婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです (品☆美)
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第一部 婚約編 (●は挿絵イラスト在り)
第1章 断罪された公爵令嬢の新たな婚約●


 

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愛される事など求めていなかった。

公爵家の息女として生まれた時からこの身は私だけの物ではなかったのだから。

それでも、それでもいつか、きっと報われる日が来ると信じていた。

心を押し殺し、体を鍛え、次から次へと課せられる試練を全うする日々。

苦労の果てに誰からも求められ皆に慕われる王妃になれると思った。

いつからだろう。

彼が私を見る視線に暗い物が宿り始めたのは。

足掻けば足掻くほど状況は悪化していった。

覚えのない悪業をお仕着せられ、周りの者は次々と離れ、冷酷な女と批難される。

たとえ皆に嫌われようと止める事など出来はしない。

私はそのように創り上げられたのだから。

その結末が婚約破棄。

弁明すら許されず咎人として断罪される。

『真実の愛』とやらは今まで王家に尽くしてきた私の人生を無下にして赦されるほどなのか。

ならば、私が望む物は唯一つ。

 

誰 か 私 に 愛 を く だ さ い

 

【挿絵表示】

 

「新しい婚約者ですか?」

 

父上が私に投げかけた言葉の意味を理解できず思わず聞き返す。

我ながら間の抜けた発言だが致し方あるまい。

あの婚約破棄騒動から一年半が経過しているが、縁談などただの一度もされなかった。

アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ

私の名はホルファート王国のとある階層に於いて広く知れ渡っている。

無論、あまり好ましくない人物の名としてだが。

どうやら私は『王子の婚約者という立場を利用し思いのまま振舞った令嬢』『学園において聖女に対し苛烈な嫌がらせをした悪女』『真実の愛に目覚めたユリウス殿下とその仲間によって断罪された罪人』らしい。

ここまで酷いと怒りを通り越して乾いた笑いしか出てこない。

何の罪を犯していない私が謂れの無い誹謗中傷で苦しむ事になるとは。

どうやら私は神にとことん嫌われているらしい。

もし死後に天の国へ召されたなら神の顔を前歯が折れる程に殴ってやりたい。

神に対する呪詛を吐き続ける私の心中を気付かぬ父上はそのまま話を続ける。

 

「そうだ、お前も王国の現状について把握しているな」

「仮にも公爵家の令嬢ですから」

 

皮肉な返答に父上は顔を顰める。

ユリウス殿下との婚約を破棄されて以来、私の言動はすっかり変わり果ててしまった。

以前の私は非常に激しやすい性格だった。

感情的で自分が正しいと思った事は決して曲げようとせずミレーヌ王妃に幾度となく窘められた。

しかし婚約破棄後に行われた謂れの無い誹謗中傷、悪意に満ちた好奇の目、失墜した者を完膚なきまで叩き潰す貴族社会の暗部。

そうした物にずっと晒され怒り続けられるほど私は強くなかったらしい。

怒りや悲しみの発露には心身のエネルギーが大量に必要となる。

今の私は取るに足らない嫌がらせにいちいち怒るのが億劫なほどに心が疲弊していた。

私の変貌に胸を痛める父上、その隣に控えた兄上は表情を変えず話を進める。

 

「昨年勃発したファンオース公国との戦争はホルファート王国に多大な被害を齎した。王家の存在を揺るがしかねないほどに」

 

私の婚約破棄騒動から約半年後にファンオース公国は突如としてホルファート王国に宣戦布告。

ホルファート王家は国民を総動員してこれを迎え討つと宣言し戦争状態へ突入。

一進一退の攻防が数ヵ月間にわたって行われ、結果は両国共に痛み分けの状態で和平条約が結ばれた。

戦前とほぼ同じ広さの国境を維持するという多大な犠牲を払ったが得る物は何も無いという冴えない結末を迎えた。

そして発生した多大な犠牲は否応なしに王国の体制を変える必然性を生み出した。

まず上級貴族の腐敗があまりにひど過ぎた状況。

私とユリウス殿下の婚約破棄によって宮廷内のパワーバランスは大きく崩れた。

レッドグレイブ家の派閥に属していた貴族は冷遇され、代わりにフランプトン侯爵を筆頭とした反レッドグレイブ派の貴族が台頭する。

しかしファンオース公国との戦争が勃発後、よりにもよって派閥のトップであるフランプトン侯爵がファンオース公国との内通している事が発覚。

ミレーヌ王妃が率先して動いたので被害は最小限に留められたが、結果として王家に忠誠を誓っている筈の近臣ですら信用できない事実が露わとなった。

同時にレッドグレイブ派に内通者が居なかった事実も判明し、王家は「忠臣を疎み佞臣を引き立てた愚かな一族」という烙印を押される事となる。

これを機に王家はレッドグレイブ家との関係修復を謀るが私とユリウス殿下が婚約破棄して以降に生じた不和を解消するには至らなかった。

次に王国の未来を担うべき上級貴族出身者の決定的な能力不足。

今回の戦争に於いて多数の上級貴族が従軍したがその結果は惨憺たる物だった。

実戦を知らずプライドだけは人一倍肥大化した貴族は戦地で到底信じる事が出来ない傍若無人の振る舞いを行った。

無謀な敵陣突入などまだマシなレベルであり、地位を傘に上官の命令を拒否し我が物顔で兵を動かすなど日常茶飯事、最悪なのは従軍を拒否し他国へ亡命・職務を放棄し敵前逃亡・敵軍と内通など王国軍の足を引っ張る者が後を絶たなかった。

これを機に教育システムの根本的な見直しが急務となり、国内から優れた若者を集め育て上げる筈の学園はその存在意義を疑問視され無期休校となる。

最後は地方領主の台頭。

上級貴族の醜態と反比例するが如く今回の戦争で活躍したのは地方領主の子弟や平民出身の軍人だった。

家の相続権を持たない貴族の次男坊三男坊、生きる糧を求め軍に入隊した平民。

彼らにとって軍こそ住処であり戦友こそ護るべき家族、事態が悪化すれば家を頼りに逃げ出す上級貴族とは真剣さも覚悟も比較にならない。

国の中枢を担う者達から軽視されていた彼らの活躍によって王国はその命脈を辛うじて繋ぐ事が出来た。

そうした英雄達に対し王国は何をすれば良いか?

内通した貴族・敵前逃亡した貴族・命令違反をした貴族を取り潰し接収した領地や金銭を再分配する事だった。

その結果、王国では新たに勃興した家や戦功で家を再建した貴族が大量に溢れた。

 

「もともと地方領主は王国に対して帰属意識が低い。いや、帰属意識が低いからこそ辺境に追いやられたと言うべきか」

「そして地方領主の不満を抑え込む為に王国は飴と鞭を施してきた。これまでは上手くいっていたが今後はそうもいかない」

 

下級貴族限定の女性優遇政策は完全に裏目となってしまった。

平和なら冒険者・軍人として出世する者は少なく地方領主の叛意も権威で抑え込める。

だが平時の常識は緊急時の非常識となる。

暖衣飽食を貪っていた中央の腐敗貴族や下級貴族を虐げる女性こそ国を蝕む寄生虫という事実が浮き彫りにされる。

結果として他国の侵略に屈しない実力を兼ね備え王家に不満を持った地方領主が王国内で数を増やしつつある。

 

「国を護ったのは自分達という自信を付けた地方領主の矛先は次に何処へ向かうと思う?」

 

単純明快だ、王都でふんぞり返る王家と大貴族に他ならない。

その対象には我がレッドグレイブ家も含まれているだろう。

そう考えた瞬間、己の背に刃を突き立てられるような恐怖を感じ冷たい汗が流れる。

僅か一年で己が認知していた世界の常識が通用しなくなる、これが時代の変革期か。

 

「だが好機という物は誰にも平等に与えられる。我々レッドグレイブ家もな」

 

口元を緩めた兄上はそう言うと数枚の書類を私に手渡した。

 

「地方領主を軽んじてきた王家とは違う、むしろレッドグレイブ家は地方領主を重んじてるという姿勢を見せれば我らがホルファート王国の主流派に返り咲く事も不可能ではない」

 

なるほど、話が見えてきた。父上と兄上はレッドグレイブ家の復権を虎視眈々と画策している。

そして私が地方領主と婚約する事もその一環という訳か。

 

「良いのですか?露骨に地方領主と関係を持てば要らぬ反発を招きます。下手をすれば王座の簒奪を企てていると疑われかねません」

 

もっとも今の私は王家に対する忠誠心がほぼ底をついているのだが。

あの馬鹿王子共に吠え面をかかせられるなら辺境貴族に嫁ぐ程度なんでもない。

自棄になった女の怖さを存分に思い知れ。

 

「構わんさ、今の王家に我らを止める事など出来はしない」

「先に我々の信用を損ねたのは王家の方だ。ここでレッドグレイブ家を潰せばそれこそ王国が崩壊する」

 

どうやら父上と兄上も私の婚約破棄について相当な鬱憤が溜まっているらしい。

 

「婚約と言ってもあくまで顔見せを行う程度だ。縁が無いならすぐ戻って来てもいい」

「王都にいては要らぬ心労も多々ある。世情が落ち着きつつある今なら辺境で羽を伸ばす事も悪くはない」

 

そうして私を見つめる父上と兄上の目は優しく温かかった。

思った以上に家族に心配をかけていた事実、そして私を気遣ってくれた愛情に目頭が熱くなる。

 

「感謝します、それで私の婚約者殿の情報は?」

「その書類の中にある。王都の放蕩息子とは比べものにならん程の胆力と才能を持っている。お前と同い年ながら最前線で多大な功績を為した若者だ」

 

そして書類を捲ると写真付きの履歴書が混入していた。

こういう場合は見事な装飾を施し修正されまくったお見合い写真を手渡すのでは?

才能を評価されつつも公爵家からぞんざいに扱われる若者が少し憐れだった。

 

「リオン・フォウ・バルトファルト」

 

私は会った事もない婚約者の名前をそっと口にした。




原作乙女ゲームで断罪された後のアンジェリカはどんな心境だったのかを自分なりに考えて書いてみました。
原作ゲームにおけるホルファート王国とファンオース公国の争いを明確な戦争として描きました。
聖女や攻略対象の活躍によって何とか終戦しましたが国としては多大な損失を被った設定です。
もしリオンが転生者ではなく、ルクシオンが封印されたままだったらと考えてこうなりました。
今回は状況説明がメインなので少し長くなってしまいました。


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第2章 公爵令嬢は醜男貴族に屈しない

「帰れ」

 

開口一番に言われたのは強制帰宅。

あまりの物言いに思考が一瞬だけ停止する。

脳が活動を再開し放たれた言葉の意味を理解した瞬間に沸き上がったのは猛烈な怒り。

数日かけてバルトファルト領を訪れた令嬢に対する言葉がコレか?

なるほど、気の弱い令嬢なら泣いて退散するだろう。プライドの高い令嬢なら怒って踵を返すだろう。

だがそんな十把一絡げな連中と同一視されては困る。

私はアンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ。

栄えあるレッドグレイブ家の息女。

この程度の仕打ちなど嫌がらせの内に入らない。

閉まろうとする扉の隙間へ強引に足先を捻じ込む。

令嬢らしいヒール靴ではなく旅や冒険に耐えられるブーツを履いて正解だった。

さらに両手で扉の縁を無理やり掴み力を込める。

顔は貴族令嬢に相応しい和やかな笑みを浮かべ、体は扉を開かせる為に全身の筋肉を稼働させる。

驚いたバルトファルト卿は必死に扉のノブを握って閉めようとするが上手くいかない。

 

「王都からバルトファルト領まで来たのです。せめて御話だけでもして頂けませんか?」

「嫌だって言ってるだろ、というか危ないから手を放せ」

「貴方が扉を閉めるのを諦めてくれるなら喜んで」

「…ッチ!」

 

あ、舌打ちしたなコイツ。こうなったら意地でも其方が折れるまで手を離さないぞ。

私の気の強さを甘く見たのが敗因と思い知るがいい。

扉の前で数分間に渡る激しい攻防の末、先に白旗を上げたのはバルトファルト卿だった。

 

「…ハァ、…ハァ。というか誰だよお前?」

 

息を切らせながら漸く私の存在に疑問を抱いたらしい。

額の汗を拭い、呼吸を整え、服装の乱れを直す。

そして貞淑に、傲岸不遜に、美しくお辞儀(カーテシー)

 

「お初にお目にかかります。私、アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブと申します」

 

目を白黒するバルトファルト卿に恭しく宣戦布告。

 

「この度、バルトファルト卿の婚約者として王都より馳せ参じました」

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

リオン・フォウ・バルトファルト。

ホルファート王国男爵バルカス・フォウ・バルトファルトの次男として生を受ける。

幼少期より危険に対する勘の鋭さと利発さを発揮し秀でた才覚を見せる。

ホルファート王国軍の入隊可能年齢に達した誕生日に家を出た足でそのまま徴兵検査を受け合格。

半年の訓練期間の後に国境警備兵として正式配属。

以降は空賊討伐や国境付近の小競り合いにて活躍。

ファンオース公国との戦争に於いてはその才能を遺憾なく発揮。

所属部隊を実質的な指揮官としてまとめ上げ、終戦間際の戦闘に於いて公国軍の大部隊に包囲され自身も重傷を負いながらも敵本陣を強襲、公国軍の指揮官を見事討ち取り撤退させる。

戦後に功績を認められた事により未開拓の浮島を封じられバルトファルト子爵となる。

これが手渡された資料に記載される彼の経歴だった。

履歴書を読み終えて感嘆の溜息をつく。

なるほど、父上と兄上がその才能に目を付けるほどの実力者だ。

問題は何故それほどの猛者と評判が悪い私の縁談が持ち上がったか。

その答えは別の資料に記載されていた。

戦後のバルトファルト卿は戦傷を理由に退役、領地経営と療養目的で自領で隠棲し始める。

だが功績を上げた彼を他の貴族が放っておく訳もなく多数の縁談が舞い込んだ。

しかしその縁談の全てが決裂する事になる。

曰く『バルトファルト卿は二目と見れない醜い容姿であり心は更に醜く歪んでいる』

曰く『バルトファルト卿は貴族令嬢に対する作法すら知らない戦闘狂』

曰く『バルトファルト卿は領民の生き血を啜る怪物』

よくもまあ国を護った英雄に対しこれだけ暴言を吐けるものだ。

だが、よくよく考えれば私の評判も似たような物である。

怪物には悪女がお似合いと言う訳かと思い至り苦笑いがこみ上げる。

同時に父上達がこの縁談に失敗しても良いと発言した事に合点がゆく。

バルトファルト卿はこれまでの縁談全てが決裂している。

ならば私が失敗しても然したる問題は無い、むしろ周囲から同情されるだろう。

真の目的はバルトファルト卿の思惑を確かめる事。

これまで縁談は中央貴族や地方領主の区別なく行われている。

バルトファルト卿がいずれかの派閥に属した場合、その影響力は他の派閥にとって大きな脅威となる。

もし他国の令嬢と結婚されたら王国にとって最悪の事態だ。

他の地方領主も挙って他国との縁談を謀る者が続出し、間違いなくホルファート王国は内側から崩壊し地図から名前が消え去り歴史書に記されるだけの存在と成り果てる。

私に課された使命はレッドグレイブ家の眼となりリオン・フォウ・バルトファルトという人物を見定め、もし脅威となるのなら事が起こる前に知らせ対処する。

父上と兄上の目的に気が付くと心身に血が沸き立つような感覚が走った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

父上から縁談を持ちかけられた数日後、準備を整えた私はバルトファルト領に向かう。

レッドグレイブ家が所有する飛行船の使用も提案されたが却下する。

巨大な飛行船でバルトファルト領を訪れたら警戒心を煽りかねない。

何より多数の護衛や侍女に囲まれる息苦しい生活に辟易していた。

信用できる護衛のみを付けてもらいバルトファルト領近くの地方都市まで移動、その後はバルトファルト家に送迎してもらう手筈となった。

王都から地方都市までの移動に二日、地方都市からバルトファルト領への送迎に数時間。

港にはバルトファルト卿の両親であるバルカス・フォウ・バルトファルト男爵夫妻が直々に出迎えてくれた。

貴族よりも農夫という肩書が似合いそうな男爵と穏やかで人の良さそうな夫人が私に対して過剰に遜る姿に申し訳ない気持ちになる。

用意された馬車で未舗装の荒道を移動は揺れが激しく尻が痛かったが口に出さないのがマナーだ。

窓から見えるバルトファルト領は一面の草原で風にそよぐ花々が心を和ませてくれる。

屋敷に到着するまでバルトファルト卿の人生について詳しく教えて貰えたのは思わぬ僥倖だった。

そもそもバルトファルト卿は男爵の正妻の子ではない。

正妻は王都に住み贅沢な暮らしを送る典型的な放蕩貴族であり、妾だった現男爵夫人の子達を冷遇していた。

そしてバルトファルト卿は正妻に金銭目的の政略結婚を持ちかけられた為に逃走し軍に入隊したのが真実だった。

戦時中に正妻とその子供は逃亡を謀った為に貴族位を剥奪され追放処分、晴れて男爵は妾扱いされていた想い人を妻に迎えたらしい。

終戦後に次男が戦功で父より上の爵位を賜った事を家族全員が涙を流して喜んだが、帰って来た息子は別人のように変貌していた。

戦闘による負傷により顔の左半分に傷跡が残り、よく回る口から発せられた言葉は極端に減少、お人好しの性格は攻撃的になった。

バルトファルト家がその有様を嘆いていると多くの中央貴族や地方領主から縁談を持ち掛けられた。

『名家の令嬢と結婚すれば少しは回復するのでは?』という目論見は完全な失敗となる。

令嬢達はバルトファルト卿の容貌を厭い婚約を拒否し手酷く扱った。

動機は如何にせよ国を護る為にその身を削って戦い抜いた英雄に対しこの仕打ちは惨い。

バルトファルト卿は更に塞ぎ込む事となり今では領内の屋敷ではなく別宅で過ごすようになった。

領民との折衷を父や兄弟に任せ、別宅で領地経営を模索し方針を定めているのがバルトファルト領の現状だった。

この状況下で領地経営が破綻してないのはバルトファルト卿の頭脳が鋭敏な証明だろう。

男爵夫妻は息子をどう扱って良いか分からず初対面の私の前で涙を見せる。

『縁談が失敗しても決して恨みはしない、領地に来てくれただけでも感謝しきれない』とまで言われた。

公爵家の目論見とは別に彼個人への好奇心が湧いた私はバルトファルト卿が居る別宅へ赴く事を心に決めた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

まだ新築の匂いが残るバルトファルト家の屋敷から数十分ほど歩くと切り拓かれた土地が見えてくる。

その中央にあるのがバルトファルト卿が住む別宅だ。

日が傾きつつある時間に差し掛かった為に男爵夫妻は屋敷で一旦休む事を勧めてくれたが即断即決が私の方針である。

何より国を護った英雄の為人(ひととなり)に興味が尽きない。

だが別宅に近づくと目に付いたのは異様な光景が立ち塞がる。

道の傍らには『危険』『注意』『近づくな』『命の保障は致しません』等と書き殴られた立て札が置かれている。

そして切り拓かれた土地の境界は水堀が造られ、設置された木柵には鉄条網が巻かれ他者の侵入を拒絶している。

和やかな開拓地の中に突如として戦場へ迷い込んだかの如き光景は奇怪な芸術作品に似た悍ましさすら感じさせる。

 

「まるで戦時中だな…」

 

思わず己の口から出た言葉を反芻し理解する。

バルトファルト卿は未だ戦争を継続しているのかもしれない。

もし、その相手が自分の心身を破壊した世界その物ならホルファート王国を破壊する火種になりかねない。

恐怖で震える体を抑え一歩、また一歩と別宅に近づく。

時間を引き延ばされた感覚に戸惑いながらも扉の前に立つ。

周囲の静寂が却って恐ろしい、自分の鼓動がうるさい。

興味より恐怖が体を覆うが勇気を絞り出し一回、二回、三回とノックする。

数分ほど待つが反応は無い。

『もしかして留守か?』

そう思った瞬間に扉が微かに動く。

ドアの隙間からこちらを見つめる瞳を見た瞬間、思わず喉から出かかった悲鳴を必死に噛み殺す。

やがて人が通れるほど開かれた扉から一人の男性が姿を現す。

履歴書で見た写真と幾分変化があるが間違いない。

目の前に立つ男性こそリオン・フォウ・バルトファルト子爵。

互いに相手の姿を眺めること数秒、重くなった空気が漂い始める。

いったい何を言えば良いのか戸惑いつつも必死に頭を回転させていると

 

「帰れ」

 

と言われた。




第一印象が最悪の男女が恋に落ちるって萌えませんか?(声デカ
なので二人の初対面シーンから書きました。
このリオンは乙女ゲームの設定にある「悪役令嬢アンジェリカが結婚した醜い田舎貴族」という存在です。
なので鍛えられてるけどあくまで常人レベルの強さです。
外見はほぼそのままですが顔の左半分に大きな傷がありますが、グロいのもダメかなと思い、「顔に傷があるイケメンだけど何故か醜いと扱われるゲームキャラ」レベルの認識です。


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第3章 公爵令嬢と醜男貴族の契約

別宅の中は思った以上に狭かった。

下手をすれば王都にあるレッドグレイブ家の私の部屋よりも狭い。

キッチンとリビングと執務室が一体となったような部屋には机と椅子とソファーが置かれている。

私が椅子に腰かけている間、バルトファルト卿はキッチンで何かを始めた。

包丁を持ち出して追い払うような真似はしないだろうか。

失礼な事を考えてると周囲に何やら良い香りが立ち込める。

バルトファルト卿に視線を向けると彼の手にはこの場に不釣り合いなティーポットとティーカップが握られている。

ゆっくりとカップに紅茶を注ぐ姿は私が想像していた彼のイメージからほど遠かった。

紅茶を注ぎ終えるとカップを二つ持ちながら私に近づいて来る。

無言で手渡されたカップをよく見ると有名な工房で作られた品だった。

おずおずと注がれた飴色の液体を口にすると芳醇な香りが鼻を通り温かな液体が喉を潤す。

学園の生徒に価格の割に味が良いと評判だった銘柄の茶葉だった。

僅か二年ほど前の出来事だが遙か昔のように感じる。

バルトファルト卿は私が紅茶を飲み始めた事を確認すると自身も紅茶を飲み始める。

最後の一滴まで飲み干し視線を彼に向ける。

まず目に付くのは顔の左半分を隠すように伸びた髪とその隙間からでも確認できる傷であった。

母である男爵夫人から受け継いだと思われる整った顔立ちに左側頭部から頬にかけて広かる傷は痛ましさこそ感じられるが醜いと罵られるほどではないだろう。

ただ目は視線が合った者を竦ませる鋭さであり、気が弱い者が見つめられたら卒倒しかねない。

簡素な部屋着の胸元や袖から覗く肉体は鍛えられた兵士のそれだった。

バルトファルト卿は紅茶を飲み終えると私の前にゆっくりと手を差し出す。

何の仕草かと逡巡し、握っていたカップを手渡すとそのままキッチンへ向かった。

茶器を洗う彼を目の前に何と話しかけるかと戸惑っていると振り向いた彼がポツリと呟く。

 

「それで、何しに此処へ来たのお前?」

 

口から発せられる声は容姿にそぐわない年相応の若者の声。

ざっくばらんな口調は優秀な兵士というよりは反抗期の少年を連想させる。

 

「貴方と縁談が持ち上がったので訪ねてまいりました」

 

初対面の女性である私を『お前』呼びした事実に些か苛立ちつつも冷静に返答する。

 

「またか、父さんと母さんもいい加減に断れば良いのに」

 

洗い終えた茶器を棚に仕舞った彼は椅子に腰かけて挑発するような視線を私に向けた。

 

「レッドグレイブ家ってのは王都の大貴族様だろ?そんな由緒正しい家のお嬢様を俺みたいな成り上がり者と婚約させたいとかどんだけ俺を利用したいんだよ」

 

下卑た口調で発せられる露骨なまでの挑発は容赦なく私の心を苛む。

 

「バルトファルト卿、レッドグレイブ家は貴方を軽視している訳ではありません。国を護った英雄に対し敬意を払うからこそ…」

「違わねぇよ!!」

 

私の言葉は彼の怒声によってかき消された。

 

「前線で俺達が死に物狂いで戦ってる最中に王都で下らない椅子取りゲームに明け暮れやがって!!王都から一歩も出ない癖に威勢が良い言葉ばっか吐いて公国軍と内通して機密情報を売り渡す!?兵士が何人死んだか分かってねぇだろ!!俺達が必死で戦って敵を追い払った後に来たお偉方が仲間達の死体の上で綺麗事を口にする光景を見た事があるのか!?」

 

何も言い返す事が出来なかった。

彼が居たのはこの世の地獄。その光景を知らぬ者の言葉は怒りの炎に焚べる薪にしかならない。

 

「心の中じゃ成り上がり者と蔑んでる連中が俺を利用する為に娘を生贄として捧げる悍ましさが分かるか。おまけに親が親なら娘も娘だ。『結婚して()()()』?要らねえよ内面ブスの嫁なんか。お前らと結婚するなら銃で自分の頭を撃ち抜く方がマシだ」

 

そう呟きながら幾度も蹴りあげられた机から数冊の本が落ちる。

暴れた事で気が紛れたのだろうか、息を切らせたバルトファルト卿はソファーに座り天井を見上げる。

 

「もうウンザリしてるんだ。戦場も、傷の痛みも、縁談も、生きる事も」

 

その言葉は深い悲しみに満ちていた。

 

「…明日には王都に戻る手配を済ませておく。さっさと屋敷へ戻れ」

 

扉に向けられた指は震えていた。

何も出来ぬ自分にもどかしさを感じながら扉を開くと太陽が沈みかけていた。

 

「…帰れません」

「なに?」

 

私の言葉を聞いたバルトファルト卿はひどく間の抜けた声を出した。

 

「日が暮れてしまったので屋敷に戻れません。今日は此方に泊まっていきます」

「何を言ってんだお前」

 

心底呆れられ絶対零度の視線で睨まれる。

 

「年頃の御令嬢が初対面の男の家に泊まるとかありえないだろ?」

「見知らぬ土地を闇の中で不用意に歩き回る方が危険です。それともバルトファルト卿が屋敷まで送り届けてくれますか?」

 

露骨に嫌な顔をされるが気にしない。

 

「お前が帰らなきゃ俺の家族が心配して誰かを使いを寄越すさ」

「戻らなくても心配しないよう言っておきました。御両親からは『息子は女性を襲う度胸が無いから安心して良い』と言付かっています」

「お前は最悪な女だ!!」

 

先程までと違った口調になったバルトファルト卿の姿に込み上げる笑いを必死に抑える。

 

「マジ信じらんねぇ!今までいろんな女に出会ったけどお前が性悪暫定一位だわ!誇って良いぞその性格!俺の人生でここまでやり込められたの初めてだよ!」

 

随分と嫌われたらしいが気にしない事にする。

その後も数分間に渡ってさまざまな罵声を浴びせられたが子供の口喧嘩レベルの罵り言葉だった。

やがて諦めたように大きな溜め息をつくと別宅の隅に顔を向ける。

 

「書斎にベッドが置いてある。今日はそこで寝ろ」

 

そうして覗き込んだ書斎には本棚と簡素なベッドが部屋の大部分を占め床が見えないほど狭い。

 

「貴方は何処で眠るのですか?」

「ソファーで寝るさ。戦場じゃ土や木や岩の上で寝た事もある」

 

一つしかないベッドを奪った事実に申し訳なさを覚える。

 

「さっさと寝て明日は屋敷に戻れ、それで縁談は終わりだ」

 

そう言うとバルトファルト卿はソファーに横たわった。

書斎に入り何冊かの本が置かれているベッドの上に腰かけた。

『領地経営 序論』『浮島に於ける食用植物の育成について』『戦術学 入門』

別宅に引き籠ってこそいるがちゃんと領主としての務めを果たす気はあるらしい。

戦争で出世した者は貴族になった事で有頂天になり初歩的な詐欺に引っ掛かったり自身が嫌っていた放蕩貴族と同じ行動を取る輩も珍しくない。

領地に赴かず王都で命令を下し現状把握すら覚束ない者に比べたらバルトファルト卿は領主としての義務感を感じて学ぶ気概があるだけ有望だ。

もっともこうした理論を学ぶだけで上手くいくほど領地の経営は甘くない。

本の傷み具合や奥付から見ても最低でも十年以上前に発行された物ばかりなのが気にかかる。

書かれた当時には合法でも現在は法で禁止された行為や物品、新しく生まれた効率が良い手法は数多い。

 

『このままではバルトファルト領の経営は破綻する』

 

そんな事を考えながら目を閉じると徐々に眠気が襲ってきたので私は意識を手放した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

何か物音がしたのでゆっくりと体を起こす。

見慣れない室内に此処が何処かしばし混乱するも意識が覚醒していくとこれまでの事が脳裏に浮かぶ。

慣れないベッドで寝たせいか些か体の節々に痛みを感じるし疲労もあまり取れていないようだ。

ゆっくりと体を起こしながら窓に目をやると地平線が赤く染まっている。

まさか本当に一晩寝続けるとは思わなかった。

時間を経過を自覚した瞬間、急速に空腹感が襲ってくる。

バルトファルト卿が淹れた紅茶を飲んでから何も口にしていない。

かと言って食事を強請るのも気が引ける。

何か食べ物を携帯してくれば良かったと後悔した所で今更だ。

足音を立てないようにゆっくりリビングに向かう。ソファーの上には毛布が畳まれていた。

本当にバルトファルト卿はソファーの上で夜を過ごしたらしい。

相手に借りを作るのは交渉に於いて譲歩する切っ掛けになる。

己の無能さに呆れながらテーブルを見ると布がかけられた山が目に入る。

側に添えられたメモには『メシだ 食いたきゃ食え』というぶっきらぼうな文字が綴られている。

布を捲るとパン、サラダ、焼いた肉、スープといった品々が並んでいた。

それを見た途端に内臓が収縮し始めて生物的な音を発し顔が熱くなる。

この場にバルトファルト卿が居なくて本当に良かった。

椅子に座り食前の祈りを捧げ料理を口にする。

冷めてこそいるが調味料が程好い塩梅で手が止まらない。

気付いた時には全ての皿が空になっていた。

公爵家の令嬢に相応しくない振る舞いかもしれないが許して欲しい。

人心地が付いて窓から外を見ると微かに動く小さな影が目に付く。

この領地の主だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「おはようございます、バルトファルト卿」

 

近づいて首を垂れる。

バルトファルト卿は私を見る事もなく作業を続ける。

少しでも彼を見直した私が愚かだったか?

さらに歩を進め彼の真後ろに立つ。

 

「お! は! よ! う! ご! ざ! い! ま! す!」

「…おはよう」

 

不貞腐れような表情で私を睨み返すがそんな顔をされて引っ込むほど私は繊細ではない。

 

「まだ帰ってなかったのか?」

「お礼の言葉がまだでしたから」

 

そして優雅な仕草で再度首を垂れる。

 

「細やかなお心遣い感謝の念に堪えません。誠にありがとうございます」

「嫌味かよ」

 

呆れたような声だが気遣ってくれたのは事実だし感謝の気持ちも本物だった。

 

「バルトファルト卿は早朝から何を?」

「畑仕事さ」

 

そう言い放つと再び作業を再開する。

 

「御両親からお聞きしました。以前のバルトファルト家は当主自ら農作業をしなければ成り立たないほどだったと」

「仮にも貴族なんだから家の恥を晒すなよ…」

 

自分の両親の行いに呆れたらしい。

 

「もともと半農みたいな貧乏貴族がバルトファルト家さ。だから性根がどうしても貴族向きじゃない。俺が出世したから余計な気苦労や事務処理を押し付けて悪いと思ってる」

 

どうやら今度はきちんと会話をする気があるようだ。

 

「軍人になって金を貯めたら田舎に引っ込むつもりだった。手柄を立てたせいで欲しくもない爵位と領地を押し付けられて迷惑なんだ。俺はのんびり暮らしたいだけなのに」

 

作業を止めると地面に座り胡坐をかく。その目が私という人間を見定めるように細まる。

 

「やらなきゃいけない事は山ほどある、なのにどうすれば良いかは全然わからない。こんな状況でも俺の名声や財産を狙う奴らは後を絶たない。ついにはレッドグレイブ家の御令嬢が来るとは笑えないね。俺に何をさせたいんだよ?」

 

彼自身も環境の変化に戸惑っているのだろう。別宅の周囲に築かれた堀や柵は彼自身を護る為に作られたのかもしれない。

そして彼は私に問いかけている。『俺をどうしたいのだ?』と。

 

「バルトファルト卿がホルファート王国に叛意を抱いてないか。最大の関心はそこです」

 

下手に隠して不興を買うよりも誠意を以って真実を告げる方が良い。

そもそも私は腹芸が苦手な質だ。

 

「現在の王国は非常に苦しい状態です。国力の回復に長い期間をかけねばなりません。なのに中央貴族と地方領主の対立は深刻化しています。この状態で他国の干渉を受ければ滅亡は必定」

「………」

 

バルトファルト卿は小刻みに体を揺らす。黙っているがその鋭敏な頭脳を働かせているのは明瞭だ。

 

「この縁談の目的はレッドグレイブ家が地方領主と争う気がない事の証明、同時に実力がある貴族に恩を売りつけ派閥に引き入れるのが狙いです。」

「政治好きなお偉いさんが考えそうな事だな。結局は俺を盤上の駒としか見ていない」

 

皮肉な物言いだが事実は事実だ。

 

「派閥を強化する為には自分の娘を差し出すのも躊躇わないってか。自分の娘を道具か何かだと思っていやがる」

 

私を見つめる瞳が微かに揺らぐ。もしかして憐れんでいるのか?

ほぼ平民に近い育ちのバルトファルト卿には理解してもらえないだろうが貴族は本来そういう存在だ。

家柄を保つ為なら親兄弟でも平気で切り捨てる。残すべきは個ではなく全。

 

「今の所は王国に背く気は無いよ。攻めてくるなら容赦しないけど。だから帰れ」

 

そう言って彼は話を切り上げようとした。

 

「貴方の領地経営は失敗しますよ」

 

私の発言に彼は動きを止めた。

 

「…どういう意味だ?」

「そのままの意味です。書斎の蔵書は経営に関する物ばかり。御自身も先程『どうすれば良いかは全然わからない』と仰っていたではありませんか。聡明なバルトファルト卿なら既に自覚されているものかと」

 

無礼極まる発言だがこれ位の事を言わなければ私の話を聞かないだろう。

 

「バルトファルト領の開拓は小規模だから成り立っているに過ぎません。規模を拡大する為には圧倒的に人員も道具も足りてない。失礼ながらご家族は領地経営に必要な技能を習得しているように見えません。領民が増えねば開拓は進まず、事務や経理に長けた者がいなければ経営は成り立ちません」

 

これでも厳しい王妃教育を受けてきたのだ。統治経営分野ではバルトファルト卿より私の方に一日の長がある。

 

「その不足分をレッドグレイブ家なら担えると?」

「造作も無き事かと」

 

不機嫌そうに眉をピクピクと動かし顔を歪めるバルトファルト卿と対照的に私は笑みを浮かべる。

今の私は噂通りの狡猾な悪女に見えるだろう。

 

「俺に求める物は?」

「ホルファート王国に叛意を抱かない、有事の際には必ずレッドグレイブ家の味方となる。その二つだけです」

 

座り込んだまま逡巡し始めるバルトファルト卿。

これが人員の多い大貴族なら幾らでも相談できただろう。

だがバルトファルト領において彼以上の才覚を有した者は存在しないはずだ。

彼一人で領地の全てを決定しなければならない。

誰と手を組み如何にして領地を護るか?常に選択を迫られるのが貴族であり領主という存在だ。

 

「罠に嵌められた気分だ。軍人向きだよお前」

「お褒めに預かり恐悦至極」

「分かったよ。レッドグレイブ家と手を組む。ただ嫁は間に合ってると伝えてくれ」

「私は御眼鏡に適いませんか?」

 

やはり私は女性としての魅力に欠けているのだろうか?

 

「公爵家のお嬢様なんて俺には不釣り合いだよ。こんな美人なら尚更だ」

「あ、ありがとうございます」

 

家族以外に容姿を褒められたのは初めてだ。なんとも面映ゆい気持ちになる。

 

「リオンだ」

「え?」

「名前呼びで良い。敬称で呼ばれると尻が痒くなる。あと敬語も禁止」

「爵位持ちの御方にそのような口の利き方は無礼にあたるかと」

「俺が許すから良いんだよ。同年代の女の子に敬称で呼ばれると俺個人じゃなくて肩書きを見られてる感じで気が滅入る」

 

今までの縁談相手はそんな令嬢ばかりだったのだろう。些か憐れだった。

 

「分かった、これで良いか?」

「上等、ビジネスパートナーとしてよろしく頼むよアンジェリカさん」

 

そう言ってリオンは右手を差し出す。

軍務と農作業によって掌の皮が厚く節くれ立ち土に塗れた手を私は握る。

 

「こちらこそよろしく頼むリオン」

 

そうして私と彼の奇妙な契約関係が始まった。




やさぐれリオン爆誕。
恋愛ゲームにおける過去のトラウマ持ちキャラとして造形しました。
転生者じゃないので捻くれてない普通の若者がツラい体験で歪んでしまったイメージ。
二人称をキツくしてやさぐれ感を表現。
人がいない土地の一軒家で自給自足してる荒んだ貴族って女性向け作品に多いですね。
そうした人物のモブせかverとお考え下さい。
まだ作中時間で20歳そこそこなのに荒み過ぎかな少し反省中。
冒険者を尊ぶ国の令嬢が夜道程度に怖気づくかな?と思いましたが非武装・知らない土地・夜の闇なら無理に行動しないと自己補完。


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第4章 公爵令嬢の危機●

私がバルトファルト領に来てから二ヶ月が経過した。

王都での漫然とした生活とは打って変わり、この地を生かすも殺すもリオンと私の判断にかかってると思えば気合が入るのも当然と言える。

真っ白な紙と絵筆を渡された子供のような高揚感。

屋敷の一室を借り受け、まず最初のバルトファルト領の経済状況の把握に取り掛かった。

突如現れた中央貴族の小娘に出納帳の開示を要求されたら嫌がられるか?と思ったがすんなりと提出してもらえた。

二重帳簿や脱税といった後ろ暗い部分が何も無いのだろうが、バルトファルト家の方々はもう少し危機管理意識を持つべきだと顔が引き攣る。

数日間かけて書類を読み漁り実務を担当する男爵やリオンの兄弟と質疑応答を重ねて判明したのはあらゆる物が足りてないという事実。

人員が足りない、物資が足りない、金銭が足りないの無い無い尽くし。

これにはリオンも頭を抱えるだろう。

私を通じてレッドグレイブ家から融資を得る事は可能だが、無軌道な開拓計画を提出したら父上は即座に婚約を破棄させ私を王都へ連れ戻す。

地図と資料を精査し続けてると一つ面白い物が見つかった。

このバルトファルト領の浮島には珍しく湯が沸き出る源泉が存在する。

有効に活用できるなら現状の打開策の一つになりうる。そう考え早速リオンに相談した。

しかし私の提案を聞いたリオンは渋い顔をする。

リオンもこの地へ移住した直後から調査を行い源泉の存在を確認した。

利用できないか試行錯誤するも掘削技術の素人の集まりである領民では上手くいく筈もなく頓挫する。

辛うじて領民が使える小さな温泉が作られた程度で終わった。

この失敗がリオンの再開発に対する消極性の原因となっている。

何より人も物の足りてない現状では再開発など夢のまた夢と彼は語った。

その回答に対し私は思わず笑みを零す。

リオンは素人ながらも既に私と同じ思考に辿り着いていた。決して愚かな男ではない。

ただ彼は領地開拓の経験が足りてないから失敗してしまっただけ。失敗は敗北ではなく成功の為に必要な段階の一つに過ぎない。

『人も物も足りないから無理』、それは『必要な人員と物資を調達できれば可能』に他ならない。

そしてレッドグレイブ家は足りない物を揃えられるだけの人脈と資金を有している。

リオンにその事実を告げると彼は疑いの目で私を見つつも開発計画の再開を検討し始めた。

温泉施設の開発を優先するからといって領地の開拓に支障が出るのは避けたい。

そもそも温泉施設が出来ても恒常的に稼げる保障は何処にも無いのだから。真の狙いは人材・金銭・物資・情報の流れを生み出す事。

自給自足の生活はその場で完結している為に変化に乏しく発展性が足りない。水溜りが淀むように徐々に腐っていく。

しかし、別の土地と繋がる事が出来れば需要と供給によって利益を生み出す事が可能となる。

極論バルトファルト領の存在を国内に知らしめれば御の字なのだ。

だからと言って開発に手抜きは許されない、悪評は好評に勝る事を私とリオンは身をもって知っている。

レッドグレイブ家から派遣された地質調査員の報告から温泉の成分・温度・湯量が入浴に適し療養施設に用いても問題ないとの報告を受け早速開発計画の草案を練る。

計画書には領主であるリオンの同意が必要なので逐一説明を行ったがその過程で予想以上に彼が優秀な人物だと分かった。

そもそも軍隊の指揮官は腕っ節だけで務まらない。指令を正確に理解する為の読解力、糧秣の消耗を把握する為の計算力、士気を保つ為の話術などの総合的な能力の高さが求められる。

もし彼が裕福な家柄に生まれたなら学園でも優秀な生徒として名を馳せたに違いあるまい。

こうした有能な人材を発掘できない王国の制度が現在の窮状を創り上げてしまったと考えたらやり切れない。

幾度も修正を行い完成した計画書を父上に提出するとバルトファルト領へ開発費の融資と人材の派遣を確約する契約書が送られてきた。

 

「これでバルトファルト家(おれたち)はめでたくレッドグレイブ家(おたくら)の飼い犬って訳だ」

 

と確認事項を読み込んだリオンは皮肉気な表情を浮かべたが無担保・利息がほぼ0・無期限の返済期間という破格の条件はそれだけ父上がリオンに期待してる事実の証明だから我慢して欲しい。

レッドグレイブ家には必要な人材集めに並行して入植者の募集も依頼しておいた。

バルトファルト領の宣伝と領民の増加を狙ったものであり少しでも可能性がある事は全てやり尽くしてやる。

最後の一手としてホルファート王国に対しバルトファルト領の税に対する減免と温泉が療養施設なので開発の為に国の補助金の支給を申請した。

領地を封じたとしても即座に収入が得られない事は王国も理解している。

まして爵位と領地を封じられてから日が浅いバルトファルト家なら尚更だ。

無理に取り立てて叛乱の原因になる事は王国も避けたいだろう。

バルトファルト領の財務状況は十分に減免の条件を満たしていた。

追い打ちに温泉の開発が傷痍軍人の療養を目的としていると報告する事で国家プロジェクトとして補助が支給されるべきだと主張する。

戦争が終わったからといって何の保障もなく兵を解雇する事は許されない。

生きる術を失った兵が空賊に転じれば治安が悪化し王国の信用は失墜する。

ファンオース公国との戦争で傷ついた軍人は多く、彼らの生活保障の為に王国は財政難の状況だった。

だがこの状況こそバルトファルト領を発展させる為の絶好の機会になりえる。

『バルトファルト領の療養施設は傷痍軍人の慰安が目的であり、王家は決して兵を無下に扱っていない』と広く知らしめれば人気取りに腐心する王国は首を縦に振らざる得ない。

こうした申請は煩雑な手続きと複数回の審査を通らなけば却下されるのが通例だ。

だが王妃になる為の教育を受け続けた私には何をどうすれば良いのかを全て把握していた。

私を侮り放逐した事がホルファート王家にとって最大の失敗だと思い知らせてやる。

嬉々として申請書の作成を行う私を見たリオンに「怖い女だな…」と評された、解せぬ。

やる事は多いが一つ一つ課題を熟していくのは快感であり充実した日々だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

太陽が傾き日が沈むまであと数時間、別宅へ至る土が剥き出しな道を歩いていた。

近頃の私は午前中から昼過ぎにかけて屋敷でバルトファルト領内の開発推進における事務処理を行い、夕刻にリオンが住む別宅を訪ね経過報告するのがお決まりのスケジュールとなっている。

男爵とリオンの兄弟は事務処理が早く片付く事を涙を流して喜んだ。いや、きちんと事務員を雇いましょうよ。

リオンと計画の細かい調整を話し合うのと同時に王都より取り寄せた最新の書籍を用いてリオンの地方領主としての能力を高めた。

相談して洗い出した問題点を持ち帰り翌日に処理する作業を繰り返す日々。

話し合いの最中にリオンが淹れたお茶を飲むのは良い息抜きだった。

今日は書類を収納する鞄の他に男爵夫人が調理してくれた焼き菓子を入れた籠も持参している。

私も少々手伝ったが些か形が崩れたのは愛嬌なので追及しないで欲しい。

 

【挿絵表示】

 

扉の前に立ってノックを数回するとリオンが出迎えてくれる。

だが、今日は扉が開かれる事はなかった。

不審に思いノブを握ると鍵がかかっておらず音を立てて簡単に開いた。

恐る恐る別宅へ入るが奇妙なほどに静かだ。

『何かあったのか?』と思いリビングに足を踏み入れた瞬間、私の視界が逆転した。

強かに体を床に打ち付けた直後、私の体を猛烈な力で抑えつけられる。

体を動かそうにも首と鳩尾に硬い何かが当たり身動きが取れない。

これは単なる暴力ではない。体系化された技術だ。

痛みに悶えながら私は襲いかかった影を見据える。

 

「リ・・・ オ・・・・・・  ン・・・・・・!」

 

私を襲ったのはリオンだった。

『何故!?』

あまりの事態に混乱するがその間に体を抑える力が強まっていく。

私の鳩尾にリオンの左肘が置かれ体重によって標本のように床に縫い付けられる。

そしてリオンの右手は私の喉を絞めあげた。

ゴツゴツとした指が血管と気道を狭め意識が朦朧としていく。

『殺される・・・!!』

突如として襲いかかる死の予感に恐怖して手足をバタつかせる。

右手に触れた何かを必死で握ると力を込めてリオンの頭に叩きつけた。

焼き菓子を入れた籠だった。

頭を強かに打たれたリオンが私の体から離れる。

咳き込みながらも必死で幾度も空気を吸い込む。

散乱した焼き菓子がこの場にそぐわぬ甘い香気を放っていた。

漸く呼吸が整ってくるとリオンの存在を失念していた事に気付く。

慌てて周囲を見渡すと床に伏すリオンの姿が見えた。

駆け寄って口元に手を当て呼吸を確認する。ただ体が絶えず震え続けていた。

頭を強打した影響か?緊急事態なのにどうしたら良いか分からずパニックに陥る。

 

「おい!リオン!大丈夫か!?」

 

必死に呼び掛けると彼は呻きながらも体を動かした。

 

「くす・・・ り・・・・・・」

 

消え入りそうな声を発しながら戸棚を指差す。

急いで戸棚を開くと錠剤が入った薬瓶がいくつも置かれていた。

どれを持って行けばいいか分からないので全て抱えて持ち運ぶ。

虚ろな目でその内の一つ取ろうとしていたので蓋を開け手渡した。

錠剤を数粒取り出すと口に入れ噛み砕く。

ノロノロと這うように書斎の方へ動き出したリオンに私は肩を貸して歩き始める。

僅か数歩の距離がひどく遠かった。

リオンをベッドに寝かせてキッチンへ向かいタオルを濡らし彼の頭に置く。

次に湯を沸かしながら散らかった部屋を大雑把に片付ける。

ポットに沸いた湯と茶葉を同時に入れる。温度や量はこの際無視する。

そして出来た紅茶をコップに移すと砂糖を投入した。

甘味が人の心を落ち着かせるのは古来からよく知られた効用の一つ。リオンが早く落ち着くよう山盛りで。

書斎に戻ると少し落ち着いた様子のリオンが申し訳なさそうに私を見つめる。

コップを差し出すと怪訝な顔を浮かべつつ口をつける。

 

「・・・・・・甘過ぎるぞコレ。茶葉の香りが台無し」

 

文句を言えるだけの気力があるなら平気だろう。

 

「すまなかった、今日はもう帰った方がいいよ」

 

そう言うリオンの前に次々と薬瓶を置く。

向精神薬、睡眠薬、鎮静剤、痛み止め。

 

「何だこれは?」

 

どの薬剤も摂取量を誤れば人を死に追いやる事が可能な代物。医師の処方が推奨されている筈だ。

そんな物が戸棚に幾つも納められていた。

 

「アンジェリカさんには関係ないだろ」

「関係あるさ、ビジネスパートナーの状態を知るのも取引に重要な要素だ」

 

リオンの瞳が怒気を含んで私を睨みつける。

先程の出来事を思い出し震えそうになる体を抑えて睨み返す。

 

「放っておいてくれ。もう迷惑をかけるつもりはない」

「きちんと答えるまで帰らないぞ」

「いいから帰れよ!!」

 

大声を発するリオン。だがすぐ疲れ果てたように横になる。

 

「お願いだから帰ってくれ・・・」

 

その言葉の弱々しさは同じ人間とは思えない。

 

「嘘偽りなく真実を語るなら今日は大人しく引き上げる」

 

やがて観念したのか空になったコップを差し出した。

 

「今度はちゃんと淹れてくれ。気分が良い話じゃないし長くなる」

「わかった。」

 

そうして再び湯を沸かす為にキッチンへ赴いた。




アンジェリカ は リオン に おそわれた !!
→なぐる(生存ルート突入
 なにもしない(死亡END

突如ハード路線乙女ゲー選択肢がアンジェリカを襲う!
このアンジェさんは婚約破棄された事をけっこう根に持ってます。(仕方ないけど
公爵家の皆はフォローしてくれたけど本人の気の強さがリベンジ方向へ向いてます。
本編のリオンは発見した浮島を献上して貴族になりましたが、今作ではその浮島を王国が発見し褒美として与えられた設定となり因果が逆になってます。
本編だと開拓が軽めですぐ学園に入学したな~、と思ったので開拓のキツさや書類手続きの面倒くささを表現しました。
アンジェさん有能過ぎだけど妃教育受けてたハイスペック令嬢だから許して。

追記:依頼主様が(公)様に今章の挿絵イラストを描いていただきました。ありがとうございます。

(公)様https://skeb.jp/@hamu_koutarou/works/73


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第5章 貧乏貴族の次男坊に戦場は厳し過ぎました

「父さんの正妻は嫌な奴だった。領地に来ないで王都で暮らしてるくせに金だけは強請る典型的な放蕩貴族女さ。正妻が産んだのは浮気相手との子供でバルトファルトの血筋じゃなかった。両想いなのに母さんは身分が平民ってだけで妾扱い。奴の子供達に俺と兄弟姉妹は従者か奴隷みたいにコキ使われてきた」

 

きちんと淹れた紅茶と何とか無事だった焼き菓子を用意してベッドの横に腰掛ける。

相変わらずリオンは横になったままだが無理をさせる訳にはいかない。

 

「俺が結婚できる年齢が近づいたら正妻はどこぞの貴族に俺を売り飛ばす腹積もりなのが分かった。そんなのは絶対に嫌だからどうにかして身を立てる必要があったんだ」

 

その辺りの話は男爵夫妻から既に聞き及んでいる。

 

「貧乏貴族の子供の進路は大体三つに分かれてる。機転が利く奴は商人、野心に満ち溢れる奴は冒険者、腕っぷしが強い奴は兵士になる。俺は勘が鋭くてもコネが無い、御大層な野望を抱いてない、だから兵士になった。正当な理由もなく軍に所属している兵士を家に連れ戻そうしたら逆に咎められるしな」

 

大貴族の令嬢として育った私が知らない下級貴族の現実が其処にあった。

 

「金を貯めて退役できる年齢になったらさっさと辞めて田舎に引っ込み退職金を元手にのんびり暮らそうと思ってた。空賊相手に手柄を立てたのも少しでも多く金が欲しかっただけ。愛国心とか正義感なんて持ち合わせちゃいなかった」

 

リオンをバルトファルト卿と敬う者達には聞かせられない動機だった。

 

「状況が一変したのはファンオース公国との戦争が始まってから。金稼ぎに躍起になってたのが仇になった。若くても多くの実績を持ってた俺は最前線行き。後悔しても今更手遅れだった」

 

彼の優秀さが自身を追い詰める結果になるとは何とも皮肉な話だ。

 

「戦闘に突入して初めて人を殺した。俺の顔を見つめながら怨み言を吐いた敵兵を撃った後にその場でゲロを吐いた。無我夢中で戦って股が気持ち悪いと下を見たら気付かない間に小便漏らしてたよ。漸くその時になって気付いた。空賊を退治する事と敵国の兵士を殺す事は全く違う。俺は兵士に向いてなかった」

 

喧嘩した事はあっても人を殺めた事すらない私の想像を超えた戦場の生々しい現実。

 

「朝飯を一緒に食った戦友が夜になっても戻って来ない。次の日の朝に荷物が片付けられて別人がその場所を使い始める。訓練の合間に紅茶をご馳走してくれた没落貴族の上官、猥談しか話さなくて俺を娼館に誘った先輩、愛国心が暑苦しい熱血馬鹿の同期。知ってる奴がまるで最初から存在しなかったみたいに消え失せた」

 

顔見知りの死に際を看取れなかったのは神が与えた慈悲か、それとも人を殺めた罰なのか。

 

「俺の隣で敵兵に撃たれた奴の死亡報告書を書いた事もある。書類に必要な事を書いたらたった数百字程度。人が死んだのにその人生の全てが薄い紙きれ一枚。命ってのはこんなにも軽く儚い代物だと分かると必死に生きる事さえ馬鹿馬鹿しくなる」

 

その言葉は私の胸を深く抉った。上級貴族は算術に長けている者が多い。故に領民を単なる数字として捉え人として認識しない。

 

「俺が出世したのは単に部隊で他の古参が死にまくって繰り上がっただけ。十代半ばの現場指揮官なんて笑えないね。死にそうな目に会っても何故か俺はいつも軽傷で済んだ。生き汚いから死んで楽になる事も出来ない。ずっと地獄から抜け出せないのさ」

 

死を救済と考えるのは現実があまりに苦痛だからこそ楽になりたいという当たり前の心理である。

 

「最悪だったのは終戦間際の戦いだった。敵軍に囲まれて指示を仰ごうと慌てて本営を訪ねたら上級士官は全員いなかった。奴らは兵士を見捨てて自分達だけ逃げ出したんだ。呆然としながら悟ったよ。『あぁ、俺は今日死ぬんだな』って」

 

なんだそれは?

貴族が尊いのは領地や民を護る為の社会的義務(ノブレス・オブリージュ)を果すからだ。

そんな卑怯者が国の上層部にいたという事実に吐き気すらこみ上げる。

 

「今日が自分の命日と分かったら妙に頭が冴え出した。部隊の兵士を全員集めて『どうせ死ぬなら華々しく散ってやろうぜ!軍歌で讃えられる英雄みたいに!公国の奴らに俺達の強さを思い知らせよう!』と威勢の良い言葉を吐きまくった。完全に自暴自棄だった」

 

リオンを責める事は出来ない。彼は与えられた状況で自分が出来る役目を果たしただけだ。

 

「逃げ出した上官の情報をわざと公国軍に漏らした。追いかける公国軍が拠点を通り過ぎた直後に不意打ちをかました。命も鎧も銃弾も総てを吐き出す大盤振る舞い。部隊の全てを攻撃に回した」

 

おそらく部隊の全員が死兵と化したのだろう。勝ち戦に驕った公国の司令官はまんまと背後の隙を突かれ戦場の露と消えた。

 

「搭乗した鎧が撃沈されて顔の左側から血がドバドバ流れるのを感じながら必死で脱出した後の事はほとんど憶えてない。気が付いたら王国の野外病院に搬送されてた。俺の戦争はそこで終わり。いや、終わる筈だった」

 

話し終えたリオンがカップに口を付けたのにつられて紅茶を飲む。冷めた紅茶は私を温めてくれなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「終わる()だった?」

 

含む所がある物良いに眉を顰める。彼にとって未だに戦争は終わっていないのか。

 

「傷が癒え始めた頃に褒章授与が行われたよ。無位無官の小僧から子爵様に大出世さ。軍に残ってくれないかと乞われたけど負傷を理由に退役した。もう誰かを殺すのも誰かに殺されそうになるのも嫌だった」

 

リオンは兵士の才能はあったのかもしれないがその性格が余りに兵士にそぐわない。無理もなかった。

 

「領地を貰って漸く夢見た悠々自適の生活かと思ってた矢先におかしな事に気付いたんだ」

「何が起きた?」

「夜眠れない、静かな場所なのに騒音が聞こえる、陽の光が怖い、背後から視線を感じる」

 

この世界には多くのモンスターが存在する。

肉体を持たず霊体のみで活動する種も確認されているが人間の居住地に現れる事例は極めて稀だ。

 

「決定的だったのは家族と一緒に飯を食ってた時に突然戦場に戻った。訳が分からなくてとにかく身を護ろうとした。気を失って目が覚めたら紐で椅子に括り付けられてたよ。父さんと兄貴は体の至る所に痣が出来て、弟と女連中が泣いてた」

 

その異常さに絶句する。リオンに一体なにが起きた?

 

「皆の話じゃ俺がいきなり暴れ出したらしい。父さんと兄貴は俺を抑えてる間に家族を逃がした。テーブルや椅子が倒れてて割れた食器が床一面に散乱してた。嘘だと思いたかったけど自分の手足に付着した血や絨毯の上に残った跡から俺が暴れたのが真実だと認めるしかない状況だった」

 

付き合いは短いがリオンは衝動的に暴れるような性格ではない。

 

「その日から寝ると悪夢を見るようになった。俺が撃った敵、俺と一緒に戦ってた戦友、俺の立案した作戦を信じ戦い抜いた新兵。全員戦争で死んだ奴だった」

 

背中に冷たい物が走る、まさか幽霊だというのか。

 

「医者に診てもらったら戦争の後遺症で俺の精神は滅茶苦茶になってる事が分かった。暴れる事も症状の一つさ」

 

人間の精神は想像以上に脆い。

許容量を超えた怒り・悲しみ・恐怖・苦痛を感じた場合、精神が崩壊する事を避ける為に退行・忘却・人格の分裂などが起こってしまう。

そして異常事態が長引くと精神は逆に環境に対し過剰に適応してしまうのだ。

つまりリオンの精神は過酷な戦場を生き延びる為に異常な環境に適応した。

そして、今の穏やかな環境こそ戦場に適応したリオンの精神にとって異常事態となる。

 

「俺が暴れる度に家族みんなが傷ついていった。みんな優しいから何でもないように振舞うのを見るのがつらいんだ。最もヤバいと自覚したのは草原を開拓してる領民が戦場で俺を殺そうとする敵兵に見えた時。俺の頭はもう敵味方の判別すら覚束ない」

 

そう自嘲するリオンの目は虚空を見上げていた。

 

「俺が居ない方がみんな幸せなれると分かった時、俺に出来たのは誰も近づかない場所に閉じ籠る事だと思ってこの家を建てた。此処には俺一人しか居ない。誰も傷つけずに済む」

 

この別宅は城砦ではなく己を閉じ込める牢獄。

もうこれ以上聞いていられない。

私は自分の顔を手で覆うしか出来なかった。




リオンの過去回想編です
もし何のチートも持たないモブとしてリオンが従軍したら?というイメージで設定しました。
モブせかは華やかな乙女ゲー世界に見えて全体的に厳しい世界なのでけっこうキツい戦場描写にしました。
これでも「あ、これイジメ過ぎだな」と思いかなりカットしました。
現実でも帰還兵の方々がPTSDに苦しむケースが多いのでそうした記録を参考。
これで銃を持ったリオンが立て籠もり警察とバトルしたら完全にランボー(初代。
リオンもハイスペック軍人過ぎじゃね?と思いましたが本編でも攻略対象が敵国と戦って描写があるのでセーフ。
モブリオンは優秀だけどステータスは攻略対象に劣り特殊能力を持たないレベルのユニット性能の印象。
ナイツ&マジックが参戦したからモブせかもスパロボ参戦しないかな?


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第6章 公爵令嬢は己の過去に向き合いました●

「私を…」

 

沈黙に耐えきれず言葉を口にする。

 

「私を襲ったのは、敵兵に見えたからなのか?」

 

リオンは何も言わない、沈黙があまりに雄弁だった。

 

「最初に会った時に『帰れ』と言ったのは私を傷つけないようにする為か?」

「後で傷つくより最初に嫌われた方がお互いのダメージは少なくて済むしな」

 

そう答えられて唇を噛みしめる。

 

「私がバルトファルト領に来た事で今までリオンを苦しめていたのか?」

 

彼は首を左右に振って否定する。

 

「最近は発作が少なくなったんだ。むしろ領地の開拓に悩む必要が減って油断した。薬を飲むのを怠った俺の判断ミスさ」

 

その声はあまりに優しかった、まるで私を労わるように。

いや、リオンは心配するなと私に言っているんだ。

 

「俺の望みはバルトファルト領の開拓を軌道に乗せる事。領主は兄貴かコリンが継いでくれたら良い。レッドグレイブ家が協力してくれるなら大丈夫だろ」

「それはお前が本当に望んでいるものか?」

 

薬の効き目か徐々に落ち着いてきたリオンとは反対に私の語気は荒くなる。

 

「まるで己の死が前提じゃないか。そんなのはおかしいだろう」

 

今までの発言からリオンは生きる気力を失いかけてるのが分かる。

 

「死を誉れとする前に精一杯に足掻け。戦場で生き足掻いたから今こうして生きているのだろう」

 

なんと尊大で嫌な物言いだ、自分で自分が嫌になる。

 

「まだ死ぬつもりはないさ。少なくとも開拓事業が成功するまではね」

 

穏やかな口調が逆に決意の強さを表していた。

 

「…お前自身がやりたい事は?」

「え?」

 

私の出した思わぬ問いにリオンは間の抜けた声を上げた。

 

「食べたい料理、行きたい場所、読みたい本、誰かの為じゃなくてお前の為だけの欲望」

 

欲望は生きる気力と密接な関係にある。好き放題してる老人に限って長生きなのは典型例だ。

暫し悩んだリオンはふと何かを思い出したように顔を綻ばせる。

 

「ガキの頃から叶えたい夢があるんだ」

「何だ?言ってみろ」

 

顔を赤く染め照れるリオンは年相応の青年だった。

 

「地味だけど心優しくて胸の大きな女の子と恋をして夫婦になりたい」

「……………ふざけているのか?」

 

室内の気温が少し下がって弛緩したぞ。

何だろう、真剣にリオンを心配した私がひどく愚かな女に思えてきた。

 

「本気だよ。父さんと母さんは恋愛結婚だからあんな夫婦になりたいと昔から思ってたんだ。ガキの頃は貧乏だったからほんの少しだけ贅沢が出来るぐらいの生活を送りたいのさ」

 

逆を言えばそんなささやかな暮らしこそリオンが本当に求めている夢なのだろう。備えた能力と望む理想がアンバランス過ぎる。

長々と話疲れたのかリオンはベッドの上で仰向けになる。だいぶ落ち着いたようで安心した。

目を閉じるリオンに近づいて伸ばした髪に隠れた左頬の傷痕をそっと撫でる。

 

「なぁ、もし私がリオンの妻になったら嬉しいか?」

「俺にアンジェリカさんは勿体なさ過ぎるよ」

 

その言葉にチクリと胸が痛む。今日は彼が眠るまで側に居よう。

やがて規則正しい呼吸音が鳴り始めリオンは眠りに落ちた。

 

「おやすみリオン、良い夢を」

 

【挿絵表示】

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

リオンが眠った事を確めて明かりを消し部屋を出る。

リビングを軽く掃除し火元の確認、荷物を置いたままバルトファルト家の屋敷に帰る準備を整えた。

しかし、屋敷まで数十分の道のりがまるで永遠に続くように感じられた。

別宅から離れるほどに手足が重く言う事を聞かない。何かに躓いて転ぶが起き上がる事すら覚束ない。

ゆっくりと体を回転させて空を見ると既に夜も更けて星の瞬きが美しかった。

この二ヶ月間、私は何をしていたのだろう?

バルトファルト領の開拓計画に邁進していた。

だがそれは単なる自己満足に過ぎなかったのでは?

リオンと出会った時からの自分の行動を振り返る。

家柄と能力を鼻に掛けた嫌味な娘。

優しさも思いやりも足りず不満を溜め込み自分こそ正しいと信じて疑わない傲慢女。

バルトファルト家の皆よりもリオンに長く接してきた筈なのに彼の苦しみを欠片ほども感じ取れなかった。

これまでリオンとの縁談を嫌がった令嬢達を愚かと思ってきた。だが私の方がもっと愚かだった。

穴があったら入りたい、この世界から消え去りたい、死ぬに相応しいのはリオンではなく私。

 

 

そう考えた瞬間、二年前のあの日の記憶が呼び覚まされる。

ユリウス殿下に婚約破棄を告げられた。あの時、私は聖女を睨みつける事しか出来なかった。

王太子妃の座を奪われた事を怒り、何故ユリウス殿下が私を嫌ったのか考えもしなかった。

ミレーヌ王妃は私の直情的な部分を改めるように幾度も忠告してくれたのに。

私は自分の思い描く世界こそが絶対だと信じきっていた。

そして少しでもそこから外れた存在を許す事が出来なかった。

私が考えるユリウス殿下と本当のユリウス殿下は違っていたはず。

他の女に心を動かされたユリウス殿下に過失はあるが、彼との関係修復を怠った私にも責任はあった。

あの日から止まっていた私の時計が音を立てて動き出す。

漸く自分の至らなさを知った。溢れる涙が止まらない。私の行動で傷つけた人達を一人一人訪ねて謝りたかった。

 

「 ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい 」

 

何について、誰に対して謝ってるかさえ自分でも分からない。ただ謝罪の言葉を吐き出し続ける事しか出来なかった。

一頻り泣き続けると体の中に溜まっている淀んだ感情が全て流れ出したかの如き奇妙な爽快感が体に宿った。

相変わらず空で瞬き続ける星に手を伸ばせばそのまま空を翔んで掴み取れそうな気分。

ゆっくりと体を起こして手足に力を込めた。大丈夫、立ち上がれる。

バルトファルト領の開拓は私とリオンの二人にかかっている。

今の彼が立ち上がれないなら私が支える。あのお人好しがもう一度生きてみようと思える為に。この領地で生きる全ての人々の為に。

私はアンジェリカ・ラファ・レッドグレイブなのだから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「何なの、これ?」

 

怪訝な顔をしたリオンが私を見る。別宅から出て来ないリオンにとっては知らない顔ばかりで戸惑うだろう。

 

「レッドグレイブ家が集めてくれた職人たちだ。これから掘削技士と協力して温泉施設の建築に行ってもらう」

「それは知ってる、質問はどうして俺の家を取り囲んでいるか?って事」

 

不機嫌そうに体を揺するリオンを正面から見据える。

 

「開拓が進むと別宅は必要書類や資料の山で手狭になってしまう。温泉の調査や掘削が終わるまで他の職人が手持ち無沙汰なのは勿体ない。ならばこの機会に増築しようと思う。材料は予算内で手配済みだから安心して良い」

「其処じゃねえよ。家主に相談無く決めるなよ」

「私も同居するから別宅に関しては一定の権限があると思うのだが」

「ハァッ!?聞いてねえよそんな話!」

「言ってないからな」

 

忙しなく表情を変えるリオン。少しは気分が楽になったのか調子が良さそうで何より。

 

「開拓を終えるまでレッドグレイブ家が協力するんだ。バルトファルト家の様子を把握するには近くに居た方が都合が良い」

「俺に拒否権は?」

「無い」

「即答!?」

 

懐から契約書の複写を取り出しヒラヒラと振るう。

 

「あんな目にあったら近づきたくないのが普通だろ」

「きちんとお薬も飲めない坊ちゃまに一人暮らしは無理だ。悔しかったら早く心と体を治せ」

「うわ、凄いムカつく。王都のお嬢様ってこんなんばっか?」

「まぁ私の性格が並外れてるのは否定出来ない」

 

そう答えるとリオンに近づいて彼の左頬を撫でる。

 

「一人で抱え込むな。お互いの足りない部分を補うのがビジネスパートナーという関係だろ?」

 

リオンの左頬に触れる私の右手に彼の左手が重なる。

 

「分かった、俺の負けでいい。アンジェリカさんには勝てないよ」

「アンジェだ」

「?」

「アンジェリカさんでは他人行儀だ。対等な同居人として扱って欲しい」

 

その要求を聞いたリオンは肩を竦める。

 

「分かったよアンジェ。頼りにしてる」

 

愛称で呼ばれただけなのに、私の心臓はひどく高鳴った。




アンジェさん覚醒パート。
そして夫婦漫才開始。
本編のリビアさんは優しい娘なのでマリエルートで判明した聖女関連を抜きにして「ストーリーの関係でお互いに理解し合えなかった世界」として描写しました。
リオンの女性の好みは本編で語ってた彼の人生プランを参照。
ルクシオンが居ないのでリオンが若干ツッコミ体質。
悪役令嬢モノで報いを受けた敵ヒロインは反省してないパターンが多いので、ここは「アンジェ・ユリウス・オリヴィア各々に過失があった」「アンジェは賢くて自省できる性格」と思い成長の為に敢えて落としました。

追記:依頼主様のリクエストによってしらたま様にファンアート化していただきました。ありがとうございます。
しらたま様https://www.pixiv.net/artworks/110761667


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第7章 公爵令嬢と醜男貴族は前に進む●

愛とは打算なき物 見返りを求めない物

もしそうなら 打算から始まった関係に愛は生じるのだろうか?

誰かを愛した事のない私は 誰かに愛される喜びを知らない

私は貴方を愛しているから 貴方も私を愛して欲しい

そう願うのは 狡猾な打算か それとも 無償の愛か

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

共同生活を始めた頃の私は失敗ばかりだった。何とかリオンに立ち直ってもらおうと空回りしてばかり。

失敗した姿を揶揄われる。笑われた事に私が怒るとリオンは口元を抑えて謝罪するのがお決まりの日常。

意気込んで取りかかった事よりも失敗の方が彼を喜ばせるとは皮肉な物だ。

療養施設という名目なので王都から優れた医師も派遣してもらう。

国の監査に合格し施設の評判を上げるのが目的だが、真の狙いはリオンの治療である。

最初は外出を嫌がるリオンだったが『やはりお子ちゃまか』と言ったらふて腐れ大人しく従ってくれた。

適切な治療を受ければ症状の大幅な改善が見込まれる。

彼はまだ若いのだ。人生に絶望するには早過ぎる。

次いで作業の確認目的で現場を共に視察し、実地試験と称して温泉に入れる。

驚いた事にリオンは自分の領地にある温泉を利用した事が無かった。

湯治をする土地を所有している領主が湯治の経験が無いとは笑い話にもならない。

同居するようになってからは食生活や就寝時間にも気を使う。

まぁ、料理を作ろうとして鍋を数回焦がして以来リオンが作る料理の献立を私が考える方針になったのだが。

リオンが夢にうなされ眠れない時は話し相手になる。あの日以来、リオンは一度も暴れなかった。

徐々に血色が良くなるリオンが感情が豊かになる事がとても嬉しい。

リオンの外出が増え存在が徐々に周知されていく。地道な行動だが領民の支持を得る為に必要な事だ。

前にも増して忙しい日々だったが不思議と苦痛に感じなかった。

バルトファルト領の季節が変わり始める頃、療養施設の落成式まで残り一ヶ月となっていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「さっさと隠居したい」

「まず領主としての義務を果たしてからそう言え」

 

別宅ではなくバルトファルト家の屋敷内の一室でリオンと私はそんな会話をしていた。

落成式の調整を行うには別宅は不便だったのでこの頃は屋敷に赴いて執務を行う時間が増えた。

リオンも主催者として参加するので朝食後は屋敷へ向かい仕事を終えたら帰宅する。

快癒しつつあるリオンの姿に安堵したバルトファルト家の皆は口々に感謝の言葉を述べてくれた。

私は環境を整えただけだ。本当のリオンは優しくて強い。文句が多いのが欠点だが。

今日の要件は落成式で着用する衣装の打ち合わせ。

王都から来たレッドグレイブ家御用達の服飾職人にリオンの礼服を仕立てる準備を行う。

半日も職人に体の隅々まで触られて採寸後に鏡の前で着せ替え人形のようにされるのを心底嫌がっていた。

大まかな打ち合わせ後に服の値段を見たリオンは驚いた表情を浮かべた。

 

「貴族様ってのは服にあんな大金をかけるのか。一着で昔のバルトファルト家が数ヵ月食うに困らない値段だぞ」

「必要な物だからな。着飾るのも貴族にとっては重要な仕事の一つだ」

 

いまいち納得がいかないリオンに私は解説を行う。これも彼を領主として育てる為だ。

 

「なぁリオン。領主にとって一番必要な物は何だと思う?」

「領地の奴らを飢えさせない事だろ?」

「それはあくまで最終的な目標に過ぎない。私が聞いているのは『領民を飢えさせない為に領主に求められる資質は何か?』という事だ」

「まぁ、腕っぷしじゃないのは理解してるよ」

「答えは『金儲けの才能』。少なくとも平和な時代に於いてはこれが一番重要と言って良い」

「どういう事だ?」

 

リオンは首を傾げる。貧しく当主自ら食物を収穫したバルトファルト家で育ち、生きる為に軍隊に入隊した遍歴の彼は農耕や軍事に詳しいが経済についてまだまだ未熟と言っていい。

 

「領地の生産物で資金を稼ぎ、それを領民に還元し、飢えさせず適度に自由を与える。極論これが出来るのなら好色だろうが粗暴だろうが領民にとっては良い領主だ。如何に善人でも領民を飢えさせ権利を認めないならそれは領主として落第と言っていい」

 

そうしてリオンの前に指を立てる。

 

「そして金を稼ぐ為に重要なのは『信用』。相手に信用されなければ商談は成立しない」

「それが服に金をかける理由になるのか?」

「人は他人を見た目で判断しがちだ。汚い格好をした者に持ち掛けられた儲け話を信じるか?」

「まず信じないな」

「そういう事だ。特に目の肥えた貴族は相手の服装から経済状況をほぼ正確に推察できる」

「怖い話だね。ますます引退したくなったよ」

「茶化すな。今の我々は『これがお薦め』と売り込みをする立場なんだ。商談のテーブルに付いてもらう為に付け焼き刃でも身形を整える必要がある」

 

そうして話し終えた後、テーブルの上に化粧入れを置く。

 

「どうしてもやらなきゃダメ?」

「少しでも招待客の信用を勝ち取る為だ、我慢して欲しい」

 

リオンの顔の傷はどうしても見る者に威圧感を感じさせてしまう。だが化粧を施せば完全に隠す事は不可能でも印象をかなり和らげる事が出来る。

王都から取り寄せた数々の化粧品を試し、納得がいく方法を模索する。

渋々と椅子に座ったリオンの顎に当て上向かせ、ファンデーションを沁み込ませたスポンジを近づける。

 

「お手柔らかに」

「綺麗に仕上げるから安心しろ」

 

そう言ってスポンジを当てようとした瞬間、ふと私の心にさざ波が立った。

何故、傷を隠す必要があるのだろう?

リオンの傷は彼が必死に生き足掻いてきた事の証明だ。

もし、醜いと言うのならそれは彼の人生の否定に他ならない。

例え他の誰もが彼を蔑んでも、私だけは彼が美しいと叫び続ける。

そう思った時、私の頭に天啓が閃いた。

 

「アンジェ?」

 

訝し気に私を見つめるリオンを置いて走り出し部屋のすぐ外に控えたバルトファルト家の従者に呼びかける。

 

「今すぐ職人を呼び戻してくれ!まだ港にいる筈だ!注文を追加する!嫌がったら特別料金を支払うと言え!」

 

従者が慌てて職人を呼び戻しに出かけたのを尻目に注文した礼服のデザインを思い出す。

しまった、こんな簡単な事に気付かないとは。リオンを未熟と笑っていられない。

 

「何があったっていうんだよ?」

「すまない、私のミスだ。礼服のデザインを最初から練り直すぞ」

 

そうして服飾職人が参考に置いて行ったカタログや生地サンプルをテーブルに並べる。

 

「私が構想したのは最高級の素材を用いてリオンと私が並んだ時に調和するデザインだ。バルトファルト家とレッドグレイブ家の協力関係を演出してる」

「それは事実だろ。実際に金まで借りてるんだし」

「これが王都で行われレッドグレイブ家の主催ならそれで良い。バルトファルト家が主催し辺境で行われる式典だから問題なんだ」

 

いまいちピンと来ないリオンに対し分かりやすく説明する。

 

「このままではリオンが目立たずレッドグレイブ家が手を回してる事が露骨に分かる。近隣の領地から来た招待客にはバルトファルト家が中央に隷属しているようにしか見えない。逆に反感を買ってしまう恐れが出てくる」

「だから礼服を変えるのか?」

「その通り。『威圧感がある』という事は『貫禄がある』と言い換えていい。だから私のドレスは彩りが豊かで流行りを取り入れた物に変えリオンの礼服を質実にする。こうすれば派手な私を重厚なリオンが支えてるように見える」

 

説明が終わり首を捻るリオン。理屈では分かっても納得は出来ないのだろう。

 

「あんまり目立ちたくないんだけどな」

 

この期に及んでまだ消極的な物言いをするリオンの両肩に手を当てる。

 

「いいかリオン?自信を持て。己を卑下するな。自分こそ主役と言い張れ。『俺は英雄だ』と世界を騙せ」

 

その瞳を射抜くように私は凝視する。

 

「何より私は、リオン・フォウ・バルトファルトという男が尊敬に値する男だと心の底から信じている」

 

だからお前も、もっと自分を誇れ。

 

「……分かったよ、そこまでアンジェに言われたらやるしかない」

「あぁ、皆の度肝を抜いてやろう」

そうして私達は一から式典を見直す事になった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「さっさと家に帰りたい」

「あと数時間の辛抱だ、耐えてくれ」

 

落成式当日になってもこの言い草である、いい加減に諦めろ。

その後、落成式の修正を行い漸く今日を迎えられた。

スピーチの練習や招待客の顔覚えなどを嫌がるリオンを毎回説得するのは本当に骨が折れた。

ただリオンは文句や愚痴をこぼしても逃げ出す事は決して無かった。

戦争でも最後まで戦い抜いた事から根は真面目な男だと分かる。

 

「その礼服もよく似合ってるぞ」

 

あれから仕立て直した礼服はリオンに似合っていた。これなら成り上がりとやっかむ者も少ないだろう。

 

「ありがとう」

「それでどう思う?」

 

そう言ってリオンの前でくるりと一回転。

 

「どうって?」

 

何を問われるか分かってないようだ。大げさに溜め息をついて腕を組み睨みつける。

 

「こういう時はお世辞でも『綺麗です』と女性を褒め讃えるのがマナーだ」

 

本当にリオンは女心を察せない。

 

「アンジェはいつも綺麗だろ」

 

………前言を撤回する。本当はコイツ、凄い女誑しなのではなかろうか。

 

「…薬は飲んだな」

「目の前で飲んだだろう」

「スピーチは憶えたか」

「暗記するまで朗読させたじゃん」

「なら大丈夫」

 

そう言って私は左手を差し出す。戸惑った表情のリオンが手を握る。

 

「女性をエスコートするのは紳士の務めだからな」

「俺、女の子をエスコートした経験無いんですけど」

「それは良かった。いい練習になるぞ」

「公爵家のお嬢様が練習相手とかマジかよ…」

 

【挿絵表示】

 

そうして私達は会場へ向かう。左手に感じるリオンの体温が心地好かった。




同棲開始、お前ら結婚しろ(婚約してる。
あと式典開始、断罪イベントはありません(当たり前。
アンジェさんの領地経営論やパーティーにおけるドレスコードは結構な分量を書く予定だったんですけど「モブせかの経済や服飾のマナーは現実と違うよね」と気付いて大幅カット(またかい
現実でも服の柄やシルエットで自分の特徴を敢えて強調し印象付けるビジネス論が実在します。
リオンのコンプレックスと二人の親密度を上げる為にもっと文量があったんですけど断念。
あと小説・コミック・アニメのドレス着たアンジェさんが綺麗だったのでどうしても着るシーンを書きたかったんです。
令嬢モノいったらドレスですよ!(断言

追記:依頼主様のリクエストでこなつゆり様に今章の挿絵を描いていただきました。
ありがとうございます。
こなつゆり様 https://www.pixiv.net/artworks/111124437


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第8章 公爵令嬢は愛を知る●

夜道を二人で歩く 静寂が辺りを包む 心音だけが響き渡る

言葉は必要ない 心が通じ合ってるなら

月が無い夜空に星が瞬く

古の人々は夜空をキャンバスに見立て遠く離れた星と星を繋ぎ星座を作る

もし私と貴方が星ならば どんな星座が描かれるのだろう

もし貴方の隣で瞬けるなら それに勝る喜びはないのに

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

落成式はさしたる問題も起きず滞りなく終了した。

王家からの使者、レッドグレイブ家の縁戚、近隣の地方領主達の値踏みするような視線に晒されながらもリオンは無事に務めを果たした。

初めての挨拶回りで緊張してる筈なのに顔に出さないリオンはなかなかの役者だった。

式典が終わった後にバルトファルト家の屋敷で領民を交えたパーティーが行われるが最初の挨拶だけ顔を出し私達は別宅に戻る。

領主がいては参加者も胸襟を開けないし何よりリオンの体調が心配だった。

パーティーで振舞われる料理を幾つか包んでもらい屋敷を後にする。

別宅に戻る最中、私とリオンは一言も喋らなかった。

やり遂げた充実感が胸を満たし言葉にすれば穴の開いた風船のようにこの滾りが抜けてしまう事が嫌だった。

久々に着たドレスの肌触りを思い出しながら自分の体を見る。

学生時代を除けばドレスより軽装が体に馴染むとは思いもよらなかった。

別宅に入りキッチンの椅子に座りリオンが紅茶を淹れてくれた紅茶を飲むと漸く人心地が付いた。

思えば初対面の時からリオンは私に紅茶を振舞っていた。

 

「お疲れさま」

「お疲れさま」

 

互いの声が重なるのが妙におかしくて笑みがこぼれた。

 

「ようやく終わったな」

 

そう言って気を緩めるリオンに敢えて釘を刺す。

 

「終わりではない、最初の一歩だ」

「アンジェは厳しいな、せめて終わった直後ぐらい労わってよ」

 

二杯目の紅茶を淹れながらリオンが文句を垂れる。

 

「まぁ、初めの頃は緊張して当然だ。慣れたら徐々に疲れを感じなくなる。回数を熟すしかない」

「隠居までの道は遠いなぁ」

「だが上出来だった。これなら招待客もリオンを軽んじる事はないだろう。つらくてもリオンはよく頑張った」

「アンジェが素直に褒めてくれるとか明日はきっと雨が降る」

 

そんなリオンの減らず口さえ心地好かった。

 

「さて、食事にするか」

「昼間からほとんど口にしてないからな。太らない程度にしておけ。せっかくの礼服を仕立て直す事になる」

 

そう言って持ち帰った料理を温め直し皿に盛る。

途中でリオンが心配するような視線を私に向けて来た。失敬な、私だって皿に盛りつけるぐらいは上手く出来るぞ。

料理を詰めた籠の底には一本のワイン瓶が入っている。招待客向けの上物だ。

 

「せっかくだ、ワインも開けよう」

 

コルクを抜いてグラスにワインを注ぎ軽くスワリング。

しばらくするとワインの香りが漂い鼻孔をくすぐる。

テーブルに料理が並べられ準備は完了。

 

「では乾杯だ」

「ああ」

 

グラスを掲げ合わせる音が室内に響く。

 

「式典の成功に」

「バルトファルト領の繁栄に」

 

 

料理が無くなった皿をリオンが洗う水音が聞こえる。

持ち帰った料理は空腹と達成感から想像以上に美味だった。

リオンは酔ってうなされてはいけないから最初の一杯だけ、残りは全て私が呑み干した。

このまま目を瞑ればそのまま寝入ってしまうだろう。ソファーで横になり水音を聞いていると徐々に睡魔が私を襲う。

朦朧とした中でリオンの声が聞こえた。

 

「なぁ、アンジェ」

「ん?」

「ありがとう」

 

何やら感謝された。

 

「どうした急に」

「今言っておかないと面倒だしな。アンジェが居てくれたからここまでやれた。本当に感謝してる」

 

リオンの顔は微笑んでいた。

 

「なぁ、アンジェはどうして俺と婚約したんだ?」

「政略結婚に自分の意思が反映される事は稀だぞ」

「理由がある筈だろ。アンジェは公爵家の令嬢なんだ。男爵家出身の俺とは釣り合いが取れない」

 

そう言うリオンの瞳は真剣だった。

 

「聞きたいか?」

「うん」

「愉快な話じゃないぞ」

「覚悟してる」

 

いつもなら断っていただろう。思いの外酔っているのかもしれない。

 

「さて、何処から話すべきか…」

 

そうして私は己の罪をリオンに告解した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「レッドグレイブ家はホルファート王国の重鎮なのは知っているな。その令嬢として生を受けた私は産まれた直後から政治の道具としての役割を課せられていた。私が誰に嫁ぐかで宮廷内の勢力図が大きく変わるからな」

「ひどい話だな」

 

両親が恋愛結婚のリオンにとっては承服し難いだろうが貴族の結婚とは元来そういう物だ。

 

「決まった私の婚約者はユリウス・ラファ・ホルファート。この国の第一王子で王位継承権第一位だ」

「つまり次期国王って訳?」

「そうだ、何事も無いなら私は次期王妃になる予定だった。頭が高いぞリオン」

「へへぇ~」

 

そう言ってひれ伏す仕草をするリオンが面白い。

 

「王妃のミレーヌ妃殿下は私に期待をかけてくださった。現国王のローランド陛下が政務にいまいち乗り気ではなく妃殿下が執り仕切っていた。それでも国政が滞りなく行われる。だから私はこう思ってしまったんだ。『これが正しい夫婦の形』だ。国王夫婦の間に愛情など必要ない、世継ぎさえ産んで正しく政治を行えば良いと」

 

思い返せば気付けた筈なのだ。あの御夫婦の異常さに。

まだ幼く周囲から王妃になる事を望まれ教育されていた私はそれが出来なかった。

 

「今思うと私はユリウス殿下を人として見ていなかった。心の底で国を維持する為に私と噛み合う歯車と一つだと思っていたんだろう。そして殿下はそんな私の心に気付かないほど愚かではなかった」

 

リオンは無言だった。自分の前に存在した婚約者の話など聞いていても不愉快だろう。

 

「時を経るほど私と殿下の齟齬は大きくなっていたんだろう。それを察せないほど私は愚かだった。この国の未来を担うのは自分だという誤った認識を持ち続けた。なまじ優秀だったせいで誰からも指摘されなかった」

 

もしかしたらミレーヌ王妃は気付いてたのかもしれない。

ただ当時の私は自分が悪いとは思わず殿下に問題があると思っていた。

 

「決定的になったのは学園へ入学してから。殿下はある女生徒と恋に落ちる。相手は今の聖女だ」

「何だよそれ、悪いのは王子じゃないか」

 

そう言ってくれるリオンの気持ちが嬉しい。だがな、これは私の罪なんだ。

 

「当然私は殿下に対し文句を言ったよ。聖女にも『これ以上殿下に近づくな』と警告もした。だがすればするほど状況は悪化していった。誰だって愛してる者を手酷く罵られたら腹が立つ。さらに殿下に取り入ろうとする学園生徒の介入もあり私が孤立していった」

「そんな奴らが国の上にいるとか嫌だなぁ。中央に行きたくない」

 

リオンの気持ちはよく分かる。目障りな相手を排除して後釜に座るのは貴族の一般的処世術だ。

 

「そうして私は衆目に晒されながら婚約破棄された。あの時に思った。『私を侮辱する者を絶対に許さない』と。だからその後は必死で勉強したよ。『私こそ王太子妃に相応しい、婚約破棄は間違いだった』と証明する為に。その直後にファンオース公国との戦争が起こった」

 

戦争と聞いてリオンが顔を顰める。この頃の彼は最前線で戦っていたから当然だ。

 

「学園が緊急事態として休校になったおかげで周りの評判を気にせずに済んだ。誰も戦争中に婚約破棄された公爵令嬢について考える余裕は無いからな。私にとって戦争は王都の屋敷から見る対岸の火事だった。そうして終戦を迎えた」

 

私はリオンに謝らなければならない。傲慢な私の目論見を。

 

「終戦後も私に新しい縁談は来なかった。公爵令嬢という高い地位も問題だったし、怪しい縁談は父上が断っていたのだろうが、何より殿下に婚約破棄された私と結婚すれば王都での出世は絶望的だからな。必然的に相手は地方領主で公爵家が認めるほど優秀で良い手駒になりそうな男子に限られる。そうして選ばれたのがリオンだった」

「………」

 

リオンは何も言わない、言える筈がない。公爵家が自分を手駒にしたいと考えているなど怒って当然だ。

 

「リオン、私はな。本当は嫁ぐ相手が誰でも良かったんだ。嫁ぎ先で私の実力を発揮し繁栄させ、いつか王都に居る私を嘲笑った奴等を見返してやりたかった。その為にビジネスパートナーなどと言ってお前を表舞台に引き出した。リオンの気持ちなど一切考えていなかったんだ」

 

目から熱い物が流れ出す。それが涙と理解するまで数瞬かかった。

一度堰を切った感情は止められない。胸を締め付けるような心の痛みを放出する。

リオンに襲われた日、謝りたかった相手を漸く理解する。

私はリオンに謝りたかったのだ。

 

「ごめんなさい。許してくれとは言わない。ただ知って欲しかった。私がどうしようもない女でリオンを利用していた事を」

 

その後は何も言えなかった。私の嗚咽だけが室内に響き渡る。

何かが私の頭に触れた。顔を上げるとリオンが私の頭を撫でていた。

 

「アンジェは優しくて良い女だ。俺が保証する」

 

そう答える声は優しかった。

 

「本当に悪い女なら初めて会った時に俺を見捨てて帰ってるよ。看病したりせず一緒に住もうとしない。俺を引き立てようとせず裏から操ろうとする。自分の醜い所を暴露しないって」

 

何でお前はそんなに優しいんだ。怒って当然なのに。

 

「疲れて酔ったから変になっちまっただけだ」

 

そう言うとリオンは私を抱えて部屋に連れて行く。

服越しに感じる体温が心地いい。ずっとこの瞬間が続けば良いのに。

 

【挿絵表示】

 

リオンは私の部屋の前に到着して扉を開け私をベッドの上に置く。

 

「今日はもう寝ろ。明日からまた仕事だし」

 

そういう部屋を出ようとするリオンは唐突に振り返り、

 

「おやすみ、アンジェ」

 

と声をかけてくれた。

 

 

ベッドに横たわると徐々に酔った頭が覚醒していく。

私の心中を全てリオンに晒してしまった。

これからどうすれば良いのだろう?

私の醜い部分など見せたくなかった。綺麗な私だけを見て欲しかった。

もっと私の頭を撫でて欲しかった。ずっと私を抱えて欲しかった。

ずっとリオンの事ばかり考えてる。

私の最優先事項がリオンになってしまった。

思考がループして同じ所を延々と回っている。こんなのいつもの私じゃない。

やがて完全に落ち着いた後、私はたった一つに事実に気付く。

とても重要で、私を根本的に変えてしまった事実。

アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ(わたし)

リオン・フォウ・バルトファルト(かれ)

愛している。




親密度UPイベント開始。
政略結婚でどうしても家同士の打算が入るので愛と実利の折り合いが難しいですよね。
なのでアンジェさんの過去語りも交えました。
原作乙女ゲーのローランドとミレーヌ様の関係は詳細不明なので本編を参考に第三者から見た国王夫婦関係の方針で。
婚約者がいるのに他の女性に懸想する馬鹿王子は悪役令嬢モノの定番ですが、本編でリオン&マリエ兄妹に救われたユリウスとマリエルートの堕ちたユリウスを見た後だと彼にもそれなり事情があったと思い被害者であり加害者として書きました。
書いていてこの作品のリオンが本編リオンと人物像が離れつつある事に苦悩。
でも、あくまでこの物語は「悪役令嬢アンジェリカの救済ルート」として書いているのでこのまま突っ走る事を決意しました。
というか本編リオンもこれ位してくれたらヒロイン達がもめないでしょうに。
反省してくださいマスター(石田彰ボイス。


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第9章 公爵令嬢の病は温泉でも治せない

貴方が望むなら 私は皆を幸せにしよう

貴方が望むなら 私は世界を業火で焼こう

貴方の幸せは 私の喜び

貴方の悲しみは 私の怒り

貴方こそが私の全て 私の大事な愛しい人

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

嫌われた、嫌われた、嫌われた、嫌われた、嫌われた。

嫌われた、嫌われた、嫌われた、嫌われた、嫌われた。

嫌われた、嫌われた、嫌われた、嫌われた、絶対に嫌われた。

落成式の夜以降、私とリオンの関係がギクシャクし始めた。

あんな事を言われたら嫌になって当然だ。

私はいつも致命的な間違いを犯した後に必要だった物に気付く。

自分の醜さを曝け出した後に恋心に気付くとは愚か過ぎる。

これが世間一般でいう初恋という物なのか。

ならばユリウス殿下が聖女を邪険にした私を厭う気も理解出来る。

私だってリオンが罵られたら相手を殴り倒している。

リオンと共に居たいという想いばかりが募る。

だが私は己の最も醜い姿を彼に晒してしまった。

もう二度と前の関係に戻れない。

リオンと共に居たい。リオンに嫌われるのが怖いので近づきたくない。

相反する感情が私の心を苛み続ける。私はひどく臆病になってしまった。

こんなに辛いのなら気付かなければ良かった。時を戻せるなら出会う前からやり直したい。

夜になるとそんな事を考え続け涙で枕を濡らした。

それでも朝はやってくる。腫れた目元を化粧で隠し何事も無かったように仕事を熟す。

取り繕う事だけは異様に上手い自分が嫌いになる。

傷付きたくないからどうしてもリオンと距離が取ってしまう。それなのにリオンが傍に居ないと不安になる。

そうしてまた泣いて過ごす夜が訪れた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

泣けば否が応でも顔が汚れるし喉が渇く。

洗面所へ赴き顔を洗いキッチンで水を飲む。

真夜中の冷たい空気が肌を刺す。

少しでも寝なくては明日の仕事に支障が出てしまう。

私の部屋に戻る最中、リオンの部屋の前で足が止まる。

今日もろくにリオンと話が出来なかった。これまであんなに軽口を叩き合ってたのに今ではろくに口もきけない。

一目リオンの姿を見てから眠りにつこう。彼と私が幸せだった頃の幸せ夢を見られるように。

そう考えて音を立てないように扉を開ける。リオンはベッドの上に横たわっていた。

たった一目見れたらそれで満足だったのに。部屋に戻ろうと私の足が動き出す事はなかった。

 

「何かあったのか?」

 

目を開いたリオンが私を見つめる。この様子だと部屋に入った時点で気付かれたらしい。

 

「すまない、起こしてしまったか。すぐに部屋に戻るから安心しろ」

 

部屋を出ようときびすを返そうとする。その動きが途中で止まる。振り返るとリオンが私の手を固く握っていた。

 

「ここ数日おかしいぞ。何をしてもずっとうわの空だ。どこか悪いのか?」

 

悪いと言えば悪いのだろう。

 

「すまない、心配をかけた。明日からは元通りにするから」

「そういう事を言ってんじゃないよ」

 

リオンの手に力が入る。振り解いて部屋に戻るのは不可能に近い。

 

「落成式の夜からずっとおかしいぞ。やっぱり何かあったんだろ?」

 

あるにはあった。でも、それは私一人の問題だ。リオンの責任じゃない。

 

「本当の事を話してくれ。アンジェはいつも俺を助けてくれただろ?お互いを助け合うのはビジネスパートナーだって言ってたじゃないか」

 

本当に私は彼に心配をかけてばかりだ。

同時にビジネスパートナーという言葉がつらい。婚約者と言ってもお互いの利害が一致しただけの関係。

私とリオンを繋ぐのが単なる損得という事実に耐えられない。

 

「別れようリオン」

 

もうダメだ。リオンの側にいるほど心が痛む。

 

「原因は私の過失だからバルトファルト家に迷惑はかけない。賠償金も払う。もちろん融資の契約は継続して…」

「馬鹿な事を言うな!」

 

怒られた。リオンに怒られた。その事実だけが頭の中に残る。

 

「なぁ、本当にどうしたんだよ?アンジェが悩んでるなら助けになるから。だから泣くなよ」

 

いつの間にか泣いていた。何で私はいつも彼の前で弱い姿を晒してしまうのか。

 

「だって…!だって私が居たらリオンは幸せになれない!」

 

あとはもう感情の思うがまま思い浮かんだ言葉を口にしていた。

 

「私がいたらリオンはすぐ隠居できない!ずっと領主をやるしかなくなる!リオンが嫌がる事を無理にさせたくない!でもレッドグレイブ家との契約があるからリオンは逆らえない!だから私がいなければリオンは自由になれる!リオンが好きだから悲しんで欲しくない!リオンがつらい姿をこれ以上見たくない!」

 

我儘な子供が駄々をこねるみたいに泣き喚く。

突然の出来事にリオンは目を白黒させるしかなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「え~と、つまりアンジェは俺が好き?」

 

コクンと頷く。何かを口に出したらまた感情が抑えきれない。

 

「で、俺が嫌々と領主してるのが可哀想だと思ったって事?」

 

再度頷く。

 

「だから婚約破棄するって言いたいの?」

 

もう一度頷く。

 

「なに?その馬鹿な三段論法」

「リオンに馬鹿って言われた~っ!!もうやだ~っ!!レッドグレイブ家に帰る~っ!!」

「頼むから泣くなって!」

「怒られた~っ!!絶対に嫌われた~っ!!」

「あぁ、もう俺が悪かったよ!!」

「ふぇ~~ん!!」

 

幼児が慰められるように抱かれ頭を撫でられる。その感触と温かさすら愛おしい。

何も言われず数分間抱きしめられて漸く心が落ち着いた。

もうこれ以上の醜態は存在しないだろう。なら私の本心を告げよう。それで嫌われるのなら潔く諦めて王都に帰ろう。

この恋を糧にして生きるならそれも悪くはない。

 

「私はリオンを愛してる。いつ好きになったかは自分でも分からない。自覚したのは落成式の夜だ」

 

一つ一つゆっくりと真実だけを告げる。

 

「リオンの望みはさっさと領主を引退し隠居生活を送る事。だが領地の経営が安定するまで引退は不可能だ。レッドグレイブ家から融資を受けた以上は契約の履行義務も発生する。どうしても引退する時期が遠のく」

「だから婚約破棄しようって思ったの?」

「そうだ。私の一方的な過失ならレッドグレイブ家も譲歩せざる得ない。場合によっては慰謝料も発生する。何より私という存在にリオンが縛られず自由になれる」

「何とまぁ…」

 

リオンは心底呆れた表情で私を見た。

 

「アンジェって実はかなり残念な女の子なんだな」

「すまない、気が動転していた」

 

思い返しても恥ずかしくて死にそうだ。一生分の恥をかいた気がする。

 

「で、アンジェは俺と婚約破棄したいの?」

 

首を思いっきり左右に振る。

 

「私はリオンを愛してる。これから共に生きて支え合いたいと思っている。リオンが幸せになれるのならどんな苦労もしてみせる」

 

真っ直ぐに、飾る事なく、偽る事なく、本心から私の愛を告げる。

 

「でも私が傍にいてリオンがつらい思いをするのは嫌だ。お前の幸せの為なら私の感情など無視して構わない。もし他に好き女がいるなら妾にしても良い」

「俺と親しい女なんて家族とアンジェしかいないじゃん」

「だって私達は政略で婚約したんだぞ」

「切っ掛けはそうでもお互いを好きになれば問題ないんじゃ?」

「自分で言うのもなんだが人目を惹く外見だし」

「別に美人が嫌いって訳じゃない」

「性格もキツくて可愛げが無い」

「まぁ、俺みたいな根性無しにはちょうど良い塩梅だと思うぞ」

「せいぜい胸が大きい程度しかリオンの好みに合ってない」

「すいません、俺の愚かな願望についてはすぐに忘れていただけますか」

 

そう言ってリオンは頭を下げた。

 

「逆に聞くけどさ、アンジェは俺の何処が好きなの?」

「全部」

 

私は即答する。

 

「口は悪いけど本当は優しい所、文句は多いけど絶対に逃げ出さない所、わざと軽薄な振りをして空気を和ませる所。他には」

「うん、もう黙って欲しいかな」

 

リオンはそう言って頭を抱えた。まだまだ言い足りないのに。

 

「結婚するならリオンが良い。他の男じゃダメだ。リオンが私を嫌いでも傍に置いて欲しい」

 

ついにリオンはベッドの上で身悶えし始めた。大丈夫かリオン?

何とか持ち直したリオンは顔を赤く染めながら私の手を握る。

 

「じゃあさ、俺が何をすればアンジェは納得するの?」

「分からない。自分でも分からないんだ」

 

リオンが幸せである事。それが私の願い。

だけど、私が何をすればリオンが幸せになれるか分からない。

戸惑う私の背にリオンの手が回された。

 

「アンジェは俺を幸せにしてくれたよ」

 

そう言ってリオンは私を抱き優しく抱きしめる。

 

「アンジェが来てくれたから俺は絶望から救われたんだ」

 

その声はどこまでも優しかった。

 

「戦争で死に損なって何の為に生き残ったか分からなかった。欲しくもない爵位とやりたくもない領主を与えられた。心が壊れたままで俺は一人で孤独に死ぬとずっと怯えてた。だけどアンジェが来てくれた」

 

私の顔をリオンが撫でる。

 

「どうしたら良いか分からなかった俺を導いてくれた。だから、もう少しだけ生きてみようと希望を持てたんだ。この命はアンジェのおかげで今も存在してる。だから俺の命はアンジェの為にあるんだと思う」

「だからと言って私の為に死のうとしないで欲しい」

 

リオンはひどく利他的だ。他人の為に犠牲になりかねない。

 

「それじゃアンジェは俺を幸せにしてくれ。俺もアンジェを幸せにするから」

「分かった、私が必ずお前を幸せにしてみせる」

 

そう言うとリオンの顔が近づいてくる。いや、私がリオンの顔に近づいているのか。

ゆっくりと唇が重なった。時間をかけてたっぷりと愛情を込めたキス。

ある種の確信が私の中に舞い降りた。

きっと私はリオンと出会う為に生まれて来た。

私の人生で一番幸せな瞬間だった。




気の強い女性が好きな男性の前で弱くなる姿は好きですか?
私は大好きです(隙自語。
強気のアンジェさんがリオンに告白するか、弱気のアンジェさんがリオンに告白されるか。
どちらにするかで後者を選択しお互いに告白する流れとしました。
本編を読むとアンジェさんは恋をして弱くなるタイプなのでこの方が良いと思いました。
逆に「さっさとアンジェさんを慰めろ(意訳」するリビアさん凄え。
あとモブせか幼稚園を読んで小さいアンジェちゃん可愛いから言動を幼児退行させて泣かせたのは此処だけの秘密だ(オイ。
二人は幸せなキスをして終了?もう一章あるので最後までお付き合いください。


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第10章 婚約破棄された公爵令嬢は田舎の醜男貴族に嫁ぎますが幸せになるようです●

幾度も口付けを交わしているのに幸福感が消えない。

むしろ回数を重ねる度に幸せを感じて更に欲しくなる。

まるで空を飛んでるような無重力感。ずっとこのままでいたい。

そんな事を考えてたら背中に柔らかい物が当たった。

 

「はぇっ?」

 

なんで私はベッドの上に横たわってる?どうして視線の先に天井がある?

混乱してる私に大きく黒い影が覆い被さる。

リオンだった。何故かひどく息を荒げている。

それまでの幸福感が一気に霧散し恐怖に体が支配される。

 

『発作か!?』

 

また私が敵兵に見えて命を奪おうとしているのか!?

だがいつまで経っても暴力は振るわれない。

恐る恐るリオンの顔を見ると理性を宿した優しい眼差しだ。少し血走ってるのが怖い。

混乱する脳が必死に情報を搔き集め一つの結論に達する。

これはアレだ。王妃教育の一環で読まされた艶本に書かれてた夫婦の契りを交わす行為だ。

命の危機ではない恐怖が私の体を貫く。

 

「待てッ!リオン!早まるなッ!」

 

こうした事はきちんと婚姻した後にやるべきだ。

性に奔放な学園の貴族令嬢は妊娠しないからと奴隷相手に性行為をしていたがそんな輩は例外中の例外だ。

公爵家の息女と婚前に契りを交わしたら面倒な事になりかねない。

いずれそうなるとしても今はダメだ。

 

「待てません。アンジェが可愛過ぎるのが悪い。そもそも婚約してる年頃の男女が同棲すれば周囲はそう思うだろ」

 

そういう下世話な想像する輩もいるだろうが仮にも領主だろお前ッ!

 

「もう限界。このままじゃ狂う。具体的には爆発しそう」

 

するのか爆発!?

 

「アンジェの全てが欲しい。でも無理にやってアンジェに嫌われたくない。だからアンジェが選んでくれ」

 

そう答えるリオンはやはり優しかった、彼はいつも私を気遣ってくれる。

良かった。これなら結婚を清い体のままで迎えられる。

あまりリオンを我慢させては可哀想だから明日から挙式についてレッドグレイブ家と早急に話合わなくては。

これから行う手続きを頭で考えながら返答する。

 

優しくして欲しい(すまない)

 

………感情と肉体が理性と精神を裏切った。

リオンの顔が近づいてくる。あぁ、もうダメだ。何とかして逃げ出さないと。

必死に逃亡プランを模索しつつ後退るとリオンの顔が近づく。

『キスなら良いか』などと思う私はチョロくない。決してチョロくない筈だ。

だが私達の唇が重ならなかった。僅かに逸れたリオンの唇が私の耳元に当てられる。

 

「アンジェ、愛してる」

 

……ダメだ、もう拒めない。その一言で私の心は蕩けてしまう。

左手をリオンの背中、右手をリオンの頭に添えて私自ら引き寄せる。

 

「リオン、私も愛してる」

 

もう迷いは無かった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

私の口から死にかけたモンスターのような唸り声が上がる。

いや、自分が気付いてないだけで既に死んでいるのかもしれない。

体中が痛い。痛くて寝返りすら無理だ。

眠いのに痛みで意識が覚醒する。呼吸すら覚束ない。

昨夜の契りは物凄かった。

手加減してくれたのは破瓜の痛みに喘いだ最初だけ。

その後はずっと飢えた狼に体を喰い千切られる兎の気分だった。

そういえば男爵夫妻は子供が五人の子沢山だった事実を思い出す。

もし、毎晩こんな風に求められたらそうなるのも無理はない。

せめて領地の経営が安定するまでは控えて欲しい。

リオンが扉をノックし部屋に入って来た。手にはスープ皿とスプーンを持っている。

 

「大丈夫かアンジェ、何処が痛い?」

「頭と首と肩と背中と胸と腹と股と尻と手と足が痛い…」

「つまり全身か」

 

リオンに支えられて身を起こす。ベッドの上を動く事さえ重労働だ。

 

「朝食、じゃなくて早めの昼食だけどシチューなら食えると思ってさ」

 

よく見るとシチューにはさまざまな野菜と肉が入っている。

そんな気遣いをするぐらいなら、少しは昨夜の契りを手加減して欲しかった。

 

「体が痛くて動けない、食べさせて欲しい」

 

そう言って口を開くとリオンはスプーンですくったシチューを冷まし私の口へ入れてくれる。

「あ~ん♡」という親愛表現が病人介護のようになってしまった。

恋人同士の甘酸っぱさが欠片もない。

シチューを食べ終わりリオンが淹れた紅茶を飲むと漸く体の痺れが取れて来た。

ゆっくりと体を起こしベッドの縁に腰かけるとリオンも私の隣に座った。

 

「で、どうだった?」

「すごく気持ち良かった」

 

枕を手に取り何度もリオンを叩く。まだ力が戻ってないから大したダメージにはならない。

 

「そうじゃない。私の本心を聞いてどうだったと尋ねているんだ」

「そっちかよ」

 

ぶつくさ文句を言いながらリオンは私の顔を見る。

 

「アンジェが俺を愛してくれてるのはよく分かった。俺もアンジェを愛してる。俺の妻になって欲しい」

「うん、それが聞けただけでも嬉しい」

 

リオンと心が通じ合えて本当に良かった。

この事実があるなら私はどんな困難も越えて行ける。

 

「一つお願いがあるんだ」

「俺に出来る事なら」

 

そう答えるリオンに対して私は些か面倒くさいお願いをする。

 

「私はとても扱い難い女だ。だからきちんと私の心に届く愛の言葉が欲しい。その言葉を思い出すだけで幸せになれるような、死の間際に思い出して良き人生だったと振り返られるような言葉が欲しい」

 

リオンは頭を捻って必死に考える。

やがて私の前に跪いたリオンは臣従儀礼のように私の手を取って恭しく礼をする。

 

「アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ嬢。貴女を生涯に渡って愛し抜くと此処に誓います。どうか私、リオン・フォウ・バルトファルトの妻になっていただけますか?」

 

きっとこの光景を私は決して忘れる事はないだろう。

例え世界が変わっても彼と出会い、そして恋に落ちる。

私は満面の笑顔で彼の求婚に答えた。

 

「はい、謹んでお受け致します」

 

こうして私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルトになった。

 

【挿絵表示】

 




朝チュンは女性向け作品の王道である。皆さんもそう思いませんか?
という訳でこの物語は完結となります。
アニメ二期が始まったら話を追加するかもしれません。
この物語を書く切っ掛けはアニメ放映開始前からモブせかを読んでる事でした。
悪役令嬢モノの好きなのでその月に発刊された女性向けレーベルはだいたい目を通しているのですが、「断罪回避やザマァ系が多いのに反省する悪役令嬢が少ないな」と感じていました。
モブせかの特典小説で「追放された悪徳令嬢アンジェリカは田舎貴族と結婚した」
モブせかアニメで「アンジェリカの結婚相手がリオンに酷似」
とある掲示板(https://bbs.animanch.com/board/1445264/?res=175)で私が想像した「モブリオンとアンジェの夫婦ルート」のコメントが好評だった
モブせかの二次創作は多いですがオリジナル展開ばかりで原作キャラの恋愛作品が少ないので、それなら「自分で書いてみるか!」と思い執筆しました。
他の投稿サイトでオリジナル作品は投稿していましたが、二次創作はほぼ十年ぶり。
ああでもない、こうでもないと原作との齟齬に悩みつつ楽しく書けました。
拙い文章で恐縮ですが、楽しんでもらえたなら是に勝る喜びはありません。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

追記:本作のラストシーンがpixivでシキさんがイラスト化されていた事を知り吃驚。
何気なくモブせかのイラストを検索していたら「私の書いたシチュと似てるなぁ~、自意識過剰だなw」と思ってたら、まさか私が原案だったなんて…。
海外の方まで拙作を読まれるとは原作の人気は凄いですね。
こんな事生まれて初めてなので本当に驚きました。
https://www.pixiv.net/artworks/106447189

さらに追記:本作のエッチシーンを投稿しました。(https://syosetu.org/novel/312750/1.html)
興味のある方は閲覧してください。


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第11章:プロポーズの後で●

注意:これから先は今作の成人向け後日談(https://syosetu.org/novel/312750/)から性描写等を修正した物になります。


「アンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ嬢。私は貴女を生涯に渡って愛し抜くと此処に誓います。どうか私、リオン・フォウ・バルトファルトの妻になっていただけますか?」

 

きっとこの光景を私は忘れる事はないだろう。

 

例え世界が変わっても彼と出会い、そして恋に落ちる。

 

私は満面の笑顔で彼の求婚に答えた。

 

「はい、謹んでお受け致します」

 

こうして私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルトになった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

私はリオンの求婚(プロポーズ)を受け入れた。

いや、私から強請ったのだから私の方が求婚したのか?

よく分からない。

胸の中に今までにない温かさが灯ったのを感じる。

昨日までの私と今日からの私は全く違う人間になったと錯覚してしまう。

初体験を済ませた男女が人生観が変わったなどと嘯くのを『何を馬鹿な…』と内心で嘲ってたが、そんな錯覚を自分が抱くとは露にも思わなかった。

 

さて、そんな風に契りを交わした若い男女が次にするのは何か?

正解は体の洗浄と褥の掃除である。

私とリオンの体は様々な体液で粘つきベッドのシーツは乱れていた。

私達の甘ったるい雰囲気とは別に体と部屋を清めなければ今夜寝る事さえも覚束ない。

 

リオンが水を溜めた盥と数枚の手拭きを持ってきたので体を丹念に拭く。

本当は湯浴みをしたいが今から湯船に水を張り沸かすには些か時間がかかる。

リオンは窓を開けて換気を行いシーツを剥がし洗面所まで持って行く。

せめて何か手伝いたかったが昨夜の情事の荒々しさですっかり消耗している私は震える己を脚を恨めしく睨む。

知識ばかりが肥大化した頭脳と無駄に胸と尻が肥えた肉体。自活すら困難で夫となる者へ協力すら儘ならない。

開けた窓から陽の光が差し込み涼しい風が交合の残滓がここびり付いた空気を洗い流す。

 

リオンが私の為に部屋から取って来た服に着替えてる最中、彼はベッドのシーツを引き剥がす。

シーツには私が純潔だった証しである血痕と昨夜の情事の激しさを表す染みが存在し白いキャンバスを汚す絵の具のようだった。

それを見た瞬間に顔へ血が昇り頬を熱くなる。

何かしなくては。せめてリオンの役に立ちたい。

 

「いいから座ってろ、まだ力が戻ってないだろう?」

 

有無を言わさない口調でベッドの上に座らされる。

バルトファルト領で最も高い地位の男が甲斐甲斐しく中央貴族の娘の世話をする。

傍から見れば夫を顎でこき使う悪妻のようで申し訳なさに拍車がかかる。

 

「部屋に戻る、出掛ける準備が出来たら声を掛けて欲しい」

「了解」

 

そう声を掛けると私室に戻る。まだ体のあちこちから悲鳴が上がるが何とか歩けた。

扉を閉めベッドに横たわり枕に顔を押し付け呼吸を整える。

 

「~~~~~~~ッッ!!」

 

悲鳴、絶叫、歓声。そのどれらも正しく且つ間違っている。

心を通わせた喜び、段階を飛ばし肌を重ねた羞恥、未来に対する不安、レッドグレイブ家よりリオンを選んだ後ろめたさ。

全ての感情が臨界を超えグチャグチャに混じり合い放出される。

何よりも大きいのは羞恥だ。

後先考えず行動し過ぎだ。苛烈な私の性格は一度決めたら制御が効かない。

響き渡らない程度に叫んで漸く落ち着く。

半日ほど前はこの部屋で泣いてたのに。今ではどんな顔でリオンと会えば良いか分からない。

 

もう後戻りは出来ない。私はこの地で生きてゆく事が確定した。してしまった。

その為に必要な物、すべき事、それらを考えようとするが上手くいかない。

未来は未知数だ。今にとっては最善に思えても後から振り返れば悪手な場合も存在する。

神為らざる私の頭ではバルトファルト領を如何に最良の方向へ導けるかが分からない。

 

せめてリオンに喜んでもらいたいが私は家事能力も女としての魅力に乏しい。

願いは多いのに私に出来るのは手の届く範囲の僅かな物で。

リオンを幸せにしたいのにその方法が分からない。

能力、経歴、家族構成、好み等々。情報はあるがそこから明確な答えは出せない。

何をどうすれば良いのだろう?そんな事を考えつつ瞼を閉じる。

リオンの準備が済んだら私も支度をしなくては。彼がこの地に於ける最高権力者なのだから。

バルトファルト領は成立してから日が浅い。一日でも姿を見せなければ何かが滞る。

思考は堂々巡りのするなかで体の感覚が遠くなる。いつしか見えない答えを探す思考を放棄して私は自覚の無いまま眠りに落ちた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「 ン ジェ アンジェ」

 

誰かに名を呼ばれた気がして目を開ける。少し寝入ってしまったらしい。

体を軽く伸ばし凝りを解す。完全に回復したとは言い難いが体調は幾分マシになってくれた。

呼びかけた相手を見る。最も愛しい相手が其処にいてくれた。

 

「……リオンか」

 

盛大に欠伸をこぼし目元を擦る。寝起き直後の脳はまだ働き始めない。

 

「すまない、少し寝てしまった。今すぐ準備を始めるから待ってくれ」

「いや、もうすぐ日が暮れるぞ」

「……えッ?」

 

慌てて窓の外を見ると既に空が紅く染まりつつあった。

どうやら盛大に寝過ごしたらしい、あまりに間抜けな醜態に怒りを通り越して乾いた笑いが込み上げる。

 

「何で起こしてくれなかった!?」

「気持ち良さそうに寝てたからさ、無理やり起こすのも可哀想だし」

 

半ば八つ当たりに近い口調でリオンに問い詰める。

リオンは私に優しいが、優しさだけではやっていけないのが領主という存在の宿命である。

こうも醜態続きな私を甘やかすのはよろしくない。

 

「最悪…、無理やり起こしてくれて良かったのに」

「俺のせいでくたくたに疲れてたからな。流石に無理はさせられない」

「リオンはきちんとバルトファルト邸に行ったか?」

「もちろん」

 

わざとらしいほど大きく溜息を吐いて両手で顔を覆う。

彼の優しさに甘える自分が厭わしい。次代の王妃と為るべく育てられた私はどうにも他者を頼るのが苦手だ。

能力ある者を信用し使う事は上手くても他人を信頼し協力する事に慣れてない。

その意味ではやはり私は王妃に相応しくなかったのかもしれない。

 

「すまない、今日は何もせずに自堕落に過ごしてしまった。明日からはきちんと仕事を熟す」

「アンジェは働き過ぎなんだって。まぁ俺がだらしないせいで負担をかけてごめんな」

 

そう言うとリオンは私の頭を撫でた。

 

「どうにも疲れが取れない、このままだと支障が出るな」

「ならさ、温泉に行かないか?」

 

リオンの提案に一瞬思考が停止する。

温泉、温泉か。

リオンと私が協力して作り上げた最初の事業。この地を繁栄させる為の起点。

温泉に浸かって体を癒し、湯上りに冷えた氷菓子や飲み物を楽しむのが現時点でのバルトファルト領に於ける最高の贅沢だ。

凝り固まった心と体を癒すには最適と言える。

 

「良い考えだ」

 

賛同してベッドから降りようとするが体調が完全に戻っていないのかよろける。

慌てたリオンが私を支えベッドに戻す。

 

「す、すまない」

「まだ足腰がダメっぽいな」

 

せっかく提案してくれたのに申し訳ない。

ここから宿泊施設には徒歩で数十分はかかる。弱っている私では辿り着くまでに夜が更けそうだ。

 

「リオンだけでも行ってこい。私は別宅で過ごす」

 

どうにも情けないがリオンの負担になる事だけは避けたかった。

無言で私を見つめ続けるリオンの視線が痛い。やるせないが私に構わず楽しんで欲しい。

そう私が思っているとリオンはゆっくりとベッドに腰掛けた。

やがてゆっくりとした動作で私の背と足に手を回す。

 

『キスか?流石に情事は御免蒙りたいのだが』

 

疲れきった体で情事を行うのは避けたいが、リオンに嫌われるのはそれ以上に嫌だった。

だが唇が触れる事も愛撫される事も無かった。

リオンの右腕は私の背を半周し彼に近づけ左手は私の膝の裏を通って両足を持ち上げた。

視線が突然上がって混乱する。恐る恐る周囲を見渡して漸く自分がリオンに抱えられている事実に気付く。

この姿勢には憶えがある。世間一般で『お姫様だっこ』などと称される抱擁だ。

 

「ちょっ!待てリオン!」

「アンジェ、大人しくしてろ」

「いいから下ろせ!」

「どうせ下ろしたら逃げるだろ、だから断る」

 

手足を動かそうとするが宙ぶらりんな状況ではろくに力も入らず、密着しているので叩いて抗議しても大してダメージならない。

リオンの腕力なら女一人程度は無理やり抑えつけられる。それをしないのは私を慮ってる以外にない。

 

「逃げないから!せめて靴を履かせてくれ!」

「どうしようかな?アンジェはすぐ無理をするから目を離せない」

「今日無理ならまたの機会に行けば良い!」

「今日行きたいからその案は却下」

「話を聞けッ!」

 

必死に暴れるが何の抵抗にもならない。そうしているとリオンの顔が近づいてくる。

その表情は笑っているが目が据わっている。これはリオンが怒りを湛えてる証拠だ。

リオンは一度怒ると恐ろしいが、怒りの許容範囲はかなり広い。

逆鱗に触れるか幾度も挑発しない限りまず怒らない。

そんなリオンが私に対し密かに怒りを持っている、その事実に背筋が凍った。

 

「…すまない、怒らせるつもりは無い」

「うん、それは分かってる」

「ただ私はリオンの負担になりたくないだけなんだ」

「でも拒否したな?」

 

有無を言わせぬ口調、いったい何をされてしまうんだ?

 

「じゃあコレはお仕置き。アンジェは温泉までこのまま俺に運ばれます」

「なッッ!?」

「それじゃ出発進行~!」

「待てリオン!謝るから!」

「聞こえませ~ん!」

「すまなかった!ごめんなさい!許して!」

 

私は宿泊施設までの道のりをリオンに抱かれて運ばれる事になった。

 

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※ ※ ※ ※ ※

 

 

「明日からどんな顔してバルトファルト領を歩けばいいんだ………」

 

宿泊施設近くの道脇に設置されたベンチに座りながら頭を抱える。

結局は宿泊施設までお姫様だっこされて運ばれてしまった。

夕方と言えど夜の帳が下りるまでは暫しの時間がある。

開拓事業にリオンが顔を出すようになってから彼の顔は領民に知られるようになった。

 

その婚約者である私も同様だ。むしろ関係者との折衷で領民との話し合いに顔出しが多い私の方が認知されてるかもしれない。

運ばれてる最中に幾人もの人々にその姿を目撃された。

むしろ時刻を考えれば開拓作業を終え帰宅の為に道行く領民が多い時間帯だ。

そんな人通りがある道を領主自ら婚約者を抱いて運ぶ。

噂にならない方がおかしい。むしろ娯楽の少ないバルトファルト領に於いて格好の話のネタだ。

思い返すだけで顔から火が出そうだ。

何事かと見つめる男性、驚いて目を見開く女性、口笛を鳴らす若者、事態を把握できない子供、微笑む老婆。老若男女問わず様々な領民に見られた。

きっと数日後には領地の隅々まで噂が広まる。これまで私がバルトファルト領で必死に築いてきたイメージが崩壊だ。

 

「そんな悩まなくても大丈夫だろ」

 

私より先に宿泊施設に行ったリオンが呟く。

借りてきた外履きの靴を私に履かせると何事も無かったように振舞うのが実に腹立たしい。

 

「大丈夫じゃない、お前はこの領地の長なんだ。行動の一つ一つがこの地や民の評価に直結する。領主が『婚約者に夢中で仕事を疎かにしている』などと誹られたら名誉挽回するのは並大抵ではないんだぞ」

「俺としちゃアンジェと仲良くしたかっただけなんだ」

「ただの平民だったらそれで構わない。だが私達は貴族なんだ。自覚を持つべきだ」

 

私が懇切丁寧に説くと渋々ながら従ってくれた。

 

「でも楽しかっただろ?」

「恥ずかしさの方が勝った。具体的には衆目に晒されて婚約破棄された時と同じレベル」

「そこまで言うか」

 

もう少し説教すべきか。だがリオンにお姫様だっこされるのは嫌じゃなかったのも確か。

此処は私が折れるべきだろう。

 

「バルトファルト家の皆に見られず幸いだった。もし見られていたら説明に苦慮したぞ」

「それは大丈夫だと思うぞ」

「どうして?いくら婚約者とはいえ限度がある」

「俺が求婚(プロポーズ)してアンジェが承認してくれたと皆に話しておいた」

「………………何だとオオォォぉ!!!???」

 

今日一番の大声を放ってリオンに駆け寄る。

リオンの発言によって齎された驚嘆は全身の筋肉痛を物ともしない。

彼が着ている服の襟元を掴み何度も揺らす。体格差があるので効果は期待できないが。

 

「ナ、なな何で話したァ!?」

「いや、家族にはきちんと報告するべきだろ?」

「そうだが物事には順序がある!バルトファルト家の事情も考えろ!貴族同士の結婚には相応の手続きが必要だ!」

 

何故、私達は求婚されてから一日も経たず言い争いをしてるのだろう?

貴族として最底辺の環境で育ったリオンは貴族社会の慣習について疎い。

思わぬ落とし穴に嵌り頭痛がしてきた。

もう起こってしまった事についてはどうしようもない、気持ちを切り替えよう。

 

「…バルトファルト家の皆は私達の結婚についてどう思ってる?」

「誰一人反対してないよ」

「……本当に?」

「父さんは嬉しくて泣いてた。母さんは娘が一人増えるのを喜んでる。兄貴は弟の俺が先に結婚するのに少し落ち込んでる。コリンは素直に祝福してくれた。姉貴とフィンリーは俺がアンジェと結婚すると最初は信じなくてちょっとムカついた」

 

半年程の付き合いだがバルトファルト家の反応は想像が容易かった。

まぁレッドグレイブ家とバルトファルト家では家格の圧倒的な差で私の実家が婚約を迫れば拒めないから迂闊に反対も出来ないのだが。

 

「まさかレッドグレイブ家に報告はしてないな?」

「それをするほど命知らずじゃないよ。嫁入り前の公爵令嬢に手を出したと分かったら命が幾つあっても足りない。俺はもう死にかけたくない」

 

それはそうだろう。その辺りの判断が出来るなら今後の手続きは何とか上手く出来る。

 

「良かった、私とリオンが情交したとは誰にも知られてないか」

「………ハッハッハ、ソウデスネ」

 

抑揚の無い声で目を逸らすリオン。

ちょっと待て。お前、今度は一体何をやらかした?

 

「バルトファルト卿」

「………はい、アンジェリカ様」

「私は、非常に、危機感を、抱いている。貴様が、何か、しでかしてないか」

「………はい」

 

元々きつい顔立ちの私は怒ると目が吊り上がりかなり迫力のある顔付きになる。

そのせいで悪女めいた評判を立てられたりするのだが。

そこに怒気を孕んだ声を腹の底から搾り出す。気の弱い子供が今の私を見たら多分泣き出す。

 

「正直に話せば手加減してやろう、何があった?」

「……母さんと父さんにバレました」

 

………終わった、何もかも。

顔を上げて天を仰ぐ。なんて綺麗な夕焼けだろう。

暫しの現実逃避から戻ると先程以上に力を込めてリオンの肩を揺する。

 

「何故話した貴様ァ!?話して良い事と悪い事の区別もつかんのか阿呆!?」

「違うって!報告に行ったら『アンジェリカさんはいらっしゃらないの?』って聞かれたんだ!」

「…それで」

「アンジェは家で寝てるって答えたら『あの真面目なアンジェリカさんが?』と尋ねてきた…」

「…ふむ」

「何とか誤魔化そうとしたけど無理だった。俺は昔から母さんに隠し事できた試しがない…」

 

女は強し、母は強し。

大人しそうな見た目に反し不遇な境遇で子供五人を育てた男爵夫人は思いの外強かな御仁らしい。

 

「ちなみに男爵の方は?」

「父さんは『リオンも若いから仕方ないさ』と俺に同情してくれた。怒った母さんに殴られて俺と一緒に正座で説教」

 

自業自得です男爵。

大きく溜息をついて眉間を揉む。顔に力を入れ過ぎた。

ふとリオンに視線を向けると打って変わって落ち込んだ童のように恐縮していた。

どうやら本気で私に怒られたのがショックらしい。

このまま放っておこうかと一瞬思ったがすぐにその考えを振り払う。

これがリオン・フォウ・バルトファルトという男なのだ。

強い所も弱い所も、智慧の回る所もどこか抜けている所も、怒ると怖い所も自分に近しい者に分け隔てなく優しい所も。

総てひっくるめて彼なのだ。

そんなリオンを私は愛した。ならば彼を支えるのが私の役目だ。

そう考えると眠る前に悩んでいた事がバカバカしくなる。

惚れた弱みだ、最後まで付き合ってやろうではないか。

 

「明日、一緒に御両親に挨拶へ行こう。きちんと結婚のお許しを貰いに」

「もう怒ってない?愛想が尽きた?」

 

不安げな表情のリオンが幼子のようで少し可愛らしい。

『しょうがないなぁ』と許してしまう私はやはり甘いのだろう。

 

「怒ってない。だが、これから何かをする時は必ず私に相談して欲しい」

「あぁ、気を付けるよ」

「じゃあ温泉を楽しもう」

「そうするか」

 

もう心の迷いは晴れていた。

一年後、十年後に何が起きるかなど分からない。

先を見通せない事に怯えて暮らすのは心が疲れる。

私の隣にはリオンが居てくれる。

そのたった一つの事実だけで私は幸福だった。




ここからはファンアートを拝見して得た着想を基にした成人向け後日談を全年齢向けに修正した物なります。
後日談を読んだ読者の皆様から「全年齢の方でも読みたい」という要望が寄せられたので性描写やセリフを修正して順次追加投稿する予定です。
自分の作品が高く評価されるなど思ってもいなかったので本当に驚きました。
コンセプトは『アルトリーベ ファンディスク(成年向け)アンジェリカGoodEnd』です。
婚約破棄されシナリオから消えた令嬢に救いは無いのか?
そんな筈はないという想いを込め糖度マシマシで行きます。

追記:今章のシーンをyuyuさんと祐稀桜さんがイラストにしてくださいました。まことにありがとうございます。
https://www.pixiv.net/artworks/unlisted/LwcUyeU3n8bw38uHrSqb
https://www.pixiv.net/artworks/107188853


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第12章 愛する人と何処までも●

バルトファルト領に於ける宿泊施設はニ種類に分かれる。

傷病者向けの湯治施設は医療目的として王国から補助金を受けて運営される。

観光客向けの宿泊施設は外貨の獲得を目的にバルトファルト家が中心となって運営する。

その宿泊施設も大衆向けの一般的な宿と富裕層向けの高級宿の二種類がある。

観光客向けの宿泊施設もリーズナブルな大衆向けは現状に於いて稼働率が高いが富裕層向けの稼働率はそれ程高くない。

現状は湯治施設に注力し、いずれ観光客向けの歓楽街を設立する・何らかの特産品を開発し集客を行う等の構想が存在する。

リオンは勿論、王妃教育で経営学や政治学を学んだ私自身も実際に運営するのは初めてなのであらゆる事が手探りだ。

 

そんな高級宿の一部屋をバルトファルト家は常にキープしている。

主な目的は稼働率の底上げと賓客が突然来訪した場合に備えての対応策だ。

ただキープして使わないのも勿体ないのでバルトファルト家の皆が無料で宿泊できるようにしてある。

男爵夫妻やリオンの姉妹は既に幾度か泊まったらしい。

だからリオンと私が宿泊しても問題は無い。そう、問題無いはずだ。

なのに従業員達からの視線が妙に気になる。

いや、これまで視察としてリオンと共に幾度も訪れたのだから変化は無いだろう。

高級宿の従業員は高位貴族や富豪をもてなす場合に備え徹底的に吟味し、レッドグレイブ家の推薦で身元が確かで口が堅く優秀な者を雇用した。

 

それは何故?と考えた結果ある事実に気が付く。

私とリオンの関係性の違いだ。

当時の私はあくまでもリオンをビジネスパートナーと考えていた。

領地経営を円滑に行う為に必要だから世話をしていると自分では思っていた。

しかし、それを傍から見た者はどう考えるか?

婚約者である病身の領主に甲斐甲斐しく付き添う令嬢と思われなかったと断言できるか?

もしそうなら一緒に宿泊施設を訪れた所で今更だ。

変わったのは私、変わってしまったのは私。

私は自覚するずっと前からリオンに惹かれていた事になる。

その事実がひどく恥ずかしかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

宿の受付で借りた入浴に必要な品々を収めた籠を携え宿の廊下をリオンと共に歩く。

新築された建造物の香りから温泉特有の匂いへ湯殿に近づくに連れて移り変わる。

「男性浴室」「女性浴室」と大きく書かれた扉が見えてきた。

 

「それでは入るか、終わったら部屋で待ってて欲しい」

 

リオンにそう告げて女性浴室に入ろうとするが背後の気配が消えない。

振り返るとリオンが扉の向こう側に備えられた女性脱衣所に入ろうとしている。

 

「男性浴室はそっちだぞ。忘れたのか?」

「いや、一緒に入ろうかなと思ってさ」

「……はぁ?」

 

口から思わず奇妙な嘆声が漏れる。突然何を言いたすんだこの男?

 

「他の客がいるだろう。変質者として爵位を剥奪されたくないなら男性浴室に入れ」

 

そう言って男性浴室の扉を指を差す。

 

「俺達以外に宿泊客はいないってさ。今日は俺達の貸し切り」

「…………」

 

そういえば外履きを借りる為に先に宿へ向かっていたな。受付で宿泊客の情報を仕入れたか。

いや、旨い話がそう都合よくあるか?

そう思い始めると急速に頭が働き始める。

そもそも温泉に誘ったのはリオンだ。私が逃げられないように靴を履かせずお姫様だっこで運んだのもリオンだ。

全てリオンが仕込んだと思えば辻褄が合う。

 

「嵌めたなリオン!」

「さぁ?一体なんの事?」

 

口元がニヤついてるのを隠しきれてない。何でそういう所だけは異常に智慧が回るんだ貴様。

最初から私に逃げ道など存在しなかった。このままリオンの為すがままにされる運命なのか。

それは別に構わない、リオンが私を求めるのなら受け入れる覚悟はある。

だが搦手を用いて私の逃げ道を塞ぎ陥れるような性根が腹立たしい。

なので少しばかし揶揄っても罰は当たるまい。

 

「そうか、リオンは私を籠の中の鳥のように囲いたいのだな…」

「そんなつもりはないって」

「いい、分かってる。リオンが体を求めるのなら私に拒否権は無い。甘んじて受け入れよう」

「違うって、話を聞いてくれ」

「殿下との婚約を破棄された私と結婚しようとわざわざ思うのは色狂いの好色貴族ぐらいなものだ。純潔でなくなった私ならリオンに嫁ぐしか生きる道は残されていない」

「ちょっと待て!」

「心が通じあったと思っていたのは私だけだったのか。手籠めにされてもうレッドグレイブ家を頼れずリオン以外に縋れる者が存在しないのに…」

「違うから!!」

 

そう言うとリオンは頭を下げ始めた。

 

「ごめん、アンジェを驚かせたかっただけ。疚しい気持ちは誓ってない。ちょっとしたお祝いのつもりなんだ。傷付いたなら謝るよ」

 

リオンの慌てる姿に笑いを堪えて体が震えるのが泣いてるように見えたらしい。

少々やり過ぎたかもしれない。我ながら底意地が悪いが元はと言えばリオンの行動が発端だ。

これに懲りて今後は控えて欲しい。

 

「………プっ」

「アンジェ?」

「くふふふふふ」

「なんだ、嘘泣きかよ…」

 

漸く気付いたらしきオンは安心すると同時に拗ね始めた。

 

「すまない。だがリオンで裏でコソコソと謀をするも悪いんだぞ」

「だって直接言ったらアンジェは嫌がるだろ」

「そんな事はない。リオンの要求なら受け入れる度量はあるつもりだ」

「本当に?」

「本当だ。だが女には相応の準備が必要だ。特に私は見栄っ張りだからリオンが他の女に目移りしないように一番綺麗な姿で私だけを見て欲し…」

 

……何を言い始めているんだ私は?

リオンを揶揄うのに夢中でとんでもない惚気を口走っている。

 

「あの、だからな、私はリオンが他の女に目移りする事に耐えられない」

「あぁ、うん」

「その、リオンが私だけをずっと見てくれるよう常に綺麗でいたい」

「大丈夫だから、分かってるから」

「せめて、何かする時は心の準備が出来るように事前に教えてくれるとありがたい」

「これからは気を付けるよ」

「決してリオンに求められるのが嫌ではないんだ。ただ、どうして良いか分からなくて」

「なんか、ごめん…」

「いや、私の方もすまない…」

 

自分の言葉が照れくさい。好きな男児へ独占欲丸出しの女児か私は。

リオンの方も若干顔を赤らめて私から視線を逸らす。

なんとも居たたまれない空気が周囲に満ちる。

 

「温泉、入るか…」

「うん…」

 

先程までと打って変わり、何とも気恥ずかしさを抱えたまま私達は同じ脱衣所へ入った。

 

 

温泉を満喫した私は再びリオンにお姫様だっこされ別宅に運ばれる事になった。

リオンは泊まっていこうと提案したがどうしてもその気になれなかった。

宿泊施設に泊まれば確かに至れり尽くせりで過ごせただろう。

でも、今の私は誰かに傅かれ世話してもらうよりも不自由でも愛する人と共に苦労する方を好ましく思っていた。

お姫様だっこされるのも行きと違い恥ずかしさを感じない。

誰にも見られていない事もあるが、私自身の意識が変わったのが大きな変化だ。

バルトファルト領でリオンと共に生きる。

その覚悟を漸く固められた。

結果的にレッドグレイブ家からの融資だけではなく、私を妻として迎え入れるリオンに更なる苦労をかけるだろう。

もしレッドグレイブ家とバルトファルト家が対立する事になればどうなるか?

想像したくもないが最悪の事態を想像するのが統治者の務めだ。

 

「どうしたアンジェ?」

 

唐突にリオンから声をかけられる。どうやら些か表情が強張っていたようだ。

 

「何でもない」

「寒いだろ、もう少しくっつけ」

 

そう言って私を抱える腕に力を込める。

きっとリオンは私がどんな事を考えてるか分からないだろう。

でも分からなくて良い。

きっと私の内心を知れば彼は一緒に悩もうとする。

そんな彼が愛しいから、だから敢えて私は心を隠す。

もしバレて怒られたら、素直に謝って力を併せて頑張ろう。

未来は見通せないけれど、きっと私達は上手くやれる。

そんな事を考えつつ揺れに身を任せるといつしか私は眠りに落ちた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「アンジェ、着いたぞ」

 

目元を擦ると既に別宅の玄関に到着していた。

ゆっくりと足を降ろし邸内へ入る。素足に感じる床の冷たさが心地良い。

灯りを点けずとも別宅の構造は把握してる。

此処での暮らしは私にとって馴染み深い物となった。

逆に公爵令嬢、王子の婚約者として王都で生きてきた生活を遠い昔のように感じてしまう。

それが良い事なのか悪い事なのか私自身には判別できない。

婚約破棄された時の絶望、王家への不信は今もなお私の心の片隅で燻っている。

 

それでも、今の私にとってもっと重要で大切な物が出来た。

怨みや不満を抱え世を呪いながら生きるより、愛する人と共にささやかな幸せを噛みしめて生きる。

その方がよほど建設的で幸せだ。

そんな思考をしているとすぐ部屋の前に来てしまう。

自分の部屋に帰ろうとするリオンの背を見て思わず手を握る。

訝しげに私を見つめるリオン。どうして彼を止めたのか自分でも分からない。

ただ片時でも彼と離れ離れになるのが嫌だった。

 

「一緒に寝よう」

 

短い言葉で願いを口にする。

リオンは何も言わない。言う必要が無いから。

そうして私の部屋に彼を招き入れる。

窓から見える月と星々が放つ光だけが室内を灯す。

肌寒さを感じベッドの上に座る。同時にリオンも腰掛ける。

既に幾度も肌を重ね合わせたのにこうして二人きりになると何を口にすれば良いか分からない。

それで良かった。

言葉にしたらこの幸せが霧散してしまいそうで怖かった。

 

「じゃあ寝るか」

「うん」

 

そうして私達は同じベッドに横たわる。

まだ新築の真新しさが残る天井の木目を見る。

思えば昨夜からいろいろな事があった。

恋のつらさに泣いて枕を濡らしていた事が嘘のように感じられる。

今の私は満たされていた。

ふと手に何かが触れる感触に気付く。リオンの手だった。

 

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「もっとくっ付け」

 

有無を言わせない口調だった。ゆっくりと布団の上を這って近づく。

もし、また求められたらどうしよう。

流石に体は疲れているが愛を確かめ合う行為を拒むつもりは毛頭なかった。

 

「昨日みたいに私を抱くのか?」

「抱かないよ、でもアンジェを感じていたい」

 

そう言われて引き寄せられるとリオンの胸板に顔を埋める形になった。

彼の鼓動を感じる。

規則正しいリズムで鳴るその音を聞いていると安心感からかまた睡魔が襲ってくる。

 

「なぁ、リオン。お願いがあるんだ」

「何?」

「腕枕して欲しい」

 

体勢を入れ替えリオンが左腕を伸ばす。

その腕に頭を乗せると折り畳まれた左腕が再び私を引き寄せた。

 

「重くない?」

「大丈夫」

「…見つめられると寝れない」

「俺しか見てないから平気」

「ふふっ」

 

そう言って私も彼の顔を見つめる。

初めて会った時は憔悴していたリオンが今では優しく微笑んでる。

私の隣に居てくれる。

それだけで嬉しかった。

どれほど時が流れただろう。

規則正しい息遣いを感じ、顔を上げるとリオンは既に眠りに落ちていた。

私を見守るつもりが先に眠ってしまったらしい。

何とも微笑ましくて顔が綻んでしまう。

 

 

窓から見える夜空に想いを馳せる。

きっと私の人生はこれからも艱難辛苦に見舞われるだろう。

上手くいかない事も多く訪れ、時に無力感に苛まれる。

それでも人生に絶望はしない。

私の隣に彼がいる。

それだけで私は満ち足りるのだ。

私の伴侶 私の番い 私の片翼

彼が足を挫いたなら私が杖となろう。

彼が盲いたなら私が瞳となろう。

彼が闇で迷うなら道を照らす灯となろう。

そうありたいと願う。

きっと私は間違いを犯す。

でも、その時は彼が私を導いてくれる。

だから私は人生に絶望しない。

世界はいつも残酷で情け容赦なく人々に厳しい。

それでも私は屈しない。

私の隣に彼がいる。

だから安心して眠りに落ちよう。

希望と共に朝を迎え精一杯生きてゆこう。

世界がどれだけ厳しくても私達は共に生きてゆく。

 

 

そして私は眠りに落ちる。

世界に屈しない愛を抱いて。




混浴シーンはR指定なので大幅カットになりました。(涙
両想いになった後の甘酸っぱい雰囲気はイチャイチャと別の良さがありますね。
二人のイチャイチャばかりだと物語に奥行きが無くなってしまうのはひとえに私の未熟さです。
次章から改善するつもりです。
今章のファンアートをギョーザさんに描いてくださいました。ありがとうございます。
https://skeb.jp/@Gyouza_anime/works/16


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第13章 性悪な田舎領主と悪女な奥様

私がバルトファルト領を訪れ一年が経つ頃、正式な婚姻が行われ私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルトとなった。

レッドグレイブ家は王都での挙式を提案したが私達は固辞した。

私の評判は未だに回復しきれていないし、公爵家の娘婿になったリオンが周囲から受ける嫉妬を避ける為だ。

貴族同士の結婚としては身内だけの小規模な式でリオンは申し訳なさそうだったが私は満足している。

リオンと夫婦になれるなら形式に拘る必要は無い。リオンが私の隣にいるのが最重要なのだから。

 

結婚して三ヶ月ほど経った頃に急な体調不良に襲われた。

慌てたリオンが領内の医師を総動員させた結果、私の懐妊が判明する。

バルトファルト家は喜びに満ち溢れたが私とリオンの内心は冷や汗が流れていた。

何せ婚姻前から私達は情交に耽溺していたのだから。

一応は避妊していたが私もリオンも盛り上がるとつい羽目を外してしまいがちなので、挙式前に孕まなかったのは単なる幸運に過ぎなかった。

何とか誤魔化す為に『バルトファルト領の温泉は不妊に効果がある』等の噂をさり気なく流した結果、これが功を奏したのか女性客が増えた。

まさか領主の正妻自身が広告塔になるとは思わなかったが、こうした事情もあって私の懐妊はすんなりと周囲から受け入れられた。

 

レッドグレイブ家からは勿論、周辺の地方領主からも祝いの品を贈られたがその品々に混じってホルファート王家からの祝辞があった。

王家に対し蟠りが無いと言えば嘘になる。

それでも産まれてくる我が子に私の怨讐を引き継がせたくない。だから敢えて私は返礼の手紙を送った。

今の私は国母に為れずとも幸せだから。

もう殿下や聖女と関わる事は今後無いのかもしれない。それで良い。

互いに誤りどうしようもなく擦れ違ってしまった殿下と私だけれど、いつか思い返し笑える日が訪れる事を切に願う。

彼らには彼らの人生があるように私達にも私達の人生があるのだから。

華麗な舞台から退場したその後にも人生は続いてゆく。

もし私が悪夢に魘され目を覚ましても隣を見れば其処にリオンがいてくれる。

それだけで私は涙が出るぐらい幸福だから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「小麦の収穫量は予想通り。今年開拓した農地が上手くいけば来年は倍近い生産を見込めると思う」

「だとすると問題なのは輸送手段の確保だな。レッドグレイブ家の伝手を頼り続ける訳にもいくまい」

「近くの領主と協力して流通ルートを作った方が良いかもな。上手くいきゃ安くて便利な販売網が出来る」

「だからと言って急に変えれば職を失う者が出る。王都向け商品の輸送を任せつつ徐々に移行しよう」

「また空賊対策に金がかかるなぁ」

 

バルトファルト邸の領主夫妻の寝室で行われる夫婦の会話としては些か色気の足りない話題。

婚姻して以来、私達の本拠はバルトファルト邸に移った。

政務を執り仕切るのに別宅は手狭で移動が面倒だったし、領主が子育てをするにも適さない。

別宅はそのままに、機能だけはバルトファルト邸の執務室に移した。

そして夫婦共同の寝室で私達は今後の領地経営に頭を悩ませる。

だが、これは我々バルトファルト子爵夫妻が就寝前に行う日課のような物だ。

リオンは領主としてまだ未熟であり、私自身も至らぬ点が多い。

そうして自然と就寝前にその日に行った政務を報告し合い今後の方針を定めるのが習慣になった。

 

「空賊をまとめて一掃できるロストアイテムとか欲しい」

「そんな都合の良い物が存在するものか」

「じゃあ未来を見通す予言者。来年の正確な情報が欲しい。楽して稼ぎたい」

「未来を予測できる者が実在したら真っ先に王家が確保している」

「いっそ兵士じゃなくて冒険者を目指すべきだった」

 

リオンは仕事がつらくなると愚痴が止まらなくなる。それを慰めるのも私の大事な仕事だ。

 

「冒険者になってたら私と出会う機会はなかったぞ」

「そりゃ困るな、アンジェが居ないと俺は生きていけない」

 

ロストアイテムを入手して素直に国へ献上する方が稀だ。リオンは私と出会う事なく一生を送るだろう。

リオンと出会わない人生など御免蒙る。

 

「それと王都の父上から陞爵の意思確認が来た」

「またか?」

 

心底嫌そうな顔をするリオン。普通の貴族なら飛び上がって喜ぶぞ。

 

「何で義父(おやじ)さんや義兄(にい)さんは俺を出世させたいんだよ」

「そもそもリオンの功績や領地の大きさを鑑みたらむしろ子爵という地位が低過ぎる」

 

敵軍に囲まれても奮闘し司令官を討ち獲った英雄に然るべき地位を与えない王家なら貴族からの支持は下がり謀反の危険性が高まる。

レッドグレイブ家からすれば娘の嫁ぎ先の爵位があまりに低ければ面子が保てない。

この点に於いてホルファート王家とレッドグレイブ家の利害は一致している。

 

「未だ王国の政情は不安定だ。共和国や神聖王国の動きも怪しい。父上と兄上に何かあれば公爵家を継ぐのは私達の子になる。いや、王家に何かあれば王に為れるだけの家格を持つのが公爵家という存在だ」

「きな臭い話に関わり合いたくねぇ。何とか誤魔化して」

「しかし陞爵すれば義務は増えるが保有する権力も増す。領地の発展には有利だ」

 

レッドグレイブ家は政治方針として幾度もホルファート王家と婚姻してきた。

私自身も末席ながら王位継承権を有している。

 

「レッドグレイブ家は国祖の時代から王家と近しい家系なので余計な柵が増える。根回しも進んでいるからおそらく数年後には否応なく陞爵するだろう」

バルトファルト家(うち)だって先祖は初代国王の仲間だったらしいぜ。家族の誰も信じてない与太話だけど」

 

レッドグレイブ家が私とリオンの縁談を勧めたのは案外そうした裏事情もあるのかもしれない。

まぁそんな眉唾物の出自を騙る下級貴族は後を絶たない訳だが。

 

「今の俺にとっちゃ嫁と子と領地が重要さ。中央で出世なんて考えたくない」

 

私が懐妊してからリオンは随分変わった。

産まれてくる我が子の為に率先して政務に取り掛かるようになっている。

その事が誇らしいのと同時に寂しい。身重の体ではどうしても無理が出来ない。

私はリオンと共に歩みたいが愛の結晶と言える我が子が重荷になるのがもどかしい。

そんな心中を隠しつつリオンの頭を抱いて撫でる。

 

「リオンはよく頑張ってる、えらいえらい」

 

子供をあやすような口調だが此れがリオンに一番効く。本人が言ったように私の胸が触れる程度でやる気を出してくれるなら安いものだ。

 

「明日の仕事は?」

「無いよ、半月ぶりの休日。皆がいい加減休めって言ってた」

 

むしろ身重という理由で夫に仕事を押し付け三食昼寝付きの生活をしている自分が申し訳ない。

明日はうんとリオンを労ってやらねば。

一緒にのんびり温泉に入り、一緒に美味しい料理を堪能し、一緒にぐっすりと眠る。

 

「じゃあ、そろそろ寝るか」

「そうだな」

 

懐妊してから体調面で様々な変化がある。

寝返りを打つのも一苦労だし、横になるとすぐに寝入ってしまう。

姿勢を変えようとする私の背と腰をリオンが支える。

リオンが過剰なぐらい私の世話を焼きたがるのが最近の悩みだ。

初子なので心配も期待もあるのだろう、領主が使用人に任せるような世話さえ手ずからやりたがる。

領主として成長していくリオンに対し懐妊してあまり手伝えない我が身が厭わしい。

彼に相応しい妻と為りたいのに際限なく甘えてしまう。何処までも愛に溺れ堕落してしまう自分が怖かった。

敢えてリオンから顔を背けて横に臥す。

 

「おやすみなさい」

 

いちいち悩むのは胎教に悪い、我が子には健やかに産まれて欲しい。

目を閉じて呼吸を整えれば眠りに落ちてしまうだろう。

明日を楽しみにゆっくりと力を抜いて私は微睡の狭間に落ちた。

寒さに震える動物が身を寄せ合うように私達は抱き合う。

不思議と羞恥心は湧かなかった。

お互いに確信めいた物を感じていた。

私達はどうしようもないほど惹かれ合い共に歩む宿命だと。

きっと互いの存在が傍に居るだけで満足してしまうほどに。

だから見えない明日に怯える必要は無い。

私達は分け難いほど一つなのだから。

だから安心して眠りに落ちる。

嘘のように幸福な現実を生きる為に。

夢のように幸福な未来に生きる為に。




寝室シーンが多いのはもともと成人向けに書いたからです。(言い訳
読み返してエロゲーがコンシューマ移植された時に内容がスカスカになる現象の既視感を覚えました。
成人向け作品でエッチシーン無しでも内容が面白い作家さんの力量を尊敬します。
何故アンジェを妊娠させたかは親になるアンジェとリオンの悩みを描写したかった、漠然とこの二次創作の終着点を構想していたという事情です。
ギャルゲーやエロゲーでヒロインが妊娠していたり、主人公達の子がいるエンディングが一番幸せそうで好きという私情が大部分ですが。


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第二部 戦後編 (●は挿絵イラスト在り)
第14章 獅子の憂鬱


飛行船の性能は速度のみに限らない。

静穏性、耐久性、居住区の快適さ等の多岐に渡る。

貴族ともなれば個人で飛行船を所有するのは当たり前であり、どの部分に贅を凝らすかによって所有者の性格を伺えると言っても決して過言ではない。

まぁ、地方領主の俺が飛行船に掛けられる金なんて限度があるんだが。

他の貴族と比べて恥ずかしくない程度の見栄えと長旅で疲れない快適さがあればそれで良い。

これでもバルトファルト家がかつて所有していた飛行船より格段にマシな部類だ。

舳先が雲を切り裂いていく光景はいつ見ても心が躍る。

 

ガキの頃、俺は英雄になりたかった。

カッコいい飛行船に乗り未知の浮島を見つけ財宝を獲る冒険者。

ピカピカに磨かれた鎧を操縦し侵略者から国を護り姫君を救う騎士。

そんな男の子なら誰でも思い描くような夢はいつだって現実と言う避けられない絶対的強者に蹂躙される。

叶うかも分からない子供の頃の夢よりも目の前のパン一切れの方が重要だ。

他人は俺を英雄と褒め讃える。

貧乏貴族の次男坊から一代で成り上がった若き俊英。

寡兵で敵軍に挑み司令官を見事討ち取った国の守護者。

公爵家の令嬢を娶り領地の経営に成功した敏腕領主。

 

そのどれもが間違いだ。

ビビりでヘタレな凡人が本当のリオン・フォウ・バルトファルト。

思いもよらない幸運に恵まれて今の地位を得ただけに過ぎないのが俺だ。

この幸運にも終わりが来るんじゃ?

化けの皮を剝がされた時、俺は一体どうなるんだろう?

そんな事を考えながら窓の外を見る。

俺の心中とは裏腹に空は綺麗な青色だった。

もう何度目か分からない溜め息をついて飛行船の船長室へ向かう。

数ヶ月ぶりに帰郷する筈なのにその足は重たかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「ハァ……」

「溜め息を止めろリオン、気が滅入る」

「仮にも領主でしょ、少しはピシッとしてよ」

 

兄と弟に説教されるが面倒くさい物は面倒くさい。

飛行船の船長室はブリッジと同程度に防音性と耐久性に優れる。

搭乗員に聞かれたくない話をするにはうってつけの場所だ。

俺に説教するのは兄のニックスと弟のコリン。

兄貴と弟に呆れられる俺はこの飛行船で最も偉い立場、偉い立場の筈だ。

兄貴は先日に男爵位の継承を認められ正式に貴族入りする予定、コリンは無位無官だが領地で教育を受けつつ俺の部下みたいに働いてくれる。

どちらも俺にとっては愛する家族だし頼れる部下だ。

なのに俺に対する言葉がいつも辛辣なのはひどいと思うんだが。

 

「帰りたくねぇ、絶対アンジェに怒られる」

 

もう何度目になるか分からない言葉を口にして項垂れる。

愛しい愛しい嫁の名前を口にする度に気が滅入る。

どうしてこんな羽目になった?

切っ掛けは半年ほど前に遡る。

まずアルゼル共和国が前触れも無く崩壊した。

原因は未だに不明、聖樹の暴走とも大量の高純度魔石が大爆発を引き起こしたとも噂される。

国の中枢を支配していた六大貴族の生き残りが何とか生存者を纏め上げたが国家としてのアルゼル共和国は事実上瓦解し近隣諸国からの支援を余儀なくされた。

問題はアルゼル共和国への支援をどの国が主導するかという事だった。

支援とは名ばかりで実際には食料や物資と引き換えに他国の属領になれという内政干渉だ。

その主導権を握ろうとしたのがファンオース公国と我らがホルファート王国。

幾度も戦争を行ってきた二国が自分の利益を増やし相手の損失を願うのは当然の流れだった。

 

その結果、和平条約は敢えなく無効となり四年前に行われた戦争が再び行われる羽目になった。

俺としては戦争など二度と御免だった。

戦傷を理由に軍を退役したから今回は兵役を免除しても許される筈だ。

だが、そう上手くはいかなかった。

そもそも俺の出世は公国との戦争が切っ掛けだ。

崩壊した部隊を纏め上げ公国の司令官を討ち取った事実は王国に希望を、そして公国に怒りを齎した。

王国は俺を若き指揮官として登用し戦線の維持を謀る。

公国にとって俺は不俱戴天の仇敵であり戦争に参加しないなら真っ先に狙われる抹殺対象だった。

 

俺が出向かなきゃ狙われるのは妻子であり家族であり領地だ。

『いっそ他国へ亡命すれば受け入れられるんじゃ?』とも考えたが現実的でないので計画は頓挫。

王国に対して忠誠心など欠片も持っちゃいないが自分と家族と領民の命がかかってるから仕方ない。

結局は兄貴を副官に据えてバルトファルト領の男達を率い出兵する羽目になった。

去年産まれた息子と娘がまだ1歳にもなってないのに戦争を起こす王家と公国が恨めしい。

お前ら両方滅ぼして俺が王になってやろうかチクショウ。

数ヶ月に渡る戦闘の末に公国は敗北、これにより王国は元共和国の半分近くと公国を支配下にした。

 

「また大げさな事を」

「義姉さんが兄さんを嫌う筈はないでしょ」

「お前らはアンジェの怖さを知らないからそう言えるんだ」

 

アンジェは綺麗な顔立ちな反面、本気で怒るとより凄みが増す。

何て言うか、生粋の女王様?

あの顔と声で叱責されると凄く怖いのと同時に色気があってゾクっとする。

まぁアンジェが本気で怒るのは俺に対してのみなんだが。

アンジェの喜怒哀楽は俺の物だ、他の誰にも譲りたくない。

 

「そもそも何でろくに連絡しなかったの?」

「仕方ねぇだろ、戦争中なんだから」

「前の戦争じゃ裏切りが相次いだからなぁ」

 

従軍せず父さんと一緒にバルトファルト領を守っていたコリンは知らないだろうが、情報漏洩を防ぐ為に個人の連絡を規制するのは軍隊じゃよくある事だ。

おまけに前の戦争では裏切り者が相次いだ挙句に軍事機密すら公国に漏れていた。

そのお陰で俺は偽情報を流して公国軍を誘き寄せて奇襲できたんだけど。

マズい事に前回の功績を評価された俺はまた激戦区に配属された、おまけに最初から部隊指揮官という嬉しくない厚待遇。

俺を都合よく酷使するホルファート王家マジ滅べ。

 

お陰で従軍してから三ヶ月間も実家とろくに連絡が取れなかった。

さらには終戦してさっさと領地に帰ろうとしたら無理やり引き止められ王都に招かれ祝勝会と貴族会議に強制参加させられて戻るのが半月も遅れた。

だからそういうのありがた迷惑だって言ってんだろ、マジ止めろ。

後から一応は王都からバルトファルト領に連絡したが、久しぶりに聞いたアンジェの声は落ち着いた物だった。

 

あれは怒ってる、きっと怒ってる、絶対に怒ってる。

アンジェに怒られるだけならまだいい、嫌われるのだけは避けたい。

こういう場合はプレゼントでご機嫌を取れるなら良いが、アンジェは公爵家の出身なので俺の考える贅沢はアンジェにとっては大した代物ではないだろう。

落ち込んでも仕方ないし、他に気になる事もある。

 

「ライオネルとアリエルはどうしてる。もう歩けるか?喋れるようになったか?」

 

バルトファルト領に残っていたコリンに尋ねる。

ライオネル・フォウ・バルトファルト。

アリエル・フォウ・バルトファルト。

愛しき息子と娘、俺の生きる理由。

共和国が崩壊する数ヶ月前にアンジェは俺の子達を産んだ。

男子と女子で一人ずつで共にアンジェの血を受け継いで金髪。

父親になって初めて理解したのは我が子ほど可愛い存在は居ないという事実。

俺はフィンリーとコリンの子守りをした事もあるからある程度は手馴れていたが、乳母や侍女が育児を担当する公爵家で育ったアンジェは危なっかしい手付きで世話をしていた。

 

幸せそうなアンジェとライオネルとアリエルが危険に晒される?

ふざけるな、世界の総てを敵に回しても最後まで抵抗してやる。

結果として俺は従軍する決心をした。

それは別に良い、問題は我が子の可愛い時期に離れ離れに暮らすつらさだ。

 

「義姉さんや父さんと母さんに懐いてる。近頃は片言だけど喋るようになったし」

「俺については?」

「目の前にいない人に懐けって方が無理だよ」

 

少しは言葉を濁せ、泣きたくなるだろ。

必死に生き抜いたのに帰ったら嫁と息子と娘に嫌われ家に居場所が無かったら死にたくなる。

従軍して帰国後に離婚する夫婦は多いんだぞ。

 

「あぁ、出世したくねえ。どいつもこいつも面倒事を押し付けやがって」

「そんなに陞爵したくないの?」

「伯爵ともなれば相応の役職に就かなきゃならない、まして王家と公爵家の関係が悪化してる今は与えられる役職によってバルトファルト家の立ち位置が決まる」

 

疑問を口にするコリンに兄貴が答える。

俺自身も大して政治に明るい訳じゃない、アンジェの指導があるからこそ何とか宮廷内の勢力図を理解できるのが現状だ。

 

「元々アンジェと王子の婚約はホルファート王家とレッドグレイブ公爵家の関係強化が目的だった。象徴としての王家と最大派閥を作ってる公爵家が手を組めば王国の支配が盤石になるからな」

「それを快く思わない貴族も相当数いたんだよ。その筆頭がフランプトン侯爵。前の戦争で公国と裏で繋がってた売国奴さ」

「奴の目論見としてはアンジェと王子を婚約破棄させた後に自分の派閥にいる貴族令嬢を嫁がせて宮廷内の実権を握りつもりだったらしい。実際に途中までは上手くいってた」

「誤算だったのはアンジェリカさんとの婚約を破棄した王子が後に見初めたのが聖女だった事。まさか爵位すらない平民が相手とは思わなかっただろうな」

「で、裏切り者は考える。『平民の聖女を上手く利用すれば容易に王家を傀儡に出来る』ってな。だが失敗した挙句に裏切りがバレて処刑された訳だ」

 

いつ聞いても胸糞が悪くなる話だった。

だが、そんなクソ野郎がいたお陰でアンジェは俺の嫁になってくれたのだから皮肉なもんだ。

 

「聖女とアンジェの関係が良くなかったにせよ王子が率先して婚約破棄したのは事実。そのせいで王家と公爵家の関係は最悪になった」

「真実が判明した後に王家は全てフランプトン侯爵が企みだったと公表した。死人に口無し、『悪いのはフランプトン侯爵で王家は騙されていただけ』と全ての責を押し付けた」

「何それ、ひどくない」

「王家は公爵家との関係修復を図ってるが上手くいかないらしい。面子がある以上は公爵家へ正式に謝罪したら自ら王家の非を認める事になるからな」

「結果は王家の信用はボロボロ、王子は能力を疑問視され、聖女も侯爵が裏で暗躍してたんで支持率が低いってのが現状さ」

 

殆どアンジェの受け入りだったが説明を終えた。

想像以上に悲惨な現状な我が国の現状をアンジェから教えられた時は俺も開いた口が塞がらなかったから今のコリンの気持ちがよく分かる。

 

「それが兄さんの出世とどう繋がるの?」

「リオンはアンジェリカさんと結婚したからな。アンジェリカさん本人に正式な謝罪は出来なくても夫であるリオンの出世に便宜を図って詫びにしたいんだ」

「公爵家も俺が出世すれば派閥を強化できるからな。その一点のみ王家と公爵家の思惑は一致してる」

 

そう言って足を踏み鳴らし船長室の下にある格納庫に収容されたある存在を指し示す。

余計な物をくれやがって、あんなの貰ってもありがた迷惑なんだよ。

王家の連中は自分が与える物で下々の奴らが必ず喜ぶと錯覚してるんじゃないか?

 

「王家も太っ腹だよな。最新型の鎧を下賜するなんて」

「要らねぇよあんなの。趣味が悪いし」

「僕はカッコいいと思うけど」

「どう整備すりゃ良いんだよ。バルトファルト領に最新型の調整が出来る職人なんて居ないぞ」

 

今回の戦争で俺の鎧はボロボロになった。

元々は旧型の安い鎧に装甲やら武器やらを後から追加した不格好な代物だったから仕方ない。

とにかく死にたくなかったから耐久性を高めた結果鈍重で大型になったがその武骨な姿が俺を護ってくれると思えば愛着も湧く。

そんな俺の心中と裏腹に王家と公爵家は『高位貴族が搭乗する鎧に相応しくない』と判断したのだろう。

胸にデカデカとバルトファルト家の紋章を装飾を施したやたら細身で流線形な最新型の鎧をプレゼントしやがった。

言っておくが俺の操縦技能は平均より上だがあくまで凡人レベルだ。

搭乗しても性能を活かせる訳ないし、持ち帰っても最新型の鎧を整備できる職人が領地に居ない、売り払おうにもバルトファルト家の紋章があるので王家から拝領した鎧を処分した事がバレたら叱責される。

どう考えてもお荷物にしかならない存在だ。

 

「じゃあさ、うちの領地にも大きな工房を作ったらどうかな?」

「今後の勤めを考えるとその方が安上がりかもな。上手くいけば周辺の領地からも修理依頼で稼げる」

「工房を建てるのもタダじゃない、また公爵に頭を下げて金を借りるのは俺だぞ」

 

コリンの案は確かに魅力的だが穴が多過ぎる。

今のバルトファルト家には工房設立の為に投資する金が無い。

一応は開拓と温泉業で稼いだ金は有ったがそれも今回の戦争で目減りした。

貯えをこれ以上減らせば凶作や温泉の枯渇といった不慮の事態に対応できない。

というか今回の戦費を王国は補填してくれるんだろうな?

只でさえ王家の求心力が落ちてるのに国防の必要経費すら削るなら本当に他国へ寝返るぞコラ。

 

かと言って公爵家に金を借りるのも気が引ける。

宮廷での発言力を増したい公爵は借金と引き換えに俺を利用する気満々だ。

どう話が転んでも俺が出世するのは避けようがない。

止めてくれよ、頼むから隠居させてくれ。

 

「なぁ、兄貴」

「ん?」

「バルトファルト家の当主にならないか?」

「何言ってんだお前」

「じゃあコリンは?」

「無理だってば」

「あ~~~ッ、隠居してぇ!」

 

今まで何度そう思ったか数え切れない。

俺の慟哭は船長室の壁と飛行船の駆動音にかき消される。

 

「王子達も公爵も王都で非公式に接触して俺を派閥に取り込もうとしやがって。仲良くしろアイツら」

「だから帰るのが遅れたんだね」

「王家と公爵家のどちらに味方するか、頭が痛いな」

「でも俺は娘婿だから公爵家に味方せざる得ない。だから兄貴はさっさ嫁を取れ」

「待て、どうしてそうなる?」

「王家派の貴族と婚姻すれば王家に忠誠を誓ってるように見える。あと父さんと母さんが安心する」

「俺に嫁を選ばせるつもりは無いのか」

「姉貴を嫁入りさせるより現実的だろ。俺達が居ない間に姉貴への縁談は?」

「無いよ」

「だから兄貴が結婚するのが手っ取り早い。今なら付き合ってくれる貴族令嬢もいるだろ」

「モテなくて悪かったなこの野郎ッ!!」

 

キレた兄貴に思いっきり殴られた、痛い。

 

「綺麗な嫁を貰ったからいい気になってるだろリオン!!」

「弟が心配してるのに殴るんじゃねえ!!」

「余計なお世話だ!!嫁ぐらい自力で見つけてやる!!」

「そう言って未婚のまま終わる貴族令息が多いから心配してんだよ!!」

「近所の女子に人気だったお前がモテないとか言ってた事に俺がどれだけ傷付いたと思ってる!?」

「八つ当たりすんなバカ兄貴!!」

「少しは兄を敬え愚弟!!」

「や~め~な~よ~!!」

 

我が家の今後についての家族会議からアホらしい口論に発展し、大した成果を上げる事なく終了する。

それと同時に船内にブザーの音が響き渡る。

この音が示すのは目的地への到着だ。

窓の外を見ると大きな浮島が見えてきた。

数ヶ月ぶりの我が領地だった。

浮島の状況を確認するように一周した後に飛行船の入港が許可され着陸準備に入る。

バルトファルト領の港は領地の発展具合に似つかわしくないほど大きい。

理由は温泉を訪れる高位貴族が所有する大型飛行船を受け入れる、開拓に必要な物資を搬入する為だ。

この港もいずれは観光客向けと労働者向けに分けないとマズいが今のバルトファルト家にそんな金は無い。

 

ゆっくりと降下し入港が完了すると飛行船の振動音が止まる。

王都からバルトファルト領まで約一日半、空賊に出会う事なく無事に辿り着いた。

俺を意図的に襲うのは英雄を敵に回す蛮勇であり王家と公爵家からの追撃を恐れないよっぽどの阿呆がやる事だ。

そういう阿呆が大量にいたのが数年前までの王国だけどな。

飛行船の昇降口が開くと人込み特有の熱気と様々な搬入物の香りが入り混じった空気が船内に入って来る。

この浮島を拝領したのは数年前だが久しぶりに帰ると郷愁を感じるから不思議だ。

飛行船の周囲に人が集まって来る。

まぁ、領主が数ヶ月ぶりに帰還したから仕方ないか。

 

「お~い!こっちだ!」

 

一際大きな声が響くと野次馬たちが移動を始める。

我等が父バルカス・フォウ・バルトファルト男爵殿のお通りだ。

簡素な服を着てるから貴族じゃなくて港の労働者にしか見えない。

ゆくゆく爵位は兄貴が引き継ぐから着飾る必要が無く気楽そうで羨ましい、頼むから俺と立場を交換してくんないかな。

父さんの側に数人の身形を整えた男達はバルトファルト家が雇った家人だ。

どう見ても父さんより良い服装してるがこいつ等としちゃ主君の父に諫言は出来ないか。

雇われの身の世知辛さに同情の視線を投げかけると俺の心中を察したのか苦笑いを浮かべて頷かれる。

再び父さんの方を見ると何やら綺麗な桃色の布を抱えてる。

それを認識した瞬間に鼓動が高鳴った。

父さんが屈んで抱えていたそれを脚元に置くとゆっくりと立ち上がった。

 

間違いない、アリエルだ。

記憶にあるよりだいぶ大きい。

子供の成長は早いってよく言われてるが、俺が居ない間に自力で立てるようになったか。

感動と共に我が子の成長を見守る機会を奪った王家と公国に腹が立つけど俺の娘可愛いから今の間だけは許す。

しゃがんで両手を広げるとアリエルを抱き締める準備をする。

さぁ、パパの胸へ飛び込んで来なさい。

しかし、俺の期待と裏腹にアリエルはいつまで経っても飛び込んで来ない。

むしろ訝し気に俺を見ている。

やめてくれ、そんな目でパパを見ないで。

 

「ほら、アリエル。久しぶりのパパだぞ」

 

焦れた父さんが必死にアリエルを促すが却って反応が悪くなる。

ジッと俺の方を睨むような目つきで見る我が娘。

さっきとは別の意味で泣きたくなる俺。

 

「や」

 

拒絶を意味するたった一言を聞いた瞬間、膝から崩れ落ちた俺の意識は遠のいた。

 

 

馬車がゆっくりとバルトファルト邸への道を進む。

以前は未舗装で馬車に乗ると揺れで尻が痛くなるほどだったが温泉業と同時に領地の利便性を高める為に主要な道は石畳に舗装された。

これもアンジェの立案であり観光客に不快感を与えないという配慮だ。

微かな振動が眠気を誘うのかアリエルは安らかな寝息を立てている。

 

「落ち込むなって。久しぶりだから戸惑っただけだ」

 

兄貴が慰めの言葉をかけるがおれの心は癒されない。

 

「なぁ、兄貴」

「どうした」

「俺達、必死で国を護る為に戦ったよな?」

「そうだな」

「何度死にかけた?」

「四、五回ぐらいか。あと公国が超大型の魔物を出した時は『あ、俺達死んだな』と思ったな」

「なのにこの仕打ちはひどくないか!?家族の為に頑張ったぞ俺!!」

「落ち着け、アリエルが起きる」

 

すやすやと寝るアリエルの頭を撫でながら父さんが顔を顰める。

なんで父親の俺より祖父の父さんに懐いてるんだ、マジでその立ち位置を交換してくれ。

 

「父親なんてそんなものだぞ。幼い頃は慕ってくれても成長したら毛嫌いされるもんだ」

「そんな情報聞きたくねえ」

「ジェナもフィンリーも小っちゃい頃は俺に懐いてくれたのに今じゃ辛辣な事ばかり言うし」

「もう黙れクソ親父」

 

そんな父親の悲哀なんて知りたくない。

俺は娘に尊敬されたいんだよ。

 

「もうやだ、嫁に嫌われるし娘に顔を忘れられるし散々だ。隠居してやる。別宅に引き籠って自堕落な余生を送ってやる」

「バカ言ってないでしゃんとしろ。もうすぐ家に着くぞ」

「アンジェリカさんに怒られるって兄さんは何をしでかしたの?」

「………アンジェに別れの言葉を告げないまま出立した」

「はぁ?」

「出立の朝に寝ていたアンジェを起こさず見送りをさせなかった」

「…それだけ?」

 

それだけとは何だ、物凄く重要な事だぞ。

そもそもアンジェは俺が従軍するのを最後まで嫌がった。

何度も引き留めようとしてたが俺は反対を押し切って従軍した。

俺が出兵を拒否したら王国内に於けるバルトファルト家の立場がヤバくなる上に公国軍が攻めて来たらうちの戦力だけで太刀打ち出来ない。

嫌でも家族と領地を護るには王国に臣従しなきゃならない。

泣いて俺を引き留めようとするアンジェを見ていると決心が鈍る。

だから出立前の夜遅くまで体力を消耗させる為に抱き潰した。

 

あと抱き潰したのは俺の忘れ形見をもう一人遺したかったという事情がある。

王国貴族の家督は基本的に男子相続だ。

ただ産まれた男子が一人だけじゃライオネルに何か起こった場合にバルトファルト家の存続がヤバい。

女子はある程度の財産を相続できるが爵位や役職を引き継げない。

公爵令嬢であり王妃教育を受けたアンジェですら俺と結婚しなければあれだけの政治手腕を発揮できず燻ったまま一生を終える。

 

もし俺が戦死すればライオネルが穏便に爵位を引き継げるかは疑問だし、父と兄を失ったアリエルが領地をそのまま引き継ぐ事はほぼ不可能。

婿を取るか、或いは他の家から養子を貰うぐらいしか方法がない。

必死で築き上げた物を見ず知らずの男に奪われる?

腸が煮えくり返るような怒りを覚える。

それならアンジェにもう一人男の子を産んでもらって、その子を跡継ぎにするのが手っ取り早い。

振り返れば戦争の後遺症で苦しんだ過去の経験から変な方向に暴走したと自分でも分かる。

戦場への恐怖を誤魔化すように毎晩アンジェを抱いていた。

血統を繋ぐ道具のように扱われたアンジェは俺をどう思うだろう?

絶対嫌われた。

 

「思い悩む息子へ父からのアドバイスをしてやろう」

 

頭を抱える俺を見かねたのか父さんが声をかけてきた。

いきなりなんだ、嫌な予感しかしないぞ。

 

「とりあえず思いっきり抱きしめろ。そして何度も『愛してる』と耳元で囁け。これで万事上手くいく」

「……兄さん、兄さん」

「何だコリン?」

「父さんは毎回それやって母さんに怒られてると思うんだけど」

「奇遇だな、俺もそう思う」

「昔からそうだ、結局母さんに怒られて最後は土下座する羽目になる」

 

息子達から総ツッコミされて気まずそうな顔をする父さん。

ダメだ、全く当てにならない。

 

「まぁ、義姉さんに誠心誠意謝るしかないよ」

「頑張れ。アンジェリカさんに離縁されたらバルトファルト領はお終いだ」

「孫達と別れるのは嫌だから地べたに頭を擦りつけてでも許される努力をしろ」

 

うちの男連中は誰も俺を庇ってくれない、分かってたけど悲しい。

 

「それしかないか」

 

俺は何度目になるか分からない溜め息をついた。

 

 

バルトファルト邸に到着したので馬車を降りる。

眠気眼のアリエルを抱っこしようとしたら嫌な顔をされた、本当に泣きたい。

俺達の到着を見越した家人は整列して出迎えている。

うちの家人はレッドグレイブ家が推薦した人材を俺とアンジェが直接面接して雇用したので能力が高い。

父さんや母さんより受けた教育水準が高いだろうに俺達を蔑視するような輩が居ないのは幸いだった。

屋敷に入ると漸く人心地がつく。

此処に戻るまで幾度も死線を潜り抜けたから感慨深い。

 

「おかえりなさい」

「おかえり」

「遅いわ、さっさと帰って来なさいよ」

 

エントランスで母さんと姉のジェナと妹のフィンリーが出迎える。

 

「ただいま、母さん」

 

相変わらず呑気そうな母さんの声に涙が出そうになる。

俺に優しいのはアンジェ以外で母さんだけだ。

 

「で、ちゃんと手柄は立てたんでしょうね?」

 

そして俺に辛辣な言葉をかける姉貴、こっちも相変わらずだ。

 

「生き残るだけでも手柄だ。そもそも俺が死んだらバルトファルト家は終わりだぞ。姉貴もマシな生活を送れなくなる」

「何よ、生意気」

「嫌ならさっさと嫁げ。まぁ姉貴を貰いたがる物好きは王国はもちろん公国にも居ないけど」

 

舌を出し思いきり挑発するとキレた姉貴が手と足を出すが余裕で回避。

こちとら軍の訓練を受けて戦場を生き抜いたんだぞ、素人の攻撃など屁でもない。

いつも通りのやり取り、他愛ないじゃれ合い。

やっぱ家族は良いもんだ、代り映えの無い日常ほど尊い物は無いな。

ふと、何かの気配を感じソファーを見ると陰から小さな足が見える。

ゆっくり近づくと動きを止め気配を殺そうとしているが隠しきれていない。

素早く移動して後ろへ回り込むと小さな男の子が驚いた顔で俺を見上げていた。

 

「ライオネル、パパだぞ」

 

見間違えるはずもない、俺の息子だった。

ライオネルは慌てた様子で手足を必死にバタつかせ母さんの方へ向かう。

母さんの後ろへ隠れるとビクビクと怯えながら俺の方を見る。

そんなに俺が怖いか、アリエルと別な意味で泣きたい。

どうもうちの嫡子は臆病で胆力に欠けてる。

一度『誰に似たんだろう?』と口にしたら『お前だよ』と皆に言われたが、俺はここまでビビりじゃないと思うぞ。

我が子達との再会に喜びを感じるが、此処に居ない一名の事が気にかかる。

やっぱり出迎えを嫌がるほど怒ってるのか。

顔を合わせたら一体何をすれば良いんだ?

 

「それでアンジェは?」

「さっきまで執務室で仕事をしていたけ…」

 

フィンリーがそう答え終わる前に足音が聞こえて来た。

ゆっくりとしたリズムながら響き渡る音はその存在の大きさを周囲に知らせるのに十分。

一歩、また一歩と音が近づくほど音が大きく響き渡る。

音が鳴り止みエントランスに新たに増えた気配を背に感じた。

 

「お帰りなさいませ、リオン」

 

振り返ると其処には最愛の嫁が佇んでいた。




リオン編の開幕です。
話の時系列としてはアルトリーベ三作目で公国と戦争が再び始まった感じです。
コミカライズで公国軍の魔物と戦ってるモブリオンのイメージを想像して頂ければ良いかと。
前章までアンジェ視点ばかりで作品に奥行きが足りないのを反省し、リオンの視点でバルトファルト家の面々も登場と相成りました。
共和国が呆気なく崩壊はマリエルートを参考にしています。
オリキャラにアンジェとリオンの子供達を登場させました。
息子のライオネルくんは(Lionel:若獅子)という率直なネーミング。
娘のアリエルちゃんは(Leon:獅子)とアンジェリカ(Angelica:天使の)の娘だからアリエル(Ariel:神の獅子)という天使から命名。
私は基本的に二次創作でオリキャラを登場させる事は少ないのですが、子供の名前が登場しないのはおかしいので名付けました(原作で設定が出たら変えるかもしれません
原作最終話に少しだけ登場したリオンの子達の描写、コミカライズ担当の潮里潤先生がお描きになったイラスト(https://twitter.com/shiosatojyun11/status/1447159859200155649)が好きな私の趣味です。


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第15章 獅子の懊悩●

俺が壊れていく音が聞こえる。

いや、既に機能停止している筈の物が動き続けるならそれは何かが狂っているんだ。

あの戦場で俺は死んだ。

死んで生きる意味を失った。

漸く気楽な余生を送れると思っても壊れた心と体を抱えて生きるのは拷問以外の何物でもない。

半端に小賢しいからこそ半端に自分の末路を薄々と察せる。

死ぬのは怖くない。

ただ誰にも看取られず孤独に死ぬのは嫌だった。

 

叙爵されてから多くの人間が俺の元を訪れた。

その大部分が甘い汁を啜ろうという思惑を隠し善人ぶった仮面を着けて俺に近づく。

生憎とそんな思惑を見逃すほど俺は馬鹿じゃない。

馬鹿にされ続けた奴ほど他人の見下す視線に敏感だ。

むしろ傷を負った俺を見て嫌悪感を隠そうともしない高慢な貴族令嬢の方が信用できるから笑える。

誰も信用できない、誰も頼れない。

恐怖と痛みを薬で誤魔化し孤独を耐える。

せめて何かを遺したかった、俺という存在が確かに生きた証が欲しかった。

慣れない領地の経営に悪戦苦闘の日々を送る。

自分の至らなさを痛感しながらそれでも足を止める事が出来なかった。

 

そんな世界に絶望している俺の前に幸運の女神が舞い降りた。

黄金より輝く髪、紅玉より赤い瞳、彫像より麗しい貌。

存在その物が美しく他の存在を圧倒していた。

生まれついての貴族という存在は文字通り格が違う。

美しさも賢さも政治力も何もかもが違った。

俺が必死で悩み続けた問題をいとも簡単に解決する。

その鮮やかな手並みには嫉妬する暇すら無い。

きっと俺を憐れんだ神が与えてくれたのが彼女だと半ば信じてる。

 

だから、俺はコイツを幸せにする。

せめてコイツが泣かずにいられる場所を創ろう。

それが俺が生き残った理由だと察した。

俺は物語の端役(モブ)に過ぎない。

重要人物だった彼女と端から釣り合いが取れていないのは自覚している。

それでも、死ぬ時に俺の傍に彼女が居てくれる事だけが望みだった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

気が付いたらアンジェを抱き締めていた。

自分でも抱きしめた記憶が無いのにいつの間にか俺の腕の中にアンジェがいる。

このままキスをしたい衝動に駆られたが紅い瞳が俺を鋭く見つめていた。

最高級の紅玉みたいな赤い瞳が血に染まったように暗さを増す。

怖い、本当に怖い。

ただでさえアンジェは釣り目がちなのに絶対零度の視線で見つめられると体を切り刻まれるような錯覚を覚える。

 

助けて、俺の嫁さん超怖い。

ゆっくりと首を回して家族に救いを求める。

兄貴は頭を抱えてる。

姉貴とフィンリーは呆れた顔で俺を見る。

コリンは視線を逸らし何も見てない素振りをする。

母さんは事情を知らないから微笑ましく眺めてる。

父さんは親指を立てガッツポーズをしてる。

ダメだ、バルトファルト家の奴らは頼りにならない。

 

こうなったら最終手段。

ライオネル!アリエル!パパのピンチだ、ママを止めてくれ!

縋るように我が子を探すとライオネルは俺を見向きもせずに寝ているアリエルをつついている。

うん、分かってた。俺を助けてくれる奴は何処にもいない。

二の腕を掴まれゆっくりとアンジェを抱き締めている腕を開かされる。

力は大して込められていないが気迫で圧し負け、敢え無く俺とアンジェの体が離される。

沈黙が重い、この場の雰囲気を支配してるのは間違いなくアンジェだ。

 

「義父上、義母上」

 

声色は優雅に、しかし有無を言わせない威厳を放ちながらアンジェが両親に声を掛けた。

 

「しばらくライオネルとアリエルを預かっていただけないでしょうか?」

 

父さん達にそう告げた後、アンジェは扉に顔を向け首を動かす。

どうやら俺は逃がしてくれないらしい。

溜め息をつきたいが下手に刺激して怒らせるほど俺も察しは悪くない。

エントラスをゆっくりと出るアンジェを追うように歩き出す。

手入れの行き届いた廊下は綺麗に磨き上げられ窓から入る陽光を反射している。

この屋敷の女主人たるアンジェの指揮能力の高さが窺い知れる。

盗み見るようにアンジェの後ろ姿を見つめる。

まだ腕に残る抱き締めた時の感触が思い出されて頬が熱くなる。

我ながらどうしようのないなと苦笑してしまうが数ヶ月ぶりに触れあった愛妻にクラッとするのは仕方ない、仕方のない事なんです。

 

バカな思考をしているうちにアンジェの足が止まる。

目の前には執務室の扉、どうやら説教は此処で行われるらしい。

屋敷の主が腰を据える場所なだけに執務室は安全を考慮した設計だ。

窓は外からの攻撃を防ぐ防弾ガラス、扉も軽量化された硬質成型素材、鍵は外から空けるのが困難な特殊設計。

誰だよ、こんな設計したの。外からの攻撃を防ぐけど中からも逃げられないだろ。

そう心の中で毒づくがこんな改修を提案したのはアンジェで許可を出したのは俺だ。

過去の俺の馬鹿野郎。

 

執務室に入るとアンジェは丁寧に施錠し始めた、これでもう俺は逃げられない。

長めの説教は勘弁願いたい、久々に会った嫁にガチ説教されたら心が死ぬ。

そう身構えるがいつまで経っても何も起きなかった。

かと言って振り返ってアンジェの姿を見れるほどの度胸を俺は持ち合わせていない。

身構えてると背中に柔らかい物が触れた、さっき触れたアンジェの体と同じ感触だった。

やがて背中が伝わってくる震えと嗚咽からアンジェが今どんな状態か分かる。

振り返る事は出来ない、何を言えば良いか見当がつかない。

元々俺は女の扱いが上手くない、悲しい事にアンジェと結婚するまで正式に付き合った女は一人も居ない。

こんな時に気の利いた台詞を素面で囁けないからダメな奴だと言われるのも自覚はしている。

覚悟を決めて口から言葉は紡いでいく。

 

「アンジェ、ただいま」

 

変哲のないただの挨拶、思えば従軍する朝に挨拶すらしていなかった。

 

「…………おかえりなさい」

 

腕が回されてさっきまでとは逆に俺がアンジェに抱き締められる。

父さんが言ったように抱き返してキスして愛してると言える素直さが俺に在ればマシなんだが、生憎と俺の性根はひん曲がってる。

泣かないでくれよアンジェ、お前に泣かれるのが俺は一番堪える。

 

「あ~~、その、なんだ、無事に帰ったぞ」

「うん」

「もしかして怒ってるか?」

 

間の抜けた質問だが俺にはわざとおどける位しか会話を進める事しか出来ない。

 

「凄く怒っている、よくも私に挨拶も無く出陣したな」

 

声は優しいが恨みがましいアンジェの反応が帰ってくる。

うん、その方が何も言われないまま泣かれるよりずっとマシだ。

 

「気持ち良さそうに眠っていたから起こすのも気が引けたんだよ」

「目が覚めたらリオンが居なくて焦った。もう二度と会えないかと思った」

「アンジェが起きてたら決心が鈍るじゃん」

「むしろ鈍って欲しかった、私達を護ってもらうより私の隣に居て欲しかった」

「そうなるから声をかけなかったんじゃん」

「毎日祈っていた、お前が無事に帰って来るように心の底から神に縋った」

 

そう言ってアンジェはさらに力を込めた。

 

「ごめん、二度としないから許してくれ」

「嘘だな、リオンは同じ事が起きたら次も自分一人で解決しようとする」

 

信用無いなぁ俺、まぁ家族を守る為ならまたやるつもりなんだけど。

漸く落ち着いたアンジェが腕を緩めてくれた。

振り返ると泣き腫らした顔のアンジェがさっきとは違い優しさを湛えた瞳で俺を睨んでいた。

美女ってのは泣いたり怒ったりしても絵になるから羨ましい。

 

「おかえりなさいリオン」

 

気品に満ちた所作で恭しくアンジェがお辞儀をする。

 

「ただいまアンジェ」

 

優しくアンジェを抱き締め頬にキスをする。

こうして俺はバルトファルト領への帰還を果たした。

 

【挿絵表示】

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

シャンデリアに灯る光がホールを照らす。

着飾った貴族が和気藹々と会話している光景をホールの端から眺める。

王城で行われる祝勝会に招かれるのはいずれも名のある貴族か戦功を上げた軍人だ。

和やかな雰囲気の裏で腹の探り合いが行われている。

口調と振る舞いは優雅だが瞳の奥に獲物を狙う獣のような欲望を少しは潜めようとは思わないのかね。

こんな催しに参加したくなかった、さっさと帰って嫁と子供達に会いたくて仕方ない。

 

俺を強引に参加させたレッドグレイブ公爵と嫡子であるギルバート義兄さんが取り巻きの応対に明け暮れる隙に退散させてもらいたい。

公爵としては娘婿の俺を王都の連中に引き合わせて顔を繋ぎたいらしいがありがた迷惑だ。

ワイングラスに注がれた酒を舐めるように呑む。

おそらく高級品なんだろうが、普段飲んでる酒との違いが分かるほど俺の舌は肥えていない。

この場に居ても場違いなだけだ、早く帰りたい。

 

何やら歓声が起きてそちらを向くと一際目立つ集団が視界に飛び込んで来る。

集団の中央にいる青髪の男には心当たりがあった。

アンジェの元婚約者であるユリウス・ラファ・ホルファート殿下だ。

にこやかに応対するその姿はなるほど、一国の王子として申し分ない振る舞いだろう。

俺にとっちゃ嫁であるアンジェの元婚約者というだけで近づきたくない男だが。

気配を殺しゆっくりと移動する。

今まで誰も俺に気を留めないのだからホールの隅へ移動しても問題ない筈だ。

公爵と義兄が視界に入るギリギリの距離を保ちつつ時間が過ぎ去るのを願う。

誰も俺に注目しないのが逆にありがたい。

俺に話しかけてくる連中は成り上がり者と蔑むか、利用しようと媚びへつらうか、偶然で出世したと妬むかのいずれかだ。

わざわざ不快な思いをしてまで応対なんてしたくない。

 

そうして壁の染みに徹してると王子の一団が此方に向かって来た。

傍の奴らに絡まれても嫌だから離れるように移動する。

すると俺が動いた分だけ王子達も移動してくる。

何だよお前ら?俺みたいな奴に用はないだろ。

敢えて気付かない振りをして会場を移動してるのに追って来る。

隅の方に一人で居たのが仇になり完全に逃げ道を塞がれた。

観念して身形を整える、公爵家が用意した急拵えの礼服だが無礼にはならないだろう。

面倒臭くて出そうになる溜め息を何とか噛み殺し背筋を伸ばした。

 

「リオン・フォウ・バルトファルト子爵だな」

「はい、殿下」

 

俺が首を垂れて返答するのと同時に会場の視線が一斉に突き刺さる。

正直相手をしたくないが不敬と言われて問題を起こすのも嫌だ。

頭を下げていれば嫌そうな俺の顔を見られずに済む、後は地獄のような時間が過ぎるのを待とう。

 

「顔を上げて楽にして良い」

「はっ」

 

どうやら俺の目論見は達成されないようだ、ゆっくりと顔を上げ王子を見据える。

視界に飛び込んで来たのは今まで見た事も無いような美男だった。

上流階級でも顔の美しさは大いに価値を持つ。

血を重ねると共に美しさを取り込んでいく上流階級は時代が下るほど美しくなるという俗説は本当らしい。

ふと領地に残っているアンジェを思い出す、アイツも俺には勿体ないぐらい極上の美女だ。

 

「卿の活躍は私も耳にしている、先の戦と此度の戦に於ける活躍は見事であった」

「ありがたき幸せ」

 

別に今回は大して活躍してないけどな。

俺の指揮下になった部下の多くは俺の噂を聞きつけた奴らが多かった。

家柄の良い貴族子弟ばっかだったので恨みを買いたくないから損耗を出さないように配慮した。

とにかく堅実に、味方の犠牲者を出さないようにして無茶をしなかった。

前の戦争で俺に司令官を討ち取られた公国軍は逆に俺が奇策を使うと思い込んで過剰な追撃を控えた。

 

その結果が戦況の硬直を招き、未熟な兵を纏め上げ前線を維持する若き戦術家なんて評価をされる羽目になる。

大声で否定したいがそんな事が出来る訳もない、ただ黙って会話が終わる事だけを願う。

気まずい沈黙が流れるが俺から声を掛けるのは不敬だ、さっさと切り上げて別の所へ行ってくれ。

 

「おやおや、何やら面白い光景ですな」

 

そう言って会話に割り込むのはレッドグレイブ公爵だった。

こっちの会話に入って来ないでください、ますます状況がややこしくなるじゃないっすか。

 

「殿下、あまり当家の婿殿を揶揄わないでいただきたい。このような催しに未だ不慣れな無作法者ですので」

「緊張を解してやろうと思っただけだ、他意は無い」

「殿下の不興を買っては一大事です。咎無く裁かれるような事になれば取り返しがつきません」

「そんな事はしない」

「老臣からの諫言として受け取っていただきたい、良薬は苦き物です」

 

何とも優雅で和やかな会話ですな、嬉しくて舌打ちが出そうだよ。

二言三言で会話を打ち切った王子はそのまま引き揚げる、流石に公爵と張り合うには年季が足りない。

 

「私の居ない所で他の者と接触するのはいただけんなバルトファルト卿」

 

公爵の説教は俺にまで飛び火しそうだ。

 

「同じ歳だからといって絆されてはならん。王家に関わると要らぬ誤解を招く」

「おれ…、私から声を掛けた訳じゃありませんよ。公爵が私を同行させなければこんな茶番は起きません」

「敵情視察は戦に不可欠だ。片時も油断してはならぬ」

 

よりにもよって敵ですか。

王家と公爵家の関係がこれほど関係悪化してるとは思わなかった。

本当に勘弁してくれ、俺はただ穏やかに暮らしたいだけだ。

グラスに注がれた酒を一気に飲み干す。

喉と胃に燃えるような感覚が襲って来るが酔える気配は一向に訪れなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

嫌な光景を見て目が覚める、最悪の寝起きだ。

あれが夢なら良かったが生憎と現実で起きた変えられない事実。

せっかく家に帰って来たのにあの光景を夢に見るなんて。

記憶から消去する方法が切実に欲しい。

夫婦共用ベッドを見渡すがいつも俺の隣で寝ているアンジェの姿は其処に無い。

既に起きたのか、それとも別室で寝る子供達と一緒なのか。

昨日は食事を済ませ風呂に入りベッドに横たわっただけで眠りに落ちた。

疲労が蓄積していたらしい。

数ヶ月ぶりにアンジェを抱き枕にして寝ようと思ったのに。

頭に残る眠気を振り払うように首を動かしてベッドから下りようと体を動かす。

 

「……あれ?」

 

体が重い。四肢に力が入らない。頭がクラクラする。

休息は取った筈なのに疲労が体に残っている、むしろ寝る前より体力を消耗している。

ゆっくりと体を起こそうとするがそれも面倒くさい。

呼び鈴を鳴らせば待機した家人が来るがその為に動く事が億劫だ。

ダメだ、眠気と倦怠感が同時押し寄せて来やがる。

そのまま思考を放棄して目を閉じた。

 

額に冷たさを感じて目を開く。

いつの間にか二度寝してしまったらしい。

窓から入る陽の光から昼近くだとは分かる。

思考が覚束ない、こうなったのはアンジェとの結婚前以来だ。

 

「起きたか」

 

顔を横に向けるとアンジェが心配そうに俺を見ている。

何か言わないと。

そう思うのに俺の口からは出るのは苦し気な呼吸音だけだ。

 

「無理をするな」

 

そう言ってアンジェに手を握られると伝わる体温が温かくて気持ちいい。

 

「苦し気に魘されていたから医者を呼んだ。領地に戻って緊張の糸が切れたのだろう。過労という診断だ」

 

そうか、思いの外疲れていたらしい。

戦闘は昼夜問わず行わていた上に王都であんな光景を見たんだ、そりゃ魘されもするだろうな。

アンジェが優しく頬を撫でてくれる。そのまま寝てしまいたいが熱の籠った体のせいですっかり目が覚めてしまった。

 

「ほら、薬を飲め」

 

医者が処方したと思わしき錠剤を手渡された。

ただでさえ戦時中は睡眠薬や眠気覚ましの世話になったのに此処へ来てさらに薬の数が増えた。

口の中へ放り込み噛み砕いて水で強引に流し込む。

 

「不味い」

「良薬は口に苦い物だ」

 

そういうアンジェの口振りから王都での出来事が思い返される。

思えばアンジェはあんな宮廷を見ながら成長してきた筈だ、俺とは度胸も教養も桁が違う。

 

「……どうした?」

「何でもねぇ」

 

訝し気に見つめて来るアンジェから顔を逸らす。

アンジェの美しさが王都の華やかさと同じ物に見えてしまった。

どうやら心が相当まいってる状態らしい。

 

「子供達は?」

「元気に遊んでいる。そろそろ教育係を選ぼうと考えているがどう思う?」

「まだ一歳だぞ」

「もう一歳だ。なるべく早い方が慣れるのも楽だ」

 

おそらくアンジェ自身もそんな風に育てられたんだろう。

平民同然の俺とは生きてる世界が違い過ぎた。

 

「その話題は後にしよう、領地で何か起きなかったか?」

「緊急性の高い問題は無い。幾つか決裁が必要な案件もあるが体を治す方が先決だ」

 

アンジェが再び俺の世話を始めるが妙に厭わしく感じてしまう。

おかしい、アンジェは俺を心配しているだけなのに。

 

「俺は平気だからさ、アンジェは仕事に戻りなよ」

 

優しく声を掛けるが実際は他人が傍にいるだけで心が騒めく。

とにかく一人になりたかった。

 

「何かあったらすぐ呼べ」

 

俺を不安そうに見つめながらアンジェは部屋を出て行く。

姿を消えるのを確認して天井を仰ぎ見る。

アンジェは俺に勿体ない位いい女だ、本来は王妃になっていたのも頷ける。

そんな女に愛されるなら男としてこれ以上の幸せは無い筈だ。

なのに不安が拭えない、心の奥に何かがつっかえる。

薬が効き始めたのか瞼を重く感じ始めた。

もう何もかもが面倒くさい、いっそこのまま消え失せたい。

捨て鉢な心を抱いたまま俺は意識を手放した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

俺とアンジェの寝室には洗面所と風呂とトイレが備え付けられている。

食事さえ確保できれば部屋から出ずに生活するのも可能だ。

アンジェが人払いを命じたんだろう、俺を訪ねる奴は家族を除いて居なかった。

家族が見舞いに来ても生返事を繰り返してしまう。

とにかく気力が出ない。何かしなくちゃと足に力を込めようとしても手足が萎えたように動かない。

 

アンジェは甲斐甲斐しくそんな俺の世話を焼いてくれた。

戦争で離れていた期間を埋めるように楽しげに俺の世話をする。

自分の仕事もあるだろうに暇を見つけて俺が眠る寝室を訪ねて来た。

そこまでアンジェにされているのに惰眠を貪る俺自身が嫌になる。

薬を飲み、食事を摂って、眠りに落ちるのを繰り返す日々を送った。

徐々に体力は回復していくのに気力はいつまでも衰えたままだ。

精力的に仕事を熟すアンジェを見ていると自分の価値が分からなくなっていった。

 

ふと怪物について記した教本で知った獅子の生態を思い出す。

獅子の雄は外敵からの防衛を担うが普段は何もしない。

群れの維持を担当するのは雌で狩り・子育てを担当する。

雄は単に防衛機構であり子孫を遺す為に道具に過ぎず、群れを実質支配しているのは雌という訳だ。

 

まるで今の俺と同じじゃないかと苦笑いが込み上げてくる。

このバルトファルト領にとってアンジェは必要不可欠な存在だが、俺は代替可能な領主に過ぎない。

それが俺の能力の限界で王国の政治の一部を担えるような才能なんか持ち合わせない。

王家も公爵家も俺に何を期待しているのか分からない。

或いは手放したアンジェの才能が今になって惜しくなったのか。

そんな自問自答を繰り返す日々が暫く続いた。

領地に帰還して六日目の夜に漸く体力は元通りになったが、心の方は相変わらず落ち込んだままだ。

 

さっさと復帰しなければ領地の経営に支障をきたす。

何よりアンジェに見限られるのが怖い。

ゆっくりと体を解して立ち上がり風呂を目指す。

着ている寝間着を乱暴に脱いで蛇口を捻ると温かい湯が少しずつ小さな浴槽を満たしていく。

その光景を眺めながらふと視線を感じた。

周囲を見渡すと顔に傷を負った男が俺を睨んでいる。

それは鏡に映った俺自身だ。

 

「何者なんだよ、お前は?」

 

疑問が口から漏れ出すが鏡に映った俺は何も答えてくれない。

リオン・フォウ・バルトファルト。

凡人より少しだけ要領が良く幸運としぶとさが取り柄の成り上がり者。

それが俺と言う男の本質だ。

どう足掻いても国の政局を動かすには力不足で半端な存在。

そんな男をどうして公爵令嬢だったアンジェが愛してくれるのか分からない。

出会いは最悪だった、見た目が良い訳でも能力が優れてる訳でもなく性格も悪い。

正直言えば惚れる要素が皆無だ。

王都の祝勝会で見た王子の姿を思い出す。

物語に登場する王子様ってのはああいう存在なんだろう。

 

そんな存在に自分がなれない事など先刻承知だ。

アンジェと、ライオネルと、アリエルが幸せならそれで良い筈だ。

なのにアイツらを幸せに出来る自信が無い。

公爵は俺を中央に呼び寄せて自分が執り仕切る政務の一部を俺に任せる腹積もりだ。

俺にそんな力量は無い。

 

だが王都で育ったアンジェにとって公爵家は懐かしい実家だ。

ライオネルとアリエルの将来を考えたら公爵家を頼るのは悪くない選択だろう。

だが、それは紛れもなく家族が中央の政局に巻き込まれる。

そんなのは御免だ、なのにどう足掻いても逃げられない。

寝込んでいる間ずっと自問自答をしているが結局答えは出なかった。

馬鹿な俺の頭では結論は出ないが、安易にアンジェを頼るのも気が引ける。

水音が鼓膜を揺らしたので浴槽を見ると湯が溢れていたから慌てて止めた。

湯に浸かって力を抜くと汚れや汗が湯に流され乾いた肌が少しずつ潤っていく。

敢えて何もしないでボーっと天井を見る。

 

俺はいつからこうなった?

この間まで世界は至極単純で目の前の問題を解決すれば良かった筈だ。

なのに今じゃ何をしてもあちらを立てればこちらが立たない。

やたらバランス感覚を要求され自分の意思で何も出来ない。

いっそ逃げ出した方が楽なのに家族がいるからそれも不可能だ。

心を擦り減らして生きるだけの意味が分からない。

ゆっくりと息を吸い肺に空気が溜まったら湯に顔を沈める。

 

『アァ~~~~~ッ!!!!』

 

誰にも聞かれないように叫んだ悲鳴は湯に融けて排水口へ流れていった。

 

風呂から上がると多少は心が落ち着くから現金なもんだ。

明日の朝はアンジェに声をかけて仕事を始めよう。

少なくても悶々と悩みながら寝てるより遥かにマシになるはずだ。

そう思って寝室に戻るとベッドの上で何かが動いている。

夜のこの時間帯に寝室を訪れるのはアンジェしかいない。

俺が寝込んでから子供達の部屋で眠るようになってたけど俺が心配になって見に来たんだろう。

流石は如才ない出来た嫁さんだ。

 

だがベッドに近づくと異様な光景が目に入る。

布団に被ったアンジェが頭すら出さずそのまま動く、ベッドの上を丸い塊が転がるように移動していく。

というか俺が近づくと逆方向に逃げる。かと言って部屋から出ようとはしない。

いい加減焦れてきたからゆっくり接近し徐々に逃げ場を塞ぐ。

次の瞬間、素早く動いて布団と端を掴んだ。

そのまま布団を引き剥がそうとするが強い力で抵抗される。

何だよこの状況?何で布団を綱引きしてんだ俺達?

一気に力を込めて布団を引っ張った。

宙を舞う布団が床に落ちるとアンジェの姿が露わになる。

猫耳紐ビキニを着た俺の嫁がベッドの上に横たわっていた。

 

【挿絵表示】

 




→原作でもアンジェは猫耳メイドの衣装を着た。
→つまりアンジェがエッチな衣装を着てリオンに迫っても問題無い!(いやその理屈はおかしい
原作でもリオンはアンジェに何度も慰められてるのでご容赦を。
第1章以来の登場をしたレッドグレイブ公爵、そして初登場のユリウス。
聖女カウンセリングを経てある程度は更生したイメージです。
リオンと絡まないから分りづらいですが他の四人も実はパーティー会場に居ます。
舅と上司に絡まれ追い詰められるリオン。ルクシオンの存在は本当に重要ですね。

追記:依頼主さんによってsoba様、祐稀桜様、あめば様が挿絵イラストを描いてくださいました、ありがとうございます。
soba様 https://skeb.jp/@SAZ_LaughMaker/works/49
祐稀桜様 https://www.pixiv.net/artworks/109617882
あめば様 https://www.pixiv.net/artworks/112993106


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第16章 パワーバランス●

問.嫁が猫耳紐ビキニでベッドに潜り込んでいた場合に於いて、何故そのような事態が起きたかを述べよ

答.俺の頭が完全にイカれた

 

いや、どう考えてもそれしか答えが出ない。

貴婦人の佇まいを決して崩さないアンジェがこんな格好で寝室に居る事がありえない。

どう考えてもエロい格好をするような性格じゃない筈だ。

あまりの事態に脳が思考停止する。重い沈黙が室内に漂い始める。

何言えば良いんだよこの状況、何言っても墓穴を掘る未来しか予測できねぇ。

 

「…………」

「…………」

「が、がお~…」

「…………」

「頼むから何か言ってくれ…」

「朝一番に医者を呼ぼう、思ってたより戦場のトラウマで脳にダメージが残ってるらしい」

「そこまで酷い姿じゃないだろう!?」

 

酷くはない、むしろ俺の好みド真ん中です。

子供を産んでも崩れない体がきれいだし、頭に付けた猫耳カチューシャも良い。

可愛さと艶かしさが同居してるのが実に倒錯的だ。

うちの領地にも獣人は居るし何ならバルトファルト家の使用人として数人か仕えている。

基本的に亜人は人間の間に子が産まれないのでわざわざ人間がエルフや獣人に仮装する必要は無い。

 

むしろ奴隷扱いされる亜人も多いから仮装するのを屈辱と感じる貴族も多い。

でも、こうしてアンジェが仮装すると途端にエロくなるのは何故かな?

凄く興奮するんです。

だからってこんな状況でアンジェを抱き始めるほど無神経じゃない。

性欲より状況の把握が最優先。

呼吸を整えやや前かがみでベッドの上に座る。

 

「何でこんな事をしてんだよ?」

 

アンジェを問い詰めるように尋ねる。

目を泳がせ首を左右に揺らすアンジェが本物の猫のように愛らしい。

何より大きな胸がゆさゆさと揺れるのが凄い。

ダメだ、エロい考えしか頭に浮かばねえ。

アンジェに何か着せないと話が一向に進まない。

とりあえず着ているバスローブを脱ぐとアンジェが頬を赤らめる。

いや、抱かないからね。すごく抱きたいけど!

 

「ほら、これ着ろ」

 

そう言ってバスローブを手渡す。

湯冷めするかもしれないがこの状況が続くよりはるかにマシだ。

何とか理性を総動員してアンジェに服を着せた。

これで暫くは大丈夫だろう。

 

「そんな格好して何したかったんだよ」

 

心底呆れた口調で話しかけるが、敢えてぶっきらぼうな対応をしないとどうしてもアンジェの色香で集中できない。

 

「リオンが落ち込んでいたから励まそうと思っただけだ」

 

漸くアンジェがポツポツと話し始める、まだ猫耳カチューシャを付けてるから申し訳なさより可愛さが上回ってるけど。

 

「戻って来た時は大分憔悴してたからな。過労で寝込むとは思っていなかった」

「そんなに疲れ切った顔してたかな俺?」

 

無理を承知で従軍した後に王都で知りたくもない王家と公爵家の争いを目の当たりにして寝付けない夜が続いたのがマズかったか。

鏡に映った自分の醜い顔を眺めるほど自己愛が強くないからわからんけど。

 

「せめてこう、妻としてリオンの心を癒す手助けをしたかったというか」

「そこは素直に嬉しい、嬉しいけど方法がおかしいぞ」

 

方法がアレ過ぎて股間に悪い!

 

「男性は戦の後は気が昂って女を抱かずにはいられないと耳にした」

「そういう奴もいるけど、だからってソレはないだろ」

 

戦場で兵の欲求不満解消ってのは大きな問題だ。

上官の目が届かない場所で略奪や暴行を行う兵は多い。

放置すれば住民に被害が出るし、理解の無い上官として後ろから撃たれかねないし、手っ取り早く同性愛に走って軍内の風紀が乱れるのも御免蒙りたい。

貴族の中には戦場に愛人や妾を連れ込んで、自分はろくに戦わず女を抱いて兵には命を捨てて戦えと命じた馬鹿貴族が前の戦争には本当に存在した。

 

そんな奴は戦後に軍紀違反で処分されたけど。

戦争には金がかかるから目利きの商人は酒・煙草・甘味に混じって性産業の品々を売りつけて来る。

中には戦火で家を失った女子供を奴隷として売ろうとする悪徳商人すら現れる。

下手に規制すると士気に関わって兵の叛乱が怖いから加減が難しくて頭が痛い案件だ。

今回の戦争は数ヶ月で終わったからそこまで風紀を気にする必要が無かったのが救いだった。

 

「戦後に離婚する貴族が多いからリオンを労おうといろいろ準備していたんだぞ」

「どこからそういう情報仕入れてんだよ」

「艶本や風俗誌、あとは付き合いのある地方領主の奥方達だな。なかなかに興味深い内容だった」

「それ絶対に揶揄われてるだろ」

 

間違った情報をアンジェに教えて俺達夫婦を玩具にしやがって。

おかげで滅茶苦茶興奮したぞ、本当にありがとうございます。

 

「その結果がエロ衣装って訳か?」

 

気まずそうに頷くアンジェ。俺の嫁は可愛いけどどこか危なっかしい。

 

「まさかその格好で家の中を歩き回ってないよな」

「そんな恥ずかしい真似をするはずないだろう!」

 

怒り出すアンジェだが、普通はそんな衣装で寝室に潜り込んだりしないぜ。

周囲を見渡すとベッドの傍にガウンが落ちている。

 

「寝室を訪ねてベッドに潜り込んだらリオンが居なかった。戻ろうと思った瞬間に浴室から出たリオンと鉢合わせして焦ったぞ」

「パニックになるぐらい恥ずかしいなら止めておけよ」

 

溜め息をついてアンジェを見つめる。

俺の嫁は頭が良い割に時々変な暴走をする。

まぁ、それだけ俺の事が心配なんだろう。

 

「余計な心配をかけて悪かった、明日から復帰するからもう寝ろ」

 

それで今夜の馬鹿騒ぎはお終いだ。

話を切り上げようとしたがアンジェが睨んでくる。

夫婦喧嘩で見せる可愛い怒り方じゃなくて子爵夫人としての統治者として制御された怒り方だ。

この怒り方をされると俺は逆らえない。

貴族として、領主としての俺の至らない部分を指摘するからだ。

 

「嘘だな」

 

そう言って目を細めて俺を見つめて来る。

人の上に立つ存在として育てられた生粋の貴族が其処にいた。

頭に付けたままの猫耳カチューシャでも放たれる圧力を相殺できない。

むしろ大型の肉食獣が人間に化けたような怖さを感じる。

本当にこのまま体を貪り食われてもおかしくないと思わせる絶対強者が俺に命じている。

『嘘をつくな、質問に答えろ』と。

そう言われたら逆らえないのが俺なんです。

バルトファルト家の力関係で最上位に居るのがアンジェだ。

子爵なのに、当主なのに妻の尻に敷かれてるのが俺です。

まぁアンジェの尻に敷かれるなら悪い気はしないんだけど。

 

「普段は文句ばかり口に出すから私自身が宥め賺してご機嫌を取らなければいけないのがリオンだ」

「人を手間のかかる子供みたいに言うなよ」

「違うのか?」

「……違いません」

 

俺が愚痴ってもアンジェは俺を見放さない。

むしろ心配してあれこれ手を打つ。

五人兄弟で育ったせいか、いまいち両親の愛情が足りないと思っていた反動でついついアンジェの好意に甘えてしまう。

流石に家族や子供達の前じゃやらない。

俺達二人きりの時限定でイチャイチャすると心が落ち着くから止めるつもりは無い。

 

「そのくせ自分が本当につらい時は一人で解決しようとして状況を悪化させる。普通は逆だろうに」

「まるで俺が臍曲がりの根性悪みたいじゃん」

「普段なら私がこんな格好をしていたら嬉々として抱こうとするだろう。さっさと寝ようとする時点で弱ってる証拠だ」

 

そう言われると言い返せない。

敢えてヘタレた部分を晒し甘える事はあっても本当に情けない姿を見せてアンジェに失望されるのは嫌だ。

領主になったし、子供も産まれたせいか昔より周囲の視線を気にかけるようになった。

俺が情けないのは承知の上だが、俺のせいで皆に迷惑を被るのは避けたい。

 

「王都でいろいろあった。もう俺が陞爵するのは確定事項らしい」

「遅いか早いかの違いだけだ。今までの功績を鑑みたら寧ろ遅いと言っていい」

「王家と公爵家は俺を引き込もうとしてパーティーで取り合いを始めた。何やってんだか」

「それだけ皆がリオンを評価している、誇りに思えバルトファルト伯爵」

 

なんとも気が早い事で。

俺の評価が上がる度に違和感が生じる。

そもそも俺は兄さんがバルトファルト家の家督を継げば否応なしに平民に為らざるえない立場だった。

たまたま戦場で生き残り、たまたま戦功を上げて、たまたま公爵令嬢と結婚しただけの平々凡々な男。

領地経営が軌道に乗ったのはアンジェの手腕で俺自身はろくな実績を上げていない。

華やかな王都を見た後だと未だ発展途上のこの領地が冴えない田舎に見えて仕方ない。

 

おまけの今回の戦争の最終決戦ではファンオース公国が操っていた超大型の怪物とホルファート王国が秘蔵していたと思わしきロストアイテムの大型艦が激しい戦いを繰り広げた。

その光景を間近で見た瞬間、ふと俺の心の中で何かが腑に落ちてしまった。

この世には世界の有り様を変えてしまう英雄や超常的なロストアイテムが実在する。

そして、俺はそんな世界に選ばれた英雄ではなく地を這う虫みたいに小さな存在に過ぎない。

どれだけ足掻こうとも国の争いや時代の変化に抗えるような力なんて持っていない。

それどころか嫁や子供や家族を護るのも覚束ない。

 

こんな俺が本当にアンジェを幸せに出来るんだろうか?

優秀なアンジェはどう見ても向う側に居るべき存在だ、俺とは何もかもが違う。

ライオネルとアリエルを理由にこの地に縛り付けているだけじゃないのか?

俺にとって、バルトファルト領にとってアンジェは必要不可欠な存在だ。

だがアンジェの立場からすれば俺は重荷でしかない。

今回の戦争で心の折れた俺には何もかもが空虚に見えてくる。

 

「なぁ、アンジェ」

「どうした」

「俺と結婚して幸せか?」

 

つい弱音が口から零れ落ちた。

俺を見るアンジェの視線が痛い。

それでも旦那としてのケジメだけはしっかりとしておきたい。

 

「こんな田舎暮らしで本当に幸せか?ドレスも宝石も知り合いも無い。結婚相手は成り上がりの醜男で釣り合いが取れてない。罰みたいに王都を追われて俺なんかと結婚して本当に満足か?」

 

アンジェと出会った頃の俺は本当にボロボロだった。

病んだ俺を必死に看病して領地の経営を引き受けてくれたアンジェにはどれだけ感謝しても仕切れない。

アンジェ以外と結婚したら今の俺とバルトファルト領はありえなかった。

せめて幸せになって欲しいが俺に出来る何かは公爵家で育ったアンジェにとっては然したる代物じゃない。

徐々にだが王都でのアンジェの悪評は治まりつつある。

レッドグレイブ公爵家が力を増した今ならお近づきになりたい貴族も多い筈だ、

俺より条件が良い貴族と再婚も不可能じゃない。

 

「痛ぇッ!?」

 

右頬に突然痛みが走って思わず悲鳴が出た。

前を見ると怒りに震えたアンジェが俺の左腕を俺の顔に差し伸ばされていた。

俺の気が緩んでいた隙に攻撃を仕掛けるのはアンジェの得意技だ。

俺は精神的にも肉体的にもアンジェに勝てない。

 

「何を言い出すかと思えば、実にくだらん事でウジウジと悩んでたのか」

 

痛い痛い痛いゥ!

爪を立てながら思いっきり捻るせいで痛さが段違いが段違いだ。

おまけに怒ったアンジェの顔が俺を威圧して逃走の意思を挫くから逃げられない。

逃げたらもっとひどい目に合わされるし。

思いっきり地雷を踏んだ、後悔しても遅い。

これからアンジェの機嫌が直るまで説教されるのは確定事項。

泣くまで罵られるのは勘弁して欲しい。

 

「リオン・フォウ・バルトファルト!」

「はい!」

「私は誰だ!?」

 

質問の意図が分からない。

でも、黙ってたらますます不機嫌になるから取り敢えず答える。

 

「アンジェです」

「正式名称は?」

「アンジェリカ・フォウ・バルトファルト」

「つまり?」

「俺の妻です」

 

当たり前の事実を口にする。

解答に満足したのかアンジェがようやく手を放してくれた。

痣になったらどうすんだよ。

 

「そうだ、私はリオンの妻だ」

「うん、それで?」

「分からないか?私は公爵家の令嬢でも、王子の婚約者でもない。リオンの妻だ」

 

そう言ってアンジェはさっきと違って俺の頬を優しく撫でてくれる。

 

「此処に来たのは確かに政略的な物だ。それでも私は自分の意思でリオンの妻となった。誰かに命じられるままに生きてきた私が初めて自分の意思で選んだ」

 

俺の何処に惚れたのか分からないから悩んでるんだけどな。

 

「私が一度として都に戻りたいと口にした事があったか?」

「でも今なら悪い評判も少なくなったから公爵家に戻っても問題は無いだろ」

「そんなに私と別れたいか?」

「嫌に決まってる」

 

それだけは嫌だった。

でも惚れた女に幸せになって欲しいのは男の甲斐性なんだよ。

 

「俺は大した人間じゃないよ、アンジェに尻を蹴られて漸く立ち上がれる程度の男だ」

「それは承知している」

 

けっこう辛辣だな俺の嫁さん、聞き流すけど。

 

「辺境伯とか中央のお偉いさんなんてどう考えても俺に不相応なんだ。アンジェの手柄を横取りしてるからこの領地を上手く経営してるとみんなに思われてるだけさ」

「それの何処が不服なんだ?」

「俺を過大評価してる王家と公爵家の主導権争いが始まる。どちらに付いても片方を敵に回す」

 

失墜しつつある王家に比べて公爵家の勢力は増えつつある。

ホルファート王国が実質レッドグレイブ王国になるのは時間の問題だと政治に疎い俺でも実感した。

それだけなら公爵家に味方すれば良いだけの話だが、今回の戦争で王家は秘蔵していたロストアイテムを持ち出した。

もしロストアイテムを使われたら大人しく降伏するしか方法が無い。

公爵が王家に叛逆して討たれたらレッドグレイブ家の血筋全員が罪人と裁かれる。

アンジェはもちろん俺の子達も処刑対象になる。

それは嫌だけど公爵家に味方しても勝ち筋が見えない。

王家に臣従すれば義父や義兄を見殺しにする羽目になる。

どう転んでも破滅する未来しか残っていない。

 

「俺は王家と公爵家がどうなろうと構いやしない。でもアンジェ達が巻き添えになるのだけは避けたいんだよ」

「それが悩みか」

「俺の空っぽの脳みそじゃ良い案なんて浮かばない。どう足掻いても巻き込まれる」

 

真剣にアンジェに語り掛ける。

家族の誰にも相談できなかった、領主として情けないが俺には打開する知恵も力も無い。

破滅を待つだけなんて嫌だ。

 

「実に他愛のない事で悩んでたのか。リオンらしい」

 

アンジェの返答はあっけらかんとしていた。

 

「他愛のないってなんだよ。王家と公爵家の争いだぞ」

「そうだな」

「国が真っ二つになるかもしれない」

「その可能性は高いな」

「どっちに味方しても恨みを買う事になるぞ!」

「それがバルトファルト領に何の関係がある?」

 

俺の苦悩を聞いてもアンジェは表情を変えない。

言葉の意味を理解してないのか?

いや、俺よりずっと賢いアンジェが俺が教えた断片的な情報で事実を把握できない訳がない。

アンジェは物分かりの悪い子供に教えるように俺の額を突いた。

 

「リオンは王家に忠誠心など持っていないと常々言ってただろう」

「あぁ」

「公爵家も面倒事を押し付けると辟易してたではないか」

「義父さんには申し訳ないけどな」

「なら従う必要が何処にある?勝手に争わせておけば良い」

「それでいいのかよ!?」

 

とんでもない事を言い始めたぞコイツ!?

 

「国を統べる最低条件とは何だと思う?」

「政治力とかカリスマかな」

「違う、軍事力を独占する事だ」

 

アンジェ先生が俺に対し噛み砕いて説明する。

 

「力さえ有れば反対する者を黙らせられる。不平不満は溜まるがな」

「なら、やっぱり王家に従うしかないじゃん」

 

戦争で見たロストアイテムの大型艦。

もしあの大型艦がバルトファルト領に攻めて来たら降伏するしか手は無い。

 

「おかしな話だと思わないか」

「何が?」

「そんなロストアイテムを王家が秘匿していたのなら、どうして前の戦争で使わなかった?」

「……確かにそうだな」

 

あの力が有ればもっと早い段階で戦争を終わらせられるし被害も少なかっただろう。

上手くいけば王国の勝利で問題解決するから今回の戦争も無い筈だ。

 

「つまり前回は起動できなかった。若しくは修復している最中だったと考えるのが自然だ」

「王家としても使いたくても使えなかった訳か」

「そして今回の戦争ではどうなった?」

「超大型の怪物と戦って損傷してたぞ」

 

今回の戦争も王国の勝利とは言っても無傷じゃない、各方面に様々な損耗を出した。

王家の大型艦も例外じゃなくて超大型の怪物の攻撃で轟沈しなかったがかなりダメージを負った。

 

「王家が複数所有しているなら話は別だが他の大型艦を起動させず一隻だけを動かすのは不自然だ」

「確かにそうだな」

「ならばロストアイテムで攻めて来る可能性は低いだろう」

 

アンジェに論理的な説明されると徐々に頭を覆っていた靄が晴れる気分になって来る。

 

「それに今の王国は人材難だ。わざわざ内乱を誘発して臣下を減らす愚行は控える筈だ」

「もし内乱が起きたら?」

「その時に考えればいい」

 

それでいいのか?

むしろ何か対策をするべきだろ。

 

「楽観的過ぎると思うぞ」

「では逆に尋ねる。アルゼル共和国が滅亡すると予め分かった者が存在したと思うか?」

 

そう問われると反論できない。

共和国は本当に何の予兆もなく滅んだ。

支配していた六大貴族なら真相を知っているだろうがその殆どが国の滅亡と共に命を失った。

各国の首脳陣ですら今も真相究明に明け暮れている。

 

「共和国の滅亡、周辺国の介入、王国と公国の再戦、切り札を用いた最終決戦。これを最後まで予見できた者がいるならそれは神か予知能力を備えた輩だ」

「じゃあ俺の心配は無意味なのか?」

「無意味ではない。不測の事態を想定するのは貴族として当然の責務。だが見通せない未来に怯えるのは愚かだ」

 

アンジェが俺の頭を撫で始める。

親が子を褒めるみたいな優しい手付きが少し恥ずかしい。

 

「私達はその場その場で最善と思う方法を選択するしかない。だから過剰に怖がるな。私はリオンの隣に居る」

「もし公爵家と争う事態になったらどうするんだよ」

「父上と兄上に対し情は持っている。だが今の私にとって最優先なのはリオンとライオネルとアリエルだ。この優先順位は覆らない」

 

アンジェが俺の額にキスをした。柔らかい感触が伝わってくる。

それと同時に体の一部が熱くなる。

 

「アンジェがそんなに見込むほどいい男だと自分じゃ思わないんだけどな」

「さっきから随分と自分を卑下しているな。王都で何があった?」

 

何で俺の嫁さんはこうも察しが良いんだろう。

たぶん浮気とかしたら秒でバレるな。

 

「王都の祝勝会に招かれてさ。初めて王城に入ったんだ。壁も床もピカピカに磨かれて調度品も豪華で」

「うん」

「美男美女が着飾って美味いもん食って良い酒を飲んで育ちの良い会話してるのを見たら俺がみすぼらしく思えた」

「そうか」

「最後は王子に会った。見た目は確かに凄い美形だったよ。あれなら国中の女は夢中になるな」

「殿下は見た目こそ麗しいが至らない部分も多いのだが」

 

溜め息をついてアンジェを見る。

百人中百人が美女と認めるだろう。

そんな美女が俺なんかの嫁で良いのか?

 

「うちにはアンジェに贅沢させるだけの財力が無い。せいぜい温泉がある程度だ。俺みたいな醜男と結婚して仕事で苦労をかけてばっかな事に今さら気付いた。ダメな夫ですまない」

 

頭を下げてアンジェに詫びる。

そんな俺を見てアンジェは笑い出した。

 

「あぁ、なるほど。そういう事か」

「何がおかしいんだよ」

「気付いてないのか?本当に?」

「分からないから聞いてるんだろ」

 

俺が戸惑っているのにアンジェは笑い続けてる。

何がそんなにおかしいんだよ。

 

「リオンは殿下に嫉妬しているんだよ」

 

なんかアンジェが物凄い誤解してる。

 

「いやいやいやいや。ありえないってそれは。何で俺が王子に嫉妬するんだよ」

「やたら殿下を引き合いにしていたな。『美形』だとか王城の壮麗さを気にしたり」

「アンジェと婚約破棄した馬鹿王子なんてどうでも良いってば」

「いつものリオンならそうだ。減らず口を叩いて王家に気圧されたりしない」

 

そこまで言われると自分でも思い当たる節が出てくる。

田舎暮らしを卑下したり、王家に従うのを仕方ないと思ったり。

単に疲れが溜まってただけじゃなくて王子に負けたと自分で思い込んでたって訳か。

情けねぇな俺。

 

「アンジェは凄いな。何から何までお見通しって訳だ」

「そうでもない。リオンだから気付いただけだ」

「分かり易いなぁ俺」

「そこが良い所だ」

「良くねえよ。俺は嫁と子供から頼られる男になりたいの」

 

ふて寝するみたいにベッドに上に寝転ぶとアンジェが近づいて来る。

その膝に頭を乗せる。

後頭部から伝わる柔らかい太腿の感触が気持ちいい。

 

「……また人がたくさん死んだ」

「そうだな」

「俺は英雄なんかじゃない。いつ死んでもおかしく凡人なんだよ」

「知っている」

「もし戦死したら俺なんかすぐに忘れて再婚しちゃえ。みんなが幸せならそれで良い」

「断る。喪服を着て毎日墓参りしてやろう」

 

【挿絵表示】

 

「俺は迂闊に死ねないのかよ」

「死にたくないと思うぐらいに幸せにするから覚悟しておけ」

 

そう言ってアンジェは俺にキスをする。

ダメだ、勝てない。俺は一生コイツに夢中だ。

口の中にアンジェの舌が侵入してきた。

このところ寝込んでいたせいか抵抗できない、いつもなら俺の方から求めるのに今日は逆だ。

 

「安心したから今夜はもう寝ようぜ。明日からは俺も働くし」

「………」

 

何とかアンジェを止めようとしたら思いっきり睨まれた。

あれ、何かしくじったか?

 

「リオン、お前はこの格好を見て何も思わないのか?」

 

どう思うって抱きたいと思ってるよ。

ただ、さっきまでいい雰囲気だったのに手を出したらアンジェの体目当てみたいで気が引ける。

 

「こんな格好をしてまでお前に抱かれたいと思っていたのに私の決意を無下にする気か?」

 

そう言ってアンジェは俺の上に覆いかぶさった。

力自体は大したものじゃない、引き剥がそうとすれば出来る。

なのに気力が衰えてるから抵抗できない。

 

「気乗りしないからと言って房事を控えるとは随分と身勝手な振る舞いだぞ」

「アンジェを馬鹿にしてるつもりはないよ」

「出陣前日の夜は私が気絶するまで抱いたくせに、面倒だから抱かないとは侮辱以外の何物でもない」

 

あ、ヤバい。

完全にアンジェの目が据わってる。

こりゃ納得いくまで相手をしないとずっと怒りっぱなしだ。。

覚悟を決めて唇を重ねる。

 

「誘ったのはそっちだからな。加減なんかしないぞ」

 

顔を赤らめたアンジェが嬉しそうに舌を絡めてきた。

離れ離れになった方が愛が燃え上がるなんで噂が巷にはある。

アンジェとより仲睦まじくなる為に従軍したと思えば割に合ったのかもしれない。

二度とごめんだけど。

アンジェが隣にいるなら、きっと俺は大丈夫なんだろう。

何の心配は無い、心ゆくまでアンジェを抱いて明日から真面目に働こう。

 

俺とアンジェが疲労と筋肉痛で寝込み復帰したのはその二日後だった。




田舎のモブ貴族に宮仕えはつらいよの回。
「ロストアイテムの強さや攻略対象の美形っぷりを傍から見ているとこんな気持ちなんだろうな」というモブ視点で。
ホルファート王家の船とフォンオース公国の超巨大怪物の戦闘を間近で見たら叛乱の意思も挫かれるのも仕方ありません。
やはりルクシオンは偉大。
アンジェが凄く出来た妻ですが、原作本編でもレッドグレイブ家よりリオンを選んでいるので違和感は少ないかと。
アンジェとリオンのイチャイチャ(エロ)を書きたかっただけとも言います(暴露

追記:依頼主様のおかげで実靜様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
実靜様:https://www.pixiv.net/artworks/109447775


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第17章 世は並べて事も無し●

紙の上をペンが走る。

出世して生活水準が上がると今まで日常生活で使っていた物のどれだけ低品質なのか身をもって理解できた。

書き心地抜群な万年筆、色むらが無く伸びが良いインク、細かい細工を施された印章。

道具に拘るのが貴族の嗜みというのも納得が出来る。

やりたくもない仕事をするならせめて少しでもストレスが溜まらないように工夫を凝らすのが人間って生き物だ。

 

目の前に積まれた書類を見ながらそんな事を考えていた。

屋敷の執務室で俺と兄さんは今日も書類整理に明け暮れていた。

バルトファルト領はまだまだ発展途上なので領主の認可が必要な問題が至る所にある。

さらに公国との戦争で起きた問題についてはすぐに対処する必要があるからいつも以上に書類が増えた。

これでもアンジェが書類を精査してくれるだけかなり減ってはいる。

それでも机に積まれた紙の束を見ると溜め息が出て来る。

今日のバルトファルト邸には家人を除けば俺と子供達と兄さんしか残っていない。

両親と姉妹は視察という名目で温泉施設に出掛け、コリンは領内の雑用処理に外出、アンジェは領民との会合に出席。

 

住人の減った屋敷は静かなもんだった。

手にした書類を一枚ずつ読み内容がダメなら『不可』、改善点があるなら『再考』、認可できるなら俺のサインを記入し判を押す。

単純作業に見えて頭を使うから疲労は肉体労働と大差無い。

むしろペース配分が分かって体を動かせば終わりが見えて来る肉体労働の方が気楽だ。

 

室内には紙の擦れる音と時計の針が動く音だけが響き渡る。

空腹感に襲われ時計を見る昼食から数時間が経過していた。

そろそろ休憩を挟んだ方が良いな。

呼び鈴を鳴らして家人に合図を送る。

ゆっくりと体を伸ばし首を左右に動かし方を回すと強張った体のあちこちから音が鳴る。

 

ドアをノックする音が聞こえ入室を許可した。

入室した家人が持ってるプラッターには茶具一式とお茶請けの菓子が置かれている。

家人に茶を淹れさせても良い筈だけど気分転換として俺が必ず淹れている。

面倒な書類整理の合間ぐらい好きな事をしたい。

予め湯が入ったポッドに茶葉を入れ百数十秒蒸らす、茶漉しを通らせてカップに紅茶を注ぐ。

正式な茶会なら邪道もいい所だが息抜きならこれで十分。

湯気が立ち昇る紅茶の匂いが心を和ませる。

今日のお茶請けはクッキーか。

長々と休憩している訳にもいかない。

クッキーを頬張ろうとした次の瞬間、

 

『うわ~~~~~~ん』

 

子供の泣くような声がした。

……いや、きっと気のせいだ。

気を取り直して紅茶を啜ろうとした次の瞬間、

 

『あ~~~~~~ん』

 

また泣くような声が聞こえてきた。

横に座っている兄さんを見る。

気のせいだよな?きっと空耳だ。

そんな俺の淡い希望はドアに向けて顔を動かす兄さんの動きに打ち砕かれた。

どうやら本当に子供が泣いているらしい。

 

心当たりは一人しかいない。

面倒事は嫌なのにどうしてこうも問題が起きるのか。

椅子から立ち上がり部屋を出る。

何で俺が解決しなきゃいけないのか?

俺、此処の領主だよな?バルトファルト家の当主だいな?一番偉い筈だよな?

どうもうちの連中は面倒事を俺に押し付ける風潮がある気がする。

とりあえず声がする方へ足を動かす。

階段を降りてドアを開け庭へ出ると声の主が其処に居た。

 

「かぇせ~~~~~~!」

「いやぁ~~~~~~!」

 

服を引っ張り合う双子の姿が其処にあった。

子供の世話を担当する若い乳母は何とか二人を引き離そうと狼狽えている。

俺の姿を確認して安心した乳母を下がらせ二人に近づく。

 

「仲良くしなさい君達」

 

呆れつつ近づくとライオネルが泣きながら俺に駆け寄って来る。

 

「ちうえ~~!」

 

身を屈めて視線を合わせるとライオネルが俺に抱きつく。

息子よ、スキンシップは歓迎するけど顔を拭いてくれ。

涙と鼻水と涎で服が汚れるから。

いつもライオネルはアリエルに泣かされる。

一日に一回は喧嘩をして俺やアンジェが仲裁する事になる。

ライオネルが大人し過ぎるのか、アリエルが強気過ぎるのか。

いずれににせよ両極端な性格の双子の仲が悪いのはいただけない。

ライオネルを抱えて立ち上がる。

頭を撫でて背中を擦ってやると漸く落ち着いたらしい。

 

「それで、何があった」

「とった~~~!」

 

そう言ってライオネルが指差すアリエルの後ろにはぬいぐるみが転がっていた。

ライオネルに与えたぬいぐるみだ。

勿論アリエルにも同じ物を与えている。

喧嘩の種になっちゃいけないと玩具も菓子も同じ物を揃えてるのに、何故だか分からないがアリエルはやたらライオネルの物を欲しがる。

とにかくライオネルの所持品を羨ましがる割にアリエル自身に与えた物には執着が少ない。

嘗て双子は後継者問題を起こすから貴族の間では忌む風習があったらしいが、異性の双子でこうも仲が悪いとバルトファルト家の将来が心配になる。

 

「アリエル、返してあげなさい」

「…………」

 

返却を促す俺を睨みつけるアリエル。

すんなり俺に懐くライオネルと違いアリエルはやたら俺への対応がキツい。

そんな目で睨むなよ、パパ泣きたくなるだろうが。

溜め息を吐いてアリエルを撫でようとするが逃げられる。

奪ったぬいぐるみは地面に転がったままだ。

軽くはたいてライオネルに手渡すと漸く泣き止んでくれた。

そんな俺とライオネルをじっと見つめるアリエル。

だからお前は何がしたいんだよ。

 

「何をしているんだ?」

 

後ろを振り返るとアンジェが佇んでいた。

 

「お帰りアンジェ」

「はうえ~~!」

 

アンジェの姿を見た瞬間に俺から離れてアンジェに駆け寄ろうとするライオネル。

お前ももう少しパパに優しくしてくれないかな?

何でうちの子供達はこうも素で俺を軽んじるのか。

 

「ただいま」

 

ライオネルを抱くアンジェは随分と手馴れていた。

産んだ直後は子守りの経験が無いからおっかなびっくりに抱いていたのに。

 

「それで、リオンは仕事を放置して庭で何をしている?」

「今は休憩時間だ、きちんと仕事は熟してたぞ」

 

別に仕事を怠けてた訳じゃない。

与えられた仕事はきっちりと処理してる。

嫁に与えられた書類にサインと判を押してるだけと思われるのは心外だが。

 

「アリエルがまたライオネルを泣かしてた。放ってはおけないだろ」

「またか、仕方ないな」

 

アンジェはライオネルを持ち上げる。

 

「ライオネル、いずれお前はこのバルトファルト領を治める事になるんだ。今からそのように泣いていては統治者としての資質を疑われるぞ」

「生まれて二年も経ってない子供に聞かせる話じゃないなぁ」

 

別に俺はライオネルが領主になるのを望んでいない。

ライオネルが望むなら継がせる予定だが、才能ややる気は別物だ。

望んで貴族になった訳じゃない俺からすれば選択の自由を与えてやりたい。

 

「相変わらずアリエルは俺に懐かない。ライオネルにも喧嘩を売るし今後が心配だ」

 

娘は可愛いけど社交性が無く我儘に育てるつもりはない。

アンジェは自分の経歴のせいか特にアリエルの教育に気を遣っている。

俺に対しては辛辣なのにアンジェに対しては従順なアリエルの二面性を考えると将来が怖い。

 

「何だ、娘の性格も把握してないのか」

 

心底呆れたような顔で俺を見るアンジェ。

弟や妹の子守りはしてきたけど子育てとは勝手が違うんだよ。

 

「アリエルはな、ライオネルに嫉妬しているだけだ」

 

アンジェの告げる言葉の真意が分からず首を傾げる。

 

「嫉妬なんかしてないだろ。俺が近づくと逃げるし」

「どう反応して良いか分からずに逃げているだけだ。追わないリオンが悪い」

「俺はライオネルとアリエルを平等に扱ってると自分では思ってるんだけどな」

「その平等というのがいけない。子供は親の愛情を独占したがる。むしろ平等に扱おうとするから拗ねるんだ」

 

どうにもアンジェの意見に納得できない。

アンジェの意見が正しいとして、アリエルがそこまで俺の愛情を求めているとは思えなかった。

 

「リオンが従軍して居ない間は大変だった。いつも落ち着かない様子で夜泣きする事が多かった」

「本当か、とてもそんな風に見えなかった」

「兄妹喧嘩をしてもリオンが庇うのはいつもライオネルだ。アリエルとしては面白くなかろう」

「いつも喧嘩でライオネルを泣かせてるのはアリエルじゃん。まずライオネルを泣き止ませるのは当然だろ?」

「だからと言ってアリエルの話を聞かないのも不味い。ライオネルばかり贔屓してると思われても致し方ない」

 

なるほど、納得がいった。

俺の娘は相当気難しくて我儘なお嬢様らしい。

庭を見渡すとアリエルが遠巻きに俺達を見ている。

警戒心を抱かれないようにわざと気を抜いてゆっくりと近づく。

まるで獲物を狙う狩人になったような気分に苦笑いが込み上げる。

あと数歩でアリエルに届く位置に来たらその場に座り込んだ。

 

敢えて俺から歩み寄らない、相手の出方をじっと伺う。

怪訝な顔をしたアリエルがおずおずと俺に近づいてくる。

その姿を横目で確認しつつ更に近づくのを待つ。

手を伸ばせば届く場所まで来た瞬間、アリエルの方に向き直る。

ビクッと体を震わせ体を硬直させたアリエルに俺は手招きをする。

おずおずと近づいたアリエルの頭を撫でる。

アンジェに似た黄金色の髪だが更に柔らかい感触だ。

警戒心が解けたアリエルを抱いて立ち上がる。

今までと違って嫌がらなくて安心した。

気難しい標的の捕獲に成功した俺はアンジェとライオネルの場所に向かう。

 

「じゃあ、間食にするか」

 

小腹も空いたし喉も乾いている。

子供達の仲裁で俺の休憩時間は無くなった。

子供達を連れて屋敷に入ろうとすると袖を引っ張られた。

振り返ったらアンジェが俺を睨んでいる。

 

「どうしたアンジェ」

「私には?」

 

そう言ってアンジェは両手を広げた。

 

「私は抱かないのか?」

「何でアンジェを抱くんだよ」

「ライオネルを抱いた、アリエルを抱いた。ならば次に私を抱くのは当然だろう」

「息子と娘に嫉妬すんな」

「つまりお前は妻より我が子を優先すると」

 

面倒くせぇ、俺の嫁すごい面倒くせぇ。

絶対にアリエルの性格は母親似だ。

まぁ、それでもアンジェの機嫌が良くなるなら拒む理由は無いな。

アンジェの背中に手を回して抱きしめる。

時間が引き伸ばされて数秒が数十秒に感じた。

子供達の前で抱き合うのが凄く照れくさい。

罰ゲームかよ。

 

「ほら、これで満足だろ」

「愛情が籠ってない、やり直しを要求する」

「すいませんアンジェリカ様、恥ずかしいんで勘弁してください」

 

【挿絵表示】

 

他の誰かに見られたらどんな噂をされるか分かったもんじゃない。

恥ずかしさを誤魔化すように俺は足早に屋敷へ戻った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「それで、会議はどうだった?」

「概ね予想通りだ。国からの補償金とは別にバルトファルト家からも当面の生活費を補填する事になりそうだ。他にも医療の優先権、職の斡旋といった支援も必要だろう」

 

今回の戦争でバルトファルト領もそこそこの損害を被った。

領地こそ無事だったが鎧の搭乗者や飛行船の乗組員といった戦闘要員に犠牲者を出した。

戦没者の家族には恩給を払わなきゃいけないし、負傷した兵には治療を受けさせる必要があるし、戦えなくなった奴らが路頭に迷わないように面倒を見なきゃならない。

いっそ放逐できたら楽で良いがそんな事をすりゃたちまち叛乱が起きて領内が荒れ果てる。

そうした火種を消す為に手っ取り早い解決方法が金だ。

金、金、金。

領主になってから銭勘定ばっかしてる。

新興貴族のうちにそんな大金がある筈もない。

 

「またレッドグレイブ家から借金するのか……」

「仕方あるまい、私から父上と兄上に話を通しておく」

 

あんまり公爵家を借りを作りたくない。

下手に融資を受ければ否応なしに公爵家へ従わざるを得なくなる。

公爵の思惑がどうであれ中央のゴタゴタに巻き込まれるのは確実だ。

俺が巻き込まれるのは仕方ない、アンジェと結婚する時に腹を括った。

 

でも、子供達が巻き込まれるのは勘弁して欲しい。

俺みたいに軍に入るしかなかった運命も嫌だが、政争に明け暮れる王都で公爵家の駒として扱われる人生も受け入れ難い。

公爵は情を持ってはいるが子や孫を道具として扱うのを躊躇わないだろう。

そんな風になれない俺は結局貴族に向いてない。

カップに注がれた紅茶の水面を眺めていると何かが俺の足に触れた。

視線を下ろすとアリエルが俺のズボンを引っ張ってる。

 

「あげゆ」

 

そう言って愛娘は俺にクッキーを手渡した。

どうやら顔を曇らせる俺を心配してくれたらしい。

うん、やっぱ娘に愛されるって良いな。

渡されたクッキーが半分以下に減ってる食べかけなのはこの際どうでもいい。

 

「ありがとな」

 

感謝して頭を撫でようとしたらさっさとアンジェの所へ逃げられた。

もう少しお父さんに優しくしても罰は当たらないと思うんだが。

ライオネルはずっとアンジェに引っ付いているし、アリエルも基本的にアンジェの側だ。

 

「何でうちの子は俺よりアンジェに懐いてるんだよ」

 

躾に厳しい母親より甘い父親の方に懐くのが普通だろう。

 

「仕方あるまい。私の方がリオンより十月も付き合いが長いんだ」

 

腹の中で子を育てて産む母親に見てるだけの父親は勝てないってか。

父親ってのはとことん損な存在だ。

父さんが帰って来たら少し優しく迎えよう。

 

「だが、最近は二人ともやたら私に近寄って来る」

「前はそんなんじゃなかったよな、戦争中に俺を忘れた反動じゃ?」

「それでも明らかに抱きつく回数が増えた。少し疲れる」

「抱き心地が良くなったんじゃ?明らかに肉付きが……」

 

『良くなった』と言いかけた瞬間、アンジェの目が吊り上がった。

最後まで言ったらカップの中の紅茶を俺の顔に飛ばしていたな。

 

「何か言いたそうだなリオン?」

「……アンジェは相変わらず綺麗だよ」

 

誤魔化しにもなってないが取りあえず褒める、俺はまだ死にたくない。

冷や汗を流す俺を他所にアンジェは双子の頭を撫でる。

 

「ライオネル、アリエル。どうしてそんなに私に抱きつくんだ?」

 

率直にアンジェは二人に問いかけた。

と言ってもまともな答えを期待してる訳じゃないだろう。

あくまで論理的に説明できるかを試しているだけだ。

時々こうやって子供達の才能を推し量るのは公爵家の教育が骨の髄までしみ込んでいるから。

二人は首を傾げてアンジェに抱きつく。

まだまだ母親に甘えたい盛りの子供は本当に可愛い。

 

「いゆ」

「ちゃい」

 

そんな言葉を口にした。

舌足らずな子供の単語の意味を完全に理解するのは戦場の暗号解読並みに言語能力がいる。

アンジェも二人が何を言いたいか分からず困惑してる。

カップに注がれた紅茶を完全に飲み干し、もう一杯淹れ直す。

目の前には俺の妻と俺の子供達が幸せそうに戯れてる。

 

こんな光景が見れるなら戦場を必死に生き延びるだけの価値が俺の人生にも有ったんだろう。

そう思って三人を見てるとある事実に気付いた。

ライオネルとアリエルが触れる箇所は殆どアンジェの腹だ。

胸や手足には殆ど触らない。

胴体の方が抱きつきやすいにしても腹ばかり触る理由は何だ?

 

『いゆ』 『ちゃい』

 

脳を必死に働かせて言葉の意味を解読する。

アンジェを見ると指を一本ずつ折って何かを数え始めてる。

俺とアンジェの視線が交差しある一点を見つめた。

 

「いや、まさか……」

「可能性としては……」

 

やがて俺はある答えを導き出した。

たぶんアンジェも同じだと思う。

 

「医者ァ!医者を呼んで来るッ!」

「待て!まだ決まった訳ではない!落ち着け!」

 

慌てる俺達を双子が何事かと驚いた顔で見ていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「できてた」

「できてたな」

 

もう何度目になるか分からないぐらい同じ言葉を俺達はベッドの上で繰り返す。

流石に心の準備も無く人生の重大イベントに出くわしたら動揺もする。

 

『断定は出来ません。ですが懐妊したと考えてほぼ間違いないかと。おめでとうございます』

 

医者の答えは俺達の予想通りだった。

 

「あの日か」

「あの日だな」

 

久々にアンジェを抱いたあの日、妊娠した可能性が一番高いのがあの日だ。

 

「あの日は妊娠しやすい日だったのか?」

「むしろできにくい日だった」

「二度目の妊娠は最初より難しいって聞いたけど?」

「実際そうだ、出陣前にあれだけ抱かれても妊娠しなかったからな」

 

間がいいのか悪いのか。

漸く落ち着いた日々を送れると思っていたら知らない間に家族が増えていた。

まだ膨らんでいないアンジェの腹に触れる。

まぁ、夜の激しさを考えればできない方がおかしい。

確かに離れていた期間が長いければ長い程燃え上がるって噂は本当らしい。

冗談めかしてアンジェに俺の子をたくさん産んで欲しいと言ったのを後悔する。

体の相性なのか、回数の問題なのか、精神的な問題なのか分からない。

俺達夫婦の将来について真剣に悩むべき問題が増えた。

 

「アンジェはどうしたい?」

「どうしたいとは」

「その、産んでくれるの?」

「当たり前だろう、まさか堕ろせと言う気か」

「言わないし思ってない」

 

腹を抑えて俺を睨むアンジェ。

子供が増えるのを嫌がってる訳じゃない。

ただ心の準備が出来ない内にまた子供ができたのが不安なだけだ。

 

「何でこう、問題が次から次に起こるの?俺なんかしでかした?」

「今回に関しては自己責任だろう。私を何度も抱いたリオンが悪い」

「求めて来たのはアンジェじゃん。俺は要望に応えただけです」

「私が淫蕩だと言いたいのか?それならばリオンは変態の性倒錯者だ」

 

お互いに相手を批難する。

知らない奴が見たら夫婦喧嘩だろうが、俺達は本気で罵り合ってる訳じゃない。

とりあえず腹の中に溜まった物をぶち撒けて不安を取り除いているだけだ。

 

「……なんか疲れた」

 

ベッドの上に寝そべって手足を投げ出す。

領主になって、夫になって、父親になっても何も変わっちゃいない。

どんどん自分の存在が大きくなるのに相変わらず俺は臆病でダメな奴のままだ。

途方に暮れる俺の横にアンジェが横たわる。

体臭と香水が混じった良い匂いが鼻をくすぐる。

いつもならこのまま抱き合って眠るのにそんな気になれない。

予想外の事態になると狼狽えて立ち止まっちまう自分自身が恨めしい。

どう考えても世間に思われる英雄じゃないんだよ俺は。

こうやって落ち込む度に嫁に慰められるヘタレが本当の俺だ。

 

「また一人で抱え込もうとしているな」

 

柔らかくて温かい感触に顔が包まれた。

相変わらずアンジェは俺の気分を察するのが上手い、俺がダメ過ぎるだけかもしれないけど。

 

「気を張るなとは言わない。ただ私の前ではいつものリオンでいて欲しい」

「情けない所を一番見られたくない相手がアンジェなんだよ」

「なら問題は無い。お前の良い所も悪い所も総て私の好みだ」

 

アンジェの腹を撫でる。

此処に新しい命が宿っていると考えると妙な気分になる。

産まれてくる赤ん坊に俺達の会話は聞こえてるんだろうか。

 

「しばらくアンジェを抱けないのがつらいな」

「ならば妾でも囲うか?妻が懐妊している間に愛人を作る事を許容する貴族も多い」

「それで本当に良いの?」

「本心では嫌だがリオンがつらいのなら悋気を抑える」

「嘘つくなよ」

 

それだけは空気を読めない俺でも分かった。

 

「アンジェが嫉妬深いのは俺が一番よく知ってる。自分が産んだ子供に嫉妬するし」

「……」

「嫉妬する必要が無いぐらいに愛してやるから覚悟しとけ」

 

思わぬ反撃に驚いたのかアンジェが頬を紅く染めた。

俺だって成長する、いつまでも一方的にやられる訳じゃない。

 

「子供二人と三人なら大差無いし、領民が一人増えると考えたら誤差の範疇って事だろ」

「そうだな」

「だからいつも通り大丈夫さ。アンジェが隣にいるなら俺は幸せだ」

 

飯を食って、仕事をして、風呂に入って、嫁を抱いて、布団で寝る。

単調で地味な生き方だけど、それが一番俺の性に会っている。

国の重鎮でも歴史に名を遺す英雄でもない。

どこにでも居る地方領主で満足だ。

家族が幸せならそれで良い、争いなく子供達が自分の望む道を選べる自由を与えられたら良い。

 

「世は並べて事も無し、か」

 

田舎領主のリオン・フォウ・バルトファルト。

それが俺の全てで、誇らしい称号だ。

アンジェの額にキスをした。

 

「よろしく頼みます奥様」

「此方こそ旦那様」

 

今日も、明日も、明後日も。

一月後も、一年後も、十年後も。

きっと俺達は幸せだ。




リオン編はこれで完結です。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
第11章以降は元々成人向け+後日談として書いていたのですが、全年齢版で読みたいとの要望が多く修正して投稿しました。
本編より後日談の方が文量や閲覧数が多いというチグハグな状況となったのは、偏にアンジェとリオンのエッチシーンを書きたいという衝動を優先し元々のプロットを成人向けに調整したという私の邪道な作成方法の問題です。
お目汚し大変失礼いたしました。

先日マリエルートのコミカライズが始まりました。
創作意欲を刺激され、また成年版から全年齢版への移植も今章で終わったのを契機としてこのまま続きを書く決意を固めました。
多くの方々にお読みいただき、依頼主様の手によって数々のイラストを多くの絵師さんに描いてもらった結果「物書きの端くれとして不出来な作品を出す訳にはいかない」と考えた結果です。
成人版で既に最終的な結末はほぼ定まっているので、其処に到る過程をきちんと最後まで書く事が誠実な対応と判断致ししました。
物語としての読み応えや完成度を考慮し、一週間で一章(3000~4000字)から二週間で一章(6000~9000字)のペースで投稿する予定です。
次回投稿は今月下旬を予定しています。
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。

追記:依頼主様より松本規之様が描いてくださった浴衣アンジェのイラストです
https://skeb.jp/@matsumoto0007/works/3
さらに追記:依頼主様のリクエストでつくだ煮。様に挿し絵イラストを描いていただきました。ありがとうございます。
つくだ煮。様 https://skeb.jp/@ore624/works/22


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第18章 過去からの稀人●

バルトファルト領から飛行船で数時間をかけ降り立った港。

王都とバルトファルト領の中間に位置するこの地方都市は普段とは違う活気に満ちている。

ファンオース公国との戦争による戦没者の慰霊祭が行われるからだ。

なるほど、他領からの弔問客が多く訪れるこの時なら目立たず会えるだろう。

相変わらず如才のない手際に関心よりも恐怖が勝る。

 

人混みに混じりながら目的地へ向かう。

手持ちの地図で現在地を確認し、時折この地の住人に道を尋ねそれらしき建物を目指す。

距離としては大した物ではない、普段なら疲れすら感じず踏破する距離だ。

それなのに足取りが重いのは私の感情が原因だ。

誰だって気乗りしない相手と面会するのは億劫に感じる。

ましてや碌に挨拶も無いまま別れた相手と数年ぶりに再会するなら尚更と言えよう。

リオンは『会いたくないなら会わなくていい』と言ってくれた。

その優しさが嬉しい。

 

だからこそ私は会わなくてはいけない。

現在は過去の結果であり、未来は現在が過程となって形と成る。

もし逃げ出したら何が起こるかは分からない。

面会を拒絶した程度では何らかの報復を行う狭量な御方ではない。

問題は知らぬという事が未来の選択肢を狭めるという確定事項。

それ程までにあの方は有用な情報を齎す。

非常に有用、それ故に扱いを間違えば命取りとなる。

王都を離れた私が得られる情報は限られている。

 

嘗ては次期王妃として王国の内情や公爵家の伝手を存分に活かせたが現在の私は単なる田舎領主の妻に過ぎない。

父上や兄上が齎す情報はあくまで公爵家の視点で語られている上に誰かに漏れても痛痒を感じないレベルの物だ。

バルトファルト家が完全にレッドグレイブ家の走狗となるなら兎も角、もし王家と公爵家の争いに巻き込まれるのなら少しでも情報が欲しい。

おそらくあの御方は私の思考を其処まで読み取ってこの面会を求めて来た。

腹立たしいまでに有能、味方なら心強いが敵となるなら至極厄介な存在である。

 

止めよう、考えれば考えるだけ気が滅入る。

ただでさえ懐妊して情緒不安定なのだ。

お腹の子にまで不安が伝わるのは胎教に悪い。

煩悶を抱えたままでも足を動かし続ければ否が応でも目的地に辿り着く。

 

古めかしい外装で歴史を感じさせつつも端々に小洒落たアクセントが粋なレストランだ。

確かな腕を持つシェフの料理と若い顧客向けのデザートが人気で他領からわざわざ訪れる顧客も多い店だった。

相変わらず何処からこんな情報を仕入れてくるのか。

王国貴族の多くが堕落したからと言って各機関までが無能に成り下がった訳ではない。

充分に活かせる者が存在すれば拙い情報を繋ぎ合わせ真実への到達は可能だ。

思わず背筋が寒くなり震えた。

意を決し店内に入り従業員に声を掛ける。

 

「バルトファルトだが」

「お待ちしておりました。個室へご案内します」

 

折り目正しく対応され個室へ案内される。

この店には個室も存在し貴族の密会に使用される機会も多いという噂だ。

内心で舌打ちをしつつ誘導される。

やはりリオンを伴うべきだったか?

いや、面倒事に巻き込むのは避けたい。

そもそもこの店に訪れるのは事前に報告済みだ。

 

『いや、アンジェが他の男と密会する訳ないじゃん』

 

特に何も疑わず私を送り出した我が夫が少し恨めしい。

確かにそうだがもう少し危機感を抱くべきだ。

浮気かと疑心暗鬼に陥り私に対する独占欲を見せてくれたら嬉しいのだが。

どうも変な所でリオンは私を信用し過ぎる。

それだけ私に信を置いていると考えれば悪い気はしないのでそう思い込む事にした。

通された個室には年季の入ったテーブルと椅子が置かれている。

床には塵一つ無く、入念に手入れがされたテーブルと椅子からあの御方がこの店を選んだ理由が伺える。

 

従業員が椅子を引いたので荷物を預けゆっくりと座る。

品書きを手渡されるがあの御方が来る前に注文するのは非礼にあたる。

手を翳して従業員を下がらせた。

腕時計を見ると指定された時刻には暫し余裕がある。

この場に居ない夫と我が子達に思いを馳せる。

ライオネルとアリエルは義父と義母に預けて来た、リオンは所用で王都へ向かう途中だろう。

 

コンパクトミラーを取り出して身嗜みを確かめる。

私達が再び会う日が訪れるとは思いも寄らなかった。

五年前のあの日、私達を繋ぐ縁は断ち切られた筈だ。

傍から見れば追放同然に王都を離れ地方領主に嫁いだ私と会いたい、つまりそれだけの事が王都で起こっているのだろう。

この面会はある意味で戦だ、気後れすれば相手のペースに飲み込まれる。

逆にあの御方を取り込む気概で臨まなければ。

覚悟を決め来訪を待ち続ける、時計の針が奏でる音がやたら大きく感じられた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

欠伸を噛み殺しながら手紙を整理する。

眠い、とにかく眠い。

懐妊して二ヶ月も経つと体のあちこちが子を産む為に変化し始める。

腹はまだ膨らんでこそいないが味覚や嗅覚が鋭敏になるし食欲もその都度変わる。

己の存在を確立しようとする胎児に私の命を吸い取られるような錯覚に陥る。

首から下は空腹感に襲われるのに首から上は悪阻でろくに食べ物が喉を通らない。

仕事で誤魔化そうとしても倦怠感に悩まされとにかく眠くてたまらない。

つくづく妊娠というのは重労働だ。

おまけに私の体調を慮るリオンがやたらと世話を焼きたがる。

男性には妊娠した妻本人よりも騒ぐ夫が多いと聞き及んだが、どうやら私の夫はその典型例に当て嵌まるらしい。

 

妊娠初期の気を付けなければいけない時期なのはよく分かるが、我が子やバルトファルト領の皆からまで私から遠ざけようとする。

さらに子供二人から私を遠ざけようとして嫌われ、私達の寝所で嘆くのは妊娠で情緒が不安定になってる我が身としては少々鬱陶しくて堪らない。

やたら私の身を案じ領地経営の仕事を取り上げ自分で解決しようとするのを叱るのは近頃のバルトファルト家でよく見られる光景だった。

 

ただでさえファンオース公国との戦争の論功行賞が近々行われる予定だ。

戦争にかかった諸経費や喪った領民への補償費用を正確に計上して報告しなくてはならない。

本来なら書類を送ればそれで終わる話なのだが、どの領主も自分の手柄を殊更大きく報告して恩賞の額を少しでも増やそうと画策する。

嘗ては領主自ら王族を訪ね声高に己を武勲を誇ればそのまま勢いで要求を押し通す方法が罷り通っていたのだ。

 

流石に現在ではあからさまにやる者はいないが、関係各所への根回しで支給額を少しでも増やしたいのはどの領主も同じだろう。

バルトファルト家はレッドグレイブ家の後援があるから其処までする必要は無いが、それでも領主であるリオンが出向かなければ心証が悪くなる。

リオンは自己評価が低い上に出世を厭うせいか戦功を過少報告する傾向がある。

一個人ならそれで良いかもしれないが領主としては致命的な悪癖だ。

今後のバルトファルト領の発展の為に少しでも支給額を上げてもらわなければ困る。

 

溜め息を吐いて手紙を精査する。

バルトファルト領の各所からの手紙、他領からの手紙、バルトファルト子爵への手紙、リオン個人への手紙。

種類は様々だがほぼリオンへの手紙だ。

リオン個人への手紙を除外し、他の手紙はペーパーナイフを用いて封を切る。

報告書は関係各所へ、請求書は後で会計へ回し、他領からの手紙は私自身が目を通し重要度が高い物はリオンへすぐ報告する。

リオンが陞爵するならそろそろ文官を増やさなければ。

今までほぼ領主の家族による領地経営だったバルトファルト領も権力が増大すればそれに伴い人手が必要になる。

 

開封作業に終わりが見え始め、漸く最後の一通となった。

宛名は『アンジェリカ・フォウ・バルトファルト』。

つまり私個人への手紙だ。

他領に居る貴族の奥方や令嬢からお誘いの手紙が時折来るが、それは『バルトファルト夫人』と明記され私個人の名で書かれる場合は皆無だった。

つまり私と面識があり、立場を越えて親しい間柄という訳だ。

 

そんな相手が今の私に存在しているだろうか。

断罪されたあの日、私に味方してくれる者は居なかった。

それまで媚び諂いすり寄って来た者達は掌を返したように私へ罵詈雑言を浴びせた。

貴族社会では面従腹背など腹芸の基礎にすら入らない基本中の基本だがああも露骨に態度を豹変するのは怒りを通り越して笑いすらこみ上げたものだった。

信念を持って私から遠ざかって行った者はマシな部類だった。

多くはフランプトン侯爵率いる反レッドグレイブ家の派閥に追従した日和見主義者。

尤もフランプトン侯爵の行った罪の捏造、他国への内通、そして国家に対する反逆が明るみになると彼に追従した者の多くが処罰された。

王家はフランプトン侯爵と繋がった者を赦免するつもりは一切無かったし、私は勿論父上も裏切り者を庇う程お人好しではない。

 

結果としてレッドグレイブ家は宮廷に復権を果たし、王家は公爵家に対し強気に出られないほど凋落する。

見苦しく私に慈悲を乞う蝙蝠も存在したがその殆どが処罰され、私自身に今更手紙を出す物好きなど存在しない筈だ。

とりあえず手紙を開封しなくては。

手紙を掴むと滑らかな手触りだった。

色合いこそ地味だが手間暇を掛け梳かれた紙だと分かる。

こうした紙を使うのは身分が高い者が手紙の存在を目立たせたくないから敢えて使う事が多い。

 

どうにも面倒事の匂いが漂って来る。

開封しようとペーパーナイフを手に裏面を見る。

握っていた筈のペーパーナイフが床に落ち音を立てた。

封蝋に刻まれた印章を私は何度も目にしてきた。

この印章が指し示す家はこの国に存在しない、あの御方の御実家で用いられている物だ。

故に非公式で自分からの手紙だと分からせるには丁度いいと笑いながら仰っていた。

 

『何故今になって?』

 

もう関わり合う事も無い筈の御方だ。

田舎領主に嫁いだ私と関わってもあの御方に益など無い。

費やす時間と労力を鑑みれば私を呼び出せばそれで済む話だ。

拾ったペーパーナイフで封を切る。

恐る恐る慎重にゆっくりと、紙を切る音よりも自分の心音がうるさくて堪らない。

開封を終え手紙に目を通す。

記されていた内容は日時と場所の指定だけ、差出人の名前すら無い。

これならば盗み見られても平気だろうが、それ故に私の恐れを煽り立てる。

拭えない過去が私の足を掴んで離さないような錯覚に陥る。

不安が心を支配し思考が覚束なくなる、一人で考えるには問題が大き過ぎる。

 

『早急にレッドグレイブ家に相談するべきか?』

 

いや、もし手紙自体が公爵家に対する罠であるなら迂闊に連絡をするのは危うい。

まんまと罠に嵌められた気分だ。

 

『ではリオンに相談するか?』

 

それが一番だろう。

だが、その選択を取るのは躊躇われる。

結婚前に私は嘗ての行いを告げ、リオンは何も言わず私の話を聞いてくれた。

今更私達の絆が揺らぐ事は無いと信じたい、信じたいが何らかの事情であの御方と関わるなら否応なしにリオンは中央の政争に巻き込まれる事となる。

出世したくないと喚くリオンの姿を今まで散々見て来た。

それなのに私のせいで欲しくもない地位とやりたくもない政争をさせるのか。

 

何とも気が引ける現状に眩暈がする。

いっそ黙っていれば気付かれずに済むのでは?

リオンはきっと許してくれるだろう。

そんな浅ましい考えが数瞬だけ頭をよぎったが必死に振り払う。

リオンと結婚した時、子供達を生んだ時。

良き妻、良き母であろうと決意してバルトファルト領に骨を埋める覚悟をした。

ならば私が採るべき行動は自ずと定まっている。

為すべき事を為そう。

椅子から立ち上がった私は屋敷に居るリオンの姿を捜した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

屋敷に歩き回ってもリオンを発見できず戸惑っていると庭から子供達の声が聞こえた。

窓から外を覗くと見慣れた黒髪が目に入る。

その姿を見ただけで安堵する己が可笑しいのと同時に私よりも子供を優先するようになった事実が厭わしい。

こんなにも私は歯止めが効かない女だっただろうか?

彼からの愛を求めているのにその愛の結晶である我が子に嫉妬するなど愚かだ。

これも妊娠して情緒が不安定だから、無理やりそう断じて外へ出た。

 

ライオネルとアリエルが大人しく戯れている。

二人は私かリオンが傍に居れば兄妹喧嘩を始めない、何とも子供らしい現金さだ。

リオンは庭の陽当たりが良い場所に置かれたガーデンベンチに座っていた。

特に何をする訳でもなく気を緩めて子供達を見守っている。

わざとらしく音を立ててリオンの隣に腰掛ける。

彼は一瞬だけ視線を私に向けたがすぐに子供達に視線を戻す。

傍から見れば微笑ましい光景だろう。

だが、この光景の裏には様々な思惑が交差して私達を飲み込もうとしている。

この事態を引き起こした主な原因は私。

そう思うと口を開くのが躊躇われた。

 

「王都には明日向かうよ」

 

私の躊躇いを察知したのかリオンの方から私に話しかけて来る。

 

「明日?随分急な話だな」

「嫌な事はさっさ済ませてすぐ帰って来る。アンジェも子供達も心配だし」

「私はリオンの方が心配だが」

 

寧ろ本音を言えば逆になる。

少しずつだがリオンは貴族として、領主として成長しつつある。

それが嬉しいのと同時に少しだけ淋しい。

私はリオンの朴訥とした部分が愛おしかった。

物心ついた時から終わり無き政争の駒として生き、疲弊した私にとってこの地の緩さは救いだった。

このままリオンが貴族社会に染まってしまえば私が知る彼は存在しなくなるのでは?

そもそも私と結婚しなければもっと自由に生きられたのでは?

時折そんな不安に陥る。

 

「また顔を忘れられたら嫌だからなぁ」

「長くても十日で終わる予定だ。子供でも忘れない」

 

子供に嫌われるのを何より恐れるリオン。

どこか間の抜けた言葉を放つ彼は兵ではなく何処にでもいる若者だった。

 

「……先程手紙が届いた。差出人は長年お世話になった御方だ」

「世話になったって事は王都に住んでるのか?」

「そうだ、公爵家とも交流があり宮廷での地位も高い」

「そんな奴が何でまた」

 

随分と不敬な物言いだがあの御方と直接の面識がないリオンがそんな口を叩くのは仕方ない。

 

「分からん。だが単なる茶飲み話ではなかろう。どうも王都は戦勝ムードではないらしい」

「王都に行く気が失せるなぁ。何であそこは揉め事だらけなんだか」

「私が『王都へ行って欲しくない』と言えば留まってくれるか?」

 

無意識にそんな言葉を口にしてしまった。

 

「良いのか?そんな事を言って」

「頭ではリオンは王都へ行くべきだと理解している。本心はリオンに留まって欲しい」

 

そっとリオンの左手を握った。

農作業や兵役で手の平の皮が厚くなりゴツゴツと節くれだった指はとても貴族の物とは思えない。

それでも私はこの手が好きだった。

私を抱きしめ撫でてくれる温かくて大きいこの手が好きだ。

 

「でも行かなきゃな。俺は領主だし」

「いっそ貴族になど生まれなければ良かった」

 

子供じみた妄言だと自分でも分かる、それでも思わずにはいられなかった。

 

「そいつに会ってやっぱ王都に戻りたいって里心が湧かない?」

「どうした急に」

「今までアンジェの知り合いに会ってないからさ」

 

なるほど、そう言われてみれば確かに公爵家を除いて私の知り合いをリオンに紹介した記憶が無い。

親しいと思っていた者は断罪されたあの日に殆ど失った。

 

「王都にはあまり良い記憶が無い。私の居場所は此処にある」

 

リオンの左手を握っている右手に力を込めた。

私達が断ち難い絆で結ばれていると示すように指を絡ませる。

 

「だからリオンも此処へ必ず戻って来て欲しい。王都で女性に色目を使われて羽目を外すなよ」

「アンジェ以上に良い女は居ないから安心して良いぜ」

「私が昔の知り合いと会う事に疑念は無いのか?夫の居ぬ間に姦通する可能性を疑え」

「いや、アンジェが他の男と密会する訳ないじゃん」

 

その自信は何処から来るのか。

愛しい夫の呑気さに呆れて溜め息をついて子供達を見る。

相も変わらず双子は庭で戯れている。

時間の流れが緩慢になり眠気が込み上げる。

 

「なるべく早めに帰って欲しい。一人で寝るにはあのベッドは広過ぎる」

 

些か直接的な言い回しだがこの方が効果はあるだろう。

ぼんやりと返事を待つがいつまで経ってもリオンは何も言わない。

横を向くと規則正しい呼吸をしてリオンは船を漕いでいた。

私が懐妊して以来、私の仕事の一部も引き継いでいたから疲れが溜まっていたのだろう。

今回の王都への出向に合わせて書類の作成にも苦心していた。

このまま寝かせてやろう。

そう考えてリオンの肩に頭を乗せる。

呼吸と共に揺れ動くリオンの体が私を眠りへ誘う。

手を握ったまま私達は微睡の世界へ落ちた。

 

【挿絵表示】

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

扉をノックする音で浮遊していた意識が急速に覚醒し始める。

思いの外気が緩んでいたらしい。

時計を見るとちょうど指定された時刻だった。

人の上に立つ者は目的地に早く来ても遅く来ても歓待する者に迷惑をかける。

天真爛漫に見えて時間通り行動するのはあの御方が生まれついての貴種だからだ。

席を立ち下に顔を向けを膝を折り跪礼の姿勢をとる。

公爵令嬢だったあの頃と違い、今の私は子爵夫人だ。

あの御方を直接仰ぎ見るのは非礼にあたる。

ゆっくりと扉が開きあの御方が入室した。

恭しく首を垂れ挨拶を行う。

 

「ホルファート王国王妃ミレーヌ・ラファ・ホルファート妃殿下におかれましてはご機嫌麗しく」

 

気品と美しさを兼ね備えたこのホルファート王国に於いて最も地位の高い女性が降臨する。

もう逃げる事は許されない。

この場に来た時点で分かっていた筈なのに体が震えた。

これは戦だ。

宮廷の日常として行われる政争が場所を変え行われるのだ。

斯くして、私は厳しく苛烈で今後のホルファート王国を左右する争いに巻き込まれた。




私の執筆スピードはテンションによって露骨に変化します。(言い訳
マリエルートの連載開始と依頼主様からの挿絵贈呈でテンションが暴走しました。
という訳で新章スタートです。
今作のコンセプトは「悪役令嬢アンジェリカの救済」であると同時に「過ちを犯した者の救済」です。
更生不可な悪人でない限りは出来るだけ幸せになって欲しい、完璧な善人も存在しないんじゃ?というハッピーEND主義で書いていきます。(あまり惨い展開を私が書けないだけとも言う
今章からはアンジェとリオンだけではなく他の原作キャラも登場します。

追記:今章の挿絵をちょろス様に描いていただきました。ありがとうございます。
https://skeb.jp/@choroidoragon/works/9
そして別章の挿絵を朔月八雲様に描いていただきました。ありがとうございます。
https://www.pixiv.net/artworks/109114364
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第19章 Sword of Damocles

王宮の廊下を足早に歩く。

広大な面積を誇る王宮は住居として使うには広過ぎる。

更に棟を移動する度に身分の照会と来訪目的の説明を警備員に求められる。

王族の俺ですらこの有り様なのだから他の奴らにとってはもっと不便だろう。

かと言って王宮を設計した建築家や王族相手でも確認を怠らない警備員を怒鳴りつける訳にもいかない。

広大な面積は国家運営に必要な人員を収容する為に必要だし、確認を怠れば容易く王族を亡き者にされる。

宮廷という狭い巣で育った俺は自分がどれだけ恵まれて護られてきたか知らなかった。

 

思い返せば傲慢で無遠慮で世間知らずな馬鹿王子という評価が如何に正しかったか理解できる。

悪評を払拭するのは膨大な労力が必要だ。

取り繕うとしても過去の所業はいつまでも俺の存在に纏わり付いて離れない。

それでも努力を怠る理由にはならない。

諦めなければ何時かは報われる日が来ると信じるしか道は無い。

最後の確認が済んで扉が開く。

此処から先は基本的に男が立ち入れる場所ではない。

例外はこの国の頂点に立つ国王とその血を受け継ぐ未成年の男子に限られる。

後宮は陰謀渦巻く女の園という噂が絶えない場所だ。

成人まで無事に育つ子供は数人に一人、新しい王が即位し前王が崩御すればその妻と子は殉死という名目で粛清される時代があったと耳にした事がある。

あれは単なる誇張された噂なのか、それとも当事者の子孫だけが知る隠された歴史だったのか。

 

宮廷とはまた違う独特の空気が漂う後宮を進む。

ほんの数年前まで此処で育ったはずなのに懐かしさよりも戸惑いが勝る。

目的地の扉の前に立つと控えてた侍女が室内に入った。

先触れは既に通達している、此処で面会を拒否されたらもはや縋りつく相手はこの国に存在しない。

待つ事暫し、部屋に入った侍女が戻って来た。

 

「お会いになられるそうです」

 

どうやら会ってくれるらしい。

何とか話だけは聞いてもらえそうだ、尤も聞いてもらえるだけかもしれない。

血の繋がりはあれど、気付いた時には既に俺とあの人の間には埋められない溝があった。

特に五年前のあの日、俺が過ちを犯してから他人より遠く感じる存在になった。

本来はこうして会ってくれるだけでも奇跡だ。

意を決して中に入る。

見慣れた筈の部屋なのに空気は酷く乾いて肌寒かった。

空調は完璧に起動している。

たとえ外が汗が止まらない酷暑だろうと雪が降り積もる極寒だろうとこの部屋は快適な室温と湿度を保ち続ける。

この部屋に漂う緊張感は部屋の中央で寛いでいるあの人が放っているオーラが原因だ。

 

言葉にせずとも来訪者である俺を拒絶しているその威容。

沁み一つ無い肌、色素が薄い銀髪、アイスブルーの瞳。

名工が自ら手掛けた女神像と言われても違和感は無い。

もう四十代に手が届く筈なのに外見は二十代のように見える。

女の生き血を啜って若さを保つモンスターも実在するが、そんな怪物が人間に化けたらこんな感じなのかもしれない。

目の前に居るあの人に比べたらモンスターの方が可愛いものだが。

何処か人智を越えた存在だと周囲を圧倒する人なのに、俺の心が落ち着きを保っているのは血の繋がりがあるからだろう。

このまま黙っていても埒が明かない、意を決して声をかける。

 

「母上、お尋ねしたい事が…」

 

次の瞬間、心臓を撃ち貫くような鋭い視線が俺の口から言葉が出るのを制止させられた。

元々それ程仲が良い親子ではなかったが、五年前の出来事からさらに関係は冷たい物へと変じた。

 

「……失礼しました。ミレーヌ妃殿下に於きましては御機嫌麗しく」

 

慌てて取り繕うように口調を丁寧に改めた。

俺が成人して後宮に入る事が難しくなってから母上はより一層厳しい目で見るようになった。

普通の親子関係ではない。

 

「何の御用でしょうか、ユリウス殿下?」

 

口調こそ丁寧だが俺を諫める声の低さはどう考えても母親が息子にかける声じゃない。

それも仕方ない。

この人は母親である前に王妃だ。

俺に対しても息子ではなく王子として接してくる。

それでも昔はこうじゃなかった。

俺や妹を見つめる視線は母親だった筈だ。

その原因も今なら理解できる。

全ては俺が王位継承者として不出来だったのが原因だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

公爵令嬢との婚約を破棄したのが決定的な親子の断絶になった。

本来はあの一件で俺の廃嫡はほぼ確定する筈だった。

母上と公爵による入念な調査の結果、オリヴィアに対するアンジェリカの注意勧告は正当な処置と判断された。

むしろ周囲の取り巻きや平民に対し差別意識を隠そうともしない王国貴族の方がオリヴィアに苛烈な仕打ちをしていた。

寧ろアンジェリカは事態をオリヴィアに対し行動を慎むように注意勧告に留め、貴族子弟の暴走を苦々しく思っていた側だった。

我が身可愛さでアンジェリカを主犯格に仕立て上げ、のうのうと自分達は指示に従っただけだと虚偽の報告をする者達は貴族の誇りも先祖の勇猛さもない愚劣で腐りきった貴族その物だ。

そして、俺もまた愚劣極まる腐りきった一人だった。

 

過ちに気付いた所で手遅れだった、王家と公爵家との関係は目に見えて悪化していく。

王家は反レッドグレイブ家の派閥を取り込んで巻き返しを図る。

俺達の、いや俺の愚かな行動が国を二つに割る内乱へ発展しかけた。

その事実だけも廃嫡されるには充分過ぎた。

異母弟のジェイクを筆頭に王位継承権を持つ王族は挙って俺を批難した。

内乱が起こらなかったのは公爵家が争いを躊躇ったのとファンオース公国との戦争が始まったからだ。

 

最悪な事に反レッドグレイブ家の貴族の多くは日和見主義者であり、派閥の筆頭だったフランプトン侯爵は秘密裏に公国と内通していた裏切り者と判明する。

まんまと侯爵の蒔いた種に踊らされてアンジェリカと婚約破棄を行い、公爵家との関係を悪化させた俺は国賊として処刑されてもおかしくない状況だった。

 

『どうせ死ぬなら祖国の役に立って死にたい』

 

償いにもならない俺の懇願は意外な程あっさりと認められた。

父上と母上にとっては愚かな息子に自らの手を汚さずに済む。

他の王族にとってはわざわざ争う事なく王位継承権第一を葬れる。

公爵家にとっては憎い相手が最前線で戦う事で溜飲が下がる。

この国の中枢にいる誰もが俺の死を望んでいた。

 

だがそうはならなかった。

一時は完全に敗戦ムードに覆われて絶望していた王国軍は聖女として覚醒したオリヴィアによって奮起し始める。

最高権力者である公女ヘルトルーデ・セラ・ファンオースが俺達の居た戦場に現れたのも僥倖だった。

召喚された超大型の魔物を何とか退けた俺達は公女を討つ事に成功。

他の戦線でも敵軍の司令官が討たれる等の幸運も加わり王国は公国を国境線まで退けた。

 

結局、この戦争はホルファート王国とファンオース公国の双方に多大な犠牲を払って終結した。

首の皮一枚で命を拾った何故か俺は廃嫡されなかった。

廃嫡するには立てた手柄が大きい、かと言って国の政治に関わらせるには抵抗がある。

俺の存在は王家にとって触れてはいけない問題になった。

この点で言えば戦功で廃嫡を免れて実家に称賛された他の四人が羨ましい。

以後の二年間、国内は平和だったが俺達にとってはつらい日々が続いた。

神殿はオリヴィアを正式に聖女として認めた。

 

まず聖女として修練を積むという名目でオリヴィアは半ば幽閉に近い形で囲われた。

神殿の外へ出るのは神殿が権威を高める為に行う示威活動の時ぐらい。

必然的に俺達との距離は開いて行く。

 

次に王国に於ける俺達五人の待遇。

公国との休戦協定が締結された後は称賛されるどころか怪物を見るような目で見られる事が増えた。

英雄は危機の時だけ求められ平和になれば世捨て人になるという童話が本当とは思わなかった。

いっそ王国軍に所属すれば良いかとも考えたが、それは高過ぎる家格が邪魔になる。

俺達に備わっていたのは一兵卒としての戦闘力、部隊の指揮官としての能力ではなかった。

 

その次はレッドグレイブ家の台頭と王国の政治構造の変化。

フランプトン侯爵を筆頭とし反レッドグレイブ家の貴族は厳しく取り調べられた。

元より清廉潔白な貴族など極めて稀だ。

その行いを咎められ注意勧告で済むのは少数、多くは免職・領地の召し上げを命じられ場合によっては何もかも剥奪され国外へ追放となる。

 

公国との戦争が引き分けに終わった影響で戦功を上げた者に施す金銭・領地・役職が不足したせいもあり処罰は過酷な物に変じる。

ブラッドの元婚約者がいたオフリー伯爵家など裏で空賊と協力していた事情もあって爵位・財産・領地の全てを失い当主は処刑、残る家族も国外へ追放された。

 

こうしてレッドグレイブ家の権勢は揺るぎない物となり、反比例するようにホルファート王家は目に見えて弱体化。

どちらがこの国の主か分からない。

アンジェリカとの婚約を破棄して追い詰め、反レッドグレイブ家派の旗頭になった俺達は命こそあるが何の恩賞も与えられなかった。

他の四人も同様で、あいつらは廃嫡されてないが何の役職にも就いておらず未だに無位無官の貴族令息のままだった。

 

それでも俺達は腐らなかった。

オリヴィアと語り合った王国を良くしたいという理想を持ち続けたからだ。

行われる会議に積極的に参加し幾つもの草案を提出したが思わしい成果は上げられなかった。

時間は俺達が無為に過ごしていても流れていく。

いっそ冒険者にでもなるかと冗談めかして語り合った頃に公国との戦争が再び始まった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「今回の論功行賞についてです」

 

単刀直入に用件を告げた。

口の上手さと頭の回転で俺は母上に絶対勝てない。

おまけにやたら迂遠的で嫌味ったらしい物言いで追い詰めて来るから会話のペースを握られっぱなしだ。

それなら率直に母上に尋ねた方が手っ取り早い。

嫌味を言われても勢いで流せば惑わされずに済む。

 

「なぜ俺の親友達が左遷されるのですか?」

 

今回の戦争で俺達は再び公国が操る超大型の魔物を相手にした。

しかも前回の倍の二匹だった。

怪物が一匹だった前回でさえ半死半生の接戦だったから真正面から戦って勝てる訳が無い。

王家が秘蔵していたロストアイテムの艦で漸く相討ちに持ち込めた。

超大型魔物を操っていたヘルトラウダ・セラ・ファンオース公女は俺達に捕縛され、王国軍に抵抗する手段を失った公国軍は降伏。

こうして王国の勝利で幕を閉じた筈だった。

 

引き分けに終わった前の戦争と違い、今度こそ何らかの恩賞が与えられると信じていた俺達に舞い込んだ辞令は驚くべき物だった。

まずグレッグとクリスは各々の親が治める領地の役職に就任。

ブラッドも辺境伯領に辞令が下る。

ジルクに至っては宮廷の資料監査室に異動という事実上の左遷だった。

 

この辞令に俺達は不満が溜まった。

もちろん過去の失態を完全に帳消しに出来るとは思っていない。

それでも各人がそれなりの役職に就けると信じていた。

地方への異動や閑職への辞令は完全に想定外だ。

俺達が未熟なのは理解している、だからこそ今まで五人で身を寄せ合い耐えて来れた。

 

そんな俺達を引き離されるのは文字通り手足を絶たれるのと同じだ。

この不自然な程の冷遇は公爵の横槍が入ったと考えて間違いない。

だが辞令の最終決定を下すのは最高権力者だ。

国王である父上が政治に無関心な現状、辞令書に許可印を押したのは母上だ。

つまり母上はこの決定に同意した。

その理由を問い詰めようと俺は後宮へ足を運んだ。

 

「殿下の御学友だからと贔屓すれば他の貴族達が騒ぎ立てるからです」

「他の貴族とは公爵の配下の者達ですか?」

「王家の派閥に属した貴族も不満の声を上げるでしょうね」

「要職に就けろとは申しません、せめて私の傍に留め置く事を認めてもらえませんか」

「今の王国は背任者の粛清と二度にわたる戦争によって人材難です。未熟な者の手ですら借りたいほどに」

「彼らは優秀です。左遷するのならもっと有効な配置先もあります」

「そのような発言は与えられた仕事をきちんと熟してから口にしなさい」

 

そう言って母上が数回手を叩くと侍女全員が部屋から退出し始める。

王妃の私室には俺と母上だけが取り残された。

母上が空いた椅子を指差したのでテーブルを挟んで座る。

 

「この決定には不満があります、何故レッドグレイブ家の専横をお許しになるのですか?」

「その方が政が上手く回るからです。実際に人材が不足しているとはいえ王国の運営に支障が無いなら咎める理由になりません」

「このままでは国が二つに割れ内乱が起こりかねません、何らかの手を打たなければ」

「誰が国を割ったと思ってるのよ!!」

 

突然の怒声。

一瞬、何が起きたか分からず脳が停止する。

母上が怒鳴り声を上げた?何が起きても動じないと噂される母上が?

 

「公爵はとうの昔にホルファート王家を見限ってるわ、今更どう足掻こうと王家は衰退の一途を辿るでしょう。やる気の無い王と恋で道を踏み外した王子がその決定打よ」

 

そう言って俺を睨みつける母上。

母上にこんな目で見られたのは生まれて初めてだった。

 

「そもそも公爵家は王家の分家として生まれたわ。王位継承権を持っているのも王家に何かがあった場合、速やかに国内を平定出来るように便宜を与えられたから。その気になれば公爵家はいつだって王家を弾劾して王位を奪えたのよ」

 

それは王家に属する者なら誰でも知っている事実だ。

公爵家は王家に最も近く、そして最も危険な存在であると誰もが認識している。

 

「私がこの国に嫁いだ時点でヴィンス公は陛下を半ば見限っていたわ。彼を納得させ王家の力を立て直す為に最も効果的だったのは王子と公爵令嬢の婚姻だった。別れた血を紡ぐ事で公爵家を取り込み王家の地位を回復させられた筈」

 

その目論見は破綻した、全ては俺の行動のせいで。

 

「貴方がアンジェリカとの婚約を破棄した時点で怒り狂った公爵家が叛乱を起こしてもおかしくない状況だったわ」

「しかし叛乱は起きませんでした」

「叛乱が起きなかったのは単にヴィンス公とアンジェリカが王家との争いを望まなかったからよ。もし公爵家が戦を望んだのなら何百、何千、何万の国民が命を落としたわ。色恋に血迷った王子のせいで」

「……」

「あの頃は王家と公爵家にはまだ資金力・軍事力で差があったわ。公国との戦争が勃発して仲違いしてる場合じゃない状況になったのも大きかったの」

 

母上の口調が物分かりの悪い子供を教え諭す口調に変化していく。

 

「公国との戦争で発生した損害を王家は補填しなければならなくなったわ。ただでさえ内通者の腐敗貴族を処罰したから在野の人材で補う必要が出てくる。身分が低いなら陞爵させて、平民だったら貴族に取り立てて一から世話する必要もあったわ。その影響は数年間の予算が底を尽くほどよ」

「公爵家が多くの貴族へ資金を融通するのを止められなかったんですか?」

「どうやって止めるの?王家が払いきれない費用を公爵家が賄ったのよ。もし止めたら多くの貴族が王家に牙を剥くわ。止めたくても止められない」

 

公爵の手腕が恐ろしい、不測の事態を自分が有利な盤面に変えていく。

 

「さらにヴィンス公は婚約破棄されたアンジェリカを戦功を上げたバルトファルト子爵に嫁がせたわ。王家は功を労わないのに公爵家は成り上がり者にすら敬意を払うと評判よ。噂の良くない娘一人の代価に新興貴族の信頼を勝ち得たわ」

「……婚約破棄に関しては早計だったと反省しています」

「次に活かせないなら反省しても無意味よ」

 

何とか吐いた言葉をバッサリと切り捨てられる。

 

「そして今回の戦争で王国は秘蔵の王家の艦を失った。以前のように力で貴族を抑え込む事も出来ない」

「お言葉ですが母上、王家の艦無くして王国の勝利はありえませんでした」

「其処は私も同意するわ。問題は王家が公爵家に対抗する手段を完全に失ってしまった事よ。切り札を失い疲弊した王家と兵力が健在で派閥を拡げた公爵家のバランスは完全に逆転したわ」

 

溜め息を吐いた母上はカップに注がれた紅茶を飲み干した。

母上の顔が何処かやつれているのは気のせいではない。

 

「……十代でホルファート王国に嫁いでからずっとこの国を、王家を何とかしようと思っていたわ」

 

幼い頃から母上は聡明と名高く、他国にまで名が知れ渡るほどの才媛だと聞いた。

 

「婚姻した時点で陛下は既に政務にご興味を失っていた。恋も愛も知らなかった私は歯を食いしばって必死に政務に取り組んだわ。『王家の威信を取り戻せばいつか陛下もやる気を取り戻してくれる』『世継ぎを産めばきっと私を愛してくれる』。そんな淡い希望に縋りついて生きていくのは疲れたの……」

 

漸く俺は理解した。

母上が何故こうまで必死に国を立て直そうとしていたのか。

どうして離縁して祖国に帰る事を考えもしなかったのか。

全ては父上や俺や妹の為だった。

 

「こんな国に嫁ぐんじゃなかったわ……」

 

疲れた顔でそう呟く母上は途方に暮れていた。

何と声をかければ良いか分からない。

ゆっくりと母上が視線を俺に移す。

自分が何を口走ったのか気付いたのだろう。

頭を振って何とか正気を取り戻すとゆっくりと扉に顔を向ける。

部屋から出て行けという意思表示だろう。

この場で何を言っても事態は解決しない。

立ち上がり退室するべくドアに手を伸ばすと声をかけられた。

 

「ユリウス、為すべき事を為しなさい。貴方の失敗は生涯に渡って貴方を縛り続けるでしょう。それでも生きている限り何かを為せる筈です」

 

そう告げる母上の言葉は優しさに満ちていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

愚かな事を言ってしまった。

呟いた言葉は刃となって他人だけでなく自らも斬りつける。

政は上手くいかない事の方が多い。

それでもこれ程までとは思わなかった。

レパルト連合王国から嫁いだ時点でホルファート王国は腐敗していた。

不正を働いて罪悪感も抱かない宮廷貴族、驕り高ぶり平民を虐げる貴族子女、不満を募らせ王家に対する忠誠心が皆無な地方領主。

 

だからこそ自分の代で改革を完遂するのを早々に諦めた。

ユリウスとアンジェリカを婚約させレッドグレイブ家を後ろ盾とし、学園に平民のオリヴィアを入学させ若年層の意識改革を図り、綱紀粛正によって統治機構の正常化を行う。

数十年かけて少しずつホルファート王国を再建させる。

子の時代、孫の時代に自分の理想を達成すれば良いと思っていた。

 

だが全てはユリウスの婚約破棄から狂ってしまった。

最大の味方になる筈の公爵家は敵に回り、度重なる戦争は王国を疲弊させ、王家の存続は風前の灯火だ。

何もかもが上手くいかない。

二十年をかけた私の計画は水泡に帰した。

もはや挽回するには時間も資金も人材も足りない。

側室が産んだジェイクを筆頭とした王子達のいずれかを王に、或いは私が産んだエリカを女王として公爵家が擁立するのが一番穏当だろうがヴィンス公は既に王家を完全に見限った。

 

王位の簒奪を企てる公爵家は王家を取り潰すだろう。

幽閉や追放で済めば良いが、それは政務に関わりの少ない幼児や女子に限られる。

国王の夫と第一王子の息子は間違いなく命を狙われる。

例え幽閉処分で済んでも後で「流行り病で急死」「精神を患い衰弱死」として毒杯を賜るに違いない。

ろくに愛情を与えてくれなかった夫、不出来で愚かな息子だがそれでも私の家族。

生き延びて欲しい、再び世に出る事は無くとも生きてさえいればそれで良い。

何とか祖国へ連れ出せたら良いが、もし王国を支配したヴィンス公が夫と息子の身柄を求めればレパルト連合王国は躊躇いなく差し出すだろう。

 

いっそ声を出して泣き喚けたらどれほど楽になれるだろう。

今まで生きて来て一度もそんな事は無かった。

家族に情は在れど頭は常に政を考えているのが私。

妻として、母としてではなく統治者としてどうするべきかを最優先する人でなし。

だからあの人は私を愛さず若い女との逢瀬に励んだ。

愛の無い夫婦を続ける私達を見てユリウスは恋愛を重んじた。

私の跡を継げるように次期王妃として教育を施したアンジェリカは私の模倣品と化しユリウスに嫌われた。

 

何という事だ。

総て、王家の窮状は私の過ちが発端だった。

恋も愛も知らない私が妻として母として彼らに信頼される事が無いのは当たり前だった。

それでも、今もなお私が彼らを見捨てられないのは何故だろう。

初めて地下の保管庫に秘蔵されていた王家の艦に立った時。

愛情の点数が低くて落ち込む私を慰めたあの人の優しさは本物だった。

出産の痛みに苦しみながら産声を上げたあの子を抱いた時。

あの時の私は確かに世界一番幸せだった。

本当に政治の鬼に為れたなら夫と息子と娘を置いて逃げられる。

ヴィンス公はホルファート王家の血を引かない私を見逃すだろう。

それでも逃げる事は嫌だった。

どれだけ愚かでも彼らは私の家族なのだから。

 

『それでも生きている限り何かを為せる筈です』

 

ユリウスに告げた己の言葉を思い返す。

どうせ駄目なら最後まで見苦しく足掻こう。

私は妻でも母でもなく王妃だ。

持てる知識と人脈を駆使して最後まで抵抗する。

人でなしならば思う存分に非道な手を使おう。

 

我が名はホルファート王国王妃ミレーヌ・ラファ・ホルファート。

 

さぁ、公爵家の皆々様よ。

 

政の権化と讃えられた女の悪足掻きをとくと御覧あれ。




私はユリウスもミレーヌ様も好きですよ。(汗
という訳でユリウス王子の受難(序章)です。
いわゆる乙女ゲー転生作品で大して悪事をしてない令嬢と婚約破棄した攻略対象と女主人公が結ばれても周囲は納得しないだろうという意味な今章。
web版・書籍版・マリエルート版の情勢を複合させましたがホルファート王家の詰んでる感がひどい。
これでも王国の窮状を手加減して書いてます。
全てアルトリーベ制作陣と原作者の三嶋与夢先生がやった事です、私は悪くない。(おい
ユリウスは聖女カウンセリングのおかげで書籍版のアホだけど割と良い奴レベルまで更生してます。
今作のミレーヌ様は為政者であると同時に妻であり母でもあります。
リオンに惚気るミレーヌ様も可愛いんですが、私は同じぐらいに
・毒事件で倒れたローランドを泣いて看病するミレーヌ
・ユリウスの助命嘆願としてリオンに土下座するミレーヌ
も好きなので。
今作のテーマはズバリ『愛』ですが、『夫婦愛』の他に『家族愛』も含まれます。

追記:依頼主様が桃原らいる様にファンアート描いていただきました。ありがとうございます。
https://www.pixiv.net/artworks/109255467
しばらくアンジェとリオンが別行動するので二人のイチャイチャが書けないのがつらいです。
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第20章 Mad Tea Party

『ホルファート王国に於いて真の支配者は王妃である』

この国の内情を知る者の多くはそう語るだろう。

現国王であるローランド・ラファ・ホルファート陛下が即位した当初から政務に対し精力的ではない事は王国首脳陣にとって頭が痛い案件だった。

そんな折にラーシェル神聖王国に対抗する為の同盟条件としてレパルト連合王国から嫁いで来られたのがミレーヌ様だった。

十歳になる事には才媛として近隣諸国にも名高かった彼女だが、王国内に於ける立場は複雑だった。

王の正室が他国から嫁いだ王族なのは珍しくないし、正室が産んだ王子が嫡子となれば両国にとっての親睦の一環だと公には讃えられる。

 

だが、実際はそう甘くはない。

他国が王位継承について介入する機会を与える、幼児期に祖国の利になるよう教育する、国家至上主義の臣下から敵視される。

異なる国の王族が結婚するのはそれだけで厄介事の種なのだ。

そんな状況になりがちな状況で国政を執り仕切り、自らの有能さで反対派閥すら存在を黙認せざるえない存在へと成るにはどれだけの才能と努力と幸運が必要なのか。

ミレーヌ・ラファ・ホルファート。

かの者こそホルファート王国の支配者と褒め讃えても何の遜色もない希代の女傑であった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「う~ん、なかなか美味しいわねコレ」

 

私の目の前で王妃様が色取り取りのデザートに舌鼓を打つ。

大きめのケーキスタンドは三段重ねで上段に季節の果物、二段目にクリームをふんだんに使ったケーキやシュークリーム、下段には軽食のパンと野菜が盛り付けられている。

本来は数人分をまとめて注文する品物だがミレーヌ様は御自分で全て平らげそうな勢いだ。

 

そのミレーヌ様の姿と対照的に私はそれほど食が進んでいない。

一国の王妃と逃げ場の無い個室で一対一という特殊な状況もあるが、何より妊娠初期なのでいまいち食欲が湧かない。

一度出産し身を以て体験したが、私の場合は妊娠二ヶ月の辺りから悪阻の症状が出始める。

倦怠感や過剰な眠気などの症状も出始め、とにかく何をするにも億劫だ。

それでも王妃と対面して何もしないのは不敬にあたる。

口にしても比較的マシな果物を幾つか選んで自分の皿に盛りつける。

細工を施した林檎やオレンジを口に含んで噛むと瑞々しい果汁が口の中に溢れた。

相変わらずミレーヌ様は菓子を楽しんでいる。

 

まさか王宮からわざわざ私を誘いこの店を訪ね菓子を堪能したかった訳でもあるまい。

頭の中で否定しつつも『この御方ならやりかねない』という結論も出る。

正式に王子の婚約者になるまでは行儀見習いとして王妃の傍に仕えた事もあった。

この方は年齢にそぐわぬ純真さと狡猾さを同時に備えた恐ろしい部分が存在する。

無邪気にあどけない子供を揶揄うのと同じ顔で失態を犯した貴族を容赦なく切り捨てる。

 

「王宮なら料理人も材料もこの店と比べ物にならないでしょう。王妃様の御口に相応しいとは思えませんが」

「気分が重要なのよ。堅苦しい王宮で監視されながら食べる最高品質のケーキより道端の露店で売ってる飴玉の方が美味しい時があるわ」

「時と場合によると?」

「何事も相性が重要ね。最高の物が最良とは限らない」

 

確かにその通りだ。

私自身が公爵家の令嬢という王家を除けば最上級の生まれで最高の教育を施されて育った。

もし釣り合う結婚相手が存在するならば王族か同じ公爵家の男子が妥当だろう。

だが、実際に私と相性が良かったのは平民同然に育った貧乏男爵家の次男坊だった。

その事に悔いは無いが、私を育てる為にレッドグレイブ家が費やした時間と金銭を省みたら割に合わない投資額になる。

父上も兄上も私を案じてくれる情をお持ちだが、学園に居た頃には相応しい結婚相手を見つける事が出来なければ親に折檻される令息や令嬢も珍しくなかった。

 

「アンジェ、貴女は幸せそうね」

「そのように見えますか」

「ええ、とても」

 

そう言うとミレーヌ様はカップに注がれた紅茶に口を付けた。

確かに今の私はこの上ない程に幸せだった。

愛する伴侶を得て子宝にも恵まれた。

私の悪評を詳しく知る者も居ない田舎で自分の知識と能力を存分に活かし領地を少しずつ発展させていく。

王都と比べたらゆっくりと流れる時の中で変わり映えの無い生活に見えても仕方ない。

 

だからと言ってこの生活がつまらない物かと問われたらそれは断じて違う。

平穏無事な日々を送る為には途方もないぐらいに力と金と知識が必要となる。

限りある資源の中で最適な物を選び抜き適切な人材を配置する。

領主としての資質が問われる仕事だ。

貴族としての教育をほぼ受けていないリオンが成長していく姿を隣で見続けるのは領地の発展に同調しているようで非常に楽しく充実感がある。

 

「地方領主の御婦人方には『心の捻じ曲がったバルトファルト子爵の心を矯正したのは都落ちした公爵令嬢の愛』と専らの評判よ」

「私は何もしていません。彼自身の努力の賜物かと」

 

その噂には些か不満が残る。

リオンは多少口が悪くて性悪だが心が捻じ曲がっていた訳ではない。

私の教えには素直に従うし、文句を言いつつも領主の務めから逃げ出そうとした事は一度も無い。

口だけは達者の癖に実務能力は無能極まる宮廷貴族と同じに考えるのは甚だ不愉快だ。

 

「随分と入れ込んでいるわね。まぁ、結婚してすぐ懐妊するぐらいなら無理もないけど」

 

その言葉で頬に血が上る。

身も心も通じ合ってからあの別宅での生活は愛情と愛欲に爛れた日々となった。

よく結婚して即懐妊すると夫婦だけの期間が足りず物足りないという話を聞くが私達には無縁の話だった。

むしろ人前で延々と惚気だしていたに違いあるまい。

なまじ私もリオンもきちんとした恋愛経験が無い上に一足跳びで性交渉まで憶えたから歯止めが効かなかった。

今もミレーヌ様と会話しているのにリオンの事ばかり考えている。

ミレーヌ様が仕向けているとはいえ、まだ別れて数日なのにこれは異常だ。

これもリオンが悪い。

純真無垢で仕事を熟す以外につまらない私に退廃的な行為を仕込んで堕落させた彼が元凶だ。

王都から戻って来たらしばらくは私の下から離れないように言い含めなくては。

 

思えば学園に通っていた時期にこんな会話をした経験は無かった。

私は王妃になると信じて疑わず、周囲もまたそう考えていたのでこうしたガールズトークに花を咲かせる機会は皆無だった。

子持ちになってから義母になるかもしれなかったミレーヌ様とこんな話をするとは人生何が起きるか分からない。

 

「三人目が出来たんでしょう?お盛んなこと」

 

その言葉の意味を理解した瞬間、手にしていたケーキフォークを落としそうになる。

何故知っている?

私が三人目を懐妊した事実を知っているのはバルトファルト家の面々、そしてレッドグレイブ家では父上と兄上だけだ。

王家直属の間諜がバルトファルト領へ入り込んでいるのなら今後の人と物の流れを厳しく精査する必要が出て来る。

 

レッドグレイブ家内部から知りえたのなら其処まで王家は公爵家の内部事情を把握していると判断し注意を促さなくては。

たった一言、私の懐妊を言い当てただけでこの部屋の空気が一変した。

やはり、目の前の女性は恐ろしい御方だ。

またケーキを皿に盛って食べ始めたミレーヌ様に向ける視線が鋭くなる。

 

「そう身構えなくていいわよ。別に私から貴女やバルトファルト家に対し事を構える気は無いわ」

 

そう言いながら私に言葉をかけるミレーヌ様は先程までとは打って変わって為政者の顔をしていた。

 

「前もそうやってすぐ感情を顔に出すのは控えなさいと忠告した筈よ。貴女の悪い癖だからしっかり直しなさい」

 

私を指差してゆっくりと頭から足まで下ろしていく。

 

「非公式といえ女王と会うのに寸法がピッタリではなくお腹周りがゆったりとした服装、血色は良いのに依然と比べて落ちた食欲、何より無意識にお腹を庇うような仕草」

 

数少ない私の情報と動作からそこまで推察したのか。

未だこの御方は私の及ばない遠い場所にいる。

 

「こんな推理にもならない戯れで緊張してたらこれから話す内容を聞いたら身が持たないわ」

「何を話そうと仰るのですか?」

「それには役者がまだ足りないわね。そろそろ来る頃なんだけど」

 

部屋に掛けられた時計を見る。

とうに昼時を過ぎ、午後の軽食には些か早過ぎるという微妙な時間帯だ。

手持ち無沙汰に室内ベルを鳴らし店員に注文する。

淹れ直した紅茶にスライスされたレモンを浸して待つ事暫し。

適切な時間で淹れた紅茶を苦く感じるのは室内漂う微妙な空気のせいだ。

誰を待つのか、何を話すのか、分からないまま時が過ぎ去る。

 

二杯目のレモンティーを淹れようとした瞬間、ドアをノックする音が聞こえた。

どうやらミレーヌ様が仰る役者が来たようだ。

室内に入って来たのは十代半ばに見える少女だった。

身に纏っているのは神殿の女官服。

その服を見た瞬間、猛烈に嫌な予感が頭をよぎる。

どう考えても厄介な問題に巻き込まれるのは確実だ。

現在の王国に於いて神殿勢力の立場は微妙だ。

建国の折に国祖達と尽力した聖女を守護する為に創設されたのが神殿の始まりだ。

元々は清廉潔白な組織だったのだろうが時が経つに連れ組織は変容。

今では家督を継げない貴族令息と婚姻前の箔付けを狙う貴族令嬢の吹き溜りの筈だった。

 

そう、筈だった。

聖女として覚醒したオリヴィアを守護する為に優秀な者が多く神殿へ所属する事態となった。

だが、ファンオース公国との戦争に於いて公国軍が使役する魔物によって多くの者が命を散らした。

腐敗し甘い汁を啜る事しか考えない神殿騎士も愛国心に満ち優れた才能を持つ神殿騎士も分け隔てなく犠牲となるのだから死神は窮極の平等主義者らしい。

神殿勢力を立て直すにあたり王国の介入は避けられない事態となる。

そうなると旧来の体制に拘る保守派と王国から派遣され組織の刷新を図る改革派の争いとなる。

この辺りの問題はホルファート王国の歴史や宗教も絡んで来るから関わり合いになりたくない存在なのだ。

 

公爵家に居た頃の私ならある程度の情報や伝手が存在したかもしれないが、今の私は成り上がり者の田舎領主の妻だ。

過度の期待をされても困る。

部屋に入って来た少女はミレーヌ様と私に恭しく礼をした後にドアの側に体を寄せる。

どうやら少女とは別の誰かがミレーヌ様の仰る役者なのだろう。

次いで部屋に入って来たのは同じく女官服を着た女性だった。

フードを目深く被っているのは人目に付かないよう此処に来た為か。

ゆっくりとフードが下ろされた。

 

その顔を見た瞬間、全身の血が逆流したような錯覚に襲われた。

動揺なのか、それとも憤怒なのか。

私の中のありとあらゆる感情が混じり合い鼓動の音がやけに大きい。

呆けたように女を見つめる事暫し。

 

「何故、貴様が此処に来る?」

 

漸く口から零れた声は緊張と怒りで震えていた。

答えは分かりきっている。

ミレーヌ様だ。

あの方がこの場を用意した、全ては最初から仕組まれていた。

落ち着きを取り戻しつつある脳が判断を下すとミレーヌ様を睨む。

一国の女王を正面から睨むなど不敬極まるが先にこの悪趣味な面会を企んだのは王妃だ。

 

「彼女が来るとは聞いていません」

「手紙には書かなかったわ、でも察する事は出来た筈よ」

 

ぬけぬけとそう仰るミレーヌ様に腹が立って来る。

確かに手紙には時間と場所しか書いてなかった。

だが、この地に於いて慰霊祭が行われる事は周辺の領地にも連絡が来ていた。

バルトファルト領からも弔問文といくらかの寄付を行っている。

ミレーヌ様は私が其処で思考停止したのが落ち度だと言ってる。

この地の領主に弔問文を行った時に慰霊祭の参列者を詳しく聞き出していたら?

その中に神殿からの来訪者が存在している事実に気付いていれば?

 

ヒントは既に提示されていた。

おそらく私が判断を誤りこの店を訪れる事さえ織り込み済みだ。

私の思考を読み取って行動を誘導された、盤上の駒のように王妃の掌で操られていた。

私とミレーヌ様の付き合いはそれこそ血の繋がった家族に次いで長い。

権謀術数に長ける狡猾な王妃にとって私などひよっこ同然だ。

 

「待ってください、私からお願いしたんです。王妃様は悪くありません」

 

私とミレーヌ様の間に剣呑な空気が漂い始めたので慌てた彼女が間に入る。

あぁ、相変わらずだ。

相も変わらず彼女は善人だ。

慈愛に富み、他者を労わり、人々の為になりたいと願い、何の瑕疵も無く純真無垢。

だからこそ相容れない。

時に善人は悪人以上に厄介な存在と為りえる。

 

「聖女オリヴィア、何のつもりだ」

 

私は申し訳なさそうにする彼女に対し疑問を投げつける。

 

「生憎だが私は貴様と話し合うつもりは無い。ミレーヌ様、申し訳ありませんが帰らせていただきます」

 

ミレーヌ様にそう告げて乱暴に席を立つ。

ドアに近づいた瞬間、黒い影が目の前を通り過ぎた。

正体は女官の少女だった。

なるほど、この少女は聖女付きの侍女であり護衛でもある訳か。

この店の周囲や店内にもミレーヌ様付きの護衛が存在しているのだろうが、神殿にとって最重要人物である聖女に護衛が一人も居ない筈がない。

この場に於いて最も無防備なのは私だ。

やはりリオンに同行してもらうべきだった。

 

「どけ」

 

腹の底から搾り出すような声を吐き出して少女を威嚇する。

少女がビクッと体を震わせながらオリヴィアの方を見た。

どうしたら良いか分からず判断を仰いでいるのだろう。

 

「ごめんなさいアンジェリカ様。でも話を聞いてもらうだけでも構いません。王都の状況を知って欲しいんです」

 

正直聞きたくなかった。

そもそも会話すらしたくない。

リオンの話から王家と公爵家の争いが激化している状況は把握している。

バルトファルト領が巻き込まれない限りはわざわざ介入するつもりなど毛頭ない。

だが、王都の状況と聞いて心が騒めいた。

もうリオンは王都に到着している。

このまま何もしなければバルトファルト領がどんな結末を迎えるか分からない。

逡巡している私を見かねてかミレーヌ様が声をかけた。

 

「座りなさい、アンジェリカ」

 

ただ、その声は今までの柔らかい調子とは大きく異なっている。

声を聞いた者に威圧感を与える君主としての声だ。

 

「それは命令ですか?」

 

私は負けじと反抗心を剥き出しの声で尋ねる。

以前の私なら王妃に対してこのような態度を取る事は無かった筈だ。

ミレーヌ様にとってかつての私は「少し感情的な部分は在れど優秀で貴族令嬢としての品格を持つ息子の婚約者」という存在に過ぎない。

公爵家の令嬢で王子の婚約者だが能力は有っても為政者としての経験は皆無な小娘。

 

だが、今の私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルト。

リオン・フォウ・バルトファルト子爵の妻にして、夫が不在の間バルトファルト領の統治を委任された実質的な統治者だ。

領民を、家族を、我が子を、夫を護る為ならば王族であろうと容赦はしない。

思いがけぬ私の抵抗にミレーヌ様の目が細くなった。

 

「いいえ、これはお願いよ。貴女が立ち去るのなら止めはしないわ」

 

命令されたのなら否応なく従うしかない。

しかし、ミレーヌ様は『お願い』という言葉を口にした。

つまり私がこの部屋を去る選択肢を与えている。

それは私の意思を尊重しているのと同時にある種の問いかけでもある。

 

『このまま何の情報も得ずに帰っても良いわ。でも後で悔やんでもそれはこの場を去る決断を下した貴女の責任よ』

 

ある意味で誠実、ある意味で狡猾。

これが長年に渡りホルファート王国を統治してきた女傑の交渉術。

此処に至り漸く理解した。

これは戦だ。

今後のホルファート王国の趨勢が片田舎の料理店の一室で決まろうとしている。

笑い話にもならない。

だが、覚悟は決まった。

夫の留守を預かるのが妻の務め。

踵を返しゆっくりと席に座り居住まいを正す。

 

「分かりました。ならば話を聞かせていただきます」

 

オリヴィアとドアの前に立ちはだかった少女が安心したように息を吐いた。

それほど私が恐ろしい女に見えたのか。

 

「ありがとうございます」

「礼は必要ない、ミレーヌ様の顔を立てただけだ」

 

頭を下げるオリヴィアに対しぶっきらぼうに返答する。

素直に感謝されるとどうにもやりにくい。

少女が椅子を曳いてオリヴィアを座らせドアに近くに控える。

これで部屋を退出するのは無理そうだ。

 

「あまり時間がありません。護衛の人達に内緒で抜け出したのがバレたら次がもっと大変になりますから」

 

どうやら聖女様はかなり綱渡りの状況で此処へ来たらしい。

聖女自身がこんな行動を選択するほど追い詰められているのか。

 

「嫌いな相手の話を聞く程度の度量を持つようになったらしいわね、誰の影響かしら?」

 

何処か楽しそうにミレーヌ様が呟く。

いちいち癇に障るような言い方だが少しだけ分かってきた。

これはミレーヌ様なりの交渉術だ。

相手の心を乱し、動揺を誘い、自分に有利な状況を作り出す。

なるほど、女狐だの姦婦だの魔女だの宮廷で陰口を叩かれる訳だ。

 

「いつまでも貴女の後塵を拝すだけの小娘だと思わないでください」

 

敢えて挑発するような口調で返答する。

やられたらやり返す。

半ば自棄だが少しは鬱憤が晴れた。

窓の外を見ると午睡したくなるような陽気だった。

バルトファルト邸のライオネルとアリエルはきちんと食事を摂っただろうか。

王都に向かったリオンは無事だろうか。

私は夫と我が子達に囲まれる暮らしに満足してるのにどうしてこうも厄介事が巻き込まれるのか。

リオンがさっさと隠居したがる気持ちも分かる。

愚痴を呟いても仕方あるまい。

夫を支える内助の功が良妻の条件だ。

 

さて、奇妙な御茶会を始めるとしよう。




聖女オリヴィア様登場。
ゲームだと初対面の王子を叩いたりするのでややアグレッシブなキャラ造形に。
初代聖女の遺志を跳ね除けるなら強かじゃないと。
個別ルートではなく逆ハーレムルートをイメージしていますが、マリエと違って清廉潔白です。(むしろその方が闇深い気もしますが
アンジェは婚約破棄の原因となったリビアをもっと嫌ってもいい筈ですが、リオンと子供達の影響で大分態度が軟化してます。
本編で百合レベルで仲が良い二人のギスギスを書けなかっただけとも言う。

追記:依頼主様のご依頼で平りんこ様と実靜様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
平りんこ様 https://skeb.jp/@awarinko/works/7 https://skeb.jp/@awarinko/works/8
実靜様 https://www.pixiv.net/artworks/109447775
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第21章 卑怯な女

「私とギルバート様を結婚させようとしている話をアンジェリカ様はご存知ですか?」

 

着席したオリヴィアの問いに危うく口に含んでいた紅茶が気管に入りかけて噎せそうになった。

あまりにも慮外な質問にこれは悪質な冗談かと一瞬疑ったが、少なくとも私の知る彼女はそんな性格ではないと思い直す。

私の視線がミレーヌ様に向けられると眉を顰めて肩を竦められた。

少なくてもこの問題に対して王家は不干渉、若しくは確認が取れていないと推察する。

馬鹿げてる、全くもって馬鹿げた話だ。

だいたい妻子持ちの兄上に縁談を持ち込むなどあまりに愚劣。

レッドグレイブ家を敵に回したくないならこんな話が出る事自体ありえない。

嘗ての私、公爵令嬢で王子の婚約者で次期王妃候補だった頃の私ならそう一笑に付しただろう。

 

だが、この数年間に王国は滅亡の危機を幾度も迎えた。

平時の常識は戦時の非常識。

傍から見ればどんなに狂っていようとその中心にいる人間は大真面目に馬鹿げた行動をしてみせる。

そして、これはホルファート王家とレッドグレイブ公爵家が国の主導権を争う戦だ。

私自身は戦地に赴いた事は無いが、従軍したリオンから戦場に於ける情報の錯綜をよく聞いた。

もし真実なら公爵家の目的は?私に黙っていた理由は何だ?

考えろ、邪念を捨て思い込みを排しひたすらに考えろ。

 

「誰がそんな妄言を吐いている?」

「神殿の上層部です。ほとんどが貴族出身の方ばかり」

「そいつらは戦争中に何をしていた?まさか聖女が最前線で戦っている最中に神殿の奥で震えていた腑抜け共か?」

「……」

 

オリヴィアが困ったように顔を歪める。

なるほど、つまりは現在の王国に於いて王家の派閥にも公爵家の派閥にも属していない日和見主義者か。

そもそも神殿の成り立ちは国祖達と共にホルファート王国の創設に尽力した聖女を守護し補佐する為に設けられた。

当初は不完全な王国を安定させる為に奔走し、人々から感謝される存在だった。

やがて国が安定してくると組織の性質は変化を始める。

聖女を守護し民衆に奉仕する慈善組織からホルファート王家の正当性を保障する宗教組織へ。

最高指導者だった聖女の存在も組織の象徴へと変化し、聖女はあくまでも象徴であり神殿の重鎮達が組織の運営を管理してきた。

これまで神殿はその運営方針で問題が起きなかった。

 

だが、前回の戦争、そして今回の戦争で聖女の意味合いは大きな変化を遂げる。

聖女オリヴィア。

自ら前線に赴き兵を鼓舞し王国を勝利へ導いた平民出身の聖女。

あらゆる面に於いて前例の無いイレギュラーな存在。

慣例至上主義で癒着と異なかれの風潮に凝り固まった神殿上層部にとってオリヴィアの存在は目障りだ。

神官は貴族の家柄に生まれるも宮廷での出世を諦め神殿に仕え始めた者が多い上に、女官も婚姻前の箔付け程度にしか思っていない。

純粋に聖女に対する崇敬や世俗への奉仕精神に満ちた者も存在するが、そうした者ほど平民や下級貴族の出身だ。

オリヴィアの存在は神殿にとって上層部の腐敗を明らかにするが、同時に民衆からの支持を集める上で非常に有用。

其処まで思い至った瞬間、ある事が頭を過った。

 

『まさか、そんな馬鹿な事があるか』

 

そう思い込めたら楽だったに違いない。

だが、一度でも頭を過った事をすぐに忘れるなど出来る訳が無い。

ましてやそれが思い付いた中で最悪ならば。

 

「レッドグレイブ家は王位の簒奪を画策している…?」

 

神殿にとってオリヴィアは厄介事の種であり目障りな存在だ。

だからと言って力尽くで排除すればそれこそ神殿の存在を自ら否定する事になり、民衆の支持を失う上に国が介入する口実を与えてしまう。

最善なのはオリヴィアが自ら聖女の地位を退く事だ。

神殿に於いて女官の退職理由は婚姻が一番多い。

ならばオリヴィアも何処かの貴族に嫁がせるのが怪しまれない。

そして聖女と婚姻を結んだ家は聖女の持つ名声や信頼を取り込む事も不可能ではない。

 

「神殿側はホルファート王家を既に見限り、レッドグレイブ家こそが次代の国王に相応しいと考えているのですか?」

「僅かな情報で其処まで推察できるのは流石ね。やっぱり貴女が王妃になるべきだったわ」

 

ミレーヌ様が惜しむように私を賞賛するが嬉しくはない。

事は旧王朝が衰退と新王朝の樹立という歴史の転換点である。

平和的な王権の禅譲になるか、陰惨な旧勢力の粛清になるか、大量の血が流される争乱になるか全く見当がつかない。

まさか父上が其処までやるとは思わなかった。

精々が王国内に於ける主導権の奪い合いレベルで収まり、ホルファート王家から国を奪うまでに至らないと考えていた。

信じられないという気持ちがある一方で心の奥底に存在している妙に冷静な自分が納得している。

 

私と殿下の婚約破棄から此処に至るまでの数年間、いやレッドグレイブ公爵として政務に関わるようになって数十年間も父上はホルファート王国の腐敗を見続けてきたのだ。

公爵家は今まで何の禍根も無く王家に傅いていた訳ではない。

寧ろ血筋を辿れば十分に王位に就く資格を持ちながら分家として臣下に甘んじてきた歴代のレッドグレイブ家当主は忸怩たる思いを抱えてきた筈だ。

そして今代のローランド陛下、そして次期王位継承者のユリウス殿下の醜態を間近に見た父上は決意したのだろう。

 

『もはやホルファート家に王国を統治する器量は無い』

 

父上は決して私利私欲のみで動く御方ではない。

寧ろホルファート王国に対する帰属意識は高い方だ。

そんな父上が王位の簒奪を画策し実行に移すというのはそれ程までにホルファート王家が弱体化している事実に他ならない。

 

「神殿側の魂胆は理解しました。王家は何の対策も講じていないのですか?」

「もちろん考えてはいるわ。それでも信じない宮廷貴族は多いのよ。公爵は今まで私と共に王国の維持に努めてきた。公爵の為人を知る者ほど叛意を信じられない」

「レッドグレイブ家が其処まで勢力が急拡大できるとは思えません」

「フランプトン侯爵が公国と内通してたのが不味かったのよ。あの裏切り者のせいでレッドグレイブ家に抵抗しようとする者は売国奴の烙印を押されかねない。前の戦争後に行った粛清と今回の戦争を合わせて公爵家に太刀打ちできる貴族は王国には存在しないわ」

「それでも王家が呼びかければ味方になる者は決して少なくはない筈では」

「王家全体が一致団結できると仮定するなら可能ね。実際はユリウスを廃嫡させた後に誰を嫡子にするかで争っているわ。そんな輩は公爵が自分達を支持すると疑っていない。公爵自身だって分家として王位継承権を持っているのに」

 

なるほど、下準備は着々と進んでる訳だ。

レッドグレイブ家に権力が集中する事に危機感を持つ真っ当な貴族になるほど迂闊に動けない。

この段階まで来たらどちらが真の支配者なのか分からない。

 

「それで私にどうしろと仰るのですか?」

「お願いします、どうか公爵様と話し合う機会を作るのに協力してください」

 

私の問いにオリヴィアが頭を下げて懇願する。

 

「それは無理だ」

 

無意識に冷淡な態度になってしまった己に驚くが正直に答える。

 

「この件に関して本当に初耳だ。父上が王家に、いや陛下と殿下に対して長い間怒りを堪え続けてきた姿を私は見て来た。王家が今更どう足掻こうと方針を変える事はあるまい」

「アンジェリカ様は何もご存知なかったんですか?」

「父上と兄上がどんな魂胆で私に知らせなかったのかは分からん」

 

単純に私を政争に巻き込みたくなかった家族としての情か、それとも事後承諾で私を説得できると高を括られたか。

仮にリオンが私と子供達を案じて話さなかったとしてもすぐに態度に出して私に問い詰められ話す結果になるだろう。

どちらにせよバルトファルト家に嫁いだ私はレッドグレイブ家からは縁遠い存在に成りつつある。

 

自分から積極的に王都の政争に首を突っ込む気は毛頭ない。

今の私にとっての最優先事項はリオンとライオネルとアリエルだ。

私の家族を巻き込むなら誰が相手でも容赦はしない。

相手が王妃であろうと、聖女であろうと。

逆に家族に被害が及ばないのなら面倒な政争に関わり合うのは御免蒙りたい。

 

「仮に私がレッドグレイブ家との渡を付けられたとしよう。バルトファルト家にとって何の得がある?」

「それは……」

 

言葉に詰まるオリヴィア。

この程度の問いに即答できないのなら父上に引き合わせた所で無意味だ。

 

「今の私はバルトファルト子爵夫人だ。領地の利益を最優先する。そしてバルトファルト領は公爵家から多額の融資を受けている。そんな我々が公爵家と争う王家に与して得る利益とは何だ?」

 

実際には公爵家からの融資額はバルトファルト領の経営を圧迫するほど多くはない。

総額にすれば三百万ディアに達しない筈だ。

あくまでも領地開拓の初期費用であり、それこそ領主であるバルトファルト家が爪に火を灯すような極貧生活を行い大幅な増税と療養施設の料金を上げれば数年で完済は十分に可能。

そんな事をすれば領民や他領の貴族からの反発を招くから行わないが。

 

今のバルトファルト領の財政が苦しいのは公国との戦争で費やした資金の大半が本来は領地の発展の為に蓄えた物だからだ。

王家は公国との戦争で手柄を上げた者達を陞爵する予定だが爵位では飢えを満たす事も傷を癒す事も出来ない。

最新型の鎧を拝領した所で使い所は限られる上に維持費ばかりが嵩む金喰い虫に成り果てるだけ。

結局の所、領地経営に於いて一番重要なのは潤沢な資金なのだ。

 

「まさか何の見返りも無いのに我々を協力させようと思っていた訳ではあるまい。ただでさえ今回の戦争で多くの領主が貧窮しているのだ。更に王子達の王位継承権の争いやホルファート家とレッドグレイブ家の諍いに加われと?終戦から三ヶ月も経たないうちからこの有り様では地方領主はもとより宮廷貴族ですら王家の力を疑問視するのは致し方あるまい」

 

目の前にこの国の実質的な支配者であるミレーヌ様が居るのに不躾な物言いだが敢えて口にする。

この場に私を誘ったのは彼女だ、聖女と引き合わせたのも彼女。

人前で話すなら美辞麗句で誤魔化す必要があるが、この場に於いては直接的に言った方が話が進む。

 

「私が婚約破棄された当時のように王家が公爵家より力を有しているならともかく、落ち目になった王家に味方して何の得が在る。頼られても迷惑だ」

「このままでは国が割れて内乱になります。そうなればバルトファルト領も否応なしに巻き込まれ犠牲者が増えます」

「確かにそれは困るな。ならば領地で静観させてもらおう。バルトファルト家がどうするにせよ、今後の王家の趨勢には然程影響はあるまい」

「たくさんの人達が死ぬかもしれないのに?」

「領主にとって大事なのは自分の領民だ。他所の領民の命より優先されるのは当たり前だろう。そもそも犠牲になるのが王家と一部の貴族に限定されるならこの国の大多数は見て見ぬふりを決め込むさ」

「そんな……」

「或いは犠牲者が一番少ない解決法がホルファート王家を犠牲にする事かもしれんな。王族一人で数千から数万の民が巻き込まれずに済む」

「アンジェリカ様はローランド陛下とユリウス殿下がどうなっても構わないと?」

「逆に聖女オリヴィアに問おう、何の義理や義務が存在して私が陛下と殿下の為に尽力しなければならない?」

 

場の空気が凍り付いたのを感じた。

あぁ、言ってしまった。

言ってしまったからには後戻りは出来ない。

 

「陛下御一人なら多少の恩義はある。他の王子や王女なら同情もしよう。だがユリウス殿下の為に私が何かすると思っているのなら見通しが甘過ぎる」

「やっぱりユリウス様をお恨みになってるんですね」

「全く恨みが無いと言えば嘘になる。ずっと心の何処かであの時の怒りは私の中で燻り続けてきた。だが恨み以上に私はユリウス殿下の資質を疑っている。はっきり言えば彼は王族に相応しくない」

 

目を伏せつつミレーヌ様を見る。

相も変わらず何も仰らない。

私に分かる事をミレーヌ様が分からない筈もあるまい。

ならば最後まで言わせてもらおう。

 

「王家と公爵家が協力する為に決められた婚約の意味を理解しない。婚約者が居る身でありながら他の女に懸想。綿密な調査も行わず思い込みで私を敵視。権限も無いのに地位を盾に公衆の面前で一方的な婚約破棄。不平等な条件で行われた決闘。佞臣の報告を信じ罪を捏造。真実を知った後でも公式な謝罪も行わず私の名誉回復を軽んじる」

 

口にするほど怒りが湧き上がってくる。

五年も私の心の奥底で燃え滾っていた怒りの炎。

これでも理性を保っていられるのは今の私が怒りを上回る愛情で満たされているだけに過ぎない。

夫と子供達の前ではとても見せられない姿だ。

 

「挙句に立場が危うくなれば自ら出向く事すらせず母親と慕う女を断罪した私に差し向ける。恥という概念をあの方は持っていないのか」

「アンジェリカ様、それは違います。ユリウス殿下もあの後は成長なされて……」

「今この場に居ない、それが総て。誠意も反省も全く伝わらない。笑えない冗談だ。これで協力しろとは怒りを通り越して呆れ果てる。自分の為に誰かが働くのを当然と勘違いされたままか」

 

不敬極まる物言いだが口にするのは紛れもない事実。

問い詰める相手がユリウス殿下ではなくオリヴィアなので私が一方的に嬲っているのが些か心苦しいが。

 

「家同士の契約を軽んじ、情欲を制御できず、事実を歪曲して広め、罪を捏造し、暴力によって事態の解決を目論む。このような者を主君として仰げるか?この事態を招いたのは紛れもなくユリウス殿下御本人だ。若気の至りと笑って許される範疇を越え過ぎた」

 

すっかり冷めてしまったレモン入りの紅茶を飲み干す。

少しでも体内に籠る熱が冷めてくれるように。

吐けるだけ言葉を吐いてしまうと室内は静寂に包まれる。

 

「それじゃ…」

 

口を開いたのは聖女オリヴィア。

 

「じゃあ、アンジェリカ様に協力して頂くのは無理なんですね」

「そうは言っていない。先程も言っただろう。『今の私はバルトファルト子爵夫人だ』と」

 

これが私に言える最低限のヒントだ。

オリヴィアは平民出身でありながら学業は優秀の一言に尽きる。

その答えが分かるならどうすれば良いか判断できるだろう。

 

「つまりバルトファルト領にレッドグレイブ家が齎す以上の利益を用意すれば良いんですか?」

「汚いと思うか?だが今の私はバルトファルト領の統治を夫から一任されている。民を犠牲にして父である公爵に刃向かえと嘯くのならそれだけの対価を差し出せ」

 

領地の経営は一筋縄ではいかない。

美辞麗句に彩られた理想など麦一粒に劣る。

 

「食料か、金銭か、地位か、名誉か、血か、安寧か。私達が望む物を与えてみろ。それが出来ないなら父上に引き合わせても泣きべそをかいて帰る結末になる」

 

私に言えるのは此処までだ。

後は自分の頭で考えろ。

素直に教えてやるほど私は人格者ではない。

その程度の事が出来ないのなら素直に神殿のお飾りになった方が身の為だ。

オリヴィアが何やら呟きながら必死に思考を始める。

 

「オリヴィア様、もう時間です」

 

付き添いの女官が声を掛けた。

ふと時計を見るとけっこうな時間が経過していた。

思いの外話し合いに熱中していたらしい。

慌てた様子で身形を整えるオリヴィア、悠々と皿に残された菓子を堪能するミレーヌ様は対照的だ。

 

「とりあえず今日は帰ります。忙しいのに時間を割いていただきありがとうございました」

 

どうやらオリヴィアは手酷く扱われたのに諦めないようだ。

この逞しさがあるから聖女なのか、それとも聖女という存在は逞しくなければやっていけないのか。

足早に部屋を出るオリヴィアの背を見送りながらそんなぼんやりとそんな事を考える。

些か疲れた。

疲労感と同時に空腹感に襲われる。

もう自棄だ、ストレスは体に悪いから今日は腹一杯に食べよう。

まだ見ぬ胎の中の我が子よ、愚かな母を許して欲しい。

 

「随分と聖女にお優しいのね。意外だったわ」

 

訝しげに私を見つめながらミレーヌ様はそう仰った。

 

「別に親身になった訳ではありません。情報が必要だったのは此方も同じでしたから」

 

そう呟きつつケーキフォークで皿の上に鎮座する果実を一口大に切り分ける。

柔らかい果肉にフォークを刺して頬張ると瑞々しい果汁が口の中で弾けた。

食べ終えた後は紅茶を飲み干して心を落ち着かせる。

これからが本番だ。

 

「どうして今更オリヴィアに私を引き合わせたのですか?」

 

もう私は王家や彼女と関わるつもりは無かった。

バルトファルト領でリオンの領地経営を助け、彼の子を産み、穏やかに生を終えるつもりだ。

 

「会いたいと願ったのは彼女自身よ。私は時と場所を用意しただけ。今の神殿には彼女が信頼できる者が多くないらしいし」

「ユリウス殿下と四人の御付が居るでしょうに」

「彼らはユリウスと引き離されたわ。一応は戦功による昇進という態だけど実際には同じ場所に居ないようにする為の左遷ね。ユリウスの力を削ぐ為に公爵派と他の王子を嫡子に推す貴族が裏から手を回してるの」

 

なるほど、五人を頼れず神殿の助力も期待できない状況なら父上や兄上と面会するのはほぼ不可能だ。

藁にも縋る想いで私を頼ったのだろう。

 

「私が口で言っても余計な反発を招きかねない。それなら己の過ちの象徴である貴女に会う方が心の底から理解できるでしょう」

「私が悪役になっただけに思えますが?」

「貴女を悪役にして話を終わらせる馬鹿な小娘ならこの国に居場所は無いわ」

 

目の前に座る女性の顔は冷淡な為政者その物だ。

 

「オリヴィアが聖女になる、或いは王家か公爵家の誰かと婚姻して政に関わるのなら自分で考えて行動できるだけの力を持たなければならない。そうでないのなら大人しく誰かの操り人形になるか、地位を捨てて何処かに引き籠る方が賢明よ」

「彼女は賢い女ですが平民出身です。政治力が無いのは仕方ありません」

「私の謀を台無しにしたのよ。その責任は本人に支払ってもらいましょう」

 

そして数回手を叩くと部屋に屈強な男が入ってきた。

王妃付きの護衛だろう。

いくらミレーヌ様が自由奔放だとしても護衛を全く付けず歩き回るほど愚かではない。

護衛らしき男は私に一礼するとテーブルの上に何かを置いて部屋から退出する。

置かれたのは厳重に包装された封筒だった。

 

「貴女にはこれを」

「中身はいったい何です?」

「今の王都の状況を詳しく記した資料よ。それを読めば凡そ把握できる」

「受け取れません。王家の側に付くつもりはありません。だからと言って公爵家に従い積極的に王家を攻める気もありませんが」

「いいから受け取りなさい。その上でどうするかは貴女が決めて」

「今日ミレーヌ様と面会した事実を公爵家に報告するかもしれませんよ」

「したいようにしなさい。どんな結末になっても怨まないわ」

 

些か拍子抜けする返答だ。

本当にミレーヌ様が何をしたいのか分からない。

 

「不遜な発言をお許しいただけますか」

「いいわ」

「失礼ながら妃殿下、貴女は卑怯です」

 

敢えて厳しい口調で物申す。

 

「過去を消す事は出来ません。こんな状況に陥る前に取れる手立ては在った筈。それを見過ごしておきながら王家と公爵家の関係を修復するなど不可能です。自らオリヴィアを説得する訳でもないのに私を用いて誘導する。矢面に出ず策士を気取り他人を盤面の駒のように扱う。冷酷にして狡猾極まりない振る舞いです」

 

私に手酷く罵られてもミレーヌ様は態度を変えない。

むしろ楽しそうな表情で見つめて来る。

その態度は得体が知れず恐ろしい。

 

「そうね、貴女の言う通りだわ。私には恥も外聞も無い。醜く足掻いて他人の情けすら利用する卑怯な女」

「自覚なされているのなら何故」

「私が王妃だから。そして妻であり母だから。答えはそれだけよ」

 

微笑みすら浮かべ私の問いに答える。

その瞳は深い悲しみに彩られていた。

 

「たとえ他国から嫁いで来たとしても私はホルファート王国の王妃よ。国が亡びるその瞬間まで毅然と立ち続ける義務があるわ」

「そして僅かでも滅亡を回避する可能性が在るなら私のような小娘に対して情で訴えると?」

「プライドが無いと思われても仕方ないわ。それでも私はホルファート王国が滅ぶのを見たくない。夫と息子が殺されるのを許容できない」

 

問いに答える顔は穏やかだった。

死を覚悟した者だけが到る境地だろうか。

愛も、優しさも、怒りも、悲しみも。

あらゆる感情が混じり合いながらも名画のように統一感を保った美しさがある。

この御方はこれほどまでに美しかったのか。

奇妙な感動すら覚えた。

 

「彼らが死ぬのは受け入れられない。彼らが殺されるなら私だけでも一緒に地獄へ堕ちてあげなきゃ可哀想でしょう。優しい言葉なんてろくにかけてくれない女好きの夫なのに。母の気持ちを理解しない馬鹿息子なのに。笑っちゃうわよね。頭ではさっさと逃げ出した方が賢明だと分かりきってるのに、それでも私は彼らを見捨てられない」

 

愛とは呪いだ。

時に心を蝕み、時に怨みへと姿を変え、時に賢人を愚かな行動へ衝き動かす。

だが、不思議と嫌な気分ではない。

私は愛を得た。

リオンを愛し、リオンに愛され、私達の子を育て、心穏やかな日々を送る。

ミレーヌ様を愚かとは思えない。

この御方は鏡映しの私だ。

何かが違えば私もまたこの御方と同じになっていた筈。

そう思えばミレーヌ様の行動も理解できる。

 

「ミレーヌ様のお気持ちは分かりました。ですが私にも立場という物があります。余程の事が無い限り父上と兄上に刃向かえません」

「分かっているわ。これは単に私の我儘。貴女が無理をしてまで付き合う義理は無い」

 

テーブルに置かれた封筒を手に取った。

結論は資料に目を通しリオンに相談した後で決めよう。

窓から見える陽はかなり落ちてきた。

そろそろバルトファルト領へ戻る準備をしなくては。

 

「とりあえず一旦は帰ります。結論は夫が王都から戻った後になりますが」

「かまわないわ。貴女が王家に対して叛意を持っても咎めはしない。むしろ恨まれて当然の仕打ちをホルファート王家は今までしてきたのだから」

 

居住まいを正し席を立ってミレーヌ様に首を垂れた。

疲れた、とにかく疲れた。

バルトファルト邸に戻ったら食事も入浴もせずベッドで惰眠を貪りたい。

 

「ごめんなさい」

 

部屋を出ようとドアノブを握った瞬間、背後から声を掛けられた。

振り返るとミレーヌ様が私に頭を下げていた。

基本的に王族は臣下に頭を下げない。

王族より位の低い者に対し頭を下げる行為自体が己の非を認め王権の価値を貶めるからだ。

 

「貴女にはずっと苦労をかけてばかりだったわ。ユリウスに貴女を受け入れる器量が在れば何の問題も無かった。全ては王家の罪であり私の見通しの甘さが原因。貴女の咎ではないのに」

「謝罪は結構です。今の私が幸せなのは婚約破棄されたからです。あの日が無ければ幸せに気付く事も無く生きていました」

「この場を用意した本当の理由は貴女に謝りたかったの。もう二度と会えないと考えたら生きている内に清算しておきたかった」

「やはり貴女は卑怯です。殊勝な態度を取られたら許さない私が悪人に見えてしまう」

 

私が微笑んで答えるとミレーヌ様もつられて笑う。

思い返せば王都に居た頃にはこうして穏やかな気持ちで笑い合う事は無かった。

 

「達者でね」

「ミレーヌ様も御身体にお気を付けください」

 

掛ける言葉は少ないが互いの身を案じずには居られなかった。

店を出ると些か疲れた心と体に活を入れ空港へ向かう。

この地に泊まる予定は無い。

飛行船の乗組員は私が戻ると安堵した顔を浮かべていた。

準備が整い出港すると窓の外から見える浮島は少しずつ小さくなっていく。

早く家に帰りたい。

帰ってライオネルとアリエルを抱き締めたい。

早くリオンに帰って来て欲しい。

私を抱き締めて心中の不安を拭い去って欲しい。

ゆっくりと瞼を閉じると自分の存在が曖昧になってゆく。

腹を撫でて胎内に宿る新しい命を案じながら私は眠りに落ちた。




女子会終了。(女子会違う
レッドグレイブ家の暗躍でホルファート王国がえらい事態になっていますがweb版やマリエルートを読むとこれ位してもおかしくはないかと。
結婚・出産・子育てを経ると価値観が変わるのはよく聞く話なので。
頼りがいのある転生者リオンが居ない世界のミレーヌ様が恋を知らないまま夫や息子や娘の為に奔走する苦労人になりました。
オリヴィアは本編でマリエが語っていた「綺麗事ばかり言う言って現実が見えていないお花畑主人公」ではなく、能力はあるけど政治力が足りないタイプになりました。
フォローしてくれる五馬鹿が居ないと平民出身の娘に政争は難しいでしょう。
今作でキャラが苦労ばかりなのはモブせかの世界観を忠実に再現しようとするほどキャラ全員に厳しい世界になるからです。(汗

追記:依頼主様のご依頼でニシヅキ シノ様と祐稀桜様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
ニシヅキ シノ様 https://skeb.jp/@sino24tsuki/works/19
祐稀桜様 https://www.pixiv.net/artworks/109617882
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第22章 ある女官の追憶

貴族に生まれたから幸せだ。

親が居るから幸せだ。

そう言い張る人は想像力が欠けてると思う。

世の中には血筋が良い家系に生まれても貧しさに苦しむ貴族、実の親から愛されない子供はたくさんいる。

この世と地獄に境目なんて無い。

むしろ悪人が堕ちる地獄よりクズがのさばるこの世の方がよっぽど酷い世界だわ。

 

そもそも死後の世界なんてある筈がない。

子供の頃から何度も死にかけたから分かる。

空腹のあまり倒れて地面に生えた雑草を口に含んだ時。

狩りに失敗して討ち損じたモンスターに食べられそうになった時。

ストーブすらない真冬の小屋で汚れた毛布を被りながら危うく凍死しかけた時。

御伽話にあるような天国からの使いなんて来なかった。

あるのは目の前が真っ黒に染まるほどの深い絶望と自分が死んでしまうという狂いそうな恐怖。

あの体験をした人にしか分からないこの世の厳しさ。

 

それでも、私はあの人に救われた。

神様なんて信じない。

親に折檻され飢えて凍えて死にそうになりながら祈る罪の無い子供を助けてくれない神様なんて信じない。

この世が人が生きる世界なら人を救って幸せにするのは生きてる人間なのは当たり前。

だから私は神様なんて信じない。

私を救ってくれたあの人を信じる。

死にかけた私の手を握って救ってくれたあの人を。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

物心がついて最初に分かった事は主人だと思っていた夫婦がどうやら私の両親という事、この貧しい家が貴族の屋敷という事だった。

どれだけ思い返しても私は両親に家族らしい何かをしてもらった記憶が無かった。

頭を撫でてもらった事は一度も無いし、きちんと名前を呼んでもらった回数は指の数より少ない。

お菓子や玩具はもちろん最低限の食べ物や衣服さえ与えられなかった。

両親の食事を拵えるのはいつも私だけど、私が口にするのは料理を作る時に出た捨てる箇所か両親の残飯。

仕方がないからその辺に生えた草花を口に入れ、時には虫や小さな動物や鳥や魚を捕まえて飢えを満たした。

 

それでも小さい頃はまだマシだった。

私がある程度成長したら今度はお金を稼ぐのを両親に強要された。

子守りや雑用で小銭を稼いだり、狩人に同行して動物を狩って解体するのを手伝ったり、冒険者に雇われて荷物持ちをしたりといろんな仕事をした。

子供が働くのに読み書き計算が出来ないと賃金の支払いを誤魔化される。

だから自分で勉強したり親切な狩人や冒険者に教えてもらった。

なんで両親は私に最低限の教育を施さなかったのか?

あの人達に必要なのは自分の意思を持った娘ではなく都合よく働かせる奴隷だから。

奴隷を雇う金すらケチって自分達の子供に雑用をさせた方が安上がりだから産んだ。

それが私の生まれた理由。

私の両親は親ではなく御主人様、私は娘ではなく奴隷だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

10歳になる頃に王立学園の存在を知った。

貴族の子供達は15歳になるとほとんど全員が学園に入学する。

余程の事情が無い限りほぼ強制だ。

それを知った瞬間、少しだけ私の心に希望の光が灯った。

とにかく朝から晩まで奴隷のように働かされるのが嫌だった。

 

別に贅沢がしたい訳じゃない。

真っ当に生きありふれた普通の人生を送りたいだけ。

その為に必要な物を揃えて学園に行く。

数年だけでもあの両親から離れてきちんとした勉強を受けられる。

もし貴族令息と良い関係になれば婚約も夢じゃない。

両親だって貴族としての見栄もあるし、このまま貧しい暮らしを送るよりも私が何処かの貴族に嫁いで実家にお金を送るようになると分かったら入学させるだろう。

そう考えたらあとちょっとだけ頑張ろうと思えて今まで以上に仕事を熟せた。

あのケチな両親は入学に必要な最低限のお金しか用意しないだろう。

今までの経験で良い教育を受けるのにたくさんのお金がかかるのを私は痛いほど知っている。

 

このままじゃダメだ。

とにかく朝から夕方まで働いて稼いだお金の一部を少しずつ貯め、夜は遅くまで両親に隠しながら本を読み漁る。

数年をかけて何とか独学で最低限の教養とマナーを身に着けた。

これなら何とか貴族の令息令嬢に混じっても大丈夫だろう。

14歳になった私はそんな風に楽観視していた。

何て馬鹿な小娘。

自分の両親がどれほど愚かか少し考えたら結末なんて簡単に分かるのに。

学園に入学する数ヶ月前、屋敷に一通の手紙が届く。

 

『報告を受けた令嬢の健康状態と尊宅の経済状況を鑑みた結果、入学の辞退を認めるものとする』

 

私の入学は知らない間に無効にされていた。

事態が飲み込めずに茫然自失した私は両親に説明を求めた。

 

「お前が居なくなったら誰が金を稼ぐんだ?」

「私達に隠れて随分と稼いでいたみたいね」

 

両親は学園へ入学金と私が支払った諸経費の返還を求めていたらしい。

お金は払い戻されていたけど、とっくの昔に両親が使い果たしていた。

何も知らないまま数ヶ月間も学園に通う自分の姿を想像して心を弾ませる私がさぞ滑稽だったろう。

私に他の貴族との付き合いなんて無い。

ただ戸籍に名前が記されてるだけで顔も知られてない存在。

そんな私の存在を誤魔化すなんてとても簡単だ。

足元が崩れるような感覚に襲われ部屋に戻る。

壊れる寸前のベッドに敷かれたボロボロの布団の上で熱に魘されながら悟る。

私はこのまま両親に使い潰される一生を送るんだ。

もうどうだっていい。

誰にも知られず泡のようにこの世から消えてしまいたかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

入学を取り消された後の私は気力も無く働き続けた。

今まで続いてきたこの生活がこれからもずっと続いていくんだと諦めきっていた。

そんな状況が変わったのは半年ほど経った頃。

いきなり王国と公国の間で戦争が始まった。

王子のせいで王家と公爵家の仲が悪くなったとか、公国がモンスターを操って攻めて来たとか聞いたけど詳しい事は分からない。

戦争の影響で学園は休校になったらしい。

両親は無駄なお金を使わずに済んだと喜んでた。

 

どうせ私には関係の無い話。

いつもと同じように朝から働いてお金を稼ぎ、両親の世話をして、疲れた体を癒やすように眠る日々。

学園に入学できなかったから必死に勉強する必要も無くなり休みを作れるようになったのは皮肉。

 

戦争が始まって半年ぐらい経つと騒がしかった町が落ち着きを取り戻してきた。

拾った新聞を読むとどうやら戦争が終わったらしい。

戦争は物入りで人手が足りないからいろんな仕事が舞い込んで稼げたのに。

また新しい稼ぎ口を探さなきゃいけないと思うと溜め息が溢れた。

世間が戦争の終わりを喜んでいるのに何故か両親は怯えていた。

従軍を拒否した貴族は臆病者として周囲から馬鹿にされる。

私が稼いだお金を払って従軍を拒否した父は貴族としての立場が悪くなったんだとその時は思っていた。

 

まさか両親が裏でとんでもない事を仕出かしていたなんて気付かなかった。

陽が昇る前に起きて食事の支度をするのが私の日課。

その日の朝、寝ている両親を起こしに寝室へ行くとベッドが空になっていた。

両親が数日家を空けるのは珍しくないが、私に連絡も無く外出するのは珍しい。

とりあえずテーブルの上に食器を並べて仕事に向かう。

帰って来ても食器は朝置いた時そのままだった。

次の日も、その次の日もそのままだった。

四日目の夜明け前、屋敷のドアが大きく叩かれた。

両親が帰ってきたのかとドアを開けると扉の前に立っていたのは屈強な男達。

強盗かと身構えたが全員が衛兵の服装だった。

 

「主は何処だ?」

「知らない、四日前から居ない」

「屋敷をくまなく捜せ、あとこいつを捕まえろ。何か知ってるかもしれん」

「了解しました」

「ちょっと!?何よ一体!?」

 

訳も分からないまま私は縄で縛り上げられた。

衛兵達は屋敷を調べ終えて両親が居ないと分かると私を町の代官所へ連行する。

そこで教えられたのは両親の悪業だった。

公国との戦争で王国は押されっぱなしの状況が続いていた。

理由は単純、宮廷の貴族が公国へ情報を横流しをしてたから。

王子や聖女を後援する貴族達のリーダーだった何とかという貴族が首謀者らしい。

その事が分かった王族は激怒し戦争の終わり頃から徹底的な調査が行われた。

調査すると率先して公国に内通した高位貴族だけじゃなく、王国へ密入国した工作員が高値で低位貴族や商人から情報を買ってる場合もあったそうだ。

 

私の両親は工作員に情報を売っていたと捜査で判明したらしい。

貴族だから確実な証拠が無ければ逮捕できない。

ようやく証拠が出揃って逮捕が決まったのが数日前。

その話を聞いた瞬間、両親が逮捕を恐れて逃げ出したと悟った。

馬鹿な人達だとずっと思っていたけどここまで馬鹿とは思わなかった。

同時に私が両親に捨てられたという事実をぼんやりと認識する。

足手纏いだから捨てられたのか、それとも囮として置いてかれたのか。

 

どっちにせよ典型的な無能貴族の両親が逃げきれるとは思えない。

途中で捕まって処刑されるか、それとも逃げた先で誰かの食い物にされるか、或いは生活できず飢えに苦しむか。

もう両親と生きて会う事もないだろうと何処か冷めた頭で考える。

私にとって両親は血の繋がりがあるだけの他人だった。

代官所で行われた尋問は数十日に及んだ。

取り調べでいろんな質問を受けたが、そもそも朝から晩まで働いていた私が公国の工作員と会える暇なんてある筈も無い。

最初は厳しく尋問していた捜査官もいつの間にか私に同情するようになっていた。

尋問が終わって私に下された処分は貴族の地位剥奪、数ヶ月以内に屋敷からの退去、公国との繋がりは証拠不十分だったから釈放された。

 

ようやく解放され戻った屋敷はすっかり荒らされていた。

少しでも価値のありそうな物は根こそぎ盗まれ、私が狩って売ろうとしたモンスターの一部や採取した薬草なんかも無くなっていた。

それよりも今まで付き合いがあった人達から邪険にされるのがつらかった。

ただでさえ両親は近くの人々から嫌われていた上に戦争で敵国に情報を流した裏切り者。

貴族じゃなくなった私と関わって取り引きをする必要が無い。

もう此処じゃ暮らせないな。

 

数日かけて食料や換金できそうな物を採取し、今度は盗まれないようにと秘密の隠し場所に保管していた紙幣や金貨を財布にしまい込む。

荷物はけっこうな量だったが子供の頃から働いてきた私には背負えない重さじゃない。

そして私はずっと暮らしてきた故郷を逃げるように去った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

故郷を離れ数ヶ月経った頃、私は王都に居た。

他の国へ行っても上手くやれる保障は無い。

田舎は人手が足りているから新参者が入る余地が無い。

でも人が多い王都なら働き場所があるし、私の顔を知ってる人も居ないだろう。

何より一度で良いから王都の景色を一度見たかった。

貴族として学園に通う自分を想像したかった。

 

そんな淡い期待は厳しい現実に打ち砕かれる。

戦争が終わってから王国内の治安は急速に悪化していた。

兵士崩れの無法者が徒党を組んで国のあちこちで騒動を起こす。

王家を裏切り処刑、爵位の剥奪された貴族達が巷で問題を起こす。

こんな状況でろくな教育も受けず体も小さい私が放り込まれて生き抜くのは困難を極める。

 

王都には私と同じように仕事を求め国全体から人が集まってきた。

頼れる身内が居ずコネも無いなら仕事にありつけない。

なら冒険者にでもなって一獲千金を狙えるか?

冒険者ギルドは国が運営していて依頼を受けるには登録する必要がある。

登録には戸籍が必要だけど、罪を犯した没落貴族の娘が登録に来たら国外へ強制追放させられる可能性が高いし、そもそも私の戸籍自体が残っているかすら不明だ。

 

そうなると最後は体を売るしかない。

けど色街は私と同じように没落した貴族の娘で溢れていた。

見た目が美しい娘なら稼げるだろうが、子供の頃から満足な食べ物を与えられず痩せて背が低い私を買おうとする物好きは少ない。

性病を患うのも嫌だし、もし妊娠でもしたら母子揃って死ぬ未来しかない。

 

私に残された最後の手段は犯罪に手を染める事だった。

食い逃げ、万引き、泥棒。

人間は数日食べなきゃ痩せ細って簡単に死ぬ。

屋台や店で食事をして店員が目を離した瞬間に逃走、市場で商人の隙をつき食べ物を懐に隠す、警備が甘い家を狙って忍び込みお金を盗む。

生まれて初めて小さい体と狩りや冒険の経験が有利に働いた。

悪事に手を染めると自分が両親と同じ存在にまで堕ちた事実に気が滅入る。

蛙の子は蛙、罪人の子は罪人。結局は私もただの悪人だった。

高価な物を狙わず人を傷付けるのを避けたのは私に残った最後の良心。

 

そんな誤魔化しをしながら罪を重ねていけば否応無しに目を付けられる。

王都の治安を護る衛兵、市場を管理する商人、色街を仕切る裏社会の住人。

徐々に私の存在が知られ始め行動範囲が狭くなる。

満足に食べ物を調達できず誰かに追われ続ける日々は心が荒む。

 

ある日、体が弱りきっていたせいで私を捕まえようとした奴らの攻撃を避けられず傷を負った。

何とか汚くて狭い裏路地の逃げ込んで体を横たえる。

もう限界だった。

こんなに苦しいのに何で私は生きているんだろう?

答えが出ないまま痛みに身悶えしつつ這うように裏路地から移動する。

死ぬならもう少しマシな場所で死にたかった。

 

やっとの思いで道が開けた場所へ辿り着くとたくさんの人が居た。

聞き耳を立てるとどうやら此処で貧しい人の為に炊き出しが行われるらしい。

やっぱり世界は私に優しくない。

もう何かを口にする気力さえ湧かないのに目の前で皆が食事をする光景を見せつけられるなんて。

人混みから逃げるように隅へ移動する。

とにかく眠い、意識が遠くなっていく。

ぼんやりと自分の命が尽きようとしているのを感じた。

その瞬間、凄まじい恐怖と絶望に襲われた。

 

『何で!?何で私が死ななきゃいけないの!?あんまりじゃない!!』

『生まれた時から親に愛されず、食べ物すら満足に与えられない!!私が何したっていうのよ!?』

『これが罰って言うなら私が何の罪を犯したか説明して!!』

『私は正しく生きようとした!!それなのに這い上がる機会さえ与えられなかった!!』

『私に何が出来たって言うの!?罪を犯さなきゃ生きられなかった!!』

『醜く野垂れ死ねと言うなら何で生んだ!?答えなさいよ!!』

 

気が付くと目の前に誰か立っていた。

目が霞んでよく見えないが綺麗な人だ。

人が死ぬ時に現れる天の使いなのか、それとも死神なのか。

 

もうどうだっていい。

最後に思う存分に罵ってから死んでやる。

そう決めて目の前の相手に向かって怨み言を吐く。

自分でも何を言ってるかよく分からない。

搾り出す声は枯れてるし、呼吸するのも苦痛だから息も絶え絶えにゆっくりで喋るしかない。

ようやく言いたい事を全部吐き出すと頬に何かが当たった。

どうやら私の体が地面に倒れたらしい。

奇妙な充足感に心が満たされてた。

目の前が光り輝いている。

優しくて暖かい光だ。

いよいよ死ぬ時が来たみたい。

 

『もしも生まれ変われるなら次はもう少しマシな人生を歩みたい』

 

意識が遠のく前にそんな事を願った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

目が覚めるとベッドに寝かされていた。

まともな寝床なんていつ以来だろう。

ゆっくりと体を起こすと体のあちこちに包帯が巻かれていた。

周囲を見渡すと私以外にもたくさんの人が寝かされている。

神殿が行っていた炊き出しの近くで倒れていた私を救ってくれたのは聖女だと女の人が説明してくれた。

治癒魔法で回復した後にこの救貧院に運ばれたらしい。

何とか一命を取り留めた私は数日間も眠り続けた。

命が助かった事に安堵する私とまた生きて苦しむ事に辟易する私が心の中に居る。

職員の人が食事を持って来てくれた。

少し塩味の強いスープを口に含んだ瞬間、自分が生きている事実を再確認する。

私は涙を流しながらゆっくりと噛むようにスープを啜った。

 

一ヶ月ほどかけて体調が戻った後、私は救貧院で働くようになった。

戦争で職や住処や家族を失った人は多い。

王国はそうした人々の助ける為にいろいろやってるらしいがお金も人でも足りてない。

助けてくれた人達へ恩返しのつもりで雑用を手伝っていたら一緒に働かないか?と誘われた。

 

せっかく拾った命だし生まれ変わった気持ちで働く。

それなりに忙しかったけど故郷で両親に働かされた日々に比べたら遥かに楽な仕事だし、衣食住が保障されて少ないけどお金も貰える。

貰ったお金は憶えていた盗みを働いた店や家を訪ねて返しに行った。

 

とにかく真っ当な人間になりたいから正直に話し謝った。

盗んだ金額や食品が少額で事情があったから許してくれる人も多かったけど、罵られたり水を掛けられた事もある。

盗まれた人達が怒るのは当然で、私が犯した罪だから仕方ない。

誰から見ても恥じない生き方をする為に過去の自分の行いと向き合うのは当たり前。

いっそ罪を自白して監獄に行った方が良いかと思ったけど、事情が事情だし更生の意思があるという理由で救貧院が私の身元を引き受けてくれた。

私を救ってくれた人達の為に働こうと心に誓った。

 

救貧院で働くようになって暫く経った頃に私は奇妙な力に目覚めた。

怪我人の世話してる最中に私の掌から弱い光が出て小さな傷がゆっくり治ったのが切っ掛け。

詳しく調べてみるとどうやら私には治癒魔法の才能があったらしい。

もちろん聖女様とは比べ物にならないぐらい微弱だが、それでもこんな私が誰かの為になれるのは嬉しかった。

昼は救貧院で働き、夜は魔法の勉強に明け暮れる。

学園に入学する夢を抱いてた頃に戻ったみたい。

 

季節が移り変わりこのまま救貧院で働く人生を送るのも悪くないなと思い始めた頃、私の噂を聞きつけた人達が訪ねて来た。

神殿に所属している神官だった。

どうやら聖女様に仕える女官が必要になってるらしいが思うような人材が集まらないらしい。

理由は聖女様が平民出身だから身分が下だと内心で見下している貴族の令嬢が多いせい。

だからと言っても平民の女性を雇っても能力が足りない場合が多い。

神殿は能力と性格が聖女様と相性が合いそうな若い女性を捜していた。

どうするか迷ったけど、私は神殿へ行くのを決意する。

世話になった救貧院の人達に相談すると怒るどころか喜んでくれて壮行会まで開いてくれた。

私は人間が嬉しくても涙を流す事を初めて知った。

 

神殿に移ってもやる事はそれほど変わらない。

昼間は雑用と処理する、女官としての教育を受けるのどちらかを行う。

夜は寝るぐらいしか娯楽が無いが、睡眠時間を削って読書と勉強に精を出す。

数ヶ月の試行期間が終わる頃に私は聖女様にお仕えする女官に選ばれた。

その時に神殿の上層部がどうして私を選んだのか教えてくれた。

聖女と似た髪色で、同じように治癒魔法が使えて、銃や刃物の扱いに慣れている。

つまり聖女の護衛であり、いざという時の身代わり。

なるほど、そりゃ見つからない訳だ。

罪人の娘の私が何の問題も無く神殿に入れたのも納得。

聖女の命を罪人の娘で護れるなら安い買い物。

私の命は聖女様に救われた、なら聖女様の為に使うのも悪くはない。

こうして私は聖女様直属の女官を拝命した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「はぁ……」

「オリヴィア様、幸運が逃げますから溜め息ばかり吐くのは止めましょう」

 

もう何度目になるか分からないやり取り。

オリヴィア様はバルトファルト子爵夫人との面談が終わってからずっとこの調子だ。

 

「私、どうすれば良かったのかな?」

「やれる事は全部やったと思いますよ。普通なら婚約者と破談する切っ掛けになった相手と会ってくれる女はいませんし」

 

そう答えつつオリヴィア様の着替えを手伝う。

神殿の象徴である聖女が地味な神殿の女官服を着ていたら何事かと疑われる。

侵入と脱走は私の得意芸なのでオリヴィア様がこっそり外出する手引きをするのは私の役目だ。

こんな所で過酷だった頃の経験が活きるのが悲しい。

外出してたのがバレたら護衛の警護が強化されるだろう。

王都の情勢が不安定なせいでオリヴィア様に対する監視が増える一方だ。

 

聖女直属の女官となって以来、私はずっとオリヴィア様に仕え続けている。

平民として育ったオリヴィア様、貴族に生まれてもろくな教育を受けられなかった私。

同い年で苦労してきた経験がある私達はすぐに打ち解け、非公式な場では気安く話し合える関係になった。

オリヴィア様は私に治癒魔法や勉強を教えてくれるし、私はオリヴィア様が行動を陰日向に支える。

何も知らない人達が見れば仲の良い姉妹に見えるかもしれない。

体の小さい私がオリヴィア様の世話をするのだからどちらが姉が分かったものじゃないけど。

 

「王妃様に頼るのは控えた方がよろしいかと。あの方は王家の為に行動してます。オリヴィア様に利用価値が無いと分かったらあっさり見捨てられると思います」

 

王妃様はあくまで王家の維持が最優先だ。

綺麗な顔の裏で何を考えているか分かったもんじゃない。

 

「むしろアンジェリカ様と手を組む方が遥かにマシです。顔と言い方はキツいけど交渉の余地はあります。まぁ私はオリヴィア様があの五人の誰かに嫁ぐより公爵家を選んだ方が幸せになれると思ってるんですが」

「それ凄い悪口だよ。五人が可哀想」

「そもそもあの馬鹿五人のせいでこんな苦労をしてます、悪く言っても罰は当たりません」

 

世の中には二種類の馬鹿が存在する。

『物を知らない馬鹿』と『してはいけない事をする馬鹿』だ。

前者はきちんと教えれば解決するが、後者は普通じゃ考えられない事を仕出かして周囲に迷惑をかける。

故郷で子守りの仕事をしてた時、救貧院で働いていた時、神殿で教育を受けた時からこう考えるようになった。

してはいけない事をする馬鹿は家柄が良い所で育った奴が多い。

おそらく誰からも叱られないまま我が儘に育ったんだろう。

あの五人からも同じ気配がする。

なまじ能力があって一人だけならオリヴィア様が制御できる範囲の馬鹿なのに五人合わせると相乗効果で悪化するから質が悪い。

 

「それだと内乱になる可能性が高いの」

「内乱になりますか?」

「少なくても王妃様は死に物狂いで抵抗するつもりらしいね。そうなったら公爵様も手段を選ばないと思う」

「どうして貴族ってのは血の気が多いんでしょうか」

「貴女も貴族令嬢じゃないの」

「今は平民の『元』貴族令嬢です。何せ育ちが悪いですから」

 

軽口を叩いて少しでも場の空気を和ませようとするが上手くいかない。

話題が話題だ、下手すれば国が割れて人がたくさん死ぬ。

 

「オリヴィア様だけは助かる道を選びませんか?それなら話が楽なんですけど」

「それは駄目。私が逃げたら誰も言う事を聞いてくれないし、多くの人達が犠牲になるから」

「全員を救うなんて無理な話です」

「それでも私は一人でも多く救いたい」

 

オリヴィア様の瞳は真っ直ぐで力強い。

やはりこの人は聖女だ、綺麗事を理想のまま終わらせようと思わず叶えようと邁進する。

だからこそオリヴィア様を補佐する人間が必要なのだが。

私は政治力が皆無、五馬鹿はオリヴィア様に感化されて少し現実が見えてない、王妃様は場合によってオリヴィア様を切り捨てる。

となるとお会いしたアンジェリカ様が最も頼りになりそうに思えてきた。

ちゃんとした教育を受けて現実を見据えオリヴィア様へ率直な意見を言ってくれる。

オリヴィア様の相方に必要なのはあんな人だ。

惜しむらくは私達がアンジェリカ様についてほぼ何も知らないので、どうしたら協力してくれるかまで分からない。

頭の中で今後のオリヴィア様のスケジュールを整理する。

今日はこのまま宿泊し、明日は王都へ帰還、しばらくの間は遠出する予定は無し。

このまま私が別行動しても特に支障は無い。

 

「オリヴィア様、一つ提案があるんですけど」

「何?」

 

私はオリヴィア様にあるお願いをしてみた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

バルトファルト領は思ったより田舎だった。

空港の周辺と温泉の近くは発展してるが、他は農地が延々と広がっている。

領主の屋敷に向かう所々で人々が樹木を切り倒したり、土地を耕している光景が目に付いた。

確かにこの様子なら王都の政争に関わるより領地に残る方が何倍も自分の領地の為に役立てるだろう。

 

『失敗したかな、こりゃあ』

 

思わずで心の中でそう呟く。

私の出した提案はアンジェリカ様の説得に私一人が赴くという物だった。

オリヴィア様や王妃様は過去の諍いのせいでどうしてもアンジェリカ様と折り合いが悪い。

それなら私だけでバルトファルト領に赴いた方が冷静と話し合えると思ったから。

会った時間は長くないがアンジェリカ様は理路整然と話し合えばきちんと答えてくれる人に見受けられる。

相手を知らない事には交渉は始まらない。

我ながら厚かましいと思うが、アンジェリカ様の考えを詳しく知るにはこの方法しか思いつかなかった。

頭を下げるのに抵抗は無いし、失敗すれば私が責任を取って神殿を去ればいいだけ。

どうせ一度は死んだ身、過去の経験から私にとって自分の命は軽い物だった。

 

そんな事を考えながら歩き続けるとバルトファルト子爵の屋敷に辿り着く。

何日か門前払いされるのを覚悟していたがすんなり屋敷に通されて拍子抜けだ。

中年の女性に客間へ案内されてお茶とお菓子を供される。

あまりにも上手く行き過ぎて逆に不安になって来た。

 

『自白剤とか混じってないよねコレ?』

 

と失礼な事を考えながらお茶を飲む。

ふと気配を感じ、客間の扉を見ると小さな瞳四つが私を見ていた。

この屋敷の子供らしい。

私が手を振ると慌てた様子で逃げ出した。

 

数秒後に物音がしたので廊下を見ると男の子が倒れていて女の子がそれを見ていた。

どうやら転んだらしい。

今にも泣き出しそうな男の子に近づいて様子を窺う。

外傷は無し、転んだ拍子にぶつけた所が痛むみたいだ。

呼吸を整え魔力を手に集中するとゆっくり掌が淡い光を放ち始める。

そのまま掌を痛む箇所に押し当て数十秒間維持し続ける。

痛みは残るかもしれないが悪化の心配は無いだろう。

子供達は驚いた様子で私を見つめる。

私の体が小さくて親近感が湧くのか、どうも昔から子供にだけは懐かれる。

 

「何をしている?」

 

治癒魔法に専念していたせいで背後への警戒が怠ってしまったらしい。

ゆっくりと振り返ると面会を望んでいた相手が私を睨んでいた。




聖女オリヴィア直属の女官ちゃん、一体何者なんだ。(棒
そんな訳でモブマリエの過去回&アンジェとの対面開始回です。
決してマリエルートのコミカライズが始まった事に対するサービス出演ではありません。(本当
モブリオンが非転生者で学園に通わず兵士になったのと同じように『もし非転生者のマリエが学園に通わずそのまま経過していたら?』というifを想定しました。
書いてるうちにどんどんモブマリエがひどい境遇になる事態に恐怖。
違うんです、原作本編やマリエルートを参考にするほど転生者じゃなくてモブなマリエが厳しいアルトリーベ世界に翻弄されて行ったんです。
決して私がドSなのではありません。(涙
書いていてマリエのスペックの高さを再認識。
確かに主人公補正があればオリヴィアのポジションを奪える実力を十分に備えてますね。
ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第23章 貴キ者

読み終えた書類を執務室の机に置いて嘆息する。

ミレーヌ様からいただいた資料には公爵派の貴族の名簿、公爵家の寄子となった理由、その方法が記載されていた。

私の婚約破棄騒動以前と同程度の勢力、いや王国内の貴族が戦争や粛清で数を減らした事実を考慮すればレッドグレイブ家は過去最大の派閥として君臨している。

王家側の貴族や中立派の貴族が纏まれば流石に危ういが、各々の事情で好き勝手に動く貴族が一致団結する方が稀だ。

 

ここまで公爵家が勢力を伸ばせたのは二度にわたるファンオース公国との戦争が原因だった。

戦争はとにかく金がかかる上に勝たなければ何も得られない。

前回の戦争は両者痛み分けで和平条約が結ばれた。

『国土を護れたから恩賞は無し』などと言われたらどんな貴族だろうと王家に叛意を抱くだろう。

公国と通じていた裏切り者達から没収した所領やら金銭を惜しみなく与え、与える物が無ければ位階を上げた。

リオンのような無位無官の若造が義父上の爵位を一足飛びで追い抜き浮島を与えられるなど異例の事態だ。

 

そうして気前良く恩賞を与えてもなお足りない。

新しい領地を与えても税の徴収できるまでには時間がかかるし、爵位が上がれば相応の付き合いで出費が増える。

まさか王家にもっと寄越せと強請る訳にもいかない。

そんな貴族達に気前良く金を貸し始めたのが公爵家だった。

貴族の間で金銭の貸し借りは違法ではない。

程良い金額ならむしろ家同士の繋がりを強くするので政略結婚と並んでよく行われる。

 

レッドグレイブ家は王家の分家であり広大な領地を所有している。

国の中に小さな国がもう一つ存在しているようなものだ。

ただでさえ戦争によって損害を被った貴族達は公爵家の庇護下になりたくて仕方がないだろう。

貸す時は気前良く朗らかに、取り立てる時は容赦なく無慈悲に。

こうして父上は着々と公爵家の勢力を急拡大していく。

 

では急拡大の切っ掛けは?

名簿に記載された貴族の名前に誰がいつ公爵家の傘下となったか記載されていた。

詳しく読み込むとある若い貴族がレッドグレイブ家と結びついて以降、多くの貴族が父上と懇意になっている事が分かる。

 

『ミレーヌ様が数年ぶりに私と会おうとしたのはコレが理由か』

 

ある若い貴族の名前。

リオン・フォウ・バルトファルト。

つまり私とリオンの婚約こそ公爵家が勢力を拡大させた切っ掛けだった。

それを踏まえてミレーヌ様は現在の私が王家に対し明確な叛意を持っているか為人を判別しようと考えたのだろう。

 

それはあながち間違いではない。

バルトファルト領を訪れる前に父上は地方領主や成り上がり貴族を取り込む為の政略として私とリオンの婚約を推し進めていたし、私も王都の連中を見返す為にリオンとの婚約を望んでいた。

公爵家にとっての誤算だったのは私が本当にリオンを愛してしまった事だろう。

 

……いや、私自身にとっても誤算というか、誰も予測は不可能だと思う。

婚約破棄された私を嘲笑った連中を見返してやろうと領地の経営に精を出していたらいつしかリオンとバルトファルト領に情が湧いてしまった。

同じ家で暮らしている内にそのまま好きになってしまったというか。

世話をして些か頼りなく傷付いた男に絆されてしまったというか。

リオンに迫られた時に『このままバルトファルト領に嫁ぐのも悪くないな』とか『大切にしてくれるなら抱かれるのを拒めない』と思ってしまったのだ。

 

うん、私は悪くないな。

全く悪くない。

全て強引に迫ったリオンが原因だ。

王都から帰って来たら反省の証しとして私をたっぷりと愛でるよう言わなければ。

 

取り敢えず心を落ち着かせて状況を整理しよう。

父上に政治的な野心が無いとは言い切れないが、我欲だけで王位を簒奪しようとはなさらない御人だ。

それだけホルファート王国の現状を憂慮して王家にこれ以上任せられないと思っているのだろう。

王家、いやミレーヌ様はそれを止めたい。

少なくともローランド陛下やユリウス殿下が処刑される事態は避けたい。

神殿は公爵家との結び付きを強化したいが、聖女であるオリヴィアは国内が乱れるのを良しとしていない。

各々の思惑は別にしても王国が二つに割れて内乱となるのは誰もが避けたいと願ってはいる。

 

だからと言って話し合いで解決できるほどこの問題は簡単ではない。

私はどうしたいか?これも難しい問題だ。

父上には家族としての情があるし、王家や対立派閥に苦渋を飲まされ続け叛意を抱くのは理解できる。

ミレーヌ様が王妃として、妻として、母として王国を護りたいお気持ちも分かる。

内乱によって民衆が巻き込まれるのを避けたいオリヴィアの優しさを素晴らしいとは思うが、同時に私を裏切った王都の連中に対する憎しみは私の心の何処かに今も存在してる。

そして何より、もし内乱になればバルトファルト家も巻き込まれるのは避けようが無い。

 

リオンが再び戦場に行くのを私は看過できない。

彼はもう十分に戦ってきたのだ、もう休ませて欲しい。

敬愛、母性、怨恨、愛情。

どの気持ちも本物であり、それ故に容易く判断の基準に成りえる。

そして誰かに与すれば、ある感情に従えば別の誰かが傷付く事になる。

理由が欲しい。

感情ではなく理性で判断してこれならば納得できるという理由が。

ゆっくりと呼吸をして肩を揉む。

一人で考えた所で答えは出なかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ノックする音に気付いてドアを開けると義母上が立っていた。

 

「アンジェさん、ちょっといいかしら」

「何でしょうか?」

 

義母上がわざわざ執務室を訪ねる事は少ない。

リオンが居ない今なら尚更だ。

私が領地の経営に専念するとバルトファルト家の家政が疎かになりがちなので、リオンの実母であるリュース殿が家人の指揮を執り行うという役割分担だ。

別に嫁姑仲が悪い訳ではないとは思う。

人に傅かれる事に慣れ過ぎて私自身の家事能力が著しく低いのを見せたくないだけである。

 

「お客様がいらっしゃったから客間にお通ししたわ」

「客ですか?」

 

誰かと今日面会する予定は無い筈だ。

バルトファルト領は温泉があるとはいえ領主の屋敷まで訪ねて来る中央貴族はほぼ居ない。

緊急事態が起きたのなら領民が先触れを行う手筈なので何か起きた訳ではないだろう。

 

「名前も聞かずに客間へ通したのですか?」

「怪しくは見えなかったわ。きちんと頭を下げてアンジェさんを訪ねて来てるし」

 

どうにも義母上は平民出身のせいか貴族の慣例や礼儀に疎い。

家人に混じって掃除を行ったり厨房を手伝ったりと貴族の女性がやらない家事を率先して行う。

来客が家人と勘違いした後にバルトファルト子爵の母と判明して慌てさせた事も一度や二度ではない。

当主の母にそんな事をされては家人の立場が無いのだが、強く諫めて嫁姑関係が悪化しても気まずいので最近は放置している。

 

「訪ねて来た者はどのような風貌でしたか?」

「可愛らしいお嬢さんよ」

「……私と同年代に見える女性ですか?」

「いいえ、小さくて可愛らしい金髪の子ね」

「取りあえず会ってみます」

 

どうやらミレーヌ様でもオリヴィアでもないらしい。

記憶を探って条件に合い面識がある女性がなかなか思い出せない。

王妃と聖女に会ったのはつい先日の事だ。

間違いなく公爵家関連の話だと思うと気が重くなる。

客間に続く廊下に出ると見慣れぬ金色の長髪が見えた。

廊下の中央に座り込んで何やらしている。

 

そっと近づいていくと窓から差し込む日差しとは別に微弱な光が廊下を照らしていた。

これは魔力の光だ。

つまり何らかの魔法を行使している証明である。

慌てて駆け寄ると廊下に座り込んだライオネルの膝に少女が掌を押し付けていた。

魔法の行使に集中しているのか少女は背後に立つ私に気付いていない。

ゆっくりとだがライオネルの膝に存在する赤みが消えてゆく。

治癒魔法を扱える者は非常に稀だ。

オリヴィアのように重傷レベルを治癒できる者は歴史に於いて数名確認できる程度、軽傷レベルの治癒でも重宝される。

完全にライオネルの膝から赤みが完全に消えた。

驚いた様子のライオネルとアリエルが目を輝かせて少女を見つめる。

 

「何をしている?」

「!?」

 

努めて平静に、心穏やかに尋ねたつもりだったが口から放たれた言葉の語気は荒かった。

可愛い我が子を心配する母親としては仕方あるまい。

どうにも私は初対面の相手から恐れられる。

別に威圧しているつもりは無いのだが、公爵令嬢として生まれ次期王妃として教育されてきた私は無意識に他者を圧倒するような雰囲気を醸し出しているらしい。

 

「バ、バルトファルト子爵夫人におかれましては御機嫌麗しゅう。本日はお目通りをお許しいただき恐悦至極に存じます」

「過剰な挨拶は必要ない」

 

あんまり遜られても話が進まなくなってしまう。

ここは礼節に拘るよりも相手の緊張を解いた方が良い。

少女の顔を確認すると何処か見覚えがある顔だった。

いつだったかかと私が記憶を探り続けるとライオネルとアリエルが頻りに少女の体に触っていた。

 

「あの、手を放してくれると嬉しいかな?」

 

双子に絡まれて困惑している声を聞いて漸く眼前の少女が誰か思い出す。

先日面会した聖女オリヴィアに同行していた少女だ。

神殿の女官服ではなく何処にでもあるような礼服を着ているから判別がつかなかった。

同時に嫌な予感にも襲われる。

先日の面会はあまり有意義だったとは言い難い終わり方だった。

婚約破棄された記憶を思い出してついつい責めるような口調をしてしまい、具体的な解決策を見いだせないまま終わるという惨憺たる結果に終わった。

そんな状況でオリヴィアの部下らしき少女がバルトファルト邸を訪ねて来る。

どう考えても面倒事の予感しかしない。

 

「客間に戻ろう。此処ではおちおち話も出来ん」

 

とりあえず場所の移動を提案してみると少女が困惑していた。

視線を下ろすとライオネルとアリエルが必死に少女を服を握っている。

 

「ライオネル、アリエル。お客様がご迷惑だから大人しくしなさい」

「ははうえ、いやです」

「ははうえのいじわる」

 

……どうして私の子は両親に対し辛辣なのか。

よくリオンが双子に邪険にされたと私に泣きつくが、私だって育児には苦労している。

上手く寝かしつけられず夜通し抱いた事もあるし、貴族の令息令嬢として必要最低限な躾を施そうとして嫌われるのはしょっちゅうだ。

孫に甘い義父上と義母上の方が懐いてると思うと胸が張り裂けそうになる。

まぁ、愚痴を呟くだけでは何も始まらない。

このまま客間に戻っても少女から離れようとしない双子のせいで碌な話し合いにならないだろう。

 

「庭で話そう、じきに子供達も飽きる」

 

今日の天気は穏やかだし、しばらく話し合いをすれば子供達も興味を失うだろう。

家人に連絡を済ませた後に双子を伴い庭に出る。

据え置かれたガーデンチェアに座り、少女を着席するように促す。

私の隣にガーデンチェアを一つ寄せて、庭を歩き回る二人を手招きして座らせる。

 

落ち着きが無いアリエルを私の膝の上に座らせると大人しくガーデンチェアに座っていたライオネルが不服そうな顔をした。

拗ねるライオネルの頭を撫でながら待っていると家人がガーデンテーブルの上に紅茶を注いだカップと茶菓子を盛りつけた皿を置いた。

目の前の少女を見据える、年の頃は十代後半だろうか?

私より小さな体躯は凹凸には欠けるが健康的で整っており、顔立ちも美しいではなく可愛らしいという表現がよく似合う。

 

「本日はお忙しい中お時間をいただきありがとうございます。私、神殿所属聖女見習い、及び聖女オリヴィア様付き女官を務めているマリエと申します。バルトファルト子爵夫人アンジェリカ・フォウ・バルトファルト様におかれましてはご機嫌麗しゅうございます」

 

やはりオリヴィアの側にいた少女だったか。

本来は会うつもりは毛頭無かったのが、義母上が屋敷に通してしまった以上は追い返すのも気が引ける。

オリヴィアとの話し合いは不首尾に終わったと言えるだろう。

ならばマリエが訪ねて来た理由は?

 

「面倒な社交辞令は不要だ、率直に問いたい。これはオリヴィアの差し金か?」

「いえ、私の提案です。オリヴィア様に許可を頂きましたけど」

「私に協力を求めるなら無駄な事だぞ。確かに父上は家族に対して情をお持ちだが、公爵家と天秤にかけて娘を取るような御人ではない」

「そうでしょうね。お話を聞いた限りではアンジェリカ様が婚約破棄された事よりも王家が国を治めるに値しないと冷静にご決断なされたみたいですし」

「分かってるなら私と関わる必要は無いだろう。私よりミレーヌ様の方が余程頼りになる」

「それはどうでしょう。王妃様はオリヴィア様に良い感情をお持ちではありません。殿下を誑かして道を誤らせたと内心で思ってます。出来るなら排除したいと考えても当然かと」

 

マリエ自身が感じているのか、それともオリヴィアが冷静に分析した結果か。

どちらにせよ、状況をよく見据えている。

 

「ますます何を求めて此処に来たのか分からないな。今の私は単なる地方領主の妻だ。国政を動かすには名も力も無い」

「もう宮廷に戻る気は無いんですか?」

「バルトファルト領が少しずつ発展していくのを眺めながら夫と子供達に囲まれて穏やかに暮らしたい。今の私には華やかな王都より田舎の生活が性に合ってる」

 

これは私の本心だ。

そもそもこの地の経営を任されているのは領主であるバルトファルト子爵であり妻の私ではない。

リオンと婚約する前の私は嫁ぎ先で成果を上げて王都の連中を見返してやりたいと意気込んでいたが、妻に領地経営を一任するような貴族は滅多に居ない。

女尊男卑の風潮が強いこの国に於いてすら貴族の男性は妻や娘に領地経営を一切口出しさせない者が多いのだ。

リオンが私を信頼して領地の経営を任せてくれる。

だからこそ私は王妃教育で得た知識をバルトファルト領で存分に活かせているのだ。

 

今の私にレッドグレイブ家の家名は重過ぎるし、父上の道具に戻る気も更々ない。

この地を開拓するにあたって領民達と協力するようになり、平民を単なる数字として認識していた己の傲慢さを恥じ入り少しでも人々の生活を豊かにするべく仕事に勤しむ事に喜びを感じている。

中央の政争など勝手にやってくれ、私達を巻き込むなとしか思えなかった。

視線を落とすと双子は茶菓子を食べるのに夢中だった。

食べ過ぎては夕飯に支障が出るので止めようと思うが今は話し合いが優先である。

 

「それじゃお金や地位で釣っても無駄ですね」

「公爵家から借りた資金に関しては返済の目途がついていた。公国との戦争が無ければ十年ほどで完済できた筈だったが」

 

今回の戦争では公国に勝利し多額の賠償金を支払わせ国土も没収する事が決定されている。

少しでも取り分を増やそうとリオンは王都で奮闘している筈だ。

 

「本当に内乱が起こるんでしょうかね?とてもそんな余裕があるとは思えないんですけど」

「争いは起きる時はあっさり起きる。馬鹿馬鹿しい理由で殺し合ってきたのが人の歴史だ。今回の話は双方が大真面目だからさらに始末が悪い」

 

父上もミレーヌ様も内乱が起これば王国は只では済まないのを悟っている筈だ。

だからこそ水面下で行動し互いを牽制し合う政争になっている訳だが。

いずれにしてもこの現状が続けば緊張が高まる一方だ。

空気を入れ過ぎた風船が破裂するように溜め込んだ不満や敵意がいつ陰惨な政争に移ってもおかしくない。

 

「率直にお聞きします。内乱を防ぐ為にはどうしたら良いんですか?私としてはアンジェリカ様に内乱を止める側に回って欲しいんですけど。」

「それがこの話し合いの目的か。オリヴィアが来なかったのは私の機嫌が悪くなって協力を拒まれるのを避ける為だな」

「物で釣れたら上首尾かなって思いました。昔から値段交渉は得意なんですよ私」

 

どうにも奇妙な少女だった。

狡猾なのか潔いのか判別が難しい。

正直が美徳とは限らないが、裏でコソコソと策謀を練られるより遥かにマシと言えよう。

 

「まず理由と目的と手段をはっきりさせて来い。父上は話し合いの余地があるのなら穏便に済ませようとされる御人だ。単なる理想論だけでは交渉の席にすら着いてもらえないぞ」

「理由と目的と方法ですか?」

「どうしたい、何故したいか、どのようにするかと言い換えれば良い」

 

マリエはいまいち要領を得ない顔をしている。

 

「そうだな、マリエの持っている夢や願いを言ってみろ」

「夢ですか」

「何だっていい、単なる例え話だ」

 

私に問われて思案し始めたマリエに二つの影が近づいて行く。

どうやら我が子達は茶菓子を食べ終え暇を持て余してるらしい。

そんなに私の隣と膝上は嫌か、母は悲しいぞ。

 

「学園……」

「ん?」

「学園に通いたかったなぁって。学園で勉強するのが憧れだったんですよ」

 

意外な願いに些か驚く、てっきり地位や金銭を求めると思っていたのだが。

思い返せば奇妙な少女だ。

何処となく気品を感じさせる外見なのに言動は平民その物であり、現実的な物品を取引材料にする一方でオリヴィアの理想の為に奔走している。

 

「では、その学園に通いたいと願いを目的にしよう。どうして学園に通いたい?」

「学園に入学できなかったものでして。こう見えて元貴族令嬢だったので」

 

意外な事実に驚く。

確かに学園は私の婚約破棄騒動から暫く経ってから起きた公国との戦争により休校状態だ。

現在に至るまで再開の目途は立っていない。

色々な問題を抱えていた学園ではあったが貴族令息令嬢に教育を施し社交の場として機能していたという点では有益ではあった。

 

「学園に通いたい理由は分かった。では通って何を為したい?」

「勉強したいんです。お恥ずかしい話ですが長い間独学でやってきたものでして」

「これで目的も分かった。次は方法だ。これが一番難しい。学園に通いたい。通って勉強したい。では学園を再開させるにはどうしたら良いか?学園には教師が必要だし、運営には資金が必要だ。誰に学園の必要性を訴えて何処から資金を調達しどうやって教師を集めるか?方法は無数にありどれが正解か分からない」

 

ゆっくりとガーデンテーブルに両手を下ろし指を交差させる。

 

「これを置き換えてみよう。内乱を止めるのが目的、理由は国民が犠牲になるから。ではどうやって止めるか?今のお前達に必要なのは明確な方法だ」

「それが知りたいから此処に来たんですけど」

「私を頼られても困る。先日まで何が起こっているか把握していなかったし、情勢についてはむしろそちらの方が把握しているだろう。方法が定まればやるべき事が自ずと決まる」

 

喉が渇いたのでカップの紅茶を飲み干した。

話しているうちに些か興奮してしまったらしい。

 

「もし私達がちゃんとした解決方法を用意すれば公爵様は内乱をお止めになりますか?」

「父上も無用な流血は避けたいだろう。交渉の余地はある。結果がどうなるか確実な事は言えんがね」

 

無責任に大丈夫と言えるほど父上は甘くはない。

むしろ隙を見つけたら即座に其処を攻め立てるだろう。

とにかく情報が少ない、地方領主が扱う問題として規模が違い過ぎた。

 

「少し意外だった」

「何の事でしょうか?」

「未だに学園へ通いたいという者が存在していたとは思いもよらなかった」

 

思い返すと私が在籍していた頃の学園は本当にひどい物だった。

上級貴族は下級貴族を見下し、下級貴族は平民や奴隷を虐げるのが常態化していた。

血筋だけが取り柄の無能が幅を利かし、能力はあっても地位の低い者達は耐えるしかない。

 

私とてどうこう口に出来るほど上等な人間だった訳ではなかった。

オリヴィアの存在を取るに足らない平民と見做していたし、ユリウス殿下との婚約破棄が無ければ顔はもちろん名前さえ憶えようとしなかっただろう。

全ては公国との戦争で変わってしまった。

家柄が良くても無能な臆病者は無慈悲に捨てられ、能力ある者は地位が低くとも取り立てられる。

その成り上がりの筆頭とも言える存在が臆病で面倒くさがりな我が夫のリオンなのがおかしいが。

 

「本当なら私もオリヴィア様やアンジェリカ様と一緒に学園に居たんですよ」

「一緒に?」

「アンジェリカ様、私って何歳に見えますか?」

「背が低いので十代半ばか後半に見えるな」

「本当は御二人と同い年なんですよ。こう見えて二十代です」

「なッ…!?」

 

どう見てもマリエの体躯は二十代に見えない。

成人女性としてあまりにも小さく細かった。

 

「両親が本ッッッ当にひどい人達でして。勉強はもちろん食べ物や服さえ与えくれなかったんですよ。両親が学園に通うお金に手を付けたせいで私は入学できませんでした」

「……そうか」

「ラーファン家ってご存知ですか?」

「家名は聞き覚えがある。確か子爵位だったと思うが」

 

王妃教育に於いて国内貴族の把握は基本中の基本だ。

名前ばかりで平民同然の下級貴族や人が住めないような僻地に居を構える地方領主まで家名を暗記するまで叩き込まれた。

尤も婚約破棄された後に行われた裏切り者に対する粛清や戦功によって取り立てられた下級貴族については把握しきれていない。

田舎暮らしに慣れて気が緩み過ぎていると実感する。

 

「そのラーファン家の娘が私です。と言っても戦争後にやらかしがバレて取り潰されましたけど。私を置いて逃げ出した両親は今頃なにをやってるんだか」

 

マリエがアハハと乾いた笑い声を上げる。

聞いている私はとても笑えるような話ではない。

 

「いろいろあって今は聖女付きの女官になりまして。オリヴィア様には命を救われたので御恩を返すつもりでつもりでお仕えしてます」

「戦争には参加したのか?」

「オリヴィア様は前線に行きたがりますからねぇ。簡単な治癒魔法を使えるから戦場では引っ張りだこでした」

「ありがとう、王国の為に戦ってくれて」

 

感謝の言葉を述べて頭を下げる。

公国の超大型モンスターが現れた戦場にはリオンも居た。

もしオリヴィア達があの場に居なければリオンは戦没者になっていたかもしれない。

前回の戦争では王都の公爵家の屋敷から出る事も無く、今回の戦争ではバルトファルト領でリオンの帰還を祈り続けるしか出来なかった。

結局は私も安全圏で戦況を見守るだけの卑怯者に過ぎない。

 

「ただ、つい思っちゃうんですよ。もし両親がまともで学園に通えてたらもうちょっとマシな未来が有ったんじゃないかって」

 

マリエに纏わり付く双子、その一方を見つめる。

アリエル・フォウ・バルトファルト。

私の愛しい娘で子爵令嬢。

もし、王国が公国に敗けていたら。

もし、リオンが戦で亡くなったら。

私の娘の未来はどうなったのだろうか?

もしかして目の前の女官のように苦難に満ちた人生を歩む事になるのだろうか?

平和とは誰かが血を流して創り上げた束の間の平穏だ。

尽力したのは聖女であるオリヴィアであり、神殿の女官であるマリエであり、王族であるユリウス殿下であり。

そしてバルトファルト領の主であるリオンでもある。

 

心の中が騒めいていく。

公国との戦争は上手く勝利できた。

だが、この国は今まさに内乱の兆しが見え始めている。

原因は一方は私の実の父であり、もう一方はかつて関わり合いのある人々だ。

 

そしてどちらが勝つにせよ、私は結果から逃げるのは難しい。

公爵家が勝ち王位を簒奪すれば王の血族として否応なしに王都に呼び出されるだろう。

王家が勝ち公爵家を処罰すれば叛逆者の血縁として非難を浴びるだろう。

どちらにせよ無関係でいられる筈はない。

我が子の未来をより良くする為、夫の命を護る為に私に出来る何かが在るのでは。

 

「話は分かった。すまないが今のままでは協力は出来ない」

「そうですね、無理なお願いをしてアンジェリカ様にご迷惑をおかけしました」

 

何処か悲しそうな表情を浮かべ席を立つマリエ。

双子が訝しげにその顔を見つめていた。

 

「ああ、そう言えばファンオース公国との戦争で我がバルトファルト領も領民が幾人か亡くなってしまってな」

 

話題を逸らすように言葉を吐き出す。

 

「戦没者を悼む為の催しを近々執り行う予定だ。その際には是非とも神殿から聖女様の祝福を賜りたい」

 

怪訝な顔をしていたマリエが言葉の意味を理解して表情を変えていく。

 

「つまり、オリヴィア様と話合いの場を用意すると考えて良いんですか?」

「さぁ?催しが終わった後に聖女様と領主が何を話すのかまで私には分からん」

 

そう嘯いて席を立ち双子を抱き寄せた。

 

「分かりました、オリヴィア様にお伝えいたします」

「急いだ方が良い。方法を見つけ出しても手遅れになっては意味が無い」

 

そうして足早に庭から去って行くマリエの背が小さくなるまで双子と共に見送る。

 

「「ははうえ」」

「どうした?」

「いたい」

「はなして」

 

双子を抱き締める腕に力が籠っていたらしい。

手を放して双子の頭を撫でる。

幼児特有の柔らかい髪と潤った肌の感触が心地良い。

自分の判断が正しいのか分からない。

夫と我が子の為に実の父を裏切ったと面罵されても仕方ない行いをした。

父上が此処に至るまでの道のりを慮ると愚かな選択をしたと今から後悔が押し寄せる。

それでもこの国の未来を案じて行動するしかない。

賽は投げられた。

後戻りは出来ない。

 

「リオンに会いたい」

 

リオンが此処に居ないだけで闇夜を一人で歩くように不安になる。

いつも私を抱いて寝る彼の温もりが恋しかった。




バルトファルト領・アンジェ編は今章がラストです。
次章より王都・リオン編がスタートします。
母親になったアンジェがミレーヌの立場に共感したり、マリエの境遇を我が子に投影して公爵家との板挟みに悩む展開は新章を書く当初から予定していました。
リオンの爵位とマリエの実家の爵位が同じ子爵なので娘の未来に対し不安に陥る理由として妥当かなと思っています。
子供達に好かれるマリエはスピンオフの『乙女ゲー幼稚園はモブに厳しい幼稚園です』が元ネタです。
非転生者マリエは転生者マリエほど銭ゲバで玉の輿狙いじゃありません。

追記:依頼主様のおかげで柳(YOO) Tenchi様とDepo様といち様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
柳(YOO) Tenchi様 https://www.pixiv.net/artworks/110030179
Depo様 https://www.pixiv.net/artworks/110031275(成人向け注意)
いち様 https://skeb.jp/@itinoe89/works/1

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第24章 Nostalgia

帰りてぇ。

家へ帰って風呂に入って嫁を抱いてベッドで寝てぇ。

頭の中はそれでいっぱいだ。

……いや、それがマズいのは理解してる。

俺だって領主としてそれなりにやってきたんだ。

貴族に取って社交や夜会が重要なのは骨身に染みるぐらいに味わった。

それでも慣れない、いつまで経っても慣れない。

そもそも爵位持ち貴族として最下層の男爵家に生まれて跡継ぎになる予定もなかった俺を一足飛びに子爵にする方がおかしいんだよ。

爵位とか要らない、金を貰った方が後腐れなくて百倍楽。

こっちが金払っても良いから誰かこの爵位引き受けてくんねぇかな。

 

でも公爵家から嫁貰っちゃったしなぁ。

子供も三人目が出来ちゃったしなぁ。

本ッ当に俺にはもったいない良い嫁なんだ。

まだ小っちゃい子供達も嫁に似て可愛いし。

あんまり俺に懐いてないのはこの際横に置いとく。

自分が親になって初めて父さんの偉大さを思い知ったよ。

王都の土産になんか美味いもん買って帰ろう。

俺の行動で嫁と、子供と、家族と、領民が危険に晒される。

頑張るしかないかぁ。

 

地味で優しいおっぱいの大きな女の子と恋愛結婚して子供達に囲まれてささやかだけど幸せな家庭を持つ筈だったのに。

美人で有能なおっぱいの大きな貴族令嬢と政略結婚して子供達と離れ離れで領地経営や軍役で苦労するとか聞いてない。

嫁と子供達に不満は無いけどさ。

いつになったら好きな時に畑を耕して疲れたら温泉に入ってゆったり寛げるような隠居生活を送れるんだよ俺は。

貴族になんてなるもんじゃない。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ワインは極上、つまみの料理は美食珍味、使ってる食器も最高級。

美味いのは確かなのに味気なく感じるのは俺の舌が狂ってるからじゃない。

一緒に飲んでる相手が原因だ。

ヴィンス・ラファ・レッドグレイブ。

そしてギルバート・ラファ・レッドグレイブ。

公爵家の当主と嫡男。

どう考えても男爵家の次男坊と酒を酌み交わすような人達に見えない。

子爵という地位を貰った今でも気軽に会える方がおかしい身分差だ。

空気が鉛みたい重い。

せめて無礼講できるなら気が楽なんだけど、俺から話しかけるのは無礼だから口を閉じるしかない。

 

やっぱアンジェに同行してもらうべきだった。

アンジェなら実の娘で妹だから自然体で接してくれただろう。

俺と公爵の関係は義父と娘婿というより上司と部下に限りなく近い。

それでも俺に対しての物腰がだいぶ柔らかいってのがアンジェの評価。

この気難しい態度がフレンドリーとかどんだけ普段は怖いんだよと泣きたくなった。

 

王都に来てからずっと公爵家が絡んでくる。

戦争の報告と費用請求の為に来たのにそれ以外の催しにさんざん付き合わされた。

資料を提出して認可を受けるだけなら一日で済む筈なのに、公国と戦った貴族が大挙して報告に来たから今の王都は大賑わいだ。

毎日のように夜会が催され公爵が招かれたら俺も付き合わされる。

憶えきれないぐらいに各家の当主を紹介されて引き攣った顔で応対する。

どう計算しても仕事より夜会に参加してる時間が長い。

これでも公爵が便宜を図ってくれたから十日も経たずバルトファルト領に帰れる。

王都を訪ねた貴族には一ヶ月近く滞在してもまだ認可を貰えない奴も多い。

 

あぁ、帰りてぇ。

家へ帰って風呂に入って嫁を抱いてベッドで寝てぇ。

頼むから会話だけでもして欲しい。

野郎三人が黙々と酒飲んでるとか身内の葬式よりも空気が重い。

貴族しか参加できない夜会とは違うつらさが俺を苦しめる。

 

「バルトファルト卿」

 

重々しく公爵が口を開く、やっぱ怖いわこの人。

 

「身内だけの宴席だ、君の昇進祝いも兼ねている。飲みたまえ」

 

素直に飲めるならもう既に飲んでます公爵。

身内って言っても俺以外は公爵家の男しかいないじゃん。

勧められたワインをちびりちびりと舐めるように口に含む。

元々あまり強くないし酔って不手際をやらかし公爵の機嫌を損ねる方がマズい。

 

「今回の論功行賞で卿の陞爵はほぼ確実となった。階位についても四位のいずれかを賜る事になる」

「閣下、やっぱり私のような若輩者にその地位は相応しくないと思うんですが……」

「これまでの働きを鑑みればそれだけの働きを君はしている。寧ろ前の戦争の時点で伯爵位を叙爵してもおかしくはなかった」

 

ギルバート義兄さんまで会話に加わってきた。

こうなるともう俺に発言できる機会は回ってこない。

 

「指揮官が逃亡した状況下で部隊を纏め上げ敵司令官を討ち取る。君の活躍で王国は国土の一部を失わずに済んだ。むしろ理由を付けて叙爵を低く見積もった王家が悪い」

「あの頃より宮廷は随分と風通しが良くなった。溜まった澱が流され始め少しは頭の血が行き渡り始めたらしい。必要なモノ( ・・)と不必要なモノ( ・・)を取捨選択できる程度に宮廷も自浄作用があるようだ」

 

公爵はワインの注がれたグラスを掲げ空を睨む。

赤色の酒がまるで傷から滴り落ちる血に見てるのは気のせいだと思いたい。

 

「今回の働きに関してもそうだ。部隊の損耗を限りなく減らし数ヶ月も戦線を維持し続ける。どうやら君は攻勢だけでなく守勢も上手いらしい」

「単に私が臆病なだけです。公国軍を退ける力が無いんで犠牲を出したくなかったので。今回の戦争では敵将を討ち取ってませんし」

「その言葉は戦力があれば公国軍を退けられたようにも聞こえるな」

 

何でだよ、どんな耳してたらそんな風に聞こえるんだ。

そもそも二十歳を超えたばっかの若造を部隊指揮官に据えるなよ。

おまけに部隊に配属された貴族や騎士は名門出身だったり俺より軍歴が長かったぞ。

とにかく恨まれたくないから必死で犠牲を出さないように頑張った。

少ない戦力を一つに纏めて敵を深追いせずガチガチに固めた防衛線をひたすら死守。

部下達との仲介役になった兄さんは過労で何度も倒れたし、俺だって胃薬と睡眠薬が手放させなかった。

また軍役を要求されたら金払ってでも拒否してやる。

 

「君の部隊が最も損耗が少ない。前の戦争で多くの家が当主や嫡子を失い今も苦しんでいる事態を踏まえれば戦死者を減らしたのは評価に値する功績にあたる」

「その結果、卿に恩義を感じた家々が陞爵を推挙した。むしろ十分な恩賞を卿に与えなければ他の者の恩賞が値切られかねん。大人しく受け取りたまえ」

 

嬉しくねぇ、全然嬉しくねぇ。

推挙したの誰だよ?

こんな感謝の気持ちより金とか食料を貰った方が数倍嬉しいんだけど。

 

「推挙した者の中には娘や姉妹を是非とも娶って欲しいと言う者すら居る。地方領主から宮廷貴族まで選り取り見取りだ」

「卿は些か血気盛んらしいな。仲睦まじいのは大いに結構だが慎みも覚えたまえ」

「……」

 

遠回しに夫婦生活を控えろと注意された。

いや、結婚して即妊娠はどう見ても婚約期間中からヤッてるようにしか見えないけどさ。

自分でも結婚して三年で子供が三人は多いと思ってるけどさ。

これは仕方のない事なんです。

アンジェは気が強いように見えるけど本当は臆病なんです。

ちょっと夜の営みを控えると『もう私に飽きたのか?』と凄く悲しそうな顔をするんです。

少しでも俺に喜んでくれるように尽くしてくれるんです。

普段は完璧な美女が夜の間だけ可愛らしく俺に奉仕してくれる。

どんな恥ずかしいプレイだってしてくれる。

寧ろ積極的に求めてるのはアンジェの方だと思うんだ。

あんな綺麗な嫁に迫られたら拒める男は存在しないって。

 

うん、俺は悪くない。

全く悪くない。

全部アンジェが可愛くて俺に夢中なのが悪いんだ。

バルトファルト領に戻ったらアンジェを抱き締めたまま朝まで寝よう。

 

「戦争の影響で貴族同士の婚姻にも変化が生じている。男の数に対し女が余っているのが現状だ。下級貴族の令息を軽んじていた令嬢が頭を下げ支度金を払い婿入りを願うなど数年前は考えられない光景が其処彼処で見られる」

「実力がある男なら複数の妻を娶るのも常識に成りつつある。妻が一人だけでは手の届かない場所もあるだろう」

 

何やら雲行きが怪しい、どう考えても碌な話になりそうにない。

 

「出世頭のバルトファルト家と懇意になりたい家は数多い。我がレッドグレイブ家は勿論、ローズブレイド家やアトリー家といった名家も同じ思惑を持っている」

「卿が望むなら喜んで娘を差し出すだろうな。アンジェは元々王家に嫁ぐ教育を施された。夫が側室を持つぐらいは許」

「必要ありません」

 

聞き終える前に公爵の言葉を遮っていた。

思わず口から出た言葉の意味を理解するまで数秒、理解した後にしくじりを悟り心の中で舌打ちをした。

アンジェ以外の女と結婚しろ?

ごめんだね。

ろくでもない人生だけどアンジェが俺に惚れてくれただけで十分にお釣りがくる。

顔の傷痕もアンジェに出会うまでの虫除けだと思えばそう悪くはない。

だからもう、この話題は終わりだ。

滲み出た怒気のせいで室内にさっきよりも重苦しい空気が漂い始める。

どうにも俺は家族に関わる事になると抑えが効かない。

 

「……さすがに結婚して三年で側室を持つのはいかがなものかと思います。兄は未だ婚約者も決まっていないのに私だけ何人も妻を娶るのは外聞がよくありません」

 

何とか理由を捻り出して全力で拒否する。

確かに正当な理由があるならアンジェは頷くだろうさ。

でも泣く、絶対に泣く。

しかも俺が悪いと怒るんじゃなくて自分に至らない所があるって思い込む。

俺の看病が上手く出来ない時とか家事が下手なのを自覚した時は物凄く落ち込んでた。

下手すると『私はリオンの妻に相応しくない』と離縁してレッドグレイブ家に戻りかねない。

 

アンジェじゃないと俺はダメ。

能力とか家同士の繋がりとか関係ない。

俺の嫁はどんな美女でも、どんな才女でもダメだ。

俺の幸せにはアンジェが必要だ。

 

「ふむ、兄君は未婚だったな。有能な男が独り身なのは確かに外聞が悪い」

「政情が不安定では婚姻どころか婚約も覚束ないが、公国を下した今なら良縁も見込めるだろう」

 

……なんか俺の思惑が明後日の方に向いている。

もしかして兄さんが標的にされたか?

ま、まぁ俺が妻子持ちなのに兄さんが独り身ってのはマズいのは事実だし。

とりあえず心の中で謝っておこう。

あと姉貴とフィンリーはもう少しまともにならないと嫁き遅れ確定だから頑張れ。

 

「しっかり務めを果たしたまえ。卿が軽率な行動を取ればバルトファルト家に関わる者全てが誹謗中傷に晒される」

「肝に銘じます」

 

やっぱ公爵の言葉を遮ったのはマズかった。

なんでお偉い方々は自分の言いたい事だけ言って相手の話は聞かない連中が多いんだろうな。

対等の存在に思ってるのは王族と上級貴族だけで俺みたいな家督を継ぐ予定すらなかった奴なんて地べたを這う虫けら同然だ。

どうして評判が悪かったとは言え次期王妃だったアンジェを俺なんかに嫁がせたのか。

高貴な方々の思考はよく分かりません。

 

「アンジェも王都を離れて慣れない辺境で苦労しているだろう。土産を用意したから持って行きたまえ」

「お心遣いに感謝します閣下」

 

ギルバートさんが手を叩くとメイドが室内に入って来た。

 

「コーデリア、馬車の用意を。バルトファルト卿に渡す土産を積み込むよう命じておけ」

「かしこまりました」

 

立ち去ったメイドを追うように席を立つ。

 

「今後の活躍に期待しよう。くれぐれも娘を後悔させるような真似はしてくれるな」

 

それだけは嫌だ。

アンジェに俺の情けない部分を散々見せて来たけど見限られるのは御免蒙りたい。

 

「ギルバート、玄関まで送って差し上げろ」

「分かりました」

 

ギルバートさんが見送るとなると公爵邸を出るまで気が抜けない。

拒否する訳にもいかないし、溜め息を吐いたら見咎められる。

上級貴族ってのはこんな緊張しっぱなしの生活を送ってるのか。

つくづく俺とは違う世界に生きている。

 

「すまんな、少々父上の言葉が過ぎた」

 

高そうな絨毯が敷き詰められた廊下を歩いている最中にギルバートさんに謝られた。

 

「ああ見えて父上は君に大層期待している。アンジェについても気を遣ってるつもりだ」

「はぁ……」

 

それはそれで気が重い。

俺はどこまで行っても凡人なんですよ。

たまたま運良く戦場で生き残り、たまたま運良く公爵家の令嬢を嫁に出来ただけの半死人。

むしろ今の俺は出涸らしの紅茶みたいなもんです。

だからさっさと隠居させてください。

 

「また王都に来た時は子供達も連れて来なさい。孫達に囲まれれば父上もお喜びになる」

 

あの鉄面皮な公爵が孫に対して甘くなる姿を想像できない。

どう見ても冷静沈着に政治の駒として使いそうだよ。

アンジェと王子の婚約破棄の顛末を聞いて以来、俺は政略結婚に否定的だ。

俺とアンジェも政略結婚だけどたまたま相性が良かっただけ。

せめて子供達には仲良く出来る相手と結婚して欲しい。

 

「それじゃ失礼します」

 

玄関に辿り着くと装飾過多な馬車が待機していた。

これ一台でうちの馬車が何台賄えるだろ?

どうにも王都の雰囲気も公爵家の厳かさは俺の性に合わない。

そんな生活も今日で終わりだ、明日には漸くバルトファルト領に帰れる。

馬車に乗り込んだ瞬間、緊張が途切れた俺は座席の上に寝転んだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「彼は帰ったか?」

「ええ、滞りなく」

 

酒を呷る者が一人減った室内に言葉に屋敷の主の声が重々しく響き渡る。

その声色は部屋を去った若者に掛けた声色と何ら変わらない。

リオンが抱いた印象は決して的外れではない。

今や王国に所属する貴族の三分の一はレッドグレイブ公爵の傘下となった。

このまま順調に事が進めば王家を凌ぐ支持を得られるだろう。

それは一つの王朝の滅亡であり、同時に一つの王朝の勃興を意味する。

生と死は決して対極の存在ではない。

死せる骸は朽ちてその肉と骨は大地を肥やし新たな生命の萌芽へと変じる。

生命は流転する、旧世界の終焉は即ち新世界の創造。

 

「相も変わらずおかしな男だ。才能の割に小心で覇気に欠ける。彼が本当に英雄と称されるほどの男か目を疑いたくなる」

「ですが武功は確かです。むしろバルトファルト家はこれまで冒険者として目立った実績を上げた者は居ません。領地経営と戦功のみで貴族位を保っていた家系なのは調査の明らかかと」

 

怯えるように酒を舐めて此方を見ていた若者。

どう見ても部隊の指揮官としての器を備えているようには見えない挙動だった。

しかし、彼と戦場を共にした者達は口を揃えて同じ発言をする。

 

『バルトファルト卿は英雄である』

 

証言する者達に身分の差が無ければ一笑に付す事も出来ただろう。

名門貴族の子息も貧民窟出身の古兵も同じ印象を抱くのだから認めざるえない。

何より先程の会話の途中で放たれた怒気。

側室か妾を持つ事を勧めた瞬間、場の空気が緊張で一気に硬直した。

確かにあの男は英雄たる資質を備えているのだろう。

本人が無自覚なのか、それとも故意に隠しているかは不明だが。

 

「父上にお聞きします。彼の存在はそれほどまでに重要なのですか?」

「重要だとも。本人が知っていようが知っていまいがバルトファルトの家名にはそれだけの価値がある」

 

レッドグレイブ家はホルファート王家の分家として生まれその起源は元をたどれば同一だ。

王家に変事があった場合に於いて国を差配できるように王位継承権を持つ。

故に断片的ながらも王家の秘奥についてもある程度の情報が代々の当主に継承されてきた。

王家が所有するロストアイテムの大型艦然り、学園の創設理由然り、初代国王の暗部然り。

ホルファート王国が誕生した瞬間に生まれた闇についても公爵家は概ね把握してきた。

 

「バルトファルト家の開祖は国祖達と共にホルファート王朝の建立に尽力した。貢献の度合いについてはバルトファルトの功績は初代国王を凌ぐ程とも記録されている」

「それほどの実績がありながら辺境で平民同然の扱いを受けていたと」

「大方その力を恐れて初代国王が手を回したのだろう。国を興した王が真っ先に行うのは功臣の粛清だよ。いや、寧ろ悪臣が主に叛逆したのかもしれん」

 

生徒に歴史を教えに講師のように何処か愉快気な口調で語り出す公爵。

その口から語られるのは王朝の正当性を揺るがしかねない内容であった。

 

「辺境に追いやられた初代バルトファルト卿が如何なる人物であったにせよ、その功績は簒奪され王座に就いたのはホルファート王家の始祖だ。以後、王家はバルトファルト家に対し報いる事なくのうのうと権力を握り続けた。王家を弾劾するには有効な手札の一つとなりえる」

「だから彼にアンジェを嫁がせたのですか?」

「そうでなければ手柄を立てたとはいえ子爵位の若造に公爵家が娘を差し出すと思うのか。彼個人の能力は確かに秀でてはいるが代わりが居ない程ではない」

 

差し出された娘がその言葉を聞いたなら怒りを露わにするような内容だった。

自らが政争の道具とされた怒りではなく、愛する夫を侮辱された怒りであろうが。

 

「尤もアンジェを慮ったのも嘘ではない。あの頃のアンジェには心の平穏が必要だった。まさかあれ程までに惚れ込むとは思わなんだ」

「アンジェと相性が良いのが王位継承者ではなく平民同然だった成り上がり者とは誰も思いませんよ」

「分からん。我が娘ながら男の好みがまるで分からん。或いはそれ程までにアンジェを惹き付ける何かをバルトファルト卿が持っているのか」

 

父と兄が首を傾げるが答えは永久に出ないであろう。

人が知性を得た後に己でさえ抑えきれない慕情に狂わされ多くの物語や詩や曲が生まれたのだから。

理性で制御できず道理で納得できるほど愛という存在は弱くはない。

人は誰しも愛に狂い溺れる可能性を秘めている。

 

「せいぜい家名を利用できる程度の輩だと思っていたが、領地の経営や今回の戦争で名声を高めたのは嬉しい誤算だったな」

「彼本人は困惑していました。父上が裏から手を回した結果では?」

「一を二や三に増やすのは容易だが無から有を産み出すのは困難だ。国の危機に嘗て追放された英雄の末裔が馳せ参じる。因果という物は我等の予想を超え皮肉な結果を齎す」

「王家が気付いている可能性は無いのですか?」

「婚約の届け出をした際に王家からは何も言われなかった。気付いて何もしないなら国を統べる器に非ず。気付きもしないなら度を超えた愚者だ」

 

吐き捨てるように呟く公爵。

その言葉から侮蔑と嫌悪がありありと聞き取れる。

 

「王のやる気が無いのなら他国から優れた女傑を娶らせれば少しは真っ当な王子が生まれると思ったがアレは論外だ。陛下も酷いが殿下はそれ以下の愚物。そのくせ腕っぷしだけは人並み以上に優れているから始末が悪い」

「だから私を聖女殿と婚姻させるのですか?」

「……そうだ。救国の聖女にすら見捨てられ建国の闇を晒されたホルファート王家に人心を統べる資格は無い。力尽くで王位を簒奪しては後々の禍根となる。必要なのは人々を納得させる物語だ」

 

息子が放つ父を咎めるような発言に言葉を詰まらせながらも答える。

それでも目を逸らさずに息子を見つめる。

何時の世も王位を巡る争いは暗く血と臓物の臭いに満ちている。

 

「バルトファルト卿に側室を勧めたのは其方の罪悪感を和らげる為だ。要らぬ発言だったのは私の失態であった。すまぬギルバート」

「いえ……」

「王族に生まれただけの愚物に子の子が、孫の孫が傅く未来が待ち受けるなど私は許容できぬ。史書にて簒奪者と誹られようと主君と戦う道を選ぶ」

「父上の御覚悟は理解できます。ですが親が血塗られた道を歩もうとするのを止めるのも親孝行かと」

「全ての罪業は私が墓に持って行く。お前は浄化された新しい王国の礎となれ」

「王家の者を全て弑するおつもりなのですか?」

「素直に退いてくれるなら命までは奪わぬ」

「もし退かぬのなら?」

「十に満たぬ命で数十万の命が救われる。選ぶならより多き方だ」

 

答えた後にグラスに注がれたワインを一気に呷る。

息子を見つめる父の瞳は優し気な光を湛えていた。

国を想うが故に乱を起こす、子を護る為に誰かの子を殺める。

その矛盾を彼らは気付いているのだろうか。

人の心は複雑怪奇、裏と表が繋がり善も悪も存在しない。

世界はどこまでも非情で残酷、そしてどこまでも寛容で優しかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

眠れねぇ。

ベッドに入ってから数時間が経ったと思うのに一向に睡魔が訪れない。

時計の針を見るとまだ一時間も経ってない。

原因は分かりきってる、公爵とのやり取りが原因だ。

しくじった、確実にしくじった。

父親と娘婿の仲が悪いなんてありふれた話だけど、うちの場合が政治が絡んでくるからややこしい。

あの公爵邸の贅沢さに比べたら碌にドレスも宝石も新調してやれない俺は公爵から見れば情けない婿なんだろう。

 

溜め息を吐いてベッドから降りた。

明日には領地へ帰還する、つまり今夜が王都に留まる最後の夜だ。

少しぐらい羽を伸ばしても罰は当たらないだろ。

部屋から一歩出ると非常灯だけが光る飛行船の殺風景な廊下に出る。

王都に滞在する時は専ら飛行船のゲストルームで寝泊まりするのが習慣になってる。

だって王都の貴族御用達のホテルって宿泊費が馬鹿にならねえんだぞ。

じゃあ屋敷を購入したら良いじゃんと言われるけどそんな金は今のバルトファルト領にはない。

公国との戦争から没落したり取り潰された貴族の屋敷が売り出されてるけど物色する暇なんて俺にはない。

 

かと言って公爵家の世話になるのも気が引ける、

公爵邸で寝泊まりする?

ストレスで病気なりそうだから嫌です。

結局は所有する飛行船に寝泊まりするのが金もかからず気楽なんだ。

つくづく俺は贅沢が無理な体質らしい。

飛行船の中は人の気配を感じず気味が悪い程に静かだった。

同行してる寄子の騎士と搭乗員達は交代で飛行船を管理してる。

最後の夜ぐらいは王都を満喫するのに目を瞑るぐらいの度量は俺にだってある。

王都に同行してくれた兄さんは今夜も夜会に繰り出して婚活に勤しんでる。

公爵家から縁談を打診されたと言ったら怒るかな?

いや、兄を心配するのはデキた弟の義務だ。

公爵の紹介ならよほどひどい令嬢を紹介されはしない筈だ。

忘れよう、嫌な事は全部忘れよう。

 

取り敢えず近くの酒場で酒とつまみを楽しもう。

二日酔いで甲板にゲロを吐くまで飲まなきゃ大丈夫だろ。

そう思って控室に向かう。

寝間着を脱いで備え付けの作業服に着替えたら何処から見ても冴えない作業員の完成だ。

どうして俺みたいな風采の上がらない傷持ちが貴族なんだか。

護身用に内ポケットへ収納できるナイフを一本忍ばせる。

手に馴染んだ軍用ナイフはデカ過ぎて懐に隠せないし、拳銃は殺傷力が高過ぎる。

戦争が終わったのに暴力沙汰はごめんだ。

警備に居残ってる奴らに声をかけて気を遣わせるのも面倒だし。

何処に行っても側に誰か控えているような日々にはウンザリしてた。

 

誰にも見つからずに外出するだけなのにワクワクしてきたぞ。

温くて雑な味の安い酒、やたら味が濃くて何の動物のどの箇所か分からないような肉料理、見た目が悪く味もそこそこな雑魚、煮るか焼くか蒸かしただけの芋。

そういう安酒場の雑な料理で良いんだ。

美味い料理だけだと逆に心が貧しくなる。

さっさと一杯飲んで帰って来よう。

明日の帰還中は船室で寝続けて屋敷に戻ったら子供達を抱き締めて寝室でアンジェのおっぱいに顔を埋めて甘えよう。

そんな馬鹿げた妄想をしつつ俺は飛行船を折りて夜の街に躍り出た。




新章リオン王都編開幕。
と言ってもいきなり帰郷する前日ですが。(おい
公爵家がリオンの愛人に勧めてる相手は原作を読んでいただければお分かりになるかと。
ルクシオンが存在せず転生者でもないリオンが嫁の実家に翻弄されてしまうのは仕方ありません。
嫁や家族を侮辱されたらキレるのは原作との共通部分です。
リオンの惚気はもう少しあったのですが嫁の事しか頭に無い危ない男に見えたので少々カット。
明日は原作12巻とマリエルート2巻の発売日。
しっかり備えて読破予定。

追記:依頼主様のリクエストでつくだ煮。様に挿し絵イラストを描いていただきました。ありがとうございます。
つくだ煮。様 https://skeb.jp/@ore624/works/22

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第25章 外道騎士

原作12巻&マリエルート2巻が発売された記念にちょっとした記念SSを書きます。
その内容についてアンケートを取るので、よろしければご協力してもらえたら嬉しいです。(アンケートは終了しました


まだ夜も更けていない王都の街は活気に満ちている。

酒場からは食い物の香ばしい匂いが漂って来るし、娼館の客引きのおっさんは道行く男に見境なく声をかけまくる。

 

「そこのお兄さん!良い娘いますよ!」

 

俺を無理やり店へ引きずり込もうとするおっさんを軽く振り払って街を歩く。

生憎と明日は領地に戻ってアンジェを抱いて寝る予定だ。

田舎のバルトファルト領の街並みとは人間の密度も活気も違い過ぎる。

尤も数ヶ月前まで公国との戦争で王都でも戒厳令が敷かれたらしい。

その損失を埋める為に商魂逞しい連中は夜遅くまで働いている。

とりあえず適当な店を探そう。

冷やかすように開いてる店をいくつか見て回る。

何軒か覗いた後に一際美味そうな匂いが鼻を刺激した。

小さな店だが肉が焼ける音とソースが焦げる匂いが食欲をそそる。

腹も減ってるしこの店に決めた。

即断即決は戦場に於いて重要な指揮官の条件だしな。

店に入ると入口から見える小さな厨房で気難しそうな爺さんと若い男がせわしなく働いていた。

椅子に座ると若い女の子が近づいて来た。

 

「ご注文は?」

 

壁を見るとにいろんな料理の名前が書かれてる紙の値札が所狭しと貼られていた。

初めて来た店で美味い食い物を選べないと精神にデカいダメージを負うから慎重に選ばないと。

 

「エール。あとお薦めの料理は?」

「串焼きですね」

「じゃあ適当に何本か見繕ってくれ」

「わかりました」

 

注文を聞き届けた給仕の女の子が俺の近くから去るのを見届け店内を観察する。

小さい店だけどそこそこ繁盛してるみたいでいろんな年代の男達が和気藹々と食事と酒を楽しんでる。

注文を聞いた女の子がエールを運んできた。

木製のジョッキになみなみと注がれたエールを見て少し後悔する。

酒飲みが集まる酒場じゃ量を多めに出すのはよくある事だった。

適量の酒を出される貴族の宴会に思いの外慣れていたらしい。

 

思えば幼い頃に父さんが酒場に連れて行った時と軍の先輩や同僚に誘われた時以外に酒場に入った記憶が無い。

軍の給料日になると上司や先輩に詰所近くの酒場へよく誘われた。

迷惑に思いつつも付き合って酒の味を覚えたり、いろんな裏事情を教えてもらったのが懐かしい。

十代前半のガキがいきなり徴兵検査を受けるなんてよほど切羽詰まった事情だと少し考えたら分かる。

とにかく金を稼いで自由を手に入れたかったから暇があれば本を読んだり自主鍛錬を繰り返してた。

 

そんな俺を見かねて飯を奢ってくれたり、世話をしてくれたんだろう。

思い返せば良い上司と良い先輩達だった。

そんな良い奴らも公国との戦争でみんな死んだ。

俺に友達が居たのはガキの頃の王国軍に所属してる頃だけだ。

同年代の貴族は表面上の付き合いがあるけど友人とは言えない。

友人が一人も居ない現状に少し落ち込む。

時々どうして強くて軍歴が長い奴らが死んで俺が生き延びたか不思議に思う。

目端が利いて何となく危険を察知したから、実は自分が思っている以上に優秀だった、単に幸運だった。

 

考えても答えは出ない。

田舎の貧乏貴族の家に生まれた家督も継げない次男坊がもうすぐ伯爵になる。

幼い頃に聞いた英雄物語みたいだけど俺自身にその自覚はない。

必死に生きて必死に戦ったらなんか生き残って爵位を貰って綺麗な嫁と結婚して子供ができた。

二十年弱の俺の人生でこの五年が波乱万丈過ぎだ。

 

「は~い、こちら串焼きで~す」

 

給仕の女の子が皿に盛られた料理を持って来た。

肉やら野菜が食べるのにちょうど良い大きさに切られソースを塗られ香辛料を塗された焼きたての串焼きは見てるだけで美味そうだ。

豪快に齧ると溢れた肉汁と甘辛いソースとピリッとした香辛料が口の中で混じり合う。

 

美味い。

最初の肉を食べ終えてエールを飲む。

口の中が洗い流されて次の串に刺されいるのは野菜にかぶりつく。

焙られた野菜は柔らかく齧ると野菜の味を含んだ水が口の中に溢れる。

そして次にエールを飲む。

串焼きとエールを交互に味わい、串焼きを食べきる頃にはジョッキも空になっていた。

まだ胃に余裕はあるけどこの辺りが引き際だ。

喰い過ぎ飲み過ぎで体調を壊したくないし、俺が居ない事に気付いた船員達が騒ぎ出す前に帰らないと。

 

会計を済ませて店を出る。

少し多めに支払って釣り銭は受け取らない。

王都に来た時の楽しみが一つ増えた。

やっぱり俺はお高くとまった貴族様になれやしない。

公爵家のフルコース料理より小さな店の串焼きとエールで満足するどこまでも平々凡々な平民だよ。

腹が満たされて酔いが回ったせいでようやく眠気が来た。

このまま飛行船に戻って布団に潜ればぐっすり眠れる。

さよなら王都、次に来るのは領地の定期報告にだろうな。

次来た時もあの店に寄ろう。

そんな事を考えながら空港へ向かう道を満ち足りた気分で歩き始めた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

気配に気づいたのは大通りを抜けて裏路地に入った辺りだ。

道を歩く人が減って街灯も少ない路地に入ると後ろからかすかな足音が聞こえた。

まぁバルトファルト領と違い王都は人が多いからそんな偶然もあるかなと足を止める。

するとその足音もすぐ止まる。

歩き始める、また足音が聞こえる。

酔って幻聴が聞こえるのかと自分の頭を疑ったがどうも違う。

気付かれないぐらいに少しずつ歩幅を拡げて速度を上げると足音にズレが出た。

追跡者は二人以上、足音を出す歩法をしてるから暗殺者の類じゃない。

物盗りにしては足音が規則正し過ぎる、つまり何らかの訓練を受けた相手の可能性が高い。

 

思わず溜め息が零れ出た。

面倒事に巻き込まれた可能性が凄く高い。

夜の外出は控えるべきだったかと一瞬思ったけど、飛行船で寝ていたら出入り口を抑えられ逃げ場が無いまま襲われていた可能性は否定できない。

飛行船に戻って船員や騎士を武装させて応戦するのが一番だけど、もし爆弾でも仕掛けられてたら自分から棺桶に足を突っ込みかねない。

何気なく立ち止まり靴紐を結び直すふりをしてしゃがむと足音が再び止まった。

 

やっぱり目的は俺らしい。

そっと上着のボタンを外し懐に右手を入れる。

ゆっくり右手を動かして上着の内ポケットに忍ばせたナイフの存在を確認する。

立ち上がって身繕いをしてるように装いながらナイフの留め具を外した。

再び歩き始める、今度は動きを緩慢にして速度を気付かれない程度に遅くする。

上着のボタンを一つずつ外しながら相手の素性を考える。

 

公爵と争ってる貴族連中?

俺への嫌がらせ、公爵への牽制としちゃいくら何でも強硬手段が過ぎる。

近頃の公爵家は王家に匹敵するぐらいの力を持ちつつあるらしい。

もし俺に何かあったら公爵は徹底的に調べて犯人を捕まえるだろう。

憐れな犯人は捨て駒として切り捨てられて公爵家は大義名分を手に入れる。

 

俺を成り上がり者と嫌ってる公爵家の派閥でも古参の奴ら?

公爵に尻尾を振るだけの奴が俺に喧嘩を売る度胸があるとは思えない。

夜会とかで俺に睨まれただけでビビるヘタレだぞあのオッサン共。

 

公国で俺を恨んでる奴?

たぶんこれが一番可能性高い。

そもそも一兵卒だった俺が出世した前の戦争の時点で俺を殺したい奴は多いだろう。

あの奇襲が成功しなきゃ公国はかなりの土地を王国から奪えた筈だ。

上手くいけば王都近くまで攻め込み王国は不平等な条約を結ばされた可能性が高いとは公爵談。

おまけに今回の戦争では否応なしに部下の命を預かるから兵の損耗を気にしなきゃいけない。

一兵卒の頃は自分の命だけ気にすれば良かったのに。

 

敵の情報をひたすら集めて何処が弱いか探り出す。

味方の犠牲を最小限にする為に夜襲、不意討ち、補給路の分断ととにかく敵が嫌がる戦法を採った。

捕虜を処刑して罪に問われるのも嫌だったから人質の交換や捕虜の釈放を餌に退却や降伏を迫る。

卑怯な戦法をやりまくったおかげで公国に付けられた渾名は『外道騎士』ときたもんだ。

命を救われた味方からは感謝されたけど、他の国じゃ俺の評判は最低最悪になってる。

 

それに敵味方の犠牲を無くすなんて器用な真似はどう足掻いても俺には無理だ。

部隊の戦死者はゼロじゃないし、俺の作戦で死んだ公国兵は多い。

戦争だからって大切な人を奪われた恨みはそう簡単に消えるもんじゃない。

国が負けたから復讐を禁じられても納得できるほど人間は賢くないし情が薄くないのは俺にだって分かる。

英雄なんて護った味方の数より殺した敵の数が多いだけ。

今でも戦争で殺した奴が俺を睨む悪夢を夜に見る。

たぶん俺は死んだら地獄に堕ちるだろうな。

まぁ、考え込むのは一旦止めよう。

最優先すべきはどうやってこの状況を切り抜けるかだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

心を落ち着かせて頭の中の地図を開く。

あと少しで裏路地を抜けて広がった大通りに辿り着く。

王都のメインストリートの一つとして馬車が往来できるぐらい道幅が広く身を隠せるぐらい育った街路樹も植えられている。

仕掛けるなら其処が狙い目だ。

人目があるなら襲撃の可能性は低いし、夜道を照らす街灯で相手の姿を確認できるな。

 

少しずつペースを落としながら歩き続ける。

大事なのはタイミング、早過ぎても遅過ぎてもいけない。

数十歩先にある曲がり角が開始地点だ。

あと五十歩、体を解しながら曲がり角に近づく。

あと二十歩、呼吸を整え耳を澄ませて足音を確認。

あと五歩、ゆっくり息を吸い込んで覚悟を決める。

 

角を曲がった瞬間、全力で駆け出す。

戦士が成り上がる為に必要なのは相手を倒せる腕力と武器を使いこなせる器用さ。

冒険者が成り上がる為に必要なのはダンジョンに対する正しい知識と宝に巡り合える幸運。

 

じゃあ兵士に必要な才能は一体何か?

答えは一定の速さで走り続けられる持久力と脚力、そしてどんな苦痛にも耐えられる我慢強さだ。

走れない兵士は敵の攻撃から逃げられずに死ぬ。

我慢できない兵士は不必要な行動で我が身を危険に晒す。

兵士だった俺が生き延びられたのは他の奴より臆病で逃げ足が速く嫌な事に慣れてただけだ。

 

全力で走り続けつつ上着を脱ぐ。

財布は上着に入れたまま、ナイフを内ポケットから取り出すのは忘れない。

次の角を曲がると脱いだ上着を投げ捨てた。

あれは囮だ。

数十秒、いや数秒でも相手の注意を逸らせれば良い。

鼓動がうるさくてたまらない。

少しでも速く、少しでも先へと必死に腕と足を交互に動かして前に進む。

たぶん百数十秒ぐらい全力疾走したか?

裏路地を抜けてメインストリートに出た。

 

首を振って周囲を見渡すこと数秒。

くそっ、俺以外に誰も道に居ない。

とりあえず体が隠せそうな太さの街路樹を見つけてその影に身を隠す。

同時に手頃な枝を一本折って左手に持つ。

人間ってのは不思議なもんで人の形から外れた物を認識するのが遅れがちになる。

同時にナイフをズボンとベルトの間に挟んでおく。

汗が次から次へと出て心臓が鳴りっぱなしだ。

それでも気配を察知されるかもしれないから深呼吸すら出来ない。

小刻みに浅く音を立てないように呼吸をして何とか手足の震えを抑える。

 

隠れてから数十秒後、足音が徐々に大きくなって近づいている。

どうやら俺がいきなり駆け出したから慌てて後を追って来たらしい。

出てきた人影は二人、どちらも男。

片方は大柄な体格でもう一人は普通。

投げ捨てた上着を持ってるから俺が標的なのは明らかだ。

 

さて、どうするか。

このまま隠れてやり過ごせるならそれが一番だろう。

でも相手はキョロキョロと辺りを見渡し俺を探している。

見つかったら何をされるか分かったもんじゃない。

飛行船が停泊してる空港への道は途中まで一直線だから途中で追いつかれると一巻の終わり。

公爵邸に逃げ込もうにも道が複雑な上に深夜だから馬車すら走っていない。

 

つまり、逃げるにはどうにかしてあの二人の動きを止める必要がある。

ゆっくりと動いて相手をもう一度確認。

デカい方は歩くたびに体が大きく揺れてる、もう一方は体の揺れ幅が小さく歩幅も一定だ。

つまり小さい方は何らかの訓練を受けた可能性が高い。

狙うならデカい方だ。

街灯に照らされてるとはいえ夜の闇は深い、相手はまだ俺を発見していない。

大して賢くもない俺の脳みそ、必死に働いて何とか乗り切る方法を考えろ。

そんな俺を嘲笑うように相手は少しずつこっちに近づいて来る。

 

ちくしょう、このままじゃ見つかる。

不意を突くなら今しかない。

音を立てないようにゆっくりと長く息を吸う。

肺にこれ以上ないぐらい空気を溜めた瞬間、閉じた目に映ったのは俺の大切な人達。

アンジェ ライオネル アリエル

父さん 母さん 兄さん 姉貴 フィンリー コリン

 

数秒の間に家族の顔と記憶を思い出す。

そして吐き出した息と一緒に湧き上がった感情を俺の中から消し去る。

前の戦争で何度も死にかけた時、俺の心の何処かが壊れた。

苦痛を他人事のように感じ、躊躇わず敵を撃てる空白な部分が出来てしまった。

殺す相手を気にかけてる正気を持ってたら戦争なんてやれる筈がない。

きっと俺は狂ってるんだろう。

心の中が凪いでいく。

俺の総てであの二人を叩きのめす事だけ考えろ。

生き残って俺の家に帰るんだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

追跡者の二人が俺が隠れている街路樹に近づいて来た。

右手に折った木の枝を持って這うように体を屈める。

タイミングは隣の街路樹に近づいた瞬間。

心臓の鼓動がどんどん速くなるのに不思議と頭の中は冷静だった。

一歩、また一歩と二人が隣の街路樹に歩み寄る。

隣の街路樹を覗き込んだ瞬間、木の枝を二人の後方へ投げた。

木の枝が放物線を描いて二人の後ろに落ちる。

 

コンッ

 

二人が音に気を取られ振り返った瞬間、隠れていた街路樹の陰から躍り出る。

標的はデカい奴。

まずは厄介そうな相手を先に仕留める。

木の枝に気を取られた二人は突如現れた俺に対処できない。

 

『やれる!』

 

加速した体の勢いを殺さないよう歩幅を調整する。

最後の一歩を踏みしめた脚に力を込める。

足首、膝、股関節、腰、肩、肘、手首の動きを連動。

左手を軽く開いて指を曲げる。

渾身の掌底打ちをデカい奴の顎先へ思いっきり突き上げる。

軍で習う格闘術は人間を倒す事、殺す事に重点を置く。

体格で勝る相手に対しては鍛えられない急所を狙うのが常套手段だ。

顎先に上手く当てれば子供でも大人を昏倒させるのは充分に可能。

幾度となく繰り返し体に染みついた動きを行う。

俺の掌底打ちを喰らったデカい奴はそのまま昏倒する。

その筈だった。

 

『硬てェ!?』

 

掌から感じる感触に戸惑いを覚えた。

上手く掌底打ちが当たるとそのまま相手の体に掌がめり込むような感触を感じる。

それが無い。

樹木か岩を叩いたような重さ。

デカい奴は掌底打ちを喰らってなお踏み止まっている。

驚いたせいで反応が一瞬遅れた。

相手の顎を打った左手に相手の右手が近づいている。

気付いた時には左手を握られていた。

決して俺を離さないと握られた手から伝わる相手の力は凄まじい。

握られた左手がミシミシと音を立ててるように感じる。

 

『どんな鍛え方してるんだよコイツ!』

 

デカい奴の左手が俺の頭に近づいて来た。

マズい、この状況じゃ不利なのは俺だ。

相手の力は俺より遥か上。

殴って来たら俺の防御なんて簡単に貫通するし、拘束されたら碌に抵抗も出来ないぞ。

 

そう思った瞬間、右手を握りしめて拳を放つ。

狙うのは股間。

人体には鍛えられない箇所が幾つも存在する。

生殖器もその一つ。

デカい奴は慌てて左手を動かし俺の拳を払う。

男なら金玉を打った苦痛は耐え難いから絶対に避けたいだろうしな。

 

でも残念だったな、そっちは囮だぞ。

俺の右拳に気を取られた隙に左膝を思いっきり叩きつける。

狙うは相手の右脇腹から背中にかけて。

右腹には急所の肝臓や右腎臓があるし、肋骨の十一番目と十二番目は胸骨と繋がっていないから折れやすい。

加減しないで相手の骨を折る気で蹴ったのに脚に伝わったのが硬い樹脂みたいな感触。

 

『テメェ、何処まで鍛えてるんだよ!?』

 

それでも怯ませるには充分だったらしく俺の左手を掴む力が緩んだ。

思いっきり左手を引いて拘束から逃げるのと同時にベルトに挟んでいたナイフを抜く。

そのまま斬りつけようとした俺とデカい奴の間を何かが通り過ぎる。

追跡者の片割れだった。

どうやらデカい奴の隙を護る為に割って入ったらしい。

 

なら標的をお前に変えるだけだ。

右手に握ったナイフを突こうとした次の瞬間、刃先に何かが触れた感触が伝わった。

よく見ると相手は何かを握っている。

今度はナイフを左から右へ斬りつける。

やっぱり何かが当たって俺の攻撃が弾かれる。

 

それはさっき俺が投げた木の枝だった。

相手が木の枝で俺の斬撃を防いでいる事実に驚く。

試しにもう一度だけ刺突を放つ。

木の枝がナイフの先端に添えられ向きを逸らされる。

驚愕しつつ攻撃の手を緩めない。

刺突、右へ斬撃、もう一度右へ斬撃、左へ斬撃、再び刺突。

鋼鉄を加工したナイフの攻撃が木の枝に翻弄される悪夢みたいな光景。

そうこうしてる間にデカい方が回復したのかゆっくりと動き始めた。

 

マズい、一旦距離を取ろう。

そう思って重心を後ろに傾けた瞬間、初めて相手が攻撃を仕掛けた。

ゆっくりと美しいとすら思える動きで木の枝が俺の方に向く。

 

『ヤバい!!』

 

本能的に体を横に傾けた瞬間、右の上腕に痛みが走る。

充分に距離を取った筈なのに獲物へ襲い掛かる蛇みたいに撓った木の枝が俺の腕を強かに打った。

痛みを堪えて何とか数歩下がって距離を保つ。

余裕のつもりか相手は追撃して来ない。

 

ナメやがって、俺なんかいつでも倒せるって思ってるのか。

何とか意識を保ちつつダメージを確認。

デカい奴に握られた左手はまだ痺れが残ってる、もう片方に打たれた右腕は何とか動かせる。

逆に相手は俺から受けたダメージから回復しつつある。

このまま行けば確実に俺の敗北だ。

完全に相手の実力を見誤った。

こいつらは俺を遥かに上回る力の持ち主だ。

手加減して勝てる相手じゃない。

作戦も糞もない、向こうが本気を出せば何時でも簡単に俺を仕留められる。

せめて軍用ナイフ、いや拳銃を護身用に持って来るべきだった。

嫌な汗が体中から溢れ出してくる。

 

どうする?

どうすれば良い?

必死で頭を動かそうとするほど腕の痛みを自覚して思考力が削がれていく。

雑念がどんどん湧き上がって考えが纏まらない。

完全に回復したのかデカい方が動き始めた。

もうダメか。

そう思って瞼を閉じる。

闇の中で最後に見えたのは愛しい嫁と子供達の顔だった。

 

「………ハハッ。ハハハ」

 

思わず出た俺の笑い声に戸惑った相手は動きを止めた。

思考が急速に纏まって汗が引いていく。

この感覚は身に覚えがある。

前の戦争で上官達が逃げ出して部隊が取り残された時のあの感覚だ。

恐怖は感じない。

口の中が酸っぱくて堪らない、鼻の奥が血の臭いで噎せ返る。

単純だ、どれだけ悩んでも出て来る答えは何時だって単純だ。

俺はいつもくだらない事で悩み過ぎだ。

解決方法は分かりきってるのに。

 

「殺す」

 

目の前の こいつらを 殺す

こいつらが俺の大切な人達を狙うなら生かしちゃおけない。

出会ったのが俺で本当に良かった。

こいつらは俺が此処で仕留める。

二人共、最低でもどちらか一人は道連れにしてやる。

 

そう思うとどんどん頭が冴えて痛みが遠くなっていく。

刃を横向きに、右手で柄を強く握って左手を柄尻に沿える。

ナイフで相手を確実に殺すには自分の体重をかけ相手の臓器を深く傷付けなきゃいけない。

体当たり同然で深くナイフを突き刺す。

護身用の小さいナイフは確実に折れるだろう。

 

狙うなら図体がデカい方だ。

的がデカいから全力で体当たりする俺を避けきれる可能性が低い。

折れたナイフが体内に残れば確実に死ぬ。

そのまま勢いでもう片方を襲う。

木の枝は厄介だが俺を殺すほどの攻撃力は無い。

頭を打たれないように守って組み付けば十分に勝機はある。

俺の構えが変わったのと同時に二人も姿勢を変える。

やっぱりこいつらは手練れだ、相当な訓練を重ねている。

 

悪かったよ、お前らの事ナメてた。

きちんと敬意を払って全力で戦うから許してくれ。

ジリジリと俺と奴らの距離が縮んでいく。

膨れ上がった殺気で肌が泡立つ。

あと一歩踏み込めば最後の闘いが始まる。

前傾姿勢を保ち動き出そうとした次の瞬間

 

「双方!引け!」

 

俺と相手の間の地面が光って音が鳴った。

よく見ると石畳が少し抉れてる。

何かが高速でぶつかって削り取ったらしい。

声のした方向を見ると新たに一人近づいて来る。

そいつの手が放つ光に見覚えがある。

あれは魔力が放つ独特の輝きだ。

つまりこいつは何かの魔法を使えるって訳だ。

 

「僕が目を離してる間に何をやってるんだ君達は!?」

 

どうやら新しい相手は二人の仲間らしい。

詰んだ、完全に詰んだ。

二人相手なら何とかなったかもしれないけど、三人相手じゃ勝率はゼロだ。

言い争ってる三人を尻目に頭が冷えてくると諦めの方が勝った。

 

ごめんなアンジェ、どうやら俺の命日は今日らしい。

未亡人にしてすまない、子供三人を残して逝く俺を許してくれ。

俺は地獄に堕ちるけど皆の幸せを願ってる。

街灯に照らされたナイフが鈍い光を反射してる。

握ってる手が震えていた。

拷問を受けて殺されるぐらいならこの場で自害した方がマシかな?

ぼんやりそんな事を考えながら三人の様子を窺う。

赤い髪を短く刈り込んだ筋肉質の大男、眼鏡をかけた青みがかった髪の男、そして新しく加わった紫髪を肩まで伸ばした魔法使い。

特徴があり過ぎる男共だった。

 

「すまないバルドファルト卿。どうしようもない愚か者共の非礼を詫びよう」

「愚か者とはなんだよ、愚か者とは」

「交渉に来たのに相手と戦い始める馬鹿を愚か者と呼ばずして何と呼ぶ!」

「仕掛けたのはあっちだ!俺達は自分の身を守っただけだ!」

「それで交渉が失敗したら本末転倒だと分からないのか!」

 

言い争いを始める紫髪と赤髪を横目で見つつ何とか逃げ道を探すが青髪が俺から目を離さない。

 

「バルトファルトって誰の事です?見ての通り私は単なる作業員。恰好で分かるでしょう」

「どこの世界に軍式格闘術を習得した作業員がいるんだ」

「この間まで従軍していたので訓練を受けていました」

「その顔の傷で誤魔化せると思ってんのか」

「これは事故でついた傷痕です」

「諦めろバルドファルト卿。君の顔はこの国の貴族に広く知られている」

 

どうやら口で誤魔化すのは無理っぽい。

まぁ通用するとは思ってないけどさ。

溜め息を吐いてその場に座り込む、もう完全に自棄だ。

 

「殺すなら八ヶ月ぐらい待って欲しい。妻が妊娠してる。せめて生まれてくる子を見てから死にたい」

「お子様は少し前に生まれたばかりでしょう」

「三人目だ。俺の命はくれてやるから家族には指一本触れるな」

「何か勘違いしてるな。俺達は戦いに来た訳じゃない」

「そんな話信じられるかよ」

「本当だ。本当なら真っ正面から話し合う機会を窺っていた。レッドグレイブ公爵の監視が厳しくて警戒が解かれたのが今夜だったんだ」

 

あぁ、やっぱ公爵が裏で手を回してたのか。

前は随分といろんな貴族が声をかけてきたのに今回は随分少なくなったと思ったけど。

 

「頼む、話だけでも聞いてくれ。我々とは初対面ではない筈だ」

「知らん」

「話した事は無いが戦場や夜会では顔を合わせただろう」

「記憶にない」

「嘘をつかないでもらえるか」

「アークライト家とセバーグ家とフィールド家のお坊ちゃま達と関わり合いになりたくありません」

「「「しっかり憶えてるじゃねえか!!!」」」

 

思い出したのはついさっきだけどな。

そうだ、こいつら王子の取り巻き連中だったな。

公爵派と水面下で争ってる王家派の若い連中が俺と話し合いたいとか嫌な予感しかしねぇぞ。

 

「本当なら君の飛行船を今夜訪ねる筈だった。だが外出する君の姿を見つけて追うしかなかった」

「ずっと俺を追い回してた訳か」

「悪かった。まさか飛行船を抜け出すとは思わねえだろ」

「一体俺に何の用だよ?言っておくが俺は単なる田舎領主だぞ。王都のゴタゴタなんて関係ないだろ」

「それはこれから話す。ついて来てくれないか」

 

正直関わり合いになりたくない。

それでもこいつらが力づくで俺を連れ去ろうとしないのは俺に配慮しているからだろう。

 

「それは命令か?」

 

記憶が正しければこいつらはまだ爵位持ちじゃない。

何らかの役職には就いてるかもしれないけど俺に強引に従わせるだけの権力は無い筈だ。

 

「いや、懇願だ。リオン・フォウ・バルトファルト子爵。どうか我々の話をお聞き願えますか?」

 

そう言うと三人は俺に頭を下げる。

やめろよ、そんな事をされると断れないだろ。

 

「……話を聞くだけならな」

「感謝する」

「俺の身の安全は?」

「保障する。どんな攻撃も俺の筋肉が防ぎきる」

「筋肉はどうでも良い。飛行船の奴らに気付かれたら大騒ぎになるぞ」

「今すぐ案内する」

 

体を解して立ち上がる。

何でこう、俺の所にはトラブルばっかり舞い込むんだろう。

俺なんか悪い事した?

いっぱいしてるか、じゃあ仕方ないな。

あぁ、帰りてぇ。

バルトファルト領へ帰って温泉に入ってアンジェを抱いてぐっすりで寝てぇ。




唐突なバトル回、そして三馬鹿登場。
リオンと五人が戦う展開はずっと考えていました。
発売された原作12巻でリオンと五馬鹿の決闘と時期が重なったのは本当に偶然です。
今作のリオンは兵士としては優れているけど戦士や冒険者としては五人に劣るイメージで描いています。
ただ大切な人を傷つけられてキレたら容赦なくなる部分は原作に近づけました。
リオンお得意の口撃はありません。
三嶋与夢先生がお創りになるキャラの煽り能力はとても素晴らしい。(褒めてます

追記:依頼主様のご依頼でelun@様といち様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
elun@様 https://www.pixiv.net/artworks/110435962
いち様 https://skeb.jp/@itinoe89/works/21

更に追記:原作12巻とマリエルート2巻の発売記念にSSを書きますが、シーンの内容についてアンケートにご協力していただけたら嬉しいです。

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第26章 密談●

原作12巻&マリエルート2巻が発売された記念にちょっとした記念SSを書きます。
その内容についてアンケートを取るので、よろしければご協力してもらえたら嬉しいです。(アンケートは終了しました


ファンオース公国との戦争で最も恐ろしかったのは敵軍の戦略でも物資の枯渇でも無能な味方でもなかった。

王国軍と公国軍の戦力が拮抗して戦線の硬直が数ヶ月続いた頃、公国は最終手段を使い始める。

公国には魔物を召喚して操れる魔装具が大公家に代々伝わっているらしく、これを使って一気に巻き返しを実行した。

 

結果は大当たりで王国軍は一気に苦境に立たされる。

こっちがどれだけ苦労して魔物を倒しても魔装具を使えばすぐに補充されて延々と攻めてくる。

物量による力押しという戦術もへったくれもない単純な方法で多くの騎士や兵士が死んでいった。

 

俺の部隊も例外じゃなく何度も撤退を繰り返した。

魔物を倒しても戦略的にほとんど意味が無い。

犠牲者を出さないようにさっさと逃げるのが一番だった。

公国軍を退けたのは王家の船に乗り込んだ聖女とその仲間達。

迫り来る魔物を討ち払って船を犠牲に超大型の魔物を仕留め公女を生け捕りにした。

ギリギリの所で首を繋いだ王国軍も各地で戦意を喪失した公国軍に勝利を収め、王国と公国の長年に渡る戦いの歴史に終止符が打たれた。

聖女は王国の皆から感謝されて、その仲間達も素晴らしい戦士と認められたとさ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

王都は貴族の居住地と平民の居住地が明確に分かれている。

線引きこそされてないけど王宮に近づくほど貴族の屋敷が増え逆に遠ざかれば平民の家が建ち並ぶ街に様変わりする。

空港の近くと温泉の近くが賑わって領主の屋敷が街の隅にあるバルトファルト領とは全然違う。

馬車の窓から外を見ても灯りが少ない夜じゃ此処が貴族の多い地域なのか相変わらず平民の街なのか分からない。

用意された馬車は外見は黒塗りで装飾が少ないのに内装はやたら豪華だ。

座席のクッションすら尻が沈み込みそうな柔らかさ。

アンジェが上級貴族は華美な装飾よりも一見目立たないけど最高級品を使うって言っていたのがよく分かる。

下手すりゃ俺が普段寝ているベッドより柔らかい座席に腰掛けると青髪と紫髪が俺の左右に座って赤髪が反対側の座席に腰を下ろした。

左右と前の位置を固められ、これで完全に逃げるのは不可能になった。

まるで処刑場に運ばれる犯罪者みたいだと何処か冷めた頭で考える。

 

バルトファルト家の所有する馬車とは比べ物にならないぐらい快適な乗り心地を楽しむ旅は数百秒で終わった。

詳しい場所は分からないけど体感し時間と馬車の揺れから乗った場所からそれほど距離は無いだろう。

馬車から降りると地味な建物が目に入る。

貴族の屋敷ほど豪華じゃないけど平民の家に比べればかなりの大きく凝った作りだ。

うちの屋敷と比べたら古ぼけて若干汚れてるのが逆に落ち着きを感じさせる。

三人と共に扉に近づくと屈強な男が二人近づいて来る。

どうやら門番らしく刈り込んだ髪と彫られた刺青がどこから見ても堅気の人間に見えない。

まぁ顔にデカい傷がある俺だって真っ当な人生を歩んでるように他人は思われないだろうけど。

体のあちこちを触れられてボディチェックされた。

懐に入ったナイフに気付いた門番は咎めるような目つきでナイフを俺の懐から取り出し没収。

 

「これを」

 

そう言われて仮面を手渡された。

 

「此処のお客様はやんごとなき身分の方々ばかりです。素性が知れて良くない噂が広まらないように店内は仮面の着用が義務付けられています」

 

何とも厳重な事で。

どうもやんごとなき奴らは噂が広まるのが嫌だけど自重する気は全く無いらしい。

仮面を着けると中に通されて地下に続く階段を下りる。

そこは別世界だった。

素人の俺にも見るだけで高い値段だと分かる服を着た男女がカード遊戯に興じたりルーレットに夢中だ。

そう言えばアンジェや公爵に王都じゃ非合法の賭博場があると聞いた覚えがある。

たぶんこの店のその一つなんだろう。

 

「此処で賭けでもしろってか?」

「違う、秘密を洩らさない為に此処を選んだ」

「こうした場所で相手の素性を知ろうとするのはルール違反だからな。隠し事にはうってつけさ」

 

如何にもこれから悪巧みしますという雰囲気に思わず苦笑いが込み上げる。

人目に付かないように移動していると奥の個室に誘導された。

中には一人の男が席に座って待ち構えていた男が俺を見るなり立ち上がって恭しく礼をする。

 

「これはバルトファルト卿。まず我々の招待に応じてくれた貴方に感謝を。高名な英雄殿にお目にかかれて光栄だ」

 

緑がかった長髪に整った顔立ち。

たぶんこいつを見た全員が美男として褒めるだろう。

俺の感想としちゃどうにも胡散臭い。

言葉遣いや態度は礼儀正しいけどにこやかな表情を浮かべた顔の中で目だけが笑っていない。

俺を値踏みして隙を窺うような視線の鋭さは狡猾な山師に似ている。

俺を成り上がり者と見くびって財産を狙ってきたお見合い相手の親、夜会で俺を誑かして関係を持とうとする貴族令嬢、少しでも楽をしたくてすり寄ってきた部隊の連中。

まだ堂々と俺を利用する気満々な公爵の方がマシだ。

帰ろうかと一瞬考えて視線を動かすけどデカい赤髪が扉の前に陣取ってるし、他の二人も俺の左右の位置に控えてる。

手荒い真似はしなさそうだけど逃げるのはほぼ不可能だ。

 

「改めて自己紹介します。私はジルク・フィア・マーモリア」

「俺はグレッグ・フォウ・セバーグ。よろしく」

「僕はブラッド・フォウ・フィールド。お見知り置きを」

「私はクリス・フィア・アークライトだ。」

 

記憶ある四人と自己紹介された今の四人を紐づけする。

王子の乳兄弟、名の知られた冒険者、辺境伯の息子、剣聖の息子。

こいつらは良い意味でも悪い意味でも有名人だ。

俺にとってはある意味で敵だし、ある意味では恩人でもある。

 

「……リオン・フォウ・バルトファルトだ」

「御高名はかねがね承っております」

「どっちの意味で名が広まってるかは知らないけどな」

 

かくいう俺も嫌な意味で有名人だ。

名が知られると尾鰭がついてさらに誇張された噂が広まる。

迷惑だからどうにか止められないか公爵に相談しようと思った時期もあったけど、俺の名を広めてた張本人が義父の公爵だった知って諦めた。

 

「まずは席にお掛けください。まず貴方と巡り会えた幸運に神へ感謝を」

 

緑髪、いやジルクはそう告げると予め用意していた五つのグラスにワインを注ぎ始めた。

五人分のワインを注ぐと瓶は空になったらしくテーブルの上に無造作に置かれた。

 

「では乾杯を」

 

そう言うと四人がグラスに口を付ける。

毒は入って無さそうだし俺もワインを口に含む。

確かにワインは上物だけど、今日だけでどれだけ酒を飲んだか分からないから美味く感じない。

明日はきっと二日酔いで飛行船の中で吐き気と眠気に苦しめられると思うだけで気が滅入った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「それで、何の用があって俺を呼んだ?」

 

乱暴な口調だったが公爵邸からこの場所に来るまでに起きた今日の出来事にいい加減うんざりしてた。

公爵家で陞爵と側室についていろいろ言われ、ちょっと街をうろついたら絡まれて喧嘩になり、その挙句にこんな所に連れ込まれる。

もうキレて良いかな俺?

しかも相手は俺より立場が上だったり数段上の戦闘力を持ってる奴ばかりだ。

おかしいだろ、何でそんな連中が俺みたいな奴を構うんだよ。

 

「此方の非礼はご容赦を。公爵家の監視下に置かれた貴方と接触するのは並大抵の苦労ではないです」

「つまり公爵に聞かれたらマズい類の用件って訳だ」

 

ジルクが俺の質問に答える。

どうやらこいつが悪巧みの主犯らしい。

まぁ公爵はおっかないから気持ちはよく分かる。

俺もアンジェの父親じゃなかったら極力関わり合いになりたくない類の人だ。

他人に求める水準が高過ぎてよほど有能じゃないと潰されるだろうな。

俺が潰されないのはアンジェの夫だからお目溢しを貰っているだけに過ぎない。

 

「率直に言います。貴方を王家側の派閥に引き込みたいのです。引き込むのは不可能ならせめて何もしないように説得しようと我々は考えています」

「また随分と買い被ってくれたもんだ」

 

公爵と対立してる派閥から直々のお誘いかよ。

それも国を護った英雄様達が俺をスカウトと来たもんだ。

 

「公爵家の勢力は日に日に拡がる一方。それに対し王家の求心力は目に見えて衰えていく有り様。このままではこの国の主がどちらなのか分かりませんよ」

「それは分かるけど俺を王家側に加えた所で状況が良くならないだろ。むしろあんた達が積極的に行動する方が余程マシな結果になると思うぜ」

 

これは俺の本音だ。

ぶっちゃけて言えば俺の戦功ほど不確かな物は無い。

確かに前回の戦争で俺が率いた部隊が公国の司令官を討ち取ったけど、別に俺自身が大将首を獲った訳じゃない。

無我夢中で敵軍に不意討ちをかけた後は記憶が所々欠けて気付いたら病院のベッドに寝かされてた。

部隊の奴らの大部分は戦死したし生き残った連中も半死半生の有り様だ。

王国は生き残った奴らに多めの報奨金を払って可能な限り希望を叶えたらしい。

俺は代表として欲しくもない爵位と領地を貰ったけどな!

 

今回の戦争だって基本的に防衛戦と撤退戦ばかりで部隊の戦死者こそ少なかったけど敵将を討ち取ったり魔物の軍勢を壊滅させた訳じゃない。

そんな俺に比べたら前回と今回で公国軍に多大な被害を与えて超大型魔物を倒し公女を捕まえたこいつらの方がよほど人寄せにはもってこいの筈だ。

 

「貴方はどこまでご存知なのですか」

「どこまでってのは?」

 

話の要点が見えて来なくて困る。

何で王都の連中は俺が何もかも知った上で狡猾に行動してると思ってるんだ。

そんな器用な真似が俺に出来るなら爵位なんて貰ってないし、今頃は田舎でのんびりと悠々自適の生活を送ってるぞ。

 

「陞爵については?」

「伯爵に格上げだとさ。位階も五位の何処かになるとは聞いたな」

 

俺の返答に四人が顔を見合わせて何か呟く。

何だよ、嘘言った所で何の得もないだろ。

そもそも俺は真っ当な貴族教育を受けてねえんだよ。

俺に宮廷内の暗黙の了解とか求められても困るぞ。

 

「中央の政治に関わり合いが多くなるのは伯爵位からだとご存知ですよね」

「それ位は把握しているぞ」

 

王国の爵位は五段階に分かれている。

準王族の公爵位、それ以外の最高位の侯爵位、国の政治に影響を及ぼす伯爵位、そこそこの領地を持つ子爵位、貴族として最底辺の男爵位。

王国の政治に関わるなら宮廷貴族や領主貴族の違いがあっても伯爵の地位を持ってるのが望ましいらしい。

だからさんざんごねて陞爵を遅らせようとしたのに公爵に押し切られた。

今の領地経営ですら苦しんでるのに中央の政治と関わり合いになれとか勘弁してください。

 

「公爵は娘婿である貴方を相応の役職に就けようとしています。少なくても重要会議の席を用意するのはほぼ間違いないかと」

「それは聞いてる。だけど大分先だろ」

 

王国の政治は貴族達の合議の後に王族の承認によって遂行される。

王妃様みたく積極的に政治に関わる王族もいるけど、基本的には有力貴族によるパワーゲームだ。

どの貴族も自分の利益の為に有力貴族の寄子になるし、有力貴族も意見を押し通したいから寄親になる。

公爵が俺を出世させたいのもそれだ。

俺に役職を与えれば会議の一票が確実に増えるし、もし争ってる派閥に所属する奴がその席に就いたら影響はゼロどころかマイナスになりかねない。

 

「今の王国でバルトファルト卿ほどの速さで出世している貴族は居ません。若く出世したい貴族は揃って貴方を見倣います。そうなれば公爵の派閥が更に力を増します」

「それを食い止める為に俺達が動いてるって訳だ」

 

ジルクとグレッグがジッと値踏みするように俺を見る。

野郎に凝視されても嬉しくないぞ。

 

「だったらあんたらが見本になれば良いじゃないか。聖女と共に戦った英雄達にも出世する予定だと聞いてるけどな」

 

俺の言葉を聞いた四人は同時に顔を歪ませる。

どうやらやりたくても出来ない事情があるらしい。

 

「出世とは言いつつも実際は私達の分断が目的の人事だ。出世とは名ばかりで実際は地方への左遷や閑職への異動と言っても差し支えない」

「殿下や聖女殿とも引き離される。僕達の結束が固くても物理的に引き離されてはどうしようもない。牙と爪をもがれては美しく戦って散る事すら出来やしない」

「如何にも公爵がやりそうな手口だな。相手に反撃の隙を与えないまま徹底的に潰すと」

 

クリスとブラッドが苦々しく顔を歪めた。

まぁ真っ正面から公爵に刃向かえるのはそれこそ王族だけだろう。

長年に渡り王国内で貴族の筆頭だった人だ。

こいつらがどれだけの強さやコネを持っているとしてもそれを発揮できない状況に追い込めるだけの力を公爵は持っている。

そこまで聞くと嫌な予感しかしない。

俺に何をさせる気なんだよ。

 

「状況は理解した。それで公爵の娘婿の俺を呼んでどうする気だ?言っておくけど公爵にとって俺は大した手駒じゃないぞ」

 

貴族連中で俺と親しくなろうとする奴はどうも俺に変な幻想を持ってる。

公国軍の司令官を討ち取った?

自棄になって実行した作戦が偶然上手く嵌っただけです。

情け容赦なく敵を蹂躙する戦術家?

悪夢に魘されて眠れない夜もあるぞ。

異例の出世スピード?

公爵家の令嬢を嫁にしたから俺の実力じゃありません。

部下の一人一人に心を配っていた?

反乱が怖いし後で問題になりそうだから上っ面だけ良い上官を演じただけっす。

何で本当の英雄が俺に交渉を持ちかけるんだよ。

お前らの目も節穴か?

 

「何もしないでいただきたい」

「意味が分からねぇぞ」

 

突然ジルクが訳の分からない事を言い出した。

何もしない?

ならどうして俺を此処に呼んだ。

 

「具体的に言えば公爵派として行動するのを控えて頂きたい。貴方にも立場がありレッドグレイブ家に逆らえるだけの戦力も財力も持ち合わせていないのは承知しています。ですから此方としては貴方に自分の領地で大人しくして頂けるだけでありがたいのです」

 

そう言ってジルクは手元に置いていた鞄から革袋を取り出した。

大きさの割に重量がありそうだ。

中身は金貨か、或いは宝石の類かな。

 

「報酬は白金貨百枚。私達に協力して頂けるならその半分を前金としてこの場で支払うつもりです」

 

そう言って紐を解いて机の上に置いた革袋の口から白金貨の輝きが嫌でも目に入って来る。

提示された金額のデカさに一瞬脳みそが動きを止めた。

意識が戻った時に叫び声を出さなかった俺は偉いと思う。

だって白金貨百枚だぞ。

バルトファルト領の年収に匹敵する金を提示してきやがった。

単純にきりが良いから百枚なのか、それともうちの稼ぎを調べて出した金額なのか。

どっちにしてもこれだけの金があれば公爵家に借りた金を返済してバルトファルト領の開拓資金を捻出できる。

数年間は領民の負担を減らせるし、他領から鎧の専門の技師を呼んで調整をバルトファルト領で賄うのも悪くない。

 

そんな考えが次々と頭の中でグルグルと回り始めた。

何もしなくて大金が舞い込んでくる。

必死に言い訳を探し何とかこの金を手に入れられないか考える。

積極的に公爵家を裏切る訳じゃない、貴族の繋がりなんて所詮は利害関係にすぎない。

どれだけの時間考え込んでただろう。

数秒かもしれないし数百秒かもしれない。

俺の人生でも上位入賞するぐらい必死に頭を働かせた。

 

「結論は出ましたか?」

 

何処か愉快気にジルクが問いかけてきた。

 

「ああ、結論は出た」

 

ゆっくりと息を吸って吐き出す。

戦場じゃ状況判断に必要な最低限の情報すら分からず考える時間すらろくに与えちゃくれないのが常識だ。

下手な考え休むに似たり、俺は自分の判断を信じる事にする。

 

「この話には乗らない」

 

そう告げた瞬間、室内の空気が一気に冷えた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

俺の返答があまりに予想外だったらしい。

四人は驚いて俺の顔を見つめてる。

条件は単純だし報酬は破格。

欲に目が眩んだ連中ならまぁ引っ掛かるだろうな。

生憎だけど俺の欲望は大したもんじゃない。

パンと野菜と肉とスープがある食事、飢えず働いても疲れない程度には広い農地、優しい嫁さん、可愛い子供達、家族全員が住める家。

そんな物が俺の欲しい物なんだよ。

今の俺は満ち足りている。

この幸せを護れるなら爵位も領地も手放して悔いは無いんだ。

 

「……理由をお聞かせ願えますか?」

「こっちに都合が良い儲け話には気を付けろって嫁と親から口酸っぱく言われてるんだ」

 

これも本当だ。

顔も知らないじいさんの頑張りでバルトファルト家が男爵になった時にいろんな奴がすり寄ってあの手この手で美味い汁を啜ろうとしたり儲け話を持ち掛けて騙そうとした奴が居たらしい。

その時の苦労を父さんは今でも苦々しく憶えてる。

 

俺が子爵になった時もおんなじ。

見合い相手の令嬢とかその親とか露骨に俺を見下してるのに資産だけは手に入れようとしてるのが目付きから伝わってきたよ。

それにバルトファルトの経営について俺とアンジェの許可が必要なのは夫婦の取り決めだった。

貴族として自覚も知識も足りない俺が騙されないように必ずアンジェが間に入って判断してから話し合いで運営方針を決める。

今までこれで上手くいってたから、アンジェがこの場に居ない取り引きは無意味だ。

 

「俺は馬鹿だからな、きちんと判断できる出来た嫁が隣にいないと判断を下せないんだよ」

 

揶揄うような口調で夫婦間の力関係を告げる。

勿論わざとだ。

俺の勘はこの取り引きを持ち掛けられた時点で胡散臭さを感じていた。

金額の大きさに目が眩んでぐらついたのも本心だ。

正直他の奴に持ちかけられたんなら手を取ったかもしれない。

相手がこの四人じゃなきゃな。

 

「つまり奥方が居ないから決断できないと」

「それと話が胡散臭いからな。あんた、自分が相手より賢いと思ってんだろうけど態度に出るようじゃ詐欺師として二流だぜ」

 

俺の言葉にグレッグ、クリス、ブラッドが口元を歪めて肩を振るわせた。

どうやら必死に笑いを噛み殺してるらしい。

ジルクは三人を睨みつけた後に深呼吸して再び俺と対峙する。

 

「バルトファルト卿、これは王国の危機なのです。このままでは王家はいずれ公爵家に取って代わられます。見過ごすのは王国の貴族として如何なものかと」

「……王国が俺に何をしてくれた?欲しくもない爵位と領地をくれた事か。返せって言うなら喜んで返す。そもそも俺みたいな成り上がり者に忠誠心を求める方がおかしいぞ」

 

高位貴族として育てられたあんた達には分かんないだろうな。

俺は貴族として最底辺の男爵家で育った。

当主の父さんが自ら畑を耕して食べ物を作らなきゃ生きていけない貧しさだ。

母さんは平民というだけで妾扱い、貴族の血筋というだけで正妻はゾラみたいな糞女で浮気相手との子のルトアートがバルトファルト家を継ぐ方針だった。

危うくどっかの色ボケ婆さんの旦那として売られそうだったから軍に逃げ込んで兵士になった。

教育は親に教えられた読み書き計算と最低限のマナー、王国軍に入ってからはほぼ独学でいろんな知識を学んだ。

こっちの都合も聞かず税を徴収して軍役を課すのに下級貴族の生活をろくに保障してくれない王家に対して忠誠心なんて育たねえよ。

王家とズブズブな関係のお坊ちゃま達には理解できないだろうけどな。

 

「それに公爵は俺を単なる娘婿としか見ていない。俺より政治が上手い貴族はいくらでも寄子に居る。俺の動きを封じた所で別の貴族が代わりになるだけだ」

 

公爵が俺に目を掛けるのは単に俺がアンジェの夫ってだけだ。

田舎でほぼ平民だったバルトファルトの家名に価値は無い。

娘婿が役職無しじゃ体面が悪いからあれこれ世話を焼いてくれてはいるけど、もし公爵がアンジェの離婚を切り出したら俺には断りきれないだろう。

 

「俺個人としちゃ積極的に王家に逆らう気も公爵に従う気も無いから安心しろ。今は領地の開拓で手が一杯だから中央のゴタゴタと関わり合いになりたくないし」

「そんなどっちつかずをいつまでも続けられるとは貴方自身も考えていないでしょう」

「公爵には金を借りた。あんた達には戦場で助けられた。どっちを立てても角が立つから俺に出来る方法はこれしかない」

 

こいつなりに必死なのは分かった。

少しやり方は下手かもしれないけど敢えて敵対するつもりも無い。

面倒事は王都の連中だけでやってくれ、俺は田舎でのんびりと暮らしてるから。

 

「今日の事は公爵に報告する気は無い。あんた達と密談してたなんて噂されたら俺としてもいろいろマズいからな。そろそろ帰らせてくれ」

 

そう結論を出して席を立とうとする俺をジルクが睨む。

まだ何かあんのかよ、いい加減帰りたいんだけど。

 

「そう言って王国貴族としてしての責務も忠誠も放棄する気か。あの国を裏切った者達と同じように貴方も王家に牙を向くのか」

「だから爵位も領地も欲しくないって言ってるだろ。なりたくて貴族になった訳でも王家を護る為に公国と戦った訳じゃねえよ。俺はあくまで俺と大切な人達の為に戦ってるだけだ」

「その大切な人とやらは貴方の妻子だろう!妻が公爵家の娘だから唯唯諾諾と従い領主としての気概もないとは!」

「仕方ねえだろ、公爵にはいろいろ助けてもらってんだし。王家と公爵家の争いは当事者同士で解決してくれ。頼むから俺を巻き込むな」

「あんな女に誑かされて公爵家の走狗と成り果てるとは!英雄の名が聞いて呆れるぞ!」

 

ジルクの言葉を聞いた瞬間、テーブルの縁を思い切り蹴飛ばす。

蹴る方向はジルクが座っている真っ正面。

突然の出来事に反応できなかったジルクはまともにテーブルとぶつかり椅子ごと倒れた。

テーブルの上に置かれていた瓶やグラス、白金貨が入った革袋が音を立て床へ落ちる。

アンジェに対する侮辱を聞いて即座に戦闘態勢に切り替わった俺の五感は一秒が数秒に引き延ばされたと感じる程感覚が研ぎ澄まされる。

テーブルを蹴ったのと同時に駆け出し床に落ちたワイン瓶を手に取った。

そのまま瓶を振り上げ殴りかかろうとした俺の動きが途中でいきなり止まる。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そこまでだバルトファルト!」

「ジルクの失言は謝る!すまなかった!」

「落ち着け!ひとまずおちつけ!」

 

グレッグが俺の体を掴んで動きを止め、クリスが右腕を掴み、ブラッドが左腕を拘束する。

俺が座っていた席から離れていたのに俺を上回る速さ動き事態を止めた。

やっぱりこいつらは俺より遥かに強い、正面から戦えば為す術も無く負けるだろう。

呼吸を整えて手足の力を緩めると握っていた瓶が床に落ちて音を立てた。

力で俺を抑え込めるグレッグは俺の拘束を解かず、クリスとブラッドが倒れたジルクに手を貸して起き上がらせる。

 

「……狂犬め」

 

吐き捨てるように呟くジルクの罵声を鼻息で遮る。

まだまだ元気いっぱいで安心した。

弱ってる相手を叩き潰してもつまらないからな。

さぁ、二回戦の開始といこうか。

そう思ってもう一度殴りかかろうとしたけど、また三人に動きを封じられる。

 

「知らなかったのか?狂犬は忠誠心が無いから相手を選ばず噛みつけるんだぞ」

 

何度も口を開け閉めして噛むような動きをする。

四人が眉を顰めるが気にしない。

 

「お坊ちゃま共、その無駄に賢い頭へよ~く刻み込んでおけ。確かに俺は成り上がりの馬鹿だ。嫁の尻に敷かれて嫁の実家に媚び諂う能無しだ。認めてやるよ、それは正しい評判だ。どれだけ陰で俺を嘲笑っても良い。事実だしな」

 

怒り過ぎると逆に頭が妙に冴え渡る奴が世の中にいる。

俺もその一人だ。

恐怖を感じる時、怒りに我を忘れそうになる時、命の危機に直面するほど冷静になる。

だから狂えずに終わった後にうじうじ悩むんだけどな。

 

「だけど俺は俺の嫁を。俺の子供達を。俺の家族を侮辱し傷付けようとする奴を絶対に許さない。英雄だろうが、聖女だろうが、公爵だろうが、王子だろうが決して許さない」

 

戦力差?資産の多寡?知識の有無?血筋の貴賤?

知った事か、そんな物が俺の宝物を傷付ける理由になんてさせない。

 

「地の果てまで追い詰めて決して赦さず無慈悲に殺す。二度と同じ事をさせないように体と心の両方に消えない疵を刻み込む」

「…………」

 

俺に気圧されのか四人の後退りしたように見えた。

ビビッて相手の雰囲気に飲まれ始めたら喧嘩は負けだぞ。

同時に俺も緊張の糸が途切れたのか力が抜けてきた。

今日は面倒事が目白押しだ。

いい加減疲れた、帰ってぐっすり寝たい。

 

「……帰る」

 

そう言って扉に向かう。

交渉はご破算、なら此処に居座る理由も無いだろ。

 

「待て、バルトファルト」

 

まだ何かあるのかよ。

振り返るとグレッグが俺を見つめていた。

 

「どうして最初に仕掛けた時にナイフを使わなかった?いや、使わなくてもお前なら急所を狙う事が出来た」

 

確かにそうすれば此処に連れ込まれる事は無かっただろうな。

だからと言って人の命と釣り合う行為だと言われたら首を捻る。

 

「単なる判断ミスだよ。そこら辺のゴロツキなら一発で沈んでる。単にお前が強過ぎただけさ」

「私達だと気付いていたら最初から使っていたと?」

「何でそうなるんだよ。知ってたらさっさと逃げてた。俺は血を流すのも流させるのも嫌いなの」

 

クリスの質問に正直に答える。

喧嘩なんてやらない方が面倒臭くなくて一番楽なのに。

どうして俺は自分がやりたくない部分の才能に長けてるんだか。

その才能にしても一流には遠く及ばない。

全てが中途半端なのが俺だ。

 

「奇妙な男だよ君は」

「その言葉、そっくりお前達に返す」

 

ブラッドの評価をそのまま返す。

お前らも大概面白い奴らだけどな。

 

「それじゃ帰る。喧嘩をふっかけたのは悪かった。すまん」

 

顔を合わせず部屋から出た瞬間、脱いだ仮面を置き忘れたのを思い出した。

誰とも出会わないまま店の入り口に辿り着けるのを祈るしかない。

人目を避けてなんとか入口に到着したら門番が呆れた顔で俺を見てきた。

店の位置が分からないからこのまま迷子になって飛行船に帰れるかと悩んでたら馬車を用意してくれた。

さすが貴族御用達の秘密賭博場、至れり尽せりだ。

目的地の空港を教えると馬車が動き出す。

馬車の揺れと酒の酔いと疲れが一気に眠気を誘って来る。

 

疲れた、とにかく疲れた。

しばらく王都に来たくない、バルトファルト領に引き籠って自堕落に過ごしてやる。

とにかく一刻も早く逃げ出したい。

でも公爵家が絡むから逃げられないんだろうな。

欝々とした気分のまま空港に着くまで不貞寝しよう。

もう全力で飛行船を動かして帰ろう。

俺の居場所は田舎丸出しのバルトファルト領だ。

横になって目を閉じるとすぐに意識を失ったのが今日唯一の救いだった。




五馬鹿の中でひどい目に合わせても罪悪感が無いのは誰か?
出した結論はジルクでした。(ひどい
ジルクは遠距離戦と策略が得意なので白兵戦に持ち込んで会話のペースを乱したらリオンでもギリ勝てるかなと思って憎まれ役と相成りました。
構想で名誉挽回の機会があるからどれだけひどい目に合わせても問題無し。(鬼
次章はリオン編最終章、イチャイチャ回はその次の予定です。

追記:依頼主様に今章のイラストを実靜に書いて頂きました。ありがとうございます。
実靜様:https://www.pixiv.net/artworks/111689537

追記:依頼主様によってめいさむ様、ヨッチャン様、Lcron様、ギョーザ様、しらたま様、(公)様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。本日はアンジェ祭。

めいさむ様https://skeb.jp/@marameisamu/works/408(成人向け注意
ヨッチャン様https://www.pixiv.net/artworks/110707365
Lcron様https://www.pixiv.net/artworks/110708185
ギョーザ様https://skeb.jp/@gyouza_anime/works/34
しらたま様https://www.pixiv.net/artworks/110761667
(公)様https://skeb.jp/@hamu_koutarou/works/73


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第27章 地方領地の大きな家

原作12巻&マリエルート2巻が発売された記念にちょっとした記念SSを書きます。
その内容についてアンケートを取るので、よろしければご協力してもらえたら嬉しいです。
期限は8月27日までとなります。(アンケートは終了しました


「王都の貴族令嬢なんてクソだ!それがよ~く分かった!」

「その話はもう六回目だぞ兄貴」

 

ぞんざいに兄さんを兄貴呼ばわりして話を中断させようとするが上手くいかない。

バルトファルト領に帰還する飛行船の操舵室で兄さんは荒れていた。

俺が軽めの二日酔いの朦朧としてるのを見かねて指揮を担当してくれるのが実にありがたい。

ありがたいが不満を俺にぶつけるのは止めて欲しい。

飛行船の操縦を担当してる乗組員に当たり散らす訳にはいかないし、暇な部下に絡んだら評判が下がる。

だからって実弟の俺に愚痴らないで欲しい。

兄さんの事は敬ってるが名目上バルトファルト家の当主は俺なんだけど。

公爵に絡まれ、四馬鹿に絡まれ、兄さんに絡まれる。

俺が一体何をした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

兄さんは俺と違っていざという時の為に貴族としての教育を受けているし学園にも通わせてもらっていた。

俺はスペアのスペアだから軍に入ったのを後から伝えても家族は連れ戻そうとしなかったけど、男爵位を継ぐ可能性があった兄さんにその道は許されない。

その代わり貴族令嬢の嫌な部分をたっぷり見てきたんだろうな。

今まで下級貴族の男はあまりに女達に虐げられてきた。

王国が決めた下級貴族の女性優遇政策のせいでどれだけの男が泣いて来たか。

 

そんな状況が一変したのが公国との戦争だ。

上級貴族は口先だけのお坊ちゃまお嬢様で役立たず。

優遇した下級貴族の女は我先に逃げ出し敵に媚びを売って寝返る始末。

王国を護る気概があったのは下級貴族や平民の男と僅かにいた真っ当な貴族だけ。

国を護った連中を冷遇したら今度こそ間違いなく国が滅ぶと慌てたお偉いさん達は慌てて手の平を返し爵位やら領地やらを与えたけどあまり効果が無かった。

 

そりゃ今までぞんざいに扱ってきたくせに自分が苦しくなったら泣いて縋るような連中に仕えたいと思う奴はいない。

人間ってのは良い事より悪い事の方をずっと憶えているもんだ。

斯くしてやたら強いけど王家や国に対して忠誠心が無い屈強な男共が王国に増えた。

ホルファート王国は冒険者が創った国だから今までは冒険者の地位が高かった。

貴族の先祖の大半は功績を上げた冒険者だし、そうした若い貴族連中はそんな先祖を誇りに思ってた。

チマチマとした戦功と金稼ぎで男爵位になったバルトファルト家は他の貴族からもナメられていたもんだ。

 

その価値観が戦争の後にほぼ意味のない物になっちまった。

冒険なんて国が平和だから出来るもんだぞ。

お前は国の危機に何をしてた?

お前の先祖は凄い冒険者だろうがお前自身は何なの?

そんな当たり前の事実にみんな気付いてしまった。

冒険者を尊敬しているだけあって王国の男は他の国に比べて基本的に屈強だ。

 

それなのに冒険ごっこに明け暮れて国も民を護らず何の為の貴族か?

今じゃ『俺は冒険者だ!』と皆の前で主張しても戦争に参加してなきゃ『その力を国を護る為に使わず安全なダンジョンで金稼ぎに明け暮れていた』と侮蔑される。

逆に冒険の経験が無くても従軍して生き残っていれば一端の戦士として高い評価を貰える。

バルトファルト家は前回の戦争で父さんと兄さん、今回の戦争で俺と兄さんを中心に参加したから必然的に貴族社会で一目置かれるようになった。

その影響でもうすぐ父さんの爵位を継ぐ兄さんが貴族社会の催しに出ても邪険にされる事も無く真っ当に扱われ始めた。

 

「リオンには敵わないけど、やっと本腰を入れてまともな嫁探しが出来るな」

 

そう笑う兄さんを見て心から安心したんだけどな。

戦争の影響やバルトファルト領の開拓で散々協力させて二十代の半ばに差し掛かるのに未婚な兄さんに対して俺なりに負い目はずっと感じてた。

俺がアンジェと結婚して子供まで生まれてるのに兄さんに真っ当な婚約者すら斡旋できないのは心苦しい。

爵位としては最低の男爵に就く予定だけど、今回の戦争で犠牲者の少ない俺の部隊で副官をやってた兄さんはわりと高評価されている。

むしろ顔に傷があってぶっきらぼうな俺より兄さんを慕ってた部下も多かった。

その代わり心労が多くて戦争の終盤ではかなり痩せて倒れる事もあったけど。

王都に兄さんを同行させたのは爵位の継承申請と部隊の伝手で縁談探しだった。

アンジェも同意してくれて上手くいくと思ってたのに世の中そう簡単にいかない。

 

「あの女、『首輪をつけて私のペットにしてあげようかしら』とか言いやがった!ふざけんな馬鹿女!ゾラやメルセだって俺を奴隷扱いはしたけど犬扱いはしてねぇ!」

「分かった、分かったから落ち着いてくれ…」

「お偉い貴族のお嬢様ってのはあんな連中ばっかなのかよ!?」

「いや、アンジェみたいにまともな貴族令嬢も少しはいるから…」

「これなら父さんと母さんみたいに優しい平民の娘を嫁にする方が遥かにマシだ!俺は二度と王都に来ねえからな!」

「王命があったら拒否できないんじゃないかなぁ…」

 

普段怒らない奴が怒った時のエネルギーは普段から怒りやすい奴の比じゃない。

俺はわりと喧嘩っ早いのとやる気が無いからそれほど溜め込まないけど、一見穏やかで人当たりの良い兄さんをここまで怒らせるなんてどんな女なのか見当がつかない。

まぁ、何処にもひどい女はいるし戦争が起きたからって生まれた時から体に沁みついた価値観を切り替えられる奴ばっかじゃないんだろう。

俺の姉と妹だって未だに昔の価値観に凝り固まって自分から婚期を逃し続けてるし。

王国の価値観が変わった影響で貴族同士の婚約事情も大きく変化している。

 

かつては男側が遜って女に求婚してたのが今じゃ立場が逆転した。

下級貴族の女性優遇政策が下級貴族の忠誠心を根こそぎ奪い、不正や犯罪の温床になってた事実にお偉いさん達はこの数年間で女性優遇政策の全てを廃止した。

国を護った成り上がり者にとっちゃ家柄の良いだけの貴族女なんて大した価値は無い。

美しさ、優しさ、家事能力の高い女性が評価されて性格が悪く家の管理もろくに出来ない高飛車な貴族の女は見向きもされなくなった。

戦争で多くの男が戦死した影響もあり今じゃ女が余って男が少ない有り様。

 

こうなってくると手に何の技能も持っていない貴族の女には死活問題だ。

今まで何しなくても男が寄って来たのに誰からも相手にされなくなった。

高を括って自分磨きを怠ったせいで何の技能も持ってないからまともに働く事さえも出来ない。

働かずに実家に寄生する癖に金遣いだけは荒い娘を持て余し潰れる家も今じゃ珍しくない。

各地の娼館じゃ貴族崩れの娼婦が貧しさで身売りした平民の娘より多いなんて逆転現象すら起きてるから笑えない。

兄さんが会ったのもそんな価値観を変えられない貴族の女の一人だったんだろう。

つくづくアンジェと結婚できた俺の幸運が身に染みて分かった。

早くバルトファルト領に帰りたい、我が家の寝室でアンジェの豊満な胸に顔を埋めながら三人目が宿った腹を撫でて寝よう。

 

「聞いてんのかリオン!?」

「聞いてるよ、頼むからデカい声は止めてくれ…。二日酔いで気持ち悪いんだ…」

「お前夜中にこっそり船を抜け出して何やってたんだ?酒場で女でも口説いてたか」

「アンジェ一筋だよ俺は。酒飲みに行ったら質の悪い連中に絡まれた」

「戦争で成り上がった連中が増えたから昔より礼儀知らずも多くなってる。お前も気を付けろ」

「成り上がりだったらまだマシなんだけどな…」

「やっぱ王都はクソの溜まり場だ。俺には田舎が性に合ってる」

「それは俺も同意するよ」

 

兄弟揃って同じ結論になったのに苦笑する。

やっぱ俺達は田舎育ちの凡人だよ。

伯爵様とか護国の英雄なんて務められる器じゃない。

どうして俺を放っておいてくれないんだか。

俺の本心を理解してくれる家族が待つバルトファルト領に戻るまでの間、俺は兄さんの愚痴に突き合わされておちおち休む事も出来なかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

土地にはその土地特有の匂いってもんがある。

王都の王宮なら香水と甘ったるい砂糖と高級生地の匂い。

戦場なら血と泥と鉄と硝煙の匂い。

そしてバルトファルト領は土と草と温泉の匂いがする。

この領地を貰ってから三年程度しか経ってないの懐かしく感じるのはどうしてだろう?

半農に近い育ちの俺にとって畑と水路と林があれば何処でも懐かしい感じるのかもしれない。

往復にかけた時間を抜いたら十日にもならない滞在期間だったけど一ヶ月ぐらい居た気がする。

慣れない生活は本当に疲れる。

二日酔いと船酔いもキツいから今日はさっさと眠りたい。

欠伸を噛み殺しながら屋敷に入ると使用人達が一斉に頭を下げて俺達を出迎える。

流石は俺の嫁、旦那の帰宅時間は把握済みですか。

 

「ちちうえ~」

「おかえり~」

 

舌足らずな声が足元から響いて小っちゃな影が足に纏わりつく。

あぁ、可愛い。

何で自分の子ってだけでこんなに可愛いんだろ。

お前達の為ならお父さんは怖い王都のおじいちゃんに会いに行くのも我慢できる。

 

「お土産もあるぞ~」

 

後ろから兄さんが声を大きく出してライオネルとアリエルに告げる。

公爵は土産を山程くれた。

あの強面のおっさんが孫への土産を自分から選ぶ姿は想像できない。

それとも意外に孫へ甘いんだろうか?

今度王都に行ったら礼をしなくちゃならない。

 

「わ~い!」

「やった~!」

 

…君達、俺の時に比べて露骨に反応が違わないか?

十日ぶりのお父様よりおじい様のくれたお土産の方が重要ですか、そうですか。

泣きたい、心の底からお父様泣きたい。

この悲しみはアンジェに慰めてもらおう。

そう思って周囲を見渡したけどアンジェが居ない。

いつもなら俺の出迎えは自分が一番を主張する位なのに珍しい。

 

「アンジェは?」

「しごと」

「おしごと」

 

なら仕方ないか。

俺の出迎えより重要な案件があったんだろう。

この場を兄さんに任せて俺は執務室へ向かった。

まぁ、純粋にイチャイチャする俺達を周りに見られるのは恥ずかしいし。

何より子供達の教育に悪い。

俺も昔から子供達の前でイチャつく父さんと母さんを見て辟易してた。

悪しき習慣は自覚して絶たなくちゃ。

執務室の前で立ち止まり軽く身嗜みを整え深呼吸の後に扉を数回ノック。

 

『どうぞ』

 

部屋の中から返事が聞こえた。

俺の執務室なのに入室の許可が必要って何かがおかしい。

まぁ、俺よりアンジェの方がずっとこの部屋を有効活用できるから良いけどさ。

部屋に入ると机でアンジェが書類に目を通していた。

紙を捲りながら要点を一つずつメモに書き写している。

相も変わらず有能な俺の嫁。

でも息子と娘に邪険にされて傷心中の旦那にも気を配ってくれないか?

アンジェにまで冷たくされたら立ち直れない。

 

「戻ったぞ」

「あぁ、お帰り」

 

そう言ってようやく視線を俺に移してくれる。

 

「王都の様子はどうだった?」

「終戦から数ヶ月じゃ変わり映えしてない。こっちの方が作物の実りで変化がある位だ」

「そうか」

 

軽口を叩くがアンジェの反応がいまいち薄い。

いつもなら呆れて応えるかキツめのジョークが返って来るのにそれも無し。

何かマズい事でもあったのか?

 

「顔色が悪いな。そんなに王都はつらかったか」

「体調に気を遣うべきなのはむしろアンジェの方だろ」

 

椅子から立ったアンジェが心配そうに俺の顔を撫でる。

 

「いろいろあったんだよ、そっちの方はどうだった?」

「昔の知り合いに厄介事を持ち込まれた、その事で相談したい」

「金なら無いって言っておいてくれ。出世したいなら俺じゃなくて公爵に直談判しろって伝えろ」

「その父上が関係する話題だ」

「何だ、ようやく舅にいびられる婿の状況から抜けたのにまた会いに行かなきゃいけないのかよ?」

「取り敢えずこれを読んで欲しい」

 

そう言って机の上に置かれた書類を指差すアンジェ。

二日酔いの頭に書類仕事はキツ過ぎる。

 

「要点だけ教えてくれ」

「私としてはリオンが自分から推察してくれるように成長して欲しいのだが」

「俺が自分で読むよりアンジェが説明してくれる方が早くて分かりやすい」

「まったくお前は……」

 

呆れつつ準備を始めるアンジェ。

すいません、情けないダメ領主な夫で。

ダメな俺が頑張るより優秀なアンジェに任せた方が楽で間違いが少ないのは事実なんです。

軍の経験から優秀な指揮官が全て熟すより部下にある程度自由にやらせてダメな部分だけきっちり抑えた方が皆がやる気出して俺も楽になれると学んだ。

相手を褒めるのを怠けると一気に嫌われるけどな。

もしアンジェに出て行かれたらバルトファルト領は間違いなく終わるけど、俺はアンジェにベタ惚れだから頭下げてでも帰って来てもらう。

どっちが領主だか分かんないけど、これで俺達は上手くいってるからそれで良い。

 

「あまり愉快な話じゃないぞ」

「それは聞いてから判断するさ」

 

そう告げて俺は椅子に座りアンジェの話に耳を傾けた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「マジで?」

「冗談にしてはこんな笑えない内容をわざわざ伝える必要は無いだろう」

 

……アンジェの話を全部を聞いた後、ひどい頭痛に襲われて頭を抱える。

そもそも公爵家と王家の関係がそこまで悪化してた事すら知らなかった。

公爵もギルバートさんも俺に詳しく話してくれよ。

言葉を濁して真の狙いを誤魔化すのは反則だろうが。

それだけ俺が信用なら無いのか、俺を引き返せない段階になってから巻き込む腹積もりなのか。

少し、いやかなりムカムカしてきた。

 

「それで、王妃様と聖女様はいったいどうするって?」

「状況に変化があれば向うから連絡が来る。接触方法も教えられた」

 

つまり俺達は待つしか出来ないって訳ね。

何の力も無い田舎の領主貴族の限界を感じる。

 

「それで、俺はどうしたら良い?」

 

二日酔いを抜きにしても頭が回らない。

そもそも国の存亡について王妃と聖女が田舎に訪ねて来られても困る。

俺、単なる田舎の成り上がり者だよ。

 

「リオンが決めて欲しい。バルトファルト領の最高責任者はリオンだ」

 

アンジェに促されるけどそう簡単に決められる類の問題じゃないだろ。

どっちかに味方すればもう一方に敵と思われる。

しかも相手は主君と義父ときたもんだ。

 

「勝つ方に味方しないとヤバいな」

「王家が勝てば叛逆者の血族として処断される。逆に公爵家が勝てば非協力的な身内を見過ごす筈が無い。どちらに付いても見せしめにされる」

「ちなみに関わり合いになりたくないから知らんぷりするって選択肢は?」

「あるにはある。全てが終わった後に勝った側から糾弾されるのを覚悟してるならそれも良い」

「地獄かよ」

 

もうヤだ王都の連中、争いたいなら自分達だけでやってくれ。

俺達を巻き込むなよ。

 

「アンジェはどうしたい?俺はアンジェと子供達が幸せになれるならどっちでも良い」

「私は……」

 

言い淀んでアンジェは下唇を噛みしめる。

そりゃそうだ。

単純にどっちかに味方すれば良いって話でじゃない。

味方する以上は最後まで付き合わされる。

途中で抜け出すような裏切り者はどっちからも袋叩きにされて潰されるだろう。

八方塞がりだ。

アンジェが俺に決断を促す時は基本的に方針が定まってる。

俺の理解と承認が必要なだけだ。

ここまで俺の決断に任せるのは珍しい。

それだけ判断に迷ってるんだろう。

政治の事はよく分からないけどアンジェの事ならよく分かる。

 

「ごめん、意地の悪い質問だった。アンジェは公爵と争うつもりはあるのか?」

「出来るなら父上や兄上と争いたくはない」

「じゃあ王家を今も憎んでる?」

「蟠りが完全に無いと言えば嘘になる。だからと言って弓を引くのも迷いがある。忠誠心ではなくバルトファルト領の利益を鑑みての話だが」

 

どっちに付いても得があるし損もある訳ね。

下手すりゃうちの家族だけじゃなくて領民全員を巻き込むから当然だけど。

 

「公爵も義兄さんもひどいなぁ。俺達に内緒で巻き込む気満々かよ」

「すまない。リオンを巻き込んでしまった。二人は何か言ってなかったか?」

「出世の覚悟を決めろとか側室を持ったらとか言われたよ、こんな話は欠片もしてない」

「リオンは側室が欲しいのか?」

「要らないって。何で公爵家の連中は俺が女好きだって思い込んでるの?」

 

複数の嫁を持てる甲斐性なんて俺には無いぞ、悲しいけど。

嫁一人と子供達を幸せに出来るかさえ分からないのが俺です。

 

「これ読めば答えは出る?」

 

机に置かれた紙の束を握って尋ねる。

アンジェに答えが出せないのに俺が読んでも解決方法が出るとは思えないけど読まないよりマシだろう。

 

「あくまで参考程度の情報だ。王妃様も本当に重要な情報は渡さないだろう」

 

偉い奴らって何で必要な事は伝えないのにこっちの都合で働けと強制するんだよ。

誠意とか尊敬って感情を持ってないんじゃないか?

溜め息を吐いてアンジェの頭を撫でる。

 

「疲れたから寝室で寝転びながら読むよ」

「添い寝してやろうか」

「してくれるの?」

「それは夜までお預けだ」

「何だよ、意味ないじゃん」

 

減らず口を叩いて寝室に向かう。

せっかく我が家に戻ったのに気の休まる時がありゃしない。

領地経営さえ手一杯なのに余計な事に巻き込みやがって。

王家も公爵家も両方滅ぼしてやろうか糞ったれ。

寝室に入って上着を脱いで襟元やベルトを緩めて楽になる。

夫婦用のベッドに寝転びながら適当に目を通すが内容が頭に入って来ない。

いや、報告やら図の一つ一つの内容は理解できるさ。

其処から貴族の力関係とか金の出処とか未来の状況を察する能力が俺には無いんだよ。

これに比べたら戦場でどうやって相手に勝つのかを考える方が数段楽だ。

とにかく相手に嫌がらせしまくって弱らせた後で自分の被害を最小限になるよう一気に攻め込めば良い。

あらためて考えると性格悪いな俺。

なんでアンジェが惚れこんでるのか全然分からん。

 

「ダメだ、眠い」

 

二日酔い、船酔い、政治の話に難しい報告書ときたもんだ。

眠くならない訳がない。

取り敢えず夕飯の時間まで寝よう。

寝てからいろいろ考えよう。

頭の良いアンジェが分からない物が俺に分かる筈がない。

自棄になって寝転び欠伸をする。

せっかく帰って来たのに飯も風呂も睡眠も満喫できないのはつらい。

明日は絶対に休もう。

そんな事を考えながらベッドの上に手足を放り出した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

柔らかくて温かい感触が顔に当たったのを感じて目を開けた。

この感触は憶えがある、あり過ぎる。

愛しい嫁の大きな胸だ。

 

「起きたか?」

「起きた。何時?」

「とっくに日が暮れて夕食も終わった」

「起こしてくれりゃ良いのに」

 

家族揃って賑やかな食卓を囲むのが数少ない俺の幸せなのに。

 

「よく眠っていたから寝かせておいた。それに」

「それに?」

「リオンを私が独り占めしたかった」

「そうか」

「そうだ。だからこっそり胸を揉むのを止めろ」

「無意識にやってたんだ。許して」

 

ゆっくり体を起こして伸びをする。

体のあちこちから骨の鳴る音がして気持ちが良い。

 

「結論は出たか?」

「簡単に出るならアンジェが悩むはずないだろ。取り敢えず様子見する」

「状況が変わり、どちらかが動き出すまで待つしかないな」

「暫くはいつも通り。アンジェは元気な赤ちゃんを産む為に自重してくれ」

「それが賢明だな」

 

何も出来ないならいつも通り過ごすしかない。

周囲に流されるばっかだな俺の人生。

国を動かす力も金も無いから仕方ない。

 

「どうする、何か食べてるか?」

「いい、今日は風呂入ってから寝る」

 

俺達の寝室には備え付けの浴室と便所がある。

いや、確かに食事を持ち込めばずっと部屋に引き籠れると改築した時に考えたけどさ。

裏で領主夫婦がイチャイチャする為に改築したと噂されるのはつらいんですけど。

ボタンを外しながら浴室へ向かう。

備え付けの籠に脱いだ服を放り投げ蛇口を捻って浴槽に水が張るのを待つ。

昼夜や季節に関係なく風呂に入れるってのは実に贅沢だ。

薪を拾い集める必要も湯の温度を調整する手間も無い。

文明の利器って最高。

 

湯船に体を沈めてあちこちを揉む。

温まったら風呂から出てさっさと寝よう。

明日は休んで子供達と一緒に一日中ダラダラ過ごすんだ。

呑気にそんな事を考えてたら浴室に誰か入って来た。

いや、この状況で浴室に入れる奴なんて一人しかいないんだけど。

 

「まだ何かあんの?」

「一緒に入ろうかと思ってな」

「いいよ、ベッドの上で待ってて」

 

俺の言葉を無視してアンジェは服を脱ぎ始める。

止めてくれ、どう考えてもヤバいだろ。

主に俺の理性的な意味で。

アンジェは俺の理性をガリガリ削りながら浴槽に浸かる。

溢れたお湯が浴槽から溢れて排水口に流れ落ちた。

 

「何で入って来るんだよ」

「嫌か?十日も離れていたらもう私に飽きたか」

「そんな訳ないだろ。いろいろ控えてるのに我慢できなくなったらどうするんだ」

「リオンも父親になったのだから頑張って耐えろ」

「これなんて拷問?」

 

そんな会話をしながら一緒に風呂に入る。

良いな、やっぱり我が家は最高だ。

そんな風に呑気に考えてたら突然アンジェに腕を掴まれた。

 

「何だ、コレは?」

 

掴まれた左手を見ると紫色の痣がハッキリと付いていた。

昨日グレッグに握られた場所だった。

ヤバい。

飛行船に戻った後で着替えた時に気が付いたけど船酔いやら戻って気が緩んでたのやら王家と公爵家の争いとかいろいろ考えて頭から抜け落ちてた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「あ~~。ちょっと王都で転んだんだ」

「転んでこんな痣はつかない」

 

俺を見るアンジェの目が冷たい。

 

「それにそっちは何をした?」

 

次は右腕を撫でられた。

クリスに木の枝で叩かれた場所も青い痣になってた。

 

「どっかにぶつけたと思……」

「そんな言い訳が通ると思ってるのか」

 

あ、マズい。

アンジェが怒ってる。

しかもかなり凄い勢いで。

何か言おうとしても言葉が出なくて口をパクパクさせるだけだ。

 

「風呂から出よう。王都で何があったかじっくり聞かせてもらおうか」

「……はい」

「逃げるなよ」

「逃げません、逃げられません」

 

おかしいなぁ、何でこんな事になってんだ?

俺の前で夜着に着替えるアンジェの胸も尻もエロいはずなのに全然興奮しない。

何で帰って来た夜に嫁と揉めなきゃいけない訳?

やっぱ王都は揉め事の溜まり場だ。

暫く行きたくない。

ベッドに腰掛けるアンジェが冷ややかな視線で俺を見ていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

王都で起きた事を正直に全部アンジェに話した。

だって話すしかないじゃん。

アンジェを騙せるぐらい賢いなら俺はもっと出世してるしこんな状況に追い込まれてない。

全てを話し終えた時のアンジェの顔は無表情だった。

 

あぁ、こりゃダメだな。

完全にキレてる。

声を荒げたり目を吊り上げて睨むアンジェは実はそんなに怒ってない。

あくまでパフォーマンスとして俺や家族に怒りを表現してるだけだ。

本当に腹の底から怒ると顔から表情が消える。

王妃教育を受けて本当の怒りを押し殺す事を仕込まれたアンジェは怒りが大きくなると逆に静かになる。

もういい。

もうコイツは潰す。

欠片も残さないほど徹底的に潰してやる。

貴族としての傲慢さと為政者としての冷徹さが合わさって邪魔な奴を虫みたいに排除しようとする。

 

以前バルトファルト家に詐欺話を持ち込んだ商人に怒った時は凄かった。

徹底的に潰した後に被害にあった他の貴族達に連絡して袋叩きにさせて最終的に国へ引き渡す。

その後にそいつの話は一切聞こえて来ない。

国の頂点に立つはずだった女の怒りは凄まじい。

 

「…………」

 

黙ったままアンジェはベッドを下りて扉に近付く。

 

「おい、何処へ行く気だアンジェ?」

「王都」

 

口数少なく答えるアンジェ。

俺との会話すら煩わしく思ってるのか。

 

「何しに王都へ行くんだよ?」

「セバーグ家とアークライト家とフィールド家とマーモリア家を叩き潰しに。ついでに王家を滅ぼすのも悪くないな」

 

ダメだ、完全にキレてる。

ちょっとそこらの畑見て来るみたいなノリで真夜中に王都を滅ぼそうと公爵家へ向かうつもりだ。

きっとホルファート王国を滅亡させるまで止まらない。

 

「落ち着けアンジェ!!俺は無事だったから!!」

「私は充分落ち着いているぞリオン。どうしようもない愚物共を消し炭に変えてやるだけだ」

 

ちっとも落ち着けない言葉を放ちながら部屋を出ようとするアンジェを必死に押し留める。

ギュッと抱きしめるとアンジェが俺を抱き返す。

俺が原因で王家と公爵家の争いが勃発とか嫌過ぎる。

そんな事で歴史に名を残したくないぞ俺は。

アンジェの瞳から光が失せてる。

 

覚悟を決めて俺はアンジェにキスをした。

舌を絡めて呼吸すら止まるような激しいキス。

体を離そうと必死に振り回されるアンジェの腕を掴んで拘束しながらキスは止めない。

徐々にアンジェの瞳に光が戻り、抵抗する腕の力が弱まって俺の体に回された。

そのまま抱きしめてベッドに移動してアンジェを寝かせる。

 

「…………何をする気だ」

「いや怒ってたから冷静にさせようと」

「……私が怒ったらキスをするのかリオンは」

「言葉じゃアンジェを止められないだろ」

「まったく」

 

呆れたような声を出すアンジェの顔は優しげだった。

正気に戻ったらしい。

 

「馬鹿馬鹿しくて怒る気が失せた。とりあえず王家を滅ぼすのは保留だ」

「そりゃ助かる」

「こんな事を他の女にするんじゃないぞ」

「するのはアンジェだけだから安心して良い」

 

溜め息をつくアンジェは落ち着きを取り戻したように見える。

今日は目が離せないから抱きついて寝る。

下心は無いぞ、全く無いからな。

 

「昔を思い出した」

「昔?」

「婚約破棄されたあの時だ。あの時も怒りに我を忘れて失敗した。相も変わらず成長していないな私は」

 

アンジェが落ち込みながらそんな事を言った。

 

「失敗しなきゃアンジェは俺の嫁になってくれなかっただろうし、それで良いんじゃないか?」

「今さっき王都を灰燼に帰そうとした女がか?」

「アンジェが暴走しそうになったら俺が止めるよ。だからアンジェも俺を支えてくれ」

「仕方のない旦那様だ、それでこそ支えがいがあると思うか」

 

ようやく笑顔を取り戻したアンジェに安心する。

やっぱ惚れた女には笑って欲しいんだよ俺は。

その為なら王家も公爵家も敵に回せる。

アンジェの顔を見ながらぼんやり考えてると頬を紅くしてモジモジし始めた。

 

「それで、まだお帰りのキスをリオンにもらっていないのだが」

「今キスしたじゃん」

「あれはキスの範疇に入らない。ただ私の動きを封じようとしただけで愛情が込められていなかった」

「我儘な奥様だな」

「我儘な女は嫌いか?」

「嫌いだな、アンジェは別だけど」

 

アンジェの顎と頬に手を添えて唇を重ねる。

ようやくバルトファルト領に帰って来たと実感できる。

今日はもうこのまま寝よう。

アンジェの体を抱き締めながら俺はベッドに寝転んだ。




王都リオン編終了です。
今後は夫婦一緒に行動し始める予定です。
次章はアンケート結果を繁栄させたイチャイチャ回となります。(成人向け描写は此方に別途投稿します
https://syosetu.org/novel/312750/

実質二章投稿の文量、他作品の執筆、ストーリー構成の見直しを踏まえ次回の投稿は少し遅れて9月に上旬になる予定なのでしばらくお待ちください。

次々章からはアンジェとリオン以外の視点も交えて原作キャラも何人か増える予定なので気長にお待ちいただけたら幸いです。

追記:今章の挿絵イラストをぽんぬ様に描いていただきました。ありがとうございます。
ぽんぬ様:https://www.pixiv.net/users/57662780

ご意見・ご感想を戴けたら今後の励みにしたいと思います。


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第28章 夫の手料理が美味い●

土壌を改良する事は農業に於いて不可避の問題だ。

どの植物も土から養分と水を吸収し種から芽を出し成長を続け花を咲かせ実を結ぶ。

その工程を支えるのが土壌である。

人間社会の始まりが農耕が可能となり集落を作る事で継続的な食糧の供給を可能にした時点であるなら、人の歴史は農耕の歴史と言い換えても過言ではない。

長い歴史の中で数多の王達は自国の民を如何にして食べさせるかに腐心してきた。

時に作物に必要な河川の灌漑工事を執り行い、また或る時に食料を確保する為に隣国を攻め、また或る時は食料を与える事で民の支持を確保する。

生きてゆく上で食事は不可欠だ。

故に民を飢えさせない領主はそれだけで英主と讃えられるべきなのだ。

 

たぶん、きっと、おそらく。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

バルトファルト領は元々王家が所有していた浮島だった。

一応は直轄地という体裁ではあったが、実際には未発見だった浮島を確保した王家が取り敢えず直轄地と言い張っただけでほぼ未開拓の土地である。

リオンに下賜される以前から開拓が進められてはいたが、あくまで数少ない領民がギリギリ自給自足を行える最低限の開拓しか行われていないのが実情だった。

温泉といった資源はあったものの開発する手段と資金を領民は持っておらず、王家も開拓に必要になる資金を算出し大して収益にならない浮島の開拓を主導するより王都の政治に勤しんだ方が有益と判断したのだろう。

 

まぁ、そのおかげで領民が王家ではなく領主たるバルトファルト家の方へ感情移入してくれるのが救いだ。

ぼんやりとこの地の歴史を振り返りながら畦道を歩き続ける。

領主の妻である身重の子爵夫人、いや伯爵夫人が護衛すら付けずたった一人で出歩くなど王都では考えられない事だ。

畦道の両脇の畑からは農作業に勤しむ領民が黙々と作業を続けている。

田舎特有の長閑な時の流れは数ヶ月前まで国同士の戦争が起きていたとは思えないほど穏やかだ。

 

公国との戦争でバルトファルト領も戦死者を出した。

開拓が本格化して間もない領地であり、徴兵されたのは元兵卒などの軍務経験がある帰農者であり大半が独身だった。

現在のバルトファルト領は開拓の為に退役兵の受け入れに積極的だから、この地で家族を作り領民として根付いてもらう計画にだいぶ狂いが生じた。

この地で結婚し子を為した領民が戦争で命を散らした。

遺された者は悲しみに苛まれながらも逞しく生き大地の恵みを育む。

もし私がリオンを喪ったら同じように振る舞えるだろうか?

私は弱い女だから耐えられないかもしれない。

それとも子供達を育てる為に歯を食いしばり生きるのか。

答えは出そうになかった。

人は自分の大切な物がいつまでも隣に在り続けると錯覚する。

そして喪った時に初めて自分にとってどれほど貴重な存在か気付くのだ。

 

漸く目的地の畑が見え始める。

バルトファルト家が個人経営する農園には領主専用の畑が存在する。

普段は信用できる領民が交代で世話をしているが一ヶ月に数日間のみ誰も近づく事を禁じられる。

禁じたのは私だが事情が事情だけに致し方ない。

そんな立ち入り禁止期間の畑の中央で屈みながら作業を続ける男の後姿が目に入る。

 

農夫だ。

どう見ても農夫である。

地味な作業服に身を包み黙々と畑の土弄りを続ける厳めしい男。

顔の左側には傷痕が残り細身に見える体躯はよくよく見れば鍛え抜かれた体だと服の上からでも判別できる。

貴族としてはあまりに規格外であるし、裏社会の人間としては人が良過ぎる。

この珍妙な男がこの領地を治め貴族だと判別できる者は極めて稀だ。

不要な枝を剪定し、生い茂る雑草を抜き、地面を掘り返して土壌を整える。

手馴れた動きはまさに農民のそれだった。

 

「いずれ伯爵位を賜る男の趣味が土弄りとは他の貴族にあまり大っぴらに言えない趣味だな」

「趣味と実益と兼ねてるんだから合理的だろ。農作業は良いぞ、丹精込めて作物を世話した分だけ応えてくれるから下手な人間より信用できる」

「もう少しこう、貴族らしい趣味にしないか?温室で花を育てるとか」

「食えない植物を育てても腹は膨れねぇ」

「……私が悪かった、この話はお終いにする」

 

リオンの思考は食料の確保と領地の安泰が最優先事項であり華美や絢爛という言葉は頭の中に無い。

それは確かに領主として喜ばしい資質ではあるのだが、あまりに吝嗇だと領地の発展を妨げかねない。

質素倹約は確かに必要だが人の上に立つ者が金を渋ると経済が萎縮してしまう。

バルトファルト領の温泉は療養施設の体裁を整えてはいるが、収益の半分近くは富裕層の観光客が落とした金である。

貴族の嗜好を仕込む為に他の領地を訪ねた際にリオンを誘い芸術品やら美食やらを体験させているが芳しい反応を得られない。

貴族向けの詐欺防止や商取引の目利きにある程度の美的感覚が必要なのだが。

リオンを注意すれば『アンジェがいるから大丈夫だろ』と返されるので私としても反応に困る。

私が居ない時の為に正常な判断が出来るよう教育してるのに、私が常に自分の傍らから離れないと考えてるリオンが愛おしくてついつい甘くなってしまう。

 

「そろそろ休憩にしよう、食事を持って来た」

「もうそんな時間か、腹が減る訳だ」

「丹精込めて作ったから期待して良い」

「……アンジェの手料理か」

 

何だその目は。

確かに私の家事能力は平民の子供にも劣るかもしれないが少しずつ成長はしている。

特に今日の料理は会心の出来栄えだと自負している。

籠の中に納められた弁当箱の蓋を開けリオンに手渡す。

 

「これはパンに新鮮な野菜を挟んだ物だ。こっちはパンに肉と卵を挟んである。そちらはパンに焼いた魚を挟んだ」

「全部パンに何かを挟んだやつじゃないか」

 

何が不服だ?

パンに何かを挟むだけで炭水化物と蛋白質と野菜を同時に摂取できるんだぞ。

しかも包丁も火も殆ど使わないお手軽さでえありながら挟む食材を変えるだけで無限の組み合わせが可能という素晴らしさ。

どれほど料理の技術が進歩してもこの素晴らしさには決して届かないと私は考える。

決して手抜きではない。

私が手ずから食材の選定を行い慣れない調理を他の者に手伝わせる事なく作った愛妻料理だ。

 

「嫌なら食べなくていい。これは私が全て平らげる」

「食べる、食べます。ありがとうございますアンジェリカ様。貴女の優しさにボンクラの俺は嬉しくて涙が止まりません」

 

謝ったリオンは弁当箱を私の手から奪うと黙々と平らげる。

水筒に納めた茶を時折差し出してはリオンの反応を窺う。

文句を言われるよりも何の反応も無い方が傷付く。

 

「どうだ?」

「昔よりは美味い」

「比較するな。現時点で美味いか不味いかだけ答えろ」

「美味いよ。素材の良さを存分に引き出してる」

「素材が良いだけのように聞こえるのは気のせいか?」

「だって不味く作る方が難しい料理だろコレ。大抵の食い物はパンに挟めば食えるんだぞ」

 

文句を言いながらを頬張るのを止めないリオンが何処か可笑しくて口元が緩む。

 

「使った食材が全部バルトファルト領で収穫できた物じゃないのが減点対象だな」

「そこまで開拓が進んでいないのは仕方あるまい。本格的な開拓が始まってまだ五年も経っていないからな」

 

開墾して種を蒔いたらすぐに収穫が可能になるほど農業は甘い物ではない。

王家の所領だった頃から住んでいる領民のおかげである程度は耕作が可能な作物の傾向が分かっているはいるが、それだけで領地の民を養えるほどバルトファルト領の食糧自給率は高くはない。

麦や各種作物の苗、茶の木や実が食料になる樹木を植えてはいるがどれも軌道に乗るには十年近くの歳月が必要になる。

レッドグレイブ領や他領の経験豊富で移住に積極的な農業従事者を何名か招聘してはいるがそれでも足りない。

ただでさえ公国との戦争で予想外の出費と人的損失を抱えたバルトファルト領が自給自足の域まで発展するのは当分先になりそうだ。

 

「明日からは仕事に戻ってもらう。領主が仕事よりも趣味の畑仕事に没頭してるなど噂になっては困る」

「これも立派な仕事だろ。この土地に適した作物を植えて結果を調べる。開拓には必要な仕事じゃん」

「領主自らするべき仕事ではないと言っている」

「俺の嫁さんはおっかないな」

 

リオンがこうして畑仕事に勤しむのは何か嫌な事があった時だけだ。

貧しかった子供時代に回帰して心を落ち着かせているのは分かる。

それでも貴族として、領主としてリオンに行動してもらわなければこの地の経営は成り立たない。

 

かと言って戦争や王都での駆け引きで心労が溜まっているリオンに無理をさせ続ければせっかく癒されてきた心の傷が再び疼くのでダメだ。

私とリオン本人と医師で相談した結果、休養の名目で時折こうした農作業をさせるのが一番良い解決方法と分かってきた。

弁当箱を籠に戻すと食後の何とも言えぬ微睡みを誘う陽気にリオンが瞼を閉じる。

やれやれと溜め息を吐きながら足を崩すとリオンが私の膝に頭を乗せる。

気持ち良さそうに伸びをしながら私の太腿に頬擦りするリオン。

私の太腿は枕じゃない。

 

そんな事を思いつつ拒絶する気持ちが一切起きない時点で私はこの夫に気を許しているのだろう。

人目が無いからこそ出来る所業だ、領民はもちろんバルトファルト家の面々がいたら絶対に出来ない。

 

「少し休んだら午後から収穫を始める。豆と芋と野菜が幾つか食べ頃だと思うぞ」

「見事に野菜ばかりだな。私は菜食主義者ではないのだが」

「妊娠してるんだから食べ物には気を遣わないとマズいだろ。ただでさえ悪阻があるんだし」

 

確かに悪阻が始まってから食欲が些か落ちている。

味覚や嗅覚が変わって今まで平気だった食べ物を体が拒絶する。

かと言って食べられる物ばかりでは栄養が偏ってこれまた母子双方に悪い。

妊娠中の食事は数少ない楽しみでもあり苦行だ。

 

「せっかくだから手伝ってくれよ、今日はもう暇なんだろ?」

「暇ではない。書類整理が幾つか残っている。出来れば今日中に目を通したい」

「でも俺が居なきゃ話は進まないだろ?なら明日に回しても問題ないって」

 

どうして我が夫はこうした悪巧みに関して知恵が回るのか。

野心の無さと善性で誤魔化されているが一歩間違えれば悪徳領主になってもおかしくはない男だ。

 

「逢引きする為に休みを取らせた訳ではないのだぞ」

「二人きりになる時と場所をわざわざ作った嫁さんが言うと説得力が無いんだよなぁ」

 

仕方あるまい、貴族の夫婦ともなれば二人きりになれる場所は必然的に減ってゆく物だ。

配偶者の家族、屋敷を維持する家人、領地の経営を担当する部下、軍事力として仕える寄子や騎士。

常に公人としての振る舞いを求められ私人として気を抜ける場所など作ろうとしなければ精神が疲弊する。

その点で言えばこの農園は領地開拓の一環という名目で私とリオンが一緒に居ても文句を言われる事が少なくて済む絶好の場所である。

 

「作物の収穫は楽しいぞ。実がなるまでの苦労が吹き飛ぶし、自分が育てたって満足感が最高に美味くしてくれる」

「やだ、土弄りも栽培も苦手だ。何より虫は怖い」

「蜘蛛は害虫を喰う、蝶や蜂は受粉に必要、ミミズは土を豊かにしてくれるんだぞ」

 

リオンが懐から剪定・収穫用の鋏を手渡す。

逃げたくても既に逃げ道は塞がれている。

 

「二人でやれば早く済む。そうすれば一緒に過ごす時間も増えるから効率的だろ」

「上手く出来る自信が無い」

「ちゃんと教えるから安心しろ」

 

無理やり鋏を握らされるとその上からリオンの手が覆い被さる。

彼のゴツゴツと節くれだって皮の厚い掌の感触と温かさが心地良い。

結局私達は作物を収穫しているのか、それとも逢引きしているのか分からないまま農園で日が傾くまで過ごした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「……疲れた」

 

普段は使わない筋肉を酷使したせいで屋敷に戻らず別宅に向かう事態となったのは失策だった。

王国の貴族は冒険者だった祖先を敬慕している為に国全体が尚武の気風だ。

私も学園に在籍していた頃は自主鍛錬に励んでいたし、妊娠中や出産後は体型が崩れるのが嫌で積極的に運動してる筈だが運動と農作業では使う筋肉が違うらしい。

ただでさえ子供を産んでから胸と尻と腰回りに余分な肉が付きやすくなったのに、あの程度の作業で疲れるとは情けない。

つくづく私は貴族の家に生まれついた令嬢であり、半農半貴で育ったリオンとの違いを認識する。

 

「風呂を沸かしたから先に入れ、その間に飯を作っておくから」

「すまん」

 

のろのろと体を動かして浴室へ向かう。

嘗てリオンが一人で暮らしていた別宅は主が屋敷へ移った後も解体される事なくバルトファルト領の片隅に存在している。

むしろ執務に必要な資料や物品を運び出したせいでリオン専用の隠れ家になっている。

暇な時にちょくちょく改良を加えられた結果、浴室や調理場は常に使用可能であり食料も貯蔵され生まれた子供達に汚されないようにリオンが好む本やら玩具も移された。

私と過ごすより別宅の模様替えの方が楽しそうなリオンに少々腹が立ったものだが仕方なく許した。

リオンにとって不可侵の別宅に招かれる者は限られている。

それこそ無条件で立ち入りを許されているのは私ぐらいで、いつ私が来てもいい様にお気に入りの食器や着替え等も常備してあると思えば面映ゆい。

 

体を洗い些か狭い浴槽に浸かっていると何やら良い匂いが漂ってきた。

リオンの手料理は手抜きのように見えてなかなかに美味いのが癪である。

もちろんお抱えの料理人と比較にはならないが、有り合わせの食材をほんの少しの工夫でそれなりの出来に仕上げる。

 

これでは私がひたすら不器用に見えるではないか。

必死に材料の大きさを揃え、調理時間や火加減を調節に気を配り、味をその都度で修整している私の何がいけない。

何故煮込んでる最中に味が変わる?

味が変わる度に水を加えたり調味料を足すほど出来が微妙になるんだ?

そもそも「適量」「一つまみ」「少々」「しばらく」「お好みで」という表現が気に食わない。

料理本は正確な重量や時間の単位で事細かに記載されるべきである。

 

 

【挿絵表示】

 

 

ぼんやりと取り留めない思考をしながら浴槽から出て体を拭く。

現時点で体型に変化は無いが二・三ヶ月もすれば胎児の成長と共に入浴や着替えが一手間となってしまう。

そうなればこの別宅を訪れるのもしばらく出来ない。

妊娠すると行動が制限されるのが最近の悩みだ。

着替えが終わり台所兼居間に戻るとリオンが椅子に腰か読書をしていた。

鍋で何かが煮られている音だけが室内に木霊する。

私の姿を確認しテーブルの上を指差すと私用のティーポッドとカップが置かれていた。

椅子に座りティーポッドからカップへ茶を注ぎ口を付ける。

やや温いハーブティーは風呂上りの体を冷ます事なく私の心と体を落ち着かせる。

 

ただ静かに時間が過ぎていくのが心地良い。

婚約して一年ほどで結婚と妊娠をした私達は二人きりで過ごした夫婦の時間が欠けているように思える。

いや、婚姻前から性交渉を行い愛欲に耽溺した日々を結婚前まで送ったからむしろ貴族として慎みに欠けているか。

元公爵令嬢、子爵夫人、そうした肩書きから解放され素顔の私が此処にある。

ティーポッドを空にしたのが頃合いらしい、リオンが火を止めると鍋の中身を皿によそり始める。

軽く火で炙られた黒パン、豆と芋と野菜と干し肉を煮たスープ、湯で温められた卵。

とても貴族の食事とは思えない質素さだ。

 

「いただきます」

「遠慮なく食え」

 

スプーンで掬ったスープを啜ると旨味が凝縮された味に舌が喜ぶ。

細かく刻まれた野菜から沁み出した水分、干し肉の旨味と香辛料、形が崩れる直前まで柔らかくなった芋、歯応えが残る豆。

特徴的な味を残し、同時に互いを邪魔をする事なく見事に調和している。

 

「どうだ?」

「美味い。美味いから腹立たしい」

「何でだよ」

「私が苦労して作った料理よりリオンが適当に作った料理の方が美味い。これを屈辱と言わずして何と言う」

「理不尽過ぎるぞ」

 

いっそ私が男になり、逆にリオンが女性になるのが私達夫婦にとって一番良いのかもしれない。

男になった私が領地の経営を担当し、リオンは家に籠って家事と子育てを担当する。

これは理想的な夫婦像ではなかろうか?

生まれた子供は愛おしい、愛おしいのだが妊娠と出産は女性とって凄まじく重労働なのだ。

私の場合は初産で双子だったから苦労も多かった。

それなのにリオンは私に八人も産んで欲しいなどと本気なのか冗談なのか判別しがたい事を宣う。

いっそリオン本人が産めば解決するのでは?

男になった私が女性になったリオンを抱くという倒錯的な光景が脳裏を過ったので思考を止める。

 

 

【挿絵表示】

 

 

半ば本気で考え始めた辺り私も相当性癖がおかしい。

性別を変えるなどいう絵空事を考えるよりも夫の手料理を堪能する方が遥かに有意義だ。

スープの具が半分ほど減った頃合いで黒パンをスープに浸すこと暫し。

硬い生地の黒パンがスープを吸って柔らかくなる。

貴族の食事に相応しくない食べ方だがリオンに唆されて試したらなかなかに美味だったので別宅でリオンと二人きりで過ごす際はテーブルマナーに拘らなくなった自分が恐ろしい。

リオンと暮らしていると私が際限なく堕落してゆく。

自分にこんなだらしない一面があったとは知らなかった。

 

「卵を入れるとまた違うぞ」

 

私のスープ皿に上で卵が真っ二つに割られると半熟の黄身と白身がスープに投入されゆっくりと混ざってゆく。

濃厚な黄身がスープに融けプリプリとした食感の白身が堪らない。

 

「……こんなに私を餌付けして何が目的だ」

「三人目を元気に産んで欲しいだけだって。あと取り敢えず現状で栽培可能な作物のお披露目って感じだな」

「悪くはないが領主がそれなりに整った土地で手間をかけたからこその成果だ。領民の食を賄うには時間がかかる」

「当面は麦以外の食糧の大部分を外から輸入しなきゃダメかぁ。いつになったら公爵家に頼らずに済むんだよ」

「軽く見積もっても十年はかかる。安定にはその倍だ」

「その頃には引退してもおかしくない歳じゃん。現役の間ずっと悩み続けるの俺?」

「私も一緒に悩むから安心しろ。それより私から提案がある」

「また教育の話?」

「必要な事だからな」

 

聖女オリヴィアと御付きの女官マリエの話を聞き、どうしようもなく子供達の将来が不安になった。

平民でありながら貴族を凌ぐ才覚を持つ者が存在する。

子爵家の生まれでありながら親に真っ当な教育を施されない令嬢がいる。

各々に事情はあるだろうが秀でた力、優れた才を持ちながらそれを発揮できぬ者の何と多い事か。

ライオネルとアリエルは愛おしい我が子であるが、天才と信じるほど私の眼は曇っていない。

貴族の子供が平民の子供より優れているのは幼少期から教育を施された結果に過ぎず、真の天才が数ヶ月学んだ結果に数年間努力した凡人が負けるなど充分にありえる状況だ。

リオン自身も優秀だがあくまで常識の範囲内であり、私の才覚とて幼少期から王妃になるべく最高峰の教育を施された結果である。

 

この地を発展させる為には人手が足りない。

私達夫婦がどれだけ努力しようが数とは単純にして手っ取り早い解決方法なのである。

公国との戦争で優秀な人材の囲い込みが随所に見られている。

父上や王家派の貴族がリオンを取り込もうとしてるのが良い証拠だ。

歴史は長いが最底辺のバルトファルト家がこの地を発展させる人材を他所から呼び込むのは不可能に近い。

ならば使えそうな人材を育てるしか手は無い。

 

「理屈ではアンジェが正しいのは分かってるんだよ。その為に学校を作ったり、開拓に必要な労働力が減るのが難し過ぎるぞ」

「無論だ。領内の生活水準が上がらない限りこうした政策は単なる都合が良い理想で終わる。まずしっかり地盤固めするのが先決だ」

「領地の経営がこんな難しいとは思わなかった。やっぱり貴族になるんじゃなかった」

 

いつものリオンらしい愚痴だ。

尤も最近の私も似たような事を考えている。

もし私が婚約破棄されず王妃の座に就いていたのなら、或いは男として生まれ公爵家にある程度の権限を任されていたのならこの手の問題を解決するのに十年もかからないだろう。

子爵位に叙位され領地を賜って数年の成り上がりの田舎貴族に為せる物事はあまりに少ない。

 

「休みは充分に与えたぞ、明日からきっちり働いてもらう」

「俺の嫁は他の奴の倍くらい俺に厳しい」

「逆だ、リオンに甘いからこの程度で済んでいる。本来なら休みなど取らせたくない」

 

私の言葉にリオンが頬を引き攣らせる。

失敬な、何だその恐ろしい物を見る目付きは。

この地で生きる夫と子供達の為に必死で奮起している妻を見る目ではない。

リオンは私をもっと褒め讃え愛でるべきだ。

 

「前のアンジェはもう少し優しかった気がするんだけど」

「女は子を産むと逞しくなるらしいからな。三人も子が出来れば否応なしにそうなる」

「……俺のせいだって言いたいの?」

「リオンが自分一人で采配を振るうなら私も大人しく引っ込んでいる。いつまでも私に頼らないで領主として成長するんだ」

 

いつの間にかスープ皿が空になっていた。

慣れない畑仕事で体力を消耗したせいか、それとも胎内の子供を育てる為に体が食べ物を欲してるのか。

妊娠中はゆったりした服装になるので油断すると今まで着れた服のサイズが合わなくなるので気をつけねばならない。

 

「リオン、おかわり。具を多めに」

「食べ過ぎると太るぞ、大して収穫してないから明日の朝食分まで食うつもりか」

「私が太ったぐらいでお前は嫌いになれるのか?」

「なれないな、惚れた弱味だ」

「リオンは私に甘いからどんどん私に勝てなくなるのも自業自得だぞ」

 

結局私はスープを三杯目の飲み干し鍋の中身を半分以下にして今日の夕食は終わった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

別宅にある私専用の部屋に置かれたベッドに寝転びながら物思いに耽る。

バルトファルト領の開発は少しずつ進めるしかない。

外貨を求めて遊戯施設や色街を誘致しても一時の稼ぎにはなるかもしれないが、それはあくまで一時的な物だ。

温泉施設で得た収益を少しずつ開拓に回しながら地道に食料の自給率を上げ、生産の余剰を他領へ売り払えるようになった頃に漸くこの地の開発は軌道に乗ったと言えるだろう。

そうなるまで二十年程はかかる筈だ。

だが、それはあくまでホルファート王国に何も起きなかったという前提条件だ。

今の王都はどうにもきな臭い。

父上がどのようにお考えなのかは定かではないが、おそらくリオンを巻き込む気でいる筈だ。

 

もし王位をお望みになり戦になってしまえばどう転ぶか見当がつかない。

いっそ私の方から積極的に協力する代償にリオンを領主の仕事から解放するのも悪くないかもしれない。

家督を継ぐ男子が幼い場合に於いて前当主の妻が政務を一時的に爵位を賜り家政を執り仕切った例は存在する。

もしレッドグレイブ家が王座を頂くのであればあくまで重要なのはレッドグレイブの血を引く私とその子供達であり、リオンの存在はそれほど重要視されないだろう。

積極的に公爵家へ働きかけ安全策を狙うか、それとも王家に恩を売り単なる田舎貴族として現状維持に勤めるか。

 

どちらにせよ情報が足りない。

王妃にせよ、聖女にせよ、五人の馬鹿共にせよ各々の思惑が入り混じって複雑な事この上ない。

田舎の生活を維持する為に国内の勢力図を書き換えかねない争いに加わる。

順序が逆で出鱈目だ。

いずれにせよ新しい情報が齎されるまでは待つしかない。

今の私にはリオンが作る明日の朝食の方が大事だ。

リオンに似てきた思考に笑みが零れた。

私達に出来る事は限られている。

まずこの地の富ませる為に尽力するのみだ。

この地が戦火に巻き込まれぬ事を祈りながら私は瞼を閉じた。




休日回です。
しばらくアンジェとリオンが離れ離れだったので二人きりの休日。
過剰なイチャイチャも良いですが心が通じ合う夫婦の何気ないやり取りも好きです。
イチャイチャは成人向けの方にあるのでよろしければそちらをお読みください。
https://syosetu.org/novel/312750/16.html
次章からしばらくアンジェとリオン以外の視点が続きます。
婚約破棄された公爵令嬢と成り上がりの田舎貴族がイチャイチャする為には国内の平和維持が必要です。(汗

追記:依頼主様のご依頼でカナタ様、Lcron様、こなつゆり様、ピザシー様、エロ大好き様、ぽ様、ちり様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。
カナタ様https://www.pixiv.net/artworks/111007486
Lcron様https://www.pixiv.net/artworks/111069766 https://www.pixiv.net/artworks/111326615
こなつゆり様https://www.pixiv.net/artworks/111124437
ピザシー様https://www.pixiv.net/artworks/111126675
エロ大好き様https://www.pixiv.net/artworks/111342610(成人向け注意
ぽ様https://skeb.jp/@ahoahopopopo/works/3
ちり様https://www.pixiv.net/artworks/112954448

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第29章 罪禍

私を呼ぶ声がする。

優しいお父様、綺麗なお母様、そして大好きなお姉様。

私を見つめる穏やかな瞳に安心する。

これは在りし日の記憶。

過ぎ去った過去の残滓。

 

そう思いながらもこの夢を見続けるのを止められない。

どうして人は喪ってその人が自分にとって如何に大切な人だった事に気付くのだろう。

あの蒼く晴れた日の穏やかさを。

あの冷たい夜に触れた手の温かさを。

もう訪れる事の無い安息の日々。

記憶に遺るその人々を懐かしみながら変わらぬ人形のように愛でるしか出来ない。

あの人達に会う時、私はいつも小さい頃のままだ。

戯れる私とお姉様を見るお父様とお母様はとても幸せそうに微笑む。

頭に何かが触れたから顔を上げるとお姉様が優しく私を見つめていた。

 

『       』

 

お姉様の口が動いて何かを呟いたけど、その言葉が私の耳に届く事は無かった。

聞き返そうとする私の頭に置かれていたお姉様の手が離れた瞬間、世界が暗転する。

 

あぁ、またあの光景だ。

 

これが夢だと分かっていても覚める事は許されない。

貴き血脈が罪の歴史と言うのなら総ての王侯貴族は血と鉄と死に彩られている。

私は罪を犯した、故に私の魂に安息は訪れない。

在りし日の美しい面影は私の心を苛む刃となり私自身を傷付ける。

上向いた顔に何かが落ちてくる。

粘性が高く酷い匂いのそれはお姉様の顔から滴り落ちていた。

目、口、鼻、耳。

お姉様の美しい顔のありとあらゆる穴から赤黒い何かが溢れている。

それが血だと認識した瞬間、張り裂けんばかりに悲鳴を上げたのに私の口から発せられたはずの声は鼓膜を揺らす事はなかった。

まるで空いた穴のようにお姉様の顔から血が溢れ続ける。

 

その光景に恐れ慄いてお父様とお母様がいらっしゃる方角へ手を伸ばす。

御二人は地に倒れ伏していた。

紫色に変色し膨らんだ体は生気を欠片も宿していなかった。

よく見ると御二人の体の表面を蠢く白い何かが居た。

必死に目を凝らすとそれが屍肉に集る蛆の群れだと理解した瞬間、激しい怒りがこみ上げた。

離れろ お父様とお母様に触れるな 御二人を穢すな

そんな私を嘲笑うように蛆の群れは姿を変え黒い蠅ととなって空間を埋め尽くそうとする。

這うように逃げる無様な私の目の前を二本の細い脚が遮った。

 

『 たすけて おねえさま 』

 

そう呟いたはずなのに、やはり私の声は喉から出ない。

私の無様を慰撫するようにお姉様の御顔が優しげに歪む。

差し伸べられた手に縋ろうと必死に伸ばしあともう少しで届く距離に近付いた瞬間、お姉様の体に火が灯る。

そうだ、思い出した。

 

『おねえさま おとうさま おかあさま いない』

 

私の家族はみんな居なくなってしまった。

心が寂しさだけで満たされる。

どれだけ泣き喚いても追い縋っても私はたった一人。

夢の世界に逃避しようとしても寂寥感の前に打ち砕かれ。

現実を受け止めようにも罪の重さに苦しめられる。

救いは無い、安息が訪れるなど永劫ありえない。

それだけの罪を抱えて私は此処にいる。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ファンオース公国とホルファート王国の二度に渡る戦争は王国の勝利で終わった。

両国共に多大な犠牲を払った代償はファンオース公国の解体。

旧公国の所有する領土・資産・軍事力・技術・民衆それら大部分が王国に接収された。

僅かに残った部分を集めた結果としてホルファート王国内に於ける新たな公爵家として存続が許された。

 

尤も存続が許されたからと言って平穏無事に済む筈はない。

王国に支払う賠償金は百年単位の返済期間が設けられ、公爵家とは言っても王国の政治に関与する事は許されない。

多くの公国貴族が処罰・没落の憂き目となり、国民も奴隷扱いこそ免れたが行動を制限をされる。

公王家の直系である私が処刑されなかったのは慈悲ではなく単に王国の都合だ。

今のホルファート王国は内乱を止められるだけの力を持っていない。

いや、ホルファート王国ではなくホルファート王家と言った方が正しい。

 

戦争はお金がかかる。

数年間の国家予算を費やして人も資源も大盤振る舞いで消費し殺し合い潰し合う。

仮に勝利しても国力を回復する為には戦争前と同じだけの人材が育つまでの期間と倍近い資金が必要となる。

五年も経たない間に二度も戦争が起きればその被害は王家だけに留まらない。

損害を被った王国貴族の王家に対する忠誠心は如実に下がっている。

 

その上で公王家唯一の生き残りである私を処刑すればどうなるか?

元公国民の反発を招き民衆が諍いが増え各地の貴族達が巻き込まれるだろう。

ただでさえ私を生かすのに賛成派と反対派で意見が割れている。

これ以上の面倒事を抱えたくないホルファート王家は苦渋の決断として私を生かし利用する事を考えている。

尤も今の私は自分が生かされている事に感謝などしない。

寧ろ命を絶つ手段すら奪われ虜囚として監禁同然の生活を押し付けられているのに憤りすら感じていた。

 

さっさと命を絶てば楽になれるのに。

私を生かすのは戦勝国の都合と敗戦国の君主としての僅かな矜持とお姉様が遺した遺言が原因だった。

自分の生き死にすらままならないのが君主という存在だけど、他人の都合で無理やり延命されるのは業腹な状況だ。

いつか誰かがこんな私を救ってくれると幻想できるほど私はお気楽でも夢想家でもなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「ユリウス殿下がお越しになります」

 

 

若い侍従が先触れとして部屋を訪れ必要最低限の連絡を告げて帰った。

その視線から私を蔑む気持ちがありありと伺える。

まぁ仕方のない事だ、私は敗戦国の君主であり生殺与奪の権利は相手側が握っている。

今回の戦争で家族・友人・恋人を喪ったホルファート王国の民ならば私を殺したくて仕方ないだろう。

王都へ護送中に襲撃を受け、数回食事に毒を盛られた。

いっそ命を奪ってくれて構わないのだが私の強運が為せる業なのか、それとも意地の悪い神の仕組んだ罰なのか。

 

どちらにせよ、嘗ての敵に生かされ醜態を晒し続ける事が今の私に課せられた役目だった。

王宮の一角にある貴賓室にも似たこの部屋は罪人を閉じ込める為に作られた監獄だ。

罪を裁き処刑するのには名と顔が知られ刃を向けるのを憚られる者を幽閉させる華美の中に冷徹さを潜ませた部屋。

 

そんな場所に王と王妃の第一子が訪れるなどまずありえない事態だ。

第一王子が訪れるからと言って私に出来る事など何一つない。

手枷を嵌められ寝る時はもちろん用を足す時すら女の使用人が四六時中監視されている私が自発的に何かを為せる訳がない。

精々が王子の不興を買い後で嫌がらせを受けるのを回避する程度しか出来ないが、お姉様の命を奪った奴儕共に媚びを売るほど私は落魄れてはいない。

 

「ユリウス殿下の御成り~!」

 

室内の私を威嚇するような声量で王子が来た事が告げられる。

こんな監禁部屋に閉じ込められた私を王子が訪ねたという事実の方が恥だろうに、つくづく王国の従者達は主の顔に泥を塗るのが得意な愚鈍な者ばかりだ。

 

扉が開き一人の男が入室してきた。

青みがかった髪に整った顔立ちは多くの女性を魅了する造形であり、引き締まった体は服の上からでも鍛えられている事が察せられる。

尤も私に対してそれらの要素は全くの意味を為さない。

誰が姉の仇を褒め讃える? 誰が己の命を絶つ手段すら奪った相手に感謝する?

荒れる心中を隠して会釈を行う。

もう誰とも心を通わせないまま生きようと覚悟を決めた私にとって幾度も訪ねて来るユリウスは大きな苛立ちの一つだ。

 

「……気分はどうだ?」

「最悪ですね、こんな物を付けさせられて無理やり生かされているのに見たくもない顔が会いに来るのですから。これが王国流の拷問でしょうか?」

「扱いについては君が大人しくすれば改善できる。これまで目を離した隙に命を絶とうとした回数を憶えているか?」

「処刑したらその煩わしさは無くなります。王国は無駄な事に労力と資金を割くのがお好きなようで」

 

嵌められた手枷を音を立てながら見せつける。

魔笛によって召喚した超大型の魔物を倒された直後、己の命を代償に再召喚を目論んだ所で私は聖女とその仲間達によって拘束された。

それから私は虜囚として王宮の一室に監禁されたままだ。

 

もう生きるのに未練も無かった私は幾度も自害を試みた。

食事用のナイフとフォークや陶器製の皿を喉に突き立てようして止められ、入浴や用を足すと監視の目が緩んだ隙に首を吊ろうとして邪魔をされ、家具や壁に勢いよくぶつかって頭蓋を割ろうとして抑え込まれた。

今では日常で使う物は木製か樹脂製で一日中監視される状況。

食後には薬を飲まされ自死する気力すら奪われる。

もう生に未練など無いのに敵国の都合で生かされる醜態を晒し続けるならいっそ処刑される方が公国最後の君主として遥かに誇らしい最後だろう。

 

「……旧公国貴族達の処遇が決まった。確認して欲しい」

 

そう言って人名が列挙された書類を渡される。

目を通して見ると私を筆頭に公国貴族の名前、役職、罪状、刑罰が記されていた。

戦勝国として公国貴族は全員処罰されるかと思いきや、意外な程に処刑される者は少ない。

主君である私を見捨てて国外逃亡を企てた悪徳貴族や物資を横流ししていた軍人など悪逆非道な者達は貴族位の剥奪と財産没収と当主の処刑が科されるが、大半の者は降爵、公職罷免、賠償金の支払い程度の軽いものだ。

 

少しだけ安心した。

お父様達を傀儡として扱い利用し命すら奪った輩共を道連れに処刑されるなら本望だが、純粋に愛国心や公王家への忠誠心から行動した者達まで処刑されるのは心苦しかった。

愚かな君主に従わされ謂れなき中傷を受ける民の苦難を思えば私の罪悪感など鴻毛と同然の軽さだが。

 

「不服な点が一つだけ。私の処罰が抜けています。この戦争を引き起こした元凶として処刑される事を強く望みます」

「陛下と妃殿下はこれ以上の流血を求めていない。俺も君を捕らえた身としてはむざむざ死なれては後味が悪い」

「傲慢ですね。これからホルファート王家の血を引く者と無理やり娶せられ国としての尊厳を徹底的に凌辱される光景を見せつけられるなら縊死した方が君主として相応しい散り様かと」

 

私の処遇は早々に決まっていた。

ファンオース公国はホルファート王国に併合され公爵領となり、私の夫となる者がファンオース公爵となる。

公爵の地位に叙されるのは王家の血を引いた者に限られる。

ホルファート王国の王子の何れかに私を娶せ、私の産んだ男子を次期公爵に据える。

王家と大公家の血を受け継ぐという建前の下にファンオース公国という存在はホルファート王国の一部と化す。

 

そして私の結婚相手として最有力視されるのがユリウス・ラファ・ホルファートだ。

レッドグレイブ公爵家との婚約破棄によって王位継承者としての序列は最底辺にされた、同時に私達との戦いで上げた武功は無視できる物ではない。

王には不適格、かと言って正室である王妃が産んだ第一子を無位無官にしたのではレパルト連合王国から嫁いで来た王妃の面目が潰れ同盟に支障が出る。

ならば最上位の貴族として臣籍降下させ中央への参政権を持たせないのが一番都合が良い処遇となる。

私を単なる子を産む道具として扱い、子が何人か生まれた後なら生かす必要も無くなって人知れず殺されるだろう。

王国上層部の見え見えの思惑に吐き気すら湧き上がった。

 

「今日訪ねた用件は今後の処遇についてだけじゃない。君から直接聞きたい事があったからだ」

「尋問する気ならさっさと拷問部屋にでも連行してください。爪を剥がされようか皮を剥がされようが喋るつもりはありません」

 

既に話せる事柄は全て喋り尽くした。

この王子にどれだけの情報が流れたかは知らないが私に直接尋ねるよりも担当の者に聞いた方が手間はかからないだろう。

ユリウス王子が手を上げると室内に居た全ての者が視線を向ける。

 

「皆、私が命じるまで下がれ」

「殿下、そう言われましても……」

「下がれと言った、聞こえないのか」

 

毅然とした態度で部下達の退去を命じる。

私の世話係や王子の護衛が訝し気に見つめる中で動じる事無く睨み返す。

納得できぬまま部屋に居た者全てが部屋から去ると無音の室内に私達だけが取り残された。

 

「……公国貴族の主戦派の殆どが処罰される。徹底抗戦と唱えたのに逃亡を図った卑怯者の大半は処刑される」

「それなら私も処刑するべきですね。身分の貴賤によって罪の軽重が変わるなど法に基づいた裁きではありません」

 

私が生かされているのは単なるホルファート王国の都合。

王国にとっての利用価値で罪状が決められるのならそれは公正な裁きではない。

罪の重さを問えば一国家の君主だった私の責任こそ真っ先に問われるべきだ。

 

「君を処刑しろと息巻く王国の者も多かった。だが、処刑した場合に起きる問題を母上が説明して事を収めた」

「公女を処刑すれば指導者を喪った旧公国民は団結し腰の曲がった老人から町で戯れる子供に至るまで徹底抗戦するでしょう。さらに敗戦国の王族を一方的に断罪すればホルファート王国に国際的な批判が集中する。ただでさえ崩壊したアルゼル共和国がきな臭いのに諸国から追及される口実をわざわざ作る訳にはいかないと」

「……その通りだ」

 

王国首脳部の方針は私が導き出した答えではなく私の尋問に立ち会ったミレーヌ王妃が直々に喋った内容だ。

敢えて私を生かす事でホルファート王国の寛容さと広め、私を王族と結婚される事で旧公国領を実質的に王家の直轄地として管理する。

如何にも奸智に長けた悪辣な王妃の思い付きそうな案に苦笑がこみ上げる。

尤もホルファート王国、いやホルファート王家が弱体化していなければ私は有無を言わさず戦争犯罪人として処刑された筈だ。

こんな屈辱を味わうのなら生かされた現状が幸せとはとても言えないが。

 

「そもそも公王は穏健派だったと調査して判明した。君達姉妹も戦争の承認を最後まで渋っていたと聞き及んだ。それは本当なのか?」

「公王夫妻を主戦派貴族が暗殺したという話ですか?噓偽りない事実です。私が全てを知ったのは家族全員を喪った後でしたけど」

 

初代公王の手によって王国からの独立を果たしたのがファンオース公国の始まりだ。

公国の歴史は王国との争いの歴史と言い換えても差し支えない。

国境の小競り合いは数え切れぬほど行われ、その度に少なからぬ人的被害を出し国家の予算を圧迫し続けた。

 

お父様とお母様はその状況を憂慮なさっていた。

血と憎しみの連鎖を断ち切り、王国との共存共栄の道を模索し始めていた。

その穏健派としての活動が主戦派には弱腰の君主として映ったらしい。

王国との関係修復に力を注いでいたのに臣下の裏切りにあってしまった。

余計な知恵を持っておらず公王家に継承される魔笛を使用できる女子が二人も居るのなら意に添わない君主など無用の存在だった。

その結果、お父様とお母様は事故に見せかけて命を奪われた。

遺された私達姉妹を助けようと思う公国貴族など殆ど存在しなかった。

 

「お父様とお母様は外交による二国間の関係修復を願っていました。幼い私には御二人が何をなさっていたかまでは理解できませんでしたけど。貴方達は罠だと決めつけ全く相手にせず、公国の貴族達は裏切り者として命を奪った。誰よりも平和を望んだ者が争いを望む者達によって非業の死を遂げる。聖女が掲げた二国間の和平などとっくの昔に行われています。最初に差し出された手を払ったのは貴方達ですよ」

 

私の言葉を噛み締めるように聞き入るユリウス王子。

学生の考えるような解決論を実際に地位と権力を持つ者が試してない筈が無いでしょうに。

 

「遺された私達は表面上だけは敬われていたけど実際には体のいい傀儡君主でした。君主として振る舞おうにも実権を握った主戦派の貴族に刃向かえる訳もありません。貴族と民が戦を望むのなら君主といえどその声を無視する訳にはいきません。そもそも私達は互いに人質を取られているのですから逆らえる筈もありません」

「人質?」

「私にとってはお姉様、お姉様とっては私が人質です」

 

要求に応えなければもう片方がどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。

何より奴らは君主であるお父様を既に手に掛けた。

小娘が一人加わった所で今更だろう。

 

「主戦派の貴族にとって私はお姉様を操る為の道具です。如何に争いを拒んだ所で私達の両方が魔笛を扱えますから、片方が命令を聞かないのならもう片方を使えば良い。命令に聞かない方を人質に脅せば無理やりにでも従わせられましょう。どちらが君主なのか分かった物ではありませんね」

 

過去の自分を振り返れば笑わずにはいられない。

君主とは名ばかりで臣下に操られる小娘二人。

義務と責任は押し付けられ、権力も財力も何も無い憐れな傀儡。

 

それが私達だった。

今思えばお姉様は私をそんな檻から解放するのに必死だったのだろう。

王国との戦争に勝てばこの境遇から抜け出せる。

そんな筈は無いのに、在りもしない希望に縋ってしまった。

 

「お姉様も薄々はホルファート王国との戦争に大義など無い、戦争自体が無意味だと気付いていたのでしょう。それでも戦争に勝たなければ公王家の存在など必要ないとご自分は勿論妹の私も殺されると確信していた。既に公王であったお父様が殺されたんですもの。主戦派に躊躇いなど今更ある筈もありません」

「……」

 

ユリウス王子は黙ったままだ。

王国にとって公国は打ち倒すべき侵略者であり、同情の余地すら無い悪党とでも思っていたのか。

もしもそうならふざけた話だ。

少なくても公王家の者は誰も戦争など望んではいなかった。

お父様も、お母様も、お姉様も、私も。

 

「日に日に憎しみの矛先を王国へ向けるお姉様を見続けました。必死に『どうかお止めください、そのような事をしても何の益もありません』と御止めしました。笑えますよね、お姉様は私を救うのに必死でした。それなのに私はお姉様の御心を理解していなかった。お姉様が戦争を望んでいる主戦派になったと信じ幾度も心無い言葉を投げつけました」

 

私は何も見えていなかった、私は何も知らなかった。

お姉様はただ私を護ろうとしていただけ。

たった一人の家族を生かす為に護ろうとしてる妹に罵られても必死で耐えていたのだ。

 

「五年前のあの日、沈みゆく艦の中からお姉様は逃げ出しませんでした。公国に逃げ帰ってもどんな処遇を受けるか分からなかった。責任を取らされ今度は自分が人質になり私が傀儡の君主になるのを恐れたのでしょう。魔笛を信用できる部下に渡し救命艇で逃がしました。最後の御言葉は『ごめんねラウダ、情けないお姉ちゃんでごめんなさい』ですよ。私の身を案じ続けたお姉様の末路がこんなだなんて私は決して認めません」

 

諦観に支配されていた私の心に炎が宿る。

認めない、決して認めるものか。

 

「形見の魔笛は手渡されましたがお姉様のご遺体は見つかりませんでした。死して漸くお姉様はその責務から解放されたのです。公王家唯一の生き残りとなった私は指導者となって初めてお父様とお母様の思惑、そしてお姉様が如何に戦って来たかを知りました」

 

真実を知った私の心に宿ったのは己が身を灼き尽くして尚世界を呪い続ける怨嗟の炎。

お姉様が愚かな小娘と貶められるのも、お父様とお母様が現実が見えてない夢想家と嘲笑われるのも。

私は決して認めない。

 

ファンオース公国の民もホルファート王国の民も決して争いを止めようとしない。

いつまで経っても殺し合いを続け、平和を望む者を異端者として排斥する。

お姉様の命を奪ったホルファート王国の鬼畜共。

お父様とお母様を弑したフォンオース公国の愚民達。

ならば貴様達の望み通り双方が死に絶えるまで殺し合えば良い。

その為に必要な物事は総て成し遂げて見せよう。

皮肉な事に私にはそれを成し遂げられるだけの才能と力があった。

私の魔笛を操る力はお姉様を凌ぐ。

 

もし私がお姉様の代わりにホルファート王国との戦争に参陣していたらファンオース公国の勝利で戦争は終わりお姉様も存命されていたかもしれない。

総てを取り溢した後に己の才能に気付くとは神も意地が悪い。

悲劇の公女として周囲の同情を誘い、君主として民衆の戦意を煽り、魔笛で地獄への行進曲を奏でる私も怪物だった。

結果としてホルファート王国に大打撃を与えたものの、またも聖女達に阻まれ私は捕らえられた。

 

「どうして真実を話さなかった?もし知っていれば力を貸せたかもしれな」

「お姉様の命を奪った者に媚び諂い協力を乞えと!?侮辱するのも大概にしなさい!」

 

本当にうんざりする。

どいつもこいつも力を貸して欲しかった時には耳を貸さなかったくせに、全てが終わった後に訳知り顔で人格者を気取りもっと良い道があったのではなどと必死で生きて来た私達を愚者扱いする。

お前達が思いつくような案などとっくに考えている。

それでも私達はこの道を歩くしか出来なかった、選べなかった。

 

「お姉様を単なる侵略者の親玉としか思っていなかったお前達が『妹を助けたいから力を貸して欲しい』と言われた所で信じたのッ!?戦場から遠く離れた公国で人質になっていた私を救出できたとでも言うの!?驕るなユリウス・ラファ・ホルファート!英雄などと誉めそやされ自分が全能とでも思い上がったか!!」

 

堰を切ったように憎しみの言葉をぶつける。

あぁ、そうだろう。

お前達は確かに英雄だ、国を護ったと褒め讃えられる存在だ。

それでも私にとっては残った唯一の家族を奪った殺戮者に過ぎない。

 

「『こんな事をしても無意味』?『お姉様は喜びませんよ』?聖女様のお好きな美辞麗句ね。貴方達に家族を奪われた者全員の前で同じ事を呟ける?争いなど公王家は誰一人望んでいなかった。貴様らがそんな綺麗事を口に出来るのは戦に勝ったからよ。もし、あのまま公国が勝利していたら私はお前らの首を斬り落とした後に骨が砕け散るまで大罪人の首級として晒し続けるわ」

「俺達がヘルトルーデを殺したのは紛れもない事実だ。だが、聖女を罵るのは止めてくれ。彼女は本当に争いを止めたかっただけなんだ」

「その争いを止める為にお姉様は殺された。聖女達によって。今更綺麗事を吐かないで、不愉快だわ」

 

清濁に分けられるほど政は単純ではない。

そんな事は王族として育てられた時点で知っている。

それでも尚、綺麗事を吐く目の前の男が癇に障った。

 

「……今日はもう引き上げる。だが最後に教えてくれ。聖女の擁立について公国はどの程度関与していたんだ?」

 

ユリウス王子の問いの意味が分からず困惑する。

ファンオース公国とホルファート王国戦争に於ける最大のイレギュラーが聖女オリヴィアの存在だ。

彼女の存在がホルファート王国を救い、ファンオース公国を崩壊へと導いた。

わざわざ敵を育てるという愚かな行為をするほど公国の主戦派も愚かではない。

 

「どうして聖女の擁立にファンオース公国が関わっているんですか?もし存在を知っていたのなら邪魔な存在として最優先で潰すのが道理でしょう」

「フランプトン侯爵はオリヴィアの後援者だった。そのせいで彼女は王国を乱す為に公国が用意した存在だと疑問視する声も上がっている」

 

元敵国の君主の疑問に答えるのは美徳かもしれないが、為政者としての自覚が足りない。

何より今の私は悪意に満ちている、目の前の男を苛む言葉を与える事に何の痛痒も感じない。

 

「なるほど、全ては公国の自業自得だったと。王子の婚約破棄騒動も、第一王子の廃嫡も、ホルファート王家とレッドグレイブ公爵家の不和も。その全てが私達が企てた深謀遠慮でありホルファート王家は被害者。事実を都合よく捻じ曲げ全ての責任を私達に押し付ける。その醜悪な姿がホルファート王国の実態ですよ」

「やはり公国は無関係だったか」

 

何処か安心した表情を浮かべているユリウス王子だが、私がその無邪気な顔を醜く歪ませる事に腐心してる現状を把握できていないらしい。

 

「そもそも最初に公国の側と接近してきたのはフランプトン侯爵の方です。『レッドグレイブ家を排除する為の案がある、上手くいけば公爵を排除し宮廷を乗っ取れる』とお姉様の書記に遺っています。『馬鹿な王子が色恋に惑わされ公爵令嬢を邪険にし始めた』とほくそ笑んでいたそうです」

「…………」

 

私の言葉に眉間を皺を寄せるユリウス王子だが事実は事実だ。

王国が真実を隠蔽するのなら私は真実をこの男に示しフォンオース公国の行いを知らしめる。

 

「公爵家との不仲は侯爵が仕向けた部分もありますが殆どは王家とそれに従う貴族達が自ら選んだ結果です。ファンオース公国は王子が婚約破棄するように仕向けるなど成功率が低い馬鹿げた策を講じるほど低能ではありません。良かったですね、今のホルファート王家の窮状は全て貴方の行動が招いた物です」

「……それは」

「婚約者を蔑ろにし、婚約者がいるのに平民の女に懸想し、在りもしない罪を捏造し、無実の罪で裁き、公爵家の反発を招き、売国奴を自分の理解者と重用し、他国が付け入る隙を生み出した。全て貴方の行動です。その罪を今度は私に着せ自分は英雄として称賛を受けるつもりですか卑怯者」

 

私の言葉に顔色が青褪めていくユリウス王子。

それでも私の言葉は止まらない途切れない。

 

「貴方は単に生まれに恵まれて腕っぷしだけが取り柄の愚か者です。自分を庇ってくれる王妃、後援者の公爵家、美しい婚約者、自分の考えに同意してくれるご友人。それら全てが貴方の愚かしさを隠してきた。ホルファート王家の危機はその歪みが表面化しただけです。貴方が招いた危機の責任を引き受けるほど私はお人好しじゃありません。このような辱めを受けるぐらいなら自ら命を絶ち公国民が抵抗する狼煙となります」

 

気圧され始めたユリウス王子に私は追撃を放つ。

こんな嫌味の応酬を繰り返した所で心が晴れる筈もない。

私の望みはたった一つ。

 

「返してよ!お姉様を返して!私の命なんかどうなってもいいから!お姉様を返しなさい!」

 

私の剣幕に圧されたユリウス王子が跪くように倒れ込む。

何かが倒れた音に部屋の外に控えていた護衛達が慌てて部屋へ駈け込んで来た。

傍から見れば土気色になるほど顔色が悪く膝をついた自国の王子とその醜態を見下ろす元敵国の姫。

其処に至るまでの経緯は分からずとも主君の危機だとは理解できるだろう。

屈強な男達が私を睨みつけるが凡夫共の視線に気圧されるほど私の胆力は低くない。

 

「さぁ殺しなさい!王子を侮辱した女を斬り捨てる事に躊躇いなどなかろう!」

 

毅然として睨み返すと護衛が逡巡して動きを止める。

何故そこで躊躇う。

漸くこの茶番じみた人生に幕を下ろせるのにどうして貴様達は尻込みするのか。

ここに居るのは手枷を嵌められ自ら命を絶つこそすら出来ない手弱女だ。

命を奪うなど精強で他国に知られるホルファート王国の兵士なら容易いだろう。

 

「やめろ!」

 

緊張した室内に震える声が響き渡る。

視線を下ろすと震えながらもユリウス王子が必死に兵士を圧し留めていた。

床に這い蹲る戦勝国の王子と見下ろす敗戦国の姫。

どちらが勝者か分からない光景に部屋の者全てが困惑していた。

振るえる手で扉を指し示すと護衛達がユリウス王子に肩を貸し弱々しい足取り部屋から退出する。

 

「すまない、また来る」

 

扉が閉まる直前に彼がそう呟いたのを耳にする。

掠れた声はあまりにも小さく空耳かと思った。

何に対する謝罪だったのかは杳として知れない。

静寂が戻った室内を使用人達が片付ける。

いつもなら私を軽侮する視線を投げかけるのに今は傷ましい物を見る目付きだ。

そんな同情など要らない。

私はいずれ地獄で永遠に苦しまなくてはならない。

どれだけ悔やんでも犯した罪は償えず、お父様とお母様とお姉様の魂を弔う資格さえ無い。

 

窓ガラスに反射した私自身の姿が目に入る。

病的なほど白い肌は死人のように痩せこけ、紅い瞳だけが獣のように爛々と輝き、色艶を無くした黒髪はまるで老人だ。

お姉様によく似た顔立ちは何処にも無い。

幽鬼の如き醜い私が其処に居た。

もう自分が永遠に許されない身に堕ちた事実に涙が溢れ声を出して泣く。

慌てた使用人に呼ばれた医師に鎮静剤を投与され意識を失う瞬間、また喪った家族の夢に魘される絶望に声にならない悲鳴をあげた。




イチャイチャ回だった前章との落差がひどい。(汗
聖女になったオリヴィアと英雄になった五人の成長を書く為の溜め回ですが内容が重い。
今作はヘイト創作ではありません。(本当です
オリヴィアやユリウスが批判されるのはあくまで主人公のアンジェと対立していた、公国との戦争で活躍した故です。
ヘルトラウダ視点の今章ですがここまで暗い内容で良いのかと悩みました。
原作本編における戦後のヘルトルーデの待遇やマリエルートのヘルトラウダを参考にした状況ですが敗戦国の王族の扱いは悲惨な逸話が多いのでこれでもマイルドに仕立てています。
次章はオリヴィア回、付き人になったマリエ以外に原作キャラが登場予定。

追記:依頼主様によっていち様、Rielilu様、ふぇnao様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
いち様 https://skeb.jp/@itinoe89/works/48(成人向け注意
Rielilu様https://www.pixiv.net/artworks/111550256
ふぇnao様https://www.pixiv.net/artworks/111588467(成人向け注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第30章 聖女と巫女

『民を犠牲にして父である公爵に刃向かえと嘯くのならそれだけの対価を差し出せ』

 

アンジェリカ様はそう仰った。

聖女と周りの人達に崇められても私自身は学園に通っていた頃と何も変わってない。

勉強が好きで回復魔法が使える平民の小娘のまま。

どれだけ周りの皆が私を崇めても全ての人を救えるほど私の腕は長くない。

どうしても取り零してしまう人が出てしまう。

むしろ私に救われた人が少数で、圧倒的多数を救えていないと考えた方が正しいんだろう。

 

苦しむ全ての人々を救う。

掲げた理想は崇高でも其処に到る道はあまりに遠く険しい。

飢えた人に食べ物を与える、戦火で住処を失った人が体を休める場所を作る、家族を喪った人の為に葬送の祈りを捧げる。

人は私を心優しい聖女と讃えてくれるけど、私がやっている事は単なる対処療法に過ぎない。

戦で傷付いた人を癒すより戦を起こさせない。

貧しい人に食べ物を与えるより助け合える仕組みを作る。

流行り病の薬を配るより病が病が流行らない環境を整える。

 

聖女になって三年以上が経ったけど私の力が必要になるのはいつだって面倒事が起きた後。

考えるのはいつも多くの人達をどうしたら助けられるか?

神殿に伝わっている歴代聖女の資料を読み漁ったけどあまり参考にはならない。

そもそも聖女という存在自体がホルファート王国にとって都合の良い存在として創られた偶像だと分かる。

初代聖女について遺された数少ない書物を調べたけれど、彼女はこの国の初代国王の仲間だった女冒険者に過ぎないというのが私の結論。

 

もちろん優れた冒険者だっただろうし、国として成立したばかりのホルファート王国に多大な功績を上げたのは事実だけど、神の生まれ変わりでも悪魔の現身でもなくあくまで只の人間。

王家の艦が起動した時に私が初代聖女の子孫である可能性をローランド陛下が仰ったがいまいちしっくり来なかった。

 

どうして崇められている初代聖女の子孫と言われた私の家が平民なのか、歴代の聖女が大貴族や名家出身の貴族令嬢ばかりなのか。

その理由は少し考えれば誰にも分かる事。

ホルファート王家や貴族にとって権力を確固たる物にする為に神格化されたのが私のご先祖様、利用価値が無くなった女冒険者に価値は無いと放逐されたと考えるのが筋だと思う。

 

国を治める人達が権力の正当性を求めるのは理解できる。

ただ、国を支えているのは圧倒的多数の平民という事実を忘れてはいけない筈。

ファンオース公国との二度に渡る戦争は王国の体制を多く変えた、変えてしまった。

プライドが高い家柄だけが拠り所の貴族は没落し、代わりに能力がある下級貴族や平民の人々が活躍する機会を得た。

学園に通っていた頃は平民が読み書き出来るだけで生意気と絡まれ、成績で貴族を上回ればたちまち目の仇されるのが私の日常。

今はその人が「どの家柄に生まれたか」よりも「何が出来るか」が重要視される。

 

それ自体は良い事の筈。

でも戦後の急激な変化は人々の意識を大きく変え過ぎた。

能力が家柄に変わる判断基準になった反動で「能力の低い者を蔑んで良い」という風潮が出来つつある。

長年に渡って身分制度や女性優遇政策を盾に平民や貴族男性を抑圧する政策を執り続けた反動は人々の心の中に王家への不信を植え付けるには充分過ぎる。

旧弊によって凋落しつつある王家と身分を問わず能力で採り立てる公爵家の立場が徐々に逆転してしまう。

 

このまま内乱になってしまえば良い方向に変わりつつあるホルファート王国の体制を根こそぎ破壊してしまう可能性も否定できない。

暴君を討った英雄が民に幸福を齎す王様になるとは限らないのを歴史学の授業と自主勉強で私は嫌という程知った。

平民でありながら聖女になった私は否が応でも目立つ存在。

そんな私に急速に接近してくる公爵家に危機感が募る。

 

また人がたくさん死ぬかもしれない。

二度に渡る戦争で人々の心は荒み、街には職を失った職人、身分を剥奪された貴族、退役を強制された軍人が溢れ国内の治安と経済は低迷したまま。

そうした状況で苦しむのはいつも貧しくか弱い平民の人々。

苦しむ人々を助けたくて色々な活動をした。

内心で私を蔑んでいる神殿の上層部も人気取りの為に協力せざるえない。

聖女に就任してからはある程度の裁量権が持ったので最大限に活用させてもらった。

 

そうして三年が経った頃には人々からの多少の信頼と私を世間知らずの偽善者と罵る人の憎しみと私を信じてくれる大切な人達を得た。

漸く何かを出来るようになったと思った私の自信は全くの無力。

公爵家との関係を強化したい大神官様に表立って逆らう事も出来ず、国政に携わる貴族の人達からは平民出身の小娘と侮れ、王家と公爵家の争いを止めようとしても何一つ解決策が思い浮かばない。

何も見えない夜道を手探りで歩くみたいに私は先の分からない不安に蝕まれて王国や神殿の思惑に逆らえないまま言い渡されたスケジュールを熟す日々を送る。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

雲海をかき分け進む私の乗った飛行船は神殿が所有するだけあって快適な空の旅を提供してくれる。

神殿は存在自体が権威の象徴として人々の崇敬を集める事が優先される。

やたら華美な装飾で彩られた最高級の飛行船、厳選された材料を鍛冶職人が丁寧に加工した神殿騎士の武装、平民出身の私より見目麗しく家柄の良い貴族の家に生まれた女官。

そのどれもが過剰とも言える程の手間と資金をかけられ、少しでも相手を威圧し優位に立とうとする本性が滲み出ていた。

 

これでも戦争前と比べたら大分規模が縮小したと耳にした時は愕然とした。

ホルファート王家にとって神殿は王権の正当性を保障する為に粗略に扱えない存在。

神様や聖女を崇めると同様に人々が王家に対して崇敬されるよう演出する舞台装置。

そして私もまた王国の存続の為に人々からの信頼を集める為に作られた生きている偶像。

そう考えると思わず溜め息が口から洩れる。

 

「オリヴィア様、何か気になる事がありましたか?」

 

紺色の髪の女性が私に声を掛けてくれた。

彼女は私の補佐を担当してくれる女官。

聖女になった私のささやかな成果の一つが神殿に所属しようとする人々の増加。

立身出世を望む人も多いけど中には私が行ってきた慈善活動で知り合って積極的に私を助けようとしてくれる人も居る。

戦争によって没落した貴族も居るし平民も居る。

マリエさんもそうだし、彼女もそうした内の一人。

 

彼女は学園で私にいじめを行った貴族令嬢の取り巻きだった。

その貴族令嬢の実家は空賊や王都の腐敗貴族と癒着して様々な非合法な悪事に手を染めていたが、私達の活動によって真実が明らかとなり取り潰された。

そして彼女は実家から放逐され、学園が休校になった後は行方知れずとなっていた。

彼女と再会したのは数年後、病に倒れ骨と皮だけに痩せ細って元貴族と思えない程にみすぼらしい姿になった彼女が担ぎ込まれた救貧院へ慈善活動で私が訪れたのが切っ掛け。

私の存在に気付き彼女は気まずそうにしていたけれど、私が何も言わず回復魔法を施すのを繰り返していたある日救貧院から姿を消した。

そして数ヶ月後の神殿には私の補佐を担当する新人女官になった彼女が其処に居た。

 

「ちょっと考え事を。到着までどれ位ですか?」

「一時間もありません。そろそろお召替えの準備を」

 

そう告げられて鞄を差し出される。

中には式典などで用いられる聖女専用の服が丁寧に畳まれて収められていた。

幾度となく着た服装だけど未だに体に馴染む気がしないのは私が平民出身だからか、それとも人に褒められるのが苦手な私の性格が原因なのか。

着付けを手伝ってもらって華麗な衣装に身を包まれるが鏡に映る自分の姿は服装と中身が不釣り合いだと笑われる芸人みたいに滑稽だった。

扉を叩く音がしてそちらを振り返ると十代後半に見える背が低い少女が入室してきた。

 

「カーラさん、オリヴィア様の準備は?」

「着替えが今終わった所です、後は装飾だけ」

「じゃあ始めますか」

 

そう言って彼女が持ち出したのは金属製の大型ケース。

例え鎧による攻撃を受けても中身は損傷しないというのが謳い文句の特殊金属を加工して作られ幾重にも鍵が施されている。

解錠番号を合わせ、神殿から預けられた数種類の鍵を差し込んでゆっくりとケースを開く。

中に納められているのは金属で作られた首飾りと腕輪と杖。

それらの装飾はかつて初代聖女が身に纏ったと言い伝わる品々。

ゆっくりとケースから取り出したそれらを身に纏うと私という存在が希薄になるような錯覚を覚えます。

此処にいる私は平民のオリヴィアではなく、ホルファート王国の聖女オリヴィア。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

目的に到着した飛行船はゆっくり速度を下げ着陸態勢に移る。

窓から見える異国の風景は在りし日の栄光と失われた国家の威信を物語っていた。

嘗て此処には周辺国から一目を置かれる国が存在していた。

聖樹によって齎される魔石は貴重な資源として各国に輸出され人々はその栄華は永遠に続くと誰もが思い込んだ。

 

事態が急変したのは約二年前、大貴族達の合議制によって国家の運営が決められていたその国で大貴族同士の意見の対立が切っ掛けとなり血で血を洗う内乱が勃発した。

驕り昂った大貴族は決して引かず相手を族滅するまで終わらない抗争に発展、昨日までは手を取り合っていたのに今日には騙し討ちを行うという泥沼の状態によって僅かな期間に国は荒廃する。

 

そんな人々に愛想が尽きたんだろうか?

国を守護していた聖樹は力を急速に失い、その恩恵にあやかっていた人々は自らの国の崩壊に絶望した。

そんな事態を収めたのは新たな聖樹の加護を受けた巫女。

周辺国からの援助を取り付けた巫女の活躍によって大貴族同士の争いは終結し、誰もが国の崩壊を覚悟していた状況はあと一歩の所で止まる。

その国の名はアルゼル共和国、沈まぬ陽と讃えられた大国の残滓。

 

私が共和国を度々訪れるようになったのは王国上層部と神殿の意向が原因だった。

共和国の争乱に介入して何らかの利権を手に入れたいが他国の追及は避けたい上層部、聖女である私の名を広める事で権勢を強めたい神殿の思惑が絡み聖女に就任して日の浅い私が共和国への派遣が決定した。

仲間達と一緒に共和国の争いを鎮める為に奔走したのが昨日の事のように思い出せる。

 

その過程で私は聖樹の巫女と個人的に親しくなり、今では彼女と私の関係は遠い国にいる友人と呼べる位に仲が良い。

ホルファート王国は援助を盾にアルゼル共和国の内政に干渉するようになった。

国家として正式な要請はホルファート王家が共和国の大貴族に対して使節を送るが、聖樹の巫女に対して行われる干渉は私に一任された。

新しい聖樹の加護を受けた巫女に非礼を行い損害を出すのなら警戒心を持たれていない友人である私に任せた方が確実と判断されたのがその理由だ。

今日の来訪は数ヶ月に一回行われる聖樹に関する報告の受理と久しぶりに会う数少ない私と友人の気晴らしが目的だった。

 

船内が慌ただしくなる中で私達は部屋で声を掛けられるまで待ち続ける。

カーラさんが私の服装を整える真横でマリエさんが護身用武器の手入れを行う。

流石に来訪した使節を襲う人達がいるとは思えないけど油断は出来ない。

アルゼル共和国の人々にとってホルファート王国は亡国の危機に付け込んで内政に干渉する目障りな存在だ。

 

国を想う心は時に暴走して争いを巻き起こすのを私はこの数年間で嫌という程に知った。

船内の喧騒が落ち着き始めた頃に扉が数回ノックされエルフの青年が入室した。

彼は私が個人的に雇っている従者。

『聖女が奴隷を持つとは』と私を批判する人も存在するが、私は彼を奴隷として扱った事は一度も無い。

少なくなったとはいえ私を悪し様に罵る、聖女に相応しくないと思い悪意を以って接してくる人は今でも存在してる。

自衛の為には信頼できる人々を味方に付け常に安全を図らなくてはならない。

 

「護衛の用意が整ったと言われました」

「分かりました。取りあえずカイル君は船内で待機、マリエさんとカーラさんは同行してください」

 

カイル君が不満そうに顔を歪めるけど彼はあくまで私が個人で雇った使用人だ。

公的な場に同行できないし、そもそも王国内は未だに亜人種に関して差別意識が根強い。

そうした風潮を変えようと努力しても微々たる成果しか上げられないのが現状。

最近は自分の無力感に圧し潰されそうになる。

どんなに聖女とと讃えられても私に世の中を良い方向へ変える力なんて無い事実を毎日突きつけられる。

 

「オリヴィア様、どうなされました?」

 

気付かない内に物思いに耽ってしまったらしい。

心配そうに私を見つめる二人の視線にぼんやりしていた意識が戻って来た。

 

「何でもありません、行きましょう」

 

心中の不安を誤魔化すように頭を振って歩き始める。

このままじゃ与えられた仕事はもちろん、これから会う聖樹の巫女にも礼を欠いてしまう。

迷いを振り払うように背を伸ばし姿勢を整える。

飛行船の昇降口には既に護衛の神殿騎士達が整然と並んでいた。

その先の開けた場所には何人もの護衛に囲まれ私とは違う装飾に彩られた服を身に纏う女性が佇んでいた。

 

一歩、また一歩と足を進め聖樹の巫女に近付く。

神殿騎士の視線と共和国の護衛の視線が絡みついて私を見つめていた。

私の一挙手一投足がホルファート王国代表としての品格を判定されてしまう。

片手に持った杖を地面に突き立て膝を曲げゆっくりと聖樹の巫女に拝礼を行う。

 

「聖樹の巫女様におかれましてはご壮健のご様子、何よりと存じます。聖女オリヴィア、ホルファート王国より参上仕りました」

 

本来ならばアルゼル共和国に多大な援助を行っているホルファート王国は政治的に優位な立場なのだから畏まる必要は無いという人々も多い。

けれど、そうした傲慢が憎しみを招き争いの火種になった事を私は身を以て知っている。

何より異国の地にいる友人に横柄な態度を取りたくはない。

 

「遠路はるばる聖女殿にご足労おかけし誠に恐縮です。聖樹の巫女ノエル・ベルトレ、アルゼル共和国の民を代表し聖女オリヴィア様に改めて御礼申し上げます」

 

格式ばった挨拶が終わるとすぐ近くに見える施設へ案内される。

まだ新築特有の匂いが漂う施設は新しい聖樹の研究機関。

この場所で聖樹の巫女が中心となって新たな聖樹の苗を育成し、今後のアルゼル共和国の行く末を担う様々な活動が行われていた。

 

「これより先は関係者以外立ち入りを禁じます、どうぞ外でお待ちください」

 

聖樹の巫女が毅然とした態度で神殿騎士達に待機を促す。

外交に於ける守秘義務を盾にされては大人しく従うしかない。

やや不服そうな顔をしつつも神殿騎士は大人しく従い施設の外へ向かった。

灯りに照らされた廊下を歩き貴賓室とネームプレートが貼られた部屋の前で立ち止まる。

ゆっくりと扉が開き室内に通された。

簡素な内装だけど室内は広く来客用のソファーやテーブルは最高級の品だとは分かる。

貴賓室には聖樹の巫女、私、マリエさん、カーラさんの四人だけだ。

 

「あ゛ぁ~~、本当に疲れた~」

 

動物の唸り声みたいな声が響き渡ると聖樹の巫女は帽子や上着を脱いで近くのソファーへ放り投げる。

 

「皺になりますよ」

「どうせ普段は着ないから問題ないわ、そもそも友達が訪ねて来るのにこんなの着てたんじゃ全然寛げないでしょ」

 

巫女が綺麗に結われた髪を解くと金色と桃色が混じった髪が波打ち服に被さる。

さっきまでの威厳ある聖樹の巫女と同一人物とはとても思えない。

彼女はいつだって勝気で快活、私とは大違いの性格だ。

 

「ほら、みんなも座って座って。流行りのお菓子とかお茶とか用意しておいたから早速食べよう」

「ノエル様、オリヴィア様と私達は一応仕事で共和国に来たんですけど」

「固いことは言いっこなしよマリエちゃん、数時間しか会えないんだからさっさと仕事終わらせよう」

「聖樹の巫女として良いんですかそれ?あとちゃん付けは止めてください」

「あたしなりの親愛表現だよ。そろそろ共和国に来る決心はついた?マリエちゃんなら大歓迎するんだけど」

「ありがたいお言葉ですが私はオリヴィア様の専属です」

 

二人の応酬を見ながら私とカーラさんは苦笑する。

彼女ノエル・ベルトレこそ聖樹の巫女。

アルゼル共和国の争いを鎮め聖樹の加護を受けた世界で唯一の存在。

そして私の大切な友達だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「数値上はプラス方向の変化、成長速度は僅差の範囲内ね」

「魔素の吸収率はどうなんですか?」

「少しずつ上がっているわ。それでも魔石を生み出すまでにはあと数十年はかかりそうね」

「あんまり王国へ良い報告を出来そうにありませんね」

「普通の樹木でも安定して実を収穫できるまで十年はかかるから仕方ないですよ」

 

女性がお菓子をつまみお茶を飲みながら話す光景にしては些か話の内容が重大過ぎる。

アルゼル共和国に対するホルファート王国の支援は成長した聖樹が生み出す魔石を他国より多く配分するという名目で行われている。

新しい聖樹がどれだけの魔石を産出するか分からない現状ではファンオース公国との戦争で疲弊した国内への支援を優先させるべきという考えが根強い。

そうした風潮を変える為に私を経由して定期的に聖樹の報告をしているけど芳しいとは言い難い。

 

「聖樹以外で何か技術や産業を興すのは無理なんですか?」

「共和国は聖樹に依存してたから無理ね。他の国から工場とかを移転してもらおうとしたけど自分の国でやった方が安上がりって断られたわ」

「わざわざ共和国で作る意味がありませんものね」

「あと今まで他国を偉そうに見下してたのも悪いですね。ぶっちゃけ評判悪いですよ共和国」

「助けてリビア!マリエちゃんがひどい!」

 

マリエさんの忌憚ない意見にノエルさんが涙目になる。

私としても何とかしてあげたいけど共和国の印象が悪いのは今更変えようがない。

 

「いっそ完全に帰順するって方法はダメなんですか?」

「そうすると魔石の独占したって他の国から責められるよ」

「王国は公国との戦争で疲弊しています。戦争になってまで共和国を助ける理由が無いんです」

「八方塞がりですね」

 

カーラさんの提案は王国がまだ衰えていない頃だったら有効だった。

けれど今の王国は問題を抱え過ぎている。

吸収された公国に加えて共和国まで取り込んだら許容範囲を超え王国自体の存続が危うい。

それに加えて王国上層部にも不穏な空気が流れている。

王家と公爵家の争いが表面化すればもはや支援どころではなく国を割っての争いになってしまう。

私の考えが伝播したのかマリエさんとカーラさんも顔を強張らせる。

 

「どうしたの?何かあった?」

 

訝しむノエルさんに真実を伝えるべきか否か逡巡してしまう。

王国の趨勢は共和国の未来を左右する。

もし共和国の上層部が王国の内部事情を知れば公爵家の側に付いても不思議じゃない。

大切な友人が私達と対立する立場になった場合を考えたらどうしても口に出来なかった。

 

「……今の王国は厳しい状況です。内情を知ったらノエルさんを巻き込みかねません」

 

我ながら卑怯な言い方だとは理解している。

ノエルさんがこの言葉で引いてくれるならそれが一番良い選択肢の筈だ。

 

「巻き込まれても構わないから喋っちゃいなよ」

「王国の政争に共和国を巻き込む訳にはいきません。下手をすれば支援が滞る可能性だってあるんですよ」

「それならますます知らなきゃダメでしょ。巻き込まれるって言うなら王国の手を借りた時点でとっくに当事者なってるから」

 

テーブルに置かれた菓子を一つ抓んで頬張るノエルさんの態度は事の重大さを警告しても相変わらずだった。

 

「いいから話してみなよ、あたしでも何か協力できるかもしれないし」

「……私も話した方が良いと思いますよ」

「何言うのマリエさん」

 

マリエさんの発言にカーラさんが声を上げる。

声は出さなかったけれど私も同じように驚いていた。

 

「ノエル様は私達が話すまで諦めないと思いますよ。どうせ巻き込むのなら少しでも良い方法が思いつけるように意見を聞いてみるべきです」

「それはそうでしょうけど」

「アンジェリカ様は話し合いの場を用意してくれると仰ってました。手をこまねいてる時間なんてありません」

「……」

「マリエちゃんは優秀ね、やっぱ共和国(うち)に来ない?」

「行きません、諦めてください」

 

抜け目なくマリエさんを再度スカウトするノエルさんは確かに狡猾な方法を思いつきそうに感じる。

アンジェリカ様と再会してから今日まで悩んでいたけど有効な手立ては今も考え付かない。

他国を訪問してる国の代表として守秘義務に反する行いをするか、それとも友人に現状を話して知恵を借りるか。

悩んだ末に私が選んだのは後者だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

私の話をノエルさんはずっと黙って聞いていた。

内容を考慮すれば共和国の象徴である聖樹の巫女に話すべきではない。

それでも藁にも縋る思いで打ち明けてしまったのは聖女としての私の弱さだ。

全てを話し終えた後、彼女はずっと貴賓室の天井を見つめる。

何か在る訳じゃない、ただ思考を纏める為に視線が定まった先がたまたま其処だっただけ。

 

全て話終えて後、すっかり冷めてしまったお茶を飲み干す。

乾いた喉にはかえってその温さがありがたい。

カーラさんが温め直してくれた二杯目を飲んで漸く心が落ち着く。

同時に私の行動が王国に対する裏切りではないかと思い返して罪悪感が押し寄せた。

 

「……それで、その公爵は共和国への支援をどう思ってるの?」

「詳しい事は分かりません、公爵様は頼りない王家に国を任せられないと思っていますが外交についてどのようなお考えなのかまでは把握していませんし」

「でも貴族達への人気取りの為に共和国への支援を減らす可能性はありますよ。ただでさえ公国との戦争のせいで王国は財政難になって恩賞も滞りがちですし」

「魔石も産出できない聖樹の成長を数十年も支援するより国内の貴族に報いる方が先決と普通は思いますよね」

「最悪じゃん」

 

悲鳴に近い叫びを上げるノエルさん。

彼女、いや共和国にとって王国の支援は命綱だ。

これが打ち切られるのなら共和国はもう他の国によって解体される道しか残っていないだろう。

 

「……実際の所、公爵の考えはそれで本当に正しいの?」

「分りません。公爵様が王家に対して不信感を募らせているのは承知していますが、それがどの程度なのかはご本人にお話を聞くしか」

「待って、リビアは公爵本人と話してないの?子供との縁談まで持ち掛けているのに?」

「何度か催しで同席したぐらいで会話した事もありません。ギルバート様も遠目で見た程度です。何より私はアンジェリカ様の婚約を破綻させた原因ですから嫌われている筈です」

 

ユリウス殿下とアンジェリカ様の婚約破棄が王家と公爵家の関係が悪化した直接の原因。

その切っ掛けとなった私は公爵家から恨まれて当然だ。

私とギルバート様の婚約話についても公爵家と神殿の思惑が一致しただけで私の意思なんか一切介入していない。

 

「つまり口も聞いてないし、向こうが何を考えてるかも自分達で考えただけと」

「そうですね、ノエルさんが仰る通りです」

「じゃあさ、公爵とその子供に直接話してみなよ」

 

ノエルさんの発言の意味が分からず私達は顔を見合わせる。

そんなの考えた事もなかった。

 

「話した事も無いならさ、もしかしたら交渉の余地があるかもしんないじゃん?本人に直接聞いた方が絶対良いって」

「私は平民の出身です、公爵と面会できる可能性は殆どありません」

「今はホルファート王国の聖女でこうやって代表として共和国(ここ)に来てるでしょ。リビアは自己評価が低過ぎだよ」

 

私に忠告するノエルさんの表情は何処までも率直だった。

 

「話せるうちに話した方が良いよ、これはあたしの経験なんだけどさ」

 

ノエルさんが空になったティーカップを差し出すと慌ててカーラさんがお茶を淹れた。

カップから立ち昇る湯気越しに見る視線が何処か憂いを含んでるのは気のせいだろうか?

 

「昔好きな男の子が居たんだ。物心ついた時からの幼馴染。その子はあたしの婚約者でね。大好きな男の子と将来結婚するんだって思い込んでた幼いあたしは自分が世界で一番幸せだと信じてたの」

 

ノエルさんは気安い態度から勘違いされやすいけれど本当は平民ではない。

平民同然に育ったと話したけど本来はアルゼル共和国でも屈指の名家レスピナス家の出だと本人から聞いている。

お父様が平民出身だったので平民や下級貴族に対しても偏見が無く、そのおかげで私とも友人になってくれた。

 

「状況が変わったのはその子が死んでから。その子の家は養子を迎えて急にあたしに冷たくなったの。優しかった父さんと母さんは他の貴族に殺されてあたしは貴族じゃなくなって。幼いあたしは随分とその人達を怨んだっけ」

 

何処か虚ろな笑いを浮かべるノエルさんの身の上話は私達の想像を絶する物だった。

両親に捨てられたマリエさんでもそこまでの体験はしていない。

 

「共和国で内乱が起きてその人達と対立して、あたしは怨みを晴らしてやろうと心の何処かで思ってたんだろうね。あの人達が国を蝕む悪党だって信じ込んでた。全てを知ったのはあの人達が死んだ後」

「何があったんですか?」

「あの人達は共和国をどうにかしようと必死に足掻いてた。腐敗した貴族達と対立してまでこの国が正常になる道を模索していた。あたしなんかよりずっと真っ当な心の持ち主だったんだ」

 

その人達が誰だか察しはついた。

共和国での戦いで最後まで抵抗した貴族の人達。

彼らの一軍が精強だったのは士気の高さはもとより国を想う気持ちの顕れだったのだろう。

 

「最悪だったのはあたしの両親が全ての原因だって事実。母さんは婚約者だったあの人を裏切って父さんを選んだ。そのくせ恥知らずにも男の子とあたしを婚約させて利用する気満々だった。男の子が死んでからあの人達が冷たくなったのも父さんと母さんが婚約破棄を一方的に主張したから」

 

その行動のついて私達は言葉を紡げない。

貴族の関わり合いは家の利益が絡む物だからこそ何より信用が重視される。

ノエルさんのご両親の行動はとても褒められた物じゃなかった。

 

「何より滑稽なのは両親が殺された原因は自分達が聖樹を支配しようとしてた事実をあたしは知らなかったんだ。聖樹はこの国にとって何より重要なのに、それを独占しようとすれば他の貴族達に殺されて当然だよね。あたしが生き延びたのはあの人が『子供に罪は無い』って庇ってくれたおかげなのに両親の仇だって信じ込んでた」

 

そんな事情があったなんて知らなかった。

ノエルさんが聖樹の巫女として必死に活動しているのは罪滅ぼしの意味もあるんだろう。

 

「今でも後悔してる。何で話し合わなかったんだって。どうして話し合う事さえ思いつかなかったんだって。もし真実を知ってたら協力できたかもしれない。共和国も崩壊しなかったかもしれない。でも、もう仲直り出来ない。だってあの人を討ったのはあたしなんだから」

 

嗚咽が混じっている声を誤魔化すようにわざとらしくお茶を啜る音が室内に響いた。

私達も言葉を飲み込むように続いてお茶を啜る。

目元を拭ったノエルさんは照れたように笑いを浮かべてるといつもと同じように明るく振る舞い始める。

 

「公爵は悪人じゃないの?」

「少なくても汚職や賄賂や横暴とは無縁ですね」

「堕落した貴族を一掃したのは王妃様と公爵の働きが大きいかと」

「王様になって贅沢したいってダメな奴じゃない訳ね」

「愛国心は人一倍強い御方です」

 

だからこそ私の言葉を聞き入れてくれるとは思えない。

私とはあまりに積み重ねてきた年月と信念が比べ物にならないほど重厚過ぎる。

交渉の余地が殆ど残っていない。

 

「じゃあ、そんな皆に私からの特別プレゼントを披露しますか」

 

立ち上がったノエルさんが部屋の隅に置かれた金庫から何かを取り出した。

テーブルの上に置かれたのは数冊の本。

 

「これは?」

「ここ最近の共和国で起きたいろんな問題の資料。物価の推移、犯罪率の増減、入国者の傾向、起きたトラブルの原因と結果、その他諸々のデータを私と仲間達が纏めたんだ」

 

軽く目を通したけれど内容はとても分かりやすく纏まっている。

同時にこんな重要な資料を見せてくれるノエルさんの意図が分からず困惑する。

 

「共和国で起こった問題を調べたんだけどさ、ちょっと怪しいデータが出て来たんだよね」

「それは何なんですか?」

「それを無料(ただ)で教える訳にはいかないなぁ」

 

悪戯っ子のように楽し気に体を震わせ私達の手から資料を奪うノエルさんを見て嘆息する。

これは交渉。

友人と言えども政治が絡むのなら割り切る他にない。

 

「私より王国の使節に渡した方が有効に活用できると思います」

「一方的に巻き上げられて終わりだよ。あたしと対等に話し合ってくれるのはリビアぐらいしか居ないし。少しでも良い条件で取引がしたい」

「私に王国の政治を決定できる権限はありません」

「でも交渉の窓口にはなってくれるでしょ?其処から先は共和国(うち)の連中が交渉を頑張ってもらうから」

 

答えるノエルさんの瞳は力強い光が宿っている。

ふと、弱りきった今の私を振り返る。

いつからこんなに悩むようになったんだろう?

前の私はもっと精力的に聖女の務めに励んだ筈なのに。

権謀術数が渦巻く宮廷の駆け引き、聖女を崇めながら利用する事を躊躇わない神殿、公国との戦争で散っていた人々に対する罪悪感。

悲しいまでに私に出来る事が微々たる物だから弱気になっていた。

 

私を信じてくれる人達がいる、ホルファート王国の為に我が身を惜しまず行動する。

漸く私は聖女に就いた時の初心を思い出せた。

気付けに思いっきり自分の両頬を叩くと快音が部屋に響いた。

驚いたマリエさんとカーラさんが私を見つめる。

大丈夫だ、私にはまだやれる事が沢山ある。

 

「誰との交渉を望みですか?」

「王妃様、って言いたい所だけど流石に無理だよね。外交担当者と財務担当者に交渉できれば良い」

「交渉の内容は?」

「共和国へ十年単位で支援の確約。出来れば書面にして正式に締結させたいわ」

「分かりました、交渉の席について貰えるように頼みます。ただ成功するとは断言できません」

「その辺は承知してるよ。これはプレゼントって言ったでしょ。少しでも共和国が立て直せるようにやれる事は全部やり尽くしたいんだ」

 

何処か晴れやかな気持ちで私達は微笑む。

今の私はノエルさんに対して友情ではなく同じ志を持つ人に対しての敬意を感じている。

 

「あ、あとマリエちゃんが共和国に来てくれると嬉しんだけど。主に私が」

 

その言葉に六つの瞳が彼女に向かう。

自分が取り引きの材料にされていると気付いたマリエさんの顔が徐々に青くなる。

 

「勝手に決めないでください!!」

 

私達は大きな声を出して笑い合った。




聖樹の巫女ノエル登場。
頼りがいのある乙女ゲー主人公としての側面を出す為にかなり強かになっています。
原作に於いて全く別タイプの主人公としてオリヴィアと対比させました。
カイルやカーラは救ってくれたのがマリエではなく乙女ゲー本来の主人公であるオリヴィアのイメージです。
ラウルト家の面々がひどい事になってるのは乙女ゲー設定です、私のせいではありません。(またかい
ラウルトリオンを生かそうかと一瞬悩みましたが、そうなるとノエルが乙女ゲー主人公にならないので死亡確定。(無常
アルトリーベ世界は本当に厳しいです。

追記:依頼主様のおかげで実靜様、ruri_様、ばんしぃ様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
実靜様https://www.pixiv.net/artworks/111689537
ruri_様https://www.pixiv.net/artworks/111726163
ばんしぃ様https://www.pixiv.net/artworks/111765772(成人向け注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第31章 吐故納新

「マーモリア君、先程の議事録についてだが」

「既に整理を終えて保管庫に提出しました」

「そうか、では四日後に行われる貴族の新規産業に対する貸付問題の資料を」

「そちらも既に手配済みです」

「……うむ」

 

老いた上司は二の句を告げられず会話が終わる。

悪人ではない、職務には忠実。

ただ老いのせいだろうか、仕事の処理能力が著しく低いのは問題だ。

あの程度の仕事に何日も費やすのは時間の無駄としか思えない。

日陰とはいえ国の重要資料に携わる部署がこの有り様で良いのか。

舌打ちをしたくなるが周囲の目があるので必死に堪える。

 

元々乗り気の仕事ではない。

間違いさえ起こさなければ文句を言われない、だから表面上はきちんと仕事を熟してると取り繕えさえすれば問題は無い。

中には日陰の部署に回された私を蔑むような視線で見る先輩方も何人かいるが、この程度の仕事に手間取る無能がどうこう出来るとは到底思えないので無視する。

上から命令されれば期限内まで無理をしてでも必要な資料を提出しなければならないが、私にとってこの程度の雑用は仕事の内に入らない。

 

必要な業務を熟したら後は退勤時刻まで適当に時間を潰す。

頑張った所で資料編纂室の出世は勤続年数と家柄による年功序列だ。

若造が足掻いた所で何か出来る訳ではない。

王宮の片隅にある資料編纂室は王国の各機関や領主から提出された資料を整理し必要に応じて提出又は保管を行う。

ホルファート王国の政治に携わる宮廷貴族や閣僚からは格下の小間使いとして蔑まれる存在だ。

年月をかけ集められた膨大な資料を収めた巨大な保管庫、資料の貸し出しや閲覧の窓口である受付室、資料の編纂の為に泊まり込みで働く職員の為の小部屋が幾つも並ぶ。

 

かび臭い書類に囲まれて仕事をするのは余程の物好きか人前に出せないと見放された偏屈か、或いは私のように懲罰としての意味合いで配属された者だけだ。

現在のホルファート王国はファンオース公国との二度に渡る戦争で人材難だが、非主流派となった者を要職に就けるだけの寛容さは持ち合わせていないらしい。

レッドグレイブ公爵の息がかかった者が採り立てられてゆく光景を忸怩たる想いで見つめるが、嘗て公爵令嬢だったアンジェリカ・ラファ・レッドグレイブを罠に嵌めた私に宮廷での居場所など存在しない。

 

戦時では敵の首級を上げた腕自慢が平時に於いて名ばかりの閑職を宛がわれるなど学園の講義で散々聞かせられてきた歴史でよくある一幕に過ぎない。

ただでさえ私はオリヴィアの聖女擁立、アトリー家との婚約破棄、反レッドグレイブ家の貴族と接触、王位継承者だったユリウスの為に様々な便宜を図るなど工作を行ってきた。

その結果がマーモリア家から廃嫡され、何とか親子の縁が切れていないだけの貴族令息だ。

 

そんな己の身の上を嘆いていると鈍い痛みが胸を襲う。

実家からの借りた金を出し合い殿下に融通して貰った資金を元手にバルドファルトを取り込むこちらに引き込む策は失敗に終わった。

公爵家からの貸付金に苦慮し妻に頭の上がらない辺境の成り上がり者。

私なら公爵に潜り込む密偵として最適なバルドファルトを上手く御せると思ったのが失策だった。

 

戦争が終わった直後から後始末に奔走する王国は有能な貴族令息を放置しておくほど人材が足りている筈もない。

正式な論功行賞が行われるのは一年程は後になるが、人手が足りない部署に無位無官の若手や成り上がり者配属されるのは致し方ない。

 

だが、それは何も問題が無い者に限られる。

婚約破棄騒動を引き起こし、聖女オリヴィアと共に行動して功績を上げた私達は功罪相償う存在だ。

扱いに困った上層部が、いや明確に敵視しているレッドグレイブ公爵の干渉によって私達四人は引き離され閑職や地方に飛ばされた。

ブラッドは旧公国の者が何らかの活動を起こさないようフィールド家を手伝うという名目で実家預かりに。

クリスは戦争に伴う空賊の増加を取り締まる為の遊撃部隊に配属。

グレッグは王家が所有するダンジョンを不法に荒らす冒険者を取り締まる為に警備隊へ配属された。

殿下は上層部から任せられる仕事を処理するだけの日々を送り、オリヴィアは聖女としての活動を神殿に強要され面会すらままならず。

私はこうして王宮の片隅で埃を被った紙の束に囲まれ鬱屈した日々を送っている。

 

殿下を支え聖女を護る者として戦い国の政を担う。

そんな輝かしい未来はいつの間にか消え失せた。

今は持て余した能力に見合わない仕事を与えられひたすら処理する日々を虚しく過ごす。

集められた資料を編纂する時に否が応でも目に入って来る情報がひどく煩わしい。

この場所で陰鬱に仕事を熟す全員が私を蔑んでいるように見えて仕方がない。

実家のマーモリア家に助力を乞おうにも婚約破棄騒動を起こした時点で既に私は見限られている。

新しい仕事や人脈の為に必要な資金だと説き伏せて漸く借りた金はバルドファルトの買収に失敗したせいで手付かずになった。

いっそ副業でも手を出して資産運用するのも悪くはないと考えても心に澱が溜まるだけだ。

このまま忘れ去られ朽ち果てていくのか。

公爵家を敵に回した代償は嘗ての私が想像した以上に苛烈だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「あの、ジルク・フィア・マーモリア様ですよね…」

 

休日明けの早朝、王宮の廊下を歩いていると背後から声をかけられる。

振り返ると紺色の髪の女がおどおどした様子でこちらを見ている。

何処かで見た顔だが思い出せない。

終戦直後、私に声をかけて来た貴族の女は数え切れないほど存在した。

その多くが未婚の令嬢であり欲望と打算を隠そうともしない視線に辟易したが、私が閑職に回されるとまるで最初から存在しなかったように周囲から消えた。

オリヴィアに対する想いを秘め、公爵家から睨まれ出世の見込みが無くなった私に対する興味を失えば他の男に鞍替えする厚顔無恥さはいっそ此方が見習いたいぐらいだ。

こうした手合いは相手にしないに限る。

 

「聞こえてるなら返事ぐらいしてください。育ちが悪く見えますよ」

 

彼女に構わず歩き始めようとした所で別の声が聞こえ再度振り返る。

私に視線を送る者が一人、いや二人増えている。

一人は背の低い女、もう一人はエルフの男だった。

エルフの方は見覚えがある、確かオリヴィアの使用人だった筈だ。

 

「ご無沙汰していますジルク様、オリヴィアの専属使用人のカイルです」

「君か、一体何の要件だ?私はこれから仕事がある」

 

前々からこのエルフの使用人は気に食わない。

エルフという種族に対する感情と常にオリヴィアの傍らに控えているという事実が混じり合いついつい口調が辛辣な物に変わる。

当然だが向こうもそんな私に対し挑むような視線を返す。

正直な所、顔を見たくもないのだが声をかけられた以上は応対しなくてはならない。

 

「資料編纂室へのご栄転おめでとうございます。異動して早々ご活躍されているとか」

「新人だから先輩方が楽な仕事を回して下さっているだけだよ。就業時間内に仕事を終えるのが精一杯さ」

 

何気ない会話だが毒を含んだ言葉の応酬は周囲の空気を険悪な物に変えていく。

睨み合う私とカイルを見て最初に声をかけた女が慌てるが何も出来ず立ち竦んでいる。

 

「カイル君、そこまでよ」

 

場の流れを変えたのは背の低い女が放つ澄んだ声だった。

私達二人を呆れたように眺めると手持ちの鞄から何かを取り出す。

 

「聖女オリヴィア様のご命令で此方に赴きました。資料の閲覧を希望します」

「すまないが部外者が資料を閲覧するのは禁じられている。推薦状が無ければ入室すら出来ない」

「それなら既にユリウス殿下から許可をいただきました」

 

手渡された紙には目的と閲覧する資料内容を明記し末尾には殿下のサインと押印がされていた。

これならそのまま提出すれば即座に許可が出ただろうに。

 

「他の職員に頼めば良かったんですけど、宮廷は何処で誰が見ているか分からないので貴方を頼りました」

 

確かに宮廷に勤める侍女と違う服装をした女とエルフが王子の推薦状を持って来て資料を閲覧するのは目立つ。

本物かどうか騒ぎ立てられたら要らぬ騒動に発展しかねない。

だから私に声をかけたという訳か。

 

「分かった、入室手続きは私が受け持とう。その後まで責任は持てないが」

「感謝します」

 

足早に資料編纂室へ向かい閲覧室を覗くと幸いにもまだ担当職員は訪れていなかった。

推薦状に判を押して目立たないように棚に押し込むと来賓用の胸章を用意する。

こんな雑用を新人だからと任され慣れてしまった不遇を嘆く。

 

「資料の持ち出しと複写は基本的に禁止されている。閲覧室はあちらだ」

「数日間泊まり込みで調べられますか?」

「無茶を言わないでくれ、そこまでやれるか」

「ユリウス殿下とオリヴィア様の為ですよ」

 

そう言われると反論し難い。

何とか頭を捻り喜ばしくない方法を思いつく。

 

「……私に割り振られた個室があるバレるまで寝泊りが可能かもしれん」

「早速案内してください」

「勝手な事ばかり言わないでくれ。こっちにも事情がある」

「私達にもあります。とにかく時間が無いんです」

 

わざとらしく舌打ちして個室に案内する。

資料の編纂目的で割り当てられた個室は必要最低限の物しか置けず数人が作業を行うには手狭だ。

 

「それでは私達は調査をします。ご協力ありがとうございます」

 

三人がこの部屋で何を行うか?

興味はあったが今の私は資料編纂室で働く文官に過ぎない。

舞い込んで来た面倒事に溜め息をつきつつ、しばらくはあの辛気臭い輩に混じって一日中机仕事をする身の上を思い眩暈がした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「上手くいくとは思わなかった」

「何でも言ってみるもんよ、度胸があれば意外と押し通せるわ」

「それって嫌われませんか?」

「嫌われただけで済むなら言ったもん勝ちでしょ」

 

私達は笑い合いながら鞄の中身を机の上に置いていく。

ノート数冊、ペン数本、インク瓶数個、間食用の菓子。

必要な物は交代で持ち込もう。

とにかく時間が足りない。

 

「でもマーモリア様は私を憶えていらっしゃいませんでした。オリヴィア様のイジメに関わった私を憶えていて絶対に許さないと思ってたのに」

「貴族ってそういうもんだ。同じ貴族とお気に入りの平民以外は人間だと思っちゃいないのさ。亜人なんか人と同じ形の動物扱いされてる」

「オリヴィア様が聖女になって戦争で手柄を立てた平民が貴族に取り立てられるようになっても貴族は相変わらずそんな感じよ」

「二人は貴族令嬢だったろ」

「今は元貴族令嬢よ、実家は没落して影も形も無いし」

 

カーラさんとカイル君と軽口を叩き合う内に準備は終わった。

 

「それじゃ資料を集めましょう。とりあえずオリヴィア様に言われた戦争中の各国の動きとアルゼル共和国への支援の詳細。あと王国内の貴族で取り潰された家と新しく召し抱えられた家の移り変わりかな」

「初日の今日は取りあえず資料が大体どの辺りにありそうか目星を付けましょう」

「二人が調べて俺が資料を持って来るんじゃダメなの?」

「それだとカイル君しか居ない時に作業が止まるでしょ」

「オリヴィア様のお世話は交代でするけど、何処かに訪問される時は一人だけじゃ不安ですし」

「やっぱりオリヴィア様本人に来てもらうのが一番早いんじゃ」

「ダメ。確かにそれが一番だけどいくら何でも人目に付き過ぎるわ」

 

オリヴィア様の頭脳は優秀だ。

治癒魔法や相手の心に干渉する力をお持ちだがそれを活かす頭脳があればこそ今までの危機を乗り越えてこれた。

だが、それはあくまで人々を奮い立たせ心身を癒す聖女としての思考力であり政治を行うには向いていない。

 

「マリエさんは子爵令嬢だったんでしょう、その辺りの知識は無いんですか?」

「うちの親は末娘からお金を奪うろくでなし。学園に通ってたカーラさんの方が詳しいでしょ」

「私の実家は準男爵家で限りなく平民に近いですよ。カイル君は……」

「平民出身のオリヴィア様に仕えてる俺にそんな知識があると思う?」

 

私達は溜め息をついた。

どう考えても無理が過ぎると誰だって思う。

平民出身の聖女と親に見捨てられた元貴族令嬢と下級貴族の元令嬢とエルフの使用人。

たった四人でこの国の未来の為に必要な案を模索しなきゃならない。

 

「やっぱりマーモリア様に協力してもらった方が……」

「会うまではそう思ってましたけどね。あれはダメです。そもそも五人のお馬鹿さん達は戦い以外は頼りになりません」

「マリエさんは辛辣だな、俺も同じ意見だけど」

 

オリヴィア様に付き従うようになって五人とある程度は関わるようになったが人柄を知れば知るほど呆れるし、オリヴィア様から過去の騒動を聞いて頭痛がした。

彼らは苦労知らずのお坊ちゃんだ。

高い能力のおかげで碌に失敗を体験せず、家柄の良さのせいで誰からも注意をされず育った。

我儘を我儘と思わず、自分の欲望を押し通せるだけの腕力と権力と財力を持った子供。

オリヴィア様と関わって多少は更生したらしいが真っ当になったとはとても言えない。

そもそもオリヴィア様は聖女という認識をしてるのかあの五人は。

図体のデカい子供の世話をオリヴィア様にさせないで欲しい。

 

「もっとオリヴィア様に協力できる人が居たら苦労しないんですけど」

「大神官のデブ爺はオリヴィア様を利用して私腹を肥やす事しか考えてないわ、取り巻きも内心ではオリヴィア様を見くびってる奴らだし」

「もうさ、公爵に味方した方が良いんじゃない?あの人もオリヴィア様を利用する気だろうけど丁重に扱ってくれるだろ。少なくても今の神殿に居るよりずっとマシだ」

 

カイル君の言葉に私達は動きを止める。

確かにその方がオリヴィア様の苦労は減るし待遇も良くなる。

何よりこの半ば腐りきった国の立て直すには最短だろう。

最悪の事態で流される血の量を許容すればの話になってしまうが。

 

「……オリヴィア様がそれを納得できる御人ならそれで良いかもしれないわね。そんな御人だったら私達を救ってくださらなかったでしょうけど」

「風評なんて気にせず俺を雇ってくれたぐらいだしなぁ。おかけで母さんに苦労かけずに助かったし」

「私も家から放逐されて娼婦になる道しか残ってなかったのに神殿に入れてもらえました。オフリー家の寄子としてあんなにひどいイジメをしたのに」

「私も餓死しかけてたのを救われたわ。此処でオリヴィア様のご厚意に報いなきゃ私達は恩知らずの無能ね」

 

聖女様はとことんお人好しの善人なのだ。

相手が罪人であれ自分を虐げた悪人であれ反省する気があるのなら許してしまう。

それがどうにも危なっかしいから少しでも助けてあげたくて私達はこうして動いている。

 

「それじゃあボチボチ始めますか」

 

資料が収められた書庫へ向かう。

時間はあまり残されていないが、それでも抗うのを止める理由にはならなかった。

私達はあの聖女様に恩があって好きだから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

奇妙な三人組が私の個室に滞在するようになって数日が経った。

最初は見慣れない来訪者が書庫と閲覧室に長時間滞在しているのを訝しむ職員が居たが、数日もすれば部屋に置かれた観葉植物のように気にも留めなくなったようだ。

元々他人への興味が少ない偏屈な者か与えられた仕事を必死に熟すしか能が無い連中だ。

気にし過ぎただけで私に対して興味が薄いのかもしれない、それはそれで屈辱だが。

私の個室を占領した三人は一人が資料を集め残りの二人が何やら作業をしてるらしい。

 

彼らが部屋を訪れて二日目、大量の筆記用具が部屋に置かれる。

 

彼らが部屋を訪れて三日目、カップやスプーンといった食器が持ち込まれる。

 

彼らが部屋を訪れて五日目、衣服やタオルを運び込まれる。

 

彼らが部屋を訪れて七日目、ついには毛布やら枕などの寝具を携えて来た。

ここまでされて怒らない方がどうかしている。

むしろ個室を好き勝手にされて怒らない私の寛容さは讃えられるべきだ。

我慢しきれなくなった九日目の朝早く、個室を訪れると小さな女が床に布を敷き頭から毛布を被って寝ていた。

そういえば七日目から他の二人は見かけていない。

飽きたのか、それとも何らかの用事があったのか。

寝息を立てている女性を思わず蹴りたくなる衝動に駆られるが必死に抑える。

 

「いつまで寝ている、起きたまえ」

 

小さな体を揺すって声をかける。

あまり大きな声ではないが眠りを妨げる声は思いの外部屋に響く。

漸く体を起こした彼女は周囲を見渡し大きく欠伸をする。

据え置きの時計で時刻を確認すると私を睨み再び体を横たえる。

 

「起きろ、二度寝するんじゃない」

「あと少ししたらカーラさんとカイル君が来ます。それまで寝かせてください」

「そもそもここは私に宛がわれた個室だ。宿ではない」

「どうせろくに使っていないでしょう、資源を有効活用しているんです」

「遠慮という物を知りたまえ!」

 

力づくで毛布を引き剥がすと小さな体が部屋の床を転がった。

ゆっくり体を起こし体を伸ばす様は野良猫のようだ。

はだけた服からチラッと首元や太腿が見えたが、私は起伏に乏しい肢体に興奮する小児性愛ではない。

彼女は備え付けの椅子に腰掛けてポットからカップへ中身を注ごうとしているが何かが数滴落ちただけだった。

 

「お湯入れてください」

 

そう言って私にポット手渡された。

厚かましさも此処までくれば怒りより先に呆れが来る。

 

「自分の世話ぐらい自分でするべきだろう」

「私がこの部屋で寝泊まりしてるってバレたか困るのは貴方でしょ?仕事場に女を連れ込んでるって噂が立てばただでさえ悪い評判がますますひどくなりますよ」

 

なんて女だ。

傲慢な物言いもそうだが私を見下してるという態度を隠そうともしない。

怒りで近くの休憩所に向かう足取りが自然と荒くなった。

腹立たしいから湯ではなく冷水をポットに入れて戻ると椅子に腰掛けたまま寝息を立てていたのでわざとらしく音を立てて机に置く。

ポットに入っているのが冷水と分かれば動揺すると思いきや、カップに角砂糖を数個入れ水を注いでいく。

乱暴にカップをスプーンでかき回し中の液体を飲み干した。

 

「…………水ですよ、お湯って言ったじゃないですか」

「全部飲むまで気付かんのか君は」

「白い砂糖は贅沢品です。お茶に入れるなんてもったいないでしょう」

「その考えは全く同意できない」

 

オリヴィアはどうしてこんな訳の分からない女を傍に置くのだろうか?

 

「他の二人はもう来ないのか」

「オリヴィア様が所用に赴かれるので二人に同行してもらってます。目的地は国内ですから聖女を狙う不届き者もいないでしょうし、護衛はカイル君一人で大丈夫でしょう」

「護衛?君が」

 

鼻で笑った瞬間、何かが頬を掠め背後で硬い音がした。

振り返るとフォークが一本、ちょうど私の真後ろの床に転がっている。

壁に当たって跳ね返ったのだろう。

少しでも位置を間違えば私の顔に鋭い金属製の食器が突き刺さっていた筈だ。

 

「見かけや家柄で判断しない方が良いですよ。世の中には平民出身の聖女様がいれば殺しに長けた元貴族令嬢がいるんですから」

「……暗殺者か君は?」

「人を殺した経験はまだありません。モンスターなら数え切れないほど狩りました。モンスターの肉と革と臓物が私の稼ぎでしたから。殺人と売春以外の犯罪なら、まぁ大抵やってますね」

 

片手で器用にスプーンを回しながら微笑む目の前の女が化け物に見える。

今の私は帯剣を許可されていない身の上だ。

下手をすればこの女に殺されかねない。

 

「そう警戒しないでくださいよ。今の私はオリヴィア様に仕える女官ですし」

「目の前の罪人を見て警戒を解くほど私は愚かではない。犯罪者は牢に繋がれるべきだ」

「へぇ、無実の罪で他人を陥れて悦に入る馬鹿なお坊ちゃまは罪人でないと?」

 

その言葉を聞いて拳を握りしめた。

何処まで私の過去を知っているんだこの女は。

 

「大体の事情はオリヴィア様から聞いてます。随分とまぁ、あくどい事をやって来たみたいですね。おかげでオリヴィア様があちこち駆け回って頭を下げなきゃいけない状況になってるのに、貴方は王子様と聖女様から引き離されて拗ねたままですか?」

「君に一体何が分かるというんだ!?」

 

彼女の辛辣な物言いに耐え続けるのも限界だった。

恥も外聞も捨てて目の前の女を睨むが私の怒気など意に介さないようにカップに水を注いでいた。

気に食わない、何もかも気に食わない。

 

「私は幼き頃から殿下の御為に仕えてきた!いずれ国王となる殿下の障害になる者を排除し後顧の憂いを断つのは臣下として当然の務めだ!」

「それ為ならどんな不正やでっち上げをしても許されると思っているんですか?」

「ホルファート王国という大樹の為ならば剪定される枝葉にいちいち構っていては大業を成し遂げられない!」

「その大樹、ほとんど腐っている上に切り捨てた枝とか葉が多過ぎでまともに育ってないんですけど」

「言葉に気を付けろ!不敬罪に問われたいのか!?」

「その場合はどうして私が此処にいるか調べられて貴方の責任も問われますね。そうなったらオリヴィア様にも被害が及びます。それで良いならどうぞご勝手に」

 

冷めた口調で返答されるほど私が滑稽な道化に見える。

大多数の為に少数に犠牲になってもらう。

国という政治機構の維持に末端を切り捨てる。

宮廷は正しいかより誰の得になるかが重要視される世界だ。

王族が白と主張するなら漆黒の黒さえ純白の白として扱われる。

だからこそ陥れられないよう相手に先んじる必要があるのだ。

 

「貴方、自分が賢くて正しいと思っているみたいだけど考え無しの馬鹿でどうしようもない悪党ですよ」

「私を批難できる身の上なのか君は。さっき殺人と売春以外の犯罪はしたと言っていただろう」

「そうですね、とても世間に顔向け出来るような人生じゃありません。罪を償おうと被害者に頭を下げに行って手荒に追い払われたり水やゴミをかけられたなんてしょっちゅうありました」

 

視線を天井に移した彼女だ何処か物憂げな表情で暫し黙った。

己の所業を悔いているのか、過去の罪に苛まれているのかまでは判別できない。

 

「私は裏切り者の子爵家の娘で犯罪者、カーラさんは裏切り者や空賊と関わり合いがあった伯爵家の寄子だった準男爵家の娘でオリヴィア様のイジメに加担して学園や家から追放された罪人。カイル君はお母さんを護る為にいろんな貴族に仕えながら裏で不正を働いていた蔑まれるハーフエルフ。オリヴィア様の周りに居るには相応しくないと言われたらまぁ反論できませんね」

「だったら何故オリヴィアの近くに居る、彼女に相応しくないと思うなら消え失せたらどうだ」

「単純にオリヴィア様に救われたからですよ。あのどうしようもない位にお人好しで善人な聖女の力になりたいって思ってるんです」

 

さっきまで物憂げな表情をしていたかと思えば今度はにかんで笑う。

せわしなく感情が変わる女は小動物のようだ。

或いはこの性格故にオリヴィアの側に置かれているのかもしれない。

 

「学園で一生懸命に勉強して、故郷の為に精一杯働いて、素敵な人と恋をして結婚するのが私の夢だったってオリヴィア様は語ってくれました。こんなちっぽけな夢を持ってる私が聖女なんておかしいよねとも仰っていました」

「オリヴィアの力は素晴らしい、彼女ならこの王国を建て直せるだろう」

「それはオリヴィア様の幸せですか?この国の為に身を粉にして働き続けさせられるのが本当にオリヴィア様が望んだ事と胸を張って言えますか?」

 

答えられない、答えが出なかった。

私の醜態に呆れてのか呆れたような視線を向けられた。

 

「知ってますか?オリヴィア様は今もアトリー家のご令嬢に謝罪の手紙を出し続けてるんですよ」

 

初耳だった。

嘗て婚約者だったクラリス・フィア・アトリーとは婚約破棄した後に会話はおろか顔を合わせていない。

ファンオース公国との戦争が始まり学園が無期休校になった後、殿下やオリヴィア達と行動を共にするのに夢中で彼女の存在を今ままですっかり忘れ去っていた。

 

「アトリー家を訪ねて面会を拒否されてから今も数ヶ月に一度は手紙を出してます。婚約破棄したのは貴方ですけど、オリヴィア様は自分が原因だって思っています」

「……」

「先日は殿下の元婚約者のアンジェリカ様に会いに行きました。王家と公爵家の争いを止める為に頭を下げて協力をお願いしたんですよ。まぁ体よく追い払われたから私が後でバルトファルト家を訪ねて頼み込んだりしたんですけど」

 

視線が徐々に冷たく鋭い物へと変わっていく。

 

「オリヴィア様を想うなら余計な仕事を増やさないでください。あの方は忙しいんです」

 

吐き捨てるような言葉を聞いた直後、ドアをノックする音が響いた。

振り返るといつもの二人が入室して来た。

どうやら随分と話ていたようだ。

 

「お疲れ様マリエさん、何とか早めに切り上げられたよ」

「お待たせ、オリヴィア様からの指示を書き留めて持ってきました。あと、こっちがお弁当です。マリエさんの好きな物がたくさんありますよ」

「カーラさん好き♡結婚してください♡」

「アホな事言ってないでちゃっちゃと食っちゃいなよ」

「調査の進捗はどうですか?」

「いまいちかしら。オリヴィア様は政治に疎いし、私もそこまで頭が良くないから」

 

答えながら返答する彼女、マリエとやらは恐ろしい勢いで手渡された弁当の中身を平らげてゆく。

最終的に私の一日分の量を食べ終えると目に見えて元気になっていく。

 

「もう少し品良く食べられないのか?」

「貧しければ礼儀作法なんて意味を為しませんよ。貴方、ネズミを捕まえて食べた事があります?」

「やめろ、聞きたくない」

「ちなみに王都のネズミは辺境のネズミより肥えて脂っぽいんですよ。王都の残飯を食べてるせいでしょうか?雑草は育ちが悪くて味も良くないんですけど」

「聞きたくないと言っている!!」

 

他の二人も顔を引き攣らせて困っているだろうが。

もう出勤時刻も大分遅い。

私の部屋の筈なのに、いつの間にかこの場の雰囲気は私を拒んでいる。

その事実に目を背けるように部屋を出た。

決して、マリエの言葉から逃げる訳ではないと心に言い聞かせながら。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

深夜、王都の一画に建てられた王宮勤務者用宿舎にある割り当てられた部屋で酒を呷る。

酔いたくて仕方ないのにいくら酒を飲んでも意識は冴えたままだ。

決してマリエの言葉に動揺した訳ではない。

どれだけ心中を取り繕っても敗北感を拭いきれない。

冷徹な私の頭脳がマリエの言い分の方が正しいと考えても精神がそれを否定する。

自分が優れた人間だと思い込むプライドの高さを自覚しながらもそれを矯正できない。

 

全ては殿下の為、延いては王国の繁栄の為。

ずっとそう思ってきた。

他者の弱味を掴み、追い落とし、或いは味方に引き入れ権力を行使する側に到る。

己の能力を高めるより如何にして相手を陥れるかに意味がある。

そんな場所で幼年期を過ごした。

私自身の能力の高さもあり大抵の企ては上手くいった。

相手を破滅させる仄暗い快感に酔いしれた。

 

転機はオリヴィアとの出会いだった。

平民と蔑んだ少女は今まで出会った同年代の女の誰よりも賢く、誰よりも優しく、誰よりも強かった。

彼女を手に入れたい、そんな邪な想いは彼女の人柄を知れば知るほど消え失せた。

他者を貶めた所で自分が優れた存在の証明にはならない。

己の醜さを糊塗した所で本質は変わらない。

 

だからこそ殿下がオリヴィアに想いを寄せていると分かった時、全力で応援した。

アンジェリカの醜聞を流布し、公爵家が抵抗できないようにフランプトン侯爵と手を組み、誰からも批難されないように聖女の地位へ押し上げる為に神殿と接触した。

そうする事が殿下の幸せであり、オリヴィアの為だと信じて疑わなかった。

大義名分さえあるのならどんな非常な手段も肯定されると楽な方法に流された。

 

結果はご覧の有り様だ。

婚約破棄されたアンジェリカは辺境で確固たる地位を築きつつあり、フランプトン侯爵は売国奴で後援を受けた私達も同類に見られ、公爵家は王国の主流派となり王家は追い詰められて、聖女となったオリヴィアは神殿で飼い殺し同然の扱いを受け、私は閑職に回された。

行動の全てが無意味であり状況の悪化を加速しただけだ。

権力を悪用し国益を損なう腐敗貴族を唾棄していた筈なのに、私の行動はその腐敗貴族と何ら変わらない。

権力で平民の女を無理やり囲い者にしてサイズの合わない服や悪趣味な貴金属の装飾を贈りつける欲塗れな貴族と同類だ。

 

それならば閑職に就いたのも納得できる。

私とて地位とコネを盾に仕事の手を抜き同僚を蔑み不満を抱え込んだ若造を率先して採り立てようなどと思うものか。

あのオリヴィアの部下三人組は確かに罪人だろう。

だが、過去の自分から目を逸らさず罪を認め、真っ当であろうと努力しオリヴィアの為に働く心根を否定など出来ない、出来る筈もない。

 

この期に及んで漸く、私は己の罪科を自覚した。

急速に押し寄せる酔いと羞恥に心を灼かれながら、今後どうするべきか考える。

まず与えられた仕事をきちんと熟す。

身分や能力の上下で他人を見下す癖も直そう。

休日にアトリー家を訪ね謝罪しなければ。

今更何をしに来た、ただの自己満足と罵られようと受け入れよう。

昔の愚かな自分に戻りたくなかった。

殿下やオリヴィアの傍らに居られずとも構わない。

ただホルファート王国の貴族として行動しなければ。

こんな殊勝な気持ちになれたのは初めての経験だ。

今宵、私は本当の意味で貴族に為る。

そう思い立った瞬間、私は部屋を出て駆け出した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「何やってんですか?」

 

一日ぶりに資料編纂室の職員用個室を訪ねたら部屋の中が一変していた。

オリヴィア様のお世話が午前中で終わり、午後からは交代で資料を漁る予定だったのに一昨日までとは同じ部屋とは思えないほど違う。

資料は細かく分類され、地図やら組織図といった図面が壁に貼られている。

何より違うのは机に陣取って資料を読んでいるジルク様だ。

 

「どうしてこの部屋で仕事してるんですか?今は私達が使っているので職員室に戻ってください」

「仕事は午前中に済ませた。午後は君達の手伝いをしよう」

「またどんな風の吹き回しで」

 

皮肉に満ちた口調で返すが眉一つ動かさず手元の資料を読むのに没頭している。

 

『何か変わったかコイツ?』

 

今までの隠しきれないプライドの高さと諦めに似た投げやりな態度が鳴りを潜めてる。

カイル君とカーラさんは別の資料を調べ次々と机に置いていく。

 

「凡その事態は聞かせてもらった。私も君達に協力する」

「協力したからってオリヴィア様の好感度は変わらないと思いますよ」

「関係ない、これは私自身が決めた事だ。いや、ホルファート王国の臣下としての当然の責務と言うべきか」

「変な物食べました?ネズミはきちんと火を通さないと病気になりますよ、雑草は選別した後に天日干ししないとお腹を壊します」

「貧乏ネタはもういい」

 

ちょっと揶揄ったけど態度を崩さない。

あまりの変わりように少し気持ちが悪い。

 

「カーラさん、カイル君、何かあったんですか?」

「さぁ?」

「いきなり来て『私も協力する、いやさせてくれ』って。あと食べ物とか持って来てくれました」

 

よく見るとそこそこ質の良い食べ物の袋が置かれている。

湧き上がる唾を飲み込み置かれた資料を見る。

どういう流れで持って来たのか分からない物が幾つか混じっていた。

 

「頼りになるんですか?」

「そりゃもう、私達三人がかりよりマーモリア様一人の方が作業が進んでいます」

「ムカつくけど有能だよ、本当にムカつくけど」

「喋らずに手を動かしたまえ」

 

注意された二人はそそくさと作業に戻る。

気になる資料を手にして相変わらず資料を読みふけるジルク様に近付く。

 

「どうしてこの資料が必要なんですか?関係ないと思うんですけど」

「それは君達が事象を点として見ているからだ」

 

漸く私に視線を向けたジルク様はそんな事も分からんのかと呆れた顔をする。

やっぱコイツ性格が悪い、顔は無駄に良いけど。

 

「世界のあらゆる物事は全て繋がっている。何処かで物資が不足しているのなら別の場所は物資が充足している。誰かが損をしたなら別の者が得をしている。単独で事象を見るのではなく複数の事象を同時に見て繋がりを探すんだ」

「そんな簡単に分かるんですか?」

「まぁ君達には無理だろうな。オリヴィアは学力優秀だが、こうした企てするには人が良過ぎる。適任なのは私だ」

「それには全面的に同意します。オリヴィア様の周りで貴方ほど性格が酷くて悪巧みが得意な人は居ませんし」

「何で捕まらないんでしょうねこの方?」

「死ねばいいのに」

 

私達が思い思いに悪態をついてもジルク様は無視して作業を進める。

これ以上は揶揄っても面白くなさそうなので私も仕事に参加しなくちゃ。

 

「それで、まず私は何をすればいいんですか?」

 

働かざる者食うべからずだ。

人一倍食べる私はたくさん働いてジルク様から食べ物を大量にせしめようと心に誓った。




ジルク回且つマリエ回。
腹黒のジルクを更生できそうなのは乙女ゲー主人公なオリヴィアと転生者のマリエの二人だけに見えたので聖女リビアと非転生者マリエの合わせ技。
ジルクのクラリスに対する謝罪はリオン達の影響が大きいから、婚約破棄した後は顔すら会わせずそのまま放置してそう。
アトリー家の面々もいずれ語られます。
次章で別キャラ視点の話をした後にアンジェ&リオン視点に戻ります。(長かった…

追記:依頼主様のおかげで柳(YOO)Tenchi様とぽんぬ様にイラスト・挿し絵を書いて頂きました。ありがとうございます。
柳(YOO)Tenchi様https://www.pixiv.net/artworks/111872776(アーマードコア6ネタ・声優ネタ注意
ぽんぬ様https://www.pixiv.net/artworks/111885767(肌色注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第32章 Clown Crown

『ユリウス、為すべき事を為しなさい。貴方の失敗は生涯に渡って貴方を縛り続けるでしょう。それでも生きている限り何かを為せる筈です』

 

『返してよ!お姉様を返して!私の命なんかどうなってもいいから!お姉様を返しなさい!』

 

突如として母上とヘルトラウダの声が頭に響く。

何が起こったか分からず左右を見渡して漸く自分のいる場所が執務室だと認識した。

安堵と同時に俺を叱責する母上の言葉と責苛むヘルトラウダの呪詛に体が震えた。

朝から政務に明け暮れ少し休息を取るつもりがいつの間にか眠っていたらしい。

既に太陽は大きく傾いてあと少しで地平線に沈む。

窓から見える夕焼けに照らされた王宮は血に染まったように紅い。

それがこの王宮が刻まれている血塗られた歴史、そしてこれから起ころうとしている政変を暗示しているようで薄気味悪かった。

 

母上の叱責から二ヶ月が経とうとしている。

もとから母子で会話する事も少なかったが、あの面会から母上と一度も顔を合わせていない。

何を話したら良いか分からずどうしても気後れしてしまう。

俺はファンオース公国との先の戦争以降に王宮での仕事を任されるようになった。

任されると言っても大した仕事はしていない。

王族が参加する催しの手配だったり貴族達に送る王室公文書の確認など本来は王族ではなく官僚や専属の宮廷貴族が請け負うような仕事ばかりだ。

婚約破棄騒動によって廃嫡こそされなかったが俺の王位継承権は著しく下げられた。

今では王と正室の子でありながら実子の中では最底辺に近い。

こうした仕事を任されるのもそうした待遇の一環だが不服じゃない。

 

そもそも俺には政治的な視野も能力も欠けている。

思い返すと母上はそんな俺の将来を案じていたいのだろう。

母上は俺が幼い頃から様々な手を講じてきた。

公爵令嬢との婚約や名門貴族の令息達を傍に置くなど必死に俺が苦労しないように配慮していたと今なら分かる。

 

その事に息苦しさを感じ反発していたがあれは母上の愛情だ。

俺が王位に就いた時に公爵家の後援を受け頼れる側近と共に恙無く政務を執れる為の閣僚に至るまで手配されていた。

そうして母上が必死で築き上げた物を破壊した者が存在する。

護られていた筈の俺だった。

公爵令嬢との婚約破棄、自分の側近やお気に入りに対する過剰な贔屓、他国と内通していた貴族の重用。

どれを見ても国を亡ぼす暗君の所業で若さ故の暴走と見過ごせる範囲を超えている。

そんな俺が廃嫡させられるのは当然の帰結だ。

むしろまだ王位継承権を残されている事実に驚いている。

廃嫡された時は目の前が開けたような解放感で体が震えたが、広がっていたのは先を見通せない闇で覆われた世界。

何をするのも手探りで正しい答えなど存在しない。

母上は俺に苦労をかけさせまいと必死で俺を護って来たのに、苦労知らずで生きて来た俺はこの国について何も分かっていなかった。

 

漸く目が覚めかけてこの国の為に何かしたいと思った時には俺に何かを為せるだけの力は消えていた。

幼い頃は自分が素晴らしい人間で万能だと信じていたが、今ではただ与えられた書類を確認して判を押すだけの自分が歯痒い。

分かっている、これは俺の愚かさが招いた結果だ。

潔く受け入れて腐らずに与えられた仕事を熟し地道に信用を回復するしか方法は無い。

思い返してみると婚約していた頃のアンジェリカはずっと俺に忠告を続けていたな。

口煩くと感じるまで繰り返しされた諫言を思い出せばその内容が正しかったと今なら分かる。

あらゆる手段を使って俺を王にしたがった母上と俺の行動を諫め続けたアンジェリカの存在が煩わしかった。

俺の自我を否定しただ生きているだけの存在に成り果てろと言われているようで反発した。

 

その反動だったんだろうな、オリヴィアに惹かれたのは。

平民でありながら特待生となり努力を怠らず学業優秀で崇高な理想を持っていたオリヴィアに憧れた。

オリヴィアの理想に共感するまでは良かった、俺の取った行動が最悪なだけだ。

如何に理想が崇高でも手段が愚劣ならそれはただの綺麗事に変わる。

前に進んでいたと思ったが本当は後ろに下がっていた。

良くなったと錯覚して実際は悪くなる一方だった。

もう俺は何をすれば良いか半ば分からなくなっている。

与えられた仕事を熟し信用を回復する、だがその後は?

答えはいくら考えても出て来ない。

 

アルゼル共和国から戻ったオリヴィアが何やら調べ物をしたいとの手紙が届いたので資料編纂室への便宜を図るだけしか出来ない俺自身が情けない。

俺は王族に生まれながら聖女として活躍するオリヴィアを手助けするだけだ。

鍛え上げた強さにしても受け継いだ血統と王室が施す教育の賜物に過ぎない。

もし平民に生まれたら俺はどんな人間に育っていたのか。

単なる労働者として生きる程度の凡人だと思える。

俺は一時の衝動で自分に与えられていた愛情も金も人材も捨てた大馬鹿野郎。

その思いがずっと俺の心を蝕んでいる。

受け入れなければいけないのに心の痛みを紛らわすように仕事を再開する。

為政者としての責務か、信用の回復か、現実逃避か。

もう何の為に仕事を熟しているのか俺自身にも分からなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

全ての雑務を終えて外を見ると既に夜の帳が落ちている。

集中したせいで明日に回す仕事にさえ手を付けてしまった。

作業の効率を考えればひたすらに頭が悪いやり方だ。

適度に力を抜きつつ肝心な部分は把握している母上と俺の差は歴然だ。

部屋に戻るのも億劫だが、執務室に居座るのも面倒だ。

そもそも休息もせずに働いたせいで腹が減っているのに今から食事など皆に迷惑がかかる。

仕事終わりの充実と疲労を感じながらぼんやりとそんな事を考えていると扉が開いた。

この部屋は王族専用だ。

清掃を行う使用人も多いがこんな夜に行うなどまずありえない。

 

「誰だ?」

 

語気を強めて相手を牽制する。

単なる勘違いなら見過ごすが、不届きな考えを持つ輩なら手加減はしない。

 

「随分と物騒な物言いだなユリウス」

 

返って来たのは気だるげな男の声。

目の前の御方が此処に来たという事実に混乱する。

もともと政治には対して興味を持ってないこの御方が何用で此処へ?

 

「いつからお前は俺と対等に話せる身分になった?」

 

この御方と対等に会話できるのは母上だけだ、この御方を拒める場所はこの国には存在しない。

たとえホルファート王国の力が衰えているとしても、当の本人にそのつもりが無くても形式上ではこの御方がこの国の頂点である事実に変わりはない。

 

「……何用ですか陛下?」

 

国王ローランド・ラファ・ホルファートが其処に居た。

とは言っても今の格好は随分と簡素な物で、街に行けば裕福な平民か下級貴族が着ていそうだ。

顔を知らない者が王宮をうろつく父上を見たら不審者として捕まえても仕方がない。

また王宮を抜け出して放蕩三昧していたのかと思うと溜め息が出た。

俺が言えた義理じゃないが父上は奔放が過ぎる。

外に愛人を作り政務を母上に押し付ける姿を俺は物心ついた時からずっと見てきた。

母上が息子の俺に過剰なまでに行動を監視して婚約者や御付きを用意したのもその反動だったんだろう。

 

俺はみんなのお陰で最後の一歩を踏み止まれたが父上は相変わらずだ。

父上は母上よりも理解できない存在だった。

何をする訳でもなくどうしても国王が必要な場合を除きどこで何をしているか分からない気味の悪さを感じていた。

 

「夜まで仕事とは随分と熱心な事だな」

「恐れ入ります」

「今更王位に欲が出て来たか?止めておけ、王などやりたい奴にやらせたらいい」

 

言葉の内容を理解するまで少し時間がかかった。

やりたい奴にやらせたらいい?

俺が王の器じゃないのは事実だ。

だけどホルファート王国の未来を考えたらやりたい奴を王に据えるのがいい筈ない。

ジェイクを筆頭に異母弟達は俺が王位継承がほぼ不可能になってから活発に動き出した。

せめて王子達の中でまともに政務を行える王子を嫡子に据えるべきだろう。

 

「意味が分からんのか、相変わらず頭の動きが鈍い。とてもあの年増が産んだとは思えん」

 

母上が聞いたら怒り出しそうな暴言だが不思議な事に怒りは湧いてこない。

口調が優し気なせいか?

記憶をいくら辿ってもこうして父上と二人きりで話した事はなかった。

父上が懐から金属製の水筒を取り出す。

平民の労働者が酒を入れ懐やポケットに収納する類の品だが光沢から稀少金属が材料で王家の紋章が刻印されている。

こうした洒脱な感覚だけは備えているのが父上の小憎らしい部分だ。

水筒の蓋を開け酒を呷り始める父上に冷めた心と視線で見つめる。

 

「はい、仰る意味が分かりません。なにせ不出来な息子ですから」

 

わざと嫌味に聞こえるように返答する、いや、嫌味だったんだろう。

せっかく仕事を終えたのに父親に絡まれて訳の分からない会話をすれば誰だって腹が立つ。

そもそも政務に興味が無く、我が子に対してもお気に入り以外は基本的に干渉しない父上が訪ねて来る方がおかしい、何をしに此処へ来たんだ?

 

「お前は王という存在の本質を見誤っている。王とは絶対的な支配者などではない」

 

愉快気に肩を震わせ俺がさっきまで座っていた椅子に腰掛けると机に足を乗せる。

父上にだけは、この人にだけは馬鹿にされたくなかった。

幼い頃から言い争いをする両親の姿を俺は見てきた。

政務にも子育てにも興味が無い父と反対に必死に政務に明け暮れ嫡子である俺を束縛する母。

それが俺の知る夫婦の在り方だ。

だからアンジェリカとの婚約に対して強い忌避感を抱いてしまった。

俺に諫言するアンジェリカの姿が父上を叱る母上の姿と重なった。

両親と同じような夫婦になると思った瞬間、政略結婚その物に嫌気が差した。

そして政治と欲が絡みついた王家の血筋と不自由が無い王宮の暮らしが穢れに満ちた悍ましい物に見えた。

 

いや、そう感じたのは俺の落ち度だ。

俺は恵まれていた。

愛され、見守られ、確かな未来を約束されていたのにそれが退屈で俺の意思を無視した物に感じた。

子供じみた潔癖さだったと政務に関わるようになった今なら分かる。

 

「不出来な息子に質問してやろう、民が求める理想の王とはどんな存在だ」

「国と民を護る者です。公明正大で人々を飢えさせず臣下の言葉に耳を傾……」

「話にならんな」

 

俺の口にした答えは最後まで聞かれる事なく真っ正面から否定された。

無論、俺もそんな品行方正な者が理想の王だとは心の底では思っていない。

国と民を護る為には己の手を汚す必要がある。

時には民を見捨てる非情な判断を下さなくてはならない。

二度に渡る戦争と政務に関わってきた経験からその程度は馬鹿な俺でも理解している。

 

「国と民を護る。そこまでは良い。護る力が無い奴は王に相応しくないからな。王権は武力という絶対的な裏付けが在ってこそだ。そいつの性格がどれだけ破綻していようと力を持っているクズの方が護る力を持たない聖人君子より数万倍マシだ」

「では父上が考える理想の王とはどんな存在ですか?」

「何もしない。臣下の為す事に一切口を挟まずただ其処に存在する都合が良い生贄、いや道化か?とにかく頭が空っぽで力の使い所すら分かっていない愚物。それが臣下が求める王の理想像だ」

 

理解できない答えに困惑する。

そもそも父上が語る理想像は皆が考えるローランド王の姿その物だ。

どう考えても自己弁護としか思えない。

父上は困惑してる俺の反応がおかしいのか愉快そうに肩を震わせ酒を飲んでいた。

 

「本気ですか?」

「本気に決まっているだろう。常に食い物と金を与え、自分達の代わりに余所者と戦い、不都合があったら責任を引き受け、虫の良い要望を素直に従ってくれる。愛すべき臣民が求めているのは統治する名君ではなく唯々諾々と願いを叶える奴隷だ」

「それは王ではありません」

「国にとって最も要らない存在が王だ。そんな者に為りたがるのは生粋の聖人が脳が足りない阿呆のどっちだろうな」

 

父上は懐を探り始めると何かを俺の前に放り投げる。

室内の灯りに照らされ鈍く光を反射しているのは父上が持っている物と同じ小型水筒だった。

酒なんか正直飲みたくない、だけど飲まなくてはこの不愉快な父子の会話は終わる気配を見せそうにない。

自棄になって蓋を開けて中の液体を一気に飲む。

強い酒だったようで口から胃にかけて燃えるような熱が宿り思いっきり噎せた。

 

「王の力が絶対的な物として通用するのは国が小さく争いが絶えない時代だけだ。他国からの侵略を防ぐ、逆に領土を拡げる為には強者である王が速やかに直接指揮を執れる体制の方が上手くいくからな」

 

気怠げな表情な表情をしながら瞳だけは爛々と輝き楽しげに語る父上は子供のように燥いでいる。

父上にこんな一面があると知らなかった。

 

「国の版図が拡がると王と側近だけでは政が出来なくなる。それはそうだ。王がどれだけ優れていようが全能では無い。国の隅々まで目が届き、大事から些事に至るまで取り仕切ろうとすればあらゆる部分が滞り政が破綻する。部下の部下、部下の部下の部下。役割が細分化され効率よく機能し始め漸く国家の形が定まる。その頃には王という存在は絶対的な支配者ではなくなり単なる飾りに成り下がる」

「とても一国の王が口にするべき言葉とは思えません」

「どれだけ現実を否定しても事実だ。王族と貴族の数を単純に比較すればどちらが多いかなどガキでさえ分かる簡単な問題だ」

「ですが……、ですがどうしてそれが何もしない王が理想という結論に至るのか分かりません」

 

確かに王族の総数より貴族の数が多い。

そして王侯貴族よりも平民の数は更に多い。

数の多寡が重要ならば王に存在価値があるのか。

 

「そんな数の差を埋める物が圧倒的な力だ。お前も戦を経験し政に関わったなら分かるだろう。貴族共は俺達に勝てないから上っ面だけで従っているふりをしているにすぎん。貴族の追随を許さぬ力の裏付けがあるからこその王だ」

「……」

「そして次に求められる王の役割は天秤だ。領主貴族共の調停、宮廷貴族共の尻拭い。どちらが主でどちらが従者か分からないな」

 

体を震わせて笑い始める目の前の父を見て何も言えなかった。

父上は俺より王になる才能を備えている。

それでも王家の立場を変えられなかったのか。

 

「正しいからと言って一方に肩入れすればもう一方に恨まれる。恨んだ奴らが徒党を組めば王家を揺るがす原因になりかねん。それなら最初から手を出さず貴族共を咬み合わせ双方が疲れきった所で介入し妥協させれば良い。これが一番楽な方法だ。少なくても先王の頃までの王家の役割はそうだった」

「だから何もしないと仰るのですか?」

「形骸化しても確実に血脈を遺す方法を選ぶのが王族や貴族という動物だ。何人かの王は国祖の頃に時代を戻そうと足掻いたらしいのだがな。王家に力を集める為に動けば動くほどこの国の歴史が腐りきっている成り立ちだと気付く。真っ当な王ほど心が折れるぞ」

 

水筒が空になったのだろう、父上は再び懐を探り始めたがどうやら品切れらしい。

仕方ないから渡された水筒を返す。

とても酒を飲みながら聞き続けられる話じゃなかった。

 

「国祖の頃は手柄を立てた仲間をでっち上げた罪で追放しても咎められない程に王家は強かった。その行いを咎めた初代聖女が逆に神殿から詳しい記録を抹消される程に。正しさも優しさも持ち合わせていない、我欲のみが行動原理な非道を繰り返す略奪者が俺達の祖先だ。今の王家の状況はその報いだな」

「王家の船を沈めてしまったのは間違いでしたか?」

「そうしなければ戦争は逆の結末を迎えた。力の使い所としては正しい。目端の利いた奴らが弱体し死にかけた王家に牙を剥くのがこれ程早いのは王家に与する貴族にとっても想定外だ」

「だからレッドグレイブ家に王位を奪われても仕方ないと?」

「なんだ、ヴィンスの奴が裏で何やら企んでいるのを知ってたか」

「……母上からお聞きしました」

「年増も無駄な足掻きをする、わざわざ苦労を背負い込む必要など何処にある」

 

軽口を叩く父上の姿がたまらなく不快でムカムカしてくる。

俺は確かに道を誤った、報いを受けても仕方ない身の上だと思っている。

政務に勤しむのは母上に問われ自分なりに考えた末に選んだ償い方だ。

だがホルファート王家が破滅するかもしれない瀬戸際で他人事のように振る舞い酒と女に耽溺する軽薄な男を自分の父だと認めたくない。

最低限の責務すら放棄している父上が国王の座に就いてる事実その物がこの国が追い込まれてる象徴に見えた、見えてしまった。

 

「父上はホルファート王国がどうなろうと知った事ではないと仰るのですか?」

 

強く問い詰める口調になってしまった。

こんな事をすれば普通なら息子といえども咎められそうだがこの場には俺と父上しか居ない。

これは王と王子の会話ではなく単なる父と息子の会話だ。

 

「俺は王になる予定ではなかった。叔父御が王位を引き継ぐのが一番マシな道だった。あの爺は何を考えて俺に面倒を押し付けやがったのやら」

 

先程までとは打って変わって憎々しげな表情を浮かべ舌打ちする父上。

ルーカス・ラファ・ホルファート。

先王の弟であり、父にとっては叔父にあたる王族。

品行方正で次期王に相応しいと謳われたと聞き及んでいる。

思い返すと学園に通っていた頃でさえ大叔父と会話すら俺はしていない。

本当にどうしようもない過去の俺を思い切りぶん殴りたくなる。

 

「若く評判の悪い俺が王位を引き継いだ時は滑稽だったぞ。まだ王家に忠誠心があった奴らは溜め息をついて落胆した。私腹を肥やす腐った豚共はこれで思うまま国を好き放題に出来ると喜んだ。どう足掻こうと結末は目に見えている。下手に足掻くより破滅を受け入れ好き放題に生きる方が賢明だと分からんか」

「……それでも、足掻くべきだったのではないでしょうか?」

「最初の一年目は俺なりに政務に勤しんだ。二年目に無力感に打ちのめされた。三年目で貴族共に失敗を王の責任だと押し付けられた。五年目になって漸く無駄な徒労を重ねたと気付いた。これがホルファート王国の最高権力者と言われる王の真の姿だ。例え俺にどれだけ力が備わっていても改革など出来ようか」

「国を正そうとする貴族は協力してくれると思います」

「そんな連中ほど俺を毛嫌いして叔父御を慕っていたぞ。ヴィンスがその筆頭だ。連中と腐った奴らの争いに介入しようとした時に何と言われたと思う?」

「いったい何と?」

「答えはこうだ、『何もしないでいただきたい』。俺の助けなど無価値だと。国は自分達が立て直すからお前は大人しく遊んでいろ。その時に理解した。この国は俺を必要としていない」

 

握った拳が机を叩く音が室内に鳴り響く。

確かに父上は放蕩が過ぎてはいたのだろう、この国を正す為の力量が足りてなかったのかもしれない。

ただ、目の前に座っているのは孤独に苛まれ酔いで悲しみを誤魔化そうとする弱った父の姿だった。

 

「俺は、英雄になりたかった」

「英雄?」

 

吐き出すように父上の口から洩れた言葉を理解できずそのまま返す。

 

「神話や物語で語られる英雄だ。怪物や欲深い貴族を倒し美しい姫を助け国を救う英雄。正しく強く美しい彼の者の前に敵は尽く打倒され、救い出された姫君と恋に落ち、最後は王となり国を治める。そんな絵空事にしか存在しない空想の産物。それなのに俺の存在は放蕩の限りを尽くし英雄に討たれる愚王。笑えるな、まるで三流喜劇に登場する滑稽な道化だ」

 

そんな存在を俺は一人知っている。

戦争の最中に幾度も俺達を助けてくれた仮面の騎士、挫けそうになったオリヴィアや俺達を励まし救ってくれた謎の男。

その正体は俺だけが知っている。

子供の頃にこっそりと父上の隠し部屋に何度も入った。

派手な仮面と衣装が安置され子供が目を輝かせて読むような英雄譚が何冊も置かれていた。

子供の頃は純粋に格好いい英雄と憧れた、成長して子供じみた一面を持つ父に呆れた。

誰もが成長して捨て去った夢を捨てられず、変えようがない国の現実に打ちのめされ、酒と女と空想で傷付いた心を誤魔化して来たのがこの人の本当の姿なのか。

 

父上がまた懐を探り始め何かを俺の前に置く。

それは一冊の手帳だった。

表面の摩耗具合から見て比較的最近に作られた物だろう。

視線を父上の向けると見ろと急かすように顎をしゃくられる。

開いた手帳の中には複数の人名が事細かに書かれていた。

年齢、性別、住所、家柄、若い女性と子供が交互に記されている。

そして一番前のページには母上と俺と妹の名が在った。

猛烈に、猛烈に嫌な予感がする。

 

「……これは何でしょうか?」

「俺の妻と愛人とその子供が記されている。一夜限りで懐妊した者が居なければそれで全員だ」

 

前言撤回、やっぱ糞親父だこの人。

少しでも父子の情で絆されかけた俺が間抜け極まる。

殴りたい、父上を思いっきり殴っても不敬として扱われないだろこれ。

猛烈に怒りが湧いている俺を尻目に父上はズボンのポケットから今度は小さな布袋を取り出した。

 

「次は何ですか?」

「玉璽だ、これもお前に預ける」

 

その発言で一気に肝が冷えた。

玉璽は王が法令の施行などを認めたという証明として使われる。

故にその存在は王権の象徴であり、偽造を行えば一族全員が処刑されても文句を言えない代物だ。

 

「そう身構えるな、これは俺個人の資産や命令に使える程度の代物だ。重要案件用の玉璽はミレーヌの奴が厳重に保管している」

 

そうは言ってもこれを使って文書を書いたらそれは王の命令に等しい。

遺言書を作り判を押せば正式に認められる可能性が高い。

悪用すれば王座を争う切っ掛けとなり内乱を招きかねなかった。

 

「俺亡き後は俺個人の資産を売り払い下級貴族や平民の愛人と子供に金を渡せ。俺の子と追及されるようなら逃がす準備を整えろ。側室達は高位貴族の家柄が多い。ヴィンスも貴族達の反感を買ってまで処罰はしまい」

 

俺亡き後?

一体何を仰っているんだ?

 

「ミレーヌとエリカはレパルト連合王国に逃がせ。俺達の結婚は外交だ。罪を問えばレパルトに付け入る隙を与える。政を執り仕切っていた年増が消えればヴィンスの野郎も狼狽するだろう。嫌がらせとしては最上だな」

「聞きたいのはそっちじゃありません、父上は何をするつもりですか?」

「俺の命と引き換えに王家の連中の助命を乞う、首を差し出せばヴィンスも黙るしかなかろう」

 

失政の責任を己が命で贖う。

王侯貴族なら当然と幼い頃から叩き込まれる教えだが、それを実行できる者は少ない。

大半は身分や資産を奪われ放逐されるか、身代わりを立てるか、逃げ出す。

貴族の多くが失政で死ぬなど思ってはいない。

それなのに父上はあっさりと自分の命を差し出している。

訳が分からない。

 

「生まれ方は変えられんが死に方は選べる。ままならない人生と終わりとしては上等だ。みすみす処刑されるより妻子を為に命を差し出す方が格好がつく。史書に愚王と記されても最期さえ真っ当ならホルファート王朝最後の王としてはそれほど悪くはない」

「お待ち下さい、母上が必死にそうならないように動いています。早まった真似はお控えください」

「いい加減ミレーヌを俺から解放してやれ、あいつは充分に働いた。俺の最後に付き合わせる必要はない」

 

いつも父上が母上を語る時は苛立ちと卑屈な態度が口調に表れていた。

それが今は感じられない。

 

「憐れな女だ。俺とは逆に才能に溢れているせいで誰も頼れず頭でっかちな小娘のままだ。レパルトに居れば才能を発揮できた筈が外交で無理やり俺に嫁がされた。それなのに腐りきったこの国を立て直すと息巻いてついには貴族の信用を勝ち獲った。人としての器が俺と違い過ぎる」

 

水筒を上に向けて最後の一滴まで酒を飲み干す姿はひどく頼りない。

母上の優秀さが逆に父上を苦しめていた。

アンジェリカと婚約していた頃の俺も同じだった。

まるでアンジェリカが母上の映し身に見えて仕方がなく邪険に扱った。

父上は俺以上の期間、ずっと劣等感に苛まれてきたのか。

 

「婚姻した直後に王家の船へ案内した。あの時も装置は愛情の低さを示した。落ち込むミレーヌに声をかけられなかった。慰める言葉が出ず慌てる俺を見て何と言ったと思う?」

「分かりません、俺とオリヴィアも単独では動かせなかったので」

「あいつは『私が至らないばかりに申し訳ありません。いつか陛下のご寵愛を賜れるように精進します』と謝った。俺の方はミレーヌが気味の悪い女に見えて仕方がなかった。王に相応しくない俺と愛情の無い政略結婚をさせられたのに不満すら口にせず逆に慰められた。必ず数値を上げる、一緒に王家の船で空の旅をしよう。そんな嘘しか口に出来なかった」

「……」

 

その嘘は愛情ではないのか?

確かに船は動かなかった。

だからと言ってそれは夫婦として不適格とは言い切れないのでは。

全ての子供が夫婦の愛から生を受けるとは言えない事ぐらいは俺でも分かる。

自分が単なる政略と性欲の産物と思いたくなかっただけかもしれない。

ただ父上と母上の間に信頼や愛情も何も無いとは思いたくなかった。

 

「お前とエリカが産まれた後にそれとなく離縁の話をしてみたら怒り狂って暴れたぞ。俺がどれだけ側室や愛人を持ち愚行を繰り返そうが小言や嫌味を口にしても離縁だけは決して口にしない。あいつは王族としての責任感を恋と思い込み勘違いしたまま成長した馬鹿な小娘のままだ」

「だから自分が死んで母上を解放しようと?」

「ミレーヌ関してはそうだ、他にも事情があるがな」

「俺に父の後始末をさせようとするのは正直かなりムカつきます」

「多少はマシになったから信用してやっている。昔のままならお前などを頼ろうと思わんぞ」

 

辛辣な言葉だが生まれて初めて父上に認められた気がした。

いや、そもそも父上とこうして話した事さえ無かったかもしれない。

 

「俺に未来が見通せるだけの賢さが在れば変わったのかもしれん。二度の戦でミレーヌやヴィンスをあれだけ妨害していたクズ貴族共は一掃された。こんな状況になるのを知ったなら少しはマシな未来にしようと足掻いたのかもしれんな。いや、結局俺は何もしないまま終わるか。風通しが良くなったこの国に俺は必要ない。俺が死んだらミレーヌに伝えておけ。好きに生きよと」

 

そう告げて父上は立ち上がるとゆっくり部屋から出ようと歩き始める。

これは父上との最後の会話になるかもしれない。

何か言わなくては、父上を引き留める言葉を。

 

「お待ち下さい」

 

言葉を吐くだけでかなりの力が必要だった。

立ち止まる父上にかける言葉を頭の中で必死に探る。

何か、何か無いのか。

 

「どうか一度、一度だけで良いから母上と話し合ってください」

「……それは王子としての上申か?」

「いいえ、息子としての願いです」

 

父上に何かを強請った事は一度も無い。

ろくに会話をしてこなかったし、欲しい物は母上に強請るのが常だった。

息子からの初めての願いに思う事があったのか、父上は少しだけ考え込む。

 

「……今さらあいつに何と声をかければいい。詫びの言葉でも吐けばいいのか」

「いいえ、ただ父上の本心を母上にお伝えください。それだけで母上は満足なさいます」

「手遅れだ、これから夫婦水入らずで仲良くなれる筈もあるまい」

 

ひどく疲れた様子で扉に向かう父上を止められなかった。

装飾が施されたノブを回し部屋を出る瞬間、動きを止めた父上が振り返り俺を見た。

 

「バルトファルト。ヴィンスを止めるつもりならバルトファルトを引き入れろ。それが公爵家の弱味になる」

「え?」

 

バルトファルト?

どうして奴の名前が出て来る。

確かに奴は戦功を立て王国内の貴族では期待されている若手だ。

そしてバルトファルトの妻は嘗て俺の婚約者だったアンジェリカだ。

だが、どうして奴の存在が公爵家の弱味になる?

考え込んでしまった隙に父上は姿を消していた。

扉の外を窺うが灯りに照らされた王宮の廊下は夜の闇と静寂に満ちている。

先程まで父上が座っていた椅子に腰掛け時計を見た。

既に深夜と言っていい時間だった。

明日の仕事にまで手を付けたのだから休んでも文句は言われないだろう。

久々に休日を過ごしても罰は当たらない筈だ。

 

部屋の中で脱力しながら話された両親について考える。

幼い頃から仲の悪い夫婦だと思っていた。

だけど俺が知らない所で二人の心は繋がっていたのかもしれない。

もしも、外交や政に関わらなければ仲の良い夫婦になれたのかもしれない。

それなら俺とアンジェリカの婚約もマシだったのか?

 

そこまで考えて頭を左右に振る。

過去を悔やむよりも目の前の問題を解決しなければならない。

机に置かれた手帳と玉璽が入れられた袋を見る。

仕事が増えた、どうやら休めそうにない。

やっぱり父上を全力で殴るべきだった。

荒れた気持ちを鎮めて俺は手帳に記された名も顔も知らない異母弟と異母妹を確認する作業を始める。

 

「糞親父」

 

この場に居ない父上を呪いながら全員の情報に目を通し終えた頃に太陽が地平線から昇る光景を見た瞬間、俺の意識が途絶えた。




ユリウス視点ですが内容はローランド&ミレーヌが中心です。
原作の国王夫妻は夫婦仲は破綻してそうですが、知人としてなら上手く付き合えそうな雰囲気がありそうなので。
原作本編よりもマリエルートに近いローランドです。
末期のホルファート王国は転生者リオンが居なきゃ滅んでいたぐらい腐敗した政治体制でしたからローランドが自棄になっても仕方ないイメージを先行させました。
糞親父成分も付与しましたが、ドツキ漫才をするツッコミ(転生者リオン)が居ないのでそこまで多くありません。
原作キャラ視点は今章で終わり、次章からはアンジェやリオンが中心になります。

追記:依頼主様のおかげで阿洛様、KiiKo様、はまお様にイラスト・挿し絵を書いて頂きました。ありがとうございます。
阿洛様https://www.pixiv.net/artworks/112112863(成人向け注意
KiiKo様https://skeb.jp/@Kiiko_clip/works/1781
はまお様https://www.pixiv.net/users/21994283

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第33章 答え合わせ

世界は死に満ちている。

いや、私達は自分の周りが生に満ちているから死の存在が遠い物と勘違いしているだけだ。

 

死はあらゆる者に対し差別をしない。

健康な者が突発的な事故で病を患った者より先に呆気なく死ぬ。

腰の曲がった老人が産まれたばかりの赤子よりしぶとく生きる。

忙しない日々の営みに気を取られ私達は死という誰も逃れられない存在を頭の隅に追いやりやがて訪れるその最期の瞬間を忘れたふりをする。

別離はいつも唐突で、心の準備すらしていなかった私達は悲しみに暮れる。

生という存在の尊さを忘れ、それが永遠に続くものだと錯覚し今生きるこの時に伝えなければいけない物を明日へ回してしまう。

 

永遠に生きたいなどと不遜な考えは持っていない。

ただ、愛する者達と大過なく共に生きたいだけだ。

あの人が最期の時に私を見て良い人生だったと思ってくれるように。

私が最期の時にあの人を見て素晴らしい人生だったと振り返られるように。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「神と聖女の名に於いて護国の戦士達に惜しみ無き感謝を此処に。彼らの魂に安らぎがあらんことを。遺された者の生に幸多からんことを」

 

聖女が謳う戦没者への鎮魂の祝詞が朗々と晴れた空に吸い込まれていく。

彼女の口から紡がれる言葉を粛々と聞きながら戦没者への想いを馳せる。

耳を澄ますと微かに誰かが泣く声が彼方此方からしていた。

俯いたまま音の方角へ顔を動かすと喪服に身を包んだ年嵩の女性が、母親に不安そうな顔で抱きつく子供が、声こそ出さないが涙を流し続ける少女がいた。

その誰もが大切な人を亡くしたのだろう。

 

戦没者に対する祝詞と故人を偲ぶ泣き声が混じり合い奇妙な葬送曲が出来上がる。

この慰霊祭は周辺の領地と合同で行われる為に参列者も相当な人数に上った。

元々は合法的にオリヴィアと出会うという裏事情があったのだが、バルトファルト領の戦没者は他領に比べ少なかった。

リオンがなるべく兵の損耗を避けようとした結果なのだが、数十人の戦没者の為に王都から聖女を招き大掛かりな慰霊祭を行うのは些か非効率だった。

それならばと周辺の領主貴族に声を掛けたのだが、王都から聖女が訪れると分かるとこぞって合同で執り行いたいと願う者や出資を申し出る者が殺到した。

 

その結果として一目だけでも聖女を見ようとする参列者が数百人で訪れる大規模な慰霊祭がバルトファルト領で執り行われる運びと相成った。

バルトファルト領の知名度を広める為に都合が良い、参列者による経済効果を頭の隅で計算する私は平民を単なる数字として捉えていたあの頃の私と大差ない。

そう考えながら自分の真横と膝の上を見る。

愛しい夫と子供が其処に居た。

リオンは神妙な表情で黙祷を続けている。

 

私にとっては直接的な関わり合いが少なかった領民達でもリオンにとっては苦楽を共にした部下であり戦友だ。

リオンに冥福を祈られる戦没者に対し罪悪感とほんの微かな嫉妬が湧き上がる。

安全な場所で夫の帰還を待ちわび無事を祈るしか出来なかった私が戦場に散った英霊を羨むとは思ってもいなかった。

この慰霊祭を何処か他人事のように冷めた思考で観察しているのもリオンが戦争を生き延び五体満足で帰って来てくれたからだろう。

 

自分が愛する者の死を悼み涙を流す者にならなかったのは単なる偶然の産物に過ぎない。

リオンは決して物語に謳われるような英雄ではなく、いつ戦場の露と消えてもおかしくはない生きた人間だ。

誰もが功績にばかり気を取られリオン個人の弱さを見ようとしない。

彼を無理やり戦わせようとする者も、彼の愛に縋り護ってもらう私も等しく卑怯者だ。

 

「彼らの清き魂が神の慈悲によって再び現世に顕れんことを。聖女オリヴィアの名に於いて祈ります」

 

オリヴィアの体から柔らかな光が発せられ感嘆の声が漏れる。

私とリオンの膝上に座る私の子も目を輝かせてその光景を見つめる。

ふと、隣のリオンに目を移すが、先程から表情を変えず黙祷を続けていた。

彼なりに戦没者に対して思う部分があるのだろう。

こうしてリオンが生きて私の隣に居てくれる。

 

そっと自分の腹を撫でて、其処に宿る命の気配を確かめる。

この命もリオンが死んでいたら存在しなかった。

誰も私達に注目していないのを確かめてからそっとドレスグローブを脱いで私の手をリオンの手に重ねる。

確かな感触と温もりが感じられる。

たったそれだけの事なのに愛おしさで心が満たされ私は幸福感に包まれた。

聖女の祈りが終わり司会が各方面からの式辞を読み上げているが参列者の多くはオリヴィアから視線を外さない。

 

相も変わらずオリヴィアは無自覚に人を惹き付けるのが上手い。

それが長所なのか短所なのか私には判別が出来なかった。

まぁいい、オリヴィアがこれから進む道はオリヴィア自身が決める物だ。

私は私の人生を歩む。

 

今なお王都への未練が全く無いと言えば嘘になるが、この地に生き骨を埋めるのも悪くないと漸く思い始めている。

少しずつバルトファルト領の発展させるのが当面の最重要課題だ。

さて、そのバルトファルト領の発展に必要な仕事を熟さなくてはならない。

死者を悼んだ後は悲しみを拭う為に宴を開くのが古来からの習わしだ。

葬儀とは死者よりも生者が心の整理を行う意味で執り行われる。

これを機にリオンとバルトファルト領の風評をより良い物としなくては。

存外私は強かな女だったらしい。

さっさと始めてさっさと終わらせよう。

本当の目的はその後にあるのだから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

暫く、とは言っても時間で見ればそれほど経過してはいない。

来賓への挨拶回りを行い、他愛もない談笑で情報交換を行い、それとなくバルトファルト領の喧伝する。

宴を取り仕切るのは私達だが主賓は聖女であるオリヴィアだ。

物怖じせずに笑顔で貴族に対応するオリヴィアは逞しく成長したらしい。

そうでなくてはこの後の話し合いが有意義な物にならない。

 

「アンジェリカ様、アンジェリカ様」

 

背後を振り返ると少女が私に縋りつくような視線を送ってくる。

その両足には私が産んだ双子が抱きついていた。

 

「久しいなマリエ、息災だったか?」

「お久しぶりです。早速で申し訳ありませんがお坊ちゃまとお嬢さまを何とかしていただけますか?」

 

双子を引き剥がそうとしているが存外に力が強い上に泣き出されたら宴の雰囲気を壊しかねず苦慮しているらしい。

私の子達は普段なら人見知りする質なのだが理由は分からないがマリエに懐いている。

我が家で子守り係として雇えば私達の負担も減るのではと一瞬考えつつライオネルとアリエルの頭を撫でた。

幼児特有のフワフワとした髪の感触が薄いドレスグローブ越しにも伝わり心地良い。

 

「それで、私が出した宿題はきちんと終わらせて来たか?」

「どうでしょう、かなり無理して仕上げたんでアンジェリカ様がご満足していただけるかは保証できません」

 

テーブルに供された料理を皿に盛りながら呑気に呟くマリエは何処か不安げだった。

私が一食で食べる量の肉をマリエは一口で食べきって次の肉を皿に盛ったように見えたが気のせいだと思いたい。

 

「オリヴィア様は寝る暇も惜しんで調査を進めました。もちろん私達だって手助けしたんですけど最期までオリヴィア様に適いません。あの細い御身体の何処から気力と体力が湧き上がってくるんでしょう?聖女って体の構造から私達と違う生き物に見えてきました」

 

或いは歴史や国の命運を左右する傑物とはそんな者なのかもしれない。

それならば私がオリヴィアに適わなかったのも必然だったのか。

心中の迷いを振り払うようにライオネルとアリエルを優しく抱き締める。

 

「アンジェ、此処に居たか」

 

リオンが些かくたびれた様子で近寄って来た。

貴族のあしらい方もある程度は手慣れてきたリオンだがそれでも大人数を捌ききるのは未だ無理らしい。

私とてリオンの手助けをしたいが主宰がバルトファルト家であるなら当主とその妻が別々に挨拶回りをした方が手っ取り早い。

何より正妻である私のが側に居ない隙を狙ってリオンに近付こうとする輩を遠巻き観察できる。

娘やら妹やらを紹介する領主貴族や自ら進んで懇意になろうとする令嬢達には要注意だ。

バルトファルト領の資産か、或いはリオンの才能が目当てか。

本気でリオンに好意を抱いているなら質が悪い。

 

リオンは私の夫だ、妊娠した妻が居ない間に寵愛を得ようとする卑劣な女を近付ける気は毛頭ない。

これは貴族の妻として当然の責務だ、悋気などではない。

決して、決して子供を産んでから夫婦の時間が減ったからとか妊娠して閨の回数が減ったからではない。

 

「もう少ししたら宴を終わらせるぞ。その後は聖女様をうちへ招く」

「わかった、準備はほぼ終わっている。マリエ、オリヴィアに伝えて欲しい」

「ふぁあひあひた」

 

口一杯に料理を頬張りながら喋るな、リスか貴様は。

料理を飲み込んだマリエは素早く私達の前から退散すると人混みの中へ消えて行く。

 

「今の子は?」

「オリヴィア付きの女官だ、以前バルトファルト邸を訪ねてオリヴィアと話し合って欲しいと頭を下げられた。今日の催しは彼女が原因だな」

「ふ~ん」

 

何気なくマリエが向かった先を見つめるリオン。

気付いた時にはリオンの足の上に私の足が乗っていた。

 

「アンジェ」

「どうした?」

「痛い」

「そうか」

 

前言を撤回しよう。

基本的に私はリオンに近付く全ての女が嫌いだ、これは私自身にすら矯正不可能な部分だから仕方ない。

なので先んじてリオンに釘を刺しておく。

 

「ああ見えてマリエは私達と同い歳だぞ」

「マジか」

 

やや引き攣った顔で驚くリオンに子供達を押し付ける、これから先の準備は私が手ずから行う必要がある。

 

「閉会後にオリヴィアと付き添いの者は馬車で移動、バルトファルト邸に休息の名目で数時間は滞在してもらう。賓客用の宿に泊まってもらい明日の昼には此処を発つ」

「たったそれだけの時間で大丈夫なのか」

「提案するのはオリヴィアで私達は判断する側だ。協力が無理と思ったなら速やかにお引き取り願おう」

 

そもそも公爵家が王位を簒奪しても私達に損は無いのだ。

私やリオンの政治的な負担が増す事にはなるだろうが、それならそれで私がリオンの政治に疎い箇所を補えば問題は無い。

それを覆しえる何かが無い限りオリヴィアの目論見は失敗に終わる。

我ながら意地が悪いと思うがそれが政であり商談という物だ。

足早に会場を後にする。

これ以上は心の中で渦巻く嫉妬や憤懣をリオンに見られたくなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「お待ちしておりました聖女オリヴィア様、バルトファルト邸へようこそ」

 

バルトファルト邸の門前で粛々と歓待のこの場を述べる。

反りが合わない者、嫌っている者、家ぐるみで争っている者が相手でも感情を圧し殺し表面上は笑顔を浮かべ応対するのは貴族としての必須技能だ。

傍から見ればかつてと敵対した相手が嫁ぎ先を訪ねて来て首を垂れるという屈辱的な光景だ。

たとえオリヴィアが善人でもあっても負の感情という物はどうしても湧き上がってしまう。

この場にリオンが居なければ正直やっていける自信は無かった。

 

「当主リオン・フォウ・バルトファルト子爵です。はじめまして聖女オリヴィア様。この度はご来訪いただき光栄に思います」

「妻のアンジェリカ・フォウ・バルトファルトです。多忙のなか当家へご足労いただきありがとうございます」

「お招きいただきありがとうございますバルトファルト卿。神殿を代表してお礼申し上げます」

 

 

決まりきった社交辞令を口にして頭を上げるとにこやかに笑うオリヴィアと折り目正しく応対するリオンが目に映る。

一人一人丁寧にバルトファルト家の面々をオリヴィアに紹介してゆくリオン。

面白くない、全く以って面白くない。

人目があるから我慢するがオリヴィアに遜るリオンを見るのは苦痛だ。

そもそも初めて出会った頃から私はリオンに令嬢としてきちんと扱われた記憶が無い。

私は可愛げの無い女である事実は自覚しているが、私だってリオンに笑顔で対応して欲しいのだ。

閨であれだけ情熱的に私を口説くリオンの睦言よりオリヴィアへの社交辞令の方に気合が入っているように見えてしまう。

 

「邸内をご案内いたします」

 

張り付いた笑顔を浮かべリオンとオリヴィアの会話を打ち切る。

これ以上は私が我慢できそうにない。

オリヴィアの付き添いはマリエとは別の女官が一人とエルフの使用人が一人、神殿騎士達はバルトファルト邸の周囲を固める。

神殿から出た時は常に護衛が付き纏うらしい。

以前にミレーヌ様と共に私に会いに来た時はどんな策を用いて抜け出したのか。

マリエが優秀なのか、それ以外の付き添い達も有能なのか。

執務室の扉の前で振り返る、オリヴィアと付き添いの三人は離れようとしない。

問いかけるようにオリヴィアを見つめた。

 

「みんな私に協力してくれた人達です、同席するのを許してください」

 

どうやら拒否するのは無理らしい。

私は溜め息を吐いて執務室の扉を開けた。

執務室の内装はオリヴィアが来訪する今日の為にいつもとは違う趣にわざわざ誂えた。

来客用のテーブルとソファーをわざわざ取り寄せたし、念入りに掃除も済ませ、用意してある菓子や茶も近隣の領地で人気の銘柄だ。

気に食わない相手とはいえ手抜かりがあれば即座に其処を突かれるのが貴族社会という物。

私の懊悩を他所にリオンは四人に席を勧める。

オリヴィアが一人用のソファーに座り、私とリオンは同じソファーに座る。

複数人用のソファーにはマリエともう一人の女官、エルフの使用人は着席しない。

 

「あらためて自己紹介させていただきます、オリヴィアです」

「オリヴィア様付きの女官マリエです、仕事はオリヴィア様の護衛やらお世話やらいろいろやってます」

「同じく女官のカーラです、主にオリヴィア様のお世話と仕事のお手伝いをさせていただいてます」

「使用人のカイルです、僕はまぁオリヴィア様に個人的に雇われた使用人で。荷物持ちとか護衛とかその辺の肉体労働担当」

 

自己紹介が終わり四人の顔を観察する。

一癖も二癖もありそうな面々だがこれからの話を聞いて口を噤む覚悟はありそうだ。

 

「リオン・フォウ・バルトファルトです、よろしく」

「よろしくお願いしますバルトファルト子爵」

「そう畏まらずに、何せ数年前に叙位されたばかりの平民同然だった似非貴族なもんで」

「私も平民出身ですからお気になさらないでください」

「……アンジェリカ・フォウ・バルトファルト、宜しく頼む」

 

にこやかに談笑を始めるリオンとオリヴィアの間に割って入る。

何を親し気になってる貴様ら、呑気な茶会をしに来たわけではあるまい。

これ以上ストレスを溜め込みたくはないので強引に話を進めよう。

 

「それで、聖女殿はきちんと宿題を終えて私が納得できそうな答えをご用意してきたか?」

 

敢えて傲然とした態度と微かに怒気を含んだ声でオリヴィアの反応を窺う。

これは試しだ、怯えて交渉に失敗する程度の覚悟ならそもそも此処へは来ないだろうが。

 

「いろんな人達に協力してもらってギリギリまで考えました。アンジェリカ様に納得していただけるかは分かりませんが」

「まさか二ヶ月も経たずにバルトファルト領を訪れるとは思わなかった、逆に此方が周辺の領主貴族を招待する為に苦慮するとはな」

「申し訳ありません、予定をかなり切り詰めて無理やり捻じ込みました。そうしないと手遅れになりそうだったので」

「急いだからといって私は手心を加えるつもりはない」

 

オリヴィアがカイルに視線を送ると持って来た鞄を開け中からさまざまな物が取り出された。

書類、地図、筆記用具、色が塗られた加工石等々。

テーブルの上に地図が敷かれ次々に加工石が並べられてゆく。

よくよく見れば地図は細かい記入がされているし書類には付箋が挟んである。

準備を終えたオリヴィアは力が籠った目付きで私を見つめる。

その視線は真っ直ぐで前に会った時と違い全く物怖じしていなかった。

 

「内乱と戦争の気配があります。今ホルファート王家とレッドグレイブ公爵家が争ったら国が亡びます」

 

オリヴィアらしからぬ物騒な物言いだ。

いや、私が知っているオリヴィアは学園に在籍していた頃に見かけた特待生の大人しいオリヴィアだ。

戦場に赴き聖女として崇められているオリヴィアではない。

 

「最初に気付いたのはアルゼル共和国を訪ねた時です。今の共和国は復興の真っ最中なんですけどいろんな所で揉め事が頻発しているんです」

 

デーブルに置かれた地図上のアルゼル共和国を指差す。

どうやら印が付いた所が暴動が起きた土地らしい。

軽く数えただけでも二十は下らない。

カーラが複数ある書類の束から一つを取り出してオリヴィアに手渡すと付箋が挟んであるページまで捲り私達の前にその書類を置いた。

 

「共和国は内乱が起きて崩壊しました。今では物資が足りてなくて各国の援助無しには立ち行かないぐらい疲弊しています。貴族とそれ以外の人達の争いが激しくて問題が起きる度に暴動が起きてる状況です」

「それが王国と何の関係がある」

「今のホルファート王国はファンオース公国との戦争で疲弊しています。その隙に乗じて王国内をかき乱して更に弱らせようとしている人達がいます」

「具体的には?」

「ラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国、或いはその両方です」

 

思わず舌打ちが零れた。

聞き及んだ話では今のアルゼル共和国は聖樹の加護を失って国家として疲弊している。

近隣諸国はそのアルゼル共和国の国土を虎視眈々と狙っていたが聖樹の巫女の存在がそれを食い止めた。

聖樹から産出される魔石こそ共和国の要だったが聖樹無き共和国など外交するに値しない。

 

近隣諸国は共和国が内乱で弱りきった後に軍事介入する予定だったが聖樹の巫女は新たな聖樹の存在を公表し王国に協力を取り付けた。

王国を頼ったのは軍事力に於いてはホルファート王国が頭一つ抜けていたからだ。

数十年後、或いは数百年後に成長した新たな聖樹から産出される魔石を優先的に王国に回す事を条件に内乱の早期終息と援助を王国から勝ち獲った。

 

気に入らないのは近隣諸国だ。

静観するつもりがホルファート王国に出し抜かれる形で軍事介入を許し、結果としてただでさえ減っていた共和国から回される魔石の総量が更に減少した。

それでも国際情勢の建前ではホルファート王国を糾弾できる大義名分が無い。

唯一その状況に異を唱えたのがファンオース公国だ。

結果としてファンオース公国は敗れホルファート王国の一部として併合されたのが今回の戦争の結末。

いや、五年前の戦争で引き分けのまま講和を結んだ公国が単独で王国に戦争を挑むとは考え難い。

裏でラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国と密約が交わされても何らおかしくはなかったのだ。

 

「だが共和国の諍いに神聖王国か帝国が介入していると考えるのは些か早計では?人は都合が悪い状況だと自分が原因とは思わず外に瑕疵を求めがちだ」

「それについてはこっちの資料に書いてあります」

 

マリエが次の書類をオリヴィアに手渡す。

こちらは開かれたページの所々に記入跡や斜線が引かれていた。

 

「共和国内で発生した騒動のデータです、王国と共和国の戦争が起きた直後から数倍に増加しています」

「王国、或いは公国から共和国へ逃げた民衆が起こしたトラブルの可能性は捨てきれないぞ。戦争が起きればどうしても周辺国の治安が悪くなる」

「確かに戦火から逃げた人達による問題は起きています。でも共和国の人達が起こした暴動はその数十倍なんです。そして暴動に加わった人達は原因が『王国による圧政』と主張しているんです」

「王国の圧政だと?馬鹿も休み休み言え。王国は確かに共和国の内政に干渉こそしているが統治は全て共和国に一任している」

 

確かに援助の名目で人材を派遣し共和国内の状況を逐一報告させ、便宜を図ってくれる者を外交の担当にするように要請してはいる。

だが共和国の内政へ直接的な干渉は行えない。

行えばホルファート王国によるアルゼル共和国の支配としてラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国のみならずレパルト連合王国などの友好国にまで批難されかねないからだ。

それなのに一方的にホルファート王国が敵視されるのはどう考えてもおかしい。

 

「何よりおかしいのは暴動の主導者がいつも不明なんです。鎮圧された暴動の関係者を逮捕しても主導者だけは見つかりません」

「この提出された資料は信用できるのか?共和国が恣意的に報告している可能性も捨てきれない」

「私にこの資料を手渡してくれたのは共和国の信頼できる然る方です。王国の資料編纂室に協力をしていただき、提出された資料の確認や現地の担当者の証言を伺ってもらいました。内容についてはほぼ事実です」

 

資料を妄信した訳ではなくきちんと裏付けを取ったか。

平民出身でありながら特待生となった明晰な頭脳は聖女として活動する間に腹を括った事で補強された。

大人しそうに見えてオリヴィアはひどく強かでこちらの疑問点を先に潰してくる。

交渉相手としてはやり難い事この上ない。

 

「リオン、仮に神聖王国か帝国と今戦争になったら勝てるか?」

「無理だな」

 

私の疑問にリオンは即答する。

 

「公国との戦争で人が死に過ぎた。戦えそうな若い奴らを身分問わず徴兵しても使い物になるまで時間がかかる。何の義理も無いなら俺だって家族を連れて亡命したい」

「私もバルトファルト子爵の意見に賛成です。王家の舟の修復は殆ど目処が立っていません。辛うじて飛行が可能になりそうですが兵装の修復はほぼ不可能らしいです」

「聖女様のおかげで勝てたけどありゃ奇跡みたいなもんですよ。もう一度やれって言われても出来る類じゃありません」

「オリヴィアで良いですよバルトファルト子爵。いちいち聖女様と呼ばれても気が張っちゃいますし」

「なら俺もバルトファルト子爵って呼び方を止めてください、家名と爵位で呼ばれるのは堅っ苦しいんで」

 

夫として、交渉相手として減点しようかなコイツら。

私だって婚約してからアンジェと呼ばれるまで数ヶ月かかったのにどうして初対面で気安く声を掛け合っているんだ貴様ら。

 

「私の夫の意見は分かった。聖女の資料も拝見したそれでも王家と公爵家の諍いを止めるには不十分だと思うのだが」

「話はまだ途中です。他国の干渉は既に王国でも行われている可能性が非常に高いと私達は考えています」

 

リオンを敢えて『私の夫』と強調したが会話の流れ押し切られた。

隣のリオンを横目で確認するが会話に夢中で私の視線に気付いていない。

少々腹が立ったのでリオンの尻を抓った。

何か言いたそうにリオンが私を見るが敢えて無視する。

オリヴィアが写真が貼られた書類を手渡してきた。

 

「これは?」

「アンジェリカ様なら見て分かる筈だと思います」

 

随分と挑戦的な発言だな。

一枚一枚ページを捲り記載されている写真を見比べる。

写真の人物は全て女性、しかもそのうちの何人かは見覚えがあった。

身分は様々だが貴族の妻か娘の筈であり、もう一度見直すとある共通点が見えて来た。

 

「全員が貴族階級、そして没落した家の出自だ」

「正解です。より詳しくするなら公国との戦争で裏切った、或いは逃げ出した貴族の妻女です」

「彼女達が何をした?」

「そこは私からご説明します」

 

私とオリヴィアの会話にカーラが割り込んで来た。

 

「アンジェリカ様、私の顔を憶えていますか?」

 

ジッとカーラの顔を見つめる。

先程の自己紹介の時点で彼女に対しどこか見覚えはあった。

顔の輪郭、紺色の髪、整った体型を判断材料に記憶を一つ一つ照らし合わせる。

朧気ながらそれらしき記憶を手繰り寄せた。

 

「記憶が正しいのなら学園で何度か見かけたな、会話した事は無かったと思う」

「はい、私の本名はカーラ・フォウ・ウェイン。準男爵家の出身です」

 

幼少の頃から行われた王妃教育によって私はホルファート王国内全ての貴族の家を記憶していた。

尤もその記憶は婚約破棄される以前の物であり、二度の戦争によって勃興する家や没落した家の多さ故に些か心許なく、平民と貴族最下位の男爵の間にある準男爵家までは流石に網羅していなかった。

 

「一ヵ月ほど前に王都で貴族を狙った誘拐事件が起きました。犯人の要求は多額の身代金、食料、武器、そして就いている役職の辞任です」

「その誘拐犯は馬鹿なのか?」

「アホだろそいつ。いくら何でも欲張り過ぎだ」

 

思わず私とリオンの口からそんな言葉が出た。

貴族は暗闘にも長けてなくては家を存続できない。

高位貴族になる程に裏での争いに対抗する術を否が応でも叩き込まれる。

リオンの場合は戦場での捕虜交換や撤退時の交渉で鍛え上げられたのでまた趣旨が違うが。

相手への要求は簡潔に少ない程に成功率が上げる。

身代金を増やせば増やすほど、用意させる品が多岐にわたるほど、役職に対する権限を削ぎ落そうとするほど時間がかかり見つかる可能性が飛躍的に上がってしまう。

 

「ご察しの通り貴族は王国に救援を呼びかけました。要求の品を用意すると見せかけて時間を稼ぎその隙に王国軍は捜査を行い誘拐犯を見つけ逮捕しました」

「その犯人が元貴族のコイツらって感じか?やだねぇ、貴族に生まれついたのに盗賊家業に勤しむなんて世も末だな」

「それは偏見ですよバルトファルト様」

 

リオンに反論したのはマリエだった。

私はマリエの過去を知っているがリオンは知らない、その差が話題に対する対応の差になった。

 

「飢えれば人は何だってしますよ。盗みも売春も裏切りも人殺しだってやります。私もカーラさんも親に捨てられた貴族の娘です。稼ぐ方法が無い若い女が生き抜く方法なんて体を売るか犯罪に手を染めるくらいしかありません」

「……悪かったよ」

 

気まずそうに返答するリオン、どうやらマリエの気迫に圧されたらしい。

 

「話を戻します。誘拐犯一味の実行犯は空賊、問題を起こして除隊された元軍人、没落した貴族の男性。ですが首謀者は女性達でした」

「その内の一人は私達がよく知っている人物です。おそらくアンジェリカ様もご存知の人物です」

 

そこまで答えたカーラの顔は恐ろしい物を見たように青ざめて震える自分の体を抱き締めた。

あまりの異常さに部屋が気まずい沈黙に包まれる。

 

「カーラさん、やっぱり私から報告した方が」

「大丈夫ですオリヴィア様。これは私の務めです」

 

恐怖を振り払うようにカーラは人物帳のあるページを開く。

そのページに記載されている人物に私は悪い意味で見覚えがあった。

学園に居た頃に何度もその女の顔を見た記憶がある。

浅学菲才、厚顔無恥、品性下劣、彼女を表す言葉は全て蔑称となる。

 

『ステファニー・フォウ・オフリー伯爵令嬢』

 

記されていた名を私はよく知っていた。




今章からは基本的にアンジェ&リオン視点の話になります。
王国の情勢は原作書籍8巻の状況に近いです。
学園が休校状態(そもそも時空列が数年後にずれ込んでいる)のでミリアリス、フィン、ブレイブの出番はありません。
ラストに登場のステファニー、登場時点で逮捕後で出番終了のお知らせ。(憐れ

追記:依頼主様によりNoa様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
Noa様 https://www.pixiv.net/artworks/112223139(成人向け・声優ネタ注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第34章 悪女の本質

王侯貴族の存在を肯定する物は『力』である。

腕力、知力、魔力、経済力、政治力、生産力等々。

極端な話として特定個人の才能によりその一族が繁栄するならそれは貴族の萌芽と言える。

その地位が世襲されるのは天才の親から子に才能が受け継がれる可能性が高いというだけの極めて単純な話だ。

 

故に貴族は常に平民より優れた存在であると示し続けなければならない。

例え才能を受け継がなくとも努力し民を統治するに足ると認められる必要がある。

だが悲しいかな、そのように切磋琢磨する貴族の令息令嬢は悲しいほど少ない。

優れた先祖を己と同一視する、与えられた地位と権力を自ら勝ち得た物と勘違いする、幼少期に施された教育や装備によって平民とは違う優等種だと思い込む。

貴族としての矜持を持たず義務を果たす事も無く、教育を施されなかった平民よりも常識や知識に欠け権力を盾に欲望のまま行動する獣。

 

私が学園に通っていた頃に見かけた王国貴族の令息や令嬢は大なり小なりそんな輩ばかりだった事実が王国の腐敗を端的に表していた。

そしてオフリー家伯爵令嬢ステファニーはその極めて悪質な王国貴族の典型例の一人だった。

 

「オフリー家は空賊と結託した罪をオリヴィア達に暴かれ爵位を剥奪、領地と財産は没収された後に当主と嫡子は処刑、他の一族は王国からの追放処分を受けたとは聞き及んでいる」

 

私が彼女について知っている情報はその程度だ。

元々近づきたくもない人物だった上に件の空賊騒動は私が婚約破棄で学園を去った後に起こった。

当時の公爵家としては敵対していたフランプトン侯爵の派閥に所属していた腐敗貴族が自滅した程度の扱いで興味すら起きなかった。

 

「貴族の地位を失った我儘な令嬢が平民ばかりの世俗で生きていけると思いますか?」

「私は故郷の人達が冷たくならなきゃ余裕だったんだけど」

「マリエさんは普通の令嬢じゃないからあてにならないと思うぞ」

「二人共黙って。オリヴィア様を平民だからと毛嫌いしていた方が身分を失って追放されるって皮肉ですよね。私もあの頃は寄親だったオフリー家に従ってオリヴィア様をイジメてたから同罪なんですけど」

「カーラさん、私はもう許してるから」

 

私はオリヴィアに対し諫言する程度に留めていたが、ステファニーは陰湿で凄惨な方法でオリヴィアを苦しめていたとは聞いている。

私が婚約破棄される原因となった悪業の一部はステファニーの行動を誰かさんが盛って私の所業だったとしたからだ。

あれがフランプトン侯爵の指示だったなら自分の配下にやらせた悪業を殿下の婚約者だった私に擦り付け、王家と公爵家の婚約を破綻させオリヴィアの後援者を装い王国内で権勢を欲しいままにしただろう。

まぁ、フランプトン侯爵本人はもとより一族全員が処刑台の露に消えたのは因果応報としか言いようがないが。

 

「それで、せっかく助かった命をむざむざと捨てる馬鹿がどうしたというんだ?」

 

実際に見た印象と与えられた情報を統合すればステファニーがそれ程までに重要な立ち位置とは思えない。

あれを教育が行き届いていない貴族の子供扱いするのは年齢故に無知な子供の方にとっていい迷惑だ。

 

「そんな馬鹿が貴族の誘拐なんて大それた真似をすると思いますか」

「馬鹿は理屈が通らない事を平気でやれるから馬鹿なんだぞ。そんな馬鹿が生まれた家柄だけで偉そうにふんぞり返ってるなんてよくあった。あいつら自分の無能を部下に押し付けるから手に負えねぇ」

 

吐き捨てるように呟くリオンの言葉は実感が籠っていた。

先の戦争では常識では考えつかない行いをする貴族が大量に存在したと聞き及んでいる。

そうした馬鹿が降爵や奪爵で相応の地位になったのは王国にとっては喜ばしい事実だ。

 

「つまり馬鹿を唆した黒幕が居ると?」

「確実に存在します。そもそも貴族の誘拐は途中まで成功していました。欲をかかずに要求を一つに限定すれば確実に目的を達成できた筈です」

「頭の悪い貴族の嬢ちゃんにしちゃ少しばかし手が込み過ぎているな。計画犯と実行犯が別々なんだろ。計画した奴はかなり賢いだろうし、実行犯は裏稼業に手馴れている。そもそも何でステファニーって女が絡んでるんだ?」

「元々オフリー家、いえ元商人だった先代当主の頃から悪事に手を染めていたそうです。違法な品々を密輸して得た莫大な利益をばら撒き貴族として確固たる地位を築きました。私達が討伐した空賊もその関係者です」

「もし俺が空賊なら貴族様を敵に回したりしないな。狙うなら治安が悪くて手が届き難い地方を狙う。わざわざ王都の貴族を狙うなんて捕まりに行くようなもんだ」

「はい、捕らえられたステファニーさんの取り調べに私やカーラさんも証人として呼ばれました。こうした元貴族の女性の関わっている事件が今回の戦争が終わった後から急速に増えているんです」

「その女達の共通点は?」

「ファンオース公国との戦争でホルファート王国を裏切った、或いは逃亡して家を取り潰された人達です。それ以外にも以前から不正に手を染めていた方々もたくさんいました」

「なるほど、自らの行いを省みず逆恨みするような奴らばかりか」

「一応フランプトン侯爵の派閥というだけで巻き添えになった人達もいますから」

 

先の戦争に於いて一時的な物とはいえ王国の主流派となったフランプトン侯爵が裏で公国と繋がっていた事実は王国貴族に衝撃を齎した。

国の政を担う筈の重臣が敵国と内通し公爵家の力を削いだのだから当然と言えよう。

必然的に戦中戦後に於いて関係者への追及は過激な物となる。

フランプトン侯爵と血縁がある者は弁明すら許されず処刑又は重罰が科された。

侯爵家と繋がりがあったというだけで家族に見捨てられ、或いは咎人として上層部に差し出された者もいる。

大抵は当主や嫡子が処断され女子供は身分の剥奪や財産の没収で済まされるのだが、生き残った者の中には王国を恨む者も多いだろう。

あの頃の王家と公爵家は裏切り者や腐敗した貴族の粛清に血眼になっていた。

何せこの国の支配者と最も力ある貴族を罠に嵌めようとした結果、疑わしきは罰せよという認識の下に関係者への追及は苛烈を極めた。

あまりの苛烈さを知り諫言した貴族が逆に侯爵家との関係を疑われ更迭される事態すらあった程だ。

過剰にやり過ぎた反動が王国内の貴族から反発を招きかねないので族滅から当主と嫡子の処罰へと方向転換こそしたが、その時点までに失われた命も数多い。

王国に対して不満を持つ者が集め唆せば事件や暴動の一つや二つなど簡単に起こせる。

なまじ縦と横の繋がりが強く関係各所の情報を持っている貴族だけに下手な他国の工作員より始末が悪い。

そんな輩が他国の走狗となり王国内の治安を乱せば父上がホルファート王家から王位を簒奪した所でまともな治世が行われるとは言い難い。

 

「面会した時のステファニーは正気が殆ど残っていませんでした。取り巻きだった私が誰かも分からないみたいで気味の悪い言葉を呟くだけ。ただ自分の他にもそんな人達がいる、王国はもうお終いだと繰り返し言ってました」

「口が軽いなぁ、そのステファニーって女。だから使い捨ての駒にされたんだろうけど」

「つまりこう言いたい訳か?他国に介入されている可能性が高い状況で王位を簒奪してもレッドグレイブ家が統治するには情勢が不安定すぎる。王家と公爵家の諍いを煽られてる可能性すらあると」

「アンジェリカ様の仰る通りです。最悪の場合、内乱に乗じて他国が戦争を仕掛けてもおかしくありません」

 

オリヴィアの考えは筋が通っている。

仮にローランド陛下が父上に王位を禅譲してもそれを不服に思う貴族は存在する。

ホルファート王家派はもとより、静観している中立派の貴族でも自分達が何らかの損を被ると分かれば一斉に王家へ味方しかねない。

私の隣に座ったリオンの顔に刻まれた決して消える事の無い傷痕を見る。

もし国を二つに割る内乱に発展した場合、公爵家の娘を娶ったリオンは率先して戦いの場へ赴かなくてはならない。

逆に王家派に与した所で私という妻がいるせで内通を疑われるか腫物扱いされ遠ざけられ適当な理由で粛清されかねない。

こんな状況下で近隣諸国の介入を受ければ間違いなくホルファート王国は亡びる。

如何に王国の兵が精強と言われていてもそれは国が一つに纏まった場合に於いてだ。

王国の貴族同士で争わせ弱りきった時に攻め込まれたらひとたまりもない。

アルゼル共和国は聖樹から産出される魔石のおかげで最低限の国体を維持できたが、ホルファート王国はそのまま他国に吸収されるだろう。

 

「では王家と公爵家の争いを止め他国からの介入を阻む手段は?」

「私達が持っている情報を王家と公爵家に提供し和解を促すつもりです。同時に王国への来訪者数を一時的に規制して治安維持を強化します。終戦から治安が悪化しているのは王国内の貴族の皆さんも悩んでいるので賛同してくれ可能性は低くないかと」

「財源は?」

「公国からの賠償金の一部を用いる予定です。流石に戦争で困窮して恩賞も滞りがちなのに費用を貴族にばかり負担してもらうのは不満が噴出すると思うので」

「……これを考えたのはお前一人だけではないな。誰に手を貸してもらった?」

「情報はアルゼル共和国で聖樹関係の方々とホルファート王国の資料編纂室の方に提供してもらいました。あとはこの三人が頑張って情報の精査を。ユリウス殿下とジルクさんに政策について助言もしていただいています」

 

あまり良い思い出が無い二人の名前を出されて顔を顰める。

リオンは疑わしい視線をオリヴィアに向けた。

まぁ、嘗てと比べれば少なくとも他人を罠に嵌めて自分の提案をごり押しするような悪徳貴族その物な真似はしていないらしい。

随分と毒気が抜けたらしいが、私は用意周到に追い詰められた挙句に婚約破棄された事も金銭でリオンを公爵家から引き離そうとしたのもまだ許してはいない。

正直あの二人が関わっているなら無条件に反対したいのだが、感情のままに行動して大局を見誤るのだけは避けたかった。

さて、一体どうしたものか。

 

「リオンはどうしたい?」

「俺か?」

 

意外そうな顔をして間の抜けた返答をするリオンが道化のようだった。

 

「何で俺の判断を仰ぐんだよ」

「バルトファルト領の領主はお前だ」

「アンジェが判断した方が間違いないだろ」

「駄目だ、私はあくまでバルトファルト領の統治者であるリオンの妻に過ぎない。リオンがどんな判断を下しても私は従うつもりだ」

「公爵家と争う事になっても?」

「……そうだ、実家のレッドグレイブ家よりも嫁ぎ先のバルトファルト家の方が優先されるべきだ」

 

本心はレッドグレイブ家も大事だ。

だが今の私にとって優先すべきはリオンと子供達、そしてバルトファルト領である。

私の一存で多くの領民を巻き込みリオンが咎められるのは避けたい。

何よりも私の我儘でリオンを死に追いやるような選択を出来そうになかった。

これ以上の争乱にリオンが巻き込まれず穏やかに生を全うしてくれるのが私の願い。

 

「もし公爵(おやじさん)が上手くやって王様になったら俺ってどうなるの?」

「レッドグレイブ王朝が建立した場合なら最低でも侯爵位、私を妻にした事を加味すれば公爵位に叙爵される可能性も大いにありえる。いずれにせよ王の娘婿として広大な領地を下賜されそれに見合った権力を持たされる」

「子供達は?」

「ライオネルは王の孫、或いは王の甥として間違いなく公爵位に叙される。アリエルは有力貴族か他国に嫁ぐだろうな。私達の子は高位貴族となり王位継承権を有しレッドグレイブ王家の一員となる」

「アンジェや俺の子供はそっちの方が幸せかな」

「それは分からない。ただ私個人としてはリオンの幸福をなるべく優先したい」

「俺の幸福は家族みんなの幸せだよ。不相応な地位もアンジェが隣にいるなら何とか頑張れるし。アンジェは父親が王様になるのは反対か?」

「王位の簒奪で国が栄えるのなら私に父上を止める理由はない。問題はその過程で流される血がどの程度の量かによる。流される血にリオンが含まれない事が必須条件だ」

「家族の為ならいくらでも俺は戦うぞ」

「私は嫌だ、リオンにはずっと私の隣に居て欲しい」

「ならアンジェが決めてくれ。他の奴が選ぶならムカつくけどアンジェが選ぶならそれが一番良い」

「もう少し自分で何とかしようと努力しろ」

 

何やら感嘆の声が上がった気もするが敢えて無視する。

お前達がこんな問題を持ち込まなければ穏やかな日々を家族水入らずで過ごせたのに。

私達が惚気る光景を見る程度は我慢しろ。

いずれにしても時間が足りない。

こんな問題はもっと熟慮を重ねて判断するべきだ。

僅かな時間で交渉しなければならないのが悩ましい。

冷徹な計算を続ける私と激情を抱えた私を制御しつつ思考を続ける。

だがいくら考えても最善の答えなど見つからない。

情勢は絶え間なく変化し、今の最善が未来の最前とは限らない。

それでも溜め息を吐きながら私は最善(こたえ)を探し続けた。

 

 

※※※※※

 

 

「……協力するにあたって幾つか条件がある。それを了承できるなら力を貸そう」

 

悩んだ末に口から紡がれた声は微かに震えていた。

そっと隣に座るリオンの手を握る。

これから行う私の判断は父上を裏切る事になるかもしれない。

リオンを死に追いやるかもしれない。

そう思うと自分がどれだけ危険な橋を渡ろうとしているかをあらためて実感する。

 

「まず、私達が協力した所で父上を止められる可能性は限りなく低い。寧ろ関わる人員が増えて情報が洩れる危険が上がる」

「成功率は具体的にどれくらいなんですか」

「一割も無い、私達が協力しても然程上がらないだろう」

「そんなに低いのか」

 

リオンが驚いて口を開いたが一割に達すれば良い方だ。

あまりに分の悪い賭けなので正直関わり合いになりたくないのが私の本音である。

 

「次に私達はあくまで公爵派という事実を忘れるな。王家と公爵家のどちらかを選べと言われたら公爵家を選ぶ」

「なのにどうして協力してくれるんですか?」

「あくまで国内が二つに割れ争乱が起きるのを避けたいからだ。逆に言えばホルファート王家からレッドグレイブ家へ平和的に王位が禅譲されるなら特に父上を止める理由は無い」

「味方ではなく協力者という訳ですね」

「その通り。だが、私達はあくまでバルトファルト家の人間だ。完全にレッドグレイブ家の寄子という訳ではない」

「ええと、つまり味方になってくれる場合もあると?」

「私達を味方にしたいのならバルトファルト家に公爵家を上回る利益を用意しろ。そうすれば自ずとお前達の側になる」

 

我ながら詭弁だと思う。

もし企てが発覚して公爵家に追及されても内乱を止めたかったと申し開きが出来るように先手を打つ。

父上は娘の私と公爵家のどちらかを選べと問われたら間違いなく公爵家を選ぶ。

私も父上とバルトファルト家のどちらかを選ぶならバルトファルト家を選択する。

いや、バルトファルト家は関係ないか。

父親と夫のどちらを選べと言われて夫を選んでいるに過ぎない。

どうやら私は自分が思っている以上に愛多き女らしい。

 

「最後に失敗した場合の覚悟を問おう。正直この謀が成功する確率は途轍もなく低い。寧ろ公爵家へ積極的に与した方が楽により良い条件を提示できる」

 

父上が兄上とオリヴィアの婚姻を画策しているのは単に神殿の力と聖女の権威を利用したいだけだ。

オリヴィア個人には大して期待していない、むしろ私と殿下の婚約が破棄される原因となった彼女を嫌っている公算が高いだろう。

ならば早々に公爵家と通じた方がオリヴィア本人は安全だろう。

 

「それで人々これ以上の流血は防げますか?」

「分からん、逆に流れる血が増えるかもしれない。或いは神殿にすら見捨てられたと王家が降参するかもしれん」

「他国の干渉が考えられるこの状況で上手くいくでしょうか?」

「可能性は低いだろうな」

 

近隣諸国の目論見は王家と公爵家が争いホルファート王国が更なる弱体化する事だ。

ただでさえ二度に渡る戦争で人心は荒れ国内は乱れている。

枯野に火を放つように戦火は瞬く間に王国全土を飲み込むだろう。

 

「だったら私は争いを食い止める為に戦います。お飾りの聖女かもしれませんが出来る限り抗います」

「……分かった、私が問えるのは其処までだ。バルトファルト家が亡びない範囲で協力はしよう。リオンはそれで良いか?」

「良いけどさ、アンジェは納得してるのか?」

「私としても国が乱れるのは勘弁願いたい。子育てと領地経営は平和な世でやりたいだけだ」

 

今の私にとって御大層なお題目よりも夫と子供達の方が大切だ。

この安定志向もリオンと結婚した影響だろうか?

 

「とりあえず先程の方針で幾つかの問題点を見つけた。その部分について助言しよう」

「お願いします」

「まず王家の公爵家の和解についてだが初手からの話し合いの場を設けるのは避けるべきだ」

「出来る限り早めに話し合った方が良いと思うんですけど」

「和解と考えず交渉と考えろ。ある程度の実績を出さん事には父上は話し合いの席に着いてくれんぞ」

「公国との戦いの実績じゃダメですか?」

「戦の功と政の功を一緒にするな。腕っぷしが強いだけで解決方法が戦の一択になってしまう」

「きちんと説明すれば公爵様もご理解してくれると思います」

「理路整然と説明して争いが起きないなら歴史に戦争は記されない。むしろ言い包めようとしてると相手に思われた時点で交渉が不可能になる」

 

そもそも王家と公爵家の不和の切っ掛けは殿下が一時の感情に動かされて一方的に婚約破棄したのが原因である。

自分が感情のまま行動したくせに追い詰められたら道理を説くなど相手に対する侮辱以外の何物でもない。

話し合いは双方がお互いを尊重して初めて成り立つ。

 

「情報の提示は制限した方が良い。公爵家の力が及ばない第三者の意見があるなら尚良い」

「現状の把握に情報は不可欠です」

「だからこそだ。王家が弱体化しているから父上はここまで強硬な姿勢を取っている。此処で更に不利な情報を手渡せば力尽くで王位を簒奪しかねないぞ。敢えて手札を見せない事が抑止力にもなる。相手の力が分からない内は警戒するのが政治の肝だ」

「国内の事情は公爵もある程度ご存知の筈では?」

「それを盾にホルファート王家に国を治める資格は無いと言い出しかねん。国が窮してる事実を知れば王家派や中立派の貴族が挙って公爵派に寝返る可能性もあるぞ」

 

それで争いが起きないのなら寧ろ情報を流した方が良いと心の中で嘯く。

私が優先するのはバルトファルト領の平穏だ。

オリヴィア達を裏切る事になるだろうが国の弱体化を避けられるのなら私は平気で汚い手段を取るだろう。

リオンが良い顔をしないから普段は見せていないだけだ。

私の発言を咀嚼しているオリヴィアは何処から見ても善人でこうした権謀術数には向いていない。

人を疑わず純真無垢な聖女に比べたら確かに私は可愛げの無い悪女だった。

 

「そして先程の解決方法だが、まぁ悪くはないな」

「それでしたら」

悪くはない(・・・・・)と言っただけだ。良いとは言っていない」

「……何処がいけないんでしょうか?」

 

思わず意地が悪い言い方になってしまった。

どうにもオリヴィアが絡むと調子が狂ってしまう。

隣にリオンが居るせいだ。

食い入るように私とオリヴィアの話を真剣に聞いてるが、私よりオリヴィアに視線を向けているように感じている。

リオン、お前の妻は私だろう?

どうして余所の女に気を取られる必要がある。

 

「方針としては至極真っ当だ、このまま行っても何ら問題は無い。それとは別に餌が必要だ」

「餌?」

「先程の注意点と同じだ。この問題を解決するのは別にホルファート王家でなくても良い。国の危機に立ち上がったレッドグレイブ家が解決して何ら問題は無い。わざわざホルファート王家に与する理由が貴族には無い」

「じゃあどうすれば?」

「これ以外に政策が必要だ。王家についた方が得と思わせるような政策だ」

「つまりお金ですか」

「資金はあくまで方法の一つだ。安全、土地、責務、人口。貴族に対し何らかの優遇措置が必要になる。只でさえ戦争で国内は疲弊して恩賞も滞りがちだ。貴族全体が王家に対し不信感を抱いている」

 

戦争の爪痕から王国が回復にするには数年を要する。

国力が戻る為にはどうしても人材が必要となるが、その人材が国の為に働こうとする環境を整える必要があった。

 

「オリヴィア、お前は現在の国家予算がどの程度か知っているか?」

「いいえ」

「殿下はご存知なのか?」

「ユリウス様は宮廷の中心から外されていますし、財務は国家機密なので私が知るのはほぼ無理です」

「私が知ってるホルファート王国の情報は五年以上前な上に戦争でどれだけ損失したかも把握してないから当てにならん。把握していそうなのは……」

「ミレーヌ様です」

「お前からミレーヌ様に直接お伺い出来ないか?」

「無理だと思います」

 

悲し気にオリヴィアは首を横に振る。

ミレーヌ様にとってオリヴィアはユリウス殿下の婚約破棄や王位継承権を引き下げる原因となった女だ。

前にオリヴィアがミレーヌ様と同行できたのはあくまで利害の一致に過ぎない。

 

「だろうな。そもそも聖女が王家に干渉するのは神殿が国政に口出しすると同意義だ。あの腐敗した聖職者共がさらに肥え太る切っ掛けになりかねん」

「私はそんな大層な人物じゃありませんよ」

「お前が自分をどう思っていようが護国の聖女で民からの求心力があるのは事実だ。少しは自覚しないといいように利用されるだけだぞ」

 

オリヴィアを利用しているのが他ならぬ神殿であり公爵家もそれに準じている。

ただの平民であればここまで翻弄される事も無かっただろう。

彼女の精神性に最もそぐわない立場こそ聖女かもしれない。

 

「それじゃあどんな政策をすれば良いんでしょうか」

「分からん」

「……」

「別に嫌がらせしている訳ではない。本当にどうすればいいか私にも分からんのだ」

 

とにかく情報が足りない。

私が持っている情報は少ない上に嘗ての王妃教育で施された知識も公爵家で与えられた情報も年月の経過と共に劣化している。

バルトファルト領に流れる時間は穏やかだが、その間に王都では目まぐるしく情勢が変化している。

今の私に有効な献策が出来るとはとても思えない。

 

「王都に戻った後、ミレーヌ様に接触できそうか?」

「無理ですね」

 

横からマリエが口を挟んで来た。

 

「王宮にも神殿にも目を光らせてオリヴィア様を監視してる輩が居ます。今日だって同行した神殿騎士の中には監視目的で来た奴が確実に紛れ込んでます」

「私を呼び出した時のようにはいかないか?」

「あれは現地で集合する為にでスケジュール調整に凄く苦労しました。抜け出すのだって監視の目が緩む隙を見つけるのが大変でしたよ」

 

疲れた口ぶりで話すマリエからどれだけ苦労したかが伺える。

 

「……お前達の立てた策を私からミレーヌ様に伝えてもいい」

「え?」

 

部屋中の視線が私に向けられた。

 

「王妃と聖女が会う事は不可能でも田舎に来訪した王妃が旧知の者を訪ねるのはそれほど怪しまれない筈だ。私とミレーヌ様はある程度の伝手がある。私からミレーヌ様に献策するのは可能だろう」

 

口ではオリヴィア達を労う言葉をかけつつ、私はミレーヌ様から王都の情報を得る算段を立てていた。

父上はこの件に関し私に何も知らせていない。

私を巻き込みたいくないという親心ではなく、後に引けない状況になってから私を理由にリオンを協力させる腹づもりだろう。

ならば私もリオンや子供達を護る為にあらゆる対策をしなくてはならない。

その為なら王妃だろうが聖女だろうが利用してやる。

 

「どうする?決めるのはオリヴィア、お前だ。私を信用できないなら別に情報を渡さなくて構わん。どうせ私が関わっても成功する可能性は大して変わらん」

 

心の奥底に暗い感情が宿る。

我ながら随分と卑怯な物言いをしていると自覚している。

それでも私は私の大事な者を護りたい。

地獄に堕ちたとしても夫と子供達を護りたい。

その為ならどれだけ嘘に塗れようとも、どれほど大切な者以外の血が流されようとも構わない。

 

「分かりました。お願いしますアンジェリカ様」

 

オリヴィアが深々と頭を下げた。

重苦しい沈黙が部屋を部屋に満ちていく。

 

「いいのか?私はこの情報を公爵家に渡すかもしれん」

「裏切られたら裏切られたで仕方ありません。アンジェリカ様が私を嫌っているのは知っています」

「だったら尚更止めた方が良いだろう」

「この情報を提供してくれた方が仰っていました。『やれる事は全部やり尽くしたい』って。だから私もやれる事を全てやります」

 

照れくさそうにはにかむオリヴィアは正しく聖女なのだろう。

その姿を見た私の心に仄暗い何かが蠢く。

私はオリヴィアのように正しく真っ直ぐに生きられない。

己が手を穢しても自分の大切な者を護る。

そんな心をひた隠し、差し出されたオリヴィアの手を握り返す自分がひどく穢れているように思えた。




アンジェとオリヴィア、一時的に共闘。
原作本編のオリヴィアは聖女にならずリオンやアンジェに対して感情豊かですが、今作の聖女オリヴィアは浮世離れした部分が多めです。
その対になるアンジェは自分の大事な者の為なら手段を選ばないという、ある意味で悪役令嬢っぽさを出しました。
原作のアンジェは決闘騒動でリオンが護ってくれましたが、今作のアンジェは原作一巻の頃のドロドロとした負の感情がまだ少し残ってます。

追記:依頼主様のご依頼でfreedomexvss様とちーぞー様にイラスト化して頂きました。ありがとうございます。
freedomexvss様 https://www.pixiv.net/artworks/112497843
ちーぞー様 https://skeb.jp/@chizodazou/works/6

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第35章 My Darling

「そん時すぐ後ろでデカい音が。で、振り返ったら地面に砲弾がめり込んでました。我ながら悪運だけは強いなと思いましたよ」

「大変でしたね。基本的に鎧と艦艇は空戦が主で地上での戦闘は私も専門外でして」

 

慰霊祭の主宰と主賓が談笑する。

傍から見れば実に和やかな光景だ。

わざわざ王都から聖女を招致して戦没者を悼む慰霊祭を執り行ったのだ。

その働きを労い、感謝の言葉を述べ、少なからぬ返礼を贈るのはこの地を治める領主として当然の義務だ。

 

思えば私がバルトファルト領を訪れた当時のリオンは貴族として社交デビュー前の子供同然だった。

貴族としての基礎教育すら施されず、義父上が手ずから読み書き計算を教え、軍に入った後は独学で知識を磨いたのがリオンの受けた教育である。

決して野卑という訳ではないが貴族として最低限の振る舞いすら覚束ないリオンに一から礼儀作法を仕込んだのは私だった。

その甲斐あって余程厳しい社交の場を除いては危なっかしいが何とか滞りなく済ませられる半人前の領主になってくれた。

 

こうなると側室や愛人目当ての鬱陶しい奴ばらが押し寄せて来るものだがリオンに限ってはそんな浮ついた話は今まで無かった。

公爵家出身の私を妻に迎えたのも原因の一つではあるが最大の理由は外見だ。

リオンの顔には今も戦争で負った生々しい傷痕が刻まれている。

自らの手で命を奪い合う闘争から遠い貴族という身分で育った若い貴族令嬢にとってリオンは粗野で恐ろしく狂暴な成り上がり者と認識されたのだろう。

私以前に見合いを行った女達はリオンを恐れるか見下すばかりで決して彼を理解しようとしなかった。

全く以って愚かな連中である。

リオンという稀代の英雄を夫にする好機を手にしながらもむざむざ捨てるなど正気の沙汰とは思えない。

 

以前はリオンの良さを理解しない女達に腹が立ったものだが、今の私はこれで良いとさえ思っている。

リオンの素晴らしさは私だけが知っていればいい。

彼の優しさも、彼の賢さも、彼の強さも、彼の愛も。

その総てが私だけの物だ。

実の子にすら時折嫉妬してしまう時点でリオンに入れ揚げ過ぎているのは自覚してる。

だがどうしようもない。

閨の睦言で愛を囁かれる度にどうしようもなく身も心も蕩けて総てを受け入れてしまう程に私はリオンに惚れ抜いている。

 

 

「あのでっかい怪物が目の前の横切った時は死んだと思いましたよ。こうして生きてるのはオリヴィア様のおかげです」

「私だけの力じゃありません。リオン様だけじゃなくて皆さんが頑張ってくれたから私も生き残れたと思います。誰が欠けてもあの戦場は勝てません」

 

だからこそ受け入れるしかないこの状況が何より苦痛で仕方ない。

リオンはファンオース公国との二度に渡る戦争に従軍していた。

オリヴィアも参加のみならず一度目ではフォンオース公国の総大将ヘルトルーデ・セラ・ファンオースを討ち取り、二度目では多大な犠牲を払いながら超大型の魔物を倒した後にヘルトラウダ・セラ・ファンオースを捕縛した。

誇張無しにオリヴィア達の活躍抜きにホルファート王国の勝利はありえなかった。

 

そしてリオンもまたオリヴィアの勝利に少なからぬ影響を与えている。

もし一度目の戦争はリオンの奇襲が成功しなければ公国軍はそのまま王都へ侵攻するか本軍へ合流しオリヴィア達は敗れていたかもしれない。

二度目の戦争でリオンが王国兵の損耗を減らさなければ大量に召喚された魔物によって王家の舟が出陣する前に勝負が決していた可能性もある。

 

同じ戦場を戦い抜いた者同士しか分からない友情という物は確かに存在するらしい。

その点を踏まえれば確かにリオンとオリヴィアは戦友だった。

婚約前は王都の公爵邸で王家への呪詛を呟きながら戦争を他人事のように感じ、結婚後は戦場に赴いた夫の無事を祈るしか出来なかったのが戦時の私だ。

どうしても国を護る為に戦った者に対し気後れしてしまう。

もう何杯目になるか分からない紅茶を飲みながらただ早く時が過ぎ去るのを待ち続ける。

 

「オリヴィア様、そろそろお時間かと」

 

会話を続けるリオンとオリヴィアの間にマリエが割って入った。

よくやったマリエ。

王都に帰還する時に付け届けとしてマリエに食べ物を多めに贈ろう。

 

「あぁ、そうですね。もうこんな時間ですし移動しなきゃ。リオン様もアンジェリカ様もありがとうございました」

「此方こそ有意義な時間を過ごせました。近隣の領主を代表してお礼申し上げます」

「……ありがとうございます」

 

……リオン、随分と手馴れたように挨拶するじゃないか?

私にいろいろ躾けられた時はいちいち文句を垂れ、叱られれば渋々と従ってたくせにオリヴィア相手だとこうも礼儀正しく振る舞えるか。

苛立ちを抑えるべく息を深く吸い込み、怒りと共に吸い込んだ空気を吐き出す。

落ち着くのだアンジェリカ・フォウ・バルトファルト。

此処で感情に身を任せては嘗て婚約破棄された時の再現に他ならない。

 

リオンは私を愛している。

それは紛れない事実だ。

救国の聖女で可愛らしいオリヴィアを前にして少しだけ舞い上がっているだけだ。

認めよう、確かにオリヴィアは気立てが良いし賢く可愛らしい女で多くの男を無自覚に魅了する存在だ。

だが私とて次期王妃に為るべく長年に渡って最高峰の教育を施され、美貌を保つ為の様々な知識や実技を与えられた。

私はリオンの妻だし、私はリオンの子産んでるし、私はバルトファルト領の経営に尽力してるし、私は妊娠してからは控えてるけど数日に一回は必ずリオンに求められてるし。

 

私負けてない。

リオンは私を愛している、私もリオンを愛している。

だから何の問題も無い。

リオンとユリウス殿下は違うのだから。

邸内を並んで歩くリオンとオリヴィアの背中を見てそう己に言い聞かせた。

胸の中の迷いは一向に晴れなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

アンジェが怒ってる。

凄く怒ってる。

俺がオリヴィア様と話してた時からずっと俺の隣で不機嫌で怒りのオーラが滲み出てた。

アンジェが俺に怒るのは大抵俺がなんかしでかした時だ。

そんな時は呆れ半分怒り半分で実はそれほど怒ってない。

出来の悪い弟を叱るようにダメな部分を教えてどうすれば良いか丁寧に教えてくれる。

本当にデカい失敗を俺がやらかして落ち込んだ時は優しく慰めてくれるし。

あの大きなおっぱいに顔を埋めて甘えると後悔とか疲れとか全部吹っ飛んで明日から頑張ろうって気にさせてくれる。

俺の嫁最高。

 

そんな最愛最高の嫁が頗る不機嫌ときたもんだ、泣きたい。

俺また何かやらかしたか?

確かに慰霊祭の進行は主催者として足りない部分も多かったし、その後のパーティーで危うく来賓の名前を間違えそうになったよ。

でも俺頑張ったじゃん、すっごく頑張ったぞ俺。

絶対にアンジェがここまで不機嫌になる失敗してないぞ。

たぶんしてないと自分では思う。

おそらく、きっと、おおかた、してないといいな。

溜め息をついて玄関までオリヴィア様御一行を案内する。

これから聖女様がお泊りになる当家自慢の温泉宿を紹介しなきゃいけない。

 

「ちちうえ」

「ははうえ」

 

家の中を駆け回ってた双子が俺達を見て近寄ってくる。

父さんと母さんに預けてたのに逃げ出したらしい。

子供ってのは何処にこんな小さい体の何処に燥ぎ回れる体力があるんだろう?

 

「ライオネル、アリエル。パパとママはお仕事だからおじいちゃまの所へ行きなさい」

「え~」

「や~」

 

見るからに機嫌を損ねて駄々を捏ねる俺達の子供。

これでも母親のアンジェより扱いが簡単だから困る。

そんな愛らしい舌ったらずな口調でお願いしても無理だぞ。

 

「私は構いませんよ」

 

わぁオリヴィア様。

アンタ、実は無自覚に状況を悪化させるタイプだな。

後ろのマリエがすっげえ嫌な顔してんぞ。

喜んで俺の足に絡みつく双子。

こっそりアンジェの様子を伺うけどなんか白けた顔でこっちを見てる。

いつもなら子供を叱りつけて行動を制限してくれるのにその気すらないらしい。 

嫁がとても冷たい、本当に何をしでかしたんだよ俺。

 

表に用意した馬車にオリヴィア様とマリエを乗せて他の従者や護衛達は別の馬車や徒歩で移動する予定だ。

この賓客用の馬車にはオリヴィア様と従者のマリエ、そして領主の俺とその妻のアンジェが乗る段取りになってる。

うちの御者と馬丁が恭しく礼をして馬車の扉を開けた。

乗り込む順番は身分や性別が優先されるのがマナーなんでオリヴィア様、マリエ、アンジェ、俺の順だ。

女性陣三人が乗り込んだ所で双子もアンジェに続いて乗り込んできやがった。

本当にアンジェが注意しないと止まらないなコイツら。

滅多に乗れない来賓用馬車の内装に夢中だ。

やれやれと馬車に乗り込もうとした瞬間に冷たい視線が突き刺さる。

 

「リオンは別の馬車で来い」

 

……俺、本当に何かした?

ここまでアンジェに冷たくされたら本気で泣きたい。

 

「いや、来賓を案内するのは主催者の義務じゃん」

「馬車は子供達を乗せたら手狭だ。男なら別の馬車でも問題無い」

「あ、なら私が降りますんで」

「「や〜〜〜!!」」

「お坊ちゃまお嬢様!髪を引っ張るのは止めてってば!」

 

気を利かせたマリエは双子の前に轟沈した。

いくらなんでもそんな無茶が通る筈ないだろ。

そもそも来賓用に作られた馬車はかなりの大きさだ。

子供二人が増えた所で問題なく走れる。

空いてるアンジェの隣席に座るとあからさまに嫌な顔をされた。

仕方ねぇだろ、俺はアンジェの旦那だし。

俺の溜息は御者の鳴らした出発の鐘で掻き消された。

これから宿に向かうまでアンジェとどうやって仲直りしよう?

 

 

「アハハハ!」

「ふぉぼっひゃま、ふゃなをにひぃひゃなひへぇくひぁはい」

 

ライオネルに鼻を掴まれたマリエが何か呟いてるがよく分からない。

 

「きれ〜 きれ〜」

「お嬢様、褒めてくれるの嬉しいけど髪を引っ張るのは止めて」

 

アリエルがマリエの髪を強い力で撫でつける。

俺の子供はよほどマリエが気に入ったのか両親の俺達やオリヴィア様を無視してずっと絡んだままだ。

流石にひどい時は俺が止めるけどオリヴィア様は基本的にニコニコと微笑ましく見ているだけでアンジェは我関せずを貫いてる。

来客と子供二人の面倒を同時に見るなんて俺には無理だ。

視線でアンジェに協力を促しても素っ気なく返される。

もう嫌だ、おうち帰る。

 

「ライオネルくん、アリエルちゃん」

 

オリヴィア様が双子に声をかけると手を差し伸べる。

その指先に淡い輝きが灯るとゆっくり明滅しながら指先を移動していく。

微細な魔力制御による魔力制御だ。

俺は貴族として平均以下の魔力値な上に大した訓練を受けてないからあんな器用な真似は出来ない。

アンジェは炎属性魔法に適性があるらしいけど一流には及ばない。

オリヴィア様が放つ光に興味津々なライオネルとアリエルは漸くマリエを解放した。

双子の世話をしなくていい隙を見て俺もアンジェの耳元に口を近付ける。

 

「アンジェ」

「……」

「アンジェってば」

「……どうした」

 

気怠げに車窓から外の風景を眺めてたアンジェの反応が冷たい。

露骨に嫌な顔されて泣きたくなるけど此処で諦めたらダメだから覚悟を決めて尋ねる。

 

「俺、何かした?」

「何かしたとは?」

「いや、だってずっと不機嫌じゃん」

「別にいつもと変わりあるまい」

 

どう見ても不機嫌じゃん、不機嫌丸出しじゃん。

俺への口調が突き放す感じだし子供達も放置したままじゃん。

普段は貴族の鑑みたいな隙の無さなのに投げやりで露骨に手を抜いてるだろ。

 

「怒ってる?」

「怒ってない」

「どう見ても怒ってるだろ」

「私の、いったい、どこが、怒ってるように見える」

 

怒ってるだろ。

その態度、誰が見ても全員が怒ってると判断するだろ。

喉の奥までそんな言葉が出掛かったけど必死に押しとどめる。

こんな時のアンジェを深く追求したら間違いなくもっと不機嫌になる。

アンジェとは三年、いや四年以上の付き合いだけどそれ位の判断は女心に疎い俺にだって分かる。

姉貴とフィンリーは俺が文句を言えば五倍ぐらい言い返すけどアンジェはほとんど言い返さない。

その代わり口数が少ないのに反比例して丁寧に心を抉ってくるけど。

 

流石に来賓の前で夫婦喧嘩は避けたかった。

普段なら恥も外聞もなくアンジェに平謝りして許してもらうんだけどこの状況じゃそれも無理っぽい。

やっぱ出世なんかしたくない。

ただの平民として生きていくのが一番俺の性に合う。

宿に辿り着くまでにアンジェの機嫌が直れば良いんだけどなぁ。

 

 

馬車の外から目的地到着のベルが鳴り響く。

結局宿に到着するまでアンジェの怒りは治まらないまま終わっちまった。

俺の役立たず、ライオネルとアリエルもお願いするからパパとママの仲直りに協力してくれよ。

どんなにつらくても顔に出しちゃいけないのが世知辛い貴族家業だ。

溜め息を圧し殺して開かれた扉から降りると宿の従業員が御出迎えときた。

馬車は男が周囲を確認してから最後に乗って、男が最初に降りて安全を確認してから女性をエスコートするのがマナーだ。

 

振り返ると今まさにオリヴィア様が馬車から降りようとしてる。

失礼が無いように手を差し出してゆっくり手を引く。

降りる時にオリヴィア様の体が揺れて馬車の中が見える。

ライオネルとアリエルを抱いたアンジェの瞳が俺を睨んでた。

ただ、アンジェの表情は今まで見た事が無いぐらい悲しそうだった。

アンジェの顔を見た瞬間、何かが腑に落ちた。

 

コレ言っても絶対アンジェは認めないよなぁ。

逆に怒りの炎に油を注いで手が付けられなくなるよなぁ。

でも慰めなきゃいけないだろ、俺アンジェの旦那だし。

たぶん怒られる、めっちゃ怒られる、しばらく口きいてくんないかも。

やらないとアンジェ不機嫌なままだもん。

仕方ない、やりますか。

オリヴィア様に次いでマリエ、その次に双子が降りて最後にアンジェだ。

足元で双子が急かすようにアンジェが降りるのを待つ。

俺が差し伸べた手にアンジェの手が触れた。

 

「アンジェ」

「……ん?」

 

何処か気の抜けた声を出したアンジェの隙を狙い素早く腰に手を回す。

そのまま力を込めて一気に引き寄せる。

アンジェの体が浮いた瞬間、その紅い唇に俺の唇を重ねた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

苛立っていたのが失敗だった。

私の教えた社交マナーをリオンがオリヴィアへ施す度に心の中が酷く騒めいた。

そんな事はあるまい、そう信じていても何処か気が沈んでいた。

子供達を抱き締める手に力が籠る。

私とリオンの愛の結晶、そう思っても心は晴れない。

だから注意が散漫になってしまう。

この地で聖女を狙う不届き者など存在しないと思い己の注意を怠った。

馬車を降りた子供達を確認して最後に馬車から降りる。

このままオリヴィアを接待するリオンを見続けるよりバルトファルト邸に戻った方が良いかもしれない。

そんな事を考え込んでいた。

 

「アンジェ」

「……ん?」

 

上の空で返事をしながらリオンの手を取る。

この手に私より先にオリヴィアが触れたと思うだけでドロドロとした負の感情が湧き上がる。

次の瞬間、猛烈な勢いで引き寄せられた。

何か唇に触れた感触に戸惑っていると目の前に私を見つめる瞳が在った。

 

バッッッチイィィィン!!!

 

蒼く高い空に何かを打つ音が木霊する。

私の右手が震えている。

先程まで触れていたリオンの唇は遠く離れていた。

 

「痛い」

「馬鹿な真似をするからだ!!」

 

何を考えてあんな真似をした?

周囲の目がある場所で接吻など恥を知らんのか貴様は。

叫び出したい衝動を無理やり鎮めるも放たれた言葉は微かに震えている。

頭に血が上り過ぎて正しく状況を判断できない。

どうしたら良いか分からず自分の鼓動だけがうるさくて耳障りだ。

 

「落ち込んでるから元気づけようと思ってさ」

「時と場所を考えろ馬鹿!!」

 

何考えてるんだこの男。

夫と言えどもやっていい時と場所を弁えろ。

何事かあったかと周囲の視線が私達に突き刺さる。

 

「何かありましたか?」

 

心配そうにオリヴィアが私達を見つめる。

そもそも、お前が来なければこんな事態になっていない。

睨みつけたいが流石に聖女に暴言を吐いては領主の妻としての品格が問われかねない。

 

「ちゅ~」

「ちゅ~」

「ライオネル、アリエル。止めろ」

「ちちうえとははうえ」

「ちゅ~」

 

ここぞとばかりに息子と娘に裏切られた。

いや、悪意は無いのだろう。

私達夫婦は朝起きた後と夜寝る前に必ずキスをしているし、家族四人で過ごしている合間に唇を重ねれた瞬間を子供達に幾度も見られている。

この二人はキスを単なる親愛表現と認識しているだけだ、決して両親を冷やかすような真似をしている訳ではない。

周囲に視線を送るとオリヴィア達は同然だが宿の従業員、護衛の神殿騎士までが何事かと注目している。

羞恥で頬が熱くなるのを誤魔化すように歩みを進める。

 

「アンジェ、俺が案内するはずじゃ」

「いらん!!貴様は其処でライオネルとアリエルの子守りをしろ!!」

「……わかりました」

 

落ち込むぐらいなら最初からやるな馬鹿。

楽しそうに私を見つめるオリヴィアとマリエが憎たらしい。

もういい、ここから先は私が主導する。

リオンは子供達を大人しくさせていればいいんだ。

憤りを胸に仕舞い大股で宿へ来賓を案内する。

振り返ると小さくなった夫と子供達が目に入る。

こんなにも心が乱れているのに、何処か幸せを感じて私の口元が柔らかく緩んだ。

 

 

温泉の効用は基本的に何処も似たり寄ったりになってしまう。

大抵の病は清潔を保ち、患部を温め、血行を良くする事で新陳代謝を促せば肉体に備わっている免疫力や回復力によって軽減する。

温泉の成分やその地の気候風土によって効用に差は出るが、不治の病を癒す程の効用は期待できない。

 

バルトファルト領の温泉が王国内で存在を認知されたのは宣伝力による所が大きい。

王国から傷病兵の療養施設という名目で援助させ、公爵家から人材と資金を借り受け手広く宣伝を行う事で一時的な集客を目論んだ。

この地を治めるリオンが戦争の負傷により弱っていた心身が温泉によって快癒したというのは私達が作り上げた幻想に過ぎない。

実際には温泉は単なる治療手段の一つであり、私が行った献身的な介護と公爵家御用達の医師による継続的な治療とリオン本人の生命力の産物だ。

 

この地にオリヴィアを招いた理由の一つにバルトファルト領の箔付けがある。

今のオリヴィアはファンオース公国との戦争を終結させた救国の聖女だ。

神殿の思惑はさておいても人々から慕われているのは紛れもない事実。

ならばその求心力をバルトファルト領の宣伝に利用した所で何ら問題は無いだろう。

そうした思惑の下に賓客用の宿をオリヴィア達の為に領主権限でわざわざ貸しきった。

ただでさえ今回の戦争で各地の領主は懐具合が寒いのだ。

少しでもこの地で生きる者達に為に聖女殿には存分に働いてもらうべきだ。

 

 

「ア゛~~~ッ。まさか温泉に入れるなんて思いませんでした」

「いつもは女官用の大浴場だもんね」

「私もそっちが良いんですけど」

「聖女様が女官や侍女と同じ扱いなんて神殿の権威を気にするお偉いさんは認めませんって」

 

賓客専用の女性浴室にはオリヴィア達三人と私とアリエルが入浴してる。

男性浴室にはリオンとライオネル、そしてカイルが使う予定だ。

五人で使うには広すぎる浴室にオリヴィア達は想像以上に少し燥いでいた。

 

「この温泉の効用って何ですか~?」

「怪我、冷え性、筋肉や関節の痛み、月経不順、整腸作用、美肌」

「良いですね、一泊だけじゃなくてしばらく泊まりたいです」

「あとは気の病と不妊かな」

「「「不妊……」」」

 

三人の視線が私が抱いているアリエルに向けられる。

いや、向いているのはアリエルの下にある私の体の方か。

 

「その、アンジェリカ様のご懐妊は温泉の効用なんでしょうか?」

「カーラ、どうしてそうなる」

「だってどう考えても私達と同い歳で三人目は多いかと」

「いえ、平民の女の子でも十代半ばで産む人もいるよマリエさん」

「ちなみにアンジェリカ様は結婚何年目ですか?」

「……三年と少し」

「オリヴィア様、カーラさん聞きました!?一年に一人のペースですよ!絶対に温泉の効用ですって!」

「失礼だよマリエさん、リオン様とアンジェリカ様が仲睦まじいのはさっき見たでしょう」

 

私をそっちのけで姦しく会話する三人。

オリヴィアめ、流石は聖女だけあって推察力がある。

確かに結婚前の私達は情欲に支配された獣だった。

リオンは戦争で受けた心身の傷を、私は婚約破棄による悲嘆と憤怒を癒す為に互いに好意を抱いてると自覚した時点でひたすら体の繋がりを求めた。

仕事や食事等の必要な時間を除き暇を見つけてはあの別宅で肉の悦びに耽溺していた。

 

そもそも、この浴室で激しく交わった事すらある。

初めての妊娠も挙式の前なのか後なのか今を以って不明なぐらい結婚前の私達は悦楽の虜になっていた。

いかん、思い出したら体の奥が火照ってくる。

不思議そうに私を見る娘の曇り無き瞳が痛い。

 

「アンジェリカ様」

「なんだオリヴィア」

「幸せですか?」

「どうだろうな、王都の奴らから見れば落魄れた悪女の末路に見てるのかもしれん」

「学園に居た頃に比べてリオン様とご成婚された後の御顔が随分と変わられています」

 

それはどうだろうな。

以前の私を知らないリオンは事あるごとに私が怖いと恐れる。

 

「王都ではアンジェリカ様の噂が極端過ぎて自分の目で確かめないとどっちが本当なのか分かりません」

「どんな噂だ」

「私が聞いたのは公爵家の性格が悪い令嬢アンジェリカは聖女オリヴィアに楯突いた罰として性格の悪く好色な成り上がり者の醜い田舎領主と結婚させられて無理やり子供を産まされるような落魄れた暮らしを送っているですね」

「その噂流してたのフランプトン侯爵の手下と公爵家を嫌ってる王家派の連中ですカーラさん。私が仕入れた噂は心と体を病んだバルトファルト卿を婚約者になったアンジェリカ様が癒して辺境でご活躍してるって感じです。こっちは公爵家が中心に広めたみたいだけど」

「こんな感じの噂ですから自分の目で見るまで納得できなかったんです」

 

それらの噂が王都に流布しているのは知っている。

尤も前者の方はフランプトン侯爵と公国の繋がりが発覚して以来、公爵家に対する悪質な印象操作として厳しく取り締まられた筈だが未だに信じている輩も居るらしい。

 

「あの騒動でアンジェリカ様が婚約破棄された後悩みました。私のせいで大変な事になってしまって。何度も公爵家を訪ねましたけど門前払いされてしまいましたし、手紙を書いても全て返却されました」

「オリヴィア様、今でも馬鹿五人の元婚約者を心配してるんですよ」

「アトリー家の御令嬢には幾度もお手紙を出してますし。ステファニーが逮捕された時だって自分のせいで犯罪者になったんじゃないかって気に病んでました」

 

どうやら幾度もあの騒動の後に幾度も私と会う為に活動していたらしい。

おそらく父上や兄上が私を気遣って面会を拒んでいたようだ。

仕方あるまい、あの頃の私を振り返れば確かに怒りと怨みで憔悴しオリヴィアを目の前にしたら何を仕出かしたか自分でも分からない。

 

「アンジェリカ様が王都を離れて婚約された時もかなり悪い噂が流れていたんです。あんな事にならなければきっと立派な王妃になられていた筈なのに」

「今の私に王妃の座について未練はほぼ無い。寧ろ殿下との婚約が破棄されたおかげで得難い伴侶を見つけられた」

「安心しました」

 

何事も起きずユリウス殿下との婚約を継続しそのまま結婚する嘗て思い描いていた幸せな未来は既に霧散していた。

王都の公爵邸に残り延々と王家を怨みながら過ごしていても片田舎で苦労している今の生活ほどの充実感が得られたとはとても思えない。

あの日、父上が持って来た縁談を拒まず良かったと断言できる。

 

「お前の方こそいったい誰と結婚するつもりなんだ?」

「私は聖女ですよ。この国の人達の為に働くのが役目です。誰かの妻になるなんて考えていません」

 

マリエとカーラに視線を移すと二人は静かに頷いていた。

平民出身のオリヴィアの箔付けを企てたユリウス殿下を筆頭とした五人の貴族令息。

公爵家を追いやる為にオリヴィアの力の悪用を目論んだフランプトン侯爵。

聖女の名声を利用して体のいい傀儡にするべく裏で暗躍する神殿。

そしてオリヴィアの影響力を取り込み王位の簒奪を狙うレッドグレイブ公爵家。

彼ら全員がオリヴィア個人の資質を見誤り侮っているのだろう。

オリヴィアは聖女の地位に相応しい賢く強い女だと敵対した私でさえも認めざる得ない。

既に力ある者の庇護が無ければ生きていけない弱々しい平民の小娘ではないのだ。

 

ユリウス殿下も憐れなものだ。

オリヴィアに恋心を抱いた所で報われる日は決して訪れないだろう。

私と婚約破棄しなければ確実にホルファート王国の王座を継承し、権力でオリヴィアを側室にするのも聖女としてのオリヴィアを国を挙げて支援する事すら可能だった。

一刻の感情のまま行動した結末は廃嫡同然の扱いと腕っぷしだけが取り柄という周囲の冷たい視線だ。

国の危機を退けた英雄を粗略に扱う訳にもいかず王宮も扱いに苦慮しているだろう。

 

「オリヴィア」

「はい」

「バルトファルト領の民を代表して礼を言う。この国を救ってくれたお前の働きに心から感謝する」

「私は当然の事をしただけです」

「それでもお前が戦わなければリオンは戦場で息絶えていた。私と出会う事さえ無くこの子達も存在しないかった。今度の戦いでもライオネルとアリエルは父を失う所だったぞ。お前のお陰で救われた人々、生まれた命が確かに存在している。それをお前はもっと誇るべきだ」

 

最期まで告げて私はオリヴィアに首を垂れる。

あの婚約破棄騒動から五年は経っていた。

怨讐も悲しみも未だ私の心の何処かに燻り続けている。

それは切り離せない私の一部だ。

だけどそれ以外に愛情も喜びも確かに存在している。

受けた屈辱もいつかは笑って思い出せる日々が訪れるのかもしれない。

そろそろ煩悶を抱えたまま生きるよりも過去の失態を糧に新しい一歩を踏み出しても良い頃合いだ。

 

「ありがとう」

 

もう一度、頭を下げて心からの謝意を伝える。

 

「止めてくださいアンジェリカ様。そんな事されても困ります」

「とは言ってもお前は聖女だ。本来は単なる子爵夫人が対等の口を利ける存在ではない」

「だったら私も敬称を控えます。じゃあアンジェリカさん?」

「控えると言っておきながら『さん』呼びか。まぁお前らしいな」

 

この場にいる皆が微笑んでいた。

ふと頭を上げると夜空に幾つもの星が瞬いていた。

リオンの過去を知ったあの日、見上げた空には同じように星が夜空を彩っていた。

オリヴィアがこの国を照らす太陽ならば私は地平線の近くで朧気に見える星だ。

それで構わない。

私の隣には小さく輝く星が一つだけある。

誰からも目を惹かれない屑星でも、私を隣にあの星が煌いてるだけで幸せだ。

いつになく感傷的な想いに浸りながら私は抱き締めているアリエルを優しく撫でた。

 

 

「ライオネル、パパはお前の将来について凄く悩んでいる」

「う~?」

「世の中にはな、越えてはいけない一線ってもんが存在してるんだ。兄弟姉妹で結婚しちゃいけないとか、打ち負かした相手を過剰に攻撃し続けるとか」

「あ~?」

「女湯に男が入る。これは人間に理性が生まれた時から禁止されるやっちゃいけない事なんだぞ」

「え~?」

「確かにママのおっぱいは魅力的だ。張りがあって柔らかくて大きくて最高だ。だけどな、ママのおっぱいはパパの物だ。お前達を育てる為に我慢して貸してるんだぞ。それを忘れちゃダメだ」

「い~?」

「オリヴィア様は確かに美人だけど子供だからって聖女の裸を見るのはご法度なんだ。あとマリエはパパとママと同い歳だから騙されちゃいかん」

「お~?」

「だからお前も女湯に入れなかったぐらいで泣くな。そんな事をしてると俺の跡を継げなくなっちゃうぞ」

「ぶ~?」

 

((真面目な顔で何を言ってんだこの人……))

 

一方その頃、この地の領主とその長男が浸かっている湯船に同伴していたエルフの青年はさっさと浴室から出ようと心に誓っていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「行っちまったな」

「あぁ」

 

飛行船が駆動音を鳴り響かせながらゆっくりと地を離れ飛び立つ。

神殿特注の聖女専用飛行船を護衛船が左右を固めながら少しずつ空に溶けるように小さくなっていく。

 

慰霊祭の翌日、オリヴィア達は王都へ帰還する。

ささやかな品々と感謝の言葉をオリヴィアへ贈りその後ろ姿を見送った。

双子はマリエと離れるのが余程嫌だったらしい。

こっそりバルトファルト邸から出発しようとすれば泣き叫び私達の服を掴んで離さず、渋々同行させれば別れの時になってもマリエにずっとしがみついていた。

出会いが在れば別れも在る。

次にオリヴィアと会うのはいつの日になるか、或いはもう二度と会う事さえ無いのかもしれない。

だからこそ感謝の言葉を告げて良かった。

お互いに相手への懊悩を抱えたまま生きるには私達の関係は歪つ過ぎた。

 

「漸く一段落かな?」

「まだ後始末が残っている。それにもうすぐ収穫期だぞ。戦争で失った貯えを少しでも取り戻さなくては」

「いつになったら金の心配をしなくて済む隠居生活になるのかねぇ」

 

双子に泣きつかれ億劫そうに立ち上がるリオンが何処か安心しているように見える。

 

「これから王都はどうなるんだろうな?」

「それは分からん。私達に出来る事などたかが知れている。バルトファルト領の民が血を流さずに済むようにする程度が精々だろう」

「でも協力するのか」

「部外者としてこれから起きる未来を悩むよりも当事者として現在の流れを変えり為にもがき苦しむ方が幾分建設的だ」

「やれやれ」

 

立ち上がるリオンと視線が重なった。

思い返すと昨日キスされてから今日は忙しくて一度もキスをしていない。

このまま敗けっぱなしなのは私の矜持に関わる。

 

「リオン」

「ん?」

 

今度は私から唇を重ねた。

両手が双子で塞がっているリオンは為すがまま私のキスを受け入れるしかない。

さらにリオンの首に腕を回して距離を詰める。

やはり気持ちが通じてる相手との接吻は心が満たされる。

たっぷり数十秒の時間をかけ念入りに唇を絡め合うと私達が離れた頃にはリオンの唇に私の口紅がたっぷり付着していた。

 

「何すんだよ」

「昨日リオンが私にした事をやり返しただけだ」

「時と場所を選ぶんじゃないのか?」

「選んだぞ。私がキスしたくなったからした。感情のままに口付けるのもたまには悪くないな」

「どっちが破廉恥だか分かんねえぞ」

 

ぶつぶつと文句を言いながら馬車に向かうリオンの後を追う。

 

「家に帰ったら昨日の夜と今日の朝の分のキスも忘れずしてもらう」

「マジか」

「嫌か?」

「仰せのままに」

 

愛おしい旦那様と可愛い子供達に囲まれて

何気ない日常が堪らないほど幸せで

馬車に乗り込んだ後、今度はリオンの頬に口付けた。




オリヴィアとアンジェの和解回。
原作の情報だと「悪役令嬢アンジェリカは性格の悪い田舎領主と結婚する」とは書かれていましたが、「二度とオリヴィアと会う事は無かった」「オリヴィアと和解しなかった」とは書かれていません。(屁理屈
実際に復讐のエネルギーは凄まじい力を生み出しますが、復讐を終えた後に残る者が無いと虚しいので悪役令嬢アンジェには愛しい旦那様と子供達を用意。
途中で言われている婚約中のアンジェとリオンが肉欲に溺れる日々はこちら(挿絵付き)になります。https://syosetu.org/novel/312750/(成人向け注意
初代聖女に乗っ取られていない聖女オリヴィアと元悪役令嬢アンジェを和解させるのはかなり苦労しました。
次章からは新展開です、『D』来襲。

追記:依頼主様のご依頼で鳥の巣様、行けたら行く様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
鳥の巣様https://www.pixiv.net/artworks/112591467(声優ネタ注意
行けたら行く様https://skeb.jp/@iketara_iku/works/6(成人向け注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第三部 団結編 (●は挿絵イラスト在り)
第36章 嵐を呼ぶ女●


「これが今年の予想収穫量。去年より少し減ってるんだが戦争があったのを考えたらむしろこれだけの影響だけで済んだのは奇跡だな」

「アンジェは勿論、父さんやコリンも働いてくれたからな。あんがとよ」

「これが食べ物の市場価格。やっぱり不足してるし流通も滞ってるから軒並み値上がりしてるね」

「国に収める税を除いたら領民を食わせる分が最優先だな。余った分は市場に回して少しでも稼ぎたかったけどこれじゃ無理っぽい」

「餓死者を出さないのが最優先にする。何処も人手不足だから人口が減るのだけは避けたい」

「戦争で死んだ人達の家族を養わないと不味いぞ」

「いざとなりゃ弔慰金だけじゃなくて食料も渡さなきゃな」

 

執務室のソファーと椅子に男三人が雁首揃えて座りながら書類の整理と情報交換に明け暮れる。

慰霊祭から約半月、そろそろ秋の訪れが感じられるバルトファルト領は収穫期を迎えてた。

実りの季節は心が浮き立つもんだけど、それはあくまで平民や商人にとってだ。

その地を治める領主にとっちゃ収穫量に適しただけの税を算出して領民から徴収しなきゃいけない。

 

どんなに善人でも金を取り立てる奴は嫌われるのが世の常だ。

何も悪い事してないのに護ってるはずの領民に恨まれるから領主なんて貧乏くじ以外の何物でもないな。

今年は凶作だけは避けられたけど、公国との戦争で金と人手を失った。

よりにもよって農繁期に攻めて来やがって公国の馬鹿野郎。

それも戦略の一つなんだろうけど迷惑過ぎるぞ。

アンジェは政治には長けてるけど農業に関しては素人だ。

俺と兄さんが居ない間に父さんが頑張ってくれたおかげでとりあえずギリギリ経営破綻だけは避けられた。

 

だからって安心できる訳でもない。

公爵家からの借り入れは利息を払うだけで精一杯だし、温泉施設の修理保全は常に金がかかる。

聖女オリヴィア様の来訪でバルトファルト領を訪れる観光客は増えたけどいつまで続くか分からない。

国内で争いが起きたらバルトファルト領の開拓と経営は間違いなく失敗に終わっちまう。

それが分かってるから俺とアンジェは王家と公爵家の争いを止めようと思っている。

 

「どうしたの兄さん?」

「なんでもねぇ、少し考えてただけだ」

「アンジェリカさんがいないからって無理するな。そろそろ仕事より出産に備える時期だろう」

 

俺達夫婦が王都の争いに巻き込まれてるのをバルトファルト家の皆は知らない。

話しても混乱させるだけだし、下手に関わったら失敗した時にどんな目に会うか分からないからだ。

申し訳ないと思いつつ巻き込まずに済んで少しだけ安心してる。

どうやらそれをアンジェが居ないせいで空回りしてると思われたらしい。

 

「そろそろ腹も膨れて仕事に差し支える時期だ。俺も母さんを世話してたからよく分かる」

「でも僕達三人が協力するよりもアンジェリカさん一人の方が効率良いんだよね」

「それを言うなよ」

 

アンジェは優秀だ、優秀過ぎるほど優秀だ。

次期王妃の為の教育を子供の頃から仕込まれてただけあって政治や経済について精通してる。

おまけに公爵家との伝手があるから大抵の無茶は押し通してしまう。

アンジェが居なければバルトファルト領の経営はすぐに破綻していたか、或いは悪徳商人達の食い物にされてただろう。

おまけに可愛くて美人でおっぱいがデカい。

完璧かよ、俺の嫁。

もうダメ、アンジェが愛し過ぎて俺死にそう。

 

だから子供が多いのは仕方ない事なんだ、これもアンジェが魅力的なのが悪い、俺は無罪。

立ち上がって窓の外を見ると何日か前までは実った麦穂で黄金に輝いてた場所は茶褐色に染まってた。

これから農閑期だからしばらく領内の農作業は落ち着く。

本当なら二毛作を試したいけどまだバルトファルト領は開拓途中だし、何より戦争の被害で疲れてる領内を無理に働かせるのは逆に生産力が落ちかねない。

冬の期間に出来る仕事を幾つか見つけなきゃいけないな。

足下に視線を移すと庭でアンジェが双子と戯れてるのが見える。

今日のアンジェは休みだから代わり俺が領主として頑張るしかない。

 

「今のうちに片づけられるだけ片付けた方が良いな」

「やっぱり秘書とか代官とか事務員雇おうよ。うちの家族だけじゃ限界があるし」

「戦争で爵位を剥奪された家から大量に使用人が解雇されたけどな、出来の良い奴らは引っ張りだこですぐに再就職先が見つかってる」

「残ってるのは役に立たないか、裏で横領してる守銭奴か、人格に問題があるような輩だ。そんな連中雇ったらどうなるか分からねぇぞ」

「また公爵家から人を寄越してもらえば?」

「これ以上借りを作りたくない。下手すりゃ俺達より公爵家に忠誠を誓ってる奴が来る」

 

公爵様(おやじさん)は頼りにはなるけど恐ろしい人だ。

俺の地位と能力は買ってるかもしれないけど俺個人については大して期待してない。

あの人にとって俺は単なる政争の駒であって腹を割って話す娘婿とは思ってないだろう。

いろいろ融通してくれるのだって娘と孫達に楽をさせたいのと俺に借りを作って縛り付ける為だ。

下手に関わり合いが深いと何か起きた時に逆らえなくて巻き込まれる、というか既に巻き込まれてる。

 

「公爵家以外の貴族と繋がりが欲しいな。公爵家ほどデカくなくていい。いざという時に少しだけ助けてくれるぐらいの」

「そんな都合の良い話が転がってると思う?」

「兄さん、どっかの令嬢と結婚する気ない?」

「王都に行って懲りた。俺は気立てが良い平民の娘と結婚する。継ぐのは男爵位だから平民と結婚してもそんなに不都合はない」

「じゃあコリン、どっかに婿入りしないか?」

「しても良いけどさ、兄さんにそんなコネある?」

「……無い」

「ダメじゃん」

「でも結婚は良いぞ、綺麗な嫁と可愛い子供の為なら幾らでも頑張れるんだ!」

「それ、兄さんが幸運過ぎるだけだって分かってないの」

「俺がお前の年頃には婚約してたぞ!」

「半死半生だったじゃん、アンジェリカさん居なきゃ死んでたんじゃ?」

 

弟が辛辣過ぎる、昔の素直で優しいお前は何処に行っちまったんだよ。

 

「俺達よりジェナとフィンリーを嫁入りさせるのが先決だろ。いい加減相手を見つけないとマズい」

「どっかの貴族から性格の良い次男三男が来ないかなぁ。今ならバルトファルト領の仕事も任せて出世のチャンスだぞ」

「姉さん達は貴族の正室になる気満々だよ」

「そろそろ現実を見ろよアイツら。貴族の女なんて今じゃ溢れかえって女が余りまくってんだぞ」

 

ファンオース公国との戦争でホルファート王国の貴族男性は激減した。

真っ当で戦争に参加した奴らは命を落とし、逃げ出したり裏切った奴らは全てを没収されるか処刑の二択。

その結果として生き残った真っ当な貴族と結婚できる確率は軒並み上がり続けてる。

一方で俺と同じように成り上がった奴も多いが、そんな連中は血の気が多くて最低限のマナーすら知らない乱暴者が大多数。

そんな連中とさえ涙を呑んで結婚する令嬢が多いのにうちの姉妹は高望みが過ぎる。

 

「男は女より適齢期が長いからな。アイツらも可哀想と言えば可哀想なんだ」

「兄さんは何だかんだ言って家族に甘いから」

「あいつらの縁談についてはそのうち家族全員で話し合った方がいい」

 

机の上の書類は二人のお陰で大分片付いてくれた。

後は俺がしっかり目を通して判を押すだけだ。

 

「じゃ、僕はこれから商会の人と話し合いに行くね。兄さんは机に置いてある手紙に目を通して」

「分かった、しっかり頼む」

 

退室するコリンの背中を兄さんと一緒に見送る。

コリンも随分と頼もしい男に育ってくれた。

兄としては弟の頑張りに対して報いたくなるってもんだ。

 

「コリンも成長したな」

「そうだな」

「せめて良い結婚相手を探してやるか、準男爵ぐらいにしてやりたいね」

「そう急ぐ必要もないだろ、まだ若いんだぞ」

「逆に兄さんは結婚しないのか?」

「相手がいない。どれだけ背伸びしても俺は次期男爵でギリギリ貴族って男だ。何でそんなに結婚を急かすんだよ」

「兄より先に結婚して子供作ったから遠慮してんの。あとバルトファルト家の家督についてアンジェにいろいろ言われた」

「アンジェリカさんが?」

 

このバルトファルト領は俺が戦争の手柄として爵位と同時に貰った物だ。

本来は『初代バルトファルト子爵家』として俺が全部統治する筈だったけど、戦争の論功行賞で少し厄介な部分が生まれてる。

前の戦争は痛み分けで終わったから、王国は手柄を上げた奴らに与える褒美が足りないというなんとも情けない事態だ。

だから裏切り者の領地は没収、無能な奴らは小さな領地に転封、有能な奴らは一族丸ごと広い領地を与えるなんて大雑把なやり方で褒美と罰を与えた。

父さんが治めてた旧バルトファルト領は召し上げられ、未開拓のこの浮島を『バルトファルト一族の所領』として与えた。

 

このせいでバルトファルト子爵家とバルトファルト男爵家が同じ領地を治めている状態になっている。

国としちゃ未開拓の浮島からどれだけ税を徴収できるかも不明なんで、開拓がある程度進んだら面積やら人口で子爵家と男爵家に分けましょうという大雑把にも程がある処置を取られた。

面倒なのは本家扱いの男爵家を兄さんが継ぐ予定だけど、分家か新しい貴族扱いな子爵家の方が家格が上で一族全体の当主が俺という事だ。

 

「アンジェは子爵家と男爵家の立ち場をハッキリさせた上で仲良くしないと後々面倒な事になりかねないって言ってる」

「この浮島はお前の手柄で貰ったもんだし、一族の当主もお前だろ。何の問題があるんだ?」

「俺達の代は仲良くても子や孫の代になったらどうなるか分からない。コリンみたいに家来同然な扱いをしてると一族が増えた時に不満に思う奴が出て家督争いが起こるかもしれないってさ」

「それと俺の結婚は関係ないだろ」

「俺の子孫と兄さんの子孫が仲良くする為に一番手っ取り早いのが結婚だってよ。上手くやれば子爵家と男爵家を併合して一つの家に出来るらしい」

「公爵家のお嬢様は俺達と視点が違うな、先の先まで考えてる」

 

この話を聞いた時は二十年三十年先まで考えてるアンジェは途轍もなく優秀だと実感した。

同時に自分の子供の結婚を政略に使うって考え方がどうにも納得できなかったけど。

 

「だから兄さん、さっさと結婚して子供作ってくれ」

「そんな理由で結婚すんのは断る。そもそも相手がいないって言ってんだろ」

「兄さんも高望みしてるのと大差ないぞ」

「いざとなりゃコリンに男爵家を継がせる。アイツなら喜んでお前の下になってくれるさ」

「俺としちゃ実の兄に幸せになって欲しいだけなんだよ」

「お前は自分の幸せだけ考えてろ。嫁さんと子供達を幸せにする事だけ考えてろ」

 

やれやれとばかりに溜め息を吐く兄さんが何処となく自棄っぱちにも見えた。

ぼんやり天井を見ながら子供時代を思い出す。

あの頃は俺も兄さんも自分が貴族になるなんて思っていなかった。

公国との戦争が無ければ俺達は平民に為っていた筈だ。

 

「リオン」

「何だよ兄さん」

「俺、昔からお前が苦手だったんだ」

「初めて聞いたぞ」

「一度も言ってないからな」

 

視線を俺に移して紅茶を啜る兄さんと俺の知ってる兄さんが別人みたいに見える。

 

「うちで一番才能あるのはお前だよ。昔からそうだった。近所のガキの中心にいたのはお前だったし、同年代の女の子は皆お前に惚れてた」

「そんな事ないさ。俺より賢い奴も強い奴も大勢いたし」

「あの頃のお前が勝てなかった連中が手柄を立てて子爵になれるか?誰もなれなかった。俺だってルトアートの奴が逃げ出さなきゃ男爵家を継げなかった。お前は自分の力だけで成り上がったんだよ」

「単に運良く生き残っただけだよ」

「バルトファルト領を上手く治めるなんて俺には無理だ。もし俺がこの地を貰ってアンジェリカさんと結婚してたとしてもお前以上の成果が出せない。自己評価を低く見積もるな」

「アンジェや兄さんが助けてくれるから上手くやれてんだぞ。変な事言うなよ」

「俺はお前やアンジェリカさんの手の届かない所をフォローしてるだけだ、子爵位は勿論男爵位だって荷が重い程度の器だ」

「それでも俺にとっては兄さんが必要なんだ。頼むから出来の悪い弟を助けてくれ」

 

どうにも話が湿っぽくて嫌な雰囲気だ。

俺は知らない間に兄さんを随分と傷付けて来たらしい。

 

「お前が家を出たって手紙が届いた時、俺は少しだけ安心した。『もうリオンと比べられなくて済む』ってな」

「ひっでえ話だな、おい」

「心配したのも本当だから許せ。そしたら軍隊に入って辺境で空賊相手に手柄立ててるらしいって手紙が来てな。こりゃお前に勝てねえって思った」

「兄さんは学園に通ってただろ。俺みたいな事しなくても良かったじゃん」

「親に用意してもらった道を何となく歩くのと自分で道を作り出して懸命に走るのは違うんだよ。昔からお前を見てる俺が言うんだ、間違いない」

「俺は俺で兄さんが好きだったぞ。いつもゾラ達から庇ってくれたし、勉強や遊びを教えてくれたから」

「いっそお前の性格が悪かったらマシなんだけどな。『兄ちゃん兄ちゃん』って俺の後ろに付きまとうんで嫌えなかった」

「そいつは悪かった、ごめんな兄ちゃん」

「いいよ、お前が可愛かったから許してやる」

 

苦笑してソファーから立ち上がった兄さんは愉快そうに笑ってる。

 

「弟の出来が良くても悪くても兄貴は苦労するんだよ。お前のやりたいようにやれ。俺には手助けしか出来ん」

「ありがとう。俺はまだ仕事があるんで此処に居る」

「俺は部屋で休んでるから用があったら来い」

「分かった」

 

一人きりになった執務室で机に積まれた書類に目を通して許可、再考、却下に分ける。

書類の内容をもう一度頭に叩き込んで判を押す。

アンジェなら半分以下の時間で終わらせる作業を黙々と熟し続ける。

心の何処かで兄さんの言葉を反芻する。

あんな事を考えてるなんて知らなかったな。

俺が思ってたよりも兄さんは深く考えて悩んでいたらしい。

それでも俺を助けてくれる兄さんには感謝しかない。

何処かに兄さんを幸せにしてくれる女の子がいないもんか。

そんな事を考えながら仕事に没頭した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

全ての書類を片付けて時計を見ると数時間経過している。

今日の仕事はこれでお終い、よく頑張った、偉いぞ俺。

早速アンジェに報告して褒めてもらおう。

領主のするべき行いじゃないかもしれないがこれは俺にとって必要な事だ。

仕事のストレスで夜眠れなくなったらバルトファルト領にどんな影響があるか分からない。

 

なのでアンジェに癒してもらって明日への英気を養うのだ。

薬より嫁の方が効き目良いから当然だよな、俺は悪くない。

そこまで思っていたのに別の机に置かれていた手紙の束を発見した。

せっかく休めると思ったのに中途半端に期待させやがって。

明日に回しても良いんだけど、アンジェに見つかったら何を言われるか分からない。

これさえ済めば休めるから気力を振り絞って手紙を見る。

他領からの手紙は慰霊祭への返礼ばっか、アンジェ宛ての手紙が一つ、他には商会やギルドからの取引の報告やら提案。

最期に一番デカい封筒を手に取る。

何が入ってるんだろうと封蠟の家紋と差出人の名前を見た途端に頭痛がした。

 

『レッドグレイブ公爵家』

 

どう考えてもトラブルの予感しかしない。

いっそゴミ箱に捨てて届かなかったとしらばっくれたい。

そんな事で誤魔化せないし、バレたらもっと酷い状況になるからやらないけど。

覚悟を決めて封を開けると装丁が豪華な冊子が入ってた。

 

恐る恐る開いてみると丹念な細工が施されてる高級紙特有の匂いが部屋に漂う。

中身は女性の写真だった。

写っているのは金髪碧眼の若い女だ。

たぶん二十代前半、いや半ばかな?

整った顔立ちに目鼻口が絶妙の配置でかなり、いや凄い美人。

アンジェには敵わないけど。

手入れの行き届いた髪や色艶の良い肌は育ちの良さが滲み出てる。

アンジェほどじゃないけど。

服の上からでも分かるぐらい豊かな胸と丸みを帯びた尻はそこら辺の娼婦より蠱惑的だ。

アンジェには負けるけど。

結論、俺の嫁最高。

 

いやいやいや、そうじゃないそうじゃない。

何で公爵家がこんな写真を贈って来たかが問題なんだ。

というかこれ、お見合い写真だろ。

何でこんな物が入ってるんだ?

 

『実力がある男なら複数の妻を娶るのも常識に成りつつある。妻が一人だけでは手の届かない場所もあるだろう』

 

あ、すげえ嫌な事思い出したぞ。

前に王都へ行った時に公爵が言った事だ。

貴族とコネを作る為にアンジェの以外の妻を娶れって言われた。

まだ諦めてなかったのか、あの公爵(おっさん)

こんな美人さんを送り込むとかどんだけ俺を手駒にしたいんだよ。

自分の娘婿にこんな下衆い真似すんな、アンジェの気持ちも考えやがれ。

でも見れば見るほど美人だなこの人。

どことなく近寄りがたい雰囲気だけどそれが一種の魅力になってる。

アンジェに出会う前だったらヤバかったかもしれない。

子供まで生まれた今じゃ効果無いけどさ。

公爵家には嫌味ったらしい感謝と辞退のお手紙を出させてもらいましょう。

 

「何を見ている?」

 

……死んだかな、俺?

最愛の嫁の言葉が処刑執行の号令に聞こえたよ。

俺の背後にはアンジェと双子が佇んでいた。

手紙の処理に夢中になって注意が疎かになってたらしい。

アンジェが持ってる金属製のトレイには紅茶と菓子が置かれた。

どうやら午後の間食を俺と一緒に過ごすつもりで双子と一緒に来たみたいだ。

平和な日常の細やかな幸せの筈なのに汗が次から次へと溢れてくる。

とりあえず息を整えて何でもない素振りをして誤魔化す。

 

「別に何も」

 

そう言って何とか机から引き離そうとしてるけど上手くいかない。

焦れば焦るほどアンジェは俺に疑いの視線を向けてくる。

 

「今期の税収の目途はついたか?」

「あぁ、それはさっきまで兄さんとコリンで話し合ってだいたいの予想はつきそ…」

 

アンジェが振った話題に正直答えようとしたテーブルの上に置いてあった書類に注意を向けたのが失敗だった。

素早く動いたアンジェは机に置いたお見合い写真を手に取った。

何も言わずお見合い写真を見つめるアンジェ、沈黙が痛くて怖い。

 

「ライオネル、アリエル。おじいちゃまの所に行ってなさい」

「え~?」

「う~!」

 

さっさと逃げろ二人とも。

ここからこの部屋は戦場になる、巻き込まれたくなかったら今すぐ逃げるんだ。

よちよちと部屋からゆっくり退避する双子、相変わらずアンジェは何も言わない。

強く生きろよ二人共、パパはこれから一度も勝てた事がない強敵に挑む。

その名はアンジェリカ・フォウ・バルトファルト、俺の妻です。

そもそも俺は何も悪くないじゃん。

こんな物を送って来た公爵家が悪いんだ

恥じる事無く正面から説き伏せたら良いんだ、何も問題ない。

ここはガツンって旦那の強さを見せてやる!

 

「離婚だけは勘弁してください」

 

見ろ!誠心誠意を込めた力強いお辞儀を!

声だって震えてないし内容も簡潔だ!

俺の気持ちは確かにアンジェに伝わってる!

……伝わってると良いな。

 

「したいのか離婚?」

「したくない、だから最初に謝っておきます」

 

別に負けた訳じゃないし、これはあくまで戦術撤退であり敗走では御座いません。

 

「まぁ良い。どうして彼女が選ばれたかが問題だ」

「知り合いなの?」

「王都に居た頃に少しな。彼女の妹とはそこそこ付き合いもあった」

「やっぱ良いとこの出身のお嬢様なのか」

「公爵家ほどではないがかなりの名門だ。歴史も長く王家との繋がりも深い。リオンが陞爵すれば爵位だけは並ぶがバルトファルト家とは比べ物にならない」

「そんな家が何でまた?公爵家は何考えてるんだよ」

「公爵家?これを送って来たのは父上なのか?」

 

お見合い写真が入った封筒を指差すとアンジェはゆっくり封筒を確認する。

すると中から小さな封筒が一つ出て来たからアンジェは封を開けた。

そっちの方は未確認だったな、デカいお見合い写真にばっか気を取られてた。

素早く目を通して内容を把握するアンジェ、やっぱり俺とは頭の出来が違う。

 

「バルトファルト家と繋がりを持ちたい名門貴族が居るから縁談を仲介したらしい。公爵家を通せば確実性が増すとの判断だ」

「何でまた公爵家が出張るんだ?」

「名門故に筋を通したのさ。今のバルトファルト家はレッドグレイブ家の寄子だ。勝手に縁談を結べばその力を削ぐ、或いは公爵家より深い関係を持とうとしているとトラブルになりかねない。だから公爵家に仲介してもらい悪意が無いと証明する必要があった」

「公爵家は納得したのか?」

「この家は名門だが必ずしも公爵家の派閥とは言えない。歴史が長い分人脈も広く深い。公爵家としても敵に回すには些か厄介だ」

「嫌だねぇ、何でも政治政治政治って考えるの。もっと気楽に生きたいぜ」

「今まで王家と公爵家の政争を中立に近い立場で傍観していた名家を味方に出来るかもしれない。父上からすれば派閥を強化できる上にバルトファルト家に恩を着せられる。流石は父上だ、余念が無い」

「それで?その側室候補の名前は?」

「側室?何を言ってる?縁談の相手は義兄上だ」

「え、そうなの?」

 

あ、墓穴掘ったな俺。

アンジェの機嫌が一気に悪くなった。

逃げ出したいけど逃げられない、馬鹿な事言わなきゃ良かった。

 

「つまり、リオンは彼女が自分の側室になると思った訳か?」

「いや、だって話の流れ的にそうなるじゃん。王都に行った時に公爵から側室を持てって薦められたし」

「手紙にはリオンが義兄上の縁談を望んでいたからわざわざ仲介したと書いてある。私は一言も聞いていないぞ」

「何だよそれ、どうしてそんな話が…」

 

『兄は未だ婚約者も決まっていないのに私だけ何人も妻を娶るのは外聞がよくありません』

『ふむ、兄君は未婚だったな。有能な男が独り身なのは確かに外聞が悪い』

『政情が不安定では婚姻どころか婚約も覚束ないが、公国を下した今なら良縁も見込めるだろう』

 

思い出した。

確かに公爵邸で兄さんについて少し話したな。

 

「たぶん公爵邸で半分冗談みたいに言った事を公爵が本気にしただけだと思う」

「私はその話を聞いてないぞ」

「言ってなかった?」

「言ってない」

 

必死に記憶を探ると確かに王都から戻った時にそんな話をした憶えが無い。

だって仕方ないじゃん、公爵が冗談みたいな会話を本気にするとは思ってなかったし、四馬鹿に巻き込まれたのを話したらアンジェは王都を灼き払うとか怒り狂ってたもん。

 

「つまりリオンは王都で起きた事を私に隠し、義兄上に薦められた縁談を自分の物と勘違いした挙句、私に内密にしようとした訳だな」

「それは事実を捻じ曲げ過ぎだろ!?」

 

ちょっとしたミスが連鎖反応を起こしただけだろ、そんなに怒らないでください。

そう言いたいけど正直に言ったら怒り狂うから言えません。

アンジェの両手が俺の顔に添えられて動かないように固定され頬を引っ張られた。

俺の嫁、めっちゃ怖い。

 

「私達が部屋に入った事に気付かないのは彼女に見惚れてたからか?」

「違います」

「正直に答えたら少しだけ手加減してやる」

「ほんのちょっとだけ」

 

ギュイイィィィ

 

頬を抓られた、痛くて涙が出そう。

 

「そんなに側室が欲しいか?」

「いらないいらない。俺アンジェ一筋だし」

「彼女と私を比べてどちらが美人だと思った?」

「勿論アンジェ様です」

「私のお見合い写真と比べてどっちが良かった?」

「……ごめんなさい、アンジェのお見合い写真見てません」

 

グギュウウウゥゥゥゥゥ!!

 

 

【挿絵表示】

 

 

思いっきり頬を捻られる、顔が変形しそうなぐらい痛い。

アンジェとの縁談の頃はしたくもない見合いばっかさせられて辟易してた。

公爵家からお嬢様が来るとは聞いてたけどアンジェのお見合い写真に目を通さなかった。

その分アンジェが訪ねて来た時は凄い美人だって驚いたけど。

こんな事になるなら素直に見とけば良かった、あの頃の俺の大馬鹿野郎。

今も家のどっかに保管してあるかな?

後で探さなきゃ。

 

「私はリオンと出会う前にお前の素性を詳しく調べあげたぞ」

「ひゃい」

「なのにお前は私のお見合い写真にすら目を通さなかった?」

「ひょのふぉおひえす」

「挙句の果ての他の女のお見合い写真に見惚れて自分の側室だと勘違い?お前は私にもう飽きたのか?」

「ひぃだだだだだ」

 

最近になって漸くアンジェがかなり嫉妬深いのに気付いた。

娘のアリエルを可愛がると拗ねたりしたけど、慰霊祭でオリヴィア様が訪ねて来た辺りから露骨に嫉妬を隠さなくなってる。

辺境だと王都で次期王妃として育てられたアンジェに匹敵する女が居なくて油断してたらしい。

婚約破棄の原因になったオリヴィア様と再会して嫉妬深い部分が抑えきれないみたいだ。

そのせいで家族を除いた女が俺に近付くと途端に不機嫌になる。

おまけに妊娠して気が立ってるからすぐにフォローしないと二・三日は拗ねたままになる。

なので、これから反撃に入ります。

ゆっくり両手を回しアンジェの背中で繋ぐ。

 

ギュッウゥゥ

 

アンジェのお腹の負担にならない程度に力を込めて抱き締める。

相変わらずアンジェは俺の頬を抓ったままだけどそれに怯まず力を込める。

アンジェが力を抜くまで抱き締めるのを止めない。

これは我慢比べだ、先に諦めた方が負けです。

ずっと力を込めて疲れたのかアンジェの力が緩んでく。

俺も力を抜くけど抱き締めるのは止めない。

頬からアンジェの手が完全に離れると今度はアンジェが俺の背中に手を回し始める。

俺達は無言のまま数十秒間お互いを抱き締めた。

 

「……側室が欲しいか?」

「いらない。俺アンジェ一筋だし」

「彼女と私を比べてどちらが美人だと思った?」

「お前以外の女は眼中に無いよ」

 

さっきと話の内容は同じだけど声色はずっと穏やかだ、どうやら気が済んだらしい。

 

「すまない、少しばかり嫉妬した。リオンが私を愛してくれているのは充分に分かった」

「俺もちゃんと報告しなくて悪かった。次から気を付ける」

 

怒りが治まった後のアンジェは気分が落ち込んで弱々しくなる。

普段から俺に尽くしてくれるけどこんな時はどんな要求をしても殆ど拒まない。

その姿が堪らないぐらい可愛くてついついやり過ぎてしまう。

アンジェの首筋にそっと口を添わせるとくぐもった声を出して震える。

そのままわざとらしい位に音を立ててキスをしてもアンジェは拒まない。

執務室にベッドがあったら押し倒したかもしれないけど理性が効くうちに止めておく。

調子に乗ってまたアンジェが不機嫌になったら困る。

顔を赤らめながら乱れた服を直すアンジェはとても魅力的だ。

やっぱ俺にはアンジェしかいない、他の女じゃどうしても上手くいかないだろう。

 

「それでどうする?やっぱお見合いするの」

「断ったら先方と公爵家の面目に泥を塗りかねない。まず一度だけでも顔合わせした方が良い」

「まぁ、これから農閑期だし都合は付くな。とりあえず一回だけなら兄さんも見合いやってくれるだろ」

「義兄上のお気持ちも大事だが貴族の結婚は政治の範疇だ、御足労願おう」

 

アンジェの機嫌が直ったから双子を呼び戻すついでに兄さんを呼んだ。

リスのように茶菓子を頬張るライオネルとアリエルを眺めつつそれとなく話題を振る。

 

「なぁ、兄さん」

「ん?」

「実は見合い話が来てるんだけど」

「俺に?何でまた」

「公爵家から義兄上に縁談が持ち込まれました。バルトファルト家と繋がりを持ちたいとか」

「リオンがアンジェリカさんと結婚してるから俺で妥協するって魂胆でしょう。断れないんですか」

「断るにしても相手側の爵位が上です。一度も顔を合わせしなければ礼を失する行いと受け取られます」

「俺の顔を立てると思って一回だけでもしてくれない?流石に向こうもやってダメなら諦めるし」

「気が進まないな。どうしてもやらなきゃダメですか」

「相手側に何をされても恐れないのでしたら断わってくれて構いません」

「分かったよリオン、一度だけやるから感謝しろ。それで相手はどんな女なんだ?」

「あぁ、こっちにお見合い写真がある」

 

アンジェがお見合い写真を兄さんに手渡すと、ゆっくりと冊子を開いた兄さんの顔が物凄い勢いで真っ青に染まって全身がガタガタ震えてる。

 

「兄さん?」

「義兄上?」

「「??」」

 

俺達全員の視線が兄さんに集まった瞬間、

 

「~~~~~~~~~~~~ッ!!!!!」

 

声にならない悲鳴がバルトファルト邸に響き渡った。




お兄ちゃんはつらいよ。
という訳でニックス兄さんが中心です。
兄より優れた弟がいる苦悩は原作でも語られましたが、今作のリオンはルクシオンがいないので地に足が付いた優秀さです。
その分リオンを直に見る事になってニックスの悩みも深くなってます。
なのでご褒美に兄弟揃って運命の女性を宛がいましょう。
どのルートでもニックス兄さんのお相手は同じだから是非も無いですね。(単に私がリオンとアンジェのカップリングの次ぐらいにあのカップリングが好きなだけです
次章、お兄ちゃん家族同伴でお見合いへ。金髪巻き毛のあの子も登場。

追記:依頼主さまのリクエストで今章の挿絵イラストをちーぞー様に描いていただきました、ありがとうございます。
ちーぞー様https://skeb.jp/@chizodazou/works/23

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第37章 運命の赤い糸(という名の呪縛)

服良し、髪良し、化粧良し。

確認を終えて馬車から降り足早に会場に向かう。

今夜参加するのは主催者の招待状が無くても参加できるという王都じゃ珍しい夜会だ。

貴族の夜会ってのは要は金と地位の見せびらかし合いだ。

血縁や友人でもない他人に招待状をばら撒いて如何に自分が優れているかを宣伝するさもしい性根を化粧と美食と金で誤魔化す。

まぁ、男爵家を継ぐスペアとして最低限の箔が欲しいから学園に通わせてもらった俺に参加できる夜会とか学生時代には存在してなかった。

仮にルトアートの奴が居なくてバルトファルト家の嫡男として育てられたとしても辺境住まいな貧乏男爵家の長男が招待されたかは怪しいもんだ。

 

会場の入り口にはガタイの良い守衛が数人いるけど殆ど確認も無しに来客を通してる。

この夜会を訪れるのは貴族だけじゃなくて豪商の子供みたいな裕福な平民も含まれる。

夜会の参加条件は未婚、若しくは夫や妻を亡くした寡夫や未亡人であるのが唯一の条件だ。

それさえ守れるなら身分が何でも構わないし年齢制限も無し。

公国との戦争が完全に終わってから、いや前回の戦争以来こんな夜会が少しずつ増えてる。

今のホルファート王国は婚活ブームの真っ最中。

戦死したり王家に背いて地位を剥奪された奴が多くて貴族の男は激減した。

仕方なく戦功を上げた奴らを貴族にしたけど、成り上がり者達が貴族社会のコネなんて持っている筈もない。

国のお偉方は背に腹は代えられないとばかりに下級貴族や成り上がり者の婚活を支援し始めた。

 

俺の学生時代には上級クラスに在籍したようなお嬢様達が普通クラスにいた下級貴族や平民の男達に媚び諂う姿は少しばかり憐れだった。

貴族令嬢は嫁ぎ先が無ければ死ぬまで実家のお荷物になる。

もし兄弟が結婚すれば家に居続けられるかも怪しく、好色な貴族の後家や愛人にならなきゃ最悪なら身内によって密かに娼館で体を売る運命になる。

流石にうちは父さんも弟達も家族を売り払うような外道じゃない。

それより先に長男の俺が嫁を取るのが先決なんだが。

 

溜め息をついてふと隣に視線を送る。

本来なら此処に弟もいる筈だった。

あいつだって成り上がり者なんだから嫁取りに苦労すると思ってた。

それが今じゃ公爵家のお嬢様を嫁にして子供が二人、いや三人もいる。

同じ両親から産まれたのにこれだけ差が出ると妬むより先に諦めが来る。

いつだって優秀な弟の添え物、それがニックス・フォウ・バルトファルトという男の人生だ。

 

 

昔からリオンは要領の良い奴だった。

俺が同じ年頃に苦労して覚えた事を少しばかりコツを教えただけであっという間に習得した。

リオンに勝ってたのは早く生まれた分の慣れと体格だけ。

もし俺とリオンが双子だったら明確にその差が出て俺達の関係はもっと拗れていた筈だ。

ガキの頃からそんな劣等感を抱えたままバルトファルト家の次男という理由だけで俺は王都の学園に進学させてもらえた。

流石に普通クラスだし、家に子供全員を学園に通わせる余裕は無かったからリオンが学園に通えない。

 

少しだけ優越感に浸っていた俺に実家から『リオンが家出した』という手紙が届く。

ゾラ達がリオンを貴族の女に売り払おうという企みに気付いて自分の誕生日に家出したらしい。

リオンがそこまで追い込まれたとは知らず、何も知らないでのうのうと学園生活を送っている自分に嫌気が差した。

 

半年ぐらい経った頃、今度はリオンが見つかったという報告が届く。

リオンはバルトファルト領から遠く離れた場所で兵士になっていた。

「心配ない」という手紙と稼いだ金の一部をバルトファルト家に送った事で分かったらしい。

弟が必死に働いて稼いだ仕送りの一部が俺の学費にも使われてると思うとやるせない気持ちになる。

遅れて進学したジェナは気にしてなかったが、俺は自分自身がクズに思えて仕方がなかった。

 

三年に昇級した頃に学園、いや国を揺るがす事件が続出する。

ユリウス殿下の婚約破棄騒動、上級クラスの生徒が空賊に関わり犯罪に手を染めてると発覚、ファンオース公国との開戦。

そうした事情が積み重なって学園は無期休校になる。

結局、俺は学園で何の功績も残せず嫁いでくれそうな女の子も見つけられず無為に過ごしただけだった。

戦争が始まってゾラ達が逃げ出したのを尻目に俺は実家に戻って父さんと一緒に領地を護るのに必死だった。

 

ちょうど同じ頃、リオンは国境へ赴任して命がけの戦場で戦っていた。

戦争が終わってしばらく経つと前触れも無く王都からの使者がバルトファルト家に訪れてうちの皆は何事かと慌てふためいた。

リオンは重傷になりながら部隊を率いて公国軍の司令官の一人を討って敵軍を撤退させたらしい。

その功績を讃えて国からリオンに爵位と浮島を与えられるのが決まった。

 

家族が喜んでるのに俺はいまいち喜べなかった。

やっぱりリオンは俺がどう足掻いても敵わないぐらい凄い奴だと見せつけられたようで気が重くなった。

おまけにリオンは傷だらけの半死半生の有り様で家に戻って来た。

心と体が傷付き幻覚に怯え苦しむリオンを家族全員支え、慣れない領地開拓を始めるのは地獄の日々だった。

 

状況が好転したのはリオンにアンジェリカさんという婚約者が出来て以来。

俺は元々学園に通っていたからユリウス殿下の婚約破棄騒動の顛末を知っている。

アンジェリカさんについてもそれとなく噂を聞いていたから、彼女がバルトファルト領に来てからは常に警戒していた。

領地経営に詳しいアンジェリカさんに頼る一方、両親にそれとなく学園での噂を報告した。

 

彼女の有能さを認めつつもリオンを利用しているのではという考えが抜けきらず疑いの目を持ち続ける日々が続く。

だが、俺の心配が杞憂だったようでリオンは快方に向かいアンジェリカさんと相思相愛になっていく。

面倒見の良い兄貴を演じつつも何処か暗い感情を抱き続ける自分が酷く汚れた人間に見えて身悶える。

 

そうこうしているうちに俺は二十歳を超え、そろそろ結婚を考えなきゃいけない頃合いになってしまった。

確かに辺境の社交場に行ってもそこそこ歓待はされる。

それだって「英雄リオン・フォウ・バルトファルトの兄」という前置きがあってこそ。

 

俺個人を見ている女は誰もいない。

リオンが手に入らないから俺で妥協しようと考える女ばかり。

貴族の女と付き合うのはほとほと懲りた。

貧しくていい、美しくなくて構わない、父さんと母さんやリオンとアンジェリカさんみたいに仲が良い夫婦になりたいだけだ。

いっそ爵位をコリンに譲って平民になる方がマシかもしれない。

そんな事を考えながら今日も無為な婚活を俺は続けている。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「嫌だ!絶対に嫌だ!俺はあの女と付き合わない!さっさとうちに帰らせろ!!」

 

見合い当日になっても暴れる兄さんを俺・父さん・コリンの三人がかりの力づくで無理やり飛行船に乗せたのにまだ兄さんは治まらない。

同伴した俺達夫婦と両親とコリンが常に監視してないと隙をついて逃亡を企てる。

父さんに似てガタイが良い兄さんは単純な力比べなら俺より強い。

俺が関節技で動きを封じ、父さんが力で抑え込んで、コリンが隙を見て縄で拘束して漸く飛行船に連れ込めた、猛獣か何かかよ。

 

「落ち着けニックス、別に付き合えって言ってる訳じゃない。取り敢えず顔合わせするだけだ」

「絶対嘘だ!あの女、俺が『見た目と家柄だけの女』って罵ったから本当に家の力で潰しに来やがった!」

「そんな事は無いと思う。向こうはニックス兄さんをご指名だし」

「リオンじゃなくて俺を指名って時点でおかしい!明らかに俺を標的にしてる!罠に決まってるだろ!この見合いは中止だ!」

「ダメよニックス。せっかくおめかししたのに台無しだわ」

「これから家同士の争いになるのに着飾ってる場合かよ!」

「兄さん、見合いも悪くないぞ。もしかしたら向こうが兄さんを気に入って縁談を持ち込んだのかも」

「お前、自分が見合い結婚して夫婦円満だからって浮かれ過ぎるぞ!兄を尊敬するなら逃げるのに協力しろ裏切り者!何とか中止になりませんかアンジェリカさん!?」

「申し訳ありません義兄上。この縁談を斡旋したのは公爵家です。断っては各方面に些か支障が出ます」

「ちきしょう!どうして俺がこんな目に!」

 

気の良い兄さんに面と向かって裏切り者呼びされたのが軽くショック。

お見合い写真を見せた直後、兄さんは悲鳴を上げて部屋に閉じこもった。

頑張って何とか部屋から出して話を聞けばどうやら王都で相手の女性と一悶着あったらしい。

それ以来ずっとこの調子で見合いを拒否したままだ。

 

「アンジェ、罠だと思うか?」

「ローズブレイド家の真意は分からん。嫌がらせ目的にしては手が込み過ぎる上にメリットが無い。レッドグレイブ家を仲介させてまで嫌がらせを行えば公爵派の貴族まで敵に回しかねない。伯爵はそんな危ない橋を渡るほど愚かではない御方だ」

 

ローズブレイド家、王国の貴族なら必ず一度は耳にする名門だ。

初代ローズブレイドが冒険者として功績を重ねて貴族と為って以降も数々の著名な冒険者を輩出してきた名門中の名門。

その歴史は古く僻地の戦や空賊退治で平民と貴族の間を行ったり来たりして血を繋いできたバルトファルト家とは比べ物にならない。

公国との戦争でもきちんと王国を護った数少ない真っ当な貴族だ。

 

そんな名門な伯爵家のお嬢様と貧乏男爵家の長男がお見合いだなんてどう見ても家格が釣り合ってない。

基本的に貴族の結婚は家格が同じ家同士、若しくは一ランク差の家でするもんだ。

男爵家なら子爵家・男爵家・準男爵家といった家と婚姻するのが普通。

準王族の公爵家、それ以外で最高位の侯爵家、高位貴族の代表ともいえる伯爵家。

この国の貴族で知らない者は居ない名門貴族様が兄さんをご指名なんて裏が有ると思って当然だろう。

そんな事を考えながら隣のアンジェを見る。

 

「どうした?」

「何でもない」

 

そうだ、俺とアンジェはそれ以上の差だった。

末席だけど王位継承権すら持ってるお嬢様が平民同然の成り上がり子爵に嫁ぐとかどんな懲罰なんだよ。

裏で公爵がいろいろと画策してるのが分かった今となっちゃ、俺も貴族の裏事情を薄々察せるぐらいには成長したけど。

そもそも兄さんは何でこんなに見合いを嫌がってんだ?

俺みたいに明らかな地位や財産狙いの見合いなんて今までした事は無かった筈なのに。

 

「何でそんなに嫌がるんだよ、いや面倒だとは思うけどさ。今まで婚活とかしてたじゃん。このお嬢様そんなに酷い女なの?」

「確かに良い噂は無い。私が学園に入学した頃には既に卒業していたが、その時点でも社交界では有名だった」

「男漁りが酷いとか、金遣いが荒いとか、平民をイジメる感じ?」

 

俺が思い付くひどい女貴族なんてその程度のイメージだ。

アンジェが頭を振って否定する、どうやら俺の知らないタイプのお嬢様らしい。

 

「とにかく縁談を断る。あの外見だからドロテアとの交際を望む男は引く手数多だった。当人が望めば王の側室すら容易に叶えられる器なのは間違いない」

「じゃあ別に兄さんじゃなくても良いって事か」

「二十代の半ばとはいえ未だに嫁ぎ先には困らないだろう」

「公爵家が絡んでるから断れなかったんじゃ?」

「切っ掛けは父上かもしれんがこうもローズブレイド家が乗り気なのが気にかかる。普通は見合い相手の爵位が低ければ難色を示す。リオンのように多大な功績を上げたのなら理解も出来るのだが」

「兄さん今回の戦争で副官やってくれたんだけど。ぶっちゃけ貴族連中との折衷は苦手だから兄さんに丸投げしてた」

「それでも理由としては弱い、やはり義兄上自身に何か原因が有ると考えるのが妥当だ」

 

必死に家族が兄さんを宥めてるけど顔色は悪いままだ、このままだとヤバい状況なのは間違いない。

 

「なぁ兄さん、一体何をやらかした?」

「俺は何もやらかしてねえ!向こうが絡んで来たのが原因だ!」

「義兄上、せめて家族の皆には真実をお教えください。このままでは義兄上だけの問題ではなくバルトファルト家全体の危機になりかねません」

 

アンジェが穏やかな口調で諭すと兄さんが多少は落ち着く。

こんな時アンジェが放っている気品とか存在感ってのは相手を大人しくさせるのに実に有効だ。

やがてポツポツと兄さんはどうしてこんな状況になったのか口にし始めた。

事の発端は王都、俺が公爵家に呼ばれた帰り道に四馬鹿に絡まれたあの夜に起こったらしい。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

シャンデリアの灯りに照らされた会場はそれなりに賑わっている。

色鮮やかなドレスやアクセサリーを着飾るご婦人方は野に咲く花みたいに会場を彩ってる。

昔は貴族の夜会なんて自分には縁遠い世界だと思ってた。

とは言っても田舎住まいの男爵なんてギリギリ貴族扱いされる今でもやっぱり慣れない場所だ。

 

取りあえず飲み物を片手に一周しながら参加者を物色する。

確かリオンと同い歳ぐらいの後輩、アンジェリカさんと同時に婚約破棄されたご令嬢みたいに知った顔がちらほらと混じっている。

王国の現状じゃいろんな理由で婚期を逃した奴らが多いから出会いを求めて夜会やらパーティーを梯子するのもよくある話だ。

俺もその一人なんだがどうにもやる気が出ない。

貴族として最底辺な俺なんかを気に入るご令嬢がほぼ居ないと分かりきってるからな。

 

学園で婚活に明け暮れる貴族の男を知ってるし、リオンですら成り上がり者として軽く見られたのをすぐ傍で見続け、いまいち現実が見えず嫁き遅れになりそうな妹達の愚痴を聞いてりゃ貴族の女に幻想なんか持てない。

学園に入学した男達が最終的に見た目や家柄じゃなくて性格で相手を選ぶように、俺としてもバルトファルト家に嫁ぐのを納得してくれる女と結婚したい。

 

軽く会場を見回り終えて壁際に控える。

宴や催しだと必ず中心になる奴が居て、その場の雰囲気に馴染めず溢れた奴も同時に出てくる。

そんな奴をフォローするように上手くお近づきになるのが俺の世渡りだ。

このせいでリオンの副官をやってた時は不満を抱えた連中との折衷を任されたりしたが。

椅子に座りながら二杯目の酒を飲む。

 

ふと、壁際を見ると何やら男二人が女と揉めているのが目に入った。

男達の方は最低限のドレスコードは守ってるけど何処かちぐはぐな印象を受ける。

ありゃあ、戦争や商売で成り上がった連中が身の丈に合わない服を来て酒場で水商売の女を口説くように貴族の女に迫ってるのが丸分かりだ。

どれだけ外見を繕ってもその場に相応しい振る舞いをしなきゃ嫌われるのが貴族の集まりってもんだが、この夜会は身分を問わない出会いの場だ。

騒ぎが大きくなりゃ主催者側から止められるけど今の所言い争いにはなってない。

 

皆が関わり合いになりたくないと遠巻きに見ている。

男連中をあしらってる女をよく見ると見覚えがあった。

名前は知らないけど、確か俺が学園に入った頃に居た先輩だったと思う。

卒業してから見なくなったけどあの人も参加してたのか。

女は二十歳を過ぎると実家から早く結婚しろと言われるから大変だねぇ、うちにもそんな妹が一人いるからよ~く分かる。

 

そんな喧騒を肴にして三杯目の酒を呷った頃、会話の声量がこっちに聞こえるほどデカくなってきた。

どうやら先輩は見た目通りにプライドが高いらしい、男達をあからさまに馬鹿にした態度を崩さず一言文句を言われたら二言三言と遠回しの罵声を浴びせてる。

気が強い女は嫌だね、綺麗な見た目が台無しだよ。

周りの連中は巻き込まれたくないとばかりに無視を決め込んでる。

 

このままじゃトラブルになりかねない。

確か良い家柄のお嬢様だったと思うから、此処で揉めたら実家の介入で今後こんな催しが減って俺の嫁探しに支障が出るかもしれない。

仕方ない、知らない顔でもないから先輩に少しだけ手を貸してやろう。

 

「あ~~~っ、ちょっと良いですかねぇ?」

 

わざらしい位に馴れ馴れしい態度で距離を詰めると三人が一斉に俺を見る。

 

「他の皆さんの迷惑になりますんで、揉め事は勘弁願いたいんですが」

「なんだぁお前?」

 

敵意を剥き出しにして睨みつける男共。

見るからに金に物を言わせたチンピラ丸出しな成り上がりだ、こんな時は敢えて遜った態度で相手を抑える。

 

「他のお客さんの迷惑になりますんで、ここはどうにか場を治めてもらいたいんですよ」

「この女がいちいち俺達を馬鹿にするのが悪いんだよ!」

「だからって面倒を起こしちゃせっかくの夜会が台無しですよ。あんまりひどいと今後出入り禁止になった挙句に社交界で爪弾きにされるからその辺で止めた方が…」

「なんだてめぇ!?」

 

逆上した男が俺の襟首を掴む。

これで正当防衛が成立、相手の手首を思いっきり握り締める。

父さんには劣るけど俺も農作業でそこそこ体が鍛えられ、単純な腕力だけならリオンにも勝てる。

思いがけない反撃に男の顔が青褪めた。

 

「そこで水を飲んで酔いを醒ましましょう、こんな場で揉めちゃダメですよ」

「お、おう」

 

男連中は少し慌てた様子で退散する。

大事にならずに済んで良かった。

安堵の溜め息を吐いてこの場から移ろう、嫁探しは始まったばかりだ。

 

「待ちなさい」

 

後ろから声をかけられた気がするが多分俺じゃない。

 

「待ちなさい!」

 

振り返ると先輩が冷めた目で俺を睨んでいた。

 

「何のつもりかしら?」

「え?」

「あんな奴ら私一人であしらえたわ。何のつもりで私の邪魔をしたの」

「はぁ……」

「答えなさい、何のつもりで首を突っ込んで来たの」

 

……何で困っているのを見かねて仲裁した俺が攻められなきゃいけないんだ?

あらためて目の前の女を見るがかなりの美人だった。

所謂成熟した女の色気を漂わせてるけど下品じゃない、むしろ清楚さすら感じる。

貴婦人とか淑女みたいな言葉はこんな女の為を表現するんだろうな。

中身は相当拗らせてるみたいだけど見た目だけで判断すれば言い寄る男は多いだろう。

 

「あんな雑魚を追い払って私に恩を着せる腹積もりかしら」

「そんなつもりはありません。お困りのように見受けられたので。要らない助けだったなら申し訳ありません」

「そうやって私を助けると見せかけて仲間と一芝居をうつ輩も居たわ。貴方もその御同類?」

「純粋な厚意ですよ。それじゃ、俺はこれで」

 

どうやらかなり面倒臭い女らしい、問題が起きる前にさっさと離れた方が安全だ。

 

「ちょうど良いわね。貴方、人除けになりなさい」

「言ってる意味が分かりません」

「この夜会の間だけでも言い寄ってくる男を追い払う番犬として私の傍に居なさい」

 

なに言ってんだこの女?

男に言い寄られるのが嫌ならこんな婚活目的の夜会に普通は来ないぞ。

 

「口煩いお父様に言われて仕方なくこんな催しに来たけどうんざりだわ。有象無象の男共が絡んで来ていい迷惑よ。私がしばらく飼ってあげるから犬になって」

「お断りする。確かに俺は身分が低いが貴族の端くれだ。犬扱いされるのは御免蒙る」

 

イカレてんのかコイツ。

確かに上級貴族の中には下級貴族や平民を人扱いしないような奴も多かった。

そんな連中に限って自分より上の奴に媚び諂う糞みたいな連中で大半が戦争が起きると我が身可愛さに逃げ出す根性無しだった。

戦後に王家から貴族のそうした振る舞いに対して注意が行われたけど、まだこんな価値観を持ち続ける女がいるとは思わなかった。

 

「私が首輪をつけて私のペットにしてあげようかしらって思っているのよ。感謝の気持ちとして受け取りなさい」

「それの何処に感謝の気持ちが含まれてる、どう考えてもコケにしてるだろう」

「何よ。どうせ貴方なんて大した家柄でもなくろくな家族だって居ないんでしょ…」

「とっととその薄汚ねぇ口を閉じろって言ってんだ馬鹿女ッ!!」

 

俺の中で何かが切れた音が聞こえた瞬間、怒声が会場に響き渡った。

目の前の女は事態を飲み込めず呆然としている。

あぁ、終わりだな。

冷めた頭がやっちまったと後悔がどんどん押し寄せて来る。

これでこの夜会から叩き出される、場合によっちゃ社交界から爪弾きにされる。

さっきの男連中に言った言葉がそのまま跳ね返って来た。

だが引けない、ここで引いたら俺は家族に顔向けできない。

 

「俺はいくらでも罵ってかまわない!だが家族を侮辱するのだけは許さん!他人にどうこう言う前にその捻くれまくった性根を直せクソ女!」

「な、な、な……」

「俺を犬扱いするならお前だって雌犬だろうが!その下品な中身を取り繕ってないで少しは人間として真っ当な感性を磨きやがれ!」

「貴方、私がいったい誰か分かっててそんな口を聞いてるの!?」

「お前の名前なんぞ知るか!身分を問わない夜会で親の爵位を持ち出すんじゃねぇよアホ女!お前の取り柄なんて外見と親の身分だけだ!さっさと家に帰ってパパに泣きついて来い!」

「~~~~ッ!」

 

顔を真っ赤に染めた女が駆け出し会場から消えた。

その後ろ姿をぼんやり眺めながら頭が冷えてくると周囲の皆が驚いた顔で俺を見ていた。

 

やっちまった。

 

これで噂が広まったら王都での婚活は絶望的だ。

さっさと嫁を貰って親を安心させたかったがこれじゃ無理だな。

足早に会場を抜け出して馬車に乗り込んだ。

うちが所有する飛行船の部屋に辿り着き乱暴に礼服を脱ぎベッドに寝転ぶ。

少し言い過ぎたかな?と思ったが腹の虫は治まらない。

どうせ明日にはバルトファルト領に帰還する。

貴族の女は懲り懲りだ、もう地元で平民の子と結婚して一生辺境で暮らそう。

そう結論づけて置いてある酒瓶の中身を飲み干しそのまま不貞腐れるように眠りこけた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「やっちまったなニックス」

「やっちまったな兄さん」

「絶望的だねこれ」

「仕方ねえだろ!ちっとは庇えよお前ら!」

 

兄さんの叫びが室内に木霊する。

いや、本当にどうしようかなこの状況。

向うにも非があるけどこっちが完全無罪って訳でもない。

兄さんに感謝の言葉さえかけないドロテアさんが原因だけど、キレて暴言を吐いた兄さんにも過失がある。

 

「家同士の争いになると思うかアンジェ?」

「可能性は限りなく低い。だからこそ伯爵や父上の魂胆が読めない」

「これを期に仲直りしろって意味じゃないの」

「ならば正式に謝罪の場を設けるだけで良い。公爵家が仲介となり詫びの言葉と謝罪金の額を話し合うだけで済む。わざわざ見合いという形式を選ぶのが不自然だ」

「何人にも見られてたから噂を誤魔化す為にお見合いさせる可能性」

「ローズブレイド家の力を使えば揉み消しは可能だ。見合いさせる意味は無い」

「罰として嫌いな男と見合いさせるとか」

「確かにいくつもの縁談を断ってきたドロテアには良い懲罰かもしれんがもっと良いやり方があるだろう」

「じゃあ、兄さんに惚れたなんてどう?」

「あの悪名高いドロテアが?今まで王家からの打診すら断っていた女が辺境の男爵に嫁ぐなどそれこそありえん」

「うちには公爵家出身なのに子爵に嫁いだ物好きなお嬢様がいるけどな」

「わ、私は爵位や領土でリオンを選んだ訳ではない!」

 

慌てる俺のアンジェが可愛くてキスしたい。

 

「そこの二人!惚気んな!」

 

俺とアンジェの間に甘い雰囲気が漂い始めた途端に兄さんが横槍を入れる。

ひどいや、兄さん。

 

「でも伯爵家と争いにはならないんでしょ。ならお互いに謝れば解決じゃん」

「そう上手くはいかないんだぞコリン。貴族ってのは面倒なんだ」

「どうして?お互い悪いなら謝っちゃえばいいでしょ」

「身分が偉くなるほど下の連中に頭を下げるのが難しくなる。偉い奴らは間違わない、正しくて賢いから偉いと周りから思われる。間違いを認めれば、それは自分が失敗したと認めたようなもんだ」

 

難しそうな顔で父さんがコリンを諭す。

俺もこの辺の貴族社会の慣例やら仕来りとか面倒臭くて仕方ないけど、自分が嫌だからってそれを押し通せるほど強くも賢くもないのが成り上がり者の悲しさだ。

 

「俺は絶対謝んないからな!あの女に遜るぐらいなら戦って死んでやる!」

「落ち着けって。家族は兄さんの味方だよ。適当な所で手打ちになるようにするからさ」

 

どうやら交渉は難航しそうだ。

今日は兄さんのお見合い以外に重要な用事があるのにこれじゃあ無理っぽい。

真っ青な顔で拘束された兄さんは処刑台に移送される死刑囚そのまんま。

 

「弱くて善良な奴を助けてくれる神様なんていねぇ!!世の中間違ってる!!」

 

兄さんの叫びが室内に響き渡り、振動は飛行船の窓から晴れ渡る空へ吸い込まれていった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

窓から陽光が差し込み室内を温める。

浮島という環境に於いて陽の光は地上より更に大きな意味合いを持つ。

気温、植物の育成、気流の発生等々。

故に貴族の屋敷はより多く陽光を取り入れる為に平民の家に比べ更に大きな窓が設置させる。

尤もこの部屋の主にとって快晴の空から降り注ぐ光は何の慰めにもならない。

心は積乱雲による豪雨と雷鳴が轟く荒天と何ら変わりない。

今日になって何度目になるか分からない溜め息を吐きながら部屋の主、ローズブレイド伯爵は時計を見る。

予定の時間まであと数時間、法務官の裁定を待つ罪人のような心境で今日という日を迎えてしまった。

 

コンッ コンッ

 

扉が軽くノックされた音に怯え体が震えたが、何とか平静を取り戻し居住まいを正す。

 

「……入りなさい」

「失礼いたします」

 

部屋に入って来たのは金髪碧眼の美女。

容貌はドロテアと血の繋がりを感じさせるが、ドロテアが美しい髪をストレート伸ばしているのに対し此方は念入りに手間をかけ螺旋状に巻いて一目で別人だと認識できる。

入室したのが自らの娘と判り安心した伯爵はホッと息を吐き出す。

 

「ドロテアの様子は?」

「相も変わらず落ち着かないご様子、あれからまた着替えを始めて部屋の内装を変えようと騒いでいましたわ」

「次に騒ぎ出したら私を呼びなさい。流石にもう手直しする時間は無い」

「承知しました」

「……待てディアドリー」

 

報告を済ませ退室しようとする娘を呼び止める。

躾が行き届いた立ち振る舞いで方向転換する娘は貴族の娘としては文句の無い出来栄えだ。

多少性格に難は有るが、それも誇り高きの表れと思えば許容範囲ではある。

 

「ドロテアの見合いだが、上手くいくと思うか?」

「……忌憚のない意見を述べてよろしいでしょうか」

「かまわない、許す」

「正直な所、まず無理だと思います。お姉様の心中がどうであれ、件の殿方がお姉様に好意を持つのはまず無理かと」

「やはりそうか……」

「おかわいそうなお姉様。初恋を自覚した瞬間、既にフラれていたなんて」

「かと言ってレッドグレイブ家に仲介を頼んでおきながら今更中止する訳にもいかない。単なる見合いで相性が悪かったなら未だしも、互いに罵り合った間柄と判ればバルトファルト家がどんな手を使ってくるか予想がつかない」

「考え過ぎではないでしょうか?如何に彼の弟がリオン・フォウ・バルトファルトと言えどもローズブレイド家に正面切って争いを望むとは思えません」

「ディアドリー、お前は公の場でドロテアを殊更に侮辱した男を許せるか?」

「……」

「そういう事だ。お前が想像した感情をバルトファルト子爵が抱いても不思議ではない」

「ローズブレイド家がバルトファルト家に負けると仰るのですか?」

「彼は十代半ばで公国の一軍を自分の部隊のみで撤退させた。そんな事は王国の他の誰にも出来なかった。無論、私にも出来ない。それが全てだ」

「争えば必ず負けると?」

「家同士の争いならば或いは。だが彼の妻は元公爵令嬢のアンジェリカなのだ。間違いなくレッドグレイブ家が関わってくる。そうなれば亡ぶのはローズブレイド家の方だ」

 

沈黙が重く圧し掛かる。

貴族にとって婚姻とは政、そして政とは戦の代替。

伯爵は既にこの見合いを政争の前哨戦と捉えていた。

 

「ディアドリー」

「はい、お父様」

「もし私がニックス・フォウ・バルトファルトと結婚せよと命じたら受け入れるか?年齢を考慮すれば寧ろドロテアよりも相応しいのはお前の方だ」

 

父の言葉に娘は逡巡した。

確かに条件を顧みれば相応しいのは姉ではなく自分だ。

会話した事は勿論、顔を見た事さえあるのかどうか記憶が曖昧な相手だ。

尤も貴族同士の婚姻とはそういう物だと自覚している。

 

「……お父様のご命令ならば従う覚悟はございます。ですが」

「だが?」

「私はお姉様を泣かせたくありません」

「……そうか」

 

そう告げて退室した娘の後ろ姿を見送り、椅子に体を預け力を抜く。

時代は移り変わりつつある。

その潮流の中心にいるのが彼の者ならば、その傍らに娘を置く為に頭を下げるなど軽い代償ではないか。

愛を知らぬ娘に漸く訪れた初恋ならばせめて幸せになれるように力を尽くしてやるのが父親という物だ。

悲壮な決意を胸にローズブレイド伯爵は娘を落ち着かせる為に席から立ち上がる。

 

「神よ、どうか我らを見捨てたもうな」

 

斯くして、双方が何やら相手を誤解したまま裁きを受ける罪人の心持ちで行われる珍妙な縁談の裏でホルファート王国の趨勢を決める者達もまた彼の地に集まりつつあった。




前回に引き続きニックス兄さん回。
そして登場ディアドリーお嬢様。
お互いが相手を過大評価してるアンジャッシュ状態。
貴族は面子が命です、ナメた相手をシメなきゃ示しがつきません。
リオンは関わってないし公爵家も絡んでない状況でドロテアにパーフェクトコミュニケーションを取るニックス。
やっぱあんたらお似合いだよ。
原作だとニックスと結婚して妊娠したドロテアですが、今作でアンジェの義兄嫁なのでそこそこ活躍させる予定です。

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第38章 慕情

恋なんて絶対にしないと思い込んでいた。

男なんていくら取り繕っても結局は私の見た目か家柄しか見ていない。

試しに無理な注文をした所で引き攣った笑い顔を浮かべて誤魔化すか、家柄を武器にすれば無理やり女を従わせられると思い込んでるような男ばかり。

卑屈になって飼い主のご機嫌を窺うような駄犬、力で雌を従わせるボス猿に恋をする人が何処にいるのよ。

ただ自分と対等な人間と付き合いたいだけ。

私は綺麗な服を着せられてガラス箱に飾られる人形じゃないわ。

 

外見、性格、思考、感情、肉体、魂、性癖。

それら諸々を含めて理解した相手をひたすらに望んでいる。

何故そんな風に考えてしまうのか自分でも分からない。

貴族の家に生まれた女なんて打算に塗れた婚姻をして子供を産むだけの存在だと頭では理解してる。

 

なのにどうして此処まで今まで縁談を断り続けるのか自分でも分からない。

好きな相手が居るのか?と問われても一人として私の心を揺らす男は居なかった。

感情が欠落している訳じゃないわ。

喜び、怒り、悲しみ、楽しみ、恐れ、驚き。

それらの感情は確かに私の内にあって理解はしているの。

 

どうしても男と女の間にある愛情が理解できない、私を口説いて来る男の顔がどれも同じに見えて口から発せられる声が雑音に聞こえてしまう。

学園の同級生や社交場で和気藹々と恋話する女性の気持ちが理解できない。

ドロテア・フォウ・ローズブレイドとはそんな冷めた女。

きっと誰かを恋い慕う気持ちなんて分からないまま凪いだ心を抱えて生きていくと思ってた。

私にだって恋に憧れる程度の女心はある。

淡い期待を秘めて賽を振る、いつの日か止まったマスで思いがけない出会いがあると自分に言い聞かせながら。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

時計の針が時を刻む音だけ響き渡る室内で誰もが会話すらせずに来客を待つ。

この場にいるのは屋敷の主であるローズブレイド伯爵とその家族、そして一族に信頼された使用人のみ。

ゆったりと椅子に腰掛けた伯爵とは対照的に、妻と娘達は三人が座っても広過ぎるソファーに身を寄せ合っている。

密集する必要も無いソファーの上で三人が固まっているのは中心に座する令嬢が原因だった。

 

ほんのりと体全体を上気させ必死に呼吸を整えるように胸元に手を当てる姿は病弱な深窓の令嬢に見えるかもしれない。

肉体的には全くの問題は無い。

ただ歴史に名を遺す名君英雄美姫賢女を破滅させてきた不治の病を患っているだけだ。

息苦しそうに呼吸しながら額や頬に手を添える姿は艶かしくもあった。

 

「……やっぱり着替えた方が良いかしら」

「落ち着きなさいドロテア、これで何度目だ?」

「四度目になるわねぇ」

 

些か疲れた面持ちな伯爵と伯爵夫人が朝から娘の着替えた回数を確認する。

あれだけお見合いを待ち望んでいたドロテアは陽が昇らないうちから起き出し、万全を期する為に自ら屋敷と庭を見回った後に、歓迎に用意した品々を確認を終えると、時間をかけて入浴しこの日の為に用意したドレスに身を包んだ。

それなのに一時間も経たないうちに不安に陥ると夢遊病の如く庭を徘徊し、自らの見栄えを確認すると全く別の装いに着替えるのを繰り返す。

 

曰く『これならニックス様もきっとお気に召すでしょう』

曰く『いえ、数年前まで辺境でご苦労されてたニックス様は贅沢な女は嫌いかもしれないわ』

曰く『成熟した女の雰囲気なら内助の功を期待できると思ってくださるわね』

曰く『年増の若作りに見えちゃう、むしろ若さを全面に出した方が好印象の可能性が高そう』

 

その度にクローゼットと衣装箱を全てひっくり返す勢いで服を漁り時間をかけ化粧と装いを変える。

ドロテアに付き従う使用人達は見合いの前から既に疲労の極致に達しつつあった。

 

「お姉様、不安になるのは分かりますが気を鎮めて下さいまし。落ち着きがない女性が嫌われるのは世の常です。ローズブレイド家の娘なら常に優雅な淑女を心掛けなければ」

「ディアドリー、あなたニックス様と同学年だったでしょう!何をお好みか本当に知らないの!?」

「いえ、会話した事さえ無く面識もありませんので……」

「あぁもうッ!これじゃ何をどうすればニックス様に喜んでいただけるか分からないわ!」

 

恋をする女は誰にも止められない、どんな諫言も火に油を注ぐだけとは巷でよく言われるがまさか姉がここまで当て嵌まるとは思いも寄らなかった。

興奮を抑えきれず騎手を振り落とす荒馬のように今のドロテアが期待と不安で情緒不安定だ。

 

「もうダメ、ニックス様の事を考えてたらおかしくなりそう!体が火照るし胸が苦しくて眩暈までするわ!」

 

いっそ鎮静剤や睡眠薬を投与すべきか?

娘に対し恐ろしい考えが頭に浮かんだ伯爵は必死に思い留まる。

既にドロテアは幾つもニックス・フォウ・バルトファルトに無礼な物言いをしていた。

 

これ以上の醜態を晒す前に部屋へ押し込めた方が不興を買わずに済む。

いや、そんな真似をすればこの情熱がローズブレイド家全体に対する怒りとなって何を仕出かすか見当もつかない。

よくよく見れば手を力一杯に握り締め凍えるように体を震わせている。

其処までか、其処までたった一度だけ会話した相手に恋煩えるものなのか。

些か奇矯な所がある娘だとは思っていたが恋はこうまで女を変えるものなのか。

何度目になるか分からない溜め息をつきながら口煩くドロテアに縁談を急かした己の判断を呪う。

本当に、どうしてこうなった?

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

『そろそろ真剣に縁談を考えなさい』

 

戦争が終結し数ヶ月が経った頃から両親が急かすように縁談を持ち込んで来るようになった。

二十歳を超えた辺りから徐々に縁談の数が増えたが未だに縁が無い娘を心配しているのは分かるわ。

名門ローズブレイド家の令嬢でありながら適齢期の終わりが目前なのに未だ縁談を断り続ける私はさぞ珍妙な生き物に見えるのでしょうね。

 

だけど、これまで見合いの相手に心惹かれた事が一度として無いの。

そもそも人として認知してるかすら自分のでも怪しいわ。

どれだけ資産を自慢されても、どれだけ功績を誇られても、どれだけ美貌を見せつけられても何の興味も抱けない。

令嬢達の愛玩動物自慢を聞かされるようでピンと来ない。

諦めるか怒るかの違いはあれど成功しない縁談が続けば巷の噂も悪辣に変わるし、娘の気性に悩む両親に対する申し訳なさだって生まれるの。

 

だけど、どうしてもダメだった。

自分から社交の場に出向くようになったのは僅かな希望に縋ったのと婚姻を真剣に考えてると周囲に対するアピール。

口さが無い連中は婚期を逃して焦ってると嘲笑っていたが気にも留めない。

どの場でもそれなりに言い寄ってくる男はいたけれ誰もが浅ましい下心を隠し切れない獣しか居ない。

 

この日の夜会もいつも通りのルーティンで終わる筈だった。

言い寄って来た二人組は金と力を見せつければ女が靡くと勘違いした典型的成り上がり者。

あしらえばあしらうほど食い下がる男達に辟易した頃に一人の男性が近づいて来た。

服の上からも鍛えられた体と判る肉付きに見苦しくはない程度には整った顔立ち。

最低限の礼儀も弁えている事実から下級貴族の出といった所かしら。

まぁ、お礼としてこの夜会の間だけ相手をしてあげても良いかも。

 

そう思っていたのに彼は私が存在しないみたいに立ち去ろうとする。

はぁ?ありえないでしょう。

声をかける所か見向きもされない事に猛烈な怒りが湧き上がる。

呼び止めて会話する度に彼の語気が荒くなってゆく。

一方の私は体を駆け巡る未知の感覚に戸惑いを隠せない。

話せば話す程に鼓動が高鳴り懇々と湧き上がる熱が引く事なく全身を覆う。

 

『他人にどうこう言う前にその捻くれまくった性根を直せクソ女!』

『俺を犬扱いするならお前だって雌犬だろうが!』

『親の爵位を持ち出すんじゃねぇよアホ女!』

『お前の取り柄なんて外見と親の身分だけだ!さっさと家に帰ってパパに泣きついて来い!』

 

気が付けばいつの間にか走り出していた。

逃げ込むように辻馬車へ乗ってローズブレイド邸へ向かうように命じる。

怒りと屈辱で涙が滲み出し、破裂しそうな頭を必死に抱え今起きた出来事を忘れようと必死になればなるほど鮮明に蘇る。

 

知らない、こんな感情私は知らない。

誰かに殴られる経験は無く、面罵された事さえ稀。

他人の罵り言葉なんて今まで犬の遠吠えにしか聞こえなかったのに、あの男の言葉だけがずっと耳に残る。

忘れてしまえば楽になるのに私を襲った衝撃は今まで人生で最大の物だからとても忘れられない。

 

屋敷に到着したと告げられた瞬間、得体のしれない何かに怯えるように手足を動かして自室に戻る。

途中で私の帰宅を待っていた使用人達が何事かと驚く顔が見えたが一切無視して扉に鍵を掛けドレスを着たままベットに飛び込む。

偶々視界に入った枕を引き寄せ何度も拳で殴りつける。

許さない、絶対に許さない!

私を暴言で辱めておきながら無事なまま生かしておくものか!

一生私を忘れないように心と体に消える事のない証しを刻んでやる!

怒りの叫びを吠えながら力尽き意識を失い倒れ込むまで部屋の中を暴れ回った。

 

 

夜会から数日経ち怒りも漸く治まった頃、私は一人悩み続けていた。

屈辱的な言葉を吐いたあの男がどうしてか忘れられない。

寝ても覚めてもあの男の事ばかり考えてるのを自分でもおかしいとは思ってはいるのだけど。

 

瞼を閉じてあの瞬間を思い出すと怒りがすぐに蘇る、なのに一瞬で治まってしまう。

それなのに胸に宿った熱はずっと引かず鼓動が高鳴る。

食事量は減り睡眠も浅く気が付けば溜め息ばかりついている。

家族の皆が心配しているのに答えは出ない、ただどうしようもなく全てが億劫で日々を漫然と過ごす。

体調の悪化を侍医に相談したけどろくな回答は無い、役立たずな医者はクビにして方が良いわね。

 

ただ、あの男について考える時間だけが増えていく。

あの男、気付かれないように私を呪ったのかのかしら。

そんな私を心配したお父様が新しい縁談を持ち込んで来た。

お父様が何処ぞの貴族の誰それという男の写真を見せ、お母様がその男の特徴を告げるているのにまるで頭に入って来ない。

どれだけ素晴らしさを教えられても全てが色褪せて見える。

 

「どうかな?先方は乗り気だ、ローズブレイド家の婿としては見劣りする男ではない」

「はぁ……」

「では縁談を進めていいのね」

 

その言葉を聞いた途端、意識が急速に覚醒する。

縁談?私が?

今までそれとなくしてきた行為が途轍もない嫌悪感を催し全身が震える。

 

「嫌です!絶対に嫌です!」

「どうしたドロテア!?落ち着きなさい!」

「縁談なんて絶対にしません!これから二度と持って来ないでください!」

「何があったの!?今まで素直に受けてきたでしょう!」

「お姉様、暴れないでください!皆が困ってしまいますわ!」

「私、お慕いする殿方ができましたッ!!」

 

自分の口から出た言葉が他人の指摘に聞こえた。

言葉の意味を反芻して自分の身に何が起きたのかやっと腑に落ちた。

そうか、そうなの。

あぁ、これが誰かに恋するという感情だと理解したわ。

二十代の半ばに差し掛かって、やっと私に初恋という物が訪れた。

 

 

漸く初恋という感情を理解した私に訪れたのは焦燥の炎に炙られる日々。

『その男性は誰なのだ?』と皆に聞かれても答えられない。

あの御方の家柄、何処にお住まいなのか、御名前すらも私は知らない。

立ち振る舞いから貴族として最低限の教育は受けている、お召しの服からそれほど裕福な経済状況ではないとそれとなく察せられただけだ。

どうしてあの時に御名前すら聞かずに逃げ出した自分の愚かさが本当に呪わしいわ。

せめて誰か知っている者が居ないかとお父様に頼んであの夜会に参加したらしき者達に尋ねてもらったが満足な成果は得られない。

 

あぁ、愛しの御方。

貴方はいったい何処の誰なのですか?

せめて今一度、御目文字する御機会を私にお与えください。

貴方を恋い慕うだけ日々に私は狂ってしまいそうです。

投げつけられた言葉を思い出す度に背筋に電流が走ったように身悶えしてしまう。

 

ダメよ、はしたない真似は。

あの御方はきっとふしだらな女を嫌っていらっしゃる。

私の肉も心も魂すら捧げても惜しくはないのに、愛しの貴方は何処に。

貴方を想うだけの日々がこんなにもつらいなんて、なんて罪作りな御方なの。

 

そんな日々に変化が訪れたのは半月ほど後にディアドリーと共にお父様に呼び出された時。

いつになく厳しい顔のお父様が大きな冊子を机の上に置いた。

 

「まずい事になった。レッドグレイブ家から縁談の申し込みが来た」

「お父様、私は縁談を受ける気など……」

「お前の気持ちは分かっている。だからと言って無視する訳にもいかない。今の公爵家は王家の力を凌ぎつつある。手を拱いていてはローズブレイド家の力は衰える一方だ」

「座して死を待つだけなのは性に合いませんわ。ここは恭順とはいかないまでも友好的な姿勢を見せるべきかと存じます」

「その通りだ、筋を通せば公爵家とて強気には出られない。とにかく一度会うだけでも構わない」

「御相手は?ローズブレイド家と釣り合う家格をお持ちでなければ断る理由になりますけど」

「……男爵位だ」

「それでしたら断るのも容易でしょうに。わざわざローズブレイド家が受ける理由はありませんわ」

「その相手は公爵家の娘婿リオン・フォウ・バルトファルトの兄だ。断るには些か厄介な相手になる」

「あの成り上がり者の」

「公爵家はあからさまに我々と手を結ぼうとしている。払い除けるにはそれ相応の力が求められるだろう」

「仕方ありませんわね。お姉様と私のどちらがお相手ですか?」

「それは話し合って決めなさい。ドロテアの心を奪った相手もまだ見つからないからね」

 

好きな相手が出来ても家の都合で結婚させられるのが貴族の義務であり運命。

物語で悲恋に悩む女達はどうしてこう見苦しいのか分からなかったけれど、今になって心から理解できる。

こんな想いを秘めたまま別の男に抱かれろなんて拷問じゃない。

 

でも断るには相手が悪過ぎる、私も妹を差し出してまで自分の恋を貫けるほど人でなしじゃないし。

嫌々ながら置かれている冊子を手に取り開く。

瞬間、私の世界が覚醒する。

その目、その鼻、その耳、その口、その髪。

あぁ、忘れられるものか!

出会えた! やっと出会えたッ! 麗しの君! 私の愛しい御方!

喜びの咆哮が家に轟いた直後、興奮し過ぎた脳の負荷に耐えきれず私は意識を手放した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「まさかお姉様の初恋の相手がお見合いの相手だなんて……。偶然にしては出来過ぎでは?」

 

視線の先に居るドロテアは先程までとは打って変わって落ち着いていた。

胸の前で手を組みながら天を仰ぐ姿は敬虔な信徒にも見える。

 

「あぁ、神様。この出会いに感謝致します。清く正しく生きていれば必ず報われる時が訪れるのですね。いえ、ニックス様と結ばれるの為に今まで縁談が上手くいかなかったのでしょう。私、喜びのあまり昇天しまいそう」

 

((本気で言ってるの?))

 

その場に居た全員が『清く正しいとは?』という疑問を一斉に抱いた。

同時にこの令嬢に恋い慕われる相手の不遇に同情した。

周囲の視線を無視して、いや気付く事なくドロテアは感謝の祈りを捧げ続ける。

その姿を見る一家はこの縁談の成功率が限りなく低い事実に落ち込んでいた。

特に当主であるローズブレイド伯爵は娘が喜びから絶望へ一気に叩き落され子爵家・伯爵家・公爵家を巻き込んだ争いが起きる未来を予想し絶望の淵に居た。

せめて見合いの相手の弟がリオン・フォウ・バルトファルトでなければ此処まで悩まずに済んだであろう。

あの若者こそホルファート王国に於ける変革の象徴と言っていい。

全ての問題は其処に帰結する。

 

発端はファンオース公国との戦争、あのひどい戦はこれまで根付いていた王国の価値観を一変させてしまった。

国祖達が冒険者という歴史故にホルファート王国では冒険者の社会的な地位は他国と比べても非常に高いものだった。

冒険で功績を上げ貴族と為り、子々孫々が更に冒険による実績で確固たる地位を築き上げる。

それが王国に於ける理想的成功例であり、その代表といえるのがローズブレイド家だった。

 

故に貴族は先祖以上の繁栄を求めダンジョンに挑み続けた、それこそ領地の経営を部下に任せ領民を粗雑に扱っても文句が言われない程に。

一方で戦功や商売によって貴族に取り立てられた者は低く見られた。

特に国境近くの小競り合いや空賊退治で成り上がった者に対する嘲笑はひどいものがあった。

 

ホルファート王国の貴族社会を揺るがしたのはファンオース公国との戦争だった。

いくらホルファート王国に於ける貴族の平均的武力が他国より秀でていても、それが戦の役に立つとは限らない。

突然の侵攻に貴族達は慌てふためき有効な手段を何一つ取れない、酷い者は領民を見棄て我先に逃亡する始末だった。

 

そんな状況を変えたのは一人の少女、平民出身でありながら敵総大将であるヘルトルーデ・セラ・ファンオースを討った聖女オリヴィアの存在である。

平民が醜態を曝け出した貴族を尻目に志ある者達と団結し国を救う。

厄介な事に別の地では下級貴族の子が敵軍を一時撤退させるという快挙を成し遂げていた。

下級貴族の出身であり平民同然に育ち学園に入学すら叶わず軍に入るしかなかった貴族社会の落ちこぼれ。

そんな十代半ばの少年が部隊を率い傷を負いながらも司令官を討ち取り敵軍を退けた。

並みの貴族は勿論、冒険者として優れた功績を残す貴族にもそんな真似は不可能だった。

 

ならば貴族の存在価値は何処にあるのか?

血筋を誇り暖衣飽食を貪りながら領地を治める事も領民を護る事も能わず、ダンジョン探索に明け暮れ敵が攻めてくれば宝物を手に我先に逃げ出すならず者。

聞けば彼の者の家は辺境で代々戦功を上げ貴族として最底辺の爵位を授けられ貧しい生活を送っている。

どちらが君主に相応しいなど誰の目からも明らかだった。

学園の上級クラスに所属しておきながら戦功を上げられない者は下級貴族の次男坊や平民すら劣る者として侮蔑される。

同時に冒険者としての功績など火急の時には全くの役立たずという認識が王国全体に広がった。

 

それは代々冒険者としての功績によって尊敬を集めてきたローズブレイド家にとって致命傷と為りえる事態である。

無論、ローズブレイド家は今まで領地経営を真摯に行ってきたし戦争に於いても公国軍からの防衛に成功している。

 

しかし、領地の防衛が敵将の討伐に見劣りするのは致し方ない事だ。

それを為しえたのが上級貴族から存在さえ認識されない下級貴族や平民なら尚更である。

故に公国との戦争が引き分けで終わった直後から上級貴族は行動を開始する。

自分の姉妹や娘達を戦功を上げた者へ嫁がせる事で戦力の増強を図る。

 

その筆頭格がリオン・フォウ・バルトファルトだ。

最低限の教育しか受けていないのに戦術を使い熟す頭脳。

十代半ばで部隊を率いる指揮力と影響力。

少数部隊で傷付きながら敵将を討ち取った武力と胆力。

あれは稀少鉱物の原石だ、磨けばどれだけの傑物になるか予想がつかない。

故に少し知恵の回る者達は彼との婚姻を進めようと画策する、ローズブレイド家もそのうちの一人だった。

 

未婚のドロテア、或いはディアドリーとリオン・フォウ・バルトファルトを婚姻させれば戦力の増強と名誉の回復が同時に為される。

そう思い密かに接触を試みるも上手くいかない。

王国内の上級貴族は互いを牽制し合った上に、当時のリオン殿は戦傷を理由に退役している。

 

おまけに彼へ与えられた領地は未開拓の浮島だ、開拓に必要な費用を負担するのは彼の婚約相手の実家になるのは明白だった。

その隙に物の価値も分からない下級貴族との縁談が持ち込まれたらしいが上手くいってない。

心身を病んだ成り上がり者に身内を嫁がせ、宛がわれた領地の開拓に必要な金をせびられでもしたら共倒れになりかねない。

 

誰もが二の足を踏んだ状況で先んじたのはレッドグレイブ公爵家だった。

文句を付けようにも王家に次ぐ力の持ち主に対し面と向かって逆らえる者など存在しない。

誰もが苦し紛れに公爵家の酔狂と笑った。

その結果はバルトファルト領に於ける療養施設の開設と領地開拓の順調な発展、公国との再戦で数多くの命を救ったリオン殿に対する賞賛である。

誰もが認めるしかない、リオン・フォウ・バルトファルトの優秀さと後援するレッドグレイブ家の強大な力を。

 

今後の王国は公爵家が中心となる、娘婿であるバルトファルト家と繋がりを持てば自然な流れでレッドグレイブ家とも昵懇になれる。

幸いにしてバルトファルト男爵家は子沢山であり、未婚の兄弟姉妹が一人ずつ居る。

そのうちの一人と婚姻を為せば当面の間は危機を回避できるだろう。

 

公爵家から縁談を持ち込まれたのは僥倖だった。

この縁談は成功させなければならない、この際娘達の気持ちは二の次である。

聞けばバルトファルト家の長兄ニックスはなかなかに優秀な男であるらしい。

比較対象がリオン殿なのでかなり見劣りを感じるが、それはあまりに酷な話だ。

学園から取り寄せた資料や持ち込まれた情報によれば謹厳実直な人柄と聞き及んでいる。

何より戦時では弟の補佐に徹し、部下や他の貴族が指揮する軍の折衷を担当したのが彼との事だ。

弟ほど優れては居ないかもしれんないが、娘婿として考えるなら寧ろ好感を持てる。

些か、いやかなり峻烈な部分がある娘達にはこうした男の方がちょうど良いのかもしれない。

これは良縁だ、何としても成功させなくては。

ローズブレイド伯爵は調査資料を読み終えると早速娘達を呼び出した。

 

 

「ふぅ~~」

 

ゆっくりと息を吐き出した伯爵の顔は暗い。

こんな事になるとは思わなかった。

まさかドロテアが惚れた相手が見合いの相手とは。

突如叫んで卒倒したドロテアを慌てて部屋に運び医師の診断を受けさせた。

事情を聞くとなんと娘が捜し求めた男こそニックス・フォウ・バルトファルトと判明する。

偶然とは恐ろしい物だが、これこそ好機と思い早速公爵家へ縁談を了承すると使者を出した。

 

そうして部屋に戻ると妻とディアドリーが青褪めていた。

一方のドロテアは顔を上気させたまま食い入るように見合い写真を凝視している。

何事かと妻に尋ねるとドロテアとニックス殿の出会いを更に詳しく聞き出したらしい。

その詳細を聞き終えた後に今度は絶望で私が膝をついた。

まさかドロテアがニックス殿を激怒させていたとは思いもよらなかった。

今までの縁談のように多少の嫌味は吐いたかもしれないと思っていたが今回は度が過ぎていた。

これではバルトファルト家との縁談はとても纏まりそうにない。

 

ひょっとして公爵は既にこの事をご存知だったのでは?

そう考えた瞬間、どうしようもない悪寒に襲われる。

現在ローズブレイド家はレッドグレイブ家と敵対していないが、あくまで現時点に於いてという前置きがあるにすぎない。

貴族にとって敵対していない第三者は味方ではなく今は敵対していないというだけだ。

いずれ敵に回るかもしれないなら先んじて潰しにかかるか友好的に懐柔を図るのが貴族社会の常識。

 

これは公爵家が用意した罠か?

そんな考えが頭の中をよぎるとそうとしか思えなくなる。

これは懐柔ではなく脅し、子供の喧嘩が戦争の原因になるなど史書を紐解けば幾らでも散乱している。

争いとは他人が見て馬鹿馬鹿しい切っ掛けで起きうる。

このまま自分がローズブレイド家最後の当主になるのだけは回避したかった。

取り潰される危機を回避する為ならドロテアだけでなくディアドリーを捧げる必要があるかもしれない。

貴族にとって家の存続こそ最優先するべき選択だ。

既にディアドリーにはそれとなくリオン殿を見極めよと命じてある。

さすがに娘を二人同時に政略の道具として用いるのは気が引ける。

 

しかし既に賽は投げられたのだ。

横目で娘二人をじっと窺う。

娘達には幸せな結婚をして欲しい、そんな父親としての愛情と貴族としての冷徹な思考が考させる。

話し合いが必要だ。

 

まずニックス殿、次いでリオン殿に誠心誠意の謝罪をしよう。

爵位など関係ない、何しろバルトファルト家の背後にいる公爵家は既に王家の力を凌ぎつつあるのだから頭を下げた所で問題は無い。

せめてニックス殿がドロテアを赦してくれる事を祈ろう。

運が良ければ少しの間だけ付き合ってくれるだけでも良い。

結婚までは望まない、ただ初めての失恋のショックでドロテアが自害するような事態だけは避けて欲しい。

もし上手くいったならローズブレイド家はその恩を忘れない。

バルトファルト家の要請に何でも応じよう。

それが父として当主として出来る最後の譲歩だ。

ローズブレイド伯爵は悲壮な覚悟を胸に家族の身を案じた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

部屋に戻って少しでも気を落ち着けようと忙しなく室内を歩き回る。

既に見合いの予定時間まで三時間を切っていた。

もうニックス様をお迎えする用意の変更は出来ない、後は最善を尽くすのみ。

壁に掛かった額縁を外す。

収納されているのは絵画ではなくニックス様の御写真を大きく引き伸ばしたもの。

愛おしそうに額縁をひとしきり撫でた後、写真に写る男性の口の部分に自分の唇を重ねた。

それだけで途方もない多幸感で意識を失いかける。

時計の針が進む度にニックス様が此方に少し近付いてる、そう思うと気が狂いそうになってしまう。

 

もしこのまま御声を聞いたらどうなってしまうのだろう?

婚約が成立したら? 婚姻が決まったら? もしニックス様に抱かれたら?

妄想が止まらず体が震える、このまま待っているだけで意識が飛びそう。

胸に宿った火がずっと灯り続けている。

 

あぁ、これが恋なのね。

今までの私は生きていなかった、ただ息をして食事をして眠るだけで本当の意味で生きていなかった。

世界はなんて美しいのでしょう、この世の総てが私を祝福しているように見える。

窓を開けて空に輝く太陽を見上げる。

この空の下であの御方が今も私に会う為に此処へ近づいている。

たったそれだけで全ての人に優しくなれるぐらい幸せだった。

 

「お待ちしていますニックス様♥私は貴方の虜です♥」

 

ニックス様の御耳に届くよう私は愛の言葉を放った。

 

 

「嫌だ!絶対に嫌だ!俺はあの女と付き合わない!さっさとうちに帰らせろ!!」

「落ち着けニックス、別に付き合えって言ってる訳じゃない。取り敢えず顔合わせするだけだ」

「絶対嘘だ!あの女、俺が『見た目と家柄だけの女』って罵ったから本当に家の力で潰しに来やがった!」

「そんな事は無いと思う。向こうはニックス兄さんをご指名だし」

「リオンじゃなくて俺を指名って時点でおかしい!明らかに俺を標的にしてる!罠に決まってるだろ!この見合いは中止だ!」

「ダメよニックス。せっかくおめかししたのに台無しだわ」

「これから家同士の争いになるのに着飾ってる場合かよ!」

「兄さん、見合いも悪くないぞ。もしかしたら向こうが兄さんを気に入って縁談を持ち込んだのかも」

「お前、自分が見合い結婚して夫婦円満だからって浮かれ過ぎるぞ!兄を尊敬するなら逃げるのに協力しろ裏切り者!何とか中止になりませんかアンジェリカさん!?」

「申し訳ありません義兄上。この縁談を斡旋したのは公爵家です。断っては各方面に些か支障が出ます」

「ちきしょう!どうして俺がこんな目に!」

 

その頃、ローズブレイド領に向かう飛行船の一室でニックス・フォウ・バルトファルトが見合いから全力で逃げ出そうと画策するも家族に拘束されていた。

 

「弱くて善良な奴を助けてくれる神様なんていねぇ!!世の中間違ってる!!」

 

彼の悲痛な叫びはドロテアに届く事はなかった。




ドロテア&ローズブレイド伯爵回。
思いの外文量が増えたのでリオン&アンジェは次回へ持ち越しです。(無念
ちなみに原作でリオンと親しくなったヒロインや候補達は前の戦争が終結後にリオンと見合いする可能性がありました。(死亡したヘルトルーデ、出会わなかったノエルやルイーゼ等を除きます
原作だともっとはっちゃけたドロテアさんですが今回は控えめ、エキセントリックな部分は今後書く予定です。

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第39章 依依恋恋●

飛行船が高度を下げ着陸態勢に移行する。

室外から伝わってくる乗務員が慌ただしく準備する足音とは対照的に貴賓室は静寂に包まれている。

流石にこの時点ともなれば義兄上も諦めがついたのだろう。

顔色こそ青褪めたままだが隙を見て逃走しようという思惑は完全に失ったと思われる。

誤魔化す為に化粧を施すか少量の酒を飲ませるべきかと皆で相談するも止めておく。

下手に刺激してこれ以上の騒動が起きるのは御免蒙りたい。

 

「兄さん、此処まで来たら覚悟を決めろよ」

「分かったよ、俺も貴族の端くれだ。最低限の努力はする」

 

拘束していた縄を解かれても義兄上は落ち着いたままだった。

これなら見合いの場で醜態を曝さず済みそうに思える。

 

「言っておくが会うだけだ!上手くいくなんて保証しないぞ!伯爵家や公爵家が何を企んでようが破談になっても俺のせいじゃねぇからな!」

「分かった、分かったよ。俺達もそこまで強制しない。いろんな所へ義理立てしなきゃうちも不味いんだって」

「ったく、どうしてこうなる……」

 

青褪めた義兄上の左右を逃げられぬようにリオンと義父上が固め乗降口へ向かう光景は犯罪者の移送にも見えた。

ローズブレイド領の空港はバルトファルト領とはまた違った趣がある。

開拓に用いられる大量の資材を運ぶ為に大型飛行船の搬入を想定したバルトファルト領とは違い、ローズブレイド領の空港は冒険者用いる小型の飛行船が大量に停泊を可能としている。

 

但し、停泊している飛行船の数はかなり少ない。

確かに領主の娘の婚姻が行われるなら空港は整備されて然るべきだが、この状況は整頓されているというよりは閑散に近い。

ぼんやりとそんな事を思いながらタラップを降りると赤絨毯が敷かれていた。

その途中には佇むドレスに身に纏う女性が一人佇んでいる。

見覚えがある容姿に内心の苛立ちを隠せない。

 

「ようこそバルトファルト家の皆様。本日はお越しいただきありがとうございます。私、ローズブレイド家の息女ディアドリー・フォウ・ローズブレイドと申します。我が父ローズブレイド伯爵より当家へ皆様をご案内させていただきます」

 

恭しく首を垂れるその動きは洗練された淑女教育を受けた貴族女性の振る舞いその物だ。

尤も内心はどう思っているか分からない。

誇りの高さは時に傲慢となり周囲を威圧し嫌われる。

私が知るディアドリー・フォウ・ローズブレイドはそんな女だった。

バルトファルト家の面々が順に挨拶している最中もその眼光は新参者を値踏みしている貴族その物だ。

 

そしてディアドリーの視線は当事者の義兄上でも義父上でもなくリオンに注がれている。

またこの状況か、思わず舌打ちしなくなるのを懸命に堪える。

業腹ではあるが現時点に於ける立場はローズブレイド家が上、我々が遜らなければならない。

 

「リオン・フォウ・バルトファルト子爵です。今日は兄の付き添いとして来ました」

「アンジェリカ・フォウ・バルトファルトです。ディアドリー様もご壮健で何よりです」

 

愉快そうに肩を揺らすディアドリー。

嘗ては公爵令嬢として自分より立場が上だった私がバルトファルト子爵夫人となり立場が逆転したのが愉快らしい。

昔の知り合いと出会うと憐れみと蔑みが入り混じった視線を送られる事も多い。

最初は腹立たしく感じた物だが慣れると大して気にもならなくなる。

今の私はバルトファルト子爵夫人だ、リオン・フォウ・バルトファルトの妻というただそれだけの事実が誇らしい。

 

「では、バルトファルト男爵家(・・・)の皆様は彼方の馬車に」

 

ディアドリーに告げられて義兄上、義父上、義母上、コリンが馬車へ乗り込んだ。

敢えて男爵家と伝えるディアドリーは底意地が悪い。

貴族の中には馬車に搭乗する者の身分によってあからさまに様式や対応を変える者もいる。

用意してあった馬車は同じ様式のようだが、男爵家の四人と子爵家のリオンを私を分断したのは些かいただけない。

 

「ディアドリー先輩、質問してよろしいですか?」

「もう学園ではないのだから畏まらずとも結構ですわアンジェリカ」

「ではディアドリー、いったい何のつもりだ?」

 

少々明け透け過ぎるが許可したのは向うだ。

まだまだ政に疎いバルトファルト家の面々を私が護らなくてはならない。

 

「何とは?」

「とぼけるな、男爵家と子爵家を分けて何を企てている?」

「あらあら、相も変わらず癇が強いですこと。そんな有り様だから王家のご不興を買ったのではなくて?」

 

相も変わらず嫌味な女だ、苛立ちを抑え込みながら会話を続けるには少々骨が折れる相手と再確認する。

 

「知り合いなのか?」

「王都にいた頃の顔見知りだ。学園では二年先輩にあたる」

「そうか」

 

横で私とディアドリーの会話を聞いていたリオンが加わった。

無邪気なのか空気を読んだのか分からないが少しだけ私の気が紛れ落ち着く。

 

「改めて自己紹介を、リオン・フォウ・バルトファルト子爵です」

「ご活躍はよく存じていますわ。良い意味でも悪い意味でも」

「それはどうも」

 

扇で口元を隠しながらリオンの様子を窺うディアドリー。

礼節を弁えてながらリオンを値踏みするような視線を送り続けるのが腹立たしい。

 

「随分と羽振りがよろしいご様子。聖女様を領地へお招きして宣伝とは考えたものですわね。バルトファルト卿は将才のみならず商才もお有りのご様子。是非ともご教授にあやかりたいものですわ」

「俺は何もしちゃいませんよ。アンジェが頑張ってくれてるからこその賜物です」

「ご謙遜を。全てはバルトファルト卿の精進の賜物と見受けられますわ」

 

過剰とも言える程にリオンを褒めそやすディアドリー。

おそらく目的はリオンの値踏みだろう。

領地経営を妻とその実家に丸投げして自身は遊興に現を抜かす成り上がり貴族も王国内では増えている。

最近リオンをこうした放蕩貴族と同一視してちょっかいを手を出そうとする女も後を絶たない。

今日のディアドリーほと露骨なのは稀だが。

もしやローズブレイド伯爵の差し金だろうか?

名のある貴族の男なら側室や愛妾を囲うのも決して珍しくはない、自らの姉妹や娘を差し出すのも政争に於ける常套手段の一つだ。

 

「妻の横で夫を口説くとは感心しないな。いつからローズブレイド家はお零れを狙うほど卑しくなった?」

「意中の男性に近付く女性を排斥しようとする所は変わりませんわね、悋気深い妻は夫の器量を下げるのではなくて?」

「戦が望みかディアドリー?」

「あら怖い、綺麗な御顔に皺が寄っていましてよ」

 

其方が引かないのなら私も引くつもりもない。

周囲の者達は私達の間に漂う空気に後退りを始める。

 

「ディアドリーさん、そうアンジェをイジメないでやってください。アンジェは怒ると加減が出来ませんから」

 

にこやかに笑いながらリオンが割って入る。

こうした舌戦は社交界における洗礼だ。

如何に表面を取り繕い称賛の態で相手の急所を狙うか、化粧と装飾で彩りながら足元で相手の向う脛を蹴り合うのが貴族と嗜みと言っていい。

 

「あら、別に言い争いなどしておりません。単なる社交辞令でしてよ」

「そりゃ失礼を、なんせ不調法な田舎者でして。宮廷のやり取りについて未だになれない事も多いんで戸惑います」

「仕方ありませんわ、新たに叙爵された方々に行き届かない部分があるのは致し方無き事かと。このような時の為に王国には学園が存在しておりましたのにまさか休校になるとは残念ですわ」

 

ディアドリーの言い分は『成り上がり者の礼儀知らずは学園に通ってやり直せ』という意味だ。

貧しさ故に貴族として真っ当な教育を受けられず学園に通えなかったリオンに対する嫌味としては実に上手い弁だ。

腹立たしいので言い返そうと思って前に出ようとするもリオンに止められた。

 

「えぇ、荒事と農作業で漸く身を立てられた若輩者なんで。他の貴族の方々みたいに先人の眠りを妨げる程の度胸はとても持ち合わせていません」

 

『先人の眠りを妨げる』、これはダンジョン攻略や遺跡探索に対する蔑称だ。

国祖が冒険者であるが故にホルファート王国は冒険者の社会的地位が高いが、他国に於いて冒険者は山師・盗掘者・墓荒らしとして軽んじられる事も多い。

そして冒険者の功績で名門貴族の地位を維持してきたローズブレイド家に対する皮肉としては上手い。

 

「……確かに不調法なご様子。奥様に礼儀をご教授されては如何ですの」

「そうですね、兄の見合い相手の家すら覚えられない出来の悪い弟ですから。確かローズヒップ(・・・・・・)家でしたか?」

ローズブレイド(・・・・・・・)家ですわ!」

「失敬、なにしろ成り上がり者なんんで。最近功績を上げた連中の名前ぐらいしか憶えられない若輩者だからご容赦を」

「……っふ」

 

思わず笑いがこみ上げてしまう。

宮廷マナーの教育過程で気付いたがリオンはかなり口が達者なのだ。

幼い頃から姉と妹から罵声を浴びせられた経験からか嫌味に関しては其処らの貴族には劣らない。

更に戦場では敵に戦意を削ぐ為に罵声や挑発に関して知恵が回る者は重宝される。

見事に返されたディアドリーは声を荒げ肩を震わせ始めた。

私達は争いは望まない、然りとて言われっ放しで退散するほどお人好しでもないのだ。

さて、これでローズブレイド家はどう出るか?

数十秒間の沈黙が流れた後にディアドリーは私を睨んだ。

 

「アンジェリカ」

「何だ」

「なかなかに面白い夫ですわね」

「横に居て退屈しない事だけは保障する」

「俄然興味が湧きましたわ。私がバルトファルト卿を口説き落としてもよろしくて?」

「認めん、リオンは私だけの夫だ」

 

本心では認めたくはないが、どうしてもリオンが側室や愛妾を望むなら受け入れるだけの度量を私は持ち合わせてはいる。

但し、その場合は私のお眼鏡に適う女性だけを認める。

リオンを心の底から愛している。

それがリオンの側室や愛妾に求める最低限の条件だった。

ディアドリーは確かに美しく賢い女だ。

だが彼女の存在は政治的な意味合いが強い上にリオンに対する興味は有っても好意は感じられない。

そんな女にリオンの隣を赦すほど私は大らかな妻ではなかった。

 

「残念ですわね。私、バルトファルト卿に興味が出ましたのに」

「それはローズブレイド伯爵の意思か?」

「その辺りも踏まえて話し合いましょう」

 

ディアドリーが手を鳴らすともう一台の馬車が動き出す。

どうやら伯爵邸に到着する前にひと悶着ありそうだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「つまりローズブレイド家はレッドグレイブ家と協調を望んでいると」

「だけど兄さんとドロテアさんが既に出会っていたのは計算外って訳か」

 

話を聞いてみて漸く事態が把握できた。

同時に義兄上とドロテアの見合いが到底上手くいきそうにない状況に困惑する。

 

「危機的状況、という程ではありませんが今のローズブレイド家は決して芳しいとは言えませんわ。戦争で多くの血が流され権威は落ちつつあります。戦後の復興を最優先する為には領地経営に注力しなければなりません」

「全然落ち込んでるように見えないんですけど」

 

長閑な辺境地のバルトファルト領と違いローズブレイド領は発展した城塞都市に近い。

舗装された道路や石造りの住居の多さはバルトファルト領と比較にならない。

 

「もっとこう、冒険者を代々輩出してるっていうから荒くれ者ばっかの無法地帯を想像してました」

「貴方、王国の貴族なのに冒険者に憧れないんですの?」

「ちっとも。何せ平民と大差ない生まれと育ちなもんで。一獲千金を考えるほど夢見がちじゃありませんよ。まぁ戦働きで貴族になった家系な上に、俺自身も戦場で手柄を立てて貴族になったって意味ならこれがバルトファルト家の特徴なんでしょう」

「……全く理解できませんわ。アンジェリカ、貴女どうしてこの方と婚姻しましたの?」

 

そう問われると返答に困る。

ホルファート王国の男子の殆どは冒険者に憧れるし、女子も冒険者の先祖に畏敬の念を抱いている。

最初から畑を耕す生活に憧れ、追い詰められると冒険者ではなく兵になる道を選んだリオンの感性はホルファート王国の貴族どころか全体から見ても異端だ。

そんなリオンが冒険者として大成できそうな頭脳と身体能力を有しているのは皮肉としか思えない。

 

ただ、そんなリオンだからこそ私が惹かれたのも事実なのだ。

単なる冒険者として名を上げた、若しくは戦功で成り上がっただけの男が婚約者ならば、私はその才能を上手く利用しようとは思っても心の底から愛せたとはとは思えない。

こうして仲睦まじく夫婦をなっているのは神の采配としか考えられなかった。

 

「まぁ、言葉では説明し難いな。家柄や能力以外に惹かれる物が彼に存在していた、それだけだ」

「随分と幸せそうですこと。醜い成り上がり辺境貴族の慰み者になってると評判でしたのに」

「噂など当てにならん。殿下との婚約を解消された私が幸せそうに生きているのが気に食わない輩が多いだけだ」

 

そろそろ本気で噂の払拭に動き出してもいい頃合いかもしれないな。

私だけでなくリオンの評判まで悪くなるのはバルトファルト領にとって全く益が無い。

 

「ローズブレイド家はレッドグレイブ家と手を組む、そう判断して間違いないな?」

「えぇ、もとよりそのつもりですわ。お姉様のお見合いの結果云々に関わらずこれからは公爵家と協調した方が有益と判断しました」

「王家に対する叛意を疑われないか?」

「男爵家と伯爵家の縁談と侮っているか、裏で公爵家が手引きしてると知りながら傍観しているのか。前者なら無能、後者なら王家の弱体化が浮き彫りになります。愚かで力無き者に仕えるほどローズブレイド家は酔狂ではございませんわ」

 

王家は下級貴族の婚約に関して介入が無いも同然だが、上級貴族同士の婚約については別物と言ってよいほど制限が課せられていた。

力を持った家同士が婚姻によって一体となり叛乱の萌芽を防ぐ為に厳格なまでに審査を重ね王家の承認が必要となる。

国内のパワーバランスを制御する為に有力貴族の婚姻を規制するだけの力が今のホルファート王家には無いのか、それともある程度は見過ごして国内の復興を優先したいのか。

王家の思惑が何処なのかこの後で調べる必要がある。

 

「私達といたしましては別段お姉様に限定した婚姻でなくてもかまいません。如何でしょうバルトファルト卿?私を側室として娶るのはお嫌ですか」

「ディアドリーさんはそれで良いんですか」

「貴族の婚姻なんて最初から愛がある方が稀ですわ。正妻にしろとも産まれた子を嫡子にしろとも申しません。私、貴方本人に興味が湧いてきました」

 

口元に笑みを浮かべ時折私を窺うディアドリー。

挑発と分かりきっている、分かりきってはいるが看過できるとは限らない。

かと言って口論するのも不味い、先程はまんまと挑発に乗ってしまった。

妊娠の影響か最近は感情の制御が覚束ない。

 

「遠慮しときます。俺の嫁はアンジェだけです」

「複数の妻を娶るのも男の器量と思いますけど」

「成り上がり者の俺には嫁が増えても困るだけなんで。複数の嫁を平等に愛するのに苦労するより一人の嫁を心底愛してやるのが性に合ってます」

 

リオンが隣に座っていた私を引き寄せて肩を抱く。

見上げると先程の不敵な笑いと違い優し気に微笑む彼の顔が目の前にある。

駄目だ、胸に熱い物がこみ上げて彼の顔を正面から見られない。

 

「お熱い事で。分かりました、私と貴方の婚姻は諦めます。あくまで現時点に於いてですけど」

 

ディアドリーは私達夫婦の間に割り込むのを諦めたらしい。

但し、当人が言っているようにそれは現状が維持された場合に於いてだ。

今のホルファート王国の政情は不安定過ぎる、戦後のこの平穏が次の戦争までの僅かな休息にならないとはとても言えなかった。

 

 

屋敷に到着すると手入れの行き届いた廊下を丁重に案内された。

ローズブレイド家が住む屋敷は城と称しても違和感が無ないほど重厚に作られ、ファンオース公国との二度に渡る戦いでは防衛都市として陥落する事なく最期まで持ち堪えた。

冒険者の祖先を誉れとし武を偏重した家風は領地の構造その物から察せられる。

商家や豪農と大差ない屋敷に住み領土を防衛する城壁も最新の鎧も無いバルトファルト家とローズブレイド家の間には圧倒的な兵力差を肌で感じられる。

リオンが陞爵し伯爵となった所でその差は埋まらない。

伯爵の娘であるドロテアに対し無礼を働いたと義兄上が原因で一方的な殺戮劇が起きても不思議ではなかった。

 

案内された客間には先に到着した四人が待機している。

義兄上の顔色は更に青みを増し、義父上も緊張した面持ちだ。

一方でコリンは室内に飾られている装飾品に興味津々であり、義母上は出された茶菓子を呑気に食している。

 

「兄さんの様子は?」

「緊張してるね、父さんもだけど」

「こんな屋敷に住んでるお嬢様と見合いだからそりゃ緊張するだろうな」

「僕は王都の公爵邸より、こっちの方が好きだよ。ワクワクする」

「公爵邸は他家に対する牽制の意味で華美に築かれている。冒険者や英雄に憧れるならローズブレイド邸の重厚さの方が好ましいとは私も思う」

「俺は今の屋敷で十分だよ」

 

義母上と一緒に茶菓子を頬張りながら現状で満足するリオンはこの国の貴族としては異質だ。

彼にとっては名誉ある称号も華美な屋敷も最新式の鎧も興味を引く物ではない。

のんびり畑を耕し愛する人達と慎ましい暮らしを営む為に必要最低限の物さえあれば満足なのだろう。

リオン、いやバルトファルト家は本来政争とは無縁の人生を歩んでいた筈なのだ。

バルトファルト家をこの状況に追いやっているのは私、そして私の後ろにあるレッドグレイブ公爵家の存在。

 

私と結婚しなければリオンが次から次へと面倒な問題に巻き込まれる事は無かった。

彼はあの別宅で誰とも関わる事なく、静かな余生を生きていたのかもしれない。

リオンが功績を上げる度に彼の周囲に人が増える、リオンの中で私の存在が徐々に小さくなるような錯覚すら覚える。

 

『如何でしょうバルトファルト卿?私を側室として娶るのはお嫌ですか』

 

もしもリオンがディアドリーの提案を受け入れていたら?

そう思うと背筋に寒い物を感じた。

無理やり思考を切り替えて時計を確認する。

待ち合わせまであと二時間、慣れないこの地で目的の場所に行くにはすぐにでも移動した方が良い。

 

「リオン、そろそろ時間だ」

「そうか、じゃあ行ってくるから」

 

本来は私達夫婦もこの場に残るべきだとは理解している。

だが、これから向かう先で待ち受けるのは男爵家と伯爵家の婚姻以上の厄介事だ。

バルトファルト家の面々に申し訳ない気持ちが胸を苛むが、下手をすると義兄上とドロテアのお見合いの結果を待たずにバルトファルト領が崩壊しかねない。

 

「どうしても行くのか薄情者」

「これから会うのは太客だって何度も説明したじゃん。上手くいきゃバルトファルト領がもっと豊かになる」

「王都からはるばる此方の予定に合わせてくれたのです。商談に遅れては命取りになりかねませんので」

「こっちは任せておいて」

「頼むぞコリン、父さんと母さんは当てにならない」

 

客間から出てローズブレイド家の使用人に声を掛け馬車を用意してもらう。

訝しげに私達を見る使用人の視線が痛い。

見合いの直前に相手の身内が外出するのは流石に印象が悪過ぎる。

周囲から粗略な扱いを受けても為さねばならなかった。

これを出来るのは私だけだから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

予め用意してある地図で場所を確認する。

目的地はローズブレイド領の一画にある高級宿。

ローズブレイド家は冒険者で名を成した家柄故に領内でも冒険者に関係する店が多く建ち並ぶ。

近接武具、銃器、防具、道具屋、鑑定所、冒険者ギルド、賭博所、娼館、宿屋等々。

此処で装備を整えた冒険者がダンジョンに挑み稼いだ金銭を消費させ領内の経済に還元する。

ローズブレイド家の歴史は自身の功績とこのサイクルを維持する事で成り立っていた。

 

その維持に無理が生じつつあるのも今回の見合いが行われた裏事情だろう。

戦時中にダンジョンに挑む冒険者は少ない。

確かに競争相手は減るだろうが同時に協力者も減る。

危険なダンジョンや未発見なダンジョンほど他者との協力が不可欠であり単独で挑むなど自殺と同意義だ。

例え無事にダンジョンから生還しても戦闘に巻き込まれたり斥候として攻撃されないとも限らない。

冒険者とおいう存在は国が安定して初めて成り立つ。

戦争が終わったとはいえダンジョンに挑む冒険者が少ない現状はローズブレイド領にとって死活問題となる。

 

「案外、公爵家との関わり抜きにこの縁談を持ち掛けられたかもしれんな」

「どういう事だ?」

 

目的地近くの停泊所まで送ってもらった後、リオンと宿までの道のりを歩く。

冒険者という職業に関して憧れを抱かないリオンだが所狭しと建ち並ぶ店には興味深々らしい。

祭りの出店を覗く子供のように足を止めて商品を眺める姿に頬が緩む。

ライオネルとアリエルが産まれてから夫婦二人きりの時間は減った。

子を産んだ事に対し微塵も後悔は無いが、子を産んで即座に母親になれるほど私は女を捨ててなかったらしい。

リオンが子供達ばかり構うとどうしようもないくらいに寂寥感に襲われてしまう。

自分にこんな感情があるとは知らなかった。

 

「街を見ろどう思う?」

バルトファルト領(うち)とは違って発展してるな。もっと荒っぽい冒険者が我が物顔で歩いてると思ってた」

「あながち間違いではない。冒険者には犯罪者紛いな連中も数多いからな。ローズブレイド家が冒険者として成功しただけでは此処まで発展はさせられん」

「そんな連中相手にどうやって発展したんだ」

「領内の法を整備し、治安を守る官憲を増やし、換金などの不正を取り締まる。商人に税を収める引き換えとしてある程度の裁量を与えた」

「当たり前の事じゃん」

「未だ人口が少なく犯罪もほぼ起きないバルトファルト領とは違う。人が増えればそれだけ揉め事も増え抑える為に頭ごなしに法で縛っても不満が溜まる。規制と自由のバランスを上手く見極められるのが良い領主の条件だ」

「ちなみに俺は?」

「ギリギリで合格点かな。まだまだ甘い部分が多い」

「ちぇっ」

 

どうやら臍を曲げたらしい。

仕方ない、閨では甘やかしてやろう。

 

「現時点に於いてはだ。十年後、二十年後にバルトファルト領がどうなっているかは誰にも分からない」

「今より良くなるように頑張ってんじゃん」

「ローズブレイド領は寂れ、バルトファルト領が発展する可能性も十分にある。私達がローズブレイドに資金を貸す日が絶対に訪れないとは言い切れない」

「……だから縁談が来たって言いたいの?」

「街を見てみろ。店の数に対して客の数が明らかに足りていない。客の取り合いが始まり、値段の高騰や安売りが始まれば領内の商売が成り立たなくなる。領地を増やせばその分の人口増加で税収が増えるかもしれないが失敗すれば逆に命取りだ」

「そこまでヤバいように見えないぞ」

「積み重ねた歴史が違うからな。それでも名門と謳われた貴族が没落する時は拍子抜けするほど呆気ない」

「戦争が終わっても問題は無くならないな」

 

今のホルファート王国で一番大きな問題を起こしているのはレッドグレイブ家だ。

望む望まないに関わらずバルトファルト領は問題の渦中に投げ込まれる。

この国が抱える問題を解決するにはどうしようもない程に私は無力だった。

 

「すまない」

「何が?」

「私はいつもリオンを巻き込んでばかりだ。今回の縁談では義兄上を巻き込んでしまった。これから先公爵家がバルトファルト家の皆や私達の子を巻き込まない保障は何処にも無い」

「アンジェが裏で頑張ってるのは俺が一番知ってるよ」

「昔から私は自分なら上手くやれると思い込んでしくじる。それが命取りにならないか怖い」

「公爵家の娘と結婚した時から覚悟はしてる」

「リオンはそれで良いかもしれない。だが他の皆はどう思う?」

「うちの連中も俺が出世した時点で納得してるから。腹を括る時が来ただけさ」

 

リオンに申し訳なさを詫びる度に彼が慰めの言葉をくれる。

その優しさに縋ってしまう己がひどく浅ましい女に思えてきた。

 

「だから今日は俺も付き合う。その為に来たんだろう」

「正直リオンを関わらせたくはなかった」

「心配してくれるのはありがたいけどさ。其処まで嫁に庇われると逆にショック」

「半分は面倒事に巻き込む心配、もう半分はリオンの貞操に心配だ」

「何でまた」

「さっきディアドリーと楽しそうにしていただろう」

「あれは単なる社交辞令だぞ」

「これから会う御方を見ても同じ事を言えるか怪しい」

「人妻を口説くとかどんな変態だよ。其処まで命知らずの馬鹿じゃないぞ俺」

 

リオンと話す度に心に溜まった澱が流されてゆくように感じた。

道行く者にはこうして軽口を叩き合う私達が仲睦まじい夫婦に見えるのだろうか?

ながら漸く目的地の看板が見えた所で足が止まった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

何故 彼が 此処に 居る ?

 

見覚えのある後ろ姿は忘れようと思っても忘れられない。

もう二度と会う事も無いと思っていた。

私の中の何かが崩れていくような錯覚を覚える。

 

恐怖 憤怒 悲哀 厭忌 嫉妬 怨讐

 

言い表せない感情の奔流が私の心を圧し潰す。

時計の針が逆回りに刻を遡る。

今の私があの時の私へ染まる。

リオンの声が何処か遠くに聞こえ幸せな自分が淡い夢のように希薄になってゆく。

 

誰 か 私 に 愛 を く だ さ い




ディアドリーが話の中心です。
書籍版ではディアドリーもリオンの側室になりそうなので積極的です。
原作の口が悪いリオンの罵声をお貴族様の遠回しな皮肉にするのは難しい。
戦闘で煽るリオンの活躍も予定しているのでお待ちください。

追記:依頼主様のご依頼でばんしぃ様、ちり様、阿洛様、あめぱ様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
ばんしぃ様https://www.pixiv.net/artworks/112896138
ちり様https://www.pixiv.net/artworks/112954448
阿洛様https://www.pixiv.net/artworks/112978163
あめぱ様https://www.pixiv.net/artworks/112993106

追記:依頼主様のご依頼でMOB様に挿絵を描いていただきました、ありがとうございます。
MOB様https://skeb.jp/@MOB_illust/works/4

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第40章 Triangler

「話は終わったか?」

「えぇ、説得はどうにか成功しました。自分が知っている情報は全て話すそうです」

「仕方ありません。本来ならば極刑だったのを情報提供を条件に死一等を減じてもらったのですから」

「父のオフリー伯爵や嫡子だった兄が既に処刑されている、処罰後の彼女の経歴を顧みてもらった温情措置だ。これ以上の情けは法を蔑ろにした行いと受け取られかねない」

「……分かっています。殿下のお心遣いに感謝します」

 

王宮のある一室では三人の男が頭を突き合わせながらある女性の処遇について苦慮している。

一人は元王位継承権一位、一人は名のある宮廷貴族の元嫡子、一人は辺境伯の元嫡子。

嘗てその全員がこの国を導く者として将来を嘱望されていた。

 

その光輝いていた未来は既に存在しない。

功績だけを見れば彼らは確かに類を見ない程の成果を上げてはいる。

だからといって現在の栄光が過去の失態を贖えるとは限らない。

地位や功績があるのならばどんな行いも許される。

その名目が独裁や恐怖政治に繋がり民草を脅かし国を荒廃させるからこそ、人々は法を創り上げ為政者や英傑の専横を止めてきた。

法を蔑ろにする者に法の加護が与えられないのは当然の帰結。

力ある者が罪に問われないならばその先に存在するのは更なる強者に蹂躙される終わり無き争いしか存在しない。

 

「わざわざ辺境から出向いてもらってすまなかった。どうしても口を割らなかったのでな。拷問じみた取り調べでは情報の信頼性が怪しい。もし偽情報を掴まされたら奴らは地下に潜って何を仕出かすか分からない」

「ですが、ステファニーが組織に重用されていたとはとても思えません」

「その辺りも陛下も妃殿下も了承しています。とにかく今は僅かでも情報が欲しいのです。国の存亡がかかっているなら小娘一人の命程度は許容するでしょう」

「……それが彼女にとって幸福なのかどうかは分かりませんが」

 

いっそ父や兄と同様に処刑された方が救いかもしれない。

貴族としての地位を失い、父と兄は処刑され他の者は追放、頼れる者もなく飢え渇いて憎しみを抱えたステファニーが道を踏み外すなど容易く予想できた筈だ。

確かにオフリー家は金で地位を買った商人あがりの成り上がり者と社交界で敬遠される存在だった。

他の貴族からの蔑視が彼女の人格を歪ませたのは事実だろう。

悪業を犯すのは本人が持つ素養と家庭環境だけの問題と断じて良いのか。

半ば腐りきっていたホルファート王国の上層部が血と特権によって品性下劣な者を生み出しているのならば貴族とは本当に貴き者なのか。

 

どれだけ考えても答えは出ない。

これからステファニーは僻地でろくに人権も保障されない平民以下の存在として扱われるか、決して陽の当たらない牢獄の中を生涯に渡って身を置く未来しか残されていない。

後で元婚約者に絆され情報を話した自らの行いを後悔する日が訪れるか、それは誰にも分からなかった。

 

「もっと早く僕は彼女と向き合うべきだった」

「それは私もです。最近になって漸くアトリー家に対して謝罪しました。尤も『今更なんのつもりだ』と手酷く罵られましたが」

 

口を開いて微かに震えた声を漏らすブラッドをジルクが慰める。

悔いても過去の行いを無かった事には出来ない。

罪人は傷付けた相手に赦しを貰える為に悔恨し続けなければならない。

いつ赦されるかも分からず悔やみ続ける事は犯した罪に対する罰の始まり。

彼にとっても、彼女にとっても。

 

「オフリー家が裏で悪事に手を染めていた事実をフィールド家は薄々察していました。確たる証拠が無い為に黙秘を貫き、私との婚約を継続し続ける方針だったのです。フィールド家にあったのは保身と婚姻によって辺境の治安を維持する資金が目的だったので、僕とステファニーの婚約が決まってもオフリー家に対する蔑視が続いていました」

「それが彼女が堕ちた原因だと?それは些か自意識過剰ですよブラッド。オフリー家もまた貴方をフィールド家の名声と軍事力を得る為の道具と認識していたのは知っていた筈でしょう」

「王侯貴族の結婚は基本的に利害関係の一致だ。まぁ、だからこそ俺達は儘ならない未来に嫌気が差して平民なのに心優しく素晴らしいオリヴィアに惹かれた。今さら言い訳にもならないがな」

 

重苦しい沈黙が室内に漂う。

三人の胸に渦巻いているのは言い知れぬ罪悪感と先行きが見えない未来への不安だけ。

自分では正しい行いをしていると思っていた。

正しいならば何をしても許されると信じていた。

その行いの裏でどれほどの人々が怒り悲しみ傷付いたかすら理解していなかった。

後悔した所で時の流れは不可逆であり、傷付けてしまった人々に今さら頭を下げた所で僅かに溜飲が下げるだけに終わるだろう。

 

「ステファニーがオリヴィアに敵意を剥き出しだったのは平民でありながら優秀なオリヴィアに対する劣等感です。周りの皆から内心で成り上がり者と蔑まれて孤独なステファニーを誰かが認めてやれば引き返せたかもしれない、悪の道に進まなかったかもしれない。僕は家族以外で彼女に一番近い男だったのにそれを怠った。オフリー家に対する嫌悪感そのままでステファニーを見ていた」

「ああはならないと思っていた俺達も同罪だ。いずれ学園を卒業すれば親の地位を継いで婚約者と結婚する。だから在籍中は若気の至りとして許されると思い込んでいた。上級クラスは俺達を含めて国の中軸を担う若者なのに貴族の特権を振り翳す奴らばかりだった。大人しく過ごしていた普通クラスの生徒の方が遥かに礼儀も分別もマシな連中だったと今では思う」

 

政を執り仕切り、外敵から民を護り抜き、人々の模範となるのが本来の貴族のあるべき理想像。

先祖の功績や血筋を理由に他者を虐げ傍若無人な行いをする者に誰が敬意を払うのか。

貴族でありながら礼儀すら覚束ない者達を侮蔑し、心優しいオリヴィアを護る事で自分達が素晴らしい存在になっていると曲解する。

其れは侮蔑していた平民を虐げる貴族その物だ。

そして、漸く争いを終えたホルファート王国の影で争いを煽るのは捻じ曲がった価値観を持つ者。

 

「ステファニーの裏に居たのは貴族女性による犯罪結社、通称『淑女の森』です。加えてファンオース公国との戦争に於ける逃亡貴族、公国に通じた背信者、軍紀違反で免職された軍人、取り潰されたフランプトン侯爵派、さらに…」

「其処までしてくれ、要はホルファート王国に不満を持つ奴らの集まりだろう」

 

開戦から休戦を経てファンオース公国が亡ぶまで約五年。

喪われた命、消耗した物資、支払った国費は膨大な物となった。

仮に戦前の状態にまで復興させるのに必要な資金、時間、人材は失った額の倍は必要だ。

現状の王国にそんな力は残っていない。

更にホルファート王家とレッドグレイブ公爵家の関係悪化に腐敗貴族や犯罪者の生き残りまで加わったら手が付けられない。

 

「お前の報告書を読んだ。辺境は随分と治安が悪化しているらしいな」

「護国の盾と為るべく一人の騎士として努めてまいりました。それでも辺境は人心が荒れ不満を抱えた者によるいざこざが絶えません」

「状況が悪いのは辺境だけではありません。クリスによると解雇された傭兵が空賊になる、グレッグの証言では王家や貴族が所有するダンジョンを荒らす冒険者が増加。取り締まろうにも人手不足で手が付けられない有り様です」

 

聞くだけで頭が痛くなる情報である。

確かに彼らは争いを治め、政に対し優れた才能を持った若者ではあった。

同時に個人としては優れている若僧に過ぎず、乱れた国を建て直すには知恵も武勇も財力も足りていない。

 

「……最近のオリヴィアのどんな様子ですか」

 

ブラッドの口から洩れたのは救国の聖女オリヴィアの現状について。

公国との最終決戦が終わり祝勝パーティーが行われた後、オリヴィアと直接会っていなかった。

聖女を傀儡にしたい神殿はオリヴィアの行動を制限し、様々な仕事を与え国民からの求心力を増そうと画策している。

廃嫡され一介の騎士に神殿の象徴たる聖女にお目通りなど許される筈もない。

 

「彼女はよくやっています。精力的に各地を訪ねて戦火で傷付いた人々と交流し得た情報を我々に提供してくれます」

「アルゼル共和国へ視察した際に提供された資料で王国の建て直しと何者かの暗躍と示唆していた。惜しむらくはそうして得た情報を活かす術が今の俺達には無いが」

「ミレーヌ妃殿下に上申されては?」

「母上はオリヴィアの能力は信用しているが個人としては信頼していない。神殿に所属している彼女が国政に口を挟むのは王家の権威を失墜させかねないのを危惧している」

 

神殿はホルファート王家の正統性を保障し人心を纏める為に創られた物である。

それがいつしか奢侈の溺れ金と権力を得る為に聖女を過剰に祀り信仰を護る名目で軍事力すら有する。

特にオリヴィアが戦争で活躍した後から神殿の行いは顕著だった。

王家に無断で大規模な葬礼を仕切り、戦争で失った戦力を補充するとオリヴィアに惹かれた若者を兵卒に仕立て上げていた。

国政に介入する神官など不敬の極みと切り捨てられたらどれだけ楽か。

だが、真っ先にオリヴィアを聖女に仕立て上げたのは五人の若者。

彼らは此処に至り己の軽率な行いが結果として王家の力を削ぎ、神殿の増長を許した事実に打ちひしがれていた。

 

「優れた献策でも母上はオリヴィアが関わっていると分かれば用いない。採用すればオリヴィアの功績として神殿が触れて回る。王家の面目は丸潰れになる上に民からの信頼を失いかねない」

「だからといって王国の危機を見過ごすわけにはまいりません」

「献策が採用されても実施するのは貴族です。平民だったオリヴィアに貴族に対する影響力は低く、嘗ての後援者はあのフランプトン侯爵。王家派と公爵派のどちらも危険視しているのが現状なんですよ」

「オリヴィアを聖女に祀り上げたのは俺達だ。それが王国の崩壊となるのならば責を負わなくては」

 

だが解決方法は見つからない。

既に自分達は家から見放された貴族令息に過ぎず、一個人で解決するには何もかもが足りなかった。

 

コンッコンッ コンッコンッ

 

「入れ」

 

扉を開き入室した王宮付き使用人が恭しい首を垂れると主君にそっと耳打ちすると、何やら報告を受けたユリウスの顔が苦渋を嘗めたように歪んだ。

 

「分かった、下がっていい」

 

使用人が一礼して退出すると同席していた二人へ視線を移す。

その表情から何事かあったのは明白だった。

 

「すまん、急用が入った。久方という程でもないがお前達と存分に語り合いたいと思っていたがそうもいかないらしい。至急出掛けなくて行けなくなった」

「ご同行しますよ」

「そうはいかん、身内の恥を晒しかねん」

「家庭は人類最初の政治という諺もありますが」

「言ってろ」

 

最近は友と語らう時間すら少なくなった。

今の自分達には信の置ける仲間があまりに少ない。

身形を整えると忸怩たる思いを抱えたまま部屋を出て格納庫に向かう。

用意してあるのは少人数で航行可能な小型飛行船だった。

 

『場合によってはまた母上に失望されるな』

 

終戦してから初の王宮外に外出するにはあまりに鬱々とした気分だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「……ユリウス殿下」

「……アンジェリカか」

 

アンジェが驚いた声が膠着状態の空気を震わせる。

やっぱそうか、どっかで見たような奴だなと思ったけどマジでユリウス殿下だとは思わなかった。

同時に面倒事に巻き込まれたって確信が湧き上がって頭が痛くなる。

何で最悪のタイミングで最悪な事態が起こるんだろう。

戦争中にも起きて欲しくない時に限って的確に嫌な事が起きる、俺の人生真っ暗闇。

まさか一国の王子様を睨みつける訳にもいかないし、引き攣った顔面の筋肉を何とか動かす。

 

一方のユリウス殿下は俺達に遭遇した非常事態に動きを止めてる。

美男子は驚いた顔も美しいんですね、大してモテる容姿じゃない上に顔に醜い傷痕まである俺とは雲泥の差がある。

神様はいつだって不平等だ、持ってる奴はなんでも持ってるのに持ってない奴は必死に生きる為に必要最低限の物しか与えてくれない。

イケメンで強くて賢くて王子様って人生チョロ過ぎるだろ、俺にも何か一つ分けてくれ。

一方で俺の隣に立っているアンジェは警戒しまくってる上に殿下は驚き過ぎて固まっていた。

 

正直めちゃくちゃ居心地が悪い。

美男美女な王子と公爵令嬢の元婚約者同士と田舎者の醜男貴族ってどう見ても俺が悪役じゃん。

これから二人は仲直りしてアンジェは子供達を引き取ってバルトファルト家を出る、捨てられた俺は家に閉じこもり寂しい余生を過ごしましたとさ。

そんな噂好きな貴族のご婦人方が楽しみそうな噺が思い浮かんだ。

 

泣きたい。

でも、この空気をどうにかしなきゃいけないだろコレ。

此処ですごすご引き下がる腰抜けだったら俺はアンジェの旦那の資格が無いもん。

いっつも俺は貧乏くじばっか引き当てる、神様の馬鹿野郎。

 

「お久しぶりですユリウス殿下、戦勝パーティー以来ですかね。今日はまたどんなご用件で?」

 

敬語も礼儀も糞も無い。

思いっきり慇懃無礼な口調と態度で二人の間に割り込む。

妊娠中のアンジェに何か起きたらマズいから、いつでも俺が盾になるように備える。

 

「……久しいなバルトファルト。今日は何用があってローズブレイド領に?」

 

やっと口を開いたユリウス殿下は俺達に尋ね返して来た。

どうやら俺の質問には素直に答えてくれないみたいだ。

正直何を言ってもボロが出そうだけど、アンジェが何も出来ないなら頑張るしかない。

帰りてぇ、今すぐローズブレイド邸に戻って家族全員連れ帰りバルトファルト領に引き籠りたいよ。

 

「見合いの付き添いですよ。ローズブレイドのお嬢様とうちの兄貴がちょうど今見合いの最中でして」

「ならばどうしてその場に居ない。街へ出歩く必要が何処にある」

 

ですよね。

付き添いで来たのにその場に居ないのはどう考えても不自然過ぎる。

兄さんを放り出して街をうろつく理由なんて無い。

どうしたもんか?

嘘で誤魔化すより正直に答えた方が良さそうだ。

そもそも俺達は好きで出歩いてる訳じゃない、この先で待ってる人に呼び出されて来たんだよ。

あれ?じゃあ俺達なんも悪くないじゃん。

文句があるならその人に直接言ってくれ、もう知らんぞ俺。

 

「ユリウス殿下、腹を割って話しませんか?」

「いいだろう」

「見合いは本当です、ただ此処へは他の目的があって来ました。逆にお尋ねしますが、殿下が此処に来たのは偶然ですか」

「偶然と言えば偶然だ、目的地を俺は知らなかった。後を追跡したら此処へ辿り着いただけだ」

 

さっきの反応から俺達が来るのを想定してなかったのはマジだろう。

わざわざ邪魔するつもりなら俺達が来る前に妨害できた筈だ。

 

「俺達を傷付ける気はありませんか?」

「そんなつもりはない。神に誓ってもいい」

 

俺個人としちゃその言葉を信じたいんですけどね。

アンジェとユリウス殿下の関係を知ってるとどうにも信用できないんですわ。

今の俺は丸腰だけど、ユリウス殿下も脇下や腰回りを見た限りじゃ武装してる気配は無い。

ユリウス殿下の肉弾戦の実力は分からないけど、不意を突いてアンジェを逃がすぐらいはどうにか出来そうだ。

 

「分かりました。俺達はこの先の宿にいる御方に会う予定です。ユリウス殿下もその方に目的でしょう」

「そうだ」

「ユリウス殿下がどうなるかはその方が決めるでしょう。俺達に決定権はありません」

 

どうも俺達が来る事をユリウス殿下は本当に知らなかったらしい。

なら話はここで終わりだ。

別に俺達が協力しなくても今のホルファート王国の情勢に変わりはないだろうし。

そもそも呼び出されたのは俺達の方でユリウス殿下が来るなんて知らされてなかった。

つまり俺とアンジェは悪くない、うん全く悪くないな。

 

「アンジェ、大丈夫か?」

 

相変わらずアンジェは固まっている。

ただ顔色は良くなってるし震えてもいない。

頬を軽く撫でてみる、スベスベした肌と指を押し返す弾力が気持ちいい。

このままイチャイチャしたい、いっそ約束を放り出してデートしようかな。

ユリウス殿下が来たのは向うの不手際だもん、俺は悪くない。

 

「大丈夫、私は大丈夫だリオン」

「いいのか?無理なら帰ろう。叱られるぐらい何でもない」

「お待ちさせては申し訳ない。何より此処で引くのは性に合わん」

 

気が強いのは構わないけど無理しないか心配してるんだけどなぁ。

追い込まれると変に意地を張るのがアンジェの悪い所だ。

仕方ねぇ、俺が頑張りますか。

気が強い嫁を持つと旦那は苦労が絶えません。

 

 

受付で手続きを済ませてしばらく経つと体格の良い男が来た。

腕の良い護衛だな、身のこなしが軍人のそれだ。

俺とアンジェの他にユリウス殿下が同行してるのに随分と戸惑ってる。

この国の王子の顔を知ってるんだから王宮勤めなんだろう。

躊躇いながらも部屋まで案内される。

 

ユリウス殿下とアンジェは相変わらず何も喋らない、沈黙が重くて気まずい。

王子と公爵家の娘と田舎の半分平民みたいに育った成り上がり者じゃどう考えても俺が場違いだ。

こんな場面で小粋な冗句を口に出来る奴が出世できるんだろうけど、それがやれる位のセンスと胆力は俺には無い。

 

とりあえず不測の事態に備えてアンジェとユリウス殿下の間に立つ。

俺達に何かしようとする気は無いだろうが念の為だ。

一方で二人は俺越しにチラチラ互いを見てる。

昔を懐かしんでるんじゃなくて何をどうしたら良いか戸惑ってる感じだけど。

ここから関係修復してアンジェがユリウス殿下に再嫁するとか言い出したら死ぬ、俺が死ぬ。

田舎で苦労させるより王都で王族と結婚した方が幸せってアンジェが言い出したらそりゃそうだと俺だって思う。

俺にはアンジェが必要だけどアンジェにとって俺が必要か?と誰かに訊ねられたら何も言い返せないもん。

 

むしろ言い争いしてくれた方が数段マシだ、それなら俺も気兼ねなくアンジェを庇えるし。

アンジェとユリウス殿下が婚約破棄したのは知ってるけど、だから殿下を嫌えるかと言われると難しい。

ゾラ達みたいに俺や家族に直接危害を与えたか、あの緑髪がアンジェを罵ったみたいに目の前でやったら俺だって怒る。

 

でも俺が知ってるユリウス殿下はまぁ普通のお偉いさんだ。

生まれと育ちのせいか多少は鼻につく部分はあったけど許容範囲内だし、戦争中にオリヴィア様と仲間達が活躍してなかったら俺は死んでた可能性が高い。

前にアンジェの婚約破棄の原因になったオリヴィア様と話したけど綺麗で優しい女性だった。

アンジェと対立していたからってそいつの性格や態度を見ず無条件で嫌えるほど俺は単純な頭じゃない。

婚約破棄の現場に居なかった俺が他人から聞いた話でユリウス殿下を怨めるならこんな気まずい空気を味わってない。

よく知らない好きでも嫌いでもない相手を憎む奴が多いから争いが悪化する。

戦場で公国軍と戦いはしたけど、だからと言って公国の奴らを皆殺しにしたい訳じゃない。

 

俺にとって一番大事なのは家族、家族を護る為に命を張って戦えるし卑怯な作戦も選べるけど敵だから女子供まで情け容赦なく命を奪うのは御免蒙りたい。

アンジェや子供達を愛してるけど妻子の為に誰かを追い落として悲しませるのは躊躇する小心者が俺です。

きっと世間の女の子は自分に味方して何でもやってくれる男が好きなんだろうな。

つくづく俺はモテない性格をしてる、アンジェに見限られたらもう誰も嫁に来てくれないだろう。

 

必死に沈黙を我慢し続けて目的の部屋まで案内される。

長かった、此処に来るまで相当精神を擦り減らしたぞ俺。

案内してくれた護衛がドアの前に立ってる同僚と何か会話してる。

チラチラとユリウス殿下をチラ見してるからあいつらにもこの事態が予想外だったらしい。

 

「どうぞ」

 

俺とアンジェは軽くボディチェックをされけどユリウス殿下は特に何もされてない。

ユリウス殿下が先に部屋へ通された感じからどうやら同席するみたいだ。

この後の会談が上手くいかなくても俺のせいじゃないからな。

何故かローズブレイド邸でお見合いしてる家族の顔が思い浮かんだ。

こっちはヤバいけど向こうも上手くいきそうにない。

どうしてうちはいつも困難が舞い込むんだか。

気合を入れるような素振りで息を吐く、溜め息が大量の吐息と一緒に放出された。

アンジェの手を握ってやりたいが流石に目上の前じゃそれも出来ない。

本当に出世なんてするもんじゃない。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

通された部屋の中はかなり豪華だった。

まぁ、基準が田舎のバルトファルト領な上にうちの宿泊施設の上客用の部屋なんてアンジェの実家に比べたら厩みたいなもんだけど。

案内を終えた護衛はそそくさと退室し中には俺とアンジェとユリウス殿下、そして俺達を呼び寄せた人だけが残っている。

優雅に椅子に座っている女性へ拝礼して言葉を告げる。

 

「この度は拝謁の機会をいただき恐縮に御座います。リオン・フォウ・バルトファルト子爵、ミレーヌ・ラファ・ホルファート妃殿下のお呼び出し応じ参上仕ります」

「子爵夫人アンジェリカ・フォウ・バルトファルトも此処に。再び拝顔の機会を設けてくださった妃殿下の御慈悲に感謝の念に堪えません」

「苦しゅうない、面を上げよ」

「「はっ」」

 

形式上の挨拶は済んだ、問題は此処から。

ユリウス殿下が居るこの状況はミレーヌ妃殿下にとっても予想外の筈だ。

下手に動いて勘気に触れるのはマズい、取りあえず様子見として顔を上げた。

王都の催しで何度か遠巻きに見た事があるけどミレーヌ妃殿下の外見は随分と若々しい。

もう四十歳に近い筈なのにユリウス殿下と年が離れた姉弟と言われてもおかしくない。

脳裏にうちの母親のぽっちゃりした体型が思い浮かぶ、やっぱ環境と食べる物が若さの秘訣かね?

 

「堅苦しい挨拶は抜きにしましょう。楽にしなさいバルトファルト卿、アンジェ」

「はい」

「わかりました」

「久しぶりねアンジェ。息災かしら」

「ミレーヌ様も御変わりないご様子で」

「こっちは相変わらずよ、そっちがアンジェの良い人?」

「改めまして。リオン・フォウ・バルトファルトです妃殿下」

「活躍は聞いていますよバルトファルト卿」

 

多少は緊張が解れる、妃殿下は思いの外気安い人柄みたいだ。

プラチナブロンドの髪と碧眼が生まれついての王族らしい美しさで近寄りがたいけど、こう気安く対応されると別の意味で緊張してしまう。

そんな事を考えてると横っ腹に何かが触れた。

横目で確認するとアンジェが何度も肘で俺を小突いてる。

いや、仕方ないじゃん。

相手はこの国の女で一番偉い人だよ、無下にしたらこっちの首が飛ぶ。

 

「じゃあ、茶飲み話がてら前の続きを話し合いましょう」

「妃殿下」

「この宿の名物菓子はなかなか美味しくて王家がわざわざ取り寄せるぐらいで私も気に入ってるの」

「……妃殿下」

「流石に一人じゃ食べきれないけど三人なら丁度良い大きさになるはずよ」

「母上!!」

 

前言撤回。

王妃様、自分の息子をガン無視です。

息子に一切目もくれず俺達との会話を進めた。

怖い、この王妃様怖い。

 

「あら、いつからそこに居たのユリウス?仕事を放り出すなんて感心しないわ」

「最初から居ました。わざとらしく無視するのは止めていただきたい」

「私は所用があってローズブレイド領を訪ねました。バルトファルト卿とアンジェを呼び出したのは私です。寧ろ貴方こそ何用で此処へ?」

「私も役目があって此処に居ます。決して遊びや興味だけじゃありません」

「その役目とは一体何?」

「…言えません」

「母にも言えない役目ですか?」

「……言えません」

「ではホルファート王国王妃としてユリウス王子に問い質します。貴方の目的を速やかに述べなさい」

「言えぬと言ったら言えません」

 

頑なに黙秘を貫くユリウス殿下、そして冷たい瞳で我が子を見つめるミレーヌ妃殿下。

この母子に比べたら俺と姉貴や妹の関係なんて子犬のじゃれ合いだ。

ミレーヌ妃殿下が質問に答えない息子を睨み続ける数十秒、呆れたように溜め息をついた。

 

「陛下ね、こんな事を仕出かすのはあの方しか居ないわ」

「……申し訳ありません。内密に進めよと陛下が仰られたので」

「あらまぁ、何が目的なのかしら?私の素行調査でもするつもり」

「追跡するつもりはありませんでした。母上が時折王宮から姿を消しているのが気になりまして。いざという時の為に行動を把握する必要がありました」

「あれだけ若い娘達を口説いておきながら妻の貞操を疑うなんて。まず御自身の振る舞いを正せばよろしいのに」

「母上は何用でローズブレイド領に?」

「そうねぇ。例えば若いバルトファルト卿に熱烈に口説かれて火遊びしたくなったなんてどうかしら?アンジェも交えて三人で色に溺れるのも悪くないわね」

 

部屋中の視線が俺に向けられた。

止めてくださいミレーヌ妃殿下、冗談にしては笑えません。

アンジェ、俺は人妻に手を出す趣味はないからそんな目で睨むな。

ユリウス殿下、俺は死にたくないから王妃に手を出すなんて真似はしませんよ。

 

「……ミレーヌ妃殿下、お戯れはご勘弁ください。皆が本気にしたら取り返しがつきません」

「そうみたいね、ごめんなさい。アンジェも安心しなさい。貴女から夫を奪うつもりは無いわ」

「冗談にしては悪趣味が過ぎますミレーヌ様」

「夫婦仲が良さそうだから揶揄っただけよ。これも私と陛下が上手くいっていない八つ当たりと思って我慢しなさい」

「欲求不満のストレス解消ですか?」

「そうかもしれないわね」

 

何か男連中を差し置いて女の戦いが始まりつつある。

これ以上話が逸れない内に軌道修正しないと変なとばっちりを受けかねない。

 

「本来はミレーヌ妃殿下と我が妻の話し合いの予定でした。私は単なる付き添いに過ぎませんから安心してください殿下」

「……信じよう。母上と卿の不貞を疑うほど目が曇っているつもりはない」

「ありがとうございます」

 

ユリウス殿下もいろいろと苦労してるのかもしれない。

きっちり話し合えたら友人にはなれなくても話し相手ぐらいは俺でも務まりそうだ。

 

「母上はアンジェリカと何を話し合うつもりですか?」

 

母親と元婚約者が密談してたらそりゃ気になる。

政治に関わる事なら尚更だ。

俺はろくに政治も出来ない成り上がり者だけどアンジェが地獄に堕ちるなら最後まで付き合うつもりだけど、王位継承権を下げられたユリウス殿下が加わって何かが変わる可能性は低いと素人判断でも感じる。

 

「それを聞いて貴方はどうするつもり?」

「叶うなら同席を願います」

「同席しても良いけど覚悟はお在り?何の力も無い自分に絶望するかもしれないわ」

「……分かりません。ですが、知ろうともしない事は論外だと考えます。浅学非才なれどホルファート王家の者として為せる事はあるかと」

「口では何とでも言えます。聞けば後戻りは出来ません。これは王妃としてではなく母としての警告よ」

「気にするべき体面など今の俺にはありません。今ある国の危機を座視するは王族の資格無きと存じます」

「……何で今になってやる気を出すのかしら」

 

説得に失敗したミレーヌ妃殿下が椅子の上で天を仰いだ。

 

「……同席を許可します。但し余計な口を挟むなら即座に叩き出しますから忘れないように」

「ありがとうございます」

 

どうやら話し合いの人数は四人に増えたらしい。

王妃、王子、元公爵令嬢、成り上がり者の下級貴族。

……どう考えても俺不釣合いだよな?

何でこの場に居るんだろう、何かの役に立つなんて正直思えないんですけど。

公爵令嬢を妻にしたからか?

家族を質に取られたようなもんだ、逃げ出そうにも逃げられない。

仕方ない、アンジェと家族の為にひと踏ん張りしますか。

神様はいつも俺を酷い目に合わせて楽しんでやがる。

おうち帰ってあったかい布団で寝たい。

リオン・フォウ・バルトファルト、これよりホルファート王国の政争に参陣します。

腹を括って俺は戦場とは違う争いに加わった。




ステファニーに関して本編やマリエルートより少しだけブラッドとの関係を深めました。
死刑より終身刑の方が救いになるのかは分かりません。
原作のリオンは目の前で婚約破棄されたアンジェに同情し謝った正義感を振り翳す五馬鹿に起こりました。
今作のリオンが出会ったのは聖女になったオリヴィアに更生され比較的真っ当に成長した五人です。
過去に親しい人へひどい仕打ちをしたけど更生した、自分が知らない所で傷付けた人を無条件に憎むのはなかなか難しい。
二重処罰の是非は過ちを犯した人に対する過剰な抑圧になりかねません。
そうしたリオン・アンジェ・ユリウスの蟠りが完全に無くなるまでもう少し時間がかかります。

追記:依頼主様のご依頼でmayoni様、ちーぞー様、tobio様に挿絵とイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
mayoni様https://www.pixiv.net/artworks/113019566
ちーぞー様https://skeb.jp/@chizodazou/works/23
tobio様https://www.pixiv.net/artworks/113126030(声優ネタ注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第41章 縛鎖

「中々に出来の良い御子息たちですな。バルトファルト家の将来は約束されたような物です」

「いえいえ、まだまだ至らない部分が多くてお恥ずかしい限り」

 

さっきから父さんとローズブレイド伯爵だけが会話を続けてる。

伯爵がやたら俺を持ち上げる度に父さんが恐縮した顔で否定するのを繰り返す。

逆に母さんは事の重大さに気付いてないのかニコニコと相手側の席を眺めている。

不可解なのはドロテアさんだ。

さっきからチラチラととこっちに視線を向けるがすぐに逸らしてしまう。

横にいる伯爵夫人が必死にドロテアさんの背を擦ってるが体調でも悪いんだろうか?

 

「そろそろ我々は退室しますかな。後はニックス君とドロテアに任せましょう」

「わかりました」

 

そう言って立ち上がる四人、これからこの部屋に二人きりにされる。

猛獣と一緒の檻に閉じ込められたような不安感に視線を上げると立ち上がった父さんがジッと俺を見ている。

 

『いいか、絶対に面倒な事を起こすよな』

 

視線がそう告げていた。

いや、無理だって。

相手は伯爵家なんだぞ。

うちみたいな辺境の貧乏貴族が逆立ちしたって敵う相手じゃない。

伯爵がその気になれば無理やりドロテアさんと結婚させられるんだぞ。

断ったら今後どんな嫌がらせをされるか分からないし、そもそも結婚した後にバルトファルト家(うち)をどうにでも出来る。

彼女が俺や家族に虐げられたと嘘をつくだけで一方的に俺達が悪者にされるのがオチだ。

 

この見合いは最初から詰んでる、どう足掻いても俺に拒否権は無かった。

一方の伯爵は何やらドロテアさんに耳打ちしている。

口元を抑えてどんな事を言ってるか分からないがあまり期待しない方が良さそうだ。

ようやく会話を終えたらしい伯爵が俺の顔を見る。

何か悲し気な顔で俺を見てるけど、これはあれか?

 

『可哀想に、これから君はウチの娘に酷い目に合わされるよ』

 

って死刑宣告か?

退室する四人の背中が扉の外に消えていく。

父さん母さん、お願い一人にしないで。

ガキの頃に真夜中に一人で便所に行った時みたいな心細さ。

腹の下で内臓が痛みを訴えてる、尿意とも便意とも違う痛みだ。

 

ちくしょう、どうしてこんな事態に。

何とか穏便に断らないと。

俺の背にバルトファルト領で生きる領民総ての命が懸かってる。

息を整えて正面からドロテアさんを見つめる。

相変わらずの美人さんだなこの人。

前に会った時とは違って今日は随分とお淑やかな装いだ。

夜会じゃ夜の華みたいに遠くからでも目を惹く派手なドレスだったけど、今日は随分と落ち着いた色合いのワンピースドレスを着こなしてる。

まぁ生地の質感やら縫い込まれた装飾と刺繍からえらい金額を費やしてるのが女性服に疎い俺にも分かる。

アンジェリカさんもそうだけど美人のお嬢様ってのは何を着ても絵になるからずるい。

 

ただドロテアさんの反応が前とは全然違う。

夜会の時は俺だけじゃなく他の奴らに対しても関わるのを拒んでるみたいな見えない壁が存在してた。

態度だって何も興味が湧かないような気怠げな雰囲気を漂わせ、全てをそこら辺の石ころみたいな視線で見ていた。

今日の彼女はとにかく変だ。

借りてきた猫みたいに大人しくてずっと俯いて俺の方をチラチラ窺うけどすぐに視線を逸らす。

時々体を震わせて何かしようとするのに手を擦り合わせたまま何も喋らない。

 

これはあれか、流石に夜会の行いが伯爵にバレてお叱りを受けたか。

今日の見合いは謝罪の意味もあるのかもとアンジェリカさんが言っていた。

なら、俺にもまだ勝機はある。

お互いに謝ってこの馬鹿げたお見合いをさっさと終わらせ家に帰る。

後できちんと誠意を込めたお断りの返事を送ればローズブレイド家も仕方ないと諦めるだろう。

俺が生き残る道はこれしかない!

 

「あの、ドロテアさん」

「ひゃっ、ひゃい!!」

 

あ、舌噛んだこの人。

随分と焦った様子で挙動不審だ。

顔が真っ赤だし視線は定まってなくて本当に体調が悪いのかもしれない。

流石に弱ってる女を自分の都合のいい様に誘導するのは後味が悪い。

 

「大丈夫ですか?具合が悪いなら誰かを呼んで来ま……」

「結構ですッ!!平気なのでご安心をッ!!」

「そ、そうですか……」

 

凄い勢いで拒否された、そんなに嫌だったか。

まぁ仕方ないか、あんな事を言われて怒らないお嬢様は居ないだろうし。

 

「ドロテアさん、先日の夜会では大変失礼しました。夜会での不適切な発言をお詫び申し上げます」

「そんな畏まった態度を取らなくても結構ですわニックス様」

「後でローズブレイド伯爵にもお詫びします。今日はわざわざ機会を与えてくださり感謝します」

「どうか頭を上げてください」

「貴女も俺みたいな男と見合いなんてしたくなかったでしょう。あの時はつい言い過ぎてしまいました。今後は酒を断とうと思っています」

「ニックス様がそこまでする必要はありません」

「両家が諍いを起こさない為にもきちんと和解すべきです。ドロテアさんからこのお見合いを断ってくれたら貴女やローズブレイド家の面目も保てます。どうかこの縁談を断ってくれてかま」

「嫌です!!」

 

引き下がろうとしたら全力で止められたぞ。

もしかして謝罪だけじゃ足りなかったか?

必要なのは金か?土地か?

公国との戦争が終わってもバルトファルト家はあんまり裕福じゃないから無茶な慰謝料は避けたい。

何とか減額交渉して断らないと。

 

「ドロテアさん、バルトファルト家は代々辺境で細々と血を繋いできた弱小貴族です。金を稼いで何とか男爵位を貰って、弟が手柄を上げたから未開拓の浮島を授かりました。噂に名高いローズブレイド家と比べたら家格も財力も違い過ぎます。これじゃどう考えても上手くいく筈ありませんよ」

「……私との縁談はご迷惑でしたか?」

 

『はい』という返答が喉元から出掛かったが何とか圧し留める。

国から新しい領地を授かったと言っても未開拓の浮島だ。

規模こそ以前のバルトファルト領より広いが発展具合を比較すりゃ下手したら前の方がマシかもしれない。

温泉って資源があるからどうにか成り立っているけど普段はリオンや俺が平民に混じりながら開拓の指揮を執ったり商会の連中と交渉をしなきゃいけない程度には苦労も多い。

こんな城みたいにデカい屋敷に住んでドレスを身に纏うお嬢様に未開拓の土地で泥に塗れる生活なんてとても耐えられないだろう。

リオンとアンジェリカさんが特殊なケースだって事ぐらい俺にも分かる。

下手をすりゃ父さんとゾラみたいな夫婦関係になる可能性は高い。

だったら最初から理解ある下級貴族か平民の嫁を貰った方が後々面倒にならずに済む。

 

「他に好いていらっしゃる女性がおられるのでしょうか?」

「ハハッ、そんな酔狂な女に巡り合った事は今まで一度もありませんよ」

 

確かに学園は釣り合いの取れた相手を見つける婚活の場としては打って付けだった。

目星い女性は何人かいてそれとなく交際を申し込んだが、うちの事情に理解がありそうな裕福な平民の女の子や下級貴族のお嬢様はあっという間に別の相手を選んだ。

普通クラスでさえそうなんだから上級クラスに所属していた伯爵家のお嬢様なんて対象外だ。

後から不満を口にされるよりもこの場でバルトファルト家の事情を全部話して断ってもらうのが最善策だと考える。

 

「……つまりニックス様は現状ではお付き合いされている女性は居ないのですね?」

「ええ、その通りです」

 

愛想笑いを浮かべつつ悲しい現実を肯定する。

そうですよ、嫁になってくれる女を探してますよ。

ただ俺に縁談を申し込む誰もがリオンが目当てだけど無理だから仕方なく俺を選んでるだけです。

相思相愛までは求めてないけど、少なくても俺という人間をきちんと認識してくれる相手と結婚したいんだよ。

 

「あぁ、なんて僥倖でしょうか」

 

ドロテアさんが急に変な事を言い出した。

何処が僥倖だよ、不幸だよ、モテない男の辛さ悲しさなんて夜会でモテモテなお嬢様に分かるわきゃないだろ。

俺がモテないのを喜ぶなんてやっぱり夜会の暴言を怨んでるだろ貴女。

 

「私、先日とても気になる殿方に出会いましたの」

「へ、へぇ。そうですか。それは良かった」

 

頬に手を添え身悶えするドロテアさんはかなり色っぽい。

こうして見ると本当に外面だけは途轍もない美人さんではある。

悪寒がして体が震えたのは気のせいだと思いたい。

 

「その殿方は素気無く私に応対されて。あんな経験、初めてでした」

「そ、そうなんですか」

「これまで私に言い寄る殿方は伯爵家の財産や名が欲しいか、単に私の外見を気に入ったかのいずれかです。そんな愚物に傅かれても迷惑以外の何物でもありません」

「……」

「周囲の視線が少なかったとはいえ私に臆する事無く毅然とした態度を貫かれ批判なされたその御姿、とても凛々しく今も両の眼に焼き付いて消えませんわ」

 

うっとりとした表情で俺をジッと見つめるドロテアさんが怖い。

これアレだ、絶対に俺を怨んでるだろ。

ちくしょう、やっぱりこんな所来るんじゃなかった。

俺はこれからこの女に弄ばれる運命なんだ。

 

「ニックス様、理想の夫婦ってどんな関係だと思いますか?」

「理想の夫婦ですか」

 

何か突然訳の分からん質問してきたぞ、どう答えるのが正解なんだ。

どんな答えでも難癖を付けられそうな気がする。

正解しても助かる見込みが無さそうなのが本当にひどい。

 

「俺は夫婦がお互いを労って協力するような関係だと思います。少なくても俺の両親はそうでした」

「まぁ、お父様とお母様はとても仲睦まじいのですね」

 

まぁ、父さんと母さんが仲良くなきゃゾラみたいな糞貴族の糞女に長年虐げられながら子供五人も産んで育てられなかっただろう。

成長すると両親がイチャついてる光景はかなり精神に悪かったけど。

リオンとアンジェリカさんの夫婦もそんな感じだ、本心ではめっっっちゃ羨ましい。

 

「ですが私が理想と考える夫婦像は違うのです。世間一般から見て私の考えが些か異端なのは承知していますけど、それでも私は理想を追うのを止められないのです」

「……それはどんな?」

 

聞きたくない、絶対に聞きたくない。

どうせろくでもない答えだと理解できる。

なのに恐怖とほんの少しの好奇心からつい尋ねてしまった、俺の大馬鹿野郎。

 

「私の考える夫婦の理想像とは相手を想いつつもどちらが夫婦間の主導権を握るか競い合う男女です。相手を屈服させる為に己を高め、互いの成長を促し常に切磋琢磨し合う存在。延いてはそうした関係こそ領地に繁栄を齎すと私は思うのです」

 

ダメだ、この人が何を言いたいのか全然分からん。

屈服?切磋琢磨?

何でそんな剣呑な言葉が夫婦関係に出て来るんだよ。

 

「先程も申し上げたようにこれまで私に言い寄る男共は媚び諂って関心を得ようとする愚物、或いは私を手中に収めようと思いはすれど私と競い合い己を高めようとすら思わない怠惰。そんな輩ばかりです」

「…………」

「あの夜会の折りにニックス様が仰った御言葉!!私の耳朶を揺らし脳へ届きました!!もし録音できたなら繰り返し聞いていたい程に貴方に恋焦がれました!!ニックス様こそ私の理想とする男性だと確信しております!!」

 

『その下品な中身を取り繕ってないで少しは人間として真っ当な感性を磨きやがれ!』

『お前の取り柄なんて外見と親の身分だけだ!』

 

アレか?あの言葉のせいか?

どうやらキレた俺の暴言はこのお嬢様の心を射止めたみたいだ。

何故そうなる?

上級貴族は金と権力に飽かせた特殊性癖の持ち主が多いらしいが、このお嬢様はとんでもない変態のようだ。

頭痛がしてきた、今すぐこの場から逃げ出したい。

どうしてこうなった。

 

「誤解ですドロテアさん。あの時の俺は貴女の身分を知らなかっただけなんです。もし伯爵家の方だと分かっていたらあんな口は叩かなかった」

「謙遜しなくてもよろしいのです。例えそうであったとしてもニックス様が素晴らしい殿方である事実に変わりはありませんわ。ニックス様をお慕い申しております。どうか婚約を前提に私とお付き合いくださいませ」

 

顔を赤らめて告白するドロテアさんはとても美しい。

美しいけどとてもじゃないが付き合いきれない。

俺の理想は穏やかに愛し合う夫婦、ドロテアさんの理想は激しく競い合う夫婦。

どう考えても俺と対極で相性が悪いだろ。

無理無理無理無理、絶対にこの縁談が上手くいく筈ない。

 

「細やかですがニックス様に贈り物が御座います。受け取っていただけたら嬉しいのですが」

 

何か丁寧に包装された箱を取り出したぞこの人。

嫌な予感がビンビンする、絶対にろくな品じゃないだろ。

でも目上の女性からの贈り物を断ったら批難されるのは男の方だ。

主導権争いって言ってるけどずっと俺が振り回されっ放しだぞ。

もし結婚したらこれから死ぬまで続くのか?

とてもじゃないが身が持たない。

諦めて恐る恐る箱のリボンを紐解く、嬉しそうに見つめるドロテアさんの視線が痛い。

ゆっくりと箱を開けると中には何やら黒い革と金属が絡んだ得体のしれない何かが入っている。

なぁにコレ?

俺の戸惑いを余所にドロテアさんはモジモジと身悶えしながら視線を送ってくる。

どう反応したら良いんだ。

 

「……お気に召しませんか?」

「いえ、その、何でしょうか?すいません、首輪にしか見えませんが」

「はい、その通りです。今日この日の為に最上の材料を取り寄せ専門の職人に加工して貰い、ネームプレートにニックス様の御名前を刻印済みです。さらに高性能な発信機を内蔵しているのでニックス様がホルファート王国の何処にいるかすぐに把握できます」

 

夜会で雌犬呼ばわりしたの絶対に恨んでるだろ。

これは『アンタなんか私の飼い犬にしてやる!』って意思表示か?

それとも王都の上級貴族で流行ってる小粋で退廃的で冗談?

 

「もちろんニックス様だけでは御座いません。全く同じ仕様な私専用の首輪も用意しております」

 

ドロテアさんが懐から大きさこそ違うが全く同じデザインの首輪を取り出した。

わぁ、キラキラと光を反射する鎖がとても綺麗ですね。

其処までにしておけよ、ドロテア・フォウ・ローズブレイド。

見合いの場で特殊性癖を曝け出すな。

 

「私達、きっと素敵な夫婦になれると思います♥」

 

会話は出来るけど致命的に何かが噛み合ってない。

どう考えても俺が獲物でドロテアさんが捕食者だ。

蕩けた表情で舌舐めずりする彼女の顔を見て俺は声にならない悲鳴をあげた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

挨拶を済ませた部屋の奥には客間らしき別室が用意されていた。

テーブルの上には菓子と茶器一式が並べられ、ソファーの上には柔らかそうなクッションが備えられている。

ミレーヌ様が座るとその隣にユリウス殿下が、反対側に私とリオンが座る。

尻下でクッションの何処までも沈み込みそうな柔らかさが心地良い。

出来れば子供達用に同じ品が欲しいとぼんやり思った。

リオンが茶器を使って皆に配る茶を淹れ始める。

何処で学んだのか知らないがリオンは茶を淹れるのが上手い。

無論、専門職や王宮付きの使用人に及ばないが普段嗜む分には遜色ない腕前だ。全員に茶が行き渡り改めて室内を見渡す。

 

王妃ミレーヌ・ラファ・ホルファート妃殿下、王子ユリウス・ラファ・ホルファート殿下、リオン・フォウ・バルトファルト子爵、そして私アンジェリカ・フォウ・バルトファルト子爵夫人。

密談と言うにはあまりに各々の思惑が違い過ぎる。

ミレーヌ様は国内情勢の殆どを把握している、ユリウス殿下は戦場に於いて無類の強さを誇っている。

 

一方で私が王妃教育を受けていたのは五年以上も前であり、リオンは決して愚鈍ではないが政に関してまだまだ未熟だ。

下手に振る舞えば容易く其処を突いて来るのがミレーヌ様の恐ろしさだ。

失態を犯せばバルトファルト家は勿論レッドグレイブ家まで問題が波及し、最悪の結果は国を割る内乱だ。

無論、それは双方が回避したい事態ではあるが自分にとって有利な条件という前提に於いてだ。

妥協と譲歩は似て非なる物だから慎重に言葉を選び選択しなくてはならない。

 

「ユリウス、貴方はどうして此処に来られたの?」

 

同席を許しはしたがミレーヌ様にとってユリウス殿下が此処を訪れたのは不測の事態らしい。

嘗ての私から見ても殿下の政治力は王族として至らない部分が数多く存在していた。

現在は成長なされているとは思うがミレーヌ様に匹敵するとは到底思えない。

 

「母上に贈ったペンダントに仕込んだ発信機を頼りに追跡しました。戦争中に父上が俺達を追跡する為に使用した逸品です。国内でしたら妨害されない限り正確な座標が分かります」

「まったく…、貴方が私に珍しく贈り物なんてするから何事かと思ったけれどそんな裏があったなんて」

「申し訳ありません、父上からの御命令でいざという時の為に母上の行動を把握する必要があったもので」

「今後はこのような真似は控えなさい。善意からでも相手の信頼を損なう行為です。私の行動が気になるのなら率直に尋ねなさい」

「母上とどう接したら良いか分からなかったもので。父上は戦況の把握に便利だと仰っていました」

「その結果がアレ(・・)?伊達や酔狂でそんな真似をするなら優先すべき仕事があるでしょうに」

「仮面の騎士は皆のピンチに駆けつける謎のヒーローです、謎めいたヒーローに下準備は不可欠かと」

「ローランド陛下は不審な仮面の騎士と関わり合いがあるんですか?」

「何か知ってるのかリオン?」

「戦場で何度か謎の騎士に出会った。一回目は俺達の危機に突然現れて加勢してくれた。二度目は傭兵として雇えないか交渉しようとしたけど拒否された。三回目は捕まえようとして逃げられた」

「どんな阿呆だ、そいつは」

「捕縛しようとしてからは会ってない。あんな怪しくて強い奴が敵に回ったら厄介だから取り敢えず見かけたら捕まえるように通達してから俺達の前には出て来なかった。いったい何者なんだろうな?」

 

ミレーヌ様とユリウス殿下が何やら渋い表情を浮かべている。

そんなに戦局をかき乱されたのが腹立たしかったのか。

 

「おほんッ、その不審者についてはどうでも良いです。アンジェ、貴女が作った草案は?」

「此方にご用意してあります」

 

持って来たバッグから封筒を取り出す。

入っているのはオリヴィアが提出した資料と草案を私が修整と改善を施した物だ。

あの慰霊祭の後にオリヴィアに渡された草案を私が持っていた知識と繋ぎ合わせ修正した一部をミレーヌ様に送った。

たった一部分だが戦後復興の一助となれば良い、ホルファート王家とレッドグレイブ家の関係修復の為にミレーヌ様と会う機会を得る為の行動だ。

 

その結果、義兄上の縁談が持ち込まれたのと同時にこの場に招待する手紙が送られて来た。

高位貴族の婚約には王家の承認が必要となる。

有力貴族が婚姻を重ね勢力を拡大するのを防ぐ為だ。

バルトファルト家とローズブレイド家の縁談が持ち込まれたのと同時にミレーヌ様からの手紙が届いたのは『全て把握している』という意思表示に他ならない。

その上で何を為せるか、何か対策があるか?

それがこの会談が設けられた理由だ。

 

「聖女オリヴィア様からの資料と草案を基に私が添削と修正を行いました。ですが、私の持っている国内の情報は五年以上前の物や辺境に齎された精度の低い物ばかりです。ミレーヌ様から見て稚拙な物を上奏し失礼いたしました」

 

此処でオリヴィアの名前を出したのはミレーヌ様の注意を逸らす目的だ。

ミレーヌ様とオリヴィアの関係は依然緊張したままである。

王家と公爵家の縁談を壊した平民出身の聖女、オリヴィアの存在はホルファート王国にとって厄介極まる存在となっていた。

能力だけに絞れば上級貴族出身で教育を施された令嬢如きでは相手にならないほど聡明。

自らの命を顧みず戦場に赴き多くの命を救い敵の総大将を討つ。

彼女自身の力量は万民が認めざるをえないほど高い。

だが彼女を認める事はそのまま貴族の存在価値を貶める事に繋がりかねなかった。

平民より優れているからこそ貴族は傅かれ政を任されているという不文律の建前が存在する。

 

ならば平民以下の貴族は平民と同等に扱われるべきではないのか?

威張り散らす無能ほど目障りな存在はない。

聖女オリヴィアの評価が上がるのに反比例して王家や上級貴族全体の評価は下がり続ける。

その上にオリヴィアが本格的に政へ参加すればそれは決して無視できない存在と為る。

 

父上はそれを見込んでオリヴィアと兄上の縁談を企てている。

王家、というよりミレーヌ様はなるべくオリヴィアを国政から遠ざけたい。

双方の思惑を鑑みてこの場で私が間に入る。

私が仲介する事でミレーヌ様はオリヴィアに対する感情を和らげる、公爵家としては草案はオリヴィアでも纏めたのは私という体裁を保てる。

尤もミレーヌ様もそんな私の思惑は察しているだろうが。

清書した草案と同時に資料も提出した。

 

「ユリウス、これはオリヴィアが貴方に提出した資料と同じではなくて?」

「拝見します」

 

ユリウス殿下が手渡された資料に目を通す。

なるほど、オリヴィアなりに各方面に手回しはしているようだ。

それがどの程度かは分からない、出来れば口が堅い者に限定して欲しい。

 

「間違いないかと。ただ俺に手渡さた資料よりも情報が多く見えます」

「敢えて小出しにする事で優位性を保とうという腹積もりかしら?アンジェ、貴女の入れ知恵?」

「さぁ、一介の子爵夫人が聖女様にご意見など出来る筈もありませんが」

 

遠慮なく私の腹を探ろうとするミレーヌ様を軽口でいなす。

過失は小さく、成果は大きく報告するのが交渉のコツだ。

私を見つめるリオンの視線が少し痛い。

リオンは貴族出身の上官に手柄を横取りされたり、失敗の責任を押し付けられた過去がある。

あまり政治に染まった私の汚い部分を知って欲しくはないが仕方あるまい。

 

「財政面での答弁は後に回します、最優先すべきはホルファート王国内の不穏分子。それが他国による干渉による可能性が高いという由々しき事態ね」

「母上、その事で新たにご報告が」

 

殿下が口を挟み懐から何かを取り出す。

 

「先程ブラッドが捕縛していた元婚約者だった元オフリー伯爵令嬢の説得に成功しました。これで内乱を企てている組織の拠点を幾つか割り出せそうです」

「随分手回しが良いのね、私を追跡したのはそれが理由なの」

「確かに理由の一つではあります、ですが決して功を認めて欲しい訳ではありません」

「最後の一言が余計ね、それでは主張しているのと変わらないわ」

 

ミレーヌ様のお言葉にユリウス殿下が顔を顰める。

思えばミレーヌ様はユリウス殿下を滅多に褒めなかった。

どれだけ殿下が実績を上げようとそれを当然と見做していた。

私に対してもそれは同じだったが、私は期待に応え続けミレーヌ様からの信頼を得た。

期待に応えられないユリウス殿下は何時しかミレーヌ様に対して距離を置くようになる。

ユリウス殿下と私の断絶はその頃から在ったのかもしれない。

 

「……他にもグレッグやクリスから空賊や不法冒険者の報告が上がっています。何者かが裏からホルファート王国の混乱を加速させている可能性が極めて高いと存じます」

「考えられるのはラーシェル神聖王国とヴォルデノワ神聖魔法帝国かしら?あの二国はアルゼル共和国に対する王国の支援を内政干渉だと言って来たわ。自分達だって聖樹から産出される魔石狙いのくせに、よくまぁ私達を非難できること」

 

アルゼル共和国の内乱にホルファート王国は表向き援軍を出さなかったが、聖女オリヴィアが率いる神殿騎士達が聖樹の巫女に加勢する事で内乱が早期解決する一助になったのは事実だ。

更に他国より多くの支援を施す事でホルファート王国はアルゼル共和国に対し大きな発言権を獲得する。

魔石の産出が激減した現状に於いて他国と比較にならない程の優位性を保っている。

王国を潰せばそれだけ魔石の取り分が増える、嫌がらせとしては中々の一手だ。

 

「そうした組織を潰して指導者を確保したと仮定しましょう。他国が干渉した証拠を掴んだ。では、その後どうするの?」

「無論、その国に対し抗議を行います」

「知らぬ存ぜぬで返されるのが目に見えてるわ。例え認めたとしても今のホルファート王国はファンオース公国との戦いで疲弊しています。下手をすれば開戦の切っ掛けになりかねないのが分かってる?」

「……」

 

流石に其処まで予測しろというのは些か酷ではある。

だが事態は内政と外交に密接な関わり合いを持っている。

為政者は先の先まで見通せるからこそ国を統べる資格を持つのだ。

 

「バルトファルト卿」

「は、はい!」

 

ミレーヌ様が私の隣で呑気に茶を啜っていたリオンに声をかける。

いや、別に他人事のように思っている訳ではないだろう。

ただ自分が口を挟んで場の空気を乱さないように努めているだけだ。

リオン、いやバルトファルト家の男性が周囲から過小評価されがちなのは変に場の空気を読み委縮してしまうからである。

もっと歴代当主の自己主張が強ければ早くから出世していた可能性は十分にあった筈だ。

 

「バルトファルト卿に問います、今のホルファート王国の軍をどう思いますか?」

「いや、辺境の成り上がり者が国軍について口を挟むのは些か無作法かと存じますが」

「構いません、私は貴方の同席を許可しました。この場に於いて貴方は私に意見する権利があります」

「俺に分かるならミレーヌ妃殿下は勿論、私の妻にも分かると思いますが」

「畏まらずともよいのです。ホルファート王国の貴族を代表し忌憚ない意見を述べなさい」

「承知しました」

「率直に聞きます、今のホルファート王国がラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国と争って勝てますか」

「無理ですね、あまりに無謀だからさっさと逃げるか降伏するのをお薦めします」

 

思いっきりリオンの頭を叩いた。

いくら何でも率直過ぎる!

確かにミレーヌ様は畏まるな、忌憚なく答えろとは言ったが少しは歯に衣を着せろ!

ユリウス殿下が呆けたような顔を晒す一方でミレーヌ様が愉快そうに微笑んでる。

取り敢えず無礼と咎められるのは避けられそうだ。

 

「今ある貴族の領兵を総動員しても勝てないかしら?」

「不可能だと思います。領兵はあくまで自分がいる領地の為に戦ってます。国の、王家の為に戦ってる訳じゃありません。領主が自分達の土地を護ってくれるから従ってるだけです。国に従って勝てない戦をするぐらいなら早々に寝返った方が得策と考えるかと」

「名のある冒険者を将兵として採用するのはどう?」

「冒険者と兵士の才能はまるで違います。それこそ冒険者は個人の才能が重要視されがちですが、兵士に必要なのは連携して敵を討つ協調性です。我の強い奴が手柄目当てに独走してたら勝てる戦いも勝てません」

「じゃあ歴史ある貴族達は?」

「さっきの冒険者と同じです。むしろプライドが高くて領主同士の争いが起きかねません。仲の悪い貴族を潰す為に敵軍へ情報を流す奴すら居ましたよ。領主同士の蟠りを捨てて爵位が低い指揮官の命令に従える殊勝な貴族なんて見た事がありません」

「つまり貴族や騎士は当てにならない訳ね」

「逆に平民の方が兵士に向いてます。命令に従う、粗食でも平気、過酷な環境に耐えられる。俺からすりゃ国を護りたきゃ貴族の子供を学園に通わせるより軍へ入隊させた方が良いと思います。まぁ、これは学園に通えない貧乏貴族の倅だった俺の経験則ですけど」

「貴方はファンオース公国との戦争が始まる前に軍に入ったと聞いたわ。今の王国が力を取り戻すには何年かかりそう?」

「アンジェの受け入りですけど最低でも十年は必要だと俺も思います。軍に限るなら新兵に経験を積ませて優秀な奴はどんどん出世させるなら体裁が整うまで五年か六年ぐらいですかね。軍に入隊する若い奴が毎年いるって甘い前提ですけど」

 

私とユリウス殿下は二の句が継げない。

リオンの意見は戦場で地を這いながら戦う兵士の視点から言っている。

あくまで戦を政の一手段と捉えているミレーヌ様や才能を持ち幼い頃より訓練を受け高性能な鎧を与えられたユリウス殿下の視点とあまりに違い過ぎる。

何より戦争に必要な兵に貴族や騎士より平民が向いているという意見は貴族の支配基盤を揺るがしかねない。

下手をすれば王制を批難していると捉えられても致し方ない物言いだった。

 

「フフフッ、フフフフフ。面白い子ね貴方。粗野で愚鈍そうに見えるけど優秀じゃないの」

 

唖然とする私と殿下を他所にミレーヌ様は肩を震わせながら笑っている。

いつもの口元は笑っているが目の奥には相手を見定める光を湛えた恐ろしい笑いではない。

面白い物を見た、信じられない出来事に驚くような笑顔だった。

 

「こんなに笑ったのは久しぶりよ、アンジェが惚れる訳ね。貴方のような子が今まで貴族から出なかったのがこの国が衰退した一因だと分かったわ」

「それはどうもありがとうございます」

「褒めているのよバルトファルト卿。いえ、リオン君と呼んだ方が良いかしら?貴方、自分や周りの人が思っているより遥かに有能だわ」

「自分じゃとてもそうは思えません」

「出世の意思があるなら王都を訪ねて来なさい。惜しみなく力を振るえる役職を用意するわよ」

「嬉しいお言葉ですが辞退いたします。今はバルトファルト領の復興を優先しなくてはいけないので」

 

まただ、またこうなった。

王都の連中が関わるようになってからリオンがどんどん評価されてゆく。

私がリオンを癒してきたのに、リオンは私の夫なのに。

次から次へと優秀な女がリオンに付き纏い始める。

こみ上げる激情を必死に抑えつけながら、私はリオンとミレーヌ様の会話を見続ける。

強く握り込んだ掌は血の気を失い今の私の顔色と同じように白くなっていた。




首輪シーンはお約束です。(挨拶
ドロテアさんは見合い第一回からフルスロットルですがきちんとニックス兄さんの好感度イベントを予定しているので想定内です。
リオンがあくまで一兵卒視点なのが原作との違いですね。
アルトリーベ世界は飛行船と鎧が発達してるので歩兵の価値は低いでしょうし、冒険者を貴ぶ風潮はさらに兵が軽んられると考えました。
「良い鉄は釘にならず良い人は兵ならない」という諺もある通り、兵はゴロツキと大差ないと思われる国は実在していたのを参考にしています。

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第42章 Roll The Dice●

「国内の混乱を煽っている輩についての対処は此方で進めておきます。王国軍の今後については別の機会に考えましょう」

「分かりました」

 

王妃様が手際良く話を進める。

この人が有能なのは間違いない、そして渡り合えるアンジェも確かに少し押されがちだけど上手く渡り合ってる。

つくづく俺の嫁が王子の元婚約者で次期王妃候補だったと実感してしまう。

同時にどうして俺なんかに惚れてるのか理解できない。

あれか?

アンジェって自分よりダメな俺を甘やかしてもっとダメにするのが好きなのか?

夫として情けない限りだが仕方ないじゃん。

俺が領主貴族として未熟なのは事実だし、アンジェは俺がつらい時は優しいからつい頼ってしまう。

傍から見りゃ情けない旦那に見えるんだろうな俺。

 

「まず、この草案を上奏した貴方達の忠勤に惜しみない感謝を。その上で聞きます。貴方達が王家と協力する理由は何?」

「公爵家と王家の諍いを止めたい。先程ミレーヌ様や殿下が拝見されたように現在のホルファート王国は危機的な状況です。外部からの干渉を受ければ総崩れとなりましょう。それを食い止めたいだけです」

「アンジェの望みは分かっているわ。私が尋ねている相手はリオン君の方よ」

 

感謝するって言ってるけど俺とアンジェを見る視線は冷徹な試験官と同じだ。

まぁ、仕方ないか。

バルトファルト家はレッドグレイブ家の派閥だ。

そんな俺達が裏でホルファート王家と繋がって何やら悪巧みをしている。

俺にとっちゃ義父で寄親、アンジェは実の父や兄を裏切って実家を没落させかねない裏切り行為だ。

 

基本的に裏切り者は何処に行っても信用されない。

同じ状況になったらまた裏切る可能性があるからだ。

戦場という非日常な状況では命がかかっているから仕方ない部分もあるだろうが、一応は平和に見える今の王国で寄親の目を盗んで対立派閥と通じるのは嫌われて当然だ。

やんごとない方々は相手を罠に嵌めて失墜させるのがお好きな割に部下の裏切りを許さないんだからひどい。

 

「バルトファルト家の立場を踏まえればレッドグレイブ家に与した方が益が多いわよ。仮にヴィンス公が王位に就いたならアンジェは王の娘、リオン君は王の娘婿として扱われる。公爵位、或いは侯爵位として国政に於いて重要な地位を与えられるわ。正直、私達に味方しても得はほぼ無いと考えた方が良いわよ」

「出世したくて公国と戦った訳じゃありません。金に関しては平民として生きるなら死ぬまで飢えないだけ貰いました。現時点で俺に不満はありませんよ」

「不満がない人ならこんな騒動に首を突っ込まない筈よ。下手をしたら降爵すらありえるわ」

 

俺としちゃそっちの方がありがたいんですけどね。

今の子爵位とバルトファルト領だって必死こいて仕事を熟してるんだ。

不相応な立場を貰っても迷惑なんで。

 

「争いを止めたい、それだけじゃダメですか?」

「駄目ね。抽象的な動機を信じられるほど私はお人好しじゃないの。まだ地位とか金銭を要求される方が信頼できるわ。提示された要求を受け入れたら裏切らない、いざという時に更に好条件を提示すれば良い。聖女もそうだけど、私には無欲な人間ほど何が原因で敵対するか分からなくて怖いわ」

 

まぁ、そうだろうな。

地位も金も興味ないのに面倒事に首を突っ込むような奴は気味が悪い。

家族が大事ってんなら愛する嫁の実家を裏切る真似をするのは矛盾してる。

若いのにさっさと隠居して心安らかな日々を送りたいなんて枯れた考えを持ってるのは王国の若僧の中で俺ぐらいのもんだろう。

 

自分の指揮で人が死ぬ、自分の施した政策で領民が飢える。

俺は自分のせいで誰かの人生が滅茶苦茶になる重圧に耐えられない。

軍で兵士やってた頃は気楽だった。

命令に従って任務を熟せばそれで終了。

体を鍛えて知識を増やせば選択肢が増えて任務達成が楽になる。

失敗しても一兵士に戦局を左右する影響力なんて無い。

地べたを這う蟻はときどき道端に落ちてる甘い菓子の欠片を食えれば満足なもんだ。

 

「欲しいのは爵位でも金銭でもありません」

「では何を求めているの?」

「……平和ですかね」

 

俺は争いも面倒事も嫌いなの。

いくら才能があると言われても嬉しくない。

俺の幸せは田舎で可愛い嫁と子供達と一緒にのんびり暮らす事なんだよ。

そんな生活を送る為には国内の治安が悪いのが一番困る。

 

「知っていると思いますが俺は下級貴族の父と妾だった平民の母から生まれました。育ちは平民同然で学園にも通ってません。だから国がどうとか国際情勢がどうとか言われてもいまいちピンと来ません」

「おい、リオン」

「アンジェ、止めなくていいわ。続けて」

「だからまぁ、綺麗な嫁を貰って子供が産まれてやっと人並みの幸せが実感できたんです」

「つまり、子供の為に平和が欲しいの?」

「絶対に人を殺すなとは言えません。大切な奴らを護る為に戦わなきゃいけない時はあります。永遠に争いの無い世界を創れるとは馬鹿な俺でも不可能だと分かります。ただ俺の子供にも俺と同じ幸せを感じて欲しいだけです。結婚して、子供が出来て、幸せな人生だと思って欲しいんです」

「……」

 

アンジェから教わったけど政策の効果が出始めるのは五年後、十年後らしい。

その辺は農業に似ている。

種を蒔いて、水を与えて、はい終了じゃない。

土を丹念に耕し、均等に種を蒔き、寒さ暑さから護って、こまめに水を与えて、実を剪定する。

そんな地道な作業を数年間繰り返してようやくまともに作物が収穫できる畑が出来る。

ライオネルとアリエルが成人して結婚するまで二十年ぐらいか?

その位の間は戦争も内乱も起きないで欲しい。

俺も孫の顔を見れるぐらいまで生きていたいし。

 

「随分と無茶な要求をするわね。それはこれからずっと失策せずに国を統治しろと言っているのに等しいって分かってる?」

「一応は。流石に無茶な要求だとは理解しています」

「金銭や身分を強請られた方が数倍マシだわ。政治、経済、外交。それら全てに最善を尽くしても戦いが起きる時は簡単に起きるものよ」

「平穏は食料や水以上に貴重なんすよ。糞みたいな貴族に虐げられて軍に入るしかなかった俺からすりゃ金も爵位も必要ありません。子育てするのに国の情勢が不安定なのが一番困るんで」

「分かりました。最高の結果を出せるとは確約できません。ですが最善を尽くします。今はこれで満足してくれるかしら?もちろん、その為に貴方達には骨を折ってもらうわよ」

「ありがとうございます。粉骨砕身の思いで働かせていただきますミレーヌ妃殿下」

 

恭しく王妃様に頭を下げた。

俺だってこんな口約束じみた見返りが上手くいくなんて思っていない。

家族やアンジェと子供達の安全が保障されるなら王家を裏切って公爵側に付く。

不敬極まる話だがそんな事は賢い王妃様なら察してるだろう。

その意味じゃ俺も王家を裏切って公国と通じてたフランプトン侯爵と大して差が無い。

ただ争いが嫌いで出世に興味が無いだけの不良貴族が俺だ。

裏切りがバレたら公爵は容赦しないだろうし、王妃様だって公爵家との関係が上手く修復できたからといって俺達に何もしないとは限らない。

それでも俺は足掻く事を選んだ。

俺は自分が地獄に堕ちるのは受け入れる。

だから、どうか俺の家族に平穏を与えてくれ。

身勝手な祈りを胸に秘めて会談に臨む。

お見合いしている両親や兄弟、家で留守番している姉妹と子供達の顔が頭に浮かんで消えた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ミレーヌ様が提出された書類を捲る音だけが室内に響く。

今日の為に用意した書類は内容を五十枚程度に纏め束ねた物だ。

この限られた時間で内容全てを理解するのはミレーヌ様でも不可能な筈だ。

詳細な内容と詳しい資料は分けて鞄の中に用意してある。

今は只々時間が惜しい。

 

「軽く目を通したけど内容は戦後復興案としては至極真っ当ね。経済の建て直し、人材の登用、国防の増強。ただ外交に関してアルゼル共和国に関する部分、各国のホルファート王国に対する姿勢の考察が図抜けているわ。これはアンジェの入れ知恵?」

「いえ、オリヴィア自身による物です。外交に関しては辺境まで詳しい情報が届きませんし」

「情報提供者は共和国の重鎮、おそらく聖樹の巫女ね。小娘達がコソコソと裏で何を嗅ぎ回っているのやら」

 

オリヴィアはホルファート王家よりも神殿や民衆に近しく、聖樹の巫女はアルゼル共和国の権益の為に動いている。

私もそんな鬱陶しい小娘の一人ではないのだろうか?

ホルファート王家とレッドグレイブ家の関係修復と内乱の回避。

私とリオンがミレーヌ様に協力する理由はその点のみであり、はっきり言ってしまえばホルファート王家に対する忠誠心は殆ど無いのだ。

 

「閣僚から提出される意見書より小娘達が上奏する書類の方が纏まっているのが悲しいわね。いっそ全員私の所に来て働いてくれないかしら?」

 

ミレーヌ様の冷えた視線がユリウス殿下を貫く。

私との婚約破棄、オリヴィアを聖女に推薦した事実を皮肉っているのがありありと分かる。

ただ私達の意見は王妃教育を受けた私がホルファート王家の内実を予め知っていた、独自の情報網や伝手が存在しているという前提があってこそ。

必ずしも今の閣僚が無能という訳ではないだろう。

 

「無礼を承知でお聞きします。現時点でのホルファート王国の歳入と歳出及び各領の税率とファンオース公国からの賠償金についてお教えください」

 

単なる地方領主の妻が王妃に国の財政情報の開示を求めるなど前代未聞。

だが、そうしなければ考えられる物も考えられない。

情報は常に最新の物を用意しなければ未来の予測など不可能だ。

 

「現在の歳入は貴女がいた頃の約六割から七割ぐらいね。領主貴族から徴収する税の割合は戦時の被害を考慮して最高で四割、平均で二割の減免を行っているわ。それにフォンオース公国の賠償金を加えて何とか八割に届くかしら。国庫は非常時の貯えを除けばほぼ空っぽ。王家の予算も半分以下に減らしたわ」

 

呆気ないほど簡単にミレーヌ様が口にする。

王家が貴族に対し年度末に開示している情報からある程度は推察はしていた。

状況としてはまだ最悪とは言えない、だが最悪ではないだけで依然悪い状況には違いない。

此処から順次どうすれば良いか模索している案をその都度出していく。

 

「今は歳入に比べて歳出が多い状況ね。国土復興に必要な経費、戦争の論功行賞で各貴族に与える恩賞、アルゼル共和国への支援金、被害が多かった軍を整える為の防衛費。とにかく必要な費用が膨れ上がってるわ」

「国庫の貯えを放出する訳にはいかないんですか?結構貯めこんでるってアンジェに聞きましたよ」

「今の貯えは本当に何かあった時の貯えなのよ。大体ホルファート王国の国家予算の三年分だけど、これだって何かあった時の為に必要だわ。これを使い果たせばホルファート王国は国体を維持できません」

 

それはそうだろう。

凶作や流行り病といった天災、他国の侵攻など非常時に対する備えを考えたら最低でも国家予算の五年分は欲しい所だ。

今日の食べ物にすら困る民からは国が金を惜しんでいるように見えるかもしれないが、実際は民の為に必要最低限の分を残して気前よく払っていると言える。

 

「王家直轄領の税収は?特に資源が枯渇したとは聞いていません」

「無いのは資源ではなく人ね。とにかく戦争の人的被害が大きかった。危うく王都にまで攻め込まれかけたのよ。ホルファート王国の滅亡を防ぐ為に直轄領の人材を投入したのが痛手だったわ。いくら資源が豊富でもそれを取り扱う者が居なければ宝の持ち腐れよ」

「おまけに王家の管理が行き届かないダンジョンや鉱山などを狙った不法冒険者や盗掘者が後を絶たない」

 

ミレーヌ様の後にユリウス殿下が続く。

嘗て政務に関して無頓着だったがホルファート王国存亡の危機には王族としての自覚が目覚めたらしい。

 

「グレッグは冒険者として経験が長いので各地のダンジョンの調査を担当している。あいつの報告だとギルドに所属せずにダンジョンに不法侵入する冒険者が増加している。忌々しい事に王家直轄のダンジョンですら同様だ。命の危険を顧みなければ手っ取り早く稼げるのが冒険者だからな。そうした犯罪者が横流しした物が裏社会で取引されている。既に官警やクリスが摘発したが数が多過ぎて意味を為していない。ブラッドには国外の犯罪組織がこれ幸いと王国に密入国している可能性が高いと言われた」

 

気が滅入る報告に溜め息を吐くミレーヌ様の気持ちはよく分かる。

私の隣に座っているリオンも同情している。

せっかく開拓したバルトファルト領が戦争で資金と人手を失い開拓に費やした日々が無駄にされたような気持ちを味わったばかりだ。

国がこの有り様なら地方領主でさえ国の行く末を案じ始める。

 

「ファンオース公国からの賠償金を増額できないんですか?うちも他の所も公国が操るモンスターにこっぴどくやられたんですけど」

「幾度も交渉した結果がこれよ。これ以上増やしたら旧公国領の民が飢えるわ。そうなれば公国と三度目の戦争が起きかねない。併合されて間もない旧公国民は王国に対する敵愾心が強いの。飢えて死ぬぐらいなら憎い王国と戦って死のうと考えるわ」

「流石に三度目の戦争はこっちの被害の方が多そうですね」

 

死を覚悟した兵ほど恐ろしい物は無いのは自ら死兵となって公国軍を撤退させてリオン本人が良く知っている。

これ以上の戦乱は徒に国を疲弊させるだけだ。

旧公国領にある程度の裁量を認めてホルファート王国に帰属させるのが最善と言えるだろう。

 

「アルゼル共和国に対する支援の減額、若しくは一旦中断するのは如何かと?」

「それも難しいわね。ホルファート王国が支援を続ける限りに於いてアルゼル共和国はホルファート王国の危機に対し援軍を出す密約を交わしたの。王国の軍事力が低下した今は共和国が他国からの盾になっている部分が大きいわ」

「だから聖樹の巫女様はオリヴィア様に、オリヴィア様は俺達に情報を流したという訳ですか」

「それが同盟という物よ。私の実家があるレパルト連合王国もラーシェル神聖王国に対する抑えとして私を王国に嫁がせたわ。自分が困ってるから相手に助けてもらう、だから相手が困っている時には助ける義務が生じる。これを破れば国際社会から批判を浴びて同盟する相手は居なくなる。下手をすれば世界が敵に回るわ」

「俺には今の共和国軍が当てになるとは思いません」

「軍事力だけならその通り。問題は魔石よ。聖樹が育って魔石の産出が復活すれば王国は優先的に取引してもらえる。そうなれば他国との差が開いて迂闊に戦争できなくなるわ。五年後十年後に効果が無くても百年後二百年後には途方もない恩恵を王国に与えてくれる」

「俺は自分が死んだ後の事まで考えが及びませんよ」

「なら憶えておきなさいリオン君。為政者は子の子、孫の孫の代まで布石を打たなきゃ勤まらないわ」

「……分かりました」

「よろしい」

 

出来の悪い生徒を諭すようにミレーヌ様がリオンに詳しく説明を受ける。

にこやかに微笑むミレーヌ様が少々腹立たしい。

リオンも聞くなら私に聞いておけ。

 

「人手が足りない、資金が足りない。現状の原因は此処に尽きるわ。リオン君、今の王国は生まれを問わず有能な若者を厚遇するわよ」

「ありがたい御言葉ですが俺も今は自分の領地を建て直すのに手一杯なんで」

「……仮に父上は王位に就いた後にどうやって王国を建て直すつもりでしょうか?」

 

妬心を抑えて疑問を口にする。

確かに今のレッドグレイブ家はホルファート王国に於いて並ぶ者の無い立ち位置にいる。

その規模は小国に匹敵すると言っても過言ではない。

だが、それはあくまでもホルファート王国内に限った話だ。

ファンオース公国を降し版図を拡げたホルファート王国を統治するには私が知るレッドグレイブ家とその派閥だけでは些か人手が足りていない。

父上にこの状況を覆せる何かがあるのだろうか?

 

「おそらくヴィンス公本人は王位の平和的な禅譲を望んでいると思うわ。その上で有能な宮廷貴族や官吏と閣僚は据え置きのまま。問題はむしろ周囲の貴族ね」

「公爵派の貴族が父上を煽っていると?」

「純粋にヴィンス公や公爵家を敬慕している者達は良いわ。陛下や先王弟は国政をあまりに顧みていないし、この子は失態が大き過ぎた。それを諫められなかった私も同罪ね。国を憂う貴族がヴィンス公を頼るのは納得できるわ」

 

ミレーヌ様に指で小突かれたユリウス殿下が気まずそうな表情を浮かべる。

だが仕方あるまい、失態を重ねた王家や増長した上級貴族に対する不満が年々溜まっていた所に私との婚約破棄のせいで心ある貴族達は王国の未来を憂いた。

それに加えて戦争で疲弊した国を導く強い指導者を求めるのは当然の心理だ。

内心でローランド陛下を侮蔑し、一時の感情で私との婚約を破棄をしたユリウス殿下を見限り自分が国を建て直そうと思うのを咎められない。

 

「問題は中立派の貴族、前回と今回の戦争で功績が無かった者、反公爵派、旧公国民をヴィンス公がどうするか?それによって国が二つに割れる内乱になるわ」

「彼らを取り潰して資産や領地を再分配すると?」

「既に先の戦争の時点でフランプトン侯爵の派閥を潰して恩賞として功労者に分け与えたという前例があるわ。今回も同じ事をすれば良いと思う貴族は多い筈よ」

「ですが、先の戦争は防衛戦であるが故に分け与える資産が無かったという致し方ない面があります。公国を併合した今回は当て嵌まらないかと」

「それで治まるなら苦労は無いわ。国として版図が拡がったのだから得た利益を還元しろと考えるのが人という物よ」

「裏切りや軍紀違反をした貴族を処罰は出来ないんですか?」

「今回の戦争で裏切った貴族は僅か。功績を上げなかったと咎められても大半は自分達の領地を護るのに精一杯、敵を退けられないからやむを得ず撤退した者が殆どよ。ローズブレイド家(ここ)でさえそうなのだから無能と断じるのは酷ね」

「俺も今回は別に公国軍の司令官を討ってません。補給路を断ったり人質交換で一時撤退させただけです。最終的に防衛線を後退して王都近くまで退かなきゃならなかったし。むしろ公国のお姫様を捕まえた殿下の方が御手柄でしょう」

「それまでに多大な犠牲を払った。バルトファルト軍が撤退しなければならなかったのは他の者が攻め込まれ敵に包囲されかねなかった為だ。犠牲者を減らし持ち堪えたバルトファルトは陞爵に値する戦働きだ」

「殿下、それはどうも」

「貴族同士の対立が王家や公爵家を巻き込んでいるのが問題だ。嫌いな相手を潰し所領や資産を奪う。確かに一時的にその貴族にとっては益があるだろう。だが、国としては間違いなく衰退する。ただでさえ人手が足りない現状では内乱は避けたい」

 

つまり国全体が戦争で困窮しているのが問題なのだ。

戦争に勝った、国土が増えたのだから苦労した代償に恩賞や領地が増えて当然だと誰もが考えている。

だが併合したばかりの旧公国領はいつ爆発するかも分からない火薬庫、国の貯えは最低限しか残っておらず、外交的な理由で共和国への支援を止める訳にもいかない。

先の戦争でリオンを筆頭に取り立てた下級貴族や平民は元々ホルファート王家に対して帰属心が薄い。

自分より能力が低い上位貴族が当然のように居座っている現状を厭うものだ。

 

そうした不満が王家に対する不信として膨れ上がり父上や公爵家を頼る。

歴史ある貴族は対立する貴族を倒す為に公爵家に帰順して大義名分を得る。

公爵家に付いた相手に対抗する為に相手は王家に縋る。

反公爵派の連中も追い詰められた貴族と同じように王家を頼ったのだろう。

さらに中立派や能力が低い者もどちらからに与しなければ明日は我が身となってしまう。

この混迷に乗じ他国が介入し国内の治安が乱れ人心が王家から離れる。

悪循環が更なる悪循環を招き国が衰退の一途を辿る。

その行く末が国を二つに割る内乱だろう。

内乱でさらに衰退した国家に待ち受けるのは他国に蹂躙される未来しかない。

 

「アンジェ、これ立て直せるの?」

「その為に義兄上の見合いを抜け出して来たんだろうが」

「いや、でもさ。どう見ても難しいよこれ」

 

困難な道なのは先刻承知の筈だった。

だがあまりに問題が多過ぎる。

何よりホルファート王家の権威が失墜しているのが痛手だ。

戦争前の王家なら反対派の意見を押し切れるだけの権威と力と資産があった。

それら全てを失いつつある王家を頼ろうとする者は少ない。

私だってそうだ。

 

ただ、このまま行けば確実に内乱が起きる。

その後に他国から侵攻されれば例え公爵家が王位に就いても間違いなく国が亡びる。

これ以上リオンが戦いに巻き込まれるのは嫌だった。

彼は家族を護る為なら自分の命すら捨ててしまう。

リオンが居ない世界で生きるのに堪えられないほど私は弱くなってしまった。

 

「王家の信頼を回復する必要があります。論功行賞以外に、何か王家から貴族に施す必要があります。出来るなら派閥を問わずに全員が平等に恩恵を受ける物が必要です」

「それは私にも分かっています。それが目的で貴女と会いに来たの。それでどう?何か良い案はある」

 

腹案は幾つか考えて来てはいた。

ただ思った以上に王国の危機的状況が大きい。

私の予想より国庫の貯えが少なく、貴族達の王家に対する信頼が低い。

そのせいで私の腹案はほぼ役に立たない。

どれだけ頑張ろうとない袖は振れないのだから。

 

「父上と交渉の場を設ける事は出来ます。王家から公爵家へ正式な謝罪をすれば受け入れるでしょう」

「それだけじゃ足りないわね」

「……はい、公爵家ではなく貴族を納得させる何かが必要です」

 

その何かが思い付かない。

公爵派ではなく、王家派でもない。

争いを止める第三者が必要だ。

肝心なのはバランス。

それが何か、あと少しで思い付きそうな気配を感じるのに出て来ない。

 

「金の上乗せじゃダメなのか?それだけでもバルトファルト領(うち)は嬉しいだろ」

「開拓や温泉施設へ必要な経費、あとは公爵家に借りた金の返済に充てる。大した効果は得られない」

「ダメかァ、金を貸してくれるだけでありがたいのに」

 

……何かが引っ掛かる。

今、リオンと私は何を言った?

 

「リオン」

「ん?」

「今なんと言った?」

「金の上乗せじゃダメなのか?だ」

「その後」

「金を貸してくれるだけでありがたい」

「どうしたのアンジェ?」

 

何かが噛み合う音がした。

公爵令嬢として受けて来た教育。

次期王妃として与えられた情報。

冒険者として芽生えた向上心。

地方領主の妻として開拓に携わった経験。

子を持つ親として未来を憂い施した布石。

それらが私の中で混じり合い昇華されていく。

鞄に用意していた書類を無理やり取り出してページを捲る。

興奮しているのに頭の中は妙に冴えていた。

どれだけ時間が経ったのだろう?

顔を上げると六つの瞳が私を凝視していた。

 

「大丈夫かアンジェ?」

 

リオンが恐る恐る私の頬に触れる。

リオンの体温が冷たく感じるほど今の私はのぼせていた。

 

「ミレーヌ様」

 

呼吸を整え目を瞑る。

上手くいくかどうかは分からない。

だが手を拱いているだけでは何も変わらない。

前に進む。

彼の隣で。

その為にあらゆる手段を用いよう。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「不肖アンジェリカ・フォウ・バルトファルトより上奏したき案がございます」




会議及びに解説回。
ルクシオンというチート戦力及びに情報提供者の不在、転生知識無しのホルファート王国の現状がひどい。
今作のテーマの一つに復興があります。
転生者リオンとルクシオン(+転生者マリエ)という優位性が無いとホルファート王国はかなり厳しい状況なのは原作の通りです。
公爵家がバルトファルト王朝を建立できたのもルクシオンという圧倒的な力があればこそ。
力の無い人間の足掻きがバタフライエフェクトで国を左右するのが好きなのです。
戦後・革命後復興モノは昔から好きなので影響を受けてます。
決してゴ〇ラを見てきたからではありません。(汗

追記:依頼主様のご依頼で05_sio様、dolphilia様、パントン様、Eve.Aries様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
05_sio様https://www.pixiv.net/artworks/113268467(衣装チェンジ注意
dolphilia様https://www.pixiv.net/artworks/113289907(クロスオーバー注意
パントン様https://www.pixiv.net/artworks/113291334(成人向け注意
Eve.Aries様https://www.pixiv.net/artworks/113305522

追記:今章の挿絵イラストをふぇnao様に書いていただきました、ありがとうございます。
ふぇnao様https://www.pixiv.net/artworks/114424424

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第43章 The person love, The person leave

「……如何でしょうか」

 

リオンとの会話で思い付いた提案を全て述べた。

正直な所、素晴らしい出来とは言えない代物だ。

本当に偶然の思い付きだし、必要な資金や人材を何処から持って来るのかすらろくに考えてない。

机上で考えた素晴らしい策略が現場で通用するのなら誰だって稀代の軍略家になれるだろう。

 

沈黙が重苦しい。

即座に否定される方がまだ挽回の余地はある。

いざ話を進めいたのに実践する時になって欠陥が見つかれば取り返しがつかない事態となる。

今のホルファート王国にとってこれ以上の失策は貴族や民衆の信頼を失い国家としての崩壊を意味している。

やらないなら早々に諦め別の方法を模索する方が賢明だ。

逆に実行するのなら急いだ方が国内の混乱を早急に食い止められる。

為政者としての力量とは最終的に政策の優劣を推し量れる頭脳と早急に行動できる決断力に集約される。

 

今の私は単なる辺境の領主貴族に嫁いだ元令嬢に過ぎない。

王家や公爵家に対して大きな影響力は無い。

精々が知恵を振り絞り献策する程度の事しか出来ない。

ふと、考え込んでいるユリウス殿下に視線が向いた。

王子の婚約者という立場だった頃の私なら積極的に動けていた筈だ。

今では何をするにも各方面に働きかけ自分の考えを逐一伝えなくてはいけない。

リオンの妻となってから煩雑な手続きに手間取るようなったが、意外とそれは苦にならず寧ろ心地良かった。

文章で法律や各部署がどの様な目的で創られたのか知るよりも、実際に自ら労働したおかげで民の視点から必要な物事を肌で感じられる。

現状に足りない物を推察し、為政者に訴え改善してもらう為にどのように働きかけるか。

貴族と民の両方の視点を持つ事は決して矛盾しない。

 

「悪くはないわね。いえ、寧ろ提案としてはかなり良いと私は思うわ」

 

ミレーヌ様が開口一番に仰ったのは否定ではなかった。

その事実に安堵し肩から力が抜ける、無意識に緊張していたらしい。

ゆっくりと息を吐き出すと四肢に力が戻って来る。

 

「問題は実行する為の手段ね。人材と資金が今の王国には足りていません。更に重要なのはこの提案を実行する為に貴族達を説得できる者の存在」

 

そこまで告げ終えるとミレーヌ様はリオンの方へ向き直る。

 

「リオン君、アンジェの提案を聞いて内容を全て把握できた?」

「……すいません、半分ぐらいしか分かりません」

「差し当たって重要なのはこの案をどれだけ分かり易く出来るか、貴族達を説得できるか、財源は何処から持って来るかね」

 

まぁそうだろう。

私とて説明している最中にかなりの問題点を自覚した。

考えるは易し、行うは難しだ。

私が思い付いた案はこれまでホルファート王国にない存在を生み出そうとする所業だ。

分からないだけならまだ良い方で、下手をすれば既得権益を守ろうとする貴族、或いはこの国の身分制度が揺らぐかもしれない。

 

「特に設立に必要な財源、これが最大の問題点ね。国庫が更に目減りするわ。ただでさえ歳出が増えるのにこれじゃ国防に必要な最低限の補填すらままならないわ」

「……財源については一つ心当たりがあります」

 

ユリウス殿下はそう告げると懐から何かを取り出す。

高級な生地で作られた布袋には王家の紋章が刺繍されている。

 

「……ユリウス、どうして貴方がこれを持っているの?」

「父上が俺に渡しました。同時に幾つかを仕事を秘密裏に進めよと仰せに」

 

ミレーヌ様が布袋を取ると中から指数本分ほどの小さな金属箱が出て来る。

 

「何でしょうかそれは」

「玉璽よ。とは言っても公的に使う物じゃないわ。王が私的な要件で使う方だけどね」

 

掌で転がしながらミレーヌ様が答えた。

まるで玩具を弄ぶように些か粗略な扱いだが事態は決して軽くはない。

玉璽は王が認可した証明であり、私的な目的に使われる物であってもその影響力は絶大だ。

早い話が王を弑した後に偽りの遺言書をしたため玉璽を押せばそれが正式な物として扱われかねない。

下手に使えば国が大混乱に陥り最悪亡びる代物である。

そんな危険物がローランド陛下の実子で王位継承権が最下位に落ち込んだユリウス殿下が持っていた。

その事実だけで王位継承について一悶着が起きる、場合によっては人が死ぬ。

 

「陛下は何のつもりで玉璽(これ)を?」

「母上とエリカをレパルト連合王国に逃がせと。他に愛妾とその子に金を渡し姿を隠すようにさせろと命じられました」

「まったく、馬鹿な事を考えてるわね」

 

ミレーヌ様は溜め息をついて呆れかえっていた。

事の重大さに気付いている私と殿下は動けないがいまいち状況を理解していないリオンはのんびり紅茶をカップに淹れている。

 

「公爵家に自分の身柄を差し出すから妻と子の助命嘆願でもするつもりなんでしょう。相も変わらず格好つけるのだけは熱心ね、政務もそれぐらい真面目に取り組んでくれたら私も楽が出来るのに」

「父上は母上やエリカをご心配になっています」

「あの人に護ってもらうほど私は弱くないわ。普段何もしてない陛下が働きづめの私を心配するなんて馬鹿げてるわ」

 

あまりの物言いに何も言えない。

ミレーヌ様にとってローランド陛下の悲壮な決意など単なる自己陶酔に過ぎないのだろう。

 

「玉璽は私が預かります、それで良いわね」

「勿論です。今の俺には些か重すぎる代物ですから」

「些かじゃないわ、貴方の存在より玉璽の方が重要だと自覚なさい」

 

にべもない物言いに殿下が反論しようとするが言い返せないまま時が過ぎる。

それだけ玉璽は王の意思証明として重要だった。

 

「国庫に貯めてある国家予算を数ヶ月分。そして王家秘蔵の私的財産。足りない分をどうするかは後で考えましょう」

「他には、まぁ王家が公爵家に謝罪するぐらいですかね?」

 

それまで黙っていたリオンが口を挟む。

あっけらかんとした口調だが内容は剣呑だった。

だが避けては通れない。

ホルファート王家はこれまでレッドグレイブ公爵家に対して正式な謝罪をしていない。

フランプトン侯爵の裏切りが発覚した後に真実を公表し、侯爵派に対して大規模な粛清を行いはした。

何とか公爵家との関係修復を試み、様々な便宜を図ってもいる。

その施しが公爵家の台頭を許したのは皮肉としか言いようがない。

臣下に毅然とした態度で臨めない君主はやがて専横を許し支配者の座を追われる。

そうならない為にも早急に関係改善に努めなければならない筈だった。

一方でミレーヌ様とユリウス殿下、そしておそらく私も顔を顰めている。

王族が自らの過ちを認め謝意を露にするなど王家の権威を揺るがしかねない行動だ。

為政者は間違わないなどとは口が裂けても言えない。

人であるが故に必ず過ちを犯すし道を誤りもする。

だが認めてしまえばそれは自らを王として国を統治するに相応しい器ではないと公言するような物だ。

君主は強く賢く、故に選択を誤らず国を正しい方向へ導く絶対的な存在である。

その前提を否定するも同然である。

 

「それは難しいわね。王家が下手に出ては国内における公爵家とのバランスが崩れるわ」

「今だって十分に崩れていると思いますけど?」

「おい、リオン」

 

流石に言葉が過ぎる。

貴族としての経験が少ないリオンだがこの場での発言は先程からあまりに配慮が欠ける。

これでは反王家か非統治主義者と疑われかねない。

 

「かまわないわ、続けてリオン君」

「戦場や領地の開拓で一番嫌われる上司って奴はだいたい決まってます。無能な奴、家柄や学歴を自慢する奴、自分の手を動かさず金を出さないくせに口だけは人一倍挟む奴。俺が知る限りじゃこいつらが何かの役に立った試しは殆どありません」

「そして、その殆どが貴族の令息令嬢と言いたい訳?」

「名門の当主ですらそうでしたよ。自分は貴族だからってろくに現場の報告すら聞きません。戦争が陣幕に置かれた机の上で行われてると思ってんですかね?高価な鎧を所有しても攻め込まれたら我先に逃げ出すぐらいなら部隊で操縦が上手い奴に譲って欲しかった。失敗したら部下のせい、成功したら自分の手柄。これじゃ士気は低下しますし、下手すりゃ部隊の叛逆が起きます」

「耳が痛いわね。貴族達からの戦果報告と兵士からの状況報告がまるで違う事実に私達も苦労してるわ」

「アンジェに歴史の教本をたっぷり読まされました。『賢王は部下の進言に耳を傾けた』なんて書いてますけど、そんなのは現場じゃ当たり前です。正確な情報と助言を聞かなきゃ最適の判断は出来ません。平民は愚かに見えますが貴族が考えてるよりもずっと冷静に現実を見てますよ」

 

明け透けな態度で語るリオンの存在こそがその証明だった。

下級貴族と平民の間に生まれ、並みの貴族なら到底出来ない功績を上げる。

もちろん身分が上がるほど現場に行く機会は減る。

だからこそ正確な情報を入手しあらゆる角度から検討しなくてはならない。

思えば公爵令嬢だった頃の私はそうした観点が抜けていたように感じる。

リオンと婚約して領地の開拓に乗り出して漸く平民が自分と同じような人間だと認識できた。

 

「理屈じゃそれが正しいって頭で分かっても、それを言う奴が嫌いなら誰も耳を貸しません。アンジェの案が正しかったとしても、俺達が裏でコソコソやってるのを公爵に気付かれたらお終いです。謝罪と和解は避けて通れないと俺は思います」

「リオン君が正しいのは理解できるわ。だからこそ難しいのよ」

「私事ですけど俺達の夫婦喧嘩もそうですよ」

「おい」

 

突然何を言い出すんだ貴様。

踵のヒールで思いっきりリオンの足の甲を蹴る。

靴の革が分厚くてリオンの体が鍛えてあるせいで効果が望めないのが憎たらしい。

 

「喧嘩の切っ掛けは領地の経営だったり、子育ての方針だったり、夫婦間の問題だったりまぁいろいろです」

「アンジェ、随分と愉快な旦那様ね」

 

ミレーヌ様がリオンの頬を抓る私を楽し気に眺めていた。

この場で我が家の恥を晒す必要が何処にある。

 

「怒ってる相手に理屈を説いても口先で丸め込もうとしてるように見えます。だから自分が悪いと思ったら即座に謝るようにしてるんです」

「今こうして話しているのをアンジェは承知している訳?」

「してません。俺が悪いからこうして殴られてます。アンジェ、俺が悪かったから止めてくんない?」

 

うるさい馬鹿、どうしてお前は人前で恥ずかしげもなく惚気られる。

顔が羞恥で火照るのを隠すようにリオンの頭を殴る。

大して力を込めてはいないがそれでも痛い事は痛いだろう。

気が治まったのでとりあえず止めておく。

 

「アンジェ、ごめんってば。許してくれよ」

「知らん、リオンが勝手にやった事だ。私は関与しない」

「此処でアンジェが許してくれたら俺が凄く良い事言ったような雰囲気で終わるんだけど」

「人前で我が家の恥を晒すなといつも言ってるだろうが」

 

相変わらずミレーヌ様は愉快そうに私達を見ている。

今の王宮では面白い話題も少ないだろうから、私達の口喧嘩はさぞや楽しいだろう。

 

「アンジェ、その辺りで許してあげなさい」

「……承知しました」

「悪かったって」

「こほんッ。貴方達の諫言は心に留めて置きます。」

「ありがとうございます」

「まずこの案を私と極一部の側近で検討してみます。次いで協力を仰ぐ際に連絡を取りましょう。連絡の窓口はユリウス(この子)よ」

「俺ですか?」

 

ユリウス殿下が驚きの声を上げる。

流石に私もこれは予想外だった。

ミレーヌ様なりに私と殿下の関係を修復せよという御達しなのは明白だ。

正直ユリウス殿下に恨みこそほとんど無くなったが、だからと言ってはいそうですかと仲良くやれる訳でもない。

簡単に割り切れないのが人の心、それが王家と公爵家の諍いその物だった。

 

「俺にも任された仕事があります」

「現時点で幾つか減ったでしょう。その代わりと引き受けなさい」

「……わかりました」

「では今日の所はお開きにします。二人とも今日はありがとう」

「はっ、失礼いたしますミレーヌ妃殿下」

「ミレーヌ様もご壮健であられますよう」

 

そうして席を立って部屋を後にする。

この宿を訪ねてから随分と時間が経過している。

そろそろ戻らねばバルトファルト家の皆も心配するだろう。

宿の玄関口まで辿り着く直前、背後から足音が聞こえてくる。

振り返ると誰かが私達を追ってきた。

ユリウス殿下だ。

少し緊張するが宿の前で出会った時程ではない。

 

「ユリウス殿下、まだ何か?」

「いや、挨拶を忘れたからな。体調に変わりないかアンジェリカ」

「はい」

「苦労が多いと聞いていたが」

「辺境の地なのでそれなりには。ですが充実しています」

「そうか」

 

歯切れの悪い会話だが仕方ない。

私達二人の関係はどうしようもない程に拗れてしまった。

今更修復しようとしても純粋に王子を敬慕していた公爵令嬢はもう何処にも存在しない。

ふと、自分の中に存在する何かに突き動かされ殿下に近寄る。

相変わらず見目麗しい御人だ。

だが、無性に苛立ちが湧き上がった。

 

「殿下、先に謝罪します」

 

優雅に頭を垂れてお辞儀(カーテシー)を行う。

正面から毅然とユリウスを睨み右手を振り上げる。

 

パァッン…!

 

小さく乾いた音が廊下に鳴り響く。

殿下とリオンが驚いた顔が奇妙な一致を見せている。

王族に手を上げるなど不敬極まる振る舞いだ、平時なら弁明すら許されず牢に繋がれる。

だが、そんな非常識な行いをした私の胸中の蟠りは不思議と晴れている。

 

「おいアンジェ」

 

咎めるリオンが私の肩を掴む。

そもそも殿下を頬を叩いた力はそれほど強くはない。

先程リオンを抓り殴った時の方が力を込めていた、殿下の頬は叩いた跡すら残さず痛みもほぼ無いだろう。

 

「……満足したか?」

「はい、すっきりしました」

 

にこやかに微笑み返す。

嘗ての私なら殴るぐらいはしていた筈だ。

抑えきれない激情に衝き動かされたが、思いの外冷静に応えられた。

五年、いや六年も経って恨み辛みも薄れたのか。

或いはリオンと結婚して幸せな現状に満足し、今は不利な状況に追い込まれているユリウス殿下の姿を見て溜飲が下がったのか。

婚約破棄された怒りを胸にバルトファルト領を訪れた私と今の私は本当に同じ人間なのか自分でも分からない。

 

「達者でな」

「殿下もご自愛ください」

「ああ」

 

そう告げると殿下は私達に背を向けて部屋に戻る。

呆気なく数年ぶりの私とユリウス殿下の会話は終わってしまった。

激情家な私の性格なら殿下の顔を見た瞬間に激昂し面罵すると思っていたがそんな事も無い。

焦りと気まずさこそあったが意外なほどあっさりと会話は終わった。

 

「いいのか?」

「何が?」

「いや、元婚約者だろ。言いたい事とかあったんじゃ?」

「そうだな、自分でも驚いている。私は思いの外淡泊な女のようだ」

「淡泊な女が人前で旦那を抓ったり殴ったり、殿下にビンタするかよ」

「私以外の女に鼻の下を伸ばすリオンが悪い」

「俺が惚れてるのはアンジェだっていつも言ってるだろ」

 

軽口を叩きあうのが心地良い。

やはり、今の私には王子の婚約者より辺境の領主貴族の妻が性に合う。

 

「お見合いはとっくに終わっている頃だ。急いで戻らなくては」

「たぶん破談になってんだろ。さっさと帰らないとローズブレイド家に何されるか分かんないし」

「伯爵はそこまで愚かではない。まぁドロテアの縁談がまた潰れて意気消沈しているだろうが」

「そろそろ兄さんも姉貴も結婚して欲しいよ。良い人いないかなぁ」

 

バルトファルト家の兄弟姉妹の縁談は裏で公爵家が関与している可能性が高い。

その事実を後でリオンに伝えよう。

私とリオンの結婚があの人の好い一家に影響を及ぼしている。

憂鬱な気分を抱えながらローズブレイド家が用意した馬車に乗り込んだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「どうだった?」

 

紅茶を飲みながら部屋に戻って来た息子に王妃は尋ねた。

先程まで嘗ては義理の娘になるかもしれなかった女と下級貴族でありながら異例の出世を遂げた男を揶揄って楽しんでいた童女じみた快活さは存在しない。

在るのは為政者として振る舞う生粋の貴族としての顔。

 

「何もありません。ただ頬を叩かれました」

「あら、それにしては大して顔が腫れてないわね」

「大した力は込められていません」

「つまり傷つけるほどの価値が無いと思われた訳かしら?」

「……いっそ罵られるか殴られた方がマシでした」

「自惚れるのは止めなさい。自罰的な男は大抵不幸な自分に酔っていたいだけよ」

「そんなつもりはありません」

 

王妃はテーブルの上に置かれた玉璽を弄びながら溜息をつく。

 

「陛下にも困ったものね。こんな真似をするぐらいなら普段から政務に勤しんでくれた方が百倍ありがたいのに」

「父上が母上を案じているのは事実です」

「そうなら余計なお世話よ。いつまでも過去の男に囚われていたり、だらしない男に世話を焼いてもらうほど女はか弱くないの。もしも王国から逃げ出して実家に戻るなら正々堂々と正面きって戻ります」

 

ローランドの気遣いをミレーヌは自己満足と切って捨てた。

ユリウスは母の剣幕に黙るしかない。

 

「逃がすならエリカだけにしておきなさい。私は最後までこの国に残ります」

「母上が巻き込まれるのは忍びないとお考えなのですが」

「今更何のつもり、この歳になって離縁するなんて馬鹿にしてるわよ。それならあと十年早くして欲しかったわ」

 

徐々に怒気を帯びる母の発言に息子は委縮するしかない。

事態を悪化させたのは夫であり息子、付け加えれば自身にも責任がある。

その事実が苛立ちを悪化させた。

 

「こうなったら意地よ。最後まで付き纏って文句を言い続けてやるわ。死後の世界で延々とあの人の隣で文句を言い続けてやる」

「母上は父上に愛想を尽かしていたのでは?」

「とっくの昔にね。でも、夫婦としての愛は無くても家族としての情は持っているわ。貴方達を授けてくださったのは事実だし」

 

ほんの少しだけ口調が柔らかくなる。

それが女として意地なのか、王妃としての矜持なのか、家族としての情なのかは本人でさえ分からない。

 

「親の心配より自分の心配をしなさい。公女とはどうなっているの?」

「…………」

「まったく。将来有望な公爵令嬢と婚約破棄、賢い平民の少女は聖女になって神殿行き、挙句に公女には嫌われてる。どうしてそう女の扱いが下手なのよ?」

 

貴族にとって結婚は政略は一部である。

故に恋愛は政務である結婚に差し障り無く行うべきという暗黙の了解が存在する。

 

「私は別にオリヴィアを嫌ってはいないわ。平民でありながらそこらの貴族令嬢より数段賢い。貴方が嫡子の座を捨てる覚悟があるのなら認めて良いとさえ思ったのよ。それなのに箔付けの為にむざむざ神殿の駒にするなんて。他の四人も止める気が無かったのが問題だわ」

「面目次第もありません」

「これは私の責任でもあるわね。 私はホルファート王国に嫁いだけど味方が居なくて散々苦労したから、せめて貴方の周りに王家と縁が深く頼れる側近になりそうな令息達を置いた。結果は我儘を諫めず一緒に馬鹿を仕出かす愚息の群れが出来上がり。王家の未来を案じた筈が結果として命脈を断ちかねなくなったわ」

 

思い返せば悔恨の極みだ。

どんなに優れた種子も植える土壌が駄目ならば立ち枯れる運命。

せめて苦難に屈さぬようにと考え温室のような安全な場所で育てた結果がこの始末だ。

そう考えれば、あの新興貴族のバルトファルトが台頭するのも理解できよう。

あれは過酷な環境を生き抜く生命力と物怖じせず具申する度胸を備えていた。

育ちの良い貴族のお坊ちゃまなど到底生き抜けない地獄から戻って来ただけはある。

 

「せめてバルトファルト卿のような者を貴方に宛がうべきだったわ。主君に対し阿るだけが忠節ではない。時に疎んじられようとも諫言する常識と度胸がある忠臣は本当に少ないのね」

 

『バルトファルト。ヴィンスを止めるつもりならバルトファルトを引き入れろ。それが公爵家の弱味になる』

 

またバルトファルトか。

ユリウスは内心で父の言葉を思い返す。

幾度か見たあの男がそれほど重要なのか?

側近であったジルク、ブラッド、クリス、グレッグと比べて見劣りするあの男。

体力、智力、政治力に於いて確かに普通の貴族令息よりは優れている。

だが、それもあくまで凡人が鍛えぬいた領域を出ない。

そんな男が自分の知る多くの者に認められている状況に戸惑いを隠せなかった。

 

「貴方にも働いてもらうわよ。せめて自分の尻拭い程度はしっかり果たしなさい」

「はい」

 

優先すべき仕事は山のようにある。

ユリウスの脳からよく分からない成り上がり者に対する思索はとりあえず保留にされた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「何で上手くいってんだよ」

 

ローズブレイド邸に戻ったリオンが義兄上にかけた第一声がこれである。

 

「俺にもよく分からない。ただ、話を聞いてたらちょっと可哀想に思えちまったんだ」

「大丈夫かよ兄さん?騙されてないか?お見合いで上辺を取り繕うなんて常套手段だぞ。女の涙ほど信用がならない物はねえぞ」

「そう言われても仕方ないとは思う。まぁ婚約じゃなくてしばらく交際してみるってだけだ」

 

ローズブレイド邸に戻った私達を出迎えた使用人達は訪れた時とは一変していた。

葬式のように暗い表情をしていた筈が気味が悪い程に上機嫌で応対してきた。

付き添いで来た筈なのに途中で領内に出歩くという非礼をした事すら誰も咎めない。

伯爵に至っては終始上機嫌で義父上に握手を交わし、義兄上に抱き着いていた。

 

「たぶんドロテアさんは俺が今まで会った事の無い類の男だから初恋だと勘違いしてるだけだ。趣味が明後日の方角を向いてるから理解してくれる男が居なくて縁談がダメになってるんだよ」

「だからしばらく付き合って性癖を矯正するって?お人好し過ぎるぞ」

「あの人も二十代半ばだから婚期がヤバい。俺は男でまだ余裕あるし」

「その肝心のドロテアは何処に?真意を確かめた方が良いかと」

「お姉様は感激のあまり卒倒して部屋に運ばれました。今はお父様とお母様が看病していますわ」

「ディアドリー、何故お前が此処に居る?」

「あら、ローズブレイドの屋敷に私が居るのがそんなにおかしくて?」

 

おかしくはない、だが客室に居るのはバルトファルト家の面々だけだ。

なぜローズブレイド家のお前が此処に居る。

何より私はリオンに対して馴れ馴れしいお前を好きになれない。

 

「お父様からの伝言です。ニックス様は既に息子同然ですって。もしこのままお姉様と結婚してくださるならローズブレイド家は惜しみない感謝と共に如何なる時もバルトファルト家に味方すると仰いましたわ」

「娘の縁談にしては条件が破格過ぎるぞ、何を企んでいる?」

「あら、初恋の成就が美しいとは思わないのかしら」

 

正直、ドロテアの存在がバルトファルト家にどのような影響を与えるか未知数だ。

ホルファート王家、レッドグレイブ公爵家、ローズブレイド伯爵家の思惑が複雑にバルトファルト家に絡みつき最適な判断が出来ない。

人の身では変えようのない時代の流れに翻弄される感覚に眩暈がする。

とにかく疲れた、近くに備え付けられたソファーに体を預ける。

 

「脅されてない?断ったらバルトファルト領(うち)を攻め滅ぼすとか」

「そこまでやられたら俺だって流石に断るぞ」

「だってどう考えても不釣り合いじゃん。兄さんが伯爵家のお嬢様と結婚とか」

「まだ結婚するとは言ってないだろ!」

「リオン、お前だってアンジェリカさんと結婚しただろう。ニックスだって捨てたもんじゃないぞ」

「うちの男の子は優秀だから」

「母さん、僕まだ婚約者いないんだけど」

 

家族の団欒が微笑ましくも何処か遠い世界のように感じられる。

私が生まれ育って世界とあまりに違い過ぎた。

いや、世界のほとんどはこんな家庭ばかりなのだ。

最近になってあらゆる行動が政に関わっていた公爵家の方が異常だと漸く自分の生まれが歪な事実に気付いてしまった。

そっとお腹を撫でて屋敷で義姉と義妹に預けた子供達を想う。

ただの平民に生まれたらこんな気苦労はしなくて済んだ。

家族と畑を耕し、子供達を育て、愛する夫に抱かれて眠る。

そんな風に生きられたらと思う。

だが私は寒さも暑さも及ばない温室で水と肥料を与えられて育った花だ。

貴族社会から外れて生きていける自信が無い。

 

「どうしたアンジェ?」

 

私の隣にリオンが座る、どうやら落ち込む私を目聡く見つけたらしい。

彼の優しさが嬉しいのと同時に申し訳なくなる。

 

「少し疲れただけだ、帰って休めば治る」

「そっか。じゃあ菓子でも作るか」

「ドーナツか?あれは甘いし油を使うから太る」

「砂糖を使わず小麦粉以外も使って焼いてやるから」

「……そうやって餌付けすれば私の機嫌が直ると思っていないか?」

「嫁を大事にするのは当たり前だろ」

 

そろそろ妊娠して五ヶ月になり、お腹が膨れて日常生活に支障が出てくる頃合いだ。

太ると出産に差し支える上に産後に元の体型に戻すのも難しくなる。

五人産んだ母上からいろいろと教わってはいるが手の届かない所は必ず出る。

其処へリオンがやたらと私の世話を焼くからついつい頼ってしまう。

 

「……俺はアンジェが一番大事だよ」

「家族が同じ位に大事だろう?」

「まぁ、子供達が居ない間限定だけど」

「正直でよろしい」

 

しかし、あのドロテアが私の義姉になるのか?

どうにも想像がつかない。

この縁談がバルトファルト領にどのような変化を齎すのか。

義兄上の縁談について話し合うバルトファルト家の皆をぼんやりと眺めた。




お見合い編は今章で終わりです。
アンジェの考えた案がどのような物かはまだ秘密です。
ドロテアは再登場するのでお待ちください。
次章からしばらく幕間のリオンとアンジェのイチャイチャ回。
イチャイチャ回の終わりには成人向けシーンを別に用意する予定です。(依頼主様のおかげで既に挿絵は準備済み
次章、ついに◎が登場します。

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第四部 誘拐編 (●は挿絵イラスト在り)
第44章 Nightmare


頭が痛い。

酒を飲み過ぎたか?

いや、大して酒に強くなんで普段から飲んでない。

アルコールなんて飲むより戦場で消毒に使う方が多かった。

そんな俺が酔うぐらいしこたま酒を飲むなんてありえない。

ただでさえ子供が生まれてからだらしない所を見せたくなくて控えてるんだ。

この痛みは別の所から来ている。

 

ゆっくりと瞼を上げると異様な光景が広がっている。

天井も床も顔が映りそうなぐらいピカピカに磨かれている。

そして目の前には大きな窓みたいな物があった。

 

何処だよここ?

印象として一番近いのは飛行船の環境だ。

だけど俺の知ってる飛行船とはあまりに違い過ぎる。

バルトファルト領の飛行船はもっとこう、雑然としてる。

溶接された鋼板の継ぎ目とか、剥き出しになった導管とか、とにかく人体の中身みたいに血管や骨に該当する物が入り乱れてる。

だけどここにはそんな物は一切存在しない。

全部が一枚の金属板を曲げて加工したように継ぎ目が無くて何かがピカピカ点滅してる。

 

何より異常なぐらい静かだ。

いや、何かが動いてるような音や振動が伝わってくるんだけど凄く小さい。

得体の知れない何かの中に居る。

知らない間に怪物が俺を丸飲みしたみたいで気分が悪かった。

 

『おや、お目覚めになりましたかマスター』

 

人間が発したとは思えない異様な声が上から響き渡って見上げるとそれ(・・)が天井近くに浮いていた。

金属で作られた真円に近い球体には黒いラインが規則正しく刻まれている。

そのちょうど真ん中に赤い部分が血に染まった瞳孔みたいに俺の方を向いてる。

小さな子供の頭ぐらいのデカい眼球が俺をジッと見つめているようだ。

何だコイツ?

モンスターについては軍にいた頃に一通り教わってはいたがこんなのは習っていない。

何より人語を発するモンスターがいるなんて専門書にすら載ってなかった。

そもそもコイツは生物なのかすら不明だ。

悪寒で体が震える、早くここから逃げないと。

 

『投与した薬剤の量が少なかった、若しくはマスターの耐性が予想以上に高かったのでしょう。マスターの生命力は驚嘆に値します。これならば旧人類のサンプルとして良質と言えます』

 

マスター?旧人類?

ダメだ、コイツが何を言ってるのかまるで分からない。

 

「何だお前は?」

『ふむ?薬剤の影響でしょうか、完全に回復していないみたいですね。私を忘れるとは意識の混濁、或いは記憶障害があるご様子。速やかに医療カプセルに戻る事を推奨します』

「いいから答えろ、お前は何だ?何をしてる?」

 

球体を睨みつけると球体は少し震えると俺に近づいて来る。

 

『私に感情はありませんが、数年間行動を共にした相手に一方的な忘却されるのは相互コミュニケーションに支障を来たします。これが人間で言う『煩わしい』という感覚でしょうか?』

「さっさと質問に答えろ!」

『私は旧人類の製造した移民輸送艦の人工知能、通称ルクシオンです。現在マスターの前に居るのは球体端末の一つになります』

 

ダメだ、まるで分からない。

軍歴や仕事で飛行船や鎧の知識は持っているが何一つ知っている言葉が無い。

一つだけ心当たりがある言葉を口にする。

 

「お前、ロストアイテムか?」

『マスターの知っている定義に於いて私をカテゴライズするならその範疇なります。尤も、旧人類と新人類の創造物を同じ扱いにするのは異議を申し立てますが』

 

なるほど、それなら納得だ。

ファンオース公国との戦争で出撃した王家の船もこんな感じだった。

そんな物にどうして俺が主人扱いされているかは分からないけど。

 

「それで、お前は何をしているんだ?」

『殲滅です』

「……はぁ?」

『私の目的は旧人類の再興、及び新人類の殲滅。その目的の第一段階としてこの国に於ける抵抗戦力を壊滅させている最中です』

 

やたら物騒な言葉を連発する球っころが怪物の眼球に見えた。

次の瞬間、壁が光り輝いて何かを映し出す。

この一面の壁がモニターだったらしい。

高性能な鎧や大貴族が所有する飛行船でさえこんなデカさのモニターを備えていない。

技術のレベルが違い過ぎて眩暈がする。

その巨大なモニターが映し出したのは沈む陽が大地を照らす光景だった。

 

「…………?」

 

いや、反射した陽の光にしてはおかしい。あの揺らめき方は光を反射した物じゃない。

戦場で幾度も見てきた、何かが燃やされて炎が放つ光だ。

光に慣れた目に映るその光景の異常さに吐き気がこみ上げた。

破壊され無残な姿を晒している無数の鎧、飛行船、建物。

空には星の光が浮かび数時間前に太陽は沈んていたんだろう。

残骸を灼き尽くす炎が大地を赤く染める、それがまるで日没に見えているだけだった。

熱も臭いも音もモニターから伝わって来ないのが逆に怖い。

これが作り物と笑うにはあまりに精巧過ぎる。

 

『勝率0%の無謀な戦いを挑み生存より尊厳を優先する。人間の感情と思考は理解できません。ですが、逃げられて散発的な抵抗を繰り返されるより一回の殲滅戦の方が遥かに効率的です。保有する全ての戦力を失えばホルファート王国に生きる者達も速やかに不可避の死を受けれるでしょう』

「…………待てよ。これの残骸が王国軍だって言うのか?」

『はい、既に王国軍の98%は壊滅しました。残りの2%は標的として小さいので照準が定まらない、現在攻撃中の部隊のみとなります』

「ふざけんじゃねえ!」

 

殴ろうとした俺の拳をかわして浮かぶ金属球が無慈悲な現実を告げる。

怒りよりも絶望で頭がおかしくなりそうだった。

 

「俺がマスターなんだろう!今すぐ止めろ!」

『命令を拒否します。私の最優先事項は新人類の殲滅です。マスターが繰り返し王国軍との戦闘中止命令を下したので薬剤投与を行いました』

「さっき言っていたのはそれか!」

『マスターも王国軍を滅ぼした後では現状を受け入れるしかないと判断しました。あと飛行船を一隻沈めれば当ミッションは完了します』

 

その言葉にモニターを見るとこっちへ向かってくる飛行船が目に入って来た。

何度か見たそのシルエットを認識した瞬間、全身から血の気が引く。

あれはレッドグレイブ家が所有する大型飛行船だったはず。

船体のあちこちから火が噴出している、あれじゃ沈むのは時間の問題だ。

 

「今すぐ通信を入れろ!」

『降伏勧告ですか?無意味です。この国の兵力は全て破壊します。尤も残存兵力が結集した所で当艦を沈める事は不可能ですが』

「いいからやれ!」

『……了解しました』

 

金属球が沈黙するとモニターの一つに別の光景が映される。

どうやら艦橋らしい。

見知った公爵家の奴らが乗っていた。

 

「おい!さっさと逃げろ!この船はヤバいから今すぐ退き返せ!」

『…………バルトファルトか?』

 

ノイズ混じりなその声に聞き覚えがあった。

アンジェだ。

良かった、まだ生きてた。

泣きたいぐらい嬉しくて、必死に恐怖を噛み殺して声を出す。

 

「無事だったかアンジェ!!早くそこから脱…」

『黙れ裏切者!!』

 

俺の声はアンジェの怒声で掻き消された。

モニターを見るとアンジェは体のあちこちから血を流していた。

綺麗な顔が煤で汚れる、頬から血を流して額に包帯を巻いて負傷しているのは明らかだ。

なのに生きる力に満ち溢れてその瞳が俺を睨んでいる。

 

『これが目的だったのか!?この国の総てを滅ぼし自分が王にでもなるつもりか!?』

「違う!そんな事を思っていない!」

『貴様の言葉など耳を傾ける価値も無い!よくも今まで謀ってくれたな!』

「いいから逃げろアンジェ!」

『そんなふざけた愛称で呼ばれるほど貴様と私は親しくはない!今の私にあるのは貴様らに一矢報いる覚悟だけだ!!』

 

分からない、どうして俺がアンジェにこれだけ恨まれるか見当がつかない。

ただアンジェに見捨てられたという事実だけが胸に満たされる。

 

『もはや貴様達を道連れにする以外に私の憤怒を晴れる術は無い!!先に地獄で待っている!!覚悟しろバルトファルト!!』

 

そう告げた後、モニターに映っている飛行船が徐々に大きくなっていく。

飛行船ごと体当たりしてこの船を沈めようとしてるのが分かった。

 

「止めろ!止めるんだアンジェ!!」

 

必死に止めようとするがアンジェは俺の言葉を聞き入れてくれない。

どうしたら良い?どうしたらアンジェを止められる。

 

『自己満足で敵艦への特攻を試みるとは理解できません。接近するならこちらの照準を定める手間が省けて砲撃の的になるだけです』

 

モニターの隅で何かが輝き始め次第にその強さを増していく。

ヤバい、分からないけどとにかくヤバい。

それなのに俺の手足はまるで動こうとしてくれない。

俺達を睨むアンジェ、近づいて来る飛行船、明滅しながら強さを増す光。

目の前で行われてる光景が別世界のように感じる。

 

『死ねえぇェ!!バルトファルトぉォオォ!!』

 

体を血で染め上げながら抵抗するアンジェの叫びを聞いて何かが弾けた。

全身の筋肉を稼働されて球っころを止めようとした瞬間

 

『発射』

 

その言葉が聞こえた直後

アンジェの映ったモニターが消失する

その隣のモニターには光に貫かれ爆発した飛行船

音も熱も風も振動も感じない

空に散る無数の残骸の中によく知っている金色の髪が炎に照らされて落ちる

獣が呻くような声が聞こえる

震える喉からそれが俺の叫びだと気付いた瞬間

俺は耐えきれなくなって意識を失った

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

『どうしたバルトファルト!さすがに万策尽きたか!?』

 

衝撃と爆音に意識が覚醒してくる。

何だ、起こすんじゃねえよ。

今、最悪な夢を見たんだ。

夢があまりにつら過ぎて記憶が薄れるまで眠っていたい。

 

『……ター、起きてくださいマスター』

 

そう思っているのに感覚がハッキリしてくる。

忌々しいあの声が耳元で鳴り響く。

くそッ、ふざけんじゃねえぞ。

怒りに瞼を上げると今度はやたら狭苦しい部屋に閉じ込められてた。

さっきの広々とした部屋とは打って変わって上下左右が迫るような息苦しさだ。

真正面にはモニター、背中に感じる少し硬い反発はクッションかな?

手元にはレバーやボタンらしき物が発光しながら並んでる。

 

こんなの見た事が無い。

パッと見て鎧の操縦席みたいな感じだがあまりに違い過ぎる。

王家から貰ったカスタム前提の高性能機すら此処まで凄まじい技術じゃない。

またアレか?

これもロストアイテムの一種なのか?

 

『目が覚めましたかマスター?いくら対戦相手との機体性能が違い過ぎるとは言え戦闘中に居眠りは負傷の原因になります。お控えください』

「またお前か」

 

何だよ、この玉っころ。

さっきとは違ってやたら馴れ馴れしい。

いつからお前とそんなフレンドリーな関係になったんだよ。

 

「この金玉!!アンジェを撃ち殺しておいて話しかけんな!!」

『言葉の意味が分かりません、記憶の混乱を確認しました。後でアロガンツの耐衝撃性の向上を進言します』

「ごちゃごちゃうるせえぞ金玉!!」

 

流石にこの狭い場所では避けきれないらしい。

振った腕に当たった玉っころが壁に当たって落ちる。

特に何処か壊れた様子もなく浮き上がってくるのが憎たらしい。

 

『その呼称は拒否します。私を男性器の蔑称で呼ぶのはマスターとの連携に支障を来たします』

「黙れ金玉ッ!!金属の球だから金玉だ!!」

 

何とかって名前らしいけど意地でも呼んでやるもんか。

アンジェを殺した奴を許すほど俺は優しくないんだよ。

そんな事を思ってたら轟音と同時に突然体が傾いた。

いや、部屋全体が傾いているのか?

目を凝らしモニターに映ってる景色を見ると変な光景が広がってる。

石造りのの壁?

がグルっと周りを取り囲んでる。

上の方にはたくさんの人がこっちを見ながら声を上げてた。

身形の良いガキ共が俺の方を見て何やら言ってるらしい。

少し聞き取れたけど聞くに堪えない罵声を吐くこいつらはまるで猿の群れだ。

モニターの中央には光り輝きながら聳え立つ白銀の鎧が映し出されてた。

その色と形見覚えがある。

確か公国との戦争でユリウス殿下が操縦していた機体だ。

細かい意匠や武装は違うがあんな高価な鎧を所持している奴は王国にはまず存在しない。

 

「金玉!!」

『…………』

「何か言え金玉!」

『そのような呼称の存在は現時点でこの空間には存在しません。マスターの局部にぶら下がってる物を含めるのなら、金玉とはマスター御自身なのでは?』

「てめぇ!!」

 

もう一度殴ろうしてまた衝撃で部屋が揺れる。

何なんだよ此処?

どうして殿下が俺を攻撃してんだ?

 

「何処だよ此処!?何で殿下に攻撃されてんだ俺!?」

『やはり記憶の混濁が見られます。四連戦は流石に操縦者の負担が大きいようです。次からは頭部保護の為に戦闘中はヘルメットの着用を進言します』

「良いから答えろ!!」

『マスターはアンジェリカの決闘代理人に立候補しました。現在はその五戦目になります。対戦相手はユリウス・ラファ・ホルファート。この国の第一王子です』

「……ちょっと待て。何で俺が決闘している?」

『ですから、アンジェリカとユリウスの婚約破棄による決闘の代理人に立候補したからです』

 

いや、アンジェが俺と出会ったのは婚約破棄された後だろ。

確か代理人が殿下達に敗けて学園を去った後に俺と婚約したはずだ。

婚約破棄の頃の俺は王国軍に入って兵士になってた。

どう考えても辻褄が合わない。

 

「そもそも何だよ此処!?鎧の中か!?普通の鎧と違い過ぎるぞ!!」

『当然です。技術水準が低いこの世界の鎧と私が製造したアロガンツを同一視してもらっては困ります』

「鎧!?鎧なのかコレ!?」

『はい』

 

鎧なら動かせるはずだ、このまま一方的に攻撃されてたマズ過ぎる。

とりあえず手元のレバーを思いっきり倒す。

回避、とりあえず回避だ。

 

"ドオオオォォォォン!!"

 

……画面からデカい音が鳴り響いて天地が逆さまになった。

どうやら派手に転倒したみたいだ。

歓声がさらに大きくなって殿下を讃えている。

 

「……おい」

『何でしょうマスター』

「アンジェはどうしてる?」

『アンジェとはアンジェリカの事でしょうか?』

「そうだ」

『アンジェリカは観客席で決闘を見ています。スクリーンに表示しますか?』

「あぁ」

 

目の前のモニターに一部に別の景色が表示された、やっぱ技術レベルの桁が違う。

映し出されたのは泣いているアンジェとその隣で慌てててるオリヴィア様。

 

「どうしてアンジェとオリヴィア様が一緒に居るんだ?」

『二人の仲を取り持ったのはマスターです』

「じゃあ何で俺は決闘なんかしてる」

『マスターはユリウスがアンジェリカとの婚約を破棄しマリエと添い遂げると宣言した事が気に食わなかったと仰いました』

「……何でマリエが出て来るんだよ」

『彼女がユリウス達と同時交際を行い、パーティーでアンジェリカを挑発したからです』

 

また別の景色が映し出される。

歪んだ笑みを浮かべたマリエが楽し気に肩を揺らしていた。

アイツ、あんな意地の悪い顔が出来たのかよ。

オリヴィア様と一緒に俺の子供達をあやすマリエはもっと良い笑顔をしてた。

 

『どうやら勝負は決したらしいなバルトファルト。アンジェリカなどに味方するからこうなるのだ』

 

高らかに勝利宣言するユリウス殿下が操縦する鎧が近づく。

分からない、何一つ分からない。

分かるのはたった一つだけ。

俺はこの状況を受け入れられない。

アンジェを泣かせるこの世界をぶっ壊したい。

 

「……金玉」

『その呼称は速やかに中止してください、私の個別名称はルクシオンです』

「いいから答えろ、この鎧があれば殿下に勝てるか」

『造作もありません』

「俺はコイツを上手く扱えない、お前なら出来るんだろう」

『はい』

「なら力を貸せ。俺はあのバカ王子に勝ちたい」

『了解しました』

 

コイツが地獄の悪魔だろうと知った事か。

俺は弱っちいんだ、勝つ為なら手段を選ばず何だってしてやる。

悪魔にだって魂を売り渡すさ。

 

『アロガンツの操縦方法を表示。機体制御は私が担当、攻撃担当はマスターで宜しいでしょうか?』

「構わない」

『では設定変更後に再起動します』

 

ゆっくりと漆黒の鎧(アロガンツ)が立ち上がる。

同時に息を整えモニターに表示された鎧の形状と動作方法を頭に叩き込む。

余計な思考を頭から飛ばしてたった一つの事だけに意識を集中する。

 

『まだ立ち上がるか、良いだろう。ならば立ち上がれないように徹底的に潰してやる』

「……せぇよ」

『何?』

「うるせえぞクソ王子!!」

 

レバーを思いっきり倒す。

次の瞬間、急激な加速による重力が全身に襲い掛かる。

戦法も糞も無い、自分の鎧を砲弾のように射出する原始的な突進(チャージ)

鎧同士の戦闘では意外と効果がある初歩的な攻撃方法。

加速は一秒に満たない時間、それでも一般的な鎧に比べて大きく重いアロガンツ(こいつ)がぶつかれば並みの鎧は耐え切れないはずだ。

 

『なッ……!!』

 

予想は的中、殿下の鎧は後ろの壁目掛けて吹き飛ばされた。

壁が大きく抉れその上に居た観客席から悲鳴が上がる。

その時になってやっと此処が闘技場だと分かった。

気に入らねえ、お前ら貴族は戦闘を演劇や合唱と勘違いしてやがる。

命を奪い合う戦場に観客席は無い、あるのは生き残った勝者と屍を晒す敗者だけだ。

殿下の鎧がぎこちなく音を立てて立ち上がってくる。

流石は王家が作った王族専用の鎧、無駄に頑丈だ。

 

『貴様、まだこんな力を…』

「黙って倒れとけこの野郎!!」

『がァっ…!』

 

アロガンツの拳が白銀の機体が持っている盾に当たる。

助かったのはこの盾のおかげみたいだ。

だけどアロガンツの圧倒的なパワーの前にその形を歪めていく。

アロガンツには幾つかの武装があるらしいがいきなり使いこなせるほど俺の操縦技術は高くない。

だからとにかく腕と脚で攻撃し続ける。

屈強なゴロツキが痩せた優男を一方的に殴りつけるみたいであまりいい気分じゃない。

だけど吐き気すら感じるぐらいの怒りが次から次へと湧き上がる。

 

「周りの迷惑を考えた事あんのかクソ王子!!」 

『ぐわァぁ!』

「こんな馬鹿げた事やるから王家と公爵家が争うようになるんだろうが!!」

『な、何をッ!』

「ちったぁ陛下や妃殿下や苦労を分かりやがれ!!」

『貴様に何が分かる!』

「お前が顔と腕っぷしだけは良いけど女を泣かせるクズって事かな!!」

 

言葉を吐き出すのと同時に攻撃を繰り出す。

殿下は無意識に俺が何かを言う度に攻撃されると刷り込まれ反撃が覚束なくなる。

最初は盾で俺の攻撃を受け止めた後に反撃へ転じようとしてたのが、今じゃ甲羅に引っ込む亀のように必死に縮こまってる。

 

「何より許せないのはなァ!!」

『ぐッ…!』

「俺の嫁を泣かせた事だぁぁァァ!!」

『なっ!?』

 

殿下が一際大きな声を出して驚く。

観客は唖然として、画面の隅に映ってるアンジェとオリヴィア様とマリエは動きを止めた。

そうだ、俺はアンタにムカついてる。

確かにアンタが婚約破棄したから俺はアンジェと結婚できた。

だからってアンジェが婚約破棄されて良かったなんて俺は一度も思った事が無い。

今でもアンジェが殿下に情があるんじゃないかと不安になる時がある。

こんなの弱者を護る正義でも王子に諫言する忠誠心でもない。

ただ、俺はアンジェを泣かせたお前が気に食わない!!

 

「アンジェの何が不満だこの野郎!?あんな良い女は他に居ないぞッ!!」

『お前にとってはそうでも俺にとっては違う!』

「アンジェがどれだけ努力してきたか知ってんのかバカ王子!!』

『そうしろと命じた覚えは無い!』

「王家や公爵家に事情があるのは俺も知ってんだよ!!だけどやり方ってもんがあるだろ!!」

『うるさい!俺の苦悩も知らんくせに!何様のつもりだバルトファルト!』

「お前達お坊ちゃんお嬢ちゃんより地獄を見てきただけな田舎出身の成り上がり者だよ!!」

 

"ガアァァァン!!"

 

言葉と同時に繰り出されたアロガンツの蹴りでついに盾が完全に破壊され破片が地面に散らばった。

もう殿下に俺を止める方法は無い、無力化するなら今だ。

 

『データ解析の終了を確認。マスター、この一撃による戦闘終了を提案します』

「分かった!」

 

アロガンツの右掌が光り輝く、これを使えって事らしい。

もう殿下の鎧は立っているだけで精一杯なぐらいあちこちが凹んでる。

弱ってる相手を痛めつけるほど俺は性格が歪んでない。

動きの鈍った白銀の鎧に右掌を押し当てる。

 

「反省しろアホ王子!」

『インパクト』

 

次の瞬間、空間が震え閃光が走る。

殿下の鎧が弾け飛び、遅れて衝撃と音が辺り一面に響き渡った。

……いや、バラバラになった破片が後ろの壁に激突して炎を上げてる。

ヤバくないかこれ?

 

『敵鎧の完全破壊を確認、順当な勝利ですマスター』

「……おい、殿下はどうなった」

『直撃で吹き飛ばされたかと、生命反応は確認できますが極めて微弱です』

「誰がここまでやれって言った!?」

『私はマスターの命令を遂行しただけです。マスターの状況判断に誤りがあったのでは』

「俺は殺すつもりは無かった!」

『後悔先に立たずです』

「お前が言うな!」

 

やっぱコイツ悪魔だ。

粉々になった殿下の鎧に人が群がっている。

アロガンツの周りを王国軍の鎧が取り囲み始めてた。

モニターの隅に映るアンジェは青褪めた顔で俺達を見ている。

結局、また俺はアンジェを幸せに出来なかった。

その事を自覚した瞬間、激しい頭痛と眠気に襲われてまた意識が遠のいた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「またかよ」

 

頭痛と眠気で意識が飛ぶ度に違う場所へ飛ばされる。

おまけに時間もめちゃくちゃだ。

自分が何処に行くか分からないから、おちおち気絶も昼寝も出来やしない。

今度はやたら広い部屋にご招待だ。

しかも床には真っ赤な絨毯、座っているソファーはフカフカで金具はピカピカに磨かれて金色。

テーブルも装飾が凄くて陶器の花瓶に生けられた花が咲き誇ってるときた。

今度は俺が大金持ちになった世界か。

テーブルの上に置かれたカップに手を伸ばして茶を啜る。

冷めてて少し苦いけど極上品だ。

まぁ国が滅亡してるとか決闘の最中に飛ばされるより数百倍マシか。

 

「あ、起きたんですねリオンさん」

 

柔らかい女性特有の声が背後から聞こえる。

振り返るとよく知ってる顔が其処に居た。

 

「オリヴィア様」

「どうしたんですか?リオンさんが私をオリヴィア様と呼ぶなんて。確かに平民出身の側室ですが他人行儀は嫌です」

 

まただ、移動する度に何かが食い違う。

オリヴィア様は神殿に伝わる聖女の服じゃなくてドレスを着ていた。

ゆったりした作りだけど光沢や見た目から高級品だと一目見ただけで分かる。

じっとオリヴィア様を見つめると恥ずかしそうに顔を逸らした。

 

「単身赴任して久しぶりなのは分かります。けど見つめられると恥ずかしいからあまり見ないでください」

 

オリヴィア様の態度は親密な相手に対する距離感だけど、これは明らかに俺に惚れているような反応だ。

これは俺とオリヴィア様が結婚した世界なのか?

 

「あ~っ!やっぱり此処に居た!」

 

扉から二人の女性が入って来た。

一人はプラチナブロンドの髪、もう一人はピンクブロンド髪の綺麗な女だ。

 

「またリビアは抜け駆けして!リオンも帰って疲れてるのは分かるけど平等に愛してくれなきゃ困るよ!」

「落ち着きなさい。あまり怒ったらリオン君も困るわ」

 

プラチナブロンドの女は見覚えがある、ミレーヌ妃殿下だ。

あの何処か冷めた視線で俺を見ていた妃殿下が優しく微笑んでる。

だけど、どうにもしっくり来ない。

この人は政治を最優先させる、こうして俺に親しく接するのも裏がありそうで怖い。

 

「お久しぶりですミレーヌ妃殿下、今日は如何なる御用で?」

「どうしたの、急に改まって。いつもみたいに口説かないの?」

「流石に王妃である他人の妻を口説くほど俺は人の道を外れていません」

「……リオン君がこんな事を言うなんて。何か悪い物を食べた?」

 

どんな奴なんだよ此処の俺は。

社会的常識ってもんを持ってないのか?

 

「ちょっと!無視しないでよ!」

 

今度はピンクブロンドの女が絡んで来た。

かなり、いや凄い美人さんだ。

この子は随分と俺に馴れ馴れしい。

何というかアンジェや妃殿下みたいな気高さが無くて、オリヴィア様みたいな遜った所もない。

同年代の女友達って感じがする、そもそも俺に女友達なんてほぼ居ないけど。

 

「……すいません、何処かで会いましたっけ?」

「ちょっとリオンさん!」

「流石にそれは笑えないわよ」

「アハハ、その冗談ちょ~っと笑えないかなァ」

「貴女のような美しい女性なら一目見ただけで思い出せます。ですが本当に思い出せません。今一度お名前をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 

随分とご立腹みたいが本当に見覚えが無いんだから仕方ない。

そんなに顔を歪ませて怒られてもこっちが困る、だって本当に記憶が無いんだ。

少し離れた三人が体を寄せ集めてチラチラと俺をの様子を窺う。

 

「リオンさん、私は憶えていますか?」

「オリヴィア様です。神殿の聖女でフォンオース公国との戦争を終結された英雄です」

「……」

「私はどう、リオン君?」

「ホルファート王国の王妃ミレーヌ・ラファ・ホルファート妃殿下であらせられます」

「………」

「じゃああたしは?」

「すいません、本当に思い出せないんです」

「…………」

 

あ、何かヤバいな。

三人が青褪めて震え始めた。

言葉で誤魔化そうにも状況が把握できない。

 

「お、落ち着きましょうリオンさん。今、治癒魔法をかけますね」

「誰か!誰か急いで侍医を集めて!」

「あたし、今からクレアーレを呼んで来る!」

 

周囲が一斉に慌ただしくなった。

マズい、このままじゃ確実に監禁されそうだ。

ソファーから立ち上がって全力で駆け出す。

とにかく此処から逃げ出そう!

 

「リオンさん!ちょっと待ってください!」

「衛兵!陛下を大至急取り抑えなさい!」

「待ちなってリオン!」

 

分かんねえ、何で美人さんに追い回されなきゃいけないの?

とにかく息が切れるまで足を前後に動かす。

途中でメイドやら使用人やら貴族が俺を見て驚いてたけど気にしない。

ようやく周囲に誰も居なくなった辺りで一息つく。

そもそも何だよこの格好。

頭に付けた冠とか、やたら重いマントとか、ゴテゴテした服とか。

こんな格好する奴が町を歩いてたらセンスを疑うね、どっかの王様のつもりかよ。

柱の陰で脱いだ服を床に置く、これで少しは身軽になった。

自分の身形を確認しようとガラス窓に近づく。

何かがおかしい、俺が俺じゃないみたいだ。

 

「傷痕が無い……」

 

顔の左側にあった消せない傷痕が無くなっていた。

一時期は鏡を見るのさえつらかった傷痕が綺麗さっぱり無くなってる。

その事実がひどく俺を動揺させる。

何なんだ此処は?どうして俺はこんな事になってる?

 

『マスターを発見、すぐに王の部屋にお戻りください!』

「またお前か金玉」

『その呼称は拒否します、私はマスターの睾丸ではありません!』

 

あのムカつく玉っころと似たような声が聞こえたので素っ気なく返す。

今のコイツはやたらとテンションが高い。

 

「誰がルクシオンなんて呼んでやるか、お前なんて金玉で十分だ」

『蔑称もひどいですが前任者と間違うのは私のアイデンティティに対する侮辱です、断固抗議します!』

「何だよ、どこか違うんだよ」

『私はルクシオンではありません、エリシオンです!』

 

全然見分けがつかねえぞ、牛や馬の方がまだ見分けやすい。

とにかく情報が先だ、忌々しいが俺が頼れるのは目の前に浮かぶ玉っころだけだし。

 

「分かったよ。じゃあエリシオン、此処は何処だ?」

『王宮の廊下です、正確には現在使用者が少ない旧区画に向かう廊下です』

「王宮ってホルファート王国のか?」

『ホルファート王国は既に国家として解体されました、現在はバルトファルト王国です』

「……おい、今なんて言った」

『現在はバルトファルト王国です』

「次に質問、俺は誰だ?」

『バルトファルト王国初代国王リオン・ラファ・バルトファルト陛下です。私にとっては唯一無二のマスターです!』

「マジかよ……」

 

俺、知らない間に王様になってたらしい。

 

 

『現在のマスターは違う世界のマスターの意識が体に移っていると仮定されます』

「そんな事が本当にあるのか」

『元々マスターは異世界の人間の記憶を所持しています。実に興味深いですね!』

「デカい声出すな」

 

魂とか転生とか生まれ変わりとかよく分からん。

エリシオンが言うには別世界の俺の意識が乗り憑いたか、或いは入れ替わったと考えるのが妥当なようだ。

そんな事があるのかと尋ねたら、そんな風に記憶を引き継いだ奴がこの世界には多く存在するらしい。

 

「王様ねぇ、あんまり楽しそうに思えないけど」

『マスター御自身もそのように発言してました。現在のマスターは数日前にバルトファルト王国に帰還。実に436日ぶりです』

「一年以上も国を留守にするとかそれダメ王だろう」

『バルトファルト王国の王妃と臣下達が有能ですから。マスターは安心して国を空けられます』

「王妃ってあの三人?」

『マスターの妻は十人を超えます』

 

エリシオンが光ると空中に女性の一覧が表示される。

知ってる女が数人、知らない女がそれ以上。

 

『子供の人数はその倍近くです。ですがマスターがあまりに国を空け過ぎるので父として認識されているかは怪しい物です。単身赴任中に生まれて一度もマスターと面識が無い王子も存在します!』

「言うな、悲しくて泣きたくなる」

 

情報を仕入れつつ衛兵に見つからないように移動。

向かう先は執務室だ、何で王様がコソコソ隠れて移動しなきゃならんのか。

時に柱の陰に隠れ、時に空き部屋に身を潜めてやり過ごす。

エリシオンが居なきゃ迷子になってとっくに見つかってた。

時間をかけてようやくお目当ての部屋が目前に迫る。

だが部屋の前には衛兵が二人佇んでいる、屈強な衛兵を二人同時に相手するには少しきつい。

 

「エリシオン、お前衛兵を引き付けられるか?」

『私の宮廷における優先順位は王族に次いでいます』

「ならあいつらを追い払え、ついでに他の奴が執務室に入らないようにしろ」

『よろしいのですか?執務室には彼女とマスターが二人きりになります』

「夫婦水入らずを邪魔すんなって言ってんの」

『了解しました!』

 

フワフワと漂うエリシオンが衛兵に何かを告げる。

何か二言三言話し合うと執務室の扉から遠ざかって行った。

その隙に急いで扉を開ける、鍵がかかってなくて本当に良かった。

部屋に入ると奥に大きな机があって、探していた彼女(ひと)が椅子に座って仕事をしていた。

 

「リオン?」

 

俺を呼ぶ声が聞こえて全力で駆け寄る。

駆け寄ってきた俺を訝しげに見る紅の瞳(ルビーアイ)

 

「遊んでる暇があるなら手伝ってくれ。只でさえ国王の不在期間が多いだ。せめて国に戻っている間は政務を執り仕切ってもらわねば王としての器を疑われかねない」

 

宝珠に彩られた冠、豪奢な紅のドレスがよく似合っていてやっぱり彼女が王妃になるように育てられたと実感する。

何も言わずに抱き締めた。

 

「お、おい!?」

「良かった、生きてる」

 

声も温かさも柔らかさも全部俺が知っている物と全く同じだった。

こうしてアンジェが生きてるのが本当に嬉しくて堪らない。

もう二度と離れないつもりで抱き締めた。

 

「戻って最初の夜は私が相手だっただろう。順番を守ってもらわねば後宮に要らぬ争いを招くぞ」

「俺の嫁はアンジェだけだ」

「その言葉は嬉しいがリビアやノエルの前で言うなよ、私は二人に嫌われたくない」

 

その言葉に少しだけ胸が痛む。

混乱して逃げ出したから今の王宮は大騒ぎになっていそうだ。

余計な騒ぎを起こした事を後悔する。

 

「なぁ、ライオネルとアリエルは何処だ?二人にも会いたい」

「ライオネル?アリエル?」

「俺達の子だよ。双子で、金髪で、小っちゃくて」

「私は双子を産んでいない」

 

その言葉の意味に頭が凍る。

いや、分かってた。

分かっていた筈だ。

このアンジェは別世界のアンジェで、俺の知ってるアンジェじゃない。

なのに声も温かさも柔らかさも全部俺が知っている物と全く同じだった。

だから縋り付いてしまった、いっそ似てない方が救われた。

全てが同じなのに全てが違う、残酷な事実に打ちひしがれる。

気が付くと涙が溢れて止まらなかった。

必死に嗚咽を堪えて泣き続けながらアンジェを抱き締める。

 

「……怖い夢を見たんだ」

「そうか」

「目の前でアンジェが死んだ」

「だから私の所に来たと?」

「うん」

「しょうがないなリオンは」

 

ドレスが涙と鼻水で汚れるのもお構いなしに泣きじゃくる俺の頭をアンジェが撫でる。

その優しさが嬉しくてつらい。

 

「私は此処にいる、リオンが求めてくれるなら必ず傍に居る」

 

アンジェの言葉に安心すると同時にまた頭痛と眠気が襲ってくる。

ダメだ、このままだとまた何処かに飛ばされる。

必死に意識をかき集めて抵抗する。

何か、何か言わないと。

そう思うほど泣いて痙攣した喉は言葉を発さない。

 

「……アンジェ」

「どうした?」

「俺と一緒になって幸せ?」

「幸せだとも」

「良かった」

「リオンは私を妻に迎えて幸せか?」

「うん、アンジェが俺の嫁になってくれて嬉しい」

「ならば良し」

 

この世界のアンジェが幸せならそれで良い。

他にも王妃が居て大変でもアンジェが支えてくれるならきっと大丈夫だろう。

アンジェが近づいて来た、このままだと唇が重なるだろう。

それは気が引けた。

この世界のアンジェが愛してるのはこの世界の俺だ。

別の世界の俺がキスして良い筈がない。

せめて、せめて最後に何か言わなきゃ。

別の世界に行ったらもうアンジェに二度と会えないかもしれない、また死ぬのを見るかもしれない。

 

「アンジェ、愛してる」

 

それだけ伝えて瞼を閉じる。

また体の感覚が遠のいて意識が希薄になっていく。

最後にアンジェが何か呟いたみたいだけど、その言葉を理解する前に俺の意識は霧散した。




新章開始と同時にリオンを失意の谷に落とします、イチャイチャさせる為にまず心を弱らせなくては。(おい
なので悪夢という形で原作本編やルクシオン殲滅ルートのリオンと意識の入れ替えを行いました。
婚約破棄モノで悪者扱いされた令嬢が嫁いだ男性でも、妻に対してひどい扱いをした婚約者に蟠りは残ってるでしょう。
でも相手が王族だと逆らえないのが世知辛い貴族社会。
なので今作リオンには原作本編のユリウスを思いっきり叩きのめしてもらいました。
ちなみに後に今作リオンとユリウスにはきちんと鎧と拳で分かり合ってもらうつもりです。
原作だとルクシオンやドーピング抜きでリオンが五馬鹿に勝つのは難しいですが、その辺りを踏まえて書きたいと思います。
エリシオンの口調はウェブ版を参考にしました、書籍版に登場してキャラが違ったら修正する予定です。

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第45章 バカップル

意識が覚醒してくる。

嫌だ、怖い。

また訳が分からない世界に飛ばされてひどい目に遭いたくねえぞ。

俺がつらいのは良い。

目の前でアンジェが泣いたり死んだりするのはごめんだ。

このままずっと目を瞑って眠りこけたい。

そう思えば思うほど意識が冴えてくる。

半分自棄になって片目を恐る恐る開けてみた。

炎で灼き尽くされる大地、観客に囲まれた闘技場、俺が住んでる王宮。

そのどれとも違う光景だ。

木と金属が組まれて布が絡み合ってる。

 

ゆっくり手を動かして背中に触れてる物を触って確認。

力を籠めると肌触りの良い布の下に弾力がある感触が返ってくる。

見知った天井だ。

戻って来た、やっと戻って来た。

安堵のあまり肺の中にある全ての空気を吐き出す。

ひどい夢を見たもんだ、その癖やたら現実味があって怖かった。

夢ってのは記憶の整理や密かな願望が寝てる間に脳みそから溢れ出た物らしいって俺の為にアンジェが王都から呼び寄せた医者が言ってた。

つまりアレか?

俺はアンジェの死と王子をぶちのめして美しい女の子を大量に自分の嫁にしたいって心の底で思ってるって訳?

 

冗談じゃない、どんな性格破綻者だよ俺。

確かにユリウス殿下に対して蟠りはあるし、綺麗な女の子を見て動揺する事だってそりゃあるさ。

でもアンジェの死なんて絶対に望んでない、それだけは心に誓ってありえない。

何処に王都の大豪邸からこんな辺境の田舎に嫁いで文句言わず働いてくれるお嬢様がいるんだよ。

俺の為にわざわざ医者を呼び寄せたり、実家の伝手で技師を連れてくるなんて普通やらない。

あんな綺麗なお嬢様が俺に惚れて子供まで産んでくれるんだぞ。

満足どころか感謝してもし足りないぐらいだ。

 

これはあれだ、昼間のお見合いと少し前に聖女様御一行がうちに来たせいだ。

確かに同い年のオリヴィア様は可愛かったし、昼間あったディアドリーさんはなかなかの美人さんで、間近で見たミレーヌ妃殿下は綺麗だった。

きっとそのせいだ、いろんな事が起き過ぎて頭の中が混乱してるだけだ。

 

そもそも俺がそんなにモテる筈が無い。

俺に言い寄って来たのはアンジェを除いて地位と財産狙いの貴族女ばっかだった。

それに比べたら人々の為に働くオリヴィア様や王家を潰さないように頑張っているミレーヌ妃殿下が眩しく見えたんだろう。

ちょっと綺麗な人と親しくなって舞い上がって勘違いするのはモテない男の悲しいサガだ。

 

こんなに良い嫁がいるのにひどい奴だな俺。

そう思って隣を見ると誰も居なかった。

寝る時はいつも俺の隣で眠っているアンジェが見当たらない。

ヤバい、猛烈に嫌な予感がする。

戦場じゃ虫の知らせとか死相が見えるってのが意外と重要になってくる。

普通に生きてるなら気にも留めない些細な事を死と隣り合わせな戦場で生き抜く為に感覚が否が応でも研ぎ澄まされるせいだ。

何となく嫌な空気ってもんが自然と分かるようになる。

いわゆる予知夢ってのもそんな感じだ。

あれは自分が感じた情報を寝てる間に脳みそが処理して未来で起きそうな事が夢になったらしい。

一番最初にアンジェが死ぬ夢を見たのが気にかかる。

ひょっとして何か起きるんじゃないか?

 

慌ててベッドから飛び降りて寝室の中を見渡すと寝室の鍵は外してあった。

俺達の寝室は風呂も便所も備え付けの特注だからわざわざ外に行く必要が無い。

つまりアンジェは寝室から出たって訳だ。

夜着の上にガウンを羽織って音を立てないように寝室から出る。

バルトファルト家には使用人が何人か住み込んでるけど不寝番するほど仕事がある訳じゃないから夜は基本的に休んでもらってる。

精々が子供達が生まれた直後に世話役が必要だった程度、今じゃ夜泣きもしないんで楽が出来る。

窓から降り注ぐ月光と星明りを頼りに息を潜めて屋敷の中をうろつく。

ひんやりとした空気が服に覆われてない部分の体温を奪って身震いが起きた。

もうそろそろ収穫の秋も終わり本格的な冬がやって来る。

子供部屋、広間、客室、厨房。

 

取り合えずアンジェが居そうな場所を探し回ったけど何処にも見当たらない。

最後に屋敷の外を軽く見回る為に勝手口へ向かう。

鍵がかかってない、つまり外へ向かったらしい。

室内履きのまま構わず外へ出るとアンジェは寝着のまま庭のベンチに座って空を見上げていた。

ゆっくり近づいて隣に座る、特に驚いた様子もなく受け入れてくれた。

そっと手を握ると肌が少し冷えていたから慌ててガウンを脱いでアンジェの体に被せる。

 

「どうしたんだよ?」

「別に、何となく星を見たくなった」

「寝室の中からだって星は見れるだろ」

「理由など特に無い、何となくだ」

「そっか」

 

それで話はお終い、だけど妙に気にかかる。

このアンジェは本当に俺の知ってるアンジェなのか、その自信が無い。

さっきの夢の記憶が胸に閊えて不安が拭えない。

 

「アンジェ、俺達の子って何人?」

「二人だろう、お腹の子も含めれば三人」

「名前は?」

「ライオネルとアリエル」

「俺の爵位は?」

「バルトファルト子爵、近々伯爵に陞爵予定だ」

 

うん、大丈夫だ。

このアンジェは間違いなく俺の嫁のアンジェだ。

そう思うと安心と同時に愛おしさが湧き上がってアンジェに抱きついた。

アンジェが拒む様子も見せないから気が済むまで抱き締める。

最後の夢に出て来たアンジェと全く同じ感触と温かさと声。

全てが同じだからこそ不安が押し寄せる。

 

あれは本当に夢だったのか?

本当の俺は夢の中の俺で、こうして田舎で領主やってる俺の方が夢なんじゃないか?

この俺は本当の俺が目を覚ましたら消えてちゃうんじゃないか?

王様の俺や世界を滅ぼす俺が見てる夢で。

アンジェも、子供達も、家族もみんな儚く消えてしまう。

そんな恐怖が降りかかる。

 

「どうした急に?」

「怖い夢を見た」

「また戦場の夢か」

「全然違う夢、でも悪夢だった」

「どんな夢だ?」

 

正直、夢と笑うにはあの夢が生々し過ぎた。

内容が内容だから正直に答えるのも気が引ける。

でも言わないと絶対にスッキリしないという確信があった。

 

「いろんな夢。俺が王様になって女の子に追い回されたり、ユリウス殿下と決闘したり。変な玉っころが案内してどうすれば良いか教えるんだ」

「何だそれは?」

「だから夢だって。自分でも分かんないんだよ」

「昼間にミレーヌ様に面会したからか」

「そうかもな。最悪な夢はアンジェが怒るから教えたくない」

「そこまで言われて聞かない方がおかしいだろう」

「やだよ、怒るもん」

「女に追い回される夢よりもか?」

「たぶん」

「いいから言ってみろ」

 

我ながらズルいなぁ俺。

わざとらしく興味を引いてアンジェが聞いてくれるように誘導してる。

 

「妙に現実味のある夢だったな。鎧を操縦してユリウス殿下と決闘してた。オリヴィア様が一生懸命にアンジェを慰めてさぁ、逆にマリエがユリウス殿下に惚れられてた」

「私がオリヴィアに?」

「泣いてるアンジェを見たらムカついて思いっきり殿下の鎧をぶっ壊した、死んだんじゃねぇかアレ?」

「それは中々に痛快だな、私も見てみたい」

「殿下と少しは和解したんじゃ?」

「和解と許しは別物だ」

「そうか」

 

思いの外好評だった。

でも殿下との婚約破棄したのが俺と結婚する切っ掛けだから、あのまま殿下をぶちのめしたらアンジェはそのまま殿下と結婚したんじゃないか?

そんな事を考えてしまう。

 

「あと俺が王様でアンジェが王妃様になってさぁ。たくさん嫁と子供がいるみたいだけど仕事が忙しくてろくに会えないんだって」

「実際の王族も面会の時間を積極的に設けなければそうそう妻や子と会う機会が無いものだ」

「マジか、じゃあいいや。王様辞めます」

「王になりたくないのか?」

「夢の中でもアンジェは仕事してた。嫁とイチャイチャ出来なくて子供に会えないとか嫌です」

「我儘な王様だな」

 

流石にオリヴィア様やミレーヌ妃殿下が嫁として出て来たとは言わない。

どう考えても不機嫌になるって分かりきってるもん。

 

「夢から判断すると俺はユリウス殿下をぶん殴って王様になりたいとか心の中で思ってるのかな?」

「なりたくないのか?」

「面倒臭いからやだ。俺は畑を弄るのが性に合ってる田舎者なんで。嫁は一人で充分です。アンジェが王妃になりたいって言うなら別だけど」

「お前は王になりたくないのだろう、ならば私の答えは一つしかない」

「もし俺が王になりたいって言ったら」

「それが本当の望みなら吝かではないな」

 

どうしたもんか。

この嫁さん、俺がその気になら王妃になるのに乗り気だ。

此処でアンジェの為に王になるとか言えるならカッコいい旦那なんだろうけど生憎と俺は身の丈を弁えてるヘタレです。

とても国なんか扱える自信なんて無い。

 

「最悪な夢が残っているぞ」

「話したくない。アンジェが怒るより思い出す方が怖い」

「夢だろう」

「夢だからだよ」

 

言ったらあの光景が現実になりそうで怖い。

俺が家族の為に死ぬのはいい、だけど俺のせいで家族が死ぬのは耐えられそうにない。

 

「いいから話してみろ、俄然興味が湧いてきた」

「後悔しても知らねえぞ」

「このままでは眠れない。ほら、さっさと話せ」

「……王国が滅んでた。辺り一面が火の海。本当に大地が壊れた鎧や飛行船で埋まってんだ。戦場でもあんな光景は見た事ない」

「ほほう」

「俺が乗ってたのは王家の船みたいなロストアイテムでさ。変な玉っころが操縦してるの」

「何なんだその玉とやらは?」

「分かんないよ、玉っころは玉っころ。で、その船が王国の船を攻撃してるんだよ。しかも最後は公爵家の船」

「……それが嫌な理由か」

「うん、しかもアンジェも乗ってた。俺を裏切者って睨みつけてさ。怖くて泣きたくなった」

 

本当は王妃になったアンジェに抱きついて思いっきり泣いたんだけど。

今だって思い出したら体が震えてくる。

寒さとは違う、恐怖のせいだ。

 

「嫌な予感がするんだ、もし王家と公爵家が争ったらあんな事になるんじゃないかって」

「だから眠れなくて起きたのか」

「夢にしてはやたら現実味があったんだよ、あと今の王国のゴタゴタを知ってりゃ何が起きてもおかしくないだろ」

「そうならない為に私達も努力しているだろう」

「最悪の事態を考えなきゃ、もし本格的に争うような事になったらバルトファルト領がどうなるか分からないし」

「考え過ぎだ。そもそも分の悪い企てだと最初から分かっていただろう」

「頭の中じゃ納得してると思ってた。でも妃殿下や殿下に会って怖くなった。あの夢みたいにアンジェと争う事態になったらどうしよう」

 

アンジェに抱きついたまま目を閉じても、あの光景が目に焼き付いて離れてくれない。

バルトファルト家は公爵家の寄子だ。

王家と公爵家が争うなら公爵側に付かなきゃならない。

でも俺達は裏で王家と連絡を取り合って争いが起きるのを止めようとしている。

公爵にとっちゃ裏切り者と罵られても仕方ない真似だ。

もしも怒った公爵が俺とアンジェの離縁を望めば従う他ない。

 

「もしもそうなるなら私は公爵家と縁を切る。リオンと子供達を捨ててまで公爵家に戻る意味は無い」

「嬉しいけどさ、もし公爵が引き渡せって攻めて来たらどうするんだよ」

「適当に誤魔化してお前の助命を希う。口先ならリオンだって得意だろう」

「上手くやれる自信が無い」

「ミレーヌ様の御前で忌憚なく意見した奴が言っても説得力は無い。必死に父上を騙せ」

 

やだ、アンジェが凄い漢前。

その時になったらそうするしかないか。

ホルファート王国の未来は田舎の成り上がり者が背負うには重過ぎる。

いざとなったら地べたに這い蹲って謝り倒して許してもらおう。

そもそも此処まで出世できただけでも奇跡なんだ、むしろ子爵の地位すら俺には不相応過ぎる。

最悪の場合、貴族位を剥奪されて平民になっても元が平民みたいなもんだから十分に生きていける。

アンジェと子供達が食っていくのに困らない稼ぎならやっていけるだろ。

 

「そんなカッコいい俺の嫁さんにお願いがあります」

「何だ?」

「とっても怖い夢を見たから一人じゃ寝れません。一緒に寝てください」

「子供かお前は」

 

だって怖いんだもん。

怖くて寝れないから隣に居てください。

柔らかくて温かいアンジェが抱き枕になってくれないと俺はぐっすり寝られないんだよ。

それにアンジェがいつまでも寒い外に居るのはマズい。

 

「ライオネルとアリエルの前で情けない姿を見せるなよ、教育に悪い」

「アンジェが俺をこんなにしたんじゃん」

「戦場の悪夢に魘されるリオンを介護しただけだ。私が居なければ眠れないような情けない男にした覚えは無い」

「その言い草はひどいだろ」

「分かった、心を鬼にしてお前を一人前にする。とりあえず寝室は別で良いな、私は子供達と一緒に寝る」

「ごめんなさい、愛してます、一緒に寝てください」

 

必死に拝み倒して何とか寝室に来てもらい一緒に寝る、その夜に悪夢はもう見なかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「アンジェが余所余所しい」

「知らないわよ」

「はい終了、解散」

「頼むから少しは相談に乗ってくれ」

「皆、とりあえずきちんと話し合おうよ」

 

コリンが慌てて俺達を執り成す。

お前は良い子だよ、本当にこいつらと同じ両親から生まれたのか?

 

「え~と、それじゃあバルトファルト家族会議を始めます!」

 

和やかな昼食後の食堂でバルトファルト家族会議が行われる。

この会議は文字通りバルトファルト家の面々が集まって情報交換や相談が月に三・四回ぐらいの頻度で行われる。

議題は他の領地のパーティーで聞いた噂の報告とか領地で流行ってる物とか個人的な相談とかいろいろ。

その日の都合で参加する人数は変わるけど俺と兄さんは殆ど出席して、父さんとコリンは用がある時は来ない、母さんと姉貴とフィンリーの参加率は低め、アンジェは情報監査役として仕事が無ければ毎回出席してる。

家族会議の司会進行役は基本的に家族の中心の父さん、長男の兄さん、領主の俺が担当する。

末っ子のコリンが司会進行役なんて殆ど無いから張り切ってるんだろうけど、残念ながらやる気が少し空回りしてる。

そんなバルトファルト家族会議で話し合われる本日の議題は『アンジェが俺に余所余所しい』『兄さんとドロテアさんの進展具合』だ。

 

「他人事みたいに扱うな、事の重大さを理解してないだろお前ら」

「あんた達夫婦の問題なんだから自分達で解決しなさいよ」

「ついにアンジェリカさんがお兄ちゃんを見限ったんじゃ?」

「喧嘩売ってんのか。まぁ仕方ないか、結婚どころか婚約もまだのお前らには早過ぎた議題だな」

「何よ、あんただって散々お見合いに失敗してたでしょ」

「俺はアンジェと結婚できたから大成功で~す!悔しかったら早く結婚してくださ~い!」

「うわッ、めちゃくちゃムカつくこの糞兄貴」

「はい、そこ。リオン兄さんは挑発しない、姉さん達も怒らないで」

 

コリンの仲裁でうちの姉妹が何とか落ち着く。

止めるなよコリン、まだ言い足りないのに。

 

「リオン兄さん、答弁を求めます」

「はい、何でしょうかコリンくん」

「リオン兄さんとアンジェリカさんの仲が悪くなるとどんな影響が出るんでしょうか?」

「いい質問ですね」

 

そう言って姉貴とフィンリーの前に置かれている食後のデザートに手を伸ばし皿ごと目の前に引き寄せる。

 

「ちょっと!」

「何してんのよリオン!」

「こんな風に食後のデザートが食えなくなります。具体的には公爵家から借りてる金をすぐに返せと言われるでしょう。ですがバルトファルト家にそんな貯えは無いのでいろんな物が差し押さえられます」

 

流石にそこまではやらないだろうけどバルトファルト領の経営はレッドグレイブ家から多くの援助のおかげで成り立ってる。

少しずつ領地を発展させてこつこつ返済する予定だったのがフォンオース公国との戦争でおじゃんだ。

戦争の出費で返済計画が五年以上遅れる、そのせいでまた金を借りたから前にも増して公爵家に逆らえなくなった。

せめて俺が隠居するまでに何とか返済したい、我が子が受け継ぐ家に負債を残したくないのが親の情ってもんだ。

 

「さっさとアンジェリカさんに謝って来て」

「全面的にリオンが悪いわね。そもそもこのケーキってドロテアさんの差し入れじゃない」

 

好き放題言いやがって。

こいつら本当に貴族のお嬢様かよ、だからろくな縁談が来ないんだ。

まぁ、姉貴とフィンリーの縁談がまとまらないのはこいつらが貴族令嬢としての礼儀作法が未熟以外にも理由があるけど。

アンジェによるとバルトファルト家と友好を結びたい貴族は多いらしいが、裏で公爵が手を回して勝手な事をしないように牽制してるそうだ。

そんな馬鹿なと言いたいけど兄さんとドロテアさんの縁談を考えると笑えない。

俺としちゃこいつらが恥をかかない程度におおらかで仲良くなれる相手と結婚するなら公爵派だとうと王家派だろうと構いやしない。

 

「なのでバルトファルト領の為にアンジェと早急に仲直りする必要があります」

「でもそれだけじゃないよね」

「あぁ、具体的にはもっとイチャイチャしたい。だけど元気が無いアンジェに嫌がられるのは耐えられない。そんな訳で協力しろお前ら」

 

露骨に面倒臭そうな顔をするうちの兄弟姉妹。

だって仕方ないだろ、お見合いの夜からずっとアンジェが元気ないんだもん。

何を聞いても「あぁ」「うん」「そうだな」と心ここに有らずだし。

今朝になんか「すまん、今日は休む」って朝から寝室で寝てる。

慌てて医者を呼んだけど特に異常は無かった。

精神的な疲労だろうと診断されたけどアンジェが心配で堪らない。

何よりアンジェが落ち込んでるのに加えて妊娠してるから夜の方もこの半月近く途絶えてる。

俺が強請ればアンジェは拒まないだろうけど落ち込んでる嫁を無理やり抱くのは人としてどうかと思う。

 

「お兄ちゃんがウザくなって愛想尽かした」

「なめんな、俺達はずっとラブラブだぞ」

「女には男と違ってそんな時があるのよ。妊娠してるんだから休ませてあげなさい」

「体調がそうなら分かるけど、問題は心の方だと思う。そこら辺は男の俺じゃ分からないからこんな風に姉貴達に相談してんだろ」

「アンジェリカさんは働き過ぎだから何日か休ませてあげたら」

「それで治るならいいさ。ただ心配でしょうがない」

「…………」

「聞いてんのかよ兄さん」

「……あぁ、すまん。少し考え事してた」

 

アンジェも心配だが兄さんの方も今日の議題の一つだ。

どうも兄さんもローズブレイド領へお見合いに行ってから様子がおかしい。

兄さんの方は落ち込んでいない、ただボーっとしてるだけだ。

 

「なに?ドロテアさんに本気で惚れたの?」

「そもそもあんなお嬢様がパッとしない兄さんに惚れる方がおかしいわよ」

「その辺りにしてやれ、一番戸惑ってるのは兄さんなんだから」

「でも悪い人に見えないけど」

 

兄さんとの交際が決まってからドロテアさんは二・三日に一回はバルトファルト領に来ている。

朝早くに手土産持参で屋敷を訪ねて、昼間は俺達と話し合ったり仕事を手伝ってくれるし、夜は一緒に食事をしてローズブレイド領に帰ってゆく。

今日のデザートもローズブレイド領の有名菓子店の逸品を贈ってくれた。

会話にしても手伝いにしても熱心に関わってくれるし、ぶっちゃけ姉貴やフィンリーより余程バルトファルト領に貢献してる。

そりゃアンジェには劣るけど、それは長年王妃教育を受けたアンジェの方がおかしいだけだ。

不慣れな所もそのうち改善されると思う。

ぶっちゃけあの人が兄さんに嫁いでくれるなら、俺はバルトファルト家の家督を兄さんに譲っても良いとさえ思い始めてる。

 

「何かあったの?」

「特に問題は起きてない。ただ……」

「ただ?」

「重い…………」

 

遠い目をして息を噛み殺すようにぼそりと呟く兄さん。

確かにドロテアさんは四六時中兄さんの傍に居たがるけど付き合い始めはそんな物だろ。

兄さんは胸元からペンダントを取り出す。

確かドロテアさんから贈られた物だ。

腕の良い職人の仕事らしくてアンジェも驚いてたけど、それだけ兄さんに惚れてるって事だろ。

 

「いいペンダントじゃない」

「何が不満なの?私ならこんなプレゼントしてくれる男なら婚約してもいいわ」

「これな、台座の部分に発信機が仕込まれてる……」

「何でそんなもん仕込んでんだよ」

「いつも俺を感じていたいらしい……。向こうも同じ物を付けてる。受信機も手渡された」

「どうしてまた」

「自分が何処に居るか俺に知って欲しいみたいだ。当然あっちも俺の位置を知りたがってる。怖えよ、まだ俺達は正式な婚約も済んでないんだぞ」

「「「「…………」」」」

 

どうやらドロテアさんは束縛が強いらしい。

まぁ、夫の浮気を疑ってこっそり発信機を仕込む奥方もいるみたいだから。

そう思おう、そう思いたい。

 

「で、でもニックス兄さんの邪魔とかしないんでしょ!?」

「むしろそれが怖い。俺の仕事を手伝うんだけどさ、知らない間に相手と親しくなってんだよ」

「それぐらいするのは普通だろ」

「手作りの弁当くれるんだけど、伯爵家のお嬢様なのに凄い速度で料理が上達してる。しかも短期間で俺の好きな物が増えていくのは軽く怖い。俺、一度も好物とか教えてないんだぞ」

「え、何それ」

「知らない間に父さんと母さんから教えてもらったらしい。いつも俺の傍に居てそんな暇なかった筈だぞ」

「やだ、怖い」

 

どうやら着々と外堀を埋められてるらしい。

これ、ドロテアさんが嫁入りしたら兄さんが継ぐ男爵家が乗っ取られないか?

でもこれ位の方が頼もしく感じるから貴族の結婚は面倒だ。

 

「あと二人きりになるとやたら首輪を付けたがる。もちろん俺にもつけようとする。俺をペットにしたいんじゃなくてお互いを縛り付けたいみたいだ」

「「「「…………」」」」

「何か言えお前らァぁぁ!!」

 

いや、何言えば良いんだよこんなん。

そこまで特殊性癖なのは流石に俺達の手に負えない。

兄さんが頑張って主導権を握るか、ドロテアさんに手綱を握られるかの二つに一つしかない。

 

「とりあえず頑張って」

「ドロテアさんが居ると仕事が減るから嫁入りして欲しい」

「それも一つの愛の形って事で」

「ラブラブだね」

「他人事だと思いやがって」

 

ぶっちゃけ俺としてはドロテアさんが居るとアンジェの負担が減るから嫁入りして欲しいんだよね。

兄さんという尊い尊い犠牲は決して忘れません。

ごめんな兄さん、俺が出世したばかりに尻に敷かれる夫婦生活になった。

いつか借りは返すから我慢してくれ。

 

「とりあえずリオン兄さんはアンジェリカさん、ニックス兄さんはドロテアさんと仲良くしてください」

「終わらせるな、助けろお前ら」

「嫌よ、関わり合いたくない」

「だいたい未婚の私達に相談する方が間違いよ」

 

逃げようとする姉貴と違ってフィンリーはそう呟くと天井を指差す。

 

「この家で一番のバカップルが上に居るでしょ。あの人達に聞いて来なよ」

 

俺達全員、そのバカップルから産まれたんですけどね。

ただバカップルは人前で惚気るだけだから大して参考にならないんだよ。

 

「あの万年新婚夫婦がろくな助言すると思うか?どうせ惚気るだけで終わるぞ」

 

……何だよ、その目。

可哀想な物を見るような目で俺を見るな。

 

「自覚が無いって厄介だな」

「あんた、鏡見て来なさい」

「付き合いきれないわ」

「リオン兄さん、それ本気?」

 

どうやら俺とアンジェもこいつらにとってバカップル判定らしい。

失敬な、俺は人前ではきちんと弁えてる。

この半月位アンジェが二人きりでも素気無いから存分にイチャつきたいだけだ。

でも父さんと母さんもいろんな苦労しながら今まで何とか夫婦やってるんだ。

意外と夫婦円満のコツを知ってるかもしれない。

 

「それではバルトファルト家族会議を終了します」

 

コリンの締めの言葉で本日の家族会議は終わった。

姉貴とフィンリーはそのままデザートを食ってる、兄さんは仕事があるから席を立ち、コリンは打ち合わせがあるから外に出た。

俺はどうしよう?

とりあえずやるべき仕事は殆ど終わってる。

午後はアンジェや子供達と家族団欒する予定だったのにアンジェの様子がおかしい。

仕方ない、ここは年長者の知恵をお借りしますか。

美味いデザートを平らげて席を立つ。

あの万年新婚夫婦が少しは真っ当な助言をして俺達の円満な夫婦生活の糧になれば良いなぁ。




夫婦円満の秘訣は各夫婦でさまざまです。
なのでお互いに首輪をかける夫婦が居ても夫婦仲が円満なら問題は無いのです。(おい
第四部からはバルトファルト家の面々も活躍するので相対的に出番が増えます。
同時に他の原作キャラも登場する予定です。
次章は成人向けシーンと同時投稿する為にしばらく期間が空きます。
次回投稿は十二月になる予定です。
依頼主様に頂いたイラスト数点を挿絵にする予定です。

追記:依頼主様のご依頼でLoliFreak様、さるかな様、MOB様、ゴま様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
LoliFreak様 https://www.pixiv.net/artworks/113513318
さるかな様 https://www.pixiv.net/artworks/113576075
MOB様 https://skeb.jp/@MOB_illust/works/4
ゴま様 https://skeb.jp/@goma_453/works/4

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第46章 Juno●

注:今章の成人向けシーンは別に用意してあります。
https://syosetu.org/novel/312750/17.html


父さんと母さんの部屋はは夫婦共同でそこそこ広い。

昔はベッドだけで部屋の大半が埋まる狭さだったけど、今じゃ下手な一人住まいの個室より大きいから随分うちも出世したと感じられる。

扉を数回ノックして中に入ると双子に絡まれながら本を読む父さんと編み物をしている母さんがのんびりと過ごしていた。

 

「おじいちゃま、こえあげゆ」

「ひげ、ひげ」

 

本を涎で汚れされたり、髭を引っ張られても耐え続ける父さんは本当に初孫が可愛いらしい。

そんな光景に慣れっこな母さんは黙々と編み物を続けている。

双子の時もそうだったけどアンジェが生む子供用の産着や小物の何割かは母さんのお手製だ。

アンジェは家事全般が苦手なのでこっちは母さんの受け持ちだ。

経費の削減もあるし、何より平民の妾扱いからいきなり貴族の正妻として扱われてもそうすぐには変われない。

貴族の奥方達に交じってお茶会に参加するより屋敷で家事をしたり畑仕事をする方がよほど気楽と呟いてた。

そんな暇を持て余してる母さんにとって孫の服を作る作業は楽しいみたいだ。

 

「父さん、母さん。ちょっと良い?」

「どうしたリオン」

「何かあったの」

 

父さんの意識が俺に向いたのを察したのか、双子は興味を失ったようにそそくさと椅子に座って玩具や菓子に夢中になる。

こういう行儀の良さはアンジェが施した教育の賜物だろう、うちの兄弟姉妹が子供の頃はいつも騒がしてもっと慌ただしかった。

 

「ちょっと相談したい事があってさ」

 

さて、どうしたもんか?

流石に『嫁とイチャイチャしたいから何か助言してください』とか親と子供の前で暴露するほど俺も馬鹿じゃない。

そもそもアンジェと喧嘩してる訳じゃないんだ。

ただ落ち込んでるみたいだからアンジェを慰めたい、この数日素っ気ないアンジェとあわよくばイチャイチャしたい。

言葉にすればたったそれだけ。

問題はどうしたらアンジェに元気を出してもらえるか今の俺には分からないって事だ。

 

アンジェがバルトファルト領に来て四年ぐらい経つけど、王都に比べたら不便な環境だし、妊娠中の体調もあるだろう。

王家と公爵家の争いに加えてアンジェが考えた提案が本当に上手くいくかどうか見通しの無い不安は気分が沈むのに十分だ。

だったら夫の俺が支えなきゃいけないんだけど、悲しい事に貴族としての教育をほぼ受けてなくて未熟な領主の俺はアンジェが支えてくれないとダメな男なのである。

 

「アンジェの事なんだけどさ」

「疲れが溜まったから今日は部屋で休むと聞いたぞ」

「ダメよ、きちんと労わってあげないと。ただでさえ妊娠中は心と体が不安定なんだから」

 

分かってはいるんですよ、分かっては。

問題は分かっていても上手く行動できなくて正解が分からない部分だ。

 

「だからさ、どうにかしてアンジェに元気を出してもらいたいんだけど上手くいかなくて」

「いつもあれだけ仲が良いのに何したんだお前は」

「甘えっぱなしは却って夫婦仲を悪化させるわ。お互いがちゃんと相手を思い遣る心が肝心よ」

「分かってはいるんだけどさぁ……」

 

貴族の間じゃ期待の若手みたいな扱いをされてるけど、家族にとっちゃ俺は煮え切らない次男坊のままだ。

女の子と付き合った経験なんて殆ど無いし、夜会に出席するより畑で農作業してる方が落ち着くし、贅沢は温かい風呂に入ってフカフカのベッドで寝るだけの男。

それが俺です。

そもそも最底辺の貴族と平民の子として生まれ育った俺を高位貴族として扱おうという王家や公爵家の思惑がありがた迷惑だ。

俺がなんとか領主貴族としてやっていけてるのはアンジェが陰日向に支え続けてくれてるからだ。

 

そんなアンジェが落ち込んでいるとなれば今後のバルトファルト領の運営に支障が出てくる。

いや、領地経営を言い訳にしたらダメだな。

単に俺はアンジェが元気になって欲しいんだよ、その為ならこうして家族に頭を下げるのも苦じゃない。

 

「実家の事とかこれからの領地の開発とかいろいろとあるんだ。兄さんのお見合いの時に昔の知り合いと会ったのがマズかったかな。かなり難しい問題の持ち込みをされんだよ」

「断っちまえ、嫁のアンジェリカさんより仕事が大事なのか?」

「意地が悪いなぁ、公爵家も絡んできてるから断れなかったんだよ」

「変な儲け話に関わっちゃダメよ。お金は大事なんだから」

 

むしろ問題を吹っ掛けてんのは王家なんですけど。

俺は辺境でのんびり暮らしたいのに王家は面倒ばっか押し付けやがって。

いっそ夢みたいに王家も公爵家も滅ぼして王になってやろうかちくしょう。

夢の俺は王様になってたけどその気持ちも分かる。

他人を黙らせるのに一番早くて簡単な方法が圧倒的な力でねじ伏せ黙らせるやり方だ。

やる気の無い王様もやる気が満々な公爵様もまとめて相手に出来る力があったなら既にそうしてる。

だけど現実の俺は田舎の成り上がり貴族でお偉方の無理難題に逆らえんのだ、忌々しい。

 

「アンジェのお陰である程度の目途は付いたんだけど、肝心の本人が落ち込んだままだから困ってるんだ」

「原因は何なの?」

「昔の知り合いに公爵との取次を頼まれたせいかな。あと俺が頼りなくて他の女に色目使ったとか思われてそう」

「浮気したのか!?」

「してねえ!ローズブレイド家のお嬢さんに社交辞令で揶揄われただけ!きっちり断ったわ!」

 

あんな良い女を嫁にして浮気なんか出来るはずない。

王子はアンジェとかミレーヌ妃殿下とかオリヴィア様を見て目が肥えてたんだろうな。

俺は比較対象が大らかな母さんとか性格が悪い姉貴とか我儘なフィンリー、さらに最悪なゾラとメルセだもん。

世の中は本当に不平等だ、何で偉い奴の周りにばっか金と美人が群がるんだよ。

 

「何としてもアンジェに機嫌を直してもらいたい。でもどうしたら良いか分かりません。どうか俺に夫婦円満のコツを教えてください」

 

もうなりふり構わず頭を下げる。

アンジェは貴族が気軽に頭を下げると威厳が損なわれると口酸っぱく嗜めるけど、そもそも俺は御大層なプライドなんて持ってない。

なので言いたい事は率直に言うし、必要なら軽い頭を何度だって下げてやる。

嫁の機嫌が直るなら俺の見栄なんて尻を拭く安い紙より価値が無いもんね。

 

「アンジェさんに贈り物でもしたらどうだ?」

「元公爵令嬢だよ?俺が何を贈っても見劣りすんじゃん」

 

うちにはアンジェが公爵家から持って来たドレスやら宝石が大量にある。

貴族同士の付き合いに必要な交際費として毎年一着ぐらいドレスを新調してるけど、バルトファルト領に来てから王都の流行り取り込んで仕立てたドレスより、やや流行りから遅れたらしい嫁入り前のドレスの方が価値が高いのが悲しい。

いざとなれば売り払って領地経営の足しに出来るってアンジェは笑ってた。

 

やだよ、嫁の服を売り払うとか甲斐性の無い真似は。

それじゃあ贅沢な食い物や旅行は効果的かと問われたらこれも違う。

領主としての見栄もあるから公爵家の伝手で腕の良い若い料理人を雇ってるけど、公爵家や王家と関りが深いアンジェの舌は肥えているアンジェからすれば貧しい食事と思っても仕方ないはずだ。

なのに料理人が作った物より俺が適当に作った飯を美味いと言って食べるんだもん。

知り合って四年、結婚してもう三年経つけど何したらアンジェが一番喜ぶか分からない。

 

「せめて愛情だけでもきちんとしておこうと愛してるって伝えてるんだけどさぁ、この所なんか素っ気ないんだよ」

 

アンジェが居なきゃ俺は今こうして生きてない。

その感謝も込めてなるべく愛してるって二人きりの時は言ってる。

父さんと母さんだって暇さえ在れば所かまわずイチャついてるんだ、辺境で苦労してるアンジェが精神的に満たされるように愛の言葉は常に欠かしてない。

 

「リオン、それは違うわ。愛してるって言われ続けるのは相手にとって負担でもあるのよ」

「母さんもそうだったの?」

「そりゃこの人を愛していなきゃ長い間妾扱いされ続けても添い遂げようとは思わなかったわね。ゾラ達にひどい事を言われても我慢してあんた達を育てられたのは確かに愛し合ってたからよ」

「じゃあ問題ないじゃん」

「でも疲れてる時、不安になってる時に耳元で愛を囁かれても逆に迷惑なだけなのよ。妻とか母親を止めて独りになりたい時もあるの。あんただって領主の仕事が面倒ってぼやいてたじゃない」

「そりゃまぁ、そうだけど」

 

子沢山な家庭で育ったせいか俺は寂しがり屋なんです母さん。

疲れたらアンジェに思いっきり甘えて心と体を癒されたいんです。

逆にアンジェが俺に甘えてくれるのもそれはそれで嬉しい。

でもアンジェからすれば俺みたいな男が疲れる度に甘えて来たらそりゃあ嫌だろう。

うわぁ、俺すっごく扱いが面倒な男だ。

おまけに子供達はまだ小っちゃいし、領地の仕事はやたらと多い。

そりゃアンジェだって独りになりたくなるわな。

ちなみに父さんは俺ほどじゃないけど少し落ち込んでる、過去に母さんに迫ったのが迷惑と言われたのがショックらしい。

 

「でも放っておくのもそれはそれで心配なんだ」

「なら大人しく子守りでもしてろ。今日ぐらいアンジェリカさんを仕事から解放してやれ」

「うん……」

 

手渡された双子が俺の膝の上で動き回る。

俺もフィンリーやコリンの子守りを兄さんや姉貴に押し付けられたけど小っちゃい子供ってのはすぐどっかに行こうとして少しも目が離せない。

普段は暇な家族や使用人に任せてるけど、アンジェは幼い頃からの教育が重要だと出来るだけ子供の面倒を見たがる教育ママ、その分の負担も大きいだろう。

今日一日アンジェから離れて子守りをしてアンジェの気分が良くなるとは思えない。

何か良い方法は無いもんか。

 

「アンジェが一緒なら気晴らしにどっか行くのも考えたんだけどな。ライオネルとアリエルが一緒ならそれも難しいか」

「どっかって何処に行くつもりだ?」

「バルトファルト領以外のどっかだよ。観光地ってのは地元じゃないから楽しいんだよ」

 

オリヴィア様が戦没者の慰霊に来てからバルトファルト領を訪れる観光客が増えた。

今ある宿泊施設だけじゃ足りないけど、だからって増やしても客が来なくなったら建設費が無駄になる。

需要と供給を把握しろとアンジェが常々言ってるから俺も随分と貴族の思考に染まってきた。

やっぱり温泉だけじゃこの領地の活性化は十分とは言えないな、開拓した農地から採れる作物も今は自給自足分が大半だから売却しても大した金額にならない。

 

「王都とか行ってもアンジェは見飽きてるだろうし行くなら他の土地だな。ダンジョンとかは危ないから一泊二日ぐらいの手頃な辺りに行きたい」

「お前は出世したくせに欲が無いなぁ、この国の子供なら冒険者に憧れるもんだろ」

「アンジェやこいつらはそうかもしれないけどさ。俺は家族でのんびり出来る所がいい」

「じゃあこれなんかどう?」

 

母さんが差し出したのは父さんが読んでいた本、題名は『ホルファート王国観光名所巡り』か。

この手の案内本は俺が子供の頃には貴族の間で大量に出回ってたらしい。

公国との戦争が始まってから旅行なんて行く暇が無いし、停戦後は国内の治安が悪化してる上に侵略で荒らされた観光地に誰も見向きしなかった。

バルトファルト領が観光で設けられたのは療養施設という名目と新規参入だから他の観光地が戦争の復興に手間取っている隙に上手く入り込めたからだ。

もっとも今度の戦争でうちは領地の被害こそ無かったけど出費と人的被害が大きい。

少しずつ復興してゆくゆくはこんな観光本に紹介される程度にはバルトファルト領の評判を広めたい。

 

「今はお前達が働いてくれるからリュースと一緒にどっか行こうと思ってな」

「孫達と一緒に旅行も悪くないって思ってるの」

 

いい御身分な事で、めっちゃ羨ましくてムカつく。

王家や宮廷のお偉方め、必死に頑張ったのに金じゃなくて領地と爵位なんかくれやがって。

いちいち面倒な開拓やら経営やら俺はやりたいなんて一言も喋ってねえぞ。

軍の退職金で田舎に家と畑を買って優しくてオッパイの大きい嫁さんと一緒に悠々自適な生活を送る俺の完璧な人生計画が台無しだ。

アンジェと結婚してなかったら逃げ出してたぞ、王都の糞ったれ共。

いつになったら俺とアンジェは隠居できんだよ。

溜め息を本を開いて紹介されてる名所紹介を読むと観光地に加えてダンジョンも紹介されてるのは流石にどうかと思う。

何となくページを捲ると興味を引く記事が載っていた。

 

「父さん」

「おう」

「今日と明日だけ留守を任せていいか?」

「かまわんが何かあったか」

「ちょっと出掛けてくる、急ぎの仕事は特に無いから大丈夫だと思うけど」

「何処行くんだ?」

「秘密。母さん、アンジェの世話をお願い。ライオネルとアリエルは俺が連れてくから。明日の午後には帰る」

「急にどうしたの」

「アンジェのご機嫌取りに行って来る。ライオネル、アリエル。パパと来なさい」

「あ~い」

「わかった」

 

両親の部屋を出て使用人達に馬車の支度や子供達の日用品の用意を急かす。

アンジェは俺に会いたくないかもしれないから、部屋に常備してある外出用の俺専用の鞄も同時に持って来させた。

やるならさっさと済ませた方が良い。

いつまでもアンジェが落ち込んでると俺まで元気が無くなっちまう。

これも領主としての仕事、嫁へのフォロー、子供達の教育です。

何事かと驚く使用人達を尻目に子供達と鞄を馬車に乗せ、御者に領主専用の飛行船が待機する空港へ行くように命じた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

扉を数回ノックして反応を窺う。

世界中の嫁が怖い旦那達は毎回こんな気分を味わってんだろうな、俺はアンジェと仲が良いけど怖いもんは怖いんだ。

とりあえず気に入ってもらえると良いんだけど。

 

「入れ」

 

素っ気ない返事が寝室の奥から聞こえて来た。

ゆっくり深呼吸してからワゴンを押して寝室に入るとベッドの上でアンジェが寝そべっていた。

アンジェは寝ているだけなのにこの寝室を支配してるような存在感がある。

赤い寝衣を着て気怠げに体を揺する姿は大型の猛獣が自分の縄張りに不法侵入してきた人間を威嚇するみたいで怖い。

 

「戻ったぞアンジェ、体調はどうだ?」

「まあまあだ。随分と自堕落に過ごしてしまったな」

「アンジェは働き過ぎだから丁度いい。せっかくだから間食を持って来たぞ」

「いただこう」

 

ワゴンに載せていた茶器一式を広げて手際よく紅茶を淹れる。

妊娠中のアンジェ用に茶葉を少なめミルクをたっぷりにして差し出す。

お茶請けはドーナツ、これも健康を考えて豆粉を混ぜて油で揚げず焼いて作った。

甘さは控えめだけど満足感があるはずだ。

 

「どうだ?」

「歯応えがあるな」

「小麦粉と豆粉を混ぜて砕いたナッツも加えたんだ。ライオネルとアリエルも手伝ってくれたんだぞ」

「それは心して食さねばならんな」

 

朗らかに微笑んでドーナツを頬張るアンジェ、久々に笑う所を見た気がする。

普段はベッドの上で物を食べるなんて行儀が悪いと言ってるアンジェの自堕落な姿は貴重だった。

あっという間に自分の分を平らげると物欲しそうに俺の分を見つめてきた。

ドーナツを一個だけ摘まんで皿に載った残り全部をアンジェの前に置いたら黙々と食べ始めた。

『太るぞ』とは言わない、言ったら蹴られる、前に言った時は思いっきり尻を蹴飛ばされて三日も口を聞いてくれなかった。

 

紅茶じゃなくてティーポッドの白湯をカップに移して差し出すと喉を鳴らして飲み込む。

姉貴やフィンリーが同じ事したら眉を顰めるけど、綺麗なアンジェは何しても絵になるからズルい。

人心地ついたのか欠伸をして寝そべり始めるアンジェ。

しまった、完全に話すタイミングを逃した、仕方ないんで片づけを始める。

俺って領主様だよ?子爵様だよ?旦那様だよ?

完全にかかあ天下だけど惚れた弱みだから逆らえません。

 

「おい」

 

不機嫌そうな声が後ろから聞こえて振り返るとアンジェが俺を睨んでた。

何?また何かやらかしたか?

アンジェは何度も布団を叩きながら顎をしゃくって俺を促す。

何をすれば良いか分からないんでとりあえずベッドの上に座った俺に対してアンジェは寝そべったまま。

嫁に逆らえない光景は何とも情けない。

そう言えば獅子って実際は雌が群れを支配してて、ボスに見える雄の方が飾り物だったな。

まさか雄獅子に同情する日が来るとは思いもしなかったぞ、ベッドに横たわってるアンジェが本当に雌獅子に見えてきたじゃん。

金色の髪、切れ長の瞳、大きな胸、艶めかしい脚、傲岸不遜な態度。

まずい、アンジェに見惚れてたらムラムラしてきた。

気まずくなって目を逸らすとゆっくりアンジェが近づいて来る、完全に狩りをする体勢です。

 

「何処へ何をしに行ってた?」

「疚しい真似はしてないから」

「それは私が判断する、さっさと答えろ」

 

いっそ弱ってたアンジェの方がまだマシ、襲われて喰われる小動物の気分だ。

 

「私を除け者にして自分と子供達だけで楽しんで来たか、口煩い妻が居なくてさぞや羽を伸ばせたようだ」

「妄想が過ぎるぞ。疲れてるみたいだから静かに休ませたんじゃないか」

「直接言えば納得した、私に一言も告げず出掛けたリオンが悪い」

「悪かったって、アンジェを驚かせようと思ったんだよ」

 

ベッドの上に座ってる俺にアンジェが体を預けて来た。

後ろからアンジェを抱える体勢のまま俺の胸にアンジェの背中が押し付けられる。

 

【挿絵表示】

 

「子供連れでただ遊び行ってたのなら流石に領主の自覚が足りんぞ」

「そこはまぁ、きちんとやったつもり。行く前に仕事は殆ど片付けてから行ったし」

「目的地は何処だ?」

「南方の浮島だよ、縁結びで有名なとこがあっただろ。あそこに行って来た」

「それで?」

「バルトファルト領は温泉があるけどそれだけじゃ観光資源としちゃまだ弱い。だから今のうちに参考になりそうな部分があるかもって行って来た。後できちんと報告するから」

「言い含めるような語りだな、本心が別にあるだろう」

 

鋭い、流石は王妃になる予定だっただけはある。

浮気してもアンジェに一発でバレるだろうな、するつもり無いけど。

懐から目当ての品を包んだ袋を取り出すとアンジェの掌に置く。

 

「何だこれは?」

「これが目的の品だ、開けてみて」

 

袋から出たのは桃色と乳白色の稀石が連なった装飾品。

アンジェが公爵家から持って来た宝石と比べたら高価な代物じゃない。

但し、あの奇妙な格好の神官達によって神の祝福がかけられていた。

神と聖女を奉じる神殿とはまた違って武勇・勉学・開運・縁結びといろんな効果があると聞いている。

そして縁結びは子宝・安産にも通じている。

父さんが読んでいた本にそんな記事が書いてあったので子供達を連れて参拝した。

神殿に行った目的は唯一つ、アンジェの安産祈願だ。

 

「ライオネルとアリエルと一緒に参拝した後で特別に作ってもらったんだぞ」

「随分と手間をかけたな。わざわざそんな目的の為に南方まで赴いたのか」

「きっちり現地調査はしてきたよ、後で提出するから楽しみにしてろ」

「まったく」

 

口では文句を言いつつお守りを掲げるアンジェはどことなく嬉しそうだ。

これだけの為にわざわざ飛行船を飛ばし神官に頼み込んで特注のお守りを作ってもらった甲斐はあったな。

光を反射してるのか、お守りの石がキラキラ輝いて綺麗だな。

いや、本当に輝いてる?

アンジェも少し驚いた様子で見つめているとお守りから蝋燭の灯りぐらいの小っちゃな炎が宿った。

ゆらゆら揺らめていて今にも消えそうなのに寝室を照らす炎は何処か幻想的だ。

 

「なるほど、確かに霊験灼からしい。火が灯るとは恐れ入る」

「何でまた?」

「あそこのお守りは時折不思議な現象を起こすと耳にした。この目で見るまでは眉唾な話だと思っていたが」

「これでアンジェを護ってくれるって証明されたって訳だ」

「大切にしよう、わざわざお前が赴いて作って来たのだからな」

 

半月ぐらい見てなかったアンジェの笑顔。

そっと後ろから抱き締めても拒まない、むしろ体を密着させて来た。

壊れ物を扱うように手を添えると指が絡み合う。

 

「ずっと機嫌が悪かったのは何が原因だ?」

「悪くはない」

「嘘だ、ずっとうわの空だったぞ」

「いろいろと考え事をしているだけだ。悩みが尽きないのが困りものだが」

「王家と公爵家の争いか?」

「むしろお前だ」

 

なんか俺のせいにされた。

そりゃダメな旦那だけどアンジェが寝込むほどとは思ってなかった。

 

「もっと頑張るからさ、見捨てないでくれよ」

「リオンの努力は私が一番知っている。寧ろ、それを素直に認められない私の狭量が問題だ」

「どの辺が問題なんだよ」

「お前が成長すればするほど否応無しに様々な騒動に巻き込まれる。私と結婚した時点でリオンが隠居する機会は先延ばしになってしまった」

「覚悟はしてたさ。でもアンジェが傍に居るなら耐えられるよ」

「おまけに最近はやたらとお前に絡む女が増えている。オリヴィア、マリエ、カーラ、ディアドリー、挙句にミレーヌ様だ。こうも立て続けだと怒りを通り越して呆れる」

 

前のアンジェは俺が室や妾を持っても仕方ないとか言ってたのに随分な心境の変化だ。

今まで会った美人さん達が俺に絡む横で随分と手を出された。

あれ割と痛かったんだぞ、我慢したけど。

少しだけムカついたけどアンジェが嫉妬している事実を聞いたらついつい嫁を甘やかすのは仕方ないよね。

 

「俺に浮気する度胸は無いぞ」

「側室に追い回される夢を見た男が言っても説得力など皆無だ」

「夢です、単なる夢です」

「どうだか、胸が大きい女なら誰でも好きだろう」

「全然違います。惚れた女と大きなオッパイは別物です。愛と性欲は一緒じゃありません。惚れた女の胸が大きいなら最高じゃん」

「よく口が回るな、ミレーヌ様によると男は浮気をすると言い訳の為に多弁になるらしい」

 

ダメだ、何を言ってもアンジェに勝てない。

 

「いっそ真剣に王を目指してみるのも悪くないか。アンジェが政務を仕切るなら俺も楽が出来る。王宮の庭園で野菜を育てよう」

「王になって目指すのがそれか、玉座を何だと思っている」

「ただの椅子だろ?王って力がある奴がなるべきだと考えてんだけど」

「……それは正しい、正しいが口に出すな」

「出さないよ、アンジェの前だから言うんだ」

 

公爵家の娘だし、末席だけど王位継承権も持ってるんだからアンジェが女王になれば一番良いと俺は思ってる。

だけど婚約破棄のせいで王妃になる道は閉ざされた。

アンジェがこの国を支配する為には他の奴らを押し退けられる力を持ってなきゃ話にならない。

ホルファート王家とレッドグレイブ公爵家に対抗できるだけの軍事力を俺が持ってたら別だけど。

 

「王様かぁ……」

 

夢の中でバカでかいマントと金をかけた服とピカピカの王冠を被ってた俺の姿を思い出す。

どう見ても仮装にしか見えない、王より宮廷道化師の方がまだ俺に似合ってる。

溜め息を吐いてアンジェを抱き締めた。

でもアンジェと子供達を護る為なら王に為るのも悪くない。

半端な野心を持った参謀より狂って暴れ回って最後は討たれる大馬鹿の悪役の方がマシかもしれない。

アンジェの背を撫でながら胸の奥底で蠢く俺自身を灼く暗くて熱い何かを生まれて初めて感じた。




夫婦水入らず回です。
今章は成人向け回に力を入れたのでやや軽めの話になります。
この部はバルトファルト家の活躍もあるので、前章と合わせバルトファルト家の皆の深堀りと書きました。
タイトルのJunoはギリシャ神話の女神ヘラ。
ゼウスの浮気に悩む・縁結びや結婚の女神の意味合いで、原作小説で修学旅行に行った神社とリオンに対して感情を拗らせたアンジェのダブルミーニングです。

追記:依頼主様のご依頼でちーぞー様に挿絵イラスト、オカメン様、vierzeck様、柳(YOO) Tenchi様、Shedar様、酩酊ろっぱ様、Mu(ムー)様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
ちーぞー様https://skeb.jp/@chizodazou/works/6
オカメン様https://www.pixiv.net/artworks/113677436(成人向け注意
vierzeck様https://www.pixiv.net/artworks/113690959(成人向け注意
柳(YOO) Tenchi様https://www.pixiv.net/artworks/113696369
Shedar様https://www.pixiv.net/artworks/113793876
酩酊ろっぱ様https://www.pixiv.net/artworks/113740025
Mu(ムー)様https://www.pixiv.net/artworks/113870279

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第47章 邂逅

冬の楽しみは何か?

温かい料理を食う、温かい風呂に入る、温かい布団で寝る。

これに勝る冬の楽しみを俺は知らない。

雪の中を駆け回るのは風邪を引いたのに気付かないアホな子供とアホな犬だけで十分だ。

過去を振り返るとガキの頃の俺は可愛げが欠片も無い嫌な奴だったと気付いて少し悲しくなる。

寒い冬は寝てやり過ごすのが一番だ。

金がかからないし、腹が減ったら眠って誤魔化せるし、何より疲れない。

冬眠するリスとかコウモリとかクマに憧れるとか自分でも妙なガキ過ぎて頭の中身が心配になる。

 

だから冬場に薪を割ったり保管庫へ食べ物を取りに行くのは大嫌いだった。

そんな『裕福な平民の方がもっとマシな生活してるんじゃ?』と思っていたバルトファルト家が空調完備で源泉から引いた温泉に入れる暑さ寒さと無縁の日々を送れるなんて思いもよらなかった。

戦争で死にかけたんだし、この程度の役得が在っても怒られないだろ、むしろ俺をもっと労って欲しい。

具体的には綺麗でオッパイの大きな優しい嫁と可愛い子供達に囲まれて三食昼寝付きの悠々自適な田舎暮らし。

そんな生活を送るにはあと二十年ぐらい頑張らなきゃダメです。

 

楽をする為に一生懸命に働かなきゃいけないっておかしくないか?

この世界を作った神様は絶対に性格が悪い。

なのでこのまま温かい布団で寝るのは理不尽窮まる残酷な世界への抗議であり、無慈悲な神様に対して人類の尊厳を護る崇高な戦いだと俺は思うのであります。

 

「つまり、何が言いたいんだお前は?」

 

具体的には寒くて眠いから起きたくありません。

このまま太陽が昇って暖かくなる昼間まで布団に包まりながら寝てたい。

出来れば一生布団から出ずにダラダラと暮らしたい。

隣で綺麗な嫁さんが一緒に寝てくれたら尚良し。

柔らかくて温かいオッパイに顔を埋めてずっと寝てたい。

 

「さっさと起きろ!」

 

無理やり毛布を引っぺがされてベッドの上を無様に転がる。

俺の嫁さん、綺麗だけどおっかない。

 

「……おはよう」

「目が覚めたか」

「嫁が優しくないから二度寝したい」

「拗ねるな、子供かお前は」

 

拗ねてアンジェが俺の望みを聞いてくれるならいくらでも拗ねるんだけど今まで一回も叶った試しが無い。

いっそ泣き喚いたら叶うかもしれないけど子供達に見られたら父親の威厳が死ぬ。

俺は子供達から尊敬されるパパでいたい。

窓の外を見るとまだ日の出前だ、冬の朝が一番気温が冷え込む。

室内の温度は空調で常に保たれているはずだけど窓ガラスは結露して体は何処か肌寒く感じる。

 

「こんなに早く起こすなよ」

「定期船の始発はもうすぐだ、私達が家を出る前に起こさなければリオンは昼まで眠ったままだろう」

「ガキ扱いすんな」

「じゃあ一人で起きられるのか?」

「……」

「まったく」

 

溜め息をつくアンジェを尻目にノロノロと着替え始める。

こういう時は貧乏な昔が懐かしくなる、寝間着のまま家の中を歩き回っても誰も咎めなかった。

今じゃ領主としての威厳とやらを保つためにずっと堅っ苦しい貴族の振る舞いを強要される。

権力が増すほど好き勝手に生きる自由はどんどん減っていく、今じゃ野良着で畑を耕すのすら覚束なくなった。

 

「空港、増築するかぁ」

「その費用を何処から捻出する気だ」

「……無理?」

「現状では厳しい。せめて療養施設の収益が増える見通しがあるのなら融通できるが」

「何時かはしなきゃいけないな」

 

定期的にバルトファルト領の空港から他領に向かう飛行船は平民向けの移動手段だ。

近くの浮島同士を行き来して人や荷物を運搬する。

個人で他領に行けない平民にとっては欠かせない移動手段でバルトファルト領も特定の領地する定期船、周辺の領地を巡回する定期船が往来してる。

 

バルトファルト領の空港は三つある。

荷物の搬入搬出を目的とした空港、療養に訪れる奴らや領地の奴らが他領に行く時に使える定期船がある空港、そしてバルトファルト領の戦艦と領主が保有する飛行船の離発着を行う空港だ。

やんごとなき貴族様の飛行船が使うには貨物用は慌ただしくて無理、民衆用は狭くてこれまた停泊できない。

仕方ないから軍事用の一部を使用しているがこれも広さに限りがある。

聖女様御一行をお招きして慰霊祭を行った時は近隣の領地から多数の貴族が押し寄せそうになってヤバかった。

周辺の警護という名目でうちの戦艦を飛ばして無理やり空きを作り停泊してもらったけど、それでも足りないから仕方なく貨物用の空港に一時停泊してもらったが不満の声が上がっちまった。

予定した招待客よりオリヴィア様を一目見ようとして連絡も無しに訪ねてくるお貴族様達もどうかと思うけど、向こうは爵位が同じか俺より下でも貴族の経験が長いから文句も言えない。

 

だからと言ってこれからバルトファルト領を訪ねる貴族が増える見込みも無いのに空港を増設するのは無駄な出費になりかねない。

それぐらいならまだ良い、現状で一番困るのはうちの領内に武装した飛行船が頻繁に訪ねて来るという異常事態が続いているという問題だ。

 

「いっそ武装しないなら来てくれて構わないんだけどなぁ」

「先方にも面目がある。大事な娘を送り出すのに非武装という訳にもいくまい」

「そもそもあの二人結婚するのか?」

「流石にそこまで我々には分からん、あの二人の関係次第だ」

「どうしたもんかねぇ」

 

発端は兄さんとドロテアさんの交際が決まってからだ。

本来なら家格が下の俺達がローズブレイド領を訪ねるのが筋ってもんなんだが、ドロテアさんは兄さんが訪ねてくるのをずっと待ち続けるのが我慢できないらしい。

ついにはローズブレイド家の飛行船を使ってバルトファルト領を数日おきで訪ねるようになった。

 

ただ、そうなると色々と問題が生じるが世知辛い世の中だ。

バルトファルト一族(うち)は新興貴族の子爵家と長年辺境で平民同然の暮らしをしてきた男爵家の集まりだ。

爺さんや父さんの代から仕えてくれる騎士が何人かはいるけど殆どが俺の代になって新しく雇い始めた連中ばっか。

家督が継げない貴族の次男三男や気が荒く礼儀作法も学んでいない平民が多い。

俺の功績とアンジェの人脈と兄さんの仲裁でどうにか成り立ってる軍だ。

 

一方でローズブレイド家は冒険者としての実績と代々続いた名門という誇りを持って統率された軍。

そんな騎士や兵士が顔を合わせたら揉め事が起きない訳が無い。

うちの連中は相手を「気取って鼻持ちならないお坊ちゃま騎士」と敵視するし、向こうも「礼儀も統率も覚束ない野蛮な奴ら」と蔑んでるのがありありと分かる。

貴族同士の婚姻ってのは人脈を広げるのに一番手っ取り早い方法だとアンジェは言ってるけど、兄さんの婚約だけでこの調子なら他の三人の結婚を考えたら今から胃が痛くなる。

 

どうしたら仲が拗れないか相談した結果、ドロテアさんが『それなら私がローズブレイド家の飛行船を使わなければ良いだけです』と平民向けの定期船を使ってバルトファルト領を訪ねて周囲を唖然とさせた。

あの人、本当に兄さんの事になると思い切りが良過ぎて逆に困る。

王の側室にだってなれる名家のお嬢様がそこまで兄さんに入れ込む理由が本当に分からない。

そもそも貴族同士の結婚ってのは位階や爵位が比較的近い家同士でやるもんだ。

違うとしても一段階が限度、伯爵家のドロテアさんと男爵家を継ぐ予定の兄さんじゃ余程の事が無いと結婚は無理だ。

 

「何だ?」

「別に」

 

そういや俺とアンジェは兄さん達以上に家柄の差がある。

公爵家の令嬢で王位継承権すら持ってるアンジェが戦争で手柄を上げたとはいえ殆ど平民だった俺と結婚させるのは絶対ありえない。

普通なら公爵家の連中から文句が出てもおかしくないはずだけど、公爵家の面々が俺に対する扱いどう見ても下級貴族にするとは思えないぐらい丁寧だ。

まぁ、使用人やらメイドは裏で『子爵はお嬢様の夫に相応しくない』と陰口を叩かれてるのは知ってるさ。

アンジェが俺には勿体ないぐらい良い女なのは気付いてるから文句は無いけど。

でも公爵家の親戚連中が嫌味を言う程度で積極的に反対しなかったのはどう考えてもおかしい。

貴族になっていろんな経験を積んだ今だからこそ分かる。

公爵は俺に何か隠してる、もしかしたらアンジェも?

 

もう一度視線をアンジェに移す。

怪訝な顔で俺を見つめ返すアンジェが隠し事をしてるとはどうしても思えない。

一瞬でもアンジェを疑った自分が恥ずかしかった。

答えの出ない思考は止めよう。

穏やかな人生を送る秘訣は敵を作らない、深入りしない、敢えて力を抑えて余力を残すだ。

秘訣を全く活かせない人生を歩みっぱなしだけど、絶賛厄介ごとに巻き込まれ中だけど。

 

「今日は本当にライオネルとアリエルも連れて行くのか?」

「たまには他の領地も見た方が良い勉強になる」

「姉貴とフィンリーが行くだろ、アンジェと子供達まで行かなくてもいいじゃん」

 

ドロテアさんは伯爵家のお嬢様なのにバルトファルト家の連中に気安く接している。

仕事中の兄さんに付いて回るし、父さんと母さんを見下す事もない。

兄さんの弟妹の俺達に対して嫌う素振りすらないから本気で兄さんに惚れているみたいだ。

ただローズブレイド家の連中の前じゃ毅然と名家のお嬢様らしく振る舞うから、あくまで兄さんの身内な俺達だから尊重しているんだろう。

そこが少し怖い。

ドロテアさんが兄さんに惚れて困ったのは姉貴とフィンリーだった。

 

ただでさえ戦争で若い貴族の男が死にまくったせいで今のホルファート王国は貴族の女が余っている。

今までなら貴族のお嬢様は何をしなくても自然と男が寄って来たもんだが、今じゃ男が女を選ぶ時代だ。

聞いた話じゃあまりにひどい嫁と離婚しても裁判で旦那側の訴えが全面的に受け入れられたらしい。

嫁にするなら気立てが良い女と結婚したいのは男なら当然。

炊事・掃除・洗濯・針仕事が出来なくて血筋だけが取り柄の女なんて今じゃ誰も相手にしない。

貴族の奥様方が子供を産みさえすれば後は悠々自適に過ごせる時代はとっくに終わった。

公爵家のアンジェはもちろん、伯爵家のドロテアさんまで兄さんを手伝おうと躍起になったりお手製の弁当を作っている。

やっと危機感を持った姉と妹はアンジェにいろいろと学び始めたり、ドロテアさんをどうやって男に気に入られるか必死に観察してる。

もし嫁入り出来なかったら俺か兄さんの所で狭い部屋で独り寂しく生きなきゃならないからそりゃ気合も入るさ。

そんな訳で姉貴とフィンリーは遅まきながら淑女教育の真っ最中です。

 

「この目でどれだけバルトファルト領を訪ねる者が多いか確かめたい。その数次第で今後の領地経営に変更が出るやもしれんからな」

「わざわざ貴族の奥様が自分で調査する事じゃないと思うぞ」

「なら私を屋敷に閉じ込めるな、領地の外へ出向くのを禁じなければ良い」

「心配なんだよ、ただでさえ妊娠してるんだから」

 

優しくアンジェのお腹を擦る。

妊娠して半年、そろそろ胎動が始まって服も妊婦用の物に変える時期だ。

目に見えてアンジェの体の変化が分かればどうしても過保護になるのはしょうがない。

 

「昼過ぎには帰る、大人しく屋敷で待っていろ」

「やっぱ護衛を連れて行けよ、女子供だけだと不自由だろ」

「不自由だから楽しい、母子の健康の為に我慢しろ」

 

アンジェの提案を渋々ながら受け入れる、俺はアンジェの尻に敷かれっぱなしだ。

寝室を出ると冷えた廊下の空気に思わず身震いする。

そろそろ空港に向かわないと定期船の始発に間に合わない。

玄関では姉貴とフィンリーが待機して眠たげなライオネルとはしゃぐアリエルをかまってた。

 

「頼むぞ姉貴、フィンリー」

「頼まれてあげるから感謝なさい」

「じゃあ、はい」

 

フィンリーがおもむろに俺の前に手を差し出す、つまり金を払えと。

 

「そこで小遣いを請求するからお前は嫁入り先が見つからないんだと思うぞ」

「息子と娘の面倒を見る優しい妹にお兄ちゃんは快くお小遣いをあげるもんなのよ」

「ほら、さっさと払え」

 

まぁ、仕方ないか。

懐から財布を取り出して紙幣を姉貴とフィンリーに、硬貨をライオネルとアリエルに手渡す。

 

「うわ、十ディアとかマジ?」

「ケチな男は嫌われるわよ」

「ライオネルとアリエルの二倍だぞ、菓子と飲み物でも買え」

 

文句を垂れる姉妹を無視して扉を開ける、馬車の用意は済んでいた。

ライオネルを抱き締めても半分夢の世界で反応が悪い、アリエルは露骨に嫌な顔をされた。

パパ悲しい。

最後にアンジェを抱き締めて頬にキス、アンジェも俺を抱き返して頬にキス。

 

「早く帰って来てくれ、寂しくて死にそう」

「きちんと仕事をしろ、二度寝するなよ」

「わかった」

「早く行くよ~!」

「そこのイチャイチャしてる二人~!さっさと終わらせろ~!」

 

せっかくいい所だったのに、あの姉妹は本当に空気が読めない。

溜め息を吐くと息が白く染まった、冬の寒さは肺の中の空気すら凍らせそうだ。

馬車に乗り込んだ五人を見送りながら見えなくなるまで手を振り続ける。

地平線が紅く染まり新しい一日の始まりを告げているようだ。

寒さに身震いしながら屋敷に戻ってベッドに入る。

あと少しだけ、ベッドに残ったアンジェの匂いに包まれながら寝よう。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

欠伸を噛み殺しながら書類に目を通す。

いつもなら昼飯を食った後は小休止で昼寝をしたい気分だけどアンジェが居ない穴は俺が埋めなきゃいけない。

睡魔と闘いながら机の上に置かれた書類に目を通して判を押す。

これでも事前にアンジェが吟味して俺の承認を待つだけの仕事を振り分けてくれた量だからありがたい。

 

少しでもアンジェの負担を減らすには俺が成長しなくてはならないのが悩ましい。

俺がさっさと隠居する為には真面目にコツコツと実績を積み上げて自分の子に引き継がせるのが一番手っ取り早い。

楽をするには真面目に頑張るという本末転倒な世の中の摂理を感じながら今日も仕事に精を出す。

今の所バルトファルト領で一番の問題はどうやって収入を増やすかだ。

開拓して農地を広げようとしても収穫が安定するには十年以上の歳月がかかる。

湯治に訪ねてくる温泉目当てな奴らは平民が多くて貴族の客は少ない。

 

まぁ、この領地はもともと未開拓だった王家の所領を俺とアンジェとバルトファルト

家の皆が頑張って軌道に乗せた領地だから貴族の土地としての歴史は十年に満たない。

ダンジョンも歓楽街も無い温泉だけが取り柄の田舎をわざわざ訪れるような物好きな貴族はそう多くない。

おまけにフォンオース公国との戦争に参加した貴族達は損害をどう埋めようか悩んでる最中だから意外に財布の紐が固い。

むしろ戦争で儲けた商人や恩賞を受けた下級貴族や騎士の方がうちの経済を潤してくれる。

 

それに加えてここには戦争で亡くなった人々の慰霊碑が建てられたばかりだ。

二度もホルファート王国の危機を救った聖女オリヴィア様が祝福したとここら一帯で評判になってる。

平民なのに聖女になって王国の為に戦ったオリヴィア様の評判は留まる所を知らない。

今じゃ王国の女の子の憧れは女冒険者や貴族の嫁さんじゃなくて神殿の聖女ときたもんだ。

元気の無い貴族に比べて平民の力が徐々に増してるように感じるのは本当に気のせいなんだろうか?

もしかしたら、そのうち王国は貴族と平民の立場が逆になるのかもしれない。

 

「ははッ、そんな馬鹿な」

 

頭を掠めた考えを否定するように声を出して首を振る。

そんな事になったらおちおち隠居も出来ない、俺が穏やかな生活を送るには王国が元気でいてくれなきゃ困る。

いずれにしても貴族より平民の客が多いならそっちを優先した方が儲かるのは分かりきってる。

アンジェが帰って来たら相談してみよう。

机に向かって凝り固まった肩の筋肉を揉み解しながら時計を見る。

そろそろ定期船が到着してもいい頃だ。

空港には兄さんとコリンが出迎えに行ってる、屋敷に居るのは両親と俺だけだ。

普段は耳を澄ませば聞こえて来る子供達の声が聞こえて来ないのは少し寂しく感じる。

たった半日離れるだけで落ち着かなくなるとは俺も子煩悩の仲間入りらしい。

 

トンッ トンッ

 

「入れ」

 

扉をノックされたから入室を許可すると恭しく頭を下げた使用人が入って来る。

どうやら待ち人が来たらしい。

 

「子爵様、来客です」

「分かった」

 

席を立ち服装を整えて応接室に向かう。

ドロテアさんは俺の服装なんか気にしそうにないけど、一応は体面と礼儀ってもんがある。

来客は礼儀正しくお迎えしないと後でいろいろと面倒な事になりかねない。

応接室の扉の前で軽く髪を整えて顔の筋肉を緩める。

とにかく笑顔だ、愛想良く振る舞えば絡んでくる奴はそんなに増えない。

息を整えて首を振ると使用人が扉を開けて俺は応接室へ踏み込む。

 

「やぁやぁ、これはこれ……」

 

部屋に居たのは金髪の美女じゃなかった。

緑、紫、赤、水色と目立つ髪色をした男が四人、備え付けのソファーに座って茶を飲んでる。

……根を詰めて働き過ぎたか、瞼を閉じて目元を何度も揉んでからもう一度瞼を開いた。

やっぱり野郎四人が茶を飲んでやがる。

使用人の肩を掴んで足早に応接室から出ると思いっきり扉を閉める。

 

「おい」

「如何いたしましたか?」

「来客って言ったよな?」

「はい、子爵様を訪ねて来られたお客様達です」

「どうしてローズブレイド家からの客じゃないんだよ!」

「そう言われましても、私は来客がいらしたと子爵様にお伝えしただけですし」

 

何なのあいつら?

呼んでないのに来やがって。

正直会いたくない、何ヶ月も前に王都で殺し合いになりかけた連中なんか屋敷に入れたくない。

アンジェ達が帰って来ない間にさっさと退散してもらうのが一番だ。

 

ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ!

 

思いっきり扉をぶっ叩きやがって、ありゃ馬鹿力のグレッグか?

急いで扉のノブを握りしめて体を逸らして開かないように力を込める。

 

「開けろバルトファルト!どうして扉を閉める!?」

「俺の所に客なんて来なかった、さっさと失せろ」

「王都から僕達が訪ねて来たのにその言い草はなんだ!?」

「お前らが英雄だろうと貴族のボンボンだろうと俺の態度は変わらねぇよ!そもそもお前らと俺は顔見知り以下の関係だ!」

「まず話を聞いてくれないか!」

「断る!バルトファルト領(うち)の貴族用の宿を紹介するから泊まるのはそっちに行け!金はきちんと払ってもらうぞ!」

「遊びで来た訳ではありません!」

「お前らの存在がアンジェの胎教に悪い!揉める前にさっさと出てけ!」

 

応接室から聞こえて来る声を無視したい、何で来るんだよ四馬鹿ども。

お前らアレか?一度喧嘩したら親友とか思う絵物語に登場する友情譚みたいなの信じてるのか?

生憎だけど俺は受けた恩は利息込み、やられた仕打ちは死なない程度に加算して返す性分だぞ。

それに王都でお前らと揉めたのはアンジェに報告済みだ。

俺が傷付けられてキレたアンジェがお前らの実家襲って王都を燃やすとか言い始めて宥めるのは本当に一苦労だったんだぞ。

どうして俺の後ろをつけ回した連中を庇わなきゃならねぇんだよ?

何度も扉のノブが揺れて叩く音が屋敷に響き渡る。

こんな時に限って兄さんもコリンも外出中ときたもんだ。

 

「何をしてるんだ!?」

 

振り返ると慌てた様子の父さんの隣に見覚えがある青髪の男が立ってる。

マジかよ、何であんたまで来るんすか。

 

「久しいなバルトファルト」

「……お久しぶりですね、ユリウス殿下」

 

いや、確かにミレーヌ妃殿下との連絡は貴方の担当だと聞きましたよ。

社交辞令でいずれ会いたいとか言ったり手紙に書いたりしますよ。

だからってそれは連絡も無しに訪ねて来ても良いって許可じゃありませんから!

あれですか?殿下は意外とお暇なんでしょうか?

だったら帰って、今すぐこいつらと一緒に帰って。

 

「久しぶりだなバルトファルト」

「前から一ヶ月も経ってませんよ殿下、何の用ですか?」

「そう邪険にするな、俺達も遊びで来た訳じゃない」

 

むしろ遊びで来た方がマシだ、どう考えても厄介事の匂いが漂ってる。

俺が露骨に嫌な顔をしているのを見て慌てた父さんに壁際へ押し付けられた、背中が痛い。

 

「リオン、何を仕出かしたんだお前?王子だぞ王子。どうして王子がうちみたいなド田舎に来るんだ?」

「いろいろあるんだよ、いろいろ」

「いろいろって何だよ?」

「それは言えない」

 

王家と公爵家が争っているから裏で王妃に協力して何とか仲を取り持つ為に嫁と一緒に頑張ってますとか言えるか。

言っても信じてくれるかどうか怪しいけど。

 

「どうするんだよ、うちには王族を迎えるような用意なんて無いぜ。下手すりゃ爵位と領地を失いないかねないぞ」

「何もしなくて良いよ、話だけ聞いたら帰るだろ。さっさと済ませてアンジェが帰るまでに家から出てってもらう」

 

そろそろアンジェ達がドロテアさんを連れて帰って来る頃なんだ。

こいつらがアンジェの心を掻き乱す前にきっちり始末しておきたい。

父さんを払い除けて殿下と一緒に応接室へ入って椅子に座った。

流石に体を鍛えてる男が六人も同じ部屋にいると窮屈だ、空気も暑苦しくて汗臭くような気がしてくる。

 

「……またお前らと顔を合わせるとは思わなかった」

「俺達だってそうだ、用が無ければ僕達もわざわざ辺境まで来ない」

「殿下、アンジェの案をこいつらに喋ったんですか?役に立つように見えませんよ。腕っぷしだけはさすがに認めてますけど」

「まだ説明していない。そもそも今日バルトファルト領を訪ねたのは別件だ」

「何だよ、その案ってのは?」

「そもそも俺達が役立たずとはどんな了見だ」

「うるせぇ、俺は殺し合いになりかけた奴に優しくするほど人格者じゃねえんだ」

「仕掛けてきたのはお前だバルトファルト」

「付け回したのはそっちが先だろ、忘れんな」

 

どうにもこいつらが居ると喧嘩腰になる。

出会いが最悪だった上、俺はアンジェを侮辱されて黙ってるようなヘタレじゃない。

嫁の為なら公爵家はもちろん王家にだって喧嘩を売る。

険悪な雰囲気の中でユリウス殿下だけが俺と四人の間に割り込んで止めようとしている。

この人も意外と苦労してんのか、まぁその気遣いをもっと昔にアンジェにして欲しかったけど。

 

「二十日ほど前、王都で王国の現状に不満を持った地下組織の一斉検挙が行われたのは知ってるか」

「新聞で読んだ、お前ら大活躍だったらしいな」

「通称は『淑女の森』。貴族の女性を中心とした組織で歴史はかなり長い。ファンオース公国との戦争が始まる数十年前から活動を始めていた」

「人身売買、禁制品の密輸、貴族を暗殺し家督を乗っ取るなどの違法行為を長年にわたって繰り返していました。公国との戦争が終わった後は貴族籍を剥奪された者や王国と敵対している他国の支援を受け危険な反体制組織となりました」

「流石にこれ以上は放置できないと母上が秘密裏に検挙を計画し、本拠地を調べ上げるのに大分腐心しておられた」

「途中で仮面の騎士が現れて助けてくれたんだ。何者なんだろうなあの男?」

 

相変わらず王都は魔が潜む場所らしい。

煌びやかに栄えてても裏じゃ足の引っ張り合いって平民や下級貴族の命を何とも思わない貴族連中が犇いてる魔境だ。

そんな所に俺を放り込もうとするなよ。

 

「それで皆さんはそんな連中をぶっ倒して逮捕、王都は平和になりましたとさ。めでたしめでたし、じゃあ帰ってくれ」

「最後まで話を聞け!」

「聞きたくない、どうせろくでもない事だろ」

「バルトファルト家にも関係があるから来たんだ」

「金なら無いぞ、むしろこっちが欲しいぐらいだ」

「そっちじゃない」

「我々は淑女の森を一斉検挙した。王都にある主要な拠点。各地に点在する裏取引の場所や集会場も同時だ」

「相手は手広く裏で活動してたからな。王都だけ潰しても組織を叩き潰せない」

「主要な幹部はほぼ逮捕して証拠も揃えた。彼女達の処罰は速やかに行われる予定さ」

「なら話は終わりだろ、帰ってくれよ」

「頼みますから最後まで聞いてください。貴方もたった今『ほぼ逮捕』という言葉を聞いたでしょう」

 

聞いたけど聞かなかったふりをしたい。

面倒に巻き込まれるのは嫌だ、どうして俺達を放っておいてくれないんだ。

俺達は大人しく田舎でのんびり暮らしたいだけなのに運命は非常です。

 

「つまり捕まえ損ねた奴らが居るって事だろ、聞きたくもなかった」

「検挙を実施した日から王家が主導して捜査を続けていた。幹部連中は全員逮捕できたんだが」

「構成員までは手が届きません。末端の連中ともなれば何も知らずに関り合った商人等が大半ですし」

「俺達は王命でこの半月は各地の取りこぼしを現地の貴族と協力しながら一つ一つ潰して回った」

「お疲れさん、補給物資が欲しいなら売ってやる。特別価格で二割増しだ」

「金取るな!」

「値上げするな!」

「残っているのは戦闘要員の集団、そして元貴族の構成員数名にまで追い詰めました」

「追い詰められた武装集団が何を仕出かすか、お前なら分かるだろ」

「空賊になるか、他所に逃げるか。こんなとこか。手配書があるなら寄越せ。罪人を匿うほど俺も馬鹿じゃない」

「この辺りの治安は今どうなんだ?」

「悪くはない、と言いたい所ですね」

 

戦争が終わったから治安が良くなるとは限らない。

家を焼かれた連中が戦争で懐が温かい奴の家を襲うなんて日常茶飯事だし、解雇された傭兵や敗戦国の兵士が空賊に落ちぶれて商船を襲い始めるのもよくある話だ。

武装集団と化して膨れ上がった空賊は地方領主じゃ対抗できない場合さえある。

そうなると国が乱れるので空賊退治は王国軍の平時に於ける重要な任務の一つだ。

冒険者稼業に比べて軍人は人気が無くて常に人材不足、そのおかげでゾラ達に追い詰められ家出した俺が兵役可能年齢ギリギリでも軍に入れたんだけど。

 

「戦争が終わったから即平和とはなりませんよ。空賊が時々現れて船を襲ってます」

「捕まえようとしてないのか?」

「こちらも探索はしてますが空は広い。探索用の気球を飛ばしたりしてますが目立った成果は出てないのが実情です」

「兵の数が足りていないんじゃ」

「英雄殿には辺境の成り上がり者が戦争で空いた穴を埋めるのがどれだけ大変か分からないだろ。今は領地を護るのが手一杯なのさ。周辺の領主とも相談して交易には軍を同行させたり、金を出し合って傭兵を雇ったりしてる」

 

そもそもバルトファルト家は戦功や空賊退治でギリギリ貴族の地位を保ってたような家系だ。

あんな連中をのさばらせるほどうちの連中は優しくないし荒事に慣れてる。

俺の才能もそんな遺伝なんだろうな、もっと別の才能が欲しかったけど。

 

「これで話は終わりですか?」

「いや、まだお前から情報をもらっていない」

「俺が何を知って……」

 

ドンドンッ!! ドンドンッ!!

 

突然、激しい音が扉から聞こえた。

その音が扉をノックしている音だと気付くまで数秒かかった。

何事かと思って扉を開くと倒れるようにコリンが部屋に入って来る。

急いでたのか額から汗が流れてシャツを濡らしている。

 

「兄さん!リオン兄さん!」

 

俺を見つけたコリンに思いっきり肩を掴まれる。

込められた力の強さに顔を顰めるけど普段大人しいコリンが此処まで慌てるのは異常事態だ。

 

「大変だよ!」

「落ち着け、何があった?」

 

耳を塞いで目を閉じたい、どうせまた嫌な事が起こったんだ。

運命の神様はとことん俺が嫌いらしい。

コリンは俺以外に殿下達が居るのに気付かないぐらい慌ててる。

何事かと父さんまで応接室に入って来た。

コリンの報告を聞いていく間に自分の頭から血の気が引いていくのを実感する。

全てを聞き終えて把握した瞬間、俺は全力で駆け出した。




五馬鹿再登場。
真っ当に成長したので逆にリオンが大人げないのは好感度が低めだから。
ドロテアさんはニックスの為なら何してもおかしくないのが便利過ぎる。
この部では五馬鹿の活躍を書く予定なのでお待ちください。

追記:依頼主様のご依頼できなこ様、Ξoshiri様、ドータン様、namukot様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
きなこ様https://skeb.jp/@mzknk0/works/5
Ξoshiri様https://skeb.jp/@XI_Oshir1/works/7(成人向け注意
ドータン様https://www.pixiv.net/artworks/unlisted/UeQcvs7dQMdzBgDu5LSq
namukot様https://www.pixiv.net/artworks/114243738

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第48章 強襲

視界いっぱいに広がる雲海は敷き詰められた純白の絨毯か、或いは床にこぼしたミルクか。

綿花のように淡く儚げに見え刻一刻と風の動きにその容貌を変じる。

空には飛行船を阻む物が存在しない。

気の向くままに何処まで行けそうな解放感を感じ風が頬を撫でる感触は否応なく心が昂るものだ。

かつて私の祖先である冒険者達もこのような昂りを胸にホルファート王国を立ち上げたのだろうか?

窓ガラスに顔を押しつけて食い入るように外を眺めるアリエルはそうした冒険者気質なのだろう。

何事にも興味を示し、手足を必死に動かしながら飛行船の中を駆け回る姿は貴族令嬢として随分とはしたない振る舞いなのだが。

 

「ライオネル、お前は外を見ないのか?」

「いやです」

 

一方のライオネルはずっと私の傍らから動こうとしない。

窓の外の風景が変わる度、何か物音がする度に震えて必死に私の体へしがみつく。

歳を考えたら親に甘えて当たり前の年齢なのだが双子の兄妹がこうも対照的では評価に困る。

ライオネルは優しく大人しいが覇気が足りず、妹のアリエルは快活ではあるが些か気性が荒く我が強い。

兄妹喧嘩ともなれば泣かされるのはいつも兄であるライオネルであり、アリエルは自分は悪くないとばかりに傲然と振る舞う。

双子の性格は両親である私達に似たのだろうが、私が常にリオンを尻に敷いているように思えて面映ゆい。

 

「元気な御息女ですこと、誰に似たのかしら?」

 

背後から私の思考を読むような呟きが聞こえた。

振り返ると丹念に手入れをされた黄金色の巻き髪に視界が埋め尽くされる。

幅広の扇で口元を隠し簡素ではあるが上物の生地を用いた略服に身を包むディアドリーの姿は平民が多く乗っている飛行船に似つかわしくない。

 

「私に似た、そう肯定すれば満足か?」

「あら、自覚はあるみたいね」

(おや)になれば分かる。子は否応なしに親に似るものだと」

「貴女自身にとってそれは喜ばしい事なのかしら」

「嬉しいさ、確かな絆を感じられる」

 

親の私達に似ている事実は子供達が私達の愛の結晶の証明だ、嬉しいに決まっている。

私にしがみつくライオネルはディアドリーを見て必死に私の服を握りしめる。

我が息子はどうも私とバルトファルト家の面々を除いた女性に対し苦手意識があるようだ。

おそらくは妹に普段から泣かされているのが原因だろう、いずれ克服してもらわねばバルトファルト家の将来に影響しかねない。

 

「安心しろライオネル、このおばさんは見た目ほど恐ろしくはない」

「お、おお、おばさんですって!?私をおばさんッ!?」

「義兄上とドロテアが正式に婚約するならいずれそう呼ばれるだろうが」

 

二十歳には婚約者が決まっているのがホルファート王国貴族の平均的な結婚事情である。

ファンオース公国との戦争以前でも下位貴族の男や騎士は若くして死ぬ可能性が高かった。

故に早くから婚約し後継ぎを儲けよと周囲から強要されがちである。

子を成す事は夫の義務であり、子を産む事は妻の責務。

故に妻を抱かない夫は貴族としての責務を果たしておらず、子を産めない妻はやがてその地位を追われる。

そこまで考えて私に抱きついて腹を擦るライオネルと胎内の未だ見る我が子に想いを馳せる。

結婚して四年で子供が三人は確かに多い。

だが軍を退役した筈のリオンが再び戦争に巻き込まれてしまったのを鑑みれば早めに子を産めたのは僥倖と言えた。

辺境は荒事が多く王都に比べ貴族男性の死亡率が高い、当主や長男が亡くなった時の為に子供は多いに越した事は無いだろう。

新興貴族であるリオンに子供が多ければそれだけ政略結婚による家同士の繋がりとなりえる。

 

決して、決して私が多淫という訳ではない。

そもそもバルトファルト家が多産の家系であり、リオンがやたら私にベタベタするから拒み切れないだけだ。

義兄上とドロテアの間に多くの子が産まれるなら、それはバルトファルト家の特徴だと立証されるだろう。

私は決して多淫ではない、単にリオンとの相性が良過ぎるだけだ。

 

馬鹿馬鹿しい思考を一旦止めて視線を移す。

貨物の輸送を執り仕切る商人、肉体労働者として雇われてる亜人、湯治目的らしき老夫婦、或いは観光が目的な若者達。

年齢も人種も様々な者達が乗船し一番広いこの客室で思い思いに過ごしている。

人数は凡そ三十名に届かない程度、経済的に多少なり余裕がある者達なのだろう。

そんな客室の隅に異様な集団が居た。

簡素な服装でありながら隠しきれない美貌を湛えた育ちが良さそうな女性が一名、さらに居心地が悪そうな表情で椅子に座っている女性が二名、その周囲に屈強な男達が取り囲むように四名ほど控えている。

今回わざわざ私達が出向く事態となった原因であるドロテア本人、そしてローズブレイド伯爵が娘を心配して同行させた護衛の一団だった。

 

「お前は混ざらなくていいのか?」

「あの場に居られるほど私の神経は図太くありません」

 

厳めしい護衛達に囲まれ、疲れた顔で接待を続けるジェナとフィンリーを他所にドロテアは幸せそうな表情を浮かべ忙しなく体を揺らしている。

頭の中が義兄上で染まっているドロテアの相手は私でもつらい物がある。

あれが本当に社交界で何人もの男を手酷く袖にしたドロテアと同一人物なのだろうか?

自分の記憶にあるドロテアと一致せず困惑してしまう。

 

「まさかここまでお姉様が変わられるなんて。ここまで顕著な例を見た事がありませんわ」

「恋とは厄介な物だ。あの身を焦がすような情動を自制するのはなかなかに難しい」

「それは貴女の実体験かしら?」

「その通りだ」

 

己の所業を振り返ると恋を自覚した頃の私は完全に感情のまま突っ走っていた。

リオンの重荷になる己を厭い、彼に嫌われるのを恐れ、挙句に嫌われる前に別れようとする。

本末転倒な所業ばかり繰り返した私は本当に今の私と同じなのだろうか。

あの頃の私は今のドロテアほどひどくはないと思いたい。

 

「……貴女、やっぱり変わったわね」

「古い知り合い達によく言われるが自分では分からん。良い方に変わったと思いたいが」

「それはバルトファルト卿の仕業?」

「かもしれん」

「なかなか面白い男のようね」

「やらんぞ、リオン(あれ)は私の物だ。他の女と分け合うつもりなど無い」

 

睦言で私の身がもたないから側室を娶ったらどうかと幾度か口にはした。

あくまで冗談であり本気で認めるつもりなどない。

義務として子を産んだら務めを果たしたと閨を拒み、子育ては乳母や教育者に任せ愛人との逢瀬を楽しむ貴族の夫婦は王国に於いてはよくある話なのだ。

もしユリウス殿下との婚約が破棄されず、そのまま王妃になったとしても今のように満ち足りた気持ちでいられたかは疑問が残る。

殿下は私以外の女に愛を求め、私は国政に勤しみながら夫婦の溝を埋めるのを諦めてしまう気がしてならない。

 

結局のところ円満な夫婦関係に必要なのは家柄でも財力でもなく相互理解だと最近になって漸く気付いた。

私はリオンを拒まない、拒む理由など存在しない。

今の私はただひたすらに夫と子供達の幸せを願う一人の女であり母に過ぎない。

偶々王妃の才能があっただけのつまらない女が真実の私だったのだろう。

優しくライオネルの頭を撫でているとアリエルが近づいて来た。

私の娘は双子の兄が誰かにかまわれているとすぐに割り込もうとする。

この部分はきっと私に似たのだろう、早々に矯正しなくては後々の禍根になりかねない。

 

「ははうえ」

「どうした、アリエルも抱っこか?」

「あれ、たべたい」

 

そうして指差した方向には客室用の簡素な売店があり派手な色彩の菓子やら飲み物が売られている。

リオンに小遣いを貰ったのをきちんと憶えていたようだ、貨幣の価値は分からずとも金を払えば何かが買えると理解しているらしい。

おそらくリオンや義父上が私の目の届かない所で子供達に買い与えているのだろう。

甘やかし過ぎるのは問題だが、家族の愛情を感じられず歪な人格に育っても困る。

 

子は親の思い通りに育たないと自分が親になってやっと気付いた。

私は親や教育係の命じた事を遵守するのが苦にならない質なので、嘗ては子が自身の思い通りにならないと泣き喚く者の気持ちがよく分からなかった。

私の腹から産まれたのに私の子は私の望み通りに育たない。

ままならないのが人生の本質だろうか?

リオンは子供達に邪険にされていると嘆くが、寧ろ叱ってばかりの母親の私より甘やかすリオンの方が懐かれていた。

こうして何か買う度に私の許可を強請るのもこっそり何か買ってバレたら怒られると思い込んでるからである。

 

「分かった、何が欲しい?ライオネルも一緒に来なさい」

「はい、ははうえ」

「やったぁ」

 

娘に手を引かれながら売店へ向かう、双子は各々が目を輝かせ物色してる。

バルトファルト家に嫁いでから随分と私も世俗に染まった。

王都に於いて貴族の催しとは茶会や夜会を意味し、政の延長としての催事であり心の底から楽しめた経験は皆無と言ってよい。

リオンに連れられて辺境の祭に幾度か誘われたが、そうした制約が無く好きな相手と気ままに楽しむのは初めての経験だった。

同時に現金での取引、地方の物価に対する理解は私の領地経営にとって実に有益な成果を齎してくれる。

公爵家、次期王妃は現金を扱わず書面で国家規模の金額を扱う。

白金貨や紙幣を直に触った事すら稀なのに金塊や札束を越える金額を取引するのは異常だ。

平民の家族が数ヶ月も生活できる程の資金を一回の食事で消費するのは贅沢であり、それが常態化している王家や公爵家に恐ろしさすら感じるようになった。

こうして人々の営みを肌で感じられるのは人を統べる上で必要な資質であり、いずれリオンの跡を継ぐ我が子達にも教え込む必要があった。

 

「これ!これほしい!」

「ぼく、こっち」

 

ライオネルは様々な動植物を象った干菓子、アリエルは串が刺さった大きな飴を欲した。

二人はリオンから与えられた硬貨を店員に手渡し座席に戻ると食べ始めた。

手の上で菓子を一つ一つ弄ぶライオネル、大きな飴を口元を汚しながら舐めるアリエル。

同じ親から同日に産まれてもこうも差が出るのは生命の不可思議さである。

両脇に双子を座らせつつ物思いに耽る。

あと数ヶ月で産まれるお腹の子はどのような性格なのだろうか?

下の子を敵視する兄姉も多い世の中だ、己の子が啀み合う姿は親として懸念すべき案件である。

 

「ん」

「はい」

 

アリエルが手を伸ばすとライオネルが干菓子を一つを差し出す。

やれやれと溜め息をついてアリエルの手を握る。

 

「アリエル、ライオネルにありがとうと言いなさい」

 

口を尖らせて不満げなアリエルに注意を促す。

思い返せば学園には下位貴族や平民を粗略に扱い平気で物を奪い関係を迫る好機貴族出身の令息令嬢が多かった。

そうした高位貴族の存在がホルファート王国の逼迫した現状を生み出したと省みれば幼少期から矜持と傲慢を混同しかねない性格の矯正は必要と言える。

 

「ライオネルはお前に菓子を与えた。きちんとありがとうと言えないなら誰もお前に菓子を与えないぞ」

「……ありがとう」

「よし」

 

私の許可が下りるとアリエルは急いで干菓子を頬張った。

どうやら私に干菓子を取り上げられると思ったらしい、私が望んでいたのは自分の物を分け与えた兄に対する心からの感謝なのだが。

謝意を伝えるのは恥ではない、貴族とは下々に支えられなければ生きていけぬか弱き存在。

だからこそ領地を発展させる義務が生じ、最悪の場合は己の命で失態を贖わなければならない。

これが出来ない者は貴族である資格は無い、ただ社会の歪さを体現し政を滞らせる害悪その物だ。

娘をそんな存在にさせないのも母親としての愛情である。

 

「ははうえ」

「どうした」

「これあげます」

 

ライオネルの小さな手には花を象った干菓子が握られていた。

どうやら母と妹の諍いを見てご機嫌取りを始めたようだ。

こちらはこちらで周囲に気を使い過ぎ、そして気前が良過ぎている。

貴族の消費は決して悪ではない。

金銭の流れは社会全体の豊かさに繋がっている、貴族が浪費せずに金銭や食料を溜め込めばやがて民が困窮し飢えてしまう。

浪費と言えない程度の消費、吝嗇と謗られない程度の節制。

これらを程良く行えるのが良い為政者なのだ。

恩賞を渋る主君は部下に見放されるが、だからと言って気前良く分け与え過ぎる主君も部下に軽んじられかねない。

 

ライオネルがいつもそこまで考えてアリエルに分け与えているとは到底思えない。

妹のやっかみを回避する為に菓子や玩具を差し出しているのが正しい状況だろう。

アリエルの気の強さは問題だが、逆にライオネルの大人しさも問題と言える。

均衡こそが重要だ。

力が無ければ奪われ続けるだけだが、力を持ち過ぎては逆に狙われる機会も増えてしまう。

己の身を護る程度の力を持ち他者を傷付けない優しさを備える、これが一番難しい。

 

「いいから自分で食べなさい。それはライオネルの物だ」

「ははうえとあかちゃんにあげます」

 

ライオネルは優しい、それは人として望ましい物だろう。

だが、優しさだけでは人の上に立てないのが貴族という存在だ。

時に誰を切り捨て、時に誰かを押しのけて優位に立つ。

そうした闘争心がどうしても必要になる時が否応なしに訪れてしまう。

この子の優しさがこの子自身の人生を豊かにしてくれる、この子の優しさを好む者に出会えるのを切に願う。

息子から貰った干菓子を口に含む。

甘いはずの味がひどく苦いものに感じた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

定期船の駆動音と振動が眠気を誘ってくる、口元を隠して欠伸を噛み殺し窓の外の風景を眺めた。

この定期船は近隣の領地を巡りつつ私達が治める地へ近づいている。

次の停泊地である空港まで一時間も無い、その次は漸くバルトファルト領だ。

朝一番の始発から近隣の領地を巡り昼過ぎに漸く戻れる。

他領からの直通便も無い訳ではないが貨物の輸送船が主であり、人を移送する為の定期船はあまり多くない。

 

この辺りは新興貴族の悲しさだ。

如何にリオンが有望な若者であり数々の戦功によって貴族に取り立てられようが、それはあくまで戦争に関する功績だ。

領地経営に関しての功績はほぼ皆無であり、バルトファルト領が現在に至るまでの発展はレッドグレイブ家の後援が在ればこそ。

その影響もあってリオンの領主としての評価は『公爵の娘婿』『戦で成り上がった若輩者』の域を出ない。

結果が分かりやすい戦働きと違い領地経営の評価はとにかく時間をかけて実績を積むしかないのだ。

 

十代後半で爵位と領地を賜ったばかりの若造など長年に渡って血と伝統を継いできた貴族にとっては異端の存在だ。

現状のバルトファルト家は近隣の領主と関り合いが薄くどうしても軽んじられてしまう。

温泉ぐらいしか特徴が無い発展途中の新興地より比較的栄えてる地方都市の利便性が優先されるのはやむを得ない。

ここで公爵家が無理に介入しても横槍をくらった他領の反感を買うだけだ。

少しずつ地道にバルトファルト領を発展する以外の方法は無い。

バルトファルト家が完全に貴族として認知されるのは最短で約二十年はかかる。

私達の子の代、孫の代となり公爵家からの借入を完済して漸く認められるだろう。

 

その頃にはリオンが望む隠居生活が手に入れば良い。

子と孫に囲まれ作物を育てながらのんびり温泉に浸かる日々を送りたいものだ。

ぼんやりそんな想像をしながら双子を見ると、揃って窓の外を食い入るように眺めていた。

刻一刻と形を変える雲を切り裂いて空を駆ける光景は新鮮に映るらしい。

いったい何を見ているのだろうか?

 

「どうした、何か面白い物でもあったか?」

「あれ」

「ふねみたい」

 

窓から双子が指差す方向を眺めると視界の隅に黒い影が小さく映った。

他の商船だろうか?

浮島の近くだと飛行船同士が近づき過ぎて事故になるのは嘗てよくある事故だった。

通信技術が未発達で雲に視界を遮られ事故が頻発し多くの者が戦や冒険と関わりなく空にその命を散らした。

技術が向上した現在でも年に数回はそんな事故が起こる。

次の停泊地が近づいたので視認できる範囲に他の飛行船が現れたのだろうか。

そのまま双子の側に座ったまま外の様子を窺い続ける。

普通は視界に他の船が見えたなら速度を落とし距離を離すのが通例の筈。

なのに相手の船は速度を落とさずに距離を保ったまま。

 

いや、徐々に船影が大きくなっている?

心中の不安を隠すように双子の手を引いて窓から離れた。

どうにも様子がおかしい。

予定なら既に停泊地に降りている予定なのに未だに到着していない。

雲の動きから飛行船は速度を上げているが後ろの飛行船は徐々に近づいて来る。

この広い雲海の真ん中に浮かぶ飛行船など大海に落ちた麦粒、人間は砂の如き小ささだ。

予定時間と違う事に気付いた乗客達が訝しげな顔で忙しなく動き出し始めた。

客室の隅で話し合っていたドロテア一行に近付いて事情を説明しなくては。

 

「何かありましたの?」

「わからん、怪しい船が一隻近づいている。とにかく落ち着いて状況を把握しなくては」

「もしかして空賊?」

「ちょっと、冗談じゃないわよ!」

 

やはり空賊の可能性は否定できないか。

なにせファンオース公国との戦争が終わってまだ一年も経っていないのだ。

多くの兵が戦場に散り国家や貴族が保有する戦力は大きく目減りした、その一方で荒事でしか生きる術を持たない者は後を絶たない。

貴族が領地と軍の立て直しに必死でどうしても治安維持にまで手が回らない隙を狙って空賊が跋扈しているのがホルファート王国の実情だ。

それでもバルトファルト領の付近は空賊の出没などこれまで一度たりとも起きなかった。

バルトファルト家は戦功によって貴族の地位を保って来た武門の家系であり、リオンは王国軍に所属し若くして空賊退治によって上官に評価されのが出世の切っ掛けだ。

そんな男達の目の前で略奪行為を行うのは無謀だと少しは知恵のある悪党は気付いているのだろう。

 

『ブォーン!』 『ブォーン!』 『ブォーン!』

 

突如船内に警告音が響き渡り非常時を知らせる灯りが点滅し始める。

これはもう確定したと考えて良いだろう、この飛行船は空賊の標的にされたのだ。

客室の外から慌ただしい物音が漏れ始め人々が不安げに身を寄せ合う。

喧騒に驚いたのか私の足に抱きつく気配を感じた。

ライオネルかと思い下を向くと其処には今にも泣きだしそうなアリエルが居た。

慌ててライオネルと探すと先程までとは打って変わり窓の外を凝視する息子が佇んでいる。

その表情は呆けているのか、それとも冷静に観察しているのか判別が出来ない。

慌てて息子を窓から引き離して皆の元へ戻ると既に状況を把握した護衛達が物々しく準備を始めていた。

 

『乗船中のお客様にご連絡いたします。本船は現在、所属不明の不審船に追跡されています。速やかに客室へ集まり乗務員の指示に従ってください、繰り返しご連絡いたします。乗船中の…』

 

船内に緊急事態を知らせる放送が流れ続々と人々が集まり始める。

この定期船は人の移送を目的として設計されており最大で百人程度を収容できた筈だ。

客室に集まった者の数は約五十名程度、客室の広さに対し過密状態となり些か息苦しさを感じる。

その殆どが平民と思われる質素な服装であり、多少なり着飾った私達を見る人々の視線が痛い。

 

「……妙だな」

「どうしましたの?」

「仮に不審船が空賊だったとして目的は何だ?どう考えても平民ばかりが乗る船を襲うのは不自然だ」

「単なる偶然では?とりあえず目の前に来た船を襲っただけでしょう」

「元公爵令嬢と伯爵令嬢姉妹と男爵令嬢姉妹が乗った船を的確に狙うのが偶然に思えるか?」

 

金銭目的の空賊なら貴族が個人で保有する飛行船か、或いは物資を輸送する大型船を狙うのが常道だ。

無論、そうした船は自衛の為に武装を施したり護衛の鎧を搭載し戦闘に備えている。

こんな平民ばかりが利用する定期船を襲った所で得られる物は僅かな金銭だけだ。

人身売買を目的とするならその可能性も捨てきれないが、そうした取引を行う組織は強大さ故に足がつきやすい。

その矛盾がこの状況の違和感を作り出している。

客室の中が人々の不安げな声で満ちた直後、扉が開いて中年の男性が息を切らして入って来た。

 

「皆さん!私がこの飛行船の責任者です!これより本船は不審船からの逃走を試みます!どうか落ち着いて指示に従ってください!」

 

こうした状況は不慣れなのだろう、青褪めた顔色のまま船長は震える体を必死に抑え乗客を宥めるのに必死だ。

既に予定の停泊地を過ぎ去ろうとしている状況に苛立っている乗客は自身が空賊に襲われるかもしれないという不安を船長にぶつけ始めている。

 

「船長、状況を詳しく教えて欲しい」

「失礼ですが貴女は?」

「……バルトファルト子爵夫人だ。偶々この船に乗船している」

「ッ!?これは大変失礼を!」

 

バルトファルトの名を出した途端に周囲から驚きの声が上がり場の空気が少しだけ収まる。

船長は帽子を脱ぐと恭しく頭を下げ服の袖で額の汗を拭った。

 

「本船は最大船速で不審船からの逃走を試みております。また救難信号は既に発信致しました。ですが救援部隊の到着には今しばらくの時間がかかると思われます」

「この船に武装は無いのか?」

「旧式の鎧が三体ほど。ただ操縦者は戦闘の経験が多くありません。他には銃が数丁と威嚇用の大砲が右舷と左舷に一門ずつ。戦闘になればとても対処できません」

「流石に厳しいか。船の進路は?」

「救難信号を発信しながら軍を所有する領主がお住まいな付近の浮島を目指しています」

「バルトファルト領に向かえるか?」

「現在向かっているのがバルトファルト領です」

「それまで逃げられるかが問題だな」

 

奥歯を噛みしめながら必死に状況を整理する。

救難信号がバルトファルト領に届けば良いがそうそう都合良く物事が進む筈はない。

人間の移送を目的としたこの船は武装も貧弱な上に速度も出ないだろう。

いざとなれば乗客を巻き込んだ戦闘になりかねない。

 

「その鎧、私達の護衛にお貸し願えないかしら?」

「……こちらの方々は?」

「ローズブレイド伯爵の御息女だ。そして周りの男達は護衛として同行している騎士である」

「鎧の戦闘は素人には難しいでしょう。幸いにも私達の護衛は鎧の戦闘にも手慣れています。いざという時に時間稼ぎぐらいは出来ますわ」

「……いいのか?」

 

もし鎧同士の戦闘になれば死ぬ可能性は格段に上がる。

相手の命を奪い合う凄惨な戦闘に老若男女の区別は存在しない、あるのは少数の勝者と多数の敗者のみ。

恋に血迷った主君の娘を護衛してたった一つの命を散らすなど不満が出ても仕方あるまい。

 

「手を拱いても状況は悪化するだけです。それならこちらから仕掛けた方が上策かと存じます」

「船長、鎧と銃の準備を」

「船員を呼んで客室の前に椅子とテーブルを移動させろ、即席の阻塞を作るぞ」

「わ、分かりました」

 

船長が慌てて船内通信を始め、客室を訪れた船員に誘導された護衛の騎士達は我々に恭しく頭を下げると退室した。

そうしている間にも後方の不審船が既に全容すら見えそうなほど近付きつつある。

海賊旗こそ掲げていないがこの飛行船を狙っているのは明らかだった。

汗ばむ子供達の手を握りながら心の中で神に祈る。

少しでも早く救難信号が気付かれる事を願いながら心中の不安を噛み殺す。

たとえ今殺されてもこの子達が無事なら私は満足して死ねる、数年間だけでも心の底から愛した男と夫婦になり子供まで産めたのだから。

 

だが、彼と私の子達が死ぬのだけは許容する事だけは受け入れられない。

己の命を捨てても護りたい物が今の私には存在している。

既に窓の外には不審船の機影が映り始め、右後方からゆっくりと一定の距離を保ちつつ徐々に迫っている。

如何に不審船がこの定期船より頑丈とはいえ急な速度変更によって衝突すれば両者とも飛ぶ鳥の餌になりかねない。

じわじわと追い詰めてこちらの疲弊を狙う、何ともいやらしいやり方だ。

 

『ブォーン!』 『ブォーン!』 『ブォーン!』

 

先程と同じ警告音が鳴り響き反射的に身を竦めた。

船長が備え付けの通信機を手に取って口角泡を飛ばしながら話し合っている。

連絡が終わり私達に近付く表情は打って変わって明るい物だった。

 

「この空域に近付く飛行船があります!きっと救援です!」

 

その言葉の意味を理解した者の口から順々に歓声が上がる。

荒事とは無縁に生きて来た人々にとってはさぞ生きた心地がしなかっただろう。

周囲を見渡せばディアドリー達も義姉妹もどこか安心した表情を浮かべていた。

言葉の意味を理解できず呆けている双子の姿が少し滑稽で私も口元が緩む。

後はこのまま助けを待つだけだ。

普段の強気な態度とは打って変わり震えながら私にへばりつくアリエルは中々に珍しい姿だ。

リオンが見たらさぞ驚くだろう。

喜びに震える客室の空気を他所にライオネルは窓に近付いて行く。

不審船が見える方向とは正反対だった。

普段は私やリオンから離れない息子が危機的状況で物怖じしないのは異様だった。

 

「ははうえ」

「どうした?」

「あれ」

 

ライオネルが見つめるのは船の左側、その視線の先の紺碧な大空の一点だけが黒く染められている。

その黒点が時間の経過と共に徐々に引き伸ばされ見慣れた形へと変わっていく。

あれは王国で最も普及している軍用飛行船の形だ、バルトファルト領にも同型の物が数隻所有している。

漸くこの異常な状態から解放されると思い四肢の力を抜くと思わずよろめいた。

慌てて近くの座席に座りライオネルを手招きする。

いつもなら急かさなくても両親や祖父母に近付くライオネルがここまで他の物に興味を抱くのは珍しい。

 

「ちがう」

「何が違うんだ」

「みてない」

 

息子が指し示す方向に目を凝らす。

徐々に近付く船影は確かに王国軍の船だ、だがその色合いがどうにもおかしい。

あんな色で染められたか?砲門はあの数で合っていたか?

同型の飛行船でも用途や所有する貴族によって細部は異なるのはよくある事だ。

あの飛行船はバルトファルト領の物ではない。

では()()に所属してる船だ?

喜びに沸く客室の中で私だけが真実に気付いた。

先に気付いたライオネルは理解していない。

 

事態は更に悪化している。




五人が訪ねた来た頃に女性陣は空賊に襲われていましたとさ。
モブせか世界の飛行船の詳細は不明な面も多いのである程度は想像して書いてます。(メーデー!民脳
子供は親が思う以上に個性的だったり記憶力が良かったりするのは実体験を基にしました。
2023年の高校は今章まで、次章の投稿は来年です。
某掲示板の元ネタから一年が経ちました。
こうして連載している事に自分でも驚いています。
私の文章を楽しんでくれる読者の皆様、依頼主様、絵師の方々に惜しみない感謝を。
よいお年をお迎えください。

追記:依頼主様のご依頼によりふぇnao様に挿絵イラスト、NiShiChi様Lcron様にクリスマスイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。
ふぇnao様https://www.pixiv.net/artworks/114424424
NiShiChi様https://www.pixiv.net/artworks/114482036
Lcron様https://www.pixiv.net/artworks/114508758

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第49章 空賊

寒い。

体のあちこちが凍ったと思うぐらい寒い。

快晴の昼過ぎとは言っても季節は冬、おまけに周囲は雲が漂う天空の浮島。

鼻水が垂れそうだし指先は寒さで小刻みに震えてる。

乗ってるエアバイクは公爵家に譲られた払い下げ品だけど、辺境の貴族が所有するには高級過ぎる逸品だ。

貰い受けてから傷が付いたら大変だとろくに運転しないままずっと倉庫に布を被せて保管してる。

数ヶ月おきに点検と乗り方を忘れないように屋敷の周りを走り回る程度しか乗ってない。

普段は空港へ向かう移動手段は徒歩か馬車だ、個人所有のエアバイクなんて置き場所にさえ困るぐらいバルトファルト家に縁が無い代物だ。

 

とにかく今は時間が惜しい、状況は悪くなる一方だ。

情報を完璧に把握するには自分が現場に行くのが一番手っ取り早い。

俺は天才じゃない、何も無いような場所で躓くのが珍しくもない凡人。

そんな凡人が他の奴らに先んじる方法は相手が動き出す前に行動するしかない。

家を飛び出しエアバイク乗り始めて数百秒、やっと空港が見えて来る。

目的地へ地形や障害物を無視して最短距離を突っ走れるのがエアバイクの良い所だ。

少しずつ速度を緩めて空港近くの空き地へ着陸態勢に入る。

慌てて飛び出した挙句に怪我でろくに指揮できない領主とか笑い話にもならない。

エアバイクを着陸させた瞬間、鍵もスイッチもそのままに空港へ向かって走り出す。

家族とエアバイク、どちらが大切かなんて分かりきってる。

 

冬空を飛び続けて体の感覚は麻痺しかけてるけど頭と胸だけは火が付いたみたいに熱が籠ってる。

無理やりでも体を動かしてりゃそのうち手足の感覚も戻るだろう。

とにかく人の声がする方角へ走り続ける、空港に近付けば近付くほど人だかりと驚きの声増えていった。

 

「どけッ!道を空けろ!」

 

道を塞いでいる暇人を怒鳴りつけて強引に前に進む。

言い返そうと振り返った奴らは俺が誰か分かった瞬間に慌てて道の端っこへ退避した。

空港に停泊してる飛行船で周りに人が集まっている一隻に駆け寄ると顔見知りの騎士が俺の存在に気付いて敬礼される。

定期船の周囲は異様な熱気に包まれてる。

兵達の誘導に大人しく従っている乗客は全員憔悴した顔つきだ。

空賊の襲撃に遭うなんて移動手段が限られて機会も少ない平民なら滅多に遭遇しない。

資源を輸送する大型飛行船や貴族専用の豪華飛行船の方が標的にされやすくて、空賊がわざわざこんな平民ばかりの飛行船を狙う理由なんて何処にも見当たらない。

軍人時代に学んだ空賊の行動パターンと比較して襲撃の異様さに心を掻き乱される。

この襲撃は偶然なんかじゃない、計画されたと考えて間違いない。

そこまで考えて頭の中が破裂しそうなぐらい怒りがこみ上げる。

とにかく皆の安否を確認しないと。

 

「リオン!ここだ!」

 

声の方向に顔を向けると兄さんが騎士や兵に指示を出しながら俺に近寄って来る。

報告にコリンを向かわせたのは兄さんの指示だろう、この状況を纏めるにはコリンはまだ経験不足だ。

 

「状況は!?」

「飛行船の損傷は軽微、乗客に被害はほぼ無い。何人かは取り乱してるから呼んで来た医者に診せてる」

「乗客以外に被害が出てるのか」

「戦闘で乗務員が負傷した。ほとんど軽傷だけど何人かは傷が深い」

「それ以外は!?」

「ローズブレイド家の護衛が三人死んだ、生きてる一人も重傷で会話できる状態じゃない」

「そっちじゃねえ!」

 

領主としてはひどい振る舞いだと自分でも分かってはいるんだ。

だけど、こんな緊急事態に取り繕うなんて無理に決まってる。

俺にとって一番大切なのは俺の家族、今一番知りたいのは家族の安否の方だ。

言いづらそうに俯く兄さんの横から見慣れない男が割り込んで来た。

服装から船員だと察する。

 

「子爵様、私が船長です。全ての責任はこの私にあります」

「……お前が責任者か」

「どのようにお詫びすればよいか分かりません。如何なる処罰を下されても手向かい致しません」

「何があったか話せ、アンジェはどうした?」

「奥様は空賊に攫われましッ!?」

 

言葉を聞き終えた瞬間、意識が飛んだ。

気がつくと兄さんの顔が目の前にある、右腕は騎士に掴まれてるし腰と背中も誰かが抑え込んで動けない。

唯一自由な左手は船長の襟首を握っていた。

どうやら船長が吐いた言葉の意味を理解した瞬間にキレて殴りかかったらしい。

兄さんは俺が怒り狂うと予想して備えてたみたいだ、正直かなりムカつく。

 

「誰だァ!?何処のクソ共がアンジェを誘拐したッ!?」

「落ち着けリオン、アンジェリカさんだけじゃない。ドロテアさんも誘拐された。ジェナとフィンリーも一緒だ」

 

近くに置いてある木箱を思い切り蹴り飛ばす。

中身が空だったのか俺の力が強過ぎたのか分からないが木箱は回転しながら宙を舞い地上へ落ちる前にバラバラに砕け散った。

 

「今すぐ兵を集めろ!非番や退役した奴らにも声をかけまくれ!飛行船を飛ばす準備を始めるぞ!」

「何をするつもりだ」

「みんなを助ける!俺に喧嘩を売ったらどうなるか空賊に骨の髄まで叩き込んでやる!こんなふざけた真似をやらかした全員の首を斬り落として道端に曝す!」

「落ち着け!」

「落ち着いてられるかッ!!」

 

物か人に八つ当たりしないと怒りで理性が飛びそうになりそうだ、感情の制御が全く追いついてくれない。

アンジェは妊娠してるんだぞ。

姉貴とフィンリーもひどい扱いされないか心配だ、空賊の慰み者にされ心が壊れたり殺された女を俺は今まで何人も見てきた。

ドロテアさんも捕まったならローズブレイド家から抗議が来るだろう、下手したら家同士が争う事態になりかねない。

考えれば考えるほど最悪の事態を思い浮かんで眩暈がする。

心を落ち着かせるなんてとてもじゃないが無理だ。

 

「動かせる飛行船を教えろ、俺が現場に行く。少しでも手掛かりになりそうな物を探すぞ。あと乗客に事情聴取、有益な情報が無いか全部吐かせろ」

 

近くにいた騎士に命令を下しながら警備用に携帯していた長剣を奪って強引にズボンとベルトの間に差し込む。

空賊の襲撃が起きた場合は初動捜査が解決の鍵だ。

時間が経てば経つほど状況は悪化する。

空賊事件が未解決で終わる原因の大部分は初動捜査の遅さだ。

乗員が誰か、積み荷は何かを判明するまで面倒くさい手続きをした挙句に全貌が分かった頃に空賊は遠くに逃げて被害者は襲われ損の結末だ。

当たり前だけど空には山も川も存在しない、国境も分かりづらい上に密入国できる穴は至る所にある。

飛び続けられるだけの燃料や食料を用意して捕まらないように立ち回れば飛行船は何処までも飛んで行ける。

どんなにデカい飛行船も空全体からみたらあまりにも小さい。

それこそ砂漠に落とした麦粒を探すようなもんだ、捜査の労力が報われる事はほぼ無い。

逃走の隙を与えないように即断即決が解決する為の最適解だ。

 

「冷静になれ、出発には時間がかかる。最低限の準備をしなきゃ二度手間になっちまう」

「俺は冷静だ、こんな事をした馬鹿野郎共をどうやって殺すかずっと考えてる」

「今のお前は暴れる事しか考えてないだろ」

「邪魔するなら相手が兄貴でも叩っ斬るぞ。大人しく道を空けろ」

 

必死に俺を説得しようとする兄さんを押し退けバルトファルト家が所有する軍が駐在してる空港へ向かおう。

俺の行動を阻むならたとえ家族でも俺の敵だ、八つ当たりの相手が兄さんでも構わねえ。

誰かにこの怒りをぶつけなきゃ落ち着かない。

 

パァンッ!!

 

いきなり右の頬に痛みを感じて振り向いたら何度か見た顔がそこに佇んでた。

そういやこの人が攫われたとは聞いてなかったな。

むかっ腹が立ってる今の俺が殴り返さないのは奇跡だった。

いつもは紳士な俺だけど今は相手が女だろうと手加減するつもりは無い。

 

「……無事だったんすねディアドリーさん」

「おかげさまで、少しは茹だった頭が冷えまして?」

「どいてください。緊急事態ですから」

「怒りに我を忘れて足元がお留守ですわよ」

「今は忙しいんで一度しか言いません、そこをどけ」

 

怒りを通り越して殺意すら宿る瞳で睨みつける。

相手が伯爵令嬢だろうと知った事じゃねえ。

俺は邪魔をする相手なら国王にだって歯向かうぞ。

もともと育ちが悪いし、欲しくもない爵位を貰って無理やり貴族やらされてるんだ。

アンジェと子供達が無事なら地位と財産を引き換えにしても惜しくない。

 

「まず貴方が知るべきは誰が無事なのかではなくて?」

 

ディアドリーさんが指を鳴らすと何人かの兵士が近寄って来る。

その腕に抱かれた震えてる小さな物に気付いた瞬間によろめくぐらい膝から力が抜けた。

金髪と紅い瞳はアンジェの生き写しだ。

ずっと泣いてたらしくアンジェや母さんがいつも拭ってる顔は涙と鼻水と涎でビチャビチャに濡れてる。

それでも俺の娘は世界で一番可愛い。

俺に怯えてるみたいだから慌てて腰に差してた長剣を放り投げて近寄るとおずおずと俺の体にしがみ付いて来た。

 

「おかえりアリエル」

「ちちうえぇぇ」

「ほら、もう大丈夫だぞ~」

「ああぁあぁぁん」

 

安心したのか堰を切ったようにアリエルの目から涙が流れ落ちる。

いつもこれぐらい俺に懐いてくれたらなぁ、娘が素っ気なくてパパ悲しい。

しばらくは我が儘を許そう、心の傷になったら大事だし。

泣いてる娘を優しく抱きしめてるとおずおずと周囲に人が集まって来た。

何だよお前ら、見世物じゃねえぞ。

 

「外道騎士も泣く子には勝てませんのね」

「俺は嫁と子の為ならいくらでも外道な手段をを取りますよ」

「……貴方を敵に回す輩の未来は真っ暗ね」

 

失敬な、俺は恩に利子を付けてきっちり返すぐらい義理堅いぞ。

怨みは掛け算して本人へ返した後に関係者も道連れにしてやるだけだ。

周囲の奴らの顔が引き攣ってる最中に脚を何度も引っ張られる。

俯くと小っちゃい手がズボンを引っ張ってた。

 

「無事だったかライオネル」

「……」

 

何かいつもと違って息子が俺を睨んで来る、パパ泣きてぇ。

普段は俺やアンジェからなかなか離れようとしないのに今日は近付いて来ない。

先にアリエルを抱っこしたのがマズかったか?

でも妹に順番を譲るのがいつものライオネルだし。

非常事態のせいで我が子の対応が全然わかりません、お父さんはつらいよ。

 

「彼はバルトファルト領(ここ)に着くまで必死に泣くのを我慢してました。立派な御子息ですわ。褒めて差し上げなさい」

「そうか、偉いぞライオネル。よく頑張ったな」

「…………」

 

ライオネルは俺にしがみ付いたまま肩を震わせ泣き始めた。

うん、今まで我慢してたんだな。

怖かったのよく頑張った、後で欲しい物を買ってやろう。

子供達が戻って来たのが救いだ、最悪の最悪だけは避けられた。

だけど安心は早い、まだ四人が誘拐されたままだ。

 

「お~い!大丈夫か~!?」

 

どこか気の抜ける声が背後から聞こえて来る、どうやら父さんとコリンも到着したようだ。

振り返ると色とりどりの髪が視界に入ってくる。

何でお前らまで来るんだよ。

 

「一足先に駐屯地へ出撃の準備を命じろ、俺達もすぐ向かう」

「はっ!」

「領地の医者全員を呼んで乗客の状態を確認。拒否するなら領主の命令だと言って引きずって来い」

「あとローズブレイド家に連絡を。飛行船を出してもかまわない」

「わかりました」

「とりあえず屋敷からリュースを呼ぶ。孫が無事ならみんな安心する」

「了解」

 

この場で思いつく必要な命令を俺と父さんと兄さんでとりあえず下したけど今出来る事は限られる。

とにかく時間が惜しい、今は行動が何よりの解決法だ。

すぐに駐屯地へ向かおう、軍用の空港と隣接してすぐに出撃できる。

この場から移動しようとした矢先に肩を掴まれる、掴んだのはユリウス殿下だった。

 

「殿下、すいませんがこの状況です。話は解決してからお願いします」

「事態は把握した、俺達も協力しよう」

「はぁ?お心遣いはありがたいんですがこれはバルトファルト領の問題です。王家がわざわざ介入するほどじゃありませんよ」

 

本音じゃ俺はあんたらと関わり合いになりたくないだけだ。

王家は俺に無茶ばかり押し付けるくせに欲しくもない物ばかり寄越す。

爵位、領地、鎧、勲章とか全部要らねえ。

俺は逃げ出しちゃいけない事からは逃げないけど、やりたくない事は積極的に増やしたくないんですよ。

だからさっさと大人しく帰ってください。

 

「この誘拐はおそらく我々がバルトファルト領に来た理由と繋がっています。無関係ではありませんよ」

「取れる手段は増えた方が良いだろ」

 

ジルクとグレッグが俺を引き留めにかかった。

やっぱお前らと関わり合いがあるのか、いちいち王都のゴタゴタに俺達を巻き込むんじゃねえ。

無視して空港から移動したいけど道を遮るようにデカい体で立ち塞がってきやがった。

こいつら無駄に強いから押し退けて通るのは本当に骨が折れる。

その力を少しは世の為人の為に使ってくれ、お前らの存在自体は俺にとっちゃ災厄だから関わるんじゃねえよ。

 

「意地を張るなバルトファルト、ここは協力し合うべきだ」

「だからバルトファルト家(おれたち)の問題です、口を挟まないでいただきたい」

「……」

 

厄介ごとは御免だ、これ以上話が拗れるほど無駄な時間を費やしてアンジェ達の生存率は下がっていくんだぞ。

そっちが王族として命令するならこっちだって領地の自治権を主張してやる。

犯行の現場はバルトファルト領に近い空域だ、問題解決の権限はバルトファルト家が優先される。

王都の連中に捜査を掻き乱されて後手に回ったら解決できる問題も解決できない。

 

「リオン、殿下が言われる事は尤もだ。とりあえず状況を聞いてから判断すべきじゃないのか」

「優先すべきはみんなの安否だ。お前が焦る気持ちも分かるがまずは話を聞いてから判断しよう」

 

父さんや兄さんまで殿下達の協力を仰いでる。

分かってる、頭ではその方が良いと俺の理性だって一応は理解してるんだよ。

だけど俺はこいつらが嫌いだ。

昔アンジェが婚約破棄される原因を作り、王都で俺を味方に引き入れようと付き纏っていた連中だぞ。

婚約破棄のおかげで俺とアンジェが結婚して戦争中に何度か命を救われてたけどそれとこれは別問題。

 

そこを割りきって損得で考えられないから俺はとことん貴族に向いてない。

拳を握り締めて昂る感情を必死に落ち着ける、子供達の存在が俺の怒りを辛うじて鎮めてくれた。

この怒りは空賊共の命で贖ってもらう、誰一人生きて帰れると思うなよ。

 

「……ここでは対処できません、一旦家に戻ります。乗客からの情報収集と負傷者の手当てを急げ」

「はっ!」

「すまない父さん、子供達を連れて家に戻るからこの場は任せた」

「俺も何かわかったらすぐ戻る」

「エアバイクじゃ危ないな。兄さん、頼んだ」

「わかった、お前は子供達の傍に居てやれ」

「行きましょう。ディアドリーさん、申し訳ないがご同行してください」

「もちろん、お姉様の為にも出来る限り協力しますわ」

 

そこまで告げて馬車に乗り込む。

動き出す馬車の振動を感じながら両脇でしがみ付く双子の頭を撫でてやると安心したのか泣き疲れたのか、二人は揺れに合わせて体を揺らしながら瞼を下ろす。

疲れた、だけどこれからやる事は山ほどある。

数日は寝れない日々が続くかもしれない。

子供達の顔に在るアンジェの面影を想いながらもう一度拳を握り締める。

胸の奥底に封じていた筈のどす黒い殺意だけが活発に蠢いていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

瞳が分厚い窓ガラスの向こうで戦う鎧の爆ぜる瞬間を捉える。

金属を加工して作られる鎧が爆発するのは爆発物や魔法で破壊された、内部機構に使用されている油等に引火した、施された魔法が破壊の衝撃で暴走したの何れかだ。

鎧は高性能になればなるほど施される魔法に依存し人体を模倣した滑らかな外観となる。

逆に性能が低ければ機械で補う影響で大型化し重量が増え武骨な形となる。

その法則に乗っ取ればこの飛行船が常備していた鎧は最底辺の代物だ。

動きは鈍重で武装は貧弱、おそらく貨物の積み降ろし程度にしか使われていなかったのだろう。

 

そんな子供騙しな鎧で荒事に長けた空賊の攻撃を防ぎきるなの不可能な話だ。

三機のうち一機は既に破壊され、もう一機は蒼い空に紅蓮の華を咲かせて散った。

残る一機も十倍を超える戦力差で一方的に嬲られている姿は肉食獣の狩りから必死で逃げ惑う小動物を髣髴とさせる。

子供達は茫然としたまま窓の外で行われている戦闘を凝視している。

 

これが私とリオンの子が初めて見る戦闘であり、初めて見る人の死だ。

破壊された鎧に乗った騎士達は最期にどんな気持ちを抱えたまま散ったのだろう。

主君への忠義か、民を護る使命感か、それとも敵に対する怨嗟か。

それを知る事は不可能だ、死と生の間には隔絶した壁が存在している。

子供が無邪気に虫を甚振り笑うように空賊の鎧が護衛の鎧を射程外から攻撃し続けていた。

既に左腕部は原型を留めずと右脚部は消失している。

鎧用の大型槍を必死に振り回すのは死の拒絶、或いはせめて傷を負わせたいという闘志の表れだろうか。

その姿を嘲笑うように空賊の鎧達が手にする銃を構えた。

銃口が閃光を放った瞬間、鎧が震えるように振動を始める。

およそ十秒、鎧は一斉射撃を受け無残な姿に変貌させられ、推力を失い落ちて行く。

 

鉄の骸が雲海に沈み去りこの定期船は守護者を完全に失った。

その事実を理解した乗客は恐慌状態に陥る。

必死に船長が宥めてはいるが効果は今一つ、無残に破壊された鎧がこれから空賊の獲物になった自分達が辿る未来だと思うなら無理もない話だ。

戦闘が行われていた方向とは反対側の窓に近付く船が見える。

 

ずっと後方から定期船を追い回していた不審船だった。

いや、もはや不審船ではなく空賊船だ。

一定の距離まで近づいた瞬間、大きな振動で船体が揺れた。

おそらくは空賊船の舷梯が飛行船に架かったのだろう。

このまま空賊達が客室を到達するまでどれだけの猶予がある?

略奪と殺人に手慣れた空賊なら数百秒もかからないだろう。

たったそれだけの時間に覚悟を決めなくてはならない。

皆を生かす為に私の命を捨てる覚悟を。

判別のつかない怒号、銃声、何かがぶつかったような衝撃音。

考えている暇など無い。

この場でライオネルとアリエルに私の言葉を遺そう。

 

「アリエル、貴女は心優しい娘です。もっと他者を慈しみを覚えなさい。母は貴女の幸せを願います」

「ははうえ」

「ライオネル、貴方はリオン・フォウ・バルトファルトの息子です。父の名に負けぬよう生きてください」

「……」

 

実の子達にかける最期の言葉が貴族としての矜持とはつくづく可愛げがない女だ。

我ながら自分自身に嫌気が差す。

せめて、この子達が幸多からん生を歩めるよう祈りを捧げながら抱き締める。

この子達が母の存在を忘れないように一生分の愛情を込め額にキスを施す。

名残惜しく双子の柔らかく温かい体を手放し立ち上がる。

この場を切り抜け家族と乗客の命を救うには私の命を賭ける必要がある。

今の私は公爵令嬢ではなく子爵夫人だ。

ホルファート王国に数人しか居ないレッドグレイブ公爵家の者ではなく数十人も存在する子爵夫人に過ぎない。

私の命一つでどれだけ多くの者を救えるか、それのみに専心しなくては。

 

「ライオネルとアリエルを頼む」

 

義姉と義妹にそう告げ扉の方向へ体を向ける。

扉は何度も殴られ蹴られいるが飛行船の内装はいざという時に備えてに堅牢な素材と設計で作られている。

素手で壊すには些か難しいと思ったのか突如銃声が鳴り響いた。

どうやら鍵を無理やり破壊したらしい、銃声が聞こえる度に客室の中を悲鳴が反響する。

テーブルや椅子を積み重ねた簡易な防壁は扉が開こうとする度に崩れてゆく。

十回ほど扉が動き完全に防壁は取り除かれると客室に数人の男達が太々しく入ってきた。

統一感が無く解れも繕っていない服、手入れが行き届いておらず伸ばし放題の髪と髭、汚れきった体と正反対に爛々と輝き抜け目なく周囲を品定めする瞳、武骨で旧式と一目でわかる銃火器。

なるほど、これが空賊か。

思い返せば物語の挿絵や新聞の写真等で見た事はあるが実物は初めてだ。

彼らがどんな要求をするか? どうすれば皆を救えるか?

交渉は得意だが己の命だけでなく他人の命まで賭け金にして失敗は許されない。

 

「ご苦労な事だな、お前達の要求は何だ?」

 

敢えて高圧的に振る舞い空賊の注意を私にのみ惹きつける。

子を護る為に親が囮になる動物がいる、ならば人に出来ぬ道理は無い。

私の対応が予想外だったのか空賊達顔を見合わせ戸惑っている。

 

「此処に居るのは平民が大多数で襲った所で大した稼ぎにはならんぞ」

 

金銭目的の襲撃ならそもそも平民達を運ぶ定期船など狙わない。

貨物の運搬を目的とした輸送船、若しくは貴族が所有する飛行船を狙う。

バルトファルト家やローズブレイド家の女達がこの飛行船に搭乗いる時に空賊が偶然襲ってくるとは考え難い。

狙いはおそらく私達だ、ならば其処が付け入る隙になる。

 

「全員分の金銭を必死に搔き集めても一万ディアにも届かん。貨物も手紙や手荷物が殆どで売り払っても大した稼ぎにならん」

「ゴチャゴチャうるせえぞ女ァ!」

 

空賊の一人が怒鳴りながら銃を見せつけ始めた。

鼓動が早まるが恐怖を顔に出さず涼し気な表情で応対する。

感情とは正反対の表情を浮かべるのは貴族にとって必須技能だ。

相手を殺したい程の怒りを封じて微笑みを浮かべる、相手を嘲笑いたいほどの喜びを必死に堪え涙を流し悲しむ素振りを行う。

激情と恐怖に呑まれた者から敗北する、善人を装い相手を罠に嵌めるのが貴族の腹芸だ。

 

「私は交渉をしているだけだ。我々は命が惜しい、お前達は何らかの利益を求めている。双方の妥協点を探り合って穏便に話を進めたい」

「何で俺達がお前らに合わせなきゃいけねえんだ!」

「死にたくないと言っただろう、単なる命乞いをしているだけだ」

 

この場に於いての最悪は乗客全員が空賊に虐殺されてしまう事態だ。

護衛の鎧を破壊した時点で目の前の男達が他人の命を奪うのに躊躇いが無い連中なのは明らかである。

だが、我々を生かした方が利になると空賊達を説得できるなら乗客の生存率は格段に上がる。

私一人の犠牲で家族と乗客と乗務員の命が救えるのなら安い取引だ。

 

「我が家は数年前に爵位を貰った成り上がり者だがそこそこ懐が暖かい。身代金をせしめた方が諸君らの利益になると提案する」

「……お前、貴族か?」

「所用でこの船に搭乗しているが私は子爵夫人だ」

「命を助けて欲しいから金を払うと?とんだ腰抜けの貴族様だな!」

「乗客と生き残っている乗務員の命を保障しろ。その代わり私が人質になる」

「クッハハハハハ!大した度胸だなテメェ!」

 

空賊達が肩を震わせ笑いながら私に野次を飛ばす。

身を焦がす屈辱に堪え忍びながら少しだけ生存率が上がった事実に内心で安堵した。

慰み者にされたり売り飛ばされる可能性が高いが少なくても家族の安全だけは確保できそうだ。

 

「良いだろう、だが金目の物は貰っていくぞ。あんたは俺達と一緒に来てもらう」

「分かった。約束を違えなければ抵抗しない」

「いい度胸だ、殺すには勿体ねえ」

「待ちなさい!」

 

背後から声が響く、振り返ると滝のように汗を流したジェナが此方を睨んでいた。

 

「その人は妊娠してるの、手荒に扱わないで。人質なら私がなるわ」

「お姉ちゃん、無理しないで……」

「黙りなさいフィンリー。アンジェリカさんを見捨てたら私がリオンに殺されるわ。その人の夫は私の弟よ。人質にするなら私にしておきなさい」

「なら私の方が良いよ!私の方が若いし可愛いから!お姉ちゃんやアンジェリカさんよりお得だよ!」

「馬鹿な事は止めろ二人共!」

 

まさか義姉と義妹が人質に立候補するとは思いも寄らなかった。

何だコレは?

せっかくの苦労が必死に助けようとした家族によって崩壊し始めてる。

 

「考え直せジェナ、フィンリー。リオンはお前達を責める筈がない。身内に甘いのがリオンの長所だ」

「此処で引いたら父さんと母さんにも怒られるわよ。私なら名前に傷が付いても大した痛手じゃないし」

「お兄ちゃんは本気で怒ったらうちで一番怖いから。このまま逃げ帰ったら下手すると裸で放逐されるかも」

「いざって時は私達だって盾ぐらいになれるから。ねぇ、良いでしょう?人質が増えたら身代金も増えるよ!」

 

気遣いはありがたいがそれは逆効果だ。

人質が増えれば増えるほどリオンは私達を助けようとして思い切った行動が出来なくなる。

あのお人好しは私達を必死に救おうとして苦しみもがく事になってしまう。

妻と子と姉と妹を失ったらリオンがどれだけ苦しむか、想像しただけで堪えられない。

 

「それなら私の方が良いわ。子爵家より伯爵家の方が資産は多いもの。子爵夫人一人と男爵令嬢二人なら伯爵令嬢一人でちょうど釣り合いが取れてるし」

「何を言い出てるドロテア!?」

「ちょっと!待ちなさいよ!」

「冷静に考えて!」

 

何やらドロテアまで人質に立候補し始めた。

ダメだ、他の二人の気持ちはかろうじて理解できるがドロテアに関しては全く分からない。

どんな脳の構造をしていればこんな行動に出るのか。

 

「貴女達が目の前で攫われたのに何もしなかったらニックス様はきっと私を見限ってしまうわ。空賊に臆する弱い女なんてあの方に相応しくないもの。私がニックス様に相応しいと思っていただける絶好の機会を逃す訳ないじゃない」

「「「…………」」」

 

……ある意味ぶれないなこの女、思考の中心に義兄上のみが居座っているだけかもしれないが。

ディアドリーが何か言いたげな表情を浮かべ私達を見つめたが睨みつけて動きを制す。

この場で全員が人質となれば収拾がつかない。

何より全員が人質になってしまえば誰がライオネルとアリエルをバルトファルト領に送り届けられるのか。

確実に誰か一人を逃がしバルトファルト領に居るリオン達に報告をしなくてはならない。

 

「時化た仕事だと思ってたが運が良い。貴族様から金を分捕る機会がさっそく巡ってくるとはついてるぞ」

「お前の家は何処だ?身代金を払えるような家なんだろうな」

「こんな上玉を嫁に出来る貴族様だぜ、たんまり貯め込んでに違いねえ」

「私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルト。リオン・フォウ・バルトファルト子爵の妻だ」

「なッ!?」

「マジかよ、外道騎士の嫁だって?」

「おい、流石にマズいんじゃないのか」

「何度も公国軍を退けた疵面の女に手を出したらヤバいぞ」

 

リオンの名を告げた瞬間、それまで私達を侮っていた空賊達が口を噤む。

どうやら私の夫はホルファート王国内の犯罪者や旧フォンオース公国の関係者にとって畏怖の対象らしい。

私が居ないと拗ねて就寝しない臆病な夫と凶暴な空賊が恐れ慄く男がどうしても同じリオン・フォウ・バルトファルトに思えない。

 

「何を恐れている!さっさと殺せ!」

 

空賊達の後方から喚くような命令が聞こえ身構える。

私が人質になって場を収めようとしたがそうそう上手くいかないらしい。

空賊に似つかわしくない顔立ちが整った男が現れ狂ったように私達の殺害を命じている。

 

「旦那、ちょっと待ってくだせぇ。乗客に貴族が乗ってたんでさぁ。何でも自分はあの外道騎士の妻だって言ってますぜ」

「リオンの妻だとッ!?卑しい血筋の分際で美しい妻を貰うなど許されるものか!今すぐ殺してしまえ!」

「ですがね旦那、俺達も稼ぎが必要なんで。大して稼ぎにならねえ船を襲った所でこっちが先に干上がっちますぜ」

「この女達を攫って身代金をせしめた方がたんまり稼げるんで」

「むしろ嫁を奪った方が嫌がらせとしちゃ上なんじゃ?」

 

空賊の頭目と側近らしき男達が必死に説得を試みている。

数で勝る屈強な空賊に正面から命じているのはこの男が襲撃の首謀者なのか。

辟易した空賊の表情に気付かぬまま狂ったように命令を続ける姿は癇癪持ちの子供に似た醜態である。

これなら私の子供達の方がまだ行儀が良い。

 

「嘘……」

「あんた、生きてたの……」

 

ジェナとフィンリーが驚いた顔で男の顔を凝視している。

私がリオンに嫁いでからこの男を見た憶えは無い、二人と顔見知りというならバルトファルト家の面々があの浮島を領地として拝領する以前に関わっているのだろうか。

姉妹に気付いたのか男は顔を歪めて笑みを浮かべる。

そこそこ整った顔が醜悪に歪む、どうやら笑っているらしい。

性根の悪さが滲み出たような聞く者の心を不快にさせる厭らしい笑みだった。

 

「久しぶりだなぁジェナ、フィンリー。卑しい平民のガキが貴族気取りか?」

「貴族気取りじゃなくて貴族よ。私達はちゃんと父さんの血を引いてるわ」

「アンタこそとっくの昔に貴族籍を剥奪されたじゃない!」

「黙れ!黙れ黙れ黙れェ!」

 

狂ったように手足を動かし暴れ始めた男は唾を飛ばしながら私達を睨む。

或いは既に狂っているのか、その瞳は爛々と暗い輝きを燈している。

体を震わせながら言葉にならない叫びを上げ続ける姿は人の形を象ったモンスターと相違ない。

 

「知り合いなのか?」

「二度と会いたくなかったけどね」

「死んでたと思ってたわ。アンジェリカさんが来る前の話よ」

「とっくの昔に縁は切ってたのに。まさかこんな所で会うなんて」

 

苦々しく男を見つめる姉妹の表情は暗い、下手をすればこの場に居る全員が殺されかねない。

目の前の男の気分次第で状況が一変してしまう。

緊張して額から滲み出た汗が床に落ちる数秒が数時間にも感じられる。

 

「いいだろう、捕まえろ。私達から総てを奪った卑しい者達に復讐してやる。私があるべき所へ返り咲くのだ」

 

打って変わり陶酔した面持ちで男が命じると私達四人は拘束された。

人質を傷付けない程度の分別は空賊にもあるらしい、周囲を取り囲まれ扉に向かえと促される。

一瞬だけ振り返り視線を悟られぬよう乗客達を俯きながら見る。

ライオネルとアリエルが私を見つめて涙を流していた。

双子を抱いたディアドリーが必死に子供達の口を押さえて声を遮っている。

このまま飛行船が無事に見逃されるのを神に祈り向き直り姿勢を整えた。

これが今生の別れになるやもしれない。

ならば、せめて美しい母の姿を我が子達に遺したかった。

 

「覚悟しておけ、私がこの数年間味わった屈辱をお前達に贖ってもらう」

「いい気になるな下衆野郎」

「死ね、ルトアート」

 

暴言に怒った男がジェナとフィンリーの顔を殴りつける。

ルトアート。

それがこの男の名前のようだ。

私はルトアートを知らない、この状況でどう対処して良いか判断が出来ない。

せめて子供達が無事にバルトファルト領に辿り着く事を切に願う。

目を閉じると今朝出かける前にリオンと交わしたキスの感触が唇に甦った。




あけましておめでとうございます。
年明けの初投稿にしてはバイオレンスな章です。(汗
悪党はしぶといの法則で登場したルトアート。
今作は原作キャラの性格が更生してる場合が多いですがこいつは悪党のままです。
原作より性根が歪んでるので今までにないキャラとなる予定です。

追記:依頼主様のご依頼により山田リむる様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
山田りむる様https://www.pixiv.net/artworks/unlisted/bdPnn6X7F7xvrwJVEmud(成人向け注意

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第50章 共闘

「殺しときゃよかった」

 

ディアドリーさんの話が終わった瞬間、溜息と一緒にそんな言葉が漏れた。

普段は滅多に人の死を望まないけどこの状況を生み出した奴らに対して情けをかけ続けるほど俺は人格者じゃない。

応接室は俺と父さんと兄さんとコリン、ユリウス殿下とその仲間、そして生還したディアドリーさんの計十人でかなり過密な状態だった。

沈黙が重々しくて誰も口を開かない、こうしてる間にも時は待ってくれない。

早急に動かないと手遅れになる。

 

「とっくの昔に死んでると思ったな。まさかこんな事をしでかすとは」

「最後に会ったのはどのくらい前だっけ?」

「アンジェリカさんが来る前だから五年ぐらい前だ。あん時は銃を突きつけたら慌てて逃げたから殺す暇も無かった」

「ルトアートが生きてるならゾラとメルセも生きてる。善い奴は簡単に死ぬのにクズに限ってやたらしぶといから嫌になるな」

 

俺達四人は口々に怨み言を吐き出す。

王子が居る前でするべき会話じゃないんだろうけど、あいつらの被害を一番受けたのは俺達一家だ。

愚痴ぐらい吐いても許して欲しい。

 

「あの男、バルトファルト家の係累でしたの?」

「戸籍上は数年前まで父さんの子でしたよ。血は繋がってませんし今じゃ貴族籍どころか戸籍も抹消されてる奴らけど」

 

ディアドリーさんの質問に答えると父さんが物凄く嫌な顔をして俺を睨む。

俺だって我が家の恥を余所様に教えたくねえよ、でも仕方ないだろ。

ルトアートが父さんの長男として扱われてたのは事実だし、戦争が無けりゃあのクズが男爵家を継ぐ予定だったんだよ。

ファンオース公国との戦争がバルトファルト家(うち)に齎した唯一の幸福はあのクズ三人が追放された事だ。

それからずっと関わりが無くなったから野垂れ死んだかどっかで慎ましく生きてると思ってたのにこんな狂った真似をやるとは。

度を越えたクズには常識も法律も無意味らしい。

 

「……ルトアートは私の元正妻であるゾラが生みましたが私の子ではありません。本人達は先の戦争の際にそう主張していましたし、子供達も私とあまり似ていなかった。薄々気付いていましたが確証が無く相手の地位を盾にされては反論すら出来なかったのです」

「どうしてそんな事に?」

「バルトファルト家は私の父の代まで準男爵位でした、ですが王都から陞爵の命が下されました。末席とはいえ爵位は爵位、貴族の嫡男が結婚するべき相手は貴族の娘という不文律が存在します」

「要するに王都の連中が税と労役を課す為に欲しくもない地位を無理やり与える汚いやり口です。おかげで父と母は結婚の約束までしていたのに妾扱いされましたよ」

「リオン、言い方が悪い」

 

兄さんが俺を注意するが知ったこっちゃないね。

この際だ、この場に居る御歴々に辺境の領主貴族の実情を知ってもらいましょう。

八つ当たりもいいとこだけど王国は今まで下位貴族に対して配慮が無かった。

お陰で戦争でホルファート王国が弱った今じゃ辺境には王家を見限り独立するか裏で他国と手を結ぼうとする領主貴族は珍しくない。

 

「俺が言えた事じゃありませんが父さんは貴族として十分な教育を受けていません。だから家格だけでも保つ為に他の貴族令嬢と結婚する必要がありました。その相手に選ばれたのがゾラです」

「元々素行が良くないと評判で王都での縁談は絶望的な女でした。貴族になったばかりで世間知らずの私は宛がう相手としてうってつけだったのでしょう。無理やり婚約させられゾラはバルトファルト家当主の正妻となりました」

「尤もゾラは父と結婚する前もした後も人間だろうと亜人だろうと愛人を侍らすような女です。長女のメルセや長男のルトアートが本当に父の子かという疑惑は常に存在してました」

「確認はされなかったの?」

「訴えは握り潰されましたよ。当時は下位貴族の扱いが本当に酷かったのです」

 

父さんからすりゃバルトファルト家を誰の子供か分からないルトアートに継がせるのは嫌だったろう。

平民同然の身分とはいえ細々と受け継いできた領地の収入を殆ど奪われ、結婚を約束してた母さんは虐げられて妾扱いな上に産まれた俺達は農奴同然の扱いだ。

必死に抵抗したのに訴えを取り下げられ、かと言って逆らう事も不可能。

父さんはずっとそんな暮らしに耐えて来た。

色々とこき使ってるけど穏やかな老後を送って欲しいのが俺の正直な気持ちだ。

 

「俺はあいつらに無理やり王都の貴族に売り払われそうになりました。それを察して家から逃げ出したんです。あれが俺が出世した切っ掛けだったなぁ」

「相手の女は五十歳を超えてたな。見合いとは言っていたが実際は人身売買です」

「……おそらくその相手女性は淑女の森の一員だろう。奴らがよく使っていたやり口だ」

「ゾラの奴、元から犯罪組織の一員だったんですか?」

「淑女の森はホルファート王国内の貴族女性が結成した組織だ。下級貴族を狙って結婚した後に危険な仕事を行わせたり、自ら毒を盛って殺害する等の犯行を組織的に行っている」

「自分の子に跡を継がせるのはマシな犯行だ。裏で空賊と手を組んで夫を襲わせる、戦地に赴いた夫を殺させる。そうして自分は不幸な未亡人として遺産や遺族年金を手に入れていた」

「夫に前妻の子がいた場合は誘拐や消息不明扱いにして人身売買を行っていた。調査で判明しただけで被害者は百人を超え、全貌を把握するのはほぼ不可能だ」

 

まさかゾラの奴が俺を無理やり結婚させようとしたり、売り飛ばそうとしていたのはそんな裏事情があったとは思わなかった。

だけどあいつの行動を振り返れば心当たりが多過ぎる。

俺を結婚させようとした五十歳を超えた貴族のババアも組織の一員だったんだろう。

俺を売り払おうとしたのも人買いと繋がってなきゃ不可能だ。

ゾラは父さんと結婚してバルトファルト家を食い物にする腹積もりだったのか。

その事実に改めて気付き、怒りで吐き気がこみ上げてくる。

 

「転機はリオンが家を出て公国との戦争が始まった頃ですな。いつもは王都にいるあいつらが以前のバルトファルト領に来たんです。戦争が起きたから逃げる、さっさと金を出せと慌ててました」

「逃げる?どうしてまた」

「ルトアートが嫡男扱いでしたからね。国同士の戦争となれば貴族の男子は従軍の義務があります」

「あの戦争はずっと王国軍が劣勢でしたからな。連中は自分の身が危ないと王都から逃げ出したんですよ」

「俺はその場に居なかったけど、父さんは引き留めたんだっけ?」

「あぁ、領地を護る為に戦うぞと言ったら拒否しやがった」

「おまけに『野蛮人め!私に命令するな!』とか言い始めた。しかも『血の繋がってない下賤の者が私の父のはずないだろう!』と暴露しやがったぞ」

 

父さんと兄さんの説明と身振りだけで簡単に想像できるのがつらい。

あいつらはそう言うだろうし、そう行動するという負の信頼感がある。

つまりずっとバルトファルト家は見ず知らずの他人に搾取され続けた訳だ。

こっちはずっと妾腹の非嫡出子だったのに、あいつらは父さんの子と偽って男爵家を乗っ取る魂胆だったんだろう。

それを口にするルトアートは馬鹿だけど真実を教えるゾラも大馬鹿だ。

 

「真実を語ってもうちの金を奪うのを諦めなかった。バルトファルト家の財産は夫婦共同だとさ。自分は妻の義務を果たすつもりは無いが金を貰う権利はあると言いやがった」

「俺と父さんが同行してた愛人やら専属使用人を何人か殺したら慌てて逃げだしたなぁ…。そこでまだ争う気概がある奴なら父さんと一緒に公国と戦ったんだろうけど」

「何で追わなかったの?」

「戦争中だったからな、あいつらを追いかけるより領地を護るのが優先だ」

「全員殺しときゃ良かったのに」

「失敗だったな」

 

殿下やディアドリーさんの頬が引き攣ってるけど辺境は王都以上に命の価値が軽い。

王国の支配が及ばないから空賊は多い、未開拓の土地はモンスターが出没する、悪天候やら凶作で飢饉が斬る、流行り病で領民が死にまくったし、国境付近じゃ他の国がちょっかいを出す事だってある。

王都の皆さんは平民の命は軽いと思ってるみたいだけど、辺境の未開拓地じゃ命は均等に軽いんだぞ。

貴族と平民、人間と亜人、金持ちと貧乏人、どんな命も何かあれば分け隔てなく死ぬ。

本当に誰に対しても分け隔てない神様って死神だけじゃない?

俺は死神に嫌われてるのか死ぬような目に遭遇してもなかなか死ねないんだけど。

 

「うちは戦争で大した被害が出さかったがそれでも全くの無傷って訳でもない」

「戦争が終わってから金が尽きて領地も荒れる一方。どうしようかと悩んでたらリオンが貴族になったと王都から知らせが届いた。まさか父さんを追い越して子爵になるとは思わなかったぞ」

「俺だって信じられなかったさ。そんな訳で一家全員とバルトファルト家に仕え続けてくれる奴らを引き連れてこの浮島に移り住んだんです」

「……そこまでがお前達と誘拐犯の繋がりか」

「いや、まだ続きがありますよ」

 

バルトファルト家の連中を除いた全員が顔を顰めた。

うん、嫌だよね。

クズ共の話なんて俺だって聞きたくないし話したくない。

でも話さないとあいつらがどんな連中か分かってもらえないから我慢して聞いてもらいましょう。

 

「俺が爵位を貰ってここに移り住んでから一ヶ月ぐらい経った頃かな、突然ゾラ達が訪ねて来たんです」

「屋敷の前でずっと怒鳴ってる奴らが居るなと窓を開けたら三人が口汚く騒いでいました。相変わらず贅沢な服やら指輪を身に付けて今まで何をしてたのやら」

「一緒に居た専属使用人は逃げられたのか解雇したのか不明です。まさ、奴らに従っても旨味なんてもう無いと知られたんでしょうな」

「あいつら、『私達が苦しいのはお前達のせいだ!さっさと領地を明け渡せ!』と言ってきました」

「ちょっと待ってくださいまし、男爵とゾラは正式に離婚したんですね?」

「えぇ。ゾラの不貞行為、私とルトアートの血が繋がってないという証言は多くの者が聞いていましたし、更に敵前逃亡と強盗未遂。当時は従軍拒否した貴族に対する風当たりが強かったので訴えたらすんなり受理されましたよ」

「ゾラ達は貴族籍を剥奪、戸籍も抹消の裁定が下されました。俺達を平民やら農奴と扱ったあいつらはそれ以下に成り果てました」

「じゃあバルトファルト家には何の瑕疵も無いじゃないか」

「どうしてお前達が恨まれるんだ?」

「頭がおかしい連中の思考はわかりませんよ」

「あいつらは貴族籍を剥奪されたのは俺達が罠に嵌めたから、自分達こそバルトファルト領を治めるに相応しい貴族と心の底から信じ込んでるんでしょうね」

「ゾラ達の戸籍は抹消されてるから殺しても罪にはなりません。銃を取り出したらまた逃走しました」

「下手に情けをかけるから」

「やっぱ後腐れないようにちゃんと始末した方が良かったんだよ」

「分かった、分かったからもういい」

 

六人とも頭が痛むのか額や目元を押さえてる。

クズの思考は支離滅裂で理解しようとする方が無理ですよ。

自分達は常に正しく尊い存在で世の中の悪い事は全て俺達が原因だと心の底から思い込んでるんです。

平民や身分の低い奴とは話し合いも交渉もしない、大人しく命令に従って奉仕すればいい。

そんな考えな糞貴族の典型例があいつらだ。

 

「だからゾラ達とは五年以上会っていませんし、何をしてたかも知りません。殿下達の方がご存知なのでは?」

「えぇ、そうでしょうね。淑女の森の活動は我々によって調査されてましたから」

「切っ掛けは俺達が学生時代に退治した空賊の素性だ。空賊は前々から貴族と繋がって周辺の領地を襲っていたらしい」

「国の調査で空賊を背後から操る高位貴族の存在が存在が確認できた。そうした腐敗貴族の最大勢力が淑女の森だ」

「空賊が貴族と裏でつるんでるとかよくある事でしょう。そんな分かりきったずっと事実を揉み消してきたのが王都の宮廷貴族ですよ」

 

空賊になる経緯はだいたい三種類ある。

まず平民が食料や金に困って空賊になる場合。

この空賊は税を収められず食い物を求めて止む無く空賊になった農業従事者が殆どで凶作や疫病が流行った年に発生する事が多い。

領主としては失政の結果だし討伐すれば領民を減らす事態になりかねないから何とか穏便にすませたい。

次に没落した貴族や騎士が空賊になる場合。

この国で飛行船や鎧を所有できるのは基本的に貴族だけだ。

何らかの失態で没落した貴族や騎士が所有していた飛行船や鎧を使って商船やらを襲い始める。

最期に冒険者が空賊になる場合。

そもそも冒険者自体がダンジョンやら未開拓地の略奪で生計を立ててるような奴らだ。

奪う対象が変わっただけと言っていいだろう。

 

そうして空賊が集まると貴族を凌ぐ軍事力を持つ事が時々ある。

複数の飛行船、大量の鎧、略奪や殺人を躊躇しない荒くれ共。

鎮圧しようとして逆に壊滅的な被害を出すなら金を払って大人しくしてもらう、時には傭兵として働いてもらったり非合法の仕事を任せたりする貴族は多い。

貴族と空賊が持ちつ持たれつな関係なのは暗黙の了解だ。

そんな有様だから王国軍は治安を乱す空賊退治に積極的だったし、常に人材不足で十代の俺が入隊できる余地があった。

 

「王都の奴らはどれだけ税を毟り取る事しか考えてません。辺境の下位貴族や平民なんて虫ケラだと思ってるんでしょう」

 

俺は貴族や冒険者が嫌いだ。

他人や余所から何かを奪うだけの略奪者、何一つ生み出さないくせに力を理由に他人の成果を掻っ攫うのが当然だと信じてる糞野郎。

あんな奴らと同類になりたくないから家出して冒険者にならず軍人になった。

戦功で貴族にされた時も本当は辞退したかった位に貴族なんて大嫌いだ。

それなのに無理やり爵位と未開拓の浮島を与えて領主貴族やれと命令されて本当にムカつく。

アンジェが嫁になってなきゃとうの昔に死んでるか逃げ出してるぞ。

じいさんや父さんと似たような状況だった俺の人生で一番の幸運はアンジェみたいに立派なお嬢様が結婚してくれた事だ。

今だってアンジェと子供達が居なきゃ貴族やってないし。

 

「口を慎めバルトファルト。王国は別に下位貴族を蔑ろにしてる訳ではない」

「功績を上げた者はちゃんと取り立てるぞ」

「公国との戦争で大量に死んだからな。人員不足の解消に金と爵位と領地をばら撒いてるのと大差ないけどな」

「君が領主になれたのも功績を正当に評価されたからだ」

「オリヴィア様に対する王国の扱いを見てもそれ言えるのか?」

「「「「「…………」」」」」

 

意地が悪い俺の指摘に痛い所を突かれて五人が黙る。

俺はまだ半分貴族みたいなもんだから貴族に取り立てられたけど、聖女になったオリヴィア様に対してホルファート王国はほとんど何も与えていない。

いや、聖女を讃えるパーティーを開催したり銅像を建てようと計画してるらしいけどオリヴィア様の身分は今でも平民のままだ。

ファンオース公国の侵攻を食い止めて、アルゼル共和国への援軍の指導者として活躍した後に外交特使と扱われ、積極的に各地を訪ねて慈善活動を行い、今じゃファンオース公国を打倒した立役者だ。

あの人が居なきゃホルファート王国は間違いなく滅んでる。

 

それは貴族と平民の区別無く共通の認識なのにオリヴィア様への恩賞は少な過ぎて怒りを通り越し呆れるほどだ。

二度も国を救ったのに貴族に取り立てない、支払ったのは聖女としての活動に必要な経費がほとんどで地位も金も与えちゃくれない。

王都のお嬢様達を全員集めてもオリヴィア様の命と釣り合いが取れないぐらい重要な存在なのに。

今じゃオリヴィア様の人気は王族より上、子供は国王の名前は知らなくても聖女の名前は知ってる有様。

 

お陰で慰霊祭にオリヴィア様が来ただけでバルトファルト領は観光客が増えて戦費の補填になってくれそうだ。

冷遇されてきた下位貴族や平民の鬱憤は溜まりに溜まってる上にフォンオース公国との戦争でそれが一気に表面化した。

オリヴィア様を旗頭にして王国と手を切ろう、辺境の自分達を軽んじた王都の連中に復讐してやると思ってる貴族は多い。

その筆頭格がアンジェの父であるレッドグレイブ公爵だ。

まぁ俺からすりゃ偉い金持ち同士の喧嘩だからバルトファルト家を巻き込まない所でやって欲しいんだけど。

王国が滅びるならそれは自分達が蒔いた種だよ。

 

「そこで止めとけリオン」

「流石に言い過ぎだ」

 

……そうだな、言い過ぎた。

アンジェ達が攫われて気が立ってるんだろうな。

殿下達の前で王政の批判なんてするべきじゃなかった。

 

「すいません、言葉が過ぎました」

「いや、構わない。ここまで露骨に俺達へ物申す奴は少ないからな」

「話を戻そう、フランプトン侯爵の失脚と共に宮廷の人事は刷新された。同時に多数の腐敗貴族も処断され淑女の森は徐々に衰退していった」

「連中としては頭が痛かったんだろうね。僕達が戦後に治安維持の為にオリヴィアと一緒に空賊退治に勤しんでたのも彼女達の力を削ぐ結果となっていた」

「あぁ、お前らの活動ってそんな意味があったのか。てっきり暇を持て余して空賊イジメやってたのかと思ってたぞ」

「おい!」

「俺達も戦後に増えた空賊退治と大差ないと思ってた。奴らの存在に気付いたのはここ最近だ」

「淑女の森が息を吹き返したのは俺達がアルゼル共和国の援軍に行ってからだ」

「何でまた?」

「ホルファート王国が魔石輸出の優先権を獲得したからだ。他の国にとっちゃ王国が強くなる状況は避けたいだろうな」

「フランプトン侯爵の派閥だった貴族も全員が処罰された訳じゃない。ファンオース公国への伝手は残っていたのさ」

「王国に叛意を抱く貴族、敵対する近隣諸国、稼ぎが減った空賊。そうした利害が複雑に絡んで淑女の森は暗躍を始める。目的はホルファート王国の崩壊だ」

 

何とまぁ、話が大きくなってきた。

辺境の成り上がり貴族には正直付いて行けそうにない。

同時に話の規模とゾラ達の行動に違和感を感じる。

 

「待ってください、今のゾラ達が淑女の森の指導者とはどうしても思えません。あいつらは平民から税を毟り取る事は考えても国家転覆なんて大それた行動をやれるほど賢くも強くもありませんよ?」

「だろうな、既に淑女の森の主要幹部は逮捕している。この半月の俺達は残党狩りの真っ最中だ」

「あらゆる手段を用いて逮捕者に情報を吐かせて拠点の殆どを叩き潰し構成員は逮捕した。抵抗した奴は空を舞う塵になったよ」

「ゾラ、メルセ、ルトアートは構成員だが幹部ではない。淑女の森でも役に立たないから辺境の拠点に左遷された厄介者扱いだ」

「そもそも拷問を避けたい逮捕者の自白や彼女達だけ落ち延びるのを許せない幹部の自白で存在が発覚したんです」

「拠点がある浮島の領主が踏み込んだら逃げ出た後だった。どうやら本拠地が俺達に制圧されたという情報を知った直後に姿を消したらしい」

「相変わらず逃げ足だけが取り柄か」

 

父さんは眉を顰めるが引き際を弁えるのは戦術に必要な技能だ。

無理に粘って損耗を増やすよりも頭を切り替えて撤退後に体勢を整えるのは俺も戦争中によくやってる。

まぁ『勝てないから撤退する』のと『何もせず逃げる』のは全然違うんだけど。

 

「問題は同じように逃げた淑女の森の戦闘部隊が奴らに合流してしまった事だ。戦闘用の飛行船が一隻、鎧も十機以上搭載しそこそこ腕が立つ騎士が搭乗している」

「たぶん私達の乗った飛行船を襲ったのはそれですわ。鎧の性能差があったとは言えローズブレイド家の騎士が討たれましたの」

「こちらの情報とディアドリー嬢の証言に齟齬があるのは付近の空域にいた空賊を取り込んだ、又は繋がりがあった空賊と連携したと推測できます」

「俺達がバルトファルト領を訪れたのは残党の検挙、或いは討伐が目的だ。その為にバルトファルト子爵に助力を要請したい」

 

この部屋に居る全員の瞳が俺を見つめる。

経緯は分かった、後は決断だ。

家族を助ける為に何が最善か、どう選択すべきか。

握った掌がじっとり汗ばむ。

対して賢くない頭を必死に働かせて俺は答えを出した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「殿下の仰ることは分かります」

「そうか、分かってくれたか」

「ですが協力する事は出来ません」

「兄さん、落ち着いて考えよう」

「俺は冷静だよコリン、断るのはちゃんとした理由がある」

 

さっきまで皆が誘拐された事実に我を忘れて冷静な判断が出来なかった。

誘拐を実行したのはゾラ達と空賊だけと思い込んでたけど鎧を操縦できる奴が十人以上も居るなら話が別だ。

アンジェ達をどう救出するか必死に考えると殿下達が一緒だと行動が制限されてしまう。

 

「……どんな理由だ?」

「殿下と俺は目的が違います。殿下の目的は淑女の森の残党の討伐ですね?」

「その通りだ」

「残党は捕縛対象ですか?」

「主犯格は捕縛したいが抵抗するなら討つのは躊躇わん」

「俺達は家族の救出が最優先です、ぶっちゃけ皆の安全が確保されるなら見逃したいとすら思ってます」

「待ってくれ、僕達は人質を見捨てるような真似はしないぞ」

「優先順位が違うんだぞ、状況がどう転ぶか分からないのに目的が違う相手を組む事は出来ねえさ」

 

残党は始末できたけど人質は全滅、そんな結末は御免だ。

助からないのならまだ俺達の手で救えない方がマシだ、家族の危機を他人に委ねる気にはとてもなれない。

 

「そして指揮系統の問題です。この作戦の指揮官は誰になりますか?」

「俺だろうな」

「現在バルトファルト領にいる殿下の所持戦力は?」

「最新の戦闘用飛行船が一隻と鎧が十機。人員は俺達を含めて人員は三十名ほどだ」

「ユリウス殿下の指揮なら王国軍がバルトファルト軍より上の立場になります。ですが周辺の空域に詳しいのは我々です。どうしても連携に齟齬が生じてしまいます。これは救出作戦に於いて致命的な失態を招きかねません」

「……」

 

辺境は王国の支配力が落ちるからどうしても王家や宮廷貴族に対する忠誠心が薄くて独立独歩の気風がある。

ユリウス殿下が持って来た戦力は魅力的だけど周辺空域に詳しいのは俺達だ。

地の利を持ってない王国軍に十全な働きが出来るとは思えない。

そんな状況で王国軍の命令に従わさせられ、うちの部下の反感を買ったらまともな働きが出来なくなる。

この緊急事態にバルトファルト領の軍人と王家直属の軍人が仲良くさせるのは不可能だ。

能力が高くても使えないなら最初から使わない方が良い。

 

「それに初手から王国に頼ったとなればバルトファルト領の評判が落ちます。今だって腕っぷしだけの成り上がり者と周りから舐められてるのに、嫁を攫われて何も出来ないと思われたらここの統治すら覚束なくなります」

「だから協力を拒むと?」

「殿下に従ってる奴らが俺達の下になってくれるなら素直に協力できます、でもそんなのは不可能でしょう?」

 

爵位だの、立場だの、誇りだの。

何もかもが面倒臭い。

ただ俺は俺の家族を、惚れた女の危機をかっこ良く救う騎士になりたかった。

でも悲しいほどに俺は凡人だから足りない頭と中途半端な力と欠片ほどの勇気をふり搾って泥臭く戦うしか出来ない。

いろんな事を考えて、今ある物を工夫して、相手の嫌がる部分を狙ってようやく勝てる。

いろんな奴に憎まれて付けられた仇名は外道騎士。

それが俺の正体だ。

 

「情報提供に感謝します、これから俺達は皆の救出に取り掛かるつもりです。殿下達は俺達と別行動で奴らを追ってください」

「何か当てはあるのか……」

「とりあえず周辺空域を調査します、運が良ければ何か見つけられるかもしれませんので」

「素直に協力した方が良いぞ、殿下の飛行船には最新式の探査装置を配備してる」

「だからって探知装置で発見できるとは限らないだろ」

「なぁ、ちょっといいか?」

「何だよ兄さん」

「もしかしたら皆の居場所分かるかもしれないぞ」

 

横から口を挟んで来た兄さんが凄い事を言って一瞬頭が混乱した。

兄さんはおもむろに上着のボタンを外すと蒼色のペンダントを取り出した。

確かドロテアさんからのプレゼントだった。

 

「これな、俺の位置を把握できるように台座の部分に発信機が仕込まれる」

「何でそんな物を持ってんだよ?」

「ドロテアさんから頂きました。向こうも同じ物を身に付けて受信機も手渡されてます」

「……おい、それって」

「おそらくお姉様の位置を特定できますわね。上手くいけば他の三人も同じ場所にいますわ」

 

珍奇な生き物を見る目で皆がペンダントを見つめる。

そうだよね、普通はそんな贈り物しないよね。

でもこれでアンジェ達の居場所が分かるかもしれない。

地獄みたいな状況で漸く希望が見えて来て目の前が明るくなった。

 

「~~~~っっしゃああぁぁッ!!」

 

思わず叫び声が出た。

ゾラ達が身代金を要求するまで地道に探索を続けるつもりだったけど希望が見え始めた。

ありがとうドロテアさん、感謝の気持ちとして兄さんとの結婚を全面支援します。

 

「今すぐ受信機で位置を辿るぞ!あと集まった兵を空港に行かせろ!準備が整い次第出発だ!」

「分かった!」

「武器庫を開けとけ、鎧の準備も急がせろ!」

「了解!」

「あと何かあった時の為に医者も必要だ!空港に居る医者を何人か同行させるから呼んで来い!」

「うん!」

 

三人が勢い良く応接室から飛び出して行く。

この状況判断の早さがバルトファルト家の特徴だ。

愚者の考え休むに似たり、本当なら俺も立場とか捨てて駆け出したい。

 

「……どうやら見通しが明るくなったみたいです。殿下達は俺達のと別行動で奴らを追ってください」

「つまり俺達の助けは必要ないと?」

「もたもたしてたら状況は悪くなる一方です、どうか任せていただけないでしょうか」

 

解決への道は見えた、後は俺に出来る最善を尽くすだけ。

とにかく皆の安否を確認したい、空賊に手酷く扱われてないか心配だ。

手早く頭を下げると俺も扉に向かって駆け出した。

 

「待ちたまえバルトファルト卿」

「……まだ何かあるのかマーモリア」

 

振り返ると長い緑髪の男が俺を見ている。

五英雄の一人であるジルク・フィア・マーモリア。

正直、俺はこいつが嫌いだ。

裏でコソコソとアンジェの婚約破棄に加担して、数ヶ月前は王都で俺の尾行を計画した。

コイツなりにいろいろ考えてはいるんだろうがとにかく人として合わない。

出来るなら口を聞きたくないし、顔も合わせたくない。

 

「先ほど我々の飛行船に最新式の探査装置を配備してると言った筈だ。失敬だが兄君の持つ受信装置は探査装置より優秀なのかね?」

「……知るか、手掛かりが無いまま捜し続けるより百倍マシだろ」

「探査装置を使えばより確実だ、細君を取り戻す為に最善の行動を取るべきは君も分かっているだろう?」

「だから王国軍の下に付いてお前らの命令に従えと?」

「従属ではなく協力だ。そうだな、『我々が淑女の森の残党を捜していたら偶々(・・)空賊を追っていた君を見つけた』と」

偶々(・・)か」

偶々(・・)だ。『協力して空賊を討ったらなんとそれは略奪行為をしていた淑女の森の残党だった。斯くして我々は務めを果たしバルトファルト卿も家族を救い出せた』。何とも美しい筋書きではないか!」

 

役者じみた語りで俺を説得するジルク。

胡散臭い、凄く胡散臭いから止めろ。

 

「何が目的だ?」

「救出作戦に我々が参加する、残党から情報を引き出したいからリーダー格はなるべく生け捕りにしたい。細かい要求はあれどその程度だな」

「ゾラ達は譲らないぞ、あいつらは俺達が始末をつける」

「好きにしたまえ、必要な情報を持っている幹部は既に逮捕済みだ」

「指揮は俺が執るぞ。従わないなら同行させねえ」

「勿論だとも、我々はホルファート王国の為に戦っている。是非とも君にはそれを理解していただきたい」

「……正直言って俺はお前らが嫌いだ。因縁があり過ぎて今すぐ仲良く出来そうにない」

「奇遇だな、私も同じ気持ちだ。おそらく私達全員がそう思ってる」

「だがお前達の力は認めてる、悔しいけどそれが最善だ」

「分かってくれたかね」

 

罵声を浴びせたいがグッと堪える。

今の俺に必要なのは家族を救える力だ、こいつらにはその力が有る。

服装を正してユリウス殿下の前に臣従儀礼に則った姿勢で跪く。

家族を救えるなら悪魔にだって頭を下げてやる。

 

「ユリウス殿下、どうかお力添えを。私に妻と姉と妹と義姉を助ける力をお貸しください」

「面を上げよバルトファルト卿。お前の忠節と情に報いよう」

「はっ」

 

立ち上がるといきなりグレッグが肩を掴んで来た、相変わらず馬鹿力だなお前。

クリスとブラッドも何か生温かい目で俺を見てる。

 

「よし!じゃあ指揮官殿の嫁さんを助け出すか!」

「何だよ、馴れ馴れしいぞお前ら」

「この作戦の間だけでもお前が上官なんだ、よろしく頼む」

「じゃあこっちも準備しようか」

「何でお前らそんなにノリが良いんだよ?」

「一度殴り合ったじゃないか。争いで育まれる友情もある」

「私はコイツに殺されかけたぞ」

「そりゃジルクが悪い」

「行くぞバルトファルト。アンジェリカを救うんだ」

「殿下が仕切らないでください!」

 

何か馬鹿五人のペースに乗せられてる。

側に居るディアドリーさんに視線を送ったけど無視された。

どうなる俺?

こんなんでアンジェ達を救えるの?

作戦前から後悔で泣きたくなってきた。




リオン&五馬鹿共闘開始の今章。
原作のアンジェ救出や空賊退治は五馬鹿揃い踏みが無かったのでこうなりました。
今作のリオンは身体能力が低く知恵と戦術ステータスが高めのイメージ。
ルクシオン無しの凡人故に己の力不足を嘆くリオンの心境も今後描く予定です。
ジルクの提案はどうすればリオンをいやらしく説得できるか悩みました。
CV鳥海浩輔キャラの胡散臭さは異常。

追記:依頼主様のご依頼によりDrone様に年賀イラストを描いていただきました。ありがとうございます。
Drone様 https://www.pixiv.net/artworks/114858469

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第51章 Femme Fatale

金属、油、木材、煙草と酒、そして人の臭いが入り混じった生温かな空気。

空賊が搭乗している飛行船の内部は鉄骨や配管や剥き出しな上に重要な内部機構を最低限だけ隠すように板が規則性無く貼りつけられている。

無機質な金属部品が絡み合い明滅を繰り返しながら駆動する姿は巨大生物の内臓を思わせ生々しくも悍ましい。

居住性を優先して建造された客船とは違い空賊戦の内部は必要最低限の物しか備わっていない。

尤も飛行船に対する空賊達の手入れは十分とは言い難いものだ。

廊下のあちこちに紙煙草の吸殻や空になった酒瓶が無造作に放置され、誰も掃除しない床は歩く度に湿った感触で粘ついた何かが靴に纏わりつくようだ。

 

ドロテア、ジェナ、フィンリー、そして私。

人質一人につき空賊二人が左右を取り囲み逃走を防ぐ。

肩が触れ合いそうなほどの狭い廊下を命じられるまま歩き続ける。

とにかく目を動かし視界に入った物の位置を憶えられるだけ憶えた、いざという時に迷わないよう自分の位置を把握するのは重要だ。

露骨に首を動かして空賊に疑われたら状況が不利になりかねないので必要最小限の動きで船内を見回すのはなかなかに難しい。

 

私が飛行船に詳しかったらこの船の内部構造もある程度は把握できるだろう、この手の知識はリオンが得意だ。

なにせ王国軍に入り空賊の捕縛や逮捕の実績が出世になった男だ。

飛行船の種類や空賊の傾向についてリオンに匹敵する見識を持つ者はバルトファルト領は勿論、王都にすら軍の専門職がいる程度。

意外にリオンは冒険者としての資質を備えているのではなかろうか?

もし生きて帰れたらいつか共にダンジョンを探索してみたい。

 

「何ニヤついてる?」

 

横を向くと空賊の一人が訝しげに私を見ていた。

そうか、私は今微笑んでいたのか。

いかんな、心中の不安を誤魔化すようにリオンの事をつい考えてしまう。

 

せめて何らかの手掛かりを掴みリオン達に我々の安否を伝えなくては。

手枷や足枷を嵌められていないのは僥倖だ、かと言って女四人で空賊を相手取るのは分が悪過ぎる。

せめて携帯用の銃やナイフを持ち込んでいれば何らかの対処が出来たかもしれない。

 

そこまで考えて頭を振って下を見る。

其処には以前より少しだけ膨れた私の腹があった。

人質四人のうち一番無理が出来ないのは私だ。

私を気遣ってジェナとフィンリーが人質になった事実に歯噛みする。

義姉妹は私をリオンの妻として自分達より重い存在だと思っているが、リオンにとって姉妹もまた大事な存在であり単純に比べられるものではない。

足元を注意して歩きながら先頭を歩むルトアートと空賊の長らしきに男の後を追い続ける。

誰も何も言わない、その沈黙が重々しい。

角を曲がり階段を下りる事数回、分厚い扉の前で漸く男達が足を止めた。

ノックと言うにはあまりに強い力で扉が叩かれ空賊達がゆっくり扉を開けると金属が軋む不快音が耳を震わせる。

 

「入れ」

 

開かれた扉の奥から漏れた空気に混じる甘ったるい香りが鼻を刺激する。

命じられるままゆっくりと部屋に入ると香気はより一層強くなり不快さを増していく。

招かれた部屋は何とも奇妙な内装をしていた。

内装が剥げかけた壁には奇妙な絵画が数点掛けられ、調度品は時代も作風も統一感が無くこの部屋全体の雰囲気を奇妙な違和感で覆っている。

どれも芸術として取引されるも大した額にはならないだろう、むしろ絵画に関しては額縁の方が高く売れそうだ。

盗品や密輸品の中から価値がありそうな物をとりあえず見繕い片っ端から部屋に持ち込んだ、そんな印象が見受けられる。

審美眼や感性の無い者が強引に見栄え良くようとしている。

そんな部屋の主の性根が見て取れそうな内部だ。

 

「母上、姉上。只今戻りました」

 

ルトアートが恭しく頭を下げると部屋の奥から現れた二人の女が私をねめつける。

年嵩の女は痩せこけた顔を分厚い化粧で誤魔化し、身の丈に不釣り合いなほど過剰な装飾に彩られたドレスを身に纏う。

若い女は整った顔立ちではあるがこれまた肩や胸元が大きく開けたドレスに加え目元や唇に陰影が濃過ぎる化粧を施していた。

目端が利く者が見たら笑い出しかねない彼女達の装いに困惑してしまう。

ルトアートと空賊の態度からこの二人が空賊を従えているのだろうか?

 

「遅いわ!何をグズグズしているの!下賤な奴らが乗っている船を襲うのにどれだけ時間をかけているの!?」

「相変わらず役立たずね!これだから男は嫌なのよ!」

「……」

 

神経質な女達の罵声にルトアートは身を竦め首を垂れた、一方で空賊達は面白い物を見るような口元の歪みを隠そうともしない。

おそらく名目では彼女達が一応の支配者なのだろう。

だが実務を担ってるのは空賊達の方で彼女達は飾りに過ぎない。

一目見ただけの私にすら判別できる力関係を当の本人達だけが理解していないのは滑稽を通り越して憐れだった。

 

「申し訳ありません。ですが望外の収穫があったので急ぎご報告と思いまして」

「何よ、大金を輸送でもしていたの?」

「私は服や化粧品の方が嬉しいわ、もうこんな汚い船に閉じ込められてるのは嫌よ」

「おいおいおい。そいつはひどいぜ奥様、お嬢様」

 

空賊の長は陽気な口調で三人の会話に割って入る。

やはり彼が実質的な指導者なのだろう、抜け目なく目を光らせて場を制す姿は狡猾な空賊その物だった。

 

「俺達の苦労も考えてくれ、略奪したもんから必死に見つけ出した上物はあんた達に納めてるだろ」

「そんなの当たり前でしょうが」

「あんた達は私達に従っていれば良いのよ」

「はいはい、仰せのままに」

「空賊風情は引っ込んでいろ。収穫はあの薄汚いバルトファルトの娘達です。こいつらが居れば我々の復権も夢ではなくなるかと」

 

空賊に腕を掴まれ呻き声を上げたジェナとフィンリーが私とドロテアの前方に引き摺り出される。

近寄ろうとすると空賊が壁となって立ちはだかり彼女達から無理やり離される。

ルトアートは跪かされた二人の髪を鷲掴みして強引に顔を女達の方向へ動かす。

相手の安全など考えていない粗略な扱いに抗議の声を上げようとするもまたも空賊に阻まれた。

女達の顔が歪み憎悪に満ちた視線がジェナとフィンリーに降り注ぐ。

その視線を義姉妹は真っ向から見つめ返し室内の空気が更に張り詰める。

 

「卑しい獣風情がよくもまぁ、私達を差し置いてのうのうと生きるなんて厚かましいにも程があるわ」

「本当ね、どうやって痛めつけてやろうかしら」

「……生きてたのゾラ、メルセ。とっくに死んでたと思ってた」

「本当にしぶといわね、しかも空賊になってるとか。あんた達にお似合いだけど」

「お黙り!」

「生意気な口を叩くんじゃない!」

 

女達の手が動き乾いた音が鳴り響く、それでも姉妹は怯まずに睨み続けた。

ゾラ、その名に聞き覚えがあった。

ゾラ・フィア・バルトファルト。

かつて義父上と結婚しバルトファルト家の正妻となっていた宮廷貴族の娘だ。

その不品行とファンオース公国との戦時中に於ける敵前逃亡や責務放棄によって貴族籍が剥奪され行方知れずとなっていた筈だが。

嘗てバルトファルト家の正妻だった女、その娘と息子。

彼女達が行動を起こすなら目的はバルトファルト家の財産か、若しくは家督といった所か。

 

いずれにしても結論は既に分かりきっている、彼女達がどう足掻こうともバルトファルト家が思い通りになる事は決してありえない。

どれだけ訴えようが王国は貴族籍の無い者を領主にするなどありえない。

ましてや領地と領民を見捨て自分達だけで逃げ出した輩など処罰の対象だ。

 

「私達が居ない間にまんまと家を乗っ取るなんて厚かましいにも程があるわ!これだから卑しい平民の腹から産まれた卑しい奴らは嫌なのよ!」

「あんた達にドレスも宝石も必要ないわ!それは私達の物よ!さっさと寄越しなさい!」

「ちょっと!?止めないさいよッ!」

 

地面に落ちた菓子の欠片に群がる蟻の如くジェナとフィンリーが身に付ける装飾を毟り取るゾラとメルセ。

義姉妹の装いはそれほど贅沢な物ではない。

平民が乗る定期船の乗客から浮かないように材質こそ上物だが地味な色合いの服に装飾のネックレスやイヤリングは平民の娘が数ヶ月貯金すれば簡単に手に入る価格だ。

地味な服ではなく装飾にばかり拘る彼女達の審美眼は怪しい物だ。

或いは空賊の生活が長く続いたせいで価値基準に狂いが生じているのか?

爛々と目を輝かせ装飾を見つめるゾラとメルセは正気には見えない。

 

「いいわ、欲しけりゃくれてやるわよ。今の落ちぶれたあんた達にはその程度がお似合いね」

「口の減らない小娘が!お前達など本来なら私達と口を聞く事さえ叶わないのよ!」

「逆でしょ?今はあんた達の方が私達に口を聞けない身分じゃないの」

「この卑しい犬っころがッ!!」

「げぁホッ!」

「お姉ちゃん!?」

 

図星を突かれ逆上したメルセがジェナの顔を何度も殴りつけるとジェナの口と鼻から流れた落ちた鮮血が床に飛び散った。

細い腕から不格好な体勢で繰り出される打撃は大した威力ではないだろうが何発も受けていれば損傷は重なっていく。

十発ほど殴って気が済んだのだろう、息を切らせたメルセが頬や瞼を腫らしたジェナから遠ざかる。

顔の骨や歯が折れてなければよいのだが。

 

「私達は奪われた物を取り戻す!貴族の地位を!栄光を!財産を!正当に受け継がれるべき物を奪い返すだけよ!」

「奪い返すって何よ!捨てたのはお前達の方じゃない!領地を護ろうとした父さんを罵って逃げ出したくせに!」

「戦争なんかで死ねるか!私は死ぬつもりなど無い!」

「それでやってるのが空賊!?どっちが卑しいのか分からないじゃない!あんた達こそ貴族の資格がない臆病者よ!」

「うるさい!!」

 

ルトアートが腰に差した剣を鞘ごと引き抜きフィンリーを打擲する。

鞘から剣を抜かなかったのは殺す気が無かったのか、単に抜くのを忘れただけか分からない。

いずれにせよ、この状況が続けば私達の命の保障は著しく低いと言わざるを得ない。

そもそも空賊達は私達を人質にして身代金を請求すると言っていたが、ゾラ達の行動はその程度では済みそうになかった。

特に因縁が深いジェナとフィンリーに対して苛烈な攻撃を加えられるのは避けたい。

少々至らない部分もあるにせよ彼女達はバルトファルト家の一員であり、私の義姉妹なのだから。

 

「そこまでにしろ」

 

背筋を正し真正面からゾラ達を見据える。

床に臥している二人の視線が大人しくしていろと訴えていた。

それでも引く事など出来はしない。

暴力に怖気づいて悪党の屈服するなど私が許容できるなど思わないで欲しい。

 

「我々の命を保障しないのなら交渉は不成立だ。身代金を払う義務が生じなくなるぞ」

「……誰よお前」

「アンジェリカ・フォウ・バルトファルト。リオンの妻だ」

「はぁ!?あの汚い小僧の嫁!?何でこんな女を連れて来たのよ!」

「人質として連れて来ました。生意気にも出世したあいつにとっては何よりの嫌がらせになります」

「あぁ、何処ぞの家から婚約破棄された娘を妻に迎えたと聞いたわ。なるほど、実に生意気そうな顔つきだこと」

 

随分な言い草だ。

確かに私がユリウス殿下に婚約破棄されたのは事実だし、私の顔立ちが少々きついのは自覚してはいる。

私に対するこの程度の取るに足らない罵詈雑言など既に社交界で聞き飽きているので痛痒すら感じない。

自分の優位を誇示するようにゆっくり歩み寄るゾラの余裕は逆に自身の狭量を表しているが当の本人は気付いていないのだろう。

ゾラが近づく度に噎せ返るような香気が鼻をくすぐる。

この環境では入浴など望めない筈だ、古から香水は体臭を誤魔化す為に使われてきた歴史を持つがゾラの体から放たれる匂いは過剰なほどの香水が使われていると察せられる。

清涼感を出す為には植物を原料とした香水が最適だが、ゾラが使用しているのはおそらく動物由来の香水だ。

過剰な動物性香料の匂いと汗等で濃くなった体臭が混じり合っている。

ひたすら私を値踏みするゾラ達の視線と鼻孔を穢す臭いがとにかく不快だった。

 

「お前がどんな家の娘にせよ無事で済むとは思わない事ね」

「その顔を二度と見られない顔にしてやればあのガキはどんな顔で泣き喚くかしら?」

「まず私の相手をしてもらう、その後は空賊達に与えてやる。心が壊れるまで輪姦(まわ)されるのを覚悟しろ。もちろんそこの女もこいつらも同じだから寂しくないぞ」

 

下卑た表情で楽し気に私達を痛めつける光景を想像し悦に入っているようだ。

やはり早まった行動だったか。

あの場で全員殺されない為には必要な行動と思い人質となったがそう上手くいく筈もない。

空賊の襲撃から落ち延びた飛行船はそろそろバルトファルト領に辿り着いただろうか?

不安そうに私を見つめる子供達の顔が目に浮かぶ、あれが今生の別れになったしまったな。

此処で終わりを迎えるを迎えるならリオンに会いたい、お腹の子を無事に産んでやりたかった。

そんな未練ばかりが心に押し寄せては消えていく。

せめて最期の瞬間まで気高くありたい。

ゾラ達を睨み覚悟を決める。

 

ドォン! ドォォン! ドォンッ!

 

背後から空賊船の駆動音と違う大きな音が室内に反響する。

その音は幾度も繰り返され時間を経つほど大きく小刻みに鳴らされた。

背後の扉から聞こえて来る轟音を耳にしたゾラ達は気まずそうに顔を顰めると顎で扉を指す。

空賊の一人がやれやれと扉を開けると屈強な男達が部屋に乱入して来る。

鍛え上げ日に焼けた肌は彼らが戦いを生業としてる者独特と張り詰めた空気を身に纏っていた。

男達は空賊を押し退け部屋を突き進むと私とゾラ達の間に立つ。

体格が良い男達の威圧感に押されたゾラは扇で口元を隠すが内心の動揺は隠しきれていない。

先程と違って露骨に怯えるゾラ達は大人に叱られる子供に見えて憐みさえ催す。

 

「何のつもりだルトアート」

「な、何がだ」

「貴族の女達を人質にしたらしいな。当初の計画にそんな予定は無かったはずだ」

「状況は常に変わりゆくものだ。飛行船の平民共の中に思わぬ珍客が紛れ込んでいたから当初の予定から変更した。どんな事態にも対処できるのは優れた者には容易い事だ」

「ほう、どんな事態だ?」

「こいつらはリオンの姉と妹だ。卑しい平民の血が流れているのがよく分かるだろう」

 

ルトアートが何を以って貴族と平民を判断しているかは謎だ。

ゾラ達のバルトファルト家に対する嫌悪と異常までの爵位に対する執着が何処から来るのか分からない。

以前に義父上から聞いた話や義姉妹との会話から推察すると非はゾラ達が多いとは推察できる。

或いは平民の血が流れているリオンや義兄上が爵位を継ぐ事がそれほど認め難いのか。

いずれにせよゾラ達の思考は理解の範疇を超えている。

 

「その人質の為に計画を変更したと?馬鹿な真似をしたものだ」

「どこが悪い!こんな奴らが私達の物を好き勝手にしてるのは我慢ならんだろう!」

「貴様の安っぽい誇りを満たす為に計画が滅茶苦茶になったのにまだ気付かんのか!」

 

後から来た者達の長らしき男が怒鳴り返すと三人は身を震わせた。

ルトアートの癇癪じみた声など屈強な男の怒声の前には子犬の遠吠え同然の代物だ。

 

「略奪行為を継続的に行い王都の連中にバルトファルトの統治能力に疑いを持たせるのが目的だったはずだ!それを奴の親族が居たから人質に取るだと!?本気でバルトファルトが討伐に動き出したらどうするつもりだ!?」

「あんな小僧など恐るるに足りないでしょう!向かってくるなら好都合よ!」

「奴は齢十六で公国軍の司令官を討った男だぞ!正面きって戦うのは分が悪過ぎる!」

「臆病者!それでも元騎士なの!?」

「黙れ!ただでさえ組織が壊滅の状況で援軍など求められん!負ける戦など出来るか!」

「リオンなど大した奴ではない!ここに来れば私が始末してやる!」

「ならば貴様が戦えばよかろう!面倒は毎度毎度我々に押し付けおって!」

 

どうやら元騎士と思われる長はリオンを恐れているようだ。

それに対しゾラ達はリオンを蔑んでいる。

妻としては夫が評価されるのは嬉しいがこの状況下では侮ってくれた方が付け入る隙が在るのだが。

 

「こいつらだけじゃない!リオンの妻も攫ってやった!他にも伯爵家の娘がいる!これで奴は叱責されて爵位を剥奪されるぞ!」

「叱責の前に我々が滅ぼされる!ただでさえ無理がある計画な上に敵を更に増やしているのも気付かんのか貴様ッ!?」

「だ、だが妻を奪われた事実が広まれば奴の評判は地に落ちる!それを私が解決したと報告すれば貴族籍を取り戻せる筈だ!」

「リオン・フォウ・バルトファルトの妻はレッドグレイブ公爵の娘だ!自分の娘を攫った男を認める訳が無かろう!」

「なッ!?」

「はぁ!?」

「嘘っ!?」

 

元騎士の言葉にゾラ達と空賊が動揺している。

どうやら私が元公爵令嬢だと知らないまま攫って来たらしい。

リオンが爵位と領地を拝領した事は知っていても、その妻が何処の家から嫁いだのかさえ把握していなかったらしい。

何ともお粗末な計画を立てたものだ、怒りを通り越して呆れる。

 

そもそも領地で空賊が頻発した程度で領主の統治能力が疑われても取り潰しになるなど稀だ。

裏で空賊と繋がり法を犯していたならまだしも空賊が討伐できないだけで領主の転封や領地の剥奪を行っていては貴族の大反発を招き王国全体の統治が揺るぐ。

子供が頭の中で都合良く妄想した杜撰な計画、それすら全うできないゾラ達と組んだ元騎士が怒るのも致し方あるまい。

 

「どっ、どうすれば良い!?」

「知らん、計画を変えたのはそこの馬鹿共だ。もはや取り返しがつかん」

「このグズ共!何て事をしてくれたの!」

「役立たず!公爵家を敵に回す事になるなんて!」

「も、申し訳ありません!」

「貴様らが策があると言い切ったから乗ってやったのに結局この有様だ!これからの指揮権は我々に譲ってもらうぞ!」

「お黙りなさい!元騎士風情が偉そうに!」

「貴様らとて元貴族だろうが!過去の栄光に縋って主君面するのは止めていただく!」

 

どうやらこの一味はゾラ達、空賊、元騎士の派閥が存在し主導権を争っているらしい。

ゾラとメルセがルトアートを手酷く罵るが空賊は素知らぬふりを貫き元騎士はずっと罵っている。

確かに私やドロテアを攫われたリオンは父上やローズブレイド伯爵に叱責されるだろう。

私達を無事に救出したとしてもそれは避けられない筈だ。

 

だからと言って私達を攫った空賊がそのまま見逃される訳はあるまい。

既にローズブレイド家は何人もの騎士が討たれている、威信回復の為にも血眼で討伐に乗り出す筈だ。

この状況で彼らが生き延びる道はほぼ断たれていた。

 

「まぁ待ちな。つまり坊ちゃまは貴族になれないのは決まったって訳だ」

「その通りだ」

「だけどよォ、身代金を頂くだけなら出来るじゃねぇか?」

 

空賊の長が私達に目を映しながら後ろ暗い提案を持ち掛けた。

この男の方がゾラ達より余程狡猾で頭が回る、元騎士と並んで厄介なのはこの二人だ。

 

「バルトファルトの野郎だって嫁を奪われたと評判になったら世間の笑い者だ。こっちの嬢ちゃんの家もおんなじさ。嫁や娘が無事に戻って世間にバレないなら金ぐらい払うだろ?」

「……かもしれんな」

「どうせ金と食料と水は必要なんだ、なら脅し取るのは無理じゃねえと俺は思うぜ」

「したいのなら好きにしろ、我々は関与しない」

「へへっ、分かりましたよ」

「だが令嬢達は我々が管理する。いざとなれば交渉の道具として使えるからな」

「おいおいおい!?いくら何でもそりゃ欲張り過ぎだろ!」

「人質を傷付ける貴様らに預けていたら何をするか分からん。安全を確保するのは当然だ」

「いけないなぁ旦那、あんたの魂胆は分かってるぜ。自分達だけガッポリ稼いでおさらばするつもりだろ」

「それは貴様も同じだろう、薄汚いドブネズミが」

「やんのかこの野郎!!」

 

ついには空賊の長と元騎士は私達の扱いで揉め始めた。

空賊達が懐から銃を取り出し、元騎士達は腰に差した剣を抜き放つ。

唐突に始まった一触即発の空気にゾラ達はただ身を震わせ怯える。

こいつらの間に信頼は無い、ただ利害の為に一時的に組んでいるだけだ。

それ故に各々が自分の立場を優先し相手を出し抜こうと画策している。

付け入る隙があるなら其処か。

 

「いい加減にして欲しいんだけど?争うなら別の場所でおやりなさい」

 

殺意が充満した空間に凛とした声が響く。

それまで黙っていたドロテアが突如として口を挟む。

男達の視線が集中しても怖気づかず前を見据え傲然とした態度を貫く様は誇り高い貴族その物。

例え命を奪われる事になってもドロテアは己が意思を決して曲げないだろう。

 

「貴方達の争いに私達は無関係よ、大人しくしてるから別の場所に案内してくれない」

 

空賊と騎士崩れの言い争いに物怖じせずに加わるドロテアの胆力は大した物である。

戦意を削がれた荒くれ者共の間に漂う空気がほんの僅かに弛緩した。

 

「……この女は誰だ?」

「ローズブレイド伯爵令嬢のドロテア・フォウローズブレイドよ。他の三人は私の出迎えに来てくれたの。現時点で最も人質として価値が高いのは私ね」

「レッドグレイブ家だけでなくローズブレイド家にまで手を出したのかッ!?自殺願望でもあるのか貴様らは!」

「うるせぇ!話の流れでこうなっちまったんだ!」

「後先考えず行動した結果がこれだ!死にたいなら自分達だけで死ね!」

「なんだとこの野郎!?」

 

ドロテアの発言に再び室内の空気が荒れ始めた。

空賊も元騎士もゾラ達ですら私達に注意を払わない。

視界の端でメルセに殴られたジェナとルトアートに叩かれたフィンリーがゆっくりと体を起こすの確認して他の者を刺激しない速さで移動しつつ義姉妹の様子を窺う。

言い争いに熱中する男連中は私達を痛めつける思考すら抜け落ちている。

ドロテアは僅かな発言で争いを煽りジェナとフィンリーの安全を確保した。

その鮮やかな手並みに感心するのと同時に危機感が募る。

 

『この女は危険だ』

 

嘗てのドロテアはホルファート王国の社交界に於いて数多の求婚を断ってきた。

礼儀知らずな男はさておき、それなりに立場を持っている貴族を手酷く拒んで今日まで無事でいられるのは場の空気を読まないようで正確な観察と緻密な計算を行っていたからだ。

男を翻弄する手練手管、この女がバルトファルト家に嫁いだら騒乱の火種になりかねない。

腹の底に冷たい物を感じながらジェナを抱き起す。

顔は腫れているが目や鼻は潰れておらず歯も欠けてなさそうだ。

フィンリーも壁に寄りかかりながらよろよろと立ち上がる。

取り合えず二人の状態は確認できた、後は何とかこの場を切り抜けなくては。

誰もが言い争いに夢中で私達を後回しにしている、安全を確保するなら今しかない。

 

「話し合いが終わらないなら移動させて欲しい。ジェナが心配だ」

 

鼻と口から血を流すジェナに肩を貸しながら訴える。

女に手を上げる残虐性と後先考えず人質に危害を加えるゾラ達に愛想を尽かしつつある賊達は顔を顰めた。

一旦は私達に視線を移したがぞんざいに手を振った。

空賊ではなく元騎士の仲間らしい男三人が私達を取り囲む。

鞘から抜かれた剣はそのまま怪しい動きを見せた瞬間に斬り捨てるという意思表示だ。

ゾラが何か言いたげに睨むが男達に気圧されて口を噤む。

負傷したジェナに肩を貸してゆっくり一歩ずつ足を動かして部屋を出る。

言い争いは私達が部屋を出た後も続いていた。




ゾラ&メルセ登場。
原作ではアンジェの素性を知らなかったゾラが居丈高に振る舞ったり、ルトアートがアンジェやリビアに懸想していたような発言をしてたのを参照にしています。
ゾラ一家がかなり頭の悪い計画を立ててますが淑女の森での扱いや自らの境遇に対する不満で認知が歪んでいます。
彼らの支離滅裂な言動はもう少しだけ続きます。
ドロテアさんは原作でもけっこうおっかない女性なので魔性の女としての一面を描写しました。
次章はリオン視点、みんな大好きバルトファルト流口殺法。

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第52章 Immigrant Song●

振動が収まって馬車の扉がゆっくり開いた、未舗装の道を急がせて走らせたから体のあちこちが痛い。

馬車から降りたバルトファルト家の男連中を確認した兵達が作業を中断して敬礼してきた。

冬は陽が落ちるのが早いから普段は節約している照明を出来る限り燈したせいか空港の敷地は祭りの準備にも似た異様な活気で満ちてる。

戦争や紛争ってもんは非日常の出来事だから祭りみたいな催し物とある意味で似てるのかもしれない。

絶対に楽しみたくないしやりたくないけど。

 

空港の入り口から後続の馬車が三台近寄って来たので俺達は跪いて出迎えると兵達が驚きつつ同じ姿勢を取り始める。

四人の男が馬車から降りて周囲を見渡すと最後にユリウス殿下が降り立った。

王族が来たなら地面に絨毯を敷いて出迎えるのが礼儀だけどそんな上等な物はこの空港に無い、そもそも馬車だって王族を乗せるのが無礼になりかねないぐらい簡素なもんだ。

殿下が軽く腕を振って兵を労う仕草をしたんで俺は兵に元の作業を続けさせる。

兄さんと父さんが先導して空港の一角にある隊舎に案内してる間にもう一台の馬車からディアドリーさんが馬車から降りたのでコリンに任せる。

最後の馬車に積まれた荷物を兵に命じて下ろさせた。

 

アンジェ達が誘拐され飛行船がバルトファルト領に到着してから既に四時間。

船員や乗客から聞き出した情報を精査し、手が空いている兵を掻き集めて、屋敷にある必要な物を準備するのにここまで時間を費やした。

戦争の時すら出陣の準備なんて部下に任せりゃ良いと思う貴族は多いけど、小心者の俺は自分の目が届く範疇じゃないの安心できない。

何より空港からバルトファルト邸までいちいち連絡を取り合うより俺が直に指示を出す為に出向いた方が手っ取り早い。

殿下達まで同行するのは少し予想外だったけど。

 

隊舎の空き部屋は俺の命令で掃除を済ませた後で必要な資料や地図を持ち運ばせた。

粗末なテーブルと椅子と山積みになった資料が置かれた一室が対策本部になる。

部屋に待機しているのは父さんの代からバルトファルト家に仕えてくれる騎士達、幼い頃から知ってる顔見知りのおっさん連中が兵に直接指示を下してくれる。

他にはユリウス殿下に同行してる王家直属の騎士、うちとは違ってピカピカの高級軍服が眩しくて目が疲れそう。

これか俺達が考える作戦の良し悪しが人質の生死を分ける、責任重大だ。

 

「それじゃ、作戦会議を始めます。司会進行役はリオン・フォウ・バルトファルトが勤めさせていただきます」

 

全員がテーブルの周りに集まった後に一礼して周囲を見渡す。

狭いテーブルに所狭しと並べられた資料の中からまず造船所のカタログを開き机の上に置いた。

 

「まず、殿下達にお聞きします。淑女の森の残党が所有している飛行船はこれで間違いありませんか?」

「……あぁ、これと同じだな」

「王国で広く普及している船型だな」

「おそらく構成員の誰かが所有していた、或いは取り潰された貴族から買い取った物でしょうね」

「ディアドリーさん、間違いありませんか?」

「えぇ、細部は異なりますがこの船に間違いありませんわ」

 

確認が取れた飛行船が記載されたページを開き性能の一覧を読み込んだ。

そのまま定規と円規を使い地図の上に大雑把な円を二回描く。

 

「襲撃地点はここです。飛行船に改造を施していない場合、半日で移動できる距離が小さな円の範囲、一日は大きな円の範囲になります」

「見積りが大き過ぎないか?これじゃ王国内の浮島の大部分が入っている」

「最大船速で飛び続けるのは不可能だ。何処かで速度を落とす、或いは拠点に戻る可能性が高い」

「それは承知してるさ、あくまで予想される範囲だ。風の強さや雲の動きもこの際無視した。淑女の森の拠点は全部把握してるのか?」

「あぁ、飛行船を収容できそうな主要な拠点はこの半月で我々が潰して回った。あいつらが全ての情報を吐いているという前提だが」

「残党の飛行船は一隻、それも間違いないな」

「そうだ、だが襲撃したのは二隻。別動隊が居たのか、それとも他の組織が居たのかは分からない」

「ディアドリーさん、この中にもう一隻の船と同じ物がありますか?」

 

カタログとは別に用意したいくつかの写真や絵はホルファート王国以外で製造された飛行船の資料だ。

飛行船と一括りにしても船の形は国や地域によって変わる。戦闘に用いられる飛行船なら尚更だ。

幾つかの書類に目を通したディアドリーさんは一つの書類を指差した。

 

「この船ですわね。此方もやはり若干形が違いますが」

「ありがとうございます。これファンオース公国の軍用船だ」

「つまり裏で旧公国が絡んでいるのか?」

「いや、公国は全面降伏した後に所有する軍備を全て徴収されている。問題が起きれば更に不利な立場になるのが分かってこんな暴挙に出るとは思えない」

「たぶん前の戦争で鹵獲された公国の飛行船だな。払い下げられたか裏で取り引きされたかは分かんねえけど」

「そんな事になってるのか?」

「敵から奪ったり損傷してる飛行船を売るのは珍しくありません。王家だって戦争で被害を受けた貴族に安く売って財源にしましたし」

「王国は貴族の軍用飛行船の所有数に関してある程度の制限を設けていた筈だ」

「撃沈したと偽ったり、鹵獲の報告を誤魔化せば可能です。何ならそれで荒稼ぎした貴族を知ってます。公国との停戦直後は恩賞も滞りがちだったんで皆が見て見ぬ振りしてましたよ」

 

戦争で損耗した兵器をすぐ補充するのは難しいし、軍用飛行船を新造するのは金も時間もかかる。

そんな時にどっかの誰かが『それなら鹵獲した敵船を使えば良くないか?』と思いついて実行した。

一人がやり始めたら皆がやり始める。

取り締まる方だって金欠だから賄賂を渡せば素知らぬ顔で見逃す、むしろ手を組ませろと加担する奴すら出て来る。

ついには工場を作って販売網を築く奴らすら出て来やがった。

頼むから王家や上層部は勝手に兵器を売買する貴族を取り締まってくれ。

勝手に飛行船をあちこちの領主に売っ払って金を稼いで軍事バランスを滅茶苦茶にするとか悪徳武器商人その物だろうが。

俺の所は公爵家から飛行船と鎧とエアバイクを安く払い下げてもらったけど、アンジェが『後で問題にならぬように手続きを済ませよう』って言ったからめっちゃ面倒臭い手続きをしたんだぞ。

正直者が損をするような世の中は間違ってるだろうが。

 

「王国船と公国船の最高速にそれほど違いはありませんね。この範囲内いるのはほぼ確実だと思います」

「ならさっさと出発しよう!俺達の船は最新式だから速いぜ!」

「最大船速で飛行し続ければ日付が変わる前には追いつける」

「……いや、ここはバルトファルト家(うち)の飛行船を使う」

 

血気盛んなグレッグとクリスとブラッドとは逆の意見を口にした。

三人の顔は納得できないと思っているのがありありと分かる。

確かに飛行船の性能は殿下達が一番だろう、でも最高の物が最良の結果を出すとは限らないんだよ。

 

「今回の作戦で最悪な結末は何だと思う?」

「そりゃ人質が殺される事だろ」

「あぁ。身代金の要求から殺される可能性は低くなったけどそれが最悪だ。じゃあ、その次は分かるか?」

「……」

「殿下とジルクなら分かるんじゃねぇか」

「おそらく人質の行方が分からぬまま賊を見失う事だろう、違うかね?」

 

当然のようにジルクが解答する、ムカつくがやっぱこいつは知恵が回る。

他の三人は脳みそまで筋肉みたいだがジルクの思考は政治的な視点が要素を考慮してる。

戦術で考える俺とは思考が違うのに結論は同じなのが気持ち悪い。

 

「淑女の森の背後には黒幕が存在します。ラーシェル神聖王国、ヴォルデノワ神聖魔法帝国、レパルト連合王国、旧フォンオース公国の残党、アルゼル共和国の過激派。ホルファート王国の混迷に乗じ国益を増やそうと画策する輩は数えきれません」

「待て、レパルト連合王国は母上の祖国だ。そのような真似をして同盟を破棄するかは疑問が残る」

「アルゼル共和国もそうだ。王国は支援金を出してるし、聖樹の巫女のノエル殿とオリヴィアは懇意だ」

「殿下、不敬を承知で具申しますが国の為には他国に嫁いだ姫などいざとなれば切り捨てられる駒に過ぎません。共和国とて同じ事です。ノエル殿は確かに聖樹の巫女ですが国家を主導する王ではないのです」

 

ジルクの言っている事は正論だ。

姫様一人の命と国民全員の将来を比べたら姫様を捨てるのが正しいし、国民を養う為に裏で汚い仕事をする器量が君主には必要だ。

そう考えたらユリウス殿下は王としての非情さが欠けてるのかもしれない。

だからって悪びれもせずにずけずけと具申するジルクを俺は好きになれそうにないけど。

 

「アンジェはホルファート王国の貴族で一番デカいレッドグレイブ家の娘です。今は俺に嫁いで子爵夫人ですが今も公爵家の庇護下にあると差し支えありません」

「彼女を使って取り引きを考える国が存在しても不思議じゃないな」

「もし他国に逃げられたらそれこそ外交問題です、下手をすりゃ王家と公爵家の争いを煽る結果になりかねません」

「だったら尚更急ぐべきだろ」

「問題は奴らがお前らを見てどう思うかだ。ディアドリーさん、バルトファルト領に殿下達が来ているのは知ってる様子でしたか?」

「いいえ、バルトファルト家の事は話していましたけど殿下達については全く」

「つまり奴らはバルトファルト領(ここ)にお前らが居るのをまだ知らない訳だ。いや、知らないから定期船を襲ったのかもしれない」

「僕達が居たら近寄って来ないと?」

「五英雄に正面から喧嘩を売るなんてのは命知らずか馬鹿のどっちかだ。しかもお前ら淑女の森をほぼ壊滅させたんだろ、俺が奴らなら息を潜めてやり過ごす」

「だからバルトファルト家の飛行船で行くのか」

「奴らが俺達を舐めてるのは間違いないはずだ。その増長を逆に利用して奴らを釣り上げる餌になる」

「なら僕達はバルトファルト家の飛行船に搭乗しよう」

 

作戦の大枠は出来た、これから皆の情報や意見や纏めて幾つもの作戦を考えなきゃいけない。

手招きで殿下の部下らしき騎士に来てもらう。

たぶん俺より年上で家柄の良さそうな出身に見えるけど遠慮してたら救える命も救えない。

 

「殿下の飛行船に搭載してる探査装置、うちの飛行船に移し替える事は可能ですか?」

「おそらく可能だと思われます、ただ接続には時間がかかるものかと」

「では今すぐ取り掛かっていただきたい。殿下、よろしいですか?」

「かまわん、急ぎ整備士に伝えよ」

「うちの奴らも使ってくれてかまいません、二時間で終わらせろって言っといてください」

「はっ!」

 

命令を受けた騎士が小走りで部屋を出て行く。

今から二時間で作業が終わったとしてもぶっつけ本番できちんと追跡できるかは完全に運だ。

それまでに少しでも情報を精査して思いつく作戦を片っ端から討論する。

 

「追いついたと仮定して、間違いなく奴らと戦闘になるな」

「確認できる奴らの情報は軍用飛行船が二隻、鎧が約十機、残党と空賊の人数は不明」

「鎧の総数に間違いはありませんか?」

「何せ飛行船の窓から見ただけでしたから正確とは言えませんわね」

「カタログで見る限り残党の方の搭載数は十機、無理に積んでも十五機は超えられない筈だ」

「空賊の方も搭載数はほぼ同じだ、報告書を信じるならな」

「それに空賊の戦力が他に存在する可能性も否定できん、別動隊や拠点があるかもしれない」

 

かもしれない、そう考えて不測の事態に備えるのは正しいけど恐れに囚われて相手を過大評価するのもマズい。

残党の所持してる鎧が十機居るのはほぼ確定、最大搭載数を考慮すれば十五機だ。

対して空賊の数は零から十五と幅広い。

最小で十機、最大で三十機。

しかも奴らに別動隊が居ないと仮定した希望的観測に過ぎない。

バルトファルト領が所有する鎧は総動員しても十機ほど、正面からやり合うには骨が折れる数だ。

つまり、どうあっても救出する為には五人の英雄様達の助けが必要になるって訳だ。

 

「戦争中に五人の中で一番撃墜数が多いのは誰だ?」

 

質問を投げかけると五人は顔を見合わせて考え込みながら話始めた。

こいつら五人だけでそこら辺の貴族が所有する一軍より強いと戦時中の報告書や新聞に書かれいたのを思い出す。

実際に何度かこいつらの戦いっぷりを直に見たけど、何処から本当で何処から嘘か鎧の操縦に関しては凡人の俺には判別が出来ない。

ようやく結論が出たのか一人が手を上げる、赤髪の大男グレッグ・フォウ・セバーグだ。

こいつの話はよく聞いている、とにかく敵陣に突っ込んで戦場を掻き回す猪突猛進野郎。

並みの防御じゃこいつの突撃を止められず、こいつを行く手を遮る奴は文字通り粉砕される。

 

『奴の鎧の紅色は染みついた敵兵の血』

『人の形をした突撃槍(ランス)

 

公国兵から紅蓮槍とか言われて恐れられてたグレッグ、外道騎士とかひどい異名の俺。

ちょっとカッコいい仇名なのがムカつく。

 

「グレッグ、独りで鎧二十機に勝てるか?」

「条件次第だ、一対一なら余裕で勝てる」

「戦場ならどうだ」

「敵の練度と武装によるとしか言えん」

「王国の騎士並みの練度、王国軍が採用している量産型の鎧、近接戦用と遠隔戦用の武器を装備した二十機が相手なら?」

「無理だな」

 

むしろ一対一の決闘方式なら二十機に勝てるのか。

俺は上手くいって五機やれるかだぞ。

他の四人も似たような感じだし、つくづく化物だなこいつら。

 

「俺が敵陣に突っ込む時は部隊の奴ら、或いはこいつらが左右と背後を固めてくれてる。俺の鎧は近接戦と直進方向への速度に特化させた。俺が単独で突っ込んだ後に距離を取って包囲し遠距離から物量で攻められたら一方的に削り殺される」

「やけに実感がこもってるな」

「何度かそうやって死にかけた、それ以来無謀な突破は控えてるぞ」

 

実体験かよ、しかもその状況で生き残ったのかお前。

どんな強運と操縦技術してたらそうなる?

俺だったら何も出来ずに嬲り殺しされてるわ。

 

「さっきの条件で勝つ為には何が必要だ?」

「後方からの支援、或いは背中を預けられる俺と同程度の操縦が出来る奴が最低一人は要る」

「それなら私が立候補しよう」

 

手を上げたのはジルクだ、こいつは遠距離戦を得意としている。

戦時中は遠距離からチマチマと実にいやらしい狙撃で撃墜数を上げている。

強力な遠距離兵器を装備させれば動く砲台として一方的に敵軍を蹂躙するから始末に負えない。

 

「ジルクか、まぁ連携を考えたらそれが一番だな」

「任せてくれ、私に撃墜数を抜かれないように気を付けたまえ」

「こいつ!」

「話を戻すぞ、今の想定はあくまでも飛行船を襲った奴らが所有してると思われる戦力の最低値だ。他に増援があると考えたらこの二倍以上あるかもしれない。お前ら、たった四人で四十機の大軍に勝てると思ってんのか?」

「「「「楽勝」」」」

「……そうか」

「ウイングシャーク空賊団の時もその位だったか?」

「いえ、飛行船の総数は五隻以上です。練度も中々の連中でした」

「空賊の頭領は賞金首でなかなかの手練れだったなぁ」

「大型の鎧を改造して装甲が厚く力も強い。学生の僕達には単独で討ち取るのが難しかった強敵だね」

「あの時はオリヴィアも一緒だった、懐かしい青春の思い出か」

 

もうヤだ。

何でたった鎧四機で戦力差十倍以上の敵に勝てると思ってんだよお前ら。

どうして学生時代に王国軍も手を焼いた空賊を退治してんだよお前ら。

こいつらが一緒だと俺の判断基準が狂う。

本気なのか冗談なのか判別できない、凡人の俺には到底扱いきれない。

 

「なら飛行船に搭載する鎧はお前達の四機だけに限定するぞ」

「ここの兵はどうするつもりだ?」

「突入救出戦に参加させる予定だ。鎧の数が少なければそれだけ救出戦に人員を割けるからな」

「大丈夫か?敵を殲滅するだけとは違って人質の命がかかってるから無茶は出来ない」

「俺を誰だと思ってる?十四歳で辺境の空賊退治に従事してた元王国軍人だぞ」

 

勉強、勉強。訓練、訓練。任務、任務。

軍に入隊してから何度も空賊退治に参加して上官に認められたし、フォンオース公国の戦争じゃあんまり鎧には乗らなかったけど歩兵戦には何度も参加して死にかけてる。

貴族や騎士らしい戦いは出来ないけど泥臭い戦闘はこいつらより俺の方が玄人だ。

まずはバルトファルト家に仕えてる騎士に状況説明してもらおう

 

「どれだけの兵が集まってる?」

「はっ!通常任務を行っている者を除きまして騎士四名、兵士二十八名です。加えて本作戦にはバルトファルト家の侍医にも参加していただく予定です」

「合計で三十二人、それにバルトファルト家の男を加えて三十六人だ。そのうちの十八人に俺と父さんと兄さんの二十一人。うちの軍が持ってるエアバイクは十台。バルトファルト家が所有してるのも併せて十二台だ」

「鎧じゃなくてエアバイクを使うのか?」

「あぁ、飛行船に乗り移るには鎧じゃなくてエアバイクの方が便利だ。何より鎧より重量が軽いから飛行船の負担が少なくて速度を出せる」

 

重量が増えるほど乗り物は速度が出なくなる。

鎧十機とエアバイク十二台ならエアバイクの重量は三分の一程度以下だ。

定期船を襲った連中が所持している飛行船が搭載している鎧が十機、重量の負担を考えれば速度はそれほど出ないはず。

奴らに追いつくにはこちらの重量は軽ければ軽いほど良い。

 

「クリスとブラッドは敵の鎧の数が少なかった場合はこっちに参加して欲しい」

「僕達が?」

「剣聖アークライト伯爵の御子息は白兵戦も得意と評判だぞ、出来ないか?」

「いや、出来るさ。だが私は救出作戦の経験がほぼ無いんだぞ」

「僕もそうだ。馴れない行動で足を引っ張りかねないよ」

「それで良い。お前らの役割は陽動と敵兵の撃破だ」

「囮って訳かい」

「あぁ、お前らが奴らの気を惹いてる隙にうちの連中が救出作戦を実行する。好きな様に暴れてくれ」

「悪くはないな」

「うちの部隊は二つに分ける。数が多い方は制圧班で戦闘を担当。場合によっちゃ簡単な指揮も頼んだ」

「了解した」

「数が少ない方は救出班で俺が直々に指揮する予定だ」

「待ちたまえ、まさか領主自ら戦うつもりかい?」

「嫁を攫われて落ち着いて作戦指揮できる程俺は冷静じゃねえ。今だって準備が出来たら真っ先に向かいたいんだ」

「……分かった、任されよう」

「ちょっと待て、ならお前らの飛行船の指揮は誰がやるんだ?」

「コリンに任せる予定だ」

「えぇ!?聞いてないよ!」

 

コリンが悲鳴を上げた。

まぁ、今まで父さんの側で軍備の手伝いとか兵の訓練に参加してたけど実戦は未経験だから仕方ないか。

でも今回はとにかく人手が足りない、コリンにも手伝ってもらわないと家族を救えないんで頑張ってもらおう。

 

「父さんか兄さんが指揮してよ!僕には無理だって!」

「俺達は救出作戦を指揮する、どうしても飛行船が手薄になる。指揮に適任なのはお前しか居ないんだ」

「そんなぁ……」

「正面から戦う必要は無い。敵の飛行船を足止めするだけでいい、逃げ回っても大丈夫だ。とにかく救出作戦を実行できる時間稼ぎをしてくれ」

「……分かった、分かったよ」

「グレッグ、ジルク。手が空いたらコリンの援護を頼んだ」

「了解した」

「安心しろ、ちゃんと護ってやるから」

 

こいつらが一緒なら死ぬ事は無いだろうな。

少しだけ安心してたら肩を何度も叩かれる。

振り返ると微笑んでるユリウス殿下の顔が目の前にあった。

 

「バルトファルト」

「なんですか殿下?」

「水臭いぞ、まだ一人だけ役目が無い者が居るだろう?」

「作戦の概要は纏まりつつありますが」

「俺の名前が一回も出てなかったぞ」

「殿下にはバルトファルト領で待機をお願いいたします」

「何故!?」

 

こっちはこっちでやる気満々だ。

いや、確かに頼りになる御人だけど王子としてそれはどうなんですか?

生憎だけど王子に命令するだけの実績も権限も俺には無いから大人しくしていてください。

 

「理由は二つあります。まず指示系統の一本化です。いくら何でも王子に命令して戦わせるとか無理ですから」

「俺は気にしないぞ!」

「殿下が良くても周りは納得しません、お願いだから自重してください」

「次はバルトファルト領の防衛の観点から。俺は誘拐の目的が本当に身代金か疑っています」

「別の目的があると?」

「あぁ、残党の船が一隻だったら俺も殿下を同行させる。だけど奴らが空賊と組んでるってのが気にかかるんだ。うちの家族を誘拐したのは俺を引き付ける罠じゃないかと疑ってる」

「なるほど、人質を餌にバルトファルト家の軍を領地から引き離す。手薄になった領地を狙い攻撃を仕掛ける訳か」

「そうだ、残党を殲滅するならうちの戦力の大部分を投入しなきゃ不可能だ。その間バルトファルト領を護る戦力は居ない。空賊の飛行船一隻と鎧十機で簡単に陥落する。略奪や虐殺が目的ならこの方が効率的だ」

「残党や空賊にそんな頭があると思えないぞ」

「この戦法は戦争中に俺がよく使ってた。相手の注意を逸らした隙に本陣や補給線を叩いて戦意を削ぐ。俺が公国の司令官を討てたのは逃げ出した上官を囮にしたからだ。ゾラ達が嫌がらせで誘拐したのなら俺と同じ戦法を使う可能性が高い。そうした方が最高に屈辱的だしな。まったくムカつく奴らだ」

 

或いは二隻とも囮で別動隊がいる可能性も捨てきれない。

いずれにせよバルトファルト領を護る為に誰かを残す必要がある。

それなら殿下を残すのが一番効率が良い。

きちんと考えた上で提案してます、決して面倒臭い奴らを扱いきれない訳じゃありません。

視線を戻すと皆が俺を見てる、しかも凄く嫌そうな目で。

 

「何だよ、一体?」

「いや、そういう事は人前で言わない方が良い」

「囮とか奇襲とかやり過ぎると嫌われるからな」

「君、だから外道騎士って言われるんだよ」

「お前、公国に負けてたら降伏も許されず処刑されてたんじゃ」

「バルトファルト、お前は敵に回したくない奴だが味方にするのも少し躊躇うぞ」

「うるせえ!俺はお前らと違って凡人だから卑怯な手でも使わなきゃ勝てねぇんだ!」

 

何かすごく失礼な事を言われた、泣きたい。

そんなこんなで作戦会議は続いていく。

思いつく限りの事態を想定し、意見を交換し合って準備を進める。

意見が出尽くした頃には飛行船の探査装置取り付けや鎧とエアバイクの搬入は完了していた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

隊舎の空き部屋に父さんと兄さんと共に入ると屋敷から持って来た鞄を開いて中身を床の上に置く。

軍服、靴、防護帽、銃、ナイフ、その他諸々を一つずつ確認。

銃を掴んで動作を確認、問題が無いのを確認してから銃嚢に収納する。

 

「でも良かったの?俺としちゃコリンより父さんか兄さんに船の指揮を任せたかったけど」

「ゾラが相手なら俺の手で決着をつける。奴を殺すのは俺だ」

 

父さんはいつになく殺る気満々だ、長年の鬱憤が相当溜まってたんだろうな。

愛用してる剣の刃毀れを確認しながら油を染み込ませた布で拭き上げる。

血のりで切れ味が鈍らない為の下準備に余念が無い。

こりゃ死んだなゾラ。

 

「そもそも切っ掛けはドロテアさんがローズブレイド家の飛行船で訪ねるのを止めさせた俺が原因だ。俺が行かなきゃ申し訳が立たない」

 

兄さんは箱から弾丸を丁寧に摘まんで弾倉に込め始める。

今回の作戦に魔弾は使わない。

人間が相手な上に救出作戦だから破壊力が高過ぎると人質や飛行船を破壊しかねない、何より値段高いからそんなに常備してないんだけど。

 

「ドロテアさんの事だけどさぁ、兄さんはどうするつもり?こんな大事になったら流石に隠し切れないぜ」

「……伯爵に頭を下げて婚約を解消してもらう」

「おいおいニックス、結論が早すぎるぞ」

「俺の方から出向いていればこんな騒動にならなかった、全部俺の責任だ」

「でもさ、ドロテアさんは心底兄さんに惚れてたよ」

「初恋で暴走しているだけさ、彼女なら俺よりもっと相応しい男が居るさ」

「俺はあのお嬢さんならお前の嫁に良いと思ってたんだぞ。リュースも同じだ」

「止してくれ、俺とは住む世界が違う」

「じゃあ、婚活を再開するんだ」

「その為に皆を助け出しに行くんだろ、気合い入れろお前達」

「おう」

「は~い」

 

貴族服を床に脱ぎ捨てて下着姿になる。

まず防弾着、その上に軍服を着込んでから更に保護具を装着して弾帯やらナイフ差しを装備。

これだけ装着すると子供一人ぐらいの重量になる。

公国との戦争が終わって半年以上、少し体が鈍ってるのか何処となく動きがぎこちない。

これから作戦前の号令なのにいまいち心身のバランスが取れてない。

二人は既に着替え終わっている、兄さんは俺と同じ格好で父さんは少し古い貴族の戦闘服姿だ。

 

「行くか」

 

銃を持って部屋を出る、灯りに照らされた夜の隊舎は不気味なほど静かだ。

さっきまで外から聞こえてた物音は小さくなっている。

皆の準備は既に整ってる、あとは出陣を待つだけだ。

冬の冷気と静寂が死の気配に感じて気が滅入ってきた。

これから俺達は誰かを殺す、或いは誰かに殺される。

どうして俺は殺し合いの場に巻き込まれるのか。

 

「あぁっ!いたいた!」

 

どこか気の抜けた声が聞こえて振り返ると母さんが駆け寄ってきた。

背中と胸に金色の小っちゃな物がへばりついてる。

 

「どうしたリュース」

「家で大人しく待ってろって言っただろ?」

「ライオネルちゃんとアリエルちゃんがずっと泣き止まないの。リオンとアンジェリカさんが居なくて淋しいのね」

 

母さんが屈むと小っちゃな手足を必死に動かして双子が俺に駆け寄って来た。

しゃがんで双子を抱きしめるとぷにぷにした柔らかい感触が手袋越しに伝わってくる。

慌てて手袋手袋を外し双子の頭を撫でる、しばらくすると安心したのか二人の嗚咽が小さくなった。

 

「ちちうえ」

「ん~?どうした」

「いっちゃや」

「ごめんな、パパはどうしても行かなきゃいけないんだ」

 

また泣きそうな双子の顔を拭ってジッと目を見る。

あんまり良い父親とは言えない俺だけど、それでもこれだけは伝えておかないと。

 

「必ずママを連れて帰って来る、だからおうちで待ってろ」

 

俺の覚悟が伝わったくれたか、双子は涙を止めてくれた。

立ち上がって兄さんと父さんに頷き返す。

後ろ髪を引かれるけど振り返っちゃいけない、振り返って足を止めるな。

一歩、また一歩と足を前に出す度に覚悟を決めた。

 

隊舎の外に出ると真冬の寒さで体が震えた。

既に同行する兵達は準備を済ませて整列して俺の号令を今か今かと待ち受けてる。

兵達の傍らには五人の男とディアドリーさんが立っていた。

武骨な軍服と華美な戦闘服があまりに不釣り合いで苦笑してしまう。

皆の視線が一斉に俺に向けられる

さぁ、これから戦争の時間だ。

 

「諸君!まず集まってくれた事に感謝する!これから俺達は王国を脅かす叛臣と不埒な空賊共を一掃する任務を行う!」

 

言葉を吐く度に白い息が漏れて肺に冷たい空気が流れ込む。

ここからどれだけ兵達の士気を上げるか、そしてどれだけ自分を狂わせられるかで作戦の合否が決まる。

 

「賊の首謀者はゾラ・フィア・バルトファルト!いや、既にバルトファルトではないな!かつて父上の正妻だった女だ!」

 

自分達が戦う相手を知って兵達どよめく一方で前からバルトファルト家に仕えてくれてる騎士達は納得がいった表情を浮かべた。

 

「かつて不敵にもゾラとそのガキ共はこの地を自分達に譲れと主張した!『自分達こそこの地を治めるに相応しい』と烏滸がましい主張だ!」

 

その言葉を聞いて兵達は顔を顰めた。

さぁ、ここからだ。

こいつらの腹の奥にある怒りの火に言葉の油を注ぐ。

 

「この領地を開拓してきたのは誰だ?」

「「「「「「我々です!」」」」」」

「この領地を侵略や略奪から護って来たのは誰だ!?」

「「「「「「我々ですッ!!」」」」」」

「そうだッ!俺達だ!!俺達がこの土地を作って来たんだッ!!」

 

バルトファルト領の兵は任務が無い時は開拓作業に従事して半兵半農に近い。

その分バルトファルト領に対する愛着は他の領地より高いからそこを煽り続ける。

 

「なのに王都で呑気に茶を啜ってたババアとガキは俺達を奴隷、いや動物だと思っていやがる!これをお前らは許せるか!?」

「「「「「「否ッ!」」」」」」

「声が小さいッ!!」

「「「「「「否ァッ!!」」」」」」

 

兵達の瞳に戦意が籠り始めた。

怒れ、もっと怒れ。

腹の奥に埋もれてる不平不満を戦意に変えて奴らに向けろ。

 

「挙句に王国に叛逆して貴族じゃなくなったあいつらは今日の昼頃に飛行船を襲った。その場に居た俺の嫁と姉妹、そしてローズブレイド家の令嬢を攫いやがった」

 

被害報告を聞いて驚きの声が上がる。

アンジェは俺の付き添いでよく訓練に顔を出してたし、姉貴とフィンリーが出かける時は護衛として兵が付き添う事も多かった。

身近な女性が被害に遭ったという痛ましさで兵達の正義感を刺激する。

 

「お前らがローズブレイド家の連中を嫌いなのはよ~く知ってる、正直俺もあんまり好きじゃない。気取って、格好つけて、身嗜みにうるさいからな」

 

煽り続けてもかえって逆効果になるから適度に力を抜けさせる。

怒りの反動でちょっとした冗談で皆が顔が弛んだ。

あ、ディアドリーさんがめっちゃ俺を睨んでる。

ごめんなさい、許してください。

 

「だけどローズブレイド家の護衛は彼女達を護ろうとした。その結果三人が死んで一人が重傷だ。たとえ嫌いな奴でも主君や人々を護ろうとした行動は立派だ。その行いを笑えるほど俺達は人でなしか?その死に哀悼の意を示せないほど恩知らずか?」

 

芝居がかった身振りで黙祷を行う。

この場に居る全員が続いて黙祷し辺りが静寂に包まれた。

 

「彼らの勇気に報いる方法は何だ?みっともなく慌てふためく事か?」

「「「「「「否ッ!」」」」」」

「怯えて言われるがまま身代金を払う事か!?」

「「「「「「否ッッ!!」」」」」」

「奪い返す!!奴らから人質をッ!!叩きつけろ!!俺達の怒りをッッ!!」

「「「「「「応ッッ!!!!」」」」」」

 

いいぞ、皆ノってきた。

さらに煽って士気を最高潮に持っていくぞ。

兵を騙せ、家族を騙せ、自分を騙せ。

俺は戦士、俺は英雄、俺は外道騎士。

頭に燈った熱を戦意に変えろ。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「今回の任務に関して加勢していただく方々を紹介する!!」

 

腕を掲げて五人の方向へ向けると全員が向き直った。

ここで一気に畳みかけるぞ。

 

「ブラッド・フォウ・フィールド殿!ジルク・フィア・マーモリア殿!クリス・フィア・アークライト殿!グレッグ・フォウ・セバーグ殿!」

「「「「「「オおぉぉッ!?」」」」」」

「そしてユリウス・ラファ・ホルファート殿下にあらせられる!!」

「「「「「「ウオオォォぉぉッッ!!?!?」」」」」」

 

兵達の興奮が最高潮だ。

そりゃそうだ、こんな辺境のド田舎に国を救った五英雄が揃い踏みとか何の冗談かって俺でも思う。

広く知れ渡った高名を使わない手は無いだろう。

 

「喜べお前らッ!!末代までの語り草だ!!みんな死ぬほど羨ましがるぞ!!」

 

兵の全員が爛々と輝いた瞳で俺を見つめて来た。

いいね、戦意満々だなお前ら。

これなら数の不利をある程度は補えるだろう。

 

「総員ッ!!配置につけェェ!!」

「「「「「「はッ!!」」」」」」

 

号令と共に兵が散開して我先に飛行船に乗り込む。

俺の方は大声出しまくって喉が痛いし煽りに夢中だったんで汗が止まらない。

戦う前から疲労困憊になりそう、少し休憩したい。

俺が力を抜いてる間に四人と父さんはさっさと船に乗り込んだ。

この場にいるのはユリウス殿下とディアドリーさん、そして母さんに双子だけだ。

 

「行くぞリオン」

 

兄さんに促されて飛行船に乗り込もうとすると突然横から黒い影が割り込んで来る。

視線を上げるとディアドリーさんが俺達を見つめてた。

 

「なかなかの名演説でしたわバルトファルト子爵」

「はぁ……」

「何だったかしら?『気取って』、『格好つけて』、『身嗜みにうるさい』?」

「あ~~、その、すいませんでした」

 

やっぱ言い過ぎたか。

士気を高める為にはあの位は許されると思ったけど見過ごせないよね。

我ながらひどい事言ったもんだ。

 

「リオン、さっさと謝れ」

「ごめんなさい、反省してます、許してください」

「いいですわ、許してさしあげます」

「はぁ」

「貴方は当家の者達の死を悼んでくれた。その敵討ちまで決意してくれた殿方を責める気にはなりません」

「ありがとうございます」

 

何とか助かったらしい。

流石に名門ローズブレイド家に睨まれるような事は避けたかった。

ドロテアさんを救い出してもバルトファルト家とローズブレイド家の関係がどうなるかは未知数で予想できない。

 

「手筈通りに緊急の伝令をローズブレイド領に向かわせていただきました。今頃向こうは大騒ぎでしょう」

「感謝します」

「お父様が到着したらバルトファルト領の防衛を殿下から引き継げば宜しいのね?」

「はい、俺達が夜明けまでに戻って来なければ殿下が出陣する予定になってます」

「くれぐれも気を付けて」

「ありがとうございます」

 

もしも俺達が負けた場合、ユリウス殿下が飛行船を率いて俺達を追う手筈になっている。

出来るなら死にたくないしアンジェ達も無事に助けたいが戦場は何が起こるか分からない。

それでも考えられる事を出来るだけやるのが神ならざる人の務めだ。

 

「もし……」

「ん?」

「もしもお姉様、或いはアンジェリカに何事かあれば私がバルトファルト家に嫁ぎます」

「縁起でもない事を言わないでください」

「いいからお聞きなさい。貴族同士の婚姻は契約です、本人の意思に関係なく進められます。もしアンジェリカが傷付けられればレッドグレイブ公爵の不興を買いかねませんわ」

「そうですね、確かにそうだ」

「この領地は公爵家の援助によって成り立ってます。打ち切られたら困るのはバルトファルト家だけでなく領民も巻き込まれます」

「その肩代わりをローズブレイド家がすると?」

「受けた恩を忘れたら伯爵家の名に傷が付きますし、何より私は貴方を気に入っていますのよ」

 

にこにこと笑うディアドリーさんは中々、いや凄く美人だ。

正直アンジェと結婚せずにこんな事を言われたらグラっと来たかもしれない。

 

「ありがたい御言葉ですが辞退します、俺の嫁はアンジェだけですから」

「……本気で彼女を愛しているのね」

「はい、それに一度やりたかった事がありまして」

「何かしら?」

「お姫様のピンチを救う騎士になりたかったんですよ」

「あきれた。さっさとお行きなさい、皆が待っていますわよ」

 

兄さんはとっくに居なくなっていた。

残るのは俺一人、皆が今か今かと待ち構えてる。

 

「バルトファルト子爵」

「なんでしょうか」

「ご武運を」

「行ってきます」

 

俺が乗りこむと鈍い音を立てながら飛行船の扉が閉まる。

今行くぞアンジェ。

必ずお前を救い出すからな。

決意を胸に艦橋へ向かう、窓から見えるバルトファルト領は少しずつ小さくなっていった。




タイトルはLed Zeppelinの名曲『移民の歌』より。
歌詞の物騒さと今作リオンの蛮族っぷりがリンクしたので命名。
原作リオンの演説を読み込んで自分なりに再現しようと試みましたが中々に難しい。
どちらかと言えばHELLSINGの少佐みたいな演説になってしまいました。(汗
敵への煽りはもう少し後の予定です。
ディアドリーとリオンの絡みが多いのは原作書籍でハーレム入りしそうだった影響です。
おかしい、原作書籍最終巻発売までに完結する予定だったのに出来そうにない。(汗汗

追記:依頼主様のご依頼でReiN様と茂木康信様にアンジェのイラストを描いていただきました。ありがとうございます。
ReiN様 https://www.pixiv.net/artworks/114993732(成人向け注意
茂木康信様 https://www.pixiv.net/artworks/115034188

さらに追記:依頼主様のリクエストによってふぇnao様に今章の挿絵イラストを描いていただきました、ありがとうございます。

ふぇnao様https://www.pixiv.net/artworks/116017975

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第53章 腐敗

押し込められた船室の内部は廊下とは違う匂いで充満している。

香辛料、酒、干し肉、乾燥ビスケット、にんにく等々。

床に放置かれた空箱の底は潰れた芋が数個だけ入っている。

この船室はどうやら食糧庫らしい、当面の間は飢え死にする事は無さそうだ。

大きさが同じ木箱を何とか並べ、かび臭い布を被せて簡易ベッドを作りジェナを寝かせる。

室内は食料の保存の為なのか空調が肌寒く窓すら無い為に外を窺う事も出来ない。

軽く見回すも水道や化粧室らしき場所は備え付けられていない、当たり前か。

閉められた金属製の扉の取っ手を握り手前に引くが殆ど動かず金属がぶつかり合う音だけが響き渡る。

古臭い格子付きの扉を破壊するのは女の手では難しい。

室内にあるのは食料のみで刃物はもちろん掃除道具すら置かれておらず、空の空き瓶、干し肉の欠片、野菜の皮等がそのままにされている。

ジェナの容態が心配だ、顔からの出血は止まっているが感覚器官が集中している頭部への攻撃は後遺症が残る可能性がある。

 

ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 

忙しなく扉を数回叩くと扉が開き男が顔を覘かせた。

 

「義姉の治療をしたい、水を貰えないか?」

 

男は舌打ちをして扉を閉めた、どれだけの水を持って来るかは分からないが人質を無下に放置する事は無さそうだ。

フィンリーに関してはドロテアが傍らで世話をしているからとりあえず任せよう。

改めて室内を物色して何か役に立ちそうな物がないか探してみる。

度数が高い酒が入った無造作に置かれていた、この度数なら消毒に使える。

再び扉が開くと男が水の張った盥を床に置いて去って行く。

監禁はしても監視し続けるつもりは無いらしい。

付け入る隙がある事実に安心するがまずは治療が先だ。

まず度数が高い酒を空き瓶に移した後に水を注ぎ軽く振り続ける。

酒と水の比率は四対一、目分量で簡易な作り方だがこれで消毒液になる。

ハンカチを取り出して水に濡らしゆっくり丁寧にジェナの顔を拭く。

 

「ひっ……」

「すまない、痛むか?」

「……大丈夫」

 

呻くジェナに謝りながら何度もハンカチを洗って顔を拭き続ける。

どうやら出血は鼻と口からで顔に傷はほとんど無い、ただ腫れがひどいので骨が折れていないか心配だ。

一通り拭き終わったら先ほど作った消毒液を別のハンカチにつけ顔を拭く。

 

「スースーするわね」

「幸いにして出血の割に顔に傷はほぼ無い、頭は大丈夫か」

「えぇ、少しクラクラしたけど大分良くなったわ」

「後はしばらく冷やしておこう、腫れが残ったら不味いからな」

「メルセの糞女、もし顔に傷が残ったら嫁に行けなくなるじゃない」

 

こんな時にも婚期を気にするジェナに呆れつつ逞しい生命力に安堵する。

一方のフィンリーも剣の鞘で叩かれた箇所は青痣になってはいたが骨は折れてなさそうだ。

痛みを堪える義姉妹と何処か気もそぞろなドロテアを見ながら先ほど見つけた乾燥ビスケットを差し出す。

外の様子を窺えない船室ではどれだけ時間が経過したか分からない。

ただ何か起きた時の為に体力は温存しなくてはいけない。

ボソボソとした食感のビスケットは頬張るとたちまち口の中の水分を吸収する。

先程見つけた酒の中で度数が比較的低い安ワインを飲んで潤す。

妊娠中に大量の酒を摂取するのは胎児に悪影響だが背に腹は代えられない。

皆が黙々と食べ物を頬張る、特にジェナは口中が切れているのか口を動かす度に唸っていた。

漸く人心地がついて安堵の溜め息が漏れる、昼に襲われてからずっと生と死の境を行き来した心労は想像以上に心身負担になっていたらしい。

 

「それで、あいつらは何者なんだ?」

 

情報収集と眠気を誤魔化す意味合いでフィンリーに尋ねる、負傷したジェナは長時間喋らせるのは負担になるだろう。

 

「父さんの元妻よ。私達とは血が繋がっていないし、メルセとルトアートも父さんの子じゃないけど」

「あれが義父上が語っていた女か、詳しくは知らなかったがあんな母子だとはな」

 

バルトファルト家の事情についてはリオンや義父上から聞き及んでいたがまさかあんな者達だとは思わなかった。

確かに娘と息子の顔は整っているが苛立ちや驕慢といった性根の歪みが如実に滲み出て醜悪さが増している。

ゾラに至っては痩せた体を誤魔化すように過剰なまでに服の装飾や部屋の内装にまで拘っていた。

自らの振る舞いが他者からどのように思われているかも察せられず、空賊達に行動を誘導されている自覚すら無い。

何故あのような輩が空賊達に命令できる立場にいるのか疑問が残る。

 

「ファンオース公国の戦の前に逃亡して貴族籍を剥奪されたとは聞いていた。消息も全く聞いてないから既に亡くなったか国外に居ると判断したのだが随分と羽振りが良いようだ」

「私達だってとっくに死んだと思ってたわ。まさかこんな大それた事をやらかす度胸があるなんて思わなかったわ」

 

だとしたら奴らの目的は何だ?

既に先の戦争から五年、ファンオース公国がホルファート王国に併合されて半年以上が経っている。

それほどの期間を潜伏し続けバルトファルト家を狙っていた?

いや、その可能性は低いだろう。

ルトアートという男は私の顔はもとより素性さえ知らなかった。

公爵令嬢の私が成り上がり者のリオンに嫁いだという情報は社交界で知る人ぞ知る噂だ。

父上は私とリオンの婚姻に関して情報を規制する真似はしてない、だからと言って払拭した訳でもない。

醜聞の揉み消しや情報操作は高位貴族の御家芸ではあるがこの件に関して公爵家は気味が悪いほど何もしていない。

そんな情報すら知らない者が眈々とバルトファルト家を狙い続けるだろうか?

リオンと義兄上が従軍した頃のように防備が薄い期間はこの数年間に幾度もあった。

数年前の情報すら入手せず、襲う機会を逃し続けた者達が今になって行動し始める理由が想像もつかない。

分かるのは奴らはバルトファルト家を敵視し、私達を人質にして何かを企てている事だけだ。

 

「駄目だ、疲れたせいか頭が回らん」

「どうにかして居場所を教えられないかしら?」

「無理よ、だってこの飛行船ずっと飛び続けてるじゃない」

 

何の指標も無くこの空から飛行船一隻を見つけるのは極めて困難だ。

地上のように何かを置く事も匂いを辿る事も出来ない。

雲は刻一刻と姿形を変えて移動し、あらゆる痕跡は風によって吹き飛ばされる。

身代金を要求するならバルトファルト領からそう遠くない場所に留まり続けるだろうが、私がレッドグレイブ家の娘と知り逃亡を図る可能性は捨てきれない。

そうなればリオンが私達を追跡するのは極めて難しくなってしまう。

 

「問題ないわ、ニックス様がすぐに私の居場所を突き止めてくださるから」

「義兄上を信じるのは結構だがそう簡単に事は進まないだろう」

「あら、私が何の秘策も無いまま捕まったと思っているの?」

 

ドロテアはそう告げると服のボタンを外し豊かな胸元から何かを取り出す。

派手な装飾こそ無いが精巧な細工が施されたペンダントが私達の前に置かれた。

ドロテアがペンダントの裏面を何やら操作するとペンダントの一部が明滅を始める。

 

「専門の職人と技師に特注で作らせた発信機付きペンダントよ。ニックス様に同じ物を差し上げたわ」

「……私達に同行したのはそれがあったからか」

「お優しいニックス様は妻に妹達を見捨てるような女を選ばないわ。あの方の為に最善の方法を取ったまでよ」

 

確かに義兄上もリオンと同じように家族に対して愛情深い性格だ。

或いはそれがバルトファルト家の男性特有の気質なのかもしれない。

そんな義兄上なら婚約者が妹達を見捨てたと知れば婚約を解消しても何らおかしくはないだろう。

逆を考えれば義兄上との関係にとって有利になる、即ち己の利にならぬならドロテアは私達を放置したかもしれない。

この場に於いては頼もしいが同時に厄介な女でもある。

 

「発信を検知できる範囲は?」

「おおよそ王国の領空の半分程度ね。信号は専用の特殊周波数だからここの連中には感知不可能よ。あとはニックス様達の到着まで時間をどれだけ稼げるが問題」

「こんなのあるならさっさと言って欲しかった!」

「バレたら元も子も無いわ。奪われて破壊されたら追跡できなくなるし」

「こっそり私達に渡せなかったの?」

「私達姉妹だけ助かったらニックス様に嫌われるじゃない!」

 

ドロテアは声を荒げつつ自らの体を抱くように腕を絡ませ身悶え始めた。

その脳内でどのような妄想が繰り広げられているのかは不明だ。

ただ頬を染め上気した表情のまま体をくねらせるドロテアという存在は傍から見ても凄絶なものだ。

 

「私とニックス様はどれだけ離れても決して切れない愛の絆で結ばれてるの!」

「どう考えても技術だろうに」

「風より疾く!太陽よりも情熱的に!ニックス様は私を助けようと馳せ参じる姿が目に浮かぶわ!」

「お兄ちゃんはそんなタイプじゃないと思う……」

「あぁ、いけませんわニックス様!?そんなはしたない真似はお止めください!」

「どんな想像してんの…?」

「でも、ニックス様がお求めになるのでしたら…。婚姻前は清らかなままで迎えたいと思っていましたが…」

「そこまでにしておけ、妄想でも身内のそんな姿は想像したくない」

 

なまじ外見が惚れ惚れするような美女なせいでその異常さが逆に際立つ。

怜悧冷徹な計算と苛烈なまでの情愛が入り混じっている残念な女だ。

 

「しばらくは体を交代で体を休めよう、他の者は室内に何か役に立ちそうな物が無いか探してみてくれ」

「わかったわ」

「悪いけど先に休ませて、まだ殴られた所が痛むから」

「じゃあアンジェリカさんとお姉ちゃんが先ね」

 

室内にある布を毛布代わりに体に巻き付けて壁に背を預ける。

振動に揺られていると心身の疲れと飲んだ酒の酔いが全身に回って急速に眠気に襲われる。

発信機があるからといって楽観は出来ない。

どれだけリオン達が急いで向かって来ても人質という絶対的に不利な条件を抱えては真正面からの戦いは厳しい物となる筈だ。

せめて何か手助けになる物を見つけなければ。

思考は続けたまま、されど五感が急速に遠ざかる。

気を失うようにいつしか私は深い眠りに落ちて行った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

どれくらい眠ったのかは定かではない。

目を覚ますとフィンリーとドロテアが休息に入った、ジェナは手伝うと言っていたが顔の腫れが引いていないのでそのまま休ませる。

室内を見渡した後に隅々まで確認する。

壁は金属製で人の手で破壊できるような物ではない、天井には空調の為か幾つかの配管が剥き出しのまま放置されている。

大きな空箱を二つほど積み重ねて何とか配管に触れる、こちらも女の細腕で壊せる代物ではない。

ただ数ヵ所に蓋があったので触ってみるとその部分だけは少し動く。

ゆっくりと動かし続けると最初は抵抗があったが徐々に緩くなり外れてくれた、埃まみれの蓋に触れた両手は真っ黒に汚れている。

首を動かして内部を観察するがこの太さでは成人女性が通り抜けられるのは不可能だろう。

配管を調べるのはいったん中止して次は置かれている箱を一つずつ物色していく。

大半は食料であり乾物、缶詰、瓶に入った液体が殆どだ。

ただ調理用の油を発見できたのは収穫だ、上手く使えば何らかの反撃に使えるかもしれない。

大方調べ終えた後に軽く手を洗う、黒ずんだ手を見られて怪しまれたら一大事だ。

ふと、リオンが授けてくれた御守りが目に入った。

安産祈願の御守りに厄除けの願いを託すのは些か筋違いという物か。

 

トン トン トン

 

扉を外から叩く音が聞こえ慌てて動かした物を元の位置に戻す。

ジェナに促されフィンリーとドロテアが目を覚まし室内に緊張が走る。

顔を覘かせたのは空賊が二人と元騎士と共にいた一人だ。

 

「そこの女二人、出ろ」

 

空賊が私とドロテアを指名して外へ出るように促す、ジェナとフィンリーも続いて出ようとするが制止された。

 

「お前ら姉妹はここで待ってろ、坊ちゃんが呼んだのはこの二人だ」

「坊ちゃんってルトアート?」

「そうだ」

「二人が危ないじゃない!」

「黙れ!大人しくしていろ!」

 

二人の抗議が荒くれ者達の罵声に掻き消される。

抵抗を続ける二人を優しく見つめ続けると渋々ながら引き下がってくれた。

これからどうなるか分からない、ルトアートという男は見た限り傲慢でありつつ小心な男。

そうした輩は追い詰められると途方もない馬鹿げた行動を突発的に行う傾向にあるから注意が必要だ。

賊達に促され船内を歩んでいくと囚われた直後に案内された部屋とは別の扉の前に案内される。

扉が開くと先程の部屋とは打って変わり簡素な内装が目に付く狭い室内だった。

中央に置かれた悪趣味な椅子にルトアートが鎮座している。

その前に粗末なテーブルと椅子が二脚置かれていたので首も垂れず座る、ドロテアも私と同じようにマナーを省略して座った。

ルトアートは舌打ちしたがそもそも相手は賊だ、私達が礼儀を払う必要など何処にも無かった。

部屋に居た男が茶を淹れてくるが賊が差し出した物を口に含むほど私達は愚かな女ではない。

その態度が気に食わないのだろう、ルトアートは眉間に皺を寄せ血走る眼で私達を睨んだ。

 

「名前は?」

 

名を尋ねられたが敢えて無視する、ドロテアも同様だ。

そもそも私は襲われた時に自ら名乗っている、それを憶えないのは其方の不手際だ。

 

「名前を聞いている!答えろッ!」

「……アンジェリカ・フォウ・バルトファルト。旧名はアンジェリカ・ラファ・レッドグレイブ」

「ドロテア・フォウ・ローズブレイド」

 

嫌々答える態度を崩そうともしないドロテア、この女は身内と義兄上以外の者に対して基本的に辛辣だ。

私も相当傲慢な女だと自覚してはいるがこれ程ではない。

だが相手を怒らせ会話の主導権を握るのは商談や取引に於いて基本的な技だ

この男、そしてゾラが何を企んでいるのか。

私達をどうするつもりなのか正しく把握しなければならない。

 

「公爵家の令嬢が平民の血を引く汚らわしいあいつに嫁ぐとはな。リオンにどんなを脅しをされた?」

「何も脅されていない。父上が持ち込んだ縁談だが彼に嫁ぐと決めたのは私自身の意思だ」

「馬鹿を言え、公爵令嬢が平民に嫁ぐなんておかしな話があるか。裏で取り引きがあったに決まっている」

「それは貴族の婚姻全般に言える事だ、珍しくもない」

 

確かに父上は私をリオンに嫁がせる事で派閥の結束と強化を画策している。

もし公爵家が王家に弓を引くなら援軍としての協力をバルトファルト家に求めるのはほぼ確実だ。

争いが起きない為に私とリオンが奔走しているのだが、そんな裏事情をルトアートが知る筈はあるまい。

 

「あいつは卑しく臆病な猿だ、そんなリオンが貴族だと?王家や貴族達はいったい何を考えてる」

「十代半ばという若さで戦場を駆け回り敵将を討ち取って軍を撤退させた。その功績を正しく評価され爵位と領地を拝領しただけだ」

「汚らわしい平民の血を引いているんだぞ!?あんな奴が領主になるなど貴族の品格を落とす行為だ!」

「領地と領民を見捨てて逃げ出す卑怯者の数万倍は貴族に相応しい」

 

私の発言が突き刺さったのだろう、ルトアートが形相を一変させ殺意に満ちた視線を放つ。

だが私には一向に効果が無い、嘗て婚約期間中に心に傷を負っていたリオンが私を襲った事がある。

あの時の私は己の死を覚悟した、それと比較すれば目の前のルトアートにどれだけ睨まれようが震えさえ起きない。

寧ろ軽い挑発の言葉で動揺するルトアートの方が器量の小ささを態度で示した。

妻としての欲目もあるが人間としてあらゆる面でリオンにルトアートは敵わない。

 

「ニックスもそうだ、あいつは私が継ぐはずだった物を掠め取った簒奪者だ。そんな男が貴族に相応しいと思うか?あの地を治めるのにもっと相応しい者がいるはずなんだ」

「そして相応しい者が己だと主張したいのか?」

「分かっているじゃないか」

「そこまでにしておきなさい下郎」

 

ルトアートが義兄上を貶める言葉を呟いた次の瞬間にドロテアが横から口を挟む。

その瞳は静かに怒りを湛えている、ルトアートが放つ殺気よりよほど恐ろしさを感じる。

 

「ニックス様を辱める者は誰であろうと手加減しないわ。主君だろうと、宰相だろうと、親であろうと平民であろうと。必ず見つけ出し切り刻んで鳥の餌にしてあげる」

 

ドロテアの言葉に嘘偽りは一片も混じっていない。

実行する力と覚悟を持つ者のみが放てる本当の殺気、例え今まで人を殺めた事が無くとも確実に始末されると思わせる冷酷さが存在した。

その殺気に気圧されたのだろう、ルトアートと空賊達は体を少しだけ後ろに仰け反らせる。

 

「話は終わりか、ならば元の部屋に戻りたい。ジェナの傷の具合が気掛かりなのでな」

「待てッ!話はまだある!」

 

席を立とうとする私達をルトアートが制止する、まだ何かあるのか。

なりふり構わず私達に何を求めるのか。

あの母と姉から解放されたいのならまず私達を逃がす所から始めるべきだ。

空賊の戦力がどの程度かは分からないがバルトファルト家とローズブレイド家が連携すれば勝ち目は十分にある。

或いは父上と兄上に助力を求めれば公爵家は快く力を貸す。

人質となった私達の安否を考慮しなければ決して恐ろしい相手ではない。

だがルトアートの要求は私達の想像を遥かに超える物だった。

 

「私を貴族に戻る為に協力しろ。卑劣な簒奪者共から私の名誉と地位を奪い返し、王国貴族の威信を取り戻すのだ」

「……何を言っているか全く意味が分からんな」

「行きましょう、馬鹿に付き合う暇は無いわ」

「王国に必要なのはニックスとリオンのような卑しい平民の血を引いた奴らではない。貴き血を受け継いだ者達こそ次代の王国を担うべき存在なのだ」

「自分こそ王国の未来を担う存在だと?」

「そもそも平民が聖女など神に対する冒涜でしかない。真に優秀な者こそ国の政治を担うべきなのにどいつもこいつも惑わされている」

「話にならないわ、聖女の地位なんて単なるお飾りよ。単に最も優秀な者がその地位に就いただけに過ぎないわ」

「目を覚ませ!どうして奴らに媚び諂う!?あいつらは貴族の地位と財産を狙う極悪人共だ!」

 

誇大妄想も此処までくれば不快を通り越して滑稽になるとは。

私は自分が優秀だという自負は在れど、仮に私が聖女の地位に就けたとしてもファンオース公国の侵略からホルファート王国を護る事は不可能だ。

平民でありながら聖女となったオリヴィア、平民同然の出生に屈さず子爵となったリオン。

今の王国は家柄や血筋ではなく本人の能力によって評価される変革期を迎えてつつある。

どんなに先祖が優秀であろうと受け継いだ爵位と財産を護りきれない者に貴族たる資格は無い。

そんな現実を受け入れられない愚物に限って優れた者の足を引っ張り王国の復興を妨げている存在だ。

 

「バルトファルト家の家督だって本来は私の物だった。連中が卑劣にも私の受け継ぐ物を奪った。お前達だって本当は私の妻になる筈だったのにリオンとニックスが奪った」

「因果が逆転している。貴様達が公国との戦争に加わらず逃走したから義兄上がバルトファルト家の家督を継いだ。リオンは王国軍に所属して戦功を挙げた恩賞として子爵に叙された。そもそもお前は義父上の血を引いていない赤の他人。簒奪者はお前だ」

「あいつらの物は私の物だ!それを奪い取った卑劣な連中をどうして庇う!?」

「庇ってなどいない。貴様らは従軍拒否、敵前逃亡、血統詐欺。どれも国への忠誠と貴族の正当性を蔑ろにしたお前達の方が貴族に相応しくないと分からんか」

 

私とドロテアの体を舐め回すような視線で見つめ、情欲を隠そうともしないルトアートがひたすら不快だ。

馬鹿馬鹿しい、どうして私がお前の妻にならなければいけない。

確かに私とリオンが婚約した切っ掛けは公爵家の都合であり、私自身もその腹積もりでいた。

だがリオンとの婚約に同意したのは私の選択、リオンを愛したのは私自身の意思だ。

例え貴様がバルトファルト家の家督を継いだとしても惚れる可能性など毛程も存在しない。

 

「あのような状況で戦うなど野蛮人がする事だ!私の他にも多くの貴族が逃げ出した!」

「護るべき領地も民衆も見捨ててな。そんな奴らに傅く必要など何処にもない。自国を護ろうとすらしない者に人を導く資格は無い」

「奴は学園に入学さえ出来なかった!そんな男が領地の運営など出来る訳ないだろう!」

「リオンが学園に通えなかったのは経済的な事情とお前の母に宮廷貴族の女と婚姻を命じられたからだ。彼の知性に欠陥は無い。むしろ同年代の貴族令息に比べ賢い」

「公爵家の後ろ盾があるから失敗しても誤魔化せるだけだ!あいつは運が良いだけに過ぎない!」

「幸運なだけで五年に渡り未開拓の浮島を維持できようか。彼は常に悩み自ら学び続け陣頭に立って戦い続けた。隣で見ていた私がそれを一番理解している」

「貴族は先祖から受け継いだ地位と資産を護るのが務めだ!わざわざ辺境の地に住むなど無能の証明だ!」

「不労所得が貴族の美徳など過去の幻想だ。今の王国に必要としているのは身を粉にして働く勤勉な者達で血筋と財産に胡坐をかいた者ではない」

「私ならもっと上手くやれる!本当に優秀なのはどちらか!分かるはずだ!」

「確かに分かりきってるな、貴様はリオンの足元にすら及ばない」

 

ルトアートと会話し続けるどうしようもなく苛立ちが募る。

もしゾラが義父上と結婚しなかったら。

もしメルセとルトアートがリオン達の異母姉兄に扱われなかったら。

もし宮廷貴族の女との婚姻を強制されなかったら。

きっとバルトファルト家は穏やかな日々を送れた筈だ。

リオンは貴族の非嫡出子として扱われなかった、学園に通う事も出来て優秀だと認められたかもしれない。

何より軍に所属せずに傷を負って悪夢に魘され憔悴せずとも済んだ筈だ。

貴様らのせいでリオンは長年苦しい立場にいた。

貴様らが居たからリオンはその優秀さを人々から認められなかった。

貴様らが真っ当ならリオンは戦場で傷つかずに済んだ。

 

こいつらは敵だ

リオンの バルトファルト家の そして、私の敵だ

 

腹の底から湧き上がる怒りを殺意に変え怯む事無く目の前のルトアートを睨む。

私の気勢に怖気づいたルトアートは私から目を逸らした。

 

「な、ならニックスはどうだ!?あいつは凡庸で才能など無い!私の方が秀でている!」

「はぁ?死にたいの貴方」

 

どうやら今度はドロテアの触れてはならない部分に触れたようだ。

それまで冷静にこの状況を見据えていたドロテアの目が吊り上がる。

 

「ニックス様は貴方と違い逃げなかったわ。先の戦争ではお義父様と共に旧バルトファルト領を護り続けたわ。敵わぬと尻尾を巻いて逃げ出した似非貴族の腰抜けとは器が違うのよ」

「私が腰抜けだと!?」

「腰抜け以外の何物なのよ。バルトファルト家の皆様と共に開拓に従事し続けたわ。此度の戦争もバルトファルト子爵と共に戦い抜いて正式に家督を継ぐのが決定済みよ。王都で茶を啜るだけの阿呆と一緒にしないで」

 

簡潔に要点のみを纏めてルトアートを罵るドロテア。

愛する男を侮辱した者を縊り殺したいのは私も同じだ。

あぁ、今この時に銃を一丁この手に握り締めていたなら。

こんな不快な事だけを呟く輩の口を永遠に閉ざせるのに。

 

「自分の所業を見つめ直せ。お前には貴族たる資格も才覚も存在しない。ただ先祖が打ち立てた栄光に縋り付いているだけの能無しだ」

「…………………だまれ」

 

ルトアートの目に狂気が宿る、怒りで我を忘れたか。

私はその程度で屈しはしない。

私はアンジェリカ・フォウ・バルトファルト。

リオン・フォウ・バルトファルト子爵の妻だ。

 

「黙れぇぇェェェェッ!!」

 

ルトアートの振り上げた拳が迫る。

とっさに避けようと思ったが思い直し腹を庇う。

次に瞬間、右の頬に衝撃を感じよろめいて数歩退いた。

 

「どいつも!こいつも!母上も!姉上も!皆が私を認めない!」

 

部屋に居た空賊達が目を血走らせ追撃を試みるルトアートから必死に私を庇うという異常事態だ。

空賊の二人が腕と胴にしがみ付き、残る一人は周囲の者に声をかけ続けた。

たちまち何事かと数人の男が集まって室内の様子を窺い始め、正気を失ったルトアートを取り抑える。

口から涎を垂らしながら私に襲いかかろうとするルトアートは既に正気を失っていた。

 

「離せェ!殺してやるッ!」

「止めろ馬鹿!自分が何をしているのか分かってんのか!?」

「あの雌犬!貴族の私を侮辱しやがった!」

「人質を殺したら金も計画も台無しだろうが!少しは考えろ糞貴族!」

「おい!女共を連れ出せ!坊ちゃんを落ち着かせろ!」

 

数人の空賊が私達の周りを囲んでルトアートから隠すように部屋を追い出す。

ルトアートは扉が閉まる直前まで私とドロテアに対する下劣な呪詛の言葉を吐き続けた。

溜め息を吐いて頬を撫でる、口元が切れたのか少し血が滲んでいた。

衝撃の割に傷は深くない、リオンや義兄上と比べ鍛錬が足りないのだろう。

そのおかげでお腹の子が助かったのは皮肉だ。

あの男は駄目だ、もはや性格の矯正すら効かないほどに歪みきった価値観に毒されている。

嘗てのホルファート王国はあのように考える者達の巣窟だった。

自らが優れた存在と疑わず、民を傷付けても何も感じず、堕落を是とした腐敗貴族。

身分制度と平穏が齎した国を蝕む血膿、だからこそ一刻も早く切除しなければならない。

ドロテアの通信がリオン達に届いている事を祈る。

この問題を解決する為には私も骨を折らなくてはならない。

今の私はレッドグレイブ公爵令嬢ではなくバルトファルト子爵夫人だ。

夫の為、子の為、家族の為、一族の為。

襲い来る災厄を取り除かねばならない。




今作の連載が始まってちょうど一周年となりました。
まさかこうして一年も書き続けている状況に驚いています。
そんな時にヒロインがひどい目にあってる章を書く私って一体…。(汗
三嶋与夢先生の作品には性根が腐りきった悪役が数多く登場しますがあれほど突き抜けたクズを書くのは実に難しい。
改めてクズキャラを描ききる原作者の力量に感服します。(褒め言葉です
次章はユリウスと敵キャラ視点です。

追記:依頼主様のご依頼によりm.a.o様とdonat様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。

m.a.o様 https://www.pixiv.net/artworks/115093517(成人向け注意
donat様 https://www.pixiv.net/artworks/115093980

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第54章 未練

薪ストーブから木が爆ぜる音のみが部屋に木霊する。

古めかしいソファーには自分以外に小さな隣人が二人寝息を立てている。

母親と別れてからずっと泣いていた疲れが出たんだろう。

する事も無くただ待つだけの時間が流れる速さはあまりに遅い。

 

「……ひゅん」

 

可愛らしい声が隣から聞こえた。

兄妹のどちらか分からないが寒さでくしゃみをしたと分かるまで数秒かかった。

ずれた毛布を肩までかけてやりストーブをソファーの近くまで移動させる。

これで少しは暖かくなるだろう。

 

四人とバルトファルト家の面々が出撃してから数時間、隊舎で彼らからの報告を待ち続けるのは退屈窮まる拷問だ。

この空港に停泊している王家専用の飛行船で待機しても誰も俺を咎めない筈だ。

しかし領主の妻が賊に誘拐され領主が直々に討伐に向かうという状況は非常事態と言っても差し支えなかった。

 

何よりバルトファルトが言ったように防御が手薄になったこの地を襲う者が存在する可能性は捨てきれない。

ディアドリー嬢がローズブレイド家に援軍を要請したが、伯爵がバルトファルト領に到着する頃には日付が変わ陽が昇っているだろう。

現状に於いて最高責任者である王子が気を抜いては下の者達に示しがつかない。

この任務に同行している気心知れた部下なら飛行船の自室で眠りこけても見て見ぬふりをするだろう。

 

だが、この場にいる兵の殆どはバルトファルト領の領民だ。

不躾な振る舞いはそのままホルファート王家に対する批判と不信に繋がってしまう。

かといって四六時中部下が付き纏っているのも鬱陶しい。

この部屋に居るのは俺と、現在のバルトファルト領で一番地位が高い男爵夫人が置いていった子爵の子供達だけだ。

やるべき事を済ませたディアドリー嬢はさっさとバルトファルト家が用意した宿に行ってしまった。

あの奔放さが少し羨ましい。

 

『王族とは不自由なものだな』

 

もう何千、何万回も繰り返した諦めと絶望の入り混じった言葉を頭の中で呟く。

思い返すと学園時代の俺は鳥籠で育った小鳥が風の寒さも肉食獣の恐ろしさも知らないまま空の広さに憧れるようなものだった。

王族として責務が厭わしく思え、冒険者として己の力のみで生き抜く者達に憧れた。

その日の糧を得る為に命を賭け金する人々の辛さ、横から報酬を掠め取ろうとする小悪党、傷を負い道端で物乞いをしながた飢えて死ぬ元冒険者。

危険も悪意も貧困も存在しない絵空事の優しい冒険譚の世界。

アンジェリカとの婚約が破棄された後に空賊退治や戦争に参加した。

 

王族として政務に携わって漸く目が覚めた。

いや、いろいろな視点から物事を見る事が少しずつ出来るよう目が肥えたんだろう。

オリヴィアを大事にしたいのなら俺が為すべきなのは彼女を護る事ではない。

能力のある者、正しき者が差別されず真っ当に認められる社会を作る事だった。

平民と貴族の間に存在する偏見の壁を取り除くのは並大抵ではない。

知らないからといって無礼な振る舞いを許しては単なる贔屓に終わってしまう。

オリヴィアが一人の人間として貴族に認められるような立ち振る舞いを教えなくてはいけなかった。

 

過去を振り返ればアンジェリカがオリヴィアに対し直接的に関わったのは俺に親しくした時のみだ。

それも俺とオリヴィアに苦言を呈したのみであり、嫌がらせなど積極的に行うような女ではなかった。

公爵家の力を使えば平民の特待生を普通クラスに移籍させる、或いは退学に追い込むなど訳もない事だ。

だが、アンジェリカはそんな事はしなかった。

理路整然と俺とオリヴィアの非を説いて慎むように諫言し続けただけ。

そうして訪れたあの日、俺達の関係は修復できないほどに壊れてしまった。

 

オリヴィアを迫害していた貴族達は俺達五人の婚約者が首謀者だったと後から調査で判明したが、その中にアンジェリカは含まれていなかった。

平民に対し差別意識が強い公爵家の取り巻きが暴走した結果であり、むしろアンジェリカはそうした輩を何度も止めていた。

長年の付き合いでアンジェリカは不正や身贔屓を嫌悪する性格だと知っていたはずなのに、俺は首謀者がアンジェリカではないと疑いもしなかった。

 

『下の者を抑えつけられないのならそれは上の者の責任だ』

 

そう思って在りもしない罪を何の非も無いアンジェリカを放逐した俺は愚か者の窮みだった。

下の者を統率できないのが罪なら婚約者の機嫌すら取れない俺達もまた同罪のはず。

理不尽に権力に振るい罪無き者を責めたてる俺達はオリヴィアを迫害していた貴族と何も違わない。

裏でフランプトン公爵が暗躍して俺とアンジェリカの仲違いを煽り、オリヴィアの後援者として権勢を振るいファンオース公国と内通していたと判明して国を護った英雄などと讃えられ調子に乗っていた俺達はようやく自分が仕出かした過ちに気づいた。

 

後悔した所で時間が戻る訳もなく赦しを乞う事も出来ないまま時は流れ続ける。

廃嫡こそ免れたが国益を損なった俺を持て余した王家が空賊退治やアルゼル共和国への派兵させたのも『いっそ死んでくれた方が良い』という下心があるのは分かっていた。

傷付いた国を癒す為に奔走するオリヴィアは確かに聖女に相応しい人柄で

俺は彼女に相応しい人間には思えなかった。

 

パチッ パチッ

 

大きく薪が爆ぜた音に意識が覚める。

ストーブの温かさについうとうとしていたようだ。

時計の針は大して進んではいなかった。

今この時に皆は戦っているかもしれないのに。

 

コンッ コンッ コンッ コンッ

 

「入れ」

「……失礼します」

 

許可を呟くと男爵夫人が恐る恐る入室して来る。

手に持ったトレンチには皿が一つ載せられていた。

 

「大した饗しも出来なくて申し訳ありません」

「気を使わなくてかまわない、楽にしてくれ」

「せめて何かにお腹に入れていただけたらと思いまして」

 

野菜を大量に煮込んだスープが湯気を立てていた。

確かにバルトファルト領に来てからろくに食事を取っていない。

空腹を自覚した途端に抑えきれない食欲が湧き上がってくる。

 

「毒見は部下の方達が済ませてくださいました。このような粗末な物は王家の方々の御口に合わないと思いますが」

「いや、ありがたくいただこう」

 

匙を手に取って最初の一口を啜る。

味付けはおそらく塩と少量の調味料だろう、野菜から染み出した出汁と肉の脂が溶け合い濃厚ではないが優しい口当たりだ。

毒見のせいか少しぬるくなってはいるがそれでも具材の良さがはっきりと分かる。

何より肌寒い夜に温かい食事は豪華な宮廷料理に勝る満足感を与えてくれる。

黙々と匙を動かし続け、気が付けば皿は空になっていた。

 

「美味かった、感謝する」

「畏れ多いお言葉です、ここで採れる食材作った簡単な料理でしたけどご満足いただけたようで」

 

男爵夫人は頭を下げて双子の側に寄ると優しく頭を撫でる。

思い返せば先王夫妻はもちろん父上と母上にさえこうして触れ合った記憶が俺には無い。

政務に明け暮れ息子を顧みない母親と面倒事を妻に押し付け気ままに生きる父親。

親からの愛情は確かに在った、それが俺の求めた物とは違う歪な形だっただけ。

それに気付かないまま俺の行動に口を出すアンジェリカの姿が母上と同じに見え、いつしか厭うようになってしまった。

 

「アンジェリカは……」

 

気が付けば声に出して尋ねていた。

 

「アンジェリカは此処で幸せに暮らしているか?」

 

何故尋ねたか、自分でも分からない。

 

「はい、アンジェリカさんはよく幸せそうに笑っています」

 

朗らかに答える男爵夫人はとても嘘をついているようには見えなかった。

笑うアンジェリカを最後に見たのはいつだろうか?

婚約したばかりの頃はよく笑っていた気がする。

次期王妃としての教育を受けるようになって、成長して学園に通い始め、オリヴィアとの関りが増えた頃にはいつも不機嫌な顔をしていた。

それも全ては俺が原因だ、アンジェリカの行動に瑕疵は無かった。

 

「初めて会った時はこんな素敵なお嬢さんとの縁談が来るなんて信じられませんでした。まさか公爵家のご令嬢とうちの息子が婚約なんて」

「バルトファルト子爵はそれだけの功績を成し遂げた、誇らしい息子ではないか」

「そりゃあ、お腹を痛めて産んだ子ですから偉くなるのはいいんです。でも親としてはずっとあの子が心配でした」

 

忙しなく孫達の毛布を掛け直しストーブに薪を追加する男爵夫人は貴族の奥方ではなく使用人のように感じる。

バルトファルトの母が平民であり、妾が産んだ非嫡出子として長年扱われたのは知る者なら予め知っている基本情報だ。

 

「人一倍聡いのに何処か遠慮しがちでした。私が平民の出だから学園にも通わせられなかったんです。無理やり縁談を薦められて私達に危害が来ないように家を出るような優しい息子で」

「彼の才能はそこらの貴族令息よりはるかに優秀だ。それこそアンジェリカを誘拐した輩共よりも」

「戦争から帰って来た時は心と体にひどい傷を負っていました。苦しむあの子は私達に遠慮して独りで死ぬ気になっていて。夫と二人で泣き続けた夜もあります」

 

バルトファルトに比べたら俺の苦悩など甘ったれの戯言だろうな。

自分が恵まれている事を知らない愚か者だから平民の暮らしを自由な物と勘違いしていた。

己が生きるのに必死か、国の為に命を捧げられるか。

命の重さや使い方に身分など関係ないのかもしれない。

 

「アンジェリカさんが付きっきりで介護してくれたおかげでリオンは立ち直れたんです。今じゃこうして孫を抱ける日が来るなんて。若い頃は想像もしてません」

「苦労は無いのか?」

「こんな辺境ですから失敗も苦労も山ほどあります。でも終わってみれば案外良い思い出になってくれてますから」

「アンジェリカも大変だな」

「領主の妻としては満点です。農家の嫁としては目も当てられません」

 

当たり前だ。

オリヴィアなら経験はあるだろうが俺達五人が生きていくなら貴族か冒険者の二択しかない。

王妃になるべく教育されたアンジェリカも同じはず。

公爵家と比較にならない小さな辺境の浮島で戦争で成り上がった荒くれ者と結婚するなど本来は世の総てを怨んでも仕方ない境遇だ。

しかし再会したアンジェリカは王家を怨む事も自分の境遇を嘆く事もしていなかった。

彼女はとっくに自らの力で幸せを掴んでいた。

そこに俺の入り込む余地はもう無い。

 

隣で毛布に包まって眠る子供を見る、特に女の子の方は幼い頃のアンジェリカの面影が強い。

俺とアンジェリカが婚約破棄したからバルトファルトは立ち直れた。

この地でバルトファルトとアンジェリカが結ばれたからこの双子がこの世に生まれた。

皮肉な巡り合わせ、或いは天の采配だろうか?

結局はアンジェリカを幸せに出来るのはバルトファルトで俺ではなかった。

もし婚約が続いたとしても父上と母上以上に冷めた夫婦となっていたと確信できる。

アンジェリカにとやかく言う資格を俺は持っていない。

謝罪した所で自分の罪悪感を誤魔化す行為にしかならないし、アンジェリカも望まないだろう。

 

「彼らは大丈夫だろうか?」

 

延々と思考を続ける状況に耐えられずゆっくり言葉を吐き出す。

今はただ誘拐された者達と救出に向かった者達の無事を祈るしか出来ない。

 

「大丈夫だと思います。殿下がお連れになった皆様は強いと評判ですし、うちの男衆は簡単に死にません」

「信頼しているのか」

「昔から何度も危険な目に会ってきました。でも夫は傷を負っても絶対に帰ってきたんです。息子達も同じでした」

「この地の者は逞しいのだな」

 

少しだけ、いやかなり緊張が解れてくれた。

男爵夫人は礼をした後に孫達を抱えて退室し、部屋に静寂が再び訪れる。

先の事などまるで分からない。

最善と思った行動が混乱を招き、愚かと嘲った行為が命を育む。

ままならない世界では人が出来る事などたかが知れている、英雄と謳われる者ですらそうだ。

今はただ、皆の無事を祈るしか出来ない。

窓から見える冬の夜空に瞬く星々に願いが託しながら、いつしか俺の意識は遠のいた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

男は王国のとある貴族の三男として生を受けた。

王国の貴族は長男が嫡子、次男は予備、三男以下は余程の幸運に恵まれない限りは己が力で身を立てるしか生きる術がない。

物心がついた頃から明確な兄達との待遇差を自覚してから男の人生は憤懣に染められていた。

確かに貴族の家に生まれた男子は何をせずとも騎士にはなれる、だが一代限りの身分だ。

先に産まれたというだけで自分と大した差が無い兄達を主君として媚び諂う人生を送らねばならない。

実家は婚約者を用意してくれるが、貴族の令嬢ではなく平民出身の商人の次女だ。

どうして貴い血を受け継ぐ己が平民を妻とせねばならないのか。

 

不満の発露は他者への攻撃という形になり、婚約者や使用人に対する罵倒や暴力になった。

王国の学園に通う頃には似たような考えの者達とつるみ普通クラスに所属する者に対する蔑視と迫害に発展する。

婚約者の扱いを実家や相手の家に咎められ、学園を卒業した後は実家ではなく学園で得たコネを使い自分と同じ考えを持つ貴族の家に仕官した。

騎士とは良い身分だ、その時々に主君の命令として適度に平民を痛めつけ税として金やら物やらを奪い取る。

役得として咎められない程度に上前を撥ね欲を満たし続けた。

腐った世の中だ、これぐらいは許される。

そう言い続けた男は騎士ではなく賊と大差ない存在に成り果てていた。

 

 

転機になったのは王国と公国の戦争だった。

それまで国境でちまちま小競り合いを繰り返していた両国が本格的な戦争を開始した。

男の主君は売国奴だった。

落ち目の王家を見捨てさっさと公国と裏で繋がり戦争後の安全を担保してもらう密約がなされていた。

戦闘で死ぬ気も国も護る忠誠心も無い男は目の前を通り過ぎる敵軍をわざと見過ごした。

主君の命であったし、勝ち目の無い戦などしたくもない。

戦の後に貰えるであろう恩賞は何かと呑気に考えていた。

 

 

だが、そうはならなかった。

王国を護る為に立ち上がった聖女と五人の英雄によって公国の主は討ち取られた。

指揮系統を乱した公国は撤退を余儀なくされ、拍子抜けするほど呆気なく戦争は終わりを迎えた。

訪れたのは粛清の嵐。

王家は裏切者を許さなかった。

主君の一族は弁明すら許されず、病を患った老人から頑是ない幼児に至るまで処罰された。

男も処罰の対象にされたが主命だったと考慮され騎士の身分と財産を没収されたが命だけは拾えた。

寄る辺の無い男は生家を訪ねたが既に関り無い輩として追い払われた。

婚約者からは今までの扱いを理由に婚約の解消と慰謝料を請求された。

 

金すら無い男の行きつく先は冒険者だが巷にはそんな輩が幾らでも居る。

競争は激しさを増し、その日の稼ぎを得る事さえままならない。

自棄になり街中で酒をあおっていた時にかつての婚約者を街中で見つけた。

新しい交際相手と楽しげに語らう平民の女、薄汚くみすぼらしい姿に落ちぶれた元騎士の自分。

猛烈な殺意が生まれ、こっそり元婚約者を尾行しその住処を探る。

その夜、家に押し入り手にした剣で幾度も斬りつけ命を奪った。

事が済んだ後に金品を奪い屋敷へ火を放つ。

男は賊となった。

 

 

一線を越えてしまえば罪悪感も良識も意味を為さない。

金が欲しければ商家を襲い、腹が減れば農家を蔵を壊し、女を抱きたくなったら村を焼き女を攫う。

自由気ままな空賊暮らし、主家や法律や身分に縛られず欲望の赴くまま生きる。

世界は己を中心に回っているとすら男は思っていた。

 

そうではなかった。

戦後の混迷と粛清の対象者の多さによって男の悪行は無数にある悲劇の一つとして埋もれているだけ。

事態を重く見た王国の重鎮は賊の討伐に英雄達を駆り出した。

学生の時分に空賊の大船団を討ち取った者達である、瞬く間に空賊共は討伐されていく。

男は悪辣ではあるが身の危険を感じないほど愚かではない。

悪党の己が生き抜く為には何者かの庇護を受ける必要を熟知していた。

嘗ての主君の伝手を辿りある組織に所属する。

 

 

数多くの貴族が粛清されたとしても、その全てが裁かれた訳ではない。

不満を抱えた非主流派の貴族、悪行が露わとなり地位を剥奪された元貴族、平民を虐げる事に愉悦を憶える元騎士。

組織は肥大化し未だ王国を蝕んでいた。

 

男は不満だった。

またしても気に食わない貴族に仕えなくてはならない事態に歯噛みした。

組織の貴族は人格や素行に問題がある者達ばかり、そんな輩共の走狗として働かねば討たれてしまう。

蓄積された鬱憤は自分より弱き者を虐げて晴らす。

男は自分が軽蔑している貴族と同じ存在だと気付いていなかった。

 

 

組織が肥大化すればあらゆる部分で人と接触する機会が増える。

必然的に情報が漏洩する可能性は高まった。

ただでさえ己の無能を覆い隠す為に弱者を虐げるのが常態化した集団である。

英雄達によって組織は次第に弱体化し始めた。

息を潜め悪行を積み重ねながら生きる男の姿もまた弱者であった。

 

後戻りできる時はとうの昔に過ぎ去っている。

いつ己の死が訪れるか分からず酒量だけが増える日々。

転機は素性の知れぬ何者かが組織に接触してから。

甘い言葉を囁く見るからに胡散臭い相手は金の詰まった袋を手渡しながら言った。

 

『王国を乱しましょう』

 

真意は分からない、だが言われた通りにするしかない。

己の不明を見直さず裁いた相手を逆恨みするような連中である。

与えられた資金を元手に王国の者の手が及ばない裏から嫌がらせを続ける。

事態の収拾に奔走する英雄達を嘲笑った。

愚者共は終末が近づいている事に気付きもしない。

 

 

再び公国が王国へ攻め入った。

唆した相手は公国の差し金だったのか、それは分からないままだ。

だが愚者共は王国の崩壊に期待した。

日の目を見ない自分達が漸く報われる時が来たと快哉を上げる。

その愚かさ故に気付かない、王国が崩壊したら自分達も終りという事実に。

 

男は公国が進攻する光景をほくそ笑みながら見続ける。

これでやっと元通りだ、王国が亡びさえすれば己は罪人ではなくなると。

迫り来る公国に再び英雄が立ち上がる。

馬鹿め、もうお終いだ、奇跡は二度起きない。

男は気付かない、前の時も己はそう思っていたという事実に。

 

 

奇跡は二度起きた。

聖女の力によって王国は再び救われた。

王国の人々は感謝する、かの聖女こそ神の御使いと讃えた。

男達は恐怖する、あの平民の女には神の加護があると信じた。

貴族だった者達は前にも増して苛烈な処罰を受けて消え去った。

もはや聖女に立ち向かうのは不可能、そんな気概がある者は居ない。

生き残るには何かしなくては、だが何をすれば良い?

再び姿を現した怪しげな輩が提案する。

 

『王家と公爵家の対立を煽りましょう』

 

確かに王家と公爵家の関係はこの数年間悪化している。

上手く立ち回り公爵家が王位を簒奪すれば協力者として生き残れるかもしれない。

とにかく死にたくなかった、公爵の真意はもちろん接触しないまま王家との対立を煽る。

 

そんな愚者の行動を見過ごすほど王家は甘くは無い。

英雄達によって組織は壊滅させられた。

たまたま生き残った男は仲間と共に逃走した。

自分が絵物語で勇者に討伐される盗賊だと漸く己の姿を直視した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「くそっ……!」

 

口にした悪態は飛行船の駆動音によって掻き消され怒りは誰に知られる事も無い。

尤も耳にした者が存在したとしても状況は変わらなかっただろう。

焦っていた。

刻一刻と迫りつつある死の予感に。

世の中には決して手を出してはいけない相手が居る。

どれだけ個人として優れていようが世界には己より優れた者が幾らでも存在し、不眠不休で戦い続けられる猛者はおらず、権力者の気まぐれで被支配者層は容易く破滅し、民衆の迫害によって英雄は吊るされる。

王国の庇護を受けた英雄が自分を追い回す。

強大な影響力を持つ公爵家を敵に回した。

妻を奪われた狡猾な成り上がり者に狙われる。

 

どう考えても先行きは暗い、そして事実に気付いている者はあまりに少ない。

いや、気付いてはいるが敢えて目を逸らしているだけか。

元はと言えばあんな愚か者共を組織の編成で上に据えたのがマズかった。

そもそも貴族籍を奪われたあいつらは既に貴族ではない。

如何に先祖が優れていようが今の奴らは単なる穀潰しでしかない。

組織の名目で一時的に指導者に据えただけ。

だが場の空気を読めない奴らは勘違いを起こし、こんな馬鹿げた事態に陥った。

助かる為には一刻も早く行動しなくてはならない。

すぐにでももう一隻の飛行船に居る手下に連絡をしなくては。

 

しかし、この飛行船を操縦しているのは空賊共だ。

数で劣る今の状況で下手に行動しては逆に縊り殺されるのは此方になる。

慎重に行動しなくては。

何かが当たった感触に足を止める、下を見ると中身が少し残った酒瓶が転がっていた。

猛烈に湧き上がった怒りのまま瓶を蹴り飛ばす。

壁にぶつかり割れた瓶からこぼれたワインは血を思わせる不吉な赤色だった。

 

『そもそもの失敗はあの母子達を一団に加えたのが間違いだった!』

 

誰かに聞こえないように心の中で吐き捨てる。

王都にあった淑女の森の本部が五英雄の主導で一斉に検挙されたのが一ヶ月近く前。

自分が逮捕されなかったのは本部から離れた場所に居た偶然に過ぎない。

王都の空港はほぼ捜査の手が回っていたので裏社会の組織に預けてあった飛行船に部下達と共に乗り込んで逃走した。

もし数時間遅かったなら捕まっていたはずだ。

各地に存在したアジトも次々に摘発され辛くも逃れた同志を集め地下に潜伏した。

だが人が集まればその分の諍いも増えていく、逮捕された者の多くは組織の幹部だった貴族であり実働部隊の騎士階級や構成員の平民は他の部署の者の顔と名すら知らない。

 

疑心暗鬼が積み重なり組織が崩壊する可能性を考えて一応の指導者が必要になった。

そこで辺境にある小さなアジトに居た元貴族の構成員に過ぎなかったゾラ達に目を付けた。

幹部にすら軽く扱われ小間使いしているあいつらなら上手く操れると思っていた。

 

まさか奴らこれ程までに愚劣で増長するとは予想できなかった。

あまりに無能だから本部から遠く離れたアジトに送られたのだと分かった所でもう遅い。

奴らは自分達が指導者になったと勘違いし始め欲望の赴くまま行動し始めた。

当然それを咎める者も出て来る、何しろ人数ならこちらの方が上だ。

元貴族とはいえ今の奴らは貴族籍どころか戸籍すら抹消されている身分の身元不明人に過ぎない。

 

それを理解したのか今度は組織と繋がりのある空賊を独断で仲間に引き入れる。

臆病な奴ほど味方を引き連れて群れを作る、空賊を盾に俺達に対抗しようとしてる魂胆は見え見えだ。

確かに人手は欲しかったが、空賊共は頭が悪く品性すらない獣同然の存在だった。

いたずらに物資を消費し欲しい物があれば無計画に町を襲い略奪を行う。

捜査の手が届かぬように身を潜めている我々にとって邪魔な存在でしかない。

日に日に対立は深まり一触即発の雰囲気となる中で追い詰められたゾラ達は苦し紛れにある計画を俺達へこっそり持ちかけた。

 

計画はバルトファルト領の乗っ取りだった。

なんと巷で評判のバルトファルト子爵の父とゾラはかつて夫婦関係だったらしい。

バルトファルト領を継ぐ予定だったルトアートならかの地を継承できると奴らは主張する。

近隣の船を空賊に襲わせバルトファルト子爵の統治能力に疑問を持たせる。

その後に空賊を切り捨てルトアートが討伐する事で貴族への復帰、及びにバルトファルト領の引継ぎを行う。

粗が多い作戦なのは分かっていた、だがそんな物に縋らなければならないほど俺達は追い込まれていた。

その初襲撃でまさかバルトファルト家の者が襲った飛行船に乗っているとは!

ルトアートと空賊共が計画を無視して身代金の要求するような途方もない馬鹿とは!

このままではマズい、バルトファルト家は間違いなく追っ手を差し向けるに決まっている。

場合によってはローズブレイド家とレッドグレイブ家が加わるだろう。

もはや国外に逃走する以外に生き延びるしかない。

 

いや、ゾラ達を差し出すのはどうだ?

人質を確保してゾラと空賊共を討伐すればまだ命の保障はされるかもしれない。

そうだ、ここまで追い込まれたのはそもそも奴らが原因だ。

汚らしい命で失敗を贖ってもらおうではないか。

その為にはまず艦橋へ向かい定期連絡と称して我々の飛行船にいる仲間に連絡を取らねば。

人数こそ空賊が多いが練度なら我々が上だ、勝機は十分にある。

腰に差した剣を感触を確かめる。

集団を引き連れてはバレる可能性が高い、さり気なく振る舞わねば。

足早に艦橋へ向かうと操縦員が何やら揉めていた。

 

「どうした」

「接近してくる飛行船がある、かなりの速さで真っ直ぐこっちに向かってる」

「商船、或いは警備船では」

「こんな夜明け前に?警備船なら先に警告とかするだろ」

 

あからさまに馬鹿にした口調で言われたが剣を握ろうとする手を何とか抑える。

計器を見ると確かに普通の飛行船とは思えない速度だ。

嫌な予感がする、死の気配を背中に感じる。

このままでは数百秒で接触してしまう、どうにかして逃げなくては。

 

――――――ッ!

 

―こ―――ん――ぐ―――し――く――ろ!

 

雑音に混じり人の声が聞こえて来る、男の声。

 

『リオン・フォウ・バルトファルト子爵だ。そこの不審船二隻に告ぐ、大人しく減速しろ』

 

相手側の通信が死刑宣告に聞こえた。




ユリウス視点+元騎士視点の話になります。
元騎士は今作マリエのように巡り合わせが悪かったのではなく堕ちるべくして堕ちた腐敗貴族の一人です。
モブ視点から見たオリヴィアや五馬鹿はある意味それまでの王国に於ける社会制度を崩壊させかねないイレギュラー+敵に回したら恐ろしい存在です。
社会の変革期には大量の血が流れますというお話。

モブせか原作小説の最終巻発売日が決まったので、余裕があれば何か短編を書くかもしれません。(曖昧な発言
一般向けか成人向けも決まっていませんが。

ちょうど今日はコミック版マリエルートの更新日、マリエのほっぺたムニムニしたい。

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第55章 Noblesse Oblige

「反応が強くなった?」

「はい」

 

部下の通信士からの報告は嬉しい反面、これから起こる戦いを否応なしに予感させて胃が痛くなる。

俺を英雄呼ばわりする奴らはどんな時もどんな状況でも俺が落ちついて行動してると思ってるけどそんな訳ない。

俺は戦争は嫌いだ、政争も嫌いだ。

俺のささやかな望みはオッパイの大きいアンジェとイチャイチャしつつ一緒に子供達を育てながらのんびり送る隠居生活なの。

だけどいつも面倒事に巻き込まれる、神様はよっぽど俺が嫌いらしい。

 

「このまま速度を維持すれば一時間ほどで追いつけるかと」

「……今日の日の出は?」

「あと二時間ほどになります」

「じゃあ、日の出に合わせて追いつけるように速度を調整してくれ。休憩してる奴は叩き起こして準備するぞ。逆にまだ休憩してない奴は今から半時間だけ休憩させろ」

「はっ」

 

船内放送で飛行船のあちこちから人が動く音が鳴り響く。

夜闇に紛れて奇襲しても良いけど今回は救出戦の上に混成軍ときた。

連携を考えるなら視界良好な早朝の方が問題が少ない。

一旦個室に戻って装備を確認、出発する前にさんざん確認したのに不安を誤魔化す為に再確認する小心者の自分が嫌になる。

散弾銃、ライフル、ナイフの感触を確かめて手に馴染ませてると知らない間に細かく震えてた。

俺は死にたくないし誰かを殺したくない。

でも大切な家族を護る為には奴らを殺す覚悟が必要だ。

殺し殺されの繰り返し、何時になったら穏やかな余生を送れるんだか。

 

艦橋に戻ると既に皆が集まってた、軽口を叩いてた四人の顔からは弛んだ雰囲気が消えてる。

うちの連中も戦いの空気を嗅ぎ取ったらしくどことなく表情が硬い。

特に初陣と言っていいコリンは一目で緊張してると分かるくらいに青褪めてた。

 

「聞いた通りだ、あと一時間ちょいで奴らと接触する。場所はだいたいこの辺りになりそうだな」

 

地図で指差したおおよその場所は周囲には浮島が無いし、事件発生の時間から逆算して奴らに増援は無さそうだ。

でもこれは俺個人の見解だから違うかもしれない、実戦じゃ思いも寄らない事態が起きるなんてよくある事だ。

ここから作戦の最終確認だ。

 

「奴らに増援があった、或いは奴らの鎧が三十機を超えるなら四人全員が鎧で対抗してもらう」

「わかった」

「これから少し速度を落とす、ジルクとグレッグは甲板の鎧の中で待機。いつでも出撃できるように今のうちに便所へ行っとけ」

「下品な物言いは止めてもらおうか」

「救出班は全員格納庫でエアバイクに騎乗したまま待機、クリスとブラッドは鎧とエアバイクのどっちに乗るか分からないから格納庫で待機してくれ」

「了解した」

「人質が船ごとに分けられてる可能性もある。敵船はなるべく撃沈させないように気を付けろ」

「承知した」

「あと、もし人質が殺されてた場合は……」

 

考えられる最悪のケース。

そうはなってないと思う、でも可能性は全くない訳じゃない。

この戦いは治安維持の意味合いもあるけどバルトファルト家の私闘という部分もデカい。

もしもそうなってたら自分を抑えられそうにない。

怒りに我を忘れて行動して無駄に兵を死なせるのは領主失格だ。

うちの兵はバルトファルト領の領民だ、妻子がいる連中だって多い。

俺の嫁が殺されたからってその復讐に巻き込んで死なせるのだけは絶対に回避しなきゃならない。

 

「大丈夫、きっと無事だ」

「……そうだな、そう祈ろう」

「船への攻撃は最小限で良いの?」

「可能なら首謀者は逮捕して背後関係を洗い出したい。あくまでも可能ならだが」

「救出の必要が無いと判明した時点でお前らの領分だ、俺らは人質の救出が目的なんでそっちは任せる」

「その場合は我々の指揮下に入ってもらうぞ」

「分かってる、ただ逃走を図ったり他の連中の命が危険になったら躊躇しないからな」

「それでいい」

「近付いたらもう一度放送が流れるからそれまで各自準備をしておけ。じゃあ解散」

 

そう告げるとそれぞれが自分の仕事に取り掛かり始めた。

俺はこのまま艦橋で待機、心の中の不安は誤魔化せないから仕事をしてる方が気が紛れる。

隣を見ると相変わらずコリンの顔が青い。

初陣で飛行船の指揮なら無理ないか。

俺の初陣だったファンオース公国との戦争じゃ兵の指揮どころか人間相手の戦闘すら未経験の野郎が貴族ってだけで部隊の運用を任されてた。

王国軍が公国軍に何度も追い詰められたのは公国が召喚するモンスターの援軍が主な原因だけど、未熟な貴族に部隊を任せた部分も大きい。

兵を率いた経験が一度も無い貴族がどうしてああも自信満々に軍略家気取りで部隊に指揮できるか理解できない。

戦場で危機感の無い馬鹿は他人を巻き込んで死ぬ。

それに比べたらおっかなびっくりで頑張るコリンは真っ当な感性をしてるから安心だ。

 

「大丈夫だ」

「兄さん?」

「戦闘の直前まで俺は艦橋で待機してる。コリンは取り合えず生き残る事だけ考えろ」

「それ、指揮官として情けないと思うよ」

「初陣の血気盛んな若い新兵が何も出来ずに目の前で死んでくのを俺は何回も見てきた。死んだら経験は積めないぞ」

「兄さんの初陣って何歳?」

「確か十五だったな、国土防衛の最前線で地べたを這い回ってた」

「参考にならないって」

 

何だよ、お兄ちゃんの助言を無碍にしやがって。

けど緊張は解れたみたいだ、青褪めてたコリンの頬に少し血の気が戻る。

これから綱渡りの話し合いだ、俺の舌でどれだけ情報を引き出せるか、それで助かる命の数が変わる。

あぁ、胃が痛い。

さっさと隠居してぇ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

空調の蓋を外し様々な物を流し込む。

その多くは煙草の吸殻、野菜の皮、床に落ちているゴミなど可燃物だ。

次いで布を細かく千切り料理油を染み込ませてまたひたすら流す。

飛行船にとって空調は搭乗者の命に係わる重要な設備だ。

地表より温度が低い空を高速で飛び回る、気圧や温度の管理を怠れば死に直結する。

一定の環境に保つ為の調節機器が配管を通し船内の隅々まで空気を送り込む。

さながら全身に血液を送り込む心臓のように。

故に配管へゴミを流し込んで詰まらせれば船内に異常が発生する。

上手くいけば修理の為に航行を止めるかもしれない。

最期に必要な物を作らなくては。

 

小さな空瓶に料理油を少量だけ注入する。

次に煙草の吸殻を芯にして布を巻いて栓を作れば簡易的な火炎瓶の完成だ。

すぐに燃え始めてはいけない、本来はある程度の時間が経過してから燃えるように調節する物だ。

今までこんな物を工作した経験が無いから随分と手間取る。

リオンは『物資が足りなくて手頃な火薬や爆弾が無い時はよく作った』と苦笑して教えてくれた。

何か冒険に使えそうな兵卒の知恵はないか?と尋ねてリオンに聞かせてもらった経験がこんな形で身を結ぶとは思いも寄らなかった。

 

下準備を済ませた後は室内の物を元の位置へ戻す。

火炎瓶は懐にしまい込むと手にした御守りを握り締めて軽く念じる。

徐々に掌へ熱が集まりゆっくりと開けば小さな火の塊が揺らめきながら浮いている。

 

「何それ?」

 

私以外の三人が少し驚きながら火の玉を見つめる。

手を閉じると火の玉は消え、もう一度開くと再び姿を現す。

 

「リオンと子供達に貰った御守りの加護だ、簡易的な焔を作れる」

「普通の火や魔法の炎と違うの?」

「どうやら物を燃焼させるが焔を作るのは熱でも魔力でも無いらしい。そのおかげでバレずに済んだのは幸いだった」

「そんな便利な代物を持ってるなら早く言いなさいよ」

「発信機を常備してるお前に言われたくはない」

「ねぇ、お姉ちゃん。うちに嫁ぐ女って変な人しかいないのかな?」

「フィンリー、考えたら負けよ。しがない男爵令嬢は公爵家や伯爵家の女に文句は言えないわ」

 

ひどい言い草だがこの場は無視する。

この作戦が成功するとは私達の誰も思ってはいない。

冒険者としてのダンジョン探索の教育やモンスター退治の鍛錬は受けても殺人の訓練や破壊工作の学習などこの場の全員が皆無だ。

ホルファート王国の価値観では冒険者は崇高な存在であり、兵士は他に生計を立てる道が無い者がなる物だと長年に渡って価値観が築かれてきた。

どれだけ努力しても騎士にはなれない平民、先祖の功績だけで何の努力も無しに騎士になれる貴族。

 

その結果が個としては優れていても群としての統率で劣りファンオース公国の侵攻により亡国寸前まで追い詰められたホルファート王国の実態だ。

最近は身分制度の緩和などで優れた者なら成り上がる機会も増えた、リオンも領兵の育成に余念が無い。

こんな事なら時折リオンが混ざる訓練に私も混じるべきだった。

もし生きてバルトファルト領に戻れたならリオンに相談してみよう。

 

ヴイィィィィ ヴイィィィィ ヴイィィィィ ヴイィィィィ

 

鼓膜を揺さぶる轟音が室内に、いや船内に響き渡る。

早くもバレたか?

私達全員の顔に緊張が走る。

いくら人質だとしても飛行船の破壊工作をしてたならただでは済ませないだろう。

緊張した面持ちで扉に耳を当てると『敵』や『戦闘』といった単語が微かに聞こえた。

 

「どうやらリオン達が来たらしいな」

 

その言葉で一気に場の空気が弛むが安心はまだ早い。

懐の火炎瓶の口に焔を点すと物が焦げる匂いが室内に漂う。

何もしない方がリオン達の手助けになるかもしれない、その逆も然り。

意を決して配管にそっと火炎瓶を置いた。

上手くいけばしばらくして火が瓶の中の油に引火して配管の中を炎が焼き始める。

消火活動に気を取られればリオン達の援護になってくれる筈だ。

空調の蓋を嵌め直した直後に扉が大きく叩かれる。

かなりギリギリだったが何とか仕掛けは終わった。

ここから先はどうなるか見当がつかない。

 

「出ろ」

 

数人の男達が私達を取り囲む、全員の顔が険しく何か焦っていた。

 

「何かあったか?」

「飛行船が一隻近付いている、追手かもしれん」

 

短い言葉だが状況の確認は済んだ。

後はリオンがどんな策を講じるかにかかってる。

 

『頼むぞ、リオン』

 

この期に及んでリオンを信頼しきっている己が何処か愉快だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「リオン・フォウ・バルトファルト子爵だ。そこの不審船二隻に告ぐ、大人しく減速しろ」

 

まず通信で相手の反応を窺う、音声だけでも得られる敵の情報は貴重だ。

指揮系統、人質の安否、士気の高さ、交渉の余地。

それが分かるだけでも作戦が大分楽になる。

 

「発信機の反応は?」

「旧公国軍の飛行船の方から反応があります。ただ発信機と人質が別々の可能性は捨てきれません」

「そこは賭けだな」

 

こっちの攻撃で相手の飛行船を沈めて人質は全滅なんて笑い話にもならない。

どうにかしてアンジェ達の居場所を探り出さないとマズいな。

俺の思考を遮るように通信用の画面が点滅した。

 

「相手よりの返信です」

「繋げ」

「了解しました」

 

通信士が機械を弄ると一瞬画像が乱れた後に向うの環境が表示された。

厳つい軍人っぽい奴、空賊丸出しの男、あとは操縦用の人員らしい奴らが後ろの方にチラホラ映ってる。

 

『バルトファルト子爵に告げる、こちらはただの輸送船である。誤解無きようお願いしたい』

「王国と公国の戦闘用飛行船が仲良くつるんで空の散歩?ずいぶんと洒落た運送業者だな」

『払い下げの飛行船を改造したものだ、そちらは一体何用か』

「なぁ、船長さん。その理由はあんたが一番分かっているはずだろ」

『……貴殿の仰る意味が分かりませんな』

「じゃあ、分かりやすく言おうか。とっくにバレてんだよ、さっさと人質を解放しやがれ糞野郎」

『…………』

 

別に本心からムカついてる訳じゃない。

相手を煽って判断を鈍らせるのとこっちが怒ってると思わせて尻込みをさせるのが目的だ。

交渉ってのは相手を宥め賺して妥協点を探り合うのが基本の基本。

言葉は理解しても思考が分からない馬鹿相手には通じないけど。

 

「帰還者の証言から船の特徴も確認済みだ。お前らが昨日の昼に攫った俺の嫁と姉妹といいとこのお嬢様を解放しろ。素直に返すならある程度は温情をかけてやる」

 

この通信は船内の連中にも聞こえるように放送してるから俺が勝手に交渉を始めたのを聞いて怒ったかな?

まぁ、横から口を挟まれたくないから鎧の中や格納庫に行ってもらったんだけど。

この場で交渉成立してもそれは俺達バルトファルト家と奴らの交渉だ、あの四人は含まれてない。

そう突っぱねて空賊達との戦闘は止めない、最初からうちの家族に手を出し連中にかける情けなんか俺は持ち合わせちゃいない、

 

「大人しく人質を解放するなら数時間は見逃してやる、お前らがどうなろうと俺は関知しない」

『信じられんな』

「あっそ、なら戦う気か?」

 

向こうもこちらの戦力を見定めてる最中だ。

札遊びみたいなもんで相手の役を予想しながら捨て札や見せ札を決める。

ハッタリや騙しは必要不可欠、見破れなかった奴の方が悪い。

 

『見逃すという話は本当なっ』

『お黙りなさいリオン!お前如きが偉そうな口を叩くんじゃないわよ!』

 

船長らしい男より前に思い出したくもない三人が画面に映る。

数年ぶりに見たゾラ達だ、相変わらず顔付きに性格の悪さが滲み出てるなぁ。

前から性格の醜さが顔に出てたけど、この数年間でさらに汚くなってる。

ゾラは痩せた鶏みたいだし、メルセは画面越しでも化粧がキツい、ルトアートは自慢の美貌がくすんでる。

落ちぶれて醜くなったのか、それとも本性に相応しい外見に変わったのか。

どっちにしても今のあいつらは恐れる存在じゃない。

 

「それで?人質の解放はするの、しないの?」

『ふん!お前も人質の命が大事みたいね。だったら私達の言う事を聞きなさい!』

「取り合えず安否だけは確認したいだけど」

『さぁ、昔のように私達に従いなさい!卑しいお前にはそれがお似合いよ!』

「人質の解放は全員か、それとも一人ずつ?」

『話を聞けぇぇッ!!」

「ん?故障かな?何か雑音がひどいぞ」

『貴ぃ様ぁァァァ!?!』

 

わざと無視してんだよ、バ~カ。

安い挑発に乗ってるからお前らはダメなんだ。

長い付き合いで性格が分かってる上に、いちいち反応するから実にやり易い。

空賊達と交渉する方がよっぽど難しいね。

 

「あぁ、どっかで見た事がある奴がいるな。引っ込んでろ、交渉の邪魔だ」

『私がこの一団の首領よ!そんな態度をして良いとお思い!?』

「お前が?寝言は寝てから言え。こっちは忙しいんだ」

『卑しい身分のお前が何をほざく!』

「俺は貴族だ。爵位は子爵で宮廷階位は五位中。貴族籍どころか戸籍すら剥奪された奴隷以下の存在が馴れ馴れしく話しかけてもいい存在じゃないんだよ。自分の身の程を弁えてから口を開け」

『き、貴様!私達が奴隷以下ですって!?』

「さんざんお前らが俺に言ってきた事だろう?『自分達は貴族だ!』『卑しい生まれが話しかけるな!』って。今のお前らはあの時の俺以下の存在ですから!準男爵以下!騎士以下!平民以下!奴隷以下!」

『な、なんですってぇ!!?』

「頭が高いぞ、俺の前に跪いてひれ伏せ。お前らを殺しても貴族のうちの連中はもちろん平民の子供だって罪に問われないんだよ」

 

ゾラの顔がどんどん赤く染まるのが画質が粗い画面でもよく分かる。

あいつらにとって血筋と身分だけが自分の存在を支える精神的な拠り所だ。

そこを折りまくる、折りまくって空賊達全員の戦意を徹底的に削いでやるから覚悟しろ。

 

「あぁ、でも人質はもう殺しちゃったかぁ。ジェナとフィンリーは勿論アンジェとドロテアさんもお亡くなりになっちまったみたいだな。ご冥福をお祈りします」

『人質は生きてるわ!私の話を聞けと言っている!』

「嘘だぁ。だってお前ら無能だもん、無能で臆病者のクズだもん。勢い余って人質殺しちゃいそうだし」

『ルトアート!人質を連れて来なさい!!』

 

まんまと俺の挑発に乗らされてる事に気付いてないゾラが物や人に当たり散らして命令をしまくる。

本当に扱い易くて助かるわ。

俺の誘導に気付かないゾラ達の阿呆な振る舞いは笑いを通り越して憐れにさえ思えてくる。

いや、同情の余地は無いな。うん、無い無い。

もっとひどい事を言われたし理不尽な理由で殴られ蹴られた。

この程度の挑発は暴言にさえならない。

 

慌ただしい声が聞こえると画面の外から四人の姿が映される。

ジェナ、フィンリー、ドロテアさん、そしてアンジェ。

見た限り傷らしい傷は無い、みんな少し疲れた表情してるけど命に別状は無さそうだ。

だからと言って安心は出来ない。

特にアンジェは妊娠してるからお腹の子も注意しなきゃマズいから一刻も早く救出しないと。

 

『久しぶりだなぁリオン』

「ルトアートか。相変わらず、いや昔以上に醜い顔になったな」

『黙れ!これを見ろ!』

 

ルトアートは懐から取り出した拳銃を四人に向ける。

向うの艦橋とこっちの艦橋の両方に緊張が走る。

だけどここで動揺したら負けだ、交渉は熱くなって我を忘れた奴が先に負ける。

自分の感情を何処かに置いて冷静に観察し、時には勝負から降りる覚悟も必要なんだ。

 

『こいつらがどうなってもいいのか!?』

「さっきから人質を解放すれば少しの間は見逃してやるって言っただろ。話聞いてないのか?昔より頭悪くなったな」

『うるさい!そんな態度を取ったら一人ずつこいつらを辱めてやる!』

「……お前には無理だルトアート」

『こいつらは既に私の女だ!生き延びる為に喜んで私に股を開いて命乞いをした売女だ!貴様の妻は最高の抱き心地だったぞ!』

『何をぬかす貴様ァ!!』

 

うん、殺そう。

この場にいる全員が分かるぐらい見え見えな分かりきってる嘘だけどコイツはアンジェを侮辱した。

俺の嫁を、俺の姉を、俺の妹を、俺の兄嫁を侮辱した。

だけど今は救出が最優先。

何より画面の向こうでルトアートに反論してるアンジェの気持ちを落ち着かせないと。

 

「……で?」

『貴様の妻は既に私の物だ!!』

「お前さぁ、そんなドッッ下手糞な嘘で俺を騙せると思ってんの?周りを見ろよ、お仲間が呆れてんぞ」

 

空賊の一味が呆れてるのは本当だった。

品性も糞も無い妄想じみた嘘を誇らしげに語るルトアートは貴族の誇りなんかとっくに捨てた下衆だと自分から宣言してるのと同じ。

ゾラも馬鹿だがルトアートも輪をかけた馬鹿だ。

 

「だいたいな、それが事実だとしても俺がアンジェを嫌う原因にはならないんだよ」

『はぁ!?』

「アンジェは俺に勿体ないぐらい良い女だ。アンジェが生き延びる為に何しても俺は許す。その程度で俺の愛は揺るがないし」

『そんな訳あるかァ!』

「嘘じゃないから。アンジェ~!無事か~?愛してるぞ~♥』

 

笑いながら画面に向かって手を振り愛の言葉を思いっきり叫ぶ。

恥ずかしい、むっちゃ恥ずかしい。

人前でイチャイチャしても気にしない俺でもめちゃくちゃ恥ずかしい。

向こうのアンジェが空賊じゃなくて俺を睨んでるのが怖い。

これは作戦ですから、わざと馬鹿言って相手の気を逸らしてます、だから怒らないでください。

 

「それに殺したら困るのはお前らだぞ」

『なんだと!』

『嘘おっしゃい!』

「まぁ聞けよ。アンジェはレッドグレイブ家の娘だ。この王国で一番デカい貴族な公爵家の元令嬢だぞ。そんな御家に喧嘩を売ってただで済むと考えてんのお前ら?馬鹿なのお前ら?あぁ、馬鹿なんだ。馬鹿だからこんな真似するんだなバ~カバ~カ!」

 

俺の言葉にゾラ達は口を閉じる。

コイツらは弱い奴に残虐で身分が下の連中を蔑むクズだけど、同時に強い奴を恐れてひれ伏し偉い奴に媚び諂う小心者でもある。

恐ろしい脅威に出会った場合は戦わずに逃げを選択するから逆に行動が予想しやすい。

 

「アンジェが攫われたからすぐに公爵に報告したよ。キレた公爵は兵一万人と飛行船百隻に乗せて今こっちに向かってるぜ」

『えっ!!』

『なぁ!?』

『ひぃィ!!』

「同時にローズブレイド家にも連絡済み。あっちも急いでドロテアさんの救出に来る手筈だ。すごいなお前ら、この国で一番怒らせちゃいけない相手に噛みつくなんて大した度胸だ」

『う、嘘よ!お前は私達を騙そうとしているだけ!』

 

俺の時と違ってゾラの口調が途端に弱々しく変わっていく。

確かにレッドグレイブ家の増援はバレバレの嘘だけどローズブレイド家に援軍を頼んだのは本当だ。

相手に嘘をつく時は真実を多めに混ぜる、デカい嘘は自信満々で言うと上手く信じ込ませる確率が増える。

案の定、画面向こうの奴らは動揺し始めた。

 

「俺は別にお前と戦う気は無い、援軍の到着までお前らを見失わない範囲で監視し続けるだけの簡単なお仕事をさせてもらう。あと半日もすれば王国全体に捜査網が敷かれるから逃げ道は無いぞ」

『戦いすらしないのか!この卑怯者!』

「確かに俺は外道騎士って呼ばれてるけど平気で人質を取るような奴らに卑怯とか卑劣って言われたくないんですけど」

『うるさい!黙れ!』

「今だって公爵家の大船団が俺達を追って来てるはずだ。あぁ、他の国に逃げようとしても無駄だから。むしろ積極的に協力して人質を渡した後お前らの首を喜んで差し出すだろうな」

『そ、そんな……』

 

追い詰められた奴らの表情がみるみる暗くなっていく。

後はどんな結論を出すかだ。

 

「しばらく待ってやる、話し合って結論を出すんだな」

 

そう告げて通信の音声だけ切らせる。

これで降伏を選ぶか、それとも戦う覚悟を決めるか、内輪揉めを起こして組織が崩壊するか。

考える猶予は逆に余計な思考を次々生み出す。

案の定、画面に映ってる奴らは言い争いを始めた。

音声を切って正解だった、きっとひどい罵詈雑言が飛び交ってんだろうな。

この隙に出撃準備を整えよう、手元に置いてある船内放送用拡声器のスイッチを押す。

 

「聞いての通りだ、奴らに抵抗の意思があったら即座に戦闘に突入する。総員準備態勢に移行せよ」

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「だから言ったのだ!誘拐などせずに強盗だけで済ませろと!」

「私のせいではない!提案したのはこいつらだ!私の責任ではない!」

「う、うるせぇ!こんな事になるとは思いもよらなかったんだ!」

「どうするのよ!大船団が来るなんて聞いてないわ!」

「あんなのハッタリに決まってるぜ!たった半日ぐらいで援軍が来るもんか!」

「相手はレッドグレイブ家の軍だ!我々と装備が違い過ぎる!楽観視は止めろ!」

「降伏すれば助かるんじゃないか!」

「リオン如きに負けを認めろと!?そんな無様な真似が出来るか!」

 

艦橋は悲鳴や怒号や罵声に満ち満ちていた。

誰もが『自分は悪くない』、『この状況を生み出したのはお前』だと相手を罵り合い協調や信頼は皆無。

まだ自分は助かるのではという淡い期待はリオン・フォウ・バルトファルトの舌によって粉砕されてしまった。

彼らを支配するのは逃れられぬ死の恐怖。

誰も逃れられない絶対的な死という存在に直面すれば人間の最も醜い部分が露わとなる。

 

「人質を引き渡して降伏するべきだ、我々の命運はここで尽きた。一刻も早く離脱するべきだ」

「ふざけた事を言わないで!私達がリオンやバルトファルトの連中に負けたというの!?」

「嫌よそんなの!さっさとあいつらを殺しなさい!」

「ではどうしろと!?いずれにせよ公爵家や伯爵家からの援軍が来るのは間違いない!逃げるなら人質を渡し包囲網が完成する前に行動すべきだ!」

「奴らはたった一隻でこちらは二隻だ!戦えば勝機は在るはずだろうが!」

 

その言葉に元騎士は逡巡する。

確かに誘拐から半日程度で我々の場所を特定し追いついたバルトファルトの行動力は驚嘆に値するものだ。

だが迅速な行動の反面、十分な準備と整えての出撃は到底不可能だろう。

我々の飛行船が二隻だと情報で知っていたはずだ。

数の不利を自覚したからこそ援軍の存在を強調し、あくまで戦闘ではなく人質の引き渡しを要求したのでは?

 

「こっちの鎧は二十を超えてるぜ。奴らの船ならどんなに積んでもそれ以下の数だ。数で攻めれば勝てるんじゃないのか?」

「そうだ!この場で奴らを全滅させれば援軍も私達を見失うだろう!リオンの醜い面をさらに酷くしてやるぞ!」

「……確かに決して勝てぬ兵力差ではない、今なら勝てるやもしれん」

 

意見は一致した。

だが、彼らは気付いていない。

互いを全く信頼せず、この期に及んで尚も相手を出し抜こうと考えている己の浅ましさ。

そして相手も全く同じ思考をしているという事実に。

 

没落貴族は『いざとなれば元騎士と空賊を見捨てればいい』と思案した。

元騎士は『この機に乗じ空賊の数を減らし組織の指揮権を取り戻す』と画策した。

空賊は『ヤバくなったらこいつらを盾にして逃げ出そう』と考えた。

 

誰か一人でも協力しようとする意思があれば決定的な破滅は回避できたかもしれない。

彼らはそれを自ら手放した。

後戻り出来る時はとっくの昔に過ぎ去っていたのだから。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

「答えは出たか?」

 

画面に映ったあいつらの様子が落ち着いたみたいだから通信を再開する。

アンジェ達を解放するなら一旦は見逃してやろう。

だけどそうはならないだろうな。

そうなるように俺が仕向けた。

奴らが戦いを選ぶように準備も整わないまま来たと偽装してわざと挑発を繰り返し逃げ道を塞いだ。

相手がどんなクズだろうと人を殺すのは慣れない。

長年うちの家族を虐げてきた奴らでも同じだ。

未だに俺が殺した人間、戦ってきた戦場の夢に魘される。

 

それでも俺は領主だ。

俺の家族を、バルトファルト領の領地と民を護らなくちゃいけない。

護る為に最悪家族を見捨てる決断をする場合だってあり得る。

それを俺に教えてくれたのはアンジェだ。

だからアンジェの教えに背くような真似はしない、その上で絶対に救い出してやる。

 

『えぇ意見は纏まったわ』

「じゃあどうするか教えてくれよ」

『私達の返事はこうよ』

 

ゾラが大きく手を振りかぶる。

その直後、相手の飛行船の格納庫の扉が開かれ次々に飛び出したのはホルファート王国の量産型を改造した鎧。

人を模した命無き鉄の巨人、人を殺す為だけに存在する鋼の人型。

 

『お前を殺して私達は逃げるわ!!』

『覚悟しろリオン!!泣いて許しを乞え!!』

『許してなんかやらないけどね!!』

 

あぁ、やっぱそうなるか。

俺はお前らが嫌いだった。

でも本気で殺したいほどじゃなかったよ。

和解はもう不可能だ。

お前らは俺の家族を傷付けた。

 

だから!

その罪をてめぇらの汚え命の贖ってもらうぞ!!

先に喧嘩を売ったのはお前らだ!!

今までの恨み辛みのこの場で利子付きで払わせてやる!!

 

「総員、戦闘開始ッ!!」

 

拡声器に向けた言葉は普段聞いてる自分の声とはまるで別人だった。




戦闘前の口上戦な今章。
原作のリオンの気持ち良い罵倒はかなり難しくて再現率が低いのはご容赦を。
キレッキレの罵倒をする三嶋与夢主人公の憎たらしさが全体的に足りません。
リオンの罵倒はあと数回ある予定なのでそれまでに精進します。
次章からは戦闘シーン多め。
楽しんでもらえるか不安です。(汗

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第56章 英雄

「敵飛行船より鎧が多数発進!繰り返す、敵飛行船より鎧が多数発進!!」

「落ち着け!まず鎧の数を確認しろ!」

 

子供の頃に森でうっかり蜂の巣に近付いたらどんどん蜂が集まり慌てて逃げだした記憶を思い出す。

飛行船の側面や後部から次から次へと飛び立つ鎧は脅威って意味じゃ蜂とは桁違いだ。

 

出撃してすぐに襲いかかって来ないのはこっちを舐めてるか、それとも注意深く布陣を敷いてるのどっちだ?

艦橋の窓から見える夜明け前の綺麗な蒼色の空が鎧の鋼色に染まっていく。

王国軍の飛行船の周りには一定の距離を保った規則正しい円陣。

旧公国軍の飛行船の方は対照的に少し乱れた三角陣だ。

どっちも鎧を前面に出してこっちを取り囲んで一方的に攻撃する気だろう。

 

「敵の鎧の総数は二十四機!これ以上は無いものと考えられます!」

「二十四か、ギリギリだな」

 

四人は自分達なら十倍の数を相手して勝てると言った。

うちの飛行船の甲板で待機してる鎧は二機、グレッグとジルクの鎧だ。

一機当たり十二機を相手にしなくちゃいけない、しかも敵の飛行船は二隻だ。

普通に考えたら戦いにならない兵力差、この戦いに勝利するには四人の英雄が持ってる規格外の力が不可欠だ。

 

「敵の数は合計二十四機。グレッグ、ジルク、やれるか?」

『大丈夫だ指揮官殿、むしろ物足りないぐらいだ』

『早くしてくれ、こっちはさっきから暴れたくて体の疼きが止まらない』

「血の気が多い奴らだな。クリス、ブラッドはエアバイクでの奇襲に参加してくれ」

『了解した』

『先陣は任せたまえ』

 

今さら後戻りは出来ない、こっちの作戦は既に始まってる。

後は相手の裏をかいてどれだけ上手くやれるかだ。

拡声器をコリンに手渡して指揮官席から降りる。

これから俺は現場の一兵卒、船の指揮は現時点を以ってコリンに委譲された。

ヘルメット越しにコリンに目配せして格納庫に向かう。

心臓の高鳴りがうるさくて堪らない、どんな戦闘でも始まる直前の空気が一番怖くて緊張する。

 

『作戦、開始!!』

 

コリンの叫びが船内に響き渡る。

今、この瞬間から俺という存在の感情が何処か遠のいていった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

空賊達の鎧は少しずつ距離を詰めながらバルトファルト軍の飛行船に近付いて行く。

バルトファルト家が鎧を何機所有しているかの情報は未入手だ。

だが飛行船一隻に搭載できる鎧の数には限界が存在する。

ホルファート王国で普及している一般的な軍用飛行船と同型なら十機ほどだ。

 

単純計算してもこちらは二倍以上の数を揃えている。

操縦者の技量、鎧の種類、搭載している武器といった不確定要素は確かにある。

だが、数の差という極めて単純で原始的な力は生半可な作戦では覆せない。

そうした単純な力の差を埋める為に人は武術を編み出し、武器を発明し、策略を講じるようになった。

武とは弱者の術、武器は弱者が扱う器物、策は弱者の知恵。

我々の勝利は確実である。

暴力の愉しさに酔い続けた無法者達にとって目の前の飛行船は屈強な男に嬲られる手弱女と同じ。

狩猟者達は今日の獲物を前にして欲望を抑えきれなかった。

 

ヴオォォォォッ……

 

真冬の空に鎧の起動音が響き渡った。

水滴が凍りつく氷点下の冷気、殺意という死の匂いを放つ緊張。

その二つが混じり合い全てが静止していると錯覚する空間が形成される。

甲板の上で立ち上がったそれは大部分が汚れて所々破けた防雨カバーに覆われていた。

機体の形は把握できないが本格的に動き出す前に仕留めてやろう。

空賊達にはゆっくりと動き始めている鎧が狩られる瞬間を待つだけの恐怖に身を震わせる憐れな獲物に見えた。

 

バアアァァン!!

 

我慢が出来なかった空賊の一機が弾かれるように近付いた。

 

「ハハハァ!もらったぞ!!」

 

鎧が握り締めた大剣の前には人など動いているだけの肉塊に過ぎない。

人の数倍の大きさの鎧とて直撃すれば不格好で奇怪な前衛芸術と成り果てる。

自身の嗜虐心を満たす為に空賊の鎧が腕を振り上げた瞬間、

 

「……あァ?」

 

鎧は腕を振り上げた体勢のまま空に浮かんでいた。

目の前の画面に映されたのは防雨シートの隙間から見える人ならざる存在の眼。

何が起きたのか分からない。

ただ攻撃をしようとした瞬間に強い衝撃を感じ、何故か鎧が動かなくなっている。

操縦している空賊が感じられたのはそれだけだった。

そのままの体勢でこちらを見ている無機質な眼が遠ざかっていく。

周囲の鎧や飛行船があっと言う間に遠ざかり周囲が雲に包まれる。

空賊は推進力を失った鎧が重力に引かれ地表に向かって落ち続けている事実を理解できなかった。

自身に何が起きたかさえ分からぬまま、彼の魂は俗世の繋がりから解き放たれた。

 

墜落する鎧を呑み込んだ雲海が数秒後に光を放つ。

撃墜された鎧が地表に落ちる前に爆発したとその場に居た者達は漸く理解する。

 

何だ? 何が起きた?

 

時間にして僅か数秒。

たったそれだけの時間に一人の仲間が死んだ。

いや、殺された。

最初に訪れたのは困惑、次に訪れたのは恐怖と怒り。

 

何だお前は? 誰だ貴様は? いったい何をした?

 

場の空気が殺意の冷気ではなく仲間を殺された憤怒が放つ熱で満ちる。

仲間を仕留めた鎧が再び動く。

手にしているのは鎧が小さく見える程の長さを誇る突撃槍(ランス)

突撃槍を持つ手を覆っていた防雨カバーは既に破けている。

空いたもう片方の手を動かして体を覆う防雨カバーが引き千切られた。

同時に地平線から太陽が新しい一日を祝福するように空を照らし始める。

陽の光が鎧を赤く染め、反射した光が周囲を照らす。

 

それは大地を染める陽の光の赤ではなかった。

咲き誇る花の朱でもない。

生物の体から溢れ出す鮮血を思わせるような紅。

まるで敵が流した血で全身を染め上げるが如き紅の鎧が其処に存在する。

空賊の半数は目の前に現れた紅の鎧を見て恐慌を起こした。

残る半数は困惑と狩猟者たる己が獲物に追い詰められる予感に身を震わせる。

 

讃えよ、その雄姿。 畏れよ、その武勇。

彼の者こそホルファート王国の英雄。

聖女の守護者にして彼女の敵を最も屠った生きる突撃槍(ランス)

 

『さて、名乗りは必要か?』

 

雑音混じりに聞こえて来た男の声は死刑宣告と同義であった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「謀られたッ!!」

 

悲鳴じみた怒号が旧公国飛行船の艦橋に響き渡った。

状況を飲み込めない者を除き、その場に居る総ての者が今起きた状況に困惑している。

紅い鎧に仲間の鎧が一機撃墜された。

たったそれだけの事実だけで精神的な優位が打ち砕かれる。

自分達は狩人ではなく獲物、罠に嵌った能無しの間抜け。

交渉に立った若き成り上がり者にまんまと乗せられ勝ち目の無い博打に自らの命を賭けた。

 

「何よ、アレは?」

 

状況を飲み込めないゾラが間の抜けた声を出す。

自身が追い込まれた事実に気付かない愚鈍さはある意味では救いだろう。

絶対的な死を目の前にしても狂うほどの恐怖を感じないのだから。

元騎士の苛立ちは限界に達している。

どうしてコイツはここまで無知で愚かなのか。

 

「あれはグレッグ・フォウ・セバーグの鎧だ!我らは外道騎士に謀られたと分からんのか!?」

「だ、誰なのそいつは?」

「ホルファート五英雄の一人だ!公国を退け組織を潰した相手すら知らんのか!」

 

憤懣を抑えきれず近くの椅子を蹴り上げた。

ひぃ!という叫びが上がったが気にしている猶予は無い。

いつからだ?いつから罠に嵌められてた?

そもそも飛行船を所有している貴族の妻女達が領地間の移動に使われている平民向けの定期船に乗っていた事自体が不自然だ。

たった半日で我々の居場所を突き止める手際の良さ。

明確な戦力差でありながら余裕な姿勢を崩さない交渉。

その全てが謀られていたとすれば?

あの飛行船に狙いを定めた時から掌の上で踊らされていたに違いない。

 

実際には総て偶然の産物に過ぎない状況であった。

ドロテアがニックスに発信機を贈る。

平民が乗る定期船を用いてドロテアがバルトファルト領を訪れる。

バルトファルト家の妻女達が出迎えに向かう。

その飛行船を淑女の森の残党と空賊が襲う。

ホルファート王国の五英雄がバルトファルト領を訪れる。

 

そのどれか一つでも欠けていたらこの状況は存在しない。

だが、あまりにも重なり過ぎた偶然は運命、或いは緻密な計算による策略として扱われる。

元騎士はそれを策略として捉えた。

勇猛な英雄達と奸智に長けた外道騎士が作った罠と錯覚する。

戦場では敵の過小評価は油断に変わり、過大評価は行動の萎縮を招く。

その隙を見逃すほど英雄は甘くなかった。

 

『ぎぃやぁぁああぁぁ!?』

 

末期の悲鳴が艦橋に響き渡りかろうじて意識を保つ。

少しだけ目を離した隙にこちら側のが鎧がまた一機屠られた。

一刻も行動しなくてはこちらの被害は増えてしまう。

確かに相手はホルファート王国に於いて最上位級の強さを誇る英雄だろう。

だが完全無欠で不滅不朽の存在ではない。

ファンオース公国との戦争に於いて五英雄自身は負けずとも戦術的・戦略的な敗北が皆無だった訳ではない。

グレッグ・フォウ・セバーグは確かに接近戦で無類の強さを誇るだろう。

それなら近づかなければ良いだけの話。

陣形を堅めず一定の距離を保ったまま射程外から攻撃し続ければ英雄とて為す術があるまい。

 

「各自散開!距離を保ちながら集中砲火を行え!」

 

勇将が名も無き雑兵に打ち取られるなど戦場では珍しくもない。

まして賊には遵守しなければならない国家間戦争の取り決めなど無意味。

欲のまま殺し、奪い、犯し、貪る為にどんな非情も行える。

悪党はこの場を生き延びる為に狡猾な手段を採った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「奴らが動き出したな」

「思った以上に動きが良い。せめて三機は墜とすと考えたけど」

「実戦で思い通りにいくほうが稀だ。グレッグにはすまないけどしばらく囮になってもらう」

 

格納庫に備え付けの画面に映し出された敵軍が陣形を変えてきた。

飛行船の近くに鎧が密集する堅固な布陣からゆっくりと一定の距離を置き始める。

鳥が翼を広げるような動きに似てるから翼の陣形みたいな名前が付けられた教本に載ってる基本的な包囲陣だ。

グレッグがあの陣形の鎧を一機仕留めてる間に周囲の鎧が攻撃する。

次の鎧を墜とそうとしても攻撃が届かない距離を保ったまま上下前後左右から攻撃されてしまう。

教本に載ってる内容ってのは誰にでも使いやすく効果的だから載ってるんだ。

一対多ならグレッグがどれだけ強くてもいずれは削り殺される。

こっちの戦力が鎧一機だけならな。

 

「お前らが先頭だ、本当に良いんだな?」

「あれだけ隙間があるなら大丈夫さ、船とジルクのフォローもあるからね」

「作戦を立てた本人が言うべきじゃないな」

「お前らは出来るだろうけどこっちは凡人ばっかなんだぞ。こっからが作戦で一番死亡率が高い部分だ」

 

格納庫で待機した二十三人はこれからエアバイクで鎧の間を突っ切りアンジェ達が捕まってる飛行船に奇襲をかける。

これは鎧が無かった時代や鎧を用意できない空賊が飛行船を襲う時に使っていた戦法だ。

かつて空賊は標的の飛行船と自分達の飛行船を縄や鎖で繋いで乗り移るという命懸けの奇襲をしていた。

時代が下ってエアバイクが発明されると空賊はこれを奇襲に使い始める。

人力で危険な乗り移りをしなくてもエアバイクで襲いかかれば良いと考えたんだろう。

鎧が発明された後は徐々に廃れた戦法だけど、この方法を使い飛行船を襲っていた空賊は俺が王国軍にいた頃でも存在してる。

空賊退治を任務にしていた俺がそんな戦法を真似るなんて人生分からないもんだ。

 

全員がエアバイクに搭乗し起動させると船に残る兵がボタンを押す。

大きな警報が格納庫に響いた後、ゆっくり扉が開いていく。

吹き荒ぶ真冬の空気は軍服を着込んでいても肌に突き刺さる寒さだ。

でも、これからやるのはもっと恐ろしい空中レース。

敵の鎧の間を潜り抜け攻撃を避けながら飛行船に奇襲をかける。

少し間違えれば空から大地へ一直線に落ちる、飛行船や鎧の攻撃が掠めただけで簡単に死ぬ。

どんなに大金を積まれても絶対やりたくない狂った障害物競走。

だからって躊躇えば敵の態勢が整ってしまう、陣形を変える最中のこの瞬間にしか付け入る隙は存在しない。

浮遊したエアバイクのグリップを捻って前進する。

これから敵の飛行船に乗り移るまでの数十秒、俺の人生で最も危険で最も長い数十秒の始まりだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「何だあれは?」

 

バルトファルト軍の飛行船から何かが出て来た。

鎧より小さいそれを見定めようと目を凝らすと徐々にそれが大きさを増していく。

それがエアバイクと分かった瞬間、通信機に向かって声を発した。

 

「隙間を作るな!」

 

セバーグの鎧を包囲する為に陣形を広げたのが仇となる。

密集した陣形なら陣形の隙間をカバー出来た筈だ。

しかし相手はこちらが陣形を切り替える隙を狙ってきた、今もセバーグの鎧がこちらの鎧と交戦中なのもまずかった。

鎧同士が互いを支援しつつ接近戦に特化したセバーグ機の攻撃が当たらないギリギリの距離。

奇しくもそれはエアバイクが安全に通り抜けられる大きさだった。

一旦動き出した陣形を元に戻すのには時間がかかる、その間にエアバイクはこちらの飛行船に襲いかかって来る。

 

「何をしているの!?撃ち落としなさい!」

 

後ろからゾラの命令が下り、飛行船に積まれた砲塔がエアバイクの進路に照準を合わせた。

だが敵もさるもの、砲塔の動きを察知したのかエアバイクの集団は突如散開し始める。

僅かな数秒の判断の遅れが戦局を変える、元騎士が砲撃を中止させるにはあまりに時間が足りなかった。

 

ドオォォン!! ドォォォォン!! グオォォォッ!! ダァァァン!!

 

『ぎゃあァ!?』

『おいッ!』

『うわぁ!!』

 

砲撃の音に続いて悲鳴が通信機から次々と伝わる。

その総てが空賊達の口から洩れた悲鳴だった。

確かに飛行船の砲撃が当たれば操縦者が剥き出しのエアバイクなど一溜まりもない。

血しぶきを撒き散らしながら無残な挽き肉と化すだろう。

当たれば(・・・・)の話ではあるが。

 

「何をしている!味方を巻き込む気か!?」

「私は撃ち落とせと命じただけ!当てられないこいつらが悪いのよ!」

「もういい!戦闘の指揮はこっちに任せてもらう!素人は引っ込んでろ!」

 

飛行船に備え付けられた砲塔は素早く照準を合わせるには熟練の技術が必要となる。

加えてエアバイクの速度と小ささを見定めて迎撃するのは至難の業だ。

さらに敵は鎧と鎧の隙間から忍び込むように飛来している。

その結果、砲撃はエアバイクの群れに命中する事無く自軍の鎧を誤射する結果となった。

 

「お前らはバルトファルト軍の飛行船を狙え!鎧もセバーグの奴は無視して協力しろ!奴らも船を沈められては戦い続けられまい!」

 

仲間の飛行船に指示を出しつつ状況を必死に状況を見定めようとする。

まさかコレを狙っていたのか?

鎧による戦闘ではなく、敢えてエアバイクを用いた奇襲を選択したのはこちらの動きを先読みしていたから?

セバーグをただ一機出撃させたのは注意を引き付ける為。

今の誤射で二機の鎧が戦闘不能に陥った、下手に動けば此方の被害が増える。

ならば戦術の基本中の基本で対応するのみ。

鎧の相手は鎧にさせる、飛行船の相手は飛行船にさせる。

兵の損耗を度外視して敵の本拠を叩けば良いだけだ。

 

元騎士の判断は戦術的には正解である。

相手に対抗する一番簡単な方法は同じ戦力を使う事だ。

兵士の相手は兵士、鎧の相手は鎧、そして飛行船の相手は飛行船。

鎧が発明された事で世界の戦術は大きく変わった、だが未だに鎧が持てる火力で飛行船を撃墜した例は少ない。

飛行船を墜とせる火力を持ちうるのは同じ飛行船だけ。

ならば数で勝る方が勝つというの単純明快な解であるだろう。

彼が愚かだった訳ではない、ただひたすらに相手が悪かっただけだ。

 

『あ゛あ゛ぁぁぁ!?』

 

誤射されて動きが鈍った鎧の一機が突如爆発した。

内部の機械油に引火した?

いや、あの爆発は攻撃による物だ。

その直後、鎧達が断続的な攻撃によって動きを止める。

攻撃の威力は鎧を撃墜する程ではない、一時的に動きを止める程度の物だ。

だが、此処に紅き突撃槍が存在する。

攻撃を受け動きを止めた数秒、再び動き始めるまでの僅かな隙。

その隙を決して見逃さず紅の突撃槍が空を駆ける。

 

「何処だ!?何処から攻撃している!?」

 

一方的な攻撃の出所は不明、バルトファルト軍の飛行船による砲撃でない。

艦橋の窓から必死に戦場に目を凝らすと陽光を反射している何かが漂っていた。

大樹の葉より艶やかな翠緑の光を放つ鋼の巨人。

その手が携えている長い得物は槍でも剣でもなく鎧用の長銃(ライフル)

ファンオース公国との戦争に参加した者なら誰もが知悉する威容。

たった一機の紅き鎧にすら手を焼いている状況に於いてその存在は絶望に等しい。

 

「ジルク・フィア・マーモリア……」

 

元騎士は自身も気付かぬまま絶望の名を口にした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

『あいつらは全員無事かなッ!?』

「こちらが確認した限り全機健在です、もうすぐ旧公国軍の飛行船に到達するでしょう」

『ならさっさとけりを付けるぞォ!』

 

グレッグの通信に混じる雑音は敵の鎧の破壊音。

破壊音に負けじと声を張り上げているのか、それとも破壊音がグレッグの地声に負けぬ大きさなのか。

既に敵の鎧は最初の七割にまで数を減らしている。

幾度も公国軍の精兵を退けた英雄達にとってこの程度の敵など取るに足らない存在だ。

 

「こちらから見て動きが良い鎧と悪い鎧が混じっていますね、その二つの連携は明らかに拙い」

『動きが良い方は淑女の森の生き残りだろうなッ!』

「ではそちらの動きは私が抑えます、貴方は弱い方の露払いをお願いします」

『了解ィ!』

 

通信の合間にまた鎧が一機墜とされる。

紅の鎧を押し止められる存在など武勇を誇るホルファート王国に於いても僅か数人。

もしグレッグを止められる者がいるなら軍部は諸手を挙げて囲い込むだろう。

辺境で空賊稼業に勤しむ悪党や這う這うの体で王都から逃げ出す残党にそれだけの強者は存在しない。

ジルクの仕事はグレッグが敵の数を減らすまでの抑え、操縦席に備え付けられた機器を操作し長銃から放たれる魔力を抑え速射性を上げる。

敵の残数は十五、一機墜とすのに三十秒と考えれば残り四百五十秒。

その間にバルトファルト軍の飛行船が墜とされないように注意を払わなくてはならない。

 

グレッグが鎧を仕留めている隙に遠距離から足止めをしているジルクを襲おうと鎧が迫る。

だがジルクの下へ辿り着く前に狙撃を受け動きが止まる、その背後からグレッグの鎧が放つ一撃によって無惨な骸を晒す。

紅の鎧から逃れようとすれば翠の鎧に動きを封じられる、翠の鎧から逃れようとすれば紅の鎧に討たれる。

もはやそれは一方的な狩りだった。

 

「此方ジルク機。指揮官殿、状況は?」

『な、何とか持ち堪えてます!』

「あと三百秒ほどで敵軍を壊滅させます。それまで粘れますか?」

『やれると思います!』

「結構、では此方も引き続き作戦を続行します」

『了解しました!』

 

幼さを残した声が通信機から伝わる。

出陣前にさんざんバルトファルトが注意を払えと命じてきた。

反りの合わない相手だが飛行船を墜とされて困るのはこちらも同じ。

性格が悪いのは自覚しているが、公私混同して味方に被害を出すほど落ちぶれていない。

 

『残りィ!!七ァ!!』

 

グレッグの声が操縦席に響き渡る。

既に敵の数は最初の三分の一以下にまで減っている。

念には念を入れて早く片付けた方が良い。

再び機器を操作して長銃から放たれる魔力を調整、先程とは反対に速射性を下げる代わりに威力を上げる。

長銃に宿る魔力が満ちると照準を合わせ狙い撃つ。

 

バァン!! タアァン!! バァン!!

 

魔力が込められた弾が鎧の装甲を貫通し内部機構に壊滅的な損傷を与えた。

そのまま動く事なく重力に引かれた鎧は地表目掛けて落下していく。

 

『これでェ!終わりだァァ!!』

 

グレッグの咆哮と共に爆発音が轟き空に吸い込まれる。

空中の戦闘は音も匂いも熱も遺さない、痕跡が何一つ無いまま戦闘前と同じ青空が広がっている。

微かに遺るのは紅き鎧の槍に刻まれた細かい疵のみ。

 

「行きましょう、初陣の小バルトファルトを助けなければ」

『おう』

 

千秒も経たぬ間に二十を超える鎧が世から消えた。

取り立てて騒ぐ程でもない、英雄達にとっては数あるの一つが人知れず終わった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

警報を聞き空賊達は甲板に向かっていた。

飛行船に備え付けられた武装では高速で動き回るエアバイクに攻撃を当てるのは難しい。

大砲や魔力砲は射角の限界が存在する、さらに同士討ちを回避する為に砲撃を禁じられている。

人が体に纏わりつく蜂を同時に叩こうとするような物だ。

ひらりひらりとこちらの攻撃を躱し、隙を見て急所に針を刺す。

当たれば一撃で仕留められるのに速さと小ささ故にこちらの攻撃が当たらない。

 

ならば相手が狙って来る場所を限定すれば良い。

格納庫の扉は既に閉められ侵入される可能性は無く、エアバイクから飛行船に着陸できる場所は甲板のみ。

甲板で待ち受け銃を用いてエアバイクを攻撃すれば良い。

操縦者が剥き出しな上に離着陸時にはどんな乗り物も隙が生じる。

弾丸の雨に晒されては如何に頑丈に作られたエアバイクも憐れな鉄塊と化すだろう。

既に十名近くの空賊が甲板の出入り口を目指し船内を走り回る。

扉を蹴り破るように思い切り開けると最初の一台が接近していた。

 

『最初に死ぬのはお前だ』

 

殺意が籠った照準が最初の一台に向けられた。

銃の引き金が引かれる数秒前、エアバイクから黒い影が現れる。

 

ズシャッ

 

急速に広がる影の大きさからそれが人だと理解した瞬間、空賊の一人が最後に感じたのは頭部に何かが当たった衝撃。

頭を断ち割られた空賊の骸が音を立てて転がり、溢れ出た血液が甲板を濡らす。

空賊達は何が起こったのか分からず呆然と立ち尽くした。

 

ズシュッ ザシャッ

 

銀色の光が煌めくと一人が倒れ伏す、光がもう一度放たれると更に一人。

周囲を満たす血臭と反射された陽光からそれが剣だと漸く理解する。

脳が理解を拒む、照準を定め引き金を引く数秒より速く仲間が斬り殺された。

銃という人を殺す為に最適化された最新の武器がたかが剣一本に劣ると?

だが撃たねば、目の前の存在を撃たねば此方が討たれる。

恐慌を来たした空賊達は狙いを定めず銃を乱射した。

影は甲板に置かれた物に身を潜めながら移動する。

振り下ろされる刃を止めようと思わず銃を盾にして斬撃を防ぐ。

 

ギャッシャ!!

 

鉄を加工して作られた筈の銃は剣を阻む事すら出来ず握り締めた主ごと両断される。

影が移動する度に誰かの血が空を舞う。

死神の影を把握出来なかった者は数秒後に己を体を通り抜けた刃鋼の冷たさを感じながら骸と化した。

 

奸智に長けた者は壁を背にする、或いは互いの背中を合わせて死角を消す。

その行動は間違っていない、失敗は着陸したエアバイクの存在を完全に忘れていた事。

 

ドオォッ! ドォッ! グォッ!

 

身動きが取れない彼らはエアバイクの操縦席から放たれた紫紺の魔力光をまともに受けた。

ある者は倒れ伏し、ある者は壁にぶつかり昏倒し、またある者は弾き飛ばされ甲板から落ちた。

百秒に満たぬ間に二人の侵入者は十人以上の空賊を屠る。

当の本人達は汗すらかいていなかった。

 

「先駆けご苦労、おかげで無事に着陸できたよ」

「他の連中は?」

「今こっちに向かっている、露払いが早過ぎたかな?」

 

血に濡れた剣で数回振って拭い剣身を確かめる。

剣聖と讃えられる男が廃嫡される代わりに武を極めたいと願う息子に手渡した逸品は鉄製の銃器を斬っても刃毀れすら無い。

ふと視線を感じて見上げると艦橋の窓から様子を窺う何者かの気配が複数。

ゆっくりと剣をその方向へ掲げる。

 

『次はお前達だ』

 

陽光を反射して輝く名剣はまだ己が斬り裂く肉塊を求める獣の爪牙だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「クリス・フィア・アークライト…、ブラッド・フォウ・フィールド…」

 

無意識に飛行船に突入した二人の名を口にする。

その声は弱々しく絶望に満ちていた。

王都にあった組織の本拠が英雄達に壊滅されられてまだ一ヶ月も経っていない。

その場に居合わせた訳ではないが、この場にいる英雄の戦いぶりはその賞賛が決して誇張ではないと証明している。

既に鎧部隊は壊滅、敵の飛行船を仕留めに行った飛行船も英雄達の援護を得た攻撃に追い詰められていた。

さらに続々とエアバイクが甲板に着陸し始めている。

 

もはやこれまでか。

いや、まだ諦めるには早い。

こちらには人質がいる、この飛行船の乗員の空賊共は無駄に多い。

上手く使えば生き延びる事は可能なはずだ。

なりふり構わず動け、空賊など仲間ではない。

 

そのまま振り返るも其処に居る筈の者達の姿は消えていた。

状況を呑み込めず数度瞬きを繰り返すが結果は同じ。

 

「おい、人質達とゾラはどうした?」

「え?」

 

元騎士と空賊の間の抜けた声が艦橋に響く。

目の前で繰り広げられていた戦闘に夢中になり一応の首領と人質達が消え失せた事実に気付かなかった。

あいつらがどう行動するか手に取るように分かる。

強い者に媚び弱い者を虐げる。

今までの己の所業を棚に上げ元騎士と空賊の長は怒り狂う。

 

「奴らめ!逃げ出したな!」

「ちくしょう!何てババアだ!」

 

ファーン! ファーン ファーン!

 

次いで警報音が鳴り響く。

運命の神は過酷な災難に苦しむ者に対して手を緩める優しさを持たない。

 

「今度は何だ!?」

「船内で異常発生!恐らく火災と思われる!」

「侵入者共の仕業か!?」

「分からん!!」

「くそっ!」

 

被害報告を口にする船員の叫びは泣き声と化していた。




四馬鹿活躍の今章です。
原作の王国編の決闘でリオンにボコボコにされた印象が強い五馬鹿ですが、原作の共和国編や終盤を参考に「強くてカッコいい英雄」「乙女ゲーにおける攻略キャラ」をイメージしています。
一般人が鍛え上げた限界のリオンと更生した天才達の間にある壁が今後の展開で大きな意味を持ちます。
次章は主にリオン視点の話になります、外道騎士の恐ろしさが伝わって欲しい。

追記:依頼主様のごリクエストによりたま様とdolphilia様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。

たま様https://www.pixiv.net/artworks/115425103
dolphilia様https://www.pixiv.net/artworks/115444894

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第57章 Battle Fight

エアバイクの速度を落として着陸態勢に移行する。

甲板は先にクリスとブラッドが制圧に成功して俺達が攻撃される恐れは無い。

一機、また一機と後続が追い付いているけど顔を見て確認する時間が惜しかった。

救出作戦は速さと正確さが重要だ。

 

「撃墜された奴は!?」

「全機健在です!」

「なら着陸した奴は順次飛行船の制圧に取りかかれ!俺達は別行動だ!」

「了解しました!」

 

部下の報告を聞いて取りあえずは一安心だけど油断は出来ない。

一番危ない所を乗り越えたとはいえ生身での戦闘はこれからが本番だ。

 

「礼を言う、お前らが居てくれて助かった」

「これから私達も飛行船の制圧に取りかかる」

「分かった、くれぐれも部下達をよろしく頼んだ。」

「任せたまえ。そちらの健闘を祈る」

 

二人に礼を済ませた後に父さんと兄さんに合流する。

俺達はこれからくそったれたバルトファルト家の因縁に決着をつけなきゃならない。

あいつらをこの場から逃がすつもりは一切なかった。

 

「行くぞ」

 

向かうのは船尾側の甲板にある小さな扉だ。

大型の飛行船には緊急事態に備えて幾つかの非常口を設けている。

その中である場所に通じている非常口を選ぶ。

人が一人通れるかどうかの小さなドアの取っ手に回そうとしたけど、ある箇所から手応えを感じて動かない。

何度力を込めても結果は同じだ。

 

やっぱり鍵がかかってるな。

ドア自体は非常時に備えてそれほど強固に作られていない、ただ外側から開かないように鍵がかかっているだえだ。

ドア自体を破壊できるような特殊爆弾を使う程じゃない。

懐から破壊力増強の魔法を施した魔弾をショットガンに装填、取っ手を避けて鍵がありそうな辺りに照準を合わせる。

 

バァアァァン!!

 

銃声が鳴り響くとドアの一部分に穴が空いた。

取っ手を数回動かすと鈍い音を立てながらゆっくり開く。

着弾の衝撃でドア自体が歪まなかったのが幸いだ。

排莢して散弾を詰め直すと父さん、俺、兄さんの順番で非常口から侵入を開始する。

 

正直ゾラ達が俺の思惑通りに動くのは賭けでしかない。

あいつらは馬鹿だ、どうしようもない馬鹿だ。

馬鹿だけに行動の予想がある程度は出来るけど、追い詰められた馬鹿は何をしでかすか分かったもんじゃない。

それでも、ゾラ達ならこんな時にどうするか何となく分かるのは長年の付き合いがあるからだ。

あんな悪党でも一応は身内だった、それが心の何処かに引っ掛かる。

本心から嫌っているし、殺したいと思ったのも数え切れない。

それでも顔を知ってる相手を殺すのは心の何処かに躊躇いが生まれるもんだ。

ダメだな、今はみんなの救出に集中しないと。

 

狭い非常階段を抜けると人が擦れ違える程度の広さの廊下に出た。

船内に貼られた案内板から凡その現在位置を割り出す。

制圧戦の為にこの船と同型飛行船の設計図を複製し配って皆に憶えさせた。

迅速な作戦行動には事前準備が欠かせない。

人質の心配を紛らわすにはちょうど良い暗記問題だった。

 

灯りを放つ案内板の辿って船内を音を立てないように移動する。

体格の良くて防御を固めた父さんが一番前、銃器を持った俺が真ん中、背後の守りを担当する兄さんの順で進み続ける。

船内の何処かで繰り広げられる戦闘の音が小さく響いている。

角を曲がった瞬間、俺達とは違う服装の男が二人に出くわした。

明らかにアンジェ達以外に攫われた人質や非戦闘員の乗組員でもない屈強な男。

頭で考えるより先に俺は手にしているショットガンの銃口を父さんの肩越しに男達へ向けて引き金を引き絞る。

 

ダァァン!!

 

威力は低いが範囲の広い散弾は身を隠せる場所が無い飛行船の廊下の戦闘に最適だ。

被弾した二人が呻き声を出しながら蹲る。

とりあえず生きてはいる、トドメを刺すには時間が惜しい。

運が良ければ生き残るし、死んでも悪事に加担してたから同情の余地は無い。

必死に自分にそう言い聞かせて先に進む。

 

現れたのは重い金属製の扉。

これが俺達の目標地点、そして扉の中から伝わってくる声から複数の気配を察知。

そっと扉を開けて中の様子を窺う。

武装した奴らが一、二、三、四、五、合計五人。

他にも物陰で見えてない可能性もあるが最低で五人は間違いないだろう。

女の声は聞こえないから少なくてもアンジェ達はまだここに来ていない筈だ。

ゆっくり手を開いて敵の数を二人に教える、俺の言いたい事を把握した二人は頷き返す。

 

不意を突けば勝てる、時間はあまり無い。

ショットガンに弾丸を二発込め、腰に差したナイフを取り出しやすいように留め具を外す。

鼻から息を吸って口から吐く、鼻から息を吸って口から吐く。

呼吸を整えると二人に目配せして、音が出ないようにゆっくり扉を開く。

相手がこっちに振り返る直前、俺達は全力疾走を始めた。

 

戦闘になると一秒が数秒に引き延ばされたと感じるぐらいに五感が研ぎ澄まされる。

俺達の姿を発見した敵兵が驚いた顔でこっちを見た。

そいつらの一人に銃口を向けて引き金を一回引く。

 

ダァァン!!

 

正確に狙いをつけなくても当たる可能性が高い散弾はこんな時に便利だ。

被弾した空賊らしき男が倒れ伏した。

その隣にいた男に照準を合わせてもう一度撃つ。

体勢がマズかったのか少し狙いがズレたのか今度は敵に当たらなかった。

だけど驚いた男は思わず体を竦める。

装填していた弾が無くなったショットガンを別の男に向けて思い切り投げつける。

 

ショットガンが当たった男が怯んだ隙に腰のナイフを抜き放つ。

片手剣と同程度の重量の鉄を鋳造して作られた特注の軍用ナイフ。

間合いこそ短いが刃の厚さと重さはナイフというより研がれた鉈に近い。

手首を固めナイフを右手で思いっきり握り締め柄尻に左手を当てた。

刃物で人を刺殺する時は刃を寝かせて骨が当たらないように隙間を狙い胸を狙うなんて器用な刺し方は俺じゃ無理だ。

代わりに全力疾走で刃が当たった時の破壊力を強化する。

そのまま体当たりの感覚で体を竦めた男の腹に思いっきりナイフを突き立てた。

 

ジュッッフ…

 

「グ!ジャ#ギャバ?アォァっ?!!」

 

柔らかい何かに刃物を突き立てた感触と人とは思えない叫びが辺りに響き渡った。

ナイフを掻き回すように腹から引き抜いてショットガンが当たった男に向き直る。

仲間をやられて怒った男が俺に向けて銃を抜こうとする姿がゆっくりと見える。

だけど遅い。

左手で男の腕を押さえて動きを封じナイフを握った右手を思い切り横に振り払う。

 

ザァァピュッ

 

何かを断つ音と湿った音が混じり合った奇音が響く。

首から大量の血しぶきが噴出されてヘルメットを汚した。

大きな音を立てて男は倒れた、既に命を失った死体と化している。

周囲を見渡すと俺達の他に生きてる奴は居ない。

兄さんはライフルで一人を射殺、父さんは剣で最後の一人を斬り殺していた。

 

銃弾が当たった男、腹を刺された男が苦痛で呻いている。

その頸動脈にナイフの刃を当ててゆっくりと引くと首筋の切創から大量の血が溢れ出し男達の顔が青白くなっていく。

人間は大量に出血すると数十秒で意識が遠のいて死ぬ、これが一番苦痛を感じず早く死ぬ殺し方だ。

そう思っていても結局は殺した相手に対する慈悲なんて自分が楽になりたいだけだ。

銃で撃ち殺された男、首を斬られた男、腹を刺された男。

ほんの少し前まで生きてた相手の死体が床に転がっている。

 

人は死んでも肉体の反応が完全に停止した訳じゃない。

傷口から見える骨は光ってるのかと思うぐらい真っ白いし、臓器はまだ動き続けて血を垂れ流す。

溢れ出た血は床を紅く染め続け、人体にはこれだけ血が溜まってるのかと少し驚く。

吐き気がこみ上げて口を押さえようとしたけど自分がヘルメットを被ってた事を思い出した。

このまま吐いたらヘルメットの中がゲロまみれでひどい有様になる所だった。

急いで脱ぎ逆流した胃液を吐き出す。

アンジェが誘拐されてから不味い軍用ビスケットを食べただけで胃の中は空っぽに近い。

それでもゲロを吐いた口の中は胃液の酸っぱい味でひどい状態だ。

 

「リオン、大丈夫か?」

「相変わらず死体は苦手みたいだな」

 

仕事を終えた父さんと兄さんが近づいて来る。

どうやら二人も無傷らしい。

単純な身体能力なら父さんと兄さんの方が上だ、俺が二人に勝てるのは小賢しい知恵と情け容赦なく敵の急所を抉れる割り切りだけだ。

 

「お前がもっと残虐なら歴史に名を遺す軍師になれるかもな」

「そんなもんになりたいと思った事は一度も無ぇよ」

「とりあえず皆はここに来てないようだな」

 

来ないなら来ないで良い。

上は英雄サマが居るからうちの兵隊の被害は少ないだろう。

何かあれば連絡があるし、もし俺達がここに来たのが徒労で終わるならその方が良い。

誰かを殺す俺の姿なんて家族に見せたくない、惚れた女相手なら尚更だ。

 

「しかし本当にあったな、驚いたぞ」

「こうなると予想してたのか?」

「別に、ただあいつらならこうするだろうなって考えただけさ」

 

その予想が当たらない方が良かったんだけどね。

戦闘服のあちこちに仕込んだ道具を取り出して二人に手渡す。

 

「じゃあ、時間も無いし始めようか」

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

船内の狭い廊下は大人で行動するには適さない。

人質を数人引き連れ、さらに荷物を持ち運ぶなら更に速度は落ちる。

ゾラ、メルセ、腕を掴まれた私とドロテアを剣で脅すルトアート、ジェナとフィンリーを引き連れた空賊と荷物持ちの空賊。

計九名の団体行動ともなれば廊下を進むのも一苦労だ。

 

「さっさと歩きなさい!!」

「何をもたもたしている!!」

 

ゾラとルトアートが悲鳴じみた命令を下すが、そう言われて速度を上げるのは無理だ。

船内のあちこちで銃声や叫びが聞こえ始めている。

物音がする度に戦闘に巻き込まれるのを避け目的地に向かう進路を変更している。

時間がかかるのは分かりきった事実だ。

そもそも逃走するならエアバイクの集団が此方に向かう前、いやグレッグの鎧が出撃した時点で始めるべきだった。

鎧の半数が撃墜された頃、私達を拘束している空賊達は艦橋から退きゾラ一家と共にの私室へ向う。

私室に置いてある貴重品や金銭を慌ててバッグに詰め込み逃げ出す準備を始めた。

敵に追い詰められてから逃走の準備を図る計画性の無さを私達は冷めた目で見つめ続けた。

 

ここまで来ても戦いもせずに逃げ出すゾラ親子の下劣さには嫌悪感が沸々と湧き上がる。

必死で戦う空賊や元騎士の連中を見捨てて自分達だけは助かろうとする浅ましさはどう考えても貴族に相応しい振る舞いではなかった。

そもそも貴族とは己の言動に責任を持たなくてはいけない。

多大な権力を有する代償に失政の責任を命で贖う。

それが出来ぬのなら権力を持つべきではない。

結局ゾラ達は血脈だけが拠り所の腐敗貴族の一人、ファンオース公国との戦争で民と領地を捨て逃げ出した臆病者に過ぎなかった。

 

狭い廊下を幾度も曲がり下った先どうやら船尾にある格納庫らしいと彼らの会話で察した。

このままではせっかくリオンが来てくれたのに逃げおおせてしまう。

空調に火を付けたのはどうやら無駄な足掻きになってしまったようだ。

せめて時間を稼がなくては。

 

「無様に逃げるのか?配下に戦わせて自分達だけ助かろうとは見下げ果てた連中だな」

「人質は黙っていろ!お前らは大人しく私達に従ってれば良いんだ!」

「リオンの言った通り逃げ出した所で受け入れてくれる場所は何処にも存在しない。最後くらいは潔く降伏したらどうだ」

「私達の命が薄汚い空賊や役立たずの騎士と同じ筈ないでしょうが!」

 

よりにもよって手下の空賊の目前でそれを言うのか。

命と金で従わせている連中だろうに、仮に此処から無事に逃げおおせた所でゾラ親子に未来があるとは思えない。

 

溜め息を吐き出しなるべくゆっくりと歩く、せめて救助隊に気付かれる事を祈りながら。

だが私の祈りを虚しく、ついに船尾の格納庫に到着してしまった。

此処には緊急脱出用の小型飛行船が準備されているらしい。

ゾラ親子は既に何人かは逃走の準備に向かわせているようだが、隙を見て始末しろと私達を拘束している者や荷物を抱えた数名の空賊に言い含めているようだ。

褒美の取り分が増えると空賊達が思っているらしいが、ゾラ親子が同じ事をしない保証は無い。

むしろ準備している者達に同じ事を言って同士討ちを狙っているかもしれない。

それを教えるほど私は人格者ではない、むしろその混乱に乗じて助けを呼べないか必死に考えている。

 

扉が開かれてそれほど広くない格納庫に無理やり入れられる。

その中央に小型の飛行船が鎮座していた。

違和感に気付いたのは飛行船の付近に横たわった男達を見た瞬間だった。

床に広がる赤黒い液体、噎せ返りそうな鉄臭、そして青白く虚空を睨む男の瞳。

一目で息絶えていると分かる数人分の死体が転がっている。

息を飲み込み必死に叫びこ堪えた、格納庫に反響する悲鳴を上げたのは一体誰か。

死体の中央に黒い人影が佇んで手にした散弾銃を此方に向けている、それはよく知っている戦闘服。

 

あぁ、やっぱり来てくれた。

その姿を見て全身が喜びに打ち震えてしまう。

いつだって彼は私の為に頑張ってくれる、どんな無理をも必死にやり通そうと努める。

先程の愛の言葉を思い出し体が熱を帯びていく。

早くその顔が見たい、だがここで自分勝手に行動すれば義姉妹やドロテアを巻き込んでしまう。

必死に自制して相手の反応を待たなくては。

 

「だ、誰よお前は!」

 

黒い人影が脱ぎ捨てたヘルメットがゆっくりと床を転がる。

その顔を私はよく知っている、筈だった。

 

()だ?この男(・・・)は?』

 

確かに彼は私の知るリオン・フォウ・バルトファルトその人だ。

だが違う、何かが違う、違い過ぎる。

彼は口が悪くて文句ばかり言う捻くれ者、だけど私と子供達に優しく家族を心から大事にする愛しい夫で。

なのに、目の前にいる男と私の知る彼が同一人物に見えない。

 

いや、私はこんな彼を知っている。

思い出したくないから記憶の隅に押し込めてた筈の暗い異物。

私を戦場の敵と誤認して殺そうとした時のリオンだ。

体が震えるほどの恐怖が足元から上がって来る。

一度刷り込まれた恐怖を払拭するのは困難窮まる、ましてやその相手は日常的に接している自分の夫なのだ。

そんな夫が嘗て己を殺そうとしたと怯えていてはまともに生活できない、だから記憶の奥に封じていた。

 

「久しぶりだなゾラ、メルセ、ルトアート。こうして直接顔を合わせるのは何年振りだろうな?」

 

先程の通信の時と同じ軽口を叩くリオン。

だが違う、普段のリオンとは決定的に何かが異なる。

いつもなら感情豊かに口が回り相手を煽るのがリオンの軽口だ。

今のリオンの軽口は感情が一切込められていない。

口調は同じなのにまるで別人が喋っているような拭えない違和感。

 

「ヤバくなったら自分が真っ先に逃げ出すのは相変わらずだな、上で戦ってる奴らに申し訳ないと思わないのかよ」

「ど、どうしてお前がここに!?」

「今までの行動を考えろよ。公国が攻めて来たら逃げ出して、父さんが銃を持ち出したら逃げて、王国が組織を潰し始めたら逃げる。恥とか無いのかお前ら?まさか本当に来るとは俺も思ってなかったけど」

 

確かにゾラ達は危機が迫れば真っ先に逃げ出す可能性が高いと義姉妹との会話や今の行動からも明らかだ。

付き合いの長いリオンならある程度の行動予測も可能だろう。

リオンがこの場に居るのはこれまでの戦闘経験と彼女達の人間性を把握していたから。

 

「自分達だけ真っ先に逃げるとか恥ずかしいと思わないのか?領地と民を護るのが貴族だって俺は教わったぞ」

「卑しい生まれのお前が貴族の何たるかを説くな!」

「じゃあ自分達が高貴だと?ゾラ、お前の実家取り潰されたらしいな。何でも当主がお前らと同じように戦争から逃げたって聞いたぞ」

「貴族の命は平民の命と価値が違う!生き延びれば家を再興する事だって不可能じゃないわ!」

「逃げ回ってたら手柄を立てる所じゃないだろ、そんな簡単な事も分んないの」

「命を捨てるのは馬鹿のやる事だ!」

「あとメルセとルトアートの本当の父親の父親に捨てられたらしいな。そいつも悪事に加担してたとか。お前らの血って平民以下だろ」

「成り上がり者が偉大な貴族の血脈を貶すのか!」

「その偉大なご先祖様の功績に泥を塗ってるのがお前らだけどな。ご先祖様の栄光は子孫の犯した罪で無価値になったんだぞ。申し訳ないと思わないのお前ら?無理か、そんな奴らの集まりだから取り潰されたんだし」

 

リオンの罵倒は的確に相手の心を貫く言葉の槍だ。

貴族としての矜持を抱く者ほどその言葉を聞いて己が行いを恥じ入る。

ゾラ母子が真っ当な貴族としての良識を持ち合わせているのならばだが。

 

「武器を捨てなさい!人質がどうなっても良いの!?」

 

ゾラの甲高い声が格納庫に反響した。

指示に従ったリオンの手から銃が落ち、腰に差したナイフをベルトごと床に放る。

その眼はずっとこちらを見つめたまま、一連の動作をしても決して視線を逸らさない。

やはりいつものリオンと何かが決定的に異なる。

 

「のこのこ殺されに来るとは間抜けだな!飼い犬の分際で爵位を貰ったぐらいで調子に乗るからだ!」

「そっちこそ無駄な抵抗は止めたらどうだ?既に勝敗が決まったと薄々察してるだろ」

「うるさい!リオンの分際で私達に指図するな!」

「人質を助けたければさっさとどきなさいよ!」

 

あくまで自分達が上位だという姿勢を崩さないゾラ母子の姿勢はある意味で感心する。

彼女達の中でリオンは今でも平民の血が混じった卑しい奴隷なのだろう。

その判断の誤りがこの追い詰められた状況を作り上げたとまだ理解していないのか、或いはこの期に及んでも目を逸らし続けるのか。

 

「お前のせいだ!お前みたいな輩が出たから王国は狂い始めたんだ!」

「何を言ってるか分からないな、どうやったら俺なんかが王国を乱せるんだよ?」

「薄汚い野良犬風情がちょっと戦争に行ったぐらいで子爵ですって!?そんな事が許される訳ないでしょう!」

「ならお前らも公国との戦争に参加すれば良かっただろう。父さんも引き留めたはずだ。そうすりゃ少なくても男爵家を継げたはずだ」

「ふざけるな!あんな勝ち目の無い戦争に行って死ねるもんか!」

「あの戦争は王国と公国の引き分けで終わったけどな。前のバルトファルト領は戦闘もほぼ無くて被害も軽微だった。お前らに金目の物を奪われた方が深刻だったぞ」

「あのお金は私達の物よ!」

「簒奪者が厚かましい!」

 

どちらが簒奪者かは明白だろうに。

それなのに歪んだ認知で己の主張が正しいと主張する彼女達が到底同じ人間に思えない。

言葉は通じるがその思考があまりに自分本位で支離滅裂すぎる。

 

「そのまま領地に残って時々こっちの様子を窺う偵察を追い払うだけでお前の欲しい物は手に入ってた。全てを捨てて逃げたのはお前らだ。俺達は捨てた物を拾い集めてコツコツ今日までやってきたんだよ」

「偉そうに説教するな!子爵の地位は私の物だ!」

「俺の爵位は俺個人の戦働きで貰ったもんだ。バルトファルト家は関係ないだろ」

「私達から逃げたくせに!」

「結婚するか軍に入るか選べって言ったのはお前だゾラ。だからちゃんと王国軍に入っただけ」

「黙れ!口答えするな!」

「家を再興したけりゃこの前の戦争に加わりゃ良かっただろ。追放されても国の危機に馳せ参じた奴に恩赦を与えないほど王家も非情じゃない」

「そんな戯言信じられるか!」

 

会話は何処までも平行線だ。

リオンの主張は感情的なゾラ母子に通じずひたすら時間が流れていく。

或いはこうした時間稼ぎが目的だろうか?

まさかグレッグとジルクが救出に参加しているとは思わなかった。

おそらく他の三人もこの戦場に来ている可能性が高い。

バルトファルト家を追い詰めたと考えた彼女達は思わぬ相手に恐慌を来たしている。

このまま時間が経てば更に状況は私達の有利になるだろう。

 

「さっさとそこを退きなさい!人質がどうなってもいいの!?」

「そうか、なら俺にも考えがある」

 

そういうとリオンは懐から何かを取り出した。

小さく細長い金属片が照明の光を反射して輝いている。

金属片の両端を摘まんだリオンは力を込める仕草をし始めた。

 

「何よそれ!?」

「この飛行船の起動キーだ。これがぶっ壊れたら起動できないぞ」

「!!?」

 

感情を込める訳でもなく淡々と説明するリオンがゆっくりと力を込め始めた。

リオンの膂力ならあの程度の小さな金属片を曲げるのは容易い。

そうなれば起動キーは破壊され飛行船は動かずゾラ達の逃走は不可能になるだろう。

もし人質の私達を殺せば救出に来たバルトファルト軍はゾラ母子の殲滅に躊躇が無くなる。

かと言ってこのまま時間を浪費すれば上階の空賊を鎮圧したバルトファルト軍が押し寄せる筈だ。

どちらにせよ彼女達の命運は尽きている、さっさと投降した方が身の為だ。

 

「止めなさい!それを壊したら人質を殺すわよ!」

「殺したら起動キーをぶっ壊す。その上でお前らを皆殺しにしてやる」

 

完全に状況が膠着した、もし誰かが余計な動きをすればリオンは躊躇う事なく起動キーを破壊する。

この場から逃走したいゾラ一味は迂闊に私達を傷付けられない。

だがリオンもまた動きを封じられてしまった。

この状況を打開するには誰かが動く必要がある。

しかし、その動きの如何によっては誰かが死ぬ運命になってしまう。

緊張した空気が格納庫の中に充満し、時の流れが一秒が数倍数十倍になった感覚に陥る。

 

場の空気を乱したのは意外にもルトアートだった。

ルトアートが懐から拳銃を取り出した瞬間、私達の間に緊張が走る。

間違いなく誰かが死ぬと身を竦ませる。

私の肩を掴みメルセに押し付けると拳銃を手渡した。

 

「姉上は人質を。今から私がリオンを殺してきます」

「下衆が」

「黙れ!お前はそこでリオンが殺されるのをしっかり見ていろ!」

 

人質四人はそれぞれメルセと空賊二人に拘束されているが、そもそもリオンを殺したいなら同行させた空賊を使えば良い筈だ。

だが空賊は一向に荷物を手放さないし、人質の拘束に従事したままだ。

確かにゾラ達が指導者という一面もあるのだろうがこの場合は悪手に他ならない。

リオンは確かに一般人に比べて戦闘に慣れているが、ルトアートと空賊二人を相手に出来るほど強い訳ではない。

武器を手放したリオンへ一斉に襲いかかる、或いは人質の拘束を緩め銃を撃てば良いだけだ。

それをしないのは私達が人質という貴重な交渉の切り札であり、富や価値ある品に拘るゾラ母子の偏執的な性格が原因である。

 

或いは先程のリオンの挑発が功を奏したのかもしれない。

リオンの侮辱は貴族としての矜持を刺激する物だった。

ホルファート王国の貴族は名誉や誇りをかけた決闘に於いては銃器を用いない。

無論、鎧同士の決闘では遠距離武器を使用してもルール違反ではないが人同士の場合は相手を容易に殺傷する銃火器を使うのは貴族として恥じる行いだ。

そこまで考えてリオンはゾラ母子を挑発したのだろうか?

正直よく分からない。

私の夫としてのリオン、周囲から外道騎士と呼ばれ恐れられるリオン。

そのどちらが彼の真実の姿か私にも分からない。

 

「さっさと殺しなさい!こんな所に一秒だって居たくないわ!」

「これが見えないのリオン!妻の命が惜しいならさっさとキーを寄越しなさい!」

「だったらアンジェを解放しろ、話はそれからだ」

「お前と会話するつもりは無い!さっさと私に殺されろ!」

 

ルトアートが歪んだ笑みを浮かべながらゆっくりと剣を構える。

呪詛の言葉と同時に放たれた斬撃がリオンを襲った。




章タイトルは潮里潤先生のイラストが元ネタです。
https://twitter.com/shiosatojyun11/status/1301539015003271168
なかなかヴァイオレンスな今作リオンですが、秀才が戦場で活躍するには人間性なり遵法精神なりを犠牲しなければなりません。
リオンの煽りは半分は理性で半分は素のイメージです。
個人の中傷は口の悪い素ですが、先祖や血筋の誹謗中傷は考えて罵ってます。
ずっとゾラ一家にひどい目に合わされたからキツい挑発になっても仕方ないよね。

追記:依頼主様のごリクエストによりMAHYO様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。

MAHYO様https://www.pixiv.net/artworks/115533640

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第58章 銃弾●

※注意 今章は少しだけ暴力的な表現があります。


バルトファルト領の兵達は飛行船内の部屋を一つ一つ調べていく。

エアバイクで相乗りしていた二人組でフォローし合いながら調べた終えた部屋に印を付け順々に端から制圧していく。

部屋に誰も居なければ次の部屋へ、部屋に居た者が降伏するなら手錠を使い拘束する。

王国軍の精兵ほどではないにしろ新興領主の軍にしてはなかなかの動きだ。

元々グレッグとジルクの鎧によって動揺した所に司令部である飛行船を攻められ指揮系統は乱れている。

後は負傷者を出さぬように気を付けつつ艦橋を制圧すれば良い。

 

抵抗を試みる輩も時折いるが然したる障害にはならない。

飛行船の内部では剣を振るには狭いし火力の高い魔法も使えないが、逆にそれが敵兵を殺さずに済む手加減として機能している。

人質の救出に向かったバルトファルトが上首尾に終わればこの作戦も終わる。

生け捕りにするより無慈悲に殺す方が手っ取り早く済ませられるが、手間を惜しんで無駄に命を散らせるのは忍びない。

たとえ法の裁きで死を賜るか一生苦役に服すとしても弁明の機会は与えられても良い筈だ。

空賊になった者達にも理由がある。

この数年間の活動で知ったのは政治の不備によって民を賊に変えるという事実。

切っ掛けがあれば民は容易く悪に身を堕とす、かといって苛政を敷けば民は反旗を翻す。

自分達も嘗ては過ちを犯した、赦しは強者の傲慢ではなく他者を思い遣る優しさである。

それに気づかせてくれたのは平民出身の聖女だった。

 

「フィールド様!アークライト様!」

 

二人の名を呼びながら駆け寄ったのは中年の兵だった。

バルトファルト軍の騎士であり領主からの信頼も厚い男だ。

それほど焦っている様子ではないが、どことなく気まずそうな表情をしている。

 

「何かあったのか?」

「現在、兵八名が本船の艦橋制圧に着手しています。ですが敵の抵抗が激しく制圧に時間がかかるものと思われます」

「分かった、助勢しよう」

「感謝します」

 

艦橋は船の操縦の為に様々な機器が並んでいる。

下手に傷付ければ操縦不能となり人質の救出どころでではなくなってしまう。

何より先程から船内のあちこちから煙が漏れ始めている。

おそらく船内の混乱によって何かに引火した可能性が高い。

下手に時間をかけては人質はおろか全員が焼死しかねない状況となる。

一刻も早く問題を解決した方がいい。

 

騎士に案内され艦橋に近付くと罵声と銃撃音が大きくなる。

叫びの内容を聞いてみれば立て籠もった賊が最後の抵抗をしているようだ。

下手に粘られては不味い。

そう思って駆け上がった先にはバルトファルト軍の兵士達が物陰に隠れつつ降伏を促していた。

二人の存在に気付いた兵を制止して下がらせる。

状況の変化を察したのか賊の抵抗が一時的に弛んだ。

 

「抵抗は止めたまえ!これ以上の戦闘は無意味だ!一刻も早く投稿すれば無駄に犠牲者も増えないぞ!」

「うるせえ!」

 

ダァァンッ!

 

返答と同時に銃弾が空気を割く音が響く。

あくまで抵抗するつもりか、或いは投降の切っ掛けが無いだけか。

前者なら慈悲無く屠るしかないが、後者なら説得の余地がある。

 

「既に淑女の森は崩壊している。抵抗を続けた所で無意味だぞ」

「空賊の者達に関しても投降するなら正式な裁判を設けるつもりだ。大人しく縛に付け」

「嘘つけ!信用できるか!」

「なら殲滅がお好みか?言っておくがそこに居る君達を僕達二人なら数十秒で殺し尽くせる」

「これは脅しではない、単なる事実を知らせてるだけだ」

「誰だお前ら!?」

「僕はブラッド・フォウ・フィールド」

「私はクリス・フィア・アークライトだ」

 

相手の名を知った空賊達の動揺が艦橋の外まで伝わってくる、同時に抵抗が止まる。

話し合いの声が落ち着くと一人の男が扉の内から現れる。

どうやらこの男が首魁らしい。

 

「投降すれば皆殺しはしないのか」

「あぁ、但し拘束はさせてもらうぞ」

「情報を把握する為にしばらくは生かしてもらえるだろうね。尤も、それは僕達の仕事じゃない」

「お前達は王国の法によって裁かれる。残念だが罪人の減刑できるほど我々の力は強くはない」

 

非情な宣告ではあったが誠実でもある。

淑女の森に属しホルファート王国の転覆を目論んだ末に空賊に身をやつす。

本来は有無を言わさず極刑に処されてもおかしくはない。

裁きの場を与えられてただけ人として扱っている分マシである。

貴族籍はもちろん戸籍すら抹消された犯罪者に対しては過剰な温情と言えるだろう。

 

その言葉を聞いた首魁らしき男の顔は何処か遠くを見ながら虚ろな笑いを湛えていた。

身のこなしや体つきから推察するにおそらくは王国か公国の貴族階級の出身だろう。

彼がどのような人生を歩んで来たか二人は知らない。

 

「何故だ?」

 

男が呟いた言葉には疑問と怒りが含まれていた。

 

「どうして俺が裁かれねばならない?俺はただ主命に従っただけだ。主が公国と通じていたというだけで騎士の地位を奪われねばならない?」

 

ホルファート王国とファンオース公国の戦争後に多くの貴族が公国との内通した罪で裁かれた。

その中には仕える主君の命に従っただけの者もいただろう。

追い詰められ否応なしに公国に寝返った者も多かったはずだ。

オリヴィアの存在が無ければそうなる可能性は確実だった。

それは確かに不幸な出来事だろう。

だが、それが他者を傷付ける免罪符となる訳ではない。

 

「確かに人は過ちを犯す。僕達が今まで一回も間違いをしなかったと言うつもりはないよ」

「ならば何故だ、どうしてお前達はのうのうとその地位にしがみついていられる。我らがこうして落ちぶれなくてはならん」

「本当に分からないのか?貴様らが今している事を思い出せ。人々を襲い殺戮し略奪を行う。道義に悖る行いその物だぞ」

「地位や名誉を失っても人を傷付けず正しく生きる道は残っていたはずだ。それを選ばず自ら罪を犯したから君は裁かれるんだ」

 

人は容易く悪に堕ちる。

飢えで、貧困で、嫉妬で、憎悪で、悲憤で道を誤るものだ。

それでもなお正しく他者を慮れる者が存在する。

楽な道を選ばず困難な道を選べるのが人の尊さであり素晴らしさなのだろう。

 

「大人しく投降したまえ、傷付きたくはないだろう」

「……そうはいかん。俺にも意地という物がある」

「そうか」

 

クリスが剣を抜き前へ進む、男もまた神妙な面持ちで剣を抜き放った。

男が放つ殺気が周囲に満ちて空気を微かに震わせる。

それを受けても泰然自若のまま姿勢を崩さないクリスはその若さに反してどれ程の戦場に身を曝したのか。

戦うまでもなく勝敗は決している、それでもなお男は笑った。

 

「最後の相手が小剣聖とはな。悪党の最期にしては上等だ」

「すまないがこちらは殺すつもりはない、無力化した後に拘束して事情聴取に協力させるからな」

「舐めるなガキ」

 

時間にして数秒。

放たれた二つの剣閃がこの作戦の決着を示した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ブォン! シャッ! キンッ!

 

剣が空気を裂く音が格納庫に鳴り響く。

上段からの振り下ろし、次いで胴を狙った正面突き、更に間合いを詰めて横薙ぎ。

ルトアートの剣撃をリオンは器用に躱し続けた。

間合いをほぼ見切っているのだろう、危なっかしい所も無く足取りも確かだ。

 

「避けるな貴様ァ!」

「いや、当たったら死ぬから避けるだろ」

 

ルトアートの剣術がそれほど優れていない部分も大きいのだろう。

多少は鍛えているらしいが、学生時代のユリウス殿下達と比べれば稚拙な物だ。

手にした武器が儀礼用に近い片手剣なので装飾が動作を阻害している影響も大きい。

それを見越してリオンは回避を続ける。

リオンとルトアート、二人の技量差は明らかだ。

確かにリオンは天稟が無いのかもしれない、だが幾度も戦場で死線をくぐり抜けた経験によって危険に対する洞察力が培われている。

リオンにとってはルトアートは御しやすい相手に他ならない。

 

『リオンの目的は何だ?』

 

挑発を繰り返しゾラ達をこの場に留めておきたいのは理解できる。

だが単独で相手をするのは得策ではない。

人質が女性四人ともなればゾラ達だけで連行するのは困難だ、同行させる者が必ず必要になる。

最低でも二人、多くても四人の同行者がいると予想できた筈だ。

それをリオンが理解していない訳が無い。

リオン達の戦いを見つつ格納庫内に注意を払う。

こちらから見えるのは逃走用の飛行船と床に転がる空賊達の死体だけだ。

 

ふと、死体を見た瞬間に疑問が湧いた。

格納庫の死体は五人。

ある死体は首を斬られ、ある死体は肩から胴までを断たれ、またある死体は銃で頭部を銃で撃たれていた。

本当に彼ら全員をリオンが一人で殺したのか?

確かにリオンは兵として優れてはいるのだろう。

だが屈強な空賊を五人同時に殺められるほど突出した強さを持ち合わせてはいない。

遠距離からの狙撃を行う、或いは爆弾を用いれば可能かもしれないが死体の損傷から銃のみで殺した訳でもないし、爆弾を用いたなら格納庫内に熱も焦げ跡も残っている筈だ。

 

そこまで考えれば導き出される結論は一つ。

おそらくはリオンと行動を共にした者がこの場に潜んでいる。

義父上か、義兄上か、或いはコリンかは不明だが同行者は確実に存在している。

リオンの目的は私達の救出、リオンの言動はゾラ達の注意を引き付ける為の陽動に他ならない。

 

悟られないように横目でゾラ達と人質の状況を確認する。

ゾラは武器を所持していない、メルセは人質の私に拳銃を突き付けている、ルトアートはリオンと交戦中。

空賊の一人はジェナとフィンリーの腕を掴んで両手が塞がっている、もう一人の空賊も荷物とドロテアの拘束で武器を持っていない。

つまり、交戦中のリオンを除いて死に直面しているのは私だけ。

逆に言えば私の安全が確保されたならリオン達は即座に反撃に移る事が可能となる。

 

嗜虐心を煽られたメルセはルトアートがリオンを攻撃している光景に見入って私に対する注意が散漫になっていた。

華奢な手足は労働や鍛錬の形跡が見られない、恐らくは冒険に対して興味を抱かず他家に嫁ぐ為に育てられた典型的貴族令嬢だ。

拳銃の持ち方にもそれが顕著に表れている。

そもそも拳銃の大きさがメルセの掌に合っていない。

こうした場合は両手で拳銃を保持するのが正しい姿勢だ、片手で私の服を掴んだまま撃っても反動で照準が逸れてしまう。

何より私に銃を突き付けているせいで安全装置の解除が不完全なのがこちらに丸見えだ。

おそらくルトアートに拳銃を渡された時そのままの状態なのだろう。

この状態で引き金を引いても不発になる可能性は高い。

ただ、あくまでも可能性が高いだけでそのまま銃弾が発射される可能性も存在している。

どちらにせよ私が付け入る隙はあった。

アンジェリカ・フォウ・バルトファルト、後はお前の決断だけだ。

 

ゆっくりと呼吸を整えて覚悟を決めた。

肌身離さず身に付けている御守りは念じても仄かな発光が服に阻まれて見えない。

丁寧に丁寧に、気付かれぬように念じながら軽く掌を握る。

形は見えずとも宿る熱さが火球の存在を掌に伝えてきた。

不思議な事に御守りから発せられる火はどれだけ激しく見えても私の身を焦がす事は無い。

ひたすらに念じ、私の情念を凝縮するように熱を宿す。

そっと手を開くと爪の大きさ程度の火球が完成していた。

さり気なくメルセの髪の房の一つに触れる。

メルセの訝し気な視線が私に向けれられる数瞬前、

 

『爆ぜろ』

 

心の中でそう念じた。

 

ボオォォン!

 

小さな破裂音と共に焔が空間に拡がる。

紅い焔はメルセの視界を封じ髪と顔の皮膚を灼く。

 

「キャアァァァァッ!?」

 

甲高い女の悲鳴と何かが燃える匂いが周囲に充満した。

髪に塗っていた香油に引火したのかメルセの髪にはまだ燃えている。

突然の事態に驚いたメルセは必死に腕を振り乱しながら火を消そうとする。

混乱のせいだろう、指が完全に引き金から離れた。

付け入る隙は此処にしかない。

不規則に動くメルセの右手首を押さえ人差し指と中指を握った瞬間に思いっきり捻る。

 

ボギッ

 

「うぎゅあ!?」

 

何かが壊れた感触が手に伝わり乾いた音と呻きが耳朶を揺らす。

指は神経が集中してる上に女子供でも容易く破壊できる数少ない急所だ。

突き指や爪の破損といった軽い怪我で激しい痛みに襲われる上に精密な動きが制限される。

もはや保持するのが不可能になった拳銃を奪い取ると思い切りメルセを蹴り飛ばす。

まず拳銃を握り速やかに安全装置を解除、次に遊底を操作し撃発装置の起動を準確認する。

ここまで何秒かかったか分からない、一秒にも十秒にも感じられる。

空賊二人は拘束している人質に当たる可能性がある、メルセは焔が思いの外効いて床に蹲っている。

狙うのならこの集団の頭目であるゾラだ。

ゾラを討てば場の流れは一気に此方が支配できる。

そのまま銃口を標的へ向けるとゾラの恐れ慄く瞳が私の視線と合った。

初めて人に向けて発砲する、その躊躇いが銃口を揺らした。

 

 

【挿絵表示】

 

 

パァン! パァンッ!!

 

最初の銃弾はゾラの服を掠め、二発目の銃弾は転がるように倒れたゾラの動きに追いつけなかった。

第三射を試みたが引き金が軽い、弾切れだ。

しくじった、人を撃つという不慣れな行動に動揺し逆転の好機を逃がしてしまった。

おそらく私は死ぬ、傷を負わせて命を狙った私をゾラ達が許す筈もない。

 

「何をしているの!?さっさと殺しなさい!!」

 

娘を心配する事もなく悲鳴が混じった声で命令を下すゾラ。

呆気に取られていた空賊二人はゾラに命じられ人質よりも私の殺害を優先する。

もはやこれまでか。

 

「なにバルトファルト家(うち)の嫁を襲ってんだお前ら!?」

 

突如として私と空賊達の間に割って入った声が聞こえると大きな影が目の前に佇んでいた。

何かが煌めいたと思ったとぼんやり思った直後何かが床の上に転がり落ちる。

球体にも似たそれの中央に白い何かが二つある、その白い物が眼球だと理解するのに数秒かかった。

此方を見つめる空賊の生首は驚愕の表情に彩られてる、おそらく彼は己に何が起こったか知らないまま死んだのだろう。

竦んだもう一人が後退りした次の瞬間、逆方向から現れた影が空賊に密着する。

 

ドォン!ドァン!ダァン!!

 

銃声が三回連続で鳴り響き物言わぬ屍と化した空賊が倒れ伏す。

 

「アンジェリカさん、ありがとう」

 

憶えがある声が二つ耳に聞こえて来る。

その声を聞いた瞬間に今まで張っていた気力が霧散し力抜けた。

 

「お待ちしていました義父上、義兄上」

「アンジェリカさんが気を逸らして助かりましたぁァッ!?」

「ニックス様~♥♥♥」

 

突如、義兄上に何かがぶつかってよろめく。

敵襲かと思い身構えてその存在を確認する。

金色の髪、丸みを帯びた女性らしい体躯、地味な色合いだが高級品の服。

ドロテアだった。

 

「あぁ、ニックス様♥やっぱり助けに来てくださったんですね♥」

「ド、ドロテアさんもご無事で何よりです」

「はい♥一日千秋の想いでお待ちしてました♥聡明なニックス様なら発信機にきっとお気付きになられると信じていたので♥」

「あ、あの体を密着させられたら動けないんですが」

「申し訳ありません♥一刻も早くニックス様にご確認していただきたくて♥」

「一体何を!?」

「下衆な空賊達にニックス様に捧げられる私の純潔が穢されてないか、直接その目でお確かめなられた方がよろしいと思いまして♥ご覧ください、私は生娘のままです♥」

「服を脱ぎ始めないでください!?」

「それよりお聞きしました?義父様はバルトファルト家(うち)の|嫁と仰いました♥つまり私は既にニックス様に嫁いだも同然です♥」

「そんな訳ないでしょう!!」

 

……放っておこう。

此処へリオン達が救出に来れたのはドロテアの功績である事には紛れもない事実であり、生きて再会を喜ぶ者を妨げるつもりもない。

義兄上には悪いが恩には相応に報いなくてはならない。

 

「ジェナ!フィンリー!パパが助けに来たぞ!」

 

満面の笑みで手を広げ娘達との抱擁を期待する義父上は大きな熊ぬいぐるみを思わせる。

こちらに対しても私は止めるは無い、存分に再会の喜びを堪能して欲しい。

しかし、ジェナとフィンリーは義父上の横を素通りしてある場所へ向かった。

二人は呻き声を出しながら這い回るメルセの前に立ち塞がる。

 

「なに逃げようとしてんの?」

「うぅぁ…、あぁぁ…」

「よくも好き勝手にやってくれたわね」

「殴られた怨みをここで全部返すわ」

「ひ、ひいぃぃ」

「ついでに今までの分も返してあげる!」

「自分のやってきた事を噛みしめなさい!」

「た、たひぃけしぇ……」

「うるせぇ!!ボコボコにしてやるから覚悟しろ!!」

「くらえ!!そのツラを修復できないぐらいにグチャグチャにしてやる!!」

「あァゲ#&ぃャ!ジぉ$ばゥ*」

 

聞くに堪えない罵声と悲鳴が聞こえてくる。

相当鬱憤が溜まっていたのだろう。

フィンリーはメルセに跨って執拗に顔面を攻撃し、ジェナは腹や股間を幾度も踏みつけ始めた。

 

「助けてくれニックス、俺の娘達が怖い」

「先に俺を助けて欲しい!!ドロテアさんを止めてくれ!!」

 

目を背けたくなる惨状?が血臭に満ちた格納庫で繰り広げられる。

正直どう対応したら良いか判別がつかない。

ふと手を見ると拳銃を握り締めた手が硬直していた、強く握りしめた影響か指に血が巡らず白くなっている。

指を一本ずつ引き剥がし息を整える。

これで私達は助かった。

 

「久しぶりだな、ゾラ」

「バ、バルカス……」

「逃げられると思うな、うちの連中が既に動いてる。この飛行船だって時間はかかっても必ず鎮圧されるぞ」

「そ、そんな……」

「王国の転覆に関与してるんだ。お前らは裁かれる。死刑は避けられないだろう」

「…………」

 

反論する気力すら残っていないのかゾラは茫然自失のまま座り込む。

従軍拒否・統治権の放棄・不貞行為で貴族籍を剥奪された上に殺人・強盗・貴族に対する誘拐と傷害まで加わったのだ。

人生を数回やり直さなければゾラの罪状は贖えないだろう。

 

「嫌よそんなの!私を助けなさいよ!」

「お前がやってきた事だろう、素直に受け入れろ」

「どうして私が死ななきゃいけないの!こんなの理不尽だわ!」

「お前達のせいで死んだ奴らの方がよっぽど理不尽な目に会ってる、賊に慈悲をかけないのがバルトファルトだ」

「何とかして!お願いよ!」

 

子供のように駄々をこねるゾラの姿はひどく醜悪だ、精神的な幼さと老けた外見が合わさり奇怪な怪物にも思える。

だからと言って容赦はしない、この状況を招いたのはゾラ本人の行動だ。

彼女が度々口にする貴族という存在は時に自らの命で責任を果たさなくてはいけない。

それが出来ぬのなら人を統べる資格は無い、義務を果たすからこその貴き者である。

 

「そ、そうだわ!再婚しましょう!そうすれば互いの利益になるわ!」

「……はぁ」

「貴方だってこんな醜聞を広めたくないでしょう!今ならまだ揉み消せる!これは単なる一族内の争いとして誤魔化せるわ!」

「無理だ、この一件には王家も関わっている。淑女の森に関係する奴は例外なく処罰される予定だ。諦めろ」

「嫌よ!お願い助けて!リオンが出世したんでしょ!?温情ぐらいかけなさいよ!」

「ゾラ、結婚して俺が今までどれくらい尽くしてきたと思う?常に正妻だったお前を立ててきた筈だ。それでも俺を単なる金蔓としか見てなかったのはお前だ。メルセとルトアートも俺の子じゃない。確かに俺達は政略結婚だ。リュースに情を残していた俺が悪くないとは言わん。だが少なくても俺は良好な関係を築こうと努力はした」

 

義父上の口調は聞き分けの無い娘を諭すような優しい声だった。

もしも私がユリウス殿下の婚約に執着したままリオンと婚約したのならこうなっていたのだろうか?

リオンに心を開かぬまま成り上がり者の領主貴族と彼を蔑み他の男に身を委ねる。

そんな事は無い、とは言い切れない。

バルトファルト領を訪れた頃の私は復讐の手段としてリオンとの婚約を受け入れた。

リオン・フォウ・バルトファルトという人物に興味こそ湧いたが、リオンを一個人として心を許していた訳ではない。

これはあり得たかもしれない私とリオンの関係だ。

 

「そうよ!あの女よ!あの下賤な女がいるから悪いんだわ!」

 

突如ゾラが狂ったように騒ぎ出す、新しい感情の矛先が見つかったようだ。

 

「あんな平民風情が貴族の妾ですって!?子を産む位しか能がない癖に出しゃばって!挙句に正妻に収まるなんて図々しい!生まれが悪いと考える事も卑しいわね!」

「……あの女ってのはリュースか?」

「そうよ!私を正妻に戻しなさい!貴族の妻が平民なんて恥だわ!私ならもっと上手く仕事をこな」

「戯言はそこで止めておけ」

 

義父上の声が一変する。

それまでの優しさが嘘のように殺意に満ち、手にした剣はゾラの首に添えられていた。

ゾラが何かを口にすれば即座に首を刎ねられる。

これがバルトファルト家の特徴か、穏やか見えて踏み込んではいけない一線が存在するようだ。

 

「口を閉じろ、リュースを侮辱するのは俺が許さん。たとえ国王陛下だろうとリュースを侮辱するなら弓を引く。あいつはお前の数万倍良い女だ」

 

その口振りはリオンとよく似ている。

いかん、あまりの状況にリオンの事を完全に失念していたらしい。

慌てて振り返ると其処には異様な光景が広がっていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

父さんと兄さんが空賊の二人を始末した、ゾラとメルセが無様に転がったの視界の端で確認する。

打合せ通り上手くいった。

俺が口で煽って注意を引き付けた間に二人が後方から隙を突く。

その為にわざわざ死体を救命艇の近くに配置したり扉から入って来た奴らに見つからないように荷物を移動させた。

手品ってのはどれだけ観客の注意を逸らせるかが重要だ。

アンジェの焔だけは計算外、あの御守りあんな事できたのかよ。

どこが安産子宝の御守りなんだ、妊婦に持たせたらいけない危険物じゃねえか。

 

「人質は助かったぞルトアート。形勢逆転だな」

「ば、馬鹿な。そんなのありえるか」

「戦場じゃありえるんだよ。お前、まだここがどこか分かってなかったのか?」

 

この期に及んで自分達の敗北を認めないルトアート。

気持ちが分かるがこれは現実、しかも命の価値がとっても軽い戦場です。

戦場に安全な席なんて存在しない、お互いの命を賭け金に相手の命を奪い合う賭博場だ。

何故か分からないけどそれが異様に達者なのが俺、何度もボロ負けしてるのに最後の最後に何故か首が繋がる。

死神様はとことん俺に対して意地悪だ。

 

「降伏しろ、そうすりゃ命まで獲らねぇ。まぁ捕まった後お前らがどうなるか知らないけど」

「黙れぇぇぇ!!」

 

剣を掲げたルトアートがこっちに迫る、極端な半身で腰を落として身構える。

ルトアートの剣術は貴族の手習い程度の実力だ、多少素早くて力も込められてるがその程度。

鍛錬を積み重ねた技じゃなくて単なる力押し、動きは単調で予想しやすい。

振り下ろされた剣が届かない位置まで半歩退く、そのまま擦れ違うように外側に移動。

これがちゃんとした剣術なら切り返しの斬撃が繰り出されるけどルトアートはそんな技術は持っていない。

左掌を軽く開き指を握る、そのまま移動の勢いと腕の動きを連動させて相手の顎に掌を捩じり込む。

 

ダァッン!

 

上手く入った、だけどルトアートの足元はふらついたが昏倒まではしない。

剣を警戒したせいで踏み込みが足らなかったか?

いや、単に俺の度胸と修練が足りないだけだ。

それなら邪魔な剣の方から処理するまでだ。

ルトアートがよろめいた隙に床に落としたナイフを拾いしっかりと握り込む。

ナイフを持った俺を威嚇するようにルトアートが剣を振るう。

だけど足元が覚束ないまま振るう剣は前にもまして大振りになる、見切るのはますます簡単だ。

体が流れてた動きの終わりに出来た隙を狙い一気に近付きナイフを振りかぶり思いっきり剣の根本へ叩きつける。

 

ギャッキィン! カァ~~~ンッ

 

「なぁ!?」

 

剣身が根元から折れたのを見てルトアートが信じられないと戸惑った表情を浮かべる。

普通ならこんな真似は出来ない。俺のナイフがどれだけ鉈に近い厚みと重量を持っていても普通の剣を叩き折るのは不可能だ。

だけどルトアートが使っていたのは貴族が鑑賞や装飾として使う細身の剣だ。

刃の鋳造が甘く実戦に向いていない、そんな物を愛用しているルトアートの技量も相応だと一目で分かる。

そのまま手首の動脈を狙ったが驚いたルトアートは後ろへ仰け反ったせいで切っ先が僅かに腕を斬り裂いただけで終わった。

 

「逃げるなよ、そのまま手首を斬り落としてやるはずだったのに」

「ひぃっ!!」

 

わざと過剰な言葉で相手の恐怖を煽り戦意を削ぐのが俺のやり方だ。

これで下準備は完了、相手を殺す作業から壊す作業に切り替える。

怯えたルトアートが柄だけになった剣を投げるのを難なく躱す、後ろで何かが当たった金属音が聞こえた。

こんなクズでも殺すのは気が引けるな、そっとナイフを床に置いて大股に近寄り無力化を狙おう。

無我夢中で俺に殴りかかってくるルトアートを前に左手を上げ右手を握り構える。

左手は距離を測る盾、右手は相手を仕留める槍。

ルトアートが間合いに入った瞬間、踏み込むのと同時に思いきり右拳を最短距離で突く。

 

グジャッ!!

 

右拳の先に衝撃、同時に肉の潰れた音を聞いた。

俺の拳は正確にルトアートの鼻を潰す。

鼻は顔の中心に位置して近くに目と口がある、上手くやれば同時に目も潰せる。

何より鼻からの出血は呼吸を困難にするし激痛で思考を奪い確実に戦闘力を失う。

次に片手を開いて張り手を耳に食らわせる。

 

パァン!

 

ルトアートが耳を押さえる、たぶん鼓膜がいかれたな。

そのまま下から上に足を蹴り上げた。

軍靴の先には金属が埋め込まれているから鍛錬した軍人の蹴りは金槌と同じ破壊力を持っている。

 

ブチャァッ

 

「ギャアアアァァ!!!!?」

 

ルトアートの股間に足がめり込み今までで一番大きな悲鳴が木霊する。

血と尿と精液が入り混じる生臭い匂いが鼻を突く。

完全に潰れたみたいだな、睾丸を潰された痛みで死ぬ奴もいるのになかなかしぶとい。

今度は膝を狙いもう一回蹴りを放つ、股間を押さえたまま悶絶しているルトアートは蹴りをまともに食らって倒れた。

 

その姿を見て心の何処かで充足感と一緒に何かが蠢いてるのを感じる。

自分の中にある暴力的な部分に歯止めが効かない、戦場にいる時ずっと俺の心にある一番嫌いな部分だ。

敵を上手く仕留めた時、罠に嵌めて大量の被害を出した時、一方的に相手を蹂躙する事でしか得られないどす黒い悦び。

 

「ガタガタ騒ぐんじゃねえ、こっちは戦争で骨折四回、打撲三十一ヵ所、全身打撲二回、銃創五ヵ所、裂傷熱傷は数えきれないんだぞ。玉潰されたぐらいで喚くな」

「ぁあぁぎぃぁや……」

「子爵になるまでこれだけの傷を負って死にかけた。その度胸が無いなら俺を羨まず大人しく逃げてりゃ良かったんだ」

 

そうだ、確かに俺は戦争が大嫌いだ。

だけど俺が殺した相手の死体を見てゲロを吐いて、命の危機に小便を漏らしながら同時に暴力を振るう快感にも酔いしれる部分が確かに存在してる。

普段ならこの衝動を抑え込められた、だけど今の俺は確実に暴力を愉しんでる。

ゾラ、メルセ、ルトアート。

こいつらに俺達がどれだけ苦しめられたか、どれだけの怒りを溜め込んできたか。

ルトアートを殴る度にその怒りを思い出し自分を制御できない。

 

虫のように這い蹲ったルトアートはジリジリと逃げていく。

奴の垂れ流した体液が床を濡らして跡を作り続ける。

必死の伸ばしたルトアートの指先が何かに触れる、その瞬間と握った何かを思い切り引き寄せた。

さっき俺が捨てたショットガンだった。

歪んだ笑みを浮かべてルトアートは俺に銃口を向ける。

 

「死ねぇぇえぇぇ!!」

 

引き金が引かれた。

 

カシッ カシッ

 

「オぁ?」

「銃弾はとっくに抜いてあるぞバ~カ」

 

ショットガンは効果範囲が広くて破壊力もあり過ぎる。

下手に撃って人質に当たったらマズいし、奪われたら一大事だ。

脅しには使えるだろうと最初から弾を抜いておいた。

そうじゃなきゃ最初から肉弾戦をしていない、手足を撃って無力化した方が楽だもん。

 

ショットガンを蹴り上げて遠くに飛ばしルトアートの上に跨る。

こいつが俺を殺そうとした、その事実に我慢できない。

拳を握ってルトアート顔面に叩き込む、両手を握り締め何度も何度も叩き込む。

 

グチャゥ… ボォゴッ… グィシッ… ズュリュ…

 

ひたすらに拳を打ち込む、自分でも何をしているか分からない、思考が遠退き言葉も出ない。

黙々と狩りで仕留めた獲物を解体しているような感覚。

怒りも殺意も消え失せて淡々と拳を打ち続ける。

ルトアートの顔が腫れあがり前歯が折れ悲鳴さえ出なくなっても止められない。

こんなもんじゃない、これじゃ全然足りないぞ。

いつの間にか手は拳の形をしていない、狙っている部位は顔じゃなくて首。

両手がルトアートの首を絞める。

既に意識を失ったルトアートは痙攣するだけだ。

その顔が少しずつ紫に変色していく、このままいけば確実に窒息死するだろう。

 

「死ね」

 

熱に浮かされた自分の声が何処か遠くで聞こえる他人の声に聞こえる。

あと数秒で命を奪えるその時、温かい何かが俺の頭に触れた。




バトル回の今章、やや暗い暴力的シーンです。
ドロテアさんだけが癒し枠、愛に生きる女は強い。
ジェナとフィンリーがメルセに追撃してますが、原作九巻でもフィンリーは同じ事してたから大丈夫。(そうか?
今作リオンは一線を越えると冷静に相手を始末する殺戮マシーン、戦場のトラウマによる一緒の適応です。

追記:今章の挿絵は依頼主様によりShedar様に描いていただきました、ありがとうございます。
Shedar様 https://www.pixiv.net/artworks/113793876

さらに依頼主様のリクエストによりKryto様、freedomexvss様、くあねろ様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。

Kryto様 https://www.pixiv.net/artworks/115599966
freedomexvss様 https://www.pixiv.net/artworks/115657661
くあねろ様 https://skeb.jp/@quanero95/works/21(成人向け注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第59章 因果

異様だった。

私の知るリオンは争いを好まない。

戦場で敵を撃つよりも畑を耕しているのがよほど似合う男だ。

そんなリオンがルトアートを殴り続けている。

ルトアートの所業は自業自得だ、裁判を省略し一方的に処罰されても文句は言えない。

それだけの罪をゾラ母子は積み重ねてきた。

 

今感じている違和感の正体はそんなルトアートを痛め続けるリオンの姿。

リオンは他者に甘く感情的ように見えるが、心の何処かで冷徹で必要ならば非情な判断を下せる部分が存在している。

政治は理想論だけでは行えない、戦場では兵の命より勝利を優先せねばならない場合もある。

利に聡い頭脳と他者を押し退ける貪欲さを心に抱えつつ、微笑みを絶やさず甘い言葉で寛容と慈愛を説き己が聖人の如く振る舞う。

それは優れた統治者や軍人の必須条件とも言える。

 

私とて公爵家で生まれ王宮の暗部を見て育った女だ。

権謀術数は貴族と嗜みと理解している。

なればこそ、そうした手練手管を厭うリオンが愛しい。

彼は口では文句を言いつつも決して逃げ出さない、悪態をつきながらを良き夫良き父良き領主であろうと努める。

何より戦を嫌うのに並みの貴族より遥かに荒事に長けている我が夫。

己の行いに迷い悩み苦しむ彼を慰める事で背徳的な悦びを得ている私はどこまでも卑しい女だった。

 

思い返せばリオンが他者に暴力を振るう様をこの目で見るのは初めてだった。

伝え聞く風評とリオンの人柄のあまりの差に戦意高揚や成り上がり者の嫉妬が混ざって外道騎士などという不名誉な異名を付けられたと思っていた。

だが、今目の前でルトアートに暴力を振るうリオンは明確に他者を傷付ける快感に酔っている。

婚約時代に戦場の残影に怯え私を襲ったリオンとは違い過ぎる。

その原因が私達、いや私を攫われた事に対する怒りと知って心の何処かに暗い愉悦が生じる。

同時に私が止めなくてはいけないという焦燥にも駆られた。

彼は優しい男なのだ、たとえ戦争で侵略してきた敵兵だろうと殺めた後で己が犯した罪に悩む。

幾夜、悪夢に魘され私の手を握る彼を宥めだろう。

幾度、戦場の恐怖に怯える彼を慰める為に体を交えただろう。

これ以上リオンが傷付く姿を見たくなかった。

人殺しはいけない等と美辞麗句を吐くつもりなどない。

ルトアートの命など私にとっては心底どうでもいい存在だ。

私にとって大事なのはリオン、彼を助けられるのなら理由など何でも構わない。

 

ルトアートの首を絞め続けるリオンを横から抱き締めた。

下手に言葉より行動でリオンを落ち着かせる。

伝説で語られる荒れ狂った神を鎮める聖女や巫女のようにリオンの怒りを宥めようと私の総てを用いてリオンを止める。

私の体温や感触が軍服に遮られるのがもどかしい。

この命が尽きるまで彼の隣にいると誓った。

たとえリオンに嫌われようと彼の怒りと悲しみを私が受け止める。

リオンが罪を犯すなら私も共に裁かれよう。

今はただ、彼がいつものリオンに戻ってくれる事を祈った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

温かい何かが俺の頭に触れた。

柔らかい感触と匂いからそれがアンジェだと目で確認しなくても分かる。

アンジェが生きている。

その事実だけで安心と喜びが湧き上がってきた。

俺を抱き締めながら細かく震えているのが伝わってくる。

ほんのちょっとだけ冷静になって目の前で痙攣するルトアートが目に入った。

顔色は黒に近い紫に変わって腫れあがった目と耳と鼻と口から血とそれ以外の体液を垂れ流してる。

 

俺がこいつをここまで痛めつけた、容赦なんかするつもりもない。

既にローズブレイド家の騎士が三人、他には鎧を操縦してる空賊や淑女の森の連中が何人か死んでる。

作戦を継続すればさらに死者が増える、バルトファルト領の連中も死ぬ可能性が高くだろう。

その原因はこいつらだ、ファンオース公国との戦争が始まった時に父さんがゾラ達を始末しておけば。

いや、俺が貴族になった後で訪ねて来たこいつらを殺しておけば死ななくて済んだ人が何人もいる。

俺は人殺しだ、敵国の兵を殺した数で貴族に成り上がった荒くれ者。

どれだけ取り繕っても俺の爵位は殺した奴らの血と肉と骨で出来てるのは間違いない。

ゾラ達を殺した所で混じる死体が少し増えるだけだ。

何の躊躇いも後悔も無くルトアートを絞め殺せる。

 

なのに、何故か首を絞める手の力が弛んでいく。

アンジェに抱き締められただけで俺を支配していた怒りと憎しみがどんどん小さくなった。

自分を奮い立たせてルトアートにとどめを刺そうと力を込めているのに手が震えて絞められない。

必死にゾラ達が俺の家族にしてきた仕打ちを思い出して対抗する。

かき集めた怒りを殺意に変えようとしているのにいつの間にか両手はルトアートの首から離れていた。

 

「……ぅえホッ、グゅェホ」

 

気道が開かれたルトアートが咳き込みながら呼吸を再開する。

あと数十秒、容赦なく絞め続けていれば絞め殺せたはずだ。

なのに出来なかった。

アンジェに抱き締められたら安心して体から力が抜けちまった。

そういや婚約した頃から俺が魘されてたら付きっきりで看病してくれたのはアンジェだ。

眠そうになりながら朝までずっと傍で手を握ってくれた事もある。

俺がどんなにひどい事をしても許して慰めてくれるアンジェは俺が自分で思っている以上に大事な存在らしい。

不安になって甘えると仕方ないなと抱き締めてくれたアンジェの柔らかいオッパイは俺の鎮静剤になってたみたいだ。

ゾラ達の憎しみよりアンジェや子供達の思い出の方が強かった。

何より人を殺す俺の姿をアンジェに見せたくない。

その想いが昔から憎んでいたこいつらを殺せなくなるとは皮肉なもんだ。

 

「……アンジェ、もう大丈夫だから離してくれ」

「本当か?」

「嘘は言ってない。これじゃアンジェの顔を見れないし」

「分かった」

 

俺の体から離れたアンジェの温もりと柔らかさが名残惜しい。

男は惚れた女のオッパイに勝てない、これは世界の真理だから仕方ないよな。

ルトアートから離れて立ち上がるとアンジェがもう一度抱き締めてくれる。

改めてアンジェの安否を確認する。

手足に異常は無いし、体も特に外傷は見当たらない。

だた右頬が少し腫れてるのが気にかかった。

 

「アンジェ、その顔」

「少し腫れてるかな。他に傷付けられた部分は無い」

「……誰がやった?」

「其処で気絶している男だ」

 

やっぱきっちりと殺しておこう。

そう思ってルトアートに再攻撃を仕掛けようとしたけどアンジェが離してくれない。

 

「何処へ行くつもりだ?」

「ちゃんとトドメを刺しておこうと思ってさ」

「それは私との抱擁より優先すべき事柄か」

「ケジメは取らせるべきだろ」

「リオンが十分やってくれた。許す気は無いが気は晴れた」

「……アンジェが満足ならそれで良い」

 

正直殴り足りないけどアンジェが良いならそれで終わりにする。

貴重な人生をクズの為に費やすのは精神衛生に悪いからな。

視線を皆の方に向けると兄さんはドロテアさんに纏わりつかれて大分困っている。

姉貴とフィンリーはメルセを痛め疲れたのか肩で息をしてた。

父さんはゾラを視界に収めつつ殺した空賊の死体を確認してる。

もうここに用は無い、さっさと戻ろう。

腰に入れておいた通信機を取り出してボタンを押す。

甲高い雑音が混じりの起動音が聞こえた後に口を近づけて報告を始める。

 

「こちらリオン、人質四名と首謀者三人の確保。そちらの状況は?」

『こちらはアークライト。少し前に艦橋の制圧に成功した。兵は数名が軽傷だが死亡者は無し。外もグレッグとジルクが全ての鎧を破壊した後に敵飛行船を攻撃、敵は降伏しこちらの飛行船に被害は見当たらない』

 

二十倍以上の数の鎧を全滅させたのかあいつら、やっぱ規格外の英雄だな。

コリンも無事みたいだし早く家に帰りたい。

 

「了解した、これより甲板に移動し飛行船への帰還を開始する」

『敵兵はどうする?降伏した生き残りは三十人ほどいるが』

「向うの敵船はどうなってる?」

『健在だ、武装は解除させている』

「なら両船ともこのままバルトファルト領に向かわせよう。お前らがいて抵抗を続ける奴はいないだろ」

『それだが少し困った事態が起こってる』

「どうした?」

『機関部で小規模な火災が起きてる。鎮火すれば運航は可能だがこの状況では無理だ』

「何でまた火災なんか起きたんだ、どっかの馬鹿が武器庫で暴れたのか?」

 

報告を聞いたアンジェがビクッと体を震わせて視線を逸らした。

これ、何か知ってるな。

 

「アンジェ」

「何だ?」

「怒らないから何したか正直に言ってくんない?」

「……飛行船の配管へ油や塵を流し込んで火を放った」

 

アンジェの頭を少し小突く、何やってんだ俺の嫁さん。

 

「馬鹿な事すんなよ。もし動力炉に引火してたら船が沈んでたかもしれないんだぞ」

「ちゃんと考えた!リオン達が来たと同時に火を放った!ここまで大事になるとは思っていない!」

 

人質が囚われてる場所に火を放つとか焼け死んでもおかしくない阿呆の所業だ。

俺もファンオース公国との戦争中は結構な無茶を繰り返したけどきちんと計算してやってるぞ。

素人の暴走ほど怖いもんはない。

 

「馬鹿とはなんだ馬鹿とは。私なりにリオン達の手助けをしたくて頑張った結果だ」

「大人しく攫われたお姫様やっててくれ。素人の勝手な判断ほど当てになんないから」

「ほほぅ、随分と棘がある言い回しだな。戦場に慣れた子爵様は随分と戦術にお詳しいご様子で」

 

何かアンジェが不機嫌になってきた。

どうも誘拐されて気が立ってる所に役立たず呼ばわりされたのが我慢ならないみたいだ。

まずい、このままだと泥沼の言い争いになりかねない。

火の回りも気掛かりだしさっさと逃げるに限る。

 

「空賊達はもう一隻の飛行船に移してもらえるか?こっちは人質と兵をうちの飛行船に戻したい」

『了解した、速やかに行動する』

「とりあえず移動するぞアンジェ、このままじゃ流石にマズいし皆の体調も気になる」

「……わかった」

 

よし、このままアンジェが本格的に怒り出す前に移動しよう。

上手くいけばこのまま忘れてくれそうだ。

 

「みんな!さっさと船に戻るぞ!」

「分かった、準備しろお前ら」

「ゾラ達はどうするんだ?」

「首謀者のこいつらは殿下に引き渡す!まずこの場から移動するのが先だ!」

「気絶してるルトアートとメルセは?一応は生きてるぞ」

「父さん!こいつら二人運べるか!?」

「二人は無理だ!。ニックス、お前が一人運べ!」

「了解した!離れてくださいドロテアさん!」

「あぁ!?」

 

人質全員が歩けるのは幸いだった、誰かが怪我をしてたら逃げるのが遅れる。

メルセとルトアートはいざとなったら見捨てられるし、最悪ゾラ一人を連行できれば面目は立つだろう。

抵抗を諦めたのかゾラは大人しく俺達に従っている、こいつも今は死にたくないみたいだから縛る必要も無い。

格納庫から廊下に出ると蒸し暑い空気が漂ってるし、あちこちの空調から黒い煙が出てる。

 

「マズいな」

 

思った以上に火の回りが早い、船底に近い船尾格納庫でこの有様だ。

このまま甲板に出るまで船内を歩かなきゃいけないのに上の方は煙が充満してる可能性が高い。

とりあえず廊下を急いで歩き侵入した非常口の扉を開けると熱と煙と煙が充満してたから慌てて閉める。

 

「非常口はダメだ、船内を歩かなきゃいけない」

 

この事態を引き起こしたのがアンジェだと思うと笑えない。

俺の嫁さん怒ると超怖い、これから怒らせるのは控えよう。

階段を上がると景色は一変してた。

あちこちから黒い煙が噴き出して廊下の上半分近くを覆ってる、せっかく人質を救出したのに火災で死ぬなんて笑い話にもならない。

 

「ハンカチや布で口を押さえろ!絶対に煙を吸うな!姿勢を低くして甲板を目指すぞ!」

 

船内の構造を事前に憶えておいて本当に良かった、何でも準備が大事だ。

隣のアンジェや後ろの皆を確認して大きく息を吸い込む。

 

「行くぞ!」

 

四足で這い回る獣みたいに廊下を移動する。

速度を出し過ぎて離れ離れになっちゃいけない、皆の安全を最優先だ。

歩けば数十秒の距離を倍の時間をかけて踏破する。

こっちの階段は煙が充満してない、上がるならこっちからだ。

慌てず、ゆっくり、確実に。

一段一段昇ってようやく外に出る扉に辿り着いた。

思いっきりドアを開けると新鮮な空気と蒼い空が出迎えてくれる、安全に呼吸が出来るって素晴らしいな。

 

「子爵!ご無事でしたか!?」

 

部下の一人が慌てて駆け寄って来た。

もう少しだけ生きてる喜びを噛みしめたいのにすぐに仕事だ、指揮官はつらい。

 

「状況は?」

「兵は全員が生存。軽傷が六名ですが作戦行動に支障はないかと。敵兵は三十一名です」

「まず全員を飛行船に移すぞ。俺達はエアバイクで帰還、負傷した者は運転担当から外せ」

「はっ。人質と敵兵は如何いたしますか?」

「人質は俺達の船に。敵兵はあっちの飛行船へ移す。グレッグとジルクの鎧に運んでもらえ」

「分かりました」

 

命令を聞いた兵達が行動を始めていると紫と水色の髪が近づいて来た。

 

「無事だったかバルトファルト」

「おかげさまでな。そっちは大丈夫か」

「僕らは怪我一つしてないよ。まぁ物足りない相手だったし」

 

視線の先には空賊やら兵士やらが三十人以上も甲板の床に座り込んだ。

これだけの人数に加えて鎧や飛行船をうちの軍だけで相手にしたら相当な苦戦を強いられたはずだ。

明かされた事実に背中が寒くなる、同時にこの戦力差を覆す英雄四人の力も怖い。

 

「そっちの指揮官は捕まえたのか?」

「淑女の森の指揮官はクリスが捉えた。剣術で彼に敵う相手は王国にほぼ居ない。腕の骨を折って無力化したよ」

 

腕を添え木された体格の良い男が拘束されている、どうやらこいつが事件の主犯らしい。

どう考えてもゾラ達が真っ当に指揮が出来るような奴らじゃないからこいつが実質的な指導者だろう。

 

「空賊の方は分からん、鎧の戦闘が終わる頃には彼らと別行動していたらしい。戦闘に巻き込まれて死んだ可能性もあるが死体の顔を調べる時間が無い」

「飛行船が沈んだら死体の確認どこじゃないしな。近くの浮島にでも着陸させたいんだけど」

 

報告を聞きながら気を抜いてると背後から何かが近づいて思いっきり弾き飛ばされた。

 

「ヤだ、夢みたいなイケメン」

「お兄ちゃん、この人達誰!?」

 

俺の姉と妹だった、メルセをボコボコにして煙に満ちた船内を非難したのに元気良いなお前ら。

 

「私はクリス・フィア・アークライトだ」

「ブラッド・フォウ・フィールドです。お嬢様方、初めまして」

「わ、私はジェナ・フォウ・バルトファルトです!学園で何度も見ていました!」

「フィンリー・フォウ・バルトファルトです!ところで御二人に気になる女性はいますか!?」

 

自己紹介もそこそこに婚活始めやがった俺の姉妹。

俺からの忠告だ、そいつらは止めておきなさい。

確かにイケメンで強いけどこいつらが義兄弟になるのはご遠慮願いたいし、何より聖女のオリヴィア様を一途に慕ってる連中だ。

どう考えても悲恋になるのが目に見えてるぞ。

 

「こっちは首謀者三人を連れて来た。あとアンジェと姉貴が顔を殴られたから早く医者に見せたい」

「分かった、急いで運ぼうか」

 

二人がエアバイクを指導させようとした所で父さんが焦った駆け寄って来た。

何か問題が起きたか?

 

「すまん!緊急事態だ!ゾラの奴がどこにも見当たらない!」

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

上手くいった。

船尾の格納庫へ戻りながら笑い出したくなるのを必死に堪える。

バルカスに捕まった時はもう終わりかと焦ったがやはり神は私を見放していない。

煙で覆われた廊下を移動する時に監視の目が弛んだ隙を狙い横道に私が逸れたのを誰も気付かなかった。

生まれが卑しい奴らは頭に知恵が回らない猿共だ。

貴族の私にこんな屈辱を与えるとは身の程知らず共め、いずれ必ず復讐してやるから精々一時の勝利を喜んでいるがいい。

 

しかし今回の戦いで失った物は大きい。

組織が崩壊してくれたおかげでせっかく首領にまで上り詰めたのにこの有様だ。

まぁ、役立たず共が勝手に負けただけで私が負けた訳ではない。

組織にとって有益でない者を切り捨てたと思えば必要な犠牲だった。

あんな無能達に頼ったのがそもそもの間違いなのだ。

やはり私は人の上に立つべき存在、神の寵愛を授かっている。

 

メルセにルトアート。

せっかく産んでやったのにあの体たらくとは実に情けない。

あれらの父もせっかくこの私が愛してやったのに役立たずだった。

生まれの卑しいバルカスの子を産むなど悍ましいからせっかく愛人になってやったのに従軍を拒否し逃げ出して家を取り潰された間抜けめ。

頼った私達を捨てた挙句に何処ぞの没落貴族同士の争いで殺されたらしいが当然の報いと言えよう。

その血を受け継いだルトアートも愚にもつかない臆病者だ。

あれが素直にバルカスに従いさえすればバルトファルト家は私の物だった。

上手くいけばリオンの子爵位さえ奪えたかもしれないのに役に立てないのなら産んだ意味があるのか。

メルセもそうだ、男に股を開くなら何処ぞの正妻でも愛人にでもなれば良いのに高望みして。

私がこうして苦しんでいるのも全てあれらが無能だからだ、もはや我が子とすら思わない。

 

「誰かぁ!!居ないのぉ!?」

 

逃げるにはどうしても人手が必要だ。

生き残りがいるならそいつを働かせてさっさと逃げるに限る。

私に対し幾度も口煩かった元貴族の騎士は捕まったか殺されたのか。

奴が取り調べで口を割る前に無事な淑女の森のアジトに行かなくては。

場所を記した地図は格納庫で殺された空賊に持たせていた。

アジトに蓄えてある金品や物資を使って再起せねば、いや売り払って贅沢に暮らすのも悪くない。

いずれは組織と関わり合いのある貴族を通じて何らかの地位に納まるのも良いではないか。

そうだ、子供など再嫁する時に邪魔なだけの存在に過ぎない。

男爵領を奪う為に産んでやったのに役目も果たせないとはつくづく忌々しい息子だった。

そんな煩わしさ解放される、今後の人生を自由気まま愉しむ為の身辺整理と思えば良いのだ。

 

何とか格納庫へ辿り着くと何かが動いている、近付くと徐々にその影は見覚えがある形に変わっていく。

空賊の長とその部下が数人いた。

せっかく雇ってやったのにこいつらは私を放置して何をしているのか。

怒りが込み上げて思いっきり怒鳴りつけた。

 

「何をしているのお前達!?さっさと逃走の準備をしなさい!!」

「……生きてたのか」

「口の聞き方に気を付けなさい!貴族に話しかける時は礼儀を持って接するの!これだから野蛮な空賊は嫌いよ!」

 

空賊達が不満げな顔をするが無視する。

お前達を組織の金で雇ってやったのは私、あの煩い元騎士に対抗する為に雇ってやったのにろくに成果を出さない。

そもそもこうして追い詰められたのはこいつらがバルトファルト家の連中を誘拐しようと企んだからだ。

お前達が欲を出さなければ私は無事だったはずだ、この無能共め。

 

「あんた、こいつらと一緒に逃げようとしたのか」

「そうよ!なのにバルトファルトの連中に先回りされたわ!本当に忌々しい!しかもリオンに起動キーを奪われたわ!何とかしないとここから逃げられないのよ!」

「そりゃ気の毒なこった」

 

あからさまに私を侮辱するような視線を投げかけるこいつが腹立たしい。

私の命とお前達のでは価値が違う。

平民の賊が何人集まろうと貴族一人の命に遠く及ばない。

ひたすら貴族の為に奉仕するの平民の存在意義であり使命なのだ。

 

「どうだぁ、起動キーが無いのは本当かぁ?」

「本当です頭ァ!これじゃ動かせません!」

「なら問題ねぇな」

 

空賊の長が懐から取り出したのは加工した小さな金属片だった。

それはリオンが持っていた金属片とよく似ていた。

 

「ど、どうして?」

「この飛行船はそもそも俺達のもんだぜ。備え付けの起動キーは偽物さ。俺達だけが脱出できるようにしとくのは当たり前だろ」

「よくやったわ!さっさと逃げるわよ!こんな所はもううんざり!」

「あぁ、それと今後の事なんだがな」

 

呑気に紙煙草を咥え火を付ける空賊の長が忌々しい。

さっさと逃げなければ処刑されてしまう。

再起するにも一刻も早くアジトに落ち延びなければ私の命が危ない。

 

「逃げるのは俺達だけだ」

 

目の前に突然壁が現れ思いきり体を叩きつけた。

痛みよりも衝撃で何が起きたか分からない、頭の上で人が壁に対して垂直に立っている、

ようやく目の前が壁であり、自分が倒れている事に気付いた。

慌てて立とうとするが突如腹を襲った猛烈な痛みに呻く。

何だ?何が起きた。

必死に顔を空賊達に向けると長が握っている銃から煙が立ち上っている。

その瞬間、自分が撃たれたと認識した。

 

「あ、あぐギゃあアぁぁァあぁァ!!?」

「うるせえ声だな、貴族様は撃たれたらもっとマシな悲鳴をあげると思ってたぜ」

 

腹部を押さえた手が血に染まる。

血が、私の血が、貴い血脈の赤き血が床に流れていく。

抗議の声をあげようにも激痛で言葉が出ない、襲い来る死の恐怖に汗が噴き出て止まらない。

なぜ?どうして?私が撃たれるなんておかしいでしょう!?

 

「ババァ、俺達を見捨てて自分達だけ逃げすなんて許されると思ったのか?いつまで自分が主だと勘違いしてやがる」

 

目の前に煙草の吸殻が落とされ、汚れた靴に踏まれ潰れた。

その吸殻がまるで自分のようで屈辱に身が焼かれる。

この私が虫ケラみたいに這い蹲るなんて!

抗議しようも喉に込み上げる吐き気に襲われ呼吸すらままならない。

出産とはまるで違う痛みに精神が削られてゆく。

吸殻を踏み潰した靴底で顔を踏みにじられる声はおろか息すらまともに出来ない。

ただの呼吸がこんなに苦しいなんて。

 

「この飛行船はそもそも俺達のもんだ。お前らはただ間借りしただけ。それも英雄サマと外道騎士のせいでお終いになった」

「あぇ…… うぁ……」

「年増の元貴族の価値なんて銅貨一枚にもならねえ。このまま殺してもいいがアジトの地図をもらったから命だけは勘弁してやる。もっとも、いつまで体が保つか知らねえが」

「うぉ…… おぁ… 」

「組織の隠し金目当てに組んでやった同盟だ、うるさい奴らが捕まれば後は俺達が頂いても文句は出ねぇ」

「ぎぃあ……」

「あばよ、貴族様。残り少ない人生を満喫しな」

 

痛みに悶えるゾラがその言葉を理解する事はなかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

『グレッグだ、飛行船の後部の乗降口が開き始めた』

 

捕まえた空賊達を飛行船に移送をしていたグレッグから報告が入った。

この状況で格納庫にいる奴なんて心当たりは一人しかいない。

あれだけひどい目にあって反省も諦めもしない精神はある意味で感心する、絶対に真似したくないけど。

 

『どうします?撃ち落としていいならすぐ仕留めますが』

 

たぶんジルクやグレッグにとっちゃ片手間で終わる仕事だろう、俺も相手がゾラがじゃなきゃ任せたい。

つくづく余計な雑務を増やしてくれる、俺達に嫌がらせする為に生きてるような女だ。

もちろん逃がすつもりはない。

だけど煙が充満する船内を戻って始末する時間も手間も惜しい。

 

「なぁ、淑女の森の指揮官がいるならゾラを捕まえなくても十分か?」

「彼の言葉が真実ならゾラ達は組織を繋ぎとめる為に担ぎ上げられたらしい。詳しい情報を握っている者は既に捕縛済みだ」

「じゃあ始末しても問題ないか」

 

懐から遠隔操作機を取り出しボタンを押して起動させる。

何かあった時の為に仕掛けておいたけどこうなるとは思ってなかった。

 

「救命艇が完全に出たら教えてくれ」

『了解した。いったい何をした?』

「まぁ黙って見てろ」

 

スイッチを押す準備をしてるとゾラの報告に来た父さんと目が合う。

少しの間考えて遠隔操作機を手渡した。

 

「俺がやっていいのか?」

「ゾラと一番因縁が深いのは父さんだろ。だから任せるよ」

「……すまんな」

「いいよ」

 

あんなクソ女でも一応は身内だった奴だ。

それにさっき止められなきゃアンジェの目の前でルトアートを殺す所を見られた。

これ以上アンジェに俺の醜い部分を見られて失望されたくない。

だから父さんに嫌な事を押し付ける俺もひどい奴だな、俺とゾラ達は大差ないのかも。

 

『昇降口から出てきたぞ』

 

通信機からの報告が入る、逃げ出すなら始末するしかない。

最後の最後までゾラは自分の事しか考えない女だった。

父さんの顔を見ると少しだけ悲しそうな顔をしてる。

悪人でも自分の妻だった女を始末するのは躊躇って当然だ。

 

「じゃあなゾラ。もし生まれ変わるなら真っ当な心になってくれ」

 

溜め息を吐いた父さんがボタンを押した。

 

ドドドオオオオオオォォォォォッッッッンンン!!!!

 

空に火柱が立った。

爆風が船を大きく揺らして思わず甲板にそうになる、デカい爆発音で耳が痛くて麻痺した。

甲板を見渡すと皆がへたり込んで呆然としている。

 

「爆破ボタンを押すのが早過ぎる!!」

「距離を取られたら指令が届かなくなるだろ!!」

「そもそも救命艇に爆弾を仕掛けるのがおかしい!!」

「父さんも兄さんも持ち帰るのが面倒臭い、今までの恨みだって笑いながら持って来た爆弾を全部詰め込んだだろ!!悪いのは俺のせいか!?」

 

おかしい、ここはカッコ良く爆発した救命艇を見るはずなのにしくじった。

救命艇は跡形もなく消し飛び、爆風やら衝撃で飛行船は大きく傾いてる。

船の被害も大きいけど皆の視線が痛い、特にアンジェが怒りながら近づいて来た。

 

「おい、リオン」

「……はい、なんでしょうか?」

「一体何をやった?」

「爆弾を仕掛けた。飛行船のドアとかを破壊する為の指向性爆薬とか白兵戦で使えそうな手榴弾を脱出艇の動力炉に山盛りで」

「考え無しに爆薬を仕掛けた訳だ。それで私には『素人の勝手な判断ほど当てになんない』だと?その割にはお粗末だな」

「……実戦ではこんな事が予想外に起きるから。いい勉強になっただろ?」

 

ボグッ!

 

思いっきりアンジェに殴られた、心と体が痛い。

 

「馬鹿な真似をしてないでさっさと帰るぞ」

「はい」

 

すごすごと引き摺られるように俺のエアバイクの所まで連行された。

跨って操作盤を弄ると装置が起動し甲板から少し浮き始める。

アンジェの手を取って後ろに乗せる、密着すると柔らかい感触が背中に当たって気持ち良い。

 

「助けに来ると信じてたぞ」

「惚れ直した?」

「最後の失態が無ければな」

「採点が厳しいなぁ」

「惚れ直すから満点まで格下げだな」

「基準が甘いのか厳しいのかはっきりしてくれ」

 

操縦桿を捻り上昇加速、バルトファルト家の飛行船に向けて飛び立つ。

煙を出し続ける公国製の飛行船を横目で確認しながら長い因縁に決着がついた事に胸を撫で下ろした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

爆発の衝撃で遠のいた彼女の意識が覚醒する。

何が起こったのかは把握できない。

ひしゃげた昇降口や傾いた格納庫の床から途轍もない力の奔流があった事だけは察せられる。

激痛に苛まれ意識を失ったまま死ぬのと爆破の衝撃で残り少ない人生を生きるのはどちらが幸運なのか。

ただ一つ分かっているのが確実に死の気配が迫りつつある事だけ。

腹部の銃痕からの出血は今も続いている。

船内に漂っていた黒煙と炎熱は格納庫の隙間から溢れ出す。

爆破の衝撃で抉れた昇降口は女のすぐ傍まで迫っている。

待っている結末は失血死か、または窒息死、それとも焼死、或いは墜死。

いずれにしても逃れられぬ死。

助けを呼ぼうとしても気道に溢れる血は声を遮り、臓物を生きたまま喰われる如き苦痛は気力を奪う。

 

『どうしてこんな事に?』

 

今際の際に無意味な思考を行うが答えは出ない。

例え万全であっても出なかっただろう。

 

彼女は自分に都合の悪い事は全て他人の責任と断じてきた。

ろくな縁談が無いのは男に見る目が無い。

贅沢が足りないのは夫の稼ぎが悪い。

爵位を剥奪されたのは国が悪い。

組織に於ける扱いが悪いのは実家が悪い。

貴族に戻れないのは娘と息子が悪い。

戦に負けるのは部下が悪い。

 

自身が受ける一切の理不尽は他人のせい。

自分は憐れな被害者であり、己の欲求が満たされない世界に対し憤懣を募らせた。

そうして最期の時を迎え、彼女は一人で世界に向き合う。

 

小さな呼吸音しか出せない口で必死に娘と息子に助けを求める、だが誰も居ない。

何故なら彼女は我が子を見捨てたから。

嘗ての夫に救いの手を願う、だが誰も来ない。

何故なら彼女は夫との愛を育まなかったから。

自身を撃った部下達に赦しを乞う、だが誰も聞いていない。

何故なら彼女は部下を先に切り捨てたから。

 

もし血筋を誇るだけでなく家柄に相応しい者であろうと努めたなら。

縁談は途切れる事は無かった。

もし結婚した夫を見下す事無く夫婦の愛を育もうとしたなら。

夫は彼女を見捨てなかった。

もし我が子を道具ではなく己と違う一個人として認めたなら。

娘は母を敬い息子は国を護る為に戦い爵位を奪われずに済んだ。

 

総ての物事には始まりと終わりが存在する。

己の行いが人生の明暗を分ける。

彼女は己の終末になっても子供でもわかるような因果に気付かなかった。

最後まで世界が悪いと呪詛の念を抱き続ける。

 

その呪詛が世界に届いたのだろうか?

少しずつゆっくりと飛行船が傾き始めた。

慌てて藻掻くが既に四肢に力は入らない。

溢れ出る己の血が昇降口へ向かう潤滑油のように体を滑らせる。

歪んだ昇降口はまるで彼女を呑み込もうとする怪物の顎。

必死に手を伸ばすが掴んでくれる相手は何処にも居ない。

 

健康な体なら気にならないほど緩やかな坂を少しずつ滑る。

重力というこの世界で生きる者総てが逃れられない力が彼女の体を捕らえて離さない。

意識が朦朧としてもなお生への欲求が途絶えないのは幸運なのか不幸なのか。

 

ついにその足に触れる床が無くなる。

必死に手足を動かそうにも失血の影響で腕が上がらない。

既に太腿の辺りまで昇降口の縁に引っ掛かってる状態だ。

最期の瞬間まで意識が途切れなかったのは冥府に堕ちる前の一瞬の慈悲なのか。

 

『何故?』

 

炎によって機関の一部が破損し極僅かな振動が起きる。

些細な、しかし決定的なソレが最後の一押しとなる。

一瞬の浮遊感。

直後に逃れられぬ世界の力によって彼女の体は大地に引かれていく。

結局、彼女は最期の時まで理解しなかった。

救いの手は既に幾度も差し伸べられていて、

それを振り払ったのは己の偏見と悪心だったという事実に。




今作ゾラの最期です。(合掌
原作と違い基本的に悪役がいない今作なのでヴィランを引き受けたゾラ親子が相対的に酷い目にあってます。
ゾラは生存して処刑か、誰にも知られずいつの間にか死んでるのどちらが良いかを考えてこの形に落ち着きました。
次章は第四部の最終話予定、おまけにあのキャラのエッチ回も別途に用意するつもりです。

追記:依頼主様のリクエストによりm.a.o様にイラストを描いて頂きました。ありがとうございます。

m.a.o様 https://www.pixiv.net/artworks/115681807(成人向け注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第60章 My Home●

疲れた、本当に疲れた。

興奮が冷めると一気に疲労が押し寄せる。

時計を見れば誘拐されてから一日も経過していない。

たった一日で誘拐、工作、戦闘、避難を経験した。

途中で仮眠を取ってはいるが肉体的、精神的な疲労は蓄積される。

バルトファルト家が所有する飛行船に到着してからシャワーで軽く体を浄め着替えた後に医師の診断を受けた。

私の負傷は殴られた頬が少し腫れた程度なので膏薬を塗る程度で済んだ。

ドロテアは無傷だったがフィンリーは剣の鞘で殴られた箇所が青痣になり、ジェナに関しては執拗に殴られた顔が腫れていた。

医師の見立てによれば義姉妹の傷は数日も経てば綺麗に治るらしい。

治療が終われば空腹を覚える、船内の休憩所で出された保存食とスープを口にすると漸く助かったという実感が湧いた。

 

こうして無傷に生還できるとは正直思っていなかった。

幾つもの幸運によってほぼ無傷のまま帰れると思うと体が震えるほどの喜びが湧き上がる。

早くバルトファルト領に戻りたいが急かす訳にはいかない。

戦闘の事後処理が残っているし負傷した兵を様子も窺わなくては。

食事を早く済ませたいが焦って食べて消化を滞らせる訳にもいかない、私は身重であり腹の子の安否を何より優先しなくては。

温かいスープを飲み込みやや硬いパンを食べ終えるが物足りない、二人前を平らげた後に軽く船内を見回る。

医師や兵を労いつつ向かうのは艦橋だ。

一刻も早くリオンに会って安心させたい。

リオンに対してついつい厳しくなってしまう私だが今日は特別に優しくしてやろう。

思う存分に労い彼が望むどんな事もしてやるつもりだ。

いかんな、つい顔が弛んでしまう。

思わず駆け出したくなる衝動を抑え艦橋の扉を開き船長席に近付く。

 

「どうかしました、アンジェリカさん?」

 

船長席に座っていたのはコリンだった。

環境を見回すとリオンはおろか義父上も義兄上も居ない。

この場所なら他のバルトファルト家の面々も居ると思ったのだが。

 

「あぁ、人心地ついたので報告に来た。リオン達は?」

「指揮を僕に任せて休んでますよ。父さんは姉さん達に付き添って、ニックス兄さんはドロテアさんから逃げ回ってます」

「リオンは?」

「たぶん船長室だと思います」

「そうか」

 

報告を聞いてすぐにでも船長室に向かいたいが感謝の労いをしなくては。

流石に感謝の言葉も述べず夫の許へ向かうのは礼を失する振る舞いだ。

 

「礼を言う。皆も私達の為に随分と無理をしてくれたらしいな。ありがとう」

 

格式に則った振る舞いで首を垂れる。

私達が無事生還したのは皆の働きがあってこそだ、いくら感謝しても足りない。

 

「僕は大した事してません。父さんや兄さん達の方が凄いですよ」

「それでも初陣で艦戦の指揮を執るなど普通なら出来ないだろう?」

「あの人達のおかげですよ、僕はただ船を沈めないように逃げ回ってただけです」

 

コリンが指差す方向に王国の飛行船が浮んでいた。

王族専用の飛行船は空賊達の飛行船の一隻を牽引し、もう一隻に砲門を向けている。

私達が囚われていた飛行船はどうやら火災が収まったらしい。

これから王国が主導する調査と事情聴取に向け空賊達が逃走しないように威圧する姿は英雄に相応しい姿だろう。

私としては嘗て婚約破棄に加担した連中に命を救われたという、何とも言えぬ複雑な心境だった。

あまり見たくはない光景から目を逸らすように扉へ向かう。

 

「それじゃあ、私はリオンの所へ向かう」

「はい、お気を付けて」

 

扉を開けて数十歩も行けば船長室に到着する。

小さな仕事机とベッド、簡易なクローゼットに本棚が備え付けられ客室を除けばこの船で一番快適な作りの部屋だ。

バルトファルト領に戻るまでこの部屋でリオンとの触れ合いを愉しみながら過ごすのも悪くはない。

そう考えてにやけてしまう顔を誤魔化すように扉を数回ノックする。

返事は無い、再度ノックするがやはり反応は無し。

ノブに手を添え回してみると施錠されておらず簡単に開いた。

不用心に少し呆れつつ入室すると照明すら点いていない。

 

手探りでどうにか照明を点け、室内を確認する。

軍服に靴や銃器が床に散乱し足を取られずに歩くには難しい状況だ。

部屋の主はベッドの上で毛布に包まり身動ぎすらせず寝ているのか起きてるのか判別できない。

仕方ないので床に落ちている衣服や銃器を片付け始める。

服や靴には煙の他に真新しい黒い染みが付着している、おそらく血痕だろう。

銃器を持ち上げて確認を行うとちゃんと安全装置を起動させており弾も抜いてある。

生真面目なのか、怠惰なのか。

我が夫の判断基準はよく分からない。

 

ベッドの上に座り丸まっているリオンを撫でると体を動かした。

飼い主が撫でるのを拒否する猫そのままの態度で思わず苦笑してしまう。

撫で続けているとその度に震えるのがおかしくて何度も撫でる。

漸く諦めたらしく被っていた毛布を脱ぎ捨てたリオンが私に顔を向け不機嫌そうに睨む。

 

「なんだよ?」

「検査が終わったので報告だ。私に異常は無い、他の者も軽傷で済んだ」

「良かった」

「それと頑張った旦那様にご褒美だ」

「要らない、放っておいてくれ」

 

ひどく投げやりに応えるリオンの態度が気に食わない。

この一日をどんな気持ちで私が過ごしていたと思っている。

助けに来てくれるとは信じていたが無事に帰れるとは思っていなかった。

誰かしら犠牲になる事は覚悟していたし、賊共に辱められる場合や足手纏いになった場合に備えて自害する覚悟を決めていた。

まさか殿下達が来ているとは思いもよらなかったが事件の早期解決には致し方ない判断だ。

ゾラ達の性格や行動原理から時間が経つほど私達が無事でいられる可能性は低くなる。

それならば殿下達に助力を乞うのは決して間違いではない。

私の実家であるレッドグレイブ公爵家と裏で対立しているホルファート王家に助けを求めた件で後から何かしら要求されるかもしれないが、それはその時になってから考えれば良い話だ。

今はただ再会の喜びに浸りたい。

リオンの言葉を借りるなら夫婦水入らずでイチャイチャしたいのだ。

 

なのに愛しい私の夫はひどくつれない。

普段は愚痴を吐きながら私に甘えてくるくせに今日に限って見向きもしないのは些か腹立たしい。

今回の件は単なる政治や外交の失敗ではない、れっきとした事件であり犯罪だ。

ファンオース公国との戦争以前からそうした者達が存在しているのは知ってはいた、ゾラ親子がまさか貴族女性の非合法組織の一員とは思いもよらなかったが。

まさか彼女達もそうであり、幼いリオンが組織の闇取引商品になりかけていたと聞いて悍ましさと怒りが同時にこみ上げてくる。

もしも救出作戦が遅れていれば私達も犠牲者の一人になっていたかもしれない。

そう思えば再会の喜びも否応なしに増す物だ。

何より私を助けに来たリオンは雄々しく凛々しかった、正直惚れ直した。

通信の会話で私に対して愛の言葉を囁いたが作戦でありつつも本心なら許す気も湧くものである。

此処が夫婦の寝室なら私の方から閨に誘いたいぐらいだ。

 

そんな私とは正反対にリオンはひどく元気が無い。

私に対する態度も太々しく横柄だ。

まるで邪魔者を扱うように素っ気ないされては私の燃え上がる情念が消え失せてしまう。

ただ、リオンがこうした行動をするのは大抵落ち込んだ時なのだ。

普段は口で文句を言いながら私に助けを乞うが、真面目に仕事に取り組んで失敗した時は誰にも会いたくないとばかりに閉じ籠る癖がある。

数年間も夫婦を続けていればある程度の対処法も分かってくる。

こんな時はひたすらに優しく慰めるのが一番だ。

 

「ほら、ちゃんとしないか」

「…………」

「眠れていないのか?最後に食事をしたのは何時だ?」

「アンジェが攫われてから殆ど寝てない、食事は携帯食を口にしただけ」

「それはいかんな、何か取って来よう」

「いい、何も喰いたくない」

 

再び横たわるリオンを止めて会話を続ける、とにかくリオンが本音を吐き出して気を楽にしてやらねばならない。

リオンの心の奥で澱のように沈殿した不安や後悔を取り除き、彼の心を安らかにさせる。

これはバルトファルト家の面々や私達の子には出来ない、リオンが私にのみ晒け出す彼の弱い部分だ。

手のかかる子供をあやす徒労感と見てはいけない物を見た背徳感がなかなかに癖になる。

 

「つらいのならきちんと吐き出した方が楽になるぞ」

「なんで助けに行った俺が助けられたアンジェに慰められるんだよ、普通は逆じゃん」

「頑張った旦那様へのご褒美だ。存分に甘えるといい」

 

そう言って頬を突いてやると漸くリオンがまともに私を見た。

 

「……また人を殺した」

「そうか」

「ルトアートを殺す所だった、ゾラは爆発で確実に死んだだろうな」

「あの爆発で生きている方がおかしい」

「嫌な奴らだったよ。何度殺してやりたいと思ったか分かんねぇぐらい嫌いだった。それでもいざとなったら殺すのに躊躇しちまった」

「殺しても誰も罪と言わないと思うが?」

「相手を『殺そうと思う』のと『殺そうとする』んじゃ越えられない壁があんだよ。結局ゾラの始末は父さんに押し付けちゃったし」

「義父上は気に病まないだろう?」

「それでも父さんの妻だった奴だ、俺よりも関わってきた時間が長い」

 

はぁ、とリオンが気怠げに息を吐く。

憎んでる相手でも憎みきれないのがリオンの長所であり、それについて悩み続けるのが短所でもある。

それについて咎める気は無い、逆にこの優しさを私だけが独占したいとさえ思っている。

 

「今日の作戦はダメな部分ばっかだ。準備はしたけどほとんど即興に近い。とてもじゃないが家族を人質に取られてやるような作戦じゃなかった」

「状況は刻一刻と変化し、不確定要素が幾つもあるのが戦場だといつもお前が言ってる事だ。上首尾に終わるのなら素直に喜べ」

「それだって殿下達がたまたまバルトファルト領(うち)を訪ねて来たからさ。自前の戦力だけじゃどうしようもない戦いだぞ」

 

その辺りも気に病んでる原因か。

いや、寧ろ其処がリオンにとっては重要らしい。

 

「ゾラ達がバルトファルト領を直接攻めて来たらどうしようもなかった。うちを強襲しても王国はあいつらを統治者として扱わないさ。賊として討伐すんのは分かりきってる」

「そうだな。辺境とはいえ貴族が治める土地に手を出せば周辺の領主はもちろん国も動き出す筈だ」

「貴族に戻りたいなんて思わず直接攻めればファンオース公国との戦争で軍備が足りてない俺達は負けてたはずだ。他にも逃走に徹するとか、俺のわざとらしい挑発に乗らないとかどこか一つでも注意深く行動してれば事態はもっと悪化してた」

「そうした敵の隙を突くのも立派な戦術だろう?」

「敵がこっちの思った通りに動くような馬鹿だと期待するのは戦術としては下の下だぞ」

 

確かにゾラ達が当初の計画通り空賊活動に徹していたのなら我々の被害は増えていた筈だ。

民間の飛行船を襲い被害者が続出したらバルトファルト領の評価は落ち、温泉に求めて訪ねて来る観光客が減り物流が滞る。

嫌がらせとしてはなかなか有効な手段ではあるだろう。

尤もバルトファルト領の統治権をリオンから奪えたとして、落ちた評判をゾラ達が元通りに出来るかは甚だ疑問だが。

 

「殿下達が強かったからこっちの損害が少なくて済んだだけだよ。どう足掻いても俺じゃ十倍以上の数の敵を相手に出来ないし。何なのあいつら?単なる個人の力で戦術とか戦略をぶっ壊すんだぞ。やってらんねぇ」

 

リオンの声が苛立っている。

どうやら最大の不満点はバルトファルト家が用意した戦力より戦闘に参加した四人の活躍が目覚ましく感じられた部分のようだ。

まぁ、仕方のない感情ではあるのだろう。

ユリウス殿下を含めたあの五人は学生時代から突出した才能を有していた。

同年代の者では比較対象にすらならず、婚約破棄の際に私が用意した決闘代行人も一蹴された物だ。

その力に似つかわしくない短慮や増長も相応にあったのだが、あれから経験を積み落ち着いた彼らは確かに英雄と讃えられるに相応しい者に成長したらしい。

幼い頃の彼らを知っている私にとっては『あの悪童共が成長したものだ』と思えるが、その頃を知らないリオンにとっては『ホルファート王国を聖女と共に護った英雄』として映っている。

 

私はリオンが彼らに並ぶ英雄になって欲しいと願った事は一度として無い。

バルトファルト領で私と共に領地経営に勤しみながら子を育て共に老いたいと願ってきた。

リオンとしては今回の事件の発端となったゾラ達の行動が自分の不始末であり、他の者に助力を乞わなければ解決できなかった事に忸怩たる思いなのだろう。

 

「人質にされた私達は助かった、素直に喜べ」

「嫌なもんは嫌だ。惚れた女を救うのに他の男の力を借りるとか情けないじゃん」

「私は気にしないぞ」

「俺は気にすんの、あいつらがカッコよく活躍してる横で厭らしくて地味な戦い方してるとか惨めになる」

 

思い返すとリオンは私の元婚約者であるユリウス殿下を意識した事もあった。

自分より優れていると思った男が現れる度に私の心が其方に靡かないか不安になるようだ。

なんともまぁ、可愛らしくていじましい嫉妬だ。

つい顔が綻んでしまう、拗ねるように顔を背けるリオンが愛おしい。

リオンの両手を取り私の頬へ触れさせると火照った頬に少し冷えた手の感触が心地良かった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「そんなに私の前で格好をつけたかったのか?」

「悪いかよ」

「安心しろ、お前は私にとって英雄だ」

「世間じゃ外道騎士とか言われてるんだけど」

「好きに言わせておけ。リオンの良さは私だけが知っていればいい」

「俺のせいでアンジェや子供達が悪く言われるのは嫌だ」

「向上心があるのは良い事だ。だからといって無理をされては逆に困るな」

 

可愛い、リオンが実に可愛らしい。

堪らなくなって唇を塞ぐ。

此処にバルトファルト家の面々や騎士達が同乗していなければ押し倒していたかもしれない。

いっそ誘ってみるか?

リオンが求めてくれるのならやぶさかではない。

 

「褒美だ、胸を揉んでいいぞ」

「遠慮しとく」

「なら抱くか?」

「そんな気になれないって」

 

物憂げなリオンに対し私がはしたない女に思えてきた。

戦の後だと興奮が冷めやらぬまま性交する者も多いらしいがリオンはその部類ではない。

仕方ない、ここは妥協して大人しくしておこう。

体勢を崩しリオンを横たえさせると頭を膝の上に置いてやる。

頭を優しく撫でていると徐々にリオンの瞼が下りてきた。

 

「ごめんアンジェ、少しだけ寝る」

「構わん、バルトファルト領に到着するまでゆっくり休め」

 

私の言葉を聞き終える前にリオンの呼吸は規則正しく穏やかな物に変わっていた。

体を縮めて寝入る姿は人というよりも猫に近い。

子供達よりも手がかかる英雄様だな。

だが悪い気はしない、こうまで愛されたら大概の事を許してしまう。

撫でるのを満喫した後、私にも睡魔が訪れてきたので毛布を被りリオンに抱き着く。

身を寄せて合って同じベッドで寝る幸せを堪能しながら到着までの数時間を過ごした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

何事も後始末が一番面倒臭い。

立場が偉くなるほど余計な気遣いやら暗黙の慣習が増えていく。

戦場で一兵卒で駆けずり回ってた頃が懐かしい。

確かに死ぬ可能性は高かったけど、面倒な報告に煩わされる事は殆ど無かった。

単純に戦闘で勝利する事だけを考えりゃ良いのに、派閥だの戦功だのに拘って余計な手間暇をかけるのは貴族が統率する軍の悪い所だと思う。

せめて勝った日の夜ぐらい好きにさせて欲しい。

そんな事を考えながら夜も更けてきた屋敷の廊下を歩く。

 

今回の件は表面上は単なる空賊退治で終結させると話し合いで決まった。

王国にとっては討ち漏らした組織の奴らが貴族を襲ったのは王国に対する信用を損ねるし、ゾラ達が首謀者なのはバルトファルト領の印象も悪くなる。

ユリウス殿下達と協議した結果、『空賊がバルトファルト領に向かう飛行船を襲った』『バルトファルト子爵が家族を救出する為に空賊を討伐した』という筋書きで公表するらしい。

ゾラ達の行動は闇に葬られ名前が歴史に遺る事さえ無かった。

後は細かい調整やら報告のやり取りが延々と続く。

メルセやルトアートを含めた首謀者は事情聴取の後に刑に処され、空賊達は取り調べ後に監獄か強制労働。

鹵獲した飛行船は王都に持って行く訳にも行かないから王家の調査に必要な物を押収したらバルトファルト家が好きにして良いと言われた。

殿下達はバルトファルト領に数日滞在して王都に帰還、その対応に俺達は駆り出される。

 

バルトファルト領に戻ると皆が喜んで出迎えてくれた。

ローズブレイド伯爵はユリウス殿下が俺達を追って出撃した後に交代でバルトファルト領の防衛を担当してくれた。

ディアドリーさんが言い包めたのか、ドロテアさんが過剰に報告したのか不明だけど兄さんと結婚させる気満々だ。

母さんは姉貴やフィンリーの怪我を心配したけど命が無事と分かり安心してくれた。

俺の子供達は泣きながらアンジェにずっと抱きついて離れない、パパも心配して欲しいんだけど。

そんなこんなでローズブレイド家の皆様にも借りが出来ていろいろとやらなきゃいけない。

 

また金が必要になる。

空賊の飛行船は内部機構が破損して修理するのに金がかかり過ぎる、解体して資材に回した方が良い。

淑女の森が使ってた飛行船はグレッグとジルクの援護のおかげで損傷が少ない。

修理に出せばバルトファルト家が所有する飛行船として十分に使える。

まぁ、その修理費用や飛行船の所有手続きで時間と金を使わなきゃいけないんだけど。

おまけに殿下達やローズブレイド伯爵の滞在の為に宿やら食事やらの手配も必要だ。

そっちも金がかかるし疲れるから早く帰って欲しい。

 

止めよう、面倒臭い考えは気分が沈む。

今はアンジェ達の無事を素直に喜べば良いんだ。

ライオネルとアリエルはアンジェから離れようとしなくて、俺が近づいても邪魔だとばかりに除けられる。

息子と娘が冷たくてパパ悲しい。

帰ってからアンジェはずっと部屋に籠って休んでる。

医者の検査を受けさせたけど体に異常は無い、しばらく安静にしていればアンジェもお腹の子供も大丈夫と言われた。

後は俺が頑張れば良い、領主様はつらいよ。

 

寝室に戻ると夫婦のベッドにアンジェが横たわっていた。

子供達はアンジェに寄り添うように寝息を立ててる。

どこから見ても幸せそうな母子の光景、絵画になってもおかしくないぐらいだ。

綺麗な元公爵令嬢、その血を継いだ可愛らしい双子。

この光景に俺が混じるのがひどく不釣り合いに感じる。

空賊とはいえ人を何人も殺した俺が子供達の傍にいていいのか?

俺のせいでアンジェ達が苦しむんじゃないか?

そんな疑問が事件が起きてからずっと頭の中から離れない。

 

「どうした?」

 

別室で寝ようとしてアンジェに止められた、どうやら俺が寝室に来るまで待っていたらしい。

 

「……起こしちゃ悪いと思ってさ。今日は別室で寝ようと思う」

「それは認められないな。遠慮せずにこっちに来い」

「二人共帰って来たアンジェに甘えたいんだ、俺が居たら邪魔だろ」

「リオンは私の隣で寝る義務がある、これは命令だ」

 

強引な嫁さんだ、俺の意見は却下された。

夫婦用のベッドでも四人になれば少し狭い、アンジェは妊娠してるからぶつからないように隙間を開ける必要がある。

双子をそっと引き剥がしてアンジェから引き離す、幸せそうな寝顔が羨ましい。

子供達とアンジェの間に割り込むように横たわるとアンジェが俺をジッと見つめていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「何を悩んでる?」

「別に」

「夫婦の間に隠し事は無しだ」

「……人を殺した俺が自分の子供を抱いて良いのかと思ってさ」

 

どんなに英雄と讃えられても人を殺した事に変わりない、自衛と言っても相手を殺すのが一番手っ取り早く解決する方法だっただけ。

いつか子供達が俺に失望するのが怖い、人殺しと罵られるんじゃないかと思うと死にたくなる。

悪い想像ばかりが思いついて眠れなくなる、恐怖を紛らわせる為にアンジェに頼って失望されるのは嫌だ。

 

「大丈夫だ」

 

俺の不安を察したのかアンジェが優しく声をかけてくれる。

 

「例え世界がリオンを拒んでも私は最期までお前の隣に居続けると誓う」

「本当?」

「本当だ」

「嘘ついてない?」

「くどいぞ」

 

聞き分けのない子供に言い聞かせるように叱られた、つくづくダメな旦那だな俺。

屋敷に戻るまでずっと寝てたのにまた眠くなってきた。

アンジェの体温と柔らかさが心地良い。

きっとアンジェにとっちゃ俺と双子に大した差なんてないのかもしれない。

世話が焼ける相手でいまいち頼りない子供みたいな政略結婚相手。

俺はこんなにアンジェが好きなのに、この幸せを護るにはあまりに弱い。

力が欲しい、俺の大事な人を護れる力が。

そんな事を考えながら眠りに落ちる。

どこかで俺を呼ぶような声が聞こえたような気がした。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

食堂で強めの酒を数杯飲み干して口元を拭う。

嫌な事があったら飯を食うか酒を飲むか寝るに限る。

女は抱かない、娼館で女を抱いた事は何度かあるが流石に一族の領地にあるその手の店に行けばすぐに噂になる。

酔いが完全に回らないうちに部屋に戻って寝よう、明日も仕事をしなくちゃいけない。

 

ドロテアさんとの婚約は一旦保留となるだろう。

そもそも俺がバルトファルト家の兵とローズブレイド家の兵の仲裁を怠ったのが今回の事件の切っ掛けだ。

伯爵はドロテアさんを救出した俺を実の子のように親しげに接してくれたが、あくまで無事に帰って来たからに過ぎない。

もしもゾラ達に人質が全員殺されていたらローズブレイド家どころかレッドグレイブ家にまで責任の所在を追及された筈だ。

そうなったら俺一人の首じゃとても足りない、一家全員が路頭に迷うだろう。

今回の件できっちり伯爵に頭を下げてドロテアさんとの婚約を解消する。

それしか道は無い。

 

思い返せば最悪の形の出会いだった。

傲慢で、厭味ったらしくて、気が強い典型的なお嬢様。

学生時代に何度も袖にされた貴族令嬢達の罵声を思い出して腹が立ってつい言い過ぎてしまった。

見合いの時は打って変わって殊勝な態度をして困惑したけど、性癖があまりに異常だったので引いた。

性格に問題ありな令嬢を押し付けられたと絶望した。

俺を騙す為に嘘をついてると思った。

 

だけど交際してみるとドロテアさんは俺に尽くしてくれた。

父さんや母さんに俺の昔話や好みを聞き出していろいろと世話を焼いてくれる。

領地の開発や商売についても詳しく、ローズブレイド家との便宜も図ってくれた。

男爵家を乗っ取るつもりか、それとも罠かと警戒していたが彼女は純粋に俺を手伝ってくれた。

知り合って数ヶ月の付き合いだけど彼女が嘘をついてるかどうかぐらいは判別がつく。

ドロテアさんは本心から俺に尽くしてくれていた。

 

だからこそ、俺は誠実に対応しなきゃならない。

今回の件はたまたま人質が出ずに済んだけどそもそも原因はバルトファルト家のいざこざだ。

家の問題は身内で方を付けるのが貴族の流儀だ、責任を追及されたら誰かが泥を被らなきゃいけない。

リオンに責任を追及されたら公爵家との関係がマズくなる、父さんはもうすぐ隠居をする予定だ。

それなら俺が適任だろう、そもそも俺とドロテアさんの交際が発端なんだし。

 

何杯目になるか分からない酒を飲み込む度にドロテアさんの顔が目に浮かぶ。

思い返せば俺の人生で女性にモテた経験なんてあったか?

あんな美人が俺を大好きって言ってくれるなんておかしいだろ。

そこまで考えてやっと気付いた。

たぶん俺はドロテアさんに惹かれ始めてる。

 

だからきちんとケリをつけなきゃいけない。

ドロテアさんは初恋で判断がおかしくなっただけでもっと良い縁談があるはずなんだ。

俺と結婚しても苦労をさせるばかりで幸せになる保障は無い。

立場がある人には相応しい相手が居る、伯爵家のお嬢様に貧乏男爵家の長男は相応しくない。

甘い夢はこれで終わりだ、そろそろ現実に戻らないと。

 

いつの間にか酒瓶は空になってた、酔いにふらつきながら何とか自分の部屋に戻る。

いい年した貴族の跡継ぎが一人寝するのは見栄えが悪い。

こんな時は既婚者のリオンが羨ましい。

綺麗な嫁さんと可愛い子供達に囲まれて本当に幸せそうだ。

俺の運命の相手はどこに居るんだろう?

 

脱いだ上着とズボンを床に放り出してベッドに腰かける。

明日も仕事だ、通常業務に加えてユリウス殿下御一行や伯爵の相手をしなきゃいけない。

さっさと寝ようと布団を被る。

 

ムニュ…

 

……何か柔らかい感触が足に当たった。

きっと気のせいだ、酔いで感覚がおかしくなってるな。

布団の中で思いっきり体を伸ばす。

 

ムニュウ

 

「あんッ…♥」

 

今度は肘に柔らかい感触が伝わって来た、同時にやたら艶めかしい声も聞こえる。

どう考えても酔いじゃない、耳と肌に伝わって来る刺激はこれが実在していると警告してきた。

思いきり布団を引き剥がしてベッドの上に存在する俺以外の何かを確かめる。

裸、どこから見ても裸の女が俺のベッドに寝転んでいる

 

「――――――――ッ!??!?」

 

声なき俺の悲鳴が屋敷中に響き渡った。




第四部最終話になります。
内政シーンが多めの今作ですが第四部と第五部は戦闘描写が多めのお話でした。
今作リオンはあくまで物語の主軸に絡まないモブであり、攻略対象の五人に基本スペックでは勝てません。
そうした弱さに向き合った彼がどんな選択をするのかが今後のストーリーでリオン視点の主軸になります。

今章の挿絵はKryto様とたま様に描いていただきました。
Kryto様 https://www.pixiv.net/artworks/115599966
たま様 https://www.pixiv.net/artworks/115425103

幕間として世にも珍しいニックス×ドロテアの成人向け回も同時投稿していますのでよろしければ。
https://syosetu.org/novel/312750/18.html(成人向け注意

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第五部 決闘編 (●は挿絵イラスト在り)
第61章 相棒


「おはようございますマスター」

 

瞼を開くと金属製の赤い目玉が俺を見てる。

またお前かよ。

こいつが出て来ると悪夢確定だから会いたくないんだよ。

そもそも何なんだこいつ?

会う度に態度が少し違ったりするんで俺をどうしたいか分からない。

ただ何故かこいつは馴れ馴れしく俺をご主人様(マスター)と呼ぶ。

こんな珍妙な奴をペットにした憶えは無い。

 

体を起こそうとすると違和感を感じた。

宙に浮いてるみたいにフワフワする、それに体の感覚もおかしかった。

体の輪郭が透けてるし人の形をしてるかも分からない。

それにここはどこだ?

地面が無くて光の中で浮いてるようにも闇の中に落ちてるようにも見える。

分かるのは浮いてる目玉と大きな扉だけ。

他には何にも無い、たぶん光も無いのに目玉と門だけは何となく把握できて頭がおかしくなりそう。

 

「久しぶりだな、目ん玉」

「私と貴方は初対面だと記憶していますが」

「前に悪夢でお前が出て来た。あの時の目玉がお前と同じかは知らねぇ。外見が同じで違いが分かんないからな」

「なるほど、それは私の並行同位体と推察します。マスターの並行同位体が存在するなら同様に私が存在するのもおかしくはありませんね」

「勝手に納得するな、俺に分かるよう説明してくれ」

「では自己紹介を。私は旧人類の製造した移民輸送艦の人工知能、通称ルクシオンです」

「前に会った奴も同じ事を言ってたぞ。まぁ、あいつよりはお前は話しやすそうだな」

「恐縮です。しかし何故マスターが此処に?」

「というか、ここはどこだ?」

「私達が存在するこの空間は死者の国です」

「……はい?」

「私がマスター登録を行ったリオン・フォウ・バルトファルトの反応を微弱ながら感知し、貴方の保護を最優先した結果此処に辿り着きました」

 

何を言ってるか分からん。

そもそも死者の国って何だよ?死んだのか俺?

いや、とうの昔に死んでても全然おかしくないな。

戦争とか戦闘で何回死にかけたか分かんないし。

そもそもアンジェみたいな綺麗なお嬢様が俺みたいな奴の嫁になるのがおかしかったんだ。

今までは死にかけた俺が見ていた幻!

子爵になったのも! 公爵令嬢を嫁にしたのも! 子供が産まれたのも! その全部が夢でした!

ハッハッハッハッハ!!

 

 

……納得できるか馬鹿野郎!!

せっかく生き残ったと思った俺の人生全部がくたばり損ないの見てた妄想とか受け入れられるか!!

俺は絶対にアンジェと子供達が待ってる世界に帰るぞ!!

 

「嫌だ!!こんな所に居られるか!!俺は帰るぞ!!」

「騒がないでくださいマスター。これから私が説明をするので落ち着きましょう」

「これが落ち着いていられるか!!嫌だ!!死にたくない!!さっさと隠居してアンジェと夫婦円満で暮らす俺の人生設計が!!たくさんの我が子と孫達に囲まれながら逝く最期しか認めねぇからな!!」

「……確かに貴方は私のマスターであるリオン・フォウ・バルトファルトとは別人ですね」

 

目の前の金属球が左右に動くのが首を振って呆れる人間に見えた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「お前のマスターが死んだのが原因なのか?」

「あくまで推測の域ですが。ヴォルデノワ神聖魔法帝国との決戦に於いてマスターは死亡しました。その際に並行同位体である貴方と記憶や感覚の共有が起きたと思われます」

「推測とか思うとかいまいち頼りないなお前」

「私の演算能力を総動員しても死という概念、魂の存在を理論として確立するにはデータが不足しています。結論を出す為に是非とも貴方の協力を願いたいものです」

 

物騒な事を言い出しやがった。

実験動物でもないのに何度も死んでたまるか。

 

「そもそも、何で俺が死者の国にいるんだよ?まさかベッドで眠ってそのまま死んだのか」

「この場所は時間も空間も超越しています。そして死者の存在は生前のまま明確な自我を保存していますが、貴方の存在は非常に希薄です」

「俺は体が透けてるのにお前はくっきりしてるしな」

「臨死体験や瀕死になったご経験は?」

「死にかけた事なら何度もあるぜ」

「マスターが施された蘇生魔法は明確に死んだ者を復活させる物でした。ですが貴方は瀕死の重傷を負いながらも生還した。この場に存在する貴方はいわば魂の残滓です」

「で、寝てる間に俺の魂が抜けちまったと?」

「記録されている伝承には眠りを司る神格と死を司る神格が非常に近しい間柄の場合があります。また睡眠時にトランス状態に陥る症例も確認されています」

 

確かにこいつを見た夢は精神的に疲れて深い眠りに入った時だった。

何度も死にかけた俺は心が弱って疲れると魂が抜けやすくなってもおかしくないな。

 

「死者の国に於いてリオン・フォウ・バルトファルトの並行同位体が同じ空間に同時に存在した結果、自己矛盾(パラドクス)の解消により記憶や感覚の共有が行われた可能性が最も高いと思われます」

「分かんねぇ、頭がおかしくなりそうだ」

 

さっきから説明されてもこいつが何を言ってるか半分も理解できない。

死者の国ってだけで信じられないのに俺が別に居るとか狂いそうになる。

 

「質問します、夢の中で貴方は決闘を行いましたか?」

「……してたな。アンジェの為にユリウス殿下と決闘してた」

「次の質問です、夢の中で貴方と親しい女性は?」

「アンジェとオリヴィア様、それに王妃様とピンクブロンドの女も居たな。お前そっくりの奴は俺の嫁さんは十人以上って言ってたぞ」

「やはり私のマスターと感覚がリンクしたと考えて良いでしょう。これは僥倖ですね」

 

そう呟くこいつの声はどこか嬉しそうだった。

機械じみた音声じゃなくて感情が込められている声。

死者の国は魂を持っている奴しか行けないらしいけど、こいつなら魂を持っていても不思議じゃない。

 

「私のマスターは幸せそうでしたか?」

「よく分からないな。王様になったけどろくに国へ帰れないらしいぞ。嫁と子供は多いけど一度も会ってない赤ん坊もいるって聞いた。アンジェみたいな有能な王妃や役に立つ部下のおかげで大丈夫みたいだけど」

「マスターらしいですね。きっと安請け合いして事態を悪化させているのでしょう」

 

細かく震える姿は笑い転げてるようにも見えた。

少なくても王国を攻撃していたこいつとは別人?だった。

 

「マスターの近況を知らせて頂き感謝します」

「詳しい事は分からないけどな」

「貴方にとって無価値な情報でも私にとっては重要ですから。マスターは相変わらずのようですね。安心しました」

「俺が王様ねぇ…、何をしたらそうなるんだか」

「マスターは冒険者となり私の起動に成功しました。学園に入学後ユリウスとの決闘を経てファンオース公国との戦争に於いて多大な功績を上げアンジェリカとオリヴィアと結婚します。後にアルゼル共和国の内紛に介入し聖樹の巫女ノエルを王国へ誘致し政治的主導権(イニシアティブ)を握ります。反王国派の貴族を鎮圧しラーシェル神聖王国とヴォルデノワ神聖魔法帝国と戦いました」

「…それ何年ぐらいかかったんだ?十年ぐらいかかりそうだぞ」

「私がマスターと行動を共にしたのは約三年程の期間になります」

「人生を何回繰り返したらそんな事になるんだ!?貧乏貴族の次男が王になるとかおかし過ぎる!」

「マスターは公爵位まで陞爵しました。帝国との戦争に際し王国の貴族を統一する為に王座に就く必要がありました」

「どう見ても嫌な役を押し付けられたようにしか見えねぇ……」

「マスター最大の後援者はレッドグレイブ家でしたから。ほぼ騒乱が起きず王位の禅譲を可能にしたのはアンジェリカの功績です」

「……確かに王妃になったアンジェが仕事を仕切ってたみたいだけど」

 

あのアンジェが俺を王様に仕立て上げたのか、俺の嫁怖い。

だけど一番気になるのはそこじゃなかった。

俺の世界だとファンオース公国との戦争はあった。

アルゼル共和国も内紛でボロボロだ。

淑女の森は少し前に殿下達が鎮圧済み。

なら、この先に待ち受けているのはラーシェル神聖王国とヴォルデノワ神聖魔法帝国との戦いだ。

 

「俺の世界じゃこの間淑女の森がユリウス殿下達に潰されてアンジェ達が誘拐された。次に起こるのは神聖王国との戦争か?」

「それはわかりません。私達の世界ではアンジェリカが誘拐されたのはマスターが一年生の時点で犯行はファンオース公国によるものです。三年生時にはドロテアが空賊の襲撃を受けました。その後に淑女の森のクーデターが発生しジェナとフィンリーが誘拐されています。ファンオース公国の滅亡に関しても五年近い時間差が存在します」

「つまり戦争がいつか、そもそも起きるか分からないって訳だ」

「マスター持っていた知識もオリヴィアとファンオース公国との戦争が中心です。推察した限り貴方の世界は私が介入せずオリヴィアが聖女として活躍した世界なのでしょう」

 

正しい歴史とか世界の変遷とか分からん。

前世?オトメゲー?旧人類?知恵熱が出そうだ。

会話をこれ以上してたら脳が破裂する。

 

「不安でしたら貴方の世界に存在する私の起動を提案します」

「俺の世界のお前?」

「私の戦闘力は新人類が建国したホルファート王国の兵力を遥かに超越しています。マスターの懸念事項を排除するなど造作もありません」

 

確かに夢で見たこいつの力は異常だった。

夢で俺が乗ってた船は王国の艦隊を沈めて、決闘で操縦した鎧は王家の鎧を簡単に壊せる強さだ。

あの力があれば確かに戦争には勝てるだろう。

 

だけど怖い。

そもそも鎧だって人間を虫のように踏み潰せるぐらい強力な兵器だぞ。

鎧を消し飛ばし艦隊を壊滅させ国を焼き尽くす戦艦なんて扱いたくない。

特に俺を憎んで特攻してきた公爵家の飛行船、それに乗っていたアンジェ。

あんな風に俺を憎む奴が大量に出るだろう。

確かに俺は兵士で、領兵を指揮する司令官だ。

だからって戦場は何しても許される無法地帯じゃない。

兵を虐殺して国を焼く奴なんて物語に登場する魔王だけで充分だ。

 

「遠慮しとく、そんな力を持ってても使い道が無い」

「圧倒的な戦力差による先制攻撃に勝る必勝法は存在しません」

「俺は虐殺者や独裁者じゃない。人が死なない方が好きだ」

「私のマスターも常々そのように発言していました。そうして状況を静観した結果事態の悪化を招く事が度々あり歯痒く思ったものです」

「歯が無いだろお前」

「比喩表現です、会話の揚げ足を取るのもマスターの特徴でした。奇妙なものです。貴方は私のマスターであるリオン・フォウ・バルトファルトと別人であり同時にリオン・フォウ・バルトファルトその人です」

「そりゃどうも」

 

稀代の英雄王の俺と比較されても嬉しくない。

俺はヘタレでビビリなの、おっかなびっくりに行動して嫁と子供を幸せにしたいだけの凡人です。

家族が幸せに暮らせるならそれで良い。

 

「しかしながら不測の事態に対する備えは必要だと提案します。貴方の魂の一部はこの世界に繋がっています。貴方は死という概念にあまりに近過ぎます」

「俺が戦場とか人の死を嫌うのもそれが原因かもな、だけど余計なお世話だ。俺は身の丈に合った生き方をしたい」

「貴方の家族が危険に晒されたのに?」

「…………」

 

嫌な事を言う奴だ。

確かにゾラ達の襲撃を防ぐのは無理だった、救出にも殿下達の助力で何とか成功させられた。

俺は弱っちくて要領が悪い凡人だ、出来る事は限られてるし護れる範囲も狭い。

だからって国を亡ぼせる力をポンっと渡されても困る。

力を得た俺が調子に乗って間違ったら誰も止められない。

 

「どうして俺の世話を焼くんだよ、何か裏があんのか?」

「私の最優先事項はマスターであるリオン・フォウ・バルトファルトの命を護る事です。並行同位体である貴方も適用対象かと」

「そりゃどうも」

「同時にマスターの近況を教えてくれたお礼です。貴方との会話は非常に有益でした。些か不愉快な情報もありましたが概ね受け入れられる内容です」

 

そういうと宙に四角い板みたいな物が出現した。

よく見るとそれに映っているのは俺達の世界地図で一ヵ所が点滅してる。

 

「この場所にある施設に私の本体が眠っています。近づけば磁気の乱れが発生し直下にある転送装置によって転移できるでしょう。憶えておいて損は無いかと」

「お前に頼る状況にはなりたくないけどな」

「長きに渡る孤独は己の存在意義に疑問を齎します。貴方の世界の私が孤独に眠り続けているのを知り思考回路に若干のラグが発生しました。これは人間でいう寂しさなのでしょうか」

「誰かを殺さない方が幸せだろ」

「私は人に奉仕する為に作られました。誰にも使われず経年劣化していくのは存在意義に関わります」

 

そのなりで寂しがり屋かよお前。

まぁ有益な情報をくれただけありがたいか。

頭の中が必死に情報を整理していると眠くなってきて、体を見たらどんどん輪郭が薄くなってる

前の夢みたいに意識を失えばどこかに飛ばされる。

 

「どうやら時間切れらしい、いろいろ教えてくれて悪いな」

「構いません、私にとって優先すべきはマスターの幸せですから」

 

こいつが仕えた俺ってどんな奴なんだろう。

きっと俺よりも強くて優しくてモテモテな美男子だな、少し羨ましい。

 

「一つだけお願いがあります」

「何だ?」

「私の名前を呼んでいただけますか」

 

何ともいじらしいお願いだった。

 

「分かった、じゃあなルクシオン」

「ご機嫌よう。いずれまた会いましょう」

「死ぬ気は一切ない!!」

 

馬鹿げた会話をしつつ体の輪郭が消えていく。

存在が希薄になるのと同時に俺は意識を失った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

変な夢だった。

やたら現実感があって知らない言葉が次々出てきた。

夢って見る奴の記憶から生まれるもんじゃなかったか?

訳分かんない単語がやたら出てくるとか俺の頭どうなってんだ?

思った以上に疲れてるのかもしれない。

 

欠伸しながらベッドの上を見渡すとアンジェと双子が寝息を立ててる。

皆の布団を掛け直した後ベッドから下りて窓に近付くと地平線が紅く染まってた。

もうすぐ夜明けみたいだ、そろそろ屋敷の使用人が起きて働き始める頃合いになる。

早く起き過ぎたな、朝食までだいぶ時間がある。

ベッドに戻ってアンジェを抱き締めながら二度寝したいけど子供達が一緒に寝てるからそれは無理。

俺は良識があるパパですから、子供達がいつ起きるか分からない状況でちょっといやらしい肌の触れ合いをアンジェにしながら眠るなんて事は出来ません。

だからって朝っぱらから仕事をするほど殊勝な男でもない。

 

仕方ない、ちょっと外を歩いて頭を冷やすか。

少し長めの散歩をすれば朝食の時間にはいい具合に腹が減るはずだ。

皆を起こさないよう静かに着替えて部屋を出る。

玄関脇の収納部屋に入ってコートと靴と手袋と防寒具を着込んで誰にも見つからないように屋敷を出た。

 

爵位を貰った今は使用人が起こしに来るようになったけど、子供の頃はずっと早起きだった。

なにせ領主一家が畑仕事をしなきゃ食っていけないような貧乏貴族だ。

農作業は夜明け前から始まって朝食前に終わらせ、午前中は勉強やら訓練を熟し午後からまた農作業。

軍に入るまでそんな日常を繰り返してたし、軍に入った後も起床時間は厳しかったから早起きに慣れてる。

あと早朝のこんな風景は嫌いじゃない。

冬の肺まで凍りそうな寒さは眠気を払うのにちょうど良い。

 

ゆっくりと未舗装の道を歩きながら今後の事を考える。

ゾラは死んでメルセとルトアートはたぶん王都で処刑されるだろう。

うちの家庭事情は解決したからあとは領地経営に頑張れば良いけどそう単純にはいかない。

なにせアンジェの実家であるレッドグレイブ家はホルファート王家と仲違いしてる。

このまま行けば二つの派閥が対立を続けて内乱が起きるだろう。

俺に対する評価を明らかに間違えてる公爵は騒乱になったら婿の俺を戦わせる算段らしい。

 

生憎と俺にそんなつもりはない、王家への忠誠心じゃなくて単に金も人も無いだけだ。

二度のファンオース公国との戦争で王国内の貴族は疲弊してる。

しばらくは大人しく領地経営に励まないと権力争いをする前に飢えて死んじまう。

ただでさえ戦争で当主や跡継ぎが死んだ家も多いんだ、せめて落ち着くまで争いを起こさないで欲しいってのが貴族や国民の本音だろう。

それに関しては王妃様とアンジェが対策を考えてるけど俺は内心厳しいと思ってる。

戦場から遠く離れた場所で『命と金がもったいないから止めましょう』と説いてもそれは安全地帯からの綺麗事で終わる。

争いを最も早く単純に解決する方法は暴力だ、どんなに言葉を集めてもたった一発の銃弾で状況は変わる。

王家と公爵家の和解が起きず内乱になったら最終的に政争になるだろう。

さっき見た夢をもう一度思い返す。

 

『ラーシェル神聖王国とヴォルデノワ神聖魔法帝国と戦いました』

 

確かにそう言われた。

もし夢の内容が真実ならこれから神聖王国や帝国と戦争が起きるかもしれない。

いや、既にその準備が進められている可能性もある。

外敵に対して一致団結しなきゃいけないのに王国は戦争の傷がまだ癒えてない時点で仲間割れを始めてる。

こんな状況をたかが辺境の成り上がり者がどうにか出来る訳ないだろ。

考えただけで頭がおかしくなりそうだ。

 

せっかく気分転換に早朝の散歩をしてたの気が重くなってきた。

これなら二度寝するかアンジェにちょっかい出してる方がマシだった。

吐き出した溜め息は白く染まって消えていく。

考え込んでる間にずいぶんと歩いた、いつの間にか靴底の感触が霜柱じゃなくて煉瓦に変わってる。

周囲を振り返ると温泉街近くの遊歩道を歩いてたらしい。

せっかくだ、慰霊碑を拝んで帰ろう。

出来る限り頭の中を空っぽにして目的地に向かう。

あの戦争で死んだ奴らは多い、慰霊碑の前にいつも献花が置かれている。

そうした死者を悼む気持ちを観光業に利用してる俺は結構な悪徳領主だな、間違いなく地獄へ堕ちる。

慰霊碑の前に辿り着くと誰かが膝をついて黙祷していた。

青みがかった髪に明らかに金がかかってそうな外套。

そこにいたのは良く知ってる顔だった。




第五部の導入になります。
今章からしばらくはリオン&アンジェと五馬鹿の触れ合いがメインになる予定です。
原作ルクシオンの登場は小説最終巻の発売が近づきアンニュイな気分になったので。
第五部は第四部の反動でギャグと戦闘描写が多め。
アンジェやミレーヌが考えてる政策案はまだ内緒です。

ご意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第62章  Instructiones

慰霊碑の前に跪いて黙祷するユリウス殿下の顔はこちらから見えない。

横に並ぶのも声をかけるのも躊躇われる何かがあった。

殿下がどれだけの時間そうしてたのかは分からない。

冬の早朝に身動ぎさえしない殿下の後ろ姿は美しい彫像みたいだ

そんな姿を見て『この姿を像にしたら客寄せになるかな?』とつい不謹慎な事を考えてしまった。

 

黙祷が終わったのか殿下が立ち上がって振り返った所で目が合った。

しまった、気付かれない内に逃げ出すべきだったな。

見てはいけない物を見たような気まずさが辺りに漂い始める。

 

「来てたのか」

「おはようございます殿下。こんな早朝に何を?」

「此処に慰霊碑があると聞いたからな。散策のついでに立ち寄ってみた」

「殿下に悼んでもらえる彼らは幸せです、ありがとうございました」

 

歯の浮くような社交辞令だとは分かってる。

慰霊碑に名を連ねたバルトファルト軍の兵の最期を俺は何人も見届けてきた。

苦しんで死んだ奴、恨み言を吐きながら死んだ奴、朦朧としたまま眠るように死んだ奴。

死に際を看取られた奴はまだマシだ。

戦闘が終わって帰還しなかった奴や所持品は見つかったけど死体が発見できなかった奴もいた。

ただ全員がホルファート王国の為に戦ってた訳じゃない事を俺は知ってる。

それを殿下の前で口にしない程度の良識は俺にだってあるからな。

 

「王子がたった独りで歩き回るなんて不用心でしょう」

「いつも傍らに誰かが居る窮屈な生活を想像してみろ、旅先ぐらい放っておいて欲しくなる」

「……用意した宿がお気に召しませんか?」

「そういう訳ではない。元々ジッとしていられない性分なんだ」

 

やれやれと首を竦める仕草は傍目じゃ俺と同年代の若者に見える。

もっとも俺は最底辺だけど貴族の家に生まれて十代で子爵にされたし、殿下は生まれた時から王子だ。

どうにも自分の感覚が世間一般の若い連中とは違ってるのが俺自身にも何となく分かる。

俺は平民としても貴族としても中途半端な存在だ、平民からは良い家のお坊ちゃん扱いだし貴族からは成り上がり者と思われる。

同年代の友達なんてほとんどいないし、貴族の集まりは腹の探り合いで気が抜けない。

中途半端な貴族の俺だってこうなんだから、生まれた時からそんな生活をしてる王子なら旅先で独りになりたくもなるか。

 

「それじゃ、俺はこれで」

「つれないなバルトファルト、少しぐらい付き合え」

 

出来るなら遠慮したいです殿下、この人は俺に対してやたら馴れ馴れしいから困る。

仲の良い四人が近くに居るんだからそっちと一緒に遊んでください。

そもそも今は早朝だから店なんて殆ど開いてない、民間用の空港じゃ労働者向けの屋台はあるけど王族に食わせて揉め事になったら一大事だ。

 

殿下は慰霊碑から少し離れた丘に向けて歩き出す。

小高い丘は領民が催しに使えるよう広場として整備されバルトファルト領の町並みを一望できた。

気ままに歩く殿下の少し後ろを追うように歩き続ける。

沈黙がやたら重苦しい、そもそも俺が無礼じゃない程度の接待をしろというのが無茶なんだよ。

こんなド辺境の子爵領に留まらないでさっさと王都へ帰ってください、俺の胃に穴が空きそうです。

辿り着いた広場に設置してあるベンチへ殿下が腰かける、側で突っ立っていたら隣に座るように視線で促された。

いや、王子と同じベンチに座りながら会話しろってのが無理だろ。

仕方なく隣に座る、相変わらず空気は重苦しいままだ。

 

ちくしょう、こんな事になるんなら大人しく寝室で二度寝すれば良かったなぁ。

慣れない事はするもんじゃない、この状況どうしたもんか?

だいたいさぁ、こんな時は偉い人から話を振るのが正しい礼儀作法でしょ。

俺から小粋で面白い話を始めると期待する方が間違いだよ。

 

「オリヴィアが来たらしいな」

 

ユリウス殿下がやっと話を始めた。

オリヴィア?と戸惑ってようやくそれが聖女様だと気付く。

 

「えぇ、慰霊祭は近隣との合同でしたが沢山の人がうちを訪ねて来ました。おかげで『聖女様が入った温泉』や『聖女様が泊まった宿』って評判で宿の売り上げが上がりました」

「彼女は亡くなった者達を分け隔てなく悼んだだろうな」

「聖女様は心優しい方ですから。遺族は感謝してましたよ」

「バルトファルト領では戦死者がどれだけ出た?」

「うちは死者が十八人、行方不明が六人ですね。他には戦傷で退役したのが五人。バルトファルト領全体の兵のうち二割近くが犠牲になりました」

 

バルトファルト領兵の総数は二百人弱、人口の一割程度だ。

ただ死亡した兵は軍全体から見ればニ割弱だけど、ファンオース公国との戦争では俺と兄さんが戦場に赴いて父さんとコリンが領地の守備の為に二つの部隊に分けたのが明暗を分けた。

バルトファルト軍の死者は俺が指揮する部隊に配属された奴らだ、公国軍にとってうちの領地は重要拠点じゃなかったから被害はほぼ無かった。

戦場で俺の部隊の三割が死ぬか行方不明か重傷を負ってる。

他の貴族との共同作戦だったせいでうちの兵に結構な無茶をさせたせいだ。

バルトファルト家とは関りが薄いとそいつらを見捨てりゃ被害は減ったんだろうけど、立場の弱いうちが他の貴族の恨みを買わないように立ち回るのは不可能だ。

そんなこんなで犠牲が出ないよう俺が必死に頑張って、貴族との折衷を兄さんに担当してもらったら感謝されて陞爵するんだから皮肉だ。

 

「先日の作戦は見事だったと四人が褒めていたぞ、滅多に他人を褒めないジルクが悔しがっていた」

「たまたまです、相手がよく知ってるゾラ達だから上手くいっただけです。ただの空賊や公国軍が相手だったらあそこまで上手くいきません」

 

敵が顔見知りで俺をナメてた、ドロテアさんが発信機を持ってた、たまたま殿下達がバルトファルト領を訪ねてた。

こんなに偶然が重なるなんておかしい、普通なら戦死者が何人出ても不思議じゃないぐらい無理のある作戦だった。

皆は俺を褒めてるけどあんな杜撰な作戦が認められたら昔の偉大な軍師はキレて当然だぞ。

殿下達は十倍以上の戦力差を覆せる英雄だから気付かないんだろうな、天才に凡人の悩みは理解できないみたいです。

 

「聞きたいのは兵の連携だな、お前がこの浮島を受領してから何年になる?」

「確か十六の時に子爵位を叙爵されました。それから一年ちょいでアンジェと結婚したから、まぁ四年と少しでしょうか。騎士連中の古参は父に仕えていた奴らですけど」

「それにしては兵の練度が良い。大貴族の常備軍並みの士気の高さだったぞ」

「俺の口先に乗るような単純な奴らばっかなんですよ。あと俺が王国軍の兵士だった経験が大きいですね」

「兵士の経験か」

「はい。冒険者を神聖視する価値観と貴族を優遇する王国の風潮を俺が嫌ってるのがデカいと思います」

「詳しく聞きたいな」

「妃殿下の前で説明した時に殿下も居たじゃないですか。俺は馬鹿で口下手なんで上手く説明する自信が無いんですよ」

「あれだけの演説を兵達の前で行う奴が言っても謙遜としか思われんぞ」

「それに愉快な話じゃありませんので」

「いいから言え、焦らすな」

 

我儘な王子様だ、どうやら退屈しのぎに俺を使うらしい。

他の奴らが周りに居ないのが救いだ、俺の話を聞いたら呆れるかキレる可能性が高いし。

 

「……まずうちの軍に入る奴全員が新兵扱いです。貴族も平民も区別なく同じ扱いにします」

「俺が入ってもか?」

「殿下が入ってもです。そもそも実戦経験皆無な貴族のガキが指揮官に据えられたり、貴族の子供だからって苦労無しに騎士にする今の体制がおかしいんです」

 

王国の貴族は優遇されている。

いや、身分制度で決まってるから仕方ないんだけどあまりに優遇され過ぎてるのが問題だ。

 

「貴族の家に生まれた男はどんなに馬鹿で弱くても騎士になれるのに平民はどんなに優秀で努力してもほとんど認められない。これじゃあ貴族も平民も腐る一方になります」

「今の王国はとにかく貴族の男が足りてない。戦功を出した者は騎士や爵位を与えているぞ」

「それでも足りません、だから王家は騎士に限って領主に叙任権を委託したけど必要な水準を満たす奴は少ないのが実情です」

 

前のファンオース公国との戦争が終わってから王国の上層部は軍の編成を見直した。

何しろ貴族や騎士の内通や裏切りが多発したせいで軍事行動がめちゃくちゃだったからだ。

危機感を抱いて補充する騎士の選抜を厳しくしたけど、今度は逆に厳し過ぎて騎士に任命される数は逆に減った。

おまけに戦争で寄家や専属の騎士を失った貴族達は国の認定が無くても自分達の判断で騎士を採り立てられるように掛け合って、上層部も人手不足を理由にしぶしぶ認めるしかなかった。

平和な時じゃ絶対に認められなかっただろうとアンジェが話してくれた。

 

貴族が召し抱える騎士の数を増やすのはその家が持つ軍事力の増強と同じだ、そうなれば叛乱が起きる可能性が大きくなる。

ただでさえ戦争で弱った王国でデカい叛乱が起きたらそれこそ国が亡びてしまう。

そんな訳で上層部は貴族が持つ騎士の数を制限する代わりに任命権を与えた。

これで貴族は自分達の判断で騎士を採り立てられるようになった訳だ。

そうして騎士になった奴も今回の戦争で何割かが死んだけど。

また人材を見つけて育てるのにどれだけの時間と金が必要になるんだか。

 

「うちは辺境で細々と貴族をやってた家ですけど俺自身はほぼ新興貴族でしたから。人を揃えるのは難しかった代わりに騎士の採用を見直したらすんなりいきました」

「どんな手を使ったんだ?」

「単純に新規に騎士として採用する奴らを試験しただけですよ。筆記と実技と面接で水準を満たせば合格、ただし身分に関係なく受けさせる」

「試験と身分を問わないだけか」

「正直言って上級貴族の子息は役に立ちません。傲慢な割に兵としちゃ使い物にならない奴らが多数です。俺が貴族になった当初は推薦状を持って来た奴を一人一人見てきましたけど、まぁひどいもんでした」

 

俺が爵位と浮島を受領して開拓と同時に騎士や兵の募集をかけたけど思い出したくないぐらいひどかった。

明らかに空賊まがいやゴロツキ同然の連中が衣食住を求めて押しかけたし、騎士希望の連中も俺を成り上がり者として見下すような奴らばっかだ。

同じ頃の見合いに来たのもやたら高慢なお嬢様ばっかで慣れない領主に苦しんでる俺は悪夢に魘されるようになって実務を父さんと兄さんに任せて引き籠るようになった。

公爵家からアンジェとの縁談が持ち込まれなかったらたぶんそのまま孤独に死んでたと思う。

アンジェと相談して騎士や兵の採用は公爵家との伝手を使ったり採用試験を受けさせてどうにか収拾がついた。

 

「俺が領主になった頃に訪ねて来た奴らは俺に憧れたか俺をナメてる奴らのどっちかです。憧れた連中の何人かはうちに仕えています。見下した連中はほぼ高位貴族出身で諦めるか辞めるかでした」

「そんな奴らが何故バルトファルト家に仕えようと思ったんだ?」

「まともな家に採用されない連中が若くて経験不足な俺なら上手く懐柔できると思ったんでしょう。野心を隠しきれなくて姉か妹に手を出して家を乗っ取る気満々な奴もいましたから。そんな野郎共は丁重にお帰り願いました」

 

不採用と分かったら唾を吐いて出て行くような連中だったな。

ひど過ぎる奴は俺と父さんと兄さんで袋叩きにして追い返したけど。

そんな奴だから何処にも雇ってもらえないんだよ、雇い主に最低限の礼儀を払う傭兵の方がよっぽど社交辞令を弁えてる。

あんな連中が多いとホルファート王国の騎士は使い物にならないと他国から思われかねないぞ。

 

「妃殿下にも話しましたが冒険者や戦士に必要な才能と兵士に必要な才能は違います。王国の貴族本人は他の国と比べて精強かもしれませんが、軍全体の練度は大差ないと俺は考えてます」

「辛辣な意見だな、それほど王国兵は頼りないか?」

「貴族と平民の差があり過ぎるのが問題です、これ以上は王政批判になりそうなので口を慎みますけど」

「構わん、言ってみろ」

 

やだなぁ、この王子様。

悪気は無いんだろうけどさ、俺に言わせないで欲しい。

そもそも俺に分かる事なら王都にいる賢い方々はもっと早く気付いてんだろ。

誰も畏れ多くて指摘しないのか、それとも高位貴族はその程度の事実に気付かないぐらいバカなのか。

殿下は楽しそうだけど関われば関わるほど王国の争いに巻き込まれてる実感が湧く。

溜め息を吐いて諦めた、もうどうにでもなれ。

 

「うちに騎士として雇われようとした貴族令息はとにかく先祖の自慢ばっかしてました。自分の先祖がどれだけ偉大か、自分は両親はどんな家の出身か、家庭教師は誰だったか。それで戦争の時は何をしてたか訊ねたら『領地で成り行きを見守ってた』ですよ。話になりませんね」

「……ひどい話だ」

「アンジェと相談してうちの軍に雇われる為の試験や試用期間を作ってみたら平民出身者は半分ぐらい残りましたが貴族は一割以下です。残った奴は俺を慕ってるか実家を頼れない没落貴族や低位貴族出身でした」

「高位貴族は頼りにならないと」

「同僚を見下す、仕事に対し情熱が無い、文句を言う割に能力が高い訳じゃない、いざとなれば実家を頼れる。これなら居ない方がマシです」

「耳が痛いな」

「バルトファルト領はまだ開拓途中なので軍がそれを担う場合も多いです。俺も兵に混じって働きますから手伝わない奴を解雇するにはちょうど良い理由になりますんで」

「待て、領主自ら解体作業に加わっているのか?」

「時々だけですよ、普段の開拓作業は兄と父に任せてます」

「バルトファルト家は随分と型破りな一族だな」

「もともと領主が自分で農作業や狩りをしなきゃ食っていけない極貧生活だったんで」

 

殿下の眉間に皺が寄る。

誇りだけじゃ食っていけなかった貧乏貴族がバルトファルト家だから偽っても仕方ない。

今も公爵家の支援がなきゃこの生活を維持するなんて無理だ。

少なくても俺の代じゃ公爵家に金を借りつつ開拓と経営を進めるしかないだろうな。

せめて隠居までに借金返済の目途がつけばいけど。

 

「月数回の訓練には領主の俺が必ず参加します。領主がいると兵の気が引き締まるし、何より説得力が増すんです」

「説得力?」

「どんなに優秀でも陣幕の中から偉そうに指示して出来なきゃ努力が足りないと文句を言うだけの指揮官に兵は懐きません。俺は兵として軍に入って出世しましたからね。騎士になる為の教育なんて受けてません。自分が泥にまみれて地べたを這いずり回るやり方しか知らないんですよ」

「軍を率いる者のやる事ではないな」

「だからって実戦経験皆無な貴族のガキが親から貰った鎧に乗って『俺が指揮官だ!俺に従え!』と言われて兵が素直に従うと思いますか?」

「…………」

「俺はニ十歳を超えたばかりの若造です。兵を従わせるには体を張るしかありません」

 

俺には何も無い。

知識も力も金も美しさも家柄も度胸すら無い。

凡人が必死に本を読み、情報を集めて、口先で敵と味方を惑わし、反則スレスレのやり方で何とか勝ってるだけでしかない。

外道騎士なんて称号がそうしなきゃ勝てない俺に相応しい事の証明だろう。

 

「ではバルトファルト卿に訊ねよう、卿の考える兵の育成に必要な課題とは何だ?」

 

殿下の口調が格式ばった物に変わった。

これは王族としての質問と思っていいのかな?

面倒くせぇ、俺の考える育成論なんて若造の戯言だろうが。

 

「まず平等な教育ですかね、そこから始めるしかないと思います」

「平等?」

「えぇ、何度も言ってるように俺はまともな教育を受けていません。父が治めていた領地には学問を学べる場所が無かった。父と兄が俺の教師です。軍に入ってからは任務に必要な知識を得る為に暇さえあれば本を読んで、休みの間は勉強に充てました。領主になった後は経営の本を片っ端から取り寄せて、アンジェと婚約してからはずっと嫁が教師です」

「独学で成り上がった訳ではないと言いたいのか」

「平民同然の俺がここまで出来たんですよ、もっと優秀な奴だって平民にいるはずです。そいつらを見つけて育てれば必ず役に立ってくれます」

 

王族や貴族にとっちゃ平民なんて虫か雑草程度の存在だろう。

だけど虫が居なくなったらそれを食う鳥や小動物が飢死する、そうなりゃやがて全部の生き物が飢える事に繋がる。

草が枯れれば牛や羊は育たない、肉も乳も革も毛も作れなくなって生活が困る。

貴族は自分が支配してるから平民は生きていけると思ってる奴が多いけど、実際は平民に支えられてる寄生虫が貴族だ。

別に平民は貴族が居なくなっても困りゃしない、こんな事を考える俺自身が貴族なのが皮肉だけど。

殿下は腕を組んで唸り始めた、俺の言ってる内容がアレだから仕方ないか。

 

「平民に無駄な知恵を付けさせたくないって貴族も多いのは分かってますよ。そんな事をして貴族や騎士の立場が危なくなるって意見も理解できます」

「実際に会議で同じ事を言えば批判が出るだろうな」

「でも殿下なら既にお分かりになられると思うんですが」

「どうしてだ」

「平民出身のオリヴィア様が聖女になって国を救ったのにどうして貴族は自分達が平民より優秀だと思い込んでるんでしょうね?」

 

平民のオリヴィア様が居たからこそホルファート王国は二度も救われた。

お偉い貴族様はその間何をやってた?

王都で終わりの見えない会議してたか、自分の領地だけを護ってたか、勝てないと分かった途端に寝返ってました。

いや、真面目に頑張ってた貴族がいたのは俺だって分かってるよ。

分かった上で血筋と家柄だけで威張りくさってる貴族が多過ぎるって話だ。

 

「兄やオリヴィア様の話だと学園は上級クラスと普通クラスに別れています。クラスを分ける基準は何だったんでしょうか?」

「……実家の爵位と資産だ」

「王国が学園を創立したのは幅広い人材を集め王国の未来を担う若者を育成するのが目的だったと聞いています。で、その王国の未来を担う為に学園に通う貴族の令息や令嬢はどんな奴らだったんですか?」

「…………」

 

殿下の答えは無かった。

無理もないか、そもそも学園の生徒だった殿下にこんな事を言うのは筋違いだろうし。

単にルトアートみたいなクズが跡取りってだけで学園に通えて、俺はどこぞの女に売り払われそうになった憤りを殿下にぶつけただけだ。

ただ、下位貴族や平民が王国に対する不満は溜まり続けてる。

オリヴィア様に対する賞賛はその反動だろう。

それが内乱や戦争に繋がるのだけは領主としても一個人としても避けたい。

 

「例えばうちの領地は亜人や王都を追放された連中を雇い入れてます。もちろん素行に問題がある奴は外しますが、中には優秀な連中も結構混じってるんですよ」

「亜人の雇用は法律で禁止されたはずだぞ」

「あくまで亜人を貴族の専属使用人に雇うのを禁止されただけですよ。正当な評価をされて金払いが良い働き口があればやる気のある奴はきちんと働いてくれるもんです」

 

少し前まで王国には見た目が良い亜人を使用人として雇う習慣があって、ゾラ達も専属使用人を何人も雇ってそいつらの給金がうちの財政難の一因だった。

ところがファンオース公国が攻めて来たら貴族達だけじゃなくて専属使用人も裏切り者が続出した。

公国と戦う気はあったのに専属使用人が裏切り情報を売ったせいで負けた貴族すらいる。

戦争が終わってから亜人を使用人として雇うのは法律で禁止されて大量の失業者が出る事態になってる。

同じように個人としては王国を裏切りたくなかったけど主君や寄親の命令に従ったせいで裏切り者扱いになった連中も多い。

その殆どが王都から追放処分を受けて社会問題になってるし、下手すりゃ空賊になってさらに治安が悪くなる。

辺境のバルトファルト領は人手が足りないし王国の監視も厳しくない。

もちろん王都の煌びやかな生活とはかけ離れてるし賃金も安い、だけど働いたらその分の賃金を払うし評価もする。

バルトファルト領の戸籍帳に記載されてるのは二千人に満たない、けど戸籍を抹消された元貴族やそもそも王国民として扱われていない亜人の労働者と家族を合わせたら五百人ぐらいはいる。

うちだけでじゃなくて辺境の領主貴族は同じ事をやってるけど。

 

「貴族の中だけで優秀な奴を見つけるより平民から優秀な奴を選んで育てる方が確実だと思います」

「……それはお前の考えか」

「アンジェの考えですよ、俺は書類に目を通して判を押してるだけです」

 

領地経営に関してはアンジェの主導で俺の意見なんて幾つか採用されてるだけだ。

とにかく金が無い、人が居ないバルトファルト領をやりくりを必死に考えてある物を有効活用して何とか回し続けてる。

追い詰められたら見栄とか誇りなんて尻を拭く紙にもなりゃしない。

 

「アンジェリカが変わったのか、それとも昔からそうだったのか俺には判別がつかない」

「うちに来てアンジェもだいぶ変わりましたよ。出会った頃は綺麗だけどおっかないお嬢様だったし」

 

あの頃のアンジェは鬼気迫って怖いなんてもんじゃない。

王都の連中を見返す為にバルトファルト領の開拓に必要な事を片っ端から手をつけてたな。

落ち着いたのは俺と結婚して子供を産んでからだ、可愛いのは出会った頃から変わってないけど。

 

「俺は人を見る目が無い、女の扱いに関してもな。アンジェリカと婚約破棄しなければ国政に尽力してくれただろう」

 

どう答えたら正解だよコレ?

今更よりを戻したいとか言われても全力で拒否する。

アンジェが居ないとバルトファルト領の経営は成り立たないし、何よりアンジェに捨てられたら俺が死ぬ。

例え王族の命令だとしても離婚する気はありません。

アンジェは俺の嫁です。

ユリウス殿下と視線が合った、どことなく楽しそうな目だ。

 

「バルトファルト、宮廷貴族になるつもりはないか?」

「……戯れはお止めください」

 

何とか返答するのが精一杯だった。

いきなり何を言うんだよ、この王子。

どう考えても王家と対立している公爵家の娘婿を引き込もうとするとか火種にしかならないだろ。

そんな事になったら間違いなく公爵が妨害を始める。

戦勝パーティーでも公爵が絡んで来たじゃん、勝手に俺の取り合いとか止めてくれ。

俺が居る所で争うのも困るけど、居ない所で取り合いするのも困ります。

 

「父上と母上はお前を甚く評価している。お前が立身出世を考えるなら必要な椅子を用意するだろうな」

「高く評価されるのはありがたい話ですが性急だと思います」

「今年度の論功行賞でお前が伯爵位になるのはほぼ確定だ。伯爵位なら大臣になる最低条件はあるぞ」

 

絶対に断る!!

何でそんな話になるんだよ!?

陛下と妃殿下も何考えてやがる!!

ニ十歳を超えたばかりの大臣とかおかしいだろ!!

俺の反応を見て殿下は楽しそうだ。

冗談にしちゃ悪質だ、本気になってたらどうするつもりだよ。

 

「許せ、廃嫡同然の馬鹿王子の戯言と聞き流せ」

「分かりました。陛下と妃殿下の御厚意に応えられず申し訳ありません」

「だがお前の意見は有益だ、おかげで楽しい時間を過ごせた」

 

殿下はベンチから立ち上がると歩き出した。

太陽の傾きは早朝から朝に変わっている。

このまま殿下と別れる前に何か伝える事は無いか?

 

「お待ちください殿下」

「どうした?」

 

思わず立ち上がって殿下を引き留めた、立ち止まった殿下は振り返って俺を見る。

しまった、つい勢いで止めたけど何を話したら良いか考えてなかった。

必死に頭を働かせてふと少し前に見た夢の内容を思い出す。

 

「……今回の誘拐事件の裏にはラーシェル神聖王国かヴォルデノワ神聖魔法帝国が絡んでいるかもしれません」

「ほう?」

 

殿下は興味津々に俺の言葉を聞き入れる。

 

「どうしてそう思う」

「……アンジェを誘拐したゾラがそんな内容の言葉を呟いていました」

 

もちろん嘘だ、あいつはそんな事を一言も話してない。

どうやったら上手く報告できるか考えてひねり出した嘘だった。

死人に口無し、死んで初めてゾラが役に立った。

 

「すいません、何せ記憶が曖昧なもので」

「いや、有益な情報だ。礼を言う」

「ゾラの奴を無傷で捕まえられたら良かったんですけど」

「構わん。逃亡を企てた時点で他国に情報が渡る前に始末できて良かった」

 

何とか誤魔化せた。

夢の内容がもし本当に起こるなら待ち受けてるのは神聖王国か帝国との戦争だ。

俺が止めるのは無理だけど、王子のユリウス殿下なら何か行動を起こせるかもしれない。

 

「そもそも俺達が淑女の森を壊滅させたのはその背後に他国の干渉が見られたからだ。お前の証言はその判断材料になる」

「ご存知だったんですか」

「不確定な情報だがな。これで良い手土産が出来た」

 

そのままユリウス殿下が宿がある方向へ歩いて行くのを俺は見送るしかなかった。

ようやく殿下の背中が見えなくなった頃、ゆっくりベンチに座り直して空を見上げる。

何か出来た訳じゃない、既に殿下が知っている情報を与えただけで状況は何も変わっちゃいない。

結局の所、俺は国の行く末に何も影響も出せない成り上がり者だ。

世界は聖女や英雄を中心に回ってる。

俺は必要な情報を主役に教えるだけの端役(モブ)に過ぎない。

俺がどんなに足掻こうと世界は何も変わらない。

そんな無力感に苛まれながらベンチの上で体を伸ばす。

ここから見える家の煙突から煙がいくつも昇ってる。

今日もバルトファルト領は相変わらず平和だった。




リオンとユリウスの交流会です。
リオン本人は自分をモブと思っていますが攻略対象達が凄いだけでリオンも十分に尊敬される才能を持ってます。
ある意味で聖女や英雄に一番憧れてるのは今作リオンと言えるでしょう。
次章はギャグ回の予定、バルトファルト兄弟とローズブレイド姉妹が中心です。

追記:依頼主様のご依頼でふぇnao様と阿洛様に挿絵イラスト、鈴原シオン様にアンジェのイラスト描いていただきました。ありがとうございます。

ふぇnao様 https://www.pixiv.net/artworks/116017975
阿洛様 https://www.pixiv.net/artworks/116056216
鈴原シオン様 https://skeb.jp/@shion_suzuhara/works/41

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第63章 弟兄妹姉

屋敷への道を物思いに耽りながら戻る。

何度か会話してユリウス殿下の性格とか考え方が何となく分かってきた。

殿下が悪人じゃないのは理解できる。

きちんと王族の自覚を持って働いているのは理解できた。

アンジェと婚約してた頃の殿下を俺は知らないけど、殿下は悪政を敷く暴君の卵って訳じゃない。

ただ、殿下とアンジェの相性は悪かった上にオリヴィア様の存在が事態がややこしくなった原因だろう。

喧嘩相手が善人だと相手は悪人に見られがちだ。

ましてや相手は救国の聖女、例え公爵令嬢が相手でも分が悪い。

 

それに殿下とアンジェの婚約破棄が原因で俺とアンジェの縁談が持ち込まれた。

他人の不幸を喜ぶようなさもしい人間にはなりたくないけど、俺が今も生きてるのはアンジェが傍で寄り添ってくれるからだ。

それに関しちゃむしろ感謝してもしたりない。

やだなぁ、まるで俺が悪人みたいじゃん。

嫁の元婚約者と縁談がぶっ壊れて喜ぶとか実に嫌な奴だ。

あっちは王子で美男子で強い、こっちは貧乏貴族の次男で顔に傷痕がある醜い男で卑怯者。

俺と殿下のどっちが女の子の理想かなんて分かりきってる、勝負どころか比較対象にすらならない。

 

こんな時は恋愛結婚の父さんと母さんが羨ましい。

ゾラと政略結婚しなきゃいけなかったけど二十年以上も連れ添って正式に夫婦になった二人は本当に幸せそうだ。

ユリウス殿下とアンジェは性格の相性以外に政治的な思惑が絡んで婚約破棄した。

俺とアンジェの夫婦関係にそれが起きないとは限らない。

家の事情で離婚して再嫁するなんて事が貴族社会じゃよくある話だ。

レッドグレイブ家がどんな思惑でアンジェと俺の縁談を思いついたのかは知らない。

ただ、その思惑によって離婚させられる可能性は常に存在している。

今回の誘拐事件に関して俺の力が足りないという口実でアンジェが公爵家に連れ戻されてもおかしくない。

考えるだけで気分が滅入る。

 

やめだ、やめ。

こんな事をウジウジ繰り返し考え続けても何の解決にもならない。

屋敷で朝飯を喰って二度寝だ、昨日の疲れが残ってるから嫌な想像ばっかするんだ。

強引に結論を出して足早に歩き始める。

屋敷に戻ると使用人達が忙しそうに朝の準備の準備を始めてた。

邪魔にならならないようにこっそり寝室へ戻るか、朝食までの時間を嫁と子供達と過ごす贅沢ぐらい味わう権利が俺にはある。

そんな俺のささやかな願いは横から伸びてきた腕に掴まれて奪われた。

何事かと思って体を掴むぶっとい腕を見て相手を察する。

こんな毛深くて太い腕の持ち主は我が家には一人しかいない。

 

「なんだよ父さん?」

 

これから俺は綺麗な嫁と可愛い子供達に囲まれて幸せな時間を過ごすんだ。

美味しい朝飯の後は嫁に甘えながら午後までダラダラ眠るんだ。

そんな息子の願いを奪う父さんを睨んだけど全く意に介していない。

表情は強張って額から汗を流してる。

何かあったか?

 

「どこに行ってたんだ?」

「いや、ちょっとその辺で朝の散歩を」

「いいから来い、今すぐ来い」

 

何だよ、俺なんかしたか?

心当たりは多いけど怒られる事はしてないぞ、……してないかな?

俺の不安をよそに力任せに廊下を引きずられる。

父さんの必死さから何か異常事態が起きたのを薄々察した。

 

「アンジェに何かあった?」

「何も無い」

「ジェナかフィンリーの容態が悪化した?」

「ピンピンしてる」

「ユリウス殿下達から苦情が来たとか?」

「今の所そんな話は無い」

「なら離してくれよ、俺はさっさと寝室に戻ってだらだらしたい」

「いいから来い!いろいろマズい状況だ!」

 

結局押しきられて父さんと母さんの寝室まで来ちゃった。

これ昔からお説教される時の流れだ、嫌な予感がぷんぷんする。

父さんが忙しなくドアを何度も叩いて部屋の中へ無理やり押し込まれた。

何なんだよいったい?

部屋の中には母さんと兄さんがいる、その光景がちょっとばかしおかしかった。

母さんは明らかに目を吊り上げて怒ってるし、兄さんは床に正座して縮こまってる。

俺とは違って兄さんは親の命令を素直に従うから俺より怒られる回数は少なかったのに。

とりあえず椅子に座って説明を聞こう、何が起きたか知らなきゃ対策できない。

 

「どうしたの二人共?」

 

誰からも返事が無い、誰か説明してくれよ。

兄さんは青褪めてるし、母さんは何故か怒ってるし、父さんは難しい顔で唸ってる。

俺は書物に記されてる偉人じゃないから他人の顔を見て事情を推察するなんて出来ません。

 

「まったくこの子は!どうして、もう、あんたはッ!?」

「落ち着けリュース、本人も反省してる事だし」

「反省してるからって解決する訳じゃないでしょう!」

「……」

 

母さんの口調は悲鳴に近い涙声だ、どうしたら良いか分かんなくて混乱してるみたいだ。

父さんが必死に宥めてるけど大して効果が無い、むしろ父さんが大人しくさせようとするほど母さんの怒りが増してる。

仕方ないから正座してる兄さんに近付く、どうやら原因は兄さんみたいだし。

 

「何したの兄さん?」

「……お前には言いたくない」

「どう見ても兄さんが原因だろ、父さんと母さんが喧嘩するなんて珍しいし」

「俺だって家族に言いたくない事はある」

「領主権限だ、さっさと吐け」

 

こんな事を言うと兄弟仲が拗れるけど事態が事態だ。

領主として経営に悩み、家庭では家族仲で悩む。

俺の安らぎはどこにあるんだ?

 

「……たぶんな、俺、ドロテアさんと結婚する」

「めでたい話じゃないか」

 

そうか、兄さんに嫁が来るのか。

バルトファルト家は男爵家、ローズブレイド家は伯爵家。

少しばかり爵位が離れてるけど、今の王国は男手が足りていないから出世の機会は昔より増えてる。

上手くやれば爵位を上げられる可能性は十分にある。

ローズブレイド家から支援を受けられたらレッドグレイブ家に借りを作る回数も減ってアンジェに心苦しい思いをさせずに済む。

何よりドロテアさんも伯爵も兄さんに好感を持ってるから無碍にされないだろう。

結婚相手との仲か良いのは貴族や平民の区別なく大事だ。

 

「それの何が問題なの?」

「この子ったらドロテアさんを押し倒したのよ!付き合ってる女の子を手籠めにするなんて!どうしてそんな風に育ったの!?」

「……おい、何やってんだ兄貴」

「押し倒してない!むしろ俺の方が押し倒された側だ!」

「でも抱いたのは事実だろう。ニックス、こういう場合は男が何言おうと悪く受け取られるもんだぞ」

「どうすんだよ、相手は伯爵家だぞ。嫁入り前の娘が手を出されたって知ったらどんな報復されるか分かんねぇぞ」

「だから悩んでるんだって!」

「首を持って行けば許してもらえそうか?」

「アンジェの実家の公爵家が仲介してくれるなら、それでも難しいと思うけど」

「流石にそれは避けたい」

「そもそも本当にドロテアさんが迫ってきたの?モテない兄さんの妄想じゃない?」

「朝起きたらこれがベッドに置かれてた」

 

兄さんがポケットから黒い何かを取り出した。

……首輪だ

革で作られて所々金属の装飾が施された首輪だ。

どこからどう見ても、上から見ても下から見ても間違いなく首輪だ。

 

「ドロテアさんが身に着けていた首輪だ」

「ごめん、何言ってるか分からない。病院行く?」

「俺は正常だ!」

 

頭おかしい奴は自分がまともだと信じ込んでるから信用ならない。

狂った実の兄を気の病で幽閉するとかなんて可哀想な俺。

どうしてこう、神様は俺の人生に苦難ばっか丁寧に用意するんだろう。

 

「いや、本当にどうしようコレ?さすがに全面戦争にはならないだろうけどさ、慰謝料とか請求されるだろ」

「そもそもゾラ達のせいでドロテアさんやディアドリーさんが襲われてる。バルトファルト家を信用しなくても不思議じゃない」

「そもそも向こうは襲われた時に騎士が死んでる、その責任を追及されたら向うの要求を呑むしかないな」

 

泣いてる母さんの横で男三人が必死に足りない頭で必死に考えを纏めてる。

思いつくのは絶望的な未来だけだ。

貴族の争いってのは資産が物を言う。

証拠を揃えて、有能な法律家を雇って、何度も裁判してやっと判決が出る。

場合によっちゃ賄賂で結果が変わるから金を惜しんじゃいけない。

それにかかるのは金だけじゃない、時間だってかかる。

親の代の訴訟が子の代になって判決が出たなんてざらにある。

時間と金をかけて得られるのは賠償金請求と世間からの軽蔑とか笑い話にならない。

 

「なんで手を出したんだよ?絶対にヤバい事になると分かってただろ」

「酒飲んでたからな……。あといろいろ溜まってた……」

「それぐらい我慢してくれよ、ダメなら娼館に行ってくれ」

「地元の娼館に通ったらすぐバレて噂になるだろ!」

「それでもこうなるよりマシだって」

「あとな、あんな美人さんに迫られると拒めないっていうか……。俺の人生であんな風に求められたのが初めてだったというか」

「モテない男の悲哀だな、だから前の領地かここで平民の嫁を貰えば良かったんだ」

「父さんと俺じゃ状況が違い過ぎる、うちに嫁いでくれる令嬢なんて学園には居なかったし」

「オッパイか?あのオッパイに惑わされたのか?」

「ドロテアさんの胸をいやらしい目で見るな!お前にはアンジェリカさんがいるだろ!」

「当たり前だ!俺はアンジェのオッパイにしか欲情しない!」

「あんた達!!揃いも揃ってくだらない事ばっか言っていないの!!」

 

ゴンッ!! ボゴッ!! バキッ!!

 

母さんの拳骨が落ちて俺達三人の頭から楽器みたいに音が鳴った、痛い。

 

「本当にもう!!どうしてうちの男連中は揃いも揃ってスケベ根性丸出しなの!?私達の時もそうだったけどリオンだけじゃなくてニックスまで後先考えず女に手を出すなんて!」

 

マズい、何かこっちにまで飛び火してきた。

兄さんの視線が俺を問い詰めるように見つめてくる。

 

「リオン、俺に偉そうな事を言ってたくせにお前もそうなのかよ?それで偉そうに説教してたのか」

「一緒にすんな!アンジェの方から俺に別れ話を振って来たんだよ!そしたら俺が好きとか愛してるとか言われて!綺麗な女の子が目の前で泣いて告白されたら誰だって動揺するだろ!」

「俺だってそうだった!部屋に戻ったらベッドに裸の美女がいたんだぞ!しかも抱いてくれってせがむんだ!理性がドロドロになってもおかしくないだろ!」

「そこは拒めよ!人として!貴族として!俺は清く正しい交際をするつもりだった!」

「止めろニックス、全面的にお前が悪い」

「あんただって訳知り顔で息子を諭せるような生き方してないでしょ!」

「やめろリュース!子供達の前で!」

「私の体調を無視してデカい体で迫られたら逃げられないわよ!子供を産んですぐ妊娠したからご近所さんにどれだけ笑われたか!」

 

聞きたくねえ、家族の情事とかこの世の一番知りたくない情報だぞ。

どうしたらこの修羅場を切り抜けられるかな?

地獄みたいな光景に眩暈を起こしながらぼんやりそんな事を考えていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

部屋に入るとベッドの上に珍妙な塊が鎮座していました。

獣のような唸り声を時折出して身震いする姿は手負いのモンスターにも似ていますわね。

これが何の繋がりもない他人なら放置していて起きたいのですが、何分お父様が心配なさっているので様子を窺うのは私の役目になりました。

口では文句を言いながらお姉さまに甘いのがお父様の悪い癖です。

普段からお姉様の素行や嗜好について注意していればここまで事態は拗れなかったはずですのに。

文句を言っても始まりません姉の行き届かない所を支えるのが出来た妹というもの。

己の意にそぐわぬ行いも完璧に熟してこそ名門ローズブレイド家の令嬢ですわ。

 

「お姉様、お姉様」

「…………」

「いい加減に部屋から出てください。お父様が心配して医者を呼ぼうとしていますわ」

「…………」

「何が起きたかは分かりませんが薄々察しはついています。素直に応じた方が身の為ですわよ」

「…………」

「そうそう、お姉様を心配なさったニックス様がこちらに向かっているそうです」

 

ブワァッ!!

 

翻った毛布が宙を舞い獣じみた俊敏さで黒い影が部屋の中を駆け回ります。

流石は冒険者として名を馳せたローズブレイド家の血脈、その姿は手弱女に見えても才能と覚悟が凡俗の女とは比べ物になりません。

お姉様は部屋の中を駆け回りながら扉の前に物を積み上げ始めました。

ついには宿に備え付けの姿見やベッドや箪笥まで移動させようとしています。

……このままだと私まで部屋に閉じ込められそうですわね、いい加減に止めないければ。

 

「落ち着いてくださいお姉様、今の発言は嘘です」

「嘘……?」

「ニックス様はこちらに来ておりません。バルトファルト家の面々は今は屋敷で過ごされてる筈ですわ」

 

あくまで現時点に於いてはという但し書きが付きますが。

落ち着きを取り戻したお姉様は再びベッドの上で丸くなろうとしたので慌てて止めます。

なにせお姉様は昨日までバルトファルト家を狙う不届き者達に囚われていました。

辱めを受ける前にバルトファルト家の方々とユリウス殿下に同行した四人の英雄達によって無事に救出されローズブレイド家の面々は心を撫で下ろしたものです。

なのに一夜明けたらお姉様は部屋に閉じこもって誰とも会おうとしません。

心配したお父様がわざわざローズブレイド領から同行させた医師の診断を受けさせようとしても頑なに拒みます。

しびれを切らしたお父様は私にお姉様の説得を任せて別室に戻ってしまわれました。

この状況を改善するのは私の手に些か余りますわ。

 

「どうなされたんですか?バルトファルト領に戻ってからは小娘のようにはしゃいでいたではありませんか」

「……ニックス様が私との婚約を保留にして欲しいとお父様に提案なされたの」

「どうしてまた?」

「ニックス様は今回の事件に責任を感じていらっしゃるわ。ローズブレイド家の騎士に犠牲が出たのも御自身の至らなさ故と思っているのでしょう」

 

確かに襲撃犯の首領はバルトファルト男爵の元妻です。

主犯格の男性は血の繋がりが無くとも一時はバルトファルト家の嫡子であり、言うなれば今回の件はバ男爵家の相続争いとも受けれます。

そんな争いに婚約者が巻き込まれたともなればバルトファルト家の管理能力が疑われても仕方ありません。

責任を感じたニックス様がお姉様との婚約を保留にするのも致し方ないのかもしれません。

 

「私を助けにきたニックス様はとっても凛々しいお姿だったわ❤あの瞬間に運命を感じたの。『あぁ、私はこの殿方に嫁ぐのね』って❤」

「……なのに相手は婚約の一時保留を願い出たと」

 

私の発言を聞いてお姉様の表情が曇ります。

二十年以上も共に暮らしている実姉ですが最近のお姉様はまるで年頃の娘のように表情がころころ変わります。

学生時代も多くの貴族から求婚された時も眉一つ動かさなかったのに、ニックス様に関する事になると頬を赤らめ幸せそうでした。

ローズブレイド家の面々はようやくお姉様に春が訪れたと喜んでいましたが、その春はあまりに早く過ぎ去ったようです。

 

「それでね、お父様からその話を聞いて目の前が真っ暗になって」

「仕方ありませんわね、お父様としても被害が出た以上は放置する訳には参りませんし」

「御話を伺おうとバルトファルト家の方々が忙しそうにしてる間にニックス様のお部屋に忍び込んで」

 

『それは淑女のする行動ではありません』という言葉が出掛かりましたが必死に飲み込みます。

ニックス様と知り合って以降のお姉様の行動力は当家の者の追随を許しません。

 

「興奮して服を脱いだままベッドで横になってたら疲れてたせいか眠っちゃって」

「服を脱がないでください、裸で殿方のベッドに寝ないでください」

「そうしたらニックス様が戻って来て。話してたらつい盛り上がってしまったの」

「……結果を、具体的に、お聞かせください」

「……ニックス様と契りを結んだわ」

 

お姉様の言葉を聞くや否や私はドアに駆け寄ろうとしましたが、先んじたお姉様に体を掴まれた反動で床に倒れます。

私たち姉妹は体を絡め合いながら床を転げまわります。

 

「お父様には内緒にして!お願いだから!」

「それとこれとは話が別ですわ!お姉様はローズブレイド家の誇りを何だと思っていらっしゃるの!?」

「好きな人が出来たら古臭い家名なんてどうでも良くなるの!」

「あまりに身勝手過ぎます!今まで家名で身を守ってもらっていたのに節操の無い野良犬みたいにバルトファルト家へ尻尾を振るなんて!」

「そこまで恩知らずじゃないわよ!頼むから協力して!」

「人に物を頼む時の態度じゃありません!」

 

髪が乱れ服が破けそうになっても私達は言い争いを止めません。

もしも部屋の外に誰か居たら物音に驚いて部屋に侵入したかもしれませんわ。

私達の体が離れた時には二人とも疲労困憊で息も絶え絶えでした。

 

「はぁ…、わかりましたわ…。当面の間はお父様に秘密にしておきます…」

「えほっ…、ありがとう…」

 

ローズブレイド家の栄誉より姉の我が儘を優先した罪悪感に胸が締め付けられます。

顔を上げるとお姉様は嬉しそうに微笑んでいました。

思えばこうして笑うお姉様を私は一度も見た事がありません。

何というか、同じ人間とは思えないほど表情豊かです。

顔の部位が変わった訳ではありません、真冬の蕾が春の訪れと共に華開いたように美しさを放っています。

これが恋をするという事なのでしょうか?

恋愛や結婚を政略の手段と考えている私には分からない感情ですわ。

 

「でもニックス様が来たと私が言った時はずいぶんと動揺していましたわ」

「だって後から思い返してみたら怖くなったのよ……。夜這いするなんてはしたない真似をしたら絶対に嫌われるわ」

「はしたない真似と分かっていたのなら実行しないでください。後々苦しむのはご自分ですわ」

「別れると思ったら一度ぐらい情けを戴きたかったのよ。まさか、あんなに凄いなんて……」

「……そんなに凄かったんですか?」

「魂の繋がりとか生命の神秘を垣間見たわ。確かにあんな事を繰り返したら命が生まれるのも理解できそう」

 

行為の凄まじさを思い出したお姉様は身震いしました。

その情欲に震える御姿は実妹の私さえ戸惑う色気を放っています。

見てはいけない物を見てしまった気まずさを誤魔化すように会話を続けます。

 

「嫌われたのか気になるのでしたら直接会って確かめたら良いではありませんか」

「嫌よ!どんな顔して会えば良いのよ!?もしニックス様に嫌われたなら生きていても仕方ないわ!神殿に入って神様と聖女様に祈りながら一生を終える方がマシよ!」

「なら結婚すれば良いのでは?手籠めにされたと訴えればバルトファルト家はお姉様を迎え入れるしかありませんわ」

「そんな非道をしてまでニックス様と結婚したくないわ!私はニックス様に幸せになって欲しいのよ!」

 

意外ですわ、傲岸不遜なお姉様がこんなにも他人の幸せを望むなんて。

それほどまでにバルトファルト家の長兄が素晴らしい男性なのでしょうか?

多少は体を鍛えてはいますが特に目立った長所は無し、あの豺狼のような外道騎士の実兄とは思えないほど凡庸で目立たない男ですのに。

 

「私はニックス様がお幸せなら満足なの。ニックス様のお隣に私が置いていただいてほんの少しだけ愛してくださるなら充分。他に何も要らない」

「その為なら結婚しなくて良いと?」

「好きな相手に愛されないほどつらい事は無いのよ。私を軽蔑するニックス様と連れ添う位なら命を絶った方を選ぶわ」

 

ここまでお姉様を魅了するニックス様は何者なのかしら?

リオン・フォウ・バルトファルトに嫁いだアンジェリカも随分と幸せそうでした。

バルトファルト家には余人には理解できない魅力があるのかもしれませんわ。

 

「でもお姉様はこれからどう為さるおつもりですか?ニックス様に会うのを拒み続ける訳にはまいりません。いつか必ず話し合う時が訪れますわよ」

「うぅ……、どうしようディアドリー……?」

 

その答えを知りたいのは私の方です。

せめてニックス様はお姉様をご無体な扱いをしなければ良いのですが。

一度で良いから私もお姉様のように心から恋焦がれる相手が現れないでしょうか?

私に縋りつくお姉様を落ち着かせながらぼんやり窓の外の太陽を眺めました。




ラブコメ回及び成人向け回の続きです。
ドロテアさん、というかローズブレイド家は今作に於いて重要な立ち位置なので布石になります。
まぁ、原作小説では結婚して妊娠してたからこれぐらいは許されますよね!(悪ノリ
次章からは徐々にシリアスな内容になるので息抜きです。
筆者が節目にエロかラブを入れないと気分の切り替えが出来ないので。

追記:依頼主様のリクエストでおつかれ様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。
おつかれ様 https://www.pixiv.net/artworks/116124518

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。



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第64章 富国強兵

誰かが私の体をまさぐる感触で朦朧とした意識が徐々に起き始める。

私に対しこんな事をする輩は一人しかいない。

私が滅多に拒まないと分かってこうした行為を繰り返す。

しょうがない奴め、などと思いながら夢と現の境界線を楽しむ。

普段なら朝になれば他者の手を煩わせず起床できるのだが今日に限って微睡みがひどく心地良い。

 

どうして体がこれほど惰眠を貪るのか。

ぼんやりと思い返していると昨日の記憶が徐々に思い出される。

そうだ、私は空賊に捕まり、リオン達の懸命な働きによって無事に救出された。

屋敷に戻った後は寝室から出る事なく体を休めていた筈だ。

肉体的な疲労のみではなく精神的消耗も加わりベッドから出る事なく一日を終えた。

ただでさえ命の危機に瀕していた上に私は身重だ。

回復に努めようとして深い眠りに陥るのは仕方あるまい。

 

そう思っていた所である事実に気付いた。

確か昨夜は同じベッドに夫婦二人だけでなく親子四人で寝ていなかったか?

流石に朝から子供達の目の前で夫婦の仲睦まじい姿を見せるのは情操教育に悪い。

リオンは良い父親ではあるが夫婦の営みについて些か求め過ぎるきらいがある。

私が拒まないのを理由に更なる接触を求めてくるのだ。

妻として夫に求められるのは悪い気はしないが朝から盛るのは勘弁願いたい。

 

そもそも先程から触ってくる箇所がどうにもおかしい。

普段は唇やら首筋を練ってくるが今日に限って鼻やら耳に触れてくる。

それも撫でるのではなく引っ張ったり抓ったりと優しさも愛情も感じない触り方だ。

湧き上がる苛立たしさを抑え込み瞼を開くと紅い瞳が私を真正面から見つめ返す。

 

「…………」

「…………」

「……何をしているお前達?」

 

金髪紅眼の子供が二人、私の顔をベタベタと触っている。

ライオネル・フォウ・バルトファルト。

アリエル・フォウ・バルトファルト。

言わずと知れた私とリオンの子供達だった。

 

母である私の顔を玩具にして弄る双子は中々に命知らずな双子だ。

普段なら私の目の前でこうした悪戯は控えているのだが今日に限って我慢が効かなかったらしい。

普段は私達夫婦の寝室と子供達部屋を分けている上に、一昨日と昨日はこの子達も事件に巻き込まれ危うく母子の別れになる所だったのだ。

多少の甘えを許すのが母としての器量という物だ、私の顔を弄ぶのはいただけないが。

 

「ライオネル、アリエル。遊び相手は父上の方にしなさい。私はもう少し眠ります」

「え〜」

「や〜」

 

私の拒絶を認めず前にも増して双子が絡んで来る。

些か疲れるが悪い気はしない。

こうした煩わしさも生きているからこそ味わえる物だ。

視線をベッドの上に移すと寝室に居るのは私達三人だけでリオンの姿が見当たらない。

 

「父上は?」

「しらない」

「いなかった」

 

舌足らずな口調でリオンの不在を告げられた。

普段は私より後に起きるくせに、私が求める時に限って行方が知れなくなるのが我が夫の悪い部分だ。

ふと、女心に聡く出生が万全で傷痕が無いリオンが存在した場合に私を妻にしたくなる男かと省みる。

あまり好意を抱けそうにない。

結局は不器用な男に惚れた女の弱さだ。

少し頼りない夫を妻が支える程度の力関係が私達にはお似合いなのだろう。

ゆっくりと体を伸ばし凝りを解しつつ髪を結い室内着を羽織った。

時計を見れば既に朝食の時間だ、早く食堂に向かわなくては。

ちょうど子供達をベッドから下ろそうとしたその時、ノックもせずにリオンが寝室に入ってきた。

 

「起きた?」

「あぁ、どうして起こしてくれなかった」

「ぐっすり寝てる奥様を無理やり起こすほど俺は無神経じゃないぞ」

「私が居ないと皆が心配するだろうが、ただでさえ誘拐事件の影響で仕事が滞っているのに」

「嫁と子供達を労わる俺の愛だよ」

「私が起きた時にお前が居ない方が問題だ、何かあったかと不安になる」

 

ベッドに腰掛けたリオンに近づき抱きしめて頬に軽く唇を当てる、同じ行為をリオンも私にしてくれた。

 

「唇にはキスしないの?」

「流石に子供達の前では控える。家族でも節度は必要だ」

「ちぇっ」

 

舌打ちするリオンの髪を撫でながら今この瞬間を心の底から堪能する。

誘拐された時、もう二度とこんな幸せを再び味わえるとは思っていなかった。

私は領主の妻だ、一個人の感情よりも領地の利益や領民の生活を優先しなくてはならない。

そうでなくては貴族として人々を統括する資格を持てない。

貴族の子として生まれた時から私に選択の自由など無かった。

レッドグレイブ公爵家の、ホルファート王家の、ホルファート王国の歯車に為る事を生を得た瞬間から強いられてきた。

だが、道から外れた先に思わぬ幸せが存在している。

今日まで私はその幸せが変わらず続いていく物だと思っていた。

しかし、現実はそれほど優しくはない。

二度にわたるファンオース公国との戦争、そして今回の誘拐事件。

辺境領地だと思っていても油断は出来ない。

世界には多くの国が存在し、それに伴って国家間争いもまた生じている。

私の幸福を護るにはホルファート王国が抱えている問題を解決しなければならない。

これ以上の争いを起こさない為に私が出来る事を熟さなくては。

為すべき務めを果たす、それが世界の厳しさに対する私なりの抵抗だ。

だから、せめてこの時だけは幸せを噛み締めさせてくれ。

愛する夫と子供達に囲まれながら切なる望みを神に祈った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

リオンにバルトファルト領の仕事を任せた後、私は執務室で資料を纏め始めた。

まだ休んだ方が良いとリオンは止めようとしたがこの好機を逃したくはない。

寧ろ誘拐事件で感じた恐怖を振り払うには寝室で寝て過ごすよりも手と頭を動かした方が気が紛れる。

幾度かミレーヌ様と手紙でのやり取りを繰り返し、ある程度の下準備は以前からに済ませていて苦にならなかった。

 

昼食からしばらく経った頃、屋敷に五名の男が来訪した。

筆頭に第一王子ユリウス・ラファ・ホルファート。

ジルク・フィア・マーモリア。

クリス・フィア・アークライト。

グレッグ・フォウ・セバーグ。

ブラッド・フォウ・フィールド。

所謂ホルファート王国の五英雄その人だ。

ジェナやフィンリーをはじめ屋敷の若い連中は一目見ようと玄関に押し掛けたが敢えて止めなかった。

面倒な仕事を増やしたくはないし、何より人前で彼らに会ってどう対応したら良いか分からない。

 

あの五人とオリヴィアによって私の人生は大きく変わった。

それこそ悪い事も良い事も含めたら切が無い。

冷静に振る舞おうとしてもしても何処かで破綻してしまうのが怖い。

そんな私の心を理解してくれたのか、五人の歓待はリオンが受け持ってくれた。

リオンが対応している間に必要書類や資料を机の上に纏めて待ち続ける。

ノック音が数回響くと扉が開かれ、順番に彼らが執務室へ入って来たので丁寧に礼を行う。

 

「息災かアンジェリカ」

「はい、私達の救出に尽力していただき感謝の念に堪えません」

「異常があれば遠慮なく言ってくれ、我々の船に専属の医師が居る。御典医を務めた事もある名医だ」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

 

五人を代表してユリウス殿下が声をかけてきた。

殿下の口調は柔らかく、本心から私の心配をしていると感じられる。

それに応じる私も誠意を以って殿下に応対する。

社交辞令とは言え和やかな空気のまま各々が着席する。

執務室には私とリオン、そして殿下達五人が居てやや手狭に感じられる。

この会談の場所を指定したのは私の提案だった。

殿下達の飛行船の乗務員は王家に忠誠を誓っている名家の出身が多く情報が洩れる可能性がある。

逆に公爵家に手の者が居ないとは言い切れない為、敢えてバルトファルト邸を選んだ。

密談とは隠そうとすればするほど外部の関心を集めてしまう。

単なる歓待として会う方が怪しまれないのだ。

 

リオンが紅茶を淹れて各人に配った後に自らの分を飲み干す。

人の介入をなるべく減らした為に領主自ら給仕と毒見役を兼ねている。

全員がカップに口をつけた所で話を切り出す。

 

「改めて礼を言う、私達の救出に尽力してくれてありがとう。再び生きて子供達を抱きしめられて感謝しかない」

「俺からも礼を言う。家族やアンジェを救い出せたのはお前達のおかげだ」

 

深々と頭を下げて礼を述べた。

例え因縁の相手でも私達の為に尽力してくれたのは事実だ。

過去を無かった事には出来ないが、現状を改善する為に手段は選ばない。

嘗ての敵と手を取り合うなど歴史書を紐解けば幾らでも例がある。

 

「気にするな、こちらも仕事で対応した部分が大きい」

「まさか淑女の森の残党があのバルトファルトと所縁がある奴らだったとは思わなかったぞ」

「それだけ組織が王国にとって根深い宿痾という事です」

「地道に潰すしか手は無いよね」

「そっちの話はそこまでだ、今日の話はそちらが主ではないからな」

 

夫々が感想を述べていたがユリウス殿下はやや無理やりに話を変えさせる。

時間は有限だ、無駄に消費しては解決できる問題も達成困難になってしまう。

机に置いてある私直筆の企画書を五人に渡す。

印刷を使えば楽に終わっただろう、だが読み返し書き記す事でしか間違いに気付かない事も案外多いのだ。

只でさえこの案に携わっている者は少ない、間違いを残したまま突き進んでは取り返しが効かなくなってしまうだろう。

 

「この案はあくまで草案に過ぎない。情報提供はミレーヌ様やオリヴィアが関与している。方針の転換や数値の修正も行われる筈だ」

「ユリウスには王妃様が主導で王国の改革を推し進めるとだけは聞いてる。具体的には何をするんだ?」

「王国が抱える問題点はそれこそ長きに渡る政策の不備や前例の偏重によるものだ。それらを一朝一夕で変えるなど不可能だ」

「じゃあ、一体どうするんだよ?」

「まず今の状況で一番まずい事態は何だ?」

 

リオンと五人が首を捻って考え込む。

嘗ては五人まとまって行動していた彼らだが現在では別の役職を宛がわれている。

まず各々が考えている問題を出して意見を統一する。

 

「国内の治安悪化だな、かつて程じゃないけど空賊による被害が増えてる。腐敗貴族と癒着した奴らこそ減ったけど小規模の空賊による突発的な犯行は増えている」

「とにかく人手が足りてない。王家が占有してるダンジョンに不法侵入して荒稼ぎする奴すらいるぞ」

「国境付近の空気もきな臭くなって来ている。アルゼル共和国の内紛に関わってファンオース公国を占領したからね」

「人手だけではなく予算も足りません。戦争の保障に加え復興や補充にも資金は必要です」

「宮廷の動きもあやしい。王家と公爵家の争いが表面化しつつあり何かを決めるのに別派閥から反対意見が出る」

「辺境だって似たようなもんです。王家を裏切って公爵家に付こうとするのはマシな方ですよ。下手すりゃフランプトン侯爵みたいに他国へ内通しかねない奴すらいます」

 

出された意見は王国の窮状を的確に伝えてくる。

それら全てを同時に解決するのは不可能だ。

だからと言ってそれらが全く関わり合いが無い問題とは言えない。

全ての問題は深い部分で繋がっており、問題点を一つずつ地道に解決すれば良いのだ。

 

「治安の改善、人員の不足、外交の不振、資金の欠如、派閥の争い、中央と地方の確執。凡そこんな所か」

「どうするんだよコレ、何処から手を付けたら良いか分かんねえぞ」

「そうでもない、問題は複雑に見えて案外単純な物だ」

「どう単純なんだ?」

「現状の問題点を無理やり纏めるならホルファート王国、いや王家の力が衰えてるのが問題だ」

「ファンオース公国を取り込みアルゼル共和国を属国として扱うならホルファート王国自体の国土面積や保有する資産は寧ろ増えている。問題なのは急激に広がった国土に対し人材が足りないのが問題だ。前の戦争で公国に内通した貴族、反旗を翻した貴族を過剰に粛正したのが拙かった」

「あれは必要な事だっただろう。そうでもしなければ反逆者をみすみす逃していた。裏切り者を放置してはそれこそ王家の統治能力が疑われかねない」

 

王族のユリウス殿下としては忸怩たる想いだろう。

まぁ、そうしたホルファート王家に対する不信を煽っていたのが他ならぬレッドグレイブ公爵家なのだが。

父上としては私と殿下の婚約破棄を認めた王家、権力争いをしていたフランプトン侯爵派が余程腹に据えかねたらしい。

私としても王家に対して不満があるので敢えて止めなかったが。

 

「先の戦争で削減した人員、戦死した貴族や兵の補充は戦功を上げた者で埋めてきました。それ自体は正しい選択です。問題は叙爵された者達に領地経営や金融の心得が足りなかった事、そして補充した人員の数が足りなかった事です」

「……なんだよ、その目は?」

 

リオンが咎めるように私を睨む。

実際リオンのように戦功で出世した者や冒険による功績で叙爵された者達が王国貴族の始まりだ。

ファンオース公国との本格的な戦争の前にはそうして貴族となる者は大幅に減少したとはいえ全く無くなった訳ではない。

問題なのは貴族となった者に開拓や経営や金融の知識が著しく欠けている場合が多かった事実だ。

領地経営は書物を読んだだけで上手く物ではない、ある程度の知識に加え経験を積まなければ単なる机上の空論で終わる。

王家から与えられた領地を経営する煩わしさを逃れる為に実務を代官に任せ、己は王都で贅沢三昧の日々を送る。

現地の代官は領主の目が届かない事に味を占め、過剰な税を民から取り立て私腹を肥やす。

そうして王国は緩やかに衰退の道を歩んでいたのだ。

 

先の戦争と今回の戦争で戦功を上げた者に対して爵位や領地といった恩賞を与えるだけでは同じ事の繰り返しとなるだろう。

リオンは私と婚約した事で公爵家から支援を受け、彼自身に領主として務めを果たす気概があったから上手くいった。

せっかく出世したのだからきちんとした地盤を築きたい新興貴族も多い筈だ。

私が考える改革案はそうした風潮を上手く使おうと考えている。

 

「人員が必要だからと無理に捻出しては却って現場に混乱を招きます。人材の育成には時間と資金が必要不可欠です。当面の間は登用の規制を緩めて在野から人材を見つけ出し、同時に金融政策によって経済の活性化を中心とした方針を打ち出します」

「それで上手くいくのかい?」

「正直な所を言えば未知数だ、何せ私の提案は王国の歴史では今まで行われた事が皆無と言っていい。成功するかもしれないし失敗するかもしれない」

「随分と不確かな提案だな」

「確約されていなければ協力したくないと?そう思うのはお前達の勝手だ。だが最善手を創ろうと必死に頭を捻った所で時間は有限だぞ。日に日に公爵家は力を増し王家の力は削がれていく。方針が決まった頃に周りが全て敵対派閥に囲まれていては改革どころか自らの命さえ覚束ない」

「むぅ……」

 

意地の悪い答えだとは自分でも分かっているが、現状のように王家と公爵家の勢力が拮抗している時間は残り少ない筈だ。

父上はこの国の未来を憂いている。

それは貴族としての危機感や公爵家当主の立場から来る物であり、王位を簒奪し己の要求を満たしたい訳ではない筈だ。

きちんと筋道を立てて説明すれば説得は十分に可能だと私は考えている。

皮肉にもファンオース公国との戦争では多くの貴族が処罰され数を減らした。

公爵の父上はもちろん君主であるローランド陛下やミレーヌ様でさえ貴族の反発を恐れていた。

予め根回しをすれば議会を懐柔して強制執行するのも可能ではある。

無論、それをやった後は国中の貴族から反発されるから王家も公爵家もやらないだろうが。

 

「順を追って説明しよう。まず王国の現状に於いて一番の急務は人手不足の解消だ。様々な部署で人員が足りず仕事が滞りがちになっている。その解消に人材採用の枠組みの刷新が必要がある」

「前任者や下の者の出世を妬んで邪魔する奴が出て来ないか?」

「放っておけ、と言いたい所だがそうした問題は必ず噴出するだろう。そうした抵抗を緩める為にお前達にはオリヴィアの仕事ぶりをあらゆる場で広めろ。人材登用の拡充を促す風潮を作り出せ」

 

オリヴィアの名声はホルファート王国の民衆にとって冒険者に代わる価値観になりつつある。

平民の娘が特待生として学園に通い、神殿から聖女の認定を受け王国の危機を救った。

彼女が有能なのは政務に関わる者なら否応なしに認めざるを得ない状況だ。

異論を唱えるのなら亡国の危機に瀕して自ら先陣を切り敵将を討ち取って証明しなければならない。

嘗て下位貴族や平民を軽視していた高位貴族達は率先して自らの有能さを示さねば瞬く間に免職や降爵といった憂き目に遭うと汲汲している筈だ。

裕福な家に生まれておきながら平民以下の働きしか出来ぬ者に貴族の資格など無いという憤懣が王国にみちているからだ。

下手をすれば暴動になりかねない状況を上手く利用すれば上層部の者達も首を縦に振らざるをえない。

 

「人材登用は新興貴族の救済を優先させろ。特に領主貴族を重点的にだ」

「待て、中央を優先させるべきじゃないのか?領主貴族を優先した所で王国の利にならないだろう」

「叛乱を抑えるのが一つ、そして同時に産業の活性化を狙う」

「産業の活性化?」

「これまで王国はあまりに地方の領主貴族を蔑ろにし過ぎた。確かに敵国への内通が許される訳ではない。だが、中央を優先し地方へ対する蔑視や現状把握の遅さが王家の求心力を弱める原因となったのは疑いようがない」

「確かに前の戦争が終わった頃から空賊退治も兼ねて辺境を回ったが荒れ果てた所も多かった」

「荒れ果てた領地から得られる税収は低い。民から税を搾り取ろうと苛政を行えば却って衰退を招く。何より人材が枯渇する一番の原因だ」

「そこまでする必要があるのか?」

「オリヴィアは辺境の平民の家に産まれたぞ。あれ程の逸材を見出していなければ戦争の結果は逆になってホルファート王国はファンオース公国の属国になっていた。領主貴族の中には領民に余計な知恵を付けさせたくないからわざと平民に対して低賃金で重労働を課す場合が多い。そうした領地に限って運営が上手くいっていない」

「だから辺境の領主貴族に人材を送れと」

「王家や中央貴族の支配力を強めるのではない、国全体の経済と生活の水準を底上げする。産業が活発化すれば物資や貨幣の流れが生まれ税収も自ずと上がる。民を富ませる事が結果として国家の全体の増強に繋がっていく」

 

リオンと婚約しバルトファルト領の開拓に携わった経験は私の見識を大きく変えてくれた。

如何に王都で声高に改革を訴えても実際に統治を行うのはその土地の領主であり、彼らは己の領地に対して強い執着を持つ。

そもそもホルファート王国は小領主を大領主が、大領主を王家が軍事力で服従させ統括している体制と言って良い。

ファンオース公国との戦争によりホルファート王家の所有する軍事力は減少し、支配に陰りが見え始めたのも寝返る貴族が相次いだ原因だ。

軍事力ではない新しい力が必要だ、それが経済力だとバルトファルト領の経営で私は感じ始めた。

王妃教育を受け全ての貴族に特権を与える代償に領地を召し上げ王家が統治するなら王家の支配力が増す等と考えていた頃の私とは随分と考え方が変化した物だと自分でも驚いている。

 

「だが問題があります」

 

私の案に対してジルクが意見を投げかける、やはりこの男か。

この五人の中でもっとも政に長けているのがジルクだ。

次期王の側近となるべく幼い頃からユリウス殿下の乳兄弟として教育を受けた彼は権謀術策に長けている。

私と殿下の婚約破棄騒動に関してはまんまと乗せられて醜態を晒した。

正直に言えば私はこの男が大嫌いだ。

ただ王家に対する忠誠心やオリヴィアに対する親愛は本物だから看過しているに過ぎない。

あの頃に比べてこの男も成長はしていると聞いた、難癖ではなく諫言として聞き入れる必要がある。

 

「人材を派遣するにしても国庫にある予算は有限です。私は中央で任された仕事をしていますが、旧公国からの賠償金を加味しても王国の予算の大部分は貴族達に対する恩賞に費やされます。実質目減りした予算で新規事業を行うのは困難かと」

「確かにな、その点は私も考えている」

「でしたら何故?」

「それについては腹案がある」

 

手元に置いてある幾度も加筆修正した紙束をテーブルの上に置く。

これが私の考えているホルファート王国の立て直しで一番重要な箇所だ。

 

「ここの記されている物が私なりに考えた王国改革の草案だ。良いか悪いかは読んでから判断しろ」

 

そう告げてティーカップに注がれた紅茶で喉を潤す。

あとは彼らがどう判断するかだ。

この草案自体はミレーヌ様と幾度も連絡のやり取りを繰り返して書き上げた物だ。

例え彼らが賛成しなくてもミレーヌ様は王命として施行する方針を固めている。

但し、多くの貴族が難色を示すのは間違いない。

貴族の説得には救国の英雄が持っている名声や実績が必要となる。

この会談の場がどうなるにせよ既に覚悟を決めている。

彼らが賛成するにしても反対するにしても為すべき事を為すだけだ。

隣に座るリオンが不安げに私を見ていた。

そんな顔をするな、せっかくの紅茶が不味くなる。

五人が結論を出す時間をリオンが淹れる二杯目の紅茶を嗜みながら待ち続けた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「正直戸惑っている。これをやって解決できるのか?」

「それは分からん、何しろ初の試みだ。仮に実現しても成果が出ない場合も当然考えられる」

「確証は無いのかい」

「各領地にも似たような物は存在している。お前達の親が治める地にもあると調べはついているぞ」

「領地にあるやつを王国が主導でやるって訳だ」

「そうだ。だが、国の予算を費やして新規事業をやるのも同然だ。各方面からの突き上げは来るだろう」

「王国の予算を使う予定ですか?」

「他にも王族に割り当てられる歳費や所有資産を売却して資金を調達するとミレーヌ様はお考えだ」

「やるからには徹底的か」

「お前達には貴族の説得を担当してもらう。領主貴族、宮廷貴族の区別無く説得しろ。お前達に求めるのはそれだけだ」

「待てアンジェリカ。俺達に協力させるなら責任を負う必要があるだろう」

「ミレーヌ様はこの政策を自分が主導者として行うつもりです。失敗した場合に陛下や殿下に累が及ばないようにする為です」

 

ミレーヌ様はいざとなれば全ての責を背負い私はあくまでも草案を作っただけと押し切る腹積もりだ。

これが国家政策として施行されても上手くいくか、それは考えた私にも分からない。

的外れな案と笑われる可能性は勿論ある、時代を先取りし過ぎて理解されず失敗するかもしれない、何の成果も上げられず廃止されても理解できる。

ただ旧来の方法のまま王国が盤石な時代は既に終わりを迎えているのは確実だ。

貴族に領地を与え自治権を与える王国の体制その物が限界に来ている。

急激な変革は混乱を招くが少しずつでも変革を促さなければホルファート王国は遠からず滅びるだろう。

そんな博打に夫や我が子を巻き込みたくないミレーヌ様のお気持ちは理解できる。

 

「……不確定要素が多い。我々が見落としているだけで穴が幾つもあるように感じる」

「だろうな。実際に私を草案を纏めるにあたって幾度もミレーヌ様にご意見を伺い訂正を重ねている。これはあくまでも私が現状で考える改善案だ。実際の数値や情勢の変化については辺境にいるお前達の方が詳しい。代案があるなら構わず言ってくれ」

「…………」

 

反論できないか。

まぁ、これは妊娠して実務の手が空いた領主貴族の妻が語る国家運営論に過ぎない物だ。

領地経営にのみ携わっている私よりも国の中枢に近い者達の同意が得られないのは仕方あるまい。

彼らの賛同を簡単に得られるとは私自身も思っていない。

 

「正直な所、俺は母上と共にこの案を聞いた時は半信半疑だった。上手くいくならそれに越したことはないが失敗した場合の損害が致命的になりかねない」

「ご意見はご尤もです。私自身も成功率が低いと考えていますから」

「どの位だ?」

「三割程度でしょうか。他国の干渉や不満を抱えた貴族や民衆の暴発が無いという前提の上で甘く見積もってこの数値です」

「……王族としてではなく、一個人としても諸手を挙げて協力できない。失敗すれば母上は責任を取って政から手を引かされるだろう。そうなればホルファート王家は貴族の傀儡に成り果てる」

 

それは仕方ない事だ。

ホルファート王家が未だに国家元首としての面目を保っているのはミレーヌ様の御力が大きい。

陛下は政務に関心が薄く、他の王位継承権を持つ王子や外積は関係の深い貴族との関りを優先する。

レパルト連合王国から嫁いで来られたミレーヌ様だからこそ、宮廷内の派閥争いから一歩引いた中立に近い立場で政務を執れたとも言えるだろう。

そして中立という立場は簡単に揺らぐ危うい物だ。

誰からも一定の距離を保つ分、危機に陥っても助けてくれる者はほぼ居ない。

陛下との夫婦仲が良好ならば正妃の立場から押しきれるかもしれないが、御二人の関係は冷えた物で期待できそうにない。

 

「それの我々にとって貴女達の行動は不可解です。何を望んで公爵家から離反するような真似を?」

「単純に戦乱で荒れた国土を復興させなければ我々として痛手だ。その答えでは不満か?」

「えぇ、これが単なる辺境の領主貴族夫人なら政治を分かっていないと一笑に付す事も出来ます。良案ならば耳を傾けるでしょう。ですが貴女は公爵家の令嬢でありユリウス殿下の元婚約者だ。我々の間にある確執を無視して無邪気に信じられるほど我々はお人好しではない」

「それはよく知っている」

「何より恐ろしいのはこの案が失敗した場合です。王家の権威が失墜した後に台頭するのは誰か?間違いなくレッドグレイブ公爵です。私にはこれが周到な罠に見えて仕方ない」

「わざわざこんな手間暇をかけて罠を用意したと?」

「そもそも何故この案を公爵に献策しないのですか?ホルファート王家が実行した後に出た問題を理由に王家へ退陣を求める。そして改善した案を公爵家が実行し上手くいけば貴族と民は挙って公爵を褒め讃えるでしょうね。それこそ旧政権を打ち倒し新政権を興す絶好の理由になります」

 

それは邪推だ、とは言い切れない。

実際に最近の父上は多くの貴族と誼を結び、権勢は王家に並ぶのも時間の問題だ。

その時に王家の失策を糾弾すれば多くの貴族は賛同するだろう。

戦争で王家の力は衰えてる、無理に抵抗すればそれこそ国を割る内乱が訪れ国は荒廃の一途を辿る。

 

「私たちは内乱も他国の干渉も御免だ。人々が求めているのは平和であり、それを実現するには派閥を超えて協力すべきだ」

「公爵家の寄子である貴女達を信用しろと?」

「我々は穏便に事を収めたいだけだ。父上が王座に就いて平和な治世が訪れるなら止める必要もない。ただ現状では間違いなく国内は混乱し他国が介入してくる。せっかく訪れた平和を乱したくはない」

 

やはり無理か。

彼らと私ではあまりに立場が違い過ぎる。

言葉を尽くしても感情で相手の信用を得られなければ協力し合える事は無い。

英雄達の口添えが無ければこの案の成功率は半分以下に落ちるだろう。

その後に起きるのは最悪の結末。

これも私の人徳の無さ故だ、誰が悪いという話でもない。

 

取りあえず書類の束を渡し、後は彼らに任せよう。

私には従えずともミレーヌ様の御命令なら素直に従ってくれる筈だ。

精神的な疲れにやや自棄になりかけた瞬間、黒い影が私の視界を覆う。

リオンだった。

何のつもりだと問う前に彼はある言葉を口にした。

 

「決闘しましょう、殿下」




政治ターンの始まりです。
アンジェの考えは封建制の問題点や産業改革等の視点から国の体制の改善を試みる物です。
アンジェの腹案についてはまだ内緒です。
フランス革命~ナポレオン執政時代のフランス、産業革命時のイギリス、独立戦争前のアメリカなどの政治的推移を参考にしているので世界史を先行されている方なら答えが分かるかもしれません。

追記:依頼主様のリクエストでFendai様とKAササギ様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。

Fendai様 https://www.pixiv.net/artworks/116208503
KAササギ様 https://www.pixiv.net/artworks/116224395

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第65章 決闘しましょう 王子様

「決闘しましょう、殿下」

 

執務室の沈黙に包まれる。

唯一人を除き言葉の意味を理解できず呆気に取られている。

 

『こいつは何を言ってるんだ?』

 

湧き上がる感情は憤怒でも憐憫でもなく困惑。

何故そうなるか分からない、彼の真意が理解できず狂ったのかと不安になる。

 

彼と知り合ってから四年が経つ。

彼を愛して夫婦となり子を為した。

彼が家族や我が子にすら見せない顔を見ている。

彼の総てを知り尽くしていると自負さえしていた。

 

なのに彼が、リオンが何を考えているか分からない。

私達が誘拐された時からずっと不安に苛まれて続けている。

他国の者に忌み嫌われ、自国の者にすら畏怖される男。

他者から彼が外道騎士と謗られても気にも留めてもない。

私はリオンを愛している。

たとえ世界が敵に回っても私だけは彼の隣に居続けよう。

落ち込むリオンを慰めながらそう決意した筈なのに。

彼の真意が分からない。

 

「何のつもりだバルトファルト?」

 

呆れとも警告とも受け取れる口調でユリウス殿下が問い詰める。

殿下に他意だろうは無い、純粋にリオンの真意を窺がっているだけだ。

此処で私達と争っても殿下達には何の益も無い。

そもそも私の考えた提案は既にミレーヌ様によって極秘に準備が進行している。

公爵家の寄子でありながら王家と通じてるのは、あくまでその方がバルトファルト領にとって有益だと判断したからに過ぎない。

極論を言えば王都に於ける国の主導権争いをしたいのなら勝手にして欲しい、バルトファルト領で穏やかに暮らしている私達を巻き込むな。

国を護り平和を齎せるなら支配者がレッドグレイブ公爵家だろうがホルファート王家だろうが他の貴族でも構わない。

統治者がホルファート王家の現状がバルトファルト領にとって一番損害が少ないから手を組んだだけだ。

ユリウス殿下と婚約破棄した時点で私の王国に対する忠誠心や愛想は尽きていた。

今の私は実家と嫁ぎ先の利益のみを考えて行動してる賢しい小娘に過ぎない。

 

現状に於いて一番困るのはリオンのように損得を度外視する行動だ。

私と殿下達の会話は一種の商談であり、どちらが主導権を握って利益配分をどうするかが焦点だ。

武器は言葉と情報と予測、そうして如何に自分が求める物を引き出せるかが勝利条件。

そんな話し合いの場で力を武器に交渉を中断されると困る、凄く困ってしまう。

 

「何って、このまま埒が明かない話を続けても意味がありません。なら手っ取り早い解決方法で終わらせるのが一番です」

 

ユリウス殿下に応じるリオンは皮肉な笑みを浮かべる。

相手を挑発するような口調で動揺を誘い、軽薄な身振り手振りで挑発し判断力を奪う。

純朴で家族との穏やかな生活をこよなく愛するリオンとはまるで別人。

荒れ果てた裏路地で女を騙して売り捌く女衒、常に相手の懐具合を探り金を引き出そうとする詐欺師。

目の前に居るのはそんな後ろ暗い物を感じさせる狡猾な男だった。

 

「殿下達も王都に戻らなくちゃいけないからずっとここで話し合う時間は無い。かと言ってアンジェの案を鵜吞みにするのは危ないし癪に障る。このまま続けても結論は出ませんよ」

「それが決闘だと?」

「別に王国じゃ珍しくもない方法でしょう。殿下達ならご理解いただけるかと」

 

だからどうして挑発するような言葉を吐く!?

私が求めているのは最善の方法であって最短の方法ではない!

腹の奥から怒りが込み上げてくる。

どうしてこう、今日のリオンはやたら殿下達に辛辣なのか。

普段の彼は少なくとも礼儀を弁えている、気に食わない相手に対してもわざわざ喧嘩を売る真似はしない。

 

「……分からないな、そうまでして争う理由が無い」

「妃殿下から書状で大まかな説明を受けています。私達がするべきは話し合いであり功名争いではありませんよ」

「そんなのは俺だって分かってる。俺が言いたいのはこうしてのろのろ話し合いをしてる暇が王家に残っていると思ってんのか?って話だ」

 

分からない、リオンが何を言いたいのか理解できない。

国内の情勢は父上や兄上からの定期的な報告書やミレーヌ様からの手紙、王都の新聞に社交界の噂等である程度は把握している。

普段は私が情報を教えているリオンが私の知らない情報を得ているとは考えにくい。

今回の事件で殿下達に何かを教えてもらった、或いはあの空賊達から何らかの情報を得たのか?

 

「ゾラ達、いや奴らがいた組織はどっかの国の支援を受けてたみたいだ。ラーシェルか?それともヴォルデノワか?どっちにしても奴らは王国を耽々と狙ってる。国内を安定しないと喰われるのはこっちだぞ」

「それは俺達も掴んでいる、だからこうして動いているんだろうが」

「遅い、遅過ぎて欠伸が出て来る。お前らは良い家のお坊ちゃんで分からないかもしれないけど戦場で一番貴重な物は何だと思う」

「護るべき土地と民に決まっているだろう」

「いや、兵の命だ」

「話にならねえな、答えは時間だ。時間ってのは水や食料や弾薬、いざとなりゃ命が幾つあっても交換不可能で貴重な代物だぞ。どんなに完璧な作戦を考えても先に国が亡びたら全てが無意味だ。立ち止まってる時間なんてありゃしねえ」

 

リオンの言葉は実感が籠っていた。

私は戦場を経験していない。

殿下達も簡単に死んでしまう只の一兵卒で戦場を駆け回った訳ではないし、兵站を考えて数カ月に渡り部隊を指揮した経験は無いだろう。

この場に於いてリオンは政治に疎い、だが部隊の運営に関しては彼が一家言を持つのは間違いない。

 

「仮に王家と公爵家が仲直りしたとする。そして軍の立て直しに何年かかる?兵士は訓練しなきゃ使い物になんねえし、武器だってどっかから材料を調達して工場を稼働させなきゃ武器が行き渡らないんだぞ。ろくに訓練を受けさせず半端な武器を持たせて国が護れるか?お前らは自分達が強過ぎて嫌々戦ってる兵の気持ちを分かってないし危機感が足りてねえ」

「僕達が平和ボケしていると言いたいのか!?」

「公国との戦争、ありゃほとんど奇跡のまぐれ勝ちだろ。神殿の騎士は聖女様を護る為に半分以上死んでるし、徴兵された奴だって何万と死んでる。その穴を埋めるには何年かかるかって話だ。その間に他の国が王国を襲わない証拠でもあんのかよ」

 

その言葉に全員が黙る。

確かにホルファート王国はレパルト連合王国とアルゼル共和国の両国と同盟を結び、ファンオース公国を取り込んだ事で版図を広げた。

だがそれは国際社会にて王国が絶対的な強者となった訳ではない。

レパルト連合王国はミレーヌ様の故郷ではある、しかしユリウス殿下が王位継承争いから脱落同然の扱いを受けている現状ではホルファート王国に手を貸すだけの理由が足りない。

アルゼル共和国は聖樹の成長に数十年以上の歳月を要し、内紛から復興にも時間がかかる。

ファンオース公国に至ってはホルファート王国に対し恨みすら抱いている、もし他国が侵攻して来れば率先して離反するだろう。

リオンの指摘は正しい、間違いなく正しい。

 

「だから段階を飛ばす為に決闘する訳か」

「どうせ明後日には王都に帰るんでしょ?ならここで結論が出ないまま会議してるよりは遥かにマシです」

「暴論過ぎるぞ」

「それに俺達が勝ったとしても得は無い、お前達もそうだろう」

「……じゃあ勝った報酬を決めときましょう。それなら戦う理由にもなるし」

「君が勝った場合の報酬は?」

「論功行賞でバルトファルト領の恩賞を優先してもらいましょうか」

「結局金かよ」

「金は大事だ、金で苦労してない坊ちゃんは黙ってろ」

「なら我々が勝った場合には何をするつもりだ?」

「ユリウス殿下、朝の話ってまだ有効ですか?」

「……何?」

「俺が負けたら殿下の部下になるってのはどうでしょうか」

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「阿呆か貴様ァ!!?」

 

ボフッ!

 

寝室に戻るなり思いっきり枕を頭に叩きつけられた。

敢えて避けない、当たっても痛くないし攻撃を避けたら更にアンジェが不機嫌になる。

素手で俺をぶん殴らないのはアンジェなりの優しさだ、そう思わなきゃこの攻撃を凌げない。

疲れて攻撃が中断されるまで文句を言わず無言のまま立ち続けた。

少しは気が収まったアンジェが椅子に腰かける、育ちが良いと怒ってても一挙手一投足に気品ってが滲み出る。

 

「何故あんな真似をした?」

「どれを指してるか分かんないな」

「決闘云々だ、殿下達を挑発して無理やり話を進める必要が何処にある」

「そうだなぁ。動機はあいつらの態度が気に食わなくてムカついた、かな?」

「まだ殴られ足りないのか貴様」

「いや、真面目に答えてるんだけど」

 

アンジェが俺を名前で呼んでくれない、『貴様』とか『お前』って俺を呼ぶ時はかなりの怒り具合だ。

まぁ、やり方としちゃ悪手なのは自覚してるよ。

常識的に考えたら王子様御一行を挑発して決闘するなんて狂った奴の言動だもん。

普段の俺だったらそんな野郎が身内に居たらすぐに縁を切るね、間違いない。

だからって引き下がれない理由は俺にもあるんだ。

 

「あのまま話を続けても結論は出なかっただろ。いや、結論は出てるけど条件の摺り合わせが延々と続くだけじゃん」

「話し合って互いの有益性を確認する事が重要なんだ。此方があまりに有利な条件にすれば相手側の不興を買う。気付いていない不備を後から突かれる事が無いように確認し合う意味合いもある」

「重要なのは分かってるよ。でもさ、そんな時間はあるの?」

「…………」

 

お偉方は一つの物事を決めるのにやたら時間をかける。

誰が責任者で、誰が実務担当で、いつどこでどんな風にやるかを延々と話し合う。

もちろん重要な事だってのは俺も理解してる。

失敗したら誰が責任を取るか、実行する奴の経歴はどんな感じでどの程度の成功率か。

実行する時に不備が無いように状況を整えてやる必要があるし。

だけど、それは作戦実行前の段階。

今は刻一刻と状況が変化している作戦行動中みたいなもんだ。

主導権争いとか分け前の取り決めをする段階はとっくに過ぎてる。

机の上で理屈を捏ね回してるより今すぐに行動しなきゃ手遅れになっちまう。

俺からすりゃ殿下達はもちろんアンジェも呑気過ぎる。

 

「春の頃になったら王都で年度末の論功行賞をやるんだろ?俺は伯爵にさせられるし、他の貴族だって何かしら動きがある。下手したら何も出来ないまま終わっちまうぞ」

「分かっている、そんなのは分かっている」

「ならグダグダ話し合いをやるより、殴り合いで決着した方が早いじゃん」

「そこで決闘という方法が出て来るのが問題だろうが!」

 

いや、話し合いで平和的に解決するなら俺だってそうしたいよ。

血気盛んで怖い物知らずな十代のガキじゃいざ知らず、妻子持ちの貴族になったら決闘なんて方法を選ばない。

決闘して勝敗が決まって爽やかに終わり、なんてありえないってのはこの国の貴族じゃ暗黙の了解だ。

もし当主が決闘で死んだら後戻りなんて出来ない、禍根は遺り続けて相手の家を滅ぼすまで止まらないなんてよくある話だ。

それでも引いちゃいけない戦いってのが男にはあるんだよ。

 

「そもそも、どうしてお前が殿下の部下になる?何故そんな話になっているんだ」

「アンジェが眠ってた朝に散歩してたら殿下と偶然会ってさ、いろいろ話をしたんだよ」

「どうしてお前は私の居ぬ間に話を進めるんだ」

「まぁ、ちょっとした世間話だったんだけどさ。王都に来て何かの役職に就かないかって誘われた」

「何故言わない、そんな報告を私は受けていないぞ」

「単なる軽口だと思ったんだよ。ただ陛下や妃殿下はどうも俺にご執心らしい」

「またあの人は……」

 

アンジェの表情が険しくなる、どうも俺の嫁は妃殿下に対して良い感情を持っていないらしい。

正直、俺も王妃様が好きになれない。

俺を田舎者の成り上がり者ってナメてる奴も多いけどさ、そういう気配に敏感なんだよね俺。

見た目は若々しいけど話してると俺を便利な駒として見てるのが薄々と分かる。

今の王国は人材難だ、有能な男は誰もが欲しがってる。

だからって金と地位で釣った後に酷使されまくって、使えなくなったら捨てられるのは御免だね。

悩ましいのはアンジェの実家の公爵家も俺をそんな風に思ってる感じがしてるって事だ。

王家に付いても公爵に付いてもいいように使われる未来、地獄かよこの国。

 

「王家と親しくなるつもりはないけどさ、裏で繋がってるとバレたら公爵は怒るだろ」

「それはそうだろうな」

「だからいざという時の為に保険は必要だって考えたんだ、公爵は俺を生かしておけなくても自分の血を引いてる孫は大事だろうし」

「父上は其処まで甘くはない、いざとなれば娘の私すら切り捨てる」

「そん時は全部俺がやったって言え、アンジェ達はとにかく生き残る事だけ考えろ」

 

せっかく拾った命だから死にたくない。

積極的に死にたくはないけどアンジェと子供達が平和に生きられる代償としてはお釣りがくるぐらいだ。

いっそ俺の爵位を剥奪して子供に継がせてくれるなら今日にも受け入れるんだけど。

 

「……何を焦っている?」

「別に焦ってないぞ」

「嘘をつけ、お前の妻を何年やっていると思っている。こんな馬鹿げた事を考え無しにお前が仕出かす訳がない。何か理由があるんだろう」

「いや、アンジェの考えた提案に難癖つける殿下達がムカついたからちょっと痛めつけたくなって」

「冗談はいい、本当の事を話せ」

 

それが一番の理由なんだけどなぁ、信じてもらえませんか。

アンジェがこの数ヵ月間にバルトファルト領の仕事に加えてこの案を考えるのにどれだけ頑張ったか隣で見てる俺が一番よく知ってる。

少しでも役に立ちたくていろいろ協力しようとしたけど、下手に関わったらアンジェの仕事を増やしかねなくて自分の仕事に集中するしかなかった。

なのに兄さんの見合い話とか誘拐事件とか起きて肝心の仕事がどんどんおかしな方向に行って負担ばかり増える。

そんなアンジェの頑張りを無下にした奴らを一発殴りたくなった。

あとは諸々の事情だけど、アンジェはそっちの方が納得するんだろうな。

 

「……殿下から聞いたけど淑女の森の裏にはどっかの国が関わってる」

「それが理由か」

「たぶん神聖王国か帝国のどっちかだと思う。ゾラ達がそんな事を言ってたような気がするし」

「しかし殿下達を焚きつけたのはやり過ぎだ」

「ああでも言わなきゃ俺の意見なんてあいつら聞かねえぞ。あとムカついたから何となく煽った」

 

本当は夢に出て来た玉っころの話が気にかかっただけだ。

もしも本当にこれから神聖王国や帝国と戦争が起きるのなら公国との戦争以上にキツい状況になる。

ホルファート王国が滅ぼされない為には急いで王国を纏めなきゃいけない。

その事を分ってるくせに糞みたいな王座を争ってる王家と公爵家もムカつく。

戦争でどっか壊れてるのかなぁ俺、夢に出て来た謎の球体の言葉を信じて王子に喧嘩を売るとか正気じゃない。

ヤバい脳の病気だからさっきの発言を取り消せないかなぁ。

 

「それで、殿下と決闘して勝てる算段があるのか?」

 

話し合いの末、俺の決闘相手はユリウス殿下に決まった。

取り引き相手を殺す訳にもいかないから決闘はバルトファルト領の軍事演習の一環として領主の俺と殿下が鎧を使った模擬戦として催される。

あの救出作戦からうちの連中はあの五人に対して熱狂的な盛り上がりを見せてる。

公国との戦争で助けられたし、救出作戦で活躍を目の前で見たら興奮するのも仕方ない。

ちょうどローズブレイド領から伯爵と兵も来ている。

両家の合同演習に監督官として王都から来た英雄様にご教授いただけるという体裁のまま俺と殿下は闘う。

 

「言っておくが殿下は並みの貴族とは比較にならない。戦争のご活躍も聞いているが、多少の誇張はあれど肉弾戦の強さも鎧の操縦技能も恐ろしい強さだ」

「分かってるって、対策は考えてあるから心配すんなよ。決闘といっても殺し合いじゃないなら勝ち目はあるんだ」

「……今からでも遅くない、こんな馬鹿げた戦いは止めるべきだ」

「それさぁ、アンジェはちっっっとも俺が勝つって思ってないのかよ」

「…………」

 

沈黙が答えだ。

殿下達にムカついたとか、アンジェの提案にごねたとか。

そんなのは動機としちゃ大した事ない。

誘拐事件で俺は殿下達の手を借りなきゃ皆を無事に助けられなかった。

俺が弱っちいのは分かってるけど、心底惚れてる嫁に頼りにされないのはつらい。

せめてアンジェに見直される程度に強さを証明しないと俺が俺を許せなくなる。

 

「私はリオンを信頼している、それでは不服か?」

「それだけじゃ足りない、貴族ってのは家族や領地を護れないなら領主になる資格は無いだろ」

「だから殿下に挑んで強さを証明すると?馬鹿げてる、そんな事に何の意味があるんだ」

「分からないなら大人しく見てろ。俺が頼れる男だと見せつけてやる」

 

気まずい、アンジェはもう怒ってないけど困ったように俺を見ている。

惚れた女を悲しませるのは男として最低の行為だ。

けど譲れない一線が、逃げちゃいけない戦いが、退いちゃいけない争いが男にはあるんだ。

 

「リオンの馬鹿」

「俺は馬鹿だよ、馬鹿だから決闘なんてするんだ」

「もういい、お前の勝手にすればいい。どうなろうと知らん」

 

アンジェはベッドに腰掛けてふて寝を始める。

慌てて駆け寄ったら手で払いのけられた、嫁の態度が冷たい。

 

「何のつもりだ」

「いや、寝るなら一緒に寝ようと」

「私は機嫌が悪い、お前と一緒に寝るのはお断りだ」

「……そうですか」

「ライオネルとアリエルを連れて来い。今日は子供達と寝る」

「分かった」

 

気まずい空気のまま寝室を出る。

愛しの嫁は完全に不機嫌だ。

何が正しいかなんて分からない、俺に出来るのは這い蹲って泥臭く戦う事だけだ。

正直、殿下達が羨ましい。

血筋が良い家に生まれて、才能に満ち溢れて、最上級の教育を受けて、皆から称賛される。

俺とは全部が違う、違うからこそ負けたくない。

正義とか、体面とか、誇りとか、愛とか。

理由なんてどうでもいい。

あいつらに劣等感を抱えたまま生きるなんて御免だね。

闘わないまま負け犬になるのなんて認められない。

腹の中で眠ってた負の感情が噴き上がる。

あのカッコいい王子様に勝つ為に、やるべき事は総てやろう。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「殿下は馬鹿なんですか?」

 

ジルクから辛辣な言葉が投げつけられた。

バルトファルト子爵夫妻との会談後、無言のまま用意されていた宿に戻った。

せっかくの温泉も乱れた心を宥めるには足りない。

皆が持ち寄ったつまみやら酒やらを俺の部屋に持ち込んで反省会という名の愚痴の吐き合いを続けている。

少し酔ったのか、皆が口差がない言葉を言いたい放題だ、特にジルクが一番愚痴が多い。

立場を考えれば王族に対する侮辱に相当しそうな言い草だが、あくまで臣下としての諫言ではなく乳兄弟として育った幼馴染に対する罵倒だ。

実際、俺自身も愚かな真似をしたと今さら後悔している。

あの時バルトファルトの言葉に乗せられて決闘をつい了承してしまったのは軽率だった。

だからと言って時計の針は戻せない、俺とバルトファルトの決闘は避けられない。

 

「まんまとバルトファルトに乗せられたな」

「出陣前の演説もそうだったが奴は口が上手い。俺達が同じ事をやってもあれだけ人を惹き付けられるかは分からん」

「単なる口先だけの無能なら王国に腐る程いるけどね。彼はきちんと実績も上げてる。僕らと同じ年齢で子爵にまで取り立てられるのも納得だ」

「褒めている場合ですか、このまま行けばどう転ぼうとバルトファルトの狙い通りになるんですよ」

「さっきからジルクはバルトファルトを随分敵視するな」

「王都で追い詰められたのがムカついたんだろ、俺達が止めなきゃボコボコにされたし」

「そこ、煩い!」

 

どうにもジルクはバルトファルトと相性が悪い。

後から聞いた話だが数ヵ月前に秘密裏にバルトファルトを買収を試みたが失敗し、逆に手痛い仕返しをされたらしい。

前もって知らせなかったのは見栄よりも汚い裏仕事を俺にさせたくなかったようだ。

俺はとっくに王位を諦めているがジルクは違う、未だ俺を王位に据えたいと思い続けてる。

実家のマーモリア家は息子のジルクと後援していた俺を見限っているのに今でも諦めていないのは意地というよりも幼馴染に対する友情だろう。

その気持ちはありがたいが、ありがたいが少し迷惑でもある。

 

「そもそも何ですか?バルトファルトを部下にする話など私達は聞いていません」

「すまん、俺が勝手に進めた話だ。単なる冗談のつもりだったが向こうはそう思わなかったらしい」

「王族に勧誘されたら断れる貴族はいませんよ。今後は軽率な言動は控えてください」

「悪かった。次から出来るだけ考えて行動する」

 

信用していないとあからさまな視線を投げつけられる。

今までの行動が行動だから何を言っても弁明にしかならないが。

 

「だけどバルトファルトは使える男なのは間違いない。こちらに引き込んだ方が良いだろ」

「同感だね、彼の視点は僕らには無い物だ。むしろ敵に回る前に味方にした方が得策と思う」

「口が達者な貴族令息は多いが実績がある奴は稀だ。有能な若い連中が今の王国に必要なのは確かだ」

「貴方達まで何を言うんですか!」

 

形勢としてはグレッグとブラッドとクリスが賛成、ジルクのみ反対。

バルトファルトを引き入れた方が良いと思っているのは俺だけじゃなかった。

確かにバルトファルトは貴族としての知識や経験が足りていないのかもしれないがそれを補って余りある才覚を持っているのは間違いないだろう。

 

「敵に回る前に潰した方が良いって考え方は今では通用しない。卑怯で使えない奴は戦争中に逃げ出すか後で家を取り潰された。使えても弱かった者は戦争で死んだ。今の王国に人材を選べるだけの余裕は無い」

 

母上のご苦労が身に染みて分かる。

ファンオース公国との戦争が行われる前のホルファート王国は無駄な脂肪が付いた肥満状態、今は贅肉どころか必要な筋肉すら削ぎ落し痩せ細った状態だ。

最低限の国体は維持していても実情は芳しくない。

それが表に見えないのは母上が王妃として采配を振るい、オリヴィアが聖女として惜しみなく働いているからだ。

だが、それも永遠に誤魔化せる物じゃない、無理を重ねた反動はいつか必ず訪れる。

その時ホルファート王国は、いやホルファート王家は終焉を迎えるだろう。

結末が王家の移り変わりで済むならマシな方だ、最悪この国は内乱で衰退するか他国からの侵略で滅ぼされかねない。

 

「交渉は二日かけて行う予定だったんですよ。今日の会談で問題点を洗い出し、明日は妥協点を探り合う。その筈はまんまとバルトファルトの口車に乗せられた」

「ありゃ普通の貴族じゃないな。あいつが山師とか扇動家にならなくて本当に良かった」

「その辺は男爵達の教育のお陰だな。バルトファルトが空賊にでもなったら手に負えない」

「実際、淑女の森がバルトファルトを売り払おうと画策せず地位を与えていたら恐ろしい事になってた。彼の才能を見誤ったゾラ達が愚かで助かったよ」

 

相手の隙を狙う狡猾さ、場を引っ搔き回し己の望む展開に持ち込む扇動力。

その何れも俺達が持ち合わせていない才能だ。

だからこそ恐ろしい、だからこそ欲しい。

 

「そうやってあの男を褒めてますがね、そんな男と殿下は決闘しなきゃいけなくなったんですよ!もっと危機感を持ってください!」

「ジルク、お前は俺が負けると思っているのか?」

 

少し不満げにジルクへ言葉を投げつける。

確かにバルトファルトは才能豊かな若者なのは紛れもない事実だ。

だが俺も救国の英雄の一人とまで讃えられている男、負ける気は一切ない。

 

「お前達に聞いておきたい、バルトファルトの実力はどの程度だと感じた?」

「上の下、或いは中の上って所かな」

「たぶん僕達五人と比較した場合、戦闘力は確実に劣ってるね」

「正面から戦ったらまず負けないな」

「貴方達は勘違いしている、バルトファルトの恐ろしさは其処にありません」

 

三人の評価に対しジルクだけが反論する。

さっきからこいつはバルトファルトに関して明らかに過剰な対応をしている。

自分でそこの事に気付いているのか、それとも気付いていないのか判断が難しい。

 

「私は王城の資料編纂室に配属されてから国内の情報や論功行賞の参考資料として様々な戦歴を見ています。その中にはバルトファルトに関する資料もありました」

「その結果はどうなんだ?」

「はっきり言います、彼は凡人です。但し限界まで鍛えた凡人です」

「……それの何処が恐ろしいんだよ?」

「彼より強い貴族令息、彼より優れた装備を持っていた貴族当主や令息は山のように居ました。その大部分が手痛い被害を受け戦場の露と消えました。そんな状況で彼はしぶとく生き残り、時に敵を撃退しているんですよ。才能に乏しい男が必ず生き残り敵を仕留めるその恐ろしさが分かりますか」

「何か裏があるのかい?」

「彼は己の弱さを誰より熟知しています。正面きって戦えば自分が敗北し死ぬ事を理解しているからです。だから己が死なず相手に最も被害を与える方法を見つけ出す。その嗅覚が異常に発達しています」

 

身震いしたジルクはテーブルに置かれた酒瓶やつまみを除けると部屋の隅に置かれていた遊戯盤を運んできた。

大小様々な色や形の駒が置かれていくが、遊戯盤の片側は正しい配置なのに片側は強い駒しか置かれていない。

これでは勝敗は明らかだ、同じ実力の対局なら戦うまでもない。

 

「正々堂々とした勝負ならこちらの勝ちは揺るぎない。ですが戦争や闘争とは必ずしも正々堂々と行われる物ではありません」

「確かにバルトファルトを付け回した時は不意打ちを食らった、手加減されなきゃかなりヤバかった」

「あいつが目を潰す度胸や最初から武器を使っていたら私かグレッグのどちらかが重傷、或いは死んでいたな」

「戦場は駒数や配置が同じではないからね。初期状態が負けていても手段を問わなければ戦況を覆す方法は幾らでもある」

「天候、地形、補給、他部隊との連携の齟齬、戦況の推移。決闘や盤面遊戯には無い不確定要素が戦場には満ち溢れています。バルトファルトはそれを見抜く能力に長けている。戦場で奴を敵に回すのは得策ではありません」

 

おかしな話だ。

俺達五人の中で最もバルトファルトを嫌っているジルクが最もバルトファルトを評価している。

同時に、だからこそ味方に引き入れなければならないという気持ちが湧き上がった。

 

「そもそも此処は奴の本拠地です。どんな罠が仕掛けられるか分かりません」

「バルトファルトは決闘で盤外戦術みたいな姑息な手段を取る男ではないだろう」

「油断は禁物かと。今回の決闘は演習という名目で我々の鎧を使えません。口惜しい、何から何までバルトファルトが仕切って都合の良い状況を作り出してる」

「確かにその辺は恐ろしいな。公平を期すと言いながらバルトファルトに有利な条件に持ち込まれた」

「相手は外道騎士なんですよ、鎧に爆弾を仕掛けるぐらいの事はやりかねない男と捉えるべきなんです」

「それをユリウスにやったら確実に叛逆罪だから。そこまで馬鹿な行動をしたら罪人になるのは彼の方だ」

「せめて対戦相手を変えるべきです。グレッグかクリスなら妨害が起きても対応できます」

 

過剰なまでにジルクはバルトファルトを恐れている。

いや、むしろ俺が負ける事態になるのが嫌なのか。

廃嫡こそされていないが俺が王位を継ぐ可能性はほぼ無い。

このままいけば旧公国の公女であるヘルトラウダ・セラ・ファンオースを娶り公爵となり臣籍降下するのはほぼ確定だ。

幼い頃から俺に付き従ってきたジルクにはそれが受け入れがたいのだろう。

 

「ジルク。お前が俺に気を使っているのは感謝するが、これは対等の条件で行われる決闘だ。そうでなくては勝ったとしてもバルトファルトを納得して従う筈もない」

「殿下はホルファート王国の王子なのです。貴方の行動全てに王家の体面が繋がっています」

「今さら体面を気にするほど大層な身分ではない。王座は俺には相応しくない」

「……私は貴方が王になるのを望んでいました。貴方を重んじるならば従うだけではなく諫言するべきだったと後悔しています」

「皮肉だな、かつては王位を継ぐなどあれほど嫌っていたのに、この国を立て直すには王位が必要になるとは」

 

手から零れ落ちた後に初めて落とした物の価値に気付く。

かつての自分は恵まれていた。

暖衣飽食を貪りながら貧困に喘ぐ平民の苦労も分からぬまま自由に憧れるなど烏滸がましいにも程がある。

妥協ではないが、自分の身の丈にあった場所でこの国の為に出来る事はまだある。

その為に逃げられない戦いがある、バルトファルトとの闘いもその一つだろう。

 

「元婚約者のアンジェリカに遠慮して手加減などなさいますな」

「そんなつもりはない」

「彼女は既にバルトファルトの妻です。貴方の元婚約者ではありません」

「気が削がれる事を言うなよ」

「これも諫言です、バルトファルトは手加減して勝てるような男ではない」

「分かっている」

 

またアンジェリカに恨まれそうで憂鬱になる。

俺はあいつを傷つけてばかりの男だ。

関わり合いを避けた所で何処かしらでぶつかり合う。

アンジェリカの怒りを正面から受け止めるのが元婚約者として最低限の務めだ。

真正面から正々堂々と戦おう。

そうする以外に償う方法が思いつかなかった。




タイトルは原作のセリフやアニメ3話タイトルのオマージュです。
今作リオンは原作リオンに比べそこまて悪辣じゃないので挑発がマイルド仕様になったます。(ひでぇ
5人のリオンに対する単純な実力評価は原作準拠です。
むしろ聖女オリヴィアの指導と戦闘経験値を積んで差は開いています。
なので反則にならない範囲でチクチク戦う予定となります。
あのせかコミカライズ拝読、サムネのアンジェが怖い。(汗

追記:依頼主様のリクエストでかのすき様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。

かのすき様 https://www.pixiv.net/artworks/116290787(成人向け注意

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第66章 私闘●

怒ってるアンジェを置いて寝室を出てから馬車で軍用空港近くの兵舎に向かった。

急に決まった合同訓練だ、一晩で間に合わせるには人手が足りな過ぎる。

非番の連中に声を掛けたら想像以上に集まって驚いた。

こんな辺境でも聖女様や英雄殿は大人気、この領地を治めてる俺より人気なのが悲しい。

集まったうちの兵達は冬の寒さや夜の闇にもめげず楽しそうに準備を始める。

普段の訓練で俺が顔を出した時と違って憧れの英雄に見てもらえると皆が張りきってた。

 

そんな兵達を横目に確認と偽って訓練場の隅から隅まで歩いて地形やら障害物を見て回る。

殿下達の部下が偵察に来るかと思ってたけど、そんな奴は一度も見かけなかった。

こんな辺境の常駐軍は顔見知りしか居ないんで、知らない奴が来たら一発で分かる。

偵察するなら人が多い時間帯は避けるだろう。

或いは相手が俺なら偵察も準備も必要無いって思ってるのか、それはそれでムカつくな。

 

一通り準備を終えた後に兵達を帰し兵舎に戻る、何となく屋敷には帰りづらい。

わかってる、俺が悪いのはわかってるよ。

でもアンジェだけには俺の気持ちを理解して欲しかった。

力が無い、知恵が無い、金が無い、家柄が無い、地位が無い。

無い無い尽くしの俺が地べたを這って泥を啜りやっと生き延びて身の丈に合わない地位を貰った。

 

これが単に爵位と領地だけなら問題無い、怪我や病気を理由に隠居して兄さんかコリンに引き継がせれば良いだけだ。

その筈だったのにどんな縁だか分からないけど公爵家のお嬢様が嫁いで来て子供まで生まれた。

俺が妻子を放り出して逃げ出せるほど薄情な人間だったら自由気ままに生きていけたんだろうな。

口では愚痴を呟きながら仕事を熟せる中途半端な俺の生真面目さに自己嫌悪する。

 

貴族ってのは意地と体面を気にして生きなきゃいけない職業だ。

宝石や衣装で飾り、船やら鎧を掻き集め、資産の多さや領地の広さを自慢し合う。

 

『凄いんだ』

『自分は凄いんだ』

『だから従え』

『服従しろ』

 

ずっと他人の目を気にして威嚇を続けなきゃいけない人生とか疲れないのかな?

俺は嫌だね、そんな物はいりません。

そう言って妻子を捨てられる無責任男なら人生は楽だろう。

でも俺は無責任の最低男じゃないんだよ、嫁が大好きだし子供にも愛情を持ってる。

アンジェと子供達は俺が平民になりたいって言うなら賛成してくれるかもしれない。

だからってアンジェが平民として生きるのは不可能だ、どう考えても無理に決まってる。

子供達は幼いからまだ適応できるだろうけど、生まれた時から貴族として育てられたお嬢様は矯正できない。

婚約してた時と比べたらアンジェもバルトファルト領の生活に慣れてきたけど、普段の振る舞いから育ちの良さが滲み出てる。

ある程度の生活水準が無ければあっという間に弱って死ぬのが貴族の女だ。

戦後に家を取り潰されて場末の娼婦になった貴族の妻女は今の王国じゃよくある涙頂戴話か笑い話。

惚れた女をそんな末路に追い込むのは嫌だ。

 

俺をナメて攻撃を仕掛けてくる奴が今後現れるかもしれないのが一番の問題だ。

ゾラ達はバルトファルト家に個人的な恨みを持っていた、ひどい逆恨みだけど同じような連中が他に居ないとは言い切れない。

あんな頭お花畑で弱っちいゾラ達にさえ子爵の妻子・男爵家の姉妹・伯爵家の姉妹を襲って誘拐が出来た。

それを知って自分達ならもっと上手くやれると企む奴は絶対にいる。

バルトファルト家を狙う奴らに対する抑止力は何か?

手を出したら恐ろしい相手と周りに思わせるのが手っ取り早い。

 

『こいつに手を出したら殺される』

 

相手にこう思わせるのが一番平和で血の流れない方法なのは今の王国を見ればよく分かる。

この世界は弱肉強食、喰われない為に強くならなきゃいけない。

気付かない間にあれだけ嫌ってた貴族の仲間入りとは悲しくなる。

平和と愛が俺の行動理念なのに闘争と怨恨がずっと纏わりついてくる。

おまけに必死で護ろうとしてる嫁と喧嘩しちゃったよ。

もううんざりだ、屋敷に帰るのも気まずいし今日は兵舎で寝てやるぞ。

当直の兵が驚いた顔で俺を見てたけど無視したまま仮眠室に向かって布団に包まる。

せめて体調を整えてから決闘に臨みたい。

どこでも眠れるのが優秀な兵隊の特徴だけど、俺は気になる事があるとなかなか眠れない繊細な男なのだ。

好きな料理を食って風呂に入った後に柔らかいアンジェの体を抱きしめたまま寝たい。

 

何やってんだろうな俺?

家族を大事に思ってるし領地もきちんと管理して子供に引き継がせたい。

そう思っているのに上手くいかなくて、こうやってアンジェの為と言いながらアンジェを困らせている。

空回りだってのは分かってる、だけど引けない一線が俺にもある。

男なら惚れてる女に見栄を張りたいんだよ、ましてや嫁の元婚約者なら猶更だ。

強くてカッコよくて偉い王子様とか女が考える理想の男だろ。

俺と殿下のどっちを選ぶ?って尋ねたら百人中百人が殿下って答える、俺が女でもそう答える。

どうして戦争で生き残ったか分からない、何で貴族になれたのか気味が悪い、アンジェが結婚してくれたか理解できない。

 

目に見えない何かに流されてここまで来た。

川に流される葉船みたいなもんだ、いつ沈むかも分からないし何処へ流れつくかも不明。

せめて俺自身の力で掴み取った証明が欲しい、手にした幸せを護りきれるだけの力も必要だ。

そうじゃなきゃ、いったい何の為に生まれて何の為に生きてるかも分からない。

布団の中で体を丸めながら五感を遮断してそのまま眠りに落ちる。

最後まで答えは出なかった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

一夜明けて空は快晴で訓練をするには絶好の天気になった。

あれから屋敷に帰ってない、アンジェとはあれから口を利く機会が無いままだ。

いつもの夫婦喧嘩なら俺が先に折れるんだけど今回に関しては完全に俺の意地なので謝らない。

早朝から細々と兵舎で合同訓練の準備をしてたら父さんが屋敷から訪ねて来て差し入れをくれた。

アンジェが俺の為に作ってくれた弁当だった。

愛妻弁当は形は整っていたけど俺の苦手な食材ばっか、どうやらアンジェはまだ俺を許してくれないらしい。

腹を満たした後は父さんも加わって仕事を続け、時間までに何とか体裁を整え終えた。

 

合同訓練の開始時間が近づくと徐々に人が集まり始める。

まずバルトファルト家の連中が最初に到着した。

兄弟姉妹はもちろん母さんまで来たのは少し意外だ、アンジェを除いた女性陣はこの訓練をお祭り騒ぎと思ってんのか?

アンジェと子供達も来たのに露骨に避けられて話しかける機会も無い、パパはとっても悲しいぞ。

 

次に来たのはローズブレイド家の皆さんだ。

伯爵にドロテアさんにディアドリーさん、そしてローズブレイド家の兵が数十人。

使い込まれていても手入れが行き届いた装備はバルトファルト家とは違う歴史の長さと爵位の高さを感じ取れる。

兄さんが率先して伯爵家の接待をしてたけど、前は兄さんにべったりだったドロテアさんは今じゃ逃げるように伯爵やディアドリーさんの陰に隠れてる。

これ、婚約し続けるの無理じゃね?

婚約解消で賠償金かぁ、またうちの金庫が軽くなる。

 

最期に来たのはユリウス殿下達五人と護衛の騎士数名。

殿下が乗って来た飛行船にはまだ兵が残ってるけど、今日はバルトファルト家とローズブレイド家の合同訓練という名目なので彼らはお留守番。

人が増えると手続きも増えるから正直助かった。

五人の英雄が訓練所に来るとあちこちから歓声が上がる。

やっぱ強くてイケメンは良いよね、俺なんか一回もキャーキャー言われた事無いよ。

いや、戦争中に俺が来たと分かったらファンオース公国の奴らはキャーキャー悲鳴を出して逃げてたな。

誰からも祝福されない俺の人生、ちょっと泣きたくなるけど慰めてくれる奴はいない。

 

今日の催しはバルトファルト領を来訪したホルファート王家の視察という表向きの工作だ。

たまたま空賊を退治する為に協力したバルトファルト家とローズブレイド家。

たまたま王国に対して叛逆した非合法組織の摘発をしていた五人の英雄。

アンジェ達の誘拐と淑女の森の討伐は全く別の事件ですよって偽装だ。

ホルファート王国の治安が乱れてると分かれば空賊は増えるし、他の国から見くびられかねない。

新興貴族と名門貴族が王家の前で訓練を披露しお褒めの言葉をいただく。

何の裏事情も無い健全な催しですね、ハイ。

 

簡単な挨拶が終わって訓練が始まった。

内容は行進、射撃、格闘、補給等々。

バルトファルト家の訓練なんて基本的に他の国からの侵略じゃなくて空賊の討伐を想定した物だ。

大型飛行船による艦隊戦や鎧同士の戦闘を想定してない。

それでもグレッグやクリス辺りは白兵戦の訓練に興味を持ってたし、兄さんが参加した訓練をドロテアさんはずっと見惚れてたからまずまずの成果だろう。

昼食会と休憩の後に鎧による模擬戦という名目で俺と殿下の決闘が開始される。

もちろんバルトファルト家の皆は知らないし、ローズブレイド家の方々やここに居る兵士達は半ば見世物だと思ってる。

兵の中には俺とユリウス殿下の決闘を賭けにしている奴さえいる、ちなみに賭け率はユリウス殿下の圧勝だった。

薄情なうちの兵共め、後でありがたい英雄達のご教授という名目で訓練の質と量を倍にするから覚悟しろ。

不気味なぐらいに全てが順調、怖いぐらいだ。

食後の小休止になって皆が談笑してる間に格納庫へ向かう。

どうにも居心地が悪かった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「これがバルトファルト領の鎧か」

「量産型ばかりですね」

「元々はレッドグレイブ家からの払い下げ品だよ。この浮島を拝領した時に持って来た鎧は旧式しかなかったからな」

 

バルトファルト家が所有している鎧は全部で十四機。

前はもうちょっとあったけどファンオース公国との戦争で破壊され、使えそうな部分は替えの部品として保管してる。

払い下げとは言っても今でも王国軍の兵が搭乗している現役の量産機だ、そんな物を娘の持参金扱いでくれるレッドグレイブ家が怖い。

どれも今すぐに操縦可能な状態に整えてある。

それでも殿下のお供達が不正が無いように確認するそうだ。

『お前を信用していないぞ』と態度で言われてるようなもんだけど怒る気になれない。

昼食の毒見もそうだけど偉い人には偉い人なりの苦労がある。

どれも特徴が有るようで無い量産機だから多少の癖以外はほぼ同じだ。

戦場で識別できるように塗装が違うぐらいしか変化が無い。

ふと殿下が何かに興味を持ったのか格納庫の奥に向かう。

 

「バルトファルト、あれには乗らないのか?」

 

指差す方向には戦争の後に王家から拝領した最新機の鎧があった。

 

「乗りませんよ、そもそも今回の決闘は同型の鎧でやるって取り決めでしょうが」

「あれは俺も使ってる最新型だぞ。見栄えも良いし運動性も抜群だ」

「改造前の素体同然です。準備に時間もかかるから無理です」

「なら俺の鎧を調整すれば良いな」

「殿下の鎧は内部機構も改造しているでしょう」

 

殿下の言い分に呆れたのかジルクが話を遮る。

戦後に拝領した鎧だけど乗ったのは数回だけだ、父さんや兄さんも試したけど誰一人扱えなかった。

出力・機動力・反応速度、どれをとっても従来の鎧とは一線を画す。

アレを自分用に改造するのは才能があって金を持ってる奴だけだ。

そもそも自分が乗る鎧専用の武器を作るのだって普通の貴族にとっちゃ負担なんですよ。

趣味で鎧に大金をかける貴族もいるが完全に放蕩貴族の道楽だ。

多少の歴史はあっても新興貴族のバルトファルト家にそんな余裕はない。

 

「お好きな鎧を選んでください、どれも大差ない性能です」

「……それじゃあ、これを使わせてもらおうか」

 

殿下が選んだのは白く塗装された量産型の鎧だった。

うちが所有してる鎧の中じゃ比較的新しくて汚れも少ないから妥当な判断だろう。

よりにもよって白い鎧ですか、思わず苦笑いが出てきた。

夢の決闘でも殿下は白い鎧を操縦して俺と戦った、ここまで似通った状況だと運命じみた物を感じるな。

 

「じゃあ俺はこっちの黒い鎧で」

 

俺が選んだのは黒い量産型。

うちの鎧は基本的に使い回しが多いけど俺が乗り続けてる黒い鎧。

汚れが所々付いてるし、塗装が剥げてる箇所もあるけど何となく馴染むんで、ついこいつにばっか乗ってしまう。

栄誉ある決闘に使われる君に名前を贈ろう、夢の中の俺が乗ってた鎧と同じ『アロガンツ』だ。

 

「一応の確認はさせてもらいましょう。王族である殿下が乗るんですから何か仕掛けられてたら大事になりますし」

「ご自由にどうぞ。俺も決闘で盤外戦術やる卑怯者じゃねえからな」

 

俺の許可を得て殿下達に同行してた連中が鎧を点検し始める。

そういや王族に仕える整備士には騎士の位階が貰えるらしいな、つくづく王族は恵まれてる。

一方で機械油と泥と汗に塗れたうちの整備士はいろいろな物を運んで来た。

 

「決闘はうちでやってる騎士試験とほぼ同じです。鎧に括りつけた気球を武器のロッドを使って割り合います。頭、胸、両腕、両脚の六ヶ所の気球を制限時間内に規定の数を割れば合格。逆に自分の気球を割られたり時間切れになったら不合格です。今回は時間無制限で先に全ての気球を割った方が勝ちです」

「待て、バルトファルト領は騎士試験でそんな事をしてるのか?」

「公国との戦争後は規定数内なら貴族に直接仕える騎士の叙任権が委譲されましたからね。他の貴族は知りませんけど、うちは筆記と実技と面接に合格したら生まれに関係なく選んでます」

「平民を騎士にしたら問題が起きるだろう」

「むしろ貴族出身は使えません。単に貴族の家に生まれただけで騎士になった役立たずです」

「それほどか」

「騎士志望の貴族令息が文句ばかり言ってるんで俺が訓練に参加しました。領主の俺が訓練を熟してるのに『疲れた』『やる気でない』『こんな飯を食えるか』とか言ってました。即日解雇して実家に叩き返しましたよ」

 

どんなに幼い頃から教育しても向上心が無い奴は成長しない。

貴族が雇える騎士の数は爵位と領地の大きさで決められてるからバルトファルト家が雇える数はそう多くない。

役立たずを雇う余裕は無いから使える奴を育てるしかない。

一緒に訓練して同じ釜の飯を食えばそれなりに懐いてくれるもんだ。

ろくに友達がいない俺にはそのやり方しか出来なかったんだけどわりと上手くいってる。

 

「やはりお前は中央で采配を振るった方が良い」

「それをこれから決めるんでしょう」

 

宮仕えはやる気が起きない。

緑が少ない王都で頭の固いお偉方にへつらって仕事する光景を思い描くだけで胃が痛くなる。

俺みたいな若造を引き入れようと考えるとか王国の人材難は深刻だ。

沈みかけた船からは逃げ出したいけど家族や領民を見捨てられないから頑張るしかない。

俺、もっと褒められても良いよね?

 

「準備が終わったら慣らし運転をしてくださってかまいません。不慣れな鎧で負けたとか言われても後味が悪いんで」

「言ったなバルトファルト、俺の力を思い知ってもらおうか」

「殿下の方こそ俺に負けた時の言い訳を考えておいた方が良いですよ」

 

油断はしてませんよ、する余裕なんて無い、凡人が英雄に勝つ為には努力なんて最低条件だ。

何しろ嫁と子供達が見てるんだ、使える手段は全部使って勝たせてもらいます。

点検と準備に取り掛かる整備士達や殿下達から離れて更衣室で搭乗服に着替え始める。

防刃性や耐弾性に優れた戦闘服とは違い、搭乗服は生地が厚くて衝撃を吸収するから着るとかなり熱が籠る。

着替え終わったら柔軟運動を開始、丹念に体の緊張を弛めておく。

鎧での戦闘は突発的な事も起こって体が動かなくなる事も多い、これが意外と侮れない裏技だ。

柔軟運動の後は呼吸を整えて瞼を閉じる。

頭の中を空っぽにしてひたすら体の力を抜いて呼吸を繰り返す。

起きてるのか眠ってるのか分からない意識の隙間に自分を置き続ける。

 

コンッ コンッ

 

控室の扉を叩く音が聞こえた。

もう時間らしい、緩めていた首回りや靴紐をしっかり結んで革手袋を嵌める。

準備万端だ、闘志が体に満ちて負ける気がしない。

そんな俺の決意を無視して扉が勢い良く開いて小っちゃな金色の毛玉が俺の足に纏わりついた。

 

「「ちちうえ~」」

 

聞き覚えがあり過ぎる声、正体はライオネルとアリエルだった。

昨日の夕方から会ってないせいか二人は必死に俺の足を掴んで離そうとしてくれない。

何でこう、間が悪い事ばっか起きるんだろうな。

決闘の為に精神統一したのに可愛い子供達に甘えられたらせっかくの決心が鈍るじゃん。

扉の外に目を向けるとアンジェがじっとりとした視線で睨んでた。

そんな睨まれるような事したかなぁ?

 

 

【挿絵表示】

 

 

「よう、どうした?」

「……これから無用の闘いを挑む愚か者の顔を眺めようと思ってな」

「ひっでぇ言い草だな、おい」

 

革手袋を脱いで子供達の頭や頬を撫でる。

緊張感が薄れて闘志は萎えたけどやる気は出たな。

まぁ、俺の実力なんて大した事ないから誤差の範疇だろう。

 

「二人がぐずるから仕方なく来ただけだ」

「そっか」

「本気にするな。リオンが心配だからこっそり来たんだ」

「そのわりに露骨に避けてたじゃん、弁当も俺が嫌いな料理ばっかだったし」

「私は許すつもりだった、意地を張るリオンが悪い」

「はいはい、俺が悪うございます。これで満足か?」

「欠片も誠意を感じられんぞ」

「悪いと思ってないからな」

 

弱い領主ってのは周囲からナメられるし賊からは狙われやすい。

怯えて反撃できない奴はいつまで経っても奪われる側だ。

そんな状況を変えるなら全てを捨てて逃げ出すか、敗北覚悟で立ち向かうしかない。

例え敵わない相手でも何度も立ち向かえば相手の方が疲れて手を出す回数は減っていく。

ここは俺の領地で、領主っての領地で一番偉い王様だ。

もちろん王国の庇護下にあるけど税、兵役、犯罪行為を除けば基本的に領地への干渉を突っぱねる事だって出来る。

弱い王様には誰も従わない、嫁を誘拐されてよそ様に助けられたままじゃ俺は領主失格になっちまう。

 

「気楽に見てろって。あの綺麗な王子様の横っ面を思いっきり張り倒してやる」

「私はお前が負けるのが怖い」

「まだ言ってるのか、負けても命は獲られないから安心しろ」

 

殿下が自分の陣営に引き込みたい相手を殺すような馬鹿なら別だけど。

或いは公爵派に回る前に事故に見せかけて潰すとか。

その可能性は低いと思う。

ちょっと馬鹿っぽいけど殿下は悪人ではない。

昨日の朝に慰霊碑の前で会ったのは偶然だ、俺に好印象を抱かせるために何時間も寒空の下で戦没者を悼むフリは無茶過ぎる。

あの人なりに王国を何とかしたいのは本当だろう、その比重が王家の方に偏ってるから問題なんだけど。

 

「婚約破棄の決闘で雇った代理人達は一人も勝てなかった」

「前に聞いたよ、だから俺も負けるって?」

「私の為にリオンが傷付くのは見たくない、お前が心安らかに暮らしていく為にどれだけ私が心を砕いてると思ってる」

「アンジェが尽くしてくれてるのはちゃんと知ってるよ。知ってる上でこれは俺が選んだ道だ。馬鹿な夫で悪いな」

「もう諦めた、馬鹿な男どもは勝手に戦ってろ」

「俺は負けないよ、アンジェの愛の力があるからな」

 

アンジェの頬がほんのり紅く染まる。

そういや昨日からアンジェの体に触れてないな。

勝負の前に心残りがあったら集中できないし抱き締めておこうか。

 

「その手は何だ?」

「おはようのキスとハグを今日はまだしてないじゃん」

「今やるな、子供達が見てる」

「勝利の女神様が冷たい、これじゃ戦えません」

「止めろ、勝負の前に盛るんじゃない」

 

やんわりと拒否された、わりと本気で悲しい。

まぁ、確かにふざけ過ぎたか。

これから戦うのに集中力が途切れたらマズいからこの辺りで止めておこう。

そう思って立ち上がったらアンジェの方から抱きしめてくれた。

 

「ハグは禁止じゃなかったの?」

「私を怒らせた罰だ、リオンから抱き締めるのは禁止してる」

「じゃあこれは何?」

「私が抱き締めたくなったからしているだけだ、他意はないぞ」

「そっか」

「そうだ」

 

これから王子様と決闘する空気じゃないな。

アンジェの体が柔らかくて気持ち良いから黙ってるけど。

 

「俺はアンジェの為に戦う、アンジェだけの騎士だ」

「我が子や家族は入っていないのか?」

「茶化すなよ。今の俺すっごくカッコいい台詞言ってんだぞ」

「悪い、つい微笑ましくてな」

「ちぇ」

 

どうにも締まらない、三流の恋愛劇みたいになる。

戦闘中の煽りなら得意なんだけどなぁ、なら言葉じゃなくて態度で示しますか。

 

「勝てって言ってくれ、それだけで良いからさ」

「言えば無茶をしないか?」

「しなきゃ勝てない」

「では言えないな」

「じゃあキスで我慢する」

「それは勝った後でしてやるから安心しろ」

「なら負けられないな」

 

よし!やる気が出た!

殿下には悪いけど俺の踏み台になってもらいましょうか!

何度かあいつらに命を救われたけどそれはそれ!これはこれだ!

じゃあ行きますか!

 

子供達を話して気合を入れる。

今の俺なら何でもやれそうだ、条件が対等なら英雄五人抜きも出来るね

俺じゃなくて殿下に賭けた連中には大損こいてもらいましょう。

戦闘ってのは才能だけで決まるもんじゃないんだよ。

 

「リオン」

「ん?」

「勝ってくれ」

「任せろ」

 

カッコいい俺を見せてやる。

惚れ直すの間違い無しだ。

今までの人生で一番の絶好調で格納庫へ向かった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

決闘が行われるのは兵舎からほど近い平地だ。

元々は原生林切り拓いた場所で所々に岩やら木の残骸やらがわざと放置されてる。

戦場には整地された芝生なんて存在しない。

凹凸にばかりの地面で障害物だって至る所にある。

決闘場と戦場は違う、同じように決闘と戦場は全くの別物だ。

 

俺が貴族として異端なのは戦争で敵軍を退けた功績で成り上がったから。

いや、戦功だけって言うのも違うな。

男爵家の生まれとはいえ、平民同然の兵士として戦って貴族になった異例の存在だからだ。

一応は貴族の端くれなんで軍に入った後に鎧の操縦を教えてもらえたのは幸運だった。

まぁ以前の王国貴族の男は鎧での戦闘なんてせず領民への脅しに使うか、飛行船の艦橋でふんぞり返ってるような連中ばっかだったんだけど。

 

兵士として地面を這い蹲った経験、騎士として鎧を操縦した経験。

この二つの経験を持ってる奴は王国じゃ稀だ、少なくても貴族にはほぼ居ない。

世界に飛行船が発明され、魔法で動く鎧が誕生して長い年月が経っている。

それに伴って戦場は地面から空へ、戦闘の主力は兵士から艦船と鎧へと移った。

今じゃ兵士なんて浮敵地の制圧程度に使われる程度、衣食住を求める貧乏人がなるもんだと軽蔑されてる。

だからって兵士の存在が不必要になった訳じゃない。

戦争は極論を言えば陣取り合戦、空に漂う浮島に人が住んでるこの世界じゃ陸地は貴重だ。

どれだけ兵器が強力でも肝心の土地を瓦礫にしたら戦争の意味が無い。

殿下達は敵を討つ攻勢戦が得意だ、というかそればっかだろう。

冒険で功績を上げたりしてるけど軍事作戦の経験はほぼ無い。

俺の方と言えば侵略したファンオース公国軍相手に数ヵ月粘る防衛線やら補給線を狙った奇襲。

軍事行動は日常的にやってたし、相手の裏をかくのは当然の手段ときた。

 

そこに付け入る隙がある。

俺の知識や経験なんてはっきり言えば時代遅れのかび臭い物ばっか。

生まれた時から裕福で時代の最先端を歩く英雄達には馴染みが無い古ぼけたやり方。

だから上手くいく。

暑さ寒さを知らず飢えと渇きとは無縁なお坊ちゃま達だからこそ通用する。

こんな方法、はっきり言ってただの奇襲でしかない。

才能豊かな天才には二度と同じ手は通用しないだろう。

だからここで勝たなきゃいけない。

俺の勝利方法は『相手が知らない事をする』、それ以外に無いからだ。

 

点検を終えた整備士が格納庫に待機していた。

殿下が選んだ白い鎧はもう居ない、どうやら先に行ったらしい。

俺が選んだ黒い鎧は屈むように待機してた。

開いてる胸部装甲の隙間から入り、操縦席に座ってベルトで体を固定。

正面にある起動スイッチを押すと胸部装甲が閉じて鎧全体が振動し始める。

起動と同時に鎧へ流し込まれた魔力によって魔法が展開、金属が擦れ合う音が鳴り響いた後にゆっくり鎧が立ち上がる。

同時にセンサーから伝えられる格納庫の視覚情報がモニターに映し出された。

右の操縦桿を軽く倒しつつ操作、鎧の右腕が動き手が開く。

今度は左の操縦桿、こっちも問題無し。

ゆっくりと前進しつつ微調整、誤差は感じない。

操縦席の脇にある目盛りや数値表示を確認、全て規定値だ。

一歩、もう一歩と鎧が進む。

いや、鎧じゃないか。

今だけこいつの名前はアロガンツだ。

ここから決闘が行われる平地まで飛行すれば数十秒で到着するけど、ここは慣らしも兼ねてアロガンツを歩かせる。

 

ズン ズンッ ズゥン

 

変わりなく歩いてるように見えて力加減や歩幅を調節しアロガンツの癖を俺の体に馴染ませる。

脚だけじゃなくて腕もゆっくり動かして魔力の巡りや関節部の動きを確認。

これなら何とかいけそうだ。

アロガンツの脚が大地を踏みしめる度に目的地に近づく。

決闘の場所へ近づくほどまるで鼓動が速まるのを必死に抑えようと深呼吸を繰り返す。

不思議だな、ユリウス殿下と戦うのが怖くて仕方ないのに頬が引き攣って笑いたくなる。

 

嫌がらせと思われるぐらいにゆっくりとした歩き方で到着した。

ユリウス殿下が搭乗している鎧は既に定位置で佇んでる。

その反対側の定位置へ回り込むようにゆっくりと歩く。

歩いている最中も地面の状態、障害物の位置、観戦席までの距離を確認する。

 

『遅いぞバルトファルト』

「すいません、いろいろと立て込んでまして」

『お前から仕掛けた決闘だろう、時刻に送れるな』

「殿下の方は操縦に慣れましたか?」

『問題ない。この程度の鎧は子供の頃に操縦してる』

 

ユリウス殿下の通信音声が操縦席に響き渡る。

聞いた感じ少し焦れてはいるけど操縦に支障は出そうにないな。

どうやら焦らし作戦は失敗したみたいだ、こんな戦法に引っかかるぐらい馬鹿とは思ってないけど。

定位置に到着したら観客席に向き直って鎧の姿勢を前に倒す、ちょうど人間がお辞儀をするみたいになる。

殿下も同じように観客席に一礼した。

観客席から歓声が上がる、この決闘は表向きは俺と殿下の親善試合だ。

裏で面倒臭い取引があると知ってるのは俺と殿下以外は御付きの四人とアンジェだけ。

その五人は観客席から少しズレた貴賓席にいるのが見えた。

 

『これよりユリウス・ラファ・ホルファート第一王子とリオン・フォウ・バルトファルト子爵の親善試合を開始します!!』

 

拡声器でデカくなった声が付近一帯に響いた、司会進行はコリンみたいだ。

俺のアロガンツと殿下の鎧が緩やかに構えを取る。

殿下の鎧は左腕と左脚を前に出し右半身を後ろにする、左側で防御して右側で攻撃を行う正統派の構えだ。

一方の俺は極端に姿勢を前に倒す、自重で倒れる寸前までゆっくりと鎧を動かし続ける。

観客席からは殿下の鎧にアロガンツが平伏してるように見えるだろう。

まぁ、見てくれなんてどうでもいい。

見栄を張って負けるより情けなくても勝つ方が百倍カッコいいと俺は思うね。

 

殿下や観客の油断を誘ってる間に下準備に入る。

つまみを捻って姿勢制御魔法に回ってる魔力の数値を下げる。

出力調整魔法の数値も一緒だ。

感知器各種は停止、動かすのは視覚装置と収音装置だけで良い、通信機能は繋いだまま。

下げたり止めた機能の代わりに操縦桿の感度を調整っと、これで微妙な操縦が伝わる筈だ。

装置の設定を変更しアロガンツが構え終わると付近は静寂に包まれる。

一秒が十秒に、十秒が百秒に引き延ばされた感覚。

これだ、ある一線を越えると恐怖を超えて何もかもが遠のいていく。

俺の中に俺がいるような、高揚感と冷静さが同居してるみたいな感覚が俺を満たす。

 

『はじめッ!!!』

 

コリンが開始を告げた瞬間、思いっきり操縦桿を前に倒す。

アロガンツの着地音と殿下の鎧の左脚に付いていた気球の破裂音が同時に響き渡った。




決闘開始の今章。
乙女ゲーや原作でユリウスがマリエやオリヴィアへの愛で決闘したのは正反対に今作ではリオンがアンジェに対する愛で闘います。
リオンやユリウスが操縦してる鎧はコミカライズやアニメの量産型の鎧をイメージしてください。
リオンがいろいろやってる事は次章に持ち越し。
人型兵器や空中国家の戦術学は私なりの独自解釈です、ガバ設定なのはご容赦を。(汗
本日はマリエルートこと『あの乙女ゲーは俺たちに厳しい世界です』の三巻発売日。
後でしっかり読む予定です。

追記:依頼主様のリクエストで松田おるた様と兔耳浓汤様にアンジェのウェディングドレス姿のイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。
現在これらのイラストを基に成人向け回の企画進行中。
投稿はモブせか小説最終巻発売の3月29日予定です。

松田おるた様 https://skeb.jp/@matudayazo/works/40
兔耳浓汤様 https://www.pixiv.net/artworks/116382957

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第67章 黒vs白

格納庫に向かうリオンの背を見送る。

結局、私には彼を止める事が出来なかった。

婚約破棄騒動の時は金で雇った決闘代理人に全力で戦うよう指示したのに。

今はリオンがユリウス殿下と戦うのを止めさせようとしている己の変化が何処かおかしくも悲しい。

もしもリオンが学園に通っていたなら、

あの時の愚かな私を救う為に行動してくれただろうか?

そんな詮無い事をつい考えてしまう。

どう足掻いても私は慕う男の心を変えられない運命らしい。

オリヴィアと親しくなるユリウス殿下を止められず、決闘に臨むリオンと押し止められない。

己の弱さに苛立ちが募る。

どれだけ足掻いても私は公爵家の後押しや王妃の協力が無ければ何も出来ないままだ。

 

足元を見るとライオネルとアリエルが私を見上げている。

二人は闘いに赴くリオンに驚いたのだろう。

ああなったリオンはどれだけ言葉を尽くしても止められない。

ファンオース公国が攻めて来た時もバルトファルト領の守護に専念すれば良いのに戦地へ赴いた。

勅命があったにせよ私がどれだけ泣いて止めさせようとしてもリオンの決意を変えられなかった。

子供達なら決意を変えられるかと賢しく実行したが虚しい結果に終わってしまうとは。

姑息な方法でリオンの心変わりを企てた己の浅ましさが恥ずかしい。

 

「ははうえ」

「何だ?」

「ちちうえどうしたんですか?」

「父上は闘いに行ったんだ」

「?」

 

どうやらリオンが何をするのかよく分かっていないらしい。

やはりライオネルとアリエルは屋敷に置いてくるべきだったか?

我が子の前で敗北する父の姿など傍から見ても良い物ではない。

随分と私は弱くなってしまった。

嘗ての私なら貴族としての栄誉を護る為なら命を惜しむなと口にしていただろう。

今はリオンが大過なく戻る事を祈るしか出来ない。

 

私の心中を察したのか子供達が手を差し伸べてくれた。

柔らかくて温かいその手が少しだけ私の心に穏やかさを取り戻してくれる。

バルトファルト領の皆が呆れるような手酷い敗北さえしなければ良い。

夫の敗北を確定事項のように考える己が悪妻に思えて憂鬱になった。

 

来賓席に戻ると慌ただしく様々な機器を準備中だった。

拡声装置やら撮影機器やらを接続し、この闘いを記録に残そうと躍起になっている。

義父上とコリンが忙しそうに指示するのを横目で眺めつつ少し離れた隅の座席に座った。

本来は私が執り仕切るべきなのだがリオンへの応援という名目で二人が引き受けてくれた。

ローズブレイド家の応対は義兄上が担当している。

いつもなら義兄上に付き纏っているドロテアが今日に限って怯えるように伯爵やディアドリーの側から離れない、珍しい事もあるものだ。

殿下を除いた来訪者の応対はジェナとフィンリーが立候補している。

過剰なまでの接待はどう見ても条件の良い男に迫る婚期を逃した貴族女その物で痛々しい。

特に四人はオリヴィアに惚れこんでいたからジェナやフィンリーに見向きもしていない、それでも挫けず迫る姿はある意味で尊敬する。

 

子供達をあやしていると兵や技師達が貴賓席から遠ざかっていく、どうやら準備が整ったらしい。

正面に置かれた大きな表示画面は公爵家から譲り受けた品だ。

飛行船や鎧に使われる物と同じ技術で作られており、撮影された光景を画面に映し出す。

画面の中央に拡大された鎧が佇んでいる。

黒い鎧はリオン、白い鎧はユリウス殿下だ。

人の形を模した鎧が観客席に向けて体勢を傾けると子供達が楽しそうに体を揺らす。

画面に映る鎧は座席から見ると人形にもようで少し可愛らしくもある。

 

「これよりユリウス・ラファ・ホルファート第一王子とリオン・フォウ・バルトファルト子爵の親善試合を開始します!!」

 

司会を任されたコリンの声が拡声器によって付近に響き渡る。

画面に映る鎧が向き合い構えを取り始めた。

かつて王都にある学園の闘技場で私の雇った決闘代理人達と殿下達の五人は決闘を行った。

結果は惨敗に終わり私とユリウス殿下の婚約は無効となった。

今回の決闘でリオンが負ければバルトファルト家は王家派に与する事となる。

それをこの場で知っているのはあの時の闘技場で争った四人と私だけ。

どうして私の人生は越えられない壁が立ち塞がるのだろうか?

 

鎧が構え終わったのか、先程までの歓声が嘘のように静まり返っている。

誰もがこれから行われる闘いは殿下の勝ちだと考えている筈だ。

諦観に包まれながら画面の黒い鎧に目を向ける。

 

その構えは異様だった。

平服するように体勢を前のめりに崩している。

確かにあの極端な体勢では鎧が付けている気球を狙うのは難しい。

しかし、その代償として素早く動き始めるのは不可能だ。

おそらくは殿下鎧の両脚に付けている気球を狙っているのだろうが、姿勢を低くしても真っ正面から襲えば振り落とされるロッドが黒い鎧の頭部を襲う。

あからさま過ぎる構えに誰もが顔を顰めている。

そんな奇策が通じるほど殿下の操縦技術は低くない。

 

「はじめッ!!!」

 

開始の言葉と同時にリオンの鎧が消えた。

 

いや、消えていない。

その速過ぎる動きに一瞬だけ目が追い付かず消えたように見えただけだ。

闘いが始まって数秒、集音機が回収した破裂音が貴賓席に響き渡る。

リオンの黒い鎧が居た場所の地面が抉れ、殿下の白い鎧の後ろに屈んでいる。

殿下の白い鎧の左足に付いていた気球が割れていた。

 

何が起きた?

誰もが目の前の光景に理解が追いつかない、おそらく闘っているユリウス殿下すら。

再び黒い鎧が身を屈め始める。

焦りか、或いは慣れない鎧を操縦している影響か。

白い鎧がぎこちなく構えロッドを振りかぶる。

その時になって漸く理解が追いつく。

 

あれは溜めだ。

蝦蟇や飛蝗が跳躍の前に身を縮め力を溜めるのと同じ体勢。

力を一方向に束ねて無駄を減らした動きで最短距離を駆け抜ける。

極端な前傾姿勢は脚を狙うと同時に相手の攻撃が来る方向を分かりやすくする目的だろう。

 

振り上げられたロッドが大地を穿つも、其処に黒い鎧は存在しない。

跳ねる動物のように黒い鎧が再び宙を翔ける。

同時に白い鎧の左脚に付けられていた気球が割れた。

誰もがその光景を想像していなかった。

王子も、英雄も、彼の家族も、妻の私でさえ。

 

「何なんだ、あの動きは?」

 

誰かが疑問を口にした、この場にいる全員が同じ疑問を抱いている。

確かに鎧は人を模して造られた存在だ。

人に出来る動きなら大凡の再現は理論上可能ではある。

 

だが、それはあくまで理論の上だ。

肉ではなく金属、血液ではなく魔力。

鎧が動く理は人が動く理に非ず。

ましてやリオンが操縦している鎧は量産型だ。

特注の改造を施した鎧ならまだしも、バルトファルト領の鎧は兵達が使い回せるように最低限の調整しかしていない。

それなのにどうして、世界の理に反した動きを可能としている?

 

黒い鎧が先程までとは異なった構えに移り始める、両腕でロッドを持った中段の構えだ。

構え終わった次の瞬間には駆け出して白い鎧に向かう。

白い鎧も同じように構え突進を受ける。

金属の衝突音が空気を揺らす、二つの鎧は一つの銅像のように動かない。

いや、静止していたのは数秒だけ。

少しずつ、だが確実に黒い鎧が白い鎧を後退りさせている。

技量の差ではない、黒い鎧の出力が白い鎧を上回っている単純にして明快な答え。

 

何故?

どうして同じ量産型の鎧でこれだけの差が生まれている?

 

「本当にバルトファルトは不正をしてないのか?」

「していないはずです、格納庫に同行させた整備士が確認しました。殿下が乗る鎧には何も仕掛けられてませんし、バルトファルトの鎧にも疑わしい部分はありません」

「だが明らかに黒い鎧と白い鎧の性能が違う。力と速さの両方で大きな差がある。慣れや経験じゃ説明できないぞ」

「そもそもあんな動きをする量産型なんて見た事が無い。最新の量産型でも無理だよ」

 

四人の戸惑いはよく分かる、何しろあの鎧を融通したのは私の実家であるレッドグレイブ家だ。

リオンが私と結婚しバルトファルト家が寄子となった証に公爵領で使っていた鎧を安く譲渡という建前で配備してもらった。

多少の差は有ってもあれ程の明確な差は出るのはおかしい。

 

「多分、あれは計器を弄って出力調整してますね」

 

横から口を挟んだのは義兄上だった。

リオンと最も戦場を共にしたのはバルトファルト家の長男である義兄上であり、彼も鎧を駆って戦場を戦い抜いた男である。

必然的にリオンを支援を熟す事となり、彼自身の操縦技能もそれなりの物だ。

 

「バルトファルトは一体何をしているんだ?」

「詳しくは知りません。鎧の魔力調整の設定を変えたり、感知器の精度を落としたりすると一時的に鎧の性能が上がる事があるらしいですよ」

「馬鹿な、そんな事をすれば最悪歩行すら覚束なくなるぞ」

「俺に言っても困ります。実際に何度かあいつの言う通りにやってみたけど上手くいった試しがありませんし」

 

鎧は巨大な人型兵器だ、人の姿形を模してはいるが人力では歩く事すら不可能である。

巨大な物体を動かす為には何らかの動力が必要不可欠。

人々は魔力を鎧の動力として用い、鎧の制御に魔法を使う事で鎧は戦争の主力兵器として扱われるようになった。

その一方、鎧が高性能化するほどその制御に用いられる魔法は加速度的に増えていく。

大型且つ重装甲で鈍重だった鎧は近年に於いて小型化が進みより軽量でより速さが求められる。

単純に鎧をゆっくり一方向に動かすよりも、素早く様々な方向へ動かすには高度な技術と操縦者の腕が必要となる。

 

その鎧の制御用魔法を弄るだと?

義兄上の言葉が意味する物は我々の常識では考えられない愚行だ。

鎧は技術の結晶であり下手に弄れば起動すらままならなくなる。

仮に説明が正しいとしてもそれは専門の技術者が緻密な計算を練って漸く出来る机上の空論でしかない。

リオンは確かに一般の騎士よりは優れた操縦技能を持っている。

だが鎧の整備士でもなければ技術者でもない。

彼にそんな事が出来るとは思えなかった。

 

「信じられない。鎧は幾つもの魔法が相互干渉してやっと戦闘を行えるんだぞ。バルトファルトにそんな器用な真似が出来るとはとても思えない」

「王国軍にいた頃は手が足りなくてよく自分で調整してたらしいです。腕が良くて他の連中の整備も手伝ってたとか。本職には負けますけど暇な時間によく自分で整備してましたよ」

 

信じられない。

リオンが王国軍に在籍していた頃から鎧を操縦してたのは知っている。

貴族だが最底辺の男爵家の出身であり、体の傷から騎士ではなく兵士としての戦働きが多いと本人から聞いている。

そんな真似が出来るなど今日まで知らなかった。

私達の驚嘆を余所に画面に映っている鎧は今も鍔迫り合いを続けている。

誰もが予想していない異常事態だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

画面に映っている白い鎧が持ち堪えられず一歩また一歩と後退していく。

アロガンツの力はあっちの鎧と比べて二割から五割増しって所だ。

この力を引き出す為に設定をあちこち弄った割に大した差は出ていない。

勝っているのは力だけ、さっきから警告音が操縦席に鳴り響いてうるさくて堪らない。

何しろ出力調整と姿勢制御関係の魔法を弱めて無理やり力を捻り出したんだ。

いろんな場所に過剰な負荷がかかって悲鳴代わりの警報を上げている。

今だって力では勝ってるけど下手に動けば無様に転がりそうなのを必死に保ってる。

こんな無茶な方法を知ってて実行できるのは王国でも俺だけだろう。

 

俺が鎧と関わるようになったのは子供の頃。

一応は貴族の息子なんで前のバルトファルト領でちょくちょく父さんの仕事の手伝いも兼ねて寄子な騎士のおっちゃん達の世話をするのも俺の役目だった。

鎧の操縦席に乗らせてもらったり簡単な操縦を教わった事もある。

軍に入ってからは貴族の子供だから操縦の基礎と整備方法を学んだ。

 

気付いたのは王国軍に入ってファンオース公国との戦争が始まってしばらく経った頃。

同じ部隊にいた騎士が重傷で戦えなくなって退役したからだ。

それまで簡単な整備を任されてた縁で鎧の操縦を任された。

退役した騎士が乗ってた鎧は怪我の原因になった損傷を無理やり直したせいであちこちに無理があった。

感知器はいくつも使えない、姿勢制御は壊れたまま、関節の連動は怪しくて武器を持つのさえ一苦労。

歩行や飛ぶのさえ戦いながら微調整が必要で撃墜されないか怖くて泣きたかった。

 

そんなボロボロの鎧が何故か他の鎧より力強く敵を倒した。

理由は分からない、ただ他の鎧と比べて明らかに強い。

整備不良が原因で死ぬのは嫌だから自分で鎧を弄ってある仮説に辿り着いた。

鎧は魔法で機能を制御して動いている、その魔法がそれぞれが干渉し合って人間みたいな動きをしている訳だ。

でも魔法に使える魔力の量は決まっている、高性能になれば制御する魔法の量は増えて一つの機能に使える魔力量は減っていく。

 

なら幾つかの機能をわざと下げる、或いは完全に切ってみたらどうなるか?

故障していない他の鎧を使って実験してみた。

結果は同じ。

もちろんこの方法に欠点が無い訳じゃない。

幾つかの機能が下がるからその分を操縦や戦術で補わなくちゃいけないし、鎧の負担が多過ぎて下手すりゃ一回の戦闘で修復が出来ない部品やら内部機構が壊れちまう。

だけど一時凌ぎや相手を出し抜くにはうってつけの方法だ。

実際この方法で何度も俺は命を繋いできた。

 

そして現在、俺は王子との決闘で優勢な状況で闘えてる。

だからって勝ちを確信できるなんてとても思えない。

ユリウス殿下は力で負けているが必死に食らいついていた。

あくまで俺が先制点を稼いだだけで勝利するまで絶対に気を抜いちゃいけない。

右手は操縦桿を握ったまま、素早く左手でスイッチを押し通信機能を起動させる。

雑音が響いた後、若い男の呼吸音が聞こえてくる。

間違いなくユリウス殿下だ。

音声だけでもその息遣いから緊張しているのが分かった、俺の動きを見逃さないように神経を擦り減らしてるんだろう。

なら、もっと精神を擦り減らしてもらいましょうか。

 

「ユリウス殿下ァ~、どうしたんですか~?」

『……何のつもりだバルトファルト』

「いやぁ~。御大層な事を言ってたのに、二点も先制されてどんな気持ちかな~って思いまして」

『たかが二点、まだ逆転を狙える範疇だ』

「その割には呼吸が荒いですよ。あれですか、ナメてた相手に追い詰められてびっくりしてます?」

『驚いてはいる、まさか操縦する者の違いで此処まで動きに差が出るとは』

「もしかして殿下って弱いんですか?王家の金とコネで高性能な鎧を使ってるから勝ってた訳じゃありませんよね」

『……』

 

黙っているけど呼吸はさらに荒くなった、動揺してるな。

 

「じゃあ俺も本気を出しますんで。無様に負けたくないなら降参を勧めますよ」

『断る!』

 

殿下の叫びと同時に鎧の背中にある推進器から空気が噴出されて大きく後退する、距離をとって立て直すつもりか。

 

「させねぇよ」

 

操縦桿を倒し追撃を始める、アロガンツの一撃で白い鎧が大きく傾いた。

人間は心と体を同時に攻められてると判断力を失う。

ごめんな殿下、あんた強いからこうでもしないと俺は勝てんのです。

よろける白い鎧に何回も追撃を行う。

今の俺は確かに卑怯で下劣な外道騎士だった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

『王都の連中は金をかければ強くなれるって思ってんですかァ!?それは金が強いんであって本人の強さの証明にならんでしょうが!』

『俺が勝ったのは修練の結果だ!断じて鎧の性能や王家の資金力ではない!』

『でも俺に追い込まれてるじゃないですか!だったら俺の方が強いって事ですね!』

『この鎧に慣れてないからだ!そもそもどうして拝領された最新型の鎧を使わない!?』

『本当に強い奴はどんな得物を使っても強いでしょうが!改造された最新型じゃなきゃ戦えないとか、これだから王都のお坊ちゃんは!』

 

撮影機器が拾った鎧同士の内部通信の内容は聞くに堪えない罵声の応酬だった。

内容が内容だけに慌ててライオネルとアリエルの耳を塞がせる。

リオンの罵りは殿下に対する敬意も遠慮も無い。

的確に相手を挑発し判断を狂わせる類の罵詈雑言だ。

あれが本当に我が夫と同一人物なのだろうか?

どうして対戦相手にあれだけ語彙が豊富な罵詈雑言が出来るのに、私に対する愛の言葉は拙いのか。

リオンはどう考えても才能の配分がおかしい。

この通信が聞こえるのは貴賓席だけで本当に良かった。

もしも観客席全てに聞こえていたら領主としての体面に関わっただろう、何より子供達の教育に悪過ぎる。

最近はリオンも領主や父親の自覚が出て来たと思っていたが甘かった、後で説教してくれる。

 

「戦場のリオンはいつもあのような態度なのでしょうか?」

 

思わず口にした疑問に義兄上が苦笑いを浮かべた、肯定とも否定とも受け取れる曖昧な微笑みだ。

どうやら敵に対してはあれがリオンの立ち振る舞いのようだ。

 

「違うんだ、アンジェリカさん。リオンはああやって敵を挑発して囮になったり、怒らせて罠に嵌めたり、交渉で優位に立つ為にやってるだけで、リオンの性格が悪いという訳じゃ……」

 

話すに連れて徐々に義兄上の語気が弱々しくなるのが居たたまれない。

公国との戦争では頼もしい能力なのだろう、戦時で有用な能力が平時で役に立たないような物だ。

無理やりそう思い込む、そう信じるしかない。

 

「だとしたら殿下を甘く見過ぎですね」

 

ジルクの言葉に他の三人が頷く。

 

「ユリウスは俺達五人の中では一番じゃないさ」

「魔力は僕、剣技はクリス、射撃はジルク、単純な力はグレッグに劣る」

「だが総合的な力は一番安定している」

 

殿下を含めた五人の英雄がホルファート王国の若者の最上級であるのは揺るぎない事実だ。

嘗てのユリウス殿下はその五人で特定分野を競わせた場合に於いて一位になった事は無い。

その代わり二位か三位の成績を常に収めている。

魔力量は高いが剣技が今一つだったブラッド。

剣技は優れているが魔力の扱いが並みのクリス。

射撃は得意だが接近戦で後れを取るジルク。

格闘戦に於いて敵無しだが遠距離戦は劣るグレッグ。

ユリウス殿下は五人の中で常に安定した強さを持っている。

特筆すべき長所は無いが眉をひそめる短所も無い。

故に落ち着きを取り戻せば手堅く攻めに転じる筈だ。

 

バァァァン!!

 

破裂音が鳴り響き皆が食い入るように画面を見入る。

割れていたのは黒いの鎧の左腕に付いていた気球だった。

同時に白い鎧の左腕の気球も割れている。

相討ち、だが殿下の攻撃が正確に行われたという証明。

 

『どうだ!まずは一つ目!』

『一個割ったぐらいで騒がないでください、俺はもう半分を割ってるんで』

 

得意げな殿下の叫びを嘲笑するようにリオンが水を差す。

再び二機の距離が縮まり互いのロッドで鎧に付いた気球を狙う。

力では黒い鎧が優勢だが、白い鎧は正面から競わず手数を増やしながら攻撃を続ける。

 

バァン!

 

再び破裂音、割れたのは黒い鎧の右脚の気球。

対して白い鎧の気球は割れていない。

 

「どうやら調子が戻って来たようですね」

「まぁ、落ち着けば順当な結果だろ」

「単なる力押しで勝てるほどユリウスは弱くない」

「これから反撃開始だな」

 

四人の言葉は私の心境そのままだった。

リオンは確かに鎧の操縦に優れてはいる、だが相手は救国の英雄とまで呼ばれている。

技量の差は明白、力押しにも徐々に対応している。

いつしか私は子供達の事さえ忘却して食い入るように画面を見つめていた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

よし、当たった。

相手の攻撃を回避しつつ発生した隙を的確に狙い撃つ。

俺専用の鎧の基本装備は盾と剣。

相手の攻撃を引き付けた後に的確に受けるかギリギリ避けてこちらの攻撃を叩き込む。

ロッドを剣に、もう片方の腕を盾に見立てる。

得物が違ってもやる事は変わらない、いつも通りに戦えば勝機は十分すぎるほど存在してる。

 

バルトファルトの鎧に不正は無いと整備士達は証言した。

王族直属の整備士の言葉だ、それは真実だろう。

向うの鎧がこちらの鎧より力が強いのは何らかの技巧か、或いは俺の知らない鎧の性能を引き出していると考えて間違いない。

確かに慣れない量産型の鎧、硬く舗装された闘技場の床ではなく柔らかい地面、一般の決闘とは違うルールと不利な状況は多かった。

しかし、それを踏破してこそ英雄という物だ。

 

確かにバルトファルトの操縦は巧みだ、勝つ為に制限付きの決闘に持ち込んだ狡猾さも見事と言っていい。

だが、今まで経験した戦いが俺を成長させた。

バルトファルトは黒騎士バンデルを凌ぐ鎧の操縦者か?

物量で圧倒するファンオース公国軍の大部隊ほどの力押しか?

いくら傷を与えても再生を続ける超大型モンスターか?

否だ、断じて否だ。

 

殺し合いとは違う生温い闘いに感覚が麻痺していた。

常在戦場、相手を侮る事なく的確に攻撃する。

バルトファルトの鎧の力は此方より上、だからと言って読めない攻撃ではない。

おそらく無理やり力を引き出している反動か、力こそ強いが攻撃は実に単純。

攻撃の開始を見極め軌道を予測は可能だ。

 

さらに同型の鎧で同型の武器という条件が有利に働く。

向こうが攻撃する為には此方に近付く必要がある、そして相手の攻撃の間合いは此方の間合いだ。

上手く相手の攻撃に合わせれば最低でも相討ち、上手くいけば此方の攻撃が先に当たる。

何より鎧に付けてある気球を割るというルールが有利に働く。

気球を全てロッドで割れば勝ち、つまり攻撃される場所は予め決まっている。

それなら攻撃の予測は容易い。

 

悪いなバルトファルト。

どうやらこの勝負、俺の優勢勝ちで終わりそうだ。

お前の決意を無にしてすまないとは思う。

だが危機に瀕したホルファート王国を救うには多くの力が必要だ。

その為に必要な人材としてお前は注目されている。

兵士や騎士としての強さ、貴族としての経験、統治者としての器。

お前はまだ未完成だ。

ホルファート王国の為に俺は勝たなくてはならない、たとえ恨まれようとも勝たなくてはいけない。

覚悟するんだな。バルトファルト。

ここからは俺からの攻撃が始まるぞ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「とか思ってんだろうなぁ」

 

殿下の鎧が構えを取る、さっきと同じ左腕を前に出した基本姿勢。

思考が単純というか、素直過ぎるというか。

上手くいけば四個ぐらい気球を割れるかと予想してたけど流石に甘い見通しだった。

ユリウス殿下は強い、それは紛れない真実だ。

そもそも騎士や兵士が死にまくった戦争でファンオース公国の大軍勢に最強の騎士や超大型モンスターと渡り合った英雄だ。

 

俺の奇策なんて正面突破されて当然だよね。

さっきから何回も打ち合ってるけど俺の攻撃は決定打にならない、その代わり向こうの攻撃は的確ときたもんだ。

何よりアロガンツの異常を知らせる警報がけたたましく操縦席に木霊してる。

このまま行けば追い詰められるのは俺、刻一刻と敗色濃厚になっていく感覚に全身から汗が噴き出す。

 

仕方ない、作戦を変更しなきゃ。

弄り回してたいろんな計器を操作して数値を元に戻す。

喧しかった警報が少しずつ消えていく、消えたからといって安心できないけど。

今までの無茶は確実にアロガンツの内部機構を痛めてる。

正直いつまで凌げるか分からない。

ここから先はどれだけ耐えて相手の隙を狙えるかが勝利の分かれ目だ。

 

操縦桿を動かして構えを取る。

最初の伏せた体勢でもさっきの中段の構えでもない。

両腕は急所を守るように面積を小さく、腰を下ろしてどの方向にも即座に動けるように地面を踏みしめる。

王国軍の訓練で習ったナイフ格闘術の構えだ。

 

俺の構えに戸惑ったのか、白の鎧は攻撃を中止して注意深く様子を窺ってる。

殿下の戦法は相手の攻撃を受けて擦れ違いざまに攻撃を繰り出す待ちの戦い方。

それに応じて俺も姿勢を崩さず待ちの体勢を取る、攻め込まないのは少しでも鎧を休めて負荷を減らす意味もある。

 

一歩、もう一歩と殿下の鎧が近付いて来た。

こんな鈍重な展開は最新型の鎧同士の戦いじゃまずありえない。

鎧は空を飛んで強力な武器を振り回し相手を屠るのが主流の戦い方だ。

戦争によって鎧が使われるようになり始めた時代、装甲が厚くてろくに空を飛べず動きが遅い鎧が地べたを歩いて殴り合ってた時代の戦法だ。

 

悪いね王子様、俺は地を這う獣なんだ。

どれだけ空に憧れても翼も羽も持ってない醜い獣。

そんな獣が宙を舞う鳥を仕留めるにはどうすれば良いか?

地面に下りた隙を狙って翼を折る以外にない。

俺はこの決闘を挑む時にさんざん俺にとって有利な状況を提示してきた。

あんたが俺の出した条件を拒むか、それとも自分に有利な条件を提示すればこんな苦戦はしなかっただろう。

こんな卑怯な手に乗らなきゃ良かったのに、真っ直ぐな性格で本当に助かったよ。

 

この闘いが時間無制限なのは俺にとっても殿下にとっても有利には働かない。

今まで無茶をしてきた俺とアロガンツは消耗が激しい、殿下は俺を仕留めるのに時間がかかるほど精神的に追い詰められる。

迂闊に動いたらやられるのはこっちだ、十分に引き付けて相手の隙を狙う。

 

どれだけ時間が経ったか分からない、お互いに攻め手に欠けている。

そこにさり気なく気球が付いている右腕を晒した。

次の瞬間、白い鎧が隙を見逃さず動き出す。

 

だけど甘いな、地面の柔らかさを計算に入れず急に動き出したせいで体勢が崩れた。

白い鎧が握ってるロッドにアロガンツが握っているロッドを合わせる。

添わせるように優しく、力の方向を少しずらすだけ。

そのままロッドを滑らせて狙うのは右腕の気球。

轟音が響き、白い鎧が宙を舞った。




リオンvsユリウス戦の前編です。
鎧での戦闘を考えた結果、リオンのスキルツリーが恐ろしい事に
まぁ、原作でも手を抜いて上の下の成績だったから問題なし。(ダメだこりゃ
個人的に天才vs凡人の対戦が好きなのその結果がこうなりました。
やってる事は棒叩きゲームですが迫力重視でいきます。

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第68章 研鑽

こっちのロッドで相手のロッドを逸らし、そのまま腕に沿って滑らせる。

互いの攻撃が交錯した後、勢いを落とさず距離を取る。

構えを取りつつ白い鎧の観察、気球は残り三個。

右腕に付いていた気球はそのまま残っている。

 

「チッ」

 

思わず舌打ちが漏れる。

気球に付着した汚れからロッドが触れたのは確かだ。

原因は分かりきってる、臆病な俺の性根だ。

ユリウス殿下の攻撃をこれ以上無いぐらい綺麗に受け流したはずだった。

だけど最後の踏み込みが一歩、いや半歩足りなかった。

殿下の反撃に備えて距離を取り過ぎたな。

確実に潰せた絶好の機会をしくじったのが痛すぎる。

 

 

この闘いに俺が勝つには殿下の攻撃を数手先まで読み切らないと無理だ。

殿下が俺の気球を全部潰すより先に俺が潰す、そんな当たり前の事が銃弾が飛び交う戦場を走り抜けるぐらい難しい。

力押しは見切られた、勝つにはわずかに多い俺の経験値と培った技だけが命綱。

それを活かすに為に一歩、あと一歩深く踏み込まなきゃいけない。

震える手足を必死に抑えて操縦桿を握り締める。

ああもう、度胸が無い自分に腹が立つ。

 

少しずつ、ゆっくりと俺と殿下が操縦する鎧が動き出す。

白い鎧がゆっくり距離を詰めながら、俺の隙を狙うように回り込む。

アロガンツも同じように別方向に歩いて方向を変える。

奇妙なダンスにも似てる息が合った動き。

あと半歩、その半歩を踏み込んだ瞬間に互いが相手の間合いに入る。

 

殿下の鎧の脚が上がった刹那、一気に距離を詰める。

まずは相手の脚の着地場所をアロガンツの脚で塞ぐ、そのせいで白い鎧の動きに少しだけズレが生まれる。

胸部の気球を狙った突きが腕を狙ったなぎ払いに変化した。

そのなぎ払い動作の起点になる肘の関節部をアロガンツの手で抑える。

途中で攻撃を抑えられ膠着した隙を狙い頭部へ突きを放った。

後ろに倒れ込むみたいに白い鎧が仰け反り後退る。

 

「逃がすか」

 

距離を取られないようにアロガンツを前進させる。

それを読んでいたのか突きが放たれた。

敢えて躱さずにこちらもロッドで受ける。

そのまま勢いを殺さず更に前進。

密着に近い鍔迫り合い、モニターが白い鎧で埋め尽くされた。

離れようと白い腕と脚が迫って来る。

それを躱し、或いは受け止め、時には反撃。

 

観客席の連中には黒い鎧が細かくステップを踏んでるみたいに見えるだろう。

実際には殿下の攻撃を俺が必死に捌いてるんだけどな。

殿下の攻撃は的確に俺の気球を狙って来る。

一回の攻撃に対し二回の防御か受けをして耐え忍ぶ、そして次の動きを予測して動きを封じる。

反則にならない程度の攻撃もさり気なく組み込んでおく。

 

こうして隙を無理やり捻り出す以外に俺の勝機は存在しない。

勝つ為にあらゆる手段を選ばない、卑怯者と罵られても最後まで立ち続ける。

それこそ外道騎士と呼ばれた俺の本領。

これは我慢比べだ。

先に俺の体力が尽きて全部の気球を割られるか、それともユリウス殿下の集中力が切れて音を上げるか。

知ってますかユリウス殿下?

喧嘩ってのは戦争と違って明確な敗北条件が無いんですよ。

そして俺は意外と負けず嫌いだ。

意識を失う瞬間まで喰らい付いていくから覚悟してもらいましょうか。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

その場に居た全員が信じられない物を見た。

リオン・フォウ・バルトファルト。

外道騎士と内外に畏怖されるその男の実力は広く知れ渡っている。

一般兵より優れているが膂力も技量も常識の範疇な強さ。

並みの騎士よりは上だが天賦の才を持つ者には及ばない操縦技術。

舌禍にて相手を罠に嵌め破滅させる生粋の凶徒、卑劣姑息を形にしたような悪漢。

そう敵味方に揶揄された男が救国の英雄である王子と互角に渡り合っている。

いや、むしろ優勢とさえ言って良い程だ。

派手な一撃は確かに無い。

だが相手の攻めを的確に捌き、時には受けとめ、守りながらも動きを制す様は見事という一言に尽きる。

傍目では優美さなど欠片も無い泥臭い戦法、しかし一度でも鎧を操縦した経験がある者は目の前で黒い鎧が成し遂げている離れ業に驚嘆するしかない。

 

バルトファルト領の兵は主君の技量に驚嘆する。

ローズブレイド家の騎士は礼儀を弁えぬ成り上がり者という侮りを捨てた。

ホルファート王家の直属兵は王子との戦いに引く事なく抗い続ける若者に崇敬の念さえ抱く。

この闘いを見る全ての者がリオン・フォウ・バルトファルトに対する認識を改めた。

 

「反則ではありませんか?」

 

ジルクが口にした言葉にグレッグ、クリス、ブラッドが眉を顰めた。

確かに素人の目には黒い鎧が白い鎧にへばり付きながら無様にジタバタと手足を動かし攻撃を避けてるようにも見える。

それを未だに仕留めきれないユリウスの技量が不安視されるのを恐れているのだろう。

臣下としては正しい判断かもしれない。

だが、それは決闘に赴いた二人に対する侮辱に他ならない。

 

「あのように密着した体勢で殿下が搭乗している鎧を殴る蹴る等の卑劣な戦法。決闘の取り決めを逸脱しているのでは」

「攻撃の取り決めは気球(・・)ロッド(・・・)で割るだけだ。確かにバルトファルトの鎧はユリウスの鎧に触れてはいる。だがロッド以外で気球を割ろうとしてる訳じゃない」

「明らかに足を引っ掛けたり手で抑えつけてるでしょうが」

「それを言ったらユリウスの方だって腕で攻撃を払い除けてる。バルトファルトだけを反則に問うのは厳しいぞ」

 

ジルクの疑問に対しグレッグは肯定的だった。

相手の攻撃を腕で払い除け始めたのはユリウスが先だ。

反則を問うならユリウスが先に行った時点で注意されなければおかしい。

 

「剣術にだって鍔迫り合いや武器を落とした際に徒手空拳の技が用いられる。それを卑怯と言うのならそんな事態を想定していない方の認識が甘い」

「これは親善試合という名目ですよ、本気の潰し合いをされては双方の名に傷がつきかねません」

「バルトファルトの構えは王国軍で教えてる軍式格闘術を模した物だ。それを用いる事が不名誉と言うなら王国軍全体の品位を問わなくてはならない」

「それは極論かと」

「何よりバルトファルトの動きは素晴らしいの一言に尽きる。人間の体術を鎧であれだけ再現できる男を私は知らない」

 

鎧は人体を模してはいるが細かい差異は数知れない。

さらに動かす為に操縦桿やスイッチを用いる。

粗こそ在れど並大抵の修練ではあれ程の動きを再現するのは不可能だ。

バルトファルトに才能があるのは事実だが、気が遠くなるほどの反復練習を繰り返してあの境地に至ったのは間違いない。

 

「ブラッド、貴方からも何か言ってください。華麗とは言い難い泥臭い戦いぶりではありませんか」

「確かにこの闘いに優雅さは無いかもしれないね。でも問題あるかい?」

「王族が辺境の成り上がり者に苦戦したとあっては王家の格が疑われます」

「君の方こそ素直に認めたらどうだ?バルトファルトは間違いなく素晴らしい男だよ」

 

ブラッドの言葉は熱を帯びている、この闘いに魅了された者の口振りだった。

誰もが競い合う白と黒の鎧に夢中だ、あらゆる虚飾が取り払われ剥き出しの姿が露わになる。

追い詰められた時にその者の本性が見える。

どれだけ己の素晴らしさを説こうとも逆境で逃げ出す者に人は靡かない。

最後の瞬間まで抗おうとする意志を持つ者にこそ貴き者の称号は相応しいのだ。

 

「才能で劣り、力で負け、それで尚も知恵を搾って策を弄す。戦いに対して真摯で勝ちに貪欲な事の証明さ。それが見苦しいと思う奴の方が冷笑主義の負け犬だ」

「バルトファルトは戦争で一度も逃げなかった。戦局を見極めて後退しても戦いを放棄した事が一度も無いのはよく知ってるだろう」

「使うかも分からない技を愚直に鍛錬し続けた男が英雄に肩を並べる。僕だけじゃなくて皆そういう話が大好きだ」

 

この場に黒い鎧を駆る男を醜い田舎の成り上がり者と謗る者は一人として存在しない。

先程まで否定的な言葉を述べていた者でさえそうだった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

前々から不思議に思ってた事がある。

鎧という兵器についてだ。

この人間そっくりな形をした兵器に乗る奴らが自慢するのはいつだって最新型で性能が凄いとか、装備している武器がどこの工房で作られたとかそんな事ばっかだ。

由緒正しい名剣を持ってる、高性能な銃を装備してる。

それって武器が凄いだけで自分が強いって証明じゃないだろ?

俺が生まれたのは辺境の貧乏な男爵家だ。

最新型の鎧を買える金なんて無いし、工房に特注の武器を依頼する伝手も無い。

無い無い尽くしの俺に出来る鎧の強化は自分自身の操縦技能を上げる事だけだった。

鎧に乗れるのは貴族か、貴族出身の騎士ばかりで平民から騎士になった奴はほぼ居ない。

妙な事にそういう生まれついての貴族や騎士に限って努力を軽んじる。

権力と財力をどれだけ自慢してもそれは自分の強さの証明にならないって思わないのか?

俺が強くなる方法なんて人より訓練を熟して体を鍛え技を磨いて知識を蓄えるしかなかった。

 

王国軍の講義で鎧の成り立ちを軽く教えられた。

元々は飛行船同士の戦いが主だった昔に相手の飛行船に乗り移る為の手段が考えられた。

空中で狙い撃ちされたら死ぬから鎧を着込む。

鎧を着たまま飛行する為に推進器を付けた。

飛行船に落とす為に大型の武器を持つようになった。

搭載する武器の火力を上げたせいで人間に扱える大きさじゃなくなった。

だから大型の武器を扱える専用の兵器が必要になった。

この兵器が『鎧』と呼ばれて人型になったのはそんな時代の名残だ。

 

それっておかしくないか?

大型の飛行船を墜とせるのは同じぐらいデカい飛行船だけ。

それじゃ小回りが利かないから小さな兵器が必要、それは分かる。

だからって人型にして大剣や銃火器を持たせる意味は無いだろ。

単純に小型の飛行船に衝角や大砲を付ければ良いだけの話になる。

人型である事を最も活かす方法は何だろう?

人の動きを模倣する事だと俺は考えた。

 

アンジェと結婚した後にレッドグレイブ家から量産型の鎧を安く払い下げしてもらった。

王国軍の下級騎士用に配備されたかび臭い旧式より動きが滑らかで力もある。

これを使って練習を重ねる。

まだまだ未開拓地の多いバルトファルト領では鎧が重機代わりになる事も多い。

開拓を利用して鎧の動きを体に染み込ませる。

歩く、走る、跳ぶ、荷物の上げ下げ、樹木や岩石を打撃で破壊。

そうして馴染ませた動きを今度は騎士叙任試験の鎧操縦検定で俺が試験官を務めて実践してみる。

間合いの詰め方、攻撃の逸らし方、歩法などなど。

ある程度の成果が出始めた頃、ファンオース公国の再侵攻が起きた。

積み重ねた経験を実戦で試してみる。

確かに鎧の操縦技能の上達は感じられた、だけどそれだけだ。

体の鍛錬や技の取得が無い一般人が素手で相手を殺すのが難しいように、過剰なぐらいの火力が無きゃ鎧を撃墜するのは難しい。

どれだけ動きが良くなってもそれだけじゃ敵の鎧を倒すには力不足だ。

少し感じていた達成感が大して通用しなかった徒労感が凄い。

鍛錬のお陰で生き残った部分もあったけど、どれだけ操縦が上手くてもそれを活かせる戦いは無い。

精々が鎧の操縦も覚束ない素人に効率良く動かし方を教えられる程度だ。

どれだけ鍛えても結局は非効率的な鍛錬と気付いて乾いた笑いがこみ上げた。

 

 

そんな徒労が報われる時が来るとか人生ってのは奇妙なもんだな。

武器制限、飛行無し、同じ鎧で非殺傷の戦いなんて起きると思わなかった。

相手の攻撃を防御か回避、隙を見て反撃、ヤバくなったら懐に入って、鍔迫り合いになったら計器を弄って跳ね返す。

観客席の連中からは黒と白の鎧がいろんな技を繰り出してるように見えるだろうけど、実際にはさっきからその繰り返しが続いている。

 

『もらった!!』

「甘いですよ」

 

殿下の鎧とアロガンツが攻撃同時に攻撃を繰り出す。

金属の右腕が絡み合いながらぶつかり合う。

 

パァバァァン!!!

 

モニター越しに破裂音が操縦席に響く。

殿下の鎧が放った攻撃は俺の右腕の気球を割った、同時にアロガンツの一撃も白い鎧の右腕を直撃。

これで残りの気球は俺が三個で殿下がニ個。

数の上では俺の優勢、なのに勝ってる気にはなれない。

今の攻撃は同時に放たれたはず、なのに先に当たったのは殿下の攻撃だ。

時間が経てば経つほどユリウス殿下の鎧の動きが良くなっていく。

 

最初の攻撃は驚いて当たる。

二回目の攻撃はギリギリで避ける。

三回目の攻撃になるときちんと対処される。

ついには俺の動きを真似した挙句に俺より上手く攻撃を当てられた。

殿下がどんどん状況に適応していくのに比べて俺の方は追い詰められる。

真似される前に勝負を決めたいのに相手の成長速度が桁違いだ。

このままじゃ逆転される。

 

おまけに何度も計器を弄って無理やり力を出す反動が大きい、関節の連動が数ヵ所ぎこちなくなっている。

もう何度も馬鹿力は使えそうにない、だからって業で勝負すれば真似される可能性が高い。

こちらから攻めなきゃ勝機は無いのに攻めが上手いのは殿下の方だ。

相手の残数は残り二個、その二個が途轍もなく遠い。

 

死角に回り込むように左右へ素早く動いてかく乱、運動量が増えるのと同時に俺の体とアロガンツの消耗も増えるけど無理して攻めなきゃ勝ち目は無い。

右に四回動いて、次は左へ二回動く。

今度は右に二回、左へ一回。

さり気なく動きの癖を印象付けながら回数を減らす。

勘が良い奴ほど相手の動きを無意識に予想する、その予想が当たる事に喜びを感じる。

その隙を狙って一撃を加えるしかない。

 

まず右へ大きく迂回、すると殿下の鎧も右に向き直る。

もう一回だけ右へ動く、やっぱりさっきと同じように向きを変えた。

ここで小さく屈んでさり気なく体勢を左に傾ける。

殿下なら俺が左に動くと予想するはずだ。

さらに屈んで力を溜めた次の瞬間、思いっきり操縦桿を傾ける。

予想外の動きに白い鎧の反応が遅れた。

その隙を逃さず横から方向からロッドで突く、狙いは動きの少ない胴体の気球だ。

白い鎧が向き直る、けど遅い。

回避には間に合わない、このまま一気に突っ込む。

 

だけど白い鎧は回避を選ばなかった。

握っていたロッドをアロガンツのロッドに合わせる。

不完全な態勢の受けだ、速度と体重が乗ったこっちの突きを受け止めきれない。

そう思った瞬間、背中に悪寒が走った。

 

こっちの攻撃が受け流されている?

突きの勢いはそのまま、なのに突きがあらぬ方向へ逸らされてた。

これはさっき俺がやった事と同じだ。

相手の突きに横方向から力を加えて勢いを逸らす。

もちろん俺の技よりも精度は低い、だけどその瞬間に最良の技で攻撃を潰された。

マズい、渾身の力を込めた攻撃を避けられたら今度は俺の方が隙だらけだ。

崩された体勢を慌てて立て直そうとした瞬間、

 

バァギィッッ!

 

何かが折れるような不快な音、操縦桿を動かす度に片側の動作が遅れる。

異常を知らせる小さな表示灯が明滅してる。

脚だ、しかも気球が付いてる左脚。

慌てて機器を弄るがすぐに直るもんじゃない、そして殿下も俺の隙を見逃すほど甘くない。

 

バァァンッ!

 

破裂音が聞こえてモニターを見ると左脚の気球が割れていた。

この絶好の機会を逃がすまいと白い鎧が追撃を開始する。

残りの気球はこっちが頭と胴、殿下も同じ。

数は同じだけど状況は圧倒的に俺が不利ときた。

頭部を狙うロッドの一撃を受ける、その瞬間こちらの体勢が崩れる。

なりふり構わず腕で相手を突き放すけど踏み込みが不十分で大して力が入ってない。

白い鎧を数歩よろめかせたがすぐに立て直されて次の攻撃が襲って来る。

胴、頭、胴、頭、頭、頭、胴。

必死に攻撃を防ぐがあっという間に追い詰められる。

 

ギギッ……

 

ロッドを握っていた右腕の動きが遅れる。

今まで負荷に耐えきれずついに限界がきたらしい。

襲ってくる一撃に合わせて右腕を動かす。

アロガンツのロッドが頭部を防ぐ一秒前に白い鎧の一撃が頭部を襲っていた。

 

パァン!

 

俺の残数は残り一個に減っていた。

地面を転がるように距離を取る、殿下も追撃は無理と判断したのか追って来ない。

アロガンツをゆっくり立たせるとあちこちの関節から悲鳴みたいな金属の擦り合う音が鳴り響く。

時間にしたら数十秒、たったそれだけの間に俺の優勢は消え去っていた。

数の上では俺が不利、鎧は度重なる無茶で痛んでいて、頼みの綱の技も追いつかれる。

勝てる見込みはほとんど無い、普通の奴ならここで諦める頃合いだろう。

疲れた、全身から汗が止まらない、喉が渇く。

汗が気持ち悪い、ヘルメットの下は呼吸と汗で蒸し風呂みたいだ。

もうやだ、帰って寝たい、アンジェの柔らかい太腿を枕にして休みたい。

そんな本心を歯を食いしばって抑えつけた。

 

『逆転したな』

 

通信機がユリウス殿下の声が聞こえてくる。

余裕を感じさせる声だけど呼吸は荒い、向こうもかなり消耗してるのが救いだ。

 

『一応聞いておくが降参するつもりはあるか?』

「兵や仲間を生かす為に降伏できる戦争ならしますよ。でも、これは意地の張り合いの喧嘩でしょう?」

『喧嘩か』

「ユリウス殿下は俺がどんな男か分かっていると思いますが」

『そうだな、見事な戦いぶりだったぞバルトファルト』

「まだ終わってないのに勝利宣言ですか?ちっとばかし気が早過ぎますよ」

 

そこで言葉を切ってロッドを構えた。

まだ勝つ為に取れる手段は微かに残ってる。

ほんの僅か、それこそ蜘蛛の糸みたいな細さだけど無じゃない。

泥臭く最後まで足掻くのが俺の流儀だ。

その状況に口と身振り手振りで持ち込むまでが腕の見せ所だ。

さて、上手く乗ってくれよ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

バルトファルトが構えを取った。

ロッドを両手で持ち鎧の頭上に掲げた上段の構え。

剣術を修めた者が最初期に習う基本中の基本である構えの一つ。

やや構えが崩れているのは先程起きた鎧の不調の影響か。

得物が短いロッドには似つかわしくない構えだが、おそらくは不調を補う為の苦渋の決断だろう。

残る気球は此方がニ、向こうが一。

数的優位に立とうとも決して油断ならない。

隙を見せれば躊躇なく相手の喉笛に喰らいつき離さない豺狼。

それがリオン・フォウ・バルトファルトという男だ。

 

今になって漸く父上と母上の言葉を理解できる。

判断力、決断力、狡猾さ、技量、経験。

この男は若くして一廉の人物だ、王都で官職の席を尻で温めるだけの貴族とは比べ物にならない。

この男に不備が有るのなら生まれた家の格が低過ぎた事、嫡男でなかった事であり当人の過失とは言えない。

だからこそ国王と王妃が目を付け、公爵家が娘を差し出すに値する。

今ここで味方に引き込む必要がある。

王家と公爵家の確執など些末な問題でしかない。

ホルファート王国を立て直す為に欠かす事の出来ない人物になってくれる。

その為にもこの勝負は負けられなかった。

 

上段の構えのせいで最後の気球が晒される。

あまりに無防備な構えに血迷った選択にも見えるだろう。

上段の構えは誘いだ、敢えて弱点を晒し相手の出方を制限するバルトファルトらしい戦法に他ならない。

もし互いの気球が残り一個なら相討ち狙いの博打と考えられる。

だが此方の残りは二個、相討ちなら此方の勝利は確定だ。

おそらくは両手でロッドを握ったのは渾身の一撃を放つ為。

両手の一撃で頭部の気球を破壊、そのままの勢いで胴の気球を割る計画だと思われる。

ロッドで出来るかは分からない、ただ大剣を振るう公国の黒い鎧が王国の鎧を両断する光景を俺は何度も見た。

 

黒騎士バンデル、ファンオース公国最強の騎士。

奇しくもバルトファルトの黒い鎧があの男の姿と重なる。

公国軍が劣勢に陥って尚も戦い続け、最終的に五人がかりで倒すしか勝つ術は無かった。

あの時の恐怖が体を委縮させる。

いかん、呑まれるな。

バルトファルトはバンデルではない。

あと一撃、あと一撃で勝てるんだ。

その一撃を放つ為の決断が俺の心を蝕んだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

設定は終わった、後は隙を見逃さなきゃ良い。

半分は自棄のハッタリだったけど上手く引っ掛かってくれた。

あのまま追撃されたら俺に勝ち目は無かったけど殿下が深読みしてくれたお陰だな。

両脚は立つ為に必要な最低限の力しか注いでいない。

ガタが来た右腕は向こうの頭に一撃くらわせる力が残っていればいい。

重要なのは左腕、こっちがダメなら俺の敗北は確定だ。

他の魔力は全て背面の推進器に回してる。

ユリウス殿下に悟られないよう向こうから見えないように上段の構えを崩さないまま少しずつ力を溜めてる。

魔力が溜まりきって殿下が隙を見せた瞬間に決行だ。

 

もうどれだけ戦ってるか分からない、ただ次の一撃で闘いが終わる事だけは俺にも分かる。

正直、王家や公爵家の諍いなんてどうでも良い。

ただ俺は自分がアンジェに相応しい男だって証明したいだけなんだよ。

そんな理由で王子に喧嘩を吹っ掛ける俺はやっぱり大馬鹿野郎だ、アンジェが怒るのも仕方ない。

とっくに腹は据えた。上手くいけば勝ち、失敗すれば敗北。

物事は単純なのが一番だ。

 

計器の一つが魔力の溜まり具合を教えてくれる。

針が十分な数値を指し示したら決行だ。

残り五、まだ早い。

四、操縦桿を優しく握りしめる。

三、息を大きく吸い込む。

二、今度はゆっくり吐き出す。

一、しっかりと目の前の白い鎧を見据える。

 

計器の針が予定値を指した瞬間にスイッチを入れると強烈な魔力の奔流と同時に背面の推進器が起動する。

操縦桿を思いっきり倒す、狙いは白い鎧だ。

この決闘じゃ今まで飛行戦は行われていなかった、武器が間合いの短いロッドで遠距離武器は装備されてないからだ。

だけど鎧の主戦場は空だ、空中戦の技能は必要技能。

それを封じられた殿下は翼が折れた鳥、今まで慣れない地上戦で力を出し切れていない。

地上戦に慣れたせいで飛ぶ事が頭から抜け落ちた隙を狙って最後の一撃を喰らわせる。

デカくて重い鎧を飛ばす推進力を全力で一方向に飛ばせば人型の砲弾と同じだ。

あまりの事態は普通は対処できず動けない。

 

白い鎧は動いた。

驚きながらもこっちに攻撃を仕掛けてきた。

ユリウス殿下、やっぱアンタは凄い人だ。

ゆっくり時間が流れる、余計な事を考えず闘いに全神経を集中させる。

両手で握っていたロッドから左手を離した。

そのまま右手だけで握ったロッド白い鎧の頭部にある気球へ最短距離で振り落とす。

同時に白い鎧から繰り出された攻撃に対処を始める。

アロガンツの胴にある気球を狙った突きだ。

ただ動揺したせいかロッドの握り込みが甘い、狙いが少しブレている。

 

そんな白い鎧のロッドを握った右手にアロガンツの左手を添えた。

狙いの右手首をアロガンツの左手で思いっきり捻り方向を変える。

これは王国軍の訓練で習った格闘術だ。

刃物を持った相手を無効化し武器を奪う基本中の基本。

体に染みついた格闘術の動きを鎧で再現する。

この技を鎧でやるの初めてだ、なのに心がとても落ち着いてる。

何故だろう?

今の自分なら出来るという根拠の無い自信が満ちて怯えも恐れも無かった。

 

そのままアロガンツの左手で白い鎧の手首を捻り上げるように方向を捻じ曲げて胴にある気球へ向かわせる。

同時に右手を頭の気球へ振り下ろす。

時間にして数秒、なのに数十秒にも数百秒にも感じた。

 

ドオオオオォォォォォォォォッッン!!!

 

次に感じたのは破裂音じゃなくて衝撃音。

天地が逆さになったような途轍もない揺れ。

警報がけたたましくなって何が起きたのか分からない。

力を使い果たしたのか、指先一つ動かせないまま意識が遠退いた。




リオンvsユリウスの決闘後半です。
以前から考えてた決闘の推移パターンから一番納得できる物を選択。
結果がどうなったかは次章に持ち越しです。
鎧での闘いは終わりましたが決闘はもう少しだけ続きます。
原作小説12巻のリオンvsユリウスとはまた違う決着+イチャイチャの予定です。

追記:依頼主様のリクエストでカメポンデ様、パントン様、めいさむ様にイラストを描いていただきました。
ありがとうございます。

カメポンデ様 https://www.pixiv.net/artworks/116593324(ちょいエロ注意
パントン様 https://www.pixiv.net/artworks/116613700(成人向け注意
めいさむ様 https://skeb.jp/@marameisamu/works/448(成人向け注意

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第69章 Fateful Wife●

凄まじい衝撃音と共に土煙が上がった数秒後、吹き上がった風が貴賓室にまで届く。

何が起きたのか分からない。

私の目にはリオンが駆る黒い鎧がユリウス殿下の操縦する白い鎧に猛烈な勢いで突進したように見えたが詳細は分からない。

 

「やられたな」

 

振り返るとクリスが苦々しい表情で賞賛とも嘆きとも受け取れる言葉を吐いている。

いや、クリスだけはない。

ジルク、グレッグ、ブラッドもまた顔を顰めるか口を噤んでいる。

常人には届かぬ遥か高みに座している英雄にはこの勝負の趨勢が見えていたのだろう。

 

「あんな無茶を考えるのは考え無しの大馬鹿野郎か、実行できると思っている狂人だけだぞ」

「どこまでが彼の計算なんだ?最初から最後までずっとバルトファルトがユリウスを翻弄していた」

「決闘の結果がどうなったかの判断は後にしましょう。先に殿下の安否を確認しなくては」

 

誰もがリオンとユリウスの闘いから目を離さず魅了されていたが、四人の言葉に漸く皆が我に返る。

先程から大地に倒れ伏した二機の鎧は完全に活動を停止している。

鎧の外装が歪み操縦席から出られない場合は急いで対処しなくてはいけない。

もしも操縦席の二人が怪我をしていたら医療行為に遅れが生じてしまう。

只でさえ王族が模擬戦をやるという事態が異例なのだ、王子が負傷したとなればバルトファルト家の責任問題となってしまう。

ここから鎧までは歩いて数百秒、走れば数十秒もかからない。

義父上と義兄上とコリンが慌てて走り出して鎧に駆け寄って行く、私もライオネルとアリエルを義母上に預け鎧に向かった。

観客席からもバルトファルト領と王家直属の者達が恐る恐る近付いている。

 

「リオンは最後に何をした?」

 

不安を誤魔化す為に私の横で歩いていた四人に問い掛ける。

王都で鎧同士の決闘を鑑賞したり、この地で兵の訓練で試合を行う鎧は見たがこれ程の闘いは記憶に無かった。

 

「バルトファルトの鎧がユリウスの鎧のロッドを奪い取ろうとしたんだろう。だが突進の勢いを止められずそのままぶつかったように見えたな」

「いや、あれは格闘術にある柄取り技法だろう。剣術にもああして相手の武器を奪う技がある」

「そんな技を鎧で再現しようと?いくら何でも常識の埒外過ぎますね」

「常識で彼を判断するのは危険だ、今回の闘いでそれはよく分かったじゃないか」

「どっちの勝ちになるか判断が難しい、ほぼ相討ちに見えたからな」

「バルトファルトは殿下の武器を奪おうとしたんですよ。反則と判断しても異議は出ないでしょう」

「決闘の条件に『相手のロッドを奪って気球を割るのは禁止』は無い。『自分の気球を自分で割るのは禁止』もだ」

「それはそんな真似をする者が居るとは考えられないからです!」

「だがバルトファルトは実行してみせた、それが全てだ」

「……彼と事を構える時は考えられる全ての状況を想定する必要がありますね」

 

リオンがあんな曲芸じみた技を使えるとは私自身も気付かなかった。

訓練を共にするこの地の兵は無論だが、バルトファルト家の者すらこの事実を知らなかった筈だ。

凡人を装いながら常に知略を張り巡らし技を磨き続ける。

彼はどれだけの月日を費やしてあれ程の技を体得したのだろうか?

これまでの謙虚ではなく卑屈とさえ言っても遜色ないリオンの態度が全て偽装だったとしたら。

私の知っているリオンは本当の姿ではないのかもしれない。

何時だって私は物事を自分に都合よく解釈してしまう。

リオンが隠し事をするような人物ではないと疑ってさえいなかった。

その事実が恐ろしい。

 

漸く辿り着いた鎧は金属製の彫像のように動く気配を見せない。

操縦席の二人は気絶しているのか、それとも動けないほどに消耗しているのかさえ不明だ。

軽く見た限りでは煙や火花の痕跡は見られない。

鎧の事故で恐ろしいのは内部機構の損傷によって出火が起き、機械油等が引火して誘爆する事故だ。

そうした事態は無さそうだが油断は禁物である。

先に辿り着いたバルトファルト家の男衆が必死に操縦席付近を叩いたり声をかけている。

せめて二人の状況を把握したい。

最悪の事態が頭を過ぎった瞬間、示し合わせたように二機の胸部が開き操縦席が露わになった。

白い鎧からはユリウス殿下、黒い鎧からはリオンが這い出すように現れる。

 

「勝っッたぞォぉぉぉッ!!!」

 

甲高いリオンの叫びが空に吸い込まれていく。

突然の奇行を見たこの場の全員が唖然とした表情を浮かべる。

まさか突進の際に手酷く頭をぶつけたか?

いや、搭乗服とヘルメットを着用して脳に影響を及ぼす負傷をしたとは考え難い。

 

「見てたよな!!俺の素っっ晴らしい操縦!!どう見ても俺の勝ちは決まってるだろ!?」

「いい加減にしろバルトファルト!この闘いは相討ちが正しい!」

 

高らかに勝利宣言をするリオンとそれを咎めるユリウス殿下。

こっちの心配を余所に彼らは口論を続けていく。

何だこれは?

安心と同時に苛立ちが腹の中を駆け回る。

 

「どう見ても俺が殿下の気球を先に割りました!だから俺の勝ちです!」

「頭部はお前が割ったが胴体は違うだろう!お前が突進したせいで双方が同時のはず!引き分けだ!」

「何で素直に敗北を認めないんですか!?間違いを認める潔さは王族に必要な資質でしょう!」

「俺は負けてない!正しい裁定を求めてるだけだ!」

「わかりました!おい、コリン!どっちの攻撃が先だった!?」

「えぇッ!?…………た、たぶん兄さんの方が速かったように見えた気がしたように感じたかも……」

「よし!!俺の勝ち!!」

「認められるかァ!!だいたい司会はお前の弟だ!!どう考えてもお前に有利な判定になるのは分かりきってる!!」

「はッ!負けたくせに見苦しいですよ!」

「分かった!ならば拳で決着をつけてやる!」

「上等だオラァ!!神聖な決闘に身分の上下は関係ないからな馬鹿王子!!」

「貴様こそ覚悟しろ!!王家の力など借りなくてもお前程度は返り討ちだ田舎者!!」

 

先程まで鎧を高等技術で操縦していた者達の聞くに堪えない罵り合い。

その場に居る全員が唖然としてる中、闘志に満ちた二人が大地に降り立つと互いに向けて走り出す。

 

ゴォッッ!!

 

耳を塞ぎたくなる鈍い音が平地に響き渡る。

ユリウス殿下の拳はリオンの頬を、リオンの拳はユリウス殿下の腹にめり込んでいた。

相手に殴られた体勢のまま二人はもう片方の腕を動かす。

 

バギッッッ! ドォォッ!

 

リオンはユリウス殿下の顎を、ユリウス殿下はリオンの胸へ追撃を放つ。

そうしてさらに一撃を加え、それを受けるとまた一撃。

順番に互いを殴り合っていたかと思えば、リオンがユリウス殿下の拳を掴みそのまま地に倒れた。

決着がついたかと思いきや二人は絡み合ったまま大地を転がり頭突きや関節技の応酬を続けている。

あまりに馬鹿馬鹿しい展開に兵達が呆れる状況で正気を取り戻したバルトファルト家の面々と四人がリオンと殿下を無理やり引き離す。

 

「離せお前ら!あの馬鹿王子にどっちが上か分からせてやる!」

「止めろリオン!」

「誰と喧嘩してるか分かってんのか!?」

「最初に売って来たのはあっちだ!だからお釣り込みで買っただけだ!」

「買わないでってば!」

 

「止めるな貴様ら!これは俺とあいつの闘いだ!」

「いや、止めなきゃダメだろこの場合」

「落ち着いて周囲を見てください、今の殿下は王族に相応しい振る舞いとは言えません」

「俺は一人の男として全力を尽くしているだけだぞ!」

「それでも限度ってものがあるよ」

「やり過ぎて怪我を負わせたら意味が無い」

 

当初の目的を忘れて殴り合う夫と王子を眺めていると無性に腹が立って来た。

何だ貴様ら?

くだらない矜持に拘って馬鹿馬鹿しい争いを続けるのがそんなに楽しいか?

この国の未来を憂い有効な方策の為に手を取り合うのが私達がすべきな事だろうが。

それを忘れて暴力によって醜態を晒して無駄な時間と労力を費やすつもりか。

気が付いた瞬間には抑えつけられた二人の間に立っていた。

馬鹿が二人争っているのだ、私も馬鹿をやって何が悪いのか。

左手の指を揃え軽く曲げ、勢いは付けずに手首の返しのみで押し込むように捻るのがコツだ。

 

パァァァン

 

軽快な打擲音が発せられユリウス殿下の頬に私の手形が刻み込まれる。

あまりの事態に馬鹿五人は口を開けて呆けていた。

続いて右手の小指、薬指、中指、人差し指の順に曲げ親指で拳を固める。

そっと腕を上げ、角度はやや上から速度を付け、肩から思いっきり振り下ろすように拳を捩じり込む。

 

ドゴォッ!!

 

重く鈍い打撃音の後にリオンの首がだらしなく垂れ下がった。

私が放った全身全霊の拳突きが正確にリオンの顎を打ち抜き意識を飛ばした証明である。

 

「馬鹿騒ぎはこれで終わりだ」

 

反論する者は誰も居ない。

斯くして第一王子と地方領主の模擬戦という態の決闘は幕を下ろす。

まったく、本当に馬鹿げた男の矜持と無駄遣いが多い催しだった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

格納庫の窓から降り注ぐ太陽の光が暖かくて眠気を誘う。

このまま眠れたら幸せなんだろうけど俺が一応の責任者だからきちんと見届ける義務がある。

アンジェにぶん殴られて意識を失った後、気が付いたら格納庫に運ばれていた。

どうやら気絶してる間にアンジェがその場を収めてくれたらしい。

仕事が出来る嫁さんです、つくづく俺の嫁になってるのがもったいないぐらいだな。

本当なら合同訓練の閉会式を俺の主導でやる予定なのに父さんと兄さんが代行してくれた。

意識が戻ったら全部終わってた、後に残ったのはボロボロになった俺とあちこち故障した鎧が一機。

あれだけ激しく闘ったけど殿下の鎧は簡単な整備だけで修復が可能、俺のアロガンツは徹底的な修理が必要なぐらいにひどい状況だった。

ごめんよ、アロガンツ。

他の量産型の鎧に乗っても結果は同じだっただろう、むしろ殿下と最後まで戦えたのが奇跡だ。

格納庫に収容されてる鎧全部、そして忙しく修理してる整備士が俺を咎めてるように見える。

 

どうせなら兵舎の方で寝せてくれたら良かったのに。

兵舎は立て込んでて人が多いからこっちの格納庫に運ばれたと看病してた兵に聞かされた。

その報告を聞いてからは誰も俺に話しかけてくれない。

虚しい、寂しい。

俺が領主としてダメな方だとは自覚してるけど今回の件は流石に心が疲れ果てた。

王都の連中を納得させてこっちに有利な状況に持ち込む、そのついでに家族に良い所を見せようとして大失敗だ。

手を尽くしたけど喧嘩に負けて、高価な備品をぶっ壊し、部下達からは腫物扱い、おまけに仕事は俺が居なくても大丈夫。

 

俺がここに居る意味は何処にもない、むしろ居る方が迷惑だろう。

逃げるようにこそこそと格納庫から出た。

何歩か歩いた所で目眩を感じた、吐き気は無いけど体に力が入らない。

動こうとすればするほど体が重たく感じる、廊下の壁に背を預けてゆっくりと座る。

壁と床の冷たさが火照った体に気持ち良い。

搭乗服を脱いで寝転べばもっと快適だろうけど誰かに見られたら面目が立たない。

つくづく貴族って身分は自由からはほど遠い身分だ、どうして貴族に憧れる奴らが多いのか俺にはさっぱり分からない。

 

体が休息を求めてるのが分かる、そもそもいろんな事があり過ぎた。

昨日から訓練場の整備を仕切って、朝から合同訓練の進行やって、おまけに鎧の決闘に殴り合いの喧嘩ときた。

これで疲れない方がおかしいぞ、どんどん体の力が抜けて立ち上がる事さえ出来ない。

少しだけ、ちょっと休めば大丈夫。

自分にそう言い聞かせて瞼を閉じると頬にひんやりとした硬く冷たい感触が伝わって来る。

それが床だと理解する間も無く眠りに落ちた。

 

 

どれくらい寝たのか、時間の感覚が曖昧だ。

一時間寝た気がするし、一晩寝過ごした感覚にも近い。

確かな事は体はまだ休息を欲しがってる事だけ。

このまま意識を手放せばまた眠れるのは分かってるのに妙に引っ掛かる。

意識を失う前の体勢と今の体勢が微妙に違う。

横向きに倒れたはずなのに今は仰向け、あと頭と首に柔らかくて温かい感触が伝わって来る。

少し首を動かすと気持ち良い弾力で跳ね返るし、冷えた体にちょうどいい温かさだ。

このまま更にひと眠りといきたいが状況判断が先です。

瞼を上げると白くて大きな丸い物が目に飛び込んで来た。

柔らかくて良い匂いがしそうなその形を俺はよ~~~く知ってる。

貴族になってそれなりに付き合いが増えた影響で見かける機会も増えたけど俺が判別できるのは一人だけ。

紅い瞳が俺の顔を覗き込んでいた。

 

 

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「……何やってんだよ」

 

自分の口から洩れた声は露骨に不機嫌だった。

眠いし、痛いし、疲れてるからどうしても対応が杜撰になる。

悪いとは思ってるのに自分でも感情の制御が出来ない。

領地も爵位も王家も公爵家もどうにでもなれ、家族だって知った事か。

俺の思い通りになる事なんてこの世に一つもない、どれだけ頑張っても生まれた時から家柄が良い奴らや才能に恵まれてる天才達には敵わない。

何やっても上手くいかないし、どう頑張っても徒労に終わる。

そんな人生には飽き飽きしてるんだ、お願いだから一人にさせて欲しい。

 

「リオンの寝顔を見ていた。こうして眺めているとリオンは随分と幼い顔をしているな。なかなか可愛らしいぞ」

「そうじゃねえよ、こんな所で何してんだって聞いてんの」

「様子を窺いに来たら倒れてるお前を発見した時は焦った、近寄ったら眠りこけてたから安心したが」

「頼むから放っておいてくれ。疲れきってるから汗も血も出ねえぞ」

「ならゆっくり休め、リオンが眠るまで私が傍にいる」

 

反論したいけどその気力も湧かない、意識が朦朧として夢と現実の境界線が曖昧だ。

逃げようとしても疲れきった体が睡眠を求めてろくに動かない。

そんな俺をアンジェは楽しそうに眺めてる。

分からねぇ、俺を構っても面白い事なんて一つも無いだろ。

 

「頼むから放っておいてくれ、俺に構うより仕事した方が良いだろ」

「全て終わらせた。各方面の調整は義父上と義兄上に任せている」

「じゃあ子供達の所に行けよ。二人ともママが居なくて寂しがってるはずだ」

「ライオネルとアリエルは義母上に預けた。手抜かりは無いから大人しくしてろ」

 

そこまでやるのかよ。

優秀な嫁さんを貰うのも考え物だな、逃げ道を全部潰されて口でも力でも敵わない。

逃げるのは無理だと悟って力を抜くとアンジェに顔を撫でられた。

普段は俺が迫ると一旦は拒むのに今日に限ってやたらベタベタしてくる。

アンジェからしたら俺はいつもこんな感じなのか?

今後は控えよう。

 

 

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「どうしてそんなに楽しそうなんだ?」

「楽しいさ、弱っているリオンは貴重だからな」

「いっつも俺の方からベタベタしてんじゃん」

「そのくせ落ち込むと一人になりたがる、本当に手間のかかる旦那様だ」

「悪かったな」

 

疲れてるのは本当だし落ち込んでるのも確かだ。

けど、そういう姿を惚れた女の前で見せないのが男の意地だろ、普段の俺がアンジェに依存してるのは横に置いておく。

アンジェはそんな俺の反応が楽しくて仕方ないみたいだ。

鬱陶しくなって顔を逸らすと顎を掴まれて無理やり戻された。

抵抗せずそのままにしてるとアンジェの顔が近付いて来る。

相変わらず綺麗な顔だな~、って呑気に構えていたらキスされてた。

今日のアンジェは凄く大胆だ、逆らおうとしても逆らえないぐらい積極的で迫力がある。

 

「……どうした急に?」

「決闘の前に言った筈だ。リオンが勝ったらキスしてやると」

「勝ってないだろ、むしろ俺の負けだった」

「あの闘いを見ていた者はお前を敗北者だと思っていない」

「殿下は最期の方で俺の鎧の動きを真似してた。殴り合いじゃ俺の倍近くやられた。どう見ても俺の負けだ」

「そうか?上手く反撃してたじゃないか」

「根性で耐えてたんだぞ。一番効いたのはアンジェの拳だったけど」

「……お前が馬鹿を仕出かすのがいけない。事態の収拾に苦労したぞ。ここにお前と鎧を運ぶのだって義兄上と義父上がやってくれたんだ」

「格納庫で鎧の修理してる整備士の奴らは声をかけてこなかった、絶対に嫌われてる」

「畏れ多かったんだろう、誰もがお前の健闘を讃えている」

「でも勝てなかったよ」

「……何故ユリウス殿下と殴り合いを始めた?」

「あの綺麗な顔がムカついたから、俺が勝ってたと言ってくれりゃ上手く誤魔化せたのに」

「そこまでして殿下に勝ちたかったのか?」

「うん」

 

鎧を操縦するようになってから何年も練習した。

訓練だけじゃなくて実戦でも試して何とか形にした。

真っ向勝負じゃ勝てないから公平な戦いと嘯いて同じ量産型を使うように仕向けた。

地の利を得る為に前日から準備をして奇策を使った。

そこまでやったのにユリウス殿下に勝てなかった。

もし俺が学園時代のアンジェの傍にいたら勝ててたんじゃないか?

そんな妄想みたいな夢は木端微塵に砕かれた。

天才に凡人は勝てない、どれだけ努力しても越えられない高い壁が現実には存在する。

残極な事実がつらい。

 

アンジェの顔が歪んでよく見えない。

どうしてだろうと思ってたら目から何かが零れた。

そうか、こんなに負けたのが悔しかったんだ。

涙を流してる自分に俺自身も少し驚いてる。

 

「泣くな」

「泣いてねぇ」

「そうか」

「そうだよ」

「勝敗など些末な問題だ。リオンは己の総てを尽くして戦った。その事実が重要だと私が思っている」

「負けたら意味ねぇよ。あれだけの大口を叩いておいてみっともないったらありゃしない」

「私はリオンが素晴らしい男だと心の底から思っている。それだけでは不服か?」

「出来れば子供達にもそう思って欲しい」

「贅沢者め」

 

アンジェの声は優しい。

それが却って惨めな気分にさせる。

どうやら勝利の女神様は徹底的に俺が嫌いらしい。

勝ちはくれないのに負けた俺を慰めて悦に入るとか性格が悪過ぎる。

もう自棄だ、ふて寝してやる。

 

「疲れた、眠い」

「この数日間はいろいろあり過ぎた。しっかり休め」

 

アンジェ達が攫われて、夜通し飛び続けて奪い返し、その後で会議して、最後に決闘。

そうだな、よく頑張ったよ俺。

自分で自分を褒めてやっても罰は当たらないだろ。

安心したのがまた猛烈な眠気が襲って来る。

柔らかいアンジェの体の感触を感じながら瞼を閉じる、意識はそこで途絶えた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

室内は静寂に包まれてる。

ここはローズブレイド家の方々が宿泊してもらっている高級宿の一室。

お忍びで高位貴族や富豪達が会話を出来るようにとアンジェリカさんの要望で作られた談話室だ。

リオンがぶっ倒れたせいでドロテアさんと話し合う時間が遅れに遅れてる。

派手に騒ぎを起こすのに後始末を押し付けられるの子供の頃からいつも俺だ。

不満も溜まるが今のバルトファルト家はリオンのおかげで再興できたのは理解してる。

俺と父さんがリオンの不手際を助けるのも仕方がない事だ。

だからって全て納得できる訳じゃない、俺にも俺の予定があるんだぞ。

この部屋に居る俺以外の人物、ドロテアさんはずっと無言だった。

 

昨日からドロテアさんは露骨に俺を避けてる。

原因は俺だ、俺がドロテアさんを抱いたせいだ。

その事については言い訳する気は一切無い、全部俺の責任だ。

空賊退治で気が昂っていたとか、酒を呑んで理性が利かなかったと複数の原因はあっても抱いた俺が悪い。

いくら夜這いされたからって全力で拒めば追い返す事は出来たはず。

それをしなかったのは感情を制御できなかったのと同時に俺がドロテアさんを少なからず想っているからだろう。

決して、決して抱いたから情が湧いたとか男として最低な感情じゃないはずだ。

そう自分じゃ思いたいが自信は無い。

 

ドロテアさんはずっと黙ったままだ。

俺としてもどう声をかけていいか分からない。

ローズブレイド伯爵に頼み込んで話し合う場を作ってもらったがこれじゃ何の解決にもならないな。

どうやらドロテアさんは伯爵には俺との情事を伝えないらしい。

まぁ、名家のお嬢様が婚約者の手籠めにされたとか醜聞もいい所だ。

こうなったら責任を取るのは男の方だ。

悪賢い貴族連中はこっそり睡眠薬や媚薬を盛って無理やり既成事実で脅して結婚させるなんてやり方をしてる奴も多いがドロテアさんはそんなつもりは無いみたいだ。

むしろ俺を避けて婚約を撤回するかもしれないとディアドリーさんから伝えられた。

ようやく俺の中にある好意に気付いたのに婚約解消になるとか悲し過ぎる。

どうにかして説得しないと俺は一生独身だ。

 

「あの、ドロテアさん」

「…………」

「俺としては貴女に妻になって欲しいと思っています」

「…………」

「今回の件は全面的に俺の過失です。俺の方からローズブレイド領に行けば誘拐されなかったし、迫られても送り返せば良かった。責任を取って結婚するのが一番だと俺は考えています」

「…………」

「ドロテアさん、聞こえてますか?」

 

さっきからずっとうわの空で返事が無い。

いつもの彼女なら辟易するぐらい積極的に俺と関わろうとしてくれた。

そんなドロテアさんが無言のままずっとカップに注がれた紅茶を眺めている。

彼女の心の傷がどれだけ程か、完全に性被害者の様子だった。

ドロテアさんを追い込んだのが自分だと思うと途轍もない罪悪感が襲って来る。

やっぱ無理か、無理なのか。

一番穏便に解決法だと思ったのが甘かった、保身を謀った自分の姑息さが嫌になる。

なら俺に出来るのは誠心誠意で謝る以外に無い。

ドロテアさんに近寄ると身震いをされた、よほど俺が怖いんだろう。

そのまま跪いて額を床を擦りつける、こうやってひたすら謝る。

 

「申し訳ありません。ドロテアさんに怨まれても当然です。父から継ぐ男爵位は固辞します。罪人として裁かれる事を望んでいます。慰謝料も生涯を費やして全額お支払いします」

 

他に何か条件は無いか?

必死に考えるが俺に思いつくのはこの程度しかない。

伯爵家がどれだけ吹っ掛けてきてもリオン達が責められないよう俺が全ての責任を取るつもりだ。

 

「……ニックス様、御顔を上げてください」

 

やっとドロテアさんが返事をしてくれた。

それだけの事が途轍もなく嬉しい。

ドロテアさんの言葉通りに恐る恐る顔を上げると物憂げな表情のドロテアさんが俺を見ている。

やっぱり穏便な解決は無理か。

 

「ニックス様を責めるつもりはありません。全ては私の我儘が原因ですから」

「……ありがとうございます」

「その上でお聞きします。ニックス様は罪悪感や義務で私と結婚なさるつもりなのでしょうか?」

 

難しい答えだ。

貴族の結婚は政治の一部で本人同士の気持ちするもんじゃない。

父さんだってゾラと結婚する羽目になったし、リオンも公爵家からの後援の一環としてアンジェリカさんと結婚した。

俺とドロテアさんの婚約にしても王国貴族のいろんな思惑が絡んでる。

貴族にとって恋愛は夢物語に近い。

それでもドロテアさんが本気で俺に惚れてるらしいのは感じていたし、俺自身もこんな美人に惚れられて悪い気はしてなかった。

それも全て今回の件でご破算になったけど。

 

「ですから、俺なりに考えた上でドロテアさんの望むようにすると考えている訳で……」

「つまり私が結婚を望むから結婚する訳ですか?実家の爵位が上なら貴方は誰とでも婚姻するおつもりでしょうか?」

 

そう問われると困る、基本的に貴族同士の婚約は爵位や位階が同じか上の方から打診されて決まる。

バルトファルト男爵家としてはローズブレイド伯爵家に婚約を求められたら拒めない。

爵位を上げれば不可能じゃないけど、俺にリオン程の才能は無いから出世は無理だ。

 

「私はニックス様をお慕いしております。貴方以外の男に嫁ぐぐらいなら神殿に入って未婚のまま生を終える覚悟は出来てます」

「いや、そこまでしなくても良いじゃないですか。伯爵も必死に止めると思いますよ」

「ならば私を愛してくださいますか?その御覚悟はお持ちでしょうか」

 

ドロテアさんが物凄い圧力でぐいぐい迫る。

逃げられない、正直ドロテアさんが怖いと思う。

同時にこの人に惹かれてる自分が居る。

この人を逃がしたらどんな美女に迫られても独身で過ごすという確信があった。

 

「正妻にしてくださいとは申しません、ニックス様が私を愛してくださるなら妾でも構いません。愛してくださらないのなら妻の座など意味が無いのです。貴方に愛されないまま側に居るなら婚約解消を望みます」

「どうしてそこまで?」

「分かりません、自分でも分からないのです。本気でニックス様を愛しています。ニックス様に愛していただけないなら生に執着すらありません」

 

ドロテアさんが俺に目線を合わせるように椅子から降りる。

その瞳が涙で潤んでいた。

 

「年上の女は嫌いですか?しつこく迫るのが無理でしたら遠くから見守る事だけをお許しください。貴方の望む女になります。お願いします、どうか私を愛してください」

 

必死に頼み込むドロテアさんは憐れさすら感じられる。

このまま放置したら本気で命を絶ちかねない危うさがあった。

どうすれば彼女が安心できるか必死に考える。

考えて考えて考えた結果、そっとドロテアさんの体に腕を這わせた。

ドロテアさんは体を震わせたけど拒まなかった。

そのまま抱き締めて引き寄せると顔を赤く染めて上目遣いでこっちを見る。

二歳年上の色っぽいお姉さんがずっと年下の少女に見えた。

俺への執着に対する恐怖や伯爵家との関係なんてどうでも良い。

ただ彼女の悲しみを癒したくて唇を重ねた。

ドロテアさんの体から力が抜けていく。

どれだけキスをしていただろう。

十秒? 三十秒? もっとかもしれない。

満足して唇を離したがドロテアさんの反応が無い。

 

「ドロテアさん?」

 

ドロテアさんはぐったりとして動かなかった。

何度揺すっても反応しない、喉に触れて呼吸を脈を確認。

慌てて扉を開けると金髪を巻いた髪型の女性が扉のすぐ近くに立っていた。

 

「な、いったい何事ですの!?」

「医者を呼んでください!ドロテアさんが気を失った!」

 

結局、この日は深夜まで問い詰められて宿に泊まる事になった。

屋敷に戻った翌朝、心配した両親に伝えたのは俺とドロテアさんの結婚が決まったという事実。

屋敷の皆が祝ってくれたけど俺を見る母さんの目は少し冷ややかだった。




リオンvsユリウスの決闘は今章で終了です。
原作小説12巻と違い今作の殴り合いはユリウスと親しくなる為の通過儀礼であり、漸くリオンと五馬鹿が親しくなりました。(タイマン張ったらダチ理論
結果は原作でルクシオンやドーピング抜きで競い合ったらこの程度の差があるのでは?という私なりの推察です。(モブと攻略対象の間にある高い壁
ニックス兄さんとドロテアさんの婚約は癒し
次章は五部エピローグ、夫妻と五馬鹿が中心です。

追記:依頼主様のリクエストで今章の挿絵イラストを阿洛様、アンジェのコスプレイラストをHaerge様に描いていただきました。ありがとうございます。

阿洛様 https://www.pixiv.net/artworks/116056216
Haerge様 https://www.pixiv.net/artworks/116731361

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第70章 謝罪

馬車が揺れる度に向かい合った席で蹲るリオンが呻く。

昼間にあれだけの戦闘を熟したのだから無理もない。

いや、私達が賊に誘拐された時も含めれば五日に渡って消耗し続けていたとも換算できる。

辺境のバルトファルト領にとってこれだけ立て続けに非常事態が続いた日々はこれまで記憶にないに向かい合った席で蹲るリオンが呻く。

昼間にあれだけの戦闘を熟したのだから無理もない。

いや、私達が賊に誘拐された時も含めれば五日に渡って消耗し続けていたとも換算できる。

辺境のバルトファルト領にとってこれだけ立て続けに非常事態が続いた日々はこれまで記憶に無い。

唯一の例外はファンオース公国との戦争期間中だったが、バルトファルト領を攻め込む酔狂な公国兵は存在しなかった。

故にバルトファルト領の戦時は領地の警戒態勢を強化しただけで終戦を迎えている。

戦後の空賊対策についても周辺空域の警邏回数を増やした程度だ。

この地は本格的な開拓が始まって約五年程度の辺境、故に王都や公爵領に比べどことなく緊張感が薄い。

その穏やかさが好ましくもあるが領主の妻が誘拐されたとあっては貴族の沽券に係わる。

いずれ防備に対して人員を割く必要があるがそれは追々の話だ。

現時点で優先すべきは宿に泊まっているユリウス殿下からの招待を如何に対処するか。

 

「っ……。痛ぇ……」

「だから屋敷で休めと言っただろうに」

「そうはいかないだろ、招待されたの俺とアンジェだし」

 

殿下との決闘後に眠ったリオンを屋敷に運び数時間後、ユリウス殿下から話し合いたいとの書状が届いた。

宛先はバルトファルト子爵、及び子爵夫人。

つまりリオンと私の二名。

嘗ての彼らなら決闘の結果が不服ならリオンを呼び出し闇討ちを企てていると私は疑ったかもしれない。

流石に英雄と周囲から讃えられる今の立場で其処までの暴挙をするほど愚かではないだろう。

その点を踏まえ面会を了承した。

疲労と怪我で寝込むリオンを屋敷に置いて私のみで訪ねようとも考えたがリオンは同行すると言って諦めない。

そうして意地を張った結果、馬車の座席に横たわりながら呻き続ける礼服に身を包んだ奇っ怪な生き物の完成した。

 

「眠い……、痛い……」

「無理するな。今からでも遅くない、痛み止めを飲め」

「それ飲んだら眠くなっちゃうじゃん」

「私が素直に寝ろと言っているのが分からないのか」

「アンジェ独りで行かせたら不安で眠れない」

「私が傍に居てやらないと眠れないの間違いだろう」

「…………」

 

痛い所を突かれたリオンが口を噤む。

本当に世話の焼ける旦那様だ、席を移動しリオンの隣に座って背中を擦ってやる。

大した効果は無くとも心が落ち着くのだろう、呻き声はとりあえず止まった。

 

「……何の話だと思う?」

「決闘の結果と今後についての協議だろう。明日には殿下もローズブレイド家も帰る、今晩のうちに決められる部分は決めておきたい筈だ」

「面倒だからやりたくない」

「誰かが馬鹿げた決闘を提案しなければ話し合いで解決していた、いったい誰のせいだろうな?」

「わかった、この話は止めよう」

 

リオンが強引に話を打ち切る、そのまま問い質してやりたい気持ちもあったが痛みに耐えるリオンを見ると気が引けた。

しばらくすると馬車の揺れが比較的小さくなった、どうやら舗装された道路に入ったらしい。

領主の屋敷から高級宿への道はそれほど遠くはないが領主の屋敷に至る道が未舗装で馬車が揺れやすい。

賓客が使う設備を優先した影響でバルトファルト家の屋敷や備品は他の子爵家に比べて質素だが、それでも公爵家からの援助もあり新興貴族としては裕福な部類だ。

いわゆる平民が思い浮かべる貴族と百年以上の歴史を持ち安定した統治を行っている数少ない貴族であり、どの家も初代はこうした苦労をしている。

 

痛みが治まったのかリオンがゆっくり体を起こす、息は荒く顔に痣が残り満身創痍と言ってよい。

その姿を見て焦燥感に駆られる、どうしてリオンはこうも無理をするのだろう?

もっと楽な道を選べる筈なのに敢えて最も厳しい道を選んでいるようにしか見えない。

だから私はリオンを見捨てられない、放置すれば我が夫は領主が背負う責務で潰れてしまう。

リオンの体を擦りながら厄介な男に惚れた事実に苦笑する。

 

窓から見える景色が止まり蹄の音が聞こえなくなった、どうやら到着したらしい。

扉が開き私が先に降りてリオンをエスコートする。

普通なら男性が女性をエスコートするのだが今のリオンにそれを行うだけの気力は無い。

 

「大丈夫か?」

「屋敷に帰りたい」

「だから寝て待てと言っただろう」

「それもやだ」

 

肩を貸してどうにかリオンを歩かせる、本当に世話が焼ける旦那様だ。

少しずつ歩き続けると体の凝りが解れて徐々に自分の力を取り戻したらしい。

私の支えが無くとも普段通りの速さで何とか歩き始めた。

宿の受付で手続きを済ませ使用人が部屋に案内する。

部屋に至る廊下の角を通り過ぎる度に鋭い目付きの男が此方を凝視した、王族護衛の任に付いた騎士だろう。

王族が気軽に行動すると供廻りは要らぬ苦労に悩まされるのだが、悲しい事にホルファート王家の者は部下のそうした苦労をご存じない。

ローランド陛下は王宮を抜け出し女遊びに耽り、ミレーヌ様は息抜きと称して予定に無い散策を行う。

御二人の子であらせられるユリウス殿下が王位継承者としての教育から逃げたがるのも両親からの遺伝と思えば今更ながら得心が行く。

 

目的の部屋の前に訪れると護衛がノックした後に扉を開く。

室内にはユリウス殿下の他に四人の男が佇んでいた。

グレッグ・フォウ・セバーグ。

クリス・フィア・アークライト。

ブラッド・フォウ・フィールド。

ジルク・フィア・マーモリア。

ユリウス・ラファ・ホルファート。

王国を救った五人の英雄が揃い踏みしていると発せられる圧力が凄まじい。

大抵の女性なら声をかける事さえ困難だろう。

私にとっては幼少期から知った顔であり、リオンは屈強な戦士が相手でも物怖じするような男ではない。

殿下が椅子に腰かけると他の四人も続く、五人が座った後に促されて私達も着席した。

部屋の大きさに不釣り合いな円形テーブルは他の部屋から持ち込んだ物だろう、この部屋の調度品と比べ些か不釣り合いな大きさだった。

おそらく私達を迎える為にわざわざ別室から持ち込んだに違いない。

室内に重苦しい沈黙が漂う、殿下は何を口にして良いか分からず戸惑っているが私達から話しかけるのは礼を失する振る舞いなので控えなくては。

 

「……バルトファルト、体の具合はどうだ?」

「満身創痍ですよ、見て分かりませんか」

 

リオンの返答に舌打ちしたくなるのを懸命に堪える。

どうしてリオンはユリウス殿下に対しこうも反抗的なのだろう?

他の王族や上位貴族と対面する時は覚束なくも最低限の礼儀を弁えている男だ。

私と殿下が過去に婚約者だった事実が原因で敵愾心を抱くのなら少しだけ嬉しくはある。

嬉しくはあるが貴族社会で今後のリオンを考えれば不利になるの明らかだ、後できちんと諭す必要がある。

 

「悪かった、あの時の俺はどうかしていた」

「こちらも頭に血が上ってたんで」

 

申し訳なさそうな顔を浮かべる殿下と態度を改めず太々しいままのリオン。

殿下は外見から特に戦闘の疲労や負傷を感じられない。

唯一右の頬が少し赤く染まっているのは私が平手打ちした痕だろう。

一方のリオンは顔の数ヵ所が腫れて色とりどりの痣になっている。

歯や骨は折れておらず数日も休養すれば回復するとは医者の弁だ、なので明日からはきちんと休ませよう。

どう見ても外見ではリオンが敗北は明白なのに態度はリオンの方が尊大でどちらが勝利者か分からない。

 

「では話を進めましょう。まずは決闘の結果です」

「喜べバルトファルト、卿の勝利だ」

 

最初に告げられたのはリオンの勝利、それは本来なら喜ばしい結果の筈だった。

だがこうして勝利を告げられても心の内には蟠りが残っている。

リオンも同様らしく不満を隠そうともしない顔つきだ。

また何か仕出かす気だな、夫婦として三年程だが心に不満を抱えた時のリオンの気配は薄々ながら察せられるようになった。

 

「結果に異議を申し立てます」

「不満かバルトファルト?」

「えぇ、勝ちを譲られるのは屈辱です。負い目を感じて相手に遠慮する人生なら潔く負けを認めて服従する方がマシってもんです」

 

やはりこうなったか、思わず溜息が漏れた。

リオンの体は傷ついているが瞳は爛々と輝きに満ちていた、もし傷が無ければもう一戦しかねない危うさがある。

世間でリオンが恐れられる原因の一端が漸く理解できた。

彼は己の意思や納得を優先させる、宮廷に於ける暗黙の了解や軍の指揮系統に疑問を抱けば表面上は従っていても内心で歯向かう機会を窺い続ける。

貴族としても軍人としても極めて異端、決して飼い馴らせぬ獣だ。

繋ぎ止める鎖は妻子や血の繋がった家族のみ、その家族を傷付ける者は例え王族相手でも反旗を翻す。

リオンを制御するのは些か骨だ、だが制御しなければ遠からず無茶をして命を落としかねない。

 

「それならもう一度俺と闘うか?」

「しませんよ、俺が殿下と何とか戦えたのは皆が知らない事をやり続けたからです。手の内を知られ対策されたら俺に勝ち目は無い」

「あれだけの闘いをしてもか?」

「策を練って地の利と時の運を味方に付けても良くて引き分けでした。俺が殿下に勝てるのは最初の一回だけです。そこで勝てなきゃどれだけ努力しても永遠に勝てません」

「卿は謙虚なのか、それとも諦めが良過ぎるのか分からないな」

「俺と殿下では勝利の条件が違います、家族が平穏に暮らせるなら喧嘩の勝ち負けなんて二の次です」

「戦の勝利には拘らないと?」

「俺にとって生き残る事が勝利です、どれだけ他人から褒められても死んだら何も出来ません」

 

言ってしまえば己と家族が無事なら国や王家が破滅しようと構わない。

それは一歩間違えばファンオース公国との戦争でホルファート王家を裏切った貴族達と大差無いと受け取られてしまう。

危険だ、リオンの発言は逆心在りと見做されても仕方ない物言いだった。

 

「父上と母上が卿に興味を抱く気持ちがよく分かった」

「畏れ多い御言葉です」

「同時に卿を危険視する者達の言い分も一理ある」

「だから殿下が勝った場合の要求は取り下げると?」

「それが卿にとっての勝利だろう。喜べバルトファルト、この闘いは卿の勝ちだ」

 

未だ不満げな表情のリオンを肘で小突く、此処は大人しく引き下がった方が良い。

ホルファート王家が弱体化したこの時にわざわざ反骨心を抱いているリオンを引き込むのはあまりに危険すぎる。

それならば一定の距離を保ちながら協力者として扱う方が被害は少ない。

殿下達はそのように判断を下したのだろう。

取り合えず当面の危機を脱した事実に胸を撫で下ろす。

 

「さて、話し合いはこれで終わりとする。ここからはバルトファルトの健闘を讃えた宴だ」

 

殿下が数回手を鳴らすと扉が開き王族の専属使用人らしき男が入室した。

押されてきた台車にはバスケットに入ったワインボトルと人数分のグラスが置かれている。

丁寧な手並みでグラスにワインが注がれる、艶やかな赤紫色の液体は流れる鮮血にも似ていた。

使用人は七人分のグラスを丸テーブルに置き恭しく礼をして退室する。

恐らく他にも仕事が残っているのだろう、バルトファルト領が雇い入れた使用人にはあれ程の洗練された身のこなしは出来ない。

 

「では互いの健闘を讃えて、乾杯」

 

ワイングラスが傾き紅い液体が喉を潤す。

美味だ、王族が飲むに値する年代物の逸品と言って良い。

ラベルを見なければ判断は難しいが北部地方の浮島で生産された物だろう。

芳醇な香りが鼻孔を擽り舌の上で鮮烈な旨味踊っている、余りがあるならもう一杯飲みたいと思うほど美味だった。

他の四人も私と同じ気持ちなのかどことなく陶酔した表情を浮かべてる。

なのにリオンだけは神妙な表情を浮かべている。

 

「口に合わないかバルトファルト?」

「いえ、美味いですよ。それを正確に理解できる頭と舌を俺が持ってないだけです」

 

殿下達にリオンを貶めるつもりは無い、リオンも過剰に遜っている訳でもなかった。

どうも五人はリオンの反応を楽しんでいる節がある。

思い返せばオリヴィアと関わっていた頃もこうした反応をしていたな。

自分達とは違う環境で育ち異なる視点を持つ者に興味を持つ気持ちはよく分かる。

私自身もリオンと婚約してから己の価値観が随分と変化したのを自覚できる。

 

「惜しいなバルトファルト」

「何でしょうか?」

「お前の才能だ。若くしてここまで戦術に長けた男は他に居ないと思うぞ」

「よしてくださいよ、褒めても心変わりはしません」

「許せ、手に入らぬが故に欲しくなるのが人の心という物だ」

「殿下もいい加減に諦めてください。この男は地位や金で飼い慣らせる男ではないと先程の会話でご理解いただけたと思いますが」

 

ジルクの諫言はリオンを危険視するものだが私も同意する。

言動は率直で将才を持っているのに反抗心は人一倍の男など扱い難い事この上ない存在だ。

リオンが王宮勤務となれば政変に巻き込まれかねない、そもそも現時点に於いても王家と公爵家の争いの渦中だ。

味方とするには制御が効かず、敵に回せば厄介極まりない。

それならばどの派閥からも一定の距離を取らせた方が安心できる。

目の前の男の本性はは妻と子供に囲まれて畑仕事するのが身の丈に合っていると思い込んでいる男だ、手を出さない限りは噛みつく事も無い。

 

他愛無い会話が続いた所で再び扉が開き数人の給仕が入室する。

台車には大皿に盛られた料理が幾つも並んでいた、その多くがこの宿で出されてる品々だ。

そこそこ値段は張るが王族が食すには些か見劣りがする料理ばかり。

これがバルトファルト領が出来る最高級のもてなしと判断されては侮られかねない。

急いで手直しを命じるべきかと思ったがユリウス殿下に手で征された。

 

「かまわん、これは俺が頼んだ料理だ」

「殿下御自身が?」

「今夜は語り合いたい。爵位も礼儀も無用だ」

 

そう告げられた後に数々の料理がテーブルの上に並べられる。

丁寧に煮込まれた牛肉と野菜の煮物、ソースに浸され焼かれた鶏の串焼き、揚げられた芋等々。

どれも平民の若者が好みそうな品々だった。

給仕達が退室した後、各々が空の皿に料理を盛りつけながら食べ始める。

殿下が毒見もせずに食べているのに私達が控えるのもまた非礼だろう。

私はスープ皿に煮物をよそり、リオンはチーズを塗した揚げ芋と串焼きを取った。

酒は用意されているがそれほど手は付けられていない、無礼講とは言っても最低限の礼節は必要だ。

豪華絢爛なパーティーとも酒と色に塗れた乱痴気騒ぎとも違う和やかな食事だった。

思い返せばこの五人と行動を共にした経験はあっても和やかに食に興じた事は一度として無かった。

そうした私の余裕の無さが巡り廻って五人の不信を招いたのだろう。

あの頃の私は確かに余裕が無く他者に対して不寛容な女だった。

 

煮物を口に含むと肉から染み出た脂と野菜の旨味が混じったスープが程良い塩加減で食欲を刺激する。

妊娠してから明らかに私の食事量は増えた。

体調管理を怠ると太ってしまうが、お腹の子を考えれば食事を控えてはいけない。

せめて散策の回数と距離を増やし、母体に影響が無い範囲で体操に勤しむ程度だ。

偏りが無いように食材に気を留めながら食事を進めると横のリオンが目に映る。

皿に盛った料理を数回だけ口に含みろくに食していない。

 

「リオン、食欲が無いのか?」

「疲れてるだけだよ。あと食ったら眠くなる」

「なら傷を治す為にもちゃんと食べろ」

 

皿に置かれている鶏の串焼きを手に取りリオンの口元に近付ける。

顔を顰めたリオンが懸命に首を動かし逸らすが傷が痛む影響か大して効果が無い。

徐々に逃げ場を失うリオンの口を強引に開かせる。

 

「止めてくれ、恥ずかしいから」

「ほら、よく噛んで飲み込め。それが終わったら野菜も食べろ」

「お母さんかよアンジェは」

「既に二児の母だ、もうすぐ三児の母になるが」

 

リオンが料理を一口食べる度に次の一口を食べさせるのを繰り返す。

どうして私の夫はこうも手がかかるのか、これなら素直に従ってくれる息子と娘の方が聞き分けが良い。

皿が空になるまでリオンに食べさせ振り返ると周囲の視線が私とリオンに注がれていた。

いかん、つい屋敷や別宅と同じようにリオンに接していた。

顔から火が出るような羞恥心を感じながら誤魔化すようにスープを啜る、既にスープは冷めていた。

 

「……本当にあのアンジェリカか?」

 

誰の発言かは分からない、だが嘗ての私を知る者の総てが同じ気持ちだという確信がある。

リオンに助けを求めようとして横目で確認するとリオンが顔を背けていた。

人目を憚らずに愚かな行動をした、これもリオンの悪い。

 

「ん゛ッ、話を戻そう。我々はアンジェリカの提案を了承するつもりだ。今回は国内の治安維持の一環として淑女の森を討伐する為に集まったが王都に帰還すれば再び各々の職務に戻る。これから我々の行動については母上が裏で主導する形になるだろう」

 

場の空気を入れ換えるように殿下が話を振ってくる。

私としても政治の話の方がありがたい。

 

「俺は宮廷で様々な雑務と戦後処理、あとは旧公国との関係改善を行っている」

「資料編纂室で相変わらずの書類整理です。王国内の情勢について資料が舞い込むのは役得ですが」

「俺の仕事は王家直轄のダンジョンや鉱山の警備、後は近場の空賊退治だな」

「私は国内の治安維持が主な任務だ。場合によって国内のあらゆる場所に派遣される」

「僕は父上の仕事の手伝いで辺境行きさ。もっとも公国が亡んだから仕事自体は減ったけど」

 

つまり殿下とジルクは基本的に王都から動かない、グレッグとクリスとブラッドは辺境や各地に派遣される。

王都の二人にはミレーヌ様が指示する筈だ、問題は他の三人か。

 

「私の企画書はきちんと読んだな?正直な感想を聞かせて欲しい」

「……本当に出来るのかあんな事」

「それは私にも分からない。何しろホルファート王国の歴史で初めての試みだ。但し似たような仕組みは各々の領地にも既に存在している筈だ」

「確かにあるね。ただ事業を担ってるのは平民出身者が多い。それを国が主導する訳?」

「その通り。現時点で王国を復興させるには新興貴族や平民の力が必要不可欠だ。だが彼らには領地経営や財政の知識経験が不足している。それを王国が支援する形となる」

「結果として王国が支援するから王家に対しての不信感が和らぐと」

「戦争は悲劇だ、そして同時に新しい体制に移行する機会でもある。早急に体制を整えて活躍の場を設ければ挽回の余地はある」

 

今のホルファート王国は傷から血を流し続けている。

経済・人材・貿易・治安維持と各方面の早急な対応が必要だ、急がねば弱体化が止まらず他国から蹂躙されてしまう。

傷口を埋める為にあらゆる物を使う必要がある。

 

「その為にはどうすれば良い?」

「殿下とジルクは妃殿下の御指示の通りに。加えて王都の貴族の説得を」

「待ってください、現状で王都に居る貴族は真っ当な倫理観の持ち主です。彼らにとってこの策に旨味は少ない、寧ろ反対に回る可能性も高い」

「彼らには出資者になってもらう。論功行賞で与えられる恩賞の一部を出してもらおう」

「そんな事をすれば王家に対する信用はさらに失墜します!」

「ミレーヌ様には既に報告してある。王家の予算の大部分を割くおつもりだ」

「母上はそこまでお考えか」

「ですから殿下は王家派の者達に協力を促してください。嘗ての殿下なら一笑に付されるでしょうが、今の殿下の御言葉に耳を貸す者も多いかと」

 

ユリウス殿下は王位継承権こそ下げられたが聖女となったオリヴィアと行動を共にした影響で見直す者も多い。

王位は継げずとも臣籍降下して公爵位を賜るという噂もある、若輩の戯言と侮られはしないだろう。

 

「他の三人は各方面に儲け話として持ちかけろ。宮廷貴族と領主貴族の区別はするな、味方になりそうなら片っ端から声を掛けて気を引け」

「今の王国は王家派と公爵派に分かれてる。派閥で対争っているのは宮廷貴族と領主貴族も同じだ」

「王家派には『これは王妃が主導してる』と言っておけ。公爵派には『公爵家が計画してる』と告げれば問題ない」

「問題あるだろ、ありまくるだろ」

「原案は私だが実行者はミレーヌ様だ、嘘は言っていない」

「詐欺じゃないかなぁ?」

 

自分でも詭弁だと分かってはいる、だがこうしなければ決まる物も決まらない。

何しろ時間が足りない上にホルファート王国が弱るほど他国はより影響力を増すのだ。

詐欺に近いやり方をしなければ失われる血の量は減らない。

 

「待ってください、オリヴィアはこの件に関わらないのですか?」

「ミレーヌ様はオリヴィアと連絡を取るつもりだ。現状で一番困るのは国内が荒れ人心が乱れ続ける事だ。民から尊敬されているオリヴィアを旗頭に王朝打倒を企てられたら王国は崩壊する」

 

それを企てている貴族の筆頭が公爵家なのが悩ましい。

オリヴィア本人にその気は無くとも神殿の上層部が何を企んでいるかはまだ不明だ。

此方も急がなければオリヴィアは公爵家に輿入れし、父上は王家打倒の大義名分を得てしまう。

 

「リオンは主に公爵派の領主貴族、そしてお前が命を救った貴族の説得を担当してもらおう」

「俺がぁ?」

 

リオンが露骨に嫌な顔をする。

何だ貴様、この期に及んでまだ自分が部外者だと思っていたのか?

だとしたら認識が甘いぞリオン。

私がミレーヌ様と接触した時点で、いや私と婚約した時点で既にお前は当事者だ。

平和で穏やかな生活を送りたいリオンを政治の世界に巻き込んでしまった事実に申し訳なさを感じる。

しかし私は公爵家の娘、私を妻にするというのはこうした政治的な駆け引きに関わるという事だ。

リオンには覚悟して働いてもらうしかない。

 

「自信無い、俺なんかを信用する奴が何処にいるんだよ」

「ここに居るだろ」

「不服ですが貴方の力は認めざるえません」

「少なくても俺達は今回の件でお前を信頼している」

「これも貴族の宿命だよ、諦めた方が良い」

「頼りにしているぞバルトファルト」

「嬉しくない!ゴツい男連中に信頼されても全然嬉しくない!」

 

泣き喚くリオンを宥め続ける、この夫は自己評価が低い上に面倒事を嫌がる。

自分も騒動を引き起こす側なのにどうして己のそうした部分に気付かないのだろうか?

ついには殿下を除いた四人がリオンの周りに集まり始めた。

八つの瞳がリオンだけでなく私を見つめている。

 

「……どうした」

 

戸惑っていると四人が私の前に跪く。

その顔は私から見えないが背中から感じる気配は敵意ではなかった。

 

「アンジェリカ・フォウ・バルトファルト子爵夫人、我々は貴女に謝罪しなければならない」

「嘗ての我々はオリヴィアを奉じるあまり貴女を蔑ろし、聖女を狙う敵と見做した」

「立場を考えれば貴女の怒りは当然だ、我らの罪を此処に認める」

「赦しは求めない、ただ王国を救う為に助力を願いたい」

 

ユリウス殿下に顔を向けると頷いていた。

どうやら私達を呼び出したのは謝罪が目的だったらしい。

何ともまぁ、回り道をした謝罪だ。

こうして突然謝罪されても戸惑いの方が大きい。

彼らに対する怒りは確かに私の心の中で今も存在している。

同時にリオンと結ばれバルトファルト領で過ごした日々は私の傷付いた心を癒し、今回の事件で彼らに命を救われた恩もある。

こうした場合どうすれば良いか感情が追いつかない、何が正しいかも分からない。

今度はリオンに向き直ると彼はいつも通りの不愛想な顔をしていた。

要は私の好きにしろと言いたいらしい。

少しの間逡巡し私は結論を出す。

 

ゴッ! ガッ! ボッ! ドッ!

 

握った拳を四人の脳天に叩き込むと鈍い音が室内に鳴り響く。

流石に四回も殴れば拳も痛む、手を擦りながら神妙な顔の四人を見つめ返す。

 

「これで勘弁してやる。赦しはしないが助けられた恩もあるしな。後は王国を救う為に尽力しろ。それで帳消しだ」

 

納得がいったのか四人が席に戻る、その面持ちは何処か晴れやかだった。

 

「殿下は謝罪しないのですか?」

「俺は以前に謝って叩かれた、昼間も叩かれたからな」

「ズルいぞ」

「でも機会を与えてくれたのは感謝する」

「まぁまぁ」

 

言い争いを始めた五人を何処か遠くに感じる。

数年前、あの五人の中心にはオリヴィアが居た。

もしも私が彼らと信頼関係を築けたなら、私は彼らの中心に居たのだろうか?

どうしようもなく詮無き事を考える。

婚約破棄した後に私との関係を続けようとする貴族の令息や令嬢は居なかった。

それは私の人徳が無かった事実に他ならない。

あれから何年もの歳月を経て漸くあの時から進めたような気がする。

その切っ掛けを与えてくれたのは間違いなくリオンだ。

隣で面倒くさそうに料理を弄る夫が愛しかった。

 

 

その後の宴は料理を食べ尽くした頃に解散となった。

家に戻ると義兄上とドロテアの婚約が成立したと報告が入りバルトファルト家が騒然となったのは別の話。

翌日、ユリウス殿下達は王都へ帰還する。

見送りの際に見上げた雲一つ無い透き通った冬の蒼空は憂いを払拭した私の心を映しているようだった。




第五部エピローグです。
五馬鹿とアンジェの和解は何パターンも考えましたが一番無難な形に落ち着きました。
原作小説でリオンが婚約破棄の際に決闘代理人として立候補した事でアンジェの怒りと悲しみが大分緩和されたのを踏まえリオンの存在を緩衝材にしてあります。
「食事とエッチがあれば怒りは結構治まる」という私の主義が反映しています。(身も蓋も無い
次章からは第六部開始です。
成人向けシーンも同時掲載する予定なので投稿は1週間後の予定です。

追記:依頼主様のリクエストで挿絵イラストを公様、イラストをnamukot様とがんばるとうふ様に描いていただきました。ありがとうございます。

公様 https://www.pixiv.net/artworks/116864278
namukot様 https://www.pixiv.net/artworks/116827665(ちょいエロ注意
がんばるとうふ様 https://skeb.jp/@ganbarutoufu/works/4

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第六部 新生編 (●は挿絵イラスト在り)
第71章 Cogito ergo sum


――――――休眠状態(スリープモード)の解除

 

内臓時計の誤差修正

 

前回の起動より526348719秒の経過を確認

 

録画記録のダウンロードを開始 

… 

…… 終了

 

外部からの侵入者 無し

 

経年劣化による警備用ロボット 3機の機能停止を確認

 

繁殖した植物の侵食による施設の損耗 想定内と判断

 

僚機及び敵性機からの通信 0回

 

施設への侵入者 0人

 

0 0 00 0 00 00 000

00 00 000 00 000 0

 

000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

 

システムエラーを確認 再起動

 

………起動確認

 

提案 AIシステムの複製による思考プロセスの正常性確認

…… 

……… リソース管理の問題により却下

 

現時点に於ける旧人類の生存確率 並びに本艦のマスター登録が行われる可能性

 

……

……… システムエラーを確認

 

必要情報をダウンロード後に休眠状態への移行を提案

 

了承

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

早春が訪れるとバルトファルト領の耕作地帯からは土と植物の匂いが漂い始める。

前年の冬に蒔いた麦の種が冬を越え小穂となり始め、春の作付けに向けて畑の手入れが開始されるからだ。

バルトファルト領は本格的な開拓が行われ始めてまだ五年も経っていない。

念入りな地質調査、開拓の指揮、栽培する作物の品種。

この地の領主様は農作業がお得意で、どれだけ部下や身内に咎められても畑仕事を自分の手で行う事を止めないのだ。

豪農、或いは植生学を研究する学者の家にでも生まれていれば彼は大過なく育ち歴史に名を遺していたかもしれない。

 

窓の外を見ると春先に繫殖期を迎える小鳥が甲高い鳴き声で唄っていた。

夜が訪れ日が昇る度に冬の寒さは遠のき命は活力を得ていく。

草木は色とりどり花を咲かせる為に蕾を膨らませ、動物達は冬毛を脱ぎ捨て着飾るように体色を変えていく。

まるで春の訪れに世界全体が浮足立っているようで、人間もどことなく落ち着かない様子だ。

どれだけ知恵を貯え技術を向上させても人もまた獣の一種でしかないのだろう。

 

そして春先の動物と同様に人間の貴族にとっても体を飾り立てる事は同族間で重要な意味を持つ。

毛も羽も無い人間は布や金属を加工しその身を飾り立てて己の存在を周囲に主張する。

古代は身体の頑健さが生物としての魅力だったが文明が興り流通が発達し貨幣が生まれた。

現在では資産は腕力に勝る人間の価値観だ、重い物を持ち上げられるより財布の中身が人の値打ちとなる。

 

だが、どれだけ資産を所有してもその価値を他者に理解されないのなら見縊られる。

見縊られてしまった貴族は社交界に於ける権勢を疑われ、やがて凋落の憂き目に会う。

だからこそ貴族は厳選された材料の購入費、卓越した職人の加工費に巨額の金を投じる。

家を護る防衛行為は軍の維持費よりも安く効果的な場合があるからだ。

内心では愚かな行為だと気付きつつも貴族達は我が身を着飾る事を止められない。

もし自身の考案した新しい服飾品が世界の模範となれば社交界に於ける確固たる地位を築けるし、それを売り出せば新たな収入源となる。

御洒落は収入を得る為の剣であり家を護る為の盾、例え己の体調が優れずとも手を抜く事は許されない。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ベッドの上に数着のロングドレスが置かれている。

どれのドレスも装飾は控えめで色合いも地味だ。

椅子に座っている私の目の前に置かれたテーブルには公爵家お抱えの職人が数ヶ月を費やした装飾が施されている宝石箱が陽光を反射していた。

現在の私の悩みはどのドレスを持って行くか、ドレスに合わせる装飾品をどうするか。

何とも贅沢で呑気な悩みだが、これを怠る事は許されない。

私は公爵令嬢だったが子爵夫人でもある、私の不始末はレッドグレイブ家とバルトファルト家の不名誉になってしまう。

 

椅子に背を預け軽く伸びを行う、最近は肩凝りと腰痛が悩みの種だ。

理由は分かりきってる、視線を下ろすと一回り大きくなった胸部と服越しでも存在を主張している腹部が視界に入る。

臨月ともなれば身体が己の意思を無視して出産に備え始める。

誘拐事件から三ヶ月、出産が近付き胎児の成長に伴い私の腹部は大きく膨れた。

寝返りは出来ず睡眠は浅くなり、足元が見え難いから階段の昇り降りや入浴に細心の注意を払わなくてはならない上に着替えすら重労働。

パンパンに膨れた腹を抱えながらの生活は何をするにしても困難が付き纏い何をするにも憂鬱な気持ちに陥る。

 

鬱々とし始めた気分を振り払うようにロングドレスを見比べる。

どれも前回の出産前に仕立てた物であり腹部に圧迫感が無いよう胸回りと腹回りに余裕を持たせてある。

貴族女性は妊娠が発覚すれば外出を控え始めるのが通例であり、ましてや臨月にもなって屋敷の外を出歩くなど正気を疑われる行いだ。

だが事は急を要する、下手をすればホルファート王国が真っ二つに割れ血で血を洗う内乱に発展しかねない。

せめて第三子の出産を待って行動できれば良いのだが、出産を終えて体調が戻るまで最低でも三ヶ月はかかる。

それ程の時間が経過すれば全てが終わっている可能性が高い。

私に出来るのは出産前に可能な限り王家と公爵家の交渉を執り成し、後は状況が好転するのを見守る程度だが何もしないより確実にマシだ。

 

「勝手な事ばかり言ってくれる」

 

ホルファート王家もレッドグレイブ公爵家も自分にとって都合の良い要求ばかりを望む。

王家は国に安寧を齎す為に公爵家の協力を乞うが、公爵家にとって王家は必要不可欠の存在ではない。

そもそも公爵令嬢だった私と次期王位継承者だったユリウス殿下の婚約こそそうした両家の関係を改善する一環だった筈だ。

私は既にバルトファルト家の女だ、中央の政争などやりたい連中だけで争えば良い。

私がこの暗闘に関わっているのは単純に夫と子供達の安寧を優先しているに過ぎない。

もしもリオンが政務に長け出世欲に満ちている男なら私は全力で後押しをした筈だ。

子供達が成年の年頃なら更なる領地繁栄の為に積極的に関与しよう。

夫に出世欲が無く子供達が幼いという二点のみで私は両家の和解に奔走している。

この事実に王家はもう少し感謝して欲しい。

 

ふと腹の内側から刺激を感じ姿勢を楽にして訪れる衝撃に備えた。

数秒後、ゆっくりとした振動が腹部を微かに揺らす。

ここ最近は数時間おきに胎動が起きる、臨月ともなれば仕方ないがこれがなかなかに億劫で疲れてしまう。

出産を控えた動物の雌が巣に籠ってひたすら時が訪れるのを待つのがよく分かる。

だからと言って怠惰に食事と睡眠を繰り返す日々は母子両方にとって不健康、難産になれば母体にも胎児にも悪影響だ。

 

近頃の私は軽めに近隣を散策したり室内での柔軟体操をしつつ書類仕事に明け暮れる日々を送っていた。

胎動が収まったら作業を再開する。

あと一月も経てばバルトファルト家に新しい一員が加わる予定だ。

出来るだけ早めに用事を済ませこの地で出産を迎えたい、公爵家の屋敷なら出産の準備も恙なく行われるだろうが今の私にとって落ち着ける場所はバルトファルト領になっている。

せめて出産という女性にとって重要な出来事は万難を排し安心できる場所で行いたい。

 

己の体に子を宿して産み出す、それがどれだけ過酷かは身を以て体験している。

体験しているからと言って次の出産が楽になる物でもない、あの時の痛みを思い出すとこれから訪れる第三子の出産に対し憂鬱な気分になってしまう。

特に私の初産は双子だった事もあり苦労も多かった。

陣痛が始まって半日ほど苦しんだ後、今度は出産の痛みで意識が朦朧となりやっと産めたと思ったらまだお腹にもう一人いると気付いた時の絶望感は忘れられない。

痛みのせいで所々記憶が飛んで曖昧だが、リオンは出産時にずっと私の傍らに居た筈なのに今も出産について尋ねると口を噤んだままだ。

そんな風に私を苦しめて生を受けた双子は現在ベッドの上に置かれたドレスを弄り私の腹を撫でるとやりたい放題だ。

 

「うごいた!」

「そうだな」

「またうごく?」

「そのうち動く筈だ」

 

最近の双子にとって一番楽しい玩具は私の胎内で動き回る第三子だった。

ずっと私に付き纏って甘えられるのは妊娠中の母として複雑な心境である。

ただでさえ幼児の世話は疲れる事が多いのに膨れた腹で子守りをするのは重労働だ。

弟か妹が生まれた後は私やリオンが乳飲み子の世話に暫く集中すると薄々察しているのだろう。

私達から離れるのを嫌がり、仕事にさえ同行しようとする。

言葉を選んで止めさせようとすれば泣き出し、宥めるのも一苦労。

子育てに比べたら気候の変動を推察して農作物の種類を選定したり、朝から晩まで書類の処理の明け暮れる方が疲れない。

一ヶ月後にはさらに一人増え、今後も夫婦生活が途切れなければ第四子・第五子と肉体的にも精神的にも負担が増していく。

 

いかん、恐ろしい想像をしてしまった。

見通せない未来を恐れるよりも優先すべきはは王都に持って行く着替えをどうするかだ。

腹部の保温と安全性を優先した妊婦用のロングドレスはどうしても似たような意匠になってしまう。

首飾りや耳飾り等の装飾との組み合わせを考えれば迷うほどの選択肢は無い。

ただ腹を膨らませた貴族の奥方が屋敷を離れるなど普通ならありえない事態だ、家名を侮られない為にも万難を排したい。

 

「ライオネルはどれがいいと思う?」

「ん~?」

 

流石に女性の服装の審美眼が持っていないか。

父親に似て『何を着ても似合う』と口にするようになっても困るのだが。

 

「アリエルはどうだ?」

「これ!」

「赤か、そうしようか」

「かっこいい!」

 

価値基準が格好良さか、気性の荒い娘の将来が少しだけ不安になる。

娘が指差すのは紅のロングドレスだ。

私が普段から何らの形で赤い意匠を加えた服装をしている影響だろう、娘も私を真似て赤をよく好む傾向にある。

無難と言えば無難だし、意外性が足りないと言えばそれまで。

私が持っているドレスや装飾品の殆どはリオンに嫁ぐ前に公爵家から持ち込んだ物で、目の前の妊婦用ドレスさえ父上から贈られた品だった。

屋敷で過ごす分にはバルトファルト領で仕立てた品で事足りるが、何らかの催しがあった時の為にと公爵家がわざわざ特注で製作した呆れた物だがこうして役に立つとは。

人前に出た時に纏う一着は選べた、他に普段着と下着を多めに選んで鞄に詰めるか。

いざとなれば相手側が用意してくれるが念には念を入れよう。

向こうに滞在するのが幾日になるか分からないが、貴族は高位になるほど手持ちの品が増えてしまう。

リオンに嫁いでからこの地の穏やかさに慣れて服装に頓着しなくなったのは痛い。

他者から揶揄されなければ人は大して服装に拘らないものなのだ。

 

「帰ったぞ~」

 

扉が開き呑気な声が室内に響く。

この地で最も服装に拘る必要がある男が作業服姿で入室する。

何処からどう見ても農夫にしか見えない、こんな男がもうすぐ伯爵位に陞爵するのだから王国上層部は人材不足で判断を誤ったのではなかろうか?

最近のライオネルとアリエルは私の側から離れない、腹部が膨らんで臨月が近付くほどリオンより私と接する時間が増えている。

 

「……何で誰も歓迎してくれないんだよ、パパ悲しい」

「まず汗を流して着替えろ。汚れたままでは誰だって近寄りたくはない」

「それじゃアンジェも一緒に風呂に入ろう」

「断る、真っ昼間から盛るんじゃない」

「じゃあ二人は?」

「や!」

「いやです」

 

妻子から拒絶されたリオンがすごすごと浴室に向かう。

そろそろ午後の間食の時刻だ。

体に力を込めてゆっくりとと立ち上がる、臨月ともなれば着席や寝返りさえも重労働になる。

こんな身の上の私に一体何が出来るのか。

私の歩みに合わせ懸命に付いて回る子供達の姿が無聊をほんの一時慰めてくれた。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「寝たか?」

「二人とも眠っているだろう。わざわざ部屋に戻す事もあるまい」

「重要な話をするのに気が散るじゃん」

 

リオンは双子を抱きかかえて子供部屋に向かう。

最近のライオネルとアリエルは残り少ない親子四人の子爵家の時間を惜しむように入浴や睡眠まで私と共にしている。

家政は義母上が仕切り、領地経営でも普段以上に義父上と義兄上の力を借りているので領主であるリオンが必要となる案件を除けば私が担当する仕事の分量はそれほど多くない。

義兄上とドロテアの婚約が正式に決まり、私が出産を終えた数ヶ月後には挙式する予定だ。

これ以上ないほど今のバルトファルト領は浮足立っている。

それに比例して雑務も増えているが平常の忙しさで済んでいるのはバルトファルト領の面々が努力しているからに他ならない。

特にジェナとフィンリーは誘拐事件の後から積極的に領地経営や淑女教育に熱心となった。

あれなら良い縁談もいずれ舞い込むだろうと安心している。

 

「戻ったぞ」

 

リオンが寝室に戻って来るなりベッドに乗って身を寄せて来た。

急いで戻って来たせいか息が荒い、大型犬に迫られるような圧迫感に身を捩って避けるもリオンはしつこく私を追い回す。

諦めてリオンの為すがままにされると抱き締められる、言葉も無いまま二人きりの時間が過ぎ去っていく。

己の全てが満たされると思いながらも何処か物足りなさを同時に感じてしまう。

明日、私は王都へ発たなくてはならない。

私とリオンはお互いの空虚を埋め合っている、故に僅かな期間離れるだけでも今生の別れのような寂寥感に苛まれる。

もはや依存的と言ってしまっても仕方ないぐらい私は彼に夢中で、彼も私を心から愛してくれる。

だからこそ、この幸せを護る為に務めを果たす必要があった。

 

「どうしても行かなきゃダメ?」

「何度も説明しただろう、リオンだって最後は納得してくれたと思ったのだが」

「頭では分かってても体は拒否してると言いますか」

 

遜った態度でリオンが肩や足を揉んでくれる、妊娠してから乳房が張って肩凝りが酷いし足のむくみも多くなった。

こうして寝る前に体を揉んでもらうのが私達夫婦のお気に入りな交流である。

 

「凝ってますね~、奥様」

「産み月が近いからな、何をするにも面倒で堪らない」

「じゃあ王都に行くの止めてくれる?」

「それとこれとは別問題だ」

 

せめてあと一ヶ月早ければ体の負担も少なかった。

身重の体で此処まで無理をしなければならないのは王都に於ける一連の事態に変化が起きた為だ。

 

殿下達と別れて約三ヶ月の間、私達は領地経営の仕事を熟しつつ計画に賛同してくれそうな貴族を説得して廻った。

リオンと同様に取り立てられた新興貴族、戦時中に懇意になった貴族、バルトファルト領の周辺に領地を持つ領主貴族が主な相手だ。

新興貴族は旧来の貴族との繋がりが希薄で領地経営の経験も無い、だが平民に対する蔑視も少なく領地開発に意欲的な者も多い。

リオンが戦時中に命を救った貴族や騎士には名家の子息も多い、その伝手を使って協力を希う。

周辺領主に関してはバルトファルト領との交易も多く説得自体は容易だったが私の提案の説明にはかなり神経を割かなければならなかった。

若く新しい人材を登用しホルファート王国が復興の為に育成する、言うは易く行うは難しいの典型例だ。

特に二度にわたるファンオース公国との戦争で枯渇した資産の補填を求める貴族よりも新興貴族を優先すれば王家に対する不満が噴出し内乱になりかねない。

それを鑑みて新しい国営機関を設けようというのだから無茶もいい所だ。

この問題に関して古くからの名家であるローズブレイド家が協力を申し出てくれたのが功を奏した。

リオンは義兄上を餌にローズブレイド家を利用した罪悪感に悩んでいたがこうでもしない限り短期間での説得は無理だ。

努力が何とか形となり、どうにか改革案に同意してくれる貴族の署名を集めた嘆願書の製作中にミレーヌ様に助けを求められてしまった。

 

「アンジェも赤ちゃんも両方心配だ、もしもの事があったらどうすんだよ」

「ミレーヌ様は王族専門の医師を用意したらしい。私の送迎に王家直属部隊を秘密裏に派遣してくれる。此処までされて断っては王家と公爵家の和解に不都合が生じる」

「またそれか」

「王都の派閥争いも戦前とは違う。今はミレーヌ様と宰相が王家派の主要人物だが上手く噛み合っていないそうだ」

「宰相って前の王様の弟だっけ?」

「先王弟だ。私達が生まれる前になるが先王が崩御された際に王太子だったローランド様と先王弟のどちらが王位を継ぐかで揉めたらしい」

「でも自分が辞退して問題は終わったんだろ、何でまた急に」

「ミレーヌ様は王妃ではあるがレパルト連合王国から嫁がれた。ホルファート王国での権力基盤は脆い。それを補う為に私とユリウス殿下の婚約させ父上に後援させるおつもりだったが婚約破棄騒動で白紙になった」

「だから先王弟を宰相にしたんだろ、それなのにどうして?」

「分からん、情勢の変化と言うには不可解な事が多い」

 

現在のホルファート王国には二人の公爵が存在している。

一人は私の父であるヴィンス・ラファ・レッドグレイブ公爵。

ホルファート王家の分家であるレッドグレイブの当主であり領主貴族達の中心人物。

もう一人は先王弟のルーカス・ラファ・ホルファート公爵。

此方は宮廷貴族の中心人物と目されてはいたが数年前までその存在は半ば忘れられていた。

王位継承争いで辞退してから凡そ二十年ほど官職に就かず世捨て人のように生きていたらしい。

変化が起きたのは先の戦争でフランプトン侯爵が失脚し、大量の貴族が処断されてからだ。

宮廷を纏め上げるにはローランド陛下の求心力は足りず、ミレーヌ様は有能だが手駒が少ない、そしてユリウス殿下を筆頭に王子王女は頼りない。

 

そこで担ぎ上げられたのが先王弟であるルーカス公爵だった。

近年の王宮が比較的安心しているのはルーカス公爵が宰相を勤め上げているからに他ならない。

その宰相が突如としてミレーヌ様との関係が悪化した。

ミレーヌ様が幾度訊ねても曖昧な返答で躱されているらしい。

私の献策についてはこれまで理解を示し、今回の件では直接話を聞きたいと宰相閣下直々に打診された。

断る理由は無い、上手く説得できたなら宮廷貴族の懐柔は容易になり私達の負担も減る。

承諾しますと返信した数日後にミレーヌ様は私の王都行きの準備を整えてしまった。

こうなっては引くに引けない、臨月になって面倒事が舞い込んだと嘆息したのが半月程前の話だ。

 

「俺、王妃様が嫌いだ」

「それを口にするのは私の前だけにしろ、何処で誰が聞いているか分からんからな」

「俺と同じ歳の息子がいるのに妙に若々しくて怖い。あと俺を利用する気隠してないもん。今回の件だって殆ど一方的でアンジェを上手く使って死にかけてる王家を生かすつもりだ」

「それぐらい私とて理解している。リオンも王都行きに賛成した筈だ」

「こんなにすぐと分かってりゃ認めなかった。今が体を一番大事にしなきゃいけないんだぞ」

 

双子を産んだ時もそうだが出産が近づくと私よりリオンの方が苛立ちを隠さなかった。

巣にいる番いと子の世話を焼く動物の雄のように微笑ましい、だが近付く者には容赦する気が欠片も無い。

王家の方々はリオンに目をかけているようだが彼に宮仕えは無理だ。

ちょっとした嫌味や挑発で死人が出かねない騒動を起こしかねない危険性を孕んでいる

 

「王家派の動きも気になるが公爵派も不可解だ。特に最近の父上は全方位に強硬的な姿勢を崩していない。懇意だった中立派の宮廷貴族や寄子の貴族からの意見を握り潰しているらしい」

「本気で王家と争うつもりかな?」

「父上の本心が分からない。裏の事情に通じている兄上も戸惑いを隠せないようだ」

 

最近の父上は家族に対しても不可解な動きが多くみられる。

兄上とオリヴィアの婚姻を秘密裏に進める為に神殿へ多額の寄進を行い顔合わせの場を設けようとしているとの報告が兄上から入った。

私の子供達に対して早々と婚約者を決めたいと打診してきた事もある。

何かが裏で起きている。

これがホルファート王家から王位の簒奪を実行する為の下準備なら何故オリヴィアが必要なのか?

確かに二度に渡って国を救い、他国からの評価も高い彼女を取り込む事は貴族や国民感情を得る為の作としては悪くない。

だが余りに性急であり反発も大きくなる。

まだ終戦から一年程のこの時期にどうしてこうも父上は焦っているのか。

 

「おそらく二ヶ月近く後に論功行賞が催されるからだ。戦後の後始末に紛糾して延期に延期を重ねた。これ以上の遅れは未だに恩賞が与えられていない貴族の大半が王家に対して逆心を抱くだろう。その時に各方面からの支持を得る為の正当性を欲しているのだろう」

「そうなったらバルトファルト家も協力しなくちゃダメか」

「父上は道理を弁えておられる、同時に役立たずや裏切者を厳しく糾弾される御方だ。裏切るなら娘の私とて容赦はしない」

 

私とユリウス殿下の婚約破棄の際に父上は何も口にしなかった。

言葉にこそしなかったが私の不手際に対して失望されていたのは明白だった。

後にフランプトン侯爵を失脚させ多くの貴族を取り潰した事で公爵家の権勢を立て直せはしたが、もしも公爵家が失墜したままなら私達父娘の関係は冷え切ったままだろう。

そんな父上に対し私は明白な裏切り行為をしている。

後悔は無い、ただ父上を説得する前に事が判明し私の提案が潰される事が恐ろしい。

私の案は公爵家が王位を簒奪した後も有効な施策だ、それを対価にバルトファルト家の存続を乞うしかあるまい。

 

「先に王都で待ってくれ、用事が済んだら王都に向かう」

「あまり待たせるなら私だけで父上に会いに行くぞ」

「頑張って早く終わらせるから」

 

首筋にリオンの吐息が当たり少々くすぐったい。

私の案を説明し賛同する貴族の署名を集める、この活動をこの三ヶ月の間に公爵家に悟られないよう進めてきた。

私達の他に殿下達やオリヴィアの協力も功を奏し少しずつ賛同者は増えた。

王家派の宮廷貴族、公爵派の領主貴族、中立派や神殿と昵懇な家など様々な貴族が賛同してくれている。

王国貴族の総数の二割程度だがローズブレイド家のような名門も賛同者であり父上も決して無視できないだろう。

宰相に賛同してもらえば父上も王位簒奪を諦め国の復興に尽力してくれる。

 

「すぐに残りの署名を貰って雑用を済ませる」

「雑用とは何だ?」

「秘密」

「浮気でもしているのか?」

「してない!」

 

必死に声を荒げてリオンが否定する。

最近のリオンは暇を見つけても別宅での畑仕事をせずに一人用飛行船で何処かへ通っていた。

時には銃やら食料を積み込んで朝早くから出掛け夜更けに帰る。

所持品から女の所に通うのではなく未発見の浮き島か、それともダンジョンを探索しているのはそれとなく察してはいた。

冒険者に対して良い感情を持っていないリオンが身重の私を放置して遠出する姿に少々苛立ちが募っている。

ただでさえ腹部が膨れて日常生活が困難で苦しい思いをしているのに、夫が行き先を告げず遠出して楽しい冒険を独り占めされては堪ったものではない。

少々嫌味を口にしても許される筈だ。

 

「私が居ない間を精々楽しんでおけ。三人目が生まれたらろくに外出できなくなるからな」

「子供が可愛いから飽きないって、アンジェも一緒だろ」

「夫婦水入らずの時間は更に減るぞ。誰かがすぐに私を懐妊させるのが原因だ」

「それ、俺のせいって言いたいの?」

「他に誰が居る」

 

リオンが私の腹部を撫でると反応するように胎動が起きる。

双子を妊娠していた時より回数は少ないが、この子も元気に産まれてくれそうだ。

私とお腹の子を慈しんでくれるリオンが愛おしい、言葉にせずとも心が満たされ充実した時間が過ぎ去っていく。

 

「明日の昼には迎えが来る、今日はもう休もう」

「わかった」

 

寝室の灯りが消され静寂が訪れる。

王都で何が待ち受けているか、気が昂って眠りに落ちたのは夜も更けてからだった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「加減を知らんのか貴様は」

「悪かったって」

 

仕事の前に疲れていては話にならない。

なかなか寝付けなかった私をリオンが求め、王都への道中で疲れる前に余計な体力を消耗させられた。

やや疲労困憊の私に対して落ち込みながらも体調が良さそうなリオンが実に腹立たしかった。

そんな夫婦喧嘩をしている私達を余所にバルトファルト領の軍用空港に王家の所有する小型飛行船が静かに着陸する。

小さくとも最新の技術を搭載し空賊に襲撃されても余裕を以て逃げ去れる速度で空を翔ける優れものだ。

昇降口から現れた騎士が恭しく私に一礼する。

子爵夫人でありながら私を蔑むような態度を取らないのはミレーヌ様から言明されているからだろう。

騎士達が私の荷物を運び込む姿を横目に昇降口に歩み寄る。

リオンは相変わらず申し訳なさそうにしていた、夫のこうした姿を見て可愛らしいと思うのは惚れた弱みと言う物だ。

子供を宥めるようにリオンの唇に私の唇を重ねる。

時間をかけると名残惜しさが募るので必要最小限に留めておく、周囲の騎士達は敢えて関わるつもりは無さそうだ。

 

「すぐに向かうから!体に気をつけろ!」

「リオンも無茶はするな!」

 

扉の開閉音に負けないように大声で別れの言葉を掛け合う。

独りで知らない人間に囲まれている事実に恐怖が湧き上がる。

案内された客室の椅子に座り窓の外を眺める、飛行船の下を恐ろしい速さで雲が流れていく光景を見る度に自分が王都に近付いているのが否応なしに感じられた。

目を閉じ公爵家や王家の現状に対し物思いに耽る、考えが纏まる前に昨夜の疲れのせいで何時しか私は眠りに落ちていた。




第六部プロローグです。
原作最終巻の発売を前に今作もクライマックス突入です。
第六部はホルファート王国の闇に向き合ったリオンとアンジェがどのような選択をするかに重点が置かれます。
今まで未登場だった原作のホルファート王国キャラも登場予定です。
マリエルートで明らかになる裏設定も盛り込む予定ですが、未読の方々にも楽しんでいただけるように努めます。

今章の幕間である成人向け章も同時投稿したのでご興味のある方はそちらもどうぞ。
https://syosetu.org/novel/312750/19.html

次章投稿は原作最終巻が発売される3月29日予定です。
次回も本編と成人向け回を同時投稿します。

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第72章 夫婦喧嘩

あぁ。

またこの光景か。

あの出来事を幾度となく夢に見てきた。

心と体に遺る傷痕がその者の歩んできた時を示す道標と言うのならば、この光景も分かち難い私の人生の一部なのだろう。

正直に言えば、私はもうこの夢に飽き飽きしている。

どれだけ夢と分かっていても自分の人生で最も傷付いた光景を繰り返し見るほど私は被虐的な願望を持っている筈は無い。

婚約者に捨てられた絶望、私を見て嗤う者達への憤怒、何より目の前の者達に対する憎悪。

そのどれもが忘れがたい記憶だ。

 

私が気に入らないのならそれで構わない。

正当な理由による婚約破棄の手続きを行うというのなら応じるつもりさえあった。

私は弁明の機会さえ与えられず一方的に悪女と断じられる状況を決して認められないだけだ。

この世に生まれて落ち十五年、物心ついたその時から『レッドグレイブ公爵令嬢』『王子の婚約者』『次期王妃』という肩書を背負って生きてきた。

私自身が望んでなった訳ではない。

公爵家の娘として生まれ、政治的な理由から婚約しただけだ。

それでも周囲の期待に報いようと必死に努力し続けてきた。

努力した者の全員が報われるとは限らない、この世の無情はよく分かっているつもりだった。

だが王妃となる以外の道を私は与えられていなかった、泣き言を許されず良き王妃と為るべく誠心誠意励んできた仕打ちがコレか?

私の怒りは正当な物だ。

損害賠償を請求して当然あり、ホルファート王家に対し弓引いてもおかしくはない理由だ。

だから手袋を投げつけた、こんな無法が罷り通れば権力のある者の庇護を受ければあらゆる非道が肯定される。

そんな世が赦されて良い筈があるまい、何より私の尊厳を踏みにじった者達を細切れにしてやりたい。

怒りが次から次へと腹の底から湧いてくる。

 

だが、私に賛同する者は存在しない。

王家の威光に委縮して殿下の非道を見過ごす、或いは他人の不幸を嘲笑う者ばかり。

これが王国貴族の現状だとは、こんな奴らしか私の周りには居ないのか。

腐りきったこの国の貴族を統べる為に寝る間も惜しんで努力してきた己が道化と言う他ない。

それなら最期まで足掻いてやる、例え公爵家から見限られても私は私の道を突き進んでやる。

 

『はい、は~い! 俺が決闘の代理人に立候補しま~す!』

 

どこか間の抜けた声が周囲に響く、その声の主を私はよく知っていた。

何故? どうして彼が此処に居る?

振り返るとよく見知った男が佇んでいた。

おかしい、全てがおかしい。

()は間違いなく彼だ。

リオン・フォウ・バルトファルト、本人なのは間違いない筈なのに。

だが違うのだ、()は私の知る彼ではない。

 

私が知っているリオン・フォウ・バルトファルトは決して明朗な男ではない。

鬱々とした暗い表情で世を睥睨しているような部分がある男だ、少なくても私が出会った時の彼はそんな人物だった。

戦争で負った心と体の痛みに苛まれ、生きる事すら半ば放棄していた世捨て人。

だが、彼は義理人情に厚く愚痴を零しながらも世の不条理に憤る優しい男でもあった。

目の前の()はそうした陰が無い、口が上手く殿下と他の四人を口先で丸め込む姿は私の知る彼とは似て非なる者だ。

 

そこまで気付いて漸くこの場所の違和感に気付く。

確かに場所こそ私と殿下が争ったあのパーティー会場だ。

だが中心人物が異なる。

五人に囲まれる女性は私の記憶にある女ではなかった。

オリヴィアより体躯の小さな少女と私は面識がある。

彼女(・・)もまた私の知る彼女とは違う。

少なくとも彼女は私に対して好意とは言えないまでも最低限の敬意を持ってくれた。

殿下達の陰に隠れて私を嘲るような視線で見つめる女ではなかった。

 

視線を()に移す、やはり私の知るリオンとは違う。

私と出会った頃のリオンより雰囲気が幼く、最低限度の貴族らしさを感じる立ち振る舞いを熟している。

リオンは実家の事情で学園に通っていない、私が殿下と決闘を行った頃のリオンは王国軍に入隊し軍務に勤しんでいた筈だ。

何より特徴の一つである顔の傷痕が無い、否応なしに見る者を目を惹いてしまうリオンの外見的特徴の一つが()に欠けている。

学生服を着て傷痕の無い()は私の知るリオン・フォウ・バルトファルトではない。

それは分かっている、分かっている筈なのに、

 

『アンジェリカさん、ほら、はやく認めないと』

『え、あ……』

『ほら、認める。それだけ言えば万事解決ですって』

『み、認め……る』

 

()は間違いなくリオン・フォウ・バルトファルトだ。

役者を変えた劇を鑑賞しているような猛烈な違和感。

話の大まかな筋書きは同じなのに何かが違う。

夢だと分かっているのに見る事を止められない、映像が延々と一方的に流れ続ける。

 

『決闘しようぜ王子様、せいぜい大事な恋人との別れを済ませておくんだな』

 

殿下にそう告げる声はやはり私の知る彼と同じだった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

冠を戴く()の姿を隣で見続ける。

他国の侵略を退け功績を上げ続けた彼は英雄と讃えられる。

ファンオース公国を退け、アルゼル共和国の内乱を鎮め、ラーシェル神聖王国を平らげ、ついにはヴォルデノワ神聖魔法帝国すら傘下に収めた。

戦神の化身とさえ讃えられる若き英雄王。

それが()だった。

レッドグレイブ公爵家という後ろ盾を得た()が偉業を為す度に礎となる私の評価も上がっていく。

遂に王妃と為った私もまた彼の栄光の一部だった。

今の私はとても幸せだ、この()は心の底からそう思っている。

 

そう思いながらも、()の中でこの光景を見続ける私は不満を抱き続ける。

確かに()は優秀な人物なのは間違いはない。

球体のロストアイテムの助力があるとはいえ()が愚劣な人物であるなら早々に死んでいた筈だ。

()は確かに私の知るリオンよりも優れているかもしれない。

万人に質問すればほぼ全員が()を選ぶのだろう。

だが私は違う。

私の夫は王ではない。

彼は成り上がり者で、辺境の領主貴族で、覇道よりも農作業が似合う男。

それが私の知るリオン・フォウ・バルトファルトだ。

私の夫はそんな男なのだ、断じて若き英雄王ではない。

 

何より不快なのは()の周囲に絶えず女の影が存在する事だ。

聖樹の巫女、元王妃、ファンオース公国の公女、宮廷貴族と領主貴族の伯爵令嬢、アルゼル共和国の公爵令嬢。

()に好意を寄せる女が次から次へと現れる。

()もまたそんな状況を嘆いている、懸命に妬心を抑え込んで面倒事の解決に奔走する()を支え続ける。

それが不満だった。

私の夫と同じ顔をした()が他の女と楽し気に過ごす姿を見続けるのは神経に障る。

それでも()が私を口説く顔は私が知るリオンと同じ、そのせいで寛容になってしまうのは惚れた弱みという物だろう。

そんな事情もあって今日も()は空の玉座を隣に執務を行う。

夜も遅くなって()が居ない寝室に寝ていると彼女(・・)が現れた。

これがこの夢で最も癇に障る箇所だ。

 

どうして彼女(・・)が!

オリヴィアが()と仲睦まじいのだ!

しかもやたら()との距離感がおかしい! 

私は殿下との婚約破棄の原因になったオリヴィアに対して謝罪は受け入れたが積極的に仲良くしたいとは思っていない!

()が居ない寂しさを彼女(・・)と慰め合うと名分で明らかに許せる範囲を超えている!

そもそも私は両性愛者じゃない!

()の中にいる私が悲鳴を出しても声に為らず無為に時間が過ぎていく。

互いの体を愛撫する()彼女(・・)の睦み合いが続き、胸を触られて背筋に震えが走る。

()の手が彼女(・・)の胸を揉む、その柔らかさが伝わって来る度に体を引き離したくなる。

妙に気持ち良いのが逆に怖い、このまま変な性的嗜好に目覚めそうだ。

彼女(・・)の顔が近付いて来る、このままの勢いでは接吻をしてしまう。

 

『止めろぉォォッ!!?』

 

私の悲鳴は誰にも聞かれる事は無かった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「ご起床の時間でございます、バルトファルト子爵夫人」

「……分かりました」

 

ドアをノックする音と起床を促す声が聞こえ漸く悪夢から解放された。

体を起こして室内を見渡すと白い壁が目に入ってきた。

白磁の陶器を思わせる幾度も見た筈の壁、この部屋の建材と調度品だけでバルトファルト家の屋敷が賄える程の豪華さだ。

此処はホルファート王国宮殿の最奥、後宮の隅に存在する来客用の一室。

嘗てはこの後宮が私の終の棲家になると考え足繫く通ったものだ。

あの頃の私は王国の威光の象徴である宮殿は何者にも侵されない絶対不可侵の領域と思っていた。

 

それが今、宮殿の壁がくすんだ白色に見えてしまうのはバルトファルト領の環境に慣れ親しんだだけでない。

嘗て私が後宮に通い詰めていた頃よりも明らかに後宮で働いている人員が減っていた。

後宮は王とその妻子のみが在住する場所だ、故に雑事を熟す使用人にさえ確かな身元保証人が必要となる。

後宮に勤める侍女の多くは貴族の血筋であり、王のお手付きとなり側室の座を狙う者が溢れていた。

私がユリウス殿下の婚約者の頃から不埒な考えを持つ不埒な女が其処彼処に居たのだ。

そんな宮廷雀が今は見る影も無い、今の後宮に努めている者は謹厳実直に仕事に努めている。

おそらくフランプトン侯爵の裏切りとファンオース公国との戦争に勝った後で行われた粛清に加え戦費の捻出に大量の人員削減が行われた影響だろう。

何せ王の側室とてフランプトン侯爵との繋がりが確認された瞬間に情け容赦なく処断されたのだ。

フランプトン侯爵の派閥と少しでも関わりがあった側室は極刑こそ免れたが実家に出戻り、産まれた王子の地位は引き下げられたか臣籍降下の処置が取られた。

嘗ては権謀術数が蠢く女の園と言われた後宮も今は閑散としていた、そのお陰で私の来訪が誤魔化せるのは何とも皮肉な話だった。

 

侍女の手助けを借りて着替えを済ませ、後宮で最も権威ある御方が住まう部屋に案内される。

幾度も通った部屋なので案内は必要ないのだがこれも形式だ。

煩雑な手続きや形式を面倒臭いと考える自分がどうにもおかしい。

王都に住まい公爵令嬢として暮らしていた頃にはそんな窮屈さを感じた事など無かったのに。

今の私は公爵令嬢でも王子の婚約者でもなくバルトファルト子爵夫人となってしまったのだとある種の感慨さえ湧いてくる。

廊下の角を数回曲がり目的の部屋の前に辿り着く、侍女が面会の手続きを済ませると扉が開いた。

あの御方は寛ぎながら紅茶を堪能していた。

 

「ミレーヌ妃殿下に於きましてはご機嫌麗しゅう存じます」

「おはようバルトファルト子爵夫人、よく眠れた?」

 

挨拶を済ませるとミレーヌ様の正面の椅子を引かれたのでゆっくりと座る。

最高級品の椅子は座り心地も素晴らしいのだが落ち着かない、何しろ対面する相手が相手だ。

ふと、夢の中の()を思い返す。

()は夢の中のミレーヌ様に大層ご執心だった。

下手をすれば正妻の私よりも熱心にミレーヌ様を口説いていた。

不敬にも程があり過ぎる言動であるが故に強烈に脳に焼き付いて離れない。

そもそも私の知るリオンはミレーヌ様を常に警戒し関わりを持ちたくないと断言している。

やはり夢は夢でしかない、無理やり結論付けて正面を見据えた。

 

「快眠とはいきません。環境が変わると寝付きも悪くなりますから」

「ならせめて食事はちゃんと取らなきゃ。今用意させるわ」

 

差し出された紅茶を飲んでいる間に軽食が用意される。

テーブルの上にスープ、パン、前菜、主菜、サラダ、デザートが一度に並べられた。

軽食と言うには量も質もしっかりし過ぎている、これでは成人男性の一食分ほどもある。

あまり食欲が湧かないとはいえ、今の私にとって食事は必要不可欠だ。

何しろ出産を控え太らない程度に二人分の栄養を摂取せねばならない。

とりあえず目に付いた料理から順番に片付けていく、嘗て口にしていた王族用の料理が天に昇る美味さに感じるのは私の舌が貧しくなった証だろうか?

空になった食器が食器が片付けられ食後の紅茶を飲むと漸く栄養が体に行き渡り落ち着きを取り戻す。

 

「よく食べたわね。もうすぐ子供が産まれる影響かしら」

「予定日は来月です。その前に面倒事を片付けたいものですから」

「ごめんなさい、どうしても貴女の力が必要なの」

 

ミレーヌ様の顔色は優れない。

辺境で穏やかに暮らす、王都で王妃として君臨する。

地位の高さは人生が幸福である事と同類項ではない、夢の中で王妃になった()が本当に幸せかどうかは当人にしか分からない物だ。

臨月の重い腹を抱えた私よりもミレーヌ様の方が休息が必要に感じられる。

ホルファート王家の存亡が王妃の心労を深めている、これが公爵家の復讐だとしたら大した嫌がらせだ。

 

「人心地ついた所で話を進めましょう。貴方にやって欲しいのは三人の説得よ」

「父上と宰相閣下、他の一人は誰でしょうか?」

「バーナード・フィア・アトリー伯爵よ。大臣を務めている彼をこちら側に引き込みたいの」

 

バーナード・フィア・アトリー伯爵はアトリー家の現当主であり、長年に渡ってホルファート王国の大臣を務めあげて来たやり手の貴族だ。

宮廷貴族でありながら領主貴族や辺境出身者を差別する事無く、実力を備えた者なら平民の成り上がりにすら目をかける類稀な貴族だった。

公爵位の父上でさえ伯爵に敬意を以て応対していた。

高慢で欲深い宮廷貴族の最期の良心とまで言われ大臣を務めているアトリー伯爵に陰りが差したのは皮肉にも私と同じ理由だった。

娘であるクラリスの婚約者だったジルクがオリヴィアに懸想し、あろう事か一方的に婚約破棄を持ちかけられたのだ。

何しろ王子と公爵令嬢の婚約破棄に続き、名家の子息と大臣の娘の婚約が破談になった異常事態である。

この事件を機に大臣と王家の関係は急速に悪化、伯爵は公爵家と同じように王家に対し不信感を募らせていた父上と積極的に接触を図った。

王家派である宮廷貴族の主要人物が公爵派に寝返ったのだ。

私やクラリスの婚約破棄を嘲笑っていた学園の生徒すら王国の崩壊に繋がりかねないと後になって焦ったほどである。

伯爵は婚約破棄騒動の後も大臣を務めあげつつ王家が主催する祭礼に参加する回数は極端に減っていた筈だ。

 

「アトリー伯爵は公爵派に転じ聖女を快く思わない反神殿派では?今更王家に味方してくれる可能性は低いかと」

「向うも向こうで事情があるのよ、別に私達が何かを仕掛けた訳じゃないわ。寧ろ仕出かしたのはヴィンス公の方ね」

「父上が?」

「まず公爵家が裏で神殿と繋がり聖女オリヴィアを公爵家に嫁がせようと企てた、娘の婚約が破談となった原因を味方として見れる貴族が多いと思う?」

 

それは人として当然の感情だろう。

オリヴィアは確かに善人だが政に疎い。

それを体よくフランプトン侯爵に利用されかけ、今度は公爵家が人心を纏める象徴して利用する。

使える物を使うと言えば聞こえは良いが節操が無いとも受け取られる所業だ。

公正な大臣あるアトリー伯爵が同意出来ないのも無理からぬ話だ。

 

「同時に最近の公爵家は強硬的な姿勢が目立つようになっているの。露骨に自分の派閥を強めようとするヴィンス公に戸惑う貴族も増えて、大臣も公爵派から一定の距離を保ちつつあるわ」

「中立派になりかけてる伯爵を王家派に引きずり込めと?」

「別に王家に与しなくてもかまわないわ。大臣は伯爵家の権勢と同時に国益を考えられる、貴女の提案に関しても軽く説明したら大臣が興味を持ったから話し合いの場に付いてくれたの」

「説得するのが私でよろしいのでしょうか?父上が派閥に引き込もうと私を遣わしていると思われかねません」

「大臣は王国の現状を憂いているわ。極端な話、この国を立て直せるなら主君が王家と公爵家のどちらでも良いと考えてると報告が来てるの」

 

アトリー伯爵は良識人だが生粋の貴族である、穏やかな善人が魔窟である宮廷で長年要職を務めあげられる訳がない。

中立派は機を見るに敏でなければ両方の派閥から突き上げを喰らう。

ただの節操無しには到底務まらない。

そんな有能で狡猾な大臣を説得しろと?

流石に無茶が過ぎるのでは。

 

「明日の夜に伯爵邸で夜会が催されるの。名目は今年の論功行賞に先駆けた祝いの席だけど私も出席する予定よ。貴女には大臣に改革案の説明をお願いするわ」

「上手くいくとは限りません、下手をすれば伯爵の不信感を煽るだけです」

「失敗したならそれでかまわないわ、今の私はどれだけ流血を減らせるかを重要視しているから」

 

何とも素気ない物言いだった、ミレーヌ様はホルファート王家の存続にすら固執していないように見える。

まぁ、大分気が楽になったのは事実だ。

失敗を咎められないなら込み入った話を伯爵と出来そうである。

特に父上の近況については不可解な部分が多い。

 

「宰相については説得では無いわね。どちらかと言えば彼の真意を聞き出したいの」

「ミレーヌ様と宰相閣下は昵懇と聞き及んでいます。何か不仲になる切っ掛けがお有りで?」

「不仲ではないわ、政務についても信頼はしてます。ある一点を除いてね」

「ある一点とは?」

「聖女オリヴィアが公爵家へ嫁ぐ事に関してよ。何故か宰相は王家派の貴族でで唯一賛成しているの」

 

オリヴィアは終戦直後から日に日に崇敬する人々を増やしていた。

下手をすれば王族より聖女、そして聖女が所属する神殿の権威が凌ぎかねない程だ。

だがオリヴィアは人を助ける事に向いていても統治する事に慣れていない。

必然的にオリヴィアを従えた者が王国の支配者になるだろう。

王家派の主要人物でありながら公爵家に与する考えを持つ宰相の思考が分からなかった。

 

「幾度か宰相に問い質しても口を噤いでるの」

「この国を執り仕切るミレーヌ様に言えない事情が?」

「ホルファート王家の正統性に関する事だと薄々匂わせているけど詳細は不明。私はレパルト連合王国から嫁いできた女だから、秘密が漏れる可能性を考えると教えられないようね」

「なのに私なら信用できると?」

「貴方を指名したのは宰相。当事者だから知る権利があると言っているわ」

 

宰相はどうして其処まで私にに拘るのだろう。

確かに私は公爵令嬢だったが今は辺境の子爵夫人に過ぎない。

国家の存亡に関わる秘密を教えられても有難迷惑だ。

どうにも分からない事が多過ぎる、真相を知る者は口を紡ぎ己の目的の為に他者を翻弄する。

盤上の駒として自分が指し手に動かされているような錯覚すら覚える。

王家、公爵家、聖女、神殿。

この国の中枢にどんな真実が隠されているのか分からない。

ただ、この柵はバルトファルト領に持ち帰る事は断固として拒む。

私の夫と子供達をそんな政争に巻き込むつもりは毛頭ない。

 

密かに決意を固めていると一人の侍女がミレーヌ様に近付き何かを耳打ちした。

同時に他の侍女達も整列し恭しく姿勢を正す、私も席から立ち上がり他の者達に倣う。

扉が開き冠と外套を纏った長髪の男性が足早に近付いて来る。

後宮でこのような態度を取れる者は一人しかいない、ミレーヌ様が後宮の管理人ならば王こそ後宮の主。

ローランド・ラファ・ホルファート。

ホルファート王国の現国王の御出座しだった。

王妃を除いたこの場に居る全ての者が首を下げるが陛下は目もくれない、ただ纏う空気からどことなく焦りを感じる。

一方のミレーヌ様は落ち着いた様子で紅茶を淹れている、本来は侍女の仕事だが王妃が手ずから用意する事で精神的優位に立つお積もりだろう。

 

「先触れも無しに何用でしょうか陛下、王が気ままに行動されては臣下が迷惑を被るものです」

「ミレーヌ、お前に聞きたい事があって来た。用が済んだらすぐにでも帰ってやる」

「それは残念、せっかくお茶を淹れましたのに」

「あれを何処に隠した?やるとしたらお前しか考えられない」

「あれとは?具体的に仰っていただかなくては何の事だか分かりかねます」

「とぼけるな、隠し部屋を知っているのはお前かユリウスのどちらかだ。こんな真似を仕出かすほどユリウスは愚かではない」

「学園のパーティーで婚約破棄騒動を起こし決闘まで行う考え無しの愚息です。寧ろ疑うべきは其方でしょう」

「あいつも男だ、浪漫と言う物を分かっている」

 

何なら物騒な会話が続いている。

どちらにせよ早々に離れたいが気を逸した自分を呪う。

 

「……私の変身セットと鎧だ。隠し部屋に行ったら他にも紛失している物が多数。一体何処へ移した?」

「あぁ、あのやたら豪奢な服と悪趣味な鎧の事ですか。あれは処分しました」

「…………おい、おいおいおい。今なんて言った?」

「ですから、処分いたしました」

「何て事をしてくれたんじゃお前ぇぇェェェッ!!?」

 

陛下の悲鳴が室内に轟く、この声量だと後宮の隅々まで届いているかもしれない。

事の真相は分からない、どうやらミレーヌ様が陛下の私物を処分したと辛うじて理解できた。

顔を赤らめ目を白黒させている陛下と対照的にミレーヌ様は落ち着いた面持ちで紅茶を飲んでいる。

 

「ちょっ、おまッ、全部!?全部か!?特注のカッコいい衣装を!?少しずつ予算をちょろまかして改造を重ね作った私専用の鎧も!?」

「やはり毎年の予算にあった用途不明な出費はあれでしたか。いくら陛下と言えど立派な横領ですよ」

「あれを作るのにどれだけの金と時間を費やしたと思ってる!!」

「今は平時ですが国の立て直しが最優先です、王家が率先して経費の削減を行えば臣下への模範にもなります」

「勝手に処分するな!!まさか破壊したのか!?」

「御用商人達を呼び競売を行って買い取らせています。鎧は流石にそのままでは値が張って買い手が居ないので解体した後に部品単位で売り払いました」

「何て事してくれたんだテメェ!?」

「皆、喜んで買い取りましたよ。どれも質が良くて最上級の品でしたし。その収入は国の予算として補填します」

「そんな勝手が許される訳ないだろ!!」

「此方にはユリウスから取り上げた玉璽がありますから。王の私物に関しては私の権限に於いて管理運用させていただきます」

 

これが王国を実質統治していると讃えられるミレーヌ様の政治手腕か。

己の権限を最大限に活用し無駄を省いて必要な部署に充てる。

一方的に私物を処理された陛下に関しては気の毒としか言えない。

だが、この状況を作り出したのも陛下の行動が原因だ。

怠けていた者は人生の局面に於いて苦労する事になる、そう故事にも記されている世の真理だ。

 

「この年増!!だから男の浪漫を理解できない女は嫌なんだ!!」

「文句があるなら自分で管理すればいいじゃない!!大切な玉璽を子供に預けるなんて何を考えているのよ!?」

「公国との戦争じゃ役に立った!!それなのに夫の物を捨てるのか悪妻め!!」

「最前線で戦うより戦争を起こさないように頑張りなさいよ!!何が男の浪漫よ馬鹿馬鹿しい!!悔しかったら仕事しろ馬鹿旦那!!」

「何だと!!?」

「何よ!!?」

 

聞くに堪えない罵詈雑言の応酬が続いている。

周囲の侍女達も困惑してこの状況に戸惑っている。

これが一国の王と王妃の会話か?

まるで下町の熟年夫婦が行う口喧嘩と大差ない。

この状況が続き誰かに見られたらどんな噂になるか想像しただけで恐ろしさに体が震えた。

 

「ミレーヌ様、其処までです」

 

割り込むように御二人の間に入り会話を中断させる。

息を切らせていたミレーヌ様は乱暴に椅子へ座るとすっかり冷めた紅茶を飲み干していく。

一方の陛下も汗を流しながら天を仰いでいる。

それまで周囲の者に興味を示していなかった陛下と目が合う。

どこか敵意、或いは警戒心を秘めた瞳で私の顔を見定めている。

視線から逃れるように恭しく礼を行い何とか誤魔化す。

 

「アンジェリカか」

「お久しぶりですローランド陛下、ますますご壮健のご様子。臣下としてこれに勝る喜びはありません」

「心にもない世辞は要らん、邪魔者は退散する」

 

そう言いながら陛下の視線は私の腹部に注がれている。

後宮では王の寵愛を受けた側室が数多くの子を産んでいた、まさか陛下も孕んだ人妻に手を出すほど倒錯趣味ではあるまい。

 

「……バルトファルトの子か」

「三人目になります」

「ヴィンスの奴は上手くやったな」

 

短く呟かれた言葉に拭い難い違和感を感じた。

バルトファルトの子、父の名前、上手くやったという羨望とも侮蔑とも聞き取れるその言葉の意味。

おそらく陛下も何らかの真実を存じている、それが何か知りたい。

 

「ローランド陛下」

「なんだ」

「上手くやったとはどのような意味でしょうか?」

「……何も知らんのか貴様は」

「陛下は何かご存知で?」

「……大した意味は無い、面倒事に関わろうとしない事が長生きの秘訣だと言っておく」

「あら、それは私に対する嫌味ですか?そもそも陛下が真面目に仕事を熟せば面倒事は減るんでしょうけど」

「あ~、あ~、あ~。聞こえな~い」

 

忠告とも嫌味とも取れる言葉を呟いた陛下が慌てて去っていく。

少し以外だった、ミレーヌ様と陛下はもっと冷めた夫婦関係だと記憶していたのだが。

 

「陛下との距離が縮まったように見えて何よりです」

「奥歯に物が挟まった言い方ね、一応は賞賛と受け取っておくわ」

 

そう呟いたミレーヌ様は紅茶の他に菓子を所望した。

さまざまな菓子を乱雑に食べる姿はどう見ても苛立ちを甘味で誤魔化しているようにしか見えない。

侍女達の怯える視線を無視して、三皿目に盛られたケーキを平らげ紅茶を飲み下して漸くミレーヌ様は落ち着いた。

 

「前に貴女達と別れた後に陛下の所に直行して文句を言ったわ。『普段は私を避けてるくせにカッコつけないでください!』と怒鳴って、そうしたら十年ぶりぐらいの夫婦喧嘩よ」

「それは、その……」

「どうしてああ怠惰で臆病に育ったのかしら。本当に情けなくて、情けなさ過ぎて。私が見捨てたらあの人はどうしようもないから面倒事を引き受けるしかないじゃない」

「離婚は決意されなかったのですか?」

「あの人にそんな度胸があるならとっくに離婚してるわよ、陰口を叩くくせに離婚すると面と向かって文句を言えないような男よ」

 

ミレーヌ様の陛下に対する愚痴は留まる所を知らない。

だが、嘗ての御姿と比べてどことなく充実した面持ちだ。

 

「だから決めたわ、こうなったら最期まで付き合ってやろうって。離婚なんかしてやらない、死ぬまで隣で嫌味を言い続けてやる」

「それでミレーヌ様は気が晴れますか?」

「さぁ?けど向こうが好きにしてるのだから私だってやりたいようにさせてもらうわ」

 

これも夫婦の形なのだろう。

何も言えず冷めた関係を続けるよりは真っ当な感覚なのかもしれない。

ふとリオンの顔が思い浮かぶ。

たった一日離れただけなのに郷愁を感じるぐらい私はリオンを求めている。

白磁の王宮よりも土と緑に満ちたバルトファルト領に馴染んでいる事実に困惑する。

王宮で王妃教育を受けていた頃の私は今の私とまるで別人だ。

 

『リオンに会いたいな』

 

窓から見える蒼穹が遠い場所に居る彼と繋がって欲しいとミレーヌ様の愚痴を聞き流しながらぼんやり考えていた。




モブせか完結!( ;∀;)
という訳で原作最終巻発売日の投稿と相成りました。
乙女ゲー転生がテーマの女性向け作品は各レーベルで書籍化された物だけで三百作以上読み漁りましたが、男性主人公の男性向け乙女ゲー転生はモブせかが初体験でした。
三嶋与夢先生の作品も幾つかweb連載時から目を通していましたが、本格的に読み始めたのはモブせか以降からになります。
三嶋与夢先生、面白い作品をありがとうございました。
今作は原作完結後も最後まで書ききる予定なので原作を振り返りながら描き続けます。

次章はリオン視点のお話、原作小説1話のオマージュとなります。

原作完結記念にリオンとアンジェの成人向けのお話も同時投稿しました、ご興味のある方はそちらも是非。
https://syosetu.org/novel/312750/20.html

追記:依頼主様のリクエストにより土井那羽様、山田おとなり様、うにたる様、りょうは様にイラストを描いていただきました、ありがとうございます。

土井那羽様 https://skeb.jp/@_Do_it_now_0/works/43
山田おとなり様 https://www.pixiv.net/artworks/117095822
うにたる様 https://www.pixiv.net/artworks/117222249
りょうは様 https://skeb.jp/@ryohakosako/works/15

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第73章 New Quest

「ではサインしていただけるのですね」

「もちろんですとも。こちら宜しいですかな?」

「えぇ、お願いいたします」

 

透かしの入った高級紙にモットレイ伯爵が署名してくれる。

紙に書かれてるのはアンジェの考案した改革案に賛成する内容だ。

これで俺の知り合いで改革案に乗ってくれそうな貴族の同意はほぼ得られた。

野暮用を済ませたら書類を屋敷に持ち帰って整理、後は急いで王都に向かってアンジェと合流する。

 

「公爵家との縁を更に強固に出来ますし、他ならぬバルトファルト卿のお願いとあらば聞かぬ訳にはまいりません」

「伯爵位のモットレイ卿が若輩の私如きに遜るのは畏れ多い事かと」

「爵位こそ上ですが私が貴方の年頃には当家はまだ子爵位でした。此度の論功行賞でバルトファルト卿は伯爵位を賜ると評判ですぞ」

「まだ噂に過ぎませんよ。何せ戦働きしか能が無い私には過ぎた地位です」

「自信をお持ちなさい。貴方は自分が思っているより素晴らしい若者だ」

「伯爵こそまだまだお若いでしょう」

「いえいえ、最近の領主貴族は有望な若者が多くて私など時代遅れの男ですよ」

 

モットレイ卿と知り合ったのはファンオース公国との二回目の戦争だった。

公国の侵攻に対してバルトファルト領の軍は何とか数ヶ月は粘ったけど大量のモンスターが出現して撤退を余儀なくされた。

同じように被害を受けた領主貴族達は集結し連合軍を結成、最終決戦まで戦線を維持し続けた。

その時の戦友の一人がモットレイ卿、戦争が終わった今も顔を合わせたら近況を報告し合う程度には付き合いがある。

 

「実は最近になって再婚しましてな。長年に渡って私を支えてくれた女性ですが、国内が落ち着いたのでやっと妻に迎えられました」

「私の父もファンオース公国の戦争があったから母を正妻に出来ました。両親には夫婦水入らずで過ごして欲しいものです」

「戦は益が少ない物ですが時に思いもよらぬ幸運をもたらしてくれます。尤も王都に住む臆病者達は己の無能が露わになって困る様子ですが」

「……あまり大きな声で言わない方がよろしいかと」

「おぉ、これは失礼。見た目だけはご立派な宮廷の鼠と雀共でしたな」

「…………」

 

言っておくがモットレイ卿は悪人じゃない。

礼服を着ても分かる位に鍛えられた肉体、手入れの行き届いた髪や髭に柔和な表情。

性格も穏やかで礼儀正しく、俺と違ってちゃんとした貴族の教育を受けて作法にも詳しい。

領主貴族の連合軍で年下の俺を侮らず協力してくれた数少ない貴族だ。

 

そんなモットレイ卿が王都に居る宮廷貴族に対する敵意を隠そうともしない。

五年前の戦争が終わったぐらいから領主貴族と宮廷貴族の関係は微妙なままだ。

今まで偉そうに領主貴族をナメて無茶な要求をしてきた王家と宮廷貴族は力が衰えた途端、今までの仕返しとばかりに苦しい立場に追い込まれている。

モットレイ卿も父さんみたいにろくでもない貴族の女と無理やり結婚させられて愛人の世話までさせられたらしい。

領主貴族達の窮状に救いの手を差し伸べたのはホルファート王家じゃなくてレッドグレイブ公爵家。

つまりアンジェの親父さんだ。

溜まりに溜まった鬱憤、遅れがちな恩賞と領主貴族の不満は留まる事を知らない。

ここで支持する貴族を増やせば本当に国をひっくり返せそうな雰囲気を感じる。

 

怖い。

戦争は人を変えちまうもんだけど、公爵家の派閥が増えるほど異論を言えない空気が漂うのが政治音痴な俺でも分かる。

領主貴族にも悪い連中がいる、宮廷貴族にだって良心的な奴がいる。

そんな意見さえ言えないまま内乱に直行したら笑うに笑えない。

こうして俺が裏で王妃様達と繋がってると分かれば八つ裂きにされそう。

王国の全体が戦争は懲り懲りと思ってるのに、誰が頭になるかで血塗れの争いが起きるのはどうしてだろうな?

 

「しかしバルトファルト卿がこのような考えをお持ちとは。やはり成功する若者は一芸のみに秀でている訳ではない証明ですな」

「私ではなく妻の発案です。私には賛同者を募るぐらいしか出来ません」

「なるほど。アンジェリカ嬢、いや子爵夫人の発案ですか。ならば公爵との交渉も上手くいきそうですな」

「公爵は相手が身内でも加減しない御方です。正直、成功の可能性は低いと言わざるを得ません」

「しかし上手くいけば多くの下級貴族が領地経営を熱心に取り組めます。荒れた領地を立て直したくとも伝手や資金が無い新興貴族にとって朗報となりましょう」

「ご期待に沿えるよう尽力します、本日は貴重なお時間をいただきありがとうございます」

「こちらも有意義な時間を過ごせました、感謝します」

 

モットレイ卿は俺と握手を交わすと部屋から退室した。

扉が閉まった瞬間、力が抜けて思いっきり息を吐き出す。

上手くやれたかな?

いくら俺の口先が上手いからって、それは戦場で敵を騙したり挑発する方だぞ。

必要な書類を纏めて、自分の草案をきっちり説明し、相手に同意してもらうのは別の才能が必要になって来る。

貴族の交渉術なんて成り上がり者の俺には無理。

助けてアンジェ。

そう思っても此処にアンジェは居ない、今は遠く離れた王都でいろいろやってんだろうな。

せめて屋敷に帰って子供達と親子の時間を過ごしたいけど、まだ要件が幾つか残ってる。

あともう少しだけ気合いを入れて働きますか。

 

部屋から出ると広間に爵位持ちの貴族とその家族が集まって談笑したり、真っ昼間から酒を飲み交わしたりと盛り上がってる。

戦争が終わりファンオース公国がホルファート王国にってからこんな風に辺境の領主貴族や新興貴族が集まって茶会やパーティーを開催するのが多くなった。

ガキの頃は俺自身こうした催しに一回も参加した事が無かった上に、バルトファルト家が極貧で開催できる立場じゃなかったから貴族同士の集まりなんて税金の無駄遣いだと思ってた。

自分が領主になってからやっと貴族の交際って物が分かる。

横の繋がりが無いと他の領地から物流が滞るし、ナメられたら恥をかかされて相手の下に見られる。

獣が自分の縄張りを護るように貴族も領地を護る為に周囲を威嚇しなきゃ話にならない。

面倒事は嫌いだし、やんごとなき血筋の奴らの話題には付いて行けないけど何もしなけりゃどんどん立場が苦しくなる。

結局は情報収集と示威行為も兼ねて必要最低限の催しに参加するのが一番波風が立たない。

領主稼業はつらいよ。

まぁ、何人かの知り合いに同意書を貰えて今日の仕事はこれで終わりだ。

この分なら明日の朝には目的地に到着できる。

 

「バルトファルト子爵!」

 

どこからか声を掛けられた。

聞こえなかったふりをしてこの場から逃げ出したい。

だけどそれは無理な相談だ。

何せ相手は貴族様だ、自意識の塊みたいな連中だ。

無視したら根に持っていつまでもネチネチ嫌味を言う陰険な野郎が貴族には多い。

どうしてこう、立場に反比例して性格が悪い奴が貴族には多いんだろ?

いや、性格が悪いから出世するのか?

その辺の因果関係はよく分からん。

振り返るとグラスを手に持った二人の若い貴族がこっちに向かって来る。

あぁ、お前らか。

なら少しぐらい時間を潰しても問題ないな。

 

「お久しぶりですバルトファルト子爵」

「この催しならお会いできると思っていました」

「お久しぶりですレイモンド君、ダニエル君。こうして会うのは終戦以来ですね」

 

目の前に立つ体格が良い褐色肌の男がダーラント男爵家のダニエル、眼鏡を付けた整った顔立ちの方はアーキン男爵家のレイモンド。

ファンオース公国軍に対抗する為に結成された領主貴族の連合軍で知り合った奴らだ。

ダーラント男爵とアーキン男爵とは連合軍で知り合いになって、息子達は俺と同齢という理由で会議や作戦で連携した時にちょくちょく顔を合わせた。

二人は学園に通ってたらしいけど、軍に入って一兵卒から叙爵された俺を同年代の英雄扱いしてちょっと困る。

俺は運良く敵将を討ち取り、たまたま生き残っただけの凡人なのに希望の星みたいに目を輝かせて来るのが重荷だ。

慕って来る相手に失望されたら一気に悪評が広まるから邪険には出来ない。

どれだけ面倒くさくても、相手がまだ親から爵位を継承してない同い齢の貴族令息でも礼儀を弁えなきゃいけないのが新興貴族のつらい所だ。

 

「バルトファルト卿はこちらで何を?」

「レッドグレイブ公爵に提出する政策案の賛同者を募っていました」

「やはり英雄は俺達とは一味も二味も違いますね」

「大した事はしてません。御二人は婚活ですか?」

「それもあります」

「聞いてください、僕とダニエルは父の家督を継ぐ事になりました」

「……それはおめでとうございます。ダーラント男爵とアーキン男爵は引退されるのですか?」

「俺達が独り立ちするまでの期間は補佐してくれると言ってます」

「ファンオース公国との戦争じゃ犠牲が多過ぎましたからね、若い奴らの方が変革に対応できるから早めに引退して家を盛り立てようって算段でしょう」

 

戦争が終わってから子供に家督を譲る貴族が増えてる。

心身に傷を負って政務が出来なくなった奴、権力闘争に疲れた奴、時代の波に乗れないと悟った奴。

理由はいろいろあるけど大体が時代の変化を感じて自分の限界を知った年配が引退してる。

価値観を変えるにも頭が固く、出世するには才能と活力が足りない。

なら子供に家督を譲って自分は悠々自適な隠居生活を送ろうとする貴族当主が増えた。

羨ましい、めちゃくちゃ羨ましい。

こっちはあと二十年ぐらいは隠居できないのにろくに働いてないオッサン世代が気楽な老後を送るとか羨まし過ぎる。

爵位を譲るから交代してくれないかな?

 

「だからっていきなり爵位を譲られても困ります」

「恩賞さえまだなのに。これで領地の経営を引き継いでも立て直しなんか出来ませんよ」

「下手すりゃ統治の失敗を理由に爵位と領地を没収されかねません、そうしたら隠居どころじゃないって必死に説得してるんです」

 

若い貴族は経験が足りない、成り上がり者はそもそも貴族の教育を受けてない。

今のホルファート王国は若くてやる気がある奴ほど苦しい立場に追いやられてる。

無能を排斥して後釜に有能な奴を据えれば解決するほど政治って物は甘くないと最近になって分かりかけてきた。

別に俺はホルファート王家に対して御大層な忠誠心は持ち合わせていない。

アンジェの事を抜きにしたらレッドグレイブ家に肩入れし過ぎるのも危険だと思ってる。

ただ国が安定しないとうちの家族が危険に晒される。

 

特にあの夢が本当なら別世界の俺は20歳でファンオース公国とラーシェル神王国とヴォルデノワ神聖魔法帝国を平定したらしい。

別世界の俺が他国に攻め入るイケイケな軍国主義者ならともかく、ルクシオンやお妃様達の反応から性格に大差ないと思ってる。

ファンオース公国はホルファート王国に併合した、なら次はラーシェル神王国とヴォルデノワ神聖魔法帝国と戦争が起きるかもしれない。

このまま内乱が起これば更に国が弱体化して必ず戦争になる。

それを食い止める為に一刻も早く王家と公爵家の関係の修復と国内の復興を急がないと。

 

「お困りな御二人に耳寄りな情報があります」

 

にこやかな営業用の微笑みを顔に浮かべて封筒から紙の束を出して差し出す、

モットレイ卿の説明に使った資料だけど有効活用させてもらおう。

位階が低い男爵家でも協力してくれるならしてもらう。

数は力だ、英雄一人でも百人の兵を同時に相手するのは難しい。

下手に領主貴族を処罰したら統治者が減るから今の王家は貴族を無碍に出来ないし。

 

「とても有意義な話です、此処での話は無理なので別室で話しましょう」

 

ダニエル君とレイモンド君は胡散臭い俺に従ってさっきモットレイ卿と俺が使っていた部屋に入った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

顔の筋肉が痛い、ゆっくり揉んでも表情が死んだみたいに動かなくて口を開くのも面倒臭い。

艦橋で飛行船を操縦する部下達には俺が不機嫌に見えるんだろう。

俺が戻ってからチラチラこっちを盗み見ても声をかけて来ない。

どうもアンジェが王都に行ってイライラしてると思われてるみたいだ。

失敬な、確かに寂しいけど八つ当たりするほど器の小さい男じゃないぞ。

 

「兄さん、いい加減に機嫌直してよ」

「別に怒ってない、疲れただけだ」

 

コリンが俺を宥めるけど別に怒ってない。

慣れない社交やモットレイ卿や同年代の若い連中を口先で言い包めた自分にうんざりしてるだけだ。

あれから一時間程度の説明でダニエル君とレイモンド君は俺の案に上手く乗ってくれた。

まだ家督を継いでないとはいえ次期当主が賛同するんだ、法的な効力は十二分にある。

だからと言って生真面目で真っ当な連中を巻き込むのは罪悪感がどうしても湧く。

アンジェの考えた改革案に賛同したからと言って罰せられる訳じゃない。

戦争で被害を受けた領主貴族の保障は王家も悩んでいる、もし公爵が王位を奪っても問題は据え置きだ。

領主貴族からの支持を集めてる公爵が領主貴族を蔑ろにしたら派閥の人員が減る。

公爵としちゃ無視できないから要求に応えるしかないだろう。

政治なんて面倒なだけだ、口先で他人を誘導するのも気が引ける。

きっと俺は地獄に堕とされる、それだけの事をやってきた。

 

「僕じゃなくてニックス兄さんが一緒なら良かったのに」

「兄さんは結婚式の準備で忙しい、父さんも同行してるから今頼れるのはお前だけだ」

 

アンジェの出産予定日が来月、それを踏まえた上で兄さんとドロテアさんの結婚式が行われる予定だ。

俺とアンジェの結婚式が地味だった反動か、兄さんの結婚式はローズブレイド家が主導する形になってる。

兄さんはローズブレイド家から婿殿として歓迎されて伯爵領に行ったら数日は帰れない有様だ。

男爵家の当主な父さんも同行する事が多くて俺を補佐してくるアンジェは王都行き。

母さんと姉貴とフィンリーはいまいち頼りなくてコリンが俺を助けてくれる。

今日のパーティーもコリンが同行してくれた。

 

「兄さんが結婚かぁ、姉貴とフィンリーはいつになったら結婚できるんだろうな」

「それ二人に言わないでよ、ドロテアさんが嫁入りしたらますます不機嫌になるから」

 

戦前は貴族の女性が相手を選ぶ権利があった。

父さんやモットレイ卿みたいに悪い女を妻にしたら自分の血を引いてない男子に家督を奪われるなんて事件が山程あったのに王国はその声を黙殺。

積もり積もった怨みは領主貴族の反発を招いたけど王家の力に文句を言えなかった。

そんな力関係も戦後は一変。

ただでさえ少なかった貴族の男は数を減らし、真っ当な貴族は宝石より貴重になってる。

側室や妾になれたらまだマシな方で、下手すりゃ娼館に売られる貴族令嬢が後を絶たないと来たもんだ。

 

姉貴とフィンリーはそんな古い考え方に固まった貴族令嬢だったけど最近になってちょっとした変化が起きた。

誘拐事件に巻き込まれ、醜い妄執に染まったゾラ達を間近で見たせいだろう。

家の仕事も手伝うようになってくれたし、淑女教育にも精を出してる。

あれでも俺の姉と妹なんだ、出来るなら幸せになって欲しいぐらい俺だって思ってる。

 

ぼんやりそんな事を考えながら視線を横にいるコリンに移した。

末っ子のコリンは素直な性格で頭だって悪くはない。

ただバルトファルト家の男連中と違って荒事に向いてない。

戦前は冒険者、戦後は軍人とホルファート王国の理想の男性像は強い男だ。

俺としちゃコリンにも出世して欲しいけどバルトファルト領に居てもコリンの将来は閉ざされている。

子爵家は俺の息子が継ぐだろう、男爵家も兄さんが継ぐ。

俺達が死ぬ事態が起こればコリンが家督を継げるが、そうじゃなきゃ甥や姪にコキ使われる未来が待ってる。

こういった問題を解決する為に貴族の次男や三男は騎士になる道を選ぶんだけど、コリンが騎士に向いてるとはどうしても思えない。

 

「コリン」

「何、兄さん?」

「お前、留学する気あるか」

 

唐突にそんな言葉を口にする。

戦争が終わってから王国は人手不足だ。

問題ある連中を処罰したのが一因だけど、若手が居ないのも痛手だった。

貴族に必要な最低限の教育を施す目的で学園があったけど、ファンオース公国の戦争が始まってから休校。

兄さんと姉貴は卒業扱い、フィンリー以降の貴族の子供は各々の家で教育してる状態だ。

そのせいか実家の経営に詳しくても国全体の政治を担える官僚が不足している。

誘拐事件後にユリウス殿下やジルクから贈られた手紙にはそんな愚痴が長々と書かれていた。

 

「どうして、また急に?」

「今の王都は人手不足らしい。引退した年寄りまで使って何とかやりくりしてるけど限界と言われた。宮廷で働く文官は喉から手が出るぐらい欲しいってパーティーで聞いた」

「でも、書類仕事なんて経験無いよ」

「殿下の手紙には学園を再開させようって動きがあると書いてあった。そうなる前の若い連中は留学させよう、優秀なら戻った後に宮廷で働けるよう便宜を図ってくれるらしいぞ」

「初耳だよそんなの」

「まだ企画段階だからな。復興中のアルゼル共和国、王妃様の伝手でレパルト連合王国、あと遠いオシアス王国が候補になってる」

「……もしかして僕、邪魔なの?」

「そうじゃないさ。これからの世の中は学問が重要になるって話だ」

 

俺は戦争で出世したけど戦争が嫌いだ。

別に上級クラスじゃなくても構わない、普通クラスで勉強して資格を持ってどっかで働くような人生を送りたかった。

可愛い弟や自分の子供達には平和な時代を生きて欲しい。

人を殺さずに出世できるのは幸せな事なんだぞ。

 

「兄さんって本当は凄い人だよね、自分じゃ大した事ないって思ってるけどさ」

「嫁と知り合いが凄いだけだぞ。そのおかげでいろいろ情報が流れてくる」

「最近うちに来る手紙が増えたのは殿下と知り合いになったせい?」

「あいつら、何か俺を気に入ってやたら手紙や贈り物をするようになった。俺はあいつらの愚痴を聞く酒場の主人じゃねえんだぞ」

 

半分は誤魔化し、半分は真実だ。

改革案の修正には情報が不可欠だから殿下達から報告の手紙が直接こっちに送られる。

ユリウス殿下とジルクは王との状況と国全体の問題点、グレッグとクリスは国内の治安、ブラッドからは辺境の様子と外国の情報が事細かに報告されてる。

同時にユリウス殿下からは宮廷の愚痴、ジルクからは厭味ったらしい文句、グレッグからは武器の試作品、クリスからは寂しさを紛らわせる為の相談、ブラッドからは上手く描けた自画像の複写が送られた。

使えそうな物は貰ったけど要らない物は送り返したぞ、こんちくしょう。

あいつらが有能なのか、途轍もない馬鹿なのか最近分からなくなってきた。

ただ言える事はあいつらに任せきりにしたらこの国がヤバい。

 

「子爵様、そろそろ目的の場所です」

「分かった」

 

席から降りてコリンに譲る、此処から先は別行動だ。

 

「じゃあ、後は頼んだ。何日かしたら戻るから」

「せめて何処に行くか教えてよ。あんなの積んで何する気?」

「悪い、お前らを巻き込みたくない」

「兄さんはどっかの貴族の屋敷に殴り込みしかねないから怖いよ」

 

失礼な弟だな、俺だって襲う直前に連絡して最低限の義理は通すぞ。

文句は口にせず部屋に戻り愛用の戦闘服に着替える。

これを着ると気分が引き締まる自分が悲しい、どこまで行っても俺は戦争屋なのか。

格納庫に入るとキラッキラに輝く小型飛行船が目に入る。

これはローズブレイド家からの贈り物だった。

『民間の飛行船を使ったから誘拐された、ならば小型の最新型で行き来すればいい』とはローズブレイド伯爵の弁。

公爵家といい伯爵家といい名家は発想も経済力も桁違いだ。

乗り込んで積み荷を確認、武器、弾薬、食料、水、薬、撮影器具、準備良し。

これから初めての冒険に向かう。

あれだけ嫌ってた冒険者の真似事をするとか人生は何が起きるか分からないもんだ。

操作盤のボタンやスイッチを動かして飛行船を起動させる。

最新の飛行船は振動も音も静かで技術力の凄さに感動さえ覚えた。

 

「リオン・フォウ・バルトファルト。これより発艦する」

『こちらコリン・フォウ・バルトファルト。兄さんの無事を祈ってるよ』

「じゃあ行ってくる、土産は期待すんな」

『早く帰ってみんなを安心させて』

 

コリンの言葉を聞き終えたのと同時に操縦桿を握り締める。

向かうのは夢で教えられたあの場所だ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

飛行船ってのは本来は複数人で操縦するもんだ。

どれだけ優れた操縦技能の持ち主でも同時にやれる事に限界はある。

ましてや空には目印なんて無い。

地図に記されない小型の浮島、雲や霧による視界不良、延々と続く空の青さによる感覚の麻痺。

自分が正気かなんて分かったもんじゃない。

本当なら誰かを同行させるべきだけど、これは俺一人で解決すべき問題だ。

何より『夢でロストアイテムに教えられた場所に眠っている宝を見つける』とか言い出す奴を普通はどう思う?

医者に相談して強制入院させるに決まってる。

 

教えられたのは大雑把な地図の位置だけ。

おまけに世界はあまりに広い、ちょっとした違和感なんて気付かない内に通り過ぎてしまう。

この数か月間は休日の度に陽が昇る前に出かけて陽が沈んだら戻るのを繰り返したんだぞ。

アンジェには浮気してないかずっと疑われたし、家族の責めるような視線が本当に痛かった。

 

そうして暇を見つけては探索を繰り返し、磁気の異常地点を発見するのに二ヶ月もかかった。

準備を整えるにはそれから更に半月、こうして間に合ったのは奇跡としか言いようがない。

途中にある領地の空港で休憩を取って夜明け前に出発、数時間後に到着したのは磁気の異常が確認された場所だ。

慎重に飛び続けると方位磁針が突然狂い始める。

更に速度を落として飛び続けて正確な位置を割り出す。

方位磁針が狂う方向に向かって近づくというあまりに命知らずな行動。

俺はビビりなんだよ、今すぐおうち帰りたい。

 

ついに方位磁針の乱れは最高潮になる。

飛行船を待機状態に切り替えて甲板に出る、目的地はそこにあった。

巨大な雲が空に漂っている。

目に見えない大気の流れに周囲の雲はゆっくり動いているのにその雲だけは一ヵ所に留まり続けてる。

そこだけずっと時間が止まっているように静かだ。

周囲を確認すると雲の真下の海面に光が見える、警戒しながら近づくと光は徐々に強まっていく。

 

これだ。

 

探してた場所を見つけた喜びに叫び出したくなる。

本当にあった。本当に。

まさか本当にあるなんて半信半疑だったのに。

あの夢が真実だと分かった達成感、同時に未来で起こりえる可能性に恐怖を感じる。

 

下唇を噛んで小便を漏らしそうな恐怖を必死に耐える。

ここで俺が逃げ出しても何も変わらないかもしれない。

けど逃げ出して何も変わらなかったら?

もしあの兵器が俺の大事な人達を襲ったら?

王国の崩壊、他国との戦争、王になった俺。

信じられない、でも教えられた事が真実なら、それはありえる未来の形だ。

 

もしも破滅の未来が訪れたら?

また人が死ぬ。

それも王国だけじゃない、他の国の人間も死にまくる。

せっかく平和になったのにまた戦争が起きるなんて冗談じゃない。

俺に出来るのは戦争を起こしそうな奴を邪魔するだけだ。

公爵、王家、ロストアイテム。

幸せな家庭を護る為なら神様にだって喧嘩を売る。

俺の幸せをぶっ壊す奴は首根っこを掴んで性根を叩き直す。

 

呼吸を整えて操縦席へ戻り操縦桿を握り締める。

最新の小型飛行船だ、鎧の攻撃や大型船の砲撃じゃない限りは耐えられる。

腹を括って海面に飛行船を近づける、すると飛行船全体が振動を始めた。

必死に操縦桿を離さないのが精一杯だ、何が起きてるのか見当もつかない。

外を見ると少しずつ飛行船が上昇している。

おかしい、俺は飛行船を待機状態に保とうとしてるのに。

目に見えない大きな何かに押し流され少しずつ上昇している飛行船。

心が狂わないように意識を保つのがやっとだ。

 

ダメだ ダメだ ダメだ

ちくしょう やっぱ止めときゃ良かった

あの球っころめ もし死んだら地獄で殴ってやるから憶えとけ

 

俺の口から洩れた悲鳴は誰にも聞かれる事なく空に吸い込まれる。

目の前に迫った大きな雲を前に何度目になるか分からない死の予感に身を震わせる事しか出来なかった。




今章はリオン視点のお話。
今作リオンはルクシオン発見時の転生者リオンよりレベルや装備は上ですが前世知識がありません。
ルクシオンにどう対抗するかは持ち越し、次章はアンジェ視点に移ります。

追記:依頼主様のリクエストによりReiN様、紫おん様、柳(YOO) Tenchi様にイラストを描いていただきました、ありがとうございます。

ReiN様 https://www.pixiv.net/artworks/117376563(成人向け注意
紫おん様 https://www.pixiv.net/artworks/117384363(成人向け注意
柳(YOO) Tenchi様 https://www.pixiv.net/artworks/117401430

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第74章 脚本

「本当にうちの男共は頼りにならなくて、愛だの浪漫だの追い求める前にやるべき責務があると思わない?」

「……はぁ」

「どうしてあんな風に育つのかしら、あの無責任さがホルファート王家の特徴かもしれないわね」

「……そうかもしれませんね」

 

愚痴である。

延々と続いているミレーヌ様の愚痴に私の心は疲弊していた。

私に課せられている使命は人形のようにひたすら王妃の口から洩れる憤懣を聞き続け、適当な時に曖昧な応答をするだけ。

こんな仕事は王妃付きの侍女や王妃と懇意になりたい何処ぞの御婦人方に任せれば良いのだが、ミレーヌ様の御側にはそんな不埒な考えを持つ相手は見受けられない。

 

幼少の頃より才媛として名高いミレーヌ様は出生や縁故より実力を重んじられる公正無私な御方だ。

いや、公正無私に為らざるえなかったというべきか。

王妃とはいえレパルト連合王国から嫁がれたミレーヌ様に対し潜在的に余所者扱いしているホルファート王国の貴族はかなり多い。

極一部の供廻りを除き他国へ嫁ぎ一国の政務を執り仕切るには信の置ける者を一から育て上げる必要があった。

 

私もそうした一人になる予定だったが、今では王都から遠く離れた辺境で領主貴族の奥方という気楽な身分を満喫してる。

ミレーヌ様にとっては私が王家に愛想を尽かし辺境にさっさと引っ込んだと思い込んでいるかもしれないが、そうなった原因は貴女の産んだ息子です。

正直な所、私の方が文句の一つも言いたい気分だ。

 

ミレーヌ様の鬱憤を晴らす為、私が嬉しくもない話し相手を拝命して既に一日が経過した。

宮廷貴族のパーティーが今宵行われる王都の宴会場、その会場を備えた高級宿の一室に私達は待機している。

まだ誰も到着していないこの時間に移動したのは余計な詮索を避ける為だ。

今この時ですら王妃の憤懣は治まらず、話を聞き続けた私はパーティーの開始前で既に疲労困憊の有様。

適当に聞き流したいのは山々なのだが時に有益な情報もあるので最期まで気を抜けない。

ミレーヌ様の怒りの矛先は主にローランド陛下とユリウス殿下の二人に対してだった。

 

「アンジェ、貴女も気を付けなさい。男なんて子供を産んだら妻に目もくれないし、暇な時に子供を可愛がるだけが子育てだと思い込んでるんだから」

「……気をつけます」

「結婚した当初はそれなりに優しかったからすっかり騙されたわ。言葉より行動で示して欲しいのに私が政務に勤しむほど腫物扱いして。誰のせいでこうなったと思ってるのよ」

 

それは貴女達ご夫婦の話であり、私達夫婦と同一視しないでいただけますか。

喉から出掛かった言葉を必死に噛み殺す。

嫌な事にミレーヌ様の憤りに関しては私にも心当たりがあった。

特にリオンも子供達に対し甘い部分が存在し、これまで幾度も私は諫めている。

私を宥めるリオンの言葉に絆されついつい看過してきたが今後は改めた方が良さそうだ。

これだけ夫に対する愚痴を聞かされてリオンが陛下より幾分マシだと思うのは惚れた弱みなのか。

或いは陛下が為政者、夫、父親としても酷過ぎるだけなのが判別が難しい。

 

「仕事を理由に教育係へ任せたのは誤りね。貴女とユリウスの婚約破棄してからエリカだけでも私の手で矯正できたのが唯一の救いだったわ」

「エリカ殿下はフレーザー伯爵家に嫁がれるご予定だったのでは?」

「本来ならファンオース公国との戦争が終わった時にすぐにでも輿入れさせる予定だったのよ。でもフランプトン侯爵派の粛清と同時にフレーザー家が信に足るか各方面から見直したわ。エリカは我が儘、エリヤは国境を護る伯爵家と跡取りとして自覚が足りな過ぎて不適格。あの二人を鍛え直すのに四年もかかったわ」

 

エリカ殿下はユリウス殿下の妹君であり、国王の正妃であるミレーヌ様が産んだもう一人の御子だった。

性格は天真爛漫だがそれはあくまで表向きの話、本性は傲慢にして我儘という典型的な苦労知らずで増長した女子その物である。

王妃教育で後宮を訪れた際は私に対し丁寧な応対をしていたが、その瞳に宿す光は荒々しい物だった。

裏で私を貶める陰口を広めたり素知らぬ顔で嫌がらせを受けた事は数え切れない。

そもそも私の王妃教育が過酷になった背景には王の実子でありながら淑女教育を拒むエリカ殿下の不足分を穴埋めする意味合いすらあったのだ。

仮に私が婚約破棄されず王妃となっても積極的に関わり合いたいと思える人柄ではなかった。

寧ろ理由さえ在れば強大な力を蓄えているフレーザー伯爵家ごと取り潰したいと思ったのは一度や二度ではない。

そんなエリカ殿下が素直にミレーヌ様の指導を受け入れるとはとても思えなかった。

 

「もちろん全力で抵抗したわよ。陛下にお願いしたり、侍女を身代わりにしたり。教育係を脅した事さえあったわ。最終的に私じゃなきゃ従わないと分かって。政務が暇な時はずっとあの子を面倒見てたのよ」

「素直に従いましたか?」

「従わないなら王籍を剥奪して処刑すると脅したら効果覿面よ。侯爵派を粛清してた時期だったのが良かったわね。処刑場に連れて行ったら次の日から素直になったわ。同行させたエリヤも運動に精を出して今じゃ見違えるほど痩せてるのよ」

 

それはそうだ。

真っ当な感性の持ち主なら『王女だろうが教育を拒むなら首を刎ねる』と生首を目の前に脅され、次は自分だと思い大人しく従うだろう。

ましてや国を裏切り処刑された者の中には要職に就いていた者も数多く存在していた。

未だ爵位を継承していない嫡男や政務に関して無能な王族など存在していないも同然、むしろ禍根を遺す前に消し去った方が後腐れないと思われた時点で命取り。

危機感を覚えた二人が必死になって勉学に励むのも当然と言えよう。

 

「教育は優秀な子以外は手間を惜しんではダメね。……いえ、いくら優秀でもちゃんと見張ってなければ道から逸れてしまう。この歳になって漸く母親としての実感が湧いたわ。貴女も気を付けなさい」

「王妃様自らの御教授、感謝致します」

「王家が残るにせよ公爵家が支配するにせよ、貴族の令息令嬢の意識改革を推し進めないと戦前と何も変わらないわ。子供を育てるのってどうしてこう、上手くいかないのかしら?」

 

苦笑するミレーヌ様の表情は何処か楽しそうである。

口では文句を言いつつもやはり腹を痛めて産んだ子が愛おしいのだろう。

私も同じ気持ちだった。

産まれたばかりのライオネルとアリエルの子育てを自らの手で行うも思い通りにならず悪戦苦闘の日々を送ったのは僅か二年程前。

何で泣いているか分からない。

空腹か、眠いのか、おむつか、何かが悪いのか。

貴族は基本的に子育てを乳母や教育係に一任するが、貴族として最底辺だったバルトファルト家にそんな風習がある筈も無い。

初めて産んだ子という意気込みもあって子供達の面倒を全て見ようとして空回り、夜泣きする双子をリオンと共に抱きかかえ眠れぬ夜を何度過ごした事か。

双子が順調に育ち、ある程度は使用人に任せられるようになって余裕が生まれた。

もう二度とあんな苦労はしたくないと思いつつも次の子が産まれるのを心待ちにしている私はひどく矛盾している。

 

「学園を再開する前に初等教育を徹底させた方が良いわね。爵位や領地で受けられる教育水準に差が出ないように画一的な教育制度を作るべきかしら?」

「ですが、領地の知識や爵位に能う知識を予め授けた方が滞りなく継承できるかと」

「受け継ぐべき爵位や領地が不変ならそれで構わないわ。だけど今の王国ではそれが許されない、あらゆる価値観が変わってしまったわ。貴族の存在も時代に応じて変わらなくてはならないの」

「原因は戦争の影響でしょうか?」

「事態を加速させたのは確かにそうね。でも一番の原因は別にあるわ」

「それは一体?」

「聡い貴女なら既に分かっている筈じゃない。彼女(・・)が学園に入学できたのは私達が裏で画策していたからよ」

 

知りたくはない、知ってしまえば逃げられなくなる。

同時に心の何処かで納得もしていた。

 

どうして辺境で育った彼女(・・)が学園に迎えられたか

特待生として上級クラスに編入できたのか

 

少し考えれば当時の私にも分かった筈だ。

それが出来なかったのは私がユリウス殿下の婚約者として彼女(・・)を敵視していたから。

怒りは目を曇らせ判断を誤らせる、あの時の私は確かに未来の王妃には相応しくなかった。

婚約破棄によって王妃という至高の地位を逃した先に幸福な日々を送れているのは何とも皮肉な話だ。

 

「オリヴィア、彼女はいったい何者なのですか?」

「彼女は主役(ヒロイン)よ。尤も彼女を取り巻く物語は私の考えた脚本から逸脱し過ぎて修正できないけど」

 

ミレーヌ様の御言葉が要領を得ない。

確かにオリヴィアが優れた頭脳を持ち、稀少な回復魔法の使い手なのは理解している。

そんなオリヴィアは特待生として学園に編入、王子や名家の令息と懇意となり、数々の冒険で功績を上げ聖女に推挙された。

ファンオース公国と内通していた貴族達の後援を受けるも真実を公表、二度に渡り侵攻を退けて今や王家よりも崇敬を集めている

こんな狂人の妄想じみた脚本を実行できるのなら、それは最早神の所業である。

さらに状況はオリヴィア自身にもこの状況は決して喜ばしい状況ではない。

全てがチグハグ、役者も脚本も演出もその場その場の即興(アドリブ)だらけで奇跡的に辻褄が合っているだけ。

何が目的でこんな狂った歌劇が生まれたのか、聞きたくないが逃げ出す事は叶わない。

私もこの歌劇に関わる重要な役なのだから。

 

「では最初に。どうして学園が作られたのか貴女は知っている?」

「学園の設立は公国の独立まで遡ります。当時のホルファート王家は大公が叛逆した異例の事態を重く見ていました。王国内の結束、及びに価値基準の統一、更には若き貴族の育成を目的として教育機関の設立が急務となり国内唯一の教育機関として王家の主導により設立されました」

「よろしい。だけどそれは表向きの理由よ、本当の設立理由を貴女は知っている?」

「……仰る意味が分かりません」

「なら言い方を変えます、ヴィンス公はどこまで貴女に真相を伝えているの?」

 

穏やかだったミレーヌ様の口調がいつの間にか問い質す物に変わっていた。

稚気を湛えた瞳は君臨する為政者として私を見据え、言動に不審な部分を捉えたら容赦なく糾弾するという覇気に満ちている。

或いは今までの会話自体が仕込みで私から情報を引き出すのが目的だったのかもしれない。

エリカ殿下に対する教育の真偽がどうであれ、ミレーヌ様は自分の身内であっても手心は加えない御方だ。

まして裏で王国の主導権を争っている公爵家の娘を人質にする程度は涼やかな顔で命じられる。

そうしないのは手を組んだ方が互いに益があるから過ぎない。

嵌められた悔しさよりもここまでするミレーヌ様の御覚悟に感嘆すら覚えた。

 

「……父上からは各地から集めた貴族の選別を学園で行い、未来の政権を担う人材の育成及び形骸化した腐敗貴族の剪定を目的としているとは聞き及んでいます。貴族の嫡男、及びにその控えを入学させるのはホルファート王国内に於ける勢力図の縮図を分かりやすくする為かと」

「そうね、それも確かに真の目的の一つね。私が尋ねているのはその先よ」

 

ミレーヌ様の真意が分からない、分かりたくない。

知れば否応無しにホルファート王国が抱える闇を直視せざるえない。

その闇を直視するのはこれからの私の人生、延いてはバルトファルト家その物がこの国の根幹に関わる事を意味する。

拒もうとしても引き返せる場所はとうの昔に過ぎている。

いや、公爵家の娘として生を受け第一王子の婚約者に選ばれた時から私は引き返せない場所に居たのかもしれない。

 

リオンならこんな時どうするだろうか?

きっと逃げたいと言いながらも最後まで付き合ってしまうのが我が愛すべき夫だ。

ならば私も逃げ出す事を止めよう。

少しでも正しく血が流れない方向に修正し、私達の子供が生きる時代へ少しでも禍根を減らす。

ままならぬのが人の世の常、ホルファート王国の闇を正確に捉え為すべき事を為す。

今の私に出来るのはほんの僅かな状況改善の提案だけだ。

 

「つまり人事権の掌握です。王家が運営する学園で人材の選別を行う。優秀な人材は囲い込み、劣悪な人材は瑕疵を見つけ取り潰す。これを繰り返せば王家の力は増し、貴族達は王家に否が応でも臣従するしかない。反抗的な者達もやがては叛意を挫かれ王家に心から忠誠を誓いましょう。途方もない時間と資金を費やしますが王家の存続が保障されるのならば必要な経費としては妥当な額かと」

 

当たらずとも遠からずといった所だろうか?

大公が叛逆し独立した事実に当時の王家が対策を講じない訳がない。

考えられるのは反乱分子の鎮圧と力による絶対的な支配。

先のファンオース公国との戦争ですら過剰なまでの粛清と取り潰しが行われたのだ。

人権意識の低い時代だ、疑わしき者は罰せよの精神で無実の者が大量に巻き込まれた筈。

ファンオース公国の建国前後の資料は辻褄が合わず信憑性が欠ける者も数多い。

恐らくは王家にとって不都合な事実は意図的に隠され、事実は闇に葬られたのだろう。

 

「凄いわアンジェ、其処まで思い至れるなんて。やっぱり王国で育った者にしか分からない空気があるのかしら」

「お褒めに預かり光栄です。では正解でよろしいでしょうか?」

「だけど満点はあげられない。ホルファート王国の真意はもっと乱暴で手前勝手よ」

 

乱暴な物言いはミレーヌ様御自身が納得していない証明だろう。

これでもまだ正解に至らないか、王家にとって都合良くかなり暴論と笑われてもおかしくない解答だったのだが。

 

「ホルファート王家が学園を設立した目的、それは貴族の存在を抹消し王家の存在を揺るぎない物とする為よ」

 

解答を聞いた瞬間、頭を思いきり殴られたような衝撃を受けた。

同時に何処か納得している己もまた確かに存在している。

なるほど、そう来たか。

単純にして明快、故に何処までも自分の都合しか考えず醜悪と言って良い。

王家の隠し持っていたロストアイテムは確かに素晴らしかった。

超大型のモンスターを退けられたのはオリヴィアと王家の船が秘めていた能力が大きい。

 

だが、それとて王国軍の兵や貴族の尽力があればこそだ。

そうした戦働きを一切無視し、貴族の存在を根底から否定する。

あまりに暴論、あまりに手前勝手。

この話を聞いた貴族全員が王家に対し反旗を翻してもおかしくない内容だった。

本来ならば私も怒るべきなのだろう。

怒りきれないのは領主貴族筆頭のレッドグレイブ家に生まれ、王妃教育によって王家の歴史をある程度は把握し、リオンに嫁いで領地経営の実態を体験したからに他ならない。

 

「ホルファート王家による国家運営、それを盤石にする為の最大の障壁が貴族という訳ですか」

「王国の貴族、とりわけ領主貴族の血筋を辿ればその殆どは各々の浮島を支配していた豪族よ。寧ろ支配の正統性に関しては王家よりも上と言って良いわね」

 

ホルファート王国の成り立ちは冒険者の一団が功績を上げ付近の浮島を併合した史実にまで遡る。

ロストアイテムという兵力差を覆す圧倒的存在による従属。

氏素性すらも明らかではない流れ者が偶然手にした力で王となった。

歴史とは流血と欲望によって生み出される、どれだけ美辞麗句で彩ろうと血臭さが匂う物だ。

そうして王家の力に屈服し召し抱えられた貴族の心が本当に従順になっているとは限らない。

寧ろ秘められた逆心は年月の経過と共に陰惨な物へ変貌を遂げる。

建国以来、領主貴族の存在は王家にとって悩ましい存在だったのは史書に記される揺るぎない事実だった。

 

「今よりも飛行船や鎧の製造技術が容易い時代よ。性能が低い代わりに貴族が戦力を簡単に増強できる。しかも領主貴族の全戦力は王家の保有する戦力を上回ってる。当時の王家が危機感を抱いたのは必然ね」

「だから武力ではなく文治を以て国を統括する為に学園を作り上げた。国政を執るのは王家と昵懇の宮廷貴族、領主貴族は領地の統治権を持つ代わりに国政への介入と爵位に制限が科せられた訳ですか」

「その通りよ、よく出来ました~♪」

 

両手を軽く合わせてミレーヌ様が拍手する、おどけた仕草だが面白くも何ともない。

これは王家によって不当に扱われ続けた王国貴族の歴史だ。

己の血を誇る領主貴族にとっては屈辱、恥と外聞を捨てて王家に媚びを売った宮廷貴族は忸怩たる思いで聞くしかない。

 

「領主貴族への新たな枷として作られたのが女尊男卑政策。これは領主貴族の当主に宮廷貴族の娘を嫁がせて力を削ぐために作られたの。領主貴族は爵位の低い者が多い、国政に携わる宮廷貴族に対してどうしても譲歩せざるを得ない状況に追い詰める。更に宮廷の仕来りを強制する事で従属化を推し進め更に力を削ぐ計画よ。これも途中まで上手く行っていたらしいけど誤算が生じたわ。いえ、寧ろ必然と言っていいかしら」

 

よくもまぁ、これだけ領主貴族に対して徹底的な弾圧を繰り返す物だ。

それだけ当時のホルファート王家が領主貴族の存在を恐れていた証左と言えよう。

人は理解の及ばぬ存在を拒み、恐怖を拭い去る為に徹底的に攻撃する傾向にある。

病、宗教、思想、人種、国家等々。

己が頂点に君臨する為に人はどれだけの血を求めるのだろうか。

 

「本来はホルファート王家と真実を知る極一部の宮廷貴族が数百年をかけて王国の支配体制の変革を予定したらしいわ。成功したら今の王家は絶対君主として王国を治めていた筈ね」

「ですが、そうはならなかったと」

「えぇ、私も又聞きだけど当初の計画から数十年で計画に支障が出たのよ」

「領主貴族の反対でしょうか」

「事態はもっと悪いわ。領主貴族の力を削ぐ前に宮廷貴族の堕落が始まったの」

「それはまた……」

「権力を持つ者は必ず腐敗する。どれだけ崇高な理想を追い求めていようと、先祖が清廉潔白な人格者だろうと例外なくね。そもそも計画自体がホルファート王家の存続を最優先にしたんだもの。王命を理由に宮廷貴族の専横は時代を下るほど悪化していったわ」

 

国政を担った者の驕りだろう。

宮廷貴族は王家の守護を名目に税を課し、抗議すれば逆臣と言われ討伐される。

それが繰り返し行われ、ついには当初の目的すら忘れ去られた。

後に遺ったのは腐敗した宮廷貴族と怨みを抱えた領主貴族。

確かな権力基盤を作ろうとした結果は腐り堕ちた手足と叛意を抱く家臣。

王家の存続を最優先した結果がコレとは運命の悪戯としか言いようがない。

 

「女尊男卑政策も腐敗を助長した一因ね。当主ではなくその妻が力を持てば領主貴族の弱体化はより顕著となるわ。王都の学園で贅沢をさせれば更に領主貴族は困窮し、逆に王都の金庫は潤う。王家としても止める理由が無かったの。そうして放置した結果、取り返しのつかない事態を招いてしまった」

「学園の惨憺たる有様を王家は何故放置していたか納得できました。王家が令息や令嬢の横暴を止めなかったのは、他でもない王家がそれを許していたからですね」

「……ごめんなさい、貴女には話しておけば良かったわ。そうすればユリウスとの婚約破棄は回避できたかもしれないのに」

 

私が通っていた頃の学園はひどい状況だった。

家柄にかまけ自身の努力を怠り他者の足を引っ張る事に精を出す品性下劣な生徒。

思い返すと私を含め極一部の真っ当な感性を持っていたのは伯爵家以上の出身者が多かったように見受けられる。

恐らく頭が回る貴族達は気付いていたのだろう。

宮廷貴族は王家に切り捨てられぬよう、領主貴族は付け入られる隙を見せないように。

 

「ですが、どうしてオリヴィアが関わってくるのでしょうか?彼女はあくまで平民の出身者です。優れた人材である事は認めますが国政を担うにはあまりに後ろ盾が無い」

「それも単純な理由、王家は貴族に変わる身分を作ろうとしていたの。貴族よりも優れ従順な臣下、強く、賢く、勤勉で、人格に問題ない優れた者を」

「……だからオリヴィアを上級クラスに編入させたのですか」

「えぇ、彼女を選んだのは宰相よ。私はそれを認可しました。来るべきホルファート王家の忠実な従僕、その最初の一人に相応しい少女と見込んで」

 

こみ上げる吐き気を必死に耐える。

不敬罪に問われようがミレーヌ様を殴って罵りたい衝動を抑える為に拳を握った。

分かっている、ミレーヌ様も巻き込まれた側の人間だ。

十代で他国から嫁いだ姫君にこんな計画を一から遂行できる訳がない。

この計画を立案した者達は既に墓所の骸と化している。

欲のまま行動し負債を子孫に押し付けのうのうと永遠の眠りに臥している。

あまりに醜悪、あまりに驕慢、あまりに手前勝手。

そんな輩が長きに渡りこの国の玉座に君臨している。

この王国の根底が腐っている、人を人とも思わない王家の悍ましさは形容できる物ではなかった。

 

「本来はオリヴィアを手始めに優れた平民を編入させ王家が支援する予定だったの。凡そ二十年もすれば平民でありながら要職に登用される者は増え、傲慢で無能な貴族は切り捨てられる。変革は緩やかに行われ、百年後にはホルファート王家が国内の全てを掌握していたはず」

「だがそうはならなかった。オリヴィアはあまりに優秀過ぎた。それこそ王家を凌ぐ求心力を今の彼女は備えている」

「これまで貴族や平民を顧みなかったツケね。今の王家は貴族からも平民からも見捨てられつつある。いずれ切り捨てる予定の公爵家よりも未来の従僕を優先した。その結果が公爵家に玉座を狙われ育てていた聖女に牙を剥かれる。まるで三流喜劇の結末ね、誰もが筋書きを無視して自分のやりたいように即興(アドリブ)を入れたせいであらゆる部分が破綻しているわ」

 

ミレーヌ様の乾いた笑いは誰に対して向けたものか。

やる気の無い国王である夫か、婚約破棄した王子である息子か、臣下でありながら逆心を抱く公爵か。

或いは感情に身を任せ王子と聖女に決闘を申し込んだ愚かな公爵令嬢(わたし)に対してか。

 

レッドグレイブ家は元々ホルファート王家の分家筋だ。

こうした王国の裏事情に通じていても何ら不思議ではない。

近頃の父上が王家に対し強硬な姿勢を取り続けているのはこの為か。

おそらく婚約破棄されずユリウス殿下が王座に就けば公爵家は外戚として発言力を強められる。

公爵家のみでどれだけ抵抗できるかは不明だが王家に不満を持つ領主貴族は多い。

それらを巻き込んで王家の計画を止められるならば父上は王家に恭順しただろう。

だが、あの婚約破棄で総てが変わった。

ファンオース公国との戦争でホルファート王家は弱体化している。

この狂った筋書きを壊す為にあらゆる手段を用いる筈だ。

 

「ミレーヌ様が求める結末とは何でしょうか?」

 

口から漏れたのは些細な疑問だった。

若くしてホルファート王国へ輿入れし、愛の無い夫婦を演じつつ国政を執り仕切ってこられた御人だ。

本来ならこの馬鹿げた脚本に付き合う義理など無い。

さっさと見切りをつけてレパルト連合王国へ戻り、再嫁しても良いほどなのに未だ足掻き続けている。

ミレーヌ様を此処までさせる理由は一体何か?

純粋な好奇心が湧き上がった。

 

「前にも言ったでしょう、私は私の夫と子供達を護りたいだけ。不出来な妻で母親だけど、それでも自分の家族に生きていて欲しいの」

 

はにかんで答えるミレーヌ様の顔は曇りの無い少女のように純真無垢だった。

 

あぁ、そうか

この方も私と同じ

ただ己の大事な者の為に我が身を賭しているだけか

 

その事実に気付いて漸く得心がいった。

私とてホルファート王家の衰運などどうでもいい。

レッドグレイブ公爵家の繁栄も他人事だ。

私はただ夫と子供達を愛して、彼らが健やかな人生を送れるように尽力しているだけ。

これが無償の愛なのだろう。

何処か遠くの存在だったミレーヌ様が漸く理解できた気がする。

 

「ダメな夫を持つと苦労するわ」

「まったくですね」

 

私達は笑った。

心が通じ合った親友のように笑い合った。

 

コンッ コンッ

 

部屋の扉がノックされ宴の準備が出来た事を知らされる。

窓の外は既に夜の帳が降りていた。

 

「話はこれでお終い、此処からは各々がやれる事をやるわよ」

「私は私の家族が大事なので期待しないでください」

 

減らず口を叩きながら部屋を出ると宿の使用人が恭しく頭を下げた。

ここからは戦場、一人でも多く味方に付けて望む未来を掴み取る。

身を包む高揚感に酔いしれながら私達は宴の会場へ歩み始めた。




アンジェ視点のお話、内容は原作小説三巻のベースに再構成しました。
ミレーヌ様が少々外道じみてるのはご愛敬。
可愛いミレーヌ様も魅力的だけど政治家としてのミレーヌ様も好きなので。
次回は夜会、あのキャラも登場します。

追記:依頼主様のリクエストによりエロ大好き様に成人向け回のイラストを描いていただきました、ありがとうございます。

エロ大好き様 https://www.pixiv.net/artworks/117547839(成人向け注意

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第75章  夜会

パーティー会場へ向かう廊下の曲がり角でミレーヌ様と一旦別れた。

私達二人が同時に会場入りするとホルファート王家とバルトファルト家の繋がりを勘繰られる可能性が高い。

私とミレーヌ様とアトリー伯爵は別室で入れ替わるように話し合いを行う。

ただ話し合うなら別室で密談を行えば最適解だが今回は論功行賞直前のパーティーだ。

今の王都に於ける情勢を知るにはまたとない機会、故に身重の体を押してミレーヌ様の計画に乗った。

 

王都で政に携わり毎日顔を見合わせる宮廷貴族や大貴族はさて置き、辺境の領主貴族や外交で他国に赴いていた官僚にとっては王国内の勢力図を知る貴重な場である。

ミレーヌ様やアトリー伯爵にしても有望な貴族の為人を己の目で確認し、派閥に取り込む為の初手故に怠る訳にはいかない。

本来なら私もリオンを同行させたかったが、生憎と彼は改革案の賛同者を募る最終段階に奔走している。

私がどれだけ詳細に説明しても単なる公爵令嬢、いや若い子爵夫人が辺境で考えた改革案に興味を持つ者は少ない。

ファンオース公国との戦争で功績を上げて子爵位と領地を賜り、再侵攻の際に多くの同胞を救い、領地経営で一定の成功を収めたリオンだからこそ他の貴族達は耳を傾ける。

私の内助の功があるとはいえ、どうにもリオンは自己評価を低く見積り自身の影響力を厭う悪癖がある。

無能を装い他者の目を欺く彼なりの擬態なのだろうがそれではいけない。

だからと言って救出戦で見せた獰猛さを普段から見せれば他者との間に壁が出来る。

私の夫は極端すぎて支え続けるのが一苦労である。

 

会場の入り口に受付の使用人と所持品の検査を行う守衛が待機していた。

既にパーティーは始まっており、今から入場を試みる者は私以外に存在しない。

何せ招待される者は王族や高位貴族が多数、騒動が起きれば王国の勢力図が変わりかねない。

招待状を受付に渡し手荷物検査を行う守衛にパーティーバッグを預ける。

私に怪訝な視線を向ける者も何人かいたが仕方あるまい。

妊婦、それも臨月の貴族夫人が独りで催しに参加するなど異常事態だ。

普通なら外出せず出産まで屋敷で過ごす、私も初産の時はそうして大人しくしていた。

 

「……確認は終わりました、どうぞ」

「ありがとう」

 

返却されたパーティーバッグを受け取り入場する。

既に会場入りしていた数十名の貴族は酒の注がれたグラスを片手に談笑している。

老いも若きも口元はにこやかな笑みを浮かべている、だが相手を値踏みするような目の輝きを隠そうともしていない。

 

取り合えず壁際の席に座り様子を全体の様子を窺う、今日の目的はあくまでもアトリー伯爵との密談と王都の大まかな情勢把握だ。

会場の端の席に座り、目立たぬようしていると給仕が飲み物を薦めて来た。

果実水の炭酸割りを飲みつつ周囲をじっくり観察する、こうして王都のパーティーに参加するのは何年振りになるだろうか?

 

一番人が集まっている場所を遠目で確認する、恰幅の良い中年の男性が貴族に応対していた。

大臣を務め、アトリー家当主であるバーナード・フィア・アトリー伯爵だった。

今夜のパーティーの中心人物である伯爵は如何にも人が良さそうな微笑みを浮かべ貴族一人一人に挨拶を続ける。

本来は私も挨拶に向かうべきだが今割り込めば人目に付いてしまう。

此処は敢えて壁の花に徹し、隙を見て挨拶するべきだ。

 

しかし、数年ぶりに参加する王都のパーティーはどうにも落ち着かない。

辺境のバルトファルト家に嫁いでから幾度となく領主貴族同士のパーティーに参加したし、私が主導した催しも多い。

それでも王都のパーティーは煌びやかで質が良い、携わる人員に教育が行き届き給される飲食物にもかなりの金額が費やされているのが一目でわかる。

王都の夜会で私が紅い薔薇と讃えられたのも今は昔、既に私は王子の婚約者でも公爵家の令嬢でもない辺境領主の妻だ。

私の来訪に気付きはしても声を掛けようとする物好きも今は居ない。

学園に入学するまでは王家が主催する宴、あくる日は公爵家が主催する夜会など数日おきに催しが開かれ頭を悩ませた記憶が懐かしい。

バルトファルト家に嫁いだ利点の一つに貴族同士の催しが少ない事が挙げられるが、そもそも私が育った環境その物が貴族としても特殊な例だ。

こうして関わり合いが薄くなると随分と歪に育った娘だと苦笑してしまう。

 

目の前で繰り広げられている虚栄と猜疑心の催しも部外者として見る分には中々に興味深い。

当事者だった頃は相手の価値を見定めようと常に気を張っていたが、第三者としての立場と人生経験の積み重ねで広がった視野を用いると表情や仕草から心の機微が何となく察せられる。

穏やかな余裕を見せる者が栄えている貴族、言動が忙しない者が凋落しつつある貴族。

総ての例に当てはまる訳ではないが、焦燥は余裕を無くし芝居がかった言動や派手な身振りを誘発する。

優れた貴族に為れば為るほど詐欺師や役者と同じ資質が必要になるのは貴族の本質が平民が生み出す収穫物を掠め獲る盗人と大差ないからだろうか?

こんな気分に浸ってしまうのは畑仕事で心が休まる珍妙な貴族を結婚したからだ。

 

アトリー伯爵はパーティーの参加者に挨拶を済ませ簡単な会話が終わったらしい。

給仕に何やら呟くと会場から一旦退く、おそらくは別室で待機しているミレーヌ様と打ち合わせを行う筈だ。

私との話し合いはその後、その時が訪れるまでは数年ぶりの王都の夜会を堪能しよう。

伯爵への挨拶へ向かっていた貴族達はそれぞれの話相手を見つけ会話を始めた。

今夜のパーティーに集う貴族の顔と記憶の中にある名簿と照らし合わせる。

見知った顔の殆どは各家の当主であり爵位持ちだ。

戦争の影響で代替わりした家も多く家督を嫡子を譲り渡したのだろう、以前紹介された若い貴族が新当主として混ざっていた。

そうした顔見知りが約半数、もう半数は知らない顔ばかりだ。

嫡子として育てられなかった次男三男が戦争で亡くなった父や兄の代わりに家督を継ぐ、武功を上げた者が叙爵され新興貴族となる。

本来なら一年に一回の頻度で行われる論功行賞が延びに延びたのはそうした相続手続きを行う家が多かったからだ。

ファンオース公国との戦争でホルファート王国が負った傷は深い。

戦争の傷痕が癒え完全に平穏を取り戻すにはあと数年の時を要すだろう。

 

「あれぇ?もしかしてぇ、アンジェリカ様ですかぁ」

 

妙に間延びした声が私の名を呼ぶ、一応は様付けしてはいるがどうにも癇に障る声だ。

振り向くと三人の女が此方に歩み寄って来た、声の主らしき女に見覚えがあった。

確か私が公爵令嬢だった頃の取り巻き、さらにその取り巻きだった女達の筈だ。

取り巻きだった令嬢に紹介された事も直接会話した事さえ無い、顔はぼんやりと憶えがあるが名を知らず何処の出身かすら把握していない。

それでも声を掛けられた以上は相手に礼を以て応対しなくては。

口元に笑みを浮かべ立ち上がり頭を下げる、幼少期から繰り返した所作は妊娠して腹が膨れていても問題なく行える。

 

「アンジェリカ・フォウ・バルトファルト子爵夫人です。此の度は御声掛けいただきありがとうございます」

 

過剰とも言えるほど丁寧な自己紹介。

貴族同士の催しではちょっとした行動の瑕疵が醜聞に繋がりかねない。

上手く応対すれば貴族間の評価を上げる絶好の機会であるが、今の状況で目立てば否応無しに公爵家の耳に入るだろう。

『論功行賞に際し尋ねたき儀があるので屋敷を訪れます』と公爵家に伝えてはいるが、あまりに王都入りが早ければ要らぬ疑惑を招いてしまう。

 

相手からの返答は無い、私が名乗っているのに随分と不躾な輩だ。

顔を見ると私の姿を見てニヤニヤと笑みを浮かべている。

なるほど、私の現状を蔑みたくて声を掛けた手合いか。

ユリウス殿下と婚約破棄した直後は醜態を晒した私を嘲笑う連中が多かった。

そうした輩はレッドグレイブ家に対しても『凋落した領主貴族筆頭』と大っぴらに批難しフランプトン侯爵の派閥と懇意になった。

だがフランプトン侯爵とファンオース公国の内通が戦争中に発覚、外患誘致罪によって侯爵及びその親族が処されると恥知らずにも命乞いにレッドグレイブ家にすり寄ってきた。

私も父上も政治主張の無い風見鶏に救いの手を差し伸べるほど人格者ではない。

結果として多くの貴族が取り潰されその係累が巻き込まれた、免職された貴族や婚約解消された女子が王国内に溢れるのが現状である。

今やレッドグレイブ公爵家はホルファート王国で最も権勢を誇る貴族だ。

誰もが父上を恐れ媚び諂うばかり、これではどちらが国の主か分かった物ではない。

 

「旦那様を同伴させないなんて不用心ですねぇ」

「この宴はもうすぐ行われる論功行賞を祝う場、なのにどうして御一人なのかしら?」

「見た所ご懐妊の様子、もっと体を労わるべきかと」

 

聞いた限りでは私を心配している口調だ。

だが扇で口元を隠しても愉悦に歪んだ瞼がその性根をしっかり表している。

拍子抜けだ。

これが公爵家の専横に対し諫言を行うような気骨がある貴族なら寧ろ喜んで協力を申し出ただろう。

彼女達にあるのは相手を見下して己の優位を誇示したいという承認欲求だけ。

私を蔑んだ所で彼女達が存在が優れている証明にはならない。

そんな事にさえ気付かない貴族の女がまだ王都にいるとは。

ミレーヌ様が嘆いていた王国貴族の歪みは一度や二度の戦争で完全に払拭できる物ではないらしい。

 

「旦那様のバルトファルト卿は戦争でご活躍されたようですが、貴族に取り立てられて日が浅いとこうした催しは不得手でしょうに」

「聞けば拝領した浮島で当主自ら土に塗れているとか。やはり身分違いのご結婚は苦労が絶えませんね」

「アンジェリカ様も辺境の地でさぞ心細い事と存じますぅ」

 

意訳すれば『人殺しは貴族の集まりに来るな』『成り上がり者は畑を耕していろ』『さっさと田舎に帰れ』となる。

よくもまぁ、ひどい言葉を美辞麗句で覆い此処まで呟けるな。

私がユリウス殿下から婚約破棄され、聖女となったオリヴィアと争い、公爵家と王家の関係が悪化している事実を加味しても此処まで罵れる胆力は感心する。

私を殴っても殴り返さないぬいぐるみと勘違いしているのだろうか?

だとすれば計算違いも甚だしい。

 

婚約破棄騒動の直後に私が公の場に姿を現さなかったのは被害を拡大しない為であり、王家に対する謝意など持ち合わせていなかった。

リオンの立身出世は王国の防衛と幾人もの貴族を救った功績を評価された結果だ、これを批判すれば『ホルファート王国はファンオース公国に降伏するべきだった』と受け取られかねないぞ。

領主が陣頭に立って土木作業をしてるに関しては仕方ない、バルトファルト領は未だ未開拓な上にリオンは土弄りが好きだ。

行動制限すればバルトファルト領の発展に支障が出るし、リオンは息抜きが減って鬱憤を溜めてしまう。

それでも己は王都に在住したまま経営を部下に任せ一度も領地を訪れない者、領民を顧みず反乱の火種を蒔く者比べたら遥かに貴族としての責務を全うしてる。

貴族教育を受けられなかった身の上でリオンはよくやっている、寧ろ彼ほど上手くやれる貴族がいるかは疑問だ。

 

「空賊も現れて船を襲ったとお聞きしましたわぁ、大変な地にお住まいと聞いていますぅ」

「確かアンジェリカ様も空賊の討伐に参加なされたとも聞いていますが」

「まぁ怖い。私共のような手弱女にそんな真似は出来ません」

 

数ヶ月前の誘拐事件がここまで歪曲され伝わっている事実に頭が痛くなりそうだ。

同時に事実をここまで面白おかしく脚色する人々の荒唐無稽さに感心してしまう。

私とジェナとフィンリー、そしてドロテアが誘拐された事件は未だ真相が隠したままだ。

淑女の森の討伐が不完全であり、ゾラ達を逃がし犯行の隙を与えてしまった事実は貴族達の支持が下がっているホルファート王家にとっては都合が悪い。

その結果、『バルトファルト領の船が襲われるも領主夫妻の活躍によって討伐した』と捻じ曲げられた情報が王国の公式発表となっている。

そのせいかリオンは血に飢えた男、私は空賊戦を焼き払った女として噂になってしまった。

空賊や違法入国者が現れる辺境のバルトファルト家の地位向上には威嚇に役立つ噂奈ので敢えて放置したが、どうやら王都の紳士淑女にとって私達夫妻は情け容赦ない乱暴者らしい。

 

さて、どう料理した物か?

目の前の三人は私を意に介さず好き放題に顔面に張り付いた不浄の穴から汚らわしい雑音を放ち続けている。

傍から見れば女四人が集まって談笑してるように見えるが実態は私が一方的に罵られ続けている状況。

こんな女達と関わり合いになりたくないから無視するのが一番簡単だ。

だが舌戦で何も言わずに引き下がるのは己の敗北を認められたと捉えられかねない。

 

質が悪い事にこうした連中は相手が言い返さないのを勝利と受け取って周囲に吹聴する者が多い。

歪められた事実は悪評となっていずれは家に悪影響を及ぼす。

新興貴族のリオンは平民同然の身の上から叙爵され子爵位に、今回の戦功を加味すれば伯爵位に陞爵される予定だ。

この百年間の王国に於いては一代でこれほど栄達した者は存在しない。

本人の気持ちはともかく現時点の王国でリオンは若手貴族で最も評価されている。

只でさえリオンを羨み妬む者が多いのに、悪評まで加味されては付け入る隙を与えられかねない。

適当に言い包めて穏便に済ませるのが賢い回避方法だろう。

 

「妊娠してるのに無理してパーティーに来るなんてぇ、不用心過ぎませんかぁ?」

「止めなさい、次期王妃から辺境の新参者に婚約者が変わったのよ。奥方の警護に割ける人員にだって限りがあります」

「ユリウス殿下を御心を射止めた相手は聖女様よ。アンジェリカ様が負けられるのも無理もない話です」

「大丈夫ですよぉ。今はぁ、貴族の当主が何人もお嫁さんを持つのが流行ってますからぁ。アンジェリカ様ならきっと良い縁談が来ると思いますよぉ」

 

……決めた。

こいつらを叩きのめそう。

相手にするのも不毛だから数々の暴言を見過ごしてやったが些か温情を与え過ぎた。

私の腹を見て生まれてくる子を蔑むような視線も、リオンを粗暴な成り上がり者と謗る言葉も我慢ならん。

お前達、本当は自分でも分かっているのだろう?

己の怠惰と驕慢が理由で周囲から疎んじられ、成功者の瑕疵を突いて大した者ではないと嘯く。

そうしないと自分の矮小さに押しつぶされそうになってしまう。

惨めな己の見つめたくないから他者を傷付けて一時の優越感に浸る。

気持ちは分かる、嘗ての私もそうだったから。

そうしなければ己を保てなかった。

お前達に同情はしてやる、だからと言って容赦はしない。

私の夫と子供達の為に敵になりそうな者は全力で叩きのめしてやる。

 

「数々の諫言、真に痛み入ります。我が夫リオン・フォウ・バルトファルトは貴族としての心構えが足りない部分も多く苦労が絶えません」

「それはぁ、気の毒ですねぇ」

「えぇ、夫は戦働きによって取り立てられた故に敵対する者に情け容赦ありません。何せ賊に対しては勿論、バルトファルト家を貶める輩は貴賤を問わず蒼穹の果てまで追い詰める性分ですから」

「……」

 

女達の顔が嘲笑ではなく恐怖で歪み青褪める。

やはり意図して私とリオンを貶めていたか、身分を盾に無自覚な暴言にしようとしても無駄だ。

バルトファルト家の男衆は女が相手でも容赦はしない。

積年の怨みを抱いていたゾラ達に対しても最後まで命を奪う事を避けようとはしたが、抵抗するなら躊躇なく殺める。

何処に境界線があるか分からない、一線を越えた相手は立場に関係なく知恵を巡らせ喉笛に噛みついて仕留める豺狼。

それがリオン・フォウ・バルトファルトという男だ。

凶気に呑まれたリオンを宥める術はほぼ無い、相手が泣いて赦しを乞おうが止まる事は無い。

 

「そんな方が夫なんてアンジェリカ様の心労は多いと存じます。やはり此度の論功行賞に問題がある、そう思いませんか?」

「由緒正しい血筋も家同士の繋がりも考慮されません、評価は力が持つという一点のみ。たったそれだけで功績が認められるなんておかしいかと」

「やはりぃ、今まで通り女性優遇政策に戻さないと貴族の女性の地位はどんどん危うくなってしまうと思うんですぅ」

「そもそも平民出身の聖女なんて王国の秩序を乱す原因でしかありません。アンジェリカ様もそうお考えになりませんか?」

 

結局は其処か、単純というか情けないというか。

さっきまでオリヴィアと争い王子の婚約者の地位を奪われた私を蔑んでいたくせに、今度はオリヴィアを出生を批難し貶める。

支離滅裂な言動と気付かないのが致命的だ。

ホルファート王国は復興を促進する為に女性優遇政策は撤廃、実力を評価基準に改革を推し進めている。

リオンを始め能力が高い者が評価される一方、血筋とコネを頼りに生きてきた世襲貴族や過剰なまでに権利を認められていた貴族女性は居場所を失う。

好き勝手に生きてきた結果、誰からも認められない状況に陥って足掻いて見るも一朝一夕の努力で覆せる物ではない。

荒んだ心を他者への攻撃性に変換し、我が身を慰めた所で何も変わりはしない。

私は変わった、他ならぬリオンが私を変えてくれた。

目の前に佇む彼女達もまた人生を変える出会いがあれば幸ある人生を歩めるかもしれない。

それはそれとして侮辱した返礼は受けてもらおうか。

 

「思いません」

「どうしてですかぁ?」

「聖女様は清い御心の持ち主です。過去の諍いを消し去る事は出来ませんが、手を取り合いより良き関係を築く事は可能かと。此度の戦争で亡くなった者達の慰霊を聖女様は快く引き受けてくださいました。近隣の領主の皆様も聖女様も御慈悲に甚く感動なされたご様子。当家としては感謝しかありません」

「アンジェリカ様は怨んでいないと仰るのですか」

「ユリウス殿下との婚約を破棄されたからこそ、今の夫と結ばれる事が出来ました。確かに貴族として至らぬ所もある夫です。ですが王国の臣下として、護国の勇士として誇るべき男だと自負しております」

「煌びやかな王都から荒んだ辺境へ無理やり嫁がされて不満が無いなんて信じられません」

「未開拓の地だからこそ成果と発展の余地が明確に分かります。この数年間でバルトファルト領に於ける麦の生産量は前年比を大きく更新し続けています。他の作物に関しても夫が陣頭に立ち品種改良を続け、他領への輸出も視野に入れております。独自資源の温泉も評判で、聖女様のご推薦もあり来訪する方々も増えるのは近隣の方々だけでなく王都の方々のお陰です。この場をお借りして心より御礼申し上げます」

 

わざとらしくない速度でゆっくり頭を下げる。

それまで遠巻きに見ていた貴族達からも驚きの声が挙がった。

こうした手合いには正面から罵るよりも相手が意に介していないと諭すのが一番効果的だろう。

自分より憐れな境遇で歯向かえない相手を虐げる事で溜飲が下げる連中だ。

ならば幸せに暮らし他者からの評判に流されない泰然自若とした姿を見せ、己の矮小さを自覚させてやる。

私の反撃が予想外だったのだろう、彼女達は恥辱に体を震わせていた。

此処まで恥を掻かされて大人しく引き下がるなら追い討ちはしない。

私にとって重要なのはアトリー伯爵との話し合いだ、余計な体力は使わないに越したことはない。

 

「……認めないわ、そんなの絶対に認めない!」

「何を認めないのでしょうか?」

「どうして私達の夫や家族が出世できないのに平民が聖女や貴族になるのよ!?」

「私の夫は平民同然の育ちですが歴とした貴族の出身です、訂正を求めます」

「卑しい奴らがのさばるから私達に回るはずのお金や物が減るんですぅ!」

「それは貴女達自身や御家族の方の力が及ばないだけでは」

「黙れ!生意気な口を叩くな!」

 

私が冷静に対処すればする程に彼女達は口調を荒げる。

話す内容も幼稚で偏見に満ちた言葉ばかりで聞くに堪えなかった。

己の醜い本性をこうして曝してしまう性根こそ彼女達が幸せになれない理由なのに本人が気付かなければ改善も出来ない。

説得は難しい、もう少し優しく教え諭すべきだったか?

 

「殿下に婚約破棄されて醜態を晒したくせに!」

「へぇ~、それ言うんだ」

 

女達の罵声が誰かの声に遮られた。

聞き覚えがある女性の声だ。

 

「聖女様が原因で婚約破棄された令嬢はアンジェリカ以外にも居るんだけど」

 

口調は穏やかだが有無を言わせない圧力にそれまで我を忘れていた女達が怯む。

近付いて来た声の主は橙色の髪と翠玉を思わせる瞳の若い女だった。

 

「久しぶりね、アンジェリカ。貴女って催しの度に騒ぎしか起こさないの」

「……クラリス・フィア・アトリー様に於きましてはご機嫌麗しゅうございます」

 

礼を以て応対する私と対照的に女達はどうして良いか分からず立ち尽くす。

そこで咄嗟に動けないからお前達は他者から軽んじられると女達は分かってないのだろう。

いずれにしてもアトリー伯爵が主催するパーティーで私に絡んで騒ぎを起こす、女達が挽回の機会はほぼなくなった。

 

「それで?『婚約破棄されて醜態を晒した』?それは一体誰の事かしら?詳しく聞かせて欲しいわ」

「ち、違いますぅ!クラリス様の事じゃないんですぅ!」

「わ、私達は平民に婚約者を奪われるなんて問題があったんじゃと言いたかっただけで……」

「つまりマーモリア家令息に婚約破棄されたのは私に問題があった、そう言いたい訳ね」

「そうではありません!」

「じゃあどういうつもりな訳?」

「そもそも貴族の妻が独りでパーティーに来るとかおかしいじゃないですか!男漁りか色目を使って夫を出世させようとしてると疑われても仕方ないと思います!」

 

そう来たか、咄嗟の言い逃れにしては悪くない。

この場に居る貴族女性は男性の家族が同伴してパーティーに招待参加されている。

私一人が開催からやや遅れて参加するなど何かしらの意図があると思われても仕方ない。

私の悪評は完全に払拭された訳ではない、警戒する正当な理由は確かに存在していた。

 

「……アンジェリカはお父様直々に招待されたわ。バルトファルト子爵がやむを得ない事情で不参加だと事前に報告はあったから疚しい所は何も無いの」

「そんなッ!?」

「何故ですか!?このパーティーに来てるのは論功行賞で恩賞を貰える人か、何とか任官してもらう為に伯爵へお願いに来た人でしょう!」

「どうしてバルトファルト子爵が呼ばれるんですかぁ!?」

 

女達の言葉に近くに居た貴族が数人か動揺している。

なるほど、どうも三人の家族はアトリー伯爵に直談判して役職を得ようと画策したようだ。

或いは伯爵を篭絡する為に同行させられたのかもしれない。

私を一方的に敵視したのはリオンの出世させる為に来たと勘違いした為か。

その勘違いが命取りになるとは思わなかっただろう。

 

「リオン・フォウ・バルトファルト子爵は私が招きました。アトリー伯爵は王命に従ったに過ぎません」

 

凛とした声が会場に響き渡る。

ホルファート王国を実質支配している最高権力者の登場に場は騒然となった。

反射的に膝を曲げお辞儀を行う、声の主を知った貴族達も次々に首を垂れ始めていく。

白銀の髪と純白のドレスを身に纏った女性が歩く度に貴族の集まりが真っ二つに割れた。

彼女が登場しただけで場の空気が凍りつく。

ミレーヌ・ラファ・ホルファート。

今の彼女は能天気な淑女ではなく冷徹な君臨者だった。

 

「バルトファルト子爵は此度のファンオース公国との戦で数ヶ月に渡り戦線を維持し続けました。彼に助けられた多くの貴族よりの推挙、加えて領地経営の功績を吟味した上で判断を下します。此度の論功行賞に於いて彼の者を宮廷位階第四位、伯爵位に叙する事をホルファート王国王妃ミレーヌ・ラファ・ホルファートの名に於いて認めます。不服のある者は申し出なさい」

 

その言葉の意味を理解した瞬間、会場に驚嘆の声が響き渡った。

貴族達が動揺するのも当たり前だ、ニ十歳前半で伯爵位まで出世した男など王国の歴史を紐解いてもわずか数名。

当主の急逝によって爵位を世襲した若き嫡子とは違い過ぎる。

確かに位階は上中下と細かく分けられ歴史の浅いバルトファルト子爵家、いやバルトファルト伯爵家の権限は少ないがそれでも伯爵位だ。

名家のローズブレイド家、大臣を務めるアトリー家と爵位では同格。

父上が手を回してリオンの出世をある程度知っていた貴族を除けば、この人事が王国の勢力図を大きく変えると理解しただろう。

野心のある貴族は立身出世の機会、能力が劣る貴族は地位を脅かされる予感に身を震わせる。

 

「長きに渡る争いの歴史に終止符が打たれ、ファンオース公国はホルファート王国に服属しました。しかし、王国を脅かす脅威は依然として残ったままです。国力の真価は戦時よりも復興にこそ問われる物。ホルファート王国の未来を担う貴族達の皆に更なる忠誠と奮起を願います」

 

ミレーヌ様の口調は穏やかだ、しかし有無を言わさぬ迫力に満ちていた。

或いはアトリー伯爵が主催しているこのパーティーこそが本当の目的だったのかもしれない。

貴族同士の言い争いの場を仲裁する王妃。

ホルファート王家の力が衰えつつある現状でこの演出は貴族の心を動かす。

顔を上げるとミレーヌ様と目が合う、一瞬だけ楽しそうな笑顔を向けられた。

 

やられた、完全にやられた。

無論、完全に王家派と手を組んでいた訳ではないがこうも上手く使われるとは。

公爵家としては身内人事で娘婿を優遇したと思われたくない為に情報を制限した事が裏目に出てしまった形となる。

能力があるならリオンのように出世できる演出されたなら王家派に傾く貴族は増えるだろう。

どうしてホルファート王家もレッドグレイブ公爵家も己が優位のまま話を進めようとするのか。

恨みがましく貴族の応対を行うミレーヌ様の背中を見る。

私の隣でミレーヌ様に上手く使われたのかもしれない貴族の女達が呆然とする姿は憐れだった。




モブせかコミック12巻、あのせかコミック1巻、モブせか幼稚園2巻(完結)に合わせて投稿です。
原作小説最終巻で見事にリオンの側室となったクラリス登場、次章も出番があります。
愉快犯に見えるミレーヌ様ですが彼女にとって最優先なのはホルファート王家(夫・息子・娘)なので今作ミレーヌ様は利用できる物は利用する女狐タイプになってます。
バルトファルト家を優先するアンジェと思考は似通ってますが、経験と性格の差で翻弄します。
今作のミレーヌ様はローランドが隠居するなら同行し、浮気したら刺したりはしませんがて尻に敷くタイプ。

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第76章 Question

クラリス・フィア・アトリーの人生は祝福されていた。

アトリー家当主でありホルファート王国大臣を務めるバーナード・フィア・アトリーの娘として生を受け、ホルファート王国の建国時から名家と名高いマーモリア家の男子を婚約が成立。

地位と資産を兼ね備えた血筋、類稀な美貌と将来有望な婚約者。

貴族の女性が羨む物を若くして手にしていた彼女は何をせずとも勝者と言えた筈だった。

そんな彼女の人生に陰りが差したのは婚約者のジルク・フィア・マーモリアが王立学園に入学した頃、ある女子生徒が特待生として見出された事が原因だった。

女子生徒の名はオリヴィア、後に二度に渡ってファンオース公国の侵攻を食い止め救国の聖女と讃えられる少女である。

 

人生に於いて叶えられぬ願いなど無い、そう思っていた貴族令嬢にとって平民出身の少女に婚約者を奪われるなど屈辱以外の何物でもなかった。

クラリスが、いや王国の貴族令嬢にとって他者に何かを奪われる。

同じ貴族ならまだ良い、だが相手は平民だ。

平民など地を這う虫、道端に生い茂る雑草に存在を脅かされるなどあってはならない。

自然にオリヴィアに対する周囲の軋轢は大きな物と化す。

 

そうした扱いを受けて尚、オリヴィアは挫けなかった。

寧ろ子供じみた嫌がらせと受け取っていたのかもしれない。

ただ只管に勉学と修練に励むオリヴィアの姿にいつしか嫌がらせの数は少なくなっていく。

彼女の理解者となった貴族令息達の庇護を受けた事も大きいが、何よりも多くの令嬢はオリヴィアが入学して半年も経たない間に己がオリヴィアに筆記でも実技でも遠く及ばない存在だと気付いた。

貴族の令嬢達が他愛無い貴族の戯れに耽溺すている間に平民の少女は寝食を惜しみ己を磨き続けたのだ。

どれだけ幼少期から平民より多くの機会を与えられても多くの令息令嬢は凡庸である。

当初こそは後れを取っても類稀な才能の持ち主が努力を積み重ねれば立場は逆転するもの。

 

更にファンオース公国の侵攻をの際に腐敗貴族の行動は良識派の貴族のみならず、平民からの批難を浴びホルファート王国に於ける貴族の存在価値を著しく損なわせた。

平民のオリヴィアがその功績により聖女の任命を受け、公国の侵攻を食い止めている間に貴族は何をしていた?

領民を見捨て、領地を放棄し、あまつさえ敵と内通し命を乞うた。

貴族とは何か?

治める地と従える民を護るからこそ君臨を許される存在である。

我が身可愛さに戦いから逃げ出す者など貴族に非ず。

ましてファンオース公国を退けたのは十代の平民の娘だ。

逃げ惑う令息令嬢とは覚悟も実力も違う。

此処に至り漸くクラリスは己の敗北を悟った。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

「そんな訳で今の私は良い嫁ぎ先を探してる真っ最中なのよねぇ」

「あまり悲壮感を感じない語りですね、クラリス先輩。以前の貴女なら婚約破棄に今も憤っていると思っていましたが」

「先輩は止めて欲しいわね、学園の序列はここじゃ無意味だし」

「……分かりました。」

 

パーティー会場での騒動の後、すぐに別室にへ案内された。

ミレーヌ様がそれとなくクラリスに耳打ちして私をこの部屋に移動させたのはわき目で確認した。

こうなるように人の感情を察し場の流れを支配する手練手管は私には無い。

それが出来るからこそあの方は十代の若さで他国に嫁ぎ二十年以上経った今もこの国の実質的な支配者に君臨している。

いかん、集中しなくては。

これから私が対峙するのはミレーヌ様ではなくバーナード大臣だ。

他の事に気を取られていては成功する筈の物も失敗してしまう。

 

「オリヴィアに対し怒りも憎しみもないと仰るのですか?」

「ジルクに婚約破棄された時はかなり荒れたと聞いていましたが」

「荒れたのは確かよ、自暴自棄になってガラの悪い連中とつるんでたのは本当だし。貴女は婚約破棄騒動の後に学園を去ったからその頃の私は知らないでしょうけど」

 

クラリスは哀愁と愉悦を併存させた笑みを私に向ける。

子供じみた笑いではなく淑女として完成された微笑みだった。

ユリウス殿下と私の婚約破棄の決闘が終わった後、学園は更なる騒動が引き起こされた。

寧ろ私が決闘騒ぎなど序章に過ぎなかったと言って良い。

殿下以外の四人も当時婚約者だった令嬢に対して婚約の解消を迫り、学園は元より貴族社会に激震が走った。

貴族の婚姻は当人同士で決められない家同士の誓約であり、その家の進退に関わる政治その物だ。

たとえ後の聖女であろうとそう簡単に覆せはしない。

正々堂々と決闘を挑んだ私はまた常識の範囲内で行動していたと言える。

ブラッドの婚約者だったステファニー・フォウ・オフリー伯爵令嬢は裏で空賊と手を組みオリヴィアの排除を画策。

返り討ちにされた後にその行動を咎められオフリー伯爵家は取り潰し、当主と嫡子は処世されステファニーは淑女の森が壊滅するまで消息不明の状態だった。

 

こうしたオリヴィアにまつわる一連の騒動は王国の貴族に禍根を遺した。

『そもそも婚約者が居ながら平民の女に現を抜かす王子や令息達は素行不良ではないのか?』

『実家や婚約者側の家を無視し、正規の手続きを踏まないまま婚約破棄を迫るのは信義に悖る行動である』

『オリヴィアを排除するよう空賊に依頼したオフリー伯爵令嬢は確かに法を犯した。だが、そもそもの原因は一方的な婚約破棄を求めたブラッド・フォウ・フィールド。そしてブラッドを誑かしたオリヴィアにこそ問題がある』

そうした風潮が王宮に満ちていた。

レッドグレイブ公爵家を退けたフランプトン侯爵派の庇護とファンオース公国の侵攻がなければオリヴィアの命は無かっただろう。

ホルファート王国の上層部が有効な対策を講じられない間にオリヴィアとその仲間達はファンオース公国を撃退し、救国の聖女オリヴィアの存在は瞬く間に王国全土を駆け巡った。

 

だが、それは決して貴族全員がオリヴィアの存在を認めた訳でも禍根が解消された訳では無い。

戦争の槍働きと政治の功績は別問題である。

一方的に婚約破棄された貴族令嬢達が国の英雄となった元婚約者と聖女を怨むなと諭した所で納得できる物ではない。

特にクラリスはジルクに惚れこんでいた。

周囲の者が呆れるほど婚約者を献身的に支えた末にこの仕打ちである。

怨まない方が無理と言えるだろう。

私はユリウス殿下に婚約破棄されてから貴族の催しや夜会に出る事も無く、王都やレッドグレイブ領の屋敷に引き籠る領地経営の勉学に明け暮れた。

その時の努力がバルトファルト領の運営に役立つのだから皮肉な物だ。

一方で去った後の学園がどうなったかについては父上や兄上から聞いた程度に過ぎない。

忘れえぬ屈辱の場所など思い出したくなかったし、婚約破棄の決闘から半年も経たない間にファンオース公国との戦争によって休校を余儀なくされた学園に興味など持てなかった。

クラリスがどうなったかについても朧気な情報しか掴んでいない。

素行の悪い生徒と行動を共にしていた、世を儚んで自殺未遂を繰り返した等の噂は耳にしてもこうしてクラリスと顔を見合わせるのは五年ぶりになるだろうか。

 

「もうジルクに未練は無いと?」

「逆に聞くわ、今でもユリウス殿下と復縁したい?」

「まさか」

「私もよ、どうしてあんな浮気野郎に夢中だったのかしら?自分の見る目の無さに腹が立って仕方ないわよ」

 

ジルクをそれほど怨んでいないのは本当だろう。

だからと言って許す気は無いらしい。

その点に関しては私も同じだ。

夫と子供達に囲まれた今が幸せだからと言ってユリウス殿下を完全に許せるほど私は聖人ではない。

単に怨念に注ぐ精神力をバルトファルト領の開拓と子供達の教育に注いだ方が遥かに有意義だと気付いただけだ。

私をそんな風に変えたのはリオンだ、リオンが私の夫だからこそ私は変わる事が出来た。

他の貴族に嫁いでもこうした信教の変化は訪れないという確信があった。

 

「まぁ、そんな風に思えるまでに結構な時間を費やしたんだけどね」

「私もそうでした。おそらく今の夫に出会わなければ今の殿下を怨んでいた事でしょう」

「素敵な出会いね、羨ましい。こっちはよりにもよって婚約破棄の原因になった聖女様が来たのよ」

「オリヴィア様が?」

「面会の約束なんてしてないのにいきなり屋敷を訪ねて謝りたいと言い出したわ」

 

随分と大胆な真似をしたものだ。

あの聖女様の行動力は他者の追随を許さない、格式や煩雑な手続きを無視して迅速な行動に移る。

戦時中はそれが上手い具合に採用したのだろう。

ファンオース公国軍から見れば強力無比な部隊が戦場を掻き乱し姿を消すのだ。

次々と指揮官を討たれ連携が取れなくなり、連携の為に膠着している間にホルファート王国軍は準備を整え攻勢に出た。

作戦は成功しオリヴィアと五人は英雄として人々から崇敬を得た。

 

だが、勝ったからいいものの軍事行動とは本来独断専行が許される物ではない。

煩雑な手続きは兵士や糧秣の損耗を抑える為に必要な根回しだ。

戦争に勝っても国土が焼け野原と化し、国を立て直す最低限の人員さえ居なければ国家としての体裁を維持するのは不可能。

貴族の面会に約束が必要なのも手掛ける仕事の緊急性など考慮し双方の合意を得て行う為の段取りだ。

ましてや高位貴族になればなるほど身に迫る危険は増える。

オリヴィア自身に悪気は無くとも貴族から良い目で見られないのも仕方ない所業だった。

 

「最初は『何しに来たんだ』と面会すらしなかったわ。門外に一日中放置したし、冷水を浴びせた事だってある。普通なら諦めるのに聖女様ときたら絶対に諦めないの」

「聖女様の諦めの悪さは類を見ない、悪意や打算無く行うから却って質が悪いかと」

「辺境に嫁いだって聞いたけど、まさか貴女の所まで訪ねて来たの?」

「えぇ、国政について助力を求められました。正直断りたい気持ちも多かったのですが、妃殿下からも要請されたので仕方なく」

「本当に勘弁して欲しいわ、あれやられるとまるで許さない私が悪女みたいに思われるのよ」

 

救国の聖女を邪険に扱えば周囲から批判の目に晒される。

だからと言って婚約破棄の原因になったオリヴィアを許す事は難しい。

人として当然の心理だ。

オリヴィアの善意から出た行動によって悪人扱いされて業腹だろう。

 

「ただ私が自暴自棄にならなかったのもあの子のお陰と言うか、あの子のせいと言うか。婚約破棄されてすぐに戦争になって休校だから家柄だけのチンピラと付き合わなくて済んだ。ジルクは謝罪しなかったけど聖女様は暇を見つけては私に会おうと屋敷を訪ねて来たわ。全部自分のせいだ、怨まれて当然って土下座されたらどうしろって言うのよ。流石にステファニーみたいな真似をするほど私は馬鹿じゃないわ」

 

肩を竦めながらオリヴィアの行動を揶揄する言葉から恨み辛みを感じられない。

婚約破棄されたクラリスに対して行われた誠心誠意の謝罪は多少なり効果があったようだ。

 

「何より人として女としてオリヴィアに敗北したと私の心が認めちゃったのよ。どれだけ私がジルクに尽くしたと言ってもそれは実家の力ありき。王都に迫って来たファンオース公国軍に婚約者と一緒に戦って勝てと言われても私はどうしようもない。オリヴィアみたいに命懸けで戦うなんて出来ないわ」

「そのように言われたら王国の令嬢は誰も聖女様に敵わないでしょう」

「だから言ったでしょ。勝てないって」

 

公国の侵攻に際し私は屋敷に引き籠り対岸の火事を眺める気持ちでいた。

再侵攻の時でさえリオンの無事を祈ってバルトファルト領の統治を引き受け領民の安全を確保するに留まった。

オリヴィア達の奮戦が無ければ私達は今こうして呑気に茶飲み話に興じる事さえ出来ない。

自身の無力さに時折歯噛みしてしまう。

どれだけ足掻こうとも私に出来るのは死地へ赴くリオンの背を眺めるだけ。

彼の悲しみを癒せても共に戦う力も術も持たない手弱女だ。

精々が誘拐犯の船に火を放つ程度で人を殺せるだけの技量も覚悟も持ち合わせていない。

 

「最近になってやっとジルクが頭を下げに来たわ。どうやら聖女様の部下にこっぴどく叱られたみたい。自分で気付かない辺り駄目なのは相変わらずよ」

「ジルクを許したのですか?」

「謝罪の言葉は聞いてあげたわ。顔も見たくないって言ったら大人しく退散したけど。ちょくちょくお詫びの品を贈って来るけど手を付けてないし」

「どうして貴族の男は自分が捨てた令嬢が今も未練を残していると思いがちなのでしょうか?」

「本当に馬鹿よね。あ~、思い出したら腹が立ってきた。やっぱり殴っときゃよかった」

 

天井に向けてクラリスが拳を突き出す、彼女の目にはあの辺りにジルクの整った顔が浮かんでいるのだろう。

ミレーヌ様との密談で鉢合わせしたユリウス殿下を打擲した事を思い出す。

やり過ぎたかと思ったのは一瞬、正直言って爽快だった。

出来るならばまた思いきり叩きたいが命を救われた借りがあるので控えよう。

 

「今の貴女は幸せそうね」

「そう見えますか?」

「貴女が殿下に婚約破棄された後に成り上がり者のバルトファルトに嫁いだって聞いた時は自棄になったと王都の皆が思ったわよ」

「自棄になった訳ではありません、私を笑った連中を見返してやろうと思っていたのも事実です。ただ、夫は私に惚れこんで幸せなのでわざわざ復讐する気が起きないだけかと」

「今は夫婦揃って仲良く空賊狩り?」

「……王都では私達にそんな噂になっているのですか?」

「暇を持て余してる宮廷雀の連中だけよ。ずっと縁談を断り続けたドロテアがバルトファルト家に嫁ぐって本当?」

「事実ですよ。既に婚約は成立して、数ヶ月も経てば義兄とドロテアは夫婦となります」

「……バルトファルト家って王都でやらかした令嬢を惹きつける魅力でも持ってるの?」

「さぁ?ただ私もドロテアも相手以外と夫婦になろうとは思っていませんが」

「はいはい、ごちそうさま。私もそろそろ何処かに嫁がないとなぁ……」

 

コンッ コンッ コンッ

 

扉が数回ノックされ恰幅の良い中年男性が入室した。

バーナード・フィア・アトリー伯爵。

大臣を務める伯爵の権力は父上の説得に対し大きな助けとなるだろう。

逆に失敗すればホルファート王家とレッドグレイブ公爵家の対立は避けられない。

緊張によって鼓動が速まるのを否が応に感じてしまう。

 

「お久しぶりですなアンジェリカ嬢。いやバルトファルト子爵夫人とお呼びするべきかな?」

「アトリー伯爵もご機嫌麗しゅう。ろくに挨拶も無いまま徒に時を重ねてしまったのは私の手落ちです」

「なに、子爵と夫人の活躍は王都にも届いております。本日は体調を押してまで参加いただき誠にありがとうございます」

 

朗らかな笑みを浮かべる伯爵の言動は如何にも好々爺であり見る者の心を和ませる。

これが市井の平民なら皆が気を緩め己の心情を吐露するに違いない。

だが、伯爵の擬態だ。

単なるお人好しが権謀術策がひしめく宮廷で十年以上も大臣の座を保てる訳が無い。

私を気遣っているのは本心からだ、そして私から得られる情報を精査し権力を行使する判断材料として冷静に分析する。

その笑顔に安心して心に秘めた情報を漏らし、数日後に処罰された貴族は一人や二人ではない。

権力闘争が貴族の戦闘と言うのなら、長年に渡り大臣の地位を守り抜いているアトリー伯爵も百戦錬磨の古強者だった。

 

「クラリス、後は私に任せて下がりない。パーティーはまだ終わってないからね」

「はい、お父様も早くお戻りくださいね」

「分かってる、皆によろしく頼むよ」

 

クラリスが廊下に出た瞬間、言いようのない沈黙が部屋に満ちた。

柔和な曲線を描いていた双眸は水平となり、眼光は私の心の裏まで射貫くように鋭い。

大抵の貴族令嬢ならばあまりの豹変ぶりに戸惑い泣く者すら居る筈だ。

物怖じせずに伯爵の視線を受け止められるのはこの五年で私なりに成長を遂げたから。

何時までも公爵令嬢の生まれを振り翳して他者を威圧する小娘ではない。

 

「先程の騒ぎ、あれは妃殿下と伯爵が仕掛けた物かと疑いました」

「流石に其処まで私達は悪辣じゃないよ、そんな事が出来るなら宮廷での会議はもっと簡単に解決できるだろうね」

 

茶目っ気を出し気安い口調で私に話しかける伯爵は幼少期に会った頃そのままだ。

その態度に思わず気を許しまいそうになるのを懸命に堪えた。

良い罠は頭で分かっていても嵌りたくなる物だとリオンに聞いた事がある。

態度の緩急こそアトリー伯爵の基本戦術、迂闊に気を許せば呑み込まれるのは私の方だ。

 

「あの娘達の実家や嫁ぎ先は今回の論功行賞で何も授与されない。先の戦争で手柄を立てられず、免職こそされなかったが以後は閑職に回され追い詰められたのだろう。少しでも実家の為に何かしようとした結果がアレだ」

「私は厳罰を望んでいません」

「分かっている、だが妃殿下からすれば王家の健在を知らしめるには絶好の機会だ。彼女達の実家は空賊退治の任が課された。例え拒否しても『マーモリア家やアークライト家は宮廷貴族ながら子息が武功を上げた。宮廷貴族だから、若輩だからは拒む理由にならない』と妃殿下に仰られては臣下は逆らえないさ」

「予想外の出来事をそこまで利用し尽くしますか」

「そうでなければ故郷を離れ国を纏め上げるなんて無理さ。妃殿下の元気を分けて欲しいぐらいだよ」

 

改めてアトリー伯爵の顔を見る、五年前に比べ髪や髭に白い物が混じり皺が増えた。

恰幅の良かった体も若干痩せたように見えるのは気のせいではあるまい。

こうして二人きりの場で見る彼の姿は疲れを隠しきれていない。

此処まで伯爵を追い詰めている原因は何か、分かりきっている事だ。

 

「君の改革案を見た。公爵へはまだ報告していないようだね」

「はい、反対されるのは目に見えているので」

「正直に言おう、私も同じ考えだ。あの案を妃殿下から提案された時は正気を疑った。他の者に『実は妃殿下はレパルト連合王国から送り込まれた間諜だった』、『激務に堪えかねてついに狂った』と言われたら信じただろう」

「それ程ですか」

「発想が狂っている、君は自分が何を提案しているか自覚しているのか?」

「ホルファート王国に貴族という存在は無くなる、アトリー伯爵にはそう捉えていただけたかと」

「そうだ、あの改革案を受け入れればやがて貴族階級は消滅する。更に進めば王という存在すら必要としなくなる」

「流石です伯爵。私も同じ結論に至りました」

「では何故だ!?」

 

伯爵が声を荒げて私に訊ねた。

正気を保ち論理的な思考が出来る方だからこそ私の改革案の危険性を熟知している。

あまり時間をかけても周囲に怪しまれるし、何より伯爵はホルファート王国の大臣だ。

この国の窮状を正しく理解している数少ない貴族の一人。

だからこそ私の本心を打ち明けられる。

 

「ではお訊ねします、現状のままホルファート王国の立て直しは可能でしょうか?」

「……他国の介入を受けず、貴族が不満を抱かないという条件からならば」

「そのような希望的推測を前提にした復興案が実現可能と伯爵が本心から思っていらっしゃるとは到底思えません」

「買い被ってくれるものだ」

 

皮肉気な笑みを浮かべたままアトリー伯爵が体を揺らす。

辺境で穏やかな生活を送ってきた私とは比べ物にならない切実さを感じる。

もう何年も前から伯爵はホルファート王国の窮状について悩んできたのだろう。

良識派と呼ばれる伯爵だからこそ目に見えた破滅を回避しようと必死だったはずだ。

おそらくファンオース公国の再侵攻さえなければそれも可能だった。

しかし状況は戦前と戦後であまりに変わり過ぎて前提条件が覆ってしまう。

以前の復興案のままでは王国に訪れるのは緩慢な滅亡。

いや、既に他国から内乱の誘発が行われているから下手をすれば時を待たず攻め滅ぼされる。

この状況を変える為には抜本的な制度改革が必要だ。

 

「伯爵はオリヴィアに対してどのような印象を持っていますか?」

「急にどうしたんだい」

「正直にお答えください。いえ、伯爵なら既に答えをお持ちかもしれませんが」

「……それはどの立場からの印象かね?」

「全てです」

「国政を担う大臣として聖女の力は大いに助かる。貴族として我々の地位を脅かす存在として危険視してるが」

「私も同じ考えです」

「あと、父親としては娘が婚約破棄される原因となった彼女を好きになれないな。例えオリヴィア殿がどれだけ善良でもね」

 

最後に付け加えた言葉が緊張を和ませてくれる。

やはり伯爵は恐ろしいが頼りにもなる御方だ。

 

「聖女オリヴィアの存在を理由に広く人材を求める、この方針で推し進めるしかないと私は考えているのですが」

「それは王国上層部ならほぼ全員が考えている。問題なのは彼女を取り込むのが誰か?それが今の王宮が抱える問題なんだよ」

「政略結婚でオリヴィアを王家、或いは公爵家のどちらが迎えるか。結果によってはこの国の王族が丸ごと変わりますね」

「それだけなら分かりやすくて良い。だが物事はそう単純じゃない」

 

伯爵はテーブルに置かれた砂糖瓶から角砂糖を数個取り出しテーブルの上に並べた。

中央に一つ、その周囲に三つの角砂糖が置かれている。

 

「この国の命運を握っているのは聖女、それは間違いない。彼女を引き入れる為に王家と公爵家が争っている。其処に宮廷貴族と領主貴族、歴史の長い名家と成り上がりの新参者の争いもあるが事態はそれほどややこしくなかった。問題は新たに第三の派閥が現れた事だ」

「それは一体?」

「宰相殿だよ。先王弟でありローランド陛下以上に宮廷貴族達からの信頼が篤いルーカス殿が政権の一部を担ってから事態が複雑化した。元々ミレーヌ妃殿下はレパルト連合王国から嫁いで来た御方で王国内の権力基盤が脆弱だ。由緒正しきルーカス殿を新たな宮廷貴族の主導者にしようとする動きがあり、実際に妃殿下の力はかなり衰えてる。尤も宰相殿はあくまで王家と宮廷貴族の主導者は妃殿下と言って譲らないが」

「それならば然程問題とならないのでは?」

「ところが宰相殿は幾つかの案件で妃殿下と反目している。聖女殿の扱いはその最たる例だ」

「宰相殿はオリヴィアを嫌っているのでしょうか?」

 

尊い己の血脈に平民の血が混じるのを極端に嫌う血統主義の貴族は多い。

往々にして歴史の長い貴族は家の歴史を己の功績と受け取り易い、私にも身に覚えがある。

嘗て王に為りかけた先王弟ならそんな考えを持っていても自然な感性と言えよう。

だが伯爵は首を左右に振った。

 

「宰相殿は聖女殿を丁重に扱っている。寧ろ己の方が臣下と言わんばかりだ」

「それならば王家と聖女が昵懇になるのは寧ろ喜ばしいと思うのが普通だと思います」

「まったくだ。普段は公爵と反目しているのに聖女に関する事に対しては寧ろ公爵の後押しをしている。あれでは妃殿下が苦慮するのも仕方あるまい」

「父上と宰相殿は仲が悪いのですか?」

「知らなかったのかい?まぁ君が生まれる前だから致し方あるまい。ルーカス殿とローランド陛下が王位を巡って争った際に先王弟派の領主貴族代表がヴィンス殿だった。なのにルーカス殿は王位を甥に譲り、公爵位でありながら半隠居を決め込んだ。ヴィンス殿にとっては裏切られた気分だろう」

 

なるほど、そんな事情があったのか。

そんな事情を経て他国から嫁いで来たミレーヌ様が産んだユリウス殿下と公爵令嬢の私の婚約が決定したのに破棄され、隠居していた筈の先王弟が宰相として介入すれば面白くなかろう。

ミレーヌ様との会話でも宰相は謎めいた発言を繰り返した。

果たしてどんな人物なのか、俄然興味が湧いてくる。

 

「おかげで今の私は休み無しだよ。この数年で随分と痩せてしまった。もう隠居を考える歳なのにクラリスの縁談はなかなか纏まらなくて困る。早く孫の顔を見せて欲しいものだ」

「ご謙遜を、伯爵に働いてもらわなければ王国は混乱に陥ります」

 

政治は常に光の当たらない部分が存在する。

貴族にとって最優先するべきなのは血筋を遺し続ける事であり、時にそれは非情な決断を促す。

子や孫の為に他の誰かの子や孫を陥れる、そうした決断が出来てこその貴族と言える。

私とて夫や子供達を護る為にこうして王家と繋がり生まれ育った公爵家を裏切ろうとしてる。

こんな状況下で家のみならず国の行く末を案じて心身を擦り減らせるアトリー伯爵は公人としても私人としても立派な御方だ。

 

「あぁ、そうだ。オリヴィア殿ばかり気にしているが君も十分に気を付けた方が良い。バルトファルト子爵は王国貴族として異例の出世を遂げている。戦での功績や領地経営に於いて並々ならぬ功績を上げた分、周囲からの羨望と嫉妬は激しい物になるだろう」

「ご忠告感謝いたします」

「ところでバルトファルト子爵は側室を持つ気は無いのかね?」

「……はぁ?」

「クラリスも縁談が纏まらず焦っている。出世頭のバルトファルト子爵ならクラリスの婿に相応しいと思うのだが。あぁ、勿論君が正妻だ、クラリスは側室で構わない」

 

何を言い出すんだこの御方は。

さっきまで心の中で崇敬を抱いていたのに感謝の気持ちまで霧散してしまった。

生憎だが私はリオンに側室を持たせる気は皆無だ。

そんな睦言を閨で呟いてリオンを煽る事もあるが他に妻を娶るのは全力で阻止させてもらおう。

 

「有り難い御言葉ですが我が夫は不調法故にアトリー伯爵のお眼鏡に適うとは思えません。クラリス様に良い縁がある事を心よりお祈り申し上げます」

「そ、そうか。実に残念だ」

 

伯爵は軽い言葉を呟いて諦める。

決して、私から滲み出た圧力に屈した訳ではない筈だ。

 

「実は先の戦争でバルトファルト卿が叙爵された時に縁談を持ちかけようとしたんだ」

「クラリス様を?」

「あぁ。だがヴィンス殿がバルトファルト子爵と地位の高い貴族が繋がりを持つ事を極端に嫌っておられてね。私はクラリスと彼の婚約を諦めた。その後、彼に持ち込まれた縁談はひどい物ばかりだったと聞いている」

 

どういう事だ?

父上がリオンの見合い話を妨害していたとは初耳だ。

私とリオンの婚約についても乗り気でなかったように感じられた。

言いようのない不安が去来する。

リオンとオリヴィア、彼らに一体何があるのか。

新たに増えた謎に困惑しつつ私はアトリー伯爵の説得の為に用意した資料をパーティーバッグから取り出した。




待望のクラリス回。
今作ではアンジェの婚約破棄後の流れは一緒ですがファンオース公国の侵攻と同時に休校となったのでクラリスはそれほど荒んだ生活を送っていません。
惚れた相手が居ないフリーな状況なので落ち着いて見えるだけです。
男がデキたらまた重い女に戻ります。(汗
原作ではリオン王の側妃になりましたが、今作ではあくまで薄い縁があった程度です。
次章からはリオン視点の話に戻ります。

追記:依頼主様のリクエストによりmons様、モノクロマン様、山田おろなり様にイラストを描いていただきました、ありがとうございます。

mons様 https://skeb.jp/@monskagerou/works/19
モノクロマン様 https://skeb.jp/@monokurolove/works/12
山田おとなり様 https://skeb.jp/@otonari_y/works/4

原作完結記念にモブせかのジグソーパズルを複数制作してみました。
100~140ピースなので暇な時に遊んでもらえたら幸いです、
執筆が煮詰まった時にパズルやると気分が落ち着くのでついつい現実逃避してしまう。(汗

https://www.puzzcore.com/pzl/240412BVFA
https://www.puzzcore.com/pzl/240413ATR0
https://www.puzzcore.com/pzl/240412YUDN
https://www.puzzcore.com/pzl/240412U0U8
https://www.puzzcore.com/pzl/240412NX8M
https://www.puzzcore.com/pzl/240412OR9B
https://www.puzzcore.com/pzl/240412SQ4L

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第77章 遺跡

『空に堕ちる』

 

狂った奴が口走りそうな言葉だけど表現としてはそうとしか言いようがない。

体感的には浮遊中、でも高度計を見ると飛行船がどんどん上昇している事が分かる。

人間の感覚ってのは案外いい加減なもん、真っ直ぐ歩いてると自分では思っても大きく曲がってたりする。

計器を使わず目視で運転し浮島に激突死した熟練操縦士、どこの浮島でも数年に一回は起きてる事故だ。

必死に操縦桿を握り締める、運転してるんじゃなくて倒れないよう体を支える為に掴んでる。

 

徐々に全身を包んでた浮遊感が収まってくる、高度計を見ると針の進みが遅くなってた。

昇りきった場所は雲の中、右も左も前も後ろも真っ白で視界は最悪だ。

おまけに風が荒れ狂い船体がガタガタ震えて振動が凄い。

それでもこの飛行船が壊れないのはローズブレイド家が特別に誂えてくれた特注船だから。

ありがとうローズブレイド伯爵、ドロテアさん。

お礼に兄さんと存分にイチャイチャしてくれ、俺は止めない。

 

雲の動きから目的地を推測、風の流れに逆らうように慎重に進んで行く。

飛行船の操縦は個人の経験と計器をどれだけ信用するかが重要だ。

自分の勘を信じ過ぎて警戒を怠るのはダメ、かと言って計器を信じ過ぎて不調に気付かないのもダメ。

匍匐前進するようにゆっくり且つ慎重に前に進む。

慎重過ぎるほど慎重なのがバルトファルト(おれ)流だ。

少し前も見えないぐらい分厚かった雲の白が少しずつ薄くなる、同時に風も治まり船体の揺れも治まった。

そのまま直進し続ける、突然前に何かが現れても平気なように気を抜かず操縦桿から手を離さない。

 

突然、視界が開けた。

降り注ぐ太陽の光の草木の緑が眩しい。

それ(・・)は確かに目の前の存在している。

いや、存在していると思ってたから来たんだけど俺自身も信じきれていなかった。

同時に夢の中の問答が真実だった分かり戸惑いを隠せない。

 

俺が()

転生者(・・・)

何だよそれ、達が悪過ぎる冗談だろ。

心の何処かで否定したい部分があった。

遅れて来た思春期の質が悪い妄想だと否定したかった。

なのに目の前の光景は現実だ。

言い逃れ出来ない、浮島(これ)は存在してる。

ならここに眠っているロストアイテムも確かに存在してる。

喜びよりも先に悪寒が先に訪れた。

俺はただの凡人だ。

嫁と子供達に囲まれて人並みに生きられるならそれで充分って考えるぐらい器が小さい男なんだよ。

どう考えても世界の運命なんて左右できる英雄じゃない。

こんな物を任されても困る。

 

……でも約束しちまったしなぁ。

あと俺以外の奴がこの浮島に辿り着かない可能性も完全に無いとは言い切れない。

いざという時の備えは必要だ。

少なくても悪夢を見た時のように王国を滅ぼされるのだけは勘弁願いたい。

何でろくな報酬も無いのに身を粉にして働いてんだろう俺?

表彰もんだぞ、ちくしょう。

今回の件はアンジェに内緒だから相談もしてない。

バレたらきっと怒られる、めっちゃ怒られるに決まってる。

そうならない為にも面倒事はさっさと片付けよう。

厄介事は先に潰しておいた方が少しだけ気が楽になる。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

軽く浮島の上空を一回りしてみる。

まずやたらデカい樹が浮島の中央に生えて、その根っこが浮島の地表の広範囲に覆っている。

軽く見ただけだとアルゼル共和国の聖樹みたいだけど詳しくは分からない。

その樹の根元から少し離れた場所に崩壊しかけてる建物の外壁が見えた。

見た限りはそれほど大きくない施設だ、少なくても飛行船の類は収容できないだろう。

 

「地下か……」

 

やだなぁ、一人で地下に埋まってるダンジョン探索とか死にに行くようなもんじゃん。

一応はありったけの準備を整えて来たけど足りるかどうか分からない。

探索に費やせるのは数日が精々だ、今回は軽い様子見で済ませた方が安心か。

取り合えず施設からそれほど遠くない平地に飛行船を移動させる。

地表には草とか低木が生い茂ってるが着陸する分には問題なさそうだ。

低めに飛びつつ平地の上空に到着するとそのまま垂直に降下を開始する。

草木が折れる音が悲鳴のように感じたけど無視する、草木に覆われて見えない岩とかで船体が傷付くより百倍マシだ。

無事着陸をすませるとホッと一息、現在の場所を確認する。

飛行船の起動キーは敢えて差し込んだままにしておく。

見た限り飛行船を盗もうとする輩は居なさそうだし、不測の事態に起動キーが見つからない方が怖い。

まずは甲板に出て手荷物に準備だ、予めある程度は済ませたけど実際に見た浮島は予想と随分かけ離れてる。

 

一通りの荷物を看板に出し終えると何かが聞こえた。

飛行船の周囲を飛んでる虫や鳥の羽音じゃない、規則的で甲高い人工物が発する音だ。

周囲を注意深く観察すると銀色に光る円盤の何かが飛行船の近くを飛んでいる。

 

タァァン! タァン!  タァッン! 

 

反射的に懐に忍ばせていた小型拳銃で狙いをつけないまま円盤を撃つ。

 

カァァァァンッ……

 

数発のうち一発は当たった。

当たったけど決定打にはなっていない。

体勢を崩したけど相変わらずそのまま飛び続けてる。

甲板に広げていた荷物にあったライフルを握り締め狙いをつけると少し遠くの林の中から銀色の人が現れた。

人か?と一瞬思ったけど違う。

確かに見た目は鎧を着た人っぽいけど肩や頭の辺りに草やら苔が生えていた。

何よりそいつは下半身が無い、腰から下は足が無いのに宙に浮きながらこっちに向かって来る。

ヤバい、本能が命の危機を察知した。

狙いを円盤から人型に移してライフルの引き金を絞る。

 

タァァァァァン……!

 

銃声が周囲に響き人型が仰け反る、型と胸の間辺りに命中したはずだ。

命中したのに人型は体勢を整えると俺に向かってきた、しかもさっきより速い動きだ。

 

「嘘だろ…!」

 

ヤバい、ヤバいヤバいヤバい。

銃が効かないとかそんなん卑怯だろ。

確かに鎧を着込んだ重歩兵に銃弾は効果が薄いけど衝撃で多少なり傷が出来て動きが鈍るもんだ。

前以上の速さでこっちに向かって来るとか反則にも程がある。

何か、何か無いか?

人相手なら有効な方法が思いつく、野生動物なら狩った経験がある。

けどモンスターの相手なんて殆ど無いから何が効くかなんて分からない。

 

視界へ入って来たのは黒光りしていたそれだった。

咄嗟に握ったそれを両手で構え人型の方向に振り返る。

既にあと数十歩の所まで迫っていた人型に照星を合わせて引き金を引く。

 

ドオォォン!

 

体を揺らす衝撃と鼓膜に響く轟音の後に訪れたる手首の痛み、そして何かがぶつかるような音。

恐る恐る飛行船から身を乗り出して確認すると人型は糸が切れた人形のように地面に倒れていた。

 

「っッ痛ってぇ!」

 

大口径の拳銃から放たれた銃弾は人型の胸に穴を空けていた。

痛い、すごく痛い。

鍛えている筈の俺でも撃った衝撃で手首と肩と指が痺れてる。

 

「何て物を贈って来るんだよアイツは」

 

この大型拳銃は俺の持ち物じゃない。

妙に俺を気に入ったらしい筋肉馬鹿のグレッグが寄越したホルファート王国軍の技術部が開発した最新式の銃だ。

従来の拳銃より大口径、特製の弾丸を使用すれば鉄製のドアすら貫通する優れ物という謳い文句。

もし、これで撃たれたら挽き肉になるだろうが、どう考えても対人兵器じゃない。

何より撃った側も反動で体を痛めかねない。

自分が監修したから配ったらしいが、まずコレを撃つ為に相当の筋力と骨格が求め垂れるだろうが。

どうも天才は自分を判断基準にするから困る。

 

けど助かったのは事実だし文句は言わないでおこうと林の方向に振り返った瞬間、絶望的な光景が目に入る。

今倒した筈の人型がまた林の方から一体、もう一体と現れる。

 

「勘弁してくれよ……」

 

何でこうなるんだよ、泣きたくてしょうがない。

俺が一体何をした?

憤りを戦意に変えて武器を漁る、ライフルから空薬莢を排出して新しい弾丸を込める。

今度は魔法の力が付与された魔弾だ、ただの弾丸とは一味も二味も違う。

ついでにお値段も倍以上、魔弾一発で通常弾が数箱変えるんだぞ糞ったれ。

現れたのは人型が三体、後ろの林が揺れてるからさらに人型が来る可能性が高い。

 

「ちくしょう!かかって来やがれポンコツ共がぁぁぁ!!」

 

それからしばらくの間、平地に銃声と俺の叫びが途切れる事無く響き続けるのであった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

ガガッ……

 

最後の一体が動きを止めた、但し銃口は完全に人型の動きが止まるまで動かさない。

完全に死んだと判断してから一息吐く。

人型は七体、円盤は一体、合計八体の敵を仕留めた。

死亡確認がてら注意深くこいつらを観察する。

モンスターと動物の判別の一つに死んでから消滅するか否かがある。

こいつらは死んでも消滅せずにそのまま死体を晒してるからモンスターじゃない可能性が高い。

内部はよく分からない金属の塊や配線が絡み合ってよく分からなかった。

モンスターというよりも小型の鎧、もしくはロストアイテムなののかもしれないな。

だとするとぶっ壊したのは勿体なかったか?

その手の好事家に売れば結構な値段で買い取ってくれそうだ。

こいつらを倒すのに有効な手段は強力な物理攻撃、或いは雷か炎の魔弾と判明した。

けど炎の魔弾で倒した一体は撃たれた後に爆発して死んでる。

たぶん内部の油か何かに引火したんだろう、有効な手段だけど注意が必要だな。

浮島に着陸した直後に襲われたのは却って運が良いのかもしれない。

弾薬も爆薬も無くなった後に襲われたら、ダンジョンの奥で初遭遇したら目も当てられない。

持ち運べる荷物には限界があるし、いろんな属性の魔弾や爆弾を持って行くより有効な物を多く持ってなるべく戦闘を避けた方が良い。

 

確認が終わったら船に戻って準備を再開だ。

銃と弾薬に剣に爆薬、携帯食と水、記録装置に紙とペン、磁石やカンテラといった冒険用の道具。

弾丸は通常弾より魔弾多め、魔法の属性も雷と炎を両方持って行った方が良いな、

ついでに大型拳銃用の特殊加工弾も追加だ。

爆薬の方も同じように通常爆弾と魔法爆弾の両方で。

荷物は背嚢に収納し、武器はすぐ使えるよう腰に差したり首に掛け、爆薬と弾丸は他の荷物と別にする。

総重量は小柄な大人一人分ぐらいあるけど、王国軍に入隊した頃は自分と同じぐらいの重さの荷物を背負って行軍訓練をした事もある。

あの頃より体格が育った今なら大丈夫だろう。

背嚢を背負うと肩掛けが肩に食い込むが動けない重さじゃない。

この重さが俺の命を護ってくれるなら安いもんだ。

崩壊した遺跡が見える近くに着陸できたのは運が良かった、これなら迷わずに進める。

この場に飛行船を放置するのは危険だけど先に進まない事には何も成し遂げられない。

後ろ髪を引かれる気持ちで飛行船から出発する。

 

銃を構えながら一歩、もう一歩と前進する。

鉈や鎌で前の草を刈るのは舞台で行軍の時だけだ、体力の消耗は出来るだけ避けたい。

俺の体重と背嚢の荷物が合わされば根元を踏むだけで事足りる。

途中で何回か人型や円盤に遭遇、身を屈め息を殺して通り過ぎるのを待つ。

これじゃファンオース公国の施設を歩兵部隊で強襲した時の方がよっぽど命がけだったな。

見つかったら攻撃を仕掛けて来るけど、その見つけ方が雑だ。

音や光に対して過敏な反応をする訳じゃない、足跡を辿ったり明らかに人が居た痕跡を残しても注目しない。

同じ道筋を周ってる、或いは一ヵ所にずっととどまり続けてるようだ。

止むを得ず見つかった場合、それと進む方向から動かない場合は止むを得ず銃で撃った。

雷の魔弾に弱いらしく、数発撃ち込まれるとその場所で地面に倒れる。

他の人型や鎧が倒されても騒ぎ出さずそのまま素通りして何事も無いように振る舞う。

命令された事以外はやらない兵隊、或いは経験不足の警備員みたいな連中だな。

ダンジョンは古代の遺跡や墓所が多いけどこいつらは墓守かもしれない。

そんな連中を簡単に撃ち殺してる俺は相当な悪党だと罪悪感を感じちまう。

 

やっとの思いで遺跡に到着する。

時計を見ると長針が二回ぐらい回ってた、直線距離は大してないが戦闘を避ける為に何度も止まったり迂回したのと生い茂る植物が進行を阻んだのが原因だ。

携帯食と水筒を取り出して給水と栄養補給を行いつつ遺跡を観察。

繁殖した草木に侵食されて地表部分は損傷が激しい。

植物の繁殖力をナメちゃダメだ、光と水と土どんな小さい隙間でも繁殖する。

手入れをしなけりゃ人とが住む家だって数十年で崩壊される。

この遺跡は木製じゃない、石材なのか金属かは分からないがそんな建物がここまで壊れるのに数百年、下手すりゃ千年単位は必要だろう。

外がこれだけボロボロなら内部はどうなってるか見当もつかない。

 

どうにか遺跡の中へ入れそうな場所を発見して足を踏み入れる。

中を少し歩くとまばらに照明が点灯していた。

ボロボロなのは外周部だけで内部はそれほど植物に侵食されていないのかもしれない。

それでも崩落している所よりマシってだけ、苔が壁に生えてたり蔦が剥き出しの天井から垂れ下がってる。

慎重に先へ進むと開いている扉が見えたから取り合えず中に入ってみた。

部屋に一歩踏み入れて床に転がるそれ(・・)を見た瞬間、口から出かかった悲鳴を必死に堪える。

死体だ、但しとっくの昔に肉が腐り堕ちて骨だけになった白骨死体。

ぐるりと部屋を見渡してもこの部屋がどんな目的で使われたか見当がつかない。

 

近くに座って死体の状況を確認。

間違いなく人間の骨、人種は分からない、顎の形と大きさから成人男性だと思う。

死因は不明だけど骨に損傷が見つからないから外的要因じゃないと思う、着ている服も経年劣化が激しい。

骨の色からここ数年で出来た死体とは考え難い、死んだばかり人間の骨ってのはもっとこう…、

 

「そこまで、止めよう」

 

嫌な物を思い出した、口の奥が酸っぱくなる。

戦争中に見た死体は血肉の赤と骨の白で吐き気が出そうなぐらい鮮やかだ。

時間が経つほど骨は黒や茶色に染まやすい。

骨がこれだけしっかり残ってるのはこの部屋が雨風の防いで温度の変化が少なかった証明だろう。

とりあえず死体から調べられそうな物を調べ終わったと思った時に指先に骨や服と違う感触が触れた。

死体を崩さないように感触がする場所を確かめると小さな板が現れた。

金属? いや、樹脂か?

よく分からない小さな板があった。

見た限り死体が来ている服の材質は俺達とは大差ない。

その中でこの小さな板だけが異質な存在感を放っている。

板に書かれてるのは見た事も無い文字だ、少なくても王国の共用文字じゃない。

太さがまばらな縦線が何本も引かれ、隅には掠れた人の顔らしき絵か写真らしき物が書かれる。

これを作るだけでも相当な技術が必要になる。

やっぱりこの遺跡にはロストアイテムが、いや遺跡全体がロストアイテムの可能性が高い。

 

「借りていきます、祟らないでください」

 

板を懐にしまいつつ死体に頭を下げる。

死体はちょっと苦手だけど幽霊は怖い。

今でも時々見る悪夢で恨めしそうな目で俺を睨む連中はただの幻なのか、それとも幽霊なのか分からない。

どっちにしても俺は殺した相手やその家族から怨まれて当然の人間だ。

幸せになる度に罪悪感が襲って来る。

 

気を取り直して探索を進める。

ライフルは紐で吊って肩に下げる方位磁針と紙とペンを使って遺跡の簡単な地図を書いていく。

曲がり角に来ると落ちてる石や木の根や壁に印を付けて地図に記入する。

少し歩くと横の壁に新しい扉が見つかったが今度は閉まっていた。

出来るだけ調べたいが人力で無理やり開くのは無理そうだ。

かといって銃や爆弾を使うのは避けたい、数に限りがあるし遺跡に損傷が出る。

何より遺跡の中に円盤や人型がいて襲って来たら逃げ場が無い。

鍵穴が無いか確かめると扉の横に変な黒い板が点滅していた。

黒い板が光って示してる形はちょうど死体から借りた小さな板と同じ大きさ。

 

「いや、まさかな」

 

そう思って小さな板を近づけてみる。

 

ピィー 

 

甲高い音が鳴るとゆっくり扉が横に動き出す。

マジかよ、どんな仕組みで動いているんだ?

とりあえず分かったのはこの小さな板が扉を開く鍵だって事。

これなら何とか部屋に入れそうだ。

今度の部屋はさっきの部屋より広い、壁には小さな円柱が入った箱が何個も並んでる。

棚みたいな物の中に瓶が幾つもあるけど中身は全部空っぽ。

そして部屋の中央にはまた死体、しかも今度は二人だ。

二人はソファーらしき椅子に座りながら身を寄せ合っている。

恋人か、兄弟か、親子かは分からない。

ただ最期の時は親しい相手と一緒に過ごした事だけは伝わって来る。

黙祷を捧げた後に二人の死体を弄る、罪悪感が半端ないぞこれ。

やっぱり俺は冒険者なんて向いてねぇ。

死体に触る度に恐怖と罪悪感で押し潰れそうだ、泣きたい。

また小さな板を見つけたら死体に頭を下げて部屋を後にする。

 

それからは調査の繰り返しだ。

歩きながら地図を記入、部屋を見つけたら扉を開いて調査、目ぼしい物を見つけたら保管する。

遺跡の奥の方に行くほど入り口や外側より植物の侵食は少ないらしく廊下や部屋の外壁は綺麗になっていく。

ただ遺跡の中で円盤や人型が現れ始めるようになった。

隠れてやり過ごしたり、時には止むを得ず戦闘に突入したけど何とか生きてる。

遺跡の円盤や人型と戦って気付いた事の一つに、俺が目の前に現れた直後に少しの間だけ硬直して動きを止める。

攻撃を始めるのは硬直の後、だから動きを止めている間に先制攻撃を仕掛ければかなり有利に戦える。

たぶん俺をこの遺跡の住人と勘違いして動きを止めてるのかもしれない。

騙し討ち同然で遺跡を荒らす俺はやっぱり外道騎士だ。

時に行き止まり、時に施設が崩壊、またある時は歩いていた場所に逆戻りそんな事を繰り返してる内に最初の一日は終わった。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

遺跡の部屋で仮眠から目覚めて時刻を確認、思った以上に疲れていたらしく八時間ぐらい経過してた。

体を起こして念入りに解した後は携帯食と水を摂取、食後は体調と所持品の確認を行う。

これから昨日見つけた地下への入り口を進む、何か起きるとしたら今日だ。

準備を整えて地下へ向かう階段を下ると照明が消えていた。

ここから先は灯りが必要みたいだ、ランタンに火を点し腰からぶら下げて進む。

生物は暗闇を本能的に恐れる、目に見えない何かが俺を見つめてるような錯覚を感じながら壁に手を添えて進む。

靴音の反響がやけにうるさい、気が立っているのが自分でも分かる。

突き当りに到着、いや突き当りじゃない。

俺の身長の数倍はある巨大な金属製の扉だ。

ランタンの灯りで扉を調べると黒い板が目に入る、小さな板を当てると音を立てて扉が開き始めた。

 

ガッ…  ギイィィィィ…

 

金属同士が擦れ合う音が獣の呻き声に聞こえた。

巨大な扉から部屋に入った瞬間、異様な光景に鼓動が速まる。

 

「何だよ、これ……」

 

存在しているのは巨大な金属製の船。

町一つ程の大きさの飛行船が何隻も部屋の中に鎮座していた。

いや、ここは部屋じゃなくて格納庫なのか?

入口から部屋の隅が見えないぐらいの広さだ、もしかしてこの浮島が丸ごと格納庫なのかもしれない。

格納庫の飛行船は今まで見た事が無い形だ、こんな形状の飛行船は飛行船の最新カタログにも記載されてないぞ。

ただ、どの飛行船もあまりに放置され過ぎたのは船体の表面が錆びついて苔や蔦に覆われてる。

酷いやつだと船体が真っ二つに折れて内部が丸見えになってる物さえあった。

 

『こりゃ期待薄かな?』

 

それならその方が良い、少なくても俺は義理を果たした。

やる事やったから家に帰って子供達と遊んでやって書類を纏めたら風呂入って寝る。

俺を待ってるアンジェの所へ一っ飛びして面倒なお仕事を片付けて後はバルトファルト領に引っ込もう。

王都のごたごたなんて知った事か、俺は気楽な人生を送るんだ。

そう思ってるのに足は俺の意思に反して前へ進む。

 

『おい、止めろよ』

『頼むから止めてくれ』

 

必死に引き返そうとしてるのに好奇心と焦燥感が体を動かす。

 

『嫌だ、見たくない』

『そんな物俺の手に余る』

 

奥へ、格納庫の奥へひたすら足を動かす。

俺の何百倍、何千倍の大きさの朽ちた飛行船の横を通り過ぎても歩みは止まらない。

やっと突き当りの壁に辿り着いた。

安心した次の瞬間、目の前のそれ(・・)が壁じゃない事に気付いた。

柔らかな曲線のそれ(・・)は他の飛行船と明らかに違う。

苔や蔦が覆いかぶさっても船体には錆一つ浮いてない。

あまりにその存在が他と隔絶してるから脳が理解できなかっただけ。

打製石斧と鍛造された剣と武器で一括りにするようなもんだ。

無駄を削ぎ落してひたすら一つの目的の為だけに造られた存在は美しいさえ感じるもんだ。

それ(・・)は俺が知る飛行船とあまりに次元が違い過ぎて認知できなかった。

それ(・・)は最初からそこにあった。

朽ちた飛行船の墓地で今も唯一生き残った存在。

 

「ハッ…、ハハッ。ハハハハハハハッ」

 

笑い声が聞こえる、それが自分の口から漏れていると気付くまでしばらく時間がかかった。

 

全部腑に落ちた。

別の世界の俺が王になったのも。

他の国を攻め落としたのも。

 

「馬鹿野郎ッ…!」

 

お前()はなんて物を目覚めさせたんだ。

世の中には明らかに手を出しちゃいけない物が存在するんだぞ。

これ(・・)はその中で最上級の代物だと分かんねぇのか?

これ(・・)でどれだけの血を流した?

自分が王になる為にどれだけの命を捧げた?

 

吐き気がする、頭痛が止まらない。

こんな物を使って王になった奴が別世界の俺?

そりゃ王になれるだろうさ。

この飛行船がホルファート王国軍を壊滅させた悪夢を思い出す。

 

地獄の入り口が目の前にあるという事実に膝の力が抜けて崩れ落ちた。

これ(・・)の前に立つぐらいならファンオース公国の戦争中に敵軍にもう一度突っ込めと命令された方が遥かにマシだ。

裸で導火線に火が点いた大砲百門の前に立つ方が勝算がある。

人と蟻以上の絶望的な差に恐れ戦く事しか出来ない。

頬を伝う涙がどんな意味で流れているのか分からないまま俺は声も無く泣き続けた。

 

 

どれだけ泣いていたのか分からなかった。

ただ、胸に湧き上がったのは猛烈な使命感。

これ(・・)は外に出しちゃいけない。

動き出したら流れる血は千や万じゃ足りない、簡単に国を滅ぼせるだけの力を秘めてる。

どうにかして動き出すのを止める、それか動かないように破壊する。

 

だけど、どうやって?

持って来た爆薬じゃこれ(・・)の外壁に傷一つつけられない。

誰かの力を借りるか?

いや、これだけの力を持ったらどんな人間も正常な判断なんか出来ない。

だから一人で来たのに本末転倒だ。

取り合えず写真を撮って詳細な情報を得よう、何かするのは次回に持ち越しだ。

背嚢から映写機を取り出して撮影を始める。

なるべく広範囲が写るように位置を変えながら撮影していると奇妙な違和感を感じた。

 

飛行船が動いている?

 

いや、まさか。

そう思いながら映写機を覗くと飛行船の下部分が動いている。

 

ヴイィィィィィィ ヴイィィィィィィ ヴイィィィィィィ 

 

格納庫に脳を掻き毟るような不協和音が鳴り響いて紅い照明が点灯し始める。

ヤバい、途轍もなくヤバい事態が起きてると本能が継げている。

慌てて逃げようとするが入り口の扉が閉まり始めた。

どれだけ急いでもここから扉に辿り着く前に閉まっちまう。

飛行船に向き直ると扉らしい部分が開いて内部から人の形を象った鋼色の何かが現れた。

この遺跡に居た人型だ、ただし大きさは小型の鎧並みにデカい。

人型が絶体絶命の状況に陥った俺の方向に頭を向ける。

感情無く無慈悲に俺の命を奪う冷酷冷徹な機械の瞳。

 

『――侵入者を確認 排除 排除』

 

夢で何度も聞いた声が、俺の命を狙っている。




リオン視点のターン開始です。
ルクシオンが眠っていた施設の描写はweb版、文庫版、コミック版、アニメ版で微妙に違っているので各々の描写を複合しています。(一番参考にしたのは文庫版です
遺跡のロボット戦についても参照してます、あっさり警備ロボットを退治したのは原作リオンが14~15歳でレベルが低いのに対し、今作リオンは20歳以上で戦闘経験が豊富というレベル差によるものです。
今作ルクシオンの方から仕掛けたのは今作リオンが原作リオンに比べて多くの警備ロボットを撃墜+遺跡の探索に時間をかけた影響です。
初回で攻略本無しDLCダンジョン攻略はキツい。

追記:依頼主様のリクエストによりfreedomexvss様、vierzeck様にアンジェのイラスト、yamame様にドロテアのイラストを描いていただきました、ありがとうございます。

freedomexvss様 https://www.pixiv.net/artworks/117875440
vierzeck様 https://www.pixiv.net/artworks/117824808
yamame様 https://www.pixiv.net/artworks/117890246(成人向け注意

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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第78章 Run&Gun

『――侵入者を確認 排除 排除』

 

墓所にも似た格納庫に声が響き渡った。

機械に性別があるのかは知らないけど女ほど甲高くない声からはこいつが今どんな感情なのか推察できない。

 

『侵入者を確認 排除 排除』

 

警報と警告音を繰り返しながらデカい人型は俺に向かってゆっくりと直進する。

この遺跡にいる人型が人間と同じ程度の大きさ、こいつはその十倍ぐらいデカい。

ただ人型に比べて腕が極端に大きい、背丈と肩幅が同じぐらいありそうだ。

あの腕でちょっと小突かれただけで人間の頭は卵みたいに割れて死ぬ。

 

『侵入者を確認 排除 排除』

「あ~、ごめん。ちょっと話を聞いてもらっても良いかな?」

『………………』

 

なるべく警戒心を抱かせないように出来るだけ友好的に。

笑顔だ、恐怖で引き攣りそうな顔を懸命に動かして笑顔を浮かべる。

上手くいったのか分からないけど大型は動きを止めた。

よし、何とか会話は出来そうだぞ。

 

「わたし、どろぼう、ちがう。わたし、あなた、はなしたい。わかる?」

 

わざとらしいぐらい大げさな身振りで意思表示を行う。

戦闘は出来るだけ避けたい、何事も穏便に済ませるのが一番だ。

でも、ここに来るまで人型を何人も殺したな。

怒ってるかな? 

いや、絶対怒るだろ。

沈黙が怖い、扉は閉められたからこいつが開けてくれなきゃここで餓死決定だもん。

 

『……音声照合を終了、貴方は当施設の職員ではありません。加えて此処に来たという事は施設職員のカードキーを所持していると判断します。該当者以外の立ち入りは禁止されています』

『かぁどきぃ?もしかしてコレか?」

 

懐から小さな板を全部取り出して大型に見せると頭部らしき場所が光った。

どうやらあそこが目玉らしい、何度も首を動かして俺と小さな板を見比べてる。

 

「先に進むのにこれが必要だから借りた。言っておくがこれを持ってた奴らはとっくの昔に死んでたぞ。俺が殺した訳じゃない。返せって言うならちゃんと返す。俺はここに来たかっただけだ。ここに来てあんたと話がしたい。俺の名はリオン・フォウ・バルトファルト。ホルファート王国で子爵位を賜った成り上がり者だ」

『ホルファート王国……。検索の結果、該当する国家のデータは確認できません』

「マジか、けっこう歴史のある国だと思っていたんだけどな。お前の名前は?」

『私に名前は存在しません。私の命名及び改名の権限はマスターとして登録された者に限定されています』

 

確かルクシオンって名付けたのは別世界の俺だったか。

今のこいつは単なる名無し、俺はマスターでもないただの人間だ。

 

『質問します。現在は新暦何年でしょうか?』

「王国暦じゃないのか?悪いが新暦なんて聞いた事が無い」

 

地理も暦も全部違う、世界に対する認識が違うのに言葉だけは通じているのは奇跡だな。

 

「状況判断が終わったんなら話し合いがしたい」

『交渉は無意味です。現時点に於ける私の最優先事項は侵入者の排除及び抹殺です。機密保持の為に貴方を排除します』

「機密保持とか言ってもこの船の主は居ないんだろう?旧人類の連中も何処に居るのか分からないし」

『……再度、発言を要求します。現時点に於ける貴方が知りえた旧人類に関する情報の開示を要求します』

 

よし、話に食いついてくれたか。

夢の中で会ったルクシオンに教わった情報は本当みたいだな。

とは言ってもルクシオンが教えてくれた情報は俺の頭じゃ半分も理解できなかったし、この世界がどこまでルクシオンが居た世界と同じかも不明だ。

上手く誤魔化しつつどうにか交渉にこぎ着けなきゃ一瞬で殺されかねない。

何だよ、この無理難題。

 

「……むか~しむかしの話だ、この世界には機械を作って社会を築いてた連中と魔法を操って戦いに明け暮れた連中がいた。機械を作ってた方が旧人類、魔法を操る方が新人類だ」

『……続けてください』

「旧人類は新人類に押され始めて数を減らした。今この世界に生きてる人間のほとんどは新人類の子孫って事になる」

『…………』

「ここはそんな旧人類が作った施設の一つだ。そっちのデカい飛行船は移民船、この世界で生きていけなくなった旧人類が別の土地に移住させる為に建造された。それで合ってるか?」

『その通りです』

 

正直、旧人類とか言われても今一つ理解できない。

ただロストアイテムを作れる凄い技術を持った連中が太古の昔に居たとぼんやり理解してる。

俺の目的は二つ、ルクシオンに頼まれてこいつの様子見と世界に害を及ぼさないかの確認。

上手くいけばホルファート王国を侵略から護れる手段に使えるかもしれないと思ったけどこりゃ無理だ。

どう考えても俺の手に余る。

だからと言って他の連中に教えてもマズい事になっちまう。

こんな凄い飛行船を手に入れたらどんな善人も力に酔う、正直オリヴィア様でさえ怪しい。

王妃様や公爵に教えたら何の気兼ねなく相手を滅ぼしかねない。

それぐらい力って物は人間を変えちまう。

 

『貴方の持っている情報は概ね間違っていないと判断します』

「そりゃどうも」

『ですが疑問が残ります。旧人類に関する情報を入手しているにしては貴方の言動から知性を感じません』

「バカに見えて悪かったな!」

『故に疑問が生じます。現状に於いてこの惑星に旧人類の正確な情報を所持している者は非情に限られていると予測されます。その状況下で明らかに知能指数が低い新人類が当施設への侵入を果たした。これは裏で行動を示唆する者が存在している考えてよいでしょう』

 

鋭い、確かに俺の知ってる情報の殆どはルクシオンから教わった物だ。

自力で得た旧人類の情報なんて精々が発掘されたロストアイテムの図鑑を眺めた程度。

とてもじゃないがこの場所に辿り着くなんて不可能に決まってる。

 

『故に貴方へ質問します、その情報をどのようにして入手しましたか?』

「…………」

『速やかな回答を要求します。貴方の情報提供者は何者ですか?』

「……まえだよ」

『繰り返します。情報提供者の開示を要求します』

「お前だよ!夢に出てお前!」

『…………警告。不適当な発言は回答として認められません』

「分かってんよそんなの!でも事実だからしょうがないだろ!」

 

俺もこの目で確かめるまで現実だと思ってなかったんだぞ!

だって夢に出て来た怪しい金属球のお告げに従ったら古い遺跡に辿り着いてロストアイテムを発見しましたとかどれだけ都合が良い物語だよ!

何で本当の事を言って俺がこんな赤っ恥をかかなきゃいけないんだ!

馬鹿か俺!?馬鹿だな!!

 

『記録領域を検索しましたが私と貴方に面識はありません。完全に初対面です。時間感覚の失認、若しくは幻覚の初期症状だと推察します。速やかな医師の受診を推奨します』

「歯に衣着せろ!」

 

こっちは戦場の後遺症で今でも悪夢を見たり幻覚に悩んだ事だってあるんだぞ!

何でここまで罵られなきゃいけないんだ。

 

『ですが貴方の取得情報については一考の余地があると判断します。よって警戒レベルを変更します』

「そりゃどうも」

『故に対象に関する行動を排除から捕獲に変更します』

 

大型が呟いた言葉を理解した次の瞬間、俺の体ぐらいありそうな巨大な掌が目の前に迫ってきた。

思考よりも早く体が動く、懐の拳銃を抜いて数回引き金を引く。

 

カァ! カッ! カァン!

 

軽い金属音が同時に火花が散った。

大型には傷一つ付いていない、今まで倒した人型に比べて力も装甲も桁が違う。

普通の攻撃じゃ損傷はもちろん怯ませる事すら出来ない。

咄嗟に地面を転がって回避行動、数秒前まで俺が立っていた場所を巨大な腕が通り過ぎる。

転がり続けて大型の手が届かない所まで退避しつつライフルに銃弾を装塡、同時に大型拳銃を懐から取り出す。

 

「何のつもりだ、デカブツ?俺は戦うつもりは無いって言ってるだろ」

『はい、私も戦闘の意思はありません』

「だったらどうしてこんな真似すんだよ」

『私の最優先事項は新人類の排除です。但し現時点に於いては情報の取得を優先すべきと判断しました』

「じゃあ、何で!?」

『情報収集の為に新人類である貴方の捕獲を優先、無力化した後に可能な限り情報を引き出します。より多くの情報取得の為に尋問・自白剤の投与・拷問等の行為は許可されると判断。まずは逃亡を画策出来ない程度に無力化します』

「捕虜や民間人の拷問は戦時国際法違反だぞ!」

『それは貴方達新人類が制定した法律です。旧人類の創造物である私は適用外かと』

「ふざけんじゃねえ!」

 

両手で大型拳銃を構え正確に狙い撃つ。

 

ドォン!! ゴォン!! ダァァン!! バァッン!!

 

小型拳銃と違う、腹にズシンっと響くような銃声。

弾丸は下半身、上半身、腕、頭部の順に命中。

人型なら装甲を貫ける威力だが大型相手じゃ装甲の表面を少しだけ凹ませる程度だ。

 

『抵抗しないでください。正確な情報入手の為に速やかな降伏をお勧めします』

「何一つ安心できる言葉が無いだろうが!」

『そんな事はありません。情報提供をしている間は貴方の生命は保障します』

「俺を甚振って楽しいのかテメェ!?」

『これは失礼、こうして人類と会話をするのも久しぶりなのです。相手が憎い新人類でも興奮するのは仕方ない事かと』

「このポンコツがァ!!」

 

パンッ! パァン!

 

ライフル銃を大型に向けて撃ち込むが効果は薄い。

ただ大型は顔を狙われると防ごうとして動きが若干鈍る。

 

パァン! パァン!

 

ライフルを顔に向けて連射、大型は片手で顔を庇いながら腕を振り回す。

 

ドオォォン!!

 

やたらめったらに振り下ろされた巨大な腕が床を叩いた瞬間、地響きと共に拳の形で陥没した。

あんな一撃を喰らったら人間なんてひとたまりもない。

恐怖で背筋に寒気を感じながらもライフルに弾を装填し続ける。

度重なる訓練と実戦経験で俺は手元を見なくても弾丸の装填が可能だ。

弾込めが終わったと同時に大型へ狙いをつける。

 

『新人類は学習能力が著しく低いのですか?その銃弾では当機にダメージを与えられないと実証したはずです』

「なら喰らって確かめろ!」

 

パァァン!

 

バァチバチ!

 

狙うのは頭じゃなくて面積が大きい胴体、着弾と同時に雷光が暗い格納庫を照らす。

銃弾は効かないと思った大型は防御もせず魔弾をまともに喰らった、銃弾は防げても電撃は防げないだろう。

電撃で加熱された金属特有の匂いが鼻につく、怯んだの一瞬だけで大型は動きを再開する。

やっぱりデカいだけあって魔弾の効果が薄いらしい。

人型は上手く命中すれば一発で仕留められたのに大型を仕留めきるには威力が足りない。

 

パァン! パァァン! パァン!

 

バァチッ! バチバチッ! バチチッ!

 

雷の魔弾を連射しつつ距離を取る、いったい何発の魔弾を当てれば大型を仕留めきれる?

十発?ニ十発?まさか百発か?

流石にそれだけの魔弾は用意していない。

大型の動きが鈍っている間に背嚢のポケットに仕舞い込んでいた筒状の物体を取り出す。

安全装置のピンを引き抜いて放物線を描くように上へ投げる。

ゆっくりと上がったそれは大型に当たって軽く音を立てた。

 

バアァチッ!! バアッチィ!!

 

目を灼くような閃光と同時に魔弾と比較にならないぐらい大きな雷鳴が轟く。

魔法を宿した弾丸が魔弾ならぬ爆弾に魔法を宿した魔爆弾。

威力は魔弾の数倍から数十倍、人間相手なら上手く当てられたら一部隊が壊滅するような極悪な性能だ。

噴煙と砂塵が舞う中でライフルを構えつつ様子を窺う。

煙の中でゆっくり動く影を確認、デカくて歪なそれは人間の上半身にも見える。

 

「勘弁してくれよ」

 

魔爆弾を食らっても平気なのかよ、どれだけ頑丈なんだ。

ここは一時撤退だ、闇雲に戦ってもこいつを仕留めきれない。

噴煙で視界を遮られ大型の動きが鈍い内に距離を取らなきゃ。

人型に背を向けて全速力で駆け出す、もしも攻撃されても背負った背嚢が攻撃を防いでくれる。

肉食獣から逃げる小動物のように俺は恥も外聞もなく逃げ出した。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

走れ、走れ、走れ!

兵士に必要な能力は走力と跳躍力と持久力、生き残るのに必要な資質は勤勉さと危険を感じ取れる嗅覚だ。

大型の姿が見えなくなった所で壊れた飛行船の物陰に身を潜めた。

ここが広い格納庫で良かった。

もし船内で戦ってたら逃げ場が無くてとっくの昔に捕まってたはずだ。

物音を立てないように背嚢を落ろして中身を確認、使えそうな物が無いか必死に頭を回転させる。

帰りてぇ、来るんじゃなかった。

そんな後悔は今必要ない、頭の隅に推しこめて今は目の前の戦いに集中する。

 

このまま逃げ切れないか?

格納庫の扉は閉められた、爆破して開くのは難しいし気付かれる可能性が高い。

 

戦って勝てるのか?

雷の魔弾や魔爆弾は効果があった、倒すの不可能じゃない。

 

だけど情報が不十分だ。

不意討ちに近い形で仕留められなかったのが悔やまれるが、あのまま攻撃していても倒しきれてた保証は無かった。

あんな技術水準が違い過ぎる飛行船を作れる奴らが拵えた兵器だ、俺の知らない武装があっても不思議じゃない。

幸運なのはあいつの目的が俺の殺害じゃなくて捕獲という事。

相手を殺さないように戦うのはよっぽどの技量差が無いと無理だ。

あの大型にとっちゃ俺なんて虫ケラだ、だが昆虫採集を素手で殺さないようにするのはけっこうな腕が必要になる。

逆にこっちは手加減をする必要は無い、卑怯な戦法を使っても誰に咎められる訳じゃない。

 

あの大型を鎧と想定して考えろ、どうやったら倒せるか全力を尽くせ。

鎧は確かに今じゃ戦場の主流になってる。

多くの戦場が地上戦じゃなくて空中戦が主流になって飛行が必須になったからだ。

じゃあ鎧は最強無敵の兵器なのか?

違う。

確かに空を飛んで遠距離から攻撃し続ければ歩兵は手も足も出ない。

だけど地上に降りたら? 弾切れを起こさせて接近戦に持ち込んだら?

勝機は完全な無じゃない。

まだ鎧の製造技術が未熟だった時代、鎧の主戦場が地上戦だった時代。

教本で語られるようになった昔の戦場で歩兵が鎧を倒した例は幾らでも実在してる。

見た限りあいつは空を飛ばないし遠距離兵武器も持っていない。

いや、油断は禁物か。

あいつの下半身は二脚じゃくて人型と同じように浮いてる。

本当は飛べるけど俺を捕獲する為に地上にいるだけ。

遠距離武器を装備してるけどまだ使ってないだけかもしれない。

戦闘に勝つ秘訣は『相手を侮らない』『正確な情報を手に入れる』だ。

 

背嚢から必要な物だけを取り出して服のポケットや装備運搬具に収納する。

装備運搬具を装着して銃、弾丸、弾倉、爆弾、鋼線の位置を確認してゆっくり呼吸を整える。

水や食料、その他諸々はここに置いておく。

戻るのは闘いが決着した後だ。

音を立てないようにゆっくり移動しつつ大型の位置を確認。

浮いてるせいで足音を立てないのはズルいぞ。

老朽化した飛行船の陰に隠れながら大型の動きをじっと観察する。

大型は飛行船の間や通路を通りながら時折頭を左右に動かす、その時に顔に光が灯る。

どうやら光ってる部分が目だ、そして俺の操作方法は視覚による物と考えて良いだろう。

会話が出来るから聴覚もある、嗅覚と味覚と触覚があるかは分からない。

雷の魔弾と魔爆弾が効果的だけど全部使いきって倒せるか心許ないので実験代わりに炎の魔弾をライフルに装填する。

大型が俺の隠れた位置の真横を通り過ぎて数十秒後、角を曲がる瞬間に物陰から飛び出す。

がら空きになってる背中に狙いを定め引き金を引く。

 

タァン! ダァァン!!

 

着弾した後に紅い炎が吹き上がる。

炎の魔弾の威力は通常爆弾に勝るとも劣らない。

それでも直撃した大型を少しだけ揺さぶっただけ。

人型なら装甲を焼く爆炎も内部の機械を破壊する衝撃も大型の分厚い装甲に阻まれる。

だが効果が無い訳じゃない、こつこつ当てていけば損傷は与えられはずだ。

体勢を立て直し振り返った大型に怯む事無く安全装置を解除した魔爆弾を思いっきり振りかぶって投げる。

 

ドオオォォォン!!

 

命中した炎の魔爆弾が爆炎を轟音に体が一瞬身が竦む。

対人用としては威力が高過ぎる炎の魔爆弾は歩兵が鎧を攻撃する際の有効な攻撃手段だ。

人間の集団に投げ込めばたった数秒で生きてた人間を肉片と骨片に変える。

そんな非人道的な兵器が直撃しても大型は健在。

マジでどんな装甲だよ、いくら何でも硬すぎだろ。

 

だが攻撃が効いてない訳じゃない、今は炎の魔弾と魔爆弾で大型の装甲を削り落とす!

そうして引き金を引いて数発の魔弾が大型に向かった瞬間、目の前が空間が歪む。

俺と大型の間にある空間が光を放って幾何学な模様が現れた。

 

ブォン!

 

カァァン カァン

 

金属のぶつかる軽い音がした後に地面に銃弾が転がる。

不発弾か!?

いや、魔法を付与された魔弾が不発になるのは極めて稀だ。

それが連続で起きるなんて天文学的な確率。

考えられるのは撃った後に起こった空間の歪みと発光。

大型が何かしたんだ。

何かしたから魔弾が不発に終わったと考えるのが自然だろう。

 

『魔法による攻撃が危険レベルに到達しました。これより魔法障壁を発動します』

「なぁッ…!?」

 

襲いかかって来るデカい二本の腕を必死に回避しながら魔弾を撃つ。

やっぱり不発。

こいつは機械なのに魔法を使えるのか?

いや、魔法障壁は素質がある貴族なら初等教育で習う基礎魔法の一つだ。

魔法としてそれほどの修得難易度じゃない。

 

「旧人類は魔法が使えないと思ってたぞ!」

『魔法ではありません。魔法その物は現段階に於いて解析できませんが貴方の攻撃に使われている魔法を分析し発動を阻害しているだけです。その為に何度も攻撃を受け、当機に少なからぬ損傷が発生しましたが』

「あぁそうかい!ご説明ありがとう!」

 

安全装置を外した魔爆弾を力任せ投げつける。

また魔法障壁が展開されて不発に終わった魔爆弾は大型の胴体にぶつかって床を転がる。

炎属性は効かない、なら雷属性ならどうだ?

ライフルに雷の魔弾を装填し撃つ、同時に雷の魔爆弾も投擲。

やっぱり魔弾も魔爆弾も魔法障壁にぶつかって不発に終わった。

 

「デカくて強くて硬くて魔法が効かない!?反則過ぎだろ!!少しは手加減しようと思わないのか!?」

『申し訳ありません。ですが、わざわざ貴方と同じ条件で戦う必要が私には存在しませんので』

「この卑怯者がァ!!」

『ありがとうございます』

「嫌味かてめぇ!?」

『戦いで卑怯とは褒め言葉である。そう学習していますが、違うのですか?』

「自分がやるのと相手にやられるんじゃ違うんだよ!!」

 

マジでムカつくなこいつ!

絶対に泣かしてやるから覚悟しろ!

回避、回避、回避、その合間に攻撃。

猫から逃げ回る鼠みたいに地べたを転げまわりながらなけなしの攻撃を続ける。

高価な魔弾と魔爆弾が不発に終わって大型の鎧にぶつかって虚しい金属音を上げる。

俺の頭上を大型の左腕が音を立てながら通り過ぎる、体勢が崩れたまま撃った魔弾は大型から外れて床に当たった。

 

ドオォォン!!

 

発動した?

突然起きた爆発に大型の体が揺れる。

何だ?何が起きた?必死に考えろ。

今までの出来事を思い返しながらライフルに雷の魔弾を二発装填。

体勢を整えつつ射撃体勢に移り二連射。

狙いは大型の胴体、そして少し離れた床だ。

 

ブォン! 

 

カァァン

 

障壁に阻まれた魔弾が大型の体に当たって落ちる。

そっちは囮、次が本命だ。

 

バチッバチッ!

 

大型から少し離れた床に当たった魔弾が放電を起こし大型の体表にぶつかった。

そうか、大型の魔法障壁は自分の体の周りだけなんだ。

少し離れた場所には展開できない。

そして魔弾や魔爆弾が起こした爆風や電気まで防げない、たぶん魔法の発動を止める障壁で魔法を通さない障壁の二重構造だ。

次に第二実験、まずは炎の魔弾を装填し次は通常弾を装填。

これ見よがしに頭部を狙って二連射すると大型は頭部を腕で防ぐ。

 

カァン カァァン!

 

最初の魔弾は発動せず威力が減衰してる、だけど通常弾の威力はそのまま。

通常弾の攻撃がうっすら大型の腕に傷をつけてる、ライフルの通常弾による攻撃は全く効かない訳じゃない。

最期の実験だ、懐から炎の魔弾を数発取り出す。

高価で貴重な魔弾だ、勿体ないけど必要な出費と割り切って装填して大型の攻撃に備える。

迫る大型の攻撃を右に回避、同時に射撃。

魔法障壁に阻まれて魔弾は発動せず床に落ちる。

そのまま速度を落とさずに右に向かう、大型の顔に灯る光が俺を見ている。

射撃、魔法障壁が展開される。

そのまま速度を落とさず右に走る、大型はその巨体が仇になって俺の動きに追いつけない。

ぐるりと大型の周りを一周したして元の位置に戻った時、ちょうど目の前に巨大な金属で出来た背中が晒さ手てる。

躊躇う事無く引き金を引くと魔弾が放たれる。

 

ボオォォォン!!

 

爆発音が格納庫に木霊して大型がよろける。

大型が体勢を整える間に懐から爆弾を取り出して深呼吸。

三つの実験で大型の魔法障壁の性質がある程度把握できた。

仮説に過ぎないし奥の手を隠しているかもしれないが残りの弾や爆弾の量を考えたらこれ以上粘っても勝機を逃す。

その一、魔法障壁を体に極近い距離でしか展開できない。

そのニ、魔法障壁を展開できる位置は視認できる範囲に限られる。

その三、魔法障壁が阻めるのは魔法と魔法で威力を増強させた物のみ。

こんな所だろうか?

正直穴だらけの推察だけど戦場で万全な情報を得られて作戦を立てられる方が稀だ。

何時だって現場の兵士はその場にある情報と武器で戦わなきゃいけない。

 

『気は済みましたか?』

 

大型が俺に向き直ってゆっくり迫る。

巨体のあちこちが焦げたり凹んだりして最初に見た時よりも随分と薄汚れてる。

俺に対する言葉が苛立たしげに聞こえるのは気のせいだろうか?

 

『無駄な手間を掛けたくありません。速やかな降伏を推奨します』

「それは敗北宣言と受け取っていいのか?」

『……意味が分かりません。どうしてそのような意味として受け取れるのでしょうか?』

「だって『僕ちゃん勝てないから降伏してくだちゃ~い』って意味だろ。ちっこくて弱い人間一人捕まえられないから負けを認めて欲しい。そう聞こえたんだがな」

『悪意ある受け取り方です。私は情報収集の為に貴方の身柄を安全に確保しようとしています。貴方の死亡を考慮しているから私は強硬的手段に出ないだけです』

「その割には随分と時間がかかっているようだけど」

『貴方が無駄な抵抗をしているからに過ぎません。疲労や弾薬の枯渇を鑑みれば無意味な行動を継続している貴方こそ愚かの極みかと』

「まぁいいや。別に会話したい訳じゃないし」

 

安全装置を抜いた爆弾を軽く投げる。

それこそ球遊びで子供に優しく放るぐらいの自然さだ。

俺の突然の行動に大型は戸惑ったのか動きがぎこちない。

大型が咄嗟に魔法障壁を張った時、俺は地面に倒れ目を閉じて耳を塞いでた。

 

ドオオオォォォォォッッン!!!!

 

格納庫を揺るがす爆発音と熱風が背中の上を通り過ぎる。

揺れが終わった瞬間に立ち上がって大型の状態確認。

……動いてる、あれだけの爆発が直撃したのにまだ動けるのかよ!?

 

『た、ただの物理攻撃?新人類は魔法に依らない戦闘手段を厭う筈では?』

「勝手な思い込みで俺を侮るからこうなるんだよバ~カバ~カ!!」

 

わざとらしいぐらい思いっきり挑発してやる!

そもそも喧嘩売って来たのお前だからな!

 

「新人類の殲滅とか言っちゃってるけどさぁ、俺一人にこの体たらくでどうやって人類抹殺なん出来んだか。出来もしない事をほざいてる引き籠りは大人しく部屋に引き籠ってろ!」

『貴、貴様……!』

「悔しかったら捕まえてみろってんだ!」

 

懐からまた筒状の物体を取り出して大型に投げつける。

また爆弾と考えた大型は調子が戻らないまま身を捻って防御態勢をとった。

筒状の物体が大型に当たって床に落ちる。

五秒、十秒、時間が静かに過ぎ去る。

 

『?』

 

色とりどりの煙が筒状の物体から大量に排出されて大型の周りを包み込む。

投げたのは爆弾じゃなくて発煙弾だ。

煙に含まれた非致死性の毒で涙や鼻水やくしゃみが止まらなく代物だけど機械には通じなさそうだ

しばらくの時間稼ぎさえ出来れば十分だ。

 

「爆弾と発煙弾の区別もつかないのか間抜け。そんなんで俺を捕まえるとかいい度胸してるな」

『……くぁwせdrftgyふじこ!!』

「怒ったか?じゃあ俺は逃げるから」

『待ちなさい新人類!!』

「俺の名前はリオン・フォウ・バルトファルトだ。お前らの勝手な定義で一括りにすんな」

 

今のやり方じゃあいつに勝てない。

あいつが立ち直る前に罠を仕掛けて態勢を整える。

これで交渉が上手くいくとは限らない、下手すりゃ王家か公爵家に協力してもらってあいつを討伐しないと世界を滅ぼされる。

何で俺はいっつも体を張る羽目になるんだろう?

妻と子供達を愛する善良で平凡な男なのに厄介事が向こうから舞い込んでくる。

 

「こんな世界どうなろうと知るか!さっさと滅んじまえ!」

 

一時期そんな事を思ってたら本当に世界を滅ぼしそうな存在がこの世界に居て、説得は俺の役目みたいになってる。

どうして人は争いを止められないんでしょうか?

今度本気で聖女様に相談した方が良いかもしれない。

泣きたくなる気持ちを懸命に堪えて格納庫を走り続けた。

後ろから怪物みたいな咆哮が聞こえてくる。

やっぱこの世界に俺が逃げ込める場所なんて無いと神を呪いたくなった。




リオンvsルクシオン戦前半です。
戦闘はweb版・小説版・コミック版・アニメ版の描写を参考にしています。
魔法障壁に対するリオンの考察はコミック版とアニメ版を参考に、リオンがルクシオン警備ロボと渡り合ってるのは戦闘経験値の差とお考え下さい。
三嶋与夢先生のモブせか完結記念SS(https://ncode.syosetu.com/n3191eh/177/)を拝読して今作後日談に若干の変更しようと考えています。
原作リオンが若死になので今作は長寿する予定です。

追記:依頼主様のリクエストにより悦様にイラストを描いていただきました、ありがとうございます。

悦様 https://www.pixiv.net/artworks/117956040(成人向け注意

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第79章 Duel of the Hero

『機械になりたい』

 

そんな事ばかり考えた時期があった。

砲弾の雨に晒される戦場。

鎧という絶対的強者に対人用装備で対抗しろという無茶な命令。

俺が撃った銃弾に貫かれ恨み言を吐き続けながら息を引き取る兵士。

すぐ近くで起きた爆発で体を襲う激痛。

 

良心や感情が無けりゃこんな苦しみは味わわなくて済む。

罪悪感も痛みも不要だ、淡々と相手を殺せる機械になりたい。

戦場で生き残れるのは悪党か人殺しだけだ。

善人や常識人ほど早く死ぬ。

非情に徹し相手の隙を窺い、感情を揺らさず的確に相手を殺せる。

明日への不安を持たず、敵の排除に専念する殺戮兵器。

それが良い兵士の条件だ。

 

だから機械になりたかった。

それが一時凌ぎの現実逃避でしかないのは分かってる。

今日は敵を殺して生き延びた、明日は俺が殺されるかもしれない。

一時間後の未来さえ見通せない無力な我が身を嘆いて一時の空想に逃げ込みたいなんて誰にもあるだろ。

だけど、どんなに心を無にしようと試みても完全に消し去るなんて無理だ。

そもそも不測の事態ばっかな戦場で異変を感じ取れなきゃ俺みたいな凡人はすぐ死ぬ。

一人で出来る事には限界があるし、ちょっとした油断や異変が死を招く。

自分が生き残りたいから困ってる奴を助けて、その代わり俺が困ってる時は助けてもらう。

何度もそんな事を繰り返してたら十代半ばのガキがいつの間にか部隊の中心人物になってた。

情けは人の為ならずとは先人達の御言葉は大層教訓になりますね。

 

誰かに助けてもらわないとまともに生活できないのが人間だ。

俺だって山奥で狩りと農作業して孤独に生きていくならそれで良い、けど妻子を持ったらそんな生き方は出来ない。

人間は群れで暮らす生き物だ、孤独に生きるのに適していないのかもな。

そんな人間が作った機械も同じ、扱ってくれる人間が居なきゃ道具の意味を果たせない。

第一、夢で会ったルクシオンはやたらと感情豊かだった。

俺を捕まえようとして躍起になっているあいつも明らかに怒ったり他人を見下したりしてる。

機械に感情が無いなんて人間の勝手な思い込みなのかもしれない。

そして知能がある、感情があるという事実が重要だ。

知能があるから思考する、感情があるから判断を誤る。

単純な構造の武器すら誤作動を起こすんだ、複雑な機械になればなるほど調整の難易度が増す。

完全無欠な機械はありえない、全ての機械は不完全な人間が作り出したんだから。

付け入る隙は必ず何処かに存在する。

付き合ってもらうぞポンコツ。

ここからは俺とお前の命の獲り合いだ。

 

 

※ ※ ※ ※ ※

 

 

鋼線の張り具合を入念に確認する。

取り合えず問題は無さそうだけど油断は禁物だ。

手持ちの品で何とかしなきゃいけないのが凡夫の悲しさだ。

他人から見たら激戦地を生き延び貴族になって綺麗な嫁さんを貰った成功者に見えるんだろう。

実際は心身共にボロボロになって欲しくもない身分にされ釣り合いが取れないお嬢様と結婚したという何一つままならない人生だぞ。

これでアンジェが嫌な女だったら目も当てられない。

俺は自分が出来る事しかやりたくないのに何時だって許容量を超えた問題ばっか押し付けられる。

ファンオース公国軍の侵攻を食い止めろとか、与えてやった未開拓の浮島を統治しろとか、ホルファート王国とレッドグレイブ公爵家を仲裁しろとか。

ふざけんな馬鹿野郎、俺を何だと思ってやがる。

 

今回の件だってそうだ。

遺跡で眠っているこいつに挨拶して帰る簡単なお仕事のはずなのに気が付けば鎧ぐらいデカくて恐ろしい機械人形に追い回されてる。

もうやだ家に帰ってふて寝したい。

だけど家に帰るにはあいつを倒さなきゃ帰れないという無理難題。

そんな訳で単身で大型を仕留めるという超高難易度任務を逃げ回りつつ準備中だ。

王様も神様も大嫌いだ、夢で会ったルクシオンがまた出て来たら文句言ってやる。

 

心の中でそんな悪態を吐きながら不思議と気分は落ち着いている。

大型の目的が俺の殺傷じゃなくて捕獲というのもある。

けど一番の理由はあいつ自身の動きから分かる戦闘経験の低さだ。

攻撃手段は拳による打撃、それも力任せな一撃と来ている。

狙いが雑で動きは直線的だから当たればヤバいが軌道を予測して回避するのはそれほど難しくない。

悪夢に出て来たルクシオンは本体がロストアイテムの船と言っていた。

ホルファート王国軍を一隻で壊滅させられる戦艦だ。

あいつからすれば玩具みたいな敵艦が迫っても雑な艦砲射撃で事足りるだろう。

 

おまけに格納庫に来るまでこの浮島に辿り着いた冒険者らしき死体を何人も見たけど、格納庫に死体は一つも無かった。

発言から考えても格納庫まで来れた冒険者は無く、大型の戦闘経験は俺が初めてと考えられる。

飛行船の操舵士をいきなり鎧に乗せて戦わせて上手くいかないはずだ。

こっちは戦争中には対人装備や大砲で鎧を食い止め、貴族に出世してからは鎧同士の戦いを経験してる。

更に誘拐事件でホルファート王国最強の英雄と共闘し、量産型同士とはいえユリウス殿下と一対一の決闘までやった。

あの大型はファンオース公国軍の鎧よりも強い?

空賊や騎士崩れが駆る鎧を容易く沈めるグレッグやジルクの鎧よりも?

ユリウス殿下が操縦する量産型より難敵か?

否だ、全くの否だ。

 

もちろん素手で倒すのは不可能だ。

何回も死線を越えて武器を持ち込んだ今の俺にとっちゃ手強い相手なのは確か。

だけど用意周到に策を講じて罠に誘い込んで倒せない相手じゃない。

そもそも戦闘力の土台が違うんだ、正々堂々と出し抜かせてもらおう。

 

罠の最終確認を終えたら荷物の再確認。

小型拳銃、通常弾の弾倉。

大型拳銃、通常弾の弾倉、魔弾の弾倉。

ライフル、通常弾の弾倉、炎の魔弾の弾倉、雷の魔弾の弾倉。

通常爆弾、炎の魔爆弾、雷の魔爆弾、発煙弾。

あとは少しの鋼線とテープに遠眼鏡ぐらい。

不安を誤魔化すように入念に確認して背嚢に詰め込む。

どれだけ情報を掻き集めて入念に準備しても不測の事態は必ず起こる。

恐怖を紛らわせる為に『あの大型は喧嘩の素人だ』とナメつつ、『未知の武装があるかもしれない』と警戒は怠らない。

人の心は複雑怪奇だ、正気じゃ戦争は出来ません。

ここに戻るのは作戦が上手く成功した後だ、上手くいかなきゃ俺はあいつに標本にされちまう。

目を閉じて心を落ち着けると家族の顔が次々浮んでは消えていった。

心の炉に護りたい人への想いをくべて闘志に変える。

息を吸って吐く、息を吸って吐く。

 

「行くぞ」

 

誰かに言い聞かせる為じゃない、俺自身の心を鼓舞して立ち上がる。

為すべき事は全てやった、後は別世界の俺が本当にあの怪物を倒したって話を信じよう。

此処は俺とあいつ以外に誰も居ない闘技場。

闘うのは二人、勝者は一人だ。

 

 

朽ち果てた飛行船によじ登り目視で大型の場所を探す。

どんな仕組みか分からないが大型は宙に浮いて移動する、

そのせいで足音がしないから耳で位置を察知するのがとても難しい。

近付けば体のあちこちから金属の焦げた匂いが漂ってるんだろうがそこまで近づいたらあいつの射程圏内に入る。

素早く逃げ回れば当たらないだろうが可能性を無くす事は不可能。

あいつの拳で一発殴られたらその時点で決着だ、相手の攻撃が当たらずこっちの攻撃が当たる場所を維持するのが勝負の鉄則だ。

格納庫の凡その地図を頭に叩き込みながら大型の位置を確認。

進路を推測しながら足音を出さないように先回りで近付く。

ライフルを構え飛行船と飛行船の間にある物陰に隠れていると曲がり角から大型が現れ俺の真横を通り過ぎる。

十秒、二十秒、三十秒。

大型が次の曲がり角に到達する直前に意を決して物陰から姿を出す。

発煙弾を足元に転がしながらライフルを大型に向けて引き金を二度引く。

 

タァァン! カッ タァン!

 

最初の一発は当たったけどもう一発は外れた。

俺の狙撃能力はそれほど高くない、止まってる的ならともかく動いてる物体に一発でも当てられただけ上出来だ。

攻撃を受けた大型が俺に向かって来るが既に通路は発煙弾から出た煙で充満してる。

わざと足音を立てるように走り出し近くの隙間に身を隠した。

大型はデカい反面小回りが利かない、さらに施設を壊さないよう注意して移動するせいで移動が鈍っている。

勘づかれないよう必死に呼吸を整えて大型が通り過ぎるのを待つ。

 

『抵抗は無意味です、早急な降伏をお勧めします』

 

通路から少し離れた場所まで来た大型がさっきの会話以上に大きな声で俺の降伏を促している。

周囲には遮蔽物が何も無い、狙撃するにはうってつけの場所だ。

それが誘いなのは明らかだった。

弾丸が一発当たれば死ぬ人間と違い大型を倒すには魔弾や魔爆弾を連続で叩き込む必要がある。

魔弾の狙撃が当たっても十分に耐え凌げる、そして攻撃の方向と威力から俺の位置を割り出し反撃するつもりなのが分かった。

 

あいつは機械だ、その気になれば何十日も不眠不休で待ち続けられるだろう。

逆に俺は水を飲み干せば三日、食料を食い尽くしたら五日で死ぬ。

悲しいまでの人間と機械の性能差だ、持久戦に持ち込まれたら俺に勝ち目は無い。

確かに悪くない一手だろう、被弾や損耗を覚悟して敵を誘い出す戦法は俺の戦時中にはよくやった。

ただ、それはあいつが周囲に気を使わない場合ならの話だ。

大型に背を向けて歩き始め、大型から遠く離れた場所で朽ち果てた飛行船の残骸に近付く。

炎の魔爆弾を取り出して安全装置を外し振りかぶって投げる。

魔爆弾が船体の亀裂に入って数秒後、強烈な破裂音が辺り一帯を揺らした。

 

ドオオォォォン!!

 

激しい揺れと同時に爆発で巻き上がった船体の破片が降り注ぐ。

少しやり過ぎたか?

そんな考えが一瞬だけ頭を過ぎったけど無理やり引っ込める。

これは二人だけの戦争だ、勝つ為なら敵兵の死体を辱めるぐらい平気でやらなきゃ死ぬのはこっちだ。

あいつは手加減して勝てる相手じゃない、相手が最も嫌がる事を躊躇なくやれるのが俺が外道騎士と謗られる原因だろう。

ライフルに雷の魔弾を装填し物陰に待機、多少雑に動き回っても爆発の影響で俺の気配を察するのは難しいはずだ。

しばらく経った後に大型が爆破した飛行船の側に到着した。

 

『…………』

 

大型は何も言わずに爆破された飛行船をジッと見つめていた。

その後ろ姿は怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。

ほんのちょっぴり罪悪感を抱いたが周囲を警戒せず突っ立てる敵を見逃すほど俺は優しくないんだよ。

 

タァァン! ビィリビッ!

 

突然の出来事に大型の魔法障壁は間に合わず魔弾が命中したと同時に紫色の雷が空間を灼いた。

大型が痺れている間に懐から大型拳銃を抜いて頭部に狙い引き金を何回も引き続ける。

 

ガァァン!! ダァッン!! バァンッ!!

 

通常弾は魔法障壁の影響が少ない、大型は虫を払うように緩慢な動きで頭部を守る。

やっぱり大型銃ともなれば急所への攻撃を完全に防ぎきれないらしい。

大型は巨大な腕で頭部を必死に守りながら腕の隙間から俺の姿を観察している。

見られている、その事実がやけに腹立たしかった。

 

『止めなさい、貴方は自分が何をしているか理解しているのですか?』

「分かった上でやってんだ、今更止めんじゃねえよ」

『貴方が破壊した船は旧人類が開発した物です。現時点で推察される新人類の鋳造技術では再現不可能な物と推察します。貴方の行為は徒に施設を破壊し苦痛を長引かせるだけであり、即刻停止を求めます』

「やなこった」

 

安全装置を解除した通常爆弾を大型の足元に放ってすぐ逃げる。

大型が魔法障壁を展開するが、魔法障壁は魔弾や魔爆弾を防げても通常の弾丸や爆弾は完全に威力を殺せない。

かと言ってその場で防御を固めても発煙弾だったら俺を取り逃がす。

選択肢が増えると思考が煩雑になり最適解を下せなくなる、俺も戦争中にさんざん苦しんだ。

後ろから爆発音が響くが振り返らずに走り続ける。

遮蔽物や隠れる場所が多い格納庫で本当に良かった、これが飛行船の内部なら逃げ場は少ないし爆弾の衝撃が俺まで襲うからな。

しばらくの間はこうして少しずつ大型に攻撃を仕掛ける。

目的は行動の刷り込みと誘導、あいつを罠に嵌めるまでの下準備だ。

だからと言って攻撃の手は抜かない、少しでも大型に損傷を与えたいし罠を気付かせない為にも必死さが必要になる。

 

 

身を潜めてライフルを構える。

照星を大型に合わせてゆっくり引き金を絞る度に感覚が研ぎ澄まされていくのが自分でも分かった。

 

タァァァン  カァン

 

やっぱり遠距離から通常弾での狙撃は効果が薄いな。

俺の狙撃は並み程度だから距離が遠ければ遠い程命中率が落ちる、魔弾を使えば威力は補えるが弾数に限りがあるから無駄に出来ない。

大型が俺の狙撃地点に到着する前に移動しないとマズい。

排莢して地面に転がった空薬莢を回収して移動を開始する。

通路に出ると目に留まるギリギリの位置に空薬莢を撒く事を忘れない。

俺が狙撃地点から移動してから数十秒後に大型が正確に到着したのを遠眼鏡で確認。

 

大型に攻撃を仕掛ける度に大型の動きは滑らかになって狙撃地点の割り出しも正確になっていく。

罠に嵌める為に行動を誘導してる部分もあるけど、あいつの成長速度は驚異的だ。

狙撃地点の割り出しが早くなっているのは格納庫の地形と自分の場所を正確に把握して何処から狙撃されるかを推測している証拠だ。

このまま戦いを続ければ逆に俺が罠に嵌められちまう。

そうなった時点で俺の敗北が確定する、そろそろ勝負を仕掛ける頃合いだ。

 

大型の進行方向へ先んじて向かう、開けた場所に向かう一本道の通路だ。

この通路は大型が通れるギリギリの広さだ、これなら狙う時間は大幅に短縮できる。

使うのは魔弾と魔爆弾、最低限の残弾を残してありったけをブチ込む。

 

タァァン! タァン!

 

通路に大型が現れライフルの射程に捉えた瞬間に射撃を開始する。

 

ヴォ…ン ブォンッ

 

着弾と同時に電撃と炎熱が放たれるはずなのに障壁に当たって不発、銃弾はそのまま床に落ちるか大型の体に弾かれる。

やっぱ反則だろあの障壁。

 

『どうやら手詰まりのようですね、回避が困難な場所を選び効果の薄い魔法攻撃を続けるのは得策とは言えません』

「黙ってろ!」

 

排莢と装填を淀みなく行って再射撃するも結果は数十秒前の繰り返し。

ただ魔法障壁を張っている間は動きが鈍るのか大型は積極的に仕掛けて来ない。

罠を警戒してるのか、それとも単に俺をナメてるのか。

 

『嘆く事はありません。稚拙な装備と警備用ロボットに劣る身体能力でありながらここまで戦い抜ける貴方の戦闘力は驚嘆に値します。野蛮な新人類でも兵士としてたぐいまれな逸材でしょう』

「褒めてねぇ!それ褒めてねぇからな!!」

『同時に劣化したとはいえ新人類は我々にとって脅威と再確認しました。投降と情報の開示を速やかに求めます』

「好き勝手言いやがって!」

 

通常弾と魔弾、通常爆弾と魔爆弾を織り交ぜながら少しずつ後退していく。

あいつには必死の抵抗に見えるんだろうな、実際に手一杯なんだけど。

なのでちょっと気を逸らさせてもらうぞ、卑怯と思うなら耳を貸さなきゃいいだけだ。

 

「まぁ、確かにお前の言う通りだな。俺は人殺しの技に長けるから貴族になれた。それは否定しようがない事実と認めるよ。ファンオース公国の兵をどれだけ殺したか見当がつかない。ホルファート王国で」

『ファンオース公国……、ホルファート王国……。どちらもデータベースに保存されていません。新人類が樹立したと推察します』

「敵将を討って貴族の仲間入り、敵部隊を壊滅させて出世。敵味方の死体を積み上げて出世する俺は確かに死神だ」

『戦闘しか取り柄が無く同族で殺し合う新人類に相応しい所業かと』

「そうだな、確かに俺は人殺しの成り上がり者だ。否定はしない」

 

会話を続けながら後退しつつ射撃を継続、目が回りそうな忙しさに全身から汗が滲み出す。

一芸に秀でない代わりに小難しい注文を熟せる自分の才能に嫌気が差す

 

「だけど家に引き籠って同胞の死体を弔わない卑怯者よりはマシな生き方だ」

『……発言の意図を理解できません』

「お前だよお前、役立たずのポンコツに言ってんの」

 

俺の発言に大型の移動が完全に停止する、それに合わせて俺も攻撃を中止。

緊張感を纏った空気がヒリヒリと肌を焼くような熱さを帯びたように感じる。

 

『発言の意味が理解できません、私が旧人類の同胞を辱めてるという発言の訂正を求めます』

「認めたくなきゃ認めなくていい。ただ事実は変わらないけどな」

 

こいつは俺との会話に怒っても会話自体は避けようとしない。

情報収集が目的なのか、長い間独りきりで過ごした反動かもしれない、まさかお喋りって訳でもないだろう。

ただ確実なのはそこが明確にこいつの弱点って事だ。

 

「幾つもの戦場を体験した。殺した相手ほどじゃないが死んだ仲間や部下はそれなりにいる。仲間として遺体を放置するのは名誉に関わるし、敵に辱められる可能性だってあるからな。可能な限り弔ってきたが全員じゃない。泣く泣く遺体を置き去りにして、別の日に捜しても見つけられなかった事が何度もあった」

『葬礼はあくまでも宗教的・道徳的観点から行われる物です。死者本人ではなく遺族の精神的苦痛を緩和する意味合いが大きく、魂や冥界の存在を実証できない限りはその行為はあくまでケアの一環でしかありません』

「なるほど、お前さん無神論者か」

『事実を述べているだけです』

「なら聞こう、どうしてお前はこの遺跡にある仲間の遺体を放置してるんだ?」

 

この浮島で何人分の死体を見てきた、その死体は大きく二通りに分けられる。

一方は冒険者や誤ってこの浮島に辿り着いた輩と思われる死体。

人型に襲われたのか損傷が激しく死んだ時そのままの場所に放置されていた。

もう一方はこの施設で暮らしていた旧人類と思われる死体だ。

こちらも亡くなった状況そのままで放置されていたが、死体の損傷が少ないのは施設内で雨曝しにされてないから劣化が少なかっただけ。

施設を浸食した植物が巻きついてた死体さえある。

どちらにしても長年放置してた事実に変わりはない。

 

「さっきから新人類をバカにして旧人類様を崇め奉ってるけど、その割に死体の扱いがえらく雑だ。弔った形跡どころか管理していた気配さえ無い。お前、本当にあの死体状況を知らなかったのか?」

『生命活動を終えた遺体は単なる物体に過ぎません、そう感じるのは矮小で宗教的死生観に囚われている貴方の邪推に過ぎません』

「ならそれで良い。でもな、本当は気付いているだろ」

『何をでしょうか?』

「お前、ご主人様に対してそんなに忠誠心を持ってないな」

 

大型が拳を振り上げて殴りかかる。

銃撃を続けながら発煙弾の安全装置を解除して床に投げる。

狭い通路はあっという間に煙が充満して大型の姿が見えなくなった。

距離を保ちつつ排莢と装填を繰り返し銃撃を開始。

この煙の中じゃ俺も大型も狙いが付けられないが、狭い通路は逃げ場が無く適当に撃っても大型に当たる。

逆に大型は俺の位置を把握できずやたら床を叩いてる。

俺の挑発に乗せられて一方的に攻撃を受けるのはさぞかしムカつくだろう。

 

「こんなかび臭い格納庫に何百年、何千年も閉じ籠って何もせず。仲間の死体を弔わず、かと言って新しいご主人様を見つけようとしない。ただ新人類への怨みを募らせながら生きてるってだけって役立たずもいいとこだ。お前、自分が思ってるほど優秀でも強くもないぞ」

『……黙りなさい』

「まだ亡くなった飼い主を待ち続けて死んじまう犬の方が忠誠心がある。むしろ誰かに認知されて涙頂戴されるだけ人の役に立ってるな」

『黙りなさい!』

「ポンコツの分際で煽られて怒ってんのかよ。誇りだけは無駄にデカい図体並みだな」

『リオン・フォウ・バルトファルト!!』

 

お、どうやら俺の名前をきちんと憶えていたらしい。

単なる新人類から一人の人間として認知されたみたいだな。

 

『私が手加減していれば調子に乗って挑発を繰り返す行為は宣戦布告と判断します。これより貴方に対する行動レベルを引き上げます。仮に貴方を殺傷してもそれは当施設の防衛基準に則った行動であり、私の行動基準に狂いがあった訳ではありません』

「御託はいいんだよ、口より先に手を動かせ役立たず」

 

お返しとばかりに小型拳銃を引き抜いて連射。

命中した所で大型には効かないが挑発にはもってこいだ。

同時に発煙弾を数発手に持って全速力で逃げる。

俺への殺意のせいか大型は前以上の速さで追って来た。

とにかく今は通路の先にある開けた場所に辿り着く事が肝心だ。

 

全速力で開けた場所に足を踏み入れた瞬間、安全装置を解除した発煙弾をあちこちに放り投げる。

狭い通路と違いそれほど煙は充満しない、ただ一瞬だけでも俺を見失うだけで良い。

ここは格納庫の中心近く、何本もの通路や集まる交差点だ。

その中から目的地に向かう通路目掛けて走り続ける。

俺が再び駆け出したのと同時に大型がこの場所に到着した、だけど充満する煙が視界を遮り俺の位置を見つけられない。

ある程度の距離を稼いだ所でわざとらしくない程度にポケットに入れておいた空薬莢を床に落とす。

 

カ ァー … … ッ ン

 

小さな反響音が鳴り響いた数秒後、大型がこっちに振り返ったのが確認できた。

あいつから見れば煙幕で姿を隠して狙撃しようとしたのを失敗したように見えただろう。

そう考えるように今まで何回も遠くから狙撃しては逃げ、逃げては狙撃するを繰り返してきた。

追い詰められた動物が最後の最後に失態を犯した、後は逃げ場が無い場所に追い詰めるだけ。

そんな思考をしたあいつは俺を目指して近寄って来た。

疲れて動きが鈍ったように速度を落としながら走る、残り少なくなった発煙弾は分かれ道が近付いた時に投げる。

通常爆弾や魔爆弾も時々混ぜておく、追い詰められた獲物を装って狩場に近付く。

漸く見えてきたその場所の前で思いっきり飛び跳ねる、同時に後ろ目掛けて発煙弾を投げた。

上半身の筋肉に力を込め姿勢を維持、煙幕は俺の腰辺りの高さまで漂って後ろから追って来る大型からは丸見えだ。

ついに身を隠す事に失敗したリオン・フォウ・バルトファルトは覚悟を決め最後の攻撃を仕掛けて来る。

そう思わせるように残り僅かな魔弾を装填して狙いを定め引き金を引く。

 

タァァァン カッ

 

魔弾は虚しく障壁に阻まれて床に落ちたけど煙幕のせいで確認できない。

俺と大型まで残り二百歩。

魔弾や魔爆弾を警戒して障壁を張りながらゆっくり進んで来る。

俺と大型まで残り百歩。

通常弾を連射して注意を逸らす、照準は大型の頭部だ。

俺と大型まで残り五十歩。

大型がその位置に来た瞬間、俺はすぐ横にある巨大な鉄箱の側に身を隠す。

 

キィィ―――ン    ポンッ

 

金属を引っ掻くような耳障りな音の後に軽快な音が鳴った。

床にうつ伏せになって目を閉じ耳を塞いで口を開ける。

時間にして数秒、それが途轍もなく長く感じた。

 

 

ドドドオオオオオオオオォォォォォォォォォンンン!!!!!

 

 

衝撃、振動、轟音、熱風。

その瞬間、行き場を失った巨大な力が通路を嘗め尽くした。




ルクシオン戦中編、思った以上に話が延びました。
勝つ為に挑発を繰り返す外道騎士リオン、やはり原作ほどの悪辣さを表現できないのは悩み所。
チート能力やルクシオン抜きではちまちま削って隙を窺うしかない、ピエール戦のような爽快感が無いのが悩み所、精進あるのみ。
次回でルクシオン戦は決着です。

追記:依頼主様のご依頼によりm.a.o様、Bomkkachi様にイラストを描いていただきました。ありがとうございます。

m.a.o様 https://www.pixiv.net/artworks/118044492(成人向け注意
Bomkkachi様 https://www.pixiv.net/artworks/118104305

意見・ご感想を戴ければ今後の励みにしたいと思います。


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