スイープ、エミヤを召喚する (日高昆布)
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その1

一時は転勤族の様に凡ゆる作品に顔を出していたアーチャーに、ウマ娘の世界に行ってもらいました


 今日も今日とて残業に勤しむ秋川やよいと、その秘書駿川たづな。さてそろそろ切り上げようと言うタイミングで、遅くだと言うのに電話が鳴る。しかも外線ではなく内線なのだから、思わず顔を見合わせてしまう。何かあったのかと一抹の不安を感じながら、たづなは受話器を取る。

 

「もしもし、たづなですが」

 

『良かった。まだいてくれて』

 

「フジキセキさん? どうされたんですかこんな遅くに」

 

『申し訳ないんだけど、理事長と一緒に寮に来てくれないかな』

 

「やはり何かトラブルですか?」

 

『うん……トラブルである事は間違いないんだけど。どう対処すれば良いのか皆目見当がつかなくて』

 

 どうにも歯切れが悪い。電話越しの声の調子から重大なトラブルではない事は分かるが、普段から瞭然とした態度を取る彼女がそうなっている事で却って予想を難しくさせた。しかしいずれにせよ、生徒では対処できないレベルなのだから、早急に動くべきだろう。

 

「分かりました。これから理事長と向かいますので、少々お待ち下さい」

 

 受話器を置くと、理事長はすでに外出の用意を終えていた。

 

「と言う訳で残業続行ですが、すぐに行きましょう」

 

「承知っ! 生徒のためなら完徹など恐るるに足らず!」

 

 ・

 

 押っ取り刀で栗東寮に到着。玄関前にフジキセキが立っている。寮長である彼女が席を外しても大丈夫だが、理事長を呼ばなくてはならないレベルである事にますます疑問が深くなる。

 

「到着っ! して、どんなトラブルなのか?」

 

 疑問、と書かれた扇子で口元を隠す理事長。しかしその問いにやはり難しい顔を浮かべるフジキセキ。

 

「口では説明しづらくて。ともかく当事者と話してもらいたくて」

 

 玄関扉を開き中へと促す。中に入ると、リビングの方から遅い時間にしては人数の多い、と言うか多過ぎる談笑が聞こえて来る。しかもその中には中等組であろう生徒の歓声染みたモノも聞こえて来る。訳が分からず思わずフジキセキを凝視するも、彼女は肩をすくめるだけ。

 

「そうだ1つだけ言っておく事が」

 

 何事、と振り返る理事長。

 

「彼女が言う事は全部本当の事なので」

 

 殊更強調すべき事なのか、と首を傾げつつ、リビングのドアを開ける。

 

『あははははすごーい!』

 

 そこには赤服を着た偉丈夫の腕に掴まり、メリーゴーランドのように振り回されているハルウララとビコーペガサスの姿があった。予想の遥か上、と言うよりバットを構えていたらサッカーボールが飛んで来たようなレベルの予想外の光景に、理事長は「楽しそう」と、そしてたづなは「凄い体幹」と言う感想しか抱けなかった。

 ふと、回転中の偉丈夫と目が合うと、速度を緩やかに落とし、2人を床に下ろす。

 

「どうやら待ち人が来たようだ。さて私はこれから話し合いをするから、2人はもう部屋に戻るんだ」

 

 目線を合わせて言う偉丈夫の言葉にはーいと返事をし、各々の保護者の下へと帰って行く。そこで漸く理事長とたづなが我に返る。

 

「すわっ、不審者?!」

 

 と言う理事長に、思わぬ方向から否定の言葉が投げられた。腰に手を当て、精一杯胸を張ったスイープである。

 

「違うわ! そいつはアタシの、魔法少女スイーピーの使い魔よ!」

 

「使い魔だと?!」

 

 驚愕と書かれた扇子が床に落ちる。理事長は素直過ぎて却って話が進まないタイプだったので、たづなが事の真偽は兎も角として、状況の説明をフジキセキに求めた。しかしそれに対して明確な答えを返さず、偉丈夫に何かを促した。

 

「アレを見ればすぐにスイープの言ってる事が本当だと分かるよ」

 

 何がと問い返そうとした瞬間、目の前の偉丈夫が空間に解けるように姿を消してしまった。その現実離れした現象を、2人はたっぷりと時間を掛けて咀嚼し、そしてお互いを抱き締めながら叫んだ。

 

『幽霊?!』

 

「使い魔よ!」

 

 ・

 

 場所は移り理事長室。応接用のソファーに座った偉丈夫に、お茶を出すたづな。

 

「ありがとう」

 

 その隣に座っているスイープの瞳は、生涯で最もと形容して良いほどに輝いていた。魔法の証明と使い魔の入手。盆とクリスマスと正月と誕生日が一度に来たかのような気分なのだ。それはもう尻尾も制御不能になろうもの。偉丈夫、使い魔にバシバシと当たっていても何のその。

 

「その、もう少々お待ち下さい。情報を共有しておきたい方達がいるので」

 

「手間を掛ける」

 

 ややすると、扉がノックされた。

 

『理事長遅くなりました。シンボリルドルフ、エアグルーヴ、ナリタブライアン到着しました』

 

「入ってくれ!」

 

 3人は入室すると、すぐに奇妙な出立ちの男に気付く。こんな夜分遅くに来客? と少々の不審感を持ちつつ、理事長に尋ねると、スイープが元気良く答えた。

 

「違う(ry」

「使い(ry」

「ゆうれ(ry」

「使い(ry」

 

 と言うデジャブを感じさせる遣り取りを経て、漸く本題へと辿り着く。

 

「さて皆の衆、夜分遅くに集まってもらって感謝する。見ての通り彼は、そうだ、何と呼べば」

 

「そうだな、ひとまずはアーチャーと呼んでくれ」

 

「アーチャー? 弓兵?」

 

「すまないが私も状況を把握しかねていてね。そんな状態で本名を明かすのはリスクがあるのでね」

 

「把「ご主人様命令よ! ちゃんと教えなさい!」あく……」

 

「後で君にだけ教えよう」

 

「ならいいわ!」

 

 見事なコントロールであった。

 

「……では気を取り直して! 説明した通りアーチャー殿がスイープトウショウが古本屋で買った書籍に描かれていた魔法陣を基に呼び出した使い魔である事は皆も分かったと思う! それを踏まえた上で……踏まえた上でどうしよう」

 

 若い身ながらも、トレセン学園の理事長として辣腕とその他を振るう彼女であるが、此度の事態はその経験が何一つ役に立たない。縋るような視線を向けられたたづなもそれは同じだ。話し合いは一歩も進まぬまま膠着状態に陥ろうとしていた。

 

「……取り敢えず私の自己紹介でもしておこう」

 

「!!」

 

 スイープの食い付きは凄まじいものであった。ビシバシと刺さる強烈な視線を無視し、アーチャーは話し始めた。

 

「まず私は皆も見た通り人間ではなく、《ゴーストライナー》と呼ばれる存在だ。ゴーストライナーとは、概ね人類の歴史に於いて後世に名を残した人物が、その信仰によって人としての霊から精霊に押し上げられた存在だ。具体的にはアーサー王やその配下の円卓の騎士、エジソン、日本で言えば坂田金時や土方歳三などがそうだ。なので幽霊と言うのも間違いでもない」

 

 とんだビッグネームと肩を並べる存在である事にスイープを除いた皆の背筋が否応なしに伸びる。

 

「じゃあ使い魔はどんな英雄なの?!」

 

「ぬか喜びさせてすまないが、私は別の方法で彼女らと似たような存在になったに過ぎない」

 

「ええ〜〜」

 

 アーチャーが挙げた人物の中に女性はいなかったはずなのに『彼女』と言った事にルドルフは疑問を覚えるが、それよりも露骨に気落ちしているスイープの態度にヒヤヒヤしていた。本人が全く気にしていない事に胸を撫で下ろす。

 

「言っておくが君が私を召喚出来たのは、一連の騒動の中で最大の幸運なのだぞ」

 

「どこがよ」

 

「手前味噌で言っている訳ではない。先程ゴーストライナーは後世に名を残した人物だと言ったな。そう聞いてどんな人物を想像する?」

 

 ルドルフの脳裏に真っ先に思い浮かんだ言葉は『偉人』である。武勇で名を響かせたもの、作品が評価され文化の開拓者とされた者。

 

「偉人、でしょうか」

 

 ルドルフが答え、その答えに同意するように皆も頷く。しかしそう答えた本人がすぐにそれを覆す考えを思い付いた。

 

「悪名……」

 

 ボソリと呟かれた言葉にアーチャーは感心したように正解だと言った。

 

「その通りだ。君は聡明だな。──海賊、賞金首、殺人鬼。奴らが呼ばれる可能性もあったのだ。それに加えて武勇で名を馳せた人物も、角度を変えれば大量殺人者となるのだ。そして我々に現代兵器は一切効かない上、格として彼らに一歩劣る私でさえこの建物を簡単に崩落させる事ができる。そんな強大な力を持ちつつ制御不能な存在が呼ばれてしまったらどうする?」

 

 痛いほどの沈黙が部屋を支配している。危険性を説くためとは言え正直に話し過ぎたようだった。スイープに至ってはやらかした事の重大さに泣きそうになっていた。そしてその反応から、彼女らが魔術とは一切関係のない、謎の耳と謎の尻尾を持った存在だと確信した。

 

「君が悪意を持っていた訳でないのは、私もここにいる皆も分かっているから、そう落ち込むな」

 

 そう言いながら優しく頭を撫でる。

 普段から自分の気に入らない事はテコでもやらないと言う問題児な側面のある彼女だが、誰かの不幸や傷つく事を願うような性格ではない。友人が落ち込んでいれば魔法を使い励まそうとする心根を持つ少女なのだ。そんな彼女が自分が安易に行った事で大勢が死ぬかも知れなかったと言われれば、平静でいられるはずがない。

 

 ──少々脅し過ぎたか

 

 アーチャーは普通に罪悪感に苛まれていた。関係者かどうかの確認も含めた問答だったため危険性を偽る事なく伝えたのが、人への判断基準が魔術サイドに偏っていたために起きた失敗であった。

 

「少々強く言い過ぎたな。まあ何だ詫びと言う訳ではないが、これを渡そう。投影(トレース)()開始(オン)

 

 そう唱えた瞬間、衣服の上からでも分かる幾何学的な光るラインが腕を走り、掌へと収束していく。まるでワイヤーモデルが肉付けされるように、無であったはずの掌の上で創造される短剣。時間にして1秒にも満たない僅かな光景だが、それは間違いなく忘れられないものとなった。

 

「中世に錬金術師パラケルススが使用していた短剣アゾット剣、の刃を潰して銃刀法に引っかからないよう全体的にサイズダウンしたものだ。これは魔術師や、魔法使いの師が一人前になった弟子に贈るものだが、私を召喚し単独で維持している事とこれからの人として魔法使いとしての成長を期待して渡そう」

 

 割れ物を触るように、恐る恐る両手で受け取るスイープ。薄紫色の刀身と柄の先端に宝玉が光に照らされ、美しく輝く。感嘆の深いため息が吐かれる。調度品としても群の抜いた代物だが、それ以上に魔法使いから認められ渡された本物の魔法具だと言う事に、無類の喜びを感じていた。先程まで流していた涙までが、その喜びをより示す装飾になっていた。

 全く擦れていない素直な喜びように、おかしさと少しの愛しさで思わず苦笑するアーチャー。

 

「さて、そう言う訳でこの召喚陣は処分させてもらうぞ」

 

 気を取り直すように言うと、スイープの返答を待たず折り畳んだ紙を破いていく。肝心のコピー元がスイープの手元に置きっぱなしである事に気付いたルドルフが質問する。

 

「処分するのはそちらでいいんですか」

 

「ああ。そもそもその本は一昨年発行されたただの本だからな」

 

 アゾット剣に現を抜かしていたスイープが聞き捨てならないと、アーチャーに詰め寄る。そもその本に書かれている魔法陣を描き写したものから召喚されたのだから、本物に決まっているのだ。もし偽物だったら召喚されるはずがない、と弁護士のように矛盾を突く。

 

「簡単な話だ。君が描き間違えたのだ」

 

『え』

 

「君が馬鹿げた量の魔力を持っていた事、魔法陣を描き間違えた結果本物にした事、後はここが霊地と言う魔力の豊富な土地である事も関係あるかもしれんな」

 

「霊地っ?! ここはそんな土地だったのか?! まさか怪談話が妙に多いのは」

 

「無関係ではないだろうな。ともかくそう言う訳で、こちらのコピーを処分するだけで大丈夫だ」

 

 ある程度破ると、それを持って立ち上がる。もしかしてまた魔法を使うのだろうか、と少し皆が期待していると、机の傍らにあるシュレッダーに掛けた。すると途中紙屑が一杯になった知らせが響く。扉を開き、取り出したカゴから袋を抜き取り、紙屑を足で圧縮してから散らばらないよう注意しながら空気を抜きギュッと口を結ぶ。カゴの底にある梱包袋から新しい袋を取り出しセットし、カゴを戻す。その際本体を軽く叩き稼働部に残っている紙屑を落とす。落ちて来なくなったら扉を閉じて裁断を再開。

 浮世離れした格好のアーチャーが淀みなく事務員のように動く様は、とてもシュールな光景だった。

 

 ・

 

「私がどんな存在であるかは大凡分かったと思う。なので次はこちらから質問したい」

 

「了解っ! 何でも聞くと良い!」

 

「いや聞きたい事は一つだけだ。この日本に冬木市と言う土地はあるか?」

 

「たづな!」

 

「今確認します。……漢字は季節の『冬』と樹木の『木』で合ってますか?」

 

「ああ。その様子だと存在しないようだな」

 

「そう、ですね。過去にもそのような市の記録はありません」

 

「やはりか」

 

「質問っ! その街には何かあるのかね?」

 

「いや、ここが私のいた世界とは別の世界だと確認したかっただけだ」

 

 サラリと告げられる驚天動地の事実。あまりにあっさりと言われた事で、またも咀嚼に時間を要していた。

 

『ええ〜〜!!』

 

 計ったように同じタイミングで飛び出す驚きの声。

 

「私の世界には君達のような存在はいなかった。初めは私が知らないだけで秘匿された動物憑き専門の学園かとも考えたが、ここに来るまでに見たポスターなどから開かれた施設であり君達も一般に認知された存在だと分かった。後、外に普通に府中駅の文字も見えたしな」

 

「で、では、貴方の世界で我々ウマ娘に相当する存在は何なのですか」

 

「そうか、君達はウマ娘と言うのか。私の世界では、そうだな」

 

 徐に立ち上がると複合機の用紙入れの2段目から裏紙を取り出し、ソファーに戻るとそこに拝借した鉛筆でサラサラと絵を描いていく。皆が興味津々に覗き込む。描かれたのは四本足に、鬣を備えた大きな動物だった。

 

「優れた脚力を活かして運搬や人を騎乗させる事で昔から人と共にいた馬と言う存在だ。姿形は大きく違えど、脚に関しては共通しているようだな」

 

 ・

 

 アーチャーの正体からその危険性、魔術の披露、そして別世界の存在である事と、テンションが下がる暇が無かった事で精神的に疲労していたため、たづなが休憩を申し出た。皆で緑茶を啜り喉を湿らせ、昂っていた心を落ち着かせていく。ふと視界の端で、スイープが緑茶に全く手を付けていない事に気付くアーチャー。視線を少し上げると、彼女の瞼は何度も開閉を繰り返していた。時計を見ると、11時に差し掛かろうとしていた。

 

「理事長。残りの話し合いは明日でも構わないか? 彼女がご覧の通りだ」

 

「迂闊っ! 既にこんな時間であったか。どうりで眠い訳だ! アーチャー殿の寝床も用意しなければ」

 

「いやそれには及ばない。彼女から送られて来る魔力が潤沢だから睡眠の必要はない。ほら起きたまえ。寮に戻るぞ」

 

「う、ううん……」

 

 既に半分夢の中に入りつつあるスイープ。アゾット剣を胸に抱き抱えたままうつらうつらと船を漕いでいる。揺すっても声を掛けても眠気に打ち勝て無かった。

 

「仕方あるまい」

 

 嘆息しつつそう言うと、スイープと向き合う形でしゃがみ込み、肩を軽く押して自らの肩に顔を乗せると膝の裏に腕を差し入れ、そのまま立ち上がる。

 

「寮長に連絡を入れておいて欲しい。ああ、それとすまないが、その紙を処分しておいてくれ」

 

 たづなが馬の描かれた紙を取ろうとすると、そこにいつの間にか文章が書かれていた。『すぐに戻る』と。顔を上げると、アーチャーは既に扉の向こうに消えていた。

 

 ・

 

 ややすると、内容通りアーチャーは戻って来た。

 

「更に時間を取らせてすまないな。理事長は大丈夫か?」

 

「無論っ。まだ頑張れる」

 

 語気が明らかに落ちていたが、彼女にもここに居てもらわねばならないため、早速本題を切り出す事にした。

 

「今後の事だが、まず大前提として私は契約を解除するつもりだ」

 

 それは意外な内容だった。ここでのやり取りしか見ていないが、我儘な面のある彼女を上手く嗜められているし、それ以外での言動も人として信頼、信用できるものであっただけに、一方的な契約解除の申し出は素直に受け取れるものでは無かった。

 

「何故ですか? 彼女に何か不満が」

 

「子供の我儘に目くじらを立てる程器量は小さくない。単純に私がこの学舎に於いて相応しくない存在だからだ。すまないが何故、については君達に聞かせられる内容ではない、と言う事で察してくれ」

 

「……スイープさんが悲しみますよ」

 

 留意させるだけの反論を咄嗟に思い付けなかったたづなは、感情に訴える事しかできなかった。しかし正にそれこそがアーチャーが態々戻ってまで相談したい懸念事項であった。

 

「その通りだ。私は一方的に契約を解除する術を持っているが、それをするとどんな反応をするかは手に取るように分かる。なので君らには説得を頼みたい」

 

 そうなる事が分かっているなら何故スイープに優しく振る舞ったのか、と思わず語気を強く問うてしまう。たづなの様子に流石に他の面々はギョッとするが、アーチャーは特に気分を害した様子もなく苦笑しながら答えた。

 

「それに関しては私のミスだ。確認と警告としてああする必要があったとは言え、流石に殆ど一般人の女子が泣いてるのを放っておけるほど人でなしにはなれていないのでね」

 

 肩をすくめ笑いながら言うが、息を一つ吐くと、口を真一文字にし頭を下げた。

 

「すまないが協力してくれ」

 

「……承知。元々事故で呼び出された様なもの。帰還の決定権は君にある」

 

「感謝する」

 

「それで滞在期間が変わる理由については」

 

「少しここで調べなければならない事があるからだ。それの結果次第と言うところだ」

 

 魔術、魔法に関する組織の有無。もし存在し、こちらの世界と似た性質を持っているとすれば間違いなく接触を図ってくるはずだ。記憶処理や自身の帰還(信用出来るかは置いておいて)だけで済めば良いのだが、そうではなかった場合が問題なのだ。なので今夜中、遅くとも明日中には探し出す必要がある。

 ただこれを馬鹿正直に言えばいらぬ不安を与えてしまうため、詳細を尋ねられる前に次の話題に移る。

 

「それでだ、スイープを説得するにあたってだが、もう少し私と言う存在を明確にしていく。私は守護者と言う存在で──」

 

 ・

 

 夜が明けた。夜通しで街を虱潰しに調査し、現段階で判明した事は途轍もない熱量でウマ娘を盛り上げていると言う事だけ。少なくともこの街にはそれらしき組織の痕跡を見る事はなかった。また召喚されてから現在までで、監視の使い魔の類も確認出来ていない。このまま数日滞在し、何も問題がなければ帰還できるだろう。

 屋上からは土曜日だと言うのに数多くの生徒が登校して来る様子が見える。様々な形の耳や尻尾を見ながら、ふと騎馬で名を馳せた者や著名な愛馬はどうなっているのかと疑問を覚える。聞けば答えてくれるだろうが、あまり親交を深めても相手に辛い思いをさせるだけなので胸の内に仕舞っておく。

 時計を確認すると、集合の時間までもうすぐであった。霊体化したまま校内に戻り、理事長室を目指す。道中で生徒と何人もすれ違うが、当然誰も反応する事はない。やましい事をしている訳ではないのだが、どうにも居心地の悪さを感じていた。足早にそして意図的に生徒達を視界に入れぬようにしながら向かう。それ故、固まったままアーチャーを凝視していた黒髪の生徒にも気付かなかった。

 目撃される可能性を極力抑えるため実体化せずに室内に入る。中にはスイープを除いた昨日の面々が揃っている。

 

「おはよう」

 

 驚かせないようタイミングを見計らい実体化する。時間からそろそろ来ると予想していたのか、多少の動揺で済んだようだった。

 

「おはようっ! しかし何度見ても驚いてしまうな」

 

「こちらとしても新鮮な反応が見れて嬉しいな。スイープはまだか」

 

「それなんですが、今し方連絡がありまして何か愚図ってしまってるみたいでして今フジキセキさんが連れて来てくれるそうです」

 

「ふむ、昨日の様子を見ると朝イチにでもここにいても良さそうだったが」

 

 ルドルフが顎に手をやり意外そうに言う。アーチャーとしては昨日の振る舞いから、寝起きの子供でも違和感はなかった。

 

 ややするとノック音の後にフジキセキの声が聞こえた。たづなが入室を促す。扉が開くと困り顔のフジキセキと、彼女に連れられたスイープがいた。しかしスイープの様子がおかしかった。口を真一文字に結び、目尻は下がり、鼻を啜っていた。昨日見たばかりの表情、つまり泣く一歩手前。何があったのかと皆が問おうとした瞬間、彼女はアゾット剣を抱きしめたまま一目散にアーチャーに突進。そのまま胸元に顔を押し付け押し黙る。

 外見に似合わぬ当たりの強さに少し驚く。

 

「スイープどうした」

 

「……アーチャーの、夢を見たの」

 

 瞠目し、思わず天を仰ぎ見る。完全なる失態に、舌打ちしそうになる。

 飄々とした表情を崩さないアーチャーが見せた苦渋の顔に、皆にも動揺が走る。

 

「どこまで見た」

 

「……最期まで」

 

「そうか。怖い思いをさせてすまない」

 

 アーチャーは自身の生涯が一般人から見ればどう映るか重々承知していた。大凡の者が経験し得ない事柄で彩られているのだ。それを年端もいかない少女が見ればどうなるか。

 しかしスイープはその謝罪に顔を上げぬままかぶりを振る。全てを見た訳ではなく、コマの抜けたフェナキストスコープの様に飛び石で見ただけに過ぎないが、アーチャーがどの様に生まれたのか、何を成し、その果てを知った。確かにアーチャーの言う通り、少なくとも半生は血に彩られたものだった。それでもスイープが抱いた感情は恐ろしさではないのだ。

 

「違う……! 正義の味方になるためにって、あんなに一杯苦しくて痛い目にあったのに、あんな風に言われて、裏切られて、それで……!」

 

「スイープ、君は……」

 

「それが! それが、悲しくて、泣いてるのよ……!」

 

 我慢していた涙と嗚咽が堰を切ったように溢れ出る。自身のために涙を流す少女を思い、優しく頭を撫でる。

 

ああいう生まれ(・・・・・・・)オレ(・・)にとって、正義の味方は何が何でも叶えなくちゃならない夢だった。本当は何があっても自分の味方でなければならないのに、オレはそれが出来なかった。ただ助けられれば良くて、見返りを一切求めない。現代の戦場に於いて見返りを求めぬ聖人などただの悍ましい存在でしかない。それが分かったのは死んでから随分経ってからだった。そして正義の味方を目指した事自体が間違いだったとも思う様になった」

 

 痛いほどの沈黙。誰もが口を挟めずただただ聞き入っていた。

 

「でも間違いじゃなかった。例え自身の内から出た夢でなくとも、オレの果てがアレであっても、その途中で助けられた人がいた事は事実だ。そして誰かのために、と言う願いが間違いであるはずがないんだ。……まあこう思える様になったのはつい最近で、更に業腹な事に過去の半人前の自分に教えられたんだがな。だからオレはこれからも頑張れるさ」

 

 だが、と言葉を続ける。

 

「オレのために泣いてくれてありがとう」

 



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その2

新作日刊にて11位を取れました!
ありがとうございます!

そしてウマ娘の並外れたコンテンツ力にビビりました。PVも感想数もお気に入りも1話でこんなに入るとは思いませんでした。楽しんで頂けるように邁進して参りますので、よろしくお願いします。

誤字報告もありがとうございました。


 スイープはフジキセキに付き添われ顔を洗いに行った。

 一方の室内は妙な雰囲気になっていた。発生源はアーチャーである。非常に辛気臭いものを醸し出していた。瞑目し、皺の寄った眉間を揉み解そうとしていた。

 

「理事長。君の生徒に怖い思いをさせた事、君達にも不快な話を聞かせてしまいすまなかった。互いの過去を夢に見る可能性を失念していた」

 

「無用っ! 本人が受け入れている事であり、アーチャー殿が意図的にそう言う行いをしない事は分かっている! 後、自分を下げる様な事は言わない方がいい」

 

 それは理事長だけでなく、ここにいる全員の共通認識であった。つくづく自分には勿体無い世界だと思ってしまう。

 

「それで、その本題はどうするつもりだね?」

 

 恐る恐る切り出す理事長。契約解除は昨日の時点では了承していたが、たった一晩経ただけで2人の関係性は大きく変化してしまっている。正確に言うならばスイープ側の認識なのだが。少なくともただの使い魔と言う認識ではなくなっているだろう。ともかくその変化した関係性を鑑みると、理事長としては一度保留にして欲しいと言うのが本音ではある。あくまで解除に拘るのであれば、説得の手伝いはするが、間違いなく拗れるだろうし、下手すれば長期的な意欲低下にも繋がりかねない。

 理事長の言外の懸念、そして彼女以外からも同じような心配を多分に含んだ視線がアーチャーに集中する。

 

「……敢えて誤魔化さずに言うが、私がスイープとの契約、ひいてはこの学園での長期滞在を固辞していたのは、私が人殺しだからだ。生前だけではない、守護者になってからも数え切れぬ程に殺した。故に彼女にもここにも相応しくないと思っているのだが……」

 

 未だ答えを出せていないのだろう、再び難しい顔をして黙り込む。まだ直接口にこそしていないが、スイープ本人が、加えて理事長達が契約続行を希望している時点でアーチャーの考えはある種自己中心的なものでもある。そしてアーチャー自身その事を自覚しているのだが、半生と守護者になってから縁もゆかりもなかった裏の世界と一切関係のない環境であるだけに、簡単には承服しかねているのだ。

 

「…………一旦保留にしておこう。今この場で解除云々の話をすれば大暴れするだろうからな」

 

 渋々、苦渋の感情を隠さずに言うアーチャー。対照的に安堵の表情を浮かべる学園側の面々。

 

「あくまで一旦保留だからな。それは忘れないでくれ」

 

 ・

 

「でだ。ここで(しばらく)暮らしていくにあたってこちらから希望がある」

 

 スイープが戻って来たタイミングで(フジキセキは帰宅した)アーチャーがそう切り出した。

 

「……無給で構わんから何か適当な仕事が欲しい」

 

 赤い外套を摘んでいるスイープがキョトンとした顔でアーチャーを見上げる。何変な事を言ってるのだろう、と。

 

「使い魔なんだからアタシの傍にずっといれば良いじゃない」

 

「考えてみたまえスイープ。私は現界に必要な魔力を君から貰っている。対して私は君に何ができる? ここが私のいた世界であれば強力な戦力としているだけで意味がある。しかしここでは違う。与えられるだけで何もしないのでは、タチの悪いヒモ男だ」

 

 アーチャーの迷いを知っている身からすると、今の状況は妥協してもらった上でのものと言う認識だ。それを鑑みれば霊体化して自由にしてもらっても文句は言えないのだが、微塵もそんな事を考えていない様子に、皆が薄々思っていた事が確信に変わっていく。

 

 ──とても生真面目だ……

 

 その生真面目さはこの場にいるあるウマ娘が気不味そうに目を逸らしてしまうレベルだ。

 

「とは言え簡単でない事も重々承知している。しばらくはスイープの背後霊をやっておく」

 

「勤勉っ! しかしそれを考慮するにあたっては、アーチャー殿の得意な事を把握しておく必要がある」

 

「ちょっとご主人様を差し置いて話を進めないでよ!」

 

 とんとん拍子に進んでいく話に危機感を覚えたスイープが待ったを掛ける。もちろん理屈の通った反論など無く、それを承知している皆からの生暖かい視線に晒され怯む。微笑みさえ混じった視線に頬が紅潮していく。

 

「待ちたまえスイープ。こうも考えてみろ。私の容姿は見ての通り非常に目立つ。それに着飾ればそれなりに映えるだろう。そんな男がもし有事の際に君の言葉に付き従い、君の指示で八面六臂の活躍を見せたらどうなる?」

 

 そのシチュエーションを想像しているのだろう。目を閉じ、うむむと唸るスイープ。そして笑顔になる。賞賛されている場面か、それとも自分も一緒に活躍している場面なのか。

 その手慣れたノせ方に、理事長は彼女と、そして似た気質の生徒達のトレーナーをやってくれないかな、と考えていた。

 

「私の得意な事だったな」

 

 その様子を見て問題なしと判断したアーチャーは、妄想に耽るスイープをそのままに話を進め始めた。

 

「さてここで使えそうな事と言ったら調理、は目立つ可能性があるからダメだな。弓道部での指導、は学園の性質的に部活に熱を出す生徒はいないか。となると機械の修理を中心とした雑用か?」

 

「……アーチャーさんに雑用、と言うのは恐れ多いような。と言うより弓道は納得ですけど意外な特技ですね」

 

 たづなが苦笑しながら言う。

 

「料理の出来ない家族が多かったのでね、自然と上達したのさ。機械修理は魔術の訓練を兼ねていたら、と言う訳だ」

 

「僥倖っ! 我が学園ではトレーニングマシンを筆頭に凡ゆる機械が酷使されているから、それを業者を通さずに修理できるなら予算の節約にもなる! しかし無給と言うのは逆に心苦しいな」

 

「とは言え、使う宛も無いのでね」

 

「課題っ! 何かそれに代わる物を考えておこう! さて、アーチャー殿の雇用については準備が出来次第スイープ君に知らせよう」

 

 と言った所で主だった議題は終了となった。そう思うと精神的な疲れがドッと押し寄せる。今日は各々の業務を早々に終わらせて早めに帰宅しようかと考える程だ。

 

「話は終わったわね! じゃあ今からこのスイーピーが学園を案内してあげるわ!」

 

 胸を張りながら言うと、了承も得ぬままアーチャーの手を掴み引っ張──ろうとしてもんどり打つ。ジト目で睨み、もう一度引っ張ろうとするが驚異的に不動。

 

「何でよ!」

 

「君のアクティブさは長所でもあるが、一度立ち止まってみたまえ。こんな格好をした部外者の私を連れて歩く気かね」

 

 言われてアーチャーの格好を改めてマジマジと見る。黒いボディアーマーと、中途半端な面積の赤い外套。昨日は興奮のあまり、今朝は悲しみのあまり気にしていなかったが、今改めて思う事は。

 

「……そう言えば変な格好ね」

 

 本当に物怖じしない子だな、と理事長達を戦慄させる。

 

「伊達や酔狂で着てる訳では無いのでね。それにこれはさる聖人を包んだ聖骸布だぞ?」

 

「せーじん、せーがいふ……そう!」

 

「……まあ普通に生きてく上で知らなくとも大丈夫な単語だから気にするな」

 

 口角を微かに上げた笑みは誰がどう見てもバカにしたものだった。

 

「今アタシの事バカにしたでしょ!」

 

 ブンブンと手を振り回すが、額に添えられた手一つで見事に抑え込まれていた。文字通り片手間である。しれっとやっているが、ウマ娘達には割と衝撃的な光景であった。

 

「気のせいだろう。さて、そう言う訳で着替える場所が欲しい」

 

「でしたら隣室をお使い下さい。一応私の待機室ですけど、ほぼ使ってませんので」

 

「ありがとう。スイープいつまでもじゃれ付くな。それともこのまま隣室まで押して行こうか?」

 

「何言ってんのよ!」

 

「ではいい加減大人しくしたまえよ」

 

 意外な一面、と言うにはアーチャーの人と成りを知らなすぎるが、実に楽しそうに揶揄っていた。

 

 ・

 

 ノック音。着替え終えたアーチャーが戻って来た。

 黒いワイシャツに、同色のチノパン。開かれた第2ボタンから僅かに除く鎖骨、肘上まで捲られた袖で顕になっている徹底的に無駄を削ぎ落とした筋肉が得も言われぬ色香を放っていた。スイープと学園長は似合ってるなぐらいにしか感じていないが、色恋沙汰にまるで興味のない生徒会3人娘でさえ内心動揺していた。そしてたづなはそこに危険性を感じていた。

 

 ──この格好で外を歩かせるのは危険なのでは? 

 

 この学園は『女』の文字こそ入っていないが、ほぼ女子校である。そんな場所を見慣れぬモデル体型の男前が練り歩いたらどうなる? かと言って生徒の目に毒だから着替えて下さいとも言い難い。と言うよりそんな事を言えば自分がそう思ってるからだと伝えてしまう様なものだ。せめて第一ボタンまで閉めて欲しいか、袖をもうちょっと戻して下さいぐらいなら気まずくならないだろうか。

 

「照覧っ! 我が校の生徒達の勇姿を存分に見て来て欲しい!」

 

 考え込んでいる間に2人は既に出立していた。

 

 ・

 

「スイープ。言うまでもない事だが、事情を知っている者以外がいる場では迂闊な事を口にしないでくれ。誰が聞いてるか分からんからな」

 

「分かってるわよアーチャー」

 

 この外見であってもアーチャーと言う呼び名は目立つだろう。しかし帰還の事を考えればこれ以上のパーソナルな情報を教えてしまうのは避けたかった。過去を知られている以上、ただ悪あがきに近いのだが。

 

「結構。それでどこに向かってるのかね」

 

「食堂よ!」

 

「……何故最初に食堂なのかね」

 

「まだご飯食べてないからよ」

 

「それはいかんな」

 

 案内すると言って最初にする事が食事と言う辺り、中々の唯我独尊ぶりだった。それはそれとして朝食を摂る事は、アスリートでなくても重要であるため異を唱えるつもりはなかった。

 食堂に近づくにつれ、すれ違う生徒の数が多くなってくる。来客証をぶら下げた男性は特に珍しい者ではないが、アーチャーの外見はやはり目立つものであり、視線を集めていた。ちょくちょく投げられる挨拶に律儀に返事をしていると食堂に到着する。土地の規模、見かけた生徒の数から想像していたが、その大きさに思わず声を漏らす。

 

「立派なものだな」

 

「でしょう! それに結構美味しいのよ」

 

「そうかね。所で好き嫌いせずに食べてるだろうな?」

 

「──さあ、早く席取りするわよ!」

 

 アスリートとしてどうなのかと思ったが、そこまで口出しする権利も、口出しされる謂れもないため苦笑に留めた。

 食堂内に入ると、より一層視線が集中する。萎縮するようなメンタルではないが、予想以上の視線にどこかで待っているべきだったかと若干の後悔をする。そもそも友人との食事に得体の知れない男が同席する事自体、相手側からしたら御免被りたいはず。今からでも言うべきか、と考えていると

 

「スイープさーん!」

 

 と、彼女を呼ぶ声。視線をそちらに向けると、昨夜召喚された際に彼女の近くにいた黒髪の生徒──キタサンブラックが立ち上がり手を振っていた。同席している生徒も昨日見た子達だった。呼ばれたスイープは、アーチャーの同席を断られるとは微塵も考えていない様子でこっちよ、と促す。ただ流石に背面が向き合う、本来は歩くスペースではない隙間を通る気にはならないので迂回して向かう。

 

「スイープさん大丈夫ですか?」

 

「ん? 何が? それより改めて紹介するわ! あいつがアタシの使い魔のアーチャーよ!」

 

 改めて、の時点で嫌な予感がして足を早めたが、走る訳にはいかず、敢えなく堂々の宣言を許してしまう。迂闊な事を言うな、と言った傍からこれであるが、たぶんスイープの中ではセーフ判定なのだろう。もっと内容について詰めておくべきだったと後悔する。どうしても今までの常識でものを考えてしまうため、変なトラブルを起こさないために早々に齟齬を埋めなくてはならない。

 

「……はぁ」

 

 今まで感じた事のない前途多難さにため息が漏れる。早く来いの手招きに、敢えてゆっくりと歩くぐらいの意趣返しは許されるだろう。

 

「皆、おはよう。それとスイープ。目の前で食事している子もいるのだから、あまり大きな声を出すものではないぞ」

 

 さてどこに座ろうかと逡巡していると、スイープが促すまでもなく2人が横に移動し、中央に座らされる。昨日あれだけ衝撃的な邂逅を果たしている上、ビコーペガサスとハルウララ相手にメリーゴーランドしているのだから遠巻きにされるはずがない。事実昨夜はアーチャーの話題で持ち切りだったのだ。

 

「じゃあご飯貰って来るから。アーチャーはどうするの?」

 

「私は大丈夫だ」

 

 皆にお披露目出来たのが相当に嬉しかったのか、スキップしながら受け取りに行った。

 さて残されたアーチャーは、今まで感じた事のない居心地の悪さに参っていた。同じテーブルだけでなく、周囲からも視線が集中しているのだ。しかしスイープが帰って来るまで黙りっぱなしなのはいい大人がやる事ではない。

 

「昨夜は遅くなのに騒がしくして申し訳なかったな」

 

「いえいえ! あの、スイープさん大丈夫でしたか?」

 

 黒髪の子が問う。スイープ本人が浮かれて忘れているため顛末が心配なのだろう。

 

「解決済みだが、それについてもすまなかった。理由については話せんが私の落ち度だ」

 

「それなら良かったです!」

 

 あっさりと信用される事にどうしても違和感を抱いてしまう。実に今更な事ではあるが、我ながら擦れたものだと思う。

 

「所で話は変わるのだが皆に頼みたい事があるんだが良いかね」

 

 そう言うと皆が一斉に顔を寄せた。超常の存在からの頼み事。そして気取った話し方がいらぬ誤解を与えていた。

 

「前のめりになってる所すまないが、ただ昨夜の事を口外しないでくれ、と言う事と見ていてここにいない生徒にも伝えてほしいと頼みたかっただけだ。まあ信じる者がいるとは思わんがね」

 

 そこまで言ってから、女子生徒──キングヘイローに手を引かれて歩いている昨夜文字通り振り回したハルウララが見えた。

 

「……訂正だ。信じそうな生徒もいるだろうから他言無用で頼む」

 

 皆がアーチャーの視線を追い、誰を見て言ったのかを確認し納得する。この学園は中高一貫校であり、それこそ中学一年生ともなれば小学生と大した違いはない。

 

「あ、昨日の使い魔さんだ! おはよー!」

 

 満面の笑みで挨拶をするハルウララ。キングヘイローが尻尾をつんと上向かせ、加えて耳と顔と身振り手振りでこれでもかと仰天している。

 こちらに一直線に走って来るハルウララを無視など出来ようはずがなく。テーブルの端から身を乗り出す彼女に、硬い笑顔を添えて手を振りながら挨拶を返す。

 

「おはよう。ここには他の生徒もいるからもう少し声を抑えた方がいいぞ」

 

「ウララさん! 食堂なんだから走ってはダメよ」

 

「あ、そうだったね。ごめんね2人共! 使い魔さんもご飯?」

 

「……呼び方はアーチャーで頼む。スイープの付き添いだよ」

 

「分かった、アーチャーさんね。わたしはハルウララって言うの! よろしくね!」

 

「よろしく……」

 

 彼女の自己紹介で、テーブルに座っていた面々は自己紹介していない事に気付き順繰りに名前のお披露目会となった。

 悉く、いっそ清々しい程に目論みが外れていく。凡ゆる事で読みを外している現状に、自分の心眼は実は役立たずなのでは、と言う疑念さえ浮かんでしまう。

 

「あ、こら! ご主人様差し置いて何楽しそうな事してるのよ!」

 

 自分を混ぜない談笑を許せないスイープが条件反射で割って入る。その発言にハルウララが食い付く。状況はどんどんカオスになっていく。アーチャーの気分は波間に揺れるビニール袋だった。

 

 ・

 

 わちゃわちゃのまま食事が終わり、食堂を後にする2人。

 経験の無い類の気疲れにため息が漏れる。

 

「次はどこに行くのだね。出来れば静かな所を希望したい」

 

「なら喜びなさい! たぶん静かな所よ!」

 

「たぶん……」

 

「武道場よ!」

 

 ・

 

 学生時代の、少なくとも学校に関する記憶が残っていないアーチャーであってもその武道場が大きな物だと言う事は分かった。

 玄関は開かれているが、中から物音は聞こえてこない。学園の性質上、生徒全員陸上部員のようなものだからここで汗を流す生徒はあまりいないのだろう。

 

「しかし意外だな。君が武道を嗜んでるとは」

 

「? やってないけど?」

 

「では何故ここに?」

 

「使い魔の弓の腕前を見せて貰おうと思って!」

 

 弓道場へ続く扉を開こうとしていたスイープが振り返り言う。良い笑顔である。

 まさに猪突猛進。思い立ったら実行せずにはいられないと言うのか。回数を追う毎に重く深くなるため息。

 

「許可は取ったのかね?」

 

「……取ってないわね」

 

「知っているとも。朝からずっと一緒にいるからな」

 

「無いとダメなの?」

 

「当たり前だろう」

 

「誰に聞けば良いのかしら」

 

「知っている職員が理事長とたづなしかいない私に聞くかね」

 

 そんなコント染みたやり取りが聞こえたのだろう、弓道場の扉が開かれた。袴を着た短い前髪に白い星の入った栗色のロングヘアーのウマ娘が立っており、上下に差の激しいコンビに柔和な声色で話し掛けた。

 

「どうされました?」

 

「練習の邪魔をしてすまない。話を通さないまま見学しにここまで来てしまってね。もしここに責任者がいるのなら可能なのかを尋ねたいのだが」

 

「私1人しかいないので構いませんよ。でも次はきちんと確認しましょうね?」

 

 と、スイープに視線を移して言う。自身の不手際を自覚したのかバツが悪そうに顔を背けた。そんな反応に、あらあらと言い笑う彼女。

 促され中に入る。一面の板敷。壁際には弓立が置かれており、グラスファイバー製や竹製のもの、並、伸と各種揃えられている。今使っているのが1人なため、弦は張られておらず本体に巻き付けられている。

 スイープは見た事のない弓を興味深そうに観察し、アーチャーはその横の壁に貼られている弓の強さが記載された紙を見ていた。ハルウララやビコーペガサス、スイープに戯れ付かれた時に実感していたが、やはり成人男性を遥かに凌駕する膂力を持っているようで、全体的にかなり高い数値になっていた。

 

「何見てるの?」

 

「弓の強さだ」

 

「ふーん。アタシでも引ける?」

 

「素人がやっても矢を飛ばせないし、下手をすれば顔に怪我をするだけだから止めておけ」

 

「外での会話が少しだけ聞こえてましたが、経験者の方なんですね」

 

 と、後ろから袴のウマ娘が声を掛けた。

 

「そうよ! 何てたってアーチャーって名前なぐらい上手いんだから!」

 

 自分の事では無いのにこれでもかと胸を張るスイープと、呆れ顔のアーチャー。

 

「ふふふ、アーチャー(弓兵)ですか。ここに来る事を運命付けられているようなお名前ですね」

 

 そんな2人の対照的な様子が可笑しかったのか、口元を隠しながら控えめに笑い声を上げる。

 

「でしたら引いてみます? 私としてもそんな渾名を頂戴する方の射を是非とも見てみたいので」

 

 渡りに船と言わんばかりの提案に、スイープは目を輝かせる。期待の篭った2人の視線に、アーチャーは苦笑いで応じた。

 

 ・

 

 予備のかけと胸当てを借り、伸弓と矢を1本携え、中の的前に立つ。

 視線の先にある鏡に写る自分を見る。普通の人間のような出立ちに失笑しそうになる。

 ──足踏み

 

 ──胴造り

 

 ──弓構え

 

 ──打起し

 

 ──引分け

 

 ──会

 

 ──離れ

 

 ──残心

 

 ・

 

 あまりに完成し過ぎた射法八節はどこか空虚的でいて、そしてどこまでも美しかった。その射が必中なのだと、結果を見る前に分かった。決して常人には至れぬ境地。

 これを見ているのが自分だけなのが勿体無く、そして自分だけなのを安堵した。

 

「お見事です」

 

 どれだけの言葉を重ねても足りない。故にその短い言葉に万感の思いを込めた。

 

「ありがとう。久しぶりにやったが、悪くないものだ」

 

「また引きたくなったらいつでも」

 

「気が向いたらそうしよう」

 

 一方のスイープは、武道の心得が無いながらもその絶技に感じ入るものがあったのだが、それを表現する語彙がなく、口を半開きにして唖然としていた。些か以上に間抜けな顔に、溜め息と共に顎を押し上げられた。

 

 ・

 

 図書室に行ってスイープ厳選の魔法関係の本を紹介され、食堂で昼食を摂り、ジムに案内されそうになり、三女神を紹介され、食堂でおやつを摂り、花壇でホース相手に悲鳴を上げているエアグルーヴを目撃し、ライブの練習風景を見たりして、気付けば時間は夕方となっていた。

 スイープが最後に連れて来た場所は、この学園最大の特徴と言える4つのコースを備えたトラック。

 空の色はとっくに茜色になっているが、まだ多くの生徒が汗を流しながら走っていた。勿論自身とは比較するべくもないが、とてもそんな速度を出せるような体躯をしていない女子が時速70km前後で走り、鎬を削り合っている光景は新鮮なものだった。

 

「中々見応えのあるものだな」

 

「そうでしょう! アタシはここでグランマが教えてくれた『レースの魔法』を使えるようになるの!」

 

「ほう。レースの魔法とは大きく出たな。それはどんなものだ?」

 

「……まだ分かんない」

 

「そうかね。ならばそれが見付けられる事と、良き理解者が現れる事を祈っておこう」

 

「……アンタは手伝ってくれないの?」

 

「残念だが手伝える事が何も無いのでね」

 

「……ねえアーチャー」

 

 視線はトラックに向けたまま。帽子のつばに隠れ、表情は伺えない。

 

「アンタ帰る気でしょ」

 

 確信に満ちた言葉と、自身を見る目が誤魔化しを許さないと言っていた。

 

「……意外に聡いな。何故分かった?」

 

「……名前教えてくれないし。先の事話すとはぐらかすし。……何でよ」

 

「……過去を見たのなら分かるだろう。私は人殺しだ。この学園にいる事、そして君の後ろに立つ資格は無い。逆に尋ねるが、何故そこまで拘る。君が本物の魔法使いだと言う事は、一部ではあるが証明せしめた。それ以上何を望むのだ」

 

 トラックを後にする生徒が奇異な組み合わせの2人を遠巻きに眺めている。活気に満ちていたトラックに静寂が満ちつつある。

 

「……アタシが夢で見たアンタは、いつも傷だらけだった。楽しい事も嬉しい事もしないで、ずっと戦ってた。全然笑ってなかった。アタシは、それが」

 

 嗚咽が漏れ始める。言葉を紡ごうとしても、喉で引っかかり出て来ない。それでも涙を拭い、深呼吸し、必死に自身を落ち着かせようとする。

 

「アタシはそれが納得出来ない。だからせめて、アタシと契約してる間は、アンタに楽しいとか嬉しいって事をいっぱい感じて欲しいの。アンタがいずれ守護者って仕事に戻らなきゃならない事も知ってる。でも今までいっぱい頑張ったんだから、少しぐらいサボったって良いでしょう」

 

 アーチャーからの反応はない。口を僅かに開いては閉じるを繰り返していた。藍色と茜色の混じったどっちつかずの空。

 無言の時間が只管に怖かった。

 不意に耳を打つ溜め息。それに込められた感情が分からず、不安から体が跳ねる。

 ぼすっ、とやや乱暴に頭に手が置かれる。

 

「今日一日振り回されていたから、君が優しいと言う事を忘れてたよ。これからも頑張ろうとは思っていたが……。『今まで頑張った』か。そんな風に考えた事はなかったな」

 

 日は完全に沈み、藍色の空が広がっていた。

 離れていく手を追う。背中を向けたアーチャーは腕を組み、空を仰ぎ見ていた。

 

「衛宮士郎。それがオレの名前だ。よろしく頼むぞマスター」

 

 振り返りながらそう言った士郎は、少年のような笑みを浮かべていた。



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その3

※皆様のお陰で日刊2位、PV45000越え、お気に入り3500越え、感想72件と言う作者史上最高の数を記録しました。
本当にありがとうございます! これからもよろしくお願いします!

※先日の感想返信の際、書いてる最中にどんどん追加されている事に気付かずにページ移動していたせいで結構な人数を飛ばしてしまってました。もしご不快に思われた方がいましたら申し訳ありませんでした。

※調理師免許について作者の知識不足で多数の方にご指摘を頂きました。これからは事前にしっかり確認するようにします。また、読者の方からの提案で「目立つから」と言う記述に変更させて頂きました。誤字指摘からだったので名前が分からないのですが、ここで感謝を申し上げます。ありがとうございました。


 正式に契約を受諾された事に興奮冷めやらぬスイープは門限が迫っている事を忘れ、士郎に自分が何故魔法使いを目指したのか、尊敬するグランマの事、教わった魔法の事などをこれでもかと話した。あまり数の多くない親しい友人には話した事もあるが、スイープの思い描いていた魔法の証明そのものである士郎に打ち明けるのは彼女にとても大きなカタルシスを齎した。

 キリのいい所で切り上げさせようとしていたが、グランマへの想いの強さと大きさを示すように話が終わらない。絶対に不満を露わにするだろうからと気を遣っていたが、これ以上好きに話させては門限を確実に破ってしまうため中断させた。

 

「スイープ、私は時間を知らないが門限は大丈夫なのかね?」

 

「もんげん? あ、門限……」

 

 慌てて携帯を取り出し時間を確認し、あっ、と分かり易い声を上げるスイープ。時刻は18時25分になろうとしていた。門限破りの常習犯ではないのだが、仏の顔の限界を越える瀬戸際にはいるのだ。凄みのある笑顔で詰められる光景が頭を過ぎる。青い顔で士郎を見上げる。

 

「まあ今回に関しては言わなかった私の責任もあるから間に合うように送ろう」

 

 ・

 

 時刻は18時28分。寮長のフジキセキは、今日一日大丈夫だろうかと気にしていたスイープが帰らない事が心配になり、外へ向かおうと靴を履いていた。もしかしてまたどこかで泣いてるんじゃ、と。

 扉を開けると、アーチャーが立っており、背中にはポカンとしたスイープが背負われていた。降ろされても尚、肩を掴んだ形のままで固まっている腕。

 

「スイープ?」

 

 フジキセキの呼びかけにハッとするスイープ。

 

「──アレ寮に着いてる。何かさっきまでジェットコースターに乗ってた気がするんだけど」

 

 2人の視線が士郎に向くが、惚けるように肩をすくめただけだった。

 

「門限に遅れそうだったので急いだだけさ。では私はここで失礼するよ」

 

 背を向け霊体化しようとした所で、スイープが手を取っていた。自分のその行動に戸惑っているようだった。

 

「どうした?」

 

「えっと、その、明日、朝一番に挨拶に来なさい!」

 

 言うだけ言うと返答を待たずバタバタと寮内に走って入って行く。

 

「熱々だね」

 

「私がいなくなっていないか不安なのだろう。まあそうさせてしまったのは私なのだがね」

 

「それで来るのかい?」

 

「まさか。これでも正義の味方を目指してるのでね。顔を出さずに且つ機嫌を損ねない声掛けくらいは出来るさ。ああ、それと今朝の事だが礼を言いそびれていたな。ありがとう」

 

「可愛い子猫ちゃんが泣いてたからね。もう泣かせちゃダメだよ」

 

「……善処しよう」

 

 もう泣かせてるな、と悟るが難しい立場も知っているから追求はしなかった。

 

「ではこれで失礼する」

 

 煙のように消える。

 

「……」

 

 そんな光景を見て、自分にも使えたら手品のネタが増えるな、と思った。

 

 ・

 

 土曜日だからいつもよりは早めの仕事仕舞いをしている理事長とたづな。

 ノック音。

 

「入りたまえ!」

 

「失礼する」

 

「む、アーチャー殿か。トレセン学園はどうだったかね」

 

「女子中高生の元気さと旺盛な好奇心をこれでもかと堪能したよ。それと直向きな姿勢と言うのは、何であれ良いものだとも思ったな」

 

「結構っ! 楽しんで貰えたなら良かった! それでもしかしてその報告のためにわざわざ出向いてくれたのかね」

 

 そう問うと、どこかバツの悪そうな顔でいや、と言った。

 

「今朝の今ですまないが、期限は決まってないが、スイープと正式に(・・・)契約する事になった」

 

 劇的な反応であった。いそいそと椅子を降り、駆け寄り、手を取った。ブンブンと手を振り全身で喜びを見せ、見上げる目はこれでもかと輝いていた。

 

「感謝っ! 圧倒的感謝っ!」

 

 浮かれ気分のままに室内を走り回る理事長。

 

「私からもお礼を言わせて下さい。ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げるたづな。それだけ生徒思いなのだろう。この世界に来てから初めて見る程の笑顔であった。

 

「しかし何故翻意して下さったのですか」

 

「簡単に言えばスイープに口説かれたからだな」

 

 まさかの回答にキョトンとした後、堪えきれないようにクスクスと笑い始めた。

 

「さぞかし素敵な口説き文句だったんでしょうね」

 

「そうだな。少し休んでも良いか、と思える程にはね」

 

 一頻り喜び終えた理事長は机の引き出しから鍵を取り出した。

 

「アーチャー殿の住まいの鍵だ。今夜から早速使ってくれ」

 

「もう用意出来たのか。仕事が早いな」

 

「当然っ! 生徒のために残ってくれ、そして労働の意思まで示してくれた者を野宿させる訳にはいかんからな」

 

「ただまだ書類の作成が完了してなくて。それとその事でお尋ねしたいのですけど、名前はどうしましょうか」

 

 住居、就労のどちらにも必要なのだが、流石にアーチャーと言う名前は無理があり、後にも先にもない部分で頭を悩ませていたのだ。

 

「衛宮士郎だ。私の本名だ」

 

『え?』

 

 ハモる驚きの声。それも無理はない。何せ褐色の肌に白髪の偉丈夫と来れば、まず日本人だとは思わないだろう。しかしよくよく顔を凝視すると、顔付き自体は日本人のもの。

 じっと見つめたまま動かない2人。鷹の如き鋭い目付きが解れ、柔和なものになると、意外と幼い顔付きをしている事に気付く。

 

「……そう熱烈に見つめられても困るのだがね」

 

 そう言われてたづなは自身が何とはしたない行為をしていたのかと赤面する。理事長はハーフなのかと尋ねていた。

 

「いや純粋な日本人だ。魔術の反動でこうなったのだ」

 

「な、なんと……! 魔術とはそんなに酷なものなのか」

 

「と、ともかく、今後は衛宮さんと呼ばせて頂きますね」

 

「うむ、よろしく頼むぞ士郎殿」

 

「ああ、よろしく頼む理事長、たづな」

 

 ・

 

 契約出来た事が嬉し過ぎて寝不足なスイープ。寝ぼけ眼のまま洗面所に向かうスイープ。その道中、手引き歩行されているアグネスタキオンと介護者のアグネスデジタルと遭遇。割と頻繁に見る光景なので特にリアクションせずに横を通り抜けようとした瞬間。

 

 ──おはよう、マスター。起きてるかね

 

「ひゃあ!」

 

「可愛い悲鳴ゴチです!」

 

「朝からどうしたのかねスイープ君」

 

「ど、どこにいるのよ士郎!」

 

 ──ただの念話だ。朝イチに挨拶しろと言われていたので、こうして挨拶しているのさ

 

 困惑顔からみるみる笑顔に変わっていくスイープ。まさに花が開くような表情の移り変わりに、デジタルはニッコリと微笑んでいた。

 

 ──殊勝な心掛けね! ……これで届いてる? 

 

 ──ほう、流石だな。これが出来れば遠方にいても話せるから、何かあれば使うと良い。ではな

 

 ──待ちなさい! 今日は何するの? 

 

 ──街に出る予定だ。最後にもう一度確認しておきたい事があるからな

 

 ──アタシも着いて行って良い? 

 

 ──……いや午前中は1人で回らせてくれ。午後は街の案内を頼みたい。学園に戻って来たら連絡するから待っていたまえ

 

 眠気はすっかり吹き飛んでいた。

 

「あの〜、士郎さんてどなたですか?」

 

「アタシの使い魔、アーチャーの本名よ!」

 

 意気揚々と言い切ったかと思うと、いきなり自身の失策を自覚したような焦りを見せた。

 

「アタシだけの秘密にしとくつもりだったのに! タキオン、デジタル! 誰にも言っちゃダメよ!」

 

「はいぃ! 墓場まで持っていきます!」

 

「ふーむどうしようかねえ。そうだ、私にもアーチャー君と話をさせてくれれば呑もうじゃないか」

 

「む〜〜……士郎が良いって言ったらだからね」

 

「それで良いとも! いやー楽しみだねえ!」

 

 科学とは正反対の存在ではあるが、同時に完全な未知の存在である士郎に非常に強い興味を持っていた。棚から牡丹餅で接触の機会が巡って来た事にテンションが上がったタキオンはあっはっはとマッドな高笑いをしながら、デジタルの介助の下洗面所に向かっていった。

 頬を膨らませながらその後を追いかけるスイープ。

 

 ・

 

「フジさん! 午後はお出かけして来るから! はい外出届」

 

「はい、確かに。アーチャーさんとかな?」

 

「そうよ! 街を案内してあげるの!」

 

 スイープがその気質や本人なりの考えやスタンスから、良くも悪くも典型的な大人への反骨心が強い事をフジキセキは知っている。それが原因で教員やレース関係者との関係が上手くいっていない事もだ。無邪気に笑っている時より、眉間に皺を寄せている時の方が多いくらいなのだが、アーチャーと出会ってからは年相応の笑みを見せる事が多くなっており、それを純粋に嬉しく思っていた。

 

「それはそれは。とても重大なお出掛けじゃないか」

 

「その通りよ! ご飯食べたらじっくり練るわ!」

 

 ・

 

 一方の士郎は午前中に街に繰り出し、一番高い建造物の屋上で魔力を練ると言うとんでもなく強引な方法で魔術・魔法関連の組織が少なくともこの街には存在しない事を確認していた。霊地として上等なこの街に無いのだから、この世界には存在しない、もしくはあったとしても小規模ですら無いと言った所だろう。

 屋上から飛び降り路地裏で実体化する。

 時刻は昼を過ぎた所。午後はスイープに街の案内をしてもらう予定だ。既に隅々まで把握してしまっているが、主観の混じった案内もより深く知るために適している。特に飲食店や生鮮食品を取り扱うスーパーや個人店は常連客の評価を聞くのが一番だ。

 商店街を通ると、あちらこちらでトレセン学園のポスターを見る。中でも特定の生徒が応援されているのか彼女が載ったモノをよく見る。見た目麗しい事も相俟って、アイドルのようにも見えて来る。

 休日の喧騒を通り抜け、学園が近付いて来ると、それまでとは別種の賑やかさが聞こえて来る。

 スイープに連絡し校門の脇で待つ。

 心地良い風が頬を撫で、髪を揺らす。

 

「────」

 

 流れる雲をまじまじと見るなど、果たしていつ以来だろうか。暇な時間を享受する事も、生前含めてなかっただろう。随分と生き急いでいたものだと今更ながらに思う。

 

「アーチャー!」

 

「本名を教えただろう」

 

「あれはアタシとアンタだけの秘密なの。いい? 誰にも言っちゃダメよ」

 

「それは悪い事をしたな。理事長とたづなには伝えてしまってる」

 

「ええー?!」

 

「住居や就労の手配をするのにアーチャーでは難しかったのでね」

 

 それが至極当然と言う事も分かっているからか、文句自体はで出て来ていないが、膨れっ面で不満を露わにするスイープ。

 

「仕方ない。ならば寝物語代わりに私が会った事や戦った事のある英霊達の話をしてやろう」

 

 と言うと、コロリと表情を変えるスイープ。つい今し方まで抱いていた不満が初めから無かったかのような変わり具合だ。今聞かせろと言うスイープを躱しつつ街へと向かう。

 

 ・

 

「ここがトレセン生のほぼ全員がお世話になってる商店街よ。後ここがアタシがよく行く薬草屋さんよ」

 

 初手からスイープの色が存分に出たチョイスだった。そんなニッチな店があるのかと驚くが、案内されたのはハーブティー屋。確かに薬草として使われる種類があるのは事実だが、呼び方に魔法使いとしての拘りを感じ密かに笑う。

 促されるまま入店。店主とはある程度顔見知りなのか、スイープが男連れで来た事に目を剥いていた。

 士郎を商品棚まで案内し、自慢の知識を披露するスイープ。

 

「これはローズマリーで冷え性に良いの。こっちはラベンダー。抗菌作用があるからちょっとした傷に良いのよ。アンタも怪我したらちゃんと言いなさいね。こっちはキャットニップ。解熱剤として使えるの」

 

「ほう、好きこそものの上手なれだな。大したものだ」

 

「今度ご馳走してあげるから楽しみにしてなさい」

 

 ・

 

「ここはたい焼き屋さん。餡子が一杯で美味しいの」

 

「北海道の小豆か」

 

 ・

 

「ここはパン屋さん。ドーナツが美味しいの」

 

「愛媛のきなこか」

 

 ・

 

「ここはお肉料理が美味しいレストランよ」

 

「自家製ハンバーグか」

 

 ・

 

「ここは八百屋さん。次行くわよ」

 

「……」

 

 ・

 

「ここは福引やってる所。人参一杯とか温泉のチケットが貰えるの」

 

「あの生徒、あれほどの量を抱えて、しかも生人参をそのまま齧るのか……」

 

 ・

 

 ふと、車道を見るとウマ娘がかなりの速度で走っていくのが見えた。

 

「ああ、あそこはアタシ達専用のレーンだから」

 

 得心する。確かに自転車より速い彼女達が歩道を走れば危険極まりない。このレーンだけでなく、人とウマ娘の差異によって生じた未知の常識がいくつもあるはず。そこはその都度確認していくしかないだろう。

 

「あれ、スイープと、えっとアーチャーさんだっけ」

 

 背後の声に振り返る。赤茶色のツインテールのウマ娘。

 

「こんにちはナイスネイチャ」

 

「あれ、自己紹介してましたっけ」

 

「商店街を歩いてるとそこいらで見るのですぐに覚えたよ」

 

「あ〜あはは。貼らないでって言ってるんですけどね」

 

「ふむ……」

 

 照れ隠しや謙遜から来る否定ではなく、自尊心の低さから来ているように見受けられた。まあまだ心身共に未熟な10代の少女が大々的に応援している、と言われて自身の糧に出来るかと言われると難しいだろう。

 

「謙遜も過ぎれば卑屈になる。卑屈が過ぎれば私のようになるぞ」

 

「と、言いますと?」

 

「皮肉屋の現実主義者、もしくは理想主義者だ」

 

「こ、拗らせてますね」

 

「その通り。年長者の老婆心だと思って頭の片隅にでも置いておきたまえ。それと、私の名前は衛宮士郎だ。呼び方は好きにすると良い」

 

「わか、え、日本人だったんですか?!」

 

「ちょっとご主人様の許可なく教えないでよ!」

 

「おっとっと、デートの邪魔すると申し訳ないからネイチャさんはここらで退散しますよ」

 

 ヒラヒラと手を振りながら人混みの中に消えていくナイスネイチャ。片腕にぶら下げた買い物袋が妙に似合う少女であった。

 

 ・

 

 両手に甘味を持ち、道を闊歩するスイープ。街案内は商店街食べ歩きツアーに様変わりしており、今日はそれで終わってしまいそうだった。彼女のアスリートとしての食事事情を知らないため、夕飯に響かない程度にな、と程々の注意にしておいた。

 

「一個なら上げるけど」

 

 そう言い串団子を差し出すスイープ。

 

「私は飲食は必要ない。気持ちだけありがたく貰っておくよ」

 

「でも食べられない訳じゃないんでしょ。楽しむって決めたんだから食べなさいよ。それにアタシだけ食べてても寂しいじゃない」

 

「────」

 

 その言葉に昔日の面影を見た。未熟者だった嘗ての自分と、黄金の彼女を。

 

「ではお言葉に甘えるとしよう」

 

「どう?」

 

「ああ、とても美味いな」



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その4

そう言えばシン・仮面ライダー見てきました。
カルピスの原液出された気分でした。美味しかったです。


 新たな週が始まる。

 土日に見た比ではない数の生徒が登校している。十人十色では利かないバラエティー豊かな耳や尻尾が揺れている。ちらほらと見える男性トレーナーがオセロのコマのように変わってしまいそうな比率。そんな光景の中、褐色の偉丈夫はとてもとても目立っていた。土日の比ではない視線が集まる。その圧といったら、最早物理的な力を持っているのでは、と錯覚する程だ。

 心が硝子であったら臆していただろう。

 

「お、新しいトレーナーか?」

 

 そんな注目を一身に集める士郎に臆せず話しかける男がいた。癖っ毛を後ろで束ね、左側頭部に剃り込みを入れ、棒付きキャンディーを咥えている。

 

「て言うかデカイなアンタ。それに……良い筋肉してるな」

 

「トレーナーではない。今日から働く雑用だ。それと誤解を受けそうな振る舞いはよせ」

 

 前腕をニギニギと触る男の手を払い除け、歩き出す。

 

「あっはっは。悪い悪い、職業病って奴かね。俺は沖野。トレーナーだ」

 

「衛宮士郎だ。警察の世話になる前にその病気は治しておきたまえ」

 

「もしかしてアンタか一昨日園内で目撃された男前ってのは」

 

「男前かは知らんが、確かに一昨日は生徒に案内をしてもらったな」

 

 職員用玄関に向かうために群衆から離れた事で、一気に周囲から人気がなくなる。

 玄関扉を抜けると、仁王立ちの理事長とたづながいた。

 

「おはようっ! 早速交友を深めるとはやるな衛宮殿!」

 

「おはようございます衛宮さん、沖野トレーナーさん」

 

「おはようござ……殿?」

 

「おはよう理事長、たづな」

 

「……たづな?」

 

 幼い身ながらも卓越した手腕とカリスマで尊敬を集め、そして後先考えない且つブレーキの無い情熱で混乱を与える理事長が殿呼び。そして影のドンこと駿川たづなを下の名前で呼び捨て。もしかしてとんでもなく偉い人でお忍びでここで働くのか。て言うかさっき普通にタメ口で話しちゃったどうしよう。何ならお触りしちゃったし。

 

「おはようございます衛宮さん!」

 

「何を勘違いしてるか知らんが、別に何かの上役ではない」

 

「うむ。本来なら本業に復帰する所を、ある生徒のためにここに留まってもらう事になったのでな。無理を言っているのはこちらなので、ゲスト扱いで然るべきなのだが善意で働く事まで申し出てくれたので、敬意を込めて殿と呼んでいるのだ」

 

「それについては無理してる訳ではない。納得した上でだ」

 

「ほほお〜。トレーナー向きの性格してるのに勿体ねえなあ。資格は無いのか?」

 

「ずっと海外を飛び回っていたのでな」

 

「なるほど。たづなさんを呼び捨てにしたのはそう言う事か。てっきりお局様に」

 

「トレーナーさん?」

 

「すみません」

 

 腰を90度折った見事な謝罪。なら初めから言うなとなるだけだが。

 

「コホン。ではこれから衛宮さんの仕事部屋に案内しますので付いて来て下さい」

 

「頼む。ではな沖野。口と手はしっかり躾けておけ」

 

「うっせ」

 

 ・

 

「おはようございます衛宮さん」

 

「生徒会か。おはよう」

 

 部屋の前にはルドルフ達が待機していた。3人がここに来る理由に心当たりがなく、理由を尋ねようとしたが、その前に3人が唐突に恭しくお辞儀をして来るではないか。

 

「スイープのために契約を続行してくれると聞きました。ありがとうございます」

 

「何だ、その事か。礼には及ばんよ、と言っても君の性分では撤回しないだろうから受け取っておこう」

 

 扉を開ける。長机を並べた作業台とそこにホームセンターで買ったであろう用具が置かれている。

 

「もし不足があったら言って下さい」

 

「それには及ばんよ。足りなければ投影で用意できる。これだけ環境を整えてあるならそれで十分だ。それでそこに並んでるストーブが修理するものか」

 

「ちょうどシーズンオフになったので回収したのですが、これだけの数で動作不良を起こしてまして」

 

 エアグルーヴが1ダースはある年季の入った電気ストーブを見ながら言う。代々受け継がれて来たもので、電気ストーブと言う事は共通しているが、大きさやメーカーもバラバラだ。

 

「単純に劣化もあるのでしょうが、何分粗忽者も多くて。学校の備品だと言う事も忘れて乱暴に扱う者、特に加減せずに蹴って動かそうとして吹き飛ばす者もいるぐらいでして。全く嘆かわしい」

 

「────」

 

「……すみません、みっともない愚痴を」

 

 しかし意外な事に、エアグルーヴの言葉を聞く士郎は薄く笑っていた。失笑や苦笑ではなく、微笑んでいたのだ。しかし彼女にしてみれば雲の上のような存在に対して、と言う気持ちが勝ってしまう。

 

「いや何か懐かしい気持ちになっただけだ。記憶にはないが、恐らく私にも君のような質実剛健な良い友人がいたのだろう」

 

 噛み締めるように言うが、それも一瞬。ストーブ群に歩み寄る。

 

「では、取り敢えず修理出来るか否かだけ調べよう」

 

 そう言うとしゃがみ込み、上部に手を乗せる。投影の時のように何か視覚的な変化があるのかと、皆が士郎を囲うようにして覗き込む。しかし何も起こらず。

 

「期待されてる所すまないが、この解析については私の頭の中で完結してしまうので見てても面白くないぞ」

 

「と言いますと」

 

 とたづなが尋ねる。

 

「分かりやすく言うなら、設計図を立体的に思い浮かべる事が出来るのだ。それで故障箇所を把握出来ると言う訳だ。こいつの場合は電源コードの断線だけだから修理は簡単だ」

 

 派手なエフェクトを密かに期待していたたづな以外の面々は、分かりやすく残念がっていた。生徒を束ねる生徒会と言えどまだ10代の少女達であり、理事長に至っては普通に子供だ。

 

「私が使う魔術は基本的に地味なんだ。こいつはスイッチの接触不良だな。こっちはハンダが取れているな」

 

 貼り付けられている紙に用意されていたペンで可否を書いていく。今の所は簡単な処置で済むものばかりだ。

 

「投影と今の解析の他にもあるんですか」

 

「強化と言うものがある。これは文字通り物体を強化する魔術だ。……ふむ百聞は一見にしかずだ。これを」

 

 使っていたシャーペンを背後のブライアンに手渡す。受け取ったブライアンは徐に両手で握ると、そのままへし折ろうとした。躊躇ない行動にエアグルーヴが口を挟もうとしたが、結果はブライアンの表情が語っていた。

 

「? ……!!?? 折れん……!」

 

 困惑、驚き。外見、重さ共に何の変化もない。ただのプラスチックであるはずなのに、まるで鉄のような硬さでウマ娘の剛力に耐えている。

 ムキになったのか息を吸いもう一度チャレンジしようとした所で、横合いからするりと伸びた手がペンを取り上げる。エアグルーヴだ。彼女も同じようにその硬さに驚愕の表情を浮かべた。そしてこの魔術を使えば怪力プリンセスの被害を軽減できるのでは、と稲光の天啓を得る。

 

「ストーブの修理箇所に使えば補強にもなる。おっとスイープには言わないでくれ。臍を曲げられると困るからな」

 

 足りない道具を用意出来る投影、故障箇所を一瞬で把握出来る解析、故障箇所を補強出来る強化。用務員は天職なのでは、と思ったが流石に誰もそれは口に出さなかった。

 

「ところで生徒会の諸君は、授業は大丈夫なのかね」

 

 本鈴まで後10分。遅れるような時間ではないが、道中に何かあり遅刻してしまってはメンツが立たない。

 

「そうですね。これ以上お邪魔する訳にもいきませんし。我々はここで失礼させて頂きます。行こうかエアグルーヴ、ブライアン」

 

 一礼をすると部屋を出て行った。

 

「質問っ! 衛宮殿の解析はどの程度の機械までなら可能なのだ?」

 

「大概のものなら可能だ」

 

「ならばロードローラーはどうかね」

 

 ピタリと手が止まる。士郎の脳内は疑問で埋め尽くされていた。そうそう口や耳にする事のない単語が何の脈絡もなく飛び出して来たのだ。しかもそれが推定未成年の少女の口からだ。もしかしてこの世界では普通なのかと考えてしまうが、流石にそんなピンポイント且つニッチな差異は無いだろうとたづなを見る。

 

「知らない内にポケットマネーで買ってたんです。決してこの世界のスタンダードじゃないです」

 

「そうか。それは安心した。ロードローラーか。解析自体は可能だが、整備となると別だ。出来たとしても本当に簡単なものだ」

 

「流石ッ! 月1のメンテナンスで構わないので頼んでも良いだろうか?」

 

「構わんよ。ドライバーの紹介も頼む」

 

「私だッ!」

 

 再び手が止まる。思わず理事長の顔を凝視してしまう。もしかしてこの背格好で成人だったのか。それならば確かに理事長と言う立場にいる事も納得出来るのだが。たづなを見る。

 

「し、私有地なので」

 

「……そうか」

 

 少なくとも免許は無さそうだった。

 

「いつも未明にレース場の整備に使ってるんです」

 

 当然! と書かれた扇子を仰いでいる。

 

「私はトレーナーや教師にはなれない故、それ以外の事で皆の学園生活、そして競技生活の充実を手助けするのだ!」

 

「心意気は素晴らしいと思うが、替えの利かない立場なのだ。そう言うのは専門の業者に任せるべきでは? 秘書の胃にも優しいだろうしな」

 

「そうしたいのは山々なのだが、夕方には既に荒れ放題になっているのでな。業者に頼んでいては整備が間に合わんのだ。私が毎日やれば良バ場を維持出来るし、節約にも繋がる! 一石二鳥だ! たづなの胃は我慢してくれ!」

 

 ヨヨヨと泣き崩れるたづな。勿論ただの演技なのだが、本音も入ってそうではあった。不憫である。

 

「取り敢えず整備の件は分かったが、バ場整備に同行させてくれ。流石に君のような子供がロードローラーを使うと言うのは心配なのでね」

 

「了承ッ! 無事故無違反な私の華麗なドライビングテクニックを見て安心してくれたまえ!」

 

 無事故はともかく私有地で無違反は当たり前では、とは言わなかった。たづなは士郎ならば上手い事説得してくれるのでは、と仄かに期待していた。

 

 ・

 

 程なくして理事長達も部屋を後にした。仕事着のツナギに着替え修理作業を開始する。

 ストーブ群は足跡が付いたものも含め、全て修理可能だったため、早速取り掛かった。

 断線部分をハンダ付けし、熱収縮チューブでカバーし、最後にコード自体を強化し作業終了。

 基盤を取り出しハンダ不良を直し、基盤全体を洗浄し作業終了。

 スイッチ周りを洗浄し、接点復活剤を吹き掛けて作業終了。

 

「────」

 

 黙々と作業を続ける。難しい作業はなく、慣れた手付きで復活させていく。

 諦観から来る無心ではなく、没頭から来る無心は心地良いものだった。あれだけ契約を固辞していたと言うのに、齎される久しく感じていなかった安寧に身を浸してしまっているのだから我ながら現金なものだと思ってしまう。

 気付けば時刻は正午前になっていた。休憩を一切挟まずに只管修理していたから、1ダースあったストーブ群は既に残す所1つになっていた。

 

 ──士郎! 学校にいるわよね? 

 

 ──ああ。承った仕事の最中だ

 

 ──もうお昼よ! 食堂に来なさい

 

 ──構わんのかね? 私がいると寛げない者がいるだろうし、混雑も土日の比ではないはずだ

 

 ──アタシが来なさいって言ってるんだから来なさい! 

 

 ──分かった分かった。これから向かうから待ってろ

 

 作業を中断し、部屋を出る。すると視界の端で柱の陰に黒い尻尾が引っ込む瞬間を目撃した。どうやら隠れているようだった。女の園に近い学園で、見た事のない男性が出て来たものだから慌てて隠れたのだろうと当たりを付ける。気付いたような素振りは見せず食堂に行こうと向きを変えると、今度は前方の柱の陰にゴーストがいる事に気付く。引っ込んではそっと頭を出すを繰り返している。後ろの生徒が隠れる時に僅かに見えた顔と瓜二つだ。取り敢えず害意も悪意も感じなかったため、そのまま素通りする。

 背後からビシバシと感じる2つの視線にさてどうしたものかと思案しながら歩いていく。

 

 ・

 

 食堂の混み具合はやはり凄まじいものだった。足を踏み入れる事を躊躇してしまうが、ブンブンと手を振るスイープを無視する訳にはいかず、諦めて足を進める。

 そして前方には尋常ではない量を盛ったご飯茶碗をお盆に乗せた生徒がいた。ライスタワーとしか形容出来ないその量もさる事ながら、そのご飯をホクホク顔で見詰めているのが小柄な生徒である事にも戦慄を禁じ得なかった。ふと思い周りを見てみると、同量はそう多くなくとも半分くらいのタワーを建造している生徒はちらほらといた。

 

 ──間違いなくキッチンは戦場だろうな

 

 超高層ライスタワーの生徒に視線を戻すと落とした紙ナプキンを拾って立ち上がろうとしている所だった。そしてそのすぐ後ろにカモメのような口をした生徒がいるのだが、双方共にお互いに気付いているようには見えなかった。声をかける間も無く接触。そして士郎目掛け射出される2つのお盆。

 ドジっ子とドジを誘発する子のコンビが織りなす、第三者への大惨事に皆が目を背けた。

 

「おっと、気を付けたまえ。ふむ、怪我は無いようだな。では失礼するよ」

 

 難なくキャッチ。しかも慣性を考慮した体を流しながらの見事なキャッチングでソースも汁も一滴も溢れていなかった。

 あまりにスマート、と言うか曲芸染みた芸当にどよめきが起こる。

 

「流石はアタシの使い魔ね!」

 

 一部始終を見ていたスイープはそれはそれはご満悦であった。



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その5

※UA1万越え、お気に入り5千越え、感想100件越えました。こんな稚作を読んで頂き、また評価して頂きありがとうございます!

※毎度の誤字脱字の指摘もありがとうございます。

※来週から職場が変わるので、投稿間隔が今より開くかもしれません。なるべく週一投稿はしたいと思っていますが、ご了承下さい。


 ティーンエイジャーの持つテンションと、ウマ娘の持つ外見に似合わぬ食欲と、そして部屋を出てからずっと見て来る視線を味わいつつ過ごしたランチタイム。

 部屋に戻る時も付いて来る2人に、ゴーストの方はともかくとして、何故生徒の方にまでこうも観察されているのか、と首を捻る。食堂の喧騒に紛れて容姿を確認したので、理事長かたづなに聞くしかないか、と考える。

 最後の1台の修理もつつがなく終えると、内線で完了を報告する。

 

『ええ?! もう終わったんですか?』

 

「深刻な故障は無かったからな。不安なら確認してもらっても構わんぞ」

 

『それは大丈夫です。ただまさか1日掛からずに終えてしまうとは思わなくて。この後のお仕事が。あ、取り敢えずストーブを元の部屋に戻して頂いて良いですか。見取り図はこれからお持ちしますので』

 

「分かった。では待っていよう」

 

 程なくして扉がノックされる。随分早いなと思いながら扉を開ける。急がせてしまったかと思ったが、たづなは息を全く切らせていなかった。意外に思いつつ、招き入れる。

 

「手間を掛けた上に急がせたようだな」

 

「いえいえそんな。お待たせする訳にはいきませんから。こちら校舎内の見取り図です」

 

「確かに」

 

 用紙を受け取り一通り眺めると、件の生徒の事を思い出す。

 

「生徒の事で少し聞きたい事があるのだが、時間は大丈夫かね」

 

「生徒さんの事ですか? 何か粗相でもありましたか?」

 

 しそうな生徒の心当たりには枚挙に遑がない。鬼の副会長に悪戯を仕掛ける命知らず、制御不能のアンタッチャブル、驀進、アウトローの頭etc.

 

「いや何かあった訳ではない。長い黒髪で左側の目を隠していて一房の白髪が所謂アホ毛のようになっている生徒なのだが」

 

 アホ毛なんて言葉知ってるんだ、と思いつつ、何かトラブルがあった訳でない事が分かり胸を撫で下ろす。士郎の言った特徴に当て嵌まる生徒を脳内で羅列していく。そして1人の生徒が思い浮かんだ瞬間、あ、と声が出た。

 

「もしかしたらマンハッタンカフェさんかもしれません」

 

「ふむ。断定出来る決定的な何かがあるような言い方だな」

 

「その、これは私も直接見た事はないんですが、よく見えない誰かと会話してる所を目撃されてるようでして。それで幽霊と話しているとかイマジナリーフレンドがいると言われてまして。それでもしかして、と思ったんですが」

 

「ならばどこかで霊体化してる所を見られたのだろうな」

 

「ええ?! では彼女は本当に霊感を持ってるんですか?」

 

「恐らくな」

 

「霊感とか霊能者って本当のものなんですねえ」

 

 誰もが一度は信じ、そしてフィクションとして忘れていく存在。それが真の存在である事が、本物の幽霊から太鼓判を押されたのだ。何か感慨深いものがあった。

 

「授業が終わった後、彼女はどこにいる?」

 

「トレーニングしてるとなると流石に分かりませんけど、カフェさんは特例で私室があるのでそちらに伺うのが良いかもしれませんね」

 

「そうか。ならすまないが同行してもらえるか。私1人で行っては警戒されるかもしれんからな」

 

「良いですよ。ついでにストーブを運ぶのもお手伝いします」

 

 立場から来る責任感か、生来の性格か、士郎の生涯の一部を聞いてしまった故か、たづなの中で彼は人類を守ると言う重大な立場にありながらスイープのために留まる事を決めてくれた凄まじい人格者と言う存在になっていた。そのため雑用をさせる事に躊躇いがあった。本当ならば労働に就く必要もないと思っているぐらいだ。

 そう言った思いから、頼まれ事をされたら軽重に関わらず迅速にこなし、雑務をしていたら少しでも手伝う事を決めていた。

 

「それには及ばんよ。ただでさえ忙しい立場だろうに」

 

「いえいえ衛宮さんにこんな雑用なんてさせられませんよ」

 

 よっこいしょ、とストーブを台車に乗せていくたづな。

 

「ふむ。美人秘書がただの一職員に肩入れし過ぎて嫉妬されても困るのだがな」

 

 ガシャーンと底面を台車の縁にぶつけ、盛大な音が鳴る。油の切れた人形のようなぎこちない動きで振り向いた顔は真っ赤になっていた。

 

「なななななな」

 

 そんなたづなを見て士郎は薄く笑って言った。

 

「と、この通りオレは別に人格者でもなければ聖人君子でもない。スイープ並にとは言わんが、理事長ぐらいにはコキ使ってくれて構わんよ」

 

「────。コ、コホン。確かにその通りみたいですねではストーブはお任せしますのでまた後ほど」

 

 ワンブレスで言い切りそそくさと部屋を出ていくたづな。

 

「ああ、また後でな」

 

 ・

 

 ──スイープ、今大丈夫か? 

 

 ──もう授業は終わってるから大丈夫よ。

 

 ──意図しない形で私の正体がバレたかもしれん。どうも霊感を持ってる生徒がいたようでな。

 

 ──霊感……。霊媒師スイーピーも良いわね。

 

 ──そう言う訳でこれからたづなと一緒にその生徒のところに訪れる予定だ

 

 ──悪霊をビシバシ祓って、霊障に悩まされてる人を華麗に助け、え、これから行くの? 

 

 ──そうだが。

 

 ──今日はトレーニングがあるんだけど……。まあ良いわ。後日アタシがアンタのマスターだってカッコ良く紹介しなさいよね。

 

 ──……善処しよう。

 

 ・

 

 嘗ては理科準備室であり、現在はマンハッタンカフェとアグネスタキオンの共同私室になっている部屋。シックとサイエンスと言う相反する色を持つ部屋で、それぞれの主人がそれぞれの領域にいた。

 コーヒーを嗜むカフェは一見すれば普段と変わらぬ様子だが、年がら年中顔を合わせているタキオンは何となくいつもと雰囲気が違う事に気付いていた。実益と趣味を兼ねた実験に没頭しつつ、上手い事話を聞き出して何やかんや解決して、恩を着せられないかなあと考えていた。

 

「ん?」

 

 ビーカーの中の得体の知れない色をした液体に波紋が起きている。そんな反応はしないのにと思っていると、それが部屋の揺れから起きている事に気付く。同居人に視線をやると、あっちこっちに困り顔を向けていた。

 

「おいおいカフェ〜。少しばかり『お友達』が騒ぎすぎじゃないかね。溢れたら責任を取って実験に付き合ってもらうよ」

 

「嫌です。……『あいつが来る』?」

 

 まるで計ったようなタイミングで扉がノックされた。すると揺れがピタリと止む。

 

『すみませんたづなですが、カフェさんはいらっしゃいますか?』

 

「あ、はい……。います」

 

『少しお話があるのですがお時間よろしいでしょうか』

 

「…………はい、大丈夫です」

 

『ありがとうございます。では失礼しますね』

 

 ガラガラと開く扉。そこにいた人物を見てカフェは目を見開いた。たづなの背後に控えている褐色の偉丈夫。お友達が畏怖する程とんでもない存在感を持った幽霊だと思っていたら、実体を持っており尚且つここで働いていると言う二重三重に度肝を抜かせられた存在がそこにいた。

 

「おやおやおやおや使い魔君じゃないか! スイープ君から聞いて来てくれたのかい?」

 

「ん? いやすまないがそれについては何も聞いていない。今日はマンハッタンカフェとそちらにいる彼女に用事があって来たんだ。私は衛宮士郎と言う。既に怖がらせてしまっているようだが、君達に危害を加えに来た訳ではない。その事を謝罪しに来たんだ」

 

 士郎とカフェの視線は食器棚の上に向いている。猫みたいな所にいるんだな、と見えない2人は思った。

 

「マンハッタンカフェ。君はどこかで霊体化していた私を見ているのだろう?」

 

「……は、い。なのに、今日、トレーナーさんと話しているのを、登校中に見かけたので」

 

「それで気になり昼の時に見に来たのか」

 

「! 気付いてたんですか」

 

「2人共見えていたからな。まず先にも言ったが、驚かせてしまいすまなかった。私は既に死人なので広義的に見れば幽霊である事に違いはない」

 

「ええ?! そうなのかい?!」

 

 当事者よりも先に高めのテンションで反応するタキオン。

 それを無視して話を続けるカフェと、それに倣い取り敢えずスルーする士郎。

 

「でも、普通の幽霊ではないですよね?」

 

「その通りだ。詳細は省くが色々あって精霊に押し上げられた存在なのだ。それを感じ取れたので彼女に警戒させる事になってしまったのだろう」

 

「そう、だったんですね」

 

 士郎の話は意外なほどにストンと腑に落ちた。正面から相対してみて圧倒的な力と存在を感じつつも、そこに邪なものが一切無いからだろう。その証拠に棚の上で竦み上がっていたお友達が士郎に近寄り回りながら浮遊していた。

 

「君も随分と怖がらせてしまったようですまなかったな」

 

 ブンブンと顔を振ると、恐る恐る士郎に手を伸ばしペタリと触れる。幽霊として力のある彼女はテンションが上がった時に現実に干渉する事が出来るようになるのだが、士郎相手ならばそうならずとも触れる事が出来ていた。その事が嬉しいのか楽しいのか、先程まで警戒する猫状態だった事を忘れたように戯れついている。

 

「……楽しそうにしてますね」

 

「私のような生者と死者が合わさった存在などまずいないからな。珍しいのだろう。さて私の用件は以上だ。もし何か幽霊関係で困り事があったら言ってくれ」

 

「ありがとうございます。怖がっちゃってる子達にも、優しい人だって伝えておきます。……それにしても、何故貴方のような凄い存在がここに?」

 

「偶然に偶然が重なった結果召喚されたのだよ」

 

「それがスイープさん、なんですね」

 

「その通りだ。では私はこれで失礼するよ。放課後の歓談を邪魔してすまなかったな」

 

 そう言って踵を返そうとした士郎をタキオンが急ぎ呼び止める。

 

「待ちたまえよ使い魔君! まだ私の用件が終わってないよ!」

 

「おっと失礼した。そう言えば何か用件があるのだったな」

 

「碌でもない用事だと思いますから無視して良いと思いますよ」

 

 辛辣な物言いに友人では無いのか、と首を傾げつつ取り敢えず用件を尋ねる。

 

「スイープ君によれば君は「ダン!」と飛び上がり、「ビュン!」と空を駆けるそうではないか!」

 

 先日の門限ギリギリになり近道して送った時の事だろう。限定的に口の上手いタキオンにより煽てられたスイープが話してしまったのだ。その事を士郎は知る由もないが、ありありと想像できた。事情を知らない者に言った訳ではないから良しとする事にした。

 

「是非その身体能力を見せて欲しいのだよ! 人型で我々ウマ娘に匹敵、もしくは超越する身体能力を持つ存在はこの世にないからねえ」

 

「ふむ。見せる事自体は構わんが、見てどうするのだね。何かの参考になるとは思えんが」

 

「それは分からない。参考になるかもしれないし、ならないかもしれない。だがそこに未知の存在があるのだから見ない手はない」

 

 その目に狂気的な執着を見た。好奇心や興味のような安易な考えから来る提案ではないようだ。彼女を甘く見ていた訳ではないが、競技者としての矜持と種族としての本能を、そしてタキオンだけの強烈なエゴを垣間見た。

 

「では許可を得られた事だし早速」

 

「仕事があるので今日はダメだ」

 

「ええぇ〜〜!」

 

 そして年相応、なのかは怪しい我儘も。

 

「頼んでる立場なんですから、弁えて下さい」

 

「都合が付いたら連絡をするからそれまでは大人しく待っていたまえ」

 

「なるべく早く頼むよ使い魔君!」

 

 ・

 

「おかげでスムーズに済んだ。礼を言う、たづな」

 

「いえこちらこそ、彼女の事をもっと知っていれば事前に教えられたのにすみません」

 

「では感謝と謝罪で相殺だな。しかし短期間でこうも逸材と出会うとはな」

 

 聖杯の下駄なく十全な英霊の顕現を維持できる魔女に、霊体化を視認出来る霊感少女。どちらも今までお目に掛かった事がない。もし生前の世界にいたとしたら、健全な人生を歩めたか怪しいほどの逸材だ。

 

「今一度生徒達の内申書を読み直した方がいいかもしれませんね」

 

「仕事を増やしてしまったか?」

 

「いえいえ良い機会です。もしかしたら秘密にしてる事で窮屈に思ってる子がいるかもしれませんし」

 

 若いのに仕事熱心だな、と感心する。

 階段前で止まる。士郎はストーブを届け、たづなは理事長室に戻る。

 

「では私はここで。また後でお会いしますけど」

 

 趣味が入っている疑惑のある理事長によるレース場整備。当然だがそれにはたづなも同行しているのだ。

 朝も早くからいて、夜も遅くまで残業。2人ともきちんと休めているのか心配になる働きぶりだ。

 

「ああ、また後でな」

 

 ・

 

 見取り図を確認しながらガラガラと台車を押していく。ちらほらとすれ違う生徒と挨拶をしながら目的地に向かう。部屋に近付くにつれ、中の喧騒が聞こえて来る。ノック。

 

『はーい』

 

 生徒が返事をする。

 

「修理に出していたストーブを届けに来た。開けても良いかね」

 

『大丈夫でーす!』

 

「では失礼するよ」

 

 ガラガラと若干ぎこちない引き戸を開けると見知った顔が3つあった。

 

「お、衛宮じゃねーか」

 

「アーチャーさんじゃないっすか」

 

「こんにちは士郎さん」

 

「二つ名ならぬ三つ名! 面白え!」

 

 そして何故か冷や汗を流しながら不敵な笑みを浮かべた銀髪で長身のウマ娘がいた。



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その6

みんなー!ちょっとゴルシの事疑いすぎじゃないか?!



※いつもたくさんの感想と誤字脱字の指摘ありがとうございます


「衛宮士郎で渾名がアーチャーだから3つは無いな」

 

 サラリとしたツッコミで対応すると、台車ごと室内に入り、指差しされた場所にストーブを下ろす。

 

「もう直ったのか?」

 

 その背中に沖野が声を掛ける。

 

「大した故障ではなかったからな」

 

「ゴルシちゃんチョップをこれでもかと喰らわせたのに直らなかった頑固者を直しちまうとは……」

 

「やたら凹みがあると思ったが君の仕業か」

 

 この学園に来てからまだ短く、顔見知りはともかく性格を把握している生徒の数は少ない。しかしそんな士郎であっても、この銀髪の生徒が学園の中でも有数の変わり者なのだという事は分かった。

 

「て言うかスカーレットとウオッカは知り合いなんだな。後アーチャーって何だ?」

 

 知り合いには挨拶と言う至極当然の事をしたのだが、どこで出会っていたのか、名前の由来など何も考えていなかった。因みに本名を知っているのは、呼び名が2つある事でスイープがしょっちゅう呼び間違えているからだ。

 

「事前に案内された時に一部の生徒と顔合わせしたのでな。極短い時間だったから私は彼女らの名前を知らないのだがね」

 

 言われてから面と向かって自己紹介していない事を思い出す。スイープ経由で話を聞くので一方的に知り合い感覚になっていたらしい。流石に過去の事は口にしていないが、ポロポロと断片的にお漏らししているので、寮生が知っている士郎像はバラバラだったりする。

 

「俺はウオッカっす」

 

「ダイワスカーレットです。よろしくお願いします」

 

 両手の親指で自身を指差しドヤ顔百面相している銀髪のウマ娘をスルーして話を続ける。

 

「ああ、よろしく。で、アーチャーは私の特技が弓技だからだ」

 

「ほお。アーチャーなんて渾名付くぐらいだから相当なんだろうな」

 

「「ビュン!」て飛んで「バスン!」て刺さった! って言ってたな」

 

「なるほど。全く分からん」

 

「紙の的であれば意図しなければ中央から外さない程度だな」

 

 士郎の前を練り歩きながら何度も行ったり来たりする銀髪のウマ娘。

 

「へえ……。それってメチャクチャ凄くないか?」

 

「数少ない特技だからな」

 

「無視しないでぇ!」

 

 触れるか触れないかギリギリの手振りをも意に介さないどころか瞬きさえしない士郎に、とうとう銀髪のウマ娘が音を上げた。跪き、床をペシペシと叩いている。

 

「お、ゴルシが負けた」

 

「ちくしょー! ゴルシちゃんの渾身のパフォーマンスが効かないなんてぇ!」

 

「人生経験は豊富なんでね」

 

「アタシはゴールドシップだ! 覚えてろー!」

 

 台車に飛び乗ると床を蹴り号砲も鳴っていないのにスタートを切った。

 

「こんなーくーつじょくーはーじめてー!」

 

 リズムに乗せて妙な事を口走りながら見事な荷重移動で廊下に出て行くと、やたらと再現度の高いエキゾースト音を口にしながら走る。そしてエアグルーヴとヘッドオン。

 

「げえ! エアグルーヴ!」

 

「ゴールドシップ、それは衛宮さんが使ってる台車だろう! 何故貴様が持ってるんだ?!」

 

「捕まってたまるかぁ! 回避い!」

 

 ガッシャーン!!

 

「アタシの愛車が!」

 

「元気な子だな」

 

「今の見てその感想って凄いな……」

 

 

 その後は特に問題なくストーブを返却し終えた。行き来の距離がかなり長かったため、気付けば5時半を回っていた。そろそろトレーニングも終わりに近付いている頃だろうと判断し、レース場に向かう。

 大体が引き上げ始めていたが、まだ走っている生徒も見られた。彼女らを目で追っていると、スイープもそこにいる事に気付く。走っている姿を見るのは初めてであったが、小柄な体格ながらも中々どうして堂に入っていた。集中しているからか、士郎には気付かずにコーナーを抜けていった。

 蹴り上げられた芝生と土が宙を舞った。数え切れぬ程の陥没痕は、生徒達が刻み付けた言葉無き雄弁な主張だ。

 

「お疲れ様です」

 

「労賚ッ!」

 

 下手に生徒達に近付き過ぎて萎縮させないためか、少し離れた所で落ち合った。

 

「てっきりロードローラーで直接来るかと思っていたが」

 

「やろうとしたが却下されたのだ!」

 

「当たり前です。いくら徒歩より速いからって限度があります」

 

 ならばどこにあるのかと言うと、真反対の柵の外にあるレース場に似合わぬ簡素な作りの納屋の中だろう。

 

「あれも自費か?」

 

「当然ッ!」

 

「大した度量と行動力だな」

 

 皮肉ではなく、純粋な賞賛である。何が彼女をそこまで駆り立てるのかは知らないが、ともすればその何かに殉じるのではないかと思う程だ。

 

「ん」

 

 話していたから気付かなかったが、スイープが場外にいた。トレーナーか、それに準じた立場の女性と話している。しかしどうにもあまり良い雰囲気とは言えなかった。女性が背を向けているため表情は窺えないが、言い合いと言うよりは先の走りへの否定的な意見にスイープが噴火したように見えた。声は聞こえないが口の動きからも確かだろう。そうこうしている内に堪えきれなくなったのか、話を一方的に打ち切り走って行ってしまった。

 咄嗟に手を伸ばしていたが掴めるはずがなく、他の生徒への講評を疎かにも出来ず後ろ髪を引かれながら、教官と呼ばれている女性は視線を切った。

 

「たづな。教官とトレーナーはどう違うのだ」

 

 脈絡なくされた質問に少しだけ驚くが、生徒や新任職員へのオリエンテーションを壇上で数え切れぬ程経験したたづなは、アナウンサーのように澱みなく説明を始めた。

 

「トレーナーと言うのは、専属かチームの生徒さん達のレースに関する凡ゆる事を指導・管理する方です。模擬レース以外に出場するにはトレーナーにスカウトされるか極一部ですが逆スカウトする必要があります。教官はトレーナーの付いていない不特定多数の生徒さん達の指導を行っている方です。教官の指導で実力を伸ばし、模擬レースを通してトレーナーにスカウトされる事で、漸く競技者としてのスタートラインに立てる訳です」

 

 意外と、と言うのは少し失礼だが、士郎が想像していたよりはずっと過酷な世界であった。敢えて聞きはしない、スカウトされなければレースに出られぬままと言う事は往々にしてあるだろうし、レースに出場しても活躍出来ず、と言う事もあるだろう。

 

「なるほど。理事長が私財を投じる事も分からんでもないな」

 

「うむ。全員を、などとは口が裂けても言えんが、なるべく多くのウマ娘達が活躍出来る事を祈ってる。そのためならばえんやこら!」

 

 だからたづなも口で言う程止めないのだろうな、と胸中で笑う。

 

「ところで理事長。すまないが少し席を外させてもらう」

 

「もちろん構わんが、何かあったかね?」

 

「トレーナーか何かの助言が気に入らなかったのか、スイープが怒ったままどこかに行ってしまったのでね」

 

「大事ッ! いくらでも待ってるから行ってきたまえ!」

 

「ありがとう」

 

 僅かに周囲に視線をやると、霊体化し消えた。

 

 

「スイープ」

 

「あ、士郎……」

 

 先程見た怒気は既に鳴りを潜めており、それどころかしょんぼりしていた。

 士郎がこのタイミングで声を掛けて来た事で、先程のやり取りを見られていたのだとすぐに分かった。バツが悪そうに顔を逸らすスイープの様子で、しょげている理由が走りを否定されたからだけではない事に気付く。

 

「その様子だと、怒鳴って遁走してしまった事に負い目を感じてるようだな」

 

 士郎の指摘に、ますます顔を逸らすスイープ。

 

「……さっきの模擬レース、アタシの中では結構良い感じだった。でも教官にはその走り方じゃダメだって、もっとこうした方が良いって言われて。何か、そう言われたら凄いカッとなっちゃって」

 

「ふむ。教官の指摘内容はスイープの走りとは全く違うものだったのか?」

 

「うん……」

 

「ふむ。つまり自分で良い出来だと思っていた走りを真っ向から否定されて怒った、と言う事か。ならまあ怒っても仕方ないだろう」

 

「……え?」

 

 漸く視線を合わせたスイープの顔はキョトンとしていた。

 

「怒られると思ったか?」

 

「うん……」

 

「手応えのあった過程を一方的に否定されれば誰でも怒るだろう。実際私が見てもペース配分や位置取りにミスは見られなかったしな。まあレース知識の無い私が言っても説得力は無いかもしれんがね」

 

「ううん。……ありがとう」

 

「しかし難しいのは、その過程の正解が必ずしも1つとは限らない、と言う事だ。ウマ娘と教官の視点は色々な意味で異なる。物理的な視点、知識の量、レース展開の予想図、無意識的な走り方の好みだってあるかもしれない」

 

「……アタシの正解と教官の正解は違う」

 

 言葉にした事で腑に落ちた。その時は何を言ったのかも覚えてないくらい頭に血が昇っていたのに、時間が経つにつれて心にモヤモヤとした物を感じていた。『何故』その過程に至ったのかも聞かれずに否定され怒ったのに、それと同じように『何故』走り方を変えた方が良いと思ったのかを聞こうともせずに否定したからだ。

 

「そうだな。あの教官が個人的な感情で否定したのではない、と言う事は私が保証しよう。それを踏まえた上で君がすべき事は何だと思う?」

 

「謝る事と、どんな走り方をしたいのかを言う事」

 

「その通りだ」

 

「でも、アタシどんな風に走りたいのか、まだ分からない……」

 

「それこそ教官に尋ねるも良し、周りにいる友人に聞くも良しだ。どちらも決して無下に扱ったりはしないとも。但し、きちんと礼節は持つようにしたまえよ」

 

「分かった。……ありがとう士郎」

 

「気にするな。まだまだ未熟だが君はマスターであり、私はサーヴァントだからな」

 

 気取ったセリフに笑みを溢すスイープ。

 

「もしかして照れ隠し?」

 

「さてどうだかな。体を冷やさない内に帰るんだぞ。私はまだ一仕事あるのでね」

 

「分かってるわよ。じゃあ頑張ってね」

 

 

 戻ると既に作業は始まっていた。投光器と言うここ以外で使われる事のない道具で照らされた芝のコースに、学園に雇われている整備専門のスタッフ達がいそいそと整備作業を行なっていた。千切れた芝の回収、陥没箇所の埋め戻し、場合によっては芝生の張り替え。屈んでいる時間の方が長い作業を、苦にしないどころか生き生きと笑みを浮かべながらやっているあたり、理事長とは別ベクトルに吹っ切れた者達なのだろう。

 一方のダートは無免許のちびっ子が均しとハロー掛けを行なっていた。

 

「理事長は本当に運転出来るのだな」

 

「お帰りなさい。スイープさんは大丈夫でしたか?」

 

「ああ大丈夫だ。……理事長のような体格の者が運転している光景と言うのは、中々にアンバランスだな。しかも満面の笑みと来た」

 

 遊園地のアトラクションに乗っている子供のような笑みで重機を運転している理事長。まずお目に掛かる事の無い光景に暫し嘆息と共に見入ってしまう。

 

「おっと呆けている場合ではなかったな。ダートの整備が終わるまでは理事長の傍にいるとしよう。何かあれば一大事だろうからな」

 

「よろしくお願いします。何かあったら私達ではどうしようも出来ないので。我々に任せてくれるのが一番なんですけど、聞いてくれる気配が全く無くて……。トレーニングに良さそうな機材見付けたら予算組む前に自費で買っちゃうし、仕入れルートもきちっと整備した上でグッズショップを敷地内に自費で作っちゃうし」

 

「随分と苦労してるようだな」

 

「そうなんですよ。……まあそれだけのバイタリティが無ければここの理事長なんて務まりませんけどね」

 

「だろうな。しかし君も若い身空で良く頑張っているよ」

 

 そう言って姿を消す士郎を見送ってから、そう言えば、とある事に気付く。理事長の愚痴をこうも明け透けに言ったのは初めてかもしれなかった。この学園に所属する職員で理事長に否定的な態度を取る者はいない。少々強引な所はあるものの、手腕・行動力共に一流であり、且つカリスマまで備えている事に間違いはないからだ。しかし内心までは分からない。軽い愚痴のつもりが、悪意を以て歪められ、理事長批判の嚆矢になりかねないのだ。

 そう言う意味で士郎は非常に得難い存在であった。出任せを言わない事もそうだが、聞き上手なのかスルリと言葉が出て行くのだ。口が上手いのもあるかもしれない。今もさり気なく労われたが、本心から出た言葉だと分かると中々に心と胃に沁みる物があった。



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その7

そう言えば皆さんはサクラローレル引きましたか?因みに私はこんな小説書いてますが、最近ほとんどウマ娘に触れて無いんですよね……。年かなあ……。

※いつも感想、誤字脱字の指摘、ありがとうございます!


『衛宮殿はいるか!』

 

 士郎がトレセン学園に就職してからしばらく経ったある日の事。作業中の士郎を理事長が訪ねて来た。ノック代わりにネコが曇りガラスを叩いている。

 

「入って構わんぞ」

 

『失礼するッ!』

 

 ガラガラと開かれる扉。理事長はそこで意外な来客を見た。

 

「こんにちは理事長さん」

 

 私室で入れて来たコーヒーを専用の水筒から注いでいるマンハッタンカフェがいた。良い香りが漂い、思わず深呼吸し堪能してしまう。

 

「いりますか?」

 

「良いのかね? ならば是非頂きたい!」

 

 持参していた、と言うには妙に数が揃っている、と言うか収納ケースから出されたカップに注がれていく。

 

「タキオンさんがうるさい時の避難先に使わせてもらってるんです。それにここだとお友達も嬉しそうなので」

 

「苦労を掛けてしまってるようですまない……」

 

「……別に嫌いな訳ではないので大丈夫です。どうぞ」

 

 勧められた椅子に座り、ホカホカと湯気を立ち上らせるカップを受け取る。

 

「ではありがたくッ! アツゥイ!」

 

「入れ立てなんですから……」

 

 涙目になりながら舌をパタパタと扇る理事長。そんな彼女を見て呆れたように薄く笑うカフェ。ひょっとこの様に口を窄めて息を吹き掛け、警戒しながら少量を口に含む。

 

「うむッ! 美味しい!」

 

「良かったです。士郎さんも如何ですか」

 

 とある生徒より極秘で持ち込まれた掃除機の修理に勤しんでいる士郎。布が複雑に絡んだヘッドのローラーと、毟り取られたような壊れ方をした蓋。布が入り込み過ぎてヘッドの分解だけで時間が掛かっていた。そんなタイミングでの休憩の誘いだった。

 頭に寄り掛かっているお友達をそのままにカフェからカップを受け取る士郎。

 

「お友達がすみません……」

 

「構わんよ。仕事の邪魔になる訳でもないからな。頂こう」

 

 室内を心地よい静寂が包む。窓の外からはトレーニング中の生徒達の声が微かに聞こえる。

 自身の私室とは全く異なる部屋。好みの収納棚はなく、照明周りも備品のまま。しかし静かな心持ちでコーヒーを楽しむにはこれ以上ない程の環境であり、それを示すように、本人は気付いていないが噛み締めるように微笑んでいた。

 

「そう言えば何か私に用件があるようだが」

 

「そうだった。思わず堪能してしまったが、これを渡しに来たのだ」

 

 そう言うとずっと手に持っていた封筒から通帳とキャッシュカード、そしてクレジットカードを取り出し、それを士郎に差し出した。途端に部屋に満ちていた心地良いはずの沈黙が、氷河期のような沈黙に変わった。

 

「待ちたまえ理事長。理由を説明してくれ。それでは私が魔力だけでなく、金銭まで子供に集るろくでなしになってしまう」

 

「そんな勘違いはしませんけど……」

 

「そうだぞッ。それではまるで私が衛宮殿をダメ男にしようとしている魔性の女になってしまうではないか!」

 

 魔性の女(笑)はともかくとして、確かに絵面だけ見ればとんでもなく倒錯した関係性のように見えてしまう事は確かであった。

 

「確かに衣食は自分で賄える、もしくはそもそも必要無いから金銭を貰っても使い道が無いと言うのも道理だ。しかしスイープ君の言う楽しい事や嬉しい事を感じて欲しいと言う願いを叶えるのに、金銭があればその一助になるはずだッ。それに学園のために粉骨砕身してくれている衛宮殿だけ無報酬にしてしまうのは、この学園を預かる身として妥協出来る事ではないのだッ!」

 

 その幼いながらも威風堂々たる姿に、学園を任されている一因を見た気がした。決して感情論だけではない理を用いた確かな説得力。これを断れば、それこそ道理の通らない感情論をこちらが振りかざす事になる。

 

「流石の弁舌と言った所か。分かった。ありがたく受け取らせて頂こう」

 

 カードを受け取ろうとした所で、不意に手を止めた。

 

「因みにだが幾ら入ってるのだ」

 

「100万円だ」

 

 咽せたカフェが危うくコーヒーを吹き掛ける。士郎は目頭を押さえていた。

 

「どこから捻出した予算、いや待てもしかして私財では無いだろうな」

 

「…………チガウヨ」

 

 ため息を吐いた士郎は先日設置されたばかりの内線に向かって歩き出した。どこへ掛けようとしているのかを瞬時に察した理事長は慌てて士郎のズボンを掴む。しかし悲しいかな、お菓子売り場に親を留めようとする子供の如き力しかない理事長に、士郎を止められるはずがなかった。

 

「またたづなに怒られちゃうからあー!」

 

「それが目的だからな」

 

 僅かな時間稼ぎすら出来ず、受話器の下に辿り着いてしまう。カチャリ、と無情な音が鳴る。

 

「だってぇー! ここにいてくれる事とかぁ! 休みなく雑用やってくれてる事とか考えるとぉ! 普通のお給料じゃ足りないと思ったんだもん──!」

 

 ブンブンと必死に体を振り乱しながら叫ぶ理事長。タイミング的に言い訳に聞こえてしまうが、これは紛れもなく本心なのだ。その暴露が効いたのか、取った受話器を使わずに戻した。

 

「分かった分かった。私を思っての事だという事に免じてたづなへの報告はしないでおく」

 

「衛宮殿……!」

 

 まるで父親に悪戯を見付かったが何とか母親への報告だけは免れた子供のよう、と言うよりはそのものだった。一連のやり取りを見ていたカフェはそう思った。一見厳格だが優しい父親に、かなり自由奔放な子供、そして怒ると鬼のように怖い母親。たづなを加えた3人を当て嵌めると思った以上にしっくり来て、自分で想像した事なのに笑いそうになっていた。

 

「但し、最初に決めていた金額に戻すように。そもそも食住が趣味嗜好の類になってるのだから、10万でも多いくらいなのだぞ」

 

「それはダメだ! 我が学園の最低賃金は50万だ!」

 

「たづなに確認するぞ?」

 

「30万です」

 

「全く……。君にしろたづなにしろ私の事を過剰に評価しすぎだ」

 

「そんな事はないと思うが……」

 

「それにだ。君のウマ娘への献身ぶりは素晴らしいと思うが、一方的な献身は我が身を滅ぼしかねんぞ。まあたづながいるからそこまでは行かんだろうがな」

 

「き、金言確かに」

 

 何ともないように言われた、あまりに重すぎる忠告に慄いた理事長であった。

 

 ・

 

 週末。

 あの後に改めて受け取った給料を持って商店街に繰り出した士郎。使い道を色々考えたが、やはり最初に思い付いたのは料理だった。しかし自分で食べるとなるとどうにも意欲が高まらない。必要としていない事が一因でもあるが、根っからの奉仕属性であると言う事の方がより大きな理由だ。本人は気付いていないが。

 どうしたものか、と当てなく歩いていると、旬の野菜果実を威勢よくセールスしているスーパーの店員の声が耳に入った。手書きのポップに目をやると、一番初めに『いちご』の文字が飛び込んで来た。

 

「……」

 

 連想的にスイープが甘い物を美味しそうに頬張っていた事を思い出す。そしてスイーツを作るかと思い立ち、店内に足を踏み入れた。いちごを数パックと、各種材料を買い揃えると、スイープに連絡を取りながら帰路に就いた。因みにこの時、良いいちごを選ぼうと吟味する姿があまりに熱が入っていたため店員と客に認知されていたが、当然士郎がその事を知る由はない。

 

 ・

 

「ねえフジさん。アタシでも使えるエプロンない?」

 

 自室にいたフジキセキを訪問したスイープがそんな事を尋ねて来た。聞き間違いかと思う程の予想外の質問に、驚きを露わにするフジキセキ。

 

「んーどうかな……。探してみないと分からないな。でもスイープが料理するなんて珍しいね」

 

「士郎に誘われたの。一緒にスイーツ作らないかって」

 

「へえ。あの人何でも出来るんだね。でもそう言う事だったら、どうせなら一緒にエプロンも買いに行ったら?」

 

 それは思い付かなかったと言わんばかりに、耳と尻尾を立てるスイープ。急ぎ自室に戻り外出届を書くと、フジキセキに提出すると許可が降りたかどうかの確認もせずに出て行った。

 

『スイープさんお出かけですかー?』

 

『士郎と一緒にエプロン作ってスイーツ買いに行くの!』

 

『行ってらっしゃーい! 士郎さんて裁縫も出来るんだ』

 

 キタサンブラックが誤解しているが、あの人なら普通に出来そうだからと、特に訂正するつもりのないフジキセキであった。

 

 ・

 

 商店街の入口で待っていると、気もそぞろと言った具合のスイープが走って来た。

 

「待たせたわね!」

 

「そうでもないさ。では行くとしよう」

 

 自前の手提げ袋の中を気にしつつ、士郎に付いて歩くスイープ。

 

「そう言えば何で急に料理する事にしたの?」

 

「実は先日初給料が出てな。しかし出たは良いが、使い道が浮かばない。久しぶりに料理でもしてみるかと考えたが、どうにもやる気が湧かない。そこで君に何か作ってやるかと思ったが、どうせなら一緒に作るか、と思った訳だ」

 

「……つまり士郎は料理を作るのが好きなんじゃなくて、誰かに食べてもらうのが好きって事?」

 

 僅かに呆れを含んだ語気。

 

「かもしれんな。朧げだが、常に食事を集って来る者がいた気がするしな」

 

「ふーん。じゃあ士郎が料理したくなったらアタシに振る舞って良いわよ! 但し野菜は少なめにする事」

 

「私に作らせるならそれはダメだ」

 

「ええ──?!」

 

「なるべく細かくしてやるからきちんと食べるんだ。それにバランスの良い食事はアスリートとしても大事な事だろう」

 

 言われている事が尤もだと認識しているからか、唇を尖らせながらもそれ以上の文句は言わなかった。

 そうこうしながら歩いていると、あっという間に目的の店に到着した。衣類店だ。入店すると、勝手知ったる動きでエプロンが置いてある一角を目指す。

 ご機嫌に鼻歌を歌いながら取っては戻すスイープ。士郎は投影で済ませるつもりだったが、ここに来たのだから買っておくか、と何も考えずに手に取ろうとすると、スイープが待ったを掛けた。

 

「はいこれ」

 

 渡されたものを広げる。明るめの赤一色、上端部に黒猫のワンポイントと言うデザイン。隣で広げられたスイープのエプロンは、私服と同じ色合いに、同じワンポイント黒猫。要は色違いのお揃いである。色合いはともかく黒猫は、と言おうとしたが、期待と褒められ待ちの顔を見ては頷くしかなかった。

 

「……黒猫が可愛いな」

 

「でしょう!」

 

 ・

 

 店を後にし学園に到着。

 

「あ、使い魔さんだ。こんにちはー」

 

「使い魔さんこんにちは」

 

 未だに緩々なスイープの口のせいで、本名よりも広まっている使い魔と言う呼び方。居合わせれば都度訂正していたが、平日であれば一緒にいない時間の方が長く、気付けばこの有り様。衛宮士郎、アーチャーに次ぐ、第3の呼び名の誕生である。

 

「ああ、こんにちは」

 

 軽い手振りで挨拶を返す士郎。そんな様子を見たスイープは、何で使い魔って知ってるんだろう、と不思議な顔をしていた。まさかの無自覚である。

 

「そう言えばどんなスイーツ作るの?」

 

「少々時間は掛かるが、いちごのムースケーキだ」

 

「楽しみね!」

 

 そう言いながら校舎内に入って行く2人。

 

 ・

 

 スイーツと言う言葉が発せられた瞬間、それぞれ異なる場所にいた3人の額にニュータイプみたいな煌めきが走った。

 

「今どなたか」

 

「いちごのスイーツを」

 

「作るって言った」

 

 あらぬ方向を見ながらそんなアホな事を言う3人に、それぞれ一緒にいた友人が困惑しながら何を言ってるのか、と尋ねた。

 

「マックイーン? 壁見て何言ってるの?」

 

「スペちゃん? ご飯はもう食べたでしょ?」

 

「オグリ? 甘味食べながら何言うとるんや?」

 

 そんなツッコミを他所に、確信的な足取りでどこかへと向かう、腹八分目ぐらいにはなってたはずの飢えた獣達。

 

 ・

 

 一方、そんなシンクロニシティが起きてるとは露とも知らない2人は家庭科室に到着していた。

 

「手はしっかりと洗うんだぞ」

 

「分かってるわよ。……はい、ちゃんと洗ったわよ」

 

「よろしい。ではまず材料を予め出しておくんだ。卵、グラニュー糖、薄力粉、バター、牛乳だ。これで初めにスポンジ部分を作っていく。まずボウルに卵とグラニュー糖を入れ泡立てる」

 

「どれくらい?」

 

「色が変わってトロミが付くまでだ」

 

「分かった」

 

 流石はウマ娘と言った所か、同年代の女子よりも遥かに早く良い塩梅にまで泡立った。そこへ士郎が片手粉ふるいで濾した薄力粉を数回に分けて入れ、スイープがヘラで混ぜていく。

 

「ぐるぐると掻き混ぜるのではなく、切るように混ぜていくんだ。よし、それぐらいで良いだろう。ではレンジで温めてたものを取ってくれ」

 

 バターと牛乳を温めて溶かしたものだ。そこに生地を少量入れ泡立て器で掻き混ぜ、サラサラになったら今度はボウルの方に入れ、再度掻き混ぜる。

 

「これで生地の元は完成だ。次は型に流し込んで焼いていく」

 

 丸い型に流し込み、全体が均一になるように傾けて均す。180度に予熱していたオーブンに入れ10分焼く。

 オーブンの前に座り込み、生地が膨らむのを楽しそうに待つスイープ。

 

「楽しそうに待っている所すまないが、その生地はそこまでは膨らまんぞ」

 

 露骨にガッカリした顔を見せる。

 

「そんな顔をするな。ほら、その間にいちごを切るぞ」

 

 士郎がヘタを取り、スイープが切る。少し時間が経つと、オーブンから何とも鼻を擽る良い香りが漂って来た。思わず顔を綻ばせてしまう。

 

『グウ〜〜〜』

 

 見事な腹の虫の鳴き声。しかし不思議な事に、士郎とスイープは互いに顔を見合わせていた。そもそも士郎が空腹になる事はなく、かと言って表情からスイープが羞恥心から擦り付けようとしている訳でも無さそうだった。ならばどこから、と視界を巡らせると、入口に奴らがいた。

 横向きに生えた顔が3つ並び、しかも全員が目をカッと見開き室内を凝視し、あわよくば分けてもらえないかなと浅ましさが滲み出た笑みを浮かべている様は、真昼なのに背筋を凍らせる破壊力を秘めていた。

 

「ひいっ! おばけ!」

 

 聞こえないはずの言葉を拾い、広大な学園から僅かな香りを頼りにここを突き止めた辺り、スイープの指摘は間違いとは言えなかった。



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その8

遅くりました。ゴーストワイヤーTOKYOが楽しくて……。

UA2万越え、感想200件越えました。皆さん、ありがとうございます!
これからもよろしくお願いします!

※誤字脱字の指摘、いつもありがとうございます。


「マックイーン! メジロのイメージがとかって言ってたけど、9割くらい自分のせいって気付いてる?!」

 

「スペちゃん、流石にみっともないから止めましょう? ……スペちゃん?」

 

「オグリ、せめて涎は拭いとき」

 

 各々のツッコミ役に引き剥がされていく飢えた獣達。

 

「スイープ、彼女達は?」

 

 マジでビビり、士郎の後ろに隠れていたスイープが顔をひょっこりと出す。

 

「髪の短いのがスペシャルウィーク、その横にいる緑の耳飾りがサイレンススズカ」

 

「何作ってるんですか?!」

 

「スペちゃん……」

 

 元気溌剌なフードファイター、スペシャルウィーク。生まれ育った北海道のような胃袋を持っている。

 

「白くて大きいのがオグリキャップ。白くて小さいのがタマモクロス」

 

「美味しい(むしゃむしゃ)匂いが(むしゃむしゃ)してたか(むしゃむしゃ)らつい」

 

「食いながら喋るな! 後、誰が白くてこまいって?!」

 

 静かなるフードファイター、オグリキャップ。あっちこっちの飲食店で出禁を言い渡されているとの噂を持つ。

 

「あそこにいる似非お嬢様がメジロマックイーンで、あっちがトウカイテイオー」

 

「……はっ。誰が似非ですって!」

 

「オーブン見ながら怒っても説得力ないよー」

 

 スイーツ限定のフードファイター、メジロマックイーン。レースのために食事制限をしている時の形相は、鬼も裸足で逃げ出すと言われている。

 

「ふむ」

 

 見覚えのある顔もない顔も含め、全員の紹介をしてもらった所で士郎はこの世界に来てからずっと感じていたちょっとした疑問が再燃した事を自覚した。それはズバリ、呼び方だ。どこで区切るのかは分かるのだが、上下の概念がないせいでどちらで呼ぶべきなのかが全く分からないのだ。マナー的にNGと言う事を考えると、フルネーム呼びが安牌なのだが、何せ長い。疲れるような事ではないのだが、違和感が強いのだ。

 

「知ってるかもしれんが、私は衛宮士郎だ。それで彼女達は何か用事があって来たのではなく、本当に生地の香りに釣られて来たのかねタマモクロス」

 

「……あ、ウチ?」

 

 自分に振られるとは思っていなかったらしく、暫しの間を置いて反応するタマモクロス。

 

「年長者だと思ったのだが違うかね」

 

「……!! その通りや、見る目あるな!」

 

 中学生、下手をすれば小学生にさえ間違われるタマモクロス。そんな自分を一目で年長者と見抜いた士郎の評価は、彼女の中で爆上がりしていた。

 

「せやな。この3人ならそれぐらい出来てもおかしくないわな」

 

「……そうか」

 

 金色の騎士もここまでは無かったな、と思う士郎だった。

 

 ──それで、どうする? 

 

 ──どうするって何が? 

 

 ──ケーキを分けるかどうか、だ

 

 ──……分けるのは良いけど、作るのを手伝わせるのはダメ。アタシと士郎だけでやるんだから

 

 ──ふっ、了解した

 

 とは言え、流石に6人追加となると1つでは足りない。幸い、今から新しく作り始めればそこまで進捗具合に差は出ないだろう。 

 

「さて、このまま食欲旺盛な子達を無視するのは心が痛むのでね。午後まで待てて、且つ私の仕事の手伝いをしてくれるならご馳走しよう」

 

「もちろんお手伝いしますわ!」

「やります!」

「やる」

 

 間髪入れず3人から了承の言葉が飛ぶ。

 

「やる気があるようで何よりだ。但し、次はこんな風に飛び込みで来ても作ってはやらんからな。気持ちよく食べるには、きちんとした礼儀が必要だからな」

 

 流石に少しは自覚があったのか、士郎の指摘を素直に聞き入れる3人。

 

「それで君達はどうする? 監督官をやってくれるなら手当が付くぞ」

 

 そんな小狡い言い方をされては、答えなど一つしかない。

 

 ・

 

 いちごムースを作り、それを底にスポンジを詰めた型に流し込む。スイープに指示を出しながら、並行してもう1つのスポンジを作り、同じようにムースを重ねる。スイープの手際を見つつ適切な指示を出しながら自分の作業を淡々と熟していく士郎の器用さに、感嘆の声が漏れる。

 そこまで進むと、熱を取り固めるため2時間ほど冷蔵庫に冷やす。

 仕舞われるケーキを名残惜しそうに見送る3人がいた。因みに、その上にゼリーを掛けるから+2時間冷やすと言うと、絶望と希望が綯い交ぜになった何とも味わい深い顔をしていた。

 

「では昼食が終わったら、13時頃に用務員室に来るように。遅刻したら食事会は見学になるから気を付けるように」

 

 ・

 

 遅刻厳禁を言い渡された3人は絶対に遅刻しないため、満腹ではなく腹八分目に抑え、時間になるまで扉の前で待機していた。

 おかわりも程々に済ませた3人に、友人達は何かあったのでは、と頻りに心配したがスイーツのためと分かると平常運転だと皆安心した。

 

「全員揃っているな。感心感心。では君達には整形したこの板に塗料を塗ってもらう。誰かが広範囲の柵を蹴り破ったみたいでな」

 

 目撃者がおらず、事件は迷宮入りかと思われたが犯人は翌日に問答無用で現行犯逮捕された。

 

「ちょっとテイオー! 刷毛を持ったまま手を振り回さないで下さい!」

 

「スペちゃん、それは塗りたて……!」

 

 ・

 

「次は動きの悪くなっている教室のドアの整備だ。私がローラーの整備を行うから、溝の掃除をしてくれ」

 

 ウマ娘用に作られているとは言え、学舎の中で特に雑に使われる存在と言って良いだろう。同時に動きが悪くとも特に騒ぎ立てられる存在でも無いのだが。

 

「まず掃除機で埃を吸ったら、この粉を掛けてくれ」

 

「砂糖か?」

 

「アホか。砂糖を何に使うねん。重曹や。料理に掃除とマルチプレイヤーや。じゃあこっちはオキシドールか」

 

「その通りだ。ではそちらは頼んだぞ」

 

「了解や。オグ、オグリ舐めんなや!」

 

「苦い……」

 

 ・

 

「次は傘立てにずっと残っている傘をゴミと使えるものへの仕分けと、傘立ての掃除だ」

 

「あ、これ私のだ。こっちも。ここにあったんだあ」

 

「見て見て、お猪口!」

 

 忘れた事も忘れられていた傘が無事持ち主の下へ帰った。

 テイオーも同じようにずっと忘れていた──本人曰く置き傘との事──傘を振り回して遊んでいた。

 

「かー! まだ使える傘を忘れてそのまんまにしてくなんて贅沢やなあ」

 

「傘無いのか。予備渡そうか?」

 

 綺麗な傘を見付けては勿体無い精神に誑かされそうになるタマモクロスと、少しズレた心配をしているオグリ。

 

「このやたらアクセサリーの付いた使いにくそうな傘はどなたのかしら」

 

「フクキタル……」

 

 大きさ、形、種類と、何一つ共通点の無いアクセサリーが、持ち手にこれでもかと強引に結び付けられた実用性皆無の傘。否、最早傘としてのアイデンティティーを喪失した何かだ。

 空になった傘立てを縦向きにし、受け皿のゴミを落としていく。落ちにくいゴミを箒で落とそうとしたが、足元にあったはずの箒がない。はて、と思うと玄関の外で箒に跨っているスイープがいた。

 

「何をしてるのかね」

 

「飛べないかなって。安物じゃダメなのかしら。やり方知らない?」

 

「学園の備品を安物扱いするな。後、飛行魔術に関しては古代の魔女でもなければ出来ん芸当だ。少なくとも私の知る限りはな。そら、箒を使いたいならそこのゴミを落としてくれ」

 

「はーい」

 

 中に戻ると、2人の会話が聞こえていたのか、視線が士郎に集中していた。

 

「そう言えば士郎ってば魔術師だか使い魔だかだったんだっけ。それっぽい格好も、それっぽい事もやんないから忘れてたよ」

 

「寮のみんなも、やたら色んな場所で見る働き者さんって言う認識になってますね」

 

「派手な魔術を披露する機会などないし、用事も無いのに見せるつもりもないからな」

 

 こびり付いてる汚れかゴミか分からない染みを一生懸命擦っていると、もしかして士郎が凄い魔術を使えると知っていて、且つその産物を持っている事はかなり自慢出来る事なのでは、と思った。そんな風に考えていると、スイープは自然とニンマリとした笑顔になる。そしてそれを皆に言いたい。しかし自分から言うのは少しみっともないので、誰かに聞いて欲しい。

 と、そんな事を考えているのだろうな、と士郎には見破られていた。

 

「えー見せてよ〜。本物の魔術なんて見るチャンスなんて絶対無いんだからさあ」

 

「よしなさいテイオー」

 

「因みにアタシは見た事あるわよ」

 

 まさかの1分経たずのポロリ。予想していた以上の堪え性の無さだった。

 

「ええ──! スイープだけずるーい! ボクも見たい〜〜!」

 

 地団駄を踏みながらキャンキャンと吠えるテイオー。その内地面に寝転がってしまいそうな勢いだ。

 

「ちょっとテイオー! みっともないからよしなさい! 衛宮さんも困ってるでしょう!」

 

 士郎はレース場整備の折にテイオーの走りを一度だけ見た事があった。詳しい解説が無くとも彼女が一流のアスリートである事は走りで分かった。幼いながらも競技者としての顔で後続を引き離していく姿を良く覚えている。そんな彼女が目の前で駄々を捏ねている姿にギャップを感じ、思わず笑ってしまう。

 

「あー! 何笑ってるのさあ!」

 

「いやすまない。ふむ、そうだな。少し待っていたまえ」

 

 そう言うと姿を消す士郎。

 何の前触れもなく行われた霊体化に、スイープ以外全員の尻尾が槍のようになっていた。駄々を捏ねていたテイオーも、そのままの顔で固まっていた。スイープはふふん、と後方腕組マスター面していた。

 ややしてから歩いて戻って来た士郎。

 

「皆どうした。幽霊でも見たような顔をしてるぞ」

 

「原因も幽霊もアンタや!」

 

 タマモクロスに流れる関西の血が、英霊のボケと言えどツッコミを放棄する事を許さなかった。

 

「そう言えばそうだったな。用務員の仕事しかしてなかったから私も忘れていたよ」

 

「自分の事やろ!」

 

 楽しそうにボケ返す士郎。

 意外と愉快な人だったんだな、とタマモクロスと士郎のやり取りを見た皆はそう思った。

 

「そうだトウカイテイオー。最後の仕事まで我慢すれば良いものを見せてやろう」

 

「え、あ! そうだ、さっきまで駄々こねてたんだった! 分かった我慢する!」

 

「我が儘言ってる自覚あったんですか」

 

「では再開しよう。これが終わったら一度家庭科室に戻るぞ」

 

 その言葉に露骨に目の色を変える3人。

 

 ・

 

 2時間の冷蔵でしっかりと固められたムースは、綺麗な薄いピンク色で仄かにいちごの香りが漂う何とも甘味欲を誘う出来栄えだった。

 つまみ食いしたら見学になると言い付けられた3人は椅子に行儀良く座っているが、尻尾は正反対に忙しなく動き回っていた。「待て」を命じられた腹を空かせた大型犬にしか見えなかったが、流石に心の内に留めておいた。

 

「では最後にゼリーを作るぞ。私はゼラチンを混ぜておくから、いちごをミキサーで混ぜてピューレにしてくれ。細かく止めて確認しながらやるんだぞ」

 

「分かったわ」

 

 大粒のいちごが忽ち形を崩し、器一杯に広がっていく。帽子の鍔が器に当たるくらい近くで見ているスイープと、ミキサーの音に合わせて体を揺らすフラワーロック3人娘。

 

「それぐらいで十分だろう。グラニュー糖と一緒に鍋で沸騰直前まで煮てくれ。火傷には気を付けるんだぞ」

 

 腕を組みながら鍋を真上から覗き込むスイープと、匂いを嗅ぎに行こうとして飼い主に止められる3匹の大型犬。

 

「今!」

 

 摘みを捻り火を消す。大仕事をやってのけたように、ふいー、と出てもいない額の汗を拭うスイープ。

 

「ご苦労。ゼラチンを入れたら次は粗熱を取るぞ。これは私がやる」

 

 鍋底を水の張ったボールで冷やす。ただの水だから冷やし過ぎる事は無いが、流動性が低くなって型に流し込みにくくなるため、見極めは必要だ。その塩梅は長年の勘が教えてくれる。

 

「今!」

 

 スイープのセリフを真似たのは態とだ。皆がクスクスと笑うが、当の本人は気付いていなかった。

 鍋を渡し、ムースの上に流し込む。均一になるよう型を傾ける。

 

「そして2時間冷やして飾り付けをすれば完成だ。仕事終わりの一服と言う奴だな」

 

 ・

 

 所変わって体育館。本日最後の仕事場である。次は何の修理なのかと皆で予想し合う。ボール籠のキャスターか、倉庫の扉か、放送機器の修理か。

 

「残念だが、修理ではないぞ。理事長とたづなに頼まれたのはアレだ」

 

 顎で示したのは天井。正確にはちらほらと見える、部材の隙間に挟まりどうしようも無くなったバレーボールだ。孤独なボール、落とそうとして二次、三次被害を出して固まっているボール達。初めの内は皆も思い出すが、いつしか風景の一部になり認識されなくなる悲しき存在だ。

 

「あー……。アレな。数えると結構あるなあ」

 

 男子中学生でも、手足、特に足に当たった時の角度や力の入れ具合で簡単に天井まで飛んで行くのだ。ウマ娘ともなれば、もっと簡単に届いてしまう。

 照明交換のタイミングで業者についでに頼んでいるのだが、LED化した事で交換の頻度がグッと低くなり、数は増えていく一方。それのためだけに業者に依頼するのはあまりにコスパが悪く、頭を抱えるほどではないが、ふとした拍子に思い出しては「うぅ〜ん」とたづなの眉間に皺を寄らせる、魚の小骨みたいな問題だった。

 

「それでそれで! どんな方法で取るの?!」

 

「まあ見ていろ」

 

 皆に見せ付けるように掌を上に向けて腕を差し出す。

 

投影(トレース)()開始(オン)

 

 瞬間、光を放つ幾何学的な模様が腕を奔る。無手であった左手に、一瞬にして漆黒の洋弓が握られていた。

 

「なになになになに今の! それ触らせてえ!」

 

 一瞬にして出現させた魔術に、漆黒に彩られた中でシルバーのハンドガードが文字通りアクセントとして光るデザイン。少年マインドを持つテイオーには、そのどれもが直撃であった。キラキラした目で尻尾をブンブンと振りながら士郎に纏わり付く。食欲ではなく好奇心旺盛な大型犬が1匹増えた。

 

「今のが投影と言う魔術だ」

 

「へえぇ〜〜〜!」

 

 ウキウキを全面に押し出しながら、洋弓を撫で繰り回そうとするテイオー。をタックルで止めに入るスイープ。

 

「コラー! ご主人様差し置いて何最初に触ろうとしてんのー!」

 

「グエ──!」

 

 ヤ○チャみたいに床に転がっているテイオーを一瞥もせずに、洋弓をこれでもかと撫で回すスイープ。アゾット剣を貰っている彼女からすれば洋弓自体にそこまで魅力を感じてはおらず、セリフ通り士郎の一番を取られたくないと言う独占欲で阻止しただけだ。

 

「……ツルツルしてる!」

 

「ほんまやな」

 

「でも凄く硬いですね」

 

「そのトレース・オンは食べ物も出せるのか?」

 

 士郎はオグリがどういうベクトルで食いしん坊なのかを、何となく理解した。

 

「ちょっとー!」

 

 誰にも心配されなかったテイオーがプンスカしながら大股で詰め寄って来たが、洋弓を渡されると一気に鎮火。見様見真似で構えたり、弦を引いたりして遊んでいた。

 

「それでこれで何するの? ボール撃ち落とすの?」

 

「当たらずとも遠からずだな」

 

 左手で洋弓を構え、右手にある物を投影。それは紛う事なき矢である。しかし先端に付いているのは鏃ではなく吸盤。そしてシャフトの根本に近い部分には紐が結び付けられていた。

 

「引っ張って落とすの?」

 

「その通りだ」

 

 構え、放つ。ピョウ、と真っ直ぐに10m以上を飛び、見事ボールに命中。おお、と皆の口から感嘆の声が漏れる。

 その場から動かず、次々と命中させていく士郎。溜め(・・)の無い流れるような射形でありながら洗練された美しさと、見事な命中精度は、やはり武道の心得が無い者達をも魅了した。スイープはその横で鼻を高くしていた。

 

「何てったって士郎はアーチャーでもあるんだから! 凄いんだから! 足も速いし!」

 

 あ、と誰かが言ったのも束の間。スズカがノーモーションでスイープに詰め寄っていた。真顔なのに滲み出る速さへの執念。そう彼女こそ、誰が呼んだか人呼んで「先頭民族」。

 

「な、なに?」

 

「速いの? 衛宮さんて」

 

「え、えっと」

 

「速いの??」

 

「そ、その」

 

「スズカさん落ち着いて下さい! スイープちゃん怖がっちゃってますから!」

 

 後ろからスペシャルウィークが引っ張り離そうとするが、地蔵のように動かないスズカ。その隙に士郎の下へピャー、と逃げるスイープ。

 

「ふむ。彼女はツッコミ枠だと思っていたのだが違うのかね」

 

「ウチらウマ娘は総じて走る事への欲求が強いんやけど、スズカはそれに加えて先頭で走り続ける事への欲求も強めなんや」

 

「なるほど。それでスイープの迂闊な発言に食い付いた訳か」

 

「大方併走でも頼もうとしてたんとちゃうか」

 

 話しながらも、何なら見もせずに澱みなく放たれ続ける吸盤付きの矢。ちょうど10本を数えた所で全てのボールにくっ付け終えた。

 

「ではこの紐を引っ張って落としてくれ」

 

 散り散りになって落としに行く皆を、オロオロと見送るスペシャルウィーク。サボってるような気になって落ち着かないようだった。その隙を突いて拘束を脱出するスズカ。

 

「ああスズカさん!」

 

「ひゃあ来たあ!」

 

「速いんですか衛宮さん」

 

「少し落ち着きたまえ」

 

「速いんですか??」

 

「言語野が退化してないか? 人よりかは速いが、残念ながら君達ほど速くはないな」

 

「そうですか……」

 

「嘘よ! スズカなんてケチョンケチョンに出来るくらい速いんだから!」

 

「!! 併走しませんか!」

 

「何故煽る……。スペシャルウィーク、君の相棒を止めないと君の分のケーキが半分になるぞ」

 

「スズカさん、お覚悟を!」

 

 ・

 

 体育館での仕事を終え、料理室に戻った一行。

 スズカはスペシャルウィークの泣きの入った懇願で渋々引き下がったが、内心では全く諦めておらず機会を虎視眈々と狙っていた。

 

「手をしっかりと洗って待っていたまえ」

 

 ヤカンを火に掛けてから、冷蔵庫から取り出され机に置かれたムースケーキ。最上段のゼリーはしっかりと固まっていた。

 

「まあ、まるでルビーみたいに綺麗ですわ!」

 

「え、えっと、あ! まるでガーネットみたいですね!」

 

「!! ──、……ま、まるでいちご、みたいだ」

 

「せやな」

 

 型から取り外し、カットしたいちごを飾り付け完成。

 

「切り分けは私がやるから、スイープは皿に移してくれ」

 

 迷いなく包丁を入れていき、均等に分かれたケーキ。しかしここにいる人数分以上にあり、おかわりか、と目の色を変えながら立ち上がりそうになるが、それは残しておいてくれ、との言葉に椅子に座り直す。

 ケーキサーバーで皿に移していく。

 皆の前にケーキが行き渡る。今すぐにでも食べたかったが、士郎がまだ席に着いていないのだ。流石にそこは我慢する理性があった。

 

「あら、この香りは……キームンですか?」

 

「ほう、よく分かったな」

 

 士郎の手元に置かれた2つのポット。片方は空だが内部が曇っており、温められていた事が分かる。もう片方では茶葉が蒸らされている。抽出用ポットとサーブ用ポットを分けているのだ。秤もある。

 

「そう言えば酸味のあるフルーツと合うと聞いた事がありますわ」

 

「そう言う事だ」

 

 蒸らし終え、サーブ用ポットに注いでいく。この際、最後の一滴が自然に落ちるまで待つ。そうして落ちた最後の一滴をゴールデンドロップと言う。ポットを軽く回し、濃度を均す。

 片手で保持し10cm程の高さからカップに注ぐ。因みに片手である理由は、出来立ての熱い紅茶を提供する事がマナーであり、ポットに手を添える事は冷めた物を提供しているとしてマナー違反とされているからだ。

 手慣れた美しい所作は、マックイーン以外の腹ペコ達の空腹をも一瞬忘れさせていた。

 

「さて、待たせたな」

 

 行き渡ったケーキと紅茶。ティータイムの準備は完了だ。

 

『いただきます』

 

 ・

 

「紅茶とケーキを交互に食す事で、舌がリセットされて常に新鮮に味わえますのよ」

 

「へえーそうなんですね! マックイーンさんて物知りですね!」

 

「口の端にクリームが付いてるわよ」

 

「なんと!」

 

「メジロ家の者として当然の知識ですわ」

 

「おいしー!」

 

「あかん美味しすぎる。慣れたら舌がバカんなる」

 

 話を聞く限り、どうやらメジロマックイーンは上流家庭のようだ。飲食のマナーも当然のように出来ている事からも分かる。故にファーストコンタクトが何故あんな事になっていたのか不思議でならなかった。

 

「士郎は何でそんな事知ってんの? 後何か紅茶の入れ方とか」

 

「そうだな……」

 

 まあ考えるまでもなく、生前に教わった事だ。しかしそれがどういった経緯だったかを思い出す事が出来ず、記憶の海に身を委ねていると、不意に「プロレス」と単語「テムズ川に落とされる」と言う情景が浮かび、加えて頭痛に襲われた。これ以上は思い出すなと言う迫真の警告だ。

 

「……恐らくロンドンにいた頃に習ったのだろう」

 

「覚えてないの?」

 

「『プロレス』と言う単語と『テムズ川に落とされた』と言う事しか思い出せん」

 

「…………???」

 

 ・

 

「ありがとうございました。突然訪問した上、こんなに美味しいスイーツと紅茶を頂いてしまって。このお礼は必ず」

 

「非常識だったって自覚あったんだ」

 

「とても美味しかった。美味しい紅茶と一緒に食べると量が少なくても満足出来ると分かった。でも今度は1ホール食べてみたい」

 

「こんな美味いデザート食ったの久しぶりやったわ、あんがとな。ただ今後オグリに遭遇しても気軽に食べもんやったらアカンで。上げたら最後や」

 

「お礼に併走しませんか?」

 

「スズカさん?! それはお礼じゃ無いですよ!」

 

 概ねホクホク顔で帰って行った6人。

 使用した食器を洗っているスイープは、まだ残っているケーキをどうするのか尋ねた。

 

「世話になった者への土産だな」

 

 ・

 

『フジさん、いる?』

 

「いるよ」

 

『ちょっと両手塞がっちゃってるから開けてもらっていい?』

 

「はいはい。どうしたのかな」

 

 扉を開けると、片手に水筒、片手にケーキボックスを持ったスイープがいた。

 

「これアタシと士郎で作ったケーキ。こっちは士郎が淹れた紅茶。フジさんには世話になったからって」

 

 机の上にケーキボックスを置き、蓋を取る。閉じ込められていたいちごの香りがふわっと部屋を漂う。水筒から注がれた紅い液体に満ちるカップ。湯気と共に立ち上る香り。

 

「……衛宮さんて凄いマメって言うか、凄い真面目って言うか。うんありがとう。衛宮さんにも今度会ったらお礼言っておくよ」

 

「美味しいからしっかり味わってね!」

 

 ・

 

『衛宮だ。2人ともいるかね』

 

 所変わって理事長室。レース場整備に行く1時間ほど前の時間に士郎が訪ねて来た。

 

「いるとも」

 

『失礼する』

 

 残業突入前の息抜きのタイミングであり、2人は士郎が手に持っている物を見て目を輝かせた。

 

「2人には色々と世話になってるからな。ささやかではあるが、その礼だ。残業前の一服に如何かな?」



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その9

遅くなりましたあ……。
ネタ考えるのに手こずりまして。そう言う訳で今話は容量減らした2話入りとなってます。

そう言えばファイズの新作発表されましたね。こう言うの待ってたんだよ! となってほしいですね。

※いつも感想・誤字指摘ありがとうございます。


 1

 

 来賓用玄関を掃除している最中のこと。受付横の冊子スタンドにある『トレセン周辺マップ』が目に入った。

 基本的に遠出しないため、商店街くらいしか足を運んでいない事を思い出す。冊子を手に取り、折ってからポケットにしまい込む。誰もいないのだから見ても咎められないのだが、そこは衛宮士郎である。仕事中にサボる事は良しとしない。

 午前中の業務が終わり、毎日恒例のスイープ主催の昼食会に向かう。その道中で冊子を取り出し広げる。トレセン学園を中心に観光客向けの施設が充実している。その中で1つ興味を惹かれるものがあった。

 

「漁港か。……久しぶりに釣るか」

 

 今度の休みの予定が決まる。

 問題はスイープを連れていくかどうかである。声を掛けないと拗ねるだろうが、獲物が掛かるまでの時間をジッとして過ごせるか怪しいのだ。どれだけ静かにしているかで釣果は大きく変わる。しかも静かにしていても釣果0がザラにあるのだ。それも込みで釣りの醍醐味なのだが。果たしてそれを理解してくれるかどうか。

 結局決めきれないまま食堂に到着してしまう。今日もオグリキャップは、テーブルを占拠する量を実に美味しそうに食べている。士郎が自分のことを見ている事に気付いたオグリキャップは、食べるか? と天を突かんばかりのスパゲティを差し出した。

 見るだけで胸焼けを起こしそうな量に、流石に断りを入れようとするが、口元を汚しリスのように頬を膨らませながら無垢な目で差し出す姿に、断る事が悪く思えてしまう。

 

「……ありがたく頂こう」

 

 顔が隠れる高さのスパゲティの向こうで、オグリキャップはニコッと笑っていた。

 

 ・

 

「……今日は随分食べるのね」

 

「オグリキャップに貰ったのだよ」

 

 途端にざわつく生徒達。調子が悪いのではないか、何かあったのではないか、と。皆の彼女に対する評価に苦笑いしながら、先日ケーキを振る舞ったからだろうと答える。食べ物が絡んでいると分かると、皆は安心したように食事を再開した。

 

「食べ切れるの?」

 

「まあこれぐらいならな」

 

「そう。あ、そうだ。今度の休みなんだけど、キタサン達と買い物行くから」

 

「そうかね。ちょうど私も出かけようと思っていたところでな」

 

「え、どこ行くの」

 

 付いてくると言われると思っていたかのような驚き具合。スイープはまだしも、成人男性がいては楽しめない子もいるだろうに。

 

「釣りだ。釣果があったら何か作ってやる」

 

「絶対ね! 何もなかったら怒るわよ!」

 

「久しぶりだから約束はできんがね」

 

「それで何が釣れるの?」

 

「この時期ならスズキ、メバル、クロダイなどか」

 

「どんな料理が作れるんですか?」

 

 向かい側に座っていたキタサンが話に加わった。

 

「そうだな。揚げる、煮付け、焼く。イタリアン、フレンチ、和風と、レシピは非常に多岐にわたる。ただここでレシピを事細かく語って釣果0では格好が付かないから、ボカさせてもらおう」

 

 ・

 

 時間は流れ、土曜日。程よく雲の広がった釣り日和な天気。仕事終わりに揃えた道具とジャケットと帽子を着こなし、学園を出る。時刻はまだ早く、当然スイープは起きていないため、念話はせずに出発する。

 駅に向かい切符を買う。最後に切符を買ったのは果たしていつの事だろうかと考えるが、特に迷わず買えた事にデザインが如何に優れているかを実感する。構内もホームも閑散としている。到着した電車は少ないながらも乗客がいた。

 座席に腰掛け、車窓から外を眺める。太陽が上がり切っていない空はまだ薄暗い。漁港までは電車で20分程。時間にしてみれば短いが、その間に空は目まぐるしくその姿を変えるだろう。

 

「──────」

 

 果たして空模様をじっくりと観察するなどいつ以来だろうか。否、もしかしたら初めてかもしれない。自分を取り巻く環境に目を向けられるようになったのも、ここに呼ばれてからだ。

 スイープ、理事長、たづな、生徒会。皆がここに留まったことに感謝するが、一番感謝しているのは士郎なのだ。だから給料を初めは断っていたし、スイープに誘われなければ昼休憩もせず仕事を続けていたし、自主的に深夜の見回りもやっているのだ。感謝を口にすればいい? 士郎にだって羞恥心はあるのだ。

 

 ・

 

 太陽は完全に昇ったが、まだ少し肌寒さを感じる。漁港に着くと遮るものが無くなり、より風を感じる。

 堤防を歩く。片側にはテトラポットが群をなしている。

 当然初めての場所なのでポイントの良し悪しなど分からない。勘で場所を決め、アウトドアチェアを広げ、腰掛ける。竿を取り出し、アカムシを針に刺す。その最中に、そもそもスイープが、こう言う如何にもな虫を触れるか確認していなかった事を思い出す。何となく悲鳴と共に逃げ出しそうな気がする。

 手首をスナップさせ、針を飛ばす。ポチャンと小気味良い音が耳を打つ。竿受けで固定し、椅子に深く腰掛ける。後はのんびりと待つ。随分と贅沢な時間の使い方をしているな、と笑う。

 

 ・

 

「あれ。最近学園で噂の使い魔さんじゃん」

 

 適当に餌を変えつつ、流れる雲を見ていると、そんな風に声を掛けられた。

 トレセン学園の制服を着た、肩に抱えた釣竿と片手にバケツを持った生徒。空と同じ水色のショートヘアは、彼女の溌剌さを示しているようだった。

 

「確かキングヘイローとよく一緒にいる生徒だったな」

 

 正確にはよく小言を言われている生徒、である。昨日も見た、と言うか練習に遅れるな、と言われていたような気がする。

 

「セイウンスカイ。よろしくね使い魔さん」

 

「衛宮士郎だ。呼び名は好きにしてくれて構わんよ。ところでセイウンスカイ、君は今日練習ではなかったのかね」

 

 と言うと、分かりやすく全身をギクリと固まらせるセイウンスカイ。半開きの口に、泳ぐ目。白状しているようなものだ。

 

「まあ私は教え導く立場ではないから、君が道を踏み外すようなことをしない限りはとやかくは言わんよ」

 

 露骨に安堵するスカイ。

 一報は入れておいた方がいい、と言おうと思ったが、サボり方が慣れているし、その上でキングが小言で済ませているのだから余計なお世話だろう。

 

「借りまーす」

 

 と言いながらアカムシを手に取り、慣れた手付きで針に刺すセイウンスカイ。

 

「1匹5円だ」

 

「えっ」

 

「冗談だ」

 

「真面目なイメージだったからビックリした」

 

「真面目? 私がか」

 

「だって校舎内で見かける時、いつも何か仕事してるから」

 

「雇われの身だからな」

 

「そうじゃなくて、何かいつもやってることがバラバラだからさ」

 

「用務員だからな。色々なことをやるさ」

 

「あーだからそうじゃなくて……。もしかして揶揄ってる?」

 

「そうだが?」

 

「揶揄われたって言い触らしてやるっ」

 

「アカムシをやったからチャラだろう」

 

「不平等過ぎるよ!」

 

 全くとプリプリしながら竿をしならせ、飛ばす。

 

「ボウズでも分けてあげないからね」

 

「おっとそれは困るな。何か釣って帰って料理を作ってやらないとお説教が待ってるのでな」

 

「ふ〜〜ん。おやこんな所に釣り上手で、帰ったらお腹を空かせてそうなウマ娘がいるなあ」

 

 チラチラと態々声に出して視線を送るセイウンスカイ。

 

「それはちょうど、っと、掛かったか」

 

「お、こっちもだ」

 

 大きくしなる竿が掛かった獲物の大きさを示している。海中より徐々に姿を見せ始めた魚影は、やはり中々のものだ。しかし不思議なことに、2人の糸はその魚影に向かっていた。

 

「これは」

 

「もしかして」

 

 ・

 

「やっほーキング」

 

「スカイさん! あなたねぇ、って衛宮さん?」

 

 いつから陣取っていたのか、仁王立ちのキングヘイローが校門前に立っていた。煽っているようにしか聞こえないのんびりとした声に、案の定形の良い眉を吊り上げて振り返るキング。スカイの隣に士郎がいることで少しトーンダウンする。

 

「まあまあちゃんと午後練前には帰って来たんだからさ。それよりこれ見てよ」

 

 手招きしながら、士郎が肩に下げているクーラーボックスを指差す。蓋を開け3人で覗き込むと、何ともタイミングよく盛大に水が跳ね上がった。見事に水飛沫を被る3人。

 

「……スカイさん?」

 

「いや待ってキング! 完全な事故だから! 相打ちどころか衛宮さんまで濡れてるでしょ?!」

 

「……確かにそうね。それで何を見せたかったの?」

 

「今日の釣果!」

 

「……」

 

 若干腰の引けた体勢で改めてクーラーボックスを覗き込む。そこには体長70cm近い見事なスズキがあった。

 

「セイちゃんが釣ったからこれでご飯作ってもらうんだぁ」

 

「私も釣ったぞ。因みに作るのは練習が終わってからで、且つちゃんと練習したら、だからな」

 

「わ、分かってるから」

 

「それは良かった。サボられてしまったら、手抜き料理になってしまいそうだからな」

 

「分かってるってば!」

 

「……随分仲良くなったのね」

 

「そう見えるなら光栄だな」

 

 因みにこの後士郎の仕事場を見たスカイは、そこを新たなサボりスポットにすることを決めたのだった。

 

 ・

 

 2

 

 何に影響されたのか、士郎の部屋でご飯を食べてみたいと駄々を捏ねまくるスイープのために、テーブル等々を買うため駅前のデパートを訪れた士郎。初めは投影で済ませてしまおうかとも考えたが、自由に使えるお金があるのだから、と、ここに来てから一番高い買い物をすることを決めた。

 しかし、その最中に繋がった念話でその事を話すと大激怒。持っていなかったのなら一緒に選びたかったと言われ、敢えなく中断。スイープの趣味が多分に含まれたチョイスになりそうだが、こういう運びになってしまったのだから仕方がない。

 来て早々に用事がなくなってしまったが、食品売り場を物色してから帰ることにした。自分で食べるためではなく、訪問者が増えそうな予感がするので菓子類をストックしておくためだ。

 買い物を済ませ外に出ると、小さめの人集りが目に入った。その向こうにウマ耳が僅かに見える。どうやらウマ娘が歌を披露しているようだ。一番後ろに立ってそのパフォーマンスを眺めてみる。

 生前含め、アイドルに興味を持ったことは一度もないが、こうしてじっくり鑑賞してみるとなかなかどうして高いクオリティだった。短くない時間だったが最後までしっかりと聞き入り、見入ってしまった。少なくとも、テーブル購入を中断させられた分はチャラになった。

 歌い終わり、拍手に応えている中、やたら目立つオーディエンスにもしっかりと手を振るウマ娘。軽く手を振り返し、帰路につく。

 

 ・

 

 数日後。士郎の部屋にテレビがない事を知ったスイープにより購入命令が出た。

 士郎のために急遽用意された部屋なので、必要最低限の家具と電化製品が優先され、その結果テレビは省かれたのだ。士郎自身特に必要と思わなかったため、部屋に遊びに来たスイープに指摘されるまで忘れていた程だ。

 購入するかは一旦置いておくとして、どんな電化製品があるのか気になり、隣駅にある家電量販店にまで足を伸ばした。学園にあるものでその薄さは知っていたが、誰が使い、どこに置くのかと問いたくなるサイズのテレビに驚愕する。

 パンフレットだけ貰うと、興味が電子レンジ、洗濯機、食洗機に移る。テレビよりもじっくりと物色していると、そちらへの購入欲が出て来たので、適当なところで切り上げる。また今度スイープを誘って改めて購入する予定だ。

 帰りは徒歩だ。道中を散策しながら学園の最寄駅に到着。すると、デジャヴを感じる人集りが出来ていた。前回見た時よりも大きくなった人の壁の向こうで、前と同じウマ娘が見えた。先日とは別の曲を披露していた。ならば折角だからと最後方で鑑賞させてもらうことにした。

 容姿だけではない高いパフォーマンスと、努力を裏付ける汗は男女関係なく人を惹き付ける。素人の感想だが、先日見た時より明らかにレベルが上がっていた。チャラではなく、明確にいいモノを見た、と思えた。惜しみない拍手に息を切らしながらも応えるウマ娘。人集りが大きくなっても相変わらず目立つオーディエンスにもしっかり手を振る。

 アスリートとしてのウマ娘しか知らない士郎には、歌手として生きていこうとする彼女の存在は新鮮であり、強く印象に残った。いつの日かテレビでその活躍を見ることを願いながら、その場を後にした。

 

 ・

 

 更に数日後。テーブルセットとテレビが揃い用意は整った、と言うことでスイープ主催の衛宮邸での食事会が開かれることとなった。

 因みに色々買い揃える前に、たづなに生徒寮と職員寮の行き来は大丈夫なのか、と尋ねたところ、職員がウマ娘の寮に入る事は禁じられているが逆はOKと言う、モラルとかそこはかとなく陰謀めいたものを感じる回答を貰った。

 そんな訳で食事会当日。何にしても最初の1回目は2人きりでやりたいという強い希望により、買い出しからスイープは同行していた。

 時刻は夕方であり、普段から混雑する時間ではあるのだが、いつもよりも人が多かった。特別なセールの予定はなかったはずだが、突発的なセールでもやっているのだろうか、と考えていると、普段は閉まっているシャッターが開いていた。臨時の自転車置き場や、特設イベント会場として使われるスペースだ。そしてその前には群衆があった。3度目のデジャヴ。

 スピーカーから聞こえて来る声はやはり、聞いたことのある声だった。

 

「何これ、何の集まり? 何も見えないんだけど」

 

「路上ライブと言うやつだろう」

 

 背伸びしたりぴょんぴょんと跳ねるが、見えるわけがない。

 

「わーすごい人だね。みんな何見てるんだろう?」

 

「人が多いんだから急に走らないのウララさん。あら、衛宮さん。こんにちは」

 

「こんにちはアーチャーさん!」

 

「こんにちは、キングヘイローにハルウララ」

 

 挨拶もそこそこに、スイープと一緒にただのストレッチにしかならないジャンプで人垣の向こうを見ようとしている。気が済むまでやらせておくことにした。

 

「あ、白髪のノッポな使い魔だ!」

 

 今度は初めて聞く声だった。横に視線をやると、青髪ツインテールのウマ娘と、ナイスネイチャがいた。

 

「こらターボ!」

 

「構わんよ。実際白髪だからな。私は衛宮士郎だ。君は」

 

「ツインターボ! ダブルジェットじゃないからね! 間違えないでね!」

 

 今まで聞いた名前の中で一番厳つい名前であった。

 

「よろしくなツインターボ」

 

「よろしくな!」

 

「士郎! 何も見えないんだけど! 身長分けなさいよ」

 

「無茶を言うな」

 

「じゃあ肩車して」

 

 と、何故かドヤ顔しているスイープ。恐らく誰かから聞いたドアインザフェイスを成功させたと思っているのだろうが、大きな要求と無茶な要求を間違えている辺り話半分にしか聞いていないことが伺える。

 

「……スイープ。君はもう中学生だろう?」

 

「そうだけど?」

 

 肩車されて恥ずかしくないのか、と言外に問うたのだが、何言ってんの? と言わんばかりの顔で素直な返事をされた。何言ってんの? はこちらのセリフだ、と言ってやりたかった。

 しかし同じような希望が込められた視線をハルウララとツインターボからも向けられると、中学生なら別におかしくないのか、と思えてしまう。

 

「違いますわよ?!」

 

「違うからね!?」

 

 ・

 

 数多くの路上ライブを熟して来たスマートファルコンだが、ここ最近のライブを聴きに来てくれたファンの中に記憶に残る男性がいた。

 いつも最後方から見ているのだが、顔がよく見える程の高身長で、褐色の肌に、よく映える白の髪。一度も話せたことがないため、どこの国の人かは分からないのだが、最後まで真剣に聞いてくれ、拍手もしてくれている。

 今日のライブにも来ていたのだが、今は姿が見えない。もしかしてパフォーマンスが悪かったのかと不安な考えが頭を過るが、突然ヌッと下から姿を見せた。

 肩車で1人、肩と水平になるよう伸ばされた左右の腕を椅子に2人を座らせている。

 

 ──合体してる……! 

 

 プッピガン! と言う幻聴と、稲光が見えそうな光景。そんなトンチキ集団を見ても歌を詰まらせず、歌詞を飛ばさなかったスマートファルコンは褒められるべきである。

 最後方のファンが今までとは別の意味で記憶に刻み込まれた瞬間であった。

 

 ・

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

「使い魔って……凄いんだね」

 

 心配と唖然と少しの引きが入ったキングと、こんなタイミングで衛宮士郎が人外の存在なのだと改めて知り戦慄するネイチャ。

 

「3人は楽しそうだから大丈夫だろう」

 

 との解答に、そういう意味ではなくて、と言おうとしたが、涼しい顔をしてズレた返事をするから平気なのだろうと結論付けた。

 ままー何あれー、と無垢な子供が疑問を口走り、母親は、……何、何だろうね? と答えを濁した。

 

 ・

 

 初めての四神合体から数日後の平日。

 

「あ! いたいたー!」

 

 誰に掛けられた言葉か判然としない内に、見覚えのあるウマ耳が士郎を追い越し、振り返った。

 

「君は……」

 

「も〜⭐︎、ここにいる人なら声かけてくれれば良かったのに! はいこれ!」

 

 差し出された紙らしきものを反射的に受け取る。サイン入りのブロマイドだった。

 

「ライブやる時は教えるから見に来てねー⭐︎」

 

 手を振りながら校舎に消えたスマートファルコン。

 

「……」

 

 ファン認定されていたことを初めて知る士郎であった。



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その10

お待たせしました。

※いつも感想、誤字脱字の指摘、ありがとうございます


「アーチャー! 出掛けるわよ!」

 

 威勢の良い声とは裏腹に優しく開けられる士郎の仕事場のドア。開けたのはもちろんスイープ。私服である。

 しかしそこにお目当ての士郎はおらず、深窓の令嬢のような面持でコーヒーを楽しんでいるカフェだけがいた。

 互いの目が合う。

 

「こ、こんにちは」

 

「こんにちは……。士郎さんなら、理事長さんの所に行ってますよ」

 

「そうなんだですね」

 

 全く絡みのない年上だからか、それともカフェが持つ独特な雰囲気に萎縮しているのか、辿々しい敬語のスイープ。ソワソワと落ち着きなく視線を泳がせる。

 

「ふふ」

 

 穏やかな微笑み。そこに嘲笑が全く含まれていない事が分かるが、それはそれとして妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。

 

「私はマンハッタンカフェです。……ここには偶にお邪魔させてもらってるんです」

 

「スイープトウショウ、です」

 

「士郎さんの、マスターですよね……。士郎さんから、よく聞きますよ」

 

 途端にパタパタと動き始める耳。良き主従関係だとは思っているが、士郎が自分をどう思っているのかはとても気になることであった。

 その露骨にイジらしい反応は、コーヒーとの相乗効果により脳裏にあるタキオン関連の事(出来立てホヤホヤ)を忘れさせてくれた。

 

「感謝してる、って言ってました」

 

「?? 感謝? 何で? アタシはしてるけど」

 

 何に、とは言っていなかった。気になったが、それ以上言う気は無いようだったし、自分のトーク力で口を割らせられる可能性は0だったので諦めた。なのでそれをここで聞けたら、と思ったのだが、感謝されている本人も分かっていないようだった。寧ろスイープとしては、留まってくれた事に感謝こそすれ、感謝されるような事をした覚えが無いのだ。

 結局士郎が何を感謝しているのかは分からなかったが、感謝し、感謝される、互いを尊重し合う関係が垣間見えてコーヒーがとても美味しくなった。

 

「あと、もう少し野菜を食べて欲しい、とも言ってましたよ」

 

「ちゃんと食べてるわよ! ……ます!」

 

「ならば人参以外も食べている所を見たいものだがな。フジキセキが困ってるぞ」

 

「何で言うのよフジさん!」

 

「野菜を好きになれとは言わんが、レースで勝つためだ。少しずつで良いから食べられるようになりたまえ」

 

「嫌なものは嫌なの!」

 

 やれやれと肩を竦める態とらしいリアクションの士郎。

 

「留守番してもらってすまなかったな」

 

「部屋を貸してもらってますから」

 

「それでスイープはどうした。出掛けるようだが」

 

 そう問うと、さっきまでの不機嫌さが嘘のようにコロリと表情を変えた。

 

「今から出掛けるわよ!」

 

 今日は土曜日であり、士郎は自主的なサービス出勤をしているだけだから途中で外出しても問題はないし、急ぎの仕事もない。

 

「と言うわけで、これから出掛ける事になった。すまないが、戸締りは頼んだ」

 

「分かりました。あ、これ、今日のお礼です」

 

 徐々に増えつつある来客に対応すべく導入された茶箪笥。そこは共有スペースであり、カフェが持って来たコーヒーや、先日の四神合体で懐かれたハルウララとツインターボの保護者からの差し入れなどが入っている。カフェはコーヒー豆以外にも、ここを利用するたびに何かお土産を持って来る。今日はクッキーのようだ。

 来週中には無くなっているだろう。

 

「いつもすまないな」

 

「こちらこそいつも使わせてもらってありがとうございます」

 

「早く準備しなさいよー」

 

「分かった分かった。では戸締りだけは頼んだぞ」

 

 鍵を投げ渡した事を確認するや否や、スイープに引っ張られていく士郎。

 

「────確かに、今どこから鍵を出したんでしょうね」

 

 お友達も首を捻っていた。

 

 ・

 

 使い魔を従えて意気揚々と歩くマスター、と思われている、と思っているスイープ。実際には父娘か歳の離れた兄妹としか思われていないのだが。

 これから向かう先が余程楽しみなのか、胸を張って大股で歩いている。

 

「随分とご機嫌だな。どこに向かうのだ」

 

「グランマの所!」

 

「グランマ? 祖母の所に、何故私を?」

 

「私がちゃんと魔法使いになれたって事と、学園でも頑張ってるって事を伝えに行くの!」

 

「…………」

 

 瞠目し、さて何と言い訳するか、と思考を巡らせる。孫が突然トレーナーでもない大男を連れて来て、使い魔と紹介した時、果たして祖母の胸中はいかに。大学受験でも出て来なさそうな難問である。

 

「スイープ、そう言う予定はもう少し早く言いたまえ。色々準備(言い訳)があるだろう」

 

「そんなの(お土産)気にしなくて大丈夫よ」

 

 悲しいすれ違いを解消出来ぬまま、電車に乗り込む2人。

 椅子に座り、一息つく。

 横合いからジッと刺さる視線。何か、と聞くまでもない。祖母の事を尋ねてほしいのだろう。自分の好きな物事や人に興味を持ってほしいのだ。

 乗車中に言い訳を考えようとしていたが、こうも期待の籠った視線を寄越されては無視できない。

 

「君の祖母はどんな人なのかね」

 

 その質問に待ってましたと、顔を綻ばせ、如何にグランマが凄い人なのか、自分がどれだけ好きなのか、と言う事をノンストップでこれでもかと聞かされる。士郎も聞き流すような事はせず、合間合間に上手く質問を挟むため、それがブーストになり、乗り換えを経ても話は終わらなかった。

 到着した駅は、駅前であっても静かであり高い建物もなく、山々が遠方に見える、そんな場所であった。

 因みに乗り換えの駅がそれなりに大きかったため、そこでスイープの助言をもとに手土産のケーキを購入している。

 

「ここからはどう行くのかね」

 

「バスか歩きよ。歩きで良い? 20分くらい掛かるけど」

 

「構わんよ」

 

「そ」

 

 閑静な駅前から閑静な住宅街へ。そこも通り過ぎると、人里と山の境界のような場所になる。

 

「ここら辺は食用の野草が多くて、グランマから沢山教えてもらったの」

 

「なるほど。君がハーブ好きなのはそれの影響か」

 

「そうよ。ここら辺でしか採れないのもあるから、後で採りに行くわよ。私とグランマの秘密の場所だから、他の人には教えちゃダメよ」

 

「了解した」

 

 ややすると、立派な門扉のある一軒家が見えてくる。門扉から玄関まではアーチが作られており、植物園を思わせる緑豊かな庭であった。

 

「ここよ! さ、行くわよ! グランマ〜!」

 

 呼び鈴を押さずにズンズンと進むスイープの後ろを、やれやれと追う士郎。

 門扉を抜けた瞬間、薄いヴェールを潜った感覚があった。散々聞かされた話から、もしやとは思っていたが、祖母は本物の魔法使いのようだった。

 外と隔てるものではなく、来訪者を知らせる単純なもの。ただ自分のような埒外の存在が通った事はまずないだろうから、祖母にどう伝わるかが心配であった。

 そんな心配をしていたからか、開いたドアの向こうにいた老女は明らかに狼狽していた。

 

「久しぶりグランマ!」

 

 幸いにもスイープは全く気付いておらず、殊更元気に挨拶していた。

 

「……スイーピーや、後ろの人は?」

 

「使い魔よ!」

 

「使い魔? ……ああ、道理で」

 

「驚かせてしまったようで申し訳ない」

 

「ん? 何の事?」

 

「後で教えよう」

 

「今教えなさいよ」

 

 明らかに自分の知らない何かについて2人が話している事に、首を捻り、士郎に迫るスイープ。

 取り敢えず2人を招き入れる祖母。スイープが懐いている事で、士郎については害は無いと判断したのだ。

 勝手知ったる我が家のようにパタパタとリビングに走っていくスイープ。遅れて入って来た2人をソファーに座らせ、客側なのにハーブティを入れて来ると言ってキッチンに籠る。

 

「これは手土産だ」

 

「あらご丁寧に。それで貴方は一体?」

 

「偶然彼女に召喚された使い魔だ」

 

「それはそれは。とてもあの子らしいね。でも貴方動物を使った使い魔とは全く違う存在だろう?」

 

「ご明察だ。私が知る限りでは、戦闘力を目当てにせず、普通の使い魔として私のような存在を召喚したのは彼女ぐらいだな。ああ、正確な知識の無い召喚の危険性についてはしっかりと伝えておいたから心配しなくて大丈夫だ」

 

「小さい頃から魔法の事を話し過ぎたかねえ」

 

 不十分な知識による召喚の危険性を知っているのだろう、士郎の話に罪悪感を覚えているようだった。

 

「あの子は過ちを繰り返す子ではないさ。それに、貴方の存在と魔法があの子のモチベーションになっている。話し過ぎた、なんて事はないさ」

 

「……あの子に召喚されたのが貴方で良かったよ」

 

「感謝するのはこちらだ。召喚されたのがあの子でなければここに留まろうとは思わなかった。優しい子に育ったのは、両親と貴女のお陰だろう」

 

「そう言ってもらえると、スイーピーのグランマとしても、魔法使いとしても鼻が高いね。でも魔法使いの師匠は交代かねえ」

 

「いや、あの子には貴女の優しい魔法の方が似合ってる。誰かを笑顔に出来る優しい魔法の方がな。それに私は師匠曰くへっぽこなのでね」

 

 ・

 

「スイーピーや、随分と腕を上げたねえ。すごく美味しいよ」

 

「でしょう?!」

 

 褒められて尻尾と耳が忙しなく動いている。埃が立つが、それを注意するのは不粋だろう。ハーブティーの淹れ方の腕が上がったのは士郎の指導のお陰だが、それを言うのも不粋だろう。

 

「士郎と一緒に練習したのよ!」

 

「そう言うのは自分の手柄にしてしまえばいいだろうに」

 

「そんなズルい事、このスイーピーがする訳ないでしょう!」

 

 ・

 

「レースの方はどうだい?」

 

「うん……。教官に私が目指す走り方を、頑張って伝えたところ」

 

「うんうん。それで教官はなんて?」

 

「自分じゃ望むような指導が出来ないって。でも、出来そうな人を探してくれるって言ってくれた」

 

「そうかいそうかい。もうすぐでスイーピーが走る所を見られそうだねえ」

 

「決まったらグランマも呼ぶから、見に来てね! 士郎も私が走って勝つまで、他の子のレース見ちゃダメだからね!」

 

「そんなに何度も言わなくとも分かっているとも」

 

 ・

 

 楽しい時間は駒の足掻き。気付けばもう夕刻になっている。外泊届は出していないので、そろそろ帰宅しなければならない。露骨に耳と尻尾がしょげているが、規則は規則である。

 士郎の両手には、渡した以上の手土産が持たされている。常人を遥かに超える膂力を持っていると知った途端、茶箪笥からこれでもかと取り出されたお菓子達。まあ士郎の仕事場は溜まり場になりつつあるから、そう遠くない内になくなるだろう。

 

「次に会うのは晴れ舞台の時かねえ」

 

「じゃあそんなに掛からないわね! ……その前にも会いに来ていい?」

 

「あっはっはっは! 寂しがり屋は相変わらずみたいだね。好きな時に来て良いとも」

 

「分かった! あ、その時は士郎も一緒だからね」

 

「次は事前に連絡しておいてくれ」

 

「分かってるってば!」

 

 パタパタと門扉まで走っていくスイープ。グランマの前で不手際を暴露されて恥ずかしかったようだ。待っていればすぐに戻って来るだろう。

 

「仲が良いね。……スイーピーはこの通りの子だけど、よろしく頼みます」

 

「私が導く必要は無いと思うがね。良き友人に恵まれているからな。まあ愛想を尽かされるまでは使い魔をやらせてもらうさ」

 

 ・

 

 帰り道。グランマの事についてまだ話し足りないからと、歩きながら話したいとスイープが言った。断る理由はなく、途中までだぞと言って、河川敷を歩く。

 夕陽に照らされた影が長く伸びている。スイープが影の身長を越えようとして、姿が見えなくなるまで斜面を下っていった。高すぎ、とぷりぷりしながら登って来た。

 

「私も士郎ぐらい大きくなれるかしら」

 

「実は私は高校生の頃は170もなくてな」

 

「じゃあどうやってそんな大きくなったのよ。教えなさいよ」

 

「好き嫌いせずに何でも食べたから、かもしれん」

 

「……ええ〜〜。そう言って騙して私に野菜食べさせようとしてるだけでしょ」

 

「他にも要因はあるかもしれんが、好き嫌いしなかったのは事実だ。それに嘘か本当か、食べてからでなければ分からないだろう?」

 

「むむむむ」

 

 乱視の人が物を見ようとしている時のような細目で士郎を睨みながら唸るスイープ。確かに食べていないのに嘘だと決めつける事はできない。しかし野菜は食べたくない。そんな感情による唸り声だ。

 

「嘘だったら承知しないわよ!」

 

「当然の事だが一朝一夕で変わるものではないからな?」

 

「むむむむ」

 

 やはり上手く丸め込まれている気がする。しかし言っている事は一理ある。

 

「……野菜で何かお菓子作って。作ってくれたら、その野菜は頑張って食べる」

 

「お安いご用だ」

 

 ・

 

「士郎! トレーナー決まったわ!」

 

「それはめでたいな。しかしそれがゴールではないからな。これまで以上に練習を頑張るんだぞ。それで何と言うトレーナーだ」

 

「沖野ってトレーナー!」

 

「?!」



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その11

UA3万越え、感想3百件越えました!
変わらずにご愛読して下さる皆様のおかげです! ありがとうございます!


 1

 

 ゴールドシップを筆頭に、お淑やかとは真逆の性格をした癖の強い生徒ばかりが集まったチームスピカ。彼女らが通った後にはぺんぺん草も残らず、泣く子は更に泣くと言われる騒がしきチーム。いつもどったんばったんと、どう考えてもミーティングしてない騒音を出しているミーティングルームが今日は無人のように静かだった。

 しかし無人ではない。中にはいつもの面々(スカーレット、ウオッカ、ゴルシ)がいる。だが無音である。何故ならミーティングルームは圧迫面接会場と化しているからだ。

 受験者は沖野。圧迫面接官は士郎。他は壁のシミに徹している。

 2人に挟まれ、士郎の圧迫を受ける哀れな机の上に広がる写真。そこに克明に写るは数々の狼藉を働く沖野の姿。

 太ももをズボンの上から触っている沖野。

 ふくらはぎをズボンの上から触っている沖野。

 スカートに手を突っ込んでいる沖野。他多数。

 セクハラコンプリートフォーム21ができる枚数だ。

 

「沖野……」

 

「は、はい!」

 

 奈落に通じる穴から聞こえて来たような声だった。

 

「貴様に下心がなく、純粋に筋肉の付き方を知ろうとしていることは被害者やたづなからの証言で分かった。ハラスメント窓口にもギリギリ相談がいってない事も確認できた」

 

 わりと斬首刑執行間近だったと言う事実に衝撃走る! 

 

「しかしだ。貴様の考えがどうであれ、その行いは紛れもなくセクハラだ」

 

「はい……」

 

 いつの間にか沖野はパイプ椅子の上で正座していた。

 

「まあいい。今日は過去の行いを断罪しに来た訳ではないからな」

 

 もしかして今日が命日なのでは、と沖野は思っていたが杞憂のようだった。

 

「最近ここに加入したスイープトウショウだが、故あって彼女の祖母から直々に頼まれていてな。もし彼女にセクハラしようものなら、貴様を膾切りにするぞ」

 

 本当に杞憂か心配になる沖野だった。

 

「あの、走った後とかの確認で触るのは……」

 

「────正当な理由があるなら構わん。しかし許可は取れ」

 

「はい!」

 

 一瞬般若みたいな顔になった時は意識が遠のきかけたが、取り敢えず命拾いしたようだ。ならば感覚のなくなった足を崩しても良いだろう。

 

「誰が足を崩していいと言った。もしこいつがスイープに限らず、誰かに狼藉を働いたらしばき倒していいぞ。私が許可する」

 

 自主的にやっていたはずだが、許可が降りなかったので継続することになった。

 

「もうやってます」

 

「結構。どんどんやると良い。さて私の用件は済んだので失礼するとしよう。これは時間を取らせた迷惑料だ」

 

 そう言って紙袋をスカーレットに渡す。中には菓子折りが入っていた。

 

「ではな。沖野頼んだぞ」

 

「お、おう」

 

 閉じられたドアの曇りガラスの向こう側にいる偉丈夫。シルエットだけなのが妙に怖い。

 

「ふー……。このゴルシちゃんに冷や汗をかかせるなんてよ。ゴルシちゃんのファンのくせして何てふてー野郎だ」

 

「え、アーチャーさんて先輩のファンなんてやってたっけ」

 

「先輩のファンなんてやってないでしょ」

 

「オメーら揃いも揃って『なんか』呼ばわりとは良い度胸じゃねえか。あいつの! 髪色! どっからどう見ても染色に失敗したファンじゃねーか!」

 

「根拠弱い上にこじ付けにも程があるわ」

 

 心神喪失状態から復帰した沖野が、生まれたてのバンビみたいな足取りでやって来た。

 ジロリ、と音の出そうな睨みを利かせた後、皆のカーフキックが炸裂した。

 

「ぎゃっ!」

 

 パタリと倒れた沖野。誰も一瞥もしていない。

 

「てゆーかあのゴルシちゃんのファンとスイーピーちゃんはどんな関係なのよ。親戚の兄ちゃんじゃねーだろ? 何か使い魔ってのが広まってるけど」

 

「あーそうですね。そこはスイープ本人に聞いて話してくれたらってとこっスかね」

 

「何だよ知ってんなら教えろよ。もしかして婚約者か? 教えてくれないなら沖野投げるぞ」

 

「臭そうなんで止めて下さい。そう言うのじゃないですよ。もっとピュアでプラトニックと言うか」

 

「そうそうピュレでプラスチックな関係っスよ」

 

「硬いのか柔らかいのか分からんな」

 

 ノックアウトされていた沖野が復活。

 

「取り敢えず触診すると殺されかねんから、スイープにはやらんでおこう」

 

「……気になる」

 

「あん?」

 

「どう言う関係なのか気になって、このままじゃ永眠しちまう! と言う訳でちょっと行ってくるわ!」

 

 発進! と言いながら窓から出て行った。

 

「衛宮の奴大丈夫か? いや大丈夫か」

 

「そうね。士郎さんなら事もなげに対処できるでしょ」

 

 ・

 

 自覚なき圧迫面接を終え、仕事に戻った士郎。人目に付きにくい、校舎の陰になった場所の雑草取りをしている。丁寧に掘り起こしては土を振り落とし、一箇所に集める。ゴミ袋に詰めるのは最後だ。

 ──刹那。

 

「なに奴!」

 

 振り返った先には丑の刻参りみたい頭に枝を付け腕組みしたゴルシがいた。

 

「…………何だ気のせいか」

 

 突っ込んでも良かったのだが、迂闊に触れると仕事の邪魔になるだろうから、取り敢えず放置することにした。

 ちょこちょことした移動を繰り返す士郎の後を追うゴルシ。親鳥を追う雛……と言う絵面ではない。

 粗方雑草を取り終えたので、ゴミ袋に詰める作業に移る。

 

「口を広げておいてくれ」

 

「おう」

 

 うっかり声を掛けてしまった士郎と、普通に応答するゴルシ。一体何をしに来たのだろうか……。

 別のエリアに移動する士郎の後を、ゴミ袋持ちながら追うゴルシ。本当に一体何をしに来たのだろうか……。

 

「士郎じゃ、げ、ゴルシだ! ……何してんの?」

 

 偶然出会ったテイオーが途端に苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「何って見ての通り、こいつの秘密を知るためのスニーキング中だ」

 

「??????」

 

 宇宙猫みたいな顔して固まるテイオー。

 

「まあ理解しようとしなくていいことだ」

 

 復帰しそうにないテイオーをその場に残し移動する2人。

 

 ・

 

「ゴルシ貴様何をやっている。また衛宮さんに迷惑掛けてるんじゃないだろうな」

 

「しーっ! こいつの秘密を知るためにこっそりしてるんだから声掛けるなよ!」

 

「うん? ……うん???」

 

 生真面目なエアグルーヴは言葉の意味を咀嚼しようとしたが、脳みそをオーバーヒートさせてしまった。

 

 ・

 

「ただいまー」

 

「お帰って来た。意外と長かったな」

 

「ジュースとお菓子貰ったぜ!」

 

「何しに行ったんだお前?」

 

 ・

 

 2

 

「あ」

 

 夕食後。スーパークリークが勉学に励んでいると、背後のルームメイトのナリタタイシンが呟くような小さな声を上げたことに気付く。

 

「どうしましたタイシンちゃん?」

 

 手を止め振り返る。慌てふためく様子は見られず、少なくとも火急の事態ではなさそうで一安心。

 

「あ、いや大したことじゃないから」

 

 隠すと言うよりは、詳細を伝えるようなことではない、と言う反応である。ならば実際に大した事ではないのだろうが、彼女の身の内に刻まれた母性は見て見ぬ振りを許さない。

 

「まあそう言わずに。何か手伝える事があるかもしれませんし」

 

 そう言って手元を覗くと、携帯ゲーム機があるだけであった。ゲーム機に弱いクリークの母性は萎みかけるが、気合いで耐え、何があったのか尋ねる。

 

「スティックが中で折れちゃったっぽいんだよね」

 

 そう言いながらスティックを動かすタイシン。正常な状態を見ていないが、中央で自立せずに力なく倒れる光景は確かに内部に収まっている部分が折れたのだろうな、と思わせるものだった。

 

「確かに折れてますね」

 

「あー、どうしよっかな。もう型落ちだし、修理に出すのもな……。でも新しいの買うお金ないし……」

 

 アドバイスできる事がない。しかしただ見ている事は許せず、何かないかと頭を捻っていると、ふと思い出した。

 

「エミヤアーチャーさんに頼んでみたらどうかしら?」

 

「……そんな名前だったっけ?」

 

 2人とも士郎の存在は認知している。召喚された瞬間を見ているからだ。しかしそれ以降、接触はなく、士郎について聞くのは専らスイープの自慢話の又聞きと、他の生徒達からの評判だ。

 曰く英雄の使い魔である。

 曰く魔術使いである。

 曰く弓の名手である。

 曰くご飯がとても美味しい。

 曰く何でも直せる。

 曰く肩に乗っけてもらった。

 上3つだけだったらとても気軽に話せる相手とは思えないが、腹ペコ達とちびっ子達が保証する料理上手と面倒見の良さで、その印象は帳消しになっている。とは言え、流石に会った事もない相手にいきなりゲーム機の修理を頼むのは色々な意味でハードルが高い。失礼じゃないのか、とか、競技者が何をやってるのかと思われないか、など。

 

「いや、でも流石にその人に頼むのは」

 

「でもそれが折れちゃってると遊べないんでしょう?」

 

「確かに、そうだけど……」

 

「じゃあスイープちゃんに聞いてみましょう。タマちゃんからも凄い面倒見の良い人って聞いてますし、大丈夫ですよ」

 

「うーん……」

 

 と悩んでいる間に、部屋を出ていくクリーク。慌てて後を追うタイシン。混じりっけなしの100%善意だから、いまいち断れないのだ。

 

 ・

 

「ゲーム機の修理?」

 

「はい。エミヤさんに頼めないかと思って」

 

「ちょっと待ってて、下さい。聞いてみるか、聞いてみますから」

 

 慣れない敬語を必死に使うスイープの姿に、母性が湧き上がるクリーク。目的を違えそうになるが、必死に抑える。

 ドアを閉じ、十数秒してから再び顔を出すスイープ。

 

「大丈夫だって! です!」

 

「あらーそれは良かった! ありがとうございますスイープちゃん」

 

 当事者を差し置いて日時の確認と言った事態が進むこともそうだが、今どうやって確認したのだろうか、と言うことが気になって仕方がないタイシンだった。

 

 ・

 

 翌日の放課後。教えられた教室に向かうタイシン。周りには誰もいない。クリークは私用でいない。ここまでお膳立てしたのだから、どうせならついて来て欲しかったのも事実だ。

 気不味いと言う訳ではない。ただ一度も会話したことがないし、凄く面倒見いいと色々な人から太鼓判を押されたとは言え英雄って聞くし……何か緊張してきた。目の前まで来ているけど、急用ができたってことにして中止にしてもらおうか、と考えていると、ドアが開かれてしまった。

 

「……こんにちは」

 

「うむ、こんにちは。入るといい」

 

「……失礼します」

 

 仕事場、と言うには随分と生活感に富んだ部屋だった。茶箪笥のお菓子、何人かの私物のカップ、コーヒーセット、ソファーに置かれているでっかく『セイちゃん』と書かれた誰かの枕。凄く面倒見がいいと言うのは本当のことのようだ。

 

「適当に掛けてくれ。ちょうど一服するところなのだが、君も何か飲むかね」

 

「あ、えっとお茶で」

 

「分かった。少し待っていたまえ」

 

 当然のようにある冷蔵庫からペットのお茶を取り出すのかと思っていたら、茶箪笥から茶葉と急須が出て来たので慌てて注文を変える。

 

「そんな態々淹れなくても……!」

 

「残念ながらここにはペット飲料がなくてね」

 

「ええ……」

 

「ま、私の一服に付き合うと思って素直に飲むといい」

 

「……分かりました」

 

 暫し無言。急須を満たすお湯の音と、湯呑みに注がれる緑茶の音。

 妙に様になっている士郎の姿に、一体どこの英雄なのだろうか、と疑問に思う。士郎の正体を知っている者皆が通る道である。

 

「熱いから気を付けて飲みたまえ」

 

「ありがとうございます」

 

 ほわほわと立ち上る湯気に混じる緑茶の香り。

 

「それで、昨夜スイープから聞いた話では携帯ゲーム機の簡単な修理をして欲しいとのことだったが」

 

「あ、はい。……すみません、何か、こんなこと頼んじゃって」

 

「構わんよ。ゲームとはとんと無縁だったので、どう言うものなのか興味もあるしな」

 

「すみません……。これです」

 

「ふむ。このスティックか。この程度ならそう時間は掛からんだろう。少し待っていたまえ」

 

 作業机に移り、解体を始める。体格に対しゲーム機が小さいせいか、無理に体を縮めているような印象を受けた。とは言え、そうしても体格の良さはまるで隠れていないのだが。

 羨ましいと思う。あれだけのタッパがあれば、外見だけで見下されることなんてないだろう。

 

「あの」

 

 気付いた時には声が出ていた。作業に集中していて聞き逃していてくれないか、と思ったが、そう都合の良いことは起きない。

 

「何かね。お茶請けなら茶箪笥から好きに取って構わんぞ」

 

「あ、大丈夫です。……その」

 

 今の遣り取りで会話を終わらせられたはずなのに、何故か続けようとしていた。

 

「エミヤさんて、英雄だったんですよね」

 

 その言葉にピタリと手を止める士郎。何か気に障ることを言ってしまったかと、慌てて謝罪しようとしたが、それより先に振り向いた士郎が苦笑していたので、ホッと胸を撫で下ろした。

 

「それを言ってるのはスイープかね」

 

「えっと、又聞きですけど、たぶんそうです」

 

「あまり嘘を吹聴されても困るのだがね。確かに肩を並べたことや刃を交えたことはあるし、近しい存在ではあるが英雄ではないのだよ」

 

「……たぶん、色んな人に言ってると思います」

 

「それを今聞けて良かったよ。後で問い詰めておくとしよう。それで質問の答えはこれで十分かね?」

 

「…………英雄でも、やっぱり体の大きい人が強いんですか?」

 

 予想外の質問だったのだろう。片眉を上げ、顎に手をやっていた。そう言う質問が来た事と、そういう見方をした事がなかったからだ。

 理由については、聞かずとも察せられる。

 

「ふむ。私は立場上、国を問わず時代を問わず、多くの英霊に出会っている。その中で私が思う最優の英霊は女性だ。私との身長差は30cm以上、体重は知らないが、まあ相応の重さだろう。それだけの差があって尚、私は彼女に正面から叩き伏せられている」

 

 おっとスイープには内緒だぞ、と戯けながら言う士郎。

 

「まあ私達は人間ではないし魔力を持っているから、また状況は違うのだがね。それでも、私ならこの学園にいる、と言う事実だけである程度の警戒はするがね。それに加えて、長距離走のような駆け引きと短距離走並みの速度が求められる君達のレースに於いて、体格が違う相手と言うのは一番とは言わずとも必ず警戒すべき相手だ。何故か分かるかね」

 

 自身の体格についてコンプレックスしかなかったタイシンにとって、警戒すべき理由を思い付けるはずがなかった。

 

「分かりません。……全然思い付かないです」

 

「視点の違いだ」

 

「視点の違い……」

 

 噛み締めるように呟くタイシン。それがどう言う事なのか、自分で気付かせてもよかったが、ここまで来て梯子を外すのは酷だろう。

 

「そうだ。君達のレースのように、あれだけの密度と速度が両立する競技に於いて視点の違いは非常に大きな意味を持つ。特に君の場合、相手の足元を近い位置で見ることができる。足元を見るには顔を傾ける必要があるが、それは気道を狭めることになる。一呼吸でも多くの酸素が必要な局面に於いて態々自分が不利になることをする者はいない」

 

「確かに、そうですね。後ろはともかく、下はまず見ないです」

 

「接戦になっている時ほどそれは顕著になるだろう。君はそこを見ることが出来るし、隙があればそこを突くことも出来る」

 

「そうか……」

 

「ただ私はレースに関しては完全な素人だからな。もしかしたら的外れなことを言ってるかもしれんから、そういう見方も出来る程度に思っておく方が良い。まあ何が言いたいのかと言うと、体格は確かに重要なファクターだが、絶対のファクターではないのだ。だから何だ、そう嫌いになることもあるまい」

 

「…………」

 

「おっと、余計なお世話だったかな」

 

「……いえ、ただ皆が言ってた面倒見が良いってことが分かっただけです」

 

 士郎が語ったことは戦術として確かな説得力があった。しかしもしかしたら、自分が抱いている身長への強いコンプレックスを軽くしようとしてくれたのかもしれない。それまで饒舌だったのに、少し言い淀んだ最後の言葉を聞いてタイシンはそう思った。

 

「そうかね? まあこの学園にいるのは素直な者が多いからな。それに当てられてるのだろうさ」

 

 ・

 

「さてこれで修理完了だ。一応確認してくれ」

 

「……うん。完璧です」

 

「どうしても負荷の掛かりやすい場所だからな、少しおまけしておいたぞ。しかし最近のゲーム機は凄いな。これだけのサイズでこのグラフィックになるのか」

 

 画面にはオープンワールドを縦横無尽に走る主人公の姿が映し出されていた。

 頭の上でほお〜と言いながら眺めている様に、ここに来るまでに抱いていた印象はすっかり無くなり、凄く面倒見の良い人と皆が口を揃えて言っていたことがよく分かった。

 

「……やってみます?」

 

「おや、そんなに物欲しそうに見えたかね」

 

「最近のゲーム機を知らない人がやったらどんなプレイになるのかなってのと、ゲーム好きが増えたら良いなっていう理由ですよ」

 

「同好の士を増やそうと言う魂胆か。ま、私も興味をそそられない訳ではないから、やらせてもらおうか」

 

 椅子をタイシンの横に置き、ゲーム機を借りる。タイシンは横合いから覗き込み、あれやこれやと指南する。

 いつまで経っても帰って来ないタイシンを心配し、部屋を訪れたクリークが見た2人は歳の離れた兄妹みたいだったと言う。



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その12

前回はお騒がせしてしまい申し訳ありませんでした。
今後は同様のことを起こさないように注意していきたいと思いますので、よろしくお願いします




 1 

 

 

 6月に入り初夏を感じたのも束の間。あっという間に夏本番になっていく。

 これからの時期、どうしても屋外トレーニングの数は少なくなってしまう。それと比例するように増加するのが、プールを使用したトレーニングだ。勿論暑さから逃れるためだけではなく、きちんとした計画に基づいている。中には屋外トレーニングが嫌と言うことでやっている者もいるのだが……。

 ともかくプールトレーニングの数が本格化する前に、済ませておかなければならない事がある。

 掃除である。無論、毎日消毒は行なっているし、屋内施設ということもあり、屋外と比較すれば汚れにくくはある。しかしとは言え、最も利用者の多いシーズン中での掃除はスケジュール的に厳しく、この時期を逃すと一度も掃除ができないまま2〜3ヶ月経ってしまうのだ。

 そう言う訳で水の抜かれたプールに士郎は立っているのだ。ハーフパンツに半袖、デッキブラシを肩に担いだ出立ち。

 その横にはデッキブラシに跨がったスイープ、委員長、堂々と水鉄砲持った命知らずの悪戯っ子、怪力姫と言う何故その人選? と言う面々がいる。皆自主的に手伝いに来てくれているのだが、何とも不安な面々であった。たづなからも頻りに「別日でいいんですよ?」と言われたことも不安を煽る。

 

「えー……本日は集まってくれてありがとう。水は抜いてあるが、濡れているし、洗剤も使うから足を滑らせないように気を付けてやってくれ。いや、走らずにゆっくりとやってくれ」

 

「了解ですっ!」

 

 全身から迸るやる気が、まるで号砲を待つF1マシンのように大気を揺らしているサクラバクシンオー。

 

「ふっふっふ。今日こそウインディちゃんの悪戯で悲鳴を上げさせてやるのだ」

 

 バケツの水で堂々と水鉄砲のタンクを補充しながら不敵に笑うシンコウウインディ。

 

「魔法少女とその使い魔さんとお話できる日が来るとは……! 感激ですわ!」

 

 そう言いつつ、何故か空を切る音を出す程にキレのあるワンツーを繰り出すカワカミプリンセス。

 

「……」

 

「士郎。手伝いを呼ぶにしても、もっと適任がいたと思うけど」

 

「いや呼んではいないのだ。どうも私とスイープの会話を聞いて、サクラバクシンオーとカワカミプリンセスは自主的に手伝いに来たようだ」

 

「もう1人は?」

 

「所狭しと仕掛けられた彼女の落とし穴を回避した事で目を付けられたようだ」

 

「……何か全員に帰ってもらった方が早く終わりそうなんだけど」

 

「奇遇だな。私もそう思っているところだ」

 

 2人が視線を向けた先ではサクラバクシンオーが、バクシンバクシンという謎の掛け声と共にプール底を全力疾走していた。彼女の視線は底を見ておらず、真っ直ぐ前を見ている。斬新なスタイルであった。

 

「サクラバクシンオー。まず止まりたまえ」

 

「ちょわ?」

 

「君がやる気に満ち満ちているのは分かった。しかし掃除については、速さと丁寧さを両立するのは難しくてね。往復ではなく汚れを落とす速さを競ってみないかね。あと、走ると危ないしな」

 

「なるほど! 確かに素早くピカピカに出来た方がバクシン的ですね!」

 

「……そうだな、バクシンだな。しかし簡単に落ちる汚れではないから、しっかり目視しながらやるんだ」

 

「分かりました!」

 

 カーリング選手のように高速スイーピングを披露するバクシンオー。

 そしてその横で走っている最中にデッキブラシをへし折り、底を派手に転がるカワカミ。

 ギョッとして駆け寄る士郎。しかし当の本人は何ともないように起き上がり、真ん中からへし折れたデッキブラシを手に慟哭していた。

 

「やっちまいましたわー!」

 

「だ、大丈夫かね」

 

「大丈夫じゃないですわー! ブラシがお亡くなりになってしまいましたわ!」

 

「ブラシは構わんよ。君は怪我してないかね」

 

「!! こ、こんな私を心配して下さるのですか?」

 

「あれだけ派手に転がっていればな。とにかく怪我がないようで何よりだ。ブラシはこちらを使いたまえ」

 

「でもきっとまた折ってしまいますわ」

 

「それは特別製でね。力を入れて握ってみるといい」

 

 握り潰さんばかりに腕の筋肉を膨張させるカワカミプリンセス。しかしびくともしない強固さに、目を輝かせる。……何か反応がおかしい気がするが。

 

「こちらを使ってもよろしいんですの?!」

 

「勿論だとも。今度は転ばないように気をつけるんだぞ」

 

「分かりましたわ!」

 

 残っている水を、トラックのように弾き飛ばすカワカミ。哀れ、その水をまともに受けるバクシンオー。

 ひょい、と頭を下げる士郎。

 

「あっ」

 

「私は目がいいのでね。コソコソした動きは却って見付けやすい」

 

「ぬぬ」

 

「それに狙うなら作業中の方がいい。今のように一息ついているタイミングでは気付かれやすい」

 

「ぬぬぬ」

 

「あと、その水鉄砲では勢いが足りないな」

 

「ぬぬぬっ」

 

「近い距離で一緒に行動して油断してる時を狙うしかないだろうな」

 

「ぬぬぬっ……!」

 

 転がしていたデッキブラシを手に取り、飛び降りるウインディ。

 

「ウインディちゃんに塩を送ったことを後悔すると良いのだ! ワワッ!」

 

 バクシントラックとカワカミトラックにより迫り来る跳ね水を回避すべく、小脇にスイープとウインディを抱えて移動。何故かそれに追従する2人。旋毛に目があるのかと問い質したくなる程に、全く前を向いていない2人。底の汚れを注視することに集中し過ぎているようだ。シングルタスクにも程がある。

 ひょい、とプールサイドに飛び上がる。着地した瞬間、士郎の頭を大量の水が濡らした。

 

「フッフッフッフ」

 

 水鉄砲のタンクを片手に不敵に笑うウインディ。

 

「おっと、これは見事にやられたな」

 

「ああ〜〜! 何やられてるのよ?! 『大魔女スイーピーと剣の使い魔』の名折れじゃない!」

 

「……初めて聞いたな。それはまさか言い触らしているのか?」

 

「私も聞いたことありましてよ〜〜!」

 

「そうか……」

 

「コラー! ウインディちゃんを無視するな! 勝ったんだからちゃんと子分になるんだぞ!」

 

「何言ってるのよ! アタシの使い魔なんだから、上げるわけないでしょ!」

 

「すまないが私も主人を変える気はないのでね。今日の礼を多めに渡すからそれで勘弁してくれ」

 

「ん〜〜……仕方ない。今日はそれで勘弁してやるのだ。使い魔クビになったら子分にしてやるのだ」

 

「勘弁じゃなくて諦めなさいよ!」

 

 ・

 

 水を張り、プール掃除は完了。

 何故かデッキブラシをウキウキで持ち帰るカワカミと、補習を忘れていたと言って走っていくバクシンオーと別れ、士郎の処遇を巡ってウニャウニャとキャットファイトしている2人を引き連れて仕事部屋に向かう士郎。

 因みに、髪を下ろした士郎というレアリティの高い姿はそこそこ衝撃を与えたらしい。

 

 ・

 

 2

 

 

「そ、それは本当かたづな?!」

 

「ええ、今しがた分かった事です……」

 

「危機……! 学園を揺るがしかねない圧倒的危機!」

 

「ええ、担当の方達も頭を抱えています。このままでは今日を乗り越えられないと」

 

「どうするどうする?? 唸れ我が脳細胞達よ!」

 

「……いっそのこと、生徒さんの中から得意な子に頼むしか」

 

『あ!』

 

 2人が同時に名案の誕生を告げる声を上げた。

 

「こうしてはおれん! たづな、今すぐ衛宮殿を探しに行くぞ!」

 

「分かりました!」

 

 真っ先に向かうは士郎の仕事部屋。しかし残念ながら鍵が掛かっていた。最短の道が潰えたことに落胆してしまうが、動きを止めている暇はない。手分けしてこの広大な学園の中から士郎を見付け出さなければならないのだ。

 

「衛宮殿──!」

 

「衛宮さ──ん!」

 

 放送で呼び出せば一発なのだが、焦りに焦っている2人の脳細胞の動きは非常に鈍かった。

 

 ・

 

「あん?」

 

 廊下を歩いていたシリウスシンボリの前方から、泣きの入った声を上げながら理事長が走って来た。露悪的な言動と態度で知られる彼女だが、流石に無視をすることが憚られる様相であった。尤も彼女に気付いた理事長が、文字通り縋り付いてきたので僅かな葛藤も意味はなかったのだが。

 

「衛宮殿を見なかったかね?!」

 

「え、えみや殿?」

 

 必死な形相に軽く引きつつ、名前だけしか知らないことを告げる。

 

「長身、白髪、筋骨隆々の男性だ。もし見かけたら、私とたづなが探していると言ってくれ! 頼んだぞ!」

 

 選挙カーのような喧しさで、再び廊下を走り出し階段を下っていった理事長。

 ふと、窓から外の向かいの校舎を見ると、たづなも走っていた。

 

「……2人とも探してたらそいつ、どこに向かわせりゃいいんだよ」

 

 至極もっともなツッコミであった。

 積極的に探す気はないが、道中で件の男を見たら声ぐらいは掛けてやるか、と思っていた。曲がり角の向こうでルドルフと何やら話し込んでいる場面を見るまでは。

 

「ではお願いします衛宮さん」

 

「構わんよ。君らにも世話になったからな」

 

「既にその『世話』以上に活躍されてると思いますよ」

 

「用事を引き受けるに、ちょうど良い口実だからな」

 

「……筋金入りですね」

 

「反面教師にしてくれて構わんよ」

 

「できませんよ、そんな事。では、申し訳ありませんがお願いします」

 

 会話が終わり、士郎がシリウスの方に向かって歩き出す。角を曲がる、と言うタイミングでルドルフが躊躇した様子の声色で声を掛けた。

 

「あの、衛宮さん……」

 

「何かね」

 

「──……いえ、何でもないです」

 

 誰が聞いても何でもないと言う様子ではないが、士郎は深く尋ねることはしなかった。

 

「そうかね。まあ気苦労の多い立場だろうからな。何かあれば話くらいは聞こう」

 

「ありがとうございます。呼び止めてしまってすみません」

 

 ルドルフの足音が遠ざかっていく。士郎はそれを見送り、ある程度の所で踵を返す。今度こそ士郎が姿を見せた。

 

「衛宮ってのはアンタか?」

 

「その通りだが、そこで聞いていたのだから知ってるだろうに」 

 

 気付いていたのか、それとも状況を見て推測して言ったのか。どちらにせよ、不意打ちで主導権を握る目論みは失敗したようだ。

 

「君とは初めましてだな。名前を聞いても? 私は衛宮士郎だ」

 

「……シリウスシンボリだ」

 

「シリウスシンボリ……」

 

「何だ? 皇帝サマと同じ名前でビビったのか?」

 

「皇帝?」

 

「……アンタがさっきまで話してた奴だよ」

 

「それはまた大胆不敵な二つ名だな」

 

「……この学園で働いてて知らないのかよ」

 

「長いこと外国にいたのでね。ここで働き始めて初めてウマ娘と接しているのでね、偶に面食らうことがあるのだよ。特に名前に関しては中々慣れないな」

 

「……そうかよ」

 

「それで何か私に用事があったのではないのかね」

 

「アンタを探してる人がいた」

 

「そうか。ありがとう。それで誰かね」

 

「教える代わりに、皇帝サマがアンタに何相談しようとしてたのか教えてくれよ。何を言おうとしてたのか見当がついてたから、あんな事言ったんだろ?」

 

 随分と難儀な感情を抱いているようだった。好き嫌いの二元論では語れない感情。正しく『気になる』相手なのだろう。そしてそれすら素直に曝け出したくないから、回りくどい手管で聞き出そうとしているのだ。

 

「ふむ。確かに何を言おうとしていたのかは大凡見当が付いている。しかし彼女と私のプライベートに関わることなのでね、おいそれと教えるわけにはいかない。そこでだ、誰が私を探していたのかを1回で当ててみせよう」

 

「へえ? 真面目な奴かと思えば面白えこと言うじゃねえか。でもそんな安請け合いしちまっていいのかよ」

 

「問題ないとも。既にヒントは貰っているからな」

 

「……面白え。じゃあ早速答えを言ってもらおうか」

 

「まず私はここに勤め始めて日が浅く、壇上で自己紹介もしていない。私も積極的に名乗っているわけではないし、大勢の生徒と接する立場でもないから、顔と名前が一致している者は意外と少ない。その上ある生徒が気まぐれで呼び名をコロコロ変えるし、最近は私も注意しなくなったのでごちゃ混ぜになった名前で覚えている者も多い。つまりちゃんとした名前を知っていて、顔も知っていると言う時点でかなり絞られるわけだ。そこで最後の一押しになるのが、君が口にした言葉だ」

 

「……記憶にねえな」

 

「君は探してる『人』と言ったな。そうなると、職員になる訳だ。そして頼み事をしてくるとなると、たづなか理事長のどちらかだな」

 

「トレーナーかもしれないぜ?」

 

「私のことを知っているトレーナーは1人だけだ。それに君が奴と会ったとしたら、今のような対応はしないと思うのでな。さて、2人のどちらかだが」

 

「……」

 

「ここはたづなにしておこう」

 

「……残念だったな。理事長だよ」

 

「ふむ、外してしまったか。先になってすまないが、理事長は何と?」

 

「用件もどこにいるかも言わずに行っちまったよ」

 

「余程の用件か。行き違いになっても面倒だな……。さて私は行くが、君はどうする」

 

「あ?」

 

「相談内容について聞きたかったのではないのかね」

 

「────いらねえよ。アンタ、わざと外しただろ」

 

 笑っているが、噛み付く直前のような獰猛な笑みだった。

 

「とんだ過大評価だな」

 

「そのしたり顔、腹立つな」

 

「生まれつき、ではないが、もう変えられないのでな。勘弁してほしい」

 

 そう言うと、踵を返し歩き始める士郎。区切りの良いタイミングではなく、唐突に立ち去ろうとする彼を思わず呼び止めてしまうシリウス。

 

「何かね」

 

「……気が変わった。教えろ」

 

「良いとも。だが歩きながらで構わんかね」

 

「良いぜ」

 

 どこに向かうのかは知らないが、ゆったりとした足取りの士郎に合わせてシリウスも歩き出す。

 

「君は彼女の夢を知っているかね」

 

「は、これ見よがしに色んなトコであんな夢を本気で語ってるんだぜ? 日陰者の連中だって知ってるだろうぜ」

 

「君は彼女が本気でそれを目指していると思ってるんだな」

 

「あ?」

 

「よく見ているな、と思っただけだ。……全てのウマ娘が幸福である。途方もなく、限りなく不可能に近い夢だ」

 

「よく分かってるじゃねえか。それで? そんな馬鹿げた夢を持つ皇帝サマは、アンタに何を相談しようってんだ」

 

「私は彼女にとって反面教師だ。己を犠牲にし続けた果てにどんな結末が待っているのかを知り、夢との向き合い方に迷いが生じているのさ。だからどう向き合えば良いのかを相談しようとしたのだろう」

 

「……アンタは何て答えるつもりだったんだ」

 

「特に何も」

 

「あ?」

 

「彼女が自分で見付けなければ意味がない。幸い、彼女は私ほど頑固ではないし、夢を否定してくれる者もいるから、私のようにはならんだろうよ」

 

「……アンタはどうなったんだよ」

 

「到着だ」

 

「?」

 

 職員室横にある放送室。すぐに察しがついた。理事長を呼び出す算段なのだろう。

 

「さて、満足して頂けたかね」

 

「……全然だな」

 

「それは残念だ。ただ今日はこれ以上は時間がない。それに、今日の賞品はあくまでシンボリルドルフの相談内容だからな。もしどうしても聞きたいと言うなら、別の勝負で私を負かすことだな」

 

「まるで勝った奴みたいなセリフだな?」

 

「そうかね? これでも負けて悔しがっているつもりだがね」

 

「ハッ、大した演技だな」

 

 ・

 

 教員に放送で理事長を呼び出してもらい、待つこと数分。たづなを引き連れた理事長が息を切らしながら現れた。と言うより、息も絶え絶えの方が正しいか。士郎の下に辿り着いたはいいものの、そのままへたり込んでしまう。

 

「シリウスさんが見付けてくれたんですね、ありがとうございます」

 

「良い暇潰しになったからいいさ」

 

「それで、血相を変えて探していたそうだが何があったのかね」

 

「一大事なのだ! 急病による休みが重なって厨房の人員が不足しているのだ! 代替人員もおらんのだ!」

 

「そりゃ一大事だな」

 

「それは一大事だな」

 

「無茶を承知で頼む! 厨房のヘルプに入ってはもらえんだろうか?!」

 

「構わんぞ」

 

 ノータイムの返答。群れることは好まないが、昼時の食堂、ひいては厨房の地獄具合を知っているシリウスからすれば正気を疑いたくなる返答であった。

 

「おいおいマジか」

 

「ありがとう! ありがとう!」

 

「これで学園が崩壊せずに済みます!」

 

「大袈裟……いや、強ち大袈裟でもないのか? まあ良い。私も食堂を利用しているしな」

 

「そもそもアンタ料理できるのか」

 

「そうだな。数少ない特技だ」

 

「……そうかよ」

 

 何となくだが、謙遜ではなく本気で自分のこと過小評価してそうだな、と感じた。

 

「調理が始まる前に厨房を見せてもらうことは出来るか? まずはどこに何があるかを把握せねばならんからな」

 

「勿論だとも! 早速行こうではないか!」

 

「分かった。ではな、シリウスシンボリ」

 

「勝負のこと忘れんなよ」

 

 ・

 

 

 昼休み。いつもの面々と絡んでいる時に、ふと士郎のことを思い出し、どうなったのかが気になり始めたシリウス。食事ついでに冷やかしに行くことにした。

 食堂はいつも通りの光景。ちらほらと大食い選手が見えることから、厨房は問題なく機能しているようだった。厨房の方に視線を向ける。澄まし顔がひーこらと崩れている所でも見られたら、との考えだったが、予想外の光景があった。

 

「スパゲティがごっそり持ってかれたから最優先だ! いやハンバーグの列にスペシャルウィークが並んでいるから同時並行だ!」

 

 配膳された料理の量を確認し優先順位を伝えつつ、調理から配膳、食器の洗浄をマルチにこなしている。

 

「む、メジロマックイーンが大皿を手に席を立った! デザートの貯蔵は十分か!!」

 

 当初の思惑とは外れたが、先刻に見た澄まし顔が崩れているから良しとすることにした。

 

 目が合う。僅かに笑い掛けて来たのも束の間、すぐに修羅に戻る。

 

「あの、シリウスさんどうしたんですか」

 

「いや、ただおもしれー奴がいたから見てただけだ」

 

 ・

 

 因みに、初めて且つ人数の足りない厨房を見事に仕切り、一説にはプロ級とも噂される調理の腕を遺憾なく発揮し、その上で「良い経験ができた。楽しかった」と宣った士郎は厨房から熱烈なスカウトを受け続けることになる。

 更に因みに、スイープは厨房の近くで士郎の働きぶりを見て、腕を組みながら何度も頷いていたらしい。



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その13

お待たせしました…!

お騒がせした後なのにたくさんの感想ありがとうございました!


 ──士郎いまどこにいる?! 

 

 ──職員室前だ。何かあったのかね

 

 ──今から行くから動かないでね! 

 

 念話で居場所を聞いて、顔を突き合わせて用件を伝えると言う非常に迂遠な行動に首を傾げる士郎。

 

「どうされました」

 

「いや、たった今スイープに用事があるからここで待っていろと言われてね」

 

「たった今? 言われて? ……ああ! そう言えば衛宮さんて使い魔なんでしたっけ」

 

「……そのことを忘れられたのは初めての経験だな」

 

「あ、すみません」

 

「咎めている訳ではない。それだけここが平和と言うことだ」

 

「……ここでの姿しか見てないから、衛宮さんが戦う人なんていまだに信じられません」

 

「そのイメージが崩れないことを願うよ」

 

 足早に歩く音が聞こえて来る。良く聞き知った音。階段の方向に視線を向ければ、姿を見せたのはやはりスイープであった。

 

「アタシの最初のレースが決まったから! 2週間後の土曜日! 絶対に予定入れないでね! じゃあグランマにも伝えて来るから!」

 

 言いたいことだけ言うと、足早に姿を消すスイープ。

 何故迂遠な方法を取るのかと疑問だったが、内容を聞けば得心がいった。

 

「ふふ。顔を見て直接言いたかったなんて、可愛らしいですね」

 

「全くだ。私の世界にいる魔術師共に爪の垢を飲ませてやりたいな。さて、では私は仕事に戻るとしよう」

 

「あ、観覧席のチケットは早めに購入しておいた方がよろしいですよ。それともこちらで手配しておきましょうか?」

 

「……そうだな、すまないが頼む」

 

 ・

 

 放課後。仕事を終えた士郎は、レース場に足を運んでいた。今までもスイープのチームメイトや学友から様子や練習を頑張っていることは聞いていたが、中々足を運ぶタイミングが合わず、今のチームに入ってからの走る姿を見るのは初めてのことだ。

 ちょうどチームメイトと模擬レースを行っているところだった。気が散らないように、少し離れたところから観戦する士郎。

 女性の中でも小柄な部類であるスイープは、周囲を体格で勝るチームメイトに囲まれながらも、必死に踠き、勝利へと貪欲に手を伸ばしている。そこにいるのは、戦う顔をした一端のアスリートであった。

 この世界でウマ娘によるレースがどうしてそこまで人気を博しているのか判然としなかったが、これだけの闘志を剥き出しにされては、見ている側もたぎらざるを得ないだろう。士郎としても、命を懸けない闘争というものを長く経験していないからか、スイープの様子を見に来たことを忘れ見入っていた。

 

「お、衛宮・アーチャー・士郎じゃねーか」

 

 銀髪の変なウマ娘に絡まれてしまった。

 

「人をトンチキな名前で呼ぶものではないぞ。君は練習しないのかね」

 

「ゴルシちゃんはもう明日やってきたから良いんだよ。それよりよぉ」

 

 スラリとした腕を、士郎の首に絡ませながら言う。

 

「そろそろお前とスイーピーちゃんの関係教えてくれよお。気になって気になって、朝も夜もぐっすりなんだぜ?」

 

「それは大変だな。眠りも取り過ぎれば疲れると言うしな。しかしスイープが許可しないことには、私の口からは言えんのだよ」

 

「ちぇ、あいつも『士郎が良いって言ったらね! です!』って言って教えてくれなかったのによ。これがハリセンボンのパラドクスってやつか」

 

 タッパのあるゴルシの口から、スイープそっくりの未発達な声が発せられるのは、何とも違和感のあるものだった。

 

「……ヤマアラシのジレンマか? いや、使い所が全く違うが」

 

「なあなあ頼むよぉ〜〜」

 

「ええい、タコみたいに絡みつくな。沖野を嗾けるぞ!」

 

「おいおいいくら何でも、沖野を嗾けるのは反則だろお〜? 流石のゴルシちゃんもアレに追いかけ回されるのはゴメンだぜ」

 

「おい! オメーら! 人のことを何だと思ってんだ?!」

 

『言って良いのか?』

 

「ごめんなさい。やっぱ止めて。……衛宮はスイープの様子を見に来たのか?」

 

「そうだ。練習風景を見たことがなかったのでな。それでトレーナーから見てスイープはどうだ?」

 

「良い感じだ。目指す走り方と、得意な走りが一致してるからな。あの年であれだけちゃんと、走り方を考えて言語化できるのは大したものだぜ。誰かの入れ知恵か?」

 

 顎髭を撫でつけ、笑いながら答える。

 

「残念だがアドバイスできるような知識は持っておらんよ。ただ教官との向き合い方を少し説いただけだ。しかしそうか……。しっかりやれているなら安心した」

 

 走り終えたスイープは、感覚を忘れないうちにと、先輩らと主観と客観を交えた意見交換を行っていた。馴染めているか心配ではあったが、全くの杞憂だった。

 

「お、何だもう行くのか」

 

「うまくやれているのが確認できたからな。本気の走りはレース本番で見せてもらうさ」

 

「そうかい」

 

「頼んだぞ。あとゴールドシップ、良い加減離れたまえ」

 

「ならお前達の関係を白状するんだな! じゃないとこのまま子泣き爺スタイルで家まで付いてくぞ!」

 

「仕方がないな」

 

 嘆息を漏らしながら言うと、帰路につ──かず、こぢんまりとした建物の、左右に分かれた入口の右側に入っていく。壁にある青いピクトグラムが示すことは、そこが男子トイレであること。

 

「どわああああ! 女子背負ってトイレ行く奴がいるかあ! 常識で物考えろよなあ!」

 

「絡み付いてきたのはそちらだろうに。私はもう帰るから、君も練習に戻るなり、沖野に絡むなりしてなさい」

 

「アタシをここまで連敗させるとはなあ……! 流石はアーチャーと呼ばれてるだけのことはあるな! 次は負けねえからな!」

 

 ・

 

 スイープのデビューが決まったからと言って士郎の日常に大きな変化が訪れる訳ではない。いつも通り学園内のあっちこっちに赴き、絡んで来る生徒を適当に相手し、仕事部屋にやって来る理事長やたづなの一服に付き合う。そして夜半に、スイープが寝落ちするまでレースとは関係のない雑談をする。

 とは言え、レースが近づいて来ると流石のスイープも緊張を隠せなくなっていた。それに対して特別な対応はしない。強いて言えば、士郎が主体で会話を回すことが多くなったぐらいだろうか。

 

 ──ねえ士郎……。今からこっち来られる? 

 

 ──夜半の女子寮に招くな、と普段なら言うが、まあ今回は仕方ないか。ただし場所は屋上で、フジキセキに話を通しておくんだぞ

 

 ──分かった

 

 少しだけ元気を取り戻したスイープの声。ややすると、フジキセキから許可が降りたと念話が来た。

 礼をする必要があるな、と寮に向かいながら考える。

 遠方の寮が視界に入ると、既に屋上に上がっているスイープの姿が見えた。

 

「待たせたか?」

 

「ううん……大丈夫」

 

「さて、あまり長々と話して体調を崩しては事だからな。不安か?」

 

「……少し」

 

「本当に少しか?」

 

「……本当はもう少し不安」

 

「よろしい。何が不安なんだ?」

 

「……分かんない。昼間とか、皆といる時は大丈夫なんだけど、1人になると、何かここがギューってなるの」

 

 そう言って胸に手を添える。

 考えなくても分かることである。彼女はまだ子供であり、初めて闘争の世界に足を踏み入れるのだ。

 

「残念ながらその不安への特効薬はないな。誰でもはじめの一歩は緊張するものだ」

 

「士郎もそうだったの?」

 

「……私の場合は状況がスイープとは異なりすぎているから答えにくいな。まあ、死ぬかもしれないと言う不安は常にあった、気がするな」

 

「そっか。士郎でも不安になることあるんだ」

 

「昔は普通の人間だった上、巻き込まれたのは高校生の頃だからな」

 

「そう言えば髪も赤かったわね。でもそっか。士郎でも不安になっちゃうなら仕方ないのかもね」

 

「そうだ。それに走り出せばそんな事は気にならなくなるだろう」

 

「そうね。そんな気がしてきたっ」

 

 しおらしい姿は早々になくなり、いつもの表情を取り戻していた。

 

「ゆくゆくは偉大なる魔女になるスイーピーが、緊張で失敗しちゃうなんてカッコ悪いところ見せられないしね」

 

 大衆からの視線への対処は個々人によって異なる。ジャガイモだと思う者がいれば、視線の数だけ奮起する者もいる。スイープの場合は後者だろう。

 

「どうせなら後世まで語り継がれるくらいの気概で行ってこい」

 

「ふふふ、そうなったら士郎とお揃いね。もしかしたらいつか、偉大なる魔女スイーピーと会えるかもね。そしたら士郎も寂しくないでしょ?」

 

「────全く君は……」

 

 これではどちらが励まされているのか分かったものではない。

 頭に置かれた手が優しく動き、それに合わせてスイープの体と尻尾が揺れる。

 

 ・

 

 レース当日。士郎は早くに寮を出ていた。楽しみで早出している訳ではない。グランマを迎えに行くためだ。

 同行者はいないが、勿体無いと言う思いから最近は全く霊体化していない。

 

「おはよう士郎さん」

 

「おはよう。変わらず壮健そうで何よりだ」

 

「スイーピーの活躍を全部見るつもりだからね。それでスイーピーはどうだい?」

 

「さて、生憎私は彼女らの走りを正しく評価できる知識を持っていなくてな。しかしトレーナーからの評価は高かったぞ」

 

「それは安心した。良いトレーナーに会えたみたいだね」

 

「そうだな」

 

 悪癖の心配はあったが、今のところスイープから相談されていないからうまくやれているのだろう。よくシバかれているとも聞くから、もしかしたら上級生達がうまくガードしてくれているのかもしれないが。それを話す必要はないだろう。

 

 ・

 

 ウマ娘と言う存在がアイドル的人気と、アスリートとしての人気を両立している存在とは知っていた。知ってはいたが、観覧席が埋め尽くされるレベルとまでは思っていなかった。

 たづなからの厚意で関係者用の席を用意して貰わなければ席が確保できなかったかもしれない。

 

「おやおや随分良い席が用意されてるね」

 

「有能な秘書官のおかげだ」

 

 ──士郎、もうレース場に着いた? 

 

 ──ああ、グランマもいるぞ

 

 ──ありがとう。ねえこっち来れない? 

 

 ──関係者以外は入れないだろう? 

 

 ──うん。だから、士郎だけでも来れないかなって

 

 ──……少し待っていろ

 

「スイーピーからの呼び出しかい?」

 

「よく分かったな」

 

「スイーピーが関わってるなら分かるよ。──会ってあげて下さいな」

 

「──そうか。グランマが許してくれるなら会いに行って来るとしよう」

 

 ・

 

 スイープの案内に従い、屋内を進む士郎。勿論霊体化しているので、すれ違う職員や他のウマ娘にもバレない。しかしカフェの一件もあるので、隠れられる場所がある時は身を隠していたので、控え室にたどり着くまで少々時間を食ってしまった。

 

 ──着いたぞ。入っても大丈夫か? 

 

 ──誰もいないから大丈夫よ

 

 ドアをくぐり抜ける。スイープが言った通り、控え室にいるのは彼女1人であった。士郎がいつ姿を現すのかとソワソワしている。

 

「待たせたな。沖野はどうした」

 

「スカーレット先輩達に頼んで連れ出してもらったの」

 

「そうか。あとで礼を言っておかなければな。さて」

 

 身を屈め、視線を合わせる。

 

「君なら勝てるさ。何せ私を召喚したマスターなのだからな」

 

「!! ────その通りよ! スイーピーがこんな所で負けるはずないでしょ!」

 

「その意気だ。いつか私と会うのだろう?」

 

「そうよっ。──うん、もう大丈夫。グランマの所に戻ってあげて」

 

「そうするとしよう」

 

「士郎。ありがとね」

 

「──それはこちらのセリフだ」

 

 ・

 

 出走者が揃う。

 同世代の中でもスイープは小柄な方だが、萎縮する様子は全く見られなかった。虚勢ではなく、自信に裏打ちされ、実に威風堂々とした態度。スタート直前とは思えないほどの勝気な表情は、やはり観客の目を引いていた。そんな彼女の様に、自然と口角が上がる。

 号砲を待つ僅かな静寂。

 

「……」

 

 ゲートが開かれ、一斉に走り出す。同時に空に溶けきらない歓声が上がる。

 蹄鉄が芝を抉り、宙を舞う。散った土が肌を汚す。そんな些細以下のことを、誰が気にするものか。誰もが闘志を剥き出しに、相手に噛み付かんばかりの形相で走っている。しかしそこに邪な思いはなく、どこまでも純粋に勝利を求めている。命を賭けた闘争しか知らない士郎には、彼女らの姿は何よりも眩しかった。

 人が行う長距離走と短距離走を合わせた性質を持つウマ娘のレースでは、体格が重要なファクターになる。無論それだけが勝敗を決める訳ではないが、ストローク、ポジショニングなどで不利になりやすいことは確かなことである。事実、スイープはバ群に埋もれ、身動きが取れていないように見えた。周りの出方を窺っているのか、スタミナ温存のためか。いずれにせよ、スイープにとっては包囲網もいいところだ。

 しかし隙間から見える彼女の目に焦りはない。ならばこの展開は予想されたものなのだろう。

 レースが中盤に差し掛かり、バ群に解れが生じ始める。仕掛け始めた者、スタミナを消耗し脱落し始めた者。スイープはその隙を見逃さなかった。加速を掛け、バ群を抜け出し、先頭集団へ狙いを定めた。グングンと加速するスイープは、あっという間に先頭集団に喰らい付いた。しかし簡単には抜けない。着実に抜かしつつも、レースは既に終盤戦へと移っている。

 デッドヒートが見るものを熱くさせる。

 

 ──頑張れ

 

 更なる加速に、観客が沸いた。

 ゴールを駆け抜けた彼女は、とびきりの笑顔だった。

 

 ・

 

「────」

 

 吐き出された息に熱が籠っている。

 

「ふふ、堪能したみたいだね」

 

「その通りだ。スイープだけではない。皆立派な戦士の顔をしている。世間が夢中になるのも頷けると言うものだ」

 

「そうだろうそうだろう。でもまだ終わりじゃないよ」

 

「? 表彰式の事か? そちらも豪華なのか」

 

「ふっふっふっふ……」

 

 何故か意味深な笑みを浮かべるだけで何も答えないグランマ。隠し立てされる理由が分からず首を傾げる士郎。

 するとタイミングを測ったように士郎の携帯(支給品)が鳴る。SNSの通知だった。開くと、スイープの勝利を祝う言葉と、アルファベットと二桁の数字の組み合わせが記載されていた。何の組み合わせであるのか見当が付かず反対側に首を傾げる士郎。

 グランマはまだ意味深に笑っている。

 

「おーい衛宮」

 

「沖野か。どうした」

 

「スイープから頼まれたんだよ。次の会場に案内してやってくれってな」

 

「次の会場?」

 

「……ホントに知らねえんだな」

 

「ウィニングライブ知らねえとかどこのお上りさんだよ〜ボブウゥゥ」

 

 沖野の背中からひょこっと顔を出すゴルシ。どうやって隠れていたのかは問わない。その背後には他のチームメイト達もいた。スカーレットとウオッカに軽く手を振る。

 

「掠りもしない名前で呼ぶな。ここに勤めるまで海外にいたのでな。ウマ娘周りの知識には疎いのだよ」

 

「こいつの事は気にするな。そちらの女性は衛宮の彼女か?」

 

「滅多なことを言うな。スイープの祖母だぞ」

 

「……お孫さんには大変お世話になっております。本日はお日柄もよく」

 

「あっはっはっは! なるほど、スイーピーと上手くやれるのも納得だよ。これからも頼むよ」

 

「勿論です!」

 

 ・

 

 ライブ

 [名・形動]《生の、実況の、の意》

 1 ラジオ・テレビなどの録音・録画ではない放送。生放送。

 2 生演奏。

 3 音や場所が反響すること。残響のあること。また、そのさま。

 

 ・

 

「???????」

 

「……おお、ボブが見たことねえ顔してやがる」

 

 主役達の登場が近づくにつれ、会場のボルテージは上がっていく。そしてそれと比例するように士郎の脳内は「?」に埋め尽くされていく。

 生前のエンタメ知識など欠片も残ってはいないが、それでもどうやってもレースとライブを同列に並べることができないことを鑑みるに、この組み合わせは絶対に普通ではないだろう。

 

「…………」

 

 会場の入り口で当たり前のようにペンライトを渡されたが、もちろん何に使うのか皆目見当が付かなかった。移動時に暗所を照らすためぐらいしか思い付かなかった。

 

「ややや! 貴方は使い魔さん改め、衛宮さんじゃないですか。その初々しい感じ、さては初めてのライブ参戦ですね? いつもスイープちゃんとの尊い遣り取りを見せて頂いていますので、よろしければこの不肖、アグネスデジタルが作法をお教え致しますが如何でしょうか?!」

 

「……ライブに作法があるのか」

 

「もちろんですとも! そうすればステージ上からスイープちゃんに気づいてもらえるかもしれませんし。あ、それともそんなことしなくとも、分かっちゃう系ですか?! うぅ〜〜ん」

 

「……自己完結して失神したぞ」

 

「ほっとけよボブ。そいつは失神が癖になってるんだ」

 

「そうか……。まあ、人生を楽しんでいるようで何よりだ」

 

 開始直前に復帰し、作法(?)を披露するアグネスデジタルだが、ライブ衣装のスイープ達を見てまた失神しそうになっていた。

 一方の士郎は、ウィニングライブという催しの違和感に最後まで慣れることはなかった、とりあえずスイープが楽しそうに歌い踊っているので、良しとすることにしたのだった。



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その14

暑いですね。嫌になりますね。
今年は初めてコミケに一般参加するので、次は少し魔が開くかもしれません

いつも批評・誤字脱字の指摘ありがとうございます


1

 

 

 気付けば夏本番。

 外に立っているだけで汗ばむ、陸上アスリートには最も辛い時期。しかし夏休みだったり、盆踊りだったりと、学生にとっては何かと楽しいイベントもある季節。

 そして学校で夏と言えば、定番の話題がある。「怪談」である。そもそもとして、実際に浮遊霊やら地縛霊やらがいるため、全く話題に上らないということ自体少ないのだが。それはそれとして、夏と言えば、と考える生徒が多いからか、意識しなくとも耳に入ってくる程度には盛んになっている。

 そうなってくると、やはり肝試しをしたい、と言い出す生徒が出てくるものだ。いつの時代も、男女関係なく学生とはそういうものなのだ。

 

 

「あのー衛宮さん。この学園って幽霊いるんですよね?」

 

 喫茶店エミヤ(士郎の仕事部屋)にて残業前の一服をする理事長とたづな。そんな折に、たづながポツリと尋ねた。

 

「マンハッタンカフェの友人以外に、ということか?」

 

「そうです」

 

「いるぞ。どれくらいいるかは分からんがな」

 

「そ、そそそそんなに多いのかね?!」

 

「すまない、そういう意味ではない。私は彼女らから非常に恐れられていてね。ほとんど会えていないのだよ」

 

 死者という括りで幽霊と同列にするにはあまりに隔絶した存在である衛宮士郎。人の感覚で言えば、家の近所を「絶対に人を襲わないし優しい」と言われているライオンが彷徨いているようなものである。態々会いに行こうと思うだろうか。否思わないだろう。

 

「そういうことか」

 

「だから数が少ない、とも言い切れない訳だ」

 

「」

 

「理事長を虐めないでください。その、危ない幽霊っていたりします?」

 

「断言はできんな。ここは歴史もあり、霊地でもあるからな。マンハッタンカフェ達からも何か異変があったら知らせるようには言ってあるが……。何か気になることでもあるのか?」

 

「今年に限った話ではないんですが、この時期になるとどうしても一部のヤンチャな生徒が、肝試しと称して夜の校舎に忍び込むことがありまして。普段でしたら、暗い中で転倒して怪我をした、とかの心配だけだったんですけど」

 

「そういうことか。ならしばらくは、寝ずの番人をやっておこう。しかし、その点で言えばがっつり法律違反な残業をしている君達こそ気をつけるべきだろう。するなとは言わんから、健康的な時間帯に帰りたまえ」

 

「「ドキッ」」

 

「残業前の一服より、仕事終わりの一服を大事にしたまえよ」

 

 

 と言われたのはいいものの、やはりそこそこの時間帯で帰ることは難しく、理事長が船を漕ぎ始めた所で漸く本日の業務は終了です、となる。凝り固まった体を伸ばすと、不健康な音がそこらかしこから鳴る。力を抜くと、血が下がっていくような錯覚を覚え、そのまま眠ってしまいそうだった。しかしそこはいい大人。気を取り直して、既に夢の世界へと旅立とうとしている理事長を引き止め、帰り支度を始める。

 

「ほら理事長。まだ寝ないでください」

 

「うぅ〜〜おんぶぅ」

 

「私も荷物があるんですから無理です」

 

 促し、部屋を出る。廊下に明かりは灯っているが、ドアを開けた時に生徒の喧騒が聞こえてこないと、違和感と寂しさを覚える。それに加えて、今日は士郎の話を聞いているので少しの、ほんの少しの恐怖。足が止まっていると、居眠り運転の理事長が背中にぶつかる。

 

「どうかしたのか?」

 

「いえ、何でもないです。さあ行きましょう」

 

 普段は意識しない自分達の足音を聞きながら歩いていると、最寄りの階段踊り場に引っ込む尻尾が見えた。思わず目を合わせる2人。覗き込むと。

 

「あ」

 

「マヤノトップガンさんに、トウカイテイオーさん……。こんな時間に何をしてるんですか?」

 

「ええっと、忘れ物をー……」

 

「――――」

 

 バレた時の言い訳を何も考えていなかったからか、しどろもどろに答えるマヤノ。誤魔化せないと悟ったのか、それとも般若になりつつあるたづなを恐れたのか、早々に白旗を上げた。

 

「…………ごめんなさい。肝試しに来てました」

 

「全くもう……。お説教、と言いたい所ですが、もう遅いですし、明日に持ち越しです」

 

「はぁ〜い」

 

「トウカイテイオーさんもいいですか?」

 

 反応の鈍いテイオーに念を押すが、何故か返事をせず廊下を歩き出す。

 

「あ、待ってよテイオーちゃん」

 

 いじけてしまったのか、と彼女を追おうとする3人――の背後から突然声が掛かった。

 

「ストップだ。彼女について行ってはならん」

 

 作画が四角くなるほどに驚きながら振り向くと、背後にいたのは士郎であった。

 

「ええええええ衛宮さん?!」

 

「ここここ声を掛けるなら一言掛けてからにしてくれ! びっくりするではないか?!」

 

「驚かせてすまんな。そこの君も、彼女から離れてこちらに来たまえ」

 

「テイオーちゃんから? 何で?」

 

「よく見てみたまえ」

 

 3人がテイオーに視線を向ける。話題の中心であるにも関わらず、振り向かず、声も発さず、背中を向けたまま立ち止まっている。その静かさは恐怖を煽った。

 

「テ、テイオーちゃん?」

 

「因みにだが、トウカイテイオーとは外で会ったぞ。君と逸れてしまったと言っていた」

 

 その言葉にギョッと振り返る3人。この状況でウソをつく性格でないことを知っているし、目の前にいるテイオーの不自然な挙動から納得できてしまったからだ。

 3人の間を抜け、先頭に立つ士郎。

 

「君の名前は?」

 

「マヤノトップガン。エミヤシローさんでしょ? スイープちゃんとかテイオーちゃんとお話ししてるのよく見るから」

 

「そうだ。ではマヤノトップガン。口は堅い方かな? 今日ここで見聞きしたことは、秘密にしてほしくてね。言い触らされてしまうと、ここにいられなくなってしまうのでね」

 

「分かった。絶対言わない。いなくなったら、スイープちゃんが悲しむもんね」

 

「ありがとう。――さて、君にも何かしらの事情があり、3人の知己の姿を取っているから今日は警告だけに留めておこう。だが」

 

 バチリ、と空間を雷のような光が走る。2人は、それが嘗て見た士郎の魔術の光だと悟る。左手に漆黒の弓、しかし矢が握られているはずの右手には、形容し難いものが握られていた。複数の刃が螺旋を描き芯に巻き付いているそれを、矢のように番える士郎。

 

「私は弓兵だ。君の悪事はどこからでも見える。そしてこいつは猟犬だ。獲物を捉えるまで追い続ける。2度目の警告は――ない」

 

 

「あーマヤノ! どこ行って……わぁ……たづなさんだぁ」

 

 玄関前で待っていたテイオー。文句を言おうとしたが、マヤノの後ろにいたたづなを見て萎れた。

 

「お説教はまた今度にしますから、2人とも今日は帰ってください。衛宮さんは2人を送ってあげてください。って理事長どこ行くんですか」

 

「私も怖いからな! 衛宮殿について行って、その後送ってもらう! たづなは怖くないのか?」

 

「…………」

 

 そういう訳で皆で寮まで行くことになった。

 

「えーたづなさん、大人なのに幽霊怖いのぉ?」

 

 そんなたづなを、命知らずな畜生テイオーが揶揄う。

 

「怖いもの知らずが大人の条件ではないぞトウカイテイオー」

 

 間一髪、士郎がテイオーの命を救う。

 

「じゃあどうすれば大人になれるの?」

 

 と、マヤノが食い付く。そんな反応に不思議そうな顔をしながら答える士郎。

 

「難しい質問だな。私自身、自分のことを良い大人と思ったことはないからな。逆に聞くが、マヤノトップガンが思う良い大人はどんな大人かね?」

 

「う〜〜ん……」

 

「大人にしかできないこと、分からないことがあるのと同じように、子供にしかできないこと、わからないことがある。いやでも肉体は大人になるのだから、今を堪能しながら考えればいい」

 

「むぅ」

 

「……1つだけ大人の条件を思い付いた」

 

「え、なになに??」

 

「後先考えずに行動しないことだな」

 

 

 

「あの、衛宮さん」

 

「何かね」

 

「……いえ、何でもないです」

 

 

「衛宮さん、あの」

 

「何かね」

 

「……すみません、何でもないです」

 

 

「……衛宮さん」

 

「何かね」

 

「……良い天気ですね」

 

 

「……」

 

「何かね」

 

「……すみません」

 

 

 日差しの強い午後。大きな背中を丸め、タイルの隙間から伸びている雑草をチマチマと掻き出す士郎の姿があった。

 見ているだけで熱中症になってしまいそうな仕事風景だが、士郎は黙々とこなしている。そんな士郎の背中に声が掛かった。

 

「ハァ〜イ、色男さん。少しだけ時間良いかしら?」

 

 と、何ともこなれたナンパな言い方であった。

 どこからも反応がないため、左を見る。右を見る。誰もいない。振り返ると目が合う。

 

「私かね」

 

「あなたよ」

 

「すまないな、色男(ロメロ)と呼ばれるのは初めてでね。君は?」

 

「マルゼンスキーよ。よろぴく!」

 

「知っていると思うが、衛宮士郎だ。よろしく。それでこんな暑い中、何の用だね」

 

「……うん、声掛けたあたしが言うのも何だけど、ここで話すのはやめない?」

 

「それもそうだな。では私の仕事部屋に行こうか」

 

 仕事道具をまとめ、先導する。

 

「それにしても、こんなに暑いといやーんな感じよね」

 

「全くだな。必要なことなのだろうが、この炎天下でトレーニングしている所を見ると心配になるな」

 

 耳を澄ますと、遠くから掛け声が聞こえてくる。

 日陰に入ると幾分かマシにはなるが、それでも空気自体が熱を帯びているため肌にまとわりつく不快感は変わらない。

 

「よお衛宮。この炎天下でデートか?」

 

 真横から声が掛かる。校舎の窓が開き、シリウスが顔を出す。

 

「あらシリウスちゃんじゃない。知り合いなの?」

 

「まあ顔見知りというところだな。彼女にそこでナンパされてね。仕事部屋で涼みながら話す予定だ」

 

「ふーん……。なら私も混ぜろよ。まだ聞けてないこともあるしな」

 

「あらあら。意外と仲良しじゃない」

 

「で、私はデートに邪魔しても良いよな?」

 

「当たり前田のクラッカー、モチのロンよ。良いわよね?」

 

「……」

 

「あらもしかして2人っきりが良かったのかしら」

 

「ああ、いや同席は構わんよ。ただ君の話し方に、何となく懐かしさを覚えただけだ」

 

「えっ。この話し方って古いの?」

 

「いやどうだろうな。流行り廃りには疎いが、特に古いとは感じなかったがな」

 

「そうよね! たまに年下の子に凄い怪訝な顔されるけど古くないわよね!」

 

「……」

 

 こいつらおもしれーな、とシリウスは表情を変えずに思った。

 

「先に鍵を開けて、クーラーを入れておいてくれ」

 

 そう言って鍵をシリウスに投げ渡す。

 

「個人の名前が書いてあるもの以外は適当に摘んでも構わんからな」

 

 

 玄関に向かって足を進めていると、またも声が掛けられる。今度は真上からであった。

 

「あ、おーいお二人さん。ちょうどいいところで会えた」

 

 上を向くと同時に、後ろからあっ、と声が聞こえ、目を塞がれた。直後、着地の音が聞こえ、マルゼンスキーの行動の真意を知る。

 

「ちょっとシービーちゃん! 男の人がいるんだから!」

 

「ごめんごめん、うっかりしてた。でもマルゼンスキーが塞いでくれたし」

 

「そういう問題じゃないでしょう、全く。いきなりごめんなさいね、シービーちゃんてこういう子なの」

 

「彼女が不快な思いをしなかったのなら構わんよ。衛宮士郎だ。私を探していたようだが」

 

「アタシはミスターシービー。ルドルフのことで聞きたいことがあるんだ」

 

「ふむ。なら部屋に向かうとしよう。どうやら皆聞きたいことは同じようだからな」

 

 

「よお遅かったな。それに、新しい女まで連れてるとはな。いいご身分じゃねえか」

 

 ドアを開けると、我が物顔で足を組んで寛ぐシリウスと、我が物顔という点では同じだが、対照的に上品に寛ぐ生徒が1人いた。パッと見の印象は深窓の令嬢だが、部屋の主人が来ても悠然と紅茶を飲んでいる所を見ると、中身は全くの別物だろう。

 

「皆の興味が私にある訳でないことは知っているのでね、両手に花の気分は味わえなかったな」

 

「……良い葉を持ってるのね」

 

「貰い物だからな。褒めるのなら、それをくれたメジロマックイーンを褒めてやってくれ」

 

「そう……。私はメジロラモーヌ。マックイーンが世話になったみたいね」

 

「彼女の縁者か」

 

 複雑な家庭環境なのかと勘ぐってしまうほどに共通点が見出せなかったが、名前の成り立ちが違うのだということで納得することにした。

 

「では私は飲み物を用意するから、君達は適当に座って、何か摘んでいるといい」

 

 マルゼンスキー、シリウスシンボリ、ミスターシービー、メジロラモーヌという、並のトレーナーや生徒では遠目に見ただけでも遁走し、同じ空間にいれば爆ぜてしまいそうな面子。

 

「待たせたな。よく掻き混ぜてから飲んでくれ」

 

「あ、梅ジュースだ。いいね、美味しい」

 

「気に入ってもらえたようで何よりだ。――さて、ぼかしても意味がないから率直に聞くが、皆シンボリルドルフのことで聞きたいことがあるという認識であっているかね」

 

「こんな風に押しかけちゃってごめんなさいね」

 

「うん」

 

「私はお前の話も聞きたいんだがな」

 

「……」

 

 この場合の沈黙は肯定と受け取って良いだろう。

 

「彼女がここのところ、何度も私に何かを聞こうとして止める、という所を見ていたからか。何を聞こうとしているのか」

 

「それと、どう答えようとしているのか、もだね」

 

「ふむ。まず質問だが、結局聞けてはいないので、私の推測になるが『私の夢は正しいのか』といったところだろう」

 

「「「は?」」」

 

「……」

 

 彼女は決して臆せず、一切の羞恥なく「全てのウマ娘の幸福」を夢と語る。不断の決意と覚悟を持つ彼女が揺れている。その事実は、ラモーヌの悠然とした態度をも崩した。以前に士郎との会話の中で聞き及んでいたシリウスでさえ、改めて聞くと信じられないと思ってしまうのだ。

 

「そしてそれに対する私の答えだが、特に何かを言うつもりはない」

 

 その返答も変わらない。あっちこっちであれこれと世話を焼いているくせに、とは思う。

 

「シリウスシンボリには前にも言ったが、彼女にとっては私は反面教師なのだ。それこそ、私の言葉一つで夢との向き合い方を変えてしまうほどにね。だから私は何も言わないのだ。いつまでここにいるか分からない身なのでね、人生を左右するような無責任なことはできんよ」

 

 エアコンの音と、士郎が喉を潤す音だけが鳴っている。

 

「……自惚れが過ぎないかしら」

 

 辛辣な物言いのラモーヌ。士郎の言ったことが気に入らない、と率直に顔に出ている。

 

「残念ながら自惚れではない。私の人生はそれほどの劇薬なのだ、彼女にとってはね」

 

「それだよ。結局この間も誤魔化されて、聞けずじまいだ。それじゃここにいる奴らは納得しねえよ」

 

「ふむ、それもそうか。しかし子供、と言うよりは人に聞かせられる類の話ではないのでね。どうしたものか……」

 

 腕を組み、天井を見上げる。指がリズミカルに腕を叩いている。如何にも考えています、といった振る舞いだが、ただのポーズである。マルゼンスキーに声を掛けられた時点で用件を察しており、こういう流れになることも予測していたのだ。どこまで話すかは既に決めている。

 とは言え、結局当たり障りのない事しか言えないのだが。赤裸々に語ってもトラウマを植え付けることになるし、聞き出そうとしたシリウスが殊更気に病みそうだ。

 

「……我を捨てて、己の全てを他者のために費やした結果、その者は何と呼ばれると思う」

 

「……少なくとも、聖人とは呼ばれないでしょうね」

 

「その通りだ。賞賛はやがて不安へと変わり、恐怖になる。その結果、怪物として扱われる」

 

「怪、物……」

 

「彼女は聡明だからな、私のド派手な失敗談(・・・・・・・)を聞けば納得し、今思い描いている道筋の正否に関係なく変えてしまうだろう。しかしそれは彼女のうちから出た思いや考えではない。九分九厘納得しても、一厘の燻りが彼女を蝕む。だからそのことには自身で気付くのが一番なのだ。もしくは共に歩むパートナーか、切磋琢磨できて彼女を殴れるような友人達の言葉でなければならない。それこそ君達のような存在だな。私はどれにもなれないし、なるつもりもない。だから何も言わない。納得してくれたかね」

 

「……嫌な事を話させてごめんなさい」

 

「ん? ああ、いやそれについてはとうに整理できている事だ。話せないと言うのは、聞かせるべき話ではないからだ。君達が気にすることではない。まあそういう訳で、彼女が私に対して何やら意味深にモジモジしてても気にしないでほしい」

 

「ぶふっ」

 

 言うに事欠いて、皇帝に全く似合わない形容をしたことに、シービーが吹き出す。それを切っ掛けに、クツクツと押し殺した笑い声が生まれる。何とか場の雰囲気を弛緩させることができ、士郎はホッと息を吐いた。士郎とて自分の来歴が、僅かに匂わせるだけでも他人の心に暗雲を与えることは自覚しているのだ。

 切っ掛けにルドルフの態度を茶化すように言ってしまったが、そこは勘弁してもらうしかない。

 

「まあ確かに、皇帝サマのあんな煮え切らない態度は早々見られるもんじゃないからな。吹っ切れるまでは堪能させてもらうさ」

 

「またそんなこと言って……。本当は心配してるくせに」

 

「あはは。確かにらしくないルドルフは新鮮だけど、そんなに好きじゃないかな。うん、だから話そうと思う」

 

「……貴方は」

 

「ん?」

 

「貴方はいいの? 貴方がルドルフの反面教師になるのなら、ルドルフは貴方にとって鏡。見ていて辛くはならないのかしら」

 

「気遣ってくれるのか? まあ心配は無用だ。過去については納得しているし、間違いではなかったとも思えるようになった。これからも頑張るさ」

 

「そう……。ならいいわ。……おかわり、貰えるかしら」

 

「いいとも」

 

 

 今日もルドルフは、何も聞けずにいる。違うところは、その彼女を捕まえようと虎視眈々と狙っている存在がいることだ。

 彼女の視界は今曇っている。しかしそう時を置かずに晴れる。そうなれば、もうその歩みを止めることはないだろう。



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その15

コミケ楽しかったです
そのあと2日くらい足の痛み取れませんでしたけど。

※いつも感想・批評、誤字脱字の指摘ありがとうございます


「士郎! お買い物に付き合って!」

 

「構わんぞ」

 

 とんとん拍子のやり取り。用事がなければ断る気が一切ない士郎は、大体了承してから内容を尋ねる。

 

「何を買いに行くんだ」

 

「今度夏合宿があるから、その時に使うもの!」

 

「合宿か。そう言えば沖野から聞いたな。随分長いことやるそうだな。まあスイープなら心配ないと思うが、トレーニングにかまけすぎて宿題を忘れないようにな」

 

「士郎のいう通り心配ご無用よ! このスイーピーがそんなミスする訳ないでしょ。ほら、早く行くわよ」

 

 ・

 

 まずは着替えやら洗面具やらを入れるスポーツバッグ、ないしキャリーバッグ。普段使いしているものとは別のタオル類や水筒、ウェアなどを購入していく。なお、荷物は極自然に士郎が持っている。

 士郎からすれば機能以外に注視すべきことはないのだが、そこはやはり女性だからか、デザインにも拘っているためあっという間に昼時になっていた。

 むっしゃむっしゃと小さな口で懸命にハンバーガーを食べるスイープと、彼女が気分を害さない程度の量を食べる士郎。

 緑色が一切ないが、外食にそこまで求めるのは無粋だろう。デザートまできっちりと食べ、満足したスイープは本命の買い物へと出向く。

 

「さあ! 次は水着を買いに行くわよ!」

 

「行ってくるといい。私はここで荷物番をしている」

 

 と、見送ろうとすると、何故かキョトンとしたまま動かないスイープ。

 

「どうした。場所が分からないのか」

 

「どうしたって、士郎が来てくれなくちゃ決められないでしょ。さ、行くわよ」

 

「待て待て待て。私が水着売り場に行ってみろ。通報されるぞ」

 

「される訳ないでしょ。駄々捏ねてないで行くの!」

 

「言うに事欠いて駄々を捏ねるとは何だ。世間の目は君が思ってるより厳しいのだぞ!」

 

「い、い、か、ら、い〜く〜の〜!」

 

「待て袖を引っ張るな。分かったから一度放したまえ!」

 

 苦い顔をした士郎と、満足げな顔のスイープ。そのまま連行が始まる。ちょうど来たエレベーターに乗り込む。

 

「あ」

 

「ん?」

 

 中には顔を知る3人のウマ娘が乗っていた。会話したことはなく自己紹介もしていないが、金髪のウマ娘だけは名前を知っていた。

 

「確かゴールドシチーだったか」

 

「え?! 誰このイケメン! てかシチーの知り合いなの?」

 

「学校の用務員さんだよ。ほら、万屋さんて呼ばれてる。てか、ヘリオスも衛宮さんが出てくる所見てるっしょ」

 

「へえ〜ヨロズヤさんて言うんだ。よろしくっ!」

 

「ヘリオス違うから。ヨロズヤさんじゃなくて衛宮さんだから」

 

「んあ??」

 

 口が富士山になったまま固まるウマ娘。何も難しいことは言っていないのだが、と心配になる士郎。

 

「こんにちは!」

 

「ん、こんにちは。2人でデート?」

 

『デート?』

 

 声をハモらせる2人。そして顔を見合わせ、同時に首を振り、同じことを言う。

 

『違う』

 

「あっはっはっはっは! おんなじこと言ってるぅー! かわいー、チョーウケる!」

 

「……まさか可愛いなどと言われるとはな」

 

 エレベーターが止まり、全員が降りる。そこで士郎は何かを思い付いたのか、3人に声を掛けた。

 

「時に3人とも、時間があるなら少しアルバイトしないかね」

 

 ・

 

 売り場で4人がはしゃぎながら水着を物色している。三人寄れば姦しい。では4人ならば、と考えさせられる光景である。士郎は少し離れたベンチに座り、色々な意味で一息吐いていた。

 3人と遭遇できたのは、まさに渡りに船であった。周囲の目もそうだが、服飾センスの有無が自分でも判然としないのだ。変な物を選んで海で笑われては申し訳なさ過ぎるからだ。3人の間食代を出すことになったが、その程度ならば安いものである。強いて言うことがあるのなら、非常に時間が掛かっている事だけだ。一着決めるのにどれほど掛けるのか。

 しばらく待っていると、納得いく買い物ができたのか、ホクホク顔のスイープが戻ってきた。付き添いの3人も満足げな表情である。

 

「良い買い物ができたようで何よりだ。3人とも助かったぞ」

 

「こっちも普段見ないようなデザイン見れたし〜、五十歩百歩、的な?」

 

「……ああ、うん。言いたいことは分かった。そちらも楽しめたならよかった。では」

 

 行こうか、と言おうとしたところでスイープのインターセプトが入る。

 

「次は士郎の水着ね!」

 

「いこ……ん?」

 

「ん?」

 

「いや、買わんぞ」

 

「何で? 合宿行くのに海入らないの?」

 

「いや、行かんぞ」

 

「海嫌いなの?」

 

「いや、合宿には行かんぞ」

 

 ・

 

「い〜や〜! 士郎も行くの〜〜!!」

 

「駄々を捏ねるんじゃない。仕事もあるし、トレーナーではない私が行っても意味がないだろう」

 

「それでも行くの〜〜!」

 

 地団駄を踏みながら詰め寄るスイープと、呆れながら対応する士郎。歳の離れた兄妹か。はたまた親子か。何とも微笑ましい光景であった。

 

「夏休みの間に海なりプールなりに連れていくから、それで勘弁してくれ」

 

「むう〜〜……。分かった。忘れないでね。じゃあ水着買いに行くわよ!」

 

「分かった分かった。そう言う訳だ。これ以上付き合わせるのは申し訳ないから、これで帰りに何か食べていくと良い」

 

 各員に三千円ずつ渡す士郎。間食を通り越して昼食レベルの謝礼だが、役得として素直に受け取る3人。それはそれとして、2人の買い物についていく3人。余分な足音に振り返る士郎に笑いかける3人。

 

「……まあ、何が楽しいのかは分からんが、好きにするといい」

 

 そう言って許したことを後悔する士郎。何故なら水着だけでなく、知らぬ間に私服まで購入することになっていたからである。素材が良いため、あれもこれもと、強制ファッションショーが開催された。その過酷さたるや、士郎が疲労感を覚えてしまうほどである。女性が関わると買い物が長くなるということを、今更ながらに思い出した士郎であった。

 

 ・

 

 少し日が経ち、夏合宿当日。遠足のノリでバスに乗り込むスイープや、そのチームメイトを見送る。

 夏休みとなると、帰省する生徒や、今のように合宿に行く生徒が多く、校内は平時と比較するとだいぶ静かになる。一抹の物足りなさのようなものを感じるが、こう言う時こそ普通教室の総点検を実施できるタイミングであると言う思いの方が強かった。

 そんな有意義な時間を過ごし、あっという間に終業時間に。

 今日一日、スイープからの念話は全くなかった。充実している証だろうと思いつつ、一抹以上の物足りなさがあった。思った以上にこの世界に馴染んでいることを自覚する。食べる必要のない食事を用意しているのも証拠だ。

 そんなこんなで夜を過ごしていると、不意にスイープから念話が来た。

 

 ──士郎まだ起きてる?! 

 

 ──起きているとも。どうかしたのかね

 

 ──ちょっと寮のアタシの部屋に行ってほしいんだけど

 

 ──何か忘れ物をしたのかね

 

 ──ギ、ギクッ。ススイーピーがそんなことする訳ないでしょ! ……ごめん、水着入れたカバン忘れたかも

 

 ──……少し待っていたまえ

 

 普段であれば寮に行く用事があればスイープ経由でフジキセキに伝えているが、今回はそれができないため電撃訪問──などできる訳がないので、一度理事長室に向かう。明かりが点いていることは確認済みである。

 

「衛宮だ。少し良いかね」

 

『入っていいぞ』

 

「失礼する」

 

「こんばんは衛宮さん。こんな時間にどうされたんですか」

 

「まさか差し入れかね?!」

 

「それもある。あと、こんな時間に、と言うなら2人もだろうに」

 

 サッと目を逸らす2人。

 

「まあ別にそれを言いにきた訳ではなく、どうやらスイープが寮の部屋に忘れ物をしたようでな。確認のために同行してほしいのだが、構わんかね」

 

「なんと!」

 

「それは大変ですね。……時間もちょうどいいですし、退勤がてら一緒に行きましょうか」

 

 ・

 

「あるね」

 

「あったな」

 

「ありますねえ」

 

 ──あったぞ

 

 ──よかったあ……。いやよくない! どうしよう! 

 

 ──いつ使うのかね

 

 ──あしたぁ……

 

 ──そうか。少し待っていたまえ

 

「理事長。合宿所はどこにあるのかね」

 

「電車で行くにはアクセスが極悪な上に、そもそも最寄駅は既に終電だ」

 

「随分早いな。ふむ、ならば走って行くしかあるまい」

 

『ええ?!』

 

 口を揃えて声を上げる3人。そんな反応をよそに、スイープのカバンを脇に抱え、ガラガラと窓を開ける士郎。それを慌てて止めるたづな。

 

「いやいやいや! 本気で行く気ですか?!」

 

「それ以外にあるまいよ。車は動かせるが免許はないしな」

 

「……はっ。車?! でも流石に迷惑が……。ん〜〜〜〜」

 

「私のことならそこまで気にしなくとも大丈夫だ」

 

「衛宮さんが大丈夫でもこっちが心配になっちゃうよ」

 

「そう言うものかね?」

 

 この世界に馴染んできつつあるとはいえ、既に人としての認識など無くなって久しい士郎には、他者からの常識的な心配を汲み取ることは難しかった。

 

「衛宮さん、少し待ってて下さい。ちょっと聞いてみますから。マルゼンスキーさんに」

 

 ・

 

 夜の学校の駐車場に、派手なエキゾースト音と共に真っ赤なスーパーカーが現れた。あまりに不似合いな存在に、暫し呆然としていると、運転席から私服姿のマルゼンスキーが姿を見せた。

 

「はあ〜い。可愛い後輩のために無茶しようとしてる人がいるって聞いて飛んで来たわよ」

 

「私のことをなんと伝えたのかね」

 

「自転車で行こうとしてるって」

 

「その手もあったか」

 

「やめて下さいね。振りじゃないですからね」

 

「と言うか、夏休みとはいえ彼女に迷惑だろう」

 

「全然バッチグーよ! この間は集団で押しかけちゃって迷惑かけちゃったしね」

 

「何のことか分からんが……。しかし大丈夫なのかね、場合によっては外泊の可能性もあるが」

 

「それでしたら、合宿先に話を通しておきましたので一泊だけでしたら大丈夫との事です」

 

「できる秘書官は用意周到だな。ふう。そこまで準備された挙句、ドライバーも了承しているのなら頼もうか」

 

「りょ〜か〜い。お一人様ご案内よ」

 

 エンジンの残響を響かせながら、夜に消えていくたっちゃん。

 

「そういえばたづなさん。衛宮さんにマルゼンスキーさんの運転の荒さのこと、言わなくてよかったの?」

 

「あ……。士郎さんなら平気だと思います。たぶん」

 

 ・

 

 マルゼンスキーの比較的丁寧な運転に、久々のドライブを士郎は内心楽しんでいた。流れていく夜の景色も新鮮に映り、柔らかい表情で外を眺めていた。意外な表情を見せる士郎に何故かやる気を漲らせるマルゼンスキー。

 まだまだ明るい街の光が遠ざかり、高速に乗ったあたりで士郎も徐々におや、と思い始めていた。

 パワフルなエンジンが車体を揺らし、次々に車を抜き去っていく。豪快かつ繊細という矛盾したドラテクを披露しながら、かっ飛ばす。そしてそれは高速を降り、峠道に入ったことで更に進化し、士郎に確信させた。

 高速では直線を猛スピードで走行するだけだったが、散在するカーブをドリフト走行で駆け抜けていた。

 矢継ぎ早に繰り出される滑らかなマシンガンシフトチェンジが、彼女のテクニックの高度さを示している。

 しかし前後左右から掛かるGは強烈なものであり、助手席に乗った者のほとんどは恐怖と嘔吐感から、幽霊のような顔色で地蔵のように動かなくなるのが常。そんな有様を見て自然と運転は大人しくなるのだが、士郎は平然としており、アシストグリップさえ掴んでいない。そんなタフな姿にテンションが上がらないはずがなく、タコメーターをレッドゾーンで往復させながら、スキール音を夜空に響かせる。

 

 ・

 

 都会の喧騒から離れた宿は、窓を開けていると数多の自然の音を楽しむことができる。昼間のトレーニングで体を痛めつけた彼女達も、今はその熱を忘れ緩い風と音に心を和ませている。

 そんな中、窓の前で正座して待機しているスイープ。頻りに耳が動いている。士郎の到着を今か今かと待っているのだ。そんな彼女の耳が、僅かなスキール音を捉えた。初めはそれが何であるのか全く分からなかったが、徐々に近付き、エキゾースト音が混じり始めたことで、音の主が車であることに気付く。

 姦しく歓談していた他のチームメイトも音に気付き始めた。何だ何だと窓に集まり、遠くに見えるライトを注視する。道に対しての角度がおかしかったり、やたらと速かったりで、アレ走り屋じゃね、と誰かが言った。そしてチラチラと見える車体が真っ赤である事に気付くと、もしかしてマルゼンスキーさんか、と誰かが言った。

 徐々に速度を落とし、敷地内に入って来たのは予想通り真っ赤なカウンタック。助手席側のシザードアが上方に開く。

 

「え、士郎?! 何で?!」

 

「何でもなにも、君の忘れ物を届けに来たのだぞ。初めての合宿で浮かれるのも分かるが、次からは気を付けたまえよ」

 

 運転席から降りて来たマルゼンスキーは、それはそれはとてもいい満面の笑顔を浮かべていた。



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その16

お待たせしました。
前回の話で、作者の車知識の俄っぷりで議論を巻き起こしたようですみませんでした。(普段乗るのはエブリィとクリッパー)
今度修正しておきます。

※いつも感想・批評、誤字脱字報告ありがとうございます!


「お前、あの『胃袋シェイカー』とか『尊厳破壊マシン(大人限定)』とか言われてるマルゼンスキーの運転でここまで来たのに、何でそんな平然としてんだよ」

 

「多少荒っぽい運転ではあったが、それだけで酔うほど柔ではないのでね」

 

「……そういう問題か? ところでその両手にあるものは何だ」

 

「急遽泊まりになってお前達の大部屋に邪魔する事になったからな。厨房を借りて作った詫びのつまみだ」

 

「お前……何ていい奴なんだ!」

 

 野太い歓声と、下手くそな指笛が鳴る。布団を敷くために退かされていたお膳を急々と引っ張り出し、冷蔵庫にしまっておいた酒を全て取り出す。そして皆でパクリと食べ。

 

『美 味 い!』

 

 寝る前に食べる油物というだけでも抗い難い誘惑があるのに、それに加えて絶品と来れば、箸を止められるはずがない。酒を飲まずにはいられない。

 

「カーッ、酒がうめえ! ていうか、お前家事力高すぎねえか。聞いてるぞお、よく理事長とたづなさんに差し入れしてるって。何だ、お前たづなさん狙ってんのか?」

 

「中学生みたいな邪推はよせ。アレだけ若い身空で頑張ってるのだから、差し入れの1つや2つはしてやりたくなるだろう。それに前も言ったが、色々と世話になったのでな」

 

「まあ確かに、理事長に至っては若いを通り越して幼いだからなあ。でも、下心の1つや2つあるだろ?」

 

「確かに見目麗しい女性と一服できるのは役得だな」

 

 おお、と俄かに騒がしくなるトレーナー陣。確かにたづなは優れた容姿と性格の良い女性であるが、男性トレーナーにとっては頭の上がらない人物であり、畏敬の念を抱かれているのだ。要は恋愛の対象ではないということだ。しかし彼女の恋愛沙汰には興味があるので、こうして士郎から何かしらの言質を取ろうとしているのだ。

 

「まあ真面目な話、今は例外だが、私は基本的に一所には留まれん仕事をしているのでな。伴侶も恋人も作る気は無いのだよ」

 

「マジかよ。モテるだろうに勿体ねえな。トレーナーなんて現役じゃあ作れる時間なんてねえっつうのによ」

 

「仮に恋人が出来たとしても、トレーナー業に現を抜かしてるのだから長続きせんだろうよ。そも、仕事が恋人では浮気になるだろうに」

 

「だっはっはっはっは、そりゃそうだわな!」

 

「それに多感な時期の女子だ。トレーナーに恋人が出来たことで調子を崩しかねんだろう」

 

『そ れ は あ る』

 

 大いに頷く男性陣。四六時中一緒にいれば、親愛なのか恋愛なのか分からなくなることもあるだろう。ケースとして多くはないが、卒業してそのままゴールインも珍しいわけではないのだ。

 

「ま、俺たちは大丈夫だけどな」

 

『そうそう!』

 

「……振る舞いには気をつけるべきだとは思うがね」

 

 ・

 

「うえ〜ん……頭痛いよぉ〜」

 

 死々累々。つまみが美味く、ついつい酒が進み過ぎてしまったトレーナー達は、ここが地獄か、と言いたくなるような頭痛に襲われていた。大の男の口から漏れる啜り泣く声の何と情けないことか。

 

「だから何度も止めるように忠告しただろうに」

 

「忠告されて止められるなら、何度もこの地獄を味わうものか……」

 

「己の意志の弱さ故の事を、さも世の摂理のように語るな。そらスポーツドリンクと梅粥だ。少しでも体調を戻して生徒達にいらん心配をかけさせるな」

 

「お母さん……!」

 

「蹴り飛ばすぞ」

 

 どこか遠くで誰かがはーい、と返事をしたような気がした。

 

 ・

 

「おはよう士郎!」

 

「おはよう。寝坊してないようで何よりだ。これからランニングかね。まだ早いが、それでも暑いからな。気をつけるように」

 

「分かってるわよ。じゃあ行ってくるわね!」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

 という一連のやり取りを見ていたチームメイトや、他チームの生徒は、スイープに倣うように出発の挨拶を士郎に告げていく。そして士郎もいってらっしゃいと律儀に返していく。

 

「行ってくるわね」

 

「行って、待ちたまえマルゼンスキー。何故さも当然のように参加しようとしているのかね」

 

 ナチュラルに眼前を通り過ぎようとしていたマルゼンスキーの肩を掴む。危うく見逃すところであった。

 

「後輩達が頑張ってるとね、ついつい一緒に走りたくなっちゃって。ここに来るのも久しぶりだし。ね? 軽くだけだから」

 

 ジャージとランニングシューズを持って来ていることを鑑みるに、初めから走るつもりだったのだろう。ついついとはよく言ったものだ、と思うが、言葉には僅かに憂いのようなものが帯びていた。中身を察せられるほど人柄を知らないが、現在は合宿に不参加ということは、競技者として引退しているか、引退間近か。いずれにせよ、走ることへの未練があるのだろう。

 

「……後輩にプレッシャーを掛けない程度に流すんだぞ」

 

「はーい! 行って来るわね!」

 

「行ってらっしゃい」

 

 マルゼンスキーを見送った士郎は、理事長に帰る時間が遅くなることを連絡することにした。

 

『全く構わんぞ。と言うより、どうせなら有休にしてしまえばいいのではないかな。いやそもそも学園が夏季休暇なのだから、衛宮殿も休みではないか』

 

「夏季休暇?」

 

『その通り。夏休みだ。……まさか夏休みを忘れてしまったのか? たづなー! 助けてー!』

 

「待て待て! 知っているとも。ただ私がその対象になることが意外だっただけだ」

 

『ちゃんと入るぞ? 何を言ってるのだ衛宮殿』

 

 引き気味の声色であった。

 

『衛宮殿はちょこちょこ我が学園を黒い職場にしようとするから困る。衛宮殿も我が学園の職員なのだから、福利厚生を享受する権利と義務があるのだぞ』

 

「そういうつもりはないのだがな。まあすまなかった。何せまともに働いたことがないのでな」

 

 そういうことをポロッと言うのも止めて欲しいと思う学園長だった。

 

「夏休みの件は了解したとして、いずれにせよ戻らねばなるまいよ。財布以外着の身のままだからな」

 

『む、それもそうか。しかしちゃんと帰って来られるのかね。風の噂ではスイープトウショウは相当駄々を捏ねていたらしいが』

 

「……まあ何とかするさ」

 

 ・

 

「帰っちゃうの?」

 

 朝のランニングを終え、朝食を済ませたスイープに士郎が話しかけたところ、案の定な反応が返ってきた。周囲の目があるからか、泣く訳でも、喚く訳でもなく、ただ眉根を歪めながら悲しそうに言うだけ。効果は抜群だ! 士郎以外に。

 

「君の荷物以外何も持ってきていないのだから仕方がないだろう。まさかこの服のまま過ごせと言う訳ではあるまい」

 

「むう……」

 

 魔術でどうとでも出来るくせに、とでも言いたげな顔であった。実際できるのだが、スイープの水着以外の手荷物を持っていないことは、少なくともマルゼンスキーは知っていることなので、その方法を取ることはできないのだ。

 

「来ないと言ってる訳ではないのだ。荷物を持って、宿を取り直してまた来るさ」

 

「ほんとう?」

 

「本当だとも。だから我儘を言わずにきちんとトレーニングをすることだ。いいな?」

 

「分かった! 士郎こそ約束ちゃんと守ってね! 一緒に海で遊ぶんだからね!」

 

「……なるべく善処しよう」

 

 流石に女子学生に混じって海で遊ぶのは抵抗がある士郎であった。

 因みに、沖野も士郎が帰ることを悲しんでおり(おつまみがなくなるから)、潤んだ瞳を披露したところ、強烈なボディブローが炸裂。敢えなくリング(食堂の床)に沈んだ。

 

 ・

 

 昼間なので帰りの運転は当社比ではなく、きちんと丁寧なマルゼンスキー。

 

「あの子が、貴方が学園にいる理由?」

 

「あれだけ露骨なら分かるか。色々と縁が重なってな。彼女に暇を出されるまでは、見守ることになっているのだ」

 

「それじゃあ一生見守ることになりそうね」

 

「流石にそれは……ない、だろう」

 

 そうは言ったものの、お暇を出されるところを想像することは難しかった。成人を迎えても士郎士郎と言っている場面が、ありありと想像出来てしまう。しかし実際問題、憂慮すべきことは多々あるのだが、それは一先ず置いておこう。未来に考えを馳せるなんて、早々できることではないのだから。

 

 ・

 

 見慣れた景色が見え始める。

 

「今回は助かったマルゼンスキー。ガソリン代と迷惑代だ」

 

 と、諭吉を1枚渡す。

 

「あら、後輩達と楽しく走れちゃった上に、あなたとも仲良くなれたのに、お金まで貰っちゃうなんて悪いわよ」

 

「大人の面子を保つために貰ってくれると助かるんだがな」

 

「んー。じゃあこうしましょう。料理上手って噂のあなたのスイーツを食べてみたいわ」

 

「誰が言ってるのか知らんが……なら腕によりをかけて作らせてもらおうか」

 

「楽しみにしてるわ。あ、噂してるのは、と言うか言い回ってるのはマックちゃんよ」

 

「予想通りだな。む、ここらで止めてくれ」

 

「学園までまだあるわよ」

 

「旅行用品など何も持っていないからな。調達せねばならん」

 

「あら、何だかんだ楽しみなんじゃない」

 

「……かもしれんな」

 

 路肩に停車した真っ赤なスーパーカーから現れたる褐色の偉丈夫。当事者達は全く気にしていないが非常に目立っていた。

 

「では気をつけて帰るんだぞ」

 

 控えめに発進する車を見送り、デパートに足を向ける。

 やることは多岐に渡る。用具を買い揃えること、現地の宿の確保、現地までの交通手段の確認と手配、有休申請など。まともな社会生活を送っておらず、且つ生前の記憶がほとんどない士郎にとっては初めての作業と言って良いだろう。

 最悪たづなに頼むかと考えながら歩いていると、この炎天下を黒のパンツスーツの女性が前から歩いてきた。思わず足を止め注視してしまうが、別に彼女の出立ちが士郎の琴線に触れた訳ではない。服装、気温、紅潮した顔、覚束ない足取り。これだけの材料が揃っていれば、声を掛けるかは別として誰でも注目するだろう。

 士郎は素通りできる訳がないので普通に声を掛けようとしたが、それよりも先にフラリと体が傾いていた。

 

「大丈夫かね」

 

 肩を掴み転倒を防ぐ。

 

「…………ああ、すみません。いつも通り足が縺れただけですから」

 

「それはそれで心配になるが……。どう見ても熱中症の兆しが出ている」

 

 問いかけへの反応の遅さから見ても間違いないだろう。幸い近くに知己の喫茶店があるから、強引にでも連れ込むしかない。

 

「すまんな、もし約束があるなら先方には私からも訳を話させてもらおう」

 

 そう言って引き摺るようにして入店。何事かと驚く店主に、水のピッチャーと氷嚢を注文。エアコンの当たりが一番のソファに座らせ、上着を脱ぐように言うが、モタモタとして一向に脱げず、焦ったくなり手助けする士郎。氷嚢とタオル、袋に入った氷水を持ってきた女性店員に、首の両脇、脇の下、足の付け根を冷やすよう伝える。横たわる女性を団扇で仰ぎながら、ストローを刺した食塩水を飲むよう促す。

 迅速な対処が功を奏したのか、返答に間はなく、しっかりと飲み干す。

 

「吐き気はないかね」

 

「ええ、大丈夫です。……見ず知らずの方に、こんな手間を掛けさせてしまい申し訳ありません」

 

「構わんよ。目の前で倒れそうになる者を放っておくことは出来んからな。症状もそこまで重くはないから、少しすれば回復するだろう。しかしどんな用事があるのかは分からんが、今日は家に帰ってしっかり休んだほうがいい。まだ暑い時間帯は続くからな」

 

「いえ、目的地はすぐそこなので大丈夫です」

 

「常日頃から足を縺れさせているらしい者が言うと、説得力が違うな」

 

「……常日頃は少し盛りました。2、3日に1回程度です」

 

「それは常日頃では?」

 

「……そうですね。しかし既にアポもとっているので」

 

「熱心だな。ならこれ以上は止めんよ。ただまだ時間に余裕があるなら、そこのデパートで日傘を購入するといい。あると無いとではだいぶ違うからな。あとは保冷の利く容器に水分を入れておくこと」

 

「はい。重ね重ねすみませんでした」

 

「さっきも言ったが、構わんよ。では私はこれで失礼するが、しっかりと休んでおくように」

 

 ・

 

「どうぞ。ケーキセットです」

 

「? 頼んでませんけど」

 

「衛宮さん、さっきの方からですよ」

 

「……スマートな方ですね。衛宮さんと言うのですか」

 

「ここら辺に住んでますし、見ての通り非常に目立つ方なのでまたお会いできるかもしれませんよ」

 

「そうですか。次お会い出来たら、お礼をしないといけませんね」

 

 ・

 

 デパートで買い物を済ませ、学園に戻る士郎。

 外はまだ暑く、先の女性は無事目的地に到着したことを祈ってしまう。

 学園の外壁に沿って歩いていると、ちょうど校門から出てきたたづなと出会す。

 

「あ、衛宮さん。ちょうど良かった。今URAから視察に来られている方がいまして」

 

「ん? ちょうど良かったとは?」

 

 そう返すが、次いで現れた人物を見て納得した。

 

「意外と再会が早かったな」

 

「その節はお世話になりました。樫本理子と申します」



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その17

遅くなりました。
コロナ、無事治りました。味覚がイカれたり、今だに咳が出たり、痰が切れなかったりしてますが、伝説じゃないスタフィーで遊ぶくらいには元気です

次話は銀行強盗もするからまた遅くなるかもしれません


「衛宮士郎だ。一応用務員だ」

 

「一応?」

 

「衛宮殿はやれることが多彩すぎてな。トレーニング機材の修理、レース場の整備、学園中の掃除・整備、キッチンのピンチヒッター(そろそろレギュラー)などなど。正直凡ゆることを高水準で熟してくれているので、最早一職員を通り越して屋台骨となっているスーパー用務員だ」

 

「あの食堂で働けるのですか……」

 

 作業の多彩さはさる事ながら、自らの体力の低さを自覚している理子にしてみれば、あのキッチンで働けているというだけで、目の前の男が超人に見えてきた。

 

「ところで理子(・・)は新任の職員なのか?」

 

「ぶっ」

 

 突然の名前呼びに咽せる理子。学生の時分も、社会人になってからも絵に書いたような堅物として過ごして来た理子に、突然の名前呼びを対処できるはずがなかった。

 何故そんな反応をするのか分からない士郎と理事長、そしてため息を吐くたづな。

 

「すみません樫本さん。この人ずーっと長いこと海外にいたので、こういうことをさらっとやってくるんですよ」

 

「う、噂には聞いたことがありましたが、本当にそうなるんですね」

 

「わざとか、ってくらい、振る舞いがアレ(・・)なんで、ここで働く時は気を付けてくださいね」

 

「そ、そんなにですか……」

 

「たづな達は何を話しているのだ?」

 

「私の悪口だな」

 

「む! それはいかんぞ! 皆仲良くだ!」

 

「女の敵になりそうな人の文句を言ってるだけです。悪口じゃないです」

 

「そ、そうか」

 

 得も言われぬ迫力に、引き気味に頷くしかない理事長。

 

「あ、そうだ! 彼女だが、まだ時期は不明なのだが、わたしは長期の海外研修に行く予定でな。その間の代理を頼もうと思っていてな。今日は事前の視察だったのだ」

 

 話題転換のため、士郎の最初の質問に答えることにした理事長。

 

「なんと。皆若い身空で大したものだな」

 

「衛宮さんほどではないと思いますよ」

 

「その通りだな。もし何か悩みがあったら衛宮殿に話すといい。人生経験がとんでもないことになっているから、間違いなく有益なアドバイスをくれるぞ」

 

「過剰な評価はよしてくれ」

 

「基本的に衛宮さんの自己評価は信用しないでくださいね」

 

「……本当に信頼されてるんですか?」

 

 ・

 

「夏休み明けにまた視察に伺いますから、その時には貴方の仕事振りも見せて頂きます」

 

「お手柔らかに頼むよ」

 

「きちんと拝見させてもらいますので」

 

「そうかね。……ところで、きちんと水分は補充したかね」

 

「え、ええ。大丈夫です」

 

「そうか。まだまだ暑いからな。少しでも体に異変を感じたなら、恥ずかしがらずにどこかの店に入ることだ」

 

「わ、分かってます」

 

「それと」

 

「衛宮さん、流石に大丈夫だと思いますよ」

 

「そうかね? うっかり水分補給を忘れそうな気がしてね」

 

 士郎の中で理子がどの立ち位置にいるのかはっきりと分かる言葉であった。恐らくポジション的には、トレセン学園の生徒と同じである。

 

「そんなに心配ならば、駅まで送ったら良いのでは?」

 

 ・ 

 

 過剰な心配に若干の居心地の悪さと羞恥を感じてしまうが、元はと言えば自らが招いたこと。肝に銘じるためにも、甘んじて受け入れることにした。

 

「あ、使い魔さんが女の人と歩いてる! デート?!」

 

「駅までの帰り道のエスコートをデートと言うならそうだろうな」

 

 ・ 

 

「アーチャーさんの彼女?!」

 

「今日初めて知り合った学園のゲストだ」

 

 ・

 

「あ、スイープちゃんに言っちゃお」

 

「拗れてしまうから勘弁してくれ。クッキーで手を打たないか?」

 

 ・

 

「……随分と生徒と仲が良いのですね」

 

「偶々だ。偶々上手いこと、彼女達の逃げる場所になっただけだ」

 

「逃げる場所、ですか」

 

「アスリートとして厳しい訓練を課せられることを承知して入学しただろうが、彼女達とてまだ子供だ。全員が全員ではないが、時にはレースから離れることも必要だろう。私はレースやウマ娘の知識を一切持ち合わせていないからな。そう言ったことも含めてちょうど良かったのだろう」

 

「しかし、それは……堕落に繋がってしまうのでは。貴方の言う通り、彼女達はまだ子供です。行動を律する大人がいなければ、勝てるレースにも勝てなくなってしまう」

 

「ふむ。確かに、皆が皆バランス良く息抜きできる訳ではないし、理子の言う通り、律しなければならない生徒もいるだろう。しかし同様に皆が皆、厳しく律せられることを良しとする訳でない。自分で考え、実践することが肌に合っている子もいる。結局それは向き合って話し合うことでしか分からない。初めから決めて掛かると、君も生徒も徒に傷つくことになる」

 

「……そういうもの、ですか」

 

「そういうものだ。私はトレーナーではないが、勢いで突っ走って痛い目を見た男からのアドバイスとして頭の片隅にでも置いておいてくれ」

 

「……覚えておきます」

 

 ・

 

 歩道橋の階段で足を滑らせかけた以外は特に何事もなく駅に到着。

 

「本日は色々ありがとうございました。いずれ、またお邪魔しますので、その時はまたよろしくお願いします」

 

「うむ。その時は事前に連絡をくれ。迎えに行こう」

 

「……そんなにですか?」

 

「ヒールは止めた方が良いのでは、と言いたくなる程度にはな」

 

「そんなにですか」

 

「そんなにだな。電車を降りてからも気をつけるといい」

 

 あまりに言われるのが少し癪に障り、これでもかと慎重に構内の階段を昇る理子。一歩一歩踏み締める様は、リハビリ途中の患者のようであったと言う。

 

 ・

 

 夜。未だに操作に慣れぬスマホを使い、宿を探しているとスイープから念話が届く。

 

 ──士郎、今平気? 

 

 ──構わんよ。ちょうど宿を探していたところだ

 

 ──近くでお祭りがあるみたいで、一緒に行きたいから日にち合わせられない? 

 

 ──了解した。確認してみよう。練習は捗っているかね

 

 ──凄く大変よ! 砂浜は走りにくいし、海は波のせいで泳ぎにくいし! 

 

 ──なるほど。捗っているようで何よりだ。合宿を終えた後の走りを期待していよう。しかし大変だけではないのだろう? 

 

 ──……まあ、そうね。合間合間で遊ばせてくれるし、皆で一緒にお風呂入るのも楽しいかな

 

 ──満喫できているようで何よりだ。土産話を楽しみにしておくとしよう。……ふむ、祭りの日にちには合わせられそうだな

 

 ──本当?! 色々回るんだから、ちゃんとお腹空かせときなさいよ! 

 

 ──分かった分かった。では、また前日にでもこちらから連絡するとしよう

 

 ──ええー。もうちょっと話さない? 

 

 ──今は合宿中なのだから、早めに寝てしっかり体を休めたまえ。そちらに行った時に満足するまで付き合ってやるから我慢するんだ

 

 ──うう〜……分かった。我慢する

 

 ──良い子だ。ではお休み

 

 ──うん、お休み

 

 ・

 

「この期間で夏季休暇を取りたいのだが、構わんかね」

 

「大いに結構! いつまで経っても取得予定日を言ってこないから、有耶無耶にしようとしているのかと思ったぞ」

 

「信用がないな」

 

「自分の胸に聞いてみるといい!」

 

「因みに君達は取っているのかね」

 

「……」

 

「……」

 

 サッと目を逸らす2人。

 

「あまり私が言えたことでもないが、私と違って君達は普通の人なのだからあまり無茶をしないようにな」

 

「?」

「?」

 

 士郎の物言いに揃って首を傾げる2人。

 

「君達、ちょこちょこ私がどういう経緯でここにいるか忘れるな」

 

「??」

 

「……あ! わ、忘れてませんよ! ただベテランの用務員さんって勘違いしてるだけです!」

 

「変わらんのではないかね。ほら休暇届だ」

 

 無事受領される。

 

「ところで現地まではどうやって行くんですか」

 

「公共機関で行くには確かに不便な場所だったが、それ以外方法がないからな。それにたまには電車旅も良いだろう」

 

「マルゼンさんに頼んだら喜んで出してくれると思いますよ」

 

「流石に二度も出してもらうのは気が引けるし、得体の知れない男を乗せて彼女の評判に影響が出ても悪いしな」

 

 酔わないどころか顔色一つ変えずに雑談まで難なく熟したことで、マルゼンスキーから同乗者としての評価が爆上がりしているのだが、士郎がそれを知る由はない。そして、幾分か改善しているとは言え彼は基本的に自己評価は低めなのだ。

 

「そんなこと気にしないと思いますけどねえ」

 

 士郎と別れて帰ってきたマルゼンスキーと遭遇したたづなは、彼女の口から興奮気味に色々と聞いているのだ。今度はどうにかしてレース場に連れて行きたい、とまで言わせているのだから。

 

 ・

 

 そして1週間後。早朝に出立。河川敷を通り駅に向かっていると、道中でジョギング中のミスターシービーと遭遇。2〜3分ほど立ち話をして別れる。更に数分後。今度は赤い飾り紐を揺らした生徒と遭遇。ミスターシービーを見なかったかと尋ねられたので、先ほど会話したからそう遠くまでは行ってないだろうと伝える。手を振りながらお礼を言い、走っていく姿を見送り、移動を再開。

 随分早くから走ってるんだな、と感心する士郎だったが、後日に真相を聞き頭を抱えたという。

 

 ・

 

 日が昇るにつれ、車内は俄かに混み出す。普段電車を使わない士郎からすると、社会人のウマ娘というのは珍しい存在であった。今顔見知りの生徒達もいずれはこうなるのだな、と思うと同時に、肝心のスイープは社会人になった姿をまるで想像することができなかった。まだ中学生だから、と言われればそうなのだが、高校生の姿も想像できないのだから、スイープ=わがままの図式の強さたるや。

 つつがなく旅は続く。

 ふと思い立ち時間の空く乗り換え時に、沖野へ電話。

 

「今日そちらに向かうが、何か必要なものはあるか?」

 

『おうスイープから聞いてるぞ。スイカ割り用のスイカが何者かに食べられたから買ってきてくれ』

 

「犯人の候補がだいぶ絞られていそうだな」

 

『後花火だな。ゴルッシ君の大発明! とか言って、全部纏めて火ぃ付けやがってよ』

 

「その例えは知らんが、まあ彼女ならやりそうなことだな。分かった、スイカと花火だな。用意しておこう」

 

『後、衛宮の手によって美味しいツマミになる食材』

 

「……二日酔いになるほど深酒をしないと言うなら、作ってやろう」

 

『ママッ……!』

 

「また殴るぞ」

 

『ごめんなさい。マジで勘弁してください』

 

 ・

 

 宿に到着して早々に地元のスーパーに向かう。

 スイカ割り用だが、割った後に食べるのだから雑に選んではいけない。吟味する姿はまさに威風堂々。只者じゃねえ、と地元の主婦を戦慄させる。

 そしてツマミ用の食材を吟味。最早睨みつけると言っても過言ではない、鷹の如き鋭き眼差し。

 花火は別の籠に雑に突っ込んでいく。

 スイカを3個というだけでも相当な重量であるのに、その他の食材も手に持って軽快に歩く姿に、やはり只者じゃない、と思われる士郎。

 スーパーを出て海沿いの道をある程度歩くと、人目がなくなってきたため、早めに走る。スイカやら食材やらが痛まないように細心の注意を払いながら走る。10分程走っていると、見覚えのある宿が見えた。足を緩め、海岸の方に視線を移す。ビーチフラッグをやっている隣で、冗談のようなサイズのタイヤを引っ張っていた。何とも呆れてしまう光景であった。

 階段を下り、砂浜に足を踏み入れる。靴底を通して伝わる感触は、何とも不思議なものだった。

 

「士郎──!」

 

 砂を体に塗したスイープが尻尾と手を振りながら走ってくる。

 

「もう遅いじゃない!」

 

「盗み食いされたスイカやら花火やらを買っていたのでな」

 

「あー花火ね。ゴルシ先輩が朝から振り回してたわね。で、今あそこに埋められてるの」

 

 指差した先には砂浜から顔だけが露出したゴールドシップがいた。何やらモゾモゾと動いたと思ったら、ぬるんとチンアナゴのように脱出。近くにあった水を飲むと、再び穴に戻っていった。しかも態々顔をこっちに向けて。

 

「何見てるんだよ!」

 

「……私は花火とその他を宿に置いてくるから、スイープはスイカを沖野の所に持っていってくれ」

 

「分かった。あ、そうだ! ちゃんと水着持ってきたんでしょうね!?」

 

「……一応な」

 

「もう少ししたら午前中の練習終わりだから、そしたら一緒に遊ぶわよ!」

 

「……まあ何だ、遊ぶのは構わんが私のような大男がいると気分を害す子がいるかも」

 

「じゃあ聞いてくる!」

 

「しれん……」

 

 言い終えられなかった言葉が悲しげに空に溶けていく。スイープは律儀に全員に聞いて回るつもりのようだった。ここまでされて泳がないというのは流石に気が咎めるし、そこまで楽しみにされてるとなれば悪い気もしない。

 

 ──カシャ

 

 シャッター音を模した電子音が隣で鳴った。

 

「こんにちは。マーちゃんです。貴方が噂の妖精さんですか」



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その18

お待たせしました

気付けばスタフィーに割とハマってました
後まさかの逆転裁判のゲーパス入りで、時間が更に溶けました

いつも、感想・批評・誤字報告ありがとうございます。


 ──パシャ

 

 答える前にもう1枚。

 

「こんなむくつけき男を被写体にして楽しいかね?」

 

「マーちゃんセンサーにビビッと来たので」

 

 ──パシャ

 

「……そうかね」

 

「はい。なのでお気になさらず」

 

「……荷物を置きに行きたいのだがいいかね」

 

「どうぞどうぞ」

 

 1日密着取材のカメラマンのように後を付いてくるマーちゃんと名乗る生徒。ゴールドシップと相対した時より困惑している士郎。

 彼女とは初対面であるはずなのだが……。

 

「あー、こら! マーチャン! 士郎さんにちょっかい出さないの!」

 

「ちょっかいは掛けてないです。モデルになってもらってるだけですよスカーレット」

 

「それがちょっかいって言うの。ほら士郎さんが困ってるでしょ」

 

「スカーレットはこちらの妖精さんと知り合いなのですか?」

 

「チームメイトの……保護者? みたいな人だから知ってるの。ごめんなさい士郎さん。この子ちょっと変わってて。ほら行くわよ」

 

「あ、マーちゃんはアストンマーチャンって言います。お見知りおきを〜〜」

 

 ズリズリと引き摺られながら、手を振り退場するマーちゃん、もといマーチャン。軽く手を振り返してから宿に向かう。

 従業員に冷蔵庫を借り、つまみ用の食材をしまう。

 

 ──士郎! 皆構わないって! 

 

 ──分かった分かった。準備していくから待っていたまえ。

 

 トレーナー部屋を借り、水着とラッシュガードに着替える。水着はスイープと、ギャルズにチョイスされたものだ。赤に黒のラインという中々派手な色合いだが、せっかく選んでもらったものを仕舞い込む選択肢はなかった。

 宿の入り口から海を臨んで思う。まさか守護者になってから、遊びで海水浴をすることになろうとは。

 ビーチサンダルで外に繰り出すと、こんなにも頼りないものだったのかと驚く。

 階段を降りる。素足に触れる砂の感触の奇妙さたるや、意味もなく足を動かすほどだ。

 

「士郎! 遅いわよ!」

 

 言うや否や、手を取り海辺にまで引っ張り、そのままザブザブと士郎の腰の辺りの深さまで海中を進む。

 

「このくらいの深さなら大丈夫そうね。ん!」

 

 と言って士郎にむけて両手を広げるスイープ。何故抱っこを要求されているのか、と首を傾げそうになるが、すぐに何を求めているのかに気付く。

 

「全くサーヴァントをこんな風に扱うマスターなぞ、後にも先にも君だけだろうな」

 

「そんなマスターに召喚されたんだから、光栄に思いなさいよ」

 

「それに関しては異論はないな」

 

 その言葉は、中空に放り投げられ、盛大な水飛沫とともに着水したスイープには聞こえなかった。

 

「あはははは! もう1回!」

 

「もう1回で済むのかね?」

 

 脇に手を差し込み、再び放り投げる。落ちて来るのを眺めていると、横から視線を感じた。ウララがいた。傍には保護者のキングもいる。既に両腕は伸ばされており、飛ぶ準備は万端である。その眼は期待に満ち満ちていた。

 

「わ──い!」

 

 落水。水面から顔を出し、ぶるぶると頭を振って水気を飛ばすウララ。

 

「士郎さんはやっぱり力持ちですごいね!」

 

 かつてその恩恵に与ったことのあるウララは、無邪気に筋骨隆々な腕をワシワシと触る。そのまま腕をグイっとウララごと持ち上げ、グルグルと回り出す。驚いた顔はすぐに満面の笑みに。パッと手を離すと、水平に飛んでいく。

 

「次はウインディちゃんなのだ! 投げた後はグルグル回すのもやるのだ!」

 

 士郎の手を引っ張り脇に差し込むウインディ。

 

「では3つ数えたら投げるぞ」

 

「ばっちこいなのだ!」

 

「では行くぞ。3」

 

「わ──!!??」

 

 不意打ちで投げられたウインディ。手足をバタつかせながら着水。

 ビコーペガサス、トウカイテイオー、ツインターボと、途切れぬちびっ子の列。投げられては並び、投げられては並び。そんな途切れぬ円環の中、不意にヌッと現れたゴールドシップ。

 

「ふっふっふっふ。この聖剣こと、エクスゴルシバーを抜けるかな」

 

「聖剣と言うよりは食べたら腹を下しそうなアイスだな。さて、では抜剣させてもらおうかな」

 

                   ぁぁ

                  ぁ  ぁ

                 な    ぁ

                け      ぁ

「エクスゴルシバーは勇者にしかぬ        い!」

 

「うお、すげえ。衛宮のやつ、ゴルシをぶん投げやがった」

 

 しかしそれ以上に、腕を組んだままの姿勢で放物線を描くゴルシは、何か性質の悪い夢を見せられているような気分にさせた。

 

「わーい! もっかい!」

 

 列に並び直すゴールドシップ。

 そしてそれを見た生徒達の中には、自分もやってみたい、とソワソワし始めた者達がいた。ゴールドシップが投げられるたびに、士郎との距離がジリジリと近づいていく。そしてさりげなく(と思ってるのは当人達だけ)列に加わったウオッカとウイニングチケット。

 アトラクションは長く盛況となった。

 

 

 ・

 

 

「お前実は都市伝説のウマ息子だったりしないか?」

 

「何だその珍妙な噂は」

 

「傍から見たらそう言いたくなるってことだよ。なんであんだけぶん投げといて息切れもしてないんだよ」

 

「鍛えてるからな」

 

「お前、それ万能の言い訳だと思ってないか?」

 

「おーいトレーナー。二人三脚スイカ割りやろうぜ」

 

「やだ」

 

「よーしゴルシちゃんと一緒に世界記録目指そうぜ」

 

「いやだー! 衛宮! 助けて!」

 

 引き摺られていく沖野を合掌で見送る士郎。そのままゴールドシップの片足に両足を結びつけられた沖野は、砂浜をバウンドしながらスイカ割りに参加することとなった。

 

 ──パシャ

 

「こんな面白みのない男を撮ってもしょうもあるまい。あちらの方がよほど取れ高があるぞ」

 

「マーちゃんが撮りたいものは撮れ高のあるものじゃないので。今は妖精さんを撮っておきたい気分なのです」

 

「そうかね。他にはどんな写真を撮っているのかね」

 

「自慢のお友達です」

 

 そう言って差し出されたカメラを覗き込む。カラスや白鳩、野良猫にウサギ、果てはクラゲに馴染みの薄いハーフムーンベタなどなど。独特なチョイスの被写体をどうこう言うつもりはないが、このカテゴリーに自分が含まれることに困惑を隠し切れなかった。

 

「……月並みな事しか言えなくてすまないが、変わった趣味をしているのだな。写真自体はいいと思うが。しかし随分枚数があるな」

 

「皆の事を忘れたくないので」

 

 悟られない程度に視線を動かす。変わらずゆるい笑顔を浮かべているが、だからこそ自分では窺い知れない彼女なりの理由があるのだろうと察した。

 そして彼女が言った言葉は、士郎にとっても理解できるものであった。

 

「そうだな。忘れたくない人を忘れるのも、忘れられたくない人に忘れられてしまうのも悲しい事だからな」

 

「だから撮ってるんです。妖精さんはフラッといなくなっちゃいそうなんで」

 

 少なくとも今はその気はないが、自身が原因で災禍が起きるようなことがあればその限りではない。そう言う意味ではマーチャンの指摘は的を射るものだった。

 

「妖精さんが忘れたくないことは何ですか?」

 

 カメラを受け取り、過去の写真を見返しながらマーチャンが尋ねる。

 

「そうだな……。少なくとも、今見ているものは忘れたくはないと思う。ただ妖精さんは長生きだからな。いつかは忘れてしまうだろう」

 

 それが少し悲しい。

 

「じゃあ妖精さんも一緒に写真を撮りましょう。そうすれば、いつまでも思い出を持っておけます」

 

「それもいいかもしれんな」

 

「カメラを買った暁にはマーちゃんの事もたくさん撮ってくださいね」

 

「おや、上手く乗せられてしまったかな」

 

「マーちゃんの作戦勝ちです。ブイブイ」

 

 ・

 

 再び写真を撮りに行ったマーチャンを見送り、スイカ割りに興じる生徒達を眺めていると、スイープが向かって来た。

 

「士郎! スイカ割りよ! 皆に凄いとこ、見せてあげて!」

 

「何かねそのふわっとした言い方は」

 

「士郎ならぐるぐる回って目隠ししても走って割れるでしょ?」

 

「そんな事はやった事がないから分からんよ」

 

「え、出来ないの? 出来るって皆に言っちゃった」

 

「君は本人がいない所で、色々と吹聴する癖を改めたまえ。まあマスターの無茶振りに応えるのはサーヴァントの宿命だから、やってはみるがね」

 

「ほんと?!」

 

「喜ぶなら成功してからにしたまえよ」

 

 スイープから棒と目隠しを受け取り、歩みを進めると、士郎を知る者は本当に出来るのかと期待半分に歓声を送り、知らない者は無茶振りに応えようとする姿に声援を送る。そしてゴールドシップはその成否を賭けにすると叫ぶ。

 

「お前が成功しなかったら、このまま遠泳して来るからな!」

 

 足にはボロ雑巾になった沖野が繋がっている。

 

「衛宮助けて! このままじゃ俺、フィン代わりにされちまう!」

 

 外野が少々うるさいが、気が散る「聞いてる?!」ほどではない。

 ついて来ていたスイープが目隠しを取る。

 

「立ってると結べないでしょ」

 

「自分で結べるのだがね……。まあお願いするとしようか」

 

 そのやり取りを見ていたデジタルは卒倒した。

 他より多めに回されると流石に三半規管に影響なしとはいかないが、自分が今どの方向を向いているのかは把握できている。頭に焼き付けた直前の景色から、スイカとの距離とたどり着くのに必要な歩数を割り出す。

 沖野はどうでも良いが、マスターに恥をかかせるわけにはいかない。

 走り出す。短距離とはいえ、しっかり回された後であるのに真っ直ぐに走る姿にどよめきに近い声が漏れる。沖野はガチの声援を送っていた。

 そして脳裏のイメージ通りに棒を振り下ろす。確かな手応え。親指で目隠しをずらすと、イメージと寸分違わずに見事真っ二つとなったスイカがあった。

 拍手喝采と、沖野の歓喜の雄叫び。

 

「チェ、しょうがねえ。50mで勘弁してやるか」

 

「お前は俺の命のえ、ゴルシ? ゴルシさん?! ゴルシ様!!」

 

 一方、偉業を成功させた士郎の周りにはちびっ子が集結していた。どうやったのどうやったの、やら、真似をして見事顔面ダイブをする者やらで賑わっていた。そんな光景を、むふー、と鼻息を荒くして眺めているスイープ。大満足な顔をしていた。

 

 ・

 

 夕食後。士郎が購入した花火に興じる生徒達。流石にゴールドシップも二度目は自重しているのか、それとも昼間の奴で満足したのか、線香花火を持って落とさないように歩いていた。大人しくはないが、放っておいて問題ないだろう。

 危ない使い方をする生徒がいないか見ていたが、そこら辺のモラルはやはりしっかりしており、心配する必要はなさそうであった。なので、士郎もスイープに渡された花火に興じることにした。

 

「……」

 

 夜の浜辺を照らす花火の光。その光に照らされうっすらと見える笑顔。それを見ていると、自然と笑みが浮かんでくる。

 

 ──パシャ

 

「良い笑顔、ゲットです」

 

「君は将来、良いカメラマンになりそうだな」

 

「マーちゃんはその程度に収まる器ではありません。目指すは世界を股にかけるマスコットです」

 

 ともすれば正気を疑いかねない、素っ頓狂と言われそうな夢を聞かされ、さしもの士郎も目を丸くせざるを得なかった。しかしそれが伊達や酔狂からの言葉でないことは、すぐに分かった。士郎には彼女がその夢を抱くに至った経緯を推し量ることはできないが、応援することはできた。

 

「困難極まりないだろうが、素敵な夢だな」

 

「そんな、将来有名になることが確定しているマーちゃんの若き日のブロマイドです。どうぞ」

 

 そう言って渡される写真。勿論被写体はマーチャンである。帰ったら写真立てを買わなくてはならなくなった。

 

「妖精さんはカメラを買ったら、最初に何を撮りたいですか?」

 

「決めてはあるが秘密だ」

 

「む、妖精さんの癖に秘密にするんですか」

 

「どうせすぐに広まるだろうが、それまでは秘密だ」

 

「なら今ここで教えてくれても良いのでは?」

 

「私にも羞恥心はあると言うことさ」

 

「士郎ー! 線香花火の長持ち勝負するわよ!」

 

「まだ佳境だろうに、もう線香花火かね。ではまたな。写真はありがたく受け取っておく」

 

 まあ、最初に撮る相手が誰であるかを推察するのは、それほど難しいことではないのだが。

 

「あぁ! 何でそんなすぐに落ちるのよ!」

 

 ・

 

「明日はお祭りがあるから、ちゃんと遅れずに来てね」

 

「分かってるとも。スイープこそ、祭りを楽しみにしすぎて、トレーニングを疎かにしないようにするんだぞ」

 

 花火が終わり、トレーナー達のおさんどんを完遂し布団に叩き込み帰路につく士郎を見送るスイープ。

 

「分かってるわよ。夏休み明けたらレースだってあるんだし」

 

「ではまたセンターでライブをするスイープが見られるわけだ」

 

「当たり前でしょ! グランマにも見せてあげるんだから!」

 

「頼もしい限りだ。では明日も早いだろうから、私は帰らせてもらうとしよう」

 

「じゃあまた明日ね! おやすみ!」

 

「ああ、おやすみ」

 

 



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その19

明日は横浜でやるプリティなステークスに行ってくるので、今日の投稿にこぎつけて良かった

気づいたらUA60万超えておりました
後、今話で最長話数も超えました
皆様のおがげです。ありがとうございます


感想・批評・誤字報告もいつもありがとうございます


 今日は夕方までトレーニングのスイープ達。その後の夏祭りは一緒に行くのだが、それまでは当然のことながら暇である。

 そう言う訳で、せっかくそこそこの宿に泊まっているのだから、と、朝風呂を満喫する士郎。意図した訳ではなかったのだが、風呂が売りの宿であったようで、1時間ほど掛けてじっくりと堪能した士郎であった。

 勿論スイープには内緒である。言ったが最後、次の休みにでも連れて行けとなること請け合いである。

 残念ながら宿の浴衣はサイズが全く合わなかったため、寝巻き代わりのハーフパンツとTシャツに着替え、キンキンに冷えたコーヒー牛乳を一気飲み。

 脱衣所を出てそのまま食堂へ向かう。一口一口噛み締めながら味わい、確かな腕前に感嘆と敬意を抱きつつ、味を盗もうと過程に思いを馳せる。

 あまりの真剣な眼差しに、筋骨隆々の海原雄山かとスタッフを恐れさせていることなぞ露とも知らずに食堂を後にする士郎。

 虫歯にならずともしっかり歯磨きをし、宿の散策を始める。すると、こじんまりとしつつも確かな存在感を放つスペースを見付けた。ゲームコーナーである。記憶などないのだが、何故か懐旧の念を覚える空間であった。

 ゲームに興じていた子供の宿泊客から一瞬視線を向けられるが、今日日外国人旅行者は珍しくないからか、すぐに視線は外れた。

 

「よう──」

 

「あまり妄りに接触するものではないぞ──」

 

 上体を屈め、肩を組もうとした腕を回避。空を切った腕の持ち主は微かにつんのめる。

 

「シリウスシンボリ」

 

「──何だ照れちまうからか?」

 

 完全な不意打ちを躱されたシリウスは少し憮然とした表情をしたが、すぐにいつもの調子に戻った。

 

「子供相手に照れたりするものか。君への醜聞になりかねんだろう」

 

「子供……」

 

「それより意外だな。一人旅をするのか」

 

 シリウスは別に士郎相手に思慕の念など一切持ち合わせていないが、自惚れではなく、確固たる事実として自分の容姿が優れていることを自覚している彼女からすれば、こうもキッパリと子供と言い切られて歯牙にも掛けられていないのは面白くなかった。

 

「あ? 別に旅行じゃねえよ」

 

「しかし合宿でもないだろう」

 

「……」

 

 ルドルフとの会話で生じた売り言葉に買い言葉で、目的も知らぬまま出立したとは言えなかった。普段であれば口八丁で誤魔化せるのだが、どうにも士郎相手にはそれが出来る気がしなかった。なので、露骨に話を逸らすことにした。

 

「ただの野暮用だ。それに意外って言えば、アンタもだろう? 仕事の虫のアンタでも旅行に行くんだな」

 

「仕事の虫になったつもりはないがね。家族ぐるみの付き合いのある生徒から誘われてね。学園からも夏休みを取れと言われた所でもあったし、こうして一人旅もどきをしているのさ」

 

 古臭いアーケードゲームの筐体を眺める士郎。粗いポリゴンだが、ゲームの記憶など全く残っていない士郎からすると、新鮮なものとして映った。

 やけに時間を掛けて眺めている事を不思議に思うが、今なら、と言うタイミングで肩に腕を乗せようとしたが、スカされる。直前に次の筐体に移動していたのだ。再びつんのめるシリウスを、士郎が不思議そうに眺めている。

 

「どうかしたのかね」

 

「何でもねえよ」

 

 次の筐体では、ちょうどプレイデモシーンが流れ始めたところであった。絶好のタイミング、と仕掛けるが三度スカされる。興味を唆られなかったのか、既に移動し始めていた。

 ここまで来ると、最早ただの意地である。しかし四度も五度もスカされると、流石にシリウスも気づいた。

 

「……おい」

 

「何かね」

 

「わざとやってんだろ」

 

「おや、君こそパントマイムの練習をしていたのではないのかね」

 

「……てめえ」

 

 相手を揶揄うことは大好きでも、揶揄われることは嫌いなシリウスシンボリ。そして冷静にあしらわれるのも好みではない。

 何かないかとゲームコーナーを見回すと、長らく使われてなさそうな卓球台の存在に気付く。表面の埃を拭うくらいはしてあるだろうが、経年劣化が見え隠れするくらいには古そうな代物である。

 

「おい衛宮」

 

「何かね」

 

「アレで負かしてやるから、そしたら肩組ませろ」

 

 冷静さを取り戻せるといいのですが。

 

「……私に勝ち目があるとは思えんのだが?」

 

「加減はしてやるさ」

 

「……少し君の性格を見誤っていたようだな」

 

「自分で蒔いた種だからな」

 

「そのようだ」

 

 ラケットと球を取り出す。ラバーの表面もまあまあ荒れているが、そこは仕方なしと判断するしかない。ラケットで球を打ち上げ、具合を見る。

 

「経験はあるのかね」

 

「ねえな。お前は?」

 

「同じく。ルールは?」

 

「……長くやってもダレるだけだ。10点先取でいいだろ。先攻はやるよ」

 

「言葉に甘えよう」

 

 別に倒してしまっても構わんのだろう、と言おうとしたが、火に油を注ぐだけだからやめることにした。

 

 ・

 

 ホテルの受付をしている間にフラリと姿を消してしまったシリウスを探し、ホテルを歩くルドルフ。彼女の興味を惹きそうな場所を考えていると、ゲームコーナーから、子供の歓声が聞こえた。

 気になり、覗いてみる。

 

「……随分と白熱しているな」

 

 2人の子供をジャッジにし、士郎とシリウスは素人ながらも見応えのあるラリーを繰り広げていた。ルドルフは士郎が普通の人間でないことは、目の前で魔術と霊体化を披露してもらったから知っているが、こういった身体性の面を見たことはなかったため、改めて人ではないのだと実感する。勿論、シリウスが本気でないことは見て分かるが、既に一般人が相手をするには相当キツいレベルになっている。そんな彼女に対し、涼しい顔をして対応しているのだ。

 しかしそんな拮抗したゲームであったが、今し方発したルドルフの言葉をシリウスの耳は逃さなかった。割と楽しんでいる所を見られたことに動揺したのか、シリウスのラケットが空を切った。そしてそれはラリーとゲームの終わりを告げるものだった。

 

「すげえな兄ちゃん! ウマ娘に勝っちまったよ!」

 

「どうやってそんな強くなったんだ?!」

 

「好き嫌いせずによく食べて、よく寝て、よく鍛える、だな」

 

「そっかー。じゃあ頑張るか!」

 

 そう言って子供達は廊下を走っていった。

 

「おや、君も来ていたのかね」

 

「ええ。合宿で使う施設への挨拶と、後トレセン音頭をやるので」

 

「トレセン音頭?」

 

 首を傾げる士郎とは打って変わって鬼のような形相のシリウス。しかしどちらに非があるかと尋ねられたら、内容を聞かずに同行を申し出たシリウスだと10割が答えるだろう。彼女もそれを自覚しているが故に、睨むことしかできないのだ。

 

「合宿所の近くで毎年行われる夏祭りで、地元の学生のウマ娘達と一緒に披露してるんです。それで今年は私とシリウスと他数名が参加するんです」

 

「……おい衛宮」

 

 地獄の底から響いてそうな声色だった。一般ウマ娘なら泣いて逃げるような、デジタルなら別の意味で涙を流すようなドスの利いた声。

 

「何かね」

 

「まさか祭りに行くなんて言わねえよな?」

 

「残念だが誘われているのでね」

 

 子供の脅しが士郎に効くはずもなく。あっさりと参加を表明。

 

「おい」

 

「別に揶揄うような大人気ない真似はせんよ」

 

「卓球でもうひと勝負だ! 負けたら祭りには来るな!」

 

「残念だがこの後は散歩の予定があるのでね」

 

「ずらせるだろ!」

 

 素気無く断られ、追いすがり掴んで引き留めようとするも、ひらりひらりと風に舞う落ち葉のように躱される始末。そんな2人を見て、知らない間に随分仲良くなったんだなと嬉しく思うルドルフであった。

 

 ・

 

 夕暮れ。

 風に乗って祭囃子が聞こえてくる。音の出所へ向かって、道路を団体が歩いている。はしゃぐ生徒と、嗜める生徒、それらを後ろから眺める生徒。そして明かりを持ち先頭に立つ士郎。まだ会場への道中だと言うのに、そこまではしゃいで疲れないのか、と思うが、水を差すのは野暮だろう。

 じゃれついてくる年少組を適度にあしらっていると、会場の神社が見えた。

 参道に並ぶ色取り取りの出店。鼻と腹を擽る匂い。そして中央に鎮座する雛壇付きのやたらデカい櫓、の周りを囲う縦縞の甚平を着たウマ娘、に囲われる水色の浴衣を着たルドルフやシリウス達学園の生徒。

 

「あれ、カイチョーとシリウスじゃん。ボクも一緒に踊りたかったなあ……。そう言えばシロウは初めて見るんだよね?」

 

「そうだな。シリウスシンボリがやたらと苦い顔をしていたな」

 

「えー何でだろう。楽しい踊りなのに」

 

「うはははは、見ろテイオー!」

 

 串焼き類をこれでもかと指に挟み込んだターボが現れた! ポロリと落ちるフランクフルト! 

 

「「あ!」」

 

 しかしそこには食べ物を無駄にすることを許さない男、衛宮士郎がいる。

 

「せめて左右1本ずつにしておくんだ。私が持ってるから、食べるといい」

 

「はーい」

 

 そう言って士郎が持つフランクフルトを齧るターボ。

 そんな光景を見ていたテイオーは何か違和感を覚え、周りを見る。そう言えば、士郎が他者の世話を焼いているといつも剝れるスイープがいないことに気付く。

 

「あれスイープは? もう迷子? しょうがないなあ」

 

「1人で盛り上がってるところすまんが、あいつなら用事があるってどっか行ったぞ。衛宮なら聞いてるんじゃないか?」

 

 焼き鳥と缶ビールを装備した沖野が言う。完璧な装備のはずなのに、士郎の料理に染められた舌は物足りなさを訴えている。

 

「いや特には聞いてないな。まあ想像は付くがな」

 

 特に疑問も持たずに甲斐甲斐しく世話を焼くものだから、味を占めた年少組が雛鳥のように待っていた。口も拭いてもらっている。育児から解放された保護者組は、年相応に出店を楽しんでいた。

 すると、太鼓の音が1つ、鳴り響いた。櫓に立つ奏者はシリウスシンボリ。視線を一挙に集めても、些かも臆さず、バチを振るう。スピーカーから音楽が流れ出し、合わせて櫓を囲うウマ娘達が動き出す。下段にいる浴衣を着た一団から、巨大な団扇を持ったスイープと、いつぞやファン認定をしてきた生徒を従え、マイクを持ったルドルフが一歩前へと出る。

 

「歌うのか……」

 

 勿論盆踊りの記憶などないのだが、間違いなく歌わないし、ここまでポップな歌詞でもなければ、アグレッシブな振り付けでもない。

 

「飛ぶのか……」

 

 後、奏者は飛ばない。

 

「……」

 

 違和感の塊みたいな代物だが、この世界ではこれがスタンダードなのだから、肩の力を抜いてみることにした。

 

「……」

 

 盆踊りとは思えないほどに汗を散らしている。ともすれば、トレーニングの一環なのでは、と思うほどに必死な形相の者もいる。スイープも余裕というわけではなさそうだった。しかし目が合った途端、破顔し、満面の笑みを浮かべた。思わず釣られてしまう笑みだった。

 生憎、周りと同じようには楽しめないが、皆が楽しんでいるのならそれでいい。スイープが楽しんでいるのなら、それで十分だ。

 

 ・

 

「ただいま!」

 

「おかえり。随分なサプライズだったな」

 

 タオルを渡す。

 

「びっくりさせようと思って、隠れて練習してたんだから。それでどうだった? 楽しめた?」

 

「少々困惑したが、そうだな。楽しめたな」

 

 ジッと見つめること5秒。その答えに満足したように笑い、言った。

 

「なら良かった。士郎が楽しんでるなら、アタシも楽しいから」

 

 ・

 

「──そうか」

 

「あ?」

 

「いや、何。とても簡単なことに気付けていなかったことに、今気付いただけさ」

 

「へえ? 聞かせてくれよ。アンタほどの慧眼が気付けなかったってことをよ」

 

「相手が幸せなら嬉しい。そしてその逆もまた然りということさ」

 

 ルドルフの視界には、互いが楽しめたことを自身のことのように思い合っている2人が映っている。

 本当に、当たり前のこと。

 自身の幸福を後回しにして他者の幸せを願い、奔走する姿は一見すれば美しいのかもしれない。しかしそれでは笑い合えない。相手の幸福を願うことと同じように、相手もまた幸福を願っているのだ。

 

「そりゃ……当然だろ」

 

 何言ってんだ、と言わんばかりの呆れ顔に、自身の魯鈍さを自覚し、苦笑が漏れる。

 

「その通り。当然のことだったんだ。……あの2人には感謝しないとな」

 

 ルドルフの視線を追い、誰のことを言っているのか気付く。

 

「……あいつらってどういう関係なんだ? どう見たって兄妹じゃねえし」

 

「それは私の口からは言えないな。心配せずとも疚しい関係ではないよ」

 

 わしゃわしゃとタオルで顔を拭かれているスイープ。

 

「けっ。揃いも揃って同じ答えだな。んで、本人達が言わないなら、言うことはできない、だろ?」

 

「まあそれについては勘弁してくれ。墓場まで持っていくような秘密ではないが、おいそれと言い触れていいものでもないのでね」

 

「まあ良い。いつか聞き出してやるよ」

 

 シリウスが無理矢理聞き出すような真似をしないことだけは確信しているので、ルドルフも特にそれ以上咎めるようなことは言わなかった。

 今は晴れた視界に映る、笑顔のウマ娘達を見ていよう。



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その20

お待たせしました

今回は2本立てでございます

感想が600件超えました。ありがとうございます!

感想・批評、誤字報告いつもありがとうございます


 1

 

 夏休み明け初日。

 日に焼けた者、焼けていない者、徹夜で宿題をして目の下にクマを作っている者。時代も場所も問わない、普遍的な光景。

 そんないつも通りの学園を、1つの噂が駆け巡っていた。

 曰く「衛宮さんが女性と歩いていた」と。元々目立つ容姿であり、人柄も相俟って認知度が非常に高い士郎。今まで一切浮ついた噂がなく、商店街の青果店で見る時も、デパートの日用品コーナーで見る時も、河川敷の雑草狩りに参加しているのを見る時も、生徒を連れ立っているだけで、女性の影は微塵も感じさせなかった。

 そんな彼にそんな噂が立つのだから、それはもう光の速さで広まっていった。知らぬは本人だけ。

 

 

 夏休み明け初日であり、授業は半ドン。ホームルーム終了と同時にいそいそと教室を出たセイウンスカイは、ニヤニヤしながら用務員室へ向かっていた。仕事が恋人を地で行く士郎に、そんな噂が立っては聞かずにはいられない。もしかしたら慌てふためく貴重な姿が見られるかもしれない、と期待に胸が躍る。しかしそれと同時に、もし仮に恋人がいたとしてもそれをスイープが知らない訳がない、という確信もあるので、尾鰭が付いちゃったんだろうなとも思っていた。というか、四六時中一緒にいることを求めるようなスイープがいては恋人とのデートは疎か、恋人作りさえもできないだろう。

 

「こんに、ちは……」

 

 用務員室の扉を開けて最初に目に入ったのは、丁寧に封筒から中身を取り出している士郎の姿だった。

 

「し、士郎さん…。それは?」

 

「こんにちは。これは、そうだな。ラブレターと言ったところか」

 

「ラ、ラブレター???!!!」

 

 まあまあのボリュームで叫ぶスカイ。所詮噂だと断定していたのに、まさかのラブレター出現で恋愛偏差値が低い彼女は混乱の極致にあった。

 

「そんなに驚かなくとも良いだろうに。読んでみるかね」

 

「読ませちゃうの??!!」

 

 人が書いた物を、と思う一方で身近で恋愛話をする機会も、聞く機会もないスカイは非常に中身が気になっていた。罪悪感はあるが、貰った張本人が良いと言うのだから、と免罪符を手に入れ、いざ拝読!

 

「――……」

 

 2、3秒の後、ワクワクに溢れていた顔はスンッ、となっていた。

 そこに書かれていた内容。それは。

 

「ただの厨房スタッフからのスカウトの手紙じゃん」

 

「熱烈なラブレターである事には変わらんだろ?」

 

 としたり顔で言う士郎。まんまと乗せられてしまったことに、メラメラと怒りの炎が立ち昇る。

 

「このセイちゃんを揶揄うなんて……!」

 

「別に揶揄ったつもりはないのだがね。そも、私に本物のラブレターを渡そうなんて奇特な者がいる訳がないだろう?」

 

「……確かに(スイープがいるから)渡そうとする人はいなさそう。でも士郎さんでも女性の好みはあるでしょ?」

 

 自分とスカイのお茶を用意している士郎に疑問を投げる。

 

「私の好み?」

 

「話の流れ的におかしくないと思うけど、そこまで驚く?」

 

「いや、自分でも女性の好みなど考えたことがなかったのでな」

 

 テーブルにお茶とお茶請けを置くと、虚空を眺め始める。

 専用の湯呑みを持ち、お茶を口に含む。心地良い苦味が舌を包む。ゆっくりと嚥下すると、鼻から爽やかな香りが抜けていく。微かに舌に残る後味を、甘味で上塗りしていく。そしてまたお茶を飲む。

 

「はあ、至福……。え、まだ考えてんの?」

 

「君が振った話題だろうに。まあ全く思い付かなかったが」

 

「ええー。じゃあトレセン学園では?」

 

「子供相手にそんな感情抱くわけなかろう」

 

「会長さんとか大人っぽいと思うけど?」

 

「比較すれば成熟した精神を持っているが、それでも子供には違いないさ」

 

「んーじゃあたづなさんは? あの人は大人でしょ?」

 

「そうだな。魅力的な女性であることは確かだな」

 

「おおー。さらっと言うあたり、恋愛慣れしてそうな感じがする――ん?」

 

 言葉を切り、耳を動かしている。かなりの速さでここに向かっている足音に気付いたのだ。士郎に視線をやると、肩をすくめるだけ。廊下を走りそうな生徒の心当たりが多いのだろう。

 ドアが乱雑に開かれる。そこにいたのは、意外なことにスイープであった。しかも何故か両目に涙を溜めて。

 

「し゛と゛う゛〜〜」

 

「どうした、何があった」

 

 疾風迅雷の如き速度でスイープに駆け寄る士郎。

 

「どっがいっちゃやだぁ〜〜!」

 

「……何のことだ?」

 

 心配を困惑が上回る。取り敢えず涙やら鼻水を拭ってやる。そのついでに、後ろでオロオロしているキタサンに事情を尋ねることにした。

 

 

「つまり、出所不明の噂と、私とセイウンスカイの会話を中途半端に教えられて、結婚してどこかに行くのでは、と想像が飛躍した訳か」

 

 膝の上に鎮座するスイープの頭を撫で回して慰めながら、キタサンから事の顛末を聞いた。

 

「噂は身に覚えがないが、ラブレター云々は、セイウンスカイを揶揄うために言っただけで、本当はただの厨房への異動の嘆願書だ」

 

 現物を見せるために立ち上がろうとしたが、スイープが頑として動こうとしないため諦め、スカイに取ってもらう。

 

「ありがとう。さて、これが私の言ったラブレターだ」

 

 ズビズビと鼻を啜りながら手紙を受け取る。どんな反応になるかは、容易く想像できた。

 耳が絞られている。真っ赤な目で睨まれる。降参を示すように両手を上げる。

 

「少なくともこの件については全面的に私が悪かった。すまない」

 

 ペシペシペシペシと耳で顔を叩かれるが、今言った通り10割悪いため止めろとは言わない。非常にこそばゆいが、我慢するしかない。

 

「でもそれじゃあ、女の人と歩いてたってのはどうなの?」

 

「さてな。そちらに関しては全く分からんな」

 

「でもこの学園で噂になるぐらいですから、普段見ない人だったりするんじゃないですか?」

 

 と言われて、ようやく思い至る。

 

「ああ、だとしたら彼女か――ぐっ」

 

 スイープの体が跳ね、頭がぶつかる。

 

「誰! それ誰?!」

 

「視察に来ていたURAの職員だ。ここに来る途中で熱中症で倒れかけていたから、駅まで送っただけだ。確かにそこを生徒に見られたな。客人だと言ってたんだがな」

 

「んーまあ士郎ならそういうことするか。ならいいわ」

 

「心配せずとも、君にお暇を出されなければ勝手に使い魔を止めるつもりはないさ」

 

「じゃあ一生使い魔ね!」

 

(プロポーズみたい)

 

(プロポーズしてる!)

 

 知らぬは本人達だけ。

 

 

 

 

「士郎いるー?」

 

 掛け声と同時に開かれる扉。

 

「ノックはしたまえよ。あと念話で確認すれば良いだろうに」

 

「それだけじゃ味気ないでしょ」

 

「そうかね。それで何かあったかね」

 

「え? 何もないけど。遊びに来ただけ。何してるの?」

 

 ソファーに座り何かを弄っている士郎の横に腰掛けるスイープ。

 

「カメラだ。注文したのが届いてな」

 

「へえーカメラ。そう言えば使ったことないわ」

 

「今は携帯のカメラで十分綺麗に撮れるからな」

 

 バッテリーを挿入し、電源を入れる。微かな音と共にレンズが伸長し、撮影の準備が整う。携帯で撮るよりも、この小さな液晶を見ながら撮る方がしっくり来た。

 士郎が適当な方向にカメラを向けていると、制服の皺を伸ばし、帽子の位置を調整しながらスイープがフェードイン。ウルトラマンみたいなポーズでシャッターが切られる瞬間を待っている。1枚目は自分だと信じて疑わぬ目で待っている。いつまでも待っている。

 

――カシャ

 

「よく撮れた?」

 

 士郎の背中によじ登って確認するスイープ。

 

「よく撮れてるわね!」

 

「そうだな、よく撮れてる」

 

「次は何撮るの?」

 

「さて何も決めてないな。散策しながら決めるとしよう」

 

 背中にスイープをくっ付けたまま外に向かう士郎。スイープも降りる気はなさそうだった。

 少し歩くと、何故か焼き魚の香りが漂ってくるではないか。はて、と思うまもなく、1人で中庭で七輪焼きをしているゴルシがいた。しかしどこで手に入れたのかウェイター姿に捻り鉢巻と言う、奇天烈な格好であった。

 

「――」

 

「え? 2枚目あれでいいの?」

 

「この学園の迷物だからな」

 

 一枚だけ撮り、再び歩き出す。

 次に見えてきたのは、こじんまりとした休憩処の椅子に立ち、まるで舞台俳優のような派手な身振り手振りを披露している生徒。手前には観客が1人。かつて食堂で交通事故を起こしていた生徒だ。

 

「彼女は?」

 

「歌って踊ってるのがテイエムオペラオー。座ってるのがメイショウドトウ。オペラオーの性格はああ言う感じ」

 

「……なるほど。俳優志望か?」

 

「すごいナルシストよ」

 

「そうか……。この学園の生徒は見ていて飽きないな」

 

 カメラを構えた瞬間であった。液晶越しに目が合う。液晶から顔を上げると、がっつり目が合った。すると両手を翼に見立てたような動きをさせ、椅子から飛び降りた。動作の全てが大仰だが、それを自然にこなすのがテイエムオペラオーなのだろう。

 ランウェイを歩くモデルのようにシャンとした姿勢で、真っ直ぐに2人のところに向かって来て、窓をノック。ガラガラと開く。

 

「やあやあ使い魔(サーヴァント)君に、その主人(マスター)。僕の姿を見るのに、ファインダー越し、窓越しでは実に勿体無い! 是非その瞳という名のフィルムに僕を焼き付けてくれたまえ!」

 

 自身の胸に手を当て、拒否されることなど微塵も思っていない瞳であった。

 折角だからと誘いを受けることにした。

 

「隣失礼するよ」

 

「ははははいぃぃ〜」

 

「……離れた方がいいかね」

 

「そそそんなことないです〜〜」

 

「そうかね。では失礼するよ」

 

 胡座をかく士郎の上に座るスイープ。帽子が邪魔なので取らせてもらう。

 

「あの〜……」

 

「ん?」

 

「あ、あの時はありがとうございましたぁ!」

 

「あの時?」

 

「ご飯ですぅ!」

 

「食堂でのことでしょ」

 

「そうですぅ! ありがとうございましたぁ!」

 

「構わんよ。怪我がなくて何よりだ。あれからは転んでないかね」

 

「食堂では転んでないです」

 

「食堂では、か……」

 

 顔や手足に傷はないから、派手に転んではいないのだろう。

 

「ふふふ。オーディエンス同士の仲も深まったようで何よりだ。では、開演といこうじゃないか!」

 

 

「2時間て長すぎでしょ! 後半寝ちゃったわよ!」

 

「写真もだいぶ撮らされたな」

 

 僕の写真があればあるほどカメラの価値も高まる! と言う謎の理論により本人の指示のもと、5分に1回くらいの頻度で撮らされた。もう暫くはいいかな、と思うほどに撮らされた。

 と思いつつも、当てもなく歩く士郎とスイープ。すると今度は武道場に向かう一行に遭遇。

 

「あら、こんにちは。衛宮さんにスイープちゃん」

 

「こんにちはグラスワンダー。これから稽古かね」

 

「ええ。お二人は……広報誌の仕事ですか?」

 

 士郎が校内を歩いている=仕事の図式が成り立っている今、グラス達の勘違いに首を傾げる者は少ないだろう。

 

「いや思うことがあってね。色々と写真に残しておこうとしているのさ」

 

 と答えると、手櫛で髪を整え始めるグラス達。撮影の提案はしていないのだが、撮らせてくれるのなら甘えておこう。

 袴姿に、手には長物。物騒さはなく、まだ未熟な大和撫子といったところか。しかし被写体としては申し分ない。

 撮影したデータを見てはしゃぐ一同。

 

「せっかくですし、また弓を引いていきませんか?」

 

「しかし君達は薙刀だろう。私の射を見ても参考にならんのでは?」

 

「だからこそですよ。弓道を嗜んでいる者が見れば毒になってしまうかもしれませんが、私達でしたらそうはなりませんから。それに私が見たいので」

 

「アタシもーー!」

 

「分かった分かった。では一射だけやっていこう」

 

 

「……何かギャラリーが増えてないか?」

 

 スペ、スズカ、テイオー、マックイーン、タマ、オグリ。グラスからスペに連絡が行き、皆も誘ったようだ。彼女らは以前流した(・・・)射を見ているから、真剣な射を見てみたいと思っていたのだ。そしてラモーヌ。彼女と一緒にいたタイミングでマックイーンが連絡を受けたため、そのままついてきたらしい。

 

「あら。それだけで落ちてしまうようなパフォーマンスなの?」

 

「まさか。それほど柔ではないさ」

 

 すり足で的前に移動し一礼。射位に立つ。ジャンルは違えど、競争の場に身を置く者達だからこそ分かった。空気が変わったことに。

 射法八節。

 完成された動きは、いっそ恐ろしいまでに美しい。それはまさに貴人の所作そのもの。そこに何人たりとも手を加えることは許されない。

 弦から放たれた矢は、そう定められたように的の中央を穿つ。よく張られた的紙がパン、と軽やかに、しかし荘厳な音を立てた。

 残心を解き、一礼。

 

「変わらずお見事です」

 

 えらい物見てしまった、と皆は反応できずにいたがグラスが拍手で称えた。それをきっかけに万雷の拍手が湧き起こった。

 

「ここまで褒められては何やら面映いな」

 

 外す方がおかしい、と言う領域に至っている士郎からすればこの程度で褒められても、と思ってしまうが、ここは素直に受け取っておくことにした。

 

「あ、写真撮り忘れた!」

 

 士郎からカメラを預かっていたスイープは、射の瞬間を撮ろうとしていたのだが、見惚れてすっかり忘れていた。

 

「あ! 写真撮るの? じゃあボク真ん中ね!」

 

 とあれよあれよと集合写真の撮影に。

 自然とその流れから外れようとするラモーヌだったが、ルドルフからウララまでを同じ子供と言う括りにしている士郎からすれば威圧感など無に等しく、逃れられるはずがなかった。

 そうして見れば誰もが三度見はするであろう写真が出来上がることとなった。

 一応は「結構なものを見せてもらったから」、と本人も納得はしているのだが、まあ誰もが「何故??」と疑問に思うだろう。

 ともあれ、写真撮影は順調な滑り出しとなったのであった。



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その21

お待たせしました

ラストがもしかしたら賛否ある展開かもしれませんが、やりたいネタのためにどうしても必要な展開なので、ご勘弁して頂ければと思います

批評・感想、誤字指摘いつもありがとうございます


「士郎、これどう思う?!」

 

 そう言って差し出されたスケッチブックには、魔女帽子に合わせたようなローブを着たスイープが描かれていた。彼女にこんな特技があったとは露とも知らなかった士郎は、感嘆の息を吐きながらマジマジと鑑賞。

 

「ほお、大したものだな。ここまで自分を客観視できて、それを絵に起こせる画力もさることながら、ここまで優れたデザインセンスを持っているとは」

 

「でゅふふ、スイープさんの使い魔さんに似てると褒められるとは、何たる誉れ」

 

 クネクネと身を捩るデジタル。どうやら絵の作者は彼女だったようだ。スイープにチラリと視線をやると、思ってたのとは別なリアクションを取られたことにご立腹なのか、頬を膨らませていた。

 心眼(真)発動。

 絵の出来ではなく、服装が似合っているかを言及して欲しかったのだと推察。

 

「それに、流石は使い魔のマスターだな。魔女帽子とローブがよく似合うな」

 

 不満顔が一転。そうでしょうそうでしょう、と声なき言葉が聞こえてきそうな得意げな顔になる。

 

「しかしこれは何かに使う絵なのか?」

 

「? 何言ってんのよ。アタシの勝負服に決まってるでしょ!」

 

「勝負服? スイープが使うと言うことは……ライブ衣装か?」

 

「レースに使うに決まってるでしょ!」

 

 その時の士郎は、鳩が豆鉄砲を喰らった、と言う表現がこれ以上ないほどに相応しい顔をしていた。あまりにびっくりしているので、スイープもびっくりしてしまった。

 

「あ、そっか。士郎の世界には私達みたいなのはいないんだっけ」

 

「そうだな。正直そこまでデザイン性に富んだ衣装でレースを行うのは、何というか……不思議な感覚だな」

 

「でも士郎も似たようなの着てたじゃない」

 

「あれは気合いを入れるために着ているわけではなく、きちんと意味のある物なのだがな……。まあいい。それで、スイープはその衣装を着て次のレースに挑むのか」

 

「そうよ。出来上がったら一番に見せてあげるからね! 感謝しなさいよ!」

 

「ブヒィ!!」

 

 奇声と共に硬直(死後硬直ではない)するデジタル。初めのうちは2人とも、事あるごとに失神するデジタルに引いていたが、もう日常茶飯事となっており視線すら寄越さないでいた。

 

「あ、そうだ! どうせなら私の衣装と一緒に、士郎もあの赤い服着て写真撮らない? いや、撮るわよ! カッコいいマスターと、それに付き従う使い魔っていう素敵な写真が撮れるわ!」

 

「全く……。守護者に戦闘用の服を着せて記念撮影をさせるとはな。そんな事をするのは今も昔も君だけだろうな」

 

 ・

 

「ところで興味本位で聞くのだが、アグネスデジタルの勝負服はどんなものなのかね」

 

 デジタルが走っているところを見たことは一度もない。スイープがトレーニングしている時にたまに顔を出す程度で、活気がある時にレース場に顔を出すことはあまりないため、練習で走っているところも見たことはない。

 そもそもスイープもそうだが、小柄な体格だと実際に走っているところを見てもアスリートというイメージを抱きにくい。デジタルはそれに加えて普段の奇行がそれに拍車を掛けているのだ。それ故、勝負服や彼女が走っている姿に興味が湧いたのだ。

 

「え、デジたんの勝負服ですか? いや〜、そういう雰囲気じゃないタイミングで見せるのはちょっと恥ずかしいんですけど、普段から良い物見せてもらってるので、お返しにお見せしましょう!」

 

 普段から見せている良い物とやらにはまるで心当たりがないが、見せてくれると言うのなら言葉に甘えよう。

 携帯を取り出しスイスイと操作するデジタル。

 

「トレーナーさんに送って頂いた写真です」

 

 どれどれ、と覗き込む2人。

 

「────」

 

 勝負服? という感想を飲み込めた自分を褒めたくなった士郎。

 恍惚の表情で走っているというツッコミ所はあるものの、やはりその衣装に目が行く。

 確かにステージ場では映えそうなデザインだが、レースでこれを着るのか、と。スイープのデザインもレース衣装として見ると中々の物ではあるが、夢の国デビューした未就学児が着ていそうなデザインが来るとは全くの予想外であった。

 

「うーん、こうしてみると、敢えてポイントポイントでカラフルにするのとかもありに思えてくるわね」

 

「……似合っているな」

 

 色々声に出したいことはあったが、異世界文化として飲み込むことにした。

 

「あとこんなのも」

 

 ピンク色のキョンシーがいた。

 

「なんでさ」

 

 流石に我慢できなかった。

 

 ・

 

 その後は、デジタル渾身の写真お披露目会となった。スイープとデジタルの勝負服が、まだまだ軽いジャブだったことを思い知らされるラインナップであった。シンプルなデザインのものから、ファッションショーでモデルが着ていてもおかしくなさそうな勝負服、袴などと実に多彩。

 飲み下したと思った異世界カルチャーギャップだったが、拳大のおにぎりが迫ってきたので、一服を入れることにした。

 士郎がお茶を入れている向こうで、デジタルによるトークショーは続いていた。一方的になるかと思いきや、スイープが意外にも上手く舵取りをしており、聞き苦しいオタクトークにならずに済んでいた。流石に1時間に迫って来ると疲れるものがあるが。

 結局、デジタルのトレーナーが迎えに来るまでワンマントークショーは続いたのであった。

 

「……デジタルって変な奴だったのね」

 

「ノーコメントだ」

 

 その後、スイープとも別れ、掃除がてら校内の見回りを開始する士郎。

 教室からちらほらと歓声や、居残り授業に悶え苦しむ声やらが聞こえて来る。

 掃除がてら、とは言ったものの、基本的には行儀の良い子達なので、ゴミがポイ捨てされていることは少ない。精々が自然と発生するゴミだけだ。ウェットシートで床掃除をしながら、トラブルがないか時折話し声に耳を傾けつつ校舎内を回る。

 上層階は特別教室のみとなっているため、滅多に話し声が聞こえて来る事はない。しかし今日はその「滅多」が来る日だったようだ。しかも聞こえて来るのは楽しげな声ではなく、悲しみを押し殺した啜り泣く声。

 身を屈め、磨りガラスに映らないように移動し、声の発生源に近付く。ドアの向こうにいるのは、少なくとも幽霊でないことは分かる。声質的に生徒だろう。

 非常に心配だが、態々こんな場所で隠れるようにして泣いているのだ。それ相応の理由は間違いなくあり、それを知らない自分が迂闊に声をかけて良いものかと躊躇してしまう。しかし放っておくことは出来ない。どうしたものかと、立ち往生する守護者。

 

 ──プルルル

 

 相手を確認もせずに即座に切る。

 

「……」

 

 思わず頭を抱えてしまう。普段ほぼ使わないとは言え、なんと言ううっかりミス。運良く聞かれていないなどと言う都合の良い奇跡は当然なく、泣き声は止んでいるし、何なら足音が近づいて来ている。

 取り敢えず開口一番の言葉は決まっている。

 

 ──ガラガラ

 

「盗み聞きするような真似をしてすまない」

 

 ・

 

 中にいたのは、やはり生徒であった。士郎のことは知っていたが、逆に生徒のことは知らなかった。しかし却ってそれが彼女には良かったのかもしれない。話を聞いてほしい、と頼まれたのだ。

 取り敢えず、帰ってくることの証として掃除用具を全てそこに置き、新品のフェイスタオルやら飲み物やら取りに用務員室へと霊体化して急いで向かう。すれ違ったカフェとお友達が何事かと驚いていたが、急いでいると言うだけに留める。

 

「待たせたな。取り敢えず、これで顔を拭くといい。擦ってはダメだぞ」

 

「ありがとうございます……。ふふ、急いで走ってくから、どうしたのかと思ってたら……。噂通りの人なんですね」

 

「この学園にいる大人なら誰でもそうすると思うがね」

 

「……」

 

 顔をタオルで覆い隠し、暫しその感触に浸る生徒。僅かに柑橘系の香りが漂う。深く吸い込むと、荒んでいた心が少しだけ落ち着く。

 

「私、この学園を辞めようかなと思ってるんです」

 

「……」

 

「メイクデビューでは勝てたけど、それきり。それでも最初のうちは、タイムが縮んでいくことで成長を実感できた。でも勝てなかった。どれだけ練習しても、どれだけ走っても勝てなかった。それで気付いたら、走ってると苦しくなって。夢とかもあって、あれだけ好きだったのに、レース場に行くと足が重くなって……。今日も練習があったんですけど、何も言わずサボっちゃって。でも行きたくないって思ってるのに、行かなきゃって気持ちもあって……。なんか、自分でも何をしたら良いのか分からなくて……」

 

 言っているうちに、感情の波がまた揺れ出したのか、涙が溢れた。それに気付き、タオルで顔を隠すが、しゃくり上げる声は抑えられない。

 背中をさすりながら言う。

 

「今君は、夢との向き合い方が分からなくなっているのだろう。それに対してこうすべきだ、とは残念ながら言うことは出来ない。夢との向き合い方に正解はないからな」

 

「……」

 

「だから君が取ろうとしている向き合い方も、また間違いではない」

 

「そう、ですかね」

 

 逃げ出そうとしていることを、響きの良いように言い換えているだけのように感じてしまう。士郎が自分のことを思っての発言だと分かっているのに、そう思ってしまうことがとても嫌だった。

 

「……どちらが正しい訳ではない、ということを念頭に置いて聞いてくれ。ひたすら愚直にトレーニングを重ね、勝てなくともレースに挑み続けることと、トレーニングを休み、レースから離れること。どちらも夢や目標への向き合い方としては同じだ。君はトレーニングを重ねることだけが、達成するための唯一の道だと思っているようだが、それは視野狭窄だ。離れることで見える物、得られるものは必ずある。だから、逃げ出そうとしてる、なんて自分のことを責めないことだ。君が今まで頑張っていたことは、君が一番良く知っているはずだ」

 

 展望が見えた訳ではない。レースから離れたいという気持ちと、走っていたいと言う相反する気持ちも変わらずにある。それでも少しだけ。少しだけそうしよう(・・・・・)としている自分を肯定できそうだった。

 

「ありがとうございます。ちゃんと、トレーナーさんと話してみようと思います」

 

「そうだな。何を選択するにせよ、トレーナーとはきちんと話しておく方が良い」

 

「はい。……あの、何でここまで良くしてくれるんですか。ほとんど会話らしい会話をしたこともないのに」

 

「そうだな。そこまで深い動機はないな。頑張っている若人を応援したいのと、君たちが持つその素晴らしい夢を呪いに変えて欲しくないからさ」

 

「呪い……」

 

 何を、とは思えない。今日ここで士郎と出会っていなければ、間違いなくそうなっていたと確信があるからだ。

 言葉を噛み締める。決して忘れてはいけないこと。胸の内に深く深く刻み込む。

 

 ・

 

 階段を下っていく生徒を見送る。

 

「聞いていたのかね?」

 

 上階からスイープが降りて来る。この階に来たことは偶然ではない。時間になっても姿を現さなかった彼女の捜索を頼まれていたからだ。士郎なら知ってるかも、とここに来て、そして2人の会話を聞いていたのだ。

 

「うん……」

 

 自分達は過酷な競争の世界に身を置いている。そのことは分かっていたはずだ。だがスイープはその慟哭を聞いたことはなかった。

 もしかしたら、走りに影響を与えるかもしれない。しかし士郎は、スイープが近くにいることを知りつつ、敢えて話を止めなかった。

 勝者がいるのなら、敗者がいる。笑う者がいるのなら、泣く者がいる。

 それを実感した。他者の夢を自分が終わらせてしまうことを。

 

 ──それでも……

 

「それでも、アタシは走るのを止めない。何だったら、負けても笑顔になれるような走りを見せてあげるわ!」

 

「……それは、ただ勝つよりも困難な道のりだぞ?」

 

「望むところよ! それぐらい出来なきゃ、士郎と並べないでしょ」

 

「────」

 

 彼女がそうであると、何度となく思い知らされていたはずなのに、また驚かされる。

 

「じゃああの子も見つかったし、練習に戻るから。行って来るわね」

 

「ああ、行ってらっしゃい」

 

 本当に自分には勿体無いマスターだと思うと同時に、その幸運を噛み締める。答えを忘れずにいられることも、ある意味ではスイープのお陰なのだろう。

 だからこそ、スイープのことも、彼女のことも、得られた答えのことも全てを忘れてしまうことが少し残念だった。

 

 ・

 

 夕食を摂り終え、風呂も済ませ、明日の予習を少ししてから寝よう、と部屋に戻ると机の上に見慣れぬ代物が置かれていることに気付く。と言うより、目立ち過ぎて気付かずにはいられないものだ。

 宝石。

 

「?」

 

 どう記憶を遡っても心当たりがない。となると、誰かが入ってきて置いたことになるのだか、それも不自然極まりない。取り敢えずフジキセキに相談しに行こうと、宝石を手に取った瞬間。

 

《はぁい、見習い魔女さん》

 

「わひゃあ!!?? 誰!?」

 

《わたし? ん〜、貴方の先輩ってところかしら》



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その22

前回のラストの反響が凄すぎてびっくらしました。

ただこのキャラが誰であるのかは、もう少し後の展開で明かそうと思ってます
あと、このキャラがサブレギュラーになることはありませんので。もしその展開を期待していた読者の方がいましたらごめんなさい。

いつも批評、感想、誤字報告ありがとうございます


 アスリートとして、各々自身の体についてはマメなケアを行うことは当然以前のことである。

 トレーナーも日々の走りの中で違和感がないか、常に目を光らせている。勿論、それだけで全ての異変を察知することはできない。特に病気などがそうだ。競技にかまけて命に関わる病を見逃した、などあってはならない。

 故に、トレセン学園では医師を招き、1年のうちに不定期で健康診断を数回実施している。その結果によっては生活指導や、改善まで練習の禁止、場合によっては競技人生に終止符、ということもある。

 生徒達も健康診断が重要であることは勿論分かっている。分かっているが、毎回逃亡したり、部屋に立て篭もる生徒が一定数発生する。

 それは何故か。

 注射が嫌だからだ。

 しかしその少人数のために時間を延長したり、再度招くことは難しく、後日指定の病院に連れて行くことになるのだが、これにはトレーナー達も毎回頭を悩ませていた。

 信頼関係を損なわぬよう、財布にダメージを与える餌(ご飯)を提案したり、世間の目と闘ったり(デート)しながら、あの手この手で病院に連れて行っているのだ。

 そしてここにもまた、籠城を決め込んだ生徒が1人……。

 

 ・

 

「スイープ。ちゃんと健診を受けなければ、最悪レースに出られないんだぞ」

 

『受けなくても出られるようにして! 魔法使いでしょ!』

 

「魔法を何だと思ってるんだね。後私は魔術使いだ」

 

「士郎さんの言うことでも聞かないとはね。中々強情なポニーちゃんだ」

 

 スイープの部屋の前で苦笑する士郎とフジキセキ。そうスイープも注射が嫌で、健康診断をブッチしたのである。今日が病院の予約日なのだが、ご覧の有様である。士郎は困窮したフジキセキから連絡を受け、馳せ参じたわけだが、はてどうしたものか、と顎に手をやる。しかし時間もそこそこ差し迫っているので、霊体化というチート技を使うことを決める。

 

『霊体化なんてズルでしょ!』

 

『私は使えるものは何でも使う主義なのでね。ほら、帰ってきたら甘味を用意してやるから行くぞ』

 

『うにゃあああ!』

 

 小脇に抱えられて出てくるスイープ。ピチピチと魚のように暴れるが、振り解けるはずもなし。

 

「やれやれ。まだ他にもいるのに、出だしから時間を食ってしまったな」

 

「大変だね、保育士さんは」

 

「ここには中高生しかいないと思ってたんだがね」

 

 士郎の登場を手を拱いて待っている生徒の元へと、スイープを抱えたまま向かう。

 悪戦苦闘すること十数分。ようやく健康診断をブッチした生徒全員を連れ出すことに成功。甘い物で釣ったり、肉で釣ったり、魔術見せてやるで釣ったり、ヒーローごっこに付き合うで釣ったり。しかしこれで終わりではない。引率も本日の業務である。そして後日には美浦寮の引率も控えている。

 常であれば保護者がいるのだが、彼女らのトレーニング時間を取るぐらいなら、と自ら志願したのである。中等部から高等部まで満遍なくいるのは予想外であったが。

 

「……なんだ」

 

「何も言っとらんよ」

 

 最年長のナリタブライアン。心なしかくわえている枝も萎れているように見える。

 

「アンタだけ受けなくて大丈夫なんて狡いだろ」

 

「仕方がなかろう。針が刺さらんのだから」

 

「! そうか!」

 

「何がそうか、なのかは知らんが、もし採血を妨害しようとしたら勿論焼肉はなしだぞ?」

 

「……」

 

 耳と共に垂れ下がる枝。

 ウマ娘なのに牛歩戦術で時間稼ぎをしようとする生徒達を鼓舞すること1時間。ようやく病院に到着。

 13階段を前にしたような絶望感を露わにする生徒達の手を引き、担当医に引き渡していこうとするが手を離してくれなくなったので、やっぱり小脇に抱えて運ぶことにした士郎。

 

「やめろ」

 

 流石にそれは高校生のプライドが許さなかったブライアン。距離を取るうちにまんまと担当医と看護師に捕まる。

 

「謀ったな……!」

 

「何もしてないが」

 

 とんだ濡れ衣を着せられつつ、皆からの澱んだ視線を受けながら見送る。

 ここはトレセン学園以外からの健康診断も行っているため、時間はそれなりにかかるだろう。病院でできる暇つぶしなどそうある訳がなく、とりあえず待合室の椅子に座ることにした。

 病院特有の臭い。鼻腔を刺激すると同時に、わずかに過去が顔を覗かせる。

 特に何をするでもなく天井を眺めていると、鼻を啜るような音を耳が拾った。立ち上がり音の出所を探る。待合室ではない。少し距離があり、しかし音の通る場所。

 

「……」

 

 階段に通じるドアを開けると、膝を抱え、顔を埋めた男児がいた。光が差したことで、士郎の存在に気付いたようだ。顔を少し動かし、涙に濡れた目で士郎を見た。

 腰を下ろし、視線を合わせる。

 

「どこか痛むのか?」

 

 首を横に振る男児。

 

「何か悲しいことがあったのか?」

 

 少し間を置いてから再度首を横に振る。

 

「そうか。なら、少し私に時間をくれないか?」

 

 予想外の反応だったのだろう、驚いた顔を見せた。

 

「そら、とりあえず顔を拭くといい」

 

 差し出されたハンカチを受け取り、しばし逡巡するが、言われた通り顔を拭う。

 

「実は私はこう見えても手品師でね。感想を聞かせて欲しいのだよ。さて、まずは小手調べだ」

 

 手のひらと甲を順に見せ、何もないことを確認させる。そして一度手を握り、開くとそこには一枚のコインが。目を丸くする男児。

 

「ではこれを握ってくれ」

 

 言われた通りコインを握る男児。そこに自身の手を重ね、軽く揺する。手を離し目配せをすると、恐る恐るといった様子で手を開く。

 

「?!?!?!」

 

 しっかりと握っていたはずのコインがなくなっていることに、興奮や驚きよりも混乱が先に来た男児。そしてそのコインを士郎が持っていることで、更なる混乱が男児を襲った。そのコインを再度手渡す。マジマジと見つめ、感触を確かめ、そして事態を飲み込み、士郎に尊敬の眼差しを向けた。

 

「す、すごい……! 他には! 他にはどんなことできるの!」

 

「そうだな……。ではここに1枚のティッシュがあるだろ」

 

 ヒラヒラと動かし、触れさせ、何の変哲もないティッシュであることを確認させる。そのティッシュをクルクルと捻り、紙縒りを作り、強化を施す。

 

「触ってみるといい」

 

「硬い……! どうやったの?! すごい!」

 

 プラスチック程度の硬さになったティッシュを弄ぶ男児に、最初にあった暗い雰囲気はなくなっていた。一安心する士郎。

 すると、背後の扉が開く。

 

「あ、お姉ちゃん」

 

 迎えが来たのか、と振り返ると顔見知りのウマ娘が立っていた。

 

「おや、ケイエスミラクルの家族だったのか」

 

「え、衛宮さん? どうしてここに」

 

「何、少し手品の練習に付き合ってもらっていただけだ」

 

「このお兄ちゃんすごいんだよ! 僕が握ってたコインを消しちゃったり、ティッシュを硬くしたりできるんだ!」

 

 士郎の正体を知っているケイエスは一瞬怪訝な表情を浮かべたが、こちらを見て唇の前で人差し指を立てたことで、凡その事態を把握することができた。

 

「ありがとうございます、衛宮さん」

 

「構わんよ。私も入院中の寂しさは経験があるからな」

 

 ・

 

 ケイエスに手を引かれながら手を振る男児を見送り、そこから更に1時間ほど待ち、漸く連行されて行った生徒達が帰って来た。なぜそこまで注射が嫌いなのかは理解できないが、まあまあの憔悴ぶりであった。その鬱憤は食事で晴らされることとなった。食堂の臨時助っ人の経験があるため、ウマ娘の団体予約が可能で、かつ食べ放題の店をチョイスしたが、正解だったなとしみじみと実感する。

 因みに後日、どこから漏れたのか極一部の生徒に指を咥え、腹の虫の音と共に凝視されることとなった。

 

 ・

 

「あの、衛宮さん。相談があるんですけど」

 

 ある日。今年の役目を終えた扇風機の掃除をしていた士郎の元を、ケイエスが訪れた。

 

「どうしたのかね」

 

 ソファーを勧め、お茶を出す。

 

「この間病院で会った男の子のこと覚えてますか?」

 

「勿論だとも。弟は元気かね」

 

「ああ、いや、あの子はおれの弟じゃなくて、レクで会った子なんです」

 

「小児病棟のレクを手伝ってるのか。偉いな」

 

「おれもあの病院にはお世話になってるので。その恩返しですよ。それであの後、あの子が他の子達に衛宮さんのことを話したら、皆も見たいって言い出しちゃって」

 

「構わんよ」

 

 申し訳なさそうに言うケイエスと、考える素振りもなく快諾する士郎。間髪入れずの返答に、逆にケイエスがキョトンとしていた。

 

「……良いんですか?」

 

「言ったろ? 私も入院中の寂しさは経験があるとね」

 

「あれ、本当のことだったんですか」

 

「私も昔は普通の人間だったからな。魔術絡みの事故に巻き込まれたのさ。まあ入院中のことや、その原因のことは大分忘れてしまっているがな。すぐに思い出せるのは、私を助けた時の切嗣、爺さんの顔ぐらいか」

 

 少し懐かしむように言う士郎。そこまで深く話をしたことのないケイエスにとって、士郎がそのような表情をすることは意外であった。

 

「……どんな表情だったんですか?」

 

「助けられたのは私の方なのにまるで自分が助けられたような顔で、感謝の言葉を言われた、ような気がするな」

 

 それはケイエスにとって、小さくない衝撃を伴うものであった。感謝とは助けられた側が感じるもの、と言うのが当然の価値観であり、それ以外はないと思っていたからだ。そしてその後の生き方で以て、謝意を伝え続けることが義務なのだ、と。

 

「おっと、話が逸れたな。今言った通り、手品師に扮するのは構わんよ。ただ確認したいのだが、女児もいるかね」

 

「え、ええ。いますよ。それが、どうしました?」

 

「私が投影できるもので、女児にウケそうなものがなくてね。何か良い案はないかね」

 

「女の子が喜びそうなもの、ですか。……花、とかですかね」

 

「残念だが花は投影できなくてね。いや、造花ならできるか?」

 

「造花ですか。どこに売ってるのかな。……あ」

 

 同時に、造花をたくさん持っていそうな生徒に思い至る。と言うか、間違いなく持っているであろう。互いに顔を見合わせ、恐らく同じ生徒を思い浮かべていることを察し、少し笑った。

 

 ・

 

「もちろん持ってるとも! しかし、普通の造花では物足りなくないかな? 僕と言う神々しい花も如何かな?!」

 

「……いきなり神々しい花を見ては、目が肥えてしまうからな。目が慣れてからの方が良いだろう(君のような濃いキャラが来ると子供がびっくりするから今回は大丈夫だ)」

 

 自尊心を刺激しつつ、同行をやんわりと拒否する士郎。しかしオペラオーのような前向きな性格は、間違いなく良い影響を与えるだろうからいずれは彼女も参加しても良いだろうとは個人的に思っている。

 ダンボール3箱分と言う量を保管してあるとのこと。被りもあるだろうが、それだけあればバリエーションには困らないだろう。片っ端から解析し、投影のストックに入れていく。

 すると、頭上から複数の影が差した。見上げると、ケイエスに、訪問に同行してくれたフジキセキにオペラオーと、同室のビワハヤヒデの4人が覗き込んでいた。

 

「どうかしたかね」

 

「いや何。君がサーヴァントという存在であることは知っているが、その奇跡の御技を見たことがないのでね。是非見てみたいのさ!」

 

「そうかね。まあ私の投影程度で楽しんでくれるのなら構わんがね」

 

 皆に見えるように手のひらを翳す。瞬きする間もなく、造花がそこに現れた。目の前で見せられた、正しく奇跡の御技におお、と沸き立つ。オペラオーが手に取り眺めていると、溶けるように消え、目を丸くして驚きを露わにしていた。確かにそこにあったはずの造花は何一つ痕跡を残さずに消える様は、まるで白昼夢でも見たかのようであった。

 他の魔術師からすれば異端、自身からすれば当然の技術である投影でここまで盛り上がられるのは何とも奇妙な、くすぐったい気分にさせられた。

 

 ・

 

「そう言えば先日、妹のブライアンに食事をご馳走してくれたそうで。ありがとうございます。……それで、あいつは野菜食べてました?」

 

 真剣な顔で何を聞かれるのかと身構えていると、そんな健気な姉心を聞かされてしまい思わず笑ってしまう。

 

「笑い事ではなくて……」

 

「いや、失敬。そうだな、あの時は彼女が最年長だったし、年下の子がきちんと食べているからか、渋々ながらも食べていたよ」

 

「そうか、いや、そうですか……! ブライアン頑張ったな!」

 

 ・

 

 レクの当日。部屋に入って来たのは、ケイエスだけであった。

 

「衛宮さん、手品師さんはもう先にここに来てるはずなんだけど、どこにいるのかな。皆も探してくれないかな」

 

 と彼女が言うと、どこだろー、と部屋の中を探し回る。とは言え、そこまで広くない部屋で探せる所は限られており、早々に降参してしまう。

 

「ここは探したかな」

 

 掃除用具箱を指差す。ケイエスもそこを探していたのは見ており、皆にその事実を共有させるためにあえて尋ねたのだ。探したー、と元気な返事を貰ったところで、ケイエスが改めて扉を開く。

 

「やあ、手品師の衛宮だ。皆、よろしく」

 

 レクルームがドッと沸き上がった。



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クリスマス特別編

何とかクリスマスに間に合いましたね(27日)

今週は冬コミに行ってくるので、これが今年最後の投稿になりますね

今年一年お読み頂き、ありがとうございました。
来年も稚作をよろしくお願いします。


 ドアの向こうから元気の良い挨拶が聞こえる。

 

『しろーさーん! こんにちはー!』

 

「ハルウララか? 入って構わんぞ」

 

『はーい、失礼しまーす』

 

 傍には心配性な保護者の姿はなく、珍しくウララ1人であった。

 まるで彼女を出迎えるかのようなタイミングで、ストーブに置かれたヤカンが音を立てた。部屋の室温と加湿のためには欠かせないコンビである。もちろん、士郎自身には全く必要がなく、誰かがふらりと来ても大丈夫なようにと用意したものだ。因みに放課後だけで大体2、3回は水を補充している。

 

「外は寒かっただろう。ココアを入れるから、好きなお菓子を持ってソファーで待ってるといい」

 

「はーい!」

 

 勝手知ったる何とやら。茶箪笥から所有権フリーのお菓子を引っ張り出し、ソファーにて待機。ココアの香りが徐々に近づくにつれ、尻尾と耳が揺れる。嬉しさを隠そうともしないウララの様子に、自然と口角が上がってしまう。

 

「まだ熱いから火傷しないようにな」

 

 素直に返事をし、フーフーと冷ますウララ。

 

「それで今日はどうしたのかね」

 

「あ、そうだった。えーとね、キングちゃんに手作りのクリスマスプレゼント贈りたいなって思ってて。でもウララだけじゃ出来ないから、ウララにも出来そうなのを何か教えて欲しくて」

 

「君は良い子だな」

 

「えへへ、そうかな?」

 

「そう言う考えが出来る自分を褒めてやるといい。さて、肝心のプレゼントだが……。この時期だとやはり防寒具だな」

 

「マフラーとか手袋?」

 

「そうだな。初心者が作るのならマフラーの方が良いだろう。ふむ、まだ時間はあるな。では善は急げだ。材料の調達に行こうか」

 

「分かった! フー! フー!」

 

「……ゆっくりで大丈夫だからな」

 

 ・

 

 商店街まで足を伸ばす2人。手芸店に赴き、かぎ針と極太の毛糸を購入。色はキングのカラーということで、緑を選択。

 クリスマス当日までキングには内緒にしたい! と熱望されたため、作業は全て用務員室で行うことにした。

 道具と材料を揃えたことで俄然やる気が出たのか、フンスフンスと鼻息を荒くしている。

 

「こんにちは、ウララちゃんと衛宮さん。お買い物?」

 

「ライスちゃんだ! キングちゃんに渡すクリスマスプレゼントの材料買いに来たの! 内緒で作るんだぁ」

 

「そうな、え、内緒?」

 

「そう! 内緒! ……あっ」

 

「どどどどうしよう! ライスが声掛けちゃったから……ごめんねウララちゃん」

 

「違うよ、ウララがうっかりだったから」

 

「ライスのせいで……」

 

「まあ時に落ち着け2人とも。ライスシャワー。君は別にこのことをキングヘイローに言うつもりはないのだろう?」

 

「もちろんないよ!」

 

「では何も問題はないな」

 

 その言葉に目をパチクリさせるライスシャワー。

 彼女の自己肯定感の低さについては聞き及んでいた。不幸を引き寄せ、周りに被害を与えてしまうからだ、と。それが何に由来するものかまでは知らないが、不運の要素がどこにもない今のやり取りでさえ自分のせいだと思ってしまうことを鑑みるに、根が深い問題なのだろう。

 

「そういえば君とはちゃんと挨拶したことがなかったな。衛宮士郎だ。改めてよろしく」

 

「ラ、ライスシャワーでふ。……ふええ、噛んじゃった」

 

 ・

 

「さて。先も確認したが、ライスシャワーは今回のことを言うつもりはないのだろう?」

 

「うん、ないよ」

 

「ハルウララもそれで大丈夫だな?」

 

「うん! ライスちゃんは嘘言わないからね!」

 

「では、そう言うことで一件落着だな。ところで、君は今時間はあるかね? こうしてちゃんと話すのは初めてだからな、親睦を深めるのに少しおやつでもどうかね」

 

「おやつ?! 食べたい!」

 

「……ライスも良いの?」

 

「もちろん。と言うか、君と親睦を深めるためなのだから、君がいなくては意味がない」

 

「じゃ、じゃあ一緒に食べようかな」

 

 ・

 

 場所は変わって用務員室。初めて訪れたライスは、意外なほどに生活感に満ち満ちた空間であることに驚いていた。堂々と名前の書かれたクッションに、私物と思わしき雑誌や漫画、ゲームの攻略本、果てはボードゲームまで置いてある。

 

「体が冷えているだろうから暖まっていると良い。その間に準備をしておく」

 

 おやつの準備にそんなに掛かるのかな、と思いつつ、ストーブに手を翳す。

 

「士郎さん。今日はどっちが良い?」

 

「今日は緑茶だな」

 

「はーい」

 

 戸棚からピンク色の湯呑みを取り出すウララ。色取り取りの湯呑みやカップが並んでおり、ライスはここが学園で噂されている喫茶店なのだと確信した。

 

「はい、これライスちゃんの」

 

 と、ウララが客人用の湯呑みをテーブルに置く。そこで気になっていたことをウララに尋ねることにした。

 

「ここって色々な人が来るの?」

 

「いっぱいいるよ! スペちゃんに、テイオーちゃんに、セイちゃんに、あとこの間ラモーヌちゃんが来てるのも見た! たまにたづなさんと理事長さんとかも来てるみたいだし」

 

 思ったより豪勢なメンツが常連だった。

 

「ここを気に入ってる子、結構多いんだね」

 

「うん! ここに来ると何かほっとするんだ。何でだろう?」

 

 と、首を傾げるウララに釣られて一緒に首を傾げるライス。

 

「2人揃ってどうした」

 

「ここに来ると何でホッとするのかなーって。このお菓子は何?」

 

「柿の羊羹だ」

 

 羊羹自体は食したことは何度もあるし、味のバリエーションもいくつかは知っている。しかし柿と言うのは馴染みがなく、咄嗟に果実だと思い至らないほどだ。

 

「やったあ! 士郎さんの新しいスイーツだ!」

 

「……もしかして手作り?」

 

「意外かね? 味の保証はするとも」

 

 咄嗟に首を振って否定するが、高身長で筋骨隆々の浅黒い肌の男がスイーツ作りが上手いです、と言われてギャップを感じるなと言う方が無茶だろう。

 

「ライスちゃんのおかげだね!」

 

「な、何が?」

 

「士郎さんの新しいスイーツ食べられるの! ライスちゃんと会えたからだよ!」

 

「そ、そうかな」

 

「そうだな。ライスシャワーが来なかったら、私の胃袋に収まってただろうな」

 

「ほら! だからありがとうね、ライスちゃん!」

 

「そう、なんだ。……えへへ、ウララちゃんが喜んでくれてるなら、ライスも嬉しいかな」

 

 ウララにとっては、特別な言葉ではない、ただ当たり前に感謝を伝えただけかもしれない。しかしそれでもライスには嬉しい言葉だった。向けられ慣れていない感情に、心が温まると共に少しのむず痒さがあった。顔を赤くしながら挙動不審な動きをする彼女を見て、無邪気に笑うウララ。

 

 ・

 

 スイーツを堪能したウララは上機嫌なままに、士郎とライスをボードゲームに誘う。自身の運の悪さを知っている士郎は勝負にならんと思うぞ、と断りを入れ参加する。そして宣言通り、最下位を独走。ウララとライスに慰められるのであった。

 

「さて、いつまで経ってもゴールできない私のせいで妙に時間を食ってしまったな。もうそろそろ寮に帰る時間だろう」

 

「うう、ライスのせいで」

 

「それは違うな。私の不運は私のものだ。自分の不運っぷりはよく知っているからな。疑わしいのであれば、シリウスシンボリに聞いてみると良い。目隠ししてコインの裏表を当てようとして、当たるまで20回は掛かったからな」

 

 珍しく引き気味だった彼女の表情はよく覚えている。

 

「運なんてものは与奪できるものではないのだから、何かが起きても誰のせいでも、誰のおかげでもないのだ。誰かに不幸が起こるたびに自分のせいだと言っていては、ハルウララだって悲しむんじゃないか?」

 

「うん! だってウララがドジだっただけなのに、ライスちゃんまで悲しい顔して欲しくないもん」

 

「ウララちゃん……」

 

「そういうことだ。それにどうせ言うのなら、良いことが起きた時に自分のおかげだ、と言った方が気持ちがいいだろう?」

 

 ・

 

『またいつでも来ると良い』

 

 帰り際に言われたことを反芻するライス。口元は僅かに笑っていた。

 

「衛宮さんて、良い人だね」

 

「そうだよ! 商店街でもよくお年寄りの人のお手伝いしてるし」

 

「そうなんだ……。ウララちゃんが、あの部屋が居心地良いって言ったのも分かるかな」

 

「じゃあライスちゃんのコップとか湯呑みとか買わないとね!」

 

「そうだね」

 

「あと、クッションとか枕とか、専用のお菓子とか」

 

「……そこまでは大丈夫かな」

 

 ・

 

 用務員室のカレンダーを見ている士郎。12月25日の欄には複数の予定が書き込まれていた。

 1つは食堂で行われる立食形式のクリスマスパーティ。と言っても学園としての正式なイベントではなく、生徒が自主的に企画したもので、料理の手配なども全て生徒主導で進んでいる。尚、ケーキだけは士郎を中心として生徒達と一緒に手作りすることになっている。当初はそもそも参加する予定ではなかったのだが、士郎のスイーツの腕前を知っている一部の生徒から三顧の礼もびっくりな波状説得攻撃を受けたので合作ということになったのだ。因みに、パーティの参加人数と、ケーキ作りの参加希望者が思ったより多かったことから、多段ケーキを作る予定である。

 そして2つ目はケイエスと一緒に訪問した以降も何回か顔を出している小児病棟でのクリスマス会。今度は手品師ではなく、プレゼントを渡すサンタ役としてだ。サンタ服もしっかりと準備してある。

 スケジュールとしては午前中の早い時間からケーキ作りを開始し、昼前に一旦中断し、午後イチに子供達を訪問。そして夕方ごろに戻り、ケーキを仕上げ、夜からのパーティに参加、と言うことになる。

 忙しいクリスマスなど記憶には全く残っていないが、かつてもこうして忙しくしていたのだろうな、と意外なほど乗り気な自分を顧みてそう思う。

 

 ・

 

 翌日から始まる裁縫教室。ソファーに並んで座る、生徒ウララと教師士郎。圧倒的なガタイを持ちながらも、ちまちました作業が妙に似合う男という特性を遺憾なく発揮し、加えて微笑ましく見守る姿により、2人の姿は縁側に並ぶ祖母と孫のようであったという。

 

「ウララが贈る相手は確定として、士郎さんは誰に贈るの?」

 

「当日まで秘密だ」

 

「でもさ、そうすると、ほら」

 

 とスカイが指差すは、椅子に座って背を向け如何にも自分は全く気にしてませんよ、の素振りをしつつ、尻尾と耳が頻りに動いているスイープである。気になって気になって仕方がない様子。

 

「私はマスター思いのサーヴァントだよ」

 

「あ、機嫌治った」

 

 もう一つのソファーに寝転び、2人の作業風景を眺めているスカイ。

 

「それってさ、私でもできるかな」

 

「マフラーなら比較的簡単にできるぞ。渡したい友人がいるのかね」

 

「まあ……うん」

 

「そこの袋に針と糸があるから、糸は好きな色を持ってくるといい」

 

「ありがたいけど、何でこんなに何色もあるの?」

 

 紙袋の中から毛糸を取り出しテーブルに並べていくスカイの問いかけに、手を止めずに答える士郎。よく自分のことを器用貧乏と言うが、誰と比べてなのか。相手は手が8本ぐらいあったりするのだろうか。

 

「今の君のような生徒が来ても大丈夫なように、だ」

 

「……士郎さんて未来予知できたりする?」

 

「私はできんな。ん、スイープも誰かに贈るかね」

 

 いつの間にかスカイの横にはスイープが立っていた。

 

「スイーピーは使い魔思いの魔女なのよ!」

 

 ブヒィ! と言う声と昏倒する音が聞こえた。

 

 ・

 

 更に翌日。ウララ、スカイ、スイープに加えて意外な生徒が裁縫教室に参加していた。タイシンである。

 元々はゲームをしに来ていたのだが、3人の姿を見て思うことがあったようで、遠慮がちながらも早々に自分も、と参加したのである。渡したい相手は3人もいるらしい。慣れぬ作業に眉間に皺を寄せていたが、それを許す気遣いの達人士郎ではない。適切なタイミングで一服を提案。

 夕飯に差し支えない程度の茶菓子を披露しつつ、渡したい相手のことを尋ねる。士郎がその手のことで茶化すことはしないと分かっているからか、素直に答えている。その内の1人がハヤヒデだと知ると、ブライアンの注射の付き添いを切っ掛けに野菜嫌いの克服方法について相談を受けているな、と返す。更にもう1人がクリークであると知ると、小児病棟のレクに一緒に行ったな、と話す。タイシンもその話はクリークから聞いており、士郎が大人気だったということも知っている。

 

「病院のクリスマス会にも参加するんですか」

 

「サンタとして参加する予定だ。服も用意してあるぞ」

 

「試着して破いちゃったのは直したの?」

 

「んぐっ」

 

 隣で聞いていたスカイが呻く。間違いなく似合わないのにさも当然のように用意している真面目さ、しかもサイズが合わずに破くと来た。そんな2段構えの攻撃に吹き出さなかったことを褒めて欲しいと思っていた。タイシンも顔をそっぽに向け肩を震わせていた。

 2人のその反応に気を良くしたのか、当時の状況を詳細に語り出すスイープ。

 

「首から腰まで破けて脱皮みたいになってたわよ」

 

 今度は耐えられなかった。

 ウララは作業に集中していたから平気だった。

 

 ・

 

 25日の朝。家庭科室にケーキ作りに参加する生徒が集合していた。事前の確認の段階で、予想より人数がだいぶ多かったため、エイシンフラッシュ、サクラチヨノオー、ヒシアマゾン、ヒシアケボノをリーダーにし、グループ分けを行なっている。リーダーに抜擢した生徒の腕前は知っているため、特に心配事はない。

 

「本日はよろしくお願いします衛宮さん」

 

 手を洗い終わったタイミングでフラッシュが改めて挨拶に来た。

 

「こちらこそよろしく頼む。予想以上に集まってしまったのでね。申し訳ないが頼む」

 

「はい、お任せください。頂いたレシピ通りにきちんと完成させます」

 

「頼もしいな。まあ今日は内々のパーティなのだから、君も楽しめて、皆が怪我をしない程度に監督してくれれば良いさ」

 

「? でも失敗してしまったら」

 

「今回は過程を含めて楽しむものだからな。塩と間違えるようなことや、器具でふざけない限りはそこまで気にしなくて大丈夫だ」

 

「……分かりました。では楽しませていただきます」

 

「うむ」

 

 生徒は各々の個性が出たエプロンや三角頭巾を身に付けている。一色のシンプルなものから、刺繍入りのもの、ドラゴン柄など。

 今日作るのは、イチゴ味のスポンジケーキに、イチゴ味のクリームに、飾り付けもイチゴとイチゴ尽くしのケーキだ。山と積まれたパックをじっと見る生徒を引っ張るヒシアマゾン。

 

「では怪我だけはしないように始めてくれ」

 

 はーい、と元気のいい返事に満足し、自分が担当するテーブルに向かう士郎。

 メンバーはツインターボ、シンコウウインディ、マヤノトップガン、トウカイテイオー、スイープトウショウ。通称、何かやらかしそうな奴ら、である。因みにスイープは固定である。

 

「ではこちらも始めようか」

 

「どんなの作るんだ?」

 

「2段ケーキだ。他のところはな」

 

 そこで言葉を区切り、体を前屈みにし、手で内緒話のジェスチャーをする。

 

「ここだけは3段ケーキだ。夜の食堂で披露すれば皆も驚くだろう。そのためには騒がずに作り上げなければならない。できるな?」

 

『わかった!』

 

 しかし湧き上がる優越感を中々抑えつけられず、他のグループを見ては、ふふふ、と意味深に笑っては、何だあいつらと思われる始末。士郎がやれやれと苦笑しているから大丈夫と判断し、とりあえずノータッチ。

 因みに各グループのリーダーには流石に話を通してある。

 問題児達の扱いの巧さに、ヒシアマゾンは唸った。

 

 

 ・

 

 正午を告げる鐘が鳴る。各グループの進捗状況を確認する。多少のバラつきはあれど、夕方からの作業で十分間に合う。

 

「では私はこれを食堂の冷蔵庫にしまって、それから外出してくる。4時になったら食堂に集合してくれ」

 

 士郎のグループのケーキはここの冷蔵庫にしまってある。しかも集合時間を早める念の入れよう。

 

「ではまた後で」

 

 ・

 

 正門前でケイエス、フジキセキ、クリーク、オペラオーと合流。

 

「寒い中待たせてしまってすまないな。温かい飲み物でも買おう」

 

「いえ、そんな」

 

「まあまあ、衛宮さんだと断っても断らせてくれないから、ここはありがたく頂こうじゃないか。微糖のコーヒーでお願いします」

 

「ならボクはコーンポタージュを頂こうかな!」

 

「じゃあ私はミルクティーを」

 

「……じゃあお茶をお願いします。ありがとうございます」

 

 手袋越しに温度を感じながら歩き出す。

 僅かに髪を揺らす程度の風でも、身を竦めてしまう季節。

 

「今日は忙しいところありがとうございます」

 

「構わんよ。私も楽しんでやってるからな。私の魔術で喜んでもらえるという得難い経験もできたしな」

 

「そうなんだ。手品にすごく便利だと思うけど」

 

「全くだな」

 

 そういう発想が出来たらもっと楽に生きられたのだろうな、と今になって思う。

 

「とは言え、使えるのがどこからともなく現れるのと、どこからともなく物を取り出すのと、物を硬くするだけだからな。バリエーションはだいぶ少ないな」

 

「でも子供達は大喜びですから。それでいいじゃないですか」

 

「それもそうだな」

 

 ・

 

 ケイエスは入院経験から来る共感で子供達に寄り添うことができ、フジキセキは女性的な二枚目の振る舞いで女子人気が高く、クリークは寂しさから来る意地張りを解し甘えさせることが得意であり、オペラオーはその特異なキャラが明るさを齎し、士郎は言わずもがなである。つまり全員人気だった。

 ここのクリスマス会は、保護者が買ったプレゼントを病院経由で受け取り、サンタに扮した4人が子供達に渡すというもの。

 

「……キツそうですね」

 

 サンタ服を着てから妙に胸を張った姿勢になっている士郎を見てクリークが言う。

 

「市販のものだからな」

 

「サーヴァント君のその無駄を削ぎ落とした肉体は、アスリートであり、太陽であるボクを以ってしても美しいと感じるよ」

 

「お褒めにあずかり光栄だな」

 

 レクルームに入ると、今か今かと待ち構えていた子供達に盛大な歓迎を受ける。

 程々に構い倒し、プレゼントの登場となる。

 白の布袋から取り出し、子供達に手渡していく。目線を合わせ、頭を撫でようとした瞬間

 

 ──バリィ! 

 

 衛宮士郎2度目の脱皮。完全に真っ二つになったサンタ服。世にも珍しいツーピースの出来上がりである。

 子供達はポカンとしていたが、ケイエス達と背後で見守っていた職員達は一斉に顔を背けた。

 トグルボタンを外し、左右の腕から残骸を引き抜く士郎。見たことのない脱衣に、肩を振るわせる。

 

「ムキムキだ!」

 

「マッチョマンだ!」

 

「着替えて来るから少し待っているといい」

 

 そう言い残し、掃除用具箱に消える士郎。その間に呼吸を整える。

 

「待たせたな」

 

 ほぼノータイムで出て来る士郎。バタンと閉め、バタンと開くまでに5秒もない。真顔で全てを熟す士郎の姿は、初撃で笑いへの防御が極端に薄くなっている生徒達と大人達の腹筋への強烈な一撃であった。

 そんなハプニングもあったが、子供達が笑っているのだからクリスマス会は大成功だろう。

 

 ・

 

「さて、終わって早々ですまないが、少し予定が押しているので先に戻らせてもらう。君達も気を付けて戻って来るといい」

 

 返事を待たずに霊体化する士郎。普段の生活の中で士郎が人ではないと中々実感することがなく、こうして忘れた頃にやってくる不意打ちには皆もびっくり。

 

「……このボクをここまで驚かせるなんて、やるじゃないか!」

 

「そう言えば普通の人じゃないってこと、すっかり忘れてたわね」

 

「……あ! 初めての時のマジックもコレだったんだ……」

 

「今度マジックショーに誘ってみようかな」

 

 ・

 

「あ、やっと来た! 士郎ちゃん遅ーい」

 

 家庭科室で手持ち無沙汰に士郎を待っていた面々がブーブーと文句を垂れる。念話で遅れる旨を伝えていたスイープも文句を言っている。

 

「すまないな。さて、ではクリームを塗って飾り付けをやってしまおう」

 

 ヘラを使って何とか個性を出そうとしていたり、イチゴの切り方で個性を出そうとしているメンバーをよそに、砂糖菓子の人形とチョコペンを見付けたターボは何かを閃いたようだった。

 

「これターボね!」

 

 器用にチョコペンで自身の名前を書いた人形を指すターボ。

 

「で、テッペンにターボ」

 

 最上段になるケーキにそっと人形を置く。微笑ましくなるが、同時に絶対それだけでは終わらないと確信があった。案の定、他のメンバーを一瞥すると、やられた! と、戦慄していた。しかもスペース的にあともう1体ぐらいしか置けない。

 交わる視線が火花を散らしそうになるが、士郎のインターセプトで何とか作業を優先させることに成功。それでもチラチラと人形の方へ視線が流れている。ターボはご満悦の表情だ。

 

 ・

 

「完成!」

 

 鼻頭にクリームを付けたテイオーが言う。

 

「まだなのだ! テッペンは譲ってしまったけど、ウインディちゃん達の人形も飾るのだ! ん!」

 

 と、士郎に手を伸ばす。脇の下に手を入れ、持ち上げる。

 高校生による抱っこの催促であった。椅子に登れば済むにも拘らず、である。

 持ち上げられたウインディはどこに置くか、と思案顔。2段目の外縁部に置くしかないのだから何も差はないのだが。

 

「次ボク!」

 

 同じように持ち上げられるテイオー。

 

「ターボの退かしていい?」

 

「ダメ!」

 

「ちぇ。じゃあここでいいや」

 

「次マヤね。でもそんな抱っこの仕方じゃダメなんだからね。もっと大人っぽい抱っこの仕方じゃないと」

 

「大人向けの抱っこの仕方は知らんなあ」

 

「お姫様抱っこ!」

 

「それは将来の王子様にやってもらうといい」

 

 最後にスイープ。何と彼女が持つ人形は、杖らしきものを持っていた。アルミホイルを細く丸め、チョコペンで手の部分に固定しているのだ。

 置く場所のことしか気にしていなかったターボ以外の3人は非常に悔しがっていた。

 何を張り合っているのか士郎には終ぞ分からなかったが、楽しそうだから気にはしなかった。

 

「ではこれで完成だな。中々良い出来ではないか」

 

「写真とってカイチョーに見せよっと」

 

 落とさないように細心の注意を払いながら冷蔵庫にしまう。

 

「他の2段ケーキが出された後に、大本命の3段ケーキのお披露目って訳だね!」

 

 拍手喝采を想像し、ウンウンとご満悦な5人。我慢しきれずにバラしてしまいそうなのは考えすぎだろうか。

 

 ・

 

 そしてパーティ開催の時間となった。食堂組の面々がケーキを準備している間に3段ケーキを取りに来た士郎。ワゴンに乗せ食堂に運搬中。

 

「あ、いたいた。まだ始まってない感じかな」

 

 シービーが現れた。

 

「これを運んだら開始だな」

 

「随分大きいね」

 

「3段ケーキだ」

 

「わお」

 

「ところでシリウスシンボリとメジロラモーヌは来そうかね」

 

「マルゼンが絶対に引っ張って来るって言ってた」

 

 因みに誘ったのは士郎である。パーティ周知のためにチラシを貼っているところに遭遇した時に2人を誘ったのだ。

 

『……本気か?』

『……正気?』

 

 と、何故か散々な言われようであったが、ここの生徒なのだから参加しても良いだろう、と言ってチラシを渡したのだ。そして恐らくそれを持っているところをマルゼンに見付かったのだろう。

 

「それなら参加してくれそうだな」

 

「……君は自由だね。あの2人をパーティに誘う人なんてそういないと思うよ」

 

「確かに大人びていることは認めるがね。それでも子供だからな」

 

「そう言える人も中々いないよ」

 

 ・

 

 食堂に入ると、士郎の到着を今か今かと待っていた5人が『ちゅうも〜〜く!』と、皆の視線を集めた。

 

「この勝負、ターボ達の勝ちだ!」

 

「見て驚け!」

 

「褒めて!」

 

「マヤ達の!」

 

「3段ケーキよ!」

 

 腕を組んだドヤ顔5人衆。その絶妙な小憎たらしさはともかくとして、3段ケーキは確かに見事な物であり、インパクトもあり、会場を大いに盛り上げてくれた。

 1人1段か?! と、トンチキなことを尋ねる生徒もいたが、きちんと皆に行き渡り、舌鼓を打っている。

 そして士郎は食器を洗っている。

 

「相変わらず働き蟻みたいにせっせと働いてるな」

 

「大人が紛れては楽しめない子もいるだろうからな」

 

 昼間に比べたら枚数は少ないが、それでも一般人からすればそこそこの量である。

 

「よく来てくれたな2人とも。絶品とはいかないが、楽しんでいってくれ」

 

 小皿にケーキを乗せたシリウスとラモーヌがいた。参加はしてくれたが、流石に喧騒の中心に行く気はないようだった。

 

「これは貴方が作ったの?」

 

「3段のならそうだな。とは言え、ほとんどは生徒達が作ったものだ。私は監督として指示を出しただけだ」

 

「そう……。マックイーンがあまりに褒めるから、少し期待していたのだけど」

 

「それは光栄だな。いずれ機会があるだろうから、その時に誘わせてもらおう。いやでなければ、君も来るかね」

 

「……考えといてやるよ」

 

 あそこだけ別空間になってない? と、遠巻きに見る生徒達。そこへ普通に近づくのはシービー。

 

「君ってさ、何したら慌てるの?」

 

「そうだな…………。朝来た時にこの冷蔵庫が壊れたら慌てるな」

 

 確かにそれはそうだけど、そうじゃない。

 

「うーん……。じゃあはい」

 

 差し出すはフォークに刺さったケーキ。

 

「良いのかね。ではありがたく頂こう」

 

 何の気兼ねもなく、むしゃり、と頬張る。

 

「美味しかったと伝えておいてくれ」

 

「うーん、手強い」

 

 ・

 

 食事が粗方済むと、いそいそと、もしくはコソコソと、あるいは堂々とプレゼントの交換が行われ始めた。当然その中には士郎主催の編み物教室の生徒達がいる。

 

「キングちゃん! これマフラー。士郎さんに教えてもらって編んだんだよ」

 

「ウ、ウララさん……!」

 

 感涙に目を濡らす者。

 

「ん。これ」

 

「タ゛イ゛シ゛ン゛〜〜!!」

 

 慟哭じみた感激の声を上げる者。

 

「フラワー……これ」

 

「わぁ! こんなステキなプレゼント貰っちゃって良いんですか?!」

 

 値千金の満面の笑顔を返す者。

 

「はいこれ」

 

「ありがとう。ではこちらも」

 

 プレゼント交換と言うよりは物々交換のような遣り取りをする者達。

 何れにせよ、それらの全てがデジタルの脳を木っ端微塵にした。

 

 ・

 

 パーティが終わり、生徒も寮に戻り、より閑散とした校舎を歩く士郎。サンタとしての最後の業務があるのだ。

 

「メリークリスマス。ケーキはいるかね」

 

『待ってました!』

 

 遅くまで労働する2人へのプレゼントだ。



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その23

明けましておめでとうございます!

コミケ以外全く時間が取れず遅くなってしまいました…

今回から聖蹄祭編で続きものとなります
楽しんでいただけたらと思います


 夏休みの思い出がまだ新鮮さを失わない中、また新たな大型イベントが顔を覗かせる。『聖蹄祭』である。

 毎年春秋に行われるファン大感謝祭の1つであり、春の大感謝祭は体育祭、聖蹄祭は文化祭として位置付けられている。売り子などスタッフとして生徒が働くことから、普段は遠巻きにしか見る事のできないウマ娘との距離がグッと縮まる一大イベントとして毎回驚異的な来場客数を記録している。

 少人数からでも応募することが可能であり、クラスやチームだけではなく友人同士でも出し物を企画することができる。飲食店や自分の特技を活かした出店、展示物など、定番なものから大規模なもの、色物など、毎年実に多彩な出し物が企画される。

 

 

 そんな応募要項が記載されたプリントを教室で見ているスイープ。配布されてから休み時間の度に見ており、普通であれば何かやってみたいの? と聞く所だが、そんな気軽に尋ねられる雰囲気ではなく、ずっと難しい顔をしているのだ。そのまま放課後になり、結局声を掛けられぬまま教室を後にしてしまうスイープ。

 寮に戻らず、三女神の近くのベンチに腰を下ろす。折りもせずに持っているプリントに目をやっては、憂いを多分に含んだため息を吐く。それを聞けば間違いなくどうした、と尋ねる使い魔の姿はない。と言うよりは、意図的にいない場所に来た、と言うのが正しい。これは自分で決めなくてはいけない事だからだ。しかし、それを決断することがスイープには怖かった。もし、と言う未来を想像するだけで視界が僅かに滲んでしまう。

 

「はあ……。どうしよう」

 

 進展を望むべくもない後ろ向きな言葉が漏れる。

 誰にも聞かれずに消えていくはずの言葉。しかしそれを捉えた者がいた。

 

「ちょわ!!」

 

「びっくりした!」

 

 バクシン的委員長、サクラバクシンオーである。2階の窓からスイープの姿と雰囲気を見たバクシンオーは、居ても立ってもいられずちょわちょわ言いながらバクシン、ではなく爆走して来たのである。

 

「何やら深刻なお悩みの様子! どうですか、このバクシン的委員長にお話ししてみませんか! いえ! お話ししましょう!」

 

「……あ、じゃあ、うん」

 

 相手のテンションに合わせて促すよりも、息を吐かせずハイテンションで畳み掛けることが有効な時もある。バクシンオーがそこまで考えているかは不明である。

 

「……アタシ、聖蹄祭で劇をやってみたいって思ってるの」

 

「ふむふむ。どんな内容なのですか?」

 

「お伽話とかじゃなくて、ある人の人生についてなの」

 

 訥々と話し始めるスイープ。

 

「でも、その人の人生は辛いことがいっぱいあって、本人に言ったら皆が辛くなるから絶対にダメって言うの。だから内緒でって思ったんだけど、嫌われちゃわないか怖くて……。それで、迷ってて……」

 

 腕を組み、瞑目しながら聞いているバクシンオー。

 

「なるほど。因みにスイープさんは何故その方の人生を劇にしようと思ったのですか?」

 

「……その人は、いつか、アタシのことも、ここで過ごしたことも、皆のことも忘れちゃうから。だから、どう生きてきて、ここに辿り着いたのかを皆に覚えていて欲しいの」

 

「何故です?」

 

「そうすれば、その人がアタシ達のことを忘れちゃっても、皆が覚えていてくれたら、その人は確かにここにいて、アタシ達と過ごしたんだって証になるから」

 

「ふむふむ。因みに、その方はスイープさんから見てどんな方ですか?」

 

「……野菜は残すなってお皿にいっぱい盛ってきたり、注射はイヤって言ってるのに無理矢理連れてったりする。でも、困ってたら絶対に助けてくれるし、アタシが知らないことを沢山教えてくれるし、アタシの話を真面目に聞いてくれる。だから、グランマと同じくらい尊敬してるし、同じくらい好き」

 

「素晴らしい人柄なのですね。まるで私のようです」

 

「え、あ、うん」

 

「ならば大丈夫でしょう。相手のことを心の底から思っての嘘や隠し事なら嫌いになったりなんて絶対にしませんよ。私が保証しますよ」

 

「……そうかな」

 

「そうですとも! お二人の関係性は分かりませんが、話を聞いただけで、その方に対するスイープさんの深い愛情を感じます。それは間違いなくその方にも伝わってます。だから大丈夫です」

 

「……そうかも」

 

「そうです!」

 

「そうよね!」

 

「よし!」

 

 と、己を奮起するように気焔を吐き、立ち上がるスイープ。揺れていた瞳は、力強い意志を宿していた。

 

「ありがとう!」

 

「委員長として当然の事をしたまでです! もしその劇に委員長の役があったら、是非声を掛けてくださいね!」

 

「……委員長力が違いすぎるから、難しいかな」

 

「なんと! 高過ぎる委員長力が裏目に出るとは……」

 

 

 講義室にて、教職員だけでなく、沖野達トレーナー、士郎のような用務員までもが集められ、聖蹄祭に向けた説明会が行われていた。壇上ではたづなが手慣れた様子で司会を熟している。理事長は何故か船を漕いでいた。

 ほとんどの職員はまたこの時期が来たなあ、と特に感慨にふけることなく聞いているが、新任達は各地の伝統的な祭りにも勝るとも劣らない知名度を誇るこの行事に運営側として参加することに、些か緊張しているようだった。

 

「そう言えばお前は外国暮らしが長いから、初めての参加で運営側を体験するのか」

 

「そうだな。しかし生徒から話は聞いてはいたが、とんでもない規模だな。学園のイベントとは思えない来場者数だな」

 

「ウマ娘と直に会話できる数少ない機会だからな。老若男女のファンが全国から大集合ってわけよ」

 

「しかし、当日のことを考えると素直に凄いとも言いづらいな。警備員もかなりの人数を配置するようだしな」

 

「まあそうなんだけどな。……でも何か、去年よりだいぶ多いような」

 

「そうなのか」

 

 すると、たづなの説明がちょうどその部分に差し掛かった。

 

「お気付きの方もいるかもしれませんが、今年はある事情により警備員を大幅に増員しています」

 

 勿体ぶった言い方に、室内が少し騒めく。

 

「ある国の王族の方が来場されます」

 

 滅多に聞かない単語に、意味を咀嚼し損ねたのか、奇妙な静寂が生まれた。

 

「お知らせしたのは情報共有のためで、対応はこちらで行いますので、皆さんは特に何かをする必要はありません。間違ってもアプローチはしないで下さいね。もし何か粗相をしましたら、喜んでその方の首を差し出しますので」

 

 それまでの笑顔と差異はないはずなのに、心なしか壇上が軋んでいるような気がした。

 そして一番やらかしそうなトレーナーに視線がチラホラと向けられている。

 

「ん……? おい、衛宮はそんな奴じゃねえぞ!」

 

「貴様のことだ、たわけ」

 

 

 職員会議が無事終了し、用務員室に引っ込み、月次の提出書類を作成していると、内線が音を立てた。

 

「もしもし。こちら用務員室」

 

『お疲れ様です。たづなです』

 

「お疲れ様。書類なら明日には完成するぞ」

 

『いえ、用件は別でして。あの〜終業後に喫茶店エミヤに理事長と伺いたいんですけど。まだやってますかね』

 

「ふっ」

 

『な、なんで笑うんですか!』

 

「いや、失礼。是非来てくれ。甘味とコーヒーを用意して待っておこう」

 

『全く! ちゃんともてなして下さいね!』

 

 

「なるほど、王族への対応で残業続きだった訳か。道理で会議中に船を漕いでいる訳だ」

 

「うむ。王族関係者との打ち合わせなぞ、流石に緊張したが、それ以上のびっくりな存在に遭っていることを思い出してな。そうしたら緊張も何のそのだったな」

 

「ほう、経験豊富だな」

 

「ああ〜〜きくぅ〜〜」

 

「……感心しているが、衛宮殿のことだからな?」

 

「?」

 

「衛宮殿の自己評価にはほとほと困ったものだな。まあ、ともかく。そちらとの面談は大丈夫だったのだが、その後の色々な手配がな、ひじょーーに大変であった」

 

「だろうな。万が一でも起きたら国際問題だからな。ところでどこの国のウマ娘なのかね」

 

「アイルランドだ」

 

「アイルランドか……」

 

「ああ〜〜ほぐれるぅ〜〜」

 

 国の名前を聞いた途端に、士郎にしては珍しい喜怒哀楽のどれとも言えない曖昧な表情を浮かべた。

 

「おや、何か縁のある国なのかね」

 

「いや、国自体には無いのだが、そこで有名な英雄とは色々と因縁があってね」

 

「何と。著名な英雄と因縁とは、衛宮殿もやるではないか(?)」

 

「あぁ〜〜きもちいいぃ〜〜」

 

 甘味を摘みつつお茶で喉を潤しながら士郎と話す理事長と、ゴリゴリの肩を解してもらい言語野が退化しているたづな。夜間営業時の喫茶店エミヤは疲れた大人の憩いの場に変わるのだ。

 カチコチになっている肩が、ここ最近がどれだけ激務であったのかを雄弁に物語っている。余計なお世話と理解しつつも、プライベートは大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。

 

「あぁ〜〜……。…………あ、そうだ。忘れるところでした。聖蹄祭に限らず大きなイベントの時に用意していた資材が変な所に移動してたり、作り置きの食べ物がなくなったりしてるって報告が毎回数件あるんですけど、これって、もしかして幽霊だったりします?」

 

「今の時点では何とも言えんな。彼女らもテンションが上がってしまい悪戯をしているのかもしれないし、もしかしたら在校生の仕業かもしれん。マンハッタンカフェに確認しておこう。それで、もし彼女らの仕業だった場合、止めてくれ、と言う頼み事かね」

 

「お願いできますか?」

 

「構わんよ。……そうだな、彼女ら用に何か用意しておけば、当日は大人しくしてくれるだろう」

 

「もし作られるなら、なるべく見付からないようにお願いしますね。匿名で衛宮さんに食事処をやって欲しいという投書がありまして」

 

 匿名の差出人が容易に想像できるため、忠言をありがたく受け取ることにした。

 

「次は腰を」

 

 流石に際どいので、どうやって気付かせようか。

 

 

 当日近くになるまでは特に聖蹄祭と関わらないだろうと考えていたのだが、料理上手と言うことは既に周知の事実となって久しく、且つ面倒見の良さもあちらこちらで発揮しているため、講師としての依頼が何件も舞い込んで来た。そこでの評判が更なる依頼を呼び、予想外に忙殺されていた。そんな日々でもスイープとは対面であったり、念話であったりと歓談しているのだが、彼女のクラスの出し物を聞いていないこと気付いた。

 

「ヒミツ! あ、気になるからって聞き回ったりしたらダメだからね」

 

「そうかね。では当日の楽しみにしておこう」

 

「――――うん!」

 

 そんなやり取りをした数日後。

 普段ここで自由気ままに過ごしている生徒達も、出し物の準備のためか、ここ数日は訪れなかった。静かであったり、騒がしかったり、訪れた生徒によって用務員室の雰囲気はガラッと変わるが、来客のない静寂と言うのは長期休暇以外では珍しかった。

 ストックしてある菓子類も、全く減っていない。1人だけで食べる気にならないのだ。とは言え、賞味期限の問題もあるから差し入れとして知己の生徒がいるクラスに持っていくことにした。

 賞味期限の確認作業と一緒に、ドアの向こうでオロオロしながらウロウロしている生徒の分のお茶とおやつも用意しておくことにした。

 こちらから声を掛けると驚かせてしまうと考え、ノックを待っていたがドアの前を左に右に行き来するだけで一向に入ってくる気配がなかった。仕方がないのでこちらから声を掛けることにした。

 

「入って来るといい」

 

 あれだけウロウロしていてバレていると考えていなかったのか、全身が直線になる程にビックリしていた。

 

「失礼しま〜すぅ……」

 

 バレていたことの気まずさなのか、萎れた耳と尻尾で入って来たのはキタサンブラックだった。

 

「お茶が冷めてしまいそうだったのでね」

 

「えへへ、すみません」

 

 同じ側の手足を動かしてソファーに座るキタサン。妙に鯱張った動きである。そこまで緊張される理由が皆目見当がつかない。こんな状態でいきなり本題を促すのは良くないなと思い、取り敢えず共通の話題を出すことにした。

 

「スイープは」

 

 ガタンガタタッ!

 元気か、と尋ねようとしただけなのだが、彼女のことが本題だったらしい。却って聞きにくくなってしまった。

 

「……あのっ!」

 

 予想外の一手を指してしまったことで士郎まで口をモゴモゴしていると、ことここに至って漸く覚悟を決めたキタサンが口を開いた。

 

「今年の聖蹄祭で、スイープさんを中心に、ある劇をやるんですけど! スイープさんを怒らないで、ううん、嫌わないでください!」

 

 思いの丈をぶつけるように、全身を強張らせ握り拳を作りながら叫ぶキタサン。

 

「……ああ、先日聞いた時に妙な反応をしていたのはそれか。分かった、約束しよう」

 

 あっさりとした返答に、目をパチクリとさせるキタサン。

 

「何をやるのかとか、聞かないんですか?」

 

「君ほどではないにせよ、私もスイープとはそこそこの付き合いだからな。彼女が悪意で行動しないことは分かっている」

 

「もちろんです、スイープさんはそんなこと絶対しません!」

 

「それに私に怒られたり嫌われたりする可能性があるとスイープも自覚していて、それで君は居ても立ってもいられずにここに来たのだろう?」

 

「……そうです。それに、士郎さんに何か言われたら全部自分のせいにしろって。だからあたし……」

 

 強張っていた心身が弛緩していくと共に、スイープの悲壮な決意を思い出す。ジワリと目尻に涙が浮かんだかと思うと、堪えきれずに頬を伝ってしまう。

 

「スイープが友達思いの友人を持てて何よりだ。まあ何をするのかは詳しくは聞かんよ。……これは本人には言わないで欲しいのだが、私は彼女の言葉に救われているのでね。彼女が嫌うことは兎も角、私が彼女を嫌うことはないから安心するといい」

 

 茶箪笥の引き出しから未使用のタオルを取り出し、キタサンに渡す。

 

「少しここで休んでいくといい。目が赤いままではスイープも心配するだろうからな」

 

「は゛い゛……」



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その24

お待たせしましたあ……。
SEED見たりファイズ見たりSEED見たりしてたら遅くなりました

あとお知らせですが、今回の聖蹄祭編で一旦今作は更新をストップします。

モチベがなくなったとかではなく、単にそろそろ戦闘シーンのある作品を描きたくなったからです。
それが終わったらまた再開しますので、よろしくお願いします


 聖蹄祭の開催日が近づき、学園全体がソワソワし始めた今日この頃。

 調理関係の指導もほとんど終わり、当日は絶対に来てくださいね、とチラシを渡され、気付けば束となっていたそれは用務員室でしっかりと保管されており、当日の予定にも組み込まれている。

 聖蹄祭は2日間に亘って行われる。嘗ては1日だけだったらしいが、来場者数の増加に伴い今の形になったようだ。さもありなん、ではあるが、学校行事の範疇を越えすぎだろう、とも思う。

 そして士郎は今、タキオンとカフェが共有している私室に向かっていた。手には甘味。もてなしの相手はタキオンである。

 

「待っていたよぉ使い魔君」

 

 椅子に座っているタキオンが言う。急かすように、白衣の余った袖をブンブンと振り回す。それをジト目で見詰めるカフェと『お友達』。

 

「いやはや、実験にいくらでも付き合ってくれるモルモット君も得難いが、ここまで美味しいものを作れる使い魔君も実に惜しいねえ。転職する気はないかねイタタタタ何か抓られてる!」

 

「スイープさんが悲しみますから冗談でもそんなこと言わないで下さい」

 

「冗談だから『お友達』を止めてくれよお!」

 

 自分のことを目視できて触れて、カフェとも仲が良く、肩に乗っかっても怒らない士郎のことを『お友達』は非常に気に入っている。そして自然と見る機会の多くなったスイープのことも気に入っている。つまりは2人が一緒にいるところを見ているのが好きなのである。そんな2人の仲を裂こうとするのは冗談でも好きではなかったので、タキオンの脇腹を抓っていた。それを抜きにしても常々カフェに迷惑を掛けているので、長めに抓っている。

 

「スイープから暇を出されない限りは鞍替えをするつもりはないから、『お友達』もそこら辺で止めてあげるといい」

 

「ふう、酷い目にあった。ただの冗談じゃないか」

 

「自業自得です。それにいつまで士郎さんに甘えてるんですか」

 

「おやおや〜。君達のミスをフォローしたのは誰だったかなあ?」

 

「…………」

 

「まあまあ2人とも。私がミスをしたのも、アグネスタキオンにその尻拭いをさせてしまったのも事実だからな。気にしなくて大丈夫だ」

 

「確かにそうですけど……」

 

 口を揃えて言うミスとは、つい先日起きた『骨格標本疾走事件』である。

 理事長とたづなからの依頼で、幽霊達に大人しくしているように頼みに行った時のことである。

 士郎は自分が幽霊達から怖がられていること自体は自覚していたが、実際よりだいぶ過小に見積もっていた。

 幽霊達から見た士郎は恐竜であり、自分たちはアリ。何がどうひっくり返っても勝てるはずのない相手なのだ。そんな相手が突然、普段から根城にしている理科室に出現したことで大パニックに。そして手近にあった骨格標本に全員で逃げ込み、教室から逃走。

 聖蹄祭の準備期間中であり、校舎内にいる生徒の数は多い。不幸中の幸いと言うには弱いが、特別教室の区画は4階にあり普通教室までは階数で隔てており距離がある。階段を降りる前に確保すれば、衆目に晒されずに済む。

 廊下を壊さない程度の速度で走る。

 本気を出していないとは言え、普通に並走していることに驚くカフェ。

 そんな2人に追われ、距離がどんどん縮まっていることにますますパニックになる幽霊達は、予想外の逃走経路を選択。窓からダイブ。

 

「はあっ?!」

 

 カフェは驚きの声を上げた。しかしそれは骨がダイブしたからではない。士郎もそれを追ってダイブしたからだ。

 士郎は校舎の壁を蹴り加速。空中にて骨を確保し、着地。

 

「士郎さん! 大丈夫ですか?!」

 

「全く問題ない」

 

 どうにか拘束から抜け出そうと踠く骨。しかし悲しいかな僅かに士郎の体を揺するだけで、拘束に些少の緩みもない。

 

「何かすんげえ音したな」

 

 窓からひょっこりと顔を出すゴルシ。

 何故数多くいる生徒の中で最も見付かってはいけない生徒に見付かってしまうのか。士郎は自身の不運を自覚しているが、こう言う最悪の形で実感するのは久しぶりであった。

 目下興味津々の対象である士郎が抱える、ピチピチと動く骨格標本。一瞬の静寂の後、ゴルシはニンマリと笑った。士郎は血の気が引いた。

 

「衛宮が! 衛宮が何か面白いもの持ってるー!」

 

 そう言って廊下を爆走。

 

「待て! 待つんだ! 待ってくれゴールドシップ!」

 

「衛宮がマグロ人間の骨格持ってるぅ!」

 

「ゴールドシップゥゥウ!」

 

 その結果生徒会が出張ってくる事態にまで発展。しかしゴルシに見付かった時点で展開を予想していたカフェは、先んじてタキオンに取引を持ち掛けたのだ。1週間タキオンの言うことを聞くことを引き換えに、主犯として名乗り出てくれ、と。カフェとしては迷惑を掛けられる事の方が圧倒的に多いとは言え、友人にそんな頼み事をするには非常に忸怩たる思いであったが、幽霊の子達を好奇の目に晒したくないと言う思いもあった。

 結果として、タキオンなら動く骨格標本を作りかねない、とのことで事態は何とか収束した。

 尤も、ゴルシの士郎への興味はますます深まることとなったのだが。

 しかし一つだけカフェにとって予想外の展開があった。言うことを聞くのはカフェではなく使い魔君で、とタキオンが言い出したのだ。カフェとしては士郎に迷惑を掛けたくはなかったのだが、士郎自身が承諾したため、不服ではあったが引いたのだ。

 そして今に至る。

 士郎には薬剤が効かないし、注射針も通らないので実験ではなくおさんどんを頼んだのだ。そして見事に嵌まった。

 驚異的な身体能力に疲れ知らずの体力、おまけに料理の腕も一級となれば誘わない手はない。と言うことでスカウトしたのだが、結果はご覧の有り様である。

 

「君分身出来たりしないかな」

 

 しかし諦めきれないタキオンはそんな無茶を言う。余りに頭の悪い物言いに、カフェから冷たい視線が刺さる。流石に自分でも何を言ってるのかと、態とらしく咳払いするタキオン。

 

「所で君達が請け負っていた幽霊達は当日大人しくしてくれそうなのかね」

 

「当日に茶会を開くことで説得に応じてくれたよ」

 

「……茶会??」

 

「茶会だ」

 

「茶会です」

 

「……そうか、茶会か」

 

 堂々と言い切られ納得しかけるが、流石のタキオンもツッコミに回らざるを得なかった。

 

「ええ?! 幽霊って飲食出来るのかい?!」

 

「私が出来るしな」

 

「ああ確かに……。いや、何か腑に落ちないな」

 

 砂糖が飽和状態になったコーヒーをくるくると混ぜながら首を捻る。

 

 

 聖蹄祭の前日。ほとんどの出し物の準備は終わっているが、ギリギリまで準備に追われているところもある。下校時間を過ぎても作業を続けようとする生徒もいるため、数人の職員と手分けして見回りに精を出す士郎。その最中に何組か遭遇したが、校舎を一周するからそれまでには帰ること、と言ってお目溢しで見逃す。

 

「士郎!」

 

 途中からスイープを含め、何人かが後を付けていたことは知っていた。向こうの準備が整うまで待っていたのだが、すでに見回りも折り返しである。決心に相当な時間が掛かっており、明日のことだろうと当たりをつけてはいるが、一体何をするつもりなのか少し心配になる。

 

「明日! あの、劇やるから……見に来て! あと、皆の事は怒らないであげて!」

 

 言うだけ言うと、逃げるように走り出すスイープ。士郎にきちんと会釈してからスイープを追いかける一行。すると同行していたネイチャが引き返して来て当日のパンフレットを差し出した。

 

「ありがとう。すまないがスイープのことは頼んだ」

 

「はい!」

 

 良き友人達に恵まれていることに安心しながら、スイープを見送る。

 その日の夜、士郎は毎晩恒例の念話をしなかった。

 

 

 本日は快晴なり。

 微かな風が、出店の香りを運んで来る。

 士郎は今屋上にいる。サボりではなく、歴とした仕事のために。

 

「さて、準備は出来ているから座ると良い」

 

 白いクロスの引かれたティーテーブル。ポットには琥珀色の液体が注がれている。プレートにはクッキー。どちらも士郎のお手製である。

 椅子は7つ。幽霊4体、カフェとタキオン、そして『お友達』の分である。

 

「もう幽霊達はいるのかい?」

 

「今タキオンさんの横を通りましたよ」

 

「ほんと今首がヒヤッとしたぞ!」

 

 カフェにはタキオンの首筋を指先で突く『お友達』の姿が見えていた。見えない人にちょっかいを出すのは本来なら良くはないが、タキオンに対しては良くも悪くも雑な対応をするカフェであった。

 

「3人も座ると良い」

 

「良いのかい? 流石に今回は遠慮した方がいいと思ってたのだがね」

 

「見ているだけではつまらんだろ」

 

「使い魔君は話が分かるねえ」

 

 テンションが上がった時の癖なのか、腕を回しながら向かうタキオン。

 チャポチャポと角砂糖を投下。胸焼けしそうな光景を見ながら、何やら聞き耳を立てているカフェ。

 

「タキオンさん。自己紹介してほしいそうです」

 

「自己紹介? そうだねえ、発光するモルモット君をトレーナーに持つウマ娘だよ」

 

「……眩しいからやめてほしいそうです」

 

「うーん、それは難しい願いだねえ。まあそれで怒らせてしまっては怖いので、光量を抑える薬を用意しておこうじゃないか」

 

 何か解答の内容がおかしいような気がするが、誰も突っ込まなかった。

 すると今度は、給仕をやっている士郎に質問が投げかけられた。幽霊達からすると、まだまだ恐ろしい存在ではあるが、害を与える存在でないことは分かったのか、以前よりは態度が軟化していた。

 

「私か? 私は君達が感じているように普通の幽霊ではなく、精霊に近い存在だ。悪戯程度でどうこうしたりはせんから安心したまえ。但し、程度は考えるのだぞ?」

 

 タキオンには幽霊達の姿は見えないが、姿勢を正している姿が容易に想像できた。

 

「まあ説教はこれぐらいにしておこう。君達のために用意したのだから味わってくれ」

 

 カフェとタキオンを含め、全員の前にさつまいものブリュレが置かれている。

 初めて見る種類で且つ美味しそうな見た目のスイーツに、幽霊達は興奮を隠しきれていなかった。様々な角度から具に観察している。

 

「これはもしかして手作りですか?」

 

「その通りだ。テレビで偶然見てな。振る舞うのは君達が最初だ」

 

 意図的なのか無意識なのかは判然としないが、幽霊達の心を擽るのが巧いな、とカフェは思った。幽霊達がちょっかいを掛けたり悪戯をするのは、気付いてもらえない孤独感を紛らわすためだ。その瞬間だけは、自分達を見ることの出来ない者達も、自分達を意識してくれる。しかし一時だけ。孤独感が消えることは永遠にない。

 そんな感情を常に抱いている幽霊達に、比較することも烏滸がましい程格上の存在だが、自分達のためだけにこの場を用意してくれ、自分達のためにスイーツまで作ってくれた。喜ばないはずがないのだ。

 

「う〜〜ん。これはスイープ君が羨ましくなってしまう味だねえ」

 

「本当に……これは美味しいです」

 

「それは良かった。君達は如何かな」

 

 どうやって食すのか気になって気になって仕方ないタキオンは、座っているであろう幽霊達に振る舞われたスイーツを見やる。よく観察してみると、何となく先ほどより燻んでいるように見えた。

 

「味わえたなら何よりだ」

 

 安心したように頷く士郎。そして、ならば、とティートローリーのケーキケースから今度はさつまいものモンブランを取り出す。

 

「お茶のおかわりも如何かね」

 

 タキオンは皆のやり取りを見ることは叶わず、想像するしかないのだが、カフェが嬉しそうにしているところを見るに大成功に近いのだろう。自分がそれにあやかれていることを差し引いても、気分はいいものだった。

 

 

「さて、茶会もそろそろお開きだな」

 

「名残惜しいねえ」

 

 食後の余韻を静寂と共に楽しんでいたところに、終わりを告げる士郎の言葉。タキオンの言うことは、皆の代弁でもあった。

 

「そこまで惜しんでくれるのなら、準備した甲斐があったな。いつでも、と言う訳にはいかんが来たら歓迎しよう」

 

「私も良いのかい?」

 

「もちろんだとも」

 

 士郎なら断らないと知っていたが、お気に入りの場所が騒がしくならないか少し心配なカフェであった。それが露骨に顔に出ていたのか、タキオンが苦笑しながら言う。

 

「おいおいカフェ〜。そんなに嫌そうな顔しなくても良いじゃないか。流石の私も使い魔君の部屋で騒がしくはしないさ」

 

「だと良いんですけど」

 

 来ることを拒否はしないが、渋い顔は変わらず。

 猫は自分の縄張りを荒らされることを嫌うものだ。

 

 

 準備を手伝った出店の全部に顔を出しながら見回りをしていく。気付けばテイクアウト品は手提げ袋一杯になっていた。

 携帯に連絡が入る。たづなからの業務連絡である。

 

『樫本さんが来られたんですけど、対応をお願いします』

 

 幽霊との茶会の次の仕事は樫本理子の対応である。本来であれば理事長かたづなが対応するのが筋ではあるのだが、王族の対応でそれどころではないので士郎にお鉢が回って来たのだ。自分のようなペーペーで良いのかと尋ねたが、向こうも了承したとのことで対応する事に相成ったのだ。

 

「お久しぶりですね」

 

「ようこそ。拙いが本日の案内担当だ」



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その25

お待たせしました……
高卒の子の新人研修資料作りで時間を取られたり、劇の描写が難産だったりで気付けば2ヶ月

前回の前書きでもお知らせしましたが、今回の話を以て一旦更新停止となります。
短編の別作品挟んで、また再開したいと思います。その時はXとか活動報告で告知したいと思ってます

たくさん読んで頂き、また感想も頂けて嬉しかったです

ありがとうございました。


「この混雑ぶりも懐かしいですね」

 

「おや、君はここで働いていたのか」

 

「トレーナーをやってました。……色々あって現場を離れましたが」

 

 目は口ほどに物を言う。生徒を見詰める眼は、僅かな痛みを抱えている。現場を離れたことにはそれなりの理由があるのだと、簡単に想起させた。

 

「そうかね。なら君はウマ娘のことが相当好きなんだな」

 

「……え?」

 

 全く想定していなかった返答に、思わずキョトンとした顔で疑問の声を上げてしまう理子。そんな彼女をよそに、準備を手伝った出店でお土産を購入する士郎。両手の袋は既に間食を通り越し、1食分も通り越し、2食分くらいになっていた。寄る予定の店はまだあるので、最終的には3食分くらいにはなるだろう。

 

「如何かな」

 

「え、あ、では」

 

 タコ以外にも様々な具材を使用したタコ焼き。当初は食い合わせ最悪の食材も含めたロシアンルーレットの案があったが、絶対士郎に怒られると言うことで検討の余地なく却下されている。なので、ワサビとかマスタードを塗りたくったタコと言うことになった。

 ちょうど空いていた飲食用のテーブルに腰を下ろす。

 

「火傷しないようにしっかりと冷ますんだぞ」

 

「……」

 

 子供扱いしてないか、と訝しむが、ファーストコンタクトの件もあり、問い質す気にはなれなかった。肯定されたら何と反応すれば良いのか分からないからだ。ほれ見ろ、と言われないようしっかりと冷ましてから口にする。

 それを見届けてから食べ始める士郎。

 

「……何故、私がウマ娘を好きだと思ったのですか」

 

「違うのかね」

 

「違い、ませんけど」

 

 表情に乏しいと言う自覚があるだけに、何故こうも簡単に言い当てられたのかと気になる。

 

「目は口ほどに物を言うと言うだろう。そう言う顔をしていた」

 

 また言い当てられた。

 

「エスパーみたいですね」

 

「こう見えても長生きなのでね」

 

「……そう言う冗談を言うんですね」

 

 突然顔が強張り咽せる。どうやら当たりを引いたようだ。購入店から「士郎さんの彼女に当たっちゃった! 怒られる!」と悲鳴が聞こえた。

 

 ・

 

「次はどちらに向かうのです?」

 

「体育館で行われる劇だ」

 

 理子も手元のパンフレットを開き、演目を確認する。

『Fate/stay night』。題名だけで詳しい内容については書かれていない。ファンタジーものだろうか。

 何度も行き来した道を歩いて体育館に向かう。

 日本人離れした体格をしているのに、縫うように人混みを抜けていく士郎に置いていかれそうになるハプニングがあったが無事体育館に到着する。大盛況という訳ではないが、それなりの観客が並んでいた。入り口でネイチャが案内を行っている。

 

「お、衛宮さん……と、かか彼女さん??」

 

「学園の関係者で、案内を任されているだけだ」

 

 ここに至るまでに知己の生徒に見られる度にそう言われたのか、呆れを含んだ苦笑を浮かべている。

 

「あはは、ほら私ら多感な女学生だし」

 

「そういうものかね?」

 

「そう言うもんですよ。あ、衛宮さんとお連れさんの席はこちらでーす」

 

 席の番号が書かれたメモと、劇についての冊子を渡す。

 

「ありがとう」

 

 席に向かう2人をそのまま見送ろうとしたが、思い直したように士郎を呼び止める。手招き。

 

「詳しくは言えないんだけどさ、スイープのこと怒らないであげて」

 

 とだけ言い、案内へと戻っていくネイチャ。首を捻りながら、改めて席へ向かう。

 それを見たネイチャは携帯を取り出し、スイープに連絡を入れる。士郎がちゃんと来てくれるか、と非常に心配していたからだ。尤も来たら来たで別の心配事が出てくるだけなのだが。

 

 ・

 

 着席し、一息吐いた理子は渡された冊子を開く。大雑把なストーリーと、登場人物の簡単な紹介が書かれている。

 

「『正義の味方を目指した男の生涯』。王道な内容ですね。どうされました?」

 

 冊子を開いたきり、神妙な表情の士郎に声を掛ける理子。

 

「……いや、登場人物に珍しい英雄がいるな、と思ってな」

 

 そう言えばそちらはまだ見てないな、と改めて冊子に視線を落とす。主人公は『少年』とだけ書かれており、日本人名は基本的に彼を中心とした紹介がされている。

 メジャーな英雄が名を連ねる中、『クー・フーリン』と言う見慣れぬ名前。どこの神話の英雄なのか見当もつかない名前である。後は『無銘』と書かれた英雄も目を引いた。

 

「クー・フーリンとはどちらの英雄ですか?」

 

「アイルランドのケルト神話に出て来る半神半人の英雄だ。クー・フーリンはクランの犬と言う意味で、他にもク・ホリンやキュクレインの名前がある。武器は海獣の骨から作られたと言われているゲイ・ボルグと言う槍で、投擲すれば必ず敵に刺さる、と言われているそうだ。槍以外にもルーン魔術を修めていたな」

 

「お詳しいのですね」

 

 自然で風雅な口調であった。理子ではない。彼女は予想以上の情報がスラスラ出て来たことに、目を丸くしている。先に座っていたウマ娘が言ったのだ。

 仕立ての良い服飾にそれを自然体で着こなす品位。今の話題に食い付いた事といい、彼女が噂の王族であることはすぐに分かった。とは言え、それをここで口に出すつもりはない。SPが向こう側の1人しかいないことからも、不必要に目立ちたくないと言う意図が見える。それに開幕直前に騒ぎを起こしたくもなかった。

 

「少し縁があってね」

 

「あら、どんな縁ですの?」

 

「槍でど突かれたことがある」

 

「……ふふふ、うふふふ。可笑しな方」

 

 優美でウィットなジョークを挟んだ小粋な会話をしているが、反対側に座るSPは戦慄していた。在野に、しかも日本と言う平和な国にこんな達人がいる事に、だ。もしかして学園側が密かに手配したSPだったりするのか、とまで思っていた。成人男性に対して、勝てるイメージが湧かないと言う初めての経験。これが終わったら学園に確認を取らなくては、と固く決意する。

 

 ・

 

 照明が落ち、軽い注意事項の説明が終わると劇が始まった。

 地獄のような惨劇の中で全てを無くしながらも助け出された少年の視点から話は始まった。

 少年を助け、家族として迎えると言った男は歳の割に老けた印象を与えた。しかしそれ以上に、自らを魔法使いと名乗る不思議な男であった。

 その老け顔から少年に爺さんと呼ばれたり、少年を置いて長期旅行に行ったり、魔法を教えてもらったりと、やはり不思議な、しかし彼らなりの家族関係を築いていた。

 

 ・

 

 月の綺麗な夜だった。揃って縁側で涼んでいると、唐突に男が言った。子供の頃正義の味方に憧れていた、と。言外に諦めたと言っていることに、少年が咎めるように問うた。男は残念ながらね、と肯定した。ヒーローは期間限定で大人になってしまうと名乗るのが難しくなる、と。そして自嘲するように、そんなこともっと早くに気付けば良かった、と言った。

 男の答えに納得したのか、それじゃしょうがないなと言う少年と、その言葉を自分に言い聞かせるように呟く男。

 

「しょうがないから、俺が代わりになってやるよ」

 

 終ぞ男が口にすることができなかった夢を、少年が叶えると言った。世界平和を志しながら、掌から全てが溢れてしまった男にとってそれは紛れもなく救いだった。

 

「そうか……。ああ、安心した」

 

 そう言い残し男は眠るように目を閉じた。

 

 ・

 

 ……想像以上のものが出てきましたね。過去の英雄が出てくるならファンタジーものかと思ってましたが、現代劇だとこうも重くなるのですね。最後に父親が救われたのは良かったと思いますけど、少年がどんな成長をするのか少し不安ですね……。

 

 ・

 

 少年は成長し、高校生になった。

 男との約束は少年の生き方そのものとなっており、一歩間違えれば死ぬような魔術の訓練を毎日こなし続けていた。

 一方で成長を実感できず焦燥感を抱き、男が言った「誰かを助けることは、誰かを助けないこと」という言葉に、目指すべき正義の味方としてのあり方に苦悩していた。

 

 ・

 

 男がまだ生きていた頃から付き合いのある一番気安い関係の姉代わりや、自宅で食事を共にするほど仲の良い部活の後輩といつも通りの朝を迎える。

 少年はとにかく人のために働いた。壊れたものがあれば西に走り、困っている人がいたら東に走った。そんな少年を体よく扱き使う者もいたが、尊重してくれる友人もきちんといた。

 正義の味方を真剣に目指していることと、半人前以下の魔術師であること以外は普通の少年は当たり前の日常を過ごしていた。

 そんな少年の日常は、夜の学校で目撃した人の形をした人外の戦いを目撃したことにより急速に変わっていった。

 万能の願望器聖杯を巡る、7人の魔術師とその使い魔たる7騎の英霊の戦い。その名を聖杯戦争。

 命の危機を前に、アーサー王という最優の英霊を召喚した少年は、紆余曲折を経て一時的に休戦状態となった同級生の魔術師の少女から聖杯戦争の事を聞く。一般人が犠牲になるのであれば、参戦しないという選択肢は少年の中に存在しなかった。

 こうして少年は自らの意思で、戦争へと足を踏み入れた。

 苛烈を極める戦いの中、徐々に少年の異常な在り方が顕になっていく。自身の命を軽視どころか無視した無謀な行動。アーサー王や少女はその異常性に気付き、何度もやめるように言ったが少年が変わることはなかった。

 あの大災害で全てをなくしながら生き残ってしまった少年にとって、死の間際に養父とした正義の味方になると言う約束は自身の全てであり、何がなんでも叶えなければならないのだ。それこそ自身の命を度外視してでも、だ。

 

 ・

 

 戦争は最終局面に至り、少年はそこで聖杯が呪いに汚染されていることを知る。そしてそれがあの大災害を引き起こした事を。

 呪いに飲み込まれながらも、強靭な意思で生還を果たした少年は、アーサー王と協力して聖杯を破壊し、戦争に終止符を打った。

 戦争が終わっても少年は日常に完全に戻らず、少女を師とし、高校を卒業と同時に英国へと渡った。

 表の世界とは全く異なる文化に翻弄されつつも、少女や仲間と共に切磋琢磨し、いつしか青年へと成長していった。奇妙ではあるが、そこには確かに青春があったのだ。

 だからこそ誰も未だ正義の味方の夢を諦めていない事に気付けなかった。

 青年は師を、仲間を、家族を全て捨て、単身で戦場へと赴いた。

 超常の力を有する青年は、力なき者達を救い続けた。

 賞賛も名誉もなく、ただひたすら義務のように救い続ける青年を、やがて人々は恐れ始めた。それでも青年は止まらなかった。

 そして決定的な出来事が起きた。己の力では及ばない脅威から人々を助けるために、青年はある対価と引き換えに地球という巨大な意思と契約し更なる力を得たが、より人から外れた青年を、人々は怪物として恐れた。

 怪物の末路はいつだって決まっている。それでも青年は己の後悔を抱かなかった。

 

 ・

 

 青年が対価として差し出したものは、自らの死。不死の存在となり、時空を超越し人類という種を守護し続けることが、課せられた使命。

 それに終わりはなく、青年の目指した正義の味方からはかけ離れたものだった。人類のために人の犠牲を容認することに絶望し、青年の精神は磨耗していった。正義の味方という夢と、それを抱いた自分を否定させるに十分すぎ、やがて残酷な決断をさせた。自身を消滅させるために、過去の自分を亡き者にする。

 膨大な時間を経て、青年は聖杯戦争に召喚された。しかし何の因果か、青年を召喚したのはかつての師であった。

 袂を分つその瞬間まで青年を止め続け、自分では止められないと最後は涙で見送った師。

 胸に去来する激情は何か。それをおくびにも出さず気障ったらしく

 

「では凛と。ああ、この響きは実に君に似合っている」

 

 とだけ言った。

 

 ・

 

 結局、青年の目的が叶うことはなかった。かつての自分との戦いに敗れたからだ。

 少女との契約を破棄したことで十全の力を発揮できなかったから。

 少年の体にアーサー王の鞘があり、瀕死の傷も回復してしまうから。

 探せばそれらしい敗因は見付かるだろう。

 しかし結局のところ、少年が言った「この夢は間違いなんかじゃない」という言葉に答えを得てしまったからだ。

 

 ・

 

 戦争は終わった。

 青年の正体を知った少女は、もう一度契約を持ち掛けた。たとえ自分が死ぬまでの間だけでも、終わりのない地獄から青年を救いたかったのだ。

 青年はそれを受け入れなかった。再び正義の味方になるために、立ち上がれたから。

 

「答えは得た。大丈夫だよ遠坂。俺もこれから頑張っていくから」

 

 ・

 

 ハッピーエンドとは言い難い終わり方だが、何か感じ入るものがあったのだろう。惜しみない拍手が送られた。ちらほらと啜り泣く声も聞こえた。

 果たして文化祭の出し物として正しかったのかは判然としないが、大成功ではあった。

 

 ・

 

「学生の出し物と侮ってましたが、すごい内容でしたね……」

 

 近場のベンチで一服していると、理子がしみじみと言った。

 

「どうすればあの青年は止まったのでしょうね」

 

「……難しい質問だな。あれだけ頑固ではちょっとやそっとの話し合いでは変わらんだろうし、それこそ殴り合いでもしなければ止まらんのではないか」

 

「……自分の立場に置き換えてみて、もし彼のような教え子がいたらどうするか考えてみたんです」

 

「止められそうか?」

 

「無理に抑えつけたらもっと凄いことになる気がします」

 

「ふっ。同感だ。ならどうする」

 

「分かりません。分かりませんけど、ちょっとやそっとの話し合いで無理なら、もっと沢山話し合うしかないかと」

 

 缶コーヒーで喉を潤すと、理子は不意に薄く笑った。

 

「どうした」

 

「いえ、厳しく律することがトレーナーとして正しい在り方だと思っていたのですが、まさか劇で少し改めようと考えるとは思わなくて。おかしいですよね」

 

「いいのではないか? 観たことで何かを感じたのなら、作った生徒も冥利に尽きるだろうさ。それに、あの男も少しは救われるのではないか?」

 

「……そうですかね。そうなら、いいですね」

 

 ・

 

 くぐもった着信音。士郎のものだ。通知を確認し、立ち上がる。

 

「すまない。少し所用ができた。1人で待たせてしまってすまないが、よければ用務員室で休んでいてくれ」

 

「そう、ですね。流石に私一人で回るのもアレですし」

 

「名前の書いてある物と、仕事道具を触らなければ好きにして大丈夫だ」

 

 鍵を渡すと、少し早足にその場を後にする士郎。少しソワソワしている姿に珍しいなと思うが、そこまで長い付き合いでないことを思い出す。出会った回数はまだ2回なのだ。それだけしか会っていないのに、色々と話してしまったことに少し気恥ずかしさを覚える。話し上手な上に聞き上手な相手が悪いと言うことで納得することにした。

 

 ・

 

 屋上へと続く階段の下で、生徒が屯している。皆一様に、階段を見上げ、不安げに耳と尻尾が揺れている。

 背後からの足音に気付いたキタサンが振り返る。

 

「士郎さん!」

 

 まるで救世主が来たかの如く喜色満面となり、士郎の元に集まる。そのことに少し驚いた表情を見せる士郎。

 

「スイープは屋上か?」

 

「はい。少し一人にさせてって言って」

 

「そうか。手間を掛けさせたな」

 

「大丈夫です! それよりスイープさんのこと、嫌わないであげて下さい」

 

「似たような事をナイスネイチャにも言われたな。心配しなくとも、怒ったり嫌ったりしないとも。では行ってくる」

 

 万が一にも逃げられないため、霊体化して向かう。

 

 ・

 

 眼下ではまだまだ聖蹄祭が続いており、来場客でごった返している。その中で何人が先の劇を見に来てくれたのか、と思う。やったことを間違いだとは思っていない。しかし折角の楽しい気分を害してしまっていないか不安になるし、そもそも士郎に何の断りも入れてないのだ。終わった後も顔を合わせることが怖くて、回ろうと言う誘いも断り一人になっている。

 

「スイープ」

 

 声を掛けられたこと自体に驚きはしたが、士郎がここにいると言うことには驚かなかった。いずれはちゃんと話をしなければと言うことも分かっていた。しかしまだ整理を付けられていなかったスイープの心はあっという間に決壊した。

 

「し゛ろ゛おぉ! ごめんなさい──!」

 

 一気に溢れ出した涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら謝り、士郎にしがみつく。それっきりしゃくり上げとてもではないが話せないスイープを、労わるように撫でる。

 

「士郎は、いつか、ここのこととか、アタシのこととか、全部忘れちゃうって、聞いたから……。アタシ達も忘れちゃったら、士郎が、本当にいなくなっちゃうから、それが嫌で……」

 

「スイープ……」

 

「でも、勝手に、やって、ごめんなさい……!」

 

「ありがとう」

 

「うううううぅぅぅ」

 

 ドアの向こうから覗いていたキタサン達は、そっとその場を離れた。

 

 ・

 

「そう言えば、どうやってあれだけ知ったんだ。この間の聖杯戦争について話したことはなかったはずだが」

 

 胡座の士郎を椅子にし、未だ鼻を啜るスイープに問いかける。それに対し、ゴソゴソとポケットを弄り、何かを取り出す。小さな巾着袋。更にその中に絹に包まれたものがあった。

 

「これを見せれば、分かるって」

 

 差し出された掌にあったのは、紅い宝石。忘れるはずがない。忘れられるはずがない。それがここにある。その事実は士郎の胸を驚愕で満たしたが、口から溢れたのは何故か『大笑い』だった。

 

「はっはっはっは。そうかそうか。喜べスイープ。君が出会ったのは、いずれ本当の魔法使いになる女性だ」

 

「……あの人が、凛さん?」

 

「そうだ。人間だった頃の師で、ランサーに殺されかけた私を助けてくれたのも彼女だ」

 

「そうなんだ。あの人が」

 

 手の中の宝石を弄りながら、反芻するように呟くスイープ。太陽に透かしてみると、全く傷が見えない透き通った紅い空が見える。すごく綺麗だった。

 

「凛は元気だったか?」

 

「うん。あっちの士郎も元気だって」

 

「そうか。ああ、安心した」

 

 その言い方が、士郎の養父を思わせ、不安になり、無意識に手を握っていた。

 

「どうした」

 

「……こ、この宝石、士郎欲しい?」

 

 気恥ずかしさを誤魔化すため、咄嗟に宝石を話題にしたが、良い誤魔化し方だと自画自賛した。それでも不安を拭いきれなくて、握ったままなのだが。

 

「いや、それはスイープが持っててくれ」

 

「大事なものじゃないの?」

 

「元々私のものではないしな。それに、それは凛が私を呼び出せた触媒でもあるからな。だからスイープが持っていてくれ。いつか私が帰ってしまった後でも、それがあれば喚べるかもしれんからな」

 

 今まで敢えて触れてこなかったが、定命のスイープと、不老の士郎とでは、どうあっても一生を共にすることはできない。いつかは必ず別れることになる。

 だからその時になってスイープがなるべく悲しまないように、と。

 

「……もう返してって言っても返してあげないからね。見せてあげるだけだからね」

 

「二言はないさ。大事にしてくれれば、私も凛も文句は言わんさ」

 

「分かった。大事にする」

 

 いそいそと絹で包み、巾着袋に仕舞い込み、ポケットに入れる。

 ホッと勢いを付けて立ち上がり、振り向いて士郎に尋ねる。

 

「もう目、赤くない?」

 

「ああ、大丈夫だ。祭りを回るなら、事情を知っている子達に謝っておくといい。ずっとスイープのことを心配していたからな」

 

「う……。大丈夫って言ってたのに」

 

「嘘が上手くないということさ。良いことだ」

 

「ふう。まあ、心配かけちゃったなら謝るけど。士郎はこの後どうするの」

 

「客人を待たせてるのでね。接待に戻るさ」

 

「そ。じゃあまた明日ね」

 

「ああ、また明日」



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