狭間の地から四方世界へ (段々畑)
しおりを挟む

旅立ちと遭遇ー褪せ人

……ああ、何たることだ

 

我らの旅は、中断せざるをえん

 

地上の出来事など些事として切り捨てるつもりだったが

 

流石にこれは見過ごすわけにはいかない

 

地上に戻り、あの門の先へ向かってくれ

 

頼むぞ、永遠なる私の王よ……

 

 

 

────────────────────

 

 

 

…夜空に瞬く星々が伝えてくる

 

霧の彼方、狭間の地に異変が起きたことを

起きてはならぬ事が起きてしまったことを

 

ゆえに褪せ人は再び現れるのだ

異変を解決するために、己の大切な者達のために

 

星の世紀、王となった褪せ人が再び地上に降り立つのだ

王は流星となりて、大地に舞い戻るであろう

 

…されど、王が踏みしめる大地は狭間の地にあらず

 

四方世界

神々は律を定める前に遊戯に狂ってしまった

冒険という名の遊戯に

[宿命]と[偶然]をその手で転がしながら

 

人々は駒として終わることなき冒険に翻弄される

神々の作り出した物語の下で

哀れな駒たちは喜劇と悲劇に見舞われる

 

王はこの四方世界の大地に降り立つのだ

[宿命]と[偶然]の影響を受けぬ異端者として

 

…王よ、あなたは彼の地で歓迎されぬであろう

かつて駆け巡った、狭間の地と同様に

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 四方世界の洞窟、その中で無慈悲な声が響く。

 

「諦めろ」

 

 その言葉に冒険者になりたての少女、女神官は体を震わせる。どうしてこんな事になったのか。彼女は即席の一党でゴブリン退治に来ていた。ゴブリンに攫われた村娘を救うために。

 鉢巻を頭に巻いた青年剣士、その幼馴染の女武闘家、王都の学院を卒業した女魔術師、そして地母神の信徒である女神官の4人の一党。彼らは全員、駆け出しである白磁等級の冒険者であった。

 

 彼らはゴブリンなど恐るるに足りないと勇み足で洞窟の中を進み──

 

 不意を突かれて壊滅した。青年剣士は殺され、女武闘家は捕まり、女魔術師は杖を折られた上に短剣で刺された。女神官も怪我を負ったが、薄汚れた兜を被った在野最高位の銀等級冒険者、ゴブリンスレイヤーによって助けられたのだった。女神官は、まだ息がある女魔術師も助けるよう頼むが……

 

「毒だ」

 

 ゴブリンスレイヤーはゴブリンが使っていた短剣を見せながら説明する。短剣には毒が塗られており、毒が体に回った後では解毒薬も無意味である。できることは、これ以上苦しませないことだけ。

 ゴブリンスレイヤーは女魔術師の喉を剣で突こうとするが──

 

 

 ガシッ

 

 

 何者かによって腕を掴まれ止められた。

 

「っ!?」

「え?」

 

 ゴブリンスレイヤーは咄嗟に掴まれた腕を振り解いて飛び退き、松明の明かりで自身の腕を掴んだ者を見る。女神官も突如現れた者を見る。

 

 手、足、胴には獣たちが刻まれた銀の武具、背中には豪華絢爛な青い布と白い布の二重の外套、頭部には額に宝石が埋め込まれた鉄兜。腰には剣が、左手には黒曜石が嵌め込まれた宝飾品が握られている。一見すると、その者は騎士のような出で立ちであった。

 

「あ、あなたは?」

 

 女神官の質問に対して、騎士らしき者は簡潔に一言だけ答える。

 

――褪せ人だ

 

 褪せ人?褪せ人とは?

 女神官もゴブリンスレイヤーも褪せ人など聞いたことが無かった。種族を指す言葉なのか。或いは部族、職業、階級などを指す言葉なのか。

 褪せ人は困惑している女神官と警戒しているゴブリンスレイヤーを一瞥した後、女魔術師の側で膝を突いて祈るように左手の拳を握る。すると、握られた拳から黄金の光が漏れ出した。

 

(これは......奇跡?)

 

 女神官はその黄金の光が、自身が使う奇跡に近しいものだと思った。その黄金の光から、地母神が司る豊穣を感じ取ったから。もしかしたら、と女神官の眼に希望が宿る。

 褪せ人が拳に宿した黄金の光を解き放つと、暖かく優しい太陽にも似た光で周囲が満たされた。ほんの一瞬であったが、女神官は光の中に多くの枝葉と根を生やす黄金の樹木を見た気がした。

 

「……!」

 

 光が放たれたと同時に女魔術師の体が、ビクッと動く。顔色が良くなり、体に力が入り始める。女神官はそれを見て安堵の笑みを浮かべる。

 

だが……

 

「……うっ、げほっ」

「え?そ、そんな……」

 

 直ぐにその顔は絶望に染まる。女魔術師は先程と同じく口から血を吐き出している。それは毒が癒えていない証。彼女はいまだに命の危機に瀕している。

 もう駄目なのかと女神官が思い始めた時、褪せ人の拳が再び光を放ち始めた。しかし、今度は豊穣を感じさせる黄金の光ではなかった。赤く熱を持つ光、すなわち火である。褪せ人の拳に火が宿っていた。

 褪せ人は火が宿った拳を女魔術師の腹部に向けて、軽く叩きつけるように押し当てた。

 

「熱っ…!」

 

 褪せ人の行動に驚く一同。女魔術師の小さな悲鳴を聞きとった女神官が声を張り上げる。

 

「なっ何をしているんですか⁉︎」

 

 助けてくれるのではなかったのかと、褪せ人に近づこうとする女神官。

 ゴブリンスレイヤーは咄嗟に女神官を止めようとする。彼はゴブリン以外のものを詳しく知らない。されど、相手が得体の知れない力を持つ者であることぐらいは分かる。安易に近づくなど、危険すぎる。

 ゴブリンスレイヤーが女神官を引き止めるため腕を伸ばし――

 

「ま、待って」

 

 その声に両者の動きが止まった。女神官は驚きと共に声の元へ顔を向ける。ゴブリンスレイヤーも慎重に視線を移動させる。視線の先では、先程まで死にかけていた女魔術師が、息を整えながら体を起こしていた。

 

「大丈夫ですか⁉︎」

「えぇ、呼吸が楽になったわ……」

 

 女神官が駆け寄り、注意深く女魔術師を観察する。腹部に火傷が僅かにあるが、息は整い、熱と汗が引き、痙攣も止まっている。毒が消えていることは明らかだった。

 女神官は今度こそ助かったと確信し、へたりと座りこんで目からポロポロと涙を流す。その様子を見て、女魔術師は申し訳なさそうに微笑む。

 

「良かった…ほんとうに……」

「ありがとう、それとごめんなさいね……」

 

 女魔術師は奇襲を受けた際にゴブリンを一匹仕留めていた。だが、それは背後の物音に女神官が気づいたおかげだ。ゴブリンなどに何を怖がる必要があるのかと、高を括っていた自分が情けなくて仕方ない。

 

 駆け出しの冒険者達が助かったことを確認すると、褪せ人は立ち上がる。そこへゴブリンスレイヤーが声をかける。褪せ人が敵ではないことは分かったが、確認しなければならない事がまだ山ほどある。

 冒険者なのか?女魔術師に何をしたのか?そもそも、何故ここにいるのか?

 

 ゴブリンスレイヤーが一通り確認したところ、返答は次のようなものだった。褪せ人は冒険者ではなく旅人であること。旅の途中で偶然、この洞窟を見つけて興味本位で入ったこと。そして、奥からゴブリンスレイヤーと女神官の声が聞こえたので急ぎ駆け付け、祈祷で治療したのだと。

 

(……不可解だ)

 

 褪せ人の言う祈祷が奇跡の類であることは推測できる。だが、洞窟はゴブリンをはじめとした危険な生物の住処であることは子供でも知っている常識だ。冒険者でも王国の騎士でもない旅人が、偶然見かけた洞窟に入るなど普通は考えられない。そもそも彼の身に着けている装備は、どう考えても旅人が身に着けるような代物ではない。

 

 ゴブリンスレイヤーがどうしたものかと考えていると、褪せ人が洞窟の奥へ移動しようとする。

 

「待て、ゴブリンが待ち伏せしている」

 

 褪せ人はゴブリンスレイヤーの言葉に立ち止まる。少し考えるそぶりをすると、褪せ人は腰に付けていた剣を抜いた。

 その剣は装飾が施された直剣であった。刃の半身は炎を纏い、その逆側の半身には夜空の星を思わせる輝く石が施されていた。

 褪せ人は準備はできたとばかりに、また進み始める。ゴブリンスレイヤーが再び呼び止めるが、今度は立ち止まらず進んで行く。協力し合うつもりは無いらしい。

 自分も進みたいところだが、駆け出しの冒険者達を放っておく訳にもいかない。

 

「あの人は一体……」

「わからん」

 

 女神官の問いに、ゴブリンスレイヤーは簡潔に答える。そして、意識を切り替える。あの褪せ人は気にかかるが協力しないのであれば、どうなろうと自己責任だ。最低限の警告はした。まずは状況を整理することが先決だ。

 ゴブリンスレイヤーは、駆け出しの冒険者に幾つか質問する。彼は新人の冒険者達がゴブリン退治に行ったことしか聞かされていない。話し合いを行い、ゴブリンが奇襲に使った横穴と周囲の状況を確認し始める。

 

 青年剣士の亡骸は直ぐに見つかった。あまりにも酷い惨状に女神官は吐きそうになる。女魔術師も吐きそうになるが、堪えて周囲をよく観察する。

 

「女武道家がいないわ」

「あ、そ、そうです、もう一人仲間が……!」

 

 女神官達を逃がす為に奮闘し、ゴブリンに捕らわれた女武道家が見つからない。引きずられた跡があることから、奥に連れて行かれたことが分かる。

 

「はやく、助けに──」

 

 女神官が言い終わる前に、奥から大きな叫び声が聞こえて来る。耳をつんざくような悲鳴であった。その場にいた冒険者達は、それが何から発せられたのか瞬時に理解できた。

 

 ゴブリンだ。

 ゴブリンの断末魔だ。

 

 叫び声に混ざり、暗闇から足音が一つ聞こえてくる。走っているようだ。ゴブリンスレイヤーはベルトから短剣を抜き、足音の主に向かって投擲する。短剣が突き刺さる音、そして何かが倒れる音。松明で照らすと、ゴブリンが喉を短剣で刺されて死んでいた。ゴブリンスレイヤーは殺したゴブリンを観察する。

 

(……短剣以外の傷が無い。こいつが現れたタイミングからして、横穴に居たゴブリンが叫び声を聞いて巣から逃げようとしたか)

 

 横穴まで戻って正解だった。ゴブリンは一匹でも逃がすわけにはいかない。

 ゴブリンスレイヤーが観察を終える頃には、叫び声は止んでいた。辺りは静寂につつまれ、耳を澄ましても足音一つしない。

 

「巣の奥へ行く」

 

 何が起きたのかは想像がつくが、確認しなければならない。女武道家や村娘の安否はもちろん、ゴブリンの生き残りがいないどうか。

 

「お前達はどうする?」

 

 ゴブリンスレイヤーは駆け出しの冒険者達へ問う。後の事は彼に任せて、彼女達は戻る事もできる。女神官も女魔術師も戻りたいという気持ちがある一方、仲間を探しに行きたいという気持ちもあった。数瞬、思考を巡らして先に決断を出したのは女神官であった。

 

「行きます!」

「……私も行くわ」

 

 少し遅れて女魔術師も答える。杖を折られた自分は足手纏いにしかならないだろう。それでも、仲間を見捨てることはできない。

 ゴブリンスレイヤーは二人の返答を聞くと、簡潔に助言をして奥へ進み始める。

 

「警戒を解くな。暗闇では音を聞け」

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 聞こえてきた足音に、ゴブリンシャーマンは口角をあげる。足音はゴブリンのものではない。しかも一つだけだ。つまり、侵入者が一人でやってくるという事。斥候が戻らない事が少し気になったが、相手が一人ならやる事は一つだけだ。

 

 部下を配置につかせて、待ち伏せする。

 

 今か今かと待っていると、侵入者が剣を構えながら姿を現す。同時に部下が侵入者に襲いかかる。

 マヌケめ。シャーマンが嘲笑っていると──

 

 襲いかかった部下が炎に焼かれた。

 

 侵入者が振るう剣から炎が吹き出していた。悲鳴を上げながら焼かれていく部下達。ゴブリンシャーマンは慌てて呪文を唱えようとするが、侵入者の剣先から今度は光の奔流が放たれる。夜空の彗星を思わせる奔流に肉体を抉られ、ゴブリンシャーマンは悲鳴を上げる暇もなく死んだ。

 最後に残ったホブゴブリンはパニックを起こす。正常な判断力を失い、泣き叫び、武器をめちゃくちゃに振り回す。侵入者は、そんなホブゴブリンのもとへゆっくりと向かって行った。

 

 

 

──────────

 

 

 

 奥にある広間へと進んだゴブリンスレイヤーと駆け出しの冒険者達は目を見開いた。広間の入口付近には焼死体のゴブリンが数匹、中央には刃物で切り刻まれたホブゴブリンの死体、奥のゴブリンシャーマンに至っては肉体のほとんどが消失していた。シャーマンが座っていた人骨の玉座は崩壊し、玉座の裏に隠れていたゴブリンの子供も既に死んでいた。

 

(……凄まじい、おまけに徹底している)

 

 ゴブリンスレイヤーは死体の数を数える。自分がこの巣で殺したゴブリンも含め、全部で二十二匹。取り逃しは無さそうである。

 女魔術師は周囲を見渡し、褪せ人を探す。しかし、見つからない。松明で周囲を照らしながら確認するが、居るのはゴブリンに捕らわれた人達だけだ。

 

「……あの人は?」

「わからん。ここにはもう居ないようだな」

「そんな!」

 

 横穴を通っている間に、外へ出たのだろうか。

 ゴブリンスレイヤーの返答を聞き、女魔術師は咄嗟に走り出した。

 

「女魔術師さん!」

 

 女神官が呼びかけるが、それに構わず女魔術師は出口へ向かって走った。

 

「大丈夫でしょうか?」

「巣のゴブリンは壊滅している。もし生き残りが居ても走れば逃げ切れるだろう」

 

 ゴブリンスレイヤーは捕らわれた人々の救助を始める。女神官は少し迷ったが、ゴブリンスレイヤーを手伝う事にした。

 

 そして、女神官はゴブリンに捕まった人達の末路を見た。女武道家は生きてはいたが、心が壊れていた。その惨状に女神官は嘔吐し、涙を流したのだった。

 

 ゴブリンスレイヤーは、これはよくある話だと語った。それを聞いた女神官は、様々な思考が頭の中を駆け巡り、よくわからなくなってしまった。ただ、ゴブリンは皆殺しにしなければならない、というゴブリンスレイヤーの言葉には同意できたのであった。

 

 

 

──────────

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 女神官が惨状を目の当たりにしていたころ。女魔術師は必死に駆けていた。

 彼女はまだ助けてくれた恩人にお礼も言えていなかった。恩人に感謝の言葉も送らず別れたくはなかった。

 

 息を切らしながら、洞窟の出口より外へ出る。急いで外へ出た為、太陽の明かりに目が眩んでしまう。目を細めながら、褪せ人の姿を探すがよく見えない。

 

 

 ふと、指笛が聞こえてくると同時に馬の嘶きが耳に入ってきた。

 

 

 目が漸く慣れてきて、緑の草原が見えてくる。

 そこには、角を2本生やした馬に跨る褪せ人の姿があった。こちらを見ているのが分かる。

 女魔術師はお礼の言葉を出そうとするが、息が切れて上手く声が出ない。

 せめてもの思いで頭を深く下げる。感謝の気持ちが伝わるように。

 

 どれくらい頭を下げたであろうか。恐る恐る顔を上げると、褪せ人はまだそこにいた。そして、首を一度だけ縦に振ると、馬を駆り去って行く。

 去り際、背中の青い外套に描かれた紋章が微かに見えた。女魔術師は、その剣と杖が交差する紋章がしばらく頭から離れなかった。




 補足説明

 褪せ人の装備について

 元々獣集いの武具を着ていた者はある思いから、背律の道を歩んだ。褪せ人も同じ思いを抱いて、暗い夜の道を歩むことを選んだ。その思いを忘れぬよう、褪せ人はこの鎧を着る。
 ただし、兜は別である。兜の獣は目と耳を覆っている。それは駄目だ。褪せ人には、見たいもの、聞きたい声がある。故にそれを見るに、聞くに、最も相応しい兜をかぶる。かつて、満月の女王に仕えた騎士の鉄兜を。
 鎧の青い外套には、元々紋章は無かった。褪せ人はある者に頼み、紋章を青い外套に縫わせたのだ。それは夜空に旅立つ前の、地上での思い出作りの一つでもあった。

 褪せ人は、狭い場所では王家に伝わる直剣を、開けた場所では結びと共に送られた大剣を扱う。
 左手の聖印は、己の行いに最も相応しいものを握っている。褪せ人にとって、神とは狩るものである。
 他にも雷を纏う槍、死を宿した黒い刃、青い王笏なども扱う。



褪せ人の祈祷

 毒の治療には、もっと良い祈祷がある。だが、褪せ人はそれを使わない。暗い夜の道を歩むと決めた時、その祈祷を自ら封印した。黄金律と二本指の祈祷を。
 黄金樹の祈祷は封印していない。特に古き黄金樹の祈祷には、最初の王を敬う気持ちが込められている。偉大な戦士でもある最初の王は、戦いの果てに褪せ人を王と認めた一人であったから。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もう一つの遭遇ーお針子

ここから本編は、しばらくの間お針子視点になります。


 星が輝く夜空の下、褪せ人は霊馬を駆る。何かに導かれるように駆け続ける。

 やがて、褪せ人は遠くに街が見える丘の上に出た。そこには小さな廃墟があった。屋根は無くなり、壁は既に風化し始めている。どことなく、狭間の地で見た教会に似ていた。褪せ人と霊馬が廃墟に入ると、星の灯りが集まり光輝く場所があった。

 馬から降りて、光に手をかざす。かざした手に呼応するように、光の輝きが増した。

 

 褪せ人は光の側で腰を下ろし、休息する。ふと予感めいたものを感じて、褪せ人は懐からある物を取り出して、話しかけた。

 

 

 

 

 

 ……ふふ、やはり気づくか

 こうして話すのは、久しぶりだな

 

 ああ、この光か?

 これは星々の祝福。その一片だ

 例え、異界であろうと

 異なる神が作り出したものであろうと

 星々は夜の王たる、お前の味方だよ

 

 ……あの二つの()()()は別だがな

 視界に入るだけで気分が悪くなる

 全く忌々しいものだ

 

 話が逸れたな

 星々の祝福も、導きをお前に示す

 導きの先には、狭間の地より

 この世界に流れたものが見つかるはずだ

 残念ながら、異変の原因そのものには導かれないがな

 それは星々にも私にも分からぬ事だ

 

 案ずるな

 この世界にいる限り、いつか必ず異変の原因に辿り着く

 今は導きを頼りにこの世界を駆け巡れば良い

 

 一先ずは、三本指を探せ

 封印は解けておらず、狂い火の王も誕生していないが

 奴の居場所は把握しておくべきだろう

 全く封印ごと異界へ移動するとはな

 

 それと、これは警告だが……

 冒険者には決してなるなよ

 冒険者になるという事は、

 この世界の神々の影響下に入ることを意味する

 知恵を回せば影響を最小限に抑えられるが、

 それとて限界があるからな

 

 また、この世界の人々との接触は最小限にしておけ

 この世界の者が、お前と深く接触することで

 神の影響下から脱してしまう可能性がある

 面倒事は避けるべきだろう

 

 では、頼むぞ。永遠なる私の王よ

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 辺境の街、その郊外にある牧場。

 ある日の朝、牧場に住む牛飼娘は荷車を引きながら街のギルドまで歩いていた。彼女の幼馴染、ゴブリンスレイヤーと共に。久しぶりに一緒にギルドに行けるので、牛飼娘はとても上機嫌だ。

 

「……そういえば」

 

 ゴブリンスレイヤーから話しかけられて牛飼娘は少し驚いた。いつもは自分の方から話しかける事が多く、彼の方から話しかけてくる事はほとんどないから。

 

「変わった奴に出会った」

 

 お前にだけは言われたく無いわ!

 と、ギルドの冒険者達なら思ったことだろう。

 

「へぇ〜、どんな人なの?」

「奇妙な魔法を使う者だ」

 

 後から少し調べたが、火で毒の治療を行う魔法は奇跡にも呪文にも見つからなかった。火を扱うものは幾つかあるが、体内に巡った毒を治療するものは無い。熱に弱い毒を火で対処することはある。だが、それは主に食材などに使われるものだ。

 

「強いの?」

「少なくともゴブリンよりはな」

 

 それは答えになっていないよ、と牛飼娘は笑いながら思う。最弱の怪物と言われているゴブリンより弱いのは、それこそ子供ぐらいだろう。

 

「何より不思議なのは、冒険者ではないことだな」

「え?冒険者じゃないの?」

「ああ、奴は旅人だと言っていた」

 

 てっきり冒険者の話だと思っていた。

 詳細を聞いてみるが、聞けば聞くほど奇妙な話だった。

 騎士を思わせる装備を身につけ、聞いたことが無い魔法を使い、褪せ人と名乗る旅人。

 

「う~ん、何者なんだろうね?」

「ギルドで褪せ人に救われた駆け出しが調べていたらしいが……」

 

 結局、何も分からなかったらしい。

 ゴブリンを倒し、冒険者を助けたのだから悪人では無いのだろうが。

 

「……あ、そう言えば」

 

 牛飼娘は最近聞いた噂話を思い出した。

 

「最近、異国から集団で流れてきた人達がいるみたいだよ」

「そうか」

 

 噂によると、その奇妙な集団は王国内に突如現れたそうだ。戦闘能力が高いので、国で雇入れようとする動きがあるらしいが、彼らが何処から来たのか良く分からないので反対する者も沢山いるとか。

 

「褪せ人さんと何か関係があるのかな?」

「わからん」

 

 現れた時期から、褪せ人と奇妙な集団は関係がある可能性が高い。しかし、それをわざわざ調べたり、証明する必要はないだろう。特に、ゴブリンスレイヤーにとっては。

 

「何にせよ、ゴブリンが現れるよりはマシだ」

「それはそうだね」

 

 しかし、噂とは関係なくゴブリンは現れる。

 ゴブリンスレイヤーはまたゴブリン退治に行くだろう。だからこそ、こうして一緒にいられる時間が牛飼娘にとって大切な時間なのだ。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 最初の冒険から月日が経ち、女神官はゴブリンスレイヤーと共に行動していた。色々と迷ったが、彼女は冒険者として彼について行くことにした。

 

 女魔術師はいない。杖を折られた彼女に戦える術は無く、冒険にはとても出られない。更に言うなら、彼女は心が半分折れてしまっていた。

 褪せ人を見送った後、女魔術師も洞窟で惨状を目の当たりにした。それは、心が折れるには十分な出来事だった。しかし、学院にいる弟と褪せ人にもう一度会いたいという思いから、再起する気持ちを捨てなかったのだ。

 いずれにせよ、杖を買うにしろ、宿代にしろ資金が必要だ。女魔術師は現在、ギルドで事務仕事を手伝って日銭を稼いでいる。

 

 どうか立ち直って欲しい。

 できれば、もう一度一緒に冒険したい。

 

 女神官はそんな思いを抱きながら、今日もゴブリン退治に赴く。

 

「見えてきた」

 

 ゴブリンスレイヤーが呟いて、女神官は視線を遠くに移す。森の近くにある切り立った岩山に洞窟が見えた。錫杖を握る手に自然に力が入る。大きく深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

 

「行くぞ」

「はい!」

 

 

 

──────────

 

 

 

 洞窟の入り口にたどり着くと、ゴブリンスレイヤーは周囲の状況を確認して作戦を練る。

 女神官は思わず溜息をつく。

 大概その作戦は、ゴブリンを殲滅するためとはいえ、女神官にとってやり過ぎであったから。おまけに、臭いで居場所をバレないように血を浴びたりするので、散々であった。

 今日は何をさせられるのだろうと思っていると、ゴブリンスレイヤーが洞窟の中を凝視していることに気づいた。どうも、耳を澄ましているようだった。女神官も耳を澄ましてみる。

 

「う……うぅ……」

 

 すると、小さな呻き声が聞こえてきた。どうやら何かが苦しんでいるようだ。

 

「……ゴブリンの声ではないな」

「えっ!大変、はやく助けないと!」

 

 事前に聞いた話では、誰かが誘拐されたという事は無かったはずだ。しかし、自分たちが洞窟につく前に誰かがゴブリンに捕まった可能性はある。女神官は、はやく助けに行こうとゴブリンスレイヤーを急かす。だが、ゴブリンスレイヤーはそんな女神官を諌める。

 

「罠かもしれん。警戒を怠るなよ」

「っ!はい、わかりました」

 

 最初の冒険の失敗を思い出す。慌てては駄目だ、と女神官は自分を制する。

 女神官が落ち着いたことを確認して、ゴブリンスレイヤーは警戒しながら洞窟の中へと入っていった。

 

 

 

──────────

 

 

 

 呻き声の主は、洞窟の入口からそう遠くない場所にいた。壁に寄りかかり、泣いているようだ。

 

「うぅ…痛いよ………何でオイラが…に、荷物……」

 

 どうやらゴブリンに襲われて荷物を奪われたらしい。殺されなかったのは幸運としか言いようがない。ゴブリンスレイヤーは周囲を警戒しながら、声の主に近づく。

 

「う……あ、あんたら誰だい?」

 

 声の主が、ゴブリンスレイヤーと女神官に気づく。女神官は声の主を見て、少し驚いた。

 耳は大きく、眼は鈍い黄色、顔はどことなくネズミに似ており、手足は体の割に大きく、その爪は長かった。只人でも森人でも鉱人でも無い。獣人のようだった。

 

「こ、ここにいちゃ駄目だよ。凄く乱暴な奴等がいるんだ。オイラを殴って、荷物を盗んで……」

「待て」

 

 ゴブリンについて警告する声を遮り、ゴブリンスレイヤーはポーチから水薬を取り出す。

 

「飲め、傷が癒える」

「え?ほ、ほんと?いいのかい?」

 

 恐る恐るという感じで、ゴブリンスレイヤーから水薬を受け取ると、それを飲み干した。水薬はお世辞でも美味しいものではないので、その顔は少し苦しそうだ。

 

「ふぅ〜……ほんとだ。怪我が治った」

「そうか」

 

 ありがとう、と獣人らしき者の感謝をゴブリンスレイヤーは淡々と流し、質問を始める。

 

「お前は何者だ?」

「オイラ?オイラは亜人だよ」

 

 ……あれ?と女神官は首を傾げた。亜人というのは、森人や鉱人、獣人など只人以外の人々を指す言葉だ。だが今の話では、まるで亜人という種族がいるように聞こえる。

 今度は女神官が質問をする。

 

「あの、あなたは獣人ですよね?」

「え?違うよ。獣人じゃないよ。オイラは亜人だよ」

 

 どうも話が噛み合わない。彼の言う亜人は、どうやら自分達が知っているものとは違うらしい。亜人は話を続ける。

 

「オイラは亜人のお針子……あ、そうだ。今は星見でもあるんだった」

「お針子と…星見ですか?」

「そうさ、お針子と星見だよ。でも呼ばれるのなら、お針子の方が嬉しいかな」

 

 お針子という職業は知っている。文字通り、針仕事をする者のことだ。しかし星見という職業は聞いたことが無い。星読みという知識神の信徒が行う占いは知っているが。

 女神官が思案していると、亜人のお針子は急に暗い表情になる。

 

「でも、オイラはお針子としても星見としても失格だよ。縫い針と杖を盗られちゃったから……」

「盗んだゴブリンはどんな奴だ?」

「ゴブリン?あいつらゴブリンって言うんだ。ええと……」

 

 お針子は盗られた時の状況を語り始める。この洞窟で一休みしようとしたら、頭を殴られたこと。その際、杖と荷物を盗まれたこと。体の小さいやつが沢山いて、その内の1匹がお針子の杖を気に入り、持って行ってしまったこと。

 ゴブリンスレイヤーはお針子の話を聞いた後、女神官に話しかける。

 

「どう思う?」

「はい。入口にトーテムが無かったので、シャーマンは居ないはずです。しかし杖を盗んだという事は、呪文使いは居ると思います」

 

 ふむ、とゴブリンスレイヤーは頷くと、お針子にまた話しかける。

 

「荷物を取り戻したいか?」

「え?う、うん。あれはオイラにとって大切なものだから」

「そうか」

 

 荷物を取り戻すのなら洞窟を崩すのはマズイか、とゴブリンスレイヤーは考える。彼の考えている事を推測して、女神官は溜息をついた。

 

 

 

──────────

 

 

 

 洞窟を崩せないから、火の秘薬は使えない。幸い、以前使い損なった燃える水があった。何匹かのゴブリンはそれで焼き殺し、後は地形を利用して誘い出しながら確実に仕留めていった。

 

「良くある定番の巣だな」

 

 ゴブリンスレイヤーは、最後のゴブリンである呪文使いに止めを刺しながら、そんな感想を呟く。女神官はそんな彼に呆れ、その背後でお針子は震えていた。お針子はゴブリンスレイヤーにすっかり怯えてしまっている。

 

「終わったのかい?」

「ああ」

 

 ゴブリンスレイヤーは呪文使いが持っていた杖を拾い上げる。

 それは先端に輝く石が嵌め込まれ、王笏のような装飾が施された立派な金属製の杖だった。

 なるほど、ゴブリンに奪われる訳だ。

 ゴブリンスレイヤーは杖をお針子に差し出す。

 

「あ、ありがとうございます」

「もう盗まれるなよ」

 

 こうした品がゴブリンの手に渡るのは良くない。例え杖であろうと質の良い武器をゴブリンが手にするのは避けねばならないことだ。

 次にゴブリンの略奪品を調べると、亜人の荷物を入れた鞄がすぐに見つかった。お針子は鞄の中身を確認していく。袋、瓶、包み紙……荷物を取り出しながら一番の目当てを探す。

 

「……母さまの縫い針、王より頂いた縫い針……ああ、両方無事だ!」

 

 良かった良かった、と二つの縫い針を手に握って胸に抱く。その姿は、先ほど杖を手にした時よりも喜びに満ちていた。やはりお針子としては、杖よりも縫い針の方が大切な物らしい。その姿に、女神官は笑顔で話しかける。

 

「盗られたものは全部ありましたか?」

「はい、おかげさまで」

「ふふふ、良かったですね」

 

 女神官は、前回の冒険からゴブリン退治に何処か暗いイメージを抱いていた。それは今も変わらない。しかし、こういう事もあるのだと思うと嬉しくなる。

 

 ギルドに帰ったら、女魔術師に話してみようか?

 いや、杖を取り戻せた話は返って傷つくかもしれない。

 

 そんなことを考えていると、入り口の方から音がした。意識を切り替え、聞き耳を立てる。聞こえてくるのは、何者かの足音だった。

 

「ゴブリンでしょうか?」

「恐らくな」

 

 同じく聞き耳を立てていたゴブリンスレイヤーが答える。

 

「偵察が帰ってきたのでしょうか?」

「いや、『渡り』だな。巣を移動してきたか」

 

 偵察なら複数いるのが普通だ。だが、今聞こえる足音は一つだけ。加えて、その足音はゴブリンにしては大きい。巣から巣へ渡り歩き、成長した大物のようだ。

 巣の状況を見れば襲撃を受けたことは一目瞭然だが、ゴブリンは待ち伏せされることには慣れていない。待ち伏せの準備をしていると、お針子がゴブリンスレイヤーに声をかけた。

 

「……オイラも戦うよ」

「む?」

「戦うの、好きじゃないけどね」

 

 お針子は杖を手にしっかりと握りながら、ゴブリンスレイヤーを見つめる。その目は、震えながらも決意に満ちている。

 

「何ができる?」

「攻撃の魔術を幾つかと《星灯り》を使えるよ。それとナイフも」

 

 ……聞いた事が無い魔法だ。魔法の詳細を聞きたいところだが、もう時間が無い。

 

「……援護を頼む。無理はするな」

 

 

 

──────────

 

 

 

 そのゴブリンは自分を偉大な英雄だと信じて疑わなかった。同族は偉大な己の踏み台であり、利用されることが正しいのだと。今日も前の巣が利用し終わったので、新しい巣を探して同族の臭いがする洞窟へ足を踏み入れた。

 

 同族よ喜べ、英雄がやってきたぞ!

 

 尤も、それは成長したゴブリンには良くある思い上がりで、祈る者にとって彼は英雄(チャンピオン)には分類されていない。並みの大小鬼(ホブゴブリン)よりは経験を積んだ戦士(ファイター)ではあったが。

 

 意気揚々と洞窟に入るが、出迎えも何も無い。不機嫌になりながら洞窟の半ばまで入ると、同族の焼け焦げた臭いがしてきた。冒険者によって襲撃され、殺されたらしい。

 間抜けめ、と同族の遺体に悪態をついていると奥に明かりが見えた。どうやら冒険者はまだ洞窟にいるらしい。

 明かりが近づいて来るので武器を構えると、小汚い兜をかぶった奴が来た。見るからに弱そうな奴だ。小汚い兜は小さい刃物を投げつけてくるが、武器で弾いてやる。続けて何本か投げてくるが、全部弾いてやった。弾き終わると、小汚い兜は慌てたように逃げ出した。

 

 思った通り弱い奴だ。逃がすものか。

 

 小汚い兜は洞窟の奥へ逃げていく。奥で追い詰めて殺してやる。追いかけて、洞窟の奥の広間にたどり着くと──

 

 ─《聖光》─

 

 強烈な光が目の前に現れた。堪らず目を手で覆うと同時に、何かが足に絡まって転倒する。その隙に小汚い兜が攻撃してくる。頭を狙ってくるので、武器をめちゃくちゃに振り回して抵抗する。

 

 この、小汚い卑怯者め!

 

 目が見えてくると同時に立ち上がる。目の前に小汚い兜がいる。その周辺には、帽子を被った奴と小さい雌がいた。小汚い兜を殺した後の楽しみが増えた、と口角が上がる。

 武器を振り上げ、小汚い兜を殺そうとする。だが、振り下ろそうとした時に真横から光の塊が飛んできた。体に激痛が走る。光の塊が飛んできた方を見ると、帽子が杖を持っているのが見えた。

 

 先ずは帽子、小汚い兜はその後だ。

 

 標的を帽子に変える。小汚い兜が剣で切り付けて邪魔をしてくるが、構わず帽子へと突撃する。帽子が怯えているのが分かる。走った勢いのまま押しつぶそうとして――

 

 ─《星灯り》─

 

 再び目の前に光が現れ、目がくらむ。ひるんだ隙に、背後から小汚い兜が剣を背中に突き刺してきた。足にも帽子がナイフを突き立ててくる。耐え切れず、前のめりに倒れてしまう。

 

 その後、ゴブリンは再び立ち上がろうとしたが、背後から首を剣で突き刺されてしまい、二度と立ち上がることは無かった。

 

 

 

──────────

 

 

 

 ゴブリンが死んだことを確認してから、ゴブリンスレイヤーは剣を引き抜いた。そして、お針子に話しかける。

 

「魔法で攻撃するときは、なるべく前衛の背後からにしろ。杖持ちが危険なことはゴブリンも知っている」

「う、うん。気を付けるよ」

「それと《星灯り》だったか?目くらましに使ったのは良い判断だ。タイミングも悪くない」

 

 叱られたと思ったら、その次には褒められていた。お針子は何だか気恥ずかしくなってしまう。

 

「あんたの指示で、女の子が光を使ったのを見たから真似したんだ」

「そうか」

 

 お針子の頭上には、光り輝く球体が浮いている。女神官は自分が使う《聖光》とは異なる、魔法の光を興味深そうに観察する。

 

「星の光ですか。不思議な光ですね」

「不思議じゃないよ。何処にいようと星は常に側にあるんだ」

 

 星は常に側にある、何だか神秘的な話だ。星見とは、ひょっとしたら星を信仰する者なのかもしれない。

 

 あ、と女神官が思いついたようにお針子に再び話しかける。

 

「そう言えば、お針子さん」

「はい、何ですか?」

「私は神官です。女の子じゃありませんよ?」

 

 指を立てながら女神官は説明する。お針子は小首をかしげながら、それを承諾した。

 

 

 

──────────

 

 

 

「お針子さんは、これからどうするんですか?」

 

 洞窟から外へ出たところで、女神官がお針子に質問する。

 

「オイラ、王を探しに来たんだ」

「王ですか?」

「そうだよ。我が王はここの何処かにいるはずなんだ」

「当てはあるんですか?」

「それが……全くないんだ」

 

 お針子の王という事は、亜人の王であろうか。しかし、当てが全くないとは一体どういうことであろうか。お針子は落ち込んで、悲しそうに語る。

 

「オイラ、我が王の行き先を知らないんだ。そもそも、どうして我が王がここに来たのかもよくわかってないんだ」

 

 ……それでは、探しようが無いのでは?と言いたい気持ちを女神官は抑えて、何とか励まそうと考える。とりあえず人探しで尋ねる場所と言えば、この辺では一つしかないだろう。

 

「え~と、人探しをするならギルドに尋ねるのはどうですか?」

「ギルド?」

「はい。ギルドには人も多いですし、様々な情報が集まるのできっと何かわかると思いますよ」

「そんな場所があるんですか」

 

 どうやらお針子はギルドの事を知らないらしい。ならば、尚のことギルドに尋ねるべきだ。案外、ギルドが何か知っていて簡単に見つかるかもしれない。

 

「でも、オイラみたいなのが人がいっぱい居る所に行っても大丈夫かな?」

「心配いりませんよ。ギルドには色んな種族の人が来ますから」

「……いや、やめとくよ。街って何をするにもお金が必要でしょう?オイラ、お金を持って無いんだ」

 

 ギルドは慈善事業では無い。人探しを依頼するにも依頼料を支払う必要があるし、情報収集も情報料を支払う必要がある。

 

「針仕事でお金を稼ぐのはどうです?」

「それは嫌なんだ。オイラは我が王のお針子であって、針を商売に使いたくはないんだ」

 

 自分の縫い針は王の為にある。恩人のためなら兎も角、見知らぬ人の為に針を縫いたくはない。彼なりの矜持らしい。

 

「我が王は自分で探すよ」

 

 彼は頭を下げた後、去ろうとする。しかし、ゴブリンスレイヤーが呼び止めた。

 

「待て、まさか外で野宿する気か?」

「そうだけど?」

「……やめておけ」

 

 一党を組んだ冒険者ならともかく、1人で野宿などゴブリンや野盗の格好の餌食になるだけだ。馬小屋でも良いから何処かに泊まるべきである。

 

「せめて寝泊まりは街か村に行くべきだ」

「でも、さっきも言ったけどお金が無いよ。それにオイラ、人が沢山いるところじゃ寝れないよ……」

 

 お針子は人の多い所が苦手らしい。

 ゴブリンスレイヤーが、少し考えてから話し出す。

 

「牧場の納屋でも構わないか?」

「え?確かに牧場なら人も少ないから良いかもしれないけど……」

「なら付いてこい。確証はできないが当てはある」

 

 お針子はしばらく悩んでいたが、どのみち行く当てが無かった。杖と針を盗まれるのも避けたい。お針子はゴブリンスレイヤーの言う牧場に行くことを決めた。

 




 補足説明

 お針子の杖
 お針子が彼の王から頂いた杖。亜人の女王が所有していたものを、それなりに鍛えあげた物。元々、知力の低い者が手にした時に真価を発揮するよう作られている為、ゴブリンに奪われると割と洒落にならない事になる。杖の説明を聞いたゴブリンスレイヤーは、顔を顰めたらしい。兜をかぶっている為、誰も気付くことはなかったが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ギルドと冒険者ーお針子

感想をくれた方、お気に入り登録してくれた方

本当にありがとうございます

一応、構想自体は最後まで練ってあります

DLCが販売される前には、完結させたいと思います


 お針子がゴブリンスレイヤーたちと出会った、その次の日の朝。

 

「おはよう!今日も早いね」

「ああ」

 

 牛飼娘は幼馴染に挨拶する。彼は朝から牧場の柵を修理していたようだ。彼の作業を観察していると、昨日から牧場に寝泊まりしている客人が来た。彼の手伝いをしているらしい。手に木材と道具を抱えている。

 

「おはよう、ありがとうね」

「いえいえ、どうもおはようございます」

 

 獣人に似た帽子を被ったその客人はお針子らしい。ただし、針仕事は特定の人物にしかやらないとか。

 

 昨日、彼がお針子を連れて来た時は大変だった。というのも、日が悪かったのだ。

 

 

 

 その日、牧場主の伯父と牛飼娘は朝から体調を崩した若い牛の面倒を見ていたのだ。しかし、その甲斐は無く牛の様子は悪くなる一方だった。横になってしまい、もう何も食べない。

 

「駄目か……」

 

 伯父が暗い顔で呟き、牛飼娘は胸が締め付けられる気持ちだった。どうか元気になって、と祈るように牛を撫でる。

 そんな時だ、彼がお針子を連れて帰って来たのは。牛のこともあり、疲れきっていた伯父がお針子を泊めることに難色を示したのは、ある意味仕方のないことだった。

 

「あ、あの…これを食べさせて下さい」

 

 そう言って、お針子がある物を差し出して来た。何かの実を干して乾燥させた物だった。蜜を含んでいるのか、金色に輝く不思議な実だった。

 伯父は駄目元で、その実を牛に与えた。伯父は弱った牛が実を食べるわけが無いと思っていたらしい。ところが予想に反して、実の匂いを嗅いだ牛は直ぐさま食べ始めた。一口食べたかと思うと、立ち上がり与えた実を全て口にした。そして反芻を繰り返し、完全に食べ切ると元気な声で鳴いたのだ。まるで、「もっとちょうだい」と催促しているかのようだった。

 

 こうしてお針子は宿泊の許可を得た。彼と同じ納屋で寝るよう伝えたのだが、お針子はベッドよりも藁の方が好みらしい。結果、使っていない小屋に藁を敷いて寝泊まりしている。

 後で聞いた話によると、あの不思議な実はお針子の故郷の高原地帯で採れるもので、お針子が探している王も愛馬が怪我した時によく与えていたらしい。

 

「よく眠れた?」

「はい、おかげさまで」

 

 一晩泊めてあげたお礼か、お針子は彼と一緒に良く働いてくれる。彼が誰かの手を借りているところを見ると嬉しくなる。

 

「終わった」

「では、オイラは先に街の側まで行ってます」

「本当に朝食はいらないの?」

「はい、お気持ちだけで十分です」

 

 只人の食事は、お針子には合わないようだ。洞窟などに生えるキノコが好みらしい。

 お針子は手を振って、街の方へ向かって行く。見送りが終わり、牛飼娘は彼に話しかける。

 

「頑張り屋さんだね」

「そうだな」

 

 朝食に向かう途中、牛の声が聞こえた。顔を向けると昨日の若い牛が他の牛と一緒に牧草を食べていた。昨日倒れていたのが嘘のようだ。

 

「お針子さんの王様、見つかるかな?」

「わからん」

 

 見つかると良いなと、牛飼娘は心から思った。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーは街の入口でお針子と合流した。女神官は、神殿に用があるらしく今日は来ていない。ギルドに入り、カウンターまで移動すると受付嬢が一行をにこやかに出迎える。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、お疲れ様です」

 

 ゴブリンスレイヤーを出迎えることは、受付嬢の楽しみの一つだ。彼の様子を確認していると、やたら周りをキョロキョロしている獣人らしき人物が居ることに気付く。

 

「そちらの方は?」

「昨日、ゴブリンの巣にいた」

 

 ゴブリンスレイヤーとお針子は椅子に座ると、昨日の報告を始める。ゴブリン退治のこと、お針子のこと。受付嬢は報告を聞きながら、お針子の方を見る。彼は落ち着かないらしく、ずっと周囲の様子を伺っているようだった。

 

(まるで王都に初めて来た、お上りさんですね)

 

 思わず、クスッと笑ってしまう。相手を緊張させないよう、穏やかに話しかける。

 

「人を探しているのですね。その人の特徴や特定できるものはありますか?」

「え、え〜と……我が王は、鎧を着てて剣を持っていて……」

「あ〜そうではなくてですね……」

 

 わかりやすい言葉を探す。こうした経験は初めてではない。受付嬢は何年もこの仕事をしてきたのだから。

 

「装備や身につけている物に何か特徴はありませんか?」

「ああ、それなら。鎧の外套に紋章があるよ」

「外套に紋章ですか」

「そう、オイラが縫ったんだ」

 

 お針子は誇らしげに語り、受付嬢は小首を傾げる。

 はて、こんな話を最近聞いたような……

 気になるが、外套や盾に紋章を描くのはよくある話だ。それに、まずは聞いておかなければならない事がある。

 

「その紋章はどの様な形をしていますか?」

 

 受付嬢の質問を聞いて、お針子は自分の鞄を漁り出した。やがて、鞄から1枚の紙を取り出す。

 

「これ、縫うために書き写したやつです」

「拝見しますね」

 

 受付嬢は、お針子から紙を受け取ると広げて中身を確認する。

 

(あら?これって……)

 

 そこには、剣と杖が交差した紋章が描かれていた。つい先日、この様な紋章について調べていた人がいた。その人も外套に紋章が描かれていたと語っていた。

 

「……少々お待ち下さい」

 

 そう言うと、受付嬢はカウンターの奥に入っていく。そして、1人の女性を連れて直ぐに戻ってきた。その女性、女魔術師はカウンターにいたゴブリンスレイヤーと目が合うと、気まずそうに挨拶する。

 

「…どうも、お疲れ様です」

「ああ」

「あの、女神官は?」

「今日は神殿に行っている」

「そうですか、良かった」

 

 女魔術師は緊張した様子で、女神官の無事を確認するとほっと息をつく。

 挨拶が終わった事を確認して、受付嬢は女魔術師をお針子の方へ促す。そして、例の紋章を見せる。

 

「女魔術師さん、あなたの見た紋章とは此方ではありませんか?」

 

 女魔術師は紙をみると、目を見開いて返事をする。

 

「はい!間違いありません!」

 

 女魔術師の返答を聞き、ゴブリンスレイヤーは何処か納得したかの様に俯く。

 ゴブリンスレイヤーがお針子に尋ねる。

 

「褪せ人という者を知っているか?」

「褪せ人?当然、知っているよ。我が王も褪せ人だよ」

「やはり…」

 

 お針子は状況を良く理解できていないようで、周囲を見回している。女魔術師がお針子に説明する。

 

「私、外套にこの紋章を付けた人に助けられたのよ」

「え、本当ですか」

「居場所とかわかる?まだお礼を言えてなくて…」

「すみません。オイラも探してて……」

「そう……」

 

 目に見えてシュンとしてしまった女魔術師に、お針子が申し訳なさそうに言う。

 

「あ、あの…我が王と出会った時のことを詳しく教えてくれませんか?」

 

 その言葉に女魔術師は顔を上げ、ゴブリンスレイヤーと共にその日見たものを説明する。

 祈祷という魔法を使ったこと、身につけていた装備のこと、最後には馬に乗って立ち去ったこと。

 お針子は話を聞き終えて、体を震わせながら口を開く。

 

「古き黄金樹の祈祷、夜と炎の剣、獣集いの鎧、角を生やした馬、間違いありません。我が王です」

 

 お針子は眼から涙を流す。王はやはりここに来ていた。涙を流しているお針子に、受付嬢が申し訳なさそうに話す。

 

「お針子さん、申し訳ありません。あなたの探している王、褪せ人さんはギルドも行方がわかっていません」

「大丈夫です。我が王がこの地にいる事がわかっただけでも、ありがたいです」

 

 お針子に動揺した様子は無いため、受付嬢はほっと息を付いた。何せ全く情報が入らないのだ。目立つ格好にも関わらず目撃情報が一切無いため、ギルド職員の中には存在を疑うものも居たぐらいだ。

 

「しかし、困りましたね。情報収集するにしても資金が無いと……」

 

 ギルドの掲示板に張り紙をしても、懸賞金が無ければ情報は集めづらい。冒険者は生活費や冒険に必要な費用を稼ぐだけで精一杯な者が多いのだ。

 お針子は無一文、女魔術師も金銭的な余裕が無い。女神官も同様で、ゴブリンスレイヤーには金銭まで支払う理由が無い。

 少し考えて、受付嬢がある提案をする。

 

「お針子さん、冒険者になりませんか?」

「オイラが冒険者に?」

「はい、先程の話によると魔術を使えるようなので」

 

 お針子は戦うことが嫌いだそうだが、戦えないわけでは無い。しかもゴブリンスレイヤーと一緒だったとは言え、ゴブリンの上位種と戦った経験がある。並の新人冒険者よりも期待が持てる。

 

「う〜ん……」

 

 しかし、お針子はどうも乗り気では無い。どうしても嫌ならそれは仕方がない。冒険者になる事を強制することなどできない。

 その時、受付嬢が依頼を張り出す時間が近づいている事に気づく。

 

「すみません。依頼を張り出す時間なので続きはまた後にしましょう。こちらの紋章は書写して掲示板に貼っておきます。お針子さん、大事なことなのでゆっくり考えてください」

 

 受付嬢は張り出しの準備にかかり、女魔術師もその手伝いに行く。ゴブリンスレイヤーとお針子も、ギルドの端の席に移動する。

 しばらくすると依頼が張り出され、冒険者が群がり依頼を取り合う。ゴブリンスレイヤーは動かない。ゴブリン退治は人気が無いので、取り合いに参加する必要は無いのだ。人が少なくなるまで、待てば良い。その間もお針子はずっと悩んでいた。

 人が減ってきた所で、ギルドの扉が開いた。外から冒険者の一党が帰って来たようだ。

 

「はぁ、無事に帰ってこれたぁ……」

「生きているのが、まだ不思議なぐらいです」

 

 帰って来たのは女性4人で構成された鋼鉄等級の一党だった。圃人の野伏、森人の魔術師、只人の僧侶、そして頭目の貴族令嬢の自由騎士だ。かなり危険な目にあったらしく、見るからにボロボロになっている。自由騎士が、疲れた様子でカウンターへやって来る。

 

「冒険の報告をしたいのだが……」

「はい、少々お待ちください」

 

 受付嬢は報告を受ける準備を始める。すると掲示板を眺めていた只人の僧侶が声を上げた。

 

「あ、あー!皆さん、これ!」

 

 自由騎士を含め、彼女達は掲示板に群がる。何かに注目しているようだ。

 

 これだよね?うん!これだよ!ああ、間違いない。

 

 そんな会話が聞こえたと思ったら、自由騎士が掲示板から紙を剥がしてカウンターに持って来る。それは、あの紋章が描かれた紙だった。受付嬢が応対する。

 

「聞きたいことがあるんだが」

「はい、何でしょう?」

 

 チラッとお針子とゴブリンスレイヤーの方を見る。ゴブリンスレイヤーはこちらの様子を見ているが、お針子は頭を抱えているせいか気づいていないようだ。近くにいた女魔術師も反応し、聞き耳を立てているのがわかる。とりあえず、彼女達の話を聞く。

 

「この紋章を付けた人に助けられたのだが……」

「なるほど、少々お待ちください」

 

 受付嬢はお針子とゴブリンスレイヤーを呼んでくる。鉄兜を被っているみすぼらしい装備の冒険者と、見覚えのない獣人のような人物が現れ、彼女達は少し顔を顰めた。だがお針子の事情を話すと、納得した表情になり、彼女達はギルドへの報告も兼ねて詳しい話を語ってくれた。

 

 立ち寄った村で村娘がゴブリンに攫われる事件があり、彼女達は善意で救出に向かった。しかし、ゴブリンの巣で見つけた時には村娘は既に手遅れであった。さらに、彼女達は眠っていたゴブリンを誤って起こしてしまい、必死の抵抗も空しく全員捕らわれてしまった。

 

「もう駄目と思ったときだ。その紋章の人が現れ、助けてくれたのだ」

 

 しかし、互いに助かったことを確認している間に、その人は消えていた。村に戻り、村娘の事を伝えると同時に紋章の人について聞いた。しかし、村人は誰も紋章の人など見ていなかった。手掛かりは何も得られない。仕方なく、彼女達は辺境の街に戻ることにしたのだ。

 

「なるほど、そうでしたか」

「ああ、もしあの人の行き先がわかったら教えて欲しい。こちらも何かわかったら伝えよう」

「わかりました。よろしくお願いします」

 

 話を終えると、彼女達はすぐさま宿に向かって行く。無理もないことだった。ギルドに到着した時点でヘトヘトだったのだ。圃人の野伏なんか、話の途中で船を漕ぎ始めていた。

 

 彼女達が立ち去った後、お針子は目を瞑り思案する。しばらくして目を開くと、受付嬢の方を向く。何かを決意したようだ。

 

「オイラ、決めた。冒険者になるよ」

「え?こちらとしては大変嬉しいですけど、何故ですか?」

 

 受付嬢の質問にお針子は丁寧に答える。

 王は村や街を避けている。理由までは分からないが、それは間違いない。だから、王に会う為には危険な洞窟や遺跡へ行かなければならない。だからといって闇雲に危険な場所に行けば野垂れ死ぬだけだ。

 

「だから、誰かと一緒に……できればゴブリンスレイヤーさんと一緒に冒険に行けたらと思ったんだ」

 

 お針子は申し訳なさそうにゴブリンスレイヤーの方を見る。だが、彼の返事はいつもと大して変わらない。

 

「別に構わない」

「ありがとうございます。オイラ頑張るよ」

 

 お針子は喜んでお礼を言う。受付嬢もとても嬉しそうに新たな冒険者を歓迎した。彼女の場合、ゴブリンスレイヤーが女神官と二人っきりにならないで済むという思いも有ったりしたが。

 

 こうしてお針子は冒険者になり、ゴブリンスレイヤーの一党に加入した。

 ありがたいことに、ゴブリンスレイヤーの口添えで寝泊りは牧場を引き続き利用させてもらえることになった。牛飼娘も牧場主の牛飼娘の伯父も、お針子を歓迎してくれた。

 もちろん、神殿に行っていた女神官も新たな仲間を歓迎した。




連日投稿はここまでになります。次回は来週水曜日の予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

仲間と人喰い鬼ーお針子

お気に入り、誤字報告、感想、ありがとうございます。


 ……ああ、誰かと思ったら

 お得意様、久しぶりだな

 

 ん?俺がここにいるのがそんなに不思議か?

 忘れてもらっちゃ困るが、俺は放浪の民の出だ

 よい商いを求めて、旅を続けるものさ

 

 それに、ここなら定住できる場所が

 あるかもしれないだろ?

 祝福だの律だの、ここなら無縁だしな

 

 ……

 …………

 ………………

 

 なぁ、あんたは知っているんだろう

 俺の一族がどんな目にあい、そして何をしたか

 

 ああ、先に言っておくけどよ

 あの地の異変は俺の一族の仕業じゃないぜ

 

 ここに来たのは三本指だけじゃないんだろう?

 デミゴッドの死体やら、腐った樹やら、

 色々と来てるらしいじゃないか

 

 さらに言うなら……

 

 俺の一族で三本指を熱心に信仰しているのは少数なんだ

 ほとんどは疲れてしまったのさ

 呪詛を唱えることに、音を奏でることに

 この俺を含めてな……

 

 だから俺は見つけたいのさ

 生きていて良かったって、生まれてきて良かったって

 そう思える何かをな

 

 

 

 ……信じてくれるのか、ありがとうよ

 さて、何か買っていくかい?

 

 今後ともよい商いを頼むぜ、あんた

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 お針子は無事、冒険者となった。

 ちなみに登録する際の種族は半獣人にしてもらった。亜人では登録できず、獣人は嫌がり、話し合いのすえ半獣人に落ち着いたのだ。

 冒険者になった後、お針子は幾度もゴブリン退治に出た。

 最初は戸惑うことが多かった。

 

「冒険者って、大変なんですね……」

 

 冒険者として、初めてゴブリン退治に行った時に何気なく呟いた時だ。

 女神官が名状しがたい表情をしたかと思うと、帽子越しに頭を撫でてきた。

 あれは何だったのだろう?

 

「ようやく慣れてきました」

 

 経験を積んでゴブリン退治に行った時に呟いた時だ。

 女神官がとても悲しい表情をした。

 喜ぶと思っていたのに、何でだろう?

 

「あの、これ。汚れがよく落ちます」

 

 ゴブリン退治の後、血塗れになった女神官に石鹸を渡した時だ。

 女神官は一筋の涙を流した。

 もしかして、迷惑だったのだろうか?

 あの石鹸は我が王も使用していた品なのだが……

 

 冒険者というのは本当に大変だ。女性は臭い消しに血を浴びねばならず、洞窟では煙でゴブリンを燻り出して退治した後、爆破して崩さないといけないのだ。

 

 ここまでするのは、自分達が弱いからだろう。

 

 我が王から旅の話を聞いた時は、このような事はしていなかった。敵の背後を取ったり、遠くから弓を射つことはあったが、洞窟を崩すようなことはしない。しかも、ゴブリンとは比べものにならない強敵を真正面から倒していた。

 冒険を通して、改めて我が王の偉大さが解るというものだ。

 

 そんなある日のこと。

 お針子はギルドで、ゴブリンスレイヤーと女神官を待っていた。彼らは3日前にゴブリン退治に出ていた。いつもなら同行するのだが、今回は牧場で針仕事をする為に同行しなかったのだ。

 牧場の人達は、寝泊まりさせてくれる恩人だ。恩人の為に縫い針を使うことに躊躇いは無い。加えて、針の腕を鈍らせない事にも繋がる。

 

 針仕事を無事に終え、ギルドの壁際に座り2人の帰りを待つ。

 しばらくすると、変わった3人組がギルドにやって来た。耳の長い女性と髭の長い人、そして竜みたいな人だった。耳の長い女性が、カウンターに行って受付嬢に話しかける。どうやら誰かに会いに来たらしい。

 

「オルクボルグよ」

 

 受付嬢は困惑する。そんな人は聞いたことが無いから当然だ。しばらく耳の長い女性が一方的に話していると、今度は髭の長い人が出てきた。そして、少し話し合いをしたと思ったら、耳の長い女性と髭の長い人は喧嘩を始めた。どうやら気性の荒い、怖い人達のようだ。

 

 ちなみにこの2人は森人(エルフ)鉱人(ドワーフ)であり、種族レベルで仲が悪い。両者が喧嘩する事は日常茶飯事である。

 森人は弓使いである妖精弓手、鉱人は呪文遣いである鉱人道士という。

 

 喧嘩している両者の間に竜みたいな人が仲裁に入る。

 竜みたいな人を壁際からまじまじと見て、お針子はある事を思い出した。

 

(あの人は、もしや竜餐を……)

 

 我が王より聞いた事がある。

 竜餐、それを為した者はやがて人でなくなる。竜の心臓を供物とし、抗いがたい竜への渇望に溺れてゆくのだ。故に、竜餐は破滅への道だと。

 あの人はきっと竜餐を経て、竜のような姿に変貌したのだ。まだ人としての理性は残っているみたいだが、いずれ完全に理性を無くし地を這う竜になってしまうのだ。

 喧嘩を始めた2人といい、なんて恐ろしい人達なんだろう……

 

 ちなみに竜みたいな人は蜥蜴人(リザードマン)という種族であり、竜餐とは何も関係が無い。ただの勘違いである。

 蜥蜴人は祖竜を信仰する蜥蜴僧侶という。

 

 お針子が勘違いから蜥蜴僧侶の末路を案じていると、3人組の話を聞いていた受付嬢が納得したかのように声を上げた。

 

「ああ、ゴブリンスレイヤーさんですね。あの人は3日前からゴブリン退治に行っています。そろそろ、帰ってくると思うんですけど……あっそこにいる、お針子さんも帰りを待っているんですよ」

 

 3人組がお針子の方を見る。見るからに気弱そうな獣人らしき者がいる。妖精弓手が疑問を口にする。

 

「お針子?冒険者じゃないの?」

「冒険者ですよ。ゴブリンスレイヤーさんとよく一党を組んでいます。お針子と呼ばれているのは……まぁ、色々と事情がありまして」

「ふぅん……」

 

 妖精弓手がお針子に近づき、話しかける。

 

「ねぇ、ちょっと」

「ひぃぃ!」

「な、何よ。失礼ね!」

 

 お針子が怯えたように悲鳴を上げて受付嬢の元へ逃げる。妖精弓手は突然逃げられた事に怒り、鉱人道士はそれを見て腹を抱えて笑う。

 受付嬢がお針子に優しく話しかける。

 

「お針子さん、怯えなくても大丈夫ですよ」

「で、でも」

「う〜む、拙僧の連れが怖がらせたみたいで申し訳ない」

 

 蜥蜴僧侶がお針子に謝罪する。お針子は一瞬ビクッとするが、蜥蜴僧侶が温和な雰囲気を出していたので何とか落ち着く事ができた。

 

「すいません、取り乱してしまって」

「本当よ、もう……」

 

 妖精弓手が文句を口にする。そして、お針子をジロジロと見る。

 

「あんた、本当にオルクボルグと一党を組んでいるの?」

「え、え〜と?」

「ゴブリンスレイヤーさんの事ですよ」

「確かにあの人とは、よく一緒にゴブリン退治をしていますが……」

 

 妖精弓手は訝しげにお針子を見る。とても信じられないという思いが伝わってくる。

 そこに鉱山道士が割り込んで来る。彼は、お針子の杖を指差して言う。

 

「お前さん、その杖を見せてくれんかの?」

「え?は、はい」

 

 無警戒に杖を差し出されて、鉱山道士は少し驚いた。普通の魔術師は、初対面の人に杖を渡したりしない。思うことはあったが、杖を受け取るとその出来栄えに見惚れてしまい、考えが吹き飛んでしまった。

 一通り観察し終えると、感嘆の声を上げる。

 

「見たことの無い装飾じゃのう。異国の物か?それにしても……う〜む、見事な杖じゃ。お前さん、これを何処で手に入れた?」

「我が王から頂きました」

「ほう、王からか!お前さん大した奴じゃのう」

 

 お針子は急に褒められて照れてしまう。杖を返してもらい、改めて3人を見る。思ったよりも怖い人達では無いのかもしれない。

 

 そんなやり取りをしている間に、ゴブリンスレイヤーと女神官が帰還する。依頼の話をする為に、ゴブリンスレイヤーは3人と共に二階の応接室へ行く。女神官は休憩するように言われ、その場に残った。お針子も女神官に付き添い、その場に残る。

 

「お疲れ様です。受付嬢さんがお茶を入れてくれました」

「ありがとうございます」

 

 お茶を飲んで、一息つく。

 お針子は女神官の愚痴を聞いて、励ましの言葉を送る。

 

 すると、他の新人冒険者の二人組が話しかけてきた。

 自分達と組まないか?兜を被ったあいつは嫌な噂を聞く。別れた方がいい。

 

「何でそんな噂があるんですか?オイラを助けてくれたのに?」

 

 お針子がそんな話をすると、二人組は何とも罰が悪そうな顔になる。いや、でも、と話を続けようとするがそこで、魔女と呼ばれている美女が話しかけてくる。魔女は二人組を退散させ、女神官に話しかける。

 

 人を助けるなら、ゴブリン退治以外にも道はある。

 彼について行くのは大変、だからせめて自分で決めなければならない。

 

 そんな意味深な会話であったが、お針子には良く分からない。ただ、大切な事は自分で決めるべきという部分は理解できた。

 

「……お針子さんはどう思います?」

「何がですか?」

「自分で決めることです」

 

 女神官は迷っていた。自分は足手まといになっているのではないかと。このままゴブリンスレイヤーについて行って良いのかを。

 

「オイラも実は凄く迷ったことがあるんだ。王にこのままついて行って良いのか」

 

 女神官は、その言葉に驚いた。お針子は何があっても王について行きそうな気がしていたから。

 

「ほら、オイラって醜いでしょ?こんな醜いやつが王の側にいるなんて、許されないんじゃないかって。そんな風に考えていたんだ」

 

 女神官は何も言えずにいる。否定したいが、上手い言葉が出てこない。

 

「そんな時、王が母さまの声を聞かせてくれたんだ。貴方は美しいわって」

 

 お針子は懐かしむように語る。

 

「王は、その声は自分の言葉でもあると言ってくれたんだ。その時、オイラは決めたんだよ。何があろうとも、例え別れることになろうとも、我が王のお針子であり続けようって」

 

 お針子は思いを込めて力強く語る。そして、女神官のほうに向き直る。

 

「女神官さんは、ゴブリンスレイヤーさんに言って欲しいんですか?自分について来いって」

 

 ……どうだろう?そうなのだろうか?

 

「でも、ゴブリンスレイヤーさんからは言ってくれないんじゃないかな?だから……その、ついて行きたいなら自分からちゃんと伝えないといけないと思うよ」

 

 そう言って、お針子は空になったカップを戻しに行った。

 女神官は、その姿を目で追いながら1人で考えていた。

 

 その後、女神官はゴブリンスレイヤーについて行くことを決めた。

 自分の声で、はっきりと、ついて行くと伝えた。

 理由は、放っておくことができないから、らしい。

 妖精弓手、鉱人道士、蜥蜴僧侶の新たな3人のメンバーも含め、6人でゴブリン退治に出るのであった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 ゴブリン退治に出かけて数日目の夜、彼らは焚き火を囲んで食事の準備を始める。その途中、妖精弓手が全員に冒険者になった理由を聞いた。美味いもののため、外の世界への憧れと各々が理由を話す。

 ちなみに蜥蜴僧侶の竜になる為という理由を聞いて、お針子の勘違いがより加速したことを知るものはいない。

 最後にお針子が話す番が来る。

 

「オイラは我が王を探すためです」

「その話だけど、そもそもどうして王と別れたのよ?」

 

 妖精弓手がお針子に問う。ほんの数日だが、彼女はお針子のことを理解し始めていた。オルクボルグがゴブリンの事しか考えていないのなら、お針子は彼の王の事しか考えていない。そんなお針子が王と別れた理由が想像できなかった。

 

「……オイラも別れたく無かったんだ」

 

 それはそうだろうな、と全員が思う。

 

「でも、仕方なかったんだ。我が王は月と共に夜空へ旅立つことを心に決めていたから……」

「夜空に旅立つ?」

「そう。オイラの故郷にある、月見の台地から月を見た時わかったんだ。黄金樹と同様に、あの月も我が王の事を待っているって。オイラにそれを止める権利は無いって……」

 

 お針子はその時を思い出しているのか悲しい顔をする。周りは話がよく理解できていない。

 

「だから、せめて夜空に旅立った王の為、星見になろうと思ったんだ。それを我が王に話したら、結びの司祭様を紹介してくれたんだよ。それから司祭様に星見のことを教えてもらったんだ」

「結びの司祭様ですか。その人がお針子さんの先生なんですね」

「そう、とても賢くて優しい方なんだよ。我が王も司祭様から色々な事を教えてもらったんだよ」

 

 それからのお針子の話は神話のようなものだった。

 

 王が夜空へ旅立った後、毎晩必ず星を見た。

 ある日、星が騒めいたかと思うと、月から大きな流星が出てきて地上に落ちた。

 お針子は流星が落ちるのを見て、すぐに悟ったらしい。

 

 

 

 ──我が王が地上にお戻りになった!

 

 

 

 それから居ても立っても居られなくなり、この地までやって来たのだ。

 

 何とも壮大な話だ。妖精弓手が信じられないという感じで、お針子に聞く。

 

「月から王がねぇ……どっちの月から落ちたのよ?」

「もちろん暗月です」

「暗月?それってどっちよ?」

 

 妖精弓手は赤い月と緑の月を指さして聞く。お針子が不思議そうな顔をする。

 

「ここからでは、月は見えませんよ?」

「何言ってるのよ?そこに見えてるじゃない」

「ひょっとして、あの赤と緑のやつですか?あんな物、月ではございませんよ。本物の月に失礼です。こっちを観て、愛でたと思ったら見捨てて、嘲笑って……一体何なんですか、あれは!見るのも不愉快です」

 

 お針子が急に怒りだして、妖精弓手は訳がわからなくなる。確認するように周りに聞く。

 

「……ねぇ、みんなは赤と緑以外の月って知ってる?」

 

 お針子以外、全員首を横に振る。だよねっと妖精弓手が答える。それを見て、お針子は納得したかのように悲しげに答える。

 

「そうですか。この地にいる方々は本物の月を見たことが無いのですね。皆さんも一目でも本物を見れば理解できますよ。あれらは月じゃないって」

 

 お針子は、周りが自分の話を理解できなかった事を悲しんだ。それを見て、妖精弓手もそれ以上追求するのを止めた。

 

「あのぅ、皆さん食事にしませんか?」

 

 女神官のその言葉で、全員空気を切り替えた。

 各々が食べ物や飲み物を互いに差し出す。

 お針子も、茹で蟹を差し出した。自分はあまり食べることは無いが、王が良く食べていたので持って来たのだ。

 茹で蟹は塩加減が絶妙で、特に鉱人道士と蜥蜴僧侶には酒の肴にぴったりだと好評であった。

 

 その後、ゴブリンが何処から来るのかという話になった。ゴブリンスレイヤーは姉から聞いた話をした。ゴブリンは緑の月から来るのだと。すると、お針子がこんな事を言った。

 

「正確には緑の奴が用意して、地上に置くんです。だから、ゴブリンは減らないんですよ。全く、迷惑なことです」

 

 その言葉が妙に印象的で、ゴブリンスレイヤーは眠りにつくまで頭からその言葉が離れなかった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 目的地のゴブリンの巣穴は古代遺跡だった。

 見張りのゴブリン二匹を首尾良く始末すると、お針子が気になったことを口にする。

 

「あいつら何に怯えてたんでしょう?」

「わからん」

「何?どういうこと?」

 

 妖精弓手にお針子が説明する。ゴブリンは普通、真面目に見張りなんてしない。なのに、彼らは見張りをしていた。これには理由があるはずだと。

 

「森人の住処が近いからじゃないの?」

「それなら巣穴を変えるよ。多分、あいつらの仲間に怖い奴がいるんだよ」

「ゴブリンの上位種でしょうか?トーテムが見当たりませんけど」

「わからん。ゴブリンでは無いかもな」

 

 そう言いながら、ゴブリンスレイヤーは巣穴に侵入する準備を始める。それを見て、お針子が憐れみの言葉を出す。

 

「女性の冒険者って本当大変ですね」

「ハハハ……」

 

 妖精弓手は、何のことかわからず首をひねった。その後、何をするのか理解して顔面蒼白になる。周囲に助けを求めるが、誰も手を貸さない。女神官も悟りを開いた顔をしてる。

 そんな妖精弓手に、お針子は石鹸をそっと手渡すのだった。

 

 

 

──────────

 

 

 

 遺跡に入り込み、狭い下り道を罠に注意しながら進む。啜り泣く妖精弓手を連れながら。女神官が、そっと慰めの声をかける。

 

「あの、貰った石鹸を使えば落ちますから」

「苦労してるのね、あなた。この石鹸、見たこと無いけど、何で作られてるの?」

「お針子さんの故郷に生えるキノコだそうです」

「あいつの故郷、変なものが多いわね」

 

 お針子は考えれば考えるほど不思議な存在だ。異国から来た事を加味してもだ。まるで、異世界から来た存在のようだ。

 

「本当に異世界人かもね」

「え、流石にそれは」

「わからないわよ。月から王様が降ってくる場所だし」

 

 冗談を言って互いに軽く笑う。

 それが核心を突いているとは、この時は誰も思わなかった。

 

 その後、罠を回避して森人の虜囚を救い、一党は着々と遺跡を進んだ。途中、妖精弓手が虜囚のこともあって挫けそうになるが、何とかいつもの調子を取り戻した。

 

 彼らは遺跡の中を進み、やがて広大な空間に出る。そこは、吹き抜けの回廊になっていた。回廊の底には無数のゴブリンがいる。まともに相手にできる数では無い。しかし、ここにはゴブリンスレイヤーがいる。

 ゴブリンスレイヤーはゴブリンを殲滅する作戦を練り、全員に伝えると直ぐに実行した。《酩酊》と《沈黙》を使いゴブリンを眠らせ、眠っているゴブリンにとどめを刺していく。

 お針子は参加しない。彼は大型ナイフを所持していたが、やはりこうした行為は苦手だ。戦って勝つのとは違う、機械的な作業から離れて終わるのを待つ。

 ゴブリンスレイヤー達は、小一時間かけてゴブリンを皆殺しにした。

 

 

 

 その時だ。

 大気を揺らす音と共にゴブリンが恐れていた者が現れた。

 

 

 

 オーガ。人喰い鬼。

 多くの冒険者がその強さに恐怖する存在だ。

 しかし、そんな物知らないゴブリンスレイヤーは意図せず挑発してしまう。

 怒ったオーガが腕を突き出し、呪文を唱える。

 

「《カリブンクルス……クレスクント……》」

 

 詠唱と共に恐るべき温度の火の玉が作られる。《火球》の呪文だ。鉱人道士が警告を出す。各々が《火球》に備え、妖精弓手が散開するよう指示しようとした時である。

 オーガの顔に輝く礫がぶつけられた。

 見てみるとお針子が一行から離れた場所から、杖を向けていた。オーガはお針子を目標にする。

 

「《────ヤクタ》!」

「お針子さん!」

 

 女神官が叫ぶがもう遅い。火の玉はお針子を消し飛ばさんと迫る。《聖壁》も間に合わない。女神官は絶望し、オーガは笑みを浮かべた。

 

 

 

 ──とある魔術師の話をしよう。

 狭間の地で鈍石と言われた魔術師の話である。

 彼は、他の魔術師に非才だと馬鹿にされていた。

 輝石ではなく鈍い石だと称されたのだ。

 彼自身も、自分には才能が無いと思っていた。

 しかし、同時に彼はとても誠実な人物でもあった。

 およそ魔術師らしくないほどに。

 彼は己の研究に真摯に取り組み、

 ついには新たな理論をもとに新しい魔術を作り上げた。

 その魔術は、とある褪せ人によって回収され、

 褪せ人はその力にとても驚いた。

 褪せ人は、鈍石の研究が盗まれることを恐れた。

 そこで、研究の資料と魔術を信頼できる

 結びの司祭のもとへ持ち運んだ。

 いずれ、彼の研究を引き継ぐに相応しい

 魔術師が現れることを祈って。

 結びの司祭は後に、その魔術を1人の弟子に教えた。

 その魔術の名は──

 

 

 

 火の玉が迫り来るのに、お針子は冷静だった。

 杖を構え、タイミングを計る。ミスは許されない。

 我が王が言っていた。この魔術は相手が神であっても、その力を発揮したと。神の光から己を守ったと。ならばオーガの火の玉ぐらい、どうという事はないはずだ。

 お針子は火の玉に向かい杖を振った。

 

 ─《鈍石の力場》─

 

「何⁉︎」

 

 オーガは驚いた。突然、己の放った火の玉が軌道を変えたのだ。火の玉は、誰にも命中せず壁へとぶつかり、爆発する。

 呪文や奇跡で壁を作ったり、呪文に抵抗した訳ではない。自分の知らぬ未知の力によって、放った火の玉が逸らされたのだ。

 

「貴様、何をした⁉︎」

 

 オーガの問いに、お針子は先程よりも大きな輝く礫で返す。舌打ちし、戦鎚で潰そうとする。

 

「隙だらけね。狙い放題だわ」

 

 しかし、振り上げたところで右目を妖精弓手の矢に潰される。続け様に蜥蜴僧侶と彼が召喚した竜牙兵、鉱人道士の《石弾》が降りかかる。最後には、ゴブリンスレイヤーが脚を的確に剣で斬りつける。

 怒涛の攻撃をオーガに仕掛けたが、岩のように硬いオーガの皮膚に阻まれてしまう。

 

「ええい、ちょこまかと!!」

 

 ─《聖壁》─

 

「っ!小癪なぁ!」

 

 戦鎚をゴブリンスレイヤーに浴びせようとするが、女神官の奇跡に邪魔される。《聖壁》は直ぐに砕けてしまうが、ゴブリンスレイヤーが戦鎚から逃れる隙は作り出すことができた。

 

「助かった」

「はい!でも、このままでは」

「手はある。時間を稼げ」

 

 ゴブリンスレイヤーは、次の手の準備に入る。

 一方、先程から冒険者に一撃も与えていない事実に、オーガは怒り心頭であった。戦鎚を振り回し、天井を崩して瓦礫で攻撃する。

 竜牙兵は潰され、冒険者達も回避に専念する。

 もう一度《火球》を使おうとするが、お針子の事を思い出す。お針子の方を向き、その姿を見つけると、再び輝く礫が飛んできた。先程から、知らない術を行使してくることに、オーガは一つの可能性を導き出した。

 

「貴様、あの三本指とか言う奴と同じ異界の出身か?」

「!」

 

 お針子は驚き、思わず硬直する。オーガはその反応を見て確信する。

 

「やはりそうか!貴様は殺さず、魔神王様の元へ連れて行くとしよう」

「一体どういう──」

 

 お針子が問おうとした時、轟音と共にオーガの体が寸断される。

 ゴブリンスレイヤーの方を見ると、彼がスクロールを発動させていた。

 

 なす術が無く、絶命するオーガ。

 

 お針子は、物言わないオーガの遺体をしばらく眺めていた。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 遺跡の入口まで戻り、森人たちの馬車に乗って帰省する冒険者たち。彼らは疲れきっており、口を開かなかった。

 ただ1人、お針子を除いて。彼はオーガを倒した後から、ずっと独り言を呟いていた。

 妖精弓手は、お針子の様子をしばらく見ていたが、やがて意を決して話しかけた。

 

「ねぇ」

「……………はい、何でしょう?」

「単刀直入に聞くわ。あなた何者なの?」

「オイラは、お針子です」

「そうじゃなくて、聞き方を変えるわ。貴方、異世界人なの?」

 

 異世界を渡れる人は、御伽話に登場するものだ。それが、実在すると考える者は少ない。妖精弓手も信じていないが、お針子が特異な存在だと十分に理解した。加えて、オーガが言っていた事もある。

 お針子は、少し考えてから答える。

 

「……オイラにも分からないです。狭間の地から外へ出るの初めてだから」

「どうやって、ここまで来たのよ?」

「門を使ったんです」

 

 門を通ると、転移する。狭間の地に住まう者なら、誰でも知っている事だ。

 しかし、それは四方世界では失われた技術である。

 妖精弓手が、お針子に返答する。

 

「……ほぼ間違いなく、貴方は異世界人ね」

「そうですか」

 

 淡々とお針子が答える。そんなことは大して重要ではない、と言外に語っているように。

 妖精弓手は、そんなお針子に閉口してしまう。

 今度は、女神官が問う。

 

「お針子さん、三本指って何ですか?」

「………」

 

 お針子は顔を伏せる。どう答えるか、悩んでいるようだ。

 しばらくして、ゆっくりと口を開く。

 

「生きようとするもの、その全ての敵です」

「生きようとするもの?」

「はい。三本指は世界を生き物が生まれる前に戻すために、全てを燃やそうとしているのです」

 

 善も悪も関係無く、文字通り全てを狂い火で燃やし尽くそうとする者。三本指は混沌を求めるが、この世界に蔓延る混沌とは全く異なるものだ。全てが火の中で入り混じり、一つとなった状態が三本指の求める混沌だ。

 

「もし、本当に三本指がいるのなら対抗できるのは我が王ぐらいでしょう。いえ、そもそも我が王がこの地……この世界に来たのは、それが理由なのかもしれません」

「王ってそんなに凄いの?」

「少なくとも、狭間の地で我が王より強い者はいません。力と強さが王の故、王の器であり、勝利がそれを証明するのです。我が王は文字通り、全てに勝利して王の座についたのですから」

 

 まるで英雄譚。まるで白金等級である勇者の話のようだ。

 

「もし、三本指が魔神王と関係しているのなら、我が王も魔神との戦いに現れるでしょう」

「では、魔神たちと戦いに行くんですか?」

「いえ、オイラが戦いに参加しても邪魔になるだけですよ」

 

 お針子は、もう日が見え始めている空を眺めている。微かに見えている星を見ているようだ。

 

「魔神との戦いには参加しません。我が王の邪魔をするわけにはいきませんから」




次回も来週水曜日の予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

狂い火と魔神王ーお針子、褪せ人

色々と凄く増えてて、驚きました。
本当にありがとうございます。


 ふう、漸く棺桶から出られました

 

 もっと別の体があれば良かったのですが

 あの者と縁のある者は限られているので

 致し方ありませんね

 

 ……おや、あなたは?

 

 妙な顔をされておりますね

 もしや、この体の元の主を、ご存じでしたか?

 だとしたら、とても残念なことです

 

 ご存知だと思いますが、彼はもう死にました

 そして私に、この体を託したのです

 

 

 

 何ですか?彼を返せ?

 

 訳が分かりませんね

 体を返したところで、彼は生き返りませんよ?

 こんな墓場の棺桶の中よりも

 私が活用してあげた方が彼も幸福だと思いませんか?

 

 

 

 ──ほう?おかしなことをなさいますな

 

 貴方、そんなに私が憎いのですか?

 

 まぁいいでしょう。私も貴方に用はありませんので

 この体でどれだけのことができるのか

 確かめさせていただきましょうか

 

 さぁ、知りなさい

 己が救いようのない痴れ者であることをね

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 その日、女神官はとても上機嫌であった。

 昨日の話になるが、昇級の審査を通過して白磁等級から黒曜等級に昇格したのだ。周囲に報告すると、みんな喜んでお祝いしてくれた。

 彼女だけでなく、お針子も黒曜等級に昇級した。

 

「オイラなんかが昇級なんて……」

 

 昇級の話が出た時、お針子はこんなことを言っていた。しかし、女神官が懸命に説得した。オーガを倒せたのは、お針子の尽力が大きかったのは言うまでもない。もし自分だけが昇級して、お針子が昇級しなかったら逆に申し訳なくなってしまう。

 女神官の説得を受けて、お針子は昇級の審査を受けた。そして、無事に審査を通過したのだった。

 

 女神官は上機嫌のままギルドに入り、お茶をカップに入れて適当な椅子に座る。

 今日は依頼を受けていない。怪物事典を借りて勉強でもしようか。

 

「久しぶりね」

「あ、お久しぶりです」

 

 思案していると女魔術師が話しかけてきた。女神官は昇級について、まだ女魔術師に報告していなかった。伝えるべきであろうか。

 女神官が悩んでいる間に、女魔術師は女神官の隣りに座る。

 

 そして、顔を俯かせて黙ってしまった。

 

「あの…どうかしたんですか?」

「………」

 

 女神官が声をかけるが、反応が無い。しばらく待つと、女魔術師は顔を上げる。その顔を見て、女神官は震え上がる。蒼白と言ってもよいほどに青褪めていたのだ。

 

「とても…とても、悪い知らせがあるの。聞かない方が良いかもしれないわ」

「……聞かせて下さい」

「本当にいいの?後悔するわよ?」

「はい、聞かなくても……きっと後悔しますから」

 

 女神官は震えながらも、はっきりと返事をする。聞いても聞かなくても後悔するなら、聞いて後悔した方が良い。それを見て、女魔術師は重い口を開いた。

 

「心して聞いてちょうだい」

「はい」

「青年剣士と女武道家の故郷が壊滅したわ」

 

 女神官は思考を停止した。脳が聞こえた言葉の理解を拒んでいた。

 

「生き残りは誰もいない。女武道家も……」

 

 呼吸が止まり、意識が飛びそうになる。体が傾き、椅子から落ちそうになるが、女魔術師に手を握られて何とか持ち堪える。

 

「大丈夫?」

「……はい、ありがとうございます」

「無理もないわ。私も初めて聞いたとき、そうなったもの……」

 

 女魔術師は、青褪めた女神官の肩を撫でる。それは女神官のためと言うよりも自身のためであった。女魔術師も人に触れることで、己を保っているのだ。

 

「その……間違いないんですか?」

「ギルドが銅等級の冒険者を派遣して調べた情報よ。まず、間違いないわ」

 

 壊滅した正確な時期は不明。調査はかなり前から行われていたが、不可解な点が多く調査は難航し、最近になってギルドに報告書がまとめられたのだ。

 

「何があったんですか?」

 

 女魔術師が、報告書の内容を説明する。

 

 最初は行商人からの報告だった。村の近くまで行った時、遠目で沢山の人が倒れていることに気づき、慌てて街まで引き返したという。流行り病や魔神たちの策略を危惧したギルドは、直ちに熟練の冒険者に調査を依頼した。

 冒険者が村に到着すると、目が黄色に変色した奇妙な死体だらけであった。詳しく調べたところ、体に火傷と思われる跡があった。しかし、多くの死体は火傷ではなく変色した目を手で覆っており、具体的な死因は不明。一部の死体の周りには暴れた形跡があり、自害を試みた事がわかった。自ら死を選ぶほど、苦しい思いをしたらしい。

 

 そして女武道家は……

 

「女武道家は、村外れの墓場で亡くなっていたらしいわ。アンデッドになった青年剣士に殺されたみたい」

「アンデッド?どういうことです?」

「青年剣士が入っていた棺桶に、内側から破られた形跡があったの。状況から見て、女武道家はアンデッド化した青年剣士と戦い、返り討ちにあったみたい。手に、彼の鉢巻が握られていたわ」

「そんな……」

 

 説明が終わると、重い空気が流れる。どうして、何故、そんな思いが駆け巡る。例え幸運と呼べなくても、生きていたのに。しかも、幼なじみに殺されるなどあんまりではないか。

 どれほど時間が流れたのか。女神官が口を開いた。

 

「………目が黄色に変色した原因は何ですか?」

「それがわからないの。呪いや病の可能性が高いみたいだけど」

 

 目が変色する病気は幾つかあり、黄色に染まることもある。だが、今回のような変色の仕方は前例が無かった。

 強いて言えば、原因にアンデッド化した青年剣士が関わっている可能性が高かった。

 

 女魔術師は話を終えると、ふらついた足取りで宿に戻って行った。

 今は何もしたく無いらしい。

 

 女神官は動けなかった。初めての冒険にて、女武道家が奮闘してくれなかったら自分は今頃ここにいない。手に持つ黒曜石の認識票だって、彼女なしではあり得ない。いつか、彼女のもとを訪れようと考えていた。女魔術師も同じ思いだったはず。頭も、心も整理できない。

 しばらく机を眺め、カップのお茶が完全に冷えたころになって、ようやく思考が安定してきた。

 自分も宿に戻ろうかと考える。

 

 ふと、女神官の中である考えが浮かぶ。

 前例が無い。

 見た事が無い。

 こうした出来事が、つい最近あったばかりだ。

 

(そうだ。お針子さんに、今の話を聞いてもらいましょう)

 

 お針子が異世界人である事は、ギルドに報告済みである。だが、公表には至っておらず、ギルドと上位冒険者の一部だけに周知するに留まっている。説明も証明も難しく、下手に公表しても正気を疑われ、ギルドの信頼が下がるのは目に見えている。

 ギルドは、ゴブリンスレイヤーたちにも内密にするように伝えていた。

 

 女神官がギルドを見渡すと、お針子はカウンターで受付嬢と話していた。重い気分を跳ね除けて立ち上がり、カウンターまで行く。

 

「という具合で、何者かによって魔神の陣地が壊滅させられているという噂があります。しかし、真偽は不明です」

「うーん、なるほど」

 

 お針子は魔神との戦いについて、受付嬢に話を聞いていた。魔神の陣地を単独で壊滅させている、正体不明の人物がいるらしい。もっとも、情報が限られているため断片的にしかわからない。魔神に苦戦している王国の作り話だという噂もある。

 お針子との話を終えた受付嬢が、女神官に気づく。女神官の暗い表情に気づいた受付嬢は、ゆっくり慎重に話しかける。

 

「こんにちは、女神官さん。……その、女魔術師さんとお話されましたか?」

「はい……例の話は、女魔術師さんから聞きました。その事でお針子さんに聞きたいことがあるんです」

「オイラに?」

「はい、先ずは話を聞いて下さい」

 

 女神官は、先程の話をお針子に話す。口に出すと、また一段と胸に来る。女魔術師も、こんな気持ちだったのだろうか。

 話を終えると、質問をする前にお針子が答えた。

 

「………それはきっと、狂い火の病と混沌の男だよ」

 

 狂い火を患うと瞳が黄色に変色して爛れる。さらに狂的な痛みを伴い、発狂してしまうのだ。治療方法は見つかってない。ごく稀に、お針子の王のように発症後の痛みと発狂に耐えきり、狂い火が消える者がいるが。

 

 混沌の男とは、その昔に讒言の罰として人々に瞳を潰された男だ。彼は瞳を潰された後、やがてそこに狂い火の病を宿したという。この一連の出来事が、狂い火の病の起源であると言われている。

 

「混沌の男は、死体に取り憑くことができるんだ。多分、その青年剣士さんは取り憑かれたんだよ。そして、その村に狂い火をばら撒いたんだ」

「………」

 

 女神官は開いた口が塞がらなかった。もし、それが本当なら青年剣士はアンデッドよりも遥かに危険な存在になったことになる。

 

「なるほど。確証は持てませんが、村の惨状や墓場の状態の説明はつきますね」

 

 受付嬢は、お針子の話をメモに残しながら話す。

 

「お針子さん、狂い火の病について詳しく教えてくれませんか?」

 

 受付嬢が言うには、魔神との戦いが激しい地域で目から火を噴き出す者が報告されているらしい。人から人へ伝染することから、病や呪いの類であることは分かっている。しかし、対応策が見つからず、国は頭を抱えているのだ。魔神と戦っていた上位冒険者にも犠牲者がいるらしい。瞳から涙のように火が吹き出すことから、一部で火涙という仮称が付けられたぐらいだ。

 お針子はできる限りの情報を受付嬢に伝えた。その情報を速やかにまとめ、王都へ送る準備をする。この情報で、一人でも救われる人がいることを願って。

 

 その後、幸いなことに辺境では狂い火の病の報告は無く、魔神王が討伐されるまで比較的ゆったりとした時間が流れるのであった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 長く続いた冒険者と魔神の軍勢の戦いは、多大な犠牲を払いながらも終焉を迎えようとしていた。新たに誕生した勇者と、その仲間である剣聖と賢者が、敗走した魔神王を追い詰めようとしていたのだ。

 

「逃がさないよ!」

 

 勇者は魔神王が逃げ込んだ砦に乗り込み、そこに隠されていた地下に進撃していた。彼らは勇み足で地下を進み、奥の広間にたどり着く。

 

「魔神王、追い詰めたよ。覚悟!」

 

 勇者は、声をあげて広間に乗り込む。

 しかし、反応は返ってこない。

 広間に魔神王は居なかった。代わりに1人の青年がおり、その背後には奇妙な扉があった。青年は帽子を深く被っており、その表情はよく見えない。

 青年が、勇者たちに話しかける。

 

「勇者とその仲間よ、ようこそ。私は王を見定める者。今後もよろしくお願いしますよ」

 

 青年は、状況を読み込めないでいる勇者たちに構わず、話を続ける。

 

「魔神王は今、真の王になるための儀式を受けています。しかし、彼は失敗するでしょう。己こそが混沌の王であるなどと、彼は仰っておりましたが……彼にその資格はありませんから」

「何なのよ、あなた?真の王って何?」

「勇者、このような男の言葉に耳を貸す必要は無い」

 

 剣聖は剣を青年に向け、強い口調で喋る。

 

「魔神王は、その扉の先だな?どけ!」

「心配しなくとも、彼は間もなく出てきますよ。それよりも勇者、あなたにとても大切な話があります」

 

 青年は両手を広げて、大袈裟に語りだす。

 

「勇者、あなたは過ちを犯そうとしている。あなたが魔神王を倒しても世界は平和にならない。寧ろ新たな災厄を招くだけなのです。神々はあなたがいるから、次々と災厄を呼び寄せることでしょう。これがどういう事か、わかりますか?あなたが、あなた自身が、災厄の種になるのですよ。そんなものが、果たして本当に勇者でしょうか」

「おい、黙れ」

 

 聞くに堪えないという様子で、剣聖が青年の首に剣を当てる。賢者も杖を向け、勇者も聖剣を構える。誰もこんな戯言を聞くつもりはない。

 剣聖の剣先が首に触れる。しかし、青年はそれを無視して話を続ける。

 

「あなたは、神が用意した英雄の道ではなく、険しき王の道を歩むべきなのです。その道の果てで神々を打ち倒せば、あなたは災厄の種にならずに済むのです。私の言葉に耳を傾けなさい。そして、正しい王の道を歩みなさい」

 

 剣聖は首を切り落とそうと、剣を振り上げた。

 その時、奥の扉が開き始め、悲鳴のような大きな叫び声が響いた。剣聖は叫び声を聞いて硬直し、その隙に青年は3人から離れる。

 

「ああ、やはり駄目でしたか。所詮、英雄に敗北するための駒に過ぎませんね。私は一度、退散するとしましょう」

「おい、待て!」

「剣聖、そんな奴はほっといて。来るよ!」

 

 3人は扉の方を向き、魔神王へ備える。その間に、青年は何処かへと姿を消した。扉がゆっくりと開かれる。中に居る者が出てきて、その姿を現す。

 

 それは、瞳に燃え盛る狂い火を宿していた。巨大な指に掴まれたような、指痕のような爛れた火傷を全身に負っていた。

 

 

 

 指痕爛れの魔神王がそこにいた。

 

 

 

 指痕爛れの魔神王は叫び声と共に狂い火を撒き散らす。

 

「火涙」

 

 賢者が狂い火の仮称を口にする。その恐ろしさを、賢者は正しく理解していた。咄嗟に、魔法で壁を張り仲間を守る。狂い火が収まるのを待って、勇者が聖剣を掲げる。

 

「行くよ!太陽の爆発!」

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 砦の外部では、魔神の軍勢と王国の軍勢が熾烈な戦闘を繰り広げていた。彼らは、わき目を振らずに眼前の敵を撃ち倒す。

 

 秩序のため、混沌のため、己のため、誰かのため。

 

 混乱を極めた戦場において、魔神王と勇者がいる砦に単独で向かう者がいる事に気づく者はいなかった。

 ましてや、この戦場に秩序にも混沌にも属さぬ者がいるなど、この世界の者たちには想像できなかった。

 

 

 

 さらに、戦場とは別の場所でも混乱が起きていた。

 一つの駒が、自分たちの振るう骰子の結果を反映しなくなってしまったから。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 勇者たちは、劣勢に立たされていた。

 いや、敗北しかけていた。

 

 開幕に放った勇者の技は、魔神王が爪を振りおろした際に起きた狂い火の爆発に相殺された。その後も、絶え間ない狂い火を含んだ攻撃に何度か発狂しかけるも、何とか踏み止まっていた。

 勇者たちは、まだ誰も死んではいない。されど、もう時間の問題だ。賢者は魔法を使い切り、剣聖は剣を杖代わりに何とか立っている。まともに戦えるのは、勇者だけだ。魔神王も負傷しているが、瞳の狂い火は衰えることなく周囲にばら撒かれる。

 

 勇者は聖剣を構え、魔神王に斬りかかる。しかし、ピンチから繰り出される渾身の一撃は、呆気なく外れてしまう。

 狂い火が勇者に降りかかる。勇者は懸命に回避しようとするが、上手くいかない。

 

 魔神王との再戦が始まってから、上手くいかないことが多い。攻撃に失敗したり、回避に失敗したり、いつもと()()が違う。

 

 狂い火を受けた勇者は、瞳に狂い火が灯ってしまう。襲いくる狂的な痛みと、生きることへの絶望感。叫び声が、広間に響き渡る。

 

「ア、アア゛ーーー!」

「勇者!」

「不味い」

 

 勇者は狂い火による痛みと発狂を何とか耐え切った。瞳から狂い火が消えるが、膝をついてしまう。

 魔神王がゆっくりと勇者に近づく。剣聖と賢者が駆けつけようとするが、そこを魔神王が尻尾を振るう。鈍い音が広間に響き渡り、両者は壁に叩きつけられて気絶する。魔神王が勇者の目の前に立ち、爪を、牙を奮い立たせる。その表情は泣いているようにも、歓喜しているようにも見えた。

 勇者は、魔神王の一つ一つの動作がゆっくりに見え、幼い頃に過ごした交易神の神殿が頭に浮かんだ。

 

(僕、死ぬの?)

 

 嫌だ、と思っても体が動かない。仲間たちは気絶し、自分を助けてくれる人はいない。

 

 何て呆気ない。

 自分の冒険は、ここで終わるのだ。

 目を瞑り、その時を待つ。

 

 

 

 しかし、その時は訪れない。

 

 

 

 何かが砕ける音と共に、周囲が一瞬明るくなる。

 そして、冷たい風が吹いて来た。

 

 目を開けると、魔神王が凍傷を負っていた。更に、背後から光の奔流が飛んできて、魔神王にぶつかる。光の奔流をその身に受けて、魔神王はたじろいでしまう。

 背後を見ると、片手に青い大きな剣を、もう片手に青い王笏を持った騎士のような乱入者がいた。光の奔流は、青い王笏から放たれている。勇者たちは知らぬことだが、乱入者は辺境の街で褪せ人と呼ばれている異邦人だった。

 光の奔流を撃ち終えると、褪せ人は青い杯を取り出して、一気に飲み干す。そして勇者の前に出ると、青い大きな剣を掲げる。剣が冷気を纏い、輝き始める。褪せ人は光輝く大剣を、魔神王へ向けて力強く振るい下した。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 砦の広間は静寂に包まれている。

 

 魔神王は、頭に青い大きな剣を、背中に聖剣を突き刺されて死んでいる。

 褪せ人が魔神王と戦闘を繰り広げていた時に、魔神王が勇者に背中を見せた。勇者は最後の力を振り絞り、魔神王の背中に聖剣を突き立てた。その一撃で、魔神王は床に膝と手をつく。その隙に、褪せ人が魔神王の頭に、己の大剣を突き刺したのだった。

 

 勇者は床に座り込んでいた。疲労困憊で頭が働かず、魔神王を倒したというのに、まるで夢の中にいるようだった。

 褪せ人が魔神王から剣を引き抜いた音を聞き、漸く魔神王を倒したという実感が湧いてきた。褪せ人は何故か、引き抜いた大剣を魔神王の両目に突き刺している。

 褪せ人の行動は気になったが、勇者にはもっと気になることがある。

 勇者は、気絶した仲間に話しかける。

 

「皆、大丈夫?」

 

 返答は無かったが、剣聖と賢者から息遣いが聞こえた。しかし、それは今にも消えそうなぐらいに小さい。治療しようにも、薬は無く奇跡も使えない。

 どうしようと考えていると、褪せ人が剣聖と賢者の側に行き、黄金の光を用いて治療を施した。傷が癒えてゆき、消えそうな息遣いは安らかなものに変わる。その様子を見て、勇者は安心し微笑んだ。

 治療を終えた褪せ人は、広間の奥にある扉の方へ移動し始める。それを見た勇者が慌てて声を出す。

 

「その扉は開けちゃダメだよ!」

 

 魔神王は、その扉から出てきた。中に何があるかわからないが、とても良くないものがあるのは間違いない。勇者は必死に止めようとするが、褪せ人は構わず扉の側まで移動する。しかし、褪せ人は扉に触れるだけで中に入る様子が無い。何かを確認しているようだ。勇者はほっと息をついた。

 褪せ人に質問しようとした時、広間の入口側に気配を感じた。勇者が気配の方へ振り向くと、そこには先程の青年が居た。青年は拍手をしながら、褪せ人に近づき話しかける。

 

「流石ですね。やはり、貴方こそ真の王となられるべきです」

 

 褪せ人は青年を見ても、何も反応しない。それを見た青年がつまらなそうに語る。

 

「おや?以前のような反応は無いんですか?おかしいですね。ちゃんと貴方に縁のある人物を選んだはずですが……思ったよりも縁が希薄だったみたいですね。こんな事なら、その辺の死体を使うべきでした」

 

 青年は一度溜息を吐いた後、魔神王と勇者の方を向いて再び溜息を吐く。

 

「しかし、勇者がこの程度とはね。とんだ見込み違いでした。三本指との面会を果たし、神の骰子に影響されなくなったとはいえ、あれは狂い火を宿した病人に過ぎないと言うのに……神の後押しが無ければ、所詮ただの──」

 

 青年が言い終える前に、褪せ人が背後から大剣を胸に突き刺した。胸から大剣が突き出ているにも関わらず、青年は動揺する様子は無く、淡々と語る。

 

「……残念です。しかし無駄ですよ。私は混沌。決して死ぬことは無い」

 

 ああ、世に混沌のあらんことを!

 

 褪せ人は、躊躇うこと無く大剣を引き抜いて止めを刺す。

 再び、広間に静寂が訪れる。

 青年が動かなくなったことを確認し、褪せ人は出口に向かう。

 

「あ、ちょっと!」

 

 勇者は慌て追いかけようとするが、体が思うように動かなかった。お礼、そして聞きたいことが沢山あった。

 勇者が褪せ人を止めようとすると、再び入口の方から音がした。見ると、黄金の甲冑を身に付けた者たちが入って来た。彼らは、王国に雇われた異邦の騎士と兵士たちだったはずだ。

 援軍に来たのだろうか?

 

 彼らと褪せ人の視線が合い、そして──

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 王国の政治の中心である王城、その一室にて。

 

 国王は報告書を見て、頭を抱えた。報告書には、魔神王が根城にしていた砦で起きた出来事が書かれていた。国王は、溜息を吐きながら独り言を呟く。

 

「逃走した魔神王を、勇者が追い詰める。ここまでは良い。問題は、その後に起きたことだ」

 

 まず、現れた謎の青年と火涙を流す魔神王。

 火涙が狂い火という病であることは報告を受けていた。報告を受けた際、発症者を必ず隔離するよう厳令を出した。発症者の中には、騎士や上位冒険者が含まれていたがやむを得なかった。

 この奇妙な病に、魔神たちが関わっている可能性は推測していた。だが、魔神王が患うとは誰も予想だにしなかった。しかも、病気になった魔神王は勇者たちを逆に追い詰めた。

 それだけでも驚くべき報告なのに、砦の最奥には魔神王を上回る何かがいるらしい。

 現れた青年が、三本指と呼ばれる存在を仄めかしていたが、全く聞いたことがない。狂い火に関する報告書によると、世界を燃やそうとしているらしいが。

 最奥にある扉を詳しく調査したところ、封印が施されていることがわかった。魔神王が中にいたことから、何かしら条件を満たせば入れるのだろうが、どれだけ調査しても入り方は分からなかった。

 現在は監視のみ行っている。

 

「封印は解かない方が良いのだろう。しかし、いつまで監視すべきか……」

 

 その次、謎の乱入者。魔神王に追い詰められた勇者を救い、魔神王を倒したもの。しかし、乱入者は冒険者でも、王国が雇ったものでも無い。世界を救った功労者であるのに、その後も国に名乗り出ることは無かった。

 幸いなことに、勇者も聖剣を魔神王に突き立てていたので、勇者を白金等級にする口実はできた。

 

「勇者本人は、納得していない様子だったがな」

 

 調べたところ、西方辺境で捜索されている人物と特徴が一致しており、彼が褪せ人という人物であることが分かった。彼を王と呼ぶ、半獣人が必死に探しているらしい。王国も捜索してみたが、手掛かりも得られなかった。

 

 最後に、黄金の甲冑を身に付けた者たち。とある要塞を根城にした戦闘集団で、王国が正式に傭兵として雇った者たちだ。しかし、はっきり言って野蛮な傭兵よりも問題が多い。

 本来、このような者たちを雇いたくは無い。だが、議論に議論を重ねて雇うことに決定したのだ。

 

「何せ、竜を討伐しているからな」

 

 彼らが根城にしている要塞は、竜を討伐して奪ったものなのだ。竜を討伐できる戦闘集団が混沌の勢力に加担したら、どれだけの被害が出るのか想像もしたくない。

 初めは厳しい戦場に送り込んで使い潰す予定だった。だが、彼らは想定以上に手練であった。幾つかの戦場で多大な戦果を上げ、彼らの名声を高める結果に終わった。

 王国内における、彼らへの評価は真っ二つに割れている。英雄だと褒め称えるものと、追放すべきだというもの。傲慢さを隠そうとせず、亜人にあからさまな差別を行っていることが原因だ。中でも鉱人や圃人に対しては特に酷い態度をとる。理由を確認してみると、背が低いからだと。全く、ふざけている。

 しかし、王国は只人が多いため肯定的な意見も多いのが現状だ。

 

「魔神王の砦からは、離れた場所に配置していたんだがな。何故、砦に向かったのだ?功を焦ったのか?」

 

 彼らは、魔神王の砦で褪せ人と出会うと直ぐに斬りかかり、勇者の説得にも耳を貸さずに殺し合いを始めたらしい。殺し合いというよりも、褪せ人による一方的な蹂躙だったようだが。

 結果、砦に向かったものは全て褪せ人に殺された。

 それを機に、要塞で待機していた者たちが、世界を救った功労者である褪せ人を、神に反逆した大罪人だと言う噂を流しているのだ。厄介な事に、吟遊詩人の一部がその噂を広めるのに一役買っている。

 

「正体も目的も不明な褪せ人よりも、竜を狩った黄金の甲冑の方が英雄譚にしやすいからな」

 

 対抗措置を取りたい所だが、彼らは王国が正式に雇った者であり、一部では人気が高い。更に褪せ人の功績を広げると、勇者の功績を疑問視する者が増える懸念がある。他国の問題を我が国に持ち込むな、と釘を刺すので精一杯だ。せめて褪せ人が、公に姿を現してくれたら良いのだが。

 

「せっかく、魔神王を倒したというのに……」

 

 王都では凱旋のパレードが開かれた。多くの国民が魔神王討伐を喜んでいた。しかし、肝心の勇者は表情こそ笑顔であったが、内心では全く喜んでいないことが手に取るようにわかった。実際、国民が見ていないところでは暗い表情を浮かべていたらしい。

 

 国王は大きな溜息をつきながら、報告書をしまう。

 そして、別の書類に目を向ける。

 

「いつまでも悩んでいられん。まずは魔神王の残党狩りを進めねば……」

 

 世界が救われたにも関わらず、国王もまた暗い表情を浮かべるのであった。




 次回も来週水曜日の予定です。

 補足説明

 嵐の丘にいた者たちは、嵐の城の戦士に屈した。主も帰る故郷も失った上に、元々敗軍でもあった彼らに反骨の意志など残っていなかった。幸いにも、新たな主が気高き強い戦士であることが、彼らにある種の安らぎを与えた。彼らは戦士の一族に仕えていた者であったが故に。

 腐敗と戦う者たちは、今も腐敗と戦っている。元より故郷を捨てた身である。この地は主が名誉の戦死を迎えた地でもある。
 彼らは、新たな王を嫌っていない。むしろ、好いている者がいるぐらいだ。新たな王の功績が、彼らの矜持を満たしたから。
 新たな王は、主には戦祭りで挑み、主の怨敵には単独で挑み勝利した。
 やはり、星砕きこそが最強のデミゴッドであったのだ。

 湖にいた者たちは、新たな王が誕生すると学院という後ろ盾を失った。
 学院は新たな王の怒りを買うことを恐れたのだ。学院には満月がある。されど、カッコウがいると話は別になるやもしれぬ。故に、学院は彼らを追放した。
 略奪を恣にした彼らを受け入れる場所はなく、学院の人形兵と彼らが迫害してきた者たちに追い詰められ、異界へも行けず湖に沈んでいった。
 彼らが迫害してきた者は、兜の羽根飾りを一つ残らずむしり取った。
 ──とくと見よ。カッコウの羽根の醜さたるを。こんなものをまともな者が身に着けるものか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大襲撃ーお針子

誤字報告、様々な感想、本当にありがとうございます。


 うーん、うーん、困ったなぁ

 

 あれ?もしかして、お兄ちゃん?

 まさか、また会えるなんて思わなかったよ

 お話できて嬉しいな

 

 ……そう。実はね、凄く困っているんだ

 変な穴ぼこに嵌っちゃって、出られないんだ

 僕、どうすればいいんだろう……

 

 え?手を貸してくれるの?

 ありがとう。じゃあ、僕のお尻を叩いてよ

 そうすれば、穴ぼこから出られると思うんだ

 

 うわ!何これ?油?

 

 なるほど、こうすれば出るのが楽になるんだ

 じゃあ、思いっきり叩いてね

 

 

 

 うわっ!

 

 

 

 やった!穴ぼこから出られたよ

 ありがとう、お兄ちゃん

 

 そうだよ。僕、強くなるためにここまで来たんだ

 

 だけどね、ちょっと前に強い戦士がいたから

 中に入れようとしたんだけど

 その戦士の仲間に怒られちゃったんだ

 

 お墓を作るから入れちゃダメなんだって

 

 ここの人達はみんな壺の中には

 入りたくないって言うんだよ

 

 中身を増やせないなら

 試練を乗り超えて鍛えるしかないよね

 

 一先ず、この辺で試練になりそうなものを

 探そうと思うんだ

 

 もっと鍛えて、鉄拳のおじちゃんにも負けない

 立派な戦士の壺になってみせるよ

 

 見ててね、お兄ちゃん

 いつか、英雄になって見せるから

 いくじなしでも、みんなを守れる英雄に

 

 戦士は血潮で物語る!

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 史上十人目の白金等級冒険者が生まれ、辺境でも細やかな祭りが催されたころ。

 

 ゴブリンスレイヤーは、いつも通り過ごしていた。勇者も魔神王も、彼には関係ないことだから当然である。しかし、とても気にかかることがあった。お針子のことである。

 

 祭りが開催されたころ、吟遊詩人の歌と共にある噂が流れてきたのだ。吟遊詩人の歌も噂も、誇張され捏造されることはよくある話だ。この噂も例外ではない。

 

 曰く、褪せ人と言う神に反逆した大罪人が現れた。

 曰く、褪せ人は魔神王と手を組んでいた。

 曰く、黄金の甲冑を着た者達は褪せ人を討伐するために王国にやって来た。

 

 お針子は噂を聞いたとき、平静を装っていた。

 

「大丈夫です。我が王は、このような噂に負けません」

 

 褪せ人にとって、歓迎されないことなどいつものことである。故に、この程度の噂は障害にも感じないだろう。

 だが、頭で理解できても心はそうはいかない。話をしている際、お針子の杖を持つ手が震えていることをゴブリンスレイヤーは見逃さなかった。

 お針子をよく知る者、褪せ人に助けられた者は噂など信じはしない。だが噂が原因で、お針子がギルドや街で肩身の狭い思いをしてしまうのでないかと心配になった。

 

 しかし、その心配は杞憂に終わった。

 噂の出所である、黄金の甲冑を身に着けた傭兵たちの評価が、辺境の街ではゴブリン並と言っても過言ではなかったから。

 

 辺境最高と称される重戦士の一党が、依頼で王都付近に行ったときだ。偶然にも何人かの傭兵たちが、重戦士たちと道端で出くわした。そして、一党の圃人の少女巫術師が酷い侮辱を受けたのだ。重戦士たちが止めねば、一党の女騎士が剣を抜いて斬りかかるところだった。

 

「冗談抜きに殺し合いになるところだったぜ……」

 

 重戦士が当時のことを思い出して呟いた。

 これを機に、黄金の甲冑については禁句扱いされるようになった。へたに話せば、女騎士に殺気を込めた眼で睨まれるからだ。

 こうした話は重戦士たちだけではない。鉱人道士が言うには、鉱人のある一族が鍛えた武器を彼らに提供しようとして手酷く断られたらしい。

 

「奴ら、背の高い鉱人が鍛えたものなら使ってやっても良い、などとぬかしたそうじゃ」

 

 このような話が積もっていき、褪せ人の噂の出所が黄金の甲冑を身に着けた傭兵たちだとわかると、誰もが自然と口にしなくなった。

 

 こうして噂は、辺境の街では問題にならなくなったのだ。

 

 だが、ゴブリンスレイヤーが気になっていたのは噂だけではない。むしろ、もう一つの方が気になって仕方がなかった。

 ある日の朝、お針子がゴブリンスレイヤーに警告したのだ。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、気をつけてください。近々、牧場で良くないことが起こります。とても、とても良くないことが起こります」

「ゴブリンか?」

「そう……かもしれません」

 

 お針子は時々妙なことを言う。されど、意味もなく人の不安を煽ったりもしない。冗談を言っているようにも思えず、ゴブリンスレイヤーは胸騒ぎが消えぬ日々を過ごした。

 

 だが、その日々はすぐに終わった。

 

 牧場付近で見つけたそれを、お針子は悲痛な表情で見つめる。ゴブリンスレイヤーも表情は見えないが、お針子と同じようなものだろう。

 2人の見つめる先には、泥と糞に塗れた、おびただしい数の小さな足跡があるのだから。

 

 

 

──────────

 

 

 

 ゴブリンスレイヤーが牧場の家から出てくる。

 

「どう、でしたか?」

「……」

 

 お針子が問うと、ゴブリンスレイヤーが首を横に振る。牛飼娘を説得できなかったらしい。つまり、逃げずに牧場に留まるということ。

 

「手が足りん」

「はい……」

「俺だけでは無理だ」

「……」

「だから、ギルドへ行ってくる」

「……オイラはここにいます」

「逃げないのか?」

「はい、オイラも逃げません」

「そうか」

 

 すまない、と言ってゴブリンスレイヤーは街のギルドへと向かった。

 

 お針子は杖を取り出し、見つめる。己の身につけた魔術は基本的なものばかりだ。例外は《鈍石の力場》だけ。我が王が手ずから残そうとした魔術だから、必死に勉強して身につけたのだ。相手がただのゴブリンだけなら、今身につけている魔術でも戦える。けれど、上位種になると話は別だ。

 

 我が王なら、どうであろう?

 武器を封じて魔術のみにしたとしても、有象無象のゴブリンは《輝石竜の月の剣》で、上位種は源流の魔術で打ち倒す姿が容易く想像できる。あるいは、隕石を呼び寄せて蹂躙するか。

 

 そんなことを考えていると、牧場の家の扉が開かれて牛飼娘が出てきた。牛飼娘がお針子に気づくと、申し訳なさそうな顔で話しかける。

 

「君も残るの?」

「はい、残ります」

「逃げてもいいんだよ?王様に会いたいんでしょう?」

「王には会いたいです。でも、逃げません」

「……どうして?」

「どうしてでしょうね。恩人を見捨てられないのか。それとも、王に失望されるのが怖いだけなのかも」

 

 お針子は、自分でもよく分からないという風に答える。だが、牛飼娘は嬉しかった。理由など、どうでもいい。お針子が残ってくれる。残って彼と一緒に戦ってくれる。それだけで充分であった。

 

「ありがとう、本当に」

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 凄い光景であった。

 お針子は受付嬢に、この街に心から感謝した。

 

 武器で見れば、剣、杖、槍、斧、弓。

 職業で見れば、戦士、魔術師、聖職者、盗賊。

 種族で見れば、只人、森人、鉱人、蜥蜴人、圃人。

 ギルドのあらゆる冒険者がここに集っている。

 我が王より聞いた、戦祭りの話を思い出す。集まっているのは英雄ではないが、数ではこちらの方が凄い。王が星砕きに挑むときも、こんな気持ちだったのだろうか。

 

 お針子は人混みが苦手だ。だが、今だけは別だ。

 牧場を守るため、得られる金貨のため、中にはチーズを食べたいがために集まった冒険者たちが、頼もしくて心強く感じられた。

 

 お針子はギルドで冒険者と交流することがほとんど無い。そのため見かけない人の方が多いが、中には見覚えのある人もいる。

 

 毅然とした態度で頭目が仲間に指示を出しているのは、貴族令嬢の自由騎士の一党だ。

 指差しで装備の確認をしているのは、ほんの少しだけ話したことのある新人冒険者の二人組、新米戦士と見習聖女だ。

 手に持つ新しい杖を確認しているのは、王に助けられた女魔術師だ。

 

 お針子は、星空に浮かぶものを睨む。

 覚悟はとうに決まっている。

 あれが何を期待していようと、何を用意していようと、己が望む結果を得るために歩むのみだ。

 

 

 

──────────

 

 

 

 ゴブリンの大襲撃が始まる前に、ゴブリンスレイヤーは数多くの助言を冒険者たちに与えていた。その助言を元に作戦が考案され、大襲撃の到来と共に実行された。

 

 趣味の悪い肉盾を持ったゴブリンを《眠雲》で眠らせ、肉盾を回収する。待ち伏せし、杖持ちを優先して殺し、最小限の行動でゴブリンの数を減らす。

 やがて戦場は、剣戟音が響き渡る冒険者とゴブリンの乱戦となってゆく。

 

 

 

 貴族令嬢の自由騎士の一党は、そうした乱戦の中で積極的に前に出ていた。頭目である自由騎士は、義憤に燃える人物だ。さらに、ゴブリンには苦い思い出がある。その時の鬱憤を、この場で晴らしてやろうと思っていた。だが、血と剣戟がひしめき合う中では、そうした思いが危険を招く。

 

「ちょっと!前に出すぎ!」

 

 圃人の野伏が叫ぶ。はっとして周囲を見渡すと、ゴブリンに取り囲まれていた。乱戦中では同士討ちを避ける為、不用意に魔術が使われることは無い。だが、突出してしまえば話は別だ。

 得物を振り回しながら、急ぎ後退を始める。

 だが、少し遅かった。

 近くにいたゴブリンシャーマンが、格好の獲物だとばかりに杖を掲げる。稲妻を自由騎士に放とうとして──

 

 ─《火矢》─

 

 手に持っていた杖が燃えて吹き飛んだ。火が飛んできた方を見ると、女魔術師が杖を構えていた。

 彼女は乱戦の中、この瞬間を待っていたのだ。

 

「お返しよ!あんたに身に覚えは無いだろうけどね!」

 

 してやったりと女魔術師が叫ぶ。

 

「助太刀感謝する!」

 

 自由騎士は杖を失ったシャーマンに容易くとどめを刺した。そして、改めて後退し体勢を整える。

 

「良い腕前だな。死ぬなよ」

「それはどうも。そちらも気をつけて」

 

 互いのことを確認しあうと、直ぐに次の行動に移る。自由騎士は、突出しないよう注意を払いながら再び前に出る。女魔術師は、前線の味方を援護するために適度に後退する。

 

 多少の犠牲者を出しながらも、冒険者たちは戦いを有利に進めていく。

 

 だが、ゴブリンたちにもまだ手札があった。後方にいたゴブリンロードが、ホブゴブリンに指示を出した。

 

 

 

 妖精弓手が、ゴブリン達の背後から現れたそれに気づく。

 

「何あれ?箱?」

 

 後方にいるホブゴブリンが大きな箱らしきものを幾つか運んできた。箱を後方に設置すると、前線にいたゴブリンたちが急に後退を始めた。

 冒険者たちは、好機とばかりに前にでる。

 ゴブリンがある程度後退し、冒険者たちが前に出たところで、ホブゴブリンたちが箱を冒険者たちに向けて一斉に開けた。

 

「狂い火!」

 

 中から現れたものを見て、お針子が叫んだ。箱の中にいたものは、目に狂い火が宿ったゴブリンであった。狂い火のゴブリンは、発狂し火をばらまきながら冒険者の方へと向かってくる。突如として現れた狂い火のゴブリンに、前線にいた冒険者がパニックを起こし始める。

 

「これはいかん!このままでは、前線が崩れるのは必至かと!」

「耳長の、早いとこ射貫け!」

「やってるわよ!」

 

 弓で投石紐で、狂い火のゴブリンを止めようとするが数が多い。

 

「全体、下がれぇ!!!」

 

 咄嗟に槍使いが指示を飛ばす。

 狂い火はその身に受けると感染する病気。目から火を噴きだす狂い火は、敵に接近して戦う者にとっては悪夢のようなものだ。あの魔神王も患ったという噂もある。

 冒険者たちは、混乱しながら後退を始めた。

 

 

 

 後退を始めた冒険者の中に、新人冒険者の二人組がいた。

 二人はこの乱戦で何が起きているのか、よく分かっていなかった。だが、早く下がらないと危険だということは分かる。

 槍使いの指示を聞いて後方へ走り出すが、あまりにも咄嗟の行動であったため、見習聖女が足を躓かせてしまった。

 新米戦士が、慌てて見習聖女のもとへ引き返す。

 手を引こうとするが、見習聖女は足をくじいていた。咄嗟にゴブリンたちの前に踊り出て、見習聖女を庇う。

 

「馬鹿!逃げなさいよ!」

「そんなことできるか!」

 

 二人のもとへ狂い火のゴブリンが迫る。噂でしか聞いたことがない目から火を噴きだす者を見て、見習聖女は体を震わせた。新米戦士は、見習聖女を庇うように両腕を広げ、目を瞑った。

 

 

 

「えぇい!」

 

 

 

 突然、子供のような声とゴブリンの悲鳴が聞こえた。何が起きたのだろうと、恐る恐る目を開ける。

 そして、二人は目を丸くした。

 

 視界に映るものは壺だった。

 

 どう見ても壺だった。

 

 その壺から、手足が生えているのだ。

 

 背丈は只人の子供ぐらい。壺としてはかなりの大きさだが、手足が生えているせいで逆に小さく感じられる。

 

「二人とも、大丈夫?」

 

 壺が喋りかけてくる。口がついていないのに、どうやって声を出しているのだ?

 

「それにしても、君!大切な人を体を張って守ろうとするの、凄く良いね!見込みがあるよ!」

 

 壺が褒めてくれた。どう反応すれば良いのだ?

 

「これは戦士として、僕も生き様を見せてあげないとね。二人とも見ていてよ」

 

 壺が振り返った。どっちが前で、どっちが後ろだ?

 

「戦士は血潮で物語る!」

 

 生えた手足を振り回しながら、壺がゴブリンに向かって行った。

 

「……何?あれ?」

「……わかんねぇ」

 

 二人は思わず呆然とする。しかし、壺に狂い火が降りかかりそうになり、慌てて叫んだ。

 

「火が!危ない!」

 

 ところが、壺は狂い火が降りかかっても全く気にする様子が無い。ゴブリンを殴りながら、得意気に言う。

 

「ふん!そんな火じゃ壺の焼き入れもできないぞ!」

 

 瞳を持たぬ壺は、狂い火によって発狂することはない。

 さらに、火に対して強い耐性を持っている。

 鉄拳と称された壺は、己には焼き入れが必要だと語って燃え盛る火山の溶岩に浸かった。だが、思ったより温いと言って、古い伝承にある滅びの火を求めたのだ。

 血潮で語る壺は、鉄拳の中身を継承した壺だ。

 この程度の火を恐れるわけがない。

 

「おじちゃんから引き継いだ、この拳!くらえ!」

 

 血潮で語る壺の拳は、鉄拳の壺には遠く及ばぬ。だが、ゴブリンを殴り飛ばすには十分だ。壺は拳に火を纏い、数多くのゴブリンを巻き込みながら、その拳を力強く突き上げた。

 

「さあ、どんどん来い!今夜は試練の夜だ!乗り越えてみせるぞ!」

 

 壺は、再びゴブリンたちに向かって行った。新人冒険者の二人は、口を半開きにして眺めていることしかできなかった。

 

 

 

「何だ?ありゃ?」

 

 壺を視界の端で捉えた槍使いが、目の前のゴブリンを捌きながら口にする。彼の冒険者歴は相当なものだが、あんなものは見たことが無い。

 お針子が魔術を放ちながら答える。

 

「あれは戦士の壺ですよ」

「戦士?あれが?」

「はい、壺人と呼ばれる種族の戦士として作られた壺です。大丈夫です。壺人は善良な者たちだと、我が王が言っておりました」

「何でもいいだろ。この状況での加勢はありがたいぜ」

 

 重戦士が大剣を振り回しながら、話を締め括る。

 そりゃそうだと、槍使いも思う。

 狂い火を噴きだす者に近づくなど、槍使いでも重戦士でも簡単にできることではない。遠距離で攻撃するにも、前衛がいなければ難しい。

 その前衛ができたのだ。狂い火のゴブリンは、壺の出現で対処が圧倒的に楽になった。

 

 狂い火のゴブリンの出現で一時混乱した戦場は、再び冒険者たちが有利となった。

 

 すると、今度は巨大な影が姿を現す。

 その影を見て、槍使いが口角を上げる。

 

「見ろよ。大物が来たぜ」

「っしゃあ!雑魚に病気持ちに、うんざりしていたところだ!」

 

 大物を狙うのは、冒険者の醍醐味だ。槍使いの槍が、重戦士の大剣が唸りを上げる。女騎士が呆れたように重戦士に付き合い、魔女が長煙管から口を離して煙を吹く。

 西方辺境の英雄たちはゴブリンの白金等級、ゴブリンチャンピオンに向かって行った。

 

 

 

──────────

 

 

 

 ゴブリンロードは、必死に駆けていた。

 くそ、くそ、と心の中で悪態をつきながら。

 

 完璧な奇襲だったはずだ。なのに、沢山の冒険者が待ち伏せしていた。戦況はすぐに不利になった。だが、どうにでもなると思っていた。とっておきの切り札があったから。

 目から火を噴き出す者。手元に置くにも危険な厄介者たちだったが、襲撃においては切り札として最適であった。実際、あいつらを解き放った後は、一時的にこちらが有利になったのだ。

 

 それが、すぐさま覆された。

 壺に、ちんけな壺ごときに。

 

 あれが何なのかは分からない。だが、目から火を噴き出す者に怯える処か、嬉々として向かって来た。あの壺が来たせいで、目から火を噴き出す者たちは壊滅した。

 結果、あの群れに勝ち目は無くなった。

 

 おのれ、小汚い壺め。

 次は必ず割ってやる。

 バラバラに砕いてやる。

 

 今回は失敗した。だが、自分さえ生きていれば次があるのだ。学習し、経験を積んで、次こそは上手くやる。

 

 そんなゴブリンロードの思惑は、待ち構えていた二人の冒険者によって潰された。

 ゴブリンロードも、所詮はゴブリンの一匹に過ぎなかったのだ。

 

 

 

──────────

 

 

 

「かんぱーい!」

 

 妖精弓手が音頭を取り、何度目かの乾杯を上げる。

 何度乾杯を上げても構わない。

 勝利に、戦死者のために、何度でも乾杯して騒ぐ。

 冒険者だけでなく、牛飼娘も牧場主も巻き込んで、宴は盛大に行われる。

 

 ゴブリンスレイヤーは、疲れて寝息を立てている女神官の頭を肩に乗せている。

 お針子は、そんなゴブリンスレイヤーを少し離れたところから眺める。

 

 良かった。本当に良かった。

 

 思い出すのは数日前の夜。いつも通り、牧場で星を見ようと外に出たときに、それを感じ取った。

 

 最初は気のせいだと思った。自分たちは冒険に出ていない。ここは洞窟でも遺跡でもない。

 ここは平和な牧場なのだ。

 だから、大丈夫だと思いながら夜空を見上げた。

 

 ──ゾッとした。

 

 今から起きることを期待するように、あれが牧場を見つめていたから。

 あの時はどうなるものかと心配で眠れなくなったが、無事に乗り越えることができた。

 

 だが、次に見つめられたときは?

 さらにその次は?

 あれをどうにかしなければ、いずれは……

 

 そこまで考えて首を振る。自分では、そこまでのことはできない。できるとしたら、それは我が王だ。

 

 王のことを考えると、寂しさが込み上げてきた。

 寂しさを誤魔化すため、周囲の冒険者に目を向ける。まず、目についたのは新人冒険者の二人組。彼らは、戦いの中で見た不思議な壺について話している。

 

「あの壺は?」

「戦士は孤独なものだからとか言って、どこかに行っちゃったのよ」

 

 壺は襲撃が終わると、すぐに立ち去った。かなりの傷を負い、欠けている部分もあったが平然としていた。立ち去る時、焼き入れでもしようかな、と語っていた。

 

「無事だと良いんだけど」

「そうだな。でも、凄かったよな。俺もあんな風に成りたいよ」

「壺に成りたいの?」

「いや、そうじゃなくて。ほら、何か言ってたじゃないか。戦士は血で何とか……」

「戦士は血潮で物語る、でしょ?」

「そう、それ!俺もあんなことを言える戦士に成りたいよ」

「成れるわよ。というよりも、もう成ってたりしてね」

「どういうことだよ?」

「体を張って守ってくれたでしょ?ありがとうね」

「え?あ、ああ……」

 

 急に礼を言われて、新米戦士は顔を赤らめてしまう。見習聖女は、そんな戦士に微笑む。

 

 新人冒険者の二人組から目を離すと、今度は自由騎士の一党が目に入る。仲間同士で今夜の戦いについて話している。

 圃人の野伏が、お針子に気づいて声を掛けてくる。

 

「ねぇねぇ、お針子さん。前々から聞きたいことがあったんだけど、聞いてもいいかな?」

「はい、何でしょう?」

「君の王様って恋人とかいるの?」

 

 約二名、ピクッと聞き耳を立てる者が現れる。

 

「恋人も何も……ご結婚されていますが?」

「あ~、そうなんだ……」

 

 圃人の野伏が、気まずそうに自由騎士の方をちらっと見る。

 

「ちょ、ちょっと、飲み過ぎよ!」

「何だ?勝利の美酒だぞ?盛大に飲んで何が悪い!」

 

 自由騎士は、明らかに先程までと違うペースで酒を飲んでいく。周りは止めようとするが、お構いなしだ。そんな自由騎士の隣に、酒瓶を持って座る者がいた。女魔術師である。

 

「付き合うわ」

 

 そう言って、自由騎士と共に女魔術師は酒を流し込み始めた。

 

「ええ、予想はしていたわよ!へたな英雄より強いし、王様だし!」

「ああ、その通りだ!だが、少し期待したって良いだろう!」

 

 2人は何やら愚痴りながら、次々と酒瓶を空けていく。もはや、止めることは不可能であろう。明日は二日酔い確定である。

 圃人の野伏は、溜息を吐きながら自分の席へ戻っていった。

 

 何だったのだろう?と、お針子が思っていると妖精弓手の絶叫が響き渡った。

 

「オルクボルグが兜はずしてるー!」

 

 ギルドのホール中が軽いパニックになる。こんなもの滅多に見られないと、次々とゴブリンスレイヤーの元へ押しかけていく。

 そんなゴブリンスレイヤーたちを見て、お針子は思わず体を震わせる。

 

「あれ?」

 

 お針子の様子に妖精弓手が気づいた。

 

「お針子が笑ってる?」

 

 お針子はとても楽しそうに笑っていた。いつも怯えた様子の彼が笑うのも非常に珍しい。

 ゴブリンスレイヤーがお針子に問う。

 

「顔に何か付いていたか?」

「いえ、そうではないんです。ただ、我が王も中々兜を外されなかったので……」

 

 あれはいつだったか。狭間の地の王都で、王が集めた防具を色々と仕立ててみたいと言ったのだ。その時に初めて、お針子は王の素顔を見たのであった。

 

「何だか、懐かしくなってしまって」

 

 お針子は楽しそうに笑い続ける。この瞬間だけは月擬きのことなど、どうでも良かった。

 宴が終わるまで、お針子は心の底から楽しい時を過ごすのであった。




 次回、少し遅れて4月になります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

水の街と法の神殿ーお針子

お久しぶりです。
誤字報告、感想、評価、本当にありがとうございます。


 大襲撃から少し経ったある日。

 

 お針子は水の街に来ていた。辺境の街から東へ二日、歴史ある大きな街だ。以前、この街に来たことがある妖精弓手の先導のもとお針子たちは進んで行く。

 

「もう、そんなにキョロキョロしないでよ」

「はい、すいません……」

 

 辺境の街より都会と言える街の中、お針子はずっとキョロキョロしている。ギルドに初めて訪れた時と同様に。そんなお針子に、妖精弓手はため息を吐く。

 

「まぁ、お針子さんの気持ちも分かりますよ。辺境の街と、こんなにも雰囲気が違いますから」

 

 女神官もお針子ほどでは無いが、周囲に目を奪われてしまう。活発な商人たちが絶えず行き交い、美しい建物には全て彫刻が施されている。このような光景は、辺境の街では見られないものだ。

 歩きながら道行く人々の衣服と自分の衣服を比べたり、闇人の商人にちょっと驚いたり、軽い観光気分に浸ってしまう。

 景色を楽しみながら歩き続け、ある建物が見えてきたところで一行は立ち止まる。

 

「ほら、あそこよ」

 

 妖精弓手が、目的地である法の神殿を指さす。

 白亜の大理石を用いた、壮麗な社。

 法と正義、光と秩序の神殿。

 

「わぁー……」

「……ゴクリ」

 

 女神官は声を漏らし、お針子は固唾を呑む。

 神殿に見惚れた女神官が興奮で頰を紅潮させれば、お針子は緊張で青褪めていく。

 二人の反応は、実に対照的だ。

 

「あ、そういえば」

 

 女神官がお針子に振り返って聞く。

 

「お呼びになった方は、どなたですか?」

「え、え〜と……」

 

 お針子が鞄から手紙を取り出し、確認する。

 

「大司教って書いてあります」

「えぇっ!?」

 

 女神官は、驚きのあまり思わず大きな声をあげてしまう。

 

「あの、どうかしたんですか?」

「どうかしたって、そっか知らないのね……」

「お針子さん、法の神殿の大司教は──」

 

 この法の神殿にいる大司教と言えば、至高神の大司教。西方辺境一帯の法を負って立つ人物。10年前に魔神王を討ち取った6人の英雄の一人。

 金等級、剣の乙女だ。

 

「そ、そんな凄い人が…どうしよう……」

 

 女神官の説明を聞いたお針子は、軽いパニックになる。女神官と妖精弓手も不安そうな表情を浮かべる。彼女たちは法の神殿に呼ばれたお針子に付き添い、3人でこの街までやって来たのだから。

 そのきっかけは、数日前まで遡る。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 数日前、辺境の街のギルド。

 

「お針子さん、ちょっとよろしいですか?」

 

 もはや定位置になりつつある壁際に座るお針子に、カウンターから声が掛かった。お針子がカウンターに行くと、受付嬢が手紙を差し出してきた。

 

「ゴブリンスレイヤーさんへの手紙ですか?」

「いえ、違います。お針子さん、あなた宛ですよ」

 

 はて?

 自分宛に手紙?

 誰からだろう?

 

 この世界の知り合いは、この街にいる人たちだけだ。黒曜等級の自分に、指名依頼が来るはずもない。もちろん王から、なんて事はないはずだ。そうだったら、とても嬉しいが。

 一先ず、手紙を見てみる。

 

「え〜と……水の街にある法の神殿ってところが呼んでいるみたいです」

「……へ?」

 

 受付嬢は、思わず変な声を出して固まる。お針子はそれに気付かず、受付嬢に問う。

 

「法の神殿って何ですか?」

「……至高神の神殿です。この辺り一帯の司法を取り仕切る場所で、裁判所とかがあるところです」

「……え?」

 

 今度はお針子が、声を出して固まる。しばらくの硬直の後、震えながら話し始める。

 

「オ、オイラ裁かれるんですか?何もしてないですよ!」

「ちょっと、拝見してもよろしいですか?」

 

 お針子は受付嬢に手紙を渡し、内容を確認してもらう。一通り目を通すと、落ち着いた声で説明を始める。

 

「大丈夫です。書類は司法関連に使われるものではありません。法の神殿の方が、聞きたい事があるだけみたいです。罪を問うようなものではありませんよ」

「そうですか。良かった」

(呼んでいる人物が、大司教様というのが非常に気になりますがね……)

 

 可能性として考えられると、お針子の王のことか異世界のことだろうか。大司教は金等級だから、お針子が異世界出身であることを知っているはず。

 

「あの、これって断っちゃダメですか?知らない街に一人で行きたくないんですが……」

「ダメではないです。しかし、断る明確な理由がないなら行くべきですね」

「そうですよね。うーん……」

(正直、呼んでいる人物が大司教様なので、断るなんて絶対に良くないんですよね)

 

 法の神殿に呼ばれた時点で、余程の事情がない限り行かなければ外聞が悪い。相手が大司教なら尚更である。しかし、そのことをお針子に説明したら、身を強張らせ余計行くことを拒むかもしれない。

 見知らぬ街に1人で行くのは、お針子には厳しいことだ。誰かに同行してもらえれば話は別であろうが、ゴブリンスレイヤーは絶対に同行しないだろう。他の人に頼むしかない。

 

「……とりあえず、皆さんに相談してみます」

 

 

 

──────────

 

 

 

「じゃあ、行ってくるわね」

「はい、お気を付けて」

 

 女神官はギルドに入ったところで、冒険に出発する女魔術師と出会った。女魔術師は大襲撃後の宴で自由騎士とすっかり意気投合し、自由騎士が率いる一党に加わることになったのだ。

 聞いた話によると、女魔術師は大襲撃でゴブリンシャーマンの杖を折ったらしい。それは、最初の冒険の失敗を自ら乗り越えたようなもので、女魔術師が自信を取り戻すには十分なできごとであった。

 

「出遅れたけど、あなたにもちゃんと追いついて見せるわ」

 

 自信を取り戻した女魔術師の言葉を聞いて、女神官は素直に嬉しかった。機会があれば、一緒に冒険することもできるだろう。

 

 いつか、青年剣士と女武闘家の故郷へ一緒に行こう。あの場所には、もう墓場しかない。それでも、女神官と女魔術師にとっては行く意味がとても大きい。

 

 女神官は女魔術師と別れると、ゴブリンスレイヤーたちが集まっているテーブルを見る。どうやら自分以外は、もう集まっているようだ。

 女神官は、慌ててテーブルの方へ向かう。

 

「別に行けば良いだろう?」

 

 女神官がテーブルに近づくと、ゴブリンスレイヤーがお針子にそんなことを言っていた。

 

「あの、一緒に行ってくれたりとかは……」

「ゴブリンではない」

「ですよね」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉を聞いて、お針子は泣きそうな顔になり、周りは呆れた表情になる。どうやら、お針子が何か相談していたらしい。

 女神官は挨拶しながら、話しかける。

 

「おはようございます。お針子さん、何かありましたか?」

 

 お針子は女神官に挨拶を返すと、受け取った手紙について簡潔に説明をする。

 

「なるほど、法の神殿ですか」

「はい。行ったことがない場所なので、同行してもらおうと思ったのですが……」

「ああ、なるほど……」

 

 先ほどのやり取りについて察しが付き、女神官もゴブリンスレイヤーを見ながら呆れた表情になる。いつもの通りとは言え、溜息が出てしまう。

 

「しかし、法の神殿がお針子に何の用かしら?」

「ふむ。恐らく、お針子殿の王のことか故郷のことを聞きたいのかと」

「わしも同意見じゃな。まさか針仕事しろとは言わんじゃろう」

 

 妖精弓手が疑問を口にすると、蜥蜴僧侶と鉱山道士が答える。お針子が罪を犯したなど、誰も考えもしない。

 女神官が少し考えた後、お針子に話しかける。

 

「お針子さん、良ければ私が一緒に行きましょうか?」

「え?本当ですか?」

「はい。法の神殿があるのは近隣で一番大きい水の街、前々から一度行ってみたかったんですよね」

「ああ、ありがとうございます!」

 

 女神官が笑顔で語り、お針子は喜びながら感謝する。女神官は噓をついていない。彼女とて、年頃の少女だから興味があるのは当然だ。

 

「2人だけで平気?あの街、本当に広いわよ?」

「平気ですよ。法の神殿のお膝元で、治安も良いと聞きますし」

「表通りはね。でも裏通りとか入り込むと、ガラの悪いのが沢山いるわよ。もしもの場合、自分の身を守れる?」

「うっ……」

 

 妖精弓手の話を聞いて、女神官は困ったような表情を浮かべる。他の街に行くことは彼女も初めてだから、不安が無いと言えば噓になる。お針子も話を聞いて、不安そうな表情になる。

 お針子と女神官の表情を見て、妖精弓手が溜息をつく。

 

「仕方ないわね。私も一緒に行ってあげるわ」

「いいんですか?」

「ええ。水の街には行ったことがあるし、最近はゴブリン退治ばかりで気分転換もしたいしね」

 

 妖精弓手は、ゴブリンスレイヤーをジト目で見ながら理由を説明する。ゴブリンスレイヤーは何も言わない。仮に口を開いたところで、嫌ならゴブリン退治に同行しなくて良いと言われるだけだろうが。

 

「野伏殿が同行されるのなら安心ですな。拙僧は、今回は待機で」

「わしも同じく待機じゃ。美味い酒なら、この街でも飲める」

「俺は……」

「オルクボルグは言わなくてもわかるわ。ていうか、さっき答えてたわよ」

 

 蜥蜴僧侶と鉱山道士が答えて、結論が出た。女神官、妖精弓手がお針子に同行し、残りは辺境の街に待機かゴブリン退治。

 こうして、お針子は2人の同行者と共に水の街に向かうのであった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 時間を戻して、法の神殿の待合室。

 法の神殿は、小さな揉め事から人の生死に関わる事まで審判と裁きを行う場である。待合室には、そうした裁きを求める沢山の人で満たされている。

 そんな待合室の中で、お針子は緊張した様子で案内を待っている。他の2人は、お針子を心配そうに見つめている。

 しばらくして、待合室に声が響く。

 

「お針子様、お待たせしました。ご案内いたします。お連れの方は、引き続き待合室でお待ちください」

 

 お針子は不安そうな表情を浮かべて、2人の方を見る。

 

「お針子さん、大丈夫ですよ。ここで待っていますから」

「そうよ。早く終わらせてきなさい」

 

 2人の言葉を聞いて、お針子は立ち上がり声のもとへ行く。案内を任された女性は、お針子を確認すると先導して神殿の中を進んで行く。

 待合室を抜けて、審判の行われる法廷や、書庫の並ぶ廊下を更に奥へと進んでいく。そして、神殿の最奥に到着する。そこは、白亜の円柱が立ち並び神像が祀られる礼拝堂であった。

 礼拝堂は聖域と呼ぶに相応しい光景であったが、お針子の心情はそれどころではない。待っているのは四方世界の英雄だ。無礼などあってはならない。緊張で体をガチガチに固めながら、祭壇へと向かう。

 

「大司教様、お針子様がいらっしゃいました」

 

 案内人の声を聞いて、祭壇で祈りを掲げていた女性がこちらに振り向く。

 その女性を見て、お針子は本物の石のように固まってしまった。元々、緊張していたこともあるが、それ以上に驚愕してしまったのだ。

 目の前にいる大司教、剣の乙女は手には天秤剣の杖を持ち、薄い白衣で身を覆い、煌めく金の髪を持つ美女であった。だが、お針子が驚いたのはそこではない。

 剣の乙女はお針子に挨拶をする。

 

「ようこそ、法の神殿へ。お針子様」

 

 しかし、お針子からの返事はない。剣の乙女は怪訝な表情を浮かべる。

 

「……あの、どうかなさいましたか?」

 

 剣の乙女の問いを聞いて、お針子はようやく我に返る。そして、必死に口を動かした。

 

「あ、あの……その目は……」

「ああ、これですか」

 

 剣の乙女は、自身の目元を覆う黒い帯を手で撫でながら説明する。

 

「故あって、目が弱くなってしまいまして……外しますわね」

 

 剣の乙女は眼帯を外し、その目を開いた。その瞳はどこか弱く儚いように感じたが、その色を見てお針子は安心した。

 剣の乙女が、悪戯に成功した少女のように微笑む。

 

「ふふ、狂い火の病人かと思いましたか?」

「え?……その、ご存知でしたか」

「はい、貴方が伝えてくれた知識は一通り」

 

 剣の乙女は眼帯を付け直し、お針子は先ほどの無礼を詫びる。

 

「大変申し訳ございません。緊張と驚きで、声が出なくなってしまい……」

「構いませんよ。こちらこそ、驚かせたことをお詫びしますね」

 

 剣の乙女が穏やかな声で謝罪し、お針子はようやく緊張が解けてきた。

 

「それで、お呼びした理由は何でしょう?」

「はい、幾つかお聞きしたいことがございます。主にお針子様の故郷に関することで」

 

 予想していたことで、お針子は安心した。故郷である狭間の地に関することで、自分の知ることを答えれば良いのであれば、造作もないことだ。

 

「最初に興味本位でお聞きしますが、貴方はご自分の血族が混沌に与したとして、殺せますか?」

「はい?」

 

 自分の血族?混沌?何を言っているのだろう?

 お針子はこの世界の秩序と混沌を理解していない。そもそも自分の血族は、乱暴な獣のような者ばかりだ。

 お針子は少し考えてから答える。

 

「その……乱暴な奴がいるとしたら、退治されてもしょうがないと思います」

「ふふ、そうですか」

 

 お針子の返答を聞いて、剣の乙女は微笑む。今の返答で良かったのだろうか?

 

「申し訳ございません、関係ない質問をしてしまって。初対面の方には、聞くようにしてますの」

「はぁ……なるほど」

「それでは、本題に入らせていただきますわ」

 

 剣の乙女が床に座り、お針子にも座るように促す。案内人は、剣の乙女の側でメモを取る準備をする。

 お針子が床に座ると、剣の乙女はゆっくりと話し始めた。

 

「改めて確認させていただきたいのですが、狂い火の病を治す術は無いのですか?それと、三本指についても」

 

 お針子は質問に丁寧に答えていく。

 狂い火の病は発症を抑える予防薬は有るが、治す薬は無いこと。

 三本指については、あまり詳しくない。しかし、人が抗えるものではない。指というのは元来、人智を超える存在の使者である。

 

「なるほど……魔神王が狂い火を患ったのも納得できますわね」

 

 剣の乙女は魔神王と対峙した経験がある。だからこそ、三本指が人ではどうにもならないことが理解できる。

 

「次の質問です。ある場所に、巨大な樹が出現しました。出現した時期は不明です。その樹を中心に水と大地が変色し始め、奇妙な菌類が目撃されておりますわ。恐らく、異世界に由来するものと推察しております」

「菌類……変色した色は朱い色でしょうか?」

「はい、その通りです」

「それは、朱い腐敗だと思います。巨大な樹は聖樹かと」

 

 朱い腐敗は、外なる神が起源とされる狭間の地を蝕むもの。火の力が、朱い腐敗に対抗できる。ある場所では、今でも火を用いて腐敗と戦う者たちがいる。また、大変希少ではあるが治療薬が存在する。

 

 聖樹は、生まれつき朱い腐敗に蝕まれた妹のために、ある神人が宿って育てていたもの。だが、神人は誘拐されてしまい、聖樹は朱い腐敗に蝕まれ醜く育ってしまった。

 

 お針子の知識は、王と結びの司祭から聞かされたものであるため完璧とは言えない。しかし、無知に比べれば遥かにマシである。

 一通り、話し終えたところでお針子はあることを思い出した。

 

「あ、そういえば……」

「どうかなさいましたか?」

「……先ほどの誘拐された神人ですが、朱い腐敗と狂い火に対抗する力を持っていたようです。その力で作られた針があれば、宿った狂い火を鎮めることができます」

「その針はどちらに?」

「針は、我が王が所持しています。しかし、針は未完成で使えないと聞きます」

「その針を完成させることはできないのですか?」

「誘拐された神人にしかできないそうです。神人は我が王が見つけましたが、その時には目覚めぬ眠りについていたそうです」

 

 一つだけ針を使う方法がある。しかし、その方法はお針子の王にしかできない。時の狭間、その嵐の中心に行けるのは王のみである。

 

「最後にお針子様の王について聞かせてください」

「はい、どうぞ」

「まずは、黄金の傭兵たちとの関係と噂についてお聞きしたいです」

「……それは、狭間の地に深く関わることです。上手く説明できないと思います。説明できたとしても、ご理解できるか」

「異世界のことですからね。常識も違うことでしょう。こちらで可能な限り咀嚼いたしますわ」

 

 お針子は言い淀みながらも、できるだけ詳しく王について語る。黄金樹のこと、律のこと、王都のこと、王が歩んだ苦悩の旅路のこと。

 剣の乙女は、語り終わるまでただ静かに聴いていた。

 お針子が語り終わると、剣の乙女は天を仰ぐように顔を上に向け、ゆっくりと口を開いた。

 

「やはり、理解が及ばぬことが多いですね。律というものは特に。我々にとっての秩序のようなものかと思いましたが、根本的に異なっている……」

 

 秩序がもし律のようなものだとしたら、それが壊れてしまったとき、己は世界のために秩序に反逆できるのか。秩序と常に共にあった剣の乙女には、とても想像できないことだ。

 

「黄金の傭兵たちにも、話を聞きました。彼らの言い分に嘘は無く、こちらを騙してもいなかった……」

 

 彼らが誇っていたものを燃やし、守ってきた故郷を灰に埋め、神を殺した。その怒りと憎しみは、計り知れないものだろう。

 

「お針子様の王は、魔神王を討伐し勇者様をお救いになられました。だから、何か力になれたらと思いましたが……」

 

 これは文字通り、どちらかが倒れるまで終わらない問題だろう。第三者が入り込んだところで何も解決しない。むしろ、問題が複雑になるだけだ。

 剣の乙女は申し訳なさそうに、お針子へ向き直る。

 

「その……我が王は裁かれるのですか?」

「そのようなつもりはございません。……正直に申しますと、わたくしは口実が欲しかった」

「口実?」

「ええ、あの傭兵たちと国が縁を切るための口実が」

 

 剣の乙女は危惧していた。あの傭兵たちは、いつか大きな問題を引き起こす。実際、彼らは根城である要塞に何かを隠しているようだった。だから問題が起きる前に縁を切り、できることなら国から追放したかった。

 しかし辺境では兎も角、王都付近では彼らの人気は高い。そのため、縁を切るには相応の理由が必要であった。

 

「国王には何度か進言したのですが、やはり理由なしでは縁を切れない。むしろ、国王も理由を欲しているようでした」

 

 国王個人は、傭兵たちと縁を切りたかった。しかし、今は魔神王の残党狩りを行っており、少しでも戦力が欲しい。個人の感情を押し殺して雇うことが、為政者というもの。政治とは、思うようにならないものである。

 

 話を終えて、剣の乙女は立ち上がり礼を言う。

 

「お針子様、本日はご足労いただきありがとうございます。お聞きした話は、わたくしから国王に報告させていただきます」

 

 お針子も立ち上がり、頭を下げる。そして、案内人の先導のもと礼拝堂をあとにする。

 お針子は嬉しかった。この地の英雄の1人が、我が王に少しでも理解を示してくれたことが。

 これで何かが変わるわけではないだろう。しかし、無意味でもないはずだ。

 

 お針子は急いで待合室に行く。思っていたよりも長くなってしまった。

 

「あ、妖精弓手さん、終わったみたいですよ」

「ん~……やっとね」

「お待たせしました」

 

 女神官がお針子に気付き、妖精弓手は背伸びしながら立ち上がる。女神官がお針子に小声で尋ねる。

 

「お針子さん、剣の乙女様はどのような方でしたか」

「素晴らしいお方でした。お会いできて良かったです」

「ああ、やっぱり。私もいつか会ってみたいです」

 

 お針子の話を聞いて、女神官は目を輝かせる。そんな2人を妖精弓手は早く外へ出るよう促す。法の神殿を出たところで、妖精弓手が一つの提案をする。

 

「まだ日が高いわね。今日は水の街を見て回って、明日は馬車で帰る。どうかしら?」

「賛成です!折角なので色々と見て回りたいです!」

「オイラも、それで良いと思います」

 

 こうして、妖精弓手の案内で水の街を一日楽しんだ。冷たく甘いお菓子を食べたり、吟遊詩人の歌を聞いたり、水の街の冒険者ギルドを見学したり。泊まった宿は中々良いところだったが、お針子は落ち着かず一晩中星を見ていた。

 

 次の日の朝、帰りの馬車の中で。

 

「…………」

「お針子さん、どうかしましたか?」

「いえ、何でも……」

 

 お針子は星を見ている時に、あれが自分たちのいる場所を見ているような気がした。何かを用意しているような。

 思案していると、妖精弓手が話しかけてきた。

 

「もしかして、牧場の時みたいに何か感じ取ったの?それは、この街の冒険者や法の神殿が対処する問題よ」

「はい……そうですよね」

 

 例え、この街の冒険者ギルドに伝えたところで何も解決しないだろう。見知らぬ者の、訳も分からぬ警告に耳を傾ける人などいない。

 更に言えば、この街の冒険者ギルドを訪れた際の自分に向けられる目線が怖かった。汚いものを見るような目線が。妖精弓手が側にいてくれて、本当に良かった。

 剣の乙女なら耳を傾けてくれるかもしれないと思ったが、法の神殿に行っても会うことはできなかった。お針子が訪れる前、朝早くに王都へ出立してしまったらしい。

 

 お針子は無念の想いを抱えたまま、辺境の街へ帰還するのであった。

 

 

 

──────────

 

 

 

 お針子と剣の乙女が対談を終えた後。

 剣の乙女と案内人が、法の神殿の私室で話し合いをしていた。案内人は、剣の乙女の侍女であった。

 

「大司教様、例の件はどうなさいますか?」

「……予定通り、狂い火と三本指の調査は行います」

 

 狂い火の病を治す術が無い。だが、病を患った者の友人や家族が簡単に諦めるわけがない。彼らは剣の乙女に、狂い火と三本指が封印されている扉の調査を嘆願していた。

 調査したところで得られることはたかが知れているが、何もしないわけにもいかない。国王へ報告しなければならないこともある。

 

「王都に行く準備は?」

「今日中には整います。お針子様が、王都に行く前に来られて助かりましたね」

「ええ、間に合って良かったですわ。では、明日の早朝に出発いたしましょう」

 

 その後、剣の乙女は予定通り早朝に水の街を出立し、王都で国王への報告を終えた後、三本指の調査に出た。

 

 しかし、調査は中止されることになった。

 調査中に水の街で事件が発生したのだ。邪教徒による侍祭殺し。それと同時に起きた、地下水道へのある者の侵入。剣の乙女は地下水道の使徒たちを通して、それに気づいてしまった。

 

 最悪のタイミングであった。

 

 襲い来るトラウマと悪夢、それにより精神を疲弊した剣の乙女は、三本指の格好の餌食だった。剣の乙女は調査中に半狂乱に陥ってしまった。

 

 目を閉じているのに見える灯。

 耳を塞いでも聞こえてくる絶望の怨嗟。

 

 剣の乙女は、己に起きた異変の正体に気づいた。やむを得ず、自害しようとしたが周りの人たちが力づくで止めた。

 国王と至高神の司教たちの協議により、剣の乙女は正気を完全に失う前に《保存》を用いて、王都の至高神の神殿で長き眠りにつくことになった。

 《保存》は、生体の変化を止めて眠りにつく奇跡。これにより、狂い火を患うことを防げる。目覚めの条件を決めることもできるので、剣の乙女が三本指に操られることも防ぐことができる。

 しかし、精神の変化までは止められない。

 その変化は、剣の乙女と精神で繋がりを持っている者たちにも影響が出る。

 

 地下水道の使徒たちは暴走し、誰の手にも負えなくなってしまった。




次回は来週水曜日の予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

貧民窟と地下水道ー褪せ人

感想、誤字報告、ありがとうございます。
久しぶりの褪せ人回になります。


 褪せ人の目の前には、異形の遺体があった。

 下半身は魚を思わせ、顔は目と鼻が逆さまに付いているように見え、腕には水かきのようなものがあり、全身から黒い根を生やした異形の遺体。魂のみ死んだデミゴッド、死王子である。

 

 死王子の側には、死衾の乙女と双児の片割れが死んでいた。褪せ人が死王子の座から離れた後に、殺し合いをしたのだろうか。

 褪せ人は二つの遺体の側に寄り、祈りを捧げる。

 

 

 

 ……死衾の乙女よ

 

 死王子の座で再会したとき、

 お前には何もせず立ち去った

 

 暴力を振るう事もなければ、

 協力することもなかった

 

 お前は死に生きる者を

 弱き者として救おうとしていたが、

 他の弱き者には目も向けなかった

 

 しろがね人、卑兵、混種、亜人、

 地下に住まう者たち、放浪商人の一族

 

 そして、お前を殺した

 双児の片割れも弱き者であった

 今ここで双児の剣を拾い、それが分かった

 

 お前たちの殺し合いは、

 黄金律に否定された弱き者と、

 黄金律に肯定された弱き者の争いであった

 

 弱き者たちの中から、

 死に生きる者だけが救われて何になる

 

 ……だが、お前の想いは汲み取ろうと思う

 

 死衾の乙女よ、約束しよう

 夜の中に、死に生きる者たちのあり様を許すことを

 

 分かたれぬ双児よ、お前たちにも約束しよう

 黄金律が肯定したように

 夜の律もお前たちを肯定することを

 

 

 

 祈りを終えると、あらためて死王子を調べる。

 狭間の地の深き根の底と同じ姿で、地下深い迷宮の最奥に死王子はいた。

 

 褪せ人は適当な直剣を取り出し、死王子に突き刺す。

 直剣は、瞬く間に黒い傷に蝕まれ、ボロボロになって根本から折れてしまう。折れた部分を見ると、赤黒い力の残滓が見えた。それは、死王子の中に運命の死がある証拠。褪せ人が解放した運命の死は、確かに死王子にも届いていた。

 

 褪せ人は首をひねる。

 

 運命の死が死王子にも届いていたのなら、

 何故死王子は死に生きたままなのだ?

 

 運命の死により、完全なる死を迎えても

 おかしく無いはずだが……

 

 まるで、死王子が運命の死に抗っているようだ。そのような力を、死王子が有しているとは思えない。死衾の乙女なら何か知っていたであろうか。

 褪せ人は、これ以上の調査を諦め地下迷宮から出ることにした。

 

 

 

──────────

 

 

 

 褪せ人は地下迷宮を出て、すぐ側にある星の祝福で休息を取る。そして、懐からあるものを取り出して話しかける。もし誰かに見られたら、変人か危険人物と思われることだろう。

 

 

 

 ……死王子の調査、ご苦労であった

 異変の原因についても、大体分かってきた

 引き続き、この調子で頼むぞ

 

 死王子が完全に死なぬ理由だが、

 どうやら死王子の中で

 何者かが抗っているようだ

 

 ……思い当たる者がいるとしたら

 死王子の生前の友であった古竜であろうか

 

 古竜は黄金樹の前史、

 運命の死が取り除かれる前の王を守る壁

 死に抗えても不思議ではない

 

 もっとも時間の問題であろうがな

 古竜はやがて抗う力を失い、倒れるであろう

 その時、何が起こるのか……

 

 …

 ……

 ………考えても埒が明かないな

 何より今は優先すべきことがある

 

 王よ、転移の力を持つ鏡を破壊して欲しいのだ

 

 鏡はとある遺跡の中にあるのだが、

 そこに入るには街の地下水道を

 通らなければならない

 

 ある意味、今までで一番の面倒なことだろう

 全く厄介な場所に置いてくれる

 しかし、あの鏡は何としても破壊せねばならない

 

 狭間の地の門を通れるのは、あの地にいる者だけ

 故に、狭間の地に何かが紛れ込むことはない

 

 だが、あの鏡があると少々話は変わる

 可能性は極めて低いが、使い方次第では

 こちらから狭間の地に転移できるかもしれん

 

 断じて防がなければならない事だ

 災いの種は取り除くに越したことはない

 

 破壊する方法は、私の暗月を使えば良い

 月はあらゆる魔術を打ち消せるからな

 

 頼りにしているぞ、私の王よ

 

 

 

────────────────────

 

 

 

「お得意様、あれが水の街だ」

 

 水の街から少し離れた、丘の上。

 褪せ人と放浪商人が街の様子を見ていた。

 

 褪せ人は、この世界の街に詳しくない。そこで商いで水の街に立ち寄った事がある、放浪商人に案内を頼んだのだ。

 

 街を観察しながら、潜入の下準備をする。

 

 放浪商人の話によると、褪せ人の良くない噂が出回っているらしい。いつもの獣集いの鎧を着ては、街には入れないだろう。擬態のヴェールも見えざる姿も、人が多い場所では気づかれる可能性が高いため危険だ。

 目立たず、不自然ではない格好をして、堂々と街に入るのが無難だ。

 

「あの街じゃ、汚れた装備は目立つ。あんたが持っている鎧の大半は駄目だな。だからって騎士の装備もお勧めできんな。こっちじゃ、板金鎧は高価だから目立つだろう」

 

 さらに放浪商人の話によると、冒険者は基本的に兜を身に着けないらしい。頭部に致命の一撃が入ったらどうするのだ。顔を売り、名声を得る為らしいが、命を危険に晒すほどの理由なのであろうか。

 この地で最初に出会った冒険者は、しっかり兜を身に着けていたというのに。

 

「さて潜入向けの装備だが、ここにちょうど鎖帷子がある。前に売ったものと違って綺麗な新品だ。どうする?」

 

 ……選択肢など無いだろう。

 ルーンは、この世界では商売に使えないので、金色の硬貨が入った袋を渡す。この世界の洞窟や遺跡で、魔神とか竜とかを倒した際に手に入れたものだ。

 

「お得意様、金貨一袋は多すぎだ。案内代?それでも一掴みで十分だ」

 

 放浪商人は袋から少しだけ取り出して、残りを褪せ人に返す。褪せ人にとっては、音で敵を引きつけるぐらいにしか使えないのだが、返すと言うなら仕方ない。

 鎖帷子を着用して準備を進めていると、放浪商人は出立の準備をする。水の街には立ち寄らないらしい。

 

「あの街には法の神殿とかいう司法機関があるんだが、ここ最近やたらピリついててな。根無し草が商売をするには、少々不向きなのさ。どうも、少し前に侍祭殺しがあったことが原因らしいんだが……トラブルに巻き込まれないよう、注意しな」

 

 放浪商人は、警告を終えると立ち去って行った。

 褪せ人は放浪商人を見送り、準備を終えると水の街に向かった。

 

 

 

──────────

 

 

 

 街の中に入ると、その活気に圧倒される。

 外からは何度も眺めたことはあったが、やはり実際に目の前にすると違う。

 狭間の地には、まともな市民など一人もいなかった。廃墟化していた村や街も、破砕戦争前にはこのような光景が広がっていたのだろうか。

 

 街の水路に沿ってしばらく進むと、地下水道の入口が見えた。しかし、険しい表情を浮かべた見張りが立っており、簡単には中に入れそうになかった。強行突破もできなくはないが、それは最後の手段だ。

 別の手として考えられるのは、井戸からの侵入だ。しかし、表通りの井戸には格子が張られている。大きな建物なら、中庭に井戸があっても不思議ではないが、何処かに潜入できそうな場所はないだろうか。

 

 ふと、目の前に巨大な神殿が見えてきた。放浪商人が言っていた法の神殿であろうか。あれ程の神殿なら、地下水道の入口もあってもおかしくない。だが、潜入には不向きだ。この世界にも、幻覚や透明などの魔術がある。そういう類は、見破る術があると考えて良い。

 

 どうしたものかと街を散策していると、褪せ人はある光景を目にして立ち止まった。

 通りの右側には工房があり、窓からハンマーを持って金床を叩く老人が見える。武器工房のようだ。そして、左側には露天商の少女がいた。広げた布の上に、商品を置いている。手作りの装飾品を売っているようだ。

 

 その光景から、円卓の鍛冶師と調霊師を思い出す。2人とも、自身の旅を支えてくれた大切な恩人である。特に鍛冶師は、武器を神を殺せるまでに鍛え上げた際に、褪せ人を王と呼んでくれた。

 旅の途中で、褪せ人を王と呼んでくれたのは2人だけ。お針子と鍛冶師だけだ。褪せ人の伴侶も王と呼んでくれたが、言葉通りではなく夫という意味合いが強い。

 

 まぁ、それはそれで嬉しいのだが

 

 鍛冶師は、円卓が燃え始めても出ようとせず、最終的に記憶を失ってしまった。調霊師は、そんな鍛冶師と最後まで共にいた。2人は褪せ人が王になると、円卓と共に消えてしまった。

 もう、会うことはできない。

 

 ……お針子は元気だろうか

 

 彼もこの世界に来ているのだろうか。それとも、結びの教会にいるのだろうか。再び、夜空に旅立つ前に必ず会いたい。この世界にいるのなら、探さねばならないな。

 褪せ人は、決意を胸に再び歩き出す。

 その後、裏通りも捜索したが成果は得られなかった。これで街中は一通り散策した。残るは郊外にある貧民窟だ。

 

 

 

──────────

 

 

 

 貧民窟を歩き出して、しばらく経ったころ。褪せ人は自分の間抜けさを恨んだ。

 

 せっかく放浪商人が警告してくれたというのに

 こんな間抜けを晒したのはいつ以来か

 

 典礼街で周囲をよく確認せずに

 梯子を登ったのが最後であったか?

 

 褪せ人は、仕方なく足を止める。すると、貧民窟の物陰から目つきの悪い者たちが姿を現し、褪せ人を囲んだ。頭目らしき男が、褪せ人に話しかける。

 

「……妙な奴だな。実に不自然だぜ」

 

 頭目らしき男は、褪せ人を観察しながら話を続ける。

 

「装備は冒険者だが、連中は貧民窟には基本来ない。ましてや、新品を着込んだ新人が来ることなど、まずあり得ない。てめぇ、何者だ?」

 

 どうやら褪せ人が着ている装備は、貧民窟では不自然のようだ。黒き刃の装備にでも着替えておくべきだったか。

 男の質問に褪せ人がどう答えようか悩んでいると、今度は頭上から声がした。

 

「おやおやおや?用心棒さんよ、卑しい盗人でも出たのかい?」

 

 用心棒と呼ばれた男が舌打ちして、顔を上に向けて叫ぶ。

 

「フーテン!てめぇの出る幕じゃねぇ!引っ込んでろ!」

「まぁ、そう言うなよ。卑しい盗人相手なら、俺も喜んで手伝うぜ。へへへへッ…」

 

 褪せ人は、フーテンと呼ばれた聞き覚えがある声の方に顔を向ける。見ると、屋根の上に特徴的な座り方をした男がいた。立ち位置の関係で、蹴落とされた後のようだ。

 

「………ん?おい、もしかして……あんたか?ちょ、お、おい用心棒、待て!」

 

 フーテンは、褪せ人に気づくと慌てて屋根から飛び降りて、褪せ人と用心棒の間に立つ。

 

「用心棒!こいつは俺の知り合いだ!」

「知り合いだぁ?てめぇもこいつも信頼できるかよ」

「まぁ、待てよ。お前たちは三つほど勘違いしてるのさ。

 一つ目、こいつはかなりの腕利きであること。

 二つ目、こいつは法の神殿の犬でも、

     馬鹿騒ぎを起こした奴でもないこと。

 三つ目、こいつは話のわかる奴だってことだ」

 

 フーテンは用心棒に落ち着けと宥めるような仕草をした後、褪せ人に話しかける。

 

「久しぶりだな、あんた。ここに来る前に、星が落ちたと聞いたからもしやと思ったが、本当に会えるとは思わなかったぜ。

 とにかく、今ここで起きたことはよくある不幸な誤解だな。そうと分かれば、お互いにすっきりと水に流して、仲良くやろうぜ?な?」

 

 褪せ人は承諾し、用心棒は怪訝な顔をしたまま何も答えない。

 

「すまねぇな、あんた。用心棒は、ここらのまとめ役が雇っている奴なんだが、ちょいと気が立ってるのさ。

 馬鹿な奴らが法の神殿に喧嘩売ったせいで、ここもその煽りを受けててな。お陰で、ひもじい思いをする奴が増えちまった。だから……わかるだろ?」

 

 フーテンが何か期待するように目配せする。褪せ人は、懐から袋を一つ取り出してフーテンに手渡した。

 フーテンは袋の中身を一つ取り出すと、見せつけるように指で弾いてキャッチして見せる。銅でも銀でもない、金色の弾かれたものを見て、周りが少しざわついた。フーテンはキャッチした金貨をポケットに入れると、残りを袋ごと用心棒に投げ渡す。

 用心棒は袋を受け取ると、一枚取り出して部下に渡す。部下は金貨を丹念に調べた後、本物の金貨だと用心棒に伝える。

 

「……なるほどな。確かに、話の分かる奴のようだ。くれぐれも面倒ごとは起こすなよ。ここでは、常に見られていると思いな」

 

 用心棒は話を終えると、部下と共に立ち去って行った。誰もいなくなったことを確認し、フーテンが褪せ人に話しかける。

 

「あんた、こんなところに何の用だ?街は避けていると思ったんだが……」

 

 この男を頼るべきか、褪せ人は悩む。だが、背に腹はかえられないだろう。地下水道の入口を探していることを伝えた。

 

「……ほう、地下水道にねぇ。あんたがこの街に用があるとしたら、法の神殿か地下水道ぐらいしかないもんな。ついてきな、静かに話せる場所があるからよ」

 

 フーテンが先導して歩き出し、褪せ人は後ろをついて行く。決してフーテンの前を歩かないように、警戒をしながら。

 

 

 

──────────

 

 

 

 案内された場所は、もぐり酒場であった。客は少なく、互いに目を合わせようとしない。店主もこちらを気にとめず、グラスを磨いている。

 フーテンは、もぐり酒場の端にいつもの格好で座る。

 

「悪くない場所だろ?大っぴらにできない話もここならゆっくりと話せるぜ。

 ……ん?俺がこの街に居るのがそんなに不思議かい?」

 

 褪せ人は郊外の貧民窟とはいえ、法の神殿がある水の街にフーテンが居ることが不思議だった。彼はそうした場所を避けると思っていたから。

 

「この街はな、卑しい奴がとても多いのさ。冒険者や衛視なんか特にな。

 冒険者は、余所者や貧乏人が来ると見下すくせに、逆に自分たちが持っていない物を見ると、物欲しそうに涎をたらしやがる。

 衛視は正義を振りかざし、貧民窟から好き勝手に奪っていく。しかも、只人の差別主義者が紛れ込んでいやがる。カッコウの羽飾りが似合いそうな連中さ」

 

 フーテンは笑いながら語り続ける。

 

「法の神殿も似たようなもんさ。何せ、大司教がとんだ詐欺師だからな。下手すりゃあ、出産だって経験しててもおかしくないのに、乙女なんて呼ばれてるんだぜ。

 全く、嫌になるぜ。どいつもこいつも外見だけ良くて、中身は貧民窟以上に汚いクソばかりだ。

 まぁそんな訳で、この街の連中には一泡吹かせてやりたくてな。俺はその機会を伺っているって訳さ」

 

 フーテンの話を鵜呑みにはできないが、人が見かけでは分からないのは事実だろう。狭間の地では、外見など何の判断基準にもならなかった。

 乙女に関しては、死衾の乙女という前例があるので、清らかな女性というイメージが褪せ人には無い。

 

「さて、本題に入ろうか。あんたが入りたがっている地下水道の入り口だが……心当たりがあるぜ」

 

 フーテンの話によると、仕掛け人と呼ばれている者たちが使っている秘密の入り口があるらしい。巧妙に隠されているが、場所を明かさないと誓えるなら通行料を支払うことで誰でも使えるらしい。

 

「ただ、地下水道には問題が発生しててな。馬鹿な奴らが、大量のゴブリンを放ちやがったのさ。お陰で、色んな奴が迷惑を被っている。そこでだ、あんたに頼みたい事がある」

 

 要は入り口の場所を教える代わりに、ゴブリン退治をして欲しいらしい。それぐらい自分でして欲しいが、上位個体が居て面倒だとか。

 彼は信頼できないが、持っている情報は侮れない。学院の地下にある、乙女人形の話も本当だった。そのお陰で、とんでもない目にあったが。

 褪せ人は、ゴブリン退治を引き受けることにした。

 

「王になっても、お人よしなところが変わってなくて何よりだ。それじゃあ、よろしく頼んだぜ」

 

 フーテンは、印のついた地図を取り出して褪せ人に渡す。地図につけられた印は、貧民窟のある場所を指しているようだ。

 褪せ人は地図を受け取ると、印の場所へ向かった。そして、いつもの装備に着替えると地下水道へ踏み込んだ。

 

 

 

──────────

 

 

 

 地下水道は完全にゴブリンたちの巣窟であった。

 褪せ人も1人では手間取ったことであろう。ならば頼りになる者たちを呼べばよいだけの話だ。

 

 流体剣がムチのようにゴブリンを斬り刻み、霧がゴブリンを苦しませながら殺してゆく。褪せ人に呼び出された夜巫女と剣士の姉妹は、見事な連携でゴブリンを倒していった。

 彼女たち、地下に住まう民は星の世紀と夜の王の誕生を待ち望んでいた。その影響によるものか、この姉妹は褪せ人が夜の王になった後、より積極的に戦うようになった。傀儡でありながら、夜の王のため戦えるのが嬉しいのだろうか。露払いを任せるのに、彼女たちは最適であった。

 

 地下水道に入って、どれくらい経ったであろうか。さっさと終わらせるつもりだったが、思ったよりも時間がかかってしまった。姉妹に露払いをまかせたこともあり、ゴブリンの大半は始末できたと思っていいだろう。

 しかし、褪せ人にはゴブリン以外に気になることがあった。

 

 石造りの水路には、あちこちに船の残骸のようなものがあった。ゴブリンが乗っていた船のようだが、跡形もなく破壊されている。更に水路のあちこちで、ひび割れや崩れた場所があった。古い水路なので壊れている場所があってもおかしくないが、自然に壊れたものではない。明らかにゴブリン以外の何かが暴れた跡のようであった。

 地下水道と似たような場所で、巨大なザリガニ(断じてエビではない)に囲まれたことがある褪せ人は、こうした場所には良い思い出がない。嫌な予感が自然と増してゆく。

 

 警戒しながら、水路を進むと水が波立ち始めた。

 

 足を止め、周囲を注意深く見ていると巨大な白い何かが飛び出してきた。歯がびっしりと生えそろった細長い顎を持つ、沼竜という怪物であった。

 褪せ人は知らぬことだが、白い沼竜は剣の乙女が呼び出した使徒であり、本来は敵ではない。だが今は、剣の乙女に起きた異変の影響で暴走してしまっている。

 白い沼竜はこの世の全てが憎いとばかりに目が血走っており、明確な殺気を放ちながら襲ってきた。

 傀儡の姉妹が瞬時に白い沼竜に攻撃を仕掛けるが、通常の沼竜よりも皮膚が硬く力が強い。おまけに一匹ではなく複数いるようだ。褪せ人の背後にも何匹か現れた。

 褪せ人が背後の白い沼竜に対処している間に、姉妹は猛攻を受けて消えてしまった。白い沼竜たちは褪せ人を取り囲み、血走った目を向ける。

 

 フーテンめ……

 こいつらがいることを知っていて黙っていたな

 というよりも最初からこいつらの始末が目的か

 

 奴の頼み事が、ただのゴブリン退治で済むわけがないことは予想していた。これだから信頼できないのだ。

 

 褪せ人は青い王笏を取り出して、地面に突き立てた。すると、周囲に氷の嵐が巻き起こり白い沼竜たちを怯ませる。褪せ人はその隙に包囲から抜け出すと、今度は氷の霧を放つ。

 沼竜は爬虫類であり、蜥蜴僧侶と同じ恐るべき竜を祖に持つ者。それ故に、寒さに弱いという弱点を持っている。褪せ人の放った氷の霧は、まるで毒のように白い沼竜たちの命を蝕み、凍傷を負わせる。

 しばらく経つと、地下水道が静かになった。褪せ人の周囲にある水は、完全に凍り付いている。白い沼竜たちは、寒さと褪せ人の魔術により絶命した。

 恐らく、地下水道に住む者の中でも相当の強者であろうが、弱点を突けば問題ない。相手の弱点を見極めることは、戦術の基本だ。

 白い沼竜が死んだことを確認すると、褪せ人は再び奥へ向かって歩き始めた。

 

 

 

──────────

 

 

 

 気がつけば地下水道は、壁画の施された大理石の地下墳墓に変わっていた。狭間の地にある王都の地下墓も、下水道の先にあった。奇妙な類似点があるものだ。

 複雑に折れ曲がる石造の回廊は、迷宮そのものだ。また、ゴブリンを探し回らないといけない。

 しばらく歩くと、玄室の重厚な扉に行き着く。鍵は掛かっていないため、容易く開けることができた。石櫃が並ぶ玄室の中央には、誰かが縛られているのが見えた。

 

 生きていれば助けてやりたいが、これは……

 いや、むしろ好都合かもしれない

 

 褪せ人は少し思案した後、装備を整え玄室の中央へと向かう。すると、背後の扉が乱暴に閉まり、玄室から出られなくなった。

 

 

 

 掛かった!

 

 ゴブリンの嘲笑が回廊に響き渡る。

 冒険者というものは本当に間抜けだ。誰かが倒れていれば、必ず助けようとする。ただの死体だというのに。

 扉を閉めて毒気を中に流し込み、中にいる間抜けが死ぬのを待つ。女ではないのが残念だが、暇つぶしには丁度いい。死体をぐちゃぐちゃにして、遊ぶとしよう。

 

 まだかな?もういいか?

 

 耳を当て、音がしないか確認する。

 何も聞こえない。もういいだろう。

 かんぬきを外して、扉を開ける。玄室の中を見渡すと、部屋の奥に誰かが立っていた。まだ死んでいなかったのか。だが、もう虫の息だろう。

 ゴブリンたちが笑いながら部屋に雪崩れ込み、侵入者を袋叩きにしようとする。すると、侵入者の杖に巨大な半透明の剣が出現した。剣の間合いにいたゴブリンは勿論、間合いの外側にいたゴブリンも、剣から放たれた冷気の光波に引き裂かれた。

 侵入者が玄室の外に出てくると、ゴブリンたちはパニックを起こす。我先にと逃げ出すが、侵入者の魔術からは逃れることができなかった。

 

 

 

 褪せ人は火の祈祷で毒を癒しながら、周囲を確認する。玄室の外にはゴブリンの死体が重なりながら絨毯のように広がっていた。罠にわざと掛かり、ゴブリンが集まったところで《輝石竜の月の剣》で一掃する。褪せ人の狙い通りであった。

 よく見ると1匹だけ生き残りがいた。ゴブリンの上位種であるゴブリンチャンピオンである。凍傷を負って震え上がり、完全に戦う意志を無くしている。

 褪せ人が近づくと、情けを求めて来た。

 亜人たちの中にお針子がいたように、お前たちの中にも善良な者がいるかも知れない。だが、多くの亜人がそうであったように、お前は群れを得たら再び人を襲うだろう。

 褪せ人は黒き刃を取り出すと、迷う事なくゴブリンチャンピオンの額に突き刺した。

 

 ゴブリンを全て始末したことを確認すると、褪せ人は玄室の中を()()()()()()()()()で調べる。すると、石櫃に隠された階段を見つけた。

 褪せ人は迷わず、階段の先へ向かった。

 

 

 

──────────

 

 

 

 階段の先は、地下墳墓の最奥であった。礼拝堂を思わせる神秘的な場所であり、巨大な鏡が祀られるように置かれている。そして、鏡の前には目玉の怪物がいた。

 

 褪せ人は、今日は厄日だと思った。或いは、()()()()()()()()()で調べた際に、周囲にある物を破壊したのが良くなかったのか。

 地下水道の先にある礼拝堂は、忌み捨ての地下の奥にあった大聖堂を思い出させる。目玉の怪物には幾本もの触手が生えていて、まるでミミズ顔のようである。何故こうも、嫌なことを思い出すものが多いのだ。

 

 目玉の怪物は部屋に入ると攻撃を仕掛けてくるが、通路まで移動すると何もしなくなる。こいつをここに置いた奴は頭が悪いらしい。通路から攻撃されることを想定していないのだろうか。

 褪せ人は、槍を取り出す。大古竜の得物から削り出したその槍は、古竜の武器たる赤い雷の力を秘めている。

 褪せ人は赤い雷を槍に纏い、限界までタメて全力で投擲する。目玉の怪物は魔術の類を妨害するようだが、あいにくこれは魔術ではない。赤い雷が目玉の怪物に突き刺さり、轟音と共に鏡まで吹き飛んで叩きつけられる。鏡から床に落ちた目玉の怪物は、もうピクリとも動かなかった。

 

 褪せ人は、漸く目的の鏡にたどり着いた。

 水面のように揺らめく鏡面は、先ほどの一撃を受けても全く傷ついていない。この世界の者が、これを破壊するのは簡単にはいかないだろう。

 褪せ人は暗月を呼び出して、鏡に向かわせた。赤い雷でも傷つかなかった鏡は、暗月の衝突と共にひび割れ破壊された。

 

 

 

──────────

 

 

 

「よう、あんた、無事だったか。ほんと、おっそろしい男だ」

 

 地下水道の入口まで戻ると、フーテンが待っていた。空を見ると、薄っすら明るくなってきている。どうやら早朝のようだ。

 褪せ人は静かにフーテンを睨む。

 

「ま、まぁ、言いたいことは何となく分かるぜ。けれど、俺が伝え忘れたことが有っても無くても、あんたは地下水道に向かっただろ?なら、結果は同じはずだ。

 それに、ほら、あれだ。あんた、火山館で俺の受けた依頼だけすっぽかしたじゃねぇか。そりゃあ、恩人を手にかけるのは嫌だろうが、依頼を遂行しなかったのは事実だ。だから、これでお互いノーカウントだろ、ノーカウント」

 

 褪せ人は顔をしかめながら了承する。腹立たしいが、フーテンには感謝している。彼がいなかったら、強引な手を使うことになっていただろう。

 

「あんたはもうここを出て行くだろうが、また来ることがあれば訪ねてきてくれよ。また、商いでも始めようかと思っていてな。決して損はさせないぜ。へへへへッ…」

 

 彼の商店も馬鹿にできない。出どころは怪しいが、確かに役に立つ物を扱っている。

 

「さて、俺は商いの準備に戻るとするかね。あばよ、あんた」

 

 フーテンは挨拶を終えると、貧民窟の方へ戻っていった。褪せ人も貧民窟を出ることにする。短い間だが、実に濃厚な時間であった。

 

 貧民窟から出て、放浪商人と別れた丘まで行く。日が昇るにつれて、水の街に活気が戻っていくのが分かる。苦難も多かったが、得難い経験でもあった。

 本音を言えば、街をゆっくり見て回りたい。しかし、褪せ人はこの世界では異物だ。立ち寄った洞窟や遺跡で冒険者を助けた時でさえ、神が邪魔者を睨むのを感じる。人々と深く交流することはできない。フーテンのように狭間の地から来た者のみ、例外なのだ。

 名残惜しいが、もう行かねばならない。

 

 褪せ人は霊馬を呼び出して、駆けだした。

 次の目的地は聖樹だ。

 

 

 

──────────

 

 

 

 褪せ人が水の街から出て、数日後。

 

 法の神殿にて剣の乙女の侍女が水の街を眺めながら、溜息をついた。

 ここ最近、彼女は一日のほとんどを水の街を眺めて過ごしていた。世話すべき剣の乙女が不在であったから。

 剣の乙女が眠りについたことは、機密事項となった。その関係で、侍女は1人で水の街に帰ることになった。剣の乙女の側を離れたくなかったが、水の街の司教たちに事態を説明し、剣の乙女が水の街にいるように欺けるのは彼女ぐらいであったから。

 

 侍女は水の街に帰還して司教に事態を説明した後、すぐに侍祭殺しの解決に取り掛かった。しかし、よりによって剣の乙女が呼び出した使徒に邪魔され、地下水道の調査は進まなくなってしまった。

 使徒たちを討伐することも考えた。もし、使徒たちが暴れて地下水道に致命的な崩壊が起きてしまえば、水が氾濫してしまう。そうなれば、街の存続が危うくなる。

 だが、使徒は呼び出した者によってその強さが変わる。剣の乙女が呼び出した白い沼竜は、尋常ではない強さを持っていた。そもそも、至高神から授かった使徒を討伐することに、神殿の騎士たちが快諾するわけがなかった。

 

 事件の全容が見えてきても何も有効な手立てができないまま、ただ時間だけが過ぎ去っていった。

 

 しかし先日、事態が急変した。

 

 何者かによって、地下水道の使徒とゴブリンが退治されたのだ。更に、邪教徒が使用していた転移の鏡も破壊されていた。

 何が起きたのか調査を進めると、フーテンと呼ばれている流れ者が関わっていることが分かった。早速、フーテンを法の神殿に呼び出し尋問した。しかし、何も得る事ができなかった。

 

「邪教徒?法の神殿に喧嘩売った、馬鹿な奴らだろ?知らないし、逢ってもいないな。俺はただ、お人よしに地下水道のゴブリン退治を依頼しただけさ。使徒?鏡?そんなこと一言も頼んでいないし、そもそも口にすらしていないな」

 

 つまり、そのお人よしがゴブリン退治のついでに使徒を討伐し、鏡を破壊したことになる。そんな人物が存在するのだろうか。少なくとも、フーテンの発言には一つも嘘がなかった。

 邪教徒との関りがないので、フーテンは本件において罪に問えない。お人よしに関しては、地下水道の崩壊を未然に防いでくれたことにむしろ感謝したいほどだ。

 

 使徒たちがいなくなったので、地下水道の保安が必要になった。だが、法の神殿は地下水道に人員を割くことなどできない。地下水道に発生する鼠や虫の退治は、駆け出しの冒険者がやる事だ。ゴブリン退治と同様に。

 そのため、冒険者ギルドに依頼を出したが、手を出す者は少なかった。むしろ、この美しい街で鼠や虫が出るわけが無い、と考える者がいるぐらいだ。剣の乙女が使徒たちを使い、人知れず地下水道の保安を行ってきた事が裏目に出てしまった。

 地下水道はまともに管理されず、放置状態となった。

 

 今頃、地下水道は悪党の縄張りと化しているだろう。聞いた話では、近隣で冒険者が行方不明になることが増えたらしい。彼らが何処に消えたのか、想像するのは容易い。法の神殿の足下が、悪党の隠れ蓑になってしまった。それに気づいている者、危機感を抱いている者は少ない。

 地下水道の汚れが、街中に出てくるのは時間の問題だ。

 

 水は汚れていく。少しずつ、少しずつ。

 街の人々が、それに気づくのはいつになるだろうか。

 悪党が肥える前に、どうか気づいて欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 へへへへッ……

 

 まいどありー




 今後の更新についてですが、少し不定期になります。
 新規投稿する場合は水曜日の19時に行います。
 よろしくお願いします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

発酵と腐敗ーお針子、褪せ人

忙しくて、書き上げるのがギリギリになってしまった。

感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます。


「ありがとう、これで今日の分は終わりだね」

「お役に立てて、何よりです」

 

 夕方、牧場のとある小屋の中で、牛飼娘は牧場の仕事を終えて、お針子にお礼を言う。小屋の中には木製の型が並んでおり、中には加工された乳が入っている。この加工された乳が、時間をかけて蜥蜴僧侶の大好物であるチーズになるのだ。

 

「いつも不思議に思うんですが、どうしてこれがチーズになるんでしょう?」

「あれ?熟成とか発酵とか聞いたことないの?」

「聞いたことはありますが、詳しいことは……」

「そうなんだ」

 

 牛飼娘は熟成と発酵について簡潔に説明する。説明を聞いたお針子は不思議そうな顔をする。

 

「それって、その……腐らせてるってことですか?大丈夫なんでしょうか?」

「まぁ、そうとも言えるかな。腐ることは人に害を与える物が殆どだけど、人に有益な物に変わることもあるんだよ。それが熟成や発酵なの」

「腐ったものが有益なんて不思議な話です。オイラの故郷では、ほとんどの物が腐ることは無かったし、腐敗は有害な物ばかりだったから」

「腐らない?お針子さんの故郷って寒いところなの?」

「え……は、はい。そういう場所もあります」

 

 お針子はとっさに誤魔化す。故郷のことは、秘密にするようギルドに言われている。牛飼娘なら問題ないと思うが、受付嬢が笑顔で念を押して言ってきたことだ。あの笑顔は、正直怖かった。

 牛飼娘は小首を傾げるが、詳しくは聞かない。お針子にも、話したくないことはあるだろう。

 

(この世界の物は、狭間の地より腐りやすい……)

 

 狭間の地にある物は、簡単には腐らない。血や排泄物でさえ物によっては腐らず、状態を保つ。無論、キノコなどの例外もあり、排泄物を発酵させ猛毒を作り出すこともあるが。

 狭間の地で腐敗と言えば、主に朱い腐敗を指す。思い出すのは、王と共に一度だけ訪れた朱い腐敗に侵された地。まさに、この世の地獄と言える光景だった。

 

 この世界に流れてきた聖樹は、西方辺境からはかなり離れた場所にある。しかし、狭間の地よりも腐敗が広まるのは早いかもしれない。

 

「あ、おかえり。夕飯はもう少し待っててね」

「お疲れ様です、ゴブリンスレイヤーさん」

「ああ」

 

 お針子が思案していると、ゴブリンスレイヤーが帰宅した。挨拶を簡単に済ませると、牛飼娘は夕飯の準備に、ゴブリンスレイヤーは納屋に戻る。

 お針子は、ゴブリンスレイヤーを追って納屋を訪れる。

 

「どうかしたか?」

「聞いて欲しい話がありまして」

 

 お針子は、朱い腐敗についてゴブリンスレイヤーに相談する。聖樹の話を剣の乙女から聞いた後、お針子は親しい人物たちに腐敗のことを話した。しかし、それは狭間の地を基準にしたことだった。この世界では、腐敗がどれだけ脅威になるのか深く考えていなかった。

 

「ふむ……」

 

 お針子の話を聞いて、ゴブリンスレイヤーは思案する。それから、ゆっくりと話し出す。

 

「腐敗というものを、俺はよく知らない。だから、的確な助言とは言えないかもしれないが」

 

 ゴブリンスレイヤーは自分の知識と経験から、お針子に語る。

 

「変化を見逃さないことだな」

「どういうことでしょう?」

「悪意を持って腐敗を広める者がいる場合は、何らかの変化があるはずだ」

 

 自然に広まる腐敗は、個人ではどうにもならない。しかし、何者かの介入があるなら、何処かに変化があるものだ。ゴブリンが襲撃する際に、必ず斥候を出すように。

 朱い腐敗は花が咲いた時に、最も広く侵蝕する。かつて、花を意図的に咲かせようとした者がいた。しかし、王がその悪意に気づき隻腕の娘に協力した時、その計画は頓挫したのだ。

 

「オイラに防げるでしょうか……」

「できることをやるしかない」

 

 全ての被害を防ぐことなどできない。ゴブリンスレイヤーとて、全てのゴブリンの被害を防いでるわけではないのだ。

 お針子は懸命に自分にできることを考える。

 

「星の動きとギルドの情報を確認します。気づいたことがあれば、必ず報告します」

「それが良いだろう」

 

 やる事はいつもと大して変わらない。されど、目的を持って行動すれば、普段は気づかないものに気づけるというもの。

 お針子は、納屋を出ると見え始めた星を見る。聖樹のある方角を見ると、星の動きが確認できた。昨日は気づかなかった、ほんの微かな動きだ。

 

 お針子の星見の技術は少しずつ向上している。毎晩、欠かすことなく星を見続けた成果だ。

 

 他の方角を見ると、聖樹の方角以外に大きな動きが確認できた。これほど星を動かせる存在は、お針子の知る限りただ1人。明日、ギルドに確認することが決まった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

「さて、全員集まったな。各々の報告を聞こうか」

 

 玉座に座る若き国王は己の心労を表に出さず、大広間に集まった国の重鎮たちに問う。彼の心労をよく知る者は、その堂々たる態度に改めて感心する。軟弱者なら倒れていてもおかしくない。

 国王は全員集まったと言ったが、いつもならこの場にいる国王の友であり、英雄でもある女性がいない。いつも、ゴブリンは滅ぶべきと口にする女性が。それに気づかない者はいないが、その事をあえて口に出す者もいない。

 

「まず、例の病の治療について聞きたい」

「残念ながら、両方とも芳しい成果は得られておりません」

 

 医学者が立ち上がり、報告を始める。

 

「霊薬を含め、様々な手を試しました。しかし、火の病には全く効果がなく、腐敗は生来身体が丈夫な者が回復しただけです」

 

 免疫が元々高い者たちは助かったが、低い者たちは助からなかった。火の病に至っては、全く進展が無い。

 

「念の為、学院と神殿から手を借りて古文書も含め調べましたが、過去の記録にこのような病は見つかりませんでした」

「異界から来た病だ。症例がないのは仕方ないことだ。聖樹の調査はどうなっている?」

「麓に辿り着くのが限界ですわ。お手上げですぜ、陛下」

 

 金等級冒険者の獣人が唸り声を出しながら、首を横に振る。

 

「防毒マスクを着けて麓までは行けたんですがね、キノコ野郎と怪物共が蔓延っていて登ることができません」

「腐敗の信者と腐敗に侵された怪物か」

 

 全身をキノコに身に包んだ異常な集団。彼らは腐敗を信仰し、腐敗した地に根付こうとしている。防毒マスクでも防げない毒を使い、聖樹へ近づく者たちの行く手を阻んでいる。

 怪物たちもかなり厄介である。大概の怪物は腐敗に侵された時に死ぬが、生き残った怪物は凶暴化する。おまけに肉体が巨大化する者、異常な生命力を身につける者などもいる。

 仮に信者と怪物を突破できても、その先には聖樹の守護者たちがいる。命を賭しても聖樹を守ろうとする者たちが。

 どうしたものかと考えていると、出席者の貴族が声をあげた。

 

「陛下、やはり例のお針子を呼び出すべきでは?」

「得られる情報は、剣の乙女が一通り聞き出した。これ以上は、何も望めないだろう。例の傭兵たちのこともある。彼の存在を、傭兵たちに知られる訳にはいかない」

 

 出席者の何名かが、傭兵の事を聞いて顔をしかめる。あの傭兵たちは、正に獅子身中の虫だ。

 万が一、あの傭兵たちにお針子の存在が知られたらどうなるか。お針子が死ぬだけではすまない。下手したら、褪せ人が自分たちと敵対する事もあり得る。

 

「何かあれば、ギルドを通して連絡できるよう手筈は整えてある。今はそれで充分であろう」

「畏まりました」

「次、腐敗の侵蝕はどうなっている?」

 

 平民出の将軍が立ち上がり、説明を始める。

 

「例の都市を除き、聖樹から来る朱い腐敗の侵蝕は軍の包囲によって食い止められています。残念なことに、聖樹周辺にある森や草原を焼き払うことになりましたが」

「そうか……」

 

 朱い腐敗について情報を得たときに、森や草原を焦土に変える作戦が直ぐに考案された。しかし、安易に実行できるものではない。戦争の焦土作戦にも近いこの作戦は、農民や森人から反発が出ることが予想されるため、できることなら実行したくはなかった。今は腐敗を食い止められただけ、良しと思うしかない。

 

「やはり問題は怪物たちだな。特に腐敗の都市、如何に対処すべきか」

 

 聖樹から離れた場所、軍の包囲網の外側に位置する古い都市。数年前に放棄された都市だ。そこに、腐敗に侵された亡者をはじめとした様々な怪物たちが集結していた。

 1体や2体の怪物が朱い腐敗に侵されたところで、その被害は大したことはない。その怪物を殺し、死体を燃やせば良い。だが、一度に大量の怪物が集まれば話は別だ。

 怪物たちから放出される朱い腐敗は、都市を覆い尽くしたあと周囲の大地を侵食し始めてしまった。

 

 国は朱い腐敗は聖樹の方からしか侵蝕してこないと考えていたため、都市の腐敗に気づくのが遅れてしまった。

 

「軍の主力は、聖樹の包囲から動かせん。あの傭兵たちは腐敗の相手はしない。そうなると残る手は……」

 

 国王の声を遮るように、大広間の扉を開く音が聞こえた。見ると将軍の側近が、早足で将軍のもとへ向かって来た。

 

「会議中、失礼致します。腐敗の都市について急報が入りました」

 

 将軍が国王の方を向き、彼らは互いに首を縦に振る。

 

「よろしい、報告せよ」

「はっ!都市を見張らせていた斥候たちより、怪物たちが壊滅したとのことです。壊滅させた人物は不明。大至急、都市を焼き払う手筈を整えるべきとのことです」

 

 大広間に騒めきが広がる。腐敗の都市は、今回の会議の主題であった。国王が、将軍の側近に声をかける。

 

「その報告は確かなものか?」

「斥候たちは熟練の兵士から選びました。間違いは起こり得ないかと」

「なるほどな。将軍、会議はこちらで進めておく。急いで都市の対処に取り掛かれ」

「畏まりました。失礼致します」

 

 将軍は側近を連れて、大広間から出て行く。扉が閉まると同時に、大広間は静かになる。国王が息を吐きながら呟いた。

 

「素直に喜ぶべきだろう。しかし、一体誰が……」

「恐らく、褪せ人だと思われます」

 

 巨漢の宮廷魔術師が、立ち上がる。

 

「占星術師らが気になることがあると申しておりまして、星の動きと褪せ人は関連があるようなのです」

「どういうことだ?」

「褪せ人が現れたと思われる場所では、星が必ず動きを見せるそうです。つい先日も、腐敗の都市の方向で星に動きがありました。まるで、褪せ人が星を率いているようだと」

 

 宮廷魔術師の話から、国王は褪せ人に関する話を思い出す。星の世紀とその王の話だ。

 

「夜の王、とても信じられるものではなかったが……占星術師たちは他に何か言っていたか?」

「月に違和感を感じること、聖樹の方で微かに星の動きがあるとのことです」

「月に違和感?どういうことだ?」

「分かりません。月が月だと思えなくなっただの、月を見てると不快な感覚がするだの、要領を得ない返答ばかりです」

「星の動きについては?」

「そちらも詳細は分かりませんが、褪せ人と関連があるのは間違いないと語っておりました。推測ですが、褪せ人は聖樹を目指していると考えられます」

 

 宮廷魔術師の話を聞いて、国王は思案する。月に関しては分からないが、星の動きが本当に褪せ人と関連があるのなら、これは千載一遇の機会かもしれない。

 

「我々は、何としても褪せ人に会わなければならない。聖樹の調査も必須だ。ここは、彼女の出番であろうな」

 

 国王の言葉に反対する者はいない。実力と実績だけではなく、彼女は褪せ人と出会ったことがあるのだ。これ以上の適任者はいない。国王は、彼女に連絡を取るよう命じた。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 腐敗した怪物たちに占領された都市は、最盛期がどの様なものだったかを想像できないほどに醜く荒れ果てている。とりわけ、中央の広場は地獄のような有様だ。美しかったであろう木々は全て枯れ果て、噴水は朱く濁った水が泥のように溜まっている。特に吐き気を催すものは、朱く染まった地面を埋め尽くす、数多の腐敗した死体であった。

 死体は人ではなく、獣や巨人などの怪物のものであり、周囲の森や山などから集められたものだ。その怪物の死体に腐敗した魔犬やゴブリン、グールが群がり貪っている。魔犬とゴブリンは兎も角、本来グールが好むのは人の死体であり、旅人を騙して食う事もある。しかし、彼らはどんな死体でも構わず貪り続けている。朱い腐敗に侵されて思考を失い、その有り様は獣以下だ。

 

 だから、石像が動いて怪物たちに忍び寄っていることなど、誰も気づきようがなかった。

 

 怪物たちのすぐ側まで移動した石像は、擬態を解いて杖を振りかざし、怪物が密集している場所に魔術を放つ。放たれた魔術は着弾した後、爆発を起こして周囲に溶岩を降り注ぐ。突然の出来事に、死体に夢中であった怪物たちは抵抗できず溶岩に焼かれていく。

 爆発音からようやく侵入者に気づいた怪物たちは、食事を止めて侵入者に襲いかかる。食らいつこうとする者、吐瀉物を吐き出す者、腐った息を吹き出す者。吐瀉物と息に含まれる朱い腐敗は、とても耐え切れる代物ではない。

 だがそれは、治療法を持たない者に限る。あいにく侵入者は治療法を持っているため、腐敗に触れても取り乱す様子がなく、平然としている。

 怪物が集まって来た所で、侵入者は杖を地面に突き立てる。そして杖を中心に、火山が噴火したかのように溶岩を噴き出させる。噴火が収まり、溶岩が冷え始めた頃には、広場にいた怪物たちは全員焼けた死体になっていた。

 

 怪物たちを焼き殺した侵入者、褪せ人は広場の先にある一際大きな建造物へ向かう。その建造物は、かつて都市の象徴でもあった精巧な石造りの神殿である。近づいて観察すると、神の像もその印も全て破壊され、元が何の神を祀っていたのか分からなくなっていた。今では、この都市を腐敗の温床に変えた者が居座っている。まるで、己こそ神であると言いたげに。

 褪せ人が神殿の中に入ると、広場にはなかった人の死体が石床を埋め尽くしていた。死体からは血が抜かれており、朱い腐敗に侵されているにも関わらず肌が青白かった。怪物たちはいない。この神殿の新しい主は、己以外の怪物が入り込むことを許していないようだ。

 空の部屋の前を通り過ぎながら、奥へ進むと礼拝堂と思わしき場所にでる。すると、話し声が聞こえて来た。

 

「中々見事だが、ここまでだな老いぼれ」

 

 声の主は、この神殿の新しい主のようだ。跪いた何者かに話し掛けている。

 

「お前はこの腐敗を嫌っているようだ。愚かな我が同族たちと同様にな」

 

 神殿の主は、人の血を好む最も著名な恐ろしいアンデッド、吸血鬼であった。手にワイン瓶を持ち、そのワイン瓶には人の血が入っている。

 

「腐敗は、実に素晴らしいぞ。腐った果実から作られる酒を知っているか?白いカビが生えて腐った果実から作られる酒は、極上の甘味を持つのだ。初めて聞いた時は何を馬鹿な、と思っていたが……」

 

 吸血鬼は、グラスに血を注ぐと一気に飲み干す。そして恍惚とした表情を浮かべ、興奮したように語り出す。

 

「この腐敗に侵された者の血。ああ、何と甘美なことよ!同族たちは、私が気が狂ったなどと言っていたが、無知で愚かなだけだ。この腐敗の、いや発酵の素晴らしさを理解できないとはな」

「……哀れな者よ」

 

 跪いていた者が再び立ち上がる。片手に剣をもう片手には杖を持ち、道化師を連想する色鮮やかな鎧とボロ布のフードを被っている奇矯騎士であった。

 

「おぬしは腐敗を利用しているつもりであろうが、実際には腐敗に利用されているだけよ。何と滑稽であろうか」

「ほざけ!我こそが腐敗の支配者、腐敗の王よ!」

 

 吸血鬼が奇矯騎士の息の根を止めようとした時、黒く燃え盛る炎が投げ込まれた。間一髪、吸血鬼が驚きながら黒炎を避ける。吸血鬼が奇矯騎士に視線を戻そうとすると、今度は黄金の光が瞬き、堪らず目を細める。黄金の光が収まった後、改めて奇矯騎士を見ると、銀の甲冑を身に付けた乱入者、褪せ人がいた。

 褪せ人は奇矯騎士を祈祷で癒すと、直剣を抜いて斬りかかる。奇矯騎士も、剣を構えて炎撃を喰らわせようとする。新たな乱入者に怒りを覚えた吸血鬼は、真正面から向かっていった。

 

 

 

──────────

 

 

 

 吸血鬼の腹部には、分かたれぬ双児の剣が深々と刺さっている。そして、徐々に灰となって滅んでゆく。黄金と白銀が絡み合い結合したその剣は、死に生きる者を狩る聖剣だ。その力は、この世界のアンデッドたちにも有効で、吸血鬼を完全に滅ぼすことができる。褪せ人は、死に生きる者を否定しない。しかし、朱い腐敗を広めた者を見過ごすことなどできない。

 褪せ人は吸血鬼が滅びた事を確認し、分かたれぬ双児の剣を回収する。そして、奇矯騎士に話しかけた。

 

 

 

 ……また、助けられてしまったな

 この恩は忘れぬよ、感謝する

 

 祭りを探しにこの地まで来た際に

 腐敗を広める愚か者の話を聞いてな

 何としても防ごうとここまで来たが

 不覚をとってしまった

 

 しかし、久しいな

 流星が落ちたと聞き、もしやと思ったが

 祭りの勇者が、いや夜の王が

 地上に降り立っていたか

 

 時におぬし、暗月の女王は息災かの

 星は見えるが月はここからでは

 見えんのでな

 

 ……そうか、何よりじゃ

 おぬし、あの方のことを頼むぞ

 

 儂は祭りでも見て回ろうと思っている

 

 あの戦祭りに勝るものは無いだろうが

 どんなものであれ、素晴らしい祭りは

 この老いぼれの楽しみなのじゃよ

 

 秋には収穫祭があるようでな

 王都の空気は肌身に合わんから

 西の辺境に行くつもりじゃ

 

 地母神の神殿がある街では

 中々に大きな祭りをやるらしい

 

 ……ふむ、亜人のお針子か

 残念ながら見かけておらんな

 

 もし見かけたら気にかけよう

 おぬしには幾度も助けられたからな

 これぐらいは構わぬよ

 

 さて、儂はもう行くとしよう

 縁があれば、またどこかで会おう

 新たなる王よ




連休中にも一話投稿するかもしれません。
諸事情で連休が短くなってますが。

吸血鬼の言っていた酒ですが、実在する酒です。
貴腐ワインと言う高級品らしいです。
あの騎士たちの語源ですね。
酒は苦手ですが、一度は味見してみたいものです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

腐敗の怪物と奇矯者ーお針子

連休中に投稿しようとして、ここまで遅れてしまった。
本当に申し訳ございません。

感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます。


 輝石の礫が頭部に直撃し、怯んだ隙に短剣で突き刺される。短剣は喉に突き刺されていたが、それでも反撃を行おうとする。しかし喉から引き抜かれた短剣が、今度は眉間に突き刺され倒れてしまう。それでも立ち上がろうとするが、眉間の短剣がより深々と刺されてしまう。朱い腐敗に侵されたホブゴブリンは、漸く動かなくなった。

 腐敗したホブゴブリンが死んだことを確認し、ゴブリンスレイヤーは立ち上がる。

 

「……確かに中々死なないな」

 

 ただでさえ、一般的なゴブリンよりも強いホブゴブリンが、より頑強になっている。様子を岩陰から見ていた女神官が話しかける。

 

「これも朱い腐敗の影響なのでしょうか?」

「間違いないと思います」

 

 女神官の疑問に、お針子が答える。彼らは、村を荒らし回っている腐敗したホブゴブリンを退治しに来ていた。

 通常なら見られない腐敗したホブゴブリンの群れ、倒した数は4匹に上るが未だ全滅には至っていない。目撃情報から察するに、まだ10匹は残っている。外にいた者たちは倒したので、残りは洞窟の中だろう。

 

「しかし、気に入らんな……」

「腐敗の影響がですか?」

「それもあるが、この装備もだ」

 

 ゴブリンスレイヤーは、腐敗したホブゴブリンの武器を拾い上げる。一般的なホブゴブリンの武器は、棍棒や金棒である。しかし、拾い上げたものはどちらでもなかった。

 一見すると短い曲刀か手斧のように見えるが、それは柄を短く切り落としたグレイブであった。グレイブは、金属でも石でも木でもなく硬質の貝類で作られている。

 

「腐敗の眷属の武器、それに手を加えた物ですね」

「ゴブリンに武器を提供するとはな……」

 

 お針子が武器の正体を口にし、ゴブリンスレイヤーが唸る。腐敗したホブゴブリンの武器は、紛れもなく腐敗の眷属である蟲たちが使う武器であった。

 

 腐敗の都市が焼き払われた後、その残党は西方辺境に逃げ込んだ。腐敗した怪物の大部分は、軍が懸命に捜索し殲滅した。しかし全ての怪物に対処することはできない為、一部の怪物は無視されることになった。その筆頭が、腐敗したホブゴブリンだ。

 本来のホブゴブリンは、ゴブリンが成長する際に先祖返りした者たちである。しかし、彼らは朱い腐敗の影響でホブゴブリンとなった者たちであった。彼らは、知性が低下している代わりに頑強かつ凶暴化しており、村を見境なく襲撃するようになっていた。

 国は腐敗したホブゴブリンに懸賞金を出すことにし、冒険者に対処させることにした。しかし、相も変わらず依頼を受ける者は少なかった。死体を必ず処理しなければならないことも、不人気に拍車をかけていた。

 報酬に関係なく、ゴブリンを積極的に相手にする冒険者がいたことは、幸運なことであった。

 

 ゴブリンスレイヤーは、洞窟の中で寝ていた腐敗したホブゴブリンに短剣を投げつけると、直ぐさま撤退する。洞窟の入口でお針子と女神官に合流すると、背後から腐敗したホブゴブリンが叫びながら追いかけて来た。

 

「あの……これで大丈夫何ですか?」

「問題ない。こいつらはバカで()()()()

「マヌケですか……」

 

 洞窟の入口には、大量の油が敷かれていた。腐敗したホブゴブリンたちは次々と油に突っ込んで来て転倒していく。後続から続いてくる者たちも、転倒した仲間を気にも留めず突っ込んで来る。

 

「幾ら頑強でも、マヌケな奴は並みのゴブリン以下だ」

 

 これが普通のゴブリンなら油を警戒し、突っ込んで来ることはない。場合によっては、別の通路を使って背後に回り込もうとしてくるだろう。だが、腐敗したホブゴブリンはその程度のことすら考えられない。

 

 ゴブリンスレイヤーは、全員が油まみれになったことを確認すると松明を投げ入れた。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 日が沈んだ頃のギルド 、幾つかの冒険者たちが帰還して酒を飲みながら談笑していた。

 ゴブリンスレイヤーたちは、ホブゴブリン退治から帰還すると受付嬢へ報告を始める。

 

「報告はやっておく。もう休め」

「ふぁ……よろしくお願いします。ゴブリンスレイヤーさん、お針子さん、おやすみなさい……」

「おやすみなさい、女神官さん」

 

 女神官は小さく欠伸をし、目をこすりながら二階の宿に戻っていった。女神官が戻ったことを確認すると、ゴブリンスレイヤーは報告に、お針子は周囲の知り合いに挨拶をする。

 

「皆さん、お疲れ様です」

「おう。かみきり丸にお針子、ご苦労じゃな」

「お針子殿、腐敗したホブゴブリンとやら如何でしたかな?」

「とてもしぶとかったです。でも、ゴブリンスレイヤーさんの敵ではありませんでした」

 

 お針子は、ゴブリンスレイヤーがどの様に腐敗したホブゴブリンに対処したかを説明する。妖精弓手が、呆れたように声を出した。

 

「オルクボルグは、ほんっとに相変わらずねぇ」

「しかし、今回ばかりは小鬼殺し殿のやり方が最適でしょう」

「どの道、死体を燃やさないといかんからのぅ」

 

 朱い腐敗に侵された怪物は、燃やさなければならない。一つの死体から広範囲に朱い腐敗が広まることはないが、放っておけば惨事の原因になりかねない。未だに、腐敗の治療法は見つかっていないのだから。

 

「けれど困りました。ホブゴブリンは退治しましたが、腐敗の眷属を見つけることができませんでした」

「その眷属って、腐敗が無い場所では生きられないんでしょ?もう死んでるんじゃない?」

「だと、良いんですが……」

 

 お針子が不安そうな表情を浮かべていると、ギルドの扉が開けられた。入ってきた人物を見て、お針子は驚き、ゴブリンスレイヤーもそちらを振り返る。

 

「あぁ、良かったぁ。帰っていたんだね」

 

 入ってきたのは、牛飼娘であった。走っていたのか息を切らしており、ゴブリンスレイヤーを見て安心しているのが分かる。

 

「今報告を終えて帰るところだが、何かあったか?」

「それが……牧場の外れに見たことない人がいるの……」

「盗賊か?」

「そんな感じではないんけど……」

「直ぐに行く。報告は以上だ」

「お疲れ様でした。ゴブリンスレイヤーさん」

 

 ゴブリンスレイヤーの返事を聞いて、牛飼娘は安心する。報告を聞いていた受付嬢は、少し名残惜しそうにしていたが、直ぐにいつもの笑顔に戻る。

 

「行きましょう、ゴブリンスレイヤーさん」

「オルクボルグ、私も行くわ」

「拙僧も行きますぞ。牧場に何かあれば、あのチーズが食べられなくなりますからな」

「酒のつまみが減るのは良くない。仕方ないのぅ」

 

 お針子だけでなく、妖精弓手と蜥蜴僧侶、鉱人道士も牧場に付いて行く事になった。牛飼娘は、冒険者たちに深く感謝した。

 

 

 

──────────

 

 

 

「伯父さん、帰ったよ」

「ああ、戻ったか」

 

 牧場主は家の外で待っていた。牛飼娘が冒険者たちを連れて来たのを見て、安心した様子であった。ゴブリンスレイヤーが牧場主に事情を確認する。

 

「不審な人がいると聞きました」

「ああ、牧場の外れに人がいてな。街道の方だ。盗賊ではなさそうなんだが、行商人にも見えん」

「わかりました。二人は家にいてください」

「すまない。よろしく頼む」

 

 ゴブリンスレイヤーたちは二人を牧場の家に帰すと、直ぐに移動を開始する。

 しばらくすると、牧場主の言う通り遠目で街道に人がいるのが見えた。剣を地面に突き立て、岩に腰掛けている。

 

「何あれ?道化師?」

「ふぅむ、確かに盗賊ではなさそうですな」

「まぁ、あんな派手で目立つ衣装の盗賊など、普通おらんじゃろう」

 

 腰掛けている人物は、色鮮やかな鎧を着込んでいる。ぼろ布のフードに隠れて、顔は見ることができない。

 

「空を見上げているようだけど、何をしているのかしら?」

「星を見ているようだ」

「まるで、お針子殿のようですな」

 

 ゴブリンスレイヤーたちの陰にいたお針子が、腰掛けている人物を見る。しばらく観察した後、あっと声を出した。

 

「あの人、王の知り合いかもしれません」

「会ったことあるのか?」

「いえ、でもあの特徴的な装いには聞き覚えがあります。オイラが話し掛けても良いですか?」

「構わない。油断はするな」

 

 ゴブリンスレイヤーたちが近づくと、腰掛けている人物が気付いて振り向く。

 

「ほう、冒険者か」

「はい、あなたはここで何を?」

「星を見ておる。今夜は星が実に良く見える」

「星見ですか。その鎧の装い……もしかして、戦祭りの主催者である奇矯騎士様ではないですか?」

「確かに儂は戦祭りを開いたことがあるが………」

 

 奇矯騎士は怪訝な顔を浮かべた後、お針子が狭間の地の出身者であることに気づく。

 

「おぬし、もしや狭間の地の亜人か?」

「おっしゃる通りです。王にお針子として仕えています」

「やはりそうか。おぬしが亜人のお針子か」

 

 お針子と奇矯騎士は、お互いに自己紹介と事情を説明する。お針子はゴブリンスレイヤーたちとの出会いから、今までの冒険のことを。奇矯騎士は、腐敗の都市での出来事から西方辺境まで来た理由を。

 

「なるほど、騎士殿は収穫祭を見に西方辺境まで来られたと」

「わざわざ辺境まで来るとは、まさに奇矯者じゃなぁ」

「でも、収穫祭ってまだ先でしょ?」

「待つのには慣れておる。開催を待つのも、祭りの楽しみの一つよ」

 

 お針子の知り合いと分かり、警戒を解いて奇矯騎士に話しかける。

 

「しかし、牧場の者たちには要らぬ不安を与えてしまったな」

「こちらから説明しておく」

「感謝する。儂も、星見は別の場所で行うことにしよう」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、奇矯騎士は礼を述べる。悪意がなかったとは言え、奇矯騎士も己に非がないとは思っていない。

 

「うぅ……王よ、我が王よ......」

 

 お針子は、奇矯騎士から王が己を気に掛けていることを知り、目から涙をこぼしている。奇矯騎士としても、祭りを目当てに訪れた場所で出会えたことに喜んでいた。同時に、少し思うこともあった。

 

「しかし、まさか冒険者をしておるとはな……王が知ったら、さぞ驚くじゃろうな」

「承知の上です。王に再会できたら冒険者証を返却して、冒険者を辞めるつもりです」

「それが良いだろう。おぬしが冒険者をしていることを、王が喜ぶとは思えん」

「え、ちょ、ちょっと、どういうこと!?」

 

 お針子と奇矯騎士の言葉に、妖精弓手が驚く。

 

「何を驚いている?」

「何をって……オルクボルグは何も思わないの?」

「お針子は王に会うため冒険者を始めた。目的を果たせば、危険な冒険者を辞めても不思議ではない」

「それは、そうなんだけど……」

「なるほど、己の本懐を遂げた後なら致し方ありませんな」

「こればかりは他人が口出すことはできないからのぅ」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、妖精弓手は渋々引き下がる。蜥蜴僧侶は納得し、鉱人道士は残念そうにしている。冒険者は、危険が伴う職業なのは周知の事実である。尤も、彼らが冒険者をやりたがらないのは別の理由もあるのだが。

 

「俺は牧場に戻る。お針子はどうする?」

「オイラは、もう少し奇矯騎士様と一緒にいます」

「そうか」

「拙僧らもギルドに戻りましょう」

 

 お針子と奇矯騎士を残し、各々は挨拶を済ませて帰ることにする。

 その後、二人は一晩中星について語り合った。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 次の日、ゴブリンスレイヤーと女神官がギルドに入ると、お針子が駆け寄って来た。

 

「ゴブリンスレイヤーさん、受けて欲しい依頼があります」

「ゴブリンか?」

「腐敗したホブゴブリンと腐敗の眷属です」

「眷属……ゴブリンに武器を渡した奴か。居場所が分かったのか?」

「奇矯騎士様が調べました。昨日の洞窟から、そう遠くない場所です」

「えっと、どなたでしょうか?」

 

 お針子が、女神官に奇矯騎士について説明する。ゴブリンスレイヤーたちには伝えていないが、お針子と奇矯騎士は星見で腐敗の眷属の居場所を調べていたのだ。

 

「なるほど、収穫祭を見に辺境まで。ということは、その奇矯騎士様が依頼主なんですか?」

「いえ、依頼主はオイラです」

「え?どういうことですか?」

 

 奇矯騎士は一人で戦うつもりであったが、お針子がギルドに依頼を出すことを提案した。しかし、奇矯騎士は報酬となるものを持ち合わせていない。そこで、お針子が立て替えることにしたのだ。

 近くで聞いていた、妖精弓手が口を挟む。

 

「理由は分かったけど、そこまでしないといけない物なの?そもそも、死体が腐るのは自然の流れなのよ?」

 

 自然に存在する腐敗は、死体を地に帰して植物や樹を育てる。そして、雨が降れば水を通して川や海の生き物に恵みを与えるのだ。故に腐敗は、自然の循環に欠かせないものである。

 

「その目で見れば理解できると思います。あれは自然の物ではなく、決して広めてはならないと」

 

 妖精弓手の言葉を、お針子は強く否定する。そもそも朱い腐敗の起源は外なる神にあり、世界を侵す侵略者の一部とも言える。自然に生まれる物ではなく、朱い腐敗に侵された者が自然に帰れる保証は何処にもないのだ。

 

「準備が出来次第、すぐに出発する」

「ちょっと待って、私も行くわ」

「え?でも報酬は2人分しか……」

「ツケでいいわ。今回だけ特別よ。朱い腐敗を、この目で見てみたいし」

 

 3人はお針子の助言の元に準備を進める。そして奇矯騎士と合流し、出発した。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

「むん!」

 

 奇矯騎士が炎を放つと同時に、フランベルジュを強く振るう。フランベルジュは炎を纏い、腐敗に侵された怪物を容赦なく燃やしていく。ホブゴブリンだけでなく、腐敗の眷属が飼いならしていた狼まで。彼の力量は、狭間の地にいた頃から全く錆びる様子がない。

 

「……凄い」

 

 女神官は、奇矯騎士の技に感嘆を述べる。力強く振られる炎を帯びた剣、お針子の術とは異なる輝く剣の魔術。彼が一人で討伐に出ようとしていると聞いた時は、まさかと思った。しかし、目の前で起きていることを見れば、彼なら可能なのではないかと思える。

 ホブゴブリンと狼、合わせて8匹。その内、5匹を彼一人で倒してしまった。

 

「想像以上の力量だ」

 

 ゴブリンスレイヤーも、奇矯騎士の力量に少なからず驚いていた。お針子から、奇矯騎士のことは一通り聞いてはいた。しかし、お針子自身も王から聞いていただけで、奇矯騎士の戦いを見るのは今回が初めてだ。百聞は一見に如かずとは、よく言ったものである。

 

「外の怪物は片付きましたね。しかし怪物を退治して、その後はどうしましょう?穴を崩しても、中に溜まっている水をどうにかしないと腐敗が広まってしまいます」

 

 彼らが来ていたのは、鉱山の跡であった。周辺が朱い腐敗に侵され始めていることから、ここに腐敗の眷属が潜伏しているのは間違いない。同時に、鉱山の何処かに水が溜まっていることも。この辺りで水脈を掘り当てたという話はないことから、雨水が長い時間を掛けて溜まったものだと思われる。

 

「手はある」

 

 ゴブリンスレイヤーは、道具袋から巻物を取り出す。女神官が怪訝な顔をしながら、ゴブリンスレイヤーに問う。

 

「先に確認しておきたいんですが、その巻物を発動させると何が起こりますか?」

「こいつは《転送》の巻物だ。指定した場所は───」

 

 ゴブリンスレイヤーの言葉に、女神官は絶句してしまう。しかし、お針子と奇矯騎士は感心する。

 

「なるほど、それなら朱い腐敗もどうにかなります」

「ふむ、おぬし中々の切れ者じゃな」

「ゴブリンもゴブリンに手を貸す者も、見逃すわけにはいかない」

 

 後は腐敗の眷属を倒し、水場を見つけるだけ。

 方針が決まった時、女神官は一つの違和感に気づいた。先ほどから、妖精弓手が静かなのだ。

 

「妖精弓手さん、どうかしましたか?」

「……いえ、別に。早く行きましょう」

 

 いざ、鉱山の中に乗り込もうとしたときだ。中から、粘つく糸のようなものが飛んでくる。ゴブリンスレイヤーたちは、周囲の岩陰に身を隠し襲撃者の姿を確認する。

 それは長い胴体を持つ蟲であった。長い手足が二本と短い手が無数に生えており、長い手には長柄武器が握られている。明らかに人ではないにも関わらず、その手足だけは人と似た形をしていた。

 初めて見たゴブリンスレイヤーたちも、それが腐敗の眷属だと直ぐに理解できた。腐敗の眷属は、手を空へ掲げて粘つく糸を飛ばして来る。腐敗に仕えんとする者たちの祈祷、《蟲糸》だ。しかも腐敗の眷属は一匹ではないらしく、《蟲糸》が絶え間なく飛んで来る。

 

「私が引き付けるわ」

「え、ちょっと、妖精弓手さん!」 

 

 妖精弓手が、返事も待たずに駆け出す。岩陰を利用し、上手いこと腐敗の眷属の背後に回りこむと、用意していた火矢を放つ。火矢が腐敗の眷属に突き刺さると、一斉に妖精弓手の方を振り向き《蟲糸》を放つ。妖精弓手は直ぐに岩陰に隠れ、《蟲糸》を回避する。しかし《蟲糸》に気を取られて、一匹の腐敗の眷属が接近していることに気づかなかった。腐敗の眷属がグレイブで攻撃し、それを妖精弓手が避けたところを《蟲糸》が襲い掛かる。

 

「───ッ!」

 

 《蟲糸》は遂に命中し、妖精弓手は深手を負う。腐敗の眷属は、止めを刺そうと《蟲糸》を再び放とうとする。しかし、突如として己と周囲が油まみれになり、火が放たれる。油から逃れた者も、奇矯騎士が燃え盛るフランベルジュで胴体を寸断する。

 腐敗の眷属が全滅したことを確認し、女神官が妖精弓手に駆け寄り《小癒》を施す。

 

「妖精弓手さん、どうして!あなたまで無茶をしないでください!」

「……ごめんなさい」

 

 目に涙を貯め、感情が入り混じりながら、女神官は妖精弓手を説教する。彼女が、ゴブリンスレイヤーのように無茶をしたことが許せなかったのだ。妖精弓手は女神官に謝罪すると、直ぐに立ち上がる。

 

「言い訳は後でさせて、早く腐敗を止めないと」

「本当に平気か?」

「……もう、あんな無茶はしないわ」

 

 ゴブリンスレイヤーの問いに簡潔に答えると、妖精弓手は鉱山の中に向かって歩き出した。

 

 その後、鉱山の中を進み無事に水場を発見した。道中、ホブゴブリンと腐敗の眷属が何体かいたが、問題なく対処できた。

 鉱山の高低差を利用して雨水が貯められた水場には、沢山の生き物の死体が投げ入れられており、朱い腐敗に侵蝕されている。

 妖精弓手が、朱い腐敗を観察する。

 

「……やっぱり、これが原因なのね」

「何の話ですか?」

「精霊たちが泣き叫んでいるの。こんなの初めてだわ」

 

 妖精弓手には、鉱山に近づいた時から水の精霊と土の精霊の叫び声が聞こえていた。自然に属さぬ朱い腐敗は、精霊も他の生き物も腐敗で蝕み殺す。そこから生まれる恩恵を受けることができるのは、腐敗の眷属ぐらいである。自然の循環で行われる、腐敗とはかけ離れた物だ。

 

「オルクボルグ、さっきの巻物を使って。お針子の言う通り、これは絶対に広めてはならないわ」

 

 妖精弓手の言葉に、女神官は驚く。ゴブリンスレイヤーのやり方に、いつも眉をひそめている妖精弓手がここまで言うなんて想像できなかったから。

 

「鉱山の大きさは思ったほどではなかった、入口から巻物を使う」

 

 鉱山の入口まで戻ると、ゴブリンスレイヤーは巻物を使用する。転送されて流れ込んできた物に、鉱山内の朱い腐敗と怪物の死骸は焼け溶けて、骨も残ることは無かった。

 

「先日、王も似たような事をしていたのう」

「ゴブリンスレイヤーさんみたいに、火山の溶岩を《転送》したんですか?」

「いや、古い呪術に溶岩を呼び出す術があるのじゃ」

 

 鉱山に溶岩が流れ込んでいく様子を、妖精弓手は少し離れた場所で座って見ていた。その表情は、悲愴に満ちている。女神官とお針子が近づき、妖精弓手に話しかける。

 

「大丈夫ですか?」

「正直、かなりきついわ。自分の認識の甘さを、こんなに憎く思ったのは最初のゴブリン退治以来よ」

「仕方ないことです。オイラの故郷でも、あの地に花が咲くまで腐敗の危険性を理解していた者は、ほとんどいなかったのですから」

「故郷、ね………街に帰ったらお姉さまに手紙を出そうかしら。こんなものが、私の故郷に蔓延するなんて耐えられないもの」

 

 ゴブリンスレイヤーが巻物を使い終えると、鉱山の入口を確認する。溶岩は鉱山を満たし、もう雨水を貯めることは不可能だ。朱い腐敗の発生源は、完全に潰された。

 妖精弓手が、不安そうに周囲を見渡す。

 

「周囲の大地は大丈夫かしら?」

「発生源を持たぬ腐敗は恐れるに足りん。後は、自然の力に任せれば良い」

「……そうね。自然だって決して軟ではないわ」

 

 妖精弓手が、先ほどより少しだけ明るい声で返事をする。自然に存在する物も、無力なわけではないのだ。人が免疫を持つように、狭間の地のキノコも腐敗に対抗して毒を身に着けたのだから。

 

 鉱山の外にいた怪物の死骸も全て燃やしたことを確認すると、ゴブリンスレイヤーたちと奇矯騎士は鉱山を後にした。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

「お針子、礼を言う。おぬしのお陰で、無事に腐敗の発生源を潰せた」

「お礼はオイラにではなく、ゴブリンスレイヤーさんに。発生源を潰せたのはあの人のお陰ですから」

「うむ、あの冒険者は実に良い。月擬きが喜ぶ冒険ではなく、ゴブリン退治に徹底しているところが特にな。正に、小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)よ」

 

 夜の街付近で、奇矯騎士とお針子が星を見ながら語り合う。奇矯騎士は、月擬きが用意する冒険を行う冒険者の中に、ゴブリンスレイヤーのような者がいることが嬉しかった。しかし、今回の事で悲しい事実にも気づいてしまった。

 

「お針子よ、すまぬ。儂は街を去ろうと思っている」

「え?収穫祭を見て行かないのですか?」

「ああ、もう良いのだ。この地の祭りを、儂は楽しむことができない」

「何があったのですか?」

 

 それは、鉱山に向かう道中で休憩を取った時であった。奇矯騎士に、女神官が話しかけてきたのだ。

 

『奇矯騎士様。その……相談に乗ってもらって良いですか?』

『む?儂に相談?』

『奇矯騎士様は祭りが好きで、過去には主催者も務められたと聞いたので』

『ふむ、祭りに関する相談というわけか』

『はい、収穫祭の祝詞について』

 

 奇矯騎士は、この世界の祭りをまだ詳しく知らない。神に関しても同様で、その祝詞となれば尚更である。故に、過去の収穫祭の祝詞を女神官から聞いたのだ。

 

「聞くに耐えんかった」

「そんなに酷いものだったのですか?」

「この世界の者にとっては、素晴らしいのだろう。だが儂には、祝福の言葉ではなく、呪いの言葉に聞こえるのだ。おぬしのように王の苦難の道と、黄金の祝福がもたらした物事を知る者にも、同じように聞こえるであろう」

 

 奇矯騎士は憤慨していた。神から与えられる祝福は、転じて呪いになりうることを褪せ人たちは良く知っている。

 

「何と嘆かわしいことか!冒険をさせるためだけに冒険を用意し、その結末を骰子に委ねるなど!この世界に住まう者は、あの祝詞の意味を恐ろしさを、どれだけ理解しておるのか」

 

 奇矯騎士のフードに隠れた仮面、その下から涙が流れている。お針子は、その様子をただ黙って見ていることしかできなかった。

 涙を流し終えると、奇矯騎士は立ち上がる。

 

「お針子よ、儂はもう行くとしよう。おぬしとゴブリンスレイヤーに出会えただけでも、この街に来た甲斐はあった。もし、王と再び出会うことがあれば、おぬしのことを伝えておこう」

「………はい、ありがとうございます」

「縁があれば、またどこかで会おう。王に仕えし、お針子よ」

 

 立ち去る奇矯騎士の背中を、お針子は見えなくなるまで見つめていた。

 空からはもう星の姿は消え始め、日が昇り始めていた。

 収穫祭まで、あと僅か。




出来ることなら、連休中に二話投稿しようと思っていたのに。
遅筆な自分が憎いです。



朱い腐敗の巨大化について補足

巨大な犬と鴉がいる理由は諸説あり、古代の巨人の遺体が朱い腐敗に侵された地にあることから、元々巨人の領域で大きな生物が住んでいたという説もあります。本作では、朱い腐敗による進化や先祖返りなどの、突然変異を理由としております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

聖樹と収穫祭前日ー褪せ人、お針子

低気圧と寒暖差が厳しい。
皆さんも気をつけてください。

感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます。


 ……王よ、狭間の地へ戻ろう

 戻って我らの旅を再開しよう

 

 我々が手を貸さなくても良い

 この世界の運命は

 この世界に住まう者たちに任せれば良い

 

 ……そんなに、お針子が気になるか

 私に嫉妬でもさせる気か?

 

 ん?ふふ、そうだな

 私も義弟たちを今でも愛しているよ

 つまり、お互い様ということか

 

 それに、このまま去るのは後味が悪いか

 せめて彼女たちに異変について

 話してやらねばな

 

 彼女たちと交流し、

 お針子を見つけたら帰還するぞ

 

 ……この世界に長く留まらないでくれ

 私の王よ

 

 

 

────────────────────

 

 

 

『お前は、よく学ぶものだな。我が弟子ながら、感心するよ。こんなに早く、歩きはじめるとはな。もっとも、師がよいのだろうがな』

 

 脳裏に恩師の言葉が、浮かんで来る。優れた才を持つが故に禁忌に触れ、それを止めるべく己の手で殺した恩師が。

 

 師よ、何故禁忌にこだわった

 禁忌に触れずとも、素晴らしい

 探究の道があったであろうに

 

 貴方が見向きもしなかったであろう

 鈍石がそれを証明したというのに

 

 禁忌の先に何があるのか

 わかっていたであろうに

 

 褪せ人が恩師を思い出し嘆いていると、褪せ人の側にいる少女が不思議そうな顔をする。褪せ人は少女に謝罪し、続きを始める。

 人に物事を教えることは初めての経験だ。誰かに教えてもらうことや、共に学ぶことはあったが、教える事はなかった。しかも、その相手は賢者と呼ばれている少女だ。聞いたところ、己の指導はそれほど悪くないらしい。お世辞ではないと願いたいところだ。

 賢者の名に偽りは無い。彼女は苔薬の製法書を読み解き、作り方を学んだ。更に、腐敗を治せる火の祈祷も理論のみだが己から学んだ。

 苔薬は製法書と材料を錬金術師に渡し、同じ薬効を持つ薬の研究と開発を行う。火の祈祷は、悪神の代わりに火の精霊の力で再現を目指すらしい。

 

 何故、褪せ人が賢者に教授することになったのか。それは褪せ人が聖樹を調べ終え、最深部にある建物から外へ出ようとした時まで遡る。

 

「久しぶり!僕のこと覚えてる?」

 

 その声だけで、褪せ人は彼女が誰なのか直ぐに分かった。声の方を見れば、長髪の少女が手を振っていた。狂い火の魔神王と戦っていた勇者と、その仲間たちだ。

 

「良かった、覚えててくれたんだ。あの時は、本当にありがとう」

 

 勇者が礼を言うと、賢者と剣聖も頭を下げて礼を言う。褪せ人は一先ず、彼女たちが此処に居る理由を問う。

 

「理由は2つあるよ。一つはこの聖樹を調べるため、もう一つは貴方に会うためだよ」

 

 勇者たちが、褪せ人に会おうとしていた理由は複数ある。その1つが、朱い腐敗の治療方法を学ぶためであった。

 褪せ人も勇者たちに会おうと思っていたので、渡りに船である。彼女たちに教えてやらねばならない。聖樹のこと、この世界で起きていることを。

 彼女たちに、この世界の者に大罪を背負う覚悟はあるだろうか。それとも、何もせずにこれから起きる悲劇を受け入れるのだろうか。

 どの道を歩むにせよ、神の託宣も神の賽の目も役に立たない。もう、そんな物でどうにかできる事態では無いのだ。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 奇矯騎士と別れ数日が経過した。あと一週間ほどで、収穫祭が開かれる。お針子は奇矯騎士の言葉が頭から離れず、収穫祭の日をどう過ごすか悩んでいた。いっそ一日中、牧場で過ごすべきだろうか。

 

「失礼、貴方がお針子さん?」

「え?は、はい。そうですけど」

 

 ギルドの壁際で悩んでいると、急に声を掛けられた。顔を上げると、日焼けした肌を持つ女性がいた。格好からして、尼僧のようだ。

 

「あの、どなたでしょう?」

「初めまして。私は貴方と良く組んでる神官の……う〜ん、先輩と言えばわかるかな?」

「ああ、地母神の神殿の方ですか。女神官さんには、いつもお世話になっております」

「こちらこそ、妹分がお世話になっています」

 

 彼女は地母神の神殿で、葡萄の世話をしている尼僧である。葡萄尼僧は軽くお辞儀をし、明るい笑顔で話しを続ける。

 

「ねぇ、あの子の服を良く直してくれているでしょ?貴方の腕を見込んで、頼みたい事があるの」

「え、オイラに頼み事ですか?」

「そうなのよ。いつも針仕事してる子が、体調を崩しちゃってね。代わりに針仕事をしてくれる人を探しているの」

 

 何でも、収穫祭で使う特別な衣装と飾りを仕立てないといけないらしく、大急ぎで針仕事ができる者を探しているらしい。

 

「でも、オイラは……」

「あの子から聞いてるよ。貴方が見知らぬ人のために、針仕事をしない人だってことは。ここだけの話ね、仕立てて欲しい物はあの子に関する物なのよ」

「女神官さんに関する物ですか」

「そうなのよ。強引な頼みかたで申し訳ないんだけど、どうか引き受けてくれないかな?」

 

 お針子は悩む。女神官のこと、奇矯騎士のこと、収穫祭のこと。様々な考えが浮かんでは、消えていく。しばらくして、お針子は決心する。

 

「分かりました。その針仕事を引き受けさせていただきます」

「ありがとう!あの子も喜ぶわ」

 

 女神官への感謝もあるが、今は悩み事を忘れたいという気持ちもあった。針仕事はお針子にとって、悩みを忘れるのに最適な仕事だ。

 そうしてお針子は葡萄尼僧と共に、地母神の神殿を訪れた。神殿の人々は神官長を始め、とても親切な人ばかりであった。神官長のゴブリンスレイヤーへの愚痴には、少し困らされたりもしたが。

 この日からお針子は、地母神の神殿で針仕事だけでなく簡単な雑用も手伝うことになる。女神官への恩もあったが、神殿の人たちとの交流を経て自然と手伝うようになったのだ。

 

 そんなある日、冒険者ギルドの一区画にある武具店にて。

 

「すみません、神殿からの使いです」

「ああ、お針子さん。ちょっと待っててください」

 

 お針子は神殿の手伝いで、武具店に荷物を受け取りに来ていた。丁稚が奥へ荷物を取りに行っている間、お針子は店内を見渡す。すると、ゴブリンスレイヤーと女騎士が何やら話しているのが聞こえた。珍しい組み合わせである。

 お針子は挨拶しようと、2人のもとへ移動する。

 

「ん?お針子もいたのか」

「はい、おはようございます。お二人とも、何か買いに来たのですか?」

 

 簡単に挨拶を済ませると、お針子は質問する。すると女騎士は顔を赤らめ、言葉を詰まらせる。ゴブリンスレイヤーは、いつも通り淡々と答える。

 

「杭と綱を二巻。針金と材木の類。それと円匙の新調をな」

「ああ、なるほど」

 

 聞くまでも無い。ゴブリン退治の道具を買いに来たのだろう。お針子は納得して、首を縦に振る。

 その様子を見ていた女騎士は、お針子に顔を赤らめたまま質問をする。

 

「な、なぁ、お針子。お前はあれをどう思う?」

 

 女騎士が指差した先には、一つの鎧があった。必要最低限の場所のみ装甲部位に覆われた、やたら肌の露出度が高い鎧だ。しかし、軽装にしても装甲が少な過ぎないだろうか。

 お針子は必死に考え、自身の経験からその鎧に評価を下して、女騎士の質問に答える。

 

「とても勇ましい戦士の鎧ですね。女騎士さんにも似合うと思いますよ」

「い、勇ましい?」

「はい。オイラの故郷にも、あのように動きやすい衣装を着た戦士がおりました。とても気高い方で、戦斧を力強く──」

「ち、違う!そうじゃないんだ!」

 

 女騎士は、顔を真っ赤にしながら横に振る。お針子が頭に疑問符を浮かべていると、女騎士がコホンと咳払いして説明を始める。

 

「女の冒険者はな、その、結婚できる相手が少ないんだ」

「そうなのですか?」

「そうだ。トロルやドラゴンを一撃で倒す女など、貰いたがる奴は中々いない。男というのは、おとぎ話に出てくるような姫君を好むのだ」

「はぁ、なるほど……」

 

 どうもピンと来ない。王の結婚相手はドラゴンを倒すどころか、打ち負かした後に配下の騎士として忠誠を誓わせていた。しかし、あの方は姫君でもあったから、やはり女騎士の言う通りなのかもしれない。

 女の冒険者が結婚できるのは、昔からの知り合いか一党の仲間ぐらい。しかし、恋愛は一党の崩壊を招くこともあるため、リスクが高い。それでも、何もせずに機会を逃すなど避けねばならない。

 

「だからだな。私もあいつの気を引くために色々と考えてるんだ」

「それって重戦士さんのことでしょうか?」

「ああ、奴だな」

「……うん」

 

 顔を再び赤らめながら、女騎士が肯定する。事情を察し、お針子は考える。お針子は、只人の恋愛には疎い。

 

「そういうことには疎いんですが、鎧を着るのは違うと思います」

「そうなのか?」

「そうですよ。鎧は、戦いに出る者が着るものです」

「同感だな。そもそも、お前は普段から鎧だ。奇襲するなら手を変えるべきだ。平服を着ろ」

「良いですね。オイラもそれに賛成です」

「平服を……わ、わかった。すまん、変なことを聞いて」

「構わん。同業者だろう」

「困った時は、お互いさまです」

「……お前たちは変わり者だが、やはり悪い奴じゃないな」

 

 女騎士は穏やかな笑顔を浮かべて、立ち去っていく。あの笑顔を、重戦士に向けるだけで気を引けそうなものなのに。きっと、そんな単純な問題ではないのだろう。

 女騎士を見送り、振り返ると工房の老爺が笑いながら待っていた。

 丁稚がお針子に渡す木箱を持って戻って来ると、直ぐにゴブリンスレイヤーの注文を取りに行かせる。お針子とゴブリンスレイヤーは、軽い雑談をしながら受け取った品物を丁寧に確認していく。

 

「しっかし、お針子を初めて見た時は長続きしないと思っていたが、思いのほか馴染んでいて驚きだな」

「そうでしょうか?」

 

 お針子は荷物から貨幣を取り出し、老爺に手渡す。

 

「そうさ。そっちの奴は馴染むまで5年かかったって言うのに、大した奴だよ」

 

 老爺はゴブリンスレイヤーを指差して笑い、ゴブリンスレイヤーは何も言わずに貨幣を取り出す。代金の支払いを終えると、老爺が南洋式の投げナイフを紹介してきた。ゴブリンスレイヤーが投げナイフを観察している間、老爺がお針子に話しかける。

 

「そういや、お前さんの王は投擲武器を扱うのか?」

「はい、スローイングダガーとかククリとか」

「ククリか。仕入れたら買うか?」

「買わん。ククリはゴブリンに奪われると厄介だ」

「お前さん、そればっかりだな」

「他にも、毒を入れた壺とか扇投暗器とかも使っていましたよ」

「扇投暗器?そいつはどんなものだ?」

 

 扇投暗器は、5本の投擲用の刃を一つに纏めたものだ。お針子が扇投暗器の説明をすると、ゴブリンスレイヤーが興味を持つ。

 

「牽制に使えそうだな。ゴブリンに奪われても、束ねなければ大して脅威にならない。ここで作れるか?」

「できなくはない。しかし、再現するには時間がかかるぞ。実物があれば話は別なんだが」

「残念ながら、実物は持っていません」

「そうか」

 

 ゴブリンスレイヤーは南洋式の投げナイフを購入して、武具店をあとにした。顔は見えないが、少し残念そうに見えたのは気のせいじゃないだろう。

 

「お針子、お前さんは何か欲しい物はあるか?」

「今はありませんが、お金を貯めたら知力強化の指輪を買おうと思ってます」

「なるほどな。仕入れたら教えてやる」

「ありがとうございます。では、失礼します」

 

 お針子は荷物を持って武具店を出て、地母神の神殿へ向かう。神殿の中に入ると、葡萄尼僧が待っていた。

 

「お疲れ様。悪いわね、針仕事以外も手伝ってもらって」

「いえ、お安い御用です」

 

 葡萄尼僧と話していると、女神官が奥からやって来た。少し汗ばんでいることから、どうやら舞の練習をしていたようだ。

 

「こんにちは、お針子さん。私の衣装を仕立ててくれるそうで、ありがとうございます」

「完成まで少し時間がかかりますが、頑張ります」

「はい、楽しみにしています」

 

 その後、お針子は忙しくも充実した日々を過ごし、遂に衣装を完成させた。完成した衣装を見ながら、女神官と葡萄尼僧、神官長がお礼を言う。

 

「お針子さん、ありがとうございます」

「話はこの子から聞いてたけど、想像以上の腕前ですね」

「いえ、母さまに比べたらまだまだです。もっと精進しないと」

「それなら、本格的に針仕事を請け負ったらどうかしら?腕を上げるためにもそうするべきだと思うけど」

 

 葡萄尼僧の提案に、お針子は悩む。正直、悪くないと思う。お針子としても、ここで針仕事をするのはとても充実していて楽しかった。けれど、王のお針子としての自負も捨てがたい。葛藤する思いを抱えながら、必死に考える。

 

「…………そうですね。王と再会してお許しが出たら、針仕事を請け負いたいと思います」

「そこは譲れないのね」

「はい、そこは絶対に譲れません」

 

 お針子がはっきりと返事をすると、神官長が笑いながら話かけてくる。

 

「あなたの王様は果報者ね。あなたのような人が仕えていて」

「そんな、オイラなんか……」

「謙遜する必要はありませんよ。あなたは素晴らしい人です。もっと自信を持って良いのですよ」

 

 神官長の褒め言葉に、お針子は少し恥ずかしがる。王との出会いがあったとはいえ、ここまで褒められることには慣れていない。照れ隠しに手早く道具を片付けて、神殿を出る。牧場に戻ろうとしたところで、女神官が話しかけてきた。

 

「お針子さん、改めてありがとうございました。それとこの事は──」

「大丈夫です。ゴブリンスレイヤーさんには秘密にしておきます」

「はい、お願いしますね」

 

 お針子は、振り返り地母神の神殿を見る。神官長も葡萄尼僧も素晴らしい人達であった。

 

「お針子さん、収穫祭を楽しみにしていてください」

「え?」

「お針子さんの頑張りに答えられるよう、私もいっぱい練習しますから!」

 

 女神官は明るい笑顔で挨拶をし、神殿へ入っていく。お針子は、しばらく呆然と立ち尽くしていた。収穫祭の日をどう過ごすのか、まだ決めていないのに。行かない可能性だってあるのに。

 でも、これも何かの縁なのだろう。歩き出したところで、心に決めた。

 

 収穫祭には必ず行こう。女神官の舞も必ず見よう。

 

 牧場へ帰る途中、歩きながら街を見渡す。あちこちから聞こえる屋台を組み立てる音、目に映る様々な色の吊るされた旗、街中が祭りの準備で大忙しだ。

 奇矯騎士も、この光景が見たかったであろうに。彼が嘆いた祝詞とは、どのようなものだったのだろうか。少し怖いが、明日になればはっきりする。

 

 ふと、屋台の側に座る少年が目に入り立ち止まる。天灯の準備をしているようだ。聞いた話によれば、天に浮かぶ提灯を魂の道標とするらしい。魂が無事、天へ帰れるように。

 星まで届く訳ではないが、夜空に浮かぶ天灯は見応えがあるだろう。お針子にとって、収穫祭の中で1番の楽しみである。

 

(………?)

 

 少年を見ていたら、香ばしい匂いがしてきた。この匂いは覚えがある。少年の側にある屋台からだ。気になって屋台の裏に行くと、夫婦が何かを茹でていた。茹で上がったものを味見して、夫婦は笑顔を浮かべる。

 

「やったぞ。ようやくあの味に届いた」

「苦労した甲斐があったわね。……あら、誰かしら?」

「あぁ、すいません。良い匂いがしたものですから」

 

 お針子は、夫婦が食べていたものを見て確信する。王が好きなものの一つ、覚えがあって当然だ。

 

「ゆでエビですか。美味しそうですね」

 

 お針子の言葉を聞いて、夫婦が目を見開く。

 

「お前さん、どうしてこれをエビと言ったんだい?」

「え?」

「だってこれ、どう見てもザリガニじゃないか」

 

 夫婦の言葉に、お針子はハッとする。夫婦の足元にある箱には、まだ生きている食材が鋏を振り上げている。そうだ、これはザリガニだった。

 

「すみません。知り合いがザリガニをエビと呼んでいたものですから」

 

 お針子の言葉に夫婦が顔を合わせる。そして、少し興奮気味に話しかけてくる。

 

「その知り合いって、ひょっとして鉄仮面の大男だったりするかい?」

「え?は、はい。その通りです」

「ああ、やっぱり。こんな所で、あの人の知り合いに会えるとは……これも地母神様のお導きかねぇ」

 

 夫婦はお針子の返事を聞いて、嬉しそうに体を震わせる。すると、今度は背後から声がした。

 

「あの人のこと知ってるの?」

 

 振り向くと、天灯を作っていた少年がいた。どうやら彼らは、王の好物を作っていた人物を知っているらしい。

 

「ええ、知っています。いつもエビ……ザリガニや蟹を茹でている人です。以前お会いした時は、ゆでカニをいただきました。あの人は、お元気ですか?」

 

 お針子の質問に、少年の表情が暗くなり俯いてしまう。そして、顔を俯かせたまま言葉を紡いだ。

 

「僕ね。あの人のために天灯を作っていたんだ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

小さな者と大きな者ー番外編

初めての番外編になります。

感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます。


 辺境の街から、歩いて2日ほどの場所にある開拓村。そこに1人の少年がいた。

 少年は生まれつき体が小さく、そして弱かった。無邪気な村の子供は、そんな少年を嘲笑の対象とした。大人たちは何度も子供を叱って止めたが、こっそりとそれは続けられた。

 

 ある日、村外れの小屋に見知らぬ大男が住み始めた。小屋は川の近くにあり、以前は釣り人の老人が住んでいたが、老人が亡くなってからは誰も住まなくなっていた。

 大男は鉄仮面を着けており、盗賊や逃亡した囚人のようであった。本来なら冒険者ギルドに知らせるべきだが、村は貧しく報酬を払う余裕がなかった。

 幸いなことに、大男は川辺の小屋から動こうとせず、村に何か被害を与えることもなかった。そこで、村人は小屋に近づかないようにし、様子を見ることにした。もちろん、子供にも小屋に行かないように伝えた。

 しかし、子供は好奇心旺盛で危険を冒しがちだ。勇気と無謀を履き違えている子なら尚更である。

 

「おい、チビ。お前、あの小屋に行けるか?」

 

 少年にそう言って来たのは、いつも揶揄ってくる男の子たちであった。いつもなら無視して耐えるが、この日は違った。朝に両親と軽い喧嘩をして、気が立っていたのだ。あるいは、朝食を食べ損ねて空腹だったことが原因かもしれない。

 大きな声で言い返して、口論になった。そして、少年は度胸試しに大男のもとへ行くことになったのだ。

 

 やばくないか?

 平気だろ。どうせ直ぐに逃げ出すさ。

 

 背後から聞こえて来る声を振り切って、少年は川辺の小屋へ向かった。

 少年に勇気があった訳ではない。ただ、腹が立って感情的になっていただけであった。実際、興奮が収まるころには言い返したことを後悔し始めていた。少年は道中、大男が留守であることを祈っていた。

 

 少年の祈りも虚しく、大男は小屋の側に居た。鍋で何か作っているようだ。

 少年は本心では逃げ出したかったが、背後から感じる視線がそれを止めていた。話しかけるのは怖かったが、逃げて笑われるのも嫌だった。感情がごちゃ混ぜになった少年は、自棄になって声を出した。

 

「あの!」

「……ああん?」

 

 大男は少年を睨む。それだけで、少年は腰を抜かしそうになる。

 

「何だ、ガキ。文句でもあるのか」

 

 声が出なくなり、体が震えて涙が出てくる。

 

「後ろにいるガキ共もだ!何コソコソと見てやがる!」

 

 大男が立ち上がり、大きな声を出す。少年は今度こそ腰を抜かし、後ろの茂みに隠れていた子供たちは泣き叫びながら逃げ出す。

 大男は子供たちが逃げ出したのを見て、満足そうに座る。少年は恐怖で動けないでいたが、大男は気にせず鍋の様子を見始めた。

 しばらく時間が経ち、漸く大男が少年に声を掛けた。

 

「いつまで腰抜かしてやがる。邪魔だ」

 

 そう言われても、体が動かないのでどうしようもない。少年もこのままでは、良くないことはわかっている。

 そんな時、大男の鍋から香る匂いのせいか、少年のお腹が空腹を訴える音を立てた。

 

「ん?……お前、腹減ってんか?」

 

 大男の質問に、少年は首を縦に振って答える。

 

「出すもん出してくれたら、譲ってやらんこともないがな。金になりそうな物も持ってなさそうだよな、お前」

 

 漸く体に力が入り、立ち上がる。鍋を見るとザリガニを茹でているようだった。香ばしい匂いがして、とても美味しそうだ。しかし、分けてくれる様子はない。

 少年が物欲しそうに、鍋を見ていると背後から両親が駆けてきた。両親は少年の無事を確認し、急いで少年の手を引いて連れ帰る。

 

「おい、ガキ。ゆでエビを食いたかったら、何か持ってきな」

 

 立ち去る少年に、大男が声を掛ける。あれってザリガニのはずだけど、という疑問が少年の心に残った。

 家に帰ると、両親は少年をキツく叱り、小屋には絶対に近づかないよう約束させた。他の子供も同様であり、しばらく揶揄われることはなくなったので、少年にとっては悪い事ばかりではなかったと言えよう。

 

 

 

──────────

 

 

 

「お、おい。どうした、しっかりしろ!」

「う、うぅ……」

 

 開拓村の農民がその日の仕事を終え、帰り道を歩いていた時のこと。血塗れの男が、道中に横たわっていたのだ。それは、隣の村の男であった。

 農民は急いで人を呼んで来て、手当てを施した。だが、その甲斐はなく男は息絶えてしまった。しかし息絶える前、何があったのか男から聞くことができた。

 

「熊だと?」

「ああ、確かに熊に襲われたと言っていた。猟師、どう思う?」

「かなり不味い。人の味を覚えた熊は、また人を襲う。狩るのも大変だし、罠を仕掛けるにも道具が足りない」

「でも狩るしかないだろ」

「危険すぎる。冒険者に依頼すべきだ」

「そんな金が何処にあるんだ?」

「隣の村の様子も気になる。生き残りがいるかどうか、確かめるべきじゃないか?」

「それより、他の村に知らせるのが先だろ」

 

 熊の出現は、直ぐ村中に広まった。女子供は家に避難し、村の男たちは武器を、武器が無い者は農具を持って見回りをしている。そして、村長や猟師などの主だった者は、どうするか話し合っていた。しかし、結論は出そうにない。

 埒が明かないので、村長がどうするか決断を出そうとした時、大きな獣の咆哮が聞こえて来た。

 周囲の家から、子供の泣き声と慌てふためく女たちの声が聞こえ、男たちにも緊張が走る。咆哮がした方へ注意を向けるが、何も見えない。

 

 しばらくの間、警戒していたが何も起きることは無かった。もう何処か移動したのでは、と村人が思い始めた時、破壊音と悲鳴が村中に響き渡った。

 

 

 

 家のドアが突然破れ、母親が壁に叩きつけられ気絶する。数瞬の間、少年は何が起きたか理解できなかった。熊が気絶した母親に近づこうとした時、咄嗟に持っていたナイフで熊を傷つけてしまった。

 ギロリと睨まれて、少年は自分がした事を理解してパニックに陥る。

 壊れたドアから外へ逃げ出した時は、何処に逃げるかも考えられなかった。両親には、何かあれば村の中央へ行くよう言われていたが、それも思い出せないくらい混乱していた。

 

 背後から追って来る獣から、ひたすら逃げ続ける。逃げて、逃げて、逃げ続ける。すると、信じられないことに前からも熊が現れた。

 

「あん?何の騒ぎだ?」

 

 目の前の熊が何か喋ってる。背後の熊が追いつくと、前にいた熊も立ち上がる。

 もう駄目だ……

 

「何だ、この野郎!!」

 

 その大声を聞いて、少年は漸く大男だと気づいた。熊が大男に襲い掛かり、少年は尻餅をついて目を瞑る。大男が殺されたら、次は自分の番だ。

 

 咆哮が響き、重い音が何度も地面を揺らす。

 

 しかし、いつまで経っても少年が襲われることはなかった。少年が恐る恐る目を開けると、信じられない光景が見えた。

 

「ルーンベアでも無いくせに!俺を誰だと思ってやがる!」

 

 大男が倒れた熊を一方的に殴っていた。拳には鉄球のようなものがはめられ、その一撃はハンマーのように重たそうだ。頭部を鉄球の拳に潰された熊は、もう二度と動くことが無かった。

 大男が殴り終わったところで、村人たちが駆けつけて来た。熊の遺体と大男を警戒する村人たちに、少年はここで起きたことを説明する。熊に襲われた自分を、大男が助けてくれたと。

 少年の父親が礼を言うと、大男は何も言わずに小屋へ戻っていった。

 偶然とは言え、熊を倒してくれた恩人の背中は、少年にとって大きく頼もしく見えた。

 

 

 

 後日、少年は大男を訪ねていた。理由は改めてお礼を言うこと、そしてもう一つ。

 

「何だ、そりゃ?」

「干し肉だよ」

 

 少年は大男の料理を食べたいと思い、言われた通りに物を持って来たのだ。大男としては金目の物を期待していたが、貧乏な村の子供にそれは厳しい。

 大男は溜息をつく。

 

「期待するだけ無駄か。ゆでエビと交換してやるよ」

「ありがとう。でもこれ、ザリガニだよね?」

「……エビだ」

「?」

「これはエビなんだよ!」

「う、うん。わかった」

 

 大男に気圧されて、少年は首を縦に振る。どう見てもザリガニだが、これ以上聞いても怒るだけだ。

 少年は出来立てのゆでエビを受け取ると、早速食べ始める。

 

「これ美味しい!」

「は、当然だ」

 

 少年が笑顔になり、大男も何処か嬉しそうである。少年は直ぐに食べ終わってしまい、物欲しそうに鍋を見る。

 しかし、大男は分けるつもりは無い。干し肉との交換だって特別なのだ。過去に一度だけ、とある亜人にただで渡したこともあるが、今回は渡すつもりは無い。

 少年は頬を膨らませながら、大男を見つめる。しばらくして、大男に尋ねた。

 

「エビ食べたら、僕も大きくなれる?」

「あ?何言ってやがる?」

「僕ね、大きくなりたいんだ。大きい男は、強いし何も怖くないでしょ?馬鹿にされることも無くなるし」

「……確かに、俺は強いし怖いもの知らずだ。馬鹿にした奴らはいたが、直ぐに後悔することになったな」

「いいなぁ」

「食い終わったんだろ?邪魔だから、もう帰りな」

「え?う、うん。また明日来るね」

 

 大男は少し強引に少年を家に帰す。少年としてはもう少し居たかったが、素直に帰ることにする。

 少年は挨拶すると、駆け足で家へ向かった。

 

「……悪い冗談だぜ。畜生」

 

 少年が居なくなったことを確認し、大男は悔しそうに呟く。

 彼は知っている。自分が、小悪党のならず者に過ぎないことを。本当に強く偉大な者が、どんな存在なのかを。

 忘れられる訳がない。狭間の地でそれを見た、あの日のことを。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 糞食いは死んだ

 もう誰も穢れて死ぬことは無い

 

 エビ好きであり、カニ好きな褪せ人が、ゆでカニを買いに来た時の事だ。耳に入ってきた言葉が信じられなかった。

 

 己のような小悪党とは訳が違う、あの恐ろしい男が死んだ?

 

 詳しく聞くと、褪せ人が糞食いを倒したらしい。

 聞いた時は、自分を安心させるための冗談かと思った。しかし、今目の前で起きている事を見れば、あの褪せ人ならやりかねないと思う。

 あれだけ輝いていた黄金樹が、真っ赤に燃え盛っているのだから。

 燃やした理由なんて分からない。だが、あの褪せ人が王になるためには必要なことだったのだろう。どの道、導きが見えていない自分には関係ないことだ。

 

 そう思った時、大きな獣の咆哮が響き渡った。その咆哮を聞いて、風の噂で聞いた話を思い出す。最初の王が、再び王になるため帰還したと。

 王になろうとする者が2人、されど玉座は1つだけ。何が起こるかは考えるまでも無い。

 今まで王の事など、微塵も興味が無かった。しかし獣の咆哮を聞いた時、ほんの少しだけ興味が湧いた。王都は灰に埋もれており、今なら騎士も兵士もいないはず。

 ならず者は、王都の中へ入ることにした。

 

 

 

 東側の入口から中に入り、城壁を抜ける。そこには、灰に埋もれた王都が広がっていた。黄金樹が燃えると同時に、王都も死んだと言える。

 よく見ると灰の上に誰かがいた。近づき、その正体が分かると、ならず者は驚いた。

 

「亜人?何でここに……」

 

 亜人は高原にもいるが、1人で灰の王都にいる理由が考えつかなかった。亜人は遠くに見える玉座の舞台を、まるで祈るような姿勢で見つめていた。

 

「……お前、何してんだ?」

「え?だ、誰ですか?」  

 

 亜人に声をかけると、明らかに怯えた声を出す。その姿に、ならず者は安心する。己に怯える者など、恐るに足りない。亜人のお針子は怯えながらも、ならず者を観察する。

 

「もしかして、ゆでエビとゆでカニを作ってる方ですか?」

「あん?確かにそうだが……何で知っている?」

「我が王が教えてくれました。ゆで料理が上手い、鉄仮面の大男がいると」

「お前の王って、まさか玉座の舞台で……」

「はい、最初の王と戦っている方です」

 

 その時、大きな獣の声が響く。咆哮ではなく、苦しげな悲鳴であった。

 そして響き渡る、戦士の咆哮。

 最初の王が、己で背負った枷を捨てて戦士に戻ったのだ。巨人戦争時代の闘志を取り戻し、より激しくなる戦闘音。

 素手で地面を抉り、大気を揺らす猛攻の数々。

 褪せ人とて、それを受けて無事な筈が無く……

 

「あ、あぁぁ……」

 

 お針子が悲鳴に似た声を出す。

 玉座の舞台では、褪せ人の体が宙に浮いたと思ったら、最初の王に掴まれ地面に叩きつけられていた。

 

(……何でだよ)

 

 常人なら絶命しているだろう一撃。こうして遠くから見ているだけで、心がへし折られる衝撃。

 

(何で……立ち上がれるんだよ)

 

 それでも褪せ人は立ち上がり、大剣を構える。褪せ人の心は、微塵も折れていない。

 

(苦しくて辛いだけだろ。王なんて、最初の王にやらせればいいじゃねぇか。そこまでする理由があるのか?)

 

 理由はある。導いてくれた者を犠牲にした。支えてくれた者に頼まれた。契りを交わした相手に約束した。だから、苦しくても辛くても、王の道を歩む。

 

(理由があったところで……俺には絶対に無理なのに)

 

 糞食いに友が穢された時、子供のように怯えて何も出来なかった。自分の強さと危うさが、ただの虚勢に成り下がり、心が折れた瞬間であった。

 

 しばらくして、王都が静かになる。あれだけ響いていた咆哮も戦闘音も、もう聞こえない。王をめぐる戦いが終わったのだ。

 

「どうなったんでしょう?」

「……勝ったのが最初の王なら、勝利の雄叫びを上げるだろう。だが、雄叫びは無かった」

「では、我が王が勝利したんですね!」

 

 お針子が喜んでいる間に、ならず者は挨拶もせずに立ち去る。真に強く偉大な者を目の前にして、自分の弱さと矮小さに我慢できなくなったのだ。

 

 その後、ならず者は気を紛らすように、鍋でエビとカニをゆでる日々を送った。世界の変化に目もくれず、1人静かな時を過ごすのであった。

 

 

 

 どれくらいの時が流れたであろうか。大きな流星を見た、その次の日のこと。お針子が、ならず者のもとを訪れた。遠出をするので、挨拶に来たという。

 

「あいつのもとへ?」

「はい。あの流星は、我が王に違いありません」

「そうか。……ほらよ、餞別だ」

「ゆでカニですか。ありがとうございます。我が王も喜ぶでしょう」

 

 ならず者は、ゆでカニを幾つか渡す。亜人に見返りは期待できないし、あの褪せ人に仕えている者から何か受け取るのは気が引けたので、特別にただで渡した。

 お針子は嬉しそうにゆでカニを受け取ると、立ち去って行った。

 

(……遠い場所なら、俺も変われるか?)

 

 ずっと、惨めな自分を変えたいと思っていた。だが、ここで過ごす限りそれは難しい。自分の事を知らない、遠い場所なら或いは変われるかもしれない。

 

 ならず者は、ほんの少しだけ期待を抱いて、四方世界を訪れるのであった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 期待したような成果は得られなかった。

 冒険者になろうと思ったこともあったが、街を訪れた際に鉄仮面を身につけているせいで、軽い揉め事が起きてしまった。

 ならず者にとって、鉄仮面は己を守るための虚勢の殻。外せと言われても、おいそれと外せるものではない。見知らぬ土地で、見知らぬ人と接触するなら尚更である。

 ギルドは信頼で成り立っているため、怪しい人物を冒険者にする訳にはいかない。結局、冒険者になって出世することは諦めるしか無かった。仕掛け人になる気にもなれず、自然と街から離れた場所で過ごすようになった。

 そして開拓村の小屋に行きつき、再びゆでエビを作る日々に戻る。変われない自分と、機会を与えない世界が憎くて仕方なかった。

 しかし、少年に慕われるようになり、少しずつだが変わり始めていた。ならず者にとって、少年のことは鬱陶しいと思う反面、新しい友ができたみたいで嬉しい気持ちもあったのだ。

 少年の家族も、ゆでエビを気に入ったらしい。少年と共に、食料を持参して物々交換をするようになった。

 

「店を出したら、繁盛するぞ」

 

 少年の父親が半分冗談で語り、作り方を聞いてきた。教えるつもりは無かったが、作るところを隠すことも無かった。ゆで方も塩加減も、簡単に真似できるものでは無かったから。

 

 

 

 熊の襲撃から、しばらく経ったある日のこと。少年が何も持たないで、暗い顔をしてやって来た。ゆでエビも食べずに、ならず者の隣に座る。

 

「街に引っ越すことになったんだ」

「そいつは急な話だな。何かあったのか?」

「この前、叔母さんが来てね。街の商売で人手が必要になったから、一緒に住まないかって。父さんも母さんも悩んでいたけど、村の生活は厳しいから引越すことに決めたって」

 

 元から厳しい生活を送っていたが、隣の村が壊滅したことにより、更に状況は厳しくなった。行商人が足を運ぶ回数も減り、いつ限界を迎えるか分からない。

 

「それでね。母さんが引っ越す前に恩人にご馳走をしたいって」

「……待て。まさかと思うが、俺を夕食に誘ってんのか?」

「うん、そうだよ。恩は少しでも報いたいってさ」

「正気かよ……人が良いにも程があるぜ」

 

 ならず者としては断りたいところだが、少年が悲しそうな顔を浮かべている。喚かれても面倒である。これが最初で最後だと思って、ならず者は少年の誘いに応えることにした。

 

 少年と共に家に行き、テーブルの上に並べられた料理を見る。量も申し分なく、貧しい村にしては確かに豪勢であった。

 

「それ、外さないの?」

 

 席に着くと、少年が鉄仮面を指差して聞いて来た。

 

「強くても、油断は禁物だ。いつ何が起きても良いように、食事する時も外さないようにしてるのさ」

 

 何処かの変な奴と似たようなことを言って、ならず者は誤魔化す。少年としては、最後に顔を見ておきたいと思ったのだろう。申し訳ない気持ちもあったが、やはり外す気になれない。

 

 全員が席に着き、食事を始めようとして──

 

「ゴブリンだぁ!ゴブリンの大軍が……」

 

 叫ぶ声が途中で途切れ、代わりに周囲から悲鳴と破壊音が聞こえて来る。窓の外を見ると、火の手が上がり人が次々と倒れていく姿が見えた。

 

「よりによって今日、襲撃が起きるなんて……」

「で、でも、ゴブリンなんて弱いでしょ?」

「馬鹿を言うな!奴らが村を襲撃するときは、100匹を超えることだってあるんだぞ!」

 

 少年の言葉を、父親が否定する。ゴブリンの襲撃が、数の暴力であることを父親は知っていた。

 ならず者も窓の外を見る。既に大量のゴブリンが、村の中に入り込んでいる。

 

「逃げるのは厳しそうだな。隠れる場所はあるか?」

「床下に隠れる場所を作ってあるが……」

 

 熊の襲撃から反省して、即席で用意した場所だった。父親が床板を外すと、隠れる場所が出てくる。

 

「俺が入る空間は無いな」

 

 少年の一家なら身を縮めれば何とか入れそうだが、ならず者には無理だ。体格的に1人でも入れるか怪しい。

 

「お前たちは隠れろ」

「で、でも……」

「いいから隠れろ!早くしろ!」

 

 少年は、ならず者がゴブリンと戦ってくれることを期待していた。しかし、ならず者は戦うつもりなど無かった。少年との日々は悪くなかったが、そこまでするつもりは無い。

 ならず者は、少年と両親を強引に床下に押し込んで閉じる。手早く済ませないと、自分が逃げられなくなる。少年たちを連れて逃げるのは無理だが、自分1人なら逃げ切れると思っていた。

 ならず者は、床板を塞がないようにテーブルを移動させ、少しでも見えづらくする。これで最低限の義理は果たした。後は、神の賽の目次第だろう。

 

 ならず者が外へ出ると、既にゴブリンに取り囲まれていた。もう川辺の小屋に行っても、意味がないだろう。

 何処へ逃げるか必死に考えていると、後頭部に何かをぶつけられた。家の屋根に登っていたゴブリンが、大きな石を投げつけたのだ。鉄仮面越しとは言え、強い衝撃が脳に伝わり、ならず者は倒れた。

 

 意識が朦朧として、記憶が混濁する。

 

「う、ぐぅ……俺は一体……」

 

 何が起きたのか、どういう状況なのか分からなくなる。顔を何とか上げて、目の前を見る。

 

(……何だ?誰なんだ?)

 

 歪んだ視界の中で何かが、誰かが自分を指差しているのが見えた。視界がはっきりしてくると、その表情も明らかになる。

 

(何を……笑ってやがる……)

 

 それは、こちらを指差してゲラゲラと笑っていた。言葉はよく分からないが、馬鹿だ、間抜けだと嘲笑っているのが分かる。

 

「……らうな」

 

 沸々と湧き上がって来る怒りと共に、ならず者は立ち上がる。そして、全身に力を込めて叫ぶ。

 

 俺を、笑うんじゃねぇ!!!

 

 それは己の危うさを誇示する咆哮だった。周囲から笑い声が消えると同時に、ならず者は鉄球の拳で近くにいたゴブリンの頭を潰す。目につく者を、次から次へと潰していく。放たれた矢が肉体に突き刺さるが、その勢いが止まることは無い。

 ゴブリンの表情は、笑顔から恐怖に変わる。

 

(そうだ!ビビれ!)

 

 怯えるゴブリンを容赦なく潰していく。次はお前、その次はお前だという具合に。血塗れになりながら拳を振り回す男に、ゴブリンはすっかり恐怖して逃げ出す。

 

(思い知れ!俺の拳の重さを!)

 

 ならず者は、逃げるゴブリンを追い回す。すると今度は大きなゴブリン、ホブゴブリンが立ち塞がる。

 

「邪魔だぁ!」

 

 だが、ホブゴブリンでは止められない。頭を殴り、倒れたところを踏み潰す。頭蓋骨が潰れる感触が、ならず者の足に伝わって来る。

 ホブゴブリンを殺すと、ならず者は大声で笑った。その笑い声にも、ゴブリンは怯えてしまう。

 

 しかし、忘れてはならない。彼が何者なのかを。

 

 ならず者のもとに、また大きなゴブリンが現れる。そいつにも、鉄球の拳を浴びせようとして──

 

「グッ!ガハッ!」

 

 武器で防がれて、カウンターを受ける。吹き飛ばされ、誰かの家の壁に体を打ちつける。ホブゴブリンより遥かに強い上位種に、ならず者の拳は届かなかった。

 その一撃を受けて、ならず者は我に返る。

 

(何やってんだ俺……逃げようとしてたのに)

 

 気がつけば怒りに任せて拳を振るい、逃げる機会を失った。ゴブリンの上位種が、止めを刺そうと近づいてくる。

 

(……そうだよな。勘違いした小悪党の最後なんてこんなもんさ)

 

 ならず者は、もっと救いのない最後を知っている。それに比べれば、遥かにマシな最後だ。

 次こそはもっと上手くやろうと目を瞑り、その時が訪れるのを待つ。ならず者が目を瞑るのを見て、ゴブリンの上位種は勝利を確信した。

 

 しかし次の瞬間、轟音と共に何かに頭を潰されて絶命した。

 

「あ?」

 

 ならず者は音を聞いて、思わず目を開けた。そこには、ゴブリンの上位種の頭を尻で潰す、大きな騎士がいた。巨大な山羊の角が施された鎧を着る、大角の騎士であった。

 

 大角の騎士は尻餅をつきながら、ヨッと気さくに腕を振って挨拶をする。

 彼がここに居る理由は、深く考える必要はない。彼は戦う者の物言わぬ友、助勢の騎士なのだから。戦う者が入れば、何も言わずに手を貸す。そうして多くの者が、救われてきた。あの王となった褪せ人も、彼に救われた1人なのだ。

 ならず者も、彼のことは聞いたことがある。狭間の地にいる、真に大きい者の1人。その武器は、ならず者でも持ち上げることが困難なほど大きい。その力強さは妬ましいが、今は素直に感謝しておく。

 

 大角の騎士が立ち上がると共に、ならず者も立ち上がる。そして、ゴブリン達を睨む。

 

「……舐めた真似してくれたな。覚悟できてんだろうなぁ?」

 

 ならず者は再び咆哮を上げると、大角の騎士と共にゴブリンに向かっていった。

 

 

 

 ゴブリンが居なくなり、周囲が静かになる。全てを倒しきることはできなかったが、大部分は殺した。生き残りが再び群れになるには、かなりの時間を要するだろう。

 大角の騎士は、戦いが終わると同時に立ち去った。また、何処かで誰かを救うのだろう。

 

 ならず者は疲れ切って、地べたに腰を下ろしていた。周囲を見ると、ゴブリンと人の死体だらけ。もう、この開拓村はお終いだ。復興もできないだろう。

 あの家族に、行く宛があって良かった。自分は、また何処か適当な場所を見つければ良い。

 

「おーい!」

 

 遠くから少年の声が聞こえた。振り向くと同時に、少年と両親もこちらに気づく。

 彼らには、自分だけがゴブリンと戦ったように見えるだろう。そんなことは無いのに。それどころか、逃げようとしていたのに。

 

 どうしたものかと考えていると、口から赤い液体が溢れて来た。それがどういうことなのか、直ぐに理解できた。

 今度は湧き上がるように血が込み上げて来て、盛大に吐き出して仰向けに倒れる。ならず者の異変に気づき、一家が悲鳴を上げる。

 

(……どうしてだろうな?)

 

 苔薬は無い、祈祷も使えない。毒を治す術が、一つも無いのだ。もう助かる見込みは無い。

 

(想像していたより、ずっとマシな終わりだってのに……)

 

 穢されて死ぬより、ゴブリンに嬲り殺しにされるより遥かにマシ。寧ろ、英雄的な最後である。

 こんな終わり方を望んでいた。そして生まれ変わったら、もっとマシな人生を送るのだ。ずっと、そう考えていた。

 それなのに、涙が溢れて止まらない。

 

「嫌だ……死にたくねぇよ……」

 

 その呟きが、誰かに聞こえることは無かった。





 ならず者がゆでエビとゆでカニを作っていた理由は、友の好物あるいは友が良く作ってくれた物だったからとか思ってます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

収穫祭ーお針子、褪せ人

お久しぶりです。
気が付けば一ヶ月経っていました。


感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます。


 ああ、今宵も月と星が美しい

 星の世紀は今日も健在です

 

 私の不安は、やはり杞憂であったようですな

 

 異界へと旅立ったお針子は元気でしょうか?

 どうか息災でいて欲しいものです

 

 あの御仁は私を信頼して

 あの子を私に預けて下さった

 なのに、疑いを抱いてしまうとは

 

 流星を見た程度で不安になり疑いを抱くなど

 

 全く、この教会をお預かりしている者として

 何と情けないことでしょう

 

 ああ、御仁よ

 どうかお許しください

 

 私は結びが反故されたときに

 起きたことを全て見てきました

 

 故に結びが再び反故されることが

 何よりも恐ろしいのです

 

 だから……

 異界に旅立つあの子に確かめて欲しいと

 頼んでしまいました

 

 あの子は御仁を全く疑っていなかったのに

 

 せめてのお詫びとして、

 あの子が無事に出会えること祈りましょう

 

 ……いえ、これも余計なお世話かもしれませんね

 

 例え、どれだけ離れていようとも

 あの子と御仁の絆は確かなものなのですから

 

 

 

────────────────────

 

 

 

「フンッ!」

 

 フランベルジュを呪物に突き刺して燃やす。こうした品は物によっては簡単に破壊できないが、今回は呆気なく破壊できた。

 呪物を破壊した奇矯騎士は、周囲を確認する。足元には女性の冒険者たちの死体と、奇矯騎士が倒した闇人の死体があった。

 

 奇矯騎士が辿り着いた時には、冒険者たちは既に闇人に殺されていた。冒険者の仲間と思ったのか、闇人は奇矯騎士が話しかける前に襲いかかって来たので、やむを得ず返り討ちにしたのだった。

 

 死んだ彼女たちは、きっと神々に愛されていた。だからこそ、彼女たちの愛する者が病に侵された時、冒険が用意された。そして、何も果たせず全滅という形で冒険は終わったのだ。

 

「何とも救いのない話じゃ」

 

 ここで起きたことは、神の振るう賽の目の結果によるもの。奇矯騎士には、闇人に殺された冒険者たちが神々の被害者にしか見えなかった。文字通り、神の戯れの被害者に。

 神々に愛された者は、望む望まぬ関係なく冒険に巻き込まれる。神々は、自由意志を尊重しているようで、選びようがない選択肢を冒険者たちに迫る。これでは、導きにより狭間の地に送られた褪人たちと大差無い。

 

「二本指と黄金樹は、とっくの昔に狂い果てていた。この世界の神々も例外では無かったということか」

 

 奇矯騎士は、死地を求めてこの世界へ来た。己を縛る約束や思いが果たされた今、残る望みは華々しく終わること。願わくば、星を砕いた英雄と同じく戦士として名誉ある死を。

 しかし、神々が用意した冒険の果てで死にたくは無い。それは、己の求める戦士の終わりではない。己の本分を忘れ、ただ自分達の作った遊びに興じる神々の駒として終わりたくは無い。

 

「……もっとも神々が賽を振る日々ももうすぐ終わるがな。戦いに疲れ果て、己の本分を忘れ遊戯に狂った者たちに、これから起きることを止めることなど不可能であろう。せいぜい、指を咥えて見てるのが精一杯じゃな」

 

 先日の夜のことだ。星見を行った際、王が異変の全容を明らかにしたことを星々から教わった。そして、これから起きるであろう災難についても。

 この世界の者たちが、災難に立ち向かうことは難しい。例え勇者でも、生き残るのが精々だ。多くの者が、為す術も無く終わりを迎える。

 

「被害を食い止める方法はただ一つ。それには、王の力が不可欠であろう。だが、王が手を貸すかどうか……」

 

 異変の全容には、暗月の女王も驚き恐怖したことだろう。それは王に最も関わって欲しくないことだったから。関わってしまえば、暗月の女王が最も恐れていることが起きる可能性があるのだから。

 今頃、暗月の女王は帰還するよう王を説得していることだろう。

 

 もし、王が暗月の女王の説得を払い除け手を貸す可能性があるとすれば、それはきっと……

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 目を凝らして遠くを見れば花火が見える。耳を澄ませば楽団の賑やかな音楽が聴こえてくる。牧場からでも、収穫祭の活気がはっきりと伝わってくる。ここまでの活気に触れるのは水の街以来だ。

 お針子が祭りの活気に圧倒されていると、牧場の家から牛飼娘が出て来た。

 

「おはようございます。素敵な衣装ですね」

「うん、おはよう。……似合ってるかな?」

 

 牛飼娘は、いつもの作業着とはまるで違う、鮮やかで素敵な刺繍が施されたドレスに身を包んでいた。先日の女騎士の時も思ったが、やはり着る服で印象は大きく変わるものだ。聞けば、牛飼娘の母親が着ていたものらしい。ドレスには染みもシワも無く、大切に保管されていたのがわかる。

 

「とてもお似合いですよ。ゴブリンスレイヤーさんも、そう思いますよね?」

「ああ、そうだな」

「本当?えへへ」

 

 ゴブリンスレイヤーの感想を聞いて、牛飼娘は少し恥ずかしそうに照れる。そして、先陣を切って進もうとする彼の手を握り、顔を真っ赤にしながら収穫祭へと向かって行った。お針子も一緒に行くつもりであったが、二人の邪魔をするのは野暮であろう。

 祭りの日に心が踊るのは、牛飼娘も例外では無い。願くば、ゴブリンスレイヤーも少しは心を躍らせて欲しいものだ。

 

 お針子は二人が見えなくなった後、牧場主へ挨拶を済ませて収穫祭に向かった。

 

 

 

「牧場で作られたベーコンはいかが?ジャガイモも付いてるよ!」

「スモモのブランデーをお試しあれ!舌も蕩ける甘さだよ!」

「ゆでエビはいかが?材料はザリガニだけど絶品だよ!騙されたと思って食べてみな!」

 

 街に入るとあらゆる音と声が、お針子を取り囲んだ。ラッパ、太鼓、笛など楽器の音色、行き交う人々の足音。出店の主が客を引く為に声を張り上げ、大道芸人が歌いながら踊り、そこら中から笑い声がする。

 祭りを初めて経験するお針子にとって、その賑わいは全てが新鮮であった。

 

 一先ず、あの親子に挨拶をするついでにゆでエビを購入する。ゆでカニは食べてしまったから、王へ渡す分も含めて多めに購入した。

 お針子のお目当ては日が沈んだ後の行事だ。それまで、祭りを見ながら適当に時間を潰さなければならない。

 

「おや?」

 

 前方の人だかりを見ると、知り合いの冒険者たちが集まっていた。少年斥候と圃人の少女巫術師、その横には新米戦士と見習聖女、貴族令嬢の一党もいる。更に、ゴブリンスレイヤーと牛飼娘までいた。

 場所は酒場の入口。どうやら蛙の像の口へ銀玉を入れる遊びをしているらしい。

 

「十玉銅貨一枚!一玉でエール一杯!子供にはレモネードだよ!」

(……ああ、なるほど)

 

 ようは少年斥候と新米戦士が玉入れに挑戦したものの上手くいかず、ゴブリンスレイヤーに手助けを頼んだのだろう。お針子は、酒場の亭主に同情した。お針子の知る限り、この辺境の街の冒険者でゴブリンスレイヤーより投擲が上手い者はいない。

 ゴブリンスレイヤーは銀玉を受け取ると、次々と像の口へ投げ入れる。

 

「旦那ァ、ちっとは手加減してくださいや」

 

 周囲から小さな歓声と拍手が上がり、亭主が笑いながら愚痴る。少年たちはゴブリンスレイヤーにアドバイスを求めるが、練習しろと一刀両断され再び挑戦し始める。

 そんな少年たちの側で、牛飼娘はゴブリンスレイヤーに話しかけポケットから指輪を取り出した。そして、指輪をゴブリンスレイヤーに渡すと右手の薬指にはめてもらう。それを見ていたお針子は、心の中で祝福を送る。

 

(牛飼娘さん、ゴブリンスレイヤーさん、おめでとうございます)

 

 お針子は二人が契りを交わしたのだと勘違いしていた。王が契りを交わした際、暗月の女王の右手に指輪を送ったことが原因であった。通常、永遠の愛を意味するのは左手の薬指であるのだが。

 実際、牛飼娘は左手の薬指にはめて欲しかった。しかし、恥ずかしくて右手にしてもらったのだ。

 

 牛飼娘は嬉しそうに指輪を太陽に掲げると、再びゴブリンスレイヤーの手を取り二人で歩いて行った。

 

 二人が立ち去ったところでお針子は酒場の前に行き、冒険者たちに挨拶をする。

 

「皆さん、こんにちは。素晴らしい日ですね」

「あら、お針子じゃないの」

 

 お針子の挨拶を聞き、女魔術師が振り返る。そして、いつもより嬉しそうな様子に気づく。

 

「どうしたのよ?お祭りとはいえ、随分ご機嫌ね」

「はい!つい先ほどゴブリンスレイヤーと牛飼娘さんが契りを交わしたのを見たものですから」

「え!どういうこと!?」

 

 お針子の言葉に、女魔術師だけでなく他の女性陣も興味津々という具合に体を乗り出す。玉入れをしていた少年斥候と新米戦士も、お針子の言葉に思わず振り向く。

 

「残念ながら、あれはそういう意味じゃないわよ」

「え?違うのですか?」

 

 お針子が言葉を続けようとしたところで、酒場から妖精弓手が現れる。彼女は酒場の中で、ゴブリンスレイヤーたちの様子を観察していた。そしてゴブリンスレイヤーたちが去った後、お針子がとんでも無い事を口にしたので慌てて止めに入ったのであった。

 

「指輪をはめたのは右手だったでしょ?契りなら左手のはずよ」

「そうなのですか?残念です……」

 

 妖精弓手の言葉に、お針子は落胆する。

 

「しかし、おかしいですね。我が王は、あのお方の右手に指輪を送ったと聞いたんですけど……」

「それって、プロポーズの話?」

「プロポーズと言いますか、我が王があのお方の王になった時の話です」

「ふぅん……」

 

 妖精弓手がちょうどいいとばかりに笑みを浮かべる。

 

「ややこしいこと言った罰よ。その話、詳しく教えなさい」

 

 そう言うと、お針子の返事も待たずに酒場の中へ誘導する。他の冒険者たちも、興味を示して酒場の中へ入っていく。

 貴族令嬢と女魔術師は少し渋っていたが、圃人の野伏が「じゃあ、私だけでも聞いてこよー」と言うと、その肩を掴んで「聞かないとは言っていない」と言って酒場の中へ入った。

 酒場の中には蜥蜴僧侶と鉱人道士もいて、お針子は大勢の知り合いに王と指輪の話をすることになる。お針子の話は他の酒場の客も惹きつけ、話し終えると拍手が巻き起こるのであった。

 

 

 

───お針子の話(フィルター付)───

 

 

 

 王になる使命を背負った旅人は、教会にて美しき姫君と出会った。旅人が姫君に話しかけると、姫君は旅人へ贈り物を渡して消え去ってしまった。

 

 二人はとある塔の中で再会することになる。旅人は姫君のため秘宝を求めることになり、その道中で星を砕いた英雄を打ち破る。そして、地下に隠された都市で秘宝を見つけ出すのであった。しかし旅人が秘宝を姫君に渡すと、姫君は塔から旅立ってしまうのであった。

 

 旅人が姫君の後を追うと、姫君は洞窟の中で小さく弱り果てた姿となっていた。旅人が姫君に話しかけるが、姫君は反応を返さない。旅人は、辛抱強く姫君に話しかけ続けた。すると、姫君は観念して旅人へ再び頼み事をする。己を呪う、災いの影を払って欲しいと。

 旅人は姫君と共に古代の都市を抜け、その先にて姫君を呪う災いの影を打ち破る。呪いが解けると再び姫君は旅人のもとを去る。王家の紋章が入った鍵を、その手の中へ残して。

 

 旅人は魔術師の住処で、その鍵と合う宝箱を見つけた。その宝箱には、姫君の伴侶へと送られるはずだった指輪があった。奇妙なことに指輪には忠告が書かれていた。

 

 姫君は孤独を歩む、何者もこれを持ち出すな。

 

 旅人はあえて忠告を無視し、姫君を探すことにした。おぞましい腐敗にまみれた地下湖を抜け、その先に待ち構えていた暗黒の落とし子を打ち破る。傷つきながらも、旅人は歩みを止めない。そして、輝く石の竜を倒した末に姫君を見つけ出すのであった。

 

 姫君は寝ているのか、何も語らず身動きもしなかった。旅人は姫君の手を取り、指輪を姫君の指にはめる。気が付けば、王家に伝わる魔剣が旅人の手に握られていた。それは、契りが交わされた証。

 目覚めた姫君は旅人に語る。

 

 あなたこそ私の王だった。あなたが王で良かった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 酒場での語らいは予想以上に長いものとなった。語らいが終わる頃には、もう日は沈みかけていた。女神官の晴れ舞台を見逃さないよう早足で広場へ向かうと、天灯を飛ばす準備をする人たちで溢れていた。ゆでエビを売っていた親子もおり、少年がお手製の天灯に火を灯していた。

 

 赤い夕暮れの光が消え、空が星に満たされる。街は闇に沈み、冷たい風が吹き付ける。

 

 一人が天灯から手を放して飛ばすと、次々と天灯が空へ向かっていった。あの親子の方を見ると、無事に飛ばすことができた天灯に向かって少年が手を振っていた。天灯は死者の魂を導くもの。天灯に向かって手を振る少年の様子は、自分たちを救ってくれた恩人に別れを告げているようでもあった。

 

 お針子が天灯に目を奪われ空を見上げていると、奇麗な鈴の音が広場に響いた。

 

(いよいよですね)

 

 この収穫祭の最大の行事にして、慈悲深き地母神へ捧げられる神楽。その踊り手は、自分の良く知る女神官。着ている白い衣装は、お針子が作成したもの。

 女神官は両手で長大なフレイルを振るいながら、祝詞を口にする。奇矯騎士が嘆いた祝詞を。

 

(……これは)

 

 鈴の音と共に聞こえてくる祝詞。それは確かに素晴らしいものであった。しかし、同時に抗うことを諦めているようにも聞こえた。

 奇矯騎士が真に嘆いたのは、神々の在り方よりも抗う者がいないことであったのかもしれない。お針子も前々から疑問に思っていたのだ。

 

『神様、どうか骰子を振らないで下さい』と、何故誰も口にしないのだろうと。

 

 彼らは知っている。神々が骰子を振るうことを。悲劇も喜劇も骰の目次第であることを。彼らはそれを、神々の正しき姿であると思っている。それは世界を真に支配するものが、神々などではなく骰子であることを示しているのに。歪と矛盾に溢れた信仰を、誰もが当然のごとく受け入れている。

 その在り方が真に正しき姿であるというのなら、冒険者も武器を持たず骰子を持ち歩けば良い。怪物と出会ったなら、互いに骰子を振って勝敗を決めれば良い。出目が悪かった方が自ら命を落として、出目の良かった方が生き残れば良い。

 

(……あり得ませんね。絶対に)

 

 祝詞を最後まで聞き届けたお針子は、誰にも挨拶することなく静かに広場を後にした。

 

 

 

──────────

 

 

 

 気が付けば、街を離れて牧場のすぐ側まで来ていた。周囲は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。

 お針子は、足を止めて今日の出来事を振り返る。悪くない一日であった。祭りは初めてで驚きに溢れていたし、酒場で王のことを語るのは楽しかった。天灯が夜空に向かっていく様子も、新しい星が生まれる様子を見るようで素晴らしかった。それなのに心は晴れず、気分が落ち込んでしまう。

 

(今日はもう寝ますか……)

 

 そう思い歩みだしたとき、茂みから物音が聞こえてきた。お針子が物音の方を振り向くと、何かが飛んできて肩に突き刺さった。

 

「グッ……ゥゥ......」

 

 意識が朦朧とし、身体が傾いて倒れる。肩に刺さった物の正体は、毒が塗られた手投矢であった。ぼやけた視界で茂みから現れた襲撃者を懸命に見るが、その姿にお針子は見覚えがなかった。

 

「だ、誰ですか?」

「お前と良く組んでいる雑魚狩り野郎の被害者さ」

 

 雑魚狩り?ひょっとしてゴブリンスレイヤーの事であろうか。もしそうだとしたら、被害者とはどういう意味だ?

 

「あいつのせいで冒険ができなくなってよ。しょうがねぇから、街をこっそり出て仕掛け人になろうと思ったんだが」

 

 襲撃者はその顔に笑みを浮かべながら、お針子に近づく。

 

「けれどよ、街を出るにも仕掛け人になるにも先立つものが必要だろ?どうしようかと考えた時、思い出したんだよ。雑魚狩り野郎の仲間に、弱そうなくせに立派な杖を持っている奴がいたって」

 

 襲撃者がお針子の腹を蹴り上げる。その鈍い痛みに耐え切れず、お針子は杖を手放してしまう。襲撃者は地面に落ちた杖を拾い上げると、舐め回すように観察する。

 

「思った通り、雑魚には勿体ない代物だな。この杖は、俺が代わりに有効活用してやるよ。あと必要なのは口封じだが、その前に憂さ晴らしでもしていくか」

 

 そう言うと、襲撃者は短剣を取り出す。襲撃者はお針子の腕を掴むと、その指の根元に切っ先を向ける。お針子は懸命に抗おうとするが、毒のせいで声を出すこともできない。襲撃者が、短剣を高く振り上げて──

 

 ドスッっと背中に強い衝撃が走った。痛みだけでなく凍える寒さが身体を包み、身動きが取れなくなる。

 

(な、何が?痛い、いや寒い!火、誰か火を!)

 

 手に入れた杖を何者かに奪われると、横腹を強く蹴られる。体が宙に浮き、道の端まで転がる。

 

(だ、誰だ?雑魚狩り野郎か?)

 

 強張る身体を何とか動かして、蹴り上げた者を見る。そこにいたのは、ゴブリンスレイヤーではなかった。革鎧とは比べ物にならない、銀の鎧を身に着けた騎士のような者であった。一目で立ち向かってはならないと分かる者の出現に、襲撃者はパニックに陥る。

 

(し、知らない!こんな奴、知らないぞ!)

 

 騎士のような者は、襲撃者とお針子の間に立つ。まるで、お針子を守ろうとするかのように。その様子から、ある噂を思い出す。お針子が探している、王と呼ばれる者の話を。襲撃者は漸く、自分のしたことを後悔し始めた。

 

 褪せ人は沸き上がる怒りを抑えきれなかった。聖樹で勇者たちと再会した際、彼女たちから話を聞かなかったらどうなっていたことか。

 

『あなたの事は、大司教が冒険者から聞き出したの。西方辺境で活動してる冒険者で、たしか名前は──』

 

 褪せ人はその手に神狩りの聖印を取り出すと、燃え盛る黒い炎を作り出す。

 

「ま、待ってくれ。あんたの配下にさせてくれよ。そこにいる奴より俺の方が絶対役に立つから、な?」

 

 ガチガチと奥歯を震わせながら、襲撃者は必死に命ごいをする。だが、黒い炎は勢いを増すばかりであった。まるで、褪せ人の怒りがより強まったことを示すかのように。

 

 ……ああ、あいつが良いことを言っていたな

 

 褪せ人は黒い炎を最大限にタメると、容赦なく襲撃者に向ける。襲撃者は必死に何か喋っているが、その言葉を耳に入れる気など毛ほどもない。

 

 卑しい盗人には、天罰が必要だ

 

 黒く重たい炎は、襲撃者の何もかもを焼き尽くしていく。装備、体毛、血肉、そして骨すらも。放たれた黒い炎が消え去る頃には、元が何かもわからない黒ずみしか地面に残らなかった。

 

 

 

──────────

 

 

 

「それでですね、司祭様ったら酷いんですよ。王が地上に降り立っただけで、結びが反故にされたんじゃないかって嘆くんですから」

 

 お針子の話を聞いて、褪せ人は暗月の大剣を右手に持ち胸の前に掲げる。狭間の地に伝わる、剣に誓いを捧げる所作だ。その意味を、お針子は良く知っている。

 街からも牧場からも離れた丘の上で、二人は互いに己の身に起きたことを語り合っていた。収穫祭で購入した、ゆでエビを頬張りながら。先ほどの襲撃者のことなど、すっかり頭から抜け落ちていた。

 

「しかし……まさか、そんなことが起きていたなんて……」

 

 一頻り語り合った後、お針子は呟いた。褪せ人から聞かされた異変の全容に、お針子は驚きを隠せなかった。同時に、これから起きることに嘆いてしまう。しばらくの間に沈黙が流れた後、お針子は口を開いた。

 

「王よ、お願いです。どうか、どうか、この世界の人たちを救ってくれませんか?」

 

 お針子は言葉を震わせながら、必死に言葉を紡ぐ。その様子を褪せ人は、静かに見つめる。

 

「この世界は狭間の地と同様に、神々によって呪われているのかもしれません。それでも、彼らは懸命に生きています。神々が用意した冒険を乗り越えて、生を繋いでいるんです。例えそれが、骰子の出目による結果であっても。ですから、ですから、どうか……彼らを救ってください。どれだけ困難が待ち受けていようとも、あの街に住む人達に死んで欲しくないのです」

 

 お針子は言葉から、褪せ人はある人物の言葉を思い出す。己が王になるため、火種となった少女の言葉を。

 

『この世界がいかに壊れ、苦痛と絶望があろうとも。生があること、生まれることは…きっと、素晴らしい。だから貴方に、王を目指す貴方に、それだけは否定して欲しくない』

 

 お針子の頭を撫でると、褪せ人は立ち上がり指笛を吹く。そして霊馬と共に再び駆け出して行く。その姿を見えなくなるまで、お針子は見つめていた。

 

「我が王よ、感謝致します」

 

 

 

──────────

 

 

 

 ……王よ、分かっているのか

 この世界を悲劇から救う方法は一つだけだ

 それは奴に手を貸すという事だ

 

 ああ、分かっている

 今この世界を見捨てるのは、あいつと同じだ

 母を捨てた、あの男と

 

 だがな、私は恐ろしいのだ

 もし、万が一のことがあったら私はきっと……

 母と同じように壊れてしまうだろう

 

 ……そうか

 その言葉、どうか忘れないでくれ

 

 ならば私も……覚悟を決めるとしよう




 右手の薬指に指輪を送った理由ですが、魂と人形が鏡写しになっているからと個人的に考えています。その場合、人形の右手が本体である魂の左手になるので。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

下準備と強敵ー褪せ人

お久しぶりです。
二ヶ月も放置して申し訳ありません。
次回はもっと早い投稿を目指します。


感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます。


 この世界は4つの時代に分けられる。創造の時代、戦乱の時代、魔法の時代、そして冒険の時代。

 遥か昔、神々は自ら争っていた。しかし、その争いに疲れると骰子で勝負を始めた。そして、それにすら飽きると今度は世界と駒を作った。これが創造の時代。

 世界では神々の手によって戦乱が絶えず行われ、やがて一つの駒が神々が思いもしない物語を作り出した。冒険という概念の誕生である。この頃から、神々は世界と駒を愛し始め、自分たちに心がある事を知った。その後、世界への必要以上の干渉を止め、冒険への道筋を用意し、骰子を振るだけに止める黄金の約定を定めた。これが戦乱の時代。

 ある時、魔術師が台頭し始め、決闘と研鑽が繰り広げられるようになった。やがて、盤上での研鑽では満足できない魔術師たちは、盤上から異世界へと旅立って行った。これが魔法の時代。

 そして、現在の冒険の時代へと移り変わって行く。

 

 神々の間で約定を決めただけで

 律は誰も作ろうとせずに

 冒険という遊びに夢中になった

 

 外なる神が駒の意志に干渉しても

 何もすることはなかった

 

 駒が盤外へ旅立っても

 盤外から稀人が来ることを

 想像すらしなかった

 

 そこが付け入る隙となった訳だ

 

 稀人がどれだけ世界に影響を与えるのか

 考えもしなかったのだろうな

 

 永遠の女王も稀人だった

 女王がどれだけ世界に変革をもたらしたことか

 全く、女王がこの盤の出身者でなくて良かったよ

 

 ……心と愛か

 金仮面の探求者が見い出した

 不要な神とは何であったか

 

 ああ、そうだな

 心も愛も捨てがたいものだ

 私も王もそれを失いたいとは思わん

 

 捨てれないからこそ

 神と人は感じ取ることができないくらい

 離れるべきなのだよ

 

 とは言え、この世界に住まう者たちには

 まだ縋るものが必要だろう

 

 ……さあ、王よ始めよう

 先ずは、死王子のもとへ

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 腕を振るい、5本の刃を扇状に投擲する。放たれた刃は、自分を袋叩きにしようとした3匹のゴブリンに命中する。1匹は倒れ、残りも動きを止めてしまう。こうなれば、仕留めるのは実に容易い。

 後続から新たに複数のゴブリンが襲い掛かろうとするが、先程投擲した刃と同じ物を見せつけると先頭にいたゴブリンが驚き踏み止まる。その隙を、彼が見逃す筈がない。

 

 戦闘が終わり、周囲を警戒しながら投擲した刃を回収する。そして拾い上げた5本の刃を、再び1つに束ねる。

 

「……ふむ」

 

 束ねた刃、扇投暗器を確認しながらゴブリンスレイヤーは考察する。

 ゴブリンは、その弱さから数で有利に立とうとする。閉所なら1匹ずつ対処できるが、洞窟であっても開けた場所というのは存在する。誘い出すなり、煙で燻すなりができれば良い。しかし、それができない場合は複数を同時に相手にする必要がある。

 一振りで複数の刃を放てる扇投暗器は、1本の威力が低くても確かに有効であった。

 

「どうでしたか?実戦で使用してみて」

「悪くない」

 

 女神官の質問に、ゴブリンスレイヤーは簡潔に答える。扇投暗器をゴブリン退治に使用するのは、今回が初めてであった。初めて手にした時は、普通の投擲武器とは勝手が異なる為、少し練習する必要があった。しかし、普段から投擲の練習をする習慣を身につけていたおかげで、直ぐにコツを掴むことができた。

 

 先日、お針子は王と再会した。その際に、幾つかの道具を王より受け取っていた。その中の一つが扇投暗器だ。武具店でゴブリンスレイヤーが使用してみたいと思っていた事を、お針子が王に伝えたらしい。お針子の恩人からの要望と言う事で、王は喜んで扇投暗器を幾つか提供した。

 王は他にも、牧場に乾燥した実を多数提供した。以前、お針子が差し出した黄金に輝く実と冷たい不思議な実であった。聞けば、冷たい実は黄金に輝く実より高い効能を持つらしい。牛たちに活力を与える実は、病気にも怪我にも良く効く。牧場にとって、大変ありがたい贈り物であった。

 

「先に進む。呪文使いには今まで以上に警戒しろ」

「……お針子さんがいませんからね」

 

 お針子は王との再会後、冒険者を辞めた。女神官はお針子が冒険者を辞めても、街で針仕事をすると思っていた。

 しかし数日前の朝、ゴブリンスレイヤーが信じられないことを口にしたのだ。

 

『昨晩、お針子が街を去った』

『……え?』

 

 ゴブリンスレイヤーの話によると、深夜にお針子が納屋に訪れ別れの挨拶を伝えにきたらしい。流石にゴブリンスレイヤーも驚き、お針子に理由を確認した。

 

『オイラが懇願したことで、我が王が世界の運命に介入することを決意しました。しかし、それを望まぬ者たちは王を排除しようとするでしょう。王に仕えるオイラが街にいたら、きっと迷惑を掛けてしまいます。本当は何も言わずに去るつもりでしたが……せめて、ゴブリンスレイヤーさんには挨拶しておこうと思いまして』

 

 そう言うと、お針子は直ぐに街を去ってしまった。ゴブリンスレイヤーは他の冒険者たちにも挨拶するよう伝えたが、お針子が首を縦に振ることはなかった。当然、他の冒険者たちは挨拶もなしに街を去ったお針子に憤慨した。とりわけ妖精弓手の怒りは凄まじく、やけ酒した挙句とんでもないことを言い出す始末だ。

 

『オルクボルグ、力づくでも止めなさいよ!さもなくば今から探してきなさい!まだあいつから聞いてない話が沢山あるのよ!』

『断る』

 

 何はともあれ、もう冒険ではお針子の力を借りることはできない。彼の《鈍石の力場》は、呪文使いを相手にする際に大変心強かった。今は女神官の《聖壁》が頼りである。

 

「奇跡は温存しますが、いざという時は惜しまず使用します。無理は禁物ですよ?」

「無理などしていない」

 

 ゴブリンスレイヤーのいつも通り返答に、女神官は不満そうに頬を膨らませる。しかし、抗議したところで無駄であろう。

 女神官は大きく溜息をついた後、彼の後ろをついて行くのであった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 死王子の遺体がある地下迷宮は、以前よりも遥かに危険な場所となっていた。不死を追い求める邪な者たちが、何か感じ取ったのか死王子のもとへ集ったのが原因であった。

 通路や玄室には、肉体から黒い根が生えた遺体が所狭しと並んでいる。その周囲には、何者かが持ち込んだのであろう怪物たちがひしめいている。剣や弓を持った骸骨兵、屍者、犬の骸骨、中には魔神まで紛れている。

 地下迷宮を目指す道中で亡者の群れを見かけたが、この地下迷宮から出現した者と見て間違いなさそうだ。恐らく、付近の街では冒険者へ依頼が出ていたのであろう。亡者の群の中には、冒険者であったと思われる者も数多くいた。

 

 怪物共を適当に蹴散らしながら、死王子の遺体がある部屋の手前に来た時だ。1人の吸血鬼が倒れ伏せて呻きながら、何やら呟いている。

 

「ウゥ……何故だ、我らの王は死を完全に超越されたはず。……あの遺体は何なのだ?あの赤黒い物は何なのだ?まさか、あれが死だとでも言うのか?ならば……我々が目指したものは何だったのだ……死、死の超越とは……」

 

 最後の言葉を口にした後、吸血鬼は狂ったように笑い出す。そして笑いが止んだかと思うと、つんざくような悲鳴と共に肉体から黒い根が生えて最期を迎える。

 

 自業自得、同情する価値は微塵もない。褪せ人にとって、彼等は死に生きる者たちとは似て非なる者だ。

 この世界に来た当初は、死に生きる者とアンデッドは同じ者だと思っていた。しかし、アンデッドの中でも完全なる不死を目指す者は全く別の存在であった。彼らの多くは、明確な悪意を持った悪人や罪人である。彼らは断じて弱き者ではない。

 死衾の乙女は彼らをどう思うだろうか。少なくとも乙女の協力者であった魔術士は、彼らを認めないだろう。あの魔術師が死に生きる者を救おうとしたのは、彼らが何も侵さず、ただ懸命に生きようとしていたことを知ったからだ。

 不死を目指す者たちは、その逆。懸命に生きる者たちを、不死となるために食い物にする者たちだ。彼らを倒すことを躊躇する必要はない。

 

 あの黒い根に蝕まれた吸血鬼の口振りから、吸血鬼の王が死王子のもとにいるようだ。吸血鬼の頂点、死人の王と呼ばれる者。

 武器を構えながら死王子のいる大広間へ入ると、幾つもの黒い根に蝕まれた吸血鬼の骸が立ち並んでいた。大きさは異なるが、巨人たちの山嶺にあった遺体を思い出させる。黒い木々のように立ち並び、まるで森のような光景である。そして骸の森の先には、死王子の足元で苦しむ者がいた。赤黒い瘴気の様なものを吹き出しながら、蟲の死骸のように体を丸めている。

 

「……だ、誰だ?……ち、近寄るなぁ!」

 

 死人の王の言葉を無視し、褪せ人は近づく。パニックを起こして慌てふためく姿は、もはや哀れですらある。

 

「死者よ!死者たちよ!この男を殺せ!」

 

 その言葉に従う者は、もうこの場にはいない。褪せ人の歩みを止める者は誰もいない。

 

「吸血鬼は何処だ、死人占い師は何をしている!?」

 

 周りを見れば、自分の部下がどうなったのかなど一目瞭然だろうに。想像以上の恐慌状態のようだ。そもそも、己が死にかけるという事態があまりにも想定外だったのだろう。

 

 褪せ人が死人の王のもとへ辿り着こうとした時、黒い影のようなものが地面から溢れだした。褪せ人が歩みを止めて様子を見ていると、黒い影の中から青い幻影が出現した。丸っこい鉄の防具を着た者と魔術師の格好をした者の幻影であった。

 

「こ、これは?まぁ、良い。その男を殺せ!」

 

 死人の王は、青い幻影を増援と思ったらしい。声を挙げて命令を下すが、動き出す様子がない。褪せ人も彼らも、互いに見つめるだけである。

 

「どうした、何をしている?王の命令が聞けないのか!?」

 

 ──いいえ、貴方は我々の王ではありません

 

 懐かしい声と共に、今度は淡い光から白い幻影が現れる。死人の王は、白い幻影の言葉に憤慨し、暴論と共に自分に従うよう叫んでいる。

 白い幻影は呆れたように、首を横に振る。

 

 貴方は我々の王ではありません

 

 生者も死者も関係なく

 己に従うもの以外を認めない

 

 何て矮小で野蛮

 まるで乱暴な黄金律の原理主義者のよう

 我らの全てを否定する者たちのよう

 

 幾年の時が過ぎようと

 貴方は我々の王に成りえません

 

 ……我らは、もう王を得られない

 それでも、ただ死に生きる

 何者が咎められようか

 

 白い幻影が話を終えると、2人の幻影が死人の王に近づく。そして、右手に握られた刺剣でめった刺しにする。最後にはダメ押しとばかりに左手の杖から魔術を放ち、喉を刺剣でつぶされた死人の王は断末魔を上げる事もできずに最期を迎える。止めを刺し終えると、2人の青い幻影は褪せ人に軽く頭を下げて消えていく。

 そして死人の王が、愚かにも取り込んだ物が解放される。赤黒い色が血に見えたのか、それとも何かを理解した上で操れると思ったのか。

 

 赤黒い死の奔流が、世界に、盤上に広がっていく。それはやがて、盤を見下ろす神々の領域にも。

 予定とはだいぶ異なったが、無事にこの世界に運命の死を解放することができた。神々から不死性が消え去り、神々にまつわる物も永遠ではなくなった。

 

 褪せ人は白い幻影に、死衾の乙女の方へ振り向く。しかし、死衾の乙女の顔はとても険しく、褪せ人に非難の目を向ける。

 

 礼なら不要です

 

 貴い方を謀殺したものを伴侶とした

 貴方の礼は受け取れません

 

 私はただ死人の王と呼ばれる者が

 許せなかっただけです

 

 あの者は怪しげな儀式にて

 死に生きる者を思うが儘にしようとしてました

 

 ……どうなされましたか?

 

 これは…もうひとつの聖痕……

 どうして、今になって貴方がこれを……

 

 まさか死後の私にかけた

 あの言葉は噓ではないとでも?

 

 ……ならば、証明してください

 

 貴い方は、その内に死に抗う者がいるために

 死者になれず再びの生も得ることができません

 

 私が貴方を貴い方の内に導きますので

 抗う者を倒していただけませんか

 

 貴い方もそれを望んでいます

 己の友をこれ以上苦しませたくないと……

 

 褪せ人は死衾の乙女の頼みを快諾し、差し出された手を握る。そして、眠りにつくように意識を失った。

 意識を取り戻した時、目の前にいた者に褪せ人は驚いた。その悍ましくも悲しい蝕まれた姿に。ただでさえ死に蝕まれていたであろうに、運命の死にまで抗ったのだ。そのため、褪せ人に気づいても体を動かせないでいるのだ。

 爪も牙も酷く欠けて、もう何者も狩ることは敵わない。巨大な翼は穴だらけで、もう空を目指すことができない。彼らの武器である雷も、もう作り出せない。

 褪せ人は、黄金の寵児の友のもとへ行く。ただ蝕みがあるだけの、勝利なき戦いを終わらせるために。

 

 褪せ人は介錯を終えて、死王子の内から戻る。死王子が死を迎えたことで、地下迷宮から亡者が生まれることもなくなるだろう。死衾の乙女の方を向くと、今度は穏やかな顔を浮かべて頭を下げる。そして、2つの欠環が合わさった聖痕を差し出す。

 

 ありがとうございます

 これで貴い方は死を迎えました

 

 ああ、肉体があれば子を宿せたというのに

 黄金律の原理主義者に殺されていなければ

 あの不届き者が儀式などしなければ……

 

 貴方に、もう一つお願いがあります

 

 この聖痕は、合わせただけでは未完成

 肉体がない私には、これをルーンとして

 完成させることはできません

 

 されど、数多の星の一つぐらいにはなりましょう

 この聖痕を星として掲げてもらえませんか

 

 聖痕が星の一つとして夜空にあれば

 夜の内に我らの居場所があることを

 夜の律が我らの存在を認めたことになるでしょう

 

 ああ、ありがとうございます

 これで安心して眠りにつけます

 

 最後に挨拶を

 

 貴い方を謀殺したものよ

 聞こえているでしょう?

 

 貴方の王は、とても温かい方ですよ

 冷たい貴方とは異なって

 

 ()()()温もりを感じた私が言うのですから

 間違いありません

 

 これで、お別れですね

 ごきげんよう

 

 淡い光と共に白い幻影が消えていく。彼女とは、二度と会うことはないだろう。渡された聖痕を傷つけぬよう、丁寧にしまう。

 そして、死王子の側にあった祝福で休む。数瞬だけ悩んだ後、懐から人形を取り出す。手の震えを抑えながら、恐る恐ると。王になって以降、間違いなく最大の危機に直面している。取り出した人形に、慎重に声を掛ける。

 

 ……()()、私に何か言うことはあるか?

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 死王子の地下迷宮を抜けて、外に出る。夜空の下に出ると心が安らぐ……特に今は。

 次の目的地に向かう前に、何処か適当な祝福でもう一度休息を取ろうか。

 

 ふと、気配を感じてそちらに顔を向ける。近くの草むらから足音が聞こえ、1人の少女が姿を現す。現れた少女、賢者がこちらの顔を向けて一礼する。

 

「………」

 

 賢者は何も言葉を発さず、そのまま歩き出した。少し歩いた後、こちらに振り向く。どうやら、ついてきて欲しいようだ。

 ただならぬ雰囲気を感じた褪せ人は、賢者の後をついていく事にした。

 

 星の明かりに照らされた静かな野原を、2人は声を出さずに歩いて行く。

 

 やがて2人は石造りの廃墟にたどり着く。廃墟の入口には剣聖が周囲を見張るように立っており、その顔はとても険しい。

 賢者は無言のまま剣聖の側を通り過ぎ、褪せ人もそれに続く。剣聖は、廃墟の中に入った褪せ人の背後につく。まるで、逃がさないと言わないばかりに。

 廃墟の中を進んでいくと、やがて大きな広場に出る。石の床と瓦礫以外、何も無い大きな広場であった。広場の中央には、瓦礫に座り星を見上げる少女、勇者がいた。

 

「気持ちいい風が吹いてる。星も見えるし、良い夜だね」

 

 そう言うと勇者は、褪せ人の方を向く。顔には笑みを浮かべ、発せられる言葉はとても穏やかである。しかし、身に纏う雰囲気は明らかに穏やかなものではない。勇者の両脇に立った、賢者と剣聖も同様だ。

 

「さっき、あなたがいた地下迷宮からとても嫌なものが流れてくるのを感じたの。あれって、あなたの仕業?」

 

 勇者の言葉を、褪せ人は肯定する。この世界に運命の死を解放したのは、紛れもなく己の仕業だ。勇者は、思った通りという表情を浮かべる。

 

「やっぱりそうなんだ。褪せ人さん、あなたに相談があるの。もう、この世界の運命に介入するのはやめてくれないかな?」

 

 笑みを浮かべたまま、勇者が諭すように褪せ人に語る。

 

「この世界の運命は僕たちに任せてよ。異世界の神様が解決できなかったことを、確実に解決できるとは言えないけど……それでも、今まで自分たちで何とかしてきたんだから」

 

 褪せ人は、首を横に振る。勇者たちが、冒険者たちが解決してきたことは、所詮この世界の神々が用意した冒険に過ぎない。彼らが生き抜くことができれば、いつかは解決策を見つけられる可能性もゼロではないだろう。だが、それまでにどれだけの人が犠牲になるのか分からない。少なくとも、今生きている者たちの殆どが犠牲になることは間違いない。

 

「うん、そうだね。僕も犠牲者を出したくは無いよ。でもね、あなたがしようとしている事だって、将来的に多くの人を苦しませることになりかねないんだ」

 

 確かにその通りだ。だからと言って、褪せ人も退く訳にいかない。お針子と約束したのだから。

 

「僕ね、凄く悩んだよ。こんなに悩んだのは初めて。だって、恩人に手をかけたくは無いし、僕たちも上手くやれる保証が無いんだもの。悩んで、悩んで……どんなに悩んでも結論が出せなかった。賢者でも、結論が出せなかったんだ。どれだけ賢くても、預言者では無いもんね」

 

 周囲の雰囲気に明確な殺気が加わり、遠くで鳥や動物たちが逃げだす音が聞こえてくる。

 

「そんな時に、神様から啓示があったの。同時に、国王様にも頼まれたの。褪せ人を止めてくれって。それで僕は決めたんだ。今まで支えてくれた人達の頼みを聞こうって」

 

 勇者が聖剣を引き抜き、賢者も剣聖も臨戦態勢に入る。褪せ人も同様に、大剣と杖を構える。勇者がゆっくりと目を閉じ、力を込めて見開くと同時に聖剣を掲げる。

 

「いくぞ!─────勇者、推参ッ!!!」

 

 

 

 異界の勇者、やはり強敵か……

 

 この世界に来てから敗北することはなかった

 魔神王でも死ななかった

 それがまさか、腐敗の女神以上に敗北を重ねるとは

 

 何と凄まじきことか、異界の勇者とは……

 

 

 

 廃墟はもはや、穴ぼこだらけの不毛の大地と化していた。初めてここに来たものは、ここに廃墟があったことなど信じやしないだろう。

 そんな不毛の大地に倒れ伏す3人の少女と、片膝を地面に着けながら大剣で体を支える褪せ人。少女の1人、勇者が薄目を開けながら語る。

 

「ハハ……負けちゃった、負けちゃったよ。今までに無い力を得てまで戦ったのに……」

 

 賢者と剣聖が倒れ、勇者も一度倒れた時だ。勇者が覚醒して、更なる力を得て向かってきた。もっとも、褪せ人からすればいつも通りの展開でもあったが。

 

「……ずるいよ。同じ強さを持つ者を呼び出すなんて」

 

 覚醒復活する者に言われる筋合いはない。写し身の雫は、褪せ人にとって最大の切り札なのだから。

 

「完膚なきまでに負けるのって、こんなに悔しいんだね。知らなかったよ」

 

 そう呟くと同時に、勇者はウッと小さく嗚咽を漏らす。そして両手で顔を覆うと、溢れ出る涙を抑えられなくなる。その姿は、どこにでもいる少女と何一つ変わらなかった。

 褪せ人が語ることはないが、何も悔しがる事はない。褪せ人は、幾度も幾度も勇者との戦いに挑んだ。その内、勝てたのは今回だけ。それ以外は、全て勇者が勝利したのだから。この世界に来てから、()()()死ぬことになったのは彼女たちが初めてであった。

 褪せ人は大きく深呼吸をした後、立ち上がる。聖杯瓶も霊薬も遺灰も使い切った。完全な満身創痍の状態だ。

 

「……違う、負けてない、僕は救うんだ」

 

 突如、凄まじい悪寒を感じた褪せ人は、襲ってきた斬撃を寸前のところでかわす。斬撃の正体は、勇者の聖剣であった。彼女は満身創痍どころか、半死半生だったはず。

 

「ずっと、永遠に、何があろうとも、僕は世界を救うんだ」

 

 この奇妙な喋り方には、身に覚えがある。意志を持つ者が操られた時と同じ、義弟を蝕んだ忌々しい呪いと同じだ。どうやら神々は、約定を捨てて駒の意志に介入を始めたらしい。それも、かなり強引に。

 勇者の攻撃を、紙一重でかわし続ける。幸い勇者の動きは、先ほどの戦闘より緩慢である。されど、どうすればいいのか。義弟と同様に、殺すしかないのか。

 

 王よ、私に任せてくれ

 この娘に義弟と同じ運命を歩ませはしない

 

 褪せ人の懐から黒い霧が噴き出したと思うと、すぐさま勇者を包み込んでしまう。褪せ人は声の主である、己の伴侶を信じることにする。

 しばらくして、黒い霧が消え始める。そこには、眠りについた勇者と折れた聖剣があった。懐から再び、声が聞こえる。

 

 聖剣の中に神の使いがいた

 それが娘を強引に操っていた

 

 娘も抵抗しようとはしていたのだがな

 神の使いが相手では分が悪かった

 

 だから、あの刃を娘に貸し

 神の使いを切り捨てさせた

 

 その説明を聞いて、褪せ人は何が起きたのか理解する。あの刃とは、自分が探し出して伴侶に手渡した秘宝のことであろう。あれは、運命を持つ者のみ扱える刃。大いなる意志と、その使いを傷つけられる刃。神の使いなど、容易く傷つけられるであろう。そして神の使いを殺した結果、聖剣は折れたのだ。

 

 さて、彼女たちはどうしたものか……

 

 悩む褪せ人のもとに、誰かが近寄ってくる気配を感じた。褪せ人が顔を向けた先には、壮麗な鎧を身に着けた1人の偉丈夫が、かなり慌てた様子で駆け寄ってくるのが見えた。

 

「異界の王よ、どうか彼女たちを殺さないでくれ!彼女たちは、私の依頼を受けただけなのだ!」

 

 勇者である彼女たちに依頼を出せるものは限られている。それに、戦い前の勇者の言葉から彼が何者なのか推測できる。

 偉丈夫が褪せ人のもとに辿り着くと、息を整えながら自己紹介を始める。

 

「お初にお目にかかる、異界の王よ。私は、この只人の国を率いる国王だ」

 

 国王が自己紹介を終えると同時に、周囲に彼の配下が現れる。彼らは、3人の少女のもとに駆け寄ると手当を始めた。そして、彼女たちが辛うじて生きていることを確認し、安堵の笑みを浮かべる。

 彼らに敵意が一切ないことを確認すると、褪せ人は国王に顔を向ける。彼には聞かなければならないことがある。国王も褪せ人が、何を聞きたいのか理解しているようだった。褪せ人が問う前に、国王が先に口を開けて語りだした。

 

 何故、勇者に討伐を依頼したのか

 聞きたいのであろう?

 

 恥ずかしい限りだが

 余りにも情けない理由だ

 

 私は道楽者でな

 国王を継ぐまでは冒険者をしていたのだ

 今でも時々、貧乏貴族の三男坊を名乗って

 冒険者の真似事をしている

 

 為政者として

 冒険のタネは忌み嫌うくせに

 冒険をするのは好きなのだ

 

 そなたがこの世界に変革をもたらせば

 冒険のタネが消えるかもしれない

 

 初めて聞いた時は歓喜したものだ

 

 しかし、その可能性に気づいたとき

 恐れてしまったのだ

 

 冒険者が不要になり

 冒険そのものが消えてしまうことにな

 

 加えて個人の思いとは別に

 為政者としても冒険が無くなるのは困る

 

 この国と冒険者の関わりは非常に大きい

 

 もし、冒険が消えてしまったとき

 私は冒険者をどの様に扱えば良いのか

 

 傭兵にしろ、騎士にしろ、

 軍として扱うには冒険者の数はあまりにも多い

 

 だからといって下手に蛮地に送り出したら

 大きな反乱を招き兼ねない

 

 私は無能ではないと自負しているが

 時代の移り変わりに対応できるほどの

 名君という訳でもない

 

 頭を抱えて悩んでいた時に

 勇者に神の啓示があった

 

 それは私が求めていた啓示でもあった

 

 神の啓示の後押しで

 私は賭けてみようと思ったのだ

 

 世界を救ってきた勇者の力にな

 

 国王は語り終えると、顔を伏せる。彼が賭けていた、勇者たちは褪せ人に敗北した。しかし、まだ疑問が残る。満身創痍であった褪せ人に対し、彼は部下と共に奇襲をしかけようとはしなかった。

 

「勇者が敗れた今、そなたを止めるつもりはない。それに、何が起きたのか我々には分からぬが、そなたは勇者を再び救ってくれたようだ。彼女は、我が国の宝だ」

 

 国王は、眠っている勇者の様子を見る。その顔はどことなく、妹の無事を確認した兄の表情にも見える。

 

「当然、軍を動かすつもりもない。お針子の身柄を確保できれば、交渉という手もあったのだがな。先手を打たれて、逃げられてしまったよ。異界の王よ、我々の負けだ」

 

 その清々しさすら感じる敗北宣言に、褪せ人は首を縦に振る。お針子を利用しようとしたことに思うところはあるが、彼らと戦う理由はもう無い。

 国王は恥ずかし気に顔を背けると、自嘲するように話す。

 

「笑ってくれて構わんぞ。冒険が無くなる事を恐れた、哀れな王とな」

 

 国王の言葉を、褪せ人は否定する。今度は、褪せ人が話す番だ。狭間の地で、最初の王となった戦士の話を。戦う相手を失ったことにより、瞳が褪せた王の話を。

 最初の王の話を聞き終えた国王は、とても安堵した表情を浮かべる。

 

「そうか、異界にも私と似たような悩みを持った王がいたのか。この地に来たのが最初の王ならば、また少し違うことが起きていたであろうな」

 

 それは違いない。戦うべき相手が絶えず現れるこの世界なら、最初の王も褪せる事なく喜んで戦い続けたであろう。戦士たちに、死と共に強くあれと願った永遠の女王にとっても、この世界は戦士の地として素晴らしいものであっただろう。

 だが、この地にいるのは戦士だけではない。しかも朱き腐敗がこの地に来てしまった以上、時代を停滞させたままでは駄目なのだ。

 

「朱き腐敗か……勇者から報告を受けた時は耳を疑ったよ。腐敗の中心が、あの腐った樹では無いことにな」

 

 そう、腐敗の中心は聖樹では無かった。本当の中心は、聖樹の地下深くに出現した腐れ湖であった。しかも狭間の地にはあった、古代人が作り上げた急流と滝を用いた浄化機構が転移していなかったのだ。

 表面に出ている腐敗は、氷山の一角。地下深くでは、どれだけ腐敗が広まっているのか見当もつかない。おまけに、この世界には邪悪なものが住まう地下世界があり、彼らが腐敗をどう利用するのか想像するだけでも恐ろしい。

 褪せ人が出会った死人の王も、本来は地下世界に住まう者だ。彼が死王子のもとにいた事にも、朱き腐敗が関係していても不思議ではない。

 話を終えた2人の王は、互いに別れを告げる。

 

 神々も余裕がなくなってきた

 急がねばならない

 

 褪せ人が次の目的地を目指そうと霊馬を呼び出した時、遠くから馬の嘶きが聞こえてきた。見ると一頭の早馬が、こちらに向かって駆け寄って来ていた。早馬に乗っていた急使が「陛下!陛下!」と、叫びながら真っ直ぐに国王のもとに向かう。

 

「陛下!例の傭兵たちが王都を攻撃!一部分だけですが占拠されてしまいました!」

 

 急使の報告に驚かぬ者はいなかった。褪せ人でさえ、驚愕している。彼らがここまでするとは、到底思えなかったから。

 

「それだけではありません!傭兵たちは全員、黄色い火を眼から噴き出しているのです!」




 補足説明

 王都を守っていた者たちは、王都の復興を目指す一部の者を除いて異界へと渡った。新天地に希望があることを願って。しかし、彼らは直ぐに絶望した。祖民のような生き方をする耳の長い者、老いた小さき鉱夫、土に住まう小さき者、竜擬き、獣人、複数が混ざった混種。人でさえも、竜に怯える弱者ばかり。
 いつの間にか彼らの中に潜り込んだ、讒言を振りまく男によって更に絶望は深まり、一年も持たずに絶望は疫病へと変化した。
 彼らに残されたのは絶望と疫病、そして大罪人への底知れぬ憎しみだけであった。





 特に深い意味はありませんが、星の雫は必ず持ち歩いたほうが良いと思うんですよ。結びの教会でなくとも、頭から被って土下座すれば効果ありそうじゃないですか。夜空の星が運命を司る、星の世紀なら尚のこと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

惨劇と巫女となった者ー褪せ人

朝 会社 朝礼
「仕事の時間だ」

夜 ルビコン ブリーフィング
「仕事の時間だ」

ボクオシゴトダイスキ

9/20追記
待たせてしまい申し訳ありません。次回ですが10月下旬になります。
11/9追記
ちょっとした指摘があったので、加筆修正しました。
遅れるに遅れていますが、続きは必ずや投稿します。

感想、評価、誤字報告いつもありがとうございます。


 なんとも皮肉な光景じゃないか

 

 俺の一族を地下に生き埋めにした者が

 一族が呼び寄せた病を患うなんてよ

 

 狭間の都を守って来た者たちが

 今は異界の都を滅ぼそうとしてやがる

 

 ある種の因果応報なのかもな

 

 奴らも少しは思い知っただろう

 

 居場所がないことがどれだけ辛いのかを

 

 さて、お得意さんはどう出るかな

 

 お手柔らかに済ませて欲しいところだ

 

 あの都には友人となった

 商人たちもいるからな

 

 もしかしたら……

 新しい故郷になるかもしれないんだ

 

 どうか頼むぜ、お得意さんよ

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 突然の報告に国王は唖然としたが、確認しなければならないことを思い出し、意識を切り替える。自分の妹のこと、狂い火が疫病であること。

 

「城の様子、それと感染者はどの程度なのだ?」

「王城は、まだ無事のはずです。私が出立した時には、奴らの手も届いておりませんでした。感染者については……詳細は不明ですが、既に多くの民たちが……」

 

 王城が無事なら、王妹もきっと無事だろう。だが感染者に関しては、既に甚大な被害が出ている。王都の内部は勿論、王都から逃げ延びた者にも感染者が確認されており、その数はもはや数えることが困難となっている。分かっていることは、急速に広がっていることのみ。

 広がる感染にどう対処すれば良いのか。有効な治療法は、まだ見つかっていない。隔離するとなると、王都そのものを封じなければならない。感染者を殺すとしても、どれだけの民を殺す事になるのか。

 

「そもそも何故、王都の内部に侵入を許したのだ?外壁や門に配備された守衛たちは何をしていたのだ?」

「そ、それが、守衛の話では内部に突然現れたようだったと。恐らく、何者かが内側から手引きしたのかと」

「何だと?馬鹿な……いや、まさか……」

 

 国王が何やら呟きながら思案し始めた時、勇者の治療を終えた配下が声を掛ける。

 

「陛下、悩むのは後です。今は、王都奪還が最優先です」

「……ああ、そうだな。急ぎ王都へ帰還する。勇者の様子は?」

「僕は、平気…だよ」

「勇者殿、まだ動かれては成りません!」

 

 少しよろけながらも、勇者は立ち上がる。国王の配下が治療したとは言え、凄まじい回復力だ。現に賢者と剣聖は、目を覚ます様子も無い。あれだけの事があったのだから、それが普通である。

 勇者は国王の配下を振り払いながら、褪せ人のもとへ行く。

 

「褪せ人さん、確か転移ができるんだよね。転移で王都まで行けないかな?もし行けるなら、僕を連れて行って欲しい」

 

 勇者の言葉に国王は驚き、褪せ人は困惑する。確かに、王都の付近に転移することはできる。しかし、褪せ人は誰かと一緒に転移した経験が無い。円卓や火山の館のように、誰かに連れて行ってもらった経験ならあるのだが。

 

「失敗したら、自力で向かうだけだよ。だから、お願い……連れて行って」

「待て、勇者。そなたには、まだ休息が必要だ。しかも聖剣を失ったのだろう。武器も持たずに、何ができるのだ」

「……僕が足手まといになることは分かってる。でも、僕は今起きていることをこの目で見たい。いや、見ないといけないの」

「それは、何故だ?」

「……ごめんなさい。理由は今は言えない。けれど、必要なことなの」

「理由も分からず、許可することなどできん。それに異界の王を、我が国の問題に巻き込む訳にもいかん」

 

 国王の言葉を、褪せ人は否定する。あの傭兵たちが狂い火に負けたとすれば、それは絶望が原因だろう。最初の狂い火は、絶望によって呼ばれたものなのだ。そして、あの傭兵たちが絶望したとすれば、その原因は他ならぬ褪せ人にある。

 

「……それは少し違うぞ。彼らを腫れ物として扱ったのは、我々とて同じだ」

 

 国王は魔神王との戦いの後、異種族間の交流をより深いものにしていきたいと思っていた。しかし、異種族と問題ばかり起こす傭兵たちは、異種族からの強い反感を買っていた。初めは英雄視していた者たちも、彼らの横暴さに嫌気がさして自然と離れていった。

 結果、傭兵たちの処遇は彼らの働きに見合うものとは呼べず、孤立したも同然であったのだ。

 国王の話を聞き終えても、褪せ人は王都へ行く気持ちを変えない。己の手で、彼らと決着をつけたいと。

 

「それなら、僕も連れてって。何もできないけれど……どうか、お願い」

 

 勇者は目に涙を浮かべながら、褪せ人に嘆願する。涙で濡らしながらも、その瞳から強い決意を抱いていることが伝わってくる。褪せ人が断ったところで、何としてでも王都へ向かうだろう。

 褪せ人は勇者の願いを聞き入れ、国王も仕方ないと言うように溜息を吐く。もとより、勇者を説得することは不可能に近いことを、国王は良く知っている。

 

「……異界の王よ、この様なことを頼むのは気が引けるのだが……彼女を、勇者を頼む。それと、可能な限り狂い火を食い止めてくれ」

 

 褪せ人は、国王の頼みを聞き入れる。褪せ人は勇者に手を差し出し、勇者はその手を強く握る。

 準備が整い、褪せ人は王都の近くにある祝福へ転移を行った。

 

 

 

──────────

 

 

 

 ゆっくりと目を開け、隣に勇者がいることを確認する。転移は無事に成功したようだ。

 褪せ人は勇者と共に、王都が見える小高い丘の上にいた。勇者に祝福が見えるか確認するが、彼女には見えないようだ。褪せ人と共に転移はできても、休息を取ることはできないようだ。

 褪せ人は祝福で手早く休息を済ませ、勇者と共に王都を見下ろす。そこには、王都の正門と内部を占拠した狂い火が見えた。

 

「……酷い」

 

 正門の外側では、狂い火の感染者たちが救援に来た軍と冒険者を牽制している。軍と冒険者は狂い火の感染を警戒しているのか、遠くから矢と魔術を放つばかりで積極的に攻撃する様子は見られない。彼らの背後には王都から逃亡した避難民が見え、声が聞こえなくても慟哭していることが良く分かる。

 正門の内側では、狂い火の侵略を冒険者と軍が防ごうとしている。樽や瓦礫で即席の壁を作成し、弓や魔術を懸命に放っているが、劣勢に立たされているのが目に見えている。狂い火に感染した者たちは、兵も冒険者も市民も全て敵に回ってしまう。まだ、侵略されていない場所でも悲鳴が聞こえ、あらゆる場所で感染者が出ていることが分かる。

 静寂を保っているのは、王城の奥側ぐらいであろう。城の入口側では、固く閉ざした城門に避難を求める市民が群がっており、いつ暴徒と化してもおかしく無い。

 

「一体、どうすれば……」

 

 勇者は、魔神王から狂い火を受けたことがある。恐るべき発狂と激痛を思い出し、思わず身震いしてしまう。

 

 褪せ人は勇者に後方で待つよう伝え、前方へ踊り出る。

 かつて、狭間の地の王都を守り抜いた者たちが、異界の王都を滅ぼそうとしている。彼らを追い詰めた者として、何としても止めねばならない。

 褪せ人は、幾つかのタリスマンを取り出す。その中の一つ、所有者に禍を運ぶそれは、厳密にはタリスマンとは呼べない代物だ。ましてや、あの男の肖像など悪趣味極まりない。手に入れた時は、使う事など絶対に無いと思っていた。しかし、目の前で起きている王都に降りかかる禍を、褪せ人へ仕向けるには丁度良い。

 距離は離れているが、遠矢の加護を得た滑車の弓ならば届くであろう。用意したタリスマンを身につけ、弓を引いて矢を王都の門に向けて構える。

 

 こちらを向き

 そして思い出せ

 

 狂い火を宿しても

 その憎しみは消えぬだろう

 

 お前たちから全てを奪った者が

 ここにいるぞ

 

 

 

──────────

 

 

 

 救援に来た軍が陣地において、軍と冒険者、避難民が王都を眺めている。王都が襲撃された後、軍は周辺に滞在していた兵と冒険者を集めて救援部隊を形成していた。

 救援部隊も、当初は積極的に攻勢に出ていたのだ。しかし、狂い火に感染した傭兵が悍しい叫び声を上げた途端、その叫び声を間近で聞いた者が発狂し始め、瞬く間に狂気が伝染していった。狂い火にだけ注意を向けていた部隊は、思わぬ出来事を前に後退を余儀なくされてしまった。

 これ以降、救援部隊は狂い火を相手に攻勢をしかける事ができず、避難民の保護を行うことが精一杯であった。陣地の天幕の中では協議が行われているが、指揮官たちは狂い火を恐れてすっかり弱腰になってしまい、国王の到着を待とうなどの消極的な意見が出始めている。

 そんな陣地の中に、西方辺境の上位冒険者たちがいた。

 

「……この調子じゃ、王都が落ちちまうぜ」

「対策が見つからないからな。耳栓は勿論、《沈黙》も意味が無かったらしい。自棄になって、突撃しろと言われるよりかはマシだが……」

 

 槍使いが王都を眺めながら愚痴り、重戦士が答える。彼らは偶然にも、王都の近くに冒険に来ていたのだ。それぞれが、依頼を終えて西方辺境へ帰還しようとしていたが、滞在していた街のギルド職員から頭を下げられ、やむなく王都救援を引き受けたのだ。

 引き受けた際、女騎士だけは「これで堂々と奴らを切り捨てられる!」と、とても張り切っていた。初戦の被害から、直ぐに冷静さを取り戻したが。

 女騎士は、苦虫を潰したような顔で話す。

 

「あの騎士のような傭兵をどうにかできれば、何とかなるんだがな」

「叫ぶのは、傭兵の精鋭、だけだから、ね」

 

 あの悍しい叫び声は、傭兵の中でも騎士のような格好をした精鋭だけしか出せない。彼らさえ排除できれば、戦況を変えられる。しかし、狙撃や誘い出しなど様々な手を試してみたが、どれも失敗に終わった。

 傭兵たちは、攻めることよりも防衛の方が経験豊富なのだ。正気を失っても尚、その強固な陣は簡単には崩せない。

 女騎士が、何か手はないかと辺りを見回していると遠くに人影が見えた。

 

「ん?あの向こうの丘にいるのは誰だ?」

「……よく見えないが、避難民って訳じゃなさそうだな」

 

 重戦士が目を凝らして、その人物を見ると鎧を着ている事がわかる。報告すべきか迷っていると、弓を正門に向けて矢を放ち始めた。

 

「一体何を──」

 

 女騎士が疑問を言いかけた時、周囲の雰囲気が変化した事を肌身に感じた。身震いしたくなるような、強い寒気を感じて冷や汗が出始める。空気が、怒りと憎しみが込められた重いものに変わっていたのだ。

 正門の方を向くと、傭兵たちが丘の方を注目しているのが分かる。全員が同じ方向を向きながら、異様に静かだ。まるで時が止まったかのような感覚の後、轟音が鳴り響き地面が揺れた。

 正門から怒号を上げながら、傭兵たちが丘へと向かって行く。驚いたことに王都の内部にいた傭兵たちまで、次々と出て来ては丘を目指していく。まるで、火が丘に向かって燃え広がるように。

 これには冒険者や兵士たちだけでなく、天幕にいた指揮官たちも、避難民も何事かと注目する。

 

「……嘘だろ」

 

 槍使いの呟きは、この場にいた者たち全員が思った事であった。

 

 彼らは、天罰を見たのだ。

 

 実際には天罰などでは無いが、虚空から現れた大量の隕石が、次々と絶え間なく傭兵たちへと落ちていく光景を、神の怒りと勘違いするのは仕方のない事であった。

 

 

 

────────────────────

 

 

 

    狂い火の王都襲撃

 

 傭兵の裏切り、夜の王の星落とし

 

惨劇の果てに、勇者が決意を胸に抱く

 

 

 

────────────────────

 

 

 

 数日後、狂い火の感染者たちは大半が討伐され、残りは拘束されて隔離された。傭兵たちが褪せ人によって一掃されたことにより、王都の内外にいた部隊が合流した後、少数ではあるが感染者を捕える余裕が生まれたのだ。感染者とは言え、王都の民であり家族を持つ者もいる。皆殺しとはいかない。

 後で調べて分かったことだが、軍と冒険者の努力もあり、被害は想定よりも少なく済んでいた。

 だが、安心することはできない。国の要である王都は、常に混沌や邪教徒から狙われている。この機会に、彼らが何らかの策略を用いて来ることは明らかだった。

 そこで、集まった冒険者たちに王都に留まってもらった。国の高官たちが自らギルドに出向いて、冒険者たちに依頼をしたのだ。王都の守りに、手を貸して欲しいと。冒険者たちの反応は様々で、快諾する者もいれば、早く拠点に帰りたがる者もいた。それでも、春が訪れるまでは留まる契約を結ぶ事ができた。冒険者も、王都の危機が去っていないことは理解していたのだ。逆に考えれば、春が訪れる前に何としても復興の目処を立てねばならない為、ギルドも王城も大忙しである。

 そして、その中心人物である国王は酷く憔悴していた。

 王都の復興は、国庫を開けたところで解決するような問題ではない。不足した人材と資材を集めるには、金銭が幾らあっても足りず、そもそも金銭で解決できない問題も数多くある。

 だが、彼が憔悴した理由は別にある。惨劇を目にして勇者が抱いたとある決意、その内容を聞いた時、国王は嘆かざるを得なかった。更にもう一つ、地下牢に囚われたとある人物の存在。それは、国王が最も恐れていた事の一つであった。

 国王は地下牢の前に立ち、話し始める。

 

「……王都の警備は厳重だ。簡単には突破できん。つまり、傭兵たちが内部に入り込めたのには相応の理由がある。しかし、内部から手引きするにも、地位を持ち、信頼を得ている者でもないと不可能だ」

 

 王都の内部へ傭兵を手引きできて、狂い火と深い関わりを持つ人物。そのような人物は、国王には1人しか思い当たらなかった。

 

「……まさか、目を覚ましているとはな。どうやって目覚めたのだ?」

「あら?そのような些細な事を、態々お聞きに来られたのですか?」

 

 優雅な仕草で、地下牢の人物は答える。その余りにもいつもと変わらぬ様子に、国王は逆に恐怖を覚える。

 至高神の大司教と言う地位を持ち、世界を救った英雄として民に慕われ、国王の友人でもある人物。

 剣の乙女であった。

 

「……何故、この様な事を?」

「簡単なことですわ。間違いを正す、ただそれだけのこと」

「狂い火を広げる事がか!王都の民が兵たちが、彼らが一体何を間違えたというのだ!」

 

 国王は声を荒くして叫ぶ。しかし、剣の乙女は何一つ取り乱すこと無く、のんびりと答える。

 

「間違っているのは彼らの行動ではなく、彼らの存在そのものですわ。もっと正確に言えば、この世界の存在そのものが間違えております」

「……理解できん。かつて世界を救った者の言葉とは思えん」

「理解できなくて当然ですわ。私自身、過去の自分なら決してこの様な事はしなかったと思っています」

 

 まるで他人事のような剣の乙女の物言いに、国王は手の拳を強く握る。怒りを振るったところで何も解決しない。何とか理性的に話すよう心がける。

 

「其方が変わってしまったのは、三本指とやらの影響か?」

「流石は陛下、ご明察ですわ」

 

 揶揄うように褒め言葉を述べ、顔を少し上にむけて思い出しながら語る。

 

「眠りについている間、三本指様は実に沢山のものを私に見せてくれました。この世界の始まりから、今現在に至るまでの出来事。そして、異世界のことも」

「…………」

「この世界が、神々に作られた盤であることは陛下もご存知でしょう?私も当然、知っておりました。そして、それに疑問を持つことも有りませんでした。しかし……異世界からこの世界と神々を見た時、私が冒険している時に神々が何をしていたのかを見た時、思ってしまったのです。世界も神々も、何もかも間違えていると」

 

 

 カラカラ…………あっ

 

 失敗しちゃった

 

 相手はゴブリンか

 

 ……かわいそうに

 

 

 国王が、剣の乙女の変化に気づく。手を強く握り、下唇の一部を強く噛み、全身を震わせている。国王は、これほど怒りに満ちている剣の乙女を見るのは初めてであった。

 震えが収まると同時に、剣の乙女は再び話し始める。

 

「面白いことを教えてあげましょう。私、ゴブリンが怖くて殺せませんの」

「何だと?」

「ゴブリンを目の前にすると、体が震えて何もできなくなる。ふふ、可笑しな話ですよね。魔神王とも戦えるのに」

「……ゴブリンが憎いだけかと思っていた」

 

 彼女がゴブリン嫌いなことは、国王を含めた国の高官たちの間では有名だ。会議に出れば、必ずゴブリンは滅ぶべきだと口にする。それがどういう事なのか、今まで理解できていなかった。

 

「何故、教えてくれなかった?」

「教えて何になりますか?まさか、私を助けてくれるとでも?」

 

 それは、無理だ。剣の乙女のトラウマを知った所で、ゴブリンに対策などしている余裕など無い。友人を優先し、国を傾けるなど言語両断だ。

 国王は、彼女を救う事ができない。

 

「眠りの中で絶望に満ちた私に、三本指様はとある光景を見せてくれました。狂い火が解き放たれた、未来の幻視を。国が、世界が焼かれていくのは、悲しく恐ろしい光景でした。しかし、ゴブリンが苦しみながら滅んでいく光景を見た時、私は───」

「……もう良い」

 

 話を聞き終わり、国王はゆっくりと立ち上がる。その顔は、地下牢を訪れた時よりも決意に満ちている。

 国王は確信した。己の友人は、もう手遅れであると。

 

「話は終わりだ。三本指に拐かされた今、其方はもう至高神の大司教ではない」

「ふふ、そうですか。私の処刑はいつになりますか?」

「直ぐに行われる。三本指に関わる者は、死んでも生き返る可能性があるゆえ、《分解》を用いて毛髪一本残さない手筈を整えてある。墓は作るが、棺は空だ」

「まぁ、酷い。民に知られれば、大事ですわね」

「心配は不要だ。民には、狂い火の襲撃が原因で亡くなったと伝える。それならば、嘘にはならない。仮に真実に辿り着いたところで、それを信じる者は僅かだろう」

「まるで、詐欺師ですわね」

「好きに言え。せめてもの慈悲で、処刑は痛みを伴わぬようにする。……もう、十分に苦しんだからな」

「あら、陛下はお優しい方ですわね。その慈悲にお応えして、大切なことを教えて差し上げましょう」

 

 まだ何かあるのかと、訝しみながら剣の乙女を見る。彼女は顔を下げ、表情を国王から隠しながら語り始める。

 

「もう、この世界は手遅れですわ。終焉を迎えるか、或いは黒幕の思惑通りに変革を迎えるかのどちらしか残されていない」

「黒幕?何のことだ?」

「異世界から始まった異変、その真の黒幕のことです。私が三本指側に付いたのは、黒幕の存在も大きいのです。神々だけでも許せないのに、そんな者の思い通りになるなんて、絶対にあってはならないので」

「その黒幕とは、一体……」

「終焉を迎えるなら、聞いても無意味ですわ。変革が起きるのであれば、私が語らずとも知ることになるでしょう。その代わりに、もう一つ良いことを教えて差し上げますわ」

 

 下げていた顔を上げ、国王の方へ向ける。その顔の表情は、今日一番の笑顔であった。まるで、悪戯に成功した子供のように。

 

「傭兵たちによる王都襲撃は、ただの陽動ですわ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。