間桐雁夜はどこまでも魔術師である (百目鬼猫)
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1990年の時計塔

「理想こそ美しく崇高だが、それを実現するための手段と過程は醜悪極まる。お前の一族は魔術刻印の代わりにそんな歪みを受け継いできたんだろう」

 

 初老の女性はキャンバスを筆で撫でながら、研究室を出ていこうとしていた弟子の男にそう語りかけた。その口調はぶっきらぼうで厳しく批評しているようでありながらも、どこか優しい色が混ざったものであった。少なくとも、語りかけられた弟子、間桐雁夜はそう感じた。

 

「卒業する生徒への手向けとしては、ちょっと手厳しすぎるお言葉じゃないですかね、先生」

 

「ふん、いつまでたっても卒業できなかった不出来な弟子を追い出す時の台詞としては、これ以上ないくらいに優しさに包まれてるよ」

 

 師の言葉に雁夜は言い返せずに、苦笑した。

 

「何だったらオレが卒業祝いに肖像画でも一枚描いてやろうか」

 

「うへぇ……それは勘弁願いますよ、先生。 自分にはちょっと身に余りすぎる光栄で…」

 

「……まったく。 それで、これからどうするつもりだ? 魔術使いにでもなるなんて宣ったらぶっ殺すが」

 

「なりませんって。 まぁ、橙子さんに借金返すために魔術使い紛いの下働きはちょっとしなきゃいけませんけど」

 

「よりにもよってトウコを債権者に選ぶとは、お前も度し難い馬鹿だな。 素直にアラヤあたりに無心すればいいものを」

 

「荒耶さんやコルネリウスに貸しを作るととんでもない悪巧みに駆り出されそうで怖いんですよ…」

 

「魔術師など悪巧みしてなんぼのもんだろうが」

 

「そりゃそうだ」

 

 雁夜はそう笑い、すぐに真剣な眼差しを師に向けた。

 

「────当面は、父親を殺すための下準備に専念しようと思います」

 

「そうか」

 

 親類殺しを宣言した生徒に、その師はなんてことの無いつまらない予定を聞いた時のような、平坦な返事をした。

 

「極東の田舎魔術師とは言え、魔道に身も魂も費やした魔人に、お前程度がどう対抗する気だ?」

 

「まぁ、そこら辺は事後報告でお願いします。 そっちの方が面白いでしょう?」

 

「確かに、出来もしない退屈な理想をつらつらと聞かされるよりはマシだな。 お前が五年前、研究室にやってきたときみたいに、ね」

 

「あはは…」

 

 苦く青い思い出が雁夜の脳裏を走った。少し恥ずかしくなる、ある意味で黒歴史とも言えるような記憶だ。

 

「次に顔を見せる時は魔術刻印を引っさげてきますよ」

 

「ああ。マトウの魔術刻印がどれほど醜悪か、今から楽しみにして待ってやるぜ。 精々、足掻いてきな」

 

 弟子はその言葉を激励として受け取り、その研究室を去った。 師は去りゆく弟子の背中を一瞥すらせずに、混沌と色がせめぎあうキャンバスへと心を完全に沈めた。

 

 



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魔術師・間桐雁夜の帰郷

 閑静な住宅街に存在する、有り触れた一軒の住宅。

 ここには三人の家族が住んでおり、仲睦まじい夫婦に、可愛い盛りの少女が幸せな生活を営んでいる。少なくとも、昨日までは近所からそう周知されていた。

 

「酷いことをするなぁ」

 

 床に散らばった、つい先日まで家族だった亡骸とぶちまけられた臓物を一瞥して、魔術師、間桐雁夜はそう呟いた。言葉とは裏腹に、悲痛な表情は一切浮かべていない。

 彼はできる限り靴とズボンを汚さないような足運びで、リビングルームを物色した。

 

「身分証は……あったあった。 うわ、結構いいとこに勤めてたんだな、ここのお父さん。 こっちの子は……まだ小学生だったのか、可哀想に」

 

 この惨状の被害者でも、加害者でもない異質の魔術師はしばらく物色したあと、床の血肉と臓物の絨毯に向き直り、手を合わせた。

 

「葬式とかは挙げてあげられないから、これがせめての弔いだ。 ほんと、ごめんね……」

 

 しばらくの黙祷の後、雁夜は目を開いた。

 すると彼の衣服の下から様々な蟲が這い出て、床へと集まっていた。

 

「まったく、しばらく居ないうちに冬木も物騒になったな。殺人鬼がいるだなんて、世はまさに世紀末って感じだ。

はやく捕まって欲しいよ、本当に」

 

 殺人鬼の凶行の証拠を、自身の使い魔たちの餌にしながら、彼はそんなことを平然と宣った。 だが、彼の発言の矛盾点を突っ込める人間はこの場のどこにもいない。あるのは臓物と、醜い虫と、冷酷な魔術師のみである。

 

 三体の亡骸に蟲たちが潜り込む。 途端、バタバタと亡骸たちが激しく痙攣を始める。まるで、生きているかのように、呻き声のようなものがそれらから鳴り始める。

 

 三分ほど、手足が床を叩く音と不気味な呻き声がリビングルームを包み、そしてピタッと静寂に包まれた。

 

 最初に立ち上がったのは、父親だった。

 父親の顔面半分は惨たらしく欠損していたが、みるみるうちに修復されていく。いや、正確に言えば蟲たちによって継ぎ足されていった。

 

 その工程は3回繰り返され、形だけだがかつての家族の姿がこの世に取り戻された。

 

 それから数分も経たずに、先程まで非日常に包まれていた一軒家に、日常が戻ってきた。正確には、醜悪なる蟲たちに日常の皮を被せただけだが。

「きょょきょきょ今日ははは…ハンバーグよォ」

 

「わわわわわいいいいー!」

 

「あはははははは」

 

 彼らの歪な鳴き声がリビングルームにこだました。食卓を囲む彼らはまるで下手くそな人形繰りのような動きで、何も載っていない皿にフォークを突き立てている。

 

「……ちょっとホラーチックになっちゃったな。 まぁ、一晩放置すれば蟲たちも慣れるだろ」

 

 雁夜は自身で構築した歪な光景に呆れたようにため息をつき、工房や蟲蔵を作るためにリビングルームを後にした。

 

 

 工房と蟲蔵を構えた頃には朝日が顔を出していた。

 雁夜はリビングルームでコーヒーを一服をする。その周囲では、まるで雁夜という存在を認識していないかのような振る舞いで、家族が朝の身支度をしていた。

 

「お母さん! 体操服は!?」

 

「そこに干してるわよー」

 

「母さん、今日は残業で遅くなるから俺の分の晩御飯は用意しなくて大丈夫だよ」

 

「はいはい」

 

 皿洗いをしながら母は父子の朝支度を見守る。雁夜も、コーヒーを口につけながら目の前で繰り広げられる幸せな家族の再演を眺める。

 

「「じゃあいってきまーす!」」

 

「はいはい、いってらっしゃい」

 

 なんてことの無い日常。

 得体の知れない悪意に晒されなければきっと今日も続いていたはずの幸福な日々は、彼らに擬態した蟲たちによって再現されていた。

 

「うんうん、いい感じだな」

 

 昨日までの歪なものとは打って変わって完璧な擬態に調整出来たことに、雁夜は満足そうに頷いた。これならばこれまで通りに社会に溶け込むのもなんら問題なく行われることだろう。

 

「さて、と。 聖杯戦争まであと一年か。 ぼちぼち実家にも顔を出しておこうかね」

 

 実家、つまり冬木でもっとも醜悪である魔窟、間桐屋敷へと雁夜は帰省しようと考えていた。

 と言っても、赴くのは雁夜本人ではなく、雁夜を模した自動人形である。雁夜が大きなスーツケースを開くとその中には雁夜そっくりの人形が収められていた。

 

「いやー、本当にいい仕事してくれるな、橙子さんは」

 

 この雁夜人形は高名な人形師の特注品である。かなり値が張る代物だが、その精巧さは折り紙付きだ。

 

「それにしても冴えない男だなー、こうして客観的に見ると」

 

 精巧すぎるが故に、自身の欠点もはっきりと見えてしまう。雁夜はやや複雑な心境で、人形の起動を行う。

 と言っても難解な儀式や詠唱などは必要のない、ちょっとした作業で事前に設定した通りに動いてくれる。こういった利便性にも気を払うのがあの人形師の美点であり、魔術師として異端とされる所以でもある。

 

 この雁夜人形は「只人」をコンセプトに設計されている。つまり、この人形は魔術師ではなく一般人の生き方を選んだ場合の、間桐雁夜なのだ。

 

 偽りの記憶に、偽りの思想。人形・間桐雁夜の在り方は、偶然にも雁夜の学友らが後に作り上げる死の螺旋における、幾多の死を再現する人形たちのそれに酷似していたが、雁夜はおろか、蒼崎橙子すらまだ知るよしもない。

 

「────在るがままに生きろ」

 

 雁夜は起動させた自動人形にそう命じる。その文言は言うなればパスワードのようなもので、雁夜人形は無表情のまま、家から出ていく。

 きっと彼はこの後、遠坂葵の所へ向かい、その後義憤のままに実家に飛び込むであろうことを魔術師・間桐雁夜は予見していた。いや、それは確信ですらあった。

 

「葵さんには直接会いたかったけど、流石に今俺が舞台に上がるのは不味いからなぁ。 聖杯戦争が始まるまでは黒子に徹しておかないと」

 

 雁夜は心底からそう嘆いた。

 魔術師である自分の人生に巻き込みたくなかったが故に、身を引いたが、今でも彼女に対しての慕情は残っていた。

 故に彼女を魔道に引きずり込んだ遠坂時臣に対する殺意は存在していた、がそれは今回は主題ではないので、ぐっと堪えるようにコーヒーを胃に流し込む。

 

「時臣、奴もこの際始末しておきたいけど、如何せん相性が悪すぎるか……

なにより、臓硯を殺すために手の内は隠しておきたいし、二兎は追うべきではないな。 はぁ…」

 

 自身の非力さにため息が止まらない。

 仮にこれが学友たちであったのであれば、二兎どちらも仕留められていたのであろうか。おそらく、彼らはそれを容易にやって退けるだろう。

 自分とは違い、熱意だけでなく、才能にも恵まれた彼らに羨望が湧いてくるが、今それは必要のない感情であると、雁夜は邪念を消し去るように頭を振った。

 

 嫌な考えを紛らわすために、自身が嫌った魔窟に戻ってきた愚息に、あの魔人はどういう対応をとるだろうか、ということを想定することにした。

 

 間桐家では、出来る限り魔道を嫌悪しているかのような振る舞いに徹底してきたつもりだ。雁夜が魔術師として生きることを望んでいたことなど、あの魔人は知る由もない。そのはずだ。

 

 これは希望的観測でなく、様々な要因を踏まえた上での結論である。

 仮に間桐臓硯がそれに気がついていたのであれば、出奔など許すはずもなく、雁夜はあの場で即座に殺され、ただの操り人形として利用される運命を辿っていたはずである。

 

 だから、臓硯はきっとあの雁夜人形を本人であると思い込む。

 

「と、いいなぁ」

 

 じゃないと1手目すら打てずに詰むことになるし。 雁夜はやけ気味に笑い、また、嘆息した。

 

 

 午後十九時。

 雁夜は現在間桐家にて雁夜人形が愚かな選択をし、臓硯の蟲に身を委ねている光景を視界共有によって眺めていた。

 

「自分で言うのもあれだけど、本当に道化だな。 ……もっとも、この人でなしに比べたらよっぽど立派なんだろうが」

 

 雁夜はそう自嘲して、自分が弄んでいる家族の死体たちに目をやった。たった一日で、蟲たちは完全に家族団欒を再現するに至っていた。

 

 彼らを殺したのは雁夜ではない。が、今やってる事が倫理的に責められるべきことであることであることには違いはない。

 だと言うのに、雁夜の中でそれに対する罪悪感のようなものは一切湧くことはなかった。

 

「……それにしても、ここまで思惑通りに事が運ぶとは。 臓硯どころか人形の方も下手をすれば予想外の動きを見せる心配があったんだが……」

 

 たとえば人形が臓硯でなく時臣を頼っていた場合、雁夜の計画は完全に破綻していたことであろう。

 魔術師としての価値観では、臓硯による遠坂桜の扱いは無駄遣いにすぎる。類稀な先天的な才能を、蟲たちに犯させることで歪ませる。

 仮にそれを正統な魔術師を志す遠坂時臣に伝えれば、雁夜との協力を選ぶかはともかく、間桐との衝突は避けられない。

 

 それは少なくとも雁夜人形が考えるような、臓硯の刻印虫によって改造されたボロボロの身体で聖杯戦争を勝ち抜くという計画よりもよっぽど現実的なやり方だろう。

 

 ただ、その場合間違いなく遠坂時臣は間桐臓硯を殺すことはできない。これは断言出来る。

 奴は正統な魔術師であるが故にあの魔人の悪辣さと生き汚さを理解していない。どれほど臓硯の愛おしい蟲たちを焼き尽くしたところで、間桐臓硯そのものを滅するには至らないであろう。

 

 そうして最後には、遠坂時臣は惨たらしい死体を蟲蔵に沈めることになるのだ。 協力を持ちかけてきた雁夜と共に、である。

 

 それに、御三家のひとつが自身を殺すために動いていることを察した時点で間桐臓硯は間違いなく身を徹底的に隠す。

 そうなれば、誰にも見つけられない。それはここで観測者を気取っている間桐雁夜にとっても非常に困る事態なのだ。

 

「奴にはあくまで悠々自適な観客として振舞っておいてもらわなきゃいけない。 俺が奴の蟲たちを全て喰らい尽くすその日まで、な」

 

 そう間桐雁夜が呟いた瞬間、今も蟲の群れの中で苦しんでいる雁夜人形の口の中から一匹の蟲が這い出てきた。

 それは魔術師・間桐雁夜が臓硯に対して最初に打った布石であり、詰めの一手でもあった。

 

 間桐雁夜はどうかその一手が間桐臓硯に察されないことを願い、目を瞑った。




俺のトウコえもんは最強なんだ!


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身内殺しのシンパシー

 間桐雁夜は魔術師である。

 誰かからそうあれと命じられたからではなく、或いはそう設計されたからでもない。

 

 彼は先天的に、どうしようもなく魔術師だったのだ。

 

 だが、彼は間桐家を出奔するまでの間に一度もその性質を周囲に晒すことはしなかった。

 特に自身の肉親、とりわけ間桐臓硯の前では魔術師という生き方を憎悪しているような言動すら見せた。それは何故か。

 

────間桐家の非合理的な在り方を何よりも嫌悪していたからである。

 

 露悪的で醜悪的。それだけなら魔術師の性質として逸脱していないどころかある意味では模範的であるとも言える。

 しかしながら非合理的という性質だけは全く話が違ってくる。間桐家は、間桐臓硯という魔人は、根源到達という魔術師の悲願に近づくどころか遠のくような在り方を自身にだけでなく、一族全体に強要していた。

 

 刻印はとうの昔に受け継がれなくなり、外から仕入れた母体はそうそうに蟲の餌にされ、当主はただの器として利用される。

 魔術師としての定義からすら外れつつある間桐家を、間桐雁夜は見限ることにした。

 

 故に、彼は出奔するまでの十八年間、魔術師を嫌悪しているかのように振舞った。その裏で、魔術師としての研鑽を積みながら。

 

 間桐臓硯の目を盗んで魔術の研鑽を行うことは困難に近かった。しかし、間桐雁夜はそれをどうにかやり切ることができた。

 と言ってもほとんど独学で行われたそれは数多くの悪癖を生み出すことになり、後に時計塔にて師による厳しい矯正の日々を送ることになったのだが。

 

 そんな日々の中で、彼は恋をした。

 三つ年上のお淑やかな少女。彼女の名は禅城葵。

 

 冴えない自分と彼女が仲良くなれたことの裏に、父である間桐臓硯の手回しがあったことは察していた。それでも、間桐雁夜という男は、禅城葵という存在に惹かれることを避けられなかった。

 

 結局、彼は自身の野望と魔道に巻き込むことへの忌避感から彼女に思いを告げられずに同じ御三家の嫡男である遠坂時臣によって恋路を強制的に終わらされた。

 

 故に、間桐雁夜は遠坂時臣に憎悪を抱かざるを得ない。

 葵だけが理由ではない。まだ前途有望な遠坂家の才能あふれる嫡男という自分にとっては理想的すぎる生まれに対する嫉妬とも言える羨望も、その憎悪の中で多分に含まれていた。

 

 そんなコンプレックスを払拭することが出来ないまま、彼は出奔して、三年ほど世界を放浪した。

 時計塔にすぐに訪れなかったのは、間桐臓硯への偽装のためでもあったが、なによりも自分の劣等感に踏ん切りをつけるためでもあった。

 

 しばらくの間、観光地を中心にフリーライター間桐雁夜としての活動を行った。二年ほど経過し、流石に臓硯の監視も完全に消えたと判断した彼は、魔術師として生きるための道を本格的に歩み始めた。

 

 旅をしながら当面の生活費を稼ぐために魔術使い紛いのこともやった。

 これは極めて実践的な研鑽になったが、何度か死にかけもした。だが、死に近い環境に身を置いたことで自身の劣等感を魔道に対する探究心に昇華することができるようになった。

 

 それにより踏ん切りを付けられたと判断した彼は、出奔して三年経った頃に、ようやく時計塔の門を潜った。

 

 無論、間桐雁夜としてではなく、身分を偽った上で、である。

 

 藤田カフカ。彼はその名を引っ提げで時計塔へと乗り込んだが、御三家の次男という素性を隠したほぼ一般人の彼を迎え入れる教室は見つからなかった。

 当初の予定では植物科か呪詛科で学ぶはずだったのだが、ロンドンに来て半年を経てもどこかの教室に籍を置くどころか聴講生として迎え入れられることもされずにいた。

 

 これは彼の素性が不明瞭であることだけでなく、彼が英語をほとんど話すことが出来ないというところにも起因した。

 異言語間でもコミュニケーションを成立させる礼装はあるが、当然の事ながら雁夜が用意出来る代物ではないし、彼以外の人間が英語を話せない者に合わせる義理もない。

 必然、間桐雁夜はぼっちになった。

 

 そのような現状に耐えられなかった結果、間桐雁夜は狂った。

 

「あははは、蝶々が綺麗だぁー。 葵さんにこの写真を送ったらきっと喜ぶぞ〜」

 

 ロンドンの街中で蝶や野鳥を無駄に立派なカメラで撮影しては、ケラケラと笑うアジア人の目撃情報が噂されるようになったのは丁度その時期からだ。その不気味なアジア人とは当然、藤田カフカこと間桐雁夜(21)である。

 

 その奇行はとある少女に声を掛けられるまで、つまり三週間ほど続いた。

 

「立派なカメラですね。 CanonのNew F-1ですか?」

 

「あはは鳩が飛んで……へ?」

 

 渡英して初めて日本語で話し掛けられたことに驚き、振り返るとそこには眼鏡を掛けた、赤みのかかった黒髪の少女が微笑みを浮かべて立っていた。

 

「えっと…」

 

「見せて貰っても?」

 

 いきなり話し掛けられたせいでどう対応すればいいか戸惑っている雁夜に、少女は笑顔のまま手を出した。雁夜を見つめる彼女の瞳はまるで人形のように完成された、美しい赤色で彩られていた。

 

 雁夜は言われるがまま、少女にカメラを差し出す。

 少女はしばらくカメラを様々な角度から見た後に、なにやら満足そうな表情で「ありがとうございます」という丁寧な一言とともに、雁夜に返却した。

 

「随分と丁寧に手入れしているんですね。 購入して四年は経っているのに、まるで新品のよう」

 

「はぁ…そりゃどうも……え?」

 

 目の前の少女の褒め言葉に、頭を下げたところで雁夜は彼女の発言のおかしな所に気がついた。なぜ、少し観察しただけでカメラを購入した時期を正確に言い当てられたのであろうか、と。

 

「君は……」

 

「もしよろしければ写真を拝見させてもらえないでしょうか」

 

「えっ…あ、じゃあこれを」

 

 雁夜はまたも彼女の言われるがまま、懐から写真を取り出し手渡した。ロンドンの空を飛ぶ野鳥たちや、人並の中を縫うように歩く猫の写真。彼女はそれをまた興味深そうに一通り眺めて、お礼の言葉と共に雁夜に返した。

 

「どの写真も素朴で、飾り気がない。 まさに日常そのものを抜き出した、そんな作品ばかり……」

 

「え」

 

 彼女から発せられた感想に雁夜は困惑する。

 褒められているのか貶されているのか分からない。ただ、少女はどこか満足したような表情で雁夜を見つめて手を差し出した。

 

「突然失礼しました。私は蒼崎橙子と言います。 貴方は…」

 

「あっ、俺はまと…藤田カフカです。 よろしく」

 

 雁夜はおずおずといった感じで差し出された握手に応えた。本名を言いかけたことはご愛嬌である。

 

「藤田カフカ……失礼ですが、藤田は寄生虫学の権威である藤田紘一郎氏、カフカは「毒虫」の作者。 それらに由来する偽名で間違いないですか?」

 

 そう、少女は微笑みながら雁夜に問いかけた。雁夜の背中に寒気のようなものが走る。

 

「えっ……」

 

 狼狽える雁夜を目に少し悪戯っぽく笑うと、彼女は握手をしていない方の手で眼鏡を外した。途端、雰囲気が一変する。

 

「偽名にしては少々飾りが過ぎる。 私は偽名を使っています、と自己紹介をしているようなものだぞ?

しまいには馴染みが無さすぎるせいで自分で名乗るときに言い淀む始末だ」

 

「なっ…!?」

 

 先程までのお淑やかな感じとは打って変わって、男性的な口調になった少女は鋭く雁夜の粗を言い当てていく。

 

「偽名を使うということは即ち身分を隠さなければ危うい立場であるということ。

だというのに偽名に自分の素性や属性を含むような要素を取り込むとは一体何を考えている?

飾りのない良質な作品を撮る腕を持っているのに、振る舞いは後先考えない無駄ばかり。

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「君は…っ!」

 

 目の前の少女は魔術師だ。そう理解した時にはもう遅かった。

 身体が硬直して動かない。さらに言えば少女の瞳から視線を外すことが出来ない。少女の瞳が先程までの赤色から、青色へと変貌していた。

 

(まさか…魔眼か……!?)

 

 身体が動かなくなる、という点で恐らくは魅了の魔眼だろうと、雁夜は動揺しながらもどうにか思考した。

 しかし、それがわかったところでどうしようも無い。この状況に至った時点で、雁夜の生殺与奪は目の前の橙子と名乗った少女に握られていたのだ。

 

「刻印は持たず、回路の量も質も低い。 その上で、英語もロクに習得せずに時計塔へと単身乗り込み、最後には往来で奇行を繰り返す。

自分で言っていて笑いが出そうだ。 お前はなんなんだ?」

 

 じっと、橙子は雁夜の瞳を覗き込む。まるで先程カメラにやったように、間桐雁夜という男を底の底まで分析するかのように。

 

「俺は……」

 

「質問は私がする。 勝手に答えるな」

 

 刹那、息が出来なくなる。橙子が魅了の効果を強めたのだ。これが意味するところは、橙子の尋問に答えなければ呼吸困難という制裁を下すという通告である。

 

「では、最初に。 お前の本名は?」

 

「ハァッ……ぐぅ……間桐……雁夜だ……」

 

 えずきながら、何とか答える。

 

「間桐……それは冬木御三家の間桐家か?」

 

「そ……うだ……」

 

「なるほど。 間桐の魔術師は蟲を使役すると聞いたことがある。 偽名にその手の要素を加えたのはそこに由来するものか。……なぜ時計塔に、偽名でやってきた」

 

「それは……ぐぅうぁ…」

 

 雁夜が言い淀んだ瞬間、また息が出来なくなる。

 しばし、雁夜が悶え苦しむが地面に崩れ落ちることも、握手している手を振り払うことも出来ない。そんな彼を橙子は冷徹に見上げている。

 そんな異様な光景が往来で繰り広げられているというのに、道行く人々は雁夜と橙子を一切気にした様子もなく、過ぎ去っていく。

 雁夜は呼吸困難になりながら、おそらく認識阻害の術式かなにかを目の前の恐ろしい少女が使役しているのだと考えた。

 

「もう一度、質問する。 なぜ、偽名を使って時計塔にやってきた?」

 

「一般人……として……実家から出奔したからだ……! 本名を使うと…実家に……クソ親父に察知される……!!」

 

「……それの何がまずい?」

 

「殺されるんだ……もしバレたら…!」

 

 橙子は怪訝そうに眉を歪めた。

 

「殺される? なぜだ。 魔術師の親としては我が子が研鑽のために時計塔に赴くことに歓心はすれど、殺意までは抱かないだろう、普通。

秘儀の流出でも恐れてるのか?」

 

「秘儀なんて教えられてないさ…! そうじゃなく、うちの当主様は……自分の身内がそういう誠実とか、実直みたいな生き方をするのがたまらなく嫌いなんだ……! ハハッ……!」

 

「……ハッ、歪んでいるんだな」

 

 違いない、と雁夜は笑った。

 

「それで? お前はなんで魔術師を志している」

 

「……そういう風に……生まれたからだ……!」

 

 雁夜の即答に、橙子は一瞬、驚いたように口を閉ざした。

 しばらくして、これまでよりも一層、真剣な口調で、質問を繰り出した。

 

「魔術師になってお前は一体、何をするつもりだ?」

 

 雁夜は瞬時に察した。ここで回答を間違えれば自分は目の前の少女に殺されるであろうことを。

 つまりじっくり考えた上で答えなければならない質問である。

 

 しかし、雁夜は即答を選んだ。

 

「クソ親父をぶっ殺し……刻印を手に入れて……間桐家を俺のものにする……·! それが俺の野望だ……!」

 

 殺されてもいい、という程の度胸は雁夜にはない。

 しかし、こればかりはこう答える他になかった。なぜなら、彼が野望と呼んだそれは、ある意味で彼の起源とも言えるようなものだったからだ。

 

 橙子はしばらく沈黙した。

 そして、

 

「ぐぁ…っ」

 

 雁夜の身体を縛っていた強い拘束が、一気に霧散した。

 思わずそこにへたり込む雁夜を、橙子は無表情に見下ろして、そして、

 

「あはははははははっ!」

 

 と哄笑した。

 雁夜は戸惑いを隠せず、地べたに屈したまま目の前で狂ったように笑う少女を見上げていた。

 

「父親を殺して、刻印を奪うと…あははははっ! そのために、家出して、単身で渡英……! ふふふ、なるほど、奇遇だ、本当に奇遇だな! くっくっくっ…」

 

 ひとしきり笑ったのち、彼女は眼鏡を掛けて、地べたに座り込んだままの雁夜に手を差しのべた。

 その有様は、会ったばかりのお淑やかで優しい雰囲気を纏った少女そのものだった。

 

「本当に、失礼しました。 立てますか?」

 

「あ、うん」

 

 雁夜は困惑しながら、橙子の手を取り立ち上がる。成人男性が自分より年下の少女に持ち上げられる様は情けないの一言に尽きるが、幸い橙子による認識阻害のルーンによって誰かにその様を見られてはいない。

 

「雁夜くん、貴方に紹介したい人がいるの。 まぁ、正直、どうなるかはわからないけれど、会ってみない?」

 

「えっ?」

 

 先程までの敵対的な態度から打って変わって、一気に距離を縮めてきた目の前の少女に雁夜は呆然とする。しかし、橙子は構わず続ける。

 

「まぁもし籍が置けなくても、英語の勉強の面倒くらいは見てあげましょう。 いいかしら?」

 

「えっ、じゃあお願い…します…?」

 

「そう。 じゃあ早く行きましょうか」

 

 雁夜は橙子のペースに流されるまま、彼女に連れられて時計塔へと向かった。

 

 それから五年間、彼は橙子のみならず二人の学友(というにはどちらも年上すぎたが)との才能の差に苦しみながらも、恐ろしい師匠に扱かれる激動の生活を送ることになった。

 

 

「ピザ煎餅が…食いたい…」

 

 早朝、工房のベッドで目を覚ました雁夜は開口一番に、そんなことを呟いた。

 今は懐かしき、学生時代についての夢を見たせいであろうと考えながら、雁夜は涎を拭った。

 

 時計を見れば時刻は午前6時を回っていた。しばし欠伸をして、立ち上がる。

 頬をかく雁夜の右手の甲には令呪が刻まれていた。これは聖杯戦争まで残り二ヶ月を控えた時に、浮かび上がったものだ。

 

 この令呪は現在、間桐屋敷にて臓硯に虐め抜かれている雁夜人形にも同様のものが刻まれていた。

 本来であれば、同一の令呪が同時に存在することは聖杯のシステム上、有り得ない。聖杯すら騙しそれを可能にしてしまうのが、あの人形師が冠位たる所以であると雁夜は嘆息した。まったく、才能の差というのは如何ともし難い。

 

「さて、と」

 

 いつものパーカー姿に装いを変えて彼は動き始める。

 これから遅くとも一週間後には、げに恐ろしき魔術師たちやそれに準ずるもの達、或いはまったくのイレギュラーによる闘争の場になる冬木に、より強く根を張るために。そして、

 

────あの蒼崎橙子ですら失敗した、身内殺しを成功させるために。

 

 魔術師は動き始めた。



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嘲笑と鼻歌

「どうした雁夜よ。 あれほど桜は己が救うと息巻いていたのに。 その有様とは、自分が情けなくて仕方がなくないか?」

 

 目の前で、死にかけている息子を眺めてくつくつと魔人は笑う。その顔には親の情など欠片もなく、他者を虐げることに対する愉悦しか浮かんでいない。

 

「まだ聖杯戦争は始まってすらないぞ? 」

 

「……グ……ァ……」

 

 蟲に身体を蝕まれ、父に精神を弄ばれ、その結果、間桐雁夜と設定された男は完全に摩耗していた。

 

「カッカッカッ。 安心せい、お前のために聖遺物はとびきり良いのを用意しておる。 親の情に感謝せい」

 

 臓硯はそう言って雁夜の足に杖を突き立てた。雁夜が無様に悲鳴を上げ、それを見た臓硯はまた面白そうに笑う。

 

 臓硯は気晴らしとばかりに息子を虐めながら、雁夜の令呪の発現が予想よりもかなり早かったことに対して考えを巡らせていた。

 

 というのも、当初の予想だと令呪が発現するとしても聖杯戦争のギリギリであるという目算であったからだ。

 

 一切の研鑽をしていない雁夜がたった一年の期間で聖杯に選出されるほどに仕上げるためには、刻印虫による改造が必要であった。

 そのような外法を用いても、雁夜程度の実力では間に合うか間に合わないかはかなり微妙なところであった。そのはずだというのに、

 

 聖杯戦争を二ヶ月後に控えた段階で、雁夜の手に令呪が刻まれたのだ。

 これは臓硯にとっては全く予想外の事象だったと言っていい。

 

 聖杯はなぜあの段階で雁夜を選出した? 御三家という要素を考慮しても、雁夜の魔術師としての格を踏まえれば、やはり早すぎる。

 

 まさか桜を救うという気概が評価された? まさか。 それはありえない。冬木聖杯がそのような崇高な理由でマスターを選出するわけが無い。なぜならば、あの聖杯はアインツベルンの失策によりどうしようもなく汚染されているからだ。

 

 考えても分からない。分からないから考えてしまう。

 だが、目の前で無様に転がっている愚息が汚染された聖杯の琴線に触れた理由は、いくら考えても見つけることが出来なかった。

 

 結局、臓硯は雁夜の選出理由についてそれ以上の考察を打ち切りにすることにした。

 考察材料が少なすぎるというのもあったが、なによりも目の前で転がっている矮小な愚息が自身を脅かすとは毛ほども思えないから、というのがなによりもの理由だった。

 

「今宵、召喚の儀を執り行う。 それまで精々、死なぬよう安静にしておくのだな、雁夜よ。 カッカッカッ」

 

「クソ……ッ!」

 

 背後で呻く息子を背に、臓硯は愉悦に顔を歪めながら部屋を後にした。

 

 間桐臓硯はまだ気がついていない。

 己が相対している息子がまったくの偽物であることを。

 

 間桐臓硯はまだ気がついていない。

 自身の臓腑とも言える蟲蔵で極めて静かに行われている侵食行為を。

 

 間桐臓硯はまだ気がついていない。

 

────自身を喰らわんと潜伏していた狡猾な同種が動き始めたことを。

 

 

 自身の野望において大きな節目を迎えつつある魔術師・間桐雁夜は呑気に拠点近くのコーヒーショップでアメリカーノを片手に下手くそな鼻歌を口ずさんでいた。

 無論、フードを被って顔を隠してはいるが、逆にそれが悪目立ちをさせている。

 

「ふーんふんふん、ふーんふんふん、ふーんふふん♪」

 

 彼はご機嫌に下手くそで不快な音を店内に提供している。曲名は「もう恋なんてしない」である。雁夜が英国から帰国して最初に耳にした曲だ。

 

 彼は初恋の女性を思い浮かべながら、心を込めて音色を編む。雁夜の表情はどこか切なげだ。

 

 店内にいる何人か迷惑そうに雁夜の方に目を向けているが、男・間桐雁夜は一切気にせずに、音を奏でることを止めない。というか、周りからの視線など一切気がついてない。

 

 サビパートに差し掛かったあたりで、突如として雁夜の座っていた椅子が蹴り付けられ、雁夜は勢いよく床に転げ落ちた。それともに半分ほど残っていたアメリカーノは雁夜の自慢のパーカーに吸い込まれていった。

 

「あぢぢぢぢ────!!! ?」

 

 先程までご機嫌に鼻歌を奏でていた雁夜は一転して情けのない悲鳴をあげた。

 雁夜はひとしきり悶え苦しんだあと、すぐに下手人を見上げた。そこには極めて不機嫌そうにこちらを睨んでいる、白人らしき青年だった。

 

「お前、うるさいんだよ!!」

 

 青年は英語でそう吐き捨てると、雁夜の隣の席に座り直した。

 どうやら、大学生かなにかのようで机の上に筆記用具と原稿用紙を広げている。筆記用具がやや古風なのが気になったが、コーヒーが熱いやら周りからの視線が痛いやらでそれどころでは無い。

 

「君、酷いじゃないか! 見ず知らずの他人を蹴りつけるだなんて!!」

 

 どうにか立ち上がった雁夜は英語で青年を非難すると、やや驚いたように青年が雁夜に目を向けた。まさか、アホな鼻歌で店内に不快をお届けしていた成人男性が流暢な英語話者(イングリッシュスピーカー)であるとは予想していなかったのであろう。

 

「下手くそな鼻歌を垂れ流してる方がよっぽど酷いだろ! おっさん!!!」

 

「おっさ──ッ!? 君、ちょっと失礼すぎやしないか!?」

 

「おっさんにおっさんって言って何が悪いんだよ! 」

 

「なんだと!? このクソガキ!!」

 

「ハァ!? クソガキって言ったな! この僕に向かって!!」

 

「クソガキにクソガキって言って何が悪いんだ、このバーーーーーカ!!」

 

「〜~~~~ッ!!! 言ったなぁ!!」

 

 汚いスラング混じりの言い合いは、とうとう殴り合い寸前にまで発展した。

 しかし、すんでのところで当人たちよりも怒髪衝天の店長が介入して、二人諸共、店から叩き出したところで事態は収束し、店内には静寂が齎された。

 

 しかし、追い出された二人の喧嘩はまだまだ終わりが見えず、二人で道行きながら言い合いを続けていた。

 

「おっさんのせいで追い出されちゃったじゃないか!! どう責任をとってくれるんだよ!」

 

「はぁ!? 最近のクソガキはすぐに責任転嫁するんだな!」

 

 生意気なクソガキと大人気ないオッサンの応酬は最早、千日手になりそうな勢いで進行していた。どちらも譲渡するつもりがないのだから当然である。

 

 このままいけば、日すら跨ぎそうだ。 と二人がそれに思い至ったところで、同時に黙った。

 今日に限って目の前のクソガキ(オッサン)に時間を取られるのは不味いと、互いに判断したのだ。

 

「……まぁ、()()()()は今日ちょっと用事があるからお説教はこれくらいにしてあげるけどさぁ」

 

「……奇遇だね、おっさん。 僕も今日はみすぼらしいやつに構ってる場合じゃないんだった」

 

 言い終わってしばし、互いに熾烈な睨み合いをする。

 が、それもすぐに終わり同時に嘆息を漏らした。

 

「とりあえず、君の住所を教えてくれるかな? 外国人が住んでる場所というと冬木教会の近くとかか?」

 

「────なっ、なんでそれを…」

 

 青年がどこか驚愕したかのように身じろいだ。雁夜は首を傾げる。

 

「……? いやだって外国人が住んでる場所って言ったらあそこら辺しかないだろ」

 

 雁夜が言うように冬木教会周辺は外国人の住宅が集中している地域である。それは冬木に根を張る者であれば常識の範疇であり、目の前の青年の反応はどこか引っかかるものであった。

 

「あっ、いや。…………そうだよ、あそこら辺にいま宿泊している」

 

「……? 宿泊ってことは、親戚の家にでも泊めてもらってるのか? ……まぁいいか。 後日、クリーニング代を請求しに行くから正確な住所を教えて貰えるかい?」

 

 どの国でも長期休みとしてはやや早い時期なのに親戚の家に滞在しているという目の前の青年にやや不信感を覚えながらも、雁夜は懐からペンとメモを取り出して手渡した。

 

 受け取った青年はなぜか警戒するような目つきで雁夜を観察したあと、しばしの逡巡ののちに、メモに住所を書いて手渡した。

 

 雁夜はそれを満足気に受け取り、ほんの少しの小言と共にその場を後にしようとした。 青年の方も、舌打ちをしてその場を後にしようと身を翻す。

 

「あ。 そうだ、名前を聞いてなかった。 おい! 君、なんて言うんだ!」

 

 呼び止められた青年は不機嫌そうに振り向き、しばらく言うか迷うような素振りを見せたあと、不服そうに答えた。

 

「僕は、ウェイバー・ベルベットだよ。 おっさんの方はなんて言うんだ」

 

 ウェイバーと名乗った青年は、聞きながらどこか興味無さそうにしている。雁夜は一言言ってやろうかと考えたがやめにして素直に答えることにした。

 

「藤田カフカ……フリーのカメラマンさ!」

 

 雁夜はドヤ顔交じりに自身を親指で指しながらそう名乗った。

 ウェイバーはしばらく呆れたような表情を浮かべたあと、口を開いた。

 

「……絶対偽名だろ、それ」

 

 ウェイバーがそう呟いたことがきっかけとなり、そこからまた一時間ほど醜い言い争いが起こったことをここに記しておく。



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双眸空虚

数多くのお気に入り・評価・感想と、(恥ずかしながら)数多くの誤字報告ありがとうございます


「雁夜、いくら刻印虫による底上げがなされたとはいえ、貴様は他の魔術師たちと比べて幾分にも見劣りする。 それは分かっておるな?」

 

「……何が言いたい、臓硯」

 

「なに、言っておる通りのことよ」

 

 召喚陣を挟んで相対している息子に対して、臓硯は嘲笑混じりにバーサーカーを呼ぶための道理と詠唱を教える。

 如何にも合理的な選択であるかのような説明だが実際は、目の前の息子をより苦しませるために魔力消費が激しいバーサーカーを呼ばせようとしている。

 

 それを悟ることが出来ずに素直に自身の話を聞く目の前の愚息に、臓硯は愉悦で腹が捩れてしまいそうであった。

 

 結局のところ、臓硯は今回の聖杯戦争にまったく本腰では無い。

 様子見で済ませようと思っていたところに、丁度いい暇つぶしが家に転がり込んできだけのことなのだ。

 

 それを知らずに、何よりも望んでいたはずの一般人としての人生を捨てて、この魔性の身に縋る目の前の愚息は滑稽に過ぎた。

 

「これで、俺が勝てば……桜ちゃんは救われるんだろうな」

 

「ああ、約束してやろう。 貴様が勝てば、桜は必要なくなる。 遠坂の元にも帰してやろう」

 

 無論、虚偽である。

 臓硯は心の底から目の前の男が負けると確信している。それも、惨たらしく、無様に這いつくばって、何一つ成し遂げることが出来ずに、死んでいくであろうと、臓硯は理解していた。

 

 間桐雁夜という愚か者が、本懐を遂げるなど万に一つも有り得ない。

 だというのに目の前の男は、これから来たる聖杯戦争に一丁前に覚悟を決めているというのが何とも滑稽で、臓硯は笑みを噛み殺すのに必死で仕方なかった。

 

「────では、始めようか。 可愛い可愛い我が息子よ」

 

 魔人はそう嘯いた。

 

 

『────では、始めようか。 可愛い可愛い我が息子よ』

 

「おえぇ〜…きっしょいこと言うなよなぁ…」

 

 間桐屋敷から遠く離れた住宅街の一軒家にて、安楽椅子に腰かけ、コーヒー片手に人形と視界共有をして様子を見ていた雁夜は心底から気持ち悪そうな表情を浮かべる。

 

 時刻は2時前。 そろそろ雁夜の魔力的なピークがやってくる時間だ。

 それは人形も同じで、召喚を行うとしたら今が頃合だ。

 

「それにしても、ここまでよく出鱈目を吐けるな、この妖怪爺は。

なぁにが、お前が勝ち抜くためにパラメータの底上げのために狂化を施してもらう、だよ。

どう考えても、俺を苦しめるためだろうが」

 

 ズズズと、勢いよくコーヒーを啜る。

 実際のところ、自分でサーヴァントを呼び出す場合でもバーサーカーを選択していたから、臓硯の選択が雁夜の計画に支障を齎すことはない。

 

 魔力供給のための環境は出来上がっているし、なにより負担の殆どは人形に行くようにしている。

 だから、正直な話これから召喚されるバーサーカーがどれだけ暴れようとここにいる魔術師・間桐雁夜には関係の無い話である。

 

「それにしても、なぜ臓硯はこんなにも今回の聖杯戦争に消極的なんだ…?」

 

 雁夜にとっての疑問はそこにあった。

 いくら自分や長男である鶴野が不甲斐ないとはいえ、聖杯戦争という大きなチャンスを見逃す理由がわからない。

 

 特に間桐以外の御三家は今回、かなり気合いを入れて此度の聖杯戦争に臨んでいるということを雁夜は一年間の潜伏生活で掴んでいた。

 アインツベルンは外様の魔術使いを雇っている、時臣はなにやらかなりの大金を払って中東から聖遺物を仕入れている、と時計塔時代の伝手や街に放った蟲を通じてそれぞれ情報を掴んでいる。

 

「本来なら、アインツベルンのように外様から誰か雇うなりなんなりすれば良かったはずだ。

それをわざわざ俺を虐めるためだけに参加枠を消費した。 なぜだ?」

 

 実際のところ、間桐臓硯が雁夜人形をマスターとして利用するかどうかは五分五分のところだった。

 想定していたプランとしては雁夜人形を臓硯に殺させて、本体である自分は潜伏してアサシンを召喚して臓硯を暗殺する、というものも用意していたほどには、今のルートは望み薄なものだったのだ。

 

「あの執念深い臓硯が様子見を選択する要因が存在している。 それはなんだ?」

 

 自身の推察では、聖杯戦争の本懐とは恐らくは第三魔法の再現にある。つまり、魔法経由で根源に到達しようとするというのがこの儀式の主題だ。

 

 他の参加者には伏せてあるが、間違いなく御三家はこれを狙うために聖杯戦争という儀式を執り行っている。

 

 第四次聖杯戦争に向けて様々な資料を漁ったが、この推察はおそらく間違っていない。

 では、なぜ間桐臓硯だけが消極的な姿勢を見せている?

 

「……まさか、聖杯になにか不安要素があるのか?」

 

 そんな推察を口にして、すぐに頭の中で否定をする。

 断定するにはあまりにも判断材料が足りない。このままだと仮説に仮説を重ねるという愚考に陥ることは時間の問題だ。

 

「今は、考えても仕方がない……か」

 

 今まさに行われている召喚を見守りながら、雁夜はそう呟いた。

 自分の魔力が消費される感覚がする。負担の割合が少ないはずの本体でこの消費を迫られているということは、雁夜人形の負担は考えるまでもない。

 

「本当に性格が悪いな……あのクソジジイ……」

 

 急速に疲れていく感覚に身を任せて、安楽椅子に身体全体を預けた。

 召喚こそ行われたが聖杯戦争が完全に勃発されるまではまだ時間が残されている。とりあえず、今は休息を優先しよう。

 雁夜はそう楽観的な考えの元、目を瞑り眠りについた。

 

 

 魔術師・間桐雁夜は気がつけば何も無い空間に立っていた。

 目前には、この世の全てに絶望したかのような面持ちの長髪の男が立っている。甲冑を身にまとっている辺り、目の前の男は騎士かなにかかと雁夜はぼんやりと考えていた。

 

「貴様は────なんだ」

 

 目の前の男は、まるで薄気味悪いものを見るかのような目で雁夜を睨みつけている。

 

「満たされているようで空虚───空虚のようで満たされている。

貴様はなんだ───なぜ、そんな目ができる───

己の写し身に苦痛を強いているというのに────なぜそのように平然としていられる」

 

 目の前の男は呪詛を振り撒く。

 だというのに、雁夜は特に動揺することもなく、ただ漠然と目の前の男を見つめている。

 

「貴様を動かすものはなんだ───憎悪では無い───野望ともまた違う───気味が悪い───

理解ができない────」

 

 好き放題言いやがるなぁ、なんてことをぼんやり考えはするものの、口にすることは出来ない。というよりも口なんて部位は今の雁夜には無い。だから一切の音を発することは出来ない。

 そんな荒唐無稽な事実を、雁夜は受け入れていた。

 

「気味が悪い──嗚呼、気味が悪い──

だが許容しよう───貴様が我の憎悪を駆動するために力を供給するのであれば────ああ、例えそれが醜悪な毒虫からの供物であっても」

 

────許容しよう。

 

 

 雁夜が目覚めた頃にはすでに外は朝日が綺麗に昇っていた。

 

「……変な夢を見たせいで目覚めが悪いな」

 

 やや不機嫌そうに呟き、カーテンを開く。外はいつも通りの日常が広がっていた。

 それぞれの家から通勤や通学のために老若男女が出てくる。雁夜が潜伏している家からも夫と息子──もっとも中身は蟲だが──が元気に家から出ていった。

 

「昨日の時点で6騎の召喚が確認された、か。こりゃ、あんまりゆっくりもしてられないなぁ」

 

 教会からの通達を読み、トーストを齧りながら呟く。と言っても、通達が言っているのは雁夜人形の方に向けてであり、雁夜自身は視界共有でそれを覗き見ているに過ぎなかった。

 

 ゆっくりもしていられない、と言っても雁夜自身はやることは少ない。

 ちょっと腕試しついでに時臣に喧嘩を売ってみようかな、なんて計画とは全く関係のないことを考えてすらいる。

 流石に予想される消耗が激しいため、実際にはするつもりはないが、仮に雁夜人形が破壊されかけたりしたら割り込んだりはするかもしれない。

 

 ただこれも聖杯戦争が本格化してからの話なので、今は本当にすることが無い。

 

「仕方ないし、TVゲームでもしてるかぁ」

 

 結局、雁夜はアサシン陣営が動くまでの間、ゲームをして過ごすことにした。

 

 

────表面上はゲームに一喜一憂しているような振る舞いの彼の目は、どこまでも空虚であった。

 



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進展

「────ア、アサシンが死んだ!!!」

 

 雁夜は叫んだ。

 使い魔越しに遠坂邸を見ていたらなんか全身タイツのアサシンらしきサーヴァントがダンスしながら乗り込んできたと思ったら、なんか金ピカのやば気のやつに跡形も無く吹き飛ばされた。

 その情報を前に、雁夜は叫ばずには居られなかった。

 

「は?は?は? なんだこれ! なんだあのアサシン! なんで踊ってたんだ…!? いやそれはどうでもいい! あの金ピカはなんだ!? 反則だろあれ!!!」

 

 閑静な住宅街の一室で、彼は心の限り叫んだ。

 防音防臭のために魔術的な対策は行っているため外に声が外に漏れる恐れは無い。だから雁夜は一切周りを気にせず叫ぶ。

 

「あれが時臣のサーヴァント…? セイバー…いや武器を射出してたしアーチャーか…?

アーチャーって別に弓使わなきゃいけないわけじゃないんだな……いや、それはこの際どうでもいい!! ……あれに勝てるやつ、いるのか……?」

 

 境界記録帯(ゴーストライナー)の規格外さは事前の調査で把握していたつもりだったが、想定が甘かったことをここに至って雁夜は痛感した。

 

 仮に自身のサーヴァントであるバーサーカーと、つい先程、推定アサシンを討滅した推定アーチャーがかち合ったとしよう。

 果たして勝てるであろうか。一応、バーサーカーがどんな宝具を持っているかは把握している。

 

 『騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)』であれば、あの武器の射出にもある程度の対処は可能どころか反撃も望めるだろう。しかし、だ。

 

「あの武器の射出は一体、どれくらいの物量を秘めている…?」

 

 先程の金ピカは全くの惜しげも無く無数の武器、おそらくその一本一本が宝具であろう代物を行使するのではなく使い捨てるかのように射出した。

 

 バーサーカーであれば対処は可能だ。しかし、流石に無限にあの射出が続けば話は違ってくる。

 それに問題は武器の射出だけではない。

 

「まず間違いなく、あれよりもヤバいもんを持ってるよなぁ…」

 

 あの金ピカの本気は間違いなくヤバい。

 真名は全くと言っていいほどわからないが、秘めたる宝具は間違いなくとてつもない力を有した代物であろうことは予想に難しくない。

 

 つまるところバーサーカーが金ピカと真正面で当たれば、武器の射出で消耗したところを奴の切り札でざっくりやられる、なんてことになりかねない。

 

「こりゃ、タイマンでかち合えば間違いなく敗退することになるぞ…

臓硯を殺すにはバーサーカー、というかサーヴァントの存在は必要不可欠だ。

でも間違いなく、あのバーサーカーどっかで暴走してあの金ピカか同じくらいヤバいやつに突っ込みそうだよなぁ…」

 

 これは召喚から今日までの数日間で、身に染みて学んだことだった。

 奴はあまりにピーキーなのだ。まだ聖杯戦争はまともに始まっていないのに、まるで赤子のように突発的に暴走しては雁夜と雁夜人形から魔力をごっそりと持っていく。

 

 生粋の独身である雁夜も、なぜかマタニティブルーになってしまいそうだった。

 嘆息とともに最早使い慣れた安楽椅子に身を預けた。

 

「それにしても、アサシンのマスターは馬鹿だな。 初っ端から御三家に突っ込ませるとは……」

 

 考えるはアサシンのマスターの思惑。

 流石に、軽挙妄動すぎやしないかとアサシンの最期を回顧しながら考える。

 

「一騎しかいないサーヴァントを随分と贅沢な使い方したな。 それとも、アサシンを引いて自暴自棄にでもなったか? いや、それとも」

 

 アサシンのマスターそのものが囮だった、そんな考えが間桐雁夜の頭によぎった。

 囮、というよりかはその陣営における本命が別にいる。だから、アサシンを適当に使い捨てた。

 

「例えば、アサシンのマスターが別のマスターの魔術師の弟子かなんかで、師匠のために自身のサーヴァントを使い捨てにした、ってのは十分にありそうだな」

 

 だとしたら、アサシンのマスターが組んでいた人物は聖杯戦争に備えていた人物ということになる。

 外様枠、例えば協会枠からの参加者がそこまで徹底的な謀略を用意するとは考えにくい。御三家の工作により、時計塔などにおける聖杯戦争はあくまで辺境の魔術儀式(※しかも3回も失敗してる)、という程度の認識だ。

 

「つまり、アサシンのマスターは御三家の誰かに従っていた……ってことか」

 

 間桐家はこの一年間、人形を通して見てきたがそんな素振りは一切無かった。だから、考えられるのはアインツベルンか遠坂だ。

 アインツベルンは著名な魔術使いを雇ったという情報がある。 アサシンのマスターがこの魔術使いである可能性は十分に有り得るだろう。

 

 対して遠坂はどうだろう。

 遠坂の陣営にアサシンのマスターがいたとするのであれば、なぜ二騎のサーヴァントを従えているというアドバンテージを捨てるのか、という疑問に直面する。

 

「じゃあやはりアインツベルン……いや…」

 

 仮に今のアサシン討滅が何かしらの意図の元行われたデモンストレーションであったとしたら、どうだろう。

 

「御三家の屋敷なんて皆、使い魔かなんかしらで見張ってるからな…」

 

 今の一幕が狂言だとしたら、なんの目的で行われたか。

 あの金ピカの示威行為も有り得るが、それだと少し弱い。

 

 仮に遠坂陣営によるものだとしたら、何を周知させたいか。

 それは間違いなく、アサシンが敗退したということだろう。つまり……

 

「アサシンは死んでない…ってことか?」

 

 結局、雁夜はその後考えることを一旦やめにすることにした。

 眠りにつきながら、遠坂時臣との戦闘がどこか現実味を帯びていくことを感じていた。

 

 

 

 アサシンが消滅して一日後、埠頭にある倉庫街にて戦況が大きく進行しようとしていた。

 ランサーを名乗るサーヴァントが、わざわざ自身の場所を晒して戦闘に誘ったのだ。

 

 これにより、最初に誘いに乗ったのがセイバー陣営である。

 マスターらしき女性の風貌を見る限り、アインツベルン家の人間?であろうことを雁夜は遠巻きで見ながら察した。

 

「ランサーのマスターは……まぁどこかで観戦はしてるか。 俺みたいに」

 

 雁夜は十分に距離を取った場所で、肉眼で埠頭の観戦に興じていた。

 無論、ただの野次馬根性でそのようなリスクを取ったわけではない。

 雁夜人形がどうやらバーサーカーとともにこの戦闘に参戦しそうだったからである。

 

「多分、時臣も絡んでくるだろうしなぁ」

 

 時臣が絡んでくるということはあの金ピカも絡んでくるということであり、これはさすがに使い魔越しに注視するだけに収めるわけにはいかない。

 

「それに、どうも海の向こうからなんか嫌なのが来てる気配もある」

 

 これに関してはよくわからない。

 気配というよりかは予感に近いその感覚は間違いなく、海の向こうからこの冬木に向かって飛んできている。

 

「……今はとりあえず、目の前に集中するか」

 

 埠頭ではセイバーとランサーが騎士然とした戦闘を行なっている。

 サーヴァント同士の戦いとはやはり浮世離れしていて、人間の領域など当たり前のように超越していた。

 

 雁夜は観戦していて段々と、ヒーローショーでも見ているような気分になりかけていたが、第三者の乱入によってその気分も霧散した。

 

「双方剣を収めよ! 王の前であるぞ! ……我が名は征服王イスカンダル!!此度の聖杯戦争においてはライダーのクラスを得て現界した!」

 

 イスカンダルを名乗る赤毛の大男の声はかなり離れた位置にいるはずの雁夜にすら届いた。

 クラス名どころか真名すら惜しげも無く披露する乱入者には面を食らったが、雁夜が驚愕したのはまた別の点に対してであった。

 

「おいおい、あれは…」

 

 イスカンダルもといライダーに対してなにやら怒っているマスターらしき青年を、雁夜は知っていた。

 

「ウェイバー・ベルベット……あのクソガキ、マスターだったのかよ…」

 

 雁夜は愕然と、呟いた。

 

 

 決闘騒ぎが起きていた埠頭とはやや離れた港で、二人の邪悪な魔術師が相対していた。

 

「────あーあ、まさかまともに掻き乱せずに退場することになるだなんて、僕も堕ちたもんだね、アハハハハ!」

 

 身のほとんどを蝕まれた少年は、心底から面白そうに笑った。

 対する間桐臓硯は忌々しげに吐き捨てる。

 

「遠くから観戦する程度ならば看過してやったというのに、舞台に上がってこようとするとは、随分と無粋な観客もおるもんじゃのう…早う去ね」

 

「うーん、ちょっとキエフの蟲遣いを舐めすぎてたかも。 ジルに一目会いたかったんだけどなぁ……まぁ、これもこれで面白いよね!」

 

 両者の間で会話は成立していなかった。

 笑う少年の腸が地面にボタボタと音を鳴らして落ちていく。しかし、少年はそれすらも面白いとケラケラと笑った。

 

「とうの昔に魂が腐り落ちたこの身ではあるが、貴様の醜悪さに比べれば幾分かはマシだの」

 

「そうかなー? まぁ、自分のことなんて誰も客観視できないものか! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() !」

 

「……? 何を」

 

 目の前の少年に言葉の真意を問おうとした刹那、少年は沈黙して崩れ落ちた。死んだのだ。

 

「……所詮、狂人の戯言。 気にすることもない、か」

 

 臓硯は少年の亡骸を蟲に処理させ、より一層外部に対する防御を強めた。

 しかし、なぜか少年が最期に遺した言葉が頭から離れずにいた。

 それを誤魔化すかのように、間桐臓硯はその場から離れ、戦地へと這いずりながら向かう愚息を見て、気を紛らわす。

 

 そのようにしている間にも、自身が喰われ続けているとは知らずに。

 

 



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合理的な選択

 間桐雁夜は身を乗り出しながら埠頭での決闘を見守った。

 海からやって来ていた謎の気配が冬木に辿り着いた瞬間に霧散したことも、彼が目の前の光景に意識を集中させる一因として働いていた。

 

 しばらく征服王の演説が続く。

 雁夜はそれを苦笑しつつ聞いていると、どこからか男の声が鳴り響いた。

 

 どうにも、あのウェイバー・ベルベットなる青年は師に位置する人物から聖遺物を強奪してこの聖杯戦争に参戦したようだった。

 

 それを聞いて雁夜は一瞬、あの生意気な青年の胆力に感心をした。仮に雁夜が自身の師であるイノライ・バリュエレータ・アトロホルムの所有物を強奪しなければいけなくなれば、雁夜は迷いなくその場で死を選ぶであろう。

 そういう意味で、あの生意気な青年は恐ろしく肝が据わった人物なのであろうと、雁夜は感じたのだ。

 

 が、それも青年が酷く怯える様を見てすぐに撤回をした。

 師である魔術師の底冷えするような脅し文句に、今にも泣き出してしまいそうな始末だ。

 

「ビビるくらいなら最初から盗むんじゃないよあのバカ……!」

 

 雁夜は呆れつつ、事の次第を見守る。なぜだか、あの青年に親近感を抱きつつあったのだ。

 

「余のマスターたる男は、余と共に戦場を駆ける勇者でなくてはならないッ! 姿を晒さす度胸すら無い臆病者など、役者不足も甚だしいわッ!」

 

 ウェイバーをグチグチ責めていた魔術師に対してライダーはそう一喝した。

 雁夜はライダーに魔術師がイラついているだろうなぁ、と辺りを見渡すと、街灯の上に妙な気配を感じた。何も無いはずなのに、何かが居るという違和感。 手に持っていた望遠鏡をそちらに向け、さらに視力を強化するとそこには黒い外套に身を纏った仮面が居たのだ。

 

「アサシン……やはり生きていたか」

 

 踊っていたアサシンとはやや容貌が異なる。

 つまり、アサシンとは二人、下手をすればそれ以上で構成されるサーヴァントの可能性がでてきた。それならばあんな使い捨て同然の運用も頷ける。

 

「なんだその反則技……使いようによっちゃ金ピカと同じくらい無法なことできんだろ……こりゃ警戒を強めないとやばいな……っと」

 

 また埠頭の方で動きがあったようだ。

 雁夜がそちらへと目を向けると、

 

「────我を差し置いて王を名乗る不埒者が、一夜に二匹も湧くとはな」

 

「ゲゲゲっ!!」

 

 恐ろしき金ピカが、街灯の上に立っていた。

 ビクビクしながら雁夜は金ピカと征服王がなにやら傲慢極まる会話を観測したのち、さらに事態が急転する。

 

「ッ!? おいおいおい、ここに飛び込ませるとか正気か、俺は!?」

 

 金色の鎧の王の次は、黒い鎧の騎士が乱入した。

 無論、雁夜のサーヴァントであるバーサーカーだ。金ピカとバーサーカーが戦闘を始める。

 

 それと同時に雁夜から魔力がどんどん消費されていく。

 

「マスターのこととか本当に一切考慮しないのな…!!」

 

 先程まで悠々自適に観戦に洒落こんでいた魔術師は、脂汗を流しながら事の次第を見守った。下手をすれば令呪を行使する必要が出てくるかもしれないが、それをすれば雁夜人形と臓硯が雁夜の存在に勘づく可能性がある。それは非常に不味い。

 

「だが、これだとバーサーカーがやばい…他の三騎が敵に回りでもしたら詰みだぞ…!」

 

 バーサーカーという対話不可能な存在は、あの場においてパブリック・エネミーと見なされる可能性がある。

 バーサーカーがあの金ピカとある程度、対等にやり合えるということを知れたのは僥倖だったが、このままだとその優位性は簡単に消えてしまう。

 

「早くバーサーカーを引っ込めろ、俺! クソっ…」

 

 自分が、雁夜人形が時臣憎さに戦術を投げ捨ててこのような軽挙に打って出たことは簡単に察せた。なぜならば、その行動指針に対して魔術師・間桐雁夜も一定の共感を抱いてしまっているからだ。

 

 しかし、だ。

 このままだと、こんな序盤も序盤で退場をすることになるということを、雁夜人形は理解しているのであろうか。

 

「人形のくせに、制御できないって……いや橙子さん的には実に理想的な出来なんだろうけども……!!」

 

 バーサーカーが動く度に、魔力がごっそりと持っていかれる。一部分しか負担していない自分がこの様なら、雁夜人形はそれはもう酷い有様だろう。

 

 どうにか人形の自分が冷静になることを願いながら、戦況を見守っていると、突如金ピカが虚空に向かって叫び出して、それからすぐに退却してしまった。有難いことに時臣は冷静な判断を下したようだ。

 非常に憎たらしいことだが、今回ばかりは助かった。さぁ、バーサーカーを早く退かせるんだ、と目を向ければ今度はセイバーに襲いかかっているバーサーカーがそこにいた。

 

「もーーーーー!! なにやってんだよぉおお…」

 

 酷いことに魔力消費がさっきよりも増えた。 どうやらあのセイバーと何らかの因縁があるようだ。勘弁して欲しいと、雁夜は心の中でバーサーカーに非難を向ける。

 

 だが、幸運なことにその戦闘はすぐに終わりを迎えた。ランサーとライダーが割行ったのだ

 ライダーの戦車に轢かれたバーサーカーは流石にダメージが堪えたのか、その場から退却をした。

 

 その後は穏やかなもので、セイバーランサーライダーの三者は各々撤退を選んだ。

 

 どうにか無事に初戦を生き残れたことに安堵しつつ、雁夜はその場から去った。

 

 

 埠頭付近の下水道にて、男が一人、無様に這っていた。

 周りから間桐雁夜と認識されている男は、蟲混じりの血反吐を吐きながら、遠くへ、遠くへと這う。

 

「ははは…ざまぁ…見ろ…時臣め……ッ」

 

 仇敵に対する嘲りを口にしているというのに、それはまるで呪詛のような暗く強い響きを持った言葉だった。

 男の心中は、今どこかで吠え面をかいている大嫌いな男の顔でいっぱいになっていた。

 

 男は矛盾していた。どうしようもなく、歪な矛盾を己の中で構成してしまっていたのだ。

 

 だが男は気が付かない。気が付けない。

 

 桜を救うという行為と、時臣を殺すという行為が必ずしもイコールではないということを彼は理解できない。桜を傷つけているのは、あくまで間桐であり、臓硯である。決して、時臣ではない。

 

 だが、男はそれを理解できない。

 

 痛みにのた打ち、下水道に滴る汚水があたりに飛び散る。 血と汚物の渦の中で、男は、人形は声を聞いたような気がした。

 

『────の人間性の残滓よ。全ては二つに一つだ』

 

 とても馴染みのある声が、雁夜の頭の中で鳴り響いた。

 

「だれ…だ…」

 

 周囲には誰もいないはずなのに、なぜか自分を何かが見下ろしているかのような感覚に陥る。

 わからない、わからないがそれが酷く恐ろしい。まるで、自分の矛盾点を突きつけられているかのような、怖気が走る感覚。

 

『殺すも良いさ、生かすもいいさ。 だが、お前はどちらか選ばなければならない』

 

「やめ…ろ…」

 

『選べよ。 それこそがお前の役割であり、唯一許された権利だ』

 

「黙れ…」

 

 見上げれば、声の正体を知れるかも知れない。

 だが、どうやっても首が言うことを聞かない。体力的な問題では無い。まるで身体がそれを拒否するかのように、硬直してしまっているのだ。

 

『復讐か、正義か。 選べ、どっちつかずのただの男よ』

 

「誰だ…お前は…」

 

『……そんなこと、当の昔にわかっているだろう?───したときから』

 

 怖い、聞きたくない。雁夜は己の耳を塞ごうと、手を動かそうとするが、やはり硬直して動かない。

 声の主は、それを見て笑い、とうとう最後の言葉を口にした。

 

『俺はお前だよ────間桐雁夜』

 

 地を這う男は、矛盾に耐えきれずに金切り声をあげた。

 

 

 間桐雁夜が下水道にて目を覚ました時には既に時刻は昼前に迫っていた。 ほんの少しの日差しが下水道を照らす。

 一晩休んだおかげか、間桐雁夜を四六時中、襲う激痛はだいぶマシになっていた。 雁夜はよろよろになりながらも、壁を使って立ち上がる。

 

「…………夢か」

 

 周囲には雁夜以外には誰もいない。その事に安堵した雁夜はゆっくりゆっくりと、歩を進めた。

 

 そんな哀れな背中を、地面に吐き捨てられた物言わぬ蟲たちがじっと見送った。

 



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