【完結】龍教団物語 (ターキィ)
しおりを挟む

1話:銀仮面の女騎士

 

まず二人の姉妹がいた。彼女たちは所謂神という存在と言って差し支えはなかった。

姉の方が、世界を作った。これはあまり褒められた行為ではなかったようで、抗議文まで届いた。無視した。

それはともかく、魔法と不思議に満ちた世界であったが、それ故に常に混迷としていた。

彼女は秩序なき世界に不貞腐れ、世界を妹に譲った。姉はこの世界のことを『割れた世界』と呼んでいた。

姉は混乱の原因は魔法だと考え、地形をそのままにもう一つの魔法のない世界を作ると、

その中にすっかり入り浸ってしまった。姉はそちらの世界を『公正世界』と呼んだ。

これにも抗議文が届いたが、やっぱり無視した。

 

妹に譲られた世界こそがこの物語の舞台である。

彼女は神に匹敵する能力を持つ大型爬虫類、ドラゴンを作り、無闇矢鱈と世界に解き放った。

この大いなる脅威は人々に団結を促す圧力を与え、そしてそれは世界をある程度安定させたのである。

人々はドラゴンを畏れ敬った。いつしかそれは信仰となり、龍教団なる組織が生まれることとなる。

 

時は下り、様々な歴史的事象と龍教団の分裂、大帝国の崩壊を経て、封建の時代が訪れる。

そうした中、フリース=ホラントと呼ばれる地域で、龍教団クピド派の巡礼者にとある少女が保護された。

凄惨な環境にいた彼女は手厚く看護され、心身ともに健康を取り戻す。

彼女の名はアーデルヘイトといった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「ふわぁーぁ、朝かぁ……」

今日も気持ちのいい朝だ。私は朝食の準備をする。と言ってもパンを切って昨夜の残りのスープを用意するだけだ。

私が目を覚ました時には既に日は高く昇っていて、朝の鐘も鳴っていた。

夜中まで恋愛小説を読んでいたせいで、すっかり遅くなってしまった。

慌てて朝食を食べ身支度を整える。チュニックにズボン、ブーツを履いて、龍教団の赤いフード付きローブを羽織ればおしまいだ。

そうして礼拝堂へと向かうと礼拝堂のヌシ、シスター・ベロニカが優しく出迎えてくれた。

「おはよう、よく眠れたかしら?」

「お、おはようございます……」

笑顔で挨拶してくれるシスターに対して、私はぎこちない笑顔を返す。

絶対内心怒っている!笑顔の仮面の下はきっと憤怒の表情だろう……。

「アーデルヘイト審問官。私達は愛の龍神クピドの信徒、というのはおわかりですね?」

「え、ええ、まあ……」

「では、なぜあなたは毎晩夜更かしをして寝不足なのでしょうか?睡眠は愛を維持するために大事な物なのですよ。なのにあなたは……!」

やっぱり怒っていた。この説教も果たして何度目だろうか……いや私が悪いのだけれども。

「す、すみません……」

「謝罪の言葉など不要です。審問官という立場である以上、ある程度の自由は認めますが、節度ある生活を心がけてください」

「……はい」

しょんぼりしていると、シスター・ベロニカは急に優しい顔になる。

「では、朝の礼拝を始めましょう。今日は良いことがありますように」

「……はい」

こうして私の一日が始まるのだ。

 

ところで、審問官というのは、信仰に反する者などを取り締まる役職であるが、ここ数十年は平和なもの。

前任者も殆ど仕事をしなかったという。背信だの異端だの破門だのという物騒な話はとんと聞かない。

元々クピド派が龍教団西方諸派の中でも特に世俗的という事情も存在する。

本来なら敵対者を調査したり、密使として活動したりと忙しいはずだったのだけど、今じゃ単なる便利屋兼雑用係だ。

んで、恋愛小説を読み耽ったりと色々と自由が利くので私は案外気に入っている。私はあまり敬虔な信徒ではないので……。

 

礼拝を終えると殆どが自由時間。審問官というのは平時にはガチで暇なのだ。

今や形だけの役職であり、お祈りに顔を出しても、あ、今日は来たんだ、みたいな顔をされたりもするので、実質名誉職みたいなものだった。

なので、私は大抵訓練所か書庫にいる。今日は訓練所の日だ。

修道院とて自分たちの身は自分たちで守らなければならないので僧兵、聖騎士などがいる。

彼らは武術の訓練や、戦闘技術の研究を行っている。私もそこに混ぜてもらっているのだ。

「あ、今日も来られたのですね」

銀の仮面を顔につけ、全身に包帯を巻いた上に甲冑と教団のローブを着た女騎士ルーナが私に声をかけた。

彼女は何らかの病気にかかっているが、あまりその事については話さない。

症状から見て大体のあたりはつくが、わざわざ聞くこともないし本人も黙して語らないので触れないことにしている。

ただ、とても強くて頼りにはなるけど見てくれにそぐわず結構呑気な性格でもある。

しかもこう見えて16歳、この若さで聖騎士とは、どこぞの暇人審問官とは違うのである。

「これから、貧民街の方へ行きます。ご一緒しますか?」

その上、自身が病の身であるということもあるのか慈悲深く、慈善行事にも熱心なのだ。

治安の悪い貧民街へ行きたがる修道士は彼女くらいしかいないだろう。

「貧民街か、こう言ったら悪いけど、あまり良い所じゃないでしょ」

「大丈夫!実はですね、こう見えて私って悪人には絡まれにくいんですよ!」

性格面はぽやっとしているが、見た目がおどろおどろしいのでな……。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

私たちは馬に乗って貧民街を訪れていた。ここには病人や怪我人の面倒を見ている教会がある。

愛の信徒クピド派は無償の愛の精神を尊ぶため、こういった施設の運営を推奨しているのだ。

とはいえ、やはり先立つ物は金なので、運営費を捻出するのに苦労している。

「おお、来られましたかルーナ様」

そう言って出迎えてくれたのは、初老の神父であった。彼はこの教会を管理をしている。

「こちらは今月の分の運営費、それと甘いお菓子もお持ちしました」

「いやあこれはありがたい。子供たちも喜びますよ」

彼女は私費で手土産も持ってきていたようだ。流石である。私だったら全部自分に使っちゃう。

「それで、みなの健康状態はどうでしょうか」

「こちらに書き留めてあります」

そう言って神父は一冊の本をルーナに渡した。表紙には『患者記録』と書かれている。

ぱらぱらとページをめくるとそこには患者の数と病状について書かれていた。

「……確かに受け取りました。子供たちに会っても良いですか?」

「ええ、どうぞこちらへ」

そうして別棟の建物へと案内される。中ではたくさんの子供達が遊んでいた。

「出たな鉄仮面!」

「そっちのねーちゃんは誰?」

わらわらと集まってきてあっという間に取り囲まれてしまった。私は小さい子に好かれやすい体質のようだ。

一方で、ルーナの方には誰も近寄らない、というより彼女が近寄らせないといった方が正しいか。

「鉄仮面とは失礼な、私のは銀の仮面ですよ!」

遠くから子供相手にムキになって反論している。そこは別にどうでもよくない……?

そうしてひとしきり遊んだ後、私達は孤児院を後にするのだった。

「また来てね!」

「うん、また来るよ」

私たちは手を振って別れた。こういう風に遊んであげたりするのも大事な仕事だ。

「ふう、疲れましたね」

「そうね……」

二人で並んで歩く。彼女の鎧がガチャガチャと音を立ててうるさい。

「あ!それでですね、私鉄仮面って言われて、本気で怒ってるわけじゃないですからね!?」

どうしたの急に。思い出し言い訳?

「ほんとぉ?実は銅で出来てたりしない?」

「そんなことないですってー!」

そんなくだらない話をしながら帰路につく私達であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話:おばけの正体

 

「アーデルヘイト審問官、ちょっと頼まれてくれ」

突然修道士の一人に話しかけられていた。これから惰眠を貪る事で忙しいというのに。

「どうせ暇だろ」

なんて言い草だ!暇だけど。彼はバルトロ修道士。茶色い長髪の面倒見の良い美男子である。

彼の頼み事なら断れないだろう。

「はいはい、何ですか?雑用ですか?」

「まあそんなところだ。宿坊で夜遅くにおばけが出るという苦情が何件も入っているんだ。見回りに行ってきてくれ」

おばけ?そんなものいるわけがない。夜遅くまで起きている不届き者が適当なことを言っているだけだろう。

「自分で調べればいい」

「……その、な、わかるだろ?」

「……怖いの?」

「怖い!」

大の大人が情けない、と言いたいところだが、信心深い人はこういった心霊現象を恐れるものである。

それにウィプスなどの魔物が迷い込んできているのであれば一大事だ。

「わかったわ、行けばいいんでしょ行けば」

私は渋々了承した。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

そして今は真夜中、私は一人で暗い廊下を歩いている。ランタンと両手剣を携えて。

なぜ一人かというと、他の修道士たちは怖がって誰もついてきてくれなかったからだ。みんな薄情だ!

それにしても本当におばけが出たとして、一体どうしろというのか。魔物や人であればともかく霊と戦う手段は持ち合わせていない。

「そもそもなんで私がこんなことを……」

ブツブツ言いながらも進んでいく。すると前方に人影が見えた。

あれは……修道服!? こんな時間に人が……? 近づいてみるとそれは少女だった。

彼女はこちらに気付くと声をかけてきた。

「あ、こんばんは~」

どうやらおばけではない……っぽいようである。

「こんな夜中に何をしているの、というか、あなたは誰?」

桃色の髪色をした少女は笑顔で答える。

「私は愛のドラゴン、クピド!あなた達が信じる龍の神の一柱……と言っても信じてはもらえないかもしれないけど」

確かに信じられない話だ。神を名乗るとはよほど頭がおかしいのだろう。しかし嘘を言っているようには見えないし、何よりこの少女の纏う雰囲気には不思議と惹きつけられるものがある。

「あなたの話は分かったわ。それで修道院に何か用かしら」

「いや、開いてたから入っただけ」

神というのは気まぐれだろうから、まあ、そんな理由であっても不思議ではない。

「ふふん、まだ私のこと疑っているでしょ?」

「それはもちろん」

野良ドラゴンやならず者ドラゴンなら結構その辺を飛んでいたりするが、こういう神として崇められているドラゴンは目撃者は殆どいない。

いても虚言か単なる噂話で済まされてしまうため、その存在を信じる者は少なかった。

とはいえ目の前の少女が仮に本物だとしても、やはりいきなり信じられるものではない。

「証明しようにも手段がないなぁ、私が中庭でこの汚え醜い人間の姿から元のドラゴンの姿に戻ったら信じる?」

なんか言葉に棘があるけど、ある程度は信じられるだろう。

「それじゃあ、中庭に行きましょう」

私たちは中庭に出た。

「じゃあ行くよ~。戻れ戻れ!」

彼女が叫ぶと同時に彼女の体が光に包まれる。

そしてその光が収まった時、そこには巨大な赤いドラゴンがいた。

大きさは大体15メートルくらいだろうか。翼を広げればもっと大きく見えるかもしれない。

(ほ、本物のドラゴン……!)

私は驚いて声も出なかった。

『ほらね?』

頭の中に声が響く。テレパシーというやつだろうか。恐らく目の前のドラゴンの声だろう。

『これで信じてくれたかな』

「え、ええ」

『それじゃ戻るよ!』

再び彼女の体が光り始める。そして次に姿を現した時には人の姿に戻っていた。

「どう?これなら少しは信用してくれた?」

ま、まあ、信じるしかないのだろう。変身する魔法があるとは聞いたことがあるが、きっとここまで完璧なものでは無いはずだ。

「うん、信じるわ。いや信じます、我が主よ」

この教会の最高神であられるクピド様に深々と頭を垂れた。

「あ、そういうのはいいから」

急に冷たい。結局何しに出てきたんだろうこの龍は。

彼女に事情を説明し、夜中に出てくるのを控えてもらうことにした。

「オーケーオーケー!任せといて!もうバッチグーよ!」

なんだか古めかしい言葉を口にすると、瞬きした瞬間にその場から消えてしまっていた……。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

翌朝、院長から話があるらしいと早朝に叩き起こされて聖堂へと呼び出された。

修道院の殆どの人が聖堂に集まり院長の話を聞く。

「本日付けで、この少女マリカが新しい修道女として加わることになった!みなさんも見習いなさい!この歳で神の道を志すとは大変立派なものです!」

院長の隣には昨晩会った少女、クピドがニコニコ笑顔で立っていた。

な、なるほど、そう来たかぁ~!

きっと私が彼女こそが我々が信仰する神と言っても、誰も信じないだろうな……。

ちなみに、例の心霊現象はピッタリと収まったので、これも彼女のおかげかと囁かれている。

そもそもの心霊現象が彼女の仕業なんだけどね……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話:いたずら少年たち

 

院長曰く、最近修道院に悪戯をするものがいるという。

夜中に忍び込んだり落書きをしたりするそうだ。

「子供の仕業でしょうか?」

「まあそうだろう。君は暇だから調べておいてくれ」

暇だから、だとぉ!?ああそうだよ!元はと言えばお前が私を審問官なんかにするからだろ!?

まあ、暇なのはありがたいんだけれども。

子供の悪戯とて放置していればより過激になっていくだろう。早急に対策が必要だ。

とりあえず現場に行ってみよう。

修道院はヴェネトリオの街の外れに位置する。わざわざここまで来て悪戯するとは随分と暇なガキもいたものだ。誰かみたいだなぁ。

そして、こういう防犯は修道騎士たちの仕事でもある。

「やはり来ましたか!」

女聖騎士ルーナは私が調査を頼まれるということを察知していたようである。私を知る者なら誰でも察知できるだろう。

「ちょっとした悪戯ですが、盗賊の仕業である可能性もありますので」

「盗賊だぁ?いつでも来いってんだ!ぶっ潰、ぶっ殺してやる!」

威勢のいいオークの聖騎士ギヨームが叫ぶ。なんで物騒な方に言い直した?

彼はオークタニアと呼ばれるオークの国出身のオークである。覚えてオークように。

しかし盗賊ならやはり一大事である。ここは慎重に捜査しなければならない。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

明るいうちに痕跡を見つけ、街のクソガキどもの仕業であることが判明した。

そういうわけで、今は夜。彼奴らを驚かせて追い返してやろうという魂胆だ。

私は修道院の外で子供たちが来るのを待つ。

しばらくすると暗闇の中から数人の子供が姿を現した。どうやらあの子たちのようだ。

「げへへへ、悪戯してやるぜぇ……」

「ぐぎゃぎゃ、ぎゃっぎゃっ!」

「シーッ!静かに!」

ウワーッ!ゴブリンみたいなガキもいる!

私は彼らに見つからないように、修道院内に潜む騎士たちに合図を送った。

わざと中に入らせておいて、現行犯を捕まえる作戦だ。

「さっさと入るぜ!」

「ぐぎゃぎゃっ、おれ、周り見る!」

ガキどもは塀に空いた小さな穴から中へと侵入していった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

急いで塀の内側に戻ると、騎士たちがガキどもの様子を伺っていた。

「やはり子供の仕業でしたか」

「そういう年頃なんだよな」

ルーナとギヨームは微笑ましそうにしている。私にはそういう話はよくわからない。

とはいえ悪事は悪事なので、引っ捕らえるしかないのだけれど。

そうして、ガキどもが龍の小さな置物に手を伸ばした瞬間――。

「そこまでだ!」

ギヨームが飛び出して剣を抜き放った。

「ひぃっ!?」

「ぎゃっぎゃっ、ごめんなさい!」

「斬らないでー!」

「お前たち神聖な修道院をなんと心得る!おいたが過ぎるぞ!」

「なんでぇ、お布施で生活してるタダ飯食らいの癖に!」

「……くっ!」

言い返せないのかよ!私達も色々やってるよ!?冠婚葬祭にお祓いとか歴史書書いたりとか……!

「ギヨームさん、下がってください」

そこでルーナが立ち上がる。

「私に任せてください」

「ルーナ殿、大丈夫ですか?」

「ええ」

ルーナは一歩前に出る。

「ひぃっ!何だこの仮面野郎!」

「野郎ではなくスケですが……悪戯が過ぎますね、神聖な彫像に落書きしたり……」

そう言いながらゆっくりと彼らに歩み寄っていく。

「神聖なものは丁重に扱わないといけませんね……」

彼女は自身の仮面に手を掛けた。

「い い で す ね ?」

そして彼らに素顔を晒す。

「「「ぎゃああああああああ!!!!」」」

ガキどもの絶叫が真夜中の修道院に響き渡った。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「あんまり良い手段ではなかったかもしれませんね」

ルーナはガキどもを心配している。

どうもトラウマになったようで、最近は一生懸命お祈りをするようになったそうな。

「敬虔な信徒となれば、未来の我らの同僚となるだろう!」

ギヨームはこんな調子だ。我々は今塀に空いた穴に石やらなんやらを詰め込む作業をしている。

「子供は元気なのが一番ですよ。信仰を強制するようで……」

「正しき道に導くもまた愛だ」

「そんなものでしょうか……」

二人には若干の意見の相違というものがあるようである。

というか、しゃべくってないで手伝ってほしいのだけれど……私に対する愛はないのか!?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話:星霜の人々

 

クピド派、と言うからには様々な派閥が存在すると思うかもしれないが、実際その通りである。

西方世界どころか遥か極東まで様々な龍教団の宗派が存在する。そして同属意識もまちまちである。

また、神獣教や聖女信仰などの異教徒もぼちぼちいて、まあ大した規模でもないから放って置かれているんだけど、時々衝突したりもする。

そして本日我が修道院に交流事業で訪れているのは龍教団星霜宗の方々だ。星の神龍ステラリスを主神として奉っている。

西方世界の南東方面に位置する砂漠世界で主に信仰されていて、そこに住む人は人類なら肌は浅黒い、そして猫獣人や砂漠の竜人などが多い。

見慣れないとギョッとするのだが、話してみると案外いい人たちで、商売が大好きな人々だ。

「これから数日間、お世話になります」

そう言って頭を下げるのは交流団のリーダーの猫獣人、法学者ソコルである。

法学者というのは、まあ、聖職者の偉い人って感じの意味合いで理解すればいい。そういう細かい呼び方の違いとかがあるのである。めんどくさ!

「こちらこそ、よろしくお願いいたしますね」

私はにっこりと微笑んで頭を下げた。なぜ私が挨拶をしなくてはならないのか!

ひとえに暇である故に駆り出され、院長らと同席し彼らの相手をしているのである。

というか、異宗派の前に審問官出したらマズイんじゃないの……?

彼らは砂漠風の服装の上に黒いケープを羽織っていて、月と星の意匠が施されている。

頭にはターバンやフェズが乗っていて、おそらくそれぞれの出身地の伝統なのだろう。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

色々と院長と法学者が話し込んでいる間、私は笑顔を張り付けて座っているだけの存在であった。

この二人、話が長い!そして相手のお付きのトカゲ人間も同じことを考えているようで、欠伸が出ているのを手で隠している。

しかし口が大きいので隠せてはいなかった。

「アーデルヘイト審問官、席を外して良いぞ。我々はこれから商談に移るからな!」

院長はそう言うと私の背中を押して部屋から追い出した。

相手のお付きの人も一緒に追い出されて、扉を閉めると二人は大きなため息を吐いた。

「ああ……疲れた……」

「私もです……」

二人して疲れ切った顔で言うものだから、思わず吹き出してしまった。

トカゲ人間はその反応を見て少しムッとした顔をしたが、すぐに気を取り直したように咳払いをした。

「申し遅れました。私は啓典の民、ドゥライドと申します」

「私は審問官アーデルヘイト。何日かだけどよろしくね」

私が手を差し出すと、彼はそれを握り返した。ドゥライドの手は鱗で覆われてひんやりとしている。

それ以来、何かと滞在中の相談をされたり、逆にこちらの近況を聞いたりと、彼とはよく顔を合わせるようになった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

数日ほど経つと、修道院に妙な噂が流れるようになった。

「星霜宗の連中は人の内臓を食べている!」

「奴らは血を飲むらしい!」

「怖い!」

そんな根も葉もない噂が流れ始めたのだ。

もちろん根拠はない。いや、ないことはないのだが、そんな証拠はどこにも無いはずだ。

ただ、一部の臆病者たちが勝手に騒いでいるだけだ。

「馬鹿馬鹿しいわねぇ」

「……そうね」

修道女たちが話しているのを聞いて、私も同意するように頷く。

見た目は確かに私たち白色人類とは異なるが、だからと言って臓器を食べるわけがないだろう。

しかしながら、見たという人物は複数人いた。

「ねえ、どう思う?」

私は食堂で食事を摂っている時に、一緒に食事していた修道女に問いかけた。

「内臓といっても、動物の内臓じゃない?それなら不思議は無いわよね」

彼女はそう言ってパンを口に運ぶ。

確かにその通りだ。野生動物の内臓ならば食べたとしても何らおかしくないだろう。

「でも何か液体に浸かってた、とか聞いたわね」

内臓ならそんな食べ方はしない……のか?よくわからない。

「こういう話を聞いたことがあるわ、優秀な海賊船の船長が戦死して、その死体を酒樽に漬けて酒を飲んだっていう話!」

海賊!?しかも酒を死体に!?とんでもない発想をする人がいるものだ。

「それ、本当なの……?」

「さあね。もしかしたら作り話かもしれないわよ」

そうだよね、と私は呟いた。馬鹿げている、馬鹿げているが、まあ調べてみてもいいのかもしれない。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

その日の夕食の時、星霜宗の元で食事をご一緒させてもらった。

「歓迎しますよ、アーデルヘイト」

ドゥライドは快く受け入れてくれた。彼の同僚たちも笑顔で迎えてくれる。

しかし、やはりどこか緊張しているようだ。私が来ているからだろうか?

「食事のマナーを指摘されないかどうか、不安なんですよ」

ドゥライドの耳打ちになるほど、と思った。私がマナーについては気にしなくていいと伝える事で、少し緊張が和らいだ様子である。

食事を始める、もちろん、人の内臓は出て来ない。というかこの修道院のものが出てくる、当たり前だが。

「みなさん、お口に合っていたら嬉しいんだけどな」

別に特別美味しいものでもない、パンとスープに少しの塩漬け肉である。

だが私の言葉に皆嬉しそうに頷いた。どうやら気に入ってくれたようだ。

その後、当たり障りのない会話が続き、食事も半ばに差し掛かったところで、啓典の民の一人がドゥライドに何かを尋ねた。

言葉がわからないので内容はわからなかったが、どうも何らかの許可を得ているようだ。

ドゥライドは了承したらしく、その人物は席を立つ。

「どうしたの?」

「いえ、彼の故郷の味です」

……も、もしかして、マジで人の内臓を……!?しばらくすると彼は瓶を抱えて戻ってきた。

瓶は赤みがかった液体で満たされ、そして内臓……らしきものがたっぷりと浸かっている!

彼は喜々として瓶から皿にそれを取り分けた。そして私に差し出す。

えっ……食べろと……!?キラキラした眼差しでこちらを見るんじゃない!

「い、いただきます……」

意を決して皿を受け取り、それを掴んで口に放る。噛み締めると香辛料とオリーブの香りが鼻を抜けていった。

これは……野菜だ!ニンニクやナッツも入っていて旨味が凝縮されている!しかし辛い!超辛い!

「どうですか?」

「か、辛い、けど美味しい!けど辛い!」

私は慌てて水差しを手に取り、水を一気に飲み干す。ああもう!口の中がまだヒリヒリする!

結局私は彼らの勢いに押されて、おかわりまで頂く羽目になったのだった。

人の内臓だと騒がれていたのはこのオイル漬け野菜の詰め物であった。

茹でた小茄子に各種香辛料を詰めた保存食であり、彼らの故郷ではポピュラーな食べ物なのだそうだ。

確かに、血塗れの内臓に見えなくもない……。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

彼らが滞在している間は頻繁に交流し、互いの信仰について語り合ったり、

星霜宗名物、星々が夜空を巡る様を表しているとされている、音楽に合わせてくるくると回転をし踊る旋舞祈祷を披露してもらったり、

時にはドゥライドとの議論が白熱したりと、とにかく楽しい日々を過ごすことが出来た。

そしてあっという間に一週間が経過し、彼らの出発の日がやってきた。私は別れを惜しみつつも、彼らを見送る。

院長はこの修道院で作られるワインをなかなかの値段で買ってもらえることとなりほくほく顔であった。

「色々とお世話になりました、アーデルヘイト」

ドゥライドはそう言って握手を求めてきたので、私もそれに応じた。

「こちらこそ、楽しかったよ」

彼はにっこりと微笑み、名残惜しそうに指を離す。

「クピドの寵愛と祝福あれかし」

「あなたの道のりに星々の導きがありますように」

彼はそう言い残して馬車に乗り込んだ。私たちは手を振りながら彼らを見送った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話:パメラと秘密の魔導書

 

「詳しく聞かせてくれたまえよ、新しい説話として使えるかも」

先日の交流会について詳しく聞きたがるのは修道院の写字生パメラであった。

彼女はボサボサの長髪を多少整えようともしないほどのずぼらな女で、いつも書庫に籠もっている。

世話係に任命された若き修道士クサヴェルが手取り足取り行水させねば異臭が漂う始末である。お前異性に何させてんの?

だが、本人は気にした様子もなく、ただ書物を読んでは書き写すだけの毎日だ。

「別に、内臓かと思ったら漬物だったって話」

「余計気になるんだが」

ぶっちゃけ大したことのない話である。不理解と勘違いによって起きた喜劇であり、大した意味もない出来事なのだ。

「それよりも君、あの宗派の一人と朝帰りしたそうだが、そちらの話についても聞かせてくれよ」

「議論が白熱しすぎただけだって」

「ほほーう、白熱ねぇ、何が白くて熱いだって!?」

こいつ……本当に面倒な奴だなぁ! 私はため息をつくしかなかった。

「感心しないねぇ、嫁入り前の娘が」

後輩の男に身体洗わせてるやつにだけは言われたくないものである。

ありとあらゆる本を読み込んだ彼女は凄まじい耳年増でもあり、下ネタにも造詣が深い。

「正直に言いなよ……トカゲチンポに屈服しちゃったんだろ!?」

おおよそ修道院の書庫でやっていい会話ではない。というかそんな話をしに来たのではない。

「私はあんたの知識に用事があるんだけど」

「ほう、私の知識……いい言葉だ、私の……知識……!」

恍惚とした表情で天井を見上げる彼女を見ていると、こいつはこのままでいいような気がしてきた。

「……それで、何の用かな?」

我に返ったのか、こちらに向き直り尋ねてきた。

「魔術書があるでしょ、この書庫。空いてる時間に魔術でも覚えようと思って」

「ふむふむ……」

パメラはしばし考えこむ仕草をしたかと思うと、おもむろに立ち上がった。

「ついて来たまえ、面白いものを見せてあげよう」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

書庫の奥に案内されると、パメラは本棚の奥に隠されたレバーを引き、隠し通路を開けた。

床の一部がガタッと動き、それがハッチであることがわかる。

「……なにこれ」

「ふふん、これはね、秘密の地下書庫さ。院長でさえこれの存在を知らなかった」

パメラは得意げに語りながら梯子を下りていく。私も後に続いた。

そこは小さな部屋になっており、大量の本が棚に並んでいた。

どれも分厚く古めかしいもので、見るからに難解そうなものばかりである。

「ここにある本を全部読んだわけ……?」

「まだ全ては読めていない。いずれ読むけどね」

パメラは一冊の分厚い本を手に取りパラパラとめくり始めた。

「これを見たまえ」

「なになに……へぇ?」

艶めかしい服装とポーズをとった女性の絵が描かれている。その女性の胸はたわわに実っており、腰つきもグラマラスであった。

「これは帝国時代のエロ本さあ痛い!!なぜ叩く!汝、友を愛し給え!」

面白いもの見せると言って本当に面白いもの見せるやつがあるか!

「ていうか、魔術書は!?」

「ああそうだった、こっちだよ」

パメラは別の棚からまた別の本を取り出す。今度は少し薄いようだ。

「それは何なの?」

「これは相手を特殊な条件でしか出られない空間に閉じ込める禁断の魔術書さ」

「はぁ……」

なんだかよくわからないが、つまりすごいのだろう。たぶん。

「具体的に言えば、性行為しないと出られ痛い!!また叩いた!!汝友を愛し給えよ!」

「クピドよお許しを。そういうのじゃなくてちゃんと実用性のある魔法をさぁ……」

「それがね君、これ以外の魔術書はこの書庫には存在しないよ。修道院だから当たり前だろ?」

……それは、失礼いたしました。

「とりあえず、覚えてみたらいいんじゃないかい」

まあ、退屈紛れにはなるだろうと思うし、持って帰って覚えてみることにした。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

後日、パメラを呼び出してお披露目することとなった。修道騎士ルーナも是非とも見たいというので一緒に来てもらった。

「楽しみですね!」

楽しみ、楽しみだろうか……?

しばらく談笑していると、パメラがクサヴェル修道士に引き摺られて現れた。

「お待たせしました、アーデルヘイト審問官」

クサヴェル修道士は私に対して恭しく礼をする。真面目で爽やかな彼がなぜこんな女の世話係になったのか……ねぇ?

「うぅ、おはよう……」

もう昼だが、眠そうな眼をこするパメラ。

「ではクサヴェル、彼女を連れてそちらの部屋に」

「? はい」

事情を聞かされていないクサヴェルと寝ぼけて頭が回っていないパメラに密室に入ってもらうと、すぐ呪文を唱えた。

「あ、待て、待って!!」

パメラの声と同時に扉が閉まる。扉の上には大きな古代文字が現れた。読めないがどうせ碌なこと書いてないだろ。

「おい!ちょっと!なぜ私たちに!」

「大丈夫ですよ!クピド派は恋愛も婚姻も婚前交渉も禁止されていません、むしろ推奨されてますから!」

私の代わりにルーナが返事をする。そう、クピド派は愛の教団。二人の間に愛があるのは割と明白である故、別に問題ないのだ。

ちょっと背中を押してやっただけである。

「ちょっとじゃないが!こ、こ、心の準備が!」

「審問官!パメラさん!一体何がどういう状況なのでしょうか!」

焦るクサヴェルの声も聞こえてくる。私とルーナは二人でニヤニヤしながら聞き耳を立てていた。

まあ、あまりにもゴネるようであれば解除してやろうかな……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:修道院の一日

 

ヴェネトリオ修道院に限った話ではないが、クピド派の修道院は修道院を名乗るのも烏滸がましい存在である。

これはかつてのクピド派の偉い人が『過酷な生活で生まれる愛って、愛じゃなくて依存なんじゃないの?』と言ったためである。

クピド派は龍教団の中でも世俗主義の急先鋒であった。

 

朝、日の出とともに起床し聖堂にてお祈りを捧げる。

「天に在す我らが神龍クピドよ、新たな一日を迎えられたことに感謝いたします。

 今日一日我らを導いてください。あなたの加護で行く先を照らしてください。

 苦しい事にも耐え抜けるよう見守ってください。

 人を愛し、人に愛される人生の喜びを悟らせてください」

 

それが終われば朝食だ。大抵の場合は黒パンと野菜のスープとお肉、そしてワインである。

もちろん、食前の祈りも捧げる。

「天と地の龍神よ、あなた方の慈しみに感謝いたします。実りを今日の糧と出来ることに感謝いたします」

 

食事を終えれば、それぞれの労働が始まる。

役職を持たないヒラの修道士は畑仕事や家畜の世話、必要であれば修道院内の建築作業を行う。

また、ヴェネトリオ修道院では街に降りての慈善活動や寄付金の収集も仕事に入っている。

これはこの修道院の院長の方針だ。一般的には俗世間との関わりを可能な限りは避ける修道院が多いのである。

そして、冒頭で述べた理由により過酷な労働や苦行は禁止されている。

院内の厩舎では豚や鶏やスライムなどの穏やかな魔物が飼われており、日々の糧となっている。

「やめろー!ピギーを屠殺するなぁーー!!」

「豚に名前なんかつけるから……」

愛情を込めすぎた修道士も中にはいる。

修道院は多くの場合、広大な土地を所有しており、そこで野菜やぶどうが作られている。

特にぶどうは重要である。ワイン作りに欠かせないものだ。

修道院で作られたワインは自家消費はもちろん、商人にも売り出される。

この売上が修道院の経営には欠かせないのである……らしい、院長が言うには。

 

写字生の修道士は、書庫の本の管理と書き写しを行う。

本人の修行のためでもあるが、龍教団の教えや知見を世に広く知らしめるためでもある。

貴族や大司教区の注文を受けて、装飾をつけた写本や自伝や説話、物語などを執筆することもある。

挿絵はもちろんのこと、絵画や壁画を描くこともある。

「ちょっと待て、それ男前過ぎないか。原本はこうだぞ」

「私の中ではこうなのよ!」

「いいなあ、僕は絵が下手だから原本よりブサイクになったよ」

未熟な写字生により、後世の評価が変わってしまう人々には気の毒な話だ。

婚姻届などの一部の公文書が保管されることもある。

 

修道騎士、時には聖騎士とも呼ばれる彼らは毎日その腕前を磨く。

彼らは修道院付きの兵士であり、院の警備はもちろん、魔物やアンデット、盗賊退治、異教徒との戦いなどにも駆り出される。

巡礼や修道士の遠出の際には護衛として共に赴く。

聖戦では前線にて戦うことを誓っているが、ここ数百年聖戦は起きていない。

修道院によるが、小さな職業軍人組織なので当然ながらその辺の冒険者パーティーよりは強い場合が多い。

これらの存在により自助が可能であるがゆえに、冒険者ギルドとの確執の一つになっている。

傭兵や賞金稼ぎ、冒険者まがいのことは固く禁止されている。

「この間のダンジョンで結構儲かったから寄進してきたわ」

「やるねぇやるねぇ」

か、固く禁止されているのに……。

 

昼食はお弁当が支給される。この日は黒パンに買い付けた燻製肉とチーズを挟んだものだった。

オリーブオイルもかけられており、人気メニューの一つである。

「毎日これ食べたいねー」「ねー」

食事に関する規律は全く存在しない。せいぜい食い逃げを禁じているぐらいだ。

クピド派がガバガバぬるま湯不信心集団と言われる所以の一つである。

 

冠婚葬祭があれば、現地に赴き儀式を執り行う。

結婚式では証人として、両者の誓いの言葉を聞く。

なお、クピド派は一夫一妻制で離婚は出来ない。これは奔放な人々には嫌がられている。

「永遠の愛を誓い、それに背かない事を誓いますか?」

「誓います」「誓います」

「まず、朝起きたら接吻を、仕事に出る前に接吻を、そして夕方に家に戻れば接吻、寝る前に接吻することを誓いますか?」

「誓いま……そんな細かいところまで誓わなくちゃいけないんですか!?」

ハズレの修道士だとこんな事になってしまう。

葬儀にも死者への祈りの言葉を捧げに行く。

「天と地の龍よ、今ここに永遠の眠りについた者を、どうかそっとしておいてください。安らかな眠りを妨げないでください」

 

定期的に墓所に赴き、振り香炉を炊き祈りを捧げる。

死者がアンデット化しないよう、御霊の怨恨と未練を慰めてあの世へ逝く事を促す意味がある。

墓荒らしによるアンデット化を防ぐが、一定の効果しかないため油断は禁物だ。

「天に在す神龍よ、願わくばえーっと……なんだったっけな……」

「ぐしゃあああああ!!志半ばで斃れし者じゃああああ!!」

「ひぃぃ!死者が蘇った!!神龍よお助けぇ!!」

祈りが下手だと途中で蘇った死者に説教されることになる。説教だけならまだ良い方だが。

そのためこの行事は心が強い者が行う場合が多い。

 

日が落ちてくれば修道院に戻り夕食の時間だ。

夕食は朝よりも豪華だ。黒パンと野菜の煮込みに加えて、ベーコンや腸詰め肉、焼き魚が出ることもある。

これをナイフで切って手掴みで食べる。香草と塩がほのかに効いていて美味しい。

黒パンはスープに浸して食べるのがよい。あまりにもかってえからだ。

 

夕食が終わればあとは就寝前のお祈りである。一日を終えた事を神龍に報告する。

「天に在す我らが神龍クピドよ、無事一日を終えられたことに感謝いたします。

 我らと我らを支えてくれた者たちに安らかな憩いをお与えください。

 夜に蠢く不届き者たちから我らをお守りください。

 あなたを悲しませた言葉や行いをしたのなら、どうかお許しください。

 我らが幸福にある時にも不幸にあえぐ者たちがいるといことを、どうか忘れさせないでください」

 

修道士たちの宿坊には個室が用意されているのでプライベートは保たれる。

寝るまで思い思いの時間を過ごす修道士も多い。

恋愛は不貞さえなければ特に禁じられていないので逢瀬を楽しむ者も中にはいる。不貞行為をした瞬間破門なので緊張感がある。

多くの修道士は本を読んだり日記や手紙を書いたり、集まって噂話をしたりに留めている。

しかしながら、蝋燭も安いものではないため、経理担当の修道士にマジギレされたくないのであれば、夜更かしには要注意だ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話:寄付とワイン

 

「街に行こう、審問官」

修道院一のイケメン、バルトロ修道士のお誘いだ。茶色の長髪に整った顔、道を歩けば誰もが振り向く男。

「え? 街に?」

「そうだ。どうせ暇だろ」

どいつもこいつも二言目にはどうせ暇だろ、だ!これを言われてかつて暇じゃなかったことが一度もない。

「街の市民からの寄進を募りに行こう。修道院に金がないわけじゃないが、やはり街の経済と結びつかないとな」

「……ああ、そういうこと」

つまりは、街の人からお布施を集めようということらしい。そういえば以前、そんなことを言っていた気がする。

「でも、そんな簡単に集まるものかな」

「いや、簡単ではない。だからこうしてお前を連れていくわけだ。美人がいた方が集まりがいいだろ」

んもー、バルトロったら、口が上手いんだから。しょうがないわね~~~!

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

それで今、大量のワインを運ばされている。

「やっぱり訓練しているやつは違うな!」

男連中が情けないだけだろう、修道騎士にでも頼めばいいのに。

「彼らは忙しいし、力持ちで暇なやつは君しかいない」

まったく、都合のいいことを言ってくれるわ。

酒樽を荷車に載せると、ようやく馬にバトンタッチだ。

この修道院には馬小屋がある。馬は全部で四頭いて、どれも雌だった。

彼女たちは私を見ると、一斉にヒヒンと嘶いた。私はそれが可愛くて仕方ない。みんなとても可愛いのだ。

馬は大好きだ、何が好きって、荷物を代わりに運んでくれるところが好きである。

さて、準備は終わった。いよいよ出発なのだわ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

ワインを市民に配る代わりに寄付を募る。これはバルトロの案であった、しかし実際にやってみて驚いたことがある。

私が思っていた以上に寄付が集まることだ。やはり私の容姿が良いからだよねぇ~。

いかにも純粋な乙女って感じの顔で立っていると、老若男女問わず、いろんな酒飲みが寄ってきてはお布施を置いていくのである。

お金はもちろんのこと、時には食べ物まで置いていってくれる人もいる。本当にありがたいことである。

「バルトロさんっ……また来てくださいね!」

「もちろんだよ。怪我は治ったみたいでよかった!」

「おいバルトロ!今度飲みに行かねえか!」

「ぜひ行きましょう!また困った事があれば言ってくださいね!

「いつも助かってますよバルトロさん」

「私は大したことはしてませんよ、配達ぐらいいつでもまた頼んでください」

私の美貌、いらなくない?もっと私もチヤホヤしてくれ!

顔もいいのに心まで良いのでは勝ち目がない。私はあまり街に出ないし。

そんな事を思っていたらばなんというか、冴えない男ばかりが口説き文句を垂れる。悪い気はしないがいい気もしない。

「ねえ、今からお茶でもどう?」

「一緒にお茶行きませんかぁ」

「ねえ彼女、いいお茶があるんだけど!」

「お茶ばっかりじゃないの!」

茶葉の営業なのかしら。

「まあまあ。別にモテたいわけじゃないだろ」

「そりゃそうだけど。でもチヤホヤはされたいじゃない?」

「意外としょーもないことを考えるんだな……」

「ほっときなさい!」

お茶のお誘いは職務中だし丁重にお断りした。

それでもしつこく食い下がってくるやつもいたけど、それは適当にあしらった。殴るなどして。

きっと主神クピドもお許しになられるだろう。顎に入ったけど。

そんな調子でしばらく街中を練り歩き、修道院に戻った頃には夕方になっていた。

結局、集まった金額は全部で金貨3枚弱分ぐらいであった、十分黒字である。

「お布施に黒も赤もない」

とはバルトロ修道士の言葉であるが、それはその通りであろう。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

翌日のことである。朝から大忙しだ。

というのも、昨日ワインを飲んだ商人が是非とも修道院から仕入れたいと言ってきたのだ。しかも大量に欲しいとのことだ。

「そんな、売るほどは作っていませんので……」

院長がやんわり断ろうとすると、商人は言った。

「しかし東方ではここのワインが流通しているという話がありますが」

先日の星霜宗との取引について言っているのだろう。そこまでバレてちゃなんと言おうか。

「バルトロ修道士、君のせいだぞ!」

「申し訳ありません院長!」

とりあえず謝るバルトロであったが、彼も悪いと思っているのか、若干申し訳なさそうな顔をしている。

「とにかく!神聖な修道院から出ていってください!ここは商売をする場所ではない!」

なんとか無理矢理商人を追い出した後、私たちは相談を始めた。

「どうしよう、アーデルヘイト審問官!」

バルトロは私に泣きつく。知るか!

「バルトロ修道士、全く面倒なことをやってくれたな」

お前も星霜宗と取引しなかったらよかったけどな。

「しかし院長、私はあなたにも許可を取りましたよ!?」

「ぐぬっ、むむぅ……」

ワインを振る舞うこと自体は慈善事業としてもよかったようだが、如何せんワインが結構美味しかったものでこうなってしまった。

私はああじゃないこうじゃないと言い争う二人を他所に、部屋へと戻ることにした。

結局商人が諦めるまで、半月ほどかかったそうな。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話:聖遺物

 

「見よ、これが愛の神龍クピドの爪だ!」

院長に連れられて、マリカと共に聖遺物を安置する宝物庫に訪れていた。

綺羅びやかな箱に入れられた巨大な爪を見せびらかされている。

「愛を司るドラゴン故に、爪先は丸くなっている」

「誰かがヤスリで削ったのでは?」

つい私は余計なことを言ってしまうのである。

「違う! これは愛の神龍クピドが自ら削ったのだ!」

「何故ですか?」

「それは愛ゆえに、鋭い爪では優しく触れても傷をつけてしまうからだ」

「なるほど……」

私が納得したフリすると、院長は満足したように頷く。

そんな私たちの様子を、マリカはニコニコと眺めていた。ほんとに自分で削ったの?

「さぁ、爪取れた事無いから……」

じゃあ何の爪だよこれ。聖遺物こんなんばっかりだったりしないだろうな。

「こういった霊験あらたかなる聖遺物を崇める者は、守られ浄められ癒やされるのである」

「はあ……」

「残念ながら、クピドの遺体は殆どが散逸してしまった。この修道院に残ったのはこの爪と、クピドの聖なる力を込めて作られた装飾品のみ」

そう言って、今度は二つの指輪を見せてくる。確かに何か不思議な力が宿っているような気がした。

「この一対の指輪で結ばれた者は、永遠の愛と命を手にするとされているのだ」

「本当だったら凄いですね」

「本当に決まっているだろう!」

マリカさん、これはどうなんですか。

「これは本物」

ああ、でしょうな……って本物!?マジで!?

「院長、これは大事に大事に保管しておいてくださいね」

「え、うん、なんだ気味が悪いな」

院長が次に取り出したのは錆びた剣である。

「これはクピドに止めを刺したとされている聖剣である」

捨てろそんなの!うちにあったらダメなやつだろ!

「クピドの血で錆びているのだ、血錆にさえも神聖な力が宿っている」

「そうなんですか……」

これはマリカ的にはアウトなんじゃないのか……?

「んー……43点!」

な、何が?

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

どうやら院長は新しく修道院に入ったマリカに聖遺物を見せたかったようである。

無事目標を達成できてご満悦顔だ。

「マリカよ、そなたも修行を積んで立派な信徒になるのだよ」

信徒っていうか主神そのものなんだけどね。どうやら私以外には打ち明けていないようである。

「しかし院長、聖遺物を溜め込んで一体何の意味があるのでしょうか」

お墓でも作るわけでもないだろうに。

「よくぞ聞いてくれた審問官アーデルヘイト。より多くより高貴な聖遺物があることにより、奇蹟が多く起こり、修道院の名声が高まり栄えるというわけだ」

めちゃくちゃ世俗的なのだわ。

「名声が増えると巡礼者も増え、巡礼者が増えると寄進も増えるのである!」

金金金、聖職者として恥ずかしくないのかっ!というか、そんな事言ってたらマリカ怒るんじゃ……。

「なるほど、流石院長!私、この修道院に入ってよかったです!」

「だろ?」

うわっはっはと意気投合する二人。愛のドラゴンとはいえ、それはそれとしてお金が大好きなのであった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「それで、新しい聖遺物を探すのですか?」

「んー……」

院長はマリカと二人で調子に乗って無茶振りをしてきたのである。新たな聖遺物を持って来いと。

そこで、修道騎士である銀の仮面のルーナに相談を持ちかけた。

「クピドや聖者たちの遺体の一部か、ゆかりの品々……他の修道院から盗むしかないでしょうね」

「盗むったって、犯罪でしょうが」

「盗まれるということは、大して大事に扱ってなかったってことですし、聖なる力を持つ物品が何の抵抗もしないのなら、それはクピドの思し召しではありませんか?」

こ、怖い!そんなスラスラと正当化の文句が出てくるとは!仮面で表情が見えないのでなおさら怖い!

「半分は冗談ですけど」

「冗談かい!……半分かい!」

「こういう神聖盗掠はよくあることですからね」

よくあってもらっても困るな……というか盗みはしたくない。なんかそれって、愛の信徒として失格なような。

「略奪愛という言葉もありますが」

「姦通と言うのよそれは」

「身も蓋もない、恋愛小説読んでるんじゃないですか?」

「純愛以外は読まないわ」

「そういえば、政略結婚での婚約者以外を好きになったら、これは純愛なんでしょうか?」

「難しい話ね……法的には不倫だけど、家が決めた結婚だから、感情的には……って何の話よこれ」

「愛の信徒らしく愛について語らいましょうよ」

すっかり話は関係ないところへと行ってしまった。

とはいえまあ、院長も明日には忘れているだろうから、気長に考えようかな……どっかその辺に落ちていたらいいのに。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話:貴族家の騒動

 

僧院に財産や土地を寄進し、代わりに修道士を雇うような形で身の回りを世話や頼み事をさせる貴族も多い。

「で、説話を披露してほしいのだと」

「なんで私が。パメラ、あんたが適任じゃない」

「はっはっは、私に人前で文章を読めと?無理に決まっているだろう」

「開き直らないでよ」

そんな会話をしながらパメラと二人、僧院の廊下を歩いていた。

貴族のお屋敷にお呼ばれするのは珍しいことではないけれど、みんな嫌がる。

面倒だし、俗世ではトラブルや事故が付き物だからだ。修道院内もトラブルだらけだけどな。

そういう時に白羽の矢が立つのが私なのである、ああ、なんと不憫な私、クピドの慈悲あれかし。

「だいたい、私もこういうのは苦手だって言ってるでしょう」

「いいじゃないか。君の語り口はとても面白いよ。まるで物語の中にいるような気分になる。聞いたことないけどね」

「はあ……」

溜息しか出ないし、厄介事の臭いがする。ていうかこうして物語の一幕となっている以上なんらかのトラブルが…

「それ以上いけない」

何やら神の領域に一歩踏み入れそうになったところをパメラに引き戻された。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

付き添いの修道女リリと二人、貴族の屋敷に辿り着くとすでに話は通っていたらしく、奥へ通される。

修道女リリはまさに修道女といった風貌だ。赤めの茶髪に青い目、ドワーフの血が入っており、身長が低い。あと胸がデカい。それはいいか。

案内されたのは、広々とした食堂だった。大きな長テーブルには既に豪華な食事が用意されている。

「ようこそいらっしゃいました」

「これはこれはご丁寧に」

貴族様が頭を下げると、それに倣うように他の人たちも一斉に礼をする。

リリはオドオドしており、私は少しばかり緊張していた。

貴族とは普段関わる機会がないからだ。

「単刀直入に言いますが、息子を更生させていただきたいのです」

席に着くなりそう切り出された。説話は?

「えっと、それはどういう意味でしょう」

「とんでもない悪童でして、このままでは我が家の恥さらしです。悪友と共に森で女性を襲っているという噂も立つ始末」

「それは衛兵の仕事ではございませんか」

「はい、その通りなのですが……噂が本当なら捕まれば貴族といえど重罪は免れないでしょう」

自業自得なのだわ、と言いたいところだが、最後の一欠片の親心なのだろう。

息子はともかく彼には少し同情する。

「男児がまた生まれれば即刻首を刎ねるのですが、妻も私も歳ですので、どうにもなかなか上手くいかぬものでして」

「心中お察しします」

「家に帰って話すにも、のらりくらりと躱されてしまうのです」

これはまた荷が重い話が来たものだ。

正直あまり気乗りしないのだが、引き受けないと帰してくれなさそうだ。

「分かりました。どこまで出来るかはわかりませんが、やってみましょう」

「おお!ありがとうございます!」

リリの方を見ると涙目になっている、泣きたくなる気持ちはよくわかるよ……説話を披露しに来たのにね……。

「それでは、食事をいただきましょう」

ご飯呼ばれといてなんだけど、そういう重い話は食べた後に言ってほしかったよな。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

空が赤くなる頃、例のどら息子が帰ってきた。二人の悪友を引き連れて。

三人は私とリリを見つけると、ニヤついた顔のまま近寄ってきた。

「よぉ姉ちゃんたちぃ、俺らになんか用かい?」

黙ってると、執事の一人が息子を窘め始める。

「坊ちゃま、お父上のお客様ですよ」

「ああ?んなこと知るかよ。こいつらはこれから俺たちと一緒に遊ぶんだろうが」

「しかしですね……」

「うるせぇぞジジイ!!」

そう怒鳴りつけると、彼はリリの方を見てニタリと笑った。

彼女はビクリと肩を震わせる。

「おいお前、ちょっと来いよ」

「ひっ……」

「おっと待ちなさい。その子は私の連れだよ」

怯えるリリを庇うようにして前に出る。

「なんだてめえは」

「見ての通り愛の龍の信徒よ」

「はっ、愛の龍だぁ?いい身体してるじゃねえか、愛撫させてくれよ」

彼は私の胸を鷲掴みにする。そして下卑た笑い声をあげた。ああ、汚らわしい、しかし我慢が肝心だ。

「女の扱いを知らないと見える」

「あ?」

「下手くそだって言ってるの」

「な……こ……このアマァッ!!!」

顔を真っ赤にして殴りかかってくるが、所詮貴族のおぼっちゃま。大振りで隙だらけ。

ひょいと避けて顎に思い切り拳を叩き込む。

「げっ!」

「クピドよ、愛の鞭を振るうことをお許しください」

綺麗に入りすぎて拳が痛い、手をブンブン振りながら懺悔の言葉を呟く。

どら息子は白目を剥き、その場に倒れ伏した。

「お見事な『説教』で、私も胸がスッとしました」

「はは、どうも」

執事に褒められるが、全く嬉しくはない。

「リリ、もう大丈夫だからね」

「あ、ありがとうございますぅ~」

リリは半べそかきながら私にしがみついてきた。可愛い子である。

悪友二人はバツが悪くなったのか、逃げ出そうと踵を返す。

「どこへ行く!」

しかし屋敷の警備員に地面に取り押さえられてしまう。

私は彼らに近づき話しかけた。

「愛情深きクピドの名の下に正直に罪を告白なさい」

「……」

彼らは俯いたまま答えようとしないので、顔面を蹴り上げた。

「ぐへっ!?」

「クピドよ、愛の鞭を振るうことをお許しください。さて、もう一度言います。愛情深きクピドの名の下に正直に罪を告白なさい」

「こ、こんなん暴力じゃねぇか!聖職者が、おかしいだろ!」

もう一度蹴りを入れる。

「ぐがっ!!」

「クピドよ、お許しください。それで、愛情深きクピドに…」

「は、話します!話しますから!」

「よろしい」

ようやく素直になったようだ。しかしなんだか恐怖の入り混じった視線を感じる。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

森で女性を襲った、というのは未遂で終わったらしい。まあ襲ったことには変わりがない。

他にも窃盗や食い逃げ、恐喝など悪行三昧の小悪党だったようで、やはりこの三人は悔い改める必要がある。

「衛兵に突き出すのが早くないかな……」

「やむを得ないとも、考えております」

正直めんどくさいのである。しかしながら、意外にもリリは前向きに考えていた。

「我が修道院でお預かりは出来ませんかね」

「えー……」

「そんな顔をしてはいけませんよ、審問官。愛は誰であっても注がれるべきです。失礼ながら、こちらのお三方には愛が足りなかった」

いつものオドオドした様子とは打って変わって、熱心に説く。

「修行と勉学に努め、真人間になるのです。そしてそれは終わりではありません、むしろ始まりなのです。過去の罪を自覚し、苦悩して生きることが贖罪となるのですから」

なるほどなあ、と思う。いや本当に。まあ、その、私にもそういう心当たりはある。

父親殿はこの言葉に感銘を受けた様子であった。

「おお……なんと素晴らしいお言葉か……恥ずかしながら、私には息子に対する愛が足りなかった……是非とも、息子をよろしくお願いいたします……!」

深々と頭を下げられてしまい、断ることなど出来なくなってしまったのだった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「アーデルヘイト審問官、修道女リリ、実に大手柄であったぞ!」

院長は三人の悪童を受け入れることに大喜びであった。

「これから三人は目一杯の愛情を受けて、善き人となり、苦悩し、贖罪の日々を歩んでいくであろう……はっはっは!」

彼の性格から言って、こんな事で大喜びするような人物ではない。

「そしてなんと言っても、かの貴族が荘園の一部の寄進を申し出てきたのだ!これで我々も潤うというものだな!」

ほらぁ。まあ、被害者たちへの賠償金を立て替えたりもしたし、これぐらい貰ってもバチは当たるまい。

貴族のどら息子は、貧民街で悪童二人と出会ったようだ。親もなく盗みをしたり、他人を脅したりして暮らしていたという。

そこで彼らに唆され、同じように犯罪に手を染めていったのだろう。

貧民の暮らしを目の当たりにした時に、これを救おうと思えなかったのが彼の不幸なところだろう。

彼らが立派にお勤めをこなし、そして過去の罪を恥じ、贖罪の道へと進んでくれることを祈ろう。

ところで、リリは私の胸にお香の煙を当てて何をやっているのか。

「お清めですよ!」

……私の胸、このままでは燻製になりそうなのだわ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話:ゴブリン退治

 

今日は討伐任務だ。

こういうことは冒険者ギルドの仕事と思われるかもしれないが、我々教団も慈善事業の一環として行っている。

冒険者ギルドは各地から依頼を取りまとめ、冒険者たちに仲介する組織である。

彼らにとっては慈善事業で無料で依頼を解決してしまう龍教団はすごく邪魔なのだ。

そういうわけで、お互いに商売敵として両組織の仲はあまりよろしくない。

何はともあれ、鎖帷子は鬱陶しくて慣れないが、これも仕事のためだと割り切ろう。

「ギヨームが残念がっていましたよ」

ルーナは楽しそうに言った。今日は彼はお留守番である。

今日は私とルーナ、そして修道院付けの魔術師セヴェロの三人での任務だ。

なんでも、近郊の森にゴブリンの集落が発見されたらしい。

ゴブリンというのは亜人の一種である。亜人というのは人間から何らかの呪いで魔物化した存在だ。

人類からは巨人、獣人ならコボルトやケットシー、ミノタウロスなど。

ハイエルフからはゴブリン、ドワーフからトロル、オークならオーガ、竜人からはリザードマンなどが確認されている。

魔族の亜人は、在野の魔物がそうではないかとされているが詳細は不明。

これらの亜人は元となった人種より知能が低く、力が強い傾向にあり、タフだ。

また繁殖能力も高く、人里近くに住み着くと周辺の魔物や家畜、田畑を襲撃される恐れもあるため駆除対象になるのだ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

魔術師セヴェロは寡黙な少年であった。道中、私とルーナの会話に混ざることも無く静かにしていた。

別に仲間はずれにしたわけではないが、話を降っても身振り手振りでしか答えてくれない。

「修道士と喋っているところは見たことあるのですが……」

ルーナは不思議そうな顔をしていたが、彼は彼女に熱い視線を送っていた……!

これは、ひょっとしてそういうことなのか!?恋しちゃってるの!?

しかしもしそういう事であっても、病のこともあるし、ルーナはきっと拒絶するだろう。

おお、愛の神龍クピドよ、困難へと立ち向かう少年の心に勇気と祝福を与えたまえ。

「あはは、まだ祈るのは早いんじゃないですか?」

私が両手を重ねて胸に手を当てていると、ルーナが苦笑した。

しかし、そんなこんなで特に何事も起こらず、我々は目的の場所に到着した。

そこは街道から外れた林の奥にある小さな泉だった。

その畔には粗末な小屋が建っている。

おそらくあれがゴブリンの集落であろう。

「主神クピドよ、憐れな御霊をお救いください」

私たちは胸に手を当て、祈りを捧げてから集落の中へ踏み込んだ。

小屋の中には、ボロ布をまとった十匹ほどの小鬼がいた。

セヴェロが手をかざし呪文を叫ぶ。

「走れ、雷よ!」

瞬間、青白い光が瞬き、ゴブリンたちを貫いていく。

「グギャッ!?」

「ギィイイッ!!」

ゴブリンたちは一瞬にして黒焦げになり絶命した。

騒ぎを聞きつけたのか、他のゴブリンたちがわらわらと出てくる。

「ギャッギャッ!」

「ねえなんでー?なんで人襲っちゃだめなのー?なんでー?」

ウワーッ!ガキみてーなゴブリン!

私は両手剣、ルーナは片手剣とカイトシールドを構え、セヴェロを背に庇いながら迎撃する。

戦闘の基本は遠隔から一方的に攻撃することだ。魔術師や弓兵こそが主な火力である。

セヴェロの雷魔法がゴブリンたちを殲滅する。撃ちもらした奴らは、私とルーナで仕留める。

この程度の数であれば特に問題なく倒せる。

最後の一匹を倒し終えた後、私はセヴェロに声をかける。

「大丈夫、疲れてない?」

彼は無言でこくりと肯くだけだった。

ルーナが彼の頭を撫でると、彼は嬉しそうに目を細めた。

セヴェロは背が低く、ルーナは長身な方なのでさながら姉弟のようだ。

が、しばらくするとハッとしたルーナが慌てて手を離す。

「失礼、つい……今日はよく頭を洗ってくださいね」

彼女はそう言ってバツが悪そうにするのであった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

後日、訓練所にセヴェロの姿があった。なんと彼も金属の仮面をつけていたのだ。

ゴブリン退治の日に見ていたのはルーナというより銀の仮面であったらしい。

恋心とかではなく若気の至りであったか……まあ彼、13歳だしね。

任務達成のお小遣いをすべてつぎ込み鍛冶屋に作らせたようで、装飾も凝っており結構なお値段がしたに違いない。

「似合っていますよ」

ルーナがそう言うと、彼はとても満足そうな雰囲気を醸し出していた。

自慢気に着けていたのだが、それを知った修道女たちにはからかわれ、聖務の際は外すように副院長に叱られ、泣きべそかいていたという。

だが心なしかルーナの、彼を見る時の雰囲気が優しかった気がした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話:異教徒の襲来

 

「修道院がなんだ、どこが修道なんだ!」

「お前らいっつも食べたり飲んだりしてるじゃないか!」

「院内恋愛しまくってるくせに!」

反龍教団の市民たち数人が修道院の門の前で叫んでいる。くっそー、耳が痛くて言い返せない。

「異教徒?」「異教徒きた!?」

修道士たちが外の様子を伺いに来ると、その男たちは一斉に叫びだした。

「お前らは寄進とか言って搾取しているだけだ!」

「神罰を与えろ! ドラゴン崇拝者どもに天誅を!」

口々に罵声を浴びせかけてくる。

「審問官、今こそ君の出番だよ!」

院長がここぞとばかりに言うのである。いつだって厄介事は私の出番だよ。私は渋々と門前に向かう。

「……はいはい。何か御用ですか? ここは修道院ですけど?」

「貴様らの悪行は全て分かってるぞ!」

「神の名のもとに断罪してくれるわ!」

私の顔を見てさらにヒートアップしていく。こいつら、この様子だとさては聖女教徒の連中だな。

聖女教は世界の創造主とされるローナを崇める。

世界の管理者であるローナの妹ハーメルとその眷属である龍から、ローナへと世界を返還するべきだという信条を持つ。

特徴は二つ、徹底した人類主義とローナの祝福を受けた異世界からの来訪者、転移転生者を聖人として敬っている事だ。

聖人たちのいた異世界はこの世界よりも徳の高い世界という話である。

信者数は少ないが熱心であり、その活動は良い方にも悪い方にも極めて過激だ。

龍教団及び神獣信仰やその他の信仰全てと対立している。

「お前たちの神様が見捨てた世界を立て直したのは神龍だよ」

私は一応反論しておくことにした。

「黙れ! 我らの神こそが唯一絶対にして最高なのだ!」

聞く耳を持たないらしい。こういう輩には何言っても無駄だから無視するに限る。

「お前たちの修道院は我々が接収する!」

「接収してどうするつもり?」

「まず慈善活動として調度品を売り払い、その金を貧民たちに分け与えるのだ」

私達は追い出すクセに普通に善行を積もうとしてくるのムカつくな……。

「それは素晴らしい考えだがお断り。龍教団も慈善活動は数多く行っているよ。お互いの存在を認めて放っておくことは出来ないわけ?」

「その考えは邪龍に思想が支配されている!悔い改めるのだ!」

「うるせぇ、お前らが悔い改めろ!」

「なんたる不遜な態度か!」

「お前らの方が不遜だよ!」

腹が立ったので私が両手剣を構えると、男たちは震え上がった。

彼らは自分たちこそが完全に正しいと思っているため、『説得』に道具を使わないのである。

話せば素直に明け渡してくれると心の底から信じているのだ。彼らの弱点でもある。

「次来るまでに、考えを改めるように!」

それだけ言い残して去っていった。やはりこの手に限る。

「まったく。あいつらのせいで気分が悪くなったじゃないか」

私はそうぼやきながら食堂へと向かうのであった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「朝から災難だったねぇ」

パメラのニヤケ面を見ながら口に硬い黒パンを押し込む。

朝食はかってぇ黒パンとスープと焼きすぎたベーコンだけ。

「本当にね。でもまあ、しばらくは来ないでしょ」

「ロタール王も本腰を入れて対処してくれればねぇ」

弾圧しようとすると、土地も義務も投げ捨てて別の領地へと逃げてしまうのだという。

税収が下がるし、空き家にはならず者が住み着くしであまり良い手ではないのだ。

そして転移転生者など外来人の存在が厄介で、彼らの存在は時々、その領地に莫大な利益をもたらす。

また、時には領主たち行政の中枢にまで入り込んでくることもあるのだとか。

対処の難しい存在なのは間違いない。

「ローナの伝説は私も読んだことがあるよ、不出来な姉だとされているがね」

「詳しいのね」

「もちろんさ。敵を知り己を知ればなんとやらだねぇ」

パメラの話では、ローナとハーメルは神の国アルハノープルにて書いたり読んだりして過ごしていたのだという。

世界を作ってそれを妹に譲ったのは周知の事実だが、ここからは聖女教のみで語られる秘密である。

「実のところ、ローナの作った二つ目の世界は神の火が降り注ぎ、人心は乱れ、争いが絶えない状況にあるんだと」

「そうなの?」

「悍ましい事に、とある高名な書店の棚には姦通を奨励するかのようないかがわしい春本ばかりが並んでいるのだと」

「ひえぇ」

「しかも常に売上の上位を席巻しているんだ」

恐ろしい世界だ、なんと罪深い。

「ああ、クピドよ、悍ましきを口にしたことをお許しください」

「我が主神の守護多からんことを」

話して聞くだけでも口と耳が汚れそうな事実である。

「そういう状況なので、ローナはこっちの世界が惜しくなったのだろうねぇ」

「うん、少し彼女には同情するわね……」

そんな事を喋っているうちに食事が終わる。

今日も今日とて仕事だ。私は食器を片付けると修道院の外へと向かった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

近隣の村で修道士たちが炊き出しをしていたが、聖女教徒の連中と揉めていた。

「あっちのスープよりこっちの方が美味しいよ!」

「龍の汁なんて飲めっこない!」

全くとんでもない奴らだ、炊き出しの横で炊き出しやってやがる。

私が近づいていくと、一人のオークの少女が私の前に飛び出してきた。

「あ、アーデルヘイトさん!」

「やあ、こんにちは」

彼女はいつも熱心にお祈りをしている子だ。村に訪れる度に顔を見せてくれる。

「聞いて下さい、あの人達が私達オークには食べさせてくれないんですよ」

「それは酷い。さあ、クピド派の人たちに貰ってきなさい」

少女は頷いて走っていった。

東部オークタニア部族との国境が近いロタール王国北部では、農村地域に労働力としてオークが入植していることが多い。

クピド派は人種によって差別はしない!いや、ハーレムを作りがちな獅子獣人には厳しいが、表立ってはやらない。

やはり彼らはこのまま放っておいていい存在ではないだろう。

私は両手剣を抜き、聖女教徒の炊き出しの鍋を叩き斬る。

「お許しください!!」

「うわあ!こいつ修道院の暴力女だ!!」

「お許しください!お許しください!」

主神クピドへの懺悔の言葉を叫びながら暴れ回る。

「こいつ怖えよぉ!」

「狂信者だ!狂信者がいるぞー!逃げろ!殺されるぞ!」

聖女教徒たちは最低限の荷物だけ回収して逃げ出してしまった。

「これに懲りたらもう人様のシマ荒らすなよ!」

村人たちは大喜びで私に礼を言ってくる。

「派手にやったな、アーデルヘイト」

炊き出しをしていたバルトロが声をかけてきた。

本当に派手にやってしまったのだわ。これにビビってもう来ないといいのだが。

「派手にやり過ぎたよ、食事も無駄にしてしまった」

「修道院に戻ったら好きなだけ懺悔を聞いてやるよ」

そう言って彼は笑うのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話:貴族令嬢

 

一年経つか経たないかぐらい前のある日、修道院に貴族令嬢……元貴族令嬢がやってきた。

「こんなところ、来たくなかったわよ!」

開口一番、彼女はそう言った。

北側の近隣国、ヴァーデンベルク王国の貴族であり、なんと王太子の不倫相手だったのだという。

王太子は婚約者がいたにも関わらずこの貴族令嬢、ザスキア・フォン・ホーエンロッホと親密な関係となり、彼女との間に子供まで出来てしまったらしい。

元々の婚約者は婚約破棄を宣告された。そして、あろうことかその令嬢を新たな婚約者に据えると言い出したのだ。

当然婚約者の家は怒り狂い、挙兵寸前にまでなったのだが、それを国王が止めに入った。

王太子は廃嫡、そして王家と令嬢の家、ホーエンロッホ家から婚約者の家、カンシュトゥガルト家に賠償金を支払わせることで話が付いたそうだ。

そしてザスキアはこのヴェネトリオ修道院に送られることとなったのである。

「修道院は流刑地じゃないんだけど」

「院長が多額の寄進が来たって喜んでいましたね」

シスター・ベロニカは呆れた表情で言った。

ザスキア嬢は馬車で送られてきてからというもの、ずっと不機嫌だ。

「私は悪くないわ!悪いのはあの浮気男よ!!」

どうやら彼女の方は本気でそう思っているようだ。しかし、そんな言い訳が通るわけもない。

「浮気男って、一応は愛し合ってたわけじゃないの。お腹に赤ちゃんもいるんでしょう?」

「あんなやつ愛してないもん!!あいつが勝手に言い寄ってきただけだもん!!!」

彼女は大声で叫んだ。不貞を働いた自業自得ではあるが、気の毒でもある。

「……まぁ、とりあえず、ここにしばらくいてもらいますからね」

「なんで私がこんな所に……」

「仕方ないでしょ、あなたはもう貴族ではないんですから」

シスター・ベロニカも困った様子だ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

ザスキア嬢が来て一週間が経過した。

相変わらずふてくされているようだが、大人しく過ごしているようだ。

身重の体なので、あまり重労働はさせられない。写本や説話の書き写しなどの作業を手伝ってもらっている。

彼女の美的センスはさすが貴族と言えるほどのもので、特に絵画はかなりの腕前であった。パメラが嫉妬するぐらいに。

ただ、不満なのは、食事が質素すぎることのようだ。

「なんでこんな粗末なものしか出ないのよ!」

「贅沢言わないの。まあでも、お母さんになるんだから、栄養が必要よね。私の食べていいわよ」

そう言って私は自分の分の食事をザスキア嬢に渡した。

「貧乏人から施しは受けないわ!」

そう言いながらも、お腹が空いていたようで、結局全て食べていた。

ずっと世話をしていると、なんだか妹のような存在になってくるので不思議なものだ。ちょっと生意気な所もあるけど、憎めない子である。

「あなた、名前はなんていうの?」

「……アーデルヘイトよ」

「ふーん、変な名前ね。アーデルハイトじゃないの?」

「故郷がフリース=ホラントだから、そっちの読みなの」

「どうでもいいわ」

「自分で聞いたんでしょ」

どうもこの子とはテンポが合わない。でも、こういうやり取りも嫌いではなかった。

さらに月日が経つとザスキア嬢に変化が現れた。

まず、表情が明るくなった。最初は気難しい人なのかと思っていたが、元来の性格は明るく素直なものだったようだ。

次に、よく喋るようになった。愚痴ばかりだけど、会話に飢えていたのだろう。私以外の修道士とも会話をしているのを見かける。

そして、妊娠のせいか、かなりふくよかになった。これはこれで可愛らしいと思う。

また、態度も柔らかくなり、私により懐いてくるようになってきた。

おそらく、交友関係に恵まれない生活を送っていたのだろう、そこで間違いを冒した。

今やその心配も皆無と言ってよいかもしれない。のだが……。

「お姉様!」

「お、お姉様!? ど、どうしたのよ急に、私はあなたの姉じゃないんだけど」

「いいじゃないですか!私にとってはお姉様です!」

「ま、まあいいけど……」

まさか私のことを慕ってくるとは思わなかった。しかもお姉様呼びなんて……正直恥ずかしいからやめてほしい。

そんなやりとりもありつつ、私達は穏やかな日々を過ごしていったのだった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

数ヶ月を経て、彼女は無事に出産した。元気な男の子であった。

「おめでとう、ザスキア」

「ありがとうございます、お姉様」

彼女は嬉しそうに答えた。修道院全体が祝福ムードに包まれる中、一人の訪問者がやってきた。

それは王太子、元王太子だった。彼は彼女に謝罪をしにきたという。

だが、ザスキアは彼を追い返すように言った。当然だろう。そもそも彼女がここに来たのは、彼の不倫が原因なのだから。

しかし、その後も度々彼がやってくるようになった。その度に追い返しているのだが、諦めの悪い男だ。

ある日、遂に彼は強引に面会を申し込んできた。さすがにこれ以上拒否し続けるのは難しいと考えたのか、ザスキアは渋々受け入れたようだ。

私と院長も同席することになった。一体どんな話をするのだろうか?

「やあ、久しぶりだね、ザスキア」

「……お久しぶりですわね、殿下」

二人は睨み合うように対面していた。お互いに思うところがあるのだろう。

「その節は本当にすまなかったと思っているんだ。僕はどうかしていた。反省している」

「……」

沈黙が流れる。

「それでだ、産んだ子供なんだが……」

「ああ、やっぱり。子供が、王家の血が目当てなのね」

「いや、違うんだ!ただ純粋に君と子供に会いたいだけなんだ!」

「嘘おっしゃい。どうせ子供だけ引き取って私を追い出すつもりなんでしょう?」

「そんなことしないさ!本当だ!!」

どうやら王太子は本気で子供にも会うつもりで来たらしい。ただ、ザスキアの方はそれを信用できないようだった。

「信じられるわけないでしょう、子供が生まれるまで便りすら寄越さなかったあなたなんかを」

「うっ……」

痛いところを突かれて元王太子は何も言えなくなった。

ザスキアの言う通りだ。仮に本気で会いたいと思っていたとしても、手紙の一つぐらい出すべきだろう。

「とにかくだ、今日は君に会いに来たんだ。子供はこちらで育てるよ」

「信じられないわ。それに、その子だって私の子よ」

「院長には話をつけてある」

「!?」

い、院長!?まさか金で裏切ったのか!?あり得る。

「今日のところはお引取りください、ザスキアは必ず送り届けます」

「わかった、頼んだぞ」

こうして元王太子は帰っていった。

「院長!!」

「まあ、待て、アーデルヘイト。待て!グーはやめろ!ちゃんと訳がある!」

院長に事情を聞くと、どうやらこの修道院に多額の寄付をしたそうだ。

「契約書も交わしてある、ほらこれ」

そう言って一枚の紙を見せてきた。確かに契約内容が記されている。

「……えーっ!?よくこれで契約できたわね!」

「不倫するだけあって、オツムの出来はそれなりのようだからな」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

ひと月が経過した。赤ん坊はすくすくと育ち、ザスキアも平穏な生活をしていた。

そしてある日、業を煮やした元王太子が修道院に兵士を引き連れてやってきた。

「いつになったら連れてくるんだ!!」

「いつって、子供が成人を迎え、自分の意志で物事を判断できるようになってからだが」

「はぁ!?」

「契約書に明記されているぞ、ちゃんと読んでおるのか、契約書を」

院長が羊皮紙をひらひらと見せつける。

「なんだと!?貸せっ!」

元王太子が奪い取るように契約書を受け取ると、じっくりと読み始めた。

「……くそっ!!こんなの詐欺じゃないか!」

契約書には、成人後に引き渡す、としっかりと書かれてあった!

おそらく浅慮な元王太子の事だろう、契約書を大して読み込まずに同意の署名を書いたに違いない。

「ではその署名は一体どんな詐欺師が書いたものなのか、顔が見てみたいものだな」

「ぐぬぬ……」

歯ぎしりする元王太子。

「もういい、こうなったら力づくでも連れていく!!」

そう言って剣を抜いた。

「神聖な修道院を武力で脅そうとは!なんと野蛮なことか!修道騎士よ!」

フル装備で準備万端の騎士たちが武器を構えてぞろぞろと出てくる。もちろん私も。荒事は大好きだ。

元王太子の連れてきた兵士たちは想定外の戦力を目の当たりにし、怯んでいる様子である。

「剣を収めよ!そして契約書通り、成人までの16年待つことだ。何を企んでいるかは知らないがな」

「くそぉぉぉ!!!」

そう叫びながら剣を振り回しながら突っ込んでくるも、あっさり取り押さえられたのだった。

「あなたは改悛の心もなく、契約を反故にし、暴力で子供を連れ出そうとした!我々ヴェネトリオ修道院がその証人だ!」

こんな偉そうなことを言っているが、寄付をせしめた上で相手に不利な契約を結んだ張本人である。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

元王太子はヴァーデンベルクに送り返された、今は軟禁状態にあるという。

ザスキアもその息子も、心配事何一つ無く平和に暮らしている。めでたしめでたし、かな?

「この子は、お姉様から名前を頂戴して、アーデルベルトと名付けましたわ!」

「そ、そうなんだ……」

なんというか、この、むず痒い感じ……まあ、嬉しいっちゃあ嬉しいかな……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話:ダンジョンへ行こう その1

 

「ダンジョン?」

「そうだ、つい最近このヴェネトリオ付近に確認されたらしい」

ダンジョン、魔導迷宮とも呼称されるそれは、魔力の吹き溜まりに生まれる空間の歪みである。

吹き溜まりが起きる原因は不明だが、その内部は建物のようであったり洞窟のようであったり、中には草原や森のようになっている場合もあるという。

そしてその中には魔物や動植物、森羅万象が異常生成され、さながら一つの世界を形成しているとさえ言われている。

一度入れば特殊な魔道具を使わない限り、最深部、最奥部に到達しないと出られず、探索の危険は大きい。

しかし、そこで得られるものは貴重なものも多いため、一攫千金を狙う冒険者が数多く挑むのである。

「で、それが我々に関係ありますかね?」

「大有りだとも。我が修道院が先んじて攻略すれば、他の教会の勢力に対して優位に立てるからな」

はぁ、院長はそういう事ばかり考える人だからな……。

「あと財宝も持って帰ってきておくれ」

これだもの。とはいえ、ワクワクしないと言えば嘘になる。ダンジョンにワクワクを求めるのは間違っているだろうか(いや間違っていない)。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

私は聖騎士ルーナと修道魔術師セヴェロ、それから砂漠の狐獣人の修道士マシニッサを呼び出した。

……マシニッサは呼んでいないのだが、こういった冒険事に興味があるそうだ。

「絶対、連れてってもらうッスからね!!」

置いていくとめんどくさそうなので連れて行くことになった。

「ダンジョンですか……面白そうですね!」

ルーナの言葉にセヴェロも無言で頷く。この二人もやる気はあるようだ。

「ダンジョンにはどのような疾病をも治療出来る薬が存在する場所もあると聞きます。もしそのようなものが手に入ったら、多くの人を救う事が出来るでしょう」

「確かにそうね……」

ルーナの意見には同意だ。救える命は多い方がいいに決まっている。

「では行きましょうか!」

私達はダンジョンへと潜る事にしたのだった。

ダンジョンの入口には、既に人だかりが出来ていた。どうやら私達が一番乗りではないらしい。

しかしながら、大半が野次馬の村人であり、冒険者らしき者はごく少数だった。

「おい、お前達!何が起こるかわからないから離れろ!とっとと仕事に戻れ!」

衛兵が叫ぶが、誰も言うことを聞く様子はない。

それもそうだろう、誰だってこんな珍しい出来事を見れる機会を逃すわけが無いのだ。

「失礼、衛兵殿」

「おや、修道会の方々ですか」

「はい、そうです。ですが今回は調査ですので、あまりお気になさらず」

「このダンジョンが現れて数日経ちますが、中に入った冒険者で帰ってきた者は未だ居ません。くれぐれもご注意を」

「ありがとうございます」

そう言って私達はダンジョンの中へと足を踏み入れた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「これはまた凄いですね……!」

ルーナが感嘆の声を漏らす。無理もないだろう、私も同じ気持ちだ。

目の前に広がる光景は、まさに異様であった。

地面は土ではなく石になっており、壁はレンガのように規則正しく積まれている。

天井からはいくつものシャンデリアのような物がぶら下がっており、煌々と辺りを照らしていた。

さらに驚くべきことに、そこには植物が生えていたのだ。

「屋内とも屋外とも言えず、人工物とも自然物とも言えない、これがダンジョンの摩訶不思議ッスよ!」

マシニッサくんのテンションが爆上がりしている。

「一体どのように作られたのか、さながら人が探索する為だけに用意されたような構造ッス!ダンジョンの龍神がいたら真っ先にそっちを信仰するッス!」

この不信心者め。しかし、確かにこれは神の御業と言っても過言ではない。

そんな事を考えつつ、私たちは奥へと進むことにした。

しばらく歩くと開けた場所に辿り着いた。

広場の中心には巨大な噴水がある。

そしてその周りを取り囲むように様々な店が建っていた。武器屋や防具屋、道具屋、宿屋など様々だ。

「……まるで街のようですね」

「まさしくその通りッス!ここは……何なんスかね?」

「わからないのかよ」

思わず突っ込んでしまった。いや、本当にわからないのだが。

「買い物とか出来るのかな」

「それは無理じゃないスかね、ダンジョンに人間が生成されたって話は聞いたこと無いッス」

そうなのか……それはちょっと残念だ。

「あ、死体なら生成された記録が残ってるッスよ!外傷も無く、身元が一切不明なので大混乱を巻き起こしたって話ッス!」

それは本当にダンジョンで生成されたヤツなのか……何かの事件に巻き込まれたのではないのだろうか。まあ今更言ってもしょうがないけど。

セヴェロが武器屋の窓を覗いて何やら無言で騒いでいる。

一体何を見ているのだろうか? 気になって見に行くと、そこには立派な剣があった。その刀身はまるで鏡の如く磨き上げられており、刃こぼれ一つない。

柄の部分にも装飾が施されていて、美術品としても一級品に見える。

だが値段を見ると金貨1000枚というとんでもない額だった。バカが考えた値段みたいだ。

「貰っちゃう?」

コクコクと頷くセヴェロ。

「しかし、ダンジョンとは言え、窃盗は……」

「ダンジョンだから窃盗じゃないッスよ!第一店主もいないッス」

「うーん……まあ、確かに誰も所有していないものですけど……」

ルーナは若干抵抗があるようだが、多数決により神聖盗掠確定である。私たち本当に龍神の信徒か?

セヴェロが扉に手をかけると、マシニッサくんが止めに入った。

「罠に注意ッスよ、いつどこに仕掛けられているかわからないッス」

ダンジョンというものには、罠も生成されるらしい。単純な落とし穴から複雑なものまで多種多様だそうだ。

そして大抵の場合、油断したり気を抜いたり、財宝を目前にした時に引っ掛かってしまう。

「罠を解除するのに簡単な方法があるわ。罠を発動させること」

「駄目ですよ」

即却下されてしまった。やっぱりか。仕方がないので扉を調べる。

異端の審問にはこういう技術も必要なので、多少は心得ているのだ。何故必要なのかって?それ聞いちゃう?

ふむ、特に変わったところは見当たらない。ドアノブも鍵穴も怪しいところはないし、鍵もかかっていないようだ。

私は扉を、正面に立たないように気をつけながらゆっくりと開ける。そして中を覗き込んだ瞬間、私の顔面目掛けて矢が飛んできた。

「あぶなっ!」

私は間一髪で躱すことが出来た。危うく死ぬところだったぞ……!

「いや、刺さってるッスよ」

「うん」

……危うく矢が刺さるところであった!私は無傷だ!セヴェロ助けて!!死ぬ!!!

彼の早急な治療により何とか一命を取り留めた私。

「矢が細くて助かったッスね」

「ボウガンのボルトだったみたいです」

こんな調子で攻略出来るのか不安になってきちゃった……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話:ダンジョンへ行こう その2

 

さて、武器屋の豪華な剣を手に入れることには何とか成功した。

セヴェロが高等な治癒術を覚えていなければ死んでいたところであった。

「もう、前に出ないでくださいね」

「後ろは自分に任せるッス!」

でも何だか保護対象みたいな感じになってしまった。

謎の街には他に目ぼしいものも無かったので、さっさと退散することにする。

次なる階層はいかにもな地下通路風のダンジョンだった。

ところどころに松明が設置されており、薄暗いものの視界は確保できている。

「オーソドックスなダンジョン!と思われるッスが、こういうタイプのダンジョンは実はそう多くないんスねぇ」

マシニッサくんの解説が捗る。別に聞いてないんだけど。

「龍の時代をもたらしたとされる原初の勇者パーティーの伝承に登場するダンジョンがこのタイプであり、それで有名になったんスよ!ちなみに現在の魔王国中部にある『ケナブレアンの地下迷宮』が伝承のダンジョンではないかとされているッス!」

「詳しいんですね!」

ルーナが褒めると、マシニッサくんは鼻高々である。すごい早口。

「審問官も褒めてくれてもいいんスよ!」

「まあ、すごいよ……」

「にっへっへー!」

急にあざとさを前面に出してきたな。今までそんな笑い方してたっけ?

ともかくも、私達は探索を続ける。そして肝心な事を忘れていたことに気がつくのだ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「今何時?」

「さあ……」

時間の感覚が狂い始める。なにせずっと屋内でずっと明るいし。

ひょっとするともう二日ぐらいは経過しているのだろうか?

「時間がわかるものを持ってくるのが定石ッスよ!」

「持ってきてる?」

「持ってきてないッス……」

罠の解除や魔物退治に忙しくて文字通り時間を忘れていたのだ。

しかも、このダンジョンバカみたいに広いようで、もう40層ぐらいまで来ている。多分。

ここに入ったパーティーがなかなか戻らないのも頷ける。

とはいえ、魔物が食べようと思えば食べられるタイプの魔物であり、時々キレイな水源も発見できているので食糧事情は問題ない。

「お腹減ったなぁ……そろそろお昼にしようよ」

「そうッスね!今日はここでキャンプにするッスか!」

ということで、テントを張り食事の準備を始める。

マシニッサくんと二人で料理を作る、といっても簡単なごった煮ぐらいだが。

今回初めて知ったが、ルーナとセヴェロは料理が壊滅的であった。

「ニンニクやオリーブオイルがあればいいんスけどねぇ」

「まあ、一味欲しいわね」

ダンジョン内で取れる香草では少し限度があった。あとは持ってきていた塩ぐらいしかない。

そして食材は洞窟オオトカゲの肉である……これを見ているとなんだかドゥライドを思い出す。元気してるかな。

「猟奇的ッスね……文字通り食べるって訳ッスか……」

「冗談に決まってるでしょ」

この肉は結構美味しいのだが、淡白ではある。香草と一緒に煮込んでしまおう。

持ち込んだオートミールも砕いて水と混ぜて焼く。粥にするよりはマシな食べ方だ。

「天と地の龍神よ、あなた方の慈しみに感謝いたします。実りを今日の糧と出来ることに感謝いたします」

食前の祈りを済ますと、早速いただくことにする。

「お二人とも料理が上手ですね」

「でもルーナ、この間お菓子作ってなかった?」

「あれは食事係の方に作ってもらったんですよ。ほら、私ってこうだから、料理作っちゃダメですし……」

そ、それもそうだが……しかしセヴェロはそんなことないと言いたげだ。

「……!」

「ありがとう、セヴェロくん。気にしないでください、しようがないことですから」

今無言で通じ合ってなかった……?

「あの二人……」

やはりマシニッサくんもそう思うか。

「姉弟なんスかね?」

う、うーん……。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

食事も済ませると仮眠を取る。見張りは私とルーナ、マシニッサくんが交互に行うことになった。

セヴェロはパーティーの火力の要であるし、そもそも喋らないので見張りに向いていない。

彼は気持ちよさそうに呑気に眠っている。ただでさえ可愛い顔なのに寝顔だと更にバリ可愛いのだ。

ルーナはジッとその顔を見つめている。彼女ああ見えて可愛い物好きだし……早く寝ろ。

可愛いといえば、獣人であるマシニッサくんの寝顔もバリ可愛いのである。

こういう容貌のレベルが全体的に高いところは獣人のズルいところだと思う。

と、どうでもいいことを考えつつ見回りをしていると、うめき声が聞こえてきた。

「……うぅ……」

両手剣を構えて静かに声の発生源を探す。少しその場を離れて曲がり角を覗く。

野営の火が見え、そこに二つの人影が見える。そして人影は重なっていた。

へ、へぇー!すげー!こんなところで!あんれまぁそんなことまでしちゃって!

いやまあ別にそういうの否定はしないけどね?私だってそういう経験無いわけじゃないしね?

私は音を立てないようにその場を去ることにした。こういうのは黙って立ち去るに限るのだ。

「もう、永久に出られないのね……最期に、こうなれてよかった……」

「うん、うん……」

……コトが終わったら助けに行ってやるか。

皆の元へと戻り、マシニッサくんと交代する。

「ふわーあ、もう交代ッスかぁ」

「もう数時間経ったよ」

「……あれ?なんか声が聞こえるッス」

「あとで見に行けば?」

私はベッドロールに包まり、目を閉じた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

結局殆ど寝られなかったが、それは二人も同じようだ。

ルーナもマシニッサくんも、あと私も、寝不足の顔だ。

「……見ました?」

「見たッス」

「見たわ……」

快眠顔のセヴェロは何のことだかわかっていない様子であったが、お前にはまだ早いのだ。

さて、朝食を済ませたら早速あのカップルを助けに行こう。

かなり絶望している様子だったので、揃って自刃してないといいのだが……。

「んっ、んんっ、んっ」

「はっ、はっ、うぅっ……」

まだハッスルしてました。もういいだろやめろ!

「お二人さんちょっといいスかぁ?」

「えっ!?」

「あっ、なっ、なんだ君たちは!?」

「こっちのセリフだ、おバカ!」

事情を聞くに、二人組の冒険者のようである。幼馴染同士で一緒に旅をしていたらしい。

それでこのダンジョンに入ってみたら脱出不能になってしまっていたとのこと。

絶望して最期に思いを伝えて、それでなんだか盛り上がってしまったようである。

「やっぱこいつら助けるんじゃなかったッスね!」

「そうね……」

「ええっ!?」

クピド派にあるまじき事を思わずついつい口にしてしまう。

とにかく、気まずいけど彼らを引き連れてダンジョン攻略を目指す。

この深さまで来れるなら相当な手練だろう。戦力としては期待できそうだ。

男の方はジョン、女の方はカミラと言うらしい。ジョンとカミラ、不思議と舌に馴染む名前だ。

というわけで自己紹介も済んだところで探索再開である。

ダンジョンは地下へと続く構造になっており、下へ下へと潜っていくことになる。

途中現れた魔物たちはジョンとカミラがやっつけてくれるので楽ちんだ。

流石は冒険者なだけはあるが、じゃああんなところでどうして絶望してたのか。

「このダンジョン、広すぎる気がします」

「ええ、こんなのは初めて……」

二人は数多のダンジョンを巡ってきた猛者でもあるらしく、その二人がそう言うのなら相当なのだろう。

実際問題、私たちは既にかなりの階層を降りているはずなのだが、一向に終わりは見えない。

そして厄介なことに、魔物の強さと凶暴さも増してきた。

「一般的にダンジョンの奥深くの方が魔力の濃度が濃いので、それに感応した魔物はより強力なものになっていくッス!」

マシニッサくんは上機嫌に解説する。

「階層が多くて深いほどに強い魔物が現れるそうで……うーん、40層はあまり聞いたことがないので……」

つまり、とんでもない強さの魔物が出てくる可能性があるって、事……!?

「ということは、腕がなりますね!」

ルーナとセヴェロはフンフンとやる気十分だ。頼もしい限りである。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話:ダンジョンへ行こう その3

 

ダンジョンに潜って、体感で10日ほど経った。

現在87層、肉体的よりも精神的な疲労が溜まってきている。

というのも、ここに至るまでずっと魔物と戦ってきたのだが、今までとは比較にならないくらい強かったからだ。

特に洞窟ドラゴン、ドラゴンを信仰する我々には倒しにくい……とかいうわけでもなく、普通にやたらと鱗が硬かったのだ。

また魔物たちの凶暴さと狡猾さも増し、不意打ちを仕掛けてきたり、罠を張って待ち伏せをしたりとこちらを疲弊させるような攻撃ばかりしてくる。

しかしながら、ルーナとセヴェロ、ジョンとカミラのコンビネーションによりなんとか乗り切っていた。私はつゆ払い係。

それに、何組かの冒険者たちの亡骸も見つけてしまい、お祈りをしてあげたりと、おかげで私たちはかなり消耗してしまった。

「ここまで深いダンジョンは世界新記録じゃないッスか!?」

訂正、マシニッサくんだけはやたらと元気であった。あまり戦闘に参加してないからなぁ!私もだけど。

とはいえ、彼の知識と能天気さがなければここまで来れていないだろう。

そういう意味では功労者とも言える。

だがしかし、いい加減帰りたい。疲れてしまった。あの小憎らしい院長の顔も恋しい気がしてくる。それはないか。

「お風呂に、入りたいですねぇ。包帯も換えないと」

こういったダンジョンだと四六時中銀の仮面と包帯をつけることになるルーナは、結構参っていた。

彼女の事情を知っている身としては、早く彼女を外に連れ出してあげたいものだ。

「はぁ……せめてここが最下層だったらいいんだけど……」

愚痴の一つも言いたくなるというものだ。

しかしながら、喜ばしいことにその愚痴は当たっていた。

ようやくたどり着いた87層の奥には巨大な扉があった。

今までのどんな部屋のものよりも大きく、荘厳な作りの扉だ。まるで神殿の入り口のような雰囲気がある。

「これはまさか……!」

「ああ、間違いないっスね……!最奥部、いわゆるボス部屋ッス!きっとそうッス!」

みんな目を輝かせるが、要するにこれまでで一番強い敵がいるということである。

「勝ちますよ!万全にしてから行きましょう!」

私達は扉の前で野営をすることにした。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

流石にここまでくると魔物たちも襲ってこないので、安心して休むことができる。

食事や傷の治療もできるし、いいことづくめだ。

見張りは交代で行い、まずは私が見張りを担当することになった。

ウトウトしながらも辺りを見回っていると、ふと何かの気配を感じた。

殺気ではないが、何か嫌な感じがする。

なんと扉が少し開いており、こちらを覗く巨大な何かがいた!

「あのー、人の家の前でキャンプしないで欲しいんですけど……」

「ウワーッ!ごもっとも!」

覗いていたのはドラゴンであった!が、なんか会話が出来そうな感じだ。

私の悲鳴を聞いて、みんな飛び起き……ていない!超グッスリ!

「もしかして、あなたがここの主……?」

「そんなところなんですけど……」

どうやら話が出来るタイプのドラゴンらしい。私は意を決して話しかけることにした。

「私たちは愛の神龍クピドの信者。できれば戦わずにここを出たいのだけれど」

「なるほどですけど!」

意外とフレンドリーなようだ。良かった、これで平和的に解決できそう。

「あたしはクピドの第三子にして友愛の龍、名前は……特に無いんですけど!」

ないのかよ。いや名前とかどうでもいいんですけど。

「あんたたちの友情をしかと見たんですけど!」

そう言って、寝ているジョンとカミラを指差す。

「共に助け合い友情を育む、素敵なんですけど!」

「はあ、そりゃどうも……」

「何人かパーティーメンバーを追放してる人がいたから、臓腑を呪ってやったんですけど」

ここに来る途中で見たいくつかの亡骸がそうなのだろう。ダンジョンといえば追放である。知らんですけど。

「とにかく入るんですけど!お茶淹れてるんですけど!」

私は寝ているみんなを起こし、ぞろぞろと中に入った。

そこはとても神秘的な空間だった。

天井は星空のようにクリスタルがいくつも輝いているが、床は花畑になっており、美しい花が咲き乱れていた。

そして中央に水晶で作られたかのようなテーブルと椅子があり、それに少女が腰掛けている。

きっと人間の姿に変身したのだろう。

「マリカさんに、似てますね……」

「そうッスね」

そりゃそうだ、マリカはクピドで、クピドはこの少女の母である。

「このクッソ醜い種族の姿でいられるのも5時間だけなんですけど!早くお茶会するんですけど!」

クッソ醜いは余計だし変身時間も無駄に長い。

寝ぼけ眼でまだ状況を飲み込めていないが、一行はテーブルに着くこととなった。

「これであたしたち友達なんですけど!超嬉しいんですけど!」

「どういうことなんスかね?ダンジョンの最奥部に神龍がいるなんて」

「我々も聞いたことがない……」

マシニッサくんもジョン・カミラも知らないようなので、おそらく前代未聞であろう。私も知らない。

「というかこれ本当に紅茶ですか?」

出されたものはどう見ても泥水であった。少なくとも我々の知る茶葉ではないことは確かだ。

「失礼な奴らなんですけど!これは正真正銘神の飲み物なんですけど!」

少女はぷりぷり怒りながらそう言った。確かに言われてみればなんだかいい香りがするようなしないような気がする。気がするだけだ。明らかに泥の臭いがする。

騙されたと思って口をつけると、やっぱり泥水、泥お湯であった。騙された。

「ぷぷぷ、騙されたんですけど!」

彼女は本を取り出し、何かを書き込んだ。

「友達が出来たらやることリスト、いたずらの項目にチェックがついたんですけど!」

可愛げがあるようなそうでもないような。そして口をつけたのは私だけだったようだ。クソ!

「あ、最奥部といえばお宝があるはずッス!是非とも分けていただきたいッスけど……」

マシニッサくんの言葉に、少女は目を閉じて胸に手を当てた。

「財宝なら、ここにあるんですけど……友情という名のですけど……!」

「絶対言うと思ったッス!」

ここまで来て報酬無しは少々堪える、まあ道中結構拾ったけど。

「可愛そうだからあげるんですけど!」

彼女がそう言うと、クリスタルが嵌められたアミュレットが、私達とジョン・カミラの分の二つ現れた。

それは淡く光っており、不思議な力を感じる。

「……それは名付けるなら『友情のアミュレット』という代物なんですけど。それを身につけている間は裏切ることも裏切られることもできなくなるんですけど」

「すごいですね!」

ルーナが口を開くとセヴェロも興奮気味に頷く。この品は院長もお喜びになるだろう。

「そういえば、どうしてダンジョン奥地にあなたが現れたの?」

何かドラゴンとダンジョンは関係があるのだろうかと聞いてみた。

「ダンジョンを作るドラゴンもいるんですけど、あたしはただここが新しく出来たから入っただけなんですけど!」

まあ、天然の新居みたいなものなのだろう。よくわかんないけど。

「そんな、ダンジョンを作るドラゴンがいるんスかぁ!?ぜひ会ってみたいッス!」

「やめといた方がいいんですけど。あいつめっちゃ性格悪いんですけど」

「あ、そうなんスね」

流石のマシニッサくんも性格が悪いドラゴンには会いたくないようだ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

ゴネる友愛のドラゴンをなんとか説得し、ようやく脱出することができた。ダンジョン攻略である。

奥の水晶で作られた扉を開くと、ダンジョンの入り口に繋がっていた。

「やっと、出れたわ……」

「長かったですね……」

「もうクタクタッス」

口々に疲れを吐き出すように言いながら外に出ると、扉はひとりでに閉まり、消えた。

ダンジョンの外には院長がいた、そして熱心にお祈りを捧げていた。

「あ、あ、ああ!!君たちぃ!!」

私達に気がつくとすぐに駆け寄り、抱きついてきた。涙と鼻水を垂れ流しながら泣いている。汚い。

「ああクピドよ感謝いたします!これほど後悔した、生きた心地のしなかった二週間はなかった!よくぞ、よくぞ無事で!」

ひとしきり泣いて落ち着いたのか、涙を拭きながら話し始めた。

「いや、何日も戻らないので、力尽きたものかと……私の浅慮を許してくれ」

「全くッス!このダンジョン多分世界一深いッスよ!」

マシニッサくんがプンスカ怒っている。気持ちはわかるよ。私だって同じ気持ちだよ。疲れたよ。

へたり込み涙を流すセヴェロ、そしてそれを抱きしめたそうな顔で見つめるルーナ。状況がよくわかっていないジョン・カミラ。

私は疲労困憊で何も考えたくない。

「それで、財宝はどうだったかね!?いだいっ!?」

このジジイ!思わずグーが出てしまった。主神よお許しください。

「ま、まあ、今のは悪かった!でもグーで殴ることは……とにかく、修道院に戻ろうか」

そうして私たちは帰路についた。もうダンジョンの探索は懲り懲りである。

帰ったらまずお風呂に入ろうと心に決めた私なのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話:転移者キョーコ

 

「大変です、街に痴女が現れたんですよ」

「え、そんな馬鹿な!」

町人の報せを受けた修道女が部屋に飛び込んできた。

厄介事ならこのアーデルヘイト異端審問官に任せてくれ!暇なのだわ。

街に馬を駆って向かうと、下着のような鎧を着た変態がいた。

14歳ぐらい、黒い長髪で、顔にガラスのついた謎の装飾品をつけている。

町人らに遠目からじろじろ見られても堂々としている。

まるで自分がこの世界の主役であるかのように振る舞う姿は、まさに異様であった。

「もし、そこのお嬢さん」

「はい?何でしょうか?」

彼女の異様な雰囲気、破廉恥な雰囲気に圧倒される。できれば関わり合いになりたくない!

「その服装は、公共の場に相応しくないですね……」

念の為持ってきていたローブを差し出す。

「……違う」

「え?」

「思ってたんと違う!ファンタジー世界なんだから!もっとこう、あるでしょ!?」

急に怒りだした、怖い。

「な、何を怒っているのですか……?」

「ごめんなさい、取り乱してしまって……ちょっと混乱してて……」

「はあ……」

「……私の格好どう思う?」

彼女は自分の服を指差す。下着のような鎧だ、胸と股間しか守っていない、なんか意味あるの?

「破廉恥、ですかね……」

「そう、それはわかっている……こういう装備の人っているの?」

「自分が知る限りでは初めてですね。聞いたことはないです」

「やっぱり……ファンタジー世界なのに……世界地図も地球とおんなじだし……」

なにやらブツブツと言っている。この口ぶり、ひょっとして狂気に頭が支配されているのではないか。

「あのー、医者の元へ連れていきましょうか?修道院に薬師がいまして……」

「私は正気よ!!」

「狂気に侵された人はみんなそう言うのです」

「私は、日本という国から転移してきたの!」

「はぁ、ニホンですか……聞いたこと……ある!」

異世界人の故郷の呼び名だ。聖女教徒が天上界と呼ぶ国である。

「とりあえず、立ち話もなんですので、修道院でお話を……馬乗ります?」

「馬!?乗りたい!」

急に目を年齢相応にキラキラさせる彼女。二人乗りで修道院へと向かった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

とりあえず、応接間に通した。どこから聞きつけたのかパメラが大慌てでやってきた。

「破廉恥ガールのお話聞かせてくれぇ!」

「破廉恥ガールって……私、キョーコと言います」

「私はアーデルヘイト。こっちの不遜なのはパメラ写字生」

軽く自己紹介を済ませると、キョーコは身の上話を始めた。

「あの、コスプレイヤーになりたくて、縫い物とか色々勉強してて、そしたら、クラスの不良にバレて、真冬の川に捨てられて、飛び込んだら、なんか女神様が出てきて、それで……」

よくわからない単語が多いが、とにかく辛い目に遭ったようだ。彼女はだんだんとしょぼくれていった。

「かわいそうにねぇ、辛かったねぇ、私と気が合いそうだねぇ」

パメラはなぜか同族意識を感じている様子である。

「女神様に、チート能力貰って、異世界に来たけど、この世界って、なんていうか、ゲームじゃないっていうか、現実っぽいというか、剣と魔法の世界だけど、そうじゃない部分もあって、それがまたリアルで、もう、どうしたらいいかわからないです……」

話を聞いてもらって安心したのか、借りてきた猫のように大人しくなっていた。

「外からの人なら、何か驚異的な力を貰っているんじゃないのかい?」

「えっと、写真が撮れます」

「……何が、何だって?」

「あの、紙をいただけますか?」

彼女の言うとおり、適当な白紙の羊皮紙を渡す。すると、彼女はそれを手にとって念じ始めた。

「"念写"!」

すると、じわじわと、私とパメラの精巧な絵が羊皮紙に浮かび上がってきた!すごい!

「これは……すごいわ。まるで見たものそのままを紙に描いたみたい……」

「写本が楽になりそうだねぇ」

二人して感嘆する。セヴェロに教えたら魔法の解析をしてくれるだろうか?

「実は、これを使ってコスプレイヤーを、異世界コスプレイヤーとなりたいんです!」

「こすぷれいやーがまず何なのかわからないよ」

「様々な衣装を着て、こうして念写して、色んな人に見てもらうんです」

「……やっぱり痴女じゃないの!」

「違いますってばぁ!」

どう違うというのか。そして金の臭いを嗅ぎ付けたのか院長が部屋に訪れた。扉の外で聞いていたのだろうか。

「話は聞かせてもらった!是非やろう!売れば金になると思わんかね!!」

「ご理解いただけましたか!」

結局キョーコはこの修道院で暮らす代わりに、コスプレ?写本の製造に乗り出したのである。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「いいよいいよぉ、もっと腰を、こう!」

「こうですか?」

銀の仮面を被り、全身を包帯で巻いた上に例のビキニアーマー?とやらを身に着けたルーナ。

こう見るとめちゃくちゃスタイルがいいのがわかる。長身で乳も尻もデカいではないか!

なにやらセヴェロもウットリしている。やっぱ好きなんじゃないのか!?お姉さんに言うてごらん!?相談乗るよ!?

そして、キョーコがそれを見ながら、ポーズを指定して念写をしている。

「ニッチな感じもするけど、スタイルいいし、なかなかいい感じね!」

「ありがとうございます、少し、その、破廉恥な感じがしますが……」

独特な艶かしさを醸し出す絵が出来た。こういう感じで、どんどん念写して冊子にするのだという。

「コスROMってやつよ!」

また意味分かんない単語使ってる……。

羊皮紙だと原材料が高くなりすぎるため、東方世界、華国の商人より竹紙を買うことになる。

そして衣装、彼女はお針子たちに技術を教え、破廉恥衣装を量産した。

かくしてコスプレ写本は完成し、まずは貴族層へと売り出される。これは莫大な利益を産んだ。

彼女の言うところのチート能力?で写本を量産し、これがまた飛ぶように売れた。

……転生者が恐れられ、忌み嫌われる理由を我々は目の当たりにしたのである。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「殺すのは忍びない」

「無理に止めれば、他所へ行って同じことをするだろうねぇ」

「転生者の脅威がここまでとは……」

院長の部屋でパメラと三人、事の重大さに慄いている。

修道院の全面協力があったとはいえ、短期間でこの成果とは。

この凄まじいまでの影響力の塊を放置するのは危険だという点は意見が一致した。

「嗜好品である今はまだ良いが……この、本を量産するというのがな」

「……まあ、それはそうなんだけどねぇ」

「院長が深く考えずにやらせたせいですよ」

「だってこんなにいっぱい作れるとは思わなかったんだもん!」

この品質のものが実質紙代だけで大量に生産出来るとなると、恐ろしいことになる。

特に権力者は喉から手が出るほど欲しがるだろう。権力争いに巻き込まれかねないのだ。

まずプロパガンダや扇動に効果的だ、安価で大量に市場に流せば多くの人が手に取ることとなり、社会不安を引き起こすことも不可能ではない。

その他にもやろうと思えば色々と出来てしまうのである。聖女教徒が転生者を聖人と崇めるわけだ。

「大司教も王国も、黙ってはいないでしょうね」

「私はねぇ、彼女のことは好きだよ。だから、そういった政争の道具にされてしまうのは寂しいよねぇ」

「うーむ……」

「お三方!」

そこへルーナが扉をぶち破って入ってきた。なんてことするんだ。

「物騒なお話はおやめください。我々が愛を持って彼女を守り、そして説得することこそがクピドの教えに則る行動であるはずです」

扉をぶち破るのは教えてもらっていないが、確かに彼女の言う通り、愛を為すべきであろう。

「確かに、ルーナの言う通りだ。生産を絞って、信頼できる取引先だけと付き合うことにしよう」

……そもそも修道院なのでは、というツッコミは置いておくとして、出来るだけ社会を混乱させぬようにキョーコと付き合っていくことを決めた。

彼女も了承してくれたので、コスプレ写本は程々に出版する事となった。

まあ、あんな本が流通していたら大変風紀が乱れるだろうし、これでいいのだろう……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:初日のキョーコ

 

「あなたがキョーコちゃんスね!僕がお世話係になったマシニッサッス!」

キョーコは困惑した。目の前にいるのは獣人である。

赤いローブを纏った人並みの大きさで白っぽい毛の狐がキラキラした目で人の言葉を喋っている。

「……えっと」

彼女は流れで修道院に入ることになった。衣食住が保障されるというのは良いことだ。

しかしながら、このクピド派という宗教がどういうものかわからなかったのだ。

いやそれ以前に、この世界に来てからまだ日が浅いので、この世界の常識にも疎いのだが……。

「手取り足取り教えるッスから!」

マシニッサと名乗った獣人の少年は尻尾をフリフリして喜んでいるようだ。

「あ、うん……」

その尻尾を見ているとなんだか触ってみたくなる。

「それじゃ、まずは院内を案内するッス!」

彼は彼女に背を向けると、尻尾が左右に揺れる。

キョーコはつい魔が差して尻尾に手を伸ばしてしまう。

「ひゃんっ!!」

尻尾に触れた瞬間、マシニッサが飛び上がった。

「ご、ごめん」

慌てて手を引っ込める。

「う、噂通りの破廉恥女の子ッスね……人が居ない時ならいいッスけど、白昼堂々はやめてほしいッス!」

「……ご、ごめんなさい」

色々と言いたいことはあったが、とりあえず謝罪したキョーコであった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

修道院の案内も済むと、キョーコは書庫でこの世界について教えてもらっていた。

「まず死の龍と飢餓の龍、それぞれ生命と活力を司る龍が現れたッス。そして支配と戦争の龍が現れたッス。これはそれぞれ心や祈りと生命の営みを司るッス。これらが四柱の祖龍ッス」

「へぇ、実在したの?」

「そりゃあ、実在してるッス。未だに野良ドラゴンが絶滅もせずに数を増やし在野を彷徨いているのは、この始祖たちが今なお異性を誑かしてるかららしいッス」

「そ、そうなんだ……」

なんともコメントしづらい話だった。

「それで、昔に大きな帝国とかあったんスけど、色々あって分裂したッス」

「ローマ帝国みたいだね」

「よくわかんないッスけど多分それッス」

それからマシニッサは西方世界図を広げて説明を続ける。

「いつ見ても驚くわ。だってこれヨーロッパにそっくりだもの……」

キョーコは感嘆の声を漏らす。

「今僕達がいるロタール王国はこれッス」

彼は長ぐつ状の半島を指差した。

「なるほど、イタリアなのね」

「ちなみにこの長ぐつ半島のつま先が僕の故郷ッス。ロタール南部は僕みたいな獣人がいっぱいッス」

「そうなんだ……獣人の人ってさ、地位が低かったりするの?マシニッサくんも私のお世話係させられてるし……」

キョーコがそう言うと、マシニッサは少し驚いた顔をする。

「キョーコちゃん、僕は嫌々君のお世話をしているわけじゃないッスよ。同じ人間なんだから助けるのは当たり前ッス」

「同じ、人間……」

そう言われて少し胸が痛むキョーコ。

自分が目の前の獣人を『同じ』人間とは考えていなかったことを突き付けられた気がしたからだ。

「まあ、時代や地域によるッスけどね。それに犯罪者や食い詰めた人、売られた子供や戦争捕虜なんかが奴隷にされることはよくあるッス」

マシニッサは苦笑いをする。

「キョーコちゃんがそうなる前に、この街に来てくれて、本当によかったッス」

彼は彼女の手を取ると、両手で優しく包むように握る。

「え、あ、うん……」

急に手を握られて困惑するキョーコだったが、悪い気はしなかった。

肉球と毛皮の感触が気持ちよかったのである。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「ねえ、マシニッサくんって年いくつなの?」

「16ッスね」

「二つ年上かぁ」

二人は食堂で夕食をとっていた。基本的には、現代日本と比べると遥かに劣る内容である。

かってぇ黒パンに薄味のスープ、塩辛いチーズ、質素な肉にワイン。

黒パンはスープに浸して食べる他なく、チーズは長く保存する為に塩辛い。

質素な赤身肉は何の肉だかわからないし、少し獣臭い。ワインはそもそも口に合わない!

だがそれでも食べられないことはない。少なくとも飢え死にすることは無いだろう。

(贅沢なんて言えないよね)

そう思いながら食事を続けるキョーコ。

「そういえばさ、クピド派って何してるの?」

そう尋ねると、マシニッサがビクッと体を震わせる。

「それはもちろん、愛の伝道師ッスよ!」

「あ、愛の……?」

「そうッス。愛し合う者たちは幸せになるべきッスから」

彼はキラキラした目で語る。どうやら教義的な意味で言っているようだ。

「……愛ねぇ」

なんだか胡散臭い話だと彼女は思った。

「具体的には何をするの?」

「主に慈善活動ッスね。捨てられたり、居場所を失った人たちに、『あなたを愛する人や場所は必ず現れる』ということを教えるためッス」

「……それだけ?」

思わず聞き返してしまうキョーコ。あまりにも漠然としていてピンと来なかったのだ。

「あとはお布施や寄付金を集めたり、孤児院や施療院の運営をしたり、困っている人の相談に乗ったり、あとは冠婚葬祭の儀式を執り行ったりッス」

マシニッサは指折り数えながら答える。

「ふーん……意外とちゃんとしてる」

「意外は余計ッス、大きな声で言っちゃダメッスよそういうこと」

マシニッサは慌てた様子で周りを見回す。幸い誰にも聞かれていないようだった。

「……ごめん」

確かに不用意な発言だったかもしれないと思い謝るキョーコ。

「それじゃ、そろそろ食べ終わった事ッスので、宿坊に連れて行った後は修道女のお姉様方に任せるッス。女子の宿坊は男子禁制ッスから」

そう言って席を立つマシニッサ。尻尾が左右に揺れていた。

「……尻尾触っていい?」

「それはまた今度にするッス」

かくしてキョーコの修道院での初めての一日が終わったのだった……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話:墓荒らし

 

「天に在す神龍よ、願わくば地に愛をもたらしたまえ。弱きものに愛を与える糧を我らに与えたまえ」

「悪鬼羅刹を我らから遠ざけたまえ、天魔外道から我らを護りたまえ」

お香の臭いと煙、そして守護の祈りで修道院の中は満たされていた。

修道院では定期的にこうして振り香炉を炊いてお清めをしている。

「いつものことながら、煙だらけね」

「そうですね」

ルーナと共に私は外に避難していた。香の臭いはあまり得意ではない。

「お前たち、サボりはよくないぞ」

振り香炉を持ったバルトロがやってきた。

「ちょっと避難してるのよ」

「浄めの香から避難?お前たちは悪しき者どもなのか」

まあそういう事になるだろう。

「なりませんよ!」

「人手は足りてるからまあいいがな。あまり感心は出来ないぞ」

全く真面目な男だ、真面目な上ハンサムだ。絶対モテる。

するとそこへ、街からの訪問者がやってきた。慌てている様子である。

「申し上げます!共同墓地にアンデットが現れましたぁ!」

「何ですって!?」

報告に来た町人の言葉に、ルーナは驚きの声を上げた。

「ウジャウジャいますよ!早く来てください!墓荒らしがめちゃくちゃに!」

「すぐに行くわよ!あなたたちもついてきて!」

「はい!」

「お、俺も!?」

「いいから!」

私とルーナとバルトロの三人ですぐさま現場へと向かった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

墓地にはゾンビやスケルトンが闊歩しており、さながら戦場のような様相を呈していた。

その中心には墓荒らしがいた。どうやら彼がこの騒ぎを引き起こしたらしい。

彼は剣を振るい、周囲のゾンビやスケルトンを次々と斬り倒している。

しかしながら、お清めや付呪を行っていない武器では何度も蘇ってしまう。

そのため、数を減らすことが出来ずにいた。このままではジリ貧だ。

「何してくれちゃってんのよもう」

「はわわわ、ぞ、ゾンビ!スケルトン!」

バルトロは腰を抜かしている。本当に怖がりだ。

「ひゃあああぁ、助けてくれー!」

私たちが駆けつけたのに気がついたようで、墓荒らしは助けを求めた。

「あの悪党、ただ黙って助けるべきかしら」

「クピドならそうするはずです」

「そうね、じゃあ助けるとしますか」

ルーナは片手剣を構える。私は手をかざし呪文を唱えた。

「光よ!切り裂け!」

光の円盤が放たれ、墓荒らしの周りにいたゾンビやスケルトンをまとめて切り裂く。

これで彼の周りからは敵がいなくなった。

「た、助かったぁ!」

「アーデルヘイトさん、付呪を」

「了解。光の加護よ!」

私は彼女の持つ剣に神聖の付呪を付与した。不死者に救いを与えるにはこれが効果的だ。

「私は彼を連れ出します、援護を」

「はいよ!」

ルーナは私を置いて、敵の真っ只中に飛び込んでいった。彼女に近づこうとする敵を片っ端から薙ぎ払う。

彼女はまるで舞うように戦っていた。華麗かつ無駄のない動きで次々と敵を屠っていく。

そうして、墓荒らしの服を掴み引き摺るとそのまま安全な場所まで移動させた。

「アーデルヘイトさん!」

「光よ、爆ぜろ!」

呪文を叫ぶ、アンデットたちの中心で激しい光を伴う爆発が起こり、周囲を焼き尽くした。

「相変わらず、おっかない魔法ですね」

「これでも神聖魔法の基礎なんだけどなぁ」

私たちはそんな会話をしながら、墓地の掃討を終えたのだった。

「きゃーーーっ!!」

「あ、バルトロさん」

終えていなかった。バルトロが女性のゾンビやスケルトンにもみくちゃにされている。

「モテモテね、バルトロ」

「神龍よ!不死者からお救いください!!」

しかし、死者にもモテるとは、容姿がいいのは得であるのだなー。

ルーナのツボに入ったようで、クスクスと笑っている。

「見てないで!助けてくれよぉ!」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「すみません、出来心でして……」

「死者の眠りを妨げてはいけませんよ。罰当たりなことはやめて下さいね」

「本当に申し訳ないです……」

「全くだ!とんでもないことをしてくれたな!!」

墓荒らしの男は平謝りしていた。バルトロが一番怒っている。お前は何もしてないだろ。

反省しているようだし、これ以上責めるのも酷だろう……とでも言うと思ったか!既に衛兵を呼んであるのだ。

「貴様かぁ!墓荒らしは!」

「ひえぇっ!?お許しくださいぃ!!」

「まずは亡骸を元の場所に埋める作業だ!」

「ひいいっ!?」

衛兵たちは男を連れて行き、説教と埋葬作業をさせに行った。

「さて、私たちも戻りましょうか」

「はい、そうですね」

「俺はもう嫌だぁ……!」

こうして、墓地の事件は幕を閉じたのである。

バルトロはその日、ギヨームのベッドに潜り込んで寝たのだという……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話:巡礼

 

「そろそろ巡礼の時期だねー」「ねー」

修道女たちの会話を聞きながら、私はぼんやりと空を眺めていた。

巡礼とは、クピド派に限らず龍教団のいくつかの宗派で行われる儀式だ。

クピド派の場合、この宗派が信仰されている地域の街々、教会や修道院、そして龍教団の聖地とされている場所を巡礼団で回る。

その道中、慈善活動、貧者の救済や説話の語り聞かせなどを行い、人々に神の愛を伝えていくのだ。

私が拾われたのも、この巡礼によるものであった。

10年前、凄惨な状況の我が家から、幼馴染がなんとか連れ出してくれた。そして巡礼団に私を引き渡した。

それ以来、彼とは会っていない、彼は故郷に残ったのだ。

院長……当時は副院長であったが、彼は快く受け入れてくれたし、龍教団と主神クピドについて熱心に教えてくれた。

つらい目に遭っただろうと、色々と融通してくれて、自由にさせてくれた。彼にも、幼馴染にも足を向けて寝られないだろう。

幼馴染には最後、酷いことを言ってしまった。修道院に来て最初の一年は、ずっと懺悔をしていた記憶しかない。

「アーデルヘイト審問官」

そんな事をぼんやりと考えていた時、シスター・ベロニカに声をかけられた。

「あなたは巡礼には赴かないのですか?」

「私は……別に……」

「あなたの故郷の村も、回るそうですよ」

「……らしいですね」

「ええ、ですのであなたも行ってみてはいかがですか?」

確かに、故郷に帰ることはもう出来ないだろうが、せめて彼の様子を見に行きたい気持ちもある。

しかし、今の私が彼に会いに行く資格があるのだろうか。それに、彼がわたしの事を覚えているとは限らない。

いや、そもそも会いに行ったところで何を話せばいいのだろう? 結局、結論が出ないまま、巡礼の日を迎えてしまった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「キョーコくんが是非と言うからな、護衛は多い方がいい」

院長によると、いつの間にやら私も頭数に入れられていたようだ。

キョーコは転移者、彼女の正体がバレて狙われるとも限らないのである。心配のし過ぎかしら。

「心配しすぎるということはない。戦闘要員は多いに越したことはないからな」

巡礼団の指揮を執るのは院長であった。修道院は副院長に任せるのだという。

今回の巡礼者たちを見ると、見慣れた顔が多かった。物語上のつご…

「それ以上いけない」

またしても、神の領域に達しそうになったところをパメラに止められた。というか……。

「あなたも行くの!?」

「私とて龍教団の端くれだからねぇ。クサヴェルくんもいるから大丈夫さ」

「初日からぶっ倒れないでよね」

「……く、クサヴェルくんもいるから大丈夫さ!」

本人も不安になってきちゃったようである。まあ、本の虫にとってはいい運動の機会だろう。

巡礼は護衛の聖騎士と荷馬車以外はみんな徒歩だ。

「く、く、クサヴェルくん!!おんぶ!!!」

「まだ修道院見えてますけど……」

パメラには大いなる試練のようだ。この旅を通じて大きく成長することだろう、クサヴェルの筋肉が。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

丸一日歩いた後、野営の準備に取り掛かることになった。

「私の故郷の料理をご用意いたしますよ!」

キョーコが食事を用意してくれるそうだ。例のチート能力とやらで食材を出現させ、料理を始める。

嗅いだことのない刺激の強い香りが漂ってくる。何を作ってるのかしら……?

小一時間ほど経つと、料理が出来上がったようだ。

「さあ、出来ましたよ!」

出てきたのはうんこであった。臭いは刺激が強いだけで排泄物の臭いではないが、見た目はお腹が緩い時のそれであった。

みんなテンションだだ下がりである。特に異国の料理楽しみだなー!とはしゃいでいたパメラは半泣きになっていた。

「あれ、みなさん食べないんですか?」

「食べないって、これうん……」

「ちょっと、こんな物食べるなんて正気じゃないわよ」

「え?美味しいですよ?」

キョーコ曰く、故郷ニホンでは大人気メニューであったそうだ。

こんなものを食べるまで困窮しているとは、こっちの世界に来れてよかったね、キョーコ……。

ウサギはそういうことをするらしいから、栄養価はあるのだろうが……。

「お待ちくださいみなさま」

「食べてないよ」

ルーナが声を上げる。待てって言われても、みんな口をつけようとはしていない。

「見た目で敬遠するのはわかります。しかし、キョーコが作ってくれたのですから、一口だけでも口にするべきです」

まあ、彼女の言う通りではあるけどお排泄物ですわよこれ!?

「調理を手伝った者はおるかの」

院長が声を上げたので、手を挙げるものが数人出た。

「どうであったか、調理の行程は見ておったろう」

「その、固形の茶色いのを入れてました……」

「べ、便であったかは定かではありませんが……」

そうこう話をしているうちに、キョーコの顔はめちゃくちゃ曇っていた。

……以前のナスの詰物漬けのこともあるし、ここは私が先陣を切ろう。

「……いただきます」

私は覚悟を決めて、それを口に入れた。すると、意外にも……いややっぱ塩辛い。

味が濃すぎる、そして香辛料の独特の風味が強く、玄人向けな味かもしれない。

しかしこれはひょっとして……。

「パンか何かにつけて食べるものだったりする?」

「あ……そうだ!お米忘れてた!で、でもパンでも大丈夫です」

何やら付け合せを作るのを忘れていたようだ。

「だとすると、これは食べられるうんこよ」

「食べられるうんこ!?」

「そうか、食べられるのか」

「食べられるなら食べねば」

黒パンにつけて食べると、少しマイルドになって食べやすい。好きな人は好きな味だ。

南方では香辛料が多く取れるというから、ニホンという国もそんな場所なのだろう。

「げへぇーへぇ、キョーコくぅん、うんこぉ、うんこ食べさせてくれよぉ、これやめらんないよぉ」

パメラは気に入ったようだ。気に入りすぎて食糞愛好家みたいになっている。

こうして、巡礼団一行は、新たな旅路に旅立ち、そして新たな食文化に触れたのだった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

食事も済ませ、見張りを立てて就寝となる頃、キョーコが話しかけてきた。

「アーデルヘイトさん、お話いいですか?」

「いいわよ」

彼女は私の隣に座ると、語り始めた。

「あの、カレー……食べられるうんこを、最初に食べてくれて、ありがとうございます」

「いいっていいって。前にも似たようなことあったし。あれカレーって言うんだ」

変わったものを食事に出してしまったことを気にしていたようだ。なんだかんだで善良な子である。

「……故郷の味を、受け入れてもらえて、私、改めてここにいていいんだって、思えたんです」

「あんたの気が済むまで、ここにいな」

「はい……!」

そう言って笑顔を見せた後、再び真剣な顔になる。

「それでですね、お礼として、衣装を持ってきました」

「わ、私は別にその、コスプレ?っていうのは……」

そうして彼女は紐のようなものを取り出す。

「これ水着なんです!マイクロビキニって言ってですね、めちゃくちゃドエロい衣装でして……」

「いらないいらない!」

「遠慮なさらずに!」

ニホンの人ってこういう変態的衣装を日常的に着るんだろうか、怖い!

そしてこのマイクロビキニとやらは、結局押し付けられてしまった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話:メディノの滞在

 

さて、巡礼団は近隣の大都市、メディノへと到着した。

近隣と言いつつも途中の村々で慈善活動をしながらなのでひと月弱ほどかかったが。

平原の真ん中にあるこの都市は、クピド派の大司教が治めている。

大司教はヴェネトリオ修道院の元院長、エンリコであった。

「久しいな、副院長!いや、今は院長だったか!」

「ご無沙汰しております!」

エンリコ大司教がわざわざ街の入り口まで出迎えてくれた。

「して、儲け話というのは……」

「実は我が修道院のぶどうを増産したくてですね……」

この弟子にしてこの師匠ありという感じである。二人は固い握手を交わし、お互いの近況報告をしあった。

「みなも疲れたであろう。この街でゆっくりするといい」

大司教はそう言って、宿の手配をしてくれた。

彼がこの通りの人物であるので、聖地とは思えないほど緩く賑やかな雰囲気の街である。

「控えめに言って、最高じゃない?」

そういうのはマリカだ。彼女の正体は主神クピドその人、その龍であるが、それでいいのか?

「人々が豊かであると愛が溢れるもの」

「そういうもんかなぁ」

「衣食住足りぬ時の愛は容易に依存に顛落するのよ」

なるほど、そう言われれば一理あるが、貧すれば鈍するというのは事実であってもなんだかもどかしいものだ。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

この地が聖地と呼ばれるのは、クピド派の創始者、隠遁者モニカの伝説に由来する。

かつて龍教団に対し暴虐を働いた第四次勇者軍は追われる身となった。そしてその家族にも迫害の手が及んだ。

彼女はそれはやり過ぎだと、この地に住む勇者の妹を匿い、自らの手で保護した。

モニカは、罰は罪人本人にのみ与えられるべきである事を説いて回る。

そこへ現れた神龍クピドはモニカに加護を与え、そうして作られたのがクピド派である。

ということになっているが、実際のところはどうなのかしら。

「モニカ!私の大親友だったわ!」

マリカは泣きながら叫んでいた。

彼女が言っているのだから本当なのだろう。きっと。

「ああ、所詮カス勇者の妹はカス妹だったのよ。彼女はモニカの想い人を奪った」

衝撃の真実!異性交友関係の教義がガッチガチな理由が垣間見える。

「まあ、モニカもあまり意思表示しないし、というかその想い人はモニカの事知らなかったし」

完全にモニカの落ち度であった。知らないんならもう勝負の土俵にすら立てていない。

「モニカは悟った。悲恋が人を成長させる?馬鹿げている!これほどの苦悩、身体にも人生にも良くない、良いはずがない」

「それだから姦通や二心、離婚を強く忌避しているのね」

「そう。初恋がそのまま実るのが最良の恋愛であり、悲恋は数多の病気をもたらす悪徳よ!!」

彼女の主張には一理……あるのか?時代や環境によりどうしようもないこともあるんじゃ。

「階級や環境は愛の前には些細なことよ。だから、あなたも大丈夫!!」

「……いや、私は別に」

「龍の前では心を隠せないわ。この愛の神龍、クピドの加護を授かったあなたなら、大丈夫!」

「う、うん……」

懸念はしているけど、もう忘れてしまおうと思っていることだが、そこまでいうなら、ちょっとは期待しておこうかな。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

街を散策していると、マシニッサくんとキョーコがいた。

あの二人は見習い修道士だが、この巡礼に立派に参加していて偉い。

「あ、アーデルヘイトさん!ダンジョンぶりッスね!」

「久しぶり。キョーコも一緒なんだ」

「キョーコちゃんはすごいッスよ!本当に色んなことをよく知ってますッス!」

「そ、それは、そんなことはないよ!マシニッサくんも、この世界のこと色々教えてくれるし……」

マシニッサくんはキョーコの面倒を引き受けているようで、すっかり懐かれているようだ。

そして彼の方はと言えば、少し照れ臭そうにしている。うーん、かわいいぞ二人とも。

「二人のゆく先々に幸多からんことを」

マリカが祝福の言葉を贈った。彼女の目が黒いうちは大丈夫だろう。

「マリカさん、そんな大げさな……あ、そういえばあっちに飴屋さんの屋台が出てたッスよ!」

「マジで!?行く行く!」

マリカは目を輝かせて駆け出していった。

その背中を見て、私たち三人は思わず笑ってしまった。

「なんだか、修学旅行みたい……」

キョーコはそう言う。よくわからないが、修学と言うからには霊験あらたかな体験を積めるのだろう、ニホンにもそういう行事があるのか。

「い、いえ、そういう感じではなくて、学生たちが旅行先ではしゃぐようなイメージでして」

? 神学校の学生たちが霊験あらたかな体験を……。

「審問官、ニホンの学生というのは神ではなく科学について学ぶそうッスよ」

「ふーん……?」

「国民全員が学者になるそうッスよ!」

それを聞くと、キョーコは苦笑いをしていた。やはりよく分からないが、とにかく楽しそうではある。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

メディノには数日滞在し、礼拝や慈善活動を行う。

「ヴェネトリオ修道院は若い人材ばかりで羨ましい限りですな」

「みな、まだまだ修行中の身です」

メディノの若い修道士たちは街で遊びすぎて還俗してしまう者が多いのだという。

大司教区とはいえ、街の人々の大半は俗人である。美味しいレストランや娼館や賭場も数多く存在する。

都市が大きく栄えているというのもなかなか一長一短だ。

「確かに、満喫できるねぇ……」

クサヴェルにおんぶされているパメラ。なんか、この数日で太った……?

「太ってないねぇ。太ってないよねぇ?」

「太りました」

「く、クサヴェルくん……!」

裏切りのクサヴェル。そりゃあ、四六時中おんぶさせられているのに更に太られたらね。彼のせいでもあるが。

マリカは豪華な装飾品をジャラジャラ言わせていた。賭場の女王になったようだ。

「神通力でちょっとね!」

「イカサマじゃないの」

「バレなきゃいいの、バレなきゃ」

「はぁ……」

ああ、神龍クピドよ、彼女に憐れみを……と言いたいところだが、彼女がクピドその人、その龍である。

「おお、マリカよ、その装飾は!?」

院長が目ざとく見つけた。叱られてしまえ。

「院長、私には賭博の才能がありました。この才能を活かし、宝物を寄進することにより、神龍クピドに奉仕するつもりでした」

「なるほど!素晴らしいぞ!我が修道院も安泰だ!」

「左様でございますね!」

これだもの。修道院長たるものが俗物にも程がある。

「衣食足りてこそ愛は育まれる。富めば愛も膨らむのだよ。それに慈善活動には多額の金が必要だからな!」

一理あるような無いような。とりあえず私は何も言わないことにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話:悔恨者の墓参り

 

私たちはしばらくメディノに滞在したのち、新たな目的地へと出立した。

大司教からのちょっぴり不穏な情報を携えて。

「ここ最近、聖女教徒の動きが活発化しておる。悪いことをしているという話は聞かないが、奇妙だ」

聖女教徒、女神と転生者を崇める集団。キョーコが見つかればどうなるかはわからないので、警戒するに越したことはない。

「怪しいやつがいれば、ぶっ潰、ぶっ殺してやる!」

ギヨームは気炎万丈のたまうが、どうして物騒な方に言い直すのよ。

修道騎士らはこれまで以上に警戒を厳としているのである。

「お前敵だな!みんな来い!こいつ敵だぞ!」

「なんだと殺す!」

「ひぃぃぃ、わけがわからねぇ!ただの行商人だよ俺はぁ!」

少々厳とし過ぎているようだ。これでは盗賊団の方がよっぽど大人しいというものだ。

これから一行は西へ進み、オークタニアにおける聖地へと向かう。

オークタニア。西方世界南部の内海に面し、北に魔王国、西にゴート族領アクイテーヌ、東にロタール王国、北東に龍領ヘルベチカとの国境を持つ。

一つにざっくりまとめられているが、実態はオークたち諸部族の集まりである。

それぞれの部族は独自に文化を持ち、信仰については概ね龍教団諸派に属する。

オークタニアの東部はクピド派が主流である、また、聖地トゥーロ・マルテの岬が存在する。

第四次勇者軍に惨殺され、龍教団分裂の一因となった人物、治癒師エドゥルネの亡骸が遺棄された、と伝わる場所だ。

ちなみに宗派や地域によって遺棄されたと伝承されている場所は異なる。すべてが本物ならエドゥルネは13人いたことになる。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

メディノからオークタニアの聖地トゥーロ・マルテを目指して進むこと五日、川沿いの小さな村に立ち寄った。

村はずれにある墓地に、リリと共に浄化の務めをしに行く。

浄化の務めとは、死者がアンデット化しないために聖職者が墓地に祈りを捧げることだ。

怨恨や未練を慰め、冥府への道を促す役目である。お香を焚きながら祈りを捧げ、墓所を回る。

「天に在す神龍よ、願わくば志半ばで斃れし者の御霊に憐れみを与えたまえ」

「役目を終えた者に永久の安息と安寧を与えたまえ」

そうしていると墓参りをする一人の女性の姿を認めた。

彼女は祈りを捧げ、そして立ち上がった時、こちらに気づいたようだった。

「……こんにちは」

「どうも」

年の頃は二十代半ばだろうか?どこか儚げな印象を受ける人だ。

用事は済んだのか、彼女はすぐに立ち去った。

「そういえば」

「どうしたのリリ」

「このお香の匂い、安物の薬草を使ってますね」

「効果は同じだからいいじゃないの……」

院長の仕業だろう。高い薬草はいい香りがするが、安いのはまさに草を燻した強烈な臭いがするのである。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「浄化の務め、どうもありがとうございます」

村長の息子が礼を述べる。彼は私よりも少し年下のようだ。

「数年前、私の姉が亡くなりましてね……墓から起きてきたら起きてきたで歓迎するところでしたが」

冗談めかしていう彼に、私は何も言えなかった。

「そういえば、あなたのお姉さんのお墓に女性がお参りに来ていましたよ」

「女性……あの人かな」

どうやらあの女性はこの村の住人だったようだ。彼は少しだけ眉を顰める。

「あまり良い印象は持っていないようね」

「……まあ、そんなところです」

歯切れの悪い返答だった。彼に対し、リリが握手の手を差し出すと、彼は後ずさりをした。

「あ、すみません、つい、その、少し女性が苦手なものでして……会話ぐらいなら問題ないのですが……」

彼の目には怯えの色があった。何か過去にあったのだろうか?

「いえ、こちらこそごめんなさい、いきなり手を差し出したりして」

「ああいや、気になさらないでください」

そうして私たちは別れたのだった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

その夜、巡礼団は宿にて夕食を取る。食事の内容は質素なものだったが、量だけは多い。

丸焼きにしただけの魚や羊肉をナイフでほぐし手で食べる。味は塩のみだ。

黒パンは食べ切れないほどあった、きっと我々のためにわざわざ用意してくれたのだろう。ありがたいことだ。

メディノで買った安価で粗末なワインを飲みながら、談笑に興じていた。

「気になるわね……」

「何がですか?」

私の呟きにリリが反応する。

「村長の息子とあの女性のことよ」

昼間の出来事を思い出す。明らかに二人の間には何事かがありそうだった。

それにあの怯えた様子も気にかかる。一体過去に何があったというのか?

「でもやっぱりお節介かなぁ」

どうにも踏み込みづらい雰囲気であったので躊躇してしまう。

「これも、クピドが与えたもうた試練ではないでしょうか?」

敬虔な信徒リリはそう言うが、やはり余計なお世話ではないかと思う。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

翌日、私は村の墓地へと赴く。やはり、昨日の女性が同じ墓に祈りを捧げていた。

「毎日来られるんですね」

「……私は、彼女の死に目に会えませんでしたから」

そういう彼女の顔には後悔の色がありありと浮かんでいた。

「もしよろしければ聞かせてもらえませんか?あなたが何を悔いているのかを」

聴罪も聖職者の努めである。

「……いいでしょう、どうせ村の誰にも言えませんし」

そう言って彼女は語り始めた。

「私と彼女は親友でした。弟とも、仲が良かった」

彼女は語る、姉弟のことを。弟はかつて、よく彼女に懐いていたそうだ。

14歳の頃、魔が差した。弟に性的な悪戯をしたのだ。抵抗はされなかったが、無理矢理であった事は言うまでもない。

その晩、彼女は家で一人後悔した、どうしてこんなことをしてしまったのだろう?

翌日、弟は何も言わなかった。無かったことにしてくれた。親友である彼の姉は気がついていなかった。

しかし、彼女は親友にもはや顔向けできないと思った。徐々に、姉弟とは疎遠になっていった。

そんなある日、姉が病に倒れたという噂を聞いた。彼女は、顔を合わせる勇気がなかった。

あんな事をした自分がどの面を下げて会いに行けるというのだろうか?そうこうしているうちに、姉の訃報が届いた。

「あの子が埋葬されて以来、私は毎日ここで祈りを捧げています。こんな事をしても何にもならないのに」

彼女の表情は暗かった。無理もないだろう。さて、私にどういった指導が出来るだろうか?

「よくぞ告白してくれました。神龍クピドも憐れんでくださるでしょう。しかし……」

そこで言葉を切り、私は続ける。

「私はあなたたちに未来を歩んで欲しいと、思っています」

「え……?」

彼女が驚いた顔をする。

「あなたが懺悔すべき相手は、他にもいるのでは?」

「……でも、もう、遅いですよ」

「そうかも知れません。しかし、このまま苦悩を抱えて生きるおつもりですか?」

「…………」

彼女は黙り込む。葛藤しているのだろう。私もかつては……今も苦悩している、私のせいで大事な人が傷ついた事。

「もし、許されなかったら……」

「……元より許されるべき罪ではない」

そもそも性暴力は法で禁じられているし、クピド派において愛無き性的接触は大罪である。

私がそう言うと、彼女は目を見開き、そして俯いた。

「それでも……!」

絞り出すように言葉を紡ぐ。

「それでも!私は謝りたい!」

涙ながらに訴える彼女を、私は抱きしめた。そして、優しく語りかける。

「それなら、やることは一つですね」

「はい……」

彼女は決意を固めたようだった。その瞳には光が戻っていた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「今更……話すことなんて……」

村長の息子は気まずそうに言う。例の女性は俯向きながら口を開いた。

「あなたにひどいことをしたのはわかっているわ……けど、謝らせて欲しいの」

彼女は深々と頭を下げる。それを見た彼は怒りを顕にした。

「僕のことなんかいい!!姉は!!……最期の瞬間まであなたの事を親友だと思っていました。あなたの名を呼んでいました」

「ごめんなさい、本当に、ごめんなさい」

「なぜ、僕が何もなかったフリをしたのに……あなたは逃げたのですか!」

「……自分が、許せなかった、会う資格なんて無いって思って……」

悲痛な面持ちで吐露する彼女を見て、彼もまた心を痛めているようだった。

しばらく沈黙が続いた後、彼が口を開く。

「僕は許せません、僕の心はともかく、姉を傷つけたあなたの事を。姉も僕もずっと、こうやって謝ってくれる日を待っていました。でももう全てが手遅れになってしまった」

「……そうね、遅すぎたわ」

「精々悔やんで、悩んで、苦しんでください。僕から言えるのはそれだけです」

「ええ……話を聞いてくれて、ありがとう……」

「どういたしまして」

そして、二人は別れた。彼らの行く末に幸あれと、祈らずにはいられなかった。

「でもやっぱり、お節介だったかなぁ」

「審問官は立派なことをしたと思いますよ」

いつの間にか横にいたリリにそう言われると、少しだけ気が楽になった。

「あの二人……いや、三人の時間は、今再び動き始めたのです」

「そうだね……この先どうなるのかね……」

「主神曰く、雨が降るから虹が架かる、です。クピドの祝福があらんことを祈りましょう」

私たちは、巡礼団の元へと戻った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話:ガリバルディ修道院

 

巡礼団はトゥーロ・マルテへの道のりの途中にある港町、二カイスに訪れていた。

西方世界で有名な保養地であり、年間を通して金持ちの観光客が多く訪れ、宝飾品の加工技術に長けた職人が集まる町でもある。

そのため、修道女たちはついついキラキラとした顔になってしまうのだ。

無論目的は観光ではないのだが、それでも目を奪われるのは仕方のないことだろう。

また海沿いの街は大抵、食糧事情が良いのである。魚介類が平気であれば。

一行はこの街の修道院に寝泊まりする。

そしてこのニカイスの修道院、ガリバルディ修道院がオシャレなのだ。

貴族や大商人など金持ちの子女出身ばかりが集められた修道院である。

彼らの実家からもたらされる寄付金は莫大な物であり、庭園は美しく、内部の装飾や絵画も豪華絢爛と言うが相応しい。

修道士たちも貴族らしい俗世間を知らないちょっと天然っぽい人が多いのだ。とても心配になる。

そのため、ニカイス地元の名士であるオーク族のガリバルディ家が実権を握っているが、この天然さに振り回されているとか。

そのガリバルディ家の次女にして末娘、マノンという女性がいる。

彼女は若くして修道院長の地位についている苦労人である。

「息災ですかな、マノン院長」

「相変わらず苦労してるわよ、おじさま」

予てより親交があったようで、彼女は我が修道院の院長のことをおじさまと呼ぶ。

「先日も、修道士の一人が変な商人に騙されて、パンの仕入れ価格が三倍になるところだったわ」

「それは……災難でしたな……」

「もう慣れたけどね……宿坊は好きに使って。しっかり休んでいってね」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

宿坊の方もさながら高級旅館のような佇まいであった。

内装は華やかで、調度品なども高価なものなのだろう。

みんな大喜びであったが、キョーコの喜びっぷりは尋常ではなかった。

「ふぉぉぉぉぉ!凄いですよ!こんな豪華な部屋!シャンデリア!絵画!窓から外は街を一望!」

「落ち着きなさいよ」

はしゃぐ彼女を諫めつつ、自分も内心浮かれていた。

話には聞いていたが、ここまで豪華とは思わなかった。

「金の聖エドゥルネ像が置いてありますよ」

「こんな金ピカにされるなんて、私なら御免被るねぇ」

金無垢で作られた、ボロ布を着た半獣人の少女が木に縛り付けられている像がある。

リリとパメラはその像を興味深そうに眺めている。

「この少女は、なぜ縛られているの?」

キョーコが疑問を口にした。

「この子はねぇ、悪名高き最悪にして最弱の第四次勇者軍の治癒師だったんだけど、勇者軍の暴虐に異を唱えた結果、殺されたんだねぇ」

パメラがその質問に答える。

「そうなんだ……酷いことをするのね」

「木に縛り付けられた姿を模っているのは理由があります」

更に補足をリリが入れてくれる。

「この時、聖エドゥルネは『悪とは善性の欠如です、あなた方は必ずや善性を持つ者の前に斃れるでしょう』と仰ったとされています」

「像の正面に立つと、必ず聖エドゥルネと目が合う。私達が善性を失わないように見据えてくれているんだねぇ」

確かに、この像の目はジッと正面を見ている。

「この像の前で嘘を吐くことは出来ないし、悪を為すことも出来ないのだよ」

「試してみようかな!」

「罰当たりなことはやめなさい」

私はキョーコの好奇心旺盛な性格に呆れながら、注意した。

「でもさ、本当にどうでもいい大したことのない嘘だったらいいでしょ?」

「まあ、それならいいんじゃないかなぁ」

どうやら試すつもりらしい。

「私は男だ!」

「しょーもなっ」

予想よりだいぶ大したことない嘘であった。

「ほらぁ、嘘つける……じゃ……」

キョーコが像の方を見て固まっている。どうしたのだろうと思い私もそちらを向くが、別に変わった様子はない。

「は、鼻で!鼻で笑われた今!!」

「いや、そんなわけ無いじゃない」

「本当だもん!!絶対笑ったもん!!!」

むきになった彼女が叫ぶが、誰も取り合わない。

「おお、これぞ聖エドゥルネの奇跡だねぇ。いや、聖エドゥルネを模った純金の塊の奇跡かな?」

「聖人とて、金の像に神通力はないと思いますけど……」

「ホントなんだって!今も笑ってるもん!爆笑してるもん!」

可哀想に、ニホンでは金属は笑ったりしないとは教えていないのだろうか。

とはいえ事実ならまさしく奇跡だろう。

「気にしないでキョーコ、きっと聖エドゥルネにいたく気に入られたのよ」

「むぅぅぅ……!」

納得いかない様子のキョーコだったが、とりあえずその場は収まったのだった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

翌日、私達は修道院を出て街へと向かった。慈善活動のためだ。

「アクセサリー見に行こうよ!」

「賛成だねぇ、私も実は興味があるのだよ」

「お二人がそう言うなら私も行きます」

じ、慈善活動……だよね? まぁ、いいか……うん。

この街の市場を覗くと、見るからに高級な宝飾品が並ぶ屋台が治安の良さを感じさせる。

店主たちはニコニコしながら客を呼び込み、店の品を売り込むのだ。

そんな活気ある光景の中、一際目を引く集団がいた。

クピド派の赤いローブを着込んだ修道士たちだ。きっとガリバルディ修道院の者たちだろうが、何やら騒いでいる。

「どうしましょ、どうしましょ」

「困ったわね……」

修道士たちは困惑しているようだった。

「どうかしましたか?」

気になったので声をかけてみる。

「あの異人の方々が喧嘩をなさっているのです!」

修道女の一人が指差す先には、二人の男女が睨み合っていた。

男の方は狼獣人のようで、見るからに東洋な服装で腰に見慣れぬ装飾の剣を下げている。

女の方は狼半獣人だ。彼女も東洋風の服装だが、男の方とは少し趣が異なる。

二人は今にも取っ組み合いを始めそうな雰囲気であった。

「えぇっ!?和服!?それに、それってカンコクの服!?」

キョーコは何やら見覚えがあるようだ。

「こんな西方までやってきて諍いはよしなさいよあなたたち」

私が仲裁に入ろうとするが、その前に女が口を開いた。

「この狼人野郎(チョッパリ)が悪いのよ!」

「こんなところまで来て恥を晒すな、グミョン。それにその呼び方はやめろ」

男はうんざりした様子で答える。

「二人ともやめて下さいよぉ、こんなところでぇ」

修道士の一人がオロオロと二人を宥めようとする。

「止めないでよ!こいつが店の女にデレデレしてるのがいけないのよ!」

「デレデレしていない」

「店の女に笑顔見せてたじゃない!」

「ふくれっ面で買い物はしないだろ」

どうやら犬も食わないやつのようだ。しかしこの女の嫉妬深さもなかなかのものね……。

しかし、ガリバルディ修道院の修道士たちは戦々恐々としている。

「ああ、クピドよ!彼らの仲を取り持ちたまえ!」

「二人の愛が、愛が壊れてしまう!」

世俗を知らないとは聞いていたが、ここまでとは……。察するに、この程度の喧嘩は日常茶飯事だと思うが。

「あーもう!怒ったわよ!コンギョだコンギョ!!」

「うるさい、お前がコンギョされろ」

何だかよくわからないことを言い始める二人。コンギョって何なの。

「まあまあ、落ち着き給えよ二人とも」

今度はパメラが間に割って入った。

「また!何なのこの女!」

「知らん」

「旅先で喧嘩とは感心しないねぇ。何があったんだい?」

「……コイツが悪いのよ」

女はバツが悪そうに答えた。

「サダシローが他の女のことばっかり見るから!」

「見てない。俺はお前しか見えていない」

「嘘よ!」

「やっぱ話しかけなきゃよかったねぇ」

パメラが呆れた表情で言う。

「喧嘩なら宿でやってほしいんだがねぇ」

「そうよ!宿に戻るわよ!ヒーヒー言わせてやるんだから!」

「身体がガタガタになっても知らんぞ」

二人はそんな事を言い合いながら立ち去ってしまった。

「ああ、聞きましたか今の!」

「きっと暴力を振るうのです、なんと恐ろしい!」

「クピドよ、彼らの愛をお守りください!」

ガリバルディ修道院の修道士たちの顔は真っ青である。多分そんな心配していることは起こらない……。

ともあれ、騒ぎは解決したので、私達は改めてアクセサリーを見に行くことにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:龍と龍教団

 

【祖龍と神龍】

 

かつての世界は、混沌としていた。

万人が万人に向けて闘争を起こし、人も魔物も無かった。

強い者は強い者であり続けることを強いられ、弱い者は虐げられ続けていた。

割れた世界の管理者ハーメルは、世界に自身の力を分け与えた大型爬虫類、ドラゴンを四柱放った。

心や感情、想い、祈りを司る支配の龍。

生命の為す営み、文化や信仰を司る戦争の龍。

物質やその動きや熱、魔術などのエネルギーを司る飢餓の龍。

そして、生命や霊魂、時間を司る死の龍。

これが四柱の祖龍と呼ばれる存在である。

彼らは基本的に異常にスケベであり、異種族にも興奮する異常ドラゴンであった。

現在でもいたるところで人々を誑かしているらしく、野良ドラゴンがいるのはその為らしい。

手始めに彼らは自分たちでまぐわった。彼らは両性具有であった。

それで生まれたのが、十六柱の神龍である。

彼らはそれぞれ個別の概念を司っているドラゴンである。

しかし結構いっぱいいるので紹介は割愛する。

 

 

【西方教会の分裂】

 

西方世界の龍教団がかつて一つであった時代。

およそ500年前の帝国崩壊以降、西方世界は魔族が猛威を奮った。

まず、西方大陸北西岸の半島の偶蹄獣人が中心の属州ブルモリカにて成立した魔王国というものが存在した。

帝国の崩壊後、人類種とエルフ種に迫害を受けた魔族たちの受け皿となり、住民構成が大きく変化する。

そうして革命が起き、魔王の称号は魔族の人間により簒奪されることになる。

魔王国は追い出された土地の回復を名目に各地に攻め入り、大陸北西部を掌握。

北の海に浮かぶ人類種の多く住む島々、グレートランドは孤立してしまった。

そこで、グレートランドの解放と魔王国の脅威の排除のために勇者軍が組織される事になった。

 

詳細は割愛するが、第一次勇者軍は魔王軍主力部隊を打ち破り、交易保護の約束と相互通行許可条約を締結した。

これにより、以降勇者軍を送る意味は殆ど無くなってしまった。

しかしながら、莫大な利益を得た商人と宗教的な情熱を燃やした龍教団の結託により第二次、第三次と続いていくことになる。

 

そして、時代は降り200年前の第四次勇者軍が組織された。

一部の商人に煽動された民衆が中心となり、悪名高い傭兵が勇者として名乗りを上げた。

当然、道中での振る舞いは散々なものであり、暴力と略奪と姦淫に満ち溢れたものであった。

唯一龍教団より派遣された治癒師エドゥルネはその行為を糾弾した。

しかし勇者は彼女を凌辱の後殺害する。この出来事は目撃者によりすぐに龍教団に報告される。

龍教団は激怒し、第四次勇者軍に対する聖戦の布告を宣言した。

そんな最中、六つの集団がそれぞれ異なる立場を取って行動を起こしたのである。

 

エドゥルネにはフアンという兄がいた。報復者フアンはこの事に最も怒り、徹底的な報復により尊厳の回復を試みた。

彼は勇者軍の素性を調べ、故郷の家族、友人、恩師や近所の住人に至るまで可能な限り全てを殺害した。

この一派は後に"憤怒の教会"として独立する。

現在では秘密結社と化しており、龍教団の暗器と呼ばれているが、殆ど世に情報が出てきていない。

 

上記の報復をやり過ぎだと、たまたま故郷を離れていた勇者の妹を匿ったのが人類種の女性、隠遁者モニカの一団であった。

彼女は罰は罪人にのみ与えるべきで、それ以上の事をしてはならないと考えていた。

慈悲深いモニカの元には比較的穏健派の龍教徒が集まってきた。

そうして、愛と幸福を司る神龍クピドの名を借り、現在の"クピド派"になったのである。

この宗派は人種を問わず西方世界で広く信仰されている。西方諸派で最もまともなので。

 

報復はするべきだが、殺すのは勿体無いと考えたのは半狐獣人の男、支配者ジョアンであった。

強制労働に従事させる方が長く罰を与える事ができると考え、勇者軍の捕虜を奴隷にした。

現在、"西部教会"を名乗っており、労働と苦行により徳を積むことを是としている。

西方大陸南西部のイベルパニア半島内北西、レオリーリャとポルカ・トゥーレでのみ信仰されている。

信者は商人、特に奴隷商人が多く、奴隷と自分に苦役を強いている。

 

勇者軍の賢者を捕えた観測者エーゴンはその者の知識に驚愕し、殺すのは惜しい考えた。

彼はドワーフの鍛冶師であり、魔導具の製作をしていた。

賢者の知識を書き出させ、死ぬまで魔導具の研究に携わらせたという。

彼らは賢者の手により蓄積された知恵と知識の書を聖典と見做すようになった。

道具の神龍タロスを中心としたいくつかの神龍と共に聖典を崇める"タロス派"が誕生した。

主にドワーフと都市部の中流階級以上の人々に信仰されている。貧者と弱者の救済を行わない為、農村や貧困層には全くの不人気。

 

龍教団随一の猟奇殺人者の北方の兎獣人、狂乱のミエリッキは当然この騒ぎに食いついた。

同好の士を集め、勇者と関わりのあるもの全てに戦いを挑んだ。関わりがなくても戦いを挑んだ。

彼ら北方の兎獣人は昔から武勇の龍ハッカペルを信仰しており、その名を叫びながら暴れ回ったという。

伝承によれば、途中で遭遇した転生者も7人ほど殺害しており、聖女教徒に目の敵にされている。

これはそのまま"ハッカペル信仰"と呼ばれるようになった。

戦場での道義を重んじ、また北方の伝統信仰が習合している。

その為なのか戦が絡まない場合は意外にも現実的かつ常識的である。

模擬戦闘が儀式として行われている。主に北方にて信仰されている。

 

まずは悪行を広く知らしめ人々の繋がりで追い詰めようとした商人たちがいた。

この集団は後の"星霜宗"の諸派の元となる。

人の耳を塞ぐことは出来ず、また人の口を塞ぐことも出来ないと考え、情報戦で戦った。

元々が商会であるため交易と交流を重んじている。教義は多くが金銭や情報、商取引に関連するものである。

頻繁に巡礼を行っており、西方と東方を繋ぐ役割も果たしている。

西方世界の南東部、ロタール南部、内海を挟んで南の砂漠世界などで信仰されている。

 

これらは旧来の龍教団から分裂し、元々の龍教団は龍正教として区別されるようになった。

龍正教は西方世界南東部のビザンチスタン帝国、そしてこれらの動乱とは無縁であったグレートランドで信仰されている。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話:聖者の奇蹟

 

宿坊には立派なテルマエが存在した!やはりキョーコは大喜びである。

「お風呂!お風呂!沐浴ばかりだったからすっごい嬉しい!」

ニホンでは毎日のように風呂に浸かるというので、なんとも潔癖な国だ。さながらかつての帝国人である。

しかしながら、私たちとて嫌いな訳では無い。莫大な時間と燃料費がかかるので余程の金持ちか温泉地の住民でないと頻繁に入浴することはかなわない。

だがこのガリバルディ修道院はその余程の金持ちに該当する。助修士として雇われた地元のオークの少年少女たちがせっせとお湯を沸かし、張ってくれた。

湯に花まで浮かべてあってなかなか洒落たものだ。

なんと、砂漠世界産の高級薬用石鹸まで用意されている。遠慮なく使わせてもらい、体をきれいに洗った。

「あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛~、極楽極楽……」

浴槽の中で寛ぐ私の横で、同じく湯船に浸かったキョーコがおっさん臭い声を上げる。

パメラは身体をリリに洗ってもらっている。

「すまないねぇ、クサヴェルくんを呼んでこようかねぇ」

「クサヴェルさんが我々の裸を見ることになりますが、それはいいのですか」

「はっはっはっ……そんなの嫌だ!!彼が他の女の裸を見るなんて!!」

急に激昂する彼女を見て私は苦笑するしかなかった。

ところで、キョーコが柱を見ながらブツブツと独り言を言っている。

「また来たの……もう、今お風呂なんだからゆっくりさせて……ええ?いいよそんな事しなくても」

こ、こわい……何らかの精神的な何かが起きてしまったのだろうか?心配になった私は彼女に声を掛けた。

「どうしたの、キョーコ」

「ほら、そこに聖エドゥルネの彫像があるじゃない」

「……無い、わよ?」

そこにはただの石造りの柱があるだけだ。しかし彼女は自信満々に言う。

「いやいや、あるよ、よく見てって」

「えぇ……?」

困惑しながらその柱を見つめる私。……いや、何もない!

「え、じゃあ私にしか見えてない……?」

「聖者が現れるというのは奇蹟よ、いいことじゃない。何か言ってた?」

「べ……別に、何も!」

そう言って彼女は俯いた。どうしてしまったのよキョーコ!?

「何かお告げがあるかもしれないから、今日は早めに眠りなさい」

「うん、そうする」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

翌朝、キョーコはグッスリと眠れたようだ。

「もうね、朝まで快眠、元気満タン」

ニコニコとしている。テルマエと高級な部屋、ふかふかのベッドが疲れを溶かしてしまったのだろう。

そりゃあ良かったかもしれないけど……。

さて、名残惜しいが巡礼団はニカイスの街を出立することになる。さて今度こそトゥーロ・マルテへと向かう。

その道中でも、キョーコはブツブツと喋っていた。バルトロ修道士が怯えている。

「おお、神龍よ、彼女をお救いください!」

「きっと故郷からこっちに来て長いこと経つから、精神的に参っているのよ」

私は適当にごまかしておいた。実際、そうなのかもしれない。ここは私がしっかりせねばなるまい。

「霊的なもので無ければよいが……いや、精神が参っているのはよくない!」

何やらぶつぶつ言いながら考え込んでいる様子のバルトロ修道士。独り言仲間が増えてしまった。

とにかく、私たちは一路トゥーロ・マルテへと旅立ったのである。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

数日ほど歩き、ようやく我々はトゥーロ・マルテに到着した。軍港都市であり、城壁に囲まれている。

多くの造船所と商館が立ち並び、活気に満ち溢れていた。この街には軍の士官学校も存在し、船乗りや軍人を目指す若者や士官候補生たちが大勢いる。

そして、岬の先に聖堂が存在する。あれこそが聖エドゥルネを祀る聖堂だ。

「やっと着いたわね、長旅だったわ」

「これで一段落だな」

院長はホッとした表情を見せている。聖職者たちにとっても聖地であるのだ。私もほっと一息ついた。

すると、キョーコがまたもやブツブツと言っている。

バルトロは不安がってるし、マシニッサくんも心配そうな表情をしている。

「キョーコ、振る舞いに気をつけなさい。まるで……」

いや、彼女は元々まあまあ狂人か……。

「今失礼なこと考えなかった!?」

「考えてないわ」

「ふーん?」

疑いの眼差しを向ける彼女だったが、すぐにいつもの調子に戻った。どうやら落ち着いたらしい。

ともかく巡礼団は岬へと向かうのであった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

聖堂に入ると、そこは静寂に包まれていた。

荘厳な雰囲気の中、祭壇の上に祀られている聖エドゥルネ像だけが私たちを見守っている。

「キョーコは聖人への祈りはまだ教わってなかったわね」

「今日は聞いているだけでいいですからね」

私とリリの言葉に、キョーコは黙って頷く。

この聖堂の司祭が前に立ち、祈りの言葉を唱え始めた。我々もそれに続いて復唱する。

「聖者よ、どうかお出でください。あなたの心の輝きで我らを照らしてください。あなたの導べなくては、人の御霊から愛は儚く消え、誰も正しく生きることはできません。側に立ち、喜びを分かち合い、苦しみを支え合ってください。穢れを清め、荒みを癒やし、痛みを取り除いてください。願わくば──」

「そこまでだ!!」

突然、大声が響いた。声の方を見ると、キョーコが立ち上がっていた。

「貴様ら、いつもいつも求め過ぎだろうが!我輩は単なる治癒師だ!聖者などではない!」

彼女が怒鳴ると、辺りは静まり返る。誰もが唖然としていた。

「ちょっと、キョーコ、何を……」

「今はキョーコではない、我輩はエドゥルネ、貴様らが聖者と崇め奉る者だ」

彼女ははっきりとそう言った。周囲の視線が彼女に集まる。だが当の本人は意に介さず言葉を続けた。

「貴様らが敬虔な龍の信徒であるというのはわかるが、我輩とてなんの見返りもなく貴様らを守るのも限度がある」

「何を言ってるッスか!彼女は、キョーコちゃんはどうしちゃったッスか!?」

マシニッサが駆け寄ると、彼女は彼を手で制した。そしてゆっくりと語りかける。

「我輩は我輩自身の恨みと貴様らの信仰により、未だこの世を魂として彷徨っていたのだ。キョーコは莫大な魔力を持っているのでな、依代として使わせてもらった。男の趣味もいいしな!」

彼女は不敵に笑った。事実だとすればとんでもないことだ、まさに奇跡を目前にしている。

キョーコは確かに変わった子ではあるが、こんなことをするような子ではない。

まさか、今まで聖エドゥルネ像が喋るだの見えるだの言っていたのも、全て本当だった……?

「男の趣味だと!?」

「くっ、一体誰が好きなんだ!」

「ま、まさか、私!?」「あんたは女よ」

修道士たちがざわめいているが、魔力とか依代とかよりそっちが気になるの!?私も気になるけど!

「では男の趣味がいいキョーコの体を借りて命ずる。司祭よ、今後はこの岬から海へと供物を投げ入れろ」

「供物、ですか……!?」

「そうだ、我輩、聖エドゥルネの導きに従い、この地の安寧と繁栄のために、捧げ物をするのだ」

彼女は尊大な口調で言い放った。しかし司祭様は困惑している様子だ。

「そ、そんな……それは困ります、我々は日々祈りを捧げておりますゆえ……!」

「黙れ、祈りで腹が膨れるか?」

彼女の威圧的な言葉に司祭様が黙り込む。他の修道士たちも狼狽えていた。

「わかりました……では、私の命を……」

「いらんわ!そういう事ではない!まずは魔石、これは絶対だ。そしてできれば甘いお菓子や美味しい料理なども欲しいな」

彼女は腕を組みながら言う。なんとも俗っぽい聖女様だ。いや、もともとは若い治癒師だ、これが本来のエドゥルネなのだろう。

「あ、そうだ!キョーコが言ってたコスプレ写本も欲しい!それから小説だろ、楽器に、あとは……」

「ちょ、ちょっとお待ちください!誰か、書き留めよ!」

慌ててメモを取る修道士たち。私はなんだかおかしくなり笑いそうになったが我慢した。ここで笑ってはいけない気がする。

「……ふうむ、まあこんなものか。他に欲しいものがあれば随時要求するからな!」

そう言うと彼女は満足げな表情をした。しかし、私は一つ質問を投げかける。

「ちょっと待って、あなたはキョーコの身体を今乗っ取っているのよね?」

「その通りだが」

「じゃあ、キョーコはどうなるの?あなたに乗っ取られたまま、一生を終えるというの?」

「そんなわけないだろ!男の趣味がいいのに!きちんと返すわ!」

「そ、そう、それを聞いて安心したわ」

男の趣味はともかく、私がホッとしていると、修道士の一人がおずおずと発言した。

「あのう……聖エドゥルネ様、あなたの亡骸がこの岬に眠っているというのは本当なんですか……?」

「事実だ。正確には、我輩の心臓が眠っている。我輩はバラバラにされたのでな、他は知らん」

「えーっ」「なんと恐ろしい!」

修道士たちは口々に驚きの声を漏らす。

「もう、質問はないか?そろそろキョーコの魔力が切れそうでな」

そう言って彼女は目を瞑った。すると途端に脱力したようにその場にへたり込んでしまう。私たちは駆け寄った。

「大丈夫!?しっかりして!」

「うーん……あれ、アーデルヘイトさん……?」

「大丈夫そうね」

「うん、なんか変な夢見てたみたい……って、なにこれ!?なんでみんな集まってんの!?」

キョロキョロと周囲を見回すキョーコを見て、私たちは安堵感を覚えた。

「よかった、いつものキョーコね」

聖エドゥルネは奇跡を起こしてみせた!

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「へぇ、そんなことが……」

「そんなことなんてものじゃないですよ!奇跡ですよ奇跡!」

「今後は聖キョーコとお呼びしなくちゃならないかもね」

巡礼団の面々は興奮冷めやらぬ様子で話していた。無理もないだろう、本当にすごい事が起きたのだから。

「それで、今後どうするの?」

「とりあえず巡礼は続けるわ。数日はこの聖堂でお世話になることになるわよ」

巡礼団には宿坊が用意されていた。しかしながら、聖堂の聖職者たちは話を聞きたそうにしているのでなかなか落ち着いて休めないかもしれない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話:ルグヨンの街

 

トゥーロ・マルテの街では聖者降臨の噂で持ちきりであった。

「聖エドゥルネ様が奇跡を起こされたぞ!」

「巡礼団の少女を依代にして啓示を下さったそうだ!」

「選ばれたのは絶世の美女だったそうだ」

「そんなありがたい人、ひと目見たいものだな」

「きっと、さぞお美しいに違いない……」

街の人々は口々に噂し合い、その話題の中心である少女のことを聞きたがった。

「……ここにいるんだけどなぁ」

だが残念ながら、この目の前の野暮ったい顔の変わった装飾をつけた少女の事とは思われなかったようだ。

「みんな失礼ッス!こんなに可愛いのに!」

マシニッサくんだけは納得がいかないらしく、憤慨していた。

「あ……ありがと、マシニッサくん」

さて、騒ぎになったので早々に聖地を脱することとなった。

例の聖堂の司祭はキョーコに大いに感謝していた。やはり異世界からの来訪者には何か特別な力があるようだ。

聖女教徒たちが聖人として崇めるのも頷ける。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

そして一行は街を出て街道に出た。今度は北へと向かう。

次の目的地はルグヨンだ。オークタニア最大の都市である。

オークは、伝承によればハイエルフから分岐した種族であるとされており、また魔法の適性が殆どないため薬学が発達している。

ただ、オークのイメージはかなり悪い。野蛮で暴力的だとされている。背が高く筋肉質で肌が緑っぽいという容貌がそれに拍車をかけているのかもしれない。

結婚式などのいくつかの血塗れな風習、戦闘時の勇猛果敢さ、部族法の厳しさ、それらもマイナスイメージを助長させているのだろう。

話してみると、個人同士では普通だ、野蛮さも人類とさほど変わりはない。

「オークの都市とはねぇ。全部木造だったりしないよねぇ?」

「ヘ、ヘイトスピーチ……」

ギヨームに窘められるパメラ。ホントそういうのよくないぞ。

「帝国時代の石造建築をそのまま使っているし、新しく建てたものもある。そして診療所が多いんだ」

西方世界中の見捨てられた病人たちがその都市に集まるのだという。

「そうなんですか、重い病気も治ったりしますかね?」

ルーナが興味を示した。

「いや、そこまで万能ではないと思う。薬だって高価だし」

「そうですかぁ……」

ちょっとしょんぼりするルーナ。銀の仮面がズーンと俯く。こえーよ。

「でも症状を軽くしたり緩和したりすることはできるかもしれないぞ。行ってみないと分からないけどな」

「そうですね!」

声を明るくさせるルーナ。銀の仮面がパッと上向く。かわい……くはない。

そうして一行はさらに旅を続けていくのだった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

一週間ほどの道程を経て、巡礼団はルグヨンにたどり着く。

川沿いに建設されたこの都市は、西方世界の要衝であり、事実上のオークタニアの首都である。

巨大な貿易都市で、様々な交易品や物資が集まる場所でもある。

街の中心部には龍教団の大聖堂も存在する。

「凄い人の数ですね……」

リリが圧倒されている。道を行き交う人も多いが、路肩に腰を下ろす傷痍者も多い。

「希望を持ってこの街に来ても、金がなければ教会の慈善活動を待つしかない」

苦々しい表情でギヨームが言う。

「常に膨れ上がる医療費の補填のために、苦肉の策で治療の優先権を販売し始めたんだ」

教会への寄付額によって順番を決めて、後回しになる人々が出るようにしたのだ。

最初は反感もあったが、次第に浸透していき今では当たり前の事になっているらしい。

それでも待っている人たちは多い。彼らは日々の生活すらままならないのだ。

「しょうがない事なのでしょうか……」

「ああ、どうしようもないことだ」

「……酷いです」

ルーナの言葉に答えるギヨーム。その答えを聞いて悲しげに呟くリリ。

「君たちは巡礼団だね」

不意に後ろから声をかけられた。振り返るとそこには一人のオークの男性が立っていた。

「私はルグヨン伯爵、ベルナール・ド・サン=テグジュペリ。君たちを待っていた」

「サン=テグジュペリ……あの、『星の王子』の異名を持つ……!?」

ギヨームが驚愕の表情を見せている、オークにとっては著名人のようだ。

「ルグヨン伯爵って、この街のヌシってことですよね?」

「そうだ、この方は事実上のオークタニアの元首だ!」

「え、偉い人じゃないですか……!」

驚く一同。そんな大人物に出迎えられるとは予想外であった。

「君たち巡礼団の手を借りたい。まずは私の屋敷に来てほしい」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

巡礼団は彼の屋敷に滞在することになった。

一切の費用を負担してくれるそうで、宿代が浮いて院長はニンマリである。

「いやあ、ありがたいですなぁ」

「同じ信仰を奉じる者同士、助け合うのは当然のことだ」

そう語る彼は紳士的な態度であったが、何か企んでいることは明白であった。

「そちらの銀の仮面の子に話があるっ」

唐突に声を上げる彼。その目は真剣そのもので、思わず気圧される一行。

ルーナをご指名のようだ。

「銀仮面の子の『呪い』についてだ!」

そう言って近づいてくる彼の眼力たるや凄まじかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話:癩者ルーナ

 

「銀仮面の子の『呪い』についてだ!」

ルグヨン伯爵、ベルナール・ド・サン=テグジュペリは凄んだ。

「君は癩を患っているな」

「ど、どうしてそれを……」

ルーナがたじろぐ。

「私は医者でもある。銀の仮面、そして包帯。火傷や傷であれば今は整形治癒魔法で治せる。そうなれば自ずとペストか天然痘、癩、梅毒と限られてくる。しかし、ペストや天然痘なら隔離しなくてはならず、クピド派信徒が梅毒とは考えづらい。よって一般に『遺伝性の呪い』と考えられている癩者である可能性が高い」

ということらしい。へー。

「なるほど、大した推理ですね。説話作家にでもなった方がよろしいのでは?」

なんでそんな追い詰められた犯人みたいな反応なの。

「癩……ハンセン病のこと?」

キョーコが呟く。ハンセン?誰?

「癩の事をそう呼ぶ者に、私は以前会ったのだ」

「じゃあ、転移転生者に会ったことがあるんだ!?」

「うむ。彼はなぜかオークを毛嫌いしていたが、話すとわかってくれた。そしてこの病が目に見えないほど小さい生物の仕業であることを教えてくれた!」

「そんな生物が存在するのですか……?」

この病気は治癒魔法をかけると、一時的に症状は緩和するが元よりも速く症状が進行する。

治癒魔法はあらゆる生命の活力を増加させ、自然治癒力を高める魔法だ。

生物の仕業であるなら辻褄が合う気がしないでもない。

「必要なのは治癒魔法ではなく、その見えない生物を抹殺することだったのだ」

「……どうやってですか?」

「魔法、錬金術、民間療法、あらゆるものを調べ、実験しなくてはならなかった」

それはまた大変そうだ。

「見えざる生物を殺す方法の一つは熱だ。全身を焼けばそいつらも死滅する」

「患者も死にますよ!」

「その通り。非現実的だし、高度な魔法操作技術を要する。患者が耐えられるとも限らない」

森を焼けば魔物も消える、というようなものであろう。だが森がなければ人は困窮する。

「もう一つは、投薬。例の転生者は専門家ではなかったが、治療薬の存在を示唆した」

「治療薬……!」

「だが肝心の成分が不明だ。しかしだ、薬が通じるのであれば、万病に効くという疾病退散の薬が通用するはずだ」

「あの、ユニコーンの角を使うという薬品ですか。私もそれぐらいは調べました、呪いではなく風邪のように伝染る病気なのではないかと」

ルグヨン伯爵は頷く。

「その通りだ。病であると看破するとはな」

「いいえ、私は見抜いたわけではないです」

「むぅ?」

「だって私は……!癩に蝕まれていた人を、苦しんでいた人たちを介護してたのに、だのに呪われるなんて、あんまりじゃないですか……!」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

『完全な騎士』。これはルーナの10歳頃までのあだ名である。

ロタール王国北部の騎士の家系に産まれ、父の高潔な精神と母親の巨躯を受け継いだ彼女は、知識、技量、そして精神、全てが騎士として完成されていた。

武の腕は大人の騎士にも引けを取らず、馬術においても同年代の子供はまともについていくことさえ出来なかった。

彼女は将来を約束されていると言っても過言ではなかった。

10歳の誕生日を迎えてから数ヶ月ほど経ったある日、彼女は訓練を終えた後の紅茶を嗜んでいた。

しかしそこへ侍女が血相を変えて飛んできた。ドレスが血に汚れていたのである。彼女は怪我したことに気がつかずに着替えてしまったのだ。

そんな事もあるだろうと気にも留めなかった数日後、彼女は手を火傷した。

侍女の手伝いをしていた時、高温に熱せされたアイロンの面の部分をそのまま手で掴んだのだ。

彼女は何も感じなかったのだという。これに驚愕した父親は治療師を呼びつけ、すぐさま彼女の両手の治療と診療を命じた。

診断は、癩であった。彼女は日頃から慈善活動として、貧者や傷病者への炊き出しや訪問を行っていたのである。その際に感染したのである。

当然彼らは感染したという事実さえ認識しておらず、呪いを受けたのだと考えた。

「おお、神龍よ、我が娘が一体どんな罪を犯したというのでしょうか」

両親が泣き崩れるのを見て、彼女も泣いた。彼らを泣かせてしまったことに対する罪悪感で胸が張り裂けそうだった。

そして何より、自分は呪われるようなことなんてしていない、と思った。

彼女は、時間が必要だと考えた。この呪いの正体を調べ、解き明かす必要があると思った。

その為にも俗世を離れ、修道院に入ろうと決意したのはこの時であった。

寄進を積めばある程度生活と研究の融通が利くし、煩わしい世間の喧騒からも離れられると考えたからだ。

両親は止めたが、彼女が意志を変えることはなかった。

そして、両親は餞別として銀の仮面を鍛冶師に作らせ、ルーナに渡したのであった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「他にも数多くの善意ある人達が、癩者と関わり癩となっています。これが呪いなら、あまりにも無慈悲な事ではありませんか?」

「なるほど、だから呪いではなく、別の何かであると……」

ルグヨン伯爵は腕を組んで考え込む。数秒後、口を開いた。

「頼む、君の身体で人体実験をさせて欲しい!」

「いいですよ」

「無茶なのは承知っていいのか!?」

即答だった。いやまあ、断る理由もないだろうけど。

「私の身体を役立てることが出来るのなら本望です」

「ううむ……当然だがギルドに頼もうにも膨大な金額を要求されてな。そんな金はなかった。まあ危険を伴うのは事実だ。疾病退散の薬には強い副作用がある」

この薬はあらゆる病気を治すが、全身が焼けるような痛みを伴うそうだ。せっかく病が治っても激痛によって二度と目覚めぬ場合もあるという。

もし癩に効かなかった場合、ただ単に痛い思いをするだけである。このリスクを前に怖気づかない者はそう多くないだろう。

「いくら病を治したいとしても、長旅を経てこの街に来る患者の肉体的負担を考えると踏み切れなかったのだ」

彼らは心身ともに疲れ果てていた、怪しげな商人や薬師に騙された者も少なくないそうだ。

「だが君なら、例え痛みが伴おうとも耐え抜く事が出来るのではないか?」

「ええ、もちろんです」

「よし、ならば早速、と言いたいところだが、肝心のユニコーンの角を用意出来ていない」

「……え?」

「あれは非常に希少なものでな、市場でも滅多にお目にかかれない代物なのだ」

「そうなのですか」

「目星は付いている。ユニコーンはこの偶然にもこの街の近くの森で生息が確認されている」

「本当ですか!?」

「このかんなでユニコーンの角の一部を削り取ってきて欲しい」

そう言って伯爵はかんなと一枚の紙を差し出した。そこには目的地の位置とユニコーンの絵が描かれている。かなりデフォルメされており可愛らしい絵だ。

「かんなで!?痛そ~……」

キョーコが呟く。確かに削ると聞くと痛い気がする。

「しかし、神獣教徒たちがユニコーンを保護している」

神獣教。ユニコーンやグリフォンなどの一部の魔物を神の使いであると信奉する異教徒である。

龍教団とはお互い積極的に関わり合いを持つことは少ない。ドラゴンは彼らにとっては魔物の一種に過ぎないのである。

「神獣教ねぇ。ユニコーンの角削るってなったらやっぱり怒るかしら」

「怒るだろうな」

私の言葉に伯爵が答える。まあそうだろうね。

「でも当然やるでしょ?」

ルーナの呪い、いや病が治るのなら、私に行かない理由はない。

「その通りだ。希望者は挙手を!」

院長がそう言うと、その場の全員が手を挙げた。ルグヨン伯爵家のメイドも手を挙げていた。

「あ、すみませんつい」

「なんなんだお前!?」

全員で行くと多すぎる、大勢同士でもしも争いになれば聖戦の勃発を意味する。

そういうわけで、結局のところいつメンの出番であった。

厄介事係の私、魔法使いのセヴェロ、転移チートウーマンのキョーコ、摩訶不思議なことに詳しいマシニッサくんの四人だ。

ルーナは調薬の準備のために屋敷に残るという。角以外の材料も集めないといけないらしい。何の用意も出来てないじゃないの!

というわけで私達は早速ユニコーンの森へと赴くことにしたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話:ユニコーン

 

それぞれ馬を借りて目的地へと向かう。が、キョーコは馬に乗れないようだ。

「ほら、大丈夫ッス、ちゃんと手綱を掴んで」

「う、うわ、わわわ」

彼女はマシニッサくんの後ろに一緒に乗ることに。イチャイチャしてんじゃねー!と言いたい所だけど、この二人の関係は結構いい感じなので放置しておく。

「セヴェロ、ユニコーンは見たことがある?」

彼は神妙な面持ちで首を横に振る。

「そう……あの絵の通り、角の生えた馬なのかしら」

挿絵や壁画などにはよく登場するが、実物を見たことがある人は少ないだろう。

私だって本の中でしか見たことがない。そもそもユニコーンってどんな生き物なのかすらよく分かっていないのだ。

「あ、文献によれば、彼らは非常に警戒心が強く、滅多に人前には現れないらしいッス」

マシニッサくんが補足する。

「それから、純潔な乙女が好き、らしいんだけど」

キョーコも話に加わる。どうやら彼女もユニコーンは知っているらしい。彼女の元いた世界にも生息していたのだろう。

「……それって、処女じゃないダメってことかしら? だったら私はダメね」

「え?」

私の言葉にキョーコが反応する。

「ま、まさか恋人がいるのぉ!?隅に置けないなぁ~!」

「……まあ、そんなところ」

説明するのも面倒だし、適当に誤魔化しておくことにする。

「まあ、大丈夫ッスよきっと。アーデルヘイトさん以外はみんな純潔ッスよね?」

「そう、だね、改めて言うと恥ずかしいけど……」

セヴェロも首をブンブンと縦に振った。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

森の中は魔物だらけであった。

「ヒィィ~~~!!」

キョーコの悲鳴が轟く。イノシシのような虫の魔物、通称イノムシを見て恐れ慄いている!

「いやぁぁ!!気持ち悪いぃ!」

「キョーコちゃん!苦しいッス!危ないッス!落ち着いて!」

マシニッサくんにしがみついて背中に顔を埋めている……。

私も正直言ってあまり得意ではない。脚だけ虫のイノシシ、というふうの姿、しかし味は美味で特に脚が美味しいらしい。

とはいえ臆病な魔物なのでこちらの様子を伺いながらカサカサ歩いているだけだ。

こちらから刺激しなければ襲ってこないはず。

私達は迂回しながら先を急ぐことにした。

しばらく進むと、急に開けた場所に出た。そこには小さな泉があり、その中央に一軒の小さな家が建っていた。

「ここ、なのかな……?」

「なんなんスかねここ」

私たちは馬を降りて辺りを見回す。すると、どこからか声がした。

「童貞二人、処女一人に混じって、くっせぇくっせぇ淫売の臭いがする……」

声の方向を見ると、いかにも馬飼いのような出で立ちの男が立っていた。

男は私達の方をじっと見つめていた。

「俺は神獣教徒のユニコーン派の司祭、純潔かそうでないかは臭いでわかる!」

「へー。その特技でやることが初対面の人達に対する侮辱?」

私はユニコーン派とやらの男を睨み返す。

「ユニコーンは神経質なのだ。汚れた人物の臭いをすぐ嗅ぎ分け、不安がる」

そう言って、司祭は鼻を摘まんで見せた。

「あの、私たちユニコーンの角を削り取りたくて、疾病退散の薬を作るためなんです」

キョーコが恐る恐る話しかける。

「疾病退散の薬、ああそうだな、それもあるから我々がユニコーンを保護している」

「じゃあ……」

「病に冒された人がいるのだろう?ついて来い、少量なら融通しよう」

よかった、ユニコーン派である前に一聖職者であったようだ。

「だがこの魔道具、『経験人数がわかる水晶』でお前たちを測らせてもらう!」

……前言撤回。やっぱりこいつはクソ野郎だ。

彼は水晶をかざすと、それを覗き見た。

「ふっ、経験人数たったの0か、ゴミめ……」

「……ッス」

純潔だったらだったでバカにしてくるのムカつくな……。

そうして、私の方に向けた瞬間、彼は腰を抜かした。

「とわっ、たひぃっ!?」

変な悲鳴を上げて尻餅をつく。

「へぇ、どんな数字が見えたの?実は私も知らないのだわ」

「い、いえ、その、ご案内します……」

何故か敬語になった彼に案内され、私達はユニコーンの住む場所へと向かった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「あれがユニコーン……」

そこに居たのは、普通の馬よりも少し大きいくらいのサイズの、白い毛をした馬の魔物であった。

確かに角が生えているし、これは本物のユニコーンだろう。

「ユニコーンってこんなに可愛いんだねぇ~」

「そうッスね!」

セヴェロも嬉しそうな様子だ。私は近づけない、少し近づいただけでユニコーンが一頭が気絶してしまったのだ。

例の司祭は気絶したユニコーンの看護をしている。

「あの、アーデルヘイトさん、そんなに落ち込まないでね……?」

余程私はひどい顔をしていたらしい。キョーコが慰めてくれた。

優しい子だなぁ……。

ちなみにマシニッサくんは失神しているユニコーンに近づいて観察していた。何やってるんだろう……?

『……おい貴様、何をしに来た』

あるユニコーンが話しかけてきた。テレパシーみたいなものだろうか?

「あなたたちの角をかんなで削らせてもらえれば嬉しいのだけど」

『黙れ淫売!何故淫売が悪口か知っているか?尊厳を切り売りしているからだよ』

随分な言い草である……いや!そこまで言わなくてよくない!?

「ちょっとあなた!アーデルヘイトさんに謝ってください!」

キョーコが怒り出す。

「いやいいっていいって、別に気にしてないから」

本当に気にしていないので宥めようとする。ごめん嘘、ちょっと傷ついた。

「いいえ、謝るべきです」

意外にも彼女は頑として譲らない様子であった。嬉しい。

『ちっ……まあ、処女が言うのなら……悪かった』

意外と素直に謝ったなこいつ。まあ、ユニコーンゆえの過ちというやつだろう。私は許そう。

「草木よ!纏われ!」

だがセヴェロが許すかな!彼の呪文と同時にさっきから会話をしていたユニコーンの足元から蔦が生えてきた!そのまま絡みつき、身動きが取れないように拘束する!

『な、なんだぁ、何する!』

「目覚めろ、精神よ!」

そうして、気絶と睡眠から防ぐ魔法をそいつにかけた。なるほど、やりたいことがわかったぞ。

「ささ、頭は自分が抑えるッス!かんなでシャッとやっちゃってくださいッス!」

マシニッサくんのヘッドロックが決まる。

『ま、まさか、よりによって淫売、お前が!』

「遠慮なくやらせてもらうわよ、童貞クン」

「ぶひひぃぃぃぃぃん!!!」

ユニコーンの絶叫が森中に響き渡る。

そいつは暴れ回ってなんとかかんなから逃れようと試みるが、セヴェロの魔法のせいで全く動けていない。

私のかんな捌きに見惚れないでよね!ユニコーンの角の削り節があっという間に出来上がった。

「ふう……」

額の汗を拭う私。我ながら見事な手際だったわ……!

「お疲れ様ッス!」

「お疲れ様です、すごいですね……」

セヴェロとキョーコは労ってくれた。

そのユニコーンの角は半分ぐらい削れ、円錐を縦に割ったような形になってしまっていた。

『この夏、これ流行るんじゃ……!?』

ポジティブかよ。こうして私達はユニコーンの角の削り節を手に入れたのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話:祈り

 

ルグヨンの伯爵の屋敷に戻る。

戻る頃には夜になっていたし、調合の準備はできていた。

「素晴らしい、これだけあれば、結構な回数失敗できる!」

伯爵はそう言うが、失敗は出来るだけしないで欲しい!

彼が使うのは錬金術と呼ばれる技術である。

錬金術というのは、様々な素材を組み合わせ薬品を作る技術であり、風邪薬からなんだか気分が良くなる依存性のある薬、透明化の薬や爆乳になっちまう薬まで様々なものが生成できる。

しかしながらかなりあやふやな技術であり、化学変化や、こじつけ、単なる偶然、不条理やその日の気分などを操る高いセンスと根気が要求される。

そのために様々なレシピが無数に存在している。大量の本やレシピを読むことで法則性を見つけ出すのが錬金術上達の鍵だ。

「素材はユニコーンの角、涙の結晶、青カビ、魔物の腎と肝、月の砂糖」

涙の結晶、これは生物の涙を集め、魔石粉末と混ぜることで生成する宝石だ。

月の砂糖は満月の夜に時々地表に降り注ぐ鉱石である。舐めると強烈な多幸感と中毒性があるので見かけたらすぐに衛兵の元へと届けよう、報奨金がもらえる。

青カビと魔物の腎と肝については、まあ説明せずともわかるだろう。

伯爵は大釜に素材の一部を入れると水を注いだ。

「錬金術の心得がある者は手伝って欲しい!」

セヴェロが手を挙げ、調薬に参加する。

「他の者たちは我々の成功を神龍クピドに祈っていてくれ……!」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

宣言通り、本当に何度か失敗したようだが、翌朝には薬が完成した。徹夜をしたようだ。

「古来より癩は呪いや天罰によるものだと考えられ、薬による治療は試されてこなかった……だが、病である事と仕組みが解明されれば、研究が進み専門の治療薬が開発される!」

「ユニコーンの角なんて高価な素材を使う必要はなくなり、多くの人が治療を受けられるというわけですね!」

ルーナの言葉に頷く伯爵。そして彼は小さな瓶に針がついたようなものを取り出す。

「そして重要なのがこの器具。これは注射器、とある転移者の男から聞いた医療器具だ。これを使い、患者の血の通う管に直接薬を打ち込む!」

伯爵はそう言って、その注射器とやらの針をルーナに突き刺した。そして、薬を注入する。

「なにか変化はあるかね」

「いえ、まだ特には……」

「ではまた明日に様子を見よう」

ルーナは安静にすることになり、ベッドへと運ばれた。

「この忌まわしい病を克服する為の第一歩が、今踏み出されたんですよ!」

彼女は興奮気味であった。無理もない、今まで病気のせいで苦しんでいたのだから。

「もしこれで私の身体が治れば、癩は病である事が確定するわけです」

解呪の魔法も効かない凶悪な呪い、天罰、神々の気まぐれ、見た目が徐々に崩れていく癩はそういうふうに受け止められてきた。

だがこれは病であるというなら話は変わってくる。神は我々を気まぐれで呪ったり見放していたわけではなかったのだ。

「後は、目に見えない小さな生物の見つけ方、そしてそれの性質……おそらく気の遠くなるほどの時間がかかるでしょうね」

「そうね。わかる頃には私たち生きてないでしょ」

「ええ。ですがこれは希望です。私たちの意思を継ぐ後世の人々が、必ずや解明してくれるでしょう」

「そうだといいわね」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

その夜は多くの者たちが眠れなかった。

ルーナのことが心配なのもあるが、一番は彼女の叫び声である。

「あまりにも哀れでな、お祈りをしようと思って」

院長が眠れぬ者たちを何人か集めてきていた。

「クピドよ、慈悲深き我らが神龍よ、どうかあなたの信徒ルーナに病と痛みに耐える勇気をお与えください」

全員で祈りを捧げる。この祈りはきっとクピドに届くはずだろう。

「ところでマリカは?」

「爆睡してるよ、よく眠れるよな」

「そう……」

クピドに届いてるといいなぁ!

そうやって廊下を占領していると、夜の見回りをしている衛兵がやってきた。

「ひぃっ!?何の儀式ですか!?」

彼は驚いて腰を抜かしてしまったようだ。

そりゃあ、こんな夜中に大勢の信者が祈りの言葉を呟いていたらね……。

結局、ルーナの苦悶は数日続いた。

眠りも浅く食欲も落ちて、相当体力を削られたようであった……。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

数日後、痛みが完全に消えたルーナの身体にセヴェロが治癒魔法をかける。

彼女の身体はみるみるのうちに元に戻っていく。まるで時間が巻き戻っていくかのようだ。

「……え!?めちゃくちゃ美人じゃん!」

ルーナの元の顔は初めて見たが、どえらい美人であった!スタイルもいい。

「ルーナちゃんすっごい綺麗……!」

「ありがとうございます、みなさんのおかげですよ」

彼女が微笑むと、周りの男たちが顔を赤くした。女たちも赤くした。

が、本人が一番恥ずかしがっているようで、銀の仮面をかぶってしまった。

「わ、私、慣れるまでこれでいいですぅ……」

「いつになったら慣れるのかなぁ、ルーナ?」

「ご、五年……いや五十年……」

「一生じゃん!?」

結局仮面はそのまま付け続けるようである。しかし包帯を外すことが出来た。

何年も日に当たっていない肌は不健康にも思えるほど真っ白で、美しかった。

「それで、還俗して元いた家に戻るの?」

「えっと、それは……」

私の質問に答えあぐねる彼女。私は少し意地悪な質問をしてしまったかもしれない。

「あのー……まだみなさんと一緒にいてもいいですか……?」

上目遣いに聞いてくる彼女に私たちは頷いた。

「もちろん。還俗するって言ったら命に替えてでも止めるつもりだったわ」

「え、えー!?」

驚く彼女をみんなが笑う。

もう数日滞在したが、もう体に異常は起きず、完治したようだ。

伯爵は大喜びし、ルーナとルグヨン伯爵は固い握手を交わした。

かくして、ルーナの体を蝕む病は克服された。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「誰かと一緒に食事ができるだなんて、思いもしませんでした!」

病が消えてからのルーナは距離感がちょっとおかしくなっていた。

ルグヨンの街を出発し、北へと向かう道中も会話をしていたが、距離が近いしボディタッチが多い。

今まで出来なかった分だけ存分にやってもらって構わないのではあるが……。

「どうしたんですかセヴェロ、こっちを向いてくださいよ!」

今はセヴェロに構っている。仮面をつけているとはいえ顔が近いし、手や体をしきりに触ろうとする。

彼の方は顔を真っ赤にしているが、それでも拒絶はしないあたり満更でもないのだろう。

これは老若男女誰が相手でもこうだが、セヴェロに対しては特に激しい様子だ。多分弟か何かだと思ってる。

さながら餓狼のように人肌に飢えているルーナと、純情な少年の組み合わせ。これはいいぞぉ。

「わかりみ、深い……」

キョーコもうんうん頷いている。彼女はこういう方面の造詣は異常に深いのであった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26話:誘拐

 

ルグヨンから北上すると、魔王国領を抜けてトレヴィブルク公国まで大きな都市はない。

巡礼団は東の国境地域と西の都会地域のちょうど隙間の道を通る。

都会からも国境からも微妙に離れたこの街道は公権力が及びにくいのである。治安はそうよくない。

とはいえ精鋭の修道騎士がいるのでそこまで心配はしていないのだが……。

「まあ、治安がよくないことは覚悟しておいてね」

「えー……」

キョーコはとても不安そうである。彼女の住んでいたニホンでは追い剥ぎや盗賊などは殆どいないのだという。

もちろん全くいないわけではないそうだが、それでも平和な国であったそうだ。

その代わりに馬車に轢かれる人が多いそうだ。そんなに馬車走り回ってるの……?

さて、そんな治安の悪い道でも人は住んでいるし、クピドの祝福をもたらすことが我らの使命である。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

巡礼の旅に出てからちょくちょくキョーコに訓練を施している。

剣や弓、魔法、乗馬を教えているが、魔法以外はてんでダメのようであった。

ニホンという国は軍事力が衰えているのか、あるいは分業化が進んでいるのか傭兵頼りなのか。

とにかくキョーコは戦闘が苦手であった。多大な魔力を持っているのは確かなので、せめて魔法だけでも覚えさせたいものだ。

そんなわけで今日もまた魔法の特訓だ。彼女は力の制御があまり得意では無いようだ。

「火球よ!」

彼女が詠唱して放った火の玉は木に直撃すると、木の真ん中辺りを焼き切るように貫通した。

セヴェロが慌てて水魔法で火を消し止めに走る。

「才能はあるわね、才能しか無い感じ……」

「人殺しのですね」

「いやぁ、殺しはしたくないぃ」

自衛のための最低限の魔法どころか、軍隊でも相手にしているのかと思うような威力の魔法を放っていた。

これが手加減無しならもっと酷いことになるのだろうか?

「んー、もう少しコントロール出来るようにしましょうか」

「お願いしますぅ……」

涙目になりながら私に懇願する彼女を見ていると少し可哀想になってきた。持つものにも苦労があるのだなぁ。

きっとこれが彼女が時々口にする女神だかの恩恵なのだろう。念写のような高度な魔法もその一つと見える。

「いい?魔法というのはね……わからない、私たちは雰囲気で魔法を使っている……」

「えぇー!?」

「冗談よ、半分ね。意識を集中して、魔力は全身に流れていて、常に動き続けている。経絡に意識を…」

「ちょ、ちょっと待って、経絡とは!?」

経絡とは体内における魔力の通り道である。東方の国、朝麗の魔法学者キム・ボンハンが各国の生体魔力の知識を取りまとめ体系化したという。

実際に体内にそういった器官があるわけではないらしく、体内で魔力の通りやすい道筋が存在するようである。

「んー、詳しくは覚えていないんだけど、基本的には縦に流れているわね」

「へー」

「それでね、体の中で魔力が巡っているから、それを意識する」

「んー…………」

しばらく沈黙が続いた後、キョーコが口を開いた。

「……ダメ」

「念写の魔法を使う時どうしてるのよ」

「完全に無意識」

「……そう」

どうやらまだまだコントロールとまではいかないようだ。

現状だと何を使っても高威力で放出されるし、連続で使えばすぐに魔力が枯渇してしまうかもしれない。

体内の魔力が枯渇するとふらつきや気絶、最悪の場合だと心臓が止まったりするという。

いざと言う時に自分の身を守れないのでは、この先苦労するだろう。

ずっと修道院にいるつもりなら話は別だが……。

「ずっとみんなと一緒がいいな」

「……まあ、そうね、私もそう思うわ」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

夜になり、巡礼団は野営の準備をしていた。焚き火を起こして暖を取る者や食事の準備を始める者など様々だ。

キョーコはというと、訓練で疲れたのか先に川に水浴びをしに行っていた。

私は今日はなにもないのでのんびりしている、野営にも慣れたものである。

そんな私の元にマシニッサがやってきた。

「キョーコちゃんはどこに行ったッスか?」

「近くの川で水浴びよ。覗いちゃダメよ」

「ふぅーん……」

芳しくない反応。まさか本当に覗くつもりじゃあるまいな。

「夕食までに戻らなかったら探しに来て欲しいッス。なんか、臭いが遠ざかってる気がするッス」

めちゃくちゃ不穏なことを言って、川の方へと向かうマシニッサ。いやちょっと待ちなさいよ!

「待って、私も行くから!」

慌てて彼の後を追う前に、近くにいたギヨームに報告をする。

「俺も行こう、巡礼団はルーナたちに任せる」

彼はそう言って私とマシニッサと共に駆け出した。

夜の森は危険だ。視界は悪く、魔物や獣に襲われればひとたまりもない。

その点獣人は夜目が利き、嗅覚も鋭いためこういった状況は得意だ。

月明かりを頼りに森の中を進むこと数分、川の対岸にて揉め事の声が聞こえた。

「いいから放っておいて!」

「いいえ、あなたは聖人なのです!来ていただきます!」

キョーコと見知らぬ女性が言い争っているのが見えた。

クピド派の修道服ではないことと、キョーコを聖人と呼ぶところから聖女教徒だろう。

「ええい、仕方ない!”捕縛“!」

女性はキョーコに対して呪文を放った。魔法で作られた縄のようなものが彼女の体に巻き付き拘束する。

あれは対象の動きを封じるものである、防御用魔法が無ければ脱出は困難だ。

「うわーっ、助けてー!」

情けない声を出す彼女を助けるべく駆け出す私達であったが、既に遅かった。

女性はキョーコを抱えて走り去ってしまったのである。

「マズイことになったわね!」

「一旦戻って巡礼団に知らせる!あ、おい、マシニッサ!」

マシニッサは川を渡り、彼女を追いかけて行ってしまった。

「ああもう、あの子ったら……!」

「お前、魔法の腕は器用だったな!?追っていけ!俺は戻って応援を呼ぶ!」

「わかったわギヨーム!」

私は、キョーコを追うマシニッサを追った。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27話:追跡

 

珍しくもなんともないが、マシニッサは冷静さを欠いていた。

アーデルヘイトやギヨームに一言も告げずにキョーコを追ったのは明確に失敗であった。

「待つッス!」

彼は狐獣人であるため、夜目が利き、嗅覚も優れていて、健脚でもある。

すぐに追いつけるのだが、アーデルヘイトはそうではない。

彼女は暫く走るとマシニッサを見逃してしまっていた。

「あぁ、あぁぁ、駄目だこりゃぁ~」

そしてとうとう、夜の闇の中で完全に見失ってしまったのである。

しかしマシニッサはそんな彼女を気にも留めず、そのまま走り続けた。

やがて彼の視界にぼんやりと灯りが見えてきた。

その光は、森の中にある館の中から漏れ出ていたものだった。

新築らしく真新しい壁と、しっかりとした造りの扉が見える。

「……こんな場所に、屋敷……?」

それは明らかに不自然な建物だった。

「これは……一体……」

次の瞬間、彼の頭に衝撃が走った。

何者かによって後ろから頭を殴られたのだ。

「うぐッ……!」

マシニッサはそのまま地面に倒れ伏す。

薄れゆく意識の中で彼が見たものは、フードを被った人物の姿だった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「あんにゃろ、もっと冷静に……いや、私こそ冷静になるべきだったか……」

マシニッサを追っていたはずが、彼の足の速さにはついていけなかった。

夜の森……暗いし、視界悪いし、地面は凸凹だし、木の根とか岩とかあるし、躓くし、転ぶし、もう散々である。

なんとかマシニッサを見失わないように必死に追いかけたが、結局見失ってしまった。

「……困っちゃったなぁ、もう」

引き返すわけにもいかない。意を決して歩みを進める。

「灯火よ、導け」

私は明かりを灯す呪文を唱えた。光の玉が私に追従してくれる。

これなら足元も見やすいだろう。

「……ん?あれって……館?」

視線の先に見えてきたのはとても綺麗で立派なお屋敷だ。こんなところに人が住んでいたのだろうか。

窓から明かりが漏れているので、誰かがいるのは間違いないだろう。見張りは見当たらなかった。

もしかしたらマシニッサがいるかもしれないと思い、私はその館へと近づいた。

「光の剣よ、我が身を守れ」

再び呪文を唱える。私の周りに光の剣が二つ現れた。私はその一つを手に取り、扉の前に立つ。

そしてゆっくりとドアノブに手をかけ、扉を開けた。

鍵はかかっていないようだ。不用心だなと思いながら、中へ入る。

内装は豪華……おそらく豪華であった。異国の物と思わしき奇妙な物品が並んでいる。

奥の部屋から少女の啜り泣く声が聞こえる、おそらくはキョーコの声であろう。

私は声のする方へ向かった。そして部屋の入り口に立ち、中を覗き込んだ。

両手両足があらぬ方向へと曲がり、息も絶え絶えなマシニッサが倒れ、それを庇うようにキョーコが抱きかかえている。

「もういいでしょ、同じ人間でしょ、どうしてこんなことをするの」

「人間?獣人だろ?」

キョーコの言葉に若い男の声が答えた。黒地に黄色に輝く丸い装飾が縦に並んだ服を着ていた。

「俺たちは神に選ばれてここに来たんだ。なんでそんな獣を庇う」

「そんなの知らないわよ!あなたたち、なんなの!?なんでこんなひどいことできるのよ!」

「酷いことだって?害獣を駆除するのが酷いことか?なあ、機嫌直せよ、酷い生活だったんだろ、俺とくれば現代のニホンと同じ生活ができるよ」

男はそう言って笑う。口ぶりから、この男も転生者なのだろう。

男の甘言に、キョーコは押し黙った。彼女はきっと葛藤しているのだろう。

……彼女が元の世界の生活を選ぶのなら、仕方がないことだ。だが、マシニッサは返してもらわなくてはならない。

「お取込み中のところ悪いけどさ、ちょっといいかしら」

私が声をかけると、彼らは一斉にこちらを見た。

「あなたは……」

「少なくとも、そこのボロ雑巾は返してもらうわ」

「誰だお前は!おい、見張りはどうした!おまっ、なんでまだこの部屋にいる!」

「その獣人を連れてきたからですよ!」

どうやらマシニッサはまだ生きているらしい。良かった、これで彼を連れて帰れる。

「聖女教徒ね?うちの子においたしたことは見逃してあげるから、私たちを黙って帰してくれない?」

「……はぁ?」

男の表情はみるみる怒りの色を帯びていく。彼は懐に手を入れ何かを取り出した。

持ち手がクロスボウに似ている黒いそれが何なのかはわからないが、よくないものだとは想像がつく。

「け、ケンジュー……」

キョーコが呟いた。これがニホンの武器なのだろうか。

「なんだぁ、お前、NPCが俺の邪魔をするのか」

「やめて!ユーイチさん!その人は生きてる人間なのよ!?」

「そうプログラムされてるだけだろ。最近はAIも発達してるし」

男が指を動かした瞬間、私の目の前に光の剣が現れた。

そしてそれは矢らしきものを弾き飛ばすと消える。

「えっ!」

男は動揺する、私はその隙に男の武器を持つ手を斬り落とした。彼の手首から先は地面に落ちる。

そのまま距離を詰めると、男の腹を思いっきり蹴り上げた。

骨と内臓が砕ける感触があった。男はうめき声を上げながら床を転がる。

「あ、ああ、手が……」

手を失ったことでパニックになっているのだろう。

「く、口ぶりの割にはって感じね……」

先程までの雰囲気はまるでなくなってしまった、妙な感じだ。

「貴様!聖人さまに危害を加えるとは!」

見張りと呼ばれた男とキョーコを連れ去った女がこちらに詰め寄ってきた。手にはナイフを持っている。

女の動きはとても素人とは思えないほどに洗練されているように感じた。

手に持った光の剣で受け止めると、女は後ろに下がった。

別の方向から見張りの男が斧で襲いかかってくる。

なんとか躱す、二対一は分が悪い。

「くっ……」

おそらくキョーコは戦えない、あの男もいつ立ち上がるかはわからない。

ギヨームたちがここに辿り着けるかどうかも不明だ。八方塞がりってやつだ。

「クピドよ、私に敵を打ち滅ぼす勇気を与えたまえ!」

私は半ばヤケクソで祈りの言葉を叫んだ。

「邪教め!」「聖人の前で不遜であるぞ!」

二人の怒声を聞きながら、私もまた剣を構える。

意図はしていないが、挑発になってしまったようで、彼らは連携も何もない大振りで攻撃してきた。

隙だらけだ、彼らの攻撃を難なく避け、反撃に転じる。

一人は顔を斬りつけ、もう一人は返し刃で肩口から斜めに切り裂いた。

「ぎゃっ」「があっ!」

血飛沫が飛び散る。彼らは床に倒れ伏した。床で痛みに悶える彼らを見下ろし、息を吐く。

「……ふぅ、死ぬかと思ったわ」

「二人とも、死んだの……?」

キョーコが怯えた様子で私を見ていた。そこで、マシニッサが目を覚ましたのか彼女に声をかける。

「き、きょーこ……ちゃ……」

「マシニッサくん!」

「けが……ないすか……」

マシニッサはダランと垂れた手を何とか持ち上げて彼女の頬に触れた。

「なんで!?自分の心配してよ!!」

「ぼ……くは……ちゅーしてくれたら……治るす……」

こいつさてはまあまあ余裕あるな?

マシニッサはそう言うと、意識を失ってしまった。

「そ、それ伝えるために目を覚ましたの……?」

キョーコは困惑していたが、少し嬉しそうな表情をして……っ!!

その刹那、私の右手が吹っ飛ぶ。何が起きたかわからなかった。

「うぐッ……!」

焼けるような痛みと共に、血が吹き出す。

「人は、成長する……お前に手を斬られて……覚悟を決めたよ!」

 




次回で書き溜めが終わっちゃうよぉ~!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28話:覚醒する転移者

 

男が目覚めた、それも何やら覚醒した状態でだ。

斬り落としたはずの右手は再生している。

悠長なことを言っている場合ではなかった!

彼はさっきの謎の黒い武器を使ったようだが、魔力を帯びている、おそらく強化しているのだろう。

「光の剣よ、我が身を守れ!」

防御の魔法を再び唱える、光の剣が私の周りに現れ少しだけ猶予ができた。

「八つ裂け!光の輪よ!」

私の左手に丸鋸のような光の輪が現れる。そして、それを男に向けて飛ばした。

男はそれを難なく腕で弾いた。

「殺し合いはやめようぜ、人殺しはしたくない。キョーコを渡してくれればいい」

「それは私達の沽券にかかわるわね、御免こうむるわ」

「そうか、じゃあ仕方ないよな!」

男は私に向かってくる。速い!一瞬で距離を詰められる。

その手が私の首を掴んだ。私は反射的に男の腹を蹴る。

しかし、びくともしない。

「捕まえたぞ、このまま首をへし折ってもいいんだぞ?」

「ぐっ……」

意識が遠のきそうになる、ここで私が倒れたら終わりだ。

「キョーコ……あんたが……頼り……」

キョーコに呼びかけようとしたが、そこで私の意識は途絶えた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

目の前で殺し合いが行われ、キョーコは恐怖していた。

いつも世話を焼いてくれる人は腕の中で息も絶え絶えである。

頼りになる先輩修道女は首を締められ、意識を失った、死んだかもしれない。

学生服を着た男、ユーイチはニタニタと笑っていた。

「さあ、俺と一緒に来いよ京子」

確かに彼の言葉に従えば、チート能力で元いた日本並の生活水準を手に入れることができるだろう。

だが、それは本当に幸せなのか? そんな疑問が浮かんだ。

自分を助けてくれた人たちを裏切ってまで得るべきものなのだろうか。

「私は……何一つ恩返しできていない」

「あぁ?」

アーデルヘイトは自分が頼りだと言った。

マシニッサは、自分を助けるために死にかけてなお、軽口で――いや、軽口ではない、クピド派の信徒にとってああいう言葉は軽口ではない。

キョーコは、彼の想いの一端に触れた気がした。自分もそれに応えるだけの想いは持ち合わせていると今にして気が付いた。

「私たちは異世界にいる、日本の事はもう過去よ」

「な、何を言ってる?何が言いたい」

ユーイチは本気で困惑しているようであった。

「日本人同士仲良く出来ないのか」

「私の友人を傷つけて、私の居場所を奪おうとして、それで何を今更仲良くしようって言うの?」

彼女は自分でも驚くくらい冷たい声が出していた。

「そ、そんなつもりじゃ……だって、NPCじゃないのか、ゲームの世界に転生したんじゃ……」

ぶつぶつと呟くユーイチを見ていると、怒りがふつふつとキョーコの中に湧き上がる。

自分の目の前で特別な友人の両手両足を折られ、全身を蹂躙され、酷い言葉まで投げかけられた。

彼の、マシニッサの尊厳は踏みにじられたのだ。ではそれを誰が取り戻せるだろうか?

「私だ!!私がマシニッサくんの尊厳を取り戻して、彼と未来を生きる!!」

彼女は男に向けて手をかざした。

「光よ!穿け!」

彼女の手からほんの一瞬だけ青い光の線が放たれる。その光は一直線に進み、ユーイチの右肩を貫いた。

「えっ」

彼は肩を押さえながらよろめく。何が起きたか理解できていないようだった。

「アーデルヘイトさんが使った時はこんなに強い魔法じゃなかったはずだけど、まあいいよね」

「な、何が、え、俺の肩、穴が空いてる……」

ユーイチは信じられないといった表情でキョーコを見た。

「今後、私に構わないで、私の邪魔をしないで。約束できないと本当に殺す事になる」

キョーコは本気だった。これ以上何かしてくるなら本当にこの男を殺すつもりでいた。

ユーイチは痛みに耐えかねたのかその場に膝をつく。

「わ、わかった、二度とお前やお前の仲間には近づかない、だから命だけは助けてくれ」

懇願するように手を合わせる彼を見下ろしながら、キョーコは考える。

「あなた、これまでもきっと何人も殺してきたんでしょう?」

「だってNPCだと思ったから!!」

キョーコは心底呆れたという表情を見せた。

「精々自分の罪に向き合い苦悩し続けなさい!それがあなたに唯一出来る贖罪よ」

「……」

ユーイチは、黙り込んだまま館を飛び出していった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

目を覚ますと、朝日が差し込んできた。

「キョーコ!マシニッサ!」

飛び起きて周囲を確認する。そこは巡礼団の野営地であった。

「お目覚めですか、アーデルヘイトさん」

ルーナが心配そうにこちらを見ている。

「すみません、ギヨームを行かせるべきでしたよね」

「あー……いいのいいの。多分患者が私か彼かの違いだけだから。それよりあの二人は!?」

そうだ、あの後どうなったのだろう?それに他の皆は?

「ご無事ですよ、二人とも治療を終えて眠っています。聖女教徒の怪我人も無事です」

「そう、よかったぁ……」

辺りを見ると、キョーコとマシニッサが一緒に眠っていた。

「キョーコちゃんったら、添い寝するって聞かなくて」

「そうなんだ……ふふぅーん……」

いい感じじゃない、あの二人!思わずニヤニヤしてしまう。

「聖女教徒による誘拐未遂ってところですね。お疲れ様です、アーデルヘイトさん」

「転生者の男に会ったわ」

「らしいですね。キョーコちゃんが碌でもない男だと言ってました」

「生きた心地がしなかったわね、不思議な武器を使ってた」

「そうですか……でも無事で何よりです」

こうして、今回の事件は幕を閉じたのだった。

マシニッサの足はしばらくは使えないだろう。骨折に魔法を使うと骨が変な方向に曲がる可能性がある。

添え木をして安静にするのが一番だと言われた。しばらくは馬車に乗っての移動になるだろう。

それで、キョーコが彼の世話を焼いているようだ。

「大丈夫?痛くない?お腹空いてない?もう怪我するようなことしちゃ駄目だからね」

甲斐甲斐しく世話をするキョーコを見て、少し微笑ましく思う。

彼女があんなに世話焼きだとは思わなかった。もしかしたら、元々そういう気質なのかもしれない。

「にっへっへー、こんなにしてもらえるなら、また絶対怪我しちゃうッス!」

馬鹿みたいなことを言っているので、精神面も問題はなさそうだ。むしろいつもより元気に見えるくらいだ。

にしてもとにかく、肝の冷えた騒動であった。

 




書き溜めはおしまい!
次回更新日は未定!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29話:闘技大会 その1

 

キョーコの話を聞いたのか、リリはカンカンに怒っていた。

「大罪を犯したにも関わらず逃げ出すとは!罰当たりです!傲慢です!あの男は必ず地獄に落ちるでしょうよーーーっ!!」

「まあまあ、きっと今頃苦悩してるから……」

キョーコ以上に怒っていた。

「二人とも!悔悛なさい!あなたがたには過ぎた信仰です!クピドを信じるのです!」

聖女教徒の二人にも八つ当たりみたいなことをしている。

「信仰の押しつけはダメよ、リリ」

私が窘めると、ハッとした表情で我に返る。

「おお、クピドよお許しよ……」

「私達にも謝って欲しいなぁ」

「うん」

結局この二人は付近の村の衛兵に引き渡した。

罪状は誘拐と暴行なので、あまり良い処遇は望めないだろう。

キョーコはそれを気にしていたが、きっちりと罰を与えることを示さないことには、再び彼女を攫いにやってくるだろう。

聖女教徒との全面戦争は避けたいものだが。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「キョーコ、見てください、ダンシングゴブリンがいますよ。目が合うとダンスバトルを挑んでくるので注意してください」

「何その愉快な生き物!?」

突如現れた踊り狂うゴブリンたちにキョーコは面食らっていた。

「ああいう手合とは絶対にやり合いたくないねぇ」

修道院一のインドア派、パメラは目を合わせないように別の方向を向いていた……が。

「ギャッ!ギャッ!ダンスバトル!ダンスバトル!」

「う、うわああぁぁぁ!!」

その別の方角にいたダンシングゴブリンと目が合ってしまったようだ。

しかし、あまりにも下手くそな踊りを披露してしまったために、逆に憐憫の情を抱かれて見逃された。

「ダンス下手でも生きてる価値ある」

「お可哀そうに」

「うぅぅ……」

なんか変な雰囲気になってしまったようで、ダンシングゴブリンたちは気落ちして立ち去っていった。

そんな感じで森の中を巡礼団は進む。どんな感じだよ。

獰猛な魔物に襲われることもあったが、護衛の騎士たちが難なく撃退していた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

巡礼団は日が傾く頃に小さな村に辿り着き、そこに滞在することになった。

宿があるような大きな村ではないので、教会を借りて寝泊まりすることになる。

「あのー、明日には出ていくんですよね?」

村長的にはあまり長居してほしくないような感じである。

「え、ええ、まあ、お祈りが済めばですね」

「あのー、うちは貧しいので食事は提供できませんけど」

「はい、問題ありません」

「あのー、接待できる若い男女もこの村には」

「場所を!貸していただくだけで結構ですので!」

全く歓迎されていない!いや、歓迎しろというのもおかしな話ではあるが。

とはいえ、我々はお祓いしたりお金を使ったり困り事の解決を図ったりするので大抵の集落で歓迎される。

「だがまあ、図々しいことは言えまいて」

にしても最近は朝晩が冷え始めてきたので、野営用のテントでは少々厳しい季節になってきた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

その晩、修道士たちは火の回りで騒いでいた。

「お酒を飲めば、心も体も暖かくなれるよ」

何やら見知らぬ、緑色の髪色のエルフの少年がいた。誰この人!?

「お兄ちゃん!?」

マリカが驚愕の声を洩らす。どうやら兄妹らしい。

「おやおや、お前もいたのかクピむぐっ!?」

彼女は、慌てて彼の口を塞いだ。

「マリカよ、お兄ちゃん、忘れたの」

「あ、ああ、そ、そうだった、マリカだった」

どうも様子がおかしいようだが、触れないでおこう。

「それで、マリカのお兄ちゃんがどうして修道士たちと一緒に酒盛りをしているの?」

私が問いかけると、自信満々に答えた。

「酒盛りに理由がいるかい?そんな話は聞いたことがないね」

確かに……。

「私はミード、放蕩と享楽のむぐぐっ!!」

またマリカに口を塞がれた。

「そ、その、ミードにあやかってミードって名付けられたエルフさ!」

「なるほど、そういうことでしたか」

修道士たちは納得する。納得できるか?みんな酒に酔っているだろうか。

「で、なんでこんなところにいるの」

「それが実は……」

ミードはポツポツと語り始めた。

彼は旅の途中でこの近くの小さな街、ブサンティオにて行われている闘技大会で賭け事をしていたところ、見事に全財産を失ってしまったのだという。

「自業自得じゃないの」

呆れた男であった。まあ放蕩の神龍と同じ名を持つのでそういうことなのだろう。

だが彼はまだなにか言いたげであった。

「ところがだよ、神龍が手を貸してるんだ!ずるいよ!それに大事な聖遺物も取られた」

「聖遺物じゃと!?」

院長が食いつく。こういうのには本当に目ざとい。

「案内してくれ!取り戻してやろう!これもクピドの思し召しだ、聖遺物は我々を選んだのだ!」

「えっと、まあ、それでもいいけど。あいつの鼻っ面をぶん殴れるなら」

それでいいのかい、ミードさん。しかし、闘技大会とは面白そうだ。

「ぜひ出ましょうよ、ね、アーデルヘイトさん!」

私も出るみたいな感じなことを言うルーナ。修道騎士は他にもいるはず。

「いやいや、アーデルヘイトさんに勝てるのはルーナとギヨームぐらいでしょう」

「そうそう。聖務もせずに訓練ばっかりしてるし」

「むぅ、それ言われると辛いのよね」

「私たちにはクピドの加護がありますし、大丈夫ですよ!」

そうは言っても気になるのが、神龍が手を貸しているという点なのだが、みんな聖遺物の事で頭がいっぱいのようである。

酒の席というのもあって、みんなすっかり闘技大会に乗り気でいたのであった。

 




お待たせしましたと言いたいところだけどこれ以降不定期更新でおねがいしやす!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30話:闘技大会 その2

 

さて数日後、巡礼団はブサンティオに到着していた。

「勝てよみんな!巡礼団の物資も賭けるからな!」

おい、院長!誰か止めろよ!

出場メンバーはルーナ、ギヨーム、セヴェロ、そして私だ。いつメンである。

キョーコも出ればいいのだが、彼女はマシニッサの世話で忙しいらしい。

まあ出たくない人を無理して出すわけにもいかないだろう。

受付を済ませると、怪しげな集団と目があった。

「フッ、カモが来たようだな。なぁ、輪廻の戦士よ」

「カモって今日日言わないだろ髑髏導師」

変な服装をした東洋の人類種華人の男と、豪華なローブを着たアンデットがいた。

「貴様ら、無駄話は後にして敵情視察だ」

階級の高そうな鎧を着た金髪の小さな少女が彼らを咎める。

「そうだよ、どんなパンツ履いてるのか見なきゃだろ」

「いや、そうじゃないだろう」

軽薄そうな華人と巨大な盾を持った華人も現れる。

東洋から来たのだろうか、彼らも出場するのだろう。

「悪いが、優勝は我々のものだ」

小さな少女将軍はこちらを威嚇するように啖呵を切る。

「ケッ、てめえらなんかぶっ潰、ぶっ殺してやるよ」

「だからギヨーム、物騒なこと言わないで」

「競技ですから、お互い精一杯戦いましょうね!」

「……チッ」

舌打ちをして去っていった。

「めちゃくちゃ強そうですね……私、ワクワクします!」

「あんたそんな性格だっけ」

ルーナは病が治って以来、随分と前向きな性格になった。いいことだ。

なお、この怪しげな五人は一回戦で敗退した。

「クイズとか聞いてないよ……」

彼らは泣きながらトボトボと帰っていった。何なのあの人たち。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

さて、クイズは難なくクリアできたので、いよいよ戦いだ。

帝国時代に作られたコロセウムの中に入ると、大勢の観客たちが見えた。

『クイズも終わったことでいよいよお待ちかね!闘技大会です!司会はこのわたくし、実況兼解説のダビデがお送りします!』

観客席から歓声が上がる。音の増幅魔法により司会の声がよく聞こえる。

申請したサイズの木製の武器を渡され、会場には魔法弱化結界が張られている。

『さあ、早速試合を始めましょう!東の方角からは三人の戦乙女、初恋ガールズだぁー!」

紹介と同時に現れた三人に観客たちは盛り上がる。

『続いて西の方角からは龍教団クピド派の修道騎士たち、チームともだちの入場です!』

「だ、ダサっ!登録名がダサい!」

「そ、そうですか……?」

ルーナの案だったようである。

「別にいいじゃねーか、チーム名なんて」

ギヨームは早く戦いたくてウズウズしているようである。

「では両者、前へ!」

司会の合図とともに両者は中央へ進み出る。

「修道士どもに負けたら初恋ガールズの名折れだね」

「どうして初恋ガールズなの?」

「そうね。まず、こいつら2人は私の戦場での友人」

「うへへへ、ひひ、ぴよぴよぴぴよ」

「私はぁあなんでぇ、なんで頷いてしまったのよぉぉお」

チームともだちは面食らった。私も。無理もない。

「酔っ払ってる方の剣士はドロレス。幼馴染の想い人をパーティーから追放され、記憶も消されたけど光の剣を手にすることにより記憶が戻り、記憶を消した男を八つ裂きにして故郷に戻ったら想い人が自分の妹と幸せな結婚生活を送っていて脳が破壊されて以来酒瓶が手放せない女」

「ひんっ!!コリンっ!!好きだっ!!」

「コリンというのはその想い人の事よ」

「は、はあ……」

「そしてもう一人の泣いてる方の魔術師はアリーチェ。優しくて気が回るけど少し頼りない剣士に恋心を抱いていたけどパーティー内で彼が足手まといだから追放しようという時に彼の安全を考えて頷いてしまい結局彼は追放されてそれをずっと悔いていてある時決心してパーティーを抜け出し剣士の元へと向かったらもう別の冒険者と旅をしておりしかも魔術師の女と恋仲になっていて更にその魔術師に追放したことを責め立てられて脳が破壊されて以来情緒が壊滅的に不安定な女よ」

「あ、あ、あ……なんで……どうして……私は……ジュリアス……」

「ジュリアスというのはその剣士の名よ」

「ど、どうも……」

「そしてリーダーの私、ステラは戦場で頼れる剣士に心を奪われたけど彼は戦場で敵の女騎士と恋に落ち、脳が破壊されたわ」

「もう初恋ガールズの名前折れてるわよ……」

「うるさいわね!もうどうでもいいのよ何もかもが!」

なんというか、お労しい人たちであった。

そこへ、大きな鐘の音が会場に鳴り響いた。

『試合開始の合図です!さぁ、戦いだぁ!』

司会者の声と共に戦闘が始まった!

歓声が上がるとともに、双方一度距離を取った。

「彼女たちの心を救ってあげたいですね」

「それはそうね」

クピドは彼らを憐れむであろうが、今は対戦相手だ。

防御を固めて遠距離攻撃が基本的な戦い方だが、人間相手ではそれだけで勝利するのは難しいだろう。

「光よ!我らを守り給え!」

私の呪文により光の玉が私達を包み、痛みや衝撃を緩和する障壁となる。

同時にギヨームとルーナは盾を構えながら前進する。

「ドロレス!行くよ!」

「いえっさぁ~、まむさぁ~」

間延びした酔っぱらった声とは裏腹に俊敏な動きで斬りかかるドロレスに対し、盾を構えたギヨームは防戦一方である。

「くっ、やりにくいなこいつ……!」

ドロレスの攻撃パターンは単純ではあるが、盾で防げない角度から鋭い一撃を放ってくるので攻めに転じることができないのだ。

「しゃがめ、ギヨーム!」

「火炎よ!」

私の声とセヴェロの呪文が、慌てて身を伏せたギヨームの上を通り過ぎていく。

「熱っ!?あっぶねぇ!?」

セヴェロの魔法によってドロレスは大きく吹き飛ばされた。しかしダメージは大きくなさそうだ。

「ぐふふ、やってくれるねぇ~」

「ちっ、しぶといな」

ギヨームは舌打ちをした。セヴェロも悔しそうに顔を歪めている。

その一方で、ルーナとステラは激しい剣戟を繰り広げていた。

「なかなかやりますね……!でも、私だって負けません!」

ルーナは華麗に攻撃を盾で防ぎながら的確にダメージを与えていく。

「くぅ、やるじゃない!アリーチェ!」

「”ファイアクレスト”!」

途端に、ルーナの足元から火が吹き出し彼女を襲う!

「わぁっ!あ、熱い!?どうして!?」

彼女は慌てて飛び退いた。

「あんた病気治ったからでしょ!」

「ああそうでした」

とぼけたことを言うので平気そうだ。

「一気に畳み掛けますか?」

「そうね。かったるい戦闘シーンが長引くのは」

「それ以上いけない」

神の領域に達しそうになりながらも、私たちは攻勢に打って出ることにした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:クイズ

 

闘技場に歓声が鳴り響く。選手の入場である!

異様な雰囲気を醸し出す五人がゾロゾロと闘技場に入場する。

将校のような綺羅びやかな甲冑を着た少女。

巨大な盾を持つ精悍な顔の華人の男。

変な服装をした華人の男と豪華なローブを着たスケルトン。

そして軽薄そうな顔の華人の男である。

『おや、華人が三人もいますね、科挙にでも落ちたのでしょうか!?いずれにせよ、注目のメンバーです!』

司会が囃し立てると、客席から拍手と笑い声が聞こえた。

「なんだかバカにされてる感じだなぁ」

「実力で黙らせればいい」

『第一次予選はクイズ大会です!』

「クイズ大会!?」

五人は面食らった!クイズの用意はしてきていない!

すると、向かいの門から老いた虎獣人の魔術師の男が一人現れた。

「わしはクイズ大好きな魔術師、クイズじじいじゃ」

「自分でじじいって言うのか……」

変な服装の男は呆れたように言った。

「ここではお前たちにクイズを出そう。全員が正解すれば、一次予選は突破じゃ。不正解なら体がすごい勢いで吹っ飛ぶ」

「吹っ飛ぶのか!?」

「そう難しい問題ではないからの、気を引き締めてかかるがよろしい」

「クイズって……これって一応闘技大会なんだよな?」

「お前さっきからうるさいのぉ、平たい顔しおって!」

「す、すみません……」

『それでは始めていきましょう!』

司会の合図により、魔術師により問題が出される!

「ではまず、そこの盾を持った男からいくとするかの」

「わかった」

大盾の華人は魔術師の前に出る。

「では問いかける。お主の好きな色は?」

「……緑」

「正解!」

『おっと!難なく正解です!』

大きな拍手と歓声が起こる。

「なんだ、簡単じゃないか」

「バカにされてる気分だな」

五人は怪訝な表情をするも、渋々回答を続けることにする。

 

「ではそこの変な服の者!」

「……」

「顔が特に平たいやつじゃ」

「輪廻の戦士、お前だ」

「行ってきな」

「みんなで顔のことを言うなんて失礼だ!」

変な服装をした華人の男がプリプリ怒りながら魔術師の前に出た。

「……ふむふむ、別の世界線に転移する能力か」

「え?」

「死ぬことによって別の世界に移動する能力だ、多少時間は戻るがやり直したわけではない」

「え、じゃあ……元の世界にいた人は……」

「まあそれは置いておこう」

「置いておくなよ!」

魔術師はその者の魂の記憶を読み、問題を繰り出すのである。

そんな高度な能力をクイズにしか使わない異常クイズ愛魔術師であった。

「では問題……お前の大好きなシシリアたんのパンツ何色だ」

「え!?ちょ、わからねーよ!」

「正解!彼女パンツ履いてないからな」

「そーなの!?」

彼は意外な真実を知ってしまい、悶々とする日々を送ることになる。

 

「お主は、ふむ、4つも名前を持っているのか……」

「すべてを見透かしているようだな」

次は髑髏導師の出番であった。

「わかっておるぞ、お主の心労もな。じゃが手加減はせんよ」

「ふ、我に解けぬ難問はない」

髑髏導師は不敵に笑った。

「では問おう、カ……ア…………」

魔術師は蚊の鳴くような声でボソボソと問題を読み上げる。

「え!?聞こえない!」

「だめじゃ、一度しか言わん決まりじゃ!」

抗議の声もまるで取り合わない魔術師。

「それズルくない!?えっと……ま、マサチューセッツ?」

「正解!かつてのギルドメンバー、あんにゅい☆ハンペンとやらの夫はマサチューセッツという土地の出身じゃ、チャットで言っておったろう?」

「そういえばそんなこと言ってたような……」

なんだか釈然としない髑髏導師であった。

 

今度は軽薄そうな男が魔術師の前に立っていた。

「お主は、ふむふむそうか。幸運のようだな」

「ああ、まあな」

「では難しい問題を出してやろう、心せよ」

「もちろん、受けて立つ」

「……お主の好きな色は?」

「黄色!……いや違う!赤!赤!」

「残念!この嘘つきーっ!」

その瞬間、男の体が中に浮かび上がり、そしてそのまま飛び上がった!

「わああああぁぁ私は鳥よおおおぉぉぉぉぉ!!!」

彼は闘技場の外まで飛んでいってしまった。

 

『残念!ここで挑戦は終わりです!』

司会がチームの失格を宣言した。

「私はまだ答えてないぞ!」

甲冑を着た少女、少女将軍が抗議の声を上げるが、魔術師は取り合わない。

「一人でも脱落すれば、失格じゃからのぉ。答えられぬ問題は出してないはずじゃがぁ?」

「それは……そうかぁ……?」

「我の問題聞き取れなかったが?」

四人は納得がいかない様子である。

「しょうがない、特別にもう一問だけチャンスをやろう。これが不正解なら黙って帰るんじゃぞ?」

「よしわかった。回答者はもちろん私だ!」

少女将軍が前に出る。観客から歓声が上がった。

『さぁ!もう一問だけお付き合いください!チームのラストチャレンジです!』

「難しい問題じゃからの、心せよ」

「さあ、来い!」

「では問おう、草原に打たれた杭に、獰猛な肉食獣が3mの長さの鎖で繋がれておる。さて、その獣が食べた草の面積は?正確ではなくおおまかに答えて良いぞ」

「そりゃあ、28㎡……あっ違う!」

「残念!回答は一回まで!」

少女の体が浮き上がり、場外まで飛ばされてしまった!

「設問に不備が!設問に不備いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

「こんな簡単なひっかけ問題、見抜いてもらわなくては困るのぉ」

魔術師はケタケタと笑う。

「……大盾の、正解わかった?」

「肉食獣は草を食べないだろ」

「ああ……そういうやつか……」

かくして、三人はしょげかえりながらも、ぶっ飛ばされてしまった二人を探すために会場を後にした……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31話:闘技大会 その3

 

「光よ!巨大な刃となれ!」

私が剣を掲げて呪文を唱えると、木の両手剣が輝き、光の刃が天に伸びる。大木ほどの長さはあるだろう。

私達は一気に畳み掛ける事にしたのである。

「みんな下がって、ぶった切るわ!」

「了解です!」

「やっちまえ!」

ルーナ達は即座に後退した。

「おもしろい、受けて立つ!」

相手のステラは吼え、それを受け止めるつもりのようだ。

「くらいなさいっ!!」

そして私はその巨剣を横振りに薙……げない!

瞬きする間にステラは目の前に飛び込んできていた!

「光の刃は実体がないから防げないけど、根元の木剣なら防げる」

彼女は私の両手剣を手で押さえていた!

回避して体勢が崩れたところをみんなが狙う作戦であったが、これではどうしようもない。

ドロレスもアリーチェも万全の姿勢である。

「へ、へぇ、やるじゃない……」

強がってはみたものの、どうすればいいのやら。

肉体的には遥かに初恋ガールズのほうが上だ。なにせ冒険者や傭兵のチームだし……。

とそこで、はて、初恋……と思いついたことを口にした。

「初恋ガールズなら、初恋の話聞きたくない?」

「今は戦闘中だけど、聞かせて……♪」

急にキラキラした表情になった。よし、これで時間を稼げる。

「そうね、私は宿屋に生まれたんだけど、どこから話そうかしら」

語らねばなるまい……。いや別に語らなくてもいいんだけど。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

幼馴染の父親が、裸で私の前にいる。

「ふへへ、俺が最初の男になるんだぜ。優しくしてやるからな」

9歳になる直前ぐらいの記憶だ。母親に服を脱がされて、この部屋に押し込まれた。

最近、経営する宿屋にお金が無いのはわかっていた。自分の父ももう何年も戦場から帰ってこない。

この店が潰れてしまえば、父の帰る場所は無くなってしまう。

だから、私は笑顔で、母に言われた通りに……。

「よ、よろしく、お願いします……」

憎からず想っていた幼馴染の、その父親に体を売った。

痛くて苦しくてどうしようもなかったが、必死に喘いでる振りをして、気持ちいい気持ちいいと泣きながら叫んでいた。

母は助けてはくれなかった。それどころか、新しい客をどんどん連れてきた。

暴力も振るわれた、不浄の穴さえも犯され、尿や精液も何度も飲まされた。

抵抗しても仕方がないので、ふた月ほど経てば自分からやるようになっていった。

宿屋は大きくなり、食事も贅沢になった、この生活で唯一嬉しいことであった。

ただもう、自分の体に愛着はなかった、ただ男を喜ばせるためだけの存在だと自分で思っていた。

12歳の頃には、村のほぼ全員の男と寝ていたし、何人の男と寝たかなんて数えることは出来なくなっていた。

そんな暮らしが続いたある日、初恋の相手、幼馴染の男の子、ニックが客としてやってきた。

同年代以上の男で唯一、私と寝ていない男。もう私のことなんか好きじゃないと思っていた。

だから、好きな人と結ばれるのがたまらなく嬉しかった。私は初めて仕事が楽しみだと思った。

でも彼は私に手を出さなかった、そしてその表情は終始暗いままであった。

「どうしたの?したくないの?気持ちよくなろうよ」

「なんで、そんなに平然としてられるんだ。君の置かれている状況がおかしいって、子供の俺でもわかるよ」

「そんなの……でも、これが私の仕事なの、仕方ないよ」

「仕方ないだけでなんで君ばかり酷い目に遭わないといけないんだよ……なんでこんな事になる前に相談してくれなかったんだ」

「それは……だって……だって……」

「……嫌なこと言ってごめん」

そう言うと、彼は私を抱きしめた。暖かくて心地よかった。ずっとこのままでいたかった。

「君はこの村にいるべきじゃない」

「……でも、お父さんが帰ってくるかも」

私はその時もまだ、戦場に行った父の事を、忘れられないでいた。彼の口から次に発せられる言葉がなんとなく予想できた。聞きたくなかった。

「君のお父さんはもういないかもしれない」

その言葉を聞いた瞬間、世界が真っ暗になった気がした。足元が崩れていくような絶望感だった。

「なんでそんな事言うの!!」

気がつくと、彼を突き飛ばしていた。

「じゃあ……何のために私はこんな酷い目に遭ってたの!?帰ってこないって知ってたら最初から……」

涙が溢れてきた。彼に泣き顔など見せたくないと思ったが止まらなかった。

「違う、そんなつもりで言ったんじゃない!」

彼も泣きそうな顔をしていた。そんな顔を見たかったわけじゃないのに。

「違わないじゃない!全部、無駄だったんだよ!私が今までしてきたことも、今こうしてるのもね!」

「違う、冷静に……」

頭に血が上っていた、だから言ってはいけない言葉を言ってしまった。

「いなくなったのはお父さんじゃなくてあんただったらよかったのに!!」

その瞬間、彼の顔が歪んだのがわかった。それでも、彼は目を逸らさずに言った。

「……君は、村を出るべきだ。君を助ける、算段はつけてきた」

彼は私に手を差し伸べてくれた。その目は真剣そのもので、とても嘘をついているようには見えなかった。

私はその手を取りたい衝動に駆られたが、彼の父の面影がちらつき、どうしても信じられなかった。

「嘘だよ、信じられないよ。私を騙そうとしているんでしょ」

「本当だよ、俺は君に幸せになって欲しい。そのために、ここまで準備したんだから」

「なんで、そこまでしてくれるの?」

「君のことが好きだからさ」

彼は照れもせず、真っ直ぐに私を見つめてそう言った。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「重すぎるわよ!!!」

ステラは地面にぶっ倒れた。

「やばい、吐きそう」

「それ、それ、ホントの話じゃないよね!?創作よね!?創作って言って!」

いつの間にやらドロレスとアリーチェも聞いていたようだ。

「まあ、多少は脚色と記憶の混濁があるかもしれないけど」

「オエェーーーッ!!」

うわぁ、ドロレスが粗相を!

「もうね、のっけからね、過酷なのよね」

「私達なんてまだまだ恵まれている方ね……」

三人ともとてつもなく気分が沈んでしまっているようだ。

最後に助かるパターンは珍しいかもしれないが、似たような話はそれなりに耳にする……と思うんだけど。

「まあ、我が子を奴隷商人に売る親もいますからね」

ルーナはそう言いながら、三人の後頭部を木の剣で思いっきりぶっ叩いた。

容赦のない一撃である。三人はそのまま気絶してしまった。

『よくわかりませんが、初恋ガールズ戦闘不能!勝者はチームともだちです!』

司会の声と共に、歓声が上がった。

観客達は何がなんだかわからないといった様子であったが、とりあえず盛り上がっているので良しとしよう。

試合が終わると同時に、ルーナ達が駆け寄ってきた。

そして黙って私を抱きしめる。セヴェロも、ギヨームも。

「別に、もう大丈夫よ」

「いえ、私たちがこうしたいだけですから」

「そう……ありがとってぐるしい!!ギヨーム!!」

「あ、すまん、つい力が入ってしまった」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32話:闘技大会 その4

 

「ど、どうやって乗り越えたの……?」

控室にて初恋ガールズに詰め寄られる。

「別に乗り越えてはないわよ、我慢してるだけで……」

辛い記憶が蘇らない日はない。みんなもそうでしょ? 私だけか。

時間が経っても、嫌なことや恥ずかしい記憶は先程起きた事のように思い出す。

私だって、何度も忘れようと努力したけど……無理だった。

「まあ……そうね、私の場合は修道院のみんながいるから、なんとかなってるだけよ」

「そっか、そうなんだね……」

そこへ、様子を見に来たリリが部屋に入ってきた。

状況を察したのか、目を輝かせて初恋ガールズの前に立つ。

「心が苦しいときは、愛の神龍クピドへの祈りの言葉を唱えるのです」

布教を始めてしまった。彼女たちはポカーンとしている。

「クピドはあなた方の心の痛みに寄り添います。あなた方が試練に立ち向かう勇気を与えてくれます。そして…」

私はそんな彼女らを放っておいて、控室から出ることにした。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「無事勝利できたようだな!目指すは優勝だぞ!」

観客席に行くと払戻金をたんまり抱えて嬉しそうな院長とマリカがいた。

一方で、ミードは少し険しい顔をしていた。

「有力チームを倒したとはいえ、次は神龍の加護を持つ者と戦わなくちゃいけない」

お目当ての対戦相手とは次に当たるようだ……初恋ガールズ有力チームだったんだ。

「でも勝てば聖遺物を返してもらえるってわけじゃないんじゃない?」

「……返してもらうよ!絶対!」

不安になってきた。ひょっとして無駄足じゃない?

「まあまあ、聖遺物がなくとも金が手に入るではないか」

「そうそう」

いや、院長とマリカはそれでいいのか……? 俗物がすぎる。

そこへ、黒いローブを着た兎獣人の女性がこちらに近づいてきた。

「懲りずにまた来たんだ、ミード」

「あ!ハッカペル!……あ、その神龍にちなんで名前をつけられた女性なんだって!」

説明口調のミード。察するにこの人物に聖遺物を奪われたようだ。

「本当にいいのって確認したのに!いいって言うから掛け金として徴収した、そしてあなたは賭けに負けた!」

「ぐ、ぐぅ〜〜〜言い返せない!」

悔しそうに唸るミード。

「でもまだチャンスはあるさ!次の試合は明日だ。そこで私が勝てば取り返すことができる……!」

「別に今返してもいいけど。蜂蜜酒が無限に湧き出る瓶なんていらないし」

いいのか。ていうか碌でもない聖遺物ね、ちょっと欲しいけど。

「違う!私は勝って君を見返してやるんだ!今回も信者を連れてきたんだろ!?」

「連れてきたんじゃなくて勝手についてきて試合に出たがるんだよ」

話があまり見えないが、何やらそこまで込み入ってはなさそうな感じの事情があるようだ。

つまるところ、ミードが賭けた選手がハッカペル信仰の信者にコテンパンにやられたということらしい。

「単なる逆恨みじゃないの」

「そうだけどさ!」

開き直りやがった。

「とにかく、勝っても負けても返すから。それでいいでしょ?」

ハッカペルはかなりどうでもよさそうに言い放つとその場をあとにした。

「負けたらだめじゃぞ、アーデルヘイト」

「全財産賭けるからね!」

院長とマリカは無責任な応援をする。いや、私を信じていないわけではないと思うが。

ミードは納得がいっていないようで、口をモゴモゴさせていたが、マリカがワインを吸引させて落ち着かせた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

その晩、私は訓練をしていた。ゆっくり休んだ方がいいのだろうが、なんだか落ち着かない。

他の三人は爆睡である。職業軍人なので肝が座っている。

素振りや、魔法の反復練習をしていると、ふと背後に気配を感じた。

振り向くと、そこには全身黒ずくめの少し背の低い人物が立っていた。

フードを取ると、白い毛皮が顕になる。兎獣人のようである。

「明日の対戦相手だね!?」

随分とテンションの高い女の子のようであった。

「よろしくぅ!あたしミカ!」

「ああ、どうも。私はアーデルヘイト」

握手を交わす。なんというか、ノリが軽い。

「ってことは、あなたが次の対戦相手なの?ハッカペル信仰の?」

「その通り!楽しみだね!」

宗教上の理由なのか、あるいは本人の性格なのかあるいは両方か、かなり好戦的なようだ。

彼女も訓練をしていたようで、月鎌を手に持っていた。

「私はそうでもないわ、出たくて出てるわけじゃないし」

「……楽しみだね!」

「えっ!?」

多分この子は人の話を聞かないタイプだ。

「今日の戦いもすごかったね!魔法がぴょんぴょん!剣がぴょん!それで、光の大剣がぴょん!」

表現が独特過ぎてよくわからないのだわ。

「だからすっごく楽しみだね!」

目をキラキラさせてはしゃいでいる。よっぽど戦いが好きなんだろうが……。

「あっ!もう寝なくちゃ!おやすみー!私の友達!」

「う、うん、おやすみ……」

友達認定されてしまった。別にいいけど。

彼女は宿舎がある方向へと走り去って行った。

私も、緊張が解れたし明日に備えて眠るとしよう。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

さて、翌日。私とセヴェロ、それからギヨームは闘技場のど真ん中で寝そべっていた。

「こんだけやっても死なないなんて驚いちゃうよね!」

ミカがは嬉々とした表情で言った。

彼女はただ単に腕っ節が強いだけではない、優れた魔術師でもあったのだ。

ルーナはなんとか攻勢を凌いだのだが、少し息が上がっている様子であった。

観客は熱狂して盛り上がっており、会場の熱気は最高潮に達していた。

「ふぅーっ……相当な手練ですよ。ギヨーム、油断しましたね、終わったら訓練です」

「はい……」

彼女の言う通り、相当の使い手であることは疑いようがない。

開始直後にセヴェロはいい感じの飛び蹴りを喰らい吹っ飛んだ後、魔法で拘束されて気絶。彼は少々華奢なので。

ギヨームは助けに入ろうとしたところを両手に持つ月鎌の連撃を凌ぎ切れずに敗北、拘束。私も似たようなものだ。

とはいえ、このまま負けっぱなしでは悔しいので、何か対策を考えなければ。

「ねえ、どうしてみんな本気を出さないの?」

ミカが不満そうに言う。

「別に手加減しているわけではなくてですね、一応本気で戦っているんですよ?」

「じゃあもっと本気になってよ!あたしももっと頑張るからさ!」

そう言って、ミカはルーナに飛びかかる。しかし、その一撃を躱されて、そのままカウンターを喰らってしまう。

「あうっ!」

吹っ飛ばされた。受け身を取って立ち上がる。

「やるねぇやるねぇ」

ニコニコと嬉しそうに笑う。相対するルーナは、私の方へ目配せしてきた。

……いや、私拘束されてるんだけど!?

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33話:闘技大会 その5

 

ルーナの目配せの意味もわからず、拘束された状態で寝転んでいるとルーナに抱え上げられる。

「ちょっと、どういうこと、ルーナ!?」

ミカがこちらに突撃してくる。

「アーデルヘイトシールド!」

「うそでしょ!?」

ルーナは私を盾にした!何考えてんのこの子!? 

「私達、友達でしょ!?痛いことはやめて!」

向かってくるミカに必死に懇願する私。我ながら情けない姿だ。

「大丈夫!殺しはしないから!」

そんな物騒なことを言いながら、容赦なく木製の月鎌を振るう。

当然のように、私の腹に衝撃が走った。

「ぐがっっ……!」

「やっぱりダメでしたか」

ルーナは残念そうに呟くと、私を放り投げた。地面に激突した衝撃で、胃液が口から溢れる。

「ごほっ……!げほ……!」

「そりゃそーだよ」

ルーナ、あとで、泣かす……と、ふと拘束が外れていることに気がついた。

おそらく私を盾にしている間になんとかしたのだろうが、盾にする必要あった?

「ひ、光の剣よいでよ!」

すかさず詠唱を行い、光の剣を召喚する。

そのまま、地面を蹴り、ミカに向かって突進する。

「え?」

予想外の出来事だったのか、一瞬呆けるミカ。しかし、すぐに我を取り戻し、応戦する。

「ぴょ、ぴょぉーん!」

光の剣は付呪の施されていない武器では防ぐことはできない、彼女はひらりと身を躱す。

しかし、後ろにはルーナが回り込んでいた。

「ぴょんっ!?」

そして、回し蹴りをお見舞いする。

「うぐっ!」

綺麗に決まり、吹き飛ぶミカ。だが、すぐさま受け身を取り、体勢を立て直す。

私も、彼女の追撃に備え、構えを取る。

「そうこなくてはね……!」

そう言って、再び突っ込んでくる彼女。今度は先ほどとは違い、かなり速い。

ルーナはそれを迎え撃つように、剣を振るった。

カァーンと木のぶつかる音が響く。

その隙を狙って、私は死角から斬りかかる。

「っ!」

完全に不意を突いた一撃だったが、間一髪、回避されてしまう。

どうやら、彼女も本気のようだ。

そこからは、お互い一進一退の攻防が続いた。

ミカは、まるで獣のように俊敏な動きで翻弄し、鋭い攻撃を放ってくる。

対して、ルーナは冷静に対処しつつ、的確に相手の隙を突く。

時折、私が加勢するも、二人に割って入るのは厳しいものであった。

だが私の手が空いたということでもある。となると、私のやるべきことは一つだ。

「光の軛よ!」

準備を整えたあと、拘束魔法を唱える。対象は当然、ミカだ。

しかし、それに気づいた彼女はニヤリと笑うと、一気に距離を詰めてきた。

「なっ!?」

驚く間もなく、蹴り飛ばされた。吹き飛ばされた先には、ルーナがいた。

「わあっ!?」

彼女を巻き込んでしまい、二人はもつれるように倒れ込む。

その際、ルーナの持っていた剣が手から離れ、カランと音を立てて転がった。

「いっちょあがりっと!」

勝ち誇った笑みを浮かべるミカ。しかし、観客はざわめいている。

「拘束魔法は囮だぜ」

ミカの後ろにはギヨームが木剣を振り下ろしていた。

「きゃっ!」

直撃こそ避けたものの、背中を強打され、悲鳴をあげるミカ。

さらに、そこへ追い打ちをかけるように、ミカの足元から蔦が伸びてきて、彼女の四肢に絡みつく。

「うわーん!放してー!」

セヴェロの魔術だ。暴れるも、がっちりと固定されており身動きが取れなくなった。

「よっぽど戦いが好きなんだな」

「うん、そーだよ!って、どうして起き上がってるの!」

拘束され倒れていたはずのギヨームとセヴェロが立っていたことに驚きを隠せないミカ。

「ルーナとの打ち合いに夢中になってたお前が悪い」

「あーん!いつもそうなのよー!」

「降参しとけ、動けないやつをしばく趣味はない」

「んもー……悔しいけど、打開出来るとも思えないしねっ」

そう言うと、彼女は両手を挙げて、降参の意を示した。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

控室に戻ると、ホクホク顔の院長が出迎えてくれた。

「よくぞやってくれた!我が修道院の誇りだ!」

「ええ、どうも……」

体の節々が痛むが、何とか笑顔を取り繕う。

「あのミカという娘はなかなかの手練れだっただろう?」

「そうですね、かなり苦戦しましたよ」

ルーナが答えると、院長はニンマリとした顔で言った。

「そうだろう、そうだろう!なんと、とんでもない払い戻しだったからな!」

賭けの話か。そういえば、私達が勝つ方に全財産賭けたと言っていた。

文字通り命懸けだったってわけなのだわ。いや全部賭けるな。

しかし、これにて一件落着だ。とっとと巡礼に戻ろう。これ以上の試合はしたくない。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

控室を出ると、ミカとハッカペルが待っていた。

「ぜひ!あたしも連れてって!」

両手を合わせて懇願するミカを見て、私はため息をついた。

どうやら、まだ波乱は続きそうだ。

「ルーナ!いやルーナお姉様!」

「え!?お姉様って……」

どうやら激しい打ち合いをしたルーナに懐いてしまったようである。

少しだけ迷惑そうな顔をしつつも嬉しそうにしている彼女を見ていると、なんだか微笑ましく思えてくるのだった。

「えーっと、改宗ということですか?」

「うん!それでいいよ!」

「ではクピド派の教えをしっかりと守ると誓うのであれば」

「誓いまーす!」

軽っ。さて、新たな旅の仲間を加えることになり、これにてすべて解決した。

「私の聖なる酒瓶!」

ミードがおお喜びで瓶を抱えている。対してハッカペルは大きなため息をついていた。

「返すからもう二度と来るな」

「さあてね。放蕩あるところにミードありだから」

「次来たら殺す」

「は、はい、二度と来ません……」

物騒な会話の後、私達は街の宿へと向かった。

結局、例の酒瓶はマリカが奪い取り、ミードには手切れ金を渡して、酒場に放逐した。

なんかまた会いましょうみたいなことを言っていたが、多分また会うときもトラブルを抱えていそうで嫌である。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34話:魔人

それは、巡礼団がブサンティオを発ち、数日の道のりを経た時のことである。

「人が消えて無くなる?」

「左様でございます」

たまたま立ち寄った村にて、村長を名乗る老人がそう言ったのだ。

聞けば、数年前からポツポツと姿を消すものが多いのだという。

「村から出ただけとは考えられませんか?」

「わたくしもそう考えたのですが、仕事や予定、配偶者をほっぽり出して消えてしまうのです」

「そんなことあるんでしょうか……」

こういった困り事を解決するのが巡礼団の役目でもある。手に負えないときもある。

一同考え込むが、ウンウン唸っても仕方がないので、とりあえず村の広場を宿泊地とした。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

夜になると、無性に何処かへと行きたくなった。理由はわからないが、とにかく衝動を抑えられない。

気づけば、ふらふらと外を歩いていた。まるで誰かに誘われるかのように。

「おい、アーデルヘイト、どこへ行く」

後ろから声がかかる。振り返れば、そこにはバルトロ修道士の姿があった。

「え?いや、ちょっと散歩に行こうかなって……」

「こんな暗いのにか?」

確かに真っ暗だったが、それでも私は行かなくてはならない……気がする。

「なんか、どうしても行かなきゃいけない気がして……」

「そうか、ならば私も付き合おう……怖いけど」

私とバルトロ修道士は夜の森へ入っていくことになったのだった。

森の中は不気味なほど静かで、虫の声ひとつ聞こえない。木々の間から差し込む月明かりだけが頼りだった。

「どこに行くつもりだ、何を考えている」

彼は訝しげに問うてくる。私だってわからないのだから答えようがない。

しばらく歩くと、開けた場所に出た。そこには大きな湖があり、水面には月が浮かんでいる。

畔には小さな小屋が一つ建っていた。

「綺麗な場所だ。誰か住んでいるのか? おばけだったら嫌だな……」

私たちはしばしその風景に見入っていた。すると突然、背後から声がした。

「やあどうも、お二人さん」

振り返ると、そこに立っていたのは黒いローブを纏った男だった。顔はフードに隠れてよく見えない。

「わぁ! 出た! おばけだ!」

バルトロは私の後ろに隠れた。男はそんな様子を見て笑ったようだった。

「ははは、驚かせてしまったようだね。申し訳ない。俺は単なる魔人さ」

魔人。魔族のうち、特に人類に容貌が似たものは魔人と呼ばれている。彼らにはある特徴がある。

それは他者の感情を喰らうと、魔力が成長するという点だ。

負の感情、恐怖、嫌悪、絶望などを喰らうのが悪魔。正の感情、愛情、信頼、恋慕などを喰らうのが淫魔。

そして、従属、忠誠、信仰などを喰らうのが天使と呼ばれている。

巨大な力を得ようという機運のない現代では彼らは大人しいのだが、それでも、一部には過激なものもいる。

「よかった、おばけじゃないのか……」

彼はホッとした様子で、私の横に立った。

「いやおばけよりも普通に不審者な魔人の方が怖いと思うけどね!?」

「ところで君たち、もしかして何かに呼ばれたのかい?」

「私ではなくこいつがな」

バルトロは私の肩にポンと手を置いた。

「つまり、何かしらの未練や悔恨、それにより苦痛に苛まされている」

……苛まされていないと言えば嘘になってしまう。

「それが何か関係があるの?」

「まさしく、俺はそういったものが好物なのでね」

魔人はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。

「さあ、嫌な思い出はすっぱり忘れよう。時間が解決するなんて欺瞞もいいところだよねぇ?」

そう言ってニヤリと笑う。なんだか気味が悪い男だ。しかし、これはかなり魅力的に感じている。

ドス黒い気分にならない日はない。この心の奥底に溜まったドブを洗い流せるのなら、どんなにいいだろう……。

「ほら、遠慮しなくていいんだよ?」

「アーデルヘイト、良くないと思う!」

バルトロは私の手を引く。微妙に頼りない説得だ。だがもう遅い。私はもうすっかり魅入られてしまったのだ。

「……少しだけならいいかな」

「何を言っているんだ君は!?」

「俺は人々を救ってやってるんだ。誰にだって苦痛な記憶はある。俺はそれを食べる」

そう言いながら、魔人は私たちに近づいてくる。

「夜中に思い出す嫌な思い出、悔恨、未練、憎悪や憤怒。消えてなくなった人はみんな俺に感謝をしていた」

彼は両手を大きく広げた。その姿はまるで悪魔のようで、それでいて神々しさすら感じるものだった。

「人生は苦悩に満ちている。裏切られ、暴力を振るわれ、汚い言葉を吐かれ、尊厳を踏み躙られ、命を奪われる。そんな不幸を味わう人間が後を絶たない」

彼の口調はどこか悲しげで、とても演技とは思えない。本気でそう思っているのだろう。

「だから、俺がその記憶を喰ってやるのさ。そうすれば、人々は苦しみから解放されるだろう?」

彼は両手を広げたまま近づいて来る。しかし、バルトロが間に入り立ちはだかった。

「アーデルヘイト、私の苦悩など君のに比べればちっぽけなものだ、君の苦悩は私には想像もできない。だが我々は信仰の徒だ、我々の心を救ってくださるのは神龍クピドだ」

「でも、クピドが何してくれるって言うのよ……」

私達が一方的に祈るだけで、何が変わるというのか。マリカはああだし。

「アーデルヘイト……気持ち!」

「え?」

「えっ!?」

魔人まで驚いている。こ、この空気でそういうこと言っちゃう?

「気持ちだ、アーデルヘイト!」

「いや、その、気持ちが持たないって話なんだけど」

「気持ち!」

「いや、だからね、うーんと、その……」

私が言い淀んでいると、魔人が笑い出した。

「はっはっはっは、クピド信者とあろうも者がこれではな」

「アーデルヘイト、よく考えろ。私達は苦悩する生き物だ。苦悩が人生を彩るわけではないし、苦悩なんて無い人生の方が絶対に良い。だがどうすることも出来ない、過去があっての今の自分だ。今の自分を形作る一部を欠落しては、もはや別人だ。私は友人として、愚痴っぽくぼやいてばかりなのに人好しで面倒見のいい、そして勇気のある、私の尊敬するアーデルヘイトに消えてほしくはない」

「恥ずかしいこと言うわね、面と向かって」

思わず顔を背けてしまう。顔が熱いのがわかるほどだ。

魔人はそれをニヤニヤしながら見ていた。

「さて、話は済んだかな?じゃあそろそろ…」

「それにな、アーデルヘイト。私は大切な事を思い出した」

話を遮り、バルトロは言った。その顔はいつになく真剣だった。

「なに?」

「魔王国法では濫りに他者の感情を吸い取るのは固く禁じられている」

そうなると話は変わってくる。犯罪は駄目だ。

「みんなそう言う! 俺は人助けついでに腹を満たしてるだけだよ!」

「光の軛よ」

呪文を唱える。光の輪が魔人の両手両足を拘束した。

「うなぁーーっ!」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

村長に引き渡し、懲らしめてやると自白を始めた。

消えた村人たちは魔人が唆し、村への未練を消し去ったのだという。

しかしながら、彼らも村で起きた苦悩に苦しめられた被害者であるとも言える。

「彼らには、気が付かないうちにでも何か悪いことをしたのかもしれない……」

村長はそう語っていた。今後彼が良き村長となり良き村になることを祈ろう。

魔人は衛兵に引き渡され、とりあえずは一件落着というところだろう。

私もああいう甘言に引っかかりそうになるとは、信仰心が足りないかもしれない

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35話:再会

 

巡礼団はようやっとトレヴィブルク公国へと辿り着いた。

トレヴィブルク公国、比較的小さな国であるが、近隣の王国に封じられていない公爵を君主とする国である。

……平民たる私には一体何が違うのかよくわからないが、とにかく独立国である、ということだ。

高級な白ワインが有名である……うーん、楽しみだ。

何でも自国で賄おうという風潮が強く、大抵の産業がこの地に存在する。

「んふふふ、お洒落な街並み、いいね……」

キョーコはなぜだか妙に嬉しそうだ。いつもの街と大して変わらない気がするが。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

この旅はトラブル続きなので、今度の街こそトラブルが無いと良いという私の祈りが通じたのか信心深い貴族の邸宅に泊めてもらえることになったという。

「素晴らしい、クピドの信徒に来ていただけるとは万々歳だ。ついでにお清めもしてくれると助かるなぁ」

なんとも調子の良いことを言う貴族だが、そのくらいのことなら喜んでやろう。

そうしてリリとともに振り香炉を焚いていると、バルトロとクサヴェルが侍女たち二人に絡まれていた。彼らは顔がいいのでな……。

「あらぁ、そこの殿方、素敵ね?」

「ねえ、お姉さんたちと遊ばない?」

「いえ、今は聖務の途中ですので。それにわたくしには伴侶がいます」

クサヴェルは毅然とした態度で応対する。バルトロは彼の後ろに隠れていた。

「そんなつれないこと言わないでよ〜。ちょっとだけだから〜」

「そうですわ、ほんのちょっとですわよ?すぐに済みますし、気持ちよくなれますから」

「おいバルトロ、お前独身だから相手してやれよ」

「姦通は大罪だ!」

「うむ。そういうことですので、お嬢様方、どうかご遠慮いただきたい。彼と結婚するというのなら止めはしませんが」

「止めてくれ!」

「それはちょっと重いわねぇ」

「残念……」

彼女たちは残念そうに去っていった。

「モテる男は辛いわね、二人とも」

「間違っても不貞などなさらぬように!」

私とリリが囃し立てると、ふぅとため息をつく二人。

「俗世間の女性は苦手だな……ほら、俺は顔がいいだろ?」

「自分で言われると腹立つわね」

バルトロは何やら女性のトラブルに遭遇したことがあるという。酷い結末だったというので詳細は教えてもらえなかった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

翌朝には雪がチラつき始めていた。もうそんな季節とは、時が経つのは早いものだ。

鍋で温めたワインを啜り、窓の外を眺める。屋敷の外では大勢の浮浪者たちが巡礼団からの施しを待って列を為している。

「審問官、人手が足りないので来ていただけますか」

修道士の一人が呼びに来た。私はワインを飲み干してから立ち上がる。

「今日はゆっくり休んで良いって言われてたのに」

「勤労は美徳ですよ、審問官」

「はいはい……」

外に出ると、酷い臭いがする。我々のような旅人の臭いも顔を顰めるものだが、彼らの臭いはそれ以上だった。

「さあ、皆さん!順番に並んでください!」

「一人一杯ずつですからね!」

我々は彼らに分け与えるために用意した鍋から野菜の煮込みスープを注ぎ、パンを渡す。

浮浪者たちは涙を流してそれを受け取っていた。

「……ああ、神龍よ、感謝します……」

「神龍の恵みに感謝を……」

口々に祈りを捧げながら受け取る彼らを見ていると、なんだか不思議な気分になる。

「フリース=ホラントに行くのかい!」

列の中の一人が騒いでいる。

「ええ、そうですよ」

私が答えると、声の主がこちらに近づいてくる。戦場で酷い傷を負ったのか、地面を這うような姿勢でこちらに向かってくる男。

彼は私の前まで来ると、ボロボロの手紙を手渡してきた。

「これを持って行ってくれ……!」

「これは……?」

「妻と娘への手紙だ……小さな村で宿を経営していた……」

「……」

まさかな、と思いつつ、娘の名前を聞いてみた。

「妻の名はエスメ、娘の名は、アーデルヘイト……」

思わず絶句してしまった。まさかこんなところでその名を聞くことになるとは。

エスメは、私の母の名で、アーデルヘイトはまさしく私の名前である。

つまり、目の前の人物は、私が体を捨ててまで居場所を守ろうとした人物、即ち……

「パパ……?」

その男は、私を見てハッとした顔をする。

「もしかして、アーデルヘイトか……?」

「うん、そうだよ……! ずっと、ずっと会いたかったんだよ! パパ!」

感情を抑えられない、涙が出てきた。

父を抱きしめると、彼も強く抱き返してくる。そして泣きながら謝ってきた。

「大きくなったなぁ……俺は酷い父親だ、妻も子供も置いて、こんな遠くで朽ち果てようと……」

それから暫くの間、私たちは抱き合って泣いていた。周りの者は何が起こっているのかわからないといった様子で呆然としていた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

その後、父の全身を洗ってやると、記憶通りの顔が出てきた。すっかり老け込んでしまったが、紛れもなく私の父であった。

「……すまなかった」

父はそう言って私に頭を下げる。しかし私はそれを制止する。謝る必要はないのだ。

「こんなにボロボロになって、それでも帰ってこいなんて言えないよ」

「ありがとう……」

父が泣き崩れるのを見て、私もまた泣いてしまった。

「アーデルヘイト、その人が君のお父さんか?」

バルトロが話しかけてくる。

「君は、アーデルヘイトの恋人なのか……?」

父は涙をぬぐいながらそう尋ねる。

「それだけは絶対に無いわ」

「そうだけどそこまではっきり言われると傷つくだろ流石に!」

「し、失礼した、てっきりそういうもんかと……仲も良さそうだし……」

「まあ仲はいいけどね」

とにかく、私は院長に父を保護するように提案するつもりだ。巡礼の旅路は不具の彼には辛かろうが、私たちと共に来れば安全は保証されるだろう。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「私情を挟んではならん。保護はできない。と言いたいところだがいつも私情挟みまくりじゃし別にいいじゃろ!」

もっと一悶着あるかとも思ったらこれである。俗物が過ぎる。あっさり許可が出たことに拍子抜けしたが、ありがたいことには変わりないので素直に受け取っておくことにした。

「ありがとうございます、院長」

「お前さんにはいつも迷惑かけてるからな」

本当にね……。とはいえお世話になっているのは事実なので文句は言わないことにする。

「とはいえ、お前が責任を持って面倒を見ることだ。言うまでもないがな」

「もちろんです」

こうして父との再会を果たした。これからのことはまだわからないが、ひとまず一緒に旅をできることを喜ぶとしよう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間:降臨祭

 

この綺羅びやかな公国で祝日を迎えることができたのは幸いである。

龍教団において、冬至の日は祖龍の降臨を盛大に祝う日である。

備蓄を少し贅沢に使い、家族や友人たちとお祝いする。この世界を作り給うた神龍たちに感謝の祈りを捧げるのである。

今日は一日、街全体がお祭り騒ぎだ。あちこちで音楽が鳴り響き、出店が軒を連ねて商売をしている。道行く人々はみな笑顔で、今日という日を楽しんでいるようだった。

そんな中、私は屋敷で父と話をしていた。積もりに積もった15年弱もの話。父は私が思っていた以上に私のことを愛していたし、私も父を愛していたことが分かった。

「……お前には苦労をかけた、怪我さえなければ、そんな事はさせなかったのに」

「そうね、でも今は結構幸せだから」

「全力で幸せじゃないのか?」

「全力で!?」

「手放しに幸せじゃないだろう」

「それは……」

「お前はいつも我慢してしまうからな、もっと我儘になっていいんだぞ」

「……ありがとう、父さん」

そう言って父の手を握る。その手は大きくてゴツゴツして硬い、懐かしい手だ。

「お前や母さんの人生を狂わせてしまったのが、本当に辛いんだ」

「もう済んだことだし、今更どうしようもないでしょ?」

「……そうだな」

父は私の手を握り返してくれた。我々は、過去を引き摺って生きていくことしかできない。

心の傷を癒やすことはできないのである。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「いやぁ、最高だねぇ、紙がいっぱい買えて!」

羊皮紙の束を持って上機嫌なのは写字生パメラであった。彼女は安く売り出された羊皮紙を買い漁っていた。

「お金がなくなるよパメラさん」

彼女の伴侶クサヴェルが言う。彼は呆れた顔で彼女を見ていた。

「大丈夫だねぇ! しっかりと計算しているさ。それにこの年代物の羊皮紙の匂いを嗅いでご覧よ」

「俺にはわからないよ……」

「これだから素人はいけないね、ほら嗅ぎなよ!」

嗅げと言われても、羊皮紙の臭いしかしない。彼にはさっぱりわからなかった。

「ふふふ、良い香りだろ? さて、次は何を買うかね……そうだ、インクだよ! インクがないと書けないからねぇ!」

「はぁ。パメラさん、その後、俺が行きたいところに行ってもいいかい?」

「ダメだねぇ」

「はぁ……」

パメラは基本的に身勝手だが、クサヴェルはそれでも少し嬉しそうなのである。

彼はそれでいいと思っていた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

(クリスマスみたい……)

このどんちゃん騒ぎを見て、キョーコは故郷日本のことを思い出していた。

思えばこの世界に来てからもう半年以上が経つ。あっという間だった。

最初はどうなるかと思ったが、今では何とか生活できている。

元の世界では両親も健在だし、友達はいなかったが、SNSで交流があった人たちはいた。

(元気にしてるといいけど)

私のことはきっと殺人事件にでもなっただろうが、とはいえあの腐った街ではまともな幕引きは見込めない。

それを思うと憂鬱になるので、考えるのを止めることにした。

「大丈夫ッスか?」

隣に立つ狐の獣人マシニッサは心配そうに声をかける。

「また思い出したんスね」

「……うん」

「まぁ、しょうがないッスよね」

マシニッサはそう言った。彼は忘れろとは言わない。ただ、寄り添ってくれるだけだ。

その距離感が心地よかった。

「ん、なんか騒がしいッスね」

ふと見ると、人だかりができていた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

「ぴょんぴょんイエイ! 降臨祭最高!」

ミカが大きな耳を揺らしながら広場で踊っていた。龍教団の赤いローブを翻し、クルクルと回る姿はとても可愛らしいものだった。

周囲の人々は微笑ましい目で見つめている。特に子供たちからは大人気のようだ。

すると一人の少年がやってきて、彼女に話しかけた。

「お姉ちゃん、僕も踊りたい!」

「ダメ」

「えっ!?」

「踊りはね、一人で孤独に踊るものなのよ……」

「そーなの!?」

彼女の故郷である北方では、祭事の舞は1人で踊るもの……というわけではなく彼女が勝手に言っているだけである。

「おほほほ、ガキは寂しく惨めに踊り狂いなさい!」

彼女は酔っ払っていた。酒瓶を片手に持ち、ラッパ飲みをしている。

「っしゃぁ! 全員かかってこいや!!」

剣を抜き叫ぶ彼女に観衆は困惑した。北方では酒の席とは喧嘩の席であったが、この街にはそのような文化はない。

故に困惑しているのだ。酔っ払いの行動はよく分からんものであるが、流石にこれは看過できない。衛兵たちが止めに入る。

「ちょっと詰め所まで来てもらってもいいですか?」

「やだぁ!」

彼女は逃げ出そうとするが、既に周りを囲まれており逃げることは叶わない。

「こら! 大人しくしなさい!」

「ぐぇぇ」

そのまま連行されていったのである。キョーコとマシニッサはそれを遠目から眺めていた。

「なにやってんのミカ……」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

バルトロとリリは寄付を募っていた。

「こんな日に真面目だなぁ、君たちは。祭日には信徒たちも休んでいいんじゃないのか」

そう言いながらもお金を入れる市民たち。

「我々自身が望んだことですから」

「そうか? さっき広場で暴れてる教徒がいたけどな」

「えぇ……」

「あとカジノに入っていってるのも見たぞ」

「あ、あはは……」

「まあ、頑張れよ、貧乏くじ引いたみたいだけど」

彼らは笑顔で対応していた。雪の降る寒い日だが、心は温かかった。

「寒いからリリ、君は屋敷に戻りたまえ」

バルトロが言う。しかし、リリは首を横に振った。

「いえ、問題ありません」

「風邪をひいてしまうぞ」

「大丈夫です」

二人は心配そうな顔をするが、リリの意思を尊重したようだ。

「……分かったよ、でも無理だけはしないようにね」

「いえ、バルトロ様、あなたはご自分の心配をなさったほうが」

「俺が軟弱だと言いたいんだな……事実だから言い返せないが……」

「はい、有名ですので」

「嘘でもいいえって言ってくれ!」

二人が言い合いを始めるのを見て、周囲にいる人々が笑う。暖かい光景であった。

もちろん、バルトロは翌日風邪を引いた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36話:げに恐ろしきは我が故郷

 

トレヴィブルク公国を出ると、ついに私の故郷、フリース=ホラント大部族領に入る。

あまりいい思い出は無い。しかしながら、私は決着をつけなければならないと考えていた。

過去との決別である。母はどうしているだろうか、未だにあの宿屋を経営しているのだろうか。

今のところは別に嫌いな訳では無いし、憎んでいるわけでもない、困窮していたのは事実だし、仕方なかったと思っている。

「アーデルヘイトさん」

足を止めていた私にルーナが声をかける。

「やはり、嫌ですか」

「嫌ってわけじゃないわよ……でも、心の準備が必要なのは確かね」

そう答える私の顔を見て、彼女は……彼女の表情がわからない! いい加減銀仮面外して欲しい。

「そうですか、では急ぎましょう。そろそろ日も暮れます」

そう言って私の手を引っ張る。その大きな手は、とても暖かく感じた。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

村に辿り着く、私の故郷の村、名もなき小さな村だ。街道に面しているので旅人が立ち寄ることもある、そんな普通の村だ。

私は……怖くなってフードを深く被った。男たちに、見られている気がする。いや、自意識過剰だろうか。

村は平和だった、特に変わった様子もない。村の中は懐かしい匂いがした。この匂いは嫌いだ、嫌なことを思い出すから。

村人たちの視線が痛い、私のことを覚えているのだろう。

私が歩くたびにひそひそ話をしているような気がする。

「大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」

「……大丈夫よ、気にしないで」

心配をするルーナにそう答え、私たちは宿へと向かう。

この村には一つだけしか宿がない、私と母が営んでいた宿だけだ。

そこに向かうまでの間、村人の視線はずっと私たちを追っていた。

まるで監視されているような気分になる。

「巡礼団ってだけで目を引きますよ、アーデルヘイトさん」

「そう、そうよね、きっと、そう……」

自分に言い聞かせるようにつぶやく。

宿が見えてきた、その途端、足が動かなくなった。恐怖で動けないのだ。

身体が震える、呼吸が荒くなる、心臓の音がうるさい。

私は、私が思っている以上に、弱いのかもしれない。

その時、ぎゅっと手を握られた。ルーナの手はとても暖かかった。そのまま私を抱きかかえると、走り出す。

「院長、我々は野宿します!」

「それがよかろう」

「ちょ、ちょっと!ルーナ!」

「大丈夫です、何も問題ありません」

私は震えながら、彼女にしがみつくことしかできなかった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

夜になり、辺りは静まり返っている。そんな中、私たちは焚火を囲んで座っていた。

パチパチと燃える炎を見つめながら、私は深呼吸をする。

そしてゆっくりと口を開いた。

「ねぇ、なんであんなことをしたの?」

するとルーナはきょとんとした仕草をして、答えた。

「だって、あのままじゃあなた、動けなくなっていましたよ」

確かにそうだ、その通りだと思う。だけど、いきなりお姫様抱っこされるのは恥ずかしいものがある。

「そうね……」

「それに、こうすれば少しは落ち着くでしょう?」

彼女は、いつもの銀仮面を外していた。もはや醜いと呼べる部分がなくなった顔がそこにあった。綺麗な顔だ、思わず見惚れてしまうほどに。

そんなことを考えていたら、いつの間にか私の顔をじっと見つめられていたことに気が付いた。慌てて顔を背ける。

「ルーナ、あなたが羨ましいわ。あなたの傷はきれいサッパリ消えてしまった」

「あら、珍しく無神経ですね」

彼女はニコリと微笑む。

「ごめん……」

「いえ、いいんですよ。気のおけない仲じゃないですか」

そう言って彼女は再び微笑んだ。私はバツが悪くてそっぽを向く。

しばらく沈黙が続いた後、ルーナが再び口を開く。

「でも、私は怒っているんです……アーデルヘイトさん、あなたの母親に」

その言葉を聞いた瞬間、心臓がキュッと締め付けられるような感覚がした。

「あなたとあなたの尊厳を辱めた、母親に対してです」

彼女の目は真剣だった、本気で怒っていることが伝わってくる。

「でも、ルーナ。騎士の世界では違うかもしれないけど、庶民の間じゃそう珍しいことじゃないのよ」

私は言い訳をするように言った。小さな宿や酒場では妻や娘、親族の女性を客にあてがうのはそう珍しくはないことである。

客の許可も得ず無理矢理部屋に押しかけてくることさえある。その方が稼げるから。私もやったことがある。

だから私もそれを否定するつもりはないし、むしろ当然だと思っている部分もある。

しかしながら、ルーナは納得していない様子であった。

「だとしても、あなたは傷ついているではないですか」

その言葉に、私は黙り込むしかなかった。

しばらくして、ルーナは再び話し始めた。

「アーデルヘイトさん、私は私の親友を傷つけた、あなたの母親が殺してやりたいぐらい憎い」

「私は……私は救われたから、傷ついているだけなの……」

幼馴染に連れ出されずにずっとあの場にいたら、きっと私は傷つきはしなかった。ただ黙って受け入れていただろう。

「ルーナ、あなたが言っていることは騎士の道理で……」

「ええ、そうですとも」

ルーナは吐き捨てるように言った。その声は怒気を孕んでいるように聞こえる。

「尊厳を、奪われたのならば、取り返さなければならないのです」

そう言うと彼女は立ち上がり、私に背を向けた。その背中は小さく震えているように見えた。

それから暫くして、彼女はこちらを振り返った。いつもの笑顔に戻っていたが、その目からは涙が溢れ出ていた。

「……すみません、少し取り乱しました」

私は何も言えなかった、彼女が泣いているところなんて初めて見たからだ。

彼女は涙を拭わない、きっと銀仮面をずっとつけてたから拭うという行為を忘れてしまっているのだろう。

「ルーナ、私は……私はどうしたらいいのかしら……」

「私はあなたが、尊厳を取り戻したいと考えるなら、そのお手伝いをしたいです」

彼女は優しい声で言った。だが、それはとても難しいことだと感じた。私にはそんな自信がなかった。

「……明日にでも、母と話してみる、怖いけど、それから決めても遅くはないと思うし」

「まぁ……いいでしょう」

ルーナは少し不満げな様子だった。

「さて、そこにいるのは誰でしょう?」

彼女は銀仮面を被り直すと、突然そんなことを言い出したので、周りを見回す。

人影が現れる、焚き火の明かりに照らされて現れたのは、見窄らしい服装をした懐かしい顔によく似た青年であった。

「あなた……ニック……?」

コクリと頷く彼の首には、奴隷の証である首輪がついていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37話:三つの絆

 

「お食事をお持ちいたしました」

ニックは手に持った籠から、パンやチーズを取り出しこちらに差し出す。

「ニック、久しぶり、いや、それより、その首輪は……」

私は色々と聞きたいことがあったが、まずはニックの首に嵌っている奴隷用の黒い首輪に目が行く。

「これは……私はエスメさまの所有物ですので、その証です」

ニックが申し訳なさそうに答える。

「私のお母さんの、所有物……? 冗談はよしてよ」

私の言葉に、ニックも困ったように答える。

「いえ、冗談ではなく、本当にそうです。私の所有権はエスメさまにありますし、それにこの首輪には魔法がかかっていて、エスメさまの許可なく外すことはできません」

「そ、そんな、嘘でしょ? 何があったのよニック!?」

「……それは、話すと長くなる」

そう言って、ニックは私にパンを手渡した。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

食事をしながら、私とルーナ、ニックの三人で話す。

彼は私を救い出したあと、自分の父親を殺したという。その罪により奴隷の身分に落とされ、村で使役されるようになった。

殺人による犯罪奴隷なので、フリース=ホラント部族法では一生解放されることはない。

しかしながら結局村全体では持て余していたので、エスメの宿で買い取ったのだという。

「ニック……」

私は絶句するしかなかった。ルーナが、彼に問いかける。

「それで、今は宿屋のお手伝いですか。この食事も宿から?」

「はい。巡礼団の方々にご利用いただいているので。僕もいつもは給仕やお客様のお相手を……」

「もういい!!」

私は思わず叫んでしまった。

「なんで、なんであなたまでこんなことになっているのよ!」

私が叫ぶと、ニックは俯いて黙り込んでしまう。

「あなただけは、私の勝手な押し付けだけど、綺麗でいて欲しかった、幸せでいて欲しかった、誰か素敵な人と結婚していて欲しかった! なんで、なんでこんなことに……!」

私は涙をこぼしながら叫んだ。

「ごめんな、アーデルヘイト」

「なんであんたが謝んのよぉ!!」

癇癪を起こした子供のように泣き喚き、せっかくの食事を彼に投げつけてしまう。

「それ以上いけませんよ、アーデルヘイトさん」

ルーナが私の腕を捻り上げる。

「あぁーっ!! ごめんごめんごめん! 落ち着くからやめて!」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

腕が折れるかと思ったところで、ようやく解放された。

私は涙を拭い、呼吸を整える。

「はぁ、はぁ、ありがとう、ルーナ。冷静になったわ。正直やり過ぎだと思うけど」

「どういたしまして」

彼女はにっこりと笑う。

「頭が冴えてくると、あれね。私は母親に対する怒りが沸々と湧いてきたわ」

しかしながら、奴隷の使役は正当な権利ではある。そして、それを裁く法はない。

だから、彼女がやった事を私は許せないけれど、私には彼女を糾弾することはできないのだ。

「ねぇ、ニック。あなたは私のお母さんのことを恨んでいる?」

「……好きではないかな。だって、君を傷つけたんだから」

「気が合いますね、ニックさん」

ルーナが口を挟んでくる。

「私もあの人のことは嫌いです。私の親友アーデルヘイトが傷つけられたのですから」

そう言って、ルーナは微笑む。

しかし、どうやって立ち向かえばいいのだろうか。違法なことは何もやっていないし、むしろこの村では貴重な収入源だ。

「……そろそろ戻らないと」

ニックはそう言って立ち上がる。

「もう行くのですか?」

「まだ仕事があるから」

そう言って、彼は立ち去ろうとする。

「待って」

私は彼を呼び止めた。

「あなたが私をあの時救ってくれたように、あなたのことを必ず助けるわ。それまで待っていて欲しいの」

「わかった、待っているよ」

ニックは少し微笑んで去っていった。

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

翌朝、凍えながらルーナと二人目を覚ます。

「この時期野宿は堪えましたね」

「そうね……ごめんなさいルーナ、寒い思いをさせてしまって」

「大丈夫ですよ、寒くてもあなたとなら平気です」

ルーナがそう言って笑ってくれる。それだけで少し暖かくなった気がした。

「それにしても、あの方が例の幼馴染さんですか。優しげな方でしたね」

「昔はもっと、溌剌としていたわよ」

私は昔のことを思い出す。彼と初めて会った時は確か7歳の頃だっただろうか。

彼はやはりその時も、私を連れ出して遊ぼうとしてくれた。当時の私はそれがとても嬉しかったことを覚えている。

「あいつはもっと、強引なやつよ」

「そういう方が好みなのですね」

「……そうかもね」

私はなんだか気恥ずかしくなって、顔を逸らす。

「さて、じゃあ巡礼団に合流しましょうか。もう聖務を始めている頃でしょう」

「院長も、よりによってうちの宿に泊まらなくてもいいのに」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

ヴェネトリオ修道院の院長、アルノー・クルツも考え無しに宿を決めたわけではなかった。

宿に訪れた日のこと、彼はアーデルヘイト審問官と初めて会った日のことを思い出していた。

(まだ幼かった彼女に何たる仕打ち、神龍クピドに対する背信である……)

法が許しても神龍が許すまいてっ! そう思いながら、二人の修道女を呼び出した。

「お呼びでしょうか、院長」

パメラとキョーコである。

「パメラ、君はこの地の法にも通じているな」

「もちろんですねぇ。二番の大棚、右から二列目、下から三段目、右から四冊、『諸部族の法規』の第二章……」

パメラは得意げに答えるが、院長はそれを制止し話を戻す。

「もうよい。キョーコを伴い、近くの寺院を訪ねてほしい」

「えっと、私もですか院長」

キョーコが戸惑いながら尋ねる。

「そうだ、君の能力が重要だ。そしてパメラ、この紙に指示を書いている、これに従い行動せよ」

彼はパメラに一枚の紙を渡す。彼女はそれを広げて読み始めた。

「……これはこれは院長、とんだ任務ですねぇ」

「クサヴェルとマシニッサがもう馬の準備をしている頃だ。急げよ、あまりに長くの滞在は不自然だからな」

「しかし、院長。ここまでしてやる義理があるんですかねぇ」

パメラは意地悪そうに笑いながら言う。

「君ならどうする、パメラ?」

「そりゃあもちろん、やるに決まってますねぇ」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

修道女たちを見送った晩、アルノーはアーデルヘイトの父ロブレヒトと彼の妻であるエスメの三人で話す。

「我が巡礼団を受け入れていただき感謝いたします」

アルノーはエスメに頭を下げる。

「いえいえ、とんでもない。こちらこそ、わざわざ来ていただいてありがたいです」

エスメは愛想よく答えるが、その目は冷ややかであった。

「それより……あなた」

「エスメ」

夫婦の再会であるにもかかわらず、二人は険悪な雰囲気を漂わせている。

「死んだかと思っていたわ」

「残念ながら、死に損なった」

ロブレヒトは自嘲気味に笑う。それを見てエスメは呆れたようにため息を吐く。

「……お前と、娘の人生を狂わせてしまって、本当にすまなかった」

「今さら謝っても遅いわ」

彼女は冷たく言い放つ。

「……そうだな、その通りだ」

「何もかもめちゃくちゃよ。アーデルヘイトはいなくなるし、再婚相手は息子に殺されるし」

肩をすくめて、やれやれとでも言いたげな口ぶりであった。

「……アルノー院長、アーデルヘイトは今日来ているんでしょう?」

突然話題を振られ、アルノーは一瞬戸惑う。

「はて、アーデルヘイトとは?」

「誤魔化さないで。ニックから聞いたわ、あなたたちの修道院にいるんでしょう? ならここに来ていてもおかしくはない」

「お答えはできませんな」

「なぜ? あの子に会いたいわ」

「それを決めるのはあなたではありません」

アルノーは毅然とした態度で拒絶する。

「ふん、まあいいわ。この辺りで宿はここにしかないもの、そのうち会えるでしょうしね」

彼女はそう言って立ち去ろうとする。

「待ってくれ!」

しかし、彼女の夫はそれを引き止める。

「何かしら?」

「元の、三人の家族に、戻ることはできないのか、エスメ!」

彼は絞り出すように声を出す。しかし、妻は首を横に振る。

「無理よ。私もアーデルヘイトも、そしてあなたも、汚れ傷つき過ぎたわ」

そう言うと、彼女は部屋を出ていった。

残されたロブレヒトはしばらく呆然としていたが、やがて力なくテーブルに突っ伏すのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38話:握るその手

 

巡礼団は滞在する地域に対する奉仕活動を行う。

建設、建築作業の協力やお清め、貧者への炊き出しなどである。

私も、参加しなくてはならないのだが。

「さぁ、釣りにでも行きましょうか」

ルーナはこの調子である。

「私を村から遠ざけたいってこと?」

「さあて、どうでしょうかね」

「……まあ、いいけどさ」

私は彼女の後について歩くことにした。ありがたい話ではある、村には、あまり行きたくはない。

村のはずれにある川に到着すると、彼女は荷物を下ろし、釣竿を取り出した。

「今日は大漁ですよ」

「いつもそう言うじゃない」

「そうですねえ」

彼女が糸を垂らすのを横目に、私は河原に腰を下ろした。彼女は釣りはど下手くそだが、好きらしい。これまでの道中でもよく釣りをしていた。

辺り一面は雪景色だが、川は凍っておらず、透き通っている。

「魚だって冬眠してるはずよ」

「そうかもしれませんねえ」

のんびりとした口調で言いながら、彼女は水面を見つめていた。

ふと、川の上流に目をやったとき、見覚えのある姿が視界に入った。

白髪交じりの男で、体格がよく、立派な口ひげを生やしている。

「……デニスおじさん」

彼は私たちの方に近づいてきていた。

彼の姿を目にした瞬間、心臓が大きく脈打ったのを感じた。

私の様子を察してか、ルーナも振り返る。

「アーデルヘイトか……その顔は……」

デニスは低い声でつぶやいた。

私と目が合うと、気まずそうに視線をそらす。

「魚が逃げちゃうので、向こうへと行ってもらえませんか?」

ルーナは穏やかな口調で言ったが、怒気を伴った声であった。

「アーデルヘイト……今更、こんな事を言って許されるとは思っていないが……すまなかった……」

「本当にね。私がどんな目に遭ったのか知ってるくせに。あなたも楽しんだわよね? それを今更何? 反撃されるぐらい大きくなったからごめん悪気はなかったで許してもらおうとでも思っているんでしょ」

早口でまくし立てる私に、ルーナは無言で肩を貸してくれる。

デニスはバツが悪そうな表情を浮かべた。

「謝って、済むことではないな……」

「……私も、あの時は仕事でやってたし、おかげで餓え死にせずに済んだって言えばそうだし、村の人達がやったことを許すつもりはないけど、これ以上どうこう言う気はない」

「そうか……」

デニスは小さく息を吐いた。

それからしばらく沈黙が続いた。

「ところで、あなたはなぜここに? 後をつけてたのですか?」

ルーナが尋ねると、デニスは首を横に振った。

「いや、たまたま通りかかっただけだ、向こうに製材所がある」

そう言って、デニスは踵を返し、去っていった。後ろ姿を眺めながら、私はボソボソと口を開く。

「あの時本当は嫌だったって言えば、それはすべてがホントってわけじゃないの。美味しい食事や綺麗な服やアクセサリー、気持ちいいと思うことも時々あった、なんだかんだで男侍らすのは気分が良かったしね」

ルーナは無言のまま私の頭を撫でてくれた。

「私は……仕方、なかったのよね……?」

「仕方なくありませんよ、アーデルヘイトさん」

優しい口調ではあるが、反論の余地を与えない響きがあった。

「え、ルーナ……」

「あなたがどう思おうが、あなたの母親があなたを売ったのには変わりありません、それは大変な不道徳です」

淡々と語る彼女に気圧されながらも、私は口を開く。

「そ、そうだけど……でもそれは……」

「ここであなたが日和ったらあなたの尊厳は救われない」

激しい憎悪さえ感じる声色で、私は少し怖くなった。銀仮面の向こうに見える目は完全に戦場に立つ騎士の目になっていた。

「こ……怖いよ、ルーナ」

思わず口にしてしまった言葉に、彼女ははっと我に返ったような仕草を見せる。

「あ、すみません、つい感情的になってしまって……」

「ううん、いいの、ありがとう、私のために怒ってくれて」

私は彼女を抱き寄せた。彼女のぬくもりを感じながら、私は目を閉じる。

「安心して、このまま負け犬としての人生を歩むつもりはない、ルーナ。手を貸して」

そう言うと、ルーナは私を優しく抱きしめてくれた。

「手を貸したいのは、私だけではありませんよ」

 

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

巡礼者たちが何かを企んでいるらしいということは、エスメも感じていた。

二組の修道士たちが馬に乗って足早と村を飛び出し、若い男女の修道士が村中でお清めついでに聞き込みを行っていたからだ。

彼女は、若い衆に多少手荒な真似をしてでも事情を尋ねるよう命じていた。

「お前ら、人の村の事情に首突っ込むつもりか?」

「宗教者とは得てしてそういうものです」

若い衆が男女の修道士に絡んでいる。バルトロとリリであった。

リリは彼らにも毅然とした態度で言い返す。バルトロは情けなくもリリの後ろに隠れていた。

「私たちは神龍に仕える身ですので」

「てめえらの都合なんざ知ったこっちゃねえんだよ!」

「ちょっと待ったーーー!!」

そこへ割って入る声がする。

声の主は兎獣人の修道女ミカであった。最近巡礼団に合流した新入り修道女である。

「その喧嘩、あたしにやらせてくれない!?」

鼻息荒く言い放つ彼女を、一同は唖然とした表情で見つめていた。

ミカは自信満々といった様子で、胸を張っている。

「武器はあり!? なし!?」

「おい、こいつ、何言ってるんだ?」

「チビガキはすっこんでろ」

若者たちは呆れた様子である。

「やるっていうなら、あたし、手加減しなーい!」

ミカは拳を構え、臨戦態勢を取った。

「ちっ、面倒だ、やっちまえ」

若者の一人がナイフを取り出し、ミカに向けて突き出した。

しかし、次の瞬間、ミカはナイフの刃を素手で掴んでいた。血が滴り落ちるが、気にする様子はない。

「ん~~?」

掴んだナイフをそのまま取り上げると、懐にしまい込む。

「ん~~~~?」

「え……なんだこのガキ、やべえぞ……」

男たちはじりじりと後ずさる。彼らは明らかに怯えていた。

「拳、拳でやるんじゃないの……?」

うるうるとした目で訴えるミカに対し、彼らは更に恐怖を覚えたようだった。

「チッ、あんまり、変な真似はすんじゃねえぞ……!」

捨て台詞を吐きながら、逃げるように去っていく男たちを尻目に、ミカは大きく落胆した。

「えー……殴り合いするんじゃなかったのぉー……?」

「言ってることはともかく、助かったよミカ。ほら、手を見せてみろ」

「やんっ、恥ずかしいっ」

バルトロはミカの手を強引につかみ、傷の状態を確認する。

「うぅぅ、見てられない、吐きそう……すまない、リリ、代わってくれ……!」

「えっ、ちょ、待ってくださいよ! 私だってこういうの苦手ですって!」

ワタワタと慌てる二人を見て、ミカは不思議そうな表情をして、首を傾げた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39話:対峙

 

「苦労しましたが院長、完璧です」

早馬の一団が村に戻ってきた。パメラの手から院長に一枚の羊皮紙が手渡される。

「古い羊皮紙を使っておりましたが、私の鼻はよく利きますのでねぇ。同じ年代の物を使いましたよ。それにキョーコくんの念写は…」

「うむ。でかしたぞ」

食い気味に褒める院長。村の小さな礼拝堂を借りての密談であった。

「バルトロとリリからの報告も上がっている。時系列も矛盾しない」

「しかしあの、院長、修道士がこのようなことをしてもよいものでしょうか……」

キョーコは不安げに院長に尋ねる。

「こういう宗教者はな、古来より暗躍してきたものなのだよ」

院長はしたり顔で答える。後ろにいるクサヴェルとマシニッサは微妙な顔をしていたが、口は出さなかった。

「そ、そうなのですか?」

「その通りだとも。それにあの二人を助けるためじゃないかキョーコくん。ま、問題はアーデルヘイトくんの意志がどうか、だがねぇ」

パメラが口を挟み補足した。文書管理はこういった教会や修道院に任されることが多く、パメラのような写字生らはその『有効な利用方法』を良く知っているのである。

「そう、そしてこれは……かつての幼子を救うことが出来なかった、この私自身の罪滅ぼしだ」

そう言って院長は羊皮紙を丸めた。その場にいる者たちはその言葉にざわめいた。

「あの子……ニックに、アーデルヘイトの救出を唆したのは他ならぬ私だ」

「な、なんと……!?」

「しかしそれは私が浅慮だったとしか言いようがない。彼に金を持たせ、彼女を連れて来させた。だが、何らかの事情を知った彼は自身の父親を殺したのだ」

一同は息を呑んだ。院長は続ける。

「あの時、彼を無理矢理にでも巡礼団に加えるべきだった……そうすれば、彼が親殺しなどすることはなかっただろうにな」

悔恨に満ちた呟きが礼拝堂に響いた。

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

日が傾き始め、雪原が赤く染まりつつある。私とルーナはあの宿屋へ向かって歩いていた。

というよりルーナに半ば無理矢理引き摺られていったという方が正しいかもしれない。私の心はともかく、足が言うことを聞かなかったのだ。

「動きなさいよ、この意気地なしっ!」

私は苛立ちながら自分の足に拳を打ち付ける。その痛みに顔をしかめつつも、なんとか足を動かすことが出来た。

「おかえり、アーデルヘイト」

そこでは、母親が待っていた。私を地獄に落とした張本人である母親は、何事もなかったかのように笑顔で出迎えてくれた。

「ママ……」

「会えて嬉しいわ、アーデルヘイト」

母親の笑顔には一切の邪気が無いように見えた。むしろ喜んでいるようにすら見える。それが不気味だ。

「私も嬉しいですね」

私ではなくルーナがそれに返事をする。その声は冷たく、怒気を孕んでいた。

「あら、物騒なお友達ね、仮面なんてつけて」

ルーナは答えない。無言で腰に下げた剣の柄に手を置く。

「ちょ、ちょっとルーナ。やめなさいって……」

慌てて制止する。このままでは流血沙汰になってしまう。

「待った、ちょいと待ったー!」

そこへ、武装した衛兵たちが駆け込んできた。彼らは私たちを取り囲み、槍を向ける。

「お前たち、動くんじゃないぞ、武器を捨てろ!」

リーダーらしき男が大声で叫んだ。私たちは言われるままに武器を地面に投げ捨てる。

「尼僧に化けた武装集団が村を荒らしていると通報があった」

「……」

謀られた! 私の母はすでに先手を打っていたようだ。

「ねぇ、ママ、元の家族に戻ることは出来ないの……?」

私は一縷の望みをかけて母親に尋ねた。もうこれしか道は無いと思ったからだ。

「アーデルヘイト、誤解があるわね。あなたは自分だけが辛い思いをしていたと思ってるみたいだけど、別にあなた一人に客を取らせたわけじゃない。私も客と寝たし、あなたのパパも帰ってこないから、生きていくためには仕方なかった、そうでしょ?」

「そ……それは……」

それは、確かにその通りなのかもしれない。覚えがない訳ではない、母は、たしかに客の男の部屋に……。

「それなのに、あなたは酷い娘よ、自分一人逃げ出して。私だって辛かったのよ? あなたがいなくなってからは私一人で宿を切り盛りしていたんだから」

「……じゃあ、ニックは、なんなの。なんであなたの下で働いているの……それも奴隷として」

「あの子は自分の父親、私の再婚相手を殺したのよ。奴隷になって当然でしょう?」

9歳の私を最初に買った男と、再婚? ああ、本当に気持ち悪い。吐き気がしてくる。思わず膝から崩れ落ちそうになるところを必死に堪える。ここで倒れるわけにはいかないのだ。

「あら、好きなのあの子のこと? 彼、男娼としての才能はずば抜けてるわよ。あなたも買ってみたらいい」

「……黙れ」

「事実を喋ってるだけよ。本当に人気よ、男にも女にもね、特に年寄りたちにはウケがいいみたい」

なんでこんな女の元に生まれて、私達はいいようにされてきたんだろう。無力な子供には抗う術など無かった、ただ耐え忍ぶことしか出来なかった、仕方なかった、そんな言葉で片付けられて、よくある悲劇として片づけられてしまうのか。

いや、そうはいかない。そんなことは許さないと、私は強く思ったはずだ。例え純潔を奪われ、青春を奪われ、幼い頃抱いていた愛さえも踏み躙られても、なんとしてでも尊厳は奪い返さなくてはならない、それが騎士の道理だったとしても。

「ママ、私はあなたと決着をつける」

「どうやって?」

「……それはまだ分からないけど、必ず」

私がそう言うと、母親は笑った。まるでこちらを見下すように嘲笑うのだった。

「話はそろそろいいか? 聞くに耐えないんだが」

衛兵の一人がうんざりした顔でそう言った。

「待ちなさい。我々は本物の巡礼団です。巡礼団が武装するのは当然でしょう」

ルーナが衛兵を睨みつけた。

「まあ、確かにそうだが、証明する必要がある」

「その証明なら、私にやらせてもらえぬか」

そう言って取り囲む兵士の間を割って入ってきたのは院長であった。

「信徒に対して狼藉は許されんぞ、槍を下ろしなさい」

院長はそう言って兵士たちを諌める。しかし彼らはまだ納得していないようだった。

「しかしねぇ、我々も通報を受けて来たのだから……」

「これを見ても、我々が単なる武装集団と思うかね」

彼は懐から神龍クピドを象る紋章が描かれた黄金のメダルを取り出し掲げる。それを見た途端、兵士たちがざわめく。

「すごい金ピカ!」

「あれは間違いないぞ!」

「かっこいい!」

口々に驚嘆の声を漏らす。

「わかったか諸君、これはただの飾りではない。本物なのだ。さあ、通してもらおうか」

「でも、それが何の証明に……」

「不信心者め! これは選ばれし修道院にのみ存在する、クピドのメダリオンだ! これ以上疑うのであれば審問会にかけることになるぞ!」

院長の気迫を込めた一喝に、兵士たちはすごすごと引き下がった。

「し、失礼しました、不勉強でした……」

「わかればよい。そしてそこで見ているがいい、弱きものを助ける、クピドの起こす奇蹟を」

彼は私の方を向くとニコリと微笑む。

「アーデルヘイト、あとは我々に任せてもらおう」

私は黙って頷いた。これから何が起こるというのか、さっぱりわからないが……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40話:解放

 

「宿屋の女主人エスメ。これよりいくつか質問をさせてもらうが、構わんかな?」

「……ええ」

院長は、明らかに機嫌を悪くした様子の母に構うことなく話を続ける。

「では問おう。ニックという奴隷は村の共有財産であったものを譲り受けたものだな?」

院長が質問を投げかけると、母はこくりと頷いた。

「ええ、そうですわ。あの子はもともとこの村の住人ですもの。それが何か問題になりますでしょうか?」

院長はしばらく黙って母の目を見つめた後、ゆっくりと首を横に振った。

「いや、何も問題はない。ただ確認したかっただけだ」

そして再び母の方に向き直り、口を開く。

「それでは次の質問だ。その奴隷の期限は。犯罪奴隷なら期限が設定されているはずだがな」

「当然無期限、親殺しは重罪ですからね」

母は当然だとばかりに答える。しかし、それを聞いた院長の表情はあまり芳しくなかった。

「ふむ……なるほどな……通常であればそうだな」

院長は少し考え込むような仕草を見せると、続けて口を開いた。

「しかし、情状酌量ということもあるだろう。この文書を見るがよい」

そう言って一枚の羊皮紙を取り出すと、それを彼女に手渡した。

「こ、これって、嘘でしょ……確かに無期限って、私見たもの!」

「期限は3年間のみ! 地元の名士や当時の村長の署名、更には大部族長の印までしっかりと刻印されているぞ!」

院長の言葉に愕然とする彼女を尻目に、院長はさらに続ける。

「疑うのであれば教会の台帳を見てみるといい、そこにもしっかりと記されているはずだからな」

それを聞いて彼女は膝から崩れ落ちてしまった。そんな彼女の様子を気にすることなく、院長は再び口を開く。

「つまりあなたは健全な男児を違法に奴隷として使役していたことになる! 村人たちにも彼がいつからここにいるのか、証言はいくらでも取れるはずだ!」

その言葉を聞いた途端、彼女の顔からは血の気が引いていき、わなわなと震え始めた。

「そ、そんな……改竄したのね!? これは偽造よ!! 私はちゃんと読んだもの!!!」

激昂しながら立ち上がる彼女を冷めた目で見つめると、院長は静かに首を振った。

「この書類が今ここで出てきたということは、これもクピドの思し召しであろう」

その言葉に彼女は絶句してしまう。

「さて、衛兵よ。捕らえるべきはどちらかな?」

「う、うーむ、とりあえず、事情聴取をしなければならない。女将さん、ご同行をお願いします」

兵士の一人がそう言うと、もう一人の兵士が彼女の腕を掴んで立ち上がらせた。

「い、嫌っ!! なんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ!?」

抵抗しようとするものの、屈強な男たちには敵わず、そのままずるずると引きずられていくしかなかった。

「エスメ!」

パパが、連れて行かれる母の名を叫んだ。

「俺は、俺は何年でも待ってるからな……」

その言葉を聞くと、母は涙を流しながら、小さく頷くのだった。

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「大丈夫だとは思うけど、万が一にも改竄がバレたらどうなるかねぇ」

「破門でしょうね」

巡礼団は村から足早に立ち去ることになった。これからはドワーフ緒部族の土地を南下し、そのままヴェネトリオへと戻る。

パメラとキョーコの手によって奴隷契約の書類は改竄されていた。母の言っていた通り、ニックの奴隷契約は無期限になっていたようだ。

「すごいねぇ、キョーコくんの念写は! 文体も文字の癖もそっくりそのまま写す事ができるとはねぇ。更に私の鼻によって羊皮紙の年代まで完璧に複製したんだよ」

羊皮紙の年代によって臭いが違うとは初耳だが、彼女がそう言うのであればそうなのだろう。優れた念写能力でもそこまでは出来ない……と思う。

かくして、ニックは奴隷の身分から開放された。私に引っ付いて歩いているが、口を開かない。

私の心は複雑だし、まだふにゃふにゃな感じだ。一矢報いると決断した時にはすでに、仲間たちが行動を起こしていたのだから。

「……自分の手で剣を振るいたかったですか?」

ルーナが、馬上から私に声をかけた。

「どうだかねぇ、わかんないなぁ」

正直言ってよくわからなかった。確かに最初は自分でケリをつけたいと強く思っていたのだ。しかし今となってはどうでもいいように思えてきた。

なんだかスッキリしない部分もあるんだけれども、まあこれで良かったのかもしれないとも思う自分もいる。

以前心のなかにあった薄暗いものは、少し小さくなった気がする。それでも完全に無くなったわけではないけれど……。

「皆さん、あなただから動いたんですよ。私だってそう。パメラさんや院長、キョーコちゃん、バルトロさんやリリちゃんもです」

「嘘ね。誰だって助けるのがクピドの信徒よ」

「書類を改竄してまで?」

返答に詰まると、彼女はにっこりと微笑んだ。

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

「下世話な連中よ」

巡礼団はとある村に滞在することになり、私とニックだけ宿屋に泊まる許可が出た。それも同室である。

「いい加減、何か言ってほしいんだけど」

「……まだ、ちょっと、信じられなくて、ずっと考えてたんだ」

彼は、ベッドに腰掛けて俯いたまま呟いた。

「何を?」

「俺、本当に解放されたんだな、って」

「そうね、もう奴隷じゃないわよ」

私はそう言いながら彼の隣に腰を下ろすと、そっと肩を抱いた。すると彼もそれに応えるようにおずおずと手を重ねてくる。

「ありがとう……ところで、そこにいる女の子は誰?」

ギョッとして彼が見た方を振り向くと、そこには見覚えのある少女が立っていた。マリカだ。そして悪戯っぽく笑うと手を振ってくる。

「お邪魔だった?」

「お邪魔よ」

「酷い、仮にも神龍なのに」

そう言って頬を膨らませる仕草は愛らしい。彼女はいつの間にか部屋に入り込んできていたらしい。

「ね、大丈夫って言ったでしょ?」

「……そうね、ありがとう。あなたのおかげでもあるのよね」

「いや何もしてないし、神通力でどうにかしようとしてたところをみんなが勝手に解決しちゃってちょっと寂しいけど」

「そーなの!?」

私が驚くと、マリカはクスクスと笑った。

「きっと、みんなあなたが好きなのね」

「それはどうかなぁ……」

思わず顔が熱くなるのを感じたが、それを隠すように俯くしかなかった。

「それじゃ、邪魔したね。彼氏さんと仲良くね」

そう言って彼女は部屋を出て行った。

二人きりになると、なんとも言えない空気が部屋に満ちる。お互い、相手の顔を見ることが出来なかった。

「ふぅー……やっと、一区切りが付いたわ。何もかも遅すぎたけど」

私は大きく息を吐くと、隣に座る彼に寄りかかるようにして体を預けた。暖かい体温を感じることができるだけで、とても幸せな気持ちになる。

「遅くなってごめん、ニック」

「来てくれただけで十分さ。君もすっかり元気になってよかった」

「痩せ我慢よ」

ズタボロに傷ついた心が、元に戻ることはない。だけど私たちは前を向くしかない。

この傷を抱えて生きていくしかないのだ。

「ねぇ、修道院に来て、ニック。とりあえずそこから考えてもいいじゃない、私の荷物もあるし」

「そうだね……僕もまだ少し混乱しているんだ」

ニックはそう言って、ベッドに横になった。私もその横に寝転がる。

彼は少し迷っているようなふうに見えたが、やがて口を開いた。

「ねえ、一つ聞いていいかな」

「何?」

「君は、僕のことが好きなのかい?」

私がニックを好きか。考えたことはあまりない。まず間違いなく大事な人ではあるが、それが恋愛感情なのかと聞かれるとよくわからない。

「私はまだ、答えを持っていないわ」

「……そうか」

「でも、あなたのことはとても大切に思っているわよ」

それは間違いないと思う。でなければ、ここまで来ない。

「ありがとう、嬉しいよ」

そう言った瞬間、彼の顔が目の前にあった。口の中に何かが入ってくる感触があった。キスされているのだと気がつくまでに時間がかかった。

長い接吻のあと、ようやく解放された。息が上がっている私を見ながら、彼は言った。

「こ……これで、意識ぐらいはしてくれるようになったかな」

彼は少し強引なところがあった、が、ここまででは無かった気がする!

「ちょ、ちょっと……待って、まだ、待ってよ」

「もう十分待ったよ、10年以上……」

「そういう雰囲気じゃなかったでしょう!?」

突然の出来事に頭が追いつかない。心臓がバクバクいっているのがわかる。顔が熱い。こんな状態でまともに考えられるわけがない。

彼の手は手際よく、私の服を剥いでいく。抵抗しようとしても無駄だった。

随分上手なのね!と嫌味でも一つ反撃に言ってやりたいところだったが、彼の服の下にある無数の傷を見てやめた。

というか、そんなことを言う余裕はなかった。

「ん、うわっ、な、何この、下着……?」

彼は驚嘆の声を上げる……キョーコの世界、日本という国の伝統的な下着なのだから驚くのも無理はない。

「そ、その、マイクロビキニって、言うらしいんだけど……どう、かな」

呆然としていた彼の目がじわじわと爛々とした餓えた肉食獣のような目に変わっていくと、それが合図となった。

本当に、夢のような一夜であった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

エピローグ

 

巡礼団は、ドワーフたちの集落や街に滞在しながら南へと進む。

私の心は晴れやかとは言えなかった。父は戦場で傷つき、母は違法に奴隷を使役した犯罪者となってしまった。

次に訪れた時どうなっているのか、そもそも訪れることがあるのか。今生の別れとなってしまったのかもしれない。

元より父が戦場へと旅立った時点で家庭の崩壊は免れなかったのだろう。

私は……家族よりも、自分の幸せを選んだ。私は薄情者なのだろうか。

「私は、そうは思いませんけどね」

考えが口に出ていたのか、キョーコが私に語り掛けてきた。

「いわゆる毒親ってやつですよね。あ、これは私の住んでいた世界の価値観なんですが」

親だからといって公明正大で高潔な人物というわけではない、考えてみれば当然の事なのだが、子供でいるうちにはわからない。

「そうやって苦しんでいる子どもたちって、やっぱりこの世界でも多いんですよね……」

「あら、その子たちを私に助けろって言いたいの?」

「い、いえ、そういうわけでは……」

冗談めかしてキョーコに言うと、彼女は慌てて否定した。

「でも、そうね、私なら、手を差し伸べるかも知れない……助けられるなら、助けたいかも」

だって私は、助けて欲しかった……のかもしれない、から。

回りくどい感じだが、多分私は誰かに助けて欲しかったんだろうと思う。確証はないので、こういう表現になるが。

救いの手が必要だったかどうかなんて、救ってみないとわからないものだ。

私も最初はニックを恨んだが、色々あって、色々考えて、今ここにいる。

彼はというと、環境が激変したせいなのか精神的に若干不安定だ。とはいえ肉体的には元気である。

療養を終えれば、いずれ彼も敬虔なクピドの信徒になるのだろうか、それとも世俗に生きる道を見出すのだろうか。

「そういえばキョーコ、例の、ニホンの下着、助かったわ」

「日本の下着?」

「あの、マイクロビキニってやつよ。ニホンの伝統衣装なんでしょう?」

「えっ」

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

ヴェネトリオ修道院第七次大巡礼は終わり、一行はヴェネトリオ修道院に戻った。

修道士、修道女たちは彼らを帰還を盛大に祝った。

私たちは再び祈りの生活に戻るのだ。

「お姉様、私、あなたをずっとずっとお待ちしておりましたのよ!」

懐かしの令嬢、ザスキアは真っ先に私の元へとやって来た。

「私もあなたの顔が見れて嬉しいわ。アーデルベルトは元気?」

「うふふ、元気過ぎて夜寝る間もないくらいですわ……」

育児は大変そうだが、それでも幸せそうな彼女を見て、私も嬉しくなった。

長かった旅もようやく終え、私たちの新しい生活が始まる。

成長した修道士たちや、ミカやニックなどの新たな仲間を加え、修道院に賑やかな日常が戻った。

巡礼を終えてから数日ほど経ったある日、私とニックは二人で街に出かけることにした。

気分転換というか、久々に羽を伸ばしたかったからだ。

「なんというか、10年という月日を改めて感じるよ」

ニックはしみじみと言う。私の普段働いている姿を初めて見て、思うところがあったようだ。

「あんたは……年齢より老けてるわね」

同い年、22歳のはずだが、精悍というよりはくたびれた感じを受ける。

奴隷として使役されていた間にきっと壮絶な経験をしたのだろうから、無理もない。

「……ここでようやく、僕と君が出会えたのは、神龍クピドの思し召しなのかな」

「違うわよ、お互いに間が悪かっただけ」

「そうかな」

「そうよ」

ニックは少し寂しそうな顔をした。

「でも、僕はクピドに祈ることにするよ。そして立派な修道士になりたい、アーデルヘイト、君みた…」

彼が言いかけた言葉を制止する。

「私みたいな生臭尼僧を目指すことはないわ、目標はもっと高く持ちなさい」

ニックはまだ何か言いたそうだったが、私はそれを遮って言った。

「別に、俗世にいたって会えないわけじゃないし、自由に職を見つけていいのよ」

自由の身になったのだから、好きなことをすればいいと思ったのでそう言ったのだが、彼は首を横に振った。

「いや、僕の居場所はここだよ。君の隣が、僕の、生きる希望だったんだ……」

彼は私の手を握る。彼の目には涙が浮かんでいた……なんだか申し訳なくなってくる。

「……ごめん、ちょっと意地悪だったわ。私も一緒にクピドに祈ることにするわね」

そう言うと、ニックは嬉しそうに笑った。

「でもその前に、街で美味しいものでも食べましょう! ロタールの料理は絶品よ、絶対あなたに食べさせるんだから」

私はニックの手を引っ張って街へと繰り出したのだった。

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆

 

ふと気がつけば、マリカは忽然と姿を消していた。更に、院長と私を除いた全ての人間が彼女の存在を忘れてしまっていたのだ。

「思えば不思議な少女であったなぁ」

院長は呟く。少し寂しくは思うが、仕方ないことであるというのはわかっていた。

彼女はどこへ行ってしまったのか? それとも最初からいなかったのだろうか? そんな疑問が湧いてくるが、答えは出ないであろうことはわかっていた。

神霊の類は気まぐれなものだ。彼女は時々こうして下界に降りて人々をからかっているのだろう。

「ところで、賭博で儲けた分の金が見当たらないのだ」

……とんでもないやつだわ!

「神龍クピドへの寄進と思うことにしましょう。きっとこのヴェネトリオ修道院に幸運をもたらしてくれるでしょう」

「そうだといいんだがねぇ」

窓から、夏の始まりを感じさせる爽やかな風が吹く。少しお腹の張りを気にしながら、今日もまた、一日が始まるのである。

 




これにて完結です。
お付き合いいただきどうもありがとうございます!
途中のライブ感の部分はチョットアレですが、お楽しみいただけていたのなら嬉しいなぁ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。