Special Rapid Service (永谷河)
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2012年、北海道某所にて

2012年5月末日、北海道新冠町新井牧場

 

北海道新冠町は、サラブレッドの生産牧場が集中する町である。その町のどこかに新井牧場は位置していた。サラブレッドの生産牧場である新井牧場は、それなりの数の繁殖牝馬を抱える中堅規模の牧場であった。

そんな牧場の厩舎の一角に従業員が集まっていた。

日本最北端の都道府県である北海道とはいえ、この時期になると徐々に暖かくなってきている。しかし、早朝ということもあり、従業員たちは肌寒さを感じていた。

 

 

「そろそろか……」

 

 

新井牧場の場長である新井勇作の目の前には、お腹を大きくした鹿毛の牝馬がいた。しばらく前から出産の兆候を見せていたため、集中して見守っていた馬であった。

この鹿毛の牝馬の名前は「Ghost mysterious(ゴーストミステリアス)」という。

名前のとおり、彼女は日本産馬ではない。アメリカ合衆国ケンタッキー州の牧場出身のアメリカ産馬であった。アメリカで競走馬としてデビューしたものの、大きな活躍はできず、3歳夏に故障をして引退したという経歴の持ち主である。

本来は、出身地の牧場で繁殖入りする予定であったが、縁あって新井牧場で繋養されることになった。

 

 

「5月末の出産か……」

 

 

「去年に比べて落ち着いているから、大丈夫ですよ」

 

 

「そうか、それならいいのだが……」

 

 

まだか、まだかと馬房前でうろうろする勇作を落ち着かせるため、長女の洋子が大丈夫だと声をかける。

5月末の出産は、日本のサラブレッドにとっては、結構な遅生まれである。馬の成長は人間とは比べ物にならないほど早いため、遅生まれは成長に不利な要素であった。また、勇作の脳裏には昨年の光景が思い浮かんでおり、これがさらに不安を呼び寄せていた。

ゴーストミステリアスは、昨年にフジキセキとの仔を生んでいるが、その際に暴れてしまい、従業員(勇作)が軽いケガをするという事故があったのだ。幸いにも母子共に無事であったが、あの時のことを考えると、勇作たちが心配になるのも無理はない。

 

しばらくすると寝藁の上で横になっていたゴーストミステリアスの馬体が震える。すでに陣痛が始まっていた。

 

 

「よし、無事にでてきた」

「あとは……」

 

足が出て頭が出る。そして、無事に全身が寝藁の上に産み落とされたのであった。

母が仔馬をなめており、今のところは、普通の出産と変わっていない。去年のように暴れまわることもなかった。

勇作たちは、生まれた仔馬の姿を確認する。

 

 

「これは、黒鹿毛か?いや、ちょっと黒っぽい鹿毛か」

 

 

「顔の流星もお父さんに似ているね」

 

 

毛色は鹿毛で、額から鼻上にかけて、白色の流星が走っていた。

ぱっと見でわかるほどの奇形は確認できなかったため、一安心であった。

 

 

『ああ、生まれたよ。今年は大丈夫だった!』

 

 

確認を終えると、勇作は他の従業員に仔馬が誕生したことを伝えていた。

それを横目に、洋子は産み落とされた鹿毛の仔馬を見守っていた。

 

 

「あれ、もう?」

 

 

生まれて10分もたっていないのにも関わらず、鹿毛の仔馬はふらふらと立ち上がったのである。そして母馬の乳を飲もうとしていたのであった。

 

 

「ってもう立ったのか。早いなあ!」

 

 

「なんかぴょこんと立ち上がったみたいで……拍子抜けだよ」

 

 

立つのが早ければ強い馬になるとは限らないが、それでも一種のアピールポイントにはなる。

これから、この仔馬は競走馬として生きていく。健康に育つこと、そしてより高値で、より有名なオーナーに売れることが重要である。そのためには、仔馬時代のエピソードというのも大切だったりするのである。

 

 

「なんにせよ、本当に良かった。元気に育つんだぞ~」

 

 

「遅生まれを跳ね返してほしいね」

 

 

勇作たちは、必死で母の乳を飲もうとしている鹿毛の仔馬も見ながら、元気に育つことを願っていた。

 

その後、ゴーストミステリアスの2012は、遅生まれの影響か同期に比べれば体つきは貧弱であったが、致命的な病気にかかることなく、放牧に出すことができた。やたらとぴょんぴょんと跳ね回ることから「ぴょん吉」と従業員から呼ばれて、可愛がられていた。母馬も去年のことが嘘のように、子育てに集中しており、今のところ問題は起きていない。

ただ、気になる点がないわけではなかった。

白色の靴下をはいているように見える右後ろの脚が、少しではあるが、外向きになっていた。問題になるレベルでは今のところはないが、不安要素ではあった。

勇作は、仔馬の様子を眺めながら、彼の血統について改めて考え直す。

 

 

「タニノギムレットか……」

 

 

昨年、ゴーストミステリアスに種付を行った種牡馬は、タニノギムレットであった。そしてこの仔馬の父である。

タニノギムレットは、ブライアンズタイムを父に持ち、2002年の日本ダービーを勝利した名馬である。種牡馬としては、GⅠ7勝のウオッカを輩出していた。ただ、他に大きな競争(GⅠ級)を制した産駒は出ておらず、人気が徐々に落ち着きつつある種牡馬でもあった。

2010年に種付けを行ったのはフジキセキであったため、今年はサンデー系から外れた血統の種牡馬をつけたいと考えていた。そしてお手ごろな値段であったタニノギムレットが選ばれたのである。

ただ、娘たち曰く、「単純に父がタニノギムレットのファンだったから」とのことである。

 

 

「ゴーストミステリアスは完全な米国血統。少なくとも現代競馬に必要なスピードに対応できると思うが……」

 

 

近年の日本競馬は、中距離重視にシフトしている。また、時計の早い高速競馬が日本競馬の特色にもなっていた。そのため中距離でスピードのある馬を生産する必要があった。もちろん、パワーやスタミナも重要であることに違いはないが、まずはスピードであった。

タニノギムレットは、マイルから2400mで力を発揮していた馬だった。代表的な産駒のウオッカもマイルから2400m、特に東京競馬場で無類の強さを誇った馬であった。

そして母父は、BCクラシックをレコードで勝利した、ゴーストザッパーである。短距離から2000メートルで活躍した名馬だ。米国のダートは、日本のダートとは異なり、時計が出る馬場であり、そこで大活躍したゴーストザッパーのスピードは、間違いなく本物である。これがうまく作用すれば8ハロンから12ハロンが適正距離で、スピードのある馬を作れるのではないかと勇作は考えていた。

ただ、これでうまくいかないのが馬産というものだったりするので、今はこの馬に合った種牡馬も模索中でもあった。

ちなみに次は、シンボリクリスエスやキングカメハメハ等のアメリカ血統の人気種牡馬をつけることを考えていたりするらしい。

 

 

「いずれにせよ、しっかりと育つんだぞ」

 

 

血統が良ければ走るというわけではない。捕らぬ狸の皮算用で痛い目を見てきたことはたくさんあった。しかし、勇作たちにとって、生まれてきた仔馬たちは、大きな夢を描かせてくれる大切な存在であった。

かくして、それなりに良血な鹿毛の仔馬が北海道の大地に産み落とされたのである。

 

 

数か月が経過し、秋の訪れを感じるころ、新井牧場の放牧地で鹿毛の仔馬が走り回っていた。

勇作たち従業員は、仔馬がやたらと食べるところや気が付くと走り回っているやんちゃ坊主に手を焼いていた。その割に、発熱等でよく体調を悪くしてしまう体質の弱さを見せており、不安な気持ちにさせていた。フジキセキ産駒の兄は大人しいが、病気とは無縁の体質だったため、半兄弟でこんなに違うのかと改めて認識させられていた。

 

 

「ぴょん吉~」

 

 

勇作の妻の裕子と、長女の洋子が件の仔馬の名前を呼ぶ。

すると、名前に反応したように、こちらに飛ぶように走ってきていた。

 

 

「賢いのは間違いないんだが、どうも落ち着きがないなあ」

 

 

体調がいいときは、元気いっぱいに走り回り、ご飯をたくさん食べていた、母馬の乳を飲もうとし過ぎて、母馬が「もう疲れた」といった感じで勇作たちの方を見つめてきていたこともあった。

その割に、すぐに熱を出してしまうところもあるので、本当に手がかかる仔馬であった。だからこそかもしれないが、勇作の妻と娘は熱心に面倒を見ているのである。

他にも世話をしないといけない馬はたくさんいるため、あまり1頭に入れ込み過ぎないようにと注意はしているが、今のところ聞き入れられていない。

 

 

「単純に女が好きなだけか……?」

 

 

勇作や男性の従業員がぴょん吉と名前を呼んでも「スンッ」といった感じでそっけない態度をとってくる。

 

 

「いや、馬に人間の雄雌は関係ないか」

 

 

単純に熱心に世話をしてくれる女性2人に懐いているだけだと結論付けたのであった。

 

 

「お父さん、そろそろ人が来る時間だよ!」

 

 

ぴょん吉のことをボーと見ていたため、約束の時間を忘れそうになっていた。娘の言葉にハッとなり、急いで出迎えの準備をする。

新井牧場は大手の牧場に比べれば規模小さいが、新冠町で長年サラブレッドの生産をしてきた、中堅牧場である。そのためか、当歳馬や1歳馬を見に、有名牧場の幹部クラスの人間が見に来ることもある。勇作が日本に持ってきたゴーストミステリアスの仔を見てみたいという人も意外と多かった。

1歳馬で夏のせり市場に出す予定のゴーストミステリアスの2011は、黒鹿毛で見栄えの良さも相まって、人目を集めていた。バランスの良い身体をしており、気性も健康面も問題ないため、ぜひ売ってほしいと声を掛けられるほどであった。

一方のぴょん吉であるが、当歳馬ということもあり、まだまだ分からないというのが全員の感想であった。遅生まれや、右後ろ脚が外向肢勢であったため、マイナスの評価を受けることが多かった。しかしながら、跳ねるように走り回る様子を見て、光るものを感じていた人も多かった。

 

 

「鹿毛の仔はなかなか良さそうですね。遅生まれなので、体つきは同世代に比べれば未熟ですが、それを踏まえてもバランスに優れていますね。あとは1歳馬の方もよい感じです」

 

 

「ありがとうございます。期待の繁殖牝馬です」

 

 

「将来的にゴーストミステリアスには、うちの種牡馬たちを付けてみるのもいいかもしれませんね」

 

 

「余裕があれば人気の馬を付けてみたいですね」

 

 

ただ、人気の種牡馬の種付け料は相応の値段が設定されている。ただ、この2頭が高値で売れて、ミステリアスの評価が上がったら、ディープとミステリアスの相乗効果で、億単位で取引ができるのではないかとひそかな考えを持っていた。

 

 

「その時はうちの系列のクラブが買うかもしれませんね」

 

 

「その時は何卒」

 

 

この言葉は、数年後に実現することになるのだが、この時はただの冗談でしかなかった。

 

何はともあれ、ぴょん吉というあだ名をつけられた鹿毛の牡馬は、それなりの評価を受けて、当歳馬時代を過ごしたのであった。

 

 




前作ほど長くする予定はないです。淡々とした内容にする予定です。

あと、主人公の馬は賢いですが、中の人はいません。


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せり市場にて

ぴょん吉と呼ばれている鹿毛の仔馬が生まれてから半年以上が経過した。

すぐに風邪を引いたり、熱を出すといった体質の弱さを見せてはいたが、無事に離乳し、母馬と別離することができた。最初は嫌がっていたが、暫くすると母のことなど忘れたかのように新しい放牧地で走り回っていた。遅生まれが故に、身体は他の当歳馬に比べて未熟であったが、群れでいじめられたり、なじめなかったりといったことはなかった。

 

冬になり、雪が降り積もったことで放牧地が雪まみれになってもぴょん吉は外で走ろうとしていた。そして、風邪を引いて熱を出して、従業員たちを心配させていた。

よく食べ、よく寝て、よく動き回る。これだけなら、太鼓判を押すことができるのだが、とにかく体調を崩すことが多かった。

 

冬が明け、簡単な追い運動などが始まってからは顕著であった。

1歳馬たちが放牧されている広大な放牧地を、馬に乗った従業員が1歳馬を追い立てる。

すると、ぴょん吉は常に先頭で走り続けた。明らかに他の馬たちとは違うものを見せていた。ただ、そのたびにへとへとになって馬房に戻っており、高確率で熱を出していた。

致命的な病気やケガには見舞われていないことだけが幸いであった。

 

 

「出力の強さに、身体がついていかないのかな……」

 

 

「単純に手加減ができないだけかも。いつも必死で走っているように見えるよ」

 

 

体調を崩して、横になって嘶いているぴょん吉を、裕子と洋子が「大丈夫だよ~」といいながら撫でる。馬の方も甘えているのか二人の顔や腕を舐めまわしていた。

ぴょん吉は、気性そのものは人に懐っこいので、世話を担当している二人からはかわいがられていた。

勇作は、ほかの馬と差はつけるなと注意はしていた。しかし、素質があって、懐っこいが、どこか脆さを感じるぴょん吉に、目を向けすぎてしまうのは仕方がないのかもしれないと思っていた。

 

 

「素質は間違いなくある。ただ、外向の脚と体質の弱さがどうにもなあ……遅生まれはただでさえ敬遠されるのに」

 

 

「体質が弱くても、ダービーを勝った馬もいるし、足が曲がっていても強い馬はいくらでもいますよ。それに6月生まれで有馬記念を勝った馬だっていますし」

 

 

「それは結果論だからなあ……」

 

 

勇作には、若干の不安があったが、そのマイナスポイントに目をつむれば、強い馬になりそうなのは間違いなかった。

新井牧場はオーナーブリーダーではない。生産した馬を売却することで利益を得ている生産牧場である。庭先取引で馬を売ることも多いが、せりに出して、そこで売ることも多い。

勇作たちは、ぴょん吉を、夏のセレクトセールに出そうと考えていた。日高の一流馬が集結するせり市場である。

ゴーストミステリアスの繋養には、それなりの労力と資金を投入している。フジキセキ産駒の兄ともども、それなりの値段で売れることを新井達は望んでいた。

 

 

「ああ、心配だなあ……」

 

 

気が付けば、この鹿毛の馬のことを考えていたのであった。なんだかんだで勇作も一頭の馬に翻弄されているのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

大宮貞治郎は、独り身である。年齢は66歳で、数年前まで都内で印刷工場を経営していたが、代表を退き、今は隠居中である。

ひょんなことから、数年前に中央競馬の馬主の資格を取得し、数頭の競走馬を所有している。幸運なことに、そのうちの1頭はオープン戦を勝ち上がり、重賞にも挑戦できる程度には強い馬であった。

仕事人間であった、大宮にとって、競馬は刺激的な世界であった。

彼は特別欲深い人間ではなかったが、所有馬が活躍する姿を見て、馬主として欲が出始めていた。「GⅠの舞台にたってみたい」という欲である。そのためには、能力のある馬を見つけて、所有する必要があった。

しかし、馬主としては影響力が全くといっていいほどない彼には、いい馬の情報など入ってくるはずもないため、自分の相馬眼を信じるしかなかった。

 

 

そんな零細馬主である大宮が一念発起してやってきたのが、2013年夏に北海道で開催される1歳馬のせり市場であった。

前日展示から参加しており、選び抜かれた数多くの馬たちが集結していた。北海道とはいえ、夏であるため、汗をかく程度には暑かったが、いい馬がいないかと精力的に1歳馬を見ていた。

大宮が参加予定のセレクションセールは、1歳馬のせり市場である。ひだか地方で厳選された良血馬が数多く上場されるため、有力なせり市場である。大宮は2歳馬のせり市場と、秋のせり市場で馬を購入したことはあったが、夏のせり市場に来ることは初めてであった。

 

 

「やはり高いなあ……」

 

 

昨年のせり市場で取引された馬の値段を見て、大宮は唸る。

大宮は、中央競馬の馬主資格を持っているため、世間一般から見れば金持ちに分類される。しかしながら、彼の財力では、大馬主のように数千万単位の馬を毎年何頭も購入することはできなかった。

 

 

「レポジトリ?レントゲン写真とか見てもわからんなあ……」

「この馬の半兄は、去年は1億円だったのか……」

 

 

日本有数のせり市場に参加するということで、出品される馬については、事前に調査はしていた。注目している馬もいないことはない。

ただ、出品馬の血統表や兄姉の実績や価格を見ながら、唸っていた。唸っても予算は増えないことは知っているが、唸るしかないのである。

ちなみに大宮の最大の買い物が、1500万で購入した例のオープン馬である。馬主の友人なんかは、いい買い物だったとほめているが、1500万円はかなりの出費であったことは言うまでもない。

ただ、今回は奮発してそれ以上の予算は確保してきており、本気で挑んではいた。

 

 

「さて、次の馬は……」

 

 

ゴーストミステリアスの2012という鹿毛の牡馬であった。

父タニノギムレット、母ゴーストミステリアス。母の父がゴーストザッパーという血統の持ち主である。生産牧場は、新井牧場であった。

タニノギムレットはともかく、母の血統が面白い血統であったため、友人から見てみるのもいいのではと勧められた馬であった。

 

馬体はそこそこ大きく、黒っぽい鹿毛の毛並みは良好であった。額から鼻上にかけて父を彷彿とさせる白い流星があり、右後ろ脚には、白の足のマーキングがあるのが特徴的だった。目に留まった白色の足元から脚の付け根を見ると、やや外向きになっているように見えた。あまり経験のない大宮にも見て取れる外向の脚に眉をひそめた。また、かなり遅い誕生日が気になる要素であった。

ただ、女性従業員の指示にしっかりと従っており、急に立ち上がったり、変な動きをすることはなかった。歩様も乱れることはなく、しっかりしているものであった。

大宮がじっと見つめていると、馬の方もそれに気が付いたようで、顔と耳を向けてくる。

 

 

「大人しい馬ですね」

 

 

気になってしまって、隣に立っている女性に話しかけた。

 

 

「いつもはとても大人しいですよ。でも、放牧地だと元気いっぱいに走り回っていますよ。映像もありますよ」

 

 

別の従業員の持っているスマートフォンには、鹿毛の馬が放牧地を駆け回る様子が映っていた。群れの先頭を走るその姿はとても美しく見えたのであった。走る姿を見てからこの馬を見ると、妙に魅力的に見えるようになったのである。

脚の筋肉の付き方も素人目にもいい感じに見えるのである。遅生まれや足の形など、気にならなくなっていた。

 

「お、おおお~」

「あ、ダメだよ!」

 

極めつけには、大宮の顔をべろべろと舐めまわしてきたのである。隣の女性が止めるが、止めようとした女性の顔も舐めまわす。

 

 

「この子が男性に懐くのは珍しいですね……気に入ったのかな?」

 

 

顔つきも穏やかで、懐っこい性格。それでいて、映像にあった美しい走り。大宮は、この馬が欲しいと思ってしまったのである。

その後、他の馬の様子も見学したが、あの鹿毛の牡馬が彼の頭から離れなかった。

 

 

そして、せりの当日、予想以上の値段が飛び回ることに戦々恐々としていた。狙っていた馬は予想以上の価格になってしまい、あきらめざるを得なかった。

また、比較的価格が落ち着いている候補馬もいたが、今の大宮の目には魅力的には映らなかった。

そして、昨日出会った馬の番である。ゆっくりと登場した鹿毛の馬は、中央の展示台で大人しく立っていた。

 

遅生まれや、足の外向といろいろとマイナス要素もあるため、そこまで値段は上がらないかと高を括っていた大宮であった。実際、最低価格は彼でも手が出る価格であったが、すぐに値段が吊り上がっていく。どうしようかと悩んでいるうちに、想定していた予算を超えてしまっていた。

 

流石に無理か……と思ってあきらめかけていた瞬間、馬と目が合ったのである。

気が付けは彼は近くのスポッターに入札の意思を示していた。スポッターが「ハイ」と大きな声を上げ、大宮は入札となったのである。

 

 

「あ……」

 

 

『5800万~5800万~』

 

 

勢いでの入札であった。頭の中で、「5600万ならなんとかなる?」「これも縁なのでは?」などの、自らの行為を正当化する声が響き渡る。

 

 

「頼む、これ以上は……」

 

 

そして、5600万円で木槌のたたく音が鳴り響く。

 

 

「買っちゃった……」

 

 

5600万円。用意しようと思えば用意できる金額ではある。ただ、今後の馬主生活を含めた活動計画に大きな支障がでる金額であることに間違いはない。

「どうせ家族もいないしええやろ」と思いつつ、係の人と生産牧場の代表者がやってきて、購入の覚書を結ぶことになった。後日、支払いや保険加入のお知らせなどが届くことを大宮は教えられた。時間的には猶予があったので、それまでに金を用意しておかないとなあと思いつつ、生産牧場の人と話していた。

 

 

「ありがとうございます。昨日来ていただいた方ですね」

 

 

「いえ、昨日はお世話になりました。どうも昨日からこの馬のことが忘れることができなくてですね。気が付いたらって感じです」

 

 

「そうですか。もしかしたら大宮様とこの仔は何か縁があったのかもしれませんね」

 

 

「そうだといいですね。って、またかい」

 

 

馬の隣に立つと、昨日のように大宮の顔を舐めまわしてくる。

係りの人も含めて、この場にいる全員で苦笑しながら、記念撮影を行い、解散となった。

自分のもの(正確にはお金を支払ってからだが)になったと自覚した瞬間、この馬が妙に輝いて見えたのである。穏やかそうな顔つきも、賢そうな顔つきに見えるのであった。

これが親バカの心理かと思いつつ、残りの時間をせり市場で楽しんだのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「ぴょん吉が売れたよ!それも5600万だよ」

 

 

長女の洋子の声が響き渡る。

想像以上に高い値段で売れたので、満足な顔つきの勇作であった。

タニノギムレット産駒で母の競走成績は微妙、母父も日本では見かけない外国産馬。また、遅生まれや右後ろ脚や体質の件もあったので、昨年の兄の取引価格に比べれば安価であった。しかし、不安要素もありながらもこの価格だったため、勇作は満足していた。

すでにゴーストミステリアスは、2013年4月にシンボリクリスエスとの子供を出産している。そしてキングカメハメハとの種付けを済ませていている。来年は、億越えかなと余計な妄想を膨らませていた。

 

 

「意外と粘る人が多かったみたいです」

 

 

「そうか……値段を上げてくれた人には、感謝の言葉しかないな……」

 

 

「最後の一声!ってところで大宮さんが手を挙げたみたいでした」

 

 

「なるほど。それにしても大宮貞治郎か……知らない名前ですね」

 

 

「数年前から馬主として活動を始めた人らしいよ。2頭目の馬がオープンを勝利して、重賞にも挑戦しているみたい。運のいい人かも」

 

 

実際、オープン戦を勝てる馬は、僅かであるため、幸運であることに間違いはなかった。

 

 

「なら、大宮さんの初重賞馬くらいにはなってあげないとな」

 

 

こうして、ゴーストミステリアスの2012は、大宮貞治郎という馬主が所有者となったのであった。

大宮はその後、必死になって馬の代金をかき集めた。何とか期日までに支払うことができたので、よかったと安堵しつつ、二度とせりで勢い任せにならないと誓っていたのだった。

 




「1500万ならそこまで高くないかな」
→せり市場とか見ていると金銭感覚が狂います。


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デビューに向けて

大宮貞治郎の所有馬となったゴーストミステリアスの2012は、1歳冬に、北海道にある育成牧場に送られることになった。

2歳近くになっても、すぐに体調を崩すもやしっ子ぶりを発揮していた。しかし。馬具の装着や人が乗るような馴致訓練では手がかからないため、優等生として扱われていた。

同期にはすでに本格的な訓練を行っている馬もいたが、この馬は、馬体が未成熟であり、体質が弱いという理由から、強めの調教は行われていなかった。

それでも、体調がいいときに見せる走りは、間違いなく一級品であると、スタッフから言われていた。

育成牧場に勤めて5年目の山崎恵子は、鞍などの馬具を付ける訓練からこの馬を担当していた。オーナーが名前をまだ考えている最中ということもあり、生産牧場時代のあだ名で呼ばれていた。

大人しく賢い馬であるというのが山崎の最初の印象であった。騎乗を行う訓練でも、他の馬より早く乗られることに慣れていた。意外とここで躓く馬も多かったりするが、この馬に関しては問題なく訓練を進めることができた。

 

山崎は、女性ではあるが、トレーニングも担当する時もあり、この馬の素質を間近で実感じていた。馬房では、彼女に甘える姿も見せており、とてもかわいい馬であった。

ただ、男性スタッフに対してはそっけない態度をとることが多く、かなりえり好みが激しい性格でもあった。

 

 

「間違いなく、自分が担当した馬の中では最高の能力を秘めていると思います。ただ、体質が弱いため、発揮できる出力に身体が付いて行っていないみたいです。その辺りは、骨や筋肉などの身体の成長が遅いのでしょう。今は、強めの調教はしない方がいいというのが我々の判断です」

 

 

「そうですか……そうなるとデビューも遅れてしまうのでしょうか」

 

 

「申し訳ありませんが、そうなる可能性はあります。平均に比べると、やはり遅いというのが実情です。ただ、彼は本当に素晴らしい脚をもっています」

 

 

大宮は、育成牧場にいる愛馬の様子を定期的にチェックしていた。新井牧場の伝手で有力な育成牧場に入厩することができたまでは良かったが、なかなか調教が進んでいないことにやきもきしていた。

しかし、牧場を訪れて、馬の顔を見るたびに、将来のライバルたちに囲まれ、ストレスを受ける環境にいながら、大宮の愛馬は購入したときと同じような穏やかな顔をしているなあと思っていた。

その顔を見ると、もう少し気長に考えてみるかという気持ちにもなる。

担当者の山崎を筆頭に、馬に真摯に向き合ってくれていることがわかっているので、大宮も文句を言うことはない。

 

 

「いつ見てものんびりした顔をしてるなあ……」

 

 

「そうですね。大人しいので、助かってます。ただ、走ることが好きみたいで、いつも前に行こうと頑張ってくれます。ただ、全力を出し過ぎてへとへとになってしまうのが玉に瑕ですが……」

 

 

身体が未熟なのに、常に全力で走ろうとしてしまうという悪癖があるというのも、調教が本格的に始められない理由の1つあった。

闘争本能も非常に高く、前に馬がいると、がむしゃらに前に出ようとする強気の気性の持ち主であった。普段は大人しいが、競争になると闘争心を見せるというメリハリを持っている馬であった。

ただ、その全力で走ろうとする気性が体質の弱さと噛み合っていないのである。

 

 

「粘り強く付き合っていく必要がありますね。いろいろと欠点もありますが、それに付き合っていくのが我々の仕事ですので」

 

 

「手のかかる子ですが、よろしくお願いします」

 

 

大宮にとっては、初めての素質馬である。そして5600万という割と洒落にならない金額の馬である。そして、自分が心から欲しいと願った馬でもある。

ケガや病気になるくらいなら、ゆっくりと育ってくれればいいと思っていた。

 

 

「高く評価している調教師もいらっしゃいますね」

 

 

「それは……それは光栄ですね。まだ、遅生まれで、身体も未熟、体質も弱い、それに後ろ脚の見栄えが良くないのですけど、わかる人にはわかるものなんですかね」

 

 

「たくさんの馬を見てますからね。それにこの程度の弱点を抱えていても、名馬と呼ばれるくらい活躍した馬はいますから」

 

 

馬主としての経験が薄い大宮でも、自分の愛馬の弱点は理解しているつもりだった。本格的な調教が始まっている馬に比べると体つきも未熟であるため、「そこまで評価が高いのか」と驚くのも無理はなかった。

実際に騎乗している山崎たちには、この馬がスペシャルな存在であることを理解するのに時間はかからなかった。日本有数の育成牧場の人間の「あの馬、やばいですよ」は、それなりに影響力があるのである。

 

 

「まだまだ、これからが本番です。また何か進展がありましたら、連絡します」

 

 

山崎としても、大宮が調教やデビューを急がせてくる馬主でなくてよかったと思っていた。馬主の意向で未熟な馬体でデビューを早めようとした結果、ケガなどで競走馬として「死んで」しまった例もある。

 

 

「そういえば名前はもう決めているのですか?一応、生産牧場時代からの名前でぴょん吉と呼んでいますけど……」

 

 

「さすがにぴょん吉はカッコ悪いなあ……カエルのアニメみたいですしねえ」

 

 

愛着のある馬だからこそ、いい名前にしてあげたいと考えていた。それが理由でなかなか候補すらも絞り込めないでいたのである。ちなみに大宮は冠名を持っていない。

 

 

「意外とフィーリングで決まったりすることが多いので、悩み過ぎない方がいいですよ」

 

 

「そうはいってもなあ……」

 

 

優柔不断な馬主のせいで、名前の候補すら決まっていない鹿毛の若駒であった。ただ、親は子に似るというように、のんびりした雰囲気を持つ大宮に買われたことは幸運だったのかもしれない。

 

ゴーストミステリアスの2012は、1歳冬、2歳春を育成牧場でゆっくりと育てられていった。梅雨時期に入厩に向けて準備が進められていたが、ソエが判明して休養を余儀なくされたこともあった。

それでも、何とか2014年12月中旬に、彼はトレセンに入厩することができたのであった。

既に2歳馬のGⅠレースが始まっている時期であった。

 

 

――――――――――――――――

 

 

茨城県美浦村に、日本中央競馬会の美浦トレーニングセンターはある。

12月も中ごろになり、本格的な冬の寒さが到来していた。冷たい北風が吹く中、そんなトレセンの一角に、縣(あがた)厩舎は存在していた。

 

厩舎内の馬房で1頭の馬を見つめる男がいた。

彼こそ、縣厩舎の主の縣浩平である。もともとは中央競馬の騎手であったが、28歳で騎手を辞めて、厩務員、調教助手を経て5年前に開業した調教師であった。2年前から連続して重賞馬を輩出するなど、徐々に評価を上げつつある調教師であった。

そんな若き調教師(45歳)は、目の前にいる1頭の鹿毛の牡馬を見て、この馬の馬主である大宮貞治郎や育成牧場、生産牧場の従業員たちのことを考えていた。

 

縣とこの馬との出会いは、昨年の冬ころに遡る。

調教師として開業したばかりの時に出会った馬主である大宮から、連絡を受けて育成牧場で出会ったのが、目の前にいる競走馬であった。

この馬を預かる際には、大宮や育成牧場の関係者から、

 

「縣先生。いろいろと手がかかる子だとは思いますが、よろしくお願いします」

 

という言葉をもらっている。

話を聞くところ、素質は最高峰だが、虚弱体質でまともに調教ができないという何とも言い難い評価の馬であった。その言葉は、厩舎に入厩してすぐに味わうことになった。

輸送の疲れや環境の変化の影響か、入厩後すぐにダウンしてしまったのである。2週間ほどで体調は戻ったが、いきなり洗礼を味わった気分であった。

 

 

「やっと落ち着いてきたか……輸送で疲れたのかな?」

 

 

サラブレッドは繊細で環境変化に弱い生き物であることは承知であるが、それでも目立つレベルには体質が弱い馬であった。

 

 

「『スペシャルラピッド』か……速そうな名前だこと」

 

 

大宮曰く、とりあえずスピードがありそうな名前にしたとのことである。また、彼のあだ名の「ぴょん吉」から連想したウサギの「ラビット」と快速の「ラピッド」を合わせた名前にしたようである。

ただ、一部の関係者は、関西地方で暴れまわっている鉄道の優等種別を頭に思い浮かべたようである。

 

ただ、そんな名前を付けられた馬は、調教すらできるか怪しい馬であった。

実際、かなりの素質馬なのに、大手の調教師から断られてしまったのは、遅生まれと、体質の弱さ、後ろ脚の外向が要因であることに間違いはない。

縣も、育成牧場で過ごしている馬の姿を見て、それらの欠点を見聞きしたときは、預かることに難色を示していた。

しかし、一度だけ見た彼の本気の走りは、名馬たちの走りを彷彿とさせるものであった。「モノが違う」という育成牧場のスタッフたちの言葉の意味を、一瞬で理解できる走りであった。

このため、縣は不安以上に、わくわくする気持ちも抑えきれていなかった。この馬が、本気を出したとき、どんな結果になるのか。どんなレースを勝てるのか。想像するだけでも気分が上がる馬であった。

 

 

「縣先生。馬房の掃除が終わりました」

 

 

「お疲れさん。ラピッドも今のところは大丈夫だから、もう上がってもいいよ。最近忙しかったでしょうし」

 

 

縣に声をかけてきたのは、厩舎所属の厩務員の伊藤百花であった。こちらに来たばかりで体調を崩していたスペシャルラピッドが、やたらと懐いていたのが、伊藤であったため、そのまま世話を担当している。

 

 

「ありがとうございます。ぴょん吉の体調も戻ったみたいでよかったです」

 

 

スペシャルラピッドは、伊藤が戻ってきたとわかった瞬間、馬房から顔を出して、甘え始める。

縣は、この馬が幼駒時代、女性の従業員に育てられたからか、人間の女性によく懐くという話は聞いていた。

そんな1頭と1人の様子を見ながら、縣は、このガラス細工のような馬をどのように仕上げていくかを考えていくのであった。

 

 

 

 

「あああああああ……」

 

 

「楽しみにしている」そう思ったのもつかの間、スペシャルラピッドの想像以上の厄介さに、縣は頭を抱えることになった。

 

 

「想像以上に体質が弱いです。よく食べるのに、すぐに体調を崩します。」

 

 

調教助手の森本康もかなり難しそうな顔をして、彼の弱点を分析する。

 

 

「特にほかの馬との併せはだめだ。すぐにムキになる。これじゃあ身体が付いていかない」

 

 

この馬を紹介してもらった育成牧場の山崎に、「他の馬がいると、その馬を意地でも抜かそうとする闘争心の高さが特徴」だと聞かされてはいた。縣たちも、それが弱点でもあるということは知らされてはいた。ただ、想定を上回る酷さであったのだ。

縣達が抑えようとしても、それを無視して、一生懸命走ってしまう。そう、彼は常に全力なのだ。頭が先頭民族なのである。

そして、疲労がたまりやすく、体質の弱いスペシャルラピッドにとって、それはプラス方向には作用しなかった。

 

 

「我慢を何とか覚えてもらうしかないですね。これは時間がかかりそうだ」

 

 

「新馬戦は間に合わないかもしれんなあ。それでも何とか2月くらいまでにはデビューしたいが……」

 

 

「その辺は大宮さんが気にしなくていいといってくださっているので、ありがたいですが……」

 

 

大宮は、育成牧場のスタッフから、デビューは間違いなく遅れるという話を聞いているので、その辺りは気にしなくていいと縣達に伝えている。

 

 

「それに甘えてはいかんだろう。ただ、焦って仕上げてもいいことはないだろうから、ゆっくりと粘り強く付き合うしかないかな……」

 

 

このように、気苦労の種となっているスペシャルラピッドであったが、その秘めたる素質は、全員が認めていた。

先日の調教では、2歳の、それも未成熟な馬とは思えないタイムをたたき出している。騎乗した人間全員が、身体のバネと筋肉のしなやかさは超一流であること、そこから繰り出される驚異的なスピードは、素晴らしいものであることは認めていた。

素の身体能力でこれだけの力を発揮できているため、成長して、しっかりと調教を施すことができれば、とんでもないほど強い馬になるのではと期待していた。

ただし、今のところは絵に描いた餅でしかないのである。

 

 

「まったく、気苦労の種だよ……」

 

 

自分で預かるといっておきながら酷い言い草である。

 

 

「そんなにひどいことを言わんでくださいよ。結構繊細なんですよ、彼」

 

 

厩務員の伊藤が、馬房で大人しくしているスペシャルラピッドを撫でる。

 

 

「ただのスケベな馬なんじゃないですか?」

 

 

競走馬は厩務員には懐くというが、彼の場合は、女性限定で愛想がよかった。例外はオーナーの大宮だけである。厩舎の手伝いに来た別の女性厩務員にも甘えていたので、割と確信犯であると縣や森本は考えていた。

 

 

「そんなことは……ないとは言い切れませんね」

 

 

伊藤本人も苦笑いしながらスペシャルラピッドを撫でていた。

こんな会話が、毎週のように縣厩舎で繰り広げられていった。良い意味でも悪い意味でも、スペシャルラピッドは縣厩舎のアイドルになりつつあった。

 

縣厩舎での調教の日々はあっという間に過ぎていった。同期の馬が次々とデビューし、有力馬が2歳戦線を賑わせているなかで、彼はなかなかデビューすることができなかった。

調教が進まなかったのである。3歳になっても相変わらずであったが、3月ころになると、多少の融通が利くようになり、少しずつではあるが、調教を進めることができるようになった。

 

そして、2015年の5月にやっとデビュー戦を迎えることになったのである。

 

 




ダイユウサクは3歳(現2歳)の12月に入厩しているんですね。遅生まれが原因か、彼も若駒時代は体質の弱さに苦しめられたようです。また、オウケンブルースリは、3歳3月に入厩しているようで、なかなかの遅さですね。。


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衝撃のデビュー、なお……

2015年5月31日、東京競馬場。

 

5月最終週の日曜日。この日は、すべてのホースマンたちの憧れであり目標である、ダービーが行われる日であった。そのため、午前中の第1レース前にもかかわらず、それなりの数の観客が競馬場にやってきていた。

その中に大宮はいた。彼は、日本ダービーを観戦するために来たのではなかった。第1レースの3歳未勝利戦に出走する自分の愛馬の走りを見るために、東京競馬場に訪れていた。

 

 

「やっと、やっとラピッドの姿が見れる……」

 

 

デビューが遅くなることは重々承知であった。ただ、ダービーの当日にデビューするとは思ってもみなかった。

新馬戦は終わってしまったため、未勝利戦がデビュー戦にならざるを得なかった。

5000万円以上で買った馬が5月デビューということで、大宮の友人からは同情的な目で見られていた。億単位の馬がそもそもデビューできなかったという事例もあると慰められたことも、大宮の自尊心をすこし傷つけていた。

縣調教師から、調整は不十分であったという話は聞いている。それでも、自分の馬が先頭で駆け抜ける瞬間をどうしても見たかった。

新聞では、調教のタイムは平凡だが、光るものがあるとして、そこそこ評価はしてもらっている。能力検定が良かったこともプラス評価であった。しかし、パドック中継では、まだまだ絞り切れていないという理由で、あまりよろしくない評価をもらってしまっている。

大宮も、パドックで歩く様子は見ていた。女性厩務員に曳かれて、大人しそうに歩いており、穏やかな顔つきは、レース前でも変わっていなかった。

 

 

「大丈夫かなあ……」

 

 

「戦う顔をしていない」と言われてしまわないかと心配であった。

スペシャルラピッドは、良くも悪くもいつも通りであった。ほかの馬たちは、レースの経験がある馬ばかりである。その馬たちと戦えるのか不安であった。

縣調教師からは、大丈夫とは聞いているが、それでも不安なものは不安なのである。

 

 

「頼んだぞ……」

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「やっと、やっとここまでこれた……」

 

 

調教師の縣は空を仰ぎながらつぶやいた。調教助手の森本も、その言葉にうんうんとうなずいていた。

目の前のパドックでは、悩みの種であったスペシャルラピッドがのそのそと歩いている。初めて見る人だと、やる気がなさそうに見えてしまう馬であった。

スペシャルラピッド号は、縣の人生で、一番で気を遣う馬であった。体質の弱さでまともな調教はできず、想定していた時期より2か月以上もデビューが遅くなってしまった。

それもダービーの日にデビューである。

 

 

「ダート1600メートル。結局ダートでのデビューになってしまいましたね」

 

 

本日の東京競馬場第1レース、3歳未勝利戦は、ダート1600メートル戦であった。身体が出来上がっていないのに、芝コースでスピード勝負をさせるには、まだ早いと判断したが故のレース選択であった。

 

 

「まあ、ダートも走れる馬だったのが幸いでしたね……」

 

 

このスペシャルラピッドという馬は、意外と器用な馬であった。どちらかといえばマイラーに近い身体つきであったが、基本的にはバランスのいい身体つきをしており、繋ぎや蹄に癖がなかった。どちらかといえば、得意なのは芝の方であったが、ダートもしっかりと走れたのである。競争能力に関する欠点といえば、右後ろ脚が原因なのか右回りが苦手なくらいであった。

あれやこれやと二人が話しているうちに、パドック周回が終わり、騎手が騎乗する時間になっていた。

 

 

「とにかく、最近は調子が良くて、やっと調教ができたのだから、このチャンスを逃してはならないです。能海君!勝ってきてください」

 

 

「は、はい!」

 

 

縣に肩をたたかれ、闘魂を注入されたのは、能海という名の若い騎手である。

いきなりだったこともあり、裏返った声で、返事をしてスペシャルラピッドに騎乗したのであった。

 

 

「……ベテランに頼んだ方がよかったかな」

 

 

能海騎手は、縣厩舎所属の5年目の騎手である。本来は、別の有名騎手や、ベテラン騎手に騎乗依頼を出していたが、すべてダメであった。素質馬ということもあり、「デビュー戦は是非」と営業をかけている騎手も多かった。しかし、今日のレースに関しては、先約が入ってしまっている人が多く、彼らも断らざるを得ない状況だったというのも大きい。

それなら、スペシャルラピッドの調教の手伝いで、何度も騎乗したことがある能海騎手が、まだ一番適していると判断したため、初戦の騎手として選ばれたのであった。

 

 

「まあ、彼は慎重な騎乗が多いので、不安要素の多いスペシャルラピッドにはあっていると思いますよ。それが原因で伸び悩んでいるところはありますが、新人の時に色々あったので......」

 

 

「あれは仕方がねえとは思うけど、そろそろ克服してもらわんと困る。まあ、この馬で色々と掴んでくれればいいのだけど、やっぱ心配だなあ……」

 

 

「あんまり彼の前であの時の話はしないでくださいよ」

 

 

「さすがに言わんわ!」

 

 

縣と森本がコントをしている間に、本馬場入場まで始まっていた。

 

 

「頼むぞ~」

 

 

縣は神に祈るように手を拝んでいた。

調教師としてそれはいいのかよと思いつつ、森本は、大丈夫だろうと考えていた。

 

 

「何馬身差になることやら……頼むから抑えてくれよ、能海騎手」

 

 

森本は、あくまで冷静であった。縣は心配になりすぎるあまり、スペシャルラピッドに過保護になっているように見えていた。それが欠点であり、魅力でもあるとは思っていたが。

調教助手として、スペシャルラピッドの育成に携わり、この馬は多少調教が甘くても、身体が未熟でも、この時期の未勝利馬に負けるはずがないと確信していた。

むしろ、一生懸命走らせすぎないように、気を付けてほしいと思っていたくらいである。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

『第一レース、ダート1600メートル。3歳未勝利戦。16頭立て。ゲート入りが始まっております。1番人気はドリームユニバンスであります』

『……4枠8番スペシャルラピッドが入る。……』

 

 

東京競馬場では第1レースが始まろうとしていた。

ダート1600メートルということもあり、芝コースの上からスタートすることになる。

ファンファーレが鳴り響き、16頭の競走馬がゲートに入り始める。

 

 

『16頭ゲートイン完了。スタートしました!8番スペシャルラピッド、サノタイクーンが好スタート。早くも抜けてリードを1馬身、2馬身付けます……』 

 

 

スタートと同時に大外のサノタイクーンとスペシャルラピッドが馬群を飛び出して、先頭に立ち、芝コースが終わり、ダートコースに入るころには、3番手のイプノーズに2馬身ほど差をつけていた。

 

『ダートに入りまして、1400を通過。5番手は……』

 

 

好スタートを切ったサノタイクーンが鼻を取り、その1馬身後方にスペシャルラピッドがいた。その後ろには10番のイプノーズと11番のコイオスが追走していた。

 

 

『……残り1000メートルを通過、先頭は依然としてサノタイクーン、半馬身後方にスペシャルラピッド、さらに1馬身後方に……』

 

 

スペシャルラピッドは2番手でレースを進めていた。後ろから追い立てるようにスピードを上げ始めており、つられて先頭のサノタイクーンも加速していた。さらにそれに追走するように先行策をとっていた4頭ほどの馬が速度を上げ始めていた。

 

 

『……第3コーナーに入って、その後ろに……』

 

 

第三コーナー中盤で先頭を走るサノタイクーンを外から抜いていったのがスペシャルラピッドであった。さらに3番手以下の先行集団が次々と加速していき、先頭を奪おうとしていた。

 

 

『第4コーナーに入って先頭はスペシャルラピッド。内側サノタイクーン、3番手に外からイプノーズが来ている……』

『残り600メートルを通過、各馬続々と鞭が入っていく!。先頭はスペシャルラピッドだ……これはかなり早いペースだ!』

 

 

第4コーナーに入り、先頭をゆくスペシャルラピッド。

コーナーが終わり、直線に入るころには、2番手に2馬身ほど差をつけていた。

 

 

『さあ直線に入って先頭はスペシャルラピッド!。リードを広げていく。2番手サノタイクーンがいる。3番手、4番手にイプノーズとドリームユニバンス……』

『残り400を切った。先頭スペシャルラピッドだ。3馬身、4馬身とリードを広げる。独走だ!持つのか、これで持つのか。2番手は……』

 

残り400メートルからさらに加速し、どんどんと後続を引き離していく。そして、200メートルを切り、ハイペースに巻き込まれた先行馬たちが後方に下がりつつある中、中団や後方で待機していた馬が自慢の末脚で一気に前に躍り出ようとする。

普通であれば、末脚を爆発させ、先行馬たちを抜かしていった3番人気の馬が、先行勢を差し切ってゴールできるはずであった。

 

 

『スペシャルラピッド先頭!リードは6馬身、7馬身。強い、本当に強いぞ。後方からデストリーライズが追い込むがこれは届かない。8番スペシャルラピッド先頭でゴールイン。本当に強い、強すぎるレースだ!。2着はデストリーライズ。3着は……』

『2着に何馬身差がついたのでしょうか……』

 

 

暫くすると、掲示板に結果が表示される。そこには9馬身差の文字が映っていた。

 

 

『9馬身差、9馬身差です!。勝ち時計は1.34.9。3歳未勝利戦にしてはハイペースな展開でしたが……』

 

 

途中まで2番手で競馬を進め、4コーナーで先頭に立って後は独走状態。強すぎる勝ち方であった。

途中までは平均よりやや遅いペースであったが、残り1000メートルを切ったあたりから、ペースが一気に早まっていたことが、ハイペースの原因であった。

 

 

――――――――――――――――

 

 

『強い、本当に強い。これが初出走の馬なのか!』

 

 

第1レースではあったものの、それなりの観客が詰め寄せていた東京レース場はどよめきに包まれていた。

3歳未勝利戦という、格のないレースであったが、その勝ち馬のパフォーマンスが驚異的であったからだ。

 

縣達も、圧倒的なパフォーマンスを見せつけたスペシャルラピッドに呆然としていた。彼が、世代トップレベルの素質馬であると、能力を高く評価していた。しかし、調教の仕上がり具合がまだまだと呼べる状態で、ここまで強い競馬ができるとは考えていなかった。

 

 

「うわ!強いですねえ~。鞭一つ使ってませんよ。あれで抑えてたんですか」

 

 

「うわー本当に強いなあ~~~~。じゃねーよ!ラピッドは虚弱体質なの!脚部が強くないの!何やってんだ能海!」

 

 

スペシャルラピッドは、まだ、筋肉の付き方を含めて未熟な馬である。また、疲れがたまりやすく、回復が遅い馬である。さらに、脚部がそこまで強靭ではないということも判明していた。そのため、これだけのパフォーマンスを発揮して勝つことは想定外であった。フルパワーで走らせたら、何が起きるかわからない馬だったため、能海騎手には、抑えるように、慎重にいくようにという指示を出していた。

 

 

「能海君もあれでかなり馬を抑えていましたよ。鞭なんか使ってたらもっと凄かったんじゃないですか?」

 

 

実際、能海騎手も途中まで前に行こうとするスペシャルラピッドを抑えようとしていたように見えていた。

そうこうしているうちにスペシャルラピッドが装鞍場に戻ってきた。疲れた顔をしており、全力で走っていたことがわかる。

そして、騎手の方も全身汗で濡れており、疲労困憊の様子であった。

 

 

「お疲れ様。だいぶ疲れているな......」

 

 

「ありがとうございます。抑えたんですけど、途中で前に出ようとして少し加速させたら、もう止まりませんでした」

 

 

「そうか……その辺が今後の改善点だな。ただ、レースの話はまた後でしよう。今は勝利を喜ぼう」

 

 

「すいません……」

 

 

縣と能海が騎乗や馬の感覚などの話をしていたが、そこに森本が問いかけてくる。

 

 

「そういえば、大宮さんはどこに?彼も主役なのに……」

 

 

レースも終わり、スペシャルラピッドが装鞍場に戻ってきて、鞍が外され始めているのに、馬主の姿が一向に見えない。ウィナーズサークルに向かい始める時間になっているにも関わらず、大宮が来ていないのである。

もしかして先にウィナーズサークルの方に行ってしまったのかと思ったが、馬主として初勝利じゃないし、それはないかと縣は思った。

連絡を取るかと考えていたが、遠くから全速力で走りながら大宮が駆けつけてきたのがみえた。

 

 

「すいません。遅れました!」

 

 

「心配しましたよ。大丈夫ですか」

 

 

「いや、ちょっと意識が……」

 

 

大宮は遅れた理由を説明する。

大宮は、馬主席で愛馬の雄姿を見届けていた。

緊張で胃が痛くなるような思いで、ゲート入りや道中を見ていた。そして、先頭で直線に入った時は、興奮して手に持っていたハンカチを引っ張っていた。後ろをぶっちぎってゴールした時は、興奮しすぎて、シルクの高級ハンカチを破っていた。

そして、頭に血が上りすぎたことで、暫く椅子の上で呆然としていたのである。

周りの馬主から、驚愕や祝福と共に心配の言葉を投げかけられていたが、そのことを彼は覚えていないようであった。

一瞬気を失っていた話を聞いた縣達は、「大丈夫か?このおっさん」と内心で思っていた。

 

ドタバタもあったが、関係者全員でウィナーズサークルへと向かい口取りが行われた。驚異的な勝ち方だったこともあり、3歳未勝利戦にしてはインタビューや写真を撮る人が多かった。大宮が最後に「ありがとう」とスペシャルラピッドの首元を撫でると、嬉しそうに彼の顔を舐めまわしていたことも、写真を撮る人が多かった原因だった。

 

 

口取り後、大宮は馬主席で、愛馬が勝ったレースの中継を何度も見返しながら、次のレースの観戦を楽しんでいた。

メインレースの日本ダービーも馬主席から観戦しており、すさまじい末脚を見せつけたドゥラメンテの勝利を祝っていた。馬券は外れていたが。

 

そして心の中で、「俺のラピッドの方が強い」と、調子に乗っていた。

 




忘れていましたが、この馬のモデルは、ツルマルツヨシ、ダイユウサク等の体質が弱いエピソード持ちの馬+慢性的な脚部不安を抱えていたマルゼンスキーです。


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初勝利を終えて

【東京1R3歳未勝利戦結果】タニノギムレット産駒スペシャルラピッド、9馬身差圧勝

 5月31日、東京競馬場1Rで行われた3歳未勝利戦(3歳、ダート1600m・16頭)は、3番人気のスペシャルラピッド(牡3、美浦・縣厩舎)が第4コーナーから先頭に立ち、直線でそのまま後続を突き放して、2着のデストリーライズ(牡3、美浦・鹿戸厩舎)に9馬身差をつけ優勝した。勝ちタイムは1分34秒9(良)。

 勝ったスペシャルラピッドは、父タニノギムレット、母ゴーストミステリアス、その父ゴーストザッパーという血統。

 

 

 

 

 

2015年5月31日、東京競馬場にて行われた日本ダービーは、圧倒的な強さを見せつけたドゥラメンテが勝利し、見事二冠を達成した。12年生まれ、15年クラシック世代の頂点に立ち、多くの賞賛を受け、最強の3歳馬として名乗りを上げていた。

そんな栄光の裏に、ひっそりと話題に話題になっていたのが同じく15年クラシック世代のスペシャルラピッドである。

12月入厩、5月未勝利戦デビューという、逆に珍しいくらいの経歴の持ち主である。所属厩舎も開業して5年の若手調教師の厩舎で、騎乗した騎手も5年目の若手騎手である。美浦の関係者はともかく、一般の競馬ファンからは、そこまで注目されている存在ではなかった。

その馬が、ダービー当日の第1レースで圧巻の走りを見せたのである。未勝利戦とはいえ、9馬身差での圧勝劇であった。

競馬新聞やネットニュースにもひっそりと掲載されるくらいには衝撃的であったようで、馬主の大宮は鼻が高かった。

そんな彼は、祝勝会と称して都内で飲み会が行われていた。彼は零細馬主なので、自分が所有する馬が勝つたびにこうやって友人や関係者を誘って祝勝会を開くのである。

本当は縣や能海といった関係者も呼びたかったようだが、時間の都合が合わず、不参加であった。その代わり、生産者代表として新井勇作が招待されていた。

 

 

「いや~私も参加しちゃってよかったんでしょうか」

 

 

「いいに決まっているじゃないですか。今度はご家族の方も呼びますよ?」

 

 

「妻や娘たちは忙しいからなあ……」

 

 

勇作は牧場の責任者であり、結構忙しい立場であるが、妻の裕子に「馬主さんとのつながりを大切にしなさい。たとえ零細の馬主さんでもね」という言葉に従い、こういう祝勝会には積極的に参加している。

 

 

「それにしても本当に強かったですね。あれで本質は芝馬なんですか。」

 

 

「ダートも得意って感じらしいです。今はやりの二刀流ってやつですね」

 

 

投手と野手で活躍する野球選手を思い出しつつ、その能力を讃える。

新井としても、芝の高速競馬に対応できるスピードを兼ね備え、マイルから12ハロン程度までなら対応可能なスタミナを兼ね備えた馬を作りたかったため、想定通りといえばそうなる。ダートも走れるのは、母方の血統のおかげかな?とも思っていた。

 

 

「まあ、それらを全部帳消しにする弱点がたくさんあるんですけどね……」

 

 

「ダービーの日にデビューになるとはさすがに想定外でしたね。遅生まれなので、2歳でデビューは無理だろうなあとは思っていましたが。あと、想像以上に大型馬になってしまったのも要因ですね。足の仕上がりが遅くなっているみたいです」

 

 

新井は当歳馬の貧相な見た目の時代を思い出していた。しかし、未勝利戦を走ったスペシャルラピッドは、501kgであり、新井の想像以上に大きくなっていた。

 

 

「大きい方がかっこいいじゃないですか~ダービーのキタサンブラックとか黒くて大きいしカッコよかったですよ」

 

 

「あの馬も大きいよなあ~。大手牧場じゃないところ出身だし、馬主があの方ですから応援したくなりますね」

 

 

キタサンブラックの馬主は大物演歌歌手である。かなり長い期間馬主を続けている人であるが、GⅠは未勝利であった。

 

 

「馬主を50年近く続けてもGⅠは取れないものなんですね……」

 

 

「その辺りは、運の要素が強いですからね。高い馬が必ずしも走るわけではないですので。大手牧場とのコネと、あとは強い馬を見つけ出す相馬眼が重要ですよ」

 

 

ディープインパクトの馬主の相馬眼の良さは有名な話である。

 

 

「相馬眼ねえ……」

 

 

「大宮さんにはあると思いますよ、相馬眼。だってラピッドを見つけたじゃないですか」

 

 

「え、そうですか?いや、そうかも」

 

 

酒に酔っ払った人間特有の大声で二人は会話をする。それを聞いていた大宮の友人は、こうやって馬で身を崩していくんだろうなあと思っていた。

祝勝会は夜通し行われ、年甲斐もなくオールをした勇作は、東京に住む息子に呆れられながら北海道に帰っていった。

 

 

浮かれていた大宮とは対照的に、縣厩舎の関係者は、スペシャルラピッドが原因で、大変な思いをしていた。

早朝は忙しい美浦トレセンも、昼以降になると比較的余裕が生まれてくる。縣厩舎も、厩舎所属の馬たちの調教等が終わり、スタッフたちも一息ついていた。

そんな中、縣と森本は、一頭の馬の様子を確認していた。

 

 

「……かなり疲れているみたいだな。予定調和というか、想定通りというか」

 

 

縣達の前には、美浦トレセンに戻ったスペシャルラピッドがいた。大好きな厩務員の伊藤に世話をしてもらってご満悦の様子である。

ただ、昨日から軽い発熱が確認されているうえ、筋肉痛に苦しんでいる様子も見られた。マッサージ装置といった最新設備をフル稼働して、疲労などを回復させているが、全快の見込みは立っていなかった。

 

 

「能海騎手が抑えていなかったら、もっとひどいことになっていましたね」

 

 

「それはそうだがなあ。見せ鞭すらなく、抑え気味なのになんであんなに走るんだろうか……」

 

 

「それは、ラピットが先頭で走るのが好きな気性だからですね」

 

 

「それは知っているわ!全く、末恐ろしい馬だよ……」

 

 

一般的に分類すれば、スペシャルラピッドは逃げが得意な馬である。しかし、縣達は、単純に馬の出力が高すぎて、スピードが乗りすぎて勝手に逃げになってしまっていると考えていた。今回も、能海騎手が抑えたおかげで、途中まで2番手で競馬を進めていた。しかし、道中で少し抑えを緩めたら、リミッターが解放されたかのように、スピードを上げてしまったのであった。

9馬身差は、能海騎手が必死になって抑えたゆえの結果であったのだ。

 

 

「ダービーに出走したら、勝てなくても、いい勝負はできたんじゃないですか」

 

 

森本がとんでもないことを口走る。

 

 

「それは……ドゥラメンテは流石に無理だろうよ」

 

 

縣は、流石に二冠馬は無理だろうと思っていたが、万全の状態でなら勝負になるかもしれないと心のどこかでは考えていた。

いつか、ラピッドが仕上がったら、どこかで倒してやる!とは意気込んでいたのだった。

 

 

「まあ、1勝はできたことだし、ゆっくりとレースを使っていけばいいか」

 

 

縣が、ラピッドに「お疲れ様、次も頑張ろうな」と言って撫でようとするが、そっけない態度で無視される。

伊藤に「先生を無視しちゃだめだよ」と優しくしかられると、渋々といった感じで、縣のなでなでを受け入れる。

 

 

「相変わらず俺にはキツイね〜」

 

 

「本当に露骨に態度を変えますね。女性騎手は……今はいませんでしたね」

 

 

「騎手学校にはいるらしいが……いや、でも全力で抑えんといけんから、力がないとダメか……」

 

 

「次の騎手はどうするかはしっかりと決めないといけませんね」

 

 

「GⅠ級のレースを使うってなったらまた別の騎手になるかもだけど。どうしようかねえ......まあ、まだ未定だな」

 

 

スペシャルラピッドの状態が全く分からないため、次のレース選択はまだ決められていない。当初は1勝クラスといった条件戦も検討していたが、未勝利戦の走りを見るに、次はオープン戦でいいのではとも考えてた。ただし、デビューした時期が時期なので、条件戦で賞金を積み上げていく必要もあった。

 

 

「8月初旬には走らせたいかな。3ヶ月開ければ大丈夫だとは思うが......正確なことは言えんな」

 

 

「3ヶ月ですか......回復してくれればいいですけど」

 

 

「その辺りは注意して管理するしかないかな。レースといえば、今年の冬辺りには芝のレースにも出してやりたいね」

 

 

「冬の芝重賞というと、金鯱賞あたりがねらい目ですね。得意な左回りコースですし。ただ、そのままダート戦線に行って武蔵野Sとか良さそうです」

 

 

「どこかで重賞に挑戦はしたい。ただ、来年の春くらいになりそうだな」

 

 

「おそらくそうなりますね」

 

 

スペシャルラピッドの出走ローテで二人の話は盛り上がる。そんな姿を見て、厩務員の伊藤は、馬房の前で話すなと思いつつ、目の前にいる懐っこい馬の世話をしていたのだった。

 

そして1週間後、その野望は見事に打ち砕かれることになる。

未勝利戦の疲労はまだ回復できておらず、発熱もあったが、馬の運動のための歩かせていたときであった。

 

 

「ソエですか……」

 

 

運動中に、歩様の乱れが確認されたスペシャルラピッドは、すぐに専門医に見られることになった。

その結果、管骨骨膜炎と診断されたのであった。

すぐに気が付いたため、軽傷であるのが幸いであったが、考えていたレースプランがすべて白紙になった瞬間であった。

 

 

「確か育成牧場でも発症していたからなあ……」

 

 

「まだ、身体が出来上がっていない状態だったのでしょう。いや、普通の競走馬はその状態でも走っていたりしますが、ラピッドの場合、発揮される出力が骨とかの成長に追いついていないのでしょうね。正直、想定ははるかに上回ってます」

 

 

「注意はしていたが、あれでも駄目だったか」

 

 

いろいろと問題発言も多い縣たちであるが、スペシャルラピッドは脚部に問題があることは知っていたため、かなり注意を払って調教などは行っていた。

そのため、これ以上に警戒が必要になるのかと頭を抱えることになった。

 

 

「とにかく、一度牧場に戻しましょう。回復のスピード次第で、次のレースは決めます」

 

 

「そうだな。大宮さんもがっくりさせてしまうなあ……」

 

 

こうして、スペシャルラピッドは一時的な休養に入ることになった。軽症だったため、休養期間はそこまで長くないのが幸いだった。

休んでばかりじゃねーかというツッコミは無粋である。

関係者は頭を抱えながら、夏以降の競馬を見据えていた。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

能海秀樹は騎手である。騎手になって5年目の若手で、現在は縣厩舎に所属している。彼の一族は競馬関係者が多数占めている。父はGⅠを勝利したこともある現役の騎手である。

父を超えようと頑張っているが、なかなか成績が向上しない、未熟な騎手であった。

 

 

「は~疲れた……」

 

 

彼は、朝から縣厩舎の調教に参加していた。そのため、くたくたな様子で昼食を食べていた。

そこに、一人の男が声をかける。

 

 

「お疲れさん。こんなことでへばってたら、これから先心配だぞ」

 

 

「うるさいなあ……息子に絡むなよ」

 

 

男の名前は能海秀明。能海秀樹の父親である。彼もまた中央競馬の騎手であった。2015年で46歳とベテラン騎手として活動している。GⅠも10勝しており、名騎手の一人である。フリーではあるが、美浦トレセンを拠点にしているため、たびたび息子の様子を見に来ているのである。

 

「秀明さ~ん。息子さんをあんまりいじめるなよ~」

 

別の騎手たちからもこんな言葉が出るあたり、日常的な光景なのだろう。

 

 

「それにしても、あのスペシャルラピッドだったか?すごい馬だな」

 

 

秀明は日本ダービーで人気薄の馬に騎乗していたこともあり、31日は東京競馬場にいた。そして、9馬身差をぶっちぎって勝利した衝撃的な強さを見ていた。

 

 

「ああ、本当にすごいよ。今は休養中だけどね」

 

 

「確かソエで休養中だったな。秋ころから復帰って感じか」

 

 

「多分そうなると思う。縣先生に聞けばいんじゃない?」

 

 

そう言って秀樹は休憩スペースから出ていく。

 

 

「振られちゃいましたね」

 

 

能海と歳が近い別のベテラン騎手が、心温まる親子の交流を茶化す。

 

 

「親子のコミュニケーションなのになあ~」

 

 

「自分はこんな父親だったら嫌ですけどね」

 

 

「おいおい、ひでえこというじゃねーの」

 

 

「二世ってのはどの界隈も大変なことで……それにしても秀明さん、まさかスペシャルラピッドを狙っているんじゃ……」

 

 

「そりゃあお前、当たり前だろ。あんな化け物級の馬、狙わんほうがおかしいだろ」

 

 

スペシャルラピッドのことは、すでに美浦中の競馬関係者に知れ渡っている。栗東の関係者からも、美浦の秘密兵器が動き出したと話題になっていた。

実際、デビュー前から、秘めた能力は化け物級であるということは噂になっていたが、未勝利戦で、その片鱗を見せつけられていた。秀明も先約がなければ騎乗してみたいと思っていたほどである。

そして、今も主戦騎手の座は狙っていた。息子だろうとその辺は容赦しない。

 

 

「あんまりいじめすぎないでやってくださいね。彼、頑張っているんですから」

 

 

「頑張っているのは認めるが、まだまだ甘い」

 

 

「厳しいねえ……」

 

 

美浦トレセンの騎手の日常的な風景である。

別の騎手もいなくなり、休憩場所に一人残された秀明は、おちゃらけた雰囲気から一変して真剣な表情で外を眺めていた。

 

 

「バカ息子、マジで奪っちまうぞ……」

 

 

秀樹は5年目になるが、物足りない成績を残している。

ちょっとしたことで乗り替わりになるのが競馬の世界である。スペシャルラピッドは間違いなく怪物級の馬になると秀明は読んでいた。そうなれば、自分よりも実績のある騎手たちが全力で奪いに来ることは容易に予想できた。

一応、彼にもいろいろと事情があることは秀明にもわかっているつもりである。騎手なら何度でも味わうことになる悲劇に、彼は2年目で見舞われていた。

それでも、一人前の騎手として、戦っていくには、それを乗り越えないといけないとも思っていた。

 

 

「あの馬が秀樹を変えてくれりゃあいいんだけどなあ……」

 

 

父は意外と子供のことを考えていたのであった。

 




騎手のモデルはじゃじゃ馬グルーミン★UP!の竹岡親子です。

ラピッド君が覚醒するのはまだ先です。


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閑話1

第6話 閑話1

 

2015年未勝利戦監視スレPart○○

 

250:名無しの競馬ファン ID:ES7NS7DuM

>>225 この時期の未勝利戦でしか味わえないものもある。

 

 

251:名無しの競馬ファン ID:xm34LOlHw

夏の未勝利戦はもっと凄い。とにかく凄みがある。まあその前に地方に行く馬もいるけど。

 

 

252:名無しの競馬ファン ID:v7zMAmaHt

あれはあれで趣がある

 

 

253:名無しの競馬ファン ID:hTK2rGmdE

趣味悪いやつしかおらん。

 

 

254:名無しの競馬ファン ID:CJZKyYVmZ

まあこの時期で未勝利戦なんか走っている馬は、勝っても大成しない

 

 

255:名無しの競馬ファン ID:gYx89trjY

それはそう。

 

 

256:名無しの競馬ファン ID:qExTzLOck

ごくまれにデビューの遅れた怪物馬がやってくるけど。

 

 

257:名無しの競馬ファン ID:bDwcBOD5a

ああ、31日の奴か

 

 

258:名無しの競馬ファン ID:gAY95GwoP

そうはいっても3月ころの未勝利戦には有力馬はいるだろうよ。

 

 

259:名無しの競馬ファン ID:uXPl3h6iZ

強い馬は未熟でも勝てるから、2歳かって休養とか多い。

 

 

260:名無しの競馬ファン ID:WQ8GIBLBl

>>257 9馬身差の奴だっけ

 

 

261:名無しの競馬ファン ID:rzMvz8l/g

ダービーの日の1レースの奴か

 

 

262:名無しの競馬ファン ID:R2SKw9a9e

ダービーと同日だから見ていた人多そう。

 

 

263:名無しの競馬ファン ID:XwrCrCkxd

凄い強かった、でもダート。

 

 

264:名無しの競馬ファン ID:BSeuQb2B2

ダートかあ。ならどうでもいいかな

 

 

265:名無しの競馬ファン ID:cT0NdLPma

詳しく知りたい奴はこの記事を

https://race...............

 

 

266:名無しの競馬ファン ID:Y1y0MClJ5

スペシャルラピッドか。特別快速?

 

 

267:名無しの競馬ファン ID:9Tc7qNCPR

新快速か?関西だとそうだが

 

 

268:名無しの競馬ファン ID:6uCQirlrL

9馬身差か~強そうだけど、所詮未勝利戦。

 

 

269:名無しの競馬ファン ID:aRF60cHhQ

タニノギムレット産駒なのか……なら本質は芝なのでは

 

 

270:名無しの競馬ファン ID:smsYpT8VK

デビュー戦がダートって割とあるしね

 

 

271:名無しの競馬ファン ID:zsZ190k1r

この時期にデビューってことは何かしら問題があるんでしょ。遅生まれみたいだし。

 

 

272:名無しの競馬ファン ID:/cQdcYrB6

うわ、ほんとだ。5月30日生まれって……

 

 

273:名無しの競馬ファン ID:J8oAc1rUe

その割に結構でかいな。

 

 

274:名無しの競馬ファン ID:syQfSMkXm

>>268 そうそう、新馬戦でこれはものが違うってなってそれいこうダメダメなんてよくある。

 

 

275:名無しの競馬ファン ID:m1qF3cmAB

新馬戦クソ強くて、そのままクソ強かった例もよくあるけどな

 

 

276:名無しの競馬ファン ID:bQ0EmI4/o

ダートじゃあなあ。盛り上がらん

 

 

277:名無しの競馬ファン ID:UG2DWgwGi

>>276 それ地方競馬の関係者に言うなよ

 

 

278:名無しの競馬ファン ID:0P4799xj4

美浦の縣厩舎か。それに能海騎手。秀明の息子か。

 

 

279:名無しの競馬ファン ID:dZg6UkZJ1

いや、さすがに9馬身差はやばいだろ。時計も出ているし。

 

 

280:名無しの競馬ファン ID:LUE82F2ER

展開がはまっただけというには強すぎる着差だものなあ……

 

 

281:名無しの競馬ファン ID:mQ+8ApnXH

>>268 勝ち方がえぐいよ。最後の直線なんて騎手が抑えまくってたし

 

 

282:名無しの競馬ファン ID:XzURulRVi

鞭一発も使ってないな。あれで馬なり。こわ

 

 

283:名無しの競馬ファン ID:k7S2Lf8wB

途中からペースが上がっているけど、原因はこいつともう一頭の逃げ馬。先行勢はスタミナ切れで壊滅したのに、こいつだけ、全く衰えていない。

 

 

284:名無しの競馬ファン ID:qp7CmQgKO

上がり時計も普通2着の馬より早いってどういうことよ。

 

 

285:名無しの競馬ファン ID:bsh5eqIiI

あ~これマジで強い馬だ。

 

 

286:名無しの競馬ファン ID:jl2XwlBvv

実況見てたけど、4角コーナーでもう勝負決まったって感じだった。

 

 

287:名無しの競馬ファン ID:nd9dEj+ff

>>267 鉄道会社によって結構英訳が変わる。まあ関東だし特別快速でいいんじゃない

 

 

288:名無しの競馬ファン ID:duE1vyjE+

この時期に初出走とかwww

 

 

289:名無しの競馬ファン ID:nphk3W6UY

なーんか怪しいなあ

 

 

290:名無しの競馬ファン ID:8fuqsp8nX

普通に成長が遅かったんだろ。そういう馬だっている。

 

 

291:名無しの競馬ファン ID:C/9uIy2gW

すげえなこの馬の血統。母はゴーストミステリアスか。しらんな。

 

 

292:名無しの競馬ファン ID:ZOCdKfw6Q

母父ゴーストザッパーで草。米国の馬を種付けした方がいいんじゃねえのか……

 

 

293:名無しの競馬ファン ID:B7YSjAFlx

母父ゴーストザッパーとかマジかよ

 

 

294:名無しの競馬ファン ID:upAKqEMju

何で日本にいるんだこの繁殖牝馬

 

 

295:名無しの競馬ファン ID:XWVcEc9KR

母母父がエーピーインディ―で母母母父がストームキャット、母母母母父がミスプロかよ。

 

 

296:名無しの競馬ファン ID:N5yNf9N7m

すげー、米国の大種牡馬の血ばっかじゃん

 

 

297:名無しの競馬ファン ID:FVjon8If5

母母に至ってはセクレタリアトの3×4が入ってて草

 

 

298:名無しの競馬ファン ID:TZYj2bJzm

何そのロマン血統。

 

 

299:名無しの競馬ファン ID:253oeaC/J

ゴーストザッパーもデピュティミニスター系の馬だし、良血統だぞ。

 

 

300:名無しの競馬ファン ID:95ggq9FR5

アメリカで走っているような馬の血統じゃん。

 

 

301:名無しの競馬ファン ID:xMt17a70u

なんでタニノギムレット?

 

 

302:名無しの競馬ファン ID:zDSKLLPlU

タニノギムレットがわからん。

 

 

303:名無しの競馬ファン ID:DkqMSfuMk

そこはキンカメとかボリクリじゃねえのかよ

 

 

304:名無しの競馬ファン ID:lf7JxumQh

なんでタニノギムレットwww

 

 

305:名無しの競馬ファン ID:wO93ftkxb

あるいはSS系でもいいと思うのだが

 

 

306:名無しの競馬ファン ID:HNN7wHtWW

一応ブライアンズタイムも米国の馬だし

 

 

307:名無しの競馬ファン ID:QAJHdGtGQ

でもタニノギムレットは欧州の血が強くねえか。シーバードとか入っているし。

 

 

308:名無しの競馬ファン ID:qnGncmTRq

よくわからん。ただ、普通に良血統だよこいつは。

 

 

309:名無しの競馬ファン ID:mphsidBzy

1頭の馬でここまで議論とか暇だな

 

 

310:名無しの競馬ファン ID:mE5eirR97

>>297 なんですか、セクレタリアトみたいになるっていうんですか

 

 

311:名無しの競馬ファン ID:FdXH03k3c

申し訳ないが、馬のような何かはNG

 

 

312:名無しの競馬ファン ID:HdufbiiF7

デビューだけ強くてもなあ。まあ、次のレースで強かったら多分本物かな

 

 

313:名無しの競馬ファン ID:UoWiXEWJD

こいつは絶対に勝ち上がってくる。ただ、ケガとかしなければ

 

 

314:名無しの競馬ファン ID:LwMy/y62S

いやいや、GⅠでかたんとあかんでしょ。チャンピオンズCに行くかな

 

 

315:名無しの競馬ファン ID:8qri8AaZT

この時期の未勝利戦の馬が3歳でGⅠとかwww

 

 

316:名無しの競馬ファン ID:2Z+aOBkdr

どこかでG1級のレースは勝つでしょ。これだけ強ければ。

 

 

317:名無しの競馬ファン ID:VuTsBU7Dm

血統のいいし、種牡馬になったら面白そう。

 

 

318:名無しの競馬ファン ID:lyK2FoOgW

>>305

こいつの半兄はフジキセキ産駒だってよ。今年の3月にオープン勝ってる。

 

 

319:名無しの競馬ファン ID:Kmqu7exBT

未勝利戦のスレで種牡馬の話題が出るとかマジか

 

 

320:名無しの競馬ファン ID:06S9g6MlE

まあ、こういう馬に限ってケガでどっかにいったりするからなあ

 

 

321:名無しの競馬ファン ID:qCFz+5GLr

>>318 マジだ。2頭とも勝ち上がっているのか。弟妹には注目やな。

 

 

322:名無しの競馬ファン ID:x06ijYYbf

次はオープンとかなあ。条件戦では相手にならんだろ。

 

 

323:名無しの競馬ファン ID:ZUDO0o5Eg

どうだろう。この時期だと賞金とかの関係でいきなりオープンは無理じゃね。

 

 

324:名無しの競馬ファン ID:erYFfNaex

未勝利戦なのに、マジで強そうで目が離せない馬が出てきたな

 

 

 

 



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少し早めの夏休み

書き溜めていた分が終わるので、以降は週一を目処に投稿します


2015年初夏、北海道の新井牧場にスペシャルラピッドはいた。

彼は、ソエを発症したため、休養とリフレッシュを兼ねて新井牧場に戻ってきていた。

幸い、軽い症状であったため、8月には復帰できるとみられていた。また、あまりに貧弱な体質を改善する必要があるため、7月中までは、牧場で体つくりを優先させたいと考えていた。

 

 

「ドゥラメンテが骨折か、これは痛いなあ……」

 

 

皐月賞と東京優駿を勝利した二冠馬が骨折で15年シーズンを全休することが決まったというニュースを見て、新井は残念そうに呟く。

ダービーのレコード勝利が頭に残っており、間違いなく世代最強の馬だと感じていた。

菊花賞か秋古馬路線か、それとも凱旋門か。どこに向かうのか注目していただけになかなか痛いニュースであった。

 

 

「……まあ、うちの馬の方が心配なんだがな」

 

 

新井牧場に戻ってきたスペシャルラピッドは、放牧地でのんびりとしていた。牧場に戻ってきたときは、相変わらず熱を出したり勇作に塩対応だったりと、以前に牧場にいたころとあまり変わっていなかったため、懐かしい気持ちにさせられていた。

 

 

「それにしても9馬身差か……これで身体と脚が強ければなあ……」

 

 

事務所の壁紙に張られた新聞記事には、スペシャルラピッドの初勝利の記事が飾られていた。生産者代表として口取りにも参加していたが、9馬身差は衝撃的だった。未勝利戦とはいえ、圧巻の内容であった。

そして、ソエを発症して戻ってくるという話を聞いて、頭を抱えたのであった。

 

 

「まあ、1勝は1勝だ。少なくとも未勝利引退がなくなっただけでも良かった。それに産駒を売るときのアピールにもなる」

 

 

ゴーストミステリアスの産駒は、2頭がデビュー済みで、2頭とも勝ち上がっている。昨年のセリで取引されたダイワメジャー産駒の牝馬も、デビューに向けてトレセンで調整中であるとのことである。

兄姉たちのおかげで、今年1歳になるキングカメハメハ産駒の牡馬も高値で取引できるだろうと考えていた。

スペシャルラピッドの欠点である体質の弱さは、「遅生まれだから仕方がない」という言い訳が利くところがあるので、意外と繁殖牝馬ゴーストミステリアスの評価は落ちていない。

勇作は、スペシャルラピッドがさらに活躍して、弟、妹たちの評価もさらに上がってほしいと考えていたのだった。

 

勇作がまだ見ぬ産駒たちにロマンを感じていたころ、長女の洋子は、馬房でスペシャルラピッドの世話をしていた。

彼は、首元を撫でると嬉しそうにするため、コミュニケーションの一環として、彼女はよく撫でてあげていた。

 

 

「やっぱり賢いよね、ぴょん吉は」

 

 

自分の名前をしっかりと理解しているように見えていた。また、洋子や母の裕子が近づくと、すぐに嘶いで反応していた。足音や歩き方で誰が誰なのかを判別しているのだろう。

その一方で初対面の男性や勇作にはかなりの塩対応で、好物の人参やリンゴを出されても、「スンッ」といった感じで食べようともしない。必ず洋子や裕子からしか貰おうとしなかった。

勇作は、可愛げがないと嘆いていたが、懐かれている女性陣からすれば、賢くて懐っこいため、最高にかわいい馬であった。

 

 

「足が痛いのすぐに治るといいね~」

 

 

「ヒヒン」と軽く嘶き、服を引っ張ってくる。かわいいなあと思いつつ、首元をかきかきしてあげる。そうすると、気持ちよさそうな顔をして嘶く。

 

 

「甘えん坊だなあ……」

 

 

人間の洋子には、馬の言っていることはわからないが、多分「気持ちええ~」みたいなことを言っているのだろう。

こんな幸せな毎日を過ごしていたこともあり、スペシャルラピッドはブクブクと太っていった。

気が付いた時には、30キロ近く太ってしまったのである。ケガもあったので、強めに運動をさせなかったことが原因であった。

群れや馬の仲間がいれば、高い闘争本能が故に、走り回っていただろうが、1人で放牧されていたため、いつものんびりとしていた。このことが、彼のデブ化に拍車をかけていた。

 

 

「……こしあんボディ」

 

 

久しぶりに見に来た縣が、黒っぽい鹿毛のむっちりした身体つきを見てつぶやく。

その言葉に従業員全員が笑いを隠せなかった。

 

 

「……幸せそうな顔しやがって。ビシバシ……は無理だからプール主体かなあ」

 

 

縣が「こんなに肥えよって」といった感じで、首元を撫でると、「気安く触るな」といった感じで、首で手を振り払われる。

可愛げがねえと思いながら、縣は今後の方針を考えるのであった。

 

そして数日後の8月初旬、すっかり肥えたスペシャルラピッドは美浦トレセンに戻った。

おデブになったスペシャルラピッドは、さっそくプールで扱かれていた。ただ、泳ぐのが上手なラピッドは、すいすいとプールで泳いでおり、楽しそうにしていた。

 

 

「相変わらず泳ぐのがうまいですね」

 

 

「馬は泳ぐのがうまいやつが多いからな。一部例外はいるが」

 

 

地方競馬で川を渡って脱走した馬もいるくらい、馬は泳ぐのが得意だったりする。ただ、何事にも例外はおり、泳ぐのが苦手、嫌いな馬もいる。例として二人の頭に思い浮かんだのはヒシミラクルだった。

 

 

「それよりもプール終わったらすぐに体をふいてやれよ。前みたいに風邪ひかれたら困るからな」

 

 

「その辺りは伊藤君にも言っていますよ」

 

 

プールが原因なのか不明だが、風邪をひきやすいもやしっ子のため、アフターケアは万全にしないといけなかった。

 

 

「ほらほら!あと少しだ!がんばれ」

 

 

縣の応援が効いているのか不明だが、馬とは思えない速さで泳ぎ切り、プールから出ていく。

「お疲れさん」と縣が近づいた瞬間、全身を振るわせて身体についた水を弾き飛ばす。

 

 

「うげ!」

 

 

弾き飛ばされた水を全身に浴びた縣は、悲鳴を上げていた。当のラピッドはご満悦な様子で、縣達を見ていた。

 

 

「……やっぱ可愛くねえ」

 

 

「それも彼の愛情表現ですよ、きっと」

 

 

相変わらず調教師たちに塩対応なスペシャルラピッドであったが、なんだかんだ暴れたりはしないため、日常の気性面で手がかかるというわけではなかった。

そんなプールトレーニングをこなしているうちに、体つきも引き締まってきたのであった。

体重計に乗ると、トレセンに帰ってきた時より減量に成功していた。

 

 

「前が501㎏で、今は518㎏か。このままなら510㎏くらいで安定しそうだな。10㎏分は成長分かな?」

 

 

「個人的にはもう少し絞れるとは思いますが、ケガや体調不良のリスクもあるので、そのくらいでいいと思います」

 

 

「まあ、それでいいか。それよりも次のレースなんだが、8月のレースを使おうと思う。オープンはちょっと無理だろうから、下級条件からレースに出していく予定だ」

 

 

縣達は、8月初旬に新潟競馬場で行われる条件戦に出走させることを予定していた。本当はオープン戦を使いたかったが、時期が3歳の夏であるため、収得賞金の関係で出走できない可能性が非常に高かった。縣たちは、未勝利戦の強さや、調教での様子から、この馬が条件戦に出していいような存在ではないと思っているが、その辺りはどうしようもなかった。

 

 

「多分賞金額で除外になると思いますし、少しずつ格上挑戦させていくしかないですね」

 

 

「これが去年の今頃ならなあ……」

 

 

「その辺はデビューが遅い馬の宿命みたいなものです。あまりたくさんレースでは使いたくはないのですけれどね」

 

 

全力で走ると疲労回復に時間がかかることや、脚部へのダメージの増加などがあるため、なるべく使うレースの数は減らしたいというのが陣営の本音であった。

 

 

「いかに余力を残して勝たせるかが重要になります。能海君の責任が重くなりますね」

 

 

「そうなるなあ。ただ、抑えて負けたりしたら油断騎乗とかで能海君に不利がいってしまうかもしれんから、そこのさじ加減が難しいな」

 

 

「心配でしたら、別の騎手に変えるのもありだと思いますが。秀明騎手を含めて、営業をかけている騎手はいますよ」

 

 

「まあ、秀明先輩が向いていそうな馬ではあるけど……」

 

 

能海秀明は、縣の1歳年上である。縣にとっては、よくしてくれた先輩であった。そして、逃げや先行が得意な騎手であり、知る人ぞ知る癖馬マスターでもあった。

 

 

「私は、秀明騎手に騎乗依頼する方がいいとは思いますが……」

 

 

「まあ、そこは大宮さんとも相談してみるよ。俺は、所属厩舎の騎手に乗ってほしいってタイプだから、引き続き能海君に乗ってもらいたいけどね」

 

 

自分の所属馬には、所属騎手に乗ってもらうという方針は、調教師縣浩平の美点でもあり、欠点でもあった。

馬主からしてみれば、より上手な騎手に騎乗してもらいたいというのが本音であるため、しばしば意見が合わなくなることがある。縣もその辺りは、柔軟に対応しているので、馬主とケンカ別れになったことはないが、あまりよくは思われていないことは事実であった。

 

 

「やけに能海君とラピッドをくっ付けたがりますね」

 

 

「うーん。まあそこは騎手出身の勘ってやつよ。名騎手に相棒ありってね。俺はそういう馬に出会えなかったけど」

 

 

「私は、その辺はわかりませんので……」

 

 

森本は騎手出身ではないため、縣のいうことはよくわからなかった。

 

 

「俺もわからないけどね~」

 

 

「……やっぱバカですよ、先生」

 

 

森本は、「え、酷くない?」という縣の言葉を聞き流して、予定するレースや騎手について考えながら、厩舎の建物に入っていった。条件戦の次はオープン戦あるいはGⅢやGⅡへ。来年はGⅠを走らせてやりたいと考えていた。

目の前の馬房には、プール運動を終え、一息ついているスペシャルラピッドがいた。

森本が近づくと、ちらりと顔を見て、すぐに目線を外すのであった。

相変わらずの塩対応であった。

 

 

「オーナーにはなんで懐くんだろうな?」

 

 

入厩したときから変わっていないため、ある意味で安心であった。

 

 

「さて、次も頑張ってくれよ」

 

 

縣厩舎で見られるよくある一日の光景であった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

2015年8月初旬。東京都内の某所の会議室に、二人の男がいた。

 

 

「8月29日の条件戦ですか」

 

 

「はい。新潟競馬場で行われる3歳上条件戦に出走させます。ダート1800mです」

 

 

「新潟か~あそこは酒もうまいからなあ」

 

 

「自分も新潟に行くときはよく買って帰りますね」

 

 

「縣さんもいける口ですか?」

 

 

「騎手や調教師なら酒が飲めんとあかんですよ」

 

 

レース予定の話をするはずが、酒や食べ物の話で盛り上がる。縣も騎手や調教師として日本全国を回っていた関係で、いい店や酒屋、銘柄をたくさん知っていたため、大宮との話は弾んでいた。

 

 

「さて、酒の話はここまでにしておいて、競馬の話です。定期的に連絡はしていますが、スペシャルラピッドは今のところは順調に調教ができています。少し休んだことが良かったのでしょう。最近は坂路なども走れるようになったので、大きく進歩しました」

 

 

「おお~それは良かった。かなり太っていたときはどうしようかと思いましたが、それならよかったです」

 

 

「むしろ太ったのが良かったのかもしれません。身体を発達させる栄養を補充できたのですから。2か月程度の休養でしたが、リフレッシュもできたようです。もしかしたら、こうやってレース毎に放牧に出してあげた方がいいかもしれないですね」

 

 

「そうなると走れるレースが限られてしまいますね……」

 

 

「それに加えて、彼は、右回りが大嫌いです。癖や身体つき的にも右回りの競馬は控えた方がいいと考えております。そうなると、出走できるレースはかなり限られます。また、輸送にも弱いです。長距離遠征はもってのほかです。関東近縁、遠くて新潟、中京が今は限界でしょう」

 

 

縣が、出走可能な競馬場をリストアップした地図を大宮に手渡す。

地図には、現時点でスペシャルラピッドが走れる競馬場である、東京、新潟、中京と地方の浦和と川崎、船橋競馬場がリストアップされていた。

 

 

「かなり少ないですね。というか、私の馬、弱点が多すぎませんか?」

 

 

芝とダートの二刀流ができる割に、弱点も多い馬である。

 

 

「素質だけなら冗談抜きで世界最強レベルなので、その辺は等価交換があったんだと思います」

 

 

競馬の神様は、しっかりとバランスを考えているようだと大宮は思ってしまった。

 

 

「とまあ、前置きが長くなりましたが、関東近縁かつ、左回りコースのレースである新潟競馬場の条件戦を選びました。9月の東京競馬場のレースにしようかとも思いましたが、プチ遠征といった感じで輸送にも慣れてもらう必要があると考えたためです」

 

 

「プチ遠征ですか……いつかは遠くに行ってみたいですねえ」

 

 

「いずれは、海外なんかに行ってみたいですね。馬の特徴的に、アメリカやドバイなんかが向いていそうです。ただ、飛行機に乗ったら、冗談抜きで衰弱してしまうと思うので、今のままでは無理です」

 

 

「ドバイか~行ってみたいなあ……でも飛行機か……」

 

 

普通の馬でも体調を崩してしまうような遠征を、スペシャルラピッドが行ったら目も当てられない結果になるだろう。

 

 

「とにかく、競馬に慣れることや、体質の改善が必要になりますね。その辺りは、焦らずに進めていこうと思います」

 

 

「わかりました。よろしくお願いします」

 

 

大宮は、プロの仕事に口をはさむもんじゃないというスタンスをとっているため、よほどのこと以外は縣たちに任せていた。

 

 

「それで、あとは騎手ですが……」

 

 

もう一つのネックであった騎乗する騎手について大宮に相談する。

 

 

「それについては、秀樹騎手が騎乗しても勝てると先生は信じているかどうかですね。自信がないのであれば、秀明騎手にお願いしますよ」

 

 

「自分は、慎重な騎乗をする秀樹君と行きたがりのスペシャルラピッドは相性がいいと思っています。それに、彼とスペシャルラピッドは、いいコンビになるとは思うのです」

 

 

彼は、デビュー戦以外にも、調教の手伝いなどで、定期的にスペシャルラピッドに騎乗しているが、今のところ問題は起きていない。また、デビュー戦も、ソエを発症させてしまっているが、騎手がしっかりと途中まで抑え切ることができたから、あれだけの軽症で済んでいたと縣たちは考えていた。

間違いなく相性は悪くないと言うのが、縣厩舎の見解である。

 

 

「ただ、彼の騎乗成績は、お世辞にもいいとはいえません。そこが心配でして……」

 

 

能海秀樹騎手は、騎手5年目の実績が皆無の若手である。騎乗成績も伸び悩んでいた。

そこが問題であった。

そんな騎手が自分の馬、しかも素質のある馬に乗ってほしいと思う馬主は少ない。出来ればリーディング上位の騎手に乗ってもらいたいと思うのが普通である。

しかし、大宮の答えは、予想外のものであった。

 

 

「そこまで相性がいいと先生が思うのであれば、秀樹騎手でいいと思いますよ。先生もプロなんですから、そんな自信なさげに言わんでくださいよ。病気の説明がしどろもどろになる医者に診療を任せたいとは思わないでしょう?」

 

 

縣は、想像以上に自分のことを信頼してくれていることに感謝しつつ、大宮の指摘はもっともだと痛感する。

 

 

「それについては申し訳ないです。ただ、スペシャルラピッドは、上手くいけば歴史に名を残す馬になると思います。だからこそ悩ましいと言いますか……」

 

 

大宮が所有している別の馬のときとは違って、妙に自信がない縣であった。

 

 

「ラピッドをそこまで評価していただけるのは嬉しい限りですね。ただ、騎手については、よほどのミスがない限り秀樹騎手で大丈夫ですよ。脚部に不安のあるラピッドには、慎重な性格の秀樹君が合っているという理屈も納得できますから」

 

「それに、私の馬は強いんでしょう?なら、秀樹君を導いてあげればいいだけの話です」

 

 

「導く、ねえ……」

 

 

彼が聞いたら落ち込みそうな発言をする大宮であった。

ただ、自分がもし現役時代にこの馬に出会えていたら、何かが変わったのかもしれない。そう思えるほどの馬であると縣は思っていた。

だからこそ、大宮の言葉を否定できなかったのであった。

 

 

「とにかく、騎手については以上です。これからもよろしくお願いしますよ」

 

 

「では、当初の予定通り、主戦は秀樹君に任せます。こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」

 

 

「あ!今日の話は、秀樹騎手には内密にお願いします……」

 

 

「そこは承知してます」

 

 

こうして、スペシャルラピッドの次走について決められていった。会議の後は、二人で飲み屋に繰り出し、浴びるほど酒を飲んだのであった。

 

 




ラピッドは、「今は」微妙な騎手が相棒です。

最強馬論争で、騎手の要素を入れるのは反則っすよね。


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2戦目

イクイノックスが強すぎて怖い。

後は、ドバイターフを見ていると、ジャスタウェイって普通に怪物級の馬だったんだと改めて認識させられますね。


2015年8月29日土曜日、新潟競馬場第7レースの3歳上500万下(ダート1800m)にスペシャルラピッドは出走することになった。

彼は、馬運車に運ばれて、美浦トレセンから新潟競馬場にやってきていた。この輸送のためか、調子を落としており、競馬場内の馬房では、目に見えて元気がなかった。

 

 

「正直、東京競馬場に行くときとそこまで変わらんような気がするがなあ」

 

 

「なんだかんだで新潟まで5時間近くかかりましたからね。それが嫌だったんでしょう……」

 

 

「そうなると毎回体調不良になるような気がするが……」

 

 

「そこは馬運車による輸送に慣れてもらうしかないですね」

 

 

競走馬にストレスは付きものであるが、ラピッドはその耐性も低かった。もやしっ子である。

相変わらず元気がなさそうなスペシャルラピッドであったが、オーナーや新井牧場の洋子がやってくると嬉しそうにしていた。ちょっとは元気になったようだと、縣達も一安心することができたのであった。

 

 

数時間後、新潟競馬場のパドックでは、次のレースを走る馬たちが厩務員に曳かれて歩いていた。

つい先ほどまであまり元気のない様子だったスペシャルラピッドであったが、パドック周回に入ると、「俺はやるぜ!やるぜ!」といった感じで首を振り回したり、立ち上がろうとしたりするなど、テンションが爆上げ状態であった。

 

 

「ラピッド~もう少し落ち着いてね~」」

 

 

パドックに入ってから、立ち上がろうとしたり、止まったりと、やりたい放題していた。伊藤が必死になって止めようとするが、「いやいや」と首を振って、いうことを聞かない。

 

 

「パドックに連れられて行くことが分かった瞬間から、こんな感じのテンションが続いているな。そんなに走りたいのか。もしかしたら、レースをするって分かれば、輸送も意外となんとかなるかもしれんな」

 

 

「彼は走るのが好きですから、「前に走ったときと同じように走れるんだ」と思っているのかもしれません。しっかりとレースのことを覚えているみたいですね」

 

 

「逆にテンションが上がり過ぎんように気を付けないとなあ」

 

 

「そうですね。今日もケガをしないように抑えていけるかどうかを心配した方がいいですね」

 

 

「確かに普段の時と人格というか性格が変わるから、暴走しないか心配だな。まあ能海君に任せよう」

 

 

調教でも、併せ馬をすると、年上の馬が怯えるほどの闘争心を見せるラピッドであった。普段は大人しいのに、走りでは獰猛という極端な二面性を知っている。この闘争心の高さがレース中の暴走につながらないか心配であった。

 

パドック周回を終えて、騎手たちの騎乗が始まる。休養明けで馬体重も514㎏と前回よりも13㎏も増加し、パドック周回で落ち着きのない様子を見せていたこともあったためか、当初1番だった人気も、3番人気にまで落ちていた。

 

係員の号令と共に、騎手が騎乗し始める。

最後の確認ということで、縣達が能海に近づく。

 

 

「能海君。前と同じように走れば勝てる。ケガがないように注意して戻ってきてください」

 

 

「わかりました」

 

 

「レース中に少しでも異常を感じたら、すぐに競争を辞めさせてください。責任は我々が取ります」

 

 

「というわけだ、今日も勝ってこい」

 

 

こうして1頭と1人は、本馬場へと入っていった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

騎乗予定の第7レースまでの間、能海秀樹は、待機室で縣達から言われたことを思い返していた。

 

「スペシャルラピッドの主戦は当分君だ。期待に応えるように」

 

チャンスであった。

3年前の事故以来、自分は馬に乗ることができていないと自覚していた。父や縣先生に言われるまでもなく、自身が一番わかっていることであった。

そんな自分が出会った馬が、スペシャルラピッドであった。ただ、この馬も、偶然自分が乗ることができただけで、そのうち父のようなベテランやリーディング上位の騎手に乗り替わりになるだろうと考えていた。

しかし、オーナーも先生も彼に乗り続けることを許したのである。

理由はわからない。ただ、ここで失敗したら、二度と浮き上がるチャンスはなくなると騎手の勘が告げていた。

 

 

「ラピッド……」

 

 

彼にとってスペシャルラピッドという馬は、「手のかかる馬」という印象である。

とんでもない強さを有した怪物級の馬であることは事実であるが、あまりに弱点が多かった。そのうえ、レースでは前に前に行こうとする気性難でもあった。

そして、その姿が、初めての相棒の姿を想起させるのである。

 

 

「……考えるな。今はラピッドを勝たせることに集中しろ」

 

 

本馬場に入り、簡単に走らせてみる。

明らかに前よりもパワーが上がっているように感じがした。正直、馬体はそこまで仕上げられた印象はない。それでもデビュー戦よりは、身体の厚みのようなものを感じた。

 

 

「……これ、やばいかも」

 

 

強化された身体能力に、本人の行きたがりの性格。能海は本気の本気で抑え込まないと、暴走する可能性があると感じていた。

ゲートを嫌がらない馬であるため、スムースにゲートに入る。

スペシャルラピッドが軽く嘶いた瞬間、ゲートが開く。その瞬間、後ろに飛ばされそうなほどの加速を見せて、一気に前に飛び出した。

抜群のスタートであった。

このまま馬の行きたいようにした場合、どんどんと前に行く予感がしていた。

そのため、能海は、全力で、抑えるように指示する。

 

 

「頼む、ここは我慢だ!」

 

 

その甲斐もあってか、先頭ではあったものの、後続に何馬身も差をつけるような大逃げにはならず、「先行集団の一番前」というポジションをとることができた。

気を抜けば勝手にギアが上がって加速していくため、能海も必死で抑える。競走中であるため、危険の伴わない範囲内であるが、それでも体力がどんどんと削られていく。

 

頼むから!頼むから我慢してくれ!

 

声を上げることができないほど集中している能海は、心の中で、同じ言葉を繰り返していた。

 

新潟競馬場の第3コーナーを回り、第4コーナーに差し掛かる。

依然として先頭をキープし続けるスペシャルラピッドは、徐々にスピードを上げていく。後続に続く馬たちも、それにつられて速度を上げていく。

前の未勝利戦と同じように、途中からペースが上がっていくという、先行馬殺しの作戦であった。

第4コーナーを入り終え、残り400メートルほどの直線に入ったころには、スペシャルラピッド以外の先行馬は、全員バテバテの状態であった。

 

能海は、少し抑えを緩めれば、どんどんと加速していく、意味不明な能力に若干の恐怖を感じていた。

後ろから聞こえていた競走馬たちの音が徐々に聞こえなくなっていく。

後ろを振り向く必要はなかった。

 

ゴール板を超えた瞬間、馬から力が徐々に抜け始める。

 

 

「……ゴールの場所を理解しているのか」

 

 

デビュー戦の時は、いつまでも走り続けていそうなほどの勢いを見せていた。しかし、今回はゴール板を通過して、すぐにクールダウンをするようにスピードを落としていったのである。

 

 

「ゴールを見間違わなきゃいいけどな」

 

 

そのときは、鞭を使って、ここはゴールじゃないと教えてあげればいいかと思っていた。

 

 

「ともかく、お疲れさん。ありがとうな」

 

 

疲れた様子のスペシャルラピッドの首元を軽くなでると、「当然よ」といった感じで、軽く嘶き返す。いつもは能海にも塩対応であったが、今日は興奮状態だったのか、しっかりと反応したのであった。

勝利の余韻を味わいつつ、縣達が待っている装鞍所に向かう。

 

 

「ラピッドとなら、俺は……。いや、変なことは考えるな……」

 

 

どこまで上り詰めることができるのか。そんな考えにされてくれる馬であった。

 

 

「それにしても、疲れた……本当に疲れた……」

 

 

勝負服は汗で濡れており、腕の感覚がマヒし始めていた。

 

 

「もっとうまく乗れるようにならないとな」

 

 

癖馬や暴れ馬に強い騎手にアドバイスをもらいに行こうと考える能海であった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

『新潟競馬場第7レース、3歳上500万下条件戦、出走各馬のパドック周回が始まっております』

 

出走馬の紹介と簡単にパドック解説が始まっていた。

 

『……続いて8番のスペシャルラピッド、514㎏。ダービー当日の未勝利戦でのデビュー。9馬身という圧巻のパフォーマンスで勝利しました。体重の増減は+13㎏』

『少し馬体が絞り切れていないように思えますが、前走も似たような感じであれだけの走りをしましたからね。ただ、今日は落ち着きがないように見えますね……』

 

スペシャルラピッドのパドック解説はやや辛口であった。

暫くすると、パドック周回が終わり、騎手が騎乗し始める。

そして、本馬場入場と返し馬が始まる。

ゲート入りも大きな問題なく進んでいき、8番のスペシャルラピッドも、嫌がることなく、自分の番号のゲートに入っていった。

 

『……最後16番エルドリッジが入りまして、態勢完了!』

 

『……スタートしました!好スタートを切ったのは8番スペシャルラピッド。ロケットスタートで先頭に立ちました。内から2番のトラキアンコードがそれを追いかける。さらに……』

 

好スタートを切ったスペシャルラピッドとそれを猛追したのが2番のトラキアンコードであった。大きく出遅れた馬がいないため先行ポジションを取ろうと、後続も2頭に続き始めていた。

 

 

『先頭はスペシャルラピッド、その後ろにトラキアンコード。3番手以降にガヤルド、ストロングトリトンが続く……』

 

直線コースを抜け、第1コーナーに入る。先頭は依然としてスペシャルラピッドで、その後ろにトラキアンコードがいた。そこから半馬身ほど後ろに7番と15番が追走、その1馬身ほど後ろに4~5頭の集団が走っていた。

 

 

『先頭スペシャルラピッド、第2コーナーを抜けて向こう正面に入りました……』

 

 

向こう正面では、先頭から5~6馬身ほどの間に10頭近い馬がひしめき合っていた。スペシャルラピッドは、能海騎手が必死になって抑えていたおかげで、2番手に1馬身ほど前で走っていた。

 

 

『各馬第3コーナーに入ります。先頭は依然としてスペシャルラピッド……』

 

 

そのまま4角コーナーを超え、残り600メートルに入る。

途中からスピードを徐々に上げたスペシャルラピッドであったが、その後ろで走っていた先行集団の馬たちもそれに追走していた。

600メートルを切ると、コーナーを曲がりながらラストスパート態勢に入る。

 

『第4コーナーで先頭スペシャルラピッド。そこに7番ガヤルド、2番トラキアンコード、さらに外から13番サンマルバロン、16番のエルドリッジが猛追する!』

 

コーナーが終わり直線に入る。内側を先頭で走るスペシャルラピッドを捉えようと、先行集団の馬たちが、鞭を入れながら加速していく。

 

『直線に入って先頭はスペシャルラピッド、トラキアンコードは厳しいか、10番メイプルレインボー、8番トラキアンコードが追い込む。しかし、スペシャルラピッドだ。そのまま後続を突き放す!』

 

直線に入ると、スペシャルラピッドはぐんぐんと加速していき、後続を突き放していく。2番手や3番手にいた馬たちが後退する中、足を貯めていた馬たちがスペシャルラピッドを猛追する。しかし予想以上のハイペースで体力を使い果たしていたようで、なかなか足が伸びてこなかった。

 

『先頭スペシャルラピッド!これは強い!スペシャルラピッドゴールイン!』

『スペシャルラピッド、これで2連勝!非常に強い勝ち方であります』

 

終始先頭でペースを握り、ラストの直線で加速し、そのまま後続を突き放してゴールするという強い競馬であった。

 

『勝ち時計は1.49.6、着差は5馬身差であります。スペシャルラピッドはこれで2連勝です』

 

 

スペシャルラピッドの2戦目も余裕の勝利であった。デビューから2連勝を飾り、ゆっくりであるが、徐々にその才能の片鱗を見せつけていったのである。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「勝ちましたね」

 

 

「勝ちましたな」

 

 

ゴールの様子を見ていた縣達は、喜んでいた。ただ、想定通りといえばその通りなので、驚いてはいなかった。むしろケガをしていないかということばかりが気になっていた。

 

 

「今日は比較的大人しい競馬をしましたし、おそらく大丈夫だと思います。能海君もしっかりとラピッドを御していましたので、よかったです」

 

 

「いい騎乗だったな。やっぱりやればできんだよ」

 

 

「それをしっかりと本人に伝えてあげてくださいね」

 

 

圧勝したスペシャルラピッドと能海秀樹騎手が縣達の元に戻る。

馬の方は、疲れた様子を見せていたが、前走よりはマシな顔つきであった。一方で馬から降りた騎手の方は、疲労困憊といった顔つきであった。

彼も騎手なので、体幹を含めて、相当に鍛え抜かれている。しかし、それでもふらふらになるくらい疲れ切っていた。特に腕が上がらない様子であった。

 

 

「お疲れ様。いいレースだったよ。よくやった!」

 

 

「あ、ありがとうございます。今日は抑えてくれました」

 

 

息も上がり、汗で勝負服はびしょびしょの状態であった。ただ、砂で汚れていないのは、常に先頭を走り続けたからであった。

 

 

「とりあえず、口取りが終わったら、次の騎乗までしっかり休みなさない」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

口取りでは、疲れたスペシャルラピッドが早く帰りたいとごねるハプニングもあったが、大きな騒ぎも起こらず終了した。

ただ、能海騎手の疲労困憊な様子を見て、大宮が、「私の馬ってそんなにやばいの?」と驚いていたのが、今日のハイライトであった。

 

こうしてスペシャルラピッドの2戦目は終わった。

 



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連勝へ

ヤマニンウルス、ジャスタウェイ産駒だし、ヤマニンの冠だし、頑張ってほしい。


8月29日の新潟競馬場で、スペシャルラピッドは躍動した。

ソエによる休養明けで、3か月ぶりのレースであったが、常に先頭でレースをし続け、ラストの直線で後続を突き放してゴールしたのであった。着差は5馬身差と、デビュー戦よりは控えめであったが、圧勝といっていい勝ち方であった。

馬主の大宮も、デビューからの2連勝に大喜びし、競馬場に同行していた友人たちと新潟で祝勝会を開いていた。馬に5000万も使うなんてという嫌味っぽいことを言ってきた人には、ラピッドの2連勝を見せつけて、ニヤニヤするくらいには大宮は俗物であった。

 

 

「いやー、強かったですね。本当にありがとうございます」

 

 

「これもラピッドが頑張ったおかげですね。秀樹君の騎乗もよかったですし、今後にも期待が持てます」

 

 

「やっぱり彼でよかったじゃないですか!これからも彼に乗ってもらいましょうよ」

 

 

「次も条件戦かオープン戦のどちらかになると思いますし、それでいいと思います」

 

 

「いえいえ!重賞の時も秀樹君に任せましょうよ!初重賞制覇は私の馬!」

 

 

2次会のバーで酒を飲みまくっているせいか、あまり呂律が回っていない大宮であった。縣は酒に滅茶苦茶強いので、大宮との飲み程度では全く酔っぱらっていない。

縣は、あくまで飲みの席での話だと思いつつも、重賞挑戦も遠くないぞと思っていた。

 

 

「お兄さん!俺の馬は強いぞ~」

 

 

酔っ払い過ぎて、変なことを口走る大宮を「面倒くさいな、この爺さん」と思いつつ、馬主の飲みに付き合っていたのであった。その後、縣は酔いつぶれた大宮をホテルに送り届けて、始発の新幹線で仕事場に戻っていった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

2015年10月末、美浦トレセン。トレセンに勤めるホースマンたちは、徐々に秋の訪れを感じていた。

そんな秋の一日、広大な敷地の中にある坂路コースを一頭の馬が走っていた。

その馬を、真剣な目で縣は見つめていた。

 

 

「……これなら、11月末頃のレースに出してやってもいいかな」

 

 

軽めで1本だけとはいえ、坂路を走り終えたスペシャルラピッドを見て、縣はつぶやく。前走の条件戦から2か月ほどが経過しており、状態がどの程度まで回復しているのか確認していた。

スペシャルラピッドは、体質があまり強くない。つい最近までは強めの調教を行うだけで体調不良を起こしてしまうほどであった。

実際、5月末のデビュー戦の後に、ソエを発症したうえ、暫く体調が安定していなかった。

 

 

「やはり成長はしている。それに前のレースで、消耗をかなり抑えることができたのが大きかったか」

 

 

前走から2か月程度経過して、ここまで走ることができる状態になっているのが、縣にとって驚きであった。

レースを終えて、美浦トレセンに戻ってきたときは、ぐったりして動けなくなっていた。ただ、今までとは異なり、3~4週間ほどで疲労による発熱や筋肉痛が収まっていたのであった。そして2ヶ月ほど経過した現在では、調教を始めることが出来るくらいには、体調が整っていた。このため、3戦目の目途が立ちそうだと考えていた。

 

 

「先生、指示されたことは終わりました」

 

 

スペシャルラピッドに騎乗して坂路を走っていた能海秀樹が戻ってくる。彼は、調教の手伝いの一環で縣厩舎の馬に騎乗することがある。

 

 

「お疲れさん。2戦乗った騎手の目から見てどうだった」

 

 

縣もまだ45歳であるため、調教の際に、自ら騎乗することもある。スペシャルラピッドには、助手の森本が調教で騎乗したこともある。ただ、レースでスペシャルラピッドに乗ったことはない。騎手の目線からの意見も欲しいため、能海に意見を求めることがあった。

 

 

「そうですね……やはり1か月間ほとんど体調不良や筋肉痛で動いていなかったため、身体のキレは落ちていますね。可能なら、もう少しだけ休ませてあげたいところです。ただ、今の状態から、仕上げていっても、十分勝てると思いますが」

 

 

「そうなると、11月末から12月中旬ころのレースがいいか。オープンは除外される可能性が高いから、もう一回条件戦かな……」

 

 

縣も能海も、スペシャルラピッドはさっさとオープン特別やGⅢやGⅡといった重賞戦線で走るべき馬だと考えている。ただ、デビューが遅れたうえ、レースもなかなか出ることができないため、下のクラスで燻らざるを得ない状況であった。

 

 

「抑え気味に走って、以前よりダメージが少なくてもこれですからね。次のレースも3か月近く開ける必要があるかもしれないです」

 

 

「根岸ステークスや東海ステークスに挑戦してみたかったが、無理っぽいなあ……」

 

 

「12月初旬に走ったとすると、2か月弱しか期間があきませんね」

 

 

「2か月か……ただ、スペシャルラピッドが成長しているのは事実なんだけどな。なんだかんだ坂路調教や併せもできるようになったしな」

 

 

デビュー当時は、まともに調教すらできない状況であったが、6月~8月の放牧で、体質はかなり改善され、負荷のある調教もこなせるようにはなっていた。ただ、依然として、体調不良の回数は多いうえ、レース後のダメージの大きさと癒えるまでの時間は、普通の馬よりも大きかった。

 

 

「次のレースも、暴走しないように、全力を出し過ぎないように走らせれば、何とかなるかもしれません」

 

 

「そうか……まあ、次のレースも能海君になると思うので頼むよ」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

歩きながら能海と会話していたこともあり、会話が終わるころには、厩舎についていたのであった。能海は別の馬の騎乗があるため、すぐに別の厩舎に向かっていった。一方の縣は、身体を洗っている最中のスペシャルラピッドのところに向かった。

レース後にぐったりとしていた姿を見ているだけに、厩務員の伊藤に身体を洗ってもらっている様子はほほえましかった。

 

 

「ラピッドだけど、異常はなさそうか?」

 

 

普段一番スペシャルラピッドを見ている伊藤に聞く。伊藤もほかの馬に比べて、脆さが目立つ馬であったため、特に注意して世話をしていた。

 

 

「今のところは、体調面に問題は出ていません。本当に体調不良を起こす回数が減りましたね。特にレース後に元気になる速度が、春頃に比べるとかなり早くなりました。間違いなく成長しています」

 

 

「成長しているか。やはり本格化は、来年以降かな」

 

 

晩成型といわれる馬でも、3歳秋くらいから強くなっていく馬もいれば、4歳以降に強くなった馬もいる。ラピッドも4歳からが本番になりそうだと、縣は予想しているが、この時点でもう、GⅠ戦線で戦わせることができるほどの馬になりつつあると感じていた。

ただ、能力があっても実際に重賞級のレースに出れるかは別問題である。また、一戦一戦の消耗が激しいGⅠレースを、未熟な状態で出すべきではないとも考えていた。

 

 

「あと、ちょっと精神面が幼いところがありますね。賢いことは間違いないのですが……」

 

 

「幼いか……確かにその傾向はあるな。調教もあまりできていなかったし、レースもあまり使えなかったからなあ。経験が足りていないのかもな」

 

 

「2歳馬かな?と思ってしまうことが良くありますね。精神面だけではなく、体質や身体の成長速度的にみても、普通の馬に比べて1年程度成長が遅くなっているのかもしれませんね」

 

 

「1年遅れか……遅生まれの馬はみんなこういう感じなのかな?」

 

 

ナリタタイシンは、スペシャルラピッドよりも遅い6月生まれであるが、皐月賞を勝利している。このため必ずしも遅生まれの馬の成長スピードが遅くなるとは限らない。

 

 

「精神面については、彼は賢いので、経験を重ねれば成長すると思います。実際、パドックやゴール板を覚えていたりするので……」

 

 

「そうなってくれるとありがたいねえ」

 

 

そう思い、身体を拭かれてご満悦の様子のスペシャルラピッドを見る。隣には、鹿毛の馬がいるが、その馬に何か話しかけて遊んでいる様子である。

 

 

「なんだ、オティオーススに気があるのか?スケベめ」

 

 

鹿毛の馬は、オティオーススという4歳牝馬であった。縣厩舎に所属しており、数少ない大宮の所有馬であった。スペシャルラピッドはこの年上の牝馬に構ってもらうのが好きなようで、よく見かける光景であった。

 

 

「馬っ気を出しているわけではないので、単純に遊んでもらいたいだけみたいですね」

 

 

事故が怖いため、あまり牡馬と牝馬を一緒にはしたくないというのが本音であるが、ラピッドの精神安定に強く貢献しているため、無理に引き離そうとはしていなかった。

ただ、ラピッドの方が一方的に絡んでいるだけで、オティオーススの方は、うっとうしそうにしていることが多かった。

それでもちょっかいを賭けようとしたスペシャルラピッドに業を煮やしたのか、厩務員の伊藤に、早く何とかしろと要求するかのように前かきを始めてしまっていた。

 

 

「あ~、もう終わったから戻ろうね~」

 

 

伊藤に連れられて、馬房に戻っていく牝馬を見ながら、いつもの穏やかな顔つきをするスペシャルラピッドであった。正直何を考えているのかわからない顔である。

 

 

「振られちまったな……って危ない!

 

 

慰めるように顔を撫でてやったら、自分をバカにしたのかと思ったらしく、縣の脚を踏みつけようとしてきたのであった。

賢いためか、人間の機微に敏感に反応できるようで、こういうことはよくあった。ちなみに女性には基本甘いのは幼駒時代から変わっていない。

 

 

「……成長してんのか?こいつは?」

 

 

徐々にふてぶてしさが増してきたスペシャルラピッドにため息をつく縣であった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

2015年11月29日、東京競馬場。

この日は、GⅠレースである、ジャパンカップの開催日であった。このため、たくさんの競馬ファンが東京競馬場にやってきていた。

メインレースのジャパンカップは15時40分発走であったため、それまでは前のレースを観戦していた人が多かった。

そんな状況の中、第8レースのシャングリラ賞にスペシャルラピッドは出走予定であった。

相も変わらずパドックでは厩務員の伊藤を困らせるようにチャカついていた。

 

 

「あのお馬さん可愛い~」

 

 

JRAが力を入れてきたかいがあってか、パドックを見学するスペースには、女性や子供連れの親子がそれなりにいた。

彼ら彼女らには、厩務員に甘えるしぐさを見せて、元気いっぱいに跳ね回るスペシャルラピッドは可愛く見えていたのであろう。「可愛い」という声が聞こえていた。

ただ、馬券を賭けようとしている人たちには、あまり好印象には思えていなかったのであった。

 

 

「8番はなしだな。仕上がりもそんなに良くない。2連勝でも信用できんな」

 

 

「あれぐらいなら許容範囲かな。2戦とも圧勝だったし、こいつは本物だ」

 

 

前走のパドックでも、このようなチャカつき具合であったため、そのレースを知っている人からすれば、特にマイナスポイントにはならなかった。しかし、知らない人からすれば、入れ込んでいて集中できていないと判断されても仕方がなかった。

しかし、2戦の勝ち方が圧倒的であったため、1番人気は揺るがなかった。

 

パドック周回が終わると、すぐに騎手が騎乗の準備を始める。

緑を基調とした勝負服を着用した能海秀樹騎手が、スペシャルラピッドに騎乗する。まだ5年目の若い騎手である。競馬ファンからは、伸び悩んでいる若手という評価を受けていた。少なくとも、騎手で馬券を買うような騎手ではない。

 

スペシャルラピッドに賭けたファンたちは、「頼むぞ能海」や「下手こいたらぶっ飛ばす」などと好き勝手に考えながら、馬が地下馬道に消えていくのを見ていた。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

レースの開始を知らせるファンファーレが鳴り響き、東京競馬場の第8レースが始まろうとしていた。

ダート1600メートルのスタート地点では、16頭の馬がゲート入りを始めていた。

 

『東京競馬場第8競走、シャングリラ賞3歳以上1000万以下条件戦、ゲート入りが進んでおります』

 

『……1番人気8番のスペシャルラピッドが入ります……』

 

最終的に、スペシャルラピッドは1番人気でレースを迎えることになった。

次々と競走馬たちがゲートに入っていき、最後の一頭がゲートに入る。

 

『全頭ゲートに入りまして……態勢完了しました』

 

係員がゲートから離れると同時に、ゲートが解放される。

 

『スタートしました!ポンと飛び出したのはスペシャルラピッド。好スタートです。3番マハロマナも鼻を取ろうと先頭に向かいます。これは先行争いになりそうだ』

『芝コースに入って先頭に立ちましたのは内から3番マハロマナ、外から4番サンタクローチェ、6番マドリードカフェ、4番手にスペシャルラピッド……』

 

スペシャルラピッドは好スタートを切り、先頭の馬から2馬身ほど後方で競馬を進めていた。場内実況が、後方の馬の状況を伝えるなか、先行策の6頭が、向こう正面を走っていた。その4番手にスペシャルラピッドはいた。

ターフビジョンでもわかるほど、能海騎手が馬を抑えようとしているのが見えていた。

 

『第三コーナーを通過して、残り1000メートル。先頭は依然としてマハロマナ、その後ろに……』

 

第3コーナーに入り、少しずつペースが上がり始める。5番手ポジションで控えていたスペシャルラピッドが外からペースを上げ始めていたからである。

それにつられて、その近くにいた馬たちもペースを上げ始めていた。

 

『第4コーナーに入って、外からスペシャルラピッドが並びかける。11番イダクァイマ、マドリードカフェもそれに続く。内からマハロマナが粘っている』

 

第4コーナー中間から一気にスピードを上げて、先頭に立ったのが1番人気のスペシャルラピッドであった。それにつられて、外から別の馬が並びかける。

 

『残り600メートルを通過して先頭スペシャルラピッド!第4コーナーをカーブして直線に入りました。先頭は、スペシャルラピッドです!』

 

スペシャルラピッドは、第4コーナーで外側を通って先頭に立ち、直線に入るころには、2番手に2馬身ほど差をつけていた。

 

『残り400を通過、先頭は依然スペシャルラピッド、2番手にイダクァイマ、内側マハロマナ、外から追い込んでくるのは12番アナザーバージョン、大外ニットウビクトリー!しかしスペシャルラピッド、これは余裕のリードだ』

 

先行勢が後退していく中、スペシャルラピッドはぐんぐんと加速していき、後続を突き放していった。後方から控えていた馬たちが一気に追い込んでくるが、間に合わなかった。9番の馬が大外から追い込むも、先行策をとっているのに、上がり最速クラスの足を使うスペシャルラピッドには届かなかった。

 

『先頭スペシャルラピッド!余裕のゴールイン!2着はニットウビクトリー。3着に……』

 

2着馬はスペシャルラピッドよりも上がり時計が良かったものの、直線から一気に突き放したスペシャルラピッドをとらえきることはできなかった。

 

『勝ち時計は1.34.5。非常に強い競馬でした。これでスペシャルラピッドは3連勝。今後が楽しみな馬です!』

 

残り600メートル付近で先頭に立ち、そのまま後続を突き放していった。6馬身の着差を付けて、余裕の勝利であった。

 

『いやー本当に強いですね。よく見ると鞭も使っていませんし、余裕が感じられます。このクラスにいていい馬ではないですね。来年が楽しみな馬の一頭です』

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

スペシャルラピッドが先頭でゴールする瞬間を、競馬ファンは間近で見ていた。

 

 

「6馬身差、つっよ……」

 

 

「やっぱり強いね。確かここのコースレコードが1:34.1だったから、結構なハイペースだね。先行策の馬たちはみんな後退したけど、この馬だけは全くそれを感じなかったね。出力が違うよ。多分上がり時計も最後に追い込んできた馬と大して変わらないんじゃないかな」

 

 

聞いてもいないうんちくを語り始めるおじさんもいれば、圧勝ともいえる勝ち方にあっけにとられる人もいた。

 

 

「当たった!めっちゃっ強い!」

 

 

「クソ、外れだ。なんだあのバケモンは」

 

 

「2着があかんかったな。それにしても6馬身か。さっさと重賞に行けよ。G Iでも普通に通用するよ、あれは」

 

 

第8レースの馬券を当てた人もいれば、外した人もいる。下品にも馬券を投げ捨てていた人もいた。

ただ、スペシャルラピッドという謎に強い馬が、ジャパンカップ当日の条件戦で圧勝したという記憶が、少なくない人に刻まれたのであった。

 

 

 

 







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次のレースは?

ジャパンカップを見に来た競馬ファンの前で、スペシャルラピッドは躍動した。2着に6馬身差をつける圧勝であった。

ただし、条件戦かつダート戦ということもあり、そこまで騒がれることもなかったのであった。「これは将来が楽しみだ」や「まあ所詮は条件戦」と様々な反応であったが、少なくない人にスペシャルラピッドという名前を覚えてもらうことができたようだった。

 

条件戦ではあったが、スペシャルラピッド陣営にとっては、うれしい勝利であることに間違いはなかった。大宮と勇作と縣は、恒例行事となっている祝勝会で飲みまくり、縣以外はダウンしていた。森本は縣達のバカ騒ぎには参加せず、さっさと美浦トレセンに戻っていたのであった。

騎手の能海も、今日はうまく乗れたと手ごたえを感じていた。次の騎手も能海であると、大宮から言われており、少しだけだがモチベーションが上がっていた。

 

そんな勝利から2週間後、縣達は驚愕していた。

スペシャルラピッドがレース後3週間ほどで、騎乗して運動ができるくらいに回復していたのである。

 

 

「スペシャルラピッドが、元気だと!?」

 

 

「あ、ありえない。レースが終わったら1か月以上はまともに動けなくなるのに……」

 

 

「ちょっと酷いですよ!ラピッドも成長しているんです!」

 

 

縣と森本のあんまりな言い様に、伊藤が抗議する。自分が管理している馬に対して言っていい言葉ではない。

ただ、スペシャルラピッドの管理に苦労してきた二人にとっては、信じられない状況であった。レースが終わればすぐに体調を崩して、熱を出す。コズミが酷いうえに、治りも遅いため、調教の再開がいつも遅くなる。最新の治療器具を使っても回復が遅い馬であった。

そんな問題児が、レースの3週間後に人が騎乗できるくらいには元気になっているというのである。

縣達にとってはうれしい誤算であった。

 

 

「これなら、2月くらいのレースは使えるかもしれん」

 

 

「もしかしたら当初の目標だった根岸ステークスに行けるかもしれませんね。彼の強さなら間違いなく通用しますよ」

 

 

森本の口から重賞の名前が出たことで、「お~」と感心する縣であった。スペシャルラピッドが少しずつ成長していることに驚きつつ、初重賞のチャンスが訪れたことに喜びを感じていた。その一方で、それは難しいのではないかとも思っていた。

 

 

「どうだろうな。三歳限定戦ならともかく、古馬混合戦ではちょっときついかもしれんな。根岸ステークスに出走するなら、年内にオープンクラスには昇格しておきたかった」

 

 

「ダートの中央重賞は数が少ないですし、重賞はさすがに難しいですか……」

 

 

来年1月末の根岸ステークスに出走するためには、除外されずに出走枠に滑り込む必要もある。実績が少ないスペシャルラピッドが希望通りに出走できる可能性は低かった。

 

 

「一応、次走については、大宮さんにも聞いてみる予定だ。ただ、今は調子がいいみたいだし、2月くらいには一回レースで使いたい」

 

 

「わかりました。重賞は無理でも、とりあえず2月初旬に走れるように調整していきます」

 

 

今回のスペシャルラピッドは、これまでとは違い、レースの疲労を引きずっていないため、このままの調子であれば、2か月程度の間隔でも問題はないと縣達は考えていた。

 

 

「このまま調子が保ってくれるといいのですけどね」

 

 

「そうだぞ~このまま元気でいてくれよ~」

 

 

縣がスペシャルラピッドの顔を撫でる。レース前では、絶対に触らせてもらえないはずであるが、この日は、撫でることができたのであった。

 

 

「……やっぱりちょっと元気がないのかな?」

 

 

「その判断基準はどうかと思いますよ……」

 

 

結構気まぐれなスペシャルラピッドであった。

この後、特に体調不良を起こすこともなく、スペシャルラピッドは年越しを迎えることができたのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

大宮は隠居して、人生の余生を楽しんでいる人間である。顧問として、自分が取締役を務めていた会社に席があったりするが、名ばかりの役職であるため、ほぼ引退したといっていい人間であった。

馬主として活動する大宮であったが、釣りやゴルフ、車と行った男の嗜みも彼の趣味の範疇であった。

 

 

「そういえば馬主になったんだよな。ちょっとは勝っているのか?」

 

 

久しぶりに会った旧友との釣りの途中、どこから聞きつけたのか、大宮の馬主活動のことを聞かれる。

 

 

「おう、勝っているぞ~ついこの間もな」

 

 

「へ~そりゃあ景気がいい。なかなか勝てないと聞くがそうでもないのか」

 

 

「うーん、その辺は運が良かったと思っているよ。勝てない馬の方が多いし、儲かるようなものではないな。馬の値段も高いし、調教師への委託料もかなり高い。それこそこの間レースで勝った馬は、5000万以上したしな。儲けるのは無理だな」

 

 

「やっぱりそう甘くはないんだな。それにしても5000万か。家が買えるぞ」

 

 

「安い馬って言われるような馬でも、新車が余裕で買えるぐらいの値段だからな。それに俺の5000万の馬も、そこまで高額な馬ではないそうだ。俺レベルじゃ億単位の馬はバンバン買えんよ」

 

 

「まさに金持ちの道楽ってやつか」

 

 

「うーん、そうでもないかな。みんな本気でやっているから、道楽ってわけではないな。競馬を生業にしている人は別として、超本気の『遊び』って感じで楽しんでいる人が多いね」

 

 

大宮が所有する馬は、一頭だけ重賞のレースに出走したことがあった。人気も低く、着外に終わったが、貴重な経験ができたと思っている。

権力も財力もある大人たちが、全力で自分の愛馬を応援しており、彼ら彼女らの姿を見ている大宮としては、馬主を道楽という一言で片付けることはできなかった。

 

 

「本気の遊びねえ……」

 

 

「お前もどうだ?一口馬主や地方競馬ならいけると思うぞ」

 

 

「俺は釣りとゴルフでいいや。それに馬に手を出したら母さんに殺されちまう」

 

 

「ははは、独身はいいぞ~」

 

 

気楽な男二人組である。

そんな会話を楽しんでいる最中、大宮の携帯に連絡が入る。

 

 

「メールか……ちょいと失礼」

 

 

メールの送り主は、縣であった。

そして内容は、次のレースについて相談したいという内容であった。

 

 

「噂をすればなんとやらだ」

 

 

「ん?どうした?」

 

 

「次のレースについてだよ」

 

 

「……?」

 

 

「だから、俺の馬の次のレースについて連絡が来たってことだよ。5000万以上した馬のこと」

 

 

「ああ、そういうことか。次はどんなレースだ?天皇賞とかか?」

 

 

「さすがにそんな格のあるレースには出れんよ……」

 

 

「冗談だよ。ただ、お前がそこまで入れ込む馬だ。今度見に行こうかな?」

 

 

「そうだな、今度招待するよ」

 

 

こうして大宮は競馬の話をしつつ、釣りを楽しんだ。友人には、いつかGⅠに出るときは、競馬場に呼んでやるという約束をしていた。

暫くして、大宮と縣は、スペシャルラピッドの次のレースプランについて話し合うのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

 

 

年が明けて2016年1月。

4歳になったスペシャルラピッドは、充実した日々を送っていた。

11月末の条件戦を勝利し、3連勝で3歳シーズンを終えていた。これまでの2戦では、レース後の回復に時間がかかるスペシャルラピッドであった。しかし、3戦目の後の回復は比較的早かったこともあり、1月には調教が再開できるくらいには回復していた。

スペシャルラピッドは確実に成長している。

陣営がそう思うのも無理はなかった。

 

 

「やはり、根岸ステークスは難しいかな……」

 

 

「賞金が足りないですね」

 

 

スペシャルラピッドは強い馬であることに間違いないのだが、実績がどうしても欠けていた。5月末に未勝利戦デビューと遅いうえに出走感覚を3か月程度は明ける必要があったため、レース数が限られてしまっていた。このため、他の馬たちに比べて収得賞金を積むことができていなかった。

 

 

「これなら、秋のレースは格上挑戦させておけばよかったか。いや、そこも弾かれていたかもしれん」

 

 

スペシャルラピッドの体質の弱さの弊害はレース選択にも及んでいた。体調が不安定であるため、出走除外になりうるレースを選択しにくい状況だった。確実に出走できるレースを選ぶ必要があったため、結果的に堅実にクラスアップをしていくような出走歴となったのであった。

 

 

「まあ、焦ってレース数を増やす必要はないかな。4歳や5歳で重賞やGⅠを勝っていけばいいか」

 

 

「確かに、この時期に重賞レースに出す必要はないですね。ラピッドがGⅢレベルでどこまで通用するのかは見たかったところですが」

 

 

「それは……確かに見たい気持ちはある。あとさっさと条件クラスから出ていけって言われるくらいだしなあ」

 

 

一部の関係者からは、条件戦には来ないでくれと言われていたりする。

 

 

「ただ、この時期はダートのオープン戦が全くないんだよ……」

 

 

1月下旬から2月にかけて、スペシャルラピッドが走れる競馬場でダートのオープン競走が全くなかったのである。地方交流重賞も同様である。

 

 

「根岸ステークスがダメなら、3月くらいまで休ませて、夢見月Sとかに挑戦してみるのもいいかもしれないです」

 

 

「それもそうなんだけど、せっかくラピッドの調子が上向きになっているのに、レースを使わないのはちょっともったいないと思う。それに、今年の夏以降に重賞レースを走らせたいなら、今のうちに賞金は加算しておきたい」

 

 

中央競馬は、4歳の夏季レースから、賞金額が半減されるシステムになっている。俗にいう「降級制度」である。

スペシャルラピットは未勝利戦で400万、500万以下条件戦で500万、1000万以下条件戦で600万円の収得賞金を得ている。レース数を制限する必要があるスペシャルラピットにとっては、賞金額を半減されるのはあまりうれしくない制度であった。

 

 

「2月中に走らせるとなると、左回りのダートのオープンはないから、1600万以下の条件戦を使うことになりますね。2月の東京競馬場開催となると、数は絞れますね」

 

 

「そうだな。そこから5月くらいにオープンを使えば、賞金が半減されてもオープンクラスのまま夏競馬を迎えることができるだろう」

 

 

「5月あたりは、ダート重賞がないですからね。交流重賞もかきつばた記念やかしわ記念も出走は難しそうです……」

 

 

「その5月の出走計画も、ラピッドに何かあればおじゃんですからね」

 

 

「そこなんだよね。今調子がいい時に走っておかないと、次走れるのがいつになるかわからないのがこの馬の弱点だからな。また体調不良や脚部不安で長期休養ってことになったら、どんどん重賞挑戦が遅れてしまう」

 

 

「ソエが回復してからは、レース後の疲労以外で問題は見つかっていませんが、脚に爆弾を抱えていて、体質の弱い馬ってことを忘れてはいけませんよね」

 

 

「そうなんだよなあ。ただ、この調子を維持できるなら、芝を走らせてみたい」

 

 

スペシャルラピッドは芝のスピード競馬でも勝負できる馬である。今は負担軽減のためにダートを走らせている状態であるが、身体が完成し始めたら、芝のレースも走らせてみたいというのが縣たちの考えであった。

 

 

「芝については、馬の成長具合で判断していくしかないですね。春競馬の結果次第で決めるのがいいのではないかと思います」

 

 

「やはりそうなるよな。まあ、もう少し詰めてみるしかないかな」

 

 

こうして、縣達によって、スペシャルラピッドの次のレースプランが考えられていった。

 

そして、数日後。

縣は大宮と会っていた。いつもの作戦会議である。

内容としては、スペシャルラピッドの次走が主であった。大宮はスペシャルラピッドのほかに2頭の馬を縣に預けているため、その馬たちの話もしていた。

 

 

「オティオーススについては以上ですね。さて、次は問題のスペシャルラピッドです」

 

 

「調子がいいと聞いていますが、次のレースはどうしますか?春シーズンまで休みですか?」

 

 

「それも考えましたが、スペシャルラピッドの調子が最近は非常にいいので、2月に1戦使いたいと考えております」

 

 

「2月中か……」

 

 

「はい。おそらく1600万以下条件戦になると思います。一応候補のレースはいくつかありますが、2月6日の東京競馬場開催の白嶺ステークスを第一候補にしています」

 

 

「ダート1600メートルですか。経験した距離ですし、いいと思いますよ」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

「それにしても2か月ほどでレースに出れるとは。しかもかなり調子が良いと聞きますし、どうしたんでしょうね」

 

 

今までは3か月近く開けないと、レースに出すことができなかったほどである。それも、あまり調教を施すことができていない状態で出走することがほとんどであった。

それが今回は、坂路調教も含めて、強めの調教ができるようになっていた。

 

 

「やはり身体が成長しているのだと思います。ラピッドは他の馬よりも成長が1年近く遅れているのかもしれませんね」

 

 

「成長しているのか……今までも十分強いと思うけど、もっと強くなるのか」

 

 

「その答えは、今年の秋くらいに見せることができると思います。ただ、まずは目の前のレースを勝っていくことが重要になります」

 

 

「そうですよね。しっかり勝たせてあげてください」

 

 

「わかりました。楽しみにしていてください」

 

 

こうして、スペシャルラピッドの次走が決まった。

珍しく、というより初めて調子がいい状態でレースを迎える彼はどのようなパフォーマンスを見せるのか、縣も大宮も楽しみで仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




スペラピ君、まさかの3週間で回復(なお調教はできません)。
根岸Sの出走馬決定順とかの話は、現実に即していない可能性が高い(複雑すぎてわからん)ので、ご容赦ください……スペシャルラピッド君は、下積み中です。

ちなみに縣調教師と馬主大宮のノリは、ジャスタウェイの馬主を参考にしています。割とあの人も脚部不安があるジャスタウェイに結構キツイことやっていたり……


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ターニングポイント(前編)

1月末の美浦トレセンは、例年通りの冬の寒さに襲われていた。しかし、トレセン関係者たちは、寒さをこらえながら、競走馬たちの世話や調教を行っていた。

その中で、1頭の馬がトレセンのコースを走っていた。

森本が騎乗したスペシャルラピッドが坂路コースを走っており、その様子を関係者が見ていた。

 

 

「ラップもかなりいいな。ベストを更新する必要はないが、馬なりでここまでいいのは調子が上がってきている証拠だろう」

 

 

スペシャルラピッドは、2月6日(土)東京競馬場開催の白嶺Sに出走予定であった。当初の予定通り、1600万以下の条件戦への出走であった。

スペシャルラピッドの調子が1月以降上向きの状態が続いており、いつも何かしらのアクシデントが付きまとう調教もスムーズに進んでいた。調子のいい状態の時にレースを使いたいということもあり、2月初旬のこの時期のレースが選ばれたのであった。

 

 

「今日もしっかりと走ることができました。今までにないくらいに身体の状態が上向きです」

 

 

「やはりそうか。6日のレースが楽しみだな」

 

 

「ええ。ただ、いきなり体調不良になったりすることもあるので、油断はしないようにしましょう。最近は落ち着いていますが……」

 

 

二人は、入厩して、体調を崩したり、足を痛めたりしていたころのスペシャルラピッドを懐かしむ。ちょうど昨年の真冬の時期であった。そのころに比べると、随分と立派な馬体に成長していた。

 

 

「ただ、最近ちょっと気性が悪くなりつつありますね。油断すると乗り手を振り落とそうとしたりしてきますよ。おそらく元気が有り余っているみたいです。『前に行かせろ、全力で走らせろ!』といった感じでかなりうるさいです」

 

 

もともと、レースでは気性難といわれていたスペシャルラピッドであったが、調子が良くなるのと同時に、性格もアゲアゲな方向に変化していた。元気いっぱいなのはいいが、人の指示に従おうとしない点はマイナスであった。

 

 

「可愛くて大人しかったラピッド君はいずこへ……」

 

 

「私たちには最初から塩対応だったので、可愛げはなかったですね。まあ、日常生活では相変わらず大人しいので、想定の範疇ですけど」

 

 

「そういえばそうだったな……」

 

 

「縣先生は、特にぞんざいに扱われていますからね。我々調教側の人間を好きになる馬の方が珍しいくらいですが」

 

 

馬に命令する調教師たち、騎手は、馬から嫌われることが多い。しかし、スペシャルラピッドの場合は、最初から縣達に冷たかった。男性で懐かれているのは、オーナーの大宮だけであった。

 

 

「とにかく、次のレースに勝てば、オープンクラスに入れる。そうなれば、レース選択の幅も広まる。それに、調教をしっかり施せたときのラピッドがどのくらいの走りができるのかを確認しておきたい」

 

 

「調子が良すぎて、暴走しなければいいのですけど……」

 

 

「そこは能海君の剛腕に任せるしかないかな。一応調教でも抑えることは教えているので、そこを本番で思い出してくれれば……」

 

 

「また、能海騎手の役割が大きそうですね……」

 

 

「能海君も最近は騎乗成績も上がってきているし、心配はいらないでしょう」

 

 

「そうだといいのですが」

 

 

次のレースも能海秀樹騎手が騎乗することが決まっていた。大きな騎乗ミスはしていないうえ、昨年の秋競馬から、成績が向上していたため、乗り替わりの必要はないと縣と大宮は判断していた。

 

その後、スペシャルラピッドの調教は順調に進んでいき、最終追切でも自己ベストを更新する走りを見せていた。強めの調教であったが、今までのように体調を崩すといったこともなかったため、ついに覚醒し始めたのかと、思われていたのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

2016年2月6日、東京競馬場。この日は、東京競馬場のレースが新馬戦か未勝利戦、条件戦であったこともあり、そこまで多くの観客は来ていなかった。

スペシャルラピッドは第11レースの白嶺Sに出走予定であった。パドック周回前の人気は圧倒的な1番人気であった。さすがに4戦目となると、前3戦の圧勝劇を知っている人も多く、その走りを見せてほしいと願う競馬ファンたちからの支持を受けていた。

大宮は、馬主席から愛馬の出走するレースを待ちわびていた。

前日の飲みの席で、縣から「スペシャルラピッドの調子がいい。期待してほしい」という話を聞いていたこともあり、大宮も調子に乗っていた。

馬主席に行けば、「ああ、あのスペシャルラピッドの……」といった視線を受け、馬主会で知り合った友人からは、「今日も期待ですね」といわれていた。また、競馬予想でも、多数の本命の印を付けられていた。これで気分が良くならないわけがなかった。

 

大宮は、メインレースまでは普通に競馬を楽しんでいた。珍しく馬券も当たり、今日は運が来ていると感じていた。

そして、スペシャルラピッドが出走する第11レースのパドック周回が始まる。当然のように、酒を入れていた大宮は、自分の愛馬を見に、パドックに向かった。

 

ルンルン気分の彼の目に映ったのは、パドックで好き放題にしているスペシャルラピッドであった。

あまりにもうるさいため、伊藤厩務員と森本調教助手の二人で曳かれていた。前走もパドックではうるさい馬であったが、今日はさらに酷くなっていた。

 

 

「縣先生、あれ大丈夫なんですか?」

 

 

「ちょっと調子が良すぎるみたいです。パドックに向かう途中から、テンションが上がり切ってしまっているようで」

 

 

「本番で疲れ切っていたり、燃え尽きたりしませんよね」

 

 

「それについては、大丈夫だと思います。発汗は見られますけど、許容範囲内です。ただ、返し馬で暴走しないか心配ですね」

 

 

「それがあるのか……」

 

 

「そこは能海君を信じるしかないですね」

 

 

「不安だなあ……」

 

 

パドック周回を終え、騎手が乗り込み始める。大宮も能海に会釈をして、彼の姿を見送っていた。そして、縣達と別れて、馬主席に向かう。

 

 

「まだ1番人気だな。他の馬の集中を乱していそうで、申し訳なく感じるなあ」

 

 

謝った方がいいかなと思っていると、返し馬が始まり、ゲート入りが始まる。ゲート前でチャカついているのがはっきりとわかるほどであった。

ただ、ゲート入りはすんなりと進んだため、少し安心していた。

 

 

「ラピッド!がんばってくれ!」

 

 

大宮の祈りと共にゲートが開き、レースが始まった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

東京競馬場のダート1600メートルのスタート地点では、ゲート入りが行われていた。パドックや返し馬でチャカついていたスペシャルラピッドもゲート入りはスムーズに進んだため、関係者は一安心していた。

15頭全頭がゲートインしてスタートを待っていた。

 

 

『……スタートしました。好スタートを切ったのは、10番スペシャルラピッド。好ダッシュで先頭に立つのは11番ノボバカラ、主導権を握ります』

 

『内から2番のクライスマイル、間から1番人気のスペシャルラピッド、4番クラシックメタルも出てくる』

 

芝コースからダートコースに入り、内側2番と11番の馬が先頭争いをしていた。そのすぐ後ろにスペシャルラピッドは控えていた。

その後、向こう正面では、先手を取った2番、11番、4番の馬がおり、そこから1馬身後方にスペシャルラピッドがいた。

 

『……第3コーナーに入ります。先頭は依然として2番クライスマイル、そこと11番ノボバカラ、そして外から10番スペシャルラピッドが上がっている!』

 

第3コーナーを回る途中、スペシャルラピッドが、先頭を走る2番と11番の馬を外から抜かしていった。そしてそのまま先頭立つと、後続をぐんぐんと引き離していく。

 

『第4コーナーに入って先頭はスペシャルラピッド!後続が離れていく。2番手は2番のクライスマイルと11番のノボバカラが走る』

 

 

第3コーナーを抜けて、第4コーナーを走るスペシャルラピッド。すでに2番手に5馬身近く差をつけていたが、その加速は止まる気配がなかった。

 

 

『10番スペシャルラピッドが先頭で直線に入る、すでに10馬身近くの差がついている。独走だ!ぐんぐんと差を広げる。残り400メートルでも全く脚色が衰えない!むしろ加速している!これは強い!』

 

 

スペシャルラピッドが残り400を切って、単独で先頭を走っていた。後続が直線に入り、猛追するものの、さらに加速するスペシャルラピッドに追いつけそうな気配もなかった。

 

 

『残り200を切った!これは決まったか!いや、これは!』

 

『スペシャルラピッドが外によれる。これは故障か!後続が突っ込んでくる。11番ノボバカラが粘る、そこに6番サノイチが来る。これは決まったか!』

 

 

残り200メートルを切った瞬間、スペシャルラピッドの加速が止まった。それと同時に、減速しながら外によれていった。双眼鏡で先頭を見ていた観客は、能海騎手が顔をこわばらせて、全力で馬を止めようとしている姿を見た。

大きく差を付けられていた2番手以降の馬や騎手たちは、外ラチに減速しながらよれていくスペシャルラピッドの姿を見ながら、ゴール板を通過していった。

 

『1着サノイチ、2着はイントロダクション、3着に……』

 

そしてゴールまでのこり50メートルを切ったあたりで、停止していた。しかし、停止する寸前に能海騎手を外ラチにぶつけて落馬させていた。

 

『10番スペシャルラピッドが競走中止、能海騎手も落馬しております。これは大丈夫でしょうか。救急車と馬運車が向かっておりますが……』

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

一番見たくない瞬間であった。

後続に大差をつけて先頭で走ってきたスペシャルラピッドは、残り200メートル地点で外によれ、そのまま競走中止となった。

その瞬間、縣たちは、全速力で現場に向かった。ゴール前50メートルほどでスペシャルラピッドは止まっていたが、明らかに動揺している様子であった。

近くでは、外ラチに叩きつけられた能海騎手が倒れている。

 

 

「ケガか!どこだ!」

 

 

「ラピッド!大丈夫だよ!」

 

 

縣達が身体をチェックし、伊藤が、馬を落ち着かせる。

縣がパッと見ただけでは、ケガの箇所はわからなかった。少なくとも解放骨折などの、この場で予後不良にしなければならないレベルのケガではなかった。

縣が、直感的にまずいと感じたのは、能海騎手の方であった

 

 

「すいません……俺は、俺は何もできなかった」

 

 

意識がもうろうとしているのか、譫言のような言葉を発しながら、能海騎手は担架で救急車に運ばれていった。

 

 

「ラピッド。大丈夫だよ。もうすこし頑張ろうね」

 

 

厩務員の伊藤が、ラピッドを落ち着かせるため、声を賭けながら、首や顔をゆっくりと撫でる。

 

 

「ラピッドも少し落ち着いてきました。伊藤くんのおかげです」

 

 

能海騎手の近くで、止まっていたスペシャルラピッドであったが、ちょっとした刺激で暴れまわりそうなほど動揺していた。

ただ、伊藤や縣達といった見知った顔が来たおかげもあり、少しずつ落ち着いてきているようだった。

 

暫くして、歩かせてみたところ、右後ろ脚をかばうような歩き方をしていた。

 

 

「右後ろ脚か……」

 

 

森本が唸るように該当場所を見つめる。彼のウィークポイントといえる場所であった。

 

 

「調子は良かった。それに身体も成長していた。能海君だって抑えていた。なぜだ?なぜだ?」

 

 

縣も譫言のように、レースの内容やケガの原因を推察していた。その顔は真っ青になっており、明らかに動揺していた。

 

 

「縣先生!今はラピッドが大きなケガでないことも祈りましょう。幸い歩けています。馬運車に乗れています。原因究明は後にしましょう!」

 

 

「あ、ああ。そうだな。そうだ、すぐに検査と治療だ」

 

 

馬運車に乗せられて、スペシャルラピッドはコースから去っていった。

大宮は、血の気を失った顔で自身の愛馬が運ばれていく姿を見ていた。ショックで体が動かなかった。

 

こうして、スペシャルラピッドの4戦目は、競走中止という結果に終わった。

陣営にとって最悪の一日であった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「ここは……俺は確か!」

 

 

目を覚ますと知らない天井であった。という鉄板ネタを忘れるくらい、能海秀樹は動揺していた。

2月6日の第11レース、スペシャルラピッドという馬に騎乗していた彼は、落馬して救急車に運ばれたことを思い出していた。

 

すぐに医者や看護師が来て、意識が回復したことを祝われた。長い時間眠っていたというわけではなく、目が覚めたのは6日の夜であった。能海も完全に意識を失っていたわけではなく、救急車で病院に運ばれたことはうっすらと記憶していた。

 

その後、医者から、落馬の際に頭を打った関係で、脳震盪を起こしていたことを聞いた。幸い、外傷はなく、脳機能等にも異常はないとのことだった。ただ、セカンドインパクト症候群の危険があるため、暫くは絶対安静とのことであった。

頭の方が大丈夫であったが、身体の方は、外ラチにぶつけたあばら骨が何本か骨折していた。このため、復帰には時間がかかるといわれていた。

ただ、能海は自分のケガのことよりも、スペシャルラピッドの状態の方が気になっていた。

 

能海が入院してから次の日、見舞いに来た縣が、スペシャルラピッドの状態を伝えた。

 

 

「スペシャルラピッドのケガだが、そこまで深刻なものではなかった。右後脚の剥離骨折だ。あと、剥離骨折と同じ個所だが、小さなヒビが入っていた。獣医でもよく見ないとわからないぐらいの奴だったけどな。とりあえず、軽度な骨折で済んだ」

 

 

「剥離骨折……全治はどれくらいですか?」

 

 

「剥離骨折だけなら、おそらく3~4か月程度。ヒビの方は、安静にしていれば、剥離骨折が治るころには問題なくなるとのことだ。ただ、競走に復帰するには、5か月は必要だと考えている」

 

 

「そうですか……」

 

 

骨折の中でも、軽度なものであったため、能海も一安心していた。しかし、自分が乗った馬を競走中止にしてしまった後悔が襲ってくる。

 

 

「まあ、原因究明はもう少し後からだ。今はゆっくりしなさい。絶対に安静にすること」

 

 

「わかりました」

 

 

「あと、全部自分のせいだと思い込まないこと。少なくとも、あのままゴールに突っ込んでいたら、どんなケガに発展していたか考えるだけでも恐ろしいほどなんだから。あの時、全力でラピッドを止めた判断は間違いじゃなかった」

 

 

その言葉は秀樹にとってはありがたい言葉ではあったが、多分無理だとも思っていた。

スペシャルラピットのケガの原因は自分の騎乗のせいだと思っていた。

自分の騎乗が許せなかった。

 

 

「何やってんだよ、俺……」

 

 

スペシャルラピッドという、素晴らしい馬の経歴に傷をつけてしまったこと。

数年前から何も変わっていないという不甲斐なさに失望していた。

 

 

 

 

 

 

 

 




主人公の覚醒は、少しだけ待っていただける幸いです。


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ターニングポイント(後編)

誤字脱字報告、毎回ありがとうございます。
ノートパソコンが不調でスマホで執筆をしていたので遅くなりました。
流石に購入から9年も経てばガタがきますね。


 

@××○○

東京11R 

 

1番人気 10番スペシャルラピッド

2番人気 2番クライスマイル

3番人気 11番ノボバカラ

 

@×○△●

東京11R

10番スペシャルラピッドかな

 

@○○××

東京11R

前3戦みれば、スペシャルラピッド以外にあり得ないな

 

@△○××

スペシャルラピッドって新馬戦で9馬身差つけたやつか

これは決まったようなものでしょ

 

@○×○○

東京11R

◎⑩スペシャルラピッド

〇⑧アルタイル

△⑬イントロダクション

▲④クラシックメタル

 

@○○×○

スペシャルラピッドがパドックで暴れてる

 

@××▲◇

スペシャルラピッドは大丈夫なのか?

 

@×〇▲●

スペシャルラピッドは前もパドックでチャカついていたしいつもこんな感じ

 

@●▲××

スペシャルラピッドいつも通りで草

 

@▲●●□

結局1番人気変わらずか

10スペシャルラピッドは間違いねえから2着以下だな

 

@×□◇〇

返し馬でも首振り回していて草。大丈夫かよスペシャルラピッド

 

@▽〇××

池、スペシャルラピッド

 

@××〇▽

スペシャルラピッド!こいこい

 

@〇▽×■

うそだろ

スペシャルラピッド競走中止か

 

@▽■■〇

スペシャルラピッド競走中止

東京11R

 

@×〇▽■

吹っ飛んだ。それよりスペシャルラピッドは大丈夫かよ

 

@〇××◇

スペシャルラピッド競走中止かよ

能海騎手も落馬しているしやばいかも

 

@〇〇◇×

スペシャルラピッドはとりあえず馬運車には乗れたみたい

能海騎手がやばいかも

 

@○○スポーツ競馬

【東京11R白嶺S】

スペシャルラピッド競走中止

○○-keiba.jp/

 

@×〇〇▽

東京11R

1番人気スペシャルラピッド競走中止

1着は9番人気のサノイチ

よめんわこんなん

 

@〇〇■■

スペシャルラピッドは大丈夫なんかね

あれはぜったいに上に行くと思っていたんだけど

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

右後脚の第一趾骨剥離骨折

これがスペシャルラピッドに下された診断であった。また、同じ骨の一部に細かいヒビが入っていることもレントゲン写真で確認された。

全治は3~4か月程度であり、競走馬の骨折としては比較的軽症であった。ただ、復帰には5か月程度は必要であるため、4歳の春競馬を全休する必要があった。

 

 

「剥離骨折の手術は無事に終わった。特に問題なく術後の経過も良好だ。ヒビについても、剥離骨折があったから、徹底的に検査したおかげで見つかったレベルなので、3,4か月程度で完治するようだ」

 

 

「とりあえず一安心ですね」

 

 

縣と森本は、スペシャルラピッドのレントゲン写真や獣医からの診断書を確認していた。

 

 

「競走中止になったとき、肝が冷えました……」

 

 

森本は、スペシャルラピッドのもとに全速力で走った関係で、足を痛めていた。運動能力に優れていた彼が、躓いて捻挫をするほど動揺していたのであった。

馬の方も動揺しており、ちょっとした刺激で暴れたり、走り回ってしまう可能性もあった。厩務員の伊藤を筆頭とした縣厩舎の面々が全速力で駆けつけて、彼をなだめたことで、大事にはならなかった。

 

 

「剥離骨折程度で済んだ、とは言いたくはないが、重症な骨折じゃなくてよかった」

 

 

「ただ、春競馬は完全にあきらめざるを得ませんね」

 

 

復帰の予定は、約5か月後の2016年6月である。これもすべてが順調に進んだ場合である。何かあれば、復帰はさらに遅れることになる。

 

 

「また賞金を加算しないといけないのか……」

 

 

4歳の夏シーズンに入れば、せっかく積み上げた収得賞金が半減されてしまうため、重賞挑戦の夢はまた遠のくことになりそうであった。

 

 

「そこも心配ですが、ケガをした経験が競争能力にどのように作用するのかが心配ですね」

 

 

森本は、ケガをしたことで、スペシャルラピッドが持つ素晴らしい競争能力に悪影響が出るのではないかと心配していた。ケガが原因で、競争能力が低下した例は数多くある。身体的な影響もあれば、精神的な影響もある。

馬は人間と同じで、生き物であり、感情がある。ケガをしたことで、走ることやレースを恐れてしまうのではないかという懸念があった。

 

 

「その話は、復帰後に考えるしかないな。今は、ラピッドが回復するのを待とう。それに、我々が管理しているのは、彼一頭だけではないからな」

 

 

縣厩舎には、スペシャルラピッド以外にも馬が委託されている。このため、1頭の馬に入れ込み過ぎるわけにはいかなかった。

 

 

「それもそうですね。ラピッドも新井牧場に戻されるようですし、管理はあちらに任せるしかないですね」

 

 

ケガをしたスペシャルラピッドは、術後の回復が良好であるため、しばらくしたら、新井牧場に放牧されることになっていた。

 

 

「やはり間隔が短かったのがダメだったのか。それとも調教が原因か。今回は、ラピッドの調子がかなり良かっただけに、ケガの原因が調べにくいな」

 

 

「正直、レース間隔については、そこまで影響はなかったと思います。レース前にケガの兆候は見られていませんでしたし、調教も順調でした」

 

 

「調教も順調だった……?」

 

 

「どうしました?追切のタイムを更新して、かなり順調だったと思いますが。身体の仕上がりも過去一でしたし」

 

 

「それが原因かもしれん。仕上がりすぎていたんだよ。調子が上向きになりすぎたんだよ。よく考えたら、ラピッドが仕上がった状態でレースを走ったのはあのレースが初めてだ」

 

 

「身体の出力が上がりすぎて、骨の方が耐えきれなかったということですか。そんなことあり得るんですか……?」

 

 

「そこはわからん。今後、ラピッドの骨や関節が、全力に耐えきれるレベルまで成長できたらいいのだけど……」

 

 

「その辺りは流石に未知数ですね。もし、今のままなら、これからも抑えて競馬をしていく必要がありますね。残念なことですが」

 

 

今のままでは、スペシャルラピットの全身全霊の走りを見ることができない可能性があった。それは考えたくない未来である。

 

 

「ラピッドは、5か月程度の休暇を得ることができたと考えよう。そこで身体をさらに強くして帰ってくることを祈ろう。新井牧場の皆さんに託すしかない」

 

 

「そうですね。未勝利戦のあとの放牧で一回り成長した経験もありますし、強くなって帰ってくると思いますよ」

 

 

生まれ故郷に一時的に帰省しているスペシャルラピッドが、よりたくましい姿になって帰ってくることを厩舎全員が祈っていた。

 

 

「あとは、能海君の方だな。頭の方は大丈夫だったが、あばら骨が何本か折れたらしい。こちらも復帰には時間がかかるだろう」

 

 

「彼の場合は、身体よりも精神面の方が心配です。大丈夫なんでしょうか……」

 

 

「それは確かに心配であるが、騎手を続けるなら、自分で解決してもらわなきゃ困る。それができないなら、辞めるしかないよ」

 

 

縣は、能海秀樹の事情を知っているが、それはそれであると考えていた。

 

 

「縣先生は、騎手をすんなりと辞めてましたが、理由があったんですか?」

 

 

「おいおい、俺の騎乗成績を知っていてそれを言うのは失礼だぞ。単純に食っていけなかったからだよ」

 

 

「あ~すいません。何か特別な事情があったのかと思いまして」

 

 

「そういう事情はない!俺がヘタクソだっただけだ」

 

 

縣は、なぜか自信満々に話す。

 

 

「……え~」

 

 

「というのは半分冗談で、調教師とかそっちの方面に興味が移っていたことが辞めた一番の理由かな。調教師になるために一から修行もしたかったし、なるべく若いうちの方がいいと思ってね。まあ、40代で開業もできたし、よかったとは思うよ」

 

 

「そうだったんですね。ちゃらんぽらんなので、その場のノリで調教師になったのかと思いました」

 

 

「結構ひどいこと言うね、君。イギリスに留学に言ったりして、結構頑張ったんだけどなあ。って、前にこの話しなかったっけ」

 

 

「しませんでしたよ。いつも馬と酒の話しかしないので」

 

 

「そうだったっけ?まあ、騎手を辞めるのも人それぞれってことだよ」

 

 

「彼の問題ですし、あまり口を出さない方がいいということですか」

 

 

「そゆこと。まあ、所属騎手だから、本格的にやばくなったら、いろいろとケアはする予定だけどね」

 

 

「わかりました。あとはオーナーへの説明とかですね……」

 

 

「今後のことを大宮さんに詳しく説明しないといけないし、大変だよ。まあ、今回の件で委託先変えるといわれても文句は言えんな」

 

 

「そこは我々の責任なので、仕方がありませんね」

 

 

管理している馬がケガをした責任は、預かっている縣達にある。特に大宮は、口を出してくる馬主ではないため、「馬主が無理を言ったから」という言い訳は通じない。

 

どうやって大宮に謝罪して、これからも信頼してもらうかと考えながら縣達の日々は過ぎていった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

病院の病室に一人の若者が入院していた。先日のレースで落馬して、骨折の重傷を負った能海秀明であった。

久しぶりの入院は、かなり暇であった。本来なら、騎手として自らの騎乗技術の向上のために、研究をする必要があるのだが、今の秀樹にはそれをやる気力がわかなかった。

読書やテレビを見たりする日々を過ごしているなか、彼に見舞客がやってきた。

見舞客は、父親の能海秀明だった。

 

 

「秀樹、元気か?」

 

 

「まあ、元気だよ。頭も外傷はなかったしね」

 

 

咳やくしゃみのときに痛みが走るのが最悪だったが、父親に弱みは見せたくないためやせ我慢をしていた。

 

 

「そうか。ケガは職業病のようなもんだ。焦りすぎないように」

 

 

「わかっているよ」

 

 

父親の秀明も落馬事故で死にかけた経験があった。そのケガに比べたら、自分のケガは軽症みたいなものだと秀樹は思った。

 

 

「それよりもお前、どうするんだ。これから」

 

 

「どうするって……」

 

 

「スペシャルラピッドだよ。乗れるのか?これからも」

 

 

「乗れるなら、乗りたいさ……」

 

 

「そんな調子じゃ俺が奪うぞ」

 

 

「わかっているよ……」

 

 

「本当か?まあ、それならいいけどよ。あの馬がケガ明けで前と同じように走れるかはわからないけどな」

 

 

「そうならないことを祈っている」

 

 

こうして、父と息子のあまり弾まない会話は進んでいった。

 

 

「連絡することはこれぐらいかな。あと、母さんが心配していたから、電話くらいしてやれ」

 

 

「ああ、電話するよ……」

 

 

そういって秀明は部屋から出ていった。

相変わらずな父親であった。いつもこんな感じで飄々としており、こういうところが好きになれなかった。

秀樹にとって秀明は、父親であると同時に、騎手としてライバルであった。その父親に、今回の事故の心配されたことが、情けなく感じていた。

今日の見舞いも、父親なりの気遣いであることはわかっていたが、未熟者扱いされているような気分になった。

ただ、今の自分の調子だと、未熟者扱いされて当然かとも思った。

 

 

「奪うか……」

 

 

父の残した言葉が頭のなかで反芻していた。

秀樹が初戦から騎乗してきたスペシャルラピッドという馬は、間違いなく怪物級の馬であった。

体質が弱かったり、掛かり癖があったりと、弱点もあったが、それでも、自分が見た馬の中で最高峰の素質を持った馬だと断言できた。

抑えないとどこまでも加速して走り続ける。そんな快速馬だった。

 

 

「これで俺は降ろされるかもな……」

 

 

そんな素質馬を成績不振の未熟な騎手がケガをさせてしまった。

大宮オーナーはあまり口を出す人ではないため、今後どうなるかはわからなかった。しかし、大手の馬主なら間違いなく乗り替わりになるような事例だと思っていた。

 

 

「それに……」

 

 

―俺はもう馬に乗れないかもしれない―

 

 

秀樹は意識が回復してからずっとそう思い続けていた。

こういった馬のケガが原因の競走中止は2回目の経験であった。5年間で2回というのが多いのか少ないのかかはわからなかったが、最初の1回が、彼の心に永遠に消えない傷として残っていた。

 

 

「……」

 

 

呟いた言葉は、消したくても消せない、忘れることが許されない名前であった。

 

秀樹は、騎手としてデビューしたその年に、縣先生の恩師の調教師から、一頭の馬に騎乗した。その馬は、3歳の葦毛の牝馬であった。きれいな葦毛の牝馬ということもあり、関係者からは愛されている馬だった。

新馬戦は勝利したが、そこから伸び悩んでいる馬だった。秀樹に騎乗依頼が来たのも、新人騎手の減量制度を期待した面もあったようだ。

 

まだデビューしたてだった秀樹は、その馬をかなり可愛がっていた。スペシャルラピッドとは正反対といえるほど愛想のいい馬だった。

 

3歳の夏に乗り始めてからは、勝ち負けを繰り返し、オープン馬にまで昇格することができた。オーナーも調教師も秀樹の騎乗のおかげだと喜んでいた。

 

それで彼は調子に乗ってしまった。

 

冬の中山競馬場のレースで、秀樹は致命的なミスをした。

4歳になったその馬は、良血統ということもあり、12月のレースがラストランで、その後は繁殖入りする予定であった。

調教師も、馬主も、そこまで無理をさせる必要がないレースだと考えていた。馬主も、オープン戦を勝利するぐらいには強く、愛着のあった自分の馬が最後に走っている姿を見たいという希望もあって出走したレースであった、

しかし、秀樹は、ラストランは勝利で終わりたいたいという身勝手な考えをしてしまった。ここで勝てば、この馬はもっと愛されると思っていた。そして、その勝利を導いた自分はもっと評価されると思っていた。

 

ラストランは、出遅れた影響で、後方からレースとなった。雪が降ったこともあり、馬場のコンディションはあまりよくなかった。重馬場は得意ではなかったため、負荷が大きくなる可能性があった。

この時点で無理をさせないのが普通である。しかし、秀樹は欲をかいてしまった。

 

大捲りからの直一気で、中山の短い直線を走らせた。走らせてしまった。

鞭を何回も使って、押しまくった。勝たせるということだけを考えて。

その結果、脚が限界を超え、ゴール手前で競走中止となった。

 

秀樹は、あの時の光景が今でも時折フラッシュバックする。

空に放り出された浮遊感。芝に叩きつけられた衝撃。芦毛の馬がターフの上で横たわっている姿。

落馬の衝撃で意識は朦朧としていたのに、全部はっきりと覚えていた。

 

すべて自分の騎乗が原因だった。秀樹は今でもそう考え続けていた。

 

馬主も調教師も、馬場状態があまりよくないから、無事に帰らせてくれるだけでいいと言っていた。競走中止の後、縣先生たちには、大きな迷惑をかけた。

2年目の騎手のミスだったこともあり、大問題に発展することはなかったが、かなり絞られたことは言うまでもない。

あの事故は、自分の無理な騎乗が原因だとわかっていたからこそ、より辛かった。

調教師たちの指示を無視して、全身全霊で彼女を走らせてしまった。「最後くらいは勝たせたかった」という気持ちは、ただの自己満足でしかなかった。

 

 

そこから、能海秀樹という騎手は、馬に乗れなくなった。

競走馬に乗ってレースに出ることができるが、どこかの歯車が狂ってしまった。

 

このことを知っている同期や先輩、それに父親からは、乗り越えろと言われている。

 

 

「そう簡単に乗り越えられるかよ……」

 

 

現役の騎手は、大なり小なりこういった事故や失敗を乗り越えて、騎乗し続けている。

しかし、秀樹にはそういった折り合いをつけることができなかった。

 

秀樹は、慎重な騎乗をする騎手だといわれることが多い。しかし、それは一瞬の判断力が必要なシーンで、迷ってしまう、あと少しで勝てるというところで、力を発揮できないということであった。騎乗成績が伸び悩むのも当然であった。

そういう場面になると、あの葦毛の牝馬の顔が脳裏に浮かぶのである。

 

 

「辞め時かな……」

 

 

克服できないならやめようかとも考えていた。

5年目を過ぎれば減量制度の適応から外れるため、より厳しい世界で戦うことになる。そうなれば、自分の立場はますます追い込まれることになるだろう。

 

厳しい現実に打ちのめされていたときに出会ったのが、スペシャルラピッドであった。

毎回抑えるのに必死になっていたが、騎乗していて楽しい馬だった。何より、彼は最強だった。間違いなく、歴史に残る名馬になりうる馬だと思った。

そんな馬だからだろうか。燻っていた自分を変えてくれる馬かもしれないと思った。次も、その次も自分が乗っていたいと思わせてくれる馬だった。

 

 

「もう一度は……ないだろうな」

 

 

縣や森本は、秀樹が競走中止にしたおかげで、ケガが悪化しなかったと考えている。しかし、彼はそう思わなかった。

残り800メートル地点で違和感に気がついた。走り方のバランスが変わった気がしたのだ。

スペシャルラピッド、右後ろ脚に爆弾を抱えているが、普通のレースではそれが気になるような走り方はしなかった。

骨折の兆候はこのときに表れていたと確信していた。

 

 

「何が慎重な騎乗だよ。何もできていないじゃないか」

 

 

焦っていた。ここで負けたりしたら、乗り替わりになってしまうのかという恐怖心もあった。リーディング上位の騎手や、実績のあるベテラン騎手、何より父に鞍上を取られてしまうのではないかと考えてしまった。

そんな自分勝手な考えで、また同じようなことを繰り返した。

 

結局、残り400メートル付近で本格的にまずいと感じて、スピードを緩めさせた。しかし、違和感に気が付いたときに全力で止めるべきだったと後悔していた。

 

『大事には至らなかった』

 

一歩間違えば、その「大事」になっていたかもしれない。そう思うと、秀樹は、自分の騎乗を許すことができなかった。

こういう判断ができないから二流なんだと自責していた。

 

 

「俺は何も変わっちゃいなかった。いつもこうやって失敗する」

 

 

もう何もかもが嫌になっていた。

 

 

「もうやめた方がいいのか……?」

 

 

その質問に答えるものはいなかった。




能海秀樹(2年目)「全部俺が悪いんだよ……」

能見秀樹(5年目)「最速のラピッドが俺の停滞した人生を救ってくれる」

能海秀樹(6年目)「ラピッドがケガをしたのも全部俺が悪いんだよ。もう…嫌なんだ自分が…もう…消えたい…」

能海君は勝手に曇り湿気ているだけなので、そのうちラピッドに晴らしてもらいます。




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復活に向けて

2016年も4月になり、競馬のシーズンが本格的に到来した。

桜花賞に皐月賞も間近に迫り、まだ見ぬ未来の名馬たちに競馬ファンは心を躍らせていた。

2015年世代は4歳となり、古馬戦線を賑わし始めていた。

日本ダービー後、骨折をして休養中だったドゥラメンテは、復帰戦の中山記念を快勝し、ドバイSCに挑戦した。落鉄の影響もあり、結果は2着だったものの、十分力を示した内容であった。

また、菊花賞馬のキタサンブラックも、大阪杯を勝利し、本命の天皇賞春に向けて期待が高まっていた。

 

そんな輝かしい成績を残す同期の陰に隠れて、スペシャルラピッドは静養中だった。

2月のレースで剥離骨折と診断されたスペシャルラピッドは、療養と休養を兼ねて、生まれ故郷の新井牧場に帰ってきていた。

最初は骨折の影響か、体調が不安定になっており、勇作たちもかなり気を使っていたが、最近は落ち着いており、従業員たちも一息ついていた。

スペシャルラピッドも生まれ故郷には、大好きな洋子や裕子がいるため、肉体的にも、精神的にも落ち着いて休むことができていた。

 

 

「骨折の回復も順調に進んでいますね。もともと軽度なものでしたから、競争能力には影響はないでしょう。精神的にどうなるかは未知数ですが」

 

 

回復具合は順調であると獣医から報告を受けていた。全治は3~4か月程度と見積もられており、6月中の復帰戦が計画されていた。

 

 

「競走中止になった時は心臓が止まるかと思ったよ。ああいう光景は見たくないねえ」

 

 

「別の牧場出身の馬でも、見たくはない光景ですよね」

 

 

勇作と裕子は2月のレースの光景を思い出していた。

最後の直線で外によれながら減速をして、そのまま止まったスペシャルラピッドを見て、気を失いそうになったほどだ。

幸い、歩いて馬運車に乗っていく姿を見れたため、失神して倒れることはなかった。

ケガの診断を聞いた時も、命や競争能力に影響を及ぼすレベルのものではなかったため、一安心していた。

 

 

「ケガは付き物とはいえ、見たいものではないよ」

 

 

勇作は自分の牧場出身の馬が予後不良になった経験がないわけではない。それに、レースに出る前に処分せざるを得なくなったこともあった。死産や病気で死んだ馬もたくさんいる。

それでも、こういった馬のケガに慣れることはなかった。

 

 

「ぴょん吉も、全力で走り回ったり、暴れたりしないのが助かりますね」

 

 

世話を担当している洋子は、大人しくしているスペシャルラピッドを褒める。

 

 

「やはり賢いな。今全力で走ったり、暴れたりしたら、取り返しのつかないことになるってわかっているんだろうね。もともと大人しい馬ではあるけど」

 

 

「こうやってのんびりしている姿を見ると、本当に強い馬とは思えないなあ」

 

 

裕子に撫でられてご満悦な様子のラピッド。育て親同然の裕子には(洋子も)とても甘えていた。4歳の牡馬とは思えないほどだった。

それなのに、勇作が撫でると、「触るな」といった感じであしらわれてしまう。女性には懐くが、男性には懐かないという謎の性格には、厩舎関係者も含めて頭をひねっていた。

 

 

「大宮さんには懐いているのにな……」

 

 

「展示会の時から懐いていましたからね。運命でも感じたのでしょうか」

 

 

「それなら、生まれたときから近くにいる俺に懐いてくれてもいいのだけど……」

 

 

「彼にとってオーナーだけは特別なのかもしれないですね。性別女が好きなのは、多分元来の性格由来だと思いますが」

 

 

「そういうものなのかな……」

 

 

馬房から顔を出して、二人に会話を聞いていたラピッドを、「ぴょん吉はかわいいねえ~」と言って裕子が首元を撫でる。こうやって顔や首元を優しくなでられると、大人しくなるのである。

舌を出しながら見せるご満悦な顔つきは、とてもじゃないが、競走馬としてデビュー済みの馬とは思えないものであった。

 

 

「もう少し勇ましい顔つきになってもいいんだけど……」

 

 

「いいじゃないですか。大人しくてかわいい馬の方が女の子からも人気になりますよ」

 

 

「そうかなあ……」

 

 

「人気といえば、最近洋子がうちの牧場のことを動画にしたいと言っていましたが……」

 

 

先日、長女の洋子が広報の一環として、新井牧場の様子を動画サイトに投稿したいといい始めていた。

 

 

「ああ、あれか。正直変なのが湧いてくるのが嫌だから、あまり賛同はしたくないけどなあ」

 

 

馬産は、畜産という生と死が身近にある産業である。競走馬は、経済動物であるため、事情を知らないものが聞けば悲惨な出来事も多い。このため、勇作は洋子の提案には難色を示していた。

裕子もそのリスクについては同意していた。

 

 

「動画サイトやSNSの影響力も大きいですし、広報として活用してみたいのは同感ですね」

 

 

「うーんそうだなあ……」

 

 

「それでさっき思いついたのですが、ぴょん吉の様子を動画にしてみるのはどうでしょうか。とても大人しくてかわいい馬なので、向いていると思いますよ」

 

 

「ぴょん吉の動画か。最初は大人しめの動画にして、反応を見てみるのもいいか。一応縣先生や大宮オーナーにも連絡してみるか」

 

 

この試みに対して大宮も縣も反対の意思を示さなかったため、休養中のスペシャルラピッドは動画サイトでデビューしたのであった。

洋子や裕子にデレデレしている様子は、競馬ファンというよりは、動物ファンに受けていたようである。

 

 

こうして、新井牧場でのスペシャルラピッドの日々は過ぎていった。

スペシャルラピッドにとって、この帰省は充実したものであった。最初の1か月ほどは痛みもあったので、あまり楽しい休養生活ではなかったが、ケガが治り始めた2か月以降は楽な生活であった。

大好きな洋子や裕子(+その人たちを我が物顔で管理している憎たらしい男)にお世話をしてもらい、穏やかで快適な生活を送ることができた。

全力で走り回れないのは残念だったが、裕子たちに「ダメだよ」と注意されていたので、それに素直に従っていた。彼女(癪ではあるが彼ら)の指示に従っていた方が、痛い思いをしなくて済むと考えたからだ。

しかし、このような快適な生活も終わりが来る。

ケガの完治は近かった。

 

 

 

 

 

 

新井牧場のスタッフと獣医の努力と、スペシャルラピッド自身が無理をせず、安静にしていた甲斐もあってか、怪我の回復は予定よりも早まっていた、

そして、2月初旬の怪我から約3ヶ月半後の5月中旬。スペシャルラピッドのケガは完治し、調教が再開されるときがやって来た。

新井牧場から美浦トレセンに運ばれ、縣の厩舎に入厩した。育成牧場で軽く調整をしてからトレセン入厩しても良かったのだが、縣がすぐに見たいという希望を出したため、牧場から直接トレセンに戻ってきていた。

久しぶりに映像越しではなく、生で見たスペシャルラピッドは、案の定太っていた。

 

 

「また太っているよ……」

 

 

見事なこしあんボディを見ながら、縣はつぶやく。

 

 

「なんか一回り大きくなったというか、身体の厚みが増したというか……」

 

 

森本も外見的にちょっと大きくなったように見えたラピッドの姿を見て、驚く。

 

 

「ただ太っているだけなんじゃないのか?」

 

 

「そうかもしれませんけど」

 

 

「とにかく、体重を落としていきながら、調教を進めていこう。焦りは禁物だ」

 

 

「またプールの日々が始まりますね」

 

 

ケガ明けなので、足元に負担をかけたくなかった。このため、プール調教が延々と行われることが容易に想像できたのであった。スペシャルラピッドは泳ぐのが得意なので、プールが大好きである。

ただ、プールから上がった時に、縣や森本にじゃれついて、彼らをずぶ濡れにするという嫌がらせをセットでやってくるので、彼とのプール調教は、あまりいい思い出ではなかった。

 

 

「縣先生、森本さん。ぴょん吉、スペシャルラピッドのことを頼みます」

 

 

「ええ。こういう形でお世話にならないように気を付けます。復帰レースのときは、見に来てください」

 

 

今回は、精神的にもろい面があるため、ラピッドの馬運車の旅に裕子が同行していた。このためか、輸送後でもそこまで疲労をしていなかった。

 

 

「じゃあね。がんばるんだよ~」

 

 

裕子が顔や首元を撫でると、悲しそうに嘶く。

 

 

「甘えん坊だな……」

 

 

縣は小声でささやいたつもりだったが、馬には聞こえていたようで、抗議するように、縣に嘶いていた。

人の機敏に聡い馬である。

 

 

「まあ、何はともあれ、これからもよろしくな」

 

 

縣の声掛けは、無視という反応で帰ってきた。

 

 

「やっぱり可愛くねえ」

 

 

縣への塩対応は、厩務員の伊藤にしっかり撮られており、『調教師に悪態をつくスペシャルラピッド号』というタイトルで投稿されていた。反応は上々であった。

 

 

 

そこから数週間後。

ラピッドの調教は順調に進んでいた。

太った影響でむっちりしていたボディは、少しずつたくましい体つきに変わっていった。

 

 

「なんか一回り大きくなったな」

 

 

「やっぱり見間違えじゃなかったんですよ」

 

 

3歳夏以降は、調教で負荷をかけすぎることができないため、510キロ前後でレースには出ていた。森本は、絞れば490~500キロくらいがベスト体重になると思っていた。ただ、今のラピッドの姿を見て、上方修正をする必要があると見ていた。

 

 

「ケガ前に使っていた鞍が使えなくなりました。腹帯もです」

 

 

「確かに太って入らなくはなったが、体重が落ちてきた今も使えないの?」

 

 

太ったことでケガ前に使っていた馬具が使えなくなったのかと思ったが、体重も絞れた今もなぜか使えなくなっていた。

 

 

「はい。彼専用に特注した方がいいです。これ多分もっとでかくなりますよ」

 

 

「しかし体高はそこまで変わっていないのになあ。……うん。やっぱ筋肉がやばいわ。ナニコレ……」

 

 

スペシャルラピッドは、プール調教で5か月の休養で体についた余計な肉を落とし、調教で筋肉のキレを取り戻し始めていた。なぜか以前よりも筋骨隆々となっていた。

 

 

「改めて見るとすげえトモだな……。新井牧場はエサにプロテインでも混ぜていたのか?」

 

 

「プロテインを取らせてもこんな感じにはならないと思いますが……」

 

 

「蓄えた栄養が全部筋肉に転換されたのかな。それはそれで恐ろしいが。というかパワーとスピードが付きすぎて逆に危険じゃないか……」

 

 

「復帰戦が怖いですね。これはかなり抑え込まないと怖いですよ」

 

 

「そこは能海君に頼みたかったんだけどな。ただ、彼のメンタルと成績がちょっとまずい状況だからなあ」

 

 

スペシャルラピッドの主戦騎手を勤めていた能海秀樹は、ケガから復帰して、騎手として馬に騎乗しているが、成績がかなり悪化している。縣厩舎の所属騎手ではあったが、馬主から載せないでくれと言われるほどであった。

 

 

「気持ちはわからんでもないが、さっさと元に戻ってもらわんと困る」

 

 

縣は、秀樹が厩舎に所属している騎手である以上、監督責任も含めて、教育はしている。ただ、今回の問題は、最終的には自分で解決すべき問題であるため、強く干渉はしていなかった。

 

 

「そこは本人の問題ですからね。替わりの騎手は予定通り能海秀明騎手に?」

 

 

「ああ、その予定だ」

 

 

縣の先輩であり、ベテラン騎手の秀明が復帰戦の騎手として選ばれていた。縣厩舎の馬にもよく乗っているので、厩舎スタッフとの間でも信頼関係が築かれていた。

 

 

「秀明先輩も癖馬の扱いがうまい騎手だよ。ラピッドも抑えるのに苦労するレベルで癖馬だからね」

 

 

能海秀明騎手は、47歳であるが、お化けのような体力を持っている騎手だった。すでにベテランの領域に入っているが、騎乗数はむしろ増え続けているような騎手である。

素質のある馬に乗って、重賞を勝利することもあるが、デビューできるかも怪しいような馬だって喜んで乗ってくれる騎手でもあった。リーディングをとるような騎手ではないが、馬主や調教師から人気のある騎手であった。最低人気馬を上位に持ってくることもあり、穴馬党からも好かれていた。

 

 

「オーナーがそれで納得しているのであれば、私から言うことはありませんが」

 

 

「大宮さんも了承済みだ」

 

 

大宮にも乗り替わりの件は伝えてある。彼も最初は秀樹騎手でいいと思っていたが、さすがに騎乗成績が悪化しているいる状況なうえ、精神的に落ち込んでいる状態の彼を乗せるわけにはいかないと判断したのであった。

 

 

「次のレースは6月中旬頃かな。また条件戦を走らんといけんか……」

 

 

「次のレースで格上挑戦もいいと思いますが」

 

 

「さすがに復帰戦は、条件戦にしようと思う。ここで大丈夫なら、次はオープン戦を使う。それも芝だ」

 

 

「復帰2戦目に芝はちょっと怖くないですか。2戦ほどした方がいいと思いますが」

 

 

「それもそうだ。だから、1戦目の様子と、芝コースでの調教の様子をみて判断したい。仮に足元に不安を感じたりしたら、このままダートを使い続ける」

 

 

「……わかりました。ここが分水嶺かもしれないですね」

 

 

「そうだな。ダート戦線に居続けるなら、12月のチャンピオンズカップか、来年のフェブラリーステークスが目標になる。芝なら天皇賞、ジャパンカップ、それか来年の安田記念だな」

 

 

「夢が広がりますね。まあ、ラピッドがちゃんと走ってくれればの話ですが」

 

 

「調教では問題ないんだ。それに走らせるのが俺たちの仕事だ。気張っていくぞ」

 

 

「ええ、気合が入りますね」

 

 

縣と森本は、一回り成長したスペシャルラピッドの様子を見ながら、気合を入れなおした。強くなったのは間違いないが、その出力に骨や関節が耐えきれるのかが不安であった。ただ、それでも一層威圧感を増した馬の姿に、夢を抱かずにはいられなかった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

「うん、化け物だわ。この馬」

 

 

6月25日の東京競馬場第11レースの夏至ステークスに出走予定のスペシャルラピッドは、能海秀明を鞍上に、最終追切を行っていた。

 

 

「この馬を条件戦に出しちゃだめですよ。縣先生」

 

 

「そうはいっても賞金が足りないんですよ。このレースだって何とか滑り込めたのですから」

 

 

「正直オープンクラスどころか、重賞でも余裕で通じますね。というか一線級の馬とも戦えますよ」

 

 

「そうでしょう。ただ、脚部がもろいから、あまり本気で走れないからそこは注意してほしい」

 

 

「ええ、それは承知してます。ただ、本気で走らなくても十分勝てます。この馬はそういう馬です」

 

 

GⅠを10勝している騎手による、太鼓判の評価であった。

その後も、レースプランや馬の情報を話しながら、最終追切は終わった。

 

調教がひと段落ついたことで、秀明が休憩していると、縣がコーヒーを片手に休憩室に入ってくる。

ここからは騎手と調教師ではなく、先輩と後輩の関係であった。

 

 

「全く。こんな強い馬に乗れていたのに、あのバカ息子は……」

 

 

「そこはまあ、彼にもいろいろあるので」

 

 

「浩平。あまりアイツを甘やかさんでくれ」

 

 

秀明にとって秀樹は、最愛の息子であると同時に、同じ釜の飯を食う同志であり、ライバルであった。だからこそ妥協はできなかった。今回の乗り替わりも、以前に秀樹、鞍上を奪いに行くと宣言したことが実現しただけの話である。

苦しいのはわかっているが、それはそれであった。

 

 

「うちの所属騎手なんだから、しっかり育てられない私にも責任があるよ」

 

 

「そんなこと言ったら、騎手学校に入るときに、背中を押した俺にも責任があるわ。あいつは元々性格的に騎手には向いていねえよ。優しいし、優柔不断だし。むしろ厩務員とか、そっちの方が向いてんだよ」

 

 

騎手は馬を愛し、馬に敬意を払う必要がある。ただ、冷酷にならないといけないときもある。その匙加減ができないと、騎手として食っていくのは難しい。

 

 

「そうだなあ。もうすこし図太さがあってもいいと思うけどなあ」

 

 

「お前ほどの図太さは必要ないけどな。見ていてハラハラする騎乗ばかりして、先生や厩務員、オーナーをキレさせていた大バカ者だったからな。辞めて正解だよ」

 

 

「ぐうの音もでねえや」

 

 

「まあ、これからどうするかは、あいつ自身が決めることだ。それに……」

 

 

「それに?」

 

 

「俺は別にスペシャルラピッドの主戦になった覚えはないからな」

 

 

「え、それって……」

 

 

「じゃあ、またよろしく頼みますよ。俺は別の用事があるので失礼しますね」

 

 

そういって秀明は休憩室から出ていく。

残ったのは飲みかけのコーヒーと縣だけであった。

 

 

「意味深な言葉だけはきやがって。あれが実の父親とか秀樹君も大変だな。って自分で捨てて行けよ」

 

 

渋々と飲みかけの缶を捨てに行く縣であった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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復帰戦

東京競馬場のパドックは、第1レースということもあり、混雑はしていなかった。

パドック周回をしている馬を眺めている観客の中に、大宮はいた。

 

 

「ラピッドは大丈夫だろうか……」

 

 

「おいおい、大丈夫だからレースに出るんだろ?」

 

 

大宮の隣には、釣り仲間の友人がいた。復帰戦を見に来ないかと誘ったところ、今後釣りに付き合うなら行ってやるという約束の元、競馬場に同行していた。

 

 

「いや、そうなんだけどさ。やはり心配じゃないか」

 

 

2月のあの日、馬運車で運ばれる姿を見たときは、卒倒しかけていた。生命や競走能力に影響が出るケガではなかったので良かったが、あのような光景はみたいものではなかった。

 

 

「5000万の馬となれば心配にもなるか……」

 

 

「そこは金の問題じゃあないんだよなあ。まあ、実際馬を持たないとわからんよ。この気持ちは」

 

 

大宮は、二度と見たくない光景ではあった。しかし、競馬にかかわる以上、馬のケガというものは避けては通れない出来事でもあった。重度のケガでなかったことは不幸中の幸いであったと思っていた。

 

 

「それで、今日は勝算があるのかね。新聞だと結構いい評価はもらっているみたいだけど」

 

 

スペシャルラピッドに本命の印が付いている新聞を見ていた。

出走予定の夏至Sは、1600万以下の条件戦で、ダート1400メートル競走であった。

1400メートルという距離は、スペシャルラピッドにとって初めての距離であり、復帰戦ということもあってか、以前ほどの人気は集めていなかった。

 

 

「調教師の縣先生からは、問題ないと聞いているよ」

 

 

「なら心配いらないんじゃないの。ま、せっかく早く来たんだし、競馬を楽しみましょうや」

 

 

「うーん、ってもう酒飲んでいるし……」

 

 

こうして二人は、午前中から競馬を楽しむという贅沢な時間の使い方をしていた。

友人が有り金を溶かしているのを眺めていたら、あっという間にメインレースの時間になっていた。

パドックで見たスペシャルラピッドは、輝いて見えた。「なんか大きくなってないか?」とも思ったが、馬体重は510㎏と前走からそこまで大きく変動はしていなかった。

友人も、なんかすごい雰囲気があったと語っており、復帰戦にも関わらず、1番人気に躍り出ていた。

パドックを見終えて、馬主席(友人は大宮が招待した)に行くと、妙に視線を感じた。

 

 

「大宮さん、スペシャルラピッドをこのレースに出すのは卑怯ですよ……」

 

 

知り合いの馬主から、このレースにスペシャルラピッドが出走してきたことを嘆かれた。

 

 

「相当評価されているな。これで負けたら結構怖いな」

 

 

友人が言わないでほしいことをはっきりと口にする。

 

 

「そういうこと言うのやめろよ……」

 

 

復帰戦という重要なレースであったが、気心の知れた友人のおかげで大宮はそこまで緊張することなく、レースを観戦していた。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

能海秀明は、スペシャルラピッドを化け物と評した。

正直、アクシデントがなければ負けようがないとも思っていた。それは慢心ではなく、スペシャルラピッドの実力と、他の出走馬の能力を考慮したうえでの結論であった。

 

 

「ま、身体が万全ならGⅠにいてもおかしくない実力の持ち主だからな」

 

 

「秀明さん、言いますね~」

 

 

騎手の待機室で自信満々な秀明の言葉に、後輩たちが反応する。

 

 

「ケガ明けだからほどほどに乗ってくるよ」

 

 

その言葉を信じる騎手はいなかった。いつもこうやってへらへらしているのが能海秀明という騎手だからだ。

 

 

「ただなあ……」

「あれはなあ……」

 

 

明らかに馬体が違うスペシャルラピッドの様子を見て、あれに勝たなければいけないのかと、他の騎手たちは思っていた。

 

 

パドック周回も終え、騎手が乗り込む。

スペシャルラピッドは珍しく大人しくしていた。厩務員の伊藤が、「元気ないの?」と心配になるほどであった。しかしダートの本馬場に入場すると、急にテンションが上がり始めていた。

 

 

「お~元気がいいな。だが、それはまだ先だぞ」

 

 

いつも乗っている危険な馬に比べたら何倍もマシだと秀明は思いつつ、テンションが上がったスペシャルラピッドをなだめる。

 

 

「さて、仕事をしますか」

 

 

ゲート入りを嫌がることもなく、ゲート内で暴れることもなく、スムーズにスペシャルラピッドはゲートインした。

全頭が入った数秒後、ゲートが開き、スペシャルラピッドの復帰戦が始まった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

『4コーナーカーブに入って内からスペシャルラピッド。ラピッドが出てきた』

 

好スタートを切ったスペシャルラピッドは、先頭3番手で競馬を進めた。そして第4コーナーからスピードを上げていき、そのまま先頭を奪った。

 

『……4コーナーを終えて直線に入る。先頭はスペシャルラピッド。2番手に……』 

 

第4コーナーを抜けて直線に入ると、先頭を走っていたスペシャルラピッドは、ノーステッキでするすると加速していった。

2番手以降の馬もスパートをかけたが、それをじわじわと離していた。

 

『さあ、残り200を切った。スペシャルラピッド先頭。2馬身、3馬身とリードを広げていく。余裕の手ごたえだ!これは強い!』

 

残り200を過ぎてから、さらにスピードが上がり、2番手以降を突き放していった。

 

『スペシャルラピッドだ!ラピッドが先頭でゴールイン!ケガもなんのその、復帰戦を快勝しました。2着に5馬身差。余裕綽々の競馬でした!』

 

『2月に剥離骨折と診断され、約4か月の休養明けでしたが、その強さは全く衰えていません。まさに怪物の復活です』

 

鞍上の能海秀明は、スペシャルラピッドをほとんど押していなかった。さらにノーステッキであった。

息を全く乱さないで帰ってきたスペシャルラピッドを縣達が迎える。

 

 

「強かったです。むしろ抑えるに一苦労でした。ここまで行きたがりとは思いませんでしたね。ただ、こっちが全力で抑える指示すれば、ちゃんと従ってくれましたし、想定の範囲内です」

 

 

馬の方は疲れている様子を見せていなかったが、騎手の秀明の方は、かなり疲れていた。疲れた顔はしていたが、笑みは隠せていなかった。

 

 

「秀明騎手。ありがとうございます。ラピッドはどうでしたか?」

 

 

大宮が初騎乗だった秀明に感想を聞く。

 

 

「最高ですよ。本当に強い馬です。これならどこでも勝てますよ」

 

 

リッピサービスでも何でもなく、本心からでた言葉であった。彼はGⅠを10勝した騎手であるが、その名馬たちと比較しても全く劣らない実力があると確信していた。

ケガ明けということもあり、縣達が歩様などを確認するが、ケガの兆候は全く出ていなかった。

 

 

「ケガの再発はなさそうです。よかった……」

 

 

スペシャルラピッドは、厩務員の伊藤に、褒められたことがうれしくて、デレデレとしていた。それを横目に、縣たちは、今のところ異常がないことに安堵していた。

 

 

「それにしても疲れの一つも見せないなんてなあ……」

 

 

走り終わった後だというのに、ピンピンとしている姿を見て、森本があきれたように呟く。

 

 

「そりゃあ本気で走らせませんでしたからね。走ってたら大差でしたよ」

 

 

森本の言葉を聞いた秀明が、馬が本気で走らせなかったと話す。1400メートル戦で大差をつけることができたという発言に、唖然とする。

 

 

「とにかく、精神面では全く問題ないよ。こいつは。本馬場に入って、ものすごくテンションが上がっていたからね。根っからの走り屋だよ」

 

 

「それは朗報といえば朗報なんですけど。やっぱり暴走が怖いですね」

 

 

「そこは俺の腕の見せ所ですよ。次も勝ちますから」

 

 

そこはさすがのベテランであった。自分の腕に自信があるが故の発言であったが、スペシャルラピッドという馬だからこそ、はっきりと口にできるのだと思っていた。

 

 

その後、オーナーも含めた関係者全員で口どりを行い、スペシャルラピッドの復帰戦は終わった。ふたを開けてみれば、完全勝利であった。

大宮の馬主業に茶々を入れていた友人も、スペシャルラピッドの強さには脱帽していたようで、次も応援に行くと約束していたのであった。

 

そして、祝勝会で、縣と秀明以外の全員が酒で潰されていた。騎手たちは酒に強いのである。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

運命の復帰戦から1週間後、スペシャルラピッドは元気に馬房で食事をしていた。今まで、レース後に体調不良を起こしていたとは思えないほどの成長ぶりであった。

 

 

「もう元気になったのか。全力全開で走らせなかったとはいえ、本当に強くなったなあ……」

 

 

「ここに戻った直後はさすがに元気がなくなっていましたけど、前よりも格段に回復が早くなってますよ。本当に強くなったね~」

 

 

伊藤と縣が、運動を終えて馬房で大人しく食事をしているラピッドの姿を微笑ましそうに見ていた。

 

 

「これなら、8月中に1回走れるな。それにやっと賞金的にもオープンクラスを走れる。」

 

 

「次は、芝にする予定なんですよね?」

 

 

「その予定だ。いろいろと馬の方が戸惑うこともあると思うから、厩務員として、ケアの方を頼むことになる。よろしくな」

 

 

「わかりました。異常を少しでも感じたらすぐに伝えますね」

 

 

頼もしい言葉である。縣は意外と昔気質な人間であるため、最初は女性騎手や厩務員なんてと思っていたこともあったが、今はそのような考えは捨てている。伊藤にはお世話になりっぱなしだと実感していた。

特に伊藤はスペシャルラピッドから懐かれており、彼の精神安定剤としていろいろな場面で助けられていた。

最近は、伊藤を通じて、縣達の指示を彼に伝えているほどである。そうすると、素直に従うのである。

そんな困ったところをみせるスペシャルラピッドであったが、以前に比べると、素直に鞍上の指示に従うようになっていた。怪我や調教を経験したことで、肉体的にも、精神的にも成長していたのであった。

 

そして復帰戦の内容、レース後の様子を考慮して、縣たちは、スペシャルラピッドの次走を検討していた。

 

 

「スペシャルラピッドの秋競馬の大目標は、天皇賞秋にしようと思っている。まあ順調にいけばの話だけどね」

 

 

スペシャルラピッドは、まだオープンクラスに上がりたての4歳馬である。しかし、彼の実力はGⅠの舞台で間違いなく通用すると確信しているからこそ、ここまで大胆な出走計画を立てることができた。

 

 

「天皇賞ですか。となると、どこかで1戦挟むことになりそうですね」

 

 

「そうだ。前のレースで賞金を加算できたとはいえ、GⅠに出走するには不安が大きいからな。あとは初の芝のレースがGⅠは、さすがに怖い」

 

 

「確かに、経験的にも、賞金的にも厳しいと思いますね」

 

 

森本の懸念はもっともであった。天皇賞秋は、伝統あるGⅠレースである。また、近年注目されつつある2000メートルという中距離であるため、多くの有力馬が集結するレースであった。

収得賞金的に厳しいことが予想されていた。優先出走権を狙うという選択肢もあるが、前哨戦の3戦はともに1か月程度しか間隔がないため、脚部不安があるスペシャルラピッドには厳しかった。

 

 

「しかし、天皇賞秋ですか。ジャパンカップに照準を合わせるのもアリだと思いますが……」

 

 

「それも考えたが、2400メートルをGⅠの舞台で初めて走らせるのはさすがに怖いかなと思ってね。せめて2000メートル以上を経験してから挑戦したい。あとは大宮オーナーも天皇賞の盾に興味を持っていてな」

 

 

スペシャルラピッドは、これまでのレースで、1800メートルまでしか走ったことがなかったが、父のタニノギムレットはダービーを勝利しているので、東京2400メートルは走れるだろうというのが縣達の見解であった。それでも、距離延長は少しずつ行っていった方がいいのではと思っていた。

 

 

「そうなんですね。天皇賞が10月末だから、8月ころに1戦入れたいですね。前に比べたらタフになったとはいえ、2か月くらいは休ませたいので」

 

 

「それも考えてある」

 

 

縣は、8月の芝のオープン特別戦を使おうと考えたいた。

スペシャルラピッドは、夏至ステークスを勝利したことでオープンクラスに昇格した。このため、オープン馬が出走するレースを走る必要がある。

そして、馬の特性上、左回りコースの競馬場を走らせる必要があった。8月中に左回りの競馬場は、新潟競馬場しか開催されていない(東京競馬場は10月から開催)ため、出走可能なレースがかなり限られていた。

この時期の芝のオープンクラスのレースは、関屋記念(8月14日)や新潟記念(9月4日)、朱鷺S(8月28日)くらいであった。

 

 

「朱鷺Sは1400メートルのスプリント戦ですけど、ここを使うんですか?」

 

 

「いや、関屋記念を使う」

 

 

関屋記念は、新潟競馬場で行われるGⅢのマイル競走である。立派な重賞競走である。

 

 

「芝の初戦が重賞というのは少し無理がありませんか?」

 

 

「普通の馬ならそうだろうな。ただ、スペシャルラピッドに関しては、重賞に挑戦してもいいレベルにあると思っている」

 

 

縣は、スペシャルラピッドが芝もしっかり走れる馬だと思っていたが、さすがに芝が苦手とわかれば、芝路線への挑戦は諦めようと思っていた。ただ、もし芝に適応できるのであれば、重賞を使っても問題はないと確信していた。

それぐらいの馬体と走りを復帰後に見せてくれていたのである。

 

 

「それにスペシャルラピッドの蹄や馬体、それに走り方を見ると、芝もしっかりと走れると思う。少なくとも彼は完全なダート馬ではないな」

 

 

「それでダートであれだけの走りができるのですからね。末恐ろしいですよ」

 

 

「まあ、だからと言って確実に芝も走れるといえないのがつらいところですけどね」

 

 

美浦トレセンにも芝のコースがあるため、それを使って、芝に慣らしながら調教を進めていく予定だ。この時点で、芝に合わないと判断したら、今回立てた計画は破棄することになる。

 

 

「とにかく、芝への慣らしと同時に調教も行う必要がある。関屋記念に間に合わないようなら、新潟記念に変更するとか、そんな感じで計画も変更していく予定だ」

 

 

「わかりました。いよいよ重賞か……」

 

 

「そうだな。森本君にも負担をかけると思うが、頼むよ」

 

 

こうして、スペシャルラピッドの次走が決められていった。

初の重賞挑戦が決まったスペシャルラピッドであったが、本当に芝を走れるかという不安だけが心残りであった。

 



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覚醒のとき

パソコンが直ったので、定期投稿に戻れると思います。


7月末日、猛暑に美浦トレセンは襲われていた。

馬は基本的に暑さに弱いため、有力馬のこの時期は、休養期間に充てられることが多い。

しかし、関屋記念を目標に掲げたスペシャルラピッドには、牧場などで休んでいる暇はなかった。2月から5か月近く休んだ彼には、夏季休暇はいらないのかもしれない。

復帰戦の疲労やダメージが抜けたため、7月初旬から芝へ適応するための調教が始められていた。

 

今日も、美浦トレセンの芝コースをスペシャルラピッドが走っていた。その姿を見て、縣は、確かな感触を得ていた。

調教を担当していた森本が、様子を見守っていた縣のところにやってくる。

 

 

「最初は戸惑っていましたけど、今はかなり良くなりました。ダートの時よりも軽やかに走れるようになっていますね」

 

 

「ここまで早く順応するとはなあ……」

 

 

「入厩当時から、芝でも走れると評価していましたからね。ある意味期待どおりです」

 

 

体質や脚部へのダメージなどを考慮したため、今までダートを使っていた。しかし、これらの要素が改善されつつあることから、芝を使ってみることになったのである。

実際。スペシャルラピッドは、芝への適応を見せていた。走り方もダートのそれから、芝馬の走りへと変わりつつあった。流石に少しぎこちない部分もあったが、全く走れないという事態は回避できそうであった。現時点ですでに、少なくとも芝のレースに出してもいいだろうと縣が判断するレベルには到達していた。

そもそも、彼は入厩当時から、二刀流も可能と判断するレベルで両方の馬場に対応できる能力を持っていたのである。それが今、本格的な調教で花開き始めていた。

 

 

「父がタニノギムレットだから、芝適性があってもおかしくはないということだ。とにかく、関屋記念は走れそうだ」

 

 

「レース間隔は約2か月弱ですが、調子の方は安定していますね。昨年までは考えられないような成長ぶりです」

 

 

6月の夏至Sを全力で走らなかったとはいえ、レース後の回復能力の向上は、うれしい誤算であった。

このまま調教が進めば、8月14日の関屋記念には間に合いそうであった。

 

 

「それにしても、走ることに関しては本当に天才ですね……」

 

 

「まあ、右回りが苦手なことと超長距離は厳しいこと以外は、天性の才能を持っていると思うよ」

 

 

今なら、右回りコースでも勝利を望めるのでは?と考えることもあったが、無理に走らせる必要はないだろうという結論に達したため、当初の予定通り関屋記念に向かうことが確定したのであった。

 

 

「実際のレースで芝を走るのは別ってこともあるから、本番までは気が抜けないがな」

 

 

「ダートと芝は本当に違いますからねえ。どこの世界も二刀流は難しいってことです」

 

 

どちらも一流というのは、滅多にいないものである。ただ、スペシャルラピッドは、走りの天才であり、間違いなくどちらでも結果を残せるはずだと縣達は確信していた。

 

 

「とりあえず、ケガの再発には気を付けましょう」

 

 

2月の競走中止からの骨折判明は、縣達にとってかなり大きなダメージとなった事件であった。このため、ケガには最善の注意は払っていた。それでも競走馬はケガをしてしまうあたり、競馬は難しいものである。

 

 

 

「あとは騎手ですね。今回も秀明騎手に依頼する予定ですか?」

 

 

「その予定だ。先輩もラピッドのことを気に入ったみたいでね」

 

 

復帰戦で騎乗した能海秀明が、関屋記念での騎乗の約束をしていた。外国人騎手やリーディング上位の騎手やそのエージェントから熱烈なアピールをもらっていたが、縣は秀明に当分は任せるつもりであった。

縣も森本も、秀明の腕は間違いなく、スペシャルラピッドを勝利に導いてくれるものであると信頼していた。また、縣は、秀明がこの馬にこだわる理由をなんとなく察していた。

 

 

「それに、先輩は秀樹君のことを待っているんだよ」

 

 

「秀明騎手がですか?」

 

 

「あの人、あんな感じだからわかりにくいけど、親バカだからね。息子が帰ってくるまで鞍上を守り続けるつもりらしいよ」

 

 

秀明とは別の騎手がスペシャルラピッドに乗り替わったら、能海秀樹が騎乗する機会は永遠に失われる。そう考えている秀明は、来るべき時まで鞍上を守り抜くつもりなのだと縣は考えていた。

 

 

「秀樹君が返ってくるまでですか……」

 

 

「彼だって1年目で9勝して、2年目で15勝以上しているんだ。通算12勝しかできなかった俺より、よっぽど才能があるよ」

 

 

ただ、縣も秀明も、無条件で秀樹に鞍上を渡すつもりはなかった。もし乗りたいなら、それ相応の覚悟と実績を見せろと考えていた。

そうならないなら、秀明騎手に最後まで乗ってもらう予定であった。

 

 

「とにかく、関屋記念の鞍上は先輩で行くとオーナーからの了承も得ているから、心配はいらない。重賞を獲れる可能性があるとかなり期待しているみたいだから、それに応えるように準備していくぞ」

 

 

「そうですね。スペシャルラピッドの調子も上向きなので、期待にこたえたいです」

 

 

ケガからの休養後、スペシャルラピッドの能力は目に見えて上昇していた。初めての芝のレース、それも重賞でも、間違いなく通用すると縣達は見ていた。ただ、虚弱体質であったことが脳裏から離れないため、全員が慎重になってはいた。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

8月14日、日曜日。新潟競馬場は真夏の暑さに襲われていた。豪雪地帯のイメージが強い新潟であるが、夏は普通に暑いのである。

そんな真夏の競馬場に、大宮貞治郎はやってきていた。

 

 

「ついに重賞か……」

 

 

縣から、次は関屋記念、GⅢの重賞に出走させたいといわれたときは、大丈夫かと思っていた。しかし、復帰戦を終えた後の、輝くような馬体を見た大宮は、決して無謀な挑戦ではないと確信していた。それほどまでに、馬の状態はよく見えたのである。

 

 

「メインレースの発走は3時半くらいか。それまでゆっくりしているか。それにそのうち新井さんたちも来るでしょうし」

 

 

生産者代表として新井牧場のメンツも来るようで、あとで合流することになっていた。それまでは競馬場らしく、馬券を買って時間をつぶそうと考えていた。

競馬新聞を購入すると、今日の関屋記念の特集が組まれていた。大宮はあまりネット記事を見ないため、新聞や雑誌が競馬の情報源であった。

 

 

「まあ、あまり新情報はないな」

 

 

自分の馬が出走するレースということもあり、数週間前から、関屋記念の記事がある新聞等は閲覧していた。しかし、当日の新聞にもそこまで目新しい情報は乗っていなかった。

 

 

「事前で1番人気じゃなかったのはいつぶりかな。やっぱり初の芝挑戦。それも重賞となると、さすがに厳しい目で見られるか……」

 

 

よく考えてみると、スペシャルラピッドは、オープンクラスに昇格したばかりで、ダートの条件戦でしか勝利したことがない馬である。それが初の芝の重賞で1番人気になるというのもおかしい話である。

ただ、父の血統や、調教の様子、馬体診断などが評価されたのか、それなりに印を貰ってはいた。

 

 

「それにしても、GⅢとはいえ重賞でも4頭も出走させることができるのか。大手のクラブはすごいなあ」

 

 

出走メンバーには、日本最大級の馬産グループと関わりの深いクラブ馬主の名前が連なっていた。1番人気と2番人気の馬もこのグループの馬であった。

 

 

「……勝ってほしいなあ」

 

 

こういった有名な馬主を押しのけて、自分が口取りをしたいと思っていた。少し欲の出た大宮であった。

そんな彼の心を知ってか知らずか、スペシャルラピッドは、その期待に応えることになる。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

午後3時45分。新潟競馬場にファンファーレが鳴り響く。16時近いが、真夏ということもあり、暑さはほとんど和らいでいなかった。

 

 

『新潟競馬場、サマーマイルシリーズ第2戦。第11レース、第51回関屋記念、GⅢ。芝外回り、1600メートル戦。天候は晴れ、馬場状態は良であります』

 

 

2枠3番のスペシャルラピッドは、すでにゲートに入っており、発走に備えていた。秀明は、鞍上で、早く早くとそわそわしている彼の首を撫でて、落ち着かせていた。

 

 

『ゲートインは順調。最後に18番のタガノエトワールがゲートに入ります』

 

 

大外の馬がゲートに入ったことで、ゲートインが完了した。係員がゲートから退避して数秒後、ゲートが一斉に開く。

 

 

 

『態勢完了。スタートしました!そろったスタート。おっと、13番カレンケカリーナが出遅れたか』

 

 

13番と18番がやや出遅れたものの、他の馬たちは好スタートを切ったこともあり、スタート直後から熾烈な先頭争いが始まった。

 

 

『先頭を取ったのは4番ピークトラムか。横から11番ロサギガンティアが上がってくる。さらに外から10番レッドアリオンも上がってきた。熾烈な先頭争いになりそうだ』

 

 

4番の馬が先頭になったと思ったら、外から11番、さらに外から10番と、逃げポジションの奪い合いが発生していた。

 

 

『……5番手内側に3番のスペシャルラピッド、その後ろに5番のダンスアミーガ、その後ろに……』

 

 

スペシャルラピッドは、スタートすると、先行争いに加わるように前に加速していった。しかし、数頭の馬が先頭争いをしていたため、無理に前に出すことはせず、4~6番手付近で競馬を進めていた。

 

 

『……3コーナーカーブに過ぎて、3番クリノタカラチャン、さらに……』

 

 

第3コーナーに入ると、先頭で逃げるレッドアリオンがやや加速していき、2番手と3馬身程度差ができていた。その後ろを11番と12番が追走していた。

実況が最後方の馬の名前を挙げる頃には、先頭は第4コーナーに入っていた。『8』の標識を最初に通過したのは、10番のレッドアリオンであり、そこから3馬身ほど後方で11番のロサギガンティア、12番のダノンリバティが通過した。12番の1馬身後方にスペシャルラピッドは走っていた。

ペースはやや速めであったが、それはスペシャルラピッドにとってデメリットになる要素ではなかった。

 

 

『4コーナーを通過して直線コースに向かっていきます。先頭は依然としてレッドアリオン、それを追うようにロサギガンティアとダノンリバティが追走する』

 

 

新潟競馬場の長い直線に入ると、各馬がスパートを開始する。直線に入り、残り600メートル地点で、4番手にいたスペシャルラピッドは、貯めていた力を一気に開放した。

能海秀明騎手は鞭を使うことなく伸びていく馬の様子に、目を見開いたが、すぐにこれがこの馬の本当の強さなんだと確信し、追い始めた。

 

 

『残り400メートルを切って、スペシャルラピッドが出てきた。これはすごい脚だ。先頭粘るレッドアリオンを楽々と捉える。先頭はスペシャルラピッドだ!』

 

 

 

残り400メートルを切って、スペシャルラピッドは先頭で粘るレッドアリオンの外側を悠々と抜け出し、そのまま先頭に立った。

そして、どんどんと加速していき、後続を突き放していった。

 

 

『残り200メートルを切った、先頭スペシャルラピッド、独走だ。これが芝初挑戦の走りなのか。2番手はダノンリバティとロサギガンティアが、外からヤングマンパワーが追い込む。しかし先頭には届かない!』

 

 

残り200メートル地点で、スペシャルラピッドは6馬身以上を突き放していた。熾烈な2番手争いには無縁のように、先頭を悠々と走っていた。

 

 

『スペシャルラピッドが独走だ。差が縮まらない。スペシャルラピッドだ!圧勝でゴールイン!』

 

 

秀明騎手とスペシャルラピッドは、先頭でゴール板を通過した。そこから、8馬身ほど遅れて2着の馬が入線した。

 

 

『初の芝、初の重賞、そんなものは関係ない。スペシャルラピッド、遅れてきた怪物の覚醒か。関屋記念を圧勝です』

『時計は1分30秒9。文句なしのレコードです。上がり4ハロンは……』

 

 

マイルレースで8馬身差、そして2012年のドナウブルーのレコードを更新したことで、競馬場内は騒然となる。

 

 

『これは秋に向けて恐ろしい馬が誕生しましたね。最後は能海騎手もほとんど追っていませんでしたね。まだまだ余力があると見ました。次のレースは、天皇賞秋か、マイルチャンピオンシップか。大きな期待をさせてくれる馬になりそうです』

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

「本当に強い。強いわホンマ」

 

 

クールダウンとウイニングランを終えて、検量室にやってきたスペシャルラピッドの鞍上の能海秀明の第一声であった。

縣達がスペシャルラピッドに駆け寄り、馬具を外しながら、馬体をチェックする。

 

 

「レコードに8馬身差ですか……」

 

 

スペシャルラピッドは体質が弱い。それに骨折をしたことがある馬である。このため、レコードで8馬身差という圧巻のパフォーマンスが何か悪影響を及ぼしていないか心配であった。

 

 

「本気で走らせましたけど、限界までは走らせませんでしたよ。鞭は使いませんでしたし、ラスト200は追いませんでしたから」

 

 

「それについては、見ていたのでわかります。そこまですごいですか……」

 

 

縣も元騎手で、調教師である。秀明が目いっぱいに走らせていないことはわかっていた。

 

 

「ええ。前走の時も良かったけど、今日はさらに良くなってます。このままの調子なら、自分が過去に乗ったどの馬よりも強くなるかもしれないですね」

 

 

「それは……」

 

 

能海秀明は20年以上騎手を続け、GⅠを含めた重賞を多数勝利している騎手である。名馬と呼ばれているような馬に騎乗したこともある。その騎手がお世辞抜きにべた褒めするレベルの能力が今日のスペシャルラピッドにはあった。

 

 

「今日に関しては、スピードが乗ったところで抑える方が危険だと判断しました。気持ちよく走っていたところを邪魔して、へそを曲げられても困りますからね」

 

 

「それはそうですが、やはり心配になりますよ」

 

 

「その気持ちはわかりますよ。ただ、ラピッドもケガをしたくないのはわかっているから、限界を超えるようなことはしないと思いますね。それこそ、騎手の指示がなければ。ちゃんと我々が教えたことを覚えて実践してくれる。賢い馬ですよ」

 

 

「そうか……それならよかったです」

 

 

騎手の指示を聞かず、常に全身全霊で走り続けようとしていたスペシャルラピッドではなくなったということである。

「それじゃあ俺はインタビューとかあるから、また後で」と言って、秀明は素早く別の場所へ向っていった。残された縣は、馬体のチェックが終わったスペシャルラピッドに近づいていった。

 

 

「頑張ったな。ゆっくり休んでくれ」

 

 

厩務員の伊藤に撫でられて、ご満悦のスペシャルラピッドの首を撫でながらねぎらいの言葉をかける。

 

 

「いてえ……」

 

 

その手を首で振り払い、うるさいとばかりに腕に噛みつかれていた。お前はそういうやつだったなと思いながら、かまれた腕をさする縣であった。

 

 

 

その後、破れた帽子を持っていた大宮(曰く、興奮しすぎて、破っていたとのこと)と、縣厩舎のメンバー、新井牧場の関係者が集合して、ウィナーズサークルで関屋記念の表彰式と口取りが行われた。

初めて、重賞を勝利したレイをかけられたスペシャルラピッドは、自分が讃えられていることがわかっているのか、人間でもわかるほどのどや顔をしていたという。

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

関屋記念後のインタビュー

 

『見事関屋記念を制しました、スペシャルラピッド騎乗の能海秀明ジョッキーです。おめでとうございます』

『ありがとうございます』

『初の芝、それも重賞挑戦でしたが、非常に強い勝ち方でした。不安はありませんでしたか』

『ないといえばウソになりますが、そこまで深刻には考えていませんでしたね。むしろ走らせすぎないように気を付けていました』

『最後は余裕の手ごたえでした。ここまでの勝ち方、レコード勝利は想定されていたことでしょうか』

『レコードはちょっと想定外でしたね。ただ、勝てる馬であると思っていたのは事実です。まだまだ粗削りなところも多いですが、どんどん成長していますからね。次は、『想定通り』といえるようになりたいですね』

『まだまだ成長できるということですか。これは次回以降も楽しみになりますね』

『そうですね。次のレースは未定ですが、大きなところにも挑戦していきたいです。皆さまの期待に応えたいと思います』

『また、今日のような走りが見れるよう、応援しております。そして、最後になりますが、2016年シーズン、重賞5勝目おめでとうございます』

『ありがとうございます。もっと勝てるように努力していきますので応援よろしくお願いします』

『本当におめでとうございます。能海秀明ジョッキーでした』

 

 




ちなみに能海秀明騎手の重賞5勝のうち3勝が地方交流重賞である。意外と地方に強い騎手。

ラピッド君の能力を盛りすぎたかもしれないですが、次走以降に戦う馬がちょっとやそっとじゃ勝てない馬ばかりなので……


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勝利の余韻

誤字脱字の報告、誠にありがとうございます。


 

 

「スペシャルラピッドの初重賞制覇に、乾杯!!」

 

 

新潟市内の居酒屋の一室に、酒を持った大人たちによる「乾杯」の声が響き渡る。ここでは、スペシャルラピッド陣営による宴会が行われていた。新井牧場の代表の勇作や、調教師の縣、騎手の秀明と大宮が参加していた。

その中でも、特にスペシャルラピッドのオーナーである大宮貞治郎は、ご満悦であった。自分の愛馬が、GⅢとはいえ歴史ある重賞で、8馬身差のレコード勝利という文句もつけようもない勝ち方をしたためである。

ゴール後、競馬場は騒然としていたが、馬主席でも同様であった。特に今回は、芝の重賞という舞台で、圧巻のパフォーマンスを見せたため、周りに与えた衝撃は計り知れないものであった。他の馬主や関係者からの羨望の眼差しは、大宮にとって快感であったことは言うまでもない。

 

 

「秀明騎手、今日は本当にありがとうございました」

 

 

スペシャルラピッドを勝利に導いた秀明は、数えきれないほど聞いた感謝の言葉を大宮から受け取る。

 

 

「いえいえ。こんなに素晴らしい馬に乗せてもらうことができたのですから。勝つのが騎手として当然の役目です」

 

 

酒を大量に飲んでいるように思えないほどクールな受け答えをする。ただし、縣曰、『先輩は酒が入ると逆に静かになる』とのことであるため、彼も完全に酔っ払っていた。

 

 

「オーナー。ラピッドはもっと強くなります。それだけは確信を持って言えます」

 

 

「今でも十分強いと思いますが……」

 

 

大宮は、馬がまだまだ成長して強くなるという秀明の言葉に、疑問を持つ。今日のパフォーマンスを見れば、十分成長しきっていると思うのも無理はなかった。

 

 

「それについては、私も同感ですね。スペシャルラピッドはもっと強くなります」

 

 

秀明たちの会話を聞いていたのか、縣が会話に加わる。その後も、騎手と調教師の二人で、いかにスペシャルラピッドが強くなったか。そして今後も強くなるであろうという話をする。

 

 

「そんなこと言われたら期待しちゃうじゃないですか……」

 

 

「大宮さんの夢、叶えちゃいますよ」

 

 

男子中学生のようなノリである。酒に強いはずの縣もかなり酔っぱらっていた。

 

 

「本当に?なら天皇賞の盾が欲しいとか言っちゃいますよ?」

 

 

大宮のいう天皇賞の盾とは、10月末に行われるGⅠレース『天皇賞・秋』で勝利すると、手に入れることができる盾のことである。東京競馬場2000メートルで行われ、『天皇』の名を冠する、伝統あるレースであった。そんなレースに、自分の所有馬が出走し、勝利するというのは何よりの名誉であった。

 

 

「天皇賞の盾ですか?奇遇ですね。自分もそれが欲しかったんですよ」

 

 

「じゃあ、次は天皇賞ですね。いやー期待しちゃうなあ」

 

 

「ラピッドなら、どんな馬も返り討ちにしてしまいますよ!」

 

 

そういって、二人の酔っぱらいは、大笑いし調子に乗り続けていた。それを勇作や秀明は、『あーあ、俺知らねえよ』という気持ちで見ていた。

二人のおっさんは、笑ったあと、妙に冷静になって真剣な話をし始める。

 

 

「まあ、まじめな話、関屋記念を勝利したら、天皇賞に行こうとは思っていました。今日の結果を見れば十分通用しますよ」

 

 

「そうですか。ただ、あくまでラピッドの状態を優先させてくださいね。不調だったら、放牧させても問題ないので」

 

 

体質が弱いという話は嫌というほど聞かされていたため、今日のレースの反動も大きかったのではと大宮は危惧していた。

 

 

「わかりました。何事もなく、10月30日を迎えられるように、乾杯しましょう!」

 

 

浮かれた大人たちによる、今日幾度目かわからない乾杯が響き渡る。

こうして、夜は更けていった。

 

 

そんな頭の悪い宴会の影響か、気の早い大宮は、天皇賞を勝ったつもりで8月、9月を過ごしていた。しかし、9月後半や10月に入ると、有力馬が続々とレースに出走予定であるという情報が大宮にも届いてくる。

 

『エイシンヒカリ、天皇賞秋出走決定!』

『マイル王モーリス、天皇賞秋へ』

『二冠馬ドゥラメンテ、天皇賞秋で復帰か』

『キタサンブラック、春秋天皇賞制覇に意欲!』

『ドバイターフの覇者、リアルスティール天皇賞秋参戦へ』

『ロゴタイプ、皐月賞以来の中距離GⅠ制覇へ』

『ラブリーデイ、天皇賞秋で復活なるか』

 

「おい、なんなんだよ。このメンバーは……」

 

 

フランスのGⅠレースのイスパーン賞で大差勝ちをしたエイシンヒカリ。マイルGⅠを4勝し、2015年の年度代表馬モーリス。宝塚記念前に軽い球節炎で休養に入っていた2015年クラシック二冠馬ドゥラメンテ。菊花賞、天皇賞春のGⅠ2勝馬のキタサンブラック。ドバイターフを勝利したリアルスティール。2013年の皐月賞馬にして、今年の安田記念でモーリスを下したロゴタイプ。前年の天皇賞秋を勝利したGⅠ2勝馬のラブリーデイ。

どの馬も実績、実力ともに現役最高峰の馬たちであった。

また、サトノクラウンやサトノノブレス、ヤマカツエースなど、重賞馬も多数参戦予定であった。

 

 

「楽勝なんてありえないなあ……」

 

 

天皇賞秋の特集が掲載されている新聞を置いて、空を眺める。

 

 

「ラピッドは頑張っているだろうか……?」

 

 

美浦トレセンにいるであろう自分の愛馬のことを思う。縣達がしっかりと管理し、成長していることを願っていた大宮であった。

 

 

大宮が空を眺めてたのと時を同じくして、北海道新冠町にある新井牧場では、勇作たちが汗水たらして働いていた。

 

 

「今年の牝馬もなかなか良さそうだな」

 

 

馬の健康状態が書かれた書類をチェックしながら、牧場長の新井勇作は、事務所で書類仕事に励んでいた。経営者として忙しい毎日を送っている彼の注目の的は、スペシャルラピッドの活躍と、その母、ゴーストミステリアスの産駒の状態であった。

大枚を叩いて牧場に連れてきたこの馬は、新井牧場に大きな利益を生み出していた。初年度産駒であるフジキセキとの仔は、オープンクラスにまで昇格していた。2013年目の産駒であるダイワメジャーとの仔も、未勝利戦を脱しており、条件戦で今も走っている。2014年目の産駒であるキングカメハメハとの仔も秋にデビューできるとの話を聞いている。2015年目の産駒であるステイゴールドとの仔は、元気いっぱいに放牧地を走り回っていた。2016年の産駒はジャスタウェイとの仔で、今のところは元気に育っていた。

 

 

「シンボリクリスエスとの仔もうまく受胎したし、本当に頑張ってくれるなあ……」

 

 

競走馬としてデビューした3頭すべてが勝ちあがり、1頭はオープン馬に、1頭は重賞馬になっていた。特にスペシャルラピッドが活躍すればするほど、弟妹達の評価も高くなり、セリや庭先取引で高く売ることができるだろうと考えていた。

 

 

「関屋記念は本当に凄かった。このままGⅠを勝てば、種牡馬になるかもしれないなあ」

 

 

圧巻のパフォーマンスをしたとはいえ、関屋記念はマイルのGⅢである。人気種牡馬になるためには、GⅠを複数回勝つ必要があった。もちろん重賞未勝利でも種牡馬として大成した例はないわけではないが、やはり好待遇を受けるためには、実績は必要であった。

 

 

「そうなればシンジゲートも組まれるかもしれないな。大宮さん、驚くだろうなあ」

 

 

両手で数えるほどの馬しか所有していない馬主が、いきなりシンジゲートを組まれるほどの種牡馬を所有する。夢のある話であった。産駒が何十億のシンジゲートを組まれるほどの実績を残したとなれば、ゴーストミステリアスの産駒が億を超えるだろうと、金勘定のことも考えていた。

そんな妄言を吐きながら仕事をしていると、それを聞いていた娘の洋子が怒り始める。

 

 

「そんな変な話をしていないで、さっさと仕事をしてください。来週はクロちゃん(ステイゴールドとの産駒)を見たいと、大手のクラブの役員が来るんですから」

 

 

「それはわかっているけど、夢くらい見たっていいじゃないか」

 

 

「はいはい。そうやって金儲けのことばかり考えるから、ぴょん吉に嫌われるんですよ」

 

 

「う……だが経営者としてなあ」

 

 

勇作も新井牧場の牧場長兼代表取締役である。家族や従業員を食わせていくために、金勘定で動くことは当然のことである。

 

 

「まあ、お父さんはそれぐらいでいいのかもしれないけどね」

 

 

父が金勘定を含めた、牧場の冷酷な部分を受け持ち、娘や妻たち従業員が、馬に愛情を注ぐ。そうやってバランスを取りながら新井牧場は発展してきたのであった。これは、彼の父親の代から続く方針である。

 

 

「俺も、馬のことは愛しているぞ。実際嫌われたのはぴょん吉だけだし」

 

 

「ぴょん吉は賢いし、人の機微がわかる子だから、お父さんの金のにおいに敏感なのよ~」

 

 

「そんなもんなのかなあ。縣さんや森本さんたちもあまり好かれていないようだけど……」

 

 

縣厩舎の男性陣は軒並みスペシャルラピッドから塩対応を受けている。体質が改善された最近では、噛んだり、足を踏んでくるようである。厩務員の伊藤には、デレデレらしいので、縣は高度なツンデレと呼んでいたりする。

 

 

「大宮さんだけには懐くんだよねえ。なんでだろう」

 

 

「やっぱりセリの展示会のときに、運命的なものがあったんじゃないかな。ぴょん吉を見ていたときの大宮さんの顔や目に感じたことがあったのかも」

 

 

「馬の目で判断する馬主もいるというが、逆もあるのか……?」

 

 

「逆指名って感じでロマンチックだと思うなあ~」

 

 

洋子は、目の前の決算書類を片付けながら、妙なことを口走る。ロマンチックといってもなあと勇作は思ったが、競馬にはそういう話がよくあるため、否定はしなかった。

そんな会話をしていると、机に片付けてあった競馬新聞が目に入る。1面は天皇賞秋の話題であった。

 

 

「次は、天皇賞か……」

 

 

スペシャルラピッドの次走については、縣達から聞かされていた。天皇賞秋というGⅠレースに出走することが決まっていた。出走するメンバーも強敵ばかりなため、勝利は難しいかもしれないと考えていた。

それでも、自分の生産馬がレースを勝つ姿を考えることはやめられなかった。

 

 

「ぴょん吉は元気なのだろうか……」

 

 

事務所の窓から空を眺めて、遠く離れた美浦トレセンで頑張っている馬のことを思った。

 

 

そんな馬を愛する二人の思いもむなしく、スペシャルラピッドは、美浦トレセンで問題行動を起こしていた。

同じ美浦トレセンに所属する二冠馬ドゥラメンテとの喧嘩である。

彼は、梅雨前に軽いけがをした関係で、宝塚記念は出走せず、そのまま天皇賞秋を復帰戦として予定していた。ドバイターフでは、落鉄もあり、実力を完全に発揮できなかった。そして、宝塚記念前のケガもあり、なかなか実力を発揮することができていなかった。

外厩での調整もそこそこに美浦トレセンに復帰し、来るべき大舞台に向けて、調教が進められていた。その日も、調教を終えて、軽い運動をトレセン内で行っていたのであった。

そこに鉢合わせたのが、縣厩舎のスペシャルラピッドとオティオーススであった。ドゥラメンテが、激しい気性であることは、トレセン関係者内では周知の事実であった。このため、縣たちも、あまり接触させないようにしていたが、偶然一緒になってしまったのである。

とはいえ、ドゥラメンテもいつでもだれにでも喧嘩を売るほどひどい性格ではなかったうえ、トレセン内で、馬同士が鉢合わせるということはいつものことなので、両陣営ともに大事になるとは考えていなかった。しかし、喧嘩は始まってしまったのである。

 

始まりは、ドゥラメンテが、縣厩舎所属の5歳牝馬のオティオーススにちょっかいを掛けようとしたことであった。ただ、同行していた関係者たちが、彼を諫めたため、問題はここで終わるはずであった。

ドゥラメンテの嘶きに反応したのが、普段は大人しいはずのスペシャルラピッドであった。自分の厩舎のボスである、オティオーススに喧嘩を売ったと判断して、喧嘩を買ってしまったのである。

そこからは、唸るような嘶き合いである。

 

【やんのか?】

【ぶち殺すぞ?】

 

両陣営も必死になって、お互いの馬をなだめるが、両者ともにヒートアップしていた。喧嘩の発端となったオティオーススは、『何こいつら、こわ』といった感じで、すぐにその場を離れていた。

 

結局、お互いの調教師たちも駆けつけて、何とか両者を引き離すことができたが、それ以降、スペシャルラピッドもドゥラメンテも、お互いの姿を見ると、吠えるように威嚇するようになるほど、犬猿の仲になった。

 

 

大喧嘩を終えて自分の馬房に戻ってきたスペシャルラピッドは、伊藤に、調教後のご褒美をねだる。伊藤としてもおやつをあげたいところであったが、「ダメだよ」と言って我慢させていた。

 

 

「んも~。そんな可愛い顔してもだめだよ」

 

 

【(´・ω・`)】

 

 

「あ~、そんな顔しないで」

 

 

縣が見れば、猫かぶりやがってといわれること間違いなしな顔をして、伊藤を誘惑していた。結局、おやつをあげてしまい、あとで森本から怒られるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ラピッド君は体質が改善されたことが原因か、ちょっとだけ気性が悪くなっています。


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天皇賞(秋) 前編

夏の暑さも過ぎ去り、少しずつ涼しくなり始めた10月。中央競馬では、秋競馬が本格的に始まっていた。スプリンターズSや菊花賞といったGⅠレースが開催され、競馬ファンは大きく盛り上がっていた。

そんな彼らの注目は、10月30日に東京競馬場で開催されるGⅠレース、天皇賞秋であった。伝統と格式ある重賞レースで、毎年有力馬が出走する注目度の高いレースである。

今年も、有力馬の出走が予定されており、どの馬が勝利するのかレース前から予想合戦が繰り広げられていた。

このような状況のなか、美浦トレセンでは、天皇賞秋に出走する競走馬の一週前追い切りが行われていた。

競馬関係者の注目馬は、マイルGⅠを4勝しているモーリスと2015年クラシック二冠馬のドゥラメンテの2頭であった。2頭ともに追い切りでは良好な数字を出しており、調教師から期待の言葉が聞けていた。

そして、その注目はスペシャルラピッドにも向けられていた。

 

スペシャルラピッドの1週前追い切りは、同厩舎の条件馬との併せ馬であった。僚馬の2馬身ほど後方を進み、騎乗者の合図とともに一気に加速。6ハロン83.0-11.2の時計で3馬身差先着を決めていた。加速ラップを刻んでおり、しっかりと折り合いの付いた調教が行えていた。

これを見た関係者は、前走は決してまぐれではなく、純粋な実力で出した結果である可能性が高いと判断していた。このためスペシャルラピッドは、GⅢ1勝馬にしては、大きく警戒、注目を受けることになった。

追い切り後は、報道陣による取材も行われ、それぞれの馬の調教師が対応していた。スペシャルラピッドの調教師である縣と騎乗していた秀明も同様にインタビューを受けていた。

 

『縣調教師、スペシャルラピッド号の追い切りの手ごたえは如何でしょうか?』

『まあ、いいんじゃないでしょうか。前走の疲れも抜けていますし、しっかり走ってくれました。期待できる内容です』

『ありがとうございます。能海騎手、騎乗の感触は如何でしょうか?』

『いいですね。指示にも従いましたし、調子もいいです。勢いがありますね』

『能海騎手、ありがとうございました。縣調教師、関屋記念が記憶に新しいですが、あのパフォーマンスを期待しても良いということでしょうか』

『是非に、と言いたいところですが、出走メンバーは強敵ばかりなので断言はできませんね。ただ、ベストは尽くしていきますので、応援よろしくお願いします』

 

短いインタビューであったが、陣営の自信を感じされるインタビュー内容であった。調教内容の良さも相まって、スペシャルラピッドの評価は高まりつつあった。しかし、モーリスやドゥラメンテといった実績のある有力馬の人気には届いていなかった。

 

 

1週間追い切りを終えると、縣厩舎では、徐々に空気がピリピリし始めていた。GⅠレースで勝ち負けできる馬の管理は初めてのことだったためである。スペシャルラピッドも調教メニューが厳しくなり、体重の調整のために食事(特におやつ)が制限されたことで、レースが近いことを察して、徐々に顔つきが走り屋の顔になっていた。それはそれとして、おやつをよこせと不満げな嘶きや前搔きをして、伊藤を困らせていた。

 

そんな雰囲気の中、枠順が決定した。

スペシャルラピッドは8枠17番からの出走であった。それを踏まえて、事前の作戦会議が開かれた。騎手の秀明も参加しており、レース前の最後の本格的な作戦会議であった。

出走馬の情報や、当日の天候、過去のデータなどが資料として並べられていた。

 

 

「それにしても外枠か……」

 

 

外枠は好ましくはないが、決まったものは仕方がなかった。ただ、その枠順に対して、秀明は全く堪えていなかった。どうするかと悩んでいた縣に、問題ないと話す。

 

 

「まあ、外でも問題ないよ。本当に強い馬に枠順は関係ないから」

 

 

スペシャルラピッドの能力を知っているからこその発言である。ただ、東京競馬場2000メートルの場合、外枠は先行馬には不利な形状である。スタートしてすぐに第2コーナーがあるため、ポジション取りが難しいためである。しかも今回は、キタサンブラックやエイシンヒカリといった有力な逃げ馬もいる。逃げ先行のポジション争いはし烈なものになると予想していた。

 

 

「それに、ラピッドはスタートが上手だ。いつも通りの競馬をすれば、おのずと結果はでるよ」

 

 

「確かに悲観的に考えない方がいいですね。下手に戦法を変える方がリスキーということですか……」

 

 

「キタサンブラックにエイシンヒカリ、それにロゴタイプも場合によっては逃げるだろうし、ペースが速くなる可能性がある。ただ、ハイペースな消耗戦でもラピッドは戦えますからね」

 

 

「そうなると怖いのはキタサンブラックのスタミナか……」

 

 

菊花賞に天皇賞春を勝利しているステイヤーであり、そのスタミナは脅威だった。

 

 

「それに、ドゥラメンテにモーリスも驚異だよ。ドゥラメンテが3歳時の走りをしてきたら本当に怖い。モーリスもそつのない競馬をするし、本当に強い馬だらけだ」

 

 

名前の挙がった馬はすべて複数回GⅠを勝利した馬の名前ばかりである。しかし、こういった実力馬に勝利しなければ、永遠にGⅠホースになることはできない。

 

 

「この馬たちに負けないくらいラピッドは強いよ。本番で証明しますから」

 

 

「頼みましたよ。ベテラン騎手の力を見せてください」

 

 

縣は、「さすが先輩、頼りになるベテランだ」と思い、作戦会議を続けた。最終的には、いつも通りの競馬をするという、なんでもない結論に達したのであった。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

天皇賞秋前の金曜日、秀明は騎乗のために調整ルームに入った。秀明は調教予定の馬がいないため、東京競馬場の調整ルームに入室していた。周りは、天皇賞で戦うライバル騎手ばかりである。そんな状況でも、後輩騎手に絡みに行き、ウザがられていた。

しかし、和室の部屋で一人になると、途端に不安や緊張が襲い掛かる。縣に大言を吐いていた秀明であったが、本音ではかなり緊張していた。

 

 

「……息子のことを笑えねえな」

 

 

出走馬の情報だけでなく、騎手や調教師の性格や傾向もすべて頭に叩き込んでいた。大きなレースの時は、必ず行うルーティンワークであった。ただ、実際の競馬では何があるかわからないため、その時はその時で行動するようにしていた

悲観論で考え、楽観論で行動する。これが秀明のモットーであった。

 

 

「ラピッドなら勝てる」

 

 

20年以上騎手を続けて初めて出会った格別した才能のある馬であった。秀明も過去に、GⅠを獲ったことあった。しかし、スペシャルラピッドには、そのGⅠ馬を超える能力を持っていると有していると考えていた。また、歴史に名を刻んだ歴代の名馬たちに劣らない能力があると考えていた。だからこそ、絶対に勝たせたかった。

世間では、スペシャルラピッドは実力が未知数の馬と評価されている。GⅢ馬にしては高い評価を受けているが、モーリスやドゥラメンテなどの人気馬には遠く及ばない。

彼らを倒し、この馬の才能を証明する。それが、天皇賞秋で能海秀明の最大目標であった。そして、念願の調教師となった後輩、零細馬主のオーナー、彼らの夢を叶えてやりたいとも思っていた。もちろん、久しぶりにGⅠを勝利したいという気持ちがあったことは言うまでもない。

 

 

「穴馬というほど、ラピッドは弱くない。だが、馬券が舞うかな」

 

 

天井を眺めながら、にやりと笑う。ゴールした瞬間に舞い散る白い馬券が秀明にとっては快感であった。

そんな頭の悪いことを考えているうちに、就寝時間を示すアラームが腕時計から鳴り響く。

寝る前のルーティンワークとして。体内時計を確認する。

 

 

「うし、ぴったり。寝よ」

 

 

数秒で爆睡した秀明の手に握られていたストップウォッチの時計は、ぴったり60秒を示していた。

大番狂わせを演じてきた騎手による、大勝負が幕を開ける。

 

 

 

 

――――――――――――――――

 

 

10月30日、東京競馬場は賑わいを見せていた。観客の目当ては、メインレースの天皇賞秋を見ることであった。

そんな観客に紛れて、馬主の大宮貞治郎は、今日のために奮発して購入した新しいスーツや帽子、靴を身に着け、勝負服に合わせた色のネクタイを締めて競馬場を訪れていた。やや早い時間に到着したため、馬頭観音に参拝し、その後に馬主席を訪れたのであった。

メインレースが近づくにつれて、天皇賞に出走する馬の馬主たちが馬主席に集まり始め、彼らの姿を見て、大宮たちは緊張していた。

 

 

「おい、あそこにいるのって、あの演歌歌手じゃねえか……」

 

 

招待した友人は、馬主席にいる大物演歌歌手を見て震える。近くには、大手クラブの代表や、大物馬主の姿も見える。

すると、その中の数人が大宮の姿を見て、挨拶にやってきた

 

 

「大宮さん。今日はお手柔らかにお願いします」

 

 

「あ、いえ。こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 

馬主として雲の上の存在ともいえる人たちとの会話である。経営者として社会経験のある大宮でも、胃が痛くなっていた。

 

 

「それにしてもいい馬を見つけましたね。私もゴーストミステリアスの産駒には注目をしていたんですが、新井牧場で見たときは体質の弱さが気になりましてね。その時は見送ってしまったんですがね……」

 

 

大手クラブの代表を務める男性は、当歳馬時代のスペシャルラピッドを新井牧場で見たことがあった。素質はありそうだと見ていたが、足の外向や体質の弱さを聞いていたため、クラブ馬としては難しい馬だとも思っていた。

その馬が、気が付けば重賞馬になっていた。惜しいことをしたと思っていた。

 

 

「ありがとうございます。本当に強い馬で驚いています」

 

 

「あの関屋記念の走りは、まぐれではないと思います。強い馬だと思います」

 

 

それは、スペシャルラピッドの強さを認めており、決して油断はしていないという言葉でもあった。

その後、馬の血統の話や大宮の次の所有馬について、一口馬主への誘いなど、なかなかにディープな話をして、盛り上がったのであった。

大宮が会話を終えて、友人のところに戻ると、気兼ねなく参加しているようで、食事などを楽しんでいた。

 

 

「疲れた……」

 

 

「お疲れさん。何というか、紳士の社交場って感じだな。それにしても酒がうまいな。弁当もうまそうだ」

 

 

「なかなか大変な時間だよ。まあ、楽しいと言えば楽しいがな」

 

 

気苦労は絶えないが、たのしい時間でもあった。

 

 

「大宮さんですね?私こういうものでして……」

 

 

自分も何か飲もうかと思ったら、今度は別の馬主からも声を掛けられる。なかなかゆっくりする時間は取れず、緊張する場面が続いていたが、「有名な馬主たちとこの舞台で会話をする俺は、GⅠレースに馬を出す馬主なんだ」と、少しばかり優越感を感じていたのであった。

 

そうこうしているうちに、第11レースのパドック周回が始まろうとしていた。そのため、急いで馬主席から、パドックへ向かっていった。

パドックに入ると、出走馬がゆっくりと歩いていた。その中から、自分の馬を見つけて様子を見る。伊藤厩務員に曳かれているスペシャルラピッドは、相変わらずの高いテンションでパドックは歩いていた。

これだけ見ると入れ込んでいるように見えるが、この「俺はやるぞ、走るぞ」といわんばかりのパドック周回が、彼がいつも通りの調子であることを物語っていた。

 

 

「やはり、他の馬の仕上がりもよさそうだな……」

 

 

モーリスにキタサンブラック、エイシンヒカリなど、GⅠを勝利した馬の仕上がりは、素人目に見てもなかなかのものであった。ただ、目の前にいる自分の愛馬も彼らには負けていないと確信していた。

暫く順調に歩いていたスペシャルラピッドであったが、目線が何かを追い続けているように見えた。

 

 

「あれは……ドゥラメンテか?」

 

 

その目線の先には、変な歩き方でパドックを歩いているドゥラメンテの姿が見えた。それを見ていると、後ろから声を掛けられる。

 

 

「ラピッドの奴、ドゥラメンテのことずっと見ているな。やっぱり仲が悪いのか……」

 

 

調教師の縣と、騎手の能海秀明であった。

 

 

「ああ、喧嘩をしたと言っておりましたね……」

 

 

「ええ、あれ以来両者は犬猿の仲ですよ。いや、どちらかというとラピッドの方が一方的に嫌っているといった方がいいかな?今は、伊藤君もいるし、そういう喧嘩をしてはいけない場所だってわかっているから大人しくしているみたいですが」

 

 

「そうなんですか……レースに影響はでないですよね?」

 

 

幸い、枠順は離れているので、隣同士になって、例の宝塚記念みたいにならないとは思っていたが、悪影響が出ないか心配であった。

 

 

「そこは、ちゃんとレースに集中させますので。まあ、ゲートに入ったら走ることしか考えなくなる馬なので、大丈夫だと思いますよ」

 

 

「そうですか……」

 

 

そんな会話をしているうちに、パドック周回が終わり、騎乗合図が出る。秀明がスペシャルラピッドに近づき、その背中に乗り込む。

 

 

「頼みました。初のGⅠを、天皇賞の盾をお願いします」

 

 

「わかりました。全員倒してきます」

 

 

馬たちが本馬場へと移動する間に、大宮は急いで自分の席に戻る。

本馬場入場、返し馬、国歌斉唱からの関東GⅠのファンファーレが鳴り響く。

大宮が見た限りでは、いつも通りの状態であった。

スタートが近づくにつれて、緊張で手に持った帽子が震える。

 

 

「頼むぞ、ラピッド……」

 

 

中距離の王者を決める国際GⅠレース、天皇賞秋が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 




能海秀明は、若いころはイケイケの騎乗をしていましたが、いろいろあって、どんな馬でも乗りこなす最後の砦的な騎手になっています。ミユピーやリュージ、ブッシー等々の騎手的な存在です。
割と重賞を獲ってきたりするので、腕は本物です。


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天皇賞(秋) 後編

 

10月30日、東京競馬場では、第154回天皇賞(秋)のパドック周回が始まっていた。

各放送局の中継では、パドック解説が行われていた。

 

『……続いて17番のスペシャルラピッド、馬体重509㎏。前走の関屋記念から+5㎏です。現在6番人気となっております』

『はい、馬体の調整はかなり上手くいったのではないでしょうか。毛艶もいいですし、筋肉の付き方もかなりいいですね。前走の走りは決してフロックではないと思います。パドックでチャカついていますが、これはいつものことなので気にしなくても大丈夫だと思います』

 

スペシャルラピッドは、GⅠの舞台でもいつもと変わらず、首を上げ下げしたりと落ち着きのない様子を見せていた。

 

『すべての馬の解説が終わりました。パドックを見た感じですと、どの馬が良さそうでしたでしょうか』

『うーん、やはりモーリスやドゥラメンテ辺りはしっかり仕上げてきてますね。キタサンブラックも馬体重を絞ってきていますから、調整はうまくいっているように思えます。ただ、自分の見た中で一番調子がよさそうだったのは、17番のスペシャルラピッドですね。もともと馬体はしっかりとしている馬なのですが、前走あたりから中身が加わったといいますか、重厚になったといえばいいですか。とにかく見違えるような馬体になったと思います。現在は6番人気ですが、いいところまで行くかもしれません』

『なるほど、スペシャルラピッドですね』

 

GⅢを1回勝っただけの馬にしては高い評価を受けていた。

パドック周回が終わる合図が出され、いよいよ騎手が馬に乗り込む。スペシャルラピッドの背中にも、能海秀明騎手が乗り込み、地下道を通って本馬場へと向かっていった。

 

 

『東京競馬場第11競走、メインレース天皇賞(秋)、GⅠ、芝2000メートル。馬場状態は良。伝統と格式ある古馬中距離レース。今年は18頭のフルゲートで争われます。それでは18頭を紹介します』

『1枠1番。世界を揺るがす大逃げ快速ホース。エイシンヒカリ。馬体重は502㎏』

『1枠2番。ベテランの意地を見せるか。クラレント。馬体重は500㎏』

『2枠3番。昨年の悔しさをバネに栄光を。アンビシャス。馬体重は466㎏』

『2枠4番。15年クラシックの主役はこの舞台で初の栄光を。サトノクラウン。馬体重480㎏』

『3枠5番。春秋天皇賞制覇へ。キタサンブラック。馬体重は538㎏』

『3枠6番。再び王者を覆すか。ロゴタイプ。馬体重は496㎏』

『4枠7番。ベテランに導かれ、初のGⅠタイトルを。アドマイヤデウス。馬体重は476㎏』

『4枠8番。この距離では負けられない。サトノノブレス。馬体重は496kg』

『5枠9番。マイルの王は中距離の覇者となるか。モーリス。馬体重は514㎏』

『5枠10番。今日は紅一点。重賞連勝中の勢いのままに。ルージュバック。馬体重は450㎏』

『6枠11番。初めてのGⅠの舞台でどんな走りを見せるか。カムフィー。馬体重は462㎏』

『6枠12番。15年クラシック二冠馬、復活なるか。ドゥラメンテ。馬体重は492㎏』

『7枠13番。約4年ぶりのGⅠ挑戦。ヒストリカル。馬体重は450㎏』

『7枠14番。ドバイでつかんだ栄光をこの日本でも。リアルスティール。馬体重は502㎏』

『7枠15番。2000メートル重賞を2勝中。GⅠでも強さを見せるか。ヤマカツエース。馬体重484㎏』

『8番16番。昨年は2着。今年こそ勝利を。ステファノス。馬体重486㎏』

『8枠17番。前走はレコード勝利、初のGⅠで栄光を。スペシャルラピッド。509㎏』

『8枠18番。史上2頭目の天皇賞秋連覇へ。ラブリーデイ。482㎏』

 

それぞれが返し馬を行いながら所定の位置に向かっていく。スペシャルラピッドも首を上げ下げしながら、騎手の導かれるように軽やかに芝の上を走っていた。

 

『以上の18頭で争われます。第154回天皇賞(秋)。ファンファーレまでお待ちください』

 

暫くすると、各馬が2000メートルの発走地点に集結する。ゲート入りに向けて待機していた。スペシャルラピッドは相変わらず、ドゥラメンテを睨みつけていたが、絡みに行くようなことはしなかった。秀明は、それを見て「よしよし」と首元を撫でて、集中しているなと馬を褒めた。

 

全頭が集まり、ゲートの準備等が終わると、発走の時間がやってくる。

スターターがスターター・スタンドカーに上ると、観客席も色めき立つ。そして、旗を振られ、関東GⅠファンファーレが競馬場内に鳴り響いた。

 

『東京競馬場メインレース、第11競走、第154回天皇賞(秋)、GⅠ。芝コース2000メートル、18頭で争われます』

『天候は曇り。やや気温が下がり肌寒さを感じる状態となっております。馬場のコンディションは良馬場となっております』

『GⅠ馬7頭。うち海外GⅠ馬3頭が出走。今年は18頭のフルゲートとなり、豪華なメンバーが集結しました』

 

 

枠入りは順調に進んでいた。17番のスペシャルラピッドも秀明の合図とともに、ゲートの中に納まった。

今まで五月蠅くしていたのが嘘のように、ゲート内で大人しくしており、ゲートが開くのを待っていた。

そして偶数番号の馬もゲートに入っていき、18頭全頭がゲートに入った。

 

『最後に18番のラブリーデイがゲートに入りました。これで全頭ゲートインしました』

 

 

18頭が滞りなくゲートに入り、係員がゲートから離れる。その数秒後、一斉にゲートが開いた。

 

『さあ、第154回秋の天皇賞、今スタートしました』

 

ゲートが開くとともに、18頭の馬が芝を蹴り上げる。大きく出遅れた馬はおらず、横並びでゲートを飛び出した。

その中で、積極的に先頭を獲りに行ったのが、エイシンヒカリであった。1枠1番という絶好の枠順を生かして、騎手が手綱を扱きながら前に押し出していた。

 

『さあ、1番エイシンヒカリが前に押し出してくる。そこに外から5番のキタサンブラック、6番ロゴタイプが競り掛けてくる。外枠ヤマカツエースとスペシャルラピッドも前へ前へとやってくる。熾烈な先頭争いだ』

 

同じように逃げを画策したキタサンブラックとロゴタイプが先頭に立ったエイシンヒカリに並びかける。第2コーナーに入ると、外から被せるようにヤマカツエースとスペシャルラピッドも先頭争いに加わっていく。

 

『第2コーナーに入って、先頭1番エイシンヒカリ、そこから5番キタサンブラック、6番ロゴタイプ、17番スペシャルラピッド、15番ヤマカツエースが続きます。外からはスーッと前年覇者のラブリーデイが並びかける』

 

向こう正面に入ると、スペシャルラピッドをふくめた6頭の馬が先頭集団を形成し、その後ろに数頭が馬群を形成していた。注目のモーリスは、中団の後方付近に位置取っていた。ドゥラメンテとリアルスティールは、後方に控えており、自分のペースで走っていた。

第2コーナーを超え、600メートル地点を通過する。通過タイムは当然のように早くなっていた。先頭を走るエイシンヒカリは、本来であればここまで早いペースで逃げる予定ではなかった。しかし、後ろから5頭の馬が競り掛けていたことが原因で、早いペースで逃げざるを得なくなっていた。

そして、スペシャルラピッド鞍上の秀明が、キタサンブラックの横につけて徹底的にマークをしながら、加速するエイシンヒカリに差を付けないように走っていた。これが原因か、ペースメイクが上手い騎手が騎乗しているキタサンブラックも、馬の方が無意識にペースを上げてしまっていた。

さらに、後ろからロゴタイプ、ラブリーデイ、ヤマカツエースもハイペースな逃げに追従したため、ペースダウンの余地が失われていたのであった。

 

先頭がエイシンヒカリのまま、向こう正面終盤に入り、東京競馬場名物の大欅の姿が横目に見え始める。実況が後方の馬の紹介を終えるころには、先頭は第3コーナーに入り始めていた。

 

『3コーナーに入りまして、先頭は1番エイシンヒカリ、1馬身後方に5番キタサンブラックと17番スペシャルラピッド、さらに1馬身後方に6番ロゴタイプと18番ラブリーデイ、15番ヤマカツエースがおります。1000メートルの通過は……57.4です。早い前半の1000メートル。このラップを刻んでいるのはエイシンヒカリ。持つのか、このラップで!』

 

逃げ馬たちの競り合いにより、非常に早いペースで前半1000メートル地点を通過していた。先頭のエイシンヒカリは、57.4で逃げていたが、2番手のキタサンブラックとスペシャルラピッドには2馬身ほどしか差を開けていなかった。この2頭の2馬身後方にラブリーデイとロゴタイプがおり、そこからやや遅れてヤマカツエースが走っていた。この6頭が先頭集団であった。そこから、3馬身ほど後方で、サトノクラウンを先頭とする中団の馬群がいた。このからやや離れた後方付近で1番人気のモーリスは走っていた。

最後方の馬群では、ドゥラメンテとリアルスティールが走っていた。差し・追込みを考えていたこれらの馬の騎手たちは、このままのペースなら、先行集団が総崩れになる可能性があると予想し、仕掛けどころをどこにするか、進路はどうするかを冷静に考えていた。

 

『三・四コーナー中盤になりまして、中団後方に8番サトノノブレス、外から7番アドマイヤデウス。さらに11番カムフィー、その2馬身後方に9番モーリス、14番リアルスティールと12番ドゥラメンテが控えている。そして1馬身後方に10番ルージュバック、16番ステファノス。最後方には13番ヒストリカルがいる』

 

実況が最後方の馬の名前を挙げたころ、先頭はすでに4コーナーの中盤を通過していた。先頭はエイシンヒカリが通過し、その1馬身半後方にキタサンブラックとスペシャルラピッドが併走。その後ろにロゴタイプとラブリーデイ、ヤマカツエースがいた。

 

『先頭エイシンヒカリが4コーナーカーブを抜けて直線に入ります。後ろにキタサンブラックとスペシャルラピッド。外からラブリーデイにロゴタイプ、ヤマカツエース』

 

直線に入り、各馬が一斉に仕掛け始める。

残り500メートル地点では、エイシンヒカリが先頭で、その斜め後ろからキタサンブラックとスペシャルラピッドが迫っていた。鞍上の秀明も、スペシャルラピッドに仕掛けの合図を出して、隣のキタサンブラックに合わせるように、スピードを上げていった。

しかし、その時点では鞭は使わなかった。それは最後の最後の勝負所での一発と決めていたからだ。その一発に反応するように、前から調教していたのであった。

 

『直線残り400メートル。キタサンブラックとスペシャルラピッドが先頭に立つ。エイシンヒカリは厳しいか。馬群中央からモーリスが抜け出してきた。さらに大外ドゥラメンテとリアルスティールが追い込んでくる!』

 

残り400メートル地点で、エイシンヒカリの先頭が終わり、2番手にいたキタサンブラックとスペシャルラピッドが先頭に立つ。その後方では、馬群が開けた隙間を縫って1番人気馬のモーリスが、先頭集団に襲い掛かっていた。

さらに、この時を待っていたとばかりに、赤バツの勝負服の2頭、ドゥラメンテとリアルスティールが外側から突っ込んできていた。

 

『モーリスが伸びてくる!さらに外からドゥラメンテとリアルスティール!しかし、先頭はキタサンブラックとスペシャルラピッドだ。粘る粘る。先頭で粘り続ける!』

 

先頭のキタサンブラックとスペシャルラピッドの2頭が残り200メートル地点を通過する。そのコンマ数秒後、2頭が通過した地点を猛烈な勢いで追い上げるモーリス、ドゥラメンテとリアルスティールの3頭がいた。足を貯めていた馬たちによる猛追であった。

道中で逃げていたエイシンヒカリやラブリーデイ、ヤマカツエースは残り400~300メートル付近で先頭集団から脱落。ロゴタイプも200メートル付近で、先頭争いから脱落していた。

スペシャルラピッドとキタサンブラックの2頭は先頭で粘り続けていた。両者ともに、馬体を合わせながら、競り合っていた。

スペシャルラピッドの鞍上の秀明は、なかなかスピードが鈍らないキタサンブラックを見ていた。そして、後ろから警戒していた馬が来ていることを感じ取っていた。その瞬間、この残り200メートル地点が最後の勝負所であると確信した。

 

「行くぞ、ラピッド」

 

最後の仕上げとばかりに秀明は鞭を一回だけ馬に使った。

それに反応して、馬がさらに加速し始めた。

 

『先頭スペシャルラピッドが抜け出した、抜け出した。キタサンブラックも粘る。外からモーリスだ。ドゥラメンテとリアルスティールも追い込む。しかし、これは、これはスペシャルラピッドだ!ラピッド先頭。モーリスドゥラメンテが差を詰めるがこれは届かない。キタサンブラックも粘るがこれは届かない』

 

残り100メートル、50メートルとゴールまでの距離が縮まる。最速の末脚で、先頭を走るスペシャルラピッドを捉えようとする。しかし、先頭との距離はなかなか縮まらなかった。

 

中団後方から馬群を割って追い込んできたモーリスは、残り50メートル付近で先頭の影を踏むことができた。しかし、二の脚を見せたスペシャルラピッドを追い抜くことができなかった。

ドゥラメンテは、モーリスのさらに外側から上がり最速の末脚で追い込んできた。しかし、モーリスと同様に先頭を捉え切ることができず、ほぼ同タイミングで入線した。

100メートル地点でスペシャルラピッドに抜かされたキタサンブラックはその驚異的なスタミナと意外と侮れない末脚を生かして、再度加速して先頭を狙ったものの、2着からやや後ろでゴール板を通過した。

リアルスティールは、ドゥラメンテと同様に後方から追い込んだが、一歩及ばず、先頭から2馬身ほど後方で入着した。

 

この4頭の猛追をかわして先頭で入線したのは、17番のスペシャルラピッドであった。

 

『スペシャルラピッドだ!芝転向から2戦目。初のGⅠでそのタイトルを掴みました。スペシャルラピッドが決めました。鞍上能海秀明、見事な手綱さばきで天皇賞優勝へと導きました』

 

ゴール後、能海秀明の望んだとおり、馬券が空に舞っていた。

徐々にスピードを落としながら、スペシャルラピッドの様子を確認する。流石の彼も、息を荒げて、かなりの発汗を見せていた。ありていに言えば、疲れていた。

 

「おめでとうございます」

 

後輩の騎手が隣に来て、勝利を讃える。秀明にとって久しぶりのGⅠ勝利であった。

 

『先頭を駆け抜けましたスペシャルラピッド。この王者集まる2000メートルで、その強さを証明しました。2着争いはモーリスかそれともドゥラメンテか。』

 

ターフビジョンには、入線の瞬間が映し出される。先頭に17番のスペシャルラピッド。その約1馬身後方にモーリスとドゥラメンテが入線していた。素人目では、2着争いが全く分からない状況であった。

 

『勝ち時計は1分56秒4です。2011年以来の56秒台です。非常にハイペースな消耗戦となりました。しかし先頭で粘り強さを見せたスペシャルラピッドが勝利しました』

 

レコード決着ではなかったものの、56秒台前半という非常に早い勝ち時計であった。世界を舞台に結果を出してきた馬、同期のクラシック馬たちを抑えての勝利であった。

競馬場内も騒然としつつもの、スペシャルラピッドの勝利を讃えた。

そして、判定がおこなわれていた2着争いも判明する。

 

『着順掲示板、1着スペシャルラピッド、2着モーリス、2着ドゥラメンテ、4着キタサンブラック、5着リアルスティールです』

 

着差はそれぞれ 「1と1/4、同着、クビ、1」 であった。

 

『東京競馬11レースは第154回天皇賞(秋)、18頭フルゲートで争われました。道中2,3番手でレースを進めました17番のスペシャルラピッド。非常に早いペースでのレースとなりましたが、粘り勝ちました』

 

クールダウンが終わり、正面スタンド前の芝で堂々のウイニングランを始める。

今まで1着は5回経験していたが、ここまでの大観衆の前でのウイニングランは初めてであった。

 

『同期がダービーの歓声に讃えられる中、デビューを果たしました。その後もダート戦線で力を蓄え続けました。ケガもありました。その溜めに溜めた力は、今日この日のためにありました』

 

デビューは、今日一緒に走ったドゥラメンテが勝利したダービー当日であった。その時は、だれにも注目されていなかった。しかし、着実に力を貯めて、このGⅠの舞台にやってきたのだった。

 

東京競馬場のファンは、歓声でスペシャルラピッドと能海秀明の勝利を讃えた。秀明は、手を振りながらその歓声に応えていた。いつもなら人間でもわかるくらいドヤ顔のラピッドは、さすがに疲れたのか、無表情で芝のコースと歩いていた。

 

『ハイペースの消耗戦でありましたが、見事な粘りを見せて勝利しました。第154回天皇賞(秋)は、スペシャルラピッドが制しました!』

 

こうして、スペシャルラピッドの初GⅠは勝利で終わった。タニノギムレット産駒としては、ウオッカ以来のGⅠ勝利であった。

 

 




スペシャルラピッドの理想系は、アメリカ競馬の強い馬です。母父のゴーストザッパーや、アメリカンファラオやアロゲート、フライトラインのような勝ち方です。あの走りを最強クラスの強さを持つ馬にやられると対処ができません。
これらの馬の勝ち方からいえば、まだラピッド君は強くなる余地がありますね。


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閑話2

誤字脱字報告、ありがとうございます


 

スペシャルラピッドGⅠ初制覇!

 

1:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:05:25 ID:ShV+xzIdn

おめでとう。強かったわ

 

2:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:05:36 ID:5p9lOum3e

おめでとう

 

3:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:05:48 ID:O5UISf4e8

天皇賞馬の誕生や

 

4:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:06:01 ID:o/nVLREzd

強くて草

 

5:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:06:14 ID:O08MXtqvA

6番人気かよ

知らんわこんなん

 

6:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:06:27 ID:Wo2ppkGeA

モーリスとドゥラメンテが同着2着だから

1着が変な馬だっただけで

 

7:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:06:40 ID:MhgKlsvx4

枠順で切ってたわ

後悔したわ

 

8:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:06:51 ID:/HbiEHZCd

ねんであのハイペースでつぶれないんだよ。

 

9:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:07:02 ID:o+K2yv46T

先行総崩れだと思ったらキタサンブラックと一緒に粘りやがった

 

10:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:07:12 ID:zaGfy7sva

1.56.4とかマジか

2011年以来やん

 

11:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:07:23 ID:ee1Frq7Bb

面白いレースだったわ

モーリスが差し切れんかったのは残念だったけど

 

12:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:07:34 ID:K469BIrsi

1000メートル57.4通過やろ

流石に早いわ

 

13:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:07:48 ID:SYfap4qYo

マジで強い勝ち方だろ

 

14:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:08:00 ID:ogJjx4cFo

ハイペース先頭に追従してそのまま粘って1着とかなんやねん

 

15:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:08:10 ID:/tL4y02+i

なんでこの馬6番人気なんだよ

おかしいだろ

 

16:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:08:23 ID:xhmPWH/PZ

関屋記念の勝ち方を見てただのGⅢ馬とか思っている奴の方が競馬辞めた方がいいぞ

 

17:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:08:35 ID:RuDfxIQVb

デビューからバケモンやぞこいつは

 

18:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:08:47 ID:IKzif4FKF

合計着差と平均着差を見てみ

並の馬じゃねえよ

 

19:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:08:57 ID:iXpkALqa5

パドック解説や返し馬の解説でもかなり評価されていたし普通に買えたよ

 

20:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:09:08 ID:8Hv+2yy+C

実績と能力が釣り合ってねえ

 

21:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:09:20 ID:A69W0aqk2

タニノギムレット産駒GⅠ制覇キター!!

 

22:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:09:31 ID:8wXi/Tqtb

マジで勝ちよった

つっよ

 

23:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:09:42 ID:PLUyibJkj

モーリスもドゥラメンテも惜しかった

キタサンもな

 

24:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:09:54 ID:3hxFhRziG

最後差し切ると思ったんだけどなあ

 

25:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:10:05 ID:E6rgd92xw

上がりタイム見るとスぺラピの脚があまり鈍ってなくて草

 

26:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:10:18 ID:bVkgbCQcO

マジでかっこいい勝ち方

 

27:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:10:31 ID:NN5DCtnIk

200切ってさすがに無理かと思ったらそのまま逃げ切った

 

28:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:10:44 ID:92orqjttF

あそこから粘るのか

 

29:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:10:58 ID:l5o2IOH9Q

キタサンブラックはしっかり差し切られたしなあ

なんなんだよこの馬

 

30:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:11:11 ID:QF3sg+/b1

俺の目は節穴

 

31:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:11:24 ID:+Qg74XzO7

ウオッカ以来のタニノギムレット産駒のGⅠだーー!

 

32:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:11:37 ID:Gayp3np0X

府中の王誕生や

 

33:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:11:49 ID:eeWj0/+NV

>>25

こいつなんでこの数字だせてんの

怖いわ

 

34:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:12:01 ID:hQHeARddQ

そりゃあ差し切れん

 

35:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:12:14 ID:1cgaeAzZw

あれで勝つのが怖い

 

36:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:12:28 ID:TOm0JijwG

モーリスもあと少しだったか

 

37:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:12:40 ID:Lb2Wdtct1

あと少しというには大きすぎる着差よ

 

38:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:12:53 ID:KpqnC8zl7

新たなる府中の直線番長

 

39:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:13:05 ID:/Lgjf4gmA

枠に恵まれなかったのに勝ったのか

 

40:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:13:17 ID:BgwuwRDPR

17番とかマジか

なんで逃げ先行で勝てるんだよ

 

41:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:13:28 ID:BeSz5WRHZ

正直注目してなかった

今思えばバカだった

 

42:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:13:41 ID:WoKPaKJlp

Web競馬の掲示板見ると、ずっと追いかけている奴わらわらいて草

 

43:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:13:52 ID:jyPS/c4Wx

なんであの大逃げに追従するんだよ

 

44:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:14:05 ID:ei42y85/3

逃げ馬が多かったからなあ

 

45:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:14:16 ID:FwTImDaza

普通に今までのレースの内容考慮すれば、無視できない存在でしょ

買わない奴が悪い

俺は買わなかった

 

46:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:14:27 ID:hFNQPYz9N

>>32

ウオッカ以来のGⅠ産駒か

ほんまによかったな

 

47:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:14:40 ID:bAWU1qeqE

モーリスもドゥラもまた2着か

運がないな

 

48:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:14:50 ID:WxcKmuR9V

また逃げ馬にやられてて草

 

49:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:15:03 ID:OsQMQKZpG

エイシンヒカリは何なんだよ

あんなペースで逃げやがって

 

50:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:15:15 ID:fJvxj0dfK

逃げ馬なんてそんなもん

乗り代わりだったしな

 

51:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:15:28 ID:pCDp6FXAK

本当に強い勝ち方でしょ

タイム指数もいいし

 

52:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:15:40 ID:IIQFccPHJ

あんなハイペースなのに先行であの上がりをだされたらこうなる

 

53:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:15:53 ID:q3kLcBxzA

ほぼ逃げで草

 

54:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:16:04 ID:fcnGwfZYz

最後までドキドキした

 

55:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:16:14 ID:VqcK7jxJj

掲示板入った馬全部クソ強いよ

 

56:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:16:26 ID:pcLBVi9g2

モーリスもドゥラが勝ってもおかしくなかったな

なんか変なのが覚醒したせい

 

57:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:16:39 ID:LJ5BapuSK

芝2戦目でこれってマジ

もしかして二刀流

 

58:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:16:53 ID:Q8MSvy1LL

騎手秀明かよ

干されたんじゃなったのか

 

59:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:17:06 ID:ZONlvyg/p

こっからもっと強くなるのか

それとも一発屋か

 

60:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:17:19 ID:WsEY2/yJk

ここで勝つのかよ

関屋記念強かったけどマジかよ

 

61:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:17:32 ID:LDFU59Dzi

ドゥラが勝ったダービーの日にデビュー戦か

よく見たらめっちゃ遅生まれで草

 

62:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:17:43 ID:zIHwjqoSL

ハイペースな展開、後方待機で脚を貯めて直線で差し切る

モーリスもドゥラもこれで普通は勝てる馬なんよ

 

63:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:17:53 ID:wuaLgML+t

>>58 

今年重賞5勝していたし毎年それなりに勝っている

別に干されてない

 

64:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:18:04 ID:TfvQ5oKT3

次はJCかそれとも有馬か

 

65:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:18:16 ID:j6WW0XkoF

舐めてた

すまんかった

 

66:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:18:27 ID:utFinmSs2

>>57

久しぶりにダートと芝のGⅠ馬見れるかもしれんな

 

67:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:18:40 ID:SzmycOxUb

最後差し切られるかと思ったわ

普通に粘り切りよった

 

68:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:18:51 ID:7Jl0vuD5+

やっとスペラピが強いことを証明できたな

今まで下級条件戦ばかりは走っていたし、関屋記念はフロック扱いされてたし

 

69:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:19:05 ID:t/gcB0SeI

秀明が相当評価しているって時点で普通に強い馬だよ

アイツあんまり馬のこと褒めないし

 

70:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:19:15 ID:dxIJYAxxB

>>61

遅生まれだったから仕上がりが遅かったのか

 

71:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:19:29 ID:nG5JzyOxD

ダート使ってたのは脚部の負担を減らすためだって

なんで平均着差が5馬身以上あるんですか

 

72:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:19:40 ID:oTHhE1i6H

遅生まれで体質弱いらしい

4歳でやっと成長したと思ったらケガがあった

本当に応援してよかった

 

73:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:19:52 ID:Qb50yv31L

モーリスもあかんなあ

詰めが甘いというか

 

74:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:20:05 ID:AjFxexI83

スペラピが今日はちょっと良すぎた

あれだけ先行してあの上がりタイムじゃとらえきれんよ

 

75:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:20:15 ID:woNG8sMdL

56秒台は11年以来

相当な消耗戦や

 

76:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:20:27 ID:B20JOZJIH

しかしウオッカとはまた違った馬だな

どちらかといえばダイワスカーレットタイプか

 

77:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:20:37 ID:dAlHBHz9W

秀明鞍上の時点で買うべきだった

アイツが6~10番人気くらいの馬に乗っているときが一番怖い

 

78:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:20:49 ID:w7xQgvoGm

パドックであんなに落ち着いていない馬かえねえよ

 

79:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:21:02 ID:Zu1pxKR+P

ギムレット産駒なのか

確かに流星は似ているな

 

80:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:21:14 ID:W3uQVC7Te

初GⅠおめでとう

応援してきたかいあった

 

81:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:21:26 ID:bCkfCk/zG

ホンマになんやねん

 

82:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:21:39 ID:mn8abtKI6

>>73

安田も札幌も逃げ馬にやられたな

中距離適性はあると思うから次に期待かな

 

83:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:21:53 ID:bVLs1Yyp1

脚がちょっと心配だなあ

あまり脚部が強くないらしいし

 

84:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:22:07 ID:wk6YKWUXV

15年世代の秘密兵器や

 

85:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:22:20 ID:MrOG3SvdS

勝ててよかったねえ

 

86:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:22:33 ID:8VgrHiOB+

縣調教師も初GⅠなのか

おめでとう

 

87:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:22:45 ID:YWWTpBsP1

いらないとこで勝つから秀明嫌なんよ

 

88:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:22:56 ID:fgYElHuqS

スペラピのこと舐めてたやつ息してる?

 

89:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:23:10 ID:pBh7WebQl

>>83

そういえば体質も強くないんだったな

ケガがなければいいけど

 

90:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:23:20 ID:t5LUUk3+V

というか外枠17番の逃げ先行馬が勝つこと自体やばいからな

 

91:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:23:31 ID:eSrgQjM2e

>>76 

母父ゴーストザッパーだし逃げ先行はこっちから受け継いだ?

 

92:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:23:44 ID:UKy94pfop

ギムレット産駒の後継がやっと

 

93:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:23:56 ID:W1eLrfLkg

強い勝ち方だったな

モーリスもドゥラも惜しかった

それにキタサンも

 

94:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:24:07 ID:pzWTu6VtH

>>76

確かにウオッカとは違うな

 

95:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:24:21 ID:0AmXkTohn

こいつの血統、マジで面白いな

母方面が米国血統やなあ

 

96:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:24:34 ID:zO+RowTvJ

ウオッカが牡馬だったらってずっと言い続けてきたが、それが実現しそう

 

97:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:24:45 ID:bxOx/ZVN3

>>92

SSフリーだし種牡馬入りはできそうだな

 

98:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:24:58 ID:Dd4DSXYi7

まあ一発屋でしょ

 

99:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:25:11 ID:WiiV+jB+t

ギムレットが草葉の陰で泣いとる

 

100:競馬好きの匿名 2016/10/30 16:25:22 ID:jrbHySbot

>>98

一発屋でも十分すぎる1勝だよ

 

 

 

 

 

 

450:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:55:22 ID:tHdZF0NJq

>>352

だから秀明はヘタクソじゃねえっていっているだろ

性格はあれだけど

 

451:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:55:38 ID:OCihOaqFu

能海騎手は普通にうまい騎手だよ

今年重賞6勝しているし

 

452:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:55:54 ID:hS2z0z3sJ

若い時のやらかしも多いから馬質には期待できないけど

 

453:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:56:12 ID:6Y4LcQKFf

そういえば息子も騎手だったな

 

454:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:56:28 ID:shBaFr8jb

スペラピの強さってギムレットよりもゴーストザッパーの方なんじゃねえかと思う

 

455:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:56:44 ID:2B1tQ6PEG

>>452 何やらかしたんだよ

 

456:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:57:00 ID:IX0ashsNK

母父ゴーストザッパーか

BCクラシックとか見ると確かにハイペースの消耗戦に強いな

 

457:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:57:18 ID:6BX87Dbce

何度もこすられてるけど本当にゴーストミステリアスの血統もすごいな

なんで日本で繁殖やってんだ

 

458:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:57:35 ID:lrMq2iBGf

ゴーストザッパーは種牡馬的にそこまで実績があるわけじゃないからなあ

失敗ってほどではないけど

 

459:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:57:54 ID:7THkOdGc3

本当になんで日本の中小牧場で繁殖牝馬やってんだろう

 

460:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:58:09 ID:G2qcvEtTs

こいつの兄も弟も勝ち上がっているし、繁殖牝馬として優秀だな

 

461:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:58:24 ID:44FvXRU65

スペラピの馬体見ればわかるけど、すっごい筋肉よな

 

462:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:58:41 ID:HHOV4Itjt

馬体がやばいってパドックでも評判だったし

めっちゃチャカついてたけど

 

463:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:58:56 ID:yLHHtHkFa

ずっと追いかけてきた奴は普通に買えたよな

 

464:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:59:11 ID:tsmjt2Bh8

追い切りも普通に良かったし、人気以上の着順になってもおかしくなかった

 

465:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:59:27 ID:+c7gu+kQ3

あのメンツで6番人気は普通に評価されているだろ

私は買いませんでした

 

466:競馬好きの匿名 2016/10/30 18:59:45 ID:ceT0u1trz

>>422

レース経験的に左回りコースが得意なのか

そうなると次走はフェブラリーSか?

 

467:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:00:01 ID:R3V2pH9Bg

まあまあおいしい馬券だった

スペラピと能海に感謝やな

 

468:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:00:15 ID:EeCYbiWXk

ダート走れるしチャンピオンズカップか

 

469:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:00:33 ID:hSNZ33p0E

>>466

芝路線で結果出したし次も芝でしょ

そうなるとGⅠは安田記念までないのか

 

470:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:00:50 ID:GDKC8zhLv

ドバイターフが現実的じゃない?

 

471:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:01:04 ID:76JNLIJt1

体質弱いらしいし、海外は無理じゃね

 

472:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:01:20 ID:dcij10vOd

ダートは知れるならフェブラリーかもな

 

473:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:01:37 ID:bg5FXWk7C

ドバイターフか安田記念。それかGⅡでどこか使うか

 

474:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:01:51 ID:LI0bPUJbf

徹底して関東付近の競馬場で走らせているあたり、輸送は得意じゃなさそう

 

475:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:02:10 ID:Cij22KshQ

多分右回りが苦手なんじゃね

 

476:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:02:25 ID:PXhNEMCup

ドバイターフ行ってほしいなあ

 

477:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:02:43 ID:E1MdTQ7a8

レーティング的には十分だと思う

 

478:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:02:57 ID:C7Fg14RCI

ドバイワールドカップもいけるんじゃね

ダートも走れるし

 

479:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:03:15 ID:LqtZDRHS6

2400の実績も欲しいしシーマの方行くんじゃね

 

480:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:03:33 ID:kWADccTGc

ドバイワールドカップはいいかもしれんなあ

 

481:競馬好きの匿名 2016/10/30 19:03:51 ID:ajUN5CfoR

次走も楽しみやな

 

 

 



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初戴冠

閑話を投稿する際は、必ず本編と一緒に投稿しますので、よろしくお願いします。


スペシャルラピッドは、第154回天皇賞(秋)の勝者となった。7頭のGⅠ馬を抑えての優勝であった。

最初の1000メートル通過時点で、先頭集団にいた馬の関係者は冷や汗をかいていた。エイシンヒカリもキタサンブラックも逃げて勝利したことがある馬だったため、「逃げ」は想定の範囲内であった。また、多少ペースが早くなることも想定の範囲内であった。しかし57.4はさすがに早すぎた。

スタートから血眼になってスペシャルラピッドの姿を追いかけていた大宮も、これはまずいのではないかと焦っていた。隣の友人が、「ペースが早い」と驚く声も、彼の焦りに拍車をかけた。

このまま最後に力尽きてしまうのではないかと冷や冷やしていた。

 

そして、最後の直線に入り、各馬が一斉に仕掛け始める。それに伴い、競馬場内が一気に盛り上がっていく。地鳴りのような歓声が響き渡り、18頭の馬の足音をかき消していた。

 

 

「行け!行け!ラピッド、行け———————!」

 

 

最後の200メートル。後方から猛追するモーリスやドゥラメンテ、リアルスティール。このままの勢いなら差し切るかもしれないと場内の大半が思った。しかし、先頭を走るスペシャルラピッドの脚色が衰えず、捉え切ることができていなかった。

時間にしてわずか10秒程度。大宮は周りが見えなくなるほど、全力で自分の馬を応援した。

 

 

「行け—————‼」

 

 

持っていた帽子を引き裂かんばかりに引っ張って、声を出した瞬間、何かが破ける嫌な音共に、17番のゼッケンをつけた馬が、先頭でゴール地点を通過した。

 

 

「あっ!」

 

 

ゴールの瞬間、一瞬呆けた大宮であった。そして、自分の馬が勝利したことを自覚し、歓喜の声を上げる。

 

 

「ああ、やった。勝った!勝った‼」

 

 

「ああ、勝ったぞ。お前の馬が勝ったんだよ!天皇賞馬だ!」

 

 

酒で酔っ払っていた友人は、大宮の肩をたたきながら、勝利を讃えた。

暫くすると、ターフビジョンに17番の文字が映し出された。審議はなく、ほぼ100%スペシャルラピッドの勝利が確定した。

 

 

「天皇賞だ。本当に勝ったんだ……」

 

 

現実味がないからか、喜びの言葉を発するだけの人間になっていた大宮であった。そして、口取りなどがあることを思い出し、急いで装鞍所に向かった。

 

装鞍所には、スペシャルラピッドが帰ってきており、鞍などの馬具を外されている最中であった。

近くにいる縣たちに駆け寄り、勝利の喜びを分かち合う。

 

 

「縣先生、おめでとうございます!」

 

 

「いやいや、それはこちらの言葉ですよ。大宮さん、本当におめでとうございます。それと、ありがとうございます」

 

 

大宮は初のGⅠ勝利であった。そして、それは縣にとっても同じであった。

 

 

「天皇賞ですよ!本当に取っちゃいました……」

 

 

「いや、本当に取っちゃいましたね」

 

 

二人とも実感がないのか、他人事のような言葉を発していた。

 

 

「何言ってるんですか二人とも。しっかり勝ちましたよ。審議もなし。正真正銘スペシャルラピッドの1着ですよ」

 

 

そんな二人に、騎手の能海秀明が声をかける。

 

 

「秀明騎手、本当にありがとうございます。本当に……」

 

 

「全員倒してくるって約束でしたしね」

 

 

二人は、そういえばそんなことを言っていたなと本馬場入場前の言葉を思い出す。

 

 

「本当に全員倒してくるとは……」

 

 

「それを言えるぐらいラピッドは強いよ。本当にね……」

 

 

秀明はそう言うと、疲れた顔をしているスペシャルラピッドの首元を撫でる。いつもは男は触るなと不機嫌になるのだが、今日は目を細めながらそれを受け入れていた。

 

 

「ラピッド、強かったなあ。本当にかっこよかったぞ」

 

 

大宮も、彼を讃え、肩を軽くたたく。「ヒヒン」と軽く嘶き、大宮の顔を舐めまわす。そして、「俺ってすごいでしょ」といわんばかりの顔をしていた。

その姿を見て、縣は「じゃあ俺も」と近づいたが、手を伸ばした瞬間に、その手をかまれていた。お前はお呼びではないといわんばかりの行動である。

 

 

「なんで俺だけ……」

 

 

「なんかラピッドに嫌われるようなことをしたのでは?」

 

 

「そんなことはないと思うがなあ……」

 

 

調教師は馬に嫌われやすいから仕方がないかと思いつつも、何か納得いかない縣であった。

そんな感じでスペシャルラピッドは一同から労われていた。一番喜んだのは、伊藤に撫でられて、褒められていたときであった。

 

その後、新井牧場の関係者も合流して、ウィナーズサークルへと一同は向かっていった。

『第154回天皇賞』と書かれた優勝レイを肩に掛けたスペシャルラピッドが本馬場に登場すると、大きな歓声が上がる。

関屋記念をはるかに超える観客が、縣達を待っていた。これだけの観客がいるのは当然初めての経験であった。

縣達は、初めてのGⅠの口取りということで、緊張した顔で、JRA職員の誘導に従っていた。鞍上の秀明は、そういえばGⅠを勝つとこれぐらい人が集まるよなと、昔を思い出しながら観客に手を振って歓声に応えていた。

 

 

「ラピッドの隣は大宮さんとして、どういう順番で並ぶか」

 

 

「先生も隣でいいでしょう。時間がないから早く並びましょう」

 

 

初めての経験ということもあり、写真撮影はグダグダであったが、馬の方が大人しくしていたため、大きな問題は起こらなかった。

写真には、騎手の能海秀明と縣調教師と中心とした厩舎のメンバー、馬主の大宮とその友人。新井牧場の勇作と従業員数名。これに加えて、育成牧場の関係者などもいたが、GⅠの勝利馬にしてはかなり少ないメンバーで撮影が行われた。

 

写真撮影が終われば、次は表彰式である。ターフの上に、『第154回天皇賞(秋)』と書かれた表彰スペースが作られていた。

馬主の大宮、調教師の縣、騎手の能海秀明、調教助手の森本、厩務員の伊藤、生産者の勇作がそれぞれ壇上に立っていた。

会社の経営者時代でも、ここまで大人数の前に立ったことはなかったため、かなり緊張していた。そのため、自衛隊による生演奏の国歌斉唱もあまり頭に入ってこなかった。

花束を受け取り、そして念願の天皇盾を受け取るときが来た。

受け取るとき、白い手袋を着用するのが通例であるが、大宮はそれを持ってきていなかった。このため、JRAの職員から借りることになり、恥ずかしい思いをしていた。次があったら、絶対に自分の奴を持ってくると誓ったのであった。

 

「おめでとうございます」

 

受け取った天皇盾は、想像以上に大きく、重かった。その後にもらった優勝カップが小さく感じるほどであった。そして、念願の天皇盾を持った瞬間、自分は天皇賞馬の馬主なんだと改めて実感し、胸が熱くなった。

その後も、表彰式は粛々と進み、何事もなく終了した。表彰式が終わっても、大宮の興奮は収まらなかった。終わったからこそ、勝った実感がわいてきて、今になって喜びを爆発させ始めていたともいう。

 

馬主席に戻ると、今日の出走馬の馬主が勝利を讃える。形式的とはいえ、他の馬主からの言葉は大宮に優越感を与えた。彼がいい感じで調子に乗っていると、また一人大宮に話しかける人がいた。

今日の天皇賞に出走していた馬の馬主で、日本最大級の馬産グループの関係者であった。

 

 

「おめでとうございます。本当に強い勝ち方でした」

 

 

「ありがとうございます。秀明騎手と、ラピッドが頑張ってくれました。あと縣先生のおかげでもあります」

 

 

「そうですか……油断したわけではありませんが、やられてしまいましたね」

 

 

「いえ、そちらの馬の追い上げも見ていて怖かったです。何とか逃げ切れました……」

 

 

「最後にあんな足を使われてしまってはさすがに厳しかったですね。本当に素晴らしい能力を持った馬です」

 

 

ラスト200メートル付近から見せた再加速は、長年馬にかかわっていた彼でも、感嘆に値するものであった。

 

 

「ありがとうございます。ラピッドに出会えて本当に良かったです……」

 

 

勝利した余韻が抜けないのか、大宮は、自分とスペシャルラピッドが出会ったときの話を始める。その話を聞いていた男は、「ああ、なるほど」といった顔をする。

 

 

「本当に良い巡り合わせだったようですね。スペシャルラピッドは、あなたと出会う運命だったのだと思います」

 

 

「運命ですか……」

 

 

「そういう出会いが競馬にはあったりするものです」

 

 

「運命……ロマンがあっていいですね」

 

 

運命の出会いという言葉を大宮は気に入ったのであった。

その後、クラブの一口会員にならないかと誘ったり、牧場見学に誘ったりと、会話は盛り上がった。

そして、大宮との会話が終わると、男は今日の勝利馬のことを考える。

 

 

「あの時に行くべきだったな……」

 

 

スペシャルラピッドが取引されたせり市に彼らも参加していた。同じ馬産グループの親類から、ゴーストミステリアスの2012が面白いという話は聞いていた。確かに動きの良さや母方面の血統には、興味を惹かれるものがあった。ただ、漏れ聞こえてきた体質の弱さ、そして素人目でもわかるほどの足の外向がネックであった。ただ、これらの不利があっても大成した馬はいないわけではないため、リストアップはしていた。

ゴーストミステリアスの2012のせりにも参加はしていた。しかし、5000万以上も投入することはできないと判断して、撤退していた。

 

 

「逃がした魚は大きかったか……」

 

 

落胆する一方で、大宮のような馬主に購入されたことを幸運だったとも考えていた。スペシャルラピッドは、3歳春までまともに調教すらできない馬で、3歳シーズンは常に未熟なまま走っていたと聞いていた。大宮の話を聞く限り、縣調教師をはじめとした関係者全員がゆっくりと粘り強く馬に向き合ってきたからこそ、今日の天皇賞で自分たちの馬を抑えて勝利するくらいに強くなったのだと感じたのであった。

 

 

「さて、次はどこのレースに出すのでしょうかねえ……」

 

 

有馬か、それとも香港か。レース傾向を見るに、左回りが得意であることはわかっていた。そうなると来年のフェブラリーSか、それともドバイか。

来年も手ごわい相手だと思いながら、手に持っていた帽子の残骸を眺めた。

 

 

「あ、大宮さんに渡し忘れていた……」

 

 

ゴール寸前に興奮で大宮が破った帽子の残骸であった。渡すために声をかけたのをすっかりと忘れていたのであった。

 

 

 

———————————————

 

 

スペシャルラピッド陣営は、天皇賞秋の勝利を祝い、夜遅くまで宴会を開いた。東京の高級な店でしこたま飲み明かした。お代はすべて大宮持ちである。1億5000万も稼いだのだからという理由で押し切られたようである。

 

 

「暫く酒は控えよう……」

 

 

酒が抜けず、頭痛と吐き気の不快感に襲われながらも、コンビニへ行き、お目当てのものを購入する。

 

 

「お!一面だ。やはり天皇賞は大きいな」

 

 

一面には、スペシャルラピッドのゴール前の写真と共に、天皇賞秋の結果を報じる記事が掲載されていた。

関係者のコメントも掲載されており、自分のコメントも当然載っていた。

 

 

「こうやって記事にされると恥ずかしいな……」

 

 

緊張して変なことを話したような気がしたが、そこはいろいろと編集をしてもらったようで、あたりさわりのないコメントになっていた。それでも気恥ずかしさは感じるものであった。

各社の新聞を読み終えるころには、二日酔いもマシになってきており、昨日から引っ切り無しに受信する祝いのメッセージに返信し始めた。いろいろと面倒なところもあったが、「俺はGⅠ馬の、天皇賞馬の馬主なんだ」と思うと、苦には感じなかった。

人生で一番幸せな時間を過ごしている大宮であった。

 

 

 

 

 

【天皇賞(秋)】スペシャルラピッドが初栄冠 ハイペースの消耗戦を制す
第154回、GⅠ天皇賞(秋)を勝ったのは、6番人気のスペシャルラピッド(牡・縣)。GⅠ馬7頭が出走したレースは、エイシンヒカリが逃げ、それをキタサンブラック外5頭が追走するという形になった。1000メートル通過が57秒4というハイペースな展開となったが、道中2、3番手でレースを進めたスペシャルラピッドが、残り200メートルで先頭に立ち、後続の猛追を振り切ってゴールした。勝ち時計は1分56秒4(良)。

 

2015年のダービー当日にダート未勝利戦でデビューを飾り、2016年の関屋記念で初重賞制覇。タニノギムレット産駒としてはウオッカ以来のGⅠ、天皇賞(秋)の勝利となった。

 

鞍上・能海秀明は今年初のGⅠ勝利となった。「ペースは早かったが、スペシャルラピッドは頑張ってくれた。最後しっかりと伸びてくれた。キタサンブラックの粘りやモーリス、ドゥラメンテの追込みは怖かったが、粘り切れた」とコメントしている。

縣調教師(美浦)は、開業以来初のGⅠ勝利となった。「最初は冷や冷やしたが、最後まで失速することなく走り切ってくれた。本当に強い馬」とし、次走については、「次走は未定。年内休養も考えうるが、馬の状態と相談して決めたい。府中が得意なのは間違いないので、来年は安田記念やジャパン・カップに出走してみたい」と来年の目標を宣言した。

 

 



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ぴょん吉の冬休み

本格的な秋の訪れを感じる11月末。

第154回天皇賞(秋)を制してGⅠ馬となったスペシャルラピッドは、美浦トレセンを離れていた。

東京競馬場でのレースを終え、馬運車で美浦トレセンに帰ってきた彼は、見事に体調を崩していた。レース前、ピカピカだった馬体は見る影もなかった。

幸いケガはなかったものの、肉体へのダメージも大きく、暫く筋肉痛などで苦しんでいた。また、肉体面の消耗が原因か、トレセンに帰っても体調は安定せず、食事量もかなり減ってしまっていた。

縣達は、天皇賞が非常にキツイレースであったことを改めて認識したのであった。

 

 

『それで今は北海道の方にいるということですが……』

 

 

『そうですね。新井牧場で休養に入っています』

 

 

大宮は、自分の馬の様子を知るため、縣とビデオ通話をしていた。

縣の話した通り、スペシャルラピッドは、美浦トレセンから離れ、生まれ故郷の新井牧場で休養に入っていた。

 

 

『一度完全に休ませた方がいいですからね。天皇賞のダメージは相当でした』

 

 

当初は、美浦トレセンで調整を行う案や、外厩を利用する案も検討されたが、肉体的にも精神的にも一度完全に休ませた方がいいと判断したため、北海道の新井牧場で放牧されることになった。

 

 

『暫く体調が安定しないと聞いたときは冷や冷やしましたよ』

 

 

『それについては心配をおかけして申し訳なかったです。ケガこそなかったですが、かなり体重も落ちてしまって……』

 

 

天皇賞後のスペシャルラピッドの写真を見た大宮は、あのパドックで威風堂々としていた馬と同じ馬なのかと驚いていた。肋骨が浮き出て、毛並みもボロボロの貧乏くさい馬になってしまっていた。

これを見た大宮は、縣達が提案する年内は休養したいという提案を即座に吞んだ。

 

 

『昨日勇作さんから写真を貰いましたが、前よりはましになっていました。ゆっくり休めているみたいでよかったです』

 

 

『新井牧場はその辺りの調整が上手ですからね。それに洋子さんや裕子さんみたいな大好きな人がいる場所に戻れて精神的にも落ち着きますでしょうから。真冬の北海道に行くというのはちょっと心配ではありますが、やはり休みなれた場所にいた方がいいでしょう』

 

 

レースの後、疲労が大きかったら新井牧場で休む。これはデビュー後のスペシャルラピッドにとってはいつもの行動パターンであった。このため、環境の変化に敏感な彼でも、美浦トレセンと新井牧場の往復は苦に感じていないようだった。あまり外厩や育成牧場等を利用しないのはこういった事情もあった。

 

 

『まあ、ラピッドは今のところは問題ないです。それよりも大宮さんは大丈夫ですか?』

 

 

縣の言う大丈夫とは、天皇賞馬のオーナーになったことで起きるいろいろな弊害であった。お金を持っていることを大衆に公開したようなものなので、それを狙うような人が増えないか縣は心配であった。

 

 

『まあ、変な連絡は増えましたよ。ただ、会社の経営者をやっていたりするとそういうのはよく湧いてくるものですから……』 

 

 

自称親友や、自称親戚などが大宮に連絡を取ってくることがあったとのことだが、大宮は特に気にしていなかった。

 

 

『それならよかったです。いろいろと苦労するオーナーもいるので……』

 

 

『お気遣いありがとうございます。縣先生もいろいろ大変だったのではないでしょうか?』

 

 

大宮もだが、縣も管理馬の初GⅠ勝利であった。開業からそこまで時間がたっていないこともあり、話題にはなっていた。

 

 

『少し取り上げてもらった程度ですよ。まあ、世間一般から見ればたまたま強い馬を管理していただけって感じですから。まだまだ未熟者です』

 

 

『何をおっしゃいますか。私が預託した馬のほとんどを勝ち上がらせてくれたじゃないですか』

 

 

大宮は、馬主を始めたばかりの時に出会った縣(大宮曰、いつの間にか預託することになっていた)にこれまで4頭の馬を預託していた。そのうち3頭が勝ち上がり、1頭はオープンクラスで走り、購入額の何倍も稼いでいた。1頭は条件戦を走っている牝馬のオティオースス、そしてもう1頭はGⅠ馬にもなったスペシャルラピッドであった。

 

 

『それは大宮さんの馬を見る目がいいだけですよ。私は余り関与していませんから……』

 

 

『自分でいうのもあれですが、いろいろと問題のあったラピッドをここまで導いてくれたのは間違いなく先生ですよ』

 

 

大宮流のヨイショであったが、一部は本心であった。

 

 

『そこまで言われると悪い気はしませんねえ』

 

 

そのヨイショに乗っかる単純な縣であった。ある意味いいコンビである。

 

 

『とにかく、大宮さんも天皇賞馬のオーナーになったので、言動には気を付けてください。そういうのをかぎつける悪いやつがいないわけではないので』

 

 

『ご忠告感謝します。あと、縣先生も気を付けてくださいね。先生、結構調子に乗りやすいところがありますから』

 

 

『それは大宮さんにも言える言葉ですよ……』

 

 

『言ってくれますねえ……』

 

 

大宮も縣も調子に乗りがちというのは、祝勝会や飲み会でお互いによく知っていた。

 

 

『『……気を付けましょうか』』

 

 

何か良くないことが起きそうな予感がした二人は、言動に気を付けることを誓った。

 

 

『あ、そうだ。それとラピッドの次走について提案がありました』

 

 

このままお開きになりそうだったが、今日の重要な議題の一つであるスペシャルラピッドの次走について話を始める。年内休養は確定しているが、2017年シーズンについては未定であった。

 

 

『次のレースですか。確か安田記念あたりとおっしゃってましたが来年の6月ですよね。それとも2月のフェブラリーSですか』

 

 

スペシャルラピッドが出走できるマイル上の距離で左回りの芝のGⅠレースとなると、来年の6月の安田記念が一番近い。また、ダートとなると2月のフェブラリーSである。

 

 

『6月の安田記念まで休ませる。それかどこかGⅡレースを挟むというのも考えました。ただ、前々から検討していたレースがいくつかありまして』

 

 

『安田記念でもフェブラリーSでもないとすると、海外ですか?それとも地方ですか?』

 

 

『海外レースで、場所はドバイを考えています。3月末に開催されるドバイワールドカップミーティングです。その中の、ドバイターフやシーマクラシックなら十分勝利を見込めると思います』

 

 

縣が提案したのは、中東のUAEで開催される国際招待競走であった。数多くの重賞競走が実施され、日本馬の遠征も毎年積極的に行われているレース群であった。

 

 

『天皇賞を勝利したおかげで、招待されるのに十分な評価を受けることができました。登録料などは掛りますが、それでも招待競走なので、通常の遠征に比べて負担は軽くなります』

 

 

招待競走であるため、招待されるためには、ある程度の評価を受ける必要があった。スペシャルラピッドは、天皇賞秋を勝利したことで、LWBRR(ロンジンワールドベストホースランキング)で124ポンドを獲得し、I区分で世界第7位となっていた。

招待を受けるのには十分な評価であった。

 

 

『ドバイのレースは見たことがあります。遠い世界のことだと思っていましたが……』

 

 

大宮もドバイミーティングのことは知っていた。競馬新聞や雑誌などでドバイ特集を読んだことがあった。しかし、そこまで詳細に知っているわけではなかった。海外のレースであるため、自分には縁のないものだと思っていたからである。

 

 

『ラピッドには遠い世界ではなかったということです』

 

 

『ドバイかあ。確かに行ってみたいなあ。賞金額もすごいですし』

 

 

メイダン競馬場はかなり豪華な競馬場であると雑誌で読んでいた。

 

 

『ドバイターフもシーマクラシックも1着賞金が360万ドル。日本円で4億近いですからね。一気に億万長者ですよ』

 

 

『夢があるねえ。流石オイルマネー』

 

 

『まあ、出走するメンバーもハイレベルですので、甘いレースではないですが』

 

 

日本馬は勝利しているが、それでも回数はまだ少ない。世界の一流馬が集結するレースだけあって相当ハイレベルになることが予想される。

 

 

『1800メートルか2400メートルか……』

 

 

『まだ、時間はありますので、今日はこういうプランもあるということだけお伝えします。自分でもいろいろと調べたいと思いますので』

 

 

『わかりました。ちょっと考えてみようと思います』

 

 

ビデオ通話を切り、縣の提案を振り替える。

パソコンでドバイのレースについて検索すると、動画や記事など多くの情報がヒットする。

自分の知っている情報もあれば、初めての情報もあった。

 

 

「ターフの方はアドマイヤムーンにジャスタウェイ、リアルスティールか。天皇賞で一緒に走った馬だな。ジャスタウェイは天皇賞勝った後に出走したのか。それにしても強いな」

 

 

ドバイターフ(旧ドバイDF)のレース映像を見る。ラピッドと同じように天皇賞秋を勝利して、その勢いのままに世界最強馬になったジャスタウェイには心が惹かれた。

 

 

「シーマクラシックの方はステイゴールドにハーツクライ、ジェンティルドンナか。どの馬も強い馬だな」

 

 

シーマクラシックの方も、勝利した馬は、名馬と呼べる馬ばかりであった。

どちらかといえば、2000メートルに近いドバイターフの方がいいかもしれないと思っていた大宮であったが、調べていくうちに他のレースにも興味を持ち始める。

 

 

「ドバイワールドカップか。確かこっちがメイン競走だったな」

 

 

ダートの2000メートル競走で、日本馬はヴィクトワールピサが2011年に勝利していた。

 

 

「1着賞金600万ドル!夢があるねえ」

 

 

賞金額は目が飛び出るほどであった。天皇賞のおよそ4倍以上。これに少し欲が動かされたのは言うまでもない。

 

 

「ドバイワールドカップかあ。ラピッドはダートも得意だったよなあ」

 

 

ドバイワールドカップに興味を持った大宮は、昔の競馬雑誌や新聞の記事、パソコン(ビデオ通話等で使い勝手がいいので最近勉強している)を使って情報を集め始めた。

これがキッカケで、縣たちにとってはあまりうれしくない提案をすることになったのである。

 

 

 

 

———————————————

 

 

天皇賞での激闘後、スペシャルラピッドは寒さが本格化してきた12月の北海道で過ごしていた。

 

 

「それにしても本当に勝つとはなあ……」

 

 

勇作は、壁一面に貼られた天皇賞(秋)の記事を見てつぶやく。勝利を祝って、長女の洋子が作ったものであった。

あの日、勇作と洋子は生産者代表として東京競馬場を訪れていた。モーリスやドゥラメンテ、キタサンブラックなどの強い馬が出走しており、勝利は難しいのではと思っていたが、関屋記念の圧勝もあったので好走を期待していた。

ふたを開けてみれば、約1馬身差の勝利であった。猛追するモーリスやドゥラメンテを見て、差し切られると思った。しかし、残り200メートルからの伸びは、長年馬に携わっている勇作たちでも驚くほどであった。

気が付けば、口取りと表彰式に参加していた。記者の質問に何を話したのかも覚えていなかった。

あの日は、大宮オーナーと共にずっと飲み食いしていたことだけは覚えていた。

 

新井牧場に帰ってきてからも大変であった。近くの牧場から祝いのメッセージが引っ切り無しに届いた。何より、ゴーストミステリアスの産駒を見たい、取引をしたいという話が次々に舞い込んできた。

11月はそういった対応に追われた日々であった。そこにスペシャルラピッドが放牧に戻ってきたのである。

 

 

「まあ年内休養は当然だったな」

 

 

天皇賞秋を勝利した後、スペシャルラピッドは年内休養が発表されていた。体重が落ちて弱弱しくなった馬体を見れば当然の選択だと勇作も思っていた。

これから寒さも本格化する北海道で体調管理は大丈夫かと心配する声もあったが、生まれ故郷に来て落ち着くことができたのか、食事量は徐々に元に戻っていった。

天皇賞から1か月半程度経過すると、萎んでいた馬体は元に戻っていた。裕子や洋子に甘やかされている様子を見ると、帰ってきて正解だったと思った。

1か月半で調子は元に戻ったが、レースに向けて調教を行えるほど回復はしていなかった。走ることが大好きな彼も少しボケっとしており、もう少し休養が必要であると勇作たちは考えていた。

机に置いてある競馬雑誌を読むと、ジャパンカップ特集記事が目に入った。

 

 

「それにしてもあのレースに出走していて、なんでジャパンカップを勝てるのだろうか……?」

 

 

天皇賞で、スペシャルラピッドと共にハイペースで走っていたキタサンブラックは、11月末のジャパンカップに出走し、勝利していた。

 

 

「頑丈さがラピッドにもあればなあ」

 

 

スペシャルラピッドは馬体も成長しており、その辺の馬よりは体つきも立派になっている。ただ、それでも自身の能力に身体が付いていかない様子であった。

 

 

「食事量も増えたとはいえ、青草やおやつばっかり食べたがるのは何とかしたいよなあ」

 

 

昔から体質が弱い馬にしては食がしっかりしている馬だった。ただ、勇作たちが専用に配合した濃厚飼料を食べるのがあまり好きではないようで、干し草や青草ばかり食べようとするのである。出された食事は食べるし、量自体もしっかりしているので、放牧をするとしっかりと太ってはいた。

 

 

「まあ、濃厚飼料ばかり食べて栄養過多になるよりはマシか。いつも健康的な太り方もしているしな」

 

 

もう少し内臓面が強化されれば、さらに身体も強化されるかもしれないと勇作は思っていた。

 

事務所を出ると、一面の放牧地が勇作の目に入る。しばらく歩くと、スペシャルラピッドが暮らしている厩舎に到着する。

当歳馬や繁殖牝馬と一緒にするわけにはいかないため、古い厩舎を改造して作った現役馬用の厩舎であった。

 

 

「あ、今ぴょん吉の動画を取っていたところだよ」

 

 

厩舎にはスペシャルラピッドと長女の洋子がいた。洋子は新井牧場の動画チャンネルを運営している。定期的に放牧地の景色や牧場犬や猫を紹介していた。勇作は繁殖牝馬や仔馬や放牧できている競走馬は映さないという約束の元動画は作られていた。

ただ、その例外がスペシャルラピッドであった。

大宮オーナーが許諾したうえ、馬の気性も問題なかったため、特別に動画にすることを許可していた。

 

 

「ぴょん吉が関屋記念、天皇賞を勝ったおかげで、登録者も再生回数も増えているよ~。よかったねえ~」

 

 

カメラを回しながら、馬を撫でる。軽く嘶いて喜ぶ馬の姿が移っていた。

 

 

「それで今日は何しているんだ?」

 

 

「今日はぴょん吉の手入れの様子を撮る予定だよ。やっと馬体も元に戻ったからね」

 

 

流石に天皇賞後のガレてしまった馬体を動画にするわけにはいかなかったため、回復するのを待っていたのであった。

 

 

「あまり無理はさせるなよ」

 

 

「はーい。手入れの時はお母さんも呼ぶよ」

 

 

一応現役の競走馬なので、二人係で動画は取らせるようにしていた。何かあった時のためである。

 

 

「ぴょん吉。ちゃんと洋子のいうことを聞くんだぞ~」

 

 

【(ꐦ`•ω•´)】

 

 

近づいた勇作の手を首で振り払い、耳を絞りながらそっぽを向いていた。

洋子との時間を邪魔されたと思い込んだようである。

 

 

「う、可愛くない奴やなあ……」

 

 

相変わらずの嫌われようであった。

 

 

「へいへい、俺はお呼びではないってことか」

 

 

まあ指示には従ってくれるからいいかと思いながら厩舎を出ていく。

 

 

「このままいけば1月くらいにはトレセンに戻れるかな」

 

 

馬体の回復は順調である。あと半月ほど休めば、気力も体力も回復するだろうと勇作は読んでいた。

そうなると気になるのは次走のことである。大宮や縣からは、海外に挑戦したいという話を聞いている。

 

 

「ドバイか……」

 

 

新井牧場が生産した馬で、海外の競走を勝利した馬はいない。厳密にいえば、アメリカに売られて、アメリカで走った馬が勝ったことはあったが、日本で調教を受けた馬が海外レースに出走したことはなかった。

 

 

「輸送、大丈夫なのかねえ……」

 

 

気がかりな点は、スペシャルラピッドが航空機を使った輸送に耐えられるかどうかであった。

 

 

「波乱がまた起きそうだ……」

 

 

2017年もスペシャルラピッドを中心に、いろいろと振り回されそうな予感を感じた勇作であった。

 



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ドバイへの道

誤字脱字報告、感想いつもありがとうございます。


スペシャルラピッドは、生まれ故郷である新井牧場で年末年始を迎えた。

帰郷当時は、やつれていた様子だったが、生まれ故郷で2か月ゆっくりと休養を取ったことで、体調は回復していた。

一時は見ていられないほどガレていた馬体も元に戻っていた。それどころか、12月後半から妙に食べるようになったことで、5月のケガ明けのときよりも体重が増えていた。

その様子をみた関係者は、1月上旬に美浦トレセンに帰厩することを検討していた。

 

 

「いやぁ、年末に悪いですね」

 

 

縣はスペシャルラピッドの様子を確認するため、年末に北海道を訪れていた。競馬関係者に年末年始は関係ないのである。縣の厩舎には、年末の大レースを走る馬も年始の金杯を走る馬もいないため、多少の余裕があった。

 

 

「いえいえ、これが仕事ですから」

 

 

生産牧場である新井牧場も、交代制で休みは取らせているが、基本的に年末年始の休みなどない。

 

 

「ぴょん吉……スペシャルラピッドですが、肉体的なダメージは回復したと思われます。真冬ですから、大丈夫かと思いましたが、全く堪えている様子はありませんね」

 

 

「思ったより早く回復してよかった。体調の方も安定しているみたいですし、これなら1月上旬にはこっちに来れそうですね」

 

 

「そうですね。11月の1ヶ月間は発熱等で体調が安定しませんでしたが、12月中旬以降、発熱等はありませんね。食も戻って、しっかりと馬体重も増えてくれてますよ」

 

 

天皇賞のダメージが抜けきっていない11月は、かつての虚弱体質を思い出すかの如く体調不良を繰り返してきたスペシャルラピッドであった。しかし、そのころとは異なり、2か月ほどで体調を回復させることができていた。大きな成長であった。

 

 

「まあ、普通の馬に比べるとダメージの回復が遅い馬であることに違いはないですが……」

 

 

縣は、馬房でゆっくりしている馬の様子を見ながら彼の弱点を嘆く。勇作もそれに同意していた。

 

 

「キタサンブラックも頑丈な馬だよなあ。ジャパンカップも勝って、有馬記念も走って……」

 

 

あの時激戦を繰り広げたライバルたちは、当然のように年末のレースを走っていた。キタサンブラックは当たり前のようにジャパンカップ、有馬記念を走り、1着、2着と好成績を収めていた。モーリスは香港カップに出走し、圧勝していた。ドゥラメンテは香港ヴァーズに出走し、サトノクラウンとハイランドリールと激戦を繰り広げた。両者は年内で引退が決まっており、種牡馬として大きな期待が寄せられていた。

 

 

「まあ、他の馬のことを言ってもしょうがないですね」

 

 

「そうですね。それに、彼にはタフさはありませんが、圧倒的なスピードがありますから」

 

 

スペシャルラピッドは、頑丈さこそ平均的なサラブレッドに比べて低いが、競争能力は他を圧倒するほどのものがあった。それがやっと世間に認知されたのが天皇賞での勝利であった。彼の才能について疑うものはほとんどいなくなっていた。

 

 

「それについては本当に天性の才能ですよ。あの秀明先輩が絶賛するほどの才能ですからね」

 

 

「天才か……」

 

 

「それに、彼はまだ完成しきっていません。もっともっと強くなりますよ。天皇賞はまだ成長途中で出走したレースです。私も彼が完全体になった瞬間、どんな馬になってくれるか楽しみですよ」

 

 

「あれで、完成していないのですか」

 

 

「まあ、そうなってもらわないと困るというかなんというか……」

 

 

縣の言葉の歯切れが悪くなる。その様子に勇作も訝しむ。

 

 

「大宮オーナーから次走の要望が出ておりましてね。ドバイに行くことはほぼ決まったようなものなんですが、どのレースに出走するかが検討中でして」

 

 

「ドバイシーマかドバイターフに行きたいと聞いていましたが、違うのですか?」

 

 

前に縣や大宮と話したときはこの2レースに出走が望ましいのではという話をしていた。しかし、目の前の縣の様子をみるにそうではないのだろうと勇作は思った。

 

 

「まさか、ドバイワールドカップの方ですか?」

 

 

「そうです。そうなんです。ラピッドはダートも走っていたのでそっちに出してみたいという話になっていまして……」

 

 

「それは……大変ですね。GⅠで勝負できる能力はあるのでしょうか」

 

 

スペシャルラピッドは関屋記念までダートのレースを走っていた。このため、普通に走れるだろうと勇作は思ってはいたが、国際GⅠで走れるほどの能力があるのかはわからなかった。

 

 

「間違いなく走れます。ラピッドは日本の一線級のダート馬と戦っても勝てるくらいにはダート適性があります。」

 

 

縣の言葉は、ダートのGⅠやJpnⅠのレースに出走しても問題なく勝利できるという、ダート馬を管理している陣営に言ったら「舐めてんのか?」といわれてもおかしくないほどの発言であった。それほど自信があるならなぜ出走をためらっているのかと勇作は思った。

 

 

「アメリカにやばい馬がいます。その馬が出走してくる可能性が高いのですよ」

 

 

「アメリカの……ああ、アロゲートですか。でもBCクラシックを勝利しましたし、引退してもおかしくないと思いますが。あの国は3歳引退なんてよくあることですよ」

 

 

アロゲートはアメリカの競走馬である。トラバースSを大差で圧勝し、BCクラシックではドバイWCを勝利したカリフォルニアクロームとの決戦を制し、2016年度世界最強馬になった馬である。

 

 

「私もてっきり今年で引退するものだと思っていました。しかし、1月末のペガサスワールドカップに出走するとの情報が入ってます。ドバイに行くかはまだ不確定ですが、4歳も走る気があるようです。そうなると昨年のカリフォルニアクロームと同じようにドバイに来る可能性が高いです」

 

 

「そうなるとかなりまずいですね。あの馬はおそらくゴーストザッパー級の馬ですよ。強さについては21世紀最強馬の一角といっていいほどです。」

 

 

二人は、昨年のアロゲートの走りを思い出す。あれだけのパフォーマンスができる馬はアメリカ競馬の中でもそうはいないと思った。

スペシャルラピッドの母父のゴーストザッパーや、ウルグアイの英雄インヴァソール、重戦車カーリン、女傑ゼニヤッタ、三冠馬アメリカンファラオ。アロゲートという馬は、21世紀のアメリカ競馬の歴史に名を刻む馬だと評価していた。

 

 

「ラピッドも府中の2000メートルなら間違いなく勝てます。ただ、ダートだとわからないです。ドバイは比較的砂に近いダートですが、これまでのレースの勝ち馬を鑑みるとアメリカ馬でも問題なく走ってきますね」

 

 

数多くの日本のダートの一流馬が敗れてきたレースがドバイワールドカップであった。それほど、レベルの高いレースであった。

 

 

「やっぱり芝の2レースのどちらかにした方がいいのでは?」

 

 

「ワールドカップと芝の2レースのどちらかを第1希望、第2希望で予備登録する予定です。アロゲートがレースに出てくるかはわかりませんが、出走してきた場合、非常に厳しいレースになるでしょう」

 

 

縣は、決めるなら今週中に決めた方がいいと思っていた。ダートのレースに出走するのであれば、それに対応した調教を行いたい。芝もダートも走れるとはいえ、早めに準備はしておきたいと考えていた。また、海外遠征が未知数ということもあり、出発を早めるという案も検討していた。

悩む縣を見た勇作は、調教師も大変だなと思いながら、馬房でくつろぐスペシャルラピッドを見つめる。

その視線に気が付いたのか、「なんだ?この野郎?」と不機嫌な様子で睨みつけてきた。いつも通りであった。

 

 

「先生。彼は大丈夫ですよ。彼の母の父はあのゴーストザッパーですよ。2000年代最強のダート馬だと思うくらいには強い馬です。それにタニノギムレットも強い馬です。ケガがなければ3歳秋以降にシンボリクリスエスらと激戦を繰り広げただろう馬だと思っています。彼はその血を強く受け継いでいます。だから、大丈夫です」

 

 

生産者として、彼の強さは間違いなく本物であると自信を持って言えた。彼の異常な強さも、血統に名を連ねる馬の血が暴れているからだと思っていた。

縣は、その自信に満ち溢れた言葉を聞いて、腹をくくった。

 

 

「ラピッドの強さを信じないといけませんね」

 

 

「その強さを作り上げたのは、先生なんですから。私は先生たちの努力も信じていますからね」

 

 

「……ありがとうございます」

 

 

縣は頭を下げながら、勇作の言葉に感謝した。

 

 

「ドバイワールドカップに行きますか。行きましょうか!」

 

 

「ええ、行きましょう。挑戦しましょう!」

 

 

【(#^ω^)】

 

 

縣達の会話がうるさかったようで、馬房から首を出したスペシャルラピッドが、大きな嘶きをして、二人に威嚇をする。食事後ののんびりタイムを邪魔されたと感じたのかかなり怒っていた。

 

 

「「ごめんよ……」」

 

 

二人して謝りながら、お詫びのおやつを与える。それでも機嫌が元に戻ることはなく、結局、洋子と裕子がくるまで二人は彼にリンゴやニンジンを与え続けることになった。

 

 

 

 

———————————————

 

 

2017年1月上旬。スペシャルラピッドは美浦トレセンに帰厩した。正月に見たときよりもさらに健康的な姿になって帰ってきた。具体的にいえば再び太っていた。森本や伊藤といった管理を担当するスタッフも苦笑しながらも、元に戻ってよかったと安心していた。

 

 

「スペシャルラピッドのドバイワールドカップへの予備登録は完了しました。2月ころに招待が届くと思います」

 

 

「私と森本君、それに伊藤君がドバイには向かう予定だ」

 

 

縣は、厩舎のミーティングでスペシャルラピッドの海外挑戦をスタッフに伝えた。ドバイミーティングに必要な予備登録は1月上旬に行っていた。例年通りなら2月中旬頃に招待が届く予定であった。

 

 

「先生。ラピッドは輸送にあまり強くないと思うのですが、その辺りはどうなりますか?」

 

 

もう一人の調教助手からも懸念点が指摘される。彼もたまにスペシャルラピッドの調教に参加していた。

 

 

「それについては、森本君とオーナーとも相談して、二つ案を検討している。一つは他の出走馬と同様に、レース直前に日本を出国し、現地で調整して本番を迎える案。もう一つは2月上旬にドバイに入国して、3月のレースまで現地で調整を行う案だ」

 

 

「ラピッドは輸送にあまり強くありませんし、航空機輸送もだめだと思います。輸送負けのリカバリー期間を含めると、2月ころにドバイに行って現地で調整した方がいいともいますが……」

 

 

改善されたとはいえ、スペシャルラピッドは基本的に輸送にあまり強くない。そして初の海外で航空機輸送となれば、何が起こるか分かったものではなかった。

 

 

「ただ、その案にも懸念点があってな……」

 

 

縣の考える懸念点は、幾つかあった。

まず、厩舎のスタッフの経験不足である。縣厩舎は管理馬房もそこまで多くないため、常駐するスタッフもそこまで多くない。調教助手が2人と調教厩務員が10人ほどである。年齢が若いスタッフが多いが、その分やる気も高かった。特に、厩舎の馬が天皇賞を勝利したことは、スタッフたちのやる気をあげる要因にもなっていた。今回の海外挑戦も前向きにとらえていた。ただ、若いスタッフが多いということは、経験不足も多いということでもある。縣厩舎には、海外経験があるスタッフが全くいなかった。

 

 

「現地では何が起こるかわかりませんからね。環境が異なりすぎて、逆に調子を崩す可能性もありますよ」

 

 

また、現地の環境に2ヶ月程度では適応できない可能性も挙げられた。長く滞在すればいいというものでもなかった。美浦トレセンとは全く異なる場所、気温や湿度も日本とは異なる環境。長期間滞在するリスクというのも考える必要があった。

 

 

「一応、ドバイの経験がある人にいろいろ聞いている。向こうでの調教方法とかね」

 

 

縣は、ドバイのメイダン競馬場に管理馬を出走させたことがある関係者から情報を収集し始めていた。

 

 

「前哨戦はどうしますか?芝からダートに代わりますし、一戦使ってもいいと思いますが」

 

 

ドバイワールドカップに出走する馬は、大体が1月~2月ころのレースを使ってから出走することが多い。

 

 

「川崎記念を使ってもよかったが、さすがにスケジュール的に厳しい。フェブラリーSは間隔が短すぎるからさすがに無理だ」

 

 

「現地で調整する場合、ドバイのレースも使わないということですね」

 

 

「その予定だ」

 

 

消耗が激しい馬なので叩きとして別のレースを使うことはできなかった。2月にドバイ入りし、現地調整を行う場合でも、マクトゥームチャレンジラウンド3などのレースを出走することを検討したが、レース間隔が短いため、出走はしないことになった。

スペシャルラピッドは休養明けでも問題なく走る馬であるため、前哨戦は使わなくても問題はないと判断したのであった。

 

 

「前哨戦なしで、芝からダートに代わるというのも怖いが、それは関屋記念の時もそうだったからな。今回は前に走っていたダートに戻るだけというのもある」

 

 

「前哨戦で慣らすより、消耗しない方を優先するということですね」

 

 

「そういうことになる。輸送の手配や、現地の準備、手続きに検疫もあるから、今週中には結論を出す予定だ」

 

 

正式な招待が届くのが2月上旬ころだと聞いていた。このため、その時期には出発しておきたかった。

 

 

「帯同馬は……まあ、オティオーススですよね」

 

 

「その予定だ。ラピッドがよく懐いている馬は彼女しかいないからな」

 

 

オティオーススは、大宮オーナーの所有馬である。そして、スペシャルラピッドが一番仲良くしている馬であるため、帯同馬に選ばれるのは当然であった。

 

 

「あとは、出走予定の馬ですね。怪物が参戦しそうな予定なんですが……」

 

 

「アロゲートについてはまだ出走は確定していない。ペガサスワールドカップで引退というのもあり得る」

 

 

「それは現実逃避では?」

 

 

縣の希望的観測に基づいた発言に森本が突っ込む。

 

 

「それは、そうだけど。あれと戦いたくないなあ。4歳になって衰えたとかないかなあ……」

 

 

「そういうことを言うと大体逆になるので、辞めましょう」

 

 

大丈夫かなこの人と思いながらスタッフは縣と森本を見ていた。

主担当の厩務員である伊藤は、ラピッドならどんな相手でも大丈夫だろうと思いながら、ドバイを走る姿を想像していた。

 

この日のアロゲートが4歳になって衰えていたらなあ……という縣の希望的観測は、1月末のペガサスワールドカップで打ち砕かれることになる。約5馬身差という圧勝であった。

そのうえ、陣営は明言こそしなかったが、ドバイワールドカップへの出走に前向きであった。

 

これに縣達が青い顔をしたのは言うまでもない。平然とした顔でドバイのレースをどう走るか考えていたのは秀明くらいであった。

 




ラピッドくんの能力を、盛るに盛らないといけなかった原因がドバイにやってきます。フライトラインといい勝負ができる馬の一頭だと個人的に思っている馬です。


2010年にレッドディザイアとウオッカが2月10日に出国しています。招待通知を受け取ったのが出国後のようで、正式招待前にドバイ入りしてもいいのかはわかりませんでした。
案2を採用した場合、スペシャルラピッドは、ほぼ確実に招待される(レーティング的に問題なし)なので、予備登録時点でドバイ入りします。輸送費とかはどうなるかわかりませんが、通常遠征と同じ馬主負担になった場合、大宮オーナーがすべて負担予定です。
あと、ラニと一緒に出国しても良かったのですが、あの怪獣と一緒に飛行機に乗ったら何が起きるかわからないので、回避します。


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ドバイワールドカップミーティング 1

ちょっとプライベートが立て込んでいたので、遅れました。

イクイノックスが想像を超えてきたので、主人公の能力値も上方修正しました。これ以降の展開については、イクイノックスに文句を言ってください。


冬の寒さが厳しい1月下旬。美浦トレセンの一角で、能海秀明と縣浩平が話し合っていた。話題は、秀明が主戦を務めるスペシャルラピッドの遠征計画についてであった。

 

 

「ラピッドですが、2月上旬の便でドバイに行くことが決まりました」

 

 

「輸送は大丈夫か?」

 

 

「そこについては、未知数としか言えませんね。できる限りのことはしますが」

 

 

「検疫も大丈夫なのか?あいつ結構精神的に弱いところがあるし……」

 

 

「最初は怖がっていたみたいなんですが、向こうの職員に女性がいたので、すぐにデレデレしたようです。相変わらずですよ」

 

 

「本当になんであんな性格になったんだろうなあ。20年以上騎手をやっていて、あんな性格の馬は初めてだよ」

 

 

スペシャルラピッドは、検疫のため、美浦トレセンを離れている。知らない土地で暫く過ごしているためか、最初は少し寂しそうにしていると検疫の関係者から話が入っていた。

しかし、女性の職員を見つけてからは、その人に懐いているとの話も聞いたため、心配して損したと縣は思っていた。

 

 

「まあ、検疫の方は何とかなりそうだ。問題は当日の輸送なんだよ。絶対輸送負けするだろうし……」

 

 

縣達は、スペシャルラピッドが航空機輸送の影響で、発熱レベルの事態が起きることまで想定していた。

 

 

「海外のレースの難しさだな。ドバイや香港は挑戦する馬が多いから、ノウハウができつつあるからマシといえばマシだな」

 

 

秀明は00年代初頭に香港国際競走に騎手として出走したことがある。海外経験が全くないというわけではなかったが、ドバイに行くのは初めての経験であった。

 

 

「というか俺が乗っていいのか?正直外国人が乗るかと思ったよ」

 

 

天皇賞を勝利したことで、スペシャルラピッドの実力を疑うものはほとんどいない。そのため、有力騎手やそのエージェントの営業が強まっていた。その中には有名な外国人騎手もいた。

実績的に、秀明は一歩劣る存在であった。

 

 

「先輩の方がいいという大宮オーナーの意思を尊重しますよ。天皇賞に勝ったのが大きかったみたいです。ただ、私もよほどのことがなければ乗り代わりは検討しませんよ」

 

 

「そういってくれるとありがたいね。俺もドバイワールドカップに騎乗したことがある先輩や後輩に話は聞いておくよ。時間があればね」

 

 

こんなことを言っている秀明であったが、事前に準備は怠らない男である。すでに何人かの騎手から話を聞いていたりする。

 

 

「あとはラピッドの状態がどうなるかだな。俺は調教には参加していないからわからんが、見た感じ調子はかなり良さそうだったが」

 

 

「状態はいいですね。1月に戻ってきたばかりのころは、太ったせいでちょっと身体のキレが落ちていましたが、今は状態が戻りつつあります」

 

 

「なんかまた大きくなったような気がするけど気のせいか?」

 

 

騎乗はしていないが、定期的に馬房を訪れて、様子は確認していた。休養明けのむっちりした身体は、少しずつ絞られてた。

 

 

「それがまた腹帯や鞍を変えることになりましてね。馬体重は、今は530kgほどですが、もう少し絞れます。まあ輸送と現地での滞在もあるので、1月は調整レベルに留めていますよ」

 

 

鬼門の航空機輸送があり、さらに現地で調教をしていくことを考慮したため、完全に絞り切らなかった。これが3月中旬出国なら、話は変わっていただろう。

 

 

「本当に規格外の馬だな。初めて見たときはもっと薄い印象だったけど、全部筋肉になったのかな?」

 

 

「入厩当時から馬体、特に体高は大きい馬でしたね。ただし、遅生まれのせいか、馬体は大柄だけど未熟さがありましたからね。まあ、その時でも十分素質は感じされてくれましたけど」

 

 

現在のスペシャルラピッドの体高は170cmと平均より大きく、胸囲も195㎝を超えている。

馬体重は、3歳頃は500〜510kgで走っており、昨年のベストパフォーマンスだった天皇賞は、509kgで出走していた。しかし、この調子でいけば515kg〜525kgくらいで落ち着くのではないかと縣は考えていた。馬体重が重ければ良いというものではないが、昨年の夏頃から徐々に体高に見合った馬体になりつつあると感じていた。

厩舎スタッフ全員が、休養時に蓄えた栄養が全て筋肉に置き換わるのではないかと考えていた。こんな成長をする馬は見たことがなかった。

 

「なんとかドバイのレース前の万全の状態にしたい」

 

 

「これ以上筋肉つけて重くなっても困るなあ......バランスよく頼むぜ」

 

 

「ラピッドを筋肉ダルマみたいに言わんでください。こいつは筋肉もすごいですけど、身体の柔軟性もかなり高いですからね」

 

 

「筋肉ダルマは冗談だよ。こいつがただのマッチョ馬じゃないのは、騎乗していつも感じるしな」

 

 

秀明は、スペシャルラピッドの圧倒的なスピードは、大きな体躯と柔軟性、そしてそれを支える圧倒的な筋肉量に支えられていると考えていた。

スペシャルラピッドのストライド幅は、普通の馬よりも大きい。その割に脚の回転数も馬鹿みたいに早い。一完歩が長いのに、脚の回転が速いというあまり見かけない能力を持った馬だった。筋肉だけでなく、柔らかな関節を有していないと、ここまでの走りはできないだろう。少なくとも、こんな馬に秀明は騎乗した経験がなかった。

要するにただの筋肉ダルマではないということである。むしろ、スペシャルラピッドの走りを支えるために必要な体幹や筋肉が、この冬を経て完成するのではないかとも考えていた。

 

 

「まあ、こんな走りをしていたら消耗するのは当たり前だよな……」

 

 

こんな走法をしているのだから、体力の消耗は激しいのは当然であるが、ラピッドはそれに対応できる驚異的な心肺能力も有していた。しかし、消耗した体力の回復能力は高くないようで、体質の弱さも相まって、出走できる回数は少なくなっていた。

 

 

「最近は抑えが利くようになったとはいえ、一戦一戦の消耗が激しい馬ですからね。前哨戦は使えないですが、その分本番で爆発してもらいましょう」

 

 

「そうだな。それまでにきっちり仕上げてくれよ」

 

 

「期待していてください。まあ、現地では森本君が主担当になりますが……」

 

 

縣は自分の厩舎の馬の管理もあるため、ドバイに常駐することはできない。そのため、森本や伊藤が現地に常駐することになっていた。もちろん、定期的に現地を訪れる予定であったが、関りはどうしても少なくなる。ただ、縣は森本たちの能力を信頼しているので、そこまで心配はしていなかった。

 

 

「ほお、森本君が。なら期待だな」

 

 

ニヤニヤとした顔で縣を揶揄う。

 

 

「え、俺よりいいってこと?」

 

 

「……冗談だよ」

 

 

「冗談に聞こえないんですが……」

 

 

「……」

 

 

縣の追及に顔をそらす秀明であった。後輩をいじって遊ぶのが彼の趣味である。息子から性格が悪いといわれるだけのことはあった。

 

 

 

 

――――――――――――――

 

 

2月上旬。検疫が終わったスペシャルラピッドがドバイに出国する日となった。

検疫厩舎のある場所から、空港に移動し、専用の航空機でドバイに向かうことになっていた。

経験と実績のある会社が航空輸送を担当するため、縣達は輸送そのものに対して心配はしていなかった。しかし、スペシャルラピッドが初めての航空機輸送にどこまで耐えることができるかが未知数であったため、気が抜けなかった。

 

 

「あれが輸送用のストールなんですね……」

 

 

大宮たちは、輸送用のストールで飛行機に積み込まれる様子をライブ映像で視聴していた。輸送会社に頼み込んで、映像を回してもらっていたのである。

 

 

「ああ、あんなに怖がっちゃって……」

 

 

専用のストールに入っているスペシャルラピッドは、かなり怯えた顔をしていた。飛行機のエンジン音が軽減されるように、『新快速』と書かれた特別なメンコを付けていたが、それでも怖いものは怖いのだろう。

輸送用のストールには3頭入ることができる。このため、両隣に今回の遠征の帯同馬が乗っていた。1頭は同じ厩舎の年上の牝馬であるオティオースス。もう1頭は新井牧場でリードホースを務めているキョウテンドウチという牡馬であった。この遠征に縣は2頭の帯同馬を付けたのであった。

 

 

「まさかラピッドが仲良くしている馬が全員集合するとはなあ……」

 

 

「本当に贅沢な奴ですよ。休養地で仲の良かった馬まで連れて行くんですから」

 

 

キョウテンドウチはスペシャルラピッドの生まれ故郷の新井牧場でリードホースを務める13歳の葦毛の牡馬である。島本牧場で生産され、10歳まで地方で走り続け、引退後に島本牧場でリードホースを務めることになった異色の経歴を持つ馬である。

放牧中のスペシャルラピッドはこの馬と仲が良かった。リードホースを務めあげるくらいには気性が良く、リーダーシップのある馬であった。寂しがり屋なところがあるラピッドとは相性も良かったのである。

 

 

「本当に勇作さんたちには苦労を掛けてしまいますね……」

 

 

「快く送り出してくれましたからねえ」

 

 

縣と大宮は、遠い北の大地にいる新井勇作に感謝の念を送った。

大宮は帯同馬の輸送費や滞在費を支払うことになっているため、大きな負担を強いられていた。しかし、最強の愛馬が勝利するためなら、いくらでも出せると豪語していた。

 

 

「大丈夫かな……」

 

 

万全の対策をしたつもりであったが、不安なものは不安であった。

 

 

「私も現地に向かいますので、大宮さんは安心して待っていてください。定期的な報告は欠かしませんので」

 

 

縣もすぐに出国して、ドバイに向かう予定であった。現地には常駐はしないが、定期的に向こうに行く予定であった。この旅費もすべて大宮持ちである。

 

 

「頼みます。もしも、本当に無理だと判断したら、ためらわないでください」

 

 

「承知しました。向こうで万全の状態に仕上げて見せます」

 

 

ライブ映像では、3頭の馬を乗せたストールが、飛行機の中に入れられる様子が映っていた。

 

 

「耐えてくれ……」

 

 

大宮の祈りは、空港で恐怖体験を味わっているスペシャルラピッドに届いたのかはわからなかった。

 

 

爆音が響く中、飛行機に詰められたスペシャルラピッドは、想定通りかなり怯えていた。すべてが初めての経験であった。鳴り響くエンジン音と浮遊感はかなりのストレスであった。

しかし、彼がボスと慕っている牝馬のオティオーススは平然としていた。それどころか、ヒンヒンとうるさく嘶いていたラピッドを見て、「うるさい」といった感じで一喝していたのである。

厩舎のボスに怒られたラピッドはたまらず隣の葦毛の牡馬に助けを求めるが、キョウテンドウチは初の飛行機なのに平然と爆睡していたのである。

 

 

「なんというか本当に豪傑な姉さんって感じですね」

 

 

航空機内で馬たちを管理していたスタッフはオティオーススを見て、すごい馬だと感心していた。

ストール内では、食事もできるように食料と水が用意されていた。スペシャルラピッドは、怯えて食事どころではなく、全く手を付けていなかった。しかし、オティオーススは自分の分を爆速で平らげていた。それどころか、食わないならよこせといわんばかりに隣のラピッド用の食事を食べていた。

キョウテンドウチの方もずっと寝ているか、同じように自分の食事を平らげて、ラピッドの食事にも手を付けようとしていた。

 

 

「何というかマイペースな帯同馬ですね……まあ、神経質な馬にはこういう馬が一緒の方がいいのでしょうけど」

 

 

実際、自分の目の前にある食事が両隣の馬にどんどんと奪われる様子を見て、なんで平然としていられるの?といった反応をラピッドは示していた。要するに2頭とも厩舎や放牧地にいるときと全く態度が変わっていなかったのである。

このため、少しずつであるが、ラピッドも飛行機に慣れることができていたのであった

 

 

スペシャルラピッドにとって恐怖の空の旅は、ドバイの空港に飛行機が着陸したことで終わった。事故もなく、安定したフライトであった。

スタッフが機内から搬出されるストールを大宮向けに撮っていた。そこには、元気がなさそうなラピッドと、新しい場所に興味津々な様子のオティオースス、眠そうにしているキョウテンドウチの姿が映されていた。

 

 

「なんとか無事についてくれたか……」

 

 

無事についたことに安堵しつつ、これからの調整に苦労しそうだなと感じた大宮であった。

このドバイの地でどこまで彼の真価を発揮できるかはわからなかった。しかし、縣や森本たち厩舎のメンバー、そしてスペシャルラピッドの底力を信じていた。

 

 

「さて、ドバイに持っていく帽子はどうしようかな」

 

 

天皇賞で破壊した帽子の代わりを探す大宮であった。

これが破れるかどうかは、レース当日の結果にゆだねられた。

 




ラピッド君ですが、母父がゴーストザッパー(デピュティミニスター系(ノーザンダンサー系))
母母父がエーピーインディ―(シアトルスルー系(ボールドルーラー系)
母母母父がストームキャット(ストームキャット系(ノーザンダンサー系))
母母母母父がミスタープロスペクター(ミスタープロスペクター系)
という米国血統の詰め合わせセットのような血統をしています。
母のゴーストミステリアスのモデルになった馬が、セクレタリアトの4×5、ミスプロの5×4、バックパサー(マルゼンスキーやイージーゴアの母父)の5×5、ノーザンダンサーの5×5のクロスがあります。

新井牧場はどうやって日本に持ってきたんですかねえ。


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