ぼうきゃく・ざ・ろっく! (岩フィンガー)
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明日の君が羨ましくて

書いているうちによく分からなくなっちゃいました。


 

 私、後藤ひとりには記憶障害があるらしい。

 

 らしい、と曖昧なのは、私でも抜け落ちている記憶は把握出来ていないから。記憶障害を発症した当人は総じて自覚が無いものだという。

 

 私にとってはいつもと何ら変わりない朝。お母さんに説明されるまで私は普段通りに過ごしていた。

 

 

 

 お母さんによると、私には前向性健忘という記憶障害があるらしい。

 

 今までの記憶が無くなる逆行性健忘とは反対に、前向性健忘はこれからの出来事を記憶することが出来ない記憶障害。

 

 

 高校入学の3日前、私は交通事故に遭ったそうだ。

 

 その事故で私は頭を強打し、脳外傷を負うことになった。損傷した部分は脳のエピソード記憶を司る領域。今の私の脳は、記憶を保存しておける容量が極端に少ない状態になっている。

 

 その状態で睡眠を取ると、脳は容量オーバーした記憶の消去を始める。つまり、眠ると今日の記憶が失われてしまう。

 

 目が覚めると記憶はリセット。昨日の思い出は綺麗さっぱり記憶から消え失せる。記憶が丸ごと抜け落ちるため、記憶が無くなっていることに違和感も覚えない。

 

 

 そんな状態になってから、なんと一ヶ月半の時が経過しているそうだ。

 

 私はこの説明も記憶することが出来ないので、毎朝この説明をしているらしい。

 

 私からしてみれば、朝起きたらタイムスリップしていたようなものだ。夢遊病患者の感覚にも近いのかもしれない。私には全く覚えがないが、私は最後の記憶から一ヶ月半もの空白の期間を確かに行動しているようだった。

 

 正直、最初は信じられなかった。冗談であって欲しかった。しかし説明をするお母さんは至って真剣な表情をしている。こんな真剣な表情で冗談を言う人では無いことは勿論よく知っている。

 

 記憶が消えている症状は、本人には全く自覚が出来ないそうで、周りとの認識のズレが生じてしまうらしい。

 

 

 しかし、治らない訳ではないとのこと。脳外傷によって引き起こされた記憶障害は、リハビリを繰り返すことで記憶能力が回復することもある。それに若ければ若いほど、回復の余地がある。

 

 

 そこでリハビリの一環として、私はノートを書いているらしい。

 

 エピソード記憶に分類されるものは時間や場所、感情などの情報を伴う個々の体験。言わば『思い出』という物。

 

 その思い出をノートに書き留めておく。そうすることで、私は覚えていなくても、記録として私の経験が残ることになる。

 

 私がどんな行動をして、何を思っていたのかを文字という情報に起こすことで、エピソード記憶に意味記憶の側面を持たせることが出来る。それが記憶能力の改善になる可能性がある。

 

 

 と、長々とお医者さんに説明されたそうだ。

 

 私はノートを読んでみた。私の筆跡で全く身に覚えのないことがつらつらと書かれている。

 

 一番最初のページには私が通っている高校への行き方や、私のクラス、席なども書いてくれている。高校は私の記憶通りの学校。片道2時間かかる距離の学校だった。

 

 日記のページまで読み進める。そこには私の思ったことや、体験が書き綴られている。

 

 今日は学校で誰からも話しかけられなかった……とか、昨日の私が書き忘れただけで、本当は友達がたくさん出来てたんじゃない? ……とか。

 

 悲しい……昔の私と何一つ変わっていない。

 高校に入ったら変われると思ったんだけどなぁ……。

 

 それにしても日記の内容が薄い。普通の人なら一日分の出来事を1ページに書くくらいのことは出来そうだが、この日記では1ページに二日分の出来事を書いている。

 

 私が可哀想。日常生活にくだらないことしか起きていないんだ。本当に中学時代と変わってない……。

 

 

 もう見る価値も無いかもしれない。忘れてしまっても支障がなさそうなどうでもいい出来事ばかり。

 

 後半のページはもはや読み飛ばしていた。

 

 しかし最新のページ、つまりは昨日の出来事まで追いついた時に私は違和感を覚える。

 

 

 この日の出来事だけで3ページが埋まっている。日記からも分かるように、毎日毎日薄い日々を過ごしている私。そんな私が3ページ分も日記を書いている……? 

 

 この日はどれだけ濃い一日だったのか? 期待しながら読んでみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……私がバンドを組んでライブをした? 

 

 

 結束バンド……虹夏ちゃん……リョウさん……ぼっち……ライブハウス『STARRY』……。

 

 書かれているのは知らない単語ばかり。記憶が消えるのだから知らないのは当たり前なのだが、ここまで固有名詞を出されると分からないものだ。そもそも私がライブをしたなんて信じられない。

 

 この日の日記は今までの日記と違って、浮き足立っているのが伝わってくる。

 

 まるで今日あった出来事を興奮交じりに母親に語る小学生のような……。とにかく情熱が伝わってくる。

 

 この日記を書いた記憶はないけれど、私にはこの日の私の気持ちがよく分かる。

 

 夢への第一歩を踏み出せて嬉しくてたまらない。中学時代に一度も成すことが出来なかった、私にとっての偉業。それを高校入ってすぐに達成出来た喜び、とでも言ったところか。

 

 チャンスは世の中の人間全員に回ってくるんだ。こんな私にもチャンスは訪れる……そう嬉しくなりながら2ページ目も読んでみる。

 

 

 

 

 そこで私はゾッとした。身体中に鳥肌が立つのが感じられる。

 

 

『忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない。

 

 

 明日はバンドミーティングの約束もしたんだ。次ライブする時はもっと上手くなるって約束したんだ……。

 

 でも明日の私はこんな約束も覚えていない……。

 

 明日には虹夏ちゃんの顔も、リョウさんの顔も、声も、二人の担当楽器も、私に付けてくれたあだ名も、全て忘れている。

 

 確かに、ここに書くことで私のしたこと、私が思ったことは明日の私に伝えることが出来るかもしれない。

 

 でもこの気持ちだけは私には伝わらない。私のことだ、私が一番よく分かっている』

 

 痛々しい私の独白。さっきまでは記憶がなくなることに何も感じていなかった。

 

 でも今は記憶がなくなることがどうしようもなく怖い。

 

 文章から私の必死さがひしひしと感じられる。こんなに必死なのに、こんなにも私が頑張ろうとしているのに。

 

 

 私は何一つ覚えてない。昨日の私が感じたであろう興奮や悔しさ。それがどうしても思い出せない。

 

 進めたと思ったのに、何一つ進めていない。

 

 私だけが取り残されている。相手は私のことを知っているのに、私だけが相手のことを知らない。

 

 震える手でページをめくる。

 

『私はどうしても明日に行きたい。この記憶だけは忘れたくない。この記憶を明日に引き継ぎたい。

 

 なので徹夜に挑戦してみようと思います。

 

 私は普通の人よりも脳疲労が激しいらしいのです。そのせいで毎日とてつもない眠気が襲ってくるとお医者さんに言われました。

 

 それでも抵抗します。カフェインの錠剤を用意しました。

 

 

 今、大量に飲みました。それでも眠いです。

 

 もし、私が明日に記憶を引き継げなかったら、貴方が私の約束を果たしてください。

 

 貴方は行きたくないかもしれません。分かります。貴方にとっては初対面の相手ですから。私や貴方みたいなコミュ障からすれば、絶対に行きたくないはずです。

 

 行きたくないなら行かなくても大丈夫です。

 

 それでも、行かなかったら私たちは永遠に取り残されるかもしれません。

 

 私には中学時代までの記憶しかありませんが、私に話しかけてくれた人は記憶の中では初めてだったんです。この機会を逃したら私にはもう二度とチャンスが訪れないかもしれない。

 

 

 もし行くのならば、学校帰りに下北沢のライブハウス『STARRY』へ向かってください。もちろん、ギターも持って。

 

 虹夏ちゃんとリョウさんの写真は携帯に入っているので、それを確認してください。

 

 それと……私の記憶について、打ち明けた方がいいのかもしれません。私は打ち明けることができませんでした。

 

 目を背けていたのです。あの楽しかった時間を失うという事実から。

 

 ああ……眠い……。忘れたくない……』

 

 そこから先は涙でぐちゃぐちゃになっていて読めない。私は眠ってしまったらしい。

 

 

 私にとって、大切な人は家族しかいなかった。

 

 朝に記憶が消えたと聞かされた時も、家族のことは忘れていないからいいや、と思っていた。私の人生の登場人物は皆、忘れてもいい様な人物ばかりだったから。

 

 でも昨日の私は家族以外に大切な人を見つけている。忘れたくないと思っている。

 

 分かったよ、昨日の私。行ってみるよ。

 

 私は、私が見つけた大切な人に会ってみたい。人生で初めてそう思えた相手に。

 

 昨日の私が掴んだチャンスを無駄にしたくない。昨日の私が結んだ約束を守りたい。

 

 

 STARRYに行こう。覚悟が決まった。

 

 服を着替えて、肩にバッグをかけて、ギターを背負って、

 

 ひとまず私は学校に向かった。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 残念ながら、日記は正しかった。

 

 学校では誰も話しかけて来ないし、友達が誰一人いない。

 

 今までの私はどうやってページ半分も書いたんだ……こんな学校生活で……。

 

 勉強は難しいけど、今までの私の積み重ねの結晶であるノート。これがあればテスト当日に読んで間に合う……はず……。

 

 

 そんな中学時代と何一つ変わらない学校生活も終わり、とうとうSTARRYに行く時が来た。

 

 携帯でSTARRYの住所を検索する。そこまで遠くはないようだ。

 

 私はSTARRYに向かって歩き出した。

 

 下北沢みたいなオシャレな街を私一人で歩くのは辛い。昨日の私は虹夏ちゃんという子と一緒に歩いていたらしい。

 

 写真を見てみたけど、すごいオシャレな子だった。絵に書いたような陽キャの雰囲気。

 

 この街ですれ違う人は皆オシャレな人。私には居心地が悪すぎる……早くここから抜け出そう……。私は歩みを早めることにした。

 

 

 

 でもそうすると早く目的地に着いてしまう。私はいつの間にかSTARRYの目の前に来ていた。まだ心の準備が出来ていない……。

 

 緊張する……。私には昨日の記憶がない。ここが本当に昨日の私が来た店なのかも確証が持てない。

 

 

 ……もしかしたら下北沢にはもう一件ライブハウスSTARRYがあって、こっちは昨日の私が来ていない方の店なのでは!? 

 

 もし本当にそうなら、私が入った瞬間に向けられるであろう『誰?』という視線に耐えられる気がしない……。

 もうちょい詳しく書いといてよ……昨日の私ぃ……。

 

 

 ……帰りたい……。かれこれ数十分店の扉の前で立っている。

 

 ドアノブに手をかけて引くだけ……。そう、それだけ……。

 

 あああ! 無理! 絶対無理! 

 

 陰キャは一度入ったことある店でも躊躇しちゃう生き物なんです……。誰かと一緒じゃないと入れないんです……。

 しかも私は記憶が無いから実質初めてのお店……。

 

 

 よし、5分。あと5分したら入ろう。いややっぱり10分……いや15分……いや20分したら絶対入ろう……。

 

 

「何してるんだろ……? ぼっ……」

「待って、もうちょい見てたい」

 

「鑑賞するのやめたげて……」

 

 階段の上から微かに声が聞こえた。やばい……このライブハウスの人かも……。

 

 振り返って確認してみる。

 

「あっ」

 

「「あっ」」

 

 そこに立っていた二人は写真に写っていた虹夏ちゃんとリョウさん。何度も見直したから間違いない。

 

 そこで、私は二度目の初めての出会いを果たしたんだ。

 

 




続けるには執筆時間が足りないのですが、念の為に連載に…。

ちなみに忘却探偵シリーズ大好きです。


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消えゆく私より敬礼を

プロットが定まった!


 

 二人が来てくれたことで店に入ることに成功した私。今日はもうこれで満足……という訳にはいかない。

 

 今日の本題はバンドミーティング。バンドの今後の方針について議論を深めるために来たのだ。

 

 

 

 テーブルを三人で囲んで座る私たち。なんだか友達っぽいぞ! と初めての体験に心が踊る。もしかしたら昨日の私が経験済みなのかもしれないけど。

 

「はい! ということで第一回! 結束バンドメンバーミーティングを開催しまーす! 拍手! パチパチパチ!」

 

 わ、わー……。着席したらすぐにミーティングが始まってしまった……。意外とゆるい感じなんだ……。

 

 私が記憶を失っていることには気づいていない様子。まあ日記のおかげで知識だけは補完できているから話が合わないことは少ないだろうし、私ってコミュ障で口数も少ないからずっと気づかれないことすら有り得る。

 

「それじゃあえっと……思えば全然仲良くないから何話せばいいか分かんないや!」

 

 身も蓋もない……、まあ見方を変えればかえって良いのかもしれない。まだ交流を深めていないということは、私に昨日の記憶がないこともあまり問題にならないはず。

 

 

 まあ仲良くなる度に辛くなるのは明日以降の私なのだが。

 

「そんな時のために、こんなものを」

 

「良いね!」

 

 リョウさんが取り出したのは大きなサイコロ。面に書かれているのは話の話題。一面だけバンジージャンプとかいうやばいのが混じってるけど、テレビでよく見るサイコロトークに使うサイコロだ。

 

「ほいっと……なにっがでーるかな? なにっがでーるかな?」

 

「デデデンデンデデデン」

 

 虹夏ちゃんがサイコロを振った。サイコロは床を転がって行き……

 

 学校の話の面で止まった。

 

「でん! 学校の話〜! 略して、ガコバナ〜!」

 

「はいどうぞ」

 

 即座に話を振ってくるリョウさん。友達が出来た時のための脳内シミュレーションを幾度も繰り返してきた私にはここでの最適解を出すことなんて容易い……けど……。

 

 いきなり話振られて頭真っ白になっちゃった……。

 

 焦るな……捻りだせ……話の起点になるようなこと言うんだ……。

 

 

「ふ、二人はどちらの学校に通ってるんですか……?」

 

 よし! 我ながら良い切り出し! そう手応えを感じたのも束の間。

 

「あれー? 昨日言わなかったっけ? 私たちは下北沢高校! 下高!」

 

「すすす、すいません! 聞き逃してました!」

 

「いや、そんな謝ることでもない」

 

 昨日言ってたらしい。

 

 これが記憶を失った弊害。逆に今まで支障がなかったことが私の交友関係を物語っている。

 

 やっぱりなんだか悲しい。私だけ長い間眠っていたかのような疎外感に襲われる。

 

「二人とも家が近いから選んだ」

 

「あっ……お二人とも下北沢にお住まいで……」

 

「あれ? ぼっちちゃん秀華校でしょ? 家この辺じゃないの?」

 

「あっ、いや、県外で片道二時間です……」

 

「えっ? なんで?」

 

「高校は誰も自分の過去を知らないところに行きたくて……」

 

「はいガコバナ終了──!」

 

 ああ……私のせいだ……、私が空気読めないこと言ったから終わっちゃった……。

 

「じゃ、じゃあ次は好きな音楽の話〜! 略して〜?」

 

「音バナ〜」

 

「お、おとばな〜」

 

 好きな音楽かぁ……これなら結構話せるかも……。

 私は音楽が好き。ギターを弾くのも楽しいし、演奏するだけじゃなくて、聴く方も勿論好きだ。音楽サブスクにも入って毎日毎日色んな曲を聴いている。

 

 最近の私も音楽は聴いているようで、ある日の日記には『この曲凄く良かったので今度カバーしといて下さい』と、未来の私に宛てたメッセージが書かれていた。

 

 人任せにしやがって……と思いつつも、曲を聴いてみると確かに良い。いくら記憶が失われていようと、昨日の私も私。私本人が言うことなんだから間違いないのだ。

 

 それに、『guitar hero』のイケイケ女子高生設定を守るためにも流行の曲は押さえておきたい。数年かけて築き上げた化けの皮が剥がれてしまうのは避けたいから……。

 

「私はメロコアとかジャパニーズパンクとか?」

 

「私はテクノ歌謡とかサウジアラビアのヒットチャートを少々……」

 

「絶対嘘!」

 

「本当だもん」

 

 大方、昨日の私が書いていた通りの性格の二人だ。虹夏ちゃんは明るくて活発的、リョウさんは独特な雰囲気で不思議なことをよく言う。二人が会話してるのを聞いているだけでも楽しい。

 

「ぼっちちゃんは? 好きなジャンルとかある?」

 

「あっ、青春コンプレックスを刺激しない曲なら何でも……」

 

「え……? 青春コンプレックスって何?」

 

「あっ、青春コンプレックスって一般的には使われて無い言葉なんですかね……」

 

「聞いたことないよ!」

 

 こういうやり取りは初めて。ツッコミをしてくれるような友達も欲しかったんだよ……私は……。

 

 本当にこの人たちといると心が温かくなる。

 だからこそ昨日の私には同情するし、私も今日の記憶を忘れたくないと思っている。

 

 だけどそれは叶わぬ願い。今日過ごした楽しい時間も明日には忘却の彼方に。分かっていても何も出来ないのだ。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「そうだ! ボーカルが見つかったら曲も作ろうよ! リョウが作曲できるしさ!」

 

 音楽の話の流れのまま昨日のライブの話になり、この話題になった。

 

 日記で昨日私がバンドに勧誘された経緯は知ってはいたけど、詳しい話を聞くと私が勧誘されたことは奇跡に感じる。まさか元々いたギターボーカルが逃げ出していたとは……。

 

 運命に近い出会いだと思った。私に記憶が残れば完璧だったのに。

 

「禁句が多いならぼっちちゃんが作詞すれば良いじゃん!」

 

 わ、わたし!? 

 

 私が作詞かぁ……小中9年間の休み時間は全て図書室で本を読むことに充てていたけど……。

 

 一番の問題、というより唯一の問題は私の記憶障害。

 

 私は記憶の都合上、作業の引き継ぎをすることが出来ない。昨日の私が途中まで歌詞を書き上げたとして、明日の私にはさっぱりだと思う。いくら同じ思考回路だと言えど、歌詞には日々感じていることが反映されるのだ。その日々が私には無い。

 

 

 つまりは一日で全て書き上げないといけない。

 

 まだ作詞はやったことないけど、一日で一曲書くのは至難の業だと思う。

 

「あっ……、頑張ってみます……」

 

 

 でも私は何かを残したい。形のある思い出を残してみたい。確かに私がここに存在していた証拠を、姿を、明日の私に残してあげたいんだ。

 

 さっきは何も出来ないと思ったが、私にも残せるものはあるじゃないか。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 その後もバンドミーティングは問題なく進行し、私たちは交流を深め無事に終了……

 

 

 

 

 

 するなら良かったのに。

 

「バイト来週からね〜、学校終わったらうち直行で!」

 

「ばいばい、ぼっち」

 

「あっ……、はい……」

 

 あろうことか、私はバイトをすることになってしまった。

 

 ライブをするためには集客ノルマを達成する必要があるらしく、まだ人気がない私たちがライブをするにはバイトをしてノルマ代を稼ぐ必要があるらしい。

 

 

 そこで私はスターリーのバイトに誘われた。誘われてしまった。

 

 労働、それは私が最もやりたくないことの一つ……。

 

 そこまでやりたくないなら断ればいい、と思うかもしれないが、断る勇気があるならコミュ障やってない……。

 

 私は二つ返事で了解してしまった。まあ私は記憶が失くなるから他人事のように感じつつある。頑張らなきゃいけないのは来週の私なんだから。頑張れ! 来週の私! 

 

 

 

 二人と別れて駅まで歩く道。昨日の私もこの道を通ったのだろう。

 

 

 その時の私の気持ちはどうだったんだろう。変化への期待、喪失への絶望、色んな気持ちが混ざっていたのかな。

 

 

 でも今の私は少しだけ希望が見えたよ。日記以外に明日の私へ贈ることができるものが見つかったから。

 

 今日の私にしか書けない歌詞。それが私が明日に託せるもの。

 

 歌詞に反映されるのは日々の体験の積み重ねや思ったこと。その積み重ねが出来ないなら、毎日毎日歌詞を書けばいい。

 

 経験の積み重ねで歌詞を書くのではなく、歌詞の積み重ねで一つの曲を完成させるんだ。

 

 

 ダイイングメッセージならぬ、バニシングメッセージ。消えゆく私が最後に残せるものはこれだけ。

 

 

 でも今は不思議と不安が消えた。絶望ばっかり明日に残しても意味が無い。

 

 消えてしまうものは仕方ない。そうポジティブに捉えられるようになったんだ。

 

 少なくとも今日の私はね。

 




次回辺りで記憶についてカミングアウトさせたい。


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「また明日」は「元気でね」

タグに曇らせを追加しました。


 

『いいですか、ここからは落ち着いて読んでください

 

 

 

 

 貴方はバイトをすることになりました』

 

 

 電車に揺られながらため息をつく。何度読み返しても、そこに書いてある事実は変わらない。

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。一週間前の私に小一時間問いただしたい。

 

 

 

 

 

 私には記憶障害がある。前向性健忘というこれから体験する出来事を記憶出来ない障害。

 

 朝起きた時、今日はもう四月だっけ? と思って携帯を確認したら五月の中旬だった。

 

 さながら浦島太郎状態。動揺していたらお母さんが私の部屋まで来て、私の症状について教えてくれた。

 

 

 そこで記憶が無い期間の私が書いているというノートがあるとのことなので、私はそのノートを読んでみた。

 

 一ヶ月半ぐらい記憶が無いんだ。何が起きていてもおかしくはない。

 

 も、もしかしたらバンドとか組んじゃったりしてね〜!? そんなことを考えながら読んでみた。

 

 

 

 

 本当に組んでた。

 

 信じられない。最初は私の妄想もこの域まで来たか……と思ってしまう程。

 

 でも読み進めるとどうやら違うようだった。

 

 

 本気で記憶が失くなることが悔しいのが伝わってくる。バンドを組んだ日の日記は涙でぐちゃぐちゃになっていた。この熱量の文をイマジナリーバンドメンバー相手にやってるなら怖い。だから本当に組んだんだな、と納得した。

 

 

 その次の日、バンドミーティングをしたらしい。

 

 この日の私はバンドを組んだ日に比べて、非常に理性的というか、落ち着いている。

 

 この日の日記は内容が濃くて面白い。

 

 サイコロトークをしたとか、作詞を担当することになったとか、すごい楽しそうだった。昨日の私が書いたであろう歌詞も次のページにある。

 

 私が青写真に思い描いた青春。それをこの日の自分は謳歌していた。

 

 

 

 最後の文がなければ気持ち良く読めたはずなのに。

 

 

 そう、バイトである。概要には一週間後と書かれているが、その一週間後が今日だ。

 

 バイトが決まった翌日から昨日までの日記には、『バイトに行くのが今日の私じゃなくて良かった……』という旨の日記で埋め尽くされている。

 

 全部私が書いているはずだし、過去の私も今日の私も記憶が無いだけで、同じ人物である。それなのに貧乏くじを引かされた気分になるのは何故だろう。

 

 私は労働が嫌いなんだ。なんでバイトのお誘いなんて受けてしまうんだ……。

 

 ばっくれよう。そんな悪魔のような考えが一瞬だけ頭をよぎった。

 

 

 ちょうどその時だった。滅多に鳴らない私の携帯がロインの通知を知らせる。誰……? と思い、通知の内容を見てみる。

 

『おはよう! 今日はバイト初日だね! 

 不安だろうけどちゃんとフォローするから一緒に頑張ろう!』

 

 私のそんな考えを咎めるかのようなロインが来ていた。送り主は虹夏ちゃん。

 

 文からも伝わってくる陽キャオーラ。私の邪悪な考えは一瞬で消え失せた。

 

 

 私は忘れてしまっているけど、みんなは私のことを覚えている。そう思わされるメッセージだった。私はみんなの記憶に残っているんだ。

 

 日記越しにも分かる彼女たちの温かさ。こんな私でも必要としてくれている。

 

 期待に応えたいと思っている私がいたはずなんだ。だったら記憶が失くなったって、私は私の意思を尊重したい。

 

 

 だからバイト、頑張ってみよう……。

 

 

 これが何の変哲もないコンビニとかだったら普通に飛んでたと思う……けど他のバンドメンバーも働いているんだし、きっと大丈夫……。

 

 そう、大丈夫。記憶がなくても、今までの私が積み上げて来た関係は残っている。

 

 そう自分に言い聞かせると、少しだけ前向きになれた気がした。

 

 

 

 毎日毎日、見ているはずの窓からの景色も私にとっては初めての景色。

 

 でも今日はなんだかいつもよりも、空が開けて見えているような気がした。

 

 胸を打つ鼓動、心臓の高鳴りは初めてのバイトへの緊張なのか、日記越しに見てきた二人に会えることへの期待なのか、はたまたその両方なのか。

 

 

 

 自分でもよく分からなかった。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「よし、じゃあ仕事始めよっか!」

 

「あっ、はい!」

 

 学校は何事もなく終わった。そして今はスターリーで初めてのバイト。

 

 店に入るのが一番ハードルが高かったけど、入ってしまえばもう余裕……。

 

「じゃあまずはテーブル片して、それが終わったら掃き掃除だね。それから……」

 

 全然余裕じゃない……。覚えられる気がしない……そもそも明日になったら忘れてるんだけどね……。

 

「あっ……! メモ取っても良いですか……?」

 

「全然いいよ! ぼっちちゃん真面目だね〜」

 

 結局忘れてしまうなら、明日以降の私も見れるようにしておきたい。毎回毎回仕事を教えてもらうのも辛いだろうし。

 

 バッグからいつものノートとペンを取り出す。ついでに今日の日記も並行して書き進めておこうかな。

 

「ノートにメモ取るんだね」

 

「あっ……メモ帳は無くしやすいので……」

 

 確かに、メモを取るって言ってB5のノートを取り出すのはおかしかったかも……? ポケットにも入らないサイズだし……。

 

 しかし、メモ帳だと未来の自分の目につかない可能性がある。これが私の生命線なんだから、絶対に無くしちゃいけないので仕方がない。

 

 

 しばらくは言われたことを文字に起こして、掃除を手伝う。

 

「よし! 掃除終わったから次はドリンク覚えよっか」

 

「あっ、はい」

 

 掃除までは何とかついて行けた……意外と行けるかも……! 

 

「トニックウォーターはここからね、ビールサーバーはここ、カクテルは後ろの棚ね。右端からテキーラ、ウォッカ……」

 

 あ〜〜覚えられない……。早すぎ。もう歌にして覚えこむしかない! と思ったけどギター持ってきてない。

 

「す、すいません、もう一度最初からお願いします……」

 

「ごめんごめん、早かったよね? ここがトニックウォーターで……」

 

 急げ! メモを取るんだ……。

 

 文字だけじゃ意味分からないだろうし、軽いイラストもつけておく。カクテルはこっちの棚で……、こっちが……

 

「ぼっちちゃん、そんな完璧に書かなくてもいいんじゃない? また分かんなくなっちゃったら教えるよ! しばらくはドリンクスタッフも一人にさせないし!」

 

「あっ、いや……これは趣味みたいな感じで……」

 

「趣味なの!?」

 

「教えて貰ったことは完璧に記録しておきたいと言いますか……」

 

「……ぼっちちゃんって結構独特な感性してるよね……」

 

 

 自分でも驚くほど自然に嘘をついていた。

 

 多分、虹夏ちゃんを悲しませたくないから嘘をついたんだ。

 

 記憶障害なんて伝えた方がいいに決まっている。

 

 それでも、虹夏ちゃんが今までの記憶がないと知ったらどうなるだろうか。

 

 まだ会って間もないけど、初ライブの日もバンドミーティングも覚えていないと知ったら悲しむに決まっている。

 

 自分が悲しいのは別にいいけど、周りの人を悲しませるのは違う。

 

「じゃあドリンク渡す流れを教えるね!」

 

「あっ、はい!」

 

 そう、それでいいんだ。どんなに私が悲しんでも、明日にはどうせ忘れるんだから。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「お客さん入ってきたね〜、ぼっちちゃん今から忙しくなるよ〜」

 

 開場時間になり、お客さんが入ってくるようになってしまった。

 

 ああ……終わりだ……お客さんがいない状態のイメトレでもまともに出来なかったのに、お客さんアリでやったら結果が目に見えてる……。

 

 そうこうしてるうちにも増えるお客さん。そしてとうとう一人目のお客さんが来た。

 

「すみません、コーラ下さい」

 

「はーい、ぼっちちゃんコーラね」

 

「あっはい!」

 

「私ジンジャーエール」

 

「あっはい!」

 

「ぼっちちゃんお客さんに失礼でしょ!」

 

「こここ心の準備がぁ〜……」

 

 ああ、普通に立つこともままならない……。お客さんに見つめられただけで死ぬ自信がある……。

 

 

 あれからお客さんは何人も来たけど、結局虹夏ちゃんに任せっきり……。

 

 

 カウンターの裏、落ち着くなぁ……。私はここで一生蹲ってるのがお似合いなんです……。

 

「ぼっちちゃん、見てみて」

 

 虹夏ちゃんがステージの方を見るよう促す。言われた通りに立って見てみる。ライブが始まるらしい。

 

「あのバンド、結構良いんだよね〜」

 

「……」

 

「力抜いて大丈夫! ライブ始まったら暇になるから!」

 

「お疲れ」

 

「お疲れー! あれ? 受付は?」

 

「店長が代わってくれた。今日のバンドはどれも人気あるし勉強になるからって」

 

 リョウさんが受付の方からやってきた。店長って意外と優しいんだ……。

 

「うちのお姉ちゃんあれなの、ツンツン、ツンツンツンツンツンツン、デレ〜みたいな?」

 

「ツン多い」

 

 この二人仲良いなぁ……。

 

「す、すいません……戦力にならないどころか、お客さんと目も合わせられなくて……」

 

「これ使う? マンゴーじゃないけど」

 

 リョウさんが取り出したのは烏龍茶のダンボール。なんでみんなダンボール推してくるの……? 店長さんもさっき私にダンボール被ったとか、マンゴー仮面とか言ってたし……。

 

「使わない使わない」

 

 日記には些細なことは書かれていない。普通の人なら些細なことも思い出せるけど、私にとっての記憶はノート。過去の私が必要ないと判断した些細なことから話が来ると全く分からない。

 

 はあ……辛いなぁ……。

 

「大丈夫! 今日は初日なんだし、すぐ慣れるって!」

 

 私のため息を聞いた虹夏ちゃんが励ましてくれる。

 違う、明日も明後日も、もしかしたら一生。私は初日の私のまんま。

 

「私みたいなミジンコ以下にどうしてここまで優しくしてくれるんですか……?」

 

 思っていたことを口に出してしまった。私みたいなの、優しくする価値なんてない。仕事も覚えられない、人と目も合わせられない。

 

 ふと思う。私みたいな欠陥ギタリストよりももっと相応しい人がこの人たちにはいるのではないだろうか。

 

「私ね、このライブハウスが好きなの。だからライブハウスのスタッフさんがお客さんと関わるのって、ここと受付ぐらいだし、いい箱だったって思ってもらいたい気持ちがいつもあって」

 

「すすすすいません……そんな場所でド下手な接客を……」

 

「いや、違う! そうじゃなくてさ、ぼっちちゃんにもいい箱だったって思って欲しいんだ。楽しくバイトして、楽しくバンドしたいの、一緒に」

 

 一緒に。その言葉が私の中で反芻する。私はこんなに輝いている人の隣に立っていてもいいのだろうか? 

 

「ま、いつかは笑顔で接客出来るようになって欲しいってのもあるけどね!」

 

 いつか。いつかは記憶を忘れないようにして、この人たちの言ったことを忘れたくないな……。

 

 

「あっ! ぼっちちゃん始まるよ!」

 

 ライブが始まった。

 

 会場が一体になって、お客さんも演者も楽しそう……。

 

 私たちもいつか、こんなライブできるのかな。私は成長出来るのかな。

 

 今日の私が進めるだけ進んで、また振り出しに戻っての繰り返しでも掴めるものはあるのかな。

 

 バンド自体が成長することには個々の成長も必要。

 

 その中でも結束バンドで一番変わらなきゃいけないのは私だ。少しでも変わりたい。

 

「すいません、オレンジジュース」

 

「あっはい!!」

 

 笑顔でお客さんの目を見て接客……笑顔でお客さんの目を見て接客……。

 

 笑顔で……お客さんの目を見て……接客……。

 

「ど、どうぞ〜」

 

「ぼっちちゃん! 目! 目!」

 

「ふふ、ありがとう」

 

 やった……初めて顔だして接客出来た……。

 

「いやー、ドキドキした〜。でもすごい! ちゃんとカウンターから顔だして接客出来たね!」

 

「あっ、頑張りました……」

 

「ぼっちちゃんのおかげで、きっと今日のライブがもっと楽しい思い出になったよ! これでぼっちちゃんも一歩前進だね!」

 

 ……一歩? 私にとっては千歩くらい進んだと思ったんだけど!? 

 

 しかし結局は忘れてしまう。ゼロ歩と何も変わらない。

 

 でも今はそれでいい。今までの私が出来ないことをやってのけた。今はその事実だけで良い。

 

 一日でここまでのことが出来たんだ。明日の私も一日でこれくらい成長出来ない道理は無い。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「じゃあ今日はお疲れ、気をつけて帰れよ」

 

「バイバイ」

 

「あっ……お疲れ様でした……」

 

 見送ってくれる店長と虹夏ちゃんとリョウさん。

 

「ぼっちちゃん!」

 

「あっ、へっ、はい!」

 

「またね!」

 

「あっはい! まままた明日!」

 

 こうして私は帰路に就く。

 

 初バイトを終えた帰り道。色んなことが思い浮かぶ。

 

 でも一番は、バイト頑張って偉いぞ! 私! 

 

 自然と歩みはスキップになった。

 意外とやっていけそうな気がする! 明日からも頑張るぞ〜! 

 

 

 今日の私には明日は訪れないけど、『また明日』って言ったんだ。明日の自分も頑張るぞ〜! 

 

 そうだ! 今日あったことを日記に今すぐにでも書きたい! 

 

 電車で書こう、そう思って歩きながら肩にかけたトートバッグから取り出そうとした。

 

 おかしい、ない。記憶を思い起こしてみる。

 

 

 最後に触ったのは仕事内容をメモった時……。

 

 

 あっ、ライブハウスに忘れた……。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「ぼっち、頑張ってたね」

 

「そだねー、それにまた明日って言ってくれたね〜」

 

「うん」

 

「バンド組めて良かったよね〜」

 

 本当に、心の底からそう思う。ぼっちちゃんに会えて良かった。

 

「そだ、ぼっちちゃんにロインしとこ、明日も頑張ろうって」

 

「ていうかこのノートは何」

 

「あっ、ぼっちちゃんのノート。忘れちゃったのかな、それもロインしよう」

 

「覗いちゃおう」

 

「いやいや良くないよ、プライバシーの侵害だよ!」

 

「でも表紙に書いてあるタイトルが超気になる」

 

「どれどれ〜? 『明日の後藤ひとりへ』?」

 

 私は何気なくページを開いた。開いてしまった。一番最初のページに目を通す。

 

「なになに……『私の名前は後藤ひとり、

秀華高校の一年生。

 

 突然ですが、貴方には記憶障害がある。前向性健忘の一種で、貴方はこれから体験する出来事を記憶することが出来ません』……」

 

 そこで初めて私はぼっちちゃんの抱える苦しみを知ることになった。

 

 

 




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忘れてやらない

誤字報告、推薦、感想評価、その他諸々感謝です!


 

「……これって本当?」

 

「……いや、ぼっちがそういう時期なだけかもしれないじゃん。今日だって普通にしてたし」

 

「そ、そうだよね!」

 

 そうだ、きっとそうなんだ。そういう時期は誰にでもある。

 

 そう自分に言い聞かせる。ここに書いてあることが本当なら、ぼっちちゃんが今日バイトに来たこと自体おかしい。だからきっと冗談なんだ。

 

「じゃあページ進んでみよ」

 

「うん……」

 

『これは貴方の備忘録。記憶が出来ない貴方はこのノートを使って、明日の貴方に今日あった出来事を伝えてください』

 

「つまるところこれは……」

 

「日記、ってことだね」

 

 このノートにはぼっちちゃんの日記が書かれているようだ。

 

 少しページを読み進めてみる。

 

「えーと、『4月7日、月曜日。今日は高校の入学式だった。華の女子高生生活がスタート。しかし、残念なことに誰にも話しかけられなかった。悲しい。

 明日の私は話しかけられますように』……ん? これだけ?」

 

 その日の日記はこの文と下に小さく書かれた学校の地図に、ぼっちちゃんのクラスであろう場所がチェックされているだけ。

 

 いくらなんでも内容が薄すぎる。記憶が無くなるってなったら、普通はもうちょい何か書き残さない? 

 

「やっぱり、記憶障害なんてないんじゃない」

 

「確かに……あ、初ライブの日のページ見てみる?」

 

「いいね」

 

 私は何枚かページを進んで、私たちが出会った日の日記を読み始めた。

 

『今日はとてつもなく濃い一日だった! 私の夢の第一歩! バンドを組むことを達成できた! 嬉しい! バンドメンバーの虹夏ちゃんもリョウさんも凄くいい人! この人たちとならやっていけるかもしれない!』

 

「なんか照れるね」

 

「ねー、ぼっちちゃんも嬉しいって思ってくれてたんだ〜!」

 

 ぼっちちゃんはあんまりこういうことを口に出して言ってくれないから、本当の気持ちを知ることが出来て嬉しい。

 

 それからのページにはその日の出来事を詳しく綴ってあった。勧誘された場所からライブの様子まで、細かく綴っている。それから私たちの情報も記されていた。

 

 ぼっちちゃんの気持ちを知ることが出来て嬉しくなってしまった私は、もうただの日記くらいの気持ちで読んでいた。

 

 ページをめくる。

 

『忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない、忘れたくない』

 

「……え?」

 

 今までの日記からは想像もできない突然の豹変に私は血の気が引いた。

 

 

『明日はバンドミーティングの約束もしたんだ。次ライブする時はもっと上手くなるって約束したんだ……。

 

 

 でも明日の私はこんな約束も覚えていない……

 

 明日には虹夏ちゃんの顔も、リョウさんの顔も、声も、二人の担当楽器も、私に付けてくれたあだ名も、全て忘れている』

 

 

「……信憑性、高くなってきちゃったね」

 

 このページを読んでようやく気づいた。

 

 ぼっちちゃんは本当に記憶障害を抱えている。

 

 冗談であって欲しかった、真実だと認めたくなかった。

 

 

 でもこの日の苦しむぼっちちゃんが、あまりにも可哀想だった。

 

 これが冗談な訳が無い。

 

 

「ページ、めくろう」

 

 嫌な現実からも目を離さないリョウはすごい。私は今すぐにでもこのノートを閉じたかった。

 

 でも私たちはぼっちちゃんの苦しみについて知る義務がある。

 

 今まで何も知らずに一緒に過ごしてきた。その間もきっと、ぼっちちゃんは苦しんでいたんだ。

 

 ページをめくる。

 

 

 

『こんなにも忘れるのが辛いなら、こんなにも苦しいなら、

 

 

 私はいっその事、あの二人に会わない方が良かったんじゃないかと思う。

 

 二人からしてみてもそうだ。一緒に過ごした時間をすぐに忘れられて、気分がいいわけが無い。

 

 

 今日の朝の私に伝えることが出来るなら、

 

 ギターを持っていかず、公園にも寄らず、真っ直ぐ家に帰って欲しい。なんで過去は変えることが出来ないんだろう?』

 

 

 ぼっちちゃんにとって出会いは別れと同義。いくら仲良くなっても、明日には関係値がリセット。自分だけが相手のことを知らない辛さ。それを何度も何度も体験する。

 

 

 そんな絶望の繰り返しを始めてしまったのは、私だ。

 

 

 

 私がぼっちちゃんを見つけていなかったら、私がぼっちちゃんを勧誘していなかったら、

 

 

 

 

 ぼっちちゃんは苦しまずに済んだのだろうか? 

 

 

「ご、ごめ、ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 口から出てきたのは、届くはずもない謝罪の言葉。

 

 

 ぼっちちゃんは私のせいで苦しんでいる。

 

 私がぼっちちゃんを見つけなかったら、ぼっちちゃんはずっと独りだったのかもしれない。

 

 だけどその方がぼっちちゃん、いや後藤ひとりちゃんにとってきっと一番良かったのだ。

 

 

 その日の日記は、何とか襲い来る眠気に抗おうとするも、呆気なく眠りに落ちてしまったところで終わっている。

 

「虹夏、虹夏」

 

「……あ、ごめん」

 

 私はリョウの声で我に返った。

 

「ぼっちから返信来てるよ」

 

「ああ、本当だ」

 

『すみません! 今すぐ取りに行きます!』

 

 ぼっちちゃんは忘れたノートを取りにここにもう一度来る。

 

「……どんな顔して会えばいいのか分からないね」

 

 そんなリョウの言葉に私は何も返すことが出来なかった。

 

 

 

 

 少しずつだけど、仲良くなれていた気がしたんだ。

 

 ぼっちちゃんはお客さんと目を合わせて接客も出来るようになったし、私も頑張らなくちゃって思った。

 

 

 ぼっちちゃんはその頑張りもリセットされてしまう。勇気を出したことも、明日には忘れている。

 

 

 私だけだったんだ、仲良くなれた気でいたのは。向こうが忘れていることも知らないで、馬鹿みたいに馴れ馴れしく接して、

 

 

 ぼっちちゃんの苦しみを助長させていたんだ。

 

 

 そんなことを考えている時だった。

 

「……虹夏、これ見て」

 

 リョウはその続きのページを読んでいた。初ライブの日の翌日、バンドミーティングをした日だ。

 

『私は歌詞を任されることになった! 私は記憶障害のせいであまりお役に立てないから、出来るだけ頑張ってみよう! まずは手始めにこのページ一枚分に歌詞を書いてみる!』

 

 その次のページにはぼっちちゃんが書いた歌詞が書いてあった。

 

「……うん、いい歌詞。ぼっちだって頑張ろうとしてるんだよ」

 

 書かれている歌詞は一曲分。小さく書かれているタイトルは『忘れてやらない』。

 

 

 

 この日のぼっちちゃんは初ライブの時の記憶がない。

 

 正直、頑張る意味が無い。だって全く知らない相手なんだから。

 

 それでも、ぼっちちゃんは頑張っていた。

 

 泡のように消えていくはずのぼっちちゃんの記憶たち。それが歌詞として、確かにそこに残っていた。

 

 

 ぼっちちゃんは誰かの記憶に残ろうとしていた。

 

 

 私たちもぼっちちゃんに何かしてあげたい。

 

「私たちでさ、ぼっちの記憶を戻してやろうよ

 

 絶対に忘れられない体験で埋めつくしてやろう」

 

 

「……うん! このノート一冊じゃ収まらないぐらいの、すごいことをしよう!」

 

 ぼっちちゃんは記憶障害が治るその時まで、ずっと同じことを繰り返す。仲良くなって、また忘れての繰り返し。

 

 今はまだ、そのままでいい。私たちがぼっちちゃんのことを覚えている限り、ぼっちちゃんはきっと応えてくれる。この歌詞がそれを物語っている。

 

 

 頑張るぼっちちゃんを私たちで支えてあげるんだ。

 

 

 

 

 人には絶対覆らない現実というものが襲ってくる。

 

 ぼっちちゃんにとってのそれは記憶障害。

 

 その現実を乗り越えて、ぶち壊した時。

 

 その時、私たちはぼっちちゃんにこう言ってやるんだ。

 

 

 絶対忘れてやらないよって。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 からんからん

 

 ドアベルが鳴った。

 

「す、すいません……忘れ物しちゃって……」

 

 申し訳なさそうに入ってくるぼっちちゃん。

 

「いやいや全然大丈夫 ! せっかくメモしたのに忘れちゃったらしょうがないもんね!」

 

 私はぼっちちゃんにノートを渡す。

 

「じゃ、じゃあ私はこれで……」

 

「あ、そういえばさ、ぼっちちゃん」

 

「あっ……なんでしょうか……?」

 

「前も言ったけどギターボーカルを入れたいから、もしいい感じの人がいたら勧誘しといて! お願い!」

 

「ああ……それですね……頑張ってはみます……」

 

「じゃあ! また明日ね!」

 

「はい……また明日……!」

 

 そこで私たちは別れた。遠くなっていく背中が哀愁を漂わせていた。これが今日のぼっちちゃんとの最期の会話だ。

 

 伸ばしたくなる手を押さえつけて、私はぼっちちゃんを見送った。

 

 

 

「やっぱりぼっちちゃんって記憶ないんだね」

 

「虹夏、性格悪い」

 

 念の為、もしぼっちちゃんが記憶障害を患っていなかった場合のために、私は鎌をかけた。

 

 私はぼっちちゃんに直接、ギターボーカルを探して欲しいなんて頼んだことはない。

 

「でも仕方ない! これからまた頑張っていこう!」

 

「うん」

 

 私たちはぼっちちゃんの記憶に残ってみせる。そんな決意をしたのだった。

 

 

 



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忘れたくない、忘れたい、忘れたい


結末への布石みたいなやつ
曇らせはなし


 

「かなり良くなってきています。なってはいるんですが……」

 

 いつも通りの平日。何故か私は病院に来ていた。訳も分からずお母さんに連れてこられたのだ。

 

 受診しているのは大きな病院の脳神経外科。

 

 

 なぜ脳神経外科かと言うと、私には記憶障害があるらしいのだ。

 

 交通事故で負った脳外傷によって引き起こされた記憶障害で、障害を負った日からの記憶が更新されない前向性健忘という症状が私が発症した記憶障害。

 

 それが発症してから二ヶ月弱が経過。私の記憶には二ヶ月間もの空白の期間があるようだ。

 

 

 そして私はこの症状を治すために、病院に定期的に受診してリハビリをしたり、回復の経過を診てもらっているらしいのだ。

 

 

「意味記憶と手続き記憶に関する記憶能力はほぼ回復しました。ただエピソード記憶が一向に回復の兆しを見せません」

 

「そうですか……」

 

 お母さんは理解してるみたいだけど、私には今の説明じゃさっぱりだった。記憶ってそんなに種類あるの?

 

 

「ひとりさんはエピソード記憶を司る部位に重大な損傷、ほかの記憶の領域に軽度の損傷を負いました」

 

 ポカンとしている私に気づいたのか、それとも私が記憶を失うことを分かっているからなのか。お医者さんが説明を始めた。

 

「先程行ったテストでは、ひとりさんが通う学校から頂いた情報をもとに、最近学んだことに関するチェックテストを行いました」

 

 この病院に来て、まず私は数学や英語のテストをやらされた。

 

 その内容はまだやっていないはずの高校の範囲の問題。私は何故かその問題の解き方を知っていた。

 

「勉強した内容は意味記憶に分類されます。つまり、ひとりさんは勉強したという体験は忘れてしまっていますが、勉強した内容は記憶しているのです」

 

 まあ答えは全然合ってなかったんですけど、と付け加えるお医者さん。私が馬鹿なのは記憶障害の影響じゃないんですか……? 

 

「手続き記憶は動作や技能に関する体の記憶です。

 ひとりさんは覚えてないと思いますが、最近バイトを始めたらしいですね」

 

 ……えっ!!?? バイト!? 

 

「ひとりちゃん、信じられないかもしれないけど、貴方昨日もバイトに行ってたのよ」

 

 えっ、ええ、ええええ〜……。

 

「そこの店長さんから聞いたんだけどね、『問題なく仕事をやっていた』って。仕事内容もメモを見なくても言えたそうでね。ちゃんと覚えていたそうよ」

 

 私がバイト……だと……? 私凄すぎる……。

 

「これで意味記憶や手続き記憶は完治したと言って差し支えないでしょう。しかし肝心なのはエピソード記憶の方です」

 

 エピソード記憶。それくらいなら私でも知っている。

 

 起こった出来事や経験したことの記憶に加え、その時に感じたことや、思ったことなどの感情を伴う記憶。それがエピソード記憶に分類される記憶だ。

 

「正直、エピソード記憶の方もいつ治ってもおかしく無い状態なんですよ。むしろ治ってないのが不思議なくらいです」

 

 うーん、でも私には記憶が全くない……。

 

「記憶に関してはどのような結論も憶測の域は出ないのですが……私は仮説を立ててみました」

 

「き、聞かせてもらってもいいですか……?」

 

 専門家の仮説だ。大外れしている訳でもないだろう。私は聞いてみることにした。

 

 

 

 

「ひとりさんの記憶が消える現象は防衛本能なのではないか、ということです」

 

 

 

 ……防衛本能? 記憶が消えることが? 

 

「例を出すなら……幼児退行。過度なストレスによって無意識的に自分を守るための行動です」

 

 私が無意識に記憶を消しているということだろうか? 本当にそんなことが有り得るのかな……? 絶対記憶が消えない方が便利だし……。

 

「元々はただの記憶障害だったのだと思います。しかし、その記憶障害の原因であった外傷は既に治っています。

 もし私の仮説が正しいとするなら、ひとりさんの脳は記憶をして多大なストレスを負うよりも、記憶を消し続けることを選んだということです」

 

 

 筋は通っているように聞こえる。問題は私がそこまでして忘れたいことがあったのか? ということ。

 

 私が記憶を失い始める時期から、脳外傷が治るまでの間にそんな出来事があったと言うのだろうか。

 

 

「ひとりさん、あなたには何か忘れたいと思う出来事があったのではないでしょうか? 答えは今までのひとりさんがつけている日記にある可能性が高いと思います」

 

 

 私が忘れたかったこと。当然、今の私にはその答えを出すことは出来ない。

 

「まあ仮説に過ぎませんので、頭の片隅にだけでも置いといてください」

 

 

 

 

 そこで検診は終わった。

 

 

 鍵になるのは今までの私がエピソード記憶のリハビリのために書いていた日記。私は早速目を通してみた。

 

 最近起きた何か変わったこと。それを探すためにページをめくり続ける。

 

 このページも違う……このページも違う……。

 

 

 もしこれで特に中学時代と変わらないことしか起きていなかったら、お医者さんの仮説は間違っていたと言うしかない。

 

 そんなことを考え始めた時だった。

 

 

 私はある出来事を日記で見つけた。

 

 

 私がバンドを組んだ。それは明らかに今までとは違う出来事で、その先のページを読んでみてもこれ以上の出来事は無い。

 

 

「……結束バンド」

 

 結束バンド、それがそこに書かれていたバンド名。

 

 しばらくは日記を詳しく読み込んだ。

 

 ライブ、バンドミーティング、バイト……。まるで私とは思えない程のアクティブさで、バンド活動を謳歌していた。

 

 到底、これが私が忘れたかった出来事とは思えない。だけどこれ以外に目新しい出来事は書いていない。

 

 バンドメンバーがいい人であること、私が凄く楽しんでいることがひしひしと伝わってくるこの日記には、私が忘れたいことなんてないように思える。

 

 1ページだけ不穏なことが書かれていたが、それも私がバンドメンバーのことを忘れたくない故に書いたことだと分かる。

 

 

 

 

 

 

 私は本当に彼女たちのことを忘れたかったのだろうか? 

 

 自分のことなのに全く理解できない。それがただただ怖かった。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 学校へ向かう道を歩いていた。通学時間の関係上、朝一番に病院に行っても学校に着くのは4時間目頃。平日のお昼時というのもあって、電車も道も空いている。

 

 歩いている途中でも、頭の中は私の記憶のことでいっぱいだった。気になる点が多すぎる。

 

 

 

 でも学校に行ってやることは決まっていた。ギターボーカル探しだ。

 

 

 最新の日記に書かれていたこと。

 

『ギターボーカルを見つける……』

 

 その日の私の意気込みと来たら、とんでもない熱量だった。

 

 日記によれば、バンドメンバーである虹夏ちゃんに頼まれていたことらしいのだ。絶対に期待に応えてやるという気概が感じられる。

 

 日記の中でも、今日の私にこれでもかというほど念押ししていた。

 

 

 期待に応えられるように頑張るつもりではあるけど……ギターも弾けて歌も歌える人なんてひと握りだと思う……。

 

 

 なんてことを考えていると、学校に着いた。学校には病院に行く連絡をしているので問題ない。

 

 

 けど授業中にドアを開けて入るの、嫌すぎる……。みんなの視線が全部こっちに向くし……先生も話しかけて来るし……。

 

 4時間目はあと10分。うん、5時間目から参加しよう……。

 

 すぐに昼休みなので、私はお昼を食べることにした。

 

 えーと、確かこのページに……あったあった、おすすめのお昼ご飯スポット集。

 

 過去の私が調査をしたお昼ご飯を食べる場所。めちゃくちゃありがたい。過去の私に感謝。

 

 

 とりあえずここに載っている階段下に行ってみよう。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 はあ……落ち着くなぁ……。

 

 人通りも少なく、薄暗くて静かな空間、私を囲む机たち。

 

 階段の下の謎空間って私のために作ってくれたのかな……? 

 

 そう思ってしまうほどにこの場所は居心地が良い。

 

 残りの時間はここで過ごそう……。早めにお昼を食べ終わったから結構時間がある。

 

 

 やることもないので、この時間でギターボーカル探しの準備をすることにした。ギターボーカルを探すにあたって、まず聞いてみようと思ったのはクラスメイト。

 

 クラスメイトのことが書いてあることを期待して日記を開いてみる。平日のページを重点的に見ていく。

 

 

 うん……何にも書いてない……クラスメイトとの関わりが一切無いらしい。教室に入ったら話しかけて貰えるかなとか思ってたけど、この調子じゃ諦めた方が良さそう。

 

 そもそもギターが弾けて歌える人なんて軽音楽部に入ってそう……学校外のバンドで活動する暇なんてないんじゃないのかなぁ……。

 

 最悪、私が見つけられなくてもほかのメンバーが見つけてくれるはずだよね……。

 

 諦めムードが私の中で漂い始めたその時、階段の近くを通る人の会話が私の耳に入ってきた。

 

「昨日カラオケ楽しかったねー!」

 

「喜多ちゃんやっぱり歌上手いな〜」

 

「辞めちゃったけどバンドでギターもやってたらしいよ」

 

 ……すごく良い事を聞いた気がする。

 

 バンドを辞めてて、ギターが弾けて、歌も上手い……。

 

 ……その喜多さんという人はギターボーカルにうってつけの人材なんじゃないか? 

 

 

 

「あ! 喜多ちゃん!」

 

 なんと、本人が今そこにいるらしい。

 

 

 どんな人なんだろう……? 気になった私は一目見るために覗くことにした。

 

「めっちゃごめんだけど、お願いしたいことがあって!」

 

「どうしたの?」

 

 か、可愛い……。絶対良い子だ……。

 

 可愛くて、明るくて、愛想が良くて、人望があって、万能で、その上ギターも弾ける……。

 

 

 

 そんな完璧超人を私が勧誘できるのだろうか……。

 

 

 

 うん、絶対無理。ここまではっきりしてると諦めがついちゃうなぁ……。

 

 同じクラスならまだしも、別のクラスだしなぁ……クラスメイトにも話しかけられないんだから、他のクラスの人なんてもちろん話しかけられない。

 

 まあ、今日の私が勧誘せずとも、今度メンバーの人と一緒に訪ねてみる方がいいんじゃないかな……。みんな良い人らしいし、私なんかが勧誘するよりもずっといいと思う。

 

 

 とりあえず今日のところは有力な候補者を見つけることが出来た。それで十分だよね……。

 

 

 かなり時間がかかりそうだと思っていたギターボーカル探し。それが意外にも早く結論に辿り着いてしまった。

 

 

 そうなるともちろん暇な時間が増えるわけで、残された昼休みの時間を何に充てようか、少し考えてみる。何しようかな……。

 

 

 

 

 

 ……あ、ちょっと試したいことがあるんだった。

 

 

 ケースからギターを取り出す。

 

 手続き記憶が治っていると聞かされた時、まず思い浮かんだのはバイトのことでも、勉強のことでもない。ギターのことだった。

 

 

 今日までの私に記憶がないだけで、日々の習慣であるギターは毎日弾いていると思う。それにバンドメンバーとライブしたという記録もあるし、一緒に練習をしたという記録もある。

 

 

 今まで一度もなかった人と一緒に演奏するという経験。それが私のギターの腕前に影響を及ぼしているのかが気になったのだ。

 

 軽くチューニングをして、思うがままに弾いてみる。

 

 アンプに繋げてもない生音なので音は大してうるさくない。だから人が来ることもきっとない……そう信じて弾いていく。

 

 

 

 ……うん……よくわかんない……。しばらく弾いてみたけど、私には違いが分からなかった。いつも通りの音でしかない。

 

 こういうのは自分ではあんまり気づけないのかもしれない。ギターヒーローの動画と後で比較でもしてみよう。そう思って一旦ギターを仕舞おうとした、その時だった。

 

 

 

「2組の後藤さん……よね? ギター上手いのね!」

 

「うえっっ!!?」

 

 いつの間にか目の前には、先程の喜多さんが立っていたのだった。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 私が後藤さんに話しかけたのは好奇心からだった。

 

 廊下を通った時、微かにギターの音が聞こえてきて気になって見に行っただけ。元々話しかける気なんてなかった。

 

 でもギターを弾いている後藤さんを見かけた時、気づいたら話しかけていた。話しかけずにはいられなかった。

 

 

 私が諦めてしまったギター。それを完璧に弾きこなす後藤さん。後藤さんの演奏はとにかく技術が高かった。素人の私でも分かるほどに。

 

 

 でも私が話しかけなきゃいけないと思った要因はそこでは無い。

 

 

 

 

 ギターの演奏には人それぞれの個性があって、同じ曲でも人によって曲の雰囲気が変わることがあるらしい。

 

 正直、素人の私にはギターの演奏の違いなんて分からない。誰が弾いても同じ物だと思っていた。

 

 

 

 後藤さんの演奏を聴くまでは。

 

 

 後藤さんの演奏はとにかく必死だった。例えるなら、時間がなくて焦っているかのような、何かを残そうとしているかのような。そんな必死さがあった。

 

 私の音を聴け。誰も観客がいないはずの階段裏で彼女がそう言っている気がしたのだ。

 

 

 それでいて儚さと悲しさを含んでいた。

 

 後藤さんは今、目の前でギターを弾いているはずなのに、すぐ目の前に座っているはずなのに、まるでそこに存在してないみたいだった。そんな儚さを纏っていた。

 

 今ここで話しかけなかったら、後藤さんがどこか遠くに行ってしまいそうな気がした。もう二度と会えない気までした。

 

 そんな音を奏でる後藤さんは平気な顔をしているのだ。とにかくちぐはぐだった。どうしてその真顔でそんな悲しい音を出せるのだろう。

 

 

 

 そんな音色を私と同じ歳の子が奏でていることが信じられなかった。

 

 どれだけの練習を積めば、人の心を動かす演奏が出来るのだろう。どんなバックボーンがあればこの音を出せるのだろう。

 

 それを確かめるため、私は後藤さんに話しかけたのだ。

 

 

 

 

 後藤さんが抱えているものの重さも知らずに。

 

 

 

 





活動報告で宣言してしまったからには…



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君をいつまでも待ってた


はあ…はあ…間に合った…


 

「バンドでもやってるの?」

 

「あっ、一応……はい……」

 

「へぇ〜! 他にも弾けるの?」

 

 溢れ出る陽キャオーラ……! この距離の縮め方……陽キャだ……! 

 

 普段だったら陽キャの襲来に焦っているところ。だが今回は違う。

 

 

 バンドに勧誘しようと思っていた人物が向こうから話しかけてきた。これはチャンスでしかない……。

 

 私にとっての最大のハードルは初対面の相手に自分から話しかけること……だがそれは相手から話しかけてくることで解決した……。

 

 そう、チャンスなんだ……。切り出せ……頑張れ後藤ひとり……。

 

「あ、あの……喜多さん……良かったらうちのバンドに入りませんか……? 今ギターボーカルを探してて……喜多さんがギター弾けるって聞いて……」

 

 完璧だ……! これ以上にない切り出し……! 

 

 私ってこんなに話せたっけ? バイトとかのおかげで少しは人と話せるようになったのかな。

 

「うーん……ごめんなさい。私、そのバンドには入れないわ」

 

 ……断られるとは思ってもいなかった……。そうだった……誘ったのが私であるという点を考慮してなかった……。

 

「えっと……私は暗いですけど、他のメンバーはみんな明るくて……」

 

「いや、後藤さんが嫌とかじゃなくてね」

 

「えっ……じゃあどうして……」

 

 私なんかが勧誘したから断られたのかと思った……。

 

「私ね、本当はギター弾けないの」

 

「……え?」

 

「前にいたバンドはね、先輩目当てで嘘ついて入ってたの。結局、何一つ分からなくて逃げちゃったんだけど」

 

 完璧だと思われていた喜多さんにも欠点があったらしい。

 

「ギターってこっちジャンジャンするだけじゃないのね? この木の棒、飾りかと思ってた! 初心者が一人で始めるには難しすぎるのよね。メジャーコード? マイナー? 野球の話?」

 

 えぇ……この人分からないの次元が違う……。

 

 

 

 

 

「まあそういう訳で、一度逃げ出した私がバンドなんてしちゃダメなのよ……」

 

 そこで辞めちゃったら、一生引きずっちゃうと思うなぁ……。

 

「……それは違うと思います……」

 

 気づいたら口を開いていた。

 

 

 

「わ、私には実は記憶障害があって……毎日記憶がリセットされてしまうんです……」

 

 なんで私はこんなことを話しているんだろう。私でも分からない。

 

 でも言葉は止まらない。

 

 

「も、もしかしたら私には一生、繰り返しの未来しか訪れないかもしれないんです。みんなと仲良くなって、また忘れて……ずっとずっとその繰り返し」

 

 ああ、本当になんでこんなこと話しているんだろう。勧誘するにも、もっといいやり方があったはずなのに。

 

「でも喜多さんは……? 私のような記憶障害もないし、私なんかよりもずっと明るいし……」

 

 羨ましいと思うことだってある。私はなんで頑張らないといけないのかも覚えてないのだから。

 

「どんなに嫌なことがあっても……どんなに忘れたいことでも……過去というものは無駄じゃないんです……」

 

 忘れたいことなんか人には沢山ある。私もそうだ。特に中学時代の黒歴史なんか忘れてやりたい。

 

 でもそんな過去でも、私を支えてくれる。無駄じゃない。

 

「過去を覚えている限り、決められた未来なんてないんです……き、喜多さんが逃げてしまった過去は変えられないかもしれないですけど……未来だけは、未来ならきっと……」

 

 過去は未来への足がかりになる。

 

「こんなこと……私なんかが言うことじゃないかもしれないですけど……」

 

 気づいたらなんかすごい話しちゃってた……。キモイって思われただろうな……。また新しくギターボーカル探さなきゃ……。

 

「……後藤さん! ありがとう! すごい勇気を貰えたわ! 私頑張ってみる! またギター練習して先輩たちに謝りに行くわ!」

 

 前向きになれたみたい。本題は達成出来なかったかもしれないけど、それはそれで良かった……。

 

「そうだ後藤さん! 私の先生になってくれない?」

 

「……えっ?」

 

「後藤さんみたいに上手い人が教えてくれたらとっても嬉しい!」

 

「……私、明日には喜多さんのことも覚えてないですよ……?」

 

 そうだ、そうなんだ。私は明日には喜多さんと話したことも忘れてる。

 

「後藤さんはね、自分には未来が変えられないと思ってるかもしれないけど……

 

 

 私、後藤さんに未来を変えられたわ! きっと後藤さんがいなかったら、もう一度ギター頑張ってみようなんて思ってなかった!」

 

 あ……。

 

「確かに後藤さんは覚えてないのかもしれないけど、後藤さんが存在していたのは事実で、誰かに影響を与えていて、きっとその相手は後藤さんのことを絶対に忘れない。

 

 後藤さんは変わってないと思うのかもしれないけど、意外と未来を変えてるんじゃないかなって私は思うの」

 

 

 私、未来を変えてたのかな? 変えることが出来てたのかな? 

 

「だから私も後藤さんのことを一生忘れないし、忘れられてでも後藤さんともっと仲良くなりたい!」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 出来ないと決めつけていた訳では無い。でも記憶障害というのは立ちはだかる壁としてはあまりにも大きすぎた。

 

 どんな努力も気休め程度にしかならないと思い込んでいた。

 

 でも私は努力を積み重ねていた。記憶が無いだけで、日記から私が頑張っていることは知っていた。

 

 昨日の私に励まされて、今日の私も頑張ってみようと思えた。

 

 そんな努力が報われていたなら、今日で終わってしまっても私は嬉しい。今までの私、そして今日の私は無駄じゃなかったと思えた気がした。

 

「あ、あれ後藤さん泣いてる?」

 

 気づけば頬には涙が流れていた。

 

「う、嬉しくてぇ……」

 

 こんなにも嬉しいのに、明日にはもう忘れてる。

 

 でも今だけは、忘れることなんか考えられないほど嬉しくて、私は泣いた。

 

 

 

 私は未来を変えたんだ。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 それから放課後、私は喜多さんにギターを教えることになった。そのために今はバイト先に向かっている。バイトが始まるまでの間に、スタジオで教えることになったのだ。

 

 

「バイト先って下北なのね」

 

「そうらしいです……私も覚えてないんで調べながらなんですけど……」

 

「ねえ、そのライブハウスってなんて名前?」

 

「スターリーって所です。そこに虹夏ちゃんとリョウさんがいて……」

 

「え!?」

 

「え……どうしました……?」

 

「私が逃げたバンドの名前ね……『結束バンド』……」

 

「ああ……」

 

 世間は広いようで狭い。日記にはギターの子が逃げ出して、私がライブすることになったと書いてあった。その逃げたギターが喜多さんだったんだ。

 

「でも……もう逃げない……逃げないわ! 私!」

 

 おお……! すごいやる気……! 

 

「あ、もうすぐです……」

 

「ふぅ……緊張してきた……」

 

 私も緊張してる……いよいよ虹夏ちゃんとリョウさんに会えるんだ……。

 

「あの……そういえばまだ虹夏ちゃんたちには記憶のこと言ってないらしくて……」

 

「ああ、もしかして言わない方がいい?」

 

「一応……お願いします……」

 

 言う時が来るとしたら私が自分で言うべきだ。人の手は借りたくない。

 

 

 しばらく歩き続ける。近づくにつれて喜多さんの顔色は悪くなっていくし、私の心臓の鼓動も早くなっていく。

 

 

 

 

「お! ぼっちちゃ〜ん!」

 

 スターリーの前まで着いた時だった。前から私のあだ名を呼ぶ声が聞こえてくる。虹夏ちゃんだ。

 

「ってあ〜〜!! 逃げたギター!!」

 

「すみませんでしたぁ!! あの日の無礼をお許しください!」

 

 喜多さんに指を指しながら叫ぶ虹夏ちゃんと、出会い頭に土下座をする喜多さん。

 

 それを一歩後ろで見ているリョウさんと私。そこには傍から見たら奇妙な光景が広がっていたのだった。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「ドリンク代500円です! 今日はどのバンドを見にこられましたか? フライヤーも良かったらどうぞ!」

 

「そうそう! そんな感じ! 喜多ちゃん接客うまいね〜」

 

 罪滅ぼしのために喜多さんが臨時スタッフとして入ることになった。

 

 喜多さんやっぱりすごいなぁ……。いきなり私にも任されてない受付を教えて貰ってるんだもんなぁ……。

 

 私も頑張らないとなぁ……。

 

「ぼっちちゃん、喜多ちゃんにドリンク教えたげてよ」

 

「あっはい!」

 

 私は一応先輩なんだった。教える側になるのが早すぎる……。

 

 ひとまず喜多さんとカウンターに向かう。

 

「えっと……ここがトニックウォーターのサーバーで……こっちがカクテルの棚……あれがコーヒーのサーバーです。お客さんが来たらまず……」

 

 やっぱり覚えてたなあ。なんか不思議だ。自分の知らないことのはずなのに、ここに立ったらやるべきことが分かる。

 

「後藤さん、仕事内容は覚えてるの……?」

 

 小声で私に耳打ちする喜多さん。

 

「あっ、なんかバイトの記憶はあるらしくて……」

 

 簡潔に今の症状のことを喜多さんに伝える。

 

「そうなのね……てっきり全部の記憶がなくなると思ってたわ……」

 

 手続き記憶は残る。それがせめてもの救いだった。

 

 もし残ってなかったら、私は本当に何も出来ていなかった気がする。

 

 

 それからも仕事内容の説明を続けた。

 

「なるほど……だいたい分かったわ! 実際にやってみてもいいのかしら?」

 

「あ、やってみましょう……」

 

 もう慣れた手つきで仕事をこなす喜多さん。飲み込み早いなぁ……。

 

 私が初めてお客さんを相手にした時は、立てなかったって書いてあった。

 

 やっぱり喜多さんすごい……。

 

 

 喜多さんに任せっきりにしていたら、お客さんの入りも落ち着いてきた。そんな時。

 

「そういえば、後藤さんってなんでバンド始めようと思ったの?」

 

 そんな雑談の話題を振られた。

 

 うーん、インドア趣味なのに派手でかっこよくて、人気者になれるし……。

 

 動機が全部不純すぎる! 

 

「あっ……世界平和……世界平和を伝えたくて……」

 

「意識高いのね〜!」

 

「あの、喜多さんはどうして……?」

 

 さっきは先輩目当てと言っていた。虹夏ちゃんかリョウさん、どっちなんだろう……? 

 

「私は後藤さんと違って不純なんだけどね、リョウ先輩目当てで入ったの」

 

 ああ、リョウさんの方だった。

 

「先輩が前のバンドの路上ライブしてる時に一目惚れしちゃってね。ちょっと浮世離れしてる雰囲気とか、ユニセックスな見た目とか、何より楽器が様になってるのよね!」

 

「あ、分かります……私がギター持つと持たされてる感が……」

 

「そう! 楽器が本体みたいになっちゃう!」

 

 なんか陽キャってだけで遠い存在だと思ってたけど……意外と親近感ある……会話が楽しい……! 

 

「それでね、しばらく活動を追ってたんだけど、前のバンド突然抜けちゃって。その後、結束バンドでのメンバー募集を聞いて勢いで入っちゃったんだ。バンド活動自体にも憧れがあってね」

 

 すごい行動力……! これが陽キャ……。

 

「ほら、バンドって第二の家族って感じしない? 本当の家族よりずっと一緒にいて、同じ夢を追って……友達とか恋人を超越した不思議な存在だと思うのよね。

 部活とか何もしてこなかったからそういうのに憧れてたんだ」

 

 分かるなぁ……私もずっと憧れてきたから。

 

「そう! 私は結束バンドに入って先輩の娘になりたかったのよ!」

 

 ……喜多さんって意外にやばい人……? 

 

 

 

 

「だから私、もう一度バンドに入れて貰えるように頼み込んでみるわ! せっかく後藤さんが勧誘して、励ましてくれたんだもの!」

 

「……きっと大丈夫です……! きっと……!」

 

 虹夏ちゃんとリョウさんは喜多さんに戻ってきて欲しいと思ってるはず。

 

 そして何より、喜多さんが戻って初めて、結束バンドの活動が始まる気がするのだ。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「じゃあ今日はお疲れ。もう帰っていいよ」

 

「お疲れ様でした〜!」

 

「お、お疲れ様です……」

 

 喜多さん大丈夫かな……? 言うならこのタイミングしかないと思う……。

 

「あの! 伊地知先輩! リョウ先輩!」

 

「おお、どうしたの、喜多ちゃん」

 

 言うみたいだ……自分のことみたいに緊張する……。

 

「一度逃げ出してしまった私が言うのは烏滸がましいとは思うんですけど……

 

 

 私にもう一度だけチャンスをくれませんか!?」

 

 

 喜多さんは頭を下げてそう言った。

 

 

 わ、私もなんか言った方が良いかな……? 勧誘したのは私だし……。

 

 

 よし、言おう……言え……後藤ひとり。

 

「わっわっ、私からもお願いします!!!!」

 

「後藤さん……」

 

 喜多さんと同じように頭を下げる。思ったより声出た……。

 

 

 しばらくの間、虹夏ちゃんとリョウさんの二人は顔を見合わせて、同時に頷いた。

 

「喜多ちゃん、これからまたよろしく!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、込み上げてくるものがあった。

 

「ききき、喜多さん! ここ、これからみんなで頑張りましょう!」

 

 それは喜多さんも同じだったようで、喜多さんは涙を流しながら、笑顔でこう言った。

 

「……うん! 頑張る! 結束バンドのギターとして!」

 

 みんな笑顔で幸せな光景だった。これで元通りになれたんだ。

 

 その光景を私が作ることが出来たと思うと、不思議と忘れられる気はしなくて、ただただ一緒に笑い合った。

 

 本当に勇気を出して、記憶について打ち明けてみて良かった……。

 

 

「でも私、本当にいくら練習してもギター弾けなかったの。なんかボンボンって低い音がするのよね」

 

「……え? それベースじゃ……?」

 

「あはは、私そこまで無知じゃないって! ベースって弦が4本のやつでしょ?」

 

 そう言って、喜多さんはケースから取り出して、見せてきた。

 

 ああ、これは……。

 

「あの、弦が6本のとかもあります……」

 

「これ多弦ベース」

 

 喜多さんは分かりやすくフリーズして、その後に力尽きた。

 

「お父さんにお小遣いとお年玉、二年分前借りしたのに……」

 

「喜多ちゃーん!?」

 

 気の毒だなぁ……と思うと同時にこの楽しい空間を噛み締める。

 

 今日は書くことが沢山あるぞ〜!!

 




毎日投稿してる人すげえ!頭おかしい!

アー写撮る回と山田にアドバイス貰う回は書かないかもしれないです


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ターニングポイント


三日目でもう無理でした。


 

 目が覚めた時、自分が全く知らない場所に居たらまず何を思うだろう。

 

 誘拐? 夢? 記憶が飛んだ? 

 

 色んなことを考えるだろうが、一言で表すとそれは不安だと思う。

 

 

 今朝の私がまさにその状態だった。

 

 私が朝起きた時、見知ったはずの自室が全く違う光景になっていたのだ。

 

 

 具体的に言うと、部屋の壁と天井が同じ写真で埋め尽くされていた。

 

 

 起き上がった私は、まずここが本当に私の部屋なのか疑った。

 

 机、カーテン、照明、タンス、エアコン……どれも記憶通りの物である。ここは私の部屋だ。

 

 じゃあなんでこうなってる? ふたりのイタズラ? いやでも脚立があっても天井には届かないし、プリンターの使い方も知らないはずだ。

 

 

 私の部屋がこうなっている原因がさっぱり分からず、混乱しているとお母さんが部屋に入ってきた。

 

 

 そこでお母さんに説明されて初めて、私は自分の記憶障害について知った。

 

 前向性のエピソード記憶障害。私は日々の出来事を記憶することが出来ないようだ。今は7月なので、3ヶ月もの記憶が私にはないことになる。

 

 そのため私は体験したことを毎日日記に記しているらしい。机の上にはそれらしきノートが置いてあった。

 

 

 

 部屋の写真についても聞いてみた。

 

 この写真は今から何週間か前に撮られた物で、私が全て印刷して貼ったらしい。お母さんは記憶に関わることかもしれないと心配して、下手に触ることが出来なくてそのままにしているとの事。

 

 

 だがこれを私が貼ったと言われても、記憶が無いので何が何だか分からない。

 

 確かに写真には私が写っていたが、そこに写っている三人のことを私は覚えていない。

 

 何故壁一面に貼ろうと思ったのか? 何故この人たちと写真を撮っているのか? その答えを知るために私は日記を読み込んでみた。

 

 

 

 結論から言えば、私はバンドを組んでいるらしいのだ。

 

 壁一面に貼られていた写真はアーティスト写真。一緒に写っているのはバンドメンバー。右から虹夏ちゃん、リョウさん、喜多さん。

 

 

 日記から推測するに、みんなで写真を撮ったのが嬉しすぎて壁一面に貼ってしまったらしい。重い……重いよ私……。

 

 でも貼りたくなってしまうのが伝わるぐらい、私はバンド活動を楽しんでいた。日記の中の私は生き生きしていて、記憶の中の私とは全く違っている。

 

『喜多さんを結束バンドに戻すことに成功した!』……とか、『過去の私が書いた歌詞にリョウさんが曲をつけてくれた!』……とか、『給料日だったけど、働いた記憶が全くないからなんか嬉しい!』……等々、これ本当に私か? と疑う程に活発に活動している。

 

 

 ひとまず日記を一通り読み終えた。どうやら私の想像よりも活動は進んでいるみたいだ。

 

 作詞が私で作曲がリョウさんの結束バンドオリジナル曲も何曲か完成し、明日ライブに出るためのオーディションがあると昨日の日記には書かれている。

 

 

 

 

 

 そう、つまりは今日である。

 

 昨日の私からの伝言は特になし。『託しました』と一言書かれていたぐらいで、後は今日の私に任せるようだ。

 

 

 困る……荷が重い……。他の日の私もこんな気持ちだったのだろうか……? 初バイトを任された時の私なんてまさにそうだろう。

 

 一日経てば、もう思い入れは無くなってしまうのだ。頑張る理由も忘れてしまうのだ。

 

 それでも、バトンは今日の私まで回ってきている。

 

 

 やるしかない、やるしかないんだ。

 

 昨日までの私の頑張りを無駄にしたくはない……なんて綺麗事かもしれないけど、私に出来ることがあるならやるべきなのだ。

 

 

 そんな決意をした。ギターを背負って、私は下北沢へ向かう。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 スターリーの控え室で日記を読み返していた。もう少ししたらオーディションが始まる。

 

 日記を読んで、なんとなく分かったことがある。

 

 元々は誰も私のことを知らない場所へ逃げたかっただけだった。でも逃げた先でも私は何一つ変わらなくて、些細なことも覚えておくことが出来なくて、むしろ中学時代よりも友達作りは絶望的だったかもしれない。

 

 

 でも虹夏ちゃんに勧誘された日から、日記に書きたいことが沢山増えて、きっと毎日が楽しくなってきていて、明日の自分にもこの気持ちを知って欲しかった。多分そうなんだ。

 

 

 それが積み重なってきて、今日がある。

 

 

 私に記憶障害がなかったら、何不自由なくバンド活動が出来ていたのかもしれない。

 

 

 でもそれだったらきっと、毎日を大事に出来なかった。

 

 私にタイムリミットがあったことで、ここまで来れたのだと思う。

 

 

 

 きっと私は誰かに救って欲しかったんだ。明日に行くことが出来ない私を恨んで、何も出来ないと決めつけて、ただただ未来に期待して眠るだけ。

 

 分かってはいるはずだった。誰も私のことなんて救ってくれない。虹夏ちゃんは私を見つけ出してくれたけど、それは直接的な救いにはなり得ない。

 

 

 

 

 私を救うことが出来るのは私だけだった。

 

 託すなんて体良く書いているけど、本心は明日の私に後藤ひとりという人間を救って欲しかっただけのように思える。

 

 言葉にするのは難しいけど、後藤ひとりという人間と今日を生きる私は別人みたいな感覚で、毎日を生きる私たちは後藤ひとりを救うために動いていたのかな、なんて考えている。

 

 

 答えが分かる日は来ないかもしれない。忘れたいと願って、バラバラになってしまった記憶たちはもう思い起こすことも出来ないかもしれない。

 

 

 忘れることが私にとっての幸せ。それでも私は私のことを知ってみたい。

 

 

 そう、知りたいんだ。私は私のことすらまともに知らない。

 

「ぼっちちゃーん! 準備できたって!」

 

「……今行きます」

 

 私はこれからもみんなと一緒に活動したい。リハーサルで少しだけ一緒に過ごしたぐらいだけど、今までの私が感じていたように、私もそれは感じていた。それは変わらない。

 

 

 でも、私には少しだけ変わったことがある。

 

 今まで見てあげられなかった私を、疎かにしてきてしまった私のことを想ってあげたい。

 

 

 バンドのことだけじゃない。自分を大事にしてあげよう。

 

 過去の私、今日の私、そして明日以降の私。

 

 全部私だけど、私は君たちのことをまだよく知らないんだ。今までは日記の中の表面上の君のことしか見えていなかったから。

 

 

 自分と向き合ってみよう。そう誓って、私は日記を閉じた。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「それじゃあ『あのバンド』と『ギターと孤独と蒼い惑星』って曲やりまーす!」

 

 私はみんなでバンド活動をして、私のことも救ってあげたい。

 

 それなら私に止まっている時間なんてない。こんなオーディションで足踏みする暇などないのだ。

 

 演奏が始まる。

 

 日記にもあったように、私には手続き記憶は残る。ギターの記憶は問題なく残っており、今までの練習が体に染み付いている。

 

 でもそれだけじゃきっと足りない。私の今までの全てを発揮する。

 

 頭の中を空にして、バンドメンバーを全力で感じ取って、完璧に合わせてみせる。

 

 

 集中しろよ、後藤ひとり。絶対に出来る。

 

 集中……集中……。

 

 

 

 頭を空っぽにし、思考を限界まで削ぎ落とし、ただただギターに全神経を注ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 気づけばそこは見慣れた光景。いつもギターを弾いてきた押し入れ。

 

 真っ暗で、狭くて、誰もいない。押し入れの外からはみんなの声、音が聞こえてくる

 

 

 そうだよ、この扉を開けるのはみんなじゃない。

 

 

 私だ。

 

 

 私は押し入れの扉を勢い良く開けた。

 

 

 その先の光景はとにかく眩しかった。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「……いいよ、合格」

 

 気づけば演奏が終わっていた。演奏中の記憶は全然なくて、ただみんながいたことぐらいしか覚えていない。

 

 

 それでも、合格出来て良かった……。

 

「すごいよ! ぼっちちゃん!」

 

 駆け寄ってきた虹夏ちゃんが私の肩を叩く。上手く出来ていたなら良かったけど……。

 

「後藤さん! 本当にすごいわ!」

 

「ぼっちすごい」

 

 隣にいた喜多さんとリョウさんも私を褒めてくれる。

 

 ああ、上手くできてたんだな……。ほっと胸を撫で下ろす。

 

 

 安心した途端、なんだか上手く立てなくなってしまった。その場に倒れ込む私。

 

「ぼっちちゃん大丈夫!?」

 

 心配そうに私を見つめる三人。

 

 はい……大丈夫です……そう言おうと思ったけど上手く声は出せなくて、迫り来る眠気と頭痛に身を任せて、私は意識を手放してしまった。

 

 




上手く行き過ぎだよねぇ!?

ちなみに
山田歌詞イベント→もう歌詞書いてたから起きない
アー写イベント→起きてるけど書かなかった


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「ここはどこ?あなたは誰?」

一週間の毎日投稿だったはずなのに…三話しか更新されてないのは…何故…?


 

「おーい! ぼっちちゃん! 起きて!」

 

 力無いぼっちちゃんの体を揺らす。大丈夫、絶対大丈夫、すぐ起きれば問題ないはず。

 

「起きて起きて起きて……起きてよぉ……」

 

 嫌だ、嫌だ。まだ今日のことを書いてないじゃんか。まだ何も残せてないんだよ。

 

「虹夏、とりあえずぼっちちゃん横向きにしろ」

 

 お姉ちゃんに言われてハッとした。命に関わるかもしれない。言われた通り仰向けのぼっちちゃんを横向きにする。

 

「呼吸は……あるな、寝てるだけだ。親御さんに連絡してくる」

 

 寝息を立てるぼっちちゃんを確認した後、電話をかけに行くお姉ちゃん。お姉ちゃんはぼっちちゃんを雇う上で、ぼっちちゃんの両親から記憶についての説明を受けてるのだと思う。それで迎えに来てもらうのかな……。

 

 

 横になっているぼっちちゃんを見てみる。

 

 さっきまでのぼっちちゃんと何一つ変わらないように見えるけど、今この瞬間にもぼっちちゃんは私たちのことを忘れてる。

 

「伊地知先輩、もしかして後藤さんの症状はもうご存知で……」

 

「……喜多ちゃんも知ってたんだ……」

 

「記憶障害のことだけ……何が引き金で記憶を失うかは知りませんでしたが、その反応を見るに……睡眠ですか?」

 

「そう、眠ることでぼっちちゃんは記憶を失うんだよ」

 

 喜多ちゃんもぼっちちゃんの症状について知っていた。どういう経緯で知ったとか、今はどうでもいい。

 

 

 ぼっちちゃんはまだノートに何も書いてない。ぼっちちゃんは今日のことを日記でも知ることが出来ない。

 

 

 オーディション合格の嬉しさも、あの凄かった演奏も、欠片も知ることが出来ない。

 

 

 そんなの……あんまりだよ……。

 

「……とりあえず控え室にでも運びませんか? 床は硬いからソファーにでも寝かせてあげましょう」

 

「……そうしよっか」

 

 

 

 私たちはぼっちちゃんを控え室まで運んで、ソファーに寝かせた。

 

 

 

 これでもう私たちにはもう出来ることがない。後はぼっちちゃんの両親の到着を待つことしか出来ない。

 

 

 ぼっちちゃんはここに来るまで片道二時間かかるって言ってた。歩く時間も含めてだから、車で来るであろうぼっちちゃんの両親は少し早いだろう。一時間から一時間半ぐらいだろうか。

 

 

 私たちはただ祈っておくことしか出来なかった。奇跡的にこのタイミングで記憶が治って、私たちのことを覚えたままでいることを。

 

 

「……私、後藤さんに直接言われたんです……記憶障害があるって」

 

 喜多ちゃんがそんなことを呟く。

 初耳だ。ぼっちちゃんは喜多ちゃんには直接言ってたんだ。

 

「後藤さんに励まされた時、嬉しかったのと同時に信じたくないなぁとも思ったんです」

 

 分かる。ぼっちちゃんと仲良くなる時、その影にはいつもぼっちちゃんが私を忘れちゃうという前提が付き纏っている。

 

 その時間が楽しければ楽しい程、ぼっちちゃんがこのことを忘れてしまうことを信じたくなくなる。

 

「私、目を逸らしていたんだと思います……。忘れているはずなのに普段通り接してくれる後藤さんに甘えて、馬鹿になってたんです」

 

 喜多ちゃんはぼっちちゃんと同じ学校というのもあるし、珍しくぼっちちゃんが話しかけた相手でもある。

 

「何も考えない方が……楽だったから……今、寝ている後藤さんを見てようやく実感してて……最低だ……私って……どうしようもない……」

 

 喜多ちゃんの悲痛な自己嫌悪に私は何も言うことが出来なかった。

 

 私もそうだったから。喜多ちゃんも戻ってきて、曲も完成して、オーディションにも合格して、ようやくバンド活動が始まった気がしてて、これからも何事もなく活動出来たら良いなと思っていた。思ってしまった。

 

 

 

 まだぼっちちゃんの記憶は全く良くなってないのに、順風満帆な訳が無い。

 

 私がぼっちちゃんの支えになるつもりだった。ぼっちちゃんに何かしてあげたかった。助けてあげたかった。

 

 

 はずなのに。結局何も出来てないどころか、ぼっちちゃんの記憶のことからも目を背けて、上手く行ってると思い込んでいた。

 

 ぼっちちゃんの日記を読んだ私でさえ、無意識のうちに目を背けたかったんだ。

 

 

 最初は少しだけぎこちないけど、段々心を開いてくれるぼっちちゃんがちょっとした救いになってて、今日だってぼっちちゃんのすごい演奏がなかったら合格できてたかも分からなくて、それはぼっちちゃん以外のギタリストだったら多分……ダメで……。

 

 

 

 

 

 

 私は何がしたかったの? 

 

 

 何が助けたいだ。何が支えたいだ。私の方が助けられてるじゃないか。

 

 結局、私は表面上でだけぼっちちゃんを分かった気になって、本当のぼっちちゃんのことは見てあげられてなかった。

 

 ぼっちちゃんの記憶がなくなるのは今日に始まったことじゃないのに、目の前で嫌という程見せられて、ようやく気づけた私に嫌気が差す。

 

 

 

 部屋に漂う重い沈黙。しばらくは誰も何も話すことが出来ない時間が続いた、そんな中。

 

 突然リョウが口を開いた。

 

「……お、ぼっち日記置きっぱなしじゃん」

 

 リョウが机の上に置かれていたぼっちちゃんの日記を見つけた。

 

「あの、日記とは……?」

 

「ぼっちちゃんはね、忘れちゃってもいいように日々の出来事を日記につけてるんだよ」

 

「なるほど……」

 

 初めてぼっちちゃんの日記を読んでしまったあの日から、二ヶ月くらい経っているだろうか。

 

 ぼっちちゃんは私が記憶について知らないと思っているから、私に対する言及や恨み言は絶対に書いてない。

 

 

 でも私はぼっちちゃんの記憶に触れる勇気がなかった。

 

 今まで見ないようにして来たぼっちちゃんの記憶たちが、想いが、無念のうちに消えた感情の残滓が、私には恐ろしい物に見えて仕方なかった。

 

 

「更新された分、見よっか」

 

 怖い、勇気が出ない。私抜きでやってくれ。

 

 

 見たくない物を見ないようにしていても、それでもいつかは向き合わなきゃいけない時が来る。

 

 それが今だと思う。私たちとぼっちちゃんとの関係の分岐点。

 

 ここで私はもう一度打ちのめされるべきなんだ。

 

 

 

 それでも怖いものは怖い。

 

 喜多ちゃんとリョウはもう読み始めてる。それでもこの椅子から立つことが出来ない私は本当にどうしようもない。

 

 ああ、私はどうすればいいんだ……消えてなくなりたい……。

 

 

 静寂が再び訪れた控え室。私は一人で俯いてるだけ。

 

 ぼっちちゃんは私とは比べ物にならない程苦しいはずなのに、私はあの日のぼっちちゃんと同じように俯いていることしか出来なかった。

 

 

 

 そんな時だった。

 

 

「……みんな考えることは一緒ってことね」

 

「なんか……良いですよね……」

 

 日記を読み進めている二人の会話が耳に入ってくる。

 

「虹夏も来なよ」

 

 気になるけど怖いよ。

 

 我儘なことだけど、このまま見ないままじゃいられないかなと思っている。

 

 私に勇気をくれ。一歩、もう一歩を踏み出す勇気を。

 

「辛いのは虹夏だけじゃない。私もだから」

 

 ……そうだ。私は独りじゃない。

 

 自分の無力さや愚かさを痛感したのは私だけだと思っていたけど、同じようにぼっちちゃんの日記を読んでいるリョウが何も感じてない訳が無い。

 

 日記を読むことを提案したのはリョウだし、私以上に負い目を感じているかもしれない。

 

「……うん、分かった」

 

 ならば私も同じ物を背負おう。椅子から立ち上がって二人の元へ向かう。

 

 リョウの言葉はありきたりな物かもしれないけど、それが今の私にはすごく深く刺さった。

 

 

「考えることは一緒ってどういう意味なの?」

 

「えーと……ここから読んでみて」

 

 リョウが開いたページから読み始める。

 

 日付で言えばぼっちちゃん初出勤から数日後。ああ……この日は……。

 

『今日はバイトも練習も何も無い日だった。けどバンドメンバーの虹夏ちゃんが遊びに誘ってくれた! 友達と遊ぶのは今までの日記にも書いてないから正真正銘の初体験。

 

 記憶がないから初対面みたいな状態だったけど、虹夏ちゃんはすごい気さくに話しかけてくれてすごく楽しかった……私をバンドに誘ってくれた虹夏ちゃんには感謝してもしきれない……』

 

 そうだ。私はぼっちちゃんと沢山思い出を作るために、何も無い日を作らないようにしていた。

 

 ぼっちちゃんの日記を思い出で埋めつくしたかったんだ。

 

 いつかぼっちちゃんの記憶が治った時、ノートを読み返して『こんなこともあったんだよ』って笑い合える思い出の品にしたくて、出来るだけぼっちちゃんと過ごすようにしていたんだ。

 

 ページを読み進める。バイトの記録、結束バンドでの練習。しばらく何も無い日は無かった。

 

 さらにページをめくる。

 

『今日は何も無い日。学校から帰ればやることもないと思っていたけど、駅で偶然リョウさんに会った! そしてご飯に誘われた! 放課後に友達とご飯! 青春……! 

 

 リョウさんは日記に書いてある通りの無口な人。最初は少し気まずかったけど、音楽の話とか私が書いた歌詞の話とかで少しだけ盛り上がった……! 仲良くなれた気がする……。

 

 リョウさんはお金が無いらしいので私が奢ってあげた。絶対に返すから安心していいとのこと……明日以降の私はリョウさんからお金を返してもらったら、ここに貼ってあるレシートを取っておいて下さい』

 

 リョウもぼっちちゃんとの思い出を作ろうとしていた。ていうかレシートまだ貼ってあるし。

 

 さらにページをめくり続ける。

 

 喜多ちゃんが戻ってくるまでの間にも私たちはぼっちちゃんと思い出を作り続けていた。

 

 そして喜多ちゃんが戻ってきて以降の日記。

 

『今日は珍しく何も無い日。学校も何も無く終わる……と思いきや、喜多さんにお昼に誘われた。友達と一緒にお昼を過ごす……! これも青春……! 

 

 喜多さんは絵に書いたような陽キャで色んな話を振ってくれるし、すごい話しやすい。

 

 音楽の話の流れで、私のギターの話になった。いつからギターをやっているとか、一日どれくらい弾いているとか色んな質問をされた。

 

 喜多さんは私のギターをすごいとは言うが、私からすれば喜多さんの歌の上手さの方がすごいと思う。

 

 私が歌について聞いてみたら特に特別なことはやってないとのこと。カラオケに行って練習ぐらいしかやってないらしい……。

 

 カラオケ……行ったことないなぁ……と呟いたら、喜多さんが『なら今日行きましょう!』と言ってきて、今日は学校帰りにカラオケに行った! すごい楽しかった! 

 

 一日で青春イベントを二個もこなすなんて、私はもう陽キャなのか……?』

 

 

 喜多ちゃんも……リョウも……私も……考えることは一緒か。

 

「あはは、ちょっと元気出た」

 

 みんな考えることは一緒だった。仲良いなぁ、私たち……。

 

 落ち込んでてもしょうがない。私に出来ることなんて、ぼっちちゃんを応援することぐらいで、現実を乗り越えるのはぼっちちゃんの仕事なんだよ。

 

 だったら私はいつまでも応援し続けよう。

 

 ぼっちちゃんが変わりたいと思う限り、私たちは何一つ変わりない様子でぼっちちゃんを迎えてあげるんだ。

 

「伊地知先輩、リョウ先輩、私が後藤さんと初めて会った日のページも読んで貰えますか?」

 

「えっ? うん……」

 

 なんだろう……。言われた通り、喜多ちゃんがバイトを手伝った日のページを読んでみる。

 

『今日は定期検診の日だった。お医者さんによれば、私の記憶障害はエピソード記憶に限定され、ほかの記憶に関しては完治しているらしい……確かにバイトとかは何故か覚えてた。

 

 エピソード記憶に関しても、いつ治ってもおかしくないらしい。原因の脳外傷は完治しているので、後は私の問題だそうだ。

 お医者さんの仮説では…………』

 

「これって……」

 

「ぼっちの記憶はいつ治ってもおかしくないってね」

 

 たった一筋の、簡単に零れてしまいそうな希望だけど、私たちはそれに賭けるしかなかった。

 

 

 私はぼっちちゃんのそばに駆け寄った。そしてぼっちちゃんの手を握る。

 

 

 

 ぼっちちゃんの目を覚ました時の第一声はなんだろうか? 

 

『ここはどこですか?』『あなたは誰ですか?』

 

 考えられるのはこの二つ? 

 

 

 でも私にはどうしても聞きたい言葉がある。

 

『虹夏ちゃん?』

 

 ぼっちちゃんの口から私の名前が聞けたら、私は死んでもいいほど嬉しいと思うだろう。

 

 ただその言葉が聞きたくて、私は祈り続ける。

 

「頑張れ……! ぼっちちゃん……!」

 

 気づけば二人も同じようにぼっちちゃんの手を握っていた。

 

 ギタリスト特有の硬い指で、それでいて温かくて安心する。その小さな手をただただ、三人で握りしめる。

 

 

 

 

 

 

 

 手を握り始めてどれくらいが経っただろう。ぼっちちゃんの両親はまだ来ていない。ぼっちちゃんも目を覚まさない。

 

「ちょっと手疲れた……」

 

「私はぼっちちゃんが起きるまで離さないからね!」

 

 

 そんな他愛もない会話をしている時だった。

 

「うぅ……」

 

「! ぼっちちゃん?」

 

 ぼっちちゃんが声を出した。瞼も震えていた。目を覚ます時が近いかもしれない。

 

 ぼっちちゃんの一挙手一投足を瞬きもせずに私は見守る。

 

 

 

 ぼっちちゃんが声を出して数分した後、その瞬間は突然訪れた。

 

 

 ぼっちちゃんの目がパッチリ開き、ガバッと上半身をすごい勢いで起こす。

 

「ぼっちちゃん!?」

 

 ぼっちちゃんは寝起きとは思えないハッキリとした眼で私たちを見てこう言った。

 

 

 

「だ、誰ですか?」

 

 

 分かってはいても、辛いものは辛いよ。

 

 私は人目も憚らずに泣いた。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 夢を見ていた。

 

 その情景はバンドミーティングの時の体験。日記から得られる情報も少なくて、ほぼ初対面の状態の私。それでも歌詞を書くという仕事を任せられて、記憶が消えるというネガティブな状況でも前向きになれた。その日の私は幸せだった。

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 その情景は私がスターリーでのバイト初出勤の体験。初めてでぎこちないながらも、勇気を出してお客さんの目を見て接客をした。達成感で嬉しくなって、私はこれからの自分の成長に期待を馳せる。希望の中で私は眠った。その日の私は幸せだった。

 

 

 

 夢を見ていた。

 

 その情景は私が喜多さんを勧誘した時の体験。話しかけようと思ったけど、結局勇気が出なくて話しかけられなかった。けどギターを弾いていたら喜多さんの方から話しかけてきてくれて、喜多さんをバンドに勧誘することに成功した。私が初めて結束バンドに貢献出来た気がして、すごく嬉しかったのを覚えている。その日の私は幸せだった。

 

 

 その他にも、色んな夢を見ていた。

 

 虹夏ちゃんと遊びに行ったり、リョウさんとご飯に行ったり、喜多さんとカラオケに行ったり、みんなでアー写を撮りに行ったり……。

 

 

 

 もう分かってる。これは今までの私の記憶。

 

 なんで? なんで私は覚えている? 

 

 

 混乱の中、私は気がつくと自分の部屋に居た。

 

 いきなり光景が変わる夢は良く見るけど、いきなり自分の部屋? 

 

 全く意味が分からない。夢っていうのはだいたい意味分からないけど、これは本当に意味が分からない。

 

 そんな何も分からない中、気になることがある。

 

 

 押し入れの中から音がする。ギターの音だ。

 

 私がここにいるのに、誰が押し入れの中でギターを弾いている? 

 

 

 私は押し入れを開けてみた。

 

 そこには私が居た。

 

 

 ……そう、私だ。姿形も全く一緒。ギターを弾いていたのは私だった。

 

 

 本当にどういうこと……? どういう夢なの……? 

 

「ここは私と貴方の記憶の中です……」

 

 うわ、私が喋った。

 

「少し話しましょう。聞きたいことは答えられる範囲で答えますよ」

 

 なんか私とは思えないほどコミュ力高いなぁ……。

 

「自分と話すのに緊張するのは流石にどうなんですかね」

 

 ……さっきから声に出さなくても意思疎通出来る……。というか自分? 貴方はもう一人の私みたいな感じなの? 

 

「うーん、だいたい合ってますね……二重人格……とも違いますけど。簡単に言うなら貴方の数いるイマジナリーフレンドの中の一つみたいなものです。主従関係で言えば貴方が上ってことですね」

 

 私もついに自分をイマジナリーフレンドにしちゃったかぁ……。

 

 そうなると質問したいことは沢山ある。

 

 えーと、私はなんでまだ昔のことを覚えてる? 

 

「それは聞かれると思いました。結論から言いましょう。貴方は記憶が出来ないんじゃなくて、思い出せないだけなのです」

 

 思い出せない……だけ? 

 

「じゃあその理由は? と気になるでしょうので先に言います。それは私のせいです」

 

 ……どういうことなんだろう。もう一人の私のせい? 

 

「私という存在が生まれるきっかけ、それは貴方の忘れたいことを封印するためです。私という記憶の保管庫を新たに作り出し、二度と思い出せないようにするために」

 

 えっと、それだけじゃ私が記憶を思い出せない理由にならないと思うけど……。

 

「鋭いですね。まあ答えますと、貴方のエピソード記憶は初めて虹夏ちゃんたちとライブした時には治っていました。それ以前の出来事は本当に覚えておけない状態だったんですけど。

 

 貴方はその日、何か忘れたいことがあって私を作り出します。そうしなかったら、貴方は精神崩壊していたかもしれませんね」

 

 あははと笑って見せるもう一人の私。で、それからは? 

 

「私は貴方に従いますから、思い出さないようにするためなら何でもします。貴方が真実にたどり着けないように、ただの記憶障害だと貴方に思い込ませるため、その後の記憶も私の方で保管していました。そして貴方の精神が成長して耐えられるようになったら、この記憶を返すのです」

 

 なるほど……私、すごい高度なことをしている……。

 

 じゃあ、今はその時ってこと? 

 

「いや……まだこの記憶は貴方には重いです。

 

 ですが貴方は気づくことが出来た。貴方を救うのは結束バンドの皆でもなければ、私でもない。貴方自身であることに。

 その成長は大きいです。そこまで成長出来たなら、後は時間の問題です。すぐに真実にもたどり着けるでしょう。なので初日の記憶は除いて、その他の記憶を返すことにしたのです」

 

 じゃあ、私はみんなのことを覚えたまま起きるってこと? 

 

「うーん、それもまだ不確定要素が多くて。ほら、夢って起きたら覚えてないでしょう? 現状、夢という形でしか記憶のやり取りが出来ないので、他のやり方もないのですが……」

 

 じゃあどうすれば……? 

 

 

 ねえ、もう一人の私。私はどうしてもみんなのことを覚えておきたいよ。

 

「うーん、そうですね……」

 

 もう一人の私は押し入れの中から何かを取り出した。

 

「このノート、もちろんご存知でしょう?」

 

 うん、私が今までつけてた日記だよね。

 

「そうです。でも中身はありません。ページたちはバラバラになってこの状態です」

 

 もう一人の私が押し入れを全開にする。中には大量に紙が散乱していた。

 

「まあ正直、気休めにしかならないのですが、こういうのは案外気持ちの方が大事ですから。これを使って紙を一つに留めておきましょう」

 

 そう言ってもう一人の私が取り出したのは結束バンド。それをノートのリングみたいに使って紙の束を一つに留めた。

 

「これを持っておいて下さい。今までの貴方の集大成。一度はバラバラにしてしまって、思い出せないようにしても、結束バンドがあればまた一つに出来ますから」

 

 ……うん。ありがとう。

 

「私と会うのはこれが最後かもしれませんね。では、幸運を」

 

 

 じゃあ、行ってくるよ。もう一人の私。

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 もし、みんなのことを覚えていたまま起きれたら、まず何を話そうか。

 

 これまでのこと、これからのこと、話したいことは沢山ある。

 

 でも、ずっとやってみたかったことがある。

 

 

 みんなを驚かせてみたい!! 

 

 良く考えればノートをスターリーに忘れた時、こんな気になる表紙のノート、あの二人が見ないはずがない。私が倒れたのを見て、私の記憶障害を知っている喜多さんが何も言わないはずがない。

 

 私の記憶をもう一度見てそのことに気づいた。

 

 つまり起きた時にはもう、みんな私の記憶について知っているはずだ。

 

 

 だからみんなを覚えていない振りをして、驚かせてみたいのだ! 

 

 みんなどういう反応するかな〜? 驚いてくれるかな〜? 

 

 いままでの人生でこういうことをやって来なかったから、すごい楽しみ! 

 

 

 あ! 眠くなってきた! 夢の中で眠くなる感じは不思議だけど、これは起きる予兆なのかな? 

 

 ふふふ、楽しみ……。

 

 

 

 

 

 

「ぼっちちゃん!?」

 

 気づくと私はスターリーの控え室に寝かされていた。

 

 覚えてる! 思い出せる! やった! 

 

 よし……とりあえず落ち着いて……みんなを驚かせるんだろ後藤ひとり……。

 

「だ、誰ですか?」

 

 うわー! こういうの初めてやる! みんなどんな反応するかな? 

 

 

 

 ……え? 地獄みたいな空気になってるけど……。

 

 虹夏ちゃんと喜多さんは泣いてるし、リョウさんは苦虫を噛み潰したような表情しているし……。

 

 ああ、私がやらかしたんだ……どうしよう……。

 

 みんなに伝えたいこと。それをこの状況で話すのもあれだけど……

 

 いや、今しかないか……。

 

「喜多さん、今度はみんなでカラオケ行きましょうね」

 

 みんなに伝えたいことを話そう。今まで話せなかったことを話すんだ。

 

「リョウさん、お金返してくださいね」

 

 本当はもっと良い形があったんだろうな……と少し後悔する。これからは気をつけよう。これからはこの失敗も覚えていられるんだから。

 

 

「虹夏ちゃん、私を結束バンドに誘ってくれて、ありがとうございます!!」

 

 私は気の利いたことも言えないから、ストレートに伝えるしかないけど、本当にみんなに感謝してるんだ。

 

 言いたかったことは言ったぞ。すごい雰囲気だけど……言ったんだ。

 

「ぼっちちゃ〜ん……」

 

「後藤さん!」

 

 うわー、虹夏ちゃんと喜多さんが抱きついてきた……。

 

 

 リョウさんも涙ぐんでいるし、二人も号泣している。

 

 泣いているみんなを見ていたら、この大切な人たちをもう忘れなくていいんだ、という実感が湧いてきて、涙が込み上げてくる。

 

 

 ああ、私は幸せ者だ。普通の人からすれば思い出せることは当たり前のことなんだけど、今までの私にはその当たり前がない。毎日が繰り返しの日々で、それは誰にも覆せないはずの現実だった。

 

 

 限界があると決めつけて、その現実に囚われて、毎日を過ごすだけ。

 

 でも今日、私はその現実を覆せたのかもしれない。

 

 思い出したくないことも、いつかは思い出せるようになる。

 

 私はこの時初めて、本当の意味で未来を変えたんだ。

 

 




ぼっちちゃんはやっていい事と悪いことの区別がついてないんです。


後はぼっちの家イベント、金沢八景、ライブ、打ち上げ、後日談書いて終わりですかね。



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傷つけない、さよならを


時間をかければかけるほど悪くなっていく気がしますね。
早めに書き上げた方がいい気がする!


 

 オーディションの日から私は、記憶が正常に出来るようになった。完璧に、とはいかないけど以前よりは記憶力が確実に改善している。あまり些細なことは覚えていないが、重要なことは絶対に忘れない。

 

 人と親しくなるのも、当たり前のことをするにも、眠ることでさえ、今までの私は怖かった。

 

 

 たった数ヶ月でも、私には記憶を失う恐怖が嫌という程染み付いていた。いつかまた、記憶を失う日が来るんじゃないかと、怯えて毎日を過ごしている。

 

 

 

 今でも日記を書く癖は抜けていない。

 

 

 過去を取り戻すために、昨日の私のために、奔走してきた毎日だった。

 

 それで記憶が戻ってきても、また過去に苦しめられている。

 

 あの日に何があったかなんて、私は覚えちゃいない。

 

 

 虹夏ちゃんたちの様子から考えてみて、私が精神崩壊するような出来事はきっと私の問題なのだ。あの優しい虹夏ちゃんが原因であるとは考えづらい。

 

 

 

 解決はまだ先だ。それでも今は毎日が楽しい。

 

 

 これから先、きっと私は挫折する。真実を知ることになるその日、私が正気でいられるかは分からない。

 

 明日は今日よりも悪い日になるかもしれない。

 

 

 だからその時までは今を笑って過ごそう。今だけ、その時までは楽しい未来を思い描いて笑おう。

 

 

 

 明日はみんなでお祝いをするんだ。これから先も、きっと楽しいことばっかり。私は過去を乗り越えられるはず。

 

 

 さあ、明日は早起きして準備しよう。ノートを閉じて布団に入る。

 

 

 ふふふ、楽しみだなぁ……楽しみで寝付けなかったりして……。

 

 明日があるという当たり前、その取り戻した幸せを噛み締めて、私は目を閉じた。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 オーディションの日は私にとっての分岐点だった。

 その日は朝からずっと緊張していた気がする。

 

 私が足を引っ張れば合格できないかもしれないかもしれない。みんなが積み上げてきたものを台無しにしてしまうかもしれない。そんな不安をずっと抱えていた。

 

 

 

 でも私は一歩踏み出すことが出来た。

 

 すごく緊張したけど、それを乗り越えて最高の演奏が出来た時は本当に嬉しかったし、こんな自分でも少しづつは上手くなっているかも、という自信がついた気がした。

 

 緊張状態が深ければ深いほど、それが抜けた時の安心感は段違い。極度の緊張状態が解けた私は張り詰めた糸が切れたかのように眠ってしまった。

 

 本来ならそこで私は記憶を失って、目を覚ませばみんなのことを忘れているはずだった。

 

 しかし私は現実を乗り越えた。記憶を取り戻したのだ。

 

 みんなが私のことを心配してくれるのは嬉しかったし、記憶を持ち越せたことに気づけた時なんか、今すぐ走り出したいほど舞い上がっていた。

 

 

 

 

 

 そう、思い返すと私はその日になって初めて、

 

 

 みんなの隣に立てるようになれた気がした。

 

 

 心のどこかでは『私なんか……』という感情があって、今までは劣等感を感じながらみんなと過ごしていた。

 

 

 けれどその劣等感が拭えた時、私は結束バンドが本当に意味で始まった気がした。

 

 

 

 してしまったんだ。

 

 

 

 

 

 

 もし私の記憶の中で何か一つ、また忘却することが出来るなら、

 

 

 

 

 

 

 

 私は迷わず結束バンドを忘れるだろう。

 

 それに気づいてしまったらもう後戻りはできない。

 

 嫌なことは思い出さずにしまっておくべきだ。

 

 

 

 私は死ぬまで、結束バンドの後藤ひとりを演じ続ければ良い。

 

 

 みんなの隣に立てる、理想の私を演じ続けろ。

 

 誰にも気づかれるな。虹夏ちゃんたちにも、後藤ひとりにも。

 

 てっぺんを目指すんだ。足が挫けても、心が折れても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハア……ハア……ハア……あれ……」

 

 体を起こす。まだ外は暗いのに目が覚めてしまった。

 

 呼吸を整える。寝間着が寝汗でびっしょりだ。なんか……夢を見ていた気がするんだけど……。

 

 ふと顔に手をやると頬に涙が伝っていた。

 

 

 あれ……なんの夢見てたんだっけ……。

 

 

 

 

 あ、エアコン切れてるし。目が覚める訳だ……。

 

 

 もう一度エアコンをつけようとリモコンを手に取る。

 

 ……あれ、つかない。故障かな……。

 

 

 しょうがない、窓開けて二度寝しよう……。

 

 幸いにも窓を開ければ十分涼しい気温だったので、私はエアコンを諦めてもう一度眠りについた。

 

 

 何か忘れているような気がしたけど、きっと些細なことだ。何も問題ない。

 

 

 そう、私は上手くやってる……上手く……。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 それから朝になって、私は準備を始めた。

 

 部屋の写真は気に入ってたけど剥がした方が良さそうだし……もっと飾り付けもした方が良いかな……。

 

 

 なんて考えていたら、もうみんなが来る時間は三十分後。まだリビングしか飾り付けてない……。

 

「お姉ちゃん、もうすぐお友達来るんでしょー?」

 

「あ、うん……」

 

 部屋で悩んでいるとふたりが部屋に入ってきた。毎日一緒に過ごしているはずなのに、どうにも新鮮な感覚に陥ってしまう。

 

 

 

 記憶を失い続けていた期間、ふたりは私のことを露骨に避けていた気がする。ふたりと話すことが極端に減っていた記憶があるのだ。

 

 最近になって、ふたりはまた話してくれるようになった。

 

 

 ふたりは成長期だ。たった数ヶ月、たった一日でも、この頃の子供は驚くほど成長すると言う。肉体的にも精神的にも。

 

 何が言いたいのかと言えば、ふたりが私を避けていたのか、私がふたりを避けていたのかは、私は覚えていないということ。

 

 ふたりは聡明な子だ。私なんかよりも世渡り上手だし、この頃の子供にしては賢すぎる。人の視線にも敏感だと思う。

 

 

 記憶ができない私はどんな表情でふたりを見ていたのだろう。

 

 私には記憶障害の弊害というものは少なかった。生活してる中で、関わるのは理解がある両親や学校の先生くらい。学校には話す友達もいないし、記憶障害が原因で生じる齟齬もほぼなかった。

 

 

 だからこそ、朝起きる度に記憶と違った姿に成長していくふたりだけが私に現実を見せつける唯一の物になっていた気がするのだ。

 

 果たしてその時の私の目は、妹を見る目だったのだろうか。

 

 

 

 ……だけど思い出せないものはしょうがない。それに記憶が治ったんだから、これからまたふたりと良い姉妹関係を築けばいい。

 

「お姉ちゃんの初めての友達、楽しみにしてるね!」

 

「うん……あ、ちょっとこれ手伝って……」

 

「え〜しょうがないなぁ〜」

 

 

 

 

 ふたりの手伝いもあって、何とかみんなが来る前に飾りつけは完了した。間に合った……。

 

 

 とりあえず座ってお茶でも……。

 

 

 ピンポーン

 

「ぼっちちゃーん! 来たよ〜!」

 

 ……ああ、息つく暇もない……。

 

「い、今でま〜す……」

 

 二階から聞こえるはずもない声量で一応返事だけは返す。急がなきゃ……。

 

 階段を滑るように下り、私は急いで玄関へ向かった。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「それでは! ぼっちちゃんの記憶が治ったお祝いを! はっじめまーす!!」

 

 私たちはぼっちちゃんの家に集まっていた。

 

 目的はぼっちちゃんの快気祝いをするため。先日、記憶障害が治ったぼっちちゃんのためのお祝いパーティーなのだ。

 

「……と言っても……何すればいいか分かんないんだけどね!」

 

「伊地知先輩、私映画持ってきましたよ!」

 

「あ……ゲームとかありますけど……」

 

「ぼっち、Wi-Fiのパスワード教えて」

 

 結束感……。お姉ちゃんにも言われちゃったんだよなー。

 

「と、とりあえず……みんな来れて良かったですよね……」

 

 どうにか空気をまとめようと勇気を出したぼっちちゃん。

 

 

 そう、バンドメンバー全員で遊びに集まるのなんて簡単かのように思われるが、実は奇跡に近いのだ……。

 

 その原因はリョウ! こいつは休日とかは一人で過ごすのが好きで、休日の為ならどんな嘘をついてでも死守する。

 

「そう! リョウなんか適当に理由つけて来ないかと思ったのに!」

 

 みんなの視線がリョウに集まる。肝心の当人はさっきから無言。机に両肘をついて顎の前で指を組み合わせて、目を瞑っている。

 

 一体どんな言葉を発するか、全員がリョウの動向を伺っている。

 

 パチリと開かれた眼光。目が輝いている……リョウのこんな目……見た事ないかも……! 

 

 

 そしてとうとうリョウが口を開く……! 

 

「タダ飯が食えるんじゃないかと思って」

 

「ああ……まだ金欠なんですね……」

 

「リョウ先輩……」

 

 リョウらしい……とみんなは思っているかもしれないけど、多分これは嘘。付き合いが長いからなんとなく分かる。

 

 リョウにとっての休日とは何よりも大切なもの。ご飯と休日、天秤にかければ休日の方が重い。その休日を削ってまでぼっちちゃんの家に来るなんてありえない。

 

 それに今のリョウはそこまでお金に困ってないはず。バイトも結構入れてるし、喜多ちゃんのベースを買い取ってから三ヶ月くらい経ってる。

 

 

 素直じゃないな〜こいつ〜。ぼっちちゃんの記憶が治ったのが嬉しいから来たんでしょ〜。

 

 案外、一番喜んでるのはリョウだったりしてね。

 

「ふふふ……」

 

「……なに?」

 

「いーや、なんでもない……ふふ……」

 

 そんなリョウの可愛い本心に気づいているのは私だけだと思うと、笑いが込み上げてしまう。

 

「うちの親……みんな来るって言ったらすごい張り切っちゃって料理の仕込みしちゃってて……消費してもらうと助かります……」

 

「あれ? そういえばぼっちちゃんの家の人は?」

 

「あっ、今買い出しに行ってて……」

 

 なるほど……ぼっちちゃんが家に友達を連れてくるのは相当珍しいみたい。目に見えるだけでもかなりの量の料理がキッチンに見えたけど、それでもまだ買い出しに行くぐらい気合いを入れているようだ。

 

 

 ぼっちちゃんの両親が帰ってきたらすぐに挨拶しに行こう。それまでは……何しよう。

 

「あの、今日ってライブで着るTシャツのデザインも決めるんですよね? ならそれを先に終わらせませんか?」

 

「……そうだよ! それ先に終わらせてから思いっきり遊ぼうよ!」

 

 喜多ちゃんナイスアイデア!! 

 

 こうして私たちはTシャツのデザイン作りから取り掛かることにした。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 Tシャツは紆余曲折ありながらも、なんとか一つのアイデアにまとまった。

 

 デザイン作りでは驚く程、私以外の3人が役に立たない。

 

 ぼっちちゃんのセンスは男子中学生レベルだし、喜多ちゃんはバンドTシャツを体育祭のクラスTかなんかだと思ってるし……リョウに至っては何一つアイデア出さなかったし! 

 

 結局、私が書いたシンプルなデザインのTシャツに決まったのだが、予想以上に時間がかかってしまった。

 

 デザイン作りが停滞している間に、ぼっちちゃんの両親は帰宅。ご挨拶はすぐに終わらせた。

 

 めちゃくちゃいい人だった……ぼっちちゃんがいい子に育ったのも頷ける。

 

 

 それからお祝いパーティーが本格的に始まった。

 

 たくさんの料理が並ぶテーブルを囲む私たち。そこにはただ、幸せな時間が流れ続けた。

 

 色んな話をした。これまでの思い出、これからの目標。

 

 たくさん笑った。たくさん話した。たくさん遊んだ。

 

 これからもきっとこんな話たくさん出来るのに、今生の別れの前みたいに色んな話をした。

 

 それはまるで今までの時間を取り戻すかのように、一秒一秒を噛み締めるかのように。

 

 

 

 気づけばかなりの時間が経っていた。もう少ししたら帰らなきゃいけないと考えると悲しいけど、私たちはまた集まれる。これから先、いつでも。

 

今日で終わりじゃない。

 

「虹夏ちゃん、また遊びに来る?」

 

 なんて感傷に浸っていたらぼっちちゃんの妹、ふたりちゃんに話しかけられた。

 

「うん! 絶対また来る! 今度は泊まらせてもらおっかな!」

 

「本当に!?」

 

「うん、約束する!」

 

「わーい!」

 

 元気だなぁ……やっぱりふたりちゃんもぼっちちゃんの記憶が治ったことが嬉しいんだろうなあ……。

 

「ふたりちゃん、お姉ちゃんのことは好き?」

 

「うん!」

 

 姉妹でこんな仲良いのも羨ましいね。うちも仲が悪い訳じゃないけど。

 

 

 

「あのね、お姉ちゃんって最近ずっと怖かったんだけどね、多分みんなのおかげでちょっと明るくなった!」

 

「へえ〜どんな風に怖かったの?」

 

「えっとね、昔のお姉ちゃんは暗くて元気がないだけだったから怖くなかったんだけど」

 

「ほうほう」

 

「お姉ちゃん、お家を飛び出しちゃった日からなんだかお顔が怖くなったんだよ! 最近はちょっと昔のお姉ちゃんに戻ってるけど」

 

「ほー……え? ぼっちちゃん家出したの?」

 

 これは家族にしか分からない貴重な話だ。ちょっと聞いてみたい。

 

「いや、家出ってほどじゃなくてね! 夜ご飯食べた後に何も言わずに飛び出しちゃって! 海まで行ってたらしいんだけど。

 

 帰ってきた時のお姉ちゃん、今にも死んじゃいそうな顔だった! 今までお姉ちゃん、お化けに取り憑かれたこととかあったんだけど、その時は本当のお化けみたいだったんだよ!」

 

 おー……ちょっと毒舌……。

 

 

 あれ……? それっていつの出来事なんだ……? 

 

「ちなみにそれいつだったか覚えてる?」

 

「えっとね……ちょっと待って……」

 

 そう言ってふたりちゃんはトコトコと歩いてカレンダーを持ってきた。

 

「えっと、確か五月の……この日!」

 

 ふたりちゃんが指をさしたのは私にとって、とても大切な日。忘れる訳が無い。だってその日は…

 

 

 

 

 私たちが初めてぼっちちゃんに出会ってライブをした日だから。

 

「はは……なんだそれ……」

 

 乾いた笑いが口から漏れ出た。目眩がする。

 

 

 ぼっちちゃんは私たちに出会った日からおかしくなった? なんで? どうして? 

 

 ダンボール被ってたのが恥ずかしかった? いい演奏が出来なかったから? 

 

 

 

 私たちに出会ったから? 

 

 

 ダメだ、考えるな。今結束バンドは上手くいってるんだ。

 

 ネガティブな感情を持ち込むな……みんなをまとめるのは私なんだ……。

 

「虹夏ちゃん、これからもお姉ちゃんと仲良くしてね!」

 

「……うん!」

 

 変に思われないだろうか。ちゃんと明るく返事出来ただろうか。

 

 

 ごめんね、もしかしたら……私は君のお姉ちゃんのこと、全然知らないのかも。

 

 日記が全てという訳でもなかった。日記だけでぼっちちゃんを知った気になってたんだ。

 

 

 ぼっちちゃんはぼっちちゃんにしか知り得ない何かを抱えている。

 

 

 

 解決が答えじゃないことだってある。ぼっちちゃんが打ち明けてくれるのを待ってもいいかもしれない。このまま有耶無耶にしながら活動を続けていって、靴に石が入ったまま歩き続けてもいいのかもしれない……。

 

 

 なんて、そんなのは今までと一緒じゃないか。

 

 何度も後悔してきた。あんな思いはもうしたくない。

 

 方法はなんでもいい。その石を取らないと結束バンドは始まらないんだ。

 

 もう何度目か分からない決意。ただ君のためにもう一度だけ、私は決意する。

 

 

 これで最後にしたいよ……私も……。

 

 




あと二話で完結だと思います。ちなみににじみ文字の中身は特に物語に関係ないです。


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待てど暮らせど、置き去りの君を


箸休めみたいな話。あと前回残り二話で完結って書きましたけど三話でしたわ。


 

「終わった……」

 

 休日の昼過ぎ。私はノルマチケットを捌くために地元の街へ繰り出していた。

 

 今日は花火大会があるので人通りも多い。浴衣を着ている人、子供連れ、カップル。街をゆく人々は皆笑顔で楽しそう。

 

 そんな楽しい雰囲気の中、私だけが浮かない顔をしている。

 

 その原因はノルマチケット。他のみんなが早々にノルマを終わらせる中、私は未だに三枚もチケットを持て余している。

 

 

 

 ああ……調子乗ってたなぁ……。記憶が戻ってからはなんでも出来る気しかしてなかった……。

 

 虹夏ちゃんが気を使って『ぼっちちゃんは記憶が戻ったばっかりだからノルマ無しでも良いよ!』と言ってくれたのに、みんなの役に立ちたいと思った私はその申し出を断ってしまい……。

 

 今に至るわけである。

 

 記憶が治ったからと言って、私のコミュ障まで治った訳じゃなかった……マイナスがゼロに戻っただけだった……。

 

 ビラも作ったけど……コミュ障だから配れない……。

 

 はあ……こんなことならお母さんに見栄なんかはるんじゃなかった……。ふたりの煽りに耐えて、お母さんに甘えてでも配りきれば良かったんだ……。

 

 

 後悔と焦りで消えたくなってきた。そんな時、事件は起きる。

 

 現実逃避のためにぼーっと、路傍の人を眺めていると、目の前で人が倒れた。

 

「うう……」

 

 ……行き倒れ!? 初めて見た……。

 

 どどど、どうしよう……? 救急車呼ばなきゃ……。

 

「み……ず……お水ください……」

 

 あっ……私に話しかけてる……? 

 

「あっ、はい! 今そこで買ってきます!」

 

「それと酔い止め……あとしじみのお味噌汁……おかゆも食べたい……介抱場所は天日干ししたばっかのふかふかのベッドの上で……」

 

 す、凄い注文してくる……。

 

 

 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 私はすぐにコンビニに駆け込んで、揃えられるものは買い揃えて倒れたお姉さんに渡した。

 

「ぶへぁ〜……肝臓に染みる〜……」

 

 味噌汁を飲めるくらいには回復したみたい……良かった……。

 

「助かった〜! 本当にありがとう! 名前なんてゆーの?」

 

「あっ、後藤ひとりです……」

 

「はー! かわいい名前だね!」

 

 絡んでくるタイプの酔っ払いだ……早めにどっか行ってほしい……。

 

「やっぱりお酒はほどほどにしないとね! って言ったそばから飲んじゃうんだけど!」

 

 それはそれとして、この人やばい人かもしれない……。

 

 さっきまで死ぬ寸前だったのに、床に大量のパック酒と一升瓶を並べて酒盛りを始めてるし……さっきから私に向かって話してるつもりなんだろうけど、目線の先に私は居ないです……。

 

 

「ひとりちゃんも飲む? 安酒だけど……ん? ひとりちゃんって未成年だっけ? ……ってあれ? 聞いてる?」

 

 ……よし、走って逃げよう。この場所以外でもチケットは売れるし……。

 

「なんでさっきから何も言ってくれないの……? うわっ! ひとりちゃん体冷たい! コンクリみたいだよ!」

 

「あっ、それじゃあ私はこれで…………」

 

 勇気を出して逃げ出すことにした私。その一歩目を踏み出した瞬間。

 

 

 躓いた。ああ、こんなことなら普段から運動してけば良かった……。

 

「あ! ギター! 弾くの?」

 

 躓いて転びそうになったところを、私が背負っていたギターを掴んで支えるお姉さん。

 

「私もバンドやってるんだー! インディーズなんだけどね!」

 

 ひいいぃい…………この人楽器やる人!? 下手なこと言う前に逃げよう……! 

 

 

「あっいや買ったはいいんですけど一日で挫折して今から質屋さんに行くとこだったんです、もっと相応しい人にこのギターを使ってもらって大空に羽ばたいて欲しくて! 私は全然弾けません! すみません!! 何円で売れるかな!? 今日は焼肉だああああ!!」

 

 

「待って」

 

「え?」

 

「一日で諦めるのは勿体ないよ。もう少し続ければそのギターに相応しい人になれるかもよ?」

 

 ……あれ? 思ったよりまともな人っぽい……。

 

「あっ、いや今の話全部嘘です……」

 

「すごいスラスラ嘘つくね!?」

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 思ったよりもまともな音楽好きのお姉さん……と認識を改めたのも束の間。世間話をしているうちにやっぱりこの人やばい人かもしれない……と思わせる言動ばかりしている……。

 

 お姉さんはバンドではベース担当のベーシスト。お姉さんにとって、お酒とベースは命よりも大切なものだから肌身離さず持ってるそうだ。

 

 

 

 ……どう見てもベースを持ってないのに……。

 

 それを指摘したら居酒屋に忘れてきたとの事……。私はお姉さんに連れられて一緒に居酒屋までベースを回収しに行った。

 

「じゃ〜ん! 私のマイベース! スーパーウルトラ酒呑童子EX! かっこいいでしょ?」

 

「あっ……かっこいいです……」

 

「昨日も大活躍だったんだよ〜? 打ち上げで飲みすぎて朝気づいたら全然知らないここに来てたんだけど!」

 

 どうしてそんなになるまでお酒を飲むのだろう……? 未成年の私にはお酒の良さが全く分からない。

 

「あの……どうしてそんなになるまでお酒を飲むんですか……?」

 

 単純な疑問だ。酔っ払うと楽しいとか聞くけど……それだけでそこまでお酒を飲めるものなの……? 

 

「いやー! お酒飲んだら将来の不安とか、嫌なこととか全部忘れられるからさ〜つい! 私はこれを幸せスパイラルって呼んでるんだけど!」

 

 悲しい幸せだ……。

 

 あっ……嫌なことを忘れられる……? 嫌なことを現在進行形で忘れている私と重なる……。

 

 

 

 今の私が享受している幸せは……悲しい幸せ……なのかな……。

 

「ひとりちゃんも大人になったら絶対お酒ハマるって……ってあれ? ひとりちゃん大丈夫?」

 

「あっ……はい……大丈夫……です……」

 

 あっ……ぼーっとしてた……。

 

「さてはひとりちゃん……悩みがあると見た! お姉さんになんでも話してみ!」

 

 悩み……二つあるけど……まあこっちの方が優先か……。

 

「あっ、私のバンド今度ライブするんですけど……」

 

 私はお姉さんに今の困っている状況を伝えた。

 

「うう……ひとりちゃんは悲劇の少女だったわけか……チケット売るの大変だよね……私も最初は苦しんだな〜」

 

 泣いて同情してくれるお姉さん……やっぱりいい人……! 

 

「よし! 命の恩人のために私がひと肌脱ごう!」

 

「えっあっ、私そういう趣味は……」

 

「……?」

 

 何を言ってるんだこいつ? みたいな目で見てくるお姉さん。あれ……? どういう意味? 

 

「今から私と君で路上ライブするんだよ!」

 

「あっえっ……えっ?」

 

 ……え? この人今なんて言った? 路上ライブ? 私が? 

 

「えっあっえっ?」

 

「ビラもあるし、路上ライブで客呼んでチケット買ってもらうのが一番いいよ。今日は花火大会で人もいっぱいいるし」

 

「あっでも、機材とか何もないですよ…………?」

 

「ウチのメンバーに持ってきてもらうよ」

 

「いやっでもあの…………」

 

 そんな私の抵抗も虚しく、問答無用で電話をかけ始めるお姉さん。

 

 

 

 それからたった数十分で機材も揃ってしまった……。もうライブ出来ない理由の方が少ない……。

 

 そしてとどめにお姉さんのこの一言……。

 

「金沢八景のみなさーん! 今からライブしまーす! タダなんで見ていってくださーい!」

 

 ひいいぃぃ……通行人の視線がぁ……。

 

 聴いてくれるお客さんがいるだけでこんなに違うものなのか……。緊張でピックを持つ指が震えてしまう。

 

「ひとりちゃん、そんなに緊張してるの? うーん……そんなに怖いなら目つぶって弾くとか?」

 

 あっ、それなら行けるかも……普段真っ暗な押し入れの中で弾いてるし……。うん……それで行けるはず! 

 

「でも、一応言っておくけど。今目の前にいる人は君の闘う相手じゃないからね! ……敵を見誤るなよ?」

 

 ……敵? え? どういう意味? 

 

「それじゃあ始めまーす! 曲はこの子のバンドのオリジナル曲でーす!」

 

 そんなこんなで始まった路上ライブ。

 

 お姉さんめちゃくちゃ上手い……! 即興なのに音に全く迷いがない……すごく自信に満ちた演奏……私の演奏を完璧に支えてくれてるんだ……。

 

 ……それに比べて私は……お客さんに笑われてないかが気になって顔もあげられない……。

 

「がんばれ〜!」

 

「ちょっとあんた、何言ってんのよ」

 

「なんかギターの人不安そうだったからつい……」

 

 えっ……? 心配してくれてる……? 

 

 そっか……初めから敵なんていない……。私が勝手に壁を作ってただけなんだ……。

 

 見える景色が変わる。ここには敵はいない。一人一人が私の演奏を聞きたくて立ち止まってくれてるんだ。

 

 だったらその期待に応えたい……! 本当の私の音楽を聞いて欲しい……! 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「いや〜良かったよ! ひとりちゃん!」

 

 気づけばライブは終わっていた。お客さんは……みんな笑顔……! 

 

 私、上手くやれたのかな……これからライブもたくさんすれば、こんな景色もたくさん見れるのかな……見れたらいいな……。

 

「あの〜チケット買ってもいいですか?」

 

「えっあっはい!」

 

「初めて生でライブ見たんですけどすごい良かったです!」

 

「24日のライブも楽しみにしてますね!」

 

「あっはい! 頑張ります!」

 

 やった……売れた……あと一枚だ……。なんか行けそうな気がしてきた……。

 

「そこの人たち〜! ここでのライブはやめてくださーい!!」

 

「あっごめんなさ〜い!」

 

 怒られてしまった……許可取ってないからそうなるよね……。

 

「怒られちゃったし、この辺で終わりにしよっか」

 

「あっ……はい……」

 

 機材を片付けて撤収の準備を始める私たち。あと一枚……残っちゃったな……でも四枚も売れたんだ……頑張った方……。

 

「最後の一枚、私が買うよ」

 

「えっ……いいんですか……」

 

 お姉さんが買ってくれるらしい……本当に売り切れちゃった……。

 

「パック酒15本分以上のライブ、期待してるから……」

 

「あっ……はい……」

 

 わーい……頑張らなきゃな……。

 

「……ひとりちゃんやい、君さては……もう一つ悩みがあるね?」

 

「あっ……えっ? なんで分かったんですか……」

 

「そりゃあ分かるよ〜。あんなにいい演奏してチケットも売りきったのに、そんな暗い顔してちゃあね〜」

 

 そうだ。さっきから記憶のことが頭から離れなくて素直に喜べない。

 

 嬉しいはずなのに、頭の隅には私が忘れたかったことについての悩みが染み付いて離れない。

 

 嫌なことから逃げて、忘れることで得られる幸せは悲しい幸せと気づいてしまったから。

 

「お姉さんに話してみな! こちとらひとりちゃんよりも長い人生歩んでんのよ!」

 

「……私、こないだまで記憶障害があったんです……」

 

 気づけば私の口は開いていた。

 

「前向性健忘っていう……新しいことが記憶できない障害で……でもそれは少し前に治ったんです」

 

「ん? 治ってる? それが悩みかと思ったけど」

 

「あっはい……実はその記憶障害の原因が私自身だったんです。私が思い出したくない記憶を思い出せないように……無意識に記憶を消していたんです……」

 

「……もっと簡単な悩みかと思ってた!」

 

「それで……その記憶を忘れたまま……バンドメンバーと活動するのはどうなのかと思ってまして……嫌なことから逃げたままみんなと過ごすことに後ろめたさを感じちゃいそうで……。

 

 思い出したくなかったから、私は忘れることを選んだはずなのに、思い出してみたいと思ってる私もいて……」

 

「……なるほど。つまりぼっちちゃんは……これから何の気兼ねもなく活動するために、忘れたままでいるべきか、思い出した方がいいのかで迷ってるわけだね?」

 

「まさにそうです……」

 

 まだ誰にも打ち明けていないことを話した。自分でも驚く程、自然に話していた。

 

 誰でもいいから悩みを吐き出したかったんだ。

 

「……私ね、さっき嫌なことを忘れるためにお酒を飲むって言ったじゃん?」

 

「そうですね……」

 

「でもね、絶対忘れることは出来ないんだよ。酔いが覚めたら嫌でも向き合うことになる。

 アルコールは脳みそを馬鹿にしてくれる。何も考えないでいいように、楽しいことだけを頭に残してくれる。

 

 でもそれは一時的な快楽でね。アルコールが切れた時、本気で死にたくなるけど……それもお酒のいい所だと私は思ってて。現実は嫌なことだらけ。なのにお酒を飲んでる時は楽しくて仕方がなくて、『これが現実だったらな』って信じたくなる。でもきっとお酒だけだったら、そこまで楽しくないって思っちゃう。

 

 嫌な現実があるからお酒が輝くんだよね! まあ私は四六時中飲んじゃってるんだけど!」

 

 そう言ってお酒を飲み始めるお姉さん。

 

「まあ、つまり私が言いたいのは……思い出せるといいねってこと! どんなに嫌なことでも、向き合ってみれば意外と大したことないかもよ?」

 

 ……すごい……きっとこれはお姉さんだからこそ出せた答え。悩みを打ち明けても、お姉さん以外にこんなこと言ってくれる人は多分いなかった……。

 

「……ありがとうございます……元気出ました……!」

 

「良かった良かった! ひとりちゃんには暗い顔は似合わないよ!」

 

 本当に元気が出た……! 流石人生の先輩……。

 

「それじゃあ……ライブ楽しみにしてるね! これからも悩めよ! 若人!」

 

「はい……! ありがとうございました……!」

 

 こうして私はお姉さんと別れた。

 

 かっこいい人だったなぁ……私もあんなバンドマンになれるかなぁ……。

 

 今日はいい一日だった! そうだ! みんなにチケット売れたこと報告しよう! 清々しい気分で歩けるぞ〜! 

 

 

 と思いきや。人混みに消えたお姉さんが戻ってきた。

 

「ごめーん! チケット買ったら電車賃なくなっちゃった〜! お金返して〜……」

 

「……」

 

 締まらないなぁ……。年下に金借りるバンドマンにはなりたくない……。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 家に帰って日記を開く。

 

 忘れたかったことについての答えはなくとも、ヒントならあるんじゃないか、という考えのもと、日記を読み直していく。

 

 

 ……ふふ、こんなこともあったなぁ……。頭によぎるのはそんなことばかり。

 

 ヒントを得るつもりだったのに、いつの間にか思い出に浸ってしまっていた。

 

 それは幸せなものだけじゃない。辛かった思い出ももちろんある。けれどそんな思い出だって、今までは忘れていたはずのものだと考えると不思議と嫌ではなかった。

 

「そうだ……練習しよう……」

 

 結局、ヒントらしきものは見つからない。けれど過去の自分の努力に励まされた。ノートを読み進めていくごとに、あともう少し、あともう一回……と頑張りたくなる。

 

 きっと私は真実を思い出すことになっても頑張れる。どんなに嫌なことでも、どんなに辛い記憶でも、私は絶対に逃げ出すことはない。

 

 

 この時はそう思ってたんだ。

 

 




いいペースです。次の話を先に書き始めてたんで、すぐ出せそう。


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失くしたものをもう一度


この話を書くためだけに書いてた感がある。

初めて完結できそうすー


 

 夢、というのは人間が記憶の整理の過程で見るもの。

 

 過去の印象に残っている出来事を繰り返し見ることもあるし、その日の何気ない日常について見ることもある。

 

 前提として、どんなにハチャメチャな夢でもそれは今までの見聞きしたものを元に作られている光景であり、不思議と見覚えがあるはずのものなのだ。

 

 

 その点を踏まえてみて、今目の前に広がる光景は夢であるはずである。

 

 しかし私には身に覚えのない光景でしかない。今見ている光景は私が初めて虹夏ちゃんに出会ってライブをした日の出来事。日記からの知識という形でしか知らないはずの出来事について、ここまで鮮明な夢を見れるはずがない。

 

 つまりこれは私が忘れていた記憶である。とうとう思い出す時が来たのだ。

 

 ……なんで今日なの。明日はライブの日。真実を知る覚悟が無いわけじゃないけど、今日じゃなくてもいいじゃん……。

 

 だが向き合うと決めたからには瞬きもせずに完璧に見届けなければならない。私は目の前の景色に集中し始めた。

 

 

 虹夏ちゃんに連れられて歩いている私。その道中、気を使って話しかけてくれる虹夏ちゃん。その優しさに一ミリも応えない私。うう……黒歴史……。

 

 そしてスターリーに入っていった。

 

 

 それからは日記通りに時が進んでいく。虹夏ちゃんとリョウさんに出会って、軽い合わせ練習をして、ダンボールを被ってライブに出て、酷いクオリティのライブをした。

 

 日記でしか知らなかった出来事を第三者視点で見るのはすごく新鮮だ。

 

 しかし私が書き記したこと以外の出来事は起きていない。

 

 そして私は何事もなくスターリーを出て帰路についた。

 

 

 ……あれ? 本当に日記通り……もしかして何も起きてない……? 

 

 電車の中では日記を書いている私、電車を降りてからも変わったことは起きていない。

 

 そしてそのまま家まで着いてしまった。

 

 

 おかしい……何か起きてないとおかしいんだ……。

 

 何事もなく夜ご飯を食べて、何事もなく自分の部屋に行って、何事もなく日記の続きを書き始めて……。

 

 

 ……本当は何も起きてなかったのかな……? もしかしたら……何も起きてなくて、ただの勘違いだったとか……。

 

 

 なんて思い始めた、そんな時だった。

 

 おもむろに椅子から立ち上がり、日記を抱えて一階へ向かう私。そのまま玄関から家を出てしまった。

 

 この時間に外に出ることなんて有り得ない。明らかに異常な行動である。

 

 外に出た私はとにかく走っていた。運動不足の体に鞭を打って、息を切らせながら走って走って走り続ける。

 

 なんでそんなに走れるの……? と思うほどに走っていた。今の私だったらとっくのとうにバテてる。何が私をそこまで突き動かすのか。私にも分からない。

 

 しばらくしてから気づいた。私は海に向かっている。

 

 

 汗だくでふらふらしながら私は段々と海へ近づいていく。ただ海まで散歩に来ただけなら日記を持ってくる必要なんてない。何か目的があって私は動いている。

 

 

 そして私は防波堤の一番先までたどり着いた。

 

 何をするつもりなのか、欠片も予想できない。

 

 あと一歩進めば海に落ちる場所で私は立ち止まり、目を瞑って何かを考えているようだった。

 

 しばらくした後、目を開けた私は胸に手を当てて自分に言葉を言い聞かせ始めた。

 

「大丈夫……大丈夫……みんなのことを忘れても人生は終わらない……また機会がある……」

 

 この言葉を聞いて私は、私が何をしようとしているか薄々感じ始めた。

 

「そう……時間の無駄だった! 別に音楽で食っていけるわけでもないのに……バンドなんて……」

 

 ……そうか、そうだった……私は……。

 

「これで綺麗さっぱり……みんなのことを忘れられる……」

 

 私は日記を捨てるつもりなんだ。

 

「お疲れ様……私……」

 

 そして私は抱えていた日記を手に持ち、海の方へ向かって手を離す……

 

 

 

 ことはなかった。海の底に沈むはずだった日記はうずくまる私が守るように、大事に抱えていた。

 

「この手を離すんだ後藤ひとり……離せよ……離せ……」

 

 言動とは全く正反対に、大事に大事に日記を抱えている私。

 

 そうだ……思い出した……日記を書きながらも悩みに悩んで、私が出した結論が結束バンドから離れることだった。

 

 これ以上みんなといてもお互いに苦しいだけ。これが最適解のはず。

 

 なんて、そんなことは全部建前だ。

 

 私は怖かっただけだった。あの短いながらも充実した時間を、楽しかった時間を、みんなの顔も名前も、全て忘れてしまうことが怖かっただけ。

 

 みんなのことを忘れたまま明日を一緒に過ごすくらいなら、いっその事全て忘れ去ってなかったことにしてしまえばいい。私はそう考えていた。

 

 

 適当に理由をつけて、原因を相手に押し付けて、私の最適解はこれだと言い聞かせて、自分の気持ちに嘘をついて……。

 

 本当は私はみんなとこれからもバンド活動したかった。普通で構わない。普通に……みんなのことも忘れずに……。

 

 

 そんな普通が私にとっては遥か遠くのものだった。

 

 この時の私には記憶障害が治りかけていることなんて知ることができない。

 

「嫌いだ……虹夏ちゃんも……リョウさんも……全部嫌いだ……」

 

 そんな言葉が本心ではないことも分かってる。でも私が弾き出した結論が『結束バンドを忘れること』。

 

 自分に嘘をついて、苦しみながら生きることを選んだのは私だ。

 

 

 結局、何もせずに私は家まで帰った。自分で決意したこともやり遂げられない。そんな私が惨めで惨めで仕方がなかった。

 

 自室に戻って泣きながら日記を書く私。

 

 

 

 どうして私はこんなこと思い出してしまったんだろう。

 

 みんなといてもお互いに苦しいだけなのに。

 

 苦しいから逃げようとしたはずなのに、私は結束バンドに捕まって……。

 

 記憶を消してもループするみたいに、後藤ひとりは同じことを繰り返している。

 

 

 これではっきりした。私が忘れたかったもの。

 

 

 結束バンドだ。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「……大丈夫? ぼっちちゃん」

 

「あ……大丈夫……です……」

 

 ライブ当日。関東には来ないと言われていた台風が直撃。

 

 ライブをするには最悪の状況である。来れるはずだったお客さんも来れない。そもそもお客さん自体が少ないだろう。

 

 それに今日見たあの夢だ。朝起きた時、今日スターリーに行くかすらも迷っていたぐらいには心に来ている。けれど逃げ出さずに私はスターリーまで来ていた。

 

 どうにもあの夢が頭から離れない。どういう顔をしてみんなに会えばいいのか分からない。

 

 今も合わせ練習の時間なのにまともに集中できてない。こんなことになるなら……思い出さなきゃ良かった……。

 

「じゃあ一回休憩にしよっか! ぼっちちゃんも体調悪いみたいだし……」

 

 みんなが心配の視線を向けてくる。やめて……その優しさは今の私には……。

 

「あっ……ちょっとお手洗いに……行ってきます……」

 

 そんな空間に耐えきれず、私はスタジオを出た。

 

 

 

 鏡に映る自分を見つめてみる。我ながら酷い顔をしている。みんなが心配するのも無理はない。

 

「逃げるな……逃げるな……逃げるな後藤ひとり……」

 

 鏡の中の自分に向かって言い聞かせる。逃げ出さないと決めただろ……。

 

 逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ……。

 

「切り替えろ……切り替えろ……私は……結束バンドのギター……後藤ひとりだ……」

 

 顔を思いっきり洗って、もう一度鏡を見つめる。

 

「は……はは……ははは……」

 

 自分でも驚いた。なんでこんなやつが鏡に映ってるんだ? なんでこんな出来損ないがこの場所に立ってるんだ? 

 

「私なんかじゃ……ダメだ……」

 

 あの日から私は何一つ変わっていない。記憶が戻ったはずなのに私はあの日に取り残されている。

 

 

 

 

 

 気づけば私はスターリーを飛び出ていた。雨なんて気にしない。むしろ私を打ちつける横殴りの雨が心地よかった。

 

 走る、走る、どこまでもただ遠くへ。私は走り続けた。息が切れても、足を挫いても、吐き気がしても。私はとにかく遠くへ逃げた。

 

 もう走れないと思う所まで来た。それでも知っている風景から逃げ出せないのは、私の体力のなさを物語っている。

 

 仕方がないので目の前の公園に入った。大雨なので誰も人はいない。

 

 とりあえずブランコに腰掛けて休憩をする。体力が回復したらまた走ろう……。財布は置いてきちゃったから……歩いて家まで帰ろう……何時になってもいい……逃げ出せればそれでいい……。

 

 

 いや、家まで帰ったところで……私は逃げられないんじゃないか……。みんな家まで来たことあるし……電話番号も知られてるし……。

 

「……ああ……どうしよう……」

 

 勢いで飛び出してきたのでどうすればいいか分からない。

 

 ただ一つ、ハッキリとしているのは私はもうみんなに会えないということだ。

 

「また……忘れたいな……」

 

 あれだけ思い出したいと願ったのに、今じゃ全く逆だ。忘れたい、忘れたい、忘れたい……思い浮かぶのはそんなことばかり。

 

 記憶を消していた私は正しかった。完璧に記憶が正常な状態でみんなに会えば違ったのだろうが、過ぎてしまったものはどうしようもない。

 

「私……交通事故で……記憶喪失になったんだよな……」

 

 たった今、頭によぎった行為は最低な行為だ。親も悲しむし、みんなも悲しむし、多くの人に迷惑をかけることになる。

 

 でも不思議と足は動き出す。道路……道路へ……。

 

「あっ……!?」

 

 公園の外の歩道まで出たところ。そこで私は傘をさして歩いてくる人を見かけた。

 

 こんな大雨の中、外を歩く人なんて滅多にいない。もしかして……みんなが探しに来て……。

 

 段々と近づいてくるその人から私は隠れるべきだった。なのにさっきまで動いていたはずの足は石みたいに動かなくなる。

 

「……?」

 

 その歩いてくる人は知らない人だった。こんな台風の中、傘もささずに立ってる私を見て、心底不思議そうな顔をして過ぎ去っていくだけだった。

 

「……ふふふ……へへ……」

 

 私は馬鹿だ。なんだ、もしかしてって。今の人がみんなのうちの誰かじゃなかったことに喜ぶべきなのに、何故か私はがっかりしてしまっている。

 

 私は今の人が虹夏ちゃんじゃないかって期待してしまったんだ。

 

 自分を救えるのは自分だけって、オーディションの日に気づいた。なのに……まだ私は……誰かに救ってもらおうとして……。

 

「……」

 

 もう逃げ出す気力も、走る車に飛び込む気も失せてしまった。再び私は公園のブランコに座る。

 

 もう……消えてなくなりたい……。けど死ぬ勇気なんてない……。

 

 

 下を向いたら涙がこぼれた。もう雨なのか、涙なのかも分からないけど……。

 

 

 

「ここに居たんだ」

 

 前から声が聞こえた。その声は今聞きたかったようで聞きたくなかった声。

 

「虹夏……ちゃん……」

 

 顔を上げると傘をさした虹夏ちゃんが立っていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「後藤さん……遅いですね……」

 

「うーん……心配だなぁ……」

 

 今日のぼっちちゃんはなんだか元気がない。ライブで緊張しているのとはまた別な感じのテンションだった。

 

「私、ちょっと見てくるよ」

 

 トイレまでに向かう。ぼっちちゃん……どうしたのかな……。やっぱり何か悩んでいることがあるのかな……。

 

「ぼっちちゃーん? 大丈夫ー?」

 

 そう言いながらトイレのドアを開ける。そこには誰もいなかった。

 

「……え?」

 

 私はすぐにトイレを出てみんなの元に向かう。

 

「ねえ! ぼっちちゃんいなかったんだけど!」

 

「え!? 本当ですか?」

 

 あの日の喜多ちゃんみたいにぼっちちゃんが逃げ出した。

 

 

 ぼっちちゃんが逃げ出すなんて相当思い詰めていると見るべきだ。喜多ちゃんはメンタルが強いから簡単に逃げ出すことが出来るけど、ぼっちちゃんは人に迷惑をかけるくらいなら自分が黙って我慢するタイプ。

 

 そんなぼっちちゃんが逃げ出したんだ。逃げ出すほどに思い詰めてたんだ。

 

「リョウはゴミ箱の中とか机の下とかぼっちちゃんがいそうな場所探しといて!」

 

「虹夏は?」

 

「外を探すよ」

 

「私も行きます!」

 

 幸いにもまだライブまで結構時間がある。

 

「それじゃそっちは任せた!」

 

 そう言って私と喜多ちゃんは大雨の中、二手に分かれてぼっちちゃん探しに繰り出した。

 

 

 正直、ぼっちちゃんの居場所は見当もつかない。ただぼっちちゃんの体力を考えればそこまで遠くには行けないはず。荷物も全部置いていってた。財布がなければ交通機関も使えない。

 

 ひとまず私は見落としがないように片っ端から道を潰していくことにした。

 

 

 

 それで捜索を始めて一時間ほど経過した。二人から連絡は来ない。

 

 私の方も成果は出ていなかった。刻一刻と迫る開演時間。それでもまだ余裕はあるが、リハーサルは出れるか分からない時間になってきた。

 

 もしかしたらぼっちちゃんはもう既にすごく遠くへ行ってるんじゃないかな……と思い始めた頃。

 

「あっ、ここ懐かしい……」

 

 気づいたら下北沢から出ていた。ここら辺はギリ土地勘があるくらいであまり詳しくは無いけど、この道は私にとって思い出深い場所である。

 

 この道はぼっちちゃんを連れて歩いた道。この先を進めば……ぼっちちゃんに出会った公園だ。

 

 

 あの日、喜多ちゃんが逃げ出して焦っていた私。私の知り合いにギターを弾ける人なんていないし、どこを探してもギターが弾けそうな人が見つからなかった。

 

 もはやダメ元で探している中、私はぼっちちゃんに出会えた。長い時間探してやっと見つけた一人のギタリスト。背中に背負っているギターを見た瞬間、『この子しかない』って思ったんだ。この子に断られたら諦める覚悟で話しかけた。

 

 

 懐かしい……と言っても三ヶ月くらいしか経ってないんだけど……。

 

「いるわけ……いや」

 

 そう考えるとこの状況はあの日の私に似ている。いるわけない、時間の無駄かもしれない。けど1パーセントでも可能性があるなら。その可能性に賭けた結果、私はぼっちちゃんに出会うことができた。

 

 

 私は公園に向かって歩き出す。またあの日みたいに……ぼっちちゃんが公園にいることを祈って。

 

 公園の風景が見えてきた。大雨の中、たった一人。ブランコに人が座っている。間違えるはずがない。あの長い桃色の髪、すごい猫背、結束バンドTシャツ……。

 

 私はぼっちちゃんを見つけた。

 

「ここに居たんだ」

 

「虹夏……ちゃん……」

 

 なんて言葉をかければいいかも分からないほど、ぼっちちゃんはやつれた姿になっていた。

 

「みんな心配してるよ? ぼっちちゃん急にいなくなっちゃうからさ」

 

 口からどうにか絞り出した言葉は薄っぺらいありふれた言葉。頭をフル回転させても全くかける言葉が思いつかない。

 

「……すいません、ライブは代わりのギターを見つけてどうにかしてください」

 

 今の私の言葉はどれもぼっちちゃんに届かない。今のぼっちちゃんの反応を見て、そんな気がした。

 

「あ、あはは……冗談やめてよ……ぼっちちゃん以外に……結束バンドのギターは務まらないよ……」

 

「私なんかより立派な人はたくさんいます。私なんかよりもギターが上手い人は星の数ほどいます。私なんかよりも結束バンドに相応しい人は絶対にいるんです」

 

 普段よりもハキハキと喋るぼっちちゃんが口に出す言葉は、普段のぼっちちゃんからは想像もできない重い言葉だった。

 

 

 今のぼっちちゃんに響く何かを言えるほど器用な私ではない。

 

 でも絶対諦めない。私はぼっちちゃんを救ってあげたいんだ。

 

 

 

 

 大雨の中、私は傘を閉じる。

 

「……え?」

 

 面食らった顔をするぼっちちゃん。そりゃそうだ。こんなに雨が降ってるのに傘を閉じるなんて私もおかしいと思う。

 

 私はぼっちちゃんと同じように隣のブランコに腰掛けた。

 

「どうしたのかだけ教えてよ」

 

 私はぼっちちゃんが何を考えて逃げ出したのかをまだ知らない。それを知らないと始まらないんだ。

 

「……特別な理由はないです……ただちょっと……みんなといるのが……辛くなっただけ……」

 

「私たちのことが嫌いになったってこと?」

 

「……いや……はい……そうです……だから今日でみんなとお別れで……」

 

「ふーん」

 

 嘘だ。だったらなんでそんな悲しそうな顔をしているんだ。その涙は何? 

 

 ぼっちちゃんの本心は見えてこなかった。けれどやるしかない。

 

「……初めて会った日もこの公園だったよね!」

 

「……そうでしたっけ」

 

「そうだよ! あの日も今みたいにぼっちちゃんがブランコに座っててさ! 私ぼっちちゃんがギター背負ってるの見た時、すごい安心しちゃったんだ。まだ断られるかもしれなかったのに」

 

「……それでがっかりしましたよね……ギターが下手で……」

 

 ううん、それは違う。

 

「全然そんなことなかったよ……だって……私のヒーローに似てたんだもん!」

 

 動画で見るのとは全く違う。けど面影はあった。

 

 初めて会った時のぼっちちゃんの反応。オーディションの日の演奏。いつしか疑惑は確信に変わった。

 

 

「それでさ、オーディションの日の演奏聞いて……私気づいたんだ

 

 ぼっちちゃんがギターヒーローなんだよね?」

 

「……私は……虹夏ちゃんのヒーローなんかじゃ……」

 

 ぼっちちゃんは卑屈な言葉をよく吐く。それはぼっちちゃんの自信のなさの表れでもあるが、今回ばかりはぼっちちゃんが正しいのかもしれない。

 

 ギターヒーローは私のヒーローじゃない。それ自体は合ってる。

 

 

 

「私ね、ぼっちちゃんのギターの演奏が好き」

 

 今の自分の気持ちを、自分が出せる精一杯の言葉を。形にしてぼっちちゃんに届ける。

 

「ぼっちちゃんの書く歌詞が好き。ぼっちちゃんの引っ込み思案な性格が好き。集中した時のぼっちちゃんのキリッとした顔が好き。かっこいいぼっちちゃんも、頼りないぼっちちゃんも好き」

 

 

 ポカンとした表情のぼっちちゃん。ああ……失敗したかも! いきなりこんなこと言うのどう考えてもおかしいね! 

 

 けどもうどうにでもなれ。

 

「私、ぼっちちゃんが大好きだ! ぼっちちゃんの全部が好き!」

 

 自分でも恥ずかしいぐらいの言葉を出し切った。これが私の本心。その本心を全て吐ききった。

 

 これでぼっちちゃんに届かなかったら……なんて、そんなこと考えるな。全て出し切った。これで届かなくても後悔はない。

 

「……えっと……告白ですか……すいません私そういう趣味は……」

 

 ああ……もう……。

 

 

 

「そういう空気読めないところも含めて! ぼっちちゃんの全部が好きなの! みんなそう思ってる! ギターヒーローじゃなくて、後藤ひとりだけが私の……結束バンドのヒーローなんだよ!」

 

 ぼっちちゃんの肩を掴んで言い聞かせる。自信がないぼっちちゃんにもこれだけは知って欲しい。君が思ってるより何倍も……みんなぼっちちゃんが好きなんだ。

 

 しばらく私たちの間に沈黙が流れた。永遠にも感じられるその時間を終わらせたのはぼっちちゃんのある行動。

 

 

 突然パチンと自分の頬を叩くぼっちちゃん。そしてこう言ったんだ。

 

「すいません……今からでもリハーサル……間に合いますかね……?」

 

 そう言うぼっちちゃんの目には光が戻っていた。

 

「……シャワー先に浴びないと!」

 

 雨はまだ降り止まない。空模様はまだ曇ったまま。けれどぼっちちゃんの表情はさっきまでとは変わって、晴れた表情になっていた。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 私は結局スターリーに戻ってきた。

 

 店長さんにも結束バンドのみんなにも心配をかけてしまったことはすごく申し訳ない。

 

 私が挽回するためにはライブで頑張るしかない。

 

 昔から私にはギターしかなかった。私の取り柄はギターだけで、それ以外は本当に全てが人に劣る。そのギターでさえ、私より上手い人はいる。

 

 

 そんな私のことを好きでいてくれる人がいる。

 

 だったらたった一つの取り柄でも胸を張って生きていける。私を想ってくれる人がいるだけで勇気が溢れ出てくる。

 

 もう絶対に逃げ出さない。誰になんと言われようとも私は結束バンドのギター、後藤ひとりなのだから。

 

 

 それからライブの開始時間まではあっという間だった。

 

 お客さんはやっぱり少ない。うちの親も来れないし、みんながノルマチケットを売った人も来れないようだった。

 

 そんな中、お姉さんは来てくれたし、金沢八景でチケットを買ってくれた二人も来てくれた。

 

 けれどやっぱり私たちの演奏を聞きに来た人は少ない。

 

 心無い言葉をつぶやくお客さんもいる。私たちに期待してる人なんてほんの一部の人だけ。

 

 良いとは言えない状況で始まったライブ。やっぱりみんな本来のパフォーマンスをすることが出来ていない様子だった。

 

 私がやるしかない。

 

 音をかき鳴らす。私のことを見つけてくれた虹夏ちゃんへ、私のことを好きでいてくれるみんなへ。感謝の気持ちを伝えよう。

 

 みんなが好きになってくれた後藤ひとりは音楽だけじゃないと音楽だけで証明しよう。

 

 

 

 

 

 

 ……私は本当に結束バンドのことを忘れたかったのだろうか? 

 

 

 今日の出来事を経て気づいたことがある。私が結束バンドを忘れたいということ、それを私が思い出したら精神崩壊するのはなんかおかしい気がする。

 

 ……そうだ。私が本当に忘れたかったものとは……。

 

 

 忘れてしまう現実を呪って、そんな運命を恨んで、ノートに書き綴ったあの言葉。

 

『みんなに出会わなければ良かった』

 

 その言葉を書いたのが自分だと信じたくなくて、こんな醜い自分が嫌で嫌で……

 

 自己嫌悪に自己嫌悪を重ねて、そのたどり着いた終着点が……

 

 この言葉を書いたのは自分ではない……と思い込むこと。

 

 

 不思議と日記の出来事を他人事のように感じてしまうのも、やけに前向きになれたのも、全て……私は本気で別人が書いたものだと思ってたから。

 

 だから……私が忘れたかったものとは……

 

 

 

 

 みんなの隣に立てる、後藤ひとりになるために。最低なことを考えた自分を忘れてもう一度みんなの隣に立つために……。

 

 

 

 ほんの一瞬、出会ってしまった運命を恨んだ。出会わなければ良かったと思ってしまった。そんな最悪なことを願った……願ってしまった……。

 

 

 

 そんな自分自身を……私は忘れたかった。

 

 

 

 

 ねえ、聞こえてるかな……あの日の私……。

 

 私たちの音楽を……私たちの魂を……。

 

 あの日、憧れていたバンド活動がこんなに苦しいものだとは思わなかったけど……こんなに楽しいことだとも思ってなかったよ……。

 

 

 音が……私たちの音楽が……時を超えて、距離を超えて、君に届くと良いな……。

 

 

『……ありがとう』

 

 そんな声が聞こえた気がした。




次回最終話


感想評価お待ちしております!!全部返します!


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拝啓、押し入れの中



誤字報告ありがてえなあ!


 

「「「カンパーイ!!」」」

 

 私は今、結束バンドのメンバーとスターリーの皆さんで居酒屋に来ている。

 

 紆余曲折ありながらも無事に終わった初めてのライブ。その打ち上げを行うことになったのだ。

 

「ライブよく頑張った。今日は私の奢りだから飲め」

 

「お姉ちゃんありがと〜! まだ私たち飲めないけど」

 

「先輩好き〜」

 

「お前は自腹だよ! くっつくな!」

 

 何故かついてきたお姉さんが早速暴れている。席離れてて良かった……。

 

「ていうかこの方誰ですか?」

 

 そう尋ねるのは喜多さん。考えてみれば、私と店長さん以外お姉さんとは初対面なんじゃないかな……。それで打ち上げ参加するメンタルすごい……。

 

「誰よりもベースを愛するベーシスト、廣井きくりで〜す! ベースは昨日飲み屋に忘れました〜どこの飲み屋かも分かんな〜い!」

 

「一瞬で矛盾したんですけど……」

 

 ……ちゃんとしてる時はかっこいい人なんだけどなぁ……私はお姉さんの言葉に勇気をもらったんだし……。

 

「私、よくライブ行ってました」

 

「えー? 君見る目あるね〜!」

 

 リョウさんはお姉さんのこと知ってるみたいだ。お姉さんのバンド……どんな感じなんだろう……? 

 

 

 ……そんなみんなの会話を聞いているだけでもすごく楽しい……あの時そのまま逃げ出してたらこんな光景見れなかったんだよなぁ……としみじみ思う。

 

 二度も私を見つけてくれた虹夏ちゃんには本当に感謝しなくちゃ……。それと……逃げ出さなかった私も……褒めてあげよう……偉い……私。

 

「いや〜それにしても今日のライブ盛り上がって良かったね〜!」

 

「観客10人ぐらいでしたけど」

 

「でもその人たちは全員満足してくれたじゃ〜ん?」

 

「ですかねっ」

 

「ま、続けてればどんどんファン増えてくよ。次のライブでも頑張れよ。ちゃんとノルマ代は払ってな」

 

「最後の台詞がなかったら感動したのに……」

 

「ぼっちちゃんも今日はすごい頑張った……」

 

 そんな会話を聞いていた時、私に話を振られた。そこでふと思い出す。私もこの幸せな空間にいたことに。

 

「……ぼっちちゃん?」

 

「あっ、はい! 頑張りました!!」

 

 ……永遠はないと分かっていても、この楽しい時間がずっと続けばいいなと思う。

 

 きっと……私が逃げ出さない限り、この光景は何度だって見れる。

 

 なら私にできることは一つしかない。どんなに自分のことが嫌いになっても、どんなに明日が怖くても、私は進み続けよう。

 

 ただそれだけ、そんな簡単なことなら私にもできる……絶対に……。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

 よく分からない呪文のような注文をする喜多さんに対抗意識を燃やして、存在しない料理を言ってみて笑われたり……。

 

『お姉ちゃん、ぼっちちゃんの記憶が治った日、自分の部屋でずっと泣いてたんだよ!』なんて暴露をする虹夏ちゃんに怒る店長さんを見てみんなで笑ったり……。

 

 下の名前で呼ばれてダメージを受けるという喜多さんの意外な一面を見ることができたり……。

 

 大人の皆さんから色んなありがたい話を聞くことができたり……。

 

 

 ふふふ……楽しい……。

 

 

 忘れることはもうない。明日に行くことに恐怖なんてない。だから私はこの楽しい時間を心置きなく噛み締められるはず……

 

 

 

 なんだけど……。

 

 

 私には一つだけ心残りがある。それだけは解決しなくちゃいけない、ハッキリさせないといけない。

 

 それを解決して、私はようやく進み始められる気がする。

 

 

 私は外の空気を吸いに店を出る。最後にそこで心の準備をして……全てを終わらせよう……。

 

「あれ? ぼっちちゃんじゃん。どうしたの?」

 

「あっ、虹夏ちゃん……」

 

 精神統一をしている最中、同じように店を出てきた虹夏ちゃんが話しかけてきた。

 

「外の空気を吸いに……虹夏ちゃんは?」

 

「私はちょっと涼みにね」

 

 ……しばしの沈黙。虹夏ちゃんと一対一で話すのは今日二回目なのになんかすごく緊張するなぁ……。なんか話さないと……。

 

「あ、あの……」

「あのさ!」

 

 何か世間話でも切り出そう……と思ったら、虹夏ちゃんの方から切り出してきた。

 

「私の本当の夢、まだ言ってなかったよね」

 

「あ……そういえばそうですね……」

 

 前に聞いた虹夏ちゃんの夢。記憶が戻ってから考えてみたりしたけど、全然思いつかなかったのを覚えてる。

 

「私ね、小さい頃に母親が亡くなって、父親はいつも家にいないしお姉ちゃんだけが家族だったんだ」

 

 ……確かに虹夏ちゃんの家族は店長さん以外見たことない……。

 

「お姉ちゃんがバンド始めてからはさ、寂しがる私をライブハウスに連れてってくれるようになったの。あの頃の私には全部がキラキラして見えて、凄く幸せな空間で……そんな私を見てたから、お姉ちゃんはバンドを辞めてライブハウスを始めた。

 

 スターリーはね、お姉ちゃんが私のために作ってくれた場所なんだよ。お姉ちゃんは絶対そんなこと言わないけどね」

 

 そうだったんだ……店長さんはさっき飽きたからバンド辞めたとか言ってたのに……。虹夏ちゃんがスターリーにこだわる理由が分かった気がする。

 

「だから私の本当の夢はね、お姉ちゃんの分まで人気のあるバンドになること! スターリーをもっと有名にすること!」

 

 これが虹夏ちゃんの本当の夢……。

 

「でもバンド始めてみたらさ、私の夢って無謀なんじゃないかって思う時もあって。今日だってみんな自信無くしちゃったし……でもとんでもない状況をいつもぶち壊すのはいつもぼっちちゃんだったよね! 

 

 一度は逃げ出しても、泥だらけになっても、最後はみんなを助けてくれる……やっぱりぼっちちゃんはヒーローなんだよ!」

 

 ……この人の言葉はどうしてこんなに心強いんだろう。私は虹夏ちゃんの言葉に何回救われてきたんだろう……。

 

 私に助けてもらってばかりと虹夏ちゃんは言うが、私からすれば虹夏ちゃんに助けられてばかりだ。

 

「リョウは今度こそこのバンドで自分達の音楽をやる事。喜多ちゃんはみんなで何かをする事に憧れてる。みんな大事な想いをバンドに託してるんだ」

 

 大事な……想い……。

 

「そういえばぼっちちゃんが今何のためにバンドやってるのか、結局聞いてなかったよね」

 

「あっ……私は……」

 

 記憶を失う前の私だったら、バンドで有名になってメジャーデビューからの高校中退……。

 

 でも今は毎日が楽しくて、最近はただこの日々が続けば良いなとしか考えられなくて……。

 

 やっぱり私は怖いんだ。いつかこの忘れない幸せが当たり前のものと気づける日まで、私は夢を見つけることが出来ない気がする。

 

「今は……夢とか考えられなくて……」

 

「……そっか!」

 

「……でも……漠然としたものですけど……」

 

 具体的な夢なんて思いつくことは出来ないが、最終的にこうなればいいなという理想像なら今日思いついた。

 

「……私の人生は……漫画とか……映画に描かれるような壮大な人生でなくてもいいですけど……ただ……最後は笑って死ねるような……後悔のない人生……『後藤ひとりの人生は楽しかった!』って胸を張って言えるようになりたいんです……それが今の私の考えで……みんなみたいに大層な夢や信念なんてないですけど……」

 

 言うなれば今は足元もおぼつかない状態。今は目の前のことにしか集中出来ないから、夢を見つけることは難しい。でもいつかは見つけたい……私だけの夢を……。

 

「うん! 夢なんて無理に探していくものじゃない! ふと思いついたりするからね!」

 

 そうだ、虹夏ちゃんの言う通り。夢は気長に探していこう……。

 

「でも私……確信したんだ! ぼっちちゃんがいれば夢を叶えられるって!」

 

「だからこれからもたくさん見せてね! ぼっちちゃんのロック……

 

 

 ぼっちざろっくを!」

 

「……はい!」

 

 そう言って笑う虹夏ちゃんは、月明かりも相まって輝いて見えたんだ。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「じゃあそろそろ戻ろっか」

 

「あっ……先に戻っておいてください……」

 

「お? なんか用事?」

 

「どうしても会わないといけない人がいるんです」

 

 意味分からないことを口走っているのは分かってる。

 

「……うん、頑張ってね」

 

 それでも虹夏ちゃんは分かってくれる気がしていた。

 

 

 

 私はすぐそこの公園まで向かう。待ち合わせをしているわけじゃない。その人は現れないかもしれない。けれど私はお礼を言わなきゃいけないんだ。

 

 

 全ての始まりの地。私が虹夏ちゃんに出会った公園。私はそこのベンチに腰掛けた。

 

 そして私は目を瞑る……。

 

 

 

 

 

 

 気がつくとそこは私の部屋。

 

 あの日聞こえたギターの音色は聞こえない。けれど私は押し入れの向こうに彼女がいることを信じて、私は閉まっている押し入れに手をかける。

 

「……あれで最後にしたかったんですけどね」

 

 押し入れの中には体育座りをしている私がいた。あのオーディションの日に出会ったもう一人の私。

 

「早く戻ったらどうですか? 時間は有限ですから、私なんかに構ってないでみんなといた方が良いですよ」

 

 いや……どうしても……もう一人の私に今の私の音楽が届いたか気になって……。

 

「……ちゃんと聞こえてましたよ? いやーこれで心置き無く消えることができます……」

 

 ……。

 

「なんでそんな顔してるんですか? 私はもう用済みでしょう? 貴方の記憶は治り、辛い記憶も乗り越えた。私の存在意義はもうないですよ」

 

 ……もう一人の私はさ。

 

 私が忘れたかった部分の私なの? 

 

「……はい?」

 

 気づいたんだ。私が忘れたかったものは私自身……それを封印しようと作り出されたのがもう一人の私で……。

 

「ええ、そうですね」

 

 でも私、そこから違う気がしてる。

 

 

 

 私の方が作り出された側で、もう一人の私が今までの人生を歩んできた私なんじゃ……? 

 

「……」

 

 醜い部分の私を忘れるために貴方が生まれたんじゃなくて、

 

 醜い部分の私を表に出さないように、私というもう一人の後藤ひとりを作り出したんじゃないの? 

 

「……何を言って……」

 

 私がみんなに出会った日のことを覚えていないのは、私が体験した出来事じゃなくて、もう一人の私が体験した出来事だったから。

 

 みんなの隣に立てる後藤ひとりの理想像を作り出して、自分は置き去りのままただ傍観する……。

 

 私らしいと思った。自分のことをどうしても大事に出来ないところ。

 

「……その仮説が正しいとして、私に何を言いたいんですか?」

 

 ……まだちゃんと言えてなかったから。

 

「何をです?」

 

 お礼を……言いたかったから……。

 

「まさかその為だけに私に会いに来たんですか?」

 

 紛れもなく、貴方は私で私は貴方。でも違うところがあるとすれば貴方には味方がいなかった。

 

 ずっとずっと、一人で私を見守り続けてくれたんだよね? 

 

 

 

 

「……私なのに……本当に鋭い……」

 

 その喋り方も無理してる? 

 

「……な、何でもお見通しですね……。

 

 そう……みんなに出会った日の後藤ひとりは私……醜い私を塗り替えるために作ったのが貴方です」

 

 やっと私らしさが見えた気がする! 

 

 だったらさ……消えるなんて言わないで、これからも……。

 

「残念ながら……もう決定事項なんです……」

 

 ……え? 

 

「元々、貴方を作り出した時点で消えるはずだった私は……何の因果か今日という日まで貴方の成長を見守ることができた……。

 

 ですが私というもう一つの存在は危険です。頭の中にもう一つの人格があるだけでもとてつもない負担になります。記憶が混濁する可能性だってあります。お医者さんが言っていたような……防衛本能……その機能によって役目を終えた私は消えます」

 

 そ、そんな……それじゃ全く……報われない……だってまだ貴方は……。

 

「楽しいのは伝わってきましたよ。ですがあそこに立つのが私だったら……と思ったことはありません」

 

 でも……もう一人の私がいたから……私は……。

 

「何泣いてるんですか。どうせ忘れてしまうんですよ……目を覚ませば私の事も覚えてないんだから……悲しまなくても……」

 

 嫌だ嫌だ嫌だ……。忘れたくない……。

 

 この感情は……忘れたくないという感情は……貴方が教えてくれたものだから……。

 

「……ふふ、忘れられる側も……辛いものですね……っておっとっと」

 

 私はもう一人の私を強く強く、抱きしめる。

 

「ありがとう……ありがとう……!」

 

「……お礼を言いたいのは……こっちですよ……」

 

 しばらく私たちはそうしていた。何秒、何分、そうしていたか分からない。

 

 しばらく時間が経って、もう一人の私が口を開く。

 

「……貴方には戻るべき場所があるでしょう?」

 

 ……うん、行かなくちゃ……。

 

「前を向いてください。私は貴方の頭の中からは消えますが……ずっと貴方のことを見守っていますから。

 

 そうですね……私が何かを遺すことは出来ませんけど……日記、日記を私だと思って下さい。

 

 

 草葉の陰から……貴方の音楽が届くことを祈っています……。

 

 私を忘れて……前に進め。そして響かせて……。

 

 忘れることで生まれた貴方だけのロック……! 

 

 ぼうきゃく・ざ・ろっくを!」

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「……あれ」

 

 目を覚ますと星空が見えた。ベンチで横になっている体を起こす。

 

 私は……なんでこの公園に……? 確か……今日はライブがあって……。

 

 そうだ! 今打ち上げしてるんだ! 早く戻ろう……! 

 

 私はベンチを立ち上がる。そこで私は気づく。

 

 ベンチにノートが置かれていることに。

 

「……ふふっ」

 

 そのノートは私に勇気を与えてくれる魔法のノート。このノートを持っているだけで……すごいパワーを貰えて…なんでも出来る気がしてくるんだ。

 

 寂しくなんてない。私には……これがあるから。

 

 そのノートを大事に大事に抱えてみんなの元に戻った。

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 明日というものは待ってくれない。

 

 時間というのは戻ってくれない。

 

 時の歯車というものは時に非情で……時に私たちを助けてくれることもある。

 

 だから私たちは進み続けるしかない。

 

 たまには嫌なことがあるかもしれない。いつかは別れが訪れる。忘れたいと思う出来事に直面することだってある。

 

 けれど緩んだらまた結べばいい。次は解けないと固く誓えばいい。私たちは結束バンドなんだから。

 

 

 私はもう……絶対に逃げない。明日を信じてみたい……。

 

 あの日、孤独だったヒーローが明日を信じたように。

 

 

 別れは出会えた幸せに気づかせる。私はその別れに感謝したい。

 

 たった一人で戦い続けた……本物のヒーローに……今度は私が……ヒーローになるために……。

 

 あの日の残像を追い続けて……いつかその残像に追いつける時が来るまで……。

 

 今日という日を、忘れぬように。

 





完結!後日談も書くかもしれないけどひとまずは完結!


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