターが負けを認めるような化け物から逃げられる訳もなく。

 

 

 呆気なく体の主導権を奪う条件を満たされてしまい、俺の意識は暗闇へと吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 エンジェルが首に片手を当て、ゴキゴキと鳴らす。

 そんな俊介の体を操る彼女の様子を、何もない所からフッと現れたヘッズハンターが睨む。

 

『無理やり体を奪ったか。お前、何を考えてる?』

「フフフフ。私は自分のやりたいと思ったことをすると、いつも言っているではありませんか。このまま何もせず終わりで我慢できるほど優しくないんですよ、私は」

 

 そんな彼女の言葉に呼応したのか、中に居た殺人鬼達が続々と姿を現す。

 

「それにヘッズハンター、貴方も収まりがつかないでしょう?

 私達のような殺人鬼を縛る物は存在しませんが……守りたい物はあります。それを傷つけるこの塵芥共、今殺さないだけありがたいと言ってほしい物です」

 

 エンジェルは血だらけの男の方を一瞥した。その視線には背筋が凍るような冷酷さだけが灯っており、異世界で史上最悪とまで呼ばれた生粋の殺人鬼としての狂った倫理を感じさせる。

 

 

 そんな彼女の様子と、他の殺人鬼が放つ黒い殺気を見て、ヘッズハンターは溜め息を吐いた。

 あのガスマスクまで向こう側なのだ、これ以上言っても無駄だろう。

 

 それに……あの薬物の件でかなり頭に来ているのは、自分自身も例外ではないのだから。

 例え彼らが駄菓子に薬物を混ぜた犯人でなくとも、今、俊介を薬物に関連する犯罪に巻き込んでいる。それだけでこの溢れるような怒りを一先ずぶつける相手としては十分すぎる。

 

 

 ヘッズハンターはエンジェルに言う。

 

『殺しはなしだ。目立つような派手な行動もなし』

「ええ、ええ。勿論殺しはしませんよ、大切な物(俊介)との約束ですから。ただ『目立つ行動はなし』というのは守れませんね、俊介と約束していませんから。それとも……ヘッズハンター、私が貴方と約束を交わすと思いますか?」

『いちいち腹が立つ口を利くな。お前、本気で殺されたいのか?』

「出来るものならどうぞ」

 

 

 そうして、エンジェルが操る俊介の体は扉の外へと歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






『#25 失恋の前歌』におけるエンジェルの口調を変更しました。

正直、淫ち〇んの天使の敬語口調に引っ張られました。It's判断力足らんかった……。




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#34 出会いは突然に

 

 

 

 デパートの4階。

 とある紳士服の専門店で、人目を憚ることなく声を出しながら、服を物色している青年がいた。

 

『わらわが考えるに、俊介にはこの服とこの服が……』

『いやいや、こっちとこっちがいいと思うわよ』

「服なんて着られれば何でもいいでしょう。早くしてください」

 

 キュウビとクッキングがあれやこれやと口を出しながら服を見て回るのに、エンジェルは少しうんざりしていた。拘束衣をそのまま着続けるような彼女は、その見た目通りファッションに微塵も興味がないのだ。

 

 

 なぜこんな事になったのかと言うと。

 

 殺人鬼達全員の総意で、このデパート内にいる犯人を血祭りに上げに行くのは殆ど確定した。

 だが、元の服のまま暴れるのは流石によろしくないんじゃないか、俊介が後でガチギレするんじゃないかという懸念も上がる。

 という事で、そこら辺の店で変装用の服を調達することにしたのであった。

 

 

 殺人鬼達の中で服に強い執着を持つのはキュウビとクッキングくらいな物で、他の者たちは店の外で延々と待機兼偵察をさせられている。

 だが時間をかけまくっていれば、当然イラつきを抑えられない者も出てくるもので。

 

 

『てめェら、服選ぶのにいつまで掛けてやがんだゴラァ!!』

 

 

 店の外からずかずかと、大股で入ってくる半透明の女性が1人。

 身長180センチくらいの長身を持ち、火の点いたタバコを口に咥え、白いTシャツの上に黒い革ジャンを着ている。端がほつれたショートのデニムからは筋肉の張った太ももが覗いており、成人男性くらいなら難なく蹴り飛ばせそうなのが感じ取れた。

 

 ウルフという髪型にした黒髪を揺らしながら歩く、堂に入った不良姿の女性。俊介は陰キャ気質なので、バリバリの不良オーラを放つ彼女が少し怖いらしい。

 

 そんな彼女の方を向き、エンジェルが言う。

 

 

()()()()()。もう貴方が適当に選んでください。この2人ではいつまで経っても終わりません」

『おう、服なんてのは気合が籠ってりゃ何でもいーんだよ!! つまりはこのままの服装だ!!』

「貴方さっきの話し合いを理解してますか? 変装用の服を選んでいるんですよ」

『気合が籠ってりゃバレる訳ねえだろがコラァ!!』

 

 

 ピキッと、エンジェルの額に青筋が浮かぶ。

 

 

「ではそうしましょうか? 私と一緒に俊介に怒られる人が増えそうで安心しましたよ、フライヤー」

『おい、そいつは困るぜ……』

「私は我慢の限界なんです。もう15分もここに居るんですよ、いい加減にして下さい」

 

 

 そう言って、エンジェルは一番近くにあった服を無茶苦茶に手に取った。

 キュウビやクッキングの声を無視し、その場で着替える。雑に選んだせいでファッションの『フ』も感じられない服の組み合わせになったが、彼女はまったく気にしていない。たかだか変装だ、いちいち気にする方がどうかしている。

 

 背負うタイプの鞄も拝借し、元々着ていた服を突っ込む。

 勿論服に付いていた盗難防止のアラーム装置は外している。というより、握り潰した。

 

 

 

 ダイナミック窃盗を決め、店の外に出る。そこには辺りを見回していたり、暇だったのか目を瞑りながら待っている半透明の殺人鬼達が居た。

 出口の一番近くにいたニンジャが目を開く。

 

 

『やっと出……何でござるその服は?』

「何か文句でも?」

『エセ大道芸人みたいな恰好をしている不審者を見れば文句も言いたくなるでござる』

 

 

 正直、エンジェルが選んだ服の組み合わせは凡そ常人では思いつかない物だった。

 

 紫色のTシャツの上に、左右で赤と青が分かれている上着を羽織っている。ズボンにはトランプのエースやスペードなどのマークが色とりどりにプリントされており、非常にダサい。

 挙句の果てには、顔隠しのために付けているサングラス、鼻まで覆い隠すネックウォーマー。極めつけには謎の麦わら帽子だ。

 

 これでは変装というより、ただの変態になっただけである。

 

『まぁいいでござる。既に忍法・隠しカメラで写真は撮っている故』

「なぜ写真を?」

『拙者の忍道は人の嫌がることを積極的にする、でござる。写真の意味はおいおい分かろう』

「?」

 

 小首を傾げるエンジェル。

 

 彼女は『余りに奇抜すぎる衣装でデパート内を練り歩くと、俊介が怒るだろう』という発想に至らなかったのだ。いくら姿を隠す変装とはいえど、ヘッズハンターみたいに身を隠せるコートを着れば済むのになぜ意味不明な不審者スタイルになるのかと。

 それに思い至っていれば、ニンジャの隠しカメラを握り潰して証拠をもみ消せたろうに。

 

「でも正体は隠せているでしょう?」

『変装自体は拙者でも真似できぬくらい完璧でござる。いやぁ、真似できんでござるなこれは』

「なら構いません」

 

 彼女は一切合切を気に留めないエレガントスタイルを選択した。

 

 さて、ここで問題になるのはこのデパート占拠の犯人の居場所だ。

 変装は済ませたし、普通に歩いても問題はない。監視カメラは後で潰すが、多分犯人たちが記録媒体ごと潰しているだろう。

 

 

 

「まあ、4階からじっくり探しましょうか」

 

 エンジェルがそう呟いた瞬間。

 

 数メートルほど前方の空間が突然歪み、2人の焦った様子の男が現れた。

 1人は丸腰だが、1人は一般客とは思えぬほどの重武装である。

 

「な、何だったんだあのガキは……ッ!?」

 

 丸腰の男の方が、エンジェルの様子を見て驚く。

 

「客……!? 4階担当の奴はどうした?!」

 

 

 そんな2人を冷静に観察し、殺人鬼達はポソリと呟く。

 

『敵じゃな』

『犯人でござる』

「どう見てもそうでしょう。私にも分かります」

 

 一体全体、どこから来たのか知らないが、探す手間が省けた。

 エンジェルはゴキゴキと手を鳴らしながら2人に近づいていく。

 

 

 

 

 

 哀れな2人組がどうしてここに現れたのか。

 それは数分ほど前、エンジェル達がいる4階の更に下の階での出来事が原因であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいマーズ……まだ見つかんねぇのか? あんまりモタモタしてると牙殻が出てくるぞ」

「すいやせんパーバラさん。一応、この施設内にはいるんですがね。結界張ってますし」

 

 パーバラと呼ばれた丸腰の男と、マーズと呼ばれた最新鋭の装備を全身に身に着けた男が話している。

 

 

 ここは人格犯罪集団によって占拠されたデパートの一階。

 先ほどまで楽しく開催されていたライブ会場だが、今はデパートの1階にいた人々が集められ、重武装の男たちに監視される牢獄と化していた。

 

 そんな集められた客達の端に、フリフリとしたアイドル衣装を身にまとう少女が1人。

 少女の名は折川結城。彼女は男達の方を警戒しながらも、何もない所に小声でひそひそと喋っている。

 

 

『ふぁ~あ。せっかくのライブが台無しになったの』

「マオ、黙ってて……!」

『儂の声はどうせ聞こえんから大丈夫大丈夫。まあ、このまま大人しく座っておけばいい』

 

 そう言いながら、折川結城のすぐ傍でそう言ったマオ。

 半透明のマオは身長が2メートル近くあり、頭に赤い角が2本生えている。自身を魔を統べる女帝、魔族と呼ぶ彼女だが、その顔は魔に染まっていない人間をも魅了する程に美しい。

 体のラインが出る黄金の装飾が施された黒い服を身に着け、その上から、常に揺らめく炎のように形が変わる紅色のマントを纏っている。

 

 まさに魔を統べる者、魔王の名に恥じぬ風貌だろう。

 肝心の本人がマントにくるまって地面に寝転がり、服の隙間から手を突っ込んで胸の下辺りをガシガシとかいていなければ、だが。

 

 

 折川結城が更に声を潜めて尋ねる。

 

「どうにか出来ないの……?」

『可能か不可能かで言えば、可能だ。が、しかしだな……儂はもう暴力は振るわないと決めたのだ。ラブ&ピース』

 

 マオはアニーシャ(ダークナイト)とのあれこれで、心に多大なトラウマを負った。

 

 人間相手に戦争を吹っ掛けたら、あんな化け物が出てきた。それからマオは、好き勝手に人を傷つけていると、アニーシャ2号や3号が出てくるのではないかと考えるようになってしまったのだ。

 

 

『儂はもう……戦わん……』

 

 そんなマオの呟きをよそに。

 監視していた男達が業を煮やしたのか、捕らえられた人の中から女性を一人引きずり出した。

 

 その服から客ではなく、このデパートの従業員である事が伺える。

 重武装をした男の方が地面に這いつくばる女性の後頭部に小銃の筒先を当てて、無理矢理押さえつけた。

 

 パーバラと呼ばれた丸腰の男が、女性の頭の近くに腰を落とし、優し気な声色で尋ねる。

 

「このデパートの管理人探してんだけどよ。この施設で隠れられそうな場所とか知ってるか?」

「ひッ……ち、地下の倉庫なら……!」

「そんな所もう調べたんだわ。他には?」

「ほかには、し、知りません……! 許してください……ッ!」

 

 ふーっと息を吐きながら立ち上がるパーバラ。もう一人の男に向かって指を横に振る。

 そして、重武装の男が女性の後頭部から銃先を離し……脇腹を勢いよく蹴り飛ばした。軽い女性の体は1メートルほど吹っ飛び、蹴られた場所を押さえてうずくまる。

 

 

 それを見て、捕らえられている人々からどよめきの声が上がった。

 

 この先、あの女性がどうなるか……そんな事は、マーズが持つ銃先が彼女に向いている事から簡単に予測できた。

 折川結城が小声で、未だに寝転がるマオに悲痛な声で言う。

 

 

「マオ! 人が……人が死んじゃう! 何とかしてよ!」

『フン。儂は魔王だぞ、人間が何人死のうとどうでもいい』

「……私はマオが『歌で世界を支配したい』って願いを聞いてあげたのに、私の願いは聞いてくれないの!?」

 

 その言葉に、ピクリとマオが反応する。

 ゆっくりと上体を起こし、小さな少女の顔を鋭い眼光で見つめた。

 

『そもそもその気になれば、儂は結城のちっぽけな体を奪うことなど造作もない。それに、あの願いは契約……儂の願いを聞いてもらう代わりに、きちんと結城が望んだ対価は払ったであろう』

「ッ……」

 

 確かにマオが『歌で世界を支配したい』と言った時、最初は断った。

 

 だがマオが払った対価……。『一度でいいから空を飛んでみたい』という、結城の幼いながらも夢のある願いをマオはきちんと叶えたのだ。服と靴に飛行の魔法を掛けてもらい、鳥と同じ高さで飛び回った記憶は今も色褪せぬまま残っている。

 

 そして折川結城は空を一度飛ばしてもらった事を対価に、マオの願いを了承した。これは契約。後から『やっぱりなし』とか『対価が釣り合っていない』なんて事は通じない。

 

 

 少女はマオに怒りの籠った声を吐こうとして……ハッと気づく。

 

「だったら、私ともう一回契約して」

『ほう? いいぞ、この魔族の王に願いを言ってみよ』

「願いは、デパート内の人を死なせない事。対価は……マオのお願いを何でも、一度だけ聞く事」

『…………フッ』

 

 

 少女は気付いた。

 初めからマオは、『人間が死のうとどうでもいい』とは言ったが、『助けない』とは言っていないのだ。

 

 

 無償の願いを叶えるほど魔王は優しくない。

 だが、それが対価を払った契約とあらば……魔王は言う事を聞く。

 

 

『願いは、そうだな……。結城が冷蔵庫の中に隠している高級プリン全部で手を打ってやろう』

 

 

 普通、魔王との契約の対価など体の一部を持っていかれてもおかしくない。それがたかが高価な食べ物で済むのは、偏に、マオが折川結城という少女をそこそこ気に入っているからだ。

 

 ニッと笑ったマオが、少女と体を変わる。

 

 

 

 全身に駆け巡る不可視の魔力。

 その魔力量は留まるところを知らない。

 

 魔王としての力は、元の世界の10%ほどしか引き出せず。

 

 それでも、この世界で危険と呼ばれる事の殆どが児戯に感じる程の、圧倒的な実力を彼女は持っていた。

 

 

 

 パン!と音を立て、手を合わせる。

 店員の女性に集中していたパーバラなる男と、銃を持った男が鋭い眼光で少女の方を見た。が、マオは全く臆すことなく、凶悪な笑みを浮かべて睨み返す。

 

「なんだお前――――」

 

「儂の名前はマオ。キュートな歌声でいずれ世界を支配するアイドルだ、覚えておけ下民」

 

 

 パリリッと黒い稲妻が走った瞬間、男達に掛かる重力が一瞬で十数倍に膨れ上がった。思わず膝を突く2人。

 しかしパーバラがポケットから血で文字が書かれた札を取り出し、淡い水色に光る箱で自分たちを覆った。

 

 それを見て、マオは感嘆の息を漏らす。

 

「ほう、魔法緩和の結界か。下民にしてはいい技だ」

「下民下民うっせえんだよガキ!! やれマーズ!!」

「へい!!」

 

 重武装のマーズが小銃を構え、マオに向かって発砲する。

 だが銃弾は全て彼女に届く前に黒い稲妻に撃ち落とされた。その稲妻は意思を持ったように男達に突っ込んでいき、パーバラの張った結界を一撃で破壊する。

 

 

「契約は契約。殺すなとは面倒だが……ま、全身を軽く炙る位はやってくれよう!」

 

 

 マオは両手を左右に広げ、右手にどす黒い炎、左手に濁った水を出現させる。

 それを眼前で勢いよく叩き合わせた瞬間、夥しい熱気の籠った水蒸気が2人の男だけに向けて勢いよく広がって行った。

 

 銃を構えるマーズ。そんな彼の首根っこをパーバラが引っ張った。

 

「パーバラさん!! 防いでくれ、俺が撃つ!!」

「防げるか馬鹿野郎、こっち来い!!」

 

 水蒸気が肌に触れる寸前で、パーバラが取り出した札がカッ!と光る。

 何もかもを焦がし尽くすそれが通過し、視界が晴れる頃には、2人の姿は何処かへ忽然と消えていた。

 

 

 マオはその様子を見て、少し考える。

 

(……転移魔法、なかなか高等な技を使うではないか。まあちょっと威力を込めすぎていたし、避けてくれて逆に契約違反にならずに済んだが)

 

 『デパート内の人間を死なせない』には当然あの犯人共も含まれている。ちゃんと定義していれば全身をすり潰す魔法も使えたのだが、後の祭りだ。

 まあ……そう遠くまでは行っておらん。あんなちゃちな札ではこのデパート内の何処かが限度だろう。

 

 

「幸いにも、各階に人質が固まってるし。儂も契約厳守で適当に動くとするか」

 

 

 彼女は手に黒い釘付きバットを顕現させ、クルクルと回しながら歩き始めた。

 

 

 

 

 

 





何で現代舞台モノで魔王とか魔法とか魔力とか書いてるんだろう。


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#35 Let's GO 脳筋スタイル

 

 

 

「ふーッ」

 

 歯の隙間から鋭い息を吐くエンジェル。

 ゆったりと散歩でもするような足取りで近づいてくる彼女……俊介の体を見て、2人の男達は警戒態勢を取った。

 

 

「近づくんじゃねえ!!」

 

 男の片割れ……マーズと呼ばれた方が人を殺すには十分すぎる威力の小銃を構え、そう叫んだ。念のために腰元に付けている手りゅう弾も手に取り、素人でも分かるような威圧をする……が。

 

「…………」

 

 エンジェルはその声をガン無視。動かす足の勢いを全く弱めることなく進み続ける。

 1階での前例もある。たった一人の命を奪うことに元々躊躇いもなく、迷わず引き金を引き、光と共に炸裂音を響かせた。

 

 

 パンッ!と弾が一発、エンジェルの額に命中する。

 少しだけ顔を後方に跳ねさせ、足を止めるが、すぐに視線を目の前の男達に戻して歩き始めた。

 

 普通なら頭に風穴が空く所だが、穴どころか掠り傷すら付いているようには見えない。

 その様子にマーズは少し目を見張るが、すぐに冷静さを取り戻す。善悪はともかく数多の修羅場を潜り抜けて来た腕利きであり、動揺はすぐに消せるのだ。

 

 パーバラが札を取り出し、マーズの肩を叩く。

 

「チッ、今日は本当に運が悪いなマーズ! 下がりながら撃ちまくれ!!」

「へい!!」

 

 

 ネックウォーマーの中でニタニタと笑うエンジェルに、早歩きで近づく半透明の男が一人。ヘッズハンターが厳しい声色で、ゆったりと獲物を追い詰めて楽しむエンジェルに言う。

 

『遊びすぎるな。せっかくの変装用の服が吹っ飛ぶぞ』

「フフフ。余りに可愛い豆鉄砲でしたから、つい」

『……俺はあれくらいの銃弾で失血死しかけたんだがな……』

 

 ヘッズハンターがエンジェルとのステゴロで絶対に勝てない理由は単純。

 この怪力女は硬すぎるのである。骨を砕くつもりで蹴り飛ばしても、殺すつもりで首を締め上げても、涼しい顔で怪力パンチをドゴンドゴンだ。素手でやり合うには分が悪すぎる。

 

 

 

「では、そろそろ真面目に行きましょうか」

 

 彼女が右足で床を強く踏み込んだ瞬間、ビシリと嫌な音を立てて床にひびが走る。

 飛来する銃弾が全身に当たるのも気に留めないまま、銃を持つ男の体を勢いよく殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――エンジェル。殺害人数およそ2000人。

 

 

 生まれつき、人並み以上に力が強く体も頑丈だった。

 成長してからは身長が高くなり、他人が羨むような美貌も勝手に備わっていた。

 

 

 ……だが彼女が生まれ落ちた社会は、それでどうにかなるほど甘くなかった。

 

 貧富の格差が完全に定着しており、貧民層の生活は不潔で貧しく、富裕層の生活は一般市民には想像も出来ないほどの贅を尽くした物だった。

 当然彼女は一握りの富裕層などではなく、誰かが産んだ貧民の孤児として地下深くに根城を張る。

 

 1日の大半を地下での過酷な掘削作業……彼女にとっては暇つぶし程度のそれに費やし、安いが何が入っているか分からない飯を食べ、根城で寝る。その怪力は彼女の暮らす地域ではかなり有名で、寝込みを襲おうという不埒者は存在しなかった。

 

 

 

 そんなある日。突然、気取った富裕層の人間が地下にやって来た。

 

 その時に知ったが、彼女達が掘り進めていた穴は地下鉄を作るための物で、自分達が根城にしているエリアも丸ごと綺麗に掃除して線路を敷くのだと言う。

 無論、自分の住処を潰されることに何人かが抗議の声を上げたが、側近の武装兵に頭を撃たれて殺されていた。

 

 

 だがエンジェルは臆することもなく、ぼーっとその様子を眺めて。

 『今ここであの富裕層の人間を殺したら、どうなるんだろう』と考えてしまった。

 

 

 貧民生まれ故、ずっとその日暮らしを続けて来た。マトモな教育など受けられるはずもなく、何が良い事で悪い事かの区別も余りつかない。

 

 それでも生物としての本能として、同族を殺す事は忌避する感覚があるはず。だがエンジェルにはその感覚がなかった……と言うより、目の前のそれらが自分と同族の生物には見えなかった。

 

 その超越的な視点は、言うならば、生まれ持った彼女の素質なのだろう。

 人を殺す事を考え、それを実際に行動に移せる、生粋の人殺しとしての素質。

 

 

 その場で数人の武装兵の体を半分に千切り、気取った富裕層の人間の頭を握りつぶした。

 

 銃が体に当たっても存外傷はつかず、服に穴が開いたくらいで殆ど痛みを感じなかった。寧ろ、初めて自分の人生の選択を自分で選んだ事に、不思議な高揚感に包まれていたくらいだ。

 

 

 背後で自分と同じ貧民……同じ場所で穴を掘っていた、いわゆる仕事仲間と呼ばれる人間達が声を張り上げた。溜まり切った富裕層へのストレスが爆発し、今まさに社会変革への一歩を踏み出す、その瞬間だったのだが。

 

 エンジェルは社会変革になど一切興味はなく、やかましい声を出す100人余りのそれらを1人も逃がす事なく殺し尽くした。そして再び得も言われぬ高揚に包まれる。

 

 

 ――――やがて、彼女は血の海の中で納得した。

 

 

 なるほど、自分で物事を選択するとはこんなに楽しい事なのか、と。

 選ぶことの味を覚えた獰猛な獣はとどまる事を知らず。

 

 更に最悪なのは、殺人という最悪の一手を()()と、その味が何度でも味わえると覚えてしまった事だ。

 

 

 

 暫く帰ってこない富裕層の人間を探しに来た武装集団を1人を残して殴り殺し、残った1人に地上行きのエレベーターを稼働させ、全身をカラカラになるまで絞った。

 

 

 初めて訪れた地上は太陽が明るく、何分か目を細めて動くことが出来なかったのを覚えている。

 身を包むような温かさ……初めての感覚を感じながらその辺を歩き、やがて太陽に慣れると、再び味を占めて人を殺し始めた。

 

 適当な武装では傷がつかず、毒ガスなんかの化学兵器は腕を一振りするだけで掻き消える。

 生まれて初めての地上を自分の意思で歩き回り、時折、高級そうなビルに突っ込んでは中に居る人間を全て血祭に上げたりもした。

 

 

 服が汚れて臭くなりすぎたので、わざと捕まって新しい服を手に入れたりもした。少し鬱陶しいベルトがあったが、力を込めると呆気なく千切れた。

 

 

 ―――エンジェルにとっての『選ぶ』とは、つまり。

 何者にも縛られない自由が前提にあり、そこから自らで自らの道を決める事。行く先を決めることも、何をするかも、誰を殺すかも、全て自分にとっての新鮮な選択だ。

 

 

 空飛ぶ鳥の自由を羨み、エンジェルは富裕層の人間が部屋に飾っていた作り物の翼を体に縫い付けた。鏡を見ながら1人で縫ったために無茶苦茶になってしまったが、おおむね満足の行く出来だ。楽しくなってパタパタと何度も動かしてみる。

 地下で漫然と生きていた頃よりも、ずっと毎日が輝いているように見えた。

 

 

 

 しかし――――彼女は余りに社会を乱しすぎた。

 

 

 ある日、今までの木っ端とは比較にならない練度の武装集団が、数多の兵器と共に立ち塞がった。

 そこらの武器では傷つかないが、厚い鉄板を何枚も貫くような武器では流石に血を流してしまう。

 

 

 超振動する鋭利な刃物で体を何十回も切り裂かれ、頭には対物ライフルの弾を10発ほど受けた。他にも数え切れぬほどの傷を負う。

 それでも武装集団の殆どを殺したが……残った最後の1人に腹の傷の中に爆薬を押し込まれ、そのまま自爆されてしまう。

 

 

 バスケットボール程の大きさの傷から溢れる血を抑えきれぬまま、その場に倒れた。

 

 そのまま、歴史に名を遺した史上最悪の殺人鬼(怪物)は、安らかに眠るように失血死した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死後に異世界に来て、10歳の子供の中に入ったという到底信じられない現象。

 当初は、少し様子を見てから、日高俊介という少年の体を奪ってしまおうかとも考えた。彼女にとって、自身の考えから来る選択は尊い物であり、他者には絶対に邪魔させない物である。

 

 そんなエンジェルの考えを撤回させられるとすれば、それは彼女自身しかいない。

 

 

 日高俊介と出会ってから少しした頃に訪れた、あの『()()()()()』。

 その日から、エンジェルにとって俊介は守るべき大切な物となった。

 

 考えもしなかったのだ。

 『CS-08925』という無機質な番号ではなく、自分を定義づける名前があることが、これほどまで楽しい物だと。

 

 

 選択は自身にとって楽しく、高揚感を与えてくれるからこそ、大切にした物。

 ならば『エンジェル』と言う名を与えてくれ、自身を楽しくさせてくれた俊介も、また同様に大切な物なのだ。

 

 大切な物との約束は守るし、言う事も聞く。それが彼女にとっての当たり前である。

 そもエンジェルの時折崩れる不慣れな敬語は、人に好感を抱かれる喋り方など何も分からず、富裕層の人間が喋る口調を適当に真似たためだ。10歳の俊介が必要以上に怖がらないようにするために。

 

 

 

 ……『大切な者』ではなく『大切な物』と敢えて考えているのは……エンジェルの照れ隠しか。

 はたまた、狂った殺人鬼の(さが)から俊介すらも同族の生物として見れていないのか。

 

 それは定かではない。

 ただ、愛情と庇護欲が混じり合った面倒な感情が、彼女の人と物の境界を曖昧にし始めている……それだけは確かなようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「? 何でしょう?」

 

 エンジェルはマーズという男を殴り飛ばした感触がおかしいことに気付く。何か、跳ねのけるような力が拳を押しとどめ、男の体にまで届かなかったのだ。

 男に当たっていないのに、吹っ飛んでいった。これは一体どういうことか。

 

 

「なんつー馬鹿力だよ……!!」

 

 

 そう悪態を吐きながら立ち上がるマーズ。

 エンジェルには分からないだろうが、彼が使っているのは『物理的な攻撃に対して自動的に反重力のバリアを張る』という機械だ。ただ相手の力が強すぎると、踏ん張りが効かず吹っ飛ばされたり、バリアがオーバーヒートを起こしたりもする。

 

 

 ただその種を知らないエンジェルにとって、当たっていないのに吹っ飛ぶとは実に面妖な光景だ。

 右手を不可視のバリアに食い込ませ、そのまま重武装の男の首を掴もうとした。が、依然として触れられない。

 

「ふむ」

 

 段々と楽しくなってきてしまった。

 そのままバリアごと壁まで押し込み、なおも右手に力を込め続ける。分厚いコンクリートの壁に巨大なヒビが走る頃、マーズが胸元に付けている機械が白い煙を吐き始めた。オーバーヒートの合図である。

 

 

「う、お、おおおおッ!!」

 

 

 無茶苦茶に銃を乱射するが、エンジェルにとってそれは子供がおふざけで放つ輪ゴム銃と殆ど同じだ。バリアを力ずくで破壊し、首元を掴んで持ち上げる。

 

 半身不随になる程度に背骨を損傷させるため、中指を肌に深く食い込ませようとした瞬間。

 

 

 

「―――陽道・焔火(ほむらび)の札!!」

 

 

 瞬間、ピタリと左手に冷たい札が張られ、そこから青い炎が一気に噴き上がった。

 左手の肌の上で猛る炎を横目に、札を張って来たもう一人の男……パーバラの方に振り返る。

 

「フフフ。豆鉄砲に花火ですか。子供みたいですね?」

「あァ!? 割と強い術だぞ!!」

 

 無論、こんな児戯のような火でダメージを受ける訳がない。

 右手に掴んだ男を投げつけた後、壁からもぎ取ったコンクリート片を砕きながら投げつける。

 

 パーバラが投げられたマーズを受け止め、ポケットから2枚の札を取り出す。

 一発一発が肉を抉り取るコンクリ片を横っ飛びで回避し、再度取り出した札を光らせた。

 

 

「陽道・焔火炎の札!!」

 

 パーバラの真上の空間が熱で一瞬歪み、そこから収束された青い炎のビームが空気を焦がす音と共に放たれた。

 

「先ほどよりはマシですね」

 

 肉を焦がす熱の集合体を左手で受け止める。

 焦燥と困惑で歪む男の表情など気にせず、左手にビームを受けながらもエンジェルは前へと足を進めた。

 

 青い炎が効果切れで消えた瞬間、フリーになった左手を拳にして男へ降り下ろす。

 真上から降り下ろした拳を先ほどの反重力のバリアではなく、正方形の青い結界を張って受け止められた。しかし常識外れの怪力を真正面から防いだのは明らかに間違いと言えるだろう。

 

 

「あら」

 

 何の抵抗もなく結界を叩き割り、男の顔面に拳をめり込ませる。

 そのまま重力に従って床をぶち壊してしまい、2人の男達と共に3階へと落ちて行ってしまった。

 

 

 何事もなく床へと着地し、少しだけ困ったように頭をかくエンジェル。

 

「存外もろいですね。やってしまいました」

 

 先ほどの反重力バリアを殴る感覚でやったのは明らかに間違いだった。

 札使いの男は拳と床に頭を挟まれて気絶しており、軽く蹴ってアバラにヒビを入れても全く起きる気配がない。完全にノビてはいるが、呼吸しているので生きてはいる。

 

 崩落に巻き込まれたもう一人の重武装の男は意識が残っていて、瓦礫片に挟まれて呻いていた。

 エンジェルが首を強く踏み、気絶させる。

 

 

 そして、同じように飛び降りて来た横の人物に話しかけた。

 

「キュウビ。さっきの何とか炎というのは貴女の術ではありませんか?」

『うむ。誰が札に書き起こしたか知らぬが、確かにわらわの物と同じ体系の術じゃな』

「知り合いですか?」

『さあの。まあ、ダークナイトと同じように、わらわと同じ世界から来てる輩がおるのやもな』

 

 

 興味なさげにそう答えるキュウビ。何か本心を隠しているとかそういう訳ではなく、本当に心の底から興味がないようだ。

 

 エンジェルは地面に転がる男2人を一瞥した後、静かに言う。

 

「……余りに弱すぎて、溜飲が下がり切っていないですが。私はそろそろ変わるとしましょう」

『貴様が強すぎるだけじゃ怪力女。……というより、貴様がずっと体を独占するかと思っておったぞ』

「フフフ。私も人に譲る事くらいは覚えます。犯人は残り5人……お好きなようにどうぞ」

 

 

 そう言って、エンジェルはキュウビに体を譲った。

 単純に一番近くにいたから譲っただけで、術がどうのこうのとか考えていた訳ではない。

 

 一瞬の硬直から意識を取り戻したキュウビは、辺りを見回す。

 

「しかし、わらわと同じ術の使い手か……。もしかすると、あの旅館で女将に術を伝えた奴かもしれんのう」

 

 手のひらに華美な扇子を顕現させ、いつもの癖で口の前を隠す。

 4階に戻るも良し、3階を歩き回るも良し、全く別の階に行ってもいい。

 

 それを自由に選べるのもまた、傲慢たる美女の特権なのだ。

 

 

 

 

 ――――しかし。

 殺人鬼の遊技場に終わりのチャイムを鳴らす、人格犯罪者に恐れられる人対最強の男(牙殻)が、刻一刻と近づいていた。

 

 人知れず、遊技場の終わりまで残り30分を切る。

 それに気づく者はまだいない。

 

 

 

 

 





牙殻ー! 早く来てくれーッ!(展開が煮詰まる音)


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#36 クソ女

 

 

 

 デパート2階。

 

「…………」

 

 そこには銃を構え、息を潜めながら歩く女性……翠 夏樹(みどり なつき)がいた。

 先ほど新たに犯人を1人捕まえ、2階の出入り口を確保しに来たのだ。

 

 だが。

 

「……異世界技術の結界」

 

 軽く触れるが、強い力で押し返される。

 時間を掛ければ解除できない事もないが……ここに時間を掛けるくらいなら、犯人制圧に注力した方がマシだ。内側から解かずとも、外に居る牙殻や白戸なら解除できるだろう。

 

 

 諦めて踵を返した、その時。

 

「ッ!?」

「ひっ、ヒィィ!」

 

 背後に小太りの中年男が立っていて、思わず銃を構えた。

 黒光りする銃を見て、男は悲鳴を上げながら手を広げて上に上げる。降参のポーズだ。

 

「何者だッ!!」

「わ、私はこのデパートの管理人だ! じゅ、銃を下ろせ!!」

「…………」

 

 

 瞼を一度閉じ、コンタクトに仕込んだデータベースを起動させる。相手からすれば瞬きを一回した程度で、怪しまれずに情報を検索できる……いわば、異世界の科学技術を結集させた目だ。スパイ道具に近い。

 

 男の顔と、このデパートの管理人の顔を見比べる。

 確かに、寸分たがわず同じ顔だ。

 

 銃を下げる。

 

 

「そうでしたか。大変申し訳ございません」

「ま、全く……君は警察だな!? 早く何とかしてくれないと困るよ!!」

「私1人では対応がとても難しい状況です。どうか、見つからない場所でお隠れになって下さい」

「フン!! 無責任な警察は嫌いだよ、私は!!」

 

 

 頬を真っ赤に染め、クルリと振り返った管理人を名乗る男。

 その瞬間。翠は懐から白い銃を取り出し、その背後へためらいなく引き金を引いた。

 

 

 バシュッ!という音と共に、管理人の周囲に現れる光の縄。

 先ほど、気絶した犯人を完全に拘束したその光の縄は。

 

 

 ――――バチンッ!!

 

 

 スパークするような音が響き、管理人の体を拘束する前に弾かれた。

 その太い体からは想像も出来ないほど軽やかな動きで、翠から距離を取る管理人。

 

 先ほどまでの苛立たしい男の声ではなく、蠱惑的な女性の声が管理人から発せられる。

 

 

「顔変えの術……失敗してた?」

「スーツ姿でカスタム銃を持つ私の姿を見て、どうして警察だと?」

「薄い根拠で発砲してくるのね。流石、人対さん」

 

 男の顔が歪む。

 霧が晴れるように、管理人の姿が変貌していき……現れたのは、宝石のような黒い長髪を靡かせる、尋常ではない妖艶さを放つ女性だった。

 

 

「お前は……知雫(チダ)……!」

「人対が来ないように結界を張らせたのに、既に中に居たなんてね。まあ、貴女程度ならどうにかできるわ」

 

 

 知雫(チダ)

 警察や人格犯罪対処部隊にて、『怪人二十面相』と同レベルに危険視されている存在だ。

 

 薬物売買、洗脳、危険な異世界技術の不許可流布、殺人……。

 彼女が為す犯罪は悪辣さを極めている。それに加え、顔変えの術で逃亡したり、己の美しさで権力者に色仕掛けをしたりと、あらゆる手で人対を翻弄して来た相手だ。

 

 

 知雫が両手を合わせ、手印(しゅいん)を組む。

 

「陰道()()神足(かみあし)の道」

 

「っ!?」

 

 周囲の景色が一瞬で変貌し、後方から前方に一直線の延々と続く石畳の道が出現した。

 赤い鳥居がお互いを囲むように等間隔に並んでおり、その外は鬱蒼とした森が広がっている。

 

乱歩(らんぽう)

 

 彼女がそう唱えた瞬間、森の中から地響きが聞こえ始めた。

 嫌な予感がし、咄嗟に後ろに飛び跳ねる。すると先ほどまで立っていた場所の石畳に、無数の足の形をした穴が空いた。あのままあそこに立っていたらと思うとゾっとする。

 

 咄嗟に黒い実銃を構えて発砲した。

 知雫は手印を崩さぬまま、銃弾をヒラリと回避する。

 

「あら。危ない危ない」

「声に魅了の術を籠めるな、鬱陶しい!!」

「バレちゃった?」

 

 気付け薬を服用していないと魅了されていただろう。念のために歯の中に仕込んでいて良かった。

 銃を左手で発砲しながら、服の内側に点けている白い筒を右手で取り出す。

 

 

 筒の先から垂れさがる光の鞭を出現させ、知雫の方に振り放った。

 ガリガリと地面と鳥居を削りながら彼女に向かっていくが、そこでまた知雫は手印を崩さぬまま口を開く。

 

 

強歩(きょうほう)

 

 

 一際大きな音と共に、鞭の先端が断ち切られた。

 たかが光の集合体と言っても、鉄板をぶった切るくらいの威力は持っているのに。石畳に空いた穴の大きさを見るに、人体を消し飛ばすには十分な威力を持った攻撃だったのだろう。

 

 翠は知雫の方を睨む。

 

「さっきから、その手の印を崩さない所を見るに……それを保ち続ける事がこの術の条件だな!」

「うん、大当たり♪ どんどん攻撃してくれてもいいのよ♪」

「言われなくても!!」

 

 服の内側から白い手りゅう弾を取り出し、思いきり投擲する。

 二連爆弾という特殊な物で、一度爆発したのちに、更に勢いを強めて標的に向かうという物だ。

 

 爆弾が1度目の爆発をした瞬間、再び光の鞭を筒の先から数本出現させ、彼女に向けて縦横無尽に振り払う。

 

 光の鞭が上下左右、前後の至る所から襲う上、爆発物も迫ってくる知雫。だが余裕たっぷりの表情を崩さず、再び口を開く。

 

鈍歩(どんぽう)

 

 瞬間、彼女の周囲の物体が一気に速度を落とす。

 鈍くなった鞭や爆弾を余裕綽々の顔で眺めながら、ゆっくりと上体を動かして避けつつ、背後へ下がっていく。

 

 5秒も経てば元の速度に戻り、知雫の居なくなった場所を鞭と爆弾が襲った。

 

「クソ」

 

 分かってはいたが、相性が悪すぎる。

 悔しいが私は人対の中で一番弱い……殆ど武装もしていない状態で、最悪の相手と出会ってしまったものだ。

 

 

 

 再び爆弾を投げようとしたその時。

 ピシリと体が硬直し、動かせなくなった。

 

 困惑する暇もなく、知雫が魅了の術を解いた声で静かに語り始める。

 

「神様は怒られました。神の道を壊す者に天罰を下さんと」

「ぁ、ガ……っ!?」

「天より参りし神の歩み、地の獄の底にて更生の機を与えん」

 

 

 ……やられた!!

 詳しい事は分からないが……詠み上げた言葉からして恐らく、この道を一定の基準まで破壊した時に発動できる止めの技を使う気だ。

 奴の攻撃の威力が高く、やたらと地面を傷つけていたのも頷ける。私の攻撃の他に、術者である奴の攻撃も条件の足しに出来るのだ。

 

 意識と接続させている反重力バリア装置を起動させる。

 その瞬間、知雫が最後の言葉を詠み上げた。

 

 

神歩(しんぽう)

 

 

 延々続く石畳の道を丸ごと破壊するほどの、巨大な衝撃が走った。

 反重力バリアが一撃で破壊され、体が思いきり吹っ飛ばされる。先ほどまで居た石畳の道は消え、元のデパートに戻って来た。

 

 当然のように無傷の知雫。術者に自分の術が当たらないのは、当然と言えば当然だが。

 

 

 口から粘っこい血を吐きながら這いずる翠の姿を見て、彼女が驚いたような声を出した。

 

「嘘。殺すつもりでやったのに……意外とタフなのね」

「ッ……く」

「まあいいわ。牙殻が来た時の人質として確保しておきましょう」

 

 

 知雫は彼女に捕縛の術を掛け、首根っこを掴んで引きずり始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁあぁ……。雑魚と馬鹿ばかりで、ちっとも怒りが晴れんのじゃ」

 

 キュウビがあくびをしながら、その辺を練り歩く。

 既に3階にいた犯人は半チャーシュー状態まで焼き上げ、ハンガーの手によって天井から天日干しのように吊り下げられた。一応死んではいない。

 

 エンジェルが半殺しにした犯人が2人。

 キュウビとハンガーがやった犯人は2人。

 

「となると、確か後7人とか言ってたから……あと3人か。雑魚ばかりじゃの」

 

 キュウビは翠が追加で1人倒し、残り2人になっているのを知らない。

 

 

 女性物の高級な服やアクセサリーが店の中に放置されているが、今は女の体ではないし、そもそも俊介の意識がないのに着飾っても意味がない。

 燃えるような怒りは消えぬ。だが、雑魚ばかりのこの状況にも少し飽きてきた。

 

「俊介を起こす……? いや、わらわが起こしてとばっちりで怒られるのは嫌じゃ」

 

 そうして、辺りを見回していた所。

 店と店の間にある壁に妙な違和感を感じた。じっと目を凝らすと、何か姿を隠す物を身に着けて隠れている者がそこに居るのが分かる。

 

 

「おい、そこに居る者! 今すぐ出てこんと、全身丸焦げにして豚の餌にしてやるぞ!!」

「ヒィィィ!! ごめんなさぁい!!」

 

 

 悲鳴を上げながら姿を現したのは、小太りの中年の男だった。

 その醜い体つきに似合わぬ高級なスーツを着ており、身分の高い人間であることが伺えた。

 男はすぐにキュウビの足元まで来て、額を床にこすりつける。

 

「悪かった、少しビビっちまっただけなんだ!! 許してくれ、客なんてどうでもいい、俺の命だけは!!」

「はぁ? 何を言っておる豚。わらわに近づくでない、穢れが移る」

「……あ? なんだ、お前? 薬物売りの仲間じゃないのか?」

 

 

 男が土下座を解いて立ち上がり、眉間にしわを寄せる。

 

「ふざけんな! 勘違いさせやがって、ヘンテコ野郎――――」

「わらわに近づくなと言っておるのじゃ! 首を垂れよ、クソ豚!!」

 

 キュウビが彼の足を燃やし、地面に膝を突かせる。

 そして男の頭を踏みつけ、地面に押し当てた。図らずとも、再び土下座をしているようなポーズになる。

 

 

 豚の頭を足で押さえるキュウビの側に、ゆらりとトールビットが近づいた。

 

『この男、今、気になる事を言ってなかったかい? 薬物売りの仲間だとか何とか』

「うむ。豚の戯言にしては、ちと見過ごせぬ発言じゃな」

『ハハハ。キュウビ、少し体を変わってくれないかな? あと他の皆を近づけないように』

 

 トールビットに体を変わるキュウビ。

 彼女は男の首根っこを引っ張り上げ、そのまま、家電量販店の奥まで引きずっていた。

 

 

 

 キュウビは彼女の言う通りこの場で待機するよう皆に伝え、待つこと5分。

 先ほど引きずっていた男の姿はどこへやら。トールビットはにこやかな笑顔と共に、1人で戻って来た。

 

 キュウビの顔を見るなり、すぐに体を変わるトールビット。

 

『いやぁ、中々面白い事を聞けたよ。あの男はここの管理人で、薬物売りと通じてた張本人だってさ。物凄い額のお金と引き換えにデパート内での売買を黙認してたらしいけど、金が充分貯まったから警察にチクったってね』

「……あの男はどうしたのじゃ?」

『手の中を見れば分かるよ』

 

 体を変わった時から握ったままだった右手を開く。

 そこには血まみれの耳と爪と歯が1つずつ、綺麗に並んでいた。キュウビは躊躇いなく手に炎を出し、それらを丸ごと焼却する。

 

「貴様、汚い物を握るでない! 俊介の手が汚れるであろう!!」

『ごめんごめん。でもほら、それ以外に返り血は浴びてないからさ。勿論、殺してもないし』

「そういう問題ではないのじゃ!」

 

 汚らわしい豚の一部を握らされたことで、若干イライラしているキュウビ。

 階段を降り、3階から2階へと降りると。

 

 

「ん」

「ん」

 

 

 ちょうど、1階から2階へと昇っていた少女と鉢合わせた。

 キュウビは顕現させた扇子を口に当て、彼女を見下ろす。

 

「貴様……確か俊介と話していたマオ? とか言うアイドルじゃな。わらわはキュウビじゃ」

「うむ。儂はマオ、アイドル兼魔王だ。それより、その服装は……いや」

 

 チラリと、マオがキュウビの恰好を一瞥する。

 

「わらわが選んだ服ではない」

「だが、いくら何でも……」

「……ならば、これで文句なかろう」

 

 キュウビが自身に術を掛け、全身の姿を変えた。

 それは俊介の姿ではなく、自身が生きていた頃……元の世界でのキュウビの姿だった。

 最初からこれで変装しろとは思うかもしれないが、キュウビが表に出ていないとこの顔変えの術は使えないのだ。殺人鬼達はみんな、俊介のように体の一部を他人に譲渡するという器用な真似はできない。

 

 

 人並外れた美貌だが、魔族であるマオにはさしたる効果はない。キュウビも本気で魅了する気がないのも理由だが。

 キュウビが口を開く。

 

「今から1階と2階の犯人を始末しに行く所なんじゃが」

「1階は儂が片づけた。2人取り逃がし、1人を丸焦げにしてやったぞ。取り逃がした奴らは、札と銃を使っておったのだが」

「……エンジェルが4階で片づけた2人じゃな。わらわとハンガーが2人始末して、元々犯人が7人おったのじゃから……」

 

 マオが1人。

 エンジェルが2人。

 キュウビとハンガーが2人。

 

 7-(1+2+2)=2。

 

「後2人か。あっけない物じゃのう」

「儂が出てくる必要あったか、これ……?」

 

 翠が追加で1人制圧しているので、実はあと1人だけである。

 

 

 少女魔王とガチ傾国の美女が揃って2人で歩き始めた。

 デパート内の犯人は少ないので、わざわざ分かれて探す必要もない。というか、別の階に行った所でもう犯人がいない。

 

「アイドルってどんな感覚なんじゃ?」

「人に注目される。儂はいずれ世界を歌で支配することを目標としているぞ」

「ほ~ん。わらわももしこの世界に生まれていれば、アイドルとやらになってたかもしれんのう」

 

 

 そう言いながら、無人の道を適当に散策していると。

 突然、キュウビに向かって青い炎の矢が素早く飛んできた。

 

「あ”?」

 

 手に持った扇子で容易く叩き落とし、矢の飛んできた方向を見る。

 そこには美しい顔を怒りで歪める、長い黒髪を持つ女がいた。女の右手には、先ほど俊介と話していた黒スーツの女の首根っこが掴まれている。

 

 

 黒髪の女が、煮えたぎるような怒りを込めた声で言った。

 

「何故ここに居る……朱雀(すざく)……!」

「……誰じゃ貴様。なぜわらわの前の名前を知っておる」

 

「私の名前は知雫(チダ)!! 忘れたとは言わせないぞ!!」

 

「覚えておらぬ」

 

 のほほんと言ってのけるキュウビ。

 それを見た知雫が、更に怒りのボルテージを上げる。そして噴き上がる怒りが一周したのか、かえって冷静になり始めた。

 

 

「フフフフ……さっきから仲間と連絡がつかないし、牙殻ももうすぐ来る。撤退時だと思ったが……まさかここでお前に再会できるとはな。

 いいさ、最後にお前の血で化粧をしてから撤退してやるよ!」

 

 

 明らかに正気ではない女。

 マオがそっとキュウビに顔を近づけ、こそっと耳打ちした。

 

「手伝ってやろうか?」

「いらぬ。……しかし、本当に心当たりがない。一体誰じゃ……?」

「経験上、物忘れはふとした時に思い出す。500年生きた魔族の教えだ、覚えていろ」

「500年でそれだけしか悟れなかったのか」

 

 会話を終え、マオが数歩下がって距離を取る。

 逆にキュウビが何歩か前に出て、扇子を口元に当て、余裕綽々な態度を取った。

 

 知雫が手印を組み、大声で叫ぶ。

 

「死ね朱雀、()()()()()()()()ィ!!」

 

「ん? 禁術か」

 

 周囲の景色が変わり、前後に延々と続く石畳の道が伸びる。

 先ほど人対の翠を容易く始末した技であり、知雫が使える術の中でもかなりの威力を持つ禁術だ。

 

 異常な光景だが、キュウビは焦ることなく扇子を前に突きだす。

 

「禁術など使うものではない。内臓が悪くなるし、頭は痛いし、寿命は縮む。阿呆の使う技じゃな」

「阿呆はそっちだ! 禁術の威力は、デメリットを補っても余りある!!」

「あと、禁術は古来から伝わる古臭い術ゆえに解きやすい」

 

 

 扇子を開いた瞬間、周囲の景色が元のデパートの光景に戻った。

 知雫は手印を崩していない。正規の解除手段ではなく、強引に術の構成そのものをぶっ壊されたのだ。

 例えるならばそれは、鉄製の箱の中に入った物を取る時に箱を開けず、素手でぶち破って取り出すくらいに強引な技。現実的にあり得ない技だ。

 

 

 キュウビが再び扇子を口元に当てる。

 

「でもまあ禁術使いの阿呆だとしても、暇だから相手してやるのじゃ。ほれ来い」

 

「―――ふざけるな、このクソ女!!」

 

「……わらわ、本当に何したんじゃ……?」

 

 

 緊張感に差のありすぎる2人だった。

 

 

 

 

 

 





術の名前とか内容とか、元ネタは一切なく、男漢が1から考えてます。
ちょっと厨二臭くて痛くてもゆるして


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#37 言い表せぬほどに求めるこの感情

 

 

 

 

「おー。儂の魔法とは違うが……中々迫力がある」

 

 マオがそこら辺にあった椅子に腰かけながら、目の前の2人の魔法(?)勝負を見物する。時折弾かれた攻撃が飛んでくるが、流石に魔王、流れ弾程度で負傷する程甘くない。

 

「しかしまあ……一方的だの。勝敗は丸見え、賭けにはならんな」

 

 勝負は、ピークを迎えていた。

 

 

 

 

 

 

 

「――――陽道禁術・大紅蓮焔(だいぐれんほむら)ッ!!」

 

 

 知雫(チダ)が高く飛び上がり、数メートルの青い火の玉を作り出して、眼下に居るキュウビに投げつけた。

 それを見たキュウビが、扇子で口を隠したまま静かに言う。

 

「陽道・焔火(ほむらび)

 

 彼女の目の前に小さな炎が出現し、自身の体の周りに薄く広がる。そしてすぐに巨大な火球がぶち当たり、デパートの一角が青い炎に包まれた。

 床や壁には薄く炎が張り、少し歩くだけでも大火傷だ。だがそんな炎の海の中心で、キュウビは涼しい顔をしていた。

 

 知雫が顔を歪める。

 

「なんでそんな、雑魚術でッ……!」

「自分の身を護るぐらいならこの程度で充分じゃ。勿論、地力の差もあるがの?」

「クソがッ!!」

 

 殴り掛かって来る知雫の拳を軽くいなすキュウビ。

 ヘッズハンターやエンジェルに比べれば可愛すぎる攻撃だ。まあそれはあの2人が化け物すぎるだけだし、その更に上に潜む怪物(ダークナイト)の事など考えたくもない。

 

 知雫の腹に左の掌底を打ち込み、地面に沈ませる。

 

 

「ふぁぁあ……しょうもないのぉ。やることといえば隙だらけの禁術を放つだけ。しかも禁術を使ってばかりで体力が勢いよく削れておるのじゃ」

「はーッ……はーッ……」

 

 息を荒くする知雫を見下ろし、キュウビが溜め息を吐いた。

 

「飽きた。貴様の回復を待つ間、話を聞いてやる。好きに申せ」

「何……!? ふざけ」

 

 知雫の顎の下に扇子を当てる。

 

「今すぐ全身を焼いてもいいのじゃぞ、小娘」

「ッ」

 

 彼女は諦めたように、口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――キュウビ。殺害人数およそ100人。

 

 

 彼女は悪辣な環境の娼婦街の一角に、親の顔も知らぬ孤児として生まれ落ちる。

 

 上を見上げればいつも遥か彼方に、宝石のような眩しさの城があった。そしていつからか、なぜか、その城に行きたいと強く思うようになった。

 

 

 汚い娼婦街の孤児が宮殿に行く機会があるわけがない。

 持っていたのは、名も知らぬ親から受け継いだその美貌だけ。あの宮殿に辿り着くには、他の部分を一から作り上げていく必要があった。

 

 知力も暴力も道術も、全て一から身に着けた。

 初めて人を殺したのは、娼婦街を纏めていた裏組織のボスを見せしめに吊るし上げた時だ。存外何とも思わず、自分には美貌の他に、人殺しの才もあったのかと気づく。

 

 人を惹きつけてやまない魅了の仕方も覚えた。一通りの作法も身に着けた。

 必要とあれば手ずから人を殺し、街の実質的な纏め役まで成りあがった。娼婦街の孤児からここまで来られれば充分な物だが、城に辿り着くにはまだ足りなかった。

 

 

 それからも、ありとあらゆる手を尽くした。

 その過程で多くの人間を殺したが、それを気にすることなく進めた彼女は、やはり何処かおかしかったのだろう。

 

 

 いつしか、高貴な生まれの者しか成れぬ城の侍女になる。

 この頃には、男だろうが女だろうが関係なしに魅了する技術は身に付いていた。第三王女を完璧に堕とし、侍女の身分でありながら他の王族とも交流を持つようになった。というより、そうなるように仕向けた。

 

 やがて王子の妃として豪華な椅子に座り、城内の権力を完璧に握った。義父である王すらも魅了し、人からは国を傾かせるほどの美女と呼ばれた。

 

 

 ――――そして。

 誰も逆らわせず、幼き頃から夢見た城の中で偉そうにふんぞり返ってみた感想は。

 

 『思っていたよりもつまらない』。それに尽きた。

 

 

 思うに……あの日から追い求め続けた城というのは、手に入らないからこそ輝いて見えたのかもしれない。

 はたまた子供の時は輝いて見えたが、精神が成長して、負の面が多く目に入るようになったからかもしれない。

 

 暇つぶしに、自分よりも遥かに高貴な身分で生まれた女共を蹴り飛ばして見るが、全くつまらない。魅了して足を舐めさせると一時は面白いが、気が晴れることはない。

 

 出ようと思えばこんな城程度、いつでも出れる。

 だが出た所で何をする? 今までの人生、この城に辿り着くことしか考えてこなかった。権力闘争の頂点まで上り詰めたのはその延長線上にあっただけだ。

 

 傾国の美女と呼ばれても所詮、根はキラキラした物に誘き寄せられただけの孤児なのだから。

 

 憂さ晴らしに城内の貴族を虐めたり、魅了したり。

 そんな事を繰り返していた時、彼女のいた国は他国との戦争を始め、それに敗れた。

 

 

 彼女を含む王族は全て捕らえられ、見せしめと処刑されることになる。

 他の者共のように、うだうだと暴れる理由はなかった。敵国に寝返った者から過去の殺人を咎められても、全く動じなかった。

 

 

 正直な話……やろうと思えば、処刑人を焼き殺して逃亡も出来ただろう。

 

 だが今の彼女には、幼き頃に夢見た……あの輝く『()』が何処にも見えなかった。何もかもを踏み倒して生きたいと思うような目標がなかったのだ。

 

 娼婦街の一角から成り上がった、目的の為に人殺しすら厭わない非情な女は……一瞬で頭と胴を切り離され、その生涯に幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……私は、王子と結婚するはずだった……!」

「ほう」

 

 キュウビが知雫を見下ろしながら、記憶を探る。

 

「私は王子の婚約者だったんだ!! それをお前が、汚い手を使って王子を洗脳して……!!」

「……あぁ、思い出したのじゃ! おったのう、芋臭い黒髪の女が。喉に引っかかった小骨が取れた気分じゃ」

「ッ……! この、娼婦街上がりの孤児風情め!! 何が禁術を使うなだ、お前も使ってたじゃないか!!」

 

 そんな彼女の言葉に、意味が理解できないといった様子で首を傾げるキュウビ。

 

「陰道の禁術・呪操縛(じゅそうばく)……。私と王子の仲が引き裂かれるなど、あの術しかありえない!」

 

 それはかつて、折川旅館の女将が使った禁術だ。

 人を呪いの様に縛り付け、操作する。それは単純な魅了の術や洗脳の術とは違い、心の最奥にまで侵入するため、相当の実力者でない限り解くことが出来ない。

 勿論、完全に使いこなそうと思えばそれ相応の実力を要する、難易度の高い禁術だ。

 

 

 キュウビも一応、使えはするが。

 彼女は首を横に振り、その言葉を否定した。

 

「わらわは禁術など使っておらぬ。そも、元の世界でわらわは術を用いて人を魅了した事はない」

「……は? じゃあなんで、王子は」

「あの王子は、純然たるわらわ自身の魅力に頭をやられたのじゃ。婚約者の貴様を放り置いてな。

 元娼婦街上がりの孤児風情の靴を、それはそれは下品に舐めておったのう。肌に触れさせたことは一度もないがの」

 

 

 知雫がありえない物を見たような、驚愕の表情を浮かべる。

 

 

「ありえない。私は、王子とは幼い頃から……。お前から取り戻すために道術を磨いたのに、これじゃあ何の意味が」

「残念じゃったのう。わらわは処刑されたし、貴様はその様子だと、禁術を使いすぎて元の世界で死んだんじゃな? ここで会えはしたものの、結局何の意味もなかったという事じゃ」

「ッ――――」

 

 

 怒りに震える知雫がキュウビから離れ、再び惜しげもなく禁術を撃ち始めた。

 それをキュウビは難なくいなし、逆に知雫の右肩を焼き焦がす。涙混じりの表情で地面に這いつくばる彼女に、ゆったりとした足取りで近づいて行った。

 

「まぁ正直、王子など既にどうでもいいのじゃ。今目の前におったら、貴様にくれてやってもよかった所じゃぞ。禁術どころか、一番初歩の魅了の術すら使わずに堕ちるようなボンクラなんぞな」

 

 彼女の声に、光悦が混じり始める。

 

「わらわは既にこの世界で、新たな『()』……いや、それ以上の()を見つけた。死んでから命を懸けてでも手に入れたいと思ったのは、なんとも数奇な運命じゃ」

 

 

 思い出したのは、彼女が今操っている、日高俊介の顔。

 

 

 それは、俊介が中学2年生の頃。

 一から磨き上げた人を惹きつける魅惑を、サイコシンパスに上回られ、プライドを粉々に叩き折られた時の事だ。

 

 キュウビは自信を取り戻すために、俊介を全力で魅了し始めた。

 最初は術の力を使わず、自身の美貌と蠱惑的な動きだけ。これで城の王子は堕ちたが……俊介は全くもって反応しなかった。

 

 次に魅了の術を使った。

 普通ならばこれで堕ちるはずだが、俊介はのほほんとした表情で普通に過ごしていた。いくら実態のない半透明とはいえど、自分の姿が見えるのなら、魅了の術は効果があるはずなのに。

 

 ムキになったキュウビは、禁術を使った。

 それでも俊介はのほほんとしていた。少しだけこちらを気にする時間が増えたが、それだけだった。

 

 

「分かるか? その城はわらわの美貌と魅惑を以てしても一切靡かぬ。先ほど貴様が言うた禁術の呪操縛や、他の魅了の術、操作の術を1週間ほどかけ続けて、ようやっと情欲を込めた視線を向けるのみ」

 

 

 俊介自身はあの日、キュウビがずっと部屋の隅にいたせいで、チラリと欲を込めて見てしまったと思っているが。

 実は、キュウビが魅了やら洗脳やらの術をずっと掛けていたせいなのである。

 

 

「何をすれば靡くのかも分からぬのに、わらわは喉から手が出るほどそれが欲しい。愛おしい、という言葉では言い表せぬ。その一挙一動をわらわのために捧げて欲しい」

 

 彼女の傲慢さは、いわば、自分を一から作り上げた誇りから来るものである。何かを身につける為にそれをどれだけ努力したか、自分自身で理解しているからこそ傲慢だったのだ。

 

 だが俊介の前ではその傲慢さは形を潜めた。

 自分の磨いた技術を全て用いても、俊介は欲を込めた視線を向けるだけ。誇りなどとうの昔に砕けた。

 

 

 その誇りを、新たな形に繋ぎ直したのが、俊介だ。

 誇りは、心を掻き乱し壊す、言葉に表せない愛情へと姿を変えた。

 

 

「ひっ……」

 

 知雫がか細い声を上げる。

 

 キュウビの様子は、もはや確実に正常な人間のそれではなかった。おおよそ人に向けていいレベルではない感情を、自らの大切な者に向けているのが感じ取れた。

 

「い、イカれてる……。人間じゃない……!」

「ぷっ、ハハハハ! 上等じゃ。

 わらわの名前は『キュウビ』。人を惑わす狐の妖怪の名前じゃ。あやつが手に入るのならば、今すぐにでも獣畜生に身を落としてくれようぞ」

 

 彼女の目は、漆黒よりも深い闇の色に染まっていた。

 

 

 完璧に気圧された知雫が後ずさる。

 キュウビは微笑みを浮かべたまま、意趣返しとして、彼女に魅了の術を放った。

 

 知雫は抵抗する間も無く一瞬で正気を失い、その場に這いつくばる。それは図らずとも、かつてキュウビが魅了した王子の成れの果てとそっくりであった。

 

 

 

 

 

「終わったか……」

 

 マオがそう呟きながら、ゆっくりと椅子から立ち上がった。

 彼女らが戦っている間に、あの黒スーツの女が捕らえたであろう犯人を1人見つけた。

 これでデパートを占拠していた犯人は全て始末、無事終了だ。

 

 折川結城は人格持ちの証明書を出している為、中にマオがいる事がバレても問題はない。だが、派手に暴れ回った事が警察にバレるとちと面倒だし、アイドル活動に支障が出る。

 

 

 さっさと退却しようとした、その時。

 

 

 

 

 轟音と共にデパートを覆っていた結界が割れ、すぐ側の入り口から誰かが飛び込んできた。

 黒スーツを纏い、胸元に金のバッジを付ける男。右手には紫色に淡く光る小刀を持っている。

 

 彼はスライディングする様に着地し、すぐに叫んだ。

 

「悪い、他の事件を対処してて遅くなった! 大丈夫か!?」

「……ッ!?」

 

 マオは顔を青ざめる。

 あれは不味い。全く知らぬ、別世界の者だが……今のマオでは手も足も出ないほど()()()が入っている。

 

 

「一体何が……」

「う、が、牙殻……」

 

 彼は牙殻。

 人格犯罪対処部隊、最強の男。

 

「…………」

 

 先程まで別の人格犯罪事件を数件解決しており、デパートの状況報告は本当に簡素な物しか受けていない。時間がなかったのだ。

 

 だが今、目の前で仲間の翠が瀕死になっている。

 ここには人格犯罪者として名の知れている知雫と、それの前で偉そうに立つ金髪の女性。あとは顔を青ざめて怯える少女。

 

 誰を真っ先に捕まえるべきなのかは、分かりきっていた。

 金髪の美人に鋭い視線を向ける。

 

「俺は警察所属、人格犯罪対処部隊の牙殻だ。申し訳ないが、警察までご同行願いたい」

「そいつは困るのじゃ。わらわは警察に捕まる訳にはいかんのでな」

「なら好都合だ。これで容赦なく、仲間をやった奴をボコボコにして拘束出来るってこった!」

 

 

 盛大な勘違いと共に、牙殻が紫色の小刀を構える。

 それに対し、キュウビは警戒を最大限に強めた。先ほどの知雫のように遊んでいられる相手でないと。

 

 扇子を前に突き出し、牙殻に術を放つ。

 

「陽道•百連焔掌底(ひゃくれんほむらしょうてい)

 

 青い炎で出来た無数の掌底が、牙殻に襲い掛かる。

 だが彼はその場から動く事なく、肺に大きく息を吸い。

 

 

「コルルルァアアアアアアア!!!」

 

 

 とんでもなく大きな声だけで、その炎を全てかき消した。

 明らかに人間に出来る技ではない。可能とすればそれは、異世界の人格。

 

「……少しまずいかもしれんの」

 

 相性が悪そうな男を前に、キュウビは少し、冷や汗を垂らす。

 

 

「行くぞ、ダンケルク」

 

 牙殻が静かにそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





キュウビの過去描写がエンジェルに比べて少ないですが、彼女は過去よりも今を見てるという事で許してください。(メモ帳どっか行っちゃった)

2月18、19日は作者の私用により投稿をお休みします。
20日には投稿できるよう書きまくりますので、何卒ご容赦ください。


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#38 人対最強。ただし頭は最弱

 

 

「ジェットスーツ、起動……!」

 

 低く呟く牙殻。

 彼の着込んだ黒スーツに、ぼうっと淡い紫のラインが浮かび上がった。どうやら服の下に何かを着込んでいるようだ。ジェットスーツという仰々しい名前からろくでもない物という事だけは分かる。

 

 

「くッ!」

 

 道術を声で掻き消すような身体能力お化けとはマトモにやってられない。

 キュウビは全身に防御の術を纏いながら背後に飛び下がる。俊介より少し上くらいの身体能力の彼女だが、軽化の術の恩恵もあり、10メートルほど飛ぶことができた。

 

 だが10メートルなど、牙殻にとっては余りに短すぎる距離だ。

 鋭い呼気を吐き、たった一歩強く踏み込んだだけで、キュウビの眼前にまで距離を詰めた。

 

「ぬおおおっ!? 陰術・幻牢(げんろう)ッ!!」

 

 間一髪で術を発動させるキュウビ。

 牙殻の拳が彼女の体を捉えた瞬間、まるで幻でも殴ったかのように拳が空を切った。彼女の体は色のついた霧のように霧散し、牙殻の体に纏わりつく。

 

 これは自身の幻を攻撃した者をカウンター拘束する技。

 普通なら術者の技量も相まってそうそう解けるものではないが、牙殻は一瞬でその拘束をぶち壊した。純然たる腕力で超常の技を打ち破ったのだ。

 

 

 だがキュウビとて間抜けではない。

 あの男とやり合うのに自分では荷が重すぎるのは分かっている。故に、牙殻が拘束された一瞬の隙に他の者へと体を渡した。

 

『すまん、頼んだのじゃ!!』

「フフフ。本日2度目ですね、まさかこんな事になるとは」

 

 エンジェルに体の主導権が渡った瞬間、キュウビが自身に掛けていた顔変えの術がポフンと解けた。突然エセ大道芸人のような恰好をした男が現れ、牙殻は一瞬目を剥いたものの、すぐにナイフを構え直す。そして素早く俊介の体を操る彼女に斬りかかった。

 

 どんな名匠が研いだ刃物でも、大抵の場合エンジェルには傷をつけられない。

 だが彼女は自身に迫るその小刀の刃を見て、回避することを選択した。元々の世界で見た超振動する刃物……それよりもはるかに高い威力を込めているのが感じ取れたからだ。

 

 右半身を後ろに下げて小刀を回避し、牙殻の顔面にカウンターの拳を叩き込もうとする。

 だが彼女の拳は真横に弾かれ、そのまま左側頭部に蹴りを当てられてしまった。規格外のタフさを持つエンジェルだが、それでも少しクラッとしてしまう威力の蹴りである。

 

 

 そんな隙を見逃すわけもなく。

 牙殻はエンジェルの胸倉を掴み、そのまま通路の奥へとぶん投げた。50メートルほど飛ばされた所で壁に手を突き刺し、ブレーキを掛けて着地する。

 

 紫色の光を軌跡にし、牙殻が床や壁や天井を縦横無尽に飛び回りながら近づいて来た。近くにあった一人掛ソファーを投げるが全く当たる様子がない。

 壁の中の厚い鉄筋を数本引き抜き、束ねて彼の刃を受け止める。

 

 

 ギチギチと金属が擦れ合う音が響く中、牙殻が叫んだ。

 

「さっきの蹴りで沈まないとは……!! お前、何者だ!? さっきの脆そうな美人魔法使いとは全く別物(べつもん)じゃねえか!!」

「知る必要がありますか?」

「そうかよ……! 一応言っとくがな、今降伏しないといい加減痛い目に遭うぞ!!」

 

 お互いに足に力を込めて飛び下がり、距離を取る。

 

 

「ダンケルク、()調()しろ!!」

 

 

 牙殻が持つ小刀が紫色に光り、それを勢いよく振り抜く。

 通路の空気が意思を持ったように渦を巻いて動き出し、彼の前方に3つの竜巻が発生した。床から天井まで伸びる小さな物だが、人を巻き込んでズタボロにするには十分な勢いだ。

 

 

「まったく、本当に人間ですか?」

 

 エンジェルに向け、引き絞った矢のように放たれる竜巻。グングンと距離を詰めて来るそれらに一切臆することなく、豪腕の一振りで掻き消した。どちらも大概人間離れしている。

 

「多少強いだけのちょいワルポリ公だよ!! 給料も安いしなァ!!」

 

 掻き消された竜巻の背後から、牙殻が小刀を構えて突進してきた。先ほどよりも圧倒的に動きが速くなっている。

 エンジェルは振り下ろされた小刀の峰を手の甲で弾いた。しかし彼は弾かれた瞬間に手の中で小刀を翻し、再び斬りかかって来る。

 

 1秒目で10回。2秒目で50回。3秒目で120回。

 異常とも言える速度で斬撃回数が増えていき、やがてエンジェルは防げなくなって……左腕の肌の表面を刃が走った。傷は浅いが、プシッと噴き出した鮮血が空を舞う。

 

 

「!!」

 

 空を舞う血を、エンジェルが信じられないといった表情を浮かべた。

 やがてその表情には強い憤怒が浮かび、空気を捩じり切るような音を鳴らす右の怪力拳を牙殻に放つ。常人ならたとえ指先に当たっても衝撃で全身の骨を砕くほどの威力だ。要するに物理法則を無視しかける程の一撃である。

 

「うおやべえッ!?」

 

 

 ―――ガァァアン!!

 

 

 彼はその拳を受け流した。全身に痺れが残るような威力だったが、怒りで粗雑になった攻撃を弾くのはそこまで苦ではない。

 拳を受け流され無防備になったエンジェル。牙殻はその胴体に袈裟切りと逆袈裟切りを放ち、止めに顎を膝で蹴り上げた。

 

 

 エンジェルの頭が弾かれ、数歩後ろに後ずさる。

 胴体と左腕の傷からは血が流れている。死に繋がるほどの傷の深さではないが、彼女の逆鱗を更に刺激するには十分すぎた。エンジェルが地獄の底から響くような低い声を出す。

 

「てめェ……全身バラバラに砕いてドブネズミが飲むスープの具材にしてやるよ」

 

「おいおい、丁寧な口調が崩れてんぞ。流石に余裕がなくなってきたか?」

「……あら。フフフ、いけませんね。ちょっと冷静じゃなくなってきたみたいです」

 

 

 彼女の敬語口調は生まれつきではない。俊介を必要以上に怖がらせないために使っているだけなので、偶に気を抜きすぎて崩れることもある。

 しかし、怒りで口調が崩れるというのは余りいい兆候ではない。怒りは力を強くするが、冷静さを欠かせる。

 

 スピードで負ける相手に冷静さを失うなど、殺してくださいと言っているようなものだ。

 怒りを鎮めようと深呼吸する。……だが、ついぞ鎮められなかったエンジェルは、やむなく他の人格との交代を選択した。

 

 

 一瞬の硬直。人格変更の合図。纏う雰囲気が一遍に変化する。

 

『申し訳ありません。私ではこれ以上、厳しそうですので。無責任ですね』

(ニン)ッ! 拙者、ちょ~いとガクブルでござるよ!! なぜか? ダークナイト殿がめっちゃ見てきてるからでござる!!」

 

 エンジェルが体を譲ったのは、絡め手が上手いニンジャであった。

 彼と同じくらい絡め手が上手いのはハンガーだが……彼女はロープがある事が前提なので、何もない今の状況ではニンジャの方が強い。

 

 そして何故ダークナイトがニンジャを見ているかと言うと。

 『自分が出れば一瞬で終わるのに』と考えているからだ。勿論、出て来ていい訳がない。

 

 

 

 一気に雰囲気が変わった目の前の男を見つめる牙殻。

 

「あ? おいおい、さっきから雰囲気が変わりすぎだろ……」

 

 初めは美人の魔法使い。2回目は殺意ムンムンの怪力マン。3回目の今は……陽気そうに見えてその実、何を考えているか分からない。

 

「ん? 待てよ、雰囲気が変わる……硬直、人格変更……」

 

 牙殻は最初、美人の魔法使いか、怪力マンのどちらかが主人格だと考えていた。

 それならば主人格1人と異世界からの人格1人の計2人。だが今の目の前の男は……明らかに3つ目の人格が出て来ている。

 

 どこかマトモでない……犯罪者っぽい雰囲気。知雫と翠を倒すほどの実力者。複数人格。

 それらから導き出した答えは。

 

 

「――――『()()()()()()』だったのか、お前……!」

 

「は? 怪人二十面相? 拙者は由緒正しくはない忍者でござるよ」

「大物だとは思ってたが、ここまでとはな……! 悪いが本当にぶった切る気で行かせてもらうぜ……!!」

「なっ、タンマタンマ! 拙者、さっきの怪力女みたいに頑丈ではないでござるぅ!!」

 

 

 牙殻が小刀を構えて走って来るのに、ニンジャは怯えた様子を浮かべる。

 そして牙殻の顔が1メートル前後まで近づいてきた時――ニンジャは咄嗟に顔のネックウォーマーを外し、口から勢いよく血の霧を吐いた。目つぶしが完全に決まる。

 

「なッ!?」

 

 こっそり隙を見て、左腕から流れる血を啜って口に含んでいたのだ。口の中に液体が入ったまま声を出すなど、忍者に掛かれば朝飯前である。

 辺りに散らばった砂埃をパンパンと手で叩いて巻き上げ、更に視界を阻害する。

 

「更に! 忍法・眼球潰しの術!!」

 

 わざとらしくそう叫ぶニンジャ。

 牙殻は目が見えぬまま辺りを警戒し――自身の股間に迫る攻撃を、左手で受け止めた。

 

「ハハハハ、丸分かりなんだよ馬鹿が!!」

 

 その瞬間。

 彼の体が突然強い力に押され、踏ん張ろうとしたが何かに足を引っかけられ、勢いよくその場から吹っ飛ばされた。この冷たくて服が重くなる感覚は……水だ。

 

「忍者とは環境を利用するものでござる。お前みたいな怪物に真正面から戦う訳ないでござるバーカバーカ!」

 

 ニンジャの手には、未だ勢いよく水を吹き出す消火ホースが握られていた。

 彼は眼球潰しと仰々しく叫びつつ、こっそり屋内消火栓の前まで移動していたのだ。数秒と掛からずにホースを取り付け、牙殻の足の近くに丁度ずっこけるように糸を張り、水を噴射した。それだけだ。

 

 

 吹っ飛ばされた牙殻は、デパートの1階から最上階まで繋がる吹き抜けから下の1階へと落ちる。

 

「では拙者、撤退するでござる! バイビー!!」

 

 自分が劣勢になった瞬間、即座に逃亡の一手を取れる。それがニンジャの強みでもある。実際、この状況では逃げるのが最善手だ。

 尤も、簡単に逃がしてくれるとは限らないが。

 

 

 2階の床をバラバラに斬り裂きながら、ずぶ濡れの牙殻が1階から飛び出して来た。

 

「俺の事コケにしてんのかぁ!!」

「ひぃ~っ!! 拙者、ガチンコバトルは苦手なんでござるぅ!!」

 

 ニンジャが踵を返して、近くの店舗の中へ逃げ込んだ。

 そこはキラキラと眩しいほどに輝く貴金属が並ぶジュエリー店だった。ショーケースに入った高級そうなネックレスや指輪が並んでおり、2人の男が駆け込んでいくには余りに場違いすぎる場所である。

 

 

忍法・賄賂(わいろ)!!」

「アホか窃盗になるだろ! つーかそれ忍法じゃなくね!?」

 

 ニンジャがショーケースを肘で壊し、中にあった高そうな指輪をぽいぽい投げつける。牙殻はそれを小刀で弾きつつ、天井間際まで飛び上がってニンジャに襲い掛かった。

 

「忍者は泥臭く! 忍法・スライディング!!」

 

 ずざざざ! と音を立てながら床を滑り、牙殻の一撃を避ける。

 追撃を忍法・寝返りで回避し、そのまま立ち上がることなくブリッジをして、地べたを這いずる虫のように手足をカサカサと動かして店内を逃げ回った。

 

「拙者、忍法・拘束抜けの為に柔軟運動は極めたでござる! 見るでござるよ、この虹のように美しい形のブリッジ!!」

「お前気持ち(わり)いんだよ!! ダンケルク、この店吹っ飛ばすぞ!!」

 

 

 牙殻が肺の中に空気を溜め、ジュエリー店を咆哮で丸ごと吹っ飛ばした。

 店舗内の貴金属は全て吹き飛び、廊下に散らばる。

 

 同じように廊下に吹っ飛んだ、高そうなネックレスをじゃらじゃら首に引っ掛けたニンジャ。どうやらブリッジで逃げ回る最中にちゃっかりくすねていたようだ。

 牙殻の方を指さし、憎らしい声で叫ぶ。

 

「フハハ、忍法・賠償金! このジュエリー店への賠償金で貴様のちんけな給料は()()吹っ飛ぶでござる!!」

「何ッ!? おい、嘘だろ?!」

 

 勿論嘘である。せいぜいちょっと減るくらいだ。

 

 ニンジャが牙殻に大きな精神的ショックを与えた所で、再び逃げ出す。逃亡途中に砂埃を巻き上げ、視界を阻害しておく事も忘れない。

 

 

 5秒ほど動きを固めていた所で、牙殻が顔を上げた。

 

「―――はッ! 給料は一先ずどうでもいい、待てやコラ怪人!!」

 

 逃げ出したニンジャを追いかける。

 幸いにも、彼は出血している。砂煙で視界は阻害されているが、その跡を辿れば追いつくことなど造作もない。

 牙殻は自身の素早さに物を言わせ、その血の跡を追いかけていき。

 

 

 

「……は?」

 

 なぜか、ジュエリー店の前にまで戻ってきてしまっていた。

 確かに血の跡を辿っていたはずなのに。

 

 腕を振って煙を全て晴らす。が、先ほど辿っていた血の跡は何処にもない。ジュエリー店から出口の方へ血の跡が続いているだけだ。

 

「まさか、いつの間にか、()()()()()()辿()()()()()……? でも一体何処で、どうやって」

 

 攻略不能の迷路、解き明かすことの出来ない暗闇に足を踏み入れているような感覚がする。

 それは過去、警察の資料庫にある()()()()()()()()の捜査資料を読んでいた時と全く同じ感覚だった。

 

 

 

 迷宮入り事件の常習犯、ニンジャ。

 彼が一体、どうやって牙殻を煙に巻いたのか。それを解き明かす事が出来ないからこそ……彼は史上最悪の殺人鬼と呼ばれるほどに至ったのだ。

 

 

「ヒャッホー! このネックレス、超高値で売れるでござるぅ!」

 

 まあ。

 当の本人は止血を終わらせ、既にバイクを走らせて。

 ジュエリー店から盗んだネックレスを大事そうにポケットの中へ閉まっているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――人格犯罪対処部隊最強の男、牙殻。

 

 人格犯罪者から恐れられる彼の強さは、正に何もかもを薙ぎ倒すその身体能力にある。

 

 エンジェルは知雫の仲間であった人物を2人、軽々と倒した。

 牙殻は、そんな彼女を無傷で退かせるほどの実力者なのだ。

 

 

 ……ただ勘違いしてはいけないのは。

 普通、牙殻と出会った人格犯罪者は……抵抗する間もなく拘束されるのだ。もし抵抗できたなら、その人物はかなりの手練れ。

 

 しかし。

 結果的に牙殻が無傷だったとはいえ、怪人二十面相は彼と戦闘を行えた。

 しかも劣勢になった瞬間、牙殻から完璧に逃げおおせた……。まるで逃亡の痕跡を消すのに慣れているかのようで、依然として怪人の行方は全く掴めない。

 

 これらを全て単独で行った。

 それだけで、怪人二十面相の異常さはありありと分かる。

 

 

 警察は今回の事態を鑑みて、怪人二十面相への警戒度を更に上げる。

 そして人格犯罪対処部隊へ、『怪人二十面相に対し()()()()()()()()』を、絶対に表にバレないよう秘密裏に認めるのだった。

 

 

 

 ――――勿論。日高俊介はこのことを知る由もない。

 

 

 

 





20日に投稿すると言ったのに、投稿できなくてすみません。

牙殻の設定を強くしすぎてどうやっても俊介君の体が真っ二つになり、それのせいで何度も書き直しました。時間が掛かってしまったのは牙殻が原因です。
これで頭も賢かったらホントにどうしようもなくなっちゃうヤバいヤバい。


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#39 効かない……だと!?

 

 

 

「ハハハ」

『フフフ』

 

 包帯を左腕と胴体に巻き、朗らかに笑う男子高校生、日高俊介。

 それを前にして、朗らかに笑う半透明の翼を付けた女、エンジェル。

 

「ちょっと状況がよく理解できないんだけどさ。何?

 俺の体を奪って、デパート占拠してた犯人をボコボコにして、人格犯罪対処部隊と戦った。これで合ってる?」

『合ってます』

「合っててほしくなかったよ俺は」

 

 

 ここは日高俊介の自室。

 エンジェルはハンガーに、力を込めれば込めるほど強く締め付けられる特殊な縛り方をされていた。彼女の側には腕を組んだダークナイトも控えている。

 

 俊介は正座したまま縛られているエンジェルに近づき、顔を覗き込む。

 

「傷の事はまあいいよ。痛いっちゃ痛いけど服の下に隠せるし。俺が怒ってるのは何にだと思う?」

『……体を奪ったこと、です』

「それと警察と勝手に交戦したことな。警察にバレたくないって俺は日頃から言ってるよな、エンジェル」

『はい……』

 

 彼が怒っていることは2つ。

 体を勝手に奪った事。警察に正体がバレるリスク……戦闘を勝手に行った事。この2つだ。

 

 しゅんと落ち込むエンジェル。心なしか背中の翼も元気なく垂れ下がっている。

 普段なら、キツく言いつけるだけで済ませる俊介だが……今回は違う。

 

 

「ダークナイト、エンジェルを教えた通りに抱えろ」

『えッ、ちょっ!?』

 

 黒い鎧がひょいっとエンジェルを抱える。

 それは……俊介に向かって、彼女の尻を突き出すようなポーズだった。それを確認した後、俊介が机の上に置いていた紙製のハリセンを手に持つ。

 

「俺はいつも、お前らがやらかしても口を出すだけしか出来なかった。だが今の俺は……お前らに攻撃を加えられる」

 

 コピー技術の応用。

 ハリセンを振り、一番勢いが乗った所で半透明のコピーを作り出すのだ。そうすればコピーは勢いを保ったまま、殺人鬼の半透明の体へぶち当たる。要は痛みによるお仕置きである。

 

 

「ゴラぁエンジェル!! お前今日という今日は覚悟しろよ!!」

 

 力強くハリセンを振り、勢いの乗った所でコピーを出した。

 半透明のハリセンはエンジェルの尻にぶち当たり、スパーン! と良い音を鳴らす。ハリセンはそのまま部屋の中を乱反射し、ベッドの上にぽてっと転がった。

 

 そして、当のお仕置きの一撃を喰らったエンジェルは。

 

『…………』

 

 何かした? と言いたげな表情でこちらを向いていた。

 

「ぐッ……!」

『俊介。私はそれくらいのハリセンでは痒さも感じないので、焼きごてか何かを使った方が……』

「いや待てよ。そうか……ダークナイト! この分厚い拘束衣を破れ!」

『え!?』

 

 エンジェルが抵抗する間もなく、ダークナイトが彼女の尻の部分を破いた。

 よくよく考えれば、拘束衣なんて分厚い布の上からハリセンのダメージが通るはずがなかった。これは素肌に痛みを与える道具なのだ。

 

 彼女の露出した尻に向け、ハリセンを構える。

 

『ちょちょちょちょっと待ってください。これでは別の意味のお仕置きに』

「問答無用! 覚悟しろエンジェル!!」

 

 スパーン!と先ほどよりも心地いい音が鳴り響いた。

 その音は30回ほど休みなく続き、やがて止まる。

 

 

「どうだ……はーっ、反省したか、エンジェル……はーっ……」

『は、反省しました。色んな意味で』

 

 ハリセンを振り続け、疲れ切った様子の俊介。顔を真っ赤にし、息を荒げている。

 かくいうエンジェルは、先ほどまで素肌の尻を何度もぶっ叩かれていたにも関わらず、その肌は全く赤くなっていない。だが逆に、顔の方がリンゴのような真っ赤な色に染まっていた。

 

「反省したならいいんだ……ダークナイト、ありがとう。外してくれ」

『(*’-‘)b』

 

 ダークナイトがエンジェルを縛っていた縄を素手で千切る。

 自由になった彼女はすぐさまペタンと座り込み、拘束衣の尻の方を軽く整えた後、こちらを向いた。

 

 

「それでさ。牙殻さんと戦ったらしいけど……どうだった?」

『強かったですね。正直、元の世界の私でも勝てる確率は低いと思います。ダークナイトなら勝てるでしょうが』

「核兵器を使えば人は死ぬみたいなこと言うのやめてください」

 

 その場に立ってるだけで人を殺しまくるような超危険人物を外に出すわけないだろ。

 

「でも、真面目にどうしたもんかな。エンジェルで勝てる確率が低いなら、結構キツくない?」

『逃走だけなら、ニンジャやハンガーは可能でしょう。ですが真正面からとなると、ダークナイトや、準備時間込みのマッドパンクくらいですかね』

「マッドパンクねえ」

 

 正直、マッドパンクは準備時間さえあれば殺人鬼達の中でも強い部類だ。身体能力は控えめに言って雑魚。

 そしてこれは、魔法に近しい物を使うキュウビも賛同していた事であるが。

 

 『科学技術は、準備さえ出来ていれば魔法や人の力を容易く超える』らしい。

 

 魔法はその場で高火力を出せるのが強み。だが極めた科学の暴力には敵わない。

 簡単に言うなら、どれだけ相手が強くとも核兵器をポンと落とせば勝ちという事だ。ただしダークナイトは別。

 発展しすぎた科学は魔術と見分けがつかない、って奴か。

 

 

「でも……現実的に無理だろ」

 

 科学技術を極めた武器を使えば魔法を超えられる。それは事実なのだろう。

 だが、そういう物を作るのには気が遠くなりそうなほど金が掛かる。物を作る道具は勿論、材料……例えばただの鉄でさえ結構高い。

 

 無論科学と一口に言っても色々な物があるのは分かるが、それなりに数を揃えようと、少なくとも一般男子高校生に出せる額じゃないのは間違いなしだ。

 中途半端な物を作ると魔法よりも使い勝手が悪い。かといって魔法より強い物を作ろうとすると金が超かかる。

 

「金の当ては……少しだけあるけど、流石に使えないし」

 

 ニンジャがデパートから盗んできた高級そうなネックレス達を見る。どれくらいの価値があるのか分からないが、多分質屋に入れたら20万以上は行くだろう。盗品だから売らないけど。

 それにニンジャが闇金から奪った大量の金もあるけど、アレも使えない。

 

 よくよく考えたらニンジャの奴、危ない金持って来すぎだろ。でも全部バレてないんだよな一応。流石未解決事件常習犯……。

 

 

 

「はあ」

 

 10歳の頃から殺人鬼達と過ごすようになって、もう7年。今まで色々やらかしてきたが、よくここまで正体を隠し通せたもんだ。エンジェルが体を奪って警察と衝突したのは予想外だったけど、いつか起こる事件ではあっただろう。

 

 髪の毛とか血液とか、もう人対と面向かって戦った時点で気にしても無駄だし。

 

 そろそろ逃げ隠れ回るんじゃなく、警察相手に本気で対処しなければいけない時が来たのかもしれない。

 どうやるかは全く思いつかないけど。エンジェルですら苦戦する牙殻さん強すぎるし。

 

 

 

 ……と、そんな風に考えていると。

 

 

 ―――ピンポーン!

 

 

 突然、家のチャイムが鳴り響いた。

 今日は休日。学校があった所で、傷を理由に休んでいただろうけど。荷物も頼んでいないし……誰だろう?

 

「はーい」

 

 トントンと階段を降り、玄関の扉を開ける。

 

「あ、日高君! おはよう!」

「おっえっ、よ、夜桜さん!?」

 

 扉の先には、私服姿の彼女が立っていた。

 色の濃いジーンズに、白黒のボーダーのTシャツ。それだけでは少し寒いのか、白い羽衣のような上着を纏っている。

 

 

「テストの日が近づいて来たでしょ? 一緒に勉強したいなって! ……それとも、今は駄目かな?」

「いやいや、どうぞどうぞ!」

 

 玄関を開け放つ。

 リビングに案内しようと思ったが、「自室の方が日高君も落ち着くんじゃないかな!」と言われ、俺の部屋で勉強会をすることになった。

 

『け、ケモノよ……獲物を食う目をしているわ……』

 

 何言ってんだクッキングの奴。

 

 

 

 自室の扉の前に立ったところで、気づく。

 俺、ニンジャが盗んできたネックレス、目立つところに置きっぱなしじゃん。

 

「ごめん夜桜さん、ちょっと待っててもらってもいい? 部屋汚くてさ、ちょっと片づけなきゃ」

「全然気にしないよ!」

「いやいやそういう訳には」

「大丈夫大丈夫!」

 

 ドアノブを握る俺の手の上に夜桜さんが手を添え、無理やり開けようとしてきた。ち……力強ッ!

 

 数秒ほど拮抗したが、普通に力負けして扉が開け放たれた。夜桜さんが意気揚々と部屋の中に入っていく。

 

 

「ちょっとエッチな物があっても全然気にしないし寧ろ手間が省けるから! あは……は……?」

 

 彼女が部屋の中にあったネックレスに目を止め、手に持った。

 やばい。夜桜さんの纏う雰囲気が一気に黒くなっていって、冷や汗が流れ出るような悪寒が背筋に走る。

 

 夜桜さんがネックレスを持ったまま、近づいてきた。そのまま壁に押し付けられる。

 

「これ、何?」

「いやぁちょっと」

「相当高いネックレスだよねこれ? しかも女物。誰に渡すつもりなの?」

「あ~……そう! 妹! 妹の誕生日に渡すつもりなんだよね!」

「日高君は妹にこんな良いネックレスを渡すんだ? しかもこのネックレス、色んな宝石が入ってるけど、これの宝石言葉全部『()』に関する事だよ?」

「おっおっおっ」

 

 知能と知識の暴力で嘘がガンガン剝がされる。そもそも俺妹いないし。従妹にすればよかった。

 彼女の圧がドンドン強くなり、段々と壁に押し付けられる力が強くなる。

 

 その状態が30秒ほど続き……たまらず俺は声を張り上げた。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な~んだ、そういう事だったんだ」

 

 事情を説明し終わると、夜桜さんはいつもの雰囲気に戻った。ネックレスを机の上に置く。

 俺は土下座の体勢を解いて、彼女の顔を恐る恐る見上げた。

 

「き、気にしないの?」

「いけない事だとは思うよ? けどそんなにかな」

 

 彼女に語った内容はこうだ。

 『俺が金が欲しいと愚痴った結果、人格の1人がジュエリー店相手に勝手に窃盗を働いた。そのネックレスは盗品だ』……と。

 

 地味に過去の闇金強奪事件の話も混ぜて、バレにくい嘘に仕上げている。流石にデパート占拠事件に巻き込まれてそのどさくさに強盗してきました、よりは印象いいんじゃないだろうか……いいかなぁ……?

 

 

 俺の心配をよそに、夜桜さんが言う。

 

「というか、そんなにお金欲しかったんだ」

「ま、まぁ……人並みには? けどこのネックレスを返しに行くのは厳しいし、悪いけど何処かに埋めるよ」

「へえ~。お金払ったらどれくらい行けるのかな」

 

 彼女が何か言ったような気がするが、小さすぎて良く聞こえなかったのでスルーした。

 

『け、ケモノだわ……!』

 

 引っ込んでろクッキング。

 

 

 2人で勉強道具を出して小さめの机で勉強を始める。

 この机は1人用のため、正直かなり狭い。

 

 そして今更だが、自分の部屋に夜桜さんがいるって相当やばい状況じゃないか? しかも今親いないし。マジ? 人生最大のアタックチャンス?

 

 ……と、1人で舞い上がったが。

 普通に考えて、この間の件のお礼の延長線だな。彼女は優しいし、未だに気にしているんだろう。

 

『違うわ俊介ちゃん、逆よ……! 貴方が獲物なのよ……!』

 

 さっきからうるさいぞクッキング。

 

 

 

 

 

 ――数時間ほど勉強したが、お互い、特に変わったことはなく。

 強いて言うなら、夜桜さんは教えるのがとても上手だったという事くらいだ。俺が分からずに詰まるような問題があれば、すぐに側に来て懇切丁寧に教えてくれる。服の隙間からちょろっと下着が見えてたのは……少し目に毒だったけど。

 

 

「うーん、結構集中できたね。休憩しよっか」

「そうだね……こんなに勉強したのは久しぶりかも。いつも一夜漬けだったからなぁ」

 

 ジュースを持ってこようとしたが、彼女が自ら淹れた紅茶を水筒に詰めて来たというので、コップだけ持ってくる。

 陶器製の白いコップに紅茶を注いでもらい、一気に飲み干した。……うん、紅茶の味だな。俺にはこの茶葉が高いのか安いのかも分からない。

 

 

 一気飲みした俺の様子を見ていた夜桜さんが、数秒ほど経ち、首を傾げる。

 

「……あれ? 日高君、何ともないの?」

「? ……ああ、美味しかったよ! 感想言うの遅れてごめんね」

「ウソ……大量に混ぜたのに。どうなってるの? もしかして失敗……?」

 

 

 彼女が同じようにコップに注がれている紅茶を少し飲む。

 ただ、少し飲んだだけで充分だったのか。それとも少しずつ飲むのが気品溢れる優雅な飲み方という奴なのだろうか。

 

 プルプルと手を震わせながらコップを置き、ニコリと笑う夜桜さん。

 

「ちょっと……トイレ貸してもらってもいい?」

「あ、どうぞ。案内し――」

「自分で行くよ」

「? ああ、すみません。廊下の一番奥です」

 

 

 俺の馬鹿野郎。

 女性をトイレに案内とか、何か変態みたいじゃねーか。こういう気が使えないから俺は……。

 

 そうして彼女が部屋から出ていき、1分ほど経って。

 

 

 ―――ドンッ!!

 

 

「ッ!?」

 

 な、なんだ今の音!? トイレの方から聞こえたぞ!

 俺が動き出すよりも前に、階段を人が上って来る音が聞こえた。部屋の扉が夜桜さんの手によって開かれる。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「ちょっとね。気を静めるために……ああいや、足を滑らせて壁に頭打っちゃって」

 

 本当に大丈夫か?

 心配する俺をよそに、夜桜さんがスッと机の近くで正座をする。

 

 その時、ブーッ! と携帯のバイブ音が小さくなった。俺のではない、という事は夜桜さんのだ。

 彼女は着信の内容を確認し、すぐ携帯を閉じる。

 

 

「返信しなくていいの?」

「うん。集会がいつ開催されるかの告知だから」

「集会?」

 

 

 俺がそう言うと、彼女は軽く頷く。

 

 

「国に認められた人格持ちの集会だよ。凄い人ばかりだけど、バクダンの件で悩んでた時は、その……あんまり行かなかったし」

「ああ……」

 

 そういえば前にそんな集会の事をチラッと言っていた気がする。

 しかし、国に認められた人格持ちか……。なんか凄そう。実際、マッドパンクも爆弾や爆発に関してはバクダンには絶対敵わないって呟いてたし。

 

 でもまあ、国に認められる優秀な人格どころか、人格持ちの届け出すら出していない俺には関係ない話だ。

 

「……そうだ。日高君も一緒に行ってみない?」

「え? でも国に認められた人格持ちだけ……」

「実はね、私のような国認可の人格持ちが招待した人も入場出来るんだ。きっと楽しいよ? ちょっと変わってるけど凄い人ばっかりだし、出し物みたいなのもあるし、美味しい物食べ放題だし!」

 

 うーん。でもこの状況でそんな目立つ場所に行くのは、少しリスクが。

 

「……ちょっとした、()()()みたいな感覚でさ。嫌なら2人きりで抜け出せばいいし」

 

 

 ふーん、デート……。

 でッ、デート? 俺が夜桜さんと? しかも嫌なら2人きりで抜け出し?

 

 興奮を抑えきれないまま、彼女に向かって少し声を張り上げる。

 

「い、行く! 行きます! 絶対!!」

「やったぁ! じゃあこの日、一緒に行こうね!! 移動費は向こう持ちだから心配しなくていいよ!!」

 

 

 くそぉ。

 エンジェルに説教してお仕置きもしたのに、俺が結局リスクのある行動してるじゃないか。でもごめん、夜桜さんとのデートは断れないよ……。あとでエンジェルに謝っておこう。

 

 

 夜桜さんが指定した日は、テストが終わってすぐの休日。

 電車に乗って都会の方に行くらしいし……俺も彼女が恥ずかしくないように、気合入れて()()()()って奴、やってみるか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 人格犯罪対処部隊に、内密に恐ろしい許可が出た。

 それは特別に危険な人格犯罪者だけに与えられる、『その場での殺害許可』。

 

 この許可があったからと言って、犯人の拘束をしないという訳ではない。

 だが……白戸と牙殻は、状況次第では人を殺す事を躊躇わない。後で死ぬほど後悔することはあっても、いざという時は絶対に躊躇わない。そういう2人だ。

 

 

 だけど。

 私はこの許可が与えられた人物を……果たして、殺せるんだろうか。

 

「…………」

 

 瀕死の重傷を負いながらも、激痛さえ我慢できれば普段通りに動き続けられる装置がある。それを装着し、私はデパートの調査を独自に行った。

 

 それは、4階のスタッフ専用廊下の倉庫前。

 私が日高俊介と呼ばれていた青年を壁に押し付けた、あの場所だ。

 

 そこに落ちていた髪の毛。それと念のために、彼が閉じ込められていたというエレベーターの痕跡も残さず回収した。

 そして日高俊介のDNA情報を、とある犯罪者の物と照合した結果。

 

 

 ビーッ! ビーッ! と電子音が鳴る。

 

「どうして……」

 

 日高俊介。彼はきっと、あの日私を助けてくれたヒーローなんだと思う。

 ……こんな結果が出るなら調べなければよかった。4階の倉庫に彼を迎えに行った時、姿が何処にもないことに違和感など覚えなければよかった。

 

 

 人格犯罪対処部隊・翠 夏樹(みどり なつき)はよろよろと立ち上がり、目の前の画面に銃口を向ける。

 彼女が恨めし気に睨むその画面には。

 

 

『日高俊介 怪人二十面相 DNA一致率99.9%』

 

 

 そんな文字が無情にも表示されていた。

 翠はその画面を銃弾で何度も撃つ。パソコン本体の方も銃で撃ち、完全に破壊した所で銃をしまった。

 

「2人には教えられない。私が……彼が殺される前に、捕まえないと」

 

 それが、人対としてヒーローに向けられる……唯一の優しさだから。

 彼女は強い決意を胸に、歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 



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#40 複数人格ってやつ

 

 

 

 

 

 学校のテストは無事に終了。俺は普段よりも良い点数を取ることが出来た。これも夜桜さんとの勉強会のおかげだろう。

 そしてクッキングと相談しながらオシャレ?な服を調達し、国認可の人格持ちが集まる集会へ赴くため、新幹線で都会の方へと向かった。

 

 

 

 

「ここが、集会の場所……?」

 

 俺は目の前のビルを首が痛くなるほど見上げながら、隣の夜桜さんに向けてそう言った。

 

「うん。初めて見たらビックリするよね」

 

 いや、冗談抜きで本当に凄い。いくらここが都会とはいえど、明らかに周りの建物よりも数段高いのだ。

 こんな高級そうなビルで集会をするなんて、やっぱ国が認めてる人格持ちっていうのは凄いんだなぁ。夜桜さんの凄さを分かっているようで分かっていなかったらしい。

 

 

 夜桜さんと共にビルの入口へ向かう。

 

「それでさ、その集会ってのは何階でやってるの? 最上階とか?」

「ん? 違う違う、このビル全部だよ。この大きなビルは、国認可の人格持ちの人が使うためだけに作られたの」

「……えぇ!?」

 

 どういう金の使い方だよ。どっかの高級ホテルの宴会場でも貸し切ってんのかと思ったら、このビル自体がそれだけの為に作られたって……。

 

 

 ビルの中に入るなり、黒いスーツを着込んだ恰幅の良い大人に囲まれる。

 俺は一瞬ぎょっとして体を硬直させるが、彼女は一切臆すことなく鋭い視線を向けた。

 

「夜桜紗由莉様と、招待客の日高俊介様でお間違いないでしょうか?」

「はい。……もう行ってもいいですか?」

「申し訳ございません。どうぞ、お楽しみください」

 

 

 彼らが道を開け、そこを彼女と共に進む。

 

「ごめんね日高君。ここって色々あるから、結構警備も厳重なんだ」

「色々?」

「うん。このビルは集会に使う他にも、人格持ちの人が住み着いてたり、異世界技術の実験品や試作品を置いてたり。だから、一般の人は基本的に立ち入り禁止なんだ」

 

 へー……。

 本当に国認可の人格持ちのためだけに作られた建物なんだな。住処に良し、実験場に良し、定期的な集会で情報交換も出来る。この感じだと食事も自由だろうし。普通に住めるな。

 

 

 

 集会場があるという最上階まで、エレベーターで一気に昇る。

 そして扉が開いた瞬間、目に飛び込んできた金の輝きの多さに驚いた。

 

 まさに贅を尽くした……そう言っても差し支えないほどに華美な内装。赤い絨毯、純金製の美術品、素人の俺でも分かるほどの迫力を持った雄大な絵……。俺が分からないだけで、他にも色々な所に金銀宝石が散りばめられているのだろう。

 

「き、金ぴかだね……」

「ちょっと悪趣味だよね、ここまで来ると」

 

 この部屋だけで一体いくら掛けているんだろう? というか他の階層もこんな感じなのか?

 そう夜桜さんに尋ねるが、他の階層はそうでもなく、この集会場だけが特別豪華なのだと言う。

 

 

 やがて黄金の輝きにも慣れ、辺りを冷静に見回す余裕を取り戻した。

 この集会場はビルの最上階をほぼ丸々使っているからかかなり広い。純白のシルクのテーブルクロスが敷かれた円テーブルがいくつも置かれており、その上には様々な料理が置かれていた。ビュッフェ?という奴らしい。

 

 そして一番目を引かれたのは、集会場の中央にある舞台だ。

 俺達が立つ場所よりも少し高くなったところにそれはあり、この集会場に合わせたのか半端ではない輝きを誇っている。並の人物ではあの場所に立っても、舞台自身の輝きと迫力に負けてしまうだろう。

 

 

 夜桜さんと一緒に、近くのテーブルに近づく。

 置いてあったスプーンを手に持って……一瞬、手が固まった。

 

 このスプーン、持ち手の所に宝石が幾つも嵌められている。しかもこれ、多分ダイヤモンドだ。

 何処からともなくニンジャが現れ、俺の持つスプーンを指さし耳元で叫ぶ。

 

『俊介ェ! このスプーンは懐にこっそり入れるのが吉でござるぅ!!』

「耳元で叫ぶな、黙ってろテメェ……!」

「どうしたの?」

「ああ、いや……ネックレスの件の奴が、ちょっと騒いでて」

 

 彼女がフフフと口に手を当てて笑う。

 

「そういえば、日高君は人格持ちって登録してないんだよね。他の人に聞かれたら、『人格持ちじゃありません』って嘘で押し通していいのかな?」

「うん。まあ……中に居る奴らがちょっと特殊だから言えないんだよね」

「そうだねぇ。そもそも複数人格って事が……あっ、これも秘密だったね?」

 

 

 彼女が唇に人差し指を当て、片目をウインクした。可愛すぎる。天使かな?

 

 

 夜桜さんの方を見つつ、指先でピトリと料理が山積みにされた皿に触れてコピーを作る。

 そしてニンジャの方に口を近づけ、小声で言った。

 

「ニンジャ、ちょっとこれ持って他の奴ら惹きつけといて」

『承知したでござる』

 

 食べ物の乗った半透明の皿を持ち、会場の端まで歩いていくニンジャ。

 彼の向かう先にはヘッズハンターやドール、マッドパンク達が居た。例え中から他の奴らが出て来てもあそこで惹きつけてくれるだろう。多分。

 

 

 夜桜さんと会話しながら過ごす事、10分。

 次第に、集会場内に人がぞろぞろと集まり始める。カッチリと高級そうな服を着こんでいる者や、ヨレヨレの服で寝ぐせを跳ねさせたまま歩いている者もいた。

 目立たないように辺りを見回して……彼女に問いかける。

 

「何か……若い人ばっかりだね」

 

 こういう派手な会場には少し年が行ったスーツ姿の大人ばかりが集まると思っていたが。

 偶に腰の低い大人がペコペコしているくらいで、大半は俺とそう年齢が変わらなさそうな見た目の人物ばかりだ。明らかに俺より年下……小学生くらいの子もいる。

 

「浮遊人格統合技術の注射が10歳に義務付けられたのが10年前だからね。ここに居る人も注射がきっかけで人格が宿った人ばかりなんだよ。年を取って、自分からやろうって人は中々いないんじゃないかな」

「ああ、そういう事なんだ」

「ペコペコしてる大人の人は招待客かな? 毎回1人は居るんだよね、コネ作りに来る人」

 

 

 10年前に10歳への注射義務が始まった。という事は、ここに優秀な人格持ちの人物は大体20歳が最高……そう言う事になる。

 まああんなヤバい注射、義務でもなければ打ちたい訳がないよな。……でも牙殻さんって明らかに20歳以上だし、あの人自分から打ったのか? マジ? 覚悟決まりすぎだろ。

 

 ポケットの中からスマホを取り出し、チラリと時間を見る。

 既に料理も置かれているし人も集まっているが、一応、開始の挨拶をするらしい。その時間まで後10分くらいか……。

 

「ごめん夜桜さん、トイレ行ってくるね」

「はーい」

 

 彼女に断りを取り、会場から出てすぐの所にあるトイレに向かった。

 正直開始の挨拶はどうでもいい。それより気になるのは、挨拶のすぐ後に異世界で歌神(かじん)と呼ばれた人物が歌を披露するらしいのだ。それの途中でトイレが我慢できず抜け出すなんてことはしたくない。

 

 

 

 早歩きで男子トイレの中に入る。

 集会場の華美な黄金の輝きとは一転、何処までも磨き抜かれた純白の、極シンプルなトイレが広がっていた。滅茶苦茶に綺麗な大型施設のトイレって感じだ。会場の息が詰まるような華美さよりも、このシンプルなトイレの方が気が落ち着く。

 

 コツコツと足を鳴らしながら小便器の方に向かおうとしたその時。

 

 

「だ、誰かいるのかぁ……?」

 

 

 唯一扉の閉まっている大便器の個室の扉から、腹の底から唸るような声が聞こえて来た。

 どうかしましたかと声を返す暇もなく、扉の向こうの人物が言葉を紡ぐ。

 

「たのむ、()……紙をくれ……」

 

「あ、はい」

 

 トイレットペーパーが切れただけかい。

 洗面所の近くに置いてあった新品のトイレットペーパーを1つ手に取り、閉まっている扉の前まで移動する。

 

 

「下からじゃ通らないんで、上から投げます。3、2、1……よっと!」

 

 流石にトイレットペーパーを扉の上に投げるくらいで失敗はしない。

 向こう側でカラカラと金属が小刻みに当たる音が鳴り、すぐに水が流れる音が響く。そして扉がゆっくりと開かれた。

 

 

「いやー、助かった助かった! 後少しって所で無くなるんだから困ったもんだよなぁ!」

 

 

 俺は中から出て来た人物を見て、驚きの余り目を見開く。

 

 身長は俺が少し見上げるくらい……恐らく180センチくらいだろう。日本人離れした彫りの深い顔付きに、白髪交じりの髪を短く纏めている。そして胸ポケットに赤いポケットチーフを入れた黒いスーツを違和感なく着こなすその姿は、同性すらも惹きつける渋い魅力がある。

 

 

 彼は俺の方ににっこりと微笑みながら手を差し出し、優し気な声色で言った。

 

「私の名前は榊浦 豊(さかきうら とよ)だ。ありがとう、未来ある青年君」

 

「っ……」

 

 突然目の前に現れた衝撃的な人物に、思わず動きを固めてしまう。

 彼はそんな俺の様子を不思議そうに見つめた後……「あっ」と声を出した。

 

「ハッハッハ! すまないすまない、手を洗っていなかったな!」

「……あ、あはは、そっすね」

 

 手をひっこめつつ、榊浦豊は腕時計をチラリと見る。

 

「むむ……。申し訳ないが、私はもう行かなくてはならないようだ。握手はその後に取っておいてくれるかね?」

 

 

 俺は何も言葉を発さずに頷くと、彼は手を洗い、小走りでトイレから出ていった。

 暴れる心臓を深呼吸で抑え、心を平静に保つ。

 

 まさか娘の榊浦美優に続き、親の榊浦豊とも出会うとは。

 ……いや、今回は予想してなかった俺が悪いのか。国認可の優秀な人格持ちが集まる集会、そこに浮遊人格統合技術の開発者である彼が訪れる事は何ら不思議ではない。

 榊浦美優が高校に赴任してきたのはどう考えてもおかしいけどな!

 

 

 

 

 

 用を足し、会場に戻る。

 夜桜さんは俺と同じ年頃の見知らぬ青年と会話をしていた。……知り合いだろうか?

 

 少しだけ服を整えつつ、2人の所に向かう。

 2人はこちらに気付き、青年の方は俺に会釈をした。

 

「あっ、お帰り日高君」

「すみません、お邪魔してます」

 

 青年は黒髪をさっぱりと纏めた、爽やかなオーラを漂わせるイケメンだ。身長も俺より若干高く、結構モテていそうな事が簡単に伺える。

 謎の敵対心を心の中で燃やしつつ、軽く会釈し返す。

 

「初めまして、僕の名前は青林 浩一郎(あおばやし こういちろう)です」

「どうも、日高俊介です」

 

 クソ、凄い礼儀正しい。

 彼女はニコニコしながら、俺の方を向く。

 

「青林君も国認可の人格持ちなんだよ。それも、複数人格持ちなの!」

「ハハ、凄い研究者とかじゃなくて普通の人なんですけどね。中に2人います」

 

 

 複数人格持ち。

 中に2人以上入っている人物の事を指す名だ。

 

 俺がどう言葉を返そうか迷っていると、夜桜さんがチョンと足で俺の足を突いて来た。

 それから青林君の方を見た後、ウインクする。

 

 どういう意味の仕草かは全く分からない。だが、彼女が何か意図を持って彼との対話の場を設けてくれたのは分かった。

 とぼけくさった表情と声色で、俺は彼に尋ねる。

 

「へぇ……。その複数人格って奴はすごい事なの?」

「かなり珍しいですね。僕は複数人格ってだけで国の認可を貰いましたから。国内だと僕とあと1人ぐらいしかいないって聞きますよ」

「あと1人?」

「はい。『()()()()()()』って人格犯罪者が、複数人格持ちだって噂があります。まあ何分犯罪者で詳しい話も聞けないので、噂ですけどね」

「そうなんだ~。あはははははは」

 

 

 怪人二十面相。俺はその名前をついこの間知った。

 ニンジャからデパートでの出来事を聞いた時に、牙殻さんが俺達に向かって『怪人二十面相』と言い放ったという。

 

 つまり。

 国内であと1人の複数人格とは、つまり、俺の事……という訳だ。

 

 

 夜桜さんが青林君の方を向く。

 

「ありがとう青林君。彼女さんが居るのに、お話に付き合わせちゃってごめんね」

「全然いいですよ。また機会があれば話しましょう」

 

 そう言って彼は、会場の端に居た綺麗な女性の下へ歩いて行った。……彼女持ちだったのか、良かった。

 いったん頭を整理するために、グラスに注がれた冷たい飲み物を一気飲みした。体と共に脳が充分にクールダウンされていく。

 

 

「日高君、大丈夫?」

「うん……。どうして、あの人と俺を会話させたの?」

「複数人格の希少性。それを日高君に知ってもらうのに良い機会だなって」

 

 彼と会話の席を設けたのは、複数人格持ちという希少性を俺に教え込むためだったらしい。

 国内に2人、片割れは俺。確認できていないだけで他にもいる可能性はあるにはあるけど……。

 

 そして青林君は2人で国の認可を貰えたと言っていた。俺は殺人鬼が13人。

 なるほど。うーん、なるほど。

 

 

「ちょっと珍しいかなくらいに思ってたんだけど……もしかして俺の13人って超ヤバい?」

「超じゃないよ、激ヤバだよ」

 

 どうやら俺の認識はかなり甘かったみたいだ。

 今まで13人いるって所じゃなくて、中に居るのが殺人鬼って事ばかりを隠そうとしてたからなぁ。そうか、人数もヤバかったのか。

 

 彼女は口に手を当てた後、少しだけ体を近づけて来る。

 

「というか、日高君ってさっきの話に出て来た『怪人二十面相』って人だったりする?」

「……うん。多分」

「へ~。それって日高君以外に知ってる人いるの?」

「いないんじゃないかなぁ。人格は抜きにして」

 

 

 そう答えると、夜桜さんは俺の腕に腕を絡めた。心臓がビクッと跳ね、体が固まる。

 

「じゃあ、また私だけが知ってる秘密が増えたんだぁ」

「そ、そうなるのかな……?」

「フフフ……♡」

 

 俺が犯罪者だと知っても怖がる事なく、彼女は三日月のような深い笑みを浮かべた。

 女生徒の付き合いが少ない俺には腕を絡め合った時にどうすればいいかなんて分からず、そのまま硬直し続ける。そのため、夜桜さんの目の色が殺人鬼達と同じような深い闇の色に染まっているのに気付かなかった。

 

 

 

 1分ほどそうしたまま過ごしていた、その時。

 会場のライトが突然全て消え、数秒後にスポットライトが会場の中央にある舞台を照らした。

 先ほどまでは誰も居なかったはずの舞台に誰かが立っている。俺はその人物を見て、特に驚きもしなかった。なぜなら、さっき見たばかりの人物だったからだ。

 

 

「こんにちは皆さん。この集会の挨拶をさせて頂きます、()()()です。どうぞよしなに」

 

 

 彼はマイクを片手にペコリと頭を下げた。

 すぐに頭を上げ、話の続きを進める。

 

「浮遊人格統合技術が開発されてから暫く経ち、国内にも人格持ちの方は随分と増えました。

 この場にいらっしゃる貴方達は、そんな人格持ちの中でも特に優秀な方々です」

 

「異世界の技術を用いることにより、世界はとても良くなりました。貴方達はとても優秀……そう、老いぼれた私では絶対手が届かないほどに。

 羨ましいですねえ、アッハッハッハ!」

 

 豪快な笑い声が響く。会場からは釣られたような笑い声が多く聞こえるが、俺としては全く笑えない。

 浮遊人格統合技術……あの注射の中身を知った者からすれば、世界が良くなったとかどうとか聞いても『ふざけんな』としか思えないのだ。夜桜さんも同じ気持ちなようで、真剣な面持ちで話を聞いている。

 

「貴方達が新しい社会を引っ張り、この世界をより良くしていく事に私は期待しています。そのために、この集会で各々の交流を更に深めていただきたい。

 ……では、そろそろ老いぼれは引っ込みましょう。ご清聴、ありがとうございました」

 

 

 榊浦豊が静かに礼をした瞬間、彼がフッ! と姿を消した。

 そのすぐ後に、ドレスに身を包んだ少女が舞台上に姿を現す。

 

『へぇ~。テレポート技術なんて粋な物使うじゃん』

「へ……? マッドパンク、何してんだお前そこで」

『暇だったからこっち来た。腕を絡めたぐらいからここにいたけどね』

 

 マッドパンクが俺のすぐ側でもしゃもしゃと骨付き肉を頬張りながら、舞台の方を見ていた。

 榊浦豊は演出の一環の為に何らかの近未来的な技術を使ったらしい。俺には良く分からないが、マッドパンクが感心したように見ていたので、きっと凄い物なんだろう。

 

 

 それにしても、榊浦豊か。

 浮遊人格統合技術に関しては気に食わないけど、話している所を見た感じ、娘の榊浦美優とは比べ物にならないほど立派な人物に見える。世界的な開発をした人物だから立派なのは間違いないんだけど。

 

 一体どういう人物なんだろうな。

 

 ちょっと気にな――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっ」

「は?」

 

 ―――突然、視界が切り替わった。

 先ほどまでの華美な集会場ではない。一面真っ白の何もない空間が視界に広がる。唯一色を持った物体は、目の前には榊浦豊……その人だけだ。

 

 

「さ、約束通り握手しようか。()()()()君?」

 

 

 彼が差し出して来た手を……俺はすぐに握り返すことが出来なかった。

 

 

 

 






暫く1話辺りの文字数を3000文字に減らしたいと思います。
理由は作者の私生活が少し忙しくなってきた事と、半毎日投稿で5000文字近くを書き続けるのは厳しいからです。
ストックが溜まったら徐々に文字数増やしていきます。ご容赦ください。


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#41 危険だから

 

 

 

 白い空間の中、2人の男が向き合っている。

 1人は浮遊人格統合技術の開発者、榊浦豊。もう1人はおかしな人格が中に居る事以外は平々凡々な男子高校生、日高俊介。

 

 2人きりで対面するには身分の格があまりに違いすぎる。だが事実として、俺は榊浦豊と向き合っていた。

 彼が握手の為の右手を差し出したまま、優しい声色で空気を響かせる。

 

 

「おや、握手は出来ないかい? 手は洗ったよ」

「……っ、いや、何言ってんだ」

 

 何もかも意味が分からない。

 どうやってこの白い空間に来たのかも、なぜ俺の名前を知っているのかも、そもそもこの空間は何処なのかも。

 

 彼が手を引っ込め、俺の顔をじっと見る。

 

「ふむ。若干の動悸に瞳孔の開き、目の震え……。困惑で頭が回らないといった所かな」

「っ……ここは何処だッ……ですか」

「白い空間」

 

 そんなこと見れば分かるわ。榊浦美優()と同じようなちょっとズレた答え方しやがって。

 

 

 次第に冷静さが戻り始め、粗暴になっていた口調を丁寧なモノへ修正していく。

 

「……本当に、ここは何処なんですか? 白い空間とかそういう曖昧な事じゃなくて」

「ふむ、状況を理解して完全に冷静さを取り戻すまで14秒か。凄いね、君の年なら1分は取り乱していてもおかしくないよ。素晴らしい精神力だ、目を見張る」

 

 質問に答えろや。

 本当に榊浦美優と話している時を思い出す。他人の話よりも自分の考えと言葉を最優先させるところが特に似ている。

 

 榊浦豊が腕時計から視線を外し、こちらを向いた。

 

「それで、ここが何処か……だったかな?」

「はい」

「ひみちゅ♡」

 

 

 ピクリと、下瞼が怒りで震える。

 秘密にするのはまだいい。けど『ひみちゅ』って言い方はなんなんだ、顔面ぶん殴るぞ。

 目の前の男が実に楽しそうな笑い声を上げる。

 

「アッハッハ! 呼吸が深くなった、怒りを鎮めようとしている証拠だ! 面白いねえ!」

チッ。じゃあなんで俺の名前を知ってるんですか?」

「うん、まあそれならいいだろう。答えてあげようじゃないか。

 

 ―――『()()()()()()』君」

 

 

 

 

 瞬間。榊浦豊の雰囲気が一気に変わる。

 先ほどのおちゃらけた空気ではなく、全身に鉛を括り付けられているような重い空気だ。……いや待て、本当に体が重くなってッ―――!

 

 膝から全身が崩れ、その場に這いつくばる。

 腕を支えにし、顔面が地面と衝突するのだけは避けた。

 

「ッ、一体どうなって……!」

「私は君の事を随分前からマークしていたんだよ。()()()()()()としての君をね」

 

 

 顔が上げられないほどに体が重い。

 視界の外から榊浦豊の声だけが静かに聞こえてくる。

 

「だがまあ、自分の高校で星野?君を半殺しにしたのは失策だったね。おかげで君の正体を掴めた……。警察の介入は邪魔だったから防いだけどね」

「グ……っ」

「私は優秀な人間が大好きだよ、複数人格持ちの日高俊介君。君の中には一体何人いるんだい?」

 

 

 殺人鬼を呼び出そうとするが、誰も外に出てこない。

 一体どうなってるんだ、こんな状況なら絶対に誰か1人くらいは出てくるはずなのに……!

 

「答えてくれたら嬉しいんだけどね。まあ、いいだろう」

 

 

 その瞬間。フッ!と、体から重みが消える。

 腕の力で一気に立ち上がり、目の前の榊浦豊に思いきり殴り掛かった。こいつは何かヤバい、榊浦美優とは比べ物にならないほど危険だと俺の勘が叫んでる。

 

 だが、俺の拳は彼の研究者らしからぬ太い腕で簡単に受け止めれられた。

 そのままもう片方の腕も掴まれ、完全に動きを固められる。

 

 

 彼が俺の瞳をまっすぐ見据えながら、静かな声色で言った。

 

「今日出会ったのは本当にアクシデント。だがこれを伝えておく良い機会でもあった。人格犯罪対処部隊に君の殺害許可が出たんだよ、日高俊介君」

「は……!? 殺害許可?!」

「ちなみにだが、これは私の仕業ではないよ。警察の上層部からの命令に見えて、実はもっと他の所……複数人格持ちの死体をサンプルとして欲しがる機関からの圧力だろう」

 

 榊浦豊が俺の腕を離す。

 その場から数歩後ずさり、目の前の男を強く睨んだ。彼もまた冷静さの籠った目で俺を見つめ返す。

 

 

「必死に生きたまえ、日高俊介君。保護してほしければ研究所に来てもいい。死体に興味はないが、複数人格持ちの生きたサンプルは大歓迎だ」

「ふざけんな!! クソ……! こんな所に突然連れてきて、俺にこんな事教えて、何がしたいんだよお前!!」

「1つの肉体に多くの人格……それでもなお正常な『複数人格持ち』の事が知りたいんだ。私の目標の為にね」

 

 榊浦豊が踵を返し、俺に背中を見せる。

 そのまま足を進めて、遠ざかっていく……かと思いきや、すぐに足を止め、肩越しにこちらを振り返った。

 

 

「日高俊介君」

「何だ……!」

「あの派手な舞台に立ち、下らない挨拶をする私を見てどう思った?」

「……別に。浮遊人格統合技術の注射の中身がアレなのに、優秀な人物がどうのこうの言ってるのには『ふざけんな』って思ったよ」

 

 彼が一拍、息を呑んで言葉に隙間を空ける。

 

 

「君はもし。絶対に成し遂げたい事があったとして……でも自分の力では成し遂げられそうになくて。そんな状況にあったら……どう成し遂げる?」

「誰かに頼る」

 

 というか、非力な俺にはそれしか出来ない。

 この間の夜桜さんを連れての警察との追いかけっこが良い例だ。あんなもの、殺人鬼達の力を借りなければ絶対に成功しなかった。

 

 だけど、優秀な人間に拘る榊浦豊にとって俺のこの答えは気に食わないかもしれない。自分が優秀な人間ではないと一番に認める答えだからな。

 

 

 そんな俺の言葉を肩越しに聞いた榊浦豊は、静かに顔を前に向け。

 

「……私は君の事がますます気に入ったよ。日高俊介君」

「何だって?」

「引き続きデートを楽しみたまえ。私はいつでも見ているよ、未来ある青年」

 

 

 

 

 

 

 ―――瞬間。

 真っ白い空間から、元の華美な集会場に視界が切り替わった。白から黄金への急激な色の変化に付いて行けず、思わず目を閉じる。

 強く目を閉じ続ける俺の様子に、夜桜さんが心配そうな声を出した。

 

「どうしたの日高君?」

「お、俺……どこに行ってた!? この集会場から何処かに行ったりしなかった?!」

「? 日高君はずっとここに居るよ?」

 

 

 ずっとここに?

 馬鹿な、あの白い空間で少なくとも数分間は喋っていたはずなのに。

 

 色の変化に目が慣れて来たその時、ポン!と肩が背後から叩かれた。

 咄嗟に振り返ると、そこにはエレベーターに向かって歩いていく榊浦豊の姿があった。振り返らぬまま、右手をこちらに向けて振っている。

 

「……」

 

 追いかけることはしなかった。

 気になることは多いが、ここで突っ込むことの危険さは計り知れないからだ。

 

 榊浦豊がずっと前から俺のことを知っていた事。

 人格犯罪対処部隊の殺害許可。

 そして……複数人格持ちの俺が関係する、榊浦豊の目標について。

 

 

 殺人鬼達とよく話し合わなければならない内容も多い。

 昔から思ってる、平穏に暮らすなんてのが馬鹿みたいに遠い目標に思えてくる。一般男子高校生に訪れるには余りに危険すぎる日々が目の前に待っていることがありありと分かる。

 

 

 でもこれは。

 きっと殺人鬼達と一緒に暮らすと決めたその日から、いつか訪れることが決まっていた運命なんだ。今まで頭では理解していたものの、心の奥底で理解できていなかっただけ。今日、榊浦豊から一方的に話を聞かされて……一端の覚悟は決まった。

 

 

「マッドパンク、他の皆を呼んできてくれ」

『ん? ……ああ、分かった』

 

 これからどうすれば良いかなんて全く分からない。何から手を付ければ良いのかも分からない。

 けれど……俺は1人じゃない。ちょっと壊れてる奴ばっかりだけど、荒事に関してはこれ以上なく長けた殺人鬼達がいる。

 

 

 いつになく真剣な面持ちをする俺の顔を見て、夜桜さんが再び心配そうな声を出した。

 

「日高君? どうしたの?」

「夜桜さん。悪いけど……俺はもう帰るよ」

「そうなの? じゃあ私も帰るよ」

 

 夜桜さんが優しく俺に微笑みかける。突然帰るなんて言い出した俺に付き合ってくれるなんて、本当に優しいんだな。

 その笑顔を見て……彼女だけは、危険な事に巻き込みたくないと思った。

 

 

(都合のいい夢だったんだな)

 

 犯罪者を内に抱えた俺が、幸せな未来を歩む彼女の人生に関わろうとしたのが土台おかしかったんだ。今日、デート紛いの物を出来ただけでも奇跡みたいなもの。

 

「……ごめん」

「何? 何で謝るの?」

「俺、そんなに楽しい会話とか出来るほど器用じゃなくてさ。今まで夜桜さんと頻繁に関われてたのが人生最大のラッキーだったってだけでさ。だから……」

 

 顔を伏せる。

 そしてすぐに、ぎこちない笑顔を浮かべた。

 

「きっと幸せな人生が待ってるよ、夜桜さんには。俺なんかが関わっちゃいけないくらいのさ」

「な、何言ってるの……?」

 

 

 彼女の肩を掴み、顔を近づける。

 集会場の中央から聞こえる美しい歌声が会場中に響き渡っていく。多少の声なら簡単に掻き消されるほどの、高く透き通るような声だ。

 

 夜桜さんの耳元に口を近づけ、本当に小さな声で。

 

「さようなら」

 

 

 そう呟いた。

 

 彼女が糸の切れた人形のように全身から力を抜く。

 近くの椅子を引っ張り出し、そこに彼女を座らせた。椅子から倒れないように、体勢を整える。

 

『いいのか?』

「……ああ。夜桜さんだけは絶対に危険な事には巻き込めない」

『その選択が、本当に俊介の為になるのか分からないよ……私には』

「俺の為じゃあないさ」

 

 俺の側でそう言ったのは、サイコシンパスだ。

 耳元に口を近づけた時に体を変わり、極力魅力を抑えた声で、夜桜さんの意識を落としてもらった。これなら声中毒になって精神が壊れる心配もない。

 

「キュウビ、右腕」

『……わらわとしては断る道理はないが、その』

「いいからやってくれ」

 

 彼女に頼んだのは『記憶封じの術』。

 といっても、それは完全な物ではない。強力な暗示程度の物で、きっかけがあれば思い出してしまう物だ。記憶を完全に消し去ることは出来ない。

 

 封じ込めたのは俺に関する記憶。

 これで、俺の事は一切関わりのないただの男子生徒と思うようになる。学校で俺の姿を見かけたって何とも思わないだろう。

 

 

「……バクダン。何処にいるか分かんないけどさ、バラさないでくれよ。数ヵ月前の何でもなかった関係に戻るだけなんだからさ」

 

 夜桜さんの体を見つめながら、小さく呟く。きっと俺の言葉を聞いているだろう。

 もしここでバクダンが夜桜さんと体を変わったら、そっちも記憶を封じるつもりだったけど……。まあバクダンなら、危険な俺と関わらない事が一番の利だとしっかり判断できる。封じなくてもさしたる問題はない。

 

 

「行くか」

 

 殺人鬼達にそう呟き、美しい歌声を背中に浴びながら、集会場から出るエレベーターへと向かった。

 

 

 

 

 

 







バクダン「ファッ!? 何してんねんコイツ!!」


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#42 危険でも貴方と

 

 

 

 

 私の名前は夜桜紗由莉。

 国認可の人格持ちで、異世界の爆弾研究者であるバクダンが中に居る。

 

 バクダンは163センチの私よりも背が高い。のだが、強烈な猫背のせいで私と殆ど同じくらいになっている。

 暫く洗っていないようなヨレヨレの白衣、枝毛だらけの長く黒い髪を腰まで伸ばし、目の下にはうっすらとクマがある。正直、半透明だから臭いはしないものの、実際に目の前に居られたら結構臭そうな風貌だ。

 顔は結構可愛らしいのだからちゃんと整えればいいのに、といつも思う。

 

 

 

「バクダン、どうしたの?」

『…………』

 

 そんな彼女の様子が、この間の集会からずっとおかしいのだ。

 今日も登校中の道のりでせわしなくキョロキョロと辺りを見回していた。

 そして肝心の学校に到着してからは。

 

『てめっ、ふざけんなよコラ……っすぞコラ……』

 

 同じクラスではあるものの、()()()()()()男子生徒の側でブツブツと何かを呟いていた。

 その男子生徒の席は校庭が見える窓の近くで、授業中はずっと窓の外の景色を見ていた。バクダンの姿が見える訳もないので、側でブツブツ呟かれても気にしようともしない。

 

 

 

「…………」

 

 

 私は何かを忘れている。とても大切な何かを。

 

 スマホの中にあるカレンダーアプリを開く。

 そこには、既に過ぎ去った『バクダンに体を渡す日』が書かれていた。

 

 生半可な覚悟でこの日付を決めたわけじゃない。私は確かに、バクダンに体を渡したはずだ。

 なのに……私は今もこの体を操っている。そして、この日の記憶が丸ごと抜け落ちてしまっている。

 

 

「一体、何があったんだろう……」

 

 バクダンにこの日の事を尋ねても、酸っぱいものを食べたような表情で顔を逸らされる。

 きっと何かがあったはずなのに。私の覚悟を丸ごと塗りつぶすような何かがあったはずなのに、全く思い出せない。

 

 

「…………」

 

 もやもやとした気持ちが晴れぬまま、下校時刻になった。

 バクダンは未だに件の男子生徒の側で呟き続けているが、やがて彼がバクダンの行動限界範囲である5メートル圏内から出ていく。不機嫌そうな顔で私の下に戻って来た彼女に、少し強めの口調で尋ねた。

 

「なんであの男の子にずっと絡んでるの? バクダン」

『…………』

「貴女が黙りこくるなんて珍しい。何かあるんだね」

『そんな考え方されたら私何もできないじゃんかぁ!』

 

 彼女の反応で分かった。

 あの男子生徒が私の失った記憶の鍵だ。バクダンが何も話そうとしない以上、私が解き明かすしかない。

 

 黒板横のボードに貼られた席の位置と名前の表を見た後、教室から出ていった男子生徒に背後から話しかける。

 

 

()()()!」

「―――!」

 

 彼が心底驚いたような表情でこちらを振り向いた。

 

 正に平々凡々な見た目。黒い髪をセットしている訳でもなく、かといって不潔にしている訳でもない。顔は人に好印象も悪印象も与えない、平均的なモノ。

 身長は男子高校生の平均より少し高い171.2センチ、体重は適正体重より少し低めの61.3キロ。制服がキツいのか第一ボタンをよく外しており、人目が完全にないと思った所では第二ボタンまで外している。魚よりも肉を好み、肉料理等は辛い味付けの方が好みだが、間食として食べるお菓子は甘い物の方が好き。財布の中身がいつも少なく、偶にコンビニに寄ってはスイーツを買おうとしてお金が足りず、とぼとぼと店を出ている。睡眠時間は約7時間であり、12時から7時まで就寝する事が多い。2時から3時は特に眠りが深く、何かされても滅多に起きることがない。幽霊が苦手であり、テレビで幽霊に関する話題が出た時はすぐにテレビを消している。

 

 

 ……あれ?

 なんで私、こんなに彼の事を知っているんだろう。さっきまで何も彼の事について知らなかったはずなのに、堰を切ったように知識が溢れ出て来た。

 

 

「いきなりごめんね? ちょっと……その、言葉に上手く表し辛いんだけど……」

 

 勢いだけで話しかけてしまったため、『なぜ話しかけたのか?』の上手い嘘が思いつかない。

 数秒ほど目を泳がせて嘘を考えていたが、やがて腹を括り、そのまま話すことを決めた。

 

「私、何か忘れている気がするの。日高君に関係する何かを……。おかしな事を言っているのは分かっているの、それでも……何か知っている事はない?」

「……なんで、もう思い出しかけて……」

 

 ポソリと何かを呟く。

 だがすぐに顔を逸らし、彼は私に背中を向けた。

 

「悪いけど、何も知らないよ。俺と夜桜さんは殆ど関わりもないし……」

「違う……きっと何かあるの!」

「…………」

 

 

 日高君がそのまま歩き始め、教室を出てすぐの所にある曲がり角を左に曲がった。曲がり角の先は階段だ、すぐに追いかける。

 彼は階段を降り、踊り場を歩いていた。それに続き、階段を降りていく。

 

「待って――――ッ!?」

 

 踊り場を超え、更に下に続く階段を見た時。日高君の姿が消えていた。

 素早く降りたのだろうかと足を踏み出した瞬間、視界の端に彼の制服が見える。階段を降りていたはずなのに、なぜか彼は階段を登っていた。

 

「ど、どうなってるの……!?」

 

 すぐさま階段を登って追いかけるが、またも彼の姿が消えている。

 意味が分からない。まるで絶対に解けない迷路の中にでも放り込まれたような気分だ。

 

 廊下の窓から外を見ると、既に校庭を歩き、校門を超えようとしている日高君の姿が見えた。

 どうやってあそこまで辿り着いたのかは分からないが、私は上手く撒かれてしまったらしい。今からあそこまで全力で追いかけても、またさっきと同じように上手く撒かれるだけだろう。

 

 

 

 窓から視線を外す。

 そして、すぐ近くに立っている半透明の女性に鋭い視線を向けた。

 

「……さて、バクダン?」

『ひぃぃ』

「明らかに怪しいよね、日高君。何か私の失った記憶と関係あるんだよね? どうして黙ってたのかな?」

 

 そもそも私から理解不能な撒き方をして逃げた時点で、何かありますと言っているような物だ。

 バクダンは恐ろしい物を見るような目で怯え、ずるずると後ずさる。

 

『め、目が怖いよ紗由莉』

「そうだね。もっと怖くなるかもしれないね」

『うっ……』

「話さない理由は何? 今すぐ言わないと……」

 

 

 更に眼光を強め、バクダンを睨む。

 彼女は頭を抱えて、更に怯えながら声を絞り出した。

 

 

『わ、私には分かんないんだよ! 話した方が良いのか、話さない方が良いのか……。だって、マジでやばいんだよ、アイツ……』

「やばい?」

『日高は人格持ちで、人殺しが中に入ってるって言ってたけどさ。そんな生半可なもんじゃないよ……。

 軽く攻撃の意思を向けられただけなのに、全身が震え上がった。人殺しだとか、何人殺せたとか、そういう次元じゃない悪魔が中に居るんだ』

 

 

 その時点で、私は強めていた眼光を元に戻した。

 バクダンがここまで怯えるなんて本当に珍しい……いや、見たことがないかもしれない。

 彼女の側により、抱えた頭を覗き込むように身をかがめた。

 

 

「人殺しって……それ、記憶を失う前の私は許容してたの?」

『してたよ! 私だって「人殺しかぁ」とか、そんな風に思ってた。まさか、あんな悪魔みたいな雰囲気とは思わなかったんだ』

 

 

 ……バクダンは以前、日高俊介が警察と追いかけっこを行った際、殺人鬼が彼の体の一部を操っているのは見たことがあった。

 だが、殺人鬼が日高俊介の体を完全に操っている所は見たことがなかった。

 

 初めて見たのは、ついこの前の集会場。夜桜紗由莉の意識を落とすために、俊介がサイコシンパスに体を丸ごと渡した、その一瞬。

 声が聞こえない程度の距離にいた彼女は見てしまったのだ。日高俊介から溢れる、言葉では表せないほどの常闇のオーラを。人の形をした人ではない何かの纏う空気を。

 

 

『紗由莉、お前があいつの事を気になるのは分かる! でも……本当に危険なんだ、ダメだ、ここで手を引こう!』

 

 爆発物なんて危険な物を研究していたからか、バクダンにもある程度の危険を察知する勘が身に付いていた。

 それはヘッズハンターどころか、日高俊介にすら劣る拙い勘。それでも、史上最悪と呼ばれた殺人鬼達の危険性は朧気ながらに理解できた。

 

 

 下校時刻から少し時間が過ぎたからか、周囲に人はいない。校庭の方から部活をする生徒の声が聞こえるだけだ。

 怯える彼女の隣に座り込み、優し気な声を出す。

 

「バクダンがそこまで言うなんて、本当に危険なんだね」

『うん……』

「……それでも、私は知りたい。心の中で朧気な叫び声が聞こえるんだ、このまま忘れていちゃいけないって。だから……教えてくれないかな。

 

 ―――()()()()()()()

 

『ッ!!』

 

 

 

 名を呼ばれ、驚きを隠せないように目を大きく見開く。

 それは教えた事のないはずの……バクダンの()()なのだ。

 

「何で知ってるのって思ったでしょ」

『ほ、本当になんで……』

「……ふふふ。バクダンってば、昔どうしてもやりたいって言ってた恋愛ゲーム、この名前でプレイしてたでしょ? 本名なのかなとは思ってたけど……今の反応を見るに、本当に本名だったんだね」

 

『は、ハァ――――ッ!?』

 

 

 半透明のバクダンが顔を真っ赤にしながら勢いよく立ち上がった。

 数年前、『冴えない女研究者の逆ハーレム生活』という内容の恋愛ゲームが発売されているのを見て、バクダンがどうしても欲しいと彼女にねだったのだ。

 本名でプレイするかどうかは迷ったが、ゲームソフトが起動できないようロックを掛けるしまあいいか……と、そのまま本名で始めてしまったのだ。

 

 そして、友人に本名でプレイしている恋愛ゲームを見られるなど滅茶苦茶に恥ずかしいわけで。

 バクダンが顔を真っ赤にしながら手足をじたばたさせて暴れ回る。

 

 

『私見るなって言ったじゃん! ロックも掛けたじゃん! なんで見たの!?』

「気になっちゃって……。あと、あのロック簡単すぎ」

 

『み”ぃ”ぃぃぃぃぃ!!!』

 

 

 髪をガシガシとかき乱すバクダン。

 それを見て、とてもおかしくて、つい笑ってしまう。

 

「ふふふ。ねえ、バクダン。私達ならどんなに危険な事でも大丈夫、乗り切っていけるよ。だから……日高君の事について教えてくれない?」

『今のどこに大丈夫な要素があるんだぁぁぁああああ!!!』

「あれ、もっと詳しく言わないと分からないかな? もっと凄い厄ネタを投下されたくなかったら、早く話せって意味だよ」

『ひぇっ』

 

 叫ばれてばかりでは埒が明かないので、少し威圧の込めた言葉で威嚇した。

 バクダンは動きを止め、冷や汗を流しながらこちらを見る。

 

「さあどうぞ? バクダン」

『ひゃ、ひゃい……』

 

 

 

 

 

 

 それからは、バクダンが語る日高君についての話に静かに耳を傾けた。

 

 共に誘拐された事。私が紹介した旅館で殺人事件に巻き込まれた事。

 そして……バクダンと体を変わる予定だったあの日、彼が危険を犯してまで、海に連れて行ってくれた事。

 

 彼女の言葉を聞くたびに、奥底に眠っていた記憶が紐解かれていく。

 

「…………」

 

 バクダンは危険だから関わらない方が良いって言っていた。

 けれどあの日……日高君は私の為に、危険を承知で海に連れて行ってくれた。

 

 中に居るのは悪魔? 関わるのは危険? その通りなんだろう。

 あの集会場で私を一瞬で気絶させた。そして記憶を封じた。どちらも普通の人格に出来る芸当ではない。多分、想像も出来ないほどに恐ろしい人格が中に居るんだろうと思う。

 

 

 日高君は例えるならば、地雷原。

 歩いて行くには余りにも危険すぎる。

 

 

 

 ―――それでも。

 

 私はやっぱり……日高君と関わる事を諦められそうにないよ。

 

 

 

 

「行こうか、バクダン」

『ぜ、全部思い出しちゃったのか……』

「うん、思い出したよ。だからまずは、そうだね。二度と記憶を忘れた状態にされないようにしないと」

 

 先ほどまでの私ではない。以前までの私ではない。

 彼が海に連れて行ってくれたあの日から……新たに生まれ変わった私として強く一歩を踏み出す。

 

 

『でも、そんなの、どうやって……?』

「日高君の全てを調査する。彼について知れば知るほど、思い出しやすくなるから」

 

 それは、彼と対面した時の事。

 あの海に行った日からコツコツと調べ上げた知識が脳に一斉に溢れた。恐らく彼と話したというきっかけで、奥底に眠っていた知識が一気に紐解かれたのだろう。

 

 ……でも、これは正直賭けだ。

 知っていることが多ければ多いほど思い出しやすくなる……。しかし、あくまで思い出しやすくなるだけだ。バクダンが彼について語ってくれなければ完全には思い出せなかっただろう。

 だから真の目的は、別の所にある。

 

 

「まだ日高君について調べられてない事は……過去のこと」

『過去?』

「通ってた小学校と中学校の名前は知ってるよ。でも……それ以外は殆ど調べられてない」

 

 他の情報よりも明らかに調査難度が高い彼の()()

 単純に、誰も彼の事について詳しく知らないのだ。当時の担任でさえも。

 

「まあ一つだけ、当てはあるんだけど」

『当て?』

「日高君のお母さん」

 

 彼の母親……日高陽子(ようこ)の素性は既に調べている。彼女ならば彼の過去について知っているはずだ。

 パート続きで休みが殆どないという彼女だが……まぁ夜桜家の権力を使えば、少し会話する時間を空けることなど容易い。現代社会において権力とは恐ろしく強い力なのである。

 

 

「行こっか」

 

 バクダンに向かって静かに呟く。

 

 私の真の目的。

 

 それは……二度と彼が私の記憶を忘れさせるなんて考えないように、完全に縛りつけてしまう事だ。肉体的な話ではなく、精神的な話である。

 頼れる女性と思わせる所から始まり、最終的にはドロドロに依存させる。

 

 それに今母親への挨拶を済ませておけば、事後処理も楽だ。

 

「♡」

 

 何があろうと、彼だけは絶対に逃がさない。

 その為ならば私の持つ力は何だって使う。武力も知力も権力も、ありとあらゆる全てをだ。

 

 

 何もかもを飲み込む底なし沼のような瞳のまま、日高君の事を想う。

 集会場での彼は明らかに何かに悩んでいた。その悩み事を解決するまでは我慢だが、もし事が終わったならば……。

 

 

 とてもではないが、口に出来ない事を考えながら。

 私は歩む速度を速めた。

 

 

 

 

 






記憶復活までの時間:だいたい1日半


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#43 私だって普通の女の子

 

 

 

 

 日高家がある住宅街から少し離れた所に建つ、そこそこの大きさを誇るスーパーマーケット。

 巨大なデパートが車で20分ほど走った所にあるものの、地元の農家や漁師から直接商品を安価で仕入れたり、地元独自の特産品を並べたり、地域スーパーとしての強みを充分に活かしているおかげか経営状況は中々に良い。

 

 最近デパートの方がとある事件によって封鎖されてしまったからか、客の出入りは普段よりも多くなっているようだ。

 

 

 そんなスーパーマーケットの裏。

 革張りのソファが2つ、その間に挟まれるように置かれた白いテーブルがあるだけの狭い応接室で2人の女性が向き合っていた。

 

 

 

「……その、私に一体何の御用でしょうか……?」

 

 ソファに座ったまま困惑した様子でそう言ったのは、日高陽子。

 優し気な印象を与える目じりの下がったおっとりとした顔。化粧は薄めであり、黒い髪の毛は肩の辺りで切り揃えている。身長は女性平均よりも少し低い155センチ程で、服の上からでも分かるほどにほっそりとした体型だ。

 

 そして全体的に、疲れ気味といった空気を纏わせている。

 いや、それも仕方ないのだろう。事前に彼女の事を多少調べたが、かなりの時間をこのスーパーでの労働に費やしている。朝は早く、夜は遅い。体を休める時間が単純にあまりないのだ。いつ体調を崩してもおかしくはない。

 

 

 

 私は彼女に向き直り、椅子に腰かけたまま頭を下げた。

 

「こんばんは、私は夜桜紗由莉と言います。日高俊介君には日頃からとてもお世話になっております」

「そうですか……! 俊介のお友達でしたか、こちらこそお世話になっております」

 

 彼女も私に向かって、ペコリと頭を下げる。そしてお互いに頭を上げ、視線を交わした。

 息を吸い、本題に話を進める。

 

「本日は、俊介君の昔のことについてお伺いしたく」

「? 俊介の昔……ですか? えっと、そうですね……」

 

 

 日高陽子さんは左手を頬に当て、少し困ったような表情をした。

 

 その時、キラリと薬指で輝く銀色の指輪が目に入る。結婚指輪なのだろうが、問題はその指輪の価値だ。

 細いリングに彫られた美しいレリーフ。回り続ける花の命を彫ったとされるそれは、種から子葉、つぼみ、満開の花、そして枯れた花から落ちた種がまた子葉……という一連の命の繋がりが、厚さ5ミリもないリングに表現されている。

 満開に咲いた花の中央には意気揚々と輝く宝石……ダイヤモンドがある。

 

 

 余りに私がその指輪を見つめすぎていたからか、彼女が頬から左手を外し、指輪の方を見た。

 

「気になりますか? この指輪」

「すみません……。でも、その指輪は確か……」

「ふふっ。ええ、ものすっごく高いんですよ。結婚する時に夫が栄養失調になりかけながらも贈ってくれた物でして。プロポーズに返事する前にすぐに病院に連れて行ったんだっけな……」

 

 

 懐かし気な表情で指輪の表面を撫でる。

 そう、あの指輪はかなりの価値があるのだ。花の一生を表す細やかなレリーフは卓越した技術を持つ職人が一つ一つ丁寧に作り上げた証拠。例え栄養失調になりかけるほど食費を削ったとしても、並の人物に手に入る代物ではない。

 日高君の父は工場勤務のはず。とてもではないが収入が良いとは言えない場所だ。一体どうやって……。

 

 

 疑問が抑えきれず、口から言葉として飛び出てしまう。

 

「とても失礼な物言いになるのは承知ですが、一つだけ尋ねさせてもらってもいいでしょうか?

 その指輪を贈れるほどの収入の持ち主ならば、その、貴女が体を悪くするほどパートで働き詰めになる必要はないと思うのですが……」

 

 彼女は私の失礼な問いに怒りを微塵も見せることなく、少しだけ悲しそうな表情を浮かべた。

 

 

「夫は優秀な人格持ちに元の職を追われてしまい、今は工場勤務なんです。収入が減って家のローンが厳しくなって、私もパートで働く必要があって。お金に困って色々売りもしたんですけど、この思い出が詰まった指輪だけは手放せなくて……」

「…………」

「あ、ごめんなさい! つい重い話をしてしまって。俊介のお友達に聞かせる内容じゃありませんよね」

 

 彼女が重くなった空気を払うように、明らかに無理やり作った微笑みの表情を顔に浮かべた。

 

 

 正直、『日高君の家のポストに匿名で数千万突っ込んでもいいんじゃないかな?』と本気で考えてしまった。夜桜家の財力というか、私の個人的なお金でもそれくらいは全然できるよホント。

 

『なんだこの嫁さん、リア充オーラ満載なのに幸うっす……』

 

 バクダンが何とも言えない表情で日高陽子さんの事を見ていた。その意見には結構同意するよ。

 

 

 日高陽子さんが「こほん」と咳払いをする。

 そして逸れた話題を元の方向に戻すために、先ほどとは違う元気な口調で話し始めた。

 

「えっと。それで、俊介の昔の話でしたね! ……でもなんでそんな事を聞きたいんですか?」

「気になるからです」

「気にな……? え? なぜ?」

「好きだからです」

「ま」

 

 きっぱりと言い切った瞬間、日高陽子さんが口を開けて驚いた。

 

「もしかしてお友達ではなく、彼女さんだったり……?」

「はい」

「嘘……! 俊介がこんな美人の彼女と付き合ってたなんて……」

『いやホントに嘘だろ』

 

 もうすぐ本当にするから問題ない。

 日高陽子さんは嬉しさが隠し切れないといった様子でによによしながら、姿勢を整える。

 

「本当にビックリしました。俊介とは最近会話が出来てなくて……。昔から物静かな子ではあったんですけど」

「物静か?」

「ええ。他人と会話をするのが苦手なようで、いつも1人で過ごしてました」

 

 

 他人と会話をするのが苦手?

 

『いや、普通に会話出来てなかったか……? 寧ろ私の方が……』

 

 ……でも思い当たる節はある。

 日高君は学校では全く人と喋らず交友関係が一切ない。それは高校だけではなく、中学校と小学校でも同様だ。だから彼の過去は調べるのが難しかった。

 確かに物静かではある。だが会話が苦手だとは思えない。一度喋ってみれば存外気さくで、いざという時はとても優しい。だから私は惹かれたのだ。

 

 

 手を口に当てながら眉間にしわを寄せる日高陽子さん。恐らく記憶を探っているのだろう。

 数秒ほどそうした後、ハッと何かを思い出したように顔を上げた。

 

「あ、でも。あの日ぐらいから外に出ることが多くなって、笑う事も多くなったんだっけ……」

()()()?」

「……浮遊人格統合技術の注射を受けに行ってから一ヵ月くらい経った時。全身泥だらけになって、夜の9時ぐらいに家に帰って来た事があるんです。俊介が泥だらけになるのも、真っ暗になって帰って来るのもそれが初めてで……」

 

 

 ……。

 この口ぶりからして、日高君は家族に人格持ちであることは隠しているみたいだ。もし知っていたならば、真っ先に人格が彼に何か影響を及ぼしたんじゃないかと思うはず。

 

 しかし、その注射の日から一ヵ月ほどたった時に訪れたという()()()

 そこが何か……日高君にとっての転機だったのだろうか? しかしそれは、知っているとすれば彼本人か中にいる人格のみ。とてもではないが探れそうにない。

 

 

「中学生の時はどうだったんですか?」

「小学生の頃よりも何処かに遊びに行く頻度は増えましたが、いつも『1人で遊んでいた』とだけ。人と関わるより1人で行動する方が楽なんだろうと思っていたんですが、まさか彼女さんを作っているとは」

「あ、付き合ってる事は秘密にしようって俊介君から言われているんです。出来れば内密に……」

「そうなんですか? 全くあの子は……」

 

 

 バクダンが私の方を見て来るが、ガン無視する。

 この嘘が露呈する前に本当にしてしまえば何も問題はないのだから。少し先の事実を述べているだけだ、悪意はない。

 

 

 

 

 ―――そこから私達は取り留めもない会話を続けた。

 日高君の過去についてあれ以上は探れそうにない。

 

 人格が宿るということは宿主に少なくない影響を与える。そもそも人格が宿っていることを知らない時点で、母親である彼女もまた日高君の過去についてはよく知らなかったのだ。

 

 まあそれでも日高君の事に詳しいのには間違いないので、好みの味付けの仕方とか教えて貰ったし、今度アルバムの写真を見せてもらうことを約束したけど。よろしくお願いします、お義母さん。

 

 

 スーパーマーケットの店主を夜桜の権力で脅してお義母さんの休憩時間を1時間ほど作ったが、ついに終わりの時間が来た。

 彼女と和やかな雰囲気のまま別れ、店外に出る。

 

「ふぅ……ちょっと緊張しちゃった」

『何処が……? バリバリ嘘ついてたじゃん、私には真似できない……』

「そりゃあまあ、末永くお世話になる人に失敬は出来ないでしょ?」

『私お前の事が本当に怖くなってきたよ』

 

 失礼な。私は一途なだけだから。

 

 

 ……でも、本当にどうしようか。

 日高君は思った以上に、自分の根っこに迫る情報は隠している。私に人格持ちであることを明かしてくれたのがそもそも奇跡みたいな物だったらしい。

 

 自分の家への道を歩きながら、唸る。

 

「どうしようかな。日高君に近づきたいけど、このままだとまた記憶を忘れさせられちゃうし……」

『もう正面から行ってぶん殴っちゃえよ。記憶いじんなって』

「また気絶させられて終わりでしょ」

『じゃあもう告れば?』

「は?」

 

 ピタリと足を止める。

 

「告るって……そういうのは、もっと失敗しないように仲を深めてから」

『これ以上なく深めてるだろぉがよ。まさか今更ビビッてんの? もし私が紗由莉ならとっくに行くとこ行っちゃってるけどなぁ?』

「バクダンには分かんないよ! 恋愛ゲームで培ったような経験は当てになんないの!」

『おまッ……言っちゃいけないラインだぞそれ!!』

 

 もっと用意周到に周りを固めて万全を期したい私と、いい加減告って付かず離れずの面倒な関係をどうにかしろと思うバクダンが対立する。

 

「それに日高君が真剣な悩み事を抱えてるのに告白なんてしたら、その、迷惑でしょ!」

『私が迷惑なんだよ! すれ違いまくりの恋愛なんざ見てて一番モヤモヤするんだ、さっさとくっつけや!! あいつもベタ惚れしてんの丸見えなんだから、今更迷惑の心配とかする必要あんのかよ!?』

「……もし失敗したらとか、もし嫌われちゃったらとか嫌でも考えちゃうんだよ。もし今、日高君に拒絶されたら私何しでかすか分かんないもん」

『何しでかすか分からない方が心配なのかよ』

 

 

 

 日が傾き始め、夜闇も深くなり始める時間帯。

 人気(ひとけ)のない道で、国に認められた優秀な人格持ちが完全に油断しきっている状態。

 警察はつい最近起きたデパートの事件に気を取られ、この周辺は今、警察の庇護が一時的に届きにくい状態にあるのだ。

 

 この道は、以前夜桜紗由莉が誘拐された道。

 かつての犯人がここを選んだ理由は、人がおらず通報される危険性が非常に低いからだ。警察の庇護が薄まっているとあらば、もはや狙わない理由はない。

 

 優秀な人格は金の成る木。器量良しとなれば至れり尽くせり。

 

 

 虚空に向かって騒ぎ立てる夜桜に向かって、スモークガラスが全面に貼られたバンが猛スピードで近づいて行った。

 完全に速度が停止する前に扉が開き、屈強な男達が3人飛び出す。

 

「捕まえろ!!」

 

 ただ、誤算だったのは。

 夜桜紗由莉がもはや破滅願望的な物を抱いておらず、自分を害そうとする犯人に対して一切の容赦をする感情を持ち合わせていなかった事だ。

 

 

 男達の剛腕を避けつつ、隙を見せた一人の喉を手刀で突く。幼少の頃に磨いた武の心得は衰えておらず、急所を突かれた男は一撃で倒れた。

 

「なッ!」

 

 他の二人が動揺した瞬間、彼らの方に勢いよく腕を振る。

 袖から極小の黒い物が飛び散り、それらが1秒で轟音と共にほと走る炎を噴き上げた。直撃した男二人は吹っ飛ばされ胸は大火傷、背骨をコンクリート塀に強く打って動けなくなる。

 

 

 一瞬でやられた三人の様子を見て、車を運転するドライバーの男が一気にアクセルを踏んだ。車はそれに倣い急発進する。

 

 夜桜はそれを見て、右ポケットから赤い宝石のような物が嵌まった指輪を取り出し、右の中指に嵌める。

 それを車の方に向け、静かに呟いた。

 

「空気爆弾。目標タイヤ」

 

 その瞬間、走っていた車のタイヤが勢いよく爆ぜた。操縦を失敗したのか近くのコンクリート塀に突っ込み、そのまま動かなくなる。ドライバーが出てこないことから、気絶したか、はたまた自分では出てこれないようだ。

 

 一体どうやってタイヤを爆破したのか、原理は分からない。常人には到底理解できない。それが爆弾を極め、国に認可されるほどに至ったバクダンという女性の真髄なのだ。

 

 

 夜桜がバクダンの方を向く。

 

「好きになった人に拒絶されるって事はとても怖いものなの。私だって一応、普通の女の子なんだから」

『どこが?』

 

 そんな爆弾を極めたバクダンですら、目の前の自分の宿主という極大の爆弾はよく理解できなかった。

 

 

 

 





バクダンの死因になった最高傑作超ヤバ爆弾はまだ登場してません。


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#44 掻き消せはしない怒り

 

 

 

 

「俺の気のせいじゃなければだけどさ」

 

 半透明のキュウビに向かって、顔の前で手を組みながら言う。

 

「夜桜さんの記憶の封印、解けかかってね? え、なんで?」

『そんな筈はないのじゃ……。簡単に解けるようなものではない……』

「だよなぁ。……ホントどうなってんの……?」

 

 今日、学校で突然彼女に話しかけられた。俺と夜桜さんの関係は数ヶ月前の何でもなかった頃に戻っている筈なのに、どうして突然俺に話しかけてきたのか。

 

「まさかバクダンがゲロったか? いやでも……」

 

 人間性はともかく損得勘定は出来るタイプだと思うんだがな。俺に関わるのがかなり危険だって事は流石にわかってる筈だし。

 

 

 日高俊介は既に夜桜の記憶が戻っていることなど露知らず、自室で彼女のことについて考えていた。

 殺人鬼達は全員、俊介が夜桜という女性に好意を抱いているのは知っている。だが夜桜が俊介に対しヘドロのような粘っこい好意を抱いていると気付いているのは一部だけであった。

 

 

『ガスマスク、どう思う?』

『どう……と言われてもな。俺は動きに支障がなければ隊員の色恋沙汰に干渉はしなかったし、正直どう対応すればいいものか』

『でも本人達に任せていちゃあ何も進まなそうだしねえ』

『私にお姉ちゃんが出来ちゃいそう……』

 

 今の所確信を持って気付いているのはヘッズハンター、ガスマスク、クッキング、ドールの4人だ。他の殺人鬼はその恋心が鉛の如く重い事までは気付いていなかったり、そもそも全く気付いていなかったりと反応はまちまちである。

 

 

 夜桜の重い恋心に気付いている4人は、俊介の家を出たすぐの所で顔を突き合わせていた。

 塀の上に乗ってはしゃぐドールをガスマスクが支える後ろで、クッキングとヘッズハンターが話し合う。

 

『いっそこのままにしておくのはどうだ?』

『ダメよ。俊介はともかく、向こうがいずれ我慢できなくなるわ。突然暗がりに引き摺り込まれるわよ』

『は……? 我慢できないって、今はまだ記憶封印してんだろ?』

『あんなのとっくに解いてるでしょ。俊介ちゃんの詰めが甘い事もあるけど、あの子の愛の深さと聡明さなら今頃再封印防止の為に行動しててもおかしくないわ』

『おいおい……じゃあマジで暗がり案件もあり得るって事かよ』

 

 

 幼馴染が虐めグループの性的暴行が原因で自殺し、それをきっかけに大量殺人を行うようになったヘッズハンターは何とも言えない気持ちになった。

 あの夜桜の重い感じならば暗がりに引き摺り込むなんて事はマジでやりかねない。が、それは恋心が爆発した結果であって、自分の幼馴染の時とはまた状況が違うというか……。けど性犯罪は気分的に……。

 

 

 2人の話を遠くで聞いていたドールがガスマスクに尋ねる。

 

『暗がり案件ってなに?』

『ドールにはまだ早い……いや、もう歳を取らないんだったか。じゃあ永遠に知らなくていい話だ』

『む……なんか子供扱いされてる感じ!』

『はいはい』

 

 議論が全く纏まらないまま、時間を無為に過ごしていた時。

 

 

 

 

 ――――ドゴォォォオオオン!!

 

 

 

 

 夜空に響き渡る何かが爆発したような轟音。

 俊介がいる部屋の窓がカラカラと開き、中からキュウビと俊介が外を見る。外で待機していた4人も同じように音のした方を見た。

 

 

「ッ……」

 

 窓から顔を引っ込め、10秒ほど後に玄関から出てくる俊介。背後に先ほどまで話していたであろうキュウビを引き連れている。

 

「100メートルより向こうだ、直接様子を見に行く。周囲を警戒しながら着いて来てくれ」

 

 殺人鬼達は互いを見合わせ俊介の言葉に頷いた。ヘッズハンターとガスマスクは近くの屋根に飛び乗り、クッキングは10メートルほど先を先行、キュウビは10メートルほど後ろを警戒、ドールは俊介の背中におぶさった。

 警戒したまま道を進んだものの、誰かに妨害されるような事はなくすぐに爆発のあった地点まで辿り着く。

 

 

 

 周囲を警戒させていた殺人鬼を呼び戻し、中に戻らせる。

 

 現場には気絶して倒れている男が3人、コンクリート塀に思い切りぶつかった車が1台あった。車の中では運転手が気絶している。

 ここは以前、夜桜さんと俺が共に誘拐された人がいない道。だが流石に爆発音が鳴るという騒ぎに引き寄せられ、付近の住民が幾人も集っていた。

 

 誰かが警察を呼んだらしく、サイレンの音も遠くから聞こえる。

 しかし、爆発か。一体誰が……爆発、爆弾、バクダン……。

 

 

 頭の中に1人だけ容疑者が思い浮かぶ。

 首に手を当て、中からこっそりと殺人鬼を呼び出した。

 

「フライヤー、出て来てくれ」

『んだよ?』

「あの事故った車。どう思う?」

『…………』

 

 チリチリと煙草の先を燃やしながら、コンクリート塀にぶつかった車を睨むフライヤー。

 10秒ほどそうしていた所で、肩をすくめながら言った。

 

『後ろタイヤが吹っ飛んで操縦ミスって事故ったって感じか? あの程度ならエンジンに引火するこたぁねえ』

「ありがとう」

 

 俺の予想が正しければ、これをやった犯人はバクダンだ。誘拐犯を返り討ちにした……といった所だろうか。

 既に何処かへ姿を消したみたいだが、もし警察に足取りを掴まれたとしても正当防衛で通すだろう。そもそも国認可の人格持ちな上、家が超太い……誘拐犯をやりすぎな位ボコボコにしたとて何も問題ないだろう。

 

 それにしてもバクダンの奴、中々過激な方法を取るんだな。億が一にでも車が爆発して運転手が死亡、夜桜さんが人殺しになるなんて事がないようフライヤーに見てもらったが……。ま、爆弾や爆発に関して彼女が見誤る訳もないか。

 ……というか、こんなに強いなら初めて誘拐された時も撃退してやればよかったのに。

 

 

『おい、まさかそれを聞くためだけに俺を呼び出したのか?』

「すまん」

『ったくマジかよ……せっかく暴れられるかもと思ったのに』

「悪かったって。また何か渡すから」

 

 フライヤー。

 彼女は生粋の放火魔かつ猟奇殺人鬼だ。火に関する事では殺人鬼達の中でも随一と言っていいほどに詳しい。

 キュウビが道術とやらでお手軽に火を出せるが、フライヤーは出すことができない。だが危険度で言うならばフライヤーの方が圧倒的に上だ。正直ダークナイトに次いで表に出したくない。

 

 それは何故かというと。

 フライヤーの技術は余りにも人を殺す事に特化しすぎているのだ。火を広げる方法、自分だけが火の海の中で生き残る方法、全て熟知している。だが唯一、火の止め方だけは知らない。

 本気でやれば一日で街一つを火の海に沈められるのだという。それも単独で。

 

 常に手加減なしの超強火、勢いを調整する弁は粉々に砕かれている。

 だから彼女は表に出したくないのだ。一度でも好きにさせたら何人死ぬか分かったものではない。あと見た目と口調がゴリゴリのヤンキーで普通に怖い。

 

 

 フライヤーが俺の肩に手を置き、咥えた煙草の火が当たりそうな程顔を近づけてくる。

 

『何かくれるってんなら、久しぶりに喉が焼けそうなほどキッツイ酒が飲みてえな』

「……今度、どっかの店でこっそりコピーしてやるから」

『流石! 分かってんじゃねえの、ならそれで今回はチャラだぜ』

 

 彼女が顔を離し、ヒラヒラと手を振りながら姿を消した。中に戻ったのだ。

 危険度は高いものの、ダークナイトより話を聞いてくれるのはありがたい。というかダークナイトがぶっちぎりで危険すぎる上に話を聞かないだけな気もするが。

 

 

 

 ……というか、夜桜さんの誘拐される頻度高すぎないか?

 今回は未遂に終わったが、前回の誘拐騒ぎはつい二か月前の事だ。いくら国認可の人格持ちとはいえ、人生で一度もない事が大半の出来事が短いスパンで起きすぎだろ。

 

「…………」

 

 もしかすると、何かあるのかもしれないな。国認可の人格持ちではなく、夜桜さんを狙う理由が。

 誘拐犯本人から直接探ってみるか。

 

 首に手を当てて中から2人呼び出す。

 

「ニンジャ、トールビット」

『何でござるか?』

『またこのコンビかい?』

「ああ。あそこで倒れてる3人の内の1人から、聞き出したいことがある」

 

 徐々に集まり始めた付近住民の中、小さくそう呟く。

 その言葉にトールビットは、仮面の下の瞳を面白そうに歪めた。

 

『俊介、それの意味がわかっているのかい? 私を呼んで、尚且つ話を聞き出したいとは……それはつまり、血を見るような行為をするって事だよ?』

「俺が常日頃から言ってるだろ。お前達に絶対に守ってほしい事は一つだけ」

()()()()()……か。アハハハ、私にとっては呼吸するくらい簡単だ』

 

 

 正直、夜桜さんを誘拐しようとした犯人達には腸が煮えくり返るような思いがする。それを表に出していないのはバクダンのお陰で彼女が攫われなかったからだ。

 夜桜さんが再び何処かに攫われようものなら、俺はフライヤーと協力して犯人ごと周囲一帯を火の海にしていたかもしれない。

 

 俺が裏で手を汚し、夜桜さんが幸せに生きられるなら本望だ。

 警察が来る前に犯人を攫うため、ニンジャに体を渡す。

 

 

 

 

 

 ―――そうして、警察を乗せたパトカーが到着したのは数分後の事だった。

 

「刑事、犯人の拘束が完了しました」

「…………」

 

 国認可の人格持ちが関わる爆発事件という事で、刑事が1人だけ出て来ていた。

 

 今目の前で拘束されている犯人をぶちのめした当の人格持ちは既に姿を消している。というか、警察に通報してきたのは彼女自身だ。

 『誘拐犯を正当防衛で倒した』とだけ言い残し、そのまま行方をくらませた。家にも帰っていないようである。

 

 

 刑事と呼ばれた男は考える。

 何か違和感がある。犯人達の様子は虚ろで、まるで何かに頭を汚染されているかのようだ。集まった地域住民の野次に話を聞いてみたが、大きな音がして集まったら、車が事故を起こし男達が倒れていたという。

 

 一見、おかしいところはない。

 倒れている男は2人、車に乗っている男は1人の計3人。犯行を行うには充分な数だ。全くもって普通だ。

 

 だというのに、違和感がする。

 

(……はぁ。これが刑事としての勘って奴、か)

 

 嫌な感じだ。悪意に満ちた物が通った残り香が蔓延しているとでも言うべきか。

 こんな物を感じるくらいなら、何も知らずに生きていた方がよっぽど幸せだろう。自分には守るべき家族もいるのだから、闇の中に突っ込んで危険を犯したくない。

 

 だがこんな自分でも、警察に所属したばかりの頃は正義感に満ち溢れていた。今の警察は買収が横行して完全に腐りきっているが、一端の正義感は心の中でくすぶっている。 

 その正義感が、嫌な形で発動された。

 

 

 その男は決して有能ではなく、勇敢でもなかった。故に……自分よりも優秀な人間に頼るほかない。

 その場で携帯を起動し、同期のとある男に電話を掛けた。

 

 3コール程で電話が繋がり、陽気な声が向こうから聞こえてくる。

 

 

『もしもし? どうした?』

「……夜分遅くに申し訳ない」

『いいよ別に、今カップ麺食ってるだけだし。それに同期からの電話でいちいちイラつく道理もねえって』

「すまない。実は……今俺が来てる現場で妙な違和感がするんだ。馬鹿みたいな妄言だと思われるかもしれないが、俺の手ではどうしようもない。気持ち悪い妄想だと思うなら電話を切ってくれ」

『…………』

 

 通話の向こう側からガタガタと物を漁るような音が聞こえる。

 そうしてすぐに、陽気さが消えた真面目な声で彼が言った。

 

『現場どこだ、今すぐ行く』

「来てくれるのか?」

『その違和感が取り越し苦労なら、それはそれでいいのさ。そうしていきゃあ、俺みたいなのはいなくなる』

「……すまん、()()。俺のせいで思い出させるような真似を」

『今のは俺が勝手に思い出しただけだよ。気にすんなって』

 

 

 牙殻に現場の場所を伝え、通話を切る。

 

 同期で一番優秀だったあいつが、今や面倒事ばかり押し付けられる人格犯罪対処部隊の所属だ。頭はちと弱いが勘が良く、体術は常勝無敗を誇っていた。

 

 そんな奴が()()()()以来、狂ったように凶悪な人格犯罪ばかりに目を向けるようになった。そのまま流されるように人対に身を移し、能力に見合わない収入でこき使われている。

 

 当時は『何を考えているんだ』と思った。奴なら絶対に上に昇れると、そう確信していたのだ。

 

 だが……所帯を持った今なら共感できる。大切な家族を失った恨みは絶対に消えない。俺も同じ立場なら、きっとそうする。

 

 

 

 ―――夜空に輝く月の光が、醜く地を這い回る人間を静かに見下ろしていた。

 

 

 

 

 



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#45 上手く行かないことは誰にでもある

 

 

 

 海沿いにある、とうに使われなくなった廃倉庫群。

 いくつも並ぶその倉庫は土地や建物の権利関係で揉めに揉め、今もなお取り壊されることなく残っている。人が来る事は滅多になく、不良ですら夜の間はここに近寄らない。

 

 何せここにはとある噂があるのだ。

 夜中になると人の形をした何かが現れ、その姿を見ると暗い海の中へ叩き落されると。その噂を知った不良が一度10人近くでここに訪れた結果、バイクごと海に叩き落されたという話もある。

 それ以来、この場所にはマトモな人間は誰も寄り付かなくなった。

 

 

 

 

 

 ―――そんな倉庫群の、特に寂れた倉庫の1つ。

 パイプ椅子に縛り付けられた筋肉質な男を前に、紙袋を頭に被った青年が果物ナイフを手の中で弄んでいた。

 

 そのナイフは真赤な血に塗れており、元の安っぽさを覚えさせる鈍い銀色の光は一片も見えない。

 その様子を後方から見ていた半透明の黒い服を纏う男……ニンジャはぽそりと呟いた。

 

 

『たかがチンピラ風情に、訓練済みの軍人でも音を上げるような奴はやりすぎでござる』

「いや……ナイフでやるのは久しぶりすぎて加減が分からなくてね。まあ一応、殺してはないからさ」

『気絶させては物を聞き出すもクソもないでござるよ』

 

 椅子に縛り付けられた男には数多の切創が付けられている。

 それらは重要な血管や内臓を避けているが、痛みを感じやすい神経が集まっている所を的確に切り刻まれていた。

 

 

 ニンジャが椅子の男を数秒見つめた後、俊介の体を操るトールビットの方を見る。

 

『ふむ……これだけの傷を付けているにも関わらず、失血死しないほどに抑えられた出血量。見事なお手前でござる。腕利きの拷問官でもこうはいかぬ……これはむしろ、一流の外科医の仕事に近いでござるな』

 

 そんな彼の言葉を聞いたトールビットが、ナイフの血を適当な布で拭いながら、感情のない声で答える。

 

「へぇ。答え合わせは必要かい?」

『……必要なし。拙者、他人の過去に突っ込んで藪蛇するのは勘弁でござる』

「まあそれならそれでいいけどね」

 

 

 そんな風に話していると。

 余りの痛みから気絶していた椅子の男が、呻き声と共に目を覚ました。

 

『むッ』

「ああ、目を覚ましたね。あんまりやるとまた気絶しそうだし、もう聞き出そうか」

 

 トールビットが男の首筋にナイフの切っ先を当てる。

 

「ひぎッ……!」

「ちょっと聞きたいんだけどいいかな? 君さあ、今日女の子を誘拐しようとしていたよね? どうしてか教えてくれるかな?」

 

 先ほどまで体を切り刻まれていたナイフを首に当てられる。人の命を簡単に奪える武器が自身の急所に当てがわれている恐怖というのは並大抵の物ではない。

 全身の傷の痛み、次こそは本当に殺されるんじゃないかという恐怖。椅子の男は余りの精神的な重圧に喉で空気が詰まって呼吸が出来ず、窒息でもしたように白目を剥いて再び気絶した。

 

 

 トールビットが紙袋の下から間抜けな声を出す。

 

「あっ」

『…………』

「あっれ~? いやあ、おかしいなあ! アハハハハ!」

 

 彼女は男が目覚めるのを待てなかったのか、頬をナイフの柄尻で思い切り殴った。ニンジャの冷たい視線に耐え切れなかったとも言える。

 衝撃で目覚めた男の肩にナイフを突き刺した後、首を右手で掴む。

 

「気絶するなよ、二度とな……! お前、なんで誘拐なんてしようとしたんだ! 言わないと錆まみれの牛刀で指落とすぞ!」

『破傷風で死ぬでござる』

「やかましい!」

『やーい怒った怒った異常性癖兎仮面年齢不詳おばさん』

「お前後で殺す」

 

 そのトールビットの溢れ出る殺意を込めた言葉に気圧されたのか、縛られた男が苦しそうな声を出した。

 

「じ、人格……。国認可の爆弾研究者の人格を連れて行けば、大金をくれるって……」

「……ふーっ。一体誰なんだい? その大金をくれるというのは」

「み、『()()()()()()』……」

 

 トールビットは肩のナイフを更に押し込む。苦悶の声を上げる男に対し、再度尋ねた。

 

「その組織は一体何なのかな?」

「し、知らない……。本当に俺達は、あの女を連れて行けば大金貰えるって聞いただけなんだ。こんなヤバい山だって知ってたらそもそも関わってねえ」

「…………」

 

 彼女は男の眼をじっと見つめる。

 恐怖で震える目と開く瞳孔。どうやら嘘は言っていないようだ。本当に知らないらしい。

 

 首を握る右手に力を籠め、そのまま頸動脈を絞めて気絶させた。適当に止血の処置を行い、これ以上血が流れ出ないようにする。

 トールビットは椅子に縛り付けたままの男から離れ、ため息を吐いた。その後、俊介と体を変わる。

 

 

 意識を取り戻した俊介は頭を軽く振った後、地面に広がる血の跡から目をそらし、半透明の2人の方を向く。

 

「……で、どうだった?」

『変な組織が、彼女の身柄の引き渡しと引き換えに大金を渡すって触れ回ってるらしいね。未来革命機関?って奴』

『正確には中の人格……。俊介殿が普段バクダンと呼ぶ方を所望しているようでござる』

「バクダンの方か……」

 

 まあ概ね予想していた事だ。

 夜桜さんも金持ちの娘なので身代金目的に誘拐される可能性はあるだろうが、身代金よりバクダンの優秀さの方が価値がある。それ相応の場所で爆弾について研究させれば、すぐにとんでもない物を作り出すだろう。

 

 ……そんなバクダンが欲しいとか、絶対碌な組織じゃないよな。

 場所だけ調べて、ダークナイトに遠距離から吹っ飛ばしてもらうか……? いや、絶対に力加減できなくて全員殺すわアイツ。

 

 

 腕を組んで少し悩んでいると、ニンジャが自慢げに胸を張って語り始めた。

 

『ま、そう悩むこともないでござる。拙者はそこの間抜け兎とは違って、後々の事をしっかりと考えて行動できる忍者でござるからな』

『は?』

 

 トールビットが手に持つクラシックケースの中から使用用途不明の何かを取り出した。形からして碌な用途に使う物じゃないことだけは分かる。

 今にも襲い掛かりそうな彼女を宥めつつ、話の続きを促す。

 

「落ち着けってトールビット。それでニンジャ、一体何やったんだ?」

『うむ。その男、実は本人も気付かない程小型の発信機が付いていたのである。それをわざと、隣の倉庫にポーンと捨てて来たのでござるよ』

「は? お前何やってんの?」

『まま、落ち着くでござる。本人の意思で付けられた訳ではない小型発信機……それはつまり、この男の動向を監視していた裏の人間がいるという事でござる! そいつをおびき寄せてボコボコにすればまるっと上手く行くという算段でござるよ! ワッハッハ!!』

 

 

 

 高らかに笑うニンジャ。

 そのテンションを維持したまま彼は、敵の様子を見てくると隣の倉庫に向かった。

 

「嫌な予感がする」

 

 そう呟くやいなや、先ほどの陽気な雰囲気とは打って変わり、何も感じさせない無の空気を纏ったニンジャが戻って来た。

 

「それで、来てたのか? その裏の人間ってのは」

『……いやあ。拙者、人生って上手く行かぬのが常だと思っているでござるよ』

「凄い嫌な予感するんだけど。本当に何がいたの?」

『まあ裏の人間というか、裏の顔を持った人間というか』

 

 鈍い俺でも、ニンジャがあからさまに言葉をはぐらかしているのが分かる。

 隣の倉庫に様子を見に行くか、今すぐここから撤退するかを考える間もなく、俺のいる倉庫の錆まみれの扉がゆっくりと音を立てながら開かれた。

 

 

 

「……こんばんは。日高君」

「――――ッ」

 

 開かれた扉の先には。

 指の間に赤く点滅する超小型の機械を持った、夜桜さんが立っていた。

 

『正直、すまんかった』

 

 ニンジャの余りにも軽すぎる謝罪の声が、静かに響いた。

 

 

 

 

 

 

 






久しぶりの投稿で申し訳ない


削除した配信者小話については、またいつか校正して再投稿するかもしれません。でもあくまで本編更新を優先したいので、完結するまでは投稿しない可能性の方が大。読めた人はラッキー。


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#46 邂逅

 

 

 

 

 夜桜と日高が邂逅する、数十分前の事。

 

 誘拐犯をぶちのめした夜桜は、倒れた男達の方をじっと見ていた。

 

「警察が来るまで待とうか。下手に暴れられても困るし」

『こわ~……。普通さぁ、警察に通報して今すぐ家に帰るとかじゃないのぉ?』

「爆弾がなくたってこれくらいなら対処できるよ、一応鍛えてるからね!」

 

 彼女は自分の右腕をパンと叩き、得意げに胸を張った。実際、彼女は容易に成人男性数人を纏めて相手取る事ができる。夜桜家屈指の才女というのは伊達ではない。

 

 そして警察に通報しようと電話を取り出したところで……ふと、思う。

 

「ここ……そういえば、日高君の家からそう離れていない場所だっけ」

『あぁ、んん? そういえば……そうだっけかなぁ』

 

 バクダンが猫背気味で垂れ下がっていた頭を上に伸ばし、日高家がある方向を見る。流石に周囲の塀が邪魔で見えないが、ここからなら歩いて10分程度だろうと推測した。

 

 頭を元の楽な位置まで下げ、尋ねる。

 

『それがどうしたんだ?』

「多分私が起こした爆発音で様子を見にくるだろうし……ここで待ち構えてみようかな」

『はぁ……? なんで?』

「日高君が様子を見にくるように、きっと野次馬も集まってくるでしょ? 人目のある所なら記憶も封印出来ないかなって」

 

 夜桜が提案した案。

 それを聞いたバクダンは顎に手を当てて少しだけ考え……首を横に振る。

 

『やめといた方がいいなぁ。多分、全員丸ごと記憶を飛ばされて終わりだ。紗由莉は再び思い出せるとしても、向こうに警戒されて余計やり辛くなる』

「……確かに、そうだね」

『でもぉ……このタイミングで仕掛けるのはそう悪くないかもな』

 

 バクダンが倒れている男達に近づき、観察しながら言う。

 

『日高はきっとこいつらが紗由莉狙いだって事に気付く。しかも誘拐騒ぎはこれで2回目……アイツなら何か行動を起こしても不思議じゃない』

「……つまり?」

『日高がこいつらに何かする。紗由莉がそこに突っ込む。奴の行動は基本紗由莉の為だからな……。そこで、日高に対して『何でもかんでも勝手に行動されるのは余計なお世話』ってな事を言い放ってやるのさ』

 

 バクダンの経験に乏しい恋愛脳をフル回転させる。

 今回の記憶騒ぎは日高と紗由莉のすれ違いが原因だ。日高は紗由莉の為を思って記憶を忘れさせ、何か危険な事をしようと考えている。だけど、紗由莉はたとえ危険でも日高から離れたくないと思っている訳だ。

 

 なら解決策は単純。

 日高に『夜桜さんには俺の助けは必要ない』と、ただそう思わせれば良い。

 最も、それが難しいからこうも悩んでいるという面はあるが。

 

 夜桜が隠し持つ爆弾、追跡爆弾に付けられている発信機を外し、男達の懐に隠す。

 全て隠し終わった後、日高に怪しまれないようすぐにその場から離れた2人。そして小声で話し始める。

 

「上手く行くかな?」

『さあね……。いざとなったらパンチラで攻めちゃえばぁ? ヒヒッ』

「なんで?」

『は、なんでってそりゃ……』

「今時パンチラ1つで物事が上手くいくなんて考えるのはセクハラオヤジか人間関係が極限まで乏しいバクダンくらいだよ」

 

 バクダンは憤慨した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからニンジャのうっかりで予想以上に事が上手く進み、現在。

 

「日高君」

「……」

 

 この街で今最も関係が拗れていると言っても過言ではない2人が、月明かりのみが差し込む倉庫の中で相対していた。片方は紙袋を頭に被った男という事が、この状況の混沌さを更に高めている。

 

 

『拙者、人の嫌がることをするのが大好……守るべき忍道であったとしても、自分の失態は恥ずかしいでござる』

『ハハハ。ちょっとそこに座りなよニンジャ、お前の内臓を剥いだ皮膚で包んでやるから』

『お断りでござる。忍法・横っ飛び!』

 

 トールビットの攻撃を、ニンジャが華麗な動きで回避する。

 お前ら遊んでんじゃねえよ。こっちの方を手伝えよ、特にニンジャ。

 

 

 というかこの状況、どうするのが正解なんだ。

 夜桜さんの持つ俺に関する記憶を封印してるから、彼女は俺の事を知らないはず。学校で俺の名前を呼ばれたのは吃驚したが……。

 

 そもそも、誘拐犯を拷問してたのを夜桜さんに見られるのは結構ヤバくないか。いやどう考えてもヤバいな。地面に血の跡あるし。

 

 …………。

 よしすっとぼけよう。

 

 

「よっ、夜桜さん!? この血の跡に、それに、この場所は一体何なんですか……?!」

「何で私の記憶を忘れさせたの?」

 

 

 あっ、これ記憶思い出してるわ。本当にどうしよう。

 サイコシンパスに体を変わってもう一回気絶させるか……? いや、アレは耳元で囁く程度に留めないと声中毒になるリスクが格段に上がる。完全警戒状態の彼女にくそみそ身体能力のサイコシンパスで近づくのは不可能に近い。

 

 …………。

 

 

「ニンジャ、両手と両足」

『ん? ご要望は何でござる?』

「夜桜さんを気絶させろ」

『承知!!』

 

 悪いけど、彼女を巻き込む訳にはいかない。

 多少手荒だが、夜桜さんには軽く気絶してもらうとしよう。その後自宅まで届ければ全て解決だ。

 

 

 ニンジャの操る足が素早く地面を駆け、夜桜さんの背後に回り込む。

 ヘッズハンターのような人の道を外れた身体能力ではないとはいえ、ニンジャも闇金の用心棒を纏めて半殺しに出来る程の実力の持ち主だ。一般人を気絶させることなど容易い……はずだったのだが。

 

 鋭い手刀が夜桜さんの首に迫る。

 常人なら確実に避けられない一撃。彼女はそれを振り返りもせず受け止め、流れるような動きで俺の体を地面に叩きつけて関節を極めた。

 

 

『むッ!? これは忍法・関節技!』

「日高君……!?」

 

 夜桜さんの困惑したような声が耳に聞こえる。

 それと同時に、ニンジャの操る腕が軟体生物のような柔らかさを持った動きを始めた。

 

 

忍法・縄抜け!』

 

 彼女の関節技からするりと抜け出し、3メートルほど飛び下がる。

 2人でお互いの顔を見合わせた後、信じられないといった感情が隠せない声色で言う。

 

「ニンジャお前、今の一撃って本気だったか……?」

『結構マジだったでござる。拙者、直接勝負は不得意な故』

「まさかカウンターをされるなんて……。ラッキーパンチ……?」

 

 

 

 日高俊介が驚きを隠せない一方、夜桜紗由莉も内心、この状況に焦っていた。

 

 

「ひ、日高君が私に攻撃……!?」

『多分、中の人格と協力してもう一回記憶を忘れさせようとしてんだろ。紗由莉にもいい状況じゃんか、説得より暴力、顔面をグーパンでぶちのめしちまえよ!』

「そ、そんな……! 私には……」

『いっその事、向こうを気絶させて持ち帰っちゃえばいいのさぁ! ヒヒ……ちょっと待ちなよ紗由莉、顔が怖いよ、冗談だって、今のは冗談だから』

 

 夜桜紗由莉の眼からスゥッと動揺が消え、据わった瞳で目の前の思い人を見た。

 そうだ。向こうが襲ってくるのならばこれは正当防衛、先ほど誘拐犯をぶちのめした時と全く同じ。

 

 1日に2度も警察に通報するのは迷惑だしね。家に持ち帰って反省するまで懲らしめれば、被害者の私が満足すれば何もかも問題ないしね。問題ない問題ない。

 

 

 

 

 ニンジャと俊介は夜桜さんの纏う空気が明らかに変わったのを感じた。

 

(じゃ)ッッッ……!』

 

「何だあの雰囲気……?」

『これは妖怪の類の予感……。なれば、これこそ忍術の出番でござる!!』

 

 半透明の黒い忍び装束の男がテンションを上げ始めた。

 彼の操る俺の右腕がポケットに手を突っ込み、スマホを取り出す。それをクルクルと手の中で回しながら、夜桜さんに向かって勢いよく駆け始めた。

 

 

「……!」

 

 夜桜さんが左半身を前に出し、両手を構える。明らかな戦闘態勢だ。

 それにニンジャは全く臆することなく、スマホのカメラアプリを起動しながら勢いよくスライディングした。

 

忍法・ローアングルショット!』

「きゃっ!?」

 

 眩いフラッシュが彼女の眼を潰し、その隙に足を蹴り飛ばして体勢を崩そうとする。

 だが夜桜さんは横に転がってその蹴りを回避し、すぐに目を開いた。

 

 

 腕の力で一気に体を起こしつつ、ニンジャが目にも止まらぬ指捌きでスマホを操作しながら高笑いする。

 

『フフフ、この忍法の本当の効果は目潰しにあらず! 人の顔を下から見た時、大抵はいつもより不細工に見えるもの! 俊介ェ! このローアングル写真をどう思うでござる!?』

「クソッ! 美人すぎるッ!!」

『忍法大失敗!』

 

 こいつ一体何がしたいんだよ。ノリに乗った俺も俺だけど。

 

 

 スマホをポケットに戻した瞬間、夜桜さんが上体を低くして素早く迫ってくる。

 

 フェイントを交えながら打ってくる左拳をニンジャが捌くが、細い中指と人差し指を手首に引っ掛けられ、無理やり腕を弾かれた。

 その瞬間、腰を捻りながら放たれる大振りの右拳。顔に迫るそれは意識を刈り取るには十分な威力を持っている。

 

忍法・スリッピングアウェー!』

 

 ニンジャが腕を弾かれた勢いで体の向きを調整し、夜桜さんの拳をギリギリで回避した。

 空を切る夜桜さんの拳。体勢を大きく前に崩したかと思われたが、逆にその手を地面に突き、片手で逆立ちのように立ち上がって足で攻撃してきた。

 

 俺の肩に直撃する彼女のしなやかかつ威力の籠った蹴り。

 口から苦悶の声を漏らしながら数歩後ずさる。

 

「ぐ……ッ!?」

「ッ! ごめん一撃で仕留められなくて!」

 

 

 不意の攻撃を食らってしまったニンジャが、心底驚いたように目を見開く。

 前方に居る夜桜さんと攻撃を食らった肩の間で何度も視線を交差させた後、驚きの籠った声が口から漏れた。

 

『うそ~ん、洒落抜きで普通に強いでござる。武器なし大怪我なしの不殺は結構キツイでござるよ』

「スマホを武器として使ってたじゃん」

『それは武器ではなく携帯電話でござる。道具は正しく使うものでござるよ、俊介』

 

 道具を変な使い方して忍術とか言い張るお前が何言ってんだよ。

 

 冗談か本気か分からない言葉を口に出しながらも、腕を組んで首をもたげるニンジャ。一撃当てられた事がよほど効いたのか、先ほどよりも明らかにテンションが下がっている。

 

『もう記憶封印とかいいんじゃないでござるか? 正直、俊介が10人いても一方的に倒せるような実力でござるよ』

「いやでもな……」

 

 チラリと、目の前の夜桜さんを見る。

 正直ニンジャ相手にここまで戦えるとは本当に思っていなかった。こっちは2回ほど攻撃を貰っているが、彼女にはいまだ有効打を1度も当てられていない現状。

 

 そりゃあ俺とは比べ物にならない程夜桜さんは強いだろう。だがいくら強かったとしても、危険な事に彼女を巻き込みたくはないのだ。

 

 

 少し離れた場所から目を細めてこちらを観察する彼女に、多少物腰を低くして話しかけた。

 

「あの~、夜桜さん?」

「なあに?」

「その……記憶を封印したのは悪かったけど、もう終わりにしない? やっぱり、夜桜さんは俺と関わるべきじゃないよ」

「…………」

 

 彼女が眉間にしわを寄せるが、構えていた拳を解く。

 恐らく話を聞いてくれる気になったのだろう。ニンジャに目配せをしてこちらも構えを解き、言葉を紡ぐ。

 

 

「正直な話、俺みたいな奴と関わっても碌な事にならないっていうか……」

 

 今隣にいるニンジャでさえ、異世界では最悪と呼ばれるほどの殺人鬼なのだ。

 そんな殺人鬼達が中に入っている人間と関わり合うなど、ハッキリ言って得策ではない。俺だって、俺みたいな奴が居たら多分敬遠するだろう。

 

「もう記憶は封印しない。だから、今すぐ引き返して……それで、俺の事はもう気にしないで欲しい。夜桜さんには絶対危害が及ばないようにするから」

 

 先ほどニンジャとトールビットから聞いた『未来革命機関』とやらは、夜桜さんに危害を加えるようなら無力化するか完全に潰す。彼女の身柄を確保するために何度も誘拐騒ぎを繰り返している時点で殆ど決定事項に近いが。

 

 

 俯きながら、吐き捨てるように今にも枯れそうな言葉を続ける。

 

「だから……」

「日高君。……言いたいことは分かったよ」

 

 パッと顔を上げると、彼女はポケットから青い宝石の付いた指輪を取り出して指に嵌めていた。

 そして指輪を付けた手をこちらに向け、感情のない声で言う。

 

()()

 

「―――ッ!?」

 

 

 耳をつんざくような爆発音と共に、そこそこの広さがある倉庫内に一気に黒い煙が広がった。

 この爆発音……バクダンの作った物か。視認性は最悪、30センチ先すらマトモに見る事が出来ない。

 

『…………』

 

 ニンジャが押し黙り、辺りを注意深く伺っている。恐らく彼も周りが見えていないのだろう。

 煙幕の中から何かが爆発する音と、空気を切って素早く移動する音が聞こえる。

 

 その状況が10秒ほど続いた、その時。

 黒煙の中から響いていた爆発音がひと際近くで響き、夜桜さんが人間とは思えない速度で煙をかき分けながら突進してきた。

 

 

『―――(ニン)ッ!』

 

 だが、彼女がいつか突っ込んでくることをニンジャは予想していたようだ。

 その場で2メートルほど真上に飛び上がって突進を回避する。そして彼女の頸動脈を絞めて気絶させるために、首を両足で挟みこもうとする……が。

 

 

 ――――ドドドドン!!

 

 

 夜桜さんの背中と足の裏から炎が吹き上がり、更に加速する。先ほどまでの爆発音と風切り音は彼女が爆発の推進力で動き続ける音だったらしい。

 

 ニンジャの両足が空を切り、重力に従って地面に落ちていく。

 一瞬で振り返った彼女に身動きの取れない空中で左腕と首を掴まれ、地面に押さえつけられた。

 

「ぐッ……!!」

 

 背中をしたたかに打ち酸素が肺の中から飛び出た瞬間、腹の上にドスンと重量のある物が乗った。

 俺の腹に乗ったのは、他でもない、静かな眼でこちらを見下ろす夜桜さんだった。

 

 

 

 体の中に酸素を再び取り込むように息を荒げる。

 頭に被った紙袋越しに彼女の顔を見上げたまま、十数秒が経ち。そっと夜桜さんが口を開いた。

 

「関わったら碌な事はないとか、危険だからとか、そんな事は大切じゃないんだよ」

「……え……?」

「関わるべきじゃないとか言って……もう、遠ざけないでよ……!」

 

 ポタリと落ちた温かい雫が、服を僅かに湿らせる。

 

「バクダンとずっと2人きりで、みんな私を腫れもの扱いするような目をして、ずっと寂しかったの! けれど日高君と一緒に笑えるようになって、とっても楽しかったんだよ……!」

 

 黒煙が晴れ始め、淡い月明りが倉庫の中に差し始める。

 

 

「あの日、私を見つけてくれたのも、危険を冒して海に連れて行ってくれたのは日高君だけ。私の人格を今ここに存在させているのは、他でもない君なんだよ! ……だから関わらない方がいいなんて言わないでよ。責任取ってよ……!」

「…………」

 

 

 ……そうか。

 

 夜桜さんの為だとか言って、結局。

 俺はまた、優秀な人格持ちだからと彼女を避けていた時と同じような事をしていたのか。

 

 

 右腕の主導権をニンジャから俺に戻し、首を掴む夜桜さんの手を掴む。

 

「……ごめん」

「うん……」

 

 

 

 

 そんな2人を少し離れた所から見守る、半透明の男女。

 

『一時はどうなるかと思ったでござるが……無事、一件落着でござるな!』

『何言ってるんだいニンジャ。失態を晒したあげく、普通に負けたくせに』

『…………』

 

 プイッと、居辛そうな表情で顔を背けるニンジャ。彼女の方に顔を向けぬまま、ぶっきらぼうに声を出す。

 

『道具ありなら負けてないでござる。そも、トールビットでも負けてたでござるよ』

『たられば論は嫌いだね。負けたという結果が問題なのさ、ニンジャ。フフフ』

 

 トールビットが口に手を当て、楽しそうに笑う。他人を煽りまくるニンジャが珍しく落ち込んでいるのが相当愉快なようだ。

 

 

 

『拙者は――――ッ!!』

 

 

 ―――瞬間。

 ニンジャが自身の言葉を遮り、目の色を変える。

 

 即座に俊介の両足を操り、体の上に乗っている夜桜を脇腹を挟んで放り投げた。

 

 

「な!? 何してるニンジャ!!」

『ちょっと申し訳ないでござるよ!!』

 

 主導権が残った左腕を操り、腰のベルトを引き抜く。

 突然の行動に未だ立ち上がれていない夜桜の足首をベルトで縛り上げ、トールビットが拷問に使っていた果物ナイフを彼女の首に当てた。

 

 

 状況を飲み込めない夜桜紗由莉が目を見開く。

 だがすぐに、この場に居る全員がニンジャの取った行動の真意を理解した。

 

 

 

 

 

 

「……爆発音がした所に来てみれば……こりゃ、ビンゴだな」

「人格犯罪者に、国認可の人格持ちが襲われている……ま、拘束の際に四肢を飛ばしてもギリギリ許されるでしょう」

「許されるわけないでしょ。せめて1本だけだから」

 

 倉庫の入口から、月明りに照らされた3人の人影が伸びている。

 闇に溶け込むような黒スーツの胸元には、輝くような金色のバッジ。2本の二重らせんが重なり合ったバッジは、凶悪な人格犯罪を専門とする部隊の証。

 

 

「じゃあ、やるか」

 

 人格犯罪対処部隊。

 牙殻 零次(がかく れいじ)

 白戸 成也(しらと せいや)

 翠 夏樹(みどり なつき)

 

 その3人が、ナイフを持った紙袋の男―――日高俊介の方を敵意を込めた視線で見つめていた。

 

 

 

 

 



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#47 お前のせいじゃね?

 

 

 

(じ、人対……! しかも3人……)

 

 夜桜さんの首にナイフを当てているが、両腕を操っているのはニンジャだ。彼が刃物の扱いをしくじって肌を切ることなどまず有り得ないので、人対の3人の方に顔を向けたままにする。

 

 真ん中に立っていた牙殻さんが紫色に淡く光る小刀を取り出し、一歩踏み出す。

 

「俺達は警察所属、人格犯罪対処部隊の者だ。今から拘束させてもらうが……あー、口上は横の白戸から聞いてくれ」

 

 そう言って彼は左に立つ眼鏡を掛けた長身の男を親指で指した。

 白戸と呼ばれた男は眼鏡をクイと中指で上げ、静かに言い放つ。

 

「今すぐナイフを手離して跪かないと、四肢を消し飛ばしてダルマにします」

「駄目に決まってんでしょ」

 

 牙殻さんの右側に居た女性……以前デパートで出会った翠さんが、白戸の尻を蹴り飛ばした。

 何か……雰囲気が緩いな。いや言ってる事もこの状況も全然緩くはないんだけど。

 

 

 騒ぐ2人からため息を吐きながら視線を外した牙殻さんは、咳払いの後、努めて優しい声色を出した。

 

「あー。四肢を消し飛ばしたりはしねえけど、拘束に抵抗するなら痛い目に見てもらうのは事実だ。出来る事なら大人しくしてもらいたい……カップ麺食いかけだしな」

 

 

 確か人格犯罪対処部隊には、怪人二十面相への殺害許可が出ていた。

 多分今俺に拘束云々言っているのは、俺が怪人だって事に気付いていないからだろう。いや、別に怪人だって名乗ったことないしバレたい訳でもないけど。

 

 そして勿論だが、大人しく捕まる気はない。一応紙袋で顔を隠しているし、まだ正体もバレていない。

 彼らを睨みつける眼光を更に強くし、一歩後ずさって距離を取る。その反応を見て牙殻さんが眉間にしわを寄せた。

 

「そうかい……。ま、仕方ないわな。

 

 ――――ジェットスーツ、起動」

 

 

 彼がそう呟いたと同時に、黒スーツの下に着込んだ何かが淡い紫色に光る。

 他の2人も首を鳴らし、眼鏡の白戸は手をパン! と合わせ、翠さんは手に持っている純白のアタッシュケースを開いた。

 

 3人とも、明らかな戦闘態勢だ。緊張で息が乱れそうになるが、深呼吸で無理やり落ち着かせる。

 そんな中、ニンジャが真剣な声色で言った。

 

 

『俊介、この状況を拙者の力でどうにかするのはハッキリ言って不可能でござる。なので先に言っておくでござるが……』

「何だ……?」

()()()()()()()()()()()ことを検討するでござる』

 

 彼でもなく、他の殺人鬼でもなく、正真正銘こちらの最高戦力であるダークナイトを出すことを考えろと。

 それほどまでに警戒しなければいけないのが、目の前の3人だと。ニンジャはそう言っている。

 

「……わかった。だけどあの3人を倒す気はさらさらない、逃亡が最優先だぞ」

『元々その気でござる。指示は俊介に任せる故、他の者も十全に使って逃げるでござるよ』

 

 難しい事言うなよな。こんな場面、一体誰に任せるのが適任か俺にも分かんねえって。

 

 

『では、忍法・緊急脱出!』

 

 ニンジャの操る両足がノーモーションで数メートル飛び上がり、ナイフで倉庫の天井である薄いトタン板を切り裂いて屋外に出た。

 同じように牙殻さんが天井を切り裂き、飛び出してくる。

 

 

「はッ―――速いッ!」

 

 彼が眼球が追い付かないほどの速度で屋上を駆け回り、気付かぬうちに右肩を切り裂かれた。

 傷口が炎でも押し付けられたように熱く、血が流れているのが見なくとも分かる。だが痛みにもだえる暇はない。

 

「ッ……()()()()()()()! 両腕!」

『ああ!』

 

 牙殻さんが先ほどとは逆である左肩を切り裂こうと小刀を振り下ろした瞬間、ヘッズハンターが操る左手によって手首を掴まれた。

 

「何……!?」

『どっか行っとけ!!』

 

 エンジェルほどの膂力はないが、人を一人投げ飛ばすことなど造作もない。ヘッズハンターは彼を海の方に投げつけ、すぐにその場を離脱しようとする……が。

 

「全く、油断癖は相変わらず治りませんね」

「それが唯一の隙なんだから、さっさと治せっつってんのに!」

 

 投げられた彼の体が海から伸びた黒い手によって受け止められた。いや正確には、夜闇をたっぷりと吸った黒い海水が手の形をなして受け止めたのだ。

 

 それと同時に、白いアタッシュケースを手に持った翠さんが空高く飛び上がった。一体何処から取り出したのか、中世騎士が被るような顔を全て隠す純白のヘルムを被っていた。

 彼女は空中に身を翻したまま、純白のケースを小銃のようにこちらに構える。

 

 その姿を見た瞬間、ヘッズハンターが大声で叫んだ。

 

『ヤバいニンジャ! 逃げろ!!』

『言われなくても!!』

 

 

「―――ショット!!」

 

 

 不可視の一撃。指向性を持ったそれが、先ほどまで立っていた場所を円状に削る。

 ギリギリでその一撃を回避するが、彼女は空中で姿勢を保ったまま連射してきた。2発目と3発目は避けるが、4発目を喰らってしまい、隣の倉庫の中まで吹っ飛ばされる。

 

 

「ごォは……ッ!」

『お手軽超重力発射機って所か、ここまで来るとファンタジー染みすぎて怖いぞ……!』

 

 容易に倉庫の天井をぶち破り、中にあった空の木箱の山に突っ込んだ。

 ヘッズハンターとニンジャが協力して咄嗟に衝撃を減らしてくれたらしいが、それでもダメージは甚大だ。両腕はヘッズハンター、両足はニンジャでも、胴体と頭は一般高校生である俺のままなのだから。

 

 血混じりの唾を吐きながら、殺人鬼を呼び出す。

 

「ぐっそ、キュウビ! 左腕だ!!」

『ぶちかましてくれるのじゃ、このクソ砂利共!! 陽道・剣山焔(けんざんほむら)!!』

 

 

 

 翠が再度重力射撃を行おうとした瞬間、紙袋の男が突っ込んだ倉庫の中から青い炎の槍が無数に発生した。

 槍が届きそうな場所であったため、空気を蹴ってその場から飛び退く。倉庫からは依然として青い炎の槍が生えており、近づけそうにない。

 

 というか、この青い炎。

 ……まさか。

 

 

 白戸と牙殻の近くに着地する。

 すると白戸が、顎に手を当てながら愉快そうに言った。

 

「おやおや。この青い炎……随分と見覚えがありますね」

「は? 何だってんだよ」

「……私には分かる。これは……」

「ええ。

 

 ―――『()()()()()()』の炎ですよ」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、牙殻の目の色が変わる。

 

「おい、マジか」

「ええ」

「……奴は殺害許可が降りるほどの罪は犯してねえ。治安を乱すような事件は起こすが、『()()』だけはやった事がねえんだ。今まで殺害許可が降りた奴は全員複数人の殺害を行っていた」

「だから?」

 

 白戸が『そんな事は分かっている』とでも言わんばかりに、牙殻に聞き返した。

 人対に所属しているならば、この殺害許可が少しおかしい物だという事は否が応でも分かる。

 

 それでも、殺害許可が降りているのは事実なのだ。

 牙殻が目を瞑り、そして開く。

 

「そうだな、殺害許可は殺害許可だ。無論拘束を優先するが……全員、技の威力を加減しなくても構わねえ。危険を感じるなら迷わず殺れ」

「では、そうしましょうか」

「…………」

 

 翠は考える。

 まさか彼とこんな場所で、しかも3人揃った状態で出会うとは。

 この2人はいざとなったら本気で命を奪う。けど……それだけはさせられない。でも一体どうやったら。

 

 心の中で戸惑い悩みながらも、ケースを再度開いた。

 

 

 

 

 

「やっべー、マジどうする?」

『全員殺すのじゃ』

「だから逃亡最優先って何度も言ってんだろ。後殺しは厳禁だから」

 

 キュウビの作った炎の槍の山のおかげで、向こうが少しだけ攻めあぐねているらしい。その隙を見て、今外にいる人格と俺でより集まって緊急会議を開いていた。

 トールビットが肩をすくめながら言う。

 

『ニンジャの技術なら逃げられるんじゃないのかい?』

『……この辺りには倉庫、海、道路、これだけしかないでござる。故に見晴らしが良すぎる。例え一時的に姿を眩ませたとしても、この周辺で絶対に見つかるでござるよ』

「逆に言えば、向こうが俺達を少しの間追って来られないようにして、入り組んだ街中に入りさえすれば逃げ切れるってことか」

『そうでござる』

 

 口ではそう言うものの、あの3人が少しの間追ってこられない状態にするにはどうすればいいのか。例え1人が負傷したとしても他の2人はお構いなしに追ってきそうなので、3人纏めて軽く動けないようにする必要がある。

 

「……ダークナイトしかないか……? いやでも、近づかれ過ぎたら瘴気が……」

『ダークナイトを出すなら、一個だけ良い案がある。……上だ』

 

 ヘッズハンターが、指で真上を差した。

 

『50メートルも飛び上がれば、落下速度を考えても、地上にはギリギリ瘴気が届かないはずだ。問題はどうやってそんなに高く飛ぶかだけどな。俺でも無理だ』

『そも、わらわならともかく、50メートル以上先に攻撃する手段をダークナイトが持っておるのか?』

『何かしら持ってるだろ。天然核兵器みたいな奴だぞ』

 

 うーん、それは言えてる。

 とりあえず、どうにかして上に飛ぶ手段を考えようと話が決まったところで、倉庫の外から異音が聞こえてくるのに気付いた。

 

「何だ……?」

 

 そう呟いた瞬間、炎の槍が掻き消され、何もかもを飲み尽くすような黒い水が倉庫の中に勢いよく侵入してきた。

 真上に飛んで回避しようとするが、水が意思を持ったように動いて足を掴まれ、水の中に引き摺り込まれる。

 

陽道・焔火炎!!』

 

 キュウビが放つ青い炎の柱が、地面から空に向かって一直線に伸びた。その炎は容易く水を蒸発させて消し飛ばし、そして出来た僅かな水の隙間から再度上に飛んで脱出する。

 

 顔を隠す紙袋は濡れてしまったが、何とかまだ無事だ。

 屋上に登り、吸ってしまった水を口から吐いて呼吸を整える。

 

「げぼっ……はーっ、はーっ」

『さっきとは技の規模が桁違いじゃ……! 奴ら、本気で殺しに来ておる』

 

 倉庫の外はまるで異界だった。

 海から高さ30メートルはある黒い海水の腕が無数に生えており、それがヒラヒラと何者かに手でも振るように揺れている。

 

 

「ダンケルク、同調しろ」

 

 静かな男性の声。

 ヘッズハンターが勘で察知したのだろう、腕を勢いよく振って上体を右に逸らす。

 

 瞬間、背後から空気を捻り切る轟音が響いた。

 牙殻さんが小刀を振り抜いた姿がそこにはあり、彼の小刀の切っ先から発生した風の衝撃波が俺の横を通り過ぎてうねりながら空を舞う。

 

 そして遥か先にある小高い山の頂に衝撃波がぶち当たり、円の型でくり抜いたように綺麗に吹き飛ばした。吹き飛ばされた土が遥か上空に飛び散り、夜闇に紛れて土の雨が降る。

 

「馬鹿かマジで……!」

 

 あんなの当たったら本気で洒落にならない。

 

 牙殻さんが小刀を手の中で返し、素早く切り上げた。今度は速すぎて全く避けきれず、胸から肩にかけて縦に一直線に走る傷が刻まれる。

 

(駄目だ、俺じゃあ到底反応できない! けど誰かに人格を譲る隙はないんだ、俺が何とかしなくちゃ……けどどうやって!)

 

 隣の倉庫の天井に移動して距離を取ろうとするが、海に生えていた腕の一本が突然動き出し、隣の倉庫を粉々に破壊した。どうやらこの場所から移動させるつもりがないらしい。

 

 

 牙殻さんが小刀を左右の手で持ち替えたり、逆手に持ったりして素早く攻撃してくる。翠さんは遠くからこちらの様子を伺っているが、何かしてくる様子はない。

 

 キュウビが術で牽制しつつヘッズハンターが腕で小刀を防ぐが、いかんせん全ての四肢の根幹となる胴体の俺が鈍いせいで上手く動き切れていない。

 そしてついに右の脇腹を小刀で抉られ、地面に垂れる血液が視界に入るほどに出血してしまった。チカチカと頭の奥で光が点滅するほどに腹が熱く、痛い。

 

 

「もう終わりだ、怪人。これ以上は死ぬぞ」

「ぐッ……」

 

 牙殻さんが小刀の切っ先をこちらに向ける。

 

『駄目じゃ俊介、もう殺されるか殺されないかの瀬戸際じゃぞ! さっさとダークナイトを出してこの辺りを吹き飛ばしてしまえ!! 不殺など考えておる場合ではない!!』

『ッ……』

 

 キュウビが叫び、ヘッズハンターが歯噛みする。

 確かに状況を見れば、今までの人生の中で一番危険で最悪だ。だけどそれでも。

 

「俺は人を殺さない……!」

『俊介、駄目じゃ……! それで命を捨てては元も子もないんじゃぞ!』

「…………」

 

 俺の呟きを聞いた牙殻さんが、目を伏せる。

 

「中の人格と話してるのか? ……俺にはお前が、どうにも極悪人とは思えない。刑務所に入って、いつか罪を償って出てこられる。そっち側の人間だ」

 

 彼が小刀の切っ先を次第に下げていく。

 

「悪いことは言わねえ、もう大人しく拘束されな。絶対に殺せって命令が下ってる訳でもないんだからよ」

 

 優しい声色だ。思わず絆されそうになる。

 そりゃあ大人しく捕まったらこの傷をすぐに治せるし、痛い思いをしないし、そっちの方が楽だろう。

 

 けどそれでも。

 

「捕まる訳にはいかない、悪いけどな……!」

「……そうか」

 

 夜桜さんと仲直り出来て、これからって時に捕まってたまるか。

 牙殻さんが小刀を構え直そうとした直後、ニンジャの操る足が刀を弾き飛ばそうとした。だが速度が足りず、彼に避けられてしまう。

 

「小賢しいぞ……!」

『俊介の脳天まで痺れるような強い言葉を引き出してくれたお礼に、そいつをくれてやるでござるよ!!』

『!』

 

 ヘッズハンターが何かを感じ取ったのか、腕の力で牙殻さんから距離を取った。

 俺を追撃しようと彼が小刀を強く握り込んだ、その瞬間。

 

 耳をつんざくような轟音と共に、彼の手ごと小刀が大爆発した。

 

「何ッ!!」

『拙者の手にかかれば、あの夜桜という女性が服の中に隠した爆弾をくすねる事など朝飯前でござるよ! それ見た事か、拙者はやっぱり負けてないでござる!!』

 

 

 せいぜい音を出して暴れ回るのが限度の市販の爆竹であっても、握り込んだ状態で爆発させれば指が吹っ飛ぶという。

 ならばバクダン謹製の、人を殺傷する威力のある爆弾で同じような事をすればどうなるか。

 

 屋上に俺の物ではない血が垂れる。

 牙殻さんの右手は指こそ吹っ飛んでいないものの、肌がズタズタに切り裂かれて血がドバドバと流れ出していた。最早マトモには動かせないだろう。

 

 

「これは良くない状況ですねえ。全く、油断をするなと何度も言っているのに」

 

 白戸が海に生やした手を操り、紙袋を被る怪人を叩き潰そうとする。

 牙殻と怪人がそれぞれ反対方向に回避する。これは好都合だと、更に多くの手を怪人に向かわせた。

 

 

 だが俊介達にとっても、敵で一番厄介な牙殻が負傷した今は絶好の好機であった。

 

「ニンジャ、ヘッズハンターと両足交代!」

『承知!』

「キュウビ、あの海水を凍らせる事は出来るか!? それをヘッズハンターの足で駆け上る!!」

『陽道の逆転技を急拵えとは、全く無茶を言うの! スケートリンクのように綺麗には行かぬぞ!!』

 

 無数に振り下ろされる海水の腕を回避しながら、ちょうど良い角度で天に聳え立った腕を凍らせる。

 それを使ってヘッズハンターが上空50メートルまで駆け上ろうとする……が。

 

 純白の白い円盤が氷の腕を中ほどから断ち切った。それを行ったのは、同じく純白の中世騎士のような鎧に身を包む翠。

 ヘッズハンターがバランスを崩すが、腕を氷に突き刺して無理やりバランスを取り、崩れる氷の腕を力技で登り切った。

 

 

 指の爪先から更に高く飛ぶ事で、概算地上より50メートル。

 そんじょそこらのビルよりも遥かに高い。だが身をすくめている場合でもない。

 

 目を閉じ、中なら正真正銘の最強を呼び出す。

 

「……ダークナイト、両腕だ。絶対殺さない程度に、薙ぎ払え」

『ギャオ』

 

 瞬間、足元に黒い円盤のような物が出来、そこに足が着く。

 そういえばダークナイトはこんな魔法を使えるんだった。落下速度とか考える必要なかったな。

 

 ダークナイトが両手を下に突き出し、片方は海にいる白戸、片方を離れた位置にいる鎧の翠に向ける。

 そして地獄の底から響くような低い音と共に、手の平の先に蠢く黒い球体のような物を作り出し、銃弾よりも速く撃った。

 

 その球体は彼らのすぐ側に着弾し、瞬間、夜の闇よりも濃い巨大な黒の柱が天へと伸びる。柱の直径は50メートル程だ、普通ならまず逃げられない。

 

 柱が消えた後には、ポッカリと穴の空いた海と地面しか残っていなかった。

 

 

「……って、ダークナイト! なんだあの技!? お前マジで殺してないだろうな!?」

『ギャンギャオ』

 

 左手と右手の間に大きく隙間を作り、それを縮めていって、手が重なるギリギリの所で止めた。

 ……つまり、瀕死で留めたって事か? そんなギリギリの橋を渡るなよ、動けなくするだけで良いんだよ。

 

 ダークナイトのぶち開けた穴の淵から人対の2人が這い出てくるのが見えた。よかった、本当に生きてるみたいだ。

 

 

「まぁちょっと予想外だったけど、さっさと逃げ――――」

 

 踵を返そうとしたその時。

 地上から何らかの方法で飛び上がったであろう牙殻さんが、すぐ側に迫っているのが見えた。

 

 

「ばッ――――!!」

 

 

 死ぬぞと叫ぶ暇もなく、彼はダークナイトの発する瘴気に触れる。

 だが一切死亡する気配はなく、鬼気迫る表情で小刀を振り上げてきた。しかしダークナイトが操る左腕に容易く受け止められ、顔面を右手で掴まれる。

 

 ダークナイトは掴んだ右手からドス黒い衝撃波を発生させ、牙殻さんの体を海に開いた穴の奥底まで吹っ飛ばした。

 

 

「……」

 

 穴に落ちた彼を追いかける為に、白戸が再び穴へ引き返す。

 その様子を見て、俺は正直ドン引きしていた。

 

『(*´꒳`*)』

 

 この黒い鎧の化け物、人対を全員一撃で片付けやがった。

 俺の殺害許可が出たのってもしかしてこいつのせいなんじゃねえの? いや人前で出した事は殆どないけどさ。

 

 

 

 何故牙殻さんが瘴気で死ななかったのかとか、色々気になる所はあるが、取り敢えずは撤退する事にした。

 

 夜桜さんと怪人は敵対関係という事にした方がいいだろう。彼女ならこの状況でも切り抜けられる、明日学校で話そう。

 ダークナイトの作り出した足場で地道に地面へと降り、ニンジャに体を任せて逃亡した。

 

 

 






日高は良くも悪くも普通です。
夜桜さんは強いです。
人対の皆さんはもっと強いです。
ダークナイトはバランスブレイカーです。



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#48 判明! 黒い瘴気の正体

 

 

 

 倉庫から命からがら逃げ延び、殺人鬼に体を代わって手当てをして貰ってから一晩が経ち。

 

「いっつ……痛み止めあんま効いてないな……」

 

 牙殻さんに結構な傷を付けられたものの何とか、『足首を寝違えた人』レベルにまで歩けるようになった。

 激しく動いたりは出来ないし、人格を変えての戦闘なんかは以ての外である。正直歩くのすら誰かの補助が欲しいほどにキツい。

 

 

 ノロノロと学校までの道のりを歩き、教室に到着する。

 いつもより遅い時間だからか、教室内には既に人が多く集まっていた。昨日放って帰った夜桜さんも椅子に座っている。

 

 俺も窓際にある自分の席の椅子を引き、ゆっくりと座る。鞄から筆箱を取り出し机の中に入れようとした時、何かが入っているのに気が付いた。

 

 余りに勢いよく動かすと右肩の傷が痛い為、そっと取り出す。

 入っていたのは一枚の白い封筒だった。封筒の口を下に向けて、中にある折り畳まれた便箋を机の上に落とす。

 

 

 便箋には大きさが整った綺麗で読みやすい文字で文章が書かれていた。

 腕で少しだけ隠しながら、内容に目を通す。

 

『―――日高君へ。

 昨日は手荒な事をしてごめんなさい。日高君が去った後に人対の人に色々聞かれたけど、『誘拐犯を誘拐した男を追いかけた』とだけ言って、それ以外は全てすっとぼけておきました。

 

 私は国認可の人格持ちなので何かをしてくる事はないと思いますが、多分警戒はされていると思います。()()()()()()ですが、暫くは人の目がある場所での接触は不自然にならない程度に避けましょう。

 

 そして突然ですが、色々落ち着いたら、一緒に旅行に行きませんか?

 日高君とはもっと親睦を深めたいですし、私たちも来年には大学受験が控えていますから、きっとその方面でもお力になれると思います。勉強()を教えるのは得意なつもりです。

 

 旅費はこちらで持つので安心してください。良い返事を期待しています。

 

 夜桜紗由莉より。

 

 

 ―――追伸

 お前()獲物。byバクダン』

 

 

 

 

 ―――手紙を閉じ、夜桜さんの方を向く。

 彼女は他の人にバレないように少しだけこちらを向いた後、片目をウインクした。かわいい。

 

『仲直り出来たようで安心したわよ~?』

「……」

 

 夜桜さんの方を見ていたクッキングが、頬に手を当てながらそう言った。

 教室の中では人格の言葉に声を出して返答できないため、コクリと小さく頷き返す。

 

『それにしても、昨日は大変だったわねぇ。私は戦いが苦手だから参加できなかったけど……』

 

 ニンジャですらギリギリのあの戦闘に参加できる方がおかしいから安心してくれ。そして人対を一撃で沈めたダークナイトはもっとおかしいからどうにかしてくれ。

 今回の件で完全に人格犯罪対処部隊に睨まれただろうし、未来革命機関とかいう変な名前も出て来たし、榊浦豊とかいうヤバい研究者が俺に関心を向けてるらしいし。

 

 

 やっぱり人対相手にダークナイト出さないで別の方法取った方が良かったかな。更に事が拗れまくったような気がするぞホントに。

 多分、牙殻さんにあれだけ切り刻まれたから、無意識にビビっちゃったんだろうな……。それで最強戦力のダークナイトを出しちゃったんだ……クソ、もうちょっと冷静になればよかった。

 

 

 ……というか、そうだ。

 

 傷の痛みで忘れかけてたけど、牙殻さん……。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()よな?

 

 

 ダークナイトの話では、瘴気は『格下の生物を問答無用でぶち殺すオーラ』だそうだ。

 なら牙殻さんはダークナイトと同格? なら一撃で倒されるか? いや本当は穴の底で上手く着地していたのかもしれないが、すぐ逃げた俺には確認する術はないし。

 

 

 でも一つだけ言える事がある。

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 あの残像すら残さないようなスピード、超人クラスに勘のいいヘッズハンターがギリギリ反応できるレベルだ。マトモな戦闘ならばダークナイト以外の殺人鬼ではとても太刀打ちできない。

 

 唯一、ニンジャがやるような姑息な騙し討ちは効く。

 だが騙し討ちでは彼との戦いには勝てない。全力逃走のための隙を作るのがせいぜいだ。

 

 

 となると、牙殻さんはやっぱりダークナイトと同格? いやいやでもそれなら一撃で……。

 

 

 

 思考が同じところをぐるぐると回り始める。だがいくら悩んでも答えは出ない。

 スマホのメモ帳に一番悩んでいるポイントを軽く纏め、中から殺人鬼達を呼び出してそれを見せた。一人では埒が明かないと判断したからだ。

 

 

 

『「ダークナイトの瘴気は格下を問答無用で殺す。牙殻さんはダークナイトの瘴気に触れても死ななかったので格下ではない。でも牙殻さんはダークナイトに一撃で倒されたので格下かもしれない」

 …………なんだこれは、なぞなぞか?』

 

 

 机の上に置かれたスマホのメモを、ガスマスクが静かに読み上げた。

 他の殺人鬼達も首を傾げ、ちんぷんかんぷんといった表情を浮かべている。

 

『パッと思いつくのでは、同格だけど色々事情があって一撃で倒されたとかかしらん……? ほら、油断してたとか』

『あの状況で油断をしていたとは思えぬ。本気で襲い掛かったと考える方が自然じゃ』

『そうよねぇ……。私も中で見てたもの……』

 

 

 クッキングとキュウビが会話を交わす。

 他の殺人鬼達も各々言葉を交わすが、『これだ!』という答えは出ない。そもそも当のダークナイト本人が首を傾げているのだから、この謎の答えは分かりようもなかった。

 

 

 そんな中、会話の輪から一人離れて云々と唸っていたマッドパンクが静かに声を上げた。

 

『あのさ、話の腰を折るようで悪いんだけど。僕みたいな研究者って、せっかく作った論理のそもそもの前提が間違ってて全然上手く行かないなんて事がよくあるのさ』

『? 一体何の話ですか、それは』

 

 エンジェルが首を傾げる。マッドパンクはずんずんとダークナイトの方に近寄り、その黒い鎧をコンコンと軽く叩きながら言った。

 

『そもそも、ダークナイトの言ってる事が正解なの?って話だよ』

『ギャ?』

 

『ダークナイトの放つ瘴気は、『格下の生物を問答無用でぶち殺す』。この前提がそもそも合ってるのか怪しいって事。

 何か別の条件があるのに、早とちりして勘違いしてる可能性があるんじゃないの?』

 

 

 その言葉に、ダークナイトとマッドパンクを除く全員が顔を見合わせ。

 口にはしなかったが、全員が心の中で『それだ』と呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――放課後。

 

 花の絵がプリントされた白い箱を手に持ち、とある一軒家の前に立った。

 寂しい住宅街の中では少し浮いたオレンジ色の外壁をした二階建ての家。庭にはプランターから生える青々とした植物が日光を体全体に浴びているのが見える。家庭菜園でもしているのだろう。

 

 

 辺りの様子を少し伺った後、玄関の扉の横にあるインターホンを押す。

 ピンポーンという軽快な呼び出し音が扉越しに聞こえる。それから数秒経った後、ザーザーと雑音交じりの声がインターホンから響いた。

 

 

『はい。どちら様ですか?』

 

「突然お尋ねしてすみません。日高俊介と申します。()()()()さんはいらっしゃいますか?」

 

『あ……日高さんでしたか。今玄関を開けますね』

 

 

 声が途切れ、すぐに扉が開く。

 玄関を開けたのは、学校から帰ったばかりなのだろう、赤いランドセルを背負ったままの折川結城だった。

 

「本日は一体どういったご用件で……あ、すみません、ちょっと待って下さい」

 

 彼女が声を止め、何もない背後の方を向き、時折頷きながら何かを聞いている。

 恐らく彼女の中に居るマオが何かを言っているのだろう。マオは俺の心が読めるみたいだし、いちいち事情を説明しなくていいのはちょっぴり楽だ。

 

 

 30秒ほどそうした後に、彼女が再びこちらを向いた。

 

「大体の事情はマオから聞きました。私にはよく分からない話ですけど……どうぞ中へ」

「すみません、ありがとうございます。あ、これ、つまらない物ですが」

 

 

 そう言いながら、手に持っていた白い箱を渡す。

 彼女はそれを不思議そうに受け取った後、箱の横にプリントされた花柄を見て驚きを隠せないといったように目を大きく見開いた。

 

「……! これ、駅の近くにあるスイーツ店の隔週50個限定ケーキ……!! 本当にいいんですか!?」

「どうぞどうぞ」

 

 

 俺も甘い物好きだから分かるよ……美味しいんだそのケーキ。

 普段は自分の運で入手しているが、今日はどうしても彼女達に尋ねたかったため、人格の力を使って確実に手に入れる手段を取った。正確にはニンジャの姑息な足さばきで列に割り込んだ。

 

 卑怯とは言うな、イカサマを看破できなかった方が悪い。

 

 

 一気に雰囲気が明るくなった折川結城にリビングまで案内される。

 そこそこ広いリビングの中、キッチンのすぐ傍に置かれている机の椅子に座るよう促された。その椅子に座った直後、彼女は反対側の椅子に座ってケーキの箱を机の上に置く。

 

 

「じゃあマオに変わりますね?」

「よろしくお願いします」

 

 

 折川結城はそう言った直後、一瞬硬直し、パッと顔を上げた。

 身に纏う雰囲気で分かる。今の彼女は確実に折川結城ではなく、マオの方だ。

 

 

「ふ、ふふふふ。わ、儂に何の用だ? アニーシャ絡みの事は出来れば全力で遠慮しろ!!」

 

 ケーキに見惚れていた明るい雰囲気とは違い、顔を真っ青にしながら怯えている表情と雰囲気を隠そうともせず垂れ流しているからだ。

 

「いや、聞きたいことがあって」

「わ、分かっておるわい!! 儂は平民の心を読める、要件はとうに理解している!!」

 

 やっぱり心が読めるって便利だな……。

 

「心が読める事を話の手間が省けるくらいに考えるのは貴様だけだぞ、平民」

 

 

 

 ―――ゴホンとマオが咳ばらいをする。

 顔を真っ青にしているのは依然として変わりないが、怯えた表情は顔から消えた。気持ちを切り替えて、こちらの聞きたいことの話をしてくれるようだ。

 

 

「で、だ。平民の要件は、アニーシャ……ダークナイトの瘴気に関する話でよかったか?」

「お願いします」

「よかろう、礼節を欠かさないのは好印象だ。それで、アニーシャの瘴気な……うーん。

 ハッキリ言って、『格下の生物を問答無用でぶち殺す』というのは、()()()()間違っていない」

 

 

 それほど?

 含みのある言い方に疑問を覚える。その思考すらも読まれたのか、マオが「良い洞察力だ」と話を続けた。

 

 

「まず、ダークナイトに魔物化の呪いを掛けたのは儂だ。それは知っているな」

「はい」

「うむ……。実は平民の言う瘴気の正体は、ダークナイトが変態した魔物の特性なのだ。

 その魔物の名は、『()()()()()()』と言う」

 

「……カース、ポーン……」

 

 

 何か分からないが、とても強そうな名前だ。

 その思考を読み取ったのか、マオが顔の前でブンブンと手を振りながら言う。

 

 

「いやめっちゃ弱い」

「え?」

「カースポーンは滅茶苦茶弱いぞ。人間共からはよく『カースポーン、縮めてカス』などと揶揄われておった」

「……いやいやいやいや」

 

 何処が滅茶苦茶弱いんだよ。

 ダークナイトすっごい強いじゃん、化け物じゃん、もはや生き物の道を外れてるじゃん。

 そう考えると、マオが目をギュッと瞑りながら頭を抱えた。

 

「なぜ最弱に近い魔物に変えたのにここまで強いのか、儂が教えて欲しいくらいだ! 意味が分からん!!」

「……というか、どうしてそんな弱い魔物に変えたんですか? ダークナイトは元々強かったらしいですし、強い人間を強い魔物にすれば、更に強くなると思うんですが……」

 

 

 それを聞いて、マオは少し遠くを見つめるような目を浮かべた。

 

 

「もし、余りに強すぎる暴れん坊の軍人が居たとしよう。そして儂は元帥だ。儂はその軍人に、今にも壊れそうなボロボロのナイフ一本で戦えと命令を下した。

 普通ビビるよな? 強力な銃を持った相手に壊れそうなナイフ一本で戦わないよな? 『もっと強い武器を下さい、お願いします!』とか儂に懇願して支配下に下るよな?

 まさかナイフ一本で敵味方を無差別に殺し回った後、最終兵器の核兵器すらぶった切るとか予測できるか? ん? これ儂悪いか? 魔神をカースポーンの身で殺すとか予測できるか? ん?」

 

 

 段々とマオの口調に怒りと悲壮感が滲み始めた。

 要は、『この人間強すぎるから、最弱の魔物にして力を弱めて支配下に置こう! あれ、最弱の魔物にしたのに強すぎじゃね? 支配できない!』って感じらしい。

 

 

「うむ……まあつまりは、そういう解釈で合っている……」

「……それで、瘴気って言うのは一体何なんですか? カースポーンの特性……って言ってましたけど」

「ああ、それの話を聞きに来たのだったな。よし、本題に入ろう。

 カースポーンの唯一の強みともいえる黒い瘴気……そしてダークナイトの発する瘴気は、『己に対する恐怖で相手が完全に戦意を失った場合、問答無用でぶち殺す』。これが正しい条件だ」

 

 

 『己に対する恐怖で相手が完全に戦意を失った場合、問答無用でぶち殺す』……。

 格下を問答無用でぶち殺すと似ているが、少し違うな。

 

 

「大前提として、カースポーンは糞弱い。黒い鎧が独りでに動くその姿だけは仰々しいが、その実、ド素人の貴様ですらもモップなんかの長物を持てば5体は軽く倒せるだろう」

 

 一般高校生ですら簡単に複数体倒せるレベルなのか。まあ弱いっちゃ弱いな……。

 

「だがもし、カースポーンが100体同時に現れたら? 1000体同時に現れたら? いくらゴミのように弱いとはいえ、平民もビビるだろう?」

「……はい」

「そう、そして戦意を失い死亡する。つまりカースポーンの強みは圧倒的な数。決して個の強さを誇る魔物ではない……のだが……」

 

 マオが口ごもる。

 ここまで話を聞いて、俺にも大体の経緯は分かった。

 

 

 

 カースポーンは糞弱い。

 だが大量に数を揃えれば、一般人相手ならビビらせて戦意を喪失させる事が出来る。小さな村なんかは進軍するだけで滅ぼすことが出来るだろう。

 

 ただ、ダークナイトは違う。

 個として余りに強すぎて、その強さを相手が無意識に感じ取り、弱者だろうか強者だろうが問答無用で戦意を失わせて殺すのだ。それがあの何もかもを殺す黒い瘴気の正体。

 

 

 ダークナイトの瘴気に触れて死なないのは、同格か格上か、はたまたその強さを理解して恐怖を感じながらも戦意を失わない強い心の持ち主。

 そして牙殻さんが死ななかったのは、瘴気に触れながらも戦意を失わない強い心を持っていたから。

 そういう理屈だったわけだ。

 

 

「……じゃあつまり、ダークナイトの瘴気に触れても問答無用で死ぬわけじゃないんですね?」

 

「ああ。儂は平民の心を読み取り、不殺の心情を掲げているのが分かるからこそ、アドバイスしてやろう。

 ①ダークナイトと同じかそれより強い。それか、戦意を失わない強い心を持つ。

 ②ボコボコにされても戦意を失わない。

 ③ダークナイトが自分を殺さないよう手抜きをしているのが分かっても戦意を失わない。

 ④とにかく怖がって戦意を失わない。拗ねない。しょげない。泣かない。

 これらの条件を満たす相手ならば、瘴気を受けながら戦っても死なないであろう」

 

 

 

 ダークナイトを怖がらず、ボコボコにされても戦意を失わず、相手が明らかな手抜きをしているのが分かってもめげずに戦い続ける。

 うん。

 

「無理です。そんな人はいません」

「分かってて言った、平民」

 

 まずあの強さに戦意を失わないって時点でほぼ不可能じゃないか。

 結局、ダークナイトは迂闊に表に出せない事が決定した。

 

 

 

 

 未だ悲壮感を漂わせ続ける彼女に、少し物腰を低くして問いかける。

 

「何か、瘴気を抑える方法とかないんですか?」

「ま……当てはある。元折川旅館の温泉が流れてくる山の底の底……そこに眠るエネルギーを入手できれば、瘴気を抑えられる」

「エネルギー?」

「ああ。様々な温泉の効能を引き出していた圧倒的なエネルギーの源……儂の見立てでは、恐らくあの山の奥深くには『()()()()()』が眠っておる。そのエネルギーを取り込めば、数年は瘴気を抑え込めよう」

 

 

 魔神の肉片……。

 何でそんな物が山の奥深くにあるんだ。というか魔神ってダークナイトとかマオの世界の生き物じゃないのか?

 

 

「強大な力の持ち主は極稀に世界の壁を超える事がある。魔神は確かに魔族の最高戦力かつ切り札だが、過去に幾度となく召喚され、多くの者が力を合わせて幾度となく倒されてきた。その時に散らばった肉片が異世界に流れ着いてもおかしくはない」

「へ~……。じゃあ、取りに行き―――」

「―――本当にいいのか?」

 

 

 瞬間、マオが眼光を強めた。

 

 

 

「ダークナイトが瘴気をまき散らし、人を無数に殺す。だからこそ平民は奴を出さないように自制しているのだろう?

 ここで儂が奴の瘴気を封印したとしよう。そしてかのような力の持ち主にいつでも頼れる状況になれば、いずれ頼り切りになり、最後は破綻する。それが人だ。

 

 平民の心が弱いとかそういう問題ではない。自分の物ではない力に頼りすぎる状況にはなるな、いずれ堕落するぞ……という話だ」

 

「…………」

 

 

 確かに、言う通りだ。

 ダークナイトは強い。それこそ警察……人対ですらも簡単に倒してしまうほどに。そんな圧倒的な力を振るう事を覚えれば、俺は俺が課した人を殺さないという誓いすら破ってしまうかもしれない。

 

 

「言う通りです。すみません」

「よい。魔族は長き時を生き、人よりも冷静な視点を持つ。だが短命な人間だからこそ持つ情熱を長命の魔族は持たぬ。持ちつもたれつ、足りぬところを補うのだ」

「はい……」

 

 

 そう言い切った後、マオがプイッと顔を逸らした。そして口をぼそぼそと動かし、誰にも聞こえないような小声で呟く。

 

「せっかく平民の中で大人しくしてるのに、わざわざあんな化け物の瘴気を抑え込んで世に解き放つ訳ねーだろ馬鹿! アイドル活動もやっと軌道に乗ってきたのに、制限がなくなって好き勝手にアニーシャに動き回られたら今度こそ死ぬわ!! ストレスで胃が爆発するわ!!」

 

「? 何か言いましたか」

「な、何も言っていないぞ。ハハハ……」

 

 

 

 

 

 

 ―――それから他愛無い会話をし、20分ほどが経過。

 

 今日、聞きたかったことは全て聞けた。

 玄関口まで見送ってくれるマオに軽く頭を下げた後、ふと、気になった事を口にする。

 

 

「そういえば、ダークナイトは最弱の魔物になったんですよね?」

「うむ」

「じゃあ今のダークナイトは人間の頃より弱いって事ですか?」

「知らん」

 

 

 彼女はあっけらかんと言い放った。

 ダークナイトを人間から魔物にしたのは彼女だというのに、知らないとは一体どういうことか。

 

 

「そう考えられても、知らんものは知らん。まぁ理論上は人間の頃より弱くなっているはずだ。だが……」

「『だが?』」

 

「儂はアニーシャが人間であった時も、カースポーンとなって魔神と戦っていた時も。

 一度も奴の()()()()()()()()()()のだ。故に比較ができん」

 

「…………」

 

 

 

 ダークナイトの底は、未だ分からない。

 

 

 きっと分かる時も来ないだろうし来てほしくもないと、2人は静かに明後日の方向へ目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 






設定を会話文で書きすぎてごちゃごちゃになってしまった。申し訳ない。
とりあえずダークナイトが理不尽に強いけどやっぱり表には迂闊に出せないって事だけ覚えて下されば大丈夫です。


-Tips-
後の歴史家によるマオの評価↓

人智を超えた怪物を命を削って弱体化させた大英雄
怪物に格下即死技を与えた史上最大の戦犯


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#49 超兵器爆弾・MRK

 

 

 

 

 マオと話し合った翌日。

 俺が怪我の影響でその辺りをうろちょろ歩き回ることが難しいため、夜桜さんに校内で人気(ひとけ)がない場所を探してもらった。

 

 

 そして学校の昼休み。

 彼女が部屋の外に顔を出して、廊下に人がいないことを確認した後、部屋の唯一の扉の鍵を閉めた。

 

「……よし、ここなら人目もないよ」

「ごめん夜桜さん、わざわざ人のいない場所を探してもらって」

「いいのいいの! それで、話って何?」

 

 彼女が探してくれた図書室の横にある埃臭い図書準備室にて、2人きりで向き合っていた。

 ここは本来図書委員が使う部屋なのだそうだが、彼らはもっと広い図書室で作業をするので、実質この部屋は誰も使わない空き部屋となっている。

 

 そして図書準備室にはあまり似つかわしくない、部屋の外に音が漏れないような防音加工がされているのが分かる。……かなり邪な推測だが、誰かが()()()()()()を行うために勝手に改造したのかもしれない。まあこの防音加工のおかげで、話し声くらいなら部屋の外に漏れることはないだろう。

 

 

 俺はまず夜桜さんの方に顔を向け……頭を下げた。

 

「今まで本当にごめん。俺は自分勝手に物事を考えすぎて……夜桜さんがどう思ってるかなんて全く考えてなかった。今すぐ許してなんて都合の良い事は言えないけど……」

「……うん。私もちょっと過激に物事を進めすぎた所があるし……私からも、ごめんなさい。これで()()()()……でいいかな?」

 

 

 彼女の言葉に、俺はコクリと頷いた。

 以前手紙で接触はなるべく避けようという話になったが、彼女に聞きたい事があったため、昼休みの時間を少しだけ費やさせてもらった。

 

 校内ならば外部の人間の目は届きにくいだろうし、一応何人かの殺人鬼に周囲を見張ってもらっている。多少の時間なら2人きりで話しても怪しまれないだろう。

 

 

 

「この間の誘拐犯なんだけどさ。俺の中の人格が……まあその、拷問をやったんだ」

「拷問……? そういえば、日高君の中に居る人達って人殺しなんだよね? でもバクダンが言うには、人殺しよりももっと怖いって……」

 

 バクダンの奴……勘が良いな。

 夜桜さんの言葉に軽く頷き返し、口を開いた。今更隠し立てすることもない。

 

 

「俺の中に居る13人の人格は、全員、異世界で()()()()()()()()()()()()なんだ」

「殺人鬼……?」

「正直な話、小説の登場人物の方が遥かにマシだと思うくらいに全員ヤバい。数百人単位で殺してる奴がザラにいる。……だから、俺に関わるのは危険だって何回も言ってたんだ」

「そうなんだ……」

 

 数秒ほど驚きで口を開いていた彼女だったが、すぐに目を閉じ、落ち着きを取り戻した。

 

「ふーっ……。うん、もう大丈夫」

「……いや、え? 大丈夫って、殺人鬼だよ? もっと驚かないの?」

「中に居る人格が殺人鬼でも、日高君は日高君だしね。ちょっと驚きはしたけど、日高君が何処にも行かないなら全然飲み込めるよ」

 

 

 うーん、天使かな? やっぱ天国から降りて来た人ってすごいんだなぁ。

 思考があらぬ方向に吹っ飛んでいきそうになるが、すぐに冷静な思考力を頭の中に手繰り寄せた。

 

 

「ま、まぁ話を戻すけど、俺の中の1人が誘拐犯に話を聞き出してさ。

 何でも、『未来革命機関』っていう組織が夜桜さん……バクダンを狙ってるみたいなんだ。身柄を確保して連れてきたら大金も出すって」

「未来革命機関……。聞いたことないけど、なんだか物騒な名前だね」

 

 それは俺もそう思う。

 一体どんな組織なのか、誰が加わっているのかも不明だからな。迂闊に手も出せない。

 

 

 話を続ける。

 

「国認可の優秀な人格持ちが無作為に狙われるなら分かる。けどバクダンに大金を出すって事は、何かバクダンを狙う理由があるって事なんだと思う。心当たりはない?」

「……ちょっと、バクダンに変わるね」

 

 

 そう言うと、彼女は一瞬だけ硬直し、身に纏う雰囲気が快活な物から陰鬱とした物へと変貌した。

 濁り切った瞳。猫背気味の立ち方。間違いない、バクダンだ。

 

 口を三日月のように開きながら、喉の奥から引きつるような笑い声を出す。

 

「ヒヒッ……まずはおめでとうって言えばいいのかなぁ? 肉食獣に見初められた獲物を見るのは初めてでさぁ、ヒヒッ、どんな言葉を掛ければいいのかなぁ」

「何の話をしてんだよ。……それで、どうせ横で話聞いてたんだろ? 何か心当たりはないのか?」

「ん……」

 

 

 バクダンが顎に手を当て、考え込むような仕草をした。

 

「革命ねぇ……。私の作った爆弾の中にそんな都合の良い物はあったかな……」

「何かこうさ。一気に吹っ飛ばすとか、特定の物だけ壊すとか、そんな感じの奴じゃないのか?」

「ふむ…………あっ」

 

 彼女が何かに思い至ったように、パッと顔を上げた。

 だがすぐに俯き、ブツブツと呟きながら再び考え込み始める。

 

「いやでもな……あれは……うーん……」

 

「何か思いついたのか? 別に外れててもいいからさ」

「あー……まぁ、そうだなぁ。多分そんな奴らが使うとしたら、私の()()()()で、元の世界での私の()()()()()で、私が()()()()にもなった……『MRK』の事かなぁ」

 

「M……RK?」

 

 マイクロボムとかリア充を焼き上げるのに最適な爆弾とか、そんな物ばかり作ってた彼女の作品にしては何か仰々しさを感じる名前だ。

 それに、バクダンの死因になった爆弾? 一体どれだけ危険な物なんだ。

 

「MRKを作ったのは、そして私が死んだのは、元の世界での冬の時の事だった……」

 

 

 

 

 

 

 

 ―――煌びやかなベルの音が街中に鳴り響く。往来は仲睦まじく腕を絡め合う男女が歩いており、少し陰になった路地裏では情熱的なキスをしている者もいる。

 

 今宵は大陸全土の人々が笑い合う感謝祭。

 遥か昔、この大陸に初めて人が上陸し、今日まで続く偉大な繁栄の一歩を踏みしめた事を祝う日だ。何百年も前から続く1年に1度の大きなお祭りの日であり、この日は大陸の全ての街で華やかな飾りつけがされる。

 超簡単に言えば、日高俊介の世界のクリスマスと同じノリの日だ。

 

 

 そんな楽し気な感謝祭の光から、少し離れた場所で。

 雪が積もった人の気配がない山の中で、狂気的な瞳を浮かべながら、1メートル×1メートル×1メートルの立方体の機械を弄っている女性がいた。

 

 

「ヒヒッ、リア充はみんな、みんな爆発しろ……! ううっ――へっくしゅんっ!!

 

 時折かじかんだ手を吐息で温めつつ、凍った鼻水を垂らすその女性は、天才爆弾研究者のベームフェルト……()()()()であった。

 

「クソクソクソ、みんな大学で真面目に研究に勤しむ私を蔑んだ目で見やがって……! 見ろよリア充ども、このMRKでみんなみんなチリにしてやる……!!」

 

 彼女が弄る機械には、MRKと掘られた鉄製のプレートが貼り付けられていた。

 

 バクダンが必死に弄っている爆弾の名は『()()()()()()()()』。

 それぞれの頭文字を取り、縮めてM()R()K()と名付けられたそれは、そのふざけた名前には到底そぐわないほどの恐ろしい性能と威力を持っていた。

 

 

 ―――MRK。

 設置した場所から半径百キロ以内が効果範囲。範囲もかなりの広さだが、この爆弾の最大の特徴は『()()()()()()()()()()()()』という点だ。

 例えば半径百キロ以内のネズミを指定したとしよう。すると、他の生物や物体には何の影響も及ばないのに、半径百キロ以内のあらゆる種類のネズミだけが体内から独りでに爆発するのだ。

 

 

「リア充を目標にセットして、みんな、みんな爆破してやる……!」

 

 バクダンはこの爆弾を用いて、半径百キロ以内のリア充を全て爆発させることを画策していた。

 

 

 ……ただ、今宵は珍しく雪が降るほどの寒さ。

 怒りと興奮で家を飛び出し、上下灰色のスウェットに白衣を纏っただけという、防寒の『ぼ』もない服装をしている彼女の体温は徐々に奪われていく。

 

「ふーっ、ふーっ……さ、さむい…………」

 

 カタカタと歯を震わせながらも、かじかんだ手でMRKの操作を続ける。

 ただ、このMRKという爆弾はかなりのじゃじゃ馬であり、作成者のバクダンですらその操作には難解を極めた。現在の世界の技術とは次元が違う超兵器なのだから、幾分か操作が複雑になるのは仕方ないとも言える。

 

 寒さで真っ赤にかじかみ、震える手では操作がおぼつかない。故にいつまで経っても爆弾のセットが終わらない。

 やがて限界が来たのか、思考が段々と回らなくなり、瞼が重くなる感覚が体全体を支配し始めた。

 

 

「う……。ねむい……だれか……ふとん……」

 

 やがて腕を上げ続ける体力もなくなり、眠気に支配された体を雪の中に倒れさせた。

 目の前には心血を注いで作り上げた自分の最高傑作の爆弾。

 

 それを見た記憶を最後に―――バクダンは意識を失い、積もっていく雪の中に自らと爆弾を隠れさせ、完全に凍死した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……とまぁ、こんな感じで私は死んだ訳でねぇ」

「お前馬鹿なの?」

 

 バクダンが死んだ際の話を聞いた俊介は、失礼だとか喪に服すとかそういう事が頭をよぎる前に、「何言ってんだこいつ」という言葉が頭の中を支配した。

 

「それは爆弾が死因とは言わねえだろ。爆弾を操作してて凍死しただけだろ」

「MRKの操作に手間取らなきゃ死ななかったんだから、実質死因じゃんか」

「そうはならん」

 

 目の前の爆弾狂いにため息を吐きながら、意味不明な話の内容を頭の中で纏める。

 

 効果範囲は半径百キロ、指定した物だけを爆発させる爆弾の危険性は頭の鈍い俺でも流石に分かる。ちょっと離れた所から『総理大臣』とか『国会議員』とか指定して爆発させれば、それだけで政府の要人が全滅して国家転覆が成功する。

 これだけの超兵器を『リア充だけを爆破させたい』なんて欲求だけで作り出したバクダンの天才っぷりと狂気が少しだけ怖い。

 

 

 瞑っていた瞼を開き、目の前のバクダンを見る。

 

「とにかく、その……MRKってのが狙われてるって事だな?」

「そうだねぇ。我ながら、ここまでの爆弾は今後300年は作られないと思うよ」

「簡単に作られたら困るわそんなもん。半径百キロて、広すぎ……ん?」

 

 

 ふと、気づく。

 確か夜桜さんと初めて誘拐された後、物凄い勢いで紙に爆弾の設計図を描いたバクダンが、『100km死滅』という風な事を記していたのを思い出した。

 

「まさかそのMRKって、2ヵ月くらい前に図書室で紙に描いたアレ?」

「あぁ、そんな事もあったねぇ……。あの時は紗由莉とお前がリア充オーラを出し始めたから、さっさと爆発しろって意味で描いたんだっけかなぁ」

「…………」

 

 もう怒りを通り越して、呆れた感情しか内から湧き出てこない。

 俺より遥かに頭がいいはずなのに、なんでそんな設計図を突然描いたんだ? つかリア充オーラって何? そんなもの夜桜さんと出せる訳ないだろ勘違いも良いところだぞマジで。

 

 

 腕を組んでバクダンから視線を逸らし、窓の外を見る。

 見張りのニンジャが同じく見張りのハンガーに縄で首を絞められ、エンジェルに腹をボコボコに殴られているのが見えた。何やってんだあいつら。ニンジャ死ぬぞ。

 

 

 そんな風景を見ていると、彼女が頭をボリボリと音を立ててかきながら唸り声を上げた。

 視線を室内に戻し、彼女の方を見る。するとバクダンは唸り声を止め、言葉を紡いだ。

 

「ん~……でも不思議だねぇ。なんでその未来革命機関は私を狙い撃ちするんだか」

「……? そのMRKってのが欲しいからだろ? 滅茶苦茶に危険だけど、凄い爆弾だからな」

「そうさ、MRKは()()爆弾さ、ヒヒッ。でも私だってその危険性はよく理解してる、だからMRKの性能等の詳細はこの国のお偉い方にしか話していないんだ」

 

 

 …………?

 

 

「つまりどういう事?」

「ご察しの通り、私は()()爆弾研究者さ。でも正直、MRKを除けば、他の国認可の人格の方が凄い物を作ってる。私に賞金首掛けて狙い撃ちする理由がないのさぁ。

 

 だから未来革命機関がもし欲しがっているとしたら、私の秘匿しているMRK。だけど私は国の偉い奴とお前にしかMRKの圧倒的な性能の話をしていない。つまり?」

 

「……その機関は、国の偉い人が関わってるかもしれないって事?」

 

「可能性だけどねぇ」

 

 

 えっ、な、なんか話のスケールが大きすぎない……?

 一般男子高校生が関わっていいレベルを一瞬で凌駕してきたんだけど。

 

 

「ちなみに言っとくと、MRKの性能はともかく、設計図を見たことあるのは紗由莉とお前だけだから」

「は?」

「図らずとも私達の運命は一蓮托生さ、ヒヒッ。国の偉い方すら知らない兵器のレシピを知ってるなんて幸運だねぇ」

 

 

 こいつ何やらかしてくれてんだよ。

 つーかそんなもん初対面の俺の前で描くなよ。あの時夜桜さんが滅茶苦茶素早くバクダンを止めた理由が今分かったわ。

 

 

 バクダンの話のせいか、埃を吸いすぎたせいか、段々と頭が痛くなってくる。

 彼女は話を終わらせて満足したのか、体を一瞬硬直させ、夜桜さんに体の主導権を戻した。

 

 

「……ふぅ。日高君、どうだった?」

「MRKって爆弾の事を教えて貰ったよ……バクダンが死んだときの状況も」

「あー……。正直あの凍死の話は私もどうかと思うよ。えっとそれで、MRKの事と……それを国の偉い人しか知らないとか、そんな事もバクダンは話してた?」

「うん、言ってたよ」

 

 夜桜さんも、体を譲る前にバクダンと同じ答えに行きついていたのだろう。流石に俺とは地頭の出来が違う。

 

 

 彼女は図書準備室の中をグルっと見回した後、静かに言う。

 

「ここもいずれ掃除しなきゃだね。また使うかもだし」

「また?」

「うん、だって私達が卒業するまであと1年以上あるからさ。せっかくこんな立派な防音加工もされてるし」

「?」

 

 確かに防音加工が施されているのは分かるが、それがどうしたと言うのか。

 流石に卒業するまでにはこの問題は終わらせるつもりだから、ここでこんな風に隠れて話をする機会は余りないだろうに。掃除をする方がメリットが極薄だ。 

 

 ……掃除好きなのかな?

 

 

 

 微かな疑問を残しながらも、扉の鍵を開け、廊下に出る。人影は見えない。

 昼休みが終わるまで残り10分ほど。俺が少しだけ時間をずらして教室に戻れば、まさか夜桜さんと2人で話していたとは誰も思うまい。

 

「じゃあ夜桜さん、そこの廊下の曲がり角で二手に別れよう」

「うん。何かあったらまたすぐ知らせて」

 

 

 曲がり角の手前でそう話していた、直後。

 

 

 

「―――おや」

 

 

 

 廊下の先から、白衣を身に纏った猫背気味の女性が姿を現した。

 目の下にクマのある三白眼をギョロリと動かし、俺達の姿を見て、くつくつと口の中でハスキー声をかみ砕くように笑う。

 

「面白い組み合わせじゃないか。一体何をしていたのかな?」

「……榊浦、美優先生」

 

 授業以外では顔を会わせないように全力で避けていたのに、よりにもよって夜桜さんと2人でいるところを見られるとは。

 榊浦豊の方もそうだが、榊浦美優も一体何を考えてこの高校に来たのかさっぱり分からん。何か目的があっての事だろうとは思うが……。

 

 

 彼女がハスキーボイスを響かせながら、手に持つ紙束に視線を落として言う。

 

「…………そうだ。良い機会だから、もう教えといてあげようかな」

「何がですか」

「そう邪険にすることはないさ。来週の頭に予定されている、2年生全体での遠足の話があっただろう?」

 

 

 ……そういえば、そんなイベントがあった気がする。

 最近は色んな事が起きすぎてバタバタしていた上に、そんなイベントを一緒に楽しめる友達が校内にいないのですっかり忘れていた。

 

 

「その遠足の行き先が昼の会議で変更されたのさ。これを伝えるのは今日の帰りのSHRだけど……ま、誤差だろう」

「行き先が……変更?」

「そうだよ。場所は……ここさ」

 

 

 そう言って、彼女が紙束を手渡して来た。

 夜桜さんと一瞬視線を交わした後、紙を1枚めくる。そして、目を大きく見開き一瞬息が詰まるほど驚いた。

 

 

「なッ―――ここって、まさか」

「気が早いかもしれないけど、先に言っておいてあげようかな。

 

 

 ―――ようこそ、私達の()へ」

 

 

 

 紙を捲った先に大きくプリントされていた、白黒の四角い建物の写真。

 そこは夜桜さんや俺だけでなく、この学校の誰に聞いても『知っている』と答えるほどに有名な施設だ。

 

 

 

 「――――さ、『榊浦精神科学研究所(さかきうらせいしんかがくけんきゅうじょ)』……!」

 

 

 

 榊浦親子率いる、浮遊人格統合技術を開発したチーム。

 

 そこは、そんな悪魔達が平然と巣食う――――世界を変える技術を作った狂人が集う()()()であった。

 

 

 

 







Tips

~MRK(マジ・リア充・キラー)~

 設置場所から半径100キロ以内の指定した物だけを爆破させる、1m×1m×1mの立方体型の爆弾。重量は約100キロ。
 物体だろうと生物だろうと指定した物だけを跡形もなく吹っ飛ばすので、仮に戦争時に『敵国の兵士』と指定して爆発させれば、無傷で半径百キロ以内を占領出来るというぶっ壊れ爆弾。

 果たしてこれを爆弾の定義に入れていいかは怪しい。
 だがバクダンはリア充を爆発させるという執念だけで爆弾を作り続けていたので、建物や非リア充は無傷のままリア充だけを爆発させるこのMRKを『究極の爆弾』と自ら豪語して憚らない。




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#50 尖りすぎてました(実体験)

 

 

 

 

「…………」

 

 遠足のしおり。

 榊浦美優から行き先を告げられた後、帰りのSHRで渡された冊子だ。

 

 

 自室の机の上に広げたしおりには、ハッキリと行き先が『榊浦精神科学研究所』と書かれている。

 それを何度も見返して……ふーっと溜め息を吐いた。

 

「いやこれ、どう考えても怪しいよなぁ……」

 

 

 この研究所は非関係者が絶対に中に立ち入れない事で有名だ。

 マスコミが正規の手段、非合法な手段を用いて何度も中に入ろうと試みたがすべて失敗に終わっている。その為に研究所の外の情報は大量にあるにも関わらず、中がどうなっているかは全く分からない。

 

 入れるのは浮遊人格統合技術の研究チーム、研究協力企業の役員、後は榊浦親子の認めた人物のみ。

 研究所に必要な物の搬入ですら、研究所の外に一旦物を置き、それから無人機械で中に運ぶという徹底ぶり。

 

 

 そんな厳重に秘匿された場所に、普通の高校の2学年が遠足?

 どう考えてもなんかあるだろ。露骨すぎて逆に吃驚する。

 

 

「滅茶苦茶行きたくないけど……。でもなぁ、これがもし夜桜さんを狙った物だとしたら……」

 

 夜桜さんとバクダンなら大体は何とか出来るだろうが、例外という物はある。

 もし人格犯罪対処部隊クラスの人物が夜桜さんに襲撃を仕掛けたら流石に厳しいだろう。ダークナイトがおかしいだけで、あの3人は全員強い。

 

 

「…………はぁ~……」

 

 深い疲れの混じったため息が口から漏れた。……最近、面倒事ばかりで嫌になってくる。

 

 俺は殺人鬼の人格が中にいるけど、平穏に暮らしたい……。

 いや、人並みの人生を生きるのが精一杯のスペックしか持っていない一般男子高校生なのだ。

 

 決して降りかかる事件を鼻で笑い飛ばしながら解決しまくる超スペックの持ち主ではない。怖い物は怖いし、痛いのも苦手だ。

 

 

 しおりをもう一度見直し、『準備物』と書かれた欄を発見する。

 行き先が怪しい研究所とはいえ一応遠足なのだから、そりゃあ準備も必要か。

 

「鞄、ペン、メモ帳……メモ帳?」

 

 よくよくしおりを読み返すと、研究所内で感じた事をメモし、後に感想文を書けとの事らしい。社会見学か? いや遠足で研究所も中々おかしいけど。

 

 

 まあ、部屋の何処かにメモ帳の余りがあった気がする。

 机の上を探すが、見当たらない。3つある机の引き出しを上から順に開いていき、一番最後の引き出しを開いた時。

 

 

「―――あっ」

 

 目当てのメモ帳―――その上に、1枚の懐かしい写真が乗っていた。

 メモ帳と一緒にその写真を取り出し、手に持って見つめる。

 

 

「なっつかし~……。これ撮ったの、確か10歳の頃だっけ?」

 

 それは昔、スマホで撮影した物をネットで依頼して現像した写真だ。

 夜の黒と夕日の寿が混じり合う紫色の空、眼下に広がる無数の明かりが灯った街をバックに、10歳の俺がたった1人で笑いながら写っている写真。一体どこに行ったのかと思っていたが……こんな分かりやすい所にあったのか。

 

「…………」

 

 この写真を撮った場所は、夜桜さんを見つけたあの山の上の神社だ。

 浮遊人格統合技術の注射を受けて一ヵ月ほど……俺が殺人鬼達全員にハンガーやサイコシンパスというあだ名をつけた日の写真である。

 

 

 椅子から立ち上がり、ベッドの下にある引き出しを開ける。

 ずっと前に100円ショップで買った木の写真立てを取り出し、その中に写真を入れ、机の上に置いた。

 

 

 数秒だけ写真立てを眺めた後、大きくあくびをする。

 

「とりあえず、さっさとマトモに歩けるくらいには体治すか……」

 

 その為には体力を消耗させず、とにかく眠って眠りまくるしかない。

 まだ午後8時にも関わらず布団の中にくるまり、瞼を閉じ、10分もしないうちに寝息を立て始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……懐かしいな』

 

 月明りだけが差し込む、俊介の部屋の中。

 ヘッズハンターが机の上に乗った写真立てを指でさすりながら、静かに呟く。

 

『この頃は全員尖ってたもんな。なぁ、キュウビ?』

『チッ。それを言うなら貴様も大概尖ってたじゃろうが、ヘッズハンター』

 

 いつの間にか、俊介の部屋には半透明の殺人鬼達が全員揃っていた。

 全員がその写真立てを見て、少し苦々しそうな顔をしている。

 

 

『もし今あの頃に戻れたとしたら、私は今すぐ自分を殴り殺すでしょうね』

『……そこまではしないが、まぁ、自分を諫めはするかもな』

 

 エンジェルとガスマスクがそう言葉を続ける。

 

 

 

 

 

 ―――今でこそ殺人鬼達は皆、俊介に信頼を寄せて力を貸している。

 

 だが忘れてはいけない。

 彼らはみな……元の世界で史上最悪と呼ばれた殺人鬼なのだ。

 

 

 俊介がちょうど10歳になってすぐ受けた浮遊人格統合技術の注射により、彼らが俊介の中に入ってきた時。

 

 その時はまだ―――元の世界での殺人鬼としての狂気を、彼らは完全に残していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――― 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――7年前。

 日高家が住まう市の施設の一室にて。

 

 

 

「俊介! 俊介!! 大丈夫!?」

「これは……蘇生に失敗したか? 運がないな」

 

 左手に指輪を付けた母親らしき女性が、突然倒れた小学生ほどの男児に近寄り、体を抱きかかえながら叫んでいた。

 注射器を持った眼鏡の男は冷静に呟きながら、傍にあったパソコンにカタカタとデータを打ち込む。

 

 

 大事な息子が倒れたというのに、肝心の目の前の男は心配の声すら出さない。

 彼女は怒り狂った表情で男に掴みかかった。

 

「これはどうなってるんですか!! 俊介は、俊介が!!」

「申し訳ありませんが、処置のしようがありません。この書類に記入をお願いします」

 

 男が差し出した書類を見て、母親は怒りが頭の限界にまで達した。

 その書類には大きく―――『()()()』と書いていたからだ。

 

 

「そちらにサインして頂ければ、後日国から三千万ほどの見舞い金が届きますので」

 

 

「―――ふざけるな、このクソ野郎!!」

 

 

 彼女は男の頬を思いきり、右の拳で殴りつけた。彼は座っていた椅子から転げ落ち、地面に這いつくばる。

 その後、必死に俊介と呼んでいた男児の体を抱えて部屋から出ていった。

 

 

「あっ、待ってください! これを書かないと―――

 

 ――――チッ。思いっきり顔面殴りやがって、クソババアが。……まあ息子が死んだって自分で納得出来たら、勝手に死亡届出すだろ。さー次々」

 

 

 男は母親が声が聞こえぬほど遠くに走り去ったのを見届け、悪態を吐く。

 誰にも聞こえていないと思われたその声を―――しっかりと聞き届けていたのは、13人の半透明の人影。

 

 

 

 

 

 翼を背中から生やした全体的に白い大女が、彼の頭を右手で握りつぶそうとして、空を切る。

 何も掴めなかった自身の右手を数秒見つめた後、自分と同じく半透明の12人の方を向いた。

 

『…………おい、誰かこの意味不明な状況の事情知ってんのか。話すなら殺さないでやる』

『黙れ変態イカレ女。そのうるさい口ごと頭を斬り落とすぞ』

『あぁ?』

 

 白い大女が、壁に背を預けていた黒いコートの青年の前に移動する。

 それを見た2メートルの黒い鎧が、興奮したように動き出そうとして。

 

 

『――――!?』

 

 

 突然、半透明の13人全員が不可視の硬い壁に吹っ飛ばされた。

 それは後々、俊介が100メートルの射程範囲の壁と呼ぶもの。母親が車に俊介を乗せて急に移動し始めた事で、不可視の壁が一気に動いたようだ。

 

 だがそんな事情を異世界に訪れたばかりの殺人鬼達が知る由もない。

 

 

『なになに!? 何なの!? 助けてお兄ちゃん!!』

『チッ……よく分からねえけど、さっきの子供が関係してるっぽいな……!』

 

 黒髪の人形を抱えた少女と青い髪の作業服を着た少年が戸惑いながらも、不可視の壁に巻き込まれる。

 

 

『ギャーッハッハッハッフ!!!』

『何だあいつは……化け物か……?!』

 

 大声で笑いながら、空中に足場を作って素早く飛翔する黒い鎧。その様子を見ていた魅惑的な声を持つ男性は、思いっきり壁に巻き込まれた。

 

 

 他の殺人鬼も各々様々な反応を見せながら、次第に壁に巻き込まれる。

 途中信号で車が止まり、壁が止まったりもしたが、すぐに再び動き始めた。最初の一回以外、最後まで壁に触れずに移動し続けたのは空を飛ぶ黒い鎧だけだった。

 

 

『…………っ、ああ!! んだよさっきのは!! 腹立つぜ……全部燃やしちまいたいくらいによ!!』

『はん。愚鈍な間抜けが騒ぐ声を聞くと、こっちの脳みそまでおかしくなりそうじゃ』

『んだと……? てめェ喧嘩売ってんのか、コラ』

『喧嘩とは対等な人間同士で発生するものじゃろう? 貴様とわらわが戦っても一方的な蹂躙にしかならぬぞ? 分かったらさっさと首を掻き切って自害しろ、それが嫌ならわらわが直々に毒を口に流し込んでくれよう』

 

 赤い髪の女と金髪に扇子を構えた女が睨み合う。

 それをきっかけに、先程不可視の壁に巻き込まれ続けた苛立ちもあるのか、殺人鬼の一部が暴れ始めようとした時。

 

 

 

 殺人鬼達の耳に、女性の甲高い声が届いた。

 

 

「ああ、俊介! 大丈夫?! 何処か痛いところはない!? ……そう、無事で本当によかった……!!」

 

 

 13人は一斉に声のした方を向き、すぐさま移動する。

 そこには一軒家の前に止めた車の側で泣きじゃくる女性と、その女性の腕の中で苦しそうにしている男児。

 

 間違いない。

 さっきおかしな部屋で意識を取り戻した時、そこにいた女性と男児だ。

 

 それに腕の中にいる男の子の方は、自分達を怯えた目で見つめてきている。

 

 

『…………』

 

 殺人鬼達はこの意味不明な状況を理解するために、その男児――――日高俊介の元へと向かった。

 

 

 

 






Q.殺人鬼のみんな全体的に性格おかしくない?
A.尖ってます。


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#51 悪人's

 

 

 母親の中に抱かれる男児。

 それを取り囲む、13人の半透明の人影。

 

 

『……おい、私らの事見えてんだろ? 何とか言えよガキ。じゃねえとこの女の頭握りつぶすぞ』

 

 白い大女が右手を母親の頭に近づける。先ほどの白衣を着た男の頭に触れなかったため、これは半ば冗談めいた脅しのようなものだ。だがもし触れることが出来たなら、今すぐにでも潰していただろう。

 

 

 平和な暮らしでは絶対に感じる事のない、濃密な殺意の籠った視線に男児は怯えて声も出せそうにない。

 

 そんな状況を見かねたのか、ガスマスクを付けた男が白い大女の側頭部に銃を突きつけた。

 

『お前、この何もかもわからん状況で重要人物を脅してどうする。頭が回らないのか?』

『あぁ? ……ぷっ、ハハハハ! そんな小さな豆鉄砲で私を殺せると思ってんのかよ?』

『試してやろうか。動きが予想しやすい人型な分、B兵器よりは楽そうだ』

 

 

 2人がお互いの方を向き、視線を交差させた。

 ―――その瞬間。

 

 少し離れた所に立っていた黒い鎧が突然動き出し、2人の顔面を両手で掴んで勢いよく投げ飛ばした。そのまま自身も地面を強く踏み込み、あっという間に数十メートル先まで投げ飛ばされた2人に追いつき、地面に叩き落とす。

 

 

 乱立する民家に阻まれて一体何がどうなっているかは見えないが、地面をハンマーで叩きつけるような轟音だけは聞こえてくる。

 音の方向を数秒眺めていたが……やがて全員が男児の方に視線を向け直した。

 

 

 だが殺人鬼達が何かを言う前に、母親が心配そうな声色で問いかける。

 

「そういえば俊介、あのクソ注射の為に午前中はお休みしたけど……午後の小学校もお休みしよう? すぐ連絡入れるから、ね?」

断れ

 

 殺人鬼の1人―――のちにマッドパンクと呼ばれる彼が、俊介と呼ばれる男児にすぐにそう言った。別に苛ついたからとかではなく、キチンと考えた上での言葉である。

 自分たちの状況を理解するには情報がいる。重要人物は目の前の男児。だが母親が邪魔で話が聞き出せない。

 

 だが学び舎に向かうという名目ならば、怪しまれずに母親から遠ざける事が出来る。

 故に彼は、その小さな身長で更に小さな男児を思い切り脅しつけたのだ。傍から見れば実に大人げない光景である。

 

 

「……ぅ、学校……行く……」

「えっ……今日は本当に無理しなくて大丈夫だからね? 明日は土日だし、ゆっくり休もう?」

断れ

「学校、行くから……大丈夫……」

 

 

 そう言うと、俊介は母親の腕から抜け出し、家の中から黒いランドセルを背負って外に出てきた。

 その様子を見た彼女は心配そうな表情を浮かべた後、「体調が悪くなったらすぐ戻ってくるように」とだけ言いつけ、俊介を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――

 

 

 

 

 

 

 

 暫く歩き、家の近くにある公園まで辿り着く。

 小学校まではここから徒歩10分の距離にあるので、幾分かこの場所で時間を潰したとてさほど問題ないだろう。

 

『……さて、まあここら辺でいいだろ。この状況は一体どういう事だ?』

「…………っ!」

 

 俊介は背負っているランドセルを外し、中から一枚のプリントを取り出す。

 それを目の前の半透明の人物達に、少し震えながらもよく見えるように突き出した。

 

 

『何だこりゃ。……『浮遊人格統合技術のお知らせ』?』

 

 カラフルな文字とイラストがふんだんに使われたそのプリントは、如何にも子供の目を惹きそうな作りだ。

 この世界の言語を知らないはずの殺人鬼達だが、なぜか文章の内容を理解する事が出来る。

 

 ……だがそこに書かれていた事は、倫理観が極限まで薄れた殺人鬼達でも少し正気を疑う内容であった。

 

 

 『10歳の節目を迎えた大人のみんなに、新たなお友達を迎えよう!』と大きく書かれたプリント。

 その下には黒い文字で『異世界で死亡した人格を体に宿らせる』等の浮遊人格統合技術についての詳しい説明が書かれていた。が、その詳細な説明には、わざと子供には分からないように難しい文字や表現を使っているのが感じ取れる。

 

 

 

 

 そのプリントの内容で殺人鬼達は自身が置かれている状況の凡そは理解できた。

 既に自分達は死んでいて、異世界に生きる目の前の少年に引き寄せられたという事。今の状況は、簡潔に表すと()()()()()()ような物だと。

 

 

 しかし、納得できるかといえばそれは全くの別物である。

 

『……馬鹿らしい。結局の所、俺達は死んだんだろ? それに、物に触ることも出来ないから人も害せない……ご都合的な展開だな』

『同意見だ。僕の世界の風景と全く違うし、しっかり死んだ記憶もあるから、一応信じたけど……。正直電脳世界上で犯罪者の更正プログラムを受けさせられてるって方が納得できるね』

 

 やさぐれた様子の黒コートの男と、作業服の男がぶっきらぼうにそう言った。

 そのまま2人は呆れたように俊介から離れていく。

 

『……何処へ行くでござるか?』

『一度死んだんだから、何しようが勝手だろ? ……今更何かする気もないけどな』

 

 そう言って姿を消す。

 俊介から100メートル以上は離れられないのだが、いずれ気付くだろう。それに100メートル以内でも十分人目の付かない所まで離れられる。

 

 他の殺人鬼達も少しだけ悩んだ後、各々離れることを決めた。

 元々話を聞くために目の前の男児の元に集まったのであって、それが終わればここに留まり続ける理由もない……という訳である。

 

 

 

 

 

 ぞろぞろと彼らが好き勝手に離れていき、最後に残ったのは。

 

『あら~。なんかよく分かんない事になっちゃったわねえん』

「…………」

 

 カラフルな色の服に身を包んだ、やたらと体をくねらせるおかま口調の男だった。

 彼は俊介の顔の前にしゃがみこみ、何も持っていない事を示すために顔の前で両手をパッと開く。

 

『え~っと、俊介ちゃん? お姉さんはコックさんなの。美味しいお料理作れるのよ~』

「お姉さん……?」

おう、何処からどう見てもお姉さんだろ

 

 思わず声にドスを利かせるが、『こほん』と咳払いする。

 

『私の事は『()()()』でいいのよん。孤児院の子たちにもそう呼ばれてたしねえ』

「……日高、俊介です」

『まっ、とっても礼儀正しいわ! 素敵なお名前を教えてくれてありがとうね。これからよろしく、日高俊介ちゃん』

 

 

 コックと名乗る彼は俊介の頭をなでようとするが、半透明の手は俊介の頭をすり抜ける。

 俊介はすり抜けた手を怯えた目で見つめつつ、コックに怯えた声を向けた。

 

「ゆ、幽霊なの……?」

『う~ん。さっきの文章が本当なら、私は俊介ちゃんに宿る人格って事らしいけど……幽霊と言われたらそうな気もするし……。幽霊は苦手?』

「苦手……です」

『なら私は幽霊じゃないって事にしましょう! お姉さんは俊介ちゃんにしか見えない()()()、これで良いかしら?』

 

 そう言って、コックが優しく微笑む。

 そんな彼の陽気さに当てられたのか、俊介の怯えた表情が和らぎ始めた。

 

 先程殺人鬼達に見せたプリントをランドセルの中に仕舞い直し、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

「……小学校、行かないと」

『お勉強する場所ね。読み書きと算術……算数は割とマジで出来た方がいいわよん』

「もうできます」

『嘘でしょ? 私は覚えるの結構苦労したのに。これが異世界……素敵ねん』

 

 俊介はまだ少し消しきれていない怯えを心中にしまいつつ、横に付き添うコックと共に小学校へと徒歩で向かった。

 

 

 

 

 

 

 そんな2人の様子を、少し離れた塀の影から伺う半透明の人影が1つ。

 狐目の人を狂気に陥れる美貌を持った女性が、片目だけでじっと俊介たちを見つめていた。

 

 

『……全く意味が分からん状況じゃ。じゃが……わらわの首は確実に飛んだ、死んだことは間違いない。

 分からない事尽くしではあるが、あのガキが重要であることは流石に理解できる。いざと成れば…………』

 

 彼女は瞳に力を込め、魅了の術を発動させる準備を行う。

 もう少し時が経ち、自身の置かれている状況が完璧に理解できれば、あの俊介なるガキを傀儡にするのは非常に良い一手だろう。

 

 先ほど出会ったばかりの子供に情けや優しさを見せる程、彼女はマトモな倫理観を持っていなかった。寧ろ弱い方が悪いと全力で食い物にする性根の持ち主なのだ。

 

 

 

 

 ――――だが。

 

 

 

 そうやって碌でもない事を考えている輩の下には、碌でもない事態が集まりやすいわけで。

 

『……ん?』

 

 背後から何か、ゴォォォオと空を切るような音が聞こえ、不審に思いながら振り返る。

 瞬間、振り返った彼女の顔面と腹部に何かが鋭く衝突した。黒い鎧が全身ズタボロにした半透明の人間2人を面白半分でぶん投げたのだ。運悪くその先に彼女が居たという訳である。

 

 

『うごぉぉおおお!!?』

 

 思いきり吹っ飛ばされ、コンクリートの地面の上を滑っていく。

 彼女はそのまま監視していた俊介とコックの2人組の前方まで滑っていき、潰れたカエルのように地面に這いつくばりながら、ピクリとも動かなくなる。

 

 

 

 

「…………あの」

 

 突然目の前に現れた、倒れ伏した半透明の女性。

 俊介は怯えながらも声を掛けようとしたが、コックが口を一文字に結びながら横に顔を振る。

 

『怪しい人とは関わっちゃ駄目よ』

「……」

 

 その言葉は確かに正解かもしれないが、少なくともお前が言う事じゃないだろう。

 俊介は内心でそう思いながら、地面の女性をまたいで小学校への歩みを再開させた。

 

 

 

 

 





超絶難産でした。遅くなって申し訳ありません。
4月に入ったら更新がかなり難しくなるので、なるべく早く進めたい所です。


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#52 悪人へ返ってくる物

 

 

 

 ―――小学校。

 

 俊介の家から歩いて15分ほどの場所にある、アパートや一戸建てが乱立する住宅街に囲まれているその学校。

 浮遊人格統合技術の注射を受けさせる子供の数を増やす為、国が少子高齢化対策に大きく力を入れた結果、一昔前よりも出生数が増加している。

 

 小学校の生徒数は平均約300人……。それよりも遥かに増加した500人の生徒数を収容するために、現校舎に併設するように新校舎が建設されたばかりだ。

 

 

 俊介はその新校舎の方に入り、自身の教室へと向かう。

 運の良い事に、ちょうど3時間目と4時間目の休憩時間だったらしい。大遅刻からの登校にも関わらず、誰にも注目されることなく自分の椅子へと着席する事が出来た。

 

 

『…………』

 

 コックは誰とも話そうとしない俊介の様子を見ながら、教室後方の壁に背を預ける。

 するとすぐに、黒板の上の見慣れない四角い物……コックの世界ではまだ一般的に普及していなかった機械という存在、スピーカーから授業開始のチャイム音が鳴り響いた。

 

 その音を機に、教師が教室の中に入ってくる。

 

「……えー。この時間は『道徳』をやっていきたいと思います」

 

 道徳。

 一瞬どんな授業かと考えたが、生徒達が開き始めた教科書を覗き見るに、人間としての善い考え方や倫理観を養う授業のようだ。

 

 そして教師によって朗読され始めたのは、特筆する所もない、何処にでもあるような童話。

 お爺さんとお婆さんを傷つけた悪い狸を、通りすがりのウサギが懲らしめるという話だ。

 

 

 

「とても有名な話なので知っている人は多いと思います。……では、この話で一貫して書かれているテーマは何だと思いますか?」

 

 生徒達は真面目に考える者が三割、面倒臭そうにしている者が七割と言った感じだ。

 まあ、仕方ないだろう。内容を既に知っている低年齢向けの童話など、小学四年生にとっては眠気を誘って仕方ないほどに退屈なのだ。

 

 

 教師は教卓の上の名簿を一瞬見た後、一番先に目に付いた人物の名前を言う。

 

「じゃあ……日高君! 教えてくれるかな?」

「えっあっ、はい」

 

 俊介が指名され、ゆっくりと立ち上がる。

 恐らく遅刻の印が名簿に付けられていたのが目に付いたのだろう。

 緊張からか多少息を荒くしているものの、呼吸を深くして気持ちを落ち着け、ハッキリと言った。

 

 

「悪い事は、返ってくる?……だと思います」

「はい! その通りです。ありがとうございました、日高君」

 

 俊介は少し照れ臭そうに椅子に座り直した。

 彼が着席したのを見届けた後、教師が教室を見回しながら話す。

 

「狸がお爺さんとお婆さんを傷つけ、その2人に頼まれたウサギが狸を懲らしめた……。悪い事は返ってくる、これを『因果応報』と言います」

 

 教師がカリカリと黒板に()()()()と書く。

 

「この言葉はとても簡単に言うと、この話の狸のように悪い事をしたら悪い事が返ってくる。そういう言葉ですね」

 

 

 静かな教室へ彼が諭すように話しかけ続ける。

 

「皆さんは今小学生で、これから中学生、高校生、大人へと成長して行くと思います。

 『因果応報』……。悪い事をしたら悪い事が帰ってくる、これだけ聞くと怖い言葉に思えるかもしれません。

 ですがこれは、逆に、良い事をすればそれだけ良い事が返ってくるという事でもあります。

 

 皆さんも普段から良い事をするように心がけて置いてください。そうすればきっと、いつか良い事が返ってくるでしょう」

 

 

 

 ―――と。

 

 

 教師がそこまで言い終わった瞬間、授業終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。

 4時間目が終わり、次には給食の時間が来る。生徒達が続々と給食の準備をする中、緊張が祟ったのか尿意を催した俊介が廊下に出る。

 

「トイレトイレ……」

 

 そう呟きながら教室後方の扉を開ける。

 すると、扉を開けたすぐ右側。教室内からは死角となる所に幽鬼の如く佇む、半透明の黒いコートの男が居た。

 

 彼は俊介の顔へゆっくりと視線を落とし、静かに言う。

 

 

『……まぁ、まずはそこを退いたらどうだ。扉の前で立ってると迷惑だからな』

 

 明らかに怪しい男からぐうの音も出ない正論が飛び出すギャップ。俊介は困惑しながらも扉の前から移動する。

 教室内からコックも出て来て、黒コートの男の姿に少し目を見開いていた。

 

『あら。さっきの……何の用かしら?』

 

 コックが少し鋭い視線と共に、男に問う。

 彼はその言葉に苦悩するような表情を浮かばせたまま、ふーっと深い息を吐いた。

 

 

 そして、俊介の方に軽く頭を下げる。

 

『その……何だ。さっきはすまなかった、と思ってな。色々あって気が立ってたんだ……』

「あ……いや、その。大丈夫です」

 

 つい1時間ほど前、他の面々と共に黒コートの彼が俊介に向けた辛辣な言葉と態度。

 今思い返せば、小学生相手に向けていい物ではなかったと思い返し、謝罪に来たようだった。

 

『俺の名前は―――いや、いいか』

「? どうしてですか?」

 

 俊介は周囲の様子を伺いながら、そう小声で言う。

 男は俊介と、いつの間にか教室から出て来ていたコックの方を向いて静かに言い放った。

 

 

『さっきの授業は聞いてたろ? 悪人には悪い事が返ってくるって奴さ。

 もしここに()()()()()()()()が居て……跳ね返って来たとびっきりの悪い事に自分も巻き込まれたりしたら嫌だろ?』

『…………』

 

 それは一見。俊介に語り掛けているように見えて、その実。

 彼の背後に居る、自分と同じ人殺し……それも生半可な人殺しではない、最悪の殺人鬼の一人であるコックに向けて言っていた。

 

『危険な奴、物事とは関わらない。それが大切なんだ』

「……それって、つまり……」

 

 だが、男のその言い方は流石に露骨すぎたようだ。

 俊介は前後を挟む半透明の人間2人が善良な人間ではなく、むしろ悪辣な人間……話に出たような『()()()()()()()()』である事に薄々と勘づいてしまった。

 

 

『俊介ちゃん。私達、ちょっと離れてるわね』

 

 コックは少し顔を逸らしながら、壁にもたれかかる黒コートの男の肩を掴み、廊下の奥へ歩いて行く。

 その様子を見て俊介は、何か言おうとしたものの、言葉を口に出す事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この辺りでいいかしら』

 

 コックがそう呟いたのは俊介の教室のある階から1つ上がった所にある廊下の突き当りだった。

 一番近くの部屋は家庭科室で、特別な授業がない限り生徒も人もいない。雑音が混じらず会話をするには最適の場所だ。

 

 

『一応言っとくが、何かするつもりなら容赦しないからな』

『するわけないわよ。そもそも貴方、私よりどう見たって強いでしょう』

 

 コックの言葉に、黒コートの男がふんと鼻を鳴らす。

 両方とも殺人鬼である事に変わりはないが、その身体能力には大きな差がある。コックは目の前の男に手も足も出ないことが感覚的に理解できていたのだ。

 

『……まぁ、何となくは分かっていたわ。私も貴方も、いや、あの時あそこにいた全員……』

()()()だ。それも数人殺した程度じゃあない、数十人か数百人、もしくはそれ以上……まぁ俺も同じだが』

『貴方は何人なのかしら?』

『最後に見たニュースじゃあ……700人とか言ってた気がするな。その2日後に死んだから、大体そんくらいだろ』

 

 700人を殺した。

 20歳も超えていない青年がそんな事を言えば、普通ならホラ話だと笑い捨てられる。

 

 だがコックはそれを真実だと信じた。

 数は少ないが……自分もまた、常識では考えられない数の人間を殺していたからだ。

 

『私は……138人よ』

『正確だな。そこまで殺せば、段々感覚が麻痺してくるもんだが』

『殺して終わりじゃなかったから。……全員捌いて食べたのよ』

 

 何処で殺したのか。

 何で殺したのか。

 どの部位が一番硬かったのか。

 一番血が噴き出したのは何処か。

 

 まな板の上で捌き、調理し、食卓に並べ、子供達の胃袋の中へ届ける。

 

 人一人に対しそれだけの手間を掛けたからこそ、コックは殺した人間の数や特徴を正確に覚えているのだ。

 

 

『……自分では食わなかったのか?』

『ええ』

『そうか。……お前の世界では、人殺しは、理由があれば許されるような行為だったのか?』

 

 その言葉に、コックが首を横に振って答える。

 

『どんな理由があっても許されない、悪い事よ。人殺しが悪い事じゃない訳がないわ』

『……そうか。じゃあ尚更、自分で分かってんだろ? 俺達は、あの俊介って子に()()()()()()()()()ってな』

 

 心に突き刺さるような言葉。

 コックが思わず目を逸らす。

 

 

 生前、彼は子供好きであった。

 それが高じて孤児院の料理係となり、いつしか子供達からコックと呼ばれるようになった。

 

 しかしコックの生涯は、孤児院の子供達に背後から刺されることで終わった。

 人を食べさせていたのだ、それを知った子供達が自分を殺す程の恨みを持っても理解はできるし文句はない。いつかは起こる事だと覚悟もしていた。

 

 そう、覚悟は出来ていたはずなのだ。

 だが……いざそうなると、上手く納得できないのが現実だった。覚悟が出来た()()()にすぎなかったのである。

 

 

 子供好きのコックは、俊介を無意識のうちに孤児院の子供達の代わりにしようとした。甲斐甲斐しく世話を焼こうとした。

 

 しかし俊介にはきちんとした親がいる。

 家も、学び舎も、温かいご飯もある。

 

 ほんの少しの間しか一緒に居なかったが、最初から。

 俊介には自分が必要なかったのだと分かったのであった。

 

 

『……分かってたのよ、最初から。どんな理由があってももう子供とは関わるべきじゃない、貴方たちのように何処かへ行くべきだった……ってね』

 

 2人はそれぞれの世界で史上最悪の殺人鬼とまで言われた存在だ。

 一体どんな理由があろうと、大量に人を殺したし、そのせいで何処か倫理観や常識がおかしくなっているのも事実。

 

 そんな存在が無垢な子供と関わり続ければ、どれだけ歪んだ成長を遂げるか分かったものではない。

 故に関わらない。それが殺人鬼でありながらもある程度の良心を持った2人が導き出した結論であった。

 

 幸い、ある程度の距離までは離れられるわけだし、透明な壁のある近くまで離れれば関わる事もないだろう。

 それでも無理だと言うのならば……自分の首をかっ切るだけだ。何度も死ぬ感覚を味わうのは気持ち悪いが、出来ないという訳でもない。

 

『暫くはここで休むか……』

『そうね』

 

 密かな決意を固める両者。

 

 

 

 ―――そんな、2人の会話を密かに盗み聞きする怪しげな男が1人。

 奇々怪々、原理不明の方法で外壁に張り付くその黒装束の男は、壁にガラス製のコップを当てて中の会話を聞いていた。

 

『忍法・盗聴……!』

 

 無論、小学校の建物の壁に使われるような分厚いコンクリートを壁に耳を当てた程度で聞き取れるわけはなく、事前に仕込んだ盗聴器で中の会話を聞いているだけだ。

 コップは雰囲気づくりである。

 

『ふむ……。拙者の忍スピリッツが、ここで場を面白く引っ掻き回せと叫んでいるでござる。はてさて、どうしたものか』

 

 この黒装束の腐れ忍者には良心が欠片もない。

 徹頭徹尾自分が楽しければOKという、中の2人とは比較にもならないクソ外道である。

 故に、子供の俊介に自分達悪人が関わると悪影響とかの細かいことは毛頭考えていない。

 

 

『……ん?』

 

 ふいに、別の所から仕掛けた盗聴器から妙な声が聞こえ始めた。

 少し離れた所ゆえに電波が届きづらいのか、声に雑音が混じってよく聞き取れない。仕方なく外壁に四肢をくっつけながら移動し、妙な声のする盗聴器の場所まで移動する。

 

 場所は校舎裏。校門から遠く、道路からはコンクリートの塀で見えず、大した物もないので人はあまり来ない。

 人目に付かせたくない行為をするなら最適の場所である。

 

 そんな日の光すらマトモに届かない校舎裏で。

 

 

「ふーっ……ふーっ……」

 

 血に濡れた小学生の男の子が肩を荒くしながら、目を血走らせている。

 そんな彼の周りには、同じく血に濡れた小学生が4人ほど転がっていた。

 

『わお』

 

 肩を荒くしている小学生の血は、恐らく返り血。

 この血の持ち主は地面に転がっている小学生4人だろう。そして子供の体でこれだけの出血量、さっさと処置しないと確実に死ぬ。

 

「うぐぅぁぁあああああ!!!」

 

 血濡れの小学生は一番近くの窓ガラスを突き破り、校内へと無理矢理入って行った。

 途端に、校内に仕掛けた盗聴器から続々と悲鳴が聞こえ始めるようになる。小学生、小学生、小学生……その合間に男の教師の野太い呻き声も混じり始めた。

 

『……拙者が何かするまでもなかったでござるか……』

 

 突然狂暴化した小学生。

 原因は一体何なのかと考えながら、彼に続くように校内へと侵入した。

 

 

 

 

 

 

 





黒コートの男→ヘッズハンター
コック→クッキング
黒装束の腐れ忍者→ニンジャ

名前付ける前の話だから、名前使えなくて超書きづらい
整合性をちょっと無視してでも分かりやすさ重視で名前を使うべきか悩む


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#53 意味不明、しかし地獄

 

 

 

 俊介は給食を口の中に運びながら、考え事をしていた。

 その内容は勿論、今日の注射の時から現れ始めた透明な人間達の事だ。

 

 自分に打たれた注射が何か、ぼんやりとは知っている。

 浮遊人格統合技術が何か?を小学生向けに簡略化して説明する――実際には重要な部分が巧妙に隠された――授業を学校で受けたからだ。

 

 

 注射を受けた後、いきなりあの半透明の人物達が目の前に現れた。

 

 という事はつまり。

 あの十数人の彼ら彼女らが、()()()()()宿()()()()()……という事なのだろう。

 

 

(……どうしよう……)

 

 日高俊介は悩んでいた。

 浮遊人格統合技術によって人格を宿らせた者……()()()()

 

 人格持ちは、人格持ちであるという旨を国に報告せねばならない。

 しかし病院で注射を受けた時、突然目の前に現れた半透明の彼らを幽霊だと思い込んでしまい、恐怖で気絶してしまった。

 

 ……実際は幽霊だと思い込んだ恐怖に加え、死んだばかりで気の立っていた殺人鬼の気迫のせいで気絶してしまったのだが……俊介はそれを知ることはない。

 

 

 そうして次に目覚めると、家の前。

 母親は集まった半透明の彼らに気付くどころか、人格が周囲にいるかも?という事に思考を割いてすらいない。

 つまり母は、自分の息子が人格持ちになった事に気付いていないのだ。よって国への申請も済ませていないという事になる。

 

(国への申請を済ませてないと、違法とか、犯罪とか……そういう事になるのかな……)

 

 ただの小学生にとって、国の法を犯すという行為は途轍もなく恐ろしい物に思えた。

 ある程度度胸も知恵も付いた大人ならばこうも行かないだろう。年端も行かない小学生に浮遊人格統合技術を施す行為は、子供の犯罪への恐怖心を煽り、隠れた人格持ちをあぶり出す効果もあったのだ。

 

 

「…………」

 

 帰ったら、母親に人格持ちだと言おう。

 

 

 ――――そう思っていた矢先の事だった。

 

 

 

『大きな箱が1階、6年生の教室に届きました。先生方は受け取りに向かって下さい』

 

 

 意味不明な内容の放送。それにしては、やたらと切羽詰まった様子の声色だった。

 

「……?」

 

 普段聞き慣れない言葉の放送に、給食を食べていた教室内の小学生たちの手が止まる。

 実はこれは。校内に不審者が侵入した時、不審者に情報を与えないためにわざと内容をぼかしているのだ。

 

 大きな箱は不審者。

 1階、6年生の教室に届いたというのは、その場所に不審者がいるという事。

 

 

 しかし。

 避難訓練の時にしか聞かないこの放送。平凡に暮らす子供が、日常から非日常へと意識を即座に変えられる訳もなく。

 

 誰も状況を上手く把握できぬまま―――

 

 

「――――きゃぁあああああああああ!!!」

 

 

 階下から、女子生徒の悲鳴が教室に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『これは中々……』

 

 忍者は目に付いた人間を襲いまくる血みどろの小学生をこっそりと観察していた。

 爪と歯で人を裂き散らかすその姿はまさに獣。

 動きは荒いが、何十人の小学生や数人の成人した教師など相手にならない位に強い。

 

「け、警察に通報しろ!」

「もうしてます!!」

 

 今は体格のいい……おそらく体育教師の2人が椅子を持って応戦している。

 だが5秒も経たない内に片方の男の腕が深く裂かれ、鮮血が噴き出した。それに気を取られたもう片方の男も胸を深く裂かれ、地面に倒れる。

 

「ふしゅるるるるる………」

 

 彼は血に染まった廊下の中、火照った体の熱を逃がすように深く息を吐いた。

 

 ポリポリと頭を掻きつつ、忍者は考える。

 間違いなく、常人では相手にならない程にこの小学生は強い。しかし……どこか違和感がある。

 

 違和感の理由は何となく分かる。()()だ。

 明らかに相手に当たらない距離で腕を振るったり、地面に着地するタイミングを失敗して不自然に体勢を崩していたりする。

 素の身体能力が常人とは比較にならないため、それだけの失敗をやらかしてもそうそう負けはしないだろうが。

 

 

『まるで()()()()()()()()()ような動きでござ…………ん?』

 

 入れ物にでも入った……。

 子供の体……浮遊人格統合技術……子供にあるまじき身体能力と強さ……。

 

 

 忍者はうっすらと気付いた。

 子供の中に大人の体を持つ人格が入り込み、あの体を操っているのだろうと。

 

『……ははぁ、そういう事でござるか。真に恐ろしい技術でござるなぁ、異世界で疑似的な蘇りが出来るとは……』

 

 もしこの予想が合っているとすれば、自分たちも俊介という子供に何らかの方法で入り込めば、体を操れるのかもしれない。

 寧ろそのまま第二の人生を歩む……蘇りすらも果たせるだろう。

 

 そしてこれはつまり、自分達もまた、宿主であろう俊介という子供の体を乗っ取れるという事になる。

 

 

『ふ~む。死人の拙者らにとって、蘇りの情報はどんな財宝にも値するでござるな……』

 

 外道忍者とて頭が回らない訳ではない。この情報が一部の者にとっては喉から手が出るほど欲しい物だとはすぐに理解できる。

 寧ろ徹底的にこの情報を秘匿し、自分だけが蘇るという手もある。

 

 

 ……しかし。

 

『こんな面白い情報を自分の内に留めておくなんて勿体ないでござる!!』

 

 この男は頭が回らない訳ではないが、極まった馬鹿ではあった。

 懐から小型のマイクを取り出し、一度俊介の前に全員で集まった時各人にこっそり付けていた盗聴器兼スピーカーから声を届ける。

 

 

『マイクテス、マイクテス。あ~、簡潔に申すと、俊介君の体を乗っ取る事で生き返れるでござる。以上!』

 

 

 突然鳴り響いた、短い言葉。

 だが学校の各地で適当に動いている殺人鬼達は、その声を決して聞き漏らさなかった。

 

 

 俊介の体を奪い、蘇生を目論む者。

 逆に俊介を守ろうとする者。

 状況を静観し、漁夫の利で一番いい結果をもぎ取ろうと目論む者。

 愉快犯。

 何を考えているか分からない最強の化け物。

 

 

 各々が各々の目的を持ちながら、自分達の宿主――――日高俊介の下へと移動を開始し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……!」

 

 俊介は人の波にもみくちゃにされ、壁に押し付けられる。

 あの時教室中に響いた悲鳴。それは当然と言えば当然だが、給食を食べていた他の教室にも聞こえていたらしい。

 

 その結果、俊介のいる教室と他の教室の生徒達が一気にパニックに陥った。

 普段なら教室内で一緒に給食を食べている担任もいない。……後に分かる話だが、実は警察を呼ぶという建前で一目散に職員室に逃げていたらしい。他の教師数名が重傷を負わされているため、怯えるのも仕方ないが。

 

 他の教室に居た教師が生徒達を宥めようとするが、相手は恐慌状態に陥った100人近い小学生。いくら子供と言えど余りに数が多く、教師ですらも押し流されてしまった。

 

 我先にと逃げる他の生徒達の波に逆らうように進み、一瞬ためらったが、女子トイレの中へと入り込んだ。

 逃げ場のないトイレの中に入る者は流石にいなかったのか。中は外の喧騒が嘘のように静かだった。

 

 

「な、なんか嫌だな……女子トイレの中って……」

 

 女子トイレという特異な空間に対する興奮より、他の生徒に見られたらどうしようという不安が勝ったようである。健全だ。

 誰も入ってこないようにと祈りながら1分ほど待っていると、外から聞こえていた大量の足音がようやく消え去った。

 

 

 動きやすくなったし、自分もさっさと逃げようと思った、その時。

 

 

『―――ここに居たのか』

 

 

 背後から女性の声が聞こえた。

 振り返ると、そこに立っていたのはボロ布を縄で体に巻き付けたという煽情的な格好の女性(ハンガー)

 

 おまけに体が半透明で、若干向こうの景色が透けて見える。確か……他の半透明の人物達、人格と一緒に居た女性だ。

 という事はつまり、このおかしな格好の彼女もまた、自分の中に宿った人格という事である。

 

 俊介は女子トイレに居た瞬間を見られたせいか、若干ドギマギしながら言葉を返す。

 

「ど、どうも……」

『あ~あ~。いいんだよ、そんなにかしこまんなくてもさぁ、俺だってそう良い生まれな訳じゃないし?』

「はあ……」

『小難しい話はお互い嫌いっぽいな。ま、あれだ。俺の用事を簡潔に言うとだな』

 

 

 そこまで言うと、彼女は体の何処かから古くボロい荒縄を取り出した。

 それを舌でなめずりながら、目の前の少年に向かって殺気を噴き出しながら言い放つ。

 

『俺はまだまだ、人を吊り続けたくてしょうがなくてさ……! そんでお前の体を乗っ取ったら生き返れるらしくてな!! だから……ちょっと俺に渡せよ!!』

 

「ひっ……!」

 

 異世界で数百人殺したド級の殺人鬼が放つ殺気。それに俊介が怯えるのは仕方のない事だろう。

 俊介は足をもつれさせながらも、女子トイレの外まで逃げ出した。

 

『はい残念♪』

 

 しかし、俊介の先にいつの間にか彼女が回り込んでいた。

 年端も行かぬただの小学生相手に気付かれぬよう回り込むなど、彼女にとっては朝飯前なのだ。

 

 彼女は荒縄を手の中で弄びながら、俊介へと体を近づける。

 

『さ~て、どうやったら体を乗っ取れんのかな?』

「や、やめて……!」

『そりゃあ、ちょっと聞けない相談ッ――――』

 

 

 ―――瞬間。

 

 

 その言葉を遮るように、彼女の顔面へ鋭い蹴りが突き刺さった。

 廊下に体を叩きつけられる寸前に受け身を取り、蹴りを放った人物から距離を取る。

 

『ったく、偶々近い所でよかったな……!』

『なんだお前……』

 

 俊介を助ける蹴りを放ったのは、黒コートの青年(ヘッズハンター)だった。

 2人は殺気を隠そうともしないまま、お互いに鋭く睨み合う。

 

 数秒も経たない内に、先に動いたのは女性の方だった。

 左手に荒縄を持ったまま右手で殴りかかる。それは乱雑な動きだが、常人……いや格闘技をやっている者でさえ見切れるか怪しい速度のパンチであった。

 

 だが青年は難なく回避し、逆にみぞおちへ鋭いカウンターパンチを決めた。

 

『かはっ……!』

『弱いとは言わないが、少し力不足だな―――』

『―――お前がな!』

 

 そう叫ぶ彼女。

 青年がみぞおちから引き抜いた拳には、荒縄がびっしりと巻き付けられていた。

 

『なッ―――』

 

 青年の体が荒縄の巻かれた拳に引っ張られ、天井に叩きつけられる。

 そのまま続けて地面に引っ張られる瞬間、首に縄の輪っかが通された。体には下へ進む力が掛かり、首の縄には上へ進む力が掛かっている。簡単には外すことができない縄の構造である。

 

『あーあー、縄持った俺に無策で突っ込むからさ。半透明だから分かりにくいけど、お前のその顔色がいつ赤くなって、青くなって、土色になるのか……楽しみにしてるぜ』

『ッ……』

 

 首を絞め続ける縄を青年が引きちぎろうとするが、拳に巻かれた縄と酸欠のせいで上手く力が出せない。

 そんな青年の危機的状況を―――1本の回転する包丁が縄を切り裂き、打開した。

 

『大丈夫!?』

『あぁ!? ったく何してくれてんだよ、せっかく吊り上げたのにさぁ!!』

 

 包丁を投げたのはコックだった。

 解放された青年は首を抑えながら構え直すが、何かを感じたのかすぐさま後方に飛び下がる。そのすぐ後、彼が立っていた場所に青い炎が勢いよく噴き出した。

 

 2人が戦闘していたのはものの30秒程度。

 しかし俊介を中心に広がる半径100メートルの空間の中、30秒で俊介の場所を突き止めるなど殺人鬼達にとっては容易い事であった。

 

 

『おらおら貴様ら、わらわにそのガキを譲るのじゃ!』

『見た目が良いからって調子乗ってんじゃねえぞ、コラァ!!』

『ハハハハ、中々楽しい状況じゃねえかよ!!』

 

 狐目の女性(キュウビ)が怪しげな術で青い炎をまき散らす。それを掻き消し、狐目の彼女ごと焼き尽くさんと超強力な火炎瓶を投げまくっているのが赤い髪のヤンキー風スタイルな女性(フライヤー)

 その炎の渦の中を楽しそうに闊歩しながら俊介の下へ向かう、翼を付けた全身真っ白の巨女(エンジェル)

 

 翼の女が俊介に手を伸ばす。

 その瞬間、彼女の手が銃弾によって撃ち抜かれた。銃による傷は皆無であるが、衝撃で手が吹っ飛ばされる。

 

『B兵器の巣窟より酷いな、ここは……!!』

『とりあえず暴れればいいのさ、結果は後で付いてくる!!』

『拙者、その考え方大好きでござるよ! 忍法・嫌がらせの術!!』

 

 ゴツイ拳銃を片手で撃ちつつ、もう片方の手で小銃の弾をばら撒くガスマスクの男(ガスマスク)

 そんな彼の後ろから拷問用の有刺鉄線をそこら中に置いたり、切断用ののこぎりを振り回す黒兎の仮面をつけた女性(トールビット)

 その2人の周りをちょろちょろしながら、特製配合の催涙ガスをぶちまける元凶の外道忍者(ニンジャ)

 

『待て待て私は無理だ! 体が硝子と同じくらい脆いんだぞ!!』

『うっせえな、ここで隠れてたら乗り遅れるぞ!! 生き返りたくないのか!!』

 

 ちょっと様子を見に来たが、この騒ぎに加われそうになかったので隠れていた細身の男(サイコシンパス)

 その男と共に、俊介争奪戦なのかただ単に暴れたい奴らが集まってる祭りなのか分からない物に参加しようとする作業服の少年(マッドパンク)

 

 

 ―――そうして、全員が程よくヒートアップし始めた頃。

 

『グギャッハッハッハ!!!』

 

 機を見計らっていた最強の化け物(ダークナイト)が女子トイレ前の廊下に姿を現し、殺人鬼達を一蹴し始めた。

 そんな中、先ほどボコボコにされた翼の女が額に青筋を浮かべながら化け物に掴みかかる。

 

『またてめえか、しつけェんだよ!!』

『グギャオ!』

『死ねッ―――!!』

 

 その埒外の腕力を以て、化け物を廊下の外―――校外へと放り投げる。

 尤も、放り投げられる瞬間に化け物は彼女の体を蹴り飛ばし、一瞬で気絶させたのだが。

 

『いッた……よくもやってくれたな、前時代的な鎧野郎が!!』

 

 作業服の少年がキレながら起き上がり、同じように廊下の外へと飛び出る。

 そしてポケットの中から取り出した怪しげな赤いボタンを押した瞬間、彼の体を覆うように70メートルほどの機械で作られた四つ腕の巨人が姿を現した。

 

『ギガント・インパクト!!』

 

 タイミングを合わせ、四つの腕全てで同時に鎧の化け物を殴り飛ばす。

 瞬間。最強の名を冠する鎧ですら受け流せない衝撃が全身に走り、俊介から100メートル離れた場所にある壁まで一瞬で吹き飛ばされた。

 

 

『ギャ……ギャハ……!』

 

 透明な壁に垂直に着地し、愉快そうに笑う化け物。

 右手を顔の前で軽く握った瞬間、何処からか現れた黒い粒子が右手に集まり、禍々しい細身の剣の形を作った。

 

 剣を揺らす度、黒い軌跡が走る。

 それを持ったまま、先ほど自分を吹っ飛ばした巨人の下まで一気に近寄り、バラバラに切り裂いた。

 

『うおっ……! ま、まま、マジか……僕の最高傑作が……』

 

 作業服の少年は体格が小さく、偶々斬られなかったようだ。

 背中にジェットパックを付け、元いた廊下へと戻る。すると黒い鎧も後を追うように廊下の中へと戻って来た。

 

 

 

 ――――控えめに言って、地獄。

 半透明で現実に影響がないとはいえ、それぞれの世界で最悪と言われた殺人鬼達が全力で喧嘩しているのだ。ハッキリ言って意味が分からないし、滅茶苦茶に怖い。

 

『だいじょーぶ、だいじょーぶ』

 

 俊介の背中を、触れられはしないが、優しくなでる黒髪のドレスを着た少女(ドール)

 彼女も半透明である故、目の前の人格達と同じ類なのだろう。

 

 目の前は地獄、超怖い。

 傍にいる少女は優しい。

 

 一体何が何だか、気が狂いそうな情報量で頭が埋め尽くされ。

 

 

「う、うぇぇぇぇぇえええん…………!」

 

 

 ―――結果、俊介はガチ泣きした。

 

 普通の小学生に耐えられる状況ではなかった。

 

 しかし、暴れる理由や蘇生のための目標としていた少年が突然泣き出した異常事態に、殺人鬼達がピタリと動きを止める。

 

『な、泣いちゃった……どうしよう』

『えぇ……どうするったってさぁ……。あ、これなんかどうだ。からくりボックス』

 

 おろおろするドレスの少女。

 そして俊介の前に、作業服を着た少年が半透明の黒い箱を差し出した。

 

 えづく俊介が、目の周りを真っ赤にしながらも箱に顔を近づけた瞬間。

 大きな音と共に、血まみれの幽霊の顔が勢いよく飛び出した。たちの悪いびっくり箱だったのだ。

 

 

「びぇぇぇえええええん!!」

 

 

 先ほどよりも勢いよく泣き出す俊介。

 

『何やってんだお前馬鹿か!!』

『僕ならこれで泣き止むもん!』

『貴方が良くてもこの子が更に泣き出したら意味ないでしょーが!!』

 

 

 その時、目を覚ましていた翼の真っ白な女がポリポリと頭を掻く。

 泣き声が耳についたのか、余りに泣かれて体を奪う気もなくしたのか。とにかく俊介の泣き声を止めようと体を近づけた。

 

『あー、おい。泣き止めよ』

「うぅぅぁ、ぁ、うぇええええん……」

『うるさ……あー、ほら、私の口調がこええのか? あー……け、敬語で話しますから、どうか落ち着いてください』

「うっ、うっ……」

 

 彼女が敬語で、親しみやすく話しかけた事が功を奏したのか。

 俊介の泣き声が次第に収まり始め、周りの殺人鬼達がほっと息を吐く。

 

 

 そんな中、殺人鬼達から少し離れ、クスクスと口を押さえながら笑う男が1人。

 

(あー面白いでござる……。全員で戦い始めた時はどうなるかと思ったでござるが、これはこれで面白い結末に……ん?)

 

 腐れ忍者が、何かに気付いたように階段の方を向いた。

 水の滴る音と靴底で床を叩く音が同時に聞こえる。

 

『あっ、忘れてた』

 

 階段から姿を現したのは、今日だけで幾十人もの死傷者を出している小学生であった。

 普通なら忘れるはずもない存在だが、倫理観が乏しく、そもそもその小学生より遥かに人を殺しまくっている忍者にとっては割とどうでもいい存在だったのだ。面白くもないし。

 

 血まみれの小学生に殺人鬼達が全員気付く。

 そして一歩遅れ、泣きまくっていた俊介もかの小学生に気付いた。というか俊介の泣き声に反応して寄って来たのだ。

 

『ん……なんだあれ』

「ひっ」

『あッ! おいちょっとこっちに来るなッ―――』

 

 目の前に広がる血の臭いに恐怖し、翼の女に抱き着くように近づく俊介。

 しかし半透明だから触れられる訳もなく、体の大部分が重なってしまう。そして偶然、頭を下げていた彼女と俊介の頭が重なってしまったのだ。

 

「――――ん、あ?」

 

 一瞬、動きを固め、状況が理解できないと言った様子で目をパチクリさせる俊介。

 いや、中に入っているのは既に俊介ではない。先ほどの一連の行動は、偶然にも―――体の強制交換の条件を満たしてしまったのだ。

 

「うお、お。体小さすぎ、感覚歪む……」

「うぐるるる……ぐおおおあああっ!!!」

 

 人外怪力の女が入った俊介に、小学生が襲い掛かる。

 

「よいしょっと」

 

 だがまあ、人体を一発で切り裂けないような雑魚に負けるはずもなく。

 腹に強めにパンチを打ち込まれ、廊下の窓枠ごと窓ガラスを突き破り、地面に落下。一発で気絶した。

 

 

「…………」

 

 そして、俊介の体を手に入れた彼女だったが。

 

『体の感覚合わん。今はいらね』

 

 体の小ささが気に食わないと、すぐに体の支配権を俊介に戻した。体を奪うのは難しいが、返すのは念じるだけで大丈夫だった。

 

「……?」

『…………』

 

 突然体が変わった感覚に、理解が追い付かない俊介。

 体を奪う方法。それがやろうと思えば案外簡単であった事に気付いたが、今更奪う雰囲気でもないな~と思う殺人鬼達。

 

 何とも言えない状況に陥り、反応に困った両者が取った選択は。

 『とりあえずこの場から逃げる』であった。

 

 

 

 

 

 





なんか話の方向が変な方向に逸れた
まあええか

追記
ルビミス多くて申し訳ないです
ネット環境ないところでメモ帳に書いてたのがいけなかった

追追記
作者多忙のため、暫く更新を土日限定とさせていただきます。
ご容赦ください。


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#54 悪と呼ぶには優しく、善と呼ぶには残忍すぎる

長いです


 

 

 

 

「さ、殺人鬼……?!」

 

 俊介は校庭に避難していた生徒達の群れにそっと紛れ込む。

 教師が静かに整列するよう言うものの、警察が来て一安心という状況で小学生達が黙っているはずもない。

 

 誰が病院に運ばれたとか、誰が犯人とか、やれそんな事を大声で話しているのだ。

 俊介が小声で一人ぼそぼそと喋っていたところで、気にする者は誰もいないのである。

 

『13人揃って人殺しかい……ハハハ、なんともまぁ酷い状況だね』

『私を一緒にしないでくれるか? 人殺しなんてした事ないぞ』

『でも死後に殺してるんだろう?』

『いやまぁそれは……。多分1000人近く自殺してるだろうが……それは殺人判定になるのか……?』

 

 俊介はポリポリと頭を掻きながら、周りを取り囲む半透明の殺人鬼達を見渡す。

 それから視線を明後日の方向に向け、何処か心あらずな声で言った。

 

「そっか、殺人鬼なんだ……」

『怖えのか?』

「……怖いけど、上手く状況が理解できないというか。だってまだ……注射打ったの今日だし」

 

 かなり濃い内容の出来事。

 自身の通う学校で生徒が傷害事件を起こすなんて、人生で遭遇するか分からない……いや遭遇しない可能性の方が圧倒的に高い出来事だ。

 

 そんな事件だけでも頭がいっぱいいっぱいだと言うのに、今日はそれ以上の問題が山積みである。

 

 今日起きた事一覧。

 ①変な注射打たれました。

 ②変な奴らが13人宿りました。

 ③学校で傷害事件が起きました。

 ④13人全員殺人鬼でした。

 

 

 こんなの普通の脳みそで処理できる問題じゃない。

 というか小学生……いや一般市民に解決できる問題じゃあない。

 

「……やっぱりお母さんに相談して、人格持ちだって申請した方が……」

『う~ん。拙者は止めといた方がいいと思うでござるがなぁ』

 

 黒装束の忍者が懐から小型の無線スピーカーを取り出した。

 何やら音が漏れているが、俊介と殺人鬼たち以外には聞こえないその音声。周りを確認しつつ、不自然でない程度に体を移動させ、スピーカーに耳を近づける。

 

 

『こいつさ、ここからどうなんの?』

 

『さぁ……? んな事、俺が知るかっつーの!!』

 

 ―――ガン!と鉄製の何かを蹴る音。呻き声。

 

『うわ、檻蹴ってやるなよ。肋骨折れてんのに、ひっでぇな~』

 

『これで今月何件目なんだよ! 人格持ちのガキが暴れたかなんだか知らねーけどな、んな事俺は興味ねーんだ! 半分害獣みたいなもんなんだし、さっさと撃ち殺しゃいいんだよ』

 

『子供ってのは可哀そうだなぁ。何の非もねえのに、こんな目にあっちまってよ。ま、運が悪いのが悪いか』

 

 

 

 

 

 忍者がブチリとスピーカーの電源を切り、朗らかに笑う。

 

『なかなか楽しい内容の会話でござったな』

「どこが?」

 

 社会の邪悪な部分を盗み見てしまった気分だ。

 目の前の忍者はケラケラ笑っているが、他の殺人鬼は嫌悪感を顔に出していたり、特に何も思っていなさそうな真顔だったりする。

 

 今の会話って、あの暴れてた子を捕まえに来た警察……のだよな? 多分。

 人格持ちとか言ってたし。撃ち殺すとかなんか物騒な事も。

 

「…………」

 

 これって、普通に人格持ちだって言うには問題ない……かもだけど。

 ()()()1()3()()()()()なんて申請しちゃったら……相当ヤバいんじゃないか? 

 

 ……やっぱ黙っとこう。言っても良い結果になる未来が見えない。

 

 

 

 

 ――――その後、当然今日の授業は終わりとなり、それぞれの保護者が迎えに来るまで待機する事になる。

 事情が事情故、母親は午後の仕事も急遽休んで迎えに来てくれた。

 

 荒れた校内の掃除を行うため、まだ火曜日だと言うのに今週は全て休み。

 ……だが、あれだけの事が起きたと言うのに、小学校での件は一切事件になる事がない。SNSで何かしらの情報も上がっていない程だ……不自然なまでに。

 

『都合の悪いことを隠すのに、子供にちょろちょろされては困るでござろう?』

 

 忍者を名乗る男がソファーに寝そべりながらそう言っていたのがやけに耳にこびりついている。

 都合の悪いことは何か? それに一体誰が隠しているのか? 一小学校や教育委員会が全力を出したとて、十数人クラスの傷害事件を隠し通せるとは思えない。もし隠し通せるとしたら、もっともっと上の……。

 

 俊介はそれ以上深く考えないことにした。

 

 

 

 

 

 

 

「……というか」

『何でござるか?』

「いや、何で全員近くに居るんですか?」

 

 なぜか俊介の家の中に、半透明の13人がうろつくようになった。

 

『拙者らは俊介から100メートルしか離れられないんでござるよ。正確には100メートル離れた所に透明な壁があるんでござる』

「はあ」

『で、俊介から離れてるといつの間にか100メートル離れていて、透明な壁に突然ぶち当たるという事故が頻発するのでござる。鉄板にぶち当たるようなものでござるから、結構鬱陶しいんでござるなあ』

 

 

 つまり。

 離れすぎると色々不都合な事が起きるから、近くにいる……それだけらしい。

 

 

「迷惑……!」

 

 家の中に13人もいると狭くて狭くて仕方がない。いや半透明で触れる事はできないんだけど、椅子に人が座っていて、それに触れないから「まあいいや座ろう」とは思えない。

 それに。

 

『俊介ェ! この平べったい機械は何だ?! 表面がツルツルしてるぞ!!』

『うわぁ……可愛いお人形さん……!』

『こんな家、B兵器が攻めてきたらすぐに入り込まれるぞ! 窓に板を打て!』

 

 

 滅茶苦茶うるさい。

 他の連中も思い思いに騒いでいたり、人の家を物色したり、勝手に人のベッドに寝転がったり。一番ヤバいのが家の一角で火柱を上げて喜んでいる赤髪の女性だ。何してんのマジで。

 

 

 小学校で暴れていた事や、全員殺人鬼のカミングアウトをかまされた恐怖を加味しても、余りにうるさすぎる。

 普段物静かで余り怒らない俊介だが、額に青筋を浮かべるほどのイライラが溜まっていく。プライベート空間を見知らぬ13人にガンガン踏み荒らされているので、仕方ないとも言える。

 

 

 そして怒りが頂点に達し。

 

 

「――――うるさい!!」

 

 

 家が揺れるほどの大声でそう叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あったあった、そんな事も』

『あの時はいきなり俊介が泣き出してビビったのじゃ……あそこですぐに慰めていれば今頃わらわが一番だったのに

『お兄ちゃん、私より小さかったなぁ』

 

 写真を見つけた数人から始まった思い出話。

 しかしいつの間にか、俊介の自室内に殺人鬼達が勢揃いして思い出話に花を咲かせていた。

 

『ヘッズハンターとクッキングが上手い事、俊介の体を奪うのを阻止していたでござるからなぁ』

『当然よ……。もしダークナイトがうっかり体を奪っちゃったらどうするの』

『控えめに言って、地獄』

 

 わいのわいのと会話する13人。

 その中に、部屋の隅で翼をはためかせながら立っていたエンジェルが自慢げに爆弾を投下した。

 

 

『……まぁ。俊介の体を()()()使ったのは私ですから。そこのところは忘れないで、身の程を思い知って下さいね』

『は?』

 

 

 その言葉にいの一番に反応したのは、キュウビ。

 余裕綽々と言った風にやにやと笑うエンジェルの前に近づき、下から彼女の顔を殺気を込めて睨みつける。

 

『てめ――ッ!! 何が初めてじゃ、ほんの10秒ほどだったじゃろうが!!』

『10秒でも初めてには変わりありませんよね? しかもあの時、私は体を奪ったのではなく俊介から飛び込んできたんですよ? 一番最初に信頼を寄せられたのは私だと言う証拠ではありませんか』

『全部偶然じゃ―――ッ!!』

 

 エンジェルはあの時、確かに俊介の体の主導権を手に入れた。しかしすぐに俊介に返したのは、単に身長差がありすぎて体の調子が出なかったからだ。ある程度成長したら再度奪ってやろうと考えていたが……今はこんな風に、ぐずぐずに絆されてしまった訳である。

 

 

 

 そして。

 キュウビの叫び声が響いた瞬間、俊介が寝転がっているベッドの布団が突然勢いよくまくられた。

 

 

「お前らうるさいんだよ、さっさと寝ろ!!」

 

 

 時刻は午後12時。

 午後8時にはベッドに入った俊介だったが、実は騒ぎまくる殺人鬼達のせいで全く眠れていなかったのだ。今までずっと耐えていたが、キュウビが叫んだことでついにキレたのである。

 

「……あとさ、確かに初めて俺の体を使ったのはエンジェルだけどさ」

『ええ、そうですよね』

「一番初めに信頼したのはまた別の人物だから」

『ええ、ええ…………え?』

 

 ぽかん、と。

 エンジェルが間抜けな顔を浮かべ、それを見たキュウビが楽しそうに彼女の頬をビンタした。何故?

 

『ほ~れ見た事か間抜け馬鹿デカ女! 最初に信頼されたのはわらわ―――』

「キュウビでもないから」

『えっ』

「信頼した順で言うと、キュウビは後ろから数えた方が早い方だから。何かいつも見下されてたし」

 

 エンジェルと同じような表情を浮かべるキュウビ。

 それを横目に、俊介は一瞬チラリととある人物の方を見た。しかしすぐに視線を逸らす。

 

 

 すっかり静かになった殺人鬼達を前に、俊介はため息を吐いた。

 

「……次騒いだらもっと怒るぞ。おやすみ」

 

 ぼふりと布団を被る俊介。それを見た殺人鬼達は、未だ呆けたままのエンジェルとキュウビをぶっ叩いて俊介の中へと戻って行った。

 そんな中、最後まで布団に被った俊介を見つめる影が1人。

 

『…………』

 

 たった1人。その人物は俊介との2人だけの思い出を嚙みしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっとその日は普通だった。

 全ての人にとって普通に過ぎ去っていく日にすぎなかった。

 

『…………』

「…………」

 

 目の前にはコック。

 俊介は今、夜も更けた頃に家を抜け出し、彼と2人きりで対峙していた。

 

 あの注射を受けた日から1ヵ月。

 殺人鬼達に囲まれた生活は、俊介に良くも悪くも様々な影響を与えていた。……まさにコックの危惧していた通りの事が起きたのだ。

 

『私達は殺人鬼だって……もう知ってるわよね』

「初日から知ってる」

『うん、そうよね。ごめんなさい』

 

 コックはこの1ヵ月、なるべく俊介と関わらないようにしていた。

 人殺しという誤魔化し用のない悪と関われば、普通の少年である俊介が段々と歪んでいく。しかし他の殺人鬼達が容赦なく俊介と関わるので、結局のところ、コックの行動は何ら意味がなかったのだ。

 

『私は……人殺しは悪いことだと思うわ』

「…………」

『だから。……俊介ちゃんには、人格持ちである事をきちんと親に明かして欲しいの』

「!」

 

 コックの提案。

 自分1人だけが俊介と関わらないようにしても、他の奴らが関わりに行く。だからと言って、他の奴も口で言って分かるような面子ばかりではない。

 

 だからコックは考えたのだ。

 俊介自身に、自分達に関わらないようにしてもらおうと。

 

『確かに少し危険かもだけど……国の偉い研究者とかなら、私達を排除する方法を知っているかもしれないわ。そうしたら、俊介ちゃんは何の危険もない生活に戻れるの』

「……そんなの、排除なんてしたら、死んじゃうんじゃ」

 

 それを聞いたコックはふっと笑う。

 

『元々死んでる身だから。……それに、私達みたいな大量殺人鬼は、いつ理不尽に殺されたって文句は言えないわ』

 

 コックは殺人鬼と言うには優しいが、一般人にはない人殺しとしての残忍さも確かに持っていた。

 自分たちのような人殺しはいつ死んでもそれが当然。だが……普通の人間、子供は普通に生きるべきだと、ある種凝り固まった考えを持っていたのだ。

 

 

「…………」

 

 俊介は、コックの言葉に少し悩んだ表情を浮かべ。

 十数秒の後、ゆっくりと首を横に振った。

 

『……怖いのよね。そうよね、こんなおかしな技術を子供に施す国に、自分から人格持ちだって言うなんて―――』

「違う」

『?』

 

 コックが不思議そうな表情を浮かべる。

 

「別にそんなのじゃなくて、その。……もっと一緒にいたいなって、思っちゃったんだ」

『……!? ちょっと俊介ちゃん、本気?!』

「本気だよ」

『―――っ』

 

 理解できなかった。

 普通の人生というレールから段々ゆがみ始めた、異常者へのレール。そんな場所をわざわざ歩もうとする俊介の考えが。

 

『俊介ちゃん、このままじゃ本当に歪んじゃうのよ。私達は極悪人なの、だから―――』

「コック。その歪み歪みって言ってるけど……案外さ、悪いもんじゃないんだ」

『え?』

「……人と喋るの、っていうか声を出すのがそんなに得意じゃなかったんだけど。みんなと過ごすうち、自然と声が出るようになったんだよね。うるさいとか怒ってばっかだったのがきっかけだったけど」

 

 俊介はこの1月でいつの間にか、声を出すのが苦手という事を克服していた。

 家の中で騒ぎまくる殺人鬼達にキレちらかしたのがきっかけだったが、確かにそれは、殺人鬼達が俊介に与えた良い影響なのだ。

 

 言われて気付いたコックだが、納得したくない、認めたくないと言った様子で声を絞り出す。

 

『……でも、駄目よ、そんなの。確かにそれは良い影響だけど……偶々なのよ。

 覚えてる? 1ヵ月前にやっていた授業の内容。()()()()()()()()()()()()()()()()って』

 

 ほんのりとだが、俊介はその授業の内容を覚えていた。

 目の前にしゃがみ込み、下からのぞき込んで優しく、何処か縋るような声を出すコックに向かって頷いた。

 

 

『これから先、私達と一緒に居ると本当に悪い事が返ってくるかもしれない。1人1人が極悪の殺人鬼、返ってくる悪い事がどれほどの物かなんて想像つかないわ。

 

 ―――もし将来、殺人鬼の誰かに悪い事……因果が返って来た時。

 一緒に居る俊介ちゃんまで数々の事件に巻き込まれるかもしれないの。それはきっと、普通の人生とは掛け離れた事件だわ。

 

 ……そんな物、貴方に抱えて欲しくないの』

 

 

 将来、殺人鬼と共にいる俊介は多くの事件に見舞われる。

 それはある種、予言めいたものだった。俊介も、きっと将来、そんな事が起きるだろう……そう思った。

 

 しかし。

 

「それでも俺は……やっぱり、一緒に居ようと思うよ」

『っ……どうして分かってくれないの? どうしてなの、俊介ちゃん……』

 

 泣きそうなコック。

 俊介は彼の肩に手を乗せようとして、触れないのを思い出したが、そのまま手を乗せた。実際には肩のあたりに手を固定させているだけだが。

 

 

「コック。俺も……みんな自分が殺人鬼だとか言うし、実際人殺しが当たり前みたいな感じだし、正直滅茶苦茶怖い。

 けど、コックは凄く優しいじゃん? だから、他のみんなも実は、コックみたいに良いところがあるんじゃないかな……って、思ったり」

『…………』

「それにそれに、アレ! コックが人殺しとか殺人鬼だってのを気にするなら、逆にさ、俺は絶対()()()()()()!! ……だからさ」

 

 コックのもう片方の肩に手を乗せる俊介。

 

「これからも一緒に居てくれないかな、コック。……皆の悪い事が返って来たって、俺は全然大丈夫だから」

 

 

 ―――気付かなかった。

 

 俊介は10歳で、年齢的に見ればまだまだ子供。

 しかし、既に……コックが守るべき()()ではなく、立派な1人の人間だったのだ。

 

 

『もう30歳超えてるのに……10歳に諭されてたら、情けないわねん』

「……30超えてたの?」

『そうよ? お姉さん、もう34歳なんだから。結構いい年なのよ、泣かせないでちょうだいな……』

 

 コックは静かに涙を拭い、地面を踏みしめて立ち上がった。

 

 

『ありがとう俊介ちゃん。……私はそんなに大層な人間じゃないし、迷惑かけるかもだけど、これからもよろしくね?』

「ん……あ、えーっと。迷惑かけるのは多分こっちって言うか、全然普通の小学生だし……」

『何言ってるのよ。俊介ちゃんは立派な人間よ、私が保証するわ。……ありがとうね』

「?」

 

 どういう意味の感謝の言葉か、俊介にはよく分からなかった。

 だが、コックは憑き物が取れたようなすっきりとした顔つきをしていたのがやけに記憶に焼き付いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜の次の日、俊介は殺人鬼達を連れて山頂の神社に赴き。

 全員に今の名前を付けたのだった。

 

 元々コックという名前があったにも関わらず、俊介はわざわざクッキングという名前を付け直した。

 何故そんな事をしたかというと、それは他ならぬ彼自身の要望であったからだ。過去の名前ではなく、俊介に付けた名で呼んで欲しいと彼自身が言ったのだ。

 

 

 

 コック……改めクッキングは、ベッドの中で布団にくるまる俊介を静かに見下ろし。

 

『おやすみ、俊介ちゃん』

 

 静かにそう言って、俊介の中に入って行った。

 その言葉を聞いていた俊介は、声を漏らさずに口角を上げて笑ったのち、意識を暗闇へと落としていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――クッキング。殺害人数138人。

 

 彼は自他共に認めるほどの子供好きであった。

 元々王族が暮らす宮廷で料理人をするほどの腕前だったが、城の食料を横領し、貧乏な子供に分け与えていたのがバレて首になった。命を取られないだけマシ……そう考えたクッキングは特に反抗することなく宮廷を出る。

 

 そのまま行く当てもないまま歩くうち、一軒のこじんまりとした孤児院を見つけた。

 余り治安の良くない地域で、その辺りは空気もどんよりと沈んで何処か暗さを感じる。だがその孤児院は、その暗さを忘れさせるような輝きを放っていた。

 

 

 ここで働きたい。

 彼はそう考え、孤児院の院長に頼み込み、孤児院の料理人として腕を振るい始めたのだ。

 

 子供好きなクッキングにとって、その孤児院は最適な環境だった。

 豪華な食材が揃っている訳でもない、むしろ食材の質は下の中……よくて下の上、決して良い物とは言えない。

 

 しかしクッキングはそれらの食材を美味な料理に変え、子供達が笑いながら食べるのをいつもにこやかに眺めていた。

 

 

 ……そんなある日。

 クッキングの暮らしていた国は他国と戦争を始めた。敵国がこちらに戦争を仕掛けてきたのだ。

 敵国は戦争相手の国に対し余りに残忍なことで有名であり、勝つためならば何でもする……そういう手合いだった。

 

 他国からの輸入品を運ぶ通路が完全に遮断され、国内の雰囲気はどんどん悪くなっていく。

 畑や家畜や井戸に毒が仕込まれ、安全に口に運べるものが急速に少なくなっていった。犯罪率も上昇し、孤児院の周辺もかなり危険な状態であった。

 

 

 元々まともな質の食材ではなかった。

 だが今手に入るのは、毒が入っているかもしれない食材……いや食材ともいえない何かだった。成長の早い子供に毒が入っているかもしれない、安全の確保できない食事を食べさせるなど言語道断である。

 

 

 クッキングは正直、どちらが勝ってもいいからさっさと戦争を終わらせてくれ……そう願っていた。

 戦争が終わりさえすれば質はともかく毒のない食材が手に入るだろう、そう考えていたからだ。

 

 

 しかし一向に戦争は終わらなかった。

 もはや安全な食材を貧乏な孤児院が正規の手段で手にすることは殆ど不可能に近い状態になっていたのである。

 

 院長が色々な伝手を使ってくれていたが、もう年老いた身であった故、倒れてベッドの上からまともに動けなくなった。

 ……もう食事を作り続けることは不可能。院長はそう考えていたが、クッキングは1つ手があった。

 

 戦争の最中だと言うのに、悪人は私腹を肥やす。

 価値の高い安全な食材は善なる一般市民の手に届く前に、大半が悪人たちの口へと運ばれていたのだ。

 

 

 ちまちま食材を盗む?

 いや、一体何人の悪人の住処から盗めば子供たちの飢えを満たせると言うのか。その前に取っ捕まるのがオチ……そして自分が捕まれば、確実に孤児院は終わる事も分かっていた。

 

 

 ―――安全かつ、子供たちの飢えを満たす方法。

 クッキングは何となく分かっていた。60~80キロ前後の、安全な食材を食べ続けた安全な肉を手に入れる方法が一つだけあるのだ。

 

 それは倫理的にはとても許しがたい行為。神に背く行為。

 だが孤児院の子供が、生爪を根元まで噛んで空腹に耐えているのを見て……気づいた時には、クッキングは孤児院の地下室で、人肉の下処理を終わらせていた。

 

 人肉食による様々な病気……それらが出ないように料理し、子供たちに出す。

 久々にごちそうに喜ぶ彼らだったが、料理したクッキングは静かに膝を震わせていた。

 

 

 戦争が終わるまで。

 元々は悪人だから。

 

 そんな言い訳をしなければとても続けられなかった。

 悪化し、長引き続ける戦況。クッキングが人を殺す数もそれに応じて増えて行く。

 

 そんな折、長らく動けなかった院長が死亡した。病死だった。

 自分が次の院長と料理人を兼任しようかとも考えたが、すぐに次の院長を名乗る男が現れた。前院長の親戚を名乗る者で、書類を確認したところ、実際にそうであった事も分かった。 

 

 

 新院長は何処からか手に入れて来たチョコレートを子供たちによく配っていた。

 その伝手で食材も手に入れてくれればいいのだが……。

 

 そうして新院長が孤児院に来てから暫く経ったある日。

 子供が1人、里親が見つかったと挨拶もなしに出て行った。ずっと里親など見つかっていなかったのに、突然何事かと……その時からかなり怪しんでいた。

 

 そうして数ヵ月後には3人、見知らぬ里親に挨拶もなしに連れて行かれた。

 

 流石におかしい。

 新院長が来てから急に里親が出るようになった。新院長をいぶかしみ、院長室を密かに漁ると、子供達が連れて行かれた場所が記載された書類が置いてあるのを見つける。

 

 その場所は……所謂非合法な人間売買所……奴隷を売買する施設であった。

 そこでの奴隷の扱いは劣悪という言葉を越えており、死んだ方がマシだと本気で思えるほどの物であった。

 

 

 クッキングは新院長が奴隷売買人、しかも前院長と親戚だと記載されていた書類は贋物であった事に気付く。

 新院長の首に包丁を突き付けながら問い詰めると、「一緒にやらないか?」と誘ってきた。

 

 怒りに任せその場で刺し殺したが、それがいけなかった。子供の1人に殺害現場を見られてしまったのだ。

 そこから芋づる式に、クッキングがいつも人肉を捌いていた孤児院の地下室の存在までバレてしまう。そして子供達にそれを知られたことに、クッキング本人は気付いていなかった。いや、気付きたくなかったのかもしれない。

 

 

 そして、子供たちはこう考える。

 『いずれ自分達も食べられるのでは……?』と。

 

 そこからの行動は早かった。

 早朝、クッキングが食事の用意をしている背後から、子供の1人が包丁を突き刺した。それは内臓の一つをしっかりと捕らえ、クッキングに致命傷を与えた。

 

 

 地面に倒れ伏し、流れる血を眺めながらクッキングは考える。

 一体何処で歪んでしまったのか、と。

 

 孤児院に来た時か。

 初めて人を殺した時か。

 人を子供たちに食べさせた時か。

 怒りで新院長を殺してしまった時か。

 

 

 ……分からない。

 いくら考えてもその答えが出ることなく、孤児院で生きた料理人は静かに命の灯を消した。

 

 

 

 

 

 






1000000PVを越えました。すごい。


唐突に始まった過去回ですが、余りに長くなりそうなのでいくつか話を端折りました。殺人鬼達にそれぞれ名前を付ける話とかはいつかサブで書きます。



この過去回が一体どういう話だったか超要約すると。

『悪い事はいつか返ってくるよ』

です。いつ返ってくるんやろなぁ…。


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#55 回り始める歯車

 

 

 

 

 榊浦研究所。

 外観は純白の四角い形をした3~4階の建物。その周りをグルッと監視カメラ付きの高い塀が囲っており、物々しい雰囲気を放っていた。

 その高い塀に阻まれた研究所の中では、どんな事が行われていても外部に漏れることはないだろう。

 

 40人乗りのバスに乗ったまま、唯一の出入り口である正門から中に入る。

 

「…………」

 

 バスの中から窓の外を眺める。塀の中には豪華絢爛な青い草の生える庭が広がっている……事はなく、50台くらいは停められそうなアスファルトに白線が敷かれただけの駐車場が広がっていた。

 

 俊介はもはや、マスコミですら入り込んだことのない禁制地……榊浦のお膝元に入り込んでいる。

 今にも雨が降り出しそうな曇天の中、バスから降り、研究所の敷地へと足を踏みしめた。

 

 

 席順に整列し、研究所の中に一クラスごとに順番に入って行く。

 夜桜さんも後ろの方に並んでいるが、日高の『ひ』と夜桜の『よ』で席順が少し離れているため姿を窺う事は出来ない。

 

 

 そしてそろそろ俺達のクラスが入る順番だという時に、ヘッズハンターが近づいて来た。

 

『昨日、決めた通りの動きで大丈夫か?』

 

 そう言った彼に、周囲にバレない様に小さく頷く。

 流石にこんなあからさまな罠、危険地帯に何の対策もなく入るのは怖すぎる。しかし、榊浦の秘密の殆どが眠っているであろう場所がここなのもまた事実。

 

 よって俊介は13人のうち、護衛として選定した2人以外に研究所内を偵察するように頼んだ。

 そして、俊介が護衛に選んだのはこの2人。

 

 

『ま、俊介の護衛は拙者にどーんと任せておくでござるよ』

『頭を使う調査より、俊介を守る方が性に合っています。それに護衛だけでなく、殲滅もこなせますからね』

 

 ニンジャとエンジェルが姿を現し、俊介の両隣にそれぞれ立った。

 選出理由は至極単純。

 

 有事の際、ニンジャに体を渡せばすぐに逃げられる。

 もし何処かに追い詰められたり閉じ込められたりすれば、エンジェルの頑丈さと怪力で強硬突破する。

 

 ……まあ単純な強さなら、エンジェルよりダークナイトの方が強いんだけど。

 ダークナイトは一度出したら変な瘴気で周りの人間を殺しまくるし、力加減苦手で何もかもぶっ壊すしで、やることなす事が極端すぎるのだ。人の密集する建物の中でおいそれと出すわけにはいかない。

 

 

 

『なぜわらわがこいつの御守りなのじゃ』

『グギャ?』

『ダークナイト1人でほっつき歩いて何か見つけたとしても、何も伝えらんないだろ。ギャとかグしか喋れないんだから』

 

 嫌そうな顔をするキュウビに、マッドパンクがそう言った。

 実際は、五十音表を使えば効率は悪いものの言葉を伝えられる。なのでキュウビを御守りにした本当の目的は、ダークナイトが何かしでかさないかのお目付け役である。

 

 

 

「皆さん、これから建物の中に入ります、が! 研究所内は撮影禁止との事なので、写真は撮らないようにお願いします!」

 

 「はーい」と心のこもっていない返答が生徒達から教師に投げ返される。

 いよいよ順番が来たようで、ぞろぞろと人の流れに身を任せながら、研究所の中へと入って行った。

 

 

 

「っ……」

 

 研究所の中は想像していたよりもずっと簡素でシンプルであった。

 天井が高く、広いロビー。受付には小奇麗な女性が立っていたが、普段こういった受付の仕事を殆ど行っていないからか、汗を流しながら無駄のある手つきで受付業務を行っていた。マスコミを完全にシャットアウトするような研究所だし、仕方ないのかもしれない。

 

 

 そして何より俊介が驚き、警戒したのは。

 

「皆さんこんにちは。ようこそ、榊浦精神科学研究所へ」

 

 この研究所の主である榊浦親子の片割れ、榊浦豊が居たからだ。

 

 

 以前に見た黒スーツ姿ではなく、白衣を着たいかにも研究者と言った風な容貌をする榊浦豊。

 しかし身に纏う目に見えない圧は常人のそれではなく、世界をけん引する超技術を作った研究者に相応しい物であった。

 

 榊浦豊は慣れた声色で眼前に居る40人近くの高校生に向かって話し続ける。

 

「皆さんの中には、人格持ちの方もいるかもしれません。そして敢えて、人格が宿った事の是非は問わないでおきましょう」

 

 普段自由奔放な殺人鬼達ですら、足を止めて榊浦豊の方を見ている。それだけ人を惹きつけ、注目を集めるカリスマを持っているという事だ。

 彼は右手を動かし、身振り手振りを交えて話す。

 

 

「この研究所では浮遊人格統合技術……それの開発、研究、改良を行っています。

 一体この技術がどうやって研究され、どうやって作られたのか? 今日1日だけという短い時間ではありますが、じっくりと施設内を見学し、学んでいって欲しいと思っています。その末にどんな考えに至るのか……それには、私も興味がありますからね」

 

 そう言い切った所で榊浦豊がチラリとこちらを見た。

 確実に目が合ったが、それは1秒も続かず、すぐに顔を逸らされる。俺がどのクラスに居て、どの辺りに居るかなんて調査済みのようだ。予想はしていたが。

 

 ……しかし、じっくりと見学して学んでほしい……その末にどんな考えに至るのか興味がある、か。

 

 恐らく、この見学が終わった後に榊浦豊は接触してくるだろう。この研究所内にいる間に警戒するのは勿論だが、終わった後も十分に警戒する必要がありそうだ。

 

 

 榊浦豊の話が終わった瞬間、殺人鬼達に目配せをする。

 それを確認したニンジャとエンジェル以外の殺人鬼は、各々バラバラに研究所内の至る所へ散っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――施設の案内役に付いて行き、研究所内の至る所を見学する。

 

 そこで榊浦豊や榊浦美優がどういった人生を歩み、どういった経緯で世界をけん引する研究者になったかの来歴なども解説された。

 

 そして、ネットにも上がっていなかった為に初めて知った事実だが。

 意外にも、榊浦豊はそこまでレベルの高い大学出身ではなかった。その大学は国内にある、俺でも頑張れば合格できるレベルの所だったのだ。

 

 あんな超技術を開発したのだから、目玉が飛び出そうなほど凄い学校出身だと思っていたのだが……。

 

 

「元々心理学部だったが、大学2年生の時に生物学部に転学部……。そのまま主席で卒業、か……」

 

 なんじゃこりゃ。

 変な人生歩んでるんだな、榊浦豊……。

 

 

 ちなみにだが、娘の榊浦美優は外国にある世界トップ大学の医学部を飛び級で卒業していた。

 訳わからん。

 

 

 

 

 ―――次は、浮遊人格統合技術の注射の中身を研究している区画に通された。

 用途が全く分からない機械や薬品が広い部屋の中にズラッと並んでおり、走り書きのメモが機械に貼り付けられている。

 

「何だこれ……」

 

 解説役の人が何やら色々と話していたが、注射の中身が人格を分裂させて殺す薬と蘇生薬のブレンドだという事は話していなかった。まあ当然っちゃ当然だ。

 

 

 

 その後も色々な所を巡ったが……うん。

 正直、期待外れ……それが率直な感想だった。

 

 いや確かに、何も知らない状態で来れば凄いと思うのかもしれない。事実、俺と夜桜さんを除くクラスメイトは目をキラキラと輝かせていた。

 ただまあ、件の注射の中身がヤバすぎて……それを超えるようなインパクトの物でもなければ、大して驚きもしないというのが事実であった。

 

 特に重大な事件も起きなかったし、何か特別な罠が仕掛けられていた気配もない。

 エンジェルは退屈そうに歩き、ニンジャは以前コピーして渡したポテトチップスをバリバリと食べていた。何やってんだお前。

 

 

「ま、こんなもんか……」

 

 高校二年生に見学で見て回らせる事の出来る場所なんて、たかが知れている。

 実際、マスコミが来たことのない場所というネームバリューこそあるものの、見ているのはよく分からない機械と薬品と研究所の歴史……それだけだ。一般的な工場見学と何ら変わりない。

 

 

 警戒しすぎだったのかもと、辺りを見回しながらぼんやりと歩く。

 次はシアタールームに案内され、榊浦豊が世界に浮遊人格統合技術の発表をした時の映像を見せられるらしい。

 

 巨大なシアタールームは映画館のようであり、照明が既に消えていてすぐ近くを見るのが関の山だ。

 これまた映画館のように階段状に設置された座席。その席の自由な所に座ってもいいらしい。

 

 何とか夜桜さんの近くに座れないかと、彼女を探していた、その時。

 

 

 

『俊介、後ろでござる』

「は?」

 

 コーラをがぶ飲みしていたニンジャがペットボトルから口を離し、突然そう言った。

 背後を振り返ると、こちらに手を伸ばしかけていた榊浦豊が居た。一体いつの間に近づいて来たのか。部屋の暗さと油断も相まって全く気付かなかった。

 

 

「……こっちだ」

 

 彼は手を引っ込め、踵を返す。

 シアタールームは依然として暗いままであり、生徒が1人抜け出したとしても全く気付かれないだろう。

 

 付いて行くか少し考えたが、傍にはエンジェルとニンジャが居る。多少の危険でも問題ない。

 それに榊浦豊が接触してくるのは読めていた事……想定の範囲内。デメリットよりもメリットが大きい。

 

 

 両足をニンジャに渡し、静かに榊浦豊に付いて行く。

 シアタールームを2人で出て、暫く廊下を歩き、壁一面に本が敷き詰められた書斎のような場所に案内された。

 

 

 榊浦豊が慣れた手つきで木製のコートハンガーに白衣を掛ける。

 所々に榊浦豊の名が刻まれた道具も見える……どうやらここは彼の私室か何からしい。

 

 彼は白色のカップにインスタントコーヒーの粉を入れ、ポットに入っていたお湯を注ぐ。

 自分用のコーヒーを1杯作った所で、彼はこちらに振り向いて言った。

 

「大人しくついて来てくれてありがとう。……コーヒーいる?」

「いらないっす」

「あ、そう。ま、君甘党だもんね」

 

 何で知ってんだよ気持ち悪いな。

 後コーヒー飲まないのは甘党関係ないから……。

 

 

 榊浦豊に促され、部屋の中央に置かれた高級そうな革張りの椅子に座る。

 机を挟んで体面にある椅子に榊浦豊が座り、コーヒーを静かに飲み始めた。

 

『……殴りますか?』

 

 じれったくなったのか、エンジェルが翼を動かしながらそう言った。駄目に決まってんだろ。

 

 部屋に案内されたはいいものの、お互いに何か話すことなく、榊浦豊がコーヒーを飲む音だけが響く。

 たっぷり2分掛けてコーヒーを飲み切った彼が、コトリと机の上にカップを置いた。

 

「……とりあえず、君の傍にいるであろう人格に挨拶しておこうかな。よろしく」

「…………」

 

 流石に何人か傍に居る事はバレてるか。だからと言って問題はないが。

 

 榊浦豊は軽く挨拶をした後、う~んと腕を組んで唸り声を出し始める。

 彼はひとしきり唸り声を出し、深いため息をつきながら声を絞り出した。

 

 

 

「そのさ。正直……研究所の中見てもつまんなかったでしょ?」

「……まあ」

「やっぱりね~。いやさ、言い訳じゃないんだけど、この見学って(美優)が突然決めて来た物なんだよ。だから準備とか全然できてなかったんだよね。いつも無茶を言ってる警察の苦労が分かったよ、ハハハ」

「ええ……」

 

 思わず呆れた声を出してしまった。

 何もないなと思っていたら、突然すぎて何の準備も出来てなかったんかい。じゃあ入口でのあの意味深な目合わせは何だったんだ。

 そう考えていると、俺の考えを読んだように、榊浦豊が言葉を放つ。

 

 

「君の考えは以前に一度聞いたけど、変わってないよね?」

「変わってない」

 

 以前榊浦豊に言った、浮遊人格統合技術に対しての意見。

 それは超要約すると『この技術はクソ』、それだけである。簡単な物だが、浮遊人格統合技術の開発者兼研究者である榊浦豊とは真っ向から相反する考え方だ。

 

 分かっている事をわざわざ再確認してきた榊浦豊。もしかしたら何か仕掛けてくるかもと、少し警戒する。

 しかし彼は、朗らかに声を上げて笑った。

 

 

「ハハハハ! ま、こんな学生向けのしょぼい見学で考えを変えるような子が世界最多の複数人格持ちな訳がない。

 ……しかしだね、俊介君。そんな()()()()()()()()()()()()()()()を見せられるって言ったら……君は見たいかい?」

「は……?」

 

 浮遊人格統合技術はクソ。それは何があっても変わらない、ハッキリ言える。それは目の前の男も分かっているはずだ。

 ……そんな俺の考えを、変えるような代物……?

 

 

「興味はあるかな?」

 

 

 ―――正直、興味はある。

 

 だが……その代物は人間が踏み込んではいけない領域にある物、そんな風に勘が叫んでいるのも事実。

 

 

 悩んだ結果、俺はその代物とやらの正体に突っ込む事にした。

 

「……一体、その代物とは何なんだ?」

 

 そう言うと、榊浦豊は実に楽し気な笑みを浮かべた。

 そして懐から一枚の写真を取り出し、机の上に乗せる。

 

 

 

 写っていたのは―――正面を向いている1人の少女だった。

 あどけなさが残るが、将来は美人になることがありありと分かるその顔。身長は10歳くらいの少女とほぼ同じで、白髪を背中の中頃辺りまで伸ばしている。

 

 

「…………」

 

 少女の裸。

 見てはいけない部分も堂々と写っているが……こんな状況下で裸を見たとて狼狽えたりしない。そもそも8~9歳の子供の裸を見たとて何も思わない。

 

 

 意味が分からないと言った風な表情で顔を上げる。

 すると榊浦豊は右の人差し指をピンと立てた。

 

「時に俊介君。1つ簡単な質問をしよう……世界の科学を大きく進めてきたのは数多の凡人と1人の天才、どっちかな?」

「……どっちも大事だろ」

「そういう答えは求めていないな。正解は1人の天才……。こと科学の世界において、天才は数多の凡人が一生生み出せない成果と結果を出す」

 

 

 榊浦豊が子供のように目を輝かせながら、離し続ける。

 ……その話が一体、この写真の女性と何の関係があるのか。

 

 

「そんな天才を……()()()()()()事ができたら、素晴らしいと思わないか?」

「は? 人工的に……天才を、作る?」

 

 

 何言ってんだこいつ。

 天才を人工的に作るって、そんなもん、無理に決まって……。

 

 

 そこまで考えた所で、机の上に置かれた写真に目を落とした。

 

「まさか……」

「まぁ、写真の彼女は娘が作った()だがね。私の流儀とは反するが……人工的な天才と言って差し支えない」

 

「――――ッ、お前ら、本気で頭おかしいんじゃないのか……!?」

 

 

 思わず冷や汗を流しながら、目の前の得体の知れない化け物に向かってそう言い放った。

 人間を人工的に作って、挙句の果てに物扱い……そんな事がマトモな人間に出来るはずもない。

 

 俊介の信じられない物を見るような視線を受けても、榊浦豊は朗らかに笑う。

 

 

「ハハハハ。娘のやり方は、確かに人道に反している。

 写真の彼女はデザインベイビー……母体の中で赤ん坊を、『人格を受け入れやすい器』に作り替えた結果生まれた物だ。この子は確か……8人いるんだったかな?」

「作り替え……!?」

 

 この、異常者共め。

 

 

 榊浦豊は顔の前で手を振りながら、否定の言葉を口にする。

 

「だがね俊介君、私を娘と一緒にしないでくれ。私の方法はもっと人道に適した方法で天才を―――」

 

「ふざけんなよお前!! 人間を作り出して『物』って呼ぶような奴が、人道云々を語ってんじゃねえよ!!」

 

 ―――エンジェル、右腕!!」

 

『わかりました』

 

 

 右腕の主導権をエンジェルに譲る。

 

 目的はただ一つ。

 目の前のこの異常者をぶん殴って、老い先短い人生をベッドから出られない生活に変える事だ。

 

 

 エンジェルの操る剛腕、人間1人など吹き飛ばして有り余る攻撃が榊浦豊に迫る。

 こんな狭い部屋で2人きり、ただの研究者がエンジェルに勝てるはずがない。そう考えていたが……。

 

『俊介、エンジェル、止まるでござる』

「!?」

 

 ニンジャが静かに、真面目な口調でそう言い放つ。それに一瞬気を取られた、その瞬間――――。

 

 

 

 ―――ダンッ!!

 

 

 

 榊浦豊が、勢いよく机の上に何かを置いた。

 傍に居たニンジャの言葉もあったからだろう。エンジェルの操る右腕が動きを止め、俊介が机に置かれた何かを見る。

 

 

 ―――それは、スマホだった。

 誰かに電話を掛けているようで、プルルルとコール音が何度も響いている。

 

 それが5コールも続いた頃に、ガチャッ!と相手が電話に出た音が鳴った。

 榊浦豊がスピーカーモードにした瞬間、相手の声が軽快に部屋の中に響く。

 

 

『はいもしもし、どちら様でしょうか?』

「――――ッ」

 

 その声は俊介の母親の物であった。

 スーパーでのパート中だったからでだろう、周りからはガヤガヤと話し声がするのが聞こえてくる。

 

 榊浦豊が俊介の方を見ながら怪しげに右手を上げ、本当に小さく、指をパチン!と鳴らした。

 その瞬間、電話の向こうから何かが壊れたような音が響く。

 

『日高さん、大丈夫!?』

『はい! すみません、なぜかいきなり花瓶が割れて……』

『どうしたのかしら、経年劣化かしらね……』

 

 

 奴が指を鳴らした瞬間、母親のいるスーパーに置かれている花瓶が割れた。

 偶然とは思えない。明らかに故意的……榊浦豊が何かをしたのだ。

 

 俊介が動きを止めたままでいると、奴が電話に顔を近づけ、優し気な声色で話す。

 

「もしもし、聞こえておりますでしょうか?」

『あっ、はい! えっと、重ね重ね申し訳ないんですが、どちら様でしょうか……?』

「申し遅れました。私、俊介君の友達の父親です。突然のご電話失礼いたします。

 実は、息子と俊介君が大変気が合ったようで、今晩のご飯を私の家で食べたいと……。そうだよね、俊介君?」

 

 

 …………。

 どうにかする手はないかとニンジャの方を向くが、ゆっくりと顔を横に振られた。多分ここから逃げる手はあるのだろうが……母親を無事に守る方法がないのだろう。

 

 仕方なく、右腕の主導権をエンジェルから自分に戻し、机の上に置かれたスマホを手に取る。

 

「そ、そうなんだ。今日は向こうの家でご飯食べてくるから……」

『そうなの? 分かった、あんまり向こうの人に迷惑かけないようにね? じゃあお母さん、仕事中だから……こっちは気にせず楽しんでね』

 

 

 ―――そこでプツリ、と。

 電話が切れた。

 

 

「……じゃあ、今晩は私の家でご飯を食べようじゃないか。その際に話でもしよう……ゆっくりとね」

「っ…………」

 

 榊浦豊の実に楽しそうな笑顔を前に、俊介は何もすることが出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俊介が榊浦豊に殴りかかろうとしていた頃。

 ヘッズハンターはとある部屋で、信じられない物を目にしていた。

 

『…………おい。なんで、なんでこれが…………』

 

 

 彼は目を見開きながら、驚愕の表情を保ち続けている。

 

 ヘッズハンターがいるのは、榊浦美優の私室。榊浦豊の部屋と大体同じようなレイアウトだが、一つ違う物があった。

 それは彼女の書斎机の上に乱雑に置かれた、一枚のくしゃくしゃのメモ書き。

 

 そこには震えた文字で、こう書かれていた。

 

 

『間狩 伸介 まーちゃん』

 

 

 

 それは、この世界で知っている者はいないはずの名前。

 それは、俊介にすら教えていない名前。

 

 

 

 ――――間狩 伸介(まがり しんすけ)

 

 その名前は――――ヘッズハンターの()()だった。

 

 

 

 そして間狩伸介の横に更に震えた文字で書かれた、まーちゃんとは。

 ヘッズハンターが幼いころから共に過ごした()()()()()()()()()()()()()()なのだ。

 

 

『…………』

 

 

 その紙を見つめたまま、暫く、ヘッズハンターは動くことが出来なかった。

 ……動きたくなかった。

 

 

 

 

 



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#56 目的

 

 

 榊浦豊との半ば脅し入りの会話を終え、シアタールームで未だ映像を見続ける生徒の群れに合流する。

 バレない様に適当な席に座り、横を見ると、なぜか夜桜さんがいた。

 

 ……? あれ、今夜桜さん、ここに座ってたっけ……?

 

『……こいつ、拙者の歩き方を真似して……』

「どこ行ってたの、日高君?」

 

 

 夜桜さんが口を近づけ、小声で話しかけてくる。

 まぁ気付かなかっただけで元々そこに居たのだろうと、周囲に気を使いながら、先ほどの榊浦豊との会話の内容を伝えた。

 

 全てを聞き終わった後、彼女は目を閉じて少し考え込む。そして目を開くと同時に口を開いた。

 

「……よくないね。この研究所よりも何があるか分からないよ」

「それはそうだけど、行かなきゃ母さんに何があるか分からないし……」

 

 母親に何か危険が及ぶかもしれない。それを承知で榊浦相手に何か行動を起こす勇気は俺にはない。

 

「確か日高君のお母さんの職場って、住宅街近くのスーパーだったよね?」

「そうだけど……あれ? そこで働いてるって言った事あったっけ?」

「……や、やだなぁ。この間言ってたよ、そうじゃないと私が知る訳ないし」

 

 まあ、それもそうか。

 彼女は額に一筋の汗を垂らしながら、話し続ける。

 

 

「と、とにかく。榊浦豊が合図した瞬間、電話の向こうで花瓶が割れたんだよね?」

「うん。花瓶に小型の爆弾が仕掛けられてたのか、誰かがその場に居て壊したのかは分からないけど……」

「そうだね。考えられるとしたらそれくらい……うん、私が見学終わりにちょっと見てくるよ」

 

 えっ?

 突然そう言い放った夜桜さんに、焦って言い返す。

 

「いや危ないって、何があるかわかんないし!」

「大丈夫だって、私結構鍛えてるから!」

 

 その言葉に反論しようとして、思い返す。

 

 そう言えば、夜桜さんって道具なしのニンジャに勝てるくらい強いんだっけ。

 その道具なしのニンジャですら、一晩で闇金業者複数人を半殺しにして外国行きの輸送船に縛って放置する、なんて芸当を簡単に行えるくらいの強さなのだ。

 

 寧ろ一番危ないのは、特別な特技も強さもない俺の方……ってか。

 

 

「……じゃあ夜桜さん、ちょっとお願いしていいかな? もし怪しい人物がいたら、無理に接触しようとせずに特徴だけ覚えててほしい」

「分かった。……こっちは私で何とかするから、日高君も危ないと思ったら容赦なく暴れるんだよ?」

「うん。お互いまた明日、学校で」

 

 拳をコツリと合わせ、互いの身の無事を祈る。

 その瞬間、シアタールームで流れていた映像が終了し、パッと場内が明るくなった。

 

 

 ……俺も気合、入れないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ―――時が経ち。

 時刻は6時半、とっくの前に学校の見学は終わっている。……が、俺は榊浦豊との約束のため、未だに研究所の中にいた。

 

 自販機とベンチが置かれている休憩所のような場所で、スマホを耳に当てながら話す。

 今しているのは、研究所の中を偵察してもらっていた殺人鬼達との情報交換会だ。

 

「……それで、どうだった?」

『全然駄目だな。分かってたっちゃ分かってたが、重要な情報は全部パソコンの中だ。そんでパソコンは僕達には触れない……どうしようもないね』

「パソコンか……やっぱりそうだよな」

 

 マッドパンクが言うように、重要な情報は全て電子化されて研究所のパソコンの中だそうだ。物に触れられない殺人鬼達ではキーボードやマウスを弄る事すらできない。クソッ、ペーパーレスの弊害か……。

 

 他にないかと聞くと、スッとサイコシンパスが手を上げる。

 

『情報はすっからかんだが、地下へのエレベーターはあった。……が、100メートル圏外だったので地下に何があるかは調べられなかったな』

「ふ~ん、地下……は、地下? 待てよ、100メートルより深いってありえないだろ」

『事実、透明な壁に阻まれた。後もう少しで何があるか見れそうだったが……』

 

 

 この研究所の表……地上階にはめぼしい物は殆どなかった。パソコンの中は知らんが、明らかに怪しい研究をしていますという場所はなかったのだ。だが榊浦の天才を作り出す云々の発言から読むに、何か特別な研究と施設で人間を作っている事は間違いない。

 

 もしかすると研究所の地下こそが、決して表には出せないヤバい事をしている場所なのかもしれない。100メートル以上深い場所に作られた地下階層というのも、怪しさを飛躍的に増加させている。

 

 一体何があるのか興味はあるが、今は無理そうだ。

 

 

 

「他には―――……? どうした、ヘッズハンター?」

 

 周りを見渡すと、ヘッズハンターがやけに顔を俯かせているのに気が付いた。珍しい。

 一体何があったのか聞き出そうとしたその時、コツコツという足音が左側から聞こえてくる。

 

 

「待たせたね日高君。悪いね、電話中だったかな? それとも人格との会議かな?」

「…………」

 

 榊浦豊が来てしまった。しかも人格と話しているのすら的中させられてしまった。ヘッズハンターへの問いかけを切り上げ、スマホを耳から離す。

 

 

「そんな怖い顔しないでもいいよ。私の家で食事を食べるだけ、それだけだから」

 

 信用できるかっつうんだよ。

 踵を返して歩く奴の背中に付いて行き、駐車場に停められていた純白の高級車に乗るよう促される。

 

 後部座席に座ろうと思ったが、先に助手席の扉を開けられる。どうやら前に座れという事らしい。

 小さく舌打ちをしつつ、助手席に座り込む。

 

 

 

 

 

 ―――午後六時半。

 しかし夏が近づいているという事もあってか、空の色は存外明るい。しかし、街頭や信号機の光が目にチラつく、そんな中途半端な暗さの時間帯。

 

 榊浦豊はハンドルを握りながら、余裕綽々の声色で話す。

 

「時に日高君。約数ヵ月前、ニュースで浮遊人格統合技術の新たな研究が実を結んだ……そういう報道があったのを知っているかい?」

「……そういえば、そんなのもあったな」

 

 アレは確か、ダークナイトと遊びに行って屋上に居た暗殺者を叩きのめした日の事。

 朝のニュースで、人類が進化を遂げる研究が実を結んだとかそういう事を言っていたような気がする。

 

 

「ダッシュボードにその『()()()()()()()』が入っているから、見てみなよ」

「…………」

 

 榊浦豊の方を警戒するが、ハンドルを握って運転しているだけで何かしてくる気配はない。

 目の前にあるダッシュボードの取っ手を引き、カパリと開ける。

 

 中に入っていたのは、自動車検査証などの車に常備しておかなければならない書類と。

 透明な厚いプラスチックの袋に入った注射器と、ちゃぽちゃぽと揺れる透明な液体の入った小瓶だった。

 

 

「何だこれ……?」

 

 注射器と小瓶を手に取り、じっくりと眺める。

 袋に入った注射器の方は何の変哲もない、採血などで使われるごく一般的な物に見える。……素人目にはそう見えるだけで、実際は何か変わった機能があるのかもしれないが。

 

 しかし奴の言葉から察するに、問題なのは小瓶に入った液体の方だろう。

 浮遊人格統合技術に、注射器に、小瓶に入った液体……。

 

 

「まさかこの液体、浮遊人格統合技術の注射の中身か」

「そうだね。それは現行使用されている物のバージョンアップ版……いや、改悪版とでも言おうか」

「改悪……?」

 

 理解できぬと言った風に、俊介が聞き返す。

 榊浦豊は少し言葉を選んだ後、困ったような素振りで語り始めた。

 

「詳しい説明は専門的すぎるから置いておくとしよう。ざっくり言うと、それは現行の物より蘇生薬の割合を減らし、精神を割る……つまり異世界の人格を呼び込む薬の配分を増やしているんだ。

 そうするとまぁ当然、蘇生確率はグッと下がる訳でね。人格の宿る確率は相対的に上がったけど……」

 

「……お前に倫理的な話をする気はもう失せた。

 だからこそ敢えてそれを無視して聞くが……これの何処が改悪版なんだ? 人格の宿る確率を上げるなんて、寧ろお前らからしたら成功以外の何物でもない気がするが」

 

 

 榊浦豊の目的は依然としてハッキリせず、ふわふわ揺蕩う雲のようだ。

 だが榊浦豊のバックに居る国側の目的は大体分かる。異世界の優秀な人格を多く手に入れるため、とにかく人格を宿らせまくる。人間の命をチップにしたガチャを引き続けているのだ。

 

 そんな国側からすれば、これはSSR人格の排出率が0.01%から1%に上昇するような物。

 喉から手が出るほど欲しい物品であるはずなのだ。なのにどうしてこれが改悪版なのか、俊介には分からなかった。

 

 

 

 榊浦豊は左側にウィンカーを出し、ハンドルを左側に切る。

 セキュリティの頑強そうな高級マンションの地下駐車場に入り、スピードをじわじわと緩めながら答えた。

 

「まぁ政府にとっては成功物、けど私にとっては改悪版でしかない。言葉足らずだったね、謝るよ」

「なぜお前は、これを改悪版だと思うんだ?」

「今が最適だから。というより、()()()()()()()……というべきかな。

 ここから先は同じ道の延長線上を進むべきではなく、別の方向に一歩踏み出す必要がある。それが人工的な天才……」

 

 

「……?」

 

 俊介には榊浦豊の言わんとしている事がよく分からなかった。

 いや、言葉の意味は分かる。だが、その言葉の裏に隠されている真意が上手く読み取れなかったのだ。

 

 車が駐車場に停められ、ガチャリという音と共に扉のロックが解除される。

 奴が降りたのと同じタイミングで俊介も降り、ささやかな嫌がらせに扉を勢いよく閉めようとしたが、超高級車の扉を勢いよく閉める度胸は俊介にはなかった。そっと閉める。

 

 

 

 車から暫く歩いた所にあるエレベーターに乗り、榊浦豊が階層を指定するボタンを押す。……当然のように最上階のボタンが光っていた。金持ちめ。

 俊介はコンビニで甘いお菓子を買うか悩む自身の財布事情と、目の前の男の財布事情を比較し、嫌気がさした。なんでこんなイカれた研究やってる奴が超のつく金持ちなんだ、世の中狂ってる。

 

 

「ったく……腹立つぐらい金もあるし、頭もいいし、顔もいい。なのに何でこんな変な事やってんだよ……」

「それ私に言ってる?」

「他に誰がこのエレベーターに乗ってるってんだよ」

 

 

 そう言うと、奴は朗らかに笑った。

 

「手厳しいね。う~んしかし、何でこんな事をやってるか、か……。……正直に答えるのは恥ずかしいな、ちょっと当ててみてよ」

「は?」

「リミットはエレベーターが最上階に着くまで。当たってたら正解とちゃんと答えよう。はい、スタート!」

「な、おい、ちょっと待て!」

 

 

 何で突然クイズが始まってんだ。

 というか、榊浦豊が何で浮遊人格統合技術を作ってるかとか、人工的な天才を作ってるかとか、そんなん俺が知る訳ねえよ。

 

 俊介は考えても無駄だと、数打ちゃ当たる戦法でとにかく言葉を出しまくる。

 

「金が欲しいから!」

「違う」

「知的探求心!」

「違うね」

「目的とかない!」

「それだとクイズにしてないかな」

「あー……? えーっと……名声……?」

「別にいらないかな」

 

 

 分かんねーよ。

 俊介が悩んでいるうちに、グングンエレベーターは最上階に近づいていく。

 

 別にこんなクイズ、正解を当てられなくてもいいんだけど……。ここで当てられないのは、なんか腹が立って嫌だ。

 殺人鬼達とのアレコレで磨いた勘を必死に働かせ、答えを探っていく。

 

「……天才。天才にやけにこだわってたし、その人工的な天才に、何かをさせたいとか?」

「…………」

 

 ピクリと、榊浦豊が動きを止める。

 どうやら当たりに近づいたようだ。

 

「何か革新的な物を作って欲しいとか」

「……」

「あるいは、もっと異世界の技術が知りたいとか」

「……」

 

 榊浦豊は間違っているとも正解とも答えない。

 エレベーターの扉の方に顔を固定し、俊介に背中を向けたまま、ずっと立ち尽くしている。

 

 

 当たりが近いのは確かだが、ここから先の一歩が踏み出せない。

 いや……常識的な考え方を続けていちゃ駄目だ。目の前の男は世界を変える技術を開発した男で、常識なんてのは一片も意に介さないような奴だ。きっと、世界のためとか大義のためとかじゃなく、もっと利己的な目的――――。

 

 

 

「……何か、やり直したい事があるとか? 自分にはできなかった、失敗した、何かを……」

 

 

 

「―――――っ」

 

 榊浦豊が何か声を発しようとして、息を吸い込む。

 その瞬間。

 

 

 

 ―――ポーン!

 

 

 

 と、エレベーターが最上階に到着した音が響いた。

 軽い音と共に、扉が左右に開いていく。

 

「今のは正解だったのか、不正解だったのか。どっちだ?」

 

 俊介がそう問いかけると、榊浦豊はこちらを向き。

 

 

「……さあ? タイムリミットだからね、答えられないよ」

 

 今までの朗らかで飄々とした雰囲気ではなく、少し感情のこもった低い声でそう言い放つ。

 俊介に対し、初めて榊浦豊が人間らしい感情を見せた瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




遅れて申し訳ないです


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#57 提案と条件

 

 

 

 時刻、6時ちょうど。ようやく空が山吹色に変わり始める時間帯。

 榊浦精神科学研究所の見学は既に終了しており、生徒達は皆解散となった。……たった1人、日高俊介を除いて。

 

 

 

「さてと……」

 

 日高俊介が人格達に研究所に偵察させている頃、夜桜紗由莉も動き始めていた。

 まだ明るい時分ならば、人目に付きにくい格好よりも学生服の方が怪しまれにくい。学生がスーパーの近くをうろついていたり、ちょっと走ったりするくらいで通報される訳もない。

 

 夜桜が体の調子をチェックしていると、バクダンが話しかけてくる。

 

『目的を再確認していいか?』

「どうぞ」

『今回は日高陽子……まぁあいつ(日高俊介)の母親の周りにいるかもしれない、榊浦の息が掛かった奴を探す……だよな?』

「そうだよ? 何で疑問形なの?」

 

 意味が分からないと言った風に夜桜が聞き返すと、バクダンが冷や汗を垂らしながら言葉を返した。

 

『いやお前、偵察するだけなのに何で服の中の爆弾まで念入りにチェックしてんの……? 何する気だよ』

「まぁ何あるか分かんないし? 隙を見てやれそうならやろうかなって」

『それどういう意味の『やる』なの? 殺すと書いて殺る方?』

 

 バクダンの言葉に夜桜は何も答えなかった。

 

 

 

 

 夜桜は日高陽子の働くスーパーの付近を訪れる。

 俊介から聞いた話では、榊浦豊が合図をした瞬間、日高陽子のすぐ傍にあった花瓶が割れた……という事らしい。

 

 考えられるとすれば、小型の爆弾か、狙撃か。

 もし設置型の爆弾だったとすれば対処は簡単だ。こっちには天才爆弾技師のバクダンがいるのだから、どれだけ危険で難解な爆弾でも解体することなど朝飯前である。

 

 

 厄介なのは、狙撃だった場合。

 実行犯が近くにいるならば、発見するのは容易ではないはずだ。曲がりなりにも世界最高峰の研究者の息が掛かった人間、決して無能な人物ではないだろう。

 

(仕留められる隙があるのなら、仕留める気ではいるけど……多分見つけるのが限度かな)

 

 

 

 夜桜はまずスーパーの近くから探っていこうと、スーパーの裏側が見える道を歩き始めた、その時。

 

 

「ウヒヒヒヒ」

「…………」

「ヒヒヒヒ」

 

 スーパーの裏に、黒いスーツを着込んだ変な黒髪の女がいた。

 文庫本サイズの小説にカラフルな付箋を貼りまくり、気持ち悪い笑みを漏らしながらページをめくっている。

 

「…………」

 

 その女の方を見ないようにしながら、サーッと道を通り抜ける。

 そして女の視界から確実に外れた曲がり角の所で、バクダンと顔を見合わせた。 

 

 

『なんだいまの?』

「て、店員かな……?」

『給料貰ってる奴が店の裏で本読んでサボってちゃ駄目だろ……絶対変な奴だって』

「やっぱそうだよね……」

 

 普段ならただのヤバい奴だなと思ってスルーするのだが、今回ばかりはそうもいかない。

 榊浦の手の者の可能性が万分の一でもある以上、一応調べておかなければならない。……絶対違うと思うけど。

 

 スーパーの付近の道を大きく迂回するように回り、不審者女の背後に回り込む。

 あの女は左半身を壁に付け、体重を預けながら本を読んでいたので必然的に背後という死角が出来ていたのだ。……こういう死角を作るところも、榊浦の手の者じゃなくただの一般人だという証拠な気もするが。

 

 

「よっ、と」

 

 近くの民家のコンクリート塀に登り、そのまま民家の屋根の上に登る。軽々しく行っているが、一般的な高校生の俊介には到底真似できない芸当だ。

 屋根の上で身を低くしながら、不審者女の方を注意深く観察した。

 

 

 未だにスーパーの裏で笑いながら本を読んでいる不審者。

 ……けどまあ、それ以外は特に何も怪しい所はないし。黒いスーツを着ている所から察するに、仕事で心が疲れ切ったOLとか……そんな感じかな。

 

「見る必要なかったかも、やっぱり」

『そーかもなぁ。ほら、あの女もどっか行くみたいだしさ』

 

 バクダンの言通り、彼女は読んでいた文庫本を閉じ、いそいそとスーツの内側に直していた。

 そして本を直し終わったのか、スーツの内側から手を取り出す。

 

 

 

 ――――その手には文庫本の代わりに、鈍く光るサプレッサー付きの()()が握られていた。

 

 

 

「ッ――――」

『避けろ、紗由莉ィ!!』

 

 平和な日常では決して見る事のない一品に、夜桜が一瞬動きを固める。

 だが元の世界で幾度かそういう代物を見る機会があったバクダンが叫んだことで、反射的に回避行動に移れた。

 

 咄嗟に上体を右に逸らす。

 その瞬間、顔のすぐ傍を銃弾が通過した。回避していなければ確実に頭を吹っ飛ばされていただろう。

 

 

 夜桜は銃を撃って来た女の方を見る。

 ()()()()()()()()()()()()

 

 右手に持った拳銃を左の肩の上から背後に向け、こちらを狙撃してきたのだ。

 

 

(ノールックで、50メートル以上離れた私の頭の場所にドンピシャで当てて来た―――ッ!!)

 

 

 完全に油断していた。そも、スーパーの周囲にいる怪しい人間は全員仕留める気でいたのに、どうしてあの女には気を抜いてしまったのか。

 それにどうやって、振り向きもせずに50メートル以上背後の頭の場所を綺麗に撃ち抜けるのかも分からない。明らかに普通の人間に出来る範囲を超えている。

 

 何もかもが分からない。故に。

 

「くッ、顔だけでもよく見とけばよかった!」

 

 

 夜桜は即座に撤退の一手を選んだ。

 得体が知れない上、拳銃を所持した相手とやり合うのは流石に厳しい。

 

 滑り落ちるように屋根から降り、すぐさま入り組んだ住宅街の道を追跡されないように滅茶苦茶に走った。

 この辺りの地理は以前に完璧に頭の中に叩き込んでいる。それに夜桜のスポーツ選手並みの健脚による全力疾走を加えれば、殆どの場合逃走出来る。

 

 

 

 ――――だが。

 恐らく、今日は運の神様が彼女にそっぽを向いていたのだろう。

 

 

「……?! 何、あれ……!?」

 

 

 前方、約100メートル先。

 異常な物が立っていた。

 

 

「…………」

 

 腕を組んで仁王立ちする、黒い鎧。

 凡そ住宅街という平凡な日常の場には溶け込めない、異常物体。

 

 

「くッ―――!」

 

 本能が『ヤバい』と叫ぶ。

 夜桜は靴底を地面に擦り付けながら急ブレーキし、すぐさま踵を返す。あの黒い鎧がいない方向の道から逃げようとしたのだ。

 

 あの鎧との距離は凡そ100メートル前後。

 これだけの距離があれば、たとえプロの陸上選手であっても逃げられる自信が彼女にあった。

 

 

 しかし。

 黒い鎧が体を前に傾け、足を一歩踏み出したかと思った瞬間。

 

 1秒もしない間に鎧が夜桜のすぐ後ろまで距離を詰め、右拳を大きく振りかぶった。

 その拳は咄嗟に振り返った彼女の左の頬に吸い込まれ、ガァン!と骨と金属がぶつかる嫌な音を大きく響かせる。

 

 

 だが、鎧の右拳が夜桜の顔に突き刺さった瞬間、黒い鎧の腹部が勢いよく爆ぜた。

 夜桜は拳の攻撃に合わせるように、カウンターの爆弾を鎧にぶち当てていたのだ。

 

 

「…………」

 

 常人ならば鎧越しであっても倒れるであろう威力の爆発。

 だが黒い鎧はその爆発を全く意に介すことなく、左拳を彼女の頭頂部へ垂直に叩き落とした。

 

 

「うっ……」

 

 微かな呻き声をあげ、頭から血を流しながら気絶する夜桜。

 地面に倒れ伏す彼女から流れる鮮血が道路に僅かな染みを残す。

 

 黒い鎧は気絶した夜桜の体を肩に担ぎあげ、ゆらゆらと左右に揺れるように歩きながら、何処かへと姿を消した。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同日。時刻、午後7時。

 

「紹介しよう。彼女が私の妻、榊浦(うみ)だ」

 

 俊介は榊浦豊の家にて、彼の奥さんを紹介されていた。

 

「初めまして、榊浦海と言います」

「ど、どうも……初めまして、日高俊介です」

 

 お互いに挨拶し、ペコリと頭を下げる。

 

 

 榊浦海と名乗る彼女は、50代にしてはとても若く見えた。正直30代前半と言われても信じてしまうほどだ。

 しかし、榊浦豊はハリウッド俳優クラスのイケメンであるが、彼女はそれに釣り合うほどの美人ではない。目の下に小じわが見えるその風貌は、とびっきりの美人を見た時の息を呑むような感動ではなく、家庭的な素朴さや安心感を感じてしまう。

 

 言葉を選ばずに物凄く失礼な言い方をすると、彼女は少し芋臭いというか、田舎っぽいのだ。丸っこい顔?とでも言うべきか。

 まぁ他人の奥さんが美人とか美人じゃないとかでコロコロ対応を変えるつもりは全くない。

 

 

「海。今日の晩御飯は?」

 

 榊浦豊が上着をラックに掛けながら、奥さんにそう問いかけた。

 彼女は慣れ切った口調で答える。

 

「今日はビーフカレーですよ。そうだ日高君、アレルギーとかはない?」

「あ、全然ないです。何でも食べれます」

「良かった。遠慮せず、いくらでもお代わりしていいからね。今日は男の子が来るって聞いて、ちょっと張り切って作ったから」

 

 パタパタとスリッパの音を鳴らしながら、彼女が廊下の奥に歩いて行く。

 

 

 玄関口で2人切りになった俺と榊浦豊は、なぜか互いの顔を見合わせた。

 

「……どうだい?」

「何が?」

「これから一緒にご飯を食べるのに、2人も嫌いな奴がいたら嫌だろう?」

 

 俺が榊浦豊の事が嫌いな事、本人はよく分かっているみたいだ。

 でもまぁ、奥さんの方は……うん。

 

「良い人だと思うよ。少なくとも今はまだ……嫌な感じはしない」

 

 本性がどんな物かは知らない。もしかすると榊浦豊や榊浦美優と同じレベルの邪悪さを持っているのかもしれない。

 だが先ほどの彼女の動きや対応の仕方を見て、俊介は余り嫌いにはなれなさそうだ、と感じた。

 

 

「それは良かった」

 

 榊浦豊がそう言う。

 別に俺、嫌いな奴が1人居るだけでも一緒に食事するの嫌だけどな。2人じゃないからOKとはならん。

 

 

 

 

 

 リビングに案内され、既に食事の並べられた食卓の席に着く。

 榊浦豊と海さんが対面するように座り、俺は榊浦豊の右側に座った。よりにもよってここかよ、嫌だなあ。

 

 それにしても、榊浦美優の姿が見えないが……。

 まぁ、あの人も20代後半とかそんなんだったはずだし、一人暮らしでもしてるのかもな。

 

 

『……うん。毒は入ってないわ』

 

 密かにクッキングに料理を見てもらったが、特に何の変哲もないビーフカレーらしい。

 海さんに感謝を伝え、スプーンですくって口に運ぶ。……うん、予想通りの味だ。THE・ビーフカレーって感じ。

 

 

 腹が減っていたのもあり、パクパクと食べ進めていると、海さんが問いかけてくる。

 

「そういえば日高君。美優が先生をやってる学校の生徒さんだって聞いたけど、美優はどんな感じ?」

「え? あ、榊浦先生ですか……」

 

 …………。

 教えるのは上手いけど、性格がね……。

 

「い、良い先生だと思いますよ。授業もとっても分かりやすいし」

「そうなの? 良かったわ、ある日突然先生になりたいだなんて言い出すもんだから、ちょっと心配でね」

「へ~、そうなんですか。けど元々研究員だったのに、どうしてまた先生なんかになりたかったんでしょうか?」

「それは……あなた、どうだったかしら?」

 

 海さんが榊浦豊の方に話を振る。

 彼はスプーンを持つ手を止め、静かに言い放った。

 

 

「『()()()()()()()()』と言っていたな」

 

 そう言って、彼がチラリとこちらを見た。

 ……もしかして、俺?

 

 

 いやでも、榊浦美優と俺って案外接点ないぞ。

 家まで突撃してきたのにはビビったが、アレ以外で特に関わった記憶ないし。

 

 寧ろ最近出会った榊浦豊の方が接触回数多いくらいじゃないか……?

 授業とか、一対多数の場合とかは抜きにして。

 

 関わったのは、家に突撃してきた時と、夜桜さんの家にプリント届けに行った時と、夜桜さんと図書準備室から出て来た時にバッタリ会った……くらいか。

 

 なんかやけに夜桜さんの名前が出てくるな。

 うーん……でも榊浦美優が夜桜さんを気に掛ける理由あるか?

 夜桜さんは優秀な人格持ちではあるけど、浮遊人格統合技術の開発者なら他にも大量に知ってるはずだし、わざわざ彼女の為に学校に赴任してくるとは考えにくい。

 

 

 ……よく分からないな。

 とりあえず、榊浦美優は誰かを探る為に教師になったらしい。それ以外は分からん。

 

 

 

 考えが上手く纏まらないまま頭が限界を終えた所で、皿の中身が空になった。

 ちょうど俺が食い終わった時、榊浦豊もカレーを完食したらしい。……いやこの感じ、こいつ俺の食うスピードに合わせてたな。そんな気遣いの出来る彼氏みたいな事を俺にするな。

 

 でもまぁ、食事を食べさせてくれたのは事実だし。

 

 せめて皿洗いでもするかと立ち上がろうとした瞬間、榊浦豊のポケットから電話のコール音が鳴り響いた。

 電話の邪魔になっては不味いと、上げかけた腰を椅子の上に降ろす。奴は電話をポケットから取り出し、相手の名前を確認することもなく通話に出た。

 

 

「もしもし。…………それは……ふむ、まぁちょうど良い機会だ。お前は適当に動いておけ、必要ならまた呼ぶ」

 

 電話相手の声は聞こえず、一体どんな会話をしているのかは分からない。

 榊浦豊が電話を終えた瞬間、俺の肩をポンと叩いた。

 

「日高君、申し訳ないが少し面倒な事になった。海、私は彼と部屋に行く」

「はーい」

 

 そう言って俺の分の皿まで持っていく海さん。

 ちょっと申し訳ないと思ったが、今は榊浦豊の呼び出しの方を優先するべきだ。彼女の好意に甘え、大人しく榊浦豊に案内されるまま彼の私室に入る。

 

 

 

 

 その部屋は研究所にあった彼の私室と大体同じだった。

 ベッドがない所を見るあたり、寝室はまた別の部屋なのだろう。息が詰まるような量の本に囲まれた部屋の中、黒い革張りの椅子に座った。

 

 対面に座った榊浦豊が眉間に少しだけしわを寄せながら、声を出す。

 

「……先に断っておくが、この件に関して、私は関与していない」

()()()? 何が?」

「とりあえずこれを見てもらった方が早いな」

 

 彼はスマホの画面を何度かスライドした後、机の上にスマホを置く。

 そこには一枚の、少し高い……屋根の上から撮影されたであろう写真が映っていた。

 

 

 それは。

 頭から血を流しながら黒い鎧の肩に担がれ、だらんと脱力している夜桜さんの写真。

 

 ポタポタと垂れる血液がアスファルトの道路に赤黒い染みを残している。その染みが一直線に伸びている事から、この黒い鎧によって彼女は何処かへ運ばれているのだろう。

 

 

 

「――――お前」

「日高君、私は先に断っておいたはずだ。だからまずは落ち着いて―――」

「榊浦豊。口を閉じないと、今ここでテメェを殺すぞ」

 

 

 俊介が、スマホの置かれた机の表面に中指を置く。

 そのまま軽く力を込めた瞬間、大理石で出来た机に巨大なヒビが走った。明らかに常識を逸した超常の力、榊浦豊はこれが彼の中に宿る人格の力によるものだと確信する。

 

 

「……本当に落ちついて欲しいな。いくら私でも、それだけの殺気を当てられれば怖くなる」

「…………」

 

 

 普通の人間が出せる範疇を遥かに凌駕している殺気に、榊浦豊は頬に一筋の汗を垂らした。

 場の流れが榊浦豊から俊介の方に傾いているのが分かる。立場や口八丁で完全に流れを握っていたのに、まさか怒りだけで全てをひっくり返されるとは。

 

 

 彼は冷や汗を隠すように指で拭った後、写真の映ったスマホを手に取った。

 

「これは今、私の手の者から送られてきた写真だ。見ての通り、夜桜紗由莉が変な鎧に誘拐されている場面だね」

「この鎧が誰か知ってんのか?」

「それは私にも分からない。だが何処に所属している人物なのかは分かる。『()()()()()()』というグループを知っているかい?」

 

 ピクリと、俊介の眉が反応する。その名前に聞き覚えがあったからだ。

 榊浦豊は俊介の反応を見て、知っていると確信しながら話を続ける。

 

 

「『未来革命機関』……。まぁざっくり言うと、この国の転覆とかを考えてるテロリスト集団さ」

「…………そうか。一体そいつらの本拠地は何処にある?」

「国内にあるらしいが、詳しい位置は分からない」

 

 俊介の怒りが時と共に少しずつ収まって来たのか、発していた殺気が段々と薄れていく。

 だがその怒りは決してなくなった訳ではなく、何かのきっかけで再び爆発するであろう事が窺える。

 

 

 しかし殺気が薄れたことで、若干気圧されていた榊浦豊が冷静さを取り戻した。

 いつもの飄々とした雰囲気を纏い始め、俊介に向かって堂々と言う。

 

「そこでだけど……日高君。君は私と仲間になる気はあるかい?」

「ある訳がないだろ」

「……そっか。まぁ今のは断られるのを予想して聞いたからいいけどさ。

 じゃあ私と君は今から敵対関係……になる訳だけど、ここで()()()()()()()

 

 

 人差し指をピンと立てながらそう言う彼に、俊介は眉間にしわを寄せながら睨むように視線を向ける。

 

「夜桜紗由莉。彼女を未来革命機関から救い出すまで、私は君に害のある行為をしない。いや、寧ろ力を貸そうじゃないか」

「……あ? どういう事だ」

「そっくりそのままだよ。相手は組織だったテロリストだ、対抗するには高校生の君では足りない力もあるだろう……権力とかね」

 

 俊介はその提案がどれだけこちらに利のある物かをすぐに理解した。

 特にただの高校生の俊介にとって、権力というどうしようもない力を援助してもらえるのは実にありがたい話だ。

 

 故に、その提案が無償で施される物でないことにも気付いている。

 

 

「……条件は何だ? そんな提案、お前が無料(タダ)でする訳がない」

「話が早くて助かるよ。私が君に出す条件は二つ。

 

 一つ目は、君の人格が何人居て、どんな人物達かを正確に教える事。

 

 二つ目は、君の肉片を私に渡す事。約1立方センチメートル……サイコロステーキくらいの大きさでいい」

 

 

 ……どちらも碌な条件でない事はすぐに理解できた。

 人格の人数やどんな人物かを明かす、それはまあ分かる。が……肉片を欲しいとは一体どういう事か。

 

 

「ああ、肉片と言っても内臓とかの重要な器官じゃないよ。お腹の脂肪とか、そんなのでいい」

「何に使う気だ、そんな物」

「手術を行う病院は私が紹介しよう、勿論費用も私が出す」

 

 露骨に無視しやがった。

 一体何に使うつもりなのかは明かすつもりがないらしい。

 

 

 

 ……榊浦豊は未来革命機関の一件が片付くまで、手を出してこないどころか、力まで貸すと言う。

 その条件に、人格の開示と、俺の肉片を寄越せと言う。

 

 

 得体が知れなさすぎる。特に肉片を寄越せという方……全くもって碌な気配がしない。

 だが、もしこの提案を断れば、未来革命機関という未知の相手と同時に榊浦豊の相手もしなければならない。

 

 俺一人なら正直、何とでも出来るだろう。

 テロリスト集団と榊浦豊が同時に攻めてきたとしても生き残れる自信はある。

 

 

 しかし……榊浦豊の相手をしていて、夜桜さんを助け出すのが遅れ、もし何かあったら?

 

 そうなったら、その時、俺は何をしでかすか分からない。

 ダークナイトの全力を使ってでも犯人を消し飛ばすだろう。それ以上に残虐な事をする可能性もある。

 

 それに奴がこの提案をキッチリと守るなら、未来革命機関の相手をしている間だけは、両親にも危害は及ばない。

 

 

 俺一人だけならどうとでもなるのに……。

 いっその事、全部切り捨てられたら、楽なのかもしれないけど。

 

 それを切り捨てられないから、俺は未だに俺のままなのかもしれないな。

 

 

 

 すっかり怒りが収まった俊介は、歯を食いしばりながら榊浦豊に頭を下げる。いつの間にか、場の流れは榊浦豊が掌握していた。

 

「……分かった。ただ、その二つの条件は……事が終わった後にする。前払いはしない」

「それでいいよ。じゃあ交渉成立って事で。……影ながら応援しているよ、日高君」

 

 榊浦豊が部屋から出ていく。

 

 

 暫く座ったまま動けなかった俊介は、自身の選択が間違っていないと、そう言い聞かせる事しかできなかった。

 

 

 

 



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#58 情報整理

 

 

 

 

 

「結局、榊浦豊の良いように転がされたな……」

 

 俊介は榊浦家から帰宅後、そんな風に呟きながら頭を抱えた。

 あの後、いつの間にか榊浦豊が呼び出していたタクシーで家まで送ってもらったのだ。当然の如く、俊介は住所を言っていないにも関わらず、タクシーの運転手は俊介の家の前に車を止めた。

 

 

 椅子に座って頭を抱える俊介に、キュウビが扇子を扇ぎながら言う。

 

『仕方あるまい。わらわ達が居ると言えど、俊介はまだ未熟な子供。対して相手は老獪な天才じゃ。翻弄されるなと言う方が厳しかろう』

「……そういえば俺が榊浦豊と話してる時、一体何してたんだ? キュウビが外に居てくれたら心強かったのに」

『おほほほ、嬉しい言葉じゃのう。……コホン、冗談は置いておいて』

 

 咳払いした彼女は、チラリと視線を窓の方に向けた。

 窓の上の方で半透明の足が2本、ゆらゆらと揺れているのが見える。恐らく誰かが屋根の縁に座っているのだろう。

 

 殺人鬼達はずっと同じ服な上、もう何年もずっと一緒に過ごしているのだ。俊介には窓から見える膝から下の部分だけでそれが誰かを判別する事が出来た。

 

 

「……()()()()()()()がどうしたんだ?」

『少し危険な状態だった故な。監視しておったのじゃ』

「危険? 確かに、今日はちょっと様子が変だった気はしたけど」

 

 研究所でヘッズハンターが偵察から帰って来た時、何か様子がおかしな感じはした。だがすぐに榊浦豊が来てしまった故、何があったのかを聞く事が出来なかったのだ。

 キュウビが困った風な表情を浮かべつつ、言葉を選ぶ。

 

『何と言えばよいかのう。その……あれじゃ。にじみ出る殺気の質がちと危険だったのじゃ』

()?」

 

 小首をかしげる俊介。

 

『俊介に分かるように言うと……例えば、そこらのチンピラが『ぶっ殺す』とわめいても、実際殺す訳はあるまい?

 わらわ達が出す殺気も大体そんな物よ。命を奪う寸前で止める、精々が九割殺しの優しい殺気じゃな。

 

 ……じゃが、今日のヘッズハンターが出していた殺気はそういう類ではなかった。

 本当に人を殺す……そういう時に出す質の殺気だったのじゃ』

 

 九割殺しってそれ殆ど殺してるようなもんじゃないのか……?

 

 

 単なる脅しの殺気と、本当に人を殺す時の殺気。

 俊介にはどっちも同じような物に感じるが、そこの所の細かい差は実際に人を殺し続けた殺人鬼達でないと分からない物なのだろう。

 

 

「じゃあヘッズハンターが危険だったって言うのは、俺の体を奪って人を殺しかねなかったって事?」

『そういうことじゃな。何を見つけたのか分からんが、あやつも最近不安定じゃのう……』

「……まぁ、何があったかは本人に聞けば一番早いだろ。……ヘッズハンター!」

 

 

 ガラッと窓を開け、屋根に座るヘッズハンターを呼んだ。

 彼は街の明るい方……繁華街の方角を見ていた顔を俯かせ、こちらに視線を向ける。

 

『どうした俊介? 今ちょっと……考え事しててな』

「いや、研究所の時から様子が変だったからさ。一体何があったのかなって思って」

『…………何でもない……いや、ハハ、ごめん。こんな変な顔で何もないって事ないよな』

 

 彼の目の焦点がどことなく合っていない。心ここにあらずと言った感じだ。相当に強烈な事があったのだろうと俊介は感じる。

 

 

『俺の幼馴染の話……前にしただろ?』

「ああ。その……自殺した、っていう」

『……うん。もしかしたら…………その幼馴染が、この世界に来てるかもしれないんだ』

「っ」

 

 ヘッズハンターが一度自身の過去を明かし、俊介との信頼感が強く結びついていたからだろう。彼は特に何かを隠すことなく、自身の心情と何があったかを吐露していった。空気を読んだキュウビは既に姿を消している。

 

 

 ―――曰く。

 

 研究所を偵察している時に、榊浦美優の私室に入った事。

 その部屋の机の上にメモがあった事。

 そのメモにはヘッズハンターの本名と、ヘッズハンターの幼馴染が彼を呼ぶ時に使っていたあだ名が書いてあった事。

 

 

 その全てを語り終えたヘッズハンターは、情けなさと恥ずかしさが混じった表情で、くしゃっと顔をゆがめた。

 

『馬鹿みたいだよな。何百人も殺してるのに、今更……幼馴染が来てるかもってだけで心が乱されるなんて』

「そんなことないだろ。寧ろ、そこで悩むヘッズハンターの方が俺は信頼できるよ」

『…………ああ』

 

 彼は表情を隠すように、俊介の視界外に顔を逸らした。

 

 

 

 しかし、ヘッズハンターの幼馴染か。

 榊浦美優の私室にそのメモ書き……うーん。

 

「そういえば、榊浦美優が人工的な天才を作ったって言ってたな……」

『……? 何だ、その話?』

「ああ、ヘッズハンターは知らなかったな。イカれた話だけど、榊浦美優が白い髪の女の子を作ったって榊浦豊から聞いたんだよ。何か、8人人格が入ってるとか……あっ」

『…………』

 

 俊介はあのデザインベイビーなる少女の事を伝えた所で気付く。

 榊浦美優が作ったという少女、榊浦美優の部屋にあったメモ。もしかすると、ヘッズハンターの幼馴染の人格は、その少女の中にいるかもしれないという可能性。

 

 ヘッズハンターも俊介と同じ答えにすぐ行きついたようで、僅かな希望の灯った眼と、後悔に塗れた表情のまま、屋根から飛び降りた。

 

 

『俊介! ちょっと俺……外歩いてくる。もう大丈夫だからさ、少しの間、一人にさせてくれ』

 

 彼の言葉に、俊介はコクリと頷いた。

 物に触れられない半透明の人格、その上強力な殺人鬼の彼に万一の危険も及ぶわけがない。それに……一人になりたい時は誰にでもあるだろう、知り合いがこの世界に来てるかもしれないとなれば尚更考える事は積もるほどにある。

 

 ヘッズハンターが揺れるような足取りで曲がり角に消えていくのを見届けた後、部屋の中に視線を向けた。

 

「……キュウビ、もういいぞ」

『うむ。……ま、わらわには分からぬ話じゃな。何せ元の世界に大切な存在なぞいなかったからのう』

「ヘッズハンターにはヘッズハンターの事情があるからな。……それはそれとしてキュウビ、今から情報を纏める。手伝ってくれ」

『分かったのじゃ』

 

 

 

 今日は新しく得た情報が多すぎて、頭の中がグチャグチャだ。

 夜桜さんを早く助けたいという思いもある……が、今から無暗に動くよりも、一度立ち止まってきっちり整理するべきだ。何せ俺達はまだ、未来革命機関がどんな組織で何処にあるのかすら分からないのだから。

 それに……あの黒い鎧の事も気がかりだ。

 

 

『分かりやすいよう情報を大別してまとめて行こうかの。何、わらわがサポートするので安心するのじゃ』

「ああ」

 

 

 頭の中に叩き込んだ記憶を紙の上に起こし、キュウビとあーだこーだ言いながら纏めていく。

 

 

『・榊浦親娘は人工的な天才を作っている。

   →榊浦豊には何か目的があるが、不明。榊浦美優の目的も不明。

 

 ・榊浦美優の天才の作り方は、デザインベイビーなる方法。既に少女を1人作っている。

   →もしかすると、ヘッズハンターの幼馴染の人格がいるかもしれない……?

 

 ・未来革命機関が夜桜さんを誘拐した。

   →怪しげな黒い鎧が夜桜さんを担いでいた。撮影者は榊浦の手の者。黒い鎧も、撮影者も、一体誰なんだ?

 

 ・榊浦豊の条件。人格の情報の開示、肉片の提供。

   →肉片を何に使うんだ……? 研究でもするのか? 殺人鬼はともかく、俺はただの高校生なのに。』

 

 

 

 重要な所は大体こんなものか。

 マジで分からない事だらけだな。そりゃ頭もこんがらがるわ。

 

 俊介が何処から手を付けた物かと悩んでいると、キュウビが机の上に置いている写真を指さした。

 

『目下、一番重要なのは……どう考えてもこれじゃな』

 

 

 彼女が示したのは、夜桜さんを担いでいる『()()()』だった。

 まぁ……それもそうだよな。なんてったって俺達は、この鎧姿にとても見覚えがあるのだから。

 

「これさ……。ダークナイトの鎧にかなり似てるよな……」

『本人である可能性は少なかろう。何せ、こんな住宅街に奴がいれば瘴気で数千人規模が死んでおるはずじゃ。じゃが……もしこれが本人でないとしても、警戒を怠る理由にはならん』

 

 それもそうだ。

 だが、この鎧は一体何者なんだ? 本当に正体が分からない。

 

 

「……よし。この黒い鎧はマオ案件だな」

『それがよかろう』

 

 魔王の心と胃を叩き潰す武器がなぜか揃ってしまった。

 流石に申し訳なくなってきたし、今度マオの頼み事でも聞こう。CDとか作って売りたいなら最終兵器サイコシンパスまで貸し出す気はあるぞ。どんな風に使っても大惨事に繋がる気しかしないけどな!

 

 

 

「ふぅ……」

 

 疲れの混じった息を吐きつつ、壁に掛けた時計を見る。

 時刻はとっくに12時を回っていた。流石に今の時間から活動するには、時間も体力も都合が悪い。

 

「明日はマオの所に行って、夜桜さんが誘拐された場所に行って……。あー、学校は少しの間サボるか」

 

 何週間も休まなければ留年はしないっぽいし、1週間くらい休んでも大丈夫だろう。

 とりあえず、何をするにも明日だな。

 

 

「今日は寝る。……おやすみ、キュウビ」

『了解じゃ。おやすみ』

 

 俊介はキュウビにそう言ったのち、5分も経たぬ間に寝息を立て始めた。よっぽど疲れていたのだろう。仕方もない、最近はやけに厄介事が立て込んでいるのだから。

 

 

 

 

『…………』

 

 キュウビは彼の眠るベッドの縁に腰掛け、俊介の頬をそっと撫でる。

 

『なあ俊介。既に分かっているのじゃろう? 厄介事だらけの現状を今すぐ変えられる唯一の方法を』

 

 それは、人間。

 いや、生物として最も賢い方法。身に降りかかる危険を避けるための最善策。

 

『……全てから()()()事じゃ。榊浦からも、夜桜からも、危険な事からも全て』

 

 極論、俊介は1人だけならば何処へ行っても生き延びられるだろう。

 傍に殺人鬼の自分達がいるのだから、身に降りかかる危険から逃げるだけなら簡単だ。だが真正面から危険な事と対抗するとなるとそうもいかない。

 

『わらわはのう、俊介。榊浦や夜桜や人対なんぞ心底どうでもよいのじゃ。わらわが力を貸しているのは、そ奴らをどうにかする為でなく、俊介が怪我をしないよう手助けしているからにすぎぬ。

 俊介がわらわの目の届く場所で無事に生きているのなら、それ以外は塵芥の価値すら持たぬのじゃよ』

 

 

 彼女が俊介の耳元に顔を近づけ、生暖かな空気を孕んだ声で囁く。

 

『いっそ。

 わらわがここで体を奪い、二度とここに戻って来れない場所まで逃げてやろうか』

 

 

 その言葉に俊介は何も答えない。静かに寝息を立て続けるだけだ。

 キュウビは彼の寝顔を観察するように数秒止まっていたが、やがて上体を起こす。

 

『……俊介。わらわは全力で手助けをするが……ハッキリ言っておく。

 いざとなったら、()()()()()()()()生きて帰ってくるのじゃ。でないと……でないと……わらわは寂しいぞ』

 

 

 彼女は扇子で一度、顔を覆い隠すように大きく扇ぐ。

 その瞬間、キュウビの姿は忽然と消えた。俊介の中に戻ったのだろう。

 

 

 部屋の中には静寂が戻り、俊介の微かな寝息だけが響く。

 が、なぜか、彼の寝息がピタリと止まった。

 

「…………」

 

 俊介は身じろぎもしない。寝息が止まっただけで、瞼も開かず、目を覚ましているのかも分からない。

 ただ数秒もすれば、再び穏やかな寝息を立て始めた。

 

 

 そうして……夜は緩やかな時間を過去に置き去っていった。

 

 

 

 

 

 

 





作者の脳内整理回


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#59 未来革命機関

 

 

 

「平民。お前、儂のことを便利なご意見番か何かと思ってないか?」

「正直、そう思ってます」

「全く……下手な人間であればこの場で首を刎ね飛ばしていたぞ」

 

 

 起床後すぐ、俺は手土産と共に折川結城ことマオの家に訪れていた。用件は勿論、写真に写っていた黒い鎧の事だ。

 ダークナイトは喋れないし、魔王を『人類の敵』だとか言いながら実際は自分の方がよっぽどヤバい事やってるっていう誤情報が飛び出したりで、こういう話ではあんまり頼りにならない。黒い鎧の事聞いても、何それって顔してたしな。

 

 

 

「それで、この写真の事なんですけど」

「うむ。拝見しよう」

 

 机の上に黒い鎧に担がれる夜桜さんの写真を置いた。マオはその写真を人差し指と親指で持ち、目を細めながらじっと見つめる。

 そのまま10秒ほど写真を見つめていたマオは、眉間にしわを寄せながら写真を置いた。

 

 

「結論から言おう。この鎧はアニーシャではない」

「……そうですか。とりあえず良かったです」

「果たしてこれが良い物か。……この黒い鎧、アニーシャの鎧に酷似している事は平民も気付いているな?」

「はい」

 

 写真に写る黒い鎧。やはりダークナイトのそれと似ているらしい。

 マオは写真を指先でトントンと叩きながら、面倒くさげに息を吐きながら話す。

 

「アニーシャの瘴気の話はしたな?」

「聞きました」

「よし。第一に、この黒い鎧はこの世界で作られたものだ。鉄とか銅とかオリハルコンとかで」

「はあ……は? オリハルコン?」

 

 オリハルコンって何だよ。ゲームでしか聞いたことのないような名前だぞ。

 そんなのこの世界にないだろ。

 

「勉強不足だな平民。最近異世界の技術で新しく作られた金属資材だ、ネットニュース見てないのか?」

「ネットニュースって……こっちの世界に馴染みすぎでは?」

「当たり前だろ、儂アイドルなんだから」

 

 アイドル関係あるか……?

 ……まぁ魔法とか使える人格、その最筆頭の魔王が目の前にいるし今更気にすることでもないか。

 

 

「それで……この黒い鎧がこっちの世界で作られたってのは何がおかしいんですか?」

「無論、何もおかしくはない。()()()()()()()()

 

 ……アニーシャの鎧は俗に言うフルプレートアーマーだ。この世界では中世騎士が纏う鎧に近いか。そして鎧……防具というものは、文化、国、時代によって形が異なる。

 

 剣や槍が主武器の時代では鎧が有用だったが、銃が主武器である今は鎧などとても着てられん。防弾チョッキとやらを着込むのがベターだ」

 

「…………?」

 

 話の脈絡が上手く見えてこない。多分大事な前提の話をしているんだろうとは思うが。

 そんな俺の思考を読んだのか、マオがコホンと咳を鳴らした。

 

 

「つまりだな。防具のデザインというのは形が多少似通ったとしても、殆ど同じなんていうのはありえない。異世界同士であるならば尚更、鎧のデザインなど違って当たり前。偶然細部のデザインまで一緒になりましたなんて事は現実的にありえない。

 

 ……さて、ここで問題だ平民。この写真の黒い鎧は、アニーシャの鎧と非常に似ている訳だが。

 これほどまでに酷似した物を作るには、一体、()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 近づく?

 現物に?

 つまり……ダークナイトの本体に? でもダークナイトには瘴気が……あっ。

 

 

「気付いたか?」

「なんとなくは……」

「良いだろう、儂がそのなんとなくを言語化してやろう。つまり……。

 

 儂の世界に生きていた、()()()()()()()()()()()()()()()()()が、この鎧の製作に噛んでいる……いや、恐らくこの()()()()()()()()()なのだろうな」

 

「…………」

 

 

 ―――えっ、わりとヤバくないかそれ。

 今の所ダークナイトの瘴気食らってピンピンしてるのって、うちの殺人鬼とか、牙殻さんとか、そういうガチのやべー奴ばっかりなんだけど。

 ダークナイト本人が覚えてないし同格レベルに強いってのはないだろうけど、それでもあの瘴気に耐えられる精神の持ち主には変わりないんだよな。よっぽど肝が据わってるか、何にも怖くないくらい倫理観が吹っ飛んでいるか。

 

 

 そこまで考えた所で、ふと、疑問に思ったことを口にする。

 

「というか、おかしくないですか? なんでわざわざダークナイトの奴に似た鎧作って着てるんですか? 意味ない気がするんですけど」

「……さあ? 多分そのレベルの強者でこっちに来てるって事は、アニーシャにぶっ殺されたんだろうけど……。なんでこんな鎧作ったのこいつ? その上なんで着てんの? 頭沸いてんじゃねえの?」

「ええ…………」

 

 魔王ですらよく分からない変人が向こうにいるって事か。

 ダークナイトとマオの世界、なんか変な奴ばっかり……?

 

 

「儂は平民の中の奴らと比べれば割とマトモな気がするがな。特にアニーシャとか」

 

 

 アイドル活動で平和的に世界征服を目論んでる魔王が何言ってるんだろう……? 

 俺からすれば変人レベルがどっこいどっこいの奴らがどんぐりの背比べをしているようにしか思えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 床や壁や天井が薄い白色に光る部屋。窓はなく、簡素なパイプベッドと金属製の机が置かれた四畳ほどの部屋だ。

 ベッドの足側の壁に鋼鉄製の扉があり、本来鍵穴のある辺りには『LOCK』と表示されたディスプレイがあった。

 

 そんな部屋の中。

 夜桜紗由莉はパイプベッドの上でパチリと目を覚ました。ベッドの縁にはバクダンが心配そうな顔で腰掛けていて、目を覚ました紗由莉に慌てて顔を近づける。

 

「…………」

『紗由莉、大丈夫か?』

「鏡を見たくない気分な事以外は、大丈夫かな」

 

 髪の毛の中に縫った跡があるし、左頬はかなりの痛みがある。口の中も血の味だらけだし……多分、今の私の見た目はかなり酷い事になっているだろう。

 両手首を繋ぐ鉄製の手錠をさすりながら、バクダンの方を向いた。

 

「ここはどこ?」

『……分からない』

「分からない?」

『私は紗由莉から5メートルしか離れられないだろ? この部屋の外は二重構造みたいな感じで、もっと大きい鉄の箱に覆われててな。それごと運ばれてたから、本当にここが何処か分からないんだ』

 

 二重構造の部屋……。

 かなり原始的な対策だけど、人格の偵察を防ぐには有効な手段だ。

 

 

 ……人格が自身から何処まで離れられるか、殆どの人格持ちは明かそうとしない。人格は壁や床などの物理的な障壁を自由にすり抜けられるので、やろうと思えば他人の部屋などのプライバシー空間をいくらでも覗く事が出来る。

 そんな中、詳細な距離を明かすと余計なトラブルの種になりかねないので、「人格は壁をすり抜けられるけど、君の部屋までは届かないかな~」なんてはぐらかすのが大半なのだ。

 

 

 そして私のバクダンは5メートルまで離れられる。これは割と長い方だ。

 大半の人格持ちは2メートル前後。私の知っている限りの最長は8メートル、恐らく10メートル以上はこの世にいないだろう。……日高君は何メートル離れられるんだろうか?

 

 

 まあそれは今度聞くとして。

 問題なのは、この二重構造の部屋だ。

 

 私がいるこの部屋の大きさは約4メートルの正立方体。

 その部屋の何処にいたとしても、人格が外を見れないようにするには……この部屋を覆う2つ目の箱は14~15メートルほどの正立方体にする必要があるだろう。

 

 

 一応法治国家のこの島国で約15メートルの箱というのは余りにもデカい。

 警察か日高君が見つけてくれればいいけど……多分無理だ。この感じからして、外部には超高度なレベルのステルス技術が施されているんだと思う。それも異世界由来の技術の奴が。

 

 

 こんなバカげた代物を用意できるなんて、かなりの大組織……。

 ……日高君が言ってた、『()()()()()()』……って奴かな。本当にしくじっちゃった、日高君に迷惑かけちゃうな……。

 

 

 

 ―――そんな風に考えていた時。

 

「!」

 

 部屋の外から機械が駆動する音が僅かに聞こえる。それと同時にコツコツと硬い地面を足裏で叩く音も響いて来た。

 バクダンも気付いたようで、冷や汗を額に流しながら小声で言い放つ。

 

 

『誰か来るぞ……! 気を付けろ!』

「歯の中に仕込んだ爆弾は見つかってない。いざとなればこれで手錠を吹っ飛ばして戦う」

『違ッ、おま、えッいつの間に歯の中に仕込んだんだよ!?』

「…………」

 

 バクダンの言葉を夜桜はガン無視した。

 彼女は部屋にある唯一の扉を睨みつける。『LOCK』と表示された小型ディスプレイが『OPEN』に変わった瞬間、扉の向こうに居た人物の姿が見えた。

 

 

「……お前は……」

「…………」

 

 

 扉の向こうに居たのは。

 夜桜を気絶させて誘拐した、件の()()()()()であった。鎧の表面は暗く重く、四方が白く発光する部屋の中で闇という物を堂々と表現している。

 

 

 その鎧はゆったりとした足取りで夜桜に近づき、目にも止まらぬ素早さで首を掴む。

 そのまま彼女の体をベッドに押さえつけ、胸元に鎧の顔をうずめるように近づけた後、勢いよく音を鳴らして匂いを嗅ぎ始めた。

 

「なっ、このッ……!!」

 

 不埒な行為をされるのではないかと感じた夜桜は、歯に仕込んだ爆弾で鎧を吹っ飛ばそうとする。

 が、それよりも早く、黒い鎧がビクビクと全身を痙攣させながら頭を勢いよく上げた。

 

「この全てを引き裂き貪らんとする濃い魔力の残り香……間違いない……! ()()()()()()はやはり、こちらに来ておられる……!!」

「お、女の声……?!」

 

 2メートル近くある黒い鎧。見た目からして十数キロはありそうな代物であり、てっきり男が着ているだろうと思い込んでしまっていた。

 夜桜は一瞬呆気にとられたが、すぐに首を掴む手を振り払う。別の事に気を取られていたのか力はそれほど強くない。

 

 

「アニーシャ様……。貴方様ほどの方が未だに大きな動きを見せないとは、ああ、やはり私では到底思慮の及ばない崇高なお考えをお持ちなのですね……」

『な、なんだよこいつ……。つかアニーシャって誰だよ……』

 

 変態染みた行為を見せる鎧にバクダンが顔をしかめてドン引きする。

 夜桜はじわじわと距離を取り、未だロックの解けている扉から脱出しようと試みる、が。

 

 

「何をやってる? 下手な事をするなと言っておいたはずだが」

「ま……仕方ないかもだけどねぇ」

 

 新たに扉から入って来た2人の男女に行く先を阻まれてしまった。

 男の方は金髪にエメラルドのような緑色の瞳、高い身長に整った目鼻立ちと、一目で外国の人間だと分かる。ハーフでもないだろう。

 

 

 そして女の方は。

 

『さ、()()()()……!?』

「…………」

 

 夜桜は表面に動揺を出さないようにするも、内心かなり焦っていた。

 未来革命機関なんてふざけた名前の集団。少し過激なだけの人格犯罪集団かと思っていたが、榊浦美優が関わっているとなれば話はかなり変わる。腹が立つが、榊浦美優は世界的に超重要な研究者の1人なのだ。

 

 まぁ彼女が焦っていた大部分は、榊浦美優が現れた事ではなく。

 高校の教師であった榊浦美優に日高と接触している所を何度も見られていて、たたでさえ捕まっているのに、彼に更に迷惑をかけてしまうと考えていたからである。もし彼に失望などされれば、心を壊してしまう確信があったのだ。

 

 

 

「何が何だか分からない……と言った顔だね」

 

 榊浦美優と一緒に入って来た、金髪の男が椅子を引いて座る。

 

「自己紹介から済ませておこう。私の名前は()()()()()。異世界の人間であり、未来革命機関の総督をしている。

 こっちの女性は()()()()、そこの痙攣してる鎧は()()()()()()()だ」

「ピュアホワイト……? 白無垢?」

「どうしても結婚したい相手がいるそうだ……。勿論偽名だが、その名前で通るから問題ない」

 

 

 ウィザードと名乗る男が足を組んでいた足を解きつつ、部屋の扉を塞ぐように立つ榊浦美優の方に目をやる。

 彼女は小さく鼻息を鳴らし、体を扉の前からずらした。

 

「部屋の外を案内しよう。未来革命機関の説明も共に行う」

 

 彼は椅子から優雅な動きで立ち上がり、夜桜に自分の後ろを付いてくるように手で指示した。今暴れるのは流石に得策ではないと、夜桜はウィザードの指示に従う。

 扉の外はバクダンの言う通り、巨大な2つ目の鉄の箱に覆われている。自身が居た部屋の扉から2つ目の箱にある扉へ小さな橋が掛かっており、そこをコツコツと足音を鳴らしながら進む。

 

 

「未来革命機関……。名前の通り、私達は何よりも尊い未来の為、この国に革命を起こそうとしている」

「一体どんな革命を?」

「異世界から訪れた人格、それらがもたらす技術は確かに素晴らしい。今の世の中は余りに行き過ぎている」

 

 甘い甘い、心まで惑わされそうな声。その爛々と輝く未来へ人を導かんとする意思の籠った声は、心に僅かでも隙間のある人間にとっては余りに眩しく、縋りたくなる物だろう。

 しかし今の夜桜にとってその声は、ただただ苛立ちを掻き立てるような鼻につく声であった。

 

 

 二重構造の箱から外に出る。

 四方が鉄で作られた通路であり、ゴウンゴウンという空調の音だけが静かに響いている。外の様子は全く分からず、ここが何処なのかは皆目見当も付かない。

 白い光が照らす、正面へと一直線に伸びる通路を歩く。

 

 

「この世界に元々暮らしていた人々の現状は惨い物だ。

 異世界の優秀な人格に突然職を奪われ、生活が困窮、日夜休む間もなく働く事を余儀なくされる。

 狡猾な異世界の人格により凶悪な人格犯罪が増加、死亡事件の数が爆増。

 教育機関は一部の優秀な学生と人格持ちだけに注力し、それ以外は半ば放置状態」

 

 

 改めて聞くと、浮遊人格統合技術の負の側面はすさまじい。

 人格犯罪は勿論、貧窮したり一部の者だけが教育を受けたりというのは、結果的に最悪なレベルの治安悪化を招く。良い側面もあるが、悪い側面がそれを食いつぶすほどに大きい事も確かだ。

 

 

「故に。私はこの異世界からの人格ばかりが優遇される世の中を変える。それが未来革命機関の目的だ」

「……大層なお話をどうも。でも……宿主を乗っ取った異世界の人格にそんな事を言われても、全く響かないから」

「革命には犠牲は付き物だ。未来で十数億人が救われるなら、今の数百人を犠牲にすることを私は厭わない」

 

 そう言いながら、ウィザードが通路の突き当たりになった扉の前に立つ。

 その自動扉は人の存在を感知し、プシッと空気を吐きながら両方向にゆっくりと開いて行った。

 

 

 思わず目を細めるような明るさが差し込み、視界が一瞬ホワイトアウトする。

 そんな中、一番に夜桜が得た扉の先の情報は。

 

 声。

 おんぎゃあおんぎゃあと、赤ん坊の泣き声が耳をつんざくように響き渡っていたのだ。

 

 その次に嗅覚が脳に情報を伝える。

 本来喜ばしい物であるはずの赤ん坊が生まれたばかりの優しい匂いが、胃から吐き気がせりのぼるような生暖かさを持って充満していたのだ。怖気が走る。

 

 

「うっ……」

「この革命、もはや正規な手段では果たせない。故に腐った政府を一度、圧倒的な暴力で皆殺しにする必要がある。

 その為にMRKが必要だ。君の人格が作る、MRKが」

 

 

 扉の先に足を進めるのを躊躇う夜桜の肩を、ポンと榊浦美優が叩く。

 

「一生離れない友達がいるって……素晴らしい物だろう?」

 

 それは以前、夜桜が浮遊人格統合技術の話を榊浦美優から聞いた時に言われた一言。あの話を聞かせた人間全てに言っているらしい。

 

 

「あ、頭おかし……ッ!」

 

 夜桜の言葉を聞き終わる前に、榊浦美優は鼻歌を歌いながら扉の先へと歩いて行った。

 その様子を見ていたウィザードは肩をすくめ、仕方ないかと言いたげな顔もちで言う。

 

 

「そうすぐには受け入れられないだろう。だが私達にはMRKが必要なんだ。……必要な道具は例の牢屋に用意させた、君の為に作った一点物の牢屋だ。

 ピュアホワイト、あそこに戻してやれ」

 

 いつの間にか背後まで近づいていた黒い鎧に肩を掴まれる。

 

 思っていた以上にこの組織はヤバい。MRKの設計図を作らないと完全に突っぱねる事は出来るが、そうすれば私ですらどうなるか分からない。

 わざとゆっくりMRKの設計図を書き進めて、稼いだ時間の間に逃げる手段を見つけないと。

 

 

(……せめて、日高君が()()に気付いてくれれば……)

 

 

 そう思いながらも、彼にこれ以上余計な迷惑は掛けられないと、夜桜は脱出計画を頭の中で練り始めるのだった。

 

 

 

 

 

 





赤ちゃんの泣き声当たりの情景描写はわざと削りました。ガチガチに書きすぎたらR-15飛び越えてR-18にぶっ飛びかけたので。申し訳ない。

投稿ペースもっと上げたいな……。


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#60 なんでこんなにって時あるよね

 

 

 

 

「大人になったら結婚しようね、まーちゃん!」

「け、結婚……う、うん!!」

 

 

 …………。

 

 

「お願い、助けて……まーちゃん……」

「っ……せ、先生とか、警察に相談しよう……。まだ高校生の俺には、虐めをどうにかするなんて、無理だよ……」

「……うん、そうだよね……」

 

 

 …………。

 

 

「……な、なんで首を吊って……。あ”、ぁぁ……お、俺のせいだ……俺が、俺が逃げたから……!!」

 

 

 …………。

 

 

「や、やめてくれ!! 謝るから、殺さなっ―――ぁ」

「ふざけんなよ……お前ら8人もいて、何で俺に汗一つもかかせられないんだ……!

 こんな簡単に殺せるんなら、なんで……どうして、俺は…………」

 

 

 …………。

 

 

「俺は後悔のない選択をしたいんだ、ヘッズハンター。ギリギリまでしつこく調査してから選択した方が、すぐ逃げるより後悔も少ないだろ?」

『…………』

 

 

 

 

 

 本当に凄いよ、俊介は。

 

 多分……人格の俺達がいなくたって、俊介はあの虐めの件に首を突っ込んでいただろう。

 全く関わりのなかった、見ず知らずの人間の為に。

 

 

 対して俺はどうなんだ?

 

 好きだった幼馴染……小日向 真昼(こひなた まひる)が虐められてたのに、すぐ逃げた臆病者のクズだ。その結果、自分勝手な恨みで人を殺した……心底反吐の出るクソ野郎だ。

 

 

『俺が今更、真昼に会った所で、どうしようもないってのに……』

 

 

 どうしてなんだ。

 

 確かに、昔は仲が良かった。幼稚園から高校まで学校もずっと一緒だった。

 けど、高校生の頃にはお互い疎遠になりかけていただろ。俺が一方的な片思いの気持ちを隠してただけだっただろ。

 

 それなのに、どうしてあの日、俺に助けて欲しいなんて言ってきたんだ?

 

 

 どうして今更、俺の名前をメモに書いたりなんかしたんだ?

 

 

 

 真昼。

 

 お前が本当にこの世界に来てるのなら、俺は、出来る事ならお前とは会いたくない。

 会うのが怖い。

 

 真昼と再会したら、俺はきっと。

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()()に、完全に戻ってしまうから。

 

 

 

お前(真昼)に嫌われたのに、俊介にまで嫌われたらさ。俺……多分、二度と戻って来れないから……』

 

 

 ヘッズハンターの微かな呟きは空気にもまれ、誰の耳にも届くことなく消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マオの家から少し離れた所にある、自販機の前。

 有名なブランド名が書かれた赤い自販機で飲み物を買いながら、俊介は周囲を囲む数人の人格を見渡した。

 

「なんでこんな珍しい面子なの?」

『比較的マトモな奴はヘッズハンターの警戒に回ってるからでござる。なまじっか身体能力が高い故、危険度も高いのでござるよ』

「まぁ、それは……うん、仕方ないな。クッキングとかは慰めるの上手そうだし」

 

 今日の俊介の前には、殺人鬼達の中でもひと際癖の強い奴らが集っていた。

 ニンジャ、ハンガー、フライヤー、ダークナイト。

 

 全員テンションが上がるとヒャッハーし始める傾向のある危険人物ばかりだ。

 特にフライヤーとダークナイト、こいつらがマジでヤバい。

 

 

「マオにも色々手伝ってもらえれば心強かったんだけどな……」

『(o´・Δ・`o)』

 

 先ほど元魔王であるマオに協力を依頼してみたものの、キッパリと断られてしまった。

 

 

「悪いが、そういった物騒な事に宿主の結城の許可なしに協力することはできん。それに、儂にはアイドルとしての予定もあるしな」

『…………グオ』

「そ、そう睨んでも無理なものは無理だアニーシャ。儂は魔族の王である魔王、魔族は魔物とは異なる理性ある者の証として契約を何より重んじる。

 知名度のないアイドルが歌う小さなライブ。ドタキャンしても困る者は殆どいない……が、一度結んだ契約を違える訳にはいかんのだ、わ、分かってくれ」

 

 

 と、そんな風に断られたのだ。

 理由が理路整然且つ真っ当過ぎて、ごねる気も起きなかった。

 

 

 

 まぁそれはともかくとして。

 

「未来革命機関……。夜桜さんを助け出そうにも、そいつらが何処にいるかが分からなきゃどうしようもないしな」

『俺に良い考えがあるぞ、俊介!!』

「一応聞くよフライヤー」

『丸ごと燃やせばいつか見つかる!!』

「ダークナイト、ヘッドロック」

 

 やっぱこいつ考え方危ないわ。

 マッチ程度の小さな火から街一つを炭に変える生粋の放火魔で、自分の起こした火のコントロールなんか全くできない。その癖、一面火の海の中を歩いても自分だけは絶対に生き残る。

 

 昔何処かの廃工場で花火した時も、フライヤーがちょっと花火を振り回したら落ちてたボロボロの布に引火して危うく大惨事になりかけた。

 ダークナイトの次に外に出すのが危ない奴だ。いや割とマジで。

 あと見た目が不良で怖い。耳どころかへそまでピアス開いてんだ……。

 

 

『俺の案も聞いてくれないか俊介?』

「はいよハンガー、どんな案だ?」

『怪しい奴を片っ端から吊り上げりゃいいんだよ! 俊介の学校に居る、榊浦みゆう?って奴とかさ』

「……うーん……」

 

 吊り上げるのは論外だけど、怪しい人物を攻めていくのは割とアリかもしれないな。特に榊浦親娘はその筆頭だし。

 でも榊浦親娘に気軽に手を出すのはかなり怖いんだよな。大抵手ひどいしっぺ返しを食らってるし……。未来革命機関に関わってる確証でもあれば全然闇討ちするんだけど。

 

 

『ふん、これだから頭の鈍い素人は困るでござるよ。調査というのはクレバーに進めるものでござる』

「なんか良い案あるのか?」

『当然。拙者は忍でござるぞ?』

 

 なんか関係あんのかそれ?

 

 

『いいでござるか俊介。敵は未来革命機関……榊浦豊も言っていたように、国の革命が目的でござる。そう仮定するでござる。

 その上、相手は物騒な爆弾を作る人格持ちを誘拐した。

 

 つまりこの未来革命機関は暴力で革命を起こすつもりでござる!』

 

「……うん。まあそうだな」

 

『そして、もし俊介がこの組織の者だったとするでござる。俊介は超強力な爆弾を持っていて、邪魔な政府関係者を一掃したい。この時、何処を狙えば一番効果的でござるか?』

 

 

 それは……。

 国会議員が集まる場所とか……あっ。

 

 

「なるほど、そういう事か。議員が集まった日の国会議事堂を狙う……そう言いたいんだな?」

『その通りでござる! しかもそのMRKという奇天烈爆弾、狙った物だけを爆破するのであろう?

 絶対に邪魔されない場所……すなわち自分達の本拠地でMRKを起爆させるつもりでござろう。故に! MRKの範囲内に国会議事堂が入る何処かに敵の本拠地はあり!!』

 

 

 確かに、ニンジャの言う事はかなり筋が通っている。

 ただ、その理論にはとんでもない問題点があるぞ。

 

「でも……MRKの射程範囲って半径100キロだぞ?」

『おほ^~。国会議事堂の半径100キロ以内をくまなく探せばいいだけでござるな、ヨシ!』

「出来る訳ねえだろそんなこと」

『拙者悪くないもん。射程範囲が半径100キロなんてアホみたいな爆弾の方が悪いでござるもん』

 

 

 ……まあそれもそうだ。この件でニンジャを責めるのは確かに酷だ。

 ニンジャの案は常識的な事件では悪くない手だけど、バクダン製のMRKが常識外れの性能を持ってるからな。物理的に実現不可能だ。

 

 

「やっぱハンガーの強行案が一番か……? でも今いきなり実行するにはな……」

『へへ~。どーよニンジャ、俊介はやっぱ俺の方が好きだってよ?』

『ボロ布を体に縄で巻き付けただけの貧乏痴女がしゃしゃるなでござるよ』

『あ”?』

「喧嘩したら怒るぞ」

 

 

 

 

 首を絞められすぎて顔を土気色にし始めたフライヤーを慌てて解放し、5人の頭を振り絞っていい案がないかと考える。

 

『あー、首痛ぇ……』

『ふわぁ……俊介、俺のことおぶってくれよ~なぁ~』

『なんか食べないでござるか? 拙者甘い物が食べたいでござる』

『(*´∀`*)』

「お前ら真面目に考えろや……」

 

 やっぱりヘッズハンターとかガスマスクとかがいないと雰囲気が締まらないな。真面目な人ってやっぱり必要だよ。

 

 まあ、当初の予定通り夜桜さんが誘拐された現場に向かってみるか。

 もしかしたら何かあるかもしれない。

 

 

 

 そう考えながら、マオの家から誘拐現場へ徒歩で向かっていると。

 木造の古い新聞販売店、その中からギャースカとお互いを罵り合う怒声が聞こえて来た。思わず店の前で立ち止まってしまった瞬間、引き戸式の扉がガラガラと音を立てて開く。

 

 

「バーカバーカ! そんなキレてばっかだから禿げ上がるんですよ、毛根砂漠おやじ!!」

 

 

 何処かで見覚えのある女性が店の中に怒声を上げながら、ピシャン!と扉を閉めた。

 彼女はこちらにクルリと振り返り、怒りで吊り上げていた眉を下げる。

 

「おっ。久しぶりですね、日高君!」

「ど、どうも、坂之下さん……何してんすか?」

 

 黒髪を軽く振りながら笑う坂之下さん。

 中指で丸眼鏡をくいっと上げながら自慢げに笑う彼女は、ガンッ!と背後にある新聞販売店の扉を蹴りながら答えた。

 

「短期バイトを募集してたんで来てみたら、ここのおやじが時給700円で働けって言うんですよ! それで国の最低賃金まで上げろって言ったら、ガチの喧嘩になりましてね。もうすぐで私の探偵パワーが炸裂するところでしたよ」

「はあ……とりあえず扉蹴るのはまずいんで、ちょっと向こうまで行きません?」

「ならすみませんが、コンビニで何か食べ物奢ってください。実は探偵ってお腹減るんですよ」

 

 探偵関係なく人間なら誰でも腹減るわい。

 新聞販売店の中から響く男の怒声から逃げるように走り、近くのコンビニまで向かった。

 

 

 昼時より少し前だからか、コンビニの中は数人の人影しか見えない。あと30分も経つと一気に人が多くなるだろう。

 俺は適当なおにぎりとペットボトルの飲み物を買い、隅にあるイートインスペースで坂之下さんに渡した。殺人鬼達が物欲しそうに見ていたので、彼女に怪しまれないように隙を見てコピーもしておく。

 

 

 そして坂之下さんがツナマヨおにぎりを食べ終わったのを見計らい、話しかけた。

 

「それで、何でまた短期バイトを? 駄菓子屋のお仕事はどうしたんです?」

「お店の都合とかでクビになっちゃいました、元々試用期間でしたしね。またもや無一文ですよ、これも探偵の運命……!」

「関係ないんじゃないっすかね」

 

 でもまぁ、仕事失ったのはちょっとかわいそうだな。多分店の都合って、デパートを犯罪者集団が襲撃したのと大きく関係してるだろうし。

 ……ん? でもこの人、元々『レジは()()()失敗しません』とか言ってたレベルだしな。事件関係なく普通にクビになっただけかもしれん。

 

「仕事早く見つけないと、また親に怒られるんじゃないすか?」

「いや~、働け働けってうっさいんですよねあの親父。ちょっと遊んでるだけで、ちゃんと言われた分は働いてるっつーんですよ」

「ちょっと遊ぶ?」

「財布から金盗んでビビッと来た温泉旅館に泊まったりとか」

 

 それは多分、ちょっと遊ぶの範疇に収まっていない気がする。

 というか親の金盗んで折川旅館に泊まりに来てたんかい。探偵がやっちゃダメな事だろそれは。

 

 

 坂之下さんがお茶を喉を鳴らして一気に飲み干し、空のペットボトルをゴミ箱に捨てる。

 そして彼女は何か良い事を思いついたと言いたげな表情でポンと手を叩いた。

 

「そうだ。日高君、私の事雇いませんか? 給料は今日の夜ご飯代で」

「や、雇うって……で、でもなぁ」

「お忘れですか? 私は頭は弱いですが、探偵としての勘は超一流! 日高君が何か目的を持って行動していることなど、まるっとお見通しなのですよ!」

 

 ……うーん……。

 未来革命機関絡みの事なんて危なすぎるし、なるべく関わらせてあげたくないな。

 でも折川旅館でまぐれか何かか知らないけど、『殺人犯は15人います』とか意味不明な勘も発揮してたし、頼りにはなる……かも。

 

 

「どうしようかなぁ……」

 

 頭をポリポリと掻いて悩むフリをしながら、ニンジャの方をチラリと見る。

 ニンジャは坂之下さんの顔を様子をじっくり観察し、悩まし気に目を左右に動かした後、いつもの声色の調子で言った。

 

『まぁ本人が良いと言うなら、良いんではないでござるか? 本拠地に突っ込むならともかく、この周囲の調査ならまだ危険も少ないでござろう』

「……そうだな……。じゃあせっかくだし、お願いします坂之下さん」

「決まりですね! 今日は焼肉の気分ですから、バッチリお願いします!」

 

 

 ……は??? 焼肉???

 

 

 俺より先に席を立ちあがり、意気揚々と歩き始める坂之下さんを焦りながら追いかける。

 

「ちょま、焼肉は流石に金が」

「まーまーお堅いことは言わずに、さっ、さっ! 行きましょ行きましょ!!」

『アッハッハ! 上手い事乗せられちまったなぁ、俊介!』

 

 フライヤーが後ろでおにぎりを食べながら馬鹿笑いしている。ムカつく。

 右手を背後に回して殺人鬼達に「さっさと来い」とジェスチャーしながら、コンビニから出た。

 

 

 

 

「へー。探し物ですか」

「まあ……そんな感じです」

 

 流石に夜桜さんが誘拐されて、その誘拐した組織を探してますなんて理由を馬鹿正直に解説できない。故に探し物があると嘘を吐いた。

 誘拐現場の警察の調査は榊浦豊が止めるって言ってたから、恐らく警察はいない。というか曲がり角を曲がったすぐ先が件の現場であるのに、物音が一切しない所を見るに、本当にいないのだろう。

 

「まー、私の超絶スゴイ勘にドーンと任せておいてください! ちょちょいのちょい、ちちんぷいぷいってなもんです!!」

「そうですか……期待しておきます」

 

 言っちゃなんだけど、焼肉代を損するだけのような気も若干してきたな。

 そんな事を思いながら坂之下さんと会話をしつつ、曲がり角を曲がった瞬間。

 

 

 

 ――――夜桜さんが誘拐された現場に、スーツ姿の黒髪の女性が立っていた。

 

 

 

「……げっ」

 

 思わず口から声が漏れる。

 その女性は、坂之下さんと同じように、これまたかなり見覚えのある人物である。

 

 小柄な体を黒いスーツで纏い、生真面目そうな雰囲気を纏う女性。

 黒髪を肩の辺りで短く切り揃えている彼女は、地面を見下ろしながら、静かな住宅街の空気に完全に溶け込んでいた。

 

 

 彼女は俺の声によってこちらに気付いたようで、ゆっくりとこちらを向く。

 

「こんにちは」

「あ、あっはは……どうも……お久しぶりです……」

 

 

 その女性は、()()()()()()()()所属であり、つい最近ダークナイトに吹っ飛ばされたばかりの。

 翠 夏樹(みどり なつき)さんであった。

 

 

 

 

 ……な、なんで今日はこんなに見知った人と出会うんだ……。

 

 

 

 

 

 

 





基本的に性癖詰め込んで女性殺人鬼のキャラ作ってるせいで、一番最後に作ったフライヤーがいまいちキャラ立ちできてなくて可哀想

不良にありがちなバイク上手い設定も、ガスマスクの方が普通にプロってるから活かす場面がないぞ!
頑張れフライヤー! 出番はきっとあるぞフライヤー!


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#61 熱をよく溜めるアスファルト

 

 

 

 太陽が真上に昇る頃、住宅街の人の気配などない通りの一角にて。

 黒スーツの女性……人格犯罪対処部隊の翠さんと向き合っていた。

 

 

(なんでこんな所に人対が……。榊浦豊のヤツ、何が『権力で警察を止める』だよ……)

 

 ダークナイトの一撃を食らってまだそう日も経っていないはずだが、彼女……翠さんは平然とした表情でそこに立っていた。

 コンクリの地面に直径50メートルの穴をぶち抜く攻撃を食らって一月も経たずに動くとか……マジで人間か、この人。

 

 

「……お知り合いですか?」

 

 坂之下さんが首を傾げながらそう言った。

 一度駄菓子屋で姿を見たことはあるはずなんだけど……まぁ流石に何人も来る客の1人を覚えてる事なんて難しいか。

 

 俺は翠さんの方に目をやりながら、困った雰囲気を隠し切れずに言う。

 

「えーとこの人は……まあ、警察の方? ちょっと色々縁があって」

「こんにちは。私、人格犯罪対処部隊所属の翠夏樹と申します」

「警察! ふふ~ん、いい響きですね。探偵には事件現場の状況を説明してくれる刑事役が必要不可欠ですから」

「私は刑事ではありません」

 

 何のやり取りをしてるんだよ。

 心の中でそう思いながらも、会話の頃合いを見て、気になっていたことを翠さんに問いかける。

 

 

「ところで翠さん、ここで一体何を?」

「……まぁ、ちょっとした調査を」

 

 ちょっとした調査ね。大体予想はつくけど、更なる詳細を知りたい所だ。

 でも、警察でもない一般人の俺に教える訳もないか……。

 

 

 そんな風に考えていると、目を爛々と輝かせた坂之下さんが胸を思いっきり張りながら自信満々な声で言い放った。

 

「その調査……この名探偵・坂之下風華が引き受けて差し上げます!! 私の手に掛かれば事件の一つや二つ、イチコロですよ、イチコロ!」

「結構です」

「あれ? ……でも事件という言葉を否定しなかったって事は、やはり何らかの事件について調査しているんですね?!」

「…………まあ、はい」

 

 

 実に面倒くさそうな顔で翠さんが言葉を返した。クレーマーに対応しているコンビニ店員くらい面倒くさそうな顔だ。

 

『便利でござるな、あの間抜け探偵女』

 

 彼女の表情とは対照的に、ニンジャはポロリとそう言葉をこぼす。間抜け探偵って……。

 否定できないけどさ。

 

 

 それにしても、翠さんがいるとこの場所の調査がしづらいな。

 彼女が調べてるのは十中八九夜桜さんの誘拐についてだろうし、ここにわざわざいるってことは、ここが誘拐された現場だって事もきっと知っているはず。この辺りを調べ回っていたら、彼女と密接な関係にありますってバラしてるようなものだし。そこから俺が危険な人格持ちだとバレるかもしれない。

 

 この誘拐現場の調査をする前に、翠さんをここからどうにかしてどかさないと……。

 そう考えていた時、坂之下さんが何かを思いついたような表情を浮かべ、ポンと手を叩く。

 

「そういえば、日高君も探し物の調査をしてほしいと私に頼んでいたんでしたね。もしや、刑事さんの調査している事件と関係があるのでは!?」

「ぬおッ」

「刑事ではありません。……それと今の話、少し気になりますね」

 

 坂之下さんが余りに余計な事を言ったので、思わず口から声が漏れ出てしまった。

 探偵の勘がもしかしたら当てになるかもと思ったけど……まさかこんな最悪なコンボを決めてくるなんて予想できる訳がない。やっぱ連れて来なければよかった。

 

 

 視線が泳がないように全力で目を固定しながら、咄嗟に思いついた嘘を吐き捨てる。

 

「いや、そのですね。俺の言ってる探し物は、何というかそう……財布です、財布!」

「さっき財布からお金出して私におにぎり奢ってくれたじゃないですか」

 

 ホントにそれ以上口を開かないでくれ。頼むから。

 翠さんの目が更に細くなり、強い疑念の籠った眼で俺を見つめてくる。これ以上下手に隠すのは逆効果か? でも正直に打ち明けるのもな……。

 

 

 唇の内側を軽く歯で噛みながらどうした物か悩んでいる、視界外からハンガーがひょこっと顔を出した。

 

『全員俺が吊ろっか俊介? それとも俊介がやる?』

 

 やらせねーし、やる訳もねーだろ。

 

 

 沈黙の間が10秒も続いた時、翠さんが黒スーツの上着の内側に手を伸ばす。

 内側で何かを探るようにゴソゴソと手を動かしつつ、口を開いた。

 

「……この場所で起きた、国認定の優秀な人格持ちの誘拐事件。被害者は認定人格持ちの中でも名家の才女として有名な人物です。なのに警察本体は動こうともしない、明らかな人格犯罪だと言うのに私達に出動命令も掛からない」

 

 彼女はスーツの内側から鈍い黒色に輝く細長い筒を取り出す。

 それは死の匂いを色濃く感じさせる、人の命を奪うことなど容易いサイズの拳銃であった。

 

 翠さんが取り出した銃と敵意を感じた瞬間、ぼーっと事態を静観していたダークナイトが一歩足を踏み出す。

 危険な匂いを放つダークナイトに近寄られたくがないために、俺が前に一歩踏み出す。

 

「それ以上近づかないで下さい」

「近づきたくて近づいている訳ではありません」

「は?」

 

 

 万が一にもダークナイトと体を代わるような事があれば、ここ一帯の人間が全員死んでしまう。

 不幸な事故を防ぐために近寄らざるを得ないんだ。最悪な事に今、ダークナイトを宥めてくれるクッキングとかガスマスクなんかはいない。

 

「良いですか。私は今、誘拐事件に貴方が何らかの形で関与しているのではと考えています」

「そうですね」

「夜桜は武闘派としても有名な人物、特に柔道と空手と異世界マーシャルアーツでは師範を務められる程の実力者です。並の人格犯罪者では相手にならない、そんな人物が簡単に誘拐された。かなり危険な人格犯罪者が絡んでいるでしょう」

「そうですね」

 

 異世界マーシャルアーツって何だよ。

 そんな事を考える間もなくダークナイトがドスドスと後ろから迫ってくるので、仕方なく前に一歩ずつ踏み出す。

 

「貴方がその危険な人格犯罪者かもしれない、だからそれ以上近づくなと警告しているんです! 近づくな!!」

「近づきたくて近づいてる訳じゃありません!!」

「それの意味が分からないと言ってるんだ、かいッ――――日高俊介!!」

 

 

 いい加減誰かダークナイトを止めろや!!

 そう思って他の3人をチラ見するものの、『別にダークナイトが人を殺してもそれはそれでいいか』とでも言いたげなしれっとした表情を浮かべていた。いやマジで止めろよ!

 

 翠さんがついに声を荒げると共にこちらに銃口を向けたので、思わず足を止める。

 ダークナイトは依然近づいてくるが、これ以上近づくと本気で発砲されそうなので動く訳にはいかない。翠さんと俺の距離は大体2メートル前後と言った所だ、狙いを外すなんてありえない。

 

 

 無機質な銃口への恐怖でちょっと震える手を強く握り締めながら、翠さんに向かって声をあげる。

 

「お……俺は、夜桜さんが誘拐された事は……知ってました! すいません!」

「――――続けて」

 

 彼女が銃を一切ブラさずに静かな口調で話の続きを促す。

 俺は少し焦って思わず言葉が感情的になりながらも、話し続ける。ダークナイトが近づき切る前に銃口を下げさせる為に。

 

 

「けど俺が誘拐なんてする訳ないし、そもそも誘拐犯なら事件の後に現場に来るわけないし、その……」

「犯人が事件現場に再度訪れる事はよくあります」

「いやそれは……そうかもしれないけど……! そうじゃなくて!

 その、俺は夜桜さんと……夜桜さんが…………すっ、()()だから……そんな犯罪行為する訳ねーよ!」

 

 顔面が燃えるように熱くなっているのが分かる。テンパりすぎて絶対に言わなくていい事まで言ってしまった、敬語も崩れたし。

 翠さんが細めていた目をぱっと見開き、きょとんとした表情を浮かべる。銃を持つ手からも力が抜け、銃口がたらんと地面の方に向いた。

 

 

『ちょ、ちょっと待つのじゃ、戻ってきてすぐに聞き捨てならん言葉が―――』

『口を閉じろ、今良いところでござる』

 

 なんか後ろから聞こえる。ダークナイトも銃口が下がった事で動きを止めた。

 

 

 

 「ぷっ」とこらえきれずに噴き出した息。その息を吐き出したと同時に、栓が抜けたように坂之下さんが大口を開けて涙が出るほど勢いよく笑い始めた。

 

「あーっはっはっはっは! 一体誰に向かって告白してるんですか、夜桜紗由莉はここにはいないですよ日高君!」

 

 うぜぇ。

 彼女の笑い声に若干苛立ちを覚えながらも、目の前の翠さんに視線を向け続ける。翠さんはきょとんとした表情を真顔に戻し、無の表情で銃口を下げたまま口を開いた。

 

「…………好きだから、誘拐はしていないと?」

「……はい」

「…………………そうですか。ええ、薄い理由ですが……ひとまず信じます」

 

 何とも言えない表情で銃をしまう翠さん。何でそんな表情してるんだ。

 

 俺と翠さんがおかしな雰囲気で見つめ合う中、未だに腹を抱えてくつくつと笑う坂之下さん。

 すると突然、ピピピピピと軽快な電子音が鳴り響いた。それは携帯電話のコール音で、その音は坂之下さんの懐から聞こえる。

 

 彼女は笑みを何とか噛み殺し、懐から電話を取り出した。

 俺達から何歩か距離を取り、電話を耳に当てる。

 

「ちょっと失礼、電話です。

 もしもし……はい、はい。……いや……働けって、また? ……分かった分かりました、すぐそっち行くからそこで待ってて()()()()!」

 

 お父さん……ああ、電話相手はよく働けって言ってくる坂之下さんのお父さんか。

 彼女は鬱陶し気に電話を切り、はぁ~と大きく息を吐いた。

 

 

「ごめんね日高君。この名探偵、力を発揮する前にま~た親から呼び出されてしまったよ……」

「フリーターだからじゃないですかね」

「手厳しッ! まだ若いんだから許してよ~……小学生が学校ずる休みして遊び惚けるのと同じだって」

 

 小学生と比較するには余りに年が……。

 そう思いはしたが、口には出さなかった。言わない方が良い事が世の中にはきっとある。

 

 

「まぁ、また機会があれば私の力を貸すよ! それじゃあ私はこれで!」

 

 彼女は身を翻し、意外な素早さで一直線に伸びる道を走り抜けていった。普通に俺より足速いな。

 坂之下さんが姿を消して十数秒、残された俺と翠さんはお互いの顔を見つめる。そして先に口を開いたのは、彼女の方だった。

 

「……この誘拐事件には、牙殻も出張っています。前回とある人格犯罪者に手酷くやられたので、念のために『三界統一・神殺しの英雄―――()()()()()』を出す準備もしていると」

「…………一体、どういう意味ですか?」

 

 その言葉の意味が分からず、思わず聞き返す。

 彼女は声に何の感情も載せることなく、淡々と話し続けた。

 

 

「中途半端にこの件に関わるのはやめておいた方がいい……そういう意味です。

 もし何かの間違いで、()()()()()()()()()()()()()()()ら……ハッキリ言って、命はありません。牙殻がダンケルクを出せば、この世界で勝てる存在はいない。()()()()()()です」

 

 

 ―――最強の化け物。

 思えば牙殻さんは……自分の人格に体を完全に譲った事がなかった。以前廃倉庫で遭遇した時も、自前の力か、何らかの方法で人格の力を使っているだけだった。

 

 もしそのダンケルクが牙殻さんの体の主導権を握り……万が一、最強の名に違わない、ダークナイトと同格レベルの存在が出て来てしまったとしたら。

 体の動きを止めて仁王立ちしていたダークナイトが、『最強の化け物』という単語にピクリと反応を示す。

 

 

「なぜそれを俺に?」

「いや……。…………ただの気まぐれです。誰かの為に、危険を顧みず突っ込む……そういう節をあなたに感じたので、忠告代わりに言ってみただけですよ」

「…………」

 

 

 押し黙る俺に、キュウビがそっと背後から耳打ちしてくる。

 

『俊介。こいつ、ヌシの正体……殺人鬼が複数いる人格犯罪者だと気付いておるのではないか?』

 

 俺も、少しそう思う。

 ダンケルクって危険な人格の忠告とか、俺が何も知らない一般人なら絶対に教える必要のないことだし。

 

 多分いきなり銃を取り出して脅して来たのも、俺がダークナイト……人対を一瞬で倒した人格の持ち主だって何となく知ってたからだろう。もし俺が彼女だとしたら、目の前にいる超危険な人格の持ち主が誘拐犯かもしれないって状況に陥ったら、躊躇なく銃を取り出すだろうし。

 

 けど……わざわざぼかしてくれてるって事は、今は口に出して明かす必要がないって事だよな。

 なんでこんな事を教えてくれるのかは知らないけど。そんなに優しくしてくれるような事をした覚えはない。

 

 

 翠さんに頭を下げ、感謝を伝える。

 ダークナイトを出す必要があるかもしれない事を事前に知れるのは実にありがたい。

 

「ありがとうございます。覚えておきます」

「いや。……それともう一つ。この誘拐現場は隅々まで調査しても何もなかったので……他に行った方がいいかと。例えば、夜桜の自宅とか」

「……分かりました」

 

 誘拐現場の調査は……翠さんの言葉だけを信じるのもアレだが、ニンジャが先ほどの問答の間にある程度調べてくれているはずだ。そのニンジャが何も言ってこないという事は、この辺りにめぼしい物は何もない……そういう事なんだろう。

 

 にしても、夜桜さんの自宅か。

 制服のまま誘拐されたはずだし、あの遠足の後に家には一度も帰っていないだろう。何かある可能性は低いけど……。

 

 もし自宅を調べて何も出なかったら、ここに戻って調査を再度してみるか。

 そう考えながらもう一度翠さんに頭を下げ、踵を返して走り始めた。

 

 目的地は夜桜家の邸宅だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――あ~あ。何で私、ダンケルクの事まで教えちゃったんだろう」

 

 

「…………好き、か。ま……結果なんて最初から分かってたけど」

 

 

「でも、アレだけ強い人格は私にはとても捕まえられないし。出来る事と言えば、ダンケルクに殺されない内に勝負を止めるくらいかな」

 

 

「……やることが全部後手に回ってるな。だから……なのかもね。再会するのも、接触するのも、何もかも遅すぎた……そういう事なのかな」

 

 

「…………か~えろっと」

 

 

 

 雲一つない空模様。

 太陽の光は爛々と地面に降り注ぎ、古くなって色の薄れたアスファルトに熱を溜める。

 

 翠の歩く足元のアスファルトは、とても熱を溜めており。

 

 

 点々と続く僅かな水滴の跡など簡単に蒸発させてしまう程、熱かった。

 

 

 

 

 

 

 





作者のリアル生活の方が忙しさのピークに達しております。正直な話、最新話を書く余裕がありません。
なので申し訳ないのですが、数話の間、昔から密かに書き溜めていたサブエピソードの小話を本編の代わりに投稿します。

小話を投稿している間に、何とかリアルを落ち着……落ち着け……たい、です。10月位になったらある程度はマシになると思うんですが。

大変ご迷惑をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。


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小話 気付けばいつもそこに

 

 

 

 

「ふー……」

 

 ため息を吐きながら、足元に降り落ちる桜の花びらをぼうっと眺める。

 柔らかな日光が雲の隙間から地面を照らし、普段よりも少しめかした服の表面を熱くする。

 

 今日は3月15日。

 俺の通っていた中学校の卒業式だ。

 

 

「と言ってもなぁ……」

 

 正直、中学で友達いなかったし。

 偶に話すくらいの奴はいたけど、一生別れるとなっても一切合切悲しくないレベルの関係性だ。担任の名前なんて、卒業して1時間も経っていないこの時点で既に忘れてしまった。

 中学卒業という人生の節目のイベントだと言うのに、驚くほどに何の感情も湧いてこない。高校も無事に決まってるし、まあ所詮、こんなもんか……。

 

 

 堅苦しい服装の胸元を緩め、体の熱を逃がすように再度息を吐く。

 

 卒業式も終わったし、校門の看板前で写真を撮るという恒例?イベントも終わった。

 この後どうしようか……。そう考えていると、普段よりおめかしした母親が慣れないハイヒールを履いた足を必死に動かして近づいて来た。

 

「俊介、今日友達の家に遊びに行くんでしょ?」

「……は? 何の話?」

「ついこの間自分で言ってたじゃない。ほらこれお金、パーッと使っちゃいなさいな」

 

 卒業式の後に遊ぶ相手なんて勿論いない。この後何かをする予定を入れた覚えもない。

 頭に浮かんだハテナマークが取れないまま、母親に一万円札を無理矢理渡された。

 

「じゃあ楽しんできなさいね! 悪いけどお母さん、この後仕事だから!」

「ちょ、何の話――――」

 

 カツコツと足音を鳴らしながら去っていこうとする母親に手を伸ばした瞬間――――。

 

 

 

 

 ――――視界が突然、暗闇に包まれた。

 

「!? っ……」

 

 いきなり何だ? 何があった?

 状況が理解できぬまま、殺人鬼達の名前を密かに呼ぶが、誰も返事をしない。

 

 周囲の音に気を張り巡らしながら、頭に被さっている袋を両手で取る。

 広がった視界。窓から差し込む光は卒業式が終わった後の柔らかな昼の日差しではなく、夕暮れ時の紅い光であった。

 

「……ここは……」

 

 そして何より。

 俺がいた場所は、自宅の、自室であった。

 

 

「…………まったく。誰かが体を奪ったな……」

 

 何年もの付き合いになると、流石に色々分かってくる。

 突然の視界の暗転。急な場所の移動。かなりの時間経過。恐らく殺人鬼の誰かが俺の体を奪い、何かしらを行ったのだろう。それも日の沈み具合を見るに、5時間か6時間と言った所か……かなりの長時間だ。

 

 

 腹がクルクルと虫の音を鳴らす。卒業式中に腹を壊さないよう、昼飯を抜いていたのがまずかったらしい。

 それと同時に、空腹を刺激するようないい匂いが鼻孔をくすぐった。

 

「あれ……もうご飯できてんのかな? 母さんが帰って来るにはちょっと早いけど……」

 

 自室の扉を開き、トントンと足音を鳴らしながら階段を降りる。

 すりガラスの扉から、リビングの照明の光が暗い廊下に差し込んでいるのが見えた。やはり誰か帰ってきているらしい。

 

 

「……それにしてもあいつら(殺人鬼達)、どこ行ったんだ……?」

 

 そんな事を呟きながら、廊下とリビングを繋ぐ扉を開けた瞬間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――パチパチパチパチパチ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 耳をつんざくような拍手が一斉に鳴り響いた。

 

 

『卒業、おめでとう!!』

 

 

 殺人鬼達が両手を打ち鳴らしながら、一斉にそう叫ぶ。

 リビングの食卓の上には、普段は並ばないような豪勢な食事が大量に並んでいた。部屋の中は飾り付けもされている。一体何がどうなってんだこれ……?

 

 

 事態を把握できぬまま10秒ほどポカンとしていると、拍手が緩やかに止んだ。

 そして、にこやかな笑顔を浮かべるドールがこちらにとてとてと近づいてくる。

 

『卒業おめでとう、お兄ちゃん!』

「あ、あぁうん……? ドール、一体何がどうなってんのこれ?」

『えへへ……。実はね、少し前からみんなで計画してたの』

 

 

 話を聞くと。

 これは密かに計画していた、俺の中学の卒業祝い……所謂サプライズだという事。

 少し前から勝手に俺の体を奪い、予算の獲得や親が家に居ないようなスケジュール調整を綿密に行っていた事。

 

 

 その他もろもろの事を一気に聞かされた俺だが、未だに事態が飲み込めず、開いたままの口をふさげなかった。

 そんな様子の俺を見て、ドールが不安そうな表情で問いかける。

 

『勝手に体を奪っちゃった事、怒ってる?』

「ああいや……正直困惑が勝つっていうか……うん、別にいいよ。大丈夫、怒ってないから」

『ほ~ら言った通りでござるよ。ドールが説明すれば俊介は絶対怒らないでござる』

「ニンジャァ!!」

 

 しばき回すぞお前。

 眉をひそめたヘッズハンターに肘で脇腹を突かれるニンジャ。

 

 

 その時、ふと、机の上に丁寧に広げて置かれた卒業アルバムに気が付いた。ついさっき卒業した時に貰ったばかりのアルバムだ。

 開かれたページに手を当て、そっと指で撫でながらつぶやく。

 

「これは……()()()()、か?」

『俺が教えたんだ、この中で寄せ書きなんて文化を知ってるのは俺だけだしな。……まあこれは予定になかったんだけど、余白あったしちょうどいいかって』

 

 ヘッズハンターがはにかみながそう言う。

 確かに、卒業アルバムの後ろの方にある寄せ書き用の空白ページに、殺人鬼達13人分の言葉が書かれていた。特に書き込んで貰う中学の友達もいなかったため、13人分のメッセージを書くには十分すぎる程の余白があったらしい。

 

 机の傍にあった椅子を引いて座り、寄せ書きを上から読んでいく。

 

 

 

 

『中学卒業おめでとう。10歳から見てた俊介が高校生になるなんて変な感覚だけど……俊介は俺より要領いいし、高校の勉強も大丈夫だろ。

 何か困った事があったら遠慮なく相談してくれよな。……でもなるべくは自分の力で頑張るんだぞ? 体育大会はもう手伝わないからな。

 ――――ヘッズハンター』

 

 

『お兄ちゃん、中学校卒業おめでとう!

 昔は算数なんかのお勉強を教えられたのに、もうすっかりお兄ちゃんの方が頭良くなっちゃったね……。体もお兄ちゃんの方が大きくなったし……。

 私に出来る事はもう少ないかもだけど、これからもよろしくね! 何があっても私はお兄ちゃんの味方だから!

 ――――ドール』

 

 

『卒業おめでとう。

 無病息災、大きく体を崩すことなく過ごすことが出来たのは幸いだ。本当に体は大事にしておいた方がいい、病気の苦しみって割と本気でキツいからな。病死なんてもっての他だ。

 俊介は体が丈夫な方だし、健康に心がけていれば大きな病気もなく暮らせる。気を付けてな。

 ――――サイコシンパス』

 

 

『おめ

 もじ べんきょう したことい すまん

 こまっとき いつで いえ

 ――――ハンガー

 ↑

 代筆して貰えばよかったのに…… トールビット』

 

 

『とりあえず、卒業おめでとう。といってもまあ……私から特に何かアドバイスできることはないね。拷問趣味は俊介にはないだろう? 興味が湧いたなら別だけどね。

 高校生になっても無理せず体を壊さず、無病息災……サイコシンパスと同じ事しか書けないな。

 とにかくしっかり休む事。人間は案外丈夫だから、何かあっても休息をキチンと取れば大抵回復するものさ。

 ――――トールビット』

 

 

『みんな健康の事ばっか書いてるわね……。確かに大切な事だけど、ちょっとくらいは羽目外してもいいのよ?

 偶には何も気にせず食べる事も大事よ、体を気にしすぎて心が壊れちゃ意味ないもの。……といっても俊介ちゃんは殺人鬼を13人抱えてもケロッとしてるほど精神が図太いし、あんまり心配なさそうだけど。

 卒業おめでとう、これからも宜しくね。

 ――――クッキング』

 

 

『俊介ももう15歳、そろそろ体の成熟も見えてくる年頃だ。基礎的な護身術を覚えるにはちょうどいい頃合いでもある。

 状況が落ち着けば俺が護身術を教えてやる。3年ほどミッチリやれば、B兵器の体を素手で貫けるようになれる。

 暴力に訴えかけてくる相手がいつ襲ってくるか分からない。俺達が対処するのが一番だが、自分で対処できるようにするのも悪くはないぞ。

 ――――ガスマスク』

 

 

『そつぎょうおめでとうございます。

 そだちがそだちなので、かんたんな文字しかかけませんが……まあ、とくに何もかくこともありません。

 わたしが何かをつたえるまでもなく、俊介はしっかりといきています。がんばってください。

 ――――エンジェル』

 

 

『中学校でも全く友達が出来んかったのう俊介? ま、そう気に病むことはないのじゃ! 

 このわらわが傍にいるのじゃから、むやみやたらに他人と関係を築く必要はない。女友達など以ての他!

 俊介が永遠に独り身でも、わらわが横に居てやるから安心せい! じゃから、高校で彼女なんぞ作ろうとするんじゃないぞ!

 ――――キュウビ

 ↑

 メンヘラ狐のヘドロ臭い独占欲がチラ見えしてるでござるよ ニンジャ』

 

 

『拙者からは先行謝罪の言葉を贈呈しておくでござる。ど~せこの先も何かやらかすのは目に見えてるでござるからな!

 それと、俊介の傍にいると全く退屈しないので感謝してるでござるよ。サンクス。

 ――――ニンジャ』

 

 

『もっと俺の事を呼んでくれよ~。そりゃこの間の花火の時、廃工場を燃やしかけたのは悪かったけどさ。

 俺もこう……色々できるんだぜ? BBQの時、着火剤なしですぐ炭に火を付けたりとかさ。まあその火が街を飲みつくす程大きくなっちゃうけど。

 後は……ほら。火事に巻き込まれても、俺に体を変われば絶対生き残れるしさ。

 とにかくもっと呼んでほしい、役に立てないってのは案外寂しいんだ。……あ、それと、卒業おめでとう。

 ――――フライヤー

 ↑

 お前火事で生き残れるけど、その火事の火を更に大きくさせちゃうじゃん マッドパンク』

 

 

『中学卒業おめでとさん。

 この世界はこっからあと何年かは基礎の勉強続きで、そっから専門分野に入って行くって教育システムなんだろ?

 いずれ俊介が僕と語り合えるくらい工学に詳しくなってくれたら嬉しいけど……。ま、勉強って大事だけど、行きつく所まで行く必要はないし。

 でももし工学に興味あるなら、僕が初歩の初歩から教えてあげるよ。ド~ンと任せな、僕は一から巨大ロボを作り上げた事もあるんだぜ! ……ダークナイトにぶっ壊されたけど。マジムカつく。

 ――――マッドパンク』

 

 

『これからもいっぱいあそぼうね わがあるじ (-ω^)

 ――――ダークナイト(代筆:ヘッズハンター)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんかツッコミどころの多い寄せ書きだな。

 そう思いながら、アルバムをパタリと閉じる。それからリビングの中をもう一度、くるりと見回した。

 

 リビングの中に広がる様々な飾り。細長く切った折り紙を輪っかにし、それを鎖のように繋げたごく普通の飾りだ。

 やけに上手に飾られている箇所もあれば、少し崩れた形で無理矢理テープ止めされている箇所も見える。

 

 

 ……そうか。

 この中でこの世界風の卒業後の祝いなんてマトモに知っているの、ヘッズハンターくらいだろうに。みんな俺の卒業を祝うために、色々やってくれたんだな。

 

 周囲の殺人鬼達に見えないよう、そっと顔を俯かせる。

 

 

『……? お兄ちゃん、どうして顔を逸らすの?』

「いや……何でも、ないよ」

『むむ~? おやおや、どうして声が震えているのか教えてくれないでござるか、俊介?』

「う、うるさい……ちょっと黙ってろニンジャ」

 

 熱くなる目頭を右手で隠しながら、鬱陶しい声色と表情で近寄ってくるニンジャを左手で払う。が、彼の半透明の体には触れられない。

 バレないよう隠したと言うのにニンジャがわざわざ言うものだから、他の殺人鬼達も俺が涙を流しかけている事に気付いたらしい。 

 

 

『ふむ、泣くほど喜ばれるとは……飾りつけを頑張った甲斐があるねえエンジェル?』

『…………少し崩れましたけどね。紙を弄る力加減はよく分かりません』

 

 小恥ずかしそうにしているエンジェルが、ぶっきらぼうにトールビットにそう言った。

 他の殺人鬼達も密かにハイタッチしたり、扇子で微笑みを隠したりとそれぞれの反応を示している。

 

 

 俺は目端から流れる涙を指で掬い取り、鼻を少しズビズビ鳴らしながら殺人鬼達の方に向き直った。

 

「泣いてはない……泣いてはねぇけど! ……いやその……みんな、ありがとうな」

 

 ペコリと頭を下げる。

 中学の卒業くらいどうだっていいと思ってたけど……こうして誰かに祝ってもらうと、案外良いもんだなって、そう思える気がした。

 和やかな雰囲気が場に流れ始め、ニンジャですら口を閉じる。

 

 

 ――――その、瞬間。

 キュウビが手に持っていた扇子をパチン!と閉じ、足を一歩前に進めた。

 

『今の言葉、不覚にも心にグッと来たのじゃ』

『は? 何言ってんだよお前』

『クッソ、何でわらわは俊介に触れられないんじゃ! 触れられるなら今すぐに抱き着いてやるものを、こなクソ!!』

『ちょ……おい、この馬鹿狐止めろ!! せっかくのパーティーが台無しになる!!』

 

 目をギラギラ輝かせながら近づいてくるキュウビを、マッドパンクがタックルして止めようとする。しかし彼の貧弱な力ではキュウビは止められない。

 そしてなぜかキュウビの暴走に呼応したようにダークナイトも動き始め、場の状況が一気にグチャグチャになり始めた。

 

 

『落ち着いて下さッぐぁ……ってめェぶっ殺すぞダークナイト!!』

『フライヤーにマッチ持たせんな今すぐ叩き落とせ!!』

『ちょっと、せっかくの祝いの席なのに……!』

 

 殺人鬼達がもみくちゃに喧嘩し合い、リビングから庭に繋がる窓をすり抜け、そのまま家の外に出て行ってしまった。

 リビングの中に残ったのは、俺と、すぐ傍に隠れていたドールの2人だけ。

 

 

 家の外から轟音が響く中、ドールと互いに顔を見合わる。

 

「……料理食うか」

『うん! えっとね、この卵焼きは私が作ったんだよ!』

「へー。じゃあそれから食べてみるか……うん、美味い」

『えへへ……』

 

 目を閉じ白い歯を見せて笑うドールに微笑みかけながら、料理を食べ進める。

 他の殺人鬼(バカ)共は知らん。涙ももう引っ込んだ。

 

 すっかり人気のなくなったリビングで、ドールと一緒に祝いの料理を食べ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 





ガスマスクの対B兵器護身術特訓メニュー
① 50キロ走り込み
② 腕立て腹筋スクワット各三千回
③ 基本的な型練習五千回
④ ①~③を終えた後、人間大の石像を素手で砕く

俊介は初日の①で諦めた





通学・通勤中に読めるようにいつも早めの朝五時に投稿してますが、時間変えた方がいいですかね……?


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小話 そういやみんな、何歳だっけ……?

 

 

 

 

 

「今日で16歳かぁ。なんか、もうそんなに経ったのかって感じだな……」

 

 俊介は自身の誕生日である夏の終わり頃に、自室の中でそう呟いた。

 両親は案の定仕事でいない為、駅前のスイーツ店で一人分のケーキを購入し、自室でもそもそと食べている。

 

「はぁ~……。夜桜さんと一緒にケーキ食べれたらなぁ……」

『俊介ちゃん、最近その夜桜って子にお熱よねん。告白とかしちゃったりしないの〜?』

「いや流石にさ……。身分が違いすぎて、ちょっと無理っていうかだ……」

『あらま。でも分かるわ~、身分の違いを乗り越えるのってとっても怖いのよね〜。だからこそ、身分違いの恋の物語が人気なのだけれども』

 

 ケーキを食べる俊介の傍ら、クッキングが頬杖を突きながらそう言った。

 

 俊介は高校での初めてのテストにて、既に夜桜との邂逅を済ませていた。勿論一目惚れも完了している。

 しかし夜桜との関係が始まるのは二学年時からであり、今は俊介が一方的に思いを寄せているだけの、他人に近い関係性である。

 

 

 俊介はケーキを食べ終わり、ふと思い出したように言う。

 

「16歳……あっそういえば、クッキングって何歳なんだっけ?」

『私? 34歳よ、もう良い歳なんだから。まぁこの姿になってから、全く年を取ってないけどねん』

「……そう言えば俺、みんなの年齢って全然知らないな。ヘッズハンターが18歳ってのは知ってるけど」

『まぁ年齢なんて特別聞く必要もないものねえ』

 

 

 クッキングとお互い顔を見合わせる。

 

「なんかちょっと気になってきたな」

『良い機会だし、聞いちゃいましょうか』

 

 

 男組から1人ずつ、呼び出して年齢を聞いて行くことにした。

 ここで言う年齢は元の世界での物であり、俺と一緒に過ごした6年間は含めない。

 

 

 

 

 

 

 ―――ニンジャ。

 

『なぜトップバッターが拙者でござるか?』

「厄介なのは一番最初に済ませて手元で監視するに限る」

『酷い言いようでござるなぁ。あ、拙者は2()6()()でござるよ』

 

 

 

 ―――ガスマスク。

 

『俺の年齢か? 2()6()だ』

「ニンジャと同じか……」

『部隊では若い方だったけどな。年下も一応居たが』

 

 

 

 ―――マッドパンク。

 

『僕の年齢? 2()4()だよ』

「結構行ってんな……」

『それもしかして僕の身長見て言ってる? いくら俊介と言えどキレるよマジで』

 

 

 

 ―――サイコシンパス。

 

『私の年齢か? 確か、2()0()歳になったばかりだったはずだ』

「若ッ!」

『まあ私は生まれつき体が弱かったからな。医者からも20歳辺りが寿命だと宣告されていた。若いのも仕方あるまい』

 

 

 

 

 男組は既に知っているヘッズハンターとクッキングを除いて聞き終わった。

 

 意外とサイコシンパスが若かったな……。

 元々虚弱で病死したって言ってたし、そんなもんなのかな……?

 

 次は女組か。

 ちょ、ちょっと怖いな……。

 

 

 

 

 

 ―――ドール。

 

『どしたのお兄ちゃん? 私の年齢? 1()1()()だよ!』

「……11……。……ドール、後で俺と遊ぼうな……」

『? うん!』

 

 

 

 ―――ハンガー。

 

『俺の年齢って……悪いけど、数えた事もないな』

「数えた事がない?」

『俺は生まれも育ちもスラムの中でも特に酷い所でさ、勉強をした事がねえから数の計算が出来ないんだ。でもまぁ……今の俊介とおんなじ位だったと思うな』

1()6()()()()って事か……」

 

 

 

 ―――キュウビ。

 

『わらわの年齢ぃ? 俊介、突然そのような事を聞くとは、ちとデリカシーが欠けておらぬか?』

「それはごめん」

『全く……わらわの年齢は2()2()()じゃ。それよりも俊介、最近夜桜などという女にうつつを抜かしているようじゃが、アレの中身は悪鬼の類じゃ。今すぐ離れてわらわの方にシフトチェンジ―――』

 

 

 

 ―――エンジェル。

 

『私の年齢……? なぜそんな事を聞くんですか?』

「興味本位で」

『知って何が面白いのか分かりませんが……。私は1()9()()です。確かその辺りだったかと』

「ヘッズハンターの一個上? マジ……?!」

『……そんなに老けて見えますか……?』

「ごめん」

 

 

 

 ―――トールビット。

 

『どうかしたのかい俊介? ……わ、私の年齢? アハハ、面白い事を聞くねえ。な、何でそんな事を聞くんだい?』

「興味本位で。嫌なら言わなくてもいいよ」

『いやぁハハハ、嫌なんて事はないよ。そう、私は……3()……2()3()()さ。嘘じゃないよ』

「疑ってないよ」

 

 

 

 

 ―――フライヤー。

 

『年齢? 俺の? 何で?』

「会話の流れでふと気になってさ」

『変な事を気にするもんだな……。俺はちょうど2()0()()だ、まぁ死んでから6年も経っちまってるけどよ。結構若い方じゃねえか?』

「いや、女性陣では上の方かな……」

『……年齢なんて気にした事なかったが、そう言われるとなんかちょっとムッとなるな……』

 

 

 

 

 

 性別不詳枠。

 

 ―――ダークナイト。

 

1()7()

「本当に?」

『( ´∀`)b』

「わか……え、17……? マジ……? 俺の一個上?」

『( *´艸`)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……全員分の年齢をひとまず聞き終わった。

 なんか改めて聞いてみると、イメージと全然違う若さの奴もチラホラいたな。特にダークナイトとか、もっと年上だと思っていた。

 

 まぁでも、ちょっと面白かったな。

 今までドールを除いて殺人鬼達は遥かに年上だと思ってたけど、もう追いつきかけてる奴もいると知れた。俺ももう16歳……自覚はないけど大人になりかけてるんだ。

 

 今まで以上に気を引き締めて生活していこうと考えていた、その時――――。

 

 

 

 

 ニンジャがバン!と机を手のひらで叩き、大声で叫び始めた。

 

『ちょっと待つでござる! 拙者、この場で告発を行うでござる!!』

「は?」

『せっかく俊介が質問したと言うのに、年齢を誤魔化した嘘つき年増がいるんでござるよ……!』

 

 なんか始まった。

 ニンジャはバンバンと机を叩きつつ、息を小刻みに吸いながらすらすらと悪意の籠った言葉を並べていく。

 

『その嘘吐きは実年齢より遥かに若い年齢を申告し、人目に付くのすら恥ずかしい自身の痛いファッションを若さ故の過ちで誤魔化そうとしたマジでずる賢い考え方の加齢臭漂うオバハン!』

『ちょ、ちょっと流石に言い過ぎじゃないかい!?』

 

 トールビットが焦った様子で言葉を出し……『あっ』と開いた口を手で押さえた。

 ああ、やっぱり誤魔化してたのか……。何となくそんな気はしてたけど……。

 

 

 彼女が顔の前で手をわたわたと動かし、否定の言葉を口にする。

 

『いや、違う。今のはだね、その……私じゃないけど、言われてる人が可哀そうだと思ったからだね?』

『他人に押し付けるのはもっと最低でござる』

『ごめんなさい、嘘吐いてました』

 

 暴いても誰も幸せにならない嘘をわざわざ指摘する方が何よりも酷いんじゃないだろうか。

 俊介はそう考えたが口にはしなかった。

 

 

 喜々としてトールビットを弄り倒すニンジャを横目に、少し優しい声色で言う。

 

「別に言いたくないなら言わなくても良いんだけどな。いきなり聞いた俺も良くなかったし」

『まあそうでござるな。トールビットはアラフォー(40歳前後)、言わなくても分かってるでござる』

『違う違う違う違う! そこまで行ってないから、そんなに年取ってないから!!』

 

 彼女が物凄い剣幕で否定する。

 そして仮面で隠しきれていない顔の下半分をりんごのように真っ赤にしながら、口を尖らせ、小さく言った。

 

 

『ホントは……3()0()()……に、なったばかり、です』

『はい、()()()()と』

『お前マジで殺すぞニンジャぁ!!』

 

 何処からともなく取り出した黒い手帳に『アラサー』と書き込むニンジャ。その様子を見てトールビットは勢いよく吠えた。

 しかしニンジャは肩をすくめ、人を舐め腐った口調で言い返す。

 

『30歳にもなって体のラインが出る服着て、黒うさぎの仮面付けて、王子様みたいな少しカッコつけた口調の痛いアラサーに何言われても効かんでござる。

 もしかしてその服と仮面、私的な趣味で着てるでござるか? だとしたら尚更救えんでござるよ』

 

『お、お前の服も似たようなもんだろうがぁ……! 26歳のコスプレニンジャぁ……!』

 

『まぁコスプレと言われればそうでござるが、一応これ、仕事服としての機能も兼ねてるでござるし。拙者こう見えて公務員だったんでござるよ?

 そもそも拙者が言っている問題は30歳の身でそれらを6年間ずっとノリノリでやり続けていた癖に、今になって何を思ったのか年齢を誤魔化そうとしてモロバレした事でござる。もはや痛いを通り越して、触れるのすら可哀想なほど哀れでござるよ』

 

『ぐぅぅぅ……!』

 

 こいつマジで言いすぎだろ。ホント最低だな。

 

 ニンジャの言葉にノックアウトされたトールビットが、顔を真っ赤にしながらその場で三角座りをした。顔を隠す為か膝の間に頭をうずめている。

 

 そんな彼女の様子を見て、げたげたと悪魔のような声で笑うニンジャの後頭部をクッキングが叩いた。

 

 

『いくら何でも言いすぎよ』

『む……。失敬失敬、ちょっと大人げなかったでござるな。いや、年上に大人げないとはこれ如何に……?』

『ちょっと黙りなさい』

 

 クッキングがニンジャの首を後ろから絞め上げた。クッキング相手ならばニンジャが本気を出せば一瞬で抜け出せるだろうが、甘んじてその首絞めを受け入れている。

 

 

 三角座りのまま落ち込み続けるトールビット。

 そんな彼女の肩を傍に居たサイコシンパスがポンと叩いた。

 

『ま、気にするな。30歳などまだ若いだろう』

『にっ、20歳に言われても何の慰めにもならないよ……。ふぇぐっ、アラサーでごめんなさい……』

『そもそもその恰好がなんだ。俺達の姿は俺達と、俊介にしか見えないんだ。俊介が良いならそれで良いだろう。なあ?』

「え?」

 

 いきなり話がこっちに飛んできた。

 唇を嚙みしめているトールビットがこちらに顔を向ける。サイコシンパスの方に目をやると、何か意味ありげな表情でゆっくりと頷かれた。励ませって事か?

 

 まあ年齢を聞こうなんて思いついたのは俺だし、責任は俺にあるか。

 ゴホンと咳払いをし、声を整える。

 

「いや……い、良いんじゃないの? 黒スキニーズボンに白ワイシャツとサスペンダー、あと黒い兎のマスカレードマスク……。

 うん……。まあ、俺は嫌いじゃないよ」

『ほ、本当かい……? 30歳でもOK……?』

「30歳でもOKかは知らないけど、別に似合ってるから良いんじゃない? 好きな物を好きに着てればいいよ」

『しゅ、俊介ぇ……!』

 

 

 四つん這いになっていたトールビットがゆっくりと立ち上がる。

 彼女は未だに顔を真っ赤にしたままだが、少しだけ自信を取り戻したのか、胸をポンと手のひらで叩いた。

 

『ま、まぁ30歳でもいいよね。色々と……包容力も生まれる年齢だから、少しくらいはね! これくらいの服は許容範囲!!』

『言動が支離滅裂。そも、包容力の生まれるマトモな30歳はそんな恰好しな……ぐえっ』

『黙ってなさい、良い具合に纏まりかけたんだから』

 

 

 トールビットがある程度の自信を取り戻し、これからもその恰好で暮らし続ける事を決意した所で、今回の年齢騒ぎは幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 …………。

 俊介は黒のスキニーズボンとか、白のワイシャツにサスペンダーとかは何も思わなかった。ニンジャの言う通り、服のサイズが合ってないのか少し体のラインが出すぎているのも何も思わなかった。

 

 

 ―――でも。

 

 

 30歳で黒兎のマスカレードマスクだけは、ちょっとヤバいかなと。

 そう思ったが、口には出さず、心の中でその言葉をゆっくりと噛み砕いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





年齢よりも気にすることあんだろ!
殺人歴とかさ!











でも弱点多めのよわよわな30歳ってとってもエ〇チ……エ〇チじゃない……?

作者が書くときにいつも思い描いている姿はこんなんだけど


【挿絵表示】


こんな30歳と10歳の頃から7年間も一緒に居たら健全な青少年の性癖歪んじゃうだろ! いい加減にしろ! でも俊介は歪んでないんだよなぁ……。



AIで絵出力した方がよかった(冷静)



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小話 一般人の日記

日記形式です。
苦手な人は飛ばしても全然大丈夫です。


 

 

 

 

 

 10月20日。

  35歳の誕生日。ほんの気まぐれで有給を取ったはいいが、結局何もしなかった。

  昔はこのくらいの年になると、結婚して子供もいるのが当たり前なんて思ってた。けど普通に生きて普通に結婚して普通に死ぬってのが、こんなにも難しいもんだと思わなかったな。

 

  高校や大学の同級生はとっくの昔に結婚してる。

  祝儀代を数倍にしてふんだくってやる、なんて冗談言ってたのが馬鹿みたいだ。

 

  子供の声は嫌いじゃない。けどこのままだと、いつか嫌いになりそうだ。

  そうなる前にさっさと死ねたらいいな。

 

 

 

 

 

 10月21日。

  趣味があったら、もっと何か変わってたかな?

  昔は色々やってたけど、最近疲れてばかりで何もする気力がない。

 

 

 

 

 

 10月22日。

  小学生がものすごい新発明をしたってニュースがやってた。

  正確には、その小学生に宿る異世界の人格が発明したものらしい。

 

  凄い時代になったもんだなぁ。俺が社会人になったくらいの頃に始まった注射のおかげらしいけど。

  俺みたいな才能のないおっさんが働く必要がない時代もいつか来るかな?

  案外、もうすぐかもな。

 

 

 

 

 

 10月23日。

  免許更新をしてきた。

  待ち時間の間、適当にネットニュースを見てたら、また異世界の人格の宿った子供が新しい発明をしてた。

 

  浮遊人格統合技術、か。

  最近、新入社員の子が物凄いスピードで昇進していったって話をよく聞く。異世界で何十年も社会人経験のある人格が力を貸しているから……とか、そういう理由らしい。

 

  恐ろしいなぁ。

  この年でろくに仕事のできない俺が首になったら、本当に行くところがない。

  俺が異世界に行く羽目になりそうだ。

 

 

 

 

 

 10月24日。

  浮遊人格統合技術の案内のポスターが会社に貼り出されていた。

  簡単に纏めると、異世界の人格を宿してキャリアアップをしようと言う風な内容だった。

 

  会社内は尻込みする奴が大半、一部の情熱的な奴が注射を受けに行く……そういう状況だ。

  確かに、こんな年になって、自分の中に誰かが入ってくるなんて恐ろしくてたまらない。新しい事をする気力もない。

 

  けど……一人は寂しい

 

 

  ちょっとの注射で、給料が上がるかもしれないってのなら、やる価値はあるかもしれない。

  人格が宿らない可能性も全然あるらしいしな。試すだけなら全然アリだ。

  予約は一番早く取れた明日だ。会社も休みにしてくれるらしいし、良い事尽くめだな。

 

 

 

 

 

 10月25日。

  マジか。

  本当に宿った。

 

  職員から説明受けたけど未だに信じられない。すぐ近くに半透明の人間がいる。

  少し会話したけど、どっちも困惑しっぱなしだ。

 

  銀髪の美形顔で、病院服に似た物を着てる……中性的な顔で性別は分からんが、身長がデカいし多分男。

  病院服に似た物を着た上、その病的なまでの手足の細さを見るに……多分病人なんだと思う。

 

  まいったな、本当に宿るなんて。

  これからどう生活するか……。

 

 

 

 

 

 10月26日。

  俺から3メートルしか離れられない病人の男。

  名前は『ムールー』と言うらしい。呼びにくいので『ムル』と呼ぶことにする。

 

  彼は見た目の通り病人であり、かなり重い病気で殆ど病院の外に出たことがないのだと言う。

  そんな風なので、勿論社会人経験などある訳もなく……俺の仕事のスピードが変わったり、なんて事は一切起きなかった。

 

  誰かが言っていた、『浮遊人格統合技術は運ゲー』……。

  外れとは言いたかないけど、これじゃあやっただけ損かもな……。

 

 

 

 

 

 10月27日。

  今日仕事をしてる時、近くに居たムルが俺の気付かなかった仕事のミスを指摘してくれた。

  そうか、人格がいると一人で二重チェックが出来るんだな。

 

  そう考えると、やっぱり人格がいるってのはそう悪い事じゃないのかもしれない。

  でも、ムルが俺の仕事をたったの一日で理解していたのはちょっとショックだ。一日で理解できるほど簡単な仕事でミスしたのか俺は……。

 

 

 

 

 

 10月28日。

  休日だったので、ムルを連れてドライブをした。

  俺のオンボロガタガタ軽自動車の助手席に座り、ムルは窓の外をずっと見ていた。

 

  何が面白いのかと聞くと、死ぬ前はこんな景色を一度も見た事がなかったと言われた。何とも言い難い。

  そしてバーガーショップに行き、一番安いセットを買って思いついた。俺とムルの体の主導権を入れ替えれば、ムルもこのバーガーを食べれるんじゃないかと。

 

  変わる方法は簡単で、俺が念じるだけでいい。

  物は試しとやってみた結果……気が付いた時には、何処かの砂浜で汗だくになって仰向けに倒れていた。

 

  ムルが言うには、バーガーの味に興奮して、体が動くのにも興奮して、全力で走り回っていたらしい。

  どーいうこったよ。ムルは病人じゃなかったのか……。

 

 

 

 

 

 10月29日。

  昨日の事について軽く調べてみた。

  宿主の体と人格……俺の体とムルには『適合率』というのがあるらしい。

 

  その適合率が高ければ高いほど、宿主の体を使っている時、人格は生前の自身の身体能力を引き出せる。

  適合率が低ければ低いほど、宿主本来の身体能力に引っ張られる。

 

  つまり。

  俺とムルの適合率は結構低い。

  なので身体能力が俺の方に引っ張られ、病人ではない、一般的な中年の身体能力になった。だからバーガーだって普通に食えたし、ガリガリの病人よりも幾分かは走れる……そういうからくりだったらしい。

 

  なんかややこしいな……。

  まあ、ムルが楽しそうならそれはそれで……いや、おっさんが走り回ってる絵面はあんまりよくないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 1月3日。

  久しぶりに日記帳を開いた。二ヵ月近く書いてなかったのか。

  まあ、この日記帳は元々俺の愚痴を吐き出すために書いてたからな。

 

  正直……ムルが来てから、俺の生活はかなり変わった。休日はせがむムルの為に精力的に外に出るようになったし、仕事での失敗もかなり減った。

 

  傍から見れば順風満帆だ。

  けれど……また日記帳を開いたのには、少し理由がある。

 

  俺は才能も何もない、ただの35歳のおっさんだ。

  しかしムルは明らかに頭が良い、俺よりも。

 

  元々大して生きる気もなかった俺だ。

  けどこの体は……ちょっと年は食ってるけど、病人よりかは動ける自信がある。

 

  だから……無能なおっさんは消えて、この体を優秀なムルに明け渡そうと。

  そう考えているんだ。

 

 

 

 

 

 1月4日。

  ムルが会議中の上司にいたずらをしていた。

  触れられはしないものの、上司のかつらのずれた部分を指さして思い切り笑っていた。やめろ、釣られるから。

 

 

 

 

 

 1月5日。

  ……ちゃんと話し合わないとな。

 

 

 

 

 

 1月6日。

  ムルに物凄い剣幕でキレられた。

  『生きる事を諦めるな』って、見たこともないくらい顔を真っ赤にしてた。

 

  そのまま俺の中に入って、何度か呼んでも一向に出てくる気配がない。

  怒らせちまった、けど、やっぱり俺よりムルが体を使った方が……。

 

 

 

 

 

 1月7日。

  バカ!

  そりゃ確かに、しっかり味の付いたご飯は初めて食べたし、走り回るのも楽しかったけど……人の体を貰ってまでしたいと思う事じゃない!

 

  僕の意見を勝手に無視するな!! アホ!!

 

 

 

 

 

 1月8日。

  昨日の日記の所……まさか書いたの、ムルの奴か? 俺の体をいつの間にか奪ってたのか。

 

  ムルはそうは書いてるが、やっぱり俺の体を有効活用できる奴に譲るべきだ。

  中年のぶよっとした体だけど、痩せればまだ幾分か動ける。多分。

 

 

 

 

 

 1月9日。

  僕は……確かに、頭は良い方だと思う。正直、簡単な仕事でミスしまくるようなダサいおっさんよりは働けると思うよ。

 

  でも、そんな事どうだっていい。

  僕が病院でどんな暮らしをしてたか話したことなかったよね。

 

  誰も話しかけてなんかこないんだ。

  家族だって、僕の事を医療費ばっかり掛かる無能扱いしてた。食事だって全部点滴、暗い病室の中でずーっと同じ景色の窓の外を見る事しかできない。

  最後は手術室に入って……突然こっちで目が覚めた。難しい手術だって言ってたし、多分手術中に死んだんだと思う。

 

  僕は生まれてから死ぬまで、人とマトモに会話した事なんかなかった。

 

  だからさ。

  久しぶりに君と会話できたことが、とっても楽しかったんだ。一緒に過ごせたことが楽しかったんだ。

 

  だから、自分の体がどうでもいいとか、消えるとか、そんな事書かないでくれよ。

 

  ……寂しいよ。

 

 

 

 

 

 1月10日。

 

 

 

 

 

 

 1月11日。

  そうか。

  そうだよな、何考えてたんだろうな、俺。

 

  ごめんな、ムル。

 

 

 

 

 

 1月12日。

  いいよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7月20日。

  新しい仕事に移ってもう一ヵ月が経った。

  あの頃、新入社員の頃からミスばかりでやけにネガティブになっていたのは……そう、単純に俺にあの仕事が向いてなかったんじゃないかと思ったのだ。

 

  それで変な考えを振り切るため、思い切って、長距離トラックの運転手に転職した。

  ちょっと大変だったけど、大型トラックの免許も取ったしな。

 

  ……正直、この長距離トラックの仕事が俺に合っている仕事なのかは分からない。

 

  けど、ムルは助手席からいつも楽しそうに外の景色を見ている。

  その様子を見ていると、今の仕事が合ってる合ってないに関係なく、頑張る気が湧いてくる。

 

  ……結構単純な馬鹿だよな、俺って。

 

 

 

 

 

 7月21日。

  マジか。えっ、嘘だろ?

 

  俺、ずっとムルの事を男だと思ってたけど。

 

  ムルは……女だった。

 

  体がガリガリすぎて女性的な丸みがないから全く気付かなかった。

  マジか……。

 

  マジ……?

 

  ど、どうすっか……。

  いや、どうするもないよな……。

  おおう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






-Tips-
 10歳でなくとも、希望さえすれば何歳であろうとも浮遊人格統合技術の注射を受ける事ができる。
 誠に信じ難いが、キャリアアップやスキルアップの為にと望みを掛けて注射を打つ社会人は意外に多い。
 企業側からしても一人分の給料で数人分の能力、運が良ければ異世界の独自技術を手に入れられる為、人格持ちの需要が高まっている。






~~~作者からのメッセ―ジ~~~



 この度、お気に入り数がついに13000件を越えました。
 作者が裏で密かに設定してたいくつかの目標を全て達成し、本当に感無量の思いです。

 行き当たりばったり、私の性癖コンパスに従って自転車操業で進めてきた本作がここまで成長できたのは、偏にいつも読んで下さっている読者様方のおかげです。本当に感謝の気持ちしかございません。

 もしまだ未評価の読者様がいるのならば、これを機に評価してくださると嬉しいです。
 ランキングが上がると、本作を完結後に一気読みしようとして忘れ去った人の目に再び届く可能性が上がるので。と、それっぽい理由を付けただけの評価乞食ですごめんなさい()。


 ……それと、本作は常時支援絵やファンアートを受け付けております。
 みんなが想像する各キャラの容姿、オラに見せてくれ!

 でもR-18は勘弁だ、掲載できねぇかんな! AI絵もやめてくれ、AI関連の問題は作者全く分かんねえんだ! 責任が取れねえ!

 支援絵は感想欄じゃなく、作者のメッセージの方に遠慮なく送ってくれよな!
 来なかったらオラが描くから安心しろ(?)



 ……では。
 本作の完結まではまだ暫くかかりそうですが、どうか生暖かい目で、これからもどうぞよろしくお願いします。 

 作者:男漢より。


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小話 化け物

 

 

 

 

 ククク。

 俺は最強だ。

 

 元の世界でも俺に敵う奴は一人もいなかった。

 

 病気拗らせて死んじまったが、まさか異世界で10歳のガキに宿って生き返れるなんてな……!

 宿主の体を奪うなんざ、俺にとっちゃ余裕だね……!

 

 

「ククク……」

 

「ねぇあの子、一人で何笑ってるのかしら……」

「さぁ……?」

 

 

 2日ほど掛けてこの世界の事を調べた。どうやらこの世界には、俺のように宿主の体を奪って犯罪を繰り返す人格犯罪者ってのが居るらしい。

 でも、ダメ……! あんな奴ら、まだまだアマチュア……!

 

 犯罪の程度(レベル)が甘いんだよ。

 一撃で街を焼け野原に出来るくらいの実力を持ってないと、本物(モノホン)(ワル)とは言えねぇぜ……!?

 

「ククク……!」

 

 俺は最強だ。

 強い奴は何をしたって許されるもんさ、なんたって強いからな! 誰も逆らえねえ!

 

 

 さてまずは手始めに、このスイーツ店で強盗でもするとするかな……!

 ドアを蹴り飛ばして入ってやろうと思ったが、せっかくのスイーツが傷ついちゃ意味がねえ。手で開く。

 

 

 店に入るとすぐ、カウンターに居た50代ほどの老女がこちらに顔を向けた。

 

「いらっしゃいませー。……あら僕、おつかい?」

「おつかいだぁ? 違うなククク……俺は最強だぜ」

「? サイ・キョウ君?」

 

 ふん。

 やっぱり貧弱な店員如きには分からないだろうな、俺のこの体から溢れ出る強者のオーラはよ……!

 

「俺は金を一銭も持ってねえ。この意味が分かるか?」

「……? お母さんが後から来るってことかな?」

「ちげーよ。いいか、俺はこのスイーツを貪り食いに来たんだ! 最強の特権だ!!」

「………?? 行儀よく食べなきゃ駄目よ?」

 

 一体何の勘違いをしてるんだこのババア?

 チッ……。それにしてもやっぱりこの10歳のガキの体は不便だぜ、他人から舐められてるのがありありと分かる。

 

 俺はその気になれば、この店どころか周辺一帯に風穴を開けられるんだぞ!?

 最強として君臨した暁には、俺の強さが理解できるそれなりの強者を配下にするのはいいかもな……。ま、俺の足元に及ぶ強さの奴が存在するかどうかも怪しいけどな!

 

 カウンターで首を傾げながらこちらを見る店員に詰め寄り、声を荒げて言う。

 

「いいか店員さんよ。俺はただの10歳の子供じゃねえ、最強なんだ! さっさとその商品棚の中を全部俺に渡さねえと、その首ふきとば――――」

 

 

 

 ―――ゾッ!

 

 

 

 ―――ほんの一瞬。

 自分の体がズタズタに切り刻まれ、内臓を引きずり出される姿が脳内に走った。

 

 肺が痙攣して呼吸が止まり、体の至る所から汗が噴き出す。

 ヤバい。とてつもなくヤバい。

 

 言葉じゃ形容できないレベルの化け物がこの店の扉の前にいやがる。

 そいつは平然とした様子で扉を開け、店の中に入って来た。

 

 

「あら! こんにちは日高君、もう学校終わったの?」

「テストで早く終わったんですよ。いつものモンブランありますか?」

「あるわよ。ちょっと待ってね」

 

 若い見た目。恐らく高校生。

 黒い制服を着た男は背負った鞄から財布を取り出しつつ、カウンターに歩み寄ろうとして……すぐ傍で固まっていた俺の方に視線を向けた。

 

「あ……もしかして並んでた? 順番抜かしちゃってごめんね」

「い、いや……な、何だお前……?」

「ん? 何だって言われても……普通にモンブラン買いに来ただけだけど」

 

 ふざけるな。

 こんな星一つ分のエネルギーを凝縮させたようなオーラを放ってる奴が、普通にモンブランを買いに来る訳があるか。

 

 

 店員が商品棚から栗のモンブランを取り出し、包む。

 慣れた手つきでその作業を進めつつ、目の前の日高と呼ばれた男に言った。

 

「その子、サイ・キョウ君って言うらしいんだけど……。お金持ってないみたいなの。親御さんも来ないみたいだし……」

「……もしかして、スイーツ買いに来たけどお金忘れちゃった感じ?」

 

 

 今こいつの言葉に逆らうのはまずい、適当に話を合わせておくべきだ。

 息を必死に肺に取り入れつつ、か細い声で言葉を返す。

 

「そ……そうだ……」

「あ~、俺もよくやるんだよね。……いいよ、順番抜かしちゃったし、なんか一つ好きなの買ってあげる」

 

 日高はモンブランを受け取りつつ、俺の体を商品棚に近づけようと背中に手を当てる。

 奴の手が背中に触れた瞬間、全身に走る悪寒が更に悪化した。思わず反射で手を振り払う。

 

「や、やめろ触るな! 俺は帰―――」

『――ギャオ』

「ッ―――」

 

 

 全身を切り刻まれるような感触と共に、理解する。

 本当にヤバいのは目の前の男ではなく、男の中身の方であると。

 

(クソッ!

 外に影響を及ぼさない人格の癖になんで俺に威圧できるんだ、おかしいだろ……!)

 

 

 日高が俺の肩をポンポン叩きつつ、優し気な声色で言う。

 

「全然遠慮しなくていいって! ここの奴全部美味しいから」

「そ、そうか……なら、こ、これを頼む……」

 

 俺は適当に、一番近くにあった苺のショートケーキを指さした。

 一体どう行動するのがいいか分からないが、この男の言葉に逆らう事で中に居る化け物が牙を剥いて来るらしい。なら俺に出来る事は一つ、言葉に従い続ける事だ。

 

「すいません、この苺のショートケーキお願いします」

「は~い」

 

 店員が素早く、手慣れた手つきでケーキを包む。流石プロだ。もっと早く包んでください、お願いします。

 日高は店員からケーキの箱が入った袋を受け取り、俺に渡した。

 

「それじゃあね」

 

 男は俺の目線まで姿勢を下げ、一度微笑むと、すぐに立ち上がって店の外へと出て行った。

 奴が十分遠くまで行った事が分かると、一気に緊張が解け、大きなため息が口から出る。

 

 

「…………」

 

 あんな化け物が平然と闊歩してる世界なのか、ここは。

 

 …………。

 

 悪いことは止めて、真面目に生きるか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん? ダークナイト、お前いつの間に出て来てたんだ?」

『ギャオ』

「…………まあいいか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 





次週から本編に戻ります。


-Tips-

自称・最強

 元の世界のマオに一歩及ばないくらいの強さ。ガチで強いが、宿主との適合率がそれなりのせいで、こちらの世界では半分ほどの実力しか出せない。
 でもマオはこっちの世界では元の10%くらいしか力を出せないため、自称・最強の方が強い。もし暴れてたら人対の牙殻が即出動するレベルでヤバかった。

 犯罪者にでもなって自由気ままに暮らそうとしていたが、世界のバグみたいな化け物に遭遇したことで真面目に生きる事を決心。

 あと宿主に体返した。
 普通に仲良くなれた。




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#62 触れてはいけない過去に触れる

 

 

 

 

 人を殺す才能があった。

 でもそれはきっと、人間が持っていちゃいけないものだった。

 

 

 721人。

 偶々通りがかった家電量販店のテレビで、俺の本名と顔写真と共に、被害者の人数が公表されていたのを見た。

 神妙な面持ちのニュースキャスターが、手元の紙を見ながら言う。

 

『犯人は刃渡り60センチほどの刃物を2本所持』

『異常な身体能力で通り魔的に人を殺害』

『一部でカルト的な人気を誇っている』

 

 などの情報をつらつら並べ、最後にはこう締めくくる。

 

 

―――史上最悪の殺人鬼

 

 

 

 

「史上最悪、か。教科書に名前載ったりすんのかな……?」

 

 右足の太ももから噴き出る血液を抑えつつ、足を引きずって歩く。

 

 幼馴染――真昼を虐めていた奴らを殺してから約一年。 

 今まで狂ったように殺人を繰り返していたが、とうとう最後が来たようだ。相当訓練された部隊に強襲され、全員殺したはいいものの、最後の一人に太ももを撃たれてしまった。

 

 この出血量、確実に大腿部にある大動脈を貫いている。

 俺みたいなのを病院で受け付けてくれる訳ないし、こんな致命傷の処置をする技術も持っていない。

 

 

「寧ろ一年もよく生きた方だ……。さっさと死んじまえばよかったのに、こんなゴミ屑はよ」

 

 かすむ視界。力の抜ける体。

 それを奮い立たせるように、胸の中央を力いっぱい拳で叩く。肋骨にひびが入る音と共に激痛が走ったが、ちょうど良い気付けになった。

 

 

「……空、見たいな」

 

 彼が今いる場所は屋根のある商店街。

 もうすぐ死ぬことが確定している。ならば少し日の当たる所に行きたいと、ふとそう思っただけだ。

 

 近くの裏路地に入り、血の跡を残しながら歩く。

 そして一番初めに目に入ったビルの階段を登り、そこから屋上へと向かった。

 

 

「ん……結構いい天気だな」

 

 暖かな日差し。柔らかな風。心が安らぐ匂いが辺りに漂う。

 半径数百メートル以内で50人近く死んでいるとは思えないほどの快晴が広がっていた。

 

 

 肩にかけていたスクールバッグを降ろす。

 高校の時に教科書を入れていたバッグだが……今は、目から光の消えた女性の頭部が2つ入っている。

 

「……? ……っ……?」

 

 彼は困惑したようにその頭の1つを取り出し、自身の顔の前まで持ち上げた。

 

 

 ―――()()()()()()

 

 

 ―――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「お、俺が殺したのは間違いない……けど、一体、誰だ……?」

 

 真昼と似た顔の女性を殺していたはずだ。

 でも、俺が殺してスクールバッグに入れていたこの女性は……根本、頭の骨格の部分から彼女とは似ていない。

 

「は、はは……はあ? ちょっと待てよ、俺……俺は……!」

 

 持っていた頭も、何百人も人を殺した血みどろの剣鉈もその場に落とし、信じられない物を見たように後ずさる。

 

 

「待てよ、俺は……! 俺が人を殺してたのは、真昼と似た顔の女性を殺してたのは―――」

 

 

 

 

「――――『               』からなのに」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何の変哲もない一般家屋。

 若干傾斜の付いた屋根の上で青空を仰ぐ半透明の人影が一つ。

 

『……チッ』

 

 あの日と同じ快晴の空を見ていたヘッズハンターは、苛つきの混じった舌打ちと共に顔をしかめた。

 

 

 

 彼には一つ、俊介の体に宿った時からずっと思い出せない『記憶の穴』があった。

 

 殺人鬼にとって根幹とも言える物。

 それは。

 

 

 『人を殺していた理由』だ。

 

 

 

 『喉が渇いたから』水を飲む。

 

 『腹が減ったから』食事をする。

 

 何らかの行動の前には必ず、その行動を取る理由があるのだ。

 

 

 ヘッズハンターは、真昼と顔の似た女性を狙って殺していた事は覚えている。

 しかし、『なぜ彼女と顔の似た女性を狙っていたのか』という事だけが思い出せないのである。

 

 

 今までであれば特段気にする事もなかったその記憶の穴。

 真昼と再会する可能性が生じなければ、永遠に気に留める事もなかったそれ。

 思い出さなければならない、なのに思い出してはいけないその『穴』がじくじくとヘッズハンターを苦しめていた。 

 

 

 そんな時。

 

 

『やっほ~!』

 

 

 ヘッズハンターの立っている屋根に、半透明の人影が登り、気安く彼に声を掛けた。

 ゆっくりと振り返り、登って来た人物を見る。

 

『……何の用だ、()()()()()()

『何の用だとは酷いねえ。一応心配して来たんだけど』

『そうか……。それは悪い事を言ったな』

 

 そう言い捨て、彼女から目線を逸らす。

 

『あ、目を逸らさずともいいじゃないか。こっち向きなよ』

『うるさいな。俺の事は気にするな、どっか行け』

『そういう訳にもいかないんだよねえ。自分で気づいてないの? 今にも人を殺しそうな顔してるけど』

 

 

 トールビットは自身の持つスーツケースから手鏡を取り出し、ヘッズハンターに投げる。

 その鏡を振り返らずに受け取り、自身の顔を映す。

 

 確かに、そこには普段よりも少し目つきの鋭くなった顔が映っていた。自分では少しとしか感じないが、常人が見れば一瞬身が強張る恐怖を感じるほどに酷い目つきをしている。

 

 

『……そうだな。確かに人を何人か殺してもおかしくない顔だ』

『だろう? もし俊介の体で殺人でも起こそうものなら、とてもとても大変な問題だからね』

『分かってる。言われずとも分かってるさ』

『ま、少し私に吐き出してみたら? 殺人鬼のメンタルケアなんて初経験だけどさ、ハハハ』

 

 

 そう言うとトールビットはヘッズハンターのすぐ傍に移動し、その場に胡坐をかいて座った。

 少しだけ迷ったのち……彼女に続くように、その場に足を伸ばして座る。

 

『それで……何を悩んでいたんだい?』

『忘れた事を思い出そうとしていた。一体何の為に人を殺していたのかを』

『……ぷっ、ハハハ! それはまた面白い物を忘れたねえ!』

 

 あっけらかんと笑いながらそう言う彼女に、ヘッズハンターは少しだけムッとした表情を浮かべる。

 肘で軽く脇腹を突きつつ、口を尖らせて言う。

 

 

『そういうお前はどうなんだ。何の為に人を殺していたんだ?』

『私は拷問が趣味で、殺人は趣味の後片付けにやっていただけさ。……けど最初の10、いや9人までは別の理由で殺してたよ』

『へえ。その別の理由ってのは?』

『秘密~。俊介にすら教えてないもんね』

 

 トールビットは唇にピンと立てた人差し指を当てる。

 

『……おう』

 

 年上の明らかに年に合わない仕草を見て一瞬表情が死ぬヘッズハンター。その顔を見て気まずそうに人差し指を口から離すトールビット。

 数秒の静寂。それを破ったのは、彼女の咳払いの音であった。

 

『コホン。

 ―――それで、君は『何の為に人を殺していたか』を思い出そうとして、人を殺しそうになっていたのかい?』

『まあ そういう事だ』

『……う~ん……。もしかすると、無意識の内に記憶にプロテクト()を掛けているのかもね』

()?』

 

 

 トールビットは人差し指で自分の額をマスク越しにトントンと叩く。

 

『強い精神的ショックを受けた記憶を忘れる事で、自分の精神を健全に保つって症状がある。有名だよね。

 ヘッズハンターの今の状況はそれに似てる。君は今殺人鬼として大事な記憶が欠けてる状態だ。そしてその大事な記憶を思い出せば思い出す程、本来の完全な殺人鬼としての姿に戻っていく……』

 

『…………』

 

『でもヘッズハンターはその記憶を思い出せない。無意識の内に、思い出さないよう厳重に鍵を掛けた。

 その鍵を掛けた理由はきっと……『俊介の体を奪って人を殺したくない』とかかな』

 

 

 彼女はそこまで言い終わった後、ふーっと息を吐いた。

 ヘッズハンターは自身の掌を見つめたまま、ぼんやりとした声色で言う。

 

『……じゃあ、この記憶は俊介の為に思い出さない方が良いのか?』

『知らないね。時と機会が来れば思い出す。そういうものさ』

『適当だな』

『得意じゃないのさ。メンタルケアに関しては俊介の方がよっぽど才能あるね。いや、あれはありすぎかな……

 

 

 数秒ほど経ち、ヘッズハンターは手のひらを閉じて強く握り込む。

 ゆっくりと立ち上がり、俊介が居る方に顔を向けつつ、トールビットに話しかける。

 

 

『今は、俊介の行く末に身を任せてみるよ。けどもし、俺が記憶を取り戻して暴れるような事があったら……』

『ナイフで首をグサッと刺してあげるよ』

『ははっ、お前の鈍い動きじゃ無理だ。エンジェルとガスマスクに大人しく頼め』

 

 そう言い残し、ヘッズハンターは姿を消した。

 

 正確にはその場で強く踏み込み、一瞬でトールビットの視界外に移動したのだ。

 

 

 人間とは思えない身体能力。

 流石、殺人鬼達の中でも二番目に素早いだけの事はある。一番目は表に出せないダークナイトだから、実質トップも同然だ。

 トールビットは他人のメンタルケアという慣れない行為で少し疲れたのか、背中から背後へ倒れ込む。

 

 

『やっぱこういうのは、専門外の医者がやるべきじゃないね……』

 

 その呟きは誰にも聞かれることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

『それで、どう忍び込むでござるか?』

「何でだよ」

 

 俊介一行は、夜桜邸の巨大な門扉の前にいた。

 相変わらず他の家よりも格段に大きく、桁外れの富豪であることを一切隠そうともしない屋敷である。ここは高級住宅街で他の家だってそれ相応の豪邸であるはずなのに、それらが一般庶民の家に見えるほどに夜桜邸は大きかった。

 

「普通にインターホン押せばいいだろ」

『良いでござるか俊介? 大富豪の一人娘が誘拐された、警察はマトモに動かない。こんな状況下にただのクラスメイト一人が訪ねてきたところで、門前払いされるのがオチではござらんか?』

「……まぁ、それもそうかもしれないけど……いやいや」

 

 一瞬納得しかける俊介。しかしすぐに首を横に振って思考を掻き消す。

 

「そうだとしても、一回は押してみるべきだろ」

『チッ……』

「なんだ今の舌打ち」

 

 ニンジャが退屈そうに顔を逸らしたのを睨む。

 そのまま夜桜邸の敷地と道路を分ける鉄製の門……そのすぐ傍にあった黒いインターホンを押す。

 

 そして十数秒ほど経った後、ザザッという雑音と共にインターホンから全く感情の乗っていない女性の声が聞こえ始めた。

 

 

『―――どちら様でしょうか?』

 

「あ、こんにちは。夜桜紗由莉さんの同級生の、日高俊介と申します。えっと……」

 

 忘れてた。

 前回はプリントを届けると言う理由で家の中に入ったが、今回はそんな理由を一つも持っていない。咄嗟に嘘を作り上げないと。

 

『いかがしましたか?』

 

「その、ですね。夜桜さんに渡してくれと言われた物がありまして……それを届けに……」

 

『かしこまりました。今そちらに人を寄越します、少々お待ちください』

 

 インターホンの向こうから聞こえていた無情な声がプツリと途切れる。

 その瞬間、俊介は頭を抱えた。

 

(……そりゃそうだ、ただの届け物で屋敷の中に入れてくれる訳ねーよな! 前回みたいな特別な事情があるならともかく……嘘の吐き方ミスったか……)

 

 

 頭を抱える俊介の姿を見て、ニンジャが分かってたという風に首を横に振る。

 

『どうせ嘘を吐くならもっと大胆に行くべきでござったなぁ、俊介はまだその所の塩梅が――――』

 

 

 

 

 ―――ザザッ

 

 

 

 インターホン。

 既に会話は終わったというのに、再び特徴のある重いノイズ音が響いた。

 俊介達がインターホンに視線を向けると同時に、先ほどまでの女性の声とは違う、低く落ち着いた男性の声が聞こえ始める。

 

 

『門を開ける。中に入ってきなさい』

 

 

 先ほどの女性と言っている事がまるで違う。

 頭が事態を理解するよりも早く、仰々しい門扉が鉄のこすれる音を鳴らしながら独りでに開いた。

 

 俊介は開かれた門の前に足を踏み出そうとして……足を引っ込め、殺人鬼達の方を向く。

 

「……これ、行っても大丈夫だと思うか?」

『分からぬ。が、屋敷の中に入れば、夜桜の部屋も確実に100メートル圏内に入る。拙者達が調べる事も可能でござる』

「そうか……」

 

 

 声の主が誰なのかは大体予想がつく。

 しかし、俺を邸宅に招き入れる理由が分からない。向こうは俺の事を殆ど知らないはずなのだから。

 

 敷地の中に足を踏み入れ、だだっ広い庭にある邸宅までの一本道を踏みしめるように歩く。

 夜桜さんの部屋の調査にはニンジャとダークナイトとフライヤーの3人が向かった。半透明の彼らには壁など関係なく、俺とは別の場所から中に入って行く。

 

 俺の元にはハンガーだけが残った。

 

 

『ヤバくなったらいつでも変わるからな~。少し前の誘拐事件みたいなヘマはしねえからよ』

 

 ハンガーは呑気そうな表情をしているが、付近に厳重に警戒を払っている。

 いざとなれば俊介の体を奪い、敵対者を一瞬で吊り上げる腹積もりだ。

 

『……んでさぁ、あの男の声って一体誰なの?』

 

 俊介は答えない。

 屋敷の中へ完全に入り込んでしまった以上、何処から見られているか分からない。一人で虚空に喋っている所を見られ、人格持ちだとバレる訳には行かないからだ。

 さっき門の前で思いっきり人格と喋っていたのはノーカンである。

 

『な~な~、俺の話聞いてる~? 俊介~? お~い!』

 

 うるせぇ。

 

 

 勝手に体に乗っかかり耳元で話し続けるハンガー。

 若干苛つくが振り払うこともできない。そのまま我慢し続けていると、邸宅の玄関扉の前に辿り着いた。

 

 

 ……夜桜家の娘が誘拐されたバタついてる状況で、使用人の言葉を撤回し、屋敷に人を招き入れるなんて行動が許される人物。

 

 それはつまり、屋敷の中でも相当偉い人物だって事だ。そして夜桜さんには男の兄弟はいない、いるのは父親と母親だけ。そして先ほどの声は明らかに男の物だった。

 となると、声の主は……。

 

 

 シックな色合いをした重厚な扉に手を伸ばし、ノックをしようとする。

 しかし中指の骨で扉を叩くよりも早く、扉が重々しさを感じるゆったりとした速度で開いた。

 

 扉の向こうから現れた見覚えのない男性に深く頭を下げ、挨拶をする。

 

 

「……初めまして。日高俊介と申します」

 

 整った目鼻立ち。身長は180センチほど。

 顔に少し小じわがあるものの、老いを微塵も感じさせない気迫を放っている。短髪をオールバックにし、高級そうな紺のスーツで着飾った姿には常人にない気品を感じる。

 

「ああ、初めまして。私の名前は―――『夜桜宗次郎(そうじろう)』と言う」

 

 俊介の予想はドンピシャ、完全に的中していた。

 彼の顔には夜桜紗由莉の面影を確かに感じる。つまり、この目の前の男性こそ。

 

 

 夜桜紗由莉の()()なのだ。

 

 

 彼は左手首に着けた金の腕時計を一瞥し、こちらを向いて言う。

 

「少し、話をしても大丈夫かな? 予定があるならそちらを優先してくれていい」

「大丈夫です。予定はありません」

「それは良かった。……応接間へ案内しよう、茶菓子も運ばせる」

 

 クルリと踵を返し、奥へ歩いて行く夜桜宗次郎。

 俺もその背中に付いて行くため、夜桜邸の絨毯を足で踏みつけた。

 

 

 

 

 

 






 投稿が遅れて申し訳ございません。


 前々から行っていたアンケートの結果、
 一番票が多かったのが『何時でも気にしない』、二番が『書き終わった瞬間投稿』でした。

 なのでこれからは投稿時間は気にせず、出来上がった瞬間投稿するようにします。
 最低でも週一回は更新できるよう頑張るので、よろしくお願いします。


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#63 天才に心砕かれる

 

 

 

 一人の女が、口を閉じて歩いている。

 カリカリに焼いたベーコン、少し焦げ目のついた目玉焼き、湯気の出るコーヒー。それらが乗った四角の白いトレイを持ち、とある一つの扉の前に辿り着く。

 

 その扉をくぐり、そのすぐ先に再び待っていた扉もくぐる。

 厳重な守りをくぐった部屋の中には……机の上に紙を広げ、何かを書き込んでいる女がいた。

 

 

「やあ。軽食、持ってきたよ」

 

 トレイを持つ女が軽い口調でそう声かける。

 その言葉に、机に向かっていた女は肩越しに、トレイの女を睨んだ。

 

「酷いなあ、そんなに睨まなくてもいいじゃないか」

「今すぐその顔面が倍に腫れ上がるまで殴りましょうか?」

「怖い怖い。……でも君は殴らないだろう? そんな事をしても、状況は好転しないのは嫌でも理解してるから」

 

 チッ、と舌打ちをする音が静かに響く。

 机に向かっていた女―――夜桜は右手に持っていたペンを適当に放り投げ、榊浦美優の持つ軽食の乗ったトレイを奪い取った。

 

「ベッド、腰掛けるよ」

「さっさと部屋から出て行ってくれませんか?」

「そんなに邪険にしないでよ。ちょっとのお話くらいいいじゃんか」

 

 

 夜桜は額に浮かんだ青筋を親指でさすって鎮める。

 今現在、夜桜は特別に作られた監獄部屋の中、バクダンが作った超兵器MRKの設計図を書かされていた。

 

 ―――無論。

 

 バクダンと夜桜の二人は、目の前の女が所属する腹立たしいテロリスト集団にMRKの設計図を渡すつもりなど毛頭ない。

 というか、並のテロリスト集団相手ならば、壊滅させて家に帰っているだろう。

 

 しかし、そう出来ない理由がある。穏便に暴力で済ませられない理由がある。

 あの『()()()()()()()』とかいう鎧……。何らかの異世界の人格が宿主を乗っ取っている奴は、爆発物で完全武装した自分よりも確実に強い。

 そのため、実力行使に移れないのだ。目の前の榊浦美優を締め上げて脱出するのは簡単だが、鎧が一瞬ですっ飛んできては意味がない。

 

 

 勝手にベッドに腰掛けた榊浦美優。

 彼女は肩をすくめながら、軽い声色で言う。

 

「それに、私と話している間は設計図を書く手を止めてもいいよ」

「……そうですか。じゃあ遠慮なく」

「物分かりが良くて助かるね。やっぱり君の事が()()だよ、私は」

 

 その言葉をお前に言われた所で何一つ嬉しくない。

 心の中に浮かんだ罵倒を口の中で噛み殺しつつ、榊浦美優の方に体を向けた。

 

「それで、話とは」

「うん。……あのさ、小耳に挟んだんだけど……君、親と仲が悪いんだって?」

「…………」

 

 夜桜はぷいと顔を逸らす。

 『沈黙は肯定とみなす』とはよく言ったもの。つらつら言葉を並べるよりも、すぐに顔を逸らすという行動が、夜桜と父親の仲の悪さを顕著に表していた。

 顔を逸らしたまま、不満を一切隠さずに言葉に乗せて言い放つ。

 

「人の家族仲に首を突っ込んで楽しいですか?」

「いや、侮辱するつもりはなかったんだ。君とはそう……つまり、()()()()()()()をしたいと思って」

 

「は?」

 

 

 思わず口から低い声が出る。

 舐めてんのかこいつ。何だよ家族不仲トークって。

 

『話の飛び方と相手の気持ちを考えられない感じが陰キャくさいな……。フヒヒ、案外私と同じ属性……?』

 

 バクダンがすぐ傍でニタリと笑いながらそう呟く。

 行き過ぎた研究者ってみんなこんな感じなんだろうか……?

 

 

 そんな夜桜の疑問と苛つきを他所に、榊浦美優は話し続ける。

 

「私は母親とはそんなになんだけど、父親とは仲が悪くてね。これって意外な共通点だとは思わないかい?」

「別に意外でも……。というか父親って、榊浦豊の事ですか? 不仲には見えませんが」

「う~ん……。不仲っていうか、私に興味ないっていうか。遊んだ記憶がないんだよ」

 

 …………。

 それ不仲って言うか、ただ忙しくて子供と遊ぶ時間がなかっただけじゃないの? 浮遊人格統合技術なんて化け物技術を偶々とはいえ開発するには、それこそ人生丸ごと消費するくらいに研究に専念しないとだろうし。

 

 

「最近は仕事場が一緒だから偶に話すけど。昔から、もうちょっと会話してほしかったけどね……」

 

 片膝を抱え込んだ榊浦美優が、遠い何処かを見る目つきでそう呟く。

 夜桜は逸らした顔を彼女の方に戻した。

 

「……遊ぶどころか、会話をする事さえなかったんですか?」

「殆どね。父は書斎で寝てるか、研究してるか……。ずっとずっと、そんな感じだったよ」

「ふうん……」

 

 夜桜は興味なさげな顔をしながらも、心の中で静かに思う。

 

 これ……もしかして、かなり重要な情報に近づいているんじゃないか? と。

 

 

 浮遊人格統合技術が狂った技術だというのは知っている。

 その技術が、所謂二重人格……榊浦豊がそれについて研究していた時、偶々出来た物だという事も知っている。

 

 それじゃあ。

 どうして、『榊浦豊は二重人格について研究していた』のか?

 

 榊浦親子の研究所……あそこで展示されていた年表にも、そこの所は詳しく書かれていなかった。

 元々メディア露出も極端に少ない親子だ。何処かの雑誌のインタビューで語っている……なんて事はないだろう。

 

 

 もし榊浦美優から有用な情報が引き出せたなら。

 日高君が榊浦豊と対峙する時の、何かいい対策立ての一助になるかもしれない。

 

 そう考え、夜桜は思考を回し、極力怪しまれないような言葉をひねり出した。

 

 

「榊浦豊は、昔から熱心に研究をしていたんですね。……何か、目的でもあったんですか?」

「うん。目的というか……根源というか。母から聞いた話で、その母も詳しく知らないらしいけど」

「……一体、どんな話ですか?」

 

 そう尋ねる。

 

 

 榊浦美優は抱えていた膝を離し、一つ息を吐いてから。

 ゆっくりと言葉を並べた。

 

 

 

「私の母が元々、二重人格だったみたい」

 

 

 

 

「ずっと昔に、主人格(自分)に統合されて消えたもう一人―――(そら)って子がいた、って」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 案内された応接間。

 

 渋い色合いの木板で出来た床と壁。まだ日も高い時間帯であるため、部屋に一枚ある窓から日光が揺れる木の葉越しに差し込んでいる。

 風に揺れる木の葉。それに合わせ、部屋の中の木の葉の影も揺れる。外界と遮断されていると錯覚するほど静かな部屋の中、その動く影だけがこの部屋が現実にあるものだと教えてくれた。

 

 

 膝ほどの高さの机。

 それを挟むように置かれた、黒い革張りのソファーが2つ。

 

 そのソファーの内、少し手狭な大きさの方に俊介は座っていた。

 

 

「…………」

「…………」

 

 お互いに何も言葉を発さない。

 夜桜宗次郎は何もない机の上に視線を落としたまま微動だにしないし、俊介も俊介で、目の前の人物に多少委縮していたのだ。

 好きな人の家で、好きな人の家の父親に会っている。その好きな人が誘拐されているとはいえ、緊張しない方が不自然といえる。

 

 俊介は緊張で頭が真っ白になりかける中、下唇を噛んで心の動揺を無理矢理抑えた。

 緊張して固まっていたって何にも事態は進みやしないのだ。夜桜さんの安否が分からない以上、時間は少しも無駄にはしていられないのだから。

 

「あのっ」

「ああ」

「えっとですね」

「ああ」

「その……」

「…………」

「…………」

 

 

 

『何してんの?』

 

 俺の横で胡坐をかいて座っているハンガー。彼女があくび混じりにそう言った。

 仕方ないじゃん。ただの高校生に超敏腕のバリバリ社長と一対一で話せとか無茶言うなって。緊張で言葉飛ぶわ。

 

 

『ぐあーッと勢いで話しゃいいんだよ。あ、相手の首絞めながらだといい感じに緊張しないかもよ?』

 

 緊張しないっていうかそれもう拷問してるだけだろ。話し合いじゃなくて殺し合いに発展するわ。

 俺が声出して反論できないからって好き放題言いやがってこの野郎。

 

 

 

 ハンガーへの怒りを表情に出さないよう、心の中で噛み殺す。

 すると、夜桜宗次郎が伏せていた目を上げ、ポツリポツリと語り始めた。

 

「……凡そだが、君の用件は分かっているんだ」

「えっ」

「『届け物がある』と使用人に言っていたそうだが……それは嘘なのだろう? 真の目的は別にある……」

 

 

 さ、流石……。

 俺が咄嗟に吐いた嘘なんて簡単に見破られていた。これが夜桜さんのお父さんか……。

 

 いやしかし、それもそうか。

 一人娘が誘拐されたこの状況、そんな時に訪ねて来た見知らぬクラスメイト。今は明らかに授業時間中だと言うのにだ。

 誘拐事件と何か関わりがあると考えるのは何らおかしいことではない。頭が良い人であるなら尚更、この考えに素早く辿り着くだろう。

 

 

 俊介は決意を決めた表情で息を吸う。

 夜桜宗次郎もまた、すっと息を吸い込み、言葉と共に吸った息を吐き出した。

 

「じ、実は――――」

 

 

「分かっている。君もまた、紗由莉との『()()()()』がしたいという訳だな……?」

 

 

「そ、そうで―――――――()?」

 

 

 

 

 ……?

 何言ってんだこの人。

 ()()()()? 何の話してんの?

 

 

 

 

 俊介の戸惑いもつゆ知らず、宗次郎はスラスラと話を進めていく。

 

「そうだな、まずは君の家柄から教えて貰おうか。それと人格は宿っているかな」

「ちょっ……えっ。な、何の話をされているんでしょうか?」

「? 君もそれが目的だったんだろう?」

 

 そんな訳ねーだろ。

 

 

『……あれ? 普通自分の娘って大事なもんだよな……? そうだよな俊介?』

 

 ガチの快楽殺人鬼のハンガーですらちょっと戸惑ってるじゃないか。

 

 

 宗次郎の謎の言動による困惑を頭を振って消し去る。

 少しだけ声を荒げ、きょとんとする彼に向って叫んだ。

 

「お見合いの話をしに来たんじゃありません。もっと大事な話です!」

「もっと大事な話……?」

「あるでしょ、お見合いよりも大事なのが!!」

「ふむ」

 

 顎を抑え、考え込む宗次郎。

 マジかこの人。娘が誘拐されてんだぞ、真っ先にそれが思い浮かぶだろ。どういう思考回路してんだ。

 

 

「ああ……もしかして、紗由莉が―――」

 

「はい!!」

 

「―――全国異世界マーシャルアーツ武道大会で準優勝した事についての、インタビューとか?」

 

 

 全然違えよ。

 

 

 ……えっ? というか夜桜さん、そんな大会で全国準優勝してたの? 

 全く知らなかったし、そんな格闘技の大会が全国規模で開かれてた事も今知ったんだけど。

 

『……あの女の強さで準優勝か……。俺ですら素手じゃあ負けるんだけどな……』

 

 なんかぼそっと呟いたハンガーの言葉を無視する。理解するのが怖い。ハンガーって殺人鬼の中でも上から数えた方が早い部類なんだよ。

 

 驚きと困惑で再びずれかけた思考を、頭を振って元に戻す。

 失礼だとはわかりながらも、目の前にある机を少し強く叩いて音を出し、それと共に声を荒げた。

 

 

「そんなんじゃないです!! 娘さんが―――()()()()()()()ですよ!!」

 

 

 埒が明かないので、ストレートに言い放つ。

 なんで高校生の俺がそれを知ってるのかとか、なんでそんな事について知りたいのかとか、色々疑問はあるだろう。しかしこうハッキリ言わないと、いつまで経っても話が進まないのは目に見えていた。

 夜桜さんの誘拐が真っ先に浮かばない彼の態度に、若干冷静さを忘れるほど苛ついていたのかもしれない。

 

 

 宗次郎はそんな俺のドストレートな言葉を聞き……数秒程経ってから。

 

 

「ああ、その件か……。まあ、どうにかするだろう」

 

 

 とだけ、静かに言い放った。

 

 

 

『……あ? こんだけ?』

 

 俺が言葉を発するよりも早く、ハンガーが困惑の言葉を口に出す。

 彼女の言葉を皮切りに、宗次郎の更に意味不明な言葉で真っ白になっていた俺の頭が再稼働し始めた。

 

 頭が茹で上がるような感覚がする。

 それが怒りに近い感情だと理解するのにすら、数秒要する程に頭が回らなかった。

 

 

「な、何考えてるんですか……? 娘が誘拐されてるんですよ?!」

「だな」

「そんな軽い反応で済ませていい物じゃないでしょう!? もっと、こう……!!」

「もっとこう、何だ?」

 

 

 宗次郎が瞼を細めた鋭い眼光をこちらに向ける。

 

 

「日高君。君は、紗由莉が()()だという事を知っているか?」

「……はい」

 

 彼の質問。

 そう悩むこともなく、『天才か?』という問いに肯定の言葉を返した。夜桜さんが天才でなければ、天才という言葉は使い道がなくなるだろう。それくらい、彼女は才に溢れている。

 

 

「紗由莉は昔から何でも出来た。文字通り、()()()だ。

 1を聞いて10……いや50を知る。一度見た事はすぐに真似できるし、見た事がなくても数回挑戦すればあっさりと成功させてしまう」

 

『だろーな……。ニンジャの歩き方を数回見て不完全とはいえ真似できる奴だからな。ニンジャの野郎の隠密がバケモン過ぎて、完全に真似するのは無理だろうが……』

 

「厳しく育てれば、それだけ大きく成長する。海外から世界的な講師を招く事もあったし、私自身が教えたことも多い。そしてそれらを全て余すことなく吸収し、更に昇華させていった」

 

 

 ハンガーが言った、ニンジャの歩き方云々が少し気になるが……。今は気にするべき時ではないだろう。

 宗次郎の話の続きに耳を傾ける。

 

 

「天才であった。しかし、まだ理解は出来た。紗由莉は人の範疇に収まっていた」

 

「……しかし」

 

「10歳のあの日、紗由莉に宿った人格は……人の範疇に収まり切らない『()()』であったのだ」

 

 

 そこで言葉を区切り、宗次郎は顔を俯けた。

 

 夜桜さんに宿った怪物の人格とは……十中八九、バクダンの事だろう。あのマッドパンクですら、爆発物の分野では彼女に絶対敵わないというほどだ。

 件の超兵器MRKは、もはや魔法と言ってもいいレベルの爆弾である。……いやまあ、魔法は実際にあるし、使う奴もいるんだけど……。

 

 

 宗次郎は顔を俯けたまま、額に手を当てる。

 

「紗由莉は私を越えて、理解できない所まで行ってしまった。何をしても私より上なんだよ。あの子でどうにか出来ないのなら、私にどうにかするなど到底無理だ……今回の誘拐の件だってな」

「…………」

 

 

 つまり。

 この人は……夜桜さんが天才すぎて、自分が何をやっても力になれない……って思ってるのか。

 

 

 

「……何にもできないって事は、ないと思いますよ」

 

 なぜか、先ほどまで沸き立っていた頭と心が氷でも当てられたように冷えていく。

 

 いや、多少苛ついてはいる。

 娘が誘拐されていると言うのに、才能だ何だと言い訳して、なぜ何も行動しないのか……とか。

 

 けど……多分。

 俺自身、荒事なんかは殺人鬼の人格達に頼りっきりで、それ以外は普通の事を精一杯やって普通にこなすのが限界の男だから……。

 才能のない俺だから、少し理解できてしまうのかもしれない。

 

 

「その、ですね。上手く言えないんですけど……あ、その、さっきはすみません。机勢いよく叩いてしまって」

「いやいいんだ。気にしないでくれ」

 

 彼は顔を上げないまま、額に当てていた手を外して横に振った。

 

 人の心に直接刺さるような言葉を放てるほど、俺は器用に話せない。

 サイコシンパスのような悪魔的な声を持っている訳でもないし、キュウビみたいに人を惑わす話術も持ってない。

 だからこそ愚直に、地べたを這ってでも進むしかない。少しずつ。

 

「紗由莉さんは天才で、俺は全然足元に及ばないですけど……。そんな俺でも、何もできないってことは、ないんじゃないかなって」

「……そうだな。だから私は今、紗由莉が出来るだけマシな男と結婚できるよう……密かにお見合いの話を進めている訳だし」

「それは……」

 

 

 何もしてないって訳じゃないんだろうけど、今の状況でお見合いの話を進めるのは、ちょっと違うだろうに。

 そんな俺の心の中を分かっていたように、彼は低い声で言葉を漏らす。

 

「分かっている。今するべきじゃない事をして、現実逃避しているのは……」

「…………」

「娘の才能に嫉妬して、勝手に届かないと諦めて。……父親として失格だと、つくづく思う」

 

 

 父親云々は俺には分からない。子供持ったことないし。

 

 

「お見合いはアレですけど……他にも色々出来る事はあると思います。高校生の俺には思い浮かばないような事が、色々」

「……そうかな?」

「きっとそうですよ。こう……コネとか」

「コネか。それなら確かに、紗由莉よりもあるかもな……フフッ」

 

 宗次郎は顔を上げ、口元を指で隠しながら笑い声をこぼした。

 

 ちょっとは元気になってくれたようで良かった。

 苛つく事もありはしたけど……やっぱ、好きな人の家族だしな。変に落ち込んでいるよりは、元気で居てくれた方が嬉しい。

 

 

 彼は一瞬視線を机の上に落とした後、こちらの顔に目を向ける。

 

「君は……人の心の中身を吐露させる才能があるな」

「え?」

「つまり……そうだな。人と関わって心を溶かす才能……カウンセラーとかが向いているだろう」

 

 嘘だろ。

 俺、知らない人と会話するのがちょっと怖い、隅で一人細々としているのが好きなタイプなんですけど。

 

 

「カウンセラー、ですか。ど、どうですかね……」

「私は人の才能を見抜くのだけが取り柄だからね。きっと向いている」

「あはは……」

「……フフ。しかし、最初の話が逸れ過ぎたか。

 今度こそ君の『本当の用件』を聞こう。日高君は……この家に何かを調べるために来たのだろう?」

 

 

 ピリッ、と。

 肌に感じる空気が一瞬で入れ替わった。

 

 先ほどまでの宗次郎さんの、どこか他人事のような柔らかな空気ではない。肌を極小の刃物で刺されているような鋭い空気だ。

 

 しかし、そんな鋭い空気でありながら、どこか安心できる。

 この人はこの誘拐事件に、本気で向き合う気になったのだと思えるから。

 

 

「はい。実は、紗由莉さんの部屋を―――」

 

 

 

 

 ―――瞬間。

 

 

 

 

 言葉を遮るように、ハンガーが勢いよく椅子から立ち上がった。

 

 

 

『―――ちょっと話を中断しな、俊介』

「?」

『……クヒヒッ、面白くなってきたなぁ~。な、な、俊介、久々に吊ってもいいだろ?』

「何を言って……」

 

 ハンガーの突然の言葉に、目の前に宗次郎さんがいるにも関わらず言葉を返してしまう。

 彼女は残虐な笑みを隠そうともしないまま、実に愉快そうに言った。

 

 

『屋敷の外にいっぱいあるんだよ。人を数人殺してさぁ、自分が無敵だって一番イキってる時期の馬鹿共の気配が……な』

 

 

 

 

 

 

 

 






遅くなって申し訳ございません。


どんなルートを進んでも夜桜宗次郎がすぐに立ち直っちゃう!(プロット大ガバ)
それもこれも全て日高とかいう夜桜一家キラーが悪いんだ。

ちなみに夜桜宗次郎もうだうだ言ってるけど、一から起業して大成功させてる天才なんだ。
夜桜紗由莉がバグってるだけなんだ。なんだこいつ?


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小話 マッドパンクは語る

 

 

 空が山吹色に染まり、何処かから漂う香ばしい食事の匂いに鴉の鳴き声が重なる時分。

 俊介は自室の中、窓から差し込む夕日を顔に受けながら薄い冊子を捲っていた。

 

「はぁ……」

 

 憂鬱さの籠った空気を口から吐き出す。

 その時、机の横側から半透明の青髪の少年が頭を出した。

 

『……な~にをそんなにため息吐いてんだ?』

「ああ。いや……ちょっとね」

 

 俊介が彼に顔を向ける。

 机の下から頭を覗かせていたのはマッドパンクだった。彼は更に頭を上に上げ、俊介の読んでいた冊子を見る。

 

『ああ……大学の事考えてたの? まだ早くねえ?』

 

 俊介が読んでいたのは、とある大学のパンフレットだった。今読んでいるパンフレットの下にも数冊、何処とも知らない大学のそれが積み重なっている。

 確かに高校一年生と二年生の狭間である春休みに読むには、少し早い気もする物だが。

 

 

 憂鬱げに頭を振る俊介。

 

「どこの大学に行くか……最悪、理系か文系かだけでも決めとけって学校から言われたんだよ」

『ふぅん。どっちにすんの?』

「全然決まらん。と言うか正直、高校卒業して就職も考えてるしな。大学は金銭面的に……さ」

 

 未来に続く道は依然として暗雲が立ち込めている。先行きの見えない将来について考えれば考えるほど思考は暗くなっていった。

 そんなダークな俊介を見て、ケラケラと軽く笑うマッドパンク。

 

『金は大丈夫っしょ。いざとなったらニンジャが持ってきた金使えって』

「出所が反社会組織の数千万を使える訳ねーだろ」

 

 とある山の奥深くの地中には札束が大量に眠っている。何故か紅い液体でしっとりとした札束も含まれているそれは、勿論表でおいそれと使えるような物ではない。

 

 冊子の内容から興味を失ったのか、視線を外すマッドパンク。

 

『しっかし、理系か文系か、ねぇ。……よかったら参考程度に、僕の大学の話でもしようか?』

「……異世界のだろ? 当てになんの?」

『研究者なんて何処の世界でも同じだよ』

 

 

 

 マッドパンクは机の上に飛び乗り、足を組み、コホンと咳払いをする。

 

『まず僕は当然理系って奴だな。大学に入って暫く勉強して、それぞれの専門分野の研究をする『研究室』に配属される』

「うん」

『それで研究室に入って、まず覚える事は()()()()()()()だな』

「……うん?」

 

 

 なんでいきなりスプラッターな方向に話が飛ぶんだ。

 

 

「血の掃除って何? 自分の血とか、そういうの?」

『いや、壁とか床とか服とかへの返り血だよ。他大学の奴が研究室に襲撃してくるのを返り討ちにしたら、当然血も飛び散るだろ?』

 

 

 何言ってんだこいつ。

 ……ホントに何言ってんだこいつ? 数秒考え込んでも全く意味が分からない。どうして襲撃騒ぎなんか起きるんだ。

 

 

「し、襲撃って意味が分からないんだけど」

『研究室には『()()()()』って言うとっても大事なモンがあってな。それを盗むためにバズーカぶち込んで来たり、光学迷彩で忍び込んだり、反重力装置で地面浮かせて大学ごと強奪しようとしたり、色々やってくんのをボコボコにして追い返すんだよ』

 

 

 世紀末過ぎるだろ。

 頭が良い奴らが暴れてる分、世紀末よりもっと最悪な方向に進んでやがる。

 

 ……まあ、異世界の話だしな。

 でも、こっちの世界ではそんなに過激じゃないだろうけど、研究成果の奪い合いってあるのかも?

 ……いやないな。

 

「もうその襲撃の話はいいから、他には何かないのか?」

 

 話を無理矢理別の方向に変えるため、言葉を投げた。

 これ以上血なまぐさい話を聞いていると、俺の持っていた大学への常識が汚染されていく。それだけは避けたい。

 

 

 マッドパンクは小首を傾げ、思いついたように口を開く。

 

『そ~だな。……研究室には准教授とか助教授とか教授が居る訳だ。その専門分野を長い事研究してて、公的に実績が認められてる偉い人達でな』

「うん」

『そして、教授が一番襲撃者を血祭りにあげるのが巧い』

「だから襲撃の話はいいって言ってんだろ!」

 

 

 マジでいい加減にしろよ。

 そう思いながら眉間にしわを込めると、マッドパンクは『?』を頭に浮かべたような顔で首を傾げた。

 

 

『ん~でも、大学ってそういう所だぞ?』

「いや絶対嘘だろ!!」

『ホントだよ。僕もよく返り討ちにしてたし、他の大学に襲撃しに行ってたし』

 

 ―――お前も襲撃してたのかよ!

 

 

『あ、でも、何処でも襲撃していいっつー訳じゃないぞ』

「……そうなの?」

『各大学の図書館と、研究成果を発表し合う学会は厳禁。図書館は昔の貴重な文献が消える可能性があるし、学会は『この期に及んで盗もうとしてんじゃねーぞボケ!』ってタコ殴りにされる』

 

 

 結局ボコボコにされてんじゃねーか。

 

 そう思いながらも、僅かに疑問に思った事を口にする。

 

 

「……昔の貴重な文献とか、まさに欲しいんじゃないの?」

『いやいや。みんな、世に発表されてない最新の物を狙うんだ。それでも古い文献を大切に残すってのは、中身が大事ってのもあるけど……永く受け継いでいく事が、底知れない智の幽谷に挑み続けた先人への僕達の最大の敬意なんだよ』

 

 

 そう語るマッドパンクの目には、目の前にいない遠い誰かへの深い敬意が籠っていた。

 

 

 ……確かに。

 さっきマッドパンクが語った内容は、俺の世界の常識じゃ到底考えられない位に全員血に塗れてるけど。

 

 マッドパンクの世界ではそれが当たり前で、血で血を洗っても前に進み続けることが、研究者としての真摯な在り方として根付いているのかもしれない。

 

 そういう事なら、俺が俺の常識でマッドパンクを測り続ける事の方が失礼なのだろう。

 

 

 地平線に沈みゆく夕日。赤と青が混ざり、やがて黒に染まりゆく空。

 マッドパンクは目を一度伏せた後、少しだけ口角を上げた顔をこちらに向けた。

 

『……どう? ちょっとは参考になった?』

「……うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なる訳ねーだろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





64.65.66話を削除しました。
やっぱり俊介があんな簡単に秘密を明かすのは、設定ガバ以前に作品の面白みと趣旨を削るような大ミスだと思ったので……
ちょっと修正します しばしお待ちください



~Tips~

俊介「つーか、そんな世紀末な世界で殺人鬼って……」

マッドパンク『至極簡単な話だよ。僕は天才で、教授より強かったから誰にも止められなかったのさ。知ってるか? 教授より強い奴を名誉教授って呼ぶんだぜ』

俊介「名誉教授ってそんなんだっけ……?」

マッドパンク『まあ結局大学時代には人殺さなかったけどな。殺人鬼になったのは卒業後に人体実験しまくったり、島の住人丸ごと蒸発させたりしたからだよ』

俊介「えぇ……」




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#64 理屈では説明できない感情

やっぱり俊介が唐突に秘密ぶっぱするのはおかしすぎたので#64、#65、#66は削除しました。
なるべく早く修正して投稿し直します。作者の身勝手な都合で削除して申し訳ございません。


 

 

 

 

 四方が無機質な鉄の板で作られた八畳ほどの部屋。窓はなく、部屋の中央をぼんやりと照らす裸電球が一つだけぶら下がっている。

 

「…………」

 

 部屋の中に唯一ある事務机と椅子。

 その椅子に座り、足を組みながらタブレットを操作する金髪の男。ゴウンゴウンとやかましく鳴り響く換気扇の音を気にも留めず、タブレットを集中して見続けている。

 

 その時。

 ちょうど男の対面にある自動扉がプシッと空気を吐く音を鳴らし、静かに横へと開いた。

 男はタブレットから目を離し、扉の向こうに居た黒い鎧―――ピュアホワイトに視線を向ける。

 

 ピュアホワイトは部屋の中に一歩足を踏み入れ、「相変わらず何もない部屋だ」と呟いてから金髪の男―――ウィザードの方を向いた。

 

「ウィザード。私の部隊の一部が見えないんだが……何処かに動かしたか?」

「ああ……すまない。私の指示で夜桜の家に向かわせた。MRKの設計図を家に置いている可能性が万分の一くらいはあるからな」

「……そうか、次からは一言伝えろ。所在が分からないと、誰を殺してしまったか分からなくなる」

 

 明らかに異常な会話内容だが、2人とも息ひとつ乱すことはない。

 ピュアホワイトは扉のすぐ横の壁に背中を預け、再びタブレットを操作し始めたウィザードの方をじっと見つめる。そのままそうして一分も経った頃……突然口を開いた。

 

 

「私の目的はアニーシャ様に出会い、婚姻を結ぶ事だ」

「ああ……」

「その勢いで胎に子を孕めれば最上だがな」

「あぁ……はっ、はあ? いきなり何だお前?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまい、パッと手元にあるタブレットから顔を上げる。

 そんなウィザードの様子を無視して話を進めるピュアホワイト。

 

「私の目的はアニーシャ様ただ一つ。お前に協力しているのも、この組織に身を置くのがあの御方と出会う確率が最も高かったからだ。まあこの世界に既に来ていたのは少し予想外だったが」

「そんなのは既に知っている。それで?」

 

 ウィザードはタブレットに目線を戻すも、意識はピュアホワイトの方に集中させている。

 

「私が聞きたいのはお前の目的だ。組織の目的は『国を改革する』とかなんとかだが……ぶっちゃけ私としては異世界の国事情など興味がない。ただまあこういう組織を纏めるのにそれっぽい大義を掲げる必要があるのは分かる。……お前も私と同じで、この機関のそれとは別の目的があるのだろう?」

「…………」

 

 一拍の間、部屋の中が静寂に包まれる。いや正確には、壁を揺らすほど勢いの強い換気扇の音だけが響いていた。

 お互いの首に刃物が添えられたと見紛うほどに張り詰めた空気。しかしこの場に居る2人はたかが空気が張り詰めたくらいでは一切動じない程の精神力を持っている。

 

 

 ウィザードは伏せていた目を上げると同時に。

 

 手に持っていたタブレットを勢いよく机の上に放り投げた。

 

 

「ハッキリ言っておくが、この国の教育体制は浮遊人格統合技術とかいう一つの技術に頼り切りで先細りが丸見えの腐りかけのゴミカスだ」

「それは何度も聞いた。だからその体制を変えると言うんだろう?」

「ああ。これは機関の目的であり私の目的でもある。……しかしまあ確かに……お前の言う通り、私の目的はもう一つある」

「何だ?」

()()()

 

 

 それは偶然にも、ピュアホワイトと似通った目的であった。

 

 

「誰だ?」

「私が……まあ前の世界での話だが、生涯で唯一惚れた人だ」

「ほう」

 

 少しだけ興味のボルテージが上がったようだ。組んでいた腕を解く。

 壁に預けていた背中を離し、机の上に腰掛けるピュアホワイト。

 

「そういうロマンチックなタイプだとは思わなかった。どんな奴だ?」

「美しい人だったよ。見た目も勿論だが……何よりもその生き様が美しかった。死に追い詰められた時でも自分の意思を貫き通すその姿がね。私の考え方も随分その人の影響を受けている」

「ククッ。そうかそうか……会える手掛かりは掴んだのか?」

「全くだ。この世界に既にいるのかも、まだいないのかも。我の強い人だったから、宿主の体をすぐに乗っ取って何かしらアクションを起こすと思うんだが……」

 

 

 ウィザードは頬杖を突き、部屋の隅の上部にある換気扇の方を見る。

 その三枚羽が何十周もするのを静かに眺めてから……思い出したように口を開いた。

 

「そうだ。あの人の……まず最初に言うべき特徴があった」

「ん?」

 

「私の世界では、その人は……『史上最悪の殺人鬼』と呼ばれる程の人殺しだったとね」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

『屋敷の外にいっぱいあるんだよ。人を数人殺してさぁ、自分が無敵だって一番イキってる時期の馬鹿共の気配が……な』

 

 ハンガーがいきなりおかしな事を口走った。

 思わず彼女の方――――何もない方向を見て数秒ほど固まってしまったが、すぐに顔を逸らす。

 

「どうかしたかい?」

「あ、いえ、何でもないです……」

 

 すぐに顔を逸らした理由は、目の前に座っている宗次郎に怪しまれないためだ。

 人格持ちの娘がいる彼の前で不審な動きをすれば、すぐに自分も人格持ちだとバレるだろう。それを防ぐために顔を逸らしたのだ。

 

 

 それにしても……一体どういう事だ?

 屋敷の外に人殺しの気配があるとか物騒すぎるだろ。ハンガーが殆ど確信をもって言っている以上、多分屋敷の外に何かがいる事自体は間違いないんだろうけど。

 

 俊介は少しだけ言葉を濁しつつ、宗次郎に問いかける。

 

「あの……この家のセキュリティって、かなり厳重ですよね?」

「ん? ああ、国家認定の人格持ちの家は特にセキュリティを厳しくするよう言付けられていてね。その為の補助金も国から降りている。この家も至る所に設置された監視カメラに不審者が映れば、すぐに近隣の警備会社から人が駆けつけてくるようになっているんだ」

「そうですか……」

 

 

 そりゃあそうだ。そんな簡単に突破されるようなセキュリティを敷いている訳がない。国認定の人格持ちってのは明らかに普通の人格持ちとは扱いが違うし、それぐらいの優遇はされているだろう。

 

 けど相手はそんなセキュリティを突破して、家の周りを囲んでる訳だ。

 何人かで強盗に来たって素人連中ではないだろう。そもそも人殺しなんてやってる奴らが素人な訳ないし。

 

 

「それにしても、なぜ突然そんな事を?」

 

『――――俊介わりぃ。体奪うぞッ!!』

「なッ――――」

 

 

 俊介に覆い被さるようにハンガーが体を重ねる。

 

 

 一瞬の硬直。

 

 

 

 

 

 

「!? 雰囲気がッ――――」

「黙っとけオラァッ!!!」

 

 

 ハンガーが操る俊介の両足が、宗次郎と俊介の間にある机を勢いよく蹴り飛ばした。

 蹴り飛ばされた机が向かう先は――――宗次郎の顔面。

 

「ッ?!」

 

 咄嗟に両腕で顔面をガードする宗次郎。

 しかし余りの勢いに椅子ごと吹き飛ばされ、背面にある壁へとしたたかに背中を打ち付けた。

 

「かハッ……!」

 

 初老に入って久しい体には余りに強すぎる衝撃。

 肺の中に溜まった空気が口から体外に飛び出す。机を防いだ腕にもかなりの痛みがある。

 

 事態が読み込めないまま、突然机を蹴り飛ばした俊介の方に目をやった宗次郎が次に見たものは――――。

 

 

 

 

 ――――――――バッキャアアアアアアン!!!

 

 

 

 

 黒く細長い()()が、先ほどまで自身が座っていた場所を通過し。

 まるで豆腐でも切るみたいに。

 

 

 屋敷を縦にぶった切ってしまった光景だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ったく……面倒くせェなァ~……」

 

 酒臭い息を吐く男。髑髏のマークが入った帽子を被り、胸を大きく曝け出したスーツ姿という意味不明な格好をしている。

 そして、その右手には人間の胴体程の太さがある黒い鎖が握られていた。

 

 

「おい、何を考えてるんだ……!」

 

 男に駆け寄る、軍隊のような武装を身に纏った乳のデカい女。

 酷く困惑した表情で男の肩を掴み、自分の方に無理やり向けた。

 

「今回の作戦は夜桜紗由莉の部屋にある設計図を回収するだけの筈だ! ここまで大規模な破壊は想定されてないッ!」

「うるッせェなァ~~!! 要は設計図を回収すりゃあいいんだろォが!!」

 

 男は手に持った鎖を勢いよく後ろに引く。

 それと共に、屋敷をぶった切った鎖が勢いよく彼の元に戻っていった。優に100メートルを超える長さの鎖、その一番先に付いていたのは厳ついデザインをした船の錨だった。

 

 左手で飛んできた錨を受け止め、地面に突き刺す。

 そして懐に入れていたステンレスのスキットルを取り、キャップを親指で弾き飛ばして勢いよく中の酒をかっくらった。

 

 

 アルコール臭の強くなった息を深く吐き、男は言葉を続ける。

 

「屋敷をこう……8個位にぶった切ってよォ、丸ごと持って帰ればいい話だ。設計図なんざ後で残骸から回収すりゃあいい……」

「馬鹿かお前は……ッ?! 屋敷の中の人間も全員死ぬぞ! 皆殺しは作戦に組み込まれてない!!」

「だが『やっちゃいけねェ』とも言われてねェなァ~……」

 

 スキットルを再び口に付ける。

 が、中の酒がなくなってしまったようだ。

 

 短い舌打ちの後にそれを投げ捨て、心底面倒くさそうに言う。

 

「それに、なぜ未だに屋敷の奴らが皆殺しにされてないのか、不思議で仕方ねェバケモンもいるしよォ~……」

「は……?!」

 

 

 男は両断された屋敷の二階。

 壁に身をひそめるようにこちらを窺う青年に顔を向けた。

 

 視線を逸らさないまま地面に突き刺した錨を左手で取り、肩に担ぎながら叫ぶ。

 

 

 

「――――降りてこいやァ!!」

 

 

「もう一発、オレ様の錨をぶち込まれたくなかッたらなァッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ……う、お、何じゃこりゃ……」

 

 ハンガーに体の主導権を返してもらった俊介。

 先ほどまでは何の変哲もなかった部屋がものの見事に両断されており、思わず言葉が口から漏れ出る。

 

『悪い、ちょっと体奪わせて貰ったぜ。じゃねえとあの夜桜の父親が死んでたんでな』

 

 彼女の言葉に俊介は一瞬、両断された部屋の向こう側にいる宗次郎に目を向ける。軽い怪我はあるかもしれないが命に別状はなさそうだ。

 

 俊介はボロボロと崩れる床に気を付けながらも、すぐハンガーの方を向いて口角を上げる。

 

「いや、いい。寧ろいい判断だった。ありがとうな」

『……にへ』

 

 頬を赤らめるハンガー。俊介はすぐに顔を逸らし、外の様子を窺い始めたので気付かない。

 

 屋敷の外の庭に8人ほど突っ立っている。

 その内の1人、スーツ姿の男はとんでもなくゴツイ鎖を持っていた。屋敷を両断したのはあの男だろうか。だとしたら恐ろしい膂力だ、普通の人間が出せるような力ではない。

 ほぼ確実に異世界の人格持ちだろう。

 

 

 そこまで俊介が推察した所で、向かい側にいる宗次郎がゆっくりと身を起こした。

 

「う……ぐ、日高君……これは、一体……」

「分かりません。変な奴が屋敷を襲ってきたみたいで……」

 

 俊介は宗次郎に顔を向けず、屋敷の外の様子を窺ったまま言葉を返す。

 

 

 体を起こし、痛む腕を抑える宗次郎。

 先ほどまでの落ち着き払った顔を歪め、恐怖に顔を引きつらせながら、俊介に向かって上ずった声を放った。

 

「さッ、さっきの君はとても恐ろしい気配を放っていた……!」

「君が人格持ちなのはどうでもいい!! 私に隠していた事もだッ!!」

 

 

「だが……きッ、君の中にいる()()は、一体『何だ』ッ…………?!」

 

 

 恐怖に塗れた宗次郎の言葉。

 そんな感情を向けられることに慣れているハンガーは、『フン』と軽く鼻を鳴らした。

 

『助けてやったのに言ってくれるじゃねえか。……まあいいや、いつも通り適当に誤魔化しとけよ俊介』

 

 

 俊介は殺人鬼が13人も宿っているのを隠したい。ハンガーはそれを知っている。

 だからこそ、彼女は俊介に適当に誤魔化すように言ったのだ。

 

 

 

 ――――しかし。

 

 

 

 屋敷の外を窺っていた俊介が、くるりと宗次郎の方に振り返った。

 目を細め、声の端に静かな怒りを滲ませながら、彼に向かって低い声を放つ。

 

「宗次郎さん。『何だ』って言い方は止めてください」

『な? おい、何言ってるんだ俊介』

 

 ハンガーにとっても予想外であった。

 いつも通り、俊介が適当な嘘を言って誤魔化すと思っていたのだ。しかし実際は、俊介は声に怒りを滲ませながら宗次郎を責めるような言葉を言っている。

 

 彼女が止める間もなく、俊介は言葉を紡ぐ。

 

「俺の人格のハンガーは、確かに恐ろしい奴です。けど……7年も一緒に過ごしてる家族同然の奴で、大切で……とても頼れる奴です」

「今、貴方の命を助けたのだってハンガーなんです。……謝ってください」

 

 

 強い口調。怒りの滲んだ言葉。

 先ほどまで、どちらかと言うと優し気な印象だった青年が放ったそれは、恐慌状態に陥った宗次郎を正気に戻すには充分だった。

 

 宗次郎は腕を押さえつつ、何処にいるかも分からないハンガーに向かって頭を下げる。

 

「……すまなかった。恩人を侮辱してしまったこと、許してほしい」

 

 

 

 ――――、一拍。

 

 世界から全ての音が消えたような静寂が一瞬起きた後、俊介は言葉を吐いた。

 

 

 

「今から外にいる連中を倒して来ます」

「だ、大丈夫なのか? 大人しく警察に任せた方が」

「間に合いません、確実に。……俺も警察に身元を調べられると少し不味いんです。すぐに倒して、夜桜さんの部屋を調べたら出発します」

 

 俊介がそう吐くと共に。

 

 

 

「――――降りてこいやァ!!」

 

 

「もう一発、オレ様の錨をぶち込まれたくなかッたらなァッ!!!」

 

 

 

 

 鎖を持った男の空気を震わせるような怒声が響いた。

 このまま警察を待っていても、この屋敷がボロボロに砕かれるだけだ。

 

 

 俊介は両足の主導権をハンガーに渡し、両断された部屋の隙間から一階に降りる。

 そして一階に到着すると共に、すぐ傍にいたハンガーは俊介に問いかけた。

 

『なんでアイツに、俺の事を明かして、謝罪までさせたんだ……?』

「…………さあ」

『今までずっと俺の事を隠してたじゃねえか。なんで今になって……』

「分かんね」

 

 俊介自身ですら先ほどなぜあんな事を言ってしまったのか、詳しい理由を自分で説明できなかった。

 

 

 ただ。

 

 

「ただ……なんか、ムカついたんだよ。夜桜さんの父親だってのは分かってるけど、思わず言葉が出ちまった」

『…………』

 

 

 その言葉に、ハンガーは一拍置き。

 俊介の背中に勢いよく抱き着き、腕の力を強めつつ、彼の耳元で囁くように言った。 

 

 

『俊介』

「何?」

『俺、お前の事が本当に好きだぜ』

 

 ストレートな告白。

 余りに率直すぎる言葉に、俊介も思わず顔を赤らめる。

 

「……小恥ずかしいからやめてくれ。というか外の奴らを倒すの、実質お前頼りなんだから気合入れてくれよ」

『ああ、いいぜ。全員すぐにぶっ殺してやるよ。今ならダークナイトだって倒せそうな気分だぜ』

「殺すな殺すな、最悪半殺しに留めろって」

 

 

 先ほどまでの暗い雰囲気を晴らすような、明るい会話と共に。

 庭に待ち構える襲撃者に向かって2人は歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 






結局人格持ちの秘密ぶっぱしてんじゃねーか!


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#65 襲撃者

 

 

 

 襲撃者の元に向かいつつ、ハンガーの方にチラリと視線を向けながら小声で話す。

 

 

「……これさ、絶対通報されてるよな。あんな豪快に屋敷をぶった切ってるし」

『だな。夜桜家の奴が呼んでなくても、近くに住んでる奴が呼んだだろ』

「人対とか来たらどうすんだよホントに。牙殻さんとか来たら大変な事になるぞ」

 

 俊介は歩きざまに上着を脱ぎ、顔を覆い、後ろで結ぶ。

 

 脂肪はないが筋肉もない貧相な上半身を無様に晒すことになるが、顔を無防備に晒すよりはマシ……だと思いたい。幸い春と夏の狭間を過ぎて暫く経った、寒くて風邪を引くなんて事は万が一にもない。

 

 ちょうど服を顔に巻き終わった頃、8人の襲撃者から5メートル程離れた所に着いた。

 ハンガーの『これ以上近づくな』という言葉通りにそこで足を止める。

 風音や野次声などの騒音はなく、少し声を張り上げれば十分会話できそうだ。

 

 

 1人。厳つい錨を担いだ、胸元を曝け出したスーツ姿の男。

 それ以外の7人はみなガスマスクのような軍隊然とした格好をしており、小銃を手に持って武装している。

 

 そして、7人の武装兵士達はみんな完全に正気を逸した目を晒していた。……いや、たった1人の女性だけは辛うじて正気を保っているように見える。その目は狂気に濡れているというより、驚愕と困惑が抜けきっていないといった様子だ。

 

 

 

「……ご足労願って悪かったなァ。お前さん、何者だ?」

 

 錨を手で弄びながら、男が語り掛けてくる。

 

 

 …………。

 

 

 さっき屋敷をぶった切ったのってこの人だよな?

 

 ハンガーは『人を数人殺してさぁ、自分が無敵だって一番イキってる時期の馬鹿共の気配が……な』とかすっごい笑って言ってたけど。

 この人だけ数人人殺した可愛いイキリとか、そんな次元じゃないオーラ放ってるぞ。返事にミスったら俺の体まで両断されそうなんだけど。

 

 

 返答に困ってそのまま黙りこくっていると、錨の男が若干声に怒気を孕ませながら言葉を続けた。

 

「言葉を交わす気もねェってかァ? 舐めやがって」

 

 違うんだよなあ。

 

 

 俊介のそんな思惑を一片も察することもなく、男は唇を尖らせながら鼻を鳴らす。

 

「フン……まァ、先にオレ様から名乗ってやる。

 

 ――――オレ様の名前は()()()()()()

 『大絶海龍・章の八、腐る雨天』を支配した大海賊……だった男だ」

 

 

「…………」

 

 

 自己紹介が濃すぎる。

 名前と大海賊ってのはともかく『大絶海龍・章の八、腐る雨天』って何だよ。口ぶり的に地名っぽいけど……海『()』?

 

 俊介の困惑を他所に、男は言葉を続ける。

 

「んで、今の身分は『()()()()()()()()()()』だァ。こっちは気に食わねェけどな」

「!」

 

 ()()()()()()

 その名が耳に入った瞬間、先ほどまでとは打って変わって俊介が強い反応を示す。

 

 その様子を見たバミューダスが犬歯を覗かせながら笑った。

 

「カカカッ。オレ様は気に食わねェが、お前さんはこっちの身分の方がお気に召したみてェだなァ?」

「……本当なのか?」

「今この状況とタイミングで、この家にカチコミ掛けに来た……それだけじゃァ証拠として不服か?」

「いや」

 

 

 娘が誘拐されたばかりで警戒状態の豪邸を襲撃するなど、よっぽどの理由がなければ行わない。

 それこそ未来革命機関が夜桜家の誰かを人質に取りに来たとか、それくらいの理由がないと。

 

 そして何より。

 俊介の勘が、目の前の男は一切合切嘘を吐いていないと言っていた。

 

 

 バミューダスは肩に担いでいた錨を降ろし、少しだけ深く息を吐きながら言う。

 

「んじゃ次は交渉だなァ。今からオレ様はこの屋敷をぶった斬る。邪魔すれば殺す。足し算よか簡単な理屈だよなァ?」

「……家の中の人はどうなる?」

「生け捕りは作戦の内じゃねえ。ま、瓦礫に挟まれて確実に死ぬだろうし、もし生きてても邪魔だから殺す。オレ様達の目的は夜桜紗由莉の私室にある設計図……それだけなんでな」

 

 バミューダスは実に平坦な声でそう言い放った。

 殺意を持って人を殺すと口にしているのに、其処からは何の感情の高ぶりも感じられない。

 人を殺す事にさほど深い価値を感じないと言った風だ。

 

 殺すと言ったら本当に殺す。

 そういう人間……というより、そういう世界で生きてきたのだろうと俊介は思った。

 

 

 なぜ夜桜さんの部屋の設計図を回収するために屋敷を壊す必要があるのかは俊介には分からない。

 しかし夜桜邸の人間を皆殺しにするなんて発言は見逃せない。

 

 

 

 ――――故に。

 

 

 

 

「――――ハンガーッ!! 警察が来る前に全員ぶちのめすぞッ!!!」

 

 

 

「よォしッ、いいぞッッ!! そう来なくちゃ面白くねェよなァ、バケモンがッ!!!」

 

 

 

 

 バミューダスが俊介に向かって錨を投げると同時に、ハンガーに両手足の主導権を譲渡。

 彼女は俊介の足を操り、真横に跳んで錨を回避した。

 

『ひゅーッ!! 結構速いじゃんか、おもしれえッ!!』

 

「動きがチグハグだなァ、両手足の部分譲渡か!? 全身の主導権を人格に渡さなくていいのかよ、ま、渡す暇は与えねェけどなァッ!!!」

 

 投げた錨に繋がる鎖をバミューダスが思い切りぶん殴る。

 その瞬間、真横に避けた俊介を追うように錨が急旋回した。しかしその素早い錨をハンガーは再び危なげなく回避する。

 

 

「すまんハンガー……! こうなるなら、最初から体の主導権を渡しておくべきだった!!」

 

 俊介は背後に抱き着いているハンガーに謝る。

 

 最初から体の主導権を渡していなかった理由は、8人の襲撃者と少しだけ話がしてみたいと俊介が言ったからだ。もしかすると未来革命機関に関係する奴かもしれないと思ったから……実際未来革命機関に所属する者であったが。

 

 そしてなぜ両手足の主導権を渡すだけで、体全体の主導権を渡さないのか? ハンガーが全力で動くなら一般男子高校生の胴体と頭などお荷物でしかない。さっさと渡した方が良いのは間違いないだろう。

 それでも体の主導権を丸ごと渡さない理由は、体の変更時に一瞬の硬直が発生するからだ。そしてその一瞬の硬直の隙を見逃すほど甘そうな相手でもない。頭を錨でぶち抜かれるのがオチだ。

 対して両手足の部分譲渡は硬直なしで行える。しかしハンガーが満足に動けず不利なのには間違いない。

 

 故に俊介は彼女に対して謝罪したのだが。

 ハンガーは逆に興奮した様子で、若干目を血走らせながら叫んだ。

 

『俊介の意識があるってェことは、これは俺と俊介の初の()()()()って事だ! もっとテンション上がってきたなぁ、オイ!!』

「あ、ん、おう……?」

『ハッハハァァハハハハ!!! この手足の感覚が俊介と共有されてるなんて奇妙だな、でもあいつらの首絞めたらその感触が俊介に伝わるって事だもんなァ!! いいなぁいいなぁそれってとってもサイコーな気分だなぁ!!!』

「……よし、行け!!」

 

 余りにハイになりすぎているハンガーに、俊介は苦し紛れのゴーサインを出した。

 

 

「カッカカカカッ!! いいぜ、中の人格のテンションがハイになッてるのがこっちまで伝わってくんぜェバケモン!! お前ら、やっこさんに銃ぶっ放してやれや!!」

 

 バミューダスは鎖を巧みに操り、回避し続ける俊介を錨で追いながらも仲間に号令を出す。

 その瞬間、先ほどまで事態を静観していた彼の仲間が一斉に銃を構え、俊介に向かって射撃し始めた。

 

 

 

 ――――ババババババァッ!!!

 

 

 

 高級住宅街に銃の雨音が響く。

 その命を簡単に奪う雨の中、ハンガーは軽やかに踊るように弾を回避していた。

 

「うおおッ銃はヤバいって!!」

『ンッなノロマな弾が当たるかよ!! ガスマスクの投げナイフの方がよっぽど避け辛ェぜ馬鹿共が!!』

 

 ハンガーは弾を回避しながら、銃を持つ兵士の1人に近づく。

 そして頭上から拳を振り下ろし、その兵士の顔面を地面へと勢いよく叩きつけた。

 

『おらッまず一匹ィ!!』

「うわぁっ?! クソ、反重力装置を起動させろォ!! バッテリー気にしてたら死ぬぞ!!」

 

 8人の襲撃者のうち、紅一点の女性が悲鳴交じりにそう叫んだ。銃の雨を回避しながら近づいて来て、一発で地面に頭を埋没させるような怪物を目の前にすれば無理もない。

 

「反重力装置って、エンジェルが言ってたアレか! 面倒な物持ってるな!」

 

 俊介はエンジェルがデパートで遭遇したという、おかしなバリアを張る機械の話を思い出す。

 反重力装置とは、銃弾すらも防ぐ反重力バリアを張る装置らしい。エンジェル曰く『力込めれば壊れる』らしいが、銃弾ですら余裕で防ぐ強度との事。頑丈なのか脆いのかどっちだよ。

 

 

 俊介がそんな話を思い出し終わったころ、バミューダスが勢いよく叫んだ。

 

「チッ、ちょっとふざけすぎたか! 豪快に行くぜェ、ついて来れない奴は死ね!!」

 

 バミューダスが一度錨を自分の元に引き寄せる。

 先ほどまで左手でぶん投げていた錨を空に掲げ、右手で錨の近くの鎖を持つ。そしてそれを高速で回しつつ、徐々に右手の力を緩めて錨と右手の距離を伸ばしていく。

 

 

回転演武(ジャグリング・ブレイク)!!」

 

 

 回転する錨。伸びていく鎖。

 人を殺して余りある素早さと質量の鎖と錨が視認するのも難しい速度になり、辺り一面をしっちゃかめっちゃかに叩きまくる。空を切り、地面を大きく抉り、時折部下の反重力バリアにぶち当てる事も厭わず振り回し続ける。

 

「ぐああっやばいやばいッ!!」

『チッ!』

 

 流石にビビった俊介が声を出してしまう。

 それと同時に、ぶちのめした兵士から一メートル程のベルトを拝借したハンガーがその場を飛びのく。

 

 その瞬間、地面に顔を突き刺したまま気絶していた兵士の腰に錨がぶち当たった。

 下半身が丸々吹っ飛び、新鮮な臓腑と血液の雨が周囲一帯に降り注ぐ。確実に死んだだろう。

 

 そして自身の部下を殺したというのに、バミューダスは一切気に留める様子はない。

 寧ろ楽し気に顔に降り注いだ鮮血を舌で舐め、更に鎖を回す速度を上げる。

 

「おッと! 1人死んじまッたかァ、まぁ弱いからしょうがねェよなァ!!」

『だなぁ!! だがな、てめェにもその弱肉強食のルールが適用されるってのを忘れんなよ!!』

「おッ、お前ちょっとテンション高すぎないかハンガー……!?」

 

 俊介の困惑の声は鎖が空気を斬る音にかき消された。

 

 

 

 バミューダスが操る錨は確かに速い。

 今のように、結界の如く周囲で素早く振り回されればその質量と相まって殆ど近寄れなくなる。

 

 なので。

 

『いい所にいいボールが落ちてるもんだ、なッ!!』

 

 ハンガーは反重力バリアを展開し、その場で立ち止まりながら発砲してきている兵士に近づく。

 そしてそのまま兵士をバリアごと蹴り飛ばした。

 

 

 この反重力装置で発生するバリア。銃弾すら余裕で防ぐ優れものだが、実は致命的な欠陥が存在する。

 それはとても強い衝撃が加わると、中の人間がその場に踏みとどまれずに吹っ飛んでしまうという欠点だ。まあ吹っ飛ぶだけで大した怪我はないのだが。

 

 

 そして残念ながらハンガーの脚力では反重力バリアをぶち破るほどの威力は出ない。

 しかしバリアの中の兵士が余りの衝撃に踏みとどまれず、後方に吹っ飛んでしまう位の威力は出るのだ。

 

「チぃッ! 邪魔くせェなァ!!」

 

 バミューダスは悪態を吐く。

 

 反重力バリアは使用者の体から数十センチ離れた所に展開される。

 つまり2メートル弱の透明のボールが飛んできているような物であり、バミューダスからすると邪魔で邪魔で仕方ないのである。

 

 

『オラもう一発!!』

 

 ハンガーがもう一球、人間入り反重力ボールをバミューダスに蹴り飛ばす。

 

 そしていくらバミューダスの錨でも反重力バリアは壊せないらしい。

 短い間隔で飛んできた反重力ボールに体勢を崩され、先ほどまで高速で振り回していた鎖が勢いを著しく緩めた。

 

『下手に仲間を連れて来なきゃまた結果が違ったかもなあッ!』

 

 そう叫びながらハンガーはバミューダスへと高速で近づく。

 先ほどまでの限界まで加速した回転演武すら回避していたのだ。著しく速度の弱まった錨を避ける事など彼女には他愛無い。

 

 

「くッ! 舐めんなよ、オレ様は大海賊バミューダスだぞッ!!」

 

 バミューダスは錨を瞬時に手元に戻し、右手でしっかりと握った。

 そして素早く近づいて来るハンガーの脳天に目掛け、重力と剛腕を重ねた人の限界ともいえるスピードで振り下ろす。

 

 

 

 ――――ゴキャッ

 

 

 

 鈍い音。

 それの発生源は。

 

 バミューダス自身であった。

 

 

「なぁ、あぁッ!?」

『悪いな。お前が鎖遊びが得意なように、俺も縄遊びは得意でね。お前の指をベルトで縛って、お前の力自身でへし折るなんて簡単なんだよ』

 

 ハンガーはそう言いつつ、バミューダスの右手の人差し指と中指を縛っていたベルトを外した。

 彼女が一体何をしたか? 理屈は簡単である。

 

 バミューダスは剛腕で錨を……それを握る手を下に振り下ろす。

 それを逆手に取り、彼女はバミューダスが振り下ろす一瞬の最中に指をベルトで縛って逆に上に引っ張り上げた。

 

 すると、ハンガーがその場でベルトを持つ手を固定するだけで、手を下に移動させるバミューダスの指がへし折れると言う理屈である。

 理屈は簡単だが、これほどの絶技を真似できる人間がどれほど存在するのか。ハンガーが今しがた見せたのはそれほどの技であった。

 

 

 指が九十度逆方向にへし折れ、一瞬困惑するバミューダス。

 その隙をハンガーは逃さず、彼の背後に回り込み、ベルトで首をキツく縛り上げた。

 

「がッ! ぐぐぅ……!」

 

 バミューダスの苦悶の声に呼応するように、ハンガーが首を絞める力を徐々に強める。

 

『あッあぁッ!! 信じらんねェ、俊介と一緒に人間の首を締め上げる日が来るなんてさぁ!! なぁ俊介感じてるか、これが人間の首を絞める感触だぞ!!』

「一生味わいたくなかった感触です」

『あぁ~大丈夫だって、何度かやってたら気持ちよくなる感触だからさ♡ なぁ、このままコイツ殺していいか? 今コイツを吊り殺したらすっごい所までいけそうな気がするんだよ!!』

「駄目です」

 

 

 何百回も繰り返した首絞めを今更ハンガーがしくじる訳もない。

 一度首を取られてしまった時点でバミューダスの敗北は決定した。

 

 首に通されたベルトを外そうとするがそれも叶わず、バミューダスは脳に酸素が行き届かなくなり、意識を手放した。

 その状態のまましばし首を絞め続けた後、ハンガーはベルトを外した。

 流石にこれ以上やると本当に殺してしまうためだ。俊介が許可すれば本当に殺していただろうが。

 

 

『……んじゃ、後の木っ端を始末するか』

 

 ハンガーと俊介は同時に、残った兵士の方を向いた。

 先ほどバミューダスの首を絞めていた時、同士討ちを怖れたのか発砲してこなかった彼らだが、今もまだ発砲してくる様子はない。

 完全に狂気に濡れていた目に恐怖が浮かび、俊介とそれを操るハンガーを恐れ、攻撃することを躊躇っているようだ。

 

 しかし攻撃の意思がないとはいえ、倒さない訳にはいかない。

 俊介はハンガーに小声で話しかける。

 

「……あのバリアがあると、どうにも出来ないんじゃないの?」

『ちょうどいい錨があんだろ。これで壊れるまで殴る』

「脳筋すぎる……!」

 

 そう話しながら、ハンガーの操る俊介の右腕が、バミューダスの錨を拾おうとした瞬間。

 

 

 

 ――――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「ッ!?」

『……やべ。思ったより早え……』

 

 困惑する俊介。焦るハンガー。

 地面から生えた土の手は兵士達のバリアを一瞬で破壊し、中にいる兵士を握り潰した。潰したといっても、両腕の骨を折って行動不能に留めるくらいの物であるが。

 

 こんな魔法のような芸当を出来るのは3人しか思い至らない。

 だがその思いつく内の1人であるキュウビは俊介の人格であるし、もう1人のマオはこんな事をするような人物ではない。

 

 

 つまり、残る1人は。

 

 壊れた屋敷の方角の空。

 上空から、見えない階段を降りるようにこちらに向かっている人影が一つ。

 

 

「全く……こんな昼間から、何事ですか」

 

 

 黒のスーツ。嫌味な眼鏡。

 そして――――重なる2つの遺伝子が刻まれた金バッジ。

 

 

「まあ……いいでしょう。さっさと片付ければいい話ですから」

 

 

 人格犯罪対処部隊――――白戸 成也(しらと せいや)

 

 

 俊介が恐れる警察の中でも最も厄介な、人対の1人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





この回みんなテンションおかしい


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#66 人対

 

 

 

(げっ……あのバッジ、それにあの顔は……!)

 

 俊介は空から歩き降りてきた男を見て、静かに後ずさりする。

 

 胸に輝く、重なる二重螺旋の金バッジは紛れもない人格犯罪対処部隊の証。

 そして細い金縁のハーフリム眼鏡を掛けたあの顔。

 

 間違いない。

 

 夜桜さんをバイクに乗せて海まで行った時に追いかけて来た、キュウビと同じような魔法を使う人対だ。

 

 

 俊介は自分の格好と状況を鑑みる。

 顔を隠す物を何も持っていなかったので、咄嗟に上の服を脱いで顔を覆ったため上半身が裸。

 口と鼻しか隠せておらず、目元は丸出し。そして変なベルト持ち。明らかな不審者だ。

 

 最後に、自分がやってないとは言え、近くには下半身が吹っ飛んだ死体まである。

 

 

 ……うん。

 誤魔化すの無理だわ、これ。

 

 

「そこの君、上半身裸の顔を隠した君だ。何か申し開きはありますか? 一応武装していなかったので、攻撃はしませんでしたが」

 

 白戸が兵士達を握る土の手を解除しつつ、非常に警戒した目で俊介を睨んだ。

 もしこのまま白戸の言葉に従って警察にホイホイついて行けば、ダークナイトで人対を叩きのめしたりなんかと色々な余罪が一気に飛び出して、一発お縄だ。

 

 

 未来革命機関。

 元々ヤバい組織だとは思っていたが、先ほどの殺人を厭わないバミューダスって奴は『上級兵士』だと言っていた。兵士という位だから、他にも何人か同じ身分の奴がいるのは間違いない。

 そしてあんな厳つい錨を振り回す危険な男と同じような奴が複数いるとなると、夜桜さんの状況もまた俺が想定しているよりもヤバい状況下にあるかもしれない。

 

 いち早く夜桜さんを未来革命機関から取り返すためにも、ここで捕まる訳にはいかないが……。

 果たして俺にこの人をどうにか出来るのか?

 

 

 ハンガーに小声で問いかける。

 

「ハンガー。何とかできそうか……?」

『…………倒すのは無理だと思ってくれ。相性が悪い』

「そうか。逃げるのは?」

『出来るだろうが……難しいな。それともう一つ、夜桜の部屋を探るのは無理だと思ってくれ』

 

 それは……そうだろう。

 人対が来た以上、屋敷の中にノコノコ戻って部屋を捜索する訳にもいかない。たとえニンジャ達が先に探してくれているとしても、だ。

 

 

 俊介が無言で身構えたまま、白戸の方を見ていると。

 彼は眼鏡を一度外し、懐から出した眼鏡拭きで軽く掃除した後、再びかけ直す。

 そして呆れ混じりの声で俊介に言い放った。

 

「全く……困るんですよ、今は色々と立て込んでいるんです。外国の軍事施設から()()()()()()()が盗まれたり、国認定の人格持ちの誘拐だったりと……!!」

 

 言葉の尾に怒りが滲んでいく。

 額に青筋が浮かんでいるのも見える。何があったかは知らないが相当ストレスが溜まっているらしい。

 

 腕を組み、足先でダンダンと地面を踏むほどの苛つきを見せる白戸だったが、次第に足の動きが緩慢になっていく。

 そして額に浮かべていた青筋を消し、不気味なほど明るい笑顔でこちらに言葉を投げかけた。

 

「……失礼。ええ、貴方が大人しく投降するなら怪我はさせません。事情聴取させてもらい、何もなければすぐにお帰りいただけます。……しかし抵抗するのであれば、こちらとしても相応の対応をさせていただきます」

『俊介、体の交代はすんなよ。隙を見せたら全身グチャリだ』

 

 白戸は腕を解き、優し気にこちらに手を差し出す。

 しかしハンガーは先ほどまでの嘘のような興奮を消し、瞳を細めながら白戸を睨む。

 

 

 数秒の静寂。

 

 

 

 ――――そして、次の瞬間。

 

 

 

 白戸が笑みを消し、両手の平を勢いよく叩いた。

 

「天に根差す大氷樹」

 

 ハンガーがその場から一足で背後に3メートル程飛びのく。

 しかし間に合わない。

 

 俊介達が射程圏外まで回避するよりも速く、天を貫くほどに高い直径10メートル程の氷の大樹が発生した。

 辺りの気温は急激に氷点下を下回り、空中に煌めく氷の欠片が降り注ぐ。

 

 

 

「いッつ……!」

『すまん俊介!! 避け切れなかったッ!!』

 

 その氷樹から少し離れた場所で俊介が苦悶の声を上げる。

 彼の右足の脛の辺りの皮膚がズボンごと凍らされ、べっとりと剥がれてしまっていた。ハンガーは一度着地した後、右足で再度背後に飛んで体全体が氷に包まれるのは回避したものの、伸ばし切った右足が少しだけ氷に捕まってしまったのだ。

 

 ハンガーはギリギリと歯を噛みしめて音を鳴らす。これがもし俊介の体でなく自分自身の体ならば迷いなく白戸を殺しに行っていただろう。

 

 

「む……今のを避けますか」

 

 白戸は完璧に決まったと思った技を避けられた事で、少しだけ相手に興味を持つ。

 右手に燃え盛る業火を集め、氷樹の背後にいるであろう俊介を狙って氷樹ごと炎のレーザーで貫いた。

 

「どわッ!!」

『チッ……さっきの錨野郎よりも数段はええッ!』

 

 氷樹の一番太い幹の根本を余裕で蒸発させる極太の炎のレーザー。それを飛んで回避するハンガーだが、余りに速すぎて回避がワンテンポ遅れてしまう。そのせいで顔を覆い隠す服に火が引火してしまった。

 急いで火を消すが、服の一部が燃えて鼻筋が大きく露出してしまった。これ以上引火すれば顔が公になってしまうだろう。

 

 

 白戸は根本が吹き飛ばされ徐々に倒れる氷樹を意に介すことなく、俊介に歩みを進めながら手を合わせる。

 

泡沫の雨(バブル・シャワー)

 

 瞬間。

 周囲一帯を埋め尽くす、直径三十センチほどの比較的大きなシャボン玉。

 俊介達もそれに覆われてしまい思わず足を止める。ハンガーはこれに触れると何かヤバいことが起きると勘が走ったのだ。

 

 尤も。

 触れずとも何かが起きるのがこの技の味噌である、と思いながら白戸は右手の指をパチンと鳴らした。

 

 

 

 ――――ドドドドドドドッッ!!

 

 

 

 泡沫の雨。それはいずれ消え去る泡のように万物を消し去る雨。

 早い話、一瞬でその辺りに無数に飛び散って超威力で爆発するシャボン玉である。

 

 

「ッつ……!」

 

 俊介は口の端から痛みを我慢する苦悶の声を出しつつも、何とか爆発の中から脱出する。

 顔を覆う服はハンガーが全力で守ったおかげで何とか無事だ。爆発は熱よりも衝撃波の強さに念頭を置いたものだったらしく、何とか引火する事を防げたのだ。

 

 おかげで俊介の上半身は至る所から血が流れ、かなり無残な事になってしまっているが。

 

「おやおや。今のもほぼ軽傷だけで済ませるとは、相当腕のいい人格が宿っているようですね」

『この野郎……ッ!』

 

 白戸は本当に感心したような声を出す。

 その言葉にハンガーは首に血管を浮かばせるほどの怒りを覚えた。

 

 

 そもそも、ハンガーは首を吊ることに自身の技術を特化させている。

 彼女がその技の本領を発揮するのはある程度の長さの縄を持ち、ある程度の狭さの屋内にいる時である。しかし今は1メートル弱のベルトを持ち、だだっ広い屋外で戦っている。

 そんな土台から不利な状況。その上、俊介の全身ではなく両手足だけを借りているというデバフまで掛かった状態では流石に戦況が悪すぎた。

 

 

 ハンガーも己の力ではここから逃げる事すら厳しいのは分かっている。

 しかし俊介が己の力不足でこれ以上傷つくのは舌を噛み切らんほどに耐えがたい。

 

 なので。

 俊介と2人きりでいる、というこの状況を邪魔する輩がいても、思わずありがたいと思ってしまうのだった。

 

 

 

『――――大丈夫か、2人とも』

 

 傷だらけで荒く呼吸をする俊介のすぐ傍に、半透明の黒コートの男が降り立った。

 俊介は彼の姿を見て、目をギョッと見開く。

 

「へっ、()()()()()()()!」

 

 それはこの世界に幼馴染がいるかもしれないという情報を聞き、精神が衰弱していたヘッズハンターの姿であった。

 ハンガーはヘッズハンターの方に視線を向けないまま、憎まれ口を叩く。

 

『……てめェ、精神がイカレかけてなかったか?』

『まあな、けど一先ずは落ち着いたさ。……俺が両足を操る、ハンガー』

『ああ』

 

 彼女から俊介の両足の主導権を受け取るヘッズハンター。

 俊介はお互いが主導権を譲渡したのを確認した後、前方にいる白戸に気を配りながらヘッズハンターに目的を伝えた。

 

「あの人を倒す必要はない、今はここから逃げる事だけ考えてくれ!」

『……未来革命機関の情報を、夜桜の私室に探しに行くんじゃなかったか?』

「そうだったけど、今はもう無理だ! 撤退優先!」

『それならあの武装した転がってる兵士……未来革命機関の奴だろ? 連れ去って情報を吐かせればいい』

 

 そう言って、ヘッズハンターは地面に転がっている両腕の折れた兵士達を指さした。

 確かに彼らは未来革命機関の一員だが、人対を前にして誘拐するだけの余裕があるものなのか。流石にリスキーすぎるだろう、と俊介は考える。

 

 だが、俊介は薄く息を吐きながらヘッズハンターに聞き返す。

 

「……出来るのか?」

『出来るさ。信じろ』

「…………」

 

 一瞬、考え込む。

 ――――そして。

 

「誘拐するならあそこの女の兵士だ。8人の中で一番マトモそうな目をしてた、他よりも話が通じやすそうだ」

『了解。ハンガー、一瞬だけすぐ近くまで寄るから絶対に捕まえろ。ベルトで拘束してな』

『なんだってお前と協力作戦を……チッ。まあいい』

 

 俊介が指したのは白戸の背後に転がっている女兵士。

 先ほどの爆発に巻き込まれなかったのか、白戸がわざと兵士たちを巻き込まないようにしたのか、両腕が折れただけで転がっている彼女。

 それを誘拐して逃亡することに目標は変更された。

 

 

 

「……なんだ? ……まあ、いいでしょう」

 

 白戸は一瞬、相手の雰囲気が変化したような印象を受ける。

 しかしそれを深く考え込むことなく、もう一度右手に業火を溜め、炎のレーザーを俊介に向けて放った。

 

 

 ハンガーの回避速度では完璧には避けられなかった先ほどと同じレーザー。

 

 それを。

 

 ヘッズハンターはたった一足強く踏み込んだだけで、数メートル余裕があるほどに大きく回避した。

 

 

 

「ッ!?」

 

 白戸は先ほどまでとは明らかに違う動きに驚愕する。

 こんなスピードがあるなら隠している訳もなく、今明かす理由もない。まるで別の誰かが乗り移ったような速度だ。

 

 ……別の誰か?

 

 …………別の、人格。

 

 

 そこまで思いつけば。

 つい先日、ダークナイトに人対の3人丸ごと一撃で撃破された苦い思い出を持つ白戸にとって、相手の正体が何かを看破するのは容易かった。

 

 

「……貴様ァ、()()()()()()かァッ!!」

 

 

 先ほどまでの冷静ぶった顔を大きく歪め、白戸は勢いよく手を合わせた。

 その瞬間、地面から一秒と経過せず10メートルほどの鋼鉄の針が生えたが、ヘッズハンターはそれすらも難なく回避する。

 

『ハンガー、そろそろ近寄るから集中しとけよ』

『舐めんなッ!』

 

 

 ハンガーの平均速度は時速45キロ。最大瞬間速度は時速60キロ近くに及ぶ。

 これは人間の限界にほぼ近い値であり、これを捉えられる者は殆どいないだろう。

 

 しかし。

 ヘッズハンターの平均速度は時速80キロであり、最大瞬間速度は時速100キロを超える。

 普通に走るだけで車を追い越せる。まさに人間の限界を超えた速度。

 

 それが人外の身体能力と埒外の勘を誇る殺人鬼、ヘッズハンターであった。

 ……尤も、彼にはまだ()があるのだが……。

 

 

 

『よっ』

 

 軽い掛け声と共に、白戸の攻撃を軽やかに回避するヘッズハンター。

 先ほどまでハンガーが苦戦していたのが嘘のようだ。

 

「ちィィッ……! 舐めるなッ!!」

 

 白戸が上体を下げ、地面に思い切り手を当てた。

 その瞬間、先ほどの炎のレーザーが地中から俊介を狙って噴き出す。地面から生やした針よりもよっぽど素早いそれだが、やはりヘッズハンターには掠りもしない。

 

 俊介は困惑しながら問いかける。

 

「今の完全に見えてなかったろ。ど、どうやって避けてんだ……?」

『来そうだなって思った所から移動したら、なんか回避してる。極論それだ』

『ふざけんなボケ。どんな勘してんだ』

 

 ハンガーが口汚く悪態を吐く。

 そしてヘッズハンターが白戸をおちょくる様に攻撃を回避しつつ、件の女兵士の元に近寄っていく。

 

 

 一般道を走る車など目ではない速度で近づくヘッズハンター。

 

 両腕を駆るハンガーは手に握る短いベルトに全神経を集中させ――――

 

 

 

 ――――1秒にも満たない時間で、女兵士の両腕を胴体に拘束した。

 

 

 

 突然の衝撃で気絶から目が覚めた女兵士。

 しかし拘束されているため身動きが取れず、俊介の手の中から逃れることは出来ない。

 

『捕ったぞ! どうだ!』

「よし逃げろ逃げろ逃げろ!!」

『全力で走るぞ、舌噛むなよ俊介!!』

 

 女性兵士さえ回収すればもう用事はない。

 ヘッズハンターは背後から迫る白戸の攻撃を振り返りもせずに回避し、夜桜邸の敷地を覆う高い塀を一歩で飛び越えた。

 

 

 

「待てッ!」

 

 白戸は攻撃を続けようと俊介の逃げた方向に手を向ける。

 が……数秒経った後、ゆっくりとその手を降ろした。

 

「フーッ。ま……仕方ありませんね。そうです、逃げられては仕方がありません……」

 

 こめかみに浮かぶ青筋を指でさすりつつ、深く呼吸をして怒りを排出する。

 怒りは冷静さを奪う……勝利に必要なのは常に冷静な心だ。

 

 

 それに、収穫がゼロという訳ではない。

 

 そこら辺に転がる武装した兵士。この屋敷を何故襲撃したか……じっくりと話を聞く必要がある。だがまあ恐らくは、海外の軍事施設から()()を盗んだ未来革命機関と関係がある者達だろう。

 国認定の人格持ちを誘拐した組織がその人格持ちの家を襲撃する。常識で考えればあり得ない話だが、白戸の常識とはこの世界の常識であって、異世界で生きてきた奴らの常識ではないのだ。異なる考え方というのはいつも理解するのが難しい。

 

 

 それにもっと気になるのは、怪人二十面相だ。

 今回も逃げられてしまったが……かなり大きな情報があった。

 

 

 それは、なぜか奴は『夜桜紗由莉』によく関わっているという事。それも確実に。

 

 

 前々回。

 奴は何故かバイクで夜桜紗由莉を誘拐していた。結局は奴の人格の力で逃げ切られてしまったが。そして結局夜桜紗由莉は何の怪我もなく帰って来た。

 

 前回。

 廃工場で夜桜紗由莉が襲われており、それを人対全員で撃退しようとした所、あえなく負けてしまった。……苦い記憶だ。

 

 まあ、この二回だけならまだ言い訳は付く。

 例えば怪人二十面相が夜桜紗由莉に好意を持っており、力づくで手籠めにしようとしたとか。拉致監禁でもしてよからぬ情欲をぶつけようとしたとか。

 

 

 しかし、今回はどうだ。

 

 正直、今回の夜桜紗由莉の誘拐にはまた怪人二十面相が関わっているのではないかと思っていた。未来革命機関に怪人二十面相が手を貸しているのではないかと考えていたのだ。

 

 だが実際の所、未来革命機関と怪人二十面相は敵対していた。

 

 これは一体どういう事か。

 

 怪人は夜桜紗由莉が絡むことに首を突っ込んでいる。それは間違いない。

 しかし何かをする……という訳でもない。前々回も前回も夜桜紗由莉を誘拐させたり襲おうとしていたりはしたものの、実際に大きな怪我をさせているという事はない。

 

 ……そういえば。

 怪人は夜桜紗由莉の通う高校……その旧校舎でも出現していたはずだ。

 

 

「…………」

 

 

 恐らく。

 怪人と夜桜紗由莉は何度も接触する程に近しい、いや、かなり親しい人物。

 

 怪人は恐らく学生か、そう見られる程若い人物。

 でなければ、教師に見つかるリスクを犯してまで高校に侵入し、星野を叩きのめす理由がない。その気になれば奴が家にいる時にも出来たはず。

 

 怪人は不自然なまでに夜桜紗由莉に執着を持っている。そして時に、人対を敵に回しても厭わないという風な不可解な行動を取る。

 

 

 

 怪人は学生か若い男。まだ社会をよく知らない子供。

 夜桜紗由莉は美しい女性。事実高校内ではマドンナ扱いされる程の美貌。

 そして怪人は、不可解なまでに夜桜に執着を持っている……。

 

 

 …………もしかすると。

 

 

 

 

 怪人二十面相は、()()()()()()()()()()()()()()――――?

 

 

 

 

 

「……なるほど。色々と面白い事態になってきましたねぇ」

 

 妄想。勘。それらに近しい推理。

 だが白戸の中では、この推理が思いのほかしっくりと来ていた。

 

 それこそ。

 勝手に学校の中に忍び込み、夜桜紗由莉が所属するクラスの教室にある全ての学習机に付着する指紋と毛髪を調べると。

 

 怪人二十面相と一致する物が出てくるんじゃないかと、そう考えてしまうくらいには。

 

 

 

「とりあえず兵士達を拘束して、夜桜紗由莉の父親に色々と話を聞きましょうか。家が両断されたことに対する事情聴取も兼ねて、ね」

 

 そう言いつつ、白戸は寝転がった兵士達を土の手で再び拘束し始める。

 しかし、そこで。

 

「……ん」

 

 先ほどまでそこにいたはずの。

 錨を持ったスーツ姿の男が居ない事に気が付いた。

 

 

 

 

 

 



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#67 情報源

 

 

 

 

 前世の俺を一言で表すと――――生きる価値のない人間。

 

 

 

 6歳の頃に母親の浮気で両親が離婚、しかし何故か母親の方に親権が行ったという歪な家庭。父親は三か月で養育費を払うのをやめたらしい。

 母親は浮気相手に熱を上げ、半ばネグレクト状態のまま育った俺は小学生で煙草と酒に手を出した。

 

 そして母親のなけなしの情でもくすぐったのか、学費を出してもらった俺は偏差値が40もない高校に進学したがケチな万引きで退学。

 

 退学と共に親とは縁を切った。

 高校中退でも雇ってくれた製鉄所で昼夜働き、18歳で結婚。

 

 しかしまあ……親と子は似るもんだ。

 酷い酔っ払い方をして暴力事件を起こし、結婚から僅か2年で嫁と離婚。

 子供がいなかったのだけは幸いかな。

 

 製鉄所の仕事もクビになり、夜中に酒浸りになりながらフラフラと歩いていたら。

 赤信号になっている事に気付かずに道路に飛び出して、気付いたらデカいトラックが視界を覆い尽くしていて――――。

 

 

 

 

 

 

 

「――――ハッ!!」

 

 トラックが視界を埋め尽くす。

 その光景と共に、弾かれたように意識が覚醒した。体中から吹く汗を手で拭おうとして、腕に痛みが走る。

 

「いつ……ッ」

 

 そうだ。

 確か俺は夜桜邸に襲撃して、色々あって変な男に誘拐されたけど、その途中でまた気絶して。

 そこから……えっと、何処かに運ばれたんだ。

 

 記憶をそこまで思い出した後、周囲を見回す。

 何処かの牢屋とかそういう場所ではない。アニメや漫画で描写されるような、一般的な家庭の男の部屋だ。

 そして俺は、その部屋に唯一あるベッドに寝かされていたらしい。武装を解除された状態で。

 

「この部屋は一体……」

 

 

 そう呟いた所で、ベッドから起き上がって右正面にある扉が開いた。

 

「おっ、起きてるな。ありがとうクッキング」

 

 入って来たのは何の変哲もない青年だった。特徴としては、顔に少しだけついさっき付けたばかりのような傷がある、という位か。

 彼は勝手見知ったという様子で部屋を歩き、机の下にあった椅子を引いてドカッと座り込んだ。そのあと、椅子の向きを調整してこちらを向く。

 

 青年は上半身を起こしたまま固まっている俺に言葉を掛ける。

 

「どうも」

「あ、ああ」

「装備はこちらで預かってます。俺は男ですけど、一応、脱がせるときは女性の人格にやってもらったんで」

「あ、いや……別にいいんだが。俺も中身は男だしな……」

「えっ」

「えっ」

 

 

 気まずい沈黙。

 数秒。

 

 

 

 そして再び青年が口を開く。

 

「……あっ、貴方が元の世界で男だったって事ですか」

「ん……ああ、そういう事か。すまん、勘違いするような言い方を」

「いや良いんです。全然」

「…………」

「…………」

 

 

 気まずい沈黙。

 数秒。

 

 

 

 突然、青年がうるさそうに耳を抑えた。

 そして、小声で何かをボソボソと言う。

 

「わかってるよマッドパンク、ちょっと会話が詰まるなんてよくある事だろ。今からちゃんとするから……」

 

 

 気まずい空気を換えるためか、ゴホンとわざとらしく咳払いする青年。

 そして胸に手を当てながら、優し気な声色で言葉を放った。

 

「俺の名前は日高です。貴方の名前は?」

「……橘 春斗(たちばな はると)だ」

「橘さん。実は聞きたい事がありまして」

 

 日高、と名乗る青年は少しだけ眼光を強める。

 

 

「『()()()()()()』について。知ってる事を全部教えてください」

「っ! …………」

 

 一瞬迷う。

 だが今ここで黙っていた所でどうなる? 殺されるか死ぬより辛い目に遭わされるかのどちらかだ。そこまでして機関の秘密を守る義理も恩もない。

 

 震える唇をゆっくりと開き、自身が未来革命機関に来たばかりの頃の話を日高という青年に語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 デカいトラックが視界を覆い尽くしていて――――。

 

 

 

 

 ――――んで……気が付いたら変な場所にいた。

 

『…………は?』

 

 いや、そもそも色々とおかしかった。

 4トントラックに轢かれたのに生きてるし、けど体は半透明だし。カプセルホテルみてーな感じに壁に大量の穴が空いてて、その中に管を繋がれまくった裸の若い女や男が一人ずつ入ってる。

 

 部屋に唯一ある扉まで移動しようとしたが、途中で透明な壁に阻まれて進めない。

 大人しく待っていると、金髪の男と黒い鎧が部屋の中に入って来た。

 

 

「こんにちは。私には諸君らの姿は見えないが……こちらの話を傾聴してくれるとありがたい」

「私の名は『ウィザード』。そして浮遊人格統合技術について説明する前に、一言」

「……ようこそ、この世界へ」

 

 金髪の男……ウィザードって奴が()()()()()()()()ってのについて長々語るのを聞いてたが、荒唐無稽な話過ぎて全く信じられやしなかった。

 

 ―――実際に体を動かせるようになるまでは。

 

 

「君達が今主導権を手に入れた体は、未来革命機関が製造した人格用の器だ。二十歳前後までの成長速度を早めたデザインベイビーで、ま、器自身にも希薄な自我はあるが……気にする必要もない。一度眠った主人格が自分で目を覚ますことはないからね」

「改めて諸君。『()()()()()』、おめでとう」

 

 

 未だに状況を理解することは出来ないが、ともかく俺は本当に別の世界で蘇ったらしい。

 困惑しっぱなしだが蘇ったという事実だけは嬉しいものだ。

 

「……これで男の体だったら言う事なしだったんだが」

 

 乳のデカい女なんて実際になるもんじゃねえな。胸が重いし足元が見えねえ。

 あと同じ蘇り組の男の視線も気持ち悪い。元男だっつの。

 

 

 

「じゃあピュアホワイト。後は頼んだ」

「ああ。どう育てる?」

「動けないのは省け。気を違えても動けるのだけを残せ」

「分かった」

 

 ウィザードと名乗っていた金髪の男が部屋から出て行く。

 

 代わりに、ピュアホワイトと名乗る黒い鎧が俺達の前に一歩踏み出した。

 何もない空中から美しい装飾の施された長さ2メートルほどの黄金の十字架を引き抜く。

 

「お前達の役割は兵士だ。命令によっては人殺しもやってもらう」

「しかし、私も元は神に仕える高潔な騎士だったのでな。妥協案をやる」

「どうしても人を殺したくない善人は私の前に並べ。この機関に不必要な者には出て行ってもらおう」

 

 蘇り組の4割ほどがその言葉につられ、鎧の前に並んだ。

 人を殺したくないと本気で思う者もいれば、せっかく蘇ったのに変な組織と関わりたくないと考える者もいただろう。正常な感覚だ。

 しかし、俺の本能は絶対に足を踏み出すなと全力で叫んでいた。

 

 

 

 ――――ビッ!!

 

 

 

 ピュアホワイトが十字架の短い方を握り、瞬時に刀身を引き抜く。

 一瞬何かが煌めいたと思った時には、鎧の前に並んだ多くの人間の胴体が上半身と下半身に両断されていた。純白の床を赤黒い血が侵していく。

 

「さて。残ったお前達はどうだ? 今ならまだ、この機関から()()()()()()()()

 

 余りの速度に一滴の血すら付いていない刀身。それを十字架の鞘にしまいながら黒い鎧が無感情な声で問いかけてくる。

 立ち止まっていた全員が理解した。

 『出て行かせる』とはつまり、『殺す』という意味であると。

 

「…………っ」

 

 誰も動こうとはしない。先ほどの剣の一閃が欠片も見えなかったからだ。

 彼我の実力差を例えるなら蟻と獅子。逆らう事を考えるのが馬鹿らしくなるほどの差があった。

 

「……改めて言う、お前達の役割は兵士だ。使い物にならん奴は殺す」

 

 

 そうして。

 残った俺達はまごう事なく『地獄』としか言いようがない訓練を強制的に課せられた。

 

 一定の成果の動きが出来ない者は容赦なく首を刎ね飛ばされた。

 それでもまだ、生き残った奴らの大半は正気を保っていた。殺人への忌避感を持ち続けていた。

 

 それを完全に破壊したのは、『生きた人間の解剖訓練』だった。

 人格を宿せなかった廃棄処分のデザインベイビーを、一本のナイフで解体し、取り出した内臓を全て机に並べろと。簡潔に言うとそういう訓練だ。

 拘束されているので抵抗されることはない。勿論生きているから血が吹き出るし、痛みを叫ぶ。しかし訓練をやり遂げねば俺達が鎧に斬り殺される。

 

 結果、無事に全員が訓練をやり遂げ――――良識と常識を保っていたほぼ全ての人間が完全に気を違えた。

 

 俺は血には喧嘩で慣れていたため、ギリギリ気をおかしくする事はなかった。

 いや……気付いてないだけでもうおかしいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 橘と名乗る女性……男性? が語った話はかなりムゴい物だった。

 しかし、俊介にとって彼女が話してくれた情報はかなり有益なものだと言える。今まで殆ど実情の分からなかった敵の正体が、一部とはいえ見えてきたのだから。

 

「ウィザード……。ピュアホワイト……」

 

 ウィザードは金髪の男。未来革命機関のリーダー。

 そしてピュアホワイト。こいつがダークナイトと同郷の疑いがあり、夜桜さんを連れ去った犯人……。

 

 ついに名前を知ることが出来た。

 

 

 俊介は人格達が見守る中、橘に再び問いかけ続ける。

 

「その……なぜ機関は人格を大量に集めるような真似を?」

「それは……いやその前に、確認だが、アンタは夜桜の屋敷で俺達と戦った奴だよな?」

「……そうですが」

「ならあのバミューダスって男が『上級兵士』と名乗ってるのを聞いただろ。機関は異世界の強い人格を集めて強力な兵士にしようと目論んでる。俺みたいな弱い一般人の人格は『下級兵士』として地獄の訓練で最低限使える位にはさせられて、元から強い人格は『上級兵士』として重用されるんだ」

 

 

 上級兵士は生前から強い人格。

 下級兵士は死すら厭わない訓練で強制的に鍛え上げられた人格。

 

 橘が語った下級兵士に課せられる訓練の内容は、ガスマスク曰く、『近代的な装備をした最低数人、最高十数人で部隊を組む事を想定した訓練』とのこと。しかしその内容の厳しさは特殊部隊のそれよりも酷いレベルらしい。

 しかしまあ、ある程度訓練の内容が分かれば、相手がどんな動きをしてくるかを予想するのは容易いらしい。ガスマスクは『それほど問題じゃないだろう』と最後に付け加えた。

 

 

 問題は、上級兵士の方だ。

 

「上級兵士はどれくらい居るんですか?」

「分からない。機関は今までに何度か、大量に用意したデザインベイビーに一斉に人格を宿らせている。俺は2回目らしくて、バミューダスも2回目で宿って上級兵士になったそうだ。

 確かつい先日の奴は……5回目だった。五回もそんな地獄のガチャガチャが行われているらしい」

「ガチャガチャ……」

「ほぼそんなもんだろ。上級兵士がレア、俺達下級兵士はコモンだ」

 

 ガチャガチャ、か。

 

 浮遊人格統合技術全体が、そもそも子供の命を使ったガチャガチャみたいな所がある。未来革命機関のタチが悪い所は、わざわざ成長を早めたデザインベイビーを使ってまで大量に回し続けている所だ。

 

 利益と効率を求めて、遂に行きつく所まで行きついたって感じだな……。

 

「でも一斉に人格を宿らせる度に、1人くらいは上級兵士が出るだろう。なにせ50人以上もデザインベイビーを用意しているからな。5人は確実にいる……そう考えた方がいい」

「分かりました」

 

 マジで狂ってるな。

 デザインベイビーってアレだろ、母親の体内にいる赤ん坊を人為的に改造するって奴だろ。

 それを50人以上も用意する、しかもそれを5回って……。単純計算で250人もの赤ん坊を使ってるはずだが、それって、妊婦を誘拐とかで賄える数なのか?

 

 もしかすると、未来革命機関の拠点の中で大量に……。

 ……想像するのはやめておこう。流石に気分が悪い。

 

 ただ夜桜さんを早めに助けた方がいいのは確かなようだ。

 

 

 

「未来革命機関に誘拐されている、夜桜紗由莉って女性の事を何か少しでも知ってますか?」

「すまない、全く分からない。今回の襲撃任務を受けて、初めてそんな女の子を機関が誘拐しているのを知ったくらいだ」

 

 

 クソッ……駄目か。

 彼女の口ぶりからして、彼女はかなり末端の兵士であるようだし、知らない情報があるのは仕方ない。仕方ないが……一番欲しかった情報なのは確かだ。

 

 口惜しさを感じつつも、俊介は次の質問に移る。

 

「未来革命機関の拠点の場所は何処ですか?」

「……分からない」

「分からない? 拠点から夜桜さんの屋敷へ来たんでしょう?」

「拠点の場所の情報漏洩を防ぐために、俺達下級兵士は拠点から出る時には即効の睡眠剤を飲まされるんだ。今回も気付いたら夜桜の屋敷の近くのトラックに寝転がっていた。起きていられるのは上級兵士だけだ」

 

 

 ……未来革命機関はよっぽど拠点の場所を知られたくないらしい。

 弱い下級兵士は拠点から出る時に意識を奪う、なんて七面倒臭い事を徹底するくらいには。

 

 機関の拠点の場所さえ分かれば、すぐさま攻め込みに行くのだが……。

 

 

 

 眉間にしわを寄せて顎に手を当てる俊介を見て、橘は酷く焦り始めた。

 彼からの質問に二度連続で答えられなかったのだ。もしかすると、機嫌を損ねて今この場で始末される……なんて事になってしまうかもしれない。そう考えてしまったし、事実それをするだけの実力が目の前の青年にあると本能で理解していた。

 

 橘は走馬灯のように頭の中をひっくり返し……ふと、ある事を思い出した。

 

「あっ! そうだ、一度だけ、ピュアホワイトがポロリと言葉をこぼしてたんだ」

「こぼした? 何を?」

「『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』……って。誰かと電話してたのを盗み聞きしたんだ」

 

 

 ……え?

 

 『接触の恐れがある。方向転換、出力を上げろ』……って。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()ような言い方じゃないか。

 

 

「未来革命機関の拠点は、デカいんですか?」

「かなりデカい。屋内なのにサッカーコートみたいな大きさの部屋が幾つかあるほどだからな。そしてなんというかその……体感の話になるが、単純にデカいというより、細長いんだ」

「…………」

 

 そんなクソデカい物が動いていたら、流石にニュースになりそうなものだが……。

 表面を目に見えないよう、光学迷彩的な兵器で覆っているとか? いやいくら目に見えないとはいえ、地上をそんな物が動き回っていたら色々な建物をなぎ倒しそうだ。

 

 とすると、何かトリックがあるんだろうけど…………。

 

 

 俊介がそう悩んでいると、話を聞いて暗い顔で考え込んでいたヘッズハンターが顔を近づけてくる。

 そして低い声で、俊介に対して声を掛けた。

 

『なぁ俊介』

「ん? どうしたヘッズハンター」

『……彼女に聞きたいことがあるんだ。俺の代わりに聞いてくれないか?』

「おう。何だ?」

『未来革命機関と、榊浦美優の関わり……。そして、俊介の言っていた白髪の少女……俺の幼馴染が宿っているかもしれない子について』

 

 

 未来革命機関と榊浦美優の関わり……?

 

 なぜそんなことを、と思った所で俊介は――――榊浦豊の言葉を思い出した。

 

 

 

『ハハハハ。(榊浦美優)のやり方は、確かに人道に反している。

 写真の彼女はデザインベイビー……母体の中で赤ん坊を、『人格を受け入れやすい器』に作り替えた結果生まれた物だ。この子は確か……8人いるんだったかな?』

 

 

 

 …………ッ!

 

 

 そうだよ。

 何で話を聞いた俺が真っ先に気付かなかったんだ。

 

 デザインベイビーを作って人格を宿らせるなんて、そのまんま――――榊浦美優がやってた事と丸きり同じじゃないか。

 

 未来革命機関は、榊浦美優と――――ッ!

 

 

「橘さん!」

「ひっ! な、何だ?」

「榊浦美優――――黒髪で眼鏡を掛けて、猫背で、ハスキーボイスの変な女を拠点内で見かけませんでしたか?!」

「え、ええっ? ちょっと待って、思い出すから……」

 

 

 彼女は眉間にしわを寄せ、自分の腹の辺りを見るように俯きながら、必死に頭の中を探る。

 そうして30秒ほど経った頃――――「あっ」と彼女は声を上げた。

 

「それってもしかして、白衣を着てる、三白眼でキリッとした目をしてるけど、目のクマがちょっと目立つ超美人な女……?」

「そう! それです!! 何してましたか!?」

「何をしてたかは分からんが……訓練の最中、扉の隙間からチラッと廊下の所を通っているのが見えたんだ。食事のプレートを持ってどっかに行ってたんだ。ああ、確かにいたよ」

 

 

 おいおいおいおいおい。

 

 この橘って人、自分で下級兵士とか言いつつ滅茶苦茶情報持ってるじゃないか。凄い。

 キュウビの術で記憶を消して放流するつもりだったけど、もっと協力して貰おうかな。

 

 いやそれより重要なのは、未来革命機関と榊浦美優が深い繋がりを持っている可能性が非常に高いって事だ。

 

 ふざけんなよ榊浦豊。

 何が危険なテロリストだ、お前の娘が危険なテロリストの一員じゃねえかボケェッ!!

 

 

 強い手がかりを見つけた俊介は興奮する心を押さえつけつつ、ヘッズハンターから頼まれたもう一つの質問を投げかける。

 

 

「白い髪を背中くらいに伸ばした、10歳くらいの可愛い女の子を知りませんか? 榊浦美優が未来革命機関にいるんで、多分近くにいると思うんですが……」

「……いや。10歳くらいの子供なんてほぼ見ないな、みんな成長を早めたデザインベイビーだからすぐに成人になるし」

 

 そうか。

 もしかすると、ヘッズハンターの幼馴染が宿っている疑惑の女の子も成長が促進するように改造されて、既に子供ではなくなっているかもしれないのか。

 俊介がそこまで考えた所で、再び橘は言葉を紡ぐ。

 

「それに、白い髪を生やした奴も見たことがない。白に近い金髪ならいたが……」

「いえ、綺麗な雪のような白色です」

「……なら、俺には分からない。そんなに目に付く色なら、一瞬でも見れば絶対に覚えていると思うんだが……」

 

 

 本当に分からないと言った様子で、橘は息を吐いた。

 ヘッズハンターの幼馴染が宿った少女の行方は未だに分からない。だが榊浦美優が作った天才とまで榊浦豊は言っていた。それならきっと、榊浦美優の近くにその子はいるはずだ。

 

「すまない、ヘッズハンター。分からなかった」

『ああ。……だが、手掛かりは掴めただろう?』

「おう。次の目的は完璧に決まった」

 

 

 

 

 

 あのクソボケ榊浦美優(マッドサイエンティスト)を――――――全力でとっ捕まえる!!

 

 

 

 

 

 




ピュアホワイトの正体をマオに聞く所までやりたかったんですが、長くなったのでここまで!


-Tips-
Q.橘さん下級兵士なのに色々知りすぎだろ!
A.いつか機関から逃げだす為に色々必死に覚えてたのと、未来革命機関の連中の情報リテラシーがガバガバなせいですかね……


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#68 黒い鎧=ピュアホワイト=?

 

 

 

 

「あのさぁ……」

「すみません。でも一番詳しいのがマオしかいないんで、ここに来る以外にどうしようも……」

「いや別に……いいんだが……」

 

 午後七時。

 夜も更け始めた頃、俊介は菓子折りを持ってマオの元を訪れていた。

 

 流石に何度も何度も訪れているためか、マオも『またお前か』と言った風な呆れた表情を浮かべている。

 俊介は軽く頭を下げながら、彼女に連れられ、リビングに通された。

 

 誰もいないがらんどうとしたリビングに座り、俊介は少しだけ辺りを見回した後にマオに問う。

 

「その、親御さんは何処に?」

「まだ帰って来ておらん。旅館も潰れ、デパートも謎の強盗団で閉鎖し、今は街の料理屋でバイトより少し上の給料で働いておる……。不運な奴よ」

「それは、何というか……」

 

 俊介も言葉に詰まるぐらいの不運っぷり。 

 返答に困った俊介を見かね、マオが「まあその話はともかく」と無理矢理話を切り上げた。

 

 

「平民がここに来た用は大体分かっておる。……例の黒い鎧の件だな?」

「はい。実は色々あって、その黒い鎧……ピュアホワイトって名乗ってる奴の特徴をいくつか知ることが出来たんです」

「あ? ピュアホワイト……白無垢だと? 中々ぶっ飛んだ偽名だな……」

 

 なんで白無垢なんて言葉まで知ってるんだ……。

 そんな俊介の思考をマオは平然と読み取る。

 

「アイドルだしな。ファッションくらいは気に掛ける」

「流石に色々知りすぎじゃないですか……?」

「儂は人間と同程度の知能を持った魔族の王だったんだぞ。情報収集の大事さは分かっている」

 

 そういうもんなのかな……。

 流石に白無垢なんて知らなくてもそこまで大事じゃない気はするが、マオが言っているのは多分、必要不必要に関わらず何でも知っている事の大事さなんだろう。多分。

 

「そーいう事だ、平民。ではホレ、さっさとそのピュアホワイトとやらの情報を話せ」

「あ、はい。えーっと」

 

 

 マオに促され、俊介は一枚の折りたたまれたメモを懐から取り出した。

 それを開き、書かれた内容を静かに復唱する。

 

「その黒い鎧は、2メートルほどの装飾が施された黄金の十字架を空中から引き抜いたそうです」

「…………」

「その十字架は剣になっていて、一瞬で数人の胴体を斬り裂いたそうです。そして自分の事を『神に仕えていた高潔な騎士』と……」

「…………」

 

 俊介が言葉を吐く度に、マオの表情が重く暗い物に変化していく。

 橘から聞いた話のメモを読み終わった俊介だったが、マオが何も言おうとしないので何も言えず、長い沈黙がお互いの間に走る。

 

 たっぷり3分ほどの静寂。

 意を決したようにマオは口を開いた。

 

 

「……大聖騎士、サリアス・ネル・ラスディアノ」

「え?」

「巨大な黄金の十字架の剣。そんな長剣を軽々扱う聖騎士は、サリアスしかおらん……」

「……どんな奴なんですか、そのサリアスってのは」

 

 俊介が真剣な面持ちで問いかける。

 その言葉を聞いたマオは一度立ち上がった後、台所に行き、お茶の入ったコップを2つ持って戻って来た。

 片方を俊介の前に置き、彼女はゆっくりと元の席に座る。

 

「適当に飲め。少し長い話だ」

「…………はい」

 

 

 マオは自身の前に置いたコップの茶を少しだけ飲んだ後、静かに語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――魔族と人間はお互いの存亡を賭け、総力を挙げての戦争を行っていた。

 

 

 戦争のきっかけは、帝皇国の第三皇子が惨殺された事件であった。

 他国の遊覧から街道を通って帰る途中、視界の悪い森の中で十数人以上はいた護衛の精鋭騎士ごと皆殺しにされていたのだ。

 

 死体が人間業とは思えない程にバラバラになっていた事。

 護衛の騎士の武装が幾つか紛失していたものの、皇子の持っていた大量の金品が一切盗まれていなかった事。

 

 人間側はこれらの状況証拠から、魔族が率いた魔物の仕業として魔族側を糾弾した。

 第三皇子を虐殺したのは卑劣な魔族であり、賠償金と魔王の首を要求する。

 

 しかし魔族側もまた、事実無根の冤罪だと断固として主張した。

 魔族は魔物を操る術を持っているが、かといって全ての魔物を支配している訳ではない。人間が犬をペットとして飼っているが、野良犬がいないかと言えばそうではないように。

 たとえ野良魔物が第三皇子を襲ったとして魔族側には責任は一切ない、と。

 

 結局。

 一体第三皇子と護衛騎士を虐殺したのが誰か分からぬまま、魔族と人間が相手に抱えていた鬱憤が爆発。

 お互いを滅ぼさんとする総力を挙げての戦争が始まった。

 

 

 魔族側にある国は魔王国ただ一つ。

 対して、人間は魔族よりも遥かに数が多く、それに比例して国も複数あった。

 

 つまりこの戦争は、厳密にいえば魔王国VS人間国家連合なのだ。

 

 

 連合に参加した国家全てが『戦争で活躍した国ほど多くの魔族の土地の所有権を得る』という条約に調印。

 魔族の土地は作物が育ちにくい枯れた土地である。その代わり、人間側の土地よりも鉱山資源が圧倒的に豊富であり、超級魔道具の製作に使われる超高純度の魔石も大量に掘る事ができる。

 

 他にも希少な鉱石を大量に掘る事ができる魔族の土地は、どの国にとっても喉から手が出るほど欲しい物である。

 よってどの国も分かりやすい活躍である、魔族側の王たる魔王の首を狙っていた。

 

 

 ……そして、そんな連合の中でも、他国家とは一線を画す活躍をしている国があった。

 

 

 それは――――()()()

 

 

 世界を統治する三柱の神を崇める宗教を国教とした、教皇を神の代理人としてトップに置いた宗教国家である。

 

 その聖教国が他国よりも遥かに活躍していた理由は、『聖騎士団』の存在だ。

 

 深い信仰心。

 高い魔法の技量。

 卓越した武器の腕前。

 

 これら全てが揃ってやっと名乗れる聖騎士が100人近く集まった聖騎士団は、人間より高い能力を持つ魔物と魔族を相手に一切引けを取らず、魔族との戦争で多くの首級を上げていた。

 

 

 ……そして、聖教国にはもう一つ。

 『第十二使徒』という、神の言葉の代理人である教皇を護衛する12人の親衛隊も存在した。

 

 この第十二使徒になるには、聖騎士のように全てを兼ね備えたバランス型の強さでなくてもいい。

 とにかく強ければいいのだ。

 

 たとえ魔法が一切扱えなくとも、剣の腕で全てをねじ伏せられるなら第十二使徒にはなれる。逆もしかりである。

 

 そういう理屈や常識を超えた、純粋な強さだけで選出されたのが『第十二使徒』なのだ。

 この第十二使徒は第一番から第十二番まで、強さの順で番号が並んでいる。つまり第一番が最も強く、第十二番が最も弱いという訳だ。第十二番でも十分すぎる程強いのだが。

 

 

 

 ……さて。

 『大聖騎士サリアス・ネル・ラスディアノ』について語るのに必要な情報はひとしきり語っただろう。

 

 

 これからやっと、サリアス個人について語ろう。

 

 

 

 ラスディアノ家。

 教皇国の建国当初から、代々聖騎士を輩出し続けていた歴史のある騎士の家系だ。

 そして、サリアスはそのラスディアノ家の10代目当主である。

 

 サリアスは幼少期から厳しい訓練を受け、その目覚ましい才能を開花させ、15歳という歴代最年少で聖騎士の称号を拝命した。

 

 ……15歳の時点で身長は2メートルを超えていたらしい。

 身の丈とほぼ変わらない巨大な剣を振るうのは、幼少期から長剣を使っていて出来た癖だからだそうだ。怪物女め。

 

 聖騎士となった後も成長は止まらず、18歳で第十二使徒の末席に加わる。

 

 そのまた2年後の20歳には聖騎士団の副団長となり、第十二使徒の第五番まで昇格。

 

 そして23歳になった頃、ついに聖騎士団の団長になった。

 それと同時に第十二使徒の第一番に昇格。ラスディアノ家の10代目当主にもなる。

 

 名実ともに、サリアスは聖教国で一番強い聖騎士となった訳だ。

 

 

 その時、誰かが言った。

 

 ラスディアノ家の現当主はまさに聖騎士の鑑のような人物である。

 

 その圧倒的な才覚と実力はもはや、普通の聖騎士の枠にはとどまらない。

 

 彼の者こそ、全ての聖騎士が模範として目指すべき存在である。

 

 

 故に名付けられた称号が、()()()()

 

 

 

 ……これが、お前の言うピュアホワイトの正体。

 聖教国最強の女。

 

 『大聖騎士 サリアス・ネル・ラスディアノ』だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 マオの話が終わった時、俊介は自身の口内が非常に乾燥しているのに気が付いた。自分でも気づかない程酷く緊張していたらしい。

 彼女に入れてもらったお茶を少し口に含み、飲み込んだ後、口を開く。

 

「……強い、よな?」

「強い。儂の世界の人間では一番と言ってもいい強さだな。戦場に奴が出てきただけで戦況が変わるレベルだ」

 

 そんなに強いのなら、もしかして。

 ダークナイトにも勝てたりするような怪物なのか……?

 

 

 そう俊介が思ったのと同時に、マオが首が取れそうな勢いで頭を横に振った。

 

「ないないないない。アニーシャには勝てない、無理無理無理。サリアスも一撃で死ぬわ」

「いっ、一撃!? いやでも聖教国で最強って」

()()()ではな。つか()()()()としてはな。そもそも魔族も人間も戦争に勝った後で立て直せるくらいには余力を残すつもりだったのに、アニーシャのせいで戦争が長引きまくってどっち側もたとえ勝ったとしても立て直しが困難なレベルで消耗して泥沼に…………ウッ胃が

 

 マオが突然お腹を抱え、苦しそうに眉間にしわを刻んだ。

 苦しそうな彼女を気遣いつつ、俊介は問いかける。

 

「ダークナイトって何なんですか……?」

「儂が知る訳ないだろ……?! 平民、お前もいい加減アニーシャの強さをキッチリ把握しておけ……! サリアスに負けるかもとか考えてる時点で何も分かっとらんぞ!」

「そんな事言われても……。ダークナイトを暴れさせて、力量を確かめる訳にもいかないですし……」

「当たり前だバカ、一体何十億人殺すつもりだ!! 儂だけは助けてください!!」

 

 えぇ……。

 マジで何なんだろうな、ダークナイトって……。

 

 

 

 

 

 暫く痛そうにお腹を抱えていたマオだったが、3分もするとやっと痛みが引いて来たらしい。

 頬に流れる脂汗を拭い、わざとらしく「ゴホン」と咳払いをする。

 

「……平民、お前が未来革命機関と戦うのはもはや避けられぬだろう。その上で一つ言っておく」

「はい」

()()()()()()()()()。アニーシャに完敗するとはいえ、奴も桁外れの強者の1人だ。元の世界の儂でも近距離では相打ちされるほどの強さだった」

 

 

 戦うな……か。

 

 

 それほどまでに強い奴、戦う必要がなければそれに越したことはないが。

 果たして未来革命機関に夜桜さんを助けに行った時、そのサリアスに見つからないように逃げ切れるだろうか。

 

 

 そこまで考えていた時。

 ふと俊介は、軽く疑問に思った事を口に出した。

 

「……そういえば、そのサリアスってのは聖騎士なんですよね? つまり法律とかをキチンと守る人って認識で、大丈夫ですか?」

「そうだな、どちらかと言うと法を執行する側だ。無論神を信仰し法を遵守する心がなければ聖騎士にはなれん」

「じゃあ……なんで今、未来革命機関なんてヤバい組織に加担してるんでしょうか?」

「…………」

 

 そう。

 聖騎士とまで呼ばれる程の人物が、どうして一般人誘拐殺害上等のヤバいテロリスト組織に加わっているのか。

 

 

 俊介の言葉にマオは少しだけ考え込む。

 が、存外すぐに口を開いた。

 

「儂の見立てでは……アニーシャが関係していると思う」

「……どうしてですか?」

「そもそもだな。アニーシャの鎧を真似た物を作って着ている辺り、アニーシャに強い執着心があるのは間違いない。儂が死ぬまではサリアスは聖騎士の鑑のような女だと言われていたし……恐らく儂の死後、アニーシャとサリアスが出会った時に何かがあったのだろう。聖騎士の心を捨ててテロリストに加担するのも厭わない残虐な人間になる、何かが」

 

 

 うーん…………。

 

 

「ダークナイト。ちょっと出て来てくれ」

『グォ?』

「ひっ」

 

 瞬時に出てきた半透明のダークナイト。俺の思考が読めるせいでダークナイトの姿が見えてしまい、か細く悲鳴を上げるマオ。

 そんな彼女を無視しつつ、俊介はダークナイトに問う。

 

「サリアスって凄い聖騎士と、死ぬ前の世界で何かあったりした?」

『…………』

 

 腕を組んで考え込むダークナイト。

 顔を上下左右のあちらこちらに向け、低い獣のような唸り声をあげて考え込むが……。

 

『…………?』

 

 最後には首をこてんと傾げ、一切合切さっぱり分からないと言った風な雰囲気を出した。

 全然だめじゃねえか。

 

「本当にダークナイトと関係あるんでしょうか?」

「いやそれ以外に考えられん……。多分、サリアスには人生を変えるような出来事だったが、アニーシャには割とどうでも良い事だったとかそんなんじゃないのか?」

「流石に……」

 

 そう言いながらダークナイトの顔を見る。

 きょとんとした様子でこちらを見ているダークナイトを見て、俊介は一瞬、案外ありそうだなと思ってしまった。

 

「なあ、マジで何があったか覚えてないのか、ダークナイト?」

『(´・ω・`)』

 

 どういう感情が籠った顔文字なんだよそれは。

 

 

 

 マオがコップの中のお茶を飲み干す。

 俺のコップは既に空になっている。彼女は空のコップを2つ回収し、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……まあ、頑張れ平民。儂は結城に変わって寝るわ……もう胃が痛ェわ……」

「あ、ちょっと待って下さい」

「何だ?」

「その……申し訳ないんですが、未来革命機関を倒すのに協力してくれませんか?」

 

 俊介は少し本気で頼み込んだ。

 まさかピュアホワイトなんて名前の黒い鎧が、そこまでの強者だとは思わなかったのだ。未来革命機関に攻め込む危険度は間違いなく跳ね上がった。

 

 その点、マオは元魔王で強いだろうし、信頼できる性格をしているしで味方になってくれればこの上なく心強い。

 

 

 しかし。

 

「悪いが無理だ、平民」

「……理由を聞いても、大丈夫ですか?」

「良いだろう。まず平民の周囲には元々危険が多すぎる。そしてサリアスと戦うのは危険すぎる。最後に儂にメリットがない。よって協力はしない。分かったか?」

 

 素早く協力しない理由を並べ立てるマオ。

 確かに、考えれば考えるほどマオが俊介に協力する義理はない。例え俊介が負けた所でマオは全く痛手を負わないからだ。

 

 まあ、俊介も恐らく断られるだろうとは思いながら頼み込んだのだ。

 仕方ないと思いつつ立ち上がると、マオがぼそっと口を開く。

 

「……まあ、結城が手伝うと言えば……協力してやらんこともないが」

「えっ?」

 

 俊介がその言葉について聞き返すよりも早く、マオは腕を頭の後ろで組み、わざとらしい声で大きな独り言を言い始めた。

 

「でも普通に頼み込んだだけじゃ無理だろうな~。結城は母親が殺人事件を起こしてショックが大きいし、危険な事には関わりたがらないだろうしな~。結城が心から協力したいと思う『何か』があればな~」

 

 

 …………。

 これはきっと、マオが協力する条件を教えてくれているのだろう。

 

 宿主の、折川結城の説得……。

 

 母親が殺人事件を起こしてショックを受けているのは分かる。それで、もう父親と危険から遠ざかって静かに暮らしたいと言うのも納得できる。

 そんな彼女が危険な事に加担する覚悟ができる『何か』を見つけて来れば、何とかなるかもしれないってことか。

 

 ……けど、今はその『何か』を持ってないな。

 今までマオと話してばかりで、宿主の折川結城ちゃんとは殆ど話したことがない。何を欲しているのかもよく分からない。

 

 いつかその『何か』を見つけられるだろうか?

 未来革命機関を倒した後には榊浦豊が待ち構えているし、マオの協力はぜひ欲しい。見つけたらすぐに彼女を説得しにこよう。

 

 

「ありがとうございました。今日は帰ります」

「ああ。気を付けて帰れよ、平民」

 

 

 俊介はマオに向かって頭を下げた後、帰路に就いた。

 

 

 

 

 

 




戦争のきっかけになった事件の犯人?
一体誰の仕業なんだ……?


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#69 雨に追いやられた中にて

 

 

 

 裸電球が天井からぶら下がっている、幾つかのパイプ椅子だけが乱雑に置かれた生活感のない部屋。電球の光度は弱く、部屋の中は薄暗い。

 そんな、換気扇の音だけがゴウンゴウンと響く部屋の中。

 

「なるほど、それでお前は逃げ帰って来たと……」

「ッく……し、仕方ねェだろッ! あんなイレギュラーが入ってくるなんて予想できッかよ!!」

 

 鎧を纏う、パイプ椅子に座っているピュアホワイト。その姿は暗影に沈んでいる。

 そして彼女の前で全身血みどろになりながら、その場に這いつくばっているバミューダス。流れる血に電球の光がぬらぬらと反射している。

 

 彼は今、ウィザードの任務を達成できなかった処罰を受けている最中であった。

 

 

「……貴様に上級兵士として色々な恩恵を与えているのは、貴様が()()からだ。だがお前は今回そのイレギュラーに負け、任務に失敗し、挙句の果てには機関の情報を持つ部下達をおめおめ相手に回収させたな?」

「そんな事出来る状況じゃなかッたッてんだ……! おかしなイレギュラーに加え、人対まで来たんだぞ!」

「…………」

 

 ピュアホワイトは呆れたように、パイプ椅子の背中に体重を預けた。

 

「まったく……」

「俺の他にもう一人上級兵士を付けてくれ! 次こそあの上半身裸の小僧を始末してくる!」

「…………いや。もういい。お前は休め……」

 

 彼女はゆっくりと椅子から立ち上がる。

 そしてバミューダスの横を通り過ぎ、部屋から出る唯一の扉に近づいた所で……ふと口を開いた。

 

「所で……。お前が出会ったのは、人対の眼鏡を掛けた男と、上半身裸の突然動きが変わる青年……だったな?」

「あ、ああ……」

「そうか。それだけ聞ければ充分だ」

 

 

 ピュアホワイトがそう口にした瞬間。

 バミューダスの全身が一秒と経たずに細切れになった。

 

 薄暗い部屋の赤黒い染みとなり果ててその第二の人生を終えるバミューダス。

 声を上げる間すら与えず殺した彼をピュアホワイトは氷のように凍てついた目で見下ろす。

 

「お前が任務を失敗したのはいい。ふざけた言い訳を吐いたのも許そう」

「だが……貴様のようなゴミ屑がアニーシャ様の魔力の香りを振りまくんじゃあない。その香りを漂わせていた時点で貴様を殺すのは決まっていた」

 

 

 そう吐き捨てた後、ピュアホワイトは廊下に向けて踵を返す。

 もうその時にはバミューダスの事は頭から消え、別の事柄が頭の中をミチミチに埋め尽くしていた。

 

 

「アニーシャ様アニーシャ様アニーシャ様……! 段々貴方に近づいて来ています、このとてもとても濃い舌の上で転がせそうなほどに濃厚な魔力の香り……! 人対の眼鏡かイレギュラーの青年、そのどちらかがきっと、貴方様と対面してその魔力の寵愛を身に受けたのですね!! 羨ましい妬ましい腹立たしい……ッッ!! しかしこの異世界で貴方様とここまで近づけている事、それすなわち私達の運命がいずれ重なるようにと最初から定まっていたという事!! 貴方様がどのような宿主に宿っているのか分かりませんが私がきっと見つけ出してみせます、私なら貴方の瘴気にも耐えられます、ウィザードには既に何もかも消し飛ばした広い土地で貴方様と暮らせるよう便宜を図るように言い含めております!! 貴方様の子をこの体で孕み、この世の全てを食い散らかしながら家族として幸せに暮らしましょう…………!!」

 

 

 息継ぎもせずにブツブツと何かを呟きながら、歩くスピードを速めるピュアホワイト。

 頭部をすっぽりと覆う兜の隙間から、瞳孔が開き切った狂人の燐光を僅かに覗かせていた。

 

「まずは人対の眼鏡、そしてそのイレギュラーの青年……! そいつらを見つけて夜桜にはできなかった拷問を行い、アニーシャ様についての情報を洗いざらい吐かせる……!」

 

「フフフフ、アハハハ…………ッッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未来革命機関の拠点の場所を特定するのは困難だ。

 だが、それを知っているであろう榊浦美優の居場所の特定は超が付くほど簡単だった。というか、元々知っていた。

 

 なぜなら。

 

 奴は今も、普通に学校に出勤して、普通に授業を行っているからだ。

 

 

 そもそも、俊介が榊浦美優を真っ先に調べに行かなかった理由がこれだ。

 まさか夜桜さんを攫ったテロリスト集団に属していながら、平然とした顔で高校に授業しに来ているとは考えもつかなかった。せめてこう……突然の休暇で姿を消したりしたら、真っ先に調べていただろう。

 

 これが奴の偽装工作だとしたら、俊介はまんまと引っかかっていた訳だ。

 橘からの情報がなければ絶対に気付かなかった、いや気付いたとしてももっと後の事だっただろう。

 

 

「腹立つ……!!」

 

 俊介は激怒した。

 普段は他人、それも女性を殴ろうとは余り思わない俊介だが、今回ばかりは榊浦美優の鼻の骨を折る勢いで全力パンチしてやりたいと。

 

 もはや榊浦美優に遠慮する必要なし。

 よって彼女を拉致するのに俊介が反則染みた技を使うのに全くの躊躇いはなかった。

 

 

 

 

 時刻は朝八時。

 昨日の快晴が嘘のような深い雨雲が空を覆い、陰々とした空気が辺りに立ち込めている。降り注ぐ雨は街を包み込み、まるで人間を建物の中に押し込めているようだ。

 

 窓を叩く雨音。

 普段なら眠気を誘うそれは、此度に限っては俊介の心の太鼓を叩くバチのようなものだった。

 なぜなら、雨というのは悪巧みをする者にとって非常に都合がいい。建物の中から人が出てこないので必然人目のない場所が増えるし、雨の音が多少の物音を掻き消してしまう。

 

 俊介が榊浦美優を誘拐するのにこれ以上ないと言っていい天気だった。

 

 

『では俺から、榊浦美優の誘拐作戦について最終確認を行う。俊介、その姿勢のまま聞いておけ』

 

 ガスマスクが俊介の座る机の近くに立ち、他の人格達を見回しながらそう言った。

 俊介は何も返さないが、教室にいる他の生徒にバレない様にほんの小さく頷く。

 

『決行は四限、榊浦美優が受け持つ化学の授業中だ。まずキュウビが教室の生徒を強制的に眠らせた後、ドールの力で榊浦美優を人目に付かない場所まで自分で歩かせる。ドールが移動させている間にキュウビが記憶を弄って化学の授業から自習に変更。その後、榊浦美優がいる場所まで俊介が身を隠して向かう。そこからニンジャの力で本格的に何をしてもバレない場所まで攫う。以上だ』

 

 

 淡々と昨日決めた作戦を声に出すガスマスク。

 その作戦を聞いたマッドパンクが、頬に一筋の汗を流しながら言葉を吐いた。

 

『……聞けば聞くほど酷いな。完全にメタ張ってるじゃねえか』

『そもそもドールが反則染みているからな。近くにいる人間を瞬時に操り、一度操れば遠くまで移動させても全く問題ない。授業で教壇に立つなんてのはまさにドールの口の中に入っているようなものだ』

『え~? あんなの口の中に入れたら汚いよ……』

 

 俊介のすぐ後ろにいるドールがうえ~っと舌を出しながらそう言った。榊浦美優を『あんなの』とはこれいかに。

 

『そして、念のためにヘッズハンターを俊介の近くに残しておく。それ以外は偵察に出る、ダークナイトは上空から見張れ』

『(´・ω・`)』

『……どういう感情だ、それは』

『(。-`ω´-)』

『…………何か異常があればデカい音を鳴らせ』

『(・ε・)』

 

 ダークナイトは上空からの偵察という役割が余り気に食わない様子だ。

 しかしガスマスクは敢えてそれを無視する。ダークナイトにあれこれ言った所で俊介以外の言葉は碌に聞きやしないのだから言うだけ無駄なのだ。

 今回の偵察も俊介から事前にやれと言われているから従っているだけで、ガスマスクが命令すればガン無視か一発ぶん殴られていただろう。

 

 

 ガスマスクが適当に号令を掛けると、先ほど名前を出したドール、キュウビ、ヘッズハンター以外の人格はバラバラに散っていく。

 こういう時に100メートルまで人格が離れられるのは便利だなあ、と頬杖を突きながら思う俊介。

 

 一限の授業が始まったが、俊介は教師の言葉を一切聞こうとしない。

 教科書とノートを開いて話を聞いているふりをしながら窓の外を見ていた。

 

 

『でも四限?っていうのまで、まだまだだね~』

 

 ドールがその辺をとてとて歩き回りながら、時折他の生徒の教科書を覗き見しつつそう言う。

 高校生が真面目に授業を聞いている教室の中を小学生くらいの少女が自由に歩き回る光景というのは何とも不思議なものだ。俊介は窓の外から視線を外し、ドールの姿を目だけで追う。

 

『でも、なんかこういう授業の様子は懐かしいな。俺は世界史の時間はいつも豪快に寝てたわ』

『なんじゃヘッズハンター。お前せっかく金払って学び舎に勉強しに来てるのに、爆睡しておったのか? 無駄な事をするもんじゃのう』

『そ、そりゃあそうかもだけど、払ってるのは親で……。いや別に親の金を無駄遣いしたい訳じゃなくて、なんかこう……アレじゃん?』

 

 分かるよヘッズハンター。

 厳密に考えたら授業中に寝るなんて損でしかないけど、正論じゃ眠気は取れないんだ。まあ授業中に眠気来ないように早く寝ろって話なんだけど。

 

 

 ヘッズハンターは暫く黒板を眺めていたが、流れるように羅列されていく数字と記号の集合体を前に理解するのを諦めた。

 窓の外に視線を向け、向こうの方の空で寝転がるダークナイトを見ながら静かに言う。 

 

『……つうかさ。マジで何なんだろうな、未来革命機関って』

『あーん? なんじゃいきなり』

『要はアイツら、国を崩そうとするテロリスト集団だろ? でもその割には夜桜の屋敷に来たのは特殊部隊みたいな良い装備着けてたじゃん。俺の中では、テロリストってのは粗悪品の装備が当たり前の集団ってイメージなんだけど』

『ふむ……』

 

 キュウビは扇子の先を口に付け、少し考え込む。

 そして数秒後に口を開いた。

 

『まあ、何処かから奪ったか、何者かが後ろから渡した金で買ったかじゃろうな。或いは自分達で大金を稼ぐ手段を確立させているかもしれんのう』

 

 奪った、ね……。

 そういや人対の眼鏡の人が『外国の軍事施設からとんでもない物が奪われた』とか言ってたけど、なんか関係あるのかな? でも、たかが装備が複数個盗まれたくらいでとんでもない物とは言わないだろうし。

 

 そんな俊介の思考を他所に、ヘッズハンターがキュウビに問いかける。

 

『大金を稼ぐ手段って何だよ?』

『わらわが知る訳ないじゃろう。でもま、異世界の人格が持ち込んだ有用な物であれば充分売れるじゃろうな』

『ふーん……。案外、俺らが結構見たことのある物を売ってたりして』

『ははは。お前の勘はかなり当たるから、もしかするとそうかもしれんのう。ま、あくまで可能性の話じゃ』

 

 二人の会話を耳に入れながらも、窓の外を眺める。

 俊介が見ている事に気付いたダークナイトがこちらに手を振っているのが見えた。何やってんだ。

 

 

 そうしてそのまま、空中で細い長剣を使って見事な演武を始めたダークナイトを眺めていると。

 バタバタと焦った様子で廊下を走ってくる音が聞こえ始めた。他の生徒が反応する様子がないのを見るに、人格の誰かのようだ。

 全員で廊下の方に目を向けると、ちょうど汗をだくだくに流したクッキングが扉をすり抜けて教室に飛び込んできた。

 

『めッ、メーデーメーデー! ヤバいわッ!』

『どうしたんじゃクッキング。何をそんなに焦っておる?』

『あっああアレよ! ()()が今、校長室に来てるのよ!』

『アレ……?』

 

 ヘッズハンターが疑問気に聞き返す。

 するとクッキングが、食い気味に叫んだ。

 

 

 

 

()()の眼鏡! 昨日会った奴よ!!』

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 …………

 

 

 

 

 ……………………はあッ!?!?

 

 

 

 

 

 

『ちょまッ、おまッ、マジかよッ!?』

『嘘吐いてどうするのよ! 思いっきり『人格犯罪対処部隊 白戸成也』って書いてる名刺渡してあったわよッ!』

 

 

 

 

 おぅ。

 

 

 

 おぅわぁあぁあああああああああ!?

 

 

 

 

 じっ、人対が来たらどうする……どうすんべ、どうすればいいだべか……?!

 

 

 

 

 

 表には感情を出さないが、昨日の今日で人対が学校へ来た事へ内心で滅茶苦茶に焦る俊介。

 同様に焦っているヘッズハンターが言う。

 

『ダークナイトは何やってんだ、異常事態だろ!』

『……寝ちゃってるね。前に一撃で倒したから、何とも思ってないのかも……』

『一番偵察がしちゃダメな思考……ッ!!』

 

 俊介もドールの言葉に釣られて窓の外を見ると、確かに空中に作った足場の上でダークナイトが爆睡していた。さっきまで綺麗な演武してたのに何やってんだ。

 

 

『おいおいおい! 昨日みたいに攻撃避けて逃げるだけでいいわけじゃねーんだぞ、もし正体バレたらそれこそ……』

 

 

 ヘッズハンターがそこで言葉を区切る。

 現状、人対に正体がバレると俊介には悲しい未来しか待っていない。

 

 まず一つ。

 人対が家に来て、ダークナイトを封印したままぶっ殺されるパターン。なんか俊介の殺害許可まで出ているらしいので、牙殻さんに躊躇なくぶった切られて俊介の命はデッドエンド。

 

 そしてもう一つ。

 人対が家に来て、ダークナイトをぶっ放すパターン。これなら人対の3人を倒せるだろうが、代償に近隣住民と俊介の両親がデッドエンド。

 

 

 この他の細かく枝分かれした選択肢も基本、ダークナイトを封印するかぶっ放すかの違いしかない。

 正体バレの先には俊介が死ぬかそれ以外が大量に死ぬかの未来しか待っていないのである。

 

 

『落ち着けッ! ええい、落ち着かんかッ!』

 

 焦りまくる殺人鬼と俊介を諫めたのは、気丈にふるまうキュウビの一言であった。

 彼女が扇子で額をペチペチと叩き、眉間にしわを寄せながら言葉を放つ。

 

『どう行動するにしても、まず決めねばならん事があるじゃろう。……俊介よ』

 

 キュウビは机に座ったままの俊介に近づき、顔と顔が同じ高さになるようにしゃがむ。

 

 

『リスクを取って榊浦美優の誘拐を()()するか? それとも()()して撤退するか? ……中止ならば左手、逆ならば右手で机を叩くのじゃ』

 

 

 彼女が持ち掛けたのは、作戦の続行の可否であった。

 確かにこれを決めねばどう動くにも軸がぶれてしまう。そしてこの決定を行う権利は殺人鬼達の宿主である俊介にしかない。

 

 俊介は悩む。

 

 人対がこの高校に来たという事は、人格犯罪者である俊介の正体に凡そのアタリを付けられた可能性が非常に高い。

 今無理に榊浦美優を誘拐する作戦を続行すれば、どうしても相手に怪しまれるリスクが増える。

 

 それにドールの不思議な人間操作術、そして相手の白戸は魔法使い……似たような超常現象を扱う者同士だ、何らかの形で榊浦美優を操作しているのがバレる可能性がある。

 

 ハッキリ言って、今この作戦を続行するのは正体がバレるのを覚悟の上で進めねばならない。

 未来革命機関を倒した後、人対と本格的に衝突するのは避けられないだろう。

 

 

 

 それなら…………今ここで諦める、か?

 今から逃げればまだ、ギリギリ誤魔化せる可能性がある。ただ榊浦美優の誘拐は1日延びる。

 

 たかが1日。

 されど……1日だ。

 

 

 

 未来革命機関に夜桜さんが捕らえられてからもう2日だ。たった2日ではない、もう2日なのだ。

 MRKの設計図を書かされているんだろう。だがもし書き終わったり、書く事を渋りすぎたりすれば……一体何が起こるのか想像は難くない。いや……まだ一般的な倫理を捨てきれていない自分では想像すら出来ないことが起きるかもしれない。

 2日もあれば、トールビットなら今頃人間を生かしたまま人間でない形にすることも出来る。それくらいの時間なのだ。

 

 

『俊介。……逃げてもいいんじゃ

 

 キュウビのせかす声が聞こえる。

 

 

 

 

 俺は夜桜さんが好きだ。

 これはもうきっと変えられない。

 

 俺はきっと異常者だ。

 元々普通に生きるか生きられないかのラインをずっと進んできた。殺人鬼と暮らすうちに何か変わった可能性もあるが、きっと……元々こんな感じだった。

 

 

 

 

 俺は……。

 

 

 ………………。

 

 

 

 ずっと思っていた。

 

 

 

 俺は夜桜さん()幸せになりたいんじゃない。

 

 

 

 夜桜さん()幸せなら、それで充分なんだ。

 彼女が幸せになるなら、今後の人生で何があったとしても……俺の命ひとつで賄える範囲なら何でもやろう。

 

 

 

 

「…………」

 

 俊介は目の前のキュウビに対して、ゆっくりと視線を合わせ。

 右手の人差し指で机を叩き、作戦続行の意思を示した。

 

『ッ……どうして

 

 キュウビが苦しそうな顔を浮かべる。まるで俊介に断って欲しかったかのようだ。

 しかしその表情を一瞬で消し去り、優雅な所作で畳んでいた膝を伸ばして立ち上がった。 

 

『クッキングは全員に人対襲来の旨を伝えるのじゃ。状況によっては榊浦美優の両手足をへし折り、無理矢理逃げる事になる。ヘッズハンター、準備しておけ』

『ああ……分かってる』

 

 

 俊介の選択に反対の意を示す者はいなかった。

 

 ……この選択が正解だったのかは、今はまだ誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




夜桜は俊介LOVE勢なのに、当の俊介は夜桜が幸せならOK理論なので自分がどうなってもいいスタンス
一回それに近いいざこざで大喧嘩したのにその考えまだ変わってなかったの? 意固地だね ドブに捨てろ


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#70 ボヤ騒ぎ

 

 

 

「初めまして。私、人格犯罪対処部隊の白戸成也と申します」

 

 金縁の眼鏡。無地の黒ネクタイに黒のスーツ。胸には二重らせんの金バッジ。

 風貌は真面目なビジネスマンか公僕のそれに違いない。しかし身から放つ歴戦の武士のような空気が、校長の全身に冷たい汗をかかせていた。

 ハッキリ言って、先に警察所属という事を明かしておかなければ白戸はインテリヤクザの若頭にしか見えない。彼も校長になるまでにある程度社会の荒波に揉まれて来ただろうが、命の危機を感じたことのない一般人が戦慄するのは当然であった。

 

 

 白戸は校長に丁寧な動作で名刺を渡した後、静かに椅子に座る。

 口角を僅かに上げた自然な笑顔を崩さない白戸。強張った表情を浮かべる校長。

 

 先に口を開いたのは校長だった。耐え切れなくなったと言うべきだろう。

 

「そ、それで、今日は一体どのようなご用件でしょうか……?」

「ええ。先日、貴校の生徒である夜桜紗由莉が誘拐されたのはご存知ですね?」

「……はい。警察に通達された通り、無用な混乱を避けるために生徒や教師には一切を知らせておりません。校内でそれを知るのは私だけです」

 

 

 夜桜紗由莉。

 校長ですらこの高校のランクには相応しくないと認めるほど優秀である女子生徒。そんな彼女がつい先日、誘拐されたとの連絡が警察からあった。

 国認定の人格持ちが誘拐、しかもそれが自分の高校に通う生徒だ。一体どんなことになってしまうのか、自分にどれほどの責任がのしかかるのか……そう戦々恐々していた所、警察からは誘拐の旨を一切合切隠すように命じられたのだ。

 

 警察がなぜ誘拐事件を隠ぺいする事になったのか、校長には分からない。

 しかし逆らった所でどうにも出来ない。誘拐事件を解決する力など普通の高校の校長が持っている訳がないのだ。故に事件の解決を警察に任せ、夜桜紗由莉の誘拐事件の旨を心の内に留めておくことにしたのだった。

 

 

 

「しかし一体、その事件がどうしたのですか? 私が知っている事は話した、いや、元々夜桜さんの人となり程度しか知らなかったですが……」

「今回は事情聴取に来た訳ではありません。実はですね、件の誘拐事件に貴校の生徒が関わっている可能性がありまして。今から校内を調査する許可を頂きたいのです」

「えっ、ええ……ッ!? う、うちの生徒が誘拐事件に……?!」

 

 校長は分かりやすく狼狽した。

 まあそれも当然だ。

 

 自分の学校に誘拐事件の被害者がいるのと、事件の関係者がいるというのでは全く意味が違う。

 もし刑事事件の加害者が学校から出たとなれば、世間からの酷いバッシングや今学校に通っている生徒の将来へのダメージ、その他諸々の悪影響が無数に考えられる。

 つい数ヵ月前に、旧校舎で星野という一人の男子生徒が意識不明の重体で発見されたばかりなのだ。その犯人は本校の生徒だろうという所まで捜査が進んだらしいが、その後何故か捜査が立ち消えになってしまった。

 

 暴力事件、誘拐事件。

 短期間に続いたこの2つの凶悪事件、こんな事件と本校生徒の誰かが関わっている事が世間にバレれば一体どうなってしまう事か……。

 

 

「そ、それは任意ですか?」

「……まあ。令状(ふだ)は持っていませんし、一応、任意という形にはなりますね」

「なら……お断りさせて頂きます。我が校には何もありません! お帰り下さい!」

 

 校長はこれ以上の責任を回避するため、白戸の捜査を断った。

 

 いささか浅はかな行動と見えなくもない。

 しかしいくら彼が一高校の校長まで昇り詰めたといえど、四百名を超える生徒の将来を傷つける恐れと自身に追及される責任の重さを恐れ、目の前の事実から逃げるだけの短絡的な決断をしてしまうのは仕方ないとも言える。

 

 

 そして。

 白戸は、そもそも校長に否定という選択肢を与える気はなかった。

 

「…………ま、仕方ありませんね」

 

 彼が右手を校長の顔に向けた瞬間、校長の顔が一瞬で呆けた物に変わった。

 白戸はゆっくりと立ち上がり、校長の肩にポンと手を置く。

 

 

 この学校、そもそも星野という男子生徒への暴力事件の捜査が警察上層部の圧力で掻き消えた。

 そして夜桜紗由莉……国認定の人格持ちというとんでもない大事件ですら、上層部の圧力で捜査が止められている。

 

 2つの事件に共通しているのは。

 この学校と……『怪人二十面相』の存在だ。

 

 星野の事件では、怪人二十面相の痕跡が検出された直後に捜査が掻き消えた。

 この時点で怪人はこの高校の生徒の可能性が高いとは睨んでいたが……流石に四百名の生徒を全て調べるのは上層部に睨まれた状態では厳しかった。

 

 今回の事件は、この学校に通っている夜桜紗由莉が誘拐された。

 そして白戸が直行した夜桜邸にて怪人二十面相を発見。怪人は以前から夜桜に付き纏っており、恐らく夜桜の関係者であると考えられる。

 

 ……まただ。

 人対が勝手に動いているだけの、警察の捜査の打ち切られた事件にまた怪人の名前が出てきた。

 

 

 

 国認定の人格持ちの誘拐事件を隠すメリットは警察上層部にはない。

 捜査を止めるなんてもっての外である。国認定の人格持ちというのは国が認めた重要人物であり、これの誘拐事件の隠ぺいなど正気の沙汰ではないからだ。これを正気でやっているなら上層部は底なしの無能と言わざるを得ない。

 

 そしていくら何でも警察のトップ陣はそこまで馬鹿ではない。という事はつまり、強い権力を持った何者かが上層部に圧力を掛けて無理やり捜査を止めている事になる。

 

 そしてその何者かが捜査を止めている理由は。

 『怪人二十面相』。

 何度も名前が出ているのに正体が一向に分からない、この人格犯罪者が関係していると考えられる。

 

 

 

 

(警察の動きを止められる程の権力者……。怪人は大臣の息子か何かか? いや、この学校にそれほどの権力者の親族はいなかったはず……)

 

 白戸が校長の肩から手を離した瞬間、彼が眠るように机に突っ伏した。

 穏やかな寝息を立てる校長を一瞥した後、白戸は白い手袋を手に装着する。その手袋の甲には開かれた瞳の絵が描かれている。

 

「ま、いいでしょう。警察上層部は夜桜誘拐事件の捜査中止とその隠ぺいに追われ、私の動きに気付いても手を出す暇はない。せっかくできたこの隙を有効活用しましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし。……どうすっか」

 

 俊介は授業と授業の合間の休憩時間に、人目に付きにくい階段の下の謎のスペースに来ていた。

 放課後は偶にカップルが占領しているが、こんな短い休憩時間にこんな埃っぽくて薄暗い場所に来るのはガチボッチの俊介くらいである。

 

『白戸って言ったら魔法使う奴だろ。なんかこう……キュウビの術でバレない様に誘拐出来ないの?』

 

 マッドパンクが壁にもたれかかりながらそう言った。

 するとキュウビは顔を横に振り、扇子で口元を隠しながら言葉を返す。

 

『無理……いや、分からんのじゃ』

『どういう事だよ、分からんって』

『わらわの使う道術と、白戸とかいう眼鏡が使う魔法はちょっと別種類すぎるのじゃ。わらわが道術を使ってもバレないかもしれないし、一瞬でバレるかもしれん。……その判断すら出来ない程にわらわの術と種類が違うということじゃ』

 

 つまり、超常現象的な方法は相手に即バレするリスクがあるという事だ。

 キュウビの術は勿論、ドールの操作術も十分超常現象の内に入る。バレるリスクはあるだろう。

 

 わざわざ相手の得意な魔法、超常現象の土俵で戦う事もない。

 ということは。

 

 

『要は結局、拙者お得意の物理☆に戻って来るって事でござるな!』

 

 

 意気揚々と手を挙げてそう宣言するニンジャ。

 いかにも自信たっぷりと言った様子の彼に、エンジェルが首を少し傾けながら静かに問いかけた。

 

『……随分と元気ですが、どうにかする策でも思いついたのですか?』

『ふむ。拙者としては、ここらでデカい事を起こすのが得策と考えるでござる』

「デカい事?」

『うむ。警察とか消防とか、外部の人間が強制的に学校に介入せざるを得ない大事故などでござる』

「は?」

 

 ただでさえ人対の眼鏡が来て困ってるのに、余計に警察とか呼んでどうするんだよ。

 俊介がそれを口に出すよりも早く、ニンジャが顔の前で人差し指を細かく左右に振りながらチッチッと舌を鳴らす。

 

『まず、学校の授業時間中に警察が一人で捜査に来るなんてありえないでござるよ』

「……なんで?」

『捜査なんて人海戦術が大正義の七面倒臭いこと、一人でする訳がないでござろう。つまり、相手は正規の手つづきを経てここに来た訳ではないと予想されるでござる。恐らく俊介の身分を予測し、この場で同一人物の証拠を見つけてとっ捕まえる為に無理やり乗り込んできた……ってところでござるか』

 

 まあ、あれだけ人対の前に身を晒してたら、ある程度アタリを付けられるのは仕方ないとは俊介自身も分かっていた。

 一回人対の全員をダークナイトで完璧に倒した事もあるし。無理やり学校に踏み込んでくるくらいには恨まれているだろうというのも薄々分かる。

 

「でも、それがどうして大事故を起こすことに繋がるんだよ?」

 

 故に俊介は問うた。

 確かに白戸が不正な身分で捜査に来ているのはその通りかもしれないが、それがどうして大事件を起こすことに繋がるのだろうか、と。

 するとニンジャはよどみない口ぶりで言葉を吐く。

 

『相手は不正な身分で、そこに大事故の対応という正規の目的を持った警官が来れば、奴は撤退するか身を隠さざるを得ない。もしくは魔法で警官全員を洗脳するか。……どれにしろ拙者達への監視の目は必ず薄れるでござる。その隙を突くでござるよ』

「はあ……なるほど? でも警官が大量に来れば、それこそ榊浦美優の誘拐現場を見られるリスクが増えるんじゃ……」

『木っ端の警官がどうにか出来る訳ないでござる。ここに居るのは全員、元の世界で公的機関をおちょくりまくった大犯罪者でござるよ』

 

 

 ……そういえばそうだった。

 つい忘れるけど、13人ともガチモンの殺人鬼なんだよな。ビビってるのは自分だけで、その気になれば警官を道端の小石レベルに吹き飛ばせる奴ら。

 

 

 それにしても、学校に第三者が介入せざるを得ない大事件か。

 

 生徒数人を襲って血塗れにする? いやそれこそ白戸に見つかる可能性が高すぎる。あとあんまやりたくない。

 

 エンジェルの怪力パンチで学校の一部を破壊する? 音がデカすぎてこれもすぐ見つかりそうだな。あと警察がすぐに介入するレベルの事件かと言うと微妙な気がする。

 

 

 となると……。

 

 

 …………。

 

 

 

「……よし。ボヤ騒ぎを起こそう」

 

 俊介が最終的に選んだのは、火だった。

 決断を下した俊介に向かってニンジャが感嘆の声を上げる。

 

『お? おお~! 中々良い選択でござるな俊介! 不良生徒の煙草の不始末を装って火事を起こすのは安パイ――――』

「――――フライヤーでボヤ騒ぎを起こす」

『は?』

 

 ニンジャの素っ頓狂な声。

 それと同時に、ダークナイトを除く殺人鬼達の顔が一斉に煙草を吹かすフライヤーに向いた後、焦った表情で俊介の方向に顔を戻す。

 

『ちょっと待て! フライヤーが火点けたらボヤ騒ぎどころじゃ済まねえぞ!』

『考え直してください俊介。この学校が炭になります』

『そうよ! 人間焼肉が数百人分出来上がる様なんて見たくないわ!』

 

 一様に俊介に中止を求める言葉を出す殺人鬼達。

 フライヤーは静かに煙草を吹かしながら俊介の方を見ている。

 

 

 なぜ殺人鬼達がここまでフライヤーを表に出したがらないのか。

 それは、彼女がダークナイトの次に危険だからである。

 

 彼女の近くにある火は何故か猛烈な勢いで強くなる。本人曰く『気合いで強くできるけど弱くはできない』との事で、本気を出せばマッチの火から街を丸ごと一つ炭に出来るそうだ。

 火の消し方は知らないし興味もない。そして自分は火の中では死ぬどころか体調が良くなるらしく、業火の中で普通に寝たりもできるらしい。

 

 つまり、彼女は火に関しては何か神がかった物の加護を受けているとしか思えない特異体質を持っている。

 この火という物が欠かせない現代社会において、そこら辺を歩いているだけで大火事を起こしまくる彼女は危険と言わざるを得ない。なので俊介はフライヤーを滅多に表に出さないのだ。

 

 しかし逆に言えば、火を起こしたい状況で彼女以上に心強い存在はいない。コントロールできないのが玉に瑕だが。

 

「旧校舎でよく不良が煙草吸ってるよな。休憩時間はあと6分……全然いけるだろ。フライヤー!」

『マジで良いのか? 旧校舎っつったら木造だろ。止まんねえぞ』

「煙草が偶々引火しただけだろ? 中にいた生徒は全員外に逃げて気絶してたそうだしな」

『……言うねえ。良いぜ、やってやるよ』

 

 フライヤーは咥えていた煙草を床に落とし、足先で踏みしめた。

 

 

 

 

 

 

 ――――旧校舎。

 

 木造の今は使われていない校舎は、星野の暴行事件から時間が経ち、また不良生徒が入り込むようになり始めた。

 教師が滅多に入って来ないので不良生徒達の溜まり場と化していて、少し探せば煙草の吸殻なんかはすぐに発見できる。

 

 そんな旧校舎の中、俊介はフライヤーと横並びで立っていた。

 ヘッズハンターが旧校舎中を飛び回り、既に誰もいないのは確認している。後は豪快にこの旧校舎に火を点けるだけだ。

 

 そんな折、ニンジャがこそこそと俊介に近づいて来て耳打ちをする。

 

『し、俊介……。拙者が言った事とは言え、ボヤでフライヤーは流石にやりすぎではないでござるか……?』

「変に弱い火だと人対にすぐ鎮火されるだろ。下手に鎮火されるくらいなら、一発で通報されるくらいにやってやるさ」

『まあ……そりゃそうでござるが』

「けど流石に全身は渡さない、両腕だけで留めるよ。怖いし」

『……そこが安パイでござるなぁ』

 

 そう言い残し、ニンジャは俊介の中に戻った。

 周囲にいるのはフライヤーと俊介のみ。お互い、こんな風に二人きりになるのは久しぶりで妙な空気が漂う。

 

 

「……あー。まあ、よろしく」

『そうだな……。じゃ、さっさとやるか。夜桜を一刻も早く助けたいんだろ』

「なんか……ごめん。都合の良い時だけ表に出して」

『別にいいよ。俺に謝る前に、好きな女を助ける事だけ考えな。手遅れになったら洒落になんねーからよ。……ま、偶には何か燃やさせてほしいけどな』

「ごめん。それは嫌だ」

『この話の流れで断んのはおかしいだろコラ』

 

 フライヤーと僅かに会話して空気を軟化させる。

 お互いに七年間連れ添った仲なので、少し話せば気まずい空気くらいはすぐに吹き飛ぶのだ。俊介は苦笑しつつ、フライヤーに両腕の主導権を渡す。

 

「火を点ける物を探してみるか。ライターとか落ちてるかも」

『必要ねえ』

「え?」

『こんな木造建築物、()()()()()()()だ』

「は? 何言ってんだよ。流石に火種がないと……」

『まあ歩いてみろって。両足の主導権は俊介にあんだからよ』

 

 フライヤーは口角を上げて笑い、せっかく俊介から渡された両腕をだらんと力なく垂らす。

 歩くだけで充分、という意味が分からない。いや意味が分かるが、歩くだけで火がつくなど俊介の常識では考えられない。

 

 しかし俊介はフライヤーに言われた通り、正面に伸びる廊下を踏みしめるように歩き始めた。

 

 

 一歩。

 

 

 二歩。

 

 

 三歩。

 

 

「…………?」

 

 俊介は鼻孔をくすぐる、嗅ぎ慣れない匂いを感じ取った。

 そしてその正体もすぐに分かった。

 

 ――――()()()()

 

「ちょっと待て……嘘だろ」

『もっと歩きな。これじゃあボヤにもならねえからよ』

「…………」

 

 本当にただ歩いているだけなのだ。

 何やら意味が分からないが、俊介はフライヤーの言う通り歩みを進める。

 

 

 四歩。

 

 

 五歩。

 

 

 六歩。

 

 

 焦げ臭さが更に勢いを増し始める。

 段々と黒い煙も目に付くようになってきた。

 

 

 七歩。

 

 

 八歩。

 

 

 九歩。

 

 

 揺らめく火の手が視界に入り始めた。

 それは壁を燃やし、天井にまで伸びようとし始めている。俊介は少しだけ足を進めるのを躊躇うが、すぐに歩くのを再開した。 

 

 

 

 ――――十歩。

 

 

 そこで、一体何が火種になっているのかが分かった。

 何のことはない。

 

 煙草の吸殻によるボヤ騒ぎを偽装するのではなく。

 教室の隅にあった煙草の吸殻を火種に、本当に火が出ていたのだ。

 

 しかし、それは明らかに、物理法則に反した火の勢いであった。

 なにせ。

 

 教室の隅にあった数センチほどの煙草の吸殻から、巨大な教室を埋め尽くすほどの業火が勢いよく噴き出しているのだから。

 まるで煙草の吸殻が飛行機のジェットエンジンのように青い火を噴き出している様に俊介は己の目を疑った。

 

 ……いやだっておかしいだろ。

 なんで数センチの煙草から太さ二メートルくらいの青い炎が上向きに噴き出してんだよ。物理法則に反してるとかいうレベルじゃないぞ。一体何がどうなっているんだ。

 

 

 俊介が思わず足を止めてその異常な光景を見ていると、フライヤーの操る両腕が俊介の鼻先を軽く突いた。

 

『おーい。あんまり見てると両腕以外黒焦げになんぞ』

「あ、ああ……ごめん」

『でもまあ分かるよ。俺も生きたまま火葬場に突っ込まれた時からこんな感じの事が出来るようになってな。最初は俺も見惚れたもんだ』

「生きたまま火葬場……?」

『ん、あ~……わりぃ忘れろ。気持ちのいい話じゃねえからな』

 

 俊介は殺人鬼達の人となりは知っているが、その過去は殆ど知っていない。何人かは知っているが、基本向こうから話さない限りは触れないようにしているからだ。

 フライヤーも過去に何かあったんだろうなと思いつつ、俊介は再び歩みを進める。

 

 

 そして何十歩か歩き、ようやく別の窓から旧校舎の外に出る頃。

 

 俊介が少し離れ、遠くから旧校舎を見ると。

 

 

 天空に向かって空高く伸びる、直径十数メートルの青い火柱が生えていた。

 ただの木造建築物である旧校舎を基点にごうごうと燃えるそれは恐ろしい熱気を放っている。明らかに木が大量に燃えた程度で起きる火の勢いではない。

 

 

 

「………………?」

 

 

 

 俊介は世の中に一般的に流布されている物理法則を疑った。

 

 

 

 

 そしてニンジャに体を変わり、人目に付かないように現校舎の教室へと戻る。

 窓のすぐ横にある机に座って一息つき、窓の外を見る。

 

 旧校舎から巨大な火柱が未だに昇っているのが見えた。

 

(離れても衰えないのか……)

 

 煙草によるボヤ騒ぎにしては余りに豪快すぎる火柱を見ながら、俊介は『旧校舎が消し炭になるだけだしいいか』と現実逃避を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






俊介はフライヤーを滅多に表に出さないので能力を測り切れてません
物理法則は無視しちゃ駄目だろ!




フライヤーの過去は考えてるけど、重すぎて書くのが憚られる。
三十路のトールビットと同じく、俊介を異性の恋愛対象として見てない組に相応しい過去を考えてましたが、重すぎてやんなっちゃった……ワァ……!
NTR音声を聞きながら設定考えて生まれたヘッズハンターとフライヤー。そこに大した違いはねえだろうが!

でもいつかは覚悟決めて書きます。いつかね。





-Tips-
Q.国認定の人格持ちの誘拐事件って、実際どれくらいヤバい事なの?
A.直々に国から認定される人格持ちってのは、バクダンみたいに異世界のヤバい兵器とか道具とかの優秀な研究者が大半です。そんな奴の誘拐っていうのはつまり簡潔に言うと、犯罪者に核爆弾のレシピ一式が盗まれたみたいなものです。そんな大事件を隠ぺいとか普通にチョーヤベーぜ!

Q.たとえ核爆弾のレシピ一式やそれに類似する物が盗まれたところで、材料を盗まれなければ問題ないのでは?
A.問題ないわけないだろ。それに異世界で積み上げられた科学知識なので、この世界の科学とは違いすぎて何を材料にするのかが全く見当がつきません。極論、その辺に落ちてる石と枝を利用して大量破壊兵器を作ってくる可能性もあるので、マジヤベーぜ!

Q.こんなヤバい奴らを国認定の人格持ちとして優遇してるのは誰だぁっ!
A.国と榊浦親子。


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#71 ドーム

 

 

 

「は……はあッ!?」

 

 

 白戸は焦っていた。

 なぜか?

 

 校長室から出て辺りを散策しつつ夜桜の在籍する教室に向かう途中。

 学校の敷地内に突如として、巨大な青い火柱が生えたからだ。

 

 いや何で?

 

(な、何者かの魔法によるアクション……!? いや魔力の気配を微塵も感じないッ! じゃあ何……なにアレ?)

 

 本当に分からなかった。

 魔力の気配が一片もしないとなると、物理的な現象という事だが……いくらなんでも流石に木造建築物が燃えたくらいで長さ百メートル超えの青い火柱は出来ないだろう。

 

 

 しかし今、確実に分かること。

 それは、あの青い火柱は物凄く目立つという事だ。

 

 

 当然生徒達は授業始まりのチャイムが鳴っても席に着くことなく、突如学校内に生えた火柱に意識を奪われている。

 教師達がドタバタと走り始め、通報を受けた警官や消防官が駆けつけるのは時間の問題だ。

 

 

 この後の展開は白戸にも容易に想像できる。

 

 消防官が来て消火活動開始。

 それと共に、警官と教師が音頭を取って生徒全員を速やかに避難・帰宅させる。

 しかしあんな火柱が傍にある状態で、まだ未成熟な生徒達が大人しく出来る訳がない。恐怖する者に興奮する者、多種多様な反応を見せて確実にパニックに陥る。

 

 そして、そんなパニック状態の中。

 こそこそと隠れて何かをされた時、魔法を使える白戸ですら発見するのは非常に困難だ。

 

 

 つまりこの状況は、隠れて何かをしたい者にとっては非常に好都合。

 いや、隠れて何かをしたい者があの火柱を発生させたと考えるべきだ。

 

 

(私の襲来を察知し、すぐさまアレほどの事をする。十中八九()()の仕業で間違いない。そして怪人ほどの人格犯罪者ならば、この状況で自身に繋がる証拠を全て隠滅してから逃げることなど容易いでしょう……)

 

 

 白戸も正規の手続きを取ってこの学校にいる訳ではない。校長に軽い催眠魔法を掛けて自分に許可を出したと思い込ませたが、キチンとした書面はないので調べられればすぐにバレる。そしてバレた先が警官であったとすれば、非常に厄介だ。

 

 つまり白戸は警官が乗り込んでくるまでに、この混乱した学校から怪人を見つけ出さなければならない。

 

 

 ――――ハッキリ断言できる。

 この状況で怪人を時間内に見つけ出すのは不可能だ。

 

 

 これで簡単に見つけられるようなら、人対は怪人に今まで煮え湯を飲まされ続けていない。

 

 

 故に。

 白戸はそもそも、()()()()()()()()()()()()()策を実行した。

 

 

「……ふう。仕方ありませんね」

 

 

 白戸は火柱に手を向ける。

 

 

「では私も少し荒っぽく行きましょう。なに、今日中にはみんな出られますよ……」

 

 

 彼が火柱に向けた手を勢いよく握った瞬間。

 天空に伸びていた火柱の先がぶわっと広がっていく。

 

 広がった火はどんどん大きさを増しつつ、地面へとその手を伸ばしていく。

 

 そして三十秒も経った頃には。

 

 

 この学校をすっぽりと覆う、半球状をした青い業火の帳が完成していた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

『――――ッ! 俊介、あの眼鏡が何かしでかすつもりじゃ!』

「は……ッ?!」

 

 キュウビの声と共に、俊介は窓の外に視線を向ける。

 先ほどフライヤーが発生させた青い火柱の先が段々広がって行き、地面に伸びていく。

 

 そして少し見ている間に、高校の全てが炎のバリアに囲まれてしまった。

 

 

『学校の人間全員を逃がさない気か!! し、正気か……?!』

 

 普段冷静沈着なガスマスクでさえ、窓枠に手を掛けて身を乗り出す程に驚いていた。

 無理もない。こんな事、公的機関である警察というよりは凶悪犯罪者がやるような事だからだ。

 

 

「い、嫌……なにアレ!」

「助けて、助けて!!」

「電話繋がらない! ネット繋がらない!!」

 

 

 学校の生徒達は漏れなく大パニックに陥っていた。

 先ほどまで青い火柱を面白がって見ていた連中ですら、自分達が閉じ込められたと分かると一転して表情を恐怖に歪めている。

 授業の為に教室に来た教師ですら、窓の外の異常な光景に顔を青くして固まっていた。

 

 

 

「く……キュウビ、あの炎のドームの詳細は分かるか!?」

 

 俊介は机から立ち上がり、教室の中で騒ぐ生徒達の渦に身をひそめながら彼女にそう言う。

 幸い学校中から狂乱の声が響いているため、俊介が一人でぼそぼそと人格と会話していたとて怪しむ者は誰もいない。

 

 キュウビは窓の外を見つつ、目を細めて答える。

 

『火を出現させたのではなく、フライヤーの出した火の形を変えているだけじゃ。無から火を生み出すよりも体力消費は遥かに少ない、眼鏡が解かなければほぼ永遠に続くと考えていいじゃろう』

「そうか……」

『それに、闇雲に突破するのもおすすめせん。わらわならば余った体力で、何者かが炎を潜り抜けた位置を自動で感知する機構を確実に仕掛ける。この炎のバリアを脱出した人間を絶対に追いかけてくるじゃろう』

 

 何でもありかよ。いやこっちもあまり人に言えない位の事はやったが。

 キュウビの見立てではそういう自動感知的な仕組みがあるらしいし、実際やっているだろうなとは思う。高校全部を覆う炎のドームとか、そんな単純なのアラームみたいなのがないと簡単に脱出できるし。人格の力を使ってだけど。

 

 

 出たら確実に感知される。

 

 でも出なかったらパニック状態の生徒をしらみつぶしに探され、いずれ人対に見つかる。

 

 なら出るしかあるまい。

 

 

「……多分、この教室を探しに来るよな?」

『確実にそうじゃろうな。俊介は夜桜に何度も関わっていたからのう。まずは夜桜の在籍していたクラスから探す……当然の行動じゃな』

 

 そうだよなあ。

 今この瞬間に榊浦美優を攫って逃げるのは簡単だ。

 けれどこの教室を調べられて俺の正体がバレて、逃げた先をすぐ特定されたら何も意味ないし。

 

 もう正体がバレるのは割り切る前提で行く。

 けどせめて1日、2日……正体が突き止められるのを阻止したい。

 

 そんなに悠長に証拠隠滅してる時間はないし、ここは派手に……。

 派手に…………。

 

「……あのさ。旧校舎をあんな風にしておいて何だけど、俺、殺人やってないだけで普通に捕まった方が良い犯罪者になってない?」

『今更でござるか?』

「デスヨネー」

 

 暴力事件を複数回と放火事件起こした高校生とか今すぐ少年院ぶち込んだ方が良いってレベルじゃねえぞ。

 でも今捕まる訳にはいかないので、今暫く罪を重ねる事をお許しください神様。

 

「エンジェル」

『はい』

「全身代わる。この教室を人を殺さずに10秒でぶっ壊した後、ニンジャに代われ。榊浦美優を攫う」

『分かりました』

 

 俊介は首に手を当て、目を閉じる。

 そして一瞬の後に目を開いた時には、その瞳に浮かぶ気配は殺人鬼のおどろおどろしい物へと変わっていた。

 

 

「さて、ではやりましょうか。まあ……殺さなければいいのですから、少し派手にやりましょうか」

 

 

 俊介の体を操るエンジェルは、天井に向けて右の拳を勢いよく上げる。

 パニックに陥る生徒達の中、たった1人だけ落ち着き払ったまま拳を振り上げているのは誰がどう見ても奇妙な光景だ。白戸に見られれば一発で不自然な奴だと思われるだろう。

 

『おいちょ待て、お前、馬鹿か! ()が空き教室とは言え、そんな事したら――――』

 

 ヘッズハンターは彼女が何をしようとしたか分かったらしい。

 しかし彼の言葉で止まるようなエンジェルではない。口角を少し上げつつ、振り上げていた拳で全力で床を叩いた。

 

 

 

 ――――バッッッゴォンッ!!

 

 

 

 武装ヘリを素手で引きちぎり、パンチで戦車に穴を空ける怪力を持つエンジェル。

 彼女が床を本気で殴れば当然厚いコンクリートですら余裕で貫く。いや、それどころではない。

 

 

 

 ――――ピシッ

 

 

 

 エンジェルの開けた大穴からヒビが広がる。

 そして次の瞬間。

 

 

 

 ――――ガラガラガラガラ!!

 

 

 

 二階にある俊介の教室の床が丸ごと一階に落ち、一階と二階の吹き抜けが完成した。

 ヘッズハンターは焦った表情で生徒達が全員死んでいないかを確認している。

 幸いすぐ下の教室は余った机や椅子を置いていた場所のようで、二階の床の高さから一階の地面に叩きつけられるなんて事はなかった。机や椅子の足に体をぶつけて痛い思いはするだろうが。

 

 ヘッズハンターは誰も死んでいないことを確認した後、ダイナミックブレイクをかましたエンジェルに声を張り上げる。

 

『え、エンジェル! 人間は数メートルの高さで死ぬんだぞ!』

「? 私達はみんな死なないと思いますが……」

『俺達はな!』

「そもそも俊介が壊せと言ったので壊したまでです。貴方にどうこう言われる筋合いはありません」

『いやそれは……クソッ俊介の奴、今日は何時にもまして倫理溶けてんな……!』

 

 二階から落下した机と椅子。元々一階の部屋に置かれていた椅子と机。

 それに瓦礫も散乱し、これを一から捜索しようと思えば少し骨が折れる。隠ぺいには十分だ。

 

 

「代わります。ニンジャ」

『ピッタリ10秒……ビジネスマンに向いているんじゃないでござるか?』

「それほどでも」

『皮肉でござる』

 

 エンジェルから体の主導権を代わったニンジャ。

 すぐさま廊下に出る……と思わせて、反対側の窓を開けて外に飛び出した。

 

『何して……うおっ!』

 

 ヘッズハンターが窓の外に飛び出したニンジャに声を掛けた瞬間。

 魔法で身を隠していたのだろう、廊下に突如として白戸が姿を現した。一階と二階が吹き抜けになった教室を見た後、再び魔法で姿を消す。

 

 白戸が姿を消した瞬間、ニンジャは校舎の外のとっかかりを掴んで上に登り始めた。

 キュウビとエンジェルは身のこなしがそこまで軽やかではないため、俊介の体の中に戻る。ヘッズハンターだけがニンジャの傍に付き、彼に話しかける。

 

『よく気付いたな?』

「拙者、身を隠すことに関してはトップオブトップでござる。高校を吹き抜けに変える人力重機と一緒にしないで欲しいでござるよ」

『中でエンジェルが聞いてるぞ。まあ殴られんのお前だし俺はいいけど……』

 

 ニンジャは二階を越え、三階のトイレの窓から中に入る。

 

「榊浦美優の居場所は何処でござるか?」

『クッキングが追ってる。さっきは職員室で緊急職員会議をしようとしてたらしいが、この炎のドーム騒ぎだ。職員室の中も大パニックだろうな。アイツも中にいる』

「OK! 実に拙者好みな状況でござる。爆弾で国会議員を大量爆殺した時と同じ混乱っぷりでござるな」

『は?』

「おっと、いけないいけない。拙者の世界の、迷宮入りした事件の話でござるよ……」

 

 こいつ未来革命機関と同じような所業をしたことあるんじゃないのか。

 ヘッズハンターはその言葉を飲み込んだ。

 

 

 職員室は二階にある。

 まずは二階に降りなければどうにもならない。

 

 女子トイレから何の臆面もなく飛び出すニンジャ。

 廊下は相変わらずパニックの生徒でごったがえしている。現代人にとっては炎のドームに閉じ込められた上、電話もネットも遮断されているというのはかなり精神的に来るらしい。

 

 だがニンジャにとっては非常に美味しい展開だ。

 パニックが続けば続くほど、隠れる側としては非常にやりやすい。

 

「えい」

「うぐ……っ」

 

 近くの男子生徒を歩きざまに絞め落とし、その体を隠れ蓑にしながら生徒の中を突き進む。

 そして三階から二階に降りる階段に辿り着いた時、その男子生徒を階段の上から勢いよく蹴り飛ばした。

 

 階段を転がり、腕か足の骨が盛大に折れる音。

 命に別状はないだろう。

 

「きゃあーーーーッ!!!」

 

 階段から落ちた男子生徒を見て女子生徒が悲鳴を上げる。

 

 その悲鳴を背後にニンジャは再び窓から外に出て、すぐ下の窓から二階の廊下に入る。誰もが階段の方に注目を向けてニンジャの方には全く視線を向けていない。

 ヘッズハンターは横を歩きながらニンジャに話しかける。

 

『お前やり口えげつないな……』

「んん? 星野の四肢を粉砕して病院送りにしたのは誰でござったか?」

『いやそれは……』

「大体、あんな骨折くらい数ヵ月で治るでござるよ。皮膚を骨が突き破ってもいないし、後で病院で固定して貰えばいいでござる」

 

 ニンジャは赤の他人を傷つけた事に何の罪悪感も覚えないまま、二階の廊下を進む。

 

 職員室は二階の廊下のちょうど真ん中辺りの位置にある。

 ニンジャは少しだけ身を隠しつつ、職員室を窺う。

 

 廊下と部屋の中を隔てる透明な窓から、職員室の中で大の大人が慌ただしく動く様子が見える。

 恐らくパニックからある程度立ち直ったのだろう。中々に肝の太い優秀な生徒が数人、パニック状態に陥った教室を落ち着かせる為に来てくれと教師を呼んでいるが、肝心の教師達がパニック状態のために全く意味がない。

 

 

 ニンジャは更に気配を消し、目を水平に動かす。

 

 お目当ては榊浦美優一人。

 彼女自身は猫背も相まって少し小柄だが、すぐ近くにオカマ口調の癖に身長180センチ超えの金属製の大鍋を振るって筋肉モリモリになったとか語るクッキングがいるはずだ。

 

 メイクをした半透明の怪物。

 それを目印に探せば、成人男性が小走りに駆け続ける職員室の中だろうと榊浦美優を見つけるのは容易かった。

 

 

「……いたでござる。…………チッ」

 

 

 ニンジャは榊浦美優の姿を見た瞬間、反射的に舌打ちをしてしまった。

 奴はこの意味不明な状況で他の教師たちと同様に慌てふためくどころか。

 

 ブラックコーヒーを片手に、自宅で映画でも見ているかのようなリラックスぶりで窓の外を眺めていたのだ。

 不気味に、そして美しく揺らめく青い炎のドームを目の保養にし足を組んでコーヒーを啜っていた。

 

『何してんだアイツ……』

 

 ヘッズハンターも榊浦美優の姿を見て、そう呟いた。

 そんな彼の言葉に、ニンジャは近くの壁を小刻みに指で叩きながら答える。

 

「あの女は、こんな状況で無策にリラックスするほどの底抜けの阿呆ではない。つまり、この程度のトラブルを対処できる何かを用意しているという事でござろう」

『…………それって例えば、昨日の上級兵士を呼んでたりするって事か?』

「分からん。とにかく面倒事が待っているのは確実でござる」

 

 

 ニンジャは一瞬迷う。

 このまま榊浦美優を誘拐していいものか。奴のあのリラックスぶり、確実に何かあると言っているような物だ。

 

 しかしいくら隠密が大得意なニンジャといえど、魔法なんて理屈の通じない技を使う相手に延々と逃げ続けられるかは微妙だ。他の人対……牙殻や翠といった別の手段を使う者も集まって来れば、逃げられる可能性は更に下がる。

 

 現状維持は逃げられる可能性がわずかだが存在する。しかし榊浦美優という特大の情報源は確実に失う。

 今ここで榊浦美優を誘拐すれば確実に何かをしてくる。しかしそれを切り抜ければ榊浦美優を手に入れる事が出来る。

 

 

 どちらの選択にしろ、リスクがある事には変わりない。

 それならばまだ榊浦美優を得る選択の方がマシだと、ニンジャは職員室の中に足を踏み入れた。

 

 

『どう誘拐する? 教師を全員気絶させるか?』

「必要ないでござる。拙者の予想が正しければ……」

 

 

 ニンジャは走る教師達を巧みに避け、榊浦美優が座る椅子のすぐ後ろで止まった。

 彼が椅子の足をガンと蹴ると、榊浦美優は椅子を回転させてゆっくりと振り向いて来る。

 

 彼女は半分くらいコーヒーの入ったカップを顔の横まで上げ、口角を不気味に上げる。

 

「やあどうも。化学の授業で何か質問かな?」

「殺すぞ。用件は分かってるな」

「おや……随分と苛烈な人格だね。まあエスコートしてくれると言うのなら、応じない訳にもいかないかな」

 

 榊浦美優はカップを机に置き、ゆっくりと椅子から立ち上がる。

 すぐ傍にいたクッキングとヘッズハンターは、誘拐目標が自分から付いて来るという状況にまだ少し理解が追い付いていないようだ。

 

 しかしニンジャには、先ほどのリラックスした様子である程度このクソ女が何を目的としていたか分かっていた。

 

 

 この炎のドームは電波すらも遮断する。外部との通信手段はない。

 そしてこの女が自分の力で炎を突破する力量はない。あるならとうに出ている。

 

 つまり。

 榊浦美優は、誰かが自分の身柄を目的としている事にいち早く気付き。

 その誰かが炎のドームから出してくれることをここで待ち構えていたのだ。

 そしてこのドームから出た瞬間に、回復した通信手段で……恐らく未来革命機関の兵士を呼ぶつもりなのだろう。

 

 もしこれが自分とは全く関係ないトラブルだったとして、大人しく待機していれば勝手に解決される。

 彼女にとっては『待つ』ことこそが最善の行動だったのだ。

 

 

 職員室から2人で出るニンジャと榊浦美優。

 少し人目は引いてしまうが、教師と生徒が学校の中で連れだって歩いていること自体は何も異常ではない。寧ろ榊浦美優という圧倒的なネームバリューを持つ者が練り歩く事で、生徒達の恐怖が若干和らぐほどだ。

 

 2人は出口に向かいながら言葉を交わす。

 といっても、一方的に榊浦美優がニンジャに話しかけているだけだったが。

 

「日高君のデータって私、実はそこまで知らないんだけどね。父の資料を盗み見ていただけだから」

「そうか。死ね」

「なぜ父が君にそこまで固執するか私には分かんないんだよ。世界最多の複数人格はサンプルとしてあれば嬉しいけど、母体の中で弄れば限界5~6体くらい宿るのが廉価で作れるし。夜桜と深い関係だったから一応気にはしてたけど」

「黙れ。殺すぞ」

「ちょっとくらい話してもいいじゃないか。融通が利かないね」

 

 

 ニンジャは榊浦美優と言葉を交わすつもりは全くなかった。

 むしろ未だに目立ったアクションをしてこない白戸の方に意識を向けていたのだ。

 

 魔法で姿を消している白戸。

 見られている感覚はない。だがどうにも引っかかる。ドームを出た瞬間に感知されるとはいえ、妙に静かすぎる……。

 

「…………」

 

 ニンジャがくいくいと指を動かす。それはヘッズハンターに向けて、こちらに来いという意味合いの籠った動きだった。

 

 静かに近づいて来たヘッズハンター。そして口元に耳を近づける。

 ニンジャもまた、榊浦美優に聞こえない程度に口元で静かに呟く。

 

体を代わる。一瞬で突破しろ。拙者は駄目だ

『ああ……何で駄目なんだ?』

何かがある。しかし拙者には分からん。ならば身体能力の低い拙者よりスピードのあるお前が適任でござる

『……要は全力で逃げるって事ね。分かった』

 

 

 ヘッズハンターがそう言い終わった瞬間に、ニンジャと榊浦美優は炎のドームのすぐ傍に辿り着いた。

 正確には壁と窓を一枚隔てているが……こんなものはないのと同じだ。

 

「…………」

 

 俊介の体が一瞬硬直する。

 そして次の瞬間には、体の主導権はニンジャではなくヘッズハンターに移っていた。

 

 浮遊人格統合技術の開発者兼研究者の榊浦美優にとってその光景は見慣れた物であり、薄ら笑いを浮かべながら軽口を叩く。

 

「おっ、今他の人格に体を変わったのかな? 次の人格はどぐッ――――」

 

 

 ――――バガァンッッ!!

 

 

 ヘッズハンターは榊浦美優の顔面を躊躇なく殴った。

 人外の身体能力で放たれる殴打は痩せぎすの軽い体を楽に吹っ飛ばし、背後にあった消火栓に彼女の背中が叩きつけられる。

 

 幸い炎のドームの近くに寄ろうとする生徒はおらず周辺には殆ど生徒はいない。いたとしても、電波が何処かで繋がらないかと自分のスマホに集中する者のみだ。こちらに目を向けようとする者はいなかった。

 

「この状況で舐めた口利いて殴られないとでも思ってたのか? こっちはいっそ殺してやりたい気分だってのに」

 

 ヘッズハンターは倒れる彼女にもう一発拳を振り下ろそうとするが、動きを止める。

 今の一撃は榊浦美優を気絶させるという目的で振るったものであって、決して痛めつける為に行ったものではないのだ。決して色々な恨み憎しみが籠った一撃ではない。決して。

 

「一発で気絶しやがって」

 

 気絶していなければもう一発ぶん殴ったのに、と。

 そう思いながら榊浦美優の体を担ぐヘッズハンター。

 

 彼女を担いだまま窓をするりとくぐり抜け、炎のドームの前に対峙する。

 

 

「……ふーっ……」

 

 息を吐く。

 ざりりっと土を掻く音を鳴らし、力強く地面を踏みしめる。

 取った体勢はクラウチングスタートと似たものだった。肩に人一人担いでいるため手を地面に着いていないが、一瞬の速度を求める姿勢という意味では同じだ。

 

 

 そして――――。

 

 

 

「――――シッ!!

 

 

 

 暴力の権化とも言うべき身体能力。

 鋭く放たれた息と共に足が地面をパイルバンカーのように力強く撃ち、体を前に進める。

 

 

 この時、ヘッズハンターの体は()()1()5()0()()()を超えていた。

 

 

 いくら業火のドームと言えど、厚さ30センチもないそれを突き破るには十分すぎる速度であった。

 

 

 

 

 ――――そして。

 

 

 

 

「見つけた――――万理侵食・機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)

 

 

 

 ヘッズハンターが脱出した瞬間。

 既に外に出て何処から何者かが出ても対応できるようにしていた白戸が、寸分のタイムラグもなく攻撃を仕掛けた。

 

 

 




作者の頭を悩ませているのは白戸の使う魔法の内容・名前考案と榊浦美優

なんか速く投稿し続けようと書いていたら文章がスッカスカの無茶苦茶になり始めているので、ちょっとだけスローペースにします


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#72 機械仕掛けの神

 

 

 

 

 ――――牙殻とは警察学校の同期だ。

 

 

 昔から牙殻は座学はからっきしだった。

 しかし、武道の腕がとにかく良かった。

 

 同期全員と教官数人をなぎ倒しても息一つ切らさない化け物で、学校開設以来の天才と呼ばれる程の男だった。

 

 

 しかし、何度でも言うが、本当に頭が悪かった。

 

 教官たちが「武道はあんなに強いのになぜ頭はここまで悪いのか」と頭痛を起こすほど、警察官に必要な法学などの知識が頭に入らなかった。

 

 定期試験で赤点は当たり前。

 その後に出される地獄のような量の課題や補習を受け、何とか退学処分を免れるという綱渡りの生活を送っていた牙殻。

 

 そんな牙殻の姿を見かね、勉強を教えてやったのが(白戸)と奴の関係の始まりだった。

 

 休日を削ってまで教えたが、赤点を脱出できたのは卒業間際の試験だけだった。殴った。

 

 

 

 私達は揃って警官になり、順当に成果を上げて刑事の推薦を受けた。

 刑事になるのにも色々頭を使う事は大量にあるが、牙殻はそれを自分の力で全て乗り越えた。

 

 警察学校時代と全く違う様子に、なぜそうなったのかと問いかけると。

 

「最近結婚も考えてる彼女が出来てさ。じゃあ死ぬ気で頑張らなくちゃなって」

 

 つまりただのやる気の問題だった。

 私は奴の首を締め上げた。

 

 

 私達は刑事の資格を得て、2名の殉職者が出た捜査一課の刑事になった。

 

 浮遊人格統合技術で治安が悪化して以前よりも凶悪犯罪が増えているらしい。捜査一課は殺人などの危険な事件を専門とし、その分異世界の凶悪犯罪者と関わる機会も増えているため殉職者がじわじわ増加しているとのこと。

 

 そんな状況の中でも私達は成果を出し続けた。

 

 今思えば、単に運が良かっただけだ。

 人格犯罪者を何人も捕まえたが、それは比較的凶悪というだけで……真の意味で邪悪な人格犯罪者とは出会っていなかった。

 

 

 そして刑事になって暫く、26歳と27歳の狭間になった頃。

 今でも忘れられない記憶。

 

「明日、俺の家族と彼女の家族が対面するんだ……。うひ~、緊張する……」

 

 緊張した面持ち。しかし何処か嬉しそうな顔でそう語っていた。

 家族同士の対面とは、つまり結婚に当たって家族同士でも交流を深めようという対談だ。プロポーズはもうしたらしいし、お互いの結婚の報告を正式にする場とも言える。

 

 私はスーツを普段よりもキッチリと着こなす牙殻を見送り、仕事に戻った。

 

 

 そして、翌日。

 

 

 重体の牙殻が病院に担ぎ込まれた。

 

 捜査一課の人間である私は牙殻の見舞いよりも優先して、通報を受けた殺人事件の現場に向かった。

 

 とある広い民家。リビングの机の上にある手つかずの料理に血が飛び散っている。

 死体は全部で5体。全てが残虐な方法で切り刻まれて殺されている。

 

 そのうちの一人の死体にはとても見覚えがあった。

 牙殻が嬉しそうに見せてきた彼女との写真――――それに写っていた、彼女当人だった。

 

 

 牙殻の家族、彼女の家族が惨殺された事件。

 それは私達が刑事になる前の2名の殉職者を出した犯人と同じ手口であった。

 

 私は現場の捜査を終えた後、牙殻の見舞いに向かった。

 

「…………ああ。白戸か……」

 

 奴は意識を取り戻したすぐ後だったが、ぼそぼそと小さな声量で話し始めた。

 

「突然ナイフを持った男が飛び込んできた。笑ってたよ」

「当然俺は取り押さえようとしたが、人間とは思えない速度で切り刻まれて……体が頑丈だったから、今こうして生きてる」

「そのまま、意識はあっても動けない俺の前で、俺の家族と、彼女の家族と、彼女が……」

 

 そこまで語った後、牙殻は深く布団を被った。

 嗚咽のような音が聞こえていたが、私は何も聞かなかったことにして部屋を後にした。

 

 

 その一か月後。

 奴は傷を治し、躊躇いなく浮遊人格統合技術の注射を打った。

 

 

 そして――――あの怪物、ダンケルクを身の内に宿した。

 

 

 ダンケルクの力を借りた牙殻は1日でその事件の犯人を捕まえた。

 ナイフで襲い掛かって来た犯人を一撃で気絶させたらしい。異世界でも無差別殺人を繰り返していた殺人鬼との事で、この世界で起こした所業だけを見ても死刑は免れない。

 

 

 

 犯人を捕まえた代償に、組織人として余りに強すぎる力を持った牙殻。

 警察上層部はその力を有効に使う事より、その力を振るって組織を壊さないかを危惧する方が大事だったらしい。

 

 牙殻は『人格犯罪対処部隊』という、新設された特殊部隊……ある種の閑職に追いやられた。

 私は刑事としてそれなりの功績をあげ、将来の栄進はほぼ確約されていた。

 

 

 しかし……。

 私は牙殻と共に、人格犯罪対処部隊に所属する事を決めた。

 

 元々、人格犯罪にうまく対応できない警察の体制にはうんざりしかけていた。

 

 それに。

 今にも死にそうな顔をしている友人を放っておけなかった……そういう面もある。

 

 

 牙殻は人格を宿らせた。

 しかしあそこまで強く聞き分けの良い人格が宿るのは稀だ。結局は人格は運、人格犯罪者と同じような凶悪な人格が宿る可能性もある。

 

 故に私は、人格が異世界から持ち込んだ『魔法』という技術を独自に習得した。

 これなら人格犯罪者とも同様に渡り合える。

 

 人対発足の一年後には後輩である翠も加わり、今の人格犯罪対処部隊が出来上がった。

 

 

 ……結局、全ては力だ。

 

 力がなければ正義も悪も何も成せはしない。

 

 その点、牙殻は力と善性を併せ持った男だ。

 だがその善性を誰も彼もに振りまき、大切な人を殺した人格犯罪者にすら優しさを見せる。

 

 ならば私が、牙殻の代わりに外道を成してやる。

 百を犠牲にして一万を救えるのなら私は迷いなく決断してやる。その過程でたとえ、どれだけの汚辱を身に纏ったとしても。

 

 

 それが私の――――人格犯罪対処部隊員・白戸成也としての、生き方だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――あっつ!!」

 

 炎の壁を一瞬でくぐり抜けるヘッズハンター。

 

 その瞬間、全身に降り注ぐ雨。

 外は炎のドームが出来る以前よりも雨脚を強くしており、一秒以内とはいえ炎に触れた肌の熱を冷ます。

 

 そして炎のドームから出たヘッズハンターが一息つく間もなく。

 彼が持つ天性の勘が警鐘をガンガンと鳴らした。

 

 

「……上ッ!?」

 

 頭部にチリチリとした危険を知らせる感覚が走った。ヘッズハンターは念のためと俊介が持っていた、市販の白いマスクを顔に付ける。

 

 そして身を屈めながらすぐさま真横に回避すると、先ほどまでいた場所に人対の白戸が異常な速度で降り落ちてきた。

 

「見つけましたよ怪じッ――――榊浦美優ぅッ!? 人質のつもりですか……?!」

「そんなんじゃねえよ、寝てろ!!」

 

 ヘッズハンターが右足で全力の回し蹴りを放つ。

 しかし、白戸はそれを左腕であっさり受け止めた。

 

「なッ!?」

 

 人の域を外れた速度を出せるヘッズハンターの蹴りの威力は並外れている。

 それをあっさり受け止められるのは殺人鬼の中でもエンジェルやダークナイトくらいだ。細身ぎみの男がこれを軽々と受け止めたのには彼も驚きを隠せなかった。

 

「遅い!」

「くっ?!」

 

 白戸が手に火の弾を作り、至近距離からヘッズハンターの顔面目掛けて投げつけた。

 それを上体を後ろに反らして回避する。

 

(何だこいつッ、動き速すぎんだろ……!!)

 

 回避の際に一瞬肌を火が掠めた。

 顔に付けているマスクが黒く焦げる。人対の襲撃を予測しておらずマトモに顔を隠すものを準備していなかったのが痛い。

 

 

機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)……!」

「なッ!」

 

 

 白戸が何かを呟いた瞬間、彼の体が異常なまでに加速する。

 そのスピードはヘッズハンターが出せる最高速度とほぼ同等。足手まとい(榊浦美優)を持った状態ではとても回避できない。

 

 

 ――――ガゴォンッ!!

 

 

 白戸の拳がヘッズハンターの顔面に突き刺さる。

 時速150キロ近くで放たれた拳は一般男子高校生の体を軽々と吹き飛ばし、民家の窓を突き破った。

 

 無人の民家のリビングに突っ込んだヘッズハンター。

 数多のガラス片と壊れた木製の机の上で即座に立ち上がる。しかし顔に付けたマスクには血が滲んでおり、その下に酷い打撲傷が出来ているのは見ずとも分かった。

 

 

「いッッてェェっ……!!」

 

 

 明らかに夜桜邸の時より速い。いや、()()()()

 なぜこんなスピードを隠していた。これだけ速ければ夜桜邸でヘッズハンターを逃がす事はなかったはず。

 

 なぜ今になってこれほどのスピードを見せた理由を一瞬考えていたが、すぐに頭を横に振った。

 

「……あークソ、分かんねぇッ! 異世界で魔法と戦うなんてファンタジーすぎる状況で、そんなすぐに頭回らねえって……!!」

 

 元の世界で魔法なんて物は物語の中でしか見たことはない。

 そんな物の理屈を真面目に考えたって分かる訳がない。

 

 ならばとにかく、相手が異様に速いという現実を受け止めるしかないのだ。

 ヘッズハンターはすぐ近くにあった台所の開き戸から一般的な万能包丁を引き抜く。

 

 

 その瞬間、白戸が民家の壁を土の手でぶち壊した。

 丸出しになったリビングに立つヘッズハンターを見て、白戸が静かに言う。

 

「怪人。何を目的としているか知りませんが……今すぐ大人しく捕縛されなさい。榊浦美優を人質にされると、こちらも少々面倒です」

「だから人質じゃねえっつってんだろ!!」

「……人質ではない……? では何故……いや、まあいいでしょう。後で聞けばいい話です」

 

 

 ピリリッと、ヘッズハンターの右半身に嫌な感覚が走る。

 すぐさま左側に吹っ飛んで避けると、そこに空から光のレーザーが降って来た。どうなってんだ。

 

 回避するのを見計らっていたように、真正面から家の壁を壊した土の手が伸びてくる。

 しかしヘッズハンターは刃物で幾百人も斬った超級のバラバラ殺人鬼だ。右手に持った包丁で一息に土の手をバラバラに切り裂き、土くれとかした手を掻き分けながら白戸に迫った。

 

 ヘッズハンターの狙いは腕。魔法を使用不能にすればその隙に逃げられる。

 鈍く輝く包丁の切っ先が白戸の右腕の肩口に迫った。

 

 

 しかし刃物で物体をバラバラに切り裂く姿が、牙殻を襲った人格犯罪者を想起させ、白戸の逆鱗に触れた。

 

 

「私の前で……それ以上騒ぐな、クソ人格犯罪者がッ!! 機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)!!」

「やかましいッ!! 炎のドームといい民家破壊といいヤバい事ばっかりしてるお前が言うんじゃねえよ!!」

 

 

 白戸の体が再び急加速し、右腕に迫ったヘッズハンターの刃物を肘討ちで破壊する。

 そして再び手に火を集めてヘッズハンターの顔を撃ち抜こうとしたが――――それよりも速く。

 

 

 ヘッズハンターが、榊浦美優の体を白戸にパスした。

 突然の行動に白戸が思わず彼女の体を受け取ってしまう。

 

 

「何ッ―――」

 

「――――死ねェッ!!」

 

 

 そしてそのまま、掛け声と共に榊浦美優の腹を思い切り蹴り飛ばした。

 

 

「がっ、ぼ……!」

 

 白戸は彼女越しに伝わる衝撃に胃液がせり上がる感覚を覚える。一メートルほど後ろに後ずさりながらも、キッと目の前の怪人を睨んだ。

 

「天に根差すッ――――」

「させるかボケェッ!!」

 

 ヘッズハンターはファンタジー魔法の事など何一つ分からない。

 しかし発動させなければ何の意味もないことは分かった。ならばやることは簡単、何かさせる前に無茶苦茶に攻撃するのみ。

 

 ご丁寧に榊浦美優の体を持ったまま攻撃しようとする白戸を、榊浦美優越しに蹴り飛ばす。

 怯んで隙を見せた顎に素早い左フック。

 右アッパーで榊浦美優越しに再び腹に衝撃を伝える。

 

 

 榊浦美優が気絶と覚醒を繰り返し、胃の中身を垂れ流しているが二人は一切気にしない。

 

 

 攻撃を受け続けていた白戸が飛びそうな意識を無理矢理引き戻し、叫ぶ。

 

「ッ――――舐めるなッ!!」

「うおっ!?」

 

 白戸が手に持った榊浦美優をヘッズハンターに投げ、後ろに飛び下がった。

 パンッ!と軽快な音を鳴らして手を叩き、それを地面に思い切り叩きつける。

 

 

「幕を引けッ!! 機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)ッッ!!」

 

 

 白戸がそう叫んだ、刹那。

 彼の背後から歯車で体を構成した、全長50メートル近くの巨人が地中から生えるように姿を現した。背中から十数個のパイプを生やして白と黒の入り混じった煙を吐き出している。

 

「なッ……なんじゃありゃ?! 魔法ってのはホントに何でもありかよ!」

 

 ヘッズハンターが上を見上げてそう言った瞬間、全身にピリッとした危険を知らせる感覚が走った。

 すぐにその場から飛びのく。

 

 瞬間。

 先ほどまで猫背気味に直立していた巨人が、時間でも切り取ったような不自然さで拳を振りかぶった体勢に切り替わっていた。

 そして先ほどまでヘッズハンターの立っていた場所を全力で穿つ。

 

 その圧倒的な巨体から見て分かるように、パワーもとんでもなく強いらしい。

 辺り一帯の地面を一瞬揺らし、半分瓦礫と化していた民家が完全な塵と化した。住民が出払ってて良かった。

 

 

 ヘッズハンターが別の家の屋根に着地した瞬間、白戸が彼の頭を狙って光のレーザーを撃ち放った。

 

 しかし超人的な勘で事前に攻撃を察知していたヘッズハンター。首を捻ってレーザーを避け、側頭部の髪がチリチリと焦げる感覚を覚えながら白戸の方に向く。

 

「さっきから機械仕掛けの神だのなんだの言ってたが……大体分かって来たぞ、その魔法の効果!」

「だったらどうしたというのだ、怪人!」

「気を付けてりゃ対応可能だって言ってんだよ!! 加速ばっかしやがって、スピード狂が!!」

 

 

 機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)

 歯車の巨人が謎の動きを見せたことで、ヘッズハンターは大体の効果を見破ったと確信した。

 

 それは、()()だ。

 白戸が急加速するのも、巨人が突然拳を振りかぶっていたのも、動きを加速させていたからに違いないと。

 

 

 

 そして事実として、ヘッズハンターの予想はほぼ当たっている。

 

 『万理侵食・機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)』。

 

 デウス・エクス・マキナとは、全てを終わりへと導く神の如き存在の事を指す。

 

 白戸の『万理侵食・機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)』は、歯車の巨人を基点として世界の理を弄り、自身と巨人の時間を弄る魔法だ。

 

 全ての生物は均等な時間を生きる。

 そう定められた世界の理を弄り、自分と巨人だけが全く別の時間の速さで動けるようにする魔法なのだ。これは無論加速、そして減速も可能な優れた自作魔法である。

 

 体の一部分の時間を急減速させると、相手の攻撃を受け止めてもビクともしない防御という芸当も出来る。

 無論、痛みは後で襲ってくるが。

 

 

 

(しかしこの男、魔法の効果に気付くのはいいとしても……!)

 

 そして、白戸は機械仕掛けの神の効果がバレるのは仕方ないと思っている。

 戦闘向きではない自分が牙殻と同程度の急加速を繰り返せば、何らかの魔法の効果だと見抜かれるのは仕方ない。

 

 問題は目の前の怪人だ。

 

 この男、なんの魔力も道具も使わず、ただの素の身体能力で時間を加速した自分に追いついて来ている。

 牙殻ですら、身体能力強化のスーツとダンケルクの力をほんの一部借りてやっと同じスピードなのだ。

 

 

(やはり危険……! この怪人だけは、ここで殺しておかなければ……!)

 

 

 歯車の巨人を動かす。

 世界の理を弄る基点だけでなく、実際に動かして戦うことも出来る優れた巨人だ。

 その巨体通り、力も強い。多彩な攻撃を繰り返す白戸との相性は最高だ。

 

 

 

 そして、巨人が再び拳を振りかぶろうとした瞬間。

 

 

 

 

 ――――ギキンッ

 

 

 

 

 歯車の巨人の上半身が、袈裟と逆袈裟に斬られた。

 体がずるりと崩れ落ちていく巨人。

 

 

 その巨人の頭の上。

 落下してくる直径5メートル程の歯車の上に、何かが立っている。

 

「世界の理に干渉した痕跡がある。なるほど、中々の魔法の使い手らしい」

 

「だが魔王の魔法に比べれば児戯だな。この世界にいる魔法使いと言っても、この辺りが限界か」

 

 

 ヘッズハンターと白戸は同時に降りてくる何者かに目を向けた。

 その人物は黒い鎧を身に纏い、黄金に輝く十字架の剣を持っている。

 

 

「救助信号を受けて来てやったぞ、榊浦美優。それに人対の眼鏡もいるとは……中々気が利いているじゃないか」

 

 

 未来革命機関幹部、ピュアホワイト。

 大聖騎士サリアス・ネル・ラスディアノ。

 

 この世界に来た数多の人格達の中でも、トップ層に位置する強さを持つ人格。

 

 

 

 

 

 

 ――――強者が、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





白戸が割と苦戦してますが、白戸が弱いんじゃなくてヘッズハンターが強いんです。
というか榊浦美優越しに蹴って殴るとかいう一種の反則技で動揺させたせいです。勘で攻撃を事前に察知して完璧に避けるとかも意味わかんねえ。禁止キャラにしろ。

あと日刊ランキングに久しぶりに載ってるとこ見つけて嬉しかったです。
毎日載りたい(強欲)


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#73 ままならぬ現実

 

 

 地面に降り立つピュアホワイト。

 手に持った2メートルの長剣を軽く振った後、切っ先を地面に付く直前まで降ろし、こちらに顔を向ける。

 

「……なるほど。アニーシャ様の魔力の香りが確かにする。あの、バ……ミ……なんだったか、名前は忘れたが……あの男にも一片の価値はあったという訳だな」

 

 

 10メートルほど先に降り立ったピュアホワイトを前に、ヘッズハンターは思わず一歩後ずさった。

 立ち姿の僅かな重心の動かし方から分かる。剣技を限界まで極めた達人の動きだ。身長とほぼ同じ長さの扱いにくい長剣を持っている阿呆などと油断すれば、一瞬で体が泣き別れするだろう。

 

「――――シッ!」

 

 今は榊浦美優を誘拐するのが最優先。

 そも、こんな足手まとい(榊浦美優)を担いだ状態で戦えるほど甘い相手ではない。

 

 ヘッズハンターは踵を返し、後方に向けて全力で飛んだ。

 

 

 

 ――――が。

 

 

 

「中々速いな。お前」

「なッ――――」

 

 逃げたヘッズハンターの先に回り込んだピュアホワイト。

 振りかぶった右足で顔面を蹴り飛ばし、ヘッズハンターを再び地面へと叩き落とした。

 

 背中から地面に落ち、肺の中の空気が全て飛び出す。一度咳き込んだが、すぐに呼吸を整えて立ち上がる。

 右肩に担いだ榊浦美優はそのままだ。奪う隙がなかったのか、今急いで奪うまでもないと思われたのか。

 

 

 ピュアホワイトは地面に着地し、剣先でカンカンと地面を叩く。

 

「ふわぁ……。まだアニーシャ様への祈りを千回しか済ませてないんだ。榊浦美優を置いてさっさと失せろ」

「……渡す訳にはいかねえよ」

「ああそう」

 

 

 ――ふっ、と。

 ピュアホワイトの姿が消えたかと思った瞬間。

 

 ヘッズハンターの眼前に剣を上に振りかぶった状態で姿を現した。

 

「ッ!?」

 

 全身を両断される未来を幻視する。横っ飛びでは間に合わない。

 左足を軸に右肩を引くように回転して回避した。鼻先を鋭い刃が掠める。

 

「ふむ」

 

 ピュアホワイトが少しだけ興味を持ったような表情を浮かべ、剣を振るテンポを更に上昇させる。

 

 袈裟、逆袈裟、右からと思わせて左への一文字、突き。

 

 片手で剣を持った適当な立ち姿から振るわれる流れるような剣戟。

 その全てをギリギリで避けるヘッズハンター。

 しかし回避するのが精一杯でカウンターなどとてもではないが出来ない。

 

(俺より速え……! 自信なくしそうだなぁ……ッ!!)

 

 

 殺人鬼の中で(ダークナイトを除いて)一番速いヘッズハンター。

 そんな彼が、体の一部分だけではなく全身の主導権を持っていても回避するのがやっとの剣戟。ピュアホワイトはおそらく榊浦美優ごと斬らないよう手加減しているだろう、それでもこの速さなのだ。

 

 俊介に両手足を渡した状態では決して避け切れない。

 しかし俊介に体を渡さなければ、最強戦力かつ切り札であるダークナイトを出す事が出来ない。

 

 正確には、ダークナイトを適切なタイミングで出す事が出来ない。

 

 あの暴君は俊介の言う事しか聞かず、殺人鬼達が出ろと言ってもガン無視か殴ってくるだけだ。

 逆に、出るなと言っても自分の判断で勝手に出る。その場合付近の住民が千単位で死ぬだろう。

 

 ダークナイトの手綱を握り、適切なタイミングで出せるのは俊介ただ一人だけなのだ。

 

 

(つっても……今俊介に変わるのは無理だろッ!!)

 

 目の前の怪物鎧女を倒すには今のヘッズハンターでは無理だ。

 更にテンポが上がり続ける剣戟を必死の思いで避け続ける。

 

 すると。

 

 

「――――巨人の拳(タイタン・ストライク)ッ!!」

 

 

 白戸の叫び声と共に、空中から現れた巨大な土の拳がピュアホワイトを穿った。

 

 しかしピュアホワイトは剣を握っていない左手でそれを軽々と受け止め、右手の剣で粉みじんに斬り払う。

 

 

「くッ――――」

「――――この手は邪魔だな。話をするには口だけで充分だ」

 

 

 再び黒い鎧が一瞬で姿を消し、白戸の前に剣を振りかぶった状態で姿を現した。

 そして白戸の両腕を斬り落とさんと剣を振り下ろして――――。

 

 

 

「キュウビッ!! フライヤーの左腕に炎ぶっ放せッ!!」

 

 

 俊介が叫んだ声とほぼ同時に。

 ピュアホワイトの背中に鉄すら余裕で溶かしてしまう程の太い火柱がぶち当たった。火柱は数秒ほど続き、周囲に熱気と煙だけを残して一瞬で姿を消す。

 

『なんじゃあこの威力……! わらわの術が五倍以上強くなっとるぞ……!』

『案外相性良いんだな俺ら。次からコンビ組んで一緒に出るか』

「絶対やめろ!! 全部燃えるわ!!」

 

 ヘッズハンターは俊介に体を変わった。

 相手が手を抜いた攻撃しか回避できない自分が戦うのではじり貧。ならば一発逆転のダークナイトに懸けるため、白戸が作った隙を見て体を変わったのだ。

 

 

「でも、ちょっとは怯んだだろ。今の内に逃げ……」

 

 俊介はすぐ傍に降ろしていた榊浦美優を再び肩に担ごうとする。

 しかしその瞬間、炎で蒸発した地面で発生した煙をピュアホワイトが斬り払った。

 さっきの炎ビームが直撃したというのに全くの無傷だ。

 煙をあげる鎧を軽く手で払いつつ、こちらに目を向けてくる。

 

「……少し実力を見誤ったか。今のはなんだ、魔法じゃない何かで炎が強化されていたな」

「マジか、ノーダメ……ッ?!」

「おそらく全てが実力者の複数人格持ち、故に手札も多いか。面白い……いいだろう、本気で構えてやる」

 

 

 ピュアホワイトが先ほどまでの力ない適当な剣の持ち方ではなく。

 重心と共に少し腰を落とし、柄を両手で握り、それを胸の近くに寄せた。

 見たことのない剣の構え方だが、それが彼女の本来の構え方であるということは一瞬で察する事が出来た。先ほどとは放つ気配が段違いに重くなったからだ。

 

 

 これはヤバい、と俊介が思っていたその時。

 

(――――怪人ッ!!)

「ん?!」

(榊浦美優が未来革命機関の人間なのは分かりました! 詳しいことは後、一先ずその鎧を倒すのに協力しなさい!!)

「この声ッ――――」

 

 

 頭の中に突然響いた声の正体を言葉に出すよりも早く。

 剣を構えたピュアホワイトが真正面から突っ込んでくる。

 

「エンジェル両腕で防ッ――――」

「遅いッ!!」

 

 先ほどよりも格段に速い動きで剣を斬り上げるピュアホワイト。

 しかしそれを邪魔するように、彼女の背後に無数の土の手が襲い掛かった。全身に土の手が絡みつき、僅かながらに剣の速度が落ちる。

 

 その隙を俊介は見逃さなかった。

 

 

「――――やっぱぶん殴れ、エンジェルッ!!」

『分かりました! 死ねオラッ!!』

 

 ピュアホワイトの胸の中心をエンジェルの右拳が捉える。

 

「ヘッズハンター! 両足で前進!!」

『ああ!』

「もう一発、エンジェル!!」

『はい!!』

 

 再び、エンジェルの拳が鎧に叩き込まれた。

 今度は腹部を下から抉り上げるように叩き込まれ、鎧の体が少しだけ上に浮く。

 

 そしてその瞬間、魔法の準備をしていた白戸の両手が極彩色に輝いた。

 

万色の弓(レインボー・アロー)!!」

 

 地面すれすれの姿勢から放たれた虹色の光の矢は、少しだけ浮いたピュアホワイトの体を更に上空に押し上げた。

 そして地上から百メートルは離れた所で七色の光が一瞬明滅して収縮、恐ろしい大爆発を起こした。

 

 

「あっつ……! おいおい、住宅街でぶっ放していいもんじゃないだろ……!!」

 

 俊介は上空の大爆発から感じる熱気に目を細めつつ、そう言う。先ほどフライヤーを使った熱ビームを出した男が言っていい台詞ではない。

 

 そんな俊介の少しばかりの油断を払うように、ヘッズハンターが叫んだ。

 

『警戒しろ俊介! あれで終わるような奴じゃねえ!』

「あ、ああ! くそッ、あんな化け物倒せんのかよッ――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ザンッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――……え?」

 

 

 

 いつの間にか。

 黒い鎧が目の前で剣を振り切っていた。

 

 何を斬った?

 

 鼻の中に鉄の匂いがこみ上げる。

 胸から腹にかけて生暖かい感触がする。

 

 

 ああ。

 

 斬られたのは、俺の体ッ――――

 

 

 

 

 

 ――――ザザンッ!!

 

 

 

 

 ピュアホワイトが瞬時に剣の向きを変える。

 そして袈裟に斬った俊介の体を再度、逆袈裟に斬り払った。

 

「所詮は青臭いガキの攻撃。他愛ないな」

 

 胸にバツの字の切り傷を負った俊介は、背後に倒れていく。

 

 

 

 

 

 

 

『――――グァアアアアアアォアアアアアアアァァァアアアッ!!!!』

 

 

 

 その瞬間、最強の暴君が吠えた。

 

 ダークナイトは余りに強すぎた。

 故にピュアホワイトを路傍の小石以下の存在としか感じられず、念のために近くにいるという事さえしなかった。

 

 判断を間違えたのだろう。

 自身と他者の強さに隔絶した差があるということを考慮できず、他の人格でも大丈夫だろうと俊介の近くにいなかったことが、俊介に深い傷を負わせた。

 

 

 その判断を悔いるよりも前に。

 他の人格達を弱いと感じるよりも前に。

 

 

 自身の大切な人を傷つけたゴミ屑を殺すという殺意が全てを塗り潰した。

 

 

 

 

 ダークナイトが本気で体を奪おうと俊介に走る。

 その速度はヘッズハンターなど比にもならない速度だ。このまま行けば俊介の体を奪い、周辺の人間の虐殺と引き換えに確実にピュアホワイトを殺せるだろう。

 

 そして、ダークナイトが俊介の体を奪うほんの直前。

 

 痛みで気絶してしまっていた俊介が、裏返っていた黒目がぐるんと元の位置に戻した。

 すぐ近くまで来ていたダークナイトが意識を取り戻した俊介の姿に安堵し、一瞬動きを緩める。

 

 その隙に。

 俊介は血交じりの声で絶叫した。

 

「――――ぁぁあ゛あ゛ああッ!!」

 

 

「白戸ォ!! 俺を上に飛ばせぇ゛ぇ゛ッッ!!!! 今すぐ!!!」

 

 

 

 その狂気すら籠っている程の絶叫。

 白戸は呪文の名前の詠唱すら省き、最速で出せる小さな土の手の魔法で俊介の体を空中へと勢いよく吹っ飛ばした。

 

 

 100メートル以上上空に吹き飛ばされた俊介。

 血をまき散らしながらも、すぐ傍に付き添うダークナイトにか細い声で言う。

 

「ダークナイト、右腕ぇッ……!!」

 

 声のボルテージが上がっていく。

 

「榊浦美優と白戸と他の住民を巻き込むな、限界まで範囲を絞れ!!」

 

 

 右腕を中心に瘴気が発生し、どす黒い魔力が拳の先に集中していく。

 その魔力の香りに、空に飛んだ俊介を追撃しようと構えていたピュアホワイトは思わず剣を下げてしまった。

 

「あ、アニーシャ様ッ――――」

 

 

 

「――――あのクソ鎧だけを全力でぶちのめせ、()()()()()()ォッ!!」

 

 

 

『グガアアァアアルルゥアアァアアアアアアアッッ!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 ――――黒い光。

 

 

 

 

 そうとしか表現できない、直径10センチほどの魔力が極限集中した闇色の直線。

 

 世界の異常(バグ)

 そこだけ光が失われてしまったような線が、全てが静止した世界の中。

 ただ静かにピュアホワイトの体を貫通していた。

 

 

 

 

 そして、誰かが指の先の先をピクリと動かした、ほんの僅かな時間が経った瞬間。

 

 

 ピュアホワイトの体は後方に吹き飛び。

 道路のコンクリートを背中で深く抉りながら十数メートル吹っ飛び、他の民家の塀に突撃した。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁ……げぼっ!!」

『グルルルル……』

 

 俊介は重力に従い、地面に落下していく。瘴気で他の人間が死なないように右腕の主導権は取り戻した。

 

 ヘッズハンターが両足の主導権を持っていたことが幸いした。

 民家の屋根に上手く着地した後、胸の傷を押さえながらも、地面に降りる。

 

 その場に倒れ伏した俊介の近くに、白戸がゆっくりと歩いて来た。

 

「怪人、大丈夫ですか?」

「げぼ……ごふっ、ぐっ……」

「……今の攻撃で私の体内魔力まで乱されました。もう魔法は使えません……」

 

 そう言って、白戸は俊介に止血剤を投げ渡した。

 彼は息を乱しながらも、俊介を見下ろしたまま語る。

 

「貴方のその人格は野放しにするには危険すぎます。たとえ宿主が善性だとしても……」

「…………」

「しかし……魔法の使えない状況でその人格を相手にするのは、私はごめんです。今回は見逃します……」

 

 

 白戸が人格犯罪者である俊介に優しさを見せ。

 ピュアホワイトが吹っ飛んでいった方向に顔を向けた瞬間だった。

 

 

「――――あははははぁはあぁああああはははっ!!!」

 

 

 狂ったような笑い声が住宅街中に響いた。

 歩く音が聞こえる。ぼとぼとと大量の血が流れる音も聞こえる。

 

 

 白戸は正気ではない者を見る目で、こちらに大笑いしながら歩いて来たピュアホワイトの事を睨んだ。

 

「うふふ、あはははは!! アニーシャ様、そうですか……貴方はこんな所にいたのですね!!」

「まだ意識がッ……! いやそれよりも、片腕が千切れて……ッ」

「ああ!? うふふ、それがどうしたと言うのですか?! 腕の一本が千切れたくらい、今はどうでもいいでしょう!!」

 

 ケタケタと、ピュアホワイトは狂気に満ちた笑い声を出す。

 千切れた右腕には未だに剣がしっかりと握られている。それを右腕ごと左手で持ちながら笑っている様は、狂人としか表せなかった。

 

 魔法が使えない白戸。これ以上動けば死にそうな俊介。

 そして利き手が千切れたものの、まだ左腕で肉弾戦が可能なピュアホワイト。

 

 ダークナイトの一撃をぶちかましたと言うのに、場の状況がどちら側に有利なのかは明らかであった。

 

 恐らく極限まで範囲を絞る為に、魔法の威力も低くしすぎたのだろう。『グルル』とダークナイトが唸り声をあげる。

 

 

 しかしそんなダークナイトの声は聞こえないので、一切気にせず。

 ピュアホワイトは地面に落ちていた榊浦美優を肩に乗せた。

 

「榊浦美優は頂いて行きます。この女も内臓が破裂しかかっているので、私と共に早く治療せねば死にますから……」

「まて、ゴラ……! 榊浦美優に聞きたい事が山ほどあるんだ……!!」

 

 止血剤を使った俊介。

 怒りをにじませた声と共に、ピュアホワイトを睨む。

 

 しかし彼女はあっけらかんとした明るい声で、倒れ伏す俊介に笑いながら言った。

 

「拠点の位置ですか? 私が今度供物と共に伺います、ご足労はさせませんよ!」

「それもそうだが……その女には、ヘッズハンターの幼馴染の事を聞かなきゃならねえんだ……!!」

「幼馴染ィ?」

 

 何のことだか、と。

 小首を傾げるピュアホワイトに、俊介は青筋を立てながら言う。

 

「榊浦美優が作ったっていう、複数人格持ちの白髪の女の子だ! その子の中に、俺の人格の、幼馴染がいるかもしれないんだよ!!」

「……まあ。うふふ……なんと、運命と言うのはここまで繋がるものなのですね。私は感動しています」

 

 

 ピュアホワイトは一度、左手に持った右腕を地面に置いた。

 そして左手で顔を完全に覆う兜の留め具を外し。

 兜を脱いでその素顔を晒した。

 

 

「……な、あ……!」

 

 俊介が驚愕の声を上げる。

 

 未来革命機関では白髪の子供は見たことがない。

 しかしその子供もまた、成長を促進して既に大人になっている可能性がある。

 そしてピュアホワイトはダークナイトの物を模した鎧を常に纏っている。

 

 今考えれば、全て繋がっている。

 しかしそれは、あまりに残酷な現実で。

 

 

 

 

「こんにちは。私は、榊浦美優が作った1人目のデザインベイビー」

 

 

 

 

 ピュアホワイトは雪のような白い髪を振り乱しながら、残虐な笑みを浮かべた。

 

「貴方の言う幼馴染……小日向真昼ですかね? さっきからうるさい女が宿ってる、未来革命機関の大幹部です」

 

 

 

『…………真昼ッ!』

 

 ヘッズハンターが届かないとは分かっていても、その場で大声で叫ぶ。

 しかし今ピュアホワイトに襲い掛かっては、俊介の体が出血多量で死んでしまう。故にここで歯噛みし、去っていくピュアホワイトを見送るしかない。

 

「ではでは。アニーシャ様、また会える日を心待ちにしています」

 

 ピュアホワイトは脱いだ兜を被り直すことなく、榊浦美優を持ったまま去って行った。

 そして少し歩いた所で……何らかの魔法か科学道具による効果か。

 

 突然空間に溶けるように姿を消し、その行方は分からなくなった。

 

 

 

「ぐ、ぅ……くそ……チクショウ……」

 

 榊浦美優の誘拐失敗。

 ピュアホワイトの攻撃による大怪我。

 

 ダークナイトで一矢報いたものの、結果を見ればそれは敗北としか言い表しようがない。

 夜桜救出への道は再び遠のいた。

 

 

 瓦礫の粉塵と血の匂いの中。

 俊介は悔し涙を流しながら……意識を失った。

 

 

 

 

 

 



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#74 好きの理由は子供らしく

 

 

 

 

「――――はっ!」

 

 目が覚めた。

 勢いよく起き上がろうとするが、胸の傷が痛んで顔を歪める。

 

「あ、起きたか。……胸の傷が酷い、まだ寝てな」

 

 傍に金髪の女性――橘が座っていた。

 彼女の顔を見て、少し呼吸を落ち着けた後、ゆっくりと辺りを見回す。

 

 腕に繋がれる点滴。

 点々が大量にある白い石膏ボードの天井。ピッピッと一定の速度で流れる心電図の音。

 窓の外は暗くなっており、ピュアホワイトと戦っていた時から随分時間が経過しているのが分かる。

 

 ここは病院だ。

 

 俊介は橘の方に顔を向け、か細い声で尋ねる。

 

「……どれくらい、寝てた?」

「だいたい……12時間ってとこか。今は夜の9時を少し回ったくらいだよ。意外に早く目覚めて良かった」

「一体、あの後何があった?」

 

 橘は俊介の問いに、静かに答える。

 

「近くにいた俺が、倒れてたあんたの事を病院に運んだんだ。警察にパクられる訳にもいかないだろ」

「そっか」

「つっても、俺だけの力じゃないんだが。あと、白戸って奴に見逃して貰えたのも運が良かった」

 

 俊介に大事な情報源とみなされた橘は、事が終わった後の身の自由と引き換えに協力すると言う口約束を結んだのだ。

 両腕が折れている彼女だが、ずいぶん昔にマッドパンクが手慰みに作った補助アームを使えばそれなりに物を動かしたりは出来る。それで俊介を運んだのだろう。

 

 

 俊介は窓の外の夜空を眺め、静かに呟く。

 

「全部ふりだしだ。榊浦美優も二度と表には出てこない。未来革命機関の情報を持ってる奴の心当たりはもうない……」

 

 今回の失敗はあまりに痛すぎる。

 いくら白戸やピュアホワイトと言ったイレギュラーが出てきたとはいえ、榊浦美優という特大の情報源を逃がした結果は変わらない。

 

 窓から視線を外し、自身の腹を見るように俯く俊介。

 

「……何をやっても上手く行かないんだ。こんなにやったのに……未来革命機関の拠点の場所さえ未だに分からない」

 

 目を細め、弱い言葉を吐いてしまう。

 

 どれほどの手を尽くしても、未来革命機関への道のりが余りに遠すぎる。

 手を目一杯伸ばしても全く届く気配がない。近づこうとすればするほど彼我の距離がどれほど遠いのかを感じる。

 

 本当の悪人集団には、ただ殺人鬼を宿しているだけの自分には太刀打ちできないのか。

 そう思い、心が折れかけた。

 

 

「こんな風にしてる間にも、夜桜さんがどうなってるか分からないのに……俺は、そこに行く事だって出来ない!」

 

 俊介は俯いたまま、涙ぐむ。

 

「なにやってるんだこのグズ! ホント……本当に……このッ!」

「お、おい!」

 

 怒りを込めた叫びと共に、俊介が思い切り自分の腹を叩いた。

 それを見た橘が慌てて立ち上がり、俊介の体をベッドに押さえつける。外付けの補助アームだが、マッドパンク製のそれは怪我人を抑えるのには訳ない出力だ。

 

「傷が開く、大人しくしてろって!」

「いっそ傷が開いて死んじまえばいいんだよ、こんな体! 頭も悪いし運動もできない、人格しか取り柄のないこんな役立たず!!」

「寝言言ってんじゃねえ!! 張っ倒すぞガキ!!」

 

 橘が俊介以上に声を荒げる。

 

「死ぬってのは、本当に何もかも終わっちまう事なんだ!! 俺だって元の世界にやり残した事は大量にある、でも全部終わっちまったんだよ!! どれだけ想ってももう何も出来ねえんだ!!」

「ッ……」

「けど生きてさえいれば、まだやり直せるチャンスはある……! お前はまだここで生きてるだろうが、お前はまだ終わってねえ!!」

 

 

 ふーっ、ふーっと。

 橘と俊介が歯茎をむき出しにするほど歯を食いしばり、お互いの鼻先が触れそうなほど近くで睨み合う。

 

 そして、お互い同時に頭が冷えたようだ。

 全く同時に顔を逸らして元の位置に戻る。

 

 数秒の静寂の後、橘が目を下に向けつつ申し訳なさげな声を出した。

 

「……悪かった。その……」

「いや、今のは俺の方が変なこと言った。ごめん……」

 

 橘の言葉を遮るように、俊介が謝罪の言葉を吐いた。

 

 

 気まずい沈黙。

 心電図の音、虫が窓にコツコツと当たる音だけが静かに響く。

 お互いの息遣いすら聞こえそうだ。

 

 そうして、先に静寂を破ったのは、俊介の方だった。

 

 

「俺、昔から本当に友達がいないんだよ」

「え?」

「上手く仲良くなれなくてさ、自分で気づいてないけど何かがズレてるんだと思う。そんなんだから、話し相手と言ったら家族か中にいる人格くらいで……」

 

 突然話し始めた内容を上手く呑み込めず、困惑の声を出す橘。

 しかし俊介は言葉を止めようとしない。それは橘に対して話しているのか、それとも自分の心を整理するための独り言なのか。

 

 窓の外に広がる夜景に視線を落とし、ぽつぽつと言葉を続ける。

 

「けど別に寂しかった訳じゃない。人格が来てからは特に騒がしかった。傍から見れば一人で遊んでいるように見えても……俺の傍にはずっと誰かがいた」

「俺の世界は家族と人格だけで完結してたんだ」

 

 

 ベッドの上で膝を曲げ、それを抱え込むようにし、膝の間に顔をうずめる俊介。

 孤月が空に浮かんでいる。

 月光は眩しい街の光に負け、地表には届かない。しかし空を見上げれば何物よりも輝いている。

 

 俊介の目端に水が溜まる。

 それを拭きとる事もせず、「でも」と話を続ける。

 

 

「高校入って、風邪なのに無理に学校に来て、案の定倒れた時に一声かけて貰って」

「たったの一声なのに」

「ずっとずっと……本当に長い間、内側に向いてた視線が外側に広がった気がしたんだ。久しぶりに新鮮な空気を吸った気分だった」

 

「自分の世界の外にいる人間を久しぶりに認識できたんだ。その時に見た夜桜さんは本当に、女神みたいに美人でさ……」

 

 

「……あの時の夜桜さんを見て、美人だと思って、一目惚れした感覚がずっと忘れられそうにないから」

 

「俺は……こんなに、夜桜さんの事が好きなんだろうな……」

 

 

 

 そう言い終わって、俊介は目の端に溜まっていた水をやっと指で拭った。

 全てをじっと静かに聞いていた橘。

 

 そして数秒ほどじっくり考えた後……やっと納得が行ったという風に口を開いた。

 

 

「つまりアレだ。何年間もコンビニの店員ぐらいしか女と関わらなかったけど、久しぶりにちゃんと会話した女がめちゃくちゃ美人だったから一目惚れしたって話だろ?」

 

 

 ゲホッ、と思わず俊介が咳き込んだ。

 なんと酷い話の要約の仕方だろう。

 あんまりにあんまりすぎる纏め方に俊介は赤くなった目で橘を睨む。

 

「言い方ッ……! いや超簡単に言えばそうだけど……!!」

「なんだよ、高校生らしい理由じゃねえか。ふふっ……案外子供っぽい所もあるじゃん」

「ホントに美人だったんだよ、本当に……」

 

 口を尖らせながら低い声でそう言う俊介。

 苦笑する橘。元男性と言うが、まるで女性のような仕草で口に手を当てて笑っている。

 

 

 そうして、橘の笑い声が収まる頃。

 静かな病室の中。

 俊介は自身の拳を握り込み、強く、自分に言い聞かせるように低い声で言う。

 

「俺はそんなに頭良くないから、折り合いをつけて諦めるって事が出来ないんだ」

「こんな大怪我して、相手があんなに強いって分かったのに……」

 

「まだ夜桜さんを助けたいって心の底から思ってるんだ」

 

 

 強く握りしめた拳をそのままに、俊介は橘の方を向く。

 

「……まず、俺をどうやってここまで運んだのか聞かせてくれませんか?」

「敬語……おう、分かった。」

 

 橘に対し敬語に戻す俊介。

 彼女は敬語で話さなくてもいいと言おうとしたが、下手に気を使う方が駄目かもしれないと思い、そのまま話を始めた。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 12時間ほど前のこと。

 ちょうど俊介と白戸とピュアホワイトの戦闘が終わった時のことだ。

 

 

「クソッ、ピュアホワイトの野郎まで来てたなんて……! 皆化け物かよ……!」

 

 橘は脂汗を大量に流しながら車を走らせていた。

 両腕は折れているので使えない。しかし、俊介から貸し出された補助アームを器用に使って黒塗りの高級車を走らせている。

 

「とにかくあの子を助けないと!」

 

 彼女は、血しぶきを上げながら上空に飛び上がった俊介の姿を遠くから見ていた。故に急いでいたのだ。

 

 

「あの子に未来革命機関を倒して貰わないと、俺の安全が……!」

 

 橘は近くで待機して何かがあった時に助けるという約束を俊介としていた。

 しかしその実、彼女が俊介を助けたのは、打算からの行動であった。

 

 俊介が未来革命機関を倒さなければ、脱走兵の自分はいずれ捕まえられ、何をされるか分からない。その場で殺されるのならばまだマシという目に遭わされる可能性もある。

 

 自分の今後の安全のためには、どうしても俊介に生き残って未来革命機関を倒してもらう必要があったのだ。

 あのバミューダスを簡単に倒した彼ならば倒せるかもしれないという希望もあった。というか、それに賭けるしかなかった。

 

 

 戦闘のあった場所の近くに車を停める橘。

 腕の痛みに耐えながら扉から飛び出て、俊介がいるであろう一番被害の酷い場所へと走っていく。

 

 そして、住宅街の中の一角。

 そこそこの大きさがあったと思われる民家が、完全に更地と化していた。ここで起きた戦闘の激しさを一瞬で感じ取れる惨状だ。

 

 その更地の中央。

 血を流して倒れる俊介と、突然走って来た橘を睨む白戸がいた。

 

 

 とんでもない威圧感を放つ白戸。

 橘は恐怖で足を止めそうになるものの、俊介のすぐ傍に駆け寄る。

 

 

 ――――瞬間。

 

 

 彼女の体が勢いよく蹴り飛ばされ、少し離れた地面に背中から転がった。

 折れた両腕に痛みが走る。

 

 橘を蹴り飛ばしたのは、勿論白戸であった。

 彼は痛みでのたうつ彼女に言い放つ。

 

「申し訳ないですが、優しく拘束する余裕がありません。痛い思いをしたくないのなら今すぐ帰りなさい」

 

 怪我をしている人格犯罪者に駆け寄る女性。

 白戸からすれば、怪人の協力者と見て即座に攻撃するのも何らおかしいことではない。魔法が使えないため、少々手荒な物理的手段に頼るのもまあ致し方なし。

 

 橘は腕の痛みに耐えつつ、俊介に近づき、白戸に訴える。

 

「頼む、見逃してくれ! この子がいないと俺は……!」

「……両腕の折れた女性など、魔法が使えなくとも気絶させる事は容易です。それにこう言うのも何ですが……今すぐ救急車で病院に運ばなければ、その怪人は死にますよ?」

 

 救急車で俊介が運ばれる。

 これはつまり警察である白戸の監視下に完全に置かれるという事であり、逮捕されるのとほぼ同義である。怪我を負った状態で人対の三人の監視下から逃げられる可能性はほぼゼロだ。

 

 橘もここで救急車に俊介が運ばれるとどうなるかは理解していた。

 しかし彼女には、一つ病院の当てがあった。救急車ではなく、彼女自身が確実に送り届けなければならないが。

 

「治す当てはある。一応……」

 

 

 白戸は橘を更に強く睨む。

 そして……数秒後。呆れたように顔を逸らした。

 

「……フン。いいでしょう、そこを退きなさい」

「な、何をする気だ?」

「怪人と未来革命機関が勝手に潰し合うのならば、私もそれが一番楽で効率的です。しかしこのままタダで見逃すわけにもいきません。これは最大限の譲歩と私個人の恩情です」

 

 そう言うと、白戸は倒れ伏す俊介の体を手で仰向けにした。

 炎による焦げと血で赤黒くなったマスクを剥ぎ、ついに見る事のできた怪人の素顔を前に目を細める。

 

 そしてすぐに懐からスマホを取り出し、俊介の素顔の写真を撮った。

 何枚か写真を撮った白戸は大事そうにスマホを懐にしまい直す。服に付いた汚れを手で払いながら、ざくざくと瓦礫を踏み鳴らしつつ俊介の元を去っていく。

 

 橘が白戸の後姿を見ていると、白戸がピタリと足を止めた。

 肩越しに彼女の方を振り返る。

 

「怪人に伝えておきなさい。『正体は看破したも同然、近く人対が揃って出迎えに行く』と」

「……分かった……」

「それともう一つ。これは力不足の私に代わり、ピュアホワイトを撃退した謝礼です」

 

 

「『未来革命機関は海外海軍の全長500メートル超えの異世界技術製軍艦を盗んだ。しかし、私達はそれをまだ見つけられていない』。……どういう意味かは自分で考える事ですね」

 

 黙る橘をその場に、白戸は去って行った。

 

 

 その後。

 橘は折れた腕の痛みに耐えながらも俊介を車の中に運ぶ。

 

 そして、とある人物に紹介された病院へと車を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 橘の話を聞き終わった後、俊介は目を手で押さえて大きくため息を吐いた。

 

「……やっぱそうだよな、顔見られたかぁ……。いやまあしょうがないな、流石に……」

「俺がどうにか出来たら良かったんだが……」

「こればっかはどうにも出来ませんって。その場で白戸に運ばれて尋問なんて最悪な展開よりはまだマシです」

 

 マズイと言えばマズイ事態ではあるが、夜桜を助けるための行動ができる最低限の自由はまだある。

 そう考えればまだ、何とか希望は見えなくもない。

 

 

 「それより」、と俊介は話題を切り替えた。

 

「全長500メートル超えの軍艦が盗まれて、それを見つけられてないってのは……」

「……これはよ。俺、思うんだが……」

「ええ」

 

 橘が何を言うかは、大体俊介にも分かっていた。

 未来革命機関の拠点が移動しているかもしれないという情報に、明らかにデカすぎる軍艦を盗んだという情報。これらを組み合わせれば、おのずと浮かんでくるのは。

 

「未来革命機関は盗んだ軍艦をそのまま拠点にしてる、って事じゃねえかな?」

 

 橘の言葉に、俊介は肯定の意を込めて頷いた。

 

「ですよね。俺もそう思ってました」

「……でもさ。500メートル超えってデカすぎないか? 俺は兵器には全く詳しくねえけど……それでも500メートルだぞ?」

 

 橘が500メートルという言葉を強調して繰り返す。

 確かに、人が作る建造物としてはかなり巨大な部類に入る。それが軍艦となると、歴史を振り返ってみてもトップの大きさなのではないか。

 

 一体そんな物をどうやって盗んだのかも気になる。

 スマホで少しネットニュースを検索するが、軍艦が盗まれたなんて情報はひとつも出てこない。軍艦丸々盗まれたなんて情報、混乱を避けるために秘匿くらいはするか。

 

 

「そんな大きな軍艦が見つかってないってのは確かに不自然ですね。光学迷彩で姿消してるとか……?」

「それなら漁船か何かがぶつかってめちゃくちゃ事故起こしてそうだけどな。目に見えない500メートルの壁なんて避けれる訳がないしよ」

「うーん……」

 

 俊介は直近の海での事故を調べてみた。何件かヒットはするものの、船から人が落ちたとか船で火災が発生したとか、余り関係なさそうな物ばかりだ。

 MRKの射程距離が半径百キロだし、榊浦美優が授業後に出入りできる距離内でもあるはずだ。この国の何処かにはいるはずだが……。

 

 スマホを近くの机の上に投げ捨てるように置き、大きくため息を吐く俊介。

 

「相変わらず決定的な情報が足りないな……。はぁ~っ、榊浦美優を逃がしたのがホントに……」

「ピュアホワイト相手に命があるだけ儲けもんだって。寧ろ撃退出来た方に驚いてるよ」

「撃退というか自分から帰ったというか。腕一本千切れても余裕で笑ってましたよ」

「え? 腕一本ちぎ……千切ったの? あの化け物の腕を? ホント?」

 

 ピュアホワイトの怪物っぷりを未来革命機関でよく知っている橘。困惑と驚愕の入り混じった表情を俊介に向ける。

 なぜ死んだ後にこんなに怪物と出会うんだろう。本当はこれは第二の生じゃなく、ただ地獄の底を彷徨い歩いているだけなのではないだろうかと。橘は一人でそう考えていた。

 

 

 そして、十数分経ち。

 未来革命機関についての二人の会話が、情報不足によって煮詰まり始めた頃。

 

 

 ――――ガラリ

 

 

 と、音を立てて俊介の病室に唯一ある扉が開いた。

 2人は当然開いた扉の方に顔を向ける。

 

 暗い廊下の中から照明の点いた病室に入ってくる、顔に小じわが目立つ男。

 俊介は彼の顔を見て、言葉が一瞬詰まりながらもその名前を呼んだ。

 

 

「よ、夜桜宗次郎……さん?!」

「やあ日高君。無事そうで本当によかった」

 

 

 つい先日、自分の家が真っ二つに両断された夜桜宗次郎がそこにいた。

 

 

 

 

 






変な所で話を切って申し訳ない。
このまま続くと一万文字超えそうだったので、ちょっと強引に切りました。

次回は立ち直った俊介と橘の2人で病室にばら撒かれた夜桜の私物を漁る回だよ。書いてて作者も意味わかんないよ。


すぐ投稿できるよう頑張ります。
目指せ年内完結(多分無理)。



-Tips-
実は俊介が夜桜に一目惚れした理由は『久しぶりに他人をちゃんと見たらガチで美人だったから』がファイナルアンサーだったりする。その後性格いい所も見て本気で惚れたよ。
キュウビは顔が良いが、第一印象とそもそも素の性格が悪すぎた。



-Tips 2-
マッドパンク製補助アーム
――数年前、マッドパンクが俊介の財布からお金を少しずつ盗んで作った作業用の第三の腕。配線がむき出しなので少し無骨だが、関節の数と動きは人間の腕と同じ。思考連結機能を搭載しているので、頭の中で動く姿をイメージするだけで動かすことのできる優れもの。パワーも強く(使用者の筋力が足りるなら)50キロの物体も持ち上げられる。
 ただ完成と同時に財布からいつの間にか二万円消えている事に気付いた俊介に怒られ、そのまま部屋の奥にしまわれていた。
 これで車を運転するのは、手首をハンドルに括り付けて運転するようなもの。できるっちゃできるけど怖い。


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#75 0と100の距離感


消しては書いて消しては書いてを繰り返してたら二ヵ月経ってました。
これからは投稿頻度を短くできるように頑張ります。


 

 

 

 

 

 電灯の消えた暗い廊下から現れたのは夜桜宗次郎だった。

 

 闇夜に溶けるような黒い格好をした彼は、医療機器に繋がれた俊介の姿をじっと一瞥したあと、平坦な声色で言う。

 

「昨日ぶりだね日高君。体は大丈夫かな?」

「いや、え、どうしてここに……?」

「順に説明するよ。時間が惜しいからね」

 

 俊介の困惑も消えぬまま、宗次郎が更に病室の中へ数歩足を踏み入れる。

 

 そしてその宗次郎の背後を追うように、更に多くの人影がぞろぞろと病室の明かりの中へと入ってきた。

 何故か、女性ものらしき家具と多くの段ボール箱を手に持って。

 

「おーえす、おーえす。階下に響くので、ゆっくり降ろしてくださーい」

「この荷物は積んでいい奴でしたっけ……?」

「ゴミを纏めた袋はここにお願いしまーす」

 

 

 彼らは夜桜邸で何度か見た使用人の人達だった。

 見事な連携で、俊介の一人用には少し広い病室の中へどんどん荷物と家具を運び込んでいく。荷物というか、明らかに鼻を噛んで丸めたティッシュみたいなゴミを入れたゴミ袋も持っている。

 

 

「えっ。な、何してるんですか?」

 

 当然何も知らない俊介は疑惑の声を口にした。

 人の病室になぜ見知らぬ人物の家具と荷物を運び込んでいるのだろうか。いや家具と荷物だけならまだしもなぜゴミまで?

 隣にいる橘も怪訝そうな顔で運び込まれる荷物を見つめている。いやホントになんで?

 

 

 二人は答えを求めるように、同時に病室の隅にあったパイプ椅子に座る宗次郎に顔を向けた。

 視線を向けられた宗次郎は足をゆっくりと組み、いかにも深い事情があるといった表情を浮かべる。

 

「そうだね。まずはなぜ私がここに来たかを話そうか」

「いやそっちも気になるんですけど、この荷物の話を先に……」

「とある理由によって、私は君と日中の往来で接触するのを避けたかった。誰が見てるかも分からないからね」

 

 宗次郎は俊介の質問の声をガン無視して話を進め始めた。ムカつく。

 しかし話をぶった切ってまで再度質問する気にもなれず、いずれ説明してくれるだろうと期待して大人しく彼の話に耳を傾けた。

 

 

「その接触したくなかった理由だが……日高君。きみ、『人格犯罪者』なんだろう?」

「…………」

「この場にいる使用人は全て信頼できる者達だから正直に答えてくれて構わないよ」

「……そうですね。はい、その通りです」

 

 一体何処からバレた?

 ……いや、そんな物考えるまでもないか。夜桜邸の庭で未来革命機関の兵士相手にあれだけ大暴れしたんだから、俺に何らかの危険な人格が宿っていることなんてお見通しの筈だ。それに、あそこにはあの人も現れたし……。

 

「私へ事情聴取しに来た『白戸』という男から聞いたよ。庭で暴れていたのは『怪人二十面相』と呼ばれる人格犯罪者だってね」

 

 当然といえば当然だ。

 夜桜邸の庭で自分と未来革命機関が大暴れしたのだ。警察である白戸が、土地の所有者である夜桜宗次郎に事情聴取をしに行かないわけがない。

 そして宗次郎ならば、怪人二十面相と呼ばれる人格犯罪者の正体が誰かなど考えるまでもなく分かっただろう。

 

 

 宗次郎は手を組み、ピリつきかけた空気を宥めるように優しい声色で言葉を発する。

 

「あ。勘違いしないで欲しいんだが、私は君が人格犯罪者だからといって否定はしないよ」

「そ、そうですか」

「肯定もしないけどね」

 

 そりゃそうだ。

 肯定されたらそれはそれで困惑する。

 

「私には日高君が『良い人間』だってことは分かってる。が、今のこの国において人格犯罪者というのはかなりヤバい称号なんだ」

「警察に思いっきりマークされますからね……。人対なんて恐ろしい部隊が襲ってきますし」

()()()()()()()

「?」

 

 『そこじゃない』って何だろう?

 人対のあの三人に付け狙われるって時点で相当ヤバいと思うんだけど。

 特に俺なんか殺害許可も出てるらしいから、いつ首と体が泣き別れしてもおかしくない。それ以上となると、少し思いつきにくいが。

 

 その時、ちょうど謎の家具と荷物を運び終わった使用人たち。

 彼は使用人の一人が病室の扉を閉め、鍵を掛けたのを確認した後に息を吐く。

 

「ふう……。少し、込み入った話をしても構わないかい?」

「はい、大丈夫です」

「ありがとう。君の将来に関わる話でもあるから、きっと損はない」

 

 俺の将来……?

 

 

 

「――――この国は今、浮遊人格統合技術の注射義務の年齢を、()()()から()()へと引き下げようとしている」

 

 

 

 ご、5歳ッ!?

 10歳でもイカれてるのに何でもっと下げようとして、いや、それが人格犯罪者の話と何の関係が……?

 

 そんな俊介の困惑に答えるように、宗次郎が話の続きを紡ぐ。

 

「優秀な科学者の人格がその力を発揮するのに、宿主の年齢は関係ない。宿主が10歳だろうが20歳だろうが人格の知能は何の影響もない」

「…………」

「注射義務の年齢を5歳に引き下げれば、単純に考えて5年早く人格ガチャを回すことが出来る。そして5年早く利益の高い研究結果を得られる。優秀な人格が宿った子に予算を多く割けば費用対効果も高い」

「んな、利益重視な……。今でさえ、宿主を乗っ取る人格も多いのに」

 

 ぼそりとそう呟く俊介。

 そこで宗次郎は身を屈め、少し声色を重くする。

 

「もしの話だ。ある日死んでしまった大人が突然5歳児に宿ってしまった。普通の5歳児といえば、まだ声の大きさの調整も難しいし、会話はできても大した意味は詰まっていないことが多い」

「はあ、まあ、そうかもしれませんが……」

 

 妹や弟がいる訳でもないし、勿論子育ての経験なんてないから、その辺りはよく分からないが。

 

「よく考えてみて、全く知らない5歳の子供だよ? 宿った人格はその子から一生数メートルしか離れられない。70年以上もそれを許容できる人間が、異世界の人間とはいえどれくらいいると思う?」

「…………」

 

 確かに、全く知らない5歳の子供と一生一緒はちょっとキツいかもしれない。

 子供の声も元気いっぱいなのは分かるけど、結構耳に響くからな。自由に離れられないってのも中々ストレスが溜まりそうだ。

 

 もし自由に動けるのなら、そんなストレスも…………。

 

 

「……まさか……」

「人格が宿主を乗っ取ったら、宿主側にはどうにも出来ないそうだね。自我がかなり発達した10歳の子よりも、ストレスを溜める原因である5歳の子を乗っ取る方が罪悪感は少ないと思わないかい?」

 

 マジで言ってんのかこの人は。

 いや、この国は本気でそんな事を考えてるのか?

 国ぐるみで子供を殺してんのと同じだぞそんなの。

 

「ただの子供より、大人の人格が入った子供の方が便利だ。そもそも人格が宿る可能性も低いし、落ち着いた子供が増えるだけで大した問題にはならない」

「便利とか、大した問題じゃないとかって話じゃ……!」

「今やこの国だけじゃなく、他の国も年齢を引き下げようとしている。異世界の利益に狂った人間は多いんだよ。私もその一端を担ってしまっているがね」

 

 そう言いつつ、宗次郎は顔を逸らした。

 先ほどから声を低くして申し訳なさそうに身を屈めていたのは、自分も異世界の人格の利益を享受する側の人間だと分かっていたからだろう。

 俊介は何か言おうとする。が、今の自分の生活の一部にも人格の恩恵があるのは分かっているので、口をつぐまざるを得なかった。

 

 頭ごなしに浮遊人格統合技術を否定するには、その恩恵が世界に広まりすぎていた。

 

 踏み越えてはいけないデッドラインを世界全体で踏んでいる。

 今の世界は、そのラインを越えて更に一歩踏み出すかどうかの瀬戸際なのだ。

 

 

 宗次郎は逸らした顔を俊介に向け直す。

 

「今の話で、年齢引き下げによる利益が大きいのは分かってくれたと思う。倫理はともかくね」

「はい……」

「しかしさっきの君のように、これ以上年齢を引き下げる事に拒否感を示す人は多い。だが国としては他国との競争に勝つためにいち早く年齢引き下げ政策を施策したい。でもこの国は民主国家だから、国民の大多数の賛成が―――――――」

 

 そこから宗次郎の難しい話が始まった。

 だが政治や社会について深く勉強したことがない俊介は一気に話についていけなくなった。

 一般的な高校生にとって政治の細かい動きとか体制は『殆ど理解していない』が普通なのだ。暗記科目として基本的な単語は頭に入っているが。

 

 

 三分ほど話し込んだ所でようやく、宗次郎は俊介が話について来られていないのに気が付く。

 

「……あ、ごめん。思わず紗由莉と話す感覚で話してしまった」

「夜桜さんは一般的な高校生の指標じゃないです……。俺は人格犯罪者なこと以外は普通の高校生ですから……」

「それは普通とは言わないと思うけどね? えっと、少し話をかみ砕いて言うと……」

 

 顎を触りつつ、目を上に向けて考え込むような仕草を取る。

 そのまま、言葉を慎重に選ぶように俊介に語り掛けた。

 

「多くの人々が賛成しないと、注射義務の年齢は引き下げられない。だから浮遊人格統合技術が良い物だというイメージを高める必要があるんだ」

「イメージを高める?」

「いや、ちょっと語弊があるな。人格は勝手に利益を出して正のイメージを高めるから、『負のイメージを溜めないこと』が何よりも大切なんだ」

「ふむ」

 

 これくらい話を噛み砕いてくれたら何とか付いて行けるぞ。

 

 

「そしてこの負のイメージを溜める存在とは、すなわち……『()()()()()』だ」

 

 

 ここで人格犯罪者の話に繋がるのか。

 負のイメージを溜めたくないって話だから、当然、国も何らかの対策を人格犯罪者に行っているんだろう。

 

「……その人格犯罪者を、どうするって言うんですか?」

「『隠ぺい』する。人格犯罪者の危険度がいまいち世間に知られていないのは、彼らが起こした犯罪を全て国が隠しているからなんだ」

「隠ぺい……」

 

 記憶に新しい人格犯罪者絡みの事件といえば、やはり星野の件だ。

 異世界の殺人鬼だった星野を、ヘッズハンターが一方的に叩きのめして病院送りにしたあの事件。結局学校内で噂が広まっただけで、ニュースにはならなかったはずだ。

 でもアレは榊浦豊が自分で警察の捜査を邪魔したって言ってたしな。いやでも捜査を邪魔しただけでメディア規制はやってないから、結局国が隠ぺいしたことになるのか?

 

 でもまあ星野の件は百歩譲って世間に報道されないのは理解できる。

 学校内という閉鎖環境で起きた事件だし。

 

 問題はあのデパートの事件だ。人格犯罪者数人が数百人の客を人質にして立てこもった事件。

 あの後すぐに榊浦豊と出会ったり、夜桜さんが一日で記憶を取り戻したり、人対纏めてなぎ倒したりと、ヤバいイベント目白押しで忘れかけていた。そもそもあの事件はエンジェルが体奪ったせいで俺そんなに関わってないし。

 

 でも多分……忘れかけること自体がおかしいんだよな。

 数百人人質にして立てこもるなんて常識的に考えてヤバすぎる大事件だろ。

 ただでさえこの辺りで起きた事件だから噂は広まるはずなのに、俺が忘れかける位に情報がシャットアウトされてる。朝飯食う途中でテレビニュース見るくらいの情報収集は毎日してるのに。

 

 

 俊介が考え込む最中、宗次郎が口を開く。

 

「この隠ぺいの過激さは相当なものでね。人の命が簡単に消える」

「人の命が、消える?」

「人格犯罪者に関わりすぎるとね、ぷっつりと消息が絶えるんだよ。そうやって今まで何人もの人間が行方不明者リストに名を連ねてる」

「っ……」

 

 

 …………マジか。

 

 何も知らなかったけど、人格犯罪者の俺ってそんなにヤバい存在だったのか。

 いるだけで周りの人間を危険に晒すってこういう事を言うんだな。

 

 人対にも正体が確定バレした。あの三人相手に一生逃げ回るのも大変だし、だからといって殺すのは論外だ。

 ……本当に、年貢の納め時って奴なのかもな。

 

 

 

「――――おーい、日高君? 大丈夫かい、ボーッとしてるけど」

「あ、はい。すみません、大丈夫です」

 

 頭の中で考え込みすぎて思わず呆けていたようだ。

 後の事は未来革命機関から夜桜さんを助けてから考えよう。どうせ人対と何かあるとしたら機関との確執が終わってからなんだから。

 

 宗次郎は俊介を少し気遣いながらも、咳払いをする。

 

「それで最初の、日高君に明るい内に接触したくなかった理由に戻るんだが」

「……はい」

「娘が人格犯罪者に誘拐されただけならともかく、日中に個人的に関わっているのが国にバレると私の命が消されるんだ。私はいいけど、家族や一万人以上の社員が路頭に迷うと思うとね」

「いえ、事情は分かりましたから。今こうして来てくれてるだけで本当にありがたいです」

 

 俊介は頭を下げる。

 どれだけのリスクを犯して自分に会いに来てくれたのか、それが身に染みて分かったからだ。

 

 頭を下げた俊介に対し、宗次郎は立ち上がってベッドの傍まで近づく。

 肩に手を置き、頭を上げるように言葉を吐いた。

 

「頭を下げないでくれ。私こそ、家ではみっともない姿を見せた。紗由莉が好きな君にとってはあの言い方は憤慨して当然だからね」

「ッ!? 俺が夜桜さんを好きって、そんな……一言も言ってないですよね!?」

「いや、流石に分かるでしょ……」

 

 バッと顔を上げた俊介に対し、呆れた顔を浮かべる宗次郎。

 

 なんで夜桜さんを好きな事がこんなに簡単にバレるんだろう。ついには父親にまでバレたし。

 流石にキュウビやニンジャほどは無理だけど、割と嘘は上手く吐ける方だと思うんだけどな。そんなに分かりやすく顔に出てるかな?

 

 

 そんな風に思い悩み、悶々と頭の中を回していた時。

 

 ベッドの横の椅子に座り、ずっと静かに話を聞いていた橘が口を開いた。

 

「おい。俺に渡した『アレ』の説明は?」

「ん? ああ……そういや忘れてたね」

「忘れられるような物じゃないだろ……」

「たかだか数千万だし」

 

 ……『アレ』? 数千万?

 何の話?

 

 

 俊介が不思議そうに両者の顔を交互に見ていると、視線に気づいた橘が懐からくしゃくしゃの紙を取り出した。

 くしゃくしゃなのは恐らく雨に濡れて乾いたからだろう。

 橘はその紙を俊介に渡し、中身を見るように促す。

 

「…………?」

 

 開いた紙には『病院』と『銃砲店』と『箱』という単語が横に並び、そのすぐ下にそれぞれの住所が書かれていた。

 ……銃砲店? 箱? は?

 

 

「日中は日高君に会えないだろう? だから次善策として、移動手段の車と使えそうな店のメモを彼女に渡しておいたんだ。一緒に行動してるらしいのは調べたしね」

「この銃砲店って何ですか?」

「文字通り実銃が売ってる店。私の名前を出したら免許なしでも売ってくれるよ」

「は? は、犯罪ですよね?」

「そこの店主とは仲が良いんだよね。この病院の院長とも仲良いんだよ。人格犯罪者に銃売ったり入院させたり、多少のイケない事なら黙ってくれるくらいお金貸しててさ」

 

 ヤバいだろ。

 というか、この最後の箱ってマジで何? 病院と銃砲店はまだ分かるけど。

 

「この最後に書かれてる箱ってのは――――」

「――――人がいない場所」

「はい?」

 

 宗次郎が顔をぷいっと逸らし、ぶっきらぼうに答えた。

 意味がよく理解できなかった俊介が思わず間抜けな声を出す。

 

「ど、どういう事ですか?」

「何しても人が来ない場所。防音で掃除も楽。何でも灰に出来る焼却炉もある」

「…………」

 

 うーん。

 人が来ないし、防音で掃除も楽で、何でも燃やせる焼却炉付きか。

 数十キロの肉塊とか、ちょっと紅い水をこぼしても大丈夫そうな場所だ。なんかトールビットとかが喜々として遊び場に使いそうだなあ……。

 

 ……いや。

 どう考えても人間を拷問する場所じゃねーか!!

 

 

「使いませんよ、こんな場所」

「自前で確保してるのかい? 流石だね」

 

 感嘆の声を上げる宗次郎。

 

 そういう事じゃねえんだわ。

 さてはこの人、俺が人格犯罪者だからって何でもすると思ってるな? トールビットに拷問させるのなんて年に一回あるかどうかだぞ。

 

 

 嬉しそうな表情から一転、宗次郎が少し悲しそうな表情を浮かべ、低い声を放つ。

 

「しかしそうか、余計なお世話だったか……でもいつでも使っていいからね。君の為に作った場所だし」

「俺の為に?」

「うん。裏の人間からノウハウ集めて、急ピッチで仕立てて……それでも五億で済んだから安い買い物さ」

 

 俺の為にそんな物を作られても心はトキめかない。

 ホントに、マジで世界一金の使い方を間違えてる。もっと他に何か使い道あっただろ。

 

 世の中の有能な人ってのはみんなこんな風に、なんか一線踏み外してる人ばっかなのか?

 榊浦親子といいこの人といい、自分の力をどうして変な方向に使ってしまうんだ。

 

 でもその理屈で行ったら夜桜さんまで変な人ってことになるしな。

 あんな天使みたいな彼女が道を踏み外した考え方をしてるとか、ちょっとおかしい所があるとか、そんな訳がないしな! バクダンはおかしいけど。

 

 

「……ん?」

 

 ふと視界の端で何かがカタカタ震えているのに気が付いた。その方向を見る。

 すると、パイプ椅子に座っていた橘が『銃砲店』と『箱』の内容にドン引きしていた。そして、紙の文字と俺の表情を交互に見ながら顔を青ざめさせている。

 

 あんたも説明受けてなかったんかい。

 つか何で俺が怖がられてんの? ヤバいのは宗次郎さんの方だろ!

 

 

 ………なんだか頭痛がしてきた。

 

 

 でもまあ、宗次郎さんが俺にここまで手厚い支援をしてくれるのは、裏返すと娘をそれだけ助けたいからって事だ。

 ちょっと変わってるけど家族は大切にする人って思えばギリ理解はできる。

 

 『娘を助けなくていい』なんて畜生発言をしてたのは、まあ今は改心したってことで。

 家族仲が良くなかったのは不幸なすれ違いによる事故だったんだよ。誰かが悪とか決めつけるのは野暮だ。

 

 

 俊介は混乱した頭を無理やり『宗次郎さんは家族思い』の一言でまとめ上げた。

 くしゃくしゃの紙を橘に返す。

 そして体を少し横に傾け、病室の奥で積み重なる荷物を見ながら問いかけた。

 

「……あの、最後に一つ聞いていいですか? というか最初から聞いてたんですけど」

「何だい?」

「あの荷物は何ですか?」

 

 宗次郎がくるっと振り返り、背後の荷物を見ながら「あぁ」と言葉を漏らした。

 

 何か見覚えあるんだよな、あの荷物と家具。

 特にあの女性物のベッド。

 あんな綺麗な装飾が施されてる天井付きのベッド、普通の家庭には絶対ない。というかデカすぎて寝室に置けない。

 

 つまり金持ちの家くらいでしかあんなベッド、使うはずがない。

 そして俺が入ったことあるような金持ちの家で、見覚えのある女性物のベッドとか……。

 

 うーん、嫌な予感がする。

 

 

 その嫌な予感のど真ん中をぶち抜くように、宗次郎が軽い口調で返事を返した。

 

「これ、全部紗由莉の荷物。部屋にあった奴全部持ってきた」

「本気で言ってます? 家族とはいえ、む、娘さんの私物ですよ? 高校生の」

「君は娘の部屋を調べるために私の家に来たんだろう? 今は家が壊れてしまって入れないが、代わりに荷物を全て持ってきたんだ」

 

 素面で言ってるなら相当ヤバいなこの人。久しぶりに本気でブルっちまったよ。

 

 荷物を運んできた使用人の人達を見ると、少し複雑そうな顔で目を逸らした。

 娘の私物を勝手に全て運ぶのは良くないと彼らも思っているようだ。そりゃそうだよ。

 

 

 で、でも夜桜さんの部屋を調べたいと先に言ったのは俺の方だしな。

 宗次郎さんも泣く泣く、本当に仕方なく持って来てくれたに違いない。

 

「あ、ありがとうございます。でも本当に調べちゃって大丈夫なんですか?」

「全然構わない。運んできた甲斐があった」

 

 良くないよ。

 

 

 

 ……夜桜さんと家族仲が良くなかった理由が少し分かった気がする。

 この人、多分、人との距離感を計るのが苦手なんだな。

 

 決してサイコパスとか言う奴ではない。

 他人の命が大切という道徳的な事は理解している。

 

 おそらく宗次郎さんは人と親しくしたいけど、どれくらい親しくすればいいのか分からない。

 極端に離れるか極端に近づくかの0-100しかないんだ。

 

 社員を適度に大切に思ってるみたいだし本当は0-50-100なのかもしれないが、家族の関係というのはそんな50刻みの大雑把な調節では上手く行かないだろう。

 

 

「どうかしたかい?」

 

 彼が首を傾げる。

 

 俺にたったの一言で、距離感を上手く測る方法を伝えることは出来ない。

 そもそも俺だって人間関係が上手く行ってるかと言えば、決して『そうだ』とは言えないのだ。

 

 今ここで、俺が何か言えるとすれば。

 

「娘さんは必ず助けます。なので……俺がいない所で、一度腹を割って話し合ってみてください」

 

 これくらいしかないだろう。

 

 

 彼はその言葉を受け止め、数秒経った後……重く頷いた。

 

 これで二人の仲が改善すればいいんだけど。多分この事件が終わった後、俺は二人と会えないし。

 まあ、高校生が他人の家族仲を良くするだのどうだのを考えるのは少し傲慢すぎる。これくらいがちょうどいい塩梅の手助けだろう。

 

 

 腕時計を見る宗次郎。

 それに釣られるように、部屋の中に掛かっている時計を見る。どうやら三十分近く話し込んでしまっていたようだ。

 

 彼は使用人達に目で部屋を出るように指示し、俊介の方に向き直る。

 

「私はもう帰る、夜中とはいえ長居すると危険だ」

「はい」

 

 覚悟の決まった返事を返す。

 宗次郎は顔を俯け、指先で服の表面を何度かさすりつつ言葉を発した。

 

「娘とはよく話し合ってみる。だから、申し訳ないが……頼んでも、いいか?」

 

 その『頼む』の意が何かなど考えるまでもない。

 夜桜さんを助ける。

 その後俺がどうなろうと知った事ではない。

 

 

 息を吸い込み、宗次郎に向けてもう一度、決意を込めた言葉を吐いた。

 

「……はい!」

 

 その言葉を聞き。

 宗次郎は優しく口角を上げた。

 

 

 

 

 

 

 







人間関係がどうのこうのってお前が言えた事じゃないよな俊介ェ!

設定語りで思いがけず話が長くなってしまったので、夜桜の荷物を漁る話は次回にさせてください。申し訳ない。


-Tips-
Q.人格犯罪者が起こした事件をほぼ全て隠ぺいするって無理じゃない?
A.一般人に罪を押し付ければ人格犯罪者が起こした事件ではなくなりますよね。本当の犯人である人格犯罪者も人対に捕まえられるので治安には何の問題ないな!

Q.さすがに罪を押し付けられた人の家族が騒ぐでしょ?
A.この国では15年前から行方不明者が増加してるらしいです。なんでやろなぁ……。

Q.世界が邪悪すぎない?
A.一話の冒頭から子供に変な薬(マイルド表現)打つくらいヤバかったからセーフ。




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#76 か細い縁


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


 

 

 

 

 

 宗次郎は使用人達と部屋から去った。

 病室に残されたのは俊介と、橘と、大量の夜桜の私物のみ。

 

 

「……アンタ、女の私物を勝手に漁ろうとしてたのか……?」

 

 橘が物凄い眼を俊介に向けてきた。

 

 生まれ育った世界が違うのに『女性の私物を勝手に漁っちゃいけない』って価値観が同じなのは凄いと思う。

 よくよく考えると女性関係なく他人の物を触っちゃいけないなんて当たり前すぎるな。

 

 

 別の事を考えて心にバリアを張った俊介だったが、橘の視線の冷たさはバリアをいともたやすく貫通した。

 目線を逸らし、気まずそうにぼそぼそと呟く。

 

「いや、正直、未来革命機関に関する情報がどん詰まりで。夜桜さんの持ち物漁ったらなんかヒントないかなって……」

「そうはならんだろ」

 

 平坦な声で彼女がそう言い返した。

 言い返す隙が一欠片も存在せず、押し黙った俊介が気まずさを抱えて俯く。

 

 病室に広がる静寂。

 時計の針が動く音だけが静かに響く。

 

 そして一分ほど経った時、静かに息を吐き、俯いたままの俊介に橘が優しく声を掛けた。

 

「……まあ緊急事態だし、藁にも縋る思いでやろうとしたってのは分かるよ。理解はできる」

「はい」

「けどこの年頃の女の子って、絶対他人に見られたくないものも持ってるだろ。ホントよくないって」

「はい……」

 

 正論すぎた。

 優しく諭すように言われるのが更にキツイ。

 

 宗次郎さんが娘の私物を全て持ってくるなんてエキセントリックな行動を決めたのは、そもそも俊介が彼に『夜桜さんの部屋を探りたい』なんて言ったのが原因だ。

 つまり全ての因果は巡り巡って俊介に返ってくる。誰が悪いかと言えば、普通の高校生を自称する変な男に帰結するのだ。

 

「…………」

 

 俊介はチラリと夜桜の荷物群に目を向けた。

 たしかに探ったらヤバそうな何かが出てきそうなブツが色々と置かれている。

 特に生々しさがありすぎるゴミがまとめられたゴミ袋とか。まさかゴミ箱の中身すら全部持ってきたのか? そんな所流石に漁る訳ねーだろ持ってこないでくれよ。

 

 

 と、そんな風に考えながらじろじろ荷物たちを見つめていた時。

 

 

『――って~な……。あの馬鹿鎧が、思いっきりぶん殴りやがって……』

「ん?」

 

 腫れ上がった頬を手で抑えるマッドパンクが姿を現した。

 よくよく見ると、頬以外にも服のあちこちが汚れている。何があったんだ。

 

「その傷どうしたんだ、マッドパンク?」

「マッドパンク?」

「俺の中の人格です。ちょっと話します、すみません」

「ああ、そういうことか」

 

 橘は「まだ慣れないな、この世界の常識……」と静かに呟いた。

 

 

『ダークナイトの奴が()で大暴れして僕たち全員をタコ殴りにしたんだよ』

「えぇ……」

 

 『中』とは、宿主の中にある平らな地面が延々続く黒い世界のこと……らしい。人格しか出入りできず、実際に見たことがないのでどんな場所なのかは想像しか出来ない。

 

 俊介は疑問気に聞き返す。

 

「なんで暴れてんの?」

『大方、俊介が怪我したからだろ。割と重い怪我だし』

「俺が怪我したことと、みんながタコ殴りにされることの因果関係が分からんのだけど」

『俊介が怪我してムカついたんだろ。んで、ストレス発散サンドバッグにちょうどいい奴が12人いたってだけだ』

 

 うーん、いつものダークナイトだな。

 安心感すら覚える。

 

「それはマジで災難だったな。……他のみんなは?」

『気絶してるか、ブチギレてやり返してるかだ。僕はめんどいから出てきた。……ヘッズハンターだけは落ち着かないから暴れてるって感じだったが』

 

 うーん、いつものみんな(殺人鬼達)だな。

 全員血の気が多すぎるだろ。

 

 ……でも、ヘッズハンターだけは心配だ。ピュアホワイトの中にずっと探してた幼馴染がいたんだから。落ち着かないのも当然だ。

 あとで話してみよう。

 

 

 腫れ上がった頬を優しくさするマッドパンクが俊介に問いかける。

 

『そんで、今何しようとしてんの?』

「ああ……夜桜さんの荷物を漁ろうと思って」

『……? うん、そっか……』

 

 マッドパンクが不思議そうな顔で病室にある荷物の山を見た。

 そんな理解できない物を見たみたいな反応すんな。

 

『まあちょうどいいや、僕も手伝うよ。どうせ中に戻ってもぶん殴られるだけだし』

「おっ、ありがとう」

 

 機械に詳しいマッドパンクがいると色々捗りそうだ。

 話にひと段落をつけ、再び橘の方を向く。俊介が橘の方を向くと同時に、彼女も顔を向けた。

 

「俺の人格が手伝ってくれるらしいんで、さっそく始めましょう」

「女の子の人格か? なら心強いんだけど」

「男です。今あなたが付けてるその補助アームを作った奴です」

「へえ……。アンタ本当何でも出来るな……」

「中にいる人格が凄いだけですよ。俺は殆ど何も出来ませんって」

 

 俊介はそう言いながら、ベッドから足を出した。

 緑色のスリッパに裸足を通し、ペタペタとスリッパの踵で床を叩きながら積まれた荷物に近づく。

 

 病室に集められた夜桜の私物は大別して三つ。

 

 段ボール箱に詰められた様々な物。

 ベッドやタンスなどの家具。タンスには服は勿論、下着類も入っていそうだ。

 生々しい使用感のゴミが入ったゴミ袋。論外。

 

 この中からギリギリ男である自分が漁ってもよさそうな物は段ボール箱くらいしかない。

 しかしタンスの中に何かがある可能性も捨てきれない。

 なので。

 

 同じように椅子から立ち上がった橘にくるりと振り返り、俊介は言い放った。

 

「タンス調べてください。お願いします!」

 

 夜桜さんの下着が入ってるかもしれないタンスなんて調べられる訳ないだろ!

 そう心の中で叫びながら橘に頭を下げる。

 彼女は少し戸惑った様子で補助アームの先を左右に振った。

 

「え? いやいや流石に、俺男だしさ……」

「見た目はどこからどう見ても女性ですから!」

「うん……そりゃそうなんだけど」

「全部男の俺よりも外面はマシですから……!」

「…………」

 

 必死に頼み込む俊介。

 橘は非常に困ったように数秒考え込んだのち、必死に頭を下げる俊介の姿を見て、小さく息を吐いた。

 

「仕方ない、未来革命機関のヒントを探すためだもんな。というか機関潰さないと俺が殺されるし」

「なら……」

「ただ、ヤバそうな物が出てきたらすぐに閉めるからな」

 

 勝手に人の私物を漁る立場であるし、ヤバそうな物をじろじろ見る必要性はない。彼女の言う事はもっともだ。というか夜桜さんの下着をじろじろ見られるとそれはそれでちょっと殺意湧く。

 

 

 互いに顔を見合わせて頷き、俊介は近くの段ボール箱に、橘はタンスの前に移動した。

 マッドパンクが手元を覗き込む中、俊介はパカリと段ボール箱の蓋を開ける。

 

 中身は学校で使用する教科書やノート、筆記用具の類だった。

 適当にノートを手に取ってパラリと開いてみると、美しい文字で授業の内容がとても分かりやすく纏められていた。頭良い人ってやっぱこういう細かい所もキチンとしてるんだなあ。

 

 チラリと橘の方を見る。

 彼女は器用に補助アームを使い、タンスの一番上の引き出しの中を探っていた。心なしかアームの動きが緩慢と言うか、高級なものを恐る恐る触る時の動きに似ている。

 俊介がこちらを見ている事に気付いた橘は肩越しに俊介に話しかけた。

 

「この夜桜って子、相当お洒落さんなんだな。凄い……高そうな服だ」

「なんすかその感想は」

「誉め言葉だよ。しっかし可愛い服だな……俺も似合うかな?」

「はい?」

「……いや、何でもない。なんで今着たいと思ったんだ?

 

 なぜ男なのにゴリゴリの女性服を着たいと思ったんだろう。そういう趣味なのかな?

 俊介が恥ずかしそうに引き出しを閉める橘を見ていると、マッドパンクがすぐ傍でぼそりと呟いた。

 

『体に引っ張られて精神がメス化……?』

「いきなりどうしたマッドパンク」

『何でもない』

 

 マッドパンクがぷいと顔を逸らした。そういう趣味なのかな? どんな趣味だよ。

 

 俊介が見守る中、橘が先ほど閉めた引き出しの一つ下の引き出しを開けようとする。

 そして10センチほど静かに開けたところで、彼女が「うわっ!」と叫び声をあげた。

 

「どうしました?」

「いや……」

 

 彼女がそのまま引き出しを開いていく。しゃがんでいる俊介には引き出しの中身が見えず、彼女の背中しか見えない。

 

「…………な、なんだこれ。うわ、ええ……」

「何が入ってるんですか?」

「いや……うん……」

 

 橘が俊介と引き出しの中を交互に見る。本当に何が入ってるんだよ。

 気になった俊介が立ち上がるよりも早く、マッドパンクがすっと立ち上がった。そして引き出しの前で背伸びをし、中を覗き見る。

 

『うおっ!!』

「お前もかマッドパンク」

 

 そして橘と同じように驚きの声を上げた。

 

「マッドパンク……そうか人格も見に来たのか。これヤバっ、いやマジで見せない方がいいよな……?」

『い、一体いつの間に盗ったんだこんなもん。しかもマジかこいつ、結構使い込んでるし……』

「半分呪物だろこんなの……」

『出所は風呂場か……? ニンジャの隠密を真似して入ったな……』

 

 怖いよ。

 マジで何が入ってるんだ。殺人鬼のマッドパンクがビビるなんて相当だろ。

 

 夜桜さん、実は結構変な物を集めるのが趣味だったのだろうか?

 例え珍品コレクターが趣味だったとしても、チラチラ俺の事を見ているのが気になるけど。本当に何が入ってるんだろう。

 

「永久封印だな……」

 

 二人はひとしきりそれを眺めた後、橘がパタンと引き出しを閉めた。

 

 ……まあ気にしても仕方ないか。

 むやみやたらに人に見られたくない物もあるしな。俺が見るべきものじゃないんだろう。

 

 橘から視線を外し、次の段ボール箱を開く。

 中には大量の電子機器が入っていた。殆どが基盤がむき出しの作りかけのものであり、バクダンが作った物だろうと察せる。

 

 タンスの前から戻って来たマッドパンクが段ボール箱の中を覗き込む。

 

『……ふうん。殆ど失敗作だな』

「え?」

『よく見ろ。×印が書かれてるだろ、ここ』

「あ、ほんとだ」

 

 指で示された場所を見ると、確かに小さく切られて貼られたガムテープの上に、黒いマーカーで×印が書かれていた。

 ならこの中に入ってるのは全部失敗作か? 使用人の人がガサッと箱に入れたんだろうけど、失敗作って大体一つの場所に纏めてるものだろうし。

 

 そんなのばかりなら、今特に力を込めて探る必要はないかな。

 そう思って段ボール箱を閉じようとした時、マッドパンクが腕で視界を遮って静止した。

 

『でも、僕なら本命のブツは失敗作の中に隠す』

「本命のブツ?」

『たしか俊介は、夜桜に榊浦豊の手下を探しに行くように頼んでいたよな?』

「……ああ……」

 

 思い出すのは数日前の榊浦の研究所でのこと。

 

 俊介は自身の母親が榊浦豊の手下に見張られていることを知った。だが、自身は榊浦豊に呼び出されてその手下を始末しに行くことが出来ない。

 そこで俊介は、夜桜にその手下を見つけてもらうことを頼んだのだ。危険ならばすぐに逃げても構わないと言い含めたが、結果は未来革命機関に誘拐されるという物に帰結した。

 あの時榊浦豊をぶちのめしてでも自分が行っておけばよかったと、後悔は尽きない。

 

『夜桜も、榊浦豊の手下を探しに行くのが危険なんてのは分かってたはずだ。万が一に備えて、何か保険を残しているって考えはそうおかしくない』

「その保険が、本命のブツって奴か?」

『そうだ。だが保険ってのは敵に見つからないから意味がある、敵に回収されたら意味ないしな。急いで俊介の母親を狙う奴を探しに行きたいが、保険も残したい。もし僕がそんな状況で手軽に隠すとしたら、失敗作の中……って訳だ』

「なるほど……」

 

 例え夜桜さんの部屋に敵が来たとしても、わざわざ失敗作の山を探ろうなんてしないよな。

 だってチンタラ探してたら、それこそ通報を受けた人対がぶっ飛んでくるんだし。少ない時間で探るとしたらもっと別の場所を探す。

 

「んじゃ一回がさっと全部出してみるか」

『あんまり下手に触っとボカン!と行くかもよ?』

「怖いこと言うなよ」

『ハハ、冗談冗談。流石に失敗作は爆発しないようにしてるだろ。もし爆発するようにしてたら、そいつは相当イカレて…………』

「……MRKとか作ってるし、バクダンって結構イカレて……」

『タブンダイジョウブ』

 

 マッドパンクがそっと顔を逸らした。本当に大丈夫だよな?

 俊介がおそるおそる箱の中身を両手で掴み、取り出していく。今の所爆発する気配はない。よかった。

 

 そして失敗作を取り出していくと、明らかに先ほどまでとは毛色の違う機械を見つけた。

 基盤がむき出しになっている手製丸出しの物ではなく、きちんと外装まで作られた市販品のような機械だ。中央に大きな画面があり、左右には十字キーとスティックが付いている。

 

「……いやこれ携帯ゲーム機じゃね?」

 

 念のために電源ボタンを押して起動する。

 ゲーム機には『ドキドキ♡アルケミスト』という逆ギャルゲーソフトが挿入されており、『ベームフェルト』という名前が設定された完クリセーブデータが一つだけ残っていた。

 本当になんだこれ、誰のセーブデータだよ。中古で買ったのだろうか?

 

 電源を落とし、ゲーム機を失敗作の上に積み上げる。

 

 

「さて、次は……」

 

 段ボール箱の中に手を突っ込む。

 箱の中にはもう一つしか機械が残っていなかった。それを持ち上げる。

 

 最後の機械は中央にディスプレイ、左右にボタンという、先ほどのゲーム機と同じようなデザインをしていた。

 ただ違うのは、他の失敗作と同じように基盤がむき出しであったことだ。恐らくこれもバクダンが自作したのだろう。

 

「自分でゲーム機を作ったのか? ゲーム機型爆弾?」

『構造的に爆発はしないよ、元の火薬がないんだから。……起動させれば何か分かる』

 

 右上の辺りにこれ見よがしな赤いボタンがある。恐らくそれが電源ボタンだ。

 バクダンの作った物だ、押した瞬間にボカンと爆発する可能性もなくはない。だがマッドパンクの言葉を信じ、軽く親指の腹で押した。

 

 すると、ブッ!という鈍い音と共に、画面の中心に黄色い点が浮かび上がる。

 

「? なんだこの点?」

 

 左右にあるボタンを適当に押すが、黄色い点が中心から僅かに移動するくらいしか変化がない。

 指でディスプレイを押したり、機械自体を軽く振ってみたりもしたが、一切変化なし。一体何の用途に使うものなのか検討もつかない。

 

『…………』

 

 マッドパンクは右拳を口に当て、少しの間画面を見つめる。

 そしてその後、突然パンパン!と勢いよく手を鳴らした。

 

「な、何?」

『ニンジャ、出てこい! どうせ近くにいんだろ!』

 

 そう彼が呼びかけた直後。

 病室の天井からにゅうっと、半透明の黒装束の男が顔を出した。よく見ると右目の周辺が青く腫れあがっており、何者かに勢いよくぶん殴られたであろうことが窺える。

 

 マッドパンクは天井のニンジャに顔を向け、俊介が持つ機械を指で示す。

 

『なんでござるか? 拙者、正直今寝てたい気分なんでござるが』

『お前、これ見覚えあるだろ?』

『は?』

 

 左目を細め、俊介の持つ機械を観察するニンジャ。

 そして『うえっ』とでも言いたげに顔を歪めた。

 

『……あー。知ってるでござるよ。苦い思い出でござる』

「何? 苦い思い出?」

『アレだよ俊介。ついこの間、こいつがミスしてやらかしたことあるじゃん』

「ついこの間、ミスした……?」

 

 なんだっけ。ニンジャがミスする事ってあんまりないけど。

 少しの間悩んでいると、マッドパンクがしびれを切らしたのか、答えを口にした。

 

『廃倉庫の件だよ。あいつが発信機に気付いて、わざと壊さなかったら、夜桜を呼んじゃった奴』

「……ああー!!」

 

 そういやあったわそんな事。

 確かニンジャが拷問相手に発信機付いてるのに気づいて、その拷問相手の仲間を呼び寄せようとしたら、その発信機の持ち主は実は夜桜さんで、夜桜さんを呼んじゃったって奴。

 その後に人対が揃って攻撃してきたから記憶から薄れてたな。

 

「……あん? ってことは、つまり?」

『あの時、ニンジャは発信機を追っかけてきた相手を偵察しに行った。その時、夜桜は発信機を追いかけるための()()()()を手に持っていたはずだ』

「レーダー……。……あ、まさかこれって!」

 

 バッと視線をディスプレイに落とす俊介。

 ここまで思考を誘導してくれれば、一般高校生の俊介でも話の道筋は見えてくる。

 

『多分これ、発信機のレーダーだな』

「うおーっ!! やっぱあったじゃん、手掛かり!!」

 

 俊介が興奮した様子でそう叫ぶと、橘がくるりとこちらを振り返った。

 探っていたタンスの引き出しを閉じ、こちらに近づいて来る。

 

「なんかあったのか?」

「発信機のレーダーがあったんですよ!」

「発信機ぃ? ドラマとかでスパイが使う、あんな感じの奴?」

「そんな感じの奴です!!」

 

 彼女が画面を見る。

 そして、数秒間それを見つめた後……首を傾げた。

 

「……この黄色い点が発信機の場所だよな?」

「多分、そうです」

「でもこれ、中心に一つあるだけじゃないか。こういうのって大体中心が自分のいる所だろ?」

「……つまり?」

「この荷物の山の中に発信機が紛れてて、それを表示してるだけなんじゃね?」

 

 橘はそう言った後、ぐるりと病室に積まれた夜桜の私物を見渡す。

 俊介もそれにつられて病室を見渡し……膝から崩れ落ちた。やっと見つけたと思った手がかりが何の役にも立たない物だと分かってしまったからだ。

 

「マジだ……くっそ、絶対これだと思ったのに……」

「そう落ち込むなって。他にもまだ探れそうな所はあるんだから」

『…………』

 

 落ち込む俊介を見つめるマッドパンク。

 彼は一瞬だけ窓の外に目線を向けた後、小さく息を吐き、俊介に近づいた。

 

『……この左右に付いてるボタンは恐らく、レーダーの縮尺を弄る物だ』

「え?」

『最大にしてから、もう一度よく点を見てみろ。……ある意味運が悪いんだ、今は』

「運が悪い……?」

 

 マッドパンクの意味深な言葉に疑問を覚えながらも、俊介はレーダーの縮尺を最大にした。そして穴が空くほどに目を近づけ、画面を凝視する。

 

 三十秒以上見つめ続け、俊介は気付いた。

 

「……て、点が動いてる? な、なんで?」

 

 私物の山は何も動かしていない。だとすれば、この発信機が僅かでも動いているのはおかしい。

 この発信機のレーダーは、かなりゆっくり動き続ける何かに引っ付く発信機の位置を表示していた。

 

「この病院内か!?」

「いや、病院の中でこんな同じ方向に動く事あるか? しかも全く同じ速度で」

 

 レーダーの黄色い点は左上の方に向かって、一定の速度を保ってゆっくり移動していた。

 確かに、病院内なら何処かの壁にぶつかって方向転換しそうなものだ。しかし黄色い点は左上に向かってずっと移動し続けている。

 

「だとすると……? えっと……!」

 

 俊介は頭を全力で回す。

 自身の勘が告げているのだ、未来革命機関の拠点の位置に向けて既にあと一歩の所まで迫っているのだと。

 あと一歩進むには、自身の頭の中に集まった情報をかき集め、閃きを得なければならない。

 

 

 

 ――――未来革命機関はデカい軍艦を拠点としている。

 

 だが、人対が海をいくら探してもそんな軍艦は見つからなかった。

 

 

 ――――榊浦美優は頻繁に拠点に出入りしている。

 

 翌日の授業に間に合うように、日帰りできるような距離にあるはずだ。そう遠い場所にはない。

 

 

 ――――レーダー上で同じ方向に同じ速度で進み続けている。

 

 建物の中なら壁にぶつかる。例え車に乗っていたとしても、建物に阻まれて同じ方向に進み続けるなんてのは無理だ。こんな街中なら特に。

 

 

 

 

 巨大な軍艦が、同じ方向に進み続ける。

 そして、榊浦美優が頻繁に出入りできるほどに近い場所にある。

 

 

 …………。

 

 

「――――あ」

 

 

 俊介は窓の外を見た。

 

 巨大な軍艦は海くらい広い場所でしか、自由に動くことができない。地上ではその体は大きすぎるからだ。

 

 だが、この世界にはもう一つ、海と同じくらいにもっと広い場所があるだろう。

 

 

「――――()()()

 

 

 小さく呟いた俊介。

 その言葉を聞いた橘が疑問気に聞き返す。

 

「空……?」

「エンジェル! 出て来てくれ!」

 

 俊介はその閃きが頭から消える前に、橘に言葉を返すことなく、エンジェルを呼び出した。

 口の端から血を流すエンジェルが姿を現す。

 

『どうしましたか?』

「今から窓の外に出て、上空に物をぶん投げる。四肢を渡すだけで出来るか?」

『楽勝です。投げるものは?』

「……ペンを一本貰おう。夜桜さんにはあとで弁償する」

 

 近くにあったペンケースから一本のシャーペンを抜き取り、窓を開ける。

 四肢の主導権をエンジェルに渡すと、危なげない動きで窓の外に体を乗り出した。足を窓の縁に引っ掛け、完全に体を固定したまま空を見上げる。

 

『どの辺りに投げますか?』

「少し左の方向だ。全力で投げてくれ」

『分かりました』

 

 エンジェルの操る右手が、シャーペンをダーツを握るような持ち方で持つ。

 そして後方に引き絞られた右手が、周囲の空気を巻き込み、ボッ!という音と共に前方で振り抜かれた。

 

 時速百五十キロはくだらない速度で放たれた桜色のシャーペン。

 それは夜空の闇に次第に溶け込み、やがて俊介の視界から消えるかと思った、その瞬間。

 

 

 

 ――――カァァァアアン…………

 

 

 

 金属と金属がぶつかったような甲高い音と共に。

 何もない夜空の景色が一瞬揺らめいた。

 

 恐らくは超巨大なステルス迷彩。それが外部からの衝撃により一瞬だけ揺らめいた。

 そのステルス迷彩の奥に何が隠れているのかは、俊介にとっては火を見るよりも明らかだった。

 

「ずっと、空の上にいたのか……」

 

 この発信機は恐らく、夜桜さんが遺したメッセージ。

 彼女が自分の何処かに付けているのだろう。何かあった時、誰かがこうやって自分の居場所を見つけるために残していたのだ。

 

 

「見つけたぞ、未来革命機関……!!」

 

 

 俊介はやっと、倒すべき敵の外郭を捉えることが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いや、よかったよかった! 未来革命機関の拠点をやっと見つけれて、ほっとしたでござる!』

『そうだな』

 

 ニンジャとマッドパンクは、病院の屋上に移動していた。

 彼らは屋上で俊介の投げたシャーペンの行く先を見届けていたのだ。

 

『ところで、どうして僕をこんな所に呼んだ?』

『ハハハ。ちょっとした用事でござるよ――――』

 

 

 

 ――――瞬間。

 

 

 

 ニンジャがマッドパンクの首を掴み、持ち上げた。

 親指と中指が首に食い込み、マッドパンクの首に走る血管がぷくりと浮かび上がる。。

 

『お前、未来革命機関の拠点の場所に……()()()()()()()()()()()()でござるな?』

 

 ニンジャは殺意を込めた眼でマッドパンクを睨む。

 

 

 先ほどの病室で、レーダーの点が中心から動いていなかった時。

 俊介が空の上に拠点があるという答えに辿り着くより早く、マッドパンクは窓の外を見ていたのだ。

 

 偶然、窓の外を見ただけという可能性もある。

 だが……ニンジャの勘が、マッドパンクは()だと告げていた。恐らくこいつは、昨日か一昨日辺りから未来革命機関の拠点の場所に気付いていたと。

 それは回り巡って、マッドパンクが俊介に敵対している可能性に繋がる。

 勘なんて淡い証拠だが、ニンジャにとってはマッドパンクを詰問するには充分な理由だった。

 

 

 首を絞めるニンジャに、マッドパンクが睨み返す。

 

『ぐ……だったら何だってんだ?』

『事と次第によっては、今ここで殺す』

『…………』

 

 互いに本気の殺気を向け合い、数秒。

 視線を外したマッドパンクが諦めたように手を左右に振った。それを降参の合図と受け取ったニンジャは、彼の体を床に落とす。

 

『けほっ。……一応言っとくが、僕は夜桜なんかどうだっていい』

『それは拙者もでござる。で?』

『僕は、これ以上俊介に気を重くさせたくなかったんだ。ただでさえ、今は色々抱えてるから』

『…………』

 

 マッドパンクは指で床を弄りつつ、気まずそうに口にする。

 

『反重力バリア装置、あれは軽くて銃弾すら防げる優れものだ。僕達も何度か出会ったよな』

『ああ』

『アレは、恐らく相当高価な物だ。そうそう数を揃えられるような代物じゃない。だがよく思い出してみろよ、未来革命機関の兵士は下っ端でもアレを付けていた』

 

 回りくどい話をするマッドパンクに、ニンジャは懐から出した小刀の切っ先を突き付けた。

 

『簡潔に言うでござる』

『……恐らく、未来革命機関が反重力バリア装置の販売元だ。だがこの反重力バリア装置の原型は反重力を発生させて物体を浮かせるものだ。そして……僕はその原型を元の世界で見たことがある

『元の世界……なるほど』

 

 合点がいった、と言う風にそう呟くニンジャ。

 未来革命機関にはマッドパンクの元の世界での縁者がいる。その縁者が反重力装置の原型を作った物であり、それを改良した反重力バリア装置を売っているということなのだろう。

 

 どんな組織を運営するのにも金がいる。当然規模を大きくするのにも金がいる。

 恐らくその反重力バリア装置を売っている奴は、自らの意思で、未来革命機関の中枢部にいる。それも恐らく、機関を立ち上げた初期の頃から。

 

 大量の金を稼ぎ、未来革命機関をここまで大きくしたそのマッドパンクの縁者は、明らかな俊介の敵だ。

 しかし優しい俊介は、自身の人格の縁者と分かれば敵であっても加減する恐れがある。加減はせずとも、恐らく心に何かしらの負い目を感じるだろう。

 

 マッドパンクの行動が俊介を思ってのことだったと気づき、ニンジャは小刀の切っ先を下げた。

 

 

『その原型の、反重力装置を作ったのはな』

 

 

 

 

『…………僕の()なんだ』

 

 

 

 

 

 

 





Q.なんでこんなに更新が遅いの?
A.単純にやる気エンジンがさび付いてます。ごめんなさい。
 読者様からの感想がやまもりに届くとやる気エンジンがどんどん暖まってきます。
 なので『いっぱいちゅき♡』くらいの簡単な物でもいいので、感想を書いていただけると本当に嬉しいです。


 新年の目標は2024年中に番外編含めた完結!
 本編の終わりまではあと半分もないと思いますが、どうかお付き合いいただけると幸いです。



-Tips-
 バクダンが失敗作の山に本当に隠しておきたかったのは、発信機のレーダーじゃなくてゲーム機の方だった。


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#77 ブッ潰すゾ! 未来革命機関!!


感想欄が♡にまみれてて面白かった。
未来革命機関編完結までかっ飛ばすゾ!!!


 

 

 

 

 白い髪の女がシャワーを浴びていた。

 身長二メートルを超える体は無駄のない筋肉に覆われており、傷一つない体ながらも、歴戦の猛者を思わせる雰囲気を放っている。

 治癒したばかりの右手でシャワーの水を止め、髪をかき上げた。

 

「フフ……」

 

 女――――ピュアホワイトは怪しい笑みを浮かべる。

 彼女が笑っている理由はただ一つ。俊介の中に宿る人格――――アニーシャを見つけることが出来たからだ。

 

「私からお迎えに上がるか。いや、あの御方から私の方に来てくれるのも……ああ、なんて悩ましくて素晴らしいんだ。これが運命……あの無様に死んだ女神に久々に祈りたくなる気分だな」

 

 ピュアホワイトは思い出す。

 

 

 元の世界にて、世界の七割を殺害したアニーシャを討伐するために第十二使徒の全員で向かった時のこと。

 他の使徒はすぐに殺された。使徒最強である自分ですら手も足も出ず、防御するのが精いっぱい。

 

 そんな時、空から降り注いだ光の柱がアニーシャを襲った。

 無傷のアニーシャの前に降り立ったのは、自身が信仰する三柱の女神。

 

 闘神、生命神、魔法神。

 余りに人を殺し過ぎたアニーシャを直接始末する為に、神自身が現れたのだ。

 

 彼女達が、アニーシャに死ぬ前に罪を悔い改める口上を語ろうとした瞬間。

 アニーシャは生命神の頭を細剣で斬り飛ばし、その頭を両手で潰し、血を被った。

 

 次に闘神がアニーシャに襲い掛かる。

 アニーシャは細剣を闘神に向けて振るが、闘神はそれを受け止めて破壊した。

 しかしその瞬間、別の手に魔力で作られた大剣で闘神の体は叩き切られた。

 

 魔法神がアニーシャに向けて最強の永年封印魔法を掛ける。

 しかしその封印魔法はアニーシャの下半身の動きを止めるだけしかできなかった。

 アニーシャは手に持った大剣に全魔力を籠める。

 

 大剣から放たれた衝撃波が到達するより早く、怯えた魔法神は瘴気で死んだ。

 膨大な魔力の籠った衝撃波は世界の壁にぶち当たり、破壊した。

 

 下半身が封印されて動かないアニーシャ様は、全魔力を使ったことで意識が朦朧としてしまったようだ。そのまま自分が開いた世界の狭間に吸い込まれて行ってしまった。

 

 

 三柱の女神は死んだ。

 アニーシャ様は世界の狭間に吸い込まれて消えた。

 

 私は、アニーシャ様を討伐した騎士として国で称えられた。

 憤慨した私は、その場で教皇を含めた国の人間を皆殺しにした。そして最後の人間を殺すと共に、私も自害した。

 

 

 ――――私は、魅せられたのだ。

 

 

 生まれた時から信仰するのが当たり前だと思っていた女神。

 この世界で最強の存在だと思っていた三柱の女神。

 そんな神たちが、歯牙にもかけられず蹂躙される姿。

 

 圧倒的な暴力の権化。

 その御方を私が倒したなどと、侮辱も良いところだ。

 

 アニーシャ様が三柱の女神を殺したところを知っているのは私だけ。

 あの御方が世界の狭間に吸い込まれたのを知っているのも私だけ。

 

 私がアニーシャ様を世界で一番理解している。

 だから私が、あの御方と添い遂げるのに最もふさわしい。

 

 

 

「クク……。そうだ、久しぶりに顔を会わせておくか」

 

 ピュアホワイトはタオルで水気を取った後、服も着ずにシャワー室の外へと出た。

 そこは幹部である彼女に宛がわれた個室なので、誰かが入ってくることはない。

 

 ガラスケースの中でピカピカに磨かれた黒い鎧。二メートル超えの人間でも足を伸ばして寝られる巨大なベッド。

 そして部屋の中央に置かれた鉄製のひじ掛けが付いた椅子。その横にはドラム缶に鉄のパイプが何十本も突っ込まれている。

 

 ピュアホワイトは椅子に座り、ドラム缶から取り出した鉄パイプを素手で曲げて自身の四肢を拘束した。こうしておけば、万が一他の人格が体を奪ったとしても、鉄パイプを曲げる力を持っていなければ動くことは出来ない。

 

 彼女は体の主導権を静かに手放す。

 元の宿主は自我が殆どないため放っておいても問題ない。ピュアホワイトは宿主に一瞥もくれず、宿主の中に入った。

 

 

 ――――宿主の中。

 

 

 凹凸のない平らな灰色の地面。どす黒い空。そんな無機質な空間が広がる、人格達の寝床とでも言うべき場所。

 外では宿主から5メートルも離れられない。だが、この中ならば半径百メートルくらいの空間で自由に動くことが出来るのだ。ちなみに俊介は外で動く範囲が百メートルの為、中の空間は街一つが入るほどに広い。

 

 唯一、空間の中央に平面のホログラフが浮かび上がっている。そこには宿主の今の視界が写っており、意識をそちらに向ける事で宿主が聞いている音も感じることが出来る。

 

 しかし今のピュアホワイトには宿主の視界などどうでもいい。

 その辺りに転がる六人の人格達を無視し、一番奥でへたり込む女の人格の前に立った。

 

『気分はどうだ? ()()()()()

『っ……』

『中から見ていたんだろう? お前の心の拠り所とかいう、幼馴染がこの世界に来ていたことを』

 

 二メートルを超える、純白の鎧を纏った金髪の女。元の世界で大聖騎士とまで呼ばれたサリアスの姿と寸分相違ない。

 彼女は美麗な顔を邪悪な笑みに歪め、目の前の黒髪の女を見下した。

 

『だから、何?』

 

 黒髪の彼女――――小日向真昼と呼ばれた女性は、サリアスを鋭く睨み返した。

 赤いリボンを付けたブレザーの制服は所々汚れており、その頬には酷いあざが出来ている。何者かに恐ろしい力で殴り飛ばされたのだろう。

 

『んん、いい気分だ。普段は鬱陶しいお前の強がりも、今は心地いい子守唄に聞こえる』

『気持ち悪い』

『だが余り調子に乗るなよ。私とお前の実力差は何度も示した。ま……訓練も積んでいない一般人相手に、私が後れを取る訳もないが』

 

 サリアスは彼女のあざに目を向ける。

 真昼をぶん殴った何者かとは、当然、サリアスのことだ。そして周囲に転がる六人の人格達の体のいずこかにも、同じような怪我がある。

 

 

 なぜサリアスは他の人格を痛めつけるような行為をしているのか?

 

 

 それは、他の六人の人格を全て無力化したいと考えているからだ。

 

 それではなぜ、他の人格を無力化したいのか。

 それは、彼女が永遠に体の主導権を握っていたいからである。

 

 人格が宿主の体を奪えば、宿主側から体を取り返すことはできない。

 しかし人格同士ならば話は別。人格ならば、他の人格が操っている体の主導権を強奪できるのだ。

 

 永遠に体を奪っていたいサリアスにとって、他の人格は体の主導権をいつ奪ってくるか分からない邪魔な存在。

 故に全員殺してしまおうと斬り払ったが他の人格を殺すことは出来なかった。苦痛を与えることはできるが、一分もすれば復活してしまうのだ。

 

 なので痛みを与えて他の人格の精神を壊すことにした。

 他の人格は世界の差はあれど、過度な痛みに慣れていない一般市民ばかりだった。順調に他の人格を無力化することができていたのだが――――唯一。

 

 唯一、小日向真昼だけは心を折る事ができなかったのだ。

 生前の幼馴染という存在を心の支えにして、どれだけ痛めつけても折る事ができなかったのだ。

 

 

 

 お互いに睨み合う中、サリアスがぷふっと口の端から息を漏らすように笑った。

 

『そろそろお前の心をぶち折れる日が来ると思うと、私は胸がスカッとしてたまらないぞ。小日向真昼』

『どういうこと……?』

『フフフ。一から説明してやろう』

 

 サリアスはどかっと腰を下げ、小日向真昼と視線の高さを合わせる。

 

『アニーシャ様をこの世界に顕現させるには、あの男の意思自身でアニーシャ様を呼び出させる必要がある。だがあの男は私と同じ複数人格、それも中々の実力者を何人も宿らせているようだ』

『…………』

『故に、あの男には私との実力差を理解させる必要がある。だからアニーシャ様を呼び出すまで、どんな人格を出しても、何度でも何度でも叩き潰す。……その過程できっと、お前の幼馴染も出てくるはずだ』

 

 そこまで言い、サリアスは右手の指で真昼の頭を軽く弾いた。

 

『よく見ておけよ。お前の幼馴染に、汚らわしい魔族でも吐かないようなみっともない悲鳴と命乞いを吐かせてやる』

『……サリアス……ッ……!』

『その時、お前の心がどれくらい綺麗に折れるかが楽しみだ。ククク、フフフ……』

 

 言いたいことを言い終わったのだろう。満足げな顔でサリアスは腰を上げた。

 真昼は彼女に突っかかりたいが、生憎、死なない程度の力で四肢の骨を叩き折られている。そのせいで動く事が出来ないのだ。舌を噛み切って自害することはできるが、復活しても即座に四肢を叩き折られるだけに終わる。

 

 

 宿主の中から外に出て、再び体の主導権を奪うサリアス。

 遠くに浮かぶ宿主の視界を見つつ、真昼は顔を俯ける。

 

『……まーちゃん…………』

 

 彼女は人の尊厳を汚し、殺し尽くすサリアスに対抗してきた。

 精神を正気に保つ最後の自分がいなくなれば、サリアスは完全に体を乗っ取れる。自分が体の主導権を奪う可能性がある――――そう思わせるだけで、サリアスの行動を少しだけ抑えることが出来るのだ。

 

 もし自分がいなくなれば、サリアスは今よりもっと残虐な事を行うようになる。

 それが許せなかった。

 元の世界の自分のように酷い末路を辿る者が増えるから。それが心の底から許せず、今の今まで正気を保ち続けていた。

 

 だが。

 最後の心の砦である、元の世界で幸せに暮らしているだろうと思っていた幼馴染。

 彼がもし、目の前でサリアスに蹂躙されてしまったら。

 

『お願い、まーちゃん。ここに、来ないで……』

 

 真昼は、正気を保ち続けられる自信がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ついに未来革命機関の拠点を突き止めた俊介。

 

 

「――――未来革命機関、潰すぞッッッ!!」

 

 

「ちょっと待てーッ!!」

 

 意気揚々と病室から出て行こうとしたところを、橘に飛び掛かられて無理やり止められた。

 

「何すんだッ!!」 

「馬鹿かあんた! 体斬られて数時間しか経ってねえんだぞ、せめて今夜は寝とかねえと!!」

「知るか!!」

「待て待て待て!!」

 

 頭から湯気を出しそうな勢いで顔を真っ赤に染め、病室から飛び出ようとする俊介。

 それを全身の体重を掛けるように押しとどめる橘。

 

 そんな押し問答を数分ほど続け、お互いに疲れたのか、息を切らしたまま病室のベッドへと腰掛けた。

 俊介は肩で息をしつつ、俯けた顔を僅かに橘の方に向ける。

 

「怪我なんかどうせ一日寝たくらいじゃ同じだって……」

「だとしてもよ、未来革命機関の拠点だぞ? ピュアホワイトだけじゃない、他の兵士だっていっぱいいるんだぞ? 無策で突っ込むのは流石にまずいだろ」

「……まあ……」

 

 俊介は、夜桜邸で出会ったバミューダスという上級兵士の男を思い出した。

 正直な話、橘くらいの下級兵士が束になったところでどうにもできるだろう。

 だが問題は上級兵士だ。ある程度強い奴とピュアホワイトが組むと、こちらの勝率は間違いなく下がる。

 

 未来革命機関の拠点ではピュアホワイトと戦う必要が必ずあるだろう。

 夜桜さんを助けるためには奴を倒すことが大前提だ。どうしても負けられない。

 

 橘は必死に俊介に言葉を投げかける。

 

「つまりだ。時間は掛かってもいいから、上級兵士だけでも少し減らさないと……」

「時間は掛けない。上級兵士は始末する。両方やらなきゃなのが高校生の辛い所だな」

「は?」

「明日の朝イチで襲撃します。おやすみ!」

「ちょまッ」

 

 彼女の制止を聞くことなく俊介は布団を被り、一気に睡眠というまどろみの中へと意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――翌日、午前五時。

 

 

 

 

 

 

 山の中に潜むように建っているコンクリートの建物。

 それは、何十年か前の戦争時に建てられた軍事施設だ。尤も今は草がびっしりと表面を覆い、軍事施設には到底使えない成れの果てと化している。

 

 国の管理が行き届く事はない。恐らく書庫の底に紙媒体の記録が埃を被っているだけで、誰の記憶にも残っていないような建物。

 その場所に、怪しげな人間達が十数人ほど出入りしていた。

 

「早く物資の運搬を終わらせろ。予定の時刻に間に合わない」

「キキキッ! キキキッ!」

 

 段ボール箱をせっせと運ぶ下級兵士達に指示を出す二人の上級兵士。いや、実際に指示をしているのは一人で、もう一人は不可思議な笑い声をあげながら地面に犬のように座っている。

 

 

 この元軍事施設は、今は未来革命機関の地上拠点と化していたのだ。

 地上拠点、いや、補給拠点と言った方が正しいだろう。

 

 未来革命機関の本当の拠点である軍艦は空に浮かんでいる。

 しかし、いくら巨大軍艦とはいえ船の中で食料を自給自足できる訳がない。外部から食料を運び込む必要がある。

 

 だが、いちいち地上の何処かに船を降ろす訳にはいかない。

 降ろすために膨大な土地を確保する必要があるし、地上に降ろせば人対などの公的機関や敵対組織に発見される恐れが高まる。

 

 そこで未来革命機関が取っている方法が、幾つかの決められた地上拠点から、補給物資を空に浮かび上がらせる方法だ。

 これならば、所定の場所に船を移動させるだけで補給物資を確保することができる。一つに纏めた物資を浮かび上がらせるだけならそうコストも掛からない。

 

 

 数分ほど経ち、一人の下級兵士が上級兵士に近づき、敬礼と共に言葉を吐いた。

 

「物資運搬、完了しました」

「分かった。ではお前達は所定の位置に行け、睡眠剤を散布する」

 

 下級兵士達は未来革命機関の拠点の場所を知ることは許されない。

 実際は拠点はすぐ真上にあるのだが、下級兵士達はここから更に別の場所にある拠点へ荷物を運ぶのだろうと勘違いしている。本当は真上に浮かび上がらせるだけなのに。

 

 

 荷物を運んでいた下級兵士達が所定のコンテナの中へ入って行くのを見届ける中、地面に座る上級兵士がぼそりと呟いた。

 

「……めンどくセーなァ……オレがなンで地上に降りなキゃいけネーんだよ?」

「仕方ないだろう。ピュアホワイトからの命令だ」

「チッ。アー、めンどくセー……。はヤく拠点に帰って女をキリ刻みタイぜ」

「悪趣味な……反吐が出る」

 

 

 地面に座る、少しおかしな喋り方の上級兵士。名は『キーマ』。

 褐色のギザギザ歯を生やした少女であり、手に巨大な鉄の鉤爪を着けている。情緒不安定で、苛つくと地面を爪で引っかいたり、低く唸ったりと、まるで獣のような仕草をする。

 そして最大の特徴は、人間を斬り刻む感触が大好きなシリアルキラーだということだ。元の世界では四十人近く殺したらしく、実力は折り紙付きである。

 

 もう一人の比較的マトモそうな上級兵士。名は『サンパーミュ』。

 元の世界では魔法剣士という珍しいスタイルで戦う、かなり偉い貴族だったらしい。

 白いスーツの胸元のポケットに赤いバラを入れ、金髪をオールバックに固めているその姿からは、若干のナルシスト味を感じる。喋り方からも相手を見下す傲慢さが見え隠れしている。

 魔法を剣に纏って戦うその戦闘スタイルは、ピュアホワイトには遠く及ばないものの、上級兵士と認められるに十分な実力があるようだ。

 

 

「約束の時間まで残り十五分。フン……そう急かす必要もなかったか」

「アー……! 今かラ街に行ッて一人刻むくラいの時間はあルよなァ!?」

「遅刻しても待たんし、私は責任を取らん。それでもと言うのなら、今すぐその汚らわしい欲を満たしてこい」

「ヘヘハハハァ!! なラ今すグ――――」

 

 

 

 

「――――ァアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!!!」

 

 

 

 

 

 声帯が千切れんほどの絶叫。明らかに正気を失った者の声。

 二人はその声が響いた方向に一斉に目を向けた。

 声の聞こえてきた方向は、下級兵士達が入るコンテナがある方向だ。

 

「あア……?」

「なんだ……?」

 

 キーマは腰を上げ、四足歩行の姿勢で立ち上がった。

 サンパーミュは腰に下げる剣に手を掛けたまま、件のコンテナがある場所に近づく。キーマも彼の背中を追った。

 

 

 ――――ドンッ! ドンッ!

 

 

 そしてコンテナがある場所に近づく度、何やらドンドンと硬い物に何かをぶつける鈍い音が聞こえてきた。

 二人は曲がり角を曲がり、件のコンテナを視界に入れる。

 

「ッ……!?」

 

 シリアルキラーのキーマでさえ思わず冷や汗を流す。

 それほどまでに、下級兵士達が入るコンテナの中はおどろおどろしい狂気が広がる空間と化していた。

 

 大半の下級兵士は頭から血を流して地面に這いつくばっている。

 数人の兵士だけがコンテナの内壁に頭をドンドンと勢いよく打ち付けていた。よく見れば目は白目を剥き、口の端から泡を吹き、がくがくと首を左右に揺らしながらも頭を打ち付けている。

 地面に転がる兵士達の中には時折、勢いよく痙攣している者もいる。まるで何かの薬物を一気に吸入させられたかのようだ。

 

 

「な、なンだこりャ……?!」

 

 キーマが思わず後ずさる。

 何があったかは分からない。だが、何者かがこの惨状を作り出したことは確かだ。自分達に敵対する何者かが。

 

「チッ……まずは手数を減らしに来たか。いいだろう、私が相手をぎゅぐッ――――」

 

 サンパーミュが腰から剣を引き抜いた瞬間。

 背後から伸びてきた両腕が勢いよく彼の首を締め上げ、一瞬の内に気絶させた。

 

 腕を開放すると同時に、白目を剥いたサンパーミュの体が膝から地面に崩れ落ちる。

 

「ッ!? てッめェ、いつの間ニ……!!」

「この程度の隠密にも気付かないか。視界が晴れた朝の上、煙幕も張っていないんだがな」

 

 サンパーミュの背後には、ガスマスクを付けた青年が腕を組んで仁王立ちしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――空に拠点があるというのなら、確実に補給のための場所を地上に設けている』

 

 朝目覚めた俊介の前で、ガスマスクはそう語った。

 

『その補給物資に紛れて船内に乗り込むのが上策だ。俺はそう考える』

「ああ、俺もそれが一番だと思う。肝心のその拠点は見つけられそうか?」

『このレーダーで、未来革命機関がどの方向に向かっているか分かる。その情報があれば容易だ』

「そうか……けど拠点には上級兵士がいる可能性がある。そして、出来るならその場で上級兵士は始末したい」

『それも可能だ。だが、補給物資の受け渡しの際に上級兵士がいなければ、相手に怪しまれる可能性があるな』

 

 そうガスマスクが語った時、俊介のすぐ傍にいた半透明のドールが元気に手を挙げた。

 

『はいはいはーい!! なら私が操るよ!!』

「ドールか。大丈夫?」

『うん! でもダークナイトくらい強い相手だと操作が出来ないっていうか……弾かれちゃうことがあるから、なるべく気絶させてほしいかなって』

「流石にダークナイトほど強くはないと思うけど……まあ気絶させるだけなら大丈夫だ。頼むよドール」

『なら下級兵士は私の声で片付けてしまうとするか』

「そうだな。じゃあその手筈で拠点を攻めよう」

 

 サイコシンパスが椅子に腰かけ、頬杖を突いたままそう言う。

 そんな風にぽんぽんと話を進めていく俊介に対し、出発の準備をしていた橘が声を掛けた。彼女にとって人格は見えないから、会議の結果がどう纏まったかを確認する意味合いもあっての声かけだろう。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれないか」

「何ですか?」

「その……確かにあんたが強いのは認めるけどさ。上級兵士が何人いるか分からないのに、その補給拠点に気軽に攻め込むのはどうかと思ってよ」

「ああ、大丈夫ですよ」

 

 俊介は一切時間を置くことなく、迷いのない言葉で言い切った。

 

「上級兵士って奴らだけで尚且つこちらから攻めるなら、絶対に負けません」

「な、なんで?」

「俺の人格達は強いからです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして時は進み。

 サイコシンパスが一か所に集まった下級兵士を片付け、ガスマスクが残った上級兵士の相手をすることになった。

 

 地面を駆けるキーラが鉤爪を振り、ガスマスクに襲い掛かる。

 だがガスマスクはそれを危なげなく回避し、キーラの体の側面を蹴り飛ばした。軽い少女の体が吹っ飛び、地面を二メートル程ごろごろと転がる。

 

「かホっ……!!」

「お前達の拠点を見つけるのに大分苦労した。俊介もかなり困っていたな」

「クソが、調子のンなッ!!」

 

 彼女が人間とは思えない動きで立ち上がり、近くの壁に飛び移った。

 そのまま別の壁に飛び移り続け、ガスマスクの周囲を覆うように飛び続ける。

 

「死ネっ!!」

 

 残像を残す程の速度で飛び回りつつ、鉤爪の切っ先をガスマスクに向けて振り降ろした。

 しかし、懐から一瞬で取り出された軍用ナイフで鉤爪が弾かれる。別の方向から何度も斬りかかるが、まるで先読みされているように鉤爪が弾かれ続ける。

 

「は、ァ!? なンでッ――――」

 

 困惑でキーマの速度が緩まった一瞬。

 ガスマスクが彼女の体を掴み、勢いよくコンクリートの地面へと叩きつけた。彼女の肺から勢いよく空気が飛び出し、新しい酸素を取り込もうとパクパク口を動かす。

 

 少女が酸素を求め、苦しそうに息をしている。

 一見可哀そうな光景だが、ガスマスクは一切の容赦なく彼女の顔を足で地面に踏み付けた。

 

「匂いで分かる。お前、ある程度の人間を殺しているな? しかもその腐った性根……概ねシリアルキラーと言ったところか。トールビットなんかとは比べるまでもない小物だが」

「小物……!? オレが、小物だァ?!」

 

 ガスマスクの言葉はキーマの怒りの琴線に触れたようだ。

 彼女は力づくで足を抑えるガスマスクの足を振り払い、少し離れた場所に飛び下がった。

 

「全力で殺しテやるヨ!! クソ野郎がッ!!!」

「ああ、そうだ……それぐらい殺意を向けてくれると、こちらも幾分やりやすい」

 

 キーマは地面に四足歩行の状態で鉤爪を地面に突き刺し、体重を後方に掛ける。

 そして後ろ足で地面を蹴ると同時に、前腕で体を前に押し出した。足と腕の筋肉を全て使った前方への急加速。時速は六十キロを下らず、このまま鉤爪で斬れば人間などあっという間に肉塊だ。

 

 そんな彼女の必殺技である超加速に対し、ガスマスクは。

 万力のような握力で握られた右拳を、全力でキーマの顔面にぶち当てた。

 

 

 

 ――――ドッ

 

 

 

 骨と骨の衝突する鈍い音が響く。

 キーマは拳がぶつかった瞬間に意識を失い。

 

 

 

 ――――ガッチャアァアアアアンッッ!!!

 

 

 

 背後にあったコンクリートの壁に勢いよく衝突した。

 壁は鉄球でもぶつかったように深く凹み、どれだけの力が加わったのかを感じさせる。

 ふぅーっと深い息を吐いたガスマスクは、握られた拳をゆっくりと解きながら言葉を吐いた。

 

「俺も未来革命機関(お前ら)にはイラついてるんだ。散々俊介をコケにしやがって……ゴミ共が」

『めずらしー……。ガスマスクがそんなに怒ってるとこ、初めて見た……』

 

 いつの間にか、すぐ傍に次に上級兵士を操る手筈のドールが立っていた。

 ガスマスクはすぐに怒りを振り払い、冷静さを取り戻した声で言う。

 

「逆に、ドールは怒っていないのか?」

『え? お兄ちゃんを害する奴らは全員殺してもいいかなっていつも思ってるよ? もちろん未来革命機関も!』

「…………」

 

 寧ろドールの方が内側にごうごうと燃える怒りの炎を隠していたらしい。

 ガスマスクはポリポリと頭を掻きつつ、俊介に体を譲った。

 

 体の主導権を取り戻した俊介は軽く息を吐く。

 

「……ふう。そうか、片付いたか。……橘さん!」

「おぃい、マジかよ……。めちゃくちゃ強いじゃん、ほぼ一撃じゃん……俺いるぅ?」

 

 怯えながら、森の中から姿を現す橘。

 彼女にはここまで車を運転してもらったのだ。そしてこれから未来革命機関の拠点に乗り込むのにもついて来てもらう。

 

「あなたがいないと拠点の中の構造が分かりませんし」

「説明したじゃん、事前に……図付きで」

「実際に知ってる人がいないと、いざという時に不味いですし」

「クッソ……。この件が解決したら、俺の戸籍云々作るのを手伝ってもらうからな!」

 

 橘が青い顔でそう吐き捨てる中、俊介はドールに両腕の主導権を譲る。

 ドールは片腕でサンパーミュ、もう片方の腕でキーマを操るという器用な操作を始めた。

 

「下級兵士が入ってるコンテナの中に紛れ込むか」

『だね。他の段ボール箱には流石に入れそうにないし』

「悪いけど外から閉めてくれ」

『わかったー』

 

 橘と二人でコンテナの中に入り、ドールが操る上級兵士の二人に閉めてもらう。

 完全に締め切ったコンテナの中には光が全く入らない。その上下級兵士達が流す血のせいでかなり鉄の匂いが充満しているが、今は我慢の時だ。

 

 

「……うっ、うっ。怖い……」

 

 

 橘が僅かに嗚咽する声が聞こえる。

 彼女にとって未来革命機関の拠点に戻るというのは、俊介の想像以上に恐ろしい物なのだろう。

 

 暗闇の中、俊介は彼女の傍に近づき、腰を下ろした。

 

「無理させてすみません」

「い、いや。こちらこそ泣いて悪い……」

「大丈夫です、俺が絶対にあなたのことを守りますから。……一緒に無事に帰りましょうね」

「っ……う、うん……」

 

 俊介は彼女の持つ情報に色々と助けられた。そしてそれと同時に、彼女に色々と無理を言っている自覚はある。

 だからこそ約束するのだ。せめて、絶対に身の安全だけは保証すると。

 

 橘は隣に座った俊介に何を言うこともなく、少しだけ体重を預けた。

 

 

 ……数分して、コンテナが浮かび上がり始めた。

 ドールが言うには、上級兵士達の体も勝手に浮かび上がり始めているらしい。恐らく一定の範囲の物を全て船の中に向けて浮かび上がらせているのだろう。

 

 そして、ちょうど数えて三十秒。

 反重力が収まり、コンテナの中の重力が元の物に戻った。

 

 

 ついに――――辿り着いたのだ。

 未来革命機関の拠点へと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





めちゃくちゃ強い相手からの下心ない純粋なあなたを守る宣言。
コンテナの中は暗闇だから橘が頬を赤らめてても分かんねえよなぁ!?

正直TS物の良さを今まで理解しきれていなかったが、自分で書いてなんかわかった気がする。TS物はこの世に全身全霊で存在している。
問題は橘をTSに定義づけしていいかだ。多分TS!


-Tips-
結構な頻度で喧嘩してる殺人鬼達だが、実はお互いを殺したことは一度もない。
理由は『俊介に殺人を禁じられている』から。なので人格が死んだ時にどうなるかは実は知らない。




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#78 胎動

 

 

 

 

 

 未来革命機関の拠点内部。

 船の一番下、船底に開閉可能なハッチを付けた補給物資搬入用の部屋。そこには上級兵士の一人が立っており、地上から浮上してくる物資を静かに見つめていた。

 

 そして、きっかり三十秒。

 全ての物資が船内に入ったのを確認してハッチを閉める。それから反重力装置を切る事で、室内に浮かび上がっていた物資達が軽い音を立てて地面に落ちた。

 

 元々部屋にいた上級兵士は、地上から上がってきた二人の上級兵士――――サンパーミュとキーマに声を掛ける。

 

「よう、お疲れさん。今回は物資が随分多いな」

「……ああ」

 

 少しふらふらとした二人の様子に、訝しんだ様子で目を細める。

 

「おい、お前ら大丈夫か? 目の焦点が全然合ってないけど」

「…………ああ」

「変な薬でもやってきたんじゃねーだろーな。ピュアホワイトに粗相して俺にまで被害飛ばさないでくれよ」

 

 その上級兵士にとって、他の上級兵士がどうなっていようと知った事ではなかった。全てにおいて自分の身の安全が優先、それ以外には特に深い興味をいだく事がないタチだった。

 そんな風な考え方をしているから、ここで失敗してしまうのだろう。

 

「よっ、と」

 

 下級兵士の入ったコンテナの鍵を解除し、扉を開ける。

 その瞬間、中から疾風のような速度で両腕が伸びてきた。その手の行く先は上級兵士の頭。

 

「なッ――――」

 

 困惑しながらも、咄嗟に反重力バリア装置を起動してバリアを展開する。

 上級兵士の頭を狙った両手は一瞬だけバリアに阻まれたが、すぐにその圧倒的な膂力でバリアを破壊した。そして両側から両手でプレスするようにぶっ叩き、上級兵士を気絶させる。

 

 耳や鼻や目から血を流し、地面に倒れ込む兵士。

 それをゴミのように蹴り飛ばし、エンジェルはコンテナの中からのそっと歩き出た。

 

 彼女は部屋の中を数度見渡して敵がいないのを確認した後、コンテナの中に隠れている橘の方に振り返る。

 

「俊介と体を変わります。細かい話はそちらに」

「あ、ああ……」

 

 一瞬の硬直。体の主導権の譲渡の合図。

 雰囲気の変わった俊介を前に、橘はほんの少しの安堵の息を吐いた。

 

「あんたの人格、結構オーラあるよな……。正直、ちょっと怖いぜ」

「最初は俺も怖かったですけど、慣れれば良い奴らばっかりですよ」

 

 

 床に転がる三人の上級兵士を無視して、俊介と橘は部屋の扉まで近づく。

 カードキーを使うタイプの電子ロックがあるみたいだが、先ほどの上級兵士の全員からキーをパクっておいた。これで大体の所には入れるだろう。

 

 俊介はカードキーを手に持ちつつ、橘に問いかけた。

 

「今いるこの部屋がどこか分かりますか?」

「分からん。ここは補給物資搬入口っていう明らかに拠点の正体に迫るような部屋だからな、下級兵士の立ち入りは許されてない。見覚えがあるとしたらこの先だ」

「分かりました。進みましょう」

 

 と、その前に。

 カードキーでロックを解除する前に、俊介は首に手を当てて人格を呼び出す。

 

「ヘッズハンター。出て来てくれ」

『…………』

 

 簡潔に名前を呼ぶと、中から即座にヘッズハンターが出てきた。

 しかしその表情は非常に重く暗い物で、あまり調子は良くなさそうである。

 

「右腕を渡す。いざとなったら自己判断で俺の体を奪ってくれ。……大丈夫か?」

 

 普段なら中で休んでてくれと言うが、彼の身体能力と未来予知にも近い危機察知能力はこの場面では必須だ。どこから攻撃されるか分かったものではないのだから。

 

 それに、きっとヘッズハンターにとっても、今回は何があったとしても逃げていい場面じゃない。

 今回の件がどんな風に終わるかは俊介にも分からない。だがヘッズハンターがこの件に関わらなければ、絶対に後悔すると分かっているのだ。

 

「いけそうか? ヘッズハンター」

『……ああ。大丈夫だ、行こう』

 

 濁った瞳を浮かべるヘッズハンターが顔を上げ、低い声でそう返した。

 

 頷いた俊介は更に何人かの人格を呼ぶ。

 

「トールビット、クッキング、ハンガー。三人は先行して偵察に向かってくれ。夜桜さんかピュアホワイトを見つけたら連絡してほしい」

『分かったよ』

 

 トールビットとクッキングにこれからの本気の戦闘は少しキツイだろう。ハンガーは大丈夫だろうが、肝心の縄を持って来ていないので彼女の本領は発揮できない。そもそも今回は首吊りなんて生易しい方法で済ませるつもりはないからだ。

 

「キュウビ、フライヤー、ダークナイトはいざという時の為に外でついてきて欲しい」

『物騒な面々じゃのう』

 

 恐らく広域破壊に関しては絶対に組み合わせてはいけない三人組だ。フライヤーの炎を強くする体質にキュウビの火をぶち当てればお手軽レーザーが発射できる。 

 ダークナイトに関しては今更語るまでもない。

 この三人を出す時はそれこそ本当の最終手段だろう。

 

「そして……マッドパンク」

『……おう』

「一応、ついて来て欲しい。もし機関室とか見つけたら弄って欲しいし。他にも弄れそうな機械があったら頼む」

 

 そう言われた後、マッドパンクはチラリと他の面々の方を見た。

 だが、全員が何事もなさそうに視線を逸らす。マッドパンク自身もまた、視線を逸らした。

 

 

 病院の屋上で、ニンジャはマッドパンクから『妹が未来革命機関にいる』という情報を聞いた。

 ニンジャは少し悩み、この情報を俊介には伝えず、他の殺人鬼達には伝えることにしたのだ。

 

 そうすれば例え俊介に危険な事態があっても、自分達の力でカバーすることが出来る。事前に知っておくと言うのは大事なことだ。

 まあ、殺人鬼達はマッドパンクの妹が相手でも何ら気にせずボコボコにできるから、というのもあるが。

 

 

 

 俊介はマッドパンクやその他のみんなを少しだけ見つめていたが……すぐに扉の方に視線を戻した。

 

「よし、行きます」

「おう……」

 

 左手に持ったカードキーを電子ロックのカードリーダーにかざす。すると緑色のランプが点灯し、プシッという音と共に扉が開いた。

 俊介と橘は身を屈めつつ、すぐに扉の向こう側に身をくぐらせる。

 

 補給物資搬入用の部屋の先は、長い廊下が広がっていた。軍艦の中とは思えない純白の壁と床だ。わざわざ塗り直したのだろうか。

 

「この廊下は何処か分かりますか?」

「分からん……すまん」

「いえ、ならもっと進みましょう」

 

 左右に幾つかある扉を開けると、食料品などの生活必需品が入った段ボール箱が積み上げられていた。おそらくこの船底の辺りは補給物資を搬入し、貯めておくための倉庫なのだ。

 夜桜さんみたいな重要人物をたかが物を貯めるための倉庫に入れておくわけがない。他の兵士の姿も先ほどの上級兵士以外は一人も見かけない。

 

 廊下の突きあたりに上に昇るための階段が見える。

 きっと本番はあの先からだ。

 

 

 俊介は意を決し、背後の橘と共に階段を登る。

 階段の先は再び廊下が広がっていたが、今度は二手に別れている。

 

 右側の廊下からは硝煙の匂い……おそらく銃弾を撃ったあとの匂いが漂ってきていた。

 そしてもう左側からは、なんというか、生臭い……生き物臭い? とにかく表現しづらい臭いが香っている。

 

「どっちに進んでもヤバそうな感じがしますね……橘さん、まだ見覚えはないですか?」

「ない……。だが、硝煙の匂いがする方は俺達の訓練場だと思う。変な臭いの方はよく分からん」

「…………」

 

 首に手を当て、中から人格を呼び出す。

 

「ガスマスク。硝煙の香りがする方を見て来てくれ。あともし敵がいたら、数とかの確認も頼む」

『分かった』

「俺達はこっちの変な臭いがする方に行ってみるから」

 

 特に変な臭いのする道を選ぶ理由があったわけではない。

 しいて言うならば、俊介の勘だ。

 この方向に行けば夜桜さんに近づける気がするという、気持ち悪いセンサーが発動したのだ。

 

 

 左手で鼻を抑えつつ、そちらの方向の道を進む。

 一体何の臭いなんだ。先に進むたびに臭いが酷くなる。

 

 少しの間歩き続け、左右の壁に扉があるのを発見した。

 多少警戒しつつ、右側の扉の前に近づく。どうやらここも電子ロックで施錠されているらしい。

 上級兵士のカードキーをカードリーダーにかざすと、緑色のランプの点灯と共にロック解除の音が鳴った。

 

 警戒を緩めることなく、扉をくぐって部屋の中に入る。

 

 

 

 ――――その瞬間、顔中に息苦しいほどの生臭い臭いと湿気が覆いかぶさった。

 

 

 

「ッ! っぷ、う……ッ!!」

「な、これは……」

 

 背後にいた橘は胃の中からせり上がった吐しゃ物をギリギリで押し留め、壁の方に顔を向けた。部屋の中にあるものを直視し続けたくなかったからだ。

 俊介ですら動揺を隠し切れず、思わず声を漏らす。傍に居たヘッズハンターは更に身から放つ殺意を強めていた。

 

 

 

 ――――部屋の中には、複数人の裸の女性がいた。

 

 しかもその全員が例外なく妊娠しており、全身によく分からない管を繋がれている。その中で特に多く管が繋がれている箇所があった。

 

 それは、()()だった。

 今まさに胎児が入っている胎の中。

 

 外側から、中の胎児にまで届くように長い針が繋がった管が複数刺し込まれている。

 そして女性器にも複数の管が無理やり挿入され、何らかの液体を点滴のようなゆったりとした速度で流し込み続けている。女性器の端は太い管を挿入されすぎて千切れたのか、医療用ホッチキスで無理やり補強された跡があった。

 

「な、なんだよこれ……っあ、だ、大丈夫ですか!?」

 

 ようやく動揺から回復した俊介。

 小走りで女性達の一人に近づき、すぐ傍に立って肩の辺りを揺さぶる。しかし反応はなく、どす黒く焦点の合わさらない瞳が頭の動きに釣られてゆらゆらと揺れるだけだ。

 

『完全に、壊れてやがる……』

 

 ヘッズハンターも女性のすぐ傍に近づき、そう呟く。

 ようやく吐き気を抑えたのだろう。橘もよろよろとおぼつかない足取りで近づいて来た。

 

「うぷ、これ、一体誰がこんな酷いことやったんだよ……」

「分かりませ……あっ」

 

 ここまで時間が経ち、俊介はやっと彼女達が何をさせられているかの答えに行きついた。

 

 榊浦豊が言っていた。

 奴の娘である榊浦美優は『()()()()()()()()』とやらの研究をしていると。

 そしてよく部屋の中を見回すと、書きなぐったようなメモや、何らかの状態で放置されたパソコンがある。恐らくここは、榊浦美優の『デザインベイビー』の研究室なのだ。この女性たちは奴の実験台にされているのだ。

 

「榊浦美優、あの野郎ッ……!!」

 

 俊介は熱い正義感を持つ男ではない。赤の他人が虐げられていようと、無条件で心の底から助けたいと思うようなカッコいい男ではない。

 だが目の前の、余りに倫理観を逸脱した行為にはとてつもない怒りを覚えた。

 

 

 ――――と、その時。

 

 部屋の奥にあったもう一つの扉のノブが、ガチャリと音を立てて回った。

 

 

 俊介と橘が同時に扉に振り向く。

 扉の奥からは。

 淹れたばかりであろう湯気の立つコーヒーカップを持った榊浦美優がのっそりと現れた。

 

「誰かな、私に何か用事……ッ?!」

「てめッ――――榊浦美優ぅッッ!!!」

 

 こめかみに血管を浮かばせた俊介が、ヘッズハンターに両足の主導権を譲ろうとする。

 彼我の距離は約6メートル、俊介が走るよりもヘッズハンターに渡した方が速いと判断したのだ。

 

「なんでここに――――チッ!!」

 

 非常に腹立たしいが、榊浦美優は人類トップレベルに優秀な人物だ。なにせあの浮遊人格統合技術を開発した主要人物なのだから。頭の回転力では万事天才の夜桜に全く引けを取らず、緊急時の判断力もまた人類最速レベルと言っていい。

 敵である俊介の姿を確認し、舌打ちと共にコーヒーカップを投げ捨てるように手から離す。

 

 そして俊介がヘッズハンターに両足を渡し、榊浦美優に襲い掛かるよりも早く。

 彼女が、傍にあった危険を知らせるための非常ボタンを壊れんばかりの勢いで叩いた。

 

 

 

 

 ――――ビィィイイイイイッ!!!

 

 

 

 

 鼓膜を突き破らんほどのアラームが船内に鳴り響く。

 そしてすぐに踵を返して逃げ出した榊浦美優。しかしヘッズハンターの脚力から逃げられる訳もなく、背中にドロップキックを決められて地面に倒れた。

 

 倒れてもなお這って逃げようとする榊浦美優。

 その背中に勢いよく飛び乗り、ヘッズハンターの操る足が後ろ首を踏みつける。

 

「ぐぅッ!!」

『お前……お前、お前ッ!! よくも真昼をッ!!』

「落ち着けヘッズハンター、流石にその力で踏みつけると死ぬぞ!!」

『……ッ、ああ、すまん』

 

 俊介の声を受け、冷静さを取り戻すヘッズハンター。

 普段よりも明らかに気が立っている。何かのはずみで暴発してしまう恐れがあるが、今はそれよりも、こちらに向かって駆けてくる大量の足音に注意を向けねばならない。

 

「橘さん、反重力バリア装置は持ってますか?!」

「ああ! さっきの上級兵士から奪っておいた奴がある!」

「起動させて隠れて置いてください、今から少し乱戦になります!」

 

 もう少し隠密する予定だったが、始まってしまった物は仕方ない。いずれはピュアホワイト相手に暴れるつもりだったのだ。

 俊介は両手足をヘッズハンターに渡し、足音が鳴り響く方向に向けて鋭い視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 船の何処かにある、夜桜の牢屋の中にて。

 

 

 

 

 

 ――――ビィィイイイイイッ!!!

 

 

 

 

 

『うわっ!?』

 

 突如として鳴り響いた警報に、ベッドの上に腰掛けていたバクダンが悲鳴を上げた。そのまま体勢を崩して背中からベッドに倒れ込む。

 しかしすぐに身を起こし、頭を振りながら周囲を見回す。

 

『な、なんだぁ?!』

「日高君が来たんだ……間違いない」

 

 夜桜はMRKの設計図をちびちび書く手を止め、親指と中指で持っていたペンをバキッ!とへし折った。

 椅子を引いて静かに立ち上がり、折れたペンを机の上に放り投げる。そして書きかけのMRKの設計図は復元不可能なレベルに細かく破いた。

 破いた紙の破片を足で更にぐしゃぐしゃに踏みつぶした後、くるりとバクダンの方を向く。

 

「さ。出るよ、バクダン」

『はあ!? 出るって……どうやって?! 流石に手持ちの爆弾じゃ、この牢屋の扉は吹っ飛ばせねーぞ?!』

 

 夜桜は奥歯の中に一つだけ爆弾を仕込んでいる。小さくてもバクダン謹製の爆発物のため威力はそこそこあるが、流石に分厚い鋼鉄製の扉を吹っ飛ばすほどの威力はない。

 そんなバクダンの心配に、夜桜は余裕綽々な笑みを浮かべて返す。

 

「分かってるって。だから……よっと」

 

 手に付けられた手錠も何のその。

 机の上から勢いよく上にジャンプし、天井の隅に足の力だけで貼りついた。それはちょうど、扉から入って来た者の死角に入る位置。

 

『ど、どんな足の力してんだ……』

「しぃーっ。もうすぐ来るから……」

 

 彼女がそう言った瞬間、扉の向こうからドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。

 一人ではない、少なくとも三人以上の足音。

 夜桜は息をひそめ、気配を部屋の雰囲気と同化させる。

 

 

 ピピッ!という音が鳴り牢屋の扉のロックが解除される。

 それと同時に、武装した下級兵士が飛び込んできた。

 

「おい! 今すぐここから移動ッ――――」

「――――ふッ!!」

 

 夜桜は天井から飛び降り、下級兵士の頭に鋭い踵落としを決める。体重と重力の乗った蹴りの衝撃はヘルメットを貫通し、兵士の脳みそを揺らして気絶させた。

 

「何ッ!? くそ、バリッ――――」

「遅いッ!!」

 

 着地すると同時に、後ろにいたもう一人の兵士の懐に潜り込む。

 右足の先を振り上げて顎を弾き、そのまま返す足で後頭部に踵落としを決めた。二連続の蹴りの衝撃には耐えられずこちらも気絶する。

 

「く、クソッ!!」

 

 最後の兵士がバックステップし、持っていたアサルトライフルを構える。照準は夜桜の体だ。

 しかし夜桜は一切臆することなく、先ほど気絶させた兵士の太ももからアーミーナイフを抜き取り、勢いよく投擲した。

 

「いづッ――――あ、がぁ……」

 

 肩にナイフが刺さり動揺した瞬間に、背後に回り込んだ夜桜が両腕で首を絞める。

 ほぼ完璧に決まった締め技に対抗する練度はその兵士にはなく、十数秒もすれば白い泡を吹いて気絶してしまった。

 

 

 ドサリと地面に倒れる最後の兵士を見て、夜桜は奥歯から舌で爆弾を取り出す。

 そして唇の間に挟み、息で勢いよく手錠の鎖に向けて吹き出した。

 

「――――ぷっ!」

 

 爆弾が鎖に当たった瞬間、ドンッ!と小さな爆発を起こす。

 先ほどまで夜桜の手を縛っていた手錠の鎖は千切れ飛び、チャララッと細かな金属片が地面に転がった。

 

 部屋から怯えるように出てきたバクダンが、転がる三人の兵士を視界に入れつつ、震えた声で言う。

 

『紗由莉、お前、そんな強かったっけ……?』

「えへへ。恋する乙女のパワーかな?」

『名前に反してバイオレンスすぎるだろ、そのパワー』

 

 んん~っ、と腕を上にあげて伸びをする夜桜。

 手錠のおかげで暫く自由に手が動かせなかったのだ。これでもまだ少しなまっている方である。

 

 

 今の今まではあの憎きピュアホワイトとかいう鎧がいたせいで行動することが出来なかった。この牢屋から出ることは容易いが、すぐに奴にとっ捕まえられるのが目に見えていたからだ。

 しかし日高が来たのならば話は別。夜桜は『日高君ならピュアホワイトをどうかにする手段を持っているから来たはず』と信じているので、今ここで行動することを決めたのだ。

 

「さてと。まずは日高君と合流……する前に、没収された私の爆弾を見つけておかないとね。じゃないと最低限の自衛もできないし」

『最低限って何だよぉ』

 

 解き放たれた天才少女が、恋する人と再会するために歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 

 





R-15のラインギリギリの表現をしてしまった気がする。運営様から警告が来たら修正します。
ちなみに今のところ未来革命機関はヘッズハンターの地雷を全て踏み抜いてます。口数少ないのは爆発しそうなのを抑えてるから。


-Tips-
Q.夜桜さん強すぎない?
A.実は一話登場時は戦えない設定だったんですよ。俊介に特別な武器を作って託す的なヒロインって設定でした。
 今は知らん。




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#79 邂逅

帰ったら疲れて眠ってしまっていました
なんとか今日中に間に合った


 

 

 

 

 研究室のすぐ外にまで兵士達が集まって来た。

 

『クソが……ッ!!』

 

 ヘッズハンターがこめかみに血管を浮かべつつ、俊介の両手足を動かす。

 扉の外に出た瞬間に近くの兵士を数人なぎ倒す。そして左右の壁を縦横無尽に飛び回りながらわらわらと集まって来た下級兵士達を張り倒し続けた。

 

 

 対して、部屋の中では橘が榊浦美優を見張っていた。

 榊浦美優は幹部と言えど研究専門の非戦闘員だ。元々下級兵士としていくらか訓練を積まれていた橘であれば、両腕が折れた状態でも足で押さえつけておくことは可能だった。

 

「すげえ身体能力……やっぱ俺とは根本的に違うな……」

「は、なせッ!」

「おっと……いくら非戦闘員とはいえお前みたいな危険人物逃がす訳ねえだろ。クソ野郎」

 

 橘は榊浦美優に心底侮蔑した視線を向けた。

 先ほどの女性達が人間の尊厳を破壊しつくされた様を見て、足元の女には一切の慈悲を向ける必要がないと悟ったのだ。ここまで他人に無慈悲になれたのは元の世界での人生を含めても初めての経験である。

 

 榊浦美優がもぞもぞと這いつくばって進もうとする。

 流石に少しだけは動かれてしまうが、足で立てないように押さえつけているのであまり問題はない。俊介が戻ってくるまでに一メートルも移動できているかどうかだ。

 

 そう、どうせ逃げられないのだから少しくらい動かれても問題ない。

 ……そんな風に、油断してしまった隙を突かれてしまった。

 

 

「しゃッ!!」

 

 榊浦美優がある程度進んだ所で、突然勢いよく手を伸ばした。

 床にあった小さな穴に指を引っ掛けて素早く手を引くと、床の一部分がカランと外れる。蓋代わりの床が外れた中には女性でも片手で扱えるような小ぶりの拳銃が入っていた。

 

 榊浦美優がその拳銃を手に取るが、橘は大して動揺もしなかった。

 ちゃちな拳銃どころかアサルトライフルの弾すら弾く反重力バリアを展開していたからだ。

 

「ああ? そんな拳銃でバリアを貫けるわけ――――あぶねえッ!!」

 

 しかし、榊浦美優が狙ったのは自身を押さえつける橘ではなかった。

 あろうことか、自分が実験台にしている裸の女性の方を狙ったのだ。橘は咄嗟に銃が向いた方向に体を移動させ、発射された銃弾をバリアで受け止める。

 

 実験台の女性を守る為に重心をずらしてしまった橘。

 榊浦美優はその一瞬の隙を突いて足を振り払い、先ほど自分がコーヒーカップを持って現れた扉の方へと駆けた。

 

「待てこの野郎ッ!! ふざけんなッ!!」

 

 橘もすぐに彼女の後を追いかける。

 扉をくぐった先にはもう一つの小さな部屋があり、簡単な設備が揃ったキッチンや使っていない研究設備や資材らしきものが積まれていた。そして榊浦美優は部屋の一番奥にある、小型の荷物運搬用のエレベーターに走っている。

 

 榊浦美優はエレベーターを上階に移動させるためのボタンを押し、開きっぱなしの狭いエレベーターの中に滑り込んだ。

 ボタンが押されてすぐに扉が上から下に閉まっていく。

 橘は足を挟んで扉が閉まるのを止めようとするが、ほんの数センチの所で間に合わなかった。

 

「チッ、クソッ!!」

 

 舌打ちと共に閉まった扉を足で蹴り飛ばす。

 しかしいくら悪態を吐いても仕方ない。すぐに先ほどの部屋に戻り、ちょうど下級兵士を倒し終えて両手足の主導権を取り戻した俊介に言う。

 

「本当にすまん! 榊浦美優に逃げられた……!」

「え?! な、何があったんですか!?」

「奴が銃であの女性達を撃とうとしたのを思わずかばっちまったんだ、完全に俺の失態だ。そんで荷物運搬用のエレベーターで上の階に……」

 

 申し訳なさそうに先ほどのエレベーターの方を見る橘。俊介も一応確認する。

 荷物運搬用のエレベーターなので本来人間が乗るような想定はされていない。一人が身を縮めて乗るのが限界、二人一緒に乗るなんてまず不可能な大きさだ。

 

「アレに乗って追いかけるか?」

「あんな狭い所でピュアホワイトに攻撃されたら不味いです。階段から確実に昇りましょう」

「本当にすまない……」

「いえ。あの女を甘く見てた俺の方も悪いんです、せめて足か腕を折っておけばよかった」

 

 次に榊浦美優に会ったら絶対に骨を折ろうと決めた俊介だった。

 

 

「……ところで」

 

 俊介は今なお管に繋がれたままの、実験台の女性たちの方を見た。

 

「あの人達はどうしましょう。……いや、助けたほうがいいのは分かってるんですが」

「……今は厳しいと思う。あの状態じゃ歩けるかも怪しいし、そもそも妊婦だ。激しく動かすとまずい」

「ですよね……」

「それに、俺の予想だが、あんな感じの女性はあの人達だけじゃない。もっと大勢いる」

 

 橘の言葉を聞き、俊介が彼女の方に顔を向ける。

 

「未来革命機関では兵士を作るため、五十人近くに一斉に人格を宿らせる。つまり毎回、その五十人近い宿主となる自我のない人間を作る……いや、()()()()()。……俺達兵士は元は自我のないデザインベイビーで、その五十人近い人数を生む母体がどこかにいるはずだ」

「……流石にそんな人数を一気に助け出すのは、その、厳しいです」

「分かってる。あんたで厳しいなら俺には不可能だ、なのに『やれ』なんて偉そうなことは言えない。……未来革命機関を潰しさえすれば、多分警察が助けてくれるさ」

 

 警察とは言うが、こんな人格犯罪者だらけの船に乗り込んでくるのは確実に人対だ。しかも出てくるのは一番強い牙殻だろう。

 俊介としては出来る限り会いたくない相手だ。

 

 ……どちらにせよ、実験台の彼女達には非常に申し訳ないが、現実的に考えて今は助けることが出来そうにない。赤の他人の彼女たちを助けたいという思いもあるが、俊介はそれ以上に『夜桜さんがこんな目に遭っていないか』と心配で心が埋め尽くしていた。

 

 ヘッズハンターが始末した下級兵士を踏み越える。

 その時ちょうど、別の通路に偵察しに行っていたガスマスクが戻って来た。俊介は橘に一声かけた後、ガスマスクと会話を始める。

 

『警報が鳴ったな。ヘマでも踏んだか?』

「榊浦美優にやられた。そんで逃げられた」

『そうか。まあこの船から逃がさなければ誤差だ。見つけて肉団子にしてやれ』

 

 かなり過激な発言をするガスマスク。『船から逃がさなければ』ってこの船は敵の拠点なんだが。まあわざわざ空に浮上して逃げにくくしてるし、鉄の棺桶みたいなものといえばそうなんだけど。

 

「そっちの道には何があった?」

『橘が言っていた射撃訓練場と、銃火器の倉庫だ。さっきは何人か兵士がいたが、まあ、今はいない』

 

 そう言いつつ、ガスマスクはヘッズハンターが始末した下級兵士の体を足で指し示した。すぐ駆け付けたこいつらは反対側の通路に居た奴らだったのか。

 

『そして面白い物が一つだけあった』

「何?」

『ガラスケースに入った()()()()()()だ。ギリギリ一人が持ち歩けそうな量だが、少し鍛えた兵士が扱えるような代物じゃない。爆発物に相当な専門知識を持った奴じゃないと使えそうにない奴だ』

「……あ、それって」

 

 俊介の頭の中には真っ先に一人の女性の顔が思い浮かんだ。

 それは勿論、バクダンという爆発物の超専門家を宿した『夜桜紗由莉』の顔だった。

 

「一応回収しておくか。夜桜さんに会ったら渡しておきたいし」

『そうだな』

 

 ガスマスクとの会話を終えた俊介は、先ほど来た道を引き返す。

 そして硝煙の匂いがした右側の廊下を進んだ。ガスマスクと、見覚えがあるという橘の案内を受けながら銃火器が保管されている倉庫へと進む。

 

 ……それにしても入口から銃火器の倉庫が近いって割とザルな警備だな。いや、元が船だから、船底に近いこの場所は結構奥の方なのか。空に浮かべて船底から入るなんてのがおかしいだけで。

 それか、ピュアホワイトやその他の上級兵士がいるから、銃火器なんてそう重要視されていないのかもしれない。ピュアホワイトに至っては銃が幾つ奪われたとしても余裕で斬り殺せそうだからな。

 

 倉庫の前に兵士が集まってきていたが、ヘッズハンターが一瞬で始末する。

 ……なんかいつもより動きが速くなってないか? 何時もは高速道路を走る車くらいなのに、今は新幹線くらい速かった気がする。

 

 扉を開けて倉庫の中に入ると、銃口が上に向けられたアサルトライフルが山のように置かれていた。防弾チョッキやアーミーナイフ、そして切れ目を入れたスポンジに挟まれた反重力バリア装置。

 装備が一斉に並べられている様は壮観で、こんな状況だが少しカッコいいと思ってしまった。しかしすぐに思考を振り払い、夜桜さんの為に反重力バリア装置をひとつくすねる。ニンジャがもっとくすねろと言ったのでもっとくすねた。

 

『こっちだ』

 

 ガスマスクに案内され、倉庫の奥に進む。

 電子ロックで施錠された扉があったが、上級兵士のカードキーで開錠。橘も入ったことがないという倉庫の奥には、銃ではなく、剣や鉤爪なんかの特殊な近接武器が置かれていた。

 

「上級兵士の装備……多分予備だな。ここに置かれてたのか」

 

 よく磨かれたそれらを見て橘がそう呟いた。

 ピュアホワイトの剣か鎧でも置いてあればぶっ壊してやろうかと思ったが、生憎一瞥しただけでは見当たらない。奴は幹部と言っていたし、また別の特別な場所にでも置いているのだろう。残念だ。

 

『俊介。あれだ』

 

 ガスマスクが言葉と共に指した方向に顔を向ける。

 そこには確かに、ガラスケースの中に入った大量の爆発物があった。体に掛けやすいようたすきのような革ベルトに爆弾が付けられていたり、手のひらに百個は乗りそうな微細な爆弾がトレーに山盛りに入っている。

 ……夜桜さんって普段からこんなに爆弾持ち歩いてるのか? ちゃんと仕掛ける場所を考えたら、建物一つぶち壊せそうな量あるんだけど。

 

「夜桜さんってもしかして、ちょっと危険な人なのかな……?」

『ようやく気付いたのか?』

「でも天使みたいな性格と見た目とのギャップで更にかわいい……」

『…………』

 

 ガスマスクが無言でこちらを見てくる。何故か目線が冷たい。

 顔に被ってるガスマスク越しでも無の表情を浮かべてるのは分かるんだからな。付き合い長いんだから。

 

 

 ガラスケースを拳で破壊し、中の爆弾を取り出す。全部持とうとするとまあまあ重い。総重量にして十キロ以上は確実にある。

 

「俺が持つよ。両腕は折れてるけど、体に巻き付けたりするなら大丈夫だ」

 

 橘がそう言ったので、俊介は遠慮なく彼女の体に巻き付けた。比較的軽い微細な爆弾は適当な袋に詰めてギプスの上に置く。

 

 用を済ませたので倉庫から出る。廊下には先ほど倒した下級兵士以外は誰もいない。

 ……榊浦美優が警報を鳴らしたにしてはこちらに来る兵士の数がやたらと少ない。何故だろう。

 いや、とにかく今は前進あるのみだ。

 

 

 廊下の突き当たりにあった階段を再び上る。

 船の中だから仕方ないが、再び同じような長い廊下が広がってた。

 相変わらず純白の壁と床が広がっているが、先ほどの階よりも床の足跡の汚れが多い。先ほどの階よりも人の移動量が多いのだろう。

 

 そして階段を上り切り、数歩歩いて、辺りを見渡していた橘が嬉しそうに言った。

 

「……見覚えがある! というか何度も来たことのある場所だ、ここからなら案内できる!」

「そうですか! お願いします!」

 

 何のあてもなく進むより、実際に知っている者の案内に従って進んだ方が効率が良いのは間違いない。

 嬉しそうな俊介を横に、橘は小さく呟く。

 

「やっと役立たずを脱却した……!」

 

 しかし、夜桜関連以外には基本的に耳聡く勘が鋭い俊介の耳にその呟きが聞こえない訳がなかった。ぐるりと頭を方向転換し、橘に向かって言葉を放つ。

 

「役立たずなんて思ってませんよ」

「あ、悪い、聞こえてたか……。いや、戦いじゃ役に立てないんでな。俺なんか元々弱っちい上、両腕も折れてるしさ……」

「戦うのは俺()()の役目です。貴方のことは絶対守るので、案内だけお願いします。頼りにしてます」

「……おう!」

 

 橘は力強く返事をした。

 彼女は反重力バリアを展開したまま、俊介の一歩後ろに着く。バリアを張っているとはいえピュアホワイトが突っ込んで来たら一撃で斬り殺されるからだ。あと前にいられると透明のバリアが普通に邪魔。

 

「前方直進! 夜桜って子がいるとしたらそっちの方向だ!」

「はい!!」

 

 廊下が前方にしか伸びてないから前に進むしかないけどね!

 

 

 橘の未来革命機関拠点ツアーを受けながら前に走る。彼女はなんか走りながら「胸が揺れて痛い」とか小声でこぼしてたが、そう言うのはもっと小声で言うか心の内に留めろ。

 

『俊介は夜桜一筋だが、それはそれとして他の女性にドキッとしたりはするよな』

 

 息一つ漏らさず並走しているヘッズハンターが少し口角を上げながらそう言った。

 みんな俺が17歳の男子高校生だってことを忘れてないか。殺人鬼の人格を13人宿してて、ヤバいテロ組織の拠点内を全力疾走してるけど、一応普通の高校生なんだぞ。

 あと単純に学校でぼっちだから女性に対しての免疫があんまりない。しゃーない。

 

 

 そこそこの広さがある訓練場を数個ほど過ぎたあと、再びあの生臭い香りが漂ってきた。

 それと同時に銃声の音も聞こえてくる。誰かが待ち伏せしているのか、いや、だとしたら銃を撃ってるのはおかしい。

 

 橘と顔を見合わせる。

 銃声は進行方向から聞こえてくる。生臭い臭いもその辺りから漂ってくる。

 

 

『――――あ! 俊介ちゃん!』

 

 と、その時。

 目の前の壁をすり抜けてクッキングが現れた。思わず足を止め、ちょうどクッキングの胸板に顔をぶつけるかと言った所で止まる。

 

「どうしたクッキング!?」

『夜桜ちゃんがいたのよ、この先、廊下を直進!』

「何ッ!? サンキュー!!」

 

 俊介はクッキングの体をすり抜け、残ったスタミナを更に消費して走る速度を強める。橘も必死に後を追いかける。

 そうして突き当りまで進み、電子ロックの扉を開け、勢いよく潜り抜けた。

 

 

 

 ――――ドドドッ!!!

 

 

 

 扉を越えた瞬間、銃声と臭いが強まった。

 

 右側の壁が大きなガラス張りになっており、部屋の中の様子を廊下側から一瞥することができる。

 俊介が少し用心しながらガラスに近づき、部屋の様子を覗くと、予想通り母体となる女性達が大量に確認できた。

 

 先ほどの榊浦美優の研究室では片手で数えるほどの数だったが、この部屋には少なく見積もって五十人近い裸の女性が管に繋がれていた。近々もう一度一斉に人格を宿らせる予定だったのか、殆どの女性が腹を膨らませて妊娠している。

 思わず吐き気が催すような臭いと光景だが、俊介は部屋の中にいる彼女を見て更に目を見張った。

 

「あーもう、変なバリアが鬱陶しい……! 爆弾があれば……!!」

 

 なぜか部屋の中で夜桜が戦っていた。閉じ込められていたんじゃないのか。

 明らかに鎖をぶった切った手錠を手首に付けたまま、遮蔽物に身を隠し、銃を撃ってくる下級兵士相手に苦悶の顔を浮かべている。

 夜桜は女性達に銃弾が当たらない方向に隠れているが、下級兵士達が適当に撃ちまくるせいで、いつ跳弾が命中してもおかしくはない。

 

 ヘッズハンターが右拳を強く握る。

 

『既に脱出してたのかよ、流石だな! 俊介、ガラスぶち破るぞ!』

「おう!」

 

 入口は別の場所にあるが、ガラスをぶち破った方が夜桜さんに近い。

 恐らく防弾ガラスだったそれを右拳のストレートで勢いよくぶち壊した。突然ガラスが割れたことに困惑した下級兵士がこちらに注意を向ける。

 

「橘さん、爆弾貸して!」

「あっ、ああ!」

 

 バリアを解いた彼女の体に手を伸ばし、体に巻いていた爆弾を取る。先ほどくすねた反重力バリア装置を一瞬だけ起動し、万が一撃たれても爆発しないようにする。

 そしてヘッズハンターの膂力でそれをぶん投げ、遮蔽物に隠れている夜桜さんに渡した。

 

「――――ありがとう、日高君!」

 

 右手で爆弾の入ったたすきの革ベルト受け取った彼女は、即座に体に巻き付け、遮蔽物から躍り出た。

 まだ困惑が抜けきらない下級兵士に近づき、ベルトから抜き取った爆弾を手に持ち、反重力バリアに手のひらを押し付ける。

 

「起爆!」

 

 彼女がそう言った瞬間、眩い爆炎と共に反重力バリアが破壊された。

 夜桜は下級兵士のみぞおちに掌底を叩き込んだ後、回転しながら肘で顎を弾いて気絶させる。

 

 仲間がやられて冷静さを取り戻した兵士が彼女に顔を向けるが、即座に体を真横に弾き飛ばされた。

 ヘッズハンターが先ほどくすねていた反重力バリア装置を起動させ、再び投げつけたのだ。バリア同士がぶつかり吹き飛ばされた兵士に夜桜が近づき、先ほどと同じ要領で気絶させる。

 

「なんだよお前ら! バケモンが、クソッ!」

 

 残った兵士が次々と倒される仲間の姿に再びパニックを起こす。

 そして構えた銃の向く先は――――近くにいる夜桜ではなく、俊介達のいる方向だった。

 

 

 銃口という死の香りを放つ物を向けられ、俊介の思考が加速する。

 橘は先ほど爆弾を渡すために反重力バリアを解除した。命中すると致命傷だ。守らなければ。

 そう瞬時に判断した俊介は、橘に思い切り飛び掛かった。

 

「危ない!!」

「きゃっ!」

 

 女性のような高い悲鳴を上げる橘。

 先ほどまで俊介達がいた所に銃弾が当たり、壁に新鮮な銃痕が出来る。

 

「怪我はありませんか……ッ!?」

「あ……」

 

 咄嗟に飛びついて橘と回避するにはこれが最適だった。しかしそう言い訳しても言い逃れが難しいくらい、俊介はガッツリと橘に抱き着いていた。

 至近距離でお互いの顔を見つめ、全身の大半が密着するほど抱き着いているのに気づき、互いに軽く顔を赤らめて素早く離れる。

 

 

 

 ――――銃を撃った兵士を殴り倒し、振り返って、ちょうどその様子を見ていた夜桜。

 

 

 

「……は?」

 

 

 彼女の口から獣のように低い声が漏れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





拠点に入ってからの展開を早く進めすぎて軽くめちゃくちゃになってきてます。
理由は作者が20話くらい待ち続けた展開が目の前まで迫ってて、早くそこまで進めたいからです。
早くピュアホワイトと俊介が戦う所を書きたくてたまらないんです。ヘッズハンターが真昼の宿るピュアホワイトと戦う事に対して苦悩するところを書きたいんです。我慢できない。

そして最近時間がなくて推敲する暇がなく、読者様に誤字や分かりにくい表現多めの稚拙な文章を見せることになって申し訳ございません。
誤字修正をして下さる方、いつも本当に感謝しています。



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#80 それぞれの役割を果たす

 

 

 

 

 

『夜桜さん! 無事だった?!』

『日高君?! どうしてここに!?』

『夜桜さんを助けるためにここまで来たんだ! 本当に無事でよかった……!』

『心配させてごめんね、私が弱くて攫われたばっかりに……!』

 

 そうして、私と日高君は熱い抱擁を交わした。

 秒が立つほど、互いの体温が上昇し、顔が自分でも赤くなっていると感じるほどに発熱する。

 

『夜桜さん……』

『日高君……』

 

 私達は再会した感動の勢いのまま、互いの視線を深く混ぜ合わせる。

 そして初めての口づけを捧げるために、顔を近づけて。

 二人の一生の記憶に残るような、全身がとろけそうな熱を持って唇を重ねた

 

 

 

 

 

 ――――こうなるはずだった、のに。

 

 

 

 

 

「あれ。」

 

 

 ……あれ?

 

 あれあれあれ?

 

 おかしいな。

 どうして日高君が変な女と抱き合ってたんだろう?

 

 というかあの女は誰?

 

 日高君の家族にも血縁にも小学校にも中学校にも高校にも近所にもよく行く店にも地域の配達員にも子供の頃に引っ越した近所の人にも学校で関わった人間の親族にもお義父さんやお義母さんの職場にも日高君が昔一度だけ行って偶々来てたプロに完勝しちゃって逃げたスポーツクラブのメンバーにもその血縁にも日高君が何度かやったことのあるバイトの店の人にもあんな人は絶ッッッ――――対にいなかった。

 

 

 ……は?

 じゃあ何?

 

 私が未来革命機関に閉じ込められてる間に出来た交友関係か、私の調査から漏れたようなうッッッすい交友関係の女が、私が少しいない間にあそこまで親密になったの?

 

 嫉妬? いや、そんな生易しい感情じゃない。

 心の底から湧き上がるおどろおどろしいこの気持ち。

 

 今ならハッキリわかる。

 

 これが、純粋な殺意――――

 

 

 

「――――……すぅーっ……ふぅ……」

 

 

 

 深呼吸で気持ちを落ち着かせる。

 

 危ない危ない。

 変な方向に目覚めちゃうところだった。

 

 さっきのは銃弾から守るために仕方なく飛び掛かって、その結果偶然抱き合ってただけよね。偶然の事故に本気で怒るなんて、そんなことしないよ~。

 ……でも、それだと、日高君は自分が撃たれるリスクを背負ってまであの女を助けたってこと?

 なんかまたイラついてきちゃった。

 

 

 心のうちに暴れ狂う怒りを抑えていると、日高君が件の女と一緒に近づいて来た。

 

「夜桜さん、自分で脱出してたんだね」

「あ……うん」

「その……本当にごめん。俺が夜桜さんに、母さんの周りを調べて欲しいなんて言ったから、こんなことに……」

「ううん、日高君のせいじゃないよ」

 

 彼に一歩近づく。

 

「私が迂闊だったのもそうだけど……私はきっと、ずっと前から未来革命機関に狙われてたんだ。榊浦美優が突然学校に来たのも、多分私を誘拐するチャンスを近くで窺うためだったんだと思う。だから日高君に関係なく、いつかこんな風になってた」

「…………」

「それでも、日高君は優しいから、自分に非を感じちゃうと思う。……でもね」

 

 私は彼の右手を手に取り、両手で包み込んだ。

 少し皮膚の硬い、私とは違う大きな手からの熱を感じつつ、少し笑みを浮かべて言う。

 

「日高君はここまで、助けに来てくれたんだよ。それだけで……充分なんだよ」

「……うん」

 

 彼は私の手に、もう片方の手を重ね、枯れそうなほど小さい声でそう答えた。

 

 

 

 

 

「……ところでね」

 

 ギュルリと、件の女の方に隠し切れない殺気を込めて視線を向ける。女は少しだけ肩を震わせた。

 

「そっちの人は……だあれ?」

「よ、夜桜さん? ちょっと視線が怖い……」

「誰なの?」

 

 自分が向けられた訳でもないのに、余りの視線の鋭さに思わず身がすくむ俊介。

 実際に向けられている橘は身がすくむどころの騒ぎではない。思わず漏れ出しそうな膀胱の口を締め、緊張と恐怖で震える唇を何とか動かして言葉を発した。

 

 

「た……橘春斗です! ぼ、ばッ……()()()()です!」

 

 

 

 

 …………?

 

 えっ、なんで自己紹介の一言目でバツイチ?

 

 バツイチ、バツイチ……。

 

 ――――ッ!?

 まさか、未亡人ってこと……?!

 

 

 

 

 ――――その時、夜桜の優秀な頭脳が、彼女の脳内に架空の映像を走らせた。

 

 

『私は、夫を未来革命機関に殺されたんです……』

『そんなことがあったんですか……』

 

 優しい日高君が、泣きじゃくる橘の傍でしゃがみ込みながら話を聞く。

 

『お願いします……! 夫の仇を、未来革命機関を倒すのに、私も協力させてください……!』

『両腕が折れてるあなたじゃ危険すぎます。俺が倒して来ますから、安全なこの場所で待っていて……うわっ!』

 

 橘がしゃがむ日高君の肩を押し、フローリングの床の上に押し倒す。

 彼女の豊満な胸が日高君の胸板に落ち、柔らかいゴムまりのように形を歪ませた。日高君が思わず顔を赤面させ、橘をどかそうとするが、思ったように力が出ない。

 

『連れて行ってくれるなら、何でもします……』

『な、なんでも……』

『はい、なんでもです……』

 

 そう言いながら、橘は日高君と自身の影を重ねて――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――――殺しちゃおう)

 

 

 ハッキリ心の中でそう思った。

 こんなあくどいサキュバスが異世界じゃなくてこの世界にいたとは驚きだ。今の私の心は悪魔祓い、邪気滅殺の聖なる気配を込めたクラスター爆弾で跡形もなく吹き飛ばしてやる。

 

 明らかに夜桜の顔が険しくなるのに気付いた俊介が、橘の小脇を肘で軽くつついた。

 

「橘さん、こんな状況で下手なこと言ってんじゃねーよ……! 変なこと言ったから夜桜さん怒ってるじゃん……!」

「うっ……き、緊張しすぎて元の世界のこと言っちゃったんだって……」

 

 小声で何やらおかしなことを言う橘。夜桜の優秀な耳はその言葉を一字一句漏らさずキャッチした。

 思わず聞き返す。

 

「……元の世界? 未亡人じゃないんですか?」

「未亡人? そ、そっちこそなんの話だ……?」

 

 橘が困惑した様子でそう言う。困惑してるのはこっちなんですけど。

 

 互いに困惑した隙を見て、俊介が言葉を差し込む。

 

「こ、この人は元未来革命機関の兵士なんです。体は女性ですけど、中にいる人格は男なんですよ。拠点内の道案内をしてもらおうと思ってついてきて貰ったんです」

「……そうだったの?」

 

 なーんだ。

 バツイチって元の世界で男の時に結婚してた、って意味だったんだ。

 しかも中の人格が男の人なら、間違っても日高君とそんな深い仲になることはないよね。

 

 と、そう思いながら彼女の方を見ると。

 何故か赤面しながらチラチラと日高君の方を何度も見ていた。

 明らかに男の物とは思えない、メスの顔をしている。

 

『初めての対抗馬が、TS金髪巨乳美女……?! おいおい、サブヒロインにしてはキャラが濃すぎんでしょ……!』

 

 バクダンが興奮した様子でそう言う。

 喪女の癖にまたギャルゲー的な考え方で恋愛を捉えているな。

 

 

 けど、そっか。

 元は男の人格だったけど、段々日高君に惹かれちゃったんだ。カッコいいもんね日高君。

 

 そっかそっか。

 

 

 うん。

 

 

 ……そっちの方が罪深くない(ギルティ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 橘さんが変な自己紹介するから夜桜さんが怒ったじゃないか。

 突然バツイチなんて言われたら馬鹿にされてるのかって思っちゃうよな。なんとかフォローできたっぽいし、まあいいけど。

 

『全然フォローできてない気がするけどな』

 

 ヘッズハンターが凄い他人事のようにそう言った。

 夜桜さんが無の表情を橘さんに向けると、少し怯えた様子の橘さんが俺に近づいて来る。すると夜桜さんがこめかみにすーっと青い血管を薄く浮かべた。

 

 ……この二人は一体何をしているんだ?

 

 まあ、このまま橘さんの紹介を続けていても仕方ない。俊介は無理にこの話題をぶった切るため、言葉を発した。

 

「……夜桜さん。そろそろ本題に入っても大丈夫?」

「あっ、うん」

 

 俊介が声を掛けると、夜桜は身に纏う雰囲気をすぐに真面目な物に切り替えた。橘も夜桜の雰囲気が変わったのを見た後、息を吐き、二人の会話に意識を集中させる。

 

 

 俊介は夜桜の方を向き、決意と覚悟の籠った声で言う。

 

「何日も誘拐されてた夜桜さんには申し訳ないんだけど、その……しばらくこの船の何処かに隠れていて欲しいんだ」

「どうして?」

「ピュアホワイトを倒すまで、夜桜さんを安全に脱出させられる保証がない」

 

 下級兵士は数が揃っても全く問題ない。上級兵士も数が揃わなければ楽に対処できる。

 この二種類の兵士だけなら例え攻撃されたとしても、夜桜さんを守って脱出できる自信はある。

 

 だがピュアホワイトだけは別だ。

 奴がいる限り、俺はこの船から夜桜さんを安全に逃がす保証ができない。最悪空中で攻撃されて斬り殺される。

 

 

「それに……ピュアホワイトだけは、俺()()の力で倒さなきゃならないんだ」

「俺、たち……」

 

 『俺()()』という言葉にピクリと反応する夜桜。そしてすぐに気付く。

 俊介の中に宿る人格の誰かと、ピュアホワイトの間に何らかの因縁があるのだと。それを清算するために俊介はピュアホワイトに挑むのだと。

 

 夜桜が心配そうな声で言う。

 

「ピュアホワイトは私が手も足も出ないくらい強いよ。……大丈夫? 勝てる?」

「…………」

 

 少しだけ目を伏せる俊介。

 そしてすぐに口を開き、言葉を返した。

 

「今度、俺がよく行くスイーツ店に行かない?」

「え?」

「夜桜さんとの約束があるなら、俺は絶対に帰って来れる。絶対に勝てるから……その、約束、してくれないかな?」

 

 言い換えれば、それは、俊介からのデートのお誘い。

 その言葉に対し、夜桜がどう返答するかなど、火を見るよりも明らかだった。

 

「うん、絶対行く。約束する」

「……ありがとう。じゃあ絶対勝ってくるから」

「待って」

 

 歩き出そうとした俊介の手を掴む夜桜。

 そして俊介の懐に手を入れ、俊介が未来革命機関の拠点を見つけることになった最後の手がかり――――()()()()()()()()を取り出した。

 

「やっぱり、私の部屋からこれを見つけてくれたんだね。私の遺したメッセージ……」

「部屋からは見つけてないっす」

「え?」

「なんでもないよ」

 

 まさか夜桜さんの私物を父親が病室に全て運んできたとは言えない。今言ったら確実に拗れるし。

 

 少し首を傾げた夜桜だったが、手元のレーダーに視線を落とし、話を続ける。

 

「実はこの発信機、私には付いてないんだよ」

「え?」

「これは発信機爆弾って言って、爆破した対象に微細な発信機を貼り付けるって奴なんだ。ピュアホワイトと最初に会った時、私は殴られながらもこの爆弾をあいつに使った……」

 

 彼女が左右のボタンを押す。

 恐らく特殊なコマンドか何かを押して、縮小率を超拡大したのだろう。殆ど中心にあった黄色い点が、いきなり左上の方に移動する。

 

「日高君がこれを使ってここに来たなら、この発信機はまだピュアホワイトの位置を表してる。これを辿れば、あいつの元に辿り着く」

「……ありがとう。何から何まで」

「いいんだよ。その代わり、こっちの橘さんは借りていくね」

「え?」

 

 夜桜は一瞬で日高の横にいる橘の背後に移動し、その肩を手でつかんだ。ミシミシと音が聞こえるくらい手に力が入っている気がする。

 

「ピュアホワイトと戦うなら、両腕が折れてる彼女も足手まといでしょ?」

「まあ、そうだけど……」

「なら、私はここの地理を知ってる彼女と一緒に()()()を探しに行く」

「別の物?」

 

 俊介が聞き返すと、夜桜はすぐに言葉を返した。

 

 

「――――()()()()。ピュアホワイトと同じくらい放っておけないでしょ?」

「ッ……」

 

 たしかに。

 ピュアホワイトの方が優先度は高いが、逃げ出した奴をそのまま放っておくことはできない。もしこの船から逃げて、他の人格犯罪者の組織にでも合流されたら、また酷い数の犠牲者が出る。

 

 榊浦美優はピュアホワイトと比べれば戦闘力は皆無に等しい。

 だがしかし、奴は優秀で、この未来革命機関の幹部だ。一体何を隠し持っているか分からない。

 

「……危険すぎるよ。やっぱり二人で何処かに隠れていた方が……」

「日高君、私は確かに一度誘拐されちゃった失態があるから、強くは言えない。でも日高君が全部解決するまで大人しく隠れてるだけなんて、私にはできない」

「…………」

 

 夜桜さんの強い決意が籠った瞳に射抜かれる。

 けど……やっぱり、危険すぎるから……。

 

『いいんじゃないでござるか?』

 

 その時、いつの間にか外に出て来ていたニンジャが背後から声を掛けてきた。

 

『拙者に勝てるほどの実力なら、例外のピュアホワイトを除いてそうそう負ける事もないでござろう』

「…………」

『それに、夜桜は拉致被害者。気丈に見えるが心に傷を負っている可能性はある……。だが榊浦美優を自分で捕まえることでこの件に決着を付けられるなら、変なトラウマも抱えないでござろう』

「……そっか。そうだな」

 

 彼の言葉に呼応し、そう言う俊介。

 

 ニンジャとしては『俊介なら夜桜のためと言えば肯定するだろう』と読み切っての言葉であった。

 夜桜の言葉に加勢するようなことを言ったのは、変な所で変なことをされるよりは榊浦美優を追っていてくれた方が動きも予想しやすく、ひいては俊介の身の安全に繋がるとの判断だった。

 

 

「榊浦美優のこと、お願いするよ。夜桜さん」

「うん。こっちは任せて」

 

 そう言うと、夜桜は橘の肩を掴んだまま廊下に出て行った。

 

 俊介は一度息を深く吸い、吐き、手元のレーダーを見る。

 この船の地理は余り頭に入っていないが、レーダーを見ながらならば大体行けるだろう。ピュアホワイトに近づけば、先行して捜索してくれているハンガーやトールビットにも出会うはずだ。

 

「ヘッズハンター、両足。行くぞ」

『ああ』

 

 彼に両足の主導権を渡し、廊下を進む。

 途中で下級兵士が何人か現れたが一蹴し、廊下を走り続ける。

 

 

 そして、点に近づくように廊下を走り、階段を上った時。

 天井をすり抜けるようにハンガーが現れ、目の前に綺麗な着地をした。少し遅れてトールビットも現れる。

 

「二人とも。……見つけたんだな?」

『ああ。御大層に待ち構えてるぜ、兵士たちと一緒によ』

「どこに居た?」

()()だ』

 

 甲板か。

 確かに軍艦で一番広く、戦いやすいといえばそこか。あの野郎らしい。

 

 ヘッズハンターと顔を見合わせ、ハンガー達の案内を受けつつ、甲板への道を進む。

 そして、外の日光が差し込む階段の前に辿りついた。

 

 

『…………』

 

 無言のヘッズハンターが足を進めると、顔に日光が被さった。

 

 甲板に身を出すと、まず目の前に広がったのは、雲一つない一面の青空。

 空飛ぶ船の上は随分と涼しく、夏が近づいて来た鋭い日光と合わさってちょうど適温になる。

 

 今は木々が生い茂った深い山の上を飛んでいるらしく、澄んだ空気が肺を埋め尽くした。

 ふんわりと柔らかい空気を吸いながら広い甲板を見渡す。

 

 

 ――――いた。

 

 

 甲板の中央付近。

 何処から持ってきたのか、大理石の美しい机の上に二人分のティーカップを置いている。

 ピュアホワイトは優しい笑顔をニコニコと浮かべ、その机の前に立っていた。

 

 奴の背後には上級兵士らしき人物が二人と、下級兵士が三十人程度。

 船の中で下級兵士と余り出会わないなと思っていたら、こんな所に大量に集めてやがったのか。

 榊浦美優がブザーを鳴らした時から、ここで待ち構えていたんだ。

 

 

『ピュアホワイト……』

 

 ヘッズハンターの声が低くなる。

 

 両足の主導権を彼から返してもらい、俊介自身の意思でピュアホワイトに近づいて行く。

 そしてお互いの距離が十メートル前後になった所で足を止め、奴に向けて声を発した。

 

「……また会ったな。ピュアホワイト」

「そうだな。アニーシャ様の器」

 

 

 未来革命機関との最後の戦いは、まず会話から始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 





前回、早くピュアホワイト戦を書きたいから展開をわざと早く進めてると言った。
それでも、俺は夜桜が橘に殺意を向ける所を書きたかったんだ。
自分の書きたいところだけを書くだらしない作者で済まない……


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#81 産声

昨日のうちに投稿できなくてごめんなさい
間に合いませんでした


 

 

 

「まさか、昨日の今日で再会することになるとは思わなかったぞ。この拠点の場所に繋がる情報は大体集めていたという事か……」

 

 ピュアホワイトは空のティーカップを手で弄びつつ、そう言う。

 自身の武器である十字架の剣すら持っていないのは俊介への慢心の表れか。それとも分かりやすい挑発か。

 俊介は彼女に対して言葉で切り返す。

 

「こんな広い場所で兵士達と一緒に待ち構えてるなんて、強さのわりに随分臆病だな」

「私の敬愛する神に会うんだぞ? 私一人がドンと偉そうに待ち構えていては逆に失礼だろう。いざとなれば後ろの下級兵士(ザコ)共の血肉を供物に捧げられるしな」

 

 ピュアホワイトの背後にいる下級兵士達は肩を震わせたが、彼らにこの場から逃げるという選択は存在しない。

 幹部であり絶対的強者である彼女の命令に従えば、どちらにせよ待っているのは死なのだから。

 

「なに、安心しろ。実際に戦うのは私と……この上級兵士二人だ」

「あー……う」

「ちぃ~ッス」

 

 俊介は他の下級兵士とは明らかに違う服装と雰囲気を放つ、二人の上級兵士に視線を向ける。

 

 片方は、黒いゴムバンドを全身にギッチリと巻き付けた人間。口の部分だけ肌を露出しており、露出させた歯の隙間から呻き声と涎を垂らしている。

 

 もう片方は、身長が180センチ近くある金髪の女。短いスカートとファーのついた金色の上着を羽織り、過剰に装飾されたスマホをつまらなさそうに触っている。この時世、殆ど見なくなったイメージ通りのギャルだ。

 

 

 ピュアホワイトは俊介の方に顔を向けたまま話す。

 

「こいつらは上級兵士の中でも中々見どころがある。私がよく面倒を見て……」

「うー、うー……」

 

 その時、黒いゴムバンドの男が垂らした涎が地面に落ち、僅かにピュアホワイトの鎧の足元に飛び散った。

 涎がレギンスに掛かったピュアホワイトが口を止め。

 

 

 ――――一閃。

 

 

 ゴムバンドの男の首を、目に止まらぬ速さで取り出した剣で刎ね飛ばした。

 男の首がその場にゴトリと音を立てて落ちる。

 

「ッ!?」

 

 俊介が動揺を見せる。

 まさかこの状況で仲間の兵士を殺すとは思っていなかったからだ。一体何を考えているんだアイツは。

 その時、ヘッズハンターが俊介の横で冷静さを努めて保った声で言った。

 

『待て……俊介、様子がおかしい。あの男、血が出ていないぞ』

「なに?」

 

 そう言われ見てみると、確かに血が出ていない。

 首の断面からも、地面に落ちた頭からも、一滴すら出ていないのだ。普通ならば一滴どころか大量出血、そのまま即死しているはずなのに。

 

 と、その時。

 男の首の断面から細い血管のような物が数本伸び、地面に落ちた頭と繋がった。血管によって頭がぐぐっと持ち上げられ、泣き別れした胴体と頭が再びくっつく。

 そして断面同士がくっついてから一秒も経たずに男が再び呻き始める。

 

「なんじゃありゃ……!?」

 

 首を落とされたのに何事もないように元に戻りやがった。

 アレも人格の力なのか? 異世界の人格、何でもありすぎるだろ……!

 

 

 『まさかもう片方の上級兵士の方もああなのか』と、そう心の中で考える。

 すると、黙ってスマホを弄っていたギャルの女がイラッとした声色で口を開いた。

 

「言っとくけど、あーしはそこのキモイ奴みたいにキショイ再生はしないから。一緒にすんなよな」

「……こっちは心の中を読んでくんのか……」

 

 今までのような暴力一辺倒の上級兵士とは毛色が違うらしい。

 ピュアホワイトが見どころがあるというのも納得できる。

 

 

 俊介が上級兵士二人の能力を大体察し終えた時、ピュアホワイトが「ふぅ」と息を吐いた。

 

「さて、そろそろ始めるか。アニーシャ様の為に最高級の茶葉を急いで取り寄せたんだ。午前中には全てを片付けて、午後にはティータイムをしたいんだ」

「ダークナイトに最高級の茶葉だぁ?」

「ふふふ。私の世界の紅茶には少し劣るが、この世界の物も中々良いんでな。アニーシャ様も気に入ってくださるだろう」

 

 馬鹿が、ダークナイトが複雑な味が絡み合った高い紅茶なんて好んで飲むわけないだろ。

 あいつはどっちかって言うと大雑把で濃い味の方が好きなんだよ。

 

 ピュアホワイトはそんな俊介の思いを意に介すことなく、その場に立ったまま横の上級兵士に命令する。

 

「おい、お前たち。少し奴の相手をしてやれ」

「うー……」

「なに? ずっとあーしたちだけで戦うの? マジキツめなんですけど」

「安心しろ。私もここから少し手助けしてやる」

 

 なんだと、ピュアホワイトは戦わないのか?

 クソ……完璧に舐められてるな。前回負けてるから何も言えないが。

 

 俊介が悔しがっている時、半透明のヘッズハンターが細い眼で上級兵士とピュアホワイトを睨みながら言う。

 

『俊介。俺はお前の言う通りに動く』

「ああ。ヘッズハンター、お前は両足を動かすのにだけ集中してくれ。体は変わらなくていい」

『そうか……。ああ、分かった』

 

 少し目を伏せ、考えるような仕草をしたヘッズハンター。

 この船に入る時は、彼に必要な時は体を奪えと言った。だが逆に今は……奪わない方が良い。むしろ奪うような事態になる前に決着を付けたい。

 

 そんな風に考えていると、ヘッズハンターが俊介に掛け声を出した。

 

『――――俊介、集中しろ。来るぞ!』

「ああ!」

 

 彼の声で意識を目の前に戻す。

 

 

「うっ、ぼえ――――あああああ゛あ゛あ゛ッッ!!」

 

 ゴムバンドに全身を巻かれた男。

 半ば悲鳴のような声を上げながら、右腕からゴキゴキと骨を何度も折るような音を響かせ――――十メートル先にいる俊介にまで腕を伸ばして来た。

 

 足元を薙ぎ払うように振られた腕を後ろに飛んで回避する。

 その時、右側からギャル風の女が身を低くして迫って来た。右手にはスマホの代わりに、銀光りする小ぶりのナイフを持っている。

 

 中々の身体能力を持っているようで、一足で三メートルの距離を詰めて懐に入って来た。

 鋭く吐いた息と合わせるように、俊介の首に向かってナイフを素早く突き立ててくる。

 

「――――シッ!」

「ガスマスク右腕! エンジェル左腕!」

 

 両腕に別々の人格を宿らせる俊介。

 右腕のガスマスクにギャルのナイフを持つ腕を掴ませ、エンジェルの力でぶん殴る。そうすれば上級兵士だろうと一撃だ。

 

 ギャルの女の右手首が掴まれ、一瞬でナイフを捻り落とされる。

 そのまま無防備になった顔面にエンジェルの拳が迫った時――――

 

 

「――――そこだな」

 

 

 ピュアホワイトの静かな声。

 それと同時に、彼女の右手の人差し指の先から俊介の腹部を狙った魔力の塊が発射された。

 その速度は銃弾よりも少し鈍い程度だが、人体に致命傷を与えるには充分なサイズとスピード。

 

 両足の主導権を握るヘッズハンターがその魔力の弾を避けるために背後に飛びのく。

 あと一瞬飛びのくのが遅れていたら仕留められていたギャルの女が、額に浮かんだ冷や汗を指で拭う。

 

「ひゅ~っ! マジでスリル満点じゃ~ん! サンキューピュアホワイト!」

「なあに、気にするな。()()()()()()()()()()()()()()()()、楽なものさ」

「チッ……!」

 

 あからさまなピュアホワイトの挑発に俊介が舌打ちをした。

 頭を振り、冷静さを取り戻すために深呼吸をする。苛ついたらそれこそ奴の思うつぼだ。

 

 

 背後からゴムバンドの男の伸びた腕が迫ってくる。

 後頭部を狙ったパンチをしゃがんで避け、エンジェルの左腕でぶん殴る。関節を外して無理やり伸ばしているのか、人間の腕なのに人間を殴った感触がしない。

 

 おかしな方向にひしゃげた腕を押しのけ、ヘッズハンターの超人的な脚力でゴムバンドの男の懐に入る。

 斬っても殴ってもだめなら、顎を弾いて脳震盪で気絶させるしかない。

 

「ガスマスク! そのまま男の方を仕留めろ!」

『ああ――――ッ、駄目だ!!』

 

 ガスマスクの声と共に、再びヘッズハンターが後ろに飛びのいた。

 先ほどまで俊介がいた場所にピュアホワイトの魔力弾が通る。また奴が妨害してきたのだ。

 

「おいおい、随分後ろまで飛んで避けたじゃないか。心配性か?」

 

 ピュアホワイトが憎たらしい声でそう言ってくる。

 俊介の首にビキリと血管が浮かんだ。挑発なのは分かっているが、分かっていても苛つくものは苛つく。上級兵士から距離を取って、ピュアホワイトに低い声を吐いた。

 

「お前、さっきから何のつもりなんだ……! 全く動かずに妨害ばっかりしてきやがって!」

「んん? ああ……ふふ。子供(ガキ)が遊んでいるから、私も遊んでやっているんだよ」

「ガキが遊んでるだと……!?」

 

 俊介がそう言うと、ピュアホワイトは更に声の調子を上げて言葉を返して来た。

 

「お前はさ、弱いんだよ」

「なんだと?」

「いや、言葉を改めようか。お前の中の人格じゃない……宿主のお前が足を引っ張っているから弱いんだ、()()()()

「…………」

 

 周囲への警戒を怠ることなく、ピュアホワイトを睨む俊介。

 彼女が調子の上ずった声を保ったまま話す。

 

「今のお前を分かりやすく例えてやろう。獅子の上に乗るちっぽけな()()()だ。いや、獅子の足を引っ張る分、乗っているだけのネズミよりたちが悪い」

「長ったらしく話すつもりはない、結論を言え」

「ふう、せっかちな奴だな。…………お前は人格に両手足の主導権を渡している。複数人格のお前は、両手足でそれぞれの人格の力を使うことができる。これは攻撃の種類が増えて中々有用な手に見える……が」

 

 彼女が俊介の胴体を指さす。

 

「宿主のお前が弱すぎて、人格達の力を殆ど活かし切れていない。人間の大部分を占め、重心がある()()。ひねりを加えることで攻撃の威力が格段に変わる()。これほど重要な部位を操るのが、ずぶの素人の宿主」

「…………」

「お前が人格達の攻撃に合わせ、体を上手く動かす技量と身体能力があれば話は別だ。だが実際は私の適当な妨害に振り回され、人格達がお前をかばう始末。お前が上手く体を動かしていれば、そこの上級兵士を仕留めてから回避することも容易だった」

 

 俊介は歯噛みし、押し黙る。

 ピュアホワイトの言葉に反論する言葉ができなかった。

 なぜならそれは、以前から俊介自身にも分かっていた弱点だからだ。

 

 殺人鬼達が完全に体を使う時と、体の一部分だけを使う時では、体の動きと性能がまるきり違う。

 これがキュウビやドールなど、腕を主に使う特殊能力で戦う人格ならあまり影響はない。

 だがヘッズハンターやエンジェルにガスマスクのような、己の身体能力で戦う人格にとっては……大きな影響が出るのだ。

 

「人格の力におんぶにだっこ、自分より格下を倒して遊ぶだけの子供(ガキ)。どうだ、私は何か間違ったことを言っているか、日高俊介?」

「…………」

「お前はいるだけで邪魔なんだ。これならまだ、人格が体を完全に使った方がマシだ」

 

 相手の特徴に合わせ、人格を切り替えて戦う俊介が弱いわけではない。

 ヘッズハンターの脚力にエンジェルの剛力を乗せて殴る戦法は強力で有用だ。

 

 だが、それでは駄目なのだ。

 

 ピュアホワイトという格上相手には。

 

 俊介のせいで、少し遅くなったヘッズハンターの脚では。

 俊介のせいで、少し弱くなったエンジェルの力では。

 

 中途半端な力の掛け合わせ。

 子供の作った不細工な積み木細工として――――容易に弱点を見抜かれ、斬り伏せられてしまうのだ。

 

 

 俊介がピュアホワイトを睨む視線の鋭さを強める。

 だが心の方は少し押されかけていた。自分が攻撃されるならともかく、自分のせいで人格達が力を発揮できないと言われると、不甲斐なさと悔しさを感じてしまったのだ。

 

 その時、ガスマスクが俊介に声を掛ける。

 

『気持ちで負けるな、俊介』

「ガスマスク……」

『確かに奴の言うことは正しい面もある。だがわざわざ敵に従って今俺達に体を渡す必要はない。戦地で相手に従うことは、いずれ自分の命を差し出すことに繋がる』

「…………」

『敵の言葉で乱されるな、冷静に判断しろ。もし俺達に体を渡すとしても、自分が渡すべきと思ったタイミングでやるんだ』

「……ああ」

 

 ガスマスクの助言で少しだけ気持ちを持ち直した俊介。

 

 

 

 ……そして、俊介の様子を見ていたピュアホワイトが少しだけ舌打ちをする。

 

(中の人格が助言をして持ち直したか? めんどうな……)

 

 彼女が俊介に言ったことは事実だ。

 だがピュアホワイトは決して優しさでそんなことを言っていたわけではない。

 

(今の言葉で宿主が引っ込み、体をフルに使った人格達を打ちのめし続け、アニーシャ様を呼び出させる予定だったんだが……)

 

 そう。

 ピュアホワイトは宿主の日高俊介に、今の挑発の言葉で人格に体を渡して欲しかったのだ。

 

 そして体を渡された人格を、ピュアホワイトが倒す。

 それを繰り返し、最後に呼び出されるであろうアニーシャ様をお迎えする。これが一番この件を早く終わらせる方法だと思ったのだ。

 

 彼女が早く終わらせたがっているのは、偏に、午後のティータイムに間に合わせるためである。

 

(それに真昼の心を折るため、幼馴染の人格とやらをいたぶる時間も欲しかったんだが。……はー……仕方ないか、少々予定とは異なるが……)

 

 挑発の効果を上げるために、足を止めて魔力の弾だけで嫌がらせをしていた。一歩も動いていない実力者に正論を言われるのが一番心に効くとも考えたからだ。

 だが俊介に挑発が効かなかったのならば動かない理由はない。

 

 第二のプラン、ピュアホワイトが直々に動いて俊介に実力差を分からせる。

 両手足の主導権を渡しただけの中途半端な状態では敵わないと理解させるのだ。

 真昼の幼馴染をいたぶる時、元から傷が付いた状態では『良い悲鳴』が上がらないため、あまりやりたくはなかったのだが。

 

 

 

 ピュアホワイトは十字架の鞘から剣を抜き、一歩前に出る。

 

「お前たち。適当に私の攻撃に合わせろ、無理なら下がっていても構わん」

「えー? それって難易度バリ高じゃ~ん。ま……面白いからやるけど」

「う……あ……」

 

 幹部のピュアホワイト。上級兵士二人。

 かなり劣勢だが、それでも、俊介は拳を構える。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――無理だった。

 

 

 

 

 

 

 

「げほ……ッ」

 

 ピュアホワイト単体でも厳しいのに、上級兵士二人が完全にサポートに回っている。

 総合的な実力でも、人数差でも上回られているのだ。

 俊介がどの人格の力を使って有利に戦おうとしても、敵う道理はなかった。

 

(意地、ちょっと張りすぎたな……やっぱあの時誰かに代わってればよかったか……)

 

 ……なぜ俊介は意地を張ったのか。

 それは、『()()()()()()()』のためだ。

 

(ピュアホワイトはとにかく速い。そのスピードに対応できるのは、ダークナイトを除いて……ヘッズハンターだけだ)

 

 憎き敵であるピュアホワイトの移動速度は異次元と言っていい。

 ヘッズハンターの最高時速が百キロから百二十キロだが、奴は時速二百キロは優に超えている。

 格下の俊介と戦う時でこの速度なのだから、本気で動いたならばもっと速いだろう。

 

(だけど……)

 

 俊介は、ピュアホワイトとヘッズハンターを、なるべく戦わせたくなかった。

 理由はもちろん……『幼馴染』の存在だ。

 

(ヘッズハンターに、好きな人が宿った体と戦ってくれなんて、言いたくねえ……!)

 

 心の底から好きだと言える人――――夜桜さんがいるから分かる。

 ヘッズハンターの今の心境は想像を絶するもののはずだ。心が張り裂けそうなはずだ。

 ずっと会いたかった人が目の前にいるのに、あともう少しが無限のように遠い。

 

 そんな生殺しの状態のヘッズハンターに更に鞭を打つのか?

 いや……そんなことは絶対にさせたくない!

 

 

「――――だから俺が、宿主の俺がピュアホワイトを倒すんだッ!! ヘッズハンターをこれ以上苦しませないためにッ!!」

 

 

 そう叫びながら、拳を甲板に突いて立ち上がる。

 ピュアホワイトに死なない程度に斬られたせいで、体は既に傷だらけ。体から流れ出る血と共に失われていく体温を、心のガソリンを燃やして取り戻す。

 

「はあ……まだ続けるのか。もう十五分はこうしているぞ」

「マジだりーし。そろそろ倒れろし~」

「う~……」

 

 敵の三人組が呆れた様子で、立ち上がる俊介を見る。

 意外にも俊介がしぶといせいで、三人組はすっかり飽きてしまっていた。ピュアホワイトに至っては後の予定が崩れそうで少しイライラもしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その様子を、ヘッズハンターは静かに見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『俊介……分かっているはずなのに。人格達の中でピュアホワイトに対抗できる可能性があるのは俺だけだから、俺に完全に体を代わればいいのに……』

 

 一人でそう、小さく呟く。

 

 ……いや、体を代わった所で、対抗できる()()()があるだけだ。

 ダークナイトを除いて、人格達の中で一番速いだけだ。ピュアホワイトの速度には及ばない。

 

 それでも今より戦況はマシになるはずだ。

 俊介ならばそれに気付いていないはずがない。だから今すぐにでも代わればいいのに。

 

 ……いや、分かってる。

 

 俊介は優しいから、俺と真昼をなるべく戦わせたくないんだ。

 俺に真昼が入った体を攻撃させたくないんだ。

 

 優しすぎるんだよ、俊介は。

 こんな俺に気遣って、それで俊介がボロボロになるなんて全然釣り合ってない。

 俺みたいな屑の殺人鬼に気遣う必要なんてないのに。

 

 

『くず……そうだ、俺は屑なんだよ……』

 

 元の世界では史上最悪の殺人鬼と呼ばれた。

 それだけのことをした。

 七百人も殺したんだ。一度死んだとしても許されるような罪じゃない。

 

 でも、俺は殺人鬼だから屑なんじゃない。

 殺人鬼になるもっとずっと前から俺は心底吐き気がするほどの屑だったんだ。

 

 

 小さいころから真昼が好きだった。

 けど年が上がるにつれて疎遠になって……彼女が虐められていることを知った。

 なのに助けなかった!

 

 彼女は強かったから、虐めグループに対しても屈しなかった。

 けど、虐めグループは抵抗する彼女に段々エスカレートして、最後は集団で強姦までした。

 

 俺は真昼に助けを求められた。

 なのに俺は……警察に相談しようなんて、怯えたことを言ってしまった。他人に頼るべきじゃなかった。そこで俺は虐めグループを全員殺しに行くべきだったんだ。

 

 その日のうちに真昼は自宅の部屋で首吊り自殺をした。

 俺は心配で、昔真昼が好きだった菓子を持って家に訪ねたら……遺書も用意せずに首を吊っていた。第一発見者は俺だった。家の中に親がいたのに真昼は首を吊ったんだ。

 

 気が付いたら、俺は刃物を持って虐めグループがいつもいる空き教室の前にいた。

 そして中に入って、虐めグループの八人全員をバラバラにして殺した。汗一つかかなかった。それは花の茎を手折るくらい簡単で……こんな簡単なことができていれば真昼は死ななかっんだと、後悔した。

 

 俺は確かに強い。

 身体能力は一般的な人間の物を遥かに超えている。

 だが本当の性根は、怖いことがあったらすぐに逃げる屑だ。怖がりなんだ。

 

『俺は……屑』

 

 真昼は昔から可愛くて、明るくて、俺には分不相応な存在だった。

 虐めグループに目を付けられたのはその可愛さからだった。それくらい可愛かった。

 

『俺は…………』

 

 俺はずっと真昼が好きだった。

 真昼が好きだった。

 好きだったんだ。

 

 

 ――――だからあの日。

 俺は七百人以上の人を斬り殺す武器になる、倉庫で少し埃を被っていた()()()()を持ったんだ。

 

 

『――――あ、ああ……そ、そうだった……俺は……』

 

 テレビに真昼に似た顔の女性が映った。

 ついさっき俺が殺した虐めグループについて緊急報道するニュースレポーターだった。

 犯行現場である学校の校門前で喋っていた。

 

『なんでこんなこと忘れてたんだ……少し考えれば思い出せたじゃないか』

 

 可愛いと思った。

 真昼に似ていた。

 もう離したくなかった。

 

 たまらなく――――()()()()()

 

 

『俺が、()()()()()()()()()()()は――――』

 

 

 殺してしまえばずっと俺の手から離れない。

 すぐに逃げてしまうような屑な俺でも、手元にあるなら、持っていくことができる。 

 真昼の可愛い()をいつでも見られるようにしたかった。

 

 

 だったら、することなんて一つだろう?

 

 

『――――()()()()()()()()()()()

 

 

 ずっと真昼が欲しかった。

 永遠に手放さないように、真昼自身を殺したかったけど、その時にはもう真昼は死んでた。

 

 この世に真昼がもういないなら、代用品で諦めるしかないと思った。

 だから顔の似た女性を百人は殺したし、その周りにいた邪魔な人間を六百人近く殺した。

 だけど俺は馬鹿だから、時間が経つにつれて真昼の顔を忘れていっちまった。殺し過ぎて頭が馬鹿になった。

 

 

 ――――でも、今は目の前にいる。

 

 

 ハハハ……。

 やっぱり俺は根っからの屑で、その上殺人鬼なんだな。

 

 悪い、俊介。

 

 俺はやっぱり、何処まで行っても。

 

 どうしようもない人殺しだったよ。

 

 

 

 

『体、もらうぜ』

「えッ――――」 

 

 俊介の背後から近づき、無理やり体の主導権を奪う。

 体を奪った瞬間、斬り刻まれた傷の痛みが全身に走った。

 今はその傷すら心地いい。

 頭の中のもやが全部吹っ飛んだみたいな気持ちだ。

 

 

「フン、やっと代わったか。お前は誰だ? 真昼の幼馴染か?」

「あーそうだよ。ハハハ……やっぱ神様って残酷だなぁ。人を殺したくない俊介の体で、どうしても殺したい相手を目の前に呼ぶなんてよ」

「あ……?」

 

 ピュアホワイトが、急に雰囲気の変わった俺に訝し気な表情を浮かべている。

 どうでもいい。

 

 ピュアホワイトの顔は元の世界の真昼の物とは全く似てねえ。

 どうでもいいや。

 

 真昼がそこにいるなら、顔の造形なんてやっぱどうでもいいや。

 俺の中の真昼の顔を、今のお前の顔の記憶で全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部全部――――埋め尽くせばいい。

 

 そこにいるんだろ?

 真昼。

 今度こそ、この世界では、ずっと一緒にいような。

 

 

 

 

 ――――フッ

 

 

 

 

「貰うぜ、下級兵士のあんた」

「ッ!? え……?!」

 

 ピュアホワイトの後方にいた下級兵士に近づき、持っていた軍用マチェットを二本奪う。

 元の世界で使ってた鉈と比べりゃ少し手触りが違うが……まあおんなじさ。

 

 斬れば死ぬ。

 人間なんてどの世界でも同じだ。

 

 

「ッ――――なんだ、()()()()は……?!」

 

 

 ピュアホワイトが驚いた声を上げる。

 マチェットを手に馴染ませるようにくるくる回しながら、真昼の入った体の方に振り返った。

 

「どうした? ただ小走りで進んだだけだぜ」

「お前、本当にあの真昼の幼馴染か……!? 人間の出せる速度じゃない、なんだ、その速さは……!!」

「実際に出してるだろ? 今度こそ真昼を逃がさないためかな、いつの間にかこんなに速くなれたんだ」

「ふざけるな……!!」

 

 奴が剣を本気で構える。

 他の上級兵士も先ほどまでの呆れたような雰囲気を閉じ、全身から殺気を放ち始めた。

 三人の強者が放つ殺気は、常人ならば失神してしまうような圧を放っている。実際下級兵士達は完全に委縮してしまい、背中を無防備に見せるヘッズハンターに対して攻撃を加えようとしない。

 

 

 だが。

 ヘッズハンターは、その剣呑とした殺気を、夏の朝に吹く涼しい風でも受けるように心地よく受け止め。

 

 

「じゃあ、行くよ。――――真昼」

 

 

 その三人の殺気を上から全てどす黒いクレヨンで塗りつぶすような、濁流の如き殺気を身から放った。

 それは歴戦の猛者でありいくつもの戦場を乗り越えたピュアホワイトですら、思わず身が震えるほどの殺気。

 

 誰かの為ではない。

 ただ己の傲慢な理由の為に人を殺し続けた人間が辿り着く、人殺しの極致。

 それこそが、それぞれの世界で史上最悪の殺人鬼と呼ばれるに至った者達の立つ場所。

 

 人間でありながら人を殺し続けた、最悪の化け物の一人。

 日高俊介という蓋が抑え続けていた人類を滅ぼしかねない災厄。

 それが史上最悪の殺人鬼と呼ばれる者達。

 

 そしてそのうちの一人。

 人の域を超えた超常的身体能力を持つ男。

 

 

 

 ――――『()()()()』が、ついに目覚めてしまった。

 

 

 

 

 





ヘッズハンターの心をうまく書き切れなかった
作者の力量不足です いつか加筆します


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#82 史上最悪の殺人鬼

 

 

 『史上最悪の殺人鬼』。

 

 あらゆる世界に存在する人殺しの極致……なんて大層な物じゃない。

 

 俺達は人殺しの成れの果てだ。

 普通なら警察やその他の治安維持組織に止められるはずの人殺しが、最後まで羽化してしまった姿。

 

 ただ人を殺したいだけの奴。

 何か理由があって人を殺していた奴。

 大切な仲間が殺され、復讐の為に全てを殺した奴。

 

 みんな、何かしらの欲望を持っていた。

 それを叶えるためだけに進んで、その先が誰もいない孤独だと分かっていても、俺達は進み続けてしまった。

 

 俺達の欲望は社会に蛆虫のように這いまわり、汚染する。

 ただそこにいるだけで人間社会に多大な害を成す。

 人間の原動力が欲望だから、人を殺したことのない奴らには、自由に欲望を叶える俺達が幸せに見えたんだろう。だから殺人鬼の最悪な欲望が、暴力を以て全てを叶えるその考え方が、社会を蝕む。

 

 実際は全く自由なんてないのに。

 ただ欲望に支配されていただけだ。

 社会の法とは別の力に縛られていて、それが普通の奴らには見えなかっただけなんだ。

 

 

 俺もそうだった。

 欲望のままに動いて、生きているだけで害を振りまく害獣。

 行き場なんて何処にもなかった。生きていた時も、死んでからも。

 

 ……だから。

 

 俺は、俺の孤独を受け止めてくれた俊介のことが好きだったんだ。

 その優しい暖かさに眠気がして、つい殺人鬼だった時の本性を眠らせてしまっていたんだ。

 

 

 ……ああ。分かってる。

 俺は今から真昼の宿ったピュアホワイトを殺す。

 俊介が立てた不殺の誓いを破るんだ。俺は俊介からきっと嫌われる。

 

 

 俺はまた欲望のままに動いて、真昼を殺し、俊介に嫌われて、また孤独になる。

 

 

 ……分かってる。

 そこまで分かっているのに、俺は止まれない。

 

 やっぱり俺は。

 笑っちまうぐらい、心の底から『()()()』なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッズハンターが前傾姿勢を取る。

 マチェットを持った両腕は力を込めずにだらりと下げ、そのまま頭から倒れ込みそうなほどに姿勢を傾けていく。

 

 そして、ついに姿勢が崩れたと思った瞬間。

 目にも止まらぬ速さで右足を前に出し、鋼鉄の甲板にヒビを入れるほどの脚力で前方に体を射出した。

 その速度は十数メートルは離れていたピュアホワイト達の懐に一秒と経たず潜り込むほどに早い。

 

 マチェットを握る手に力を込めたヘッズハンターが狙ったのは。

 ピュアホワイト――――ではなく、ギャル風の身格好をした上級兵士の女だった。

 

「ひッ――――」

 

 実は彼女は、相手の心が読めると同時に、ごく短時間の未来予知も出来る。

 戦闘において相手の考えが読めて未来予知ができるというのはとても大きなアドバンテージだ。同格は勿論、格上にだって勝機を見いだせる強い能力である。

 

 だがしかし。

 今のヘッズハンターを相手に、半端な読心術や未来予知など何の意味もなさない。

 

 目の前の男が自分に微塵の興味もないこと。

 そして一秒後には自身の全身が斬り刻まれている未来予知をしてしまい、口から僅かな悲鳴を漏らす。

 

 

 ――――バシュッ!!

 

 

 彼女の予知が外れることはなかった。

 ヘッズハンターがたった一度だけ右腕を振るう。しかし彼女の体には無数の深い創傷が刻まれ、左腕が肩の根元から斬り落とされた。

 一度だけしか腕を振らなかったのではない。一度しか見えなかったのだ。

 

 そのまま左手に持ったマチェットを振るい、彼女の顔面を斬る。

 べろんと顔の皮が剥がれ、皮膚の下に隠れていた鮮血の滴る筋肉が姿を現す。鼻の断面から赤黒い汁が流れると同時に、ぼたぼたと粘り気を持った血が顔中から溢れ始め、地面に汚い水たまりを作った。

 

 ヘッズハンターが彼女を真っ先に狙った理由はただ一つ。

 真昼の宿った体がいるのに、他の女の顔という不純物を視界に入れたくなかったから。

 やろうと思えば首も刎ね飛ばせたが、命を奪う理由もないので、戦闘不能な傷を入れるだけに留めた。今まで未来革命機関がやってきたことを思えば少ないくらいの傷だろう。

 

 

「――――浄化魔法『聖光(セイント・グロウ)』」

 

 

 何処からか声が響いた瞬間、全身をチリッとした嫌な感覚――――死の気配が覆った。

 即座にその場を飛びのく。

 

 すると空から円形の眩い光が降り注ぎ、先ほどまでヘッズハンターが立っていた場所にある物を消し飛ばした。

 激しい痛みにより、その場でうずくまっていた上級兵士の女が今の魔法でチリひとつ残さず消えている。

 死んだなアレは。

 

 ヘッズハンターは声が聞こえた方向に視線を向ける。

 150メートル以上は離れている場所にピュアホワイトが立っていて、こちらに十字架の剣を構えていた。ヘッズハンターは薄ら笑いを浮かべながら言う。

 

「随分遠くに飛びのいたな、ええ?」

 

 足を地面につけ、力を込める。

 そして。

 170メートルはあった距離を一秒で詰め、ピュアホワイトの懐に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――俊介の体の中。

 中からヘッズハンターの視界を通し、外の様子を見ていたハンガーが口を開いた。

 

『ヘッズハンターを止めねえのかよ? あいつ、マジで殺しちまうぞ』

『今は無理だ。どうやってもアイツには追い付けない。速すぎる』

 

 ガスマスクが冷静に言葉を返す。

 

 ヘッズハンターを止めるには、奴の持つ俊介の体の主導権を奪わなければならない。

 そして人格同士で体を奪うには、宿主の体に人格が体を重ねる必要がある。

 

 だが今のヘッズハンターには、殺人鬼の中でダークナイトを除き、追いつくどころか影を踏める者すらいなかった。ダークナイトを出せば船の中にいる母体の女性達が数百人単位で死んでしまうため、そもそも意味がない。

 

 腕を組み、静かに外の様子を眺めるガスマスク。

 平坦な声で彼が言う。

 

『さっきの奴の移動距離を目測で測った。……1秒でおよそ170メートル。時速に直すとどれくらいか分かるか?』

『俺が計算苦手なの知ってんだろ。分かるわけねえ』

『……秒速170メートル越え。これは、ざっくり時速に直すと――――』

 

 ガスマスクは一度声を止め、ヘッズハンターの視界を見上げてから、言葉を発した。

 

『――――時速600キロメートルだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッズハンターが懐に潜り込み、ピュアホワイトの鎧の隙間にマチェットを突っ込もうとした。

 しかし圧倒的なスピード差があるとはいえ、向こうはそれなりの技量を積んだ強者。鎧の向きをずらすことで剣を弾かれ、距離を取られる。

 

「聖騎士秘魔法『見えざる騎士の軍勢』ッ!!」

「ん」

 

 ヘッズハンターの周囲を、三百本近い金色の剣が取り囲む。

 空中に浮きながらも刃先が体を狙っている辺り、自動で攻撃してくる剣を大量に生み出す魔法といったところか。

 

「同時に迫るこの数を捌き切れるかッ!! 掛かれ!!

 

 彼女の掛け声と同時に、寸分の時間差なく、ヘッズハンターに襲い掛かる三百本の騎士剣。

 ヘッズハンターはスピードこそあれど、体の耐久力は元の人間とそう大差はない。鋭い剣や銃弾が命中すれば致命傷だ。この騎士剣も命中すれば簡単に体を貫通するだろう。

 

 命中すれば、の話だが。

 

 ヘッズハンターは体に迫る死を探知することに特化した超人的な勘を持つ。

 全ての剣は彼の体に致命傷を負わせるのに十分な威力を持っている。それにより、たとえ視界の届かない背後であっても勘によって剣がどこに何本あるかを詳細に探知することが可能だ。

 

 両腕のマチェットを素早く振り、三百本の剣を自身から六十センチの所でほぼ同時に叩き落とす。

 

「なぁッ――――」

「後ろ」

 

 ピュアホワイトが動揺から意識を取り戻すより早く、彼が背後に回り込んだ。

 

 鎧とヘルムの隙間を狙い、首を刎ね飛ばすために二本のマチェットを全力で横に薙ぐ。

 しかし何かの力に甲高い音を立てて弾かれてしまった。

 

 完全に意表を突いた一撃だった、鎧の向きをずらして防ぐなんて出来る訳がない。

 ……そうか、元々鎧に仕込んでいた防御の魔法か何かか。

 

 

 自身が背後を取られ、死があと一歩の所まで迫っていたのにようやく気付いたピュアホワイト。

 腰と体の捻りを生かし、最速で十字架の剣を背後へと薙ぐ。だがヘッズハンターはそれを完璧に見切り、マチェットで弾いて防御した。

 

 ピュアホワイトが体を方向転換し、自身の技術を生かした最速の剣戟を繰り出す。

 魔力によって限界まで身体強化をした時、ピュアホワイトの体の速度は時速300キロに到達する。

 長い年月を経て積み上げられた実践的な聖騎士流の剣術。最適化された重心の動かし方と剣の振り方により、剣先の速度は時速350キロを超える。

 

 だが。

 ヘッズハンターの時速600キロという異次元の速さには遠く及ばなかった。

 

 両手で振り下ろされるピュアホワイトの剣を、片手で弾き続けるヘッズハンター。

 

 彼女の剣は異世界製の特別な金属を用いた最高級の剣。

 しかしヘッズハンターの使うマチェットは、一本一万円もしないような量産品。

 

 一発受ければ砕け散ってもおかしくない武器の質の差だが、ヘッズハンターは元の世界で鈍らの鉈を一度も折らずに七百人の人間を斬り殺した経験がある。

 実は彼は、自身の武器を壊さないことに対しても天賦の才を持っていたのだ。

 

 剣戟を弾き続けながら、ふわっとあくびを噛み殺すヘッズハンター。

 

「頭を斬るには、まずヘルムを弾き飛ばさないとダメか。少しめんどくさいな」

「この……ッ!! ふざけるなッ!! 私、私より……私より強い存在は、アニーシャ様しか存在してはいけないんだッ!!!」

 

 ピュアホワイトが一歩飛び下がり、十字架の鞘に剣を収める。

 そして居合の体勢を取り、鞘の中から魔力で剣を押し、腰の捻りと腕の力で剣を引き抜く。

 それは彼女が放てる最速の居合切り。元の世界では魔王ですら反応できずに斬られたほどの速度。

 

 それでもなお。

 

 

 ――――ガキャァンッ!!

 

 

 ヘッズハンターは両手のマチェットを振り抜き、彼女の剣を弾いた。

 その顔には一滴の汗を浮かばせず、息一つ乱していない。

 

「な、あ、ぐそ……ッ!」

 

 ピュアホワイトは、宿主との適合率はおよそ七割。元の世界の七割の力を引き出すことが出来る。

 しかし体に特殊な身体強化剤を定期的に打つことにより、欠けた三割の実力を補っている。副作用は寿命の減少。

 

 つまり何が言いたいかというと。

 彼女は今、元の世界と寸分たがわぬ実力で振るった最速の剣を、呆気なく防がれたのだ。

 

 大聖騎士とまで呼ばれた彼女のプライドが傷つく音が心中に響く。

 と、その時。

 

 

 

「う、ぼ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!」

 

 

 

 残っていたもう一人の上級兵士。ゴムバンドを全身に巻いた再生する男。

 その男が空中に響くほどの轟音を口から上げ、体の体積を一気に膨張させた。そして風船のように体を膨らませ続け、バンッ!と音を立てて破裂する。

 

「!?」

 

 あまりの異常行動にヘッズハンターが思わず動きを止めた。

 飛び散った体の破片が空から降り注ぐ。その破片同士は空中で細い血管のような糸で即座に繋がり、即席の網を広範囲に作り出してヘッズハンターに覆いかぶさった。

 

「なんだコイツ、滅茶苦茶な……!」

 

「浄化魔法『大聖光(ハイセイント・グロウ)』!!」

 

 万物を消し飛ばす浄化の光の威力を更に強めた上級魔法。短い詠唱で使えるのは大聖騎士と呼ばれる所以か。

 

 即座に網を斬って脱出するヘッズハンター。

 空から降り注ぐ浄化の光を飛び下がって回避する。もう一人の上級兵士は再生する肉片を塵すら残さず消し飛ばされた。

 

 しかし。

 今回の魔法は先ほどとは違い、威力が高い。

 強化された浄化の光は甲板から船底までをぶち抜き、ヘッズハンターが着地する場所すらも消し飛ばしていたのだ。

 

 

「――――ふん……」

 

 ヘッズハンターが落ちていく際に、ピュアホワイトの方を静かに見つめる。

 船から地上までの高さはおよそ三キロ。普通の人間ならば死ぬ高さだが、ヘッズハンターは死なない。

 

 落ちていく途中、船の断面の所で夜桜と橘を見つけた。

 巻き込まれなかったみたいだな、良かった。

 

 そんなことを考えながらも、彼は地上に落ちていく。

 

 

 

 

「――――おいッ!!」

 

 ピュアホワイトは息を切らしつつ、立ち上がった。

 そして近くにいた下級兵士に怒声交じりに声を出し、命令する。

 

「今すぐ船の真下を吹き飛ばせ!! 増設した砲台があるだろ!!」

「は、いえ、しかし……こちらから攻撃すると、拠点のステルス機能が消えてッ――――」

 

 この場にいる下級兵士は拠点が空にあるという事実を知っている。

 だがそれは彼らが兵士兼エンジニアという特殊な立ち位置にあるからだ。専門的なエンジニアは他にいるので、機密を知る彼らは下級兵士の中でも特に命が軽い存在である。

 

 故に今ピュアホワイトに首を斬られた兵士の姿もそう珍しいものではなかった。

 再生する上級兵士と違い、首を刎ねられた兵士は勿論即死した。ピュアホワイトが死体に一瞥もくれずに他の兵士に睨みを利かせる。

 

「やれッ!!」

「は、はい! 『――砲台、船の下にセット! 今すぐ放て!! 理由は聞くな、今すぐ!!』」

 

 睨まれた兵士が胸元についた無線に口を当て、砲台を操作する部屋にまくしたてるように言う。

 そして三十秒ほどが経った頃、船のステルスが解かれ、真下に砲台が発射された。

 

 ドドンと内臓が揺れるような轟音と衝撃が響く。

 船の真下は今は木々の生い茂る山だが、今の砲撃で何もかも燃えた禿山に変わるだろう。

 

 

 流石にこんな威力の砲撃が直撃、いや掠っただけでもヘッズハンターは死んでしまう。

 だがもちろん、これも。

 

「これでくたばった……! あの人格以外で私に敵う者はいないはずだ、これでアニーシャ様が出てくる他にない、私の勝ちだ……!」

「そうだな。お前の言う通り俺はくたばっただろうよ、もし()()()()()()()な」

 

 ピュアホワイトの背後で静かな声が響く。

 彼女が咄嗟に前方に飛び、後方に視線を向けると、そこには。

 

「どうした、そんなに飛び退いて。俺がそんなに怖かったか?」

「お、お前……! 魔法も使えないのに、どうやってここまで戻って来た! 地上からここまで三千メートルもあるんだぞッ!!」

「ハハハ、俺だって流石に地上から三千メートルをひとっとびってのは無理だからな」

 

 ヘッズハンターは頭に付いていた木の葉を取り、きゅっと握り潰す。

 

「そこら辺にあった木を切ってぶん投げて、空で足場代わりにして、二段ジャンプで戻って来た。三十秒以内にな。簡単だろ?」

「……な、なんなんだ……なんだ、なんだお前!?」

 

 

 ピュアホワイトが後ずさる。

 

 ありえない。なんだこの男は。

 魔力か、科学か、何かの力で身体能力を強化しているならまだ理解できる。それならまだ私に勝機はある。

 

 だが、この男は完全に混じり気のない素の身体能力で、これだけのスピードを出している。

 こいつは人間じゃない。人間にこんなことが出来るはずがない。

 奴は人間の形をした、怪物だ。

 

 

 ヘッズハンターがマチェットをくるくる回しながら言う。

 

「さて……どうすればヘルムを飛ばせるのかも凡そ見えた。お前の技も大体理解した。そろそろ終わらせるか」

「ッく、畜生! お前みたいな何も積み上げていない猿が、私より強いだとッ!? こんなことある訳がないッ!!」

「はいはい」

 

 ピュアホワイトの慟哭に、飽きたように言葉を返すヘッズハンター。

 彼が目にも止まらぬ速度で前方に移動しながら、マチェットで甲板をバラバラに切り裂いた。

 斬り刻まれた甲板は重力に従い、ピュアホワイトとヘッズハンターと共に階下の部屋へと落ちる。

 

 

 階下の床に着地するが、降ってくる瓦礫で視界が防がれるピュアホワイト。

 今の彼女は圧倒的強者という自身のプライドを汚され、精神が乱れ、いつもの判断力が欠けている。

 

 だからこそ、瓦礫に隠れて目の前に迫っているヘッズハンターに気付かなかった。

 

「しまッ――――」

「お前のヘルムの留め具、ここにあるんだろ。前回一度見てるからな、よく覚えてるぜ」

 

 ピュアホワイトは以前、自身の素顔を晒すためにヘッズハンター達の前でヘルムを脱いだ。ヘッズハンターは俊介が傷つけられ、真昼が宿っている事を明かされたあの時のことを、今でも鮮明に覚えている。

 そして鎧を着る本人がヘルムを着脱するための留め具。そこならば、攻撃を弾くような魔法も付いていないはずだ。

 

 その留め具の場所とはちょうどピュアホワイトの真正面から見た、顎の下のあたりだ。

 ヘッズハンターはそこにマチェットの先を突き刺し、手首を捻って刃を回転させる。するとプチッという感触が手に伝わり、明らかに彼女の頭に固定されていたヘルムがぐらっと緩んだ。

 

「はぁッ!!」

 

 十字架の剣を袈裟に振り下ろして来る。

 だがヘッズハンターはそれを余裕をもって回避し、彼女の頭の辺りまで飛び上がり、足でヘルムを蹴り飛ばした。

 

「ぐがっ!?」

 

 黒いヘルムが吹き飛び、白い長髪を生やした美しい顔と首が空気に晒される。

 いくらピュアホワイトが魔力で身体能力を強化していると言えど、時速600キロで振るわれる刃を防げるほどの防御力はない。

 ついに、機会(チャンス)が巡って来た。

 

「――――ま、待てッ!! 私の中にはお前のッ――――」

「待つ訳ねえだろ」

 

 空中で体を捻り、両手に持ったマチェットを引き絞る。

 両腕から首に向けてビキリと血管が浮かぶ。真昼という追い求め続けた最高のターゲット、そして全身の捻りを瞬時に解放することによって繰り出されるこの一撃は、確実にヘッズハンターの人生で一番の威力と速度を持った攻撃になるだろう。

 

 

 そして。

 全力を振り絞った最速の斬撃が、ピュアホワイトの首に迫った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その時。

 

 ピュアホワイトは、元の世界とこの世界の人生を含めて、初めて走馬灯というものを体験した。

 

 彼女は騎士として死の恐怖に耐えられるよう訓練されてきた。

 前世では死を恐れずに自害した。自分で自分を死に至らしめることにそう恐怖は感じなかった。

 

 だが、今。

 自分より強い者から放たれる殺気を受け、他者から理不尽に与えられる『()()()()』を理解して思ったのだ。

 

 『死にたくない』と。

 

 そう思った瞬間、彼女の脳内に前世と今世の記憶が一瞬で走る。

 

 走馬灯というのは、死に瀕した時、過去の記憶から死を回避するためのヒントを得るために本能が起こすものだ。

 だが殆どの場合、走馬灯から得られる記憶は役に立たない。

 五十メートルのビルから落ちた時、一体どの記憶が生き残る為に役立つのだろうか。4トントラックが目前まで迫った時、どんな記憶が役に立つのだろうか。

 

 走馬灯で思い出した記憶が役に立つ者なんて、非常に幸運な者しかいない。

 

 

 ……そして腹立たしいことに。

 ピュアホワイトは、その『幸運な者』の一人だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッズハンターのマチェットがピュアホワイトの首に迫った、その時。

 彼女はへにゃっと顔を崩し、笑顔を浮かべ、こう言った。

 

「――――()()()()()

「ッ――――」

 

 ヘッズハンターが目を見開く。

 

 

 この状況で、何を言っている。

 その呼び名は真昼が俺を呼ぶ時の名前だ。

 なぜこいつがその名で呼ぶ。

 

 ピュアホワイトが真昼から何らかの形で聞き出しただけだ。

 俺を騙そうとしているんだ。

 

 今真昼が体の主導権を握っている訳がない!

 

 ――――いや、真昼なら尚更良いんだッ!!

 

 俺は真昼を殺すために、元の世界で人を殺し続けて、今こいつを殺そうとしているんだッ!!

 

 真昼を独占しろ! 

 いつものように頭を斬って、俺だけのものにしてッ……!

 

 

 斬れ!

 今すぐ斬れ!

 これはピュアホワイトの嘘だ!

 でも真昼だったとしたら……いや、そうだとしても……!!

 

 動け、俺の体!!

 止まるな、止まるな、今ここで止まったら逆に殺られる!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――もう少し振り切るだけで斬れる、のに……ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺は真昼を殺して、ずっと独占したかったはずなのに……!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうすぐ俺の追い求めた欲望が、満たせるのに……ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんで()()()()()()()()()()……ッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その瞬間。

 

 

「はッはァ――――ッ!!」

 

 

 動きを止めたヘッズハンターの顔面に、ピュアホワイトの拳が突き刺さった。

 強力な拳の一撃。降り注ぐ瓦礫ですら勢いは収まらず、薄い鉄の壁を一枚ぶち抜き、別の部屋の壁に背中を勢いよくぶつける。

 

「ごば……ッ!!」

 

 肺の中から空気が飛び出し、むせた咳に血が混じる。

 ぜひゅーぜひゅーと息を荒くしつつ、次は確実に殺す為、立ち上がろうとすると。

 

『はい、終わり。そろそろ落ち着けよ』

 

 背後の壁から透過して現れたハンガーが、ヘッズハンターの操る体と重なった。

 ハンガーが体の主導権を握り、元々主導権を握っていたヘッズハンターがはじき出される。

 そして上手く受け身を取れずに転がったところをエンジェルに掴まれ、ひょいっと持ち上げられた。

 

『は、離せ……!』

『離すわけがないでしょう』

 

 ヘッズハンターの速度にエンジェルでは絶対に追いつけない。

 逆にエンジェルが本気で捕まえた時、ヘッズハンターの力では絶対に脱出できない。

 そういう力関係が二人の間にあるのだ。

 

 

 そして主導権を握ったハンガーは、すぐに俊介に主導権を明け渡す。

 

 一瞬の沈黙。

 

 その後、バッと俊介が目を覚ました。

 全身の痛みと今さっき殴られた激しい頬の痛みに顔をしかめつつも、周囲にいる人格達に状況の説明を求める。

 

「あー、なんだ……今どういう状況?」

『ヘッズハンターが体を奪いました。そしてピュアホワイトを追い詰めましたが、顔面を殴られてしまい、倒れた所で私達が体を奪い返しました』

「おう、ありがとうエンジェル……クソぉいってえマジで。どんな力で殴られたんだよ……」

 

 頬を痛そうに押さえる俊介。

 口から血が漏れ出ている辺り、中で歯が折れているのかもしれない。

 

 

「――――生き残った! 私は生き残ったぞ、ハハハハハッ!!」

 

「随分ハッスルした声出してんな、おい……」

 

 壁を一枚隔てた部屋の向こうから、ピュアホワイトの興奮した声が聞こえてくる。

 

 だが、俊介は危険な強敵である彼女から意識を逸らし。

 エンジェルに捕まえられたまま力なくうなだれるヘッズハンターに視線を向けた。

 

「ヘッズハンター」

『っ……』

「少しだけ、話すか」

 

 危機的状況ながらも、俊介はそう言ってにこりと笑った。

 

 

 

 

 



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#83 俺と一緒に

 

 

 

 

 

「少しだけ、話すか」

 

 ヘッズハンターに向け、そう言った俊介。

 そして次に、逃げないようにヘッズハンターを捕まえているエンジェルの方に顔を向ける。

 

「悪いけど、二人にしてくれないか?」

『ですが、次に体を奪われたらもう取り戻せません。今度こそヘッズハンターはピュアホワイトを殺します。そうなったら……』

「分かってるよ。頼む、エンジェル」

『……私は不服です』

 

 自身が納得いかない事を端的に口から漏らしながらも、エンジェルはヘッズハンターをその場に落とした。

 そしてすぐに彼女は、近くにいたハンガーを連れて俊介の中に戻る。

 

 興奮冷めやらぬピュアホワイトが冷静さを取り戻し、こちらに注目を戻すまでがタイムリミットだ。

 話せるのは凡そ二分が限界といった所か。

 

 

 俊介は傷ついた体で深呼吸し、息を整えながらも言葉を発する。

 

「なんとなく、みんなの話ぶりから分かる。ヘッズハンター、お前、ピュアホワイトをあと一歩の所まで追い詰めたんだろ」

『…………』

「図星だな」

 

 七年も一緒に居るのだ。

 これも言葉にハッキリできるほどではないが、ヘッズハンターの僅かな仕草や雰囲気の変化で、図星を突かれたんだなというのはなんとなく分かる。

 

「ヘッズハンター、聞かせてくれよ。どうしてピュアホワイトを殺さなかった?」

『それは……ッ。その……俊介との『人を殺さない』って約束が、あったからだ』

「……本当にそうか?」

 

 俊介は一切の怒りの感情を見せず、ただヘッズハンターに笑みを向ける。

 その顔を怖くて見ることができないヘッズハンターは、ただ顔を俯けていた。

 

「俺との約束……それだけが、本当に殺さなかった理由か?」

『やめッ……やめて……!』

 

 そんなに優しく諭さないでくれ。

 「よくも人を殺そうとしたな」って、俺の事を罵ってくれ。

 心の底からの嫌悪を向けてくれ。

 

 頭を抱えて耳を塞ごうとするヘッズハンター。

 その様子を見つめたまま、俊介は自身の胸に手を当てた。

 

「ヘッズハンターは優しいから、俺のことを考えてくれてるんだろ?」

『え……?』

「いや、俺からすれば、殺人鬼のみんなは滅茶苦茶優しいんだ。俺もな、どうしても許せない悪者とかは、いっそ殺しちまえば丸く収まるってのは分かってる。俺も榊浦親娘はマジで殺したい」

 

 「でもな」と、話を続ける俊介。

 

「それでも俺は、やっぱり『人を殺したくない』んだ。それがどれだけ楽な方法だとしても。そんな俺のワガママに付き合ってくれるみんなはめっちゃ優しいよ」

『ああ……』

「……ヘッズハンターもそうなんだろ? 俺のこと、いっぱい考えてくれて」

『え?』

 

 ゆっくりと顔を上げる。俊介の言っている意味が分からなかった。

 俊介のことなんか考えちゃいない。

 寧ろ俺は裏切ろうとしていたんだ。人を殺さないって約束を破ってまで。

 

「真昼ちゃんごとピュアホワイトを殺せば、奴さえいなくなれば、夜桜さんは確実に助かる」

『違う……』

「そう思ってくれたんだろ? だから俺の体を奪って、何もかものリスクを背負って、ピュアホワイトを殺そうとした。俺との約束を破っても、自分が嫌われるだけで上手く収まるからって」

『違うッ!! そんな、違うっ、俺はそんなに優しくないんだッ!!』

 

 目端に涙を浮かべながら、必死に頭を振る。

 そんなに優しい言葉で肯定しないでくれ。俺の心を溶かさないでくれ。

 

 何かを必死に否定しようとするヘッズハンターの顔に、俊介が手を伸ばす。

 半透明で物体をすり抜ける人格の体に、俊介の手は触れられない。しかしヘッズハンターは自分の右頬に当たっている手から、優しい日光の暖かさを確かに感じた。

 

「ヘッズハンター。それでもやっぱり、お前は、あいつを殺さなかった」

『ッ……』

「本音を話してくれよ。今までワガママ聞いてくれたんだ」

 

 

「だから……何でも聞くよ」

 

 

 

 

 

 

 目から温かい何かがこぼれ出る。

 それを手で拭っても、ぽたぽたと顎を伝って地面に落ちていく。

 何度も何度も手で拭いながら、ぐちゃぐちゃになった顔のまま、震える唇を動かす。

 

 

『俺は、真昼を……』

 

 

 今まで何人殺してきた?

 

 七百人以上だ。

 

 今更お前みたいな屑が、都合のいい未来を望むなんて許されるわけがない。

 

 

『真昼を゛っ……』

 

 

 口に出すな。

 

 それを言ったらもう止まらなくなる。

 

 俊介に迷惑が掛かる。

 

 このまま真昼と一緒にピュアホワイトを殺すのが、全て丸く収まる。

 

 俊介の大好きな夜桜だけは確実に助けられるんだ。

 

 死人の俺なんかに気を遣う必要はない。

 

 

『真昼を……!』

 

 

 だから、言うな――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――()()()()()()()()()っ……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俊介が優し気に微笑む前で、ぼろぼろと涙をあふれさせる。

 顔を真っ赤にして、鼻水も流して、全身が張り裂けそうになりながらも言葉を漏らす。

 

『今までずっと、真昼のことをずっと、欲しいと思ってた……!』

『でもいざ目の前にいると思ったら、どうしても殺せなかった……!』

 

 

『ワガママなのは分かってる!!』

『ピュアホワイトの中から、真昼の人格を出すのがどれだけ難しい事なのか……!!』

『今あの体を操るサリアスが、真昼に大人しく体を明け渡す訳がない!!』

 

 

『それでも、俺は……ッ゛!!』

 

『俺は、真昼に……』

 

 

 

 

『真昼に、元の世界で逃げてしまったことを、謝りたい……!!』

 

 

 

 

 

 

 

 それは、ヘッズハンターが心の中にずっと隠していた本心。

 殺意という蓋で隠していた、本当の願い。

 史上最悪の殺人鬼が決して望んではいけない、都合のいい未来。

 

 その殺人鬼の願いに対して、俊介は悩む素振りもなく答えた。

 

「なら、そうできるよう頑張ろうぜ」

『ッ……! 本気か俊介ッ! 殆ど不可能に近い事なんだぞッ!!』

「なんか忘れてないか、ヘッズハンター」

 

 俊介は口角を上げ、彼に向かって笑みを浮かべる。

 

「俺が決めた約束は『()()()()()()』ことだ」

『ッ、それは……』

「アイツを殺さずに真昼ちゃんを表に出す。ちょうどいい、約束通りだぜ」

 

 一拍の間を置き。

 

「それに、これも随分前に言った気がするんだけどな」

 

 ヘッズハンターが泣きはらした顔を俊介の方に向ける。

 それは、俊介がいつの日か言った言葉。自身の心にずっと影響を及ぼし、あこがれ続けていた言葉。

 

 

()()()()()()()()()より……()()()()()()()()()()()()()()()()()だろ?」

『…………!!』

「ヘッズハンターが幼馴染と会いたいって言うんなら、俺も全力でやってやるさ」

 

 俊介の言葉に、ヘッズハンターがパクパクと口を開閉する。

 そのまま最後の涙を手で拭い、唇をぎゅうっと噛みしめた。

 

 

『そうか……分かった。俺は、ここまで来て……まだ、()()()()んだな』

 

 七百人以上殺した俺が、何もかも上手く纏まるようなハッピーエンドを目指していいわけがない。

 誰もが甘ったるい砂糖を吐くような、そんな心地の良い結末を望んで良いわけがない。

 だって俺は『史上最悪の殺人鬼』だから。罪に永遠に縛られ続けるのがお似合いの存在だと、そう思っていた。

 

 だから俺は、真昼ごとピュアホワイトを殺して、全てを終わらせようとしたんだ。

 自分にはこの不幸な結末がお似合いだって勝手に決めつけて、困難な道のりのハッピーエンドから目を逸らしていた。

 

 元の世界でのあの日。

 真昼からの助けてという言葉に、自分の力じゃなく他人の力に頼ったことも。

 真昼が自殺した後、彼女の亡霊を追い求めるように殺人を繰り返していたのも。

 

 怖かったから、逃げていただけなんだ。

 本当に立ち向かう勇気があったなら、もっと別の選択肢を取っていた。

 彼女の死を受け止めてマトモに生きていたんだ。

 

 でも俺は受け止められなかった。真昼の死を受け止める心の強さがなかった。

 ずっと逃げて、逃げて、逃げ続けた。

 俺は……世界で誰よりも逃げ続けたから、『史上最悪の殺人鬼』なんてもんになっちまったんだ。

 

 今回だって、本当に選ぶべき選択肢はピュアホワイトを殺す事じゃなかった。

 ずっと傍にいてくれた俊介に、『相談すること』だったんだ。

 こんなに辛い選択肢で、情けない俺の気持ち悪い願いだけど、どうか手伝ってくれないかって頭を下げることだったんだ。

 

 

『俊介……』

 

 

 今だって、体は強くても心は弱いままだ。

 真昼と会うのが怖い。

 ピュアホワイトと戦う間に、俺の殺人鬼としての本性を見せすぎた。

 もし彼女と再会できたとして、失望されたり侮蔑されたりするかもと思うと身が震える。

 

 それでも。

 俺はもう、決して一人じゃない。

 心強い俊介って奴が、俺のすぐ傍に居てくれるから。俺の折れかかった心を支えてくれるから。

 

 

 だから、俺のゴミみたいな逃げ癖には……そろそろ終止符を打つよ。

 

 

『ありがとう、俊介……俺は本当に、こんな奇跡みたいなチャンスから……また逃げるところだった』

「おうよ。元気出たか、ヘッズハンター?」

『ああ……。俊介、辛いことに付き合わせてごめんな』

「何言ってんだよ。そんなもん、七年前にみんなが宿った時からとっくに背負う覚悟決めてるっての」

『はは。本当に強いんだな、俊介は……』

 

 

 心の底から感謝の言葉を述べても足りない。

 ありがとう、俊介。

 俺の弱い所を受け入れてくれて、俺の本当の願いを引き出してくれて。

 

 なんだか心がどろどろに溶けて、俊介と重なり合ってるような感覚だ。

 今までに味わったことのない感覚だがなんとなく分かる。俺達は今、誰よりも深い場所で繋がってる。

 そして同時に感じ取れた。

 

 

 俺の力の、『()()()()()()』が。

 

 

『俊介、一緒に戦ってくれるか?』

「もちろん」

『カッコいい返事だな……』

 

 結末がどうなるかは分からない。

 目の前に見える道のりは茨だらけだ。以前の俺なら絶対に進まないほど険しい道のり。

 ハッピーエンドを目指したとしても、誰もが期待するような幸せな未来には辿り着かないかもしれない。

 

 でも、それでいい。

 俺はもう逃げない。逃げずに進むことに価値があると理解できた。

 俊介と一緒なら、俺はどんな未来が訪れても乗り越えられる。

 

『なら持っていってくれ……俺の力を。そして存分に使ってくれ……俺の力を、『本当の使い方』で』

「ああ。一緒に行こう、ヘッズハンター」

『そうだな……!』

 

 俺達が力を合わせれば、向かうところ敵なしだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと……! さっきの一撃で幾分か怯んだだろう、そろそろ止めを刺すとするか……!」

 

 ピュアホワイトが死を乗り越えた興奮を抑え、先ほどヘッズハンターを殴り飛ばした方に体を向ける。

 

 奴は魔力で身体強化をしていない。スピードはあるが耐久力はそこまでではない。

 それに、真昼の声真似をしただけで随分と動きが鈍った。

 なんて大きくて、情けない弱点だ。

 

 真昼の声真似をしながら奴に攻撃を加えれば、中にいる真昼の心もおのずと折れるだろう。

 『倒し方』は分かった。『虐め方』も既に分かった。ああ、気分がいい。

 

 そして十字架の剣を握りしめ、レギンスで床を叩き、歩みを進めようとした瞬間。

 

 

 

「――――誰に止めを刺すって!?」

 

 

 

 そんな声が大きく響いた。

 さっきの人格が立ち上がってきたかと思ったが、何かが違う。あんなに放っていた重い殺気を一片も放っていない。

 

 瓦礫のせいで舞い上がった砂煙を掻き分け、男が姿を現した。

 その体を今操っているのは、ヘッズハンターではない。

 宿主である()()()()だ。

 

「久しぶり。随分好き勝手やってくれたみたいだな、ピュアホワイト」

「は……? お前、まさか宿主か? なぜここでお前に変わる……?」

 

 理解が出来ない。

 なぜさっきまで自分を押していた人格から、弱っちい宿主の方に変わるのか。自ら勝負を放棄したのか。

 

 そこまで考えた所で、ようやく気付く。

 この宿主、先ほどまでとは違う。

 

 真昼の幼馴染である人格と、()()()()()()()()()()

 そう気づいた所で、ピュアホワイトは後ろに一歩後ずさった。

 

 

 それは、浮遊人格統合技術で人格を宿した者の、最高到達点。

 彼女ですら知識でしか知らず、実際に扱える者に出会うのは初めての技術。

 

 

 ピュアホワイトは美しい素顔を歪め、目を大きく見開く。

 

「それは、まさか、『()調()』か……!? この土壇場で……更に上に目覚めただと……!」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――()調()

 

 

 浮遊人格統合技術で人格を宿らせた宿主が、人格の力を使う方法には大きく分けて三つある。

 

 一つ目は、完全に体を渡してしまうこと。

 これは最も簡単である。

 

 二つ目は、体の一部分の主導権の譲渡。

 これは中々に難易度が高く、才能も必要だ。

 両手足をそれぞれ別の人格に操らせるとなると、複数人格であることを前提とした上で、人並外れた技量と才能が必要になる。

 

 そして三つ目。世界でも扱える者は殆どいない、超高等技術。

 それが『()調()』だ。

 

 

 同調を行うのにもまず才能がいる。

 しかしそれよりも重要なのは、『人格と心を通わせる』ことだ。

 ただ仲良くなるだけではいけない。お互いがお互いを完全に信頼し、魂が溶け合う程に心を繋げなければならない。

 

 人格によって同調ができるようになる条件は異なる。

 だがそれが異常な性根を持った殺人鬼だろうと、普通の一般人だろうと、難易度はそう変わらない。

 誰かと真に心を通わせるのは難しいものだ。

 それが異世界で元々生きていた人間ならばなおさら。

 

 今現在、人格が宿った人間は世界に一億人近くいる。

 しかし、『同調』が使用可能な者は30人ほどしか確認されていないと言えば、その難易度がどれだけ高いか分かるだろう。

 

 

 ……そしてその難易度に見合うように、同調のもたらす効果は他の人格の力を引き出す方法とは正に次元が違う。

 今までは宿主の体を人格が乗っ取るだけだった。

 だが同調は、宿主の体の上に、()()()()()()()()()()のだ。

 

 宿主と人格がどちらも一般人ならば、宿主は常人の二倍の力を使う超人になれる。

 人格が埒外の超人ならば、宿主もまた超人の力を得て……尚且つ、それを宿主自身の意思で自由に扱う事ができる。

 

 つまり同調とは。

 『真に心を通わせた人格の力を宿主の意のままに使う事ができる』技のこと。

 

 それこそが、人格を宿らせた宿主のほんの一握りが辿り着く()()

 

 

 ――――『同調』だ。

 

 

 

 

 

 俊介がキッと視線を強める。

 どれだけ傷だらけでもその視線と心には一切の曇りを見せない。喉が張り裂けそうな音量で、極まった決意の籠った声をピュアホワイトにぶつける。

 

「覚悟しろよピュアホワイト!! そろそろお前に引導を渡してやらァ!!」

 

 その言葉を受けたピュアホワイトが、驚きを振り払い、剣を構える。

 同調を使ったからどうしたと言うのだ。

 宿主はただの弱者、同調している人格は真昼の声真似だけで大きく乱されるような半端者。

 珍しい技術を使った所で基礎がないその体は隙だらけだ、クソガキが!

 

「人格の力を使ってイキがってるだけの雑魚の子供(ガキ)が、調子に乗るなァッ!!」

『俊介が人格の力を使ってイキがってるだけだぁ? 寝言も大概にしろよ!!』

 

 

 ヘッズハンターと俊介が全く同じタイミングで前に足を踏み出す。

 

 

 

「俺は宿主の日高俊介! 夜桜さんを助けにきた、ただの高校生だ!!」

『俺は人格の間狩伸介! 異世界からやってきた、最悪の殺人鬼だ!!』

 

 

「長い遠回りをしてこの場所に来た!」

『決して償い切れない罪を犯した!!』

 

 

「自分の弱さに泣いたこともあった!」

『何もかもが怖くて、今までずっと逃げていた!!』

 

 

「それでも今、やっとここに来れた!」

『異世界のこの日この場所に辿り着いた!』

 

 

「夜桜さんを安全に逃がすためには!!」

『真昼にあの日の事を謝るためには!!』

 

 

 

 声が、重なる――――!

 

 

 

 

「『あとはお前をぶっ倒すだけなんだぜッ!! ピュアホワイトォッ!!!』」

 

 

 

 

 俊介とヘッズハンターの鋭い視線がピュアホワイトを射抜く。

 

 ピュアホワイトには人格であるヘッズハンターの姿は見えない。

 

 だが目の前の男が、中にいる人格と共に吐き捨てるようなクソ甘い希望を見据えて睨んできているのは手に取るように分かった。

 ピュアホワイトは顔をこめかみから額までビキリと血管を浮かばせ、右足を床を砕くほど強く踏みしめる。

 

 

「私を倒すだと!? ハッ、ならばさっきそのまま殺すべきだったなァッ!!」

 

 

 奴はそう叫ぶと共に、全身からどす黒い魔力を噴出させた。

 その魔力の量と出力は先ほどまでとは比にならない程に多い。魔力の質も先ほどまでの聖騎士然とした美しく清浄な物から、あらゆる物を食い荒らさんとする暴力的な物へと変化している。

 

 今、ピュアホワイトは俊介以上の急激な成長を始めていた。

 それはなぜか。

 

 先ほど奴は、史上最悪の殺人鬼という死神の如き存在に殺される寸前まで迫られた。

 そして姑息な手を使ったとはいえ、己の命の間近まで迫った『本物の死』を乗り越えることができた。その経験がピュアホワイトを大きく変えたのだ。

 

 あの時、奴は『死』が間近に迫ったことにより起こる走馬灯から、一瞬のうちに自身の生涯を振り返った。

 

 そして気付く。

 

 生まれた時から刷り込まれた『聖騎士』という殻は、凡人がある程度まで成長するにはちょうどいい物だ。

 先人が積み上げた技術を効率的に習得できる環境は、平凡な人間には適している。

 

 だが自分は特別な才能を持つ人間だ。

 『聖騎士』という殻は、今や自分には狭すぎる。

 自分の実力の限界はここではない。

 

 そうだ。

 

 

 今こそ『聖騎士』という殻を破りッ!

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()』として羽化する時なのだ――――ッ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹き荒れる魔力が暴風を起こし、俊介の髪を勢いよく後方へ流す。

 手のひらで顔の前を覆いながらも、俊介は口角を上げた。

 

「黒い鎧に体から放つ魔力の感じまで同じか! ダークナイトに随分似せてきたなァおいッ!!!」

『ビビるなよ俊介! 俺達なら行ける!!』

「当たり前だッ!!」

 

 先ほどまでヘッズハンターが振るっていたマチェットを一本だけ握り直す。

 武器は二本も必要ない。

 

 なぜなら俺達は二人で一つ。もう余計な選択肢は必要ない。

 ハッピーエンドにまで伸びる一筋の道を進む、覚悟を決めた一本だけで充分だ。

 

 

「――――来いッ、()()()()ェッ!!」

 

「言われなくても行ってやるよ、()()()()()()()ッ!!」

 

 

 俊介が前方に素早く移動し、振り上げた一本のマチェットを叩きつける。

 ピュアホワイトが十字架の剣を横に構えて防御する。

 

 一拍遅れ、ガキンッ!と甲高い金属音が暴風と共に鳴り響いた。

 それはさながら、ボクシングで言うラウンドの始まりを告げるゴングの音だ。

 

 

 ヘッズハンターの回り巡って来た因果を終わらせるための。

 

 最後の戦いのゴングが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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#84 一人と俺達

 

 

 

 ――――俊介の『真昼ちゃんとヘッズハンターを再会させる作戦』の概要は以下の通りだ。

 

 まず、ピュアホワイトを完膚なきまでに倒す。

 圧倒的な実力差を見せ、ダークナイトを出さずとも俊介に勝てないという実力差を理解させ、口喧嘩の状態に引きずり込む。

 

 そこから()()()()()()()()を切る。

 ピュアホワイトはダークナイトに異常に固執している。だからダークナイトに関係する方向から致命的な事実を突きつければ、ピュアホワイトの精神を折ることも出来るはずだ。

 

 そして、精神を折って行動不能になったピュアホワイト。

 その隙に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。精神が折れた奴は暫くは体を取り返そうとしないだろう。

 そのほんの僅かな時間さえあれば、ヘッズハンターと真昼ちゃんの再会は叶う。

 

 俊介が一瞬で立てた作戦だ。欠点や穴は多い。

 だが成功確率はゼロではないし、やるだけの価値はある。

 

 

 そして、実行を始めた俊介の作戦だったが。

 今、第一段階の『ピュアホワイトを完膚なきまでに倒す』という所で躓きかかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――シッ!」

「フン!」

 

 鋭い吐息。

 それと共に振るわれた俊介のマチェットが、ピュアホワイトに防がれる。

 その顔に迫る魔法の弾を首を捻って回避しつつ、飛び下がって距離を取る。

 

「チッ!」

「さっきまでの威勢はどうした、勢いが落ちてるぞ!?」

 

 ピュアホワイトは魔力で身体能力を高め、俊介に斬りかかった。

 圧倒的な身長差と技量差から来る、威圧感のある連撃を弾きつつ後方へと下がる。だが壁まで追い詰められ、振り下ろされた剣を横に飛ぶことで回避した。

 

「ん~♪ 私も随分強くなったな、これが殻を破るという気分か……!」

「クソッ、なんでだ……!?」

「ククク……フハハ……ッ!!」

 

 今の俺はヘッズハンターと一緒になっているはず。

 なのに先ほどから、ピュアホワイト相手に防戦一方だ。奴がいくら強くなり始めているとはいえ、ここまで一気に逆転されることはないはずなのに。

 

 ピュアホワイトが魔力を剣に纏い、黒い斬撃を飛ばして来る。

 それをマチェットで薙ぎ払う。その瞬間黒い煙幕が辺りを覆った。

 

 視界が暗黒に包まれる。

 だが頭頂部からピリピリとした嫌な予感を感じた。マチェットを頭上に向けた瞬間、上空から斬りかかって来たピュアホワイトの剣がぶつかる。

 

 力勝負の鍔迫り合いは流石に分が悪い。

 マチェットの角度を変え、奴の剣を地面に滑り落とす。そのまま飛び上がって無防備な顔に蹴りを入れようとしたが、左腕で受け止められた。

 

 その時、全身にピリピリとした死の気配が走る。

 足を受け止めた左腕を逆の足で蹴り飛ばし、後方に飛び跳ねる。刹那の後、無詠唱で放たれた何もかもを消し飛ばす光が彼女のすぐ前に放たれた。避けなければ体の何処かが消し飛ばされていただろう。

 ヘッズハンターが俊介のすぐ傍に立ち、ピュアホワイトの方を睨みながら呟く。

 

『奴のスピードが上がっている……? いや、それもそうだが、これは……』

 

 不可解な顔を浮かべる俊介を前に、ピュアホワイトが心地よさそうに剣に魔力を籠めた。

 

「ハハハ! やはり同調の事をほとんど知らないな!? 同調の()()すらも知らない情弱め!!」

「弱点だと?!」

「冥土の土産に教えてやる、どうせどうしようもない弱点だッ!!」

 

 ピュアホワイトが剣から魔力の斬撃を飛ばしながら叫ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿主が人格の力を使えるようになる『同調』。

 それは強力な技であることは間違いないが、一つだけ致命的な弱点が存在する。

 

 その弱点とは、『()()()()』だ。

 

 同調は宿主の体に、人格の力の全てを乗せる。

 身体能力や考え方、第六感のような圧倒的な勘まで全てだ。

 

 その時、宿主の脳と精神には多大な負荷がかかる。

 普通の宿主が、普通に人格を宿しているのとは別次元の負荷。

 二人の人間を完全に一つに混ぜようとする狂気の技。

 

 もし人格が殺人鬼などの異常な性根の持ち主だった場合、宿主の精神までもが殺人鬼のそれに染められていく。

 そしてそれは同調を解いた後でも終わらない。

 一度変化した脳は元に戻せない。

 

 なので、同調を行える者は世界で30人ほどいるが、その全員が人格との同調率を五割以上にはしようとしない。

 いや、しないというよりは出来ないのだ。そこまで高めようとすると脳のキャパが限界を超え、自動的に宿主が気絶してしまう。

 

 しかし人格との同調率が五割以下だったとしても、その恩恵は大きいものである。強者の人格の力を三割か四割でも乗せることが出来れば充分だ。

 

 だが異世界の強者は時として倫理感が狂っていることもあるので、わざと同調率を一割以下に抑え、精神汚染を最小限に防ぐ者もいるらしい。

 

 

 ――――そして今、俊介とヘッズハンターの同調率は。

 

 他の同調使用者の限界である五割を超えた、『()()』に達していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピュアホワイトは俊介に斬りかかりつつ叫ぶ。

 

「同調率とは人格の身体能力をどれだけ乗せられるかだ! だが同調率を無理やり上げてみろ、貴様は精神と共に脳が壊れる! だが上げなくては私に勝てない! ハハッ、やはりぶっつけ本番のわかばマーク見え見えの技で私に勝てる訳がないんだッ!!」

「なるほどね……!」

 

 同調を七割まで高めただけではピュアホワイトには勝てない。

 ならば話は簡単だ。

 

「だったらもっと()()()ぜッ!!」

 

 俊介はヘッズハンターとの同調率を七割五分まで高め、更にその身体能力を高めた。

 ピュアホワイトへの一撃に完璧なカウンターの蹴りを返し、彼女の体勢が大きく崩れる。

 

「ぐはぁッ!? き、貴様正気か!? 自分の脳が壊れて一生廃人になるんだぞッ!!」

「俺のキャパの限界ぐらい俺が一番分かってる! その上で言うぜ――――まだまだ絶好調だッ!!」

「バケモンがッ……!」

 

 

 俊介は凡人だ。

 運動勉学その他において、一切特筆できるような才能はない。

 いわゆる世界の隅で埋もれ死んでいくような平凡な人間。モブキャラに生まれてモブキャラのまま死んでいくようなつまらない人間。

 

 

 

 ――――だが、しかし。

 十数年前、この世界には榊浦親子によって『浮遊人格統合技術』が生み出された。

 

 

 世界を変える新技術の誕生。少し経ってから施策された十歳への注射の義務付け。

 生まれる年代が少し違えば発覚しなかったであろう、『浮遊人格統合技術』についての才能。

 

 この『浮遊人格統合技術』への適性においてだけは、日高俊介の右に出る者はいない。

 

 過去・現在・未来を含めた世界中全ての人間をぶっちぎりで突き離す――――圧倒的な才覚。

 

 何の力もない俊介に与えられた、『誰かに頼る』という、ただそれだけの天与の才能。

 

 

 

「同調『八割』、いや、『()()』――――!」

 

 

 更に同調率を高める。

 

 日高俊介の才能は偶然に導かれ、大きな産声を上げ。

 

 倒さなければならない強敵と出会い。

 

 今まさに、新たな『次元(ステージ)』へと進化を遂げようとしていた。

 

 

「ヘッズハンターが真昼ちゃんと会いたいって言ってるんだ!!」

 

 

「今まで俺が何度みんなにワガママ言ってきたと思う!? 数え切れねぇよ!!」

 

 

「だったら一度のワガママくらい――――叶えてやらねえとダメだろうがッ!!!」

 

 

 

 

 

「同調――――『()()』」

 

 

 

 脳が躍動する。

 常にハンマーで殴られているような酷い頭痛がする。

 俊介の自我が、ヘッズハンターの溢れ出るような殺人鬼としての性に染められていく。

 

 七百人を殺した罪への罪悪感。

 真昼を本当に助けたいという思いと、未だ心の奥底で燻ぶる万物への殺意。大切な存在を簡単に奪った奴らと、情けなく逃げた自分を含めた世界全体へのおどろおどろしい殺気。

 

 俊介の『人を殺さない』という強固な意志が、史上最悪の殺人鬼の殺意に塗りつぶされていく。

 

 

 ――――だが。

 その濁流のように頭に流れる殺意を、今にも破裂しそうな脳の痛みを。

 俊介は軽く笑って受け止めた。

 

 

「俺は、俺だッ!!」

 

 

 その声と共に、俊介は自身の精神を汚染する史上最悪の殺人鬼の殺気を完全に抑え込んだ。

 いや、それどころでは止まらない。

 逆にヘッズハンターの精神に自身の精神を注ぎ込み、殺人鬼の溢れ出る殺意を強固な不殺の意思で洗い流してしまった。

 

『うお、お……!』

 

 ヘッズハンターの精神が俊介に染められていく。

 力技による逆精神汚染。人格の体は元の状態に修復する作用があるため、俊介に汚染された精神もまた脳みそごと元の殺人鬼のそれへと戻るだろう。

 

 だがしかし。

 今この瞬間、高い同調率による俊介の頭痛は消し飛んだ。

 精神汚染は二つの人間が異なる物だから発生する物。だが俊介によって染められたヘッズハンターはいまや俊介と同一存在。

 

 二人は今、完全に一つになった。

 

 

 

 

 

 

(――――同調率、()()!? 二人の人間が完全に一人になったようなものだ、そんなのありえない!!)

 

 ピュアホワイトは目を剥く。

 こんなのあり得ない。

 

 誰かと協力して強くなるなんてのは夢物語だ。

 自分の欠点を他者と補い合うなんてのはくだらない妄想だ。

 単一の個、個人としての圧倒的強者が世界を蹂躙して支配する。それこそが世界の真実。

 

「お前が今何考えてるか当ててやるよ、ピュアホワイト!」

 

 時速六百キロ。

 まさに神速の域に至った俊介が足に力を込め、目にも止まらぬ速さで彼女の体を斬った。

 俊介が斬ったのは鎧の留め具。ピュアホワイトの左腕を防御する鎧がガラガラと地面に音を立てて落ちる。

 

「たった一人の最強! 個人としての最強! 暴力で蹂躙して相手に勝つだけならそれで十分だ!」

「ッ――――そこまで分かっていてどうして、お前は誰かの力を頼る!? お前の中の人格もそうだ、宿主を乗っ取って好き勝手に生きればいいじゃないか!」

「それだけじゃ出来ないことが多すぎるからだ!」

 

 ピュアホワイトが露出した左手を地面に当て、鋼鉄の壁を周囲に作り出す。

 魔力で強化された鋼鉄は、先ほどヘッズハンターが切り裂いた船の甲板よりも遥かに硬い。少なくとも同調で力を借りたばかりでまだ不慣れな俊介ではぶち破る事は確実に不可能。

 

 ならば。

 

「右腕――――エンジェル!!」

『はい!』

 

 同調した状態から右腕の主導権をエンジェルに譲る。

 複数人格にしか許されないコンビネーション技。というより、俊介以外がやれば精神が即破壊されるだろう合わせ技。

 

 エンジェルの右拳が振るう速度に、俊介が胴体と腰の動きを合わせる。

 以前までなら俊介自身の身体能力が低すぎて不可能だった。

 だが今のヘッズハンターの力を乗せた状態ならば、人格達の攻撃の速度に体の動きを合わせることが出来る。人格達の本来の力を発揮することが出来るのだ。

 

 エンジェルの拳が鋼鉄の壁をぶち破り、中にいたピュアホワイトの鎧の胸部にぶち当たる。

 特別な金属の鎧にハッキリと拳の形が残る威力。本来のエンジェルのパワーを当てられればいくら奴だろうと怯むのは避けられない。

 

 俊介は即座に腕の主導権を自身に戻し、ピュアホワイトの右腕を斬った。

 鎧の留め具が破壊され、ガチャリと右腕を守る鎧が地面に落ちる。

 

「世の中はな、ぶっちゃけ暴力で解決できる事の方が多い! 特に今の、異世界人格が入り乱れまくった世界じゃな!」

「やはりそうじゃないか! どの世界も力が全てだ! 気に入らない奴は殺せばいい!」

「だけど殺すだけじゃ解決できない事もある! ()()()()()()()って時には、特にな!!」

 

 俊介がピュアホワイトの脚部、レギンスを剥がそうと斬りかかる。

 だが彼女も次の狙いが自分の足だと分かっていた。いくら速かろうと、まだ不慣れな俊介の動きなら次の攻撃地点を予測さえできれば防ぐことができる。

 

 剣先で地面をえぐるように十字架の剣を振り上げる。

 それをマチェットで受け止めた俊介は空中に体を放り投げられた。

 ピュアホワイトは上空の俊介を睨みながら、魔力を籠めた足で地面を踏み砕く。

 

「『龍吠え』!!」

 

 彼女の足元から出現した龍の頭部がガパッと口を開け、俊介に眩い熱線のビームを放った。

 直撃すれば黒焦げの骨になると直感で分かる熱量。ヘッズハンターの身体能力があれど、足場のない空中では回避できない。

 

 ならば。

 

「左腕――――()()()()()!」

『ハッ、ドラゴンの火が相手か! 上等だ!』

 

 火に神がかり的な耐性を持ったフライヤーに左腕の主導権を渡した。

 彼女がバッと左腕をビームに向けて伸ばす。

 そして、ギャリギャリと金属を削るような甲高い音を鳴らしながら、龍のビームが左手に弾かれて部屋中に飛び散った。

 

 ビームを防ぎながらピュアホワイトの頭上まで落下する。

 足で蹴りを入れようとするが腕で防がれ、そのまま足を掴まれる。奴の握力で足が潰されそうになった瞬間、俊介は再び新たな人格を呼び出した。

 

「ガスマスク――――両足!」

『分かった!』

 

 掴まれた足を起点としてもう片方の足を絡め、空中に居ながら逆に関節技を決める。

 ピュアホワイトの右腕の関節を逆方向に曲げようとするが、魔力で強化された腕力の差で返された。だがまだガスマスクは諦めない。

 

 適切なタイミングでわざと足を外し、奴の首に素早く回す。

 そして重力と体重、元の世界で磨かれた技と経験から圧倒的な力の差をひっくり返し、ピュアホワイトの体を地面に引きずり倒した。

 

「そこッ!!」

 

 その隙を俊介は見逃さない。

 ガスマスクとフライヤーに渡していた主導権を取り返し、ピュアホワイトの両足の鎧の留め具を斬り飛ばした。

 胸部以外の鎧が剥がれたピュアホワイトが苛つきながら立ち上がる。

 

「なぜさっきから、私の鎧の留め具だけを斬る……!!」

「お前を殺す気がないからだ」

「――――ッ」

 

 

 奴が顔を真っ赤にし、全身から魔力を溢れさせる。

 

 

「舐めるなよ、この野郎ッ!! 私は大聖騎士サリアス・ネル・ラスディアノだぞッ!! アニーシャ様の鎧を壊し、あげく、本気の勝負の中でこの私に手加減をするなど――――こんな屈辱は初めてだッ!!」

 

 

 ピュアホワイトも分かっているのだろう。

 俊介は明らかに、彼我の実力差を理解させるため、わざと怪我をさせずに鎧だけを斬っている。この手加減が勝負の中でどれだけ難しく、どれだけ相手を舐め腐っているのか、よく理解している。

 

 だからこそ。

 自身はアニーシャの真なる信徒であり、そのためにアニーシャに次ぐ実力の持ち主でなければならないと信じ切っているピュアホワイトだからこそ。

 俊介にこんな見え見えの手加減をされているのが我慢ならなかった。

 

 

「アニーシャ様の器に使うべき技ではないと思っていたが……もう我慢ならんッ! たとえ四肢をもぎ取ってでもここでお前をぶちのめしてくれるッ!!」

 

 

 ピュアホワイトは十字架の剣を自身の前に突き刺し、両手を重ね合わせる。

 まるで祈るような格好をすると共に、自身の魔力をその手に極限までかき集めていく。

 

「ッ!」

『俊介、止めろ! なんかやべえ!』

 

 ヘッズハンターが叫ぶと同時に俊介が走り出す。全身にピリピリとした死の予感が走っている、何かヤバい大技を打とうとしているんだ。

 一秒以内に彼女の懐に入り込み、俊介がその手を蹴り飛ばそうとした瞬間。

 

 ピュアホワイトが真紅に染まった眼を開き、静かに唱えた。

 

 

 

 

「――――万理改竄(ばんりかいざん)聖戦原野(ジ・ハード・ウィルダネス)

 

 

 

 

 これは――――マジで不味い!

 攻撃を止めて即座に飛び下がった俊介だったが、脱出するには既に遅かった。

 

 ピュアホワイトを中心とし、二人を閉じ込めるような囲いが発生する。

 それは結界だ。外界と内界を分けるための境目。中にいる者を逃がさないための柵。

 

 外界の光が遮断され、一瞬だけ視界が暗闇に包まれる。

 そして次に視界が開けた時には、そこは既に未来革命機関拠点の壊れた軍艦の中ではなかった。

 

 足のくるぶし程の長さで整えられた、枯れた茶色の草。周囲にいくつもある白い羽と血だまり。

 それが延々と続く物悲しい風景。

 空は厚い雲が覆っており、その隙間から淡い色の太陽の光――――天使の梯子が降りている。

 

 大勢の何かが争ったような跡だが、この空間にはピュアホワイトと俊介の二人しかいない。

 奴が足元の草を踏みしめ、一歩前に進む。

 

 

「これが……魔法の真髄だ」

 

 

 ピュアホワイトは美しい装飾が施された十字架の剣を天使の梯子の光に浴びせる。鍔に付けられた紅い宝石がキラキラと眩く反射する。

 

 俊介は全身に嫌な予感を感じながらも、無骨な色のマチェットを前に構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





戦闘書くの下手でごめんね





-Tips-
普通の宿主は、一人の人格と同調率を五割ギリギリまで高めただけで脳が爆発しそうになります。
ただ俊介はイカレているので、同調率を十割まで高めて、相手の精神に自分の精神を流し込んで自分とほぼ同一の存在にし、異物が脳に混ざる事による精神汚染と脳のリソース問題を強制的になくします。
つまり理論上、同調できる人格全ての十割の力を重ねることが出来ます。
浮遊人格統合技術についてだけは誰にも負けない天才(ガチ)



-Tips2-
Q.万理改竄って領域展開のパクリ?
A.はい。でも丸パクリは申し訳ないので少し改変入れてます。


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#85 決着

 

 

 

 

 

 ピュアホワイトが自分で魔法の真髄と言うくらいにヤバい『何か』を使った。

 しかし俊介は魔法について『魔力でぼわっと超常現象を起こす』くらいの認識しかなかったので、彼女が具体的に何をしたのかは皆目見当もつかなかった。

 

 だが一つだけ分かる事がある。

 

 

「先手を取られるのだけは不味い!」

 

 

 何も分からない圧倒的に不利な状況。

 ならばこちらの得意分野であるスピードだけでは負ける訳にはいかない。

 この意味不明な空間でピュアホワイトが何かをする前にぶっ叩き、流れを完全にこちらに引き寄せるのだ。

 

 両足に力を込め、奴の眼前に一瞬で移動する。

 まだ時速六百キロという異次元の速さに慣れ切っていない俊介だが、直線状に素早く移動してマチェットを叩きつけるくらいならヘッズハンターと遜色ない動きが可能だ。

 

 そのまま上に構えたマチェットをピュアホワイトに向かって振り下ろす。

 ……が。

 

「ッ!?」

 

 突然ピュアホワイトの足元の地面が槍の形に変形し、マチェットの攻撃を弾いた。

 土の槍なのに硬すぎて斬る事ができない。いや硬いなんて次元ではない、まるで『破壊出来ない』と世界にルール付けられているような不自然すぎる硬さだ。

 

 驚くのも束の間、ピュアホワイトの剣が首筋に迫るのを感じて咄嗟に背後に飛び跳ねて回避する。

 十数メートル近く飛び退いた俊介に対し、ピュアホワイトは静かに剣を降ろしながら言葉を発した。

 

「ここは、私の世界の遥か太古に天使含む神と魔神が行ったとされる聖戦の跡地を再現したものだ」

「は……?」

「天使が数万以上殺されたが、魔神は自我を消されて封印。以降、魔神は強者の苦痛と命を以て限定的に呼び出される、魔族の傀儡となった……」

「何の話を……」

「分からないか?」

 

 そう言うと、彼女は両手をバッと広げた。

 雲の隙間から漏れる天使の梯子がちょうど彼女の全身に降り注ぐ。その美しい顔と十字架を模した剣と相まって、少し神々しさすら感じさせる光景になっている。

 

「神と魔神が互いに争った土地。私の魔法による再現とはいえ、これほど神にゆかりのある土地はあるまい」

「…………」

「アニーシャ様という新たな神が降臨するのに、最もふさわしい場所だ」

「何の話かと思ったら、結局そこに帰結すんのかよ……!」

 

 真面目な話かと思って聞いてたけど、結局ダークナイトに繋がるのか。

 いい加減にしろよこの狂人野郎。

 

 

 俊介は再び両足に力を込め、ピュアホワイトに斬りかかる。

 その時、彼女の足元の地面が再び槍に形を変えた。

 俊介の体を貫こうとするそれを手で掴んで回避し、ピュアホワイトの頭頂部に蹴りを叩き込もうとする。

 

「ふんッ!」

 

 しかし彼女の腕に易々と蹴りが受け止められた。

 いくら俊介の蹴りがヘッズハンターのそれより劣っているとはいえ、簡単に受け止められるような速度ではない。確実にピュアホワイトの方のスピードが上がっている。

 俊介の体を弾いた瞬間、奴が一言唱える。

 

 

「震天動地」

 

 

 ピュアホワイトが静かに呟いた瞬間、空間全体の地面が一気に波打ち始めた。

 同時に、空の雲の移動速度も明らかに早まり始める。雲の隙間から漏れだす天使の梯子が目まぐるしく大地を這う。

 

「これは――――マジでまずいな!!」

 

 全身に死の予感がピリピリと走る。

 何十本もの天使の梯子の光が蛇のように俊介に迫り、それを間一髪の所で飛びのいて回避する。だがギリギリ掠ってしまった前髪と靴の先が削り取られたように消えていた。

 ……いや、よく見たら靴の先どころではない。右足の親指と人差し指が、爪の中ほどの所まで消されている。血がどくどくと流れるがアドレナリンのおかげで痛みはない。

 

 踵を返し、万物を消す光から走って逃げる。

 ピュアホワイトから離れることになるが流石にこれはどうしようもない。当たったら防御貫通の攻撃で体が消される。奴の目的であるダークナイトを表に出させるため、命は取られないだろうが、四肢が消された時点で敗北確定だ。

 

 必死に走っているうちに地面の波打ちがドンドン酷くなってくる。

 足元が揺れて走りにくい事この上ない。

 

「鬱陶しッ――――!?」

 

 そう呟いた瞬間、前方の地面が勢いよく盛り上がった。

 先端が剣山状になった体より大きい大地の触手が俊介に迫る。

 マチェットで土で作られた剣山の針を斬ろうとしたが全く斬れない。これも『破壊不可能』と決められているような不自然な硬さだ。

 

 仕方なく大地の触手を飛び越えて回避する。

 その瞬間、触手の中から土を叩き割ってピュアホワイトが現れた。俊介を攻撃する大地の触手の中に潜んでいたのだ。

 

「シィッ!!」

「なんでお前は壊せんだよ――――ぐッ!!」

 

 ピュアホワイトの鋭い吐息と共に放たれた斬撃。俊介はそれをマチェットで受け止める。

 この空間に入ってから明らかに向上した彼女の身体能力から振るわれた剣を防ぎ、俊介は背後に吹っ飛ばされた。

 そして後方から件の万物を消滅させる『聖光』が迫る。ピュアホワイトが操っているからだろう、俊介の両腕をちょうど吹っ飛ばすような位置とサイズに調節されている。

 

「うおおッ!!」

 

 吹っ飛ばされる最中、雄たけびを上げながら体勢を変える。

 そしてちょうど僅かに空いていた光の隙間を通り抜け、再びすぐに光から逃げ始めた。

 

「あークソ! ヘッズハンター、どうやったら勝てるか分からないか!?」

『とにかくぶん殴る!』

「近づければやってるわ!!」

 

 この馬鹿みたいな速度と数の光が鬱陶しすぎる。

 未だに何十本も後ろから迫ってきてるし、偶に目の前に突然光が現れたりする。

 

 俊介はヘッズハンターの身体能力と勘で全ての光を避けながら、すぐ傍を走る彼に叫ぶ。

 

「つかさ、アイツ最初この光に自分の剣当ててたよな!? なんで消えてないんだよ!!」

『魔法なんて俺にもよく分かんねーけど、本人の自由に調節できるんじゃねえのか!? よく知らねーけど!!』

「クッソ俺達じゃ埒が明かん! 出て来てくれキュウビ!!」

 

 首に手を当て、魔法等に比較的詳しそうなキュウビを呼び出す。

 そして彼女が出てきた瞬間、真後ろに吹っ飛んでいった。いや、俊介達が時速六百キロで全力疾走しているせいで吹っ飛んだように見えたのだ。

 

 ヘッズハンターが俊介から離れられる限界である、百メートルの壁に衝突して引っかかっていたキュウビを回収して戻ってくる。

 彼女はヘッズハンターの背中の後ろで頭をぐらぐらさせている。そんなキュウビに俊介は叫んだ。

 

「キュウビ! 何かヒント教えてくれ!」

『おぼぼぼばっばばばば』

『駄目だ、頭を打ったみたいだ……時速六百キロ近くで壁にぶつかったくらいで大袈裟だな』

『ご……ろ……す……』

 

 煽ったヘッズハンターをマジの殺意が籠った眼で睨むキュウビ。怖い。

 キュウビは風圧に押されながらも手で印を組み、何かの術を発動させた。

 すると、彼女の朦朧としていた意識が元に戻る。

 

『ぶふっ……もう二度とわらわを全力疾走中に呼ぶでない』

『中から見てたんだから事前に準備できただろ?』

『あ゛?』

「何喧嘩してんだ! 今それどころじゃねーって!! 後ろから光来てるから!!」

 

 マジで本当にそれどころではない。

 キュウビがヘッズハンターから俊介の体に飛び移り、背後から迫る光に振り返りながら叫ぶ。

 

『ぶっちゃけわらわに聞かれても詳しくは分からんのじゃ! アイツの魔法とわらわの道術は見た目似てても結構異なるからの!』

『何かもっと助言渡せや!』

『黙れ、口ねじ切るぞ!!』

「喧嘩すんなって言ってんだろッ!!」

 

 俊介がそう叫んだ時、再び前方の地面が盛り上がった。

 先ほどの大地の触手かと思い飛び跳ねた瞬間、左右の地面に五平方メートルほどの正方形の切れ込みが入る。

 そして空中で身動きを取れない俊介に対し、両側から挟むように思い切り叩きつけた。

 

 そのまま俊介を挟んだ土のサンドイッチは上空に高く伸びていく。

 そして五十メートルほどの高さまで伸びた瞬間、地面に向けて急降下。地面に衝突すると同時にバラバラに砕け散った。

 

 俊介がヘッズハンターと同調して恐ろしい身体能力を手に入れたとはいえ、耐久力は普通の人間に毛が生えた程度。こんな攻撃を食らったら運が良くて全身粉砕骨折というレベルだ。

 しかし、砕けた土の中から俊介はひょいっと何事もなく立ち上がった。

 

「貴方たち、一体何をやっているんですか。私が殺しますよ」

『すまんかったのじゃ……』

『悪い……』

 

 俊介は地面に挟まれた瞬間、耐久力のあるエンジェルに体を交代していた。

 エンジェルは喧嘩していた(バカ)二人に叱責を入れた後、すぐに俊介に体の主導権を変わる。

 

「っ……助かったエンジェル」

『いえ、大丈夫です。それより勝つ目途は?』

 

 すぐに同調をし直した俊介に対し、白い翼をはためかせる彼女が問いかける。

 

「今んとこないな……。ヘッズハンターの速度があっても、俺が慣れてないからあんま活かせてないし」

『奴は性格はアレでも実力は一流、戦闘経験も明らかに豊富です。恐らくこの速度差にも段々慣れてきたんでしょう。敵の手中であるこの空間で不利になるのは仕方ないかと』

「そうか……うーん」

 

 ピュアホワイトは遠くの方でこちらをじっと見ている。

 鬱陶しい聖光は俊介の周りをうろうろ動いているが、追ってくる様子はない。

 何か考えているのだろうか。

 

「……ん?」

 

 というかちょっと待て。

 

「俺を挟んでた土……思いっきりぶっ壊れてね?」

 

 俊介はそう言いつつ、周囲に散らばる土の塊を掴んだ。

 土や小石が水分が抜けて拳大の大きさに固まった塊。それを全力で握るが、全く砕ける様子はない。

 これが石だったならともかく、ただ土が軽く固まっているだけの物なら小学生でも握力で砕ける。なのにヘッズハンターの握力で全力で握っても砕ける様子はない。

 

 そういやさっきも、こっちが土の触手を攻撃した時は壊せなかったのに、ピュアホワイトは簡単に砕いてたな。

 

 …………。

 

 

「もしかして……()()()()()()()()()……?」

 

 

 この空間内の物体を破壊する許可を、俺だけが与えられていない。

 まさか、そんな感じなのか……?

 

 だとしたら結構ヤバくないか。アイツに都合がよすぎるだろ。

 物が壊せないのに地面が形変えて襲ってくるし、万物を消す光が空から無数に降り注ぎながら高速移動してくる。

 

 なんてずるいんだ。チートだろ。

 ……いや、だから自分で『()()()()()』とか言ってたのか。

 

「……あん……?」

 

 ってか、この理屈だと、ピュアホワイトにどんだけ攻撃しても無駄じゃん。

 物を壊せないんだから傷もつけられんし、一方的に攻撃されるリスクを増やすだけだ。

 クソすぎる。

 俺達のスピードが全く意味のない完璧なメタ空間ってことか。

 やってくれるな、おい。

 

 

 ……。

 

 

 …………()()()か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……気付かれたか……?)

 

 ピュアホワイトは少し離れた所から、俊介の様子を伺っていた。

 

 

 今二人がいる『聖戦原野』は、基本的に彼女の意のままに操る事が出来る。

 地面の形を自由自在に変えるのも容易だ。

 空から降り注ぐ、万物を消し飛ばす『聖光』を雲の隙間から漏らすことで大体のサイズも操作できる。

 あと身体能力なんかの全ステータスが向上する。

 

 だがこの空間の真の能力は地形や雲の操作、ステータスの向上などではない。

 

『全ての物体の破壊可能・不可能』、それを高速で切り替える。それが『聖戦原野』の真の能力……)

 

 彼女はこの空間内に限り、あらゆる物体の破壊の権利を操れる。

 破壊不可能に設定すればたとえ豆腐にダイヤモンドの剣を叩きつけたとしても壊れない。物体の硬さを弄るなんてちゃちな物ではない、これは世界の理――――概念に干渉する魔法なのだ。

 

 しかし、この『聖戦原野』にも一つだけ弱点が存在する。

 

 それは『個別に破壊可能・不可能を設定できない』こと。

 

 自分を破壊不可能に設定し、相手だけを破壊可能に設定なんてことはできない。

 空間内の全ての物体纏めてでしか、破壊可能・不可能を設定できないのだ。

 

 なので、破壊不可能にしているとき、相手の攻撃は通らない。大地を操った攻撃も破壊できないが、たとえ聖光が当たったとしても攻撃は通らない。

 しかし破壊可能にして相手を攻撃するとき、自分も破壊可能であり、相手の攻撃が通ってしまう。

 

(重要なのは『破壊可能にするタイミング』……! あのスピードを持つ相手に、そこを見切られると面倒だ。仕組みがバレる前に片を付けたいが……!)

 

 

 必死に思考を回すピュアホワイト。

 その時突然、遠くにいる俊介が首に手を当て、大声で叫んだ。

 

「出てこい、『フライヤー』ッ!!」

 

「……?」

 

 何かの人格を呼んだらしい。

 先ほども何かの人格を呼んで攻撃を耐えたらしいが、次は一体何の人格を呼んだのか。

 

 中にいる殺人鬼の全てを把握していないピュアホワイトには見当がつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俊介は右腕を前に突き出し、手印を組んだ左手を右手の甲に当てる。

 

 今、俊介は左腕の主導権をキュウビに渡している。

 そして右腕の主導権はフライヤーだ。

 

 この二人のタッグはマジで凶悪。

 種火であるキュウビの炎にフライヤーという燃料を加えることで、最悪の放火魔の本領をお手軽に発揮する事ができる。いわゆる『どこでも放火魔コンビ』だ。

 

 俊介はすぐ傍にいるフライヤーに言う。

 

「景気よく燃やせ、フライヤー!」

『良いのか!? 全力で燃やすとマジで止まんねえぞ!!』

「この原野丸ごと火の海にするくらい()()って言ってんだッ!!」

『いいぜ、ならやってやるよ!!』

『わらわ知らんぞ~……マジで』

 

 俊介の両腕が向く先は、ピュアホワイト。

 

 キュウビが道術で種火を生み出す。

 そしてフライヤーが全力を込め、周囲の炎の威力を増加させる。

 

 

『――――全部()()()やッ!!』

 

 

 彼女の雄たけびの声が上がった瞬間。

 俊介の前方に高さ百メートル以上に達する炎の津波が発生し、ピュアホワイトに一瞬で襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――フライヤー。殺害人数は、とても数えきれない。

 

 

 

 彼女は貧乏な生まれだった。兄が一人と両親二人の四人家族だった。

 物心がつく頃にちょうど戦争が終わりを迎え、彼女の国は敗戦国となった。

 軍人だった父は両腕を失って帰ってきたが、そんな状態では働けず、働けたとしても賃金は雀の涙ほどしかない。

 

 政府は戦勝国への賠償金を支払うため、真っ先に父のような徴兵された軍人への恩賞金を減らした。

 

 だから、父は死んだ。

 家族の重荷になるくらいならと、両腕がなくて縄も結べないので、床に立てた包丁に自分の首を突き刺した。

 

 四人しかいなかった家族は三人に減った。

 

 兄もまた徴兵された軍人の一人だったが、帰って来た時には戦場でのストレスにより気が触れていた。

 博打狂いとなった兄は、毎日のように博打に出かけていた。

 だが、ある日裏社会のヤバい組織を相手に借金を返せなくなった。

 

 その時は、ある程度の年の男は大抵徴兵帰りで血の気が多く、政府は敗戦直後のために治安維持に十分な力を割くだけの余力がなかった。

 警察組織の弱体化も著しく、裏社会の人間が白昼堂々暴れていたとしても止められる者はいなかった。 

 

 博打狂いの兄は母と彼女の前で撲殺された。

 そして母は彼女の前で輪姦された。一昼夜続いたそれの途中で母も死んだ。

 

 裏社会の人間達はある程度暴れて気が済んだらしいが、兄と母を殺しても借金は返って来ない。

 最後に残った彼女はまだ子供だったこともあり、何も手を出されず、その身柄を国外に売り飛ばされた。

 

 売り飛ばされた先は彼女の国と戦争をしていた戦勝国だった。

 つい最近まで戦争していた国の人間である彼女の扱いは過酷を極めた。

 殆ど奴隷同然で毎日どこかしらにあざが増えていた。

 

 幼少期からそんな劣悪な環境で育ったものだから、年を重ねても体は殆ど成長しなかった。

 何処もかしこも骨が浮き出ている体だったが、そんな体でも欲情……いやそんな体だからこそ欲情する物好きもいるようで、彼女は同国の違法な水商売の店に売り払われた。

 

 ……売られて数ヵ月で二度と子を産めない体になった。

 それでも彼女は泥水を啜るような思いで生きた。

 どうにか事態が好転すると信じて生きていた。

 

 十五の頃に体にガタが来た。

 恐らく何かの性病にも罹患していた。

 性病に罹患した女でも気にしないような酷い環境のスラムに売り払われ、三年経った頃にはもはや人間なのか血肉の詰まった袋なのか分からない状態になった。

 

 その時、彼女は自分の故郷である国に帰ることになった。

 ここまで色々としたのだから、たとえ満足に動けずとも、すぐに死ぬとしても、ほんの少しだけでも自由な時間が欲しかった。兄の借金ならもう返せてるだろうと思った。

 

 そう思って故郷に帰った彼女を待っていたのは、火葬場だった。

 自身の故郷の国の方が死体の処理をするのに色々と都合がいいという、あんまりな理由だった。

 

 生きたまま火葬場の中に放り込まれた。抵抗などボロボロの体では意味をなさなかった。

 死体を焼くための部屋の中ですら一人の自由は得られず、既に息絶えた死体や、まだ辛うじて息がある者と一緒に焼かれることになった。

 

 

 ――――なぜ、ここまで酷い目に遭わなければいけないのか。

 

 

 その時彼女は強くそう思った。

 部屋の隅から噴き出した火が死体に引火するのを見ながらそう思った。

 

 少なくとも、彼女は自分の人生でここまで酷い目に遭うような事をした覚えはなかった。

 運が悪いといえばそれまでだ。だが運が悪いだけでこんな目に遭うのは納得できなかった。

 

 燃え盛る他の人々を他所に、彼女は必死に「生きたい」と叫んだ。

 

 ……その思いに、()()が応えた。

 

 彼女の体は火に包まれるたび、痩せ過ぎた体が本来成長するはずだった姿形に再生していった。

 体を蝕んでいた病気は、体内の病巣まで全て火に包まれて燃えるように消えた。

 生まれつき黒かったボロボロの髪は、なぜか真紅色の艶がある長髪に変わっていた。

 

 そして何故か、力を込めれば込めるほど、周囲の火が強くなった。

 彼女は火が吹き荒れる狭い部屋の中にいながら、その場から一歩も動くことなく、街を一つ火の海の中に沈めた。

 

 火から逃れた適当な店の中に残っていた服を着た。

 何も考えずに選んだものだったが、ずっと裏の酷い場所で生きていたせいか普通の服装が分からなくなっていた。

 お遊びでやられた刺青とピアスが相まって随分と厳つい見た目になったが、彼女にはこれが一般的な女性の服装だと思って止まなかった。

 

 そのまま彼女は、自身の故郷の国と、長く過ごした戦勝国を丸ごと火の海に沈めた。

 最初は何かに対しての復讐心で動いていたが、途中からはただ火で何かを燃やすことに魅せられていた。

 自身の力で何かを燃やす様に惹かれ、火を見るために国を焼いた。美しい炎の揺らめきを見るために動いていた。

 

 ただ、二年かけて二つの国を焼いた後、虚しくなった。

 ふと周りを見ると誰もいないことに気付いたからだ。

 何もかもを奪われ、逆に何もかもを奪った後、そこに何か残るモノなどある訳がなかった。

 

 そのまま彼女は近くの海辺に行き、水の中に身を投げた。

 深い水の底ならば火種があったとしても燃え広がらないからだ。

 

 ……そして、彼女は意識を失うその時まで。

 世界の何処かにあるかもしれない、ただ自分に優しく挨拶してくれる人がいるだけの。

 ほっと息を吐いて安心できるような、『帰れる場所』を求めていた。

 

 

 

『――――ん、おはようフライヤー……涙出てるけどどうした? ……俺も早すぎる時間に起きちゃってさ、よかったら話し相手になってくれないか?』

 

 

 それは異世界にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ――――」

 

 空間内の全ての物体を破壊不可能にしている。

 そうは分かっていても、ピュアホワイトは思わず自身の顔を腕で覆った。

 

 俊介から突然、視界を埋め尽くすほどの青い業火が放たれたからだ。

 耳のすぐ傍を悪魔が暴れ狂うような火の音が流れていく。

 

(何の人格を宿しているんだ、奴は……!? この火魔法の威力と展開速度、全盛期の魔王以上だぞ……?!)

 

 ピュアホワイトには、フライヤーが無制限に火を強化できる体質を持っているなど知りようがない。彼女には俊介が呼び出した人格が何らかの火魔法を使ったようにしか見えなかった。

 

 破壊不可能にしている限り、この火でピュアホワイト自身が傷つくことはない。

 だがこのままでは()()()()()()()

 

 全盛期の魔王以上の火魔法を全身に浴び続けている。

 こんな状態で破壊可能に切り替えると、一瞬で体が焼き焦がされる。

 

(だが、こんな大規模な魔法がそう長く続く訳がない! あと一分もすれば威力が落ちて――――)

 

 そんなピュアホワイトの希望を他所に、更に火の勢いが上がった。

 彼女が展開したこの空間は全て彼女の手足のようなものだ。だから分かる。今、自分が開いた空間中にこの業火が広がっている。

 一分経って威力が弱まるどころか、時間が経つごとに威力が指数関数的に上昇していく炎。

 それを前に、ピュアホワイトは冷たい汗を流した。

 

 

「く、空間を閉じるか……!?」

 

 こんな火魔法の使い手、元の世界では神々の伝説ですら聞いたことがない。

 空間を埋め尽くす業火は既に全盛期の魔王の火魔法の十倍を上回っている。持続時間を考えると、最早人間業ではない。

 

 故にピュアホワイトは考えてしまったのだ。こんな火魔法が使えるほどの魔法使いならばこちらの空間の仕組みに気付いていないはずがない。なのに、破壊不可能な自分に対してこんな強大な火魔法を無意味に放ち続けている。全くの魔力の無駄だ。

 だから、この恐ろしい程の火魔法は実は目くらましのブラフで、今奴は裏で己の空間を解体しているのではないかと思ったのだ。

 こんな業火、破壊不可能に設定した概念的なガードがなければ耐えられない。もしこの空間の機能が解体され、この炎を直接浴びたら一瞬で消し炭になってしまう。

 

「どうする……!」

 

 相手に空間を乗っ取られると不味い。

 だが自分からならば、この業火ごと空間を閉じることができる。そうすれば破壊不可能のガードは消えるが、業火に焼かれることはなくなる。

 

「いや、騙されるな……! こんな規模の火魔法をブラフに使う訳がない! このまま耐えていれば向こうの魔力切れの方が早いはず……」

 

 そう呟いて思考を振り払おうとするが、ピュアホワイトは心の不安を拭いきれない。

 こんな火魔法を使える技の持ち主に出会った事がないからだ。故にどれくらいの芸当ができるのかも予想がつかないのである。

 

 本当にブラフでこんな魔法を放っているかもしれない。

 まさに今、火の魔法を放ちながら、破壊不可能の設定権を奪おうとしているのではないか?

 

 そういう思考が頭の中を埋め尽くしていき。

 

 

「――――ッ、クソッ!!」

 

 

 ピュアホワイトは自分から、自分に圧倒的に有利な空間を閉じた。

 

 相手が本当に空間を支配しようとしていたなら、突然閉じられたことで動揺しているはずだ。

 その隙を突くため、足を一歩踏み出した瞬間。

 それよりも早く、彼女の懐の中にマチェットを振りかぶった俊介が現れた。

 

「空間を解いてくれて、ありがとうよ!!」

「は――――ッ?!」

 

 ピュアホワイトは突然現れた俊介に対応できず、胸部の鎧の留め具を斬られる。

 全身から完全に鎧を剥がされ、放心するピュアホワイトに俊介がキツイ蹴りを叩き込む。彼女は体を吹っ飛ばされ、背中から勢いよく地面に倒れた。

 

 地面に倒れながらも困惑するピュアホワイトの顔面に、俊介はマチェットの先端を突き付ける。

 

「な、なぜこんなに速い……? お前は私の空間を乗っ取ろうとしていたはずじゃ……」

「は? 乗っ取る? 何の話?」

「は……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――この時、ピュアホワイトと俊介の認識には大きな齟齬が発生していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピュアホワイトは、『俊介が火魔法をブラフに使って物体の破壊可能・不可能の支配権を乗っ取ろうとしている』と考えていた。

 

 

 だが、俊介は物体の破壊可能・不可能という複雑な仕組みまで気付いていなかった。

 『この空間は自分にだけ物が壊せない』と中途半端な理解で早とちりした挙句、

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!』と思ってしまったのだ。

 

 

 そしてフライヤーの力で制御不能な威力の火を放ち続け、ピュアホワイトは俊介の単純な思考に気付かぬまま空間を解いた。

 その時、俊介は『火の攻撃に耐えられずに空間ごと火を消したな!』と勘違いし。

 

 真っ先にピュアホワイトの懐に入り込み、鎧の留め具をぶった切ったのだ。

 

 

 

 

「……まあとにかく、やっとどっちが強いかハッキリしたな」

「くッ……」

 

 お互い何があったのかよく理解できておらず、少しもやっとしたが。

 ようやく、俊介はピュアホワイトに勝つことが出来た。

 

 ここからは純粋な俊介の力で戦う。

 ピュアホワイトの心を言葉で折り、真昼ちゃんが表に出てくる隙を作る。

 

 

 煽り文句の応酬――――口喧嘩から始まった長い勝負だった。

 

 

 その長い勝負は今、ただの高校生と大聖騎士の熾烈な口喧嘩で幕を閉じようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 











戦闘書くのやっぱ苦手だわ(今更)
もっと互いの技の隙を突き合うような賢い戦闘が書けるようになりたいです
あと戦闘中にフライヤ―の過去挟むのはテンポ悪かったかも。文字数多すぎてちょっとマイルドにしちゃったし……すみません




-Tips-
ピュアホワイトの『聖戦原野』について
・過去にあった神と魔神の争いの跡地の景色を魔法で再現した空間。
・空間内の全ての物体の破壊可能・不可能を自由に切り替える。個別の切り替えは不可。
・地形は自在に操る事が出来る。
・雲の隙間から漏れる光は万物を消す『聖光』。
・魔法の威力含めた全能力上昇。

 生まれた頃から聖騎士として育てられ、最終的に偉大な大聖騎士と成ったサリアス。
 元より天賦の才を持っていた。それを磨き上げて強くなることに不満はなかったが、たった一つの道を決まった歩く事しか出来ない己の身分に嫌気が差していた。
 だからこそ、絶対的な存在であると刷り込まれていた三柱の女神が、アニーシャに蹂躙される姿に強く惹かれた。既存の自分を壊してくれる存在に酷く魅了された。
 彼女が作り上げた空間が神の争いの『跡地』の再現であるのも、刷り込まれた神への敬意はあるが、内心では『神なんてどうでもいい』と考えているからだろう。
 サリアスにとって遥か昔の神の争いを尊ぶ気はない。
 なぜなら大切なのは跡地に暮らしている今の人間で、現代に生まれたアニーシャ様こそが新たに崇拝すべき存在なのだから。




~今回の分かりづらいポイント~
ピュアホワイト
「実は物体の破壊可能・不可能を高速で切り替えてる。けど空間全ての物体纏めてでしか切り替えできないから、破壊不可能の時は相手にも攻撃通らんし、破壊可能のときはこっちに攻撃通るようになる。バレない様に気を付けないと……」

俊介
「何も壊せねえ……きっと俺はこの空間で何も壊せないんや! せや、炎でこの空間全部燃やしたろ! これなら攻撃通るやろ!(適当)」

ピュアホワイト
「は?」

炎燃え上がりすぎて自分も一瞬で大ダメージ負うので破壊不可能から切り替えできず、空間を解くしかなくなったピュアホワイト
「死ね」

結論:ゴリ押しは強い。




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#86 届かなかった一本

昨日中に間に合いませんでした
すみません


 

 

 

「私は、まだ負けてない……」

 

 ピュアホワイトは地面に倒れ、俊介にマチェットを突き付けられながらもそう言った。

 体を防護する黒い鎧は全て剥がされ、心もとない薄さの鎖帷子を纏っただけの姿。十字架の剣は手元にあるものの、もし斬りかかろうとすれば、俊介がそれよりも早く弾き飛ばすだろう。

 

 まあ確かに、ほぼ決着がついたような物といえど、彼女に逆転の目がないことはない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、だが。

 

 俊介は視線を一切逸らさず、寸分の油断も見せずに言葉を発する。

 

「お前の勝利条件は、俺の中からダークナイト……アニーシャを出すことだろ?」

「…………」

「だけど俺は、アニーシャの力を使わずにお前の鎧を全て剥がした。分かってんだろ、俺がその気になりゃ今着てるその鎖帷子ごとお前をぶった斬れるって。でも敢えてそうしていない」

「くっ……」

「命を握ったも同然のお前相手に、俺が切り札のアニーシャを出すことはない」

 

 悔し気に顔を歪めるピュアホワイト。

 俊介が駄目押しの言葉のナイフを突きつける。

 

「お前の勝利条件が満たされることはもうないんだ」

 

 ピュアホワイトの目的は『俊介の中からダークナイトを出す』こと。

 だがダークナイトの力を借りていない俊介に制圧された時点で、俊介がどうしようもない時だけ頼るダークナイトを出す可能性はゼロになった。

 俊介は警戒を緩めないまま、頭の中で思考を回転させる。

 

(……だが、こっちだってまだ勝利条件を満たしてない。『真昼ちゃんを表に出す』ことが俺の勝利条件だ)

 

 場の状況は俊介に少しだけ有利に傾いた。

 だがここからが正念場とも言える。

 今からピュアホワイトの精神をぶち折って再起不能にし、真昼ちゃんが体を奪って会話できるくらいの隙を作る。

 そしてヘッズハンターには悪いが、少し会話を済ませた後はガチガチに拘束する。

 

(つっても、口喧嘩で他人の心を折るってむずいな……。いや、弱点は分かってるんだ。とにかく攻め立てるしかない)

 

 口喧嘩どころか人付き合いすらそこまでしたことがなく、学校で基本ぼっちの俊介。

 そんなコミュ力が劣った俊介でもピュアホワイトの弱点は一発で分かる。

 

 ズバリ、奴がしきりに口にしている『アニーシャ』だ。

 

 俊介よりも口喧嘩が強い人格はいる。キュウビとかニンジャとか。

 だがこの人格が宿ってから七年間、ダークナイトに一番振り回されたのは宿主である俊介だ。ダークナイトに関することなら殺人鬼のみんなよりも確実に詳しい自負がある。

 

 だからこそ()()()がある。

 

 

 

 

「お前……そもそも、アニーシャについて何処まで知ってる?」

「……アニーシャ様の生涯については一通り調べた。魔法使いの一族の村に生まれたことも、家族含めた村人を皆殺しにして村を出たことも、戦地で神の如き暴れ方をしたことも、魔王に魔物化の呪いを掛けられたことも」

 

 えっダークナイトって魔法使いの村で生まれたの?

 今の見た目、どう見たってヤバい黒騎士なのに。つーか皆殺しにしたんだ……。

 ……いや、いかんいかん。

 口喧嘩で俺が面食らってどうする。こっちが攻撃するんだから、余裕ぶった顔を浮かべないと。

 

「そういう来歴の話じゃない。性格とか考え方とか、人となりのことだ」

「そんなものは考えるまでもない。傲慢かつ狂暴、残虐にして……()()だ」

「…………」

 

 ……うん、そうだな。

 そこに関しては俺も同意だわ。

 

 駄目だ。話の始め方ミスったな、俺。

 相手と俺が知ってて当たり前のことを聞いてどうする。こっちだけが知ってる事を起点に有利な流れを掴まなきゃいけないんだから。

 人との敵意むき出しの会話ってマジで難しいな……!

 

「……確かにアニーシャは狂暴極まりない性格をしてる」

「ああ。だからこそ絶対的な強者である神に相応しい。出来ればその慈悲を頂き、私の胎で稚児(ややこ)を孕ませていただきたいところだ」

「孕っ……はあ?」

「なんだ?」

 

 『なんだ?』じゃねえだろイカれてんのか。

 そんな風に動揺してしまった隙に、ピュアホワイトが息を吸い込んで口から放つ言葉の回転速度を上げてくる。

 

「やはりアニーシャ様は神に相応しいお方だ。可能ならば結婚したいと考えて『ピュアホワイト』……白無垢などという名前を自分で付けたが、あの御方と私が婚姻の契りを結ぶなど身の程知らずも甚だしい願いだった。やはり地に頭をこすり付けながら一番の信徒である私に慈悲を与えていただけるように懇願するのがあの御方と私の正しい関係性だったんだ。その慈悲を頂けるためならば私は人間から生きたまま抉り取った心臓を百でも二百でも揃えて来るとしよう」

「うお……っ!」

 

 思わず気圧されるような言葉のマシンガン。

 しかも言ってる内容全てがゴリゴリと精神を削ってくるほど気味が悪い。

 

「てめッ……言ってる内容が全部気持ち悪いんだよ!」

「何がだ? 元の世界で出来なかったことをこの世界でやるだけだ」

「きめぇ……」

 

 だが、これでハッキリしたこともある。

 やっぱりピュアホワイトの精神の支柱はアニーシャだ。そこさえ壊せれば雪崩式に一気に崩せる。狂信者すぎて壊す方法が思いつかないのが問題だけど。

 

 ピュアホワイトが知らないようなこと、突っ込まれて嫌なことってなんだ?

 俺の方が一緒に居る年数は確実に長いんだ。

 絶対に突く事の出来る隙があるはずだ。

 

 人生で過去一番に頭が回転し、脳にある記憶が保存された棚を矢継ぎ早に開いて行く。

 

 

 

 

 

 ―――――――――そしてその時、一つの過去の記憶を思い出した。

 それはつい数日前、ピュアホワイトの正体を聞くためにマオの家に訪ねた時の事だ。

 

 

 

「サリアスって凄い聖騎士と、死ぬ前の世界で何かあったりした?」

『…………』

 

 腕を組んで考え込むダークナイト。

 顔を上下左右のあちらこちらに向け、低い獣のような唸り声をあげて考え込むが……。

 

『…………?』

 

 最後には首をこてんと傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……!」

 

 そうか、そうだった。

 そんなに深く考えなくても、もう既に答えに辿り着いてたんだ。

 

 俊介は視線と口調を強め、悔しそうな表情からふてぶてしい表情に変わっていたピュアホワイトに言葉を放つ。

 

「ピュアホワイト」

「なんだ」

「お前、さっきからアニーシャについて偉そうに話してるけど……実際にアニーシャと関わったこと、あんのか?」

「…………」

 

 彼女の表情が明らかに曇る。

 

 さっきからピュアホワイトはアニーシャについて何もかもお見通しといった風に話していた。

 だがアニーシャの方はピュアホワイトについて何も覚えちゃいない。

 つまり、二人の関係性は限りなく薄い。

 

 よく考えてみると、ピュアホワイトが語ってた内容はアニーシャについて調べただけのこと。

 何処の村の出身とかは調べりゃ分かるだろうし、性格が狂暴ってのも少しアイツの事を調べれば分かる。子を孕みたいって発言に関してはただのキモイ願望だ。

 ピュアホワイトは、実際にアニーシャと関わって何かをしたなんて事は一言も語っちゃいない。

 そしてアイツにとってそれは、絶対に大きなコンプレックスのはずだ。

 

 俊介は言葉を投げ続ける。

 

「俺はアニーシャと七年間ずっと一緒にいるけど、お前はどれくらい関わってたんだ?」

「…………ッ」

「アニーシャはお前のこと、全く覚えてないらしいぜ。自分を一番の信徒って言う割には、随分仲が悪いんだな? いや、それ以前の問題か……だってお前の存在が記憶にすら残ってないんだし」

「貴様ァッ!!」

 

 ピュアホワイトが顔を真っ赤にして吠えた。

 その様子を見て心の中でガッツポーズをする。

 

 間違いない、ここが奴の『弱点(ウィークポイント)』だ。

 

 奴は『自分が一番アニーシャ様のことを知っている』と考え込んでいる。

 それに、『自分が強い』ってことを戦闘中に何度も叫んで誇示していた。

 

 だから奴はこう考える。

 

 『アニーシャ様のことを一番知っていて、尚且つ強者である自分が、あの御方の信徒になってずっと傍にいるのにふさわしい』――――と。

 

 けど現実はどうだ?

 『アニーシャ様の傍にいるのに相応しい』なんて考えてるが、当のアニーシャは全くピュアホワイトの事を覚えていない。

 つまり二人は殆ど関わりがなかったってことだ。自分で信徒を名乗っているくらいなのに。

 

 そしてこの『アニーシャと関わりがないこと』は、奴にとって致命的なコンプレックスになる。

 だからこそ、七年間ずっと一緒にいた宿主の俺のことが羨ましくて仕方ない。アニーシャにお願いできるくらい深い関係の俺が妬ましくてしょうがない。

 

 俺の存在そのものが、奴のコンプレックスを刺激する『弱点』なんだ。

 

 

 

 ピュアホワイトが大声で叫ぶ。

 

「私は、アニーシャ様と女神の戦いを見届けたただ一人の人間だッ!! その私が、お、覚えられていないなど……そんなことあり得るかッ!!」

「本人が俺に覚えてないって言ったんだよ!! 妄想ばっかのお前と違って、俺は本人に聞けるんでな!!」

「うるさいうるさい黙れッ!!」

 

 奴が歯が砕けそうな力でギリギリと歯を食いしばった。

 顔が怒りで真っ赤に染まり、こめかみには血管がビキビキと浮き出ている。強く握りしめられた拳はブルブルと震え、手のひらに食い込んだ爪の傷から血がぼたぼたと垂れ始めていた。

 

 心の底から本当にキレてるって感じだ。

 ピュアホワイトにとって、それくらい『アニーシャと関わりがないこと』と『アニーシャに覚えられていないこと』は効いたらしい。

 

(あと一押し……! あと一押し、デカい何かをぶつければ崩れる……!!)

 

 だが、何かあるか?

 もう一つ、さっきのコンプレックス並にデカいダメージを与えられるネタなんて……。

 

 

 と、そう悩んでいた時。

 俊介の背後に姿を現したキュウビが大声で叫んだ。

 

『俊介! わらわに左腕を渡すのじゃ!』

「!?」

 

 言葉を発さず、驚いた様子の俊介が肩越しに振り返る。

 振り返った俊介に向かってキュウビが自分の事を指さしながら言葉を続ける。

 

『わらわの道術には、相手の脳内に自分の考えていることを送り込む術がある!』

「?」

『つまりじゃ! 人格のダークナイトの姿を直接アイツに見せて、本人から直接『覚えてない』と伝えてやるのじゃ!!』

「!!」

 

 さすがキュウビ!

 正直フライヤーのチャッカマン以外にも頼れるところがいっぱいあるぜ!

 

 彼女に言われた通り、左腕の主導権を渡す。

 それと同時に右手を首に当て、俊介は中から最強の怪物――――ダークナイトを呼び出した。

 

「出てこい、ダークナイト!」

『陰道・魂読み(ツクヨミ)!』

 

 キュウビの放った術。

 それは本来、術を放った者が相手の思考を読む術だ。殆ど無抵抗状態の相手にしか使えないため、尋問官などが多用する術である。

 

 しかし彼女はこの術を即興で独自に改良。

 自分の脳内の都合の良い情報だけを取捨選択し、相手に送り込む術へと形を変えた。これにより、余計な情報は送り込まずにダークナイトの姿だけをピュアホワイトに見せることが出来る。即興で術を改良できたのは彼女が天才だったから、としか言いようがない。

 

 

 

 俊介の中から、おどろおどろしい空気を纏ったダークナイトが姿を現した。

 宿主のすぐ傍で腰に手を当てて、ただ突っ立ちながらピュアホワイトを見下ろしている。

 着込んでいる黒い鎧はピュアホワイトが着ていた物と同じだが、着ている者の力量差なのか、桁違いの圧をその身から放っていた。

 

 ピュアホワイトが目の前に現れたダークナイトを見て、平伏する。

 

「あ、アニーシャ様ッ……!!」

『…………』

「私のことを覚えていらっしゃいますよね!? サリアスです、貴方が三柱の女神を倒した時に居合わせた聖騎士です!! 貴方様の一番の信徒になると誓い、この異世界で貴方を探し続けておりました!!」

『…………』

 

 ダークナイトはヘルムの奥から静かな視線をピュアホワイトに送り続ける。

 それはダークナイトが彼女のことをじっと観察しているようにも見えたが……長年一緒に居る俊介にはダークナイトが何を考えているかが分かった。

 ()()()()()()()()のだ。

 

「もしかして、ダークナイト。そいつに興味ない?」

『ギャ』

「な……ッ!!」

 

 俊介の方に振り返ったダークナイトがコクリと頷いた。

 途轍もなく暇なとき、足元に蟻の行列があったらボーッと見てしまうだろう。しかしそれは面白いと思って見ているのではなく、見るものがないから見ているだけで、蟻の姿形や習性にまで興味を持つことなどない。

 ダークナイトにとって、見知らぬ雑魚のピュアホワイトは足元を這う虫けらほどに興味の湧かない存在であった。

 

『……グ』

 

 しかし、ここでやっと『そういやこいつ俊介を攻撃してたな』と思い出したようだ。

 体に纏う空気が敵意を向けるべき存在を見つめてピンと張り詰めていく。

 

「ひ……っ」

 

 ピュアホワイトの顔が恐怖で強張る。

 

 目の前に現れた崇めるべき存在から直々に『覚えていない』と伝えられて心がボロボロになり、挙句敵意を向けられた。

 それにより、信仰心で覆い隠されていた生物の強者に対する本能的恐怖が顔を出したのだ。

 

 そしてその隙を見逃す俊介ではない。

 

「今お前、アニーシャに怯えたな?」

「い、いや、違うッ! そんな私は、敬愛すべき神に、恐怖なんて!! 何かの間違いだ!!」

「間違いだと? 自分のことをよく見てみろ。さっきからちょっとずつ後ずさってんだよ、お前」

「え……?」

 

 ピュアホワイトは自身の体に視線を下げた。

 震える手と足が彼女の意思に反して動き、俊介から離れるように、ずりずりと尻を引きずって後退している。

 自身の体を見て、信じられない物を見たように目を剥く。

 

「嘘だ、嘘だ、こんなのッ――――()()()!」

 

 後ずさろうとする手に魔法で生み出した剣を突き刺し、無理やり体を止める。手の甲から真紅の血が地面のひびに沿ってどくどくと流れていく。

 

 なんて無茶苦茶なことをする奴だ、と俊介は思った。

 ダークナイトに目配せをし、一緒にピュアホワイトの前まで歩み寄り、見下ろす。

 

「お前は頭の中で偶像のアニーシャを作って、それを崇めてただけだ。お前の信じるアニーシャは何処にもいない」

「嘘だ……。だって私のアニーシャ様は、全てを破壊する、最強の……」

「『()()』、ね。自分で都合のいい偶像だって言ってるじゃねえか」

 

 ピュアホワイトはピクリと反応したが、否定の言葉を返さず、ブツブツと小さく何かを呟いている。

 

 どうやら……完全に崩れたようだ。

 ダークナイトの姿を見せたのが決め手になったらしい。本人から直接興味ないって言われたらそりゃ堪えるか。 

 

 奴は動かないままぶつぶつ呟いているが、真昼ちゃんが出てくる気配もない。

 もしかすると、まだ中で様子を静観しているのかもしれない。

 それかさっきの戦闘で怖がって出てこれないのかも。真昼ちゃんは一般人だろうし、本気の剣の斬り合いなんて怖いに決まってる。

 

 しかしそうなると、いつまで経っても真昼ちゃんが出てくることはなさそうだ。

 幼馴染のヘッズハンターに変わって、直接呼びかけて貰うとしよう。

 

 そう思った俊介は。

 一瞬だけ、ピュアホワイトに向けていた警戒を緩めてしまった。

 

「ヘッズハンター、俺と体変わッ――――」

 

 

 ――――ドンッ!!

 

 

「――――ッ!?」

 

 

 俊介の脇腹に足が食い込む。

 ピュアホワイトが地面に勢いよく手を突き、その反動で蹴りを入れたのだ。

 

 勢いよく部屋の端まで吹っ飛ばされ、壁にぶつかった所で動きが止まる。

 肺から飛び出した空気を吸い直しながらも何とか身を起こした。口の中に溜まった血交じりの涎を吐く。

 

 

「ハハハ……アッハハハハハハ!!!」

 

 

 先ほどまで俊介が立っていた所で、ピュアホワイトが狂ったように笑っていた。

 いや、実際に狂っていた。先ほどまで辛うじて保っていた狂信者は、もはや正気とは思えない表情を浮かべている。

 

(クソ、やばい、追い込みすぎたッ……!)

 

 精神の追い込みの引き際を見誤った。

 その結果、精神が崩れすぎて完全に自暴自棄になってしまったようだ。

 完全に俊介のミスである。もっと寸前で止めておけばと思ったが後悔してももう遅い。

 

 ピュアホワイトは焦点の定まらない瞳をプルプルと震わせながら、魔力で生み出した光の剣を自分の首に当てる。

 

「今すぐアニーシャ様を出せッ!!」

「な……!?」

 

 彼女が大声で叫んだ要求に、俊介が大声で返す。

 

「出せる訳あるか! 瘴気でこの船にいる人間が全員死ぬぞ! さっき怯えてたお前もだ!!」

「ハハハ!! 怯える、誰が!? この私が?! 私は大聖騎士だァ!!」

 

 口の端から血の混じった泡が漏れている。

 ケタケタと狂った笑い声を響かせ、首に当てる剣を少し食い込ませた。傷口からたらりと赤黒い血が漏れ出る。

 

「アニーシャ様を出さないとこのまま死ぬぞ!? お前の会いたがってる真昼とは二度と会えねぇっ!!」

「チぃッ……!」

「さっさとしろよッ!!」

 

 大声で叫ぶピュアホワイト。

 まだヘッズハンターとの同調は切っていない。時速六百キロで走れるが、奴はこちらが走り出した瞬間に確実に自分で首を斬る。

 首を斬られる前に剣を弾けるかは五分五分……少し分が悪い賭けだ。

 

 俊介はその場から一歩も動かず、小声でぼそりと一人の人格の名前を呟いた。

 中から出てきたその人格の姿を確認した後、ピュアホワイトに叫ぶ。

 

「さっき姿は見ただろ! 今更外に出して何になるんだ!」

「口答えすんなッ!! さっさとしろッ――――あー、やっぱもう駄目だ」

 

 奴が言葉の途中で突然声を落ち着かせた。

 光の剣を首から少しだけ離す。

 

「今からこの首ぶっ飛ばしてやるからよ!! せいぜい真昼と会えなかったことを一生後悔しなッ!!」

 

 そして少し離れた場所から、勢いをつけて自分の首を斬ろうとする。

 俊介は隠れて左腕の主導権を渡していた人格の名を叫ぶ。

 

「『ドール』!! 動きを止めろッ!!」

『うん!!』

「がッ?!」

 

 ドールの操る左手がピュアホワイトの方に向いた瞬間、彼女の体が硬直した。

 剣を握る手の動きも止まった。今しかない!

 

『う、もう、無理ッ!!』

「いや助かった!! おらァ!!」

 

 ピュアホワイトの剛力をドールの手の力で抑え込むのは厳しかったらしい。硬直は一秒程度しか続かなかったが、時速六百キロで移動できる俊介なら一秒もあれば充分だ。

 彼女の手を勢いよく蹴り飛ばし、剣を持つ指をへし折る。光の剣は折れた手の中から弾き飛ばされた。

 その光景を見て、俊介は目を見開く。

 

 

「――は!?」

 

 

 おい、なんで俺の蹴りで指の骨がへし折れるッ!?

 さっきまで蹴りまくってもよろめくくらいしかダメージなかっただろッ!!

 

 そんな俊介の疑問は、ピュアホワイトの邪悪な笑みと共に答えが返って来た。

 

 

 

「――――聖騎士秘魔法『見えざる騎士の軍勢』」

 

 

 

 その言葉が唱えられた瞬間、ピュアホワイトと俊介の二人の周囲を五百本以上の光の剣が覆った。

 先ほど彼女の指が簡単にへし折れたのは、身体強化に使う魔力を全てこの魔法に注いでいたからだ。

 

 ヘッズハンターに向かって同じ魔法を撃ったが、その時は三百本。しかし今のこれは五百本。

 全ての刃先が二人に向いており、時速二百キロ近くで同時に襲い掛かってくる。

 

(俺のことを、自分ごと――――ッ)

 

 光の剣はピュアホワイトの鎖帷子を容易に貫く。身体強化をしていない人間など豆腐のように裂く。

 彼女は俊介を自身の懐に誘い込み、『自分ごと殺す』ために魔法を使ったのだ。

 

 

「――――ぁああああ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!」

 

 

 俊介は雄たけびを上げ、全身に走る死の予感に促されるままにマチェットを振るった。

 恐らくその時だけはヘッズハンターの技量を超えていただろう、そう思わせるほどに鬼気迫る剣戟。殆ど全ての光の剣を一瞬のうちに叩き落とす。

 

 

 ――――だが。

 

 

 俊介は自身に迫る剣は、たとえ死角であっても反応するが。

 ピュアホワイトに向かっていった剣の全てにまで反応し、叩き落とすことは出来なかった。

 

 俊介は五百本近くを一瞬で叩き落とした。

 なのに。

 たった逃した一本の光の剣が。

 

「う゛ッ!!」

 

 ピュアホワイトの脇腹に刺さり、深く抉り取った。

 一瞬で血が噴き出し、地面に大量の血だまりが出来上がり始める。

 

「あ……!!」

 

 俊介は顔を青くして、ピュアホワイトの体に駆け寄った。

 傷口を押さえようとするが、全く血は止まらない。

 ピュアホワイトはぜひゅーぜひゅーと苦し気に声を漏らしながらも、俊介に勝ち誇ったような顔を浮かべる。

 

「は、ハハハ……! どうだ、ざまあみろ……」

「馬鹿野郎ッ!! 何やってんだお前ッ!!」

「私の望んだアニーシャ様はこの世にいない……ならばとお前を道連れにあの世に逝こうとしたが、まさか全部叩き落とすとはな……」

「お前に一本当たってるだろうが! 何考えてんだ!!」

 

 俊介が必死に叫ぶ。

 段々とピュアホワイトの目が虚ろになっていく。

 

「は、は、は……。結局、私の神など何処にも存在しなかったな……」

「お前に完全に都合のいい神なんている訳ない! 数十億の人間全員を探したっている訳がない! 分かったら喋んなって、血がこんなに……」

「……そうか……。ま、そんなものか……」

 

 そして、ピュアホワイトは視線を()()()()()()()()に向ける。

 

「……舌を噛み切って自殺し、四肢の骨折を治したか。……フン、私の負けだ、()()

「真昼……!?」

 

 俊介が言葉を漏らす。

 だがピュアホワイトは俊介を無視して虚空に言葉を投げかけた。

 

「私が孤独な人間だと? ……かもな。私には遥か格上か、遥か格下しかいなかった。同じ高さの人間など一人もいなかったものでな」

「何の話を……」

「……人間を暴力の有無でしか見ていないから、ね。……私にそれ以外の指標を与えてくれる人間はいなかった」

「…………」

「お前は別の指標を持っているらしいな。愛だの恋だの……私には、もう分からないよ」

 

 

 ピュアホワイトは、すっと目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一瞬の硬直。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして目を開くと同時に、げほっと口から血を吐いた。

 その瞳には先ほどまでのサリアスとは違う、別の人間の意思が籠っている。人格を交代したのだ。

 

 彼女はすっと微笑みを浮かべ、俊介の方を向いた。

 

「ああ、初めまして……。まーちゃんの宿主さん」

「ま、真昼さん!? 待って、喋らないで、今血を……」

『俊介、もう退くんだ』

 

 背後から俊介に誰かが声を掛ける。

 振り返ると、そこにいたのはトールビットだった。

 

「なんで……?!」

『彼女はもう助からない。その傷の位置は肝臓を抉ってる。出血量から見て、あと三分が限界ってところなんだよ……』

「ッ……俺が、剣を叩き落とし切れなかったから……」

『早くヘッズハンターに変わってやってくれ。少しでも時間をやるんだ』

 

 トールビットが静かにそう言うと、俊介は、すぐ傍にいたヘッズハンターに体を変わった。

 一瞬の硬直の後、ヘッズハンター……間狩伸介が穏やかな笑みを浮かべる。

 

 

 

 

「……本当に、久しぶり。真昼」

「うん……。久しぶりだね、まーちゃん……」

 

 

 幼馴染は異世界で再会した。

 

 

 

 



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#87 奇跡の三分間

 

 

 

 

 

「真昼……その、なんて言ったらいいか……」

 

 間狩は彼女のすぐ傍で両膝を突き、言葉に詰まった喉を動かそうと口を無意味に開閉させる。

 もうお互いに残された時間は少ないのに、こういう時に限って上手く言葉が出てこない。

 

 そんな間狩の様を見ていた真昼が、くすくすとか細い笑い声を出した。

 

「まーちゃん、すっごく強かったね。なのに性格は昔と変わってないから……ちょっと面白くって」

「怖く……なかったのか?」

「ううん。だって、まーちゃんだって分かってたから」

 

 心の底から間狩を信頼し切っていると分かる、真昼の声色と言葉。

 そんな彼女に対し、間狩は心が痛くなった。

 

「……俺なんて、そう立派な人間じゃない」

「え?」

「俺は、真昼が自殺した後……気がおかしくなってたくさん人を殺したんだ。真昼を虐めてた奴らも、全く関係ない人も。元の世界じゃ悪名高い殺人鬼として名を残してる……そんな奴なんだよ」

 

 『自らが殺人鬼だ』という告白。

 もしかすると話さずに隠しておくこともできたかもしれない。ピュアホワイトと戦う時に上級兵士の体を斬ったり殺気を飛ばしたりしたが、自分が殺人鬼であることは一言も発していないからだ。

 だがここで隠したまま『なあなあ』で話を終わらせて逃げると、心にぬぐい切れいないしこりが残る気がしたのだ。

 

 拒絶され、侮蔑されるのは怖い。でもそれが当然だ。

 殺人鬼なんて受け入れる方がマトモじゃない。

 それでも今の真昼にだけは、隠しておきたくなかった。

 

「さつ、じんき……」

 

 真昼が少し困惑したように呟いた。

 そして、そのすぐ後に。

 

「……それって、私が自殺したのが原因かな?」

「あ、いや……」

 

 間狩は言葉を濁した。

 彼が殺人鬼になった理由の殆ど……というか全てが真昼に関連している。そしてその中で一番大きな決め手になったのは真昼の自殺である。

 だが直接『真昼が自殺したせいだ』と言うのは流石に憚られた。なので間狩は言葉を濁したのだが……この会話の流れで言葉を濁すなど、『はいそうです』と言っているような物だった。

 

 真昼は顔を間狩に向けたまま、視線を外す。

 

「私もね。サリアスが人を殺す時、たくさん見殺しにしちゃったんだ。止めることは出来ないけど、邪魔くらいはできたのに」

「それは……そんなの真昼は悪くない。奴は化け物みたいな強さだったんだ、一般人の真昼が何もできずに見殺しにしてしまっても気に病むことなんかない」

「理屈じゃそうかもしれないけど、心じゃそんなに上手く納得できなかったんだ」

「…………」

 

 間狩は押し黙る。

 彼女が話を続ける。

 

「人が死ぬ時の顔と声って頭に残るんだね。それが数百人分、頭の中で重なっていって……どうしようもなくなった時に、一度だけ体を奪ってまーちゃんに助けを求める言葉を書いたりもした」

「……そうか……」

「その後で死ぬほど……っていうか死ぬまで殴られたんだけどね。体を奪ったからって」

 

 榊浦美優の部屋にあった自分の名前が書かれた紙はそういうことだったのか。

 体を奪って一度だけ書いたはいいが、恐らくサリアスか榊浦美優に没収されたのだろう。榊浦美優はそれを何故か手元に残していたので、研究所を散策していた自分が偶然見つけたのだ。

 

「……その助けてほしいって書いた紙、俺が見つけたよ」

「え、ホント? あはは、なら書いた意味はあったんだね……殆ど愚痴みたいなものだったんだけど」

「…………」

 

 再び少しだけ押し黙る間狩。

 そして意を決したように、真昼に問うた。

 

「その……」

「どうしたの?」

「どうして、俺の名前を書いて助けを求めたんだ?」

 

 それはあの時、助けを求める紙を見た時にも生じた疑問。

 『なぜ自分に助けを求めたのか?』

 

 元の世界で幼馴染だったとはいえ、この身体能力を手に入れたのは真昼が死んだあとだ。しかも彼女が虐められていた頃、自分は虐めに関わるのが怖くて少しだけ距離を取っていた。自殺する直前には直接助けを求められたのに警察に相談しようなんて逃げの選択を取ってしまっている。

 この世界に間狩が来ている確証はない。それどころか真昼が知っている間狩は助けを求めたとして役に立つような人間ではなかった。なのに一体どうして。

 

 彼女は視線を間狩の顔に戻し、少しだけ口角を上げる。

 

「自分でもよく分からないけど……あの時一番に思い浮かんだのが、まーちゃんだったんだ」

「どうして……? こんな、俺を……」

「なんでかなぁ」

 

 そう言いながら、少し真昼は悩んだ素振りを見せたあと。

 

「…………()()()()()から、かな?」

「……は?」

「そんな反応されるとちょっと傷つくなぁ……」

 

 はにかんだ顔を見せる真昼。

 間狩は一瞬だけ全てを理解できなくなり呆けた顔を晒したが、彼女の語った言葉を理解し、すぐに動揺を隠し切れない表情で焦り始める。

 

「お、おっおおお、お、俺のことをッ?!」

「そうだよ~、っていうかやっぱ気付いてなかったんだね。中学や高校になって疎遠になったけど、私なりにアピールしてたつもり――――――――ごぶッ!!」

「ッ! 真昼!!」

 

 突然彼女が口から血を噴き出した。

 口の端から粘りのある赤黒い血を垂らしつつ、ごほごほと何度も咳き込む。顔は血が流しすぎて青くなり始めていた。

 

 その様子を見て、何百人も人を殺した間狩には分かってしまった。

 真昼はもう本当に限界が近くて、あと少しで死んでしまうと。そういう死の気配を全身から漂わせていた。

 

 彼女の口の端に垂れた血を手で拭う。

 もうそんなに時間はない。……後悔のないようにしないと。

 

「……真昼」

「な、に?」

「本当に、ごめん!!」

 

 その場で地べたに頭を擦り付ける間狩。

 頭を下げたと同時に過去の記憶が脳の奥からせり上がってきて、不思議と目から涙がこぼれ始めた。

 

「真昼が虐めグループ(あいつら)からひどい事されて、それを知ってたのに! 真昼が直接助けて欲しいって勇気を出して言ってくれたのに!」

「…………」

「俺はあの時、自分の力よりも先に『警察に相談しよう』って、他人の力に頼って……! 怖くて逃げちまったんだ……!!」

 

 額を地面につけたまま、悔しさを隠し切れずに指先で地面を擦る。

 真昼を虐めてた奴らを殺すのなんて簡単だった。本当に、なんであそこで俺は他人に頼っちまったんだ。怖がらなければ自分の力で真昼を守れたはずなのに。

 そんな後悔ばかりが心の底から噴出する。

 いくら体が強くても、心の性根は弱々しい子供のままだ。真昼に引っ張ってもらっていた気弱な少年時代のままだ。

 なんでこんなに情けないんだ、俺って男は。

 

 

 そんな風に涙を流しながら、地面に額を擦り付ける間狩の頭に。

 真昼は優しく手を乗せた。 

 

「顔、あげ、て……?」

「……うん」

 

 頭の上に乗せられた手を優しく手に取り、頭を上げる間狩。

 彼女は間狩の顔を見て、慈母のような表情で目を細めた。

 

「許して、あげる……」

 

 血の付いた手で間狩の涙を拭う真昼。

 涙が拭われる度に頬に血液が付くが、間狩は一切気にしない。その手の暖かさに身をただゆだねる。

 

 そして間狩の目から流れる涙が止まった頃、真昼はぽそりと口にした。

 

「私もね、気付いて、たんだ……」

「え……?」

「まーちゃんの対応は、間違って、なかったって。警察に相談するのは正しい方法だって。なのにね……あの時私は、『なんで今すぐ助けてくれないの』って勝手に裏切られた気持ちになって……」

 

 間狩の顔から拭った涙の量よりも多く、彼女の目から涙がこぼれ始める。

 唇を横に引き、間狩の顔を見ながらもその視界を涙でぼやけさせる。床の血だまりに涙が落ちて薄い波紋が広がる。

 

「私の方こそごめんね……! 自殺してごめんなさい……あの時、踏みとどまって生きてたら、きっとまーちゃんは殺人鬼にならなかったのに……!! もっといい未来があったはずなのに……!!!」

「違う、真昼は悪くないんだ!」

「ごめん、ごめんね……!! 生きられなくて、死んじゃってごめんね……!!」

 

 彼女が悲しそうに謝りながら、段々命の灯を薄くしていく。

 間狩が必死に彼女は悪くないと言うが、一度噴き出した自罰の念が生きる活力を奪っているのだろう。

 彼女は急速に死へと向かい始めた。

 

(嫌だ……)

 

 せっかく異世界で再会できたのに。

 

(こんな涙でぐちゃぐちゃの顔で、お互い悲しい気持ちになりながらまたお別れなんて嫌だ!!)

 

 心の中でそう叫んだ間狩は。

 頭で考えるよりも早く、口から『()()()()』が飛び出していた。

 

 

「俺も、真昼が好きだ……!」

 

 

 脈絡のない一言だった。

 会話の流れなど何もあった物ではない。

 間狩の言葉をし聞いた真昼は、一瞬頭がフリーズして少しだけぽかんとした顔を浮かべる。

 

「え……?」

「小さいころからずっと好きだったんだ! でもなんでか分からないけど、こんなに好きなのに、年が上がるたびに疎遠になっていって……。もしかすると真昼は俺の事が嫌いなんじゃないかって思って……。本当はずっと好きだったのに!!」

「そ、そうだったんだ……」

 

 間狩の心の底からの告白に、真昼は少しだけ目を見開いた。

 そして嬉しそうに、瀕死の人間とは思えないほど明るい笑顔を浮かべる。

 

「嬉しいなぁ……。私達、両想いだったんだね……」

 

 笑みを浮かべつつ、目端から涙をこぼす真昼。

 その顔を見て間狩は静かに思い出した。

 

(ああ、そうだった)

 

 思い出した記憶は、自分がどうして真昼を好きになったかのきっかけについてだ。

 劇的でドラマチックなきっかけじゃない。

 創作物で擦られまくったようなありふれたきっかけだが、それは確かに自分の心に焼き付いていた。なのにいつしか忘れてしまっていたその記憶。

 

『まーちゃん、あそびにいこ!!』

 

 太陽が爛々と輝く昼の時分。間狩は夏の暑い時間に外へ出て遊ぶのが苦手だった。

 ただそれでも彼が、彼女と一緒に遊びに出かけたのは、空の太陽よりも明るい彼女の笑顔が好きだったから。

 こちらの心まで温かくなるような元気な笑顔がたまらなく好きだったんだ。

 

(そっか。俺は真昼を殺したいと思ってたんじゃない……ずっと手元に持ち続けたかった訳でもない……)

 

 優しく、そして力強く彼女の手を握る。

 出血のし過ぎで目も見えなくなってきた真昼だが、自身の手を握る間狩の存在を感じて嬉しそうに頭を揺らした。

 

(俺は、『この笑顔がもう一度見たかった』んだ……)

 

 体が裂けそうになるほど求めても二度と得られない物。

 それを探し続けるうち、ヘッズハンターは狂ってしまった。一番愛した人の顔すらよく思い出せなくなるほどに。

 史上最悪の殺人鬼・間狩伸介。

 自分でも気づいていなかった全ての謎は今、解き明かされた。

 

 

 

 真昼がぼろぼろと涙を零す。

 好きな人からの告白で生きる活力を少しだけ取り戻したが、それも限界はある。今の一言で作り出せた時間の猶予はおおよそ三十秒と言った所だ。

 

「嬉しいなぁ、でも悲しいよぉ……。両想いだって知ってたら、もっと仲良くなれたのに……」

 

 間狩は彼女と指を絡ませ、恋人繋ぎをする。

 もう聴力も弱くなってきただろう彼女の為に、顔を近づけて話す。

 

「真昼。……俺達はこの世界で、奇跡的に会えた」

「う、ん……」

「それでさ、二度あることは三度あるって言うだろ? だから……」

 

 一度言葉を止め、息を吸い込み。

 優しい声色で真昼の耳元に語り掛けた。

 

「だからッ……()()()()で、()()会おう。今度も絶対、見つけ出すから」

「……ふ、ふふ……次があるかなんて、分からないよ……?」

「絶対にある。俺の勘は当たるんだ」

 

 彼女がへにゃっと顔を崩し、明るい笑顔を浮かべた。

 もう血を流し過ぎて殆ど力も入らないだろう。それなのに間狩に負けないくらい力強く、彼の手を握り返した。

 

「ならね、私ね……。まーちゃんが見つけやすいように、うんと目立っておくから……」

「ああ……」

「私のこと見つけたら、すぐ会いに来てね? 約束だよ……」

「分かった、約束だ……!!」

 

 真昼の呼吸がどんどん浅くなる。命の終わりが近い。

 それでも必死に寿命を延ばそうと、はっはっと短い呼吸を素早く繰り返しながら、絞り出すように声を出した。

 

「だか、ら…………『またね』……」

「ああッ……! 『またね』、また、また会おう…………」

 

 間狩が言葉を言い終わるよりも前に。

 彼女はその顔に明るい笑みを保ったまま、命の灯を消した。

 

 『またね』の言葉を聞き届けた彼女の死に顔は死への恐怖では埋まっていない。

 次の世界への希望を抱き、静かに逝っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ体温の残る手を名残惜しそうに離し、ヘッズハンターは立ち上がる。

 笑顔で永久の眠りについた彼女を少しだけ見つめたあと、俊介に体を変わった。

 

 一瞬の硬直のあと、俊介は目の前にある真昼の体を見て悔しそうに顔を歪めた。

 そしてすぐ傍に居るヘッズハンターに頭を下げる。

 

「……ごめん、ヘッズハンター……!」

『なにがだ?』

「俺があの時最後の一本を叩き落せていれば、いやそもそも奴の心を追い詰めすぎていなければ……!!」

『…………』

 

 確かに俊介のミスはあった。

 だがそれを責める気などヘッズハンターには毛頭なかった。

 

『俺が真昼と少しだけでも話せたのは、俊介が俺と一緒に戦ってくれたからだ』

「それは……」

『俊介がいなかったら、三分間の会話すらできなかったんだ。謝られる筋合いなんてないさ』

「でも……」

 

 言葉を続けようとする俊介を、トールビットが手を出して遮った。

 困惑した俊介に対し、彼女は静かに首を横に振る。

 

『駄目だよ、謝っちゃ駄目なんだ。ヘッズハンターと真昼ちゃんが話した時間を否定してしまうことになる』

「っ……」

『俊介は短くても時間を作ったんだ。だから、それでいいんだよ』

「…………」

 

 顔を俯けさせる俊介。彼女の言葉に理解はしても納得は出来ないらしい。

 長い間、ヘッズハンターと真昼を幸せな形で再会させられなかった戒めに心が苛まれるだろう。それでも俊介は強く生きていくはずだ。殺人鬼の全員が認めるほどの男なのだから。

 

 ヘッズハンターはトールビットに近づき、小声で言う。

 

『ありがとう』

『まあ……ね。俊介は人の死に慣れてないし、動揺してどう言葉を掛けていいかなんて分からないだろうからさ』

『そういう所が、俊介の良い所なんだけどな』

 

 口を閉じて彼女から離れる。

 部屋の中を少し歩き、足を止め、顔を上げた。

 

 

『……そういや、まだ朝の七時なんだよな』

 

 ヘッズハンターは戦闘の最中に壊れた壁から、船の外の景色を眺める。

 透き通るような青空が夏の香りと共に全身をめいっぱい撫でてくれる。元の世界で真昼と遊んだ夏の街並みを想起しながら、目端に溜まる水滴を親指で拭った。

 

『これから、だもんな』

 

 そう呟く。

 そうだ、まだこれからなんだ。

 

 だってまだ朝の七時だ。

 朝食の味が口から消え去り、お腹が空いてくる昼までには時間がある。

 早く昼が来て欲しい、時間が過ぎて欲しいと思えば思うほど長く感じるものだ。

 

 ――――それでも。

 

 生きていれば、必ず『()()』は訪れる。

 だって、時間は絶対に前に進み続けるんだから。

 

 ヘッズハンターは視界の端にチラついていた前髪をかき上げた。

 

 空の上には、思わず目を細めてしまうほどに眩い太陽が爛々と輝いている。

 それは間狩伸介が元の世界で自殺した日と同じ景色。

 何処までも永遠に続いているような青空が、ヘッズハンターの前に広がっていた。

 

 今度彼女と出会う時は両手に抱えきれない土産話を持っていこう。

 お互いに会えなかった時間を取り戻せるくらい、たくさんの土産話を。

 

『また会おうな……真昼』

 

 小さく呟いたその言葉は、青空に薄れて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






決して全てが上手く行った結末ではないです。
しかし俊介とヘッズハンターがハッピーエンドを目指さなければこの三分間の再会すら叶いませんでした。

一日中雨が降った日の翌朝に、淡い寿色の陽光が雲の隙間から落ちてきているのを見ているような気分です。
窓を開けると、雨の香りがまだ微かに残っている肌寒い空気が部屋の中に入り込んできます。
身を震わせながらも空から地上に掛かる天使の梯子を見ると、今日の天気は昨日の雨を忘れるくらいに良い物なんだろうな……とふと感じます。
それでもまだ地面には太陽の光を反射する水たまりが残っていて、それを見て「昨日は雨だった」と思い出しながらも、晴れの今日を生きるために歩き出します。
ヘッズハンターは今そんな気持ちです。
決して悲しくない訳ではないけど、それでも前に進もうとしてるんですね。
作者はそんなヘッズハンターが一番好きです。


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#88 一方その頃


短いです。ごめんなさい……!



 

 

 

 

 

 

 ――――時間は、俊介とピュアホワイトが戦い始めた頃に遡る。

 

 

 

 榊浦美優を捕まえるために俊介と別行動を取った夜桜と橘。

 船内に残る下級兵士を幾人か撃退しつつ、船内を走る。

 

「ひーっ、ふぅ……はぁ……」

「…………」

 

 船全体が左右に僅かに傾くような揺れが発生し、夜桜は足を止める。

 少し遅れて走って来ていた橘が夜桜のすぐ背後で足を止め、顔中の汗をぼたぼたと床に垂らしながら肩で大きく息をする。

 

「は、走るのはやっ……!」

 

 兵士としてある程度の訓練を積んでいた橘だったが、夜桜の走る速度に少し遅れて付いて行くのが精いっぱいだった。両腕が折れていて腕が振れなかったり本気で走れなかったりと理由はいくつか考えられるが、それでも夜桜の走る速度は一般的な女子高校生のそれとはかけ離れていた。

 俊介と共に体験した幾つもの荒事が夜桜の万物に適応する才能を錬磨し始めていたのだ。最早プロの格闘家が相手でも鎧袖一触の強さに成っている。

 

 しかしいくら才能が錬磨されていても、夜桜はつい数か月前までは平々凡々と暮らしていたただの女子高生。甲板で始まったピュアホワイトと俊介の超人決戦に混じれるほどの実力には達していない。

 五百メートル級の軍艦を揺らすほどの戦いが甲板で始まったことを察し、電灯がジジッと光る天井を静かに見つめる。

 

(大丈夫かな、日高君…………いや、私はまず榊浦美優に集中しないと)

 

 いくら心配したところで、ピュアホワイト相手に俊介の援護を出来るほどの実力すら夜桜にはない。

 立ち止まって俊介の身を案じるよりも、さっさと榊浦美優をとっ捕まえて人質にでもした方が何十倍も有意義だ。

 

 思考のベクトルを榊浦美優の確保にガチッと固定する。

 夜桜は背後で息を整え終わった橘の方に振り返った。

 

「すみません、速く走りすぎました。大丈夫ですか?」

「ああ……けほっ。いや、アンタは途中で下級兵士を走りながら倒してその速度だもんな。戦えない俺は、せめて走るのに追いつくくらいはしないと……」

「…………」

 

 無言で橘を見つめる夜桜。

 じっと凝視された橘は自分の体を軽く見まわしつつ問いかける。

 

「……? 何か付いてる?」

「いえ」

 

 ぷいっと夜桜が顔を逸らす。

 彼女の中から姿を現したバクダンが首を傾げる橘の前まで移動し、顎に手を当てながら身を屈めた。

 

『まあ、ある意味付いてるよな……このでっけぇ乳がよ』

「…………」

 

 人が敢えて言わなかったことを相手に聞こえないからって堂々と言うものじゃありません。

 

『思わず拝みたくなるような大きさだよな。私の頭くらいあるんじゃね? 私も少し自信あるほうだけどこれは負けるわ~。白のワイシャツにでっけえ巨乳、谷間に汗が溜まってるなんてどんなフェチ……おいおいこいつまさかブラ不着用じゃね!? ひゅう~!!』

 

 うーん、最低。

 そういうのはたとえ相手に聞こえなくても言わないものなんだよ。私も心の中で大きいなとは思ってたけど。

 

『紗由莉の倍はありそうだな! ……あっ』

 

 バクダンの顔が一気に青ざめた。夜桜の中に一瞬で逃げる。

 キレそう。

 

 

 

 

 額に浮かんだ青筋を指でさすって静めつつ、廊下の先に顔を向ける。

 今まで進んできた廊下や部屋に榊浦美優の姿はなかった。いるとすればこの先しかない。

 

 橘がきょろきょろと辺りを見渡し、天井と床下を何度も見比べ、声を放つ。

 

「……この辺りがちょうど榊浦って奴の研究室の真上だ。貨物エレベーターの繋がる部屋があるなら、ここらへんだと思うんだけど……」

 

 榊浦美優が貨物エレベーターで上階に逃げたという話は俊介と別れてすぐ後に聞いた。

 俊介や夜桜に単独で出会った瞬間にゲームオーバーが確定する榊浦美優が、上階に逃げたあと再び下の階に移動するとは考えにくい。

 『俊介がエレベーターに罠を仕掛けたかもしれない』なんて事はヤバい方向に頭のいい榊浦美優ならすぐに思いつくだろうし、そう思うと尚更使わないだろう。

 

 念のため、下の階に繋がる階段はさっき爆弾でぶっ壊した。もし瓦礫を撤去しようとすれば死なない程度に爆発するようなブービートラップも仕掛けた。この階から下に逃げようものなら一瞬で爆弾の餌食だ。

 あれだけの女性を実験台にして弄んだ時点で、無傷で捕まえるなんて優しい考えは毛頭ない。最悪四肢の一本は吹き飛ばす覚悟は決めている。

 

 

 そう考えている夜桜を他所に、あちらこちらを見つめていた橘が一つの扉に近づく。

 

「うん……うん。間違いない、この部屋が研究室の真上だ」

 

 夜桜が扉のすぐ傍にあったカードリーダーに下級兵士のカードキーを当てる。赤いランプが点灯すると共にブーという音が鳴り、下級兵士の権限では開けられない扉であることを示した。

 

「上級兵士のカードキーが必要なのか、まあ研究室とエレベーターで繋がってるもんな。さっき俊介が倒した上級兵士が下の階にいたはずだけど、どうやって取りに行くか……」

「そんな七面倒臭いことはしません。扉を吹き飛ばします」

「えっ?」

 

 橘の体を少し脇にどけ、大振りの爆弾を掴んだ右手を扉に押し付けた。

 ピピッ!という電子音が響き、手の中の爆弾が起爆する。一センチほどの厚さがあった鋼鉄の扉が破城槌でもぶつけられたように勢いよくへこみ、部屋の中にガンガンと吹っ飛んでいく。

 

 爆弾を持っていた右手を熱そうに振る夜桜に、青ざめた顔を向ける橘。

 

「…………だ、大丈夫か? ば、爆弾を手で起爆させたんだろ?」

「特別製ですから」

「そ、そうか。爆弾って知らない内に進歩してたんだなぁ」

『世界の科学の進歩じゃない、天才の私が作った爆弾だから特別なんだ! ははは、凄いだろぉ!』

 

 バクダンが一瞬だけ出て来て自慢げに胸を張った後、すぐに姿を消した。さっきの事で夜桜に怯えているが、久しぶりに自慢するチャンスが来て我慢できなかったのだろう。

 

 

 扉のすぐ横にあったスイッチを押し、部屋の電灯を点ける。

 部屋の中はむせ返りそうになるほどの古い紙の匂いが充満していた。

 

 そこそこの広さの部屋。両側の壁は丸ごと本棚になっており、大小さまざまな大きさの本がギチギチに詰められている。

 木製のテーブルの上にも多くの本や紙束の資料が置いてある。乱雑に置かれて纏められていないように見えるが、ここの部屋の主である榊浦美優には分かりやすいように置かれているのだろう。バクダンがいつもこんな感じに設計図を置いている。

 

 そして扉の向かい側に件の貨物用エレベーターがある。当然、中に榊浦美優の姿はない。

 部屋の中にも榊浦美優どころか人の気配はないし、もう逃げた後のようだ。

 

「一応、壊しておこっか……」

 

 エレベーターの昇降ボタンを爆破して破壊する。これでこの階からエレベーターでは移動できない。

 振り返ると、橘が本棚の本をじろじろと見ていた。

 

「へー、高そうな本ばっかだな……全く読めないけど。読める?」

「大体は。分からない専門用語もいくつかありますけど」

「すっげー……」

 

 本の背表紙に書かれたタイトルを読んでいく。

 

「『人の精神について』、『魂と肉体の繋がり』、『脳の構造』、『多重人格論』……」

 

 全部違う言語だけど、一貫して人間のことについての本が集められてる。

 『魂』なんてオカルト染みた本も集めてるのは気になるけど。

 

 そう思いつつ、本棚から目線を外して机の上にある書類の束を見る。

 読むのも嫌になるような量だ。一体どれだけの間この機関で研究していたのか。

 

 机の上に置かれた書類をざっと眺めていて……。

 

「…………ん?」

 

 一瞬だけ妙な感覚がした。

 手を伸ばし、書類の束を軽く漁って探る。目線を高速で動かし、研究結果を斜め読みしていく。

 

「……()()()()……?」

「え?」

 

 夜桜の独り言に橘が振り返った。

 

「ここに何枚か書類があった……そういう配置のはずなのに、ここに()()

「ええ……?」

「……日高君は榊浦美優の研究について何か言ってませんでしたか?」

「いや、そう言われてもな……」

 

 訝しげな顔つきをする橘。入ったこともない部屋の書類の配置を見て『書類がない』とか言われても、即座に信じられるはずがない。相手が天才の夜桜だと分かっているからギリギリ嘘だと決めつけていないだけだ。

 

「まあ、ピュアホワイトが榊浦美優の作った最初のデザインベイビーとか……そんな事は言ってた。でも詳しいことはな……」

「ピュアホワイトを作ったのが、榊浦美優?」

「そうらしい。ていうかピュアホワイトが自分で言ったって……」

 

 榊浦美優が研究成果として、ピュアホワイトを作った……。

 日高君はピュアホワイトを『俺たち』で倒さなければならないと言っていた。つまり日高君だけじゃなく、日高君の中にいる人格も何かしらの因縁を持っているんだ。

 ……そして榊浦の研究所に行った時、日高君は榊浦豊に『少女の写真』を見せられたと言っていた。それと同時に、『人格を受け入れやすい器』として作ったって。

 そしてピュアホワイトの中には最低でもあのイカレ騎士と、日高君の中の人格と関わりのある人格がいる。

 

 つまり。

 ピュアホワイトが日高君の見せられたあの写真の少女ってことか。

 

 そしてこの机の上になくて、でもここにあったはずの、なぜか欠けてる書類は……!

 

 

「一人目のデザインベイビー……『()()()()()()()()()()()()()』!」

 

 

 榊浦美優の奴が一番目のデザインベイビーに関しての情報を残していない訳がない。

 だけどなんでその資料だけここからなくなっている? 榊浦美優にとってここの資料は全て値千金、二度と再現できない何百人を使っての人体実験で得た研究結果だ。出来る事なら全て持ち出したいはずなのに。

 

 それも、その書類が抜き取られたことがバレにくいようにわざわざ他の書類で隠すような配置まで再現してる。

 こんなの、私達に追われてる榊浦美優がわざわざするような事じゃない。

 

 ならこれは、この書類を盗んだことをバレたくない誰かの仕業――――。

 

「――――クソッ!!」

「うわっ!?」

 

 机を叩いてすぐに扉の方に振り返る。

 

「橘さん、今すぐこの部屋を出ます!!」

「ど、どうしたんだよ?」

「私達と未来革命機関じゃない……!! ()()()がいる!!」

「だ……第三者?! どういうこと?!」

 

 

 正体の分からない第三者はきっと書類に書かれてるピュアホワイトに関しての情報が目的!

 そして第三者はその情報を盗んだことがバレたくない……。

 だけど榊浦美優がこの部屋にもう一度来たら、その書類が消えているのがバレて、自分がその情報を欲しがっている事もバレてしまう。

 

 だから、その第三者にとっては、榊浦美優は存在されると不都合……!

 

 そして榊浦美優は日高君が敵対してる榊浦豊の実の娘。

 多分色んな情報を持ってるはずだし、今殺されるのはあまりよくない……! それにあの女は殺されるより、何百人も実験台にした罪を生きて償わせたいのも私の本音!

 

「その第三者は榊浦美優を殺すつもりです!」

「何だって!?」

「すみませんが本気で走ります、付いて来てください!!」

「わ、分かった!!」

 

 二人は一目散に廊下に飛び出し、走り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うーんと、あとやらなきゃいけないことは……『榊浦美優を殺す』、か。あー、めんどくさいなぁ~」

 

 黒いスーツを着る、ヘアゴムで黒髪を後ろに纏めている女。

 左手にはジュラルミン製のアタッシュケースを持ち、右手には黒い拳銃を持っている。

 

「帰ってさっさと本の続きを読みたいけど……。ま、仕方ないかぁ……」

 

 揺れる未来革命機関の拠点内で、一切緊張感を感じさせない声色のまま、う~んと両手を上にあげて伸びをする。

 まつ毛が綺麗に生えそろった瞼を眠たげに何度も動かしつつ、ゆらゆらと船内を歩き始める。

 

「榊浦美優は、うーん……こっちかな?」

 

 その女はぶらぶらと、近所の飲み屋街を歩くような適当な足取りで歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 夜桜が天才過ぎて、情報を纏める→推察する→答えを導くって過程が俊介の十分の一くらいのスピードで済んでしまいます。ぶっちゃけ作者的にも楽(文章量が少ない)
 問題は読者様に話の流れを理解してもらえているか不安なことです。こわいよー



~~~~~~~~

 夜桜紗由莉とバクダンを描きました。
 全体的に下手っぴですが、小説が本筋なので勘弁してください。もっと練習しておきます。足と背景は特にいっぱい練習します。

バクダン
 
【挿絵表示】


夜桜紗由莉
 
【挿絵表示】


 夜桜が何をしてるのかはご想像にお任せします。

-報告-
 小説の進捗報告や謎の裏設定、練習絵を投げるだけの雑多X(旧:Twitter)アカウントを作りました。
 https://twitter.com/Dankan4649



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#89 榊浦美優という女

 

 

 

 

 

 ――――榊浦美優()は今や、『浮遊人格統合技術』の開発者として世界中で名の知れた研究者だ。

 

 でも実は、私は『研究』がそこまで好きではない。

 

 

 

『お父さん……?』

『…………』

『今日は、一緒に遊んでくれるって……約束したのに……』

 

 榊浦豊()と親子らしいことをした記憶はない。

 私と同じく浮遊人格統合技術の開発者として世界中に名を馳せる前から、父は人間の精神に関する研究にのめり込んでいた。

 ほぼ毎日夜遅くまで研究を行い、幼少の私が楽しみにしていた遊びの約束を忘れて眠りこけている事は何度もあった。

 

『…………』

 

 父は娘の私にだけ冷たいという訳ではなく、母とですら深く接することはなかった。

 だから私には家族全員で『家族らしい何か』をした記憶はない。

 

 私は父と関われない寂しさを埋めるように、よく母と会話をしていた。

 

『何でお母さんは、お父さんと結婚しようと思ったの?』

『うーん、なんでって言われるとちょっと難しいけど……お父さんとお母さんは幼馴染でね? 二人とも実家が田舎の方だったから、よく川遊びとかしてたんだ』

『か、川遊び? お父さんが?』

『そうだよ~。でも、お父さんを外の遊びによく誘ってたのは『()』の方だったかな……。お母さんは内気だったから』

『空……』

 

 『(そら)』とは、母の消えてしまったもう一人の人格の名前だ。

 母は元々二重人格で『海』と『空』という二人の人格を持っていたらしい。

 

 内気で臆病、外で遊ぶより家の中で大人しくしているのが好きな『海』。

 常に元気いっぱいで体を動かして遊ぶのが大好きだった『空』。

 

 対照的な二人の人格が母の体に宿っていたそうだ。

 

『でもね……空はお母さんが大学生の頃にいなくなっちゃったんだ』

『どうして?』

『お父さんはね、お母さんが二重人格だってことを昔から知ってたんだよ。それでお父さんはね、凄い有名な教授がいる心理学部に行って猛勉強して、私達を一つの人格に統合させてくれたの』

『へえー……』

 

 主人格は今の母の原型であり、内気だった『海』の方だった。

 だから快活な性格の『空』は主人格に統合されてそのまま消えてしまったようだ。

 

 母は懐かしむような目の色をしながら語り続ける。

 

『お母さんと空が一緒になったその日にお父さんにプロポーズされてね。その……お母さんも昔からお父さんのことが好きだったから、そのまま学生結婚したんだよね』

『が、学生結婚? いくつで?』

『二十歳で』

 

 二十歳で学生結婚。

 そういえば、父は大学二年生……ちょうど二十歳の時に転学部していたはずだ。

 心理学部から生物学部という一見何の関係もない分野に席を移し、そのまま博士号を取って主席で卒業している。その後に心理学の博士号も取っているが。

 

 母と結婚した時となぜか別の学部に転学部した時が一致している。

 きっとこの二つの事柄は無関係じゃない。

 でも……何故そんなことをしたのかは父にしか分からない。そして私が聞いたとしても答えてはくれないだろう。

 

 

『お父さんは……きっと()()を目指しているんだ』

 

 

 いつ頃に気づいたのかは忘れてしまった。

 だが中学を卒業する頃にはそう確信していたのを覚えている。

 

 同級生が家族で揃って遊びに行ったと話しているのが羨ましかった。

 親が構ってきて鬱陶しいとか、この年になって一緒に出かけるなんて恥ずかしいとか、そんな事をにやけ面で語っているのに心が爛れそうになった。

 

『私も……』

 

 一度くらい家族全員で遊びに出かけてみたかった。

 そんな幼少期の私が抱いたささやかな願いがずっと心から消えなかった。

 

 だから私は。

 父が目指すその『何か』を叶えれば、私の方を向いてくれるのではないかと思った。

 私をもっと見て欲しかった。

 

 ……幸いなことに、私は生まれつき頭が良かったらしい。

 大抵の言語は三日も勉強すれば頭に染み付くし、普通の人が揃って頭を悩ませるような問題もスラスラと解くことが出来た。

 

 父が何故心理学部から生物学部へと移動したのか。

 その理由が分からなかった私は、両方を学ぶために医学系で最もレベルの高い国外の大学に入学した。どちらも修めておけば、理由は分からずとも父の目指す『何か』と似通った知識を身に着けられるだろうと思ったから。

 

 数年経ち、大学を飛び級で卒業して帰国した私はとある大学の研究室に入った。

 その大学を選んだのは、父が当時勤めていた『渦島製薬』というかなり大きな企業との関わりが深かったからだ。それ以外は名前すら覚えていないほどに興味がない。

 私も渦島製薬に入れれば良かったのだが、当時の渦島製薬は研究職を応募していなかった。後の事を鑑みるに、その時行っていた研究の『失敗』を新しく入って来た産業スパイなんかに絶対リークされる訳にはいかなかったのだろう。

 

 とにかく。

 私はその研究室から渦島製薬に共同研究を持ち掛け、無理やり父との接触を増やした。

 研究部門のリーダーだった父の実の娘、という身分もあったからだろう。当の父にはあまり何も思われていなかったが、他の面々からは徐々に信頼を得始めることができた。私自身が優秀なのもあっただろうけど。

 

 そうして渦島製薬と関わりを深めて本格的に研究チームに加わった頃、今まで父が何を研究していたのかの詳細をやっと知ることが出来た。

 曰く、解離性同一性障害の薬について研究している事。

 曰く、その薬は従来の治療方法とは全く異なる……主人格と別人格を精神的ケアで統合させるのではなく、人格を剥離させて二つに分けるという物であること。

 

 そして……。

 治験と称して行った非合法な実験で、既に()()()()()()()()()()()()こと。

 

 人格を剥離した時に予測していなかった何かが作用したらしく、脳死したらしい。

 治験者の同意があったとはいえ、非合法な人体実験を行った上に死なせてしまった。挙句に失敗した理由は分かりませんと来た。

 こんな事が表に出たら渦島製薬という企業そのものが倒れかねない。だから私が帰国してすぐに渦島製薬の研究部門に入ろうとしてもブロックされたのだ。信用の置けない者を招き入れ、万に一つでも外部に漏れる訳にはいかないから。

 

 そして私は、父達が人体実験で死人を出してしまった事を聞いた時。

 心の底から()()した。

 父が明確な弱みを私に見せたのは初めてだったから、この失態をフォローすれば父は今度こそ私の方を向いてくれると思ったのだ。

 

 私は先ず、父達の作った薬が何故治験者を殺してしまったのかを脳を開いて調べた。

 だが……その理由はさっぱり分からなかった。

 『サンプルが死体一つだけで少ないから』などという次元の話ではない。恐らくこの分野では人類の最先端にいるであろう父や私や他の研究員達でさえ手も足も出ないのだ。

 人間の脳はまさにブラックボックス。脳の構造や機能をある程度解明することは出来ても、その深奥までを解き明かすことは出来ない。

 父達が作った薬は、今の人類が立ち入ってはいけない場所に無理やり足をねじ込んでいるような物なのだ。

 

 だから私は、アプローチを変えた。

 薬を使って治験者が死なないようにする改良は完成まであと何十年掛かるか分からない。

 だからこの際、治験者が死んでしまうことは許容する。結果的に生きてさえいれば問題ないのだから、父達の薬が効果を発した後に蘇生薬で強制的に蘇らせてしまえばいい。

 

 私は独自に調合した蘇生薬を持ち、国外から調達した多重人格の治験者を父達の前に連れ込んだ。

 治験者は親からの虐待で人格が分裂し、酷い他傷癖で精神病院に縛り付けにされていたような奴だ。病院側に十万ドルも握らせれば簡単に身柄を渡してくれたし、殺したところで探す人なんていない。

 

『お父さん。お父さんの薬は失敗してないよ、最終的に生きてさえいればいいんだから。私が調合した蘇生薬を使って、一度治験者を殺した後に生き返らせるんだ。良い案でしょ?』

『…………』

『主任、あの薬は明らかな失敗作です! 貴方の娘は恐ろしい過ちを繰り返そうとしている!!』

『…………』

 

 父以外の研究者が私を批判する。

 だが当の父はじっと私の方を見つめ、静かに呟いた。

 

『良いだろう。やってみろ、美優』

『お父さん……!』

『し……主任! 正気ですか!? す、既に……人が一人死んでるんですよ?! その薬で!!』

 

 一人の研究員が青ざめた顔で後ずさり、私と父に怪物でも見るような目を向けてくる。

 

『も、もう私には無理だ……! 毎日夢に、私達の殺した治験者の顔が出てくる! 『よくも殺したな』と何度も囁いて来るんだ!』

 

 その研究員の悲鳴にも似た言葉に、他の研究員達が呼応し始める。

 どうやら全員が自分達の作った薬で一人の人間を殺し、その事実を隠蔽したことが心を蝕んでいたらしい。くだらない。

 だけどお父さんだけは何も狼狽えることなく、私の方をじっと見ていた。

 

『……美優。私は新しい可能性を欲している』

『新しい可能性?』

『お前も私達の作った薬を調べていただろう。なら分かったはずだ……この薬は、今の科学文明には()()()場所に踏み込んでいると』

『うん、流石お父さんだよね。たとえ未完成だとしても、普通の人間にはこんな時代を先取りした物なんて作れないし』

 

 研究員達が狼狽えるのも無視して、父がこちらに歩み寄ってくる。

 

『蘇生薬を混ぜた所で大した効果があるとは思えない。それは薬の副作用である死を何とかしているに過ぎず、薬自体の改善をしている訳ではないからな。だが……この薬の完成に繋がる、何かの可能性を示すかもしれない』

『…………』

『試してみろ。そしてもし新しい可能性を示せた時は……お前を認めてやる』

『!!』

 

 お父さんが吐いた言葉に、心が動く。

 やっぱり私は間違ってなかった。お父さんが目指す『何か』を叶えれば、私の方を向いてくれるんだ。

 この蘇生薬が何かの可能性を示すかもしれない……いや、かもしれないじゃない。

 たとえこれが失敗したとしても。何度でも、何人でも、幾百の死体を積み上げることになっても新しい可能性を示してやる。

 

 きっと私は人生で一番の笑みを浮かべながら、治験者に薬を投与した。

 父達の薬が作用し、治験者が死ぬ。

 私の調合した蘇生薬が作用し、治験者が息を吹き返す。

 

『……ッ!! ぁ、ぁあ……!!』

 

 息を吹き返した治験者は一度大きく困惑したような表情を見せた。

 そして不自然に一瞬硬直した後、すうっと雰囲気が変わる。

 先ほど暴れていたのとは打って変わり、鋭い視線で部屋の中をじろじろと見渡している。

 

『……まさか、成功……?』

 

 先ほどまで狼狽えていた研究員の誰かが呟く。

 精神病院から渡されたデータで、治験者の中にいる数人の人格達の素性は把握している。だが事前に渡されたデータの中にこんな落ち着いた人格はいなかった。全員マトモに口もきけないような暴れん坊か、泣き虫しかいないはずだ。

 

 じゃあ……今目の前にいるのは、()なんだ?

 

『……私は、確かに処刑されたはずだが。それになぜこんな醜女(しこめ)の体になっている?』

『ふむ。まるで元は違う人物だったみたいな言いぶりだが』

 

 お父さんが顎に手を当てながら質問する。

 すると治験者の女は怒りの表情を浮かべ、耳まで真っ赤になった顔をぶるぶると震わせながら声を絞り出した。

 

『当たり前だ……! 私の名は『新不(あらふ)クロエ』!! 元々はこんな醜女とは比べ物にならん美貌を持った新不家の女だ!!』

『……新不。聞いたことがないな』

『何だと貴様……新不を耳にしたことがない? お前は森の中で暮らして来たのか? この国のほぼ全ての事業を支える超エリート一家だぞ』

『知らないな』

『ハッ。どうやら、上手にヒトの真似をするお猿さんだったらしい。森に自生するバナナまでは事業を伸ばしていないのでな、貴様が知らんのも無理はない』

 

 なんだコイツ。

 薬を投与した時に暴れないよう縛っておいたから、未だに縛られたままだと言うのに、信じられないくらいエラそうだ。

 お父さんを侮辱されて若干イラッと来たし、私も少し嫌味を言ってやろう。

 

『そんな名家のお嬢さんが、どうして処刑されたのかな? 余りに口が悪すぎて、暴言で訴えられたりでもした?』

『……この、クソメスがッ!! 私がそんな、自分の犯罪をもみ消し忘れるようなミスをするかッ!!』

 

 凄いキレた。

 というか犯罪行為はやってたんだ。私が言える事じゃないけど。

 

『あの男……あの黒い忍び装束を着た、ふざけた雰囲気のチャランポランのせいだ……! 奴が私が裏でやっていた犯罪を全て明かし、ついでに自分の犯罪を押し付け、クソコラまでばら撒きやがったんだ……殺す!!』

『わあ。それは面白そう。どんなコラだったの?』

『貴様も殺す!! クソメス!!』

 

 どうやら触れられたくない事らしい。

 じゃあ言わなけりゃいいのに。

 

『美優。少し黙っていろ』

『はい。お父さん』

 

 お父さんに怒られたので口を閉じる。

 クロエは面白いくらいにキーキーと声を出しながら暴れていた。……いや、あり得ないくらい力が強いな。四肢と胴体を拘束する分厚い革のベルトが千切れかかっている、普通の人間にできる技じゃない。

 

 お父さんがクロエに再び声を掛ける。

 

『この国に新不なんて名家は存在しない。断言する』

『ハッ。新不が手を伸ばしていないなんて、一体何処の後進国だ?』

『ここは日本だ』

『…………知らないな。そして嘘を言っている訳でもなさそうだ。人工衛星まで飛んでるこの時代に、私が聞いたことのない国名なんてある訳がない』

 

 奴は怒りながらも、この状況を理解するために頭を必死で回していたらしい。

 自分で名家の娘と言うだけはある。

 

 クロエは眉間にしわを寄せ、言葉を吐いた。

 

『なら、何処なんだここは。処刑されて行きついた、私の知らない世界……まるで()()()じゃないか』

『異世界……。違う世界からの来訪者……新たな可能性……』

 

 父はそう呟いた後、私の方をくるりと振り返る。

 そうして、ポンと私の頭に優しく手を置き、ぐしゃりと撫でた。

 

『よくやった、美優。可能性を示したな』

『…………っ』

 

 初めて感じた父の体温。

 この年になってやっと知った、家族の温もり。

 それは、私に新たな原動力を与えるには十分すぎる物だった。

 

 

 ……異世界の人格を宿らせる技術は、後に『()()()()()()()()』と名付けられた。

 異世界からの来訪者がもたらす物の利益は大きく、現代社会が抱えていた数々の問題をあっという間に解決した。

 国にもたらした利益も尋常ではなく、それらの恩恵を以て、一人目の死んだ治験者の事を更に深い闇に葬るのは容易い事だった。

 

 私達親子が浮遊人格統合技術について研究する専門の研究所も建ち、私達は一躍世界でもっとも有名な研究者に成り上がった。

 ……だが、私にとって世間の目なんてどうでもよかった。

 

 もう一度、お父さんに褒めてもらいたい。

 その為だけに研究を続けた。

 

 どうすればお父さんがもう一度褒めてくれるか。

 そんなのは分かっている。

 お父さんたちが作った、人格を剥離させるあの薬を完成させるんだ。蘇生薬を混ぜるなんて代替方法じゃない、本当の形に。

 

 だけど私達ではどう逆立ちしたってあの薬を完成させられない。根本的な何かが足りない。

 だから、アレを完成させられる技術を持った人格を異世界から呼び寄せる必要がある。

 

 今は十歳の子供に浮遊人格統合技術の注射が義務付けられている。

 でも注射を受けた子供に人格が宿るかは運次第だし、宿った人格が優秀かどうかすらも運次第だ。そんなの効率が悪すぎる。

 お父さんも優秀な人格を宿した人格持ちを国の認定人格持ちにして保護したりと、優秀な人格を呼び出すために色々やっているみたいだが……ハッキリ言って効果は薄い。

 

 何時からかネットで広まっていた、『浮遊人格統合技術はガチャと同じ』という言葉。

 ああ、正にその通りだろう。これはガチャと同じだ。

 自分の望む物を手に入れるなら、運任せよりも、資金に物を言わせて大量に回してしまう方が効率が良い。

 

 だから私は未来革命機関に入った。

 この機関なら大手を振って、大量の人間を使った人体実験が行える。

 妊娠した母体の中にいる胎児に改造を施し、人格を宿す確率を大幅向上・宿す人格の数の限界も向上させたデザインベイビーを作り出す。一人の子供に数人の人格が宿るという訳だ。

 

 デザインベイビー一号はピュアホワイト。これは私の最初にして最高の成功作と言える。

 その後も強さはピュアホワイトに遠く及ばないものの、複数の人格を宿したデザインベイビーを効率的に生み出した。もう多くの人格を宿せるデザインベイビーの作り方は完全に確立させた。

 

 だから、この方法を使って多くの人格を宿し続ければ、いつか目的の技術を持った人格に辿り着ける。

 このまま未来革命機関で母体の調達を続けてもいい。或いは国にこの結果を持って行って、妊娠した女性にデザインベイビーの処置を受けさせることを義務化させたっていい。

 

 とにかく、この方法で人格を大量に宿らせ続ければ、絶対に辿り着く。

 

 だから、あともう少し。

 本当にもう少しなのに。

 

 

 

 

「――――見つけたッ!! 榊浦美優ッ!!!」

 

 

 

 

「夜桜ぁ……ッ!!」

 

 

 どうしてあともう少しという所で、こんなに大きな邪魔が入るんだ。

 私はただ。

 

 

 お父さんの温もりをもう一度感じたいだけなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





作者には研究職の人が何してるかとか海外の大学とかのことがあまり分かりません。
なのでそこら辺は深くツッコまないで下さるとありがたいです。知識不足で申し訳ない。
そもそも原因不明の死を蘇生薬で何とかできるってバグだろ
榊浦美優の内心が狂気すぎて話の流れぐちゃぐちゃでもう滅茶苦茶だよこなくそ


……そういや初めて異世界から来た人格が出てきたわけですが
一体誰の関係者なんだ()


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