マジカル戦国大名、謙信ちゃん【完】外伝開始 (ノイラーテム)
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推しへの転生、略して推し転

●我が為すことは我のみにて為す(わざ)にあらず

 転生した事、自分が後に上杉謙信となる存在であること。

その事を知り、この世界の誰もが受け取る神の加護がロマンに溢れていたこと。それらを全て理解した時、『彼女』は思わず喜びの野へ成仏し掛けた。

 

だが神は言っている、まだその時ではないと。

 

「虎千代殿。どうなされたのですかな?」

「和尚様……。御仏が、神様と共に私に語り掛けられたのです」

「ほう。ご助言と共に御仏の加護を授かったのですな」

「はい」

 長尾家の菩提寺である林泉寺に預けられた守護代の娘。虎千代が、神の加護を授かった。

転生者である『彼女』はその時に前世を思い出し、自分が推し武将に転生したこと、そして浪漫に溢れる力を授かったことを理解した。

 

この世界は剣と魔法の世界であり、誰もが神の加護を授かる。

だが、それが自分の理想に近い物であるとも便利な物とも限らず、『彼』の加護は即座に使いこなせないモノだったが理想に近い幸運な部類であったと言えよう。なお農民などは一生自分の加護を知らない者も居る程である。武将たちは勉学を学ぶため、そして加護を知るために、虎千代の様に寺に預けられることが多かったのだ。

 

「どんな悩みに対し御助言をいただきましたかな?」

「私は武家に生まれた者、寺に預けられて修行する者として悩んでいたのです」

「この世の中は無常、何より人々が争う世界。そんな中で私は何もせずとも良いのかと」

「それでどのような御言葉を?」

「汝の為したいように為すが良い。ただし、汝が為す(わざ)は汝のみにて為すに非ずと」

 授かった加護は最高ランクの神聖呪文を唱えるチャレンジが可能だという物。

最高ランクであるレベル10に二つしか呪文は存在せず、一つは使えば身の破滅を伴う呪文。ゆえに残るは一つきりなのだが……この呪文は群衆を強化する呪文であったのだ。まさしく自分だけでは成し遂げられない力を授かったと言えよう。

 

「御仏は、毘沙門天様は、私に自分だけでは成し遂げられない、人と共にあらねばならぬ加護を授けられたのです」

「精進なさい。それが全ての第一歩です」

「はい」

 林泉寺の天室和尚は虎千代に修業を促した。

この世界の魔法は難易度性なので、1レベルで10レベル魔法など成功する可能性すらない。まともに使おうと思えばせめて7レベル、儀式を交えるとしても5レベルは必要だ。そのこともあり転生者であると自覚した彼女は以後、子供らしからぬペースで修行を始めるのであった。それは大人たちですら驚き、たじろぐ熱心な修業であったという。

 

●時にはメタな私情を交えて

(推しの謙信様に転生とかサイコーなんですけど!

数ある戦国武将の中でも推しに転生できるだなんて! いやーマジヘブンに逝きかけたわ)

 虎千代は修行三昧の日々を送っております、ナウ!

座禅を組み、寺の用事を片付け、座禅を組み、仏典を学び文字や計算を学び、座禅を組んで、剣を振り槍を振るっては体を鍛えて、また座禅を組む。いとも素晴らしき計算し尽くされたルーティーンなの、です!

 

「虎千代様。どうしてそのように身を削って修業為されるのですか?」

「とうてい子供の為される事ではありませんぞ」

「それが御仏の御意思だからじゃ」

 お付きの小姓たちが不思議そうに尋ねるんだけどさ。もらった加護はチャレンジ可能なだけ。

問題なのはさ~。この世界では難易度式でレベルが十分に高くないと発動率が下がる世界なのです。調べてみると、呪文を詠唱できるようになる加護は幾つかあったんだけど……。授かったのは『最高ランクの呪文を唱えられる権利だけ』でこのままでは使用できないんだよね。もっと便利な……『呪文一つに限り、無条件で使える加護』もあるそうだけど流石に御仏も神々もくれなかった模様。ザンネン!

 

「せめて雑事などは我らに」

「弥三郎、弥七郎。今は放っておいてくれ」

 経験値入手のチャンスを譲るなんてとんでもない!

この世界の魔法は難易度発動式でもあるけど、累積熟練度式でもあるのですね。下位呪文から延々と唱えて熟練度を溜めねばいけなんだけど、熟練度を溜めるのに便利な呪文は再使用可能なクールタイムが存在するんだこれが。だから小姓たちの申し出はありがたいのだけど、私頑張るよ!

 

聖戦(ジハド)の魔法を唱えるチャレンジができる能力。これこそが神が私にくれたお力! これを唱えるために今は修業しなくっちゃ)

 ちなみに、毘沙門天の特殊信仰呪文は戦神なので偏っているの。

1レベルでは『多聞宝塔』、老師たち……コー●ーで言えば『居るだけ軍師』がちょっとした事を教えてくれるくらいなのだけど……いろんな分野で試せるのがすっごくありがたい。何を聞いても熟練度をくれるので、おじいちゃんたちには足を向けて眠れないよね。4レベルでは三叉戟で7レベルでは毘沙門アーマーで防御を固め、どっちも修正値の大きな武具召喚魔法。10レベルでは聖戦の呪文を行使できるというんだけど……。

 

聖戦の呪文について知りたい? 私も説明したいから教えてあげるね♪

この魔法は同じ宗派の人の戦闘力を2レベル引き上げる大呪文なのです。自分一人では意味がなく、しかも宗派が同じじゃないと意味がない。でも私は上杉謙信に転生した……この事が全てを答えに導いてくれました。戦国最強の謙信軍団作ればOKだもんね。こんな素晴らしい呪文をありがとうございます、神様仏様毘沙門天様!

 

(そういえば弥七の名前は宇佐美じゃなくて枇杷島なんだよね。弥七のパパはなんで宇佐美定行じゃないのかな)

 そういえば雑事をこなしてると、ふとこの世界にについて考える事がある。

この世界は魔法が存在するためか、歴史がちょっとずつ違っているのだ。判り易い例で、強い加護を持って居れば女性や少年でも武将に成れる。能力値強化や天性の技能は良くある加護で種類も豊富だから、屈強な能力や魔法が使える加護なら女性や少年でも強かったりするのだ。だいたい、私も女の子だから、この世界の謙信様女の子なんですけどー!?

 

そんな世界でも名前が同じことが多いのは、環境のせいなのだろう。

例えば『諱』(いみな)を貰って名前を変える場合、主君から一字を貰って名前を付ける。これに通字という家ごとの名前があり、長尾家ならば『景』を主君が持ち、部下に与えて褒美とするわけ。与えたその武将の家でも一字を使い回すことが多いので、二つの文字を合わせれば、必然的に同じ名前になるのだろう。むしろ宇佐美家の様に苗字が違う方が珍しいんじゃないかな。

 

(違う部分は、魔法がある世界だし細かい戦で勝ったり負けたりして歴史がズレてるせい……? この世界じゃ鉄砲とか作る意味も薄いだろうしね。ま、私が覚えてる日本史なんてごく一部の推し中心も良いトコだけどさ!)

 この世界では武将の性別が違っていたり、年齢がおかしいのは良くあること。

ポっと出のスナイパーに生き残るはずの武将が殺されたり、逆に死ぬはずの武将が回復呪文や防御呪文のお陰で生き延びたりしている。鎮西八郎の弓が船を沈め、ホンダムが無傷なのが本当でもおかしくはない末世。一ヒャッハーで村が一つ燃えてもおかしくないんだってさ。




ネタでしかありませんが、書き始めてみました。
行ける所まで行きますが、一番タイトル詐欺なのは魔法少女ではないことです。


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一分野一チート令

 私こと虎千代は、鉄砲とか諸々を諦めました! うん、メンドイ!

歴史が変わって居て存在しているか怪しい上に、大音量を出す呪文であるとか、大威力の呪文が存在するんだもん。流石にポンポン使える人は居ないないけどさ。少なくとも大枚をはたいて購入するほどの事があるとも思えないんだよね。それこそ大活躍でマジヤバイかも! って噂を聞いたら、改めて考えれば良いじゃん?

 

それに私ってば、まだまだ元服前のチャイルドなんだよね。

子供が死に易い七五三の時期は過ぎたので、甘酒飲んで守り刀を持たせてもらう儀式はやったがそんだけ。小姓をつけてもらったおかげで、寺に入れられても見捨てられてはいないのだと判るのが幸いなだけで基本的に話を聞いてもらえないんだよね。ちゃんちゃん。

 

(っていうかー謙信様に転生して凄い加護まで貰ったんだよ? いちいち転生チートしようと頭を捻らなくても良いよね~? よし、したくなっても一つの分野に一つだけに絞ちゃえ!)

 そもそも転生してるからか、前世の事はあまり良く覚えていないんだよね。

好きな小説に時代小説やら異世界転生物は多かったのでザっと覚えてはいるけど、ただそんだけ。それに鉄砲を求めないのに火薬を作ろうとするのも微妙でしょ? つーかよく考えたらシモの話じゃんか! 少なくとも変な目で見られてまで求めることじゃナイナイ。

 

そんで最初の転機というか、決意を示すチャンスが訪れたわけよ。

強力な加護を授かったことで、その事をパパである長尾為景が大いに祝ってくれるんだってさ。わざわざ口にはしないけど自分だけでは成し遂げられないタイプの加護なので、親兄弟で争う可能性が薄いというのもパパが喜んだ理由なのかもね。

 

「虎千代様。掛かる祝いの席にて、何か欲しい物はあるかと大殿が仰せです」

「酒を造りたい! この間、僧坊酒の本を読んでな! これも御仏のお導きであろう!」

「酒……でありますか?」

「うむ。父上も兄上がたも、越後の将はみな酒が好きであろ?」

「みなで勝利を祝う酒を造るのじゃ。その為に良き布が欲しい!」

 というわけでたった一つの生産チートは、お酒を選びました!

上杉謙信と言えば酒! ならば良い酒を造って越後の産物として売れば良いし~。そもそも謙信様は年中行事の様に戦争をしてるのに、死後に金蔵が唸ってたハイパー大金持ちな訳よ。酒だけあれば他に生産チートなど要らぬ! ロクに覚えていないからじゃないんだからね!

 

「酒の為に布でありますか? その辺りで用意できるモノではなく?」

「そうじゃ。脱穀して酒を仕込み、それを荒絞りする。可能ならばもう二度三度と絞りたい」

「ゆえに目の細かい良き布が必要なのじゃ! そう書いてあったぞ」

 パパから派遣されてきた傍仕えの小姓にそう答える。

この林泉寺は武家の菩提寺であり臨済宗なので直接のナマグサはなし。でも武家の子弟を預かる事もある為か、単に読専の文学系が居たのか色んな本が置いてあったんだ。私はヘイホーも好きだけどその辺を読むのが好きで、多聞塔の居るだけ軍師たち……もとい爺ちゃんたちから解説を聞いて愉しんでいた。つまるところ酒の話もそこにあったって話ね。

 

「他にも資料はあったが、まずはこれを確実に作って府内の産とする!」

「……ではそのように大殿にお伝えいたします」

「よしなにな! そなたが指導する場合は落とした籾と酒の滓はそなたにやろう。畑にまく肥料や保存食とするが良いぞ」

 生前もお酒は好きだったし、謙信様に転生した為か酒のネタだけは良く覚えてる。

だけど無理することはないと、誰に説明しても可能な範囲のみを実行させることにしたわけよ。そもそもパパが強力な加護を授かった祝いにくれる程度の代物。良い酒を作りたいからと言って叶えられるとは限らないもんね。酒に灰を入れて清酒を作る方法は覚えてるけど、ホントにそれで良いの~? って不安があったのも大きい。だってさ、せっかくのお酒に灰を入れて駄目に成ったらもったないじゃん?

 

なお、この話はパパを喜ばせた。

パパもまた酒好きであるが、私が豊富な知識を学んでいる事、そして良い産物があれば銭金を増やせることを長尾家……は幾つかあるんだけど、うちの府内長尾家は知っていたからだ。後に知ったのだけど青苧と呼ばれる織物を独占していたことが大きな影響を与えたのかもね。

 

 

「虎千代様。まずはこれなるをお納めいたします。そしてこの度、大殿より甘粕の苗字を授かりまして」

「おお! まこと重畳。差配を任せたそなたが出世したこと、ことのほか嬉しいぞ」

「お言葉通りに酒を造りましたこと、そして酒の滓を干し堅めて酒肴として献じたことで、甘粕長重と名乗る様にと」

「それはそなたが真面に差配したからじゃ。童の言う事を良く守ってくれた。戦場で陣を同じくすることがあれば頼もしく思うぞ」

 暫くしてこないだのお使いさんが出世し、三度絞りの酒と酒粕を持って来た。

パパが才能を見込んだ小姓上がりの一人だけど、私に派遣するレベルの小間使いだ。でも顔見知りには違いないし、その人が苗字を貰っていっぱしの将となれば嬉しいよね! 私も酒を完成させたことよりも、見知った人が出世したことは何より嬉しい気がする。そして嘘偽りなく、指示を徹底したその律義さを発揮する青年が好ましく思えたのもあった。

 

「いずれ秘儀も完成させて開陳するが、今はコレを増やす所からかのう」

「はっ。まずは一桶というところでありますが、三つ四つと増やしましょうぞ」

「吝嗇は好まぬが、寺に預けられて見知ったことがある。知識と技術は独占してこそじゃ」

「重々承知しております。手前の目の届く範囲でのみ仕込みを行いまする」

 とりあえず火鉢で転生して初めての酒粕を軽く焙った。

ついでに渡された酒の一部を小さな器に入れて、それを同じように火に掛ける。これこれ! たちどころに甘い香りがしてお付きの弥三郎や弥七郎たちまでヒクヒクと鼻を動かし始めるのが実に面白い。

 

「自らの所で仕込んでおるなら味見はしておろう。ゆえにコレを取らせる。出世の祝いじゃな」

「温めた酒でありますか。拝領いたします」

「この方法は温める度合いによって味わいに差が出ると書いてあった。授ける故、父上と相伴する相手でも幾人かのみとせよ」

「はっ。直江様や琵琶島様のみに」

 あげたのはお酒一杯だけじゃない

ぬる燗や熱燗などの様々な工夫ってわけよ。小姓ならそういうのを覚えてる重宝すると思うし……。つかさ、私そのへんの温度管理なんか知らないもん。今から勉強してもらえば、私が助かるじゃない? パパを訪れて様々な武将が食事を共にすることがあるはずだけど、直江景綱や琵琶島定行と言った辺りが側近中の側近なのかな? 直江景綱ってあの『愛』の直江兼続のお父さんか何かだよね? 多分。

 

こうして越後の酒造りにモロミを絞って酒粕を分離する諸白酒が誕生したのでした。

清酒となるには私が最低でも元服した後、場合によっては武将として城を預かった後になるんじゃないかと思ってたんだ……でも意外とその登場は早足でやって来る。それが良い事だけではないのだけど……。

 

 それから数年が立ち、長尾為景は晴景に跡目を譲って隠居。

御隠居政治で貢献しながら転戦していたのだが……。そろそろ虎千代も元服するかという頃に変事が起きた。正史とどこまで違っているのか分からないが、長尾為景が越中で戦死したのである。正確には裏切られて殺されたも同然である。

 

「父上が!? 畠山の手伝い戦では無かったのか!」

「それが……畠山の内紛が起きた模様です」

「当主争いと守護代争いに巻き込まれたらしく、無念の死を遂げられました」

 ある寒い冬のこと、長尾為景戦死の方が林泉寺にも入った。

守護代としては隠居して長男の晴景に当主を譲った後、越中の国を治める能登畠山氏に請われて一向一揆討伐に援軍として向かった折りの事である。一向一揆は数ばかりで強くないと思われていたのだが……畠山氏の内紛が突如勃発したというのである。神保と椎名の守護代争いも起きており、神保に担ぎあげられた弟が、為景と話し合うために出向いた兄を殺すための戦いを始めたそうだ。

 

「兄上はいかがされておられる? 父上の御遺体はどうなった!?」

「殿は守護様と伊達家の折衝で動けぬとのことです。実際には怪しい動きをしている者が居ると睨みを利かせておられます」

「大殿の御遺体は間もなくこちらに。我らはその先触れとして参った次第で」

 当主を譲られた晴景は外交肌の人物だった。

どちらかといえば穏健派で文弱と見られていたが、隠居しつつも越後全体を抑えていた父親の為景が剛腕の武人だったのでバランスは取れていたと言える。虎千代が考案した諸白の酒も、土産として持って行けば喜ばれると何度か言葉を交わしたことがあった。

 

「ということは平蔵兄者たちは動けぬか。両名には声を上げて済まなんだ」

「いえ、これが我らの役目ゆえ」

「何かお下知があれば何なりと」

 晴景の他にも次男である長尾平蔵景康らも居たが、彼らは武将として配されている。

新当主が外交を行いつつ、裏切りそうな豪族に睨みを利かせているという事は、その補佐として脇を固めたり何時でも動けるように兵を集めている筈だった。側近であり晴景と同い年の直江景綱も同様であろう。

 

「うむ。金津、甘粕を借りるぞ」

「はっ。拙者は御遺体を必ずやお届けいたします」

 金津新兵衛の妻は虎千代の乳母であり気安い相手だ。

それゆえに酒の件で面識のある甘粕長重を伴って使者として訪れていた。何かあれば甘粕を使えと言う事だろうが、虎千代はその言葉に甘えることにしたのだ。

 

ここで重要なのは権勢をふるっていた長尾為景が戦死し、新当主である晴景は動けないことだ。

言い掛かりをつけて攻め寄せれば、ただそれだけで新当主の権威は下落する。押さえつけられていた豪族のみならず、親族であるはずの古志長尾家や上田長尾家もその点では信用なら無かったと言えるだろう。

 

「仕込み中の酒は?」

「一番樽の早酒が仕込み終わっております。後は熟しておりませぬ」

「仕込んである方は城へ持ち込め。篭城となれば幾らでも使いようがある。二番以降は相すまぬが灰をぶちまけておけ」

「諸白の秘密を守るのですな? 承知いたしました」

「後で濾すなり上澄みを掬うなり吞める。汚泥は混ぜるなよ」

「然りと」

 この当時の酒はアルコールが弱いので栄養のある飲み物になる。

それとは別に、籠城中に派手な酒宴を開いて見せれば、その余裕を味方にも敵にも見せることができるだろう。そして何より、新しい産物である諸白の酒は守らねばなるまい。仮に攻め寄せて来る豪族はおらずとも、秘密を奪って行こうと考える不埒者は多いのだから。

 

「その後は琵琶島城へ赴き駿河守殿と合流せよ。何かあらば手勢を借りてその方が先手となれ」

「はっ。……弥七郎殿はお連れせずとも?」

「弥七にはここでしてもらう事がある。父上の御遺体を辱める訳には行かぬ故な」

「承知いたしました。御無事で!」

 琵琶島定行の息子である弥七郎は小姓であると同時に人質でもある。

迂闊に戻して選択肢を与えるよりも、『信じて側近として使っている』と見せた方が良い。それにこれからすることには人手はいくらあっても足りないし、そのためには名前の知れた小姓と言うのは重要であった。

 

「弥七郎、聞いての通りだ。弥三郎と共に長屋から子供を連れて参れ」

「虎千代様。それで我らは何を?」

「寺の周りに雪を盛り上げ作り水を打って氷壁を作れ。水が出なければ小便でも良いが、正面ではやるなよ」

「境内でそのような無茶はやりませぬ。ご安心ください」

 虎千代ら子供世代は、よく二手に分かれて合戦ごっごをしていた。

木の枝や竹で叩き合い、小さな石を投げてのちょっとした合戦。喧嘩というには和気藹々として、ただの遊びと言うには物騒な遊戯である。小姓である弥三郎と弥七郎は子供たちを呼び集める役をしていたので不自然ではなかった。

 

やがて日が明けた頃には雪の山は立派な氷の壁になった。

虎千代は寺の正面に篝火を焚いて待ち構え、為景の遺体が運び込まれるのを待ち続けたのである。少なくともこの数日を過ぎ、晴景が喪主として葬式を終えれば当面の問題はなくなる。その日まで決して気を緩めぬつもりであった。

 

「虎千代様! 諸白の一部をお持ちしました」

「良し。桶二杯を残して和尚様にお渡しせよ。弔問に訪れる者への兄上からの振舞酒じゃと言うてな。弥三郎と弥七郎はそれぞれの組下に振舞え」

「「「はっ」」」

 先んじて武将になった甘粕が敬意をもって従うので、小姓たちもそれに合わせる。

身近に居るがゆえについ気安くなるが、流石は我が若君よと弥三郎も弥七郎も顔を見合わせ合うのであった。

 

「虎千代様。越後はこの後どうなるのでしょうか?」

「さて、一国であれば何とでもなろう。兄上は話は上手いゆえな」

「……それ以上の事は判らぬ。じゃが、酒の事だけは判るぞ」

「酒でありますか? この度の事で随分と広まるとは思いますが……」

「そうではない」

 子供らに酒を振舞う間に長重が尋ねるが、虎千代は未来の事は語らないでおいた。

歴史を詳しく覚えておらずとも、上杉謙信が台頭する以上は晴景たちの治世は長続きしないだろう。そもそもこの越後では頑固者が多く、為景も武力で強引に従えていたがゆえに軋轢も多かった。晴景が穏健派となって間を取り持っていたが、不満が爆発して行くならばその姿勢はむしろ逆効果に思えたのである。

 

だがそんなことを口にするわけにもいかぬ。

そこで虎千代は一足早く別の未来を語る事にした。酒好きの越後人としては、未来が明るく感じられることだ。そして今を乗り切れば、明るい将来設計ができるぞと言う夢が必要でもある。

 

「昔むかし、あるところに有名な酒蔵があった。不正を働く杜氏を馘首したのだが……」

「……? もしや、以前に仰せられた秘儀を紐解かれたので?」

 唐突に昔話を語り始めた虎千代に長重は面食らった。

しかし話の流れを考えれば、明らかに酒の事だろう。その事を察して念のために確認しつつ、相の手として話を促しておく。

 

「その悪い杜氏は腹いせ紛れに仕込み中の酒樽に灰をぶちまけていったという」

「……っ! まさか、先日に灰を入れさせたのは……」

「その通り。他には決してしゃべるなよ、偶然じゃと言っておけ。さて、何処まで話したか」

 この時、長重は驚愕せざるを得なかった。

余所者が諸白酒の秘密を持って行くことを考えれば、灰を入れて飲めなくしたと思わせるのは重要であった。しかし虎千代が資料で調べれたように、他の地域では秘密でない場所もあるはずだ。それゆえにもったいないと思わないわけではなかった。だが、まさか遠い将来を見据えての事であったとは!

 

「そうそう。灰と秘儀の話であったな。後日、その事を知った酒屋が残念に思いながらも上澄みを掬って飲んでみた」

「すると清く澄んだ美しい酒であったという。味わいは濁り酒に比べるべくもないが、その切れ味はまるで違うとか」

「なるほど……。秘密を守るだけではなく、同時に新しい秘儀を試す方法を選ばれたのですね!」

「それもあるが確信が持てたのは今になっての事よ。灰を入れるだけなら誰かが思いつけよう?」

「そう……清み澄み渡る酒を造るには、濁り酒に直接入れるのではない。諸白を作る前の荒絞りの段階で入れるのじゃとな」

 現代人から見ると最初から清酒を知っているので、濁り酒に灰を入れるのだと思い易い。

しかし当時は荒絞りをしない事すらあり、さらに言えば籾殻を脱穀しない場合もあったという。つまりは脱穀・醸造・灰を入れた濾過・二度目三度目の濾過。そこまでやって初めて清酒になるのだろう。灰は酒滓と結びついて濾過し易くなり、澄んだ酒を作り易くなるという訳だ。

 

元より灰を入れるのは大切な産物の秘密を守り通すために納得していた。

だが、それどころか最初から筋道を立てて段階を踏んだ様な研究成果の証しかたである。長重は己を引き立ててくれたのは虎千代であると思っていたが、さらにその畏敬を強くするのであった。

 

「と言う訳で残りの樽は分けて濾せ。一度だけ濾した物、三段絞りで濾した物と試してみよう。兄上たちにも表向きは偶然というのじゃぞ」

「はっ。秘密を守り府内の新しい産とするのですね?」

「うむ。今までの諸白は少しずつ広めていく。代わりに清み澄み渡る酒……清酒は秘蔵中の秘蔵として扱うのじゃ」

「はは!」

 やがて越後の産物として酒が完成する。

協力する豪族に諸白酒の造り方を教えてこの地方で重要な産物として生産。そして重要な相手への贈り物や、功績を上げた家臣への褒美として、後に景虎と名乗った時に酒本位制度を確立したという事である。




 と言う訳で生産チートを酒以外封印します。
謙信様は内政なんかしません。省みません。後悔もしません。
酒だけあれば後は不要、勝てば良かろうなのだ!

まあ当時の越後は米所ではなく川はよく氾濫するし経済国家なので。
青苧とか商品だけ確保して、後は港だけあれば良いんじゃないですかね?

●諸説
為景さんは越中死亡説(祖父と混ざった説あり)を採ってます。
同様に甘粕くんも途中で名前を貰った説を採っております。


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その名は景虎!

 長尾為景の葬儀は時間こそかかったが、何とか無事に行われた。

だが当主である晴景の声望と権勢は落ち込んでしまう。隠居したとはいえその武力で支えていた為景の死、そして即座に復讐戦を挑めないほどに弱腰だと見られてしまったのだ。

 

実際には守護である越後上杉家と伊達家の騒動を見守ったり、それに乗じて反乱を起こそうとする豪族たちを抑えねばならなかった。だが知らない者にとっては弱腰には変わりない。知っていたとしても、多少の問題ごと振り回す剛腕が無いのだと周囲は失望し、この機を逃さずに自らの権益を増やそうと策謀していたのである。

 

「虎千代。そなたの献じてくれた酒のお陰で自分と儂も気が楽に成ったぞ」

「いえ。兄上の御手腕あってのものです。それに酒は趣味で作りました!」

 林泉寺での法要以来、忙しくて会えなかった晴景が訪れて来た。

虎千代にせよ天室和尚にせよ、呼びつけられるはずの当主が寺を訪れる。その裏には何かの目的があるに違いないが、その態度そのものには晴景の細やかな気配りが感じられた。そんな一面を善良さの表れと取るか、軟弱な男と見るかは人それぞれであろう。虎千代も和尚も好ましく思うのだが……生憎と越後の頑固者たちは多くが後者であった。

 

「して、兄上。此度は何のお下知でしょうか?」

「察しが良いな。まだ若く女人である虎千代には酷かもしれぬが、そなたを元服させて城を任せる」

「はい! よろこんで!」

 自分に関する用事と察した虎千代は笑顔で応じた。

心苦しそうに告げた晴景も、その元気な返事には苦笑交じりの笑顔を返さざるを得ない。晴景本人としては女としての幸せを進む道もあったと考えてしまうし、まだまだ小さい子供というイメージもあったのだろう。だが反応はどう見てもワンパク小僧でしかない。自分の苦悩は何だったのであろうかと苦笑が混じるのも当然であった。

 

「う、うむ。虎千代が望むならば良い。……時に、理由は判るか?」

「兄弟仲良くということではありませぬか? 平蔵兄上と共に府内長尾を支えよと」

「……概ね間違ってはおらぬ」

 晴景はそう言いながら慈しむような眼を虎千代に向けた。

親娘ほど離れた兄妹であり、武将としての才覚と気質を持った虎千代。それが武将に成り、しかも兄弟仲が良いとなれば府内長尾家は揺るがないと内外に示せる。もちろんその為には実績も必要であるのだが、法要を行った時には林泉寺の周囲に雪の壁が残っていたのだ。無き父親の遺体を幼子が守り切る為に差配したとなれば、未来を期待する物も出よう。そして小さくとも城を与えて守り通すことが出来れば、その武名は晴景を支えるに十分だと宣伝できると計算していた。

 

「父上がおらぬ以上、何かで府内の力を押し上げねばならぬ。排してあった栃尾を任せよう」

「はっ!」

「……おおそうじゃ。忘れておった」

「?」

 晴景は元気よく返事した虎千代に笑顔を向けたが、大事な話を忘れていた。

そもそも根本的な処であるのだが、晴景としては心配所は別であったし、本来確認するべき虎千代のノリが良かったので気にもしなかったのだ。もちろん転生者である虎千代にとっては当然の内容であって、考慮しもしなかった話なのだが。

 

「元服にあたり景の一文字と虎千代の一文字で景虎と名乗るが良い。平三景虎じゃ」

「この景虎。兄上の敵を斬って斬って、斬りまくりましょうぞ!」

 ここに長尾平三景虎が誕生する。

せっかくなので解説しておくと、そしてこの時代は本来の名前である景虎は表で呼んで良いのは主君以上の存在のみ。代わりに通称で呼ぶのだが、平三とは平家の末たる長尾の三男(女)とか三将という意味の通称である。よって普段は平三とか、平三殿という呼ばれ方となる。

 

「その調子で睨みを利かせよ。坂戸の上田長尾にも声をかけておるゆえ、一族はまとまろう」

「姉上が輿入れなされるのですか? では盛大な祝いを送らねばなりませんね!」

「はは。こやつめ、ませおって」

 虎千代、いや景虎に転生した『彼女』も何となく気が付いた。

確か姉が仲の悪い親族に嫁ぎ、特に近い存在になったことを思い出したのだ。というよりも後の上杉景勝が、姉が嫁いだ所から養子にとって後継者とした……と覚えていただけとも言える。

 

もちろん晴景としてもそのつもりなのだが、計画は少し違う。

まずは婚約を取り付けたというニュースで周囲を動かし、結婚と同時に別の行事で情勢を動かそうというのだ。それゆえに今は上田長尾家を動かす材料と言うだけであり、直ぐに結婚させるつもりはなかったと言える。この見積りの深さと言う意味で、景虎はまだまだ兄には及ばなかったと言えよう。無論、ここで嫁がせておけば……その後の話も、少し違ったのであろうが。

 

(姉上の結婚式までには清酒を完成させないとね!)

 栃尾城とかいうお城を貰ったんだけど、あんまり実感はないんだよね。

だって、まだそんな城はないというか、危なく成ったら砦を作って守ったり、不要に成ったら壊して敵に利用されないようにする程度の場所なんだってさ。近くの栖吉に居る母方のおじーちゃんにお願いして、本庄さんって武将に改築してもらってる所なのでした。だからお酒を造る以外にすること無いんだよね~(テヘペロ)。

 

「門察和尚様。お手数をおかけいたします」

「よいよい。天室殿の教え子じゃ。これも御仏の縁よ」

 と言う訳でお城が完成するまでの間、瑞麟寺というお寺にお世話になるの。

住職の門察和尚はこの間までいた林泉寺の天室和尚とズっ友というか仏友で、同じ宗派であることから仲が良かったんだって。そんで色々な知識があるってことで、ここで知恵をお借りしてたって訳ね。何に? そりゃお酒に完成に決まってるじゃん。

 

「しかしな。この辺りに居る三条長尾の残党が近頃騒いでおりましてな。黒田殿や柿崎殿と連絡を取り合っているというのですよ」

「禄の代わりに酒を寄こせと言う事でしょうか? 今更のことを」

 ここで言う三条長尾というのは、府内長尾の別名なの。

要するに何代か前の当主を争って負けた人たちなので、いまだにそのことを根に持っているらしい。まあ今からお前らは家来だと言われて、はいそーですかと言えないのも判るけどね。ちなみに黒田って人は晴景兄上の家老くらいしかあんまり知らないけど、柿崎さんは良く知ってる。大酒呑みで有名なおねーさんだよ。

 

「平三様。清み澄み渡る酒、いかがいたしましょうか? 以前のように何か?」

「そうじゃな。この際じゃから荒気酒を試すとしよか。鍛冶師を呼ぶことになる」

「はっ。どのような物をおつくりいたしましょうか」

 以前にお酒を造ってもらった甘粕くんは私の余力武将だった。

というか林泉寺だとバレバレなので、縁のあるこのお寺で清酒を作るから派遣されてたって理由だけどね。ともあれ丁度良いからひと工夫して蒸留酒を試しちゃいましょう!

 

「鍋を煮れば汁が空気になって、蓋に付き、それが結露して水に戻る」

「なるほど。大殿に温めた酒をお勧めしようと試した時、熱し過ぎると酒の香りが強うなりました」

「それじゃ。酒は水よりも早う空気になる。それを集めて酒に戻せ。強く濃い酒になる」

「まさしく荒気酒。承知いたしました」

 甘粕くんには色々教えていたし言いつけを守るので安心できる。

これで焼酎というか蒸留酒が出来るだろう……多分。清酒と諸白酒と合わせれば、これからのお酒ライフが楽しみでならない。果物のシーズンだったらカクテルってのも良いよね♪

 

「若。我らはいかに?」

「弥七郎は陰者を使うて栃尾の周囲を調べた上で、駿河殿と連絡を取れ」

「はっ」

 そういえば弥七といえばマジ弥七だった。

宇佐美定行ならぬ琵琶島定行はパパの敵対者から味方になった時、許される代わりに軍師を廃業して忍者の総元締めになったんだって。いわゆる軒猿の前身ってやつだね。そのうち飛び猿とか言う忍者が出てきたりして。

 

「弥三郎。時に弥太郎は呼べるか?」

「今の時期ならともかく、もうしばらく先ならば問題ありませぬ。鬼小島の武芸、披露いたしましょうぞ」

 もう一人の小姓である弥三郎はシャーマンだった。

正確には職業ではなく、私の聖戦みたいな加護の一つみたい。ティムした幽霊を憑依して、スッゴイ力を出せるんだってさ。ただしシーズン通してってのは無理で、『弥太郎』という幽霊を呼べるタイミングというのは結構シビアらしい。知ってる? 鬼って昔は幽霊の事だったみたいだよ。

 

こうして私たちは戦う準備を整えつつ、栃尾城の完成に向けて走り出した。

後は守って居ればそれだけで大勝利。私もハクが付くし、お酒も完成するし、万々歳! そう思ってたんだけどね……。

 

 悪い事は立て続けに起きるもんなのかな?

それとも謙信様に転生できたのに、守ってれば良いなんてダウナーなことをしてたから失敗したのかもしれない。もしあの時に、黒田さんが悪さを考えているかもって調査してれば、もっと違ったのかもね。

 

「平蔵兄上を黒田が? 奴は兄上の家老であろうに!」

「どうやら殿が勢力を盛り返す前に、その実権を奪い取ろうと画策していた模様で……」

 ちょっと前に話に出て来た黒田さんが反乱を起こした。

正確には手勢を率いて晴景兄上を捕まえようとしたらしい。その動きに気が付いた次男の平蔵兄上が奇襲を命がけで防ぎ、討ち死にしてしまったらしい。

 

「坂戸より援軍が来ることをおそれた黒田和泉守は春日山より撤退し、こちらに向かっているとのこと! おそらく三条の残党と合流しつつ所領に引き上げるつもりかと!」

「……」

 頭がグルグルする。どうすれば良かったのか?

黒田さんの話は聞いて居たし、弥七を通してそのまま琵琶島おじさんに伝えた筈だ。それで良いと油断していたバチが当たってしまったのだろうか? 絶望と怒りでグチャグチャ! 暫く何も考えたくなると同時に、兄上の仇を取らねばと言う怒りが私の心でドロドロだった。

 

「殿は平三様に栃尾を固く守って凌ぐようにと!」

「和泉守は引き上げを重視するはず。暫く守って居れば、攻め疲れるでしょう」

「……それでは駄目じゃ」

 復讐するべきだろうか? だが自分にはまだその能力が無い。

聖戦の呪文を発動させるにはまだまだレベルが足りないのだ。運が良くて7レベルの毘沙門アーマーが何回か試せば成功するかどうかだ。せいぜいが4レベルの三叉戟を発動するのが限界なのに。これは毘沙門天さまがお前にはまだ早いと言ってるの? それとも復讐は良い事ではない。聖戦はその為に使うものではないと……あーもう!

 

「若?」

「それではなんの解決にもならん。兄上は無駄死にじゃし、次は柿崎も来るぞ」

 私はゆっくりと首を振った。復讐が駄目なのは間違いが無い。

でも、ここで戦わないのはもっと駄目だ。黒田に思い知らせるだけじゃなくて、平蔵兄上の死を無駄にしない為にも戦わなきゃ! だって、だって……。晴景兄上が舐められて攻められたなら、次はもっと多くの人たちが反乱軍に加わるって事! 攻められるのが怖いのもあるけど、それ以上に兄上の死が無駄になり、次はもっと多くの人が死ぬというのが耐えられない!

 

「ですが……。黒田勢も参るとなれば、多勢に無勢です」

 ここで見解の相違が発生するのだ。

私達は守る準備をしていたけれど、それは残党相手のデビュー戦の為に用意していた作戦だ。それまでの敵と戦う事は出来ても、黒田さんちの連中が来れば苦戦するだろう。今までの準備が台無しだけど、それは仕方ないよね。

 

「それは違うぞ。正確にはまだ包囲されておらぬ。奴らの戦力は集結してなど居らぬ。弥七郎!」

「駿河守殿に残党を抑えてもらえ! 戦う必要はない。罠を含めて速く動くは危険じゃと思わせれば良い」

「はっ!」

 琵琶島勢の戦力はそう多くないけど、忍者を抱えているのが大きいんだよね。

残党は大して強くないが、弱いからこそ隠れて動こうとするので、どこからやって来るのか分からない。そこで彼らを調査していたはずの忍者を使って、移動ルートを抑えてもらえば良いの。これなら特に配置を変える必要が無いし、時間稼ぎだけで良いなら何とでも出来る筈!

 

「我らは和泉守を迎えようと合流を目指す所領の部隊を討つ! 彼奴らはまさか我らが向かって来るとは思ってもおるまい。真っ先に討ち取り、その後に取って返して、残党か和泉守の本隊か近い方を討つ!」

「それならば確かに勝てますな!」

「先陣はこの鬼小島にお任せあれ!」

 攻めがまだ決まって無い段階で、こちらから先に潰しに行くのだ。

何も無い空を飛行機で飛んでくるならまだしも、兵隊連れてえっちらおっちらなんて時間が掛かる。そこで足止めして合流を邪魔し、油断してる敵を倒すって訳よ! よく漫画とかアニメで包囲作戦を逆手に取るやつがあるでしょ? アレとおんなじ!

 

「毘沙門天の加護ぞある! 出陣じゃあ!」

「討って出るぞ!」

「「「おおお!!!」」」

 三叉戟を召喚し出撃用の手勢だけではなく、残していく者にも輝きを見せつける。

この呪文で呼び出せる武器は中途半端なバランス型で、特化系の呪文に比べたら強くはない。だけれどその輝きはまさに神器だし、中途半端なバランス型だからこそ多岐な補正能力を持っていた。具体的に命中・受け・ダメージ・呪文補助全てに+1で投擲も可能だ。どんな状況でも使えるという事は、戦いの素人の私にはピッタリの呪文なのかもしれないね。

 

あとさー、これが一番のポイントなんだけど……。

能力は変わらないんだけど、形は自由に決められるんだよね。漫画の主人公っぽくって格好良くない? お兄ちゃんの仇討ちのわりに申し訳ないくらいテンションアゲアゲな私なのでした。




長々と幼少期をやっても面白くないので、次回で大人になります。
いま居る敵? ははっ……。って感じになる予定です。
ついでに面倒なので、晴景お兄ちゃんの尊厳もどこか行きます。
謙信様は軍神だから仕方ないね。


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その軍神は、覚醒する

 長尾晴景は父為景の死を、弟景虎や坂戸の親族で補おうとした。

パワーバランスの調整としては間違っていないが、その効果が発揮される前に、重臣であった黒田秀忠が反旗を翻す。かろうじて春日山城を守ったものの直ぐ下の弟である景康が討ち取られてしまった。そして景虎の与えられし栃尾城を、帰りがけの駄賃に黒田は落とそうとしたのだ。

 

黒田勢に三条長男の残党を加えた総兵力は千とも二千とも言われている。

対する栃尾に籠った兵力は最大で五百。固く守れと晴景より命令を受けた景虎であるが、三百を率いて兄の敵を討とうと出陣するのであった。

 

「孫次郎! 黒田の本領である胎田勢は何処からやって来るか判るか?」

「おそらくはこの先の川が浅瀬になった場所かと! この山吉孫次郎、ご案内仕る!」

 景虎は近隣の豪族である山吉氏より、長男の孫次郎豊盛を借りていた。

その案内により、黒田和泉守秀忠の全軍が合流する前に叩き潰さんとしたのだ。和泉守は胎田家から黒田家に養子に送られており、実質二領の軍勢を同時に操れたのである。これを合流させては勝ち目が下がるのは間違いが無かった。

 

「聞いたか! 彼奴等は我らが向かっているとも知らず、今ごろは渡河を始めておろう。川半ばにしてコレを討てば必勝! 我らは既に勝ったぞ!」

「「「おおお!」」」

 本当に川に向かって居るのか、渡河しているのかは分からない。

だが景虎が勝機ありと一言吠えたことで、三百の兵は勢いついた。勝てるか判らぬと心配するよりも、こういう時は空元気でも良いから信じたいものである。兵士たちは我先にと川へ向かっていったのである。

 

「なんじゃ。久三郎の手勢にしては……」

「逆賊、胎田常陸介! 平三景虎がまかり越して候! 尋常に勝負せよ!」

 暫くして渡河を終えた胎田の兵がそこに居た。

和泉守の父親である胎田常陸介を景虎は捉えたのである。都合よく渡河の途中を討つことは出来なかったが、逆にいえば殲滅するチャンスだ。馬を走らせて一気に躍り出るのだ。

 

「若君。危険ですぞ!」

「心配無用! 我には毘沙門天の加護ぞある! あの程度の輩は物の数ではない!」

 心配する声に対して、景虎は三叉戟の呪文があると言った。

出来れば毘沙門アーマーの呪文を唱えたかったが、レベルが足りないので無理である。だが三叉戟の呪文で作り出した武具は、補正値の多いマジックアイテムというのが重要であった。組み合わせて使う多聞宝塔という呪文の真価が発揮されるからである。

 

当初、多聞宝塔という呪文を老人たちの解説で経験値を得るのだと考えていた。

しかし本来はそのような呪文では無い。というよりも経験値を得る為だけの呪文などあるはずがないだろう。ではどんな効果なのか? それは実に『マジックアイテムの付与効果を+1』するというものであった。これまで景虎はマジックアイテムを持っていなかったから知らなかったが、三叉戟と組み合わせたことでようやくその真価を知ったのである。

 

(お爺ちゃんたちメンゴメンゴ。いきなりボケ治ったかと言っちゃって。でもこれで勝てる!)

 三叉戟の呪文自体は、能力ALL+1という微妙な呪文である。

だが多聞宝塔と重ねることで、ALL+2という中々のランクに到達するのだ。もちろんそれで上がる戦闘力は大したことはない。だが、呪文成功率が+2になるということでもあり、今までは成功率が低かった神聖系の呪文を、何とか戦場でも唱える事ができるようになったのである(景虎はあくまで武将なので、神聖呪文のベース能力が高くないのを補ってくれる)。

 

「ならばこの弥三郎が先手となりましょう! 鬼小島弥太郎、推参成り!」

 そして呼称である弥三郎の戦闘力は景虎を越えている。

武士の幽霊である弥太郎を憑依させ、存分に暴れまわるのであった。人間には不可能な剛力も、幽霊との二人羽織りならば問題ない! 振るう槍はただそれだけで必殺の槍と成り、振り回せば雑兵が吹き飛び、見事な甲冑を来た国人出身の兵士ですらもたちまちのうちに討ち取られてしまう。

 

「こ、こんな馬鹿な事があるか! 我らの方が多勢。彼奴等は無勢ではないか」

「なぜ城に籠らぬ! 道理の通らぬ奴め!」

 この場における戦力に関しては黒田の方が上だ。

しかし包囲戦で楽に戦えると思っていたはずなのに迎え討たれた黒田勢は混乱必至。逆に景虎率いる栃尾勢は、川辺で追い落とせば勝てると言われたままの情勢ゆえに遮二無二に向かっていた。最初から気合も勢いもまったく違っていたと言えるだろう。

 

「ばっ! バケモノ!? あやつを近づけるな! 逃げるぞ! 久三郎の元まで……」

「させぬ! トドメは任せた。手柄とせよ、弥三郎!」

 景虎は三叉戟を投擲した。所詮、若武者に過ぎず戦乙女の投槍には及ぶまい。

だがマジックアイテムであることや強化されて居る事、なにより胎田常陸介が慌てふためいている事が好条件に変わった。守るべき周囲の兵士たちも、渡河したばかりで体力が落ちているのも問題であった。

 

「ひっ!?」

「鬼小島がつかまつる。お命頂戴!」

 投げられた三叉戟がクリーンヒットして馬から落ちかけた。

そこへ弥三郎が追い付いて槍で上から強打し、ぐらりと転げ落ちたところで槍を返して胸元を突く。そのまま首を掻き切るか、それとも部下に任せて他を討つべきかを悩むほどの余裕があったという。

 

「平三様! 敵は総崩れでござるぞ! このまま平らげてくれましょうや!?」

「無用! 常陸の首だけ抑えて打ち捨てよ。取って返して琵琶島勢と合流する! 孫次郎、案内を!」

「「承知!」」

 景虎の言葉に弥三郎と孫次郎の両名が即座に動いた。

弥三郎は脇差を抜いて常陸介の首を剛力で掻き切り、孫次郎は枇杷島勢が何処に向かったかを知っている部下を呼び寄せた。それに習って栃尾勢も次々に踵を返す。あまりの衝撃に、本来は手柄であるはずの国人衆の首すら無視して引き返していったのだ。

 

 

「平三殿。援軍感謝いたします。しかし、よろしかったのですか? 黒田の方に参れば、残党を吸収する前に討てたやもしれませぬが」

「良いのだ駿河守殿。これでお互いに仇同士。黒田和泉守にも、私と戦う為の兵が必要だろう」

 そのまま景虎は三条長男の残党を抑える琵琶島駿河守定行と合流した。

急げば黒田和泉守が手持ちの兵だけだったかもしれないと指摘する定行に、景虎に転生した女はそれッポイ言葉を返した。実際にそこまでお互いの正統性やら覚悟やらを気にしているわけではない。多聞宝塔で尋ねた老師たちの言葉は、『可能ではある』としか言われなかったので、上杉謙信ッポイ選択肢を選んだだけなのである。

 

「平三様! 酒をお持ちしました。それと瑞麟寺の門徒宗が御助成くださると!」

「良し! 彼らを見知ったその方に預ける! 甘粕隊は柿崎勢の抑えとして扱うが戦う必要はない、動く気配があらば使者を送れ」

「はっ!」

 そこへ甘粕長重が酒を持って来た。

瑞麟寺の周囲で仕込んでいた酒の一部だ。大半は門徒宗が安全地帯に隠しているはずだが、景気付けに持って来たのだろう。殆どは諸白酒であり、協力してくれた諸将への礼である。そしてあくまで縁ゆえに加勢するという彼らを危険な場所には置かず、かといって無意味では無い場所に配置するのであった。そして……。

 

 柿崎勢が動いたと聞いて、私は馬を走らせた。

甘粕君が心配だとか、放って置いたら負けるとかは関係ない。思い出したのだ、私が何で戦いを始めたのかを。思い出したからこそ私は馬を走らせた。お馬さんにガンダ(ガン・ダッシュ)させまくって悪いけど、今だけぶっ飛ばしてね!

 

「柿崎ぃ!」

「何だいお嬢ちゃん。虎と名前はwついても、元服したてのまだまだ子猫なのかねえ」

 睨み合う柿崎勢と甘粕隊。その間に私は割って入った。

血相を変えて飛び込んで来る私を見て、柿崎景家は容易い相手だと思った事だろう。だけど私には関係ない。思い出したことに比べれば、そんなプライドなど大したことでは無かった。

 

「自分だけじゃ黒田を倒せなくて頭でも下げに来たのかい? それとも……」

「関係ない! 黒田ごとき関係ない!」

 私は言い切った。どうでも良い事を比較されたからではない。

その先を言うのは、私であるべきなのだから。ここで何が起きて、成功しても失敗しても私の責任で、誰かが追うべきものでは無かったからだ。本当の事を言えば、私が謙信様として相応しい事をしていればこんな戦いは不要だっただろう。

 

「思い出したのだ! 私が何のために戦うこと決めたかを!」

「黒田ごときの為に戦おうと思ったのではない! ここで越後で流れる血を終わらせる為だ!」

「何を言って……」

 覚悟ガンギマリの私に対して景家はパニクってるようだった。

まあ気持ちは判る。小娘が出て来て突如として意味の通らない事を言い出したら、私だってそうなる。でも、これは必要な事なんだ。私が私らしくあるために、私がしたいことをする為に、そして言葉通り、戦いを止めるために!

 

「黒田和泉守に勝つだけなら何とでもなる! だが、それで騒乱は収まるか!?」

「そんなはずはない。頭を丸めて反省したフリをして、機会があればまた戦って! 長く続く戦いの始まりなのだ!」

「だからここで終わらせる! そのためには柿崎が、大蕪菁の旗印が必要なのだ! 共に騒乱を終わらせよう!」

 そう言って私は手を景家に伸ばした。

正直な話、同じくらいの数ならこないだ勝ったばかりの栃尾勢と、負けたばかりの黒田勢では勝負にならない。ちょっと工夫して、ちょっと周囲の豪族に声を掛けたら終わりだ。ううん、お姉ちゃんがお嫁に行くって話だから、坂戸の上田長尾家が援軍出してるはずだから追いついてきたら終わりだろう。

 

でも、それでは解決しないのだ。

数で勝っただけならば、味方が引き揚げたらまたやるだろう。『ぼくちん反省してます~お坊さんになりますー』と言えばいったんそこで終わりになる。だけどまた戦いは起きるし、ずっと同じように反乱したり許されたりが続くだろう。だからここでスッキリポンの大団円が必要なのだ。

 

「それはお嬢ちゃんの理屈だろ? 戦いもせずにここで手打ちして、あたしらに何の得があるっていうのさ」

「言う事を利かせたいなら、勝って従わせるか、それとも儲け話でも持って来るんだね!」

「それができないなら、理想なんぞ直江津の海にでも放り込みな!」

 女だてらに柿崎景家を名乗って居ない。だから彼女は啖呵を切った。

琵琶島のおじさんは様子見だろうから味方になる可能性があるといってたけれど、ここで弱腰にはならないのだろう。もちろん私の理想論に反発した可能性も有るけどね。

 

「さあ! あんたは何をくれるんだい? 晴景様にお伺いを立てるのは無しだよ!」

「全部だ! 名誉も、冨も、土地もやろう!」

「景虎がもらうはずの土地も金もくれてやろう! 黒田は此処で死ぬから、和泉守の名前もだ!」

 それで平和が買えるならば安いものだ。ここで内戦が終わるならばとても安い。

それに前から思ってたんだよね。景家の通名は幼名としての弥次郎なんだよ……。それって女の子の名前じゃないじゃん。私だって千代という女名に虎って付いてるのに。それを考えたら柿崎和泉、イズミちゃんってのは素敵だと思うのだ。

 

あ、説明しておくと、通明は三種類あってルールがあるんだ。

判り易いのは幼名そのままで、次に私の平三みたいな管理番号。最後に自称の官職が来るんだけど……これは同じ国に名乗っている人がいて、もっと有名だったら自分は低くしないと駄目なのね。京都方面とか大きな国の方が偉い事になるので、前の世代で重臣していた黒田さんが和泉守を名乗ってると、他の誰も名乗れないのであーる。

 

「はっ! あたしが和泉守か。越後最強ってのは気分がいいね。だけど、儲けの保証は!?」

「土地をやるとか言ってなかったことにすんのは上の常套句だ! 蒙古んときの執政忘れんなよ!」

「……よかろう! では証明を見せる! この景虎と共にあって損が無い事を!!」

 思惑通り和泉守の名前に載って来た。というか黒田さんが一番強かったのか……。

それはともかく話を聞いてくれそうだったので、こちらも乗って勝負に出ることにした。もっとも私がもらう土地があるかは分からないし、この話が晴景兄上に入った段階で『勝手なことしたから褒美は止めよう』って言われる可能性はあった。だから私は、私が出せる最大のモノを出すことにしたのだ。それは……。

 

ズバリ、お酒でーす!

 

「甘粕長重! この景虎が作らせた酒を持て!」

「呑み比べで勝負をつける! そちらが勝てば飲み代どころか、大儲けできる酒をやろう!」

「景虎が勝てば、そなたは私の物だ!」

「はっ! ただいま!」

 甘粕君は躊躇なく瑞麟寺門徒宗の元へ走った。

おそらくは隠しておいたであろう酒を持ってくる気だろう。いやー、私も憧れるんだよね。ショットガングラスでカパカパ呑んでいく大勝負! まあギャマンのグラスなんて渡来してるか判んないんだけどさ。お猪口くらいはあるでしょ。

 

「酒ぇ? 府内で飲める諸白かい? そりゃあれは旨い酒だけどさあ」

「情報が古いぞ景家! 清み澄み渡る酒があり、そして荒き酒を作り上げたばかりよ!」

「景虎が注ぐ酒が怖ければ、呑みなれたモノを呑むが良い。もちろん景虎は最も良い酒を選ぶがな!」

 どうやら景家は兄上から諸白酒をもらったことがあるらしい。

ならば話は早いよね! せっかく売り言葉に買い言葉なんだから、呑み比べで行きましょう。もし負けてても血が流れないんだからまあいいっしょ。ウェーイ。

 

 

「これは今までとは比較にならぬ強い酒だ。まずは景虎より毒見をしようぞ」

「はっ! こんなチマチマした盃で呑んだ気に……っ!?」

「何だいこりゃ! まるで火を飲み込んだような。……確かに言う程の事はあるねえ!」

 おちょこ一杯分の酒をお互いの前に出す。

まずは私から呑むのだが……なんというか、生前の蒸留酒よりはまだ弱い。だが酒のアルコール度が甘酒よりマシ程度のこの時代では、十分に強い酒なのだろう。景家はどうやら気に入ったようだ。

 

「一口分ずつ交互に呑むか、それとも大杯で飲み干すかを選ぶが良い」

「おごりなんだろ? 大盃で持ってきな!」

「ははは! 景家ならばそう言うと思って居たぞ。肴は何にする? 肉か、魚か?」

 ニヤリと笑って私と景家は大盃を交わした。

感覚的にはノリ重視の酒盛りで、お互いに本調子とか下限とか考えずにウェイウェイやることにした。この段階でかなり意気投合したので、おそらくは味方に付くか、悪くとも中立でいてくれるだろう。そう思っていたのだが……。

 

「黒田の首はどうだい? あたしも和泉守って名前が欲しくなってさ」

「それはついでじゃと言ったろう。他に何が欲しい? 私は平和な越後だ。兄上と共にもう誰も泣かぬ国にする」

「ふふ。言うじゃないか。まだまだお嬢ちゃんだと思ってたのにねえ……」

 その様子になんとなく納得した。

景家……いやイズミちゃんは私の事を前から知っていたのだろう。その上で心情的には嫌って居なくとも、柿崎家の当主として利益無くしては動く気はなかったのだろう。ただ、私はこの時点でまだ彼女の本心を全て理解できていなかったと言える。

 

「とりあえず諸白は貰っちまってよいのかい?」

「私が差配した。仕込んでいるのは甘粕家だがな。呑むなり売って銭金にするなりせよ」

「……そうか。正直、うちの周囲で土地を広げるにはしばらく厳しいからね。その方がありがたいさ」

 越後は川や山で分断され土地が広げにくく、角突き合わせた豪族同士で殴り合う。

だから大手柄で誰からも文句も言えない状態ならともかく、中途半端な状態ならお金の方が良いのだろう。そのお金で軍備を整え、お今度こそ大手柄をあげて土地をゲットするつもりであるらしい。前向きと言えば前向きなので、私も見習おうかな。……軍事分野で一つだけやるチートは常備兵……は面倒かな。もう少し少なくしよ。精鋭だけいればいいや。

 

「それで黒田とはどこまでやるつもりだい?」

「追って追って地の果てまでも追って叩き潰す。黒田だろうが胎田だろうが草の根まですり潰す」

「それなら逃がさないようにしないとねぇ。勝てないと判ったら最後までやりはしないもんさ」

「……まあ所領まで追い詰めるまでに段階で降伏したら、許せと兄上は言いそうだから従うがな」

 こうして兄上の静止が掛からない間に黒田勢は完全に叩き潰すことが決まった。

胎田の敗残兵を吸収して立て直している間に一戦し、黒田和泉守……もう黒田久三郎というべきかな。その首を落として降伏を宣言できる者が居ない内に、黒田家と胎田家を潰すことにしたのだ。なんでかって? そこまでやったら長尾家に歯向かうのは損しかないって判るでしょ?

 

計画だけならまあそんなものだ。

私は知らなかったのだが、事態と言う物は思わぬ方向へと進んでいくものだ。自分がこうと決めても……周りが勝手に走り出すこともあるのだと……全て終わってから聞かされたのである。

 

「駿河守。どう思う?」

「和泉守殿が思って居るのと同じでござるよ」

「じゃあ決まりだね」

「神五郎には拙者が話を付けておきましょうぞ」

 私がウェイウェイ言って飲んだくれている間に大方の話し合いが済んでいた。

そして気が付けば……後戻りのできないところまで話が進んでしまっていたのであった。

 

「……どうして、こうなった!?」

 黒田を叩き潰し所領に戻るまでに首を獲り、凱旋を済ませた私に妙な面談が入った。

……後に、私はどこかの幼女みたいなことを叫んで黄昏ることになったのだ。




 と言う訳で幼年編は終わりです。
次回、長尾家の当主となって守護代……というか、ついでに守護代理になります。

●オマケのビジュアル
適当に思いついただけなので、威かは無視してもOKです。

「景虎の外見」
 言わずと知れたGACKT謙信のコスプレをした少女。
その着せ替え人形は恋をするのマリンちゃんが麗さまコスの延長でやったらそんな感じ。

「甘粕君の外見」
その着せ替え人形は恋をするのゴジョーくん。
仕事モードで額に手ぬぐいまいてる状態のアレ。

「柿崎イズミちゃん景家」
少女漫画の方のBASARAの副将であり女海賊の茶々。

「黒田さんと胎田さん」
銀英伝でやられていく提督たち。


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丸投げしても、平気の平三

「どうして……こうなった」

 景虎はどこかの幼女みたいな呟きをもらした。

仕方があるまい。間もなく琵琶島駿河守定行、柿崎和泉守景家、さらには直江神五郎実綱という越後の重臣三人組(軍師・武将・内政)から面談を受けることになっていたからである。付け加えるならば越後守護の上杉定実にも話が通り、京都で交渉窓口をしているはずの神余が息子の隼人佑を送ってきているというから余程の事である。

 

賢明なる読者にはお気づきかもしれないが……。

一言で言うと、景虎はやり過ぎたのだ。栃尾城を守るだけでも元服したての若者には十分な成果なのに、黒田・胎田の二領を陥落させるまでやって居る。兄の晴景はバランス取りを重要視していたので、『誰がそこまでやれと言ったのか!』状態であろう。正直な話、脳筋ばかりで反骨精神旺盛な揚北衆の中にもシンパや、逆にビビっている連中がいるから大概だ。

 

「平三様。お目通りの許可をいただき、ありがとうございます」

「神五郎のみならず、みな名にしおう越後の名将たちよ。若造の顔を見るのに許可など要るまい」

 景虎に転生した女は別に馬鹿ではない。内政も面倒だからしたくないだけだ。

転生前は歴女というほどではないが、上杉謙信を推しの一人に数えるくらいには日本史や物語が好きであった。その略歴を覚えているのであれば、この状況が何を意味するのか分からない筈はなかったのだ。史実的には、もう少しモラトリアムがあるだろうと思っているなどと、甘い事を考えていただけで……。ちなみに姉が即座に結婚して居れば、黒田は反乱しなかっただろうし交代劇は無かったかもしれない。

 

「して、此度は何用じゃ? まさか兄上を追い落とせとは言うまいな」

「いえ。守護様の後援を受け、近く話し合いを行うと報告に参りました」

「……全て、全て終わっておるのか。図ってくれたのう」

「謀り事とは、みなそのようなものにございますよ」

 機先を制して余計な事を言うなと伝えれば、神五郎実綱は真面目くさって返した。

苦い顔をする景虎に対して、駿河守定行が苦笑しながら補足した。景虎は元服したばかりであり、政治には何の縁も無い。それなのに突如として顔を出したかと思うと、いきなり次の当主と成れ。話はついていると言うのでは筋が通るまい。

 

「越後で血を流れないようにしたいって言ったのは平三様! あんただろ! これが一番良い方法なんだよ! 誰が幼馴染を追い落としたいと思うかい?」

「それがしに至っては同い年の縁か、随分と引き立てていただきました。不満など、いままでありませなんだよ」

「和泉……神五……」

 景虎には返す言葉が無かった。

正直な話、晴景は交渉が上手いだけで武名が無い。加えて内政家としても特に手腕を発揮したわけではないのだ。あくまで父為景の陰で、補佐するのに丁度良い能力であっただけなのだ。少なくともその時分から武将として戦って居ればともかく、そうでないのだから『この乱世を乗り切れるのか?』と不安が出るのは仕方がない。

 

それと同時に、不安を払拭できるほどの能力を景虎が発揮してしまったというのもある。

鎌倉以来の御家人であるがゆえに、反骨精神の塊であるあの揚北衆すらも一目置くその活躍。景虎ならば! と周囲が期待するのも仕方あるまい。そして……景虎に転生した女は、転生者ゆえにその歴史の流れを痛いほどに知ってしまっていた。

 

「時、ここに至れば仕方ないでございますぞ。それが混乱を避ける一番の手段」

「賢しいぞ駿河守! だが言いたいことは判る」

「だが、此度の黒幕として琵琶島に罰が必要じゃ。以後、宇佐美と名乗り隠居せよ!」

「守護様に献じました宇佐美刀の……なるほど、委細承知いたしました」

 駿河守定行が追い込むと景虎は溜息を吐きながら自分の心にケリを付けた。

琵琶島が糸を引いたということはあちこちに知られるだろう。だが、そこに罰を与えねば、景虎は操り人形と言う事になる。だが、痛めつけ過ぎてはやはり別の騒乱の火種になるのだ。それゆえに、守護である上杉定実の許可もあったと示すために、琵琶島家より守護家へと献上された『宇佐美長光』の名前を使えと命じたことになっている。……まあ、景虎としては『こいつは軍師の宇佐美定満だよね』というだけの話なのだが。

 

「神五郎、和泉守! 兄上には景虎が名代として切り盛りすると伝えよ。事が終われば兄上の血に、居なければ姉上の血に当主を戻すとな」

「……御意。それが落としどころで妙案でありましょうや」

「気にしなさんな。あの方は話を付けるのだけは上手い。案外、気が楽に成ったと言うだろうさ」

 生涯に渡って不犯と宣言したわけではない。

だが対外的にそういう感じで周囲を説得し、親族の誰かに当主を譲るという確約をしておく。これならば晴景が周囲にそっぽを向かれてまで地位に固執はしないだろう。また、外交畑で専念して隠居政治するという意味では、為景の路線と逆を行っただけと言えなくも無かった。

 

(あーもう、勝手なことしちゃってくれてさ! とはいえ謙信様なんだから仕方ないんだけど!)

 創業社長が株式上場したら、役員から首にされた話の逆かな。

私は思わずそう思ってしまった。兄上の晴景は首にされ、代わりに私が当主として頑張らないといけない訳だ。ただ謙信様がするべきことから目を反らせたら、また新しい悲劇が起きるのは判ってる。だからここで納得するしかないんだよねえ。

 

「神五郎。今のうちに方針を伝える。根回しは任せるぞ」

「はっ! いかようにも!」

「争いは好まぬし、他にやるべきことが山とある。一つずつ片付けるために……まず、揚北の服属は捨てる。黒田・胎田の様に乱を起こせば整理はするがな」

 前回の戦いの後、調べて色んなことが判ったんだけど……面倒な事があったの。

越後の国で最初の武士になった御家人という誇りがあって、揚北衆という人たちはすっごい扱い難いんだって。この一部を何とか味方に付けると同時に、彼ら豪族から色々と取り上げて戦国大名に成るってのが、長尾家の方針だったわけね。だからこそ彼らは反発するし、黒田さんみたいに『自分でも、やれるんじゃないか?』って思う人が出てくるわけよ。ゲコクジョーってやつね。多分。

 

「それでは従わぬだけでは?」

「代わりに北の三役。主将として北を守る者。無主の地を預かり食い物を用意する役、銭を預けて管理する役じゃ。また春日山に揚北の要望を伝える者と、戦での代将のニ役も用意する」

「なるほど……明確な誉と得目を提示するのですな。承知いたしました」

 考えたんだよねー。政治するの面倒だし、丸投げしちゃえば良いってさ!

胎田を攻めた前後で協力を申し出があるだけじゃなく、『隣との問題を何とかしてくれ!』って話が持ちこまれたんだよね。黒田さんの実家を倒しただけでそれだよ? これからずっとそんな係争が持ち込まれるのは判ってる。鎌倉時代から武士の問題はずっと続いてるからね。私、そういうメンドイのきら~い。だからパスすることにしたわけ。

 

とりあえず北部の長官と、金庫番と食料決定を決定。

何かあったらその人たちにヨロっ! って考えた後で、外交官みたいのも必要じゃない? それに援軍送ってもらう時の将軍も必要だし! ってのを考え付いて直江さんに言ったら、良いんじゃないかって褒めてもらいました。えっへん。

 

「他には?」

「先も申したが、一つずつ片付けていく。ゆえに坂東や信濃には関わらず、適当に使者を送る機会があれば送るに留めて置け。無ければ善光寺参りや諏訪参りのついでで良い。話さえ聞いておかば、攻められる前に気が付けよう」

「なるほど。こちらで陰の者を送りましょうぞ。隠居で暇になりそうですからな」

 次に他国には基本攻めたりしない。だって謙信様だもんね。

とはいえ謙信様と言えば川中島や関東征伐で有名だもの。情報収集だけはしておいて、明確に戦いは挑まないよってスタンスを固めておけば良いと思うんだ。ついでに言うと、この時代の関東への道は山道で移動がダルイ。トンネルを抜けたら雪国って伊達じゃないよね。上杉だけど!

 

「ふ~ん。って、こと粗方見えて来たね。最初に片付けるのは越中か」

「そうじゃ。亡き父上の仇を取り西の決着をつける」

 忘れそうになるけど、ことの発端はパパである為景が殺された事。

だから最初に片付けるのは此処だろう。その為に揚北には手を出さないし、東や南には戦争しないって明言しておくわけね。放置気味だったとはいえ家族を殺されたんだし、私的には『泣き出すまで殴り続けてやる!』って心境なワケ。

 

「一向宗はどうすんだい? あいつら生かしても殺しても面倒だよ」

「いかなる宗教宗派によらず差別はせぬ。罪は罪によって処するが一向宗であることを罪とせぬ」

「そう上手く行くかい? 坊主はともかく坊官どもは強欲だ。だいたい勝手に寄進しちまう奴も居るしね」

「功績には二種類ある。家に対する御恩と奉公、そして個人の武技に対する期待じゃ。自らの報酬であるなら何も言わぬ」

 越中で大変なのは、イズミちゃんが言うようにお坊さんたちが居る事です。

現代まで続く宗教問題に口を挟んでも良い事はないので、基本その辺も放置! 問題なのは学校の荘園問題でも出て来たけど、お寺に土地をあげたら無税という制度が慣習として続いちゃってるのよね。ちなみに坊官というのは、和尚さん達の下で部将みたいなことをやってる人。基本的に公家とか武将の一族出身で、そのまま武将やってる感じ。

 

「そも南無阿弥陀仏と唱えたら免罪というのは理屈が違おう」

「悔い改めれば御仏が地獄より救おうとしてくれるだけじゃ」

「悔い改め続ければ救われるやもしれぬが、その途中で罪を平然と犯さば、また地獄に落ちよう。何度でも苦しむだけよ」

「それはそうなんだけどね……西の民草がどこまで判ってるもんか」

 理解できないのは一向宗の心理武装だ。

南無阿弥陀仏と唱えたら『全部の罪が清算されてチャラです!』って、おかしいでしょ? そりゃどんな悪党だって罪を償えば救われるかもしれない。だがそれは悔い改めるチャンスの話であって、無罪になる話じゃない筈なんだけどね。でも坊官たちは平然とそう口にするし、困ってる村の人々は困ってるからこそ信じてしまうのだ。

 

「そうだな。そこは親鸞様に習うとしよう」

「適当な坊主に辻説法なり歌念仏での読み聞かせを広めて回ってもらおう」

「それ以上は何もせぬ。そういう派閥が居るなら寄進しても良いのじゃがな」

 この問題は突いても切っても面倒なだけなので放置します!

せっかくなので『蜘蛛の糸』でも広めてもらって、少しずつ意識改革でもすれば何十年かしたらなんとかなるんじゃない? と言う訳で、私は宗教知りませーん!

 

「以上の事はあくまで基本的な方針じゃ。根回しの間に必要じゃと思えば、揚北三将が四天王やら八部衆になっても構わぬ。越中を優先するとは言うが、他所が攻めて来れば話は変わる故な」

「「承知!」」

 こんな感じで方針を説明し、三人に話を付けてもらう事にしました。

まずは兄上に伝えて了承をもらい、場合によっては守護様にも話が行くだろう。そこから揚北衆やら他のメンバーに話がいって、何とかなるのだと思いたい。いちいち説得するのは面倒だもんね。

 

「平三様。そういえば京の神余を呼んでおりますが、上方はいかに?」

「京三条の? そうか。では十のうち朝廷に五、将軍家に三、道中に残り二とでもしておけ」

 最後にオマケの面倒くさい作業が追加。

京三条というのは越後の青苧の代金を公家に送っていた名残で、その家と疎遠になってからも、朝廷へ話を付けたり青苧のセールスを兼ねて代官みたいな人を置いてるわけね。その人が神余さん。

 

「では何の便宜を図っていただきましょうや?」

「不要じゃ。当面は代替わりを認めてもらうだけで良い」

「だがそうじゃな……酒を送る。今上へ清み酒を主に、大樹様に荒き酒を主に、それ以外には諸白のみを」

 朝廷工作と言うのは正直よくわかんない。

でもパパたちがずっと京都に代官を置いてセールスしてたってことは、利益があるからだよね? なので彼らにはお酒のアピールをしてもらいます。たくさん売れたら専門の醸造所とか作らないとね!

 

こうして私は当主に付けという要請に対して、適当な方針を打ち出すことにしたのでした。




と言う訳で、長尾家の当主になりました。
黒田残党との戦い? 晴景さまの愚痴? 判り切ってるので行殺。
今回は「政治は面倒なので、何もしません」という話になります。
と言う訳で、次回から年中行事のように戦争する謙信様になります。


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守護代への就任

 当主交代は早過ぎず遅すぎず、適正な時間を置いて行われた。

あくまで穏当な交代であり、強硬なものではないと示すために、そして新当主の行動力を示すために入念な準備期間で実施される。天文十四年の半ばより十五年の末までジックリと周知されていったのだ。

 

その間に各家の権威と貢献に配慮し、酒や酒肴にも差をつけ用意された。

酒と言えば景虎の肝入りであるが、同じように常備兵の計画もゆっくりと進行し、精鋭はまだ数百ながら、一般兵レベルの戦闘工兵を組み合わせるという妥協案で少しずつ拡充されていくことになった。

 

「景虎よ。守護としてそなたを守護代として定める」

「また、朝廷よりそなたに弾正少忠の官を与えるとも言われて居る」

「これより守護代、長尾弾正景虎として越後を守るのじゃ」

「ははあ!」

 明けて天文十六年、越後守護である上杉定実より目録と刀が渡された。

名ばかりであっても守護は守護、そして朝廷は朝廷である。また御家人の家系である揚北衆などは権威を重視しており、こういった儀式は非常に重要であった。また官位も史実の弾正少弼より低い地位ではあるが守護代就任に合わせたことを考えればかなり早い任官と言えよう。

 

「平三殿。弾正少忠への任官。誠に祝着至極に存ずる」

「弾正様! まずは我らにお下知を!」

「うむ」

 姉婿である長尾政景、あるいは揚北衆の中条藤資ら数名が声をかける。

彼らは一族や家臣団としては上位に位置し、さらに上位に当たる者の代わりに上奏したという態である。この辺りはお互いにいがみ合う者たちであり、先に手を上げただの後からしゃしゃり出ただの言い出したので、苦心してそういう事になったと言えるだろう。だが史実では政景であったり、揚北の黒川家などは戦ってから従っている。根回しと官位が効いた形であろう。

 

「二度と越後の内で争わぬ。戦いが起きるとすれば外だ」

「自儘に兵を起こそうとは思わぬが、戦いにおいては自ら鍛えた雇い兵を前面に押し立てる」

「みなは協力しても良いし、手元不如意の者があらば家中の誰ぞを送り込んでも良いぞ」

 景虎の決意表明は明確であった。

一つの強い越後を作り上げ、外敵に対してまとまるという従来の姿勢を強固にしたものだ。もっともそこには景虎独自の兵は用意するし、各家が個別に協力しても構わないという姿勢である。もちろん国を挙げての動員令と成れば話は違って来るし、御恩と奉公はその段になれば関わって来る。

 

そしてこれに対し諸将からは小さな笑いの気配が籠った。

乱世ゆえに利益を求めて戦わぬ宣言などありえぬし、自分の欲得で攻める時は先頭に立つという宣言をしても実行などありえない。むしろ元服して間も無い若君が、何やら勇んでらっしゃるぞという暖かい笑いである。普通なら生暖かい蔑みの笑みになるし、笑われた方も怒り狂うものだが……それが普通なくらいに越後は修羅の巷であった。

 

「領地の運営に対して私は一つの注文しかせぬ」

「越後を貫く太き道を作る。誰かが攻められれば、その道を通って景虎が駆けつけよう」

「協力する者には銭を出す。必要ならば工兵を貸すが、時が余れば開墾や治水につこうても良い」

「無論、嫌だという者がおれば無理に協力せよとは言わぬ。だが、道を作るのは景虎の本意とだけ覚えよ」

 国家運営に関して国道整備のみを運営方針とした。

それは軍道であり、商道である。兵を送るスピードが速くなり、商いの移動に使う時間が短縮される。地味ながらそれだけで全体が向上すると言えるだろう。もちろん時間は掛かるし、目に見えた効果はあまりない。それでいて、敵が侵入すれば逆用されるので危険ではあった。

 

それでもなお、たった一つの内政チートに景虎が選んだ理由は簡単だ。

常備兵のうち、弱い方の戦闘工兵は戦闘力が一般人レベルしかない。そんな連中を戦いの無い時に雇って居てももったいないので、道を作ることで鍛えさせるというローマ式の古い考えであった。開墾に使うから屯田兵でも良いのだが。

 

「弾正様! 我らが道行きはいずこでありましょうや?」

「弾正様! 戦うべき先をお示しくだされ」

 次に揚北衆である本庄実乃や、いまや越後一の武名と成った柿崎景家が声をかける。

二人は早い段階で景虎の才能を見込んだ人物であり、権威ではなくその戦闘力に従うという判り易い態度であった。家を継いだり新たに起こすことを認められた山吉孫二郎・孫四郎の兄弟がこれに続く。

 

「それは越中である!」

「亡き父、長尾為景は請われて越中へと援兵を出した」

「その結果はなんだ? 皆も知っていよう。お家争いのついでとばかりに殺されたのだ」

「切り取りに行って負けたなら武家の習いと納得もしよう。だが、これでは道理に合わぬ!」

 景虎にとって判り易い目標が越中であった。

父も祖父も越中で一向宗との戦いで死んでいるが、直近の出来事として父為景が謀殺されていた。これを放置しては全越後から舐められることになるし、実際、兄晴景の株はそれで下がっていたと言えよう。明確に越中に攻め込むという宣言は、諸将にも納得できる話であった。

 

「ゆえに明年、越中へ兵を出す」

「神保に宣戦を布告せよ。景虎が直々に挨拶するとな!」

「景虎よ。管領家との折衝は儂がやっておこう。存分に本懐を遂げて参れ」

「ははあ! 守護様の御厚情。決して忘れませぬ!」

 戦うに際して上杉定実より言葉を受けた。

これは非常に重要な事であり、同時に諸将が心配していると同時に、欲目を抱いている事であった。関東管領である山内上杉家とは越後上杉家の問題で戦った事があり、父為景の時代に討ち取っても居たのだ。この問題は伊勢氏(後北条)の台頭やそれに対する逆襲を優先(北条氏綱が死んだばかり)して後回しにされてはいるが、両家にシコリとして残っているのは確実であった。

 

長年の禍根を絶つと同時に、暖かな上野へ攻め取って切り取る可能性の排除。

それは非常に重要な事であり……後に和解した山内上杉家から使者が駆け込んで来る事態の呼び水となるのであった。

 

「甘粕長重。これまでよく私を支えてくれた。景の一字を与える」

「その方は運気も持っておる。ゆえに景持と名乗れ」

「はっ、甘粕景持。これより殿の為に命懸けで、一所懸命に働く所存であります!」

 よーやく色々面倒な公式行事が終わりました!

そんで私事の最初の仕事として、甘粕君に私の名前の一字をあげる訳ね。これを『偏諱』するというのだけれど、ここに至るまでの流れと、順番とか権威付けがスッゴイ面倒くさい訳よ!

 

お願いしたお酒関連がとても評判で、資金面でも朝廷関連でも重要な立場になったのは判るかな?

でも若造が重臣となるのも問題だし、先を越されて悔しいから……って理由で、彼は公式行事ではなく私事としての最初にすることになった感じになるかな? 私が当主について最初の一人だけど、同時に公式的な守護代としては別の人になる予定なんだとか。誰が最初とか後とかそんなんで意地はるなんて面倒くさい人たちだよね。

 

「それで景持。哪吒どもの調子はどうだ?」

「御仏の加護が判明した者を中心に鍛えております。夜叉・羅刹いずれかに相応しく育つかと」

 ここで出て来た哪吒・夜叉・羅刹というのは毘沙門天様関連の名前だよ。

そんで漫画とか見た人は想像できると思うけど、哪吒というのは常備兵とかお侍の子供たちを鍛えてる場所ね。いわゆる『虎の穴』で、才能が発揮できるようになるまでカンヅメにして鍛えておきます。そんで夜叉と羅刹が常備兵の中で強い人たち。脳筋だけどまともな人たちが夜叉で、ちょっと人には会わせられないくらい脳筋な人が羅刹くらいに思っててくれると判り易いかな。

 

「まさか学び舎まで作って鍛えられるとは思いもしませんでした」

「なに。この景虎もまた御仏の加護を知り、自らを鍛える方針が変わったのよ」

「ならば皆にもその喜びを味おうてもらおうと思っただけの事じゃ」

「いまでも戦いの役には立とうが、入れ替わりが起きる頃にはそれなりの精鋭と呼べよるようになろう」

 これは小説の冒険者ギルドとか思い出したので付け加えたのね。

小説とかでよくあったけど、自分の加護を自覚してちゃんと鍛えた主人公は強くなることが多い。でも、何となく戦って、それで十分だと戦ってる人ってそんなに成長しないのよね。まあ小説とリアルじゃ違うと思うけど、どうせなら強い方が良いじゃん? あ、『入れ替わり』というのは精鋭部隊は千人までの定員制なのです! やっぱ『何番隊』とか『席次』とか設定見ると燃えない? 新選組とかオサレ師匠の漫画とかカッケーよね!

 

「定満。越中の方はどうなっておる?」

「神保だけならばいつでも。他の連中や一向宗が出て来れば話は別ですがな」

「やはり椎名を動かすか。奴にも責任の一端はあろうが……戦いは早期に収めねばな」

 琵琶島定行は隠居したことで正式に宇佐美定満になりました!

いやーこれで記憶違いとか混乱しなくて済むよね。仕事は前からやってる忍者による情報管理で、専門の分析チームとかを任せてます。だってその辺考えるのが面倒じゃない? 甘粕君もだけど側近たちはこんな感じで基本的にプロジェクトリーダーであり、特に重役ではない扱いね。みんなの嫉妬が面倒くさいのと、責任はやぱり私が持ちたいのもある。

 

「豊守。港と鉱山以外は全てくれてやると伝えろ」

「……随分と太っ腹ですな。理由を伺っても?」

「景虎は依怙によって弓矢を取らぬ。それに椎名も味方は欲しかろう」

「なるほど。その範囲で切り崩し味方を増やせということですね。承知いたしました」

 山吉の孫次郎君は成人して豊守と名乗ってます。

難所をくぐり抜ける才能と、人当たりが良い性格もあるので彼には外交官として働いてもらってるのね。ちなみに土地が要らないってのは管理が面倒くさいから。誰を裏切らせて誰に土地を与えてって、頭抱えちゃうよ! そんなんだったら全部任せちゃえば良いの。私ってあったまいーでしょ?

 

「しかし越後の諸将に与える恩賞はいかがいたしますか?」

「言ったぞ、まずは景虎が自ら参るとな」

「まさか! 本領の兵を合わせても二千にも足らぬ兵力でございますぞ!?」

「戦い方次第だ。兵法は詭道なりと言うであろう。余計な者は引き連れずに春先より攻め立てる」

 とりあえず必要なのは越中を攻めるという事実なのよね。

越後の皆が納得するだけの事をすれば良い訳で、別に戦って皆殺しにする必要はない訳。パパの仇を討ちに行って、相手が『参りました。もう許してね』と行ってくるまで戦えば良いだけだ。望んで人殺しをしたいわけではなく、政治的なポーズってやつかな。後は秋から冬にかけて、越後のみんなや越中で私に味方したい人が来れば何とかなるっしょ!

 

「春先に!? まさか雇った兵のみで攻めると」

「そうじゃ。相手が防御を固め、兵を集める前に片を付ける。いや、神保以外は放置して良い」

「なんと……。いえ、それでも危険ですぞ。せめて、何かしらの吉報が入るまでお待ちください」

 正直な話、みんなに『集まれー!』って言って戦うのは時間が掛かるのよね。

常備兵の精鋭が数百で、戦闘工作兵を合わせて千人くらいしかない。だから側近の皆は反対してるんだけど、それだけ居れば神保の人だけなら倒せちゃうのよね。気が付かれたら城に籠られるけど、その時は別の場所を攻めれば良いわけだし。そういうことをやるなら、逆に常備兵以外が居ると足手まといなんだよね。

 

とはいえみんなが反対してるのを押し切るのも問題かもしれない。

我儘言いたいわけでもないし、必ず勝てるって訳でもないので納得することにしました。でも、ちゃんと聞いたからね? 何か良い事あったら攻めていいってさ!




 と言う訳でさっさと守護代・当主に就任しました。
面倒くさいので次回、越中を攻略します。

ちなみに越後の石高x飢饉・水害で、二十万石強くらいで計算してます。
越中も飢饉と水害を換算して、二十万石弱くらいの計算ですね。
じゃけん港や鉱山からの収入と、青苧・お酒販売でなんとかしようね~。
と言う感じで領地についてはゲット考えてない感じ。


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戦いは年中行事の様に

 側近たちの反対によって景虎は自制した。

勝算があっても確実とは言えないので当然だが、この時期の景虎にはそれほど説得力が備わって居なかったというのもある。あくまで将来有望であり、年齢としては十分な胆力や洞察力が見え隠れすると言う程度なのだ。

 

それと同時に父親と祖父が越中で無くなっているのもあるだろう。

理由こそ違うが、一向宗との戦いに越中へ赴き命を落としているのである。側近たちが心配するのも当然であろう。

 

「それでは弾正様。工兵共をお借りしますぞ」

「実乃がよきように計らえ。飯をそちらで食わせるならばどんな働きをさせても良い」

 景虎の打ち出した唯一の内政方針である街道整備。

消極的な者が多い中、いの一番に名乗りを上げただけではなく大いに利用したのが本庄実乃である。彼は普請事業に詳しく虎千代時代に居た栃尾城の再建に関わり、今では城代になっている。この機に彼の本領や、仕えていた栖吉長尾との街道を一気に繋げてしまおうというのだろう。ここまで長い距離を整備するならば、戦闘工兵を借りてしまった方が都合が良いのも確かであった。

 

「道を通さば銭を戴けるのでしたな。そこから回しても?」

「構わぬ。朝秀に言えば前金を出すように言うておる」

「また、終われば長さと太さに応じて出すようにしておるゆえ、本庄が家の懐と相談せい」

「大熊殿ですか……。承知しました」

 実乃は目に見えて嫌そうな顔をした。

彼は普請事業全体の主導者になる事を自認しているが、会計責任者である大熊朝秀とはあまり反りが合わないのだ。そもそも、この時代の武士は金銭を汚い物として扱う者もいるくらいだ。長尾家・上杉家の両方に顔を出して越後の金庫番となっている朝秀から、金周りの相談で何度も顔を会わせ小言を言われるわけで猶更であろう。

 

「……神五郎が与坂の周囲で治水をしたいと言うておったな。道普請について説明するついでに面倒を見てやれ」

「そういう事でしたら途中で神五の奴に引き継ぎましょう」

 何事にも相性はあるもので、武将同士の縁は三角関係だ。

本庄実乃と直江実綱の相性は悪くなく、実綱と朝秀の相性は悪くない。これは実綱が政務系の側近であり、先代当主である晴景と共にあちこちに顔を出しているというのもあるだろう。喧嘩するくらいならば実綱を介して話をしろと言われれば、最初に挨拶だけして後は顔を出さない様にしようという程度の分別が実乃にもあった。

 

「他になんぞ注意が必要ですかな?」

「私は領地経営に口を挟まぬ。道に金は出すし、工兵も貸そう」

「余った時で田畑を広げようと治水をしようと構わぬ。じゃが道を作らぬ虚偽には滅ぼすまでやる」

「……この本庄美作守、肝に銘じておきますぞ」

 景虎はいっそ清々しいまでに内政を丸投げした。

行政に必要ならば資金を出すし、好き勝手をしても咎めない。だが、唯一の政策である街道整備を理由に挙げておきながら虚偽を行い、不正に資金を受給するだけならばお家が絶えるまで殲滅すると言い放ったのである。

 

なお脳筋揃いの越後勢のこと、本当にやると思わなかったものは多数居た。

とはいえ豪族たちは互いに親戚関係であることも多く、彼らの弁護もあり言い訳的に整備した者はまだ許された。しかし対面的な事すらまったく理解せず、口だけ誤っておけば良いと思った豪族も一人二人は居たのだ。その者たちは完全に攻め滅ぼされたという。

 

 天分十七年夏。情勢が大きく動いたことで出兵の準備が早まった。

越中の神保家は景虎の宣戦布告に対して戦力を集めようとしたが、椎名家が切り崩して豪族の幾人かを寝返らせたのだ。これに拍車をかけたのが、一向門徒の内部分裂である。

 

宗教組織は外敵に対して一致団結し死を恐れぬ死兵となる。

だがそれは外敵と戦う段階であり、普段は勢力争いで寺同士で勢力を争っていた。ここに椎名家は景虎が一向宗……というより浄土真宗に大して隔意が無い事を伝えたことで、坊官たちが武将化できる道が見えたのも大きいだろう。そうなればライバルはむしろ邪魔なのだ。

 

「いまならば一向宗の邪魔は入らぬ。……定満。諸国の情勢はどうか?」

「はっ。正統なる管領家は古河の管領を自称する伊勢に敗れました」

「また、信濃に攻め入って居た武田は小笠原との戦いが本格化したと」

「つまり我らの背後は安全と言う事だな」

 情報分析を担当する宇佐美定満より、諸将の前で報告が述べられた。

上野の山内上杉は川越決戦で後北条に敗北を喫している。越後上杉家を通じて緩やかに関係修復が図られていたことにより、北の守備兵を即座に南へ回して傷が広がらないように奮戦している所だという。とはいえ山内上杉に関してはそう大きな変化はなかったと言えるだろう。

 

むしろ史実と変化はあったのは信濃方面である。

史実に置いて北信濃の諸将は長尾家に縁があり、親族である晴景の凋落で弱体化していた。そこで東信濃の村上家が信濃北部の高梨家と争って行くのだが、その隙を甲斐の武田家に突かれていた。だが景虎の守護代就任と戦力拡充が史実よりもだいぶ早くなったためにこの介入を警戒、北部への進出を断念したのだ。結果として村上家は余計な戦闘を増やしておらず、隙が伺えなかったことで、武田家は攻略の矛先を史実よりも早く信濃南部へ切り替えたのである。

 

「実綱、朝信。田畑の刈り取りは?」

「出兵に際し今年は早めに種をまき、早めに刈り取りも済ませております」

「近隣の諸将は夏の間に、揚北衆も秋口には参陣できるかと存じます」

 直江神五郎実綱に並んで、越後上杉で内政担当の斎藤下野守朝信が応える。

この頃の越後勢は守護である上杉定実の体調不良もあって、殆どが景虎に直接仕えていた。他にも多くの諸将が居る中、彼が応えているのは……越後に内政ができる武将が少ないからである。実綱が内政の比重が高いのに対し、バランス型で武将としての面が強いため、頑固な揚北衆も彼には強く出れなかったという。

 

「よろしい。先発で三千、景虎が直卒する兵で神保長織を討つ」

「余の者は越中制圧のためにゆるゆると参れ。場合によっては冬もあちらで過ごすゆえな」

「実乃に後を任せる。この機に越中までの道を通してしまうのじゃ。神保を滅ぼすまでやるぞ」

「はっ!」

 この頃の越後は飢饉や水害の問題で、実質的に二十万石ちょっとしかない。

防衛はともかく攻めるための稼働戦力は五千程、雇った常備兵も合わせて六千も居れば良い方だ。そこで常備兵を中心とした三千で攻め込み、寝返りを加えた椎名勢を主力にして戦う事になった。攻め疲れた頃に後続の二千程が到着する算段で、残り千程が春日山城周辺の防備に詰めることになる。

 

「しかし殿。それだけの戦力で勝ちきれますかな? 途中で神保を取り逃がしてしまうのでは?」

「定満は心配性だな。既に一向宗を半分に割った。孫次郎、教えてやれ」

「はっ。まず罪さえ犯さないのであれば越中への布教を許可しました」

「また一向宗の坊官が武将であるかのように統治することを椎名との協議で認めました」

 定満が念のために尋ねるが、これは事前に取り決めた雰囲気造りだ。

既に側近たちの間で情報は共有されているが、みなの前で周知する必要があったからだ。越中における最大の懸念は死を恐れぬ一向宗であり、弾圧令を解除することで、その矛先が和らぎ最後まで戦う気力が無ければ烏合の衆でしかなかった。

 

ポイントは『全ての寺社に対してではない』ということだ。どこの寺も勢力拡大を狙っているし、特に親鸞様ゆかりの越後への関心が強いと知って、越後への復権を果たせば一向宗内部での功績が高くなる事が伺えたため、その対立を煽ったのである。

 

「なんと能景様以来の令を解くと……しかし、これならば楽に勝てますな」

「やはり神保を取り逃がすかどうかの勝負。急がねば」

 先ほどの兵力問題は、越中にも当てはまっている。

飢饉や水害の問題で二十万石を下回っており、攻めるための戦力は五千も無い。更にその一部が越後勢に協力するのだ、一向宗さえ向かってこなければ楽勝に見えなくも無かった。もちろん篭城されては数の勝負ではなくなるので、何とも言えないのであるが。

 

とはいえこの辺りの心情は、景虎に転生した女が特に宗教へ思い入れが無いからこそだろう。越後で禁教とされていたことを当然と思っている者や、逆に不満を覚えている者など反応はさまざまであった。だがそれでも、戦いに際して有利となれば、口を挟むほどではなかったようだが。

 

「いざ、出陣!」

「「おお!」」

 こうして越後勢のうち、常備兵を中心に府内付近の兵力が出陣したのである。

戦闘工作兵を途中に置いて、道を広げながら前進。約二千が越中へと向かった。

 

 と言う訳で始まった越中征伐なのっ。

でも、ここで皆に良い知らせと悪い知らせがありまーす。どっちが良い? まあ悪い方からってのが無難だよね。まあ同じ理由なんだけどさ。

 

「待ち構えられているだと?」

「はっ。越中勢との合流前を狙われたのかと」

「この先の拓けた場所に、三千ほどが我らの進撃を阻もうと展開しております」

 越後勢は二千なのに、三千から囲まれる! ビックリはしませんがピンチなのかな!?

越中の東は椎名さんちなのに、結構ギャンブルだよね。それとも単に、椎名さんがボコボコにされてて、入り放題だったのかな? まあ決着が簡単で楽だからいいけど。

 

「こっちが全軍を集めたら勝ち目がないから先に出て来たんだろうね」

「宣戦布告は昨年の間にしておりました。当然といえば当然ですな」

「景家、定満。笑い事ではないぞ……まあ笑い出したいのは私もだがな」

 ピンチだというのにイズミちゃんもウサミンも一緒になって笑ってる。

それもそのはず。私達は驚くほどの脳筋軍団……じゃなくて精鋭を率いているので、この位の兵力差なら誤差といえなくもない。むしろ千人未満の兵士に奇襲を掛けられて、現地到着まで眠れない方が面倒だったかな。あとはどれだけ被害を出さないか、どんだけ長引かないかの問題だね。

 

「これで楽に成ったな。集結地点を変えるぞ」

「はい。先んじて富山城に兵を回すように伝えましょう」

「神保長織に逃げられたら面倒だからね。そのまま押し込んじまおう」

 なんというかカケラも緊張感が無いけれど、それも当然かな。

敵は時間稼ぎできる狭い場所で待ち構えたんだけど、こちらの数が少ないと知ってあえて引き込んだんだろうね。グルっと囲んで戦えば勝てるって思ったんだと思う。でも、それはこっちがヤる気満々だったら話は変わって来るんだ~。囲んでるって事は、どこも薄いってことだもん。勢いのある相手にはひたすら数で耐えろって多聞宝塔のお爺ちゃんたちも言ってるくらい(同じくらい篭城で耐えろと言うからどっちが良いのか判んないけど)。

 

「聞いての通りだ豊守、急使に立ってくれるか?」

「拙者も功を稼ぎたいのですが……。そういうことでしたら」

 山吉の孫次郎くんの加護はレンジャー系で、足止め効果を受けないんだってさ。

だから色んな地形を走り慣れているし、少し引き返して越中の人たちにお話しにいけば戦っている間に集結地点を変えられると思う。これで援軍が来なくて負けたら間抜けだけど、イズミちゃんたちもノリノリだからそんな事はないと思うのね。

 

「和泉守。主力を率いて敵右翼を蹂躙せよ。その間、私は残りの敵を抑える」

「そいつは間違っても大将のすることじゃないんですけどねえ? まあいいさ、あたしが一番手柄はもらうよ」

 正面から戦っても勝てるとは思う。

でもそれをやったら二千と三千だし犠牲が増えてしまうので、勝ち易い場所で勝利してそうでない場所は守って居れば良いのだ。拓けた場所と言っても足場とかあるしね。一番強いイズミちゃんに全部任せた方が楽なんだなあー。そういう訳で、とっつげき~!

 

「剛毅な物ですな。和泉守なら手勢だけでも用を果たしますものを」

「敵に優秀な将がおらぬ以上は勝つのは当然だ。ならば後を考えただけのことよ」

「ならば重要なのは時間だ。さっさと突破して蹴散らすに限るゆえな」

「ごもっとも」

 最近、ウサミンが多聞宝塔のお爺ちゃんとあんま変わらない反応に成って来た。

情報を分析してくれるし、何かあったら注意もしてくれる。でも私がまともなアイデアを出してる間は何も言わないのね。暖かい目で見守る保護者って感じ。何というか軍師というか補佐官みたいな態度だよね。まあ面倒なことを代わってくれるから良いんだけどさ。

 

「和泉守が動き出しましたな。間もなく彼奴らも動き出すかと」

「弥三郎に防がせよ。敵が崩れるまで保てば良い」

「はっ!」

 矢と一緒に爆炎や雷撃の魔法が炸裂した後、戦意旺盛なメンバーが柿崎勢と一緒に突撃して行く。

一方で神保勢も爆炎魔法で打ち返すけど、椎名の引き抜きとか一向宗への対策であまり有名な人がいないのよね。それを向こうの大将が直接指揮してるわけだけど……。まあ人間一人が制御できるわけないじゃない? 私だったら絶対ムリ! なので向こうが混乱するまで守ってれば勝てるんだし、こっちは既に動き出して向こうは今から。基本的に勝負にならないと言って良いんじゃないかな。

 

とはいえ戦は水物、楽勝で終わるはずが無かったのです。

あ、この戦いは楽勝だったけどね。……その後はとっても面倒なことに成っちゃったんだな。これが。

 

 戦いには勝ったけど、神保さんを討ち取れるほどじゃなかったのが全ての問題だった。

本当だったら私たちを迎撃してたのも三千じゃなくて、四千とか五千は居た筈だったんだろう。それで向こうは逃げ腰だったみたいね。そんな雰囲気にぜんぜん気が付かないほど馬鹿なはずないもんね。もしかしたら狭い場所で足止めって戦術を否定されて、じゃあ囲んでボコボコにしようって提案してギリギリ何とかなっていたのかもしんない。

 

「なに、逃げただと?」

「修復中だった富山城のみならず田畑にも火を掛け、西の増山城まで大きく逃走したそうです」

 うーん、やっぱり春に攻めてればよかったかな~?

神保さんはこないだの戦いで逃げ出した後、越中の真ん中にある富山城に戻らなかったのね。そのまま籠っててくれたら山吉君が手配した越中勢が攻め込んだはずなんだけど、さっさと見切って逃走するのは流石かもしれない。

 

あるいは一向宗の人たちの動きが変なので、もしかしたらこっちに合流して一万を越えているとか、思ったのかもしんない。まあそこまで居たら勝負にならないから、サッサと逃げ出す気分も判るかな。とりあえず政治屋さんの香りがしたので要注意だ~。

 

「ちょっと小突かれただけで尻に帆掛けて逃げだすとは呆れたものだねえ」

「だが和泉守。効率的ではあるぞ。戦いが長引けば我らは引き上げる予定であった」

 焼けた富山城は篭城用と言うよりは、支配用で中継拠点らしいのね。

川沿いにある事もあって水害は受けるし、椎名家との戦争で壊れたり直したりして、増築しながら徐々に大きくしてたんだって。そこに私たちが乗り込んで来たら勝てないから逃げちゃったみたいなの。漫画やアニメで偶に見るけど、食料が無ければ帰るしかないしね。数で負けてて、武将であるイズミちゃんたちに勝てないなら、まあ分からないでもないんだ。

 

「ではいかがされます? このまま引き下がってまた奴が出て来るのを待つと?」

「まさか。神保長織が増山城に籠っておる間に、他の諸城を落とす。篭城は増援があってこそ」

「それと、こちらに付いた一向宗に奴の所業を触れて回らせる。神保は田を焼いたぞ、次はお前たちの食料を奪いに来るぞ、奴を許すなとな」

 前世のゲームもそうなんだけどさ、城攻めってあんま好きくないのよね。

自分の戦闘力とか関係ないし、しっかりしたお城だとすっごい時間が掛かるもん。だから封じめるだけ封じ込めて、他を全部貰っちゃいましょう! それと相手が動かないんだから、ついでにプロパガンダ作戦発令しちゃいます!

 

「民草は生きる為に何でもしますよ? あたしらが帰ったらまた受け入れるんじゃないです?」

「それは越中の中央に誰も居なければの話だな。椎名に領地を明け渡すが、富山は暫く確保する」

「斎藤下野守。聞いての通りだ、富山城を修復し道を作り次第に椎名の軍勢を入れろ。足りない兵は後追いで来る揚北衆に任せる」

「はっ!」

 神保さんちの残り戦力は西南部の増山城に逃げ込んでる。

どうもそこが越中で一番凄い城らしいのよね。なのでそこを無視して他を攻め落としちゃえって話。出て来れば決戦すれば良いし、出て来なければ越中の皆に領地を上げちゃうのです。でもそれには越中を任せると言った椎名さんがど真ん中である富山城に居ないと駄目なのよね。

 

幸いにもというか、今回は二段構えで食料を用意している。

本庄のおじさんが街道を作りながら準備しているので、ゆっくりと揚北衆が越中の中央へ増援に来るはずだ。神保さんってば、越後勢が全力で来てると思ってるんだけど、私たちはあと二段階の変身を残してるってわけ!

 

「他には?」

「加賀の尾山坊に使者を出せ。その手引きで一向宗と全面的に和睦する」

「越後での正式な布教許可のみならず、必要ならば朝倉との和睦をこちらで斡旋もする」

「また能登畠山にも使者を送り、神保の後背を絶つのだ」

 と言う訳で神保さんと戦うんじゃなくて、援助する人たちを何とかしましょー。

誰からも援軍が来ない、何処にも逃げ場がない! そんな状況まで追い込んでバッキバッキに心を折ってからまた来ればいいのよね。

 

「浄土の教えを説くことは許すが、国の柱とするわけではないことに注意せよ」

「他の宗教・宗派であろうと、同じように扱うとしたまでである」

「罪なくば親鸞のみならず全ての教えを許す。蒙古と共にあった景教・回教であろうとな」

「景虎が許さぬのは罪である。宗派・門徒の内の罪であろうとも、領内であらば許さぬことを見知りおけ」

 越後では菩提寺である林泉寺と禅宗の教えを貴ぶのは同じだよー。

あくまで宗教は平等に扱う事、一向宗である浄土真宗の教えを差別しないとしただけね。もちろん寺を建てるために資金提供する事くらいは構わないし、寺を立てる為の土地程度ならば寄進しても構わないんだけど、特に優遇する訳ではないというのが重要な点なの。

 

「此度の出兵でどうにもならぬのであれば、次回で倒せば良い」

「よって必要なのは次回への布石。そしてその時は確実に神保長織を包囲する」

「増山に籠る前に一向宗を使って道を塞ぐ。我らが去れば味方に戻ると思うて居る奴も引き抜いておく」

「なるほど。戦わずに逃げた上、『自分たちの食い物』を奪った神保、来れば勝てる長尾。どっちにつくかって話かい」

 何というか、この時代って『いくぞー!』って移動して勝つか負けるかばっかなのよね。

でも、戦争ってそういうものばっかりじゃないじゃない? それに現在進行形で困ってるお百姓さんが居て、神保さんが悪い事をしているならば、次は話が変わってくると思うの。だから椎名の軍勢を富山に移動させるし、私たちは援軍を残して帰る感じです。

 

と言う訳で来年も再来年も!『私達の戦いは、始まったばかりだ!』なーんて♪ あ、ネタなので、ここで終わるわけじゃないからね!




 と言う訳で越中攻めは中途半端に終わりました。
二千で三千に勝てるのは良いのですが、相手が弱かったからで……。
そんな状況なら逃げるのも当然ですよね(史実でも逃走してる)。

ちなみに状況が同じなので大抵歴史は似てきます。
魔法が有ろうがなかろうが、関東での戦いは殆ど同じで越後と和解した分だけ少し余裕ある程度。
逆に信濃方面が結構変わって居て、村上が越後を警戒したせいで隙が無く
武田家はここで負ける運命を見越して、史実よりも早く南に行ってます。


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戦いは既に盤面の上に

 長期プランを立てて確実に越中を制圧する。

景虎の言葉に諸将は一斉に動き出した。脳筋と称されることの多い越後の武将たちではあるが、方針が示され、それに納得できる限り決して愚かではないのだ。パワーとか権威を上に置くだけで。

 

神保長織が籠る増山城には越中勢を当てて封じ込めを図る。

所詮は身内の仲ゆえに、本気で戦う気が無い連中である。ならば戦闘力にさほど意味が無い持久戦に用いて時間稼ぎとして使ったのだ。その間に残りの諸城を陥落させ、ある程度は残すとしても、根強い神保派の将は完全に討ち滅ぼす気でいた。

 

「越中守護は畠山家に。統治は椎名殿が行うべきだろう」

「まさしく。弾正様は流石に判っておいでですなあ」

 椎名長常は判り易くへつらいの笑みを浮かべた。

神保との勢力争いで負けていたこともあるが、その前の段階から守護代争いで長尾を巻き込んでしまい、実質的に服属していたのだ。それが景虎より守護代職を返却しても良い、しかもその戦力は長尾家が用意するとあっては否応があるはずもない。むしろ潔癖症に見える景虎を裏切った時、自分がどうなるかを考えて冷や汗をかくほどだ。

 

「翌年以降に神保が勢力を戻した時に備え、見ての通り富山城を改築しておる」

「またその折りに備えて大きく街道を整備する予定だが、その費用は先の布告の予算を使用する」

「鉱山と港からですな。守護代としての判断としても、まったく異存はございません」

 景虎はまったく越中の土地に執着して居なかった。

それどころか上納せよと定めた鉱山からの収入や、港湾使用料ですら越中の為に使用して良いとすら言い切った。それらは特に交布される事ではない為、説明さえしなければ長常が長尾と交渉してもぎとった成果に見えるだろう。澄まし顔で頷いているような態だが喜色を隠せていなかった。

 

「越中を修る将に関して、椎名殿の良いように。坊官衆を抱えても構わぬ」

「それでも足りぬというならば、越後の中で飛び地や国替えに興味がある者を探すとしよう」

「ありがたい配慮でございますな。ですが越中の将も捨てたものではございませんぞ」

 景虎は長常に付くと決めた者を優先して良いとした。

その上で坊官を将とすれば話が早いならばそれを受け入れ、それでも足りない場合にのみ、越後からの客将を派遣するとまで言い切った。重要なのは確実に神保を滅ぼす事であり、越中が長尾家に協力する態勢であればまったく気にする気はなかったのである。ゆえに長常としても自分の配下や引き抜いた者たちを優先する気でいた。その上で小うるさい坊官に正式な身分と、寺領安堵をすれば良いと判断したのだ。

 

「それでは後は任せよう。我らは神保家の将を潰して回る」

「どんなに待っても長織は援軍を寄こさぬ頼りにならぬ将じゃと触れて回ろう」

「まあ、その家が残っておればじゃがな」

「……こ、降伏した者にはよしなにお願いいたします」

 何処まで行っても長尾家は余所者だ。

だからこそ、同じ郷里の相手に遠慮せずに殲滅ができる。その事を長常は羨ましく感じると同時に、統治するために必要な国人衆だけでも残して欲しいと思うのだ。彼らは豪族に従って地域の村々を統治する地侍であり、土地の多くは彼らの知恵が無ければ分からないことが多かったからだ。

 

「戦わずして下った者はそれなりに扱おう。戦った者でも武士の意地を見せた者は称えよう」

「だが、そなたに降伏するでもなく、頭を丸めるでもなく、意地汚く色を変える者は許さぬ」

「……心得て存じます。その……何かあれば斎藤下野守殿に相談しようかと」

「守護代ともあろうものがそこまで遠慮することはない。だが必要な物や連絡があればいかようにでも申し付けられよ」

 転生者の価値観では、風見鶏として生きるしかない地方豪族の気持ちは分からない。

長常としてはいっそ潔いまでにフリーハンドを与えて来る景虎の気持ちが理解できなかった。正しく越中を統治している間は何も言っては来るまい。だが……その期待を裏切った時。他所の誰かに唆されて、従う理由ができてしまった時に、自分がどうなるかを想像してしまったのだ。彼としては名目上の主人である、能登畠山氏がまともなバランス感覚を維持している事を祈らざるを得なかった。

 

だが長常の思いは杞憂に終わる。能登畠山氏が神保以上の取り分を出せば、椎名と長尾に乗り換えると言ったからだ。ただし、その原因を作ったのは……能登畠山が大人しくするという意味では無かったのだけれど。

 

 越中平定を行う景虎の元に、意外な使者が訪れた。

能登畠山だけなら意外という程でもない。だが帯同して二人の人物が居るのが不思議な縁である。

 

「長尾弾正少忠景虎に存じます。此度の御用向きはいかに?」

「畏まりますな。ただの旅人に過ぎませぬ。分家に顔を出すついでに、書状を持って参った次第」

 景虎は上座を譲る構えを見せつつ、一段ほど言葉を下げた。

相手は河内畠山氏の血筋であり、能登畠山氏の元へ顔を出した次いでであるという。だがそんな言葉を信用する訳にはいかないし、ひとまず同格であるとはみなさず、上の者であるとして話を続けた。

 

「これは御教書……上意にございますか?」

「さて? 私は存じ上げませぬが、上意であれば似たような文が間もなく届きましょうぞ」

 手紙は御教書という上質の紙で用意されていた。

これは摂関家などが私信として使う他、幕府が最上級の文として用いるものだ。どちらであるかで多少の意味合いは異なるが、決して景虎が無視できない事は明らかであった。

 

「……では拝見いたします。なるほど畠山殿への越中守護の内示でございますな」

「合わせてそれがしには、弾正少弼への昇進と」

「都では弾正殿のお働きに満足しておられる。以後もその忠義を期待しておりますぞ……と仰せられておられる」

「忝きお言葉。そう弾正が申しておりましたとお仕えてくだされ。それと……」

 内容自体は景虎が工作していた内容を認めたものだ。

能登畠山氏へ神保攻めに対する静観の見返りに、守護として一定の権力を認めるというもの。これを追認すると同時に、景虎がもらっている弾正台の役職が地方監査役であることをことさら強調した内容である。

 

いやに物判りの良い内容に景虎は思わず訝しんだ。

もちろん能登畠山家の本家である河内畠山からすれば、元は自分の物であった越中守護の話に口を突っ込めるのは大きな事だ。顔を出すだけで能登畠山は自分の権益を持って行かれると妥協せざるを得ないし、その斡旋を景虎に売れば都に行っている上納の一部をもらえるのは確かな事であった。しかし、全ての疑問は、都に居る筈の彼らが越中の事情にどうして詳しいか……である。

 

「今上や大樹様への献金をせっついている訳ではなく。まあ、あるに越したことはないですが」

「……では? 他に内々の話があると」

「その通り。弾正殿には近いうちに大樹様より正式な上洛令が下るでしょうな」

「上洛せよと……そういう事ですか」

 ここまで来ると、用事そのものは何となく判って来た。

河内畠山氏は都の有力者であるが、大樹……足利将軍家とは離れた位置を取っている。むしろ囲い込んで自分の欲しいままにしようとする三好長慶側の人間であると言えよう。この男がやってきた理由としては、将軍家よりも先に接触しておこうという算段に違いあるまい。

 

だが判ったのは、あくまで畠山氏の都合だけである。

どうして彼ら河内畠山氏が越中の事に詳しいのか、そして一足先に出向いて来た本当の理由が分からないのだ。派閥工作であればもっとやりようがあるし、将軍家の側に付く気があるならばここで話を付ける事にはあまり意味はないはずなのだ。

 

「概ね理解できましたかな? では、ようやくこちらの方を紹介できる」

「石山御坊より参りました。姿を隠すために剃髪して見せてはおりませぬが、平にご容赦を」

「見せる……幻術とはっ! これは見事な御手前で」

「正確には体を隅々まで操る飯綱の術にございます」

 要するに畠山の用事とは、このもう一人の人物を紹介するためだったと言っても良い。

いや、そもそもこれらの情報は一向宗から河内畠山氏に伝わったのだろう。尾山御坊より石山本願寺に話が伝わり、そして本願寺経由で河内畠山を動かしたのである。思えば下の公家のみならず上の摂関家まで経済的な困窮は激しい。三好・畠山・本願寺のラインでいる可能性はあったのだ。元は三好と戦っていた本願寺であるが、それを要請したはずの細川家が裏切ったために、三好側に付いているという複雑さが原因かもしれない。

 

「法主に置かれましては、此度の件を一時的な和睦で収めたくないとの仰せでございます」

「つきましては上洛に際し、石山御坊とは申しませぬが、どこぞで詳しい話を行いたいとのこと」

「なるほど。親鸞聖人の聖地である越後へ入る自由に関してですな」

「法主の胸の内は拙僧如きには判りませぬ。しかし、その件も含めてであろうかと存じ上げます」

 親鸞聖人は都を追放されて越後に流された。そこで教えを広めたので聖地である。

しかしその事が大きく影響し、一向宗と他の宗派の争いや加賀の一向一揆の件もあって厳しい禁令措置が越後に施されていた。一向宗から見れば、景虎の歩み寄りは貴重な機会なのである。それこそ河内畠山氏を動かして越中の件をスムーズに済ませるなど土産の一つであるに違いない。

 

同時にこの飯綱使いの坊主は、景虎の中に親鸞聖人への敬意を感じ取った。

景虎に転生した女にとって、親鸞聖人でも日蓮聖人でもそれこそ一休さんであろうとも、過去の偉人はみな尊敬に値する対象と教えられてきた。いまさら宗教弾圧も無い時代の生まれである。仕方のない話であろう。

 

「この場では俄に頷きかねるが、前向きに検討させていただきましょう」

「あくまで越後の周辺で騒乱が無く、安心して出かけられるという前提になるでしょうがな」

「それで結構」

「同じく」

 当主とは言え一存で決められることではない。

加えて現在は戦争中であり、越中の争乱を終わらせている所なのだ。無論、畠山家も一向宗も見捨てた神保に未来はない。この話が伝わった時点で、神保長織の命運は決まったような物だ。腹を切って嫡男の家督を認める線で決着がつくものと思われた。

 

「さて。はるばる越中まで来てくださった御両所に土産をお渡ししましょう」

「この手形を京三条の神余にお見せくだされ。書かれている分量の酒を選べまする」

「っ! 越後の酒ですか。それは楽しみな」

「拙僧は嗜みませぬゆえ、九条様にでも献じましょうぞ」

 長尾家はセールスマン兼京都方面の工作に神余家を配置していた。

関東管領になると思っていることもあり得に官位など欲しいわけではないが、セールスの一環として金やら青苧やら酒などを送り込んで色々と工作させているのだ。ブランド確立のために他の大名と違って毎年朝廷や幕府に贈っていることもあり、景虎の手形があればいつでも贈り物として使えるようになっていたのである。

 

「それと少量ですが味見も用意しております。一献つかまつりましょう」

「ははは。催促したようで申し訳ありませぬな」

「馳走ということであれば断るのもなんでしょう。味見の範囲でいただきまする」

 そんな感じで話し合いは終わった。

酒粕を焙り、あるいは雑穀で造った麩に味噌を塗って酒肴とする。陣昼食ゆえに大したものではないが、酒を愉しむには十分であったという。

 

そして越中の攻略が殆ど終わり、一度越後に引き上げが決まったころ。

予告通り将軍家からの使者が訪れたのである。内容は関東管領へ助力せよ、そして上洛して謁見すべしとの言葉である。これを理由に景虎は山内上杉家や神保家と和睦。山内上杉家に援軍の話を通し、神保家に関しては長織一人が腹を切って責任を追う事で神保家の存続を許したのであった。




 面倒くさいので越中平定です。とはいえ景虎がやったことは半分。
「越後人にしてはようやっとりますなあ」と上方の介入もありました。
次回、ドーマンセーマン本願寺レッツゴー!


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華の京都へ行こっかな♪

 天文十八年から十九年にかけて景虎は様々な準備を始めた。

西においては越中を貫く大街道を整備し、さらに各地の港を拡充。そして朝倉と誼を通じて加賀の一向門徒との和議を斡旋した。このことで陸を通って都を目指すルートと、いったん海へと出て越前から上洛する二つのルートを得たのだ。

 

これは商売の上でかなり利得のあることであるが、同時に上洛に際して待ち伏せが難しくなったことを意味したとも言えるだろう。

 

「管領家からの許可が出たか」

「はっ。上野に続く大規模な整備を行っても構わぬと」

「よろしい。工兵の投入のみならず、必要とあらば術者を集中的に投入せよ」

「「はっ!」」

 同時進行ながら注力したのは三国峠の街道開通である。

御仏の加護で剛力を持つ者や、闘気魔法の素質で岩すら切れる者。あるいは四大精霊系の中で土魔法を覚えた者など、様々な術者の雇用と長期育成に大金を投じた。工兵の大規模投入に合わせて、大軍が通れる道の整備を試みた。後の歴史家は魔法を大々的に使ったこの工事が、治水工事の基礎となったという者も居る。

 

「足軽に限らず侍に限らず僧に限らぬ。景虎の声を聴く術者は全て集え」

「三国の峠を十年・二十年かけてでも大きな道とするのだ」

「まずは滑落せぬ確かな道、工作兵が寝泊まりし、小荷駄で荷を下ろす『駅』からだがな」

「ガハハハ! 商人どもがその道を使わせてくれとせがむのが見えるようですわ」

 景虎の意図は関東管領を救援せよとの上意に従ったものだが……。

金庫番である大熊朝秀にとっては嬉しい悲鳴である。長尾家の手元資金から相当な金が動くのだが、同時に利便を図ってくれと言う者が増えると予測していたからだ。常識的な範囲であれば景虎は関所を特に廃止しなかったため、それほど安くはなって居ないが、だからこそ献金は捗る。

 

「朝秀。金に糸目はつけぬ。ゆえに坂東へも、加賀へも道を通せ」

「坂東への金が大きいからと言って、実乃への金を止めるなよ」

「承知しております。儂としては本庄殿に含む所はありませぬからなあ」

 不遜な表情を浮かべているが、経済観念を理解する景虎を朝秀は買っている。

それゆえに素直に従っているのだが……彼と本庄実乃は相性が悪いのだ。現代で言うと大熊大蔵大臣と本庄建設大臣とで、新幹線やら色々な利権で争っていると思えば判り易いだろう。

 

「判って居れば良い。しかし商人か……越後から商人も増援も来るとなれば管領殿も息を吐けるか? 足りぬならば塩漬けの魚と酒を持たせて増援を増やせ」

「既に長野殿が走り回っております。当面は計画通りで問題ないかと」

 山内上杉家が本拠としている上野は内陸である。

後北条を名乗る伊勢氏に押されまくっており、戦闘面もあるが経済面でも傾き始めていた。今は過去の備蓄や権勢もあるので大丈夫だが、少しずつ衰退していくのは確かであろう。

 

「政景殿に幾人かの将を付けまする。適度に派遣と交代をお願いしたい」

「それと伊勢は強い。ゆめゆめ油断なさるな。大切なのは皆じゃ」

「坂東の監視は任されよ弾正殿。油断もせぬし越後の将を無駄死にはさせぬ」

 上田長尾家の当主であり、姉婿の政景に景虎は関東方面を任せた。

援軍として派遣する諸将の上に置き、交代制で上野と故郷を行き来できるようにしたのだ。無論そのメンバーは非常時の大規模な増援でもあった。後北条が史実よりも強大な事もあり、単独で送られる将が嫌がる事を予想できたのもある。

 

そう、この世界では後北条の動きが史実よりも早い。

魔法が存在することもあり、死期は同じでも初代早雲や二代目氏綱の健康状態が良かったのだ。古河公方の内紛に付け込んで、偽者ながら関東管領を名乗るのも早かった。面白いのは強大であるだけに山内上杉家も扇谷上杉家も警戒しており、長野業正を部下の上泉信綱と共に奮戦させているなど健闘に含めれば、プラスマイナスではあまり変わって居ない所だろう。

 

「留守居役は和泉守に任せる。政景殿のほか藤資や実乃とも良く計らうように」

「はっ!」

 春日山城に詰めて越後を統制するのは柿崎和泉守景家だ。

腹心の中でも武闘派であり、何かあれば攻勢面の強い対応をせよとの覚悟であった。そして現在の揚北の主将は中条藤資であり北の守りを任せている。三国方面を統括する長尾政景と、越中方面で普請をしている本庄実乃と合わせれば越後の全軍を動かすことが出来た。

 

「山吉兄弟は加賀に潜って彼らが何を欲しているかを探れ」

「景虎らは陸を進んでいると思わせるゆえ、何かあれば原二郎を経由し差配してやれ」

「「はっ」」

 山吉孫次郎豊守と山吉孫四郎景久は加賀潜入組である。

景虎に背格好が似ている垂水源二郎が影武者として陸路を進むのに合わせて、一向宗が欲しがっているなら金銭やら食料を手配することになって居た。もちろん一向宗も一枚岩ではないので、分裂して越中を襲う様ならその報告も役目であった。

 

「かくが如き旅を発する。諸将は越後を良く守る様に」

「「「はっ!」」」

 こうして景虎は船で越後を発った。

 

 そんでさー! 上洛の途中でとんでもない出逢いがあったのね♪

自分の目が信じられないとか、耳が信じられなくなるのは久しぶりだわ。グンバツのイケメンとか渋みタップリのロマンスグレーのオジサマならたくさん見て来たんだけどねえ……。アレは凄いわ。

 

「太閤殿下。この度はこの老骨の為にご足労いただきまして、誠に忝く」

「ええんやええんや! 宗滴はんは都の北を支える大事な御方」

「ワシが出張るくらいは何でもない。それに宗滴はんはよーけ銭くれるさかいな!」

(何だろう。この四コマ劇場は……)

 いかにもザ・老将! という感じのおじいちゃんを貧乏公家が治療している。

恐ろしい事に、この冴えないオッサンが先の関白。今は太閤を名乗る御人と言うのだからビックリ仰天だよね。しかも天才的な肉体操作系魔術の使い手というのだからニ度ビックリ。

 

「もちろん承知しております。お包みいたしましょう」

「ごっつうありたいで! 金がないのは首が無いのと同じやからな!」

(何を見せられているのかな? 私、必要なのかな?)

 どう見てもギャグ漫画の一ページなんだけど、偉い人たちなので逃げれない。

あ、宗滴さんってのは逗留している朝倉さんちのおじーちゃんね。凄い人で私達、越後勢の饗応役もやってもらってるんだ。問題なのは宗滴おじーちゃんの持病が悪化したせいで、この太閤様を呼んだってわけ。

 

「……僭越ながら。茶料の件もあります。何かの縁、此度の一切をこの景虎に負担させていただけませぬか?」

「弾正殿は出来たお方ですな。しかしこれは当家の失態ですぞ。気になさるな」

「いえ。この景虎は日ごろ『勝てば良かろう』などと申す無作法者。宗滴翁の御教授なくば、恥ずかしくて京に登る事も出来ませぬ」

 なんというか宗滴おじーちゃんが凄いのは礼儀作法に茶の湯まで達人な事。

正式な作法は京都で誰かに習うとして、予約した日までだけど、おじーちゃんに色々教えてもらってたのね。いやーお茶の作法なんて幼稚園の時代に習って以来だもん、ロクに覚えてないんですけどー。懐かしいな~。天人共に仰ぎ見るとか唄いながらお茶してたような覚えしかないもん。

 

「いやいや。武将たるもの、それが最も重要なのですぞ」

「景虎殿。武将という者は犬チクショウになったつもりで勝利に邁進するのです」

「その言葉、まさしく。御仏に逢えば仏を、修羅に逢えば修羅を斬るでございますね」

「……ところで、こちらの御方。さぞや尊い方とお見受けしますが、ご紹介に預かれば幸いです」

 思わず武将談義になりかけたけど、重要なのはそこじゃない!

さっきの貧乏公家……じゃなくて太閤さんの話。はっきりいうと、こちらから話しかけるのは不作法な訳よ。適当な話の上で、『どうか紹介してください』とお願いして、向こうに認めてもらうまでは、これだけ身分差があるとお互い空気のような物なのよね。偶然を装って出逢うなんて馬鹿馬鹿しいけど、それがルールなんだってさ。

 

で、別に急いで知り合いにならなくても良いんだけど……。

それを許さない事情があったのです。いやー。思わず生唾ゴックンなんてしそうになって、笑顔で呆けそうになるような子は久しぶりに見たね。前世でもTVの中に出て来る合唱団でチラっと見たくらいかな。

 

「おもうさま! お命を繋ぐ御仏の技。流石でございますね」

「茶々や! なんてええ子なんやろ! ワシはワシは、とても嬉しいで!」

「……おもうさま。こちらのお姉さまはいかなる御方であられるのでしょう?」

「おう。そうや。その件があったな。宗滴はんに紹介してもらおうかいな」

 向こうの方でも同じようなやりとりしてるんだけど……。

ここに超ビックリの可愛い子ちゃんが居るのね。戦国時代のど真ん中じゃなければ、秀吉と淀君じゃないかと思うくらいの超絶プリティ! いやー眼福とはこの事よ。清少納言の気持ちが判るわ。

 

「太閤殿下。こちらは大樹様の上洛令により、越後より駆けつけたる弾正少弼にございます」

「弾正殿。こちらは先の関白にして今はゆえあって若隠居されておられる九条様である」

「掛かる尊き御方にお目もじ叶いましたこと、この長尾弾正少弼景虎。光栄の極みでございます」

 太閤さんへの紹介は説明口調で、私へは偉そうになっている。

これは私をベースにしたわけではなく、エライ人である太閤さんの視界に『偶然』私が入ったから解説してるわけね。そんで太閤さん側には挨拶をする義務はなく、こちらはただ声を掛けるだけ畏まらないといけないって感じ。まあ正五位下でしかない弾正少弼と従二位の関白を比べたら当然なんだけどさ。

 

「おう! 金持ちで般若湯で有名な毘沙門弾正やな。なら割引きいらんやろ。な宗滴はん」

「ははは。お手柔らかになされるとよろしかろうと。弾正殿も畏まってござりまするぞ」

(いや。このバイタリティ、圧倒されるんですけど。まるで公家と言うか大阪商人よね)

 グイグイくる太閤さんは治療代金の値上げ交渉を始めてしまった。

おじーちゃんとしてはどうでも良いはずなのだけれど、顔合わせのために利用されたのは判っているようだ。いい加減にしろよと援護射撃してくれたみたい。でもまあ、こっちの言う事を聞いてくれる我儘な人は嫌いじゃないな私。何のかんのと言って煙に巻いて、話聞かない人よりはよっぽど大好き。

 

「おもうさま……」

「おお! 茶々や! 泣かんといて。なっな? ワイが今紹介してくさるから」

「この子はワイの猶子(養子)で茶々や。証如はんの息子やで」

「本願寺の……。お見知りおきくだされば幸いです」

 あまりのショックに思わずさっきと同じ返しをしてしまったじゃない!?

男の娘ってのは別に良いのよ! だってこんなに可愛い女が居るわけないっていうか、この時代は死に易いからゲン担ぎで女の子の格好してる子は結構いるもんね。そうじゃなくて……本願寺のお子様ってのが問題なの。

 

ぼく、本願寺光佐ろくさい……アリね!

腐女子とかオネショタの気持ちが思わず判りかけたわ。まあその両者の気持ちで行き来する程度には、どっちにも染まってないんだけどさ。

 

「かまへんかまへん。ワイらはあくまで宗滴はんの治療に訪れただけや。なあ茶々」

「はい! 茶々と仲良くしてくださりますか、弾正様?」

「それはこちらからお願いします。田舎者ゆえ粗相があるやもしれませぬが」

「堅ったいやっちゃなあ。せやさかい遥々越後からきんさったんやろけど」

 なんというか非常に砕けた太閤さんと、とっても可愛い茶々君なのでした。

っていうかー。自分の名前を一人称にしてるんだよ!? あざと可愛いっていうか……。これは耐えられないよね。もし一人だったら転げ回ってたと思う。二人だったら色々危なかったと思うね。私、自分にショタのケが無くて本当に良かったと思う。

 

こう言う感じで越前での数日間を終えた。

予約していた期日が来て、山吉兄弟たちと合流して私たちは京都を目指す。もちろんだけど、コレは波乱万丈の京生活の始まりに過ぎなかったのです。




 謙信様には違った初期ルートが二つあります。
一つは険悪だった関東管領である山内上杉に喧嘩売って南下する事。
もう一つは上洛の際に行き帰りや現地で協力した一向宗との手打ち。
(この時期の一向宗は、実は政治に寄り添っているので大人しい)

このストーリーではそのBプランを採用しております。
というか、史実をなぞるだけでは面白くないですしね。

●人物紹介
『朝倉宗滴』
 越前の九頭竜と呼ばれるドラゴン繋がり。
戦闘狂という意味で景虎さんの大先輩。ボンクラと言われた義景は年下の後輩になる。

『九条種通』
 人呼んで飯綱太閤。つつましい京都人であるのに……。
「もしかしたらワイ、魔法を極めたかもしれん!?」と手紙で報告する酔狂人。
貧乏な生活を苦にして暫く京都を離れていたり、本願寺の人たちを養子にした経歴がある。
魔法系の加護つながりで景虎の大先輩にあたる。

『茶々』
 未来の本願寺顕如。恐ろしい事にこの幼名は史実通りである。
お稚児さんかと思う程の超絶美少年だが、本願寺の跡取りを『掘る』様なツワモノは居ない。

オマケ1。剣聖・上泉信綱
登場して居ないが信綱には剣聖の加護がある。
しかし多勢に無勢、彼が居ないところで攻めまくられて山内家はピンチです。

オマケ2。北条綱成・福島勝広兄弟。
登場して居ないが北条が有利な原動力の一因。この世界では史実と違って双子であり
兄弟の間でテレパシーが通じる、武将に使わせてはいけないタイプの御仏の加護がある。
「剣聖が出てきてないから戦ってるんだ」
「出て来たら即撤退! 死ぬぞ」
と言う感じで、上泉さんの出番は以降ないものと思われる。


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朽ち木の大樹

 急用が出来たという九条種通や茶々たちと別れて、景虎は山吉兄弟らと合流した。

京都を目指す前にひとまず南下、道中の諸将や京外延に住む公家たちの歓待を受けながら進んでいった最中だ。一部の公家はこちらから物資を提供するだけであったかもしれないが、それでも情報を受け取れたのは大きいだろう。

 

「それほどか? それほどに話にならぬと」

「一つの村では問題なくとも、右と左で話が食い違う事も少なくありません。それほどに坊主の話が全てなのです」

 直江神五郎景綱が一同を代表して驚きの声を上げた。

山吉兄弟は変装して加賀入りし、山伏の姿で通り抜けて来たのだ。修験者と僧侶の区別もつかぬ者が多い中、区別がつく者には色々と手土産をまきながら集めてきた情報である。知識としては知って居ても、生の声は非常に大きかったと言えるだろう。

 

「大抵は幾つかの村を含めた一つの地域で、少なくとも治療可能な坊主が一人おり、面倒を見ております。一人では大したことは出来ずとも、脇侍の僧が助力してかなりの法力を使うそうで」

「なるほど。僧の誰もが治療できるわけでもないが、最大限に活かすと」

「左様で。その上で道理の通らぬことでも、その坊主次第で黒も白になるのです」

 村々では神聖魔法によるネットワークが最大の権力であるという。

ありがたい法力による治療が可能で、さらにありがたいお経を唱えてくださる。その方に付き従えば間違いはなく、死んでも浄土に渡れるというのだから、何かあった時に他の者の言葉が通じる筈もない。ましてや、この当時は村社会と言うのは閉鎖されているのだから。

 

「問題なのは寺の派閥が違えば、同じ一向宗の間ですら争うのです。さすがに外には一致団結するそうですが」

「なんと愚かな争いをするものだ。一向宗が嫌われる理由も大きく成らぬ理由も判ろうものだ」

 自分の寺の信徒が絶対服従するからこその無茶振りだ。

攻める時は大したことはなくとも、防衛戦では死ぬまで戦う。財産も平然と寄進してしまう信者が多く、大きな寺の財力や意固地ぶりは相当なものだ。逆に言えば外敵が現れた時以外には、お互いに協力する事もないので、一つの地域の一向宗はあまり大きくならないのである。もちろん彼らの拡大を嫌った周辺の大名が目の敵にするのもあるだろうが。

 

「弾正様。いかが居たしますか?」

「目的をはき違えるな。我らは加賀を奪いたいのではない」

「重要なのは彼らがこちらに必要以上の浸透を行わぬこと」

「行おうとした者が居たとして、奪うのではなく頭を下げて協力を求める流れにすることだ」

 尋ねる家臣たちに景虎は優先順位を示した。

現時点で無理して加賀へ行かねばならぬ理由はないのだ。一向宗たちは坊官の扇動で動くこともあるとはいえ、加賀側には越中の一向門徒が居る。越中に禁令が敷いてあれば、協力して攻めて来ることもあるかもしれない。だが表面上は穏やかな関係になった以上、無理して攻めなければ関わる事も無いだろう。

 

「しかし連中は強固ですぞ。しかも手前勝手な理由で動きまする」

「一部が来たのであれば、他の寺門と手を組めばよい。我らは倒すが、残った教徒も土地も好きにせよとな」

 一向宗が厄介であっても、ある程度以上に成れない理由がコレだった。

同じ宗門同士で争うくらいなのである。治水などの共同事業が起こせるはずもないし、まとまって攻めるのも難しい。何処かの武将を仏敵扱いして共同で攻めることもできるのだろうが、何かしらの利権で釣られたら一致団結するのは難しいのである。加賀に攻め入るならともかく、越中を越えて越後に迫らないのであれば放置しても良いのかもしれない。

 

同時に越中を切り取らぬ、影響下に入れて上納金だけを受け取ると言った景虎の姿勢がようやく理解され始めたと言える。下手に越中を切り取ると、現地の武将が一向宗と揉めかねない。だが、今回に限っては適当な理由を付けて距離を置いたので緩衝地帯になったと言えるだろう。

 

「その上で連中の問題は、衆愚であることに由来している。連中に要らぬ知恵を付けてやろう」

「上手くいきますか? 身内で固まって間違いがあっても糺せぬ者らですぞ」

「押して駄目ならば引けば良い。連中向けに市場を設けて許可証がある者を安価に通してやる」

 要するに、村社会で情報封鎖されているから盲目的に従うのだ。

他の地域に移動して、他所の町の情報を知ればどうだろうか? 一向宗が迫害されているわけではなく、十分な利益を貰って居る事を知り、戦うよりも手を結んだ方が良いと思わせておく。そう思わせる時にスパイを送り込もうとしても、身内社会の一向宗には通じ難い。そこで景虎は向こうから来てもらう事にした。

 

「関を緩めるのですか? 危険ではないかと」

「これより向かう六角の土地には、意図的に座や関を緩めた政策があるそうじゃ。それを一向宗をもてなすのに使うてやろうぞ」

「「六角領でございますか?」」

 この時代の関所は通行のセキュリティであると同時に収入であった。

それゆえにスパイを臨検するために使ったり、武器が持ち込まれて居ないか、貴重品を持ち出して居ないか様々な理由で行き来を制限していた。そして豪族たちはそこから臨時収入を得ていたと言える。この制限を取り払おうとしたのが、六角家であり斎藤道三や織田信長はそれを真似たと言えるだろう。

 

「直接、京には向かわぬのですか?」

「孫次郎らは到着間もないゆえに知るまい。大樹様は……現在、都落ちをされておられるのだ」

「ゆえに一度、六角領に逗留されておられる大樹様にお会いする」

「朝倉や畠山とは話を付けておる故、三好次第でお供することに成ろうな」

 景虎に上洛令を出した時、将軍家はたまたま都を確保していた。

だが、その前後の政変で都落ちしており、細川家の内紛やその衰退とともに六角家の厄介に成って居たのだ。六角単独では三好家を駆逐するには至らず、朝倉など周辺大名と話を付けたり、各地の有望そうな大名に声をかけているという風情である。

 

「太閤殿下である九条様に聞いたのだがな」

「王法為本の説に従い、現在の一向宗は大人しく成っておる」

「三好側が先に一向宗と和解したこともあり、将軍家も負けじと和解される方向との事だ」

 細川家と三好が争った時、一向宗を使って三好は叩き潰された。

彼らがやり過ぎて危険であったため、その後に一向宗を細川家が叩き潰そうと各地の大名や宗派と手を結んだ。そこで一向宗は三好をはじめとして公家たちと手を組み、大人しくする代わりに禁令を解いてもらったり、幾つかの条件を引き出したのである。こうなっては仕方がないので、将軍家も朝廷の調停に相乗りして一向宗を大人しくさせる代わりに、加賀の支配を半ば認める形で表面上の鎮火を図ったのである。

 

「……これを言うのも不敬かと存じますが、まさしく妖怪の巣でございますな。それがしらには理解できませぬ」

「これ、それを言うては言い過ぎじゃろう」

「平和に成るならばどちらでも良いわ。問題は何時まで続くかじゃな」

 ことの経緯を説明すると、話を聞いていた者すら難しい顔をした。

加賀で意味不明の一向宗と会話して来た山吉兄弟ですら、肩をすくめて投げ出す始末であったという。

 

 と言う訳でやって来ました近江は朽木谷。琵琶湖の左側でくびれてるところです。

なんでこんな場所に将軍様が居るかなーと思ったら、負けてるからですね。はい、理解しました。本当は六角さんちまで逃げていたんだけど、京都に戻る為にここまで戻って来たらしいよ。中間拠点というか、いつも此処に逃げ込んでたので、色々整ってるのもあるんだってさ。

 

「お目もじ仕りまして、恐悦至極に存じ上げます」

「大樹様にはご機嫌麗しう存じ上げますと、弾正少弼が申しております」

「弾正の忠義、しかと受け取ったぞ」

 現在、通訳を介してお話しております。

まあ当然なんだけど、将軍様と一介の大名が直接お話なんかできないよね。私としても肩こっちゃうから、代理人の人が何時もの調子でツカーしてくれてる方がありがたいかな。宗滴おじーちゃんに習った礼法も付け焼刃だしね。

 

「見事な太刀の献上、嬉しく思う。また酒は夜の嗜みに役に立っておるぞ」

「大樹様はその方の献じた拵えに満足しておられる。今後も励むように」

「過分なお褒めをいただきまして、恐悦至極に存じ上げます」

 剣豪将軍だからか、銘のある太刀を上げたら喜んでくれた。

神余に頼んで献上してくれてるお酒も好評で、ここで褒めてくれたことでブランド商法もバッチリだ。朝廷にはお別のお酒を献上してて、お互いに交換してるんだってさ。あ、茶々ちゃんところにも何か上げようかな? でも、お坊さんにお酒は駄目かー。

 

ちなみに、こないだまでお世話になってた朝倉の延景(後の義景)くんは私と同じ時期に守護になってるけど、三つ下なんだよ。そんで将軍様はさらに三つ下で六歳差かな。延景くんの方が守護で私が守護代なのは、距離もあるし将軍様に対する貢献の差とか、血筋の問題もあるから仕方ないよね。

 

 

「やはり越後から兵を連れるのは厳しいか」

「おそれながら右近衛大将様に申しあげます。遠く離れておりますし、和議を結んだ一向宗を刺激してしまうかと」

 その晩、メンバーを変えて宴会を始めることになった。

主賓は先代の将軍様で、いまは征夷大将軍と同格の右近衛大将に付いてる義晴さま。こないだまで死にかけてたんだけど、九条様による治療で持ち直したらしい。私たちとの話を切り上げたのは、こっちにくる為だったみたいね。ただの偶然かもだけど、出かけてなければ間に合わない可能性も有ったので、妙な処で感謝されちったい。

 

「せっかく加賀が収まったんなら、まあ暴発させるのはうまくないわな」

「……とはいえ大樹さんの為や。弾正はん。なんぞ、思案の一つもあらへんかのう?」

「太閤様の仰せに従いたいとは思いまするが、実行するには憚られる算段が幾つかのみで」

「かまへんかまへん。今は宴会の途中や。酒で言葉が滑っただけちゅーことやからな」

 ここで対抗である九条様が声をかけて来たんだけど……。

こないだ会った時に茶々ちゃんを紹介したってことは、ここで協力しろって事よね。私としても一向宗とは関わりたくないし、戦わない未来の方が良いのは確かなんだけど。どう考えてもいんぼうなのよね。私は正面から戦う方がまだ好きだな~。

 

「では僭越ながら。一つ目は加賀の支配を正式に認め幾つか条件を出します」

「そうすることで一向宗は落ち着きまするし、越前の朝倉殿の身が軽くなります」

「そのままでも二千。一向宗に手柄を立てさせる危険もありますが与力させることも可能です」

「与力は駄目だ。細川の二の舞になる。だが二千増やせるか……」

 加賀の一向一揆は反乱軍だから問題な訳で、正式な守護代になれば問題がなくなる。

幾らか吞んでもらう条件があるけれど、その辺は本願寺経由で確認して置けば良いんじゃないかな? 一見、無理な要求をするけれど実は全部OKだったってやつね。この話の一番のポイントは、加賀の一向一揆と戦う事がなくなるので、朝倉家が動けるようになる事かな。宗滴おじーちゃんも似たような事を言ってたしね(一向宗は居なくなれとも言ってたけど)。

 

「六角と合わせれば五千は動かせるのは魅力よな。平時でも千以上は維持できよう」

「当然ながら当家も安全になりますので、維持費なりとも負担させていただきます」

「素晴らしい提案じゃ。その方の忠勤は期待しておこう。それで、他の案もあるのだろう?」

 このプランに関しては朝倉家の手が空くので協力体制を作れること。

現時点で六角家が援助してるし、それだけでも大助かりだよね。まあ私も言い出しっぺになるし、一向宗が大人しくなるなら、千人分くらいの維持費なら出しても良いかも? そんで幾つか案があると言ったけど、私の推すメインプランはそっちなのね。だって兵を借りてばかりじゃ、同じことの繰り返しじゃん?

 

「はっ。その兵を三好や細川に向けるのではなく……一度、他に向けまする」

「なんと! よもや弾正、貴様。我らに不破の関を越えよと申すか!?」

「無理に将軍家が下向する必要はございません。御一門の誰か、側近衆の誰ぞでも構いませぬ」

 ここでいう不破の関というのは美濃との国境の話ね。

天武天皇がまだ大海人皇子と名乗って居た時に、美濃の山奥から軍勢を率いて進撃したことがあるわけ。要するに今の問題って、将軍様自身の土地も兵力も無い事が一番の問題なんだもんね。だから戦力を自前で用意出来たら困んないでしょ?

 

無茶振りな様な気がするだろうけど、先代様が即座に思いつけた時点で、考慮自体はしてるんじゃないかな? でないと思いつけないもんね。

 

「五千の兵に加えて、現地でも協力する豪族は数多おりましょう」

「不破の関なり鞆の浦から進撃し、不心得者の土地を御料地として切り取るのです」

「美濃ならばこの弾正の兵も御助成できます。鞆の浦ならば大内や尼子が動くでしょう」

「東で例えるならば斎藤を滅ぼしてしまうのです。さすればお味方はさらに増やせましょう」

 美濃では斎藤利政(道三)が守護の土岐家を追い出してんのよね。

お父さんと混同されてたり、毒殺説と追い出し説で良く判らなかったけど、いまのところは追い出してるんだってさ。それはそれとして、将軍が任じた守護を追い出してるわけ。攻め取る理由にはなるじゃない? 時間は掛かるだろうけど、これが一番確実だと思うんだ。

 

「それはその通り、弾正の言う事も正論ではある。しかし、ナシじゃ」

「我が子の面倒を見れるのも残り一年か、長くとも三年よ。美濃を獲るまでは保つまい」

「弾正よ、何故に十年早う生まれなんだ。そなたとならば不破の関を超えるのも楽しかろうにな」

「……」

 とても残念そうな顔で先代はそう締めくくっちゃった。

大御所政治で面倒見切れないけど、今ならばワンチャン京都を取り返してそのまま将軍になれるってことよね。でも、それ無理なんじゃない? そう思うけど、太閤殿下は顔を背けて知らんぷりしてた。ここで決断してればねーって、私はずっと思うんだろうな。

 

「して、弾正よ。試みに尋ねるが、加賀にどのような条件を付けるべきかの」

「まずは安堵させる為、無条件同然のモノを幾つか提示して踏ませまする」

「その上で彼奴等にとっても、乗った方が良い案を追加条件として並べるべきでしょう」

「せやな。互いの交渉役に地歩を付けさせれば話が打ち切られることはないやろ」

 話と共に未練を振り払うように、少し前の案が出た。

もう地方を切り取る話をするなってことだよね。この話に成ったら途端に顔を出してくるあたり太閤殿下も良い根性してるよね。ひとまずは話を進めた方が良い方向でまとめて、こっちにとっても意味の大きい条件を追加するって感じかな。私だって戦争以外のこともちゃんと考えてるんだから!

 

「例えば人質は取らぬと言った上で、学び舎に顔を出す権利を与えるのです」

「仮にこの地に朽木谷大学を設置して、誰でも土地管理の事を学べる。宗門ごとに年に何人出して良いとするのです。」

「坊主の事を教えるのはそれぞれの本山がするでしょう。ですが、当地の知識は彼奴等にありませぬゆえ」

「もちろん学び舎のような時間が掛かるものではなく、市までの関料を猶予するのでも良いでしょう。ただし、その場所はこちらで指定します」

 最初に考えたのは現代にあったお坊さんの学校。

でもそれじゃあ絶対にお坊さんたちが文句を言うよね。なので、純粋に彼らの利益になる事を教える学校とか、彼らが農産物を売りに来て、欲しい物を買える権利を特定の場所に設置するのだ。これは彼らが安全に外に出ていく権利で逢って、別に無理に使う必要はない。やってはいけない事として、土地を寄こせとんであったり食料を奪う事だけ禁止して置けば良いだろう。まあ、うちの領地でやるなら、もう一工夫するけれどね。

 

「酒の上での話じゃ。その案を採用するとは限らぬが耳には留めておこう」

「御相伴衆とはいかぬが、朝倉の若当主共々その方を御供衆に加えるように言っておく」

「その折に朝廷に献じる金を寄こすように。我らでまとめて献じるゆえな」

「忝きお言葉にございます。その後配慮、誠にありがたく頂戴いたします」

 こうして大御所様とのお話は終わり、全ては他愛ない話として打ち切られた。

御供衆というのは側近のランクで下の方だけど、側近なので名誉な事らしい。特に地位がもらえたわけじゃないけれど、守護になる格の第一歩なんだってさ。朝廷に差し上げるお金をボッシュートされて、派手に中抜きされるんだろうけどまあプラスだと思っとくかな。なんたって、今回は将軍家御用達のお酒ってブランドが手に入ったからね♪




 と言う訳で一向宗との歩み寄り協定とか、京都での準備です。

●一向宗
この世界での一向宗は、治療・毒消しの出来ず坊主に、MP肩代わりの弟子がセット。
この人たちが中心に成って、「お前たちを助けてやろう。従えば天国に行けるぞ!」
とか言ってるので、本気で狂信してます。だって村の生活で治療魔法があれば助かりますしね。

●足利将軍家が政権維持できない
そりゃ近隣に十分な土地があって、兵士雇ってればともかく全部が借りモノじゃあダメですよね。
土地の経営や金勘定なんか将軍がすることじゃない! ってことなんでしょうけど
それって建武の親政以来、あんまり社会が変わってないので、いつも同じことになる気がします。
まあ、だからこそ徳川家とかは直轄地や、親藩・譜代が沢山居るんでしょうけど。

なお、景虎さんは難しいこと良く分からないので、「道三ぶちのめせば良いじゃないマリー」って感じです。

●御供衆
側近扱いの待遇にするぜ! お前は直ぐに帰るけどな! というスーパー約束手形。
即座に守護にしてくれたりはしません。守護格にしておいて、色々なアイテム使う権利くれるだけです。
ちなみに三千貫くらい徴収しといて、自分たち込みで二千貫を提供しました! とか言います。
全力で寄生ですが、将軍家にもお金ないから仕方ないね!


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誰のための盟約

 朝廷への二千貫もの献金を名目に、朝倉・六角の兵を伴って将軍義藤は動き出した。

兵の維持費も含めて諸費用のうち三千貫を供出したのは景虎で、見事に中抜きされた形だが、その代価は『御供衆』という側近としては低い身分である。これは近隣の弱小大名が人を提供した時に列せられる身分でもあるが……重要なのは『家格』が上がる事だ。長尾家は守護代には成れても守護には成れないが、同様の朝倉家がそうであったようにいずれ守護に成れる家格に成ったという事でもある。

 

また、秘かに太閤の九条種通からこう耳打ちされたこともあった。

 

「弾正はん。今は我慢しとき。折を見てワイが今上の耳に入れたるわ」

「今上は徳の高いお方でな。地位目的の献金は好きやないねん」

「せやけ意外とこの話は悪いことはあらへんで」

「太閤殿下の恩情に感謝いたしまする」

 三千貫と言えば単独で献金すれば守護すら受け取れる地位である。

それをポンと出した景虎の事が耳に入れば帝はお喜びに成るだろう。地位を強請るわけでなく誇るでなく、京の治安を糺すためというのだから、相当に心象が良くなるに違いあるまい。御供衆の身分共々約束手形でしかないが、景虎はスポーツ大会のスポンサーに成ったつもりになるのであった。

 

将軍家御用達のブランド、そして将軍義藤が『自立』する為のスポンサーとして活躍する越後屋……いや長尾酒造という訳である。

 

「それで右近衛大将様の御容態は?」

「一応は、病に倒れとるちゅーことになっとる」

「今回の主催は大樹はんで、左右に大名を従えた凱旋やな」

「それは重畳であります」

 義藤の帰還はあくまで自力で成し遂げたことになっている。

演出した義晴は病に倒れて動けず、そのために必死の努力をした苦労が報われたという形になっているのだ。病床から大御所として色々と手配をするが、表向きの援助は行わないという事だろう。それで侮る者も居るだろうが、実際には協力が可能なので返って動き易い。もっとも、景虎にとっては見知った顔が元気だという方が良い事なのだろう。

 

なお、この背景には史実よりも一向宗が強くなっているのも大きい。

一向宗を焼き打ちした細川晴元の凋落が著しく、三好家の反撃が早くなったり将軍家が晴元派を見限るのも早くなっているのだ。その背景には一向宗……正確には本願寺が公家を経由して手打ちをした影響もあるだろう。畠山と六角の斡旋で三好が一歩引き、史実よりも数年早く義藤ー三好政権が誕生したのである。

 

「そやそや。弾正はんは勉強熱心やてな。今上の書もろうたらええやろ」

「今上は麻の如くに乱れるこの世を憂いてな。ありがたい経を写しとられる」

「字を学ぶにしても、書として学ぶにしろ、役に立つと思うで」

「それはありがたい事をご教授いただきました。献金の見返りに地位を貰うのではなく、その書をいただきたく存じあげます」

 最後に種通が教えたのは、おそらく先日の宴会での話だろう。

朽木谷大学など今は果たせるはずも無いが、越後にありがたい書物を持って帰れ……ではなく、帝の機嫌を良くすると同時に、地方でありがたがられる『直筆の書』を権威に弱い家臣に見せつけてやれというアドバイスであると思われた。

 

なお、太閤ともあろうものがそんな底の浅い助言はしない。

後日、その事と起きた出来事の厄介さに、景虎は思わず苦笑するのであった。

 

 嫉妬とか邪魔者扱いもされると思ってたけどそうじゃないのよね。

その内に越後に帰還するから嫉妬しても意味が無いし、むしろ愛想よくしておけば今後の資金提供が受けれるやもしれないってことなんでしょうねゲンキンだけど何となく判るかな。

 

「弾正殿。本日の昇殿への付き添い、誠にありがとうございました」

「これで役目は終わりですが、この後は色々と手配させていただきました」

「兵部殿の手配、誠にありがたい。この景虎、田舎者ゆえ御指南頂ければ幸いだ」

 私は弾正少弼でしかないので昇殿はできないけど、裏技はあるんだよ。

もっと偉い人の付き添いになって、たまたま御目見えする形デース。この間の『偶然』と違って、廊下を通った帝が声をかけるという形だったんだけど、控えているだけの筈の私にも色々とお土産が用意されているとか、偶然で済ませるにはありえないことよね。そもそも座って待つところか、庭でどのくらい待てば良いとか指導されたし。

 

「京の町は何分、戦火で焼かれて見る物がありませぬ」

「ここは少し離れて寺社の内、古刹を回られた方がよろしいでしょう」

「なるほど。源平の名残でも見て回ろうかと存念しておりましたが、勧めに従いましょう」

「古刹の中にもそういった場所はありましょう。退屈はさせぬはずです」

 京都での用事は終わったので、後は観光しに行く予定だったのね。

どうせ将軍様たちも自分の居場所確保で忙しいし、私がすることは特にないってのもあるんだけどさ。あえてお寺巡りを勧めるってことは……要するにそういう事だよね。交渉とか気は重いけど、茶々ちゃんでも見て癒されよーっと。

 

ちなみにこの兵部さんは、名高い細川藤孝さんです。

兵部省の地位を貰って居て、今は私とおんなじくらいだけどその内に追い付けなくなるんじゃないかな? 外見的には代表委員長でも風紀委員長でもこなせる、シュっとしたイケメン。将軍様を挟んで内大臣の近衛さんと並べると、イケメン三人衆になって次期生徒会長に誰が成るのか? って感じなのよね。まあ将軍様の地位とか考えると、だいたい固定なんだけどさ。

 

「しかし、このまま都が収まるわけではないというのでしょうか?」

「三好をみなで援護し、管領殿を倒し切れば可能でしょう」

「ですが適当なところで許し、三好と拮抗させる場合は難しいかと」

「何しろ都は攻め易く守り難い場所にあります。おそらく何年かすれば誰かが数万を率いてまたやって来るでしょう」

 この間の宴会には参加してなかったけど、話は聞いていたのかな?

まるで新しい風紀委員長が『この学校の今後は大丈夫でしょうか?』と卒業生に尋ねているような感じに聞こえる。『悪いけどそっちで勝手に判断して』と言いたいところだけど、まあ口出しした以上は説明くらいはしないとね。

 

「しかし都には複雑な情勢があり、快刀乱麻とはいかぬのです」

「承知しておりますとも。細川家は丹波に本領があり、近江に血縁がある」

「三好家は三派に別れて二派が越前守殿に、残り一派が細川に味方する複雑怪奇な状態」

「かといって筑前守殿と管領殿を完全に和解させることも不可能というのですから、このままではどうしようもありませぬ」

 あれから何度も聞かされてしまったので覚えちゃった……。

だいたい兵庫の北側と滋賀県に細川さんちの実家の勢力があって、大阪と兵庫の南と四国が三好さんち。こないだの六角さんは基本的に娘婿である細川さんの味方なんだけど、今は三好に味方しているという奇妙な状態なのよね。和解に向けて動いてるし六角家自体の為に離れてるけど、細川さんを完全に滅ぼそうとしたらまあ止めるよね。もちろん細川さんを中心に三好さんを滅ぼそうとしても、やっぱり縁とかあるんで難しいみたい。

 

結局のところ、こういった縁ごとまとめて叩き潰す勢力……。

織田信長の登場を待つしかないんじゃないかな? あ、こないだ言った不破の関とか鞆の裏の話は別ね。そこまで下がって、将軍様を利用したい人と一緒に将軍様の土地を手に入れて、自分達だけで再統一するなら話が変わる感じだと思うんだけどな。要するに織田信長がやったことを自分たちでやる感じね。

 

 

「内の大臣にはご機嫌麗しう」

「よいよい。麿は見て姿の通り、私用で参っただけゆえな」

「かりそめの姿であろうとも、貴き方に対する思いは薄れませぬ」

 なんというか天丼は勘弁して欲しい。今度は近衛晴嗣さまね。

将軍である義藤様の従兄弟の殿上人で、あと何年かしたら関白様になるらしい。外見的には図書委員長とか文化部長とかを務めてる感じなんだけど、不思議な事に細川さんより落ち着いているのね。やっぱり二進も三進もいってない将軍家に仕える細川さんと、内大臣で位だけならトップまで上がる人の差なのかな?

 

「弾正の献じてくれる酒のお陰で我らも華やかに成っておる」

「外向きでは着れぬが、内向きでは青苧を着込んでおる公家もおるほどよ」

「……今年は大樹様の御帰還に合わせましたるが、明年には多少なりとも増やせましょう」

「太閤殿下のおっしゃる通り、弾正は勤王尊崇の心がある様じゃな。誠に大儀」

 他にもいろいろと話はあったけど、細川さんと重複してる部分は省くね。

どうも太閤様から話を聞いて、実は私が三千貫を出したのを知ったみたいなのね。本来であれば私だけで朝廷に二千、幕府に千くらいだったはずなので、その辺の事情を汲んでくれた……のと、私の財布が重い事を察したんじゃないかな。

 

お金に困ってる公家も居るって愚痴を聞かされたので、苦笑する代わりに献金の増加を保証するって言っちゃったけどさ。

 

「しかし弾正の様に忠義のある大名が増えぬものか」

「ああ、先ほども似たような事を口にしたが」

「いえ、幾分話が違いまするゆえ、お気になさらず」

「ですが今のところ、豊かな繁栄を手にした大名が安定を手に入れるほかありませぬ」

 まあいきなり献金なんて増えたりしないよね。

うちが出せるのも鉱山も港も産物もあって、その中でも酒や青苧とかの産物売るために毎年の献金してるようなもんだしね。同じような大名が増えたら別だけど、うち以上って大内とか大友とか尼子に今川に……あれ、結構いるな。伊勢こと北条だってそうだし、やっぱり周辺と戦争してるから難しいんだろうね。

 

「せめて海道や坂東、石州や大宰府での戦がなくなれば落ち着きましょう」

「確かに。戦いで必死なれば忠義も難しかろうな」

 そんな感じで先行きの見えない話は終了!

京都での用事を終えて、私は寺社巡りをしたり、砂糖とか美味しい物が無いか買い付けに堺まで行ってから戻る予定を伝えたのでした。

 

 思えば忘れたフリしてさっさと越後に帰れば良かったんだよね。

でもショッピングとか観光してしまったおかげで、お坊さんたちに捕まってしまったのです。その伝手でなんとかお砂糖を手に入れたから、仕方がないんだけどね。

 

「これは畠山の……」

「今回は加賀と能登の件で御両所に相談させていただこうかと思う」

「こちらが本願寺の法主であられる証如殿だ」

「仏弟子の一人たる証如、名を光教と申しまする。まずは越前では愚息の面倒を見ていただき、誠にありがたく存じ上げます」

 禅宗のお寺で出逢ったのは、越中で出逢った畠山さんね。

もともとこっちの人だから居てもおかしくはないんだけど……。そこに宗派の違う本願寺の人が居るのが不思議だった。茶々ちゃんのパパだっていうんだけど、それが良くわかる線の細い人だね。昔のアイドルみたいに濃い醤油味じゃなくて、爽やかな歌い手さんって感じかな。

 

とても面倒くさい予感しかないのは……。

ワザワザ別の宗派のお寺で出逢ったってことは、秘密会合ってやつよね? そういうの得意じゃないんだけどなあ……。

 

「まずは御両所とのご縁もあって、それがしが加賀守となる」

「それは執着至極に存じます」

「単刀直入に言うが所詮は名目上よ。気は楽にされよ」

「お隣の傀儡の方がまだマシというものだ」

 おおっとご挨拶キャンセル!? まあ名前だけ領主じゃそうよね。

でも、随分とぶっちゃけて来たわね。これだけストレートに反応するってことは、おためごかしにボケてたら話が進まないって事かな。相当に込み入った話見たい……。面倒そうだなあ。

 

「知っての通り、加賀の門徒は本山でも持て余しているそうだ」

「同時に何処かで息を抜き、彼らの狂奔も覚ましてやらねばならぬ」

「そこで本山とも縁の強い飛騨の内ケ島殿と連携し、能登の門徒宗とも連携する」

「兵を出せとおっしゃるのですか? 失礼ながら、この景虎が望むのは平穏にございます。また弾正少弼として勝手をいたす訳には……」

 要するに勢力バランスを調整したいって事だよね?

能登の畠山氏は重臣たちで権力争いしてて、当主には殆ど権力が無いのは知ってる。そこに口を挟んだり、飛騨にいる国人で本願寺と仲が良い人を使って、一向宗の中に本願寺本山派の一大勢力を作りたいって事じゃんか! 私を巻き込まないでよね! 面倒なの大っ嫌いなんだから!

 

そんな訳で、私としては『知らなーい』と耳を塞ぐとにしたのです。

 

「しかしながら弾正様。加賀の門徒宗が狂奔。蓮如様も呆れたほどにございます」

「尾山御坊の設置で多少は大人しくなりましたが、このままではいつ暴走するやら」

「越中の半ばより東には赴かず。約定を果たすには、今の内から釘を刺す必要があるのですぞ」

「……」

 本願寺の宗主自ら、放っておけば大変な事になるよ。と言われたら黙るしかない。

一向宗に限らず過激派は何処にでも居るし、燃料が注がれる前に火消の準備をしなくちゃってのも判るわね。でもなー。他国のいさかいに首を突っ込むとか、そこに越後の戦力送り込むのって違う気がするのよねえ。

 

「だがこの件に関われば長尾殿にも利があるぞ」

「もし将来、美濃に出るのであれば、我らでご協力できまするが?」

「仮に美濃に出るとしてもそれは将軍家が平定される場合の話」

「また、関東への協力要請が第一の優先。次に騒がしく成っておる信濃の監視がござる。美濃は第三以降でありましょう」

 酒宴の時に話した美濃攻めの話は少し筋が違う。

私が欲しくて口に出したのではなく、将軍様たちが美濃から再出発した方が早いじゃーん。って提案しただけなのね。だから飛騨ルートを提供されると言われても困るわけよ。畠山さんとパパさんのダブル説得でも、私は動きませーん!

 

「景虎は依怙によって弓矢は取りませぬ」

「ただ筋目をもって何方へも合力するだけのこと」

「……ならば弾正殿にとって関心のある事を教えよう」

「あの件でござりまするか? ならば拙僧も切り札を出しましょうぞ」

 いやだい、いやだい! 私はぜーったいに協力しないんだからね!

そう大きく宣言すると、二人は溜息を吐いて顔を見合わせた。どうも私が戦国大名とは種別が違って、土地を切り取りに出かけるのが好きじゃないってようやく気が付いてくれたみたい。でも、それはそれとして、そこまでの確信をもってる以上……ウルトラヤバイ予感しかないんですけどー。

 

「能登の家臣には海賊も居るという。そ奴らは佐渡の海賊とも結託しておるとか」

「そして佐渡の海賊は能登の家臣どころではなく、佐渡を預かる本間そのものよ」

「両家の海賊たちは結託することで、時には北回りの船を襲い、時には通行税を受け取とる」

「海の秩序を乱しておるのは間違いない。そして彼奴等を潰せば、都に送る銭や物資も減らされる事はないであろうな」

 おーと! これは見過ごせませんよ!?

っていうかー! 海賊が居るとしてもこっちの船から逃げてるから捕まらないとかじゃなくて!? うちの船からも通行税取るから襲わないってことよね? そんな話は聞いてないんですけど? 儲け話の件よりも、近くで盗賊海賊の類が跳梁跋扈してるのは気持ち悪いかな。だって、それって何時でもうちに攻めてこれるって訳じゃん!!

 

「畠山殿が身内の恥を晒したのであれば、こちらも秘中の秘を」

「我が愚息、茶々は生まれた時から婚約者がおるのです」

(なに、それ、エモーイ! あの茶々ちゃんに婚約者が!? かわええんだろうなー)

 こっちは感情面で揺さぶる気かな!?

年が離れすぎてるし、オネショタの気はあんましないから茶々ちゃんは狙ってなかったので、見守る気しかない。推しの子役アイドルが、別の子役アイドルと良い雰囲気……ってのを週刊誌片手に見てる気分かな!?

 

「その婚約者は三条様の娘で三女なのです」

「当然、長女と次女もおられるのですが……」

「次女は甲斐の国主、武田晴信さまに嫁いでおられまする」

「いかがなものでしょう。信濃路の安定は拙僧が協力できますぞ」

 おおっと。これは考えてもみなかった!?

っていうか、武田信玄との和解ルート! 隠しフラグ? そんなのあるの? っていうか、これは迷うな~。信玄様と無駄に戦わないなら関東も何とかなる気がして来たっ! でも川中島の戦いがなくなるのは謙信様的にどうかなーって思いもあるんだけど……。

 

「……そういう事ならば一度話は聞いてみましょう」

「「おお!」」

 でも、戦いが減るってのは凄い魅力だよね。

海賊が居なくなればその被害も無くなるし、その資金をいろんな場所に回せる。そして何より、信濃で死ぬべき沢山の人が死ななくなる未来は素敵だった。それに誰もが思う、謙信様・信玄様の和解ルートって素敵じゃない? まあ協定を組むだけで、守られる保証はないんだけどさ。




 と言う訳で天丼を挟んで本命の話になります。
転生者ですがあんまり頭が良くない主人公に、細川藤考以上の思考は無理。
彼が無理なことを近衛晴嗣が割り切っているのも朝廷は滅びないから。

その上で、畠山さんや本願寺のパパに良いように動かされてるのは
彼らの話術と策謀が普通に主人公以上で、立ち位置が違うからです。
その辺の転生者が、本願寺の証如様に勝てるわけ無いでしょ! いい加減にしろって話でした。

幽斎「将軍様が困ってるんです!」
近衛「ビンボはイヤねん」
畠山「いそのー! 能登の海賊と佐渡の海賊潰そうぜー!」
証如「武田との仲介しても良いよ。同盟組めるかは知らん」
 こういう図式ですね。
提携が成立すると、能登・加賀・飛騨・越中の南西が一向宗側に。
越中の殆ど・越後・佐渡が長尾家の勢力圏になります。
越前と六角も将軍様派なので、これだけ見ると中央は安定して見える不思議。


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外伝。武田晴信の野望

ここで視点は一時、武田家に移る。


 長尾景虎は帰還に際し、守護にしか許されない文物を受け取り守護格に認定された。

他にも御剣に天盃。そして領内での処罰や防衛戦を討伐戦として許可する私敵追討の綸旨と錦の御旗といった、父為景が朝廷より受けたものをそのまま繰り返し付与された。意外にもこの事が、彼女の今後を決定つけていくことになる。何故ならば巻き込まれるようにして始まった戦いが、朝廷のお墨付きということになるのだから。

 

そして彼女を中心に東国での動きも加速していく。例えば本願寺が抱える急使が、韋駄天とも称される早足の魔法を使って甲斐の国に到着したこともその一環であった。越後の動きをコントロールするには、早い段階から調整する必要があるからだ。

 

「小笠原長時に退去を許すのですか? せっかく追い詰めておきながら……」

「そうですぞ。本願寺の斡旋で、長尾と共に村上を挟み討ちできます」

「ここは焦らずにジックリと攻め落とし、向後の憂いを無くすべきかと」

 村上義清が史実と違い隙が無いため、武田家も方針を転換していた。

信濃の南部と西部を先に攻め取り、村上家が長尾家を警戒している間にこれを追い詰めていたのだ。そこに訪れた本願寺の使者が全てを変えた。突如として武田晴信が方針を加速したとも言える。

 

「信方、虎泰。老いたか? だからこそだ」

「長尾が動き出す前に南信濃のみならず、せめて佐久まで出ておく必要がある」

「しかし書状に寄れば、信濃を小笠原へ戻せとは言わぬとありましたが……」

「信濃守を御屋形様にとまで書かれておりましたぞ」

 本願寺の調停案は『現時点での武田家』にとって有利なものとなって居た。

村上家は景虎の親族である高梨家と抗争しており、潜在的な敵と言える。これを討つことに問題はなく、北信濃の半ばを緩衝地帯にして戦いはそこで止めることになっていた。穀倉地帯である川中島四群の帰属に関しては、その産と領地をある程度を相談するとまで書かれている。

 

そして何より信濃守への任官を口利きするとまで言ってきたのだ。

そこまで彼らの伝手で用意してくれるのであれば、武田家としては万々歳。自分たちが行うべき朝廷工作までやってくれるとあっては、断る余地は無かったと言っても良い。

 

「まさか受けぬつもりですか?」

「受けるさ。少なくとも俺の十年を二年に縮めてくれるからな」

「だが重要なのは十年後だ。十年後、俺達は何処へ行く?」

「あ……」

 信濃統一は十年がかりの計算だったが、上手くいけば二年もあれば片が付く。

仮にその後に高梨家を保護する長尾家と抗争に成り、十年・二十年と戦う可能性を考えれば、この調停を受けないというのは考えられないほどだ。だがしかし、その後の武田家は頭打ちになってしまうのである。

 

この見解の差は武将と当主の差であろう。

そしてこの見地に立ち、諸将に未来を示せるからこそ……晴信は優秀で品行方正な弟の信繁よりも上の存在として認知……いや周知されていたのである。

 

「別に同盟を組んで離すなと言われる訳じゃない。だから話は受けるつもりだ」

「だが十年後に頭打ちになるのであれば、今から布石は打っておくべきだろう?」

「そしてより多くの物を受け取る為には、伊勢との盟約の可能性をチラ付かせる必要がある」

「古河管領と結ぶ……その手もありましたな」

 本願寺の調停は長尾と結んで村上を討ち、信濃の戦いを終わらせることだ。

それゆえに絶対に同盟関係と成れとは書かれて居ない。そこまで強制する事は出来ないし武田が断る可能性も高くなるからだ。そして何より、古河管領を名乗る伊勢家(後北条)の存在があった。

 

板垣信方や甘利虎泰といった老臣たちが考慮から外していたのは、単純に伊勢家とは先代の時代には不倶戴天の敵として認識していたに過ぎない。だが晴信は今川家と北条家の抗争を調停した実績がある為、彼らと同盟を結ぶ可能性はゼロでは無かったのである。

 

「信濃の確実な確保、それは良いだろう。街道整備すれば塩も金も落ちる」

「だが先行きの無いこの国に何が残る? また飢饉が起きれば金は出て行くばかりだ」

「それゆえにこの話は受けるとしても、絶対にソレだけで終わらせてはいかん」

「美濃か? 三河か? それとも上野か? あるいは相模へか? その道を模索するのは十年後じゃない、今だ!」

 ここまで来れば重臣たちにも理解できた。

武田家の本領である甲斐は元もと豊かな国ではない。二十万石は一応越えているものの、平野は少なく川は荒れ放題で厄介な風土病まである有様だ。二十万石は額面そのままであることは滅多になく、飢饉になる事やその補填に金を使う事は今から予想できるほどである。だからこその信濃攻略であり、穀倉地帯である川中島の大部分を欲していたのである。

 

「美濃は同じ山国で状況は変わらんが、少なくとも周囲との軋轢は少ないか」

「三河は厄介な土地柄だが、本願寺の調停を受ければ港の一つも獲れるやもしれん」

「佐久まで出れば少なくとも上野は伺える。伊勢と戦うか、結ぶかは別にしてな」

「伊勢と戦う事を決めるならば相模も良い。その場合は今川に河東を思い出させるとしようか。逆に伊勢と組むならば何処を切り取ろうか?」

 甲信地方は四方を山に囲まれているが孤立しているわけではない。

周囲の勢力に脅かされるのか、それとも進むのかでまるで違った状況になるとも言えた。親族である今川家は考慮から今は外すとしても、四方の何処に伸長するかが今後の課題になるだろう。

 

「なるほど。御屋形様のおっしゃることがようやく理解出来ましたぞ」

「そうだ。調停は受けるにしても何時までか、何処を目指すかを明確にせねばならん」

「漫然とこの調停を受けて、北信濃を切り取って終わりでは先が無いのだ」

「この話で動かされるだけではならぬ。状況を動かすのは我らで無くてはな!」

 もし、この話を此処で終わらせるならばそう難しい話ではない。

だがその後の飛躍を考えるのであれば、それで終わらせてはならないのだ。何らかの条件を付け、あるいは動きを匂わせて誘ったり、本命の目標からは覆い隠すような努力が必要だろう。ここで本願寺なり長尾家の協力を得られるのか、あるいは将来的な敵に回るのだとしたら、まったく変わった話になってしまうのだから。

 

「これといった腹案は俺にもある。だが一人の案では凝り固まってしまおう」

「相手が何らかの窮地で揺らいだ隙を突けば、春日山であろうと駿河であろうと落とせる」

「皆の際限なき思案を聞くとしようか」

「はっ!」

 晴信には未来に向けた案がある。その上で自分のアイデアも聞いて貰える。

そうと知って俄に重臣たちの意欲が盛り上がった。物語の上では信玄という絶対君主とそれを支える家臣たち……と言った風情であるが、実際には寄り合い所帯の盟主に過ぎない。その上で晴信には、こうやって意欲を盛り上げて皆を導く才能が有ったのである。

 

「御屋形様は春日山と駿河を挙げておられましたがあそこは鬼門でござろう」

「ほう、何故だ信方? 治部はともかく弾正は留守にすると思うが」

「人質の可能性にございます。我らの親族ならまだしも……」

「そうだな。本願寺から人質を派遣されては藪蛇に成りかねん」

 最初に出たアイデアは長尾家と今川家を狙わないというものだった。

晴信としても駄目そうな例として掲げた上で『やろうと思えばやれるぞ!』と武門の棟梁としての意地を見せておいたのだ。そしてその意を汲んで板垣信方が否定して、周囲に説明を行ったという流れである。

 

「そうか。……彼奴等と敵対と成れば、その後がやり難くなりますな」

「春日山を落とせば塩も酒も港も獲り放題なのだがな。流石に坊主共は駄目じゃ」

「城一つを殺し尽くしても幾らでも湧いて出ますからなあ」

「そういうことだ。連中が物別れするまではありえまい。ではどこを切り取る? あるいは何を得る?」

 心底惜しそうな顔をしつつも家臣団の意見は一致した。

このプランならば信濃を完全に併呑できるうえに、港町周辺を切り取れるのはとても魅力的なのだ。だが人質と称して本願寺が入り込んでいる場合、理屈をつけて狙われ続けるだろう。それこそ長尾家どころか、一向宗全体が越後を奪いに来る可能性があった。人間と違って門徒全体を駆逐できない以上は、考慮から外さざるを得まい。

 

「本願寺を引き込むのであれば三河でしょうな」

「うむ。一部を彼奴等にくれてやり、港だけは確保する」

「御屋形様がおっしゃった案ではないか。だが悪くはない」

「問題は治部大輔さまがどう出るかですが……」

 本願寺の話から三河案が出るのは当然の流れだ。

三河は豪族と国人たちが乱立しており、それぞれに頑固な連中が旧来の姿勢のままいがみ合っていた。そこまでならば何処でも同じであろうが、特に問題なのが一向宗の門徒が多い事である。だが逆にいえば、本願寺の協力が得られれば攻略は難しくないのではないかと思われたのだ。

 

だが、そこで問題なのが今川家の行動であった。

今川治部大輔義元は東三河に影響を与えており、他の三河州の要請を受けて尾張から進行する織田三河守信秀と戦っていたのだ。もし三河に動くとしたら今川家と争う可能性があるし、協力するとしたらその影響から港だけに絞るとしてもかなり厳しい事になるだろう。

 

「そうだな。三河の場合は治部の思案が全てだ」

「少なくとも織田との戦いには俺たちが前に出る必要がある」

「奴の尖兵として戦った上で、切り取った場所を残せるほどに大勝せねばならん」

「もし動くとすれば、治部が河東群を取り戻す際に後ろを引き受けるのが前提だな。一向宗と折半では割に合わん」

 武田家が今川家の代わりに犠牲を負い、なおかつ侮られない戦力が必要だった。

それを考えれば今川家の三河侵攻に合わせるというよりは、今川家を伊勢家と争わせる為に、引き渡し協定の交渉中である駿河の河東群を巡って争う時がチャンスだろう。その時ならば織田家に背中を突かれないために、今川の方から頭を下げてくる可能性が高いので、どさくさに紛れて港を含む地域を占領しても文句は言われまい。

 

「だが治部が河東に出るのであれば、我らも津久井を抜く案もある」

「どうだ虎昌、やれるか? 一部の兵を残して小田原以東を抑えられるか?」

「やろうと思えば可能ではありましょう。しかしその条件では補給が続きませぬ」

「むしろ津久井から向かって来る兵を食い止めている間に、他を落とす方が余程早いかと」

 今川家と連動する場合、武田が相模に攻め入る手もあった。

その場合は甲斐から続く津久井城を制圧するか、封鎖している間に周辺を切り取る必要がある。だが伊勢家の本拠である小田原城が相模の南西部にある為、ここを抑えながら他の城を切り取っていく必要があったのだ。はっきり行って二つの城を取り囲んだまま、他の城を取りに行くのは無謀であろう。武田家でも最強とされる飯富虎昌ですら勝てるとは言わなかった。

 

「だろうな。その場合は津久井を包囲すると見せて時間稼ぎになる」

「こちらが津久井を落とすのが難しいように、連中も岩殿山を抜けはせぬ」

「なるほど。それでせめて佐久を落としておく必要があると」

「佐久から上野の西・南と行くならば切り取り易いでしょう」

 難所を攻略するよりも他を落とした方が早いのは当然だ。

力のある伊勢家から領地を切り取るよりも、その傘下に加わったばかりの連中を叩く方が余程早い。現在は山内上杉に従っているのだが、このままならばやがて伊勢家に靡くだろう。その時に『関東管領にお味方いたす』と適当な名分を掲げて攻め入れば、労せずして土地を広げられるだろう。

 

「では御屋形様の本命はこちらと?」

「治部次第だと言ったぞ。伊勢と仲を戻すのであれば話はまるで変わって来る」

「まあ縁戚どころではござらぬからな」

「そうだ。伊勢の勢力が強大だと諦めるか、あるいは伊勢が傾いて河東を差し出す可能性も有る。むしろ治部はそれを狙うだろうな」

 伊勢家は今川家へ何度となく娘を出している。

それゆえに縁故は強く、重臣として支えていた時代もあったためにその影響力は測りきれなかった。二代目氏綱の時代になって与えていた領土の没収をしたり、影響の強すぎる兄たちと争った義元の時代になって、家中の混乱に乗じて河東群を奪われるなどかなりモメていたのだ。

 

奪われたまま以前に伊勢家が上杉家との抗争で危険な状態になったことがあった。その時に武田家と同盟を組んで争った事があり、結果として『いずれ河東群を返却する』という条件で和睦したのである。問題なのは史実よりも伊勢家が強い事もあってそのまま上杉を圧倒してしまった事もあり、返却の約定がおざなりに成ってしまったのだ。

 

「つまり長尾の介入で管領家が盛り返し、そこで今川が動くと」

「俺はそう見ている。その時に三河に出るか、それとも上野か」

「その時に備えた橋頭保として、南信濃と佐久は確実に抑えておく必要があるのだ」

「「はっ!」」

 晴信は自分の手で信濃を落としたいと焦ったわけでも何でもない。

未来を見据えてより有望な手段を選ぶために、その時に用いる侵攻ルートや戦力確保として時間を必要としていたのだ。最初は晴信を止める気であった諸将も、今では熱気にあふれてどうするべきかを話し合っている。この件で晴信が得た者は二つ。諸将からの尊敬と……そして友誼を踏み躙って今川やこれから味方となるかもしれない長尾家を倒す場合の反感を知ることが出来たのだ。

 

「しかし、御屋形様。伊勢の側に付く可能性はありますか?」

「奴らが関東管領ごと長尾を踏みつぶせるかどうかだな」

「治部の仲介で三家が手を組むこともあるだろう。だがそれは俺が好きに動いた後だ」

 当然ながら、この流れを誘導した晴信が考えなかったはずはない。

今川家は武田家とも伊勢家とも縁戚があり、今川を中心にするならば同盟を組み易いのだ。だが、現時点で同盟を持ちかけて意味はあるだろうか? 少なくとも今川家は河東群を取り戻すことを重要視するだろうし、三河への援軍の話は本願寺の話を受けてからでないと意味が無い。そして伊勢家と組む場合の独自利益はなんだ? 西上野を落とすという意味ならば別に長尾家と手を組んでも良いのだ。

 

そういう意味では両天秤に掛けておいて、途中までは長尾家と組んだ方が良い。

その上で油断をさそって伊勢家と争わせても良いし、どちらかが大きく疲弊すれば討って出るのも良いだろう。伊勢家と和睦を結び、その仲介で今川を動かすことに利益はある。また長尾家との間を取り持つのは難しいが、一時的な和睦の仲介くらいは可能だろう。その意味でもやはり、現時点で伊勢家につくことはありえなかった。

 

「ひとまず治部が余裕をもって動けるようにした方が良いのは確かだ」

「本願寺の仲介が表に見えた辺りで使者を送る」

「親父の影響がない連中の中から、誰が良いかを今の内から見ておくぞ」

「はっ」

 武田家から詳しい計画を聞けば今川家にとって利益は大きい。

その上で伊勢家とは違い、こちらと共同歩調で動く意味はあった。逆に伊勢家と共同歩調を組む意味が現時点でないのであれば、ここは今川を晴信の思い通りに動かすことが必要だろう。その際に今川に送る使者は重臣であっては大事だと見抜かれてしまうし、旧来の重臣たちは追放した父信虎の影響も強かった。

 

そこで今川に侮られない程度の役職に付けるという理由を付けて、重臣たちに若手の側近を重用するという三つ目の利を示したのである。




 今回は前回の話を武田ビジョンで考察した話になります。
あくまで本願寺が話を仲介するよーというだけで、受けるかは別ですしね。
なおこの話の時点である天文十九年~二十年の段階では三国同盟は成立しておりません。
文学上だけですが二十三年に第三次河東一乱もあるので、景虎の出世が数年早ければ、こんな事態もあり得るでしょう。

というか北条家が史実よりも強いので、少し叩いてから同盟組むかどうか考えないと
その後に風下にたってしまいますしね。この時点で従属するような国力でもなく、叩いてから考える感じ。一見、転生者である景虎に優しい流れに見えて、周囲は利用し尽くす考えになります。

なお最後まで語られなかった美濃攻めですが……。
斎藤家が傾くか出来る事がなくなってからで良いんじゃないですかね?
山越えして強敵だと言われてる斎藤道三と戦うとか割に合いませんし。
それなら上野に行くか、面倒だけど三河に行く方がマシな感じで。
もちろん北条家を真っ向から叩き潰すとか、そんなのナイナイ。


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景虎の帰還

 景虎の帰還に際してちょっとした問題が起き、残念な事に大問題に発展した。

行きは陸路と海路の二択だったが、帰り道は海路であり一向宗を避けていくことが察せられたからだ。それは彼女を巻き込みたい者たちに、適度な刺激として海賊たちを操ることに成功させる。

 

何隻かに別れていたために海賊の被害自体は大したことはなかったのだが……。

 

「海の民への襲撃、長尾家への襲撃。仏の顔も三度までとは言うがな……」

「お、お許し下さい! 部下が勝手にやった事。まして我らにはお家を理由はないのです!」

「全ての問題は錦の御旗が載せられていた事だ。これを見逃しては景虎の尊王の心が問われる」

「そ、そんな……」

 事件としては、何隻かに別れて移動した中で、その一隻が襲撃され撃退しただけである。

それが重大問題に成ったのは、長尾為景の頃から頻繁に受け取っていた錦の御旗にある。同じ錦の御旗とはいえ、あくまで日輪を象ったものでランクは高くない。最上位の菊御紋の御旗ではないが、海賊への通行税で朝廷への献上が減っていたことが判明したり、景虎が信濃からの脅威を受けず関東に専念させるために各勢力が工作中だったのが災いしたのだ。

 

特に内大臣である近衛晴嗣は激怒し、本願寺の工作に乗せられて大問題にしてしまったという

 

「だがな。これは父上もいただいた旗であり、その父上を本間が援助したことを忘れてはおらぬ」

「景虎はあえて三本目の指を折り、仏の顔に免じよう」

「っ!? ではお助けくださると……。ありがたや」

「ただし! 越後にある飛び地を本領として一度佐渡を没収する。また本間一族は首を落とされたものとして、名誉回復まで『間一族(ハザマ)』と名乗るが良い」

 本間一族はかつて為景が追い詰められていた時に救援し、越後に飛び地を受けた事がある。

北信濃で栄えていた高梨家などと一緒に行動しており、当然ながらかなり勝算が見込めたのは確かだ。しかし、その恩は恩。朝廷にいらぬ懸念を抱かせることを承知で、救済するとしたのである。

 

「佐渡を没収……で、ですが『一度』と言う事は……」

「そうだ。お主らが功績を立てれば加増を考慮しよう」

「加増そのものは全ての我が領が対象であり、佐渡とも限らぬ」

「また加増そのものは他の豪族にも言えよう。だが間家が望むのであれば考慮しよう。励めよ」

 この当時の佐渡は二万石程度の小領に過ぎない。

しかし何年か前に銀山が見つかったことで、かなりの収益が見込まれていた。本間一族は景虎の武量に平伏して供出をしており、これを厳しく罰しては他の豪族も文句を言うと同時に、自分こそがその土地を受け取るべきだと言い始めるだろう。そこで景虎はこの面倒な処理に、あえて厳しく当たった上で、元に戻すことを約束して温情に変えたのである。

 

「孫四郎。そなたの術が無ければ危うかったそうだな。よくぞ御旗を守った」

「余裕を持って撃退したから何とかなったが、万が一、荷が奪われていては大事であった」

「いえ。これも武家の習いであります。襲われていたのが他の船やもしれず。運でありましょう」

「それを武運と言うのよ。景の一字を与えるゆえ、景久と名乗るが良い」

 ここに山吉孫四郎景久が誕生するが、彼は四大精霊系を得意としていた。

武将ゆえに基本的には初歩の魔法が多いのだが、彼は山歩きや沢歩きの為に色々な魔法を広く浅く覚えていたのだ。兄の孫次郎豊守が地形効果のペナルティーを受けない加護と合わせて、広域での活動に長けていたのである。彼らの開拓に掛ける精神は熱心で、越後でも随一の兵士数を誇ったという。

 

「山吉景久。御屋形様に変わらぬ忠義を捧げます」

「そう呼ぶにはまだ早いぞ。いずれそれだけの誉を積み上げて見せるが」

「さて。兄の孫次郎には一件を収めた交渉での褒美としよう。秘蔵の酒を取らせる、これへ」

「はっ!」

 この襲撃が大事件になると判断した段階で、兄の山吉孫次郎豊守は直ぐに動いた。

佐渡へ上陸した際に本間一族を集めて恭順を約束させるために動いた。そして今ならば大事にならぬと景虎への報告の前に労を負ったのである。彼の活躍が無ければ、本間一族は戦ったかもしれないし、景虎も復帰の可能性を約束できなかっただろう。

 

「なんと美しい盃に、これまた美しい酒でありますなあ」

「恩賜の天杯である。これもそなたらが守ったものだ。酒のみとなるがありがたく拝領せよ」

「ははあ!」

 もらった天盃に清酒を湛え、皆の前で他の器へと移した。

その精妙なる色合いは、その辺りの酒では出せない色だ。清み澄み渡る酒を帝よりした天盃を介して受け取る名誉は、ここに確立したのである。

 

「殿、これで何とかなりましたな」

「まさか鎌倉の世でもあるまいに、すわ族滅かと」

「流石の定満も肝が冷えたか? まあ二度とやりたくない綱渡りだな」

「厳しく罰するわけにはいかぬ、だが傍目に判るほどには罰せねばならぬ。世の大名であれば、領地を広げる口実と喜ぶのであろうがな」

 状況を他人に動かされるのと、自分で動かすのでは意味が違う。

都から押し付けられた仕置に景虎も宇佐美定満も苦労していた。もしかしたら都の連中は援護射撃をしたつもりかもしれないが、年中反骨している揚北衆を抱える景虎としては有難迷惑であった。この当時は銀山の産出量がようやく増えてきたところであり、既にある鳴海金山ほどではないのが面倒の種であったのだ。ちなみに有名な佐渡の金山は江戸時代からである。

 

「能登の手伝い戦に頼まれた場合、本間……間一族を加えてやれ」

「能登海賊にそそのかされたのであろうし、そうでなくとも情報を売ったのは連中だ」

「それと一族の中でも若い者を鉱山奉行に加えて、都なり何処なりに遊学もさせよ」

「はっ。そう言うことであれば怨みを果たし、本領を取り戻すために奮起するでありましょう」

 正直な話、景虎に転生した女にとって政治は面倒事でしかない。

佐渡の話も生前のイメージと違って鉱山が開発されて居ないので興味が低く、海賊を取り締まれば良かった。だが罰すれば恨まれるし、罰せなければ朝廷から文句を付けられる厄介事でしかなかったと言えよう。

 

「本願寺の斡旋といえば武田と村上を挟むやもしれぬ」

「その後は高梨家他の北信濃の豪族を緩衝地帯に据えて中立の調停じゃと」

「ふむ。武田家の伸長を考えれば助かりはしますな。我らは坂東ヘ赴く予定ゆえ」

「ですが信用が置けるのですかな? 気が付けば信濃全土が食われておるやも。いえ、そのまま越後を抜く算段やもしれませぬ」

 能登は内紛への援軍で良いとしても、本格的な戦いは関東の身の方が良い。

二正面作戦は避けるべきだし、史実と違ってタイミングの問題から武田家とは紛争を避けられる可能性がある。避けるために本願寺という大勢力から調停が行われるのだから受けるべきなのだが、二重の意味で問題があったのだ。

 

「北信濃の諸将から人質でも取りますか?」

「どうかな? 先の本間とて雑太が本家だが、羽茂に河原田やそれ以外にも一族が居る」

「当主の息子が人質だとしても、裏切る時は一族の誰かが頭になって裏切るだろう」

「それならば彼らの生活を援助するべきだな。越後の援助があれば良い暮らしができると。その上で春日山は抜けぬと見せておけば良い。こちらが無警戒とも思っておるまいよ」

 山吉兄弟が佐渡に上陸して説得に苦労したのはそこだった。

本家以外にも分家が幾つかあり、単純に長尾家の積み荷に配下の海賊が手を出しただけならば、奴が悪いだけだと言い切って従わなかった可能性や、内部抗争の材料にしてしまった可能性も有る。そうならなかったのは、積み荷に錦の御旗が積んであって族滅もありえると伝えたからに過ぎないのだ。

 

(でも、人質かー。茶々ちゃんを越後に送るかも? って言ってたのはその辺もあるのかな)

(越後で留学ならぬ、修行をさせるとかおかしいもんね。でもどうしたものかなあ……)

「……殿?」

「ああ、難しい思案をしておった。許せ」

 景虎は少女のような笑みを浮かべる子供の事を思い出していた。

まだ六歳ゆえに修行と言うのは早過ぎるのではないかと止めたが、ここまで来れば政治に疎い景虎にも察する事が出来た。本願寺が裏切らない様に人質として送り、その事で武田に本願寺はこちらの味方だと伝える気なのだろう。

 

「本願寺が七つにもならぬ、可愛い盛りの子を送ると言っておったのだがな」

「それは随分と扱いが難しいですな。本願寺の人質が居れば話は早いのですが……」

「逆に言えば越後での神輿として、大勢の坊主を引き連れてきかねませぬな」

「越後の寒さは長く厳しい。だが七歳までは神の内というではないか。その子を生かすと言う理由で高徳の僧を幾人も送ってこようよ」

 この時代で子供の死亡率は高い。それゆえに七歳までは神の眷属。

だから何時死んで神の元に召されても覚悟せねばならないと言う概念があった。そんな子供を送りつけるというのならば、少なくとも断熱の魔法で寒さをシャットアウトし、暖気の魔法で暖かさを確保するくらいのつもりでいるだろう。少なくとも交代制で担当するのだから、そのレベルの魔法を使える僧侶を複数人帯同することになる。

 

問題なのは彼らが人質だけでは済まない事だ。

明らかに越後に大きな寺を建て、そこで茶々こと本願寺光佐を頭にして大規模な宗教活動を試みるであろう。

 

「少なくとも話があるという程度で紹介するか、せめて十を越えてからだろうな」

「殿の事を考えれば、それはそれで自らの弁と見識を持ちそうで怖いですな」

「私は自分がことさらに賢いと思うたことはないぞ。だが定満が言う通り、頭が痛い事になるだろうな。こぞって入信されては叶わぬ」

 茶々ではなく他の有力者を送らせた場合、それはそれで有能な高僧を送るだろう。

越後の者が権威に弱く、また学識こそ無いが抗争の為に言い訳をヒネ繰り返す賢さがあることは知られてしまっている。彼らを口説き落とせる有識の僧侶を送ることで、信仰心を育てさせたり、あるいは長尾家に歯向かわせる可能性もあり得たのだ。

 

「とはいえ後ろ向きな考えでは解決策など出まい。むしろさせるならば武田だ」

「我らを敵にすればそこで終わりだと思わせるべきだろう」

「信義なく向かって来るのであれば、何十年でも戦い我らが勝ち続ける」

「越後と事を構えて無駄な時間と犠牲を出すよりも、坂東でも美濃でも目指す方がよりマシだと思わせる方が良いであろう」

 考えれば考える程、本願寺の人質は居ない方が良いことになってしまう。

そんな考えで相手の影響を抑えることに終始するならば、面倒を押し付けるのは武田であるべきだろう。そもそも景虎は領地を増やす気はないし、仮に関東管領の上杉家がくれるといっても、全て部下へ下げ渡す気であった。

 

「それしかありますまいな。ともあれこちらは信濃に人を潜ませまする」

「任せた。少なくともこちらの『眼』が信濃に居れば春日山は落ちぬ」

「私は高梨殿らに書状を出すとしよう。それはそれとして……」

「上野方面に関してはどうなっておる?」

 信濃に侵攻する気が最初からない事もあり、武田に関する話はここで終わった。

親族である高梨政頼を始めとして、北信濃の諸将と連絡を取りつつ陰の者を潜ませて置く。それ以上に出来ることはないのだから。そして話は主戦線を想定した関東方面へと向けられた。

 

「道を太くするために最初の確認が終わった所です」

「今は蔵を随所に設けて、食料やら何やらをしまう場所を増やして居るところとなります」

「本格的な街道開通と滞在用の一切を用意できるのはまだ先の事になるでしょう」

「また北条高広以下、越後毛利家の者が先発として出陣。まずは現地を把握しつつ、守備の一端を担っておるでしょう」

 都まで行って戻って来るのに時間は掛かったが、そのレベルで道は大きくならない。

元の街道がありはしたが、三国峠と言えば難所で知られている。その何処を大きくすれば良いのか、掘り返して足場をしっかり固めるべきなのか? それを把握しただけでも彼らは褒めしかるべきだろう。実際、あちらを担当している長尾政景は協力した術者や技術者たちを絶賛していた。

 

「管領殿の軍勢は前に出ておるのか?」

「はっ。我らと結び兵と食料に余裕が出来たことも影響しているのでしょう」

「本人は流石に動かれませぬが、長野殿を中心に武蔵まで追い返すことも多々」

「良くも悪くもさほど変化なしか……時間は稼げたという程度だな。ともあれソレは伊勢にとっても同じと言える」

 関東方面で大きな変化が無いように見える。

険悪だった長尾家と山内上杉家の仲が修復され、援軍を送るという事になって、あちらの北方面の部隊が動けるようになった。とはいえ実際に全軍を出せるようになったのは景虎が都に向かうことで、山内上杉家に協力することが確定してからだろう。将軍の前で宣誓した内容を、覆さないと判ってから全力を向けたと思われた。

 

ゆえに関東の情勢は大きな変化が見られないのだ。

山内上杉家にとって滅亡のピンチを一端免れただけで、依然として伊勢家に押しまくられているという事実は変わりないのである。実働戦力として動いている長野家と箕輪勢も疲弊していると思われ、放置しては危険な事になるのが伺えた。

 

「武田家との会談に私は臨む必要があるだろうが、一刻の猶予もならんな」

「可能な限り速やかに戦力を……いや。それだけでは駄目だ。越中の二の舞となろう」

「増山城に籠った神保家との戦いでありますか。あれは面倒な相手でしたな」

「伊勢が守り堅き城に籠り、我らが攻めきれずに撤退すれば関東の諸将は再び伊勢に付こう」

 戦力を送り込む必要はあるが、ただ押し返すだけでは意味が無い。

この時代の豪族たちは強い敵が来たら大人しく降伏し、帰って行ったらまた元の様に自立してまた別の主人につくという事の繰り返しである。転生者である景虎も、小田原城が天下の堅城であることと、何度も関東へ出陣したことくらいは覚えていたので即座に片が付くなどと信じてはいなかった。

 

「常備した兵を中心に繰り出すことで、何年もあちらで戦えるようにするべきだな」

「まずは数を増やす必要はない。越年しても問題ない数を中心に主戦力を構成せよ」

「越後から繰り出す増援に関しては、一気に押し出したい場合と、加増も合わせて父祖の地である関東に国替えしたい者が居れば加える程度にしておこうか」

「はっ。そのように根回ししておきまする」

 ここで景虎は戦略構想を二段構えに考えた。

現時点で変化なしと言う事は、二千でも三千でも加勢が加われば完全に上野から武蔵まで押し返せるという事である。長野家ら箕輪勢も交代で休むことができるし、越後から資金を持ち出せば運営資金を何とかしたり、兵糧を購入することもできる。その上でさらに越後からの増援が来る可能性を説明すれば、上野や武蔵の豪族たちも態度を変えるかもしれない。これが一万以上の軍勢であれば、流石に越年するのが限界であろう。

 

「そうだな。後は武田家との会談で焚きつけるなり、伊勢の情報をもらうくらいだな」

「彼らが伊勢を西から切り取ってくれれば言う事はないのですがな」

「そこまでは期待すまい。協力してくれるならば伊豆も相模も要らぬのだが」

 一同は与り知らぬことだが、この時点で史実よりも実は改善されていた。

転生者とは言え特に名案が浮かばない景虎ではあるが、越中での失敗と、小田原城を攻略できないと理解していたことで多少なりとも戦略構想が改善されたと言える。この事が景虎の憂鬱な気落ちに光を差していたのだ。そしてもう一つ……。

 

(ようやくあの呪文が成功するようになったんだよね。でも、まだまだ一割かあ……)

 以前に告げたかもしれないが、この世界の呪文は能力値依存であり、難易度式である。

つまりレベルが十分な段階に達しても、あくまで自分の能力で十全に唱えられるようになっただけに過ぎない。例え5レベルの術者が5レベルの呪文を使う際でも、能力値から計算される基本発動力が60%ほどなら、5レベル時点で60%でありレベルが上がることに成功率が増していくのである。

 

逆に言えば『レベルが低くても、最高レベルの呪文を使える加護』を持っている景虎の場合、基本発動率からさらにマイナスが掛かることになる。先ほどの例であれば40~50%ほどのマイナスで10%ちょっとの成功率しかないのであった。少なくともこの段階ではとうてい戦略に組み込むことは不可能であろう。

 

だがしかし、自らのアインティティである『聖戦の呪文』発動が視野に入ったことで、景虎の心は明るさを増していた。




 と言う訳で視点は景虎の元に戻ります。
相変わらず受動的な時は流されっぱなしと言うか、政治する気のない謙信様。
人を無意味に殺したくないとか言っておいて、早く戦争にな~れとか言いそうな雰囲気です。

●本間戦
「霧の中で視界が通じる呪文!」
「風を噴射して矢の軌道を変えます!」
以上終了。

の三行なので割愛しました。
彼らはハザマ一族として鉱山の中で結界を使ったり、鉱山奉行として間久兵衛とか
そういう感じのネタになるんじゃないかと思います。
本願寺が入り込んで来るキッカッケの一つであり、同時にこれから関東攻めで使う資金の解決ですね。

●本願寺の人質
史実の謙信様は意外に人質に甘くて、親族の子供とか北条の子供を人質で済ませずに養子にしてます。
放っておくと本願寺光佐が越後で暴れかねないので、その辺をみんなで懸念中。
前回の武田ビジョンだと居たら厄介だけど、越後人にとってはもっと厄介なのが宗教。

●北条対策
「篭城戦で小田原を落とせない?」
「これから毎年城を焼こうぜ!」
「年がら年中関東で戦い続けまーす!」
という騎馬民族みたいなことをします。
あと、聖戦の呪文がようやく弾倉に送り込まれた感じ。
ソードワールド知らない人に簡単に説明すると、「だりぃー」とか言ってた連中が突如としてヒャッハーし始めます。
まあ現時点では10%くらいで、MPも大半使うから繰り返しチャレンジも難しい感じですが。


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帰雲城の語られぬ会談

 長尾家と武田家の会談は、飛騨を挟み重臣をやり取りする形で予定された。

信濃では間に村上を挟んでしまったり、本願寺の縁が飛騨にあるのも大きいだろう。念の為に確認したが上野経由は武田側が嫌った為に、自然と飛騨を経由する予定になったのだ。ただし、予定は未定であり……決定では無かった。

 

「内ヶ島家は加賀の問題が起きた時、蓮如様と手を取り合いましてな」

「この度はその縁で、領内の寺をお貸しいただくという話だったのですが……」

「城ならば御両所が直接会談できるのではないかと、ご提案されたのです」

 調停を務める本願寺の高僧や坊官が話を切り出す。

どうしてこの場所になったのか、どうして両家の当主が直に来ることになったのかを順を追って説明している。本来は飛騨を挟んで重臣たちが代行する予定であったが、内ヶ島の当主である氏理が提案したのか、それとも本願寺がごり押ししたのか……。

 

あるいは面倒事を嫌い、時間を重視する景虎や晴信の性格からか直接会談に成ったのである。

 

「雪の問題もあるからな。まだるっこしい話は抜きだ。いつ攻める?」

「いつでも。こちらは板東に豪族たちを動員せぬ」

「ほう。手駒となる旗本と銭で雇った連中の身を使うと?」

「そうだ。伊勢が根をあげるまで何年でも板東に張り付けておく」

 今回、緊急会談で当主たちが出てくる理由が雪であった。

景虎が都に赴いていたのは春から夏にかけてだが、その後のゴタゴタで既に秋も半ばを過ぎている。間もなく冬であり、いつ雪が降ってもおかしくはなかった。その間に武田家は東信濃の佐久郡にも取り掛かっているというところだ。雪が降る前に併呑するか、他の地域に村上家の関心を割きたいのだろう。

 

そして両者がこれほどに焦る理由は、北国の冬は厳しいからだ。

一度雪が降れば国境線は封鎖されるも同じこと。例え断熱の呪文などで寒さに耐えるとしても、流石に狭い峠を抜けていくのは不可能だ。山育ちで歩きなれているとしても『可能ではある』と言うレベルで、少なくとも兵糧を運ぶ小荷駄は不可能になるだろう。

 

(頭がおかしいんじゃないか? 兵を置いたまま戦い続けるだと)

(オモシレー女だな……とか思われてる? んな訳ないよね。やっぱり出逢いはないのかな)

 一方、短いやり取りの中で二人の思いは交錯していた。

常備兵を使って年がら年中戦い続けて、経済的に追い詰めるなんて戦法は普通実行しない。やるとしてもその予算を使って、一万の兵を半年動かす方が確実なのだ。それを二千から三千だけの戦力のみで済ませるという事は、全方位での逆転を狙わず、特定の豪族が滅亡するまで戦い続けるという狙い討ち宣言に他ならない。

 

つまるところ、金を国力の代わりに換算して兵を調達。

相手の経済を破壊し、稲作に関わる耕作そのものをさせないという事でもあった。経済の概念自体が六角や斎藤など一部の大名にようやく理解され始めたばかりであり、経済破壊作戦など理解の外であろう。

 

「……では帰国後、即動いて村上を叩き潰す算段で間違いないか?」

「構わぬと言った。だが動員以上の事に対する代価はいただこう」

「我らとして村上が二度と攻めて来ぬのならば無理に滅亡させる必要はない」

「弾正少弼様のお言葉通りです。村上領を丸まる引き渡す理由が必要になりますな」

 正直な話、面倒が嫌いな景虎にとって無理に村上家が滅びる必要はないのだ。

滅びるまで戦ったら領土分配の話とか、そこで配下の豪族たちが分け前を寄こせと言って来る。だから長尾家と武田家で殴り倒して、二度と逆らわぬと誓紙を書かせるだけでも良かったのだ。それを滅亡させて領地を奪うというならば、それに代わるモノを要求するのは当然だろう。

 

なお、この辺りの機微を修正して、翻訳するのは直江神五郎景綱の役目である。

 

「まあ取り分といえば判らんでもない。高梨の領地を取り戻すだけではいかんのか?」

「こちらに付く北信濃の諸将を『高梨』に含めても良いなら考えよう」

「……そこは事前の話の続きだな。川中島の半ばを相談するという話だったか」

「必要なのは食料であろう? 土地の帰属はこちらでも良いはずだが」

 以前の高梨家は隆盛しており、北信濃の諸将を従えていた。

だが村上家に押される形であくまで中心人物でしかなくなっていたのだ。直接の配下ではないにしても、彼らが保護を求めて来たら手を貸すというところまでは自動的に繋がって居る話とも言えた。だが、それでは晴信が欲する穀倉地帯である川中島四群を手に入れられないのだ。

 

「産物を安価で提供すると? だが兵の動員もあるしな」

「……そうだな。取り分と判断するならば、戦いはこちら主体というのは?」

「既にその前提では? それに抑えるだけで村上家が逃げるとも思えませぬ。一当てするかと」

(やはり食い下がって来るか。しかし、積極的に獲ろうという気は見えんな。やはり越後を守る為だろうな……)

 大名にとって領地を増やすのは当然の目標だ。

ゆえに晴信は長尾家がゴネるのは想像していた。だが景虎の反応を見る限り、そこに固執しているとも思えなかった。むしろ部下である実綱の方が色々と口を出している様に思えたのだ。その辺りを勘案すると景虎の主観に合わせる方が計算し易いと言えた。

 

(狙うならこの女の考え次第か。さて、何が好みだ?)

(土地に興味はないが、金勘定は上手い。利益を金でのみ判断する)

(だが問題なのは勝敗や名誉にうるさい越後人そのものということか)

(下手に欲を出して噛みつかれると面倒だな。だがこのままでは下がれぬのも確かだ。確かめてみるか)

 晴信はこの時点で景虎が前世の影響で、土地よりも金を基準にしている事に気が付いた。

だが、それは価値観の基準であって、決して許容限界の話ではない。土地を奪えるだけ奪える交渉をした結果、逆鱗をつついて宣戦布告されたら『今』は割に合わないと言えた。やるとしたら限界を見定めて、騙し討ち一回だけで全てを済ませるべきだろう。

 

「では川中島をこちらの領地にする代わりに、北信濃は攻めぬという誓紙を出そう。必要ならば北信濃を落とせる位置に城を造らないと約定に加えても良い」

 晴信は必要ならば幾らでも約定を破る男だ。それはそれとして、騙し討ちは対面が悪い。

そこであたり触りのない内容をまず掲げて、景虎がそういった信義をどの程度で大切にしているのかを確認した。この時代で最高の権威を持つ誓紙は熊野誓紙であるが、それは神道系であって仏教である本願寺にはあまり縁が無い。敵対はして居ないので許容は出来るが、ソレを預けると言われても困るだろう。

 

「ならば信濃の中だけでも良い。関所を設けず商人の通行を自由としてもらおう」

「さすれば武田家が何か企んでおったら、商人を通じて我らも気が付けよう?」

(……む。これは忍びを潜ませる気だな。俺達が歩き巫女を使うなら奴らは商人か)

(せっかくだから、ここで楽市楽座の真似でもやってもらおうかな。利益が出るならうちでも真似できるし)

 これに対して景虎は余計な事を言わずに済ませた。

最初から誓紙などに期待しておらず、武田家は必ず動くという前提で考えたのだ。それならば陰者を潜ませ易く、同時に自国に取って利益のある方法を選んだに過ぎない。内政のことなど大して判らぬ景虎であるが、商売上のプロデュースくらいならば出来るのだ。

 

「そちらにも利がある話だ。悪くはあるまい?」

「その前に聞かせてもらおう。信濃を縦断してどうする? もしやそちらが攻める気か?」

「いいや? 今川家と商売をするつもりだ。買い付ける充ては多い方が良い」

(越後ってこの時代は湿地多くて駄目駄目なんだよね。だからお米を仕入れてお酒作るのさ! 小田原城を囲む時にも使えるしね)

 街道というものは軍道でもある。利益と脅威で越後における長尾家の制御力も増した。

そんなことを晴信が知らない訳が無いので、陰者を潜ませることに対する牽制としても尋ねてみたのだ。だが帰って来たのは思わぬ回答である。

 

(こいつ! 治部を利で釣る気か!)

(仮に伊勢と和睦させたとしても、商人の事は知らぬと言える)

(奪われた河東を取り返せば怨恨が晴れるかは分からぬし、そも伊勢を野放しにする理由も無い)

(同盟を組めば伊勢の脅威は無くなるが……長尾が末永く噛みつけば同じことだ。治部が乗る可能性は高い)

 この時代、同盟相手だからと言って優しい間柄にはならない。

何かあれば平然と裏切るのが戦国の世というものであり、縁戚関係であっても今川治部大輔義元は、武田信虎から晴信に切り替えたのだ。自分の都合の良い相手と懇意にするのが縁戚でもある。今の状況で野放しにして危険なのは、遠く離れた今川家にとって長尾家ではなく伊勢家の方であろう。河東さえ取り戻せば手打ちが出来るとしても、野放しにする必要はないのだ。

 

(治部はおそらく乗る。となれば補給も遣う金も随分と改善するはずだ)

(最初は正気を疑ったが……案外、本気で年中戦い続ける気やもしれんな)

(こうなれば豪族どもも子弟を送り込んで荒稼ぎするはずだ。決してこの女に逆らうまい)

「仕方ない。受けるとしよう。だが……三河には俺も呼ばれる可能性がある。向こうで商売の話に乗っても良いぞ」

 晴信は素早く計算すると通行権の話に乗った。

仮に越後と商人が往復するならば、通行税くらいは安い物だ。それに通行税の多くは関所を任せる豪族たちが得る物なので、領地に落ちる金や物は多くなるだろう。

 

そして何より、本願寺が居るこの場で話を切り出す必要があったのだ!

 

「武田が三河へ?」

「信濃から奥三河は存外近いからな。あちらの親族に頼まれごとをすることもあるだろう」

「弾正少弼様。これは良い勘案ではありませぬかな? もし人質が必要ならばこちらで出しましょうぞ」

「人質を他者が出すのは筋が違うておろう。それならば熊野誓紙を本願寺に預けても非礼と取らぬという言葉で良い。必要なのは誓紙そのものではなく、確であるのだからな」

 案の定、本願寺が派遣して来た坊官が食いついて来た。

証如あたりならば迂闊に乗らないのであろうが、あくまでこの辺りの僧をまとめる強面に過ぎない。加賀も含めればもう少し隠せる者も居るのだろうが、本山の派閥に属する者を優先したのだから仕方がない所だろう。

 

ともあれこれを契機に、同盟でこそないが商業に関して提携を組む三国協商がまとまった。それ以上に関係を深めるのか、それとも一時の気の迷いなのかは今のところ不明である。

 

「しかし、同じ攻めるならば美濃には行かぬのか?」

「あちらならば誰も咎めまいし、上手くすれば大樹様がお声を掛けように」

「さて? どちらの親類が声を掛けて来るのが早いか、親密度の差だからな」

「それを考えれば蝮のいる美濃は、迂闊に俺に声を掛けてはくまいよ。それに上洛と言っても簡単にはいかぬ」

 景虎は生前の知識と、自分が呼ばれたことで気が付いて居なかった。

この時代は上洛令が出てから赴く物で、勝手に目指すのは非礼なのだ。義元も世間で言われている通りに織田を上洛の為に攻めるなどとは言って居ない。あくまで戦争を仕掛ける織田への仕置きを行いつつ、併呑してしまう方向であったという。信玄も信長包囲網があればこそで、それまでは視野に入れてないのだ。この時点で信濃に王手を掛けた段階に過ぎない晴信が、危険なばかりの美濃へ手を出すはずも無かった。

 

「それはそうと、本山より茶々さまの越後入りに関してのお話が来ておりまして」

「景虎は稚児を人質に取ろうとは思うておらぬ。協定の為に越後入りするとしてもいずれじゃな」

「いえ。その話は承っております。新しく出ましたのは、その時の備えての良き寺を建てたいと」

(また、断り難い話をよりにもよって武田の前でしなくたってさ……空気読んでよー)

 この坊官は好意でこの話を切り出したので、景虎の反応には気づいていない。

本願寺の人質が越後に居れば、武田が攻めてくる可能性は殆どないのだ。また、武田とは三河攻めに関する話で後で交渉したいこともあって、今の内から関心を惹きたかったこともある。長尾家の為にもなり武田家の為にもなり、引いては一向宗の為と、まるで罪悪感を持っていなかったのだ。それが景虎をして、断り難い状況を作り出していたとも言える。

 

だが、全てを分ける言葉が飛び出すまでの話であった。

 

「法術を行使し易くするお堂を立てたいと思います。これは越後や甲斐の民を治療するのにも使えますぞ」

「なるほどな。それは拝聴に値する話であるが……どうかな?」

「ふむ。……では筋道を立てた後ならば良かろう」

「長尾家は林泉寺を菩提寺とし、景虎の旗揚げは瑞麟寺に良くしてもろうた。その二社に何らかの便宜を図った後。この景虎が筋目を立てた後で良ければ、越後に寺を建立する許可を出そう。土地も進呈する」

 晴信は治療もだが、一向宗とのパイプを求めて良い顔をした。

こうなっては景虎の方も断るわけにはいかない。だが、それより大きな関心は魔法を使い易くするというお堂の建設である。その技術を参考にして毘沙門堂を立てれば、彼女の魔法発動も視野に入るのではないかと思われたのだ。

 

こうして『聖戦』発動の時が来た!




 とりあえず提携は組みましたが、考えてることは別で狙いも別です。
転生者の景虎は経済圏を守り為に戦い、魔法発動強化が報酬。
リアリストの晴信は本願寺を味方に付け、信濃と三河への足掛かりをゲット。
本願寺は両者へのパイプを太くしてる感じですね。


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聖戦の呪文

 越後において寺院に関する建立が相次いだ。

まず林泉寺の一部が春日山城に移設し、元あった建物の大部分が別院となることが決まった。次に瑞麟寺の痛んだ部分などを改築する形で、堂安寺が大々的に開かれることになる。それらの発表と起工式が行われた後……府内に本願寺の建立と春日山城に毘沙門堂が建てられることになったのだ。

 

そして信濃の村上家攻めが徐々に進む中、関東でも大きな変化があったのである。

 

「総崩れだと? まさか箕輪衆が割れるとはな。定満……判る範囲で話せ」

「伊勢は座して待つような輩ではありませぬ。我らに時間があったのは、彼奴等にも同じこと」

「長野業正個人はともかく、長野家や他の箕輪衆は一枚岩では無かったのでしょう」

「管領様に最後まで忠誠を尽くすはずの長野家と箕輪衆が割れたことで、上野が揺らぎました」

 どうやら伊勢家は関東と上野の国境で戦うだけでは無かったらしい。

箕輪衆を始めとして上野の豪族や国人たちに声を掛け、保険をかけるようにまずは『親族の一部』がつくように持ちかけたのだ。そしてその情報を元に他の豪族たちを切り崩し、全員ではなくとも所属する国人たちを味方に付けたらしい。後は本当に箕輪衆が割れ、長野家率いる残存部隊が敗北したことが、決定的に成ったのである。

 

「急使によれば、管領様が御子息を越後に避難することを求められているとか」

「いかがいたしますか? 我が軍の大半は信濃で村上を挟んでおりますが……」

 本来よりも早い山内上杉家の崩壊だが、上杉憲政には冷静な判断力が残されていた。

史実よりも伊勢家が強大化していたために、油断せずに予め脱出作戦などを考慮していた為である。自らは厩橋城から箕輪城のラインで踏み止まって、長子の龍若丸のみを越後に避難させたいとの申し出を行ったのである。この事が山内上杉家の完全な崩壊を防いだのは皮肉であろう。

 

「私が直接上野に向かう! 供回りの者に出陣の支度をさせろ!」

「っ殿!? 弾正様が御自らでございますか? 危険ですぞ!」

「この状況で信濃から兵を動かす訳にはいかん。それに管領殿が踏み止まっているなら手はある」

「それと一足先に毘沙門堂と同じ仕掛けを、何処かの城なり寺へ施しておけ」

 もちろん景虎とて何の採算も無しに出陣すると言っているのではない。

伊勢は長尾家からの援助は三千ほどで終わりで、管領家の優位はもう無いと説いている可能性が高い。そこで自分が護衛でもある供回りの旗本を連れて合流すれば、防御用に派遣している豪族たちも含めて四千から五千には達しよう。兵力もさることながら、『長尾家の当主が来ている』という状況が説得力に繋がるのである。

 

そして何より、本願寺経由で魔法の発動を高める技術を入手していたのが大きかった。

毘沙門堂そのものの効果はそれほど大きくないが、この建物の中で発動した儀式魔法は発動範囲とタイミングを調整してくれるのだ。メタな事を言うと、呪文に失敗しながら唱えて居る姿を兵士たちに見つからないという情けない理由であるのだが、それによりに20%~30%程度の発動率でも呪文を行使できるのは大きかったと言えよう。

 

「信濃の景家には焦らずに攻略を進めよと伝えろ」

「慌てれば武田家につけ込まれよう。まずは約定通りに終わらせるべきだ」

「伊勢家に関してはひとまず逆撃で動きを止め、明年の出陣で上野から叩き出せば良い!」

「焦らずに状況を変えるために動くのですな? それならば何とかなりましょうか」

 無謀な出撃であれば止めたであろう家臣団も、流れを切って仕切り直すだけならばと納得。

問題を一つ一つ片付けて、残り少ない今年の目標を状況整理のみに割り振った景虎の意見にようやく納得した。こうして景虎が上野に出陣するのだが……後日に現われた、思わぬ援軍にむしろ戸惑うことになったという。

 

 ボエ~とほら貝が鳴いて、出陣太鼓がドンドコドン!

頭の中ではパパラパパパパ~♪と管楽器すら聞こえて来る感じです! まあ明らかに幻聴だけどね、いやー楽しみだなー!

 

「まずは管領殿を御救い参らせる。その後に敵の先手を打ち滅ぼし、平井城へ向かうぞ」

「「おお!!」」

 貴殿らの首は吊るされるのが……首……要らないよね?

だって私、妖怪首置いてけじゃないし。必要なのは伊勢家が二度と上野にやって来ない事だよね。武蔵とかまで頼まれても面倒だし、そもそも今回の報酬とか特に言われてないんだよね。謙信様は上杉家の養子になったし関東管領を貰ったから判るんだけど……今のところ、その辺の打診が全然ないんだ。もしかして……私、何かやっちゃいました? 的な?

 

「どの豪族を滅ぼしたかの区別に主将のみ首を獲って置け」

「残りは不要、打ち捨てよ! 此度の戦はこの景虎がみなに褒章を約束しよう!」

「「おお!!」

 首実験とかするのグロイし面倒なので倒して終わりにすることにした。

率いているのが常備兵や旗本の人たちが主力とあって、働らきに応じてボーナス出すけど、特に首は要求しないことにしたんだ。だって倒せば良いんだし、究極的には上野から居なくなれば良いんだもんね。首を獲って居る暇が有ったら、さっさと次の敵を倒せば良いと思うんだよ。

 

「弾正様! それは我らにおいても同じでありましょうや!?」

「褒章であらば首など要らぬ。いや、替地で避ければ管領殿に掛けおうてやろう」

「二度は言わぬ! 北条高広! 誉れは首ではなく戦のみにおいて示せ!」

「はっ! ありがたき幸せ! 一所懸命に打ち滅ぼしましょうぞ!!」

 揚北衆の北条くん……がいちいち尋ねて来たので彼らも同様だと繰り返した。

基本はお金によるボーナスで、管領家に鞍替えするなら土地を報酬として転属を約束してあげた。まあ越後でチビっと加増してもらうより、こっちで滅ぼした豪族の土地を貰った方が広いしね。後はずっとあったかい! その事を理解したのか、北条くんも元気マンマンで戦う気の様です。あれだよね、覚悟ガンギマリ的な目をしてるよ。そんなに寒いの嫌いだったのかな。

 

「あれに見えるは蛇の目紋! 伊勢に付いた赤井の軍勢、その後ろは富岡勢と思われます!」

「降った家は誉れなき先陣を任されるが定め。我らの品定めに使われた様でありますな」

「立ち塞がる者に名前は不要。これも戦場の習い、すべからく討ち滅ぼせ!」

「「おお!」」

 そういえば西洋の紋章官みたいな人が居るんだよね。

旗本の中にそういうのを知ってる子が教えてくれるんじゃなくて、何処の勢力かいちいち確認してんの。ご苦労様だと思うんだけど全員討ち取ればみんな一緒じゃないかな? とりあえず蹴散らして平井城の救援に向かうね。さっさとお城に入って、聖戦の呪文を使ってみたいかなー。

 

と言う訳で、れっつらGO!

 

 伊勢家が繰り出した上野先手衆は瞬く間に壊乱した。

常備兵と一口に言っても、景虎が直卒する千騎は、酒を呑むか訓練しかしていない越後の精鋭部隊である。元もとの技量が違う上に、全員がこの時代の常識である首獲りを無視したことが大きい。

 

普通ならば殴り掛かった敵を打ち倒し、トドメを刺して首を獲る。

あるいは降参した敵将から身代金を奪うために捕虜にする交渉をしたりと、そういった手間を全て省いたのも大きいだろう。本来ならば首の所有権の問題で一騎打ちによって倒すような相手でも、同僚たちと一緒に攻め掛かれば勝率はかなり高かった。赤井勢がやられて富岡勢が怯んだ頃に突き掛かり、捕虜も取らずに殺せる相手は皆殺しにしていく。それを見ていた横瀬勢などは、一族を分けて仕方なく伊勢家に付いていた為、恐慌状態に陥ったという。

 

「物見の報告によれば、伊勢は平井城の抑えにいくらか残して出発!」

「主将は”地黄八幡”北条綱成である模様! 総勢八千!」

「……味方の到着を待つ。例の場所へ参拝に参るぞ」

「伊勢で最強と言われる”地黄八幡”か。切り札を使うに相応しい相手であると良いがな」

 上野先手衆を踏みつぶした景虎と言えど、さしもの北条綱成相手に余裕はない。

少なくとも三千で八千と戦う様な愚かさは持って居なかった。だが、転生者である彼女にとって『聖戦』の呪文を使い最初の機会だ。勝利するにせよ、力及ばず敗北するにせよ、その発動に足る戦いをこそ望んでいたのだ。現代人にとって虐殺というのはいささか重いだろう。

 

 

「弾正殿。御来援、誠に感謝いたしまする」

「我らが失態により、このような事態になりましたこと申し訳ありませぬ」

「ああ。いや、長野殿に上泉殿。陳謝など不要、お二人が生きて戻られた事が何よりの報」

 景虎は箕輪城まで撤退した長野家の軍勢と合流した。

みな傷ついており、兵を心配させないために表面的な傷こそ治療しているが、長野業正や上泉信綱も満身創痍で撤退したという。どうしてそこまで形勢不利なのに逃げ切れたかは……計画的な分裂と伊勢家側に血を残す為だったという噂もある。だが景虎にとっては、前世でも有名なこの二人が生き残ったことを心から歓迎していた。

 

(上泉ってあの剣聖だよね? これってラッキーってやつ?)

(もし伊勢側にカンスト級の剣士が居たとしても、こっちにも同じカンスト居る訳じゃん?)

(あっちにだけ強い奴が居たらどうしようかと思ってたんだけど、これで何とかなるかな)

(問題は数だけど……長野さんとか居れば何とかなるかな。だいたい同じなら勝てるっしょ)

 箕輪勢には負傷者も多く、士気も下がって居て劣勢だと皆思っている。

だが景虎にとっては程よいチャンスなのだ。聖戦の呪文に成功さえすれば、士気の問題はクリアできるし、腕前が向上するので戦闘力だけならば有利になる。後は負傷者が多いという部分を、向上した白兵戦能力で何とか出来るかどうかだろう。

 

「しかし我らは運が良い。相手は伊勢最強の”地黄八幡”とは。勝てば全てが覆される」

「同数ならば幾らでも勝てますが、相手が有象無象の二万やら三万でなくて良かった良かった」

「……弾正殿。失礼ながら、同数では勝てぬ故の”地黄八幡”なのですが」

「そこは心配ありませぬ。今夜よりこの景虎、石上寺に籠らさせていただく」

 景虎の空元気だと判断して、業正は眉を顰めて諫言を行った。

しかしそんな懸念は要らぬとばかりに景虎は笑顔で返したのだ。もちろん現時点では呪文頼りであり、武将としての才能で勝利できるとは断言できない。だが、上野での決戦があの北条綱成であるとは、まるで神々が祝福しているかのように思われたのだ。

 

「弾正殿が寺に何かしておったのは知っておりますが……あそこで何を?」

「この景虎、御仏から毘沙門天の加護を授かっております」

「単純に言えば戦用の祈祷だと思っていただければ重畳」

「ただ色々と準備が必要で、与力を頼んだ坊主たちも動員せねばなりません。本来ならば治療に充てるべきところを、申し訳なく」

 後は呪文がちゃんと発動するかどうかの問題である。

マジックアイテムの能力を高める『多聞宝塔』の呪文を合わせても成功率は20%から30%というところでしかない。MP消費を肩代わりしてくれる僧侶に助力を頼み、休むことでMPを回復しながら試してようやくと言った所であった。もし坊主たちを治療に動員すれば、かなりの兵士が全力で戦えることを考えれば、景虎としては心苦しいと言わざるを得なかったのである。

 

さて……。ここで『聖戦の呪文』に関する具体的な能力を説明しよう。

 

1つ。信仰が同じ相手にしか機能しない。

1つ。同じ信仰の同じ宗派であれば、術者に絶対の忠誠を誓って死ぬまで戦う。

1つ。効果時間は『聖戦終了』の触れを出すまでである。

1つ。宗教的熱狂と精神的な安定により、戦士レベルが2レベルに匹敵する能力上昇が起きる(実数値が上がるのであって、レベルは関係ない。よって10レベルの上泉信綱は12レベル相応の数値になる)。

 

という、本来は神聖魔法10レベルで無ければ唱えられない大呪文であった。

この時の2レベル上昇相当と言うのは破格だ。西洋で言えば2レベルで専業兵士、3レベルで巡回している衛兵の隊長、5レベルが町の騎士団長か国家騎士団の騎士隊長クラス。7レベルで騎士団の切り込みたいを率いるエースクラス、8レベルで騎士団総長くらいだと思えば判り易いだろうか? 巡回している衛兵隊長がいきなり騎士団長級、騎士団長がエースと同じだけの戦闘力を引き出せる無法な状態であると言えるだろう。

 

「毘沙門天の加護ぞある! 出陣する!」

「「「「「「おおおおおおお!!!!!!」」」」」

 箕輪城の鬼門を守る石上寺より輝きが周囲へ広がった。

毘沙門堂の効果により、その光景を見ていた兵士たちに効果が適用される。もちろん無信心な兵士たちには意味が無かったのだが……御仏の加護を信じている者、あるいは景虎の活躍を知る越後勢には覿面に効いた。

 

そして傷ついた箕輪勢を加えた約五千が出陣する。

この間まで時に互角の戦いを繰り広げていた上野最強の箕輪勢。その一部とはいえ強化され、そして戦闘力の向上のみを求められた常備兵たちを加えた無双の軍団である。その猛威は”地黄八幡”を中心とした伊勢家側の八千をへし折ったという。




 と言う訳で北条家の謀略から上野の戦いが始まりました。
当たり前ですが景虎が動いているんだから北条が動くのも当然。
派遣されたのが守備隊の千ちょいと、常備兵三千だった事が知られており。
『戦国の世だから、家を二分して血を残す』状態になった感じですね。

なお向こうに着いた豪族たちは、哀れ戦国の世を無視した虐殺にあいました。
常備兵には弱い奴と強い奴が居ますが、強い奴が首を無視したらこうなる感じ。
その後に北条最強の部隊が出て来て、こっちも切り札を切った感じになります。
まあ第一話で内容を仄めかせてようやくの登場ですが、そのくらい無法な魔法になります。


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外伝。勝利に向かって逃走せよ!

 平井城を攻囲していた伊勢家の精鋭部隊は目標を変えた。

上野先手衆を蹴散らした越後の部隊を叩き潰すためだ。敗退した山内上杉の部隊を含めても僅か五千、しかしそれでもなお主将たる北条綱成は慢心してなど無かった。生き残った先手衆より情報を聞き出し、越後の部隊が首を獲らずに戦うだけの狂戦士の集団だと知って居たのである。

 

ゆえに伊勢家側も首は取らず、数人で一人を倒せ、魔法を使える者は最大限に使用して攻め潰せと八千の軍勢をぶつけたのだが……。

 

「お味方、徐々に打ち崩されております!」

「どの御方が生き残っておられるのか、もはや判別不能!」

 普段ならば、どんなに被害が酷くても倒された者の名前を挙げるだろう。

国人たちの名前が読み上げられ、数人くらいでは収まらずに率いていた豪族やその同僚となる将の名前すら上がる事もある。だが、この日は違った。まるで生き残って居る者の方が少ないかの様ではないか。旗持ちも誰も彼も殺されてしまったかのように。

 

「落ち着け。先ほどまでは互角であったろうに」

「それに奴らの中には箕輪勢も居るはずだ」

「連中は我らと変わらんし、傷ついているはずだぞ」

「そ、それが……奴らは息も吐かずに攻め立てるかのように、そのまま押し切りまして……」

 当初、戦いが互角であった事も混乱に拍車をかけた。

いかに屈強の敵であろうとも、付与魔法を掛け戦技を精神力の限り駆使すれば戦えない相手などまずいないのだ。例え一回り強力な相手でも、防御に徹すれば相手が息切れするまで守り切れないという事は滅多にないのである。

 

「何が起こった。越後の蛮族はそれほどだと言うのか」

「まさか! 一隊を回して奴らが守備に派遣した揚北衆と戦った事もあり申す」

「確かに強かったですが、これほどまでに差が出るようなほどではありませなんだ」

 当然ながら事前の情報収集は可能な限り行っていた。

以前より派遣されていた越後の豪族たちと戦う事で、その戦いぶりを観察した者も居たのだ。これほどまでに一方的な戦いになるはずがないではないか。

 

ここで兵の質や士気について説明しよう。よく信長の尾張兵は弱兵だと言うが少し違う。

何処の兵士も基本的に同じであり、同じ人間である以上は可能な事は同じなのである。徴兵された雑兵と専門的な兵士の差など、一回殴ったら士気が崩れて逃げ出すか、負傷が許容できなくなるまで戦うかの差でしかない。一向宗が恐ろしいというのは、寺を守るための防衛戦であれば例え死ぬとしても戦い続ける狂信ぶりの発露でしかなかった。その事を考えれば、今回のこと自体は異常と言うほかはない。

 

「武田から送られてきた情報では三千ほどということだが、実は二万はおったとか?」

「それを隠し切れるはずもあるまいに。風魔衆が確認しておるわ」

「越後の豪族は信濃に大半が送られ、武田と睨みおうておるのは確かであるとか」

「武田の小僧は親切風を吹かせておったそうですが、我らに越後勢を脅かせてもらいたいとの欲があったのは確かなはず」

 伊勢家が一連の戦で大攻勢を掛けたのは、武田家からの情報も影響していた。

武田晴信は飛騨での交渉後、情報の『殆ど』をそのまま流して伝えたのだ。もちろん伊勢家側も鵜呑みにする筈も無く、韋駄天の呪文以外に鳥使いや山彦使いなど、様々な諜報役を送って確かめたのである。そして長尾家が援軍をこれ以上送れないと判断して、懇切丁寧に上野国人衆を寝返らせたのだが……。

 

そんな時、前線より確かな一方が舞い込んだのは綱成にもまだ武運が残って居たのであろう。

 

『兄……あに、じゃ。きこ、えるか。あに……』

「む? 勝広か! 生きておったのは重畳! 何が起きた!」

「おお! 生きておられたとは……」

「……貴重な情報ですぞ。此処は静かに」

 史実と違って、この世界の北条綱成と福島勝広は双子である。

そして双子の間だけで通じるテレパシーを持っており、武将メインの綱成と武芸者メインの勝広が共同作戦を取り、互いに相手を入れ替えたり上泉信綱の様な強敵相手には逃げ回る事でこれまでか勝利を続けて来たのである。例え越後勢が伝え聞く狂戦士揃いとしても、容易く敗北するなど考えられなかった。

 

『まるで、神州無敵と、戦っている、みたいだった』

「なんの事だ? しんしゅうむてき? オミシャグチでも召喚したのか?」

「それとも吉備津彦様でも顕現されたのか? まったく意味が分からんぞ勝弘!」

『何度もたたかった、かみ泉の剣が受けきれなかった。び、しゃ、もんて……ン……おそる……べし』

 テレパシーとはいえ、考えている事が全て伝わるわけではない。

見た光景を飛ばすには力が居るし、普段は言葉を主体に会話を交わしている。それにそもそも、相手の軍隊が相対的に強化されているのだ。仮にビジョンを送られていたとしても、綱成が判別するのは難しかったであろう。

 

そして……テレパシーはそこで途切れてしまう。

 

(くっ……ここまでか。生きておるにしても、あの様子では無事ではおるまい)

(だが勝弘のくれた情報、無駄には出来ぬ。だが、何が起きたのが?)

(理解したとして、諸将にどう説明する? ……仕方あるまい。ここは見切ろう)

(損切りして撤退すべきだ。これ以上、不可解な相手に大切な部下を殺す訳にはいはいかぬ。そのためには全然を見殺しにする他あるまいな)

 綱成は武勇の将であるが愚か者ではない。

数少ない情報でまともに戦える状態ではないし、ここで勝ち切れるとも過信して居なかった。仮に勝利できたとしても『部下の大半が死にました』では笑い話にはならないだろう。だが損切りするのであれば、助かって居るかもしれない弟を見殺しにする必要があった。

 

「我らの勝ちぞ! 彼奴等は箕輪勢をすり潰すつもりで禁呪でも使ったのであろう」

「この戦いには敗北するやもしれぬ。だがここで撤退し、諸将の大半を生き残らせれば我らの勝ちよ!」

「忠臣である箕輪勢に背かれ、生き残りをすり潰した上杉などもはや誰も管領などとは認めまい」

「全軍を斜めに突撃させよ! 東上野へ走り抜けて脱出する! それだけで我らが勝利ぞ!」

 綱成はここで花も実もある嘘を吐いた。逃げると言って誰が奮戦しようか。

ゆえに相手の一角を打ち崩し、強行突破して武蔵に戻るように命令したのである。グズグズしてはこちらの前線を打ち崩した越後勢がやってきてしまうではないか。

 

「「ははあ!」」

「よろしい! この戦い勝ったぞ!」

「走れ走れ! 勝った勝った!」

「「勝った勝った!!」

 諸将もその苦しい嘘をあえて呑み込んだ。ここで反論して何に成ろう。

それに脱出の為の戦いとは言うが、消耗戦に持ち込めるならば相手を本当に打ち崩す可能性だってある。そして後方に逃げ出す場合が本当に良いとは限らないのだ。何しろ古代には、偽りの撤退を信じ込んだ雑兵が総崩れになって壊滅した例もあるほどである。そして戦いにはどんな苦戦の時も、『勝った勝った』と豪語して戦い抜く綱成がいた。だからこそ、彼らもまた勝利を信じて前方へと脱出を始めたのであった。

 

そしてこの判断が綱成たちを救った。

景虎は傷付いた箕輪勢を、援軍が来ない筈の東上野側に配置していたのだ。そのまま箕輪勢が打ち崩され、すり減らしたことで、後日に言い訳できるだけの戦果を発揮できたことになる。八千の兵士が五千と戦って、半数以上を討ち取られる被害を出しながらも、かろうじて伊勢家の諸将は脱出に成功したのであった。

 

 武将としての勘を信じ、ただちに撤退を始めたことで伊勢家の軍勢は生き延びだ。

撤退戦での死亡者を含め、半数以上が討ち取られる大惨敗である。だが伊勢家は武蔵をほぼ手中に収めつつあり、もし来年であれば二万以上の兵を動員できたはずだ。手痛い反撃を受けたからと言って引くのか、それとも更に一戦を覚悟するのかで話が変わって来る。

 

ゆえにこの戦いの功労者は綱成であり、大戦犯は武田晴信であろう。

 

「撤退しろと!? 勝てぬと申すか?」

「殿。……あれは尋常の者共ではありませぬ」

「例え”地黄八幡”だけではなく五色が揃っていたとして、残らず討ち死にいたしましょう」

「それほどか……」

 北条左京大夫氏康は綱成からの報告を受けて驚愕しそうになった。

もし伊勢家最強と言われる綱成以外の言葉であれば、怒るどころか一笑に付したか正気を疑ったであろう。それほどまでに綱成は信頼されて居るし、養子でありながら一時期は氏康よりも上に置くべしなどという時もあったほどである。

 

「信じられぬ。それに平井城を囲んでおった者も含めまだ兵はおるぞ」

「風見鶏である豪族共など信じられぬが、武蔵の併呑に回した者共を合わせれば……」

「彼奴等は当世の武士ではござらぬ。敵を殺すためだけの『もののふ』、鎌倉武士と同じ」

「食い止めるために半分以上を注ぎ込んでは、板東の維持などできませぬぞ」

 交渉や数での戦い中心の室町を経て、武士たちは随分と大人しくなったと言われる。

鎌倉時代には武士同士で殺し合い、戦うとなれば相手の豪族を皆殺しにして族滅までやるのが鎌倉武士であった。原初の平安武士には及ばずとも、そんな武断の権化と戦えば巷は殺戮の宴と化すであろう。

 

俄には信じられぬ話であるが、ここで急使が訪れたことで氏康に速やかな決断をさせたのだ。

 

「ご注進! 西上野に武田の旗印!」

「武田が? 何かの間違いではないのか? 奴らは信濃の筈……」

「関東管領に味方すると、従わぬ豪族たちを打ち滅ぼしながら進撃しておると!」

「……っ! やってくれおったな、あの痴れ者めが!」

 武田家の軍勢が佐久より西上野へ進撃して来た。

この報に対して重臣たちの一部には首を傾げる者も居た。そもそも長尾家の情報を寄こして、伊勢が有利になる様に仕向けたのは晴信なのだ。それでも疑い、風魔衆を派遣してまで裏取りをしたのであるが……。

 

「殿? それはいかなる……」

「あやつめ! 長尾から仕入れた情報をそしらぬ顔でこちらに流したのだ!」

「三千しか出せぬのではない。三千で十分な用意をしておったのだ」

「いや、それだけではない。今ごろ越後勢も上野の西から北から雪崩込んで居ろう!」

 時、ここに至れば氏康も晴信の計略に気が付いた。

長尾家が勝てるだけの準備を施し、現地や参加武将などの入念な情報収集を終えてから、あえて三千のみを出して伊勢家を油断させたのだろう。一口に情報だけを伝えられても、その裏にあるナニカが伝わらなければ意味がない。こちらがそれに対する備えを出来るかどうか以前に、山内上杉を倒す為に全てを費やしてしまっているのだから。

 

そして伊勢家の諸将もようやく危険性に気が付いた。

最初からそんな計画であれば、三千と見せかけて実は一万くらいの兵が上野にいた可能性も有る。農民や商人に偽装しているとか、交代で越後へ休養に戻ったはずの兵が実は移動して居ないなど幾らでも方法があるからだ。そして一斉攻撃が最初から決まっているのであれば、三千で勝つ必要すらなかったと言える。

 

「彼奴等は一度に全てを終わらせる気だ。ならばここは退かねばならぬ!」

「各地に急使を出せ! 相模まで後退して要衝を守る!」

「と、殿! 流石にそれは惜しいのではありませぬか? まだ連中は上野に……」

「ボヤボヤしておっては治部が河東を攻略し終えるわ! さすればどうなる? 本領である伊豆も守れぬぞ! 気が付かぬか? 彼奴等は治部を、今川を動かしておる!」

 全体の盤面を考えられるか、その先を考慮できるかが当主の器であろう。

氏康は素早く、晴信が今川家を誘っている可能性に気が付いた。約定では河東群をその内に返却する約束になっているのだが、伊勢家が強大になり今川家と差が付くにつれ段々と曖昧に成っていたといえるだろう。もちろんこれには、伊勢家と懇意であった兄たちを倒して、義元が今川家の当主になったことも感情的に起因していた。

 

「叔父上! 治部は河東を確実に攻め取り、余力の範囲でと考えておりましょう」

「硬軟はお任せいたします。今川家との和睦を取りまとめていただけますか?」

「場合によってはまだ戦っておらずとも、そのまま明け渡すことになって良いのであれば」

「全てお任せいたします。皆のもの! 聞いたな? 速やかに撤収するぞ!」

 こうして伊勢家は十分な余力を残して相模まで撤退することが出来た。

もし晴信が西上野まで出てきていなければ、ここまで迅速な撤退は無かったかもしれない。そうなると兵を残して小田原城への撤退が間に合わぬかもしれず、少数の兵では守り切れないほど広い城を持て余すことになっただろう。後にこの話を聞いた晴信は、『そこまで強いならば先に言って欲しかった』と景虎に責任を転嫁したという。




 と言う訳で今回は北条家のターンです。
武田に続いて、判り易くするために外伝としております。
強敵が愚かな筈もないので、こうなった感じですね。


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割り切って行こう!

 可及的速やかな撤退を始めた伊勢家に対して、景虎たちはむしろ逆であった。

追撃こそ掛けたものの特に急いで進軍や物資の移送はせず、あえてスピードを求めた部分があるとしたら、情報が出回る前に可能な限りの『伊勢派』を潰して回った事である。

 

豪族たちの多くは生存戦略もあって家を二分していた。

もちろん位置的な問題で一族全てが伊勢家側に付いた家もあり、そういった豪族に所属する国人たちを、伊勢家の方が隆盛していると信じている間に無慈悲に滅ぼしていったのである。

 

「なんと? いま報酬は要らぬと……」

「豪族たちの所領、全て管領殿がお受け取りください。上杉家が強く成れば彼らは裏切りませぬ」

「ただ、管領殿の元に出仕したいという越後の豪族が居りましたならば、替地として賜りたい」

 関東管領である山内上杉家の当主、憲政に対して景虎は単純に切り出した。

曰く、板東の揉め事であり、それを左右するのは全て憲政の差配であると。そしてひとまず山内上杉家が組み入れた全ての領地を直轄地として、今後の活躍に対する報酬として豪族たちに渡すべきだと言ったのだ。そもそも家を二分した豪族に関しては、厳重注意と僅かな所領没収で許すしかないのだ。完全に滅ぼした国人の領地などそう多くはないのもあるだろう。

 

「それは無欲な事。大儀と申すほかあるまい」

「いえ。全ては都の御差配で協力したまでであります」

(ただでさえ領地もらっても面倒なのに、それが飛び地とかナイヨネー)

(噂に違わぬ女傑ぶりよな。しかし自分の意のみに従う、気に入らねば知らぬという事か。しかしここで去られても立ち行かぬぞ。少しは分け前をやらねばな……)

 徹頭徹尾、内政に興味のない景虎としては全てを憲政に放り投げたつもりであった。

しかし越後人が頭が固く、指図されることが何より嫌いな事を良く知って居る憲政としては別の考えをせざるを得なかった。『頼まれ仕事で戦っただけで全て終わったら帰る』その姿勢自体は実権を守る意味でありがたいのだが、いまの状態で帰られても後ろ盾となる武力が存在しないのだ。いみじくも景虎が言ったように、山内上杉家固有の力を持つまでは手放す訳にはいかなかった。

 

「では先ほどの弾正殿の言葉を受けるとする」

「越後より国替えに同意する者ならば受け入れよう」

「なに、元は板東より越後に参ったものも多いのだ。父祖の地に戻りたいという者もおろう」

「それはありがたい限り。彼らが坂東で起こし、これからも起こすやもしれぬ非礼をお許しいただければ何よりのことでありましょう」

 憲政としても自分の味方は多い方が良い。

そこで移住者が居るならば、殲滅できた国人の領地を与えても良いと思っていた。そもそも地元の事は地元の民にしか判らぬことが多く、そのための者を皆殺しにした以上は立ち行かなくなる場所もあるはずだ。自らは取り上げた所領を手に入れ、必要であれば親族に戻してやるくらいで、配下の豪族たちもまとまるのだから良かろうと考えたのである。

 

「それで武蔵はいかがする気かな? 北武蔵の辺りは平らげたと聞くが」

「以前に申し上げた通り、このまま越年して帰順せぬ者を一つ一つ叩いて潰します」

「武田家も援軍を寄こしたのであろう? 予定を変えても良いと思うが?」

「小田原城は天下の名城。下手に大軍を集めてしまえばこちらも身動きできぬかと」

 当初の予定では、景虎は通年で三千の兵力を動かし続ける気でいた。

憲政としても国を乗っ取られ、勝手な事をされても困るのでその方針を受け入れてはいた。だが今の流れを予想して武田晴信が援軍を出したことで、戦力的には武蔵をすべて取り戻すのも難しくはないと思われたのだ。ここで逆転し、伊勢家を追い詰めて昔の栄華を憲政が求めるのも当然であろう。

 

「むむ。小田原か……。伊勢が随分と手を入れたと聞くな」

「はい。話によると町ぐるみ、場所によっては畑や井戸も含むそうです」

「村人たちがイザとなれば兵となるのであれば、何年でも戦えましょう」

「それに……間もなく春です。板東の諸将を招集すれば来年以降に響きましょうぞ」

 小田原城だけでは憲政とて止まらなかったかもしれない。

だが間もなく春であり、川越城で惨敗した過去が彼に自重を促していた。千載一遇のチャンスというものは同時に博打であり、景虎の言葉通りこのままジワジワと行く方が有益そうに見えたのだ。そうした経緯もあって、流石に大規模出兵は取りやめたのである。

 

「来年か。この数字は確かなのか?」

「私も専門ではありませぬが、少なくともこの間まで攻められておったのです」

「おそらく諸将に配る兵糧はおぼつきませぬ。手弁当で参らせるのがせいぜいかと」

「……であらば小田原攻めは猶更に無理だな。全員が来れば秋口まで保ちそうもない。……じゃが全員が来そうもないという中々情けないことよ」

 加えて食料があつまるのか不安なことが大きかった。

景虎は内政についてはまるで判らぬが、前世では現代人だったので勘定くらいはできる。手持ちの兵糧がまるで足りないのだ。関東の諸将を集めた場合は間違いなく膨大な出費で山内上杉家が破綻してしまう。もちろん逆襲するからと言って、裏切った諸将が味方として駆けつけるとも限らないので、もしかしたら丁度良い人数で秋の収穫まで保つかもしれないという微妙さ加減であった。

 

なお転生者ゆえの無知から景虎は平然と数字を扱った。

だがこの時代、金勘定は下々がやる下賤な事なのだ(なんなら国土経営も下のやること)。それを関東管領に押し付けて出兵思い留まらせるという暴挙であったという。

 

「尋ねるがどうやって伊勢を攻め立てる?」

「奴は関東管領を舐め腐っておる。このままで済ますことなど出来んぞ」

「単純に倒すのであれば武蔵に十年、相模には三十年は掛かるでしょう」

「後はどこかで妥協し、伊勢の心を折って恭順させるかどうかです。妥協させるならば言うほどに難しい戦ではありませぬゆえ。全ては小田原城を落とせぬことに起因しております」

 頭は冷えた憲政であるが、復権を諦めたわけではない。

史実と違って上野の国を保っている事と、長子である龍若丸が無事であることもあるのだろう。小田原攻めは当面しないという案を受け入れた上で作戦を尋ねると、景虎は勝算ではなく……おおよその年数で返して来たのである。そこには戦いとなれば問答無用で勝つと言う自信と強引さが伺えた。

 

「ここでも小田原か……。だが武蔵に十年は言い過ぎであろう。伊勢は数年であるぞ」

「余力の範囲で攻め続け、従わぬ豪族を一つ一つ味方に戻し、顔色を変えればその時点で潰しに戻ります」

「関東の諸将がその事を理解し、武蔵の全てが頭を垂れるまでそのくらいは掛かりましょう」

「そうですね……西上野に侵入した武田家を許し、助力と引き替えに援軍を出させる。あるいは管領殿が自ら前線に立たれるのであれば、その都度に半減いたしましょう」

 正直な話、この辺りは圧力と言うか本気度による圧迫の話である。

アレな話だが上杉憲政は武人ではない。覚悟を決めて戦力を率いればその間は何とかなるが、味方が少なくなると腰が引けてしまうタイプだった。平井城を捨ててさっさと厩橋城まで下がるなどその辺りからも伺えるだろう。これでは全力で武蔵を攻略など出来る筈はないではないか。そんな姿を知っているからこそ、諸将も憲政を舐めていて従わないのである。

 

「む。あの火事場泥棒か。まあ関東管領に従うならば領有を認めても良いがな」

「真田の手引きで鎌原家が従ったそうです。羽尾と斎藤は親族のみを助けたとか」

「彼らを警戒しながら進むのであれば残す兵力は必然と多くなります。また追い出すならば南下は当面不可能」

「認めて手を組むならば逆、ゆえに時間が半減するということか」

 武田家は上野の諸将が伊勢家に付き始めた時、関東管領への助勢としてやって来た。

そしてそのまま西上野を強引に占領し、従う者には領地を安堵し、従わぬ者は理由を付けて滅ぼしていたのだ。甲斐は米の生産量が相当に低く、食料不足を上野で賄おうとしているフシがある。ゆえに彼らを認めて戦いを避けるか、それとも戦って信濃に追い返すかが分かれ目と言えるだろう。

 

また武田家と争う場合、少なくとも長尾家は本拠に戻って信濃攻略に専念するだろう。そうなれば元の木阿弥。越後の危機自体は他人事であったとしても、手を借りる故ならば憲政としても他人事ではない。再び上野の国は窮地となり、今度こそ山内上杉家が滅亡する危険性がある。

 

「しかし武田を組み入れれば五年、儂が陣頭に立てば三年か……考えさせるの」

「重要なのは武田がこちらの陣営に居続ける事でしょうね」

「放置すれば今川家を引き入れて伊勢と同盟を組みかねません」

「さすれば伊勢が受ける圧力は半減どころではないでしょう。今ならばこちらが兵糧を今川から買えますが、同盟を組まれれば逆となります」

 景虎としては晴信が信用できないというより、放置すれば前世の知識通りになると思っていた。

武田や今川の立ち位置を考えれば、それぞれ目の前の敵にのみ集中できる三国同盟は魅力的なのだ。彼らからすれば『伊勢は強過ぎる』『もう少し叩いておきたい』という部分は確かにあるのだが、伊勢が完全に滅亡するのは避けたいだろう。

 

(こちらの苦悩も知らず涼しい顔をしおって……)

(相も変わらず他人事よな。こちらの身にもなって欲しい物だがな)

(しかし戦いの事に成れば頼りになるし、無欲なのは悪い事ではない)

(少なくとも親身なフリをした狼よりはマシだ。世の者どもは儂に必要な話をせず、頼りにならぬばかりと侮るばかり故な)

 その辺りの機微は憲政にも判るし、せっかく逆転しそうな雰囲気を無駄にはしたくなかった。

また武田家が東進して上野統一を目指す可能性もあり、ここは懐柔政策で行くべきだとの決断は思いのほか早かった。その上で、何処まで山内上杉家の利益と理想を求められるかを思案し始める。

 

「時間を掛けるのは旨くあるまい。ここは武田を引き入れるとしよう」

「ここは大樹様に掛けおうて、儂からそなたと武田になんぞ官位を送るとしよう」

「私もですか? 必要として居らぬと先ほど……」

「謙虚もたいがいに致せ。ここは儂とのつながりを喧伝するのが重要じゃ。そなたへの礼は必ずせねばならんし、武田の小僧には儂を裏切ることが恥だと思わせる為でもある」

 戦闘や内政ではまるで役に立たぬ憲政であるが、派閥の力学に関しては別だ。

こうすることで上杉家が吝嗇ではないと示せるし、他の諸将にも秩序と言う物を示せるだろう。もちろん憲政自身が口にしたように、裏切って上野全土を攻略した場合、周囲の大名が誰も信じなくなるという効果こそを狙っていたと言える。また権威による工作以外に彼の能力は示せないので、こういった面に疎い景虎への無意識のマウントも果たせるという意味でもあった。

 

(しかし、何処までを求めるべきか。関東管領の権威は勿論のことだが……)

(儂はまだ若いが何時までも生きられるわけではない。三十年、生涯をかけては伊勢を倒すまで保つまい)

(だが、こやつと武田の小僧を番犬代わりに据えれば当面は勝てよう。それで少しでも早めねばならん)

(だが、いつまでも従順な犬で居てくれるのか? 今は何の欲も見せぬがずっとそうではあるまい。他の手段に頼るか、先の言葉ではないが伊勢と妥協するしかないのか……)

 憲政は凡人なりに様々な未来を模索し始めた。

もしかしたらその中に、史実通り関東管領を景虎に譲る未来もあるかもしれないし、それ以外の未来もあるかもしれない。だが、少しずつ関東の情勢が動き始めたのである。




 今回はタメ回というか、北条包囲網の準備回ですね。
史実通りに戦ったら何十年たっても駄目な事は判ってるので……。
「なんとかならんのか!」「ならねーよ!」と関東管領さんに現実を見せた感じになります。
ちなみに景虎さんはそろそろ飽きて来たので「お砂糖ほしーなー」くらいの感覚です。


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北条包囲網

 景虎は言動を一致させ、春となく夏となく平然と農繁期に戦い続けた。

武蔵の豪族たちが篭城すると、封鎖して上野に続く大街道を作らせる。他人の領地であるとか誰が次に統治するとかへったくれもなく、ただ次に攻める時に面倒だからと言う理由である。

 

そして夏の終わりに差し掛かり、実に高貴なる御客人と再会することになった。以前に上杉憲政から『武田に上野介をやったら危険かのう?』と聞かれて『そういえば上野守を授けられた方を見たことがありませぬな』と無学を晒してしまったことに起因する。憲政は何やら別の事を考えたらしいのだが……。

 

「これはこれは近衛様。まさか内の大臣が上野まで下向なされるとは」

「関東管領による要望もあるが、とある方の文を届けに参ったのだよ」

「しかしそなたが作った道があったため、それほど苦労はせなんだ」

「畠山の所で道中に聞いたのだが、能登の上質な塩が上野や信濃にまで入っているそうではないか。実に先見の明よのう」

 なんと内大臣である近衛晴嗣が上野の平井城までやって来たのだ。

合わせて武田晴信も挨拶に向かっているらしいが、あちらへの街道は話し合い段階なのでそれほど進んでいない。こちらで色々と話が終わった後で、晴嗣次第で会う事もあるかもしれない程度であった。

 

「まずは上杉憲政。そなたに佐渡守と上野介を授ける」

「ははあ。佐渡守は長尾弾正少弼景虎に、上野介は武田大膳大夫晴信へ補任いたしまする」

 改めて晴嗣は城主であり、山内上杉家の当主である憲政に色々と渡した。

官位に関しては一度、憲政が受け取る為に守護には成れないはずの景虎でも受け取る事が出来た。地位はしかるべき手続きを経れば配下に渡すことも出来、長尾家と武田家が上杉家の傘下として動いている事を内外に示すためであったのだ。

 

「うむ。それで良い。して、こちらは令旨となる。上手く使えよ」

「これで武田の野心を抑えられまする。誠にありがたく」

「弾正殿。聞いての通りだ。そなたの案通り、上野守である親王様よりお言葉を戴いたぞ」

「場合によっては親王様が下向され、直接統治されるやもしれぬ。ゆえにそれまで任せたという内容じゃな」

 晴嗣と憲政が人の悪い笑顔で笑い合う。

上野の国は親王任国であり、上野守とは親王その人となる。親王任国といっても本来は親王様が直接統治などしないので、上野介が長官と言う訳だ。そして令旨とは皇家の者が出す命令であり、基本的には上の格の方が出すことになっている。憲政は裏取引をすることで、晴嗣に上位の親王様が一時的にでも上野守に就くことを要請したのである。

 

「いえ。そこまで考えておったわけではありません」

「ただ、これで上野の国が安定し、その力で隣国も安定するとなれば重畳」

「内の大臣の御足労、親王様が心を割いてくださること。弾正、平伏して御礼申し上げまする」

(ヤッベ! 上野って親王様が統治されるってことだったんだー!? 全然気が付いてなかったよ!? 上洛した時に言わなくて良かった~。同じミスしないように、似たような場所が無いか後で調べとかないと)

 これに慌てたのは景虎である。現代でもマイナーな知識だがこの当時では常識。

憲政の『晴信を上野介にしたら実権奪わない?』という懸念に『親王任国だから大丈夫でしょ』とアイデアとして提示しただけで、何かあったら親王様の令旨でコントロールするとかそこまで深い使い方までは思い付かなかったよ……と慌てて誤魔化すことにしたのだ。もちろん言い訳であるので冷たい汗をかくことしきりであったとか。

 

「しかし、内の大臣がただの使者というのはいかにも大仰」

「公家の御一人、あるいはこちらの使者に折り返させればよろしかったのでは?」

「ふむ……そなたにならば申しても良いか。弾正は大膳や治部と盟を結んだであろ」

「あれで都の東が安定した。都はその事をかなり評価しておるのよ。そして大樹と協議した結果、ここは動くべきじゃと判断いたした」

 景虎が恥隠しに話題を変えると、帰って来たのは三国協商に関する話であった。

武田や今川と結んだのはあくまで経済同盟である。しかし一度利益が出始め、商人や旅人を介して安全であることが周知されると欲が出て来る。こちらの方面はこのまま平和裏に収めて、戦いをするとしても他の方面に出た方が良いのではないか? その方がそれぞれの家としても領土を獲得できるのでは無いかと言う判断である。

 

結果として能登・加賀・越中・越後・信濃・甲斐・遠江・駿河の七か国が安定。

それに押される形で、美濃(飛騨)・三河(尾張)で迂闊に動けぬ状況に陥ったのだ。武田家と今川家が今にも攻めて来るかもしれないのに、他の方面へ戦う余裕などなくなってしまうと言えた。経済が先行した事で彼らの元に朝廷への献金による工作も視野に入ったのだから。仮に今動かずとも数年後には大規模な戦いが考慮された。

 

「内の大臣。まさか大樹様や朝廷が武家に介入なさると申されるのですか?」

「管領殿よ安心するがよい。そこまでする気はない。見知った顔にはある程度は勘案しようがな」

(もっとも、治部に頼まれて伊勢との間を取り持ってくれと言われて居る。それを黙っておるのだから、介入せぬとはとても言えぬがなあ……)

 憲政が気色ばんだのは朝廷は武家に介入しないという不文律からだ。

その言葉を否定しはするものの、見知った相手に加減する程度ならば良いと憲政や景虎に歩み寄って見せた。しかし晴嗣としても全てを晒す訳ではない。あくまで配慮して意味がある部分ならばする可能性を見せただけだ。現に景虎が組んだ経済同盟に関して言及はしても、今川家より頼まれた伊勢家との仲裁案や、それを関東へどう派生させるかという提案などには沈黙を守って居る。

 

都と言う伏魔殿で育った晴嗣にとって、武家との絆とはその程度の扱いでしかなかった。

逆に言えば史実と違って景虎と熱く語らって居ない彼は、介入してまで大勢に影響を与えようなどとは思わないのである。

 

(京から内大臣の近衛さんがやって来たのは助かったかな。思わず育成中のお酒を開けちったい)

 景虎は正直、同じことの繰り返しで飽きて来た。

久しぶりの再会に砂糖と蒸留酒で梅の実を漬けた……梅酒を酒宴に出す程度には気分が滅入っていたと言える。

 

(それにしても……モフモフだぁ!)

(久しぶりのワンコ! 今日はたっぷり吸うぞお~)

 あれから武蔵の真ん中や、東方面を行ったり来たり。

滅びた扇谷上杉家勢力の残党から救援要請があった。その時に連絡役として使われたのが、なんと頭の良い犬を鍛えた初歩的な軍用犬であった。街道を少しずつ大きくしているとはいえ、伝令犬だったら直ぐに駆けつけて来れるし、そもそもサイズや敏捷性から見つからないというのは有用だろう。

 

「弾正様は犬がお好きですかの?」

「犬は人を裏切りませんし判らんでもないですが……」

「良ければ一匹、お譲りいたしましょうか?」

「止めておけ三楽斎。手塩に育てた犬を取り上げるのは不憫よ。それに飼うのであれば八頭は飼いたいな。金でよければ幾らでも出すゆえ、育ててくれればありがたい」

 この犬を連れて来たのは太田三楽斎資正である。

犬と会話でも通じる呪文でもあるのか単にブリーダーなのか沢山の犬達を飼っており、イザとなれば伝令に使ってるのだという。これが忍犬すら育てているのならば『相も変らぬ恐ろしき犬使いよ』とか言って驚くところであろう。

 

「八頭ですかの? なんというか多過ぎず少な過ぎず……ふむ」

「質問させていただきたいのですが、何処まで行かせたいとお思いで?」

「南総だな。やはり犬と言えば里見八犬……いや、何でもない」

(むむ、やはり! これは関八州の諸大名と連絡を取れるようにせよという事か!)

 内政なんかどうでも良い軍神と、人間嫌いの智将がここで交錯する。

これは伝令の使い方として、敵に捕らえられても良いように多頭型の使い方をするのか、それとも一頭を鍛え上げ確実に届くように育てるのかで差が出るからだ。景虎に転生した女はただ転生前のネタを思い出しただけであるが、三楽斎からみればどちらの使い道なのか判らなかったからである。そして鍛えた犬を八頭も用意する必要は無く、必然的に八か所と自在に連絡が取れるようにしたいとしか思えなかったのである。

 

「関東の諸大名と連絡を取り会えるとしていかがされまするか?」

「ん? そうだな。まずは山の手で環状線を作りたいな。掛かる時間が違おう」

「関八州を繋ぐ環のような道と! ……しかし諸大名、何処へ集わせるには場所も重要で」

「ならば江戸で良かろう。あそこならば丁度良い」

 三楽斎は景虎の言葉を、いずれ関東の諸大名を集めて伊勢を攻めるためと考えた。

ゆえに集結地を尋ねたのだが、前世知識と照らし合わせてしまったために実にスムーズな回答であった。軍道であり経済を発展させる道を関八州に通し、彼らの軍勢を武蔵南部に呼び集めるのだ。何より都合が良いのは伊勢の本拠である相模と適度に離れており、海岸沿いゆえに他所から食料を運び込むことも可能。先ほどの話に合った里見氏と協力して、海賊衆や水軍そのものを駐留させることも可能であろう。

 

「江戸でありますか? あそこは……」

「太田道灌の建てた城であろう? ああ、そなたの祖先であったな」

「ご存じでしたか!? しかし、あそこは既に廃城。何もありませんぞ?」

「なおさら都合が良いではないか。そなたが好きな様にできる」

 そして……江戸城を最初に建てたのは太田道灌だ。

三楽斎は祖先が立てた城を自分が再建し、関八州に号令を掛けるための城とすることに、運命的なモノを感じたのである。景虎に戦国武将めいた人間臭さが無い事もあり、三楽斎は人知れず彼女を生涯の主に定めたという。

 

(なんと壮大な城獲りか。小田原が巨大な城とてこれならばなんとでもなろう)

(今やっておられるように、江戸を拠点に相模へ出撃する事も容易くなる)

(これだけ離れて居れば風魔が武蔵に侵入しようとも、兵糧を蓄えて置けるでな)

(しかし、それほどの城。流石に弾正殿の推挙と言えど我らが扇谷上杉家には大き過ぎよう。城主は管領殿の手か、ことによったら弾正殿で無ければ務まらぬやもしれぬな)

 通常、城の攻略には二つのモノが重要になる。

それは相手よりも多数の兵士を集めること、そしてそれらを運用するための大量の兵糧である。そして相手の援軍を倒しながら、兵糧切れを待つか力攻めで押し切る必要があった。その点、江戸を拠点に精鋭部隊を出撃させ援軍を蹴散らすことも、食料を少しずつ集めて備蓄する事も出来るだろう。現在は上野南部の平井城を拠点にしているが、江戸ならば水軍を使える分だけ相当な利便性を確保できる。

 

こうして江戸に補給拠点を兼ねた大きな城を立てるという計画が持ち上がる。

それは関八州を繋ぐ道を作り、関東管領が先に大名を手助けし、その例として伊勢を攻めるという大掛かりな計画と共に、上杉憲政へと伝えられたのである。近衛晴嗣がその話を知ったのはしばらく後の事。今後にどうなるのかは依然として不明であった。




 と言う訳で、北条家の勢力に困ってる大名と協力してレイド戦。
景虎ちゃんは上杉謙信の関東攻めに関して、そうなってるからやるんでしょ?
後は江戸城を立てる事だけ知ってて、環状線とか街道とかうろ覚え。
その辺をテキトーにつなぎ合わせて答えているだけです。
聞いたら答えられるけど、自分からはあんまり思いつかない感じですね。

まあ史実ではこんなことをしなくても、普通に戦力集まって来るので特にチートと言う訳でもないのですが。
武田の介入がない分だけ、少しマシになっている模様です。


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決戦の前触れ

 江戸城建設計画が全ての流れを変えた。

そこを拠点に出撃されては伊勢家の動きが激しく制限される。何よりも下総との連携を絶たれてしまう位置というのが問題であった。下総には古河公方が居り、伊勢家が史実よりも隆盛していた為、古河の本流は伊勢側に付いていたのだ。

 

伊勢にとって明確な味方は古河公方のみで後は風見鶏ばかり。

そんな状況で江戸城が建設されたら大変なことになってしまう。連携が絶たれるばかりか、弱みを見せた方から先に潰されてしまう可能性もあったからだ。古河公方を助けなければならない状況であり、これを見逃せば誰も伊勢家には味方しないであろう。

 

「冷凍を行う倉と、加工用の部屋でありますか?」

「うむ。せっかく法術を使える者を広く集めるのだ。戦いよりもそちらの方が有益であろう」

(そうか! 食料を集めても腐っては意味がない。だが腐らないならばどうだ?)

(何年でも掛けて小田原を落とせるだけの兵糧を集めれば良いではないか! この三楽斎、一生の不覚! 目の前の利益に固執し過ぎておったわ!)

 景虎に転生した女が築地市場と冷蔵庫を要求した時……。

優れた戦術家であり、人間不信の塊である太田三楽斎資正は別の事を考えていた。現代人特有の美食だとか飽食なんか想像もつかないこともあるだろう。美味しい物を肴に、愉快にお酒飲みたいという景虎の希望などサッパリ理解できなかったのだ。

 

(何が武蔵に十年、相模に三十年だ……どうして儂はそれに同意したのか……)

(それは最低限の数字! この方は既に、籠城戦と言う概念を根底から崩されておられたのだ)

(二万の兵が小田原に籠ったら勝てぬ? ならば五万で何年でも囲めば良いではないか!)

(江戸に大規模な食糧庫を置き、関東の諸大名が交代で包囲し続ければ絶対に落ちるのに!)

 三楽斎は上杉憲政が景虎より聞いた計画を聞いた時、当初肯定していた。

総構えという構造で、城どころかその外延すら守って居る巨大な構造。内部では畑や井戸もあり、相模周辺の兵力を二年は暮らさせることも可能だという事を、その見識で理解していたからである。だが、長期戦を最初から前提として、一番のネックである『食料は集め過ぎても腐る』という問題を解決されては絶句するしか無かったと言えるだろう。

 

「しかしこれだけの大規模な普請であります」

「術者は何とかするにしても人足が……。越後の常備兵も今は街道を作っておりますし」

「それならば移住させれば良かろう。江戸城の周囲に大きな街を、東京を作ろうではないか」

(伊勢から調達……その手があったか。確かに奴らから領民を奪い、江戸で働かせれば一石二鳥。領民たちもこれから何度も攻められるであろう伊勢の元にいるよりは、大きくなる街で暮らす方が良いではないか)

 なお、この当時の人々に移住の自由は無く、強制移住させろと自動的に翻訳された。

敵地で逆らう村人を連れ去り、敵将に協力したという罪を強制労働で払わせるのだ。身代金を払って解放するとか、親族に贖わせるのは何処でもやって居ることだ。悪辣な例としては史実の武田晴信は始めた当初の慣れない鉱山経営へ、戦利品代わりの民衆を送り込んで大層恨まれたという。

 

もし三楽斎が上野入りの前に段階でこの話を聞いたら意図を疑ったし抗議もしただろう。

だが武蔵に十年、そこから二十年かけて相模と戦うという構想を聞いた後では話が変わって来る。故郷に近い事もあり、伊勢との決着が速やかに付けば帰還することも出来る江戸への移住は慈悲深いとすら言えた。世の中には西国や外国へ奴隷として売られる人もいるのだから。

 

「……なるほど。これほど壮大な街……伊勢が黙っておりますまいな」

「もしやするとこの江戸まで不利を承知で攻め立てて来るやもしれませぬ」

「それこそ望む所だな。野戦に出てくれさえすれば良い」

「何なら小田原まで攻め入り、来年の春と夏はあちらで過ごそうではないか」

 三楽斎はその優れた頭脳で素早く計算した。

同盟者である古河公方と寸断され、自らに忠誠を誓う領民たちが残らず連れ去られてしまうことに伊勢が耐えられるか? これを見逃せば明らかに諸将の気持ちは離れ、滅亡していく未来しか見えないだろう。転生者の景虎と違ってキッチリその辺りのリスクを勘案できる現地民が協力したことが、大規模な戦いに備える事につながったという。

 

こうしてアンチな検索サイトに燦然と輝く、『オダーラ黒土返し』という必殺技が炸裂することになった。悪い奴に味方すると毘沙門天様が連れて行ってしまうよ……と後の人々は大いに恐れたという。

 

 なんてこった! 決戦だぜウェ~イ!

最初から話を聞いてても良く分からないんだけど、『なにがどうしてこうなったっ!』って感じかな。気が付いたら伊勢家に挟まれて、二万の軍勢に半分の戦力で戦う事になってるのね。

 

「に、二万の軍勢とは……」

「いかがいたしましょう。城は完成しておらず、我らは一万しかおりませぬ」

「このままでは不利です。速やかに撤退すべきでは?」

「そうですぞ。何処かの城に籠って、佐竹や里見の援軍が来るまで待ちましょうぞ」

 うちが有利に成ったと思ってやって来た諸将はそりゃ浮足ってるよね。

そりゃ二倍の敵に囲まれたらとーぜんかー。まあしょーが無いよね。佐竹さんとか里見さんとか諸大名の中には援軍を約束してくれた人もいるんだけどさ、予算の問題で断ってるんだよねー。援軍いらないから地元を固めて欲しい、代わりに余った食料を買い取ってあげるねって声かけてたんだ。

 

「うろたえるな小童共!」

「この程度の不利、幾らでもあったわ! 何時の間に腑抜けおったか!」

「それに此度の事は計算通りよ。弾正様のお言葉を待つが良い!」

 出ました、ワンコ大好き三楽斎のおじちゃん!

この人って犬使いの加護でもあるのか、ワンコ引き連れてて羨ましいのよね。今回の件でも、早い段階から伝令ワンコで判ってたみたい。その頃には全然余裕だし、援軍要らない要らないって返してたから、今でもずっとそう思ってるのかな。まあ関ヶ原で本陣目掛けて突撃した島津さんちに比べたら、この程度のピンチはピンチでもないんだけどね。

 

「阿・頼・耶・識……」

「私はそう思った事がある。この世の生死はただの裏表ではないかと」

「ゆえに思ったのだ。この景虎に授けられた『最高位の術を唱える加護』の使い道をな」

「ずっと神威降臨で小田原を消し去るしか、板東に平安をもたらす方法は無いのではないかと考えておったのだ」

 いやー、マジで飽きて来たんだよね。

ずっとモグラ叩きみたいに、言い訳して反乱起こす人たち倒して行くのってマジで罰ゲーム。戦おうとしても城に籠るし、じゃあ攻め潰そうとしたら管領さんから止められるのよね。ずっとウダウダやってて、面倒くささ極まってて、でも私にはコールゴットできるだけの能力があんのよね。でも、それを使っちゃうと私、死んじゃうじゃない? 流石にそれはカンベンかなーって思ってました。

 

「神の降臨……ですと?」

「まさか本物の毘沙門天をお呼び為されると……」

「うむ。可能と言えば可能ゆえ、小田原城を塩の柱にでも変えようかと思っておったのだ」

「だが、此度の件で私は思い知った。御仏は言っておられる。まだ死ぬ時ではないと。……伊勢が如き戦いで叩き潰せ。景虎の命の使い道はここではないのだと言っておられるのだ」

 そう言えばさー、むかし、親戚のオジサンがゲームしてたのよね。

京都の凄く偉い方に、物凄いお金を献金したら官位もらえる他に、地震カミナリ火事親父でお城とか軍勢を叩き潰せるゲームがあるって。ハラキリだかバンザイだかそんな名前のゲームだったけど、小田原城をコールゴットで何とかしたら、誰も逆らう者はいなくなるじゃない? 私が居なくなって、それで平和に成るならワンチャンありかなーとか思う事もあったわけよね。

 

だから、今回の事で私は反省しました。

御仏は言っている。まだ死ぬ時ではないと。とりあえず最高の状態で的にぶつかって、それでも駄目なら何とかするでよいじゃない? だいたい、伊勢家というか北条家を倒しても、まだ桶狭間も本能寺も始まってないくらいだかんね。使うとしても黒船とかGHQが攻めて来てからでも遅くはないんじゃないかなって思ったのさ。

 

「伊勢に合流の動きがあり次第、全軍をあげて正面の敵を討つ」

「聞け、諸将よ。討つべきは二万の軍勢でも伊勢でもない」

「板東の地を乱そうという心なのだ! 伊勢の諸将が直接率いる二千か三千ほどを残らず討ち取ればそれで済む!」

 と言う訳で狙うべきは敵将である北条氏康ただ一人!

彼を守ろうとする諸将と、その部下何百人かずつをまとめて倒しちゃえば済む話なのよね。相模の人たちに加えて、武蔵とか下総のみんなを倒そうとするからややっこしくなるわけで……。みんながもう『伊勢家に従うのはヤダー!』とか泣き寝入りをしなくても良いなら、別に構わないんじゃないかな。

 

「三楽斎。山吉兄弟と相談して、天候の変化に備えよ。無くても攻め入るがあれば予定を変える」

「はっ! いかなる変化も見逃しませぬぞ!」

「柿崎和泉! 敵の勢いは私が受け止める。息切れした所を突き崩せ!」

「受け止める役目こそ、あたしだと思うんですがねぇ。まあいいや、上泉の爺さんともども突撃掛けて、戦いを終わらせるとしましょうかね」

 毘沙門天様に力を借りる以上は、投げっぱが一番駄目なんだよね。

普通にやっても勝てる手段を考えて、最後の一押しに使うのが一番良いんだって段々と経験で判ってきた感じ? 今回の作戦だと、お互いに全力でぶつかり合うじゃない? 絶対にどっちも上手くいかないと思うんだよね。だから、その後でこっちだけが余裕シャクシャク屁の河童みたいな人たちが居れば、勝てるんじゃないかな?

 

 景虎の話を聞いた諸将は震えあがった。

コールゴットによって小田原城を消し去るつもりだったと聞いて驚かない者は居なかった。

 

その日のうちにこの情報は下総や南武蔵の諸将……伊勢に付いた親族に届けられる。

景虎が出陣すれば後ろを突くはずの諸将が、この時点で足を止めたと言っても過言ではない。景虎が我が身を犠牲にする覚悟さえあれば、何時だって逆転可能なのだ。誰がそんな相手と戦いたいだろうか? もし顕現してしまえば、明日からその者は塩の柱であろう。

 

「何が神だ! 何が仏だ! 毘沙門天が敵であろうと何ほどの事が有ろうか!」

「神だというならば、仏だというならば! 我が領民を帰せ! 田を帰せ畑を帰せ!」

「我が玉縄の領民全てを! 我が元に帰して見せよ! それが平等、それが正義ではないのか!」

「親族を討ち取られ、故郷を殲滅されたという諸将は此処に集え! 我らが恨みをあの小娘に叩きつけてやろうぞ!」

 この話を伝え聞いた北条綱成は血の涙を流したという。

そして景虎たちに恨みを持つ者を集めた。そう、諸大名とて風見鶏の様な国人たちを笑ってみていたわけではない。平然と裏切る彼らを苦々しく思いながらも、殲滅までやったら残った者が怨み骨髄で死ぬまで歯向かって来ると知って居て見逃していたのである。

 

こうして関東の命運を決めるために、退くに退けぬ戦いの幕が切って落とされようとしていた。




 と言う訳で次回は決戦です。
景虎ちゃんは味方を増やしながら敵対した人を殲滅してたのですが……。
北条・古河公方の連合が、間に江戸城作られたら分断される。と気が付き、そして殲滅された人々の生き残りが集合した感じになります。

『神威召喚』
最高レベルにあるもう一つの呪文。
最初の頃に『二つあるけどもう一つは使えないも同然』と言っていたのは
コールゴットしたら99%の人間は魂が砕けて死んでしまうからである。
使ったら最後、術者は死ぬし奇跡で敵対者も居なくなるので、名前だけ存在する呪文である。
景虎ちゃんの加護は『最高ランクの呪文チャレンジできる』なので、一応この呪文もチャレンジ可能。

●ハラキリ
PC88に存在したいわくつきのゲーム。
三船徳川とか武田に上杉だけではなく、時代の違う頼朝・尊氏など諸勢力と戦う。
恥がたまったら勝手に腹切りして武将が死ぬとか、忍者合戦で情報を奪うとか、ペリーが元寇が訪れるという奇妙なゲームである。後の世代のゲームには受け継がれないが、朝廷に献金すると天変地異を起こせる。

●オダーラ黒土返し
ほぼ史実という悪夢の必殺技、怒りを込めて地黄八幡を呼ぶぜ!
史実ではそれでも小田原に籠るのだが、今回は江戸城建設の話があるので出撃して居ます。


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関東決戦!

 天文二十二年、秋。南武蔵において上杉勢と北条勢の激戦があったとされる。

その年の夏の終わりから、長尾景虎は協力を申し出た諸将と共に小田原城へ出陣。北条勢の心胆寒からしめた後、道中にあった玉縄城ほかの住民たちを江戸周辺まで引き連れて行ったことで、北条勢が退くに退けないところまで追い詰められてしまう。これを見逃せば、大名として信頼されぬからだ。

 

江戸城が建設されては小田原城の攻略も視座に入り、下総の古河公方も風前の灯火。

北条は今川に対して大幅な譲歩することで後方の安全を確保。総力を挙げて江戸を目指し一万二千が、同時に下総からも八千が江戸を目指したという。

 

「ほう、古河の動きは遅いと」

「弾正様を恐れておるのでしょうな。この城の包囲が始まったならば挟めば良いと思うておるのでしょう」

「ならば秘かに出撃するとしよう。一日、それだけあれば先に伊勢を叩き潰せる」

「篝火の数はいつも通りにして、秘かに出発せよ」

 太田三楽斎資正が操る軍用犬で北条勢の動きは即座に伝わったという。

現代戦で言えばレーダーとは言わぬが、ドローンによって相手の進撃速度を確認したようなものだ。景虎は即座に出陣を諸将に命じ、夜半より徐々に進撃を始めた。

 

「直江実綱、甘粕景持。そなたらに二千を預ける。この城を使って下総勢を抑えよ」

「勝てぬとあれば撤退しても構わぬが、時は稼いでおけ。城を自ら焼いてはならぬ」

「「はっ!」」

 景虎はまず足の遅い者を含む部隊を残存させた。

直江・甘粕両名に部隊を預け江戸城の守備を任せる。これは時間稼ぎと言う意味もあるが、最も信用する事務方の彼らを残すことで、関東の諸将に江戸城に残す者を見捨てないし、撤退する時は命を惜しんでも良いと言い残すためである。

 

「足の早い者だけで優位地形を抑えておき、戦場で合流を果たす」

「陣形は魚鱗とするが、気力の限界を感じた者は下がって再編をせよ」

「一の陣が破られたら、混乱せぬうちに仲間を連れて後方へ下がれ」

「二の陣、三の陣とこれに続かせる。残りの者とこの弾正が率いる本陣で支えるのだ。最後は柿崎隊を投入して戦を終わらせる」

 戦技や魔法を使った者は気力体力を消耗していずれ役に立たなくなる。

そこで景虎は激戦に備えて二つの策を用意した。一つ目は消費し尽くして戦えなくなった者をさっさと下げ、後方に待機させて再編中に少しでも気力を回復させること。そして膠着状態に陥った所で、最後まで戦わずに温存した柿崎隊を使う事で、一気にトドメを刺すという二段構えの策である。

 

 

(んー。やっぱ車掛かりの陣って無理なんじゃない?)

(そー思っていた時もありました! いやー攻撃が無理なら防御に使えば良いのよね!)

(MP回復しながら戦ってもらって、元気一杯の人たちで決着付ければ良いんだもんね!)

(霧が無いのが残念だけど、援軍来るまで一日は掛かるだろうし……これって川中島リベンジって奴かな!?)

 景虎に転生した女は、名高き車掛かりの陣を再現しようとしていた。

だがどう考えても回転しながら突撃とか無理なので、防御用の陣形として捉えなおしたのである。そして兵士たちはともかく、諸将の中で戦技や魔法が使える者にはポーションを渡しておくなど、可能な限りの代替手段を用意して今回の戦いに備えていた。

 

なお、これを端的に言うならば車掛かりの陣ではなく……。

斜線陣を改良したフレデリック大王の戦術の方が近いだろう。ちなみに相手の領土で補給を兼ねた略奪を繰り返し、挑発して時間差決戦に持ち込むのはエドワード黒太子の騎行戦術が近いかもしれない。ついでに言うと黒太子は騎士道狂いだったとも言われ、もし後世の歴史家が知って居たら景虎の事をどう評するか見物であった。

 

「弾正様。間もなく戦いが始まりますが、術で壁を作りましょう」

「要らん。諸将もそんな物には頼っておるまい」

「それになんだ。大規模な法術があれば壁など紙切れ同然よ」

「ならばこのまま視界を良くしておこうぞ。先発隊のおかげで十分に良い場所に陣取っておるではないか」

 常備兵を作ると決めて、早い段階での中で魔法の素質がある者は育てていた。

ゆえにちょっとした丘陵があれば、土壁や穴を使って簡易的な塹壕を作る事も、本陣だけならば難しくはなかった。壁など邪魔だと言って観戦モードであるような口調だが、本人としては上杉謙信を見習って突撃する気マンマンの景虎であったという。

 

「敵前衛、その先鋒が来ます!」

「消耗を恐れるな。弓矢も法術も要るだけ叩き込め!」

「撃ち崩してから受ければ良い。目の前に来てから斬れば良い!」

「「おお!!」

 防御陣形を組みながら、むしろ積極的に戦技や魔法を使った。

さながら受けたこちらが突撃側である様な大盤振る舞いで、北条勢の先鋒はたちまちのうちに打ち崩されていく。本来ならば長丁場で消耗し尽くすのを恐れる筈だが、二の陣・三の陣と交代するつもりであることから、、一の陣は遠慮なく消耗を始めたのである。

 

「何時までもあのような大盤振る舞いは続かぬぞ!」

「殺された父を、兄を、弟を思い出せ!」

「正義だなんだのと口にしながらも、平然と外道働きするあの小娘を討ちとるのだ!」

「ここで引いてはただの滅亡、父祖に顔向けできぬぞ!」

 北条勢一万二千の内、先鋒を務めるのは殲滅の憂き目にあった国人たちの残党だ。

景虎は仕方のない寝返りは許したが、風見鶏として平然と顔色を変える国人は許さなかった。時に北条に、時に上杉にと必要に合わせて主人を変える連中を滅ぼしたのだが、それで全滅するわけではない。遠方に出ていたり、景虎が征伐に来ると最初から逃げていた連中が集っていたのだ。いかに風見鶏がみっともないとしても、それは生きるために必要だったから。それを平然と殺されて、恨みに思わぬ訳が無いだろう。

 

「こちらのお味方、壊滅。しかし敵の第一陣を崩しました!」

「それで良い! 逃げ越しで生き残って居ても迷惑なだけよ」

「最後まで戦い続けた者のみを我が北条に取り立てようぞ!」

「続けて三の手、四の手を送り込め!」

 北条側の前衛を統括する北条綱成は、血の涙を流すほどに景虎を恨んでいた。

城を囲まれている間に、城下の住民のことごとくを連れ攫われてはこうもなろう。だが、それでも北条の宿将として頭だけは冷静に判断していたのだ。何時裏切るか判らぬ国人たちを使い潰しつつ、自らの精鋭をぶつけて景虎の軍勢を可能な限りすり減らすつもりでいた。そもそもが一万二千と八千の勝負である。まともに削りあえばそれだけで本来は勝てる筈なのだ。

 

「ご覧ください! 第二陣を突破いたしましたぞ」

「こちらもですが、あくまで国人どもです。我らが突入する頃には勝てましょうぞ!」

「そうだな。敵は何とか立て直そうとしておるようだが、戦場で再編など不可能!」

「勝ち戦ばかりでこういった戦いに慣れておらんと見える。この戦い勝ったぞ! 突入の準備を始めろ!」

 命を的にした遮二無二な戦いで北条勢は優勢にあった。

その理由は崩された陣形を後方で再編など、通常は不可能な事だ。それをやるには将が優れている事も当然ながら、兵士たちが一心不乱に戦い続ける練度が必要だった。綱成は経験で雑兵にそんな事は不可能であることを知っていたのだ。彼とて全ての兵士が手勢だけならば可能だと信じているが、五色八幡以外の精鋭では無理だと思う程である。景虎が絵に描いた餅を喰らおうと、お行儀のよい防衛戦をしていると判断したのである。

 

だが、ここで聖戦の呪文が覿面に効果を発揮する。

いや、正確にはこれまで戦い抜き、景虎の元でならば勝てる。あの采配の元でならば勝ち切れると信じた事が、聖戦の呪文の効果に兵士たちが浴する事が出来たのである。あくまでこの呪文は、同じ陣営に属するだけではなく信仰をともにせねばならないのだから。

 

「戦の気配が動いたのが判る! あの敵を迎え討て」

「いや、こちらから打って出るぞ! 彼奴等がこの戦を最後を飾るに相応しい」

「彼奴等を壊乱させれば、伊勢の軍勢でもはや戦おうと思うものはおるまい」

「誰ぞ、馬を引け! 我らが彼奴等を受ければ、柿崎勢が横から喰らうぞ!」

 ここにきて景虎は判断を変えた。

前衛を率いる綱成の動きに、戦を支配する流れの大本を見たのだ。よくよく考えれば北条氏康は統治者である面が強く、戦でも強いが、自分より強い綱成に全幅の信頼をしていたからだ。それを理解した景虎は、全軍に作戦変更と突撃を命じた。

 

本来ならば、これはありえないミスだろう。そんなに早く命令が伝達される訳がない。

だが景虎は常日頃からコントロールしきれる少数のみの把握を好んだ。そして何より、三楽斎がいる事で、軍用犬による連絡で高速の命令伝達が可能だったのも大きいだろう。

 

「総反撃だ!」

「全軍……突撃ぃぃ!」

「「「おおおおお!!」」」

 景虎の直衛が綱成の直衛と激突する!

前衛を預かるに過ぎない綱成に対して、景虎はその本陣を移動させて総攻撃をぶつけたのである。彼らは常備軍の中でも精鋭であり、聖戦の呪文の効果もあって、その全員が生まれた時から後継ぎとして訓練された武将たちに匹敵する戦闘力と士気を見せたのである。

 

「馬鹿な……全員が儂に向かって来るだと?」

「血迷ったか小娘! 彼奴らは余力を失った、これで我らの勝ちじゃ!」

「死ねい、死ねい、者どもここで死ねい! 我らの勝ちぞ笑って死ねい!」

「我らが死んで御殿が生き残れば我らが勝利ぞ!」

 所詮は自分が前衛を預かるに過ぎないと知る綱成は判断を間違えなかった。

自分ごときを殺しても、北条の家は滅びないと。景虎がここで全力を使い果たして動きを止めれば、残る本軍が確実に勝てると理解していたのだ。それゆえに全力を奮って景虎たちとぶつかることになる。あえて言うならば……。

 

常識人であり、この期に及んで冷静さを保っていたことが、彼の敗因に繋がった。

上杉勢の主力となる越後の者たちは、景虎に率いられ戦い慣れた集団である。元が強い上に、聖戦の呪文で戦闘力が上がっているのだ。まともにぶつかって尋常の部隊が耐えられるはずもない。そして、自軍最強と信じていた地黄八幡が無残に滅びる様子を見て、残る北条家の軍勢が士気を保てるとは限るまい!

 

「馬鹿な! 綱成が討ち取られただと……!?」

「いや、違う。……この戦、綱成を殺すためだけに仕組んだのか!」

「長期戦を想定し、諸将を選んで殺し、城を築き、その上で綱成を殺すためだけの戦だと!」

「信じられん……。奴は、長尾景虎は何を考えているのだ……」

 その光景を見ていた北条左京大夫氏康は愕然とした。

突然の作戦変更など普通はあり得ない。天性の才能でカン働きを見せる将が居ても、ここまで鮮やかな変説は珍しいからだ。むしろ玉縄城から小田原へ至る道筋で、住民を浚って挑発し、綱成を殺すためだけに最初から予定したとした思えないではないか。

 

現に綱成は強硬派の武将ともども討ち取られ、残る兵士たちも浮足立っている。

戦って消耗戦になれば『この場』は勝てるかもしれないが、関東の諸将を呼び集め、小田原攻めを行われたら勝てるとも思えなかった。

 

「敵の追撃を防げ。消耗戦にもつれ込ませると見せかけて撤退する」

「そうすればあちらも警戒しようし、越後勢はともかく他の諸将は討ち取れよう」

(こうなれば仕方あるまい。内の大臣が言葉に従って和睦を結ぶほかないだろう)

(古河様は隠居。儂は管領の地位を返上……いや、最初から無かったものとして扱うというところか……。後は武蔵の断念……)

 氏康は現実的に物事を考えるタイプである。

ここで無理に勝利を目指しても意味が無い事を悟り、自分に従う諸将を可能な限り生かして撤退する事を目標とした。そして可能な限り北条家の勢力を残し、小田原城での篭城も合わせ、上杉憲政に有利な条件で和睦するしかないと悟ったのである。業腹ではあるがここから逆転するのは不可能だ。だが同時に近衛晴嗣の斡旋を受ければ、無事に撤退して小田原で粘れば……条件付きの和睦で済ませられると踏んでいたのである。

 

(暫くは山内上杉家に従うしかあるまいな)

(だがこのままでは済まさぬぞ長尾景虎!)

(あれほどの将でありながら、使えるモノは何でも利用する卑劣漢め!)

(憲政とて奴を警戒しておろう。その仲を裂き、必ずや報復してくれるぞ!)

 氏康は関東を徐々に切り取っていった北条家だけに、憲政らの脆弱ぶりを知って居た。

景虎が持つ天性の性格とは反りが合わず、何処かで破綻すると見抜いて、捲土重来の為に臥薪嘗胆の日々を受け入れたのである。

 

やがて時が過ぎ、晴嗣の元で山内上杉家と北条家の和睦が成立。

その日を境に伊勢家は正式に北条家として諸将に認められ、公式文章でも北条の名前が使われるようになっていく。

 

なお……領土欲がサッパリない景虎は和睦と同時に越後へと引き上げた。

関東への国替えを承知し、領地を返上した一部の豪族が持つ領地を直轄領に編入。建設中の江戸城城主としての地位のみを名残に、関東への関与を縮小したという。




 と言う訳で北条氏との戦いが終了しました。
関東はグダグダするかもしれませんが、史実よりは人死にが少ないでしょう。
ここで第一部完! とするか、それとも他の地方に行くかは悩む所ではあります。


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新たな目標

 天文二十三年は実に平和な年であった。

北条左京大夫氏康が帰順し、古河公方より受けていた関東管領の地位をなかったことにすることを認めたのだ。南武蔵に残って居た領地も手放すことを認めた為、景虎は越後に帰還した。

 

特に得た物と言えば、国替えに承知した者の領地を接収した事と江戸城くらいでしかない。

だが豪族たちにはあまり不満はなかった。これは越後が全国でも珍しい貫高制であり、石高性ではなかったことに起因する。この当時は川も荒れて石高が低く、豪族たちは景虎から報奨金を受け取って納得していたのだ。

 

「弾正様。越後上杉家の名跡を預かった事、執着至極に存じます」

「しかし何もしておらん武田の小僧が扇谷上杉家を預かるなどと……」

「政景殿。何もしておらんということはあるまい。左京大夫が折れたのは奴の後押しだ」

「だからこそ左京大夫も我らの仲を裂こうと姑息な真似をしたのだろうがな」

 氏康は策謀の一環として、上杉憲政に断絶した越後上杉家を景虎に預けることを提案した。

憲政としても景虎に渡す物が少ないと吝嗇家として見られてしまうことや、越後勢が居座っては窮地であることは確かだ。そこで親族の中でも同根である越後上杉家を復活させ、景虎が誰かを養子として送り込む事を承知したのである。問題なのはこれが策謀であるがゆえ、氏康は同様の事を『近衛晴嗣』に提案したのである。

 

ここで説明が必要なのは扇谷上杉家の話だろう。

何年か前の川越決戦で滅びた名家だが、山内上杉家と並ぶ管領と成れる名家の一つである。越後上杉家が山内上杉の分家であるので家格の差は歴然と言えよう。そして扇谷上杉家は対北条の為、二度ほど娘を武田家に送り込んでいたこともあった。あながち縁が無い訳でもないからこそ事情を知らない晴嗣は、北条を抑え込んだ事に対する褒章として、相模から奪い取った土地を返却させることを条件に認めたのである。

 

「ですが血を多く流した我らが下、大して流しておらん武田が上などと!」

「元より家格も官位も武田の方が上であろうに。それにだ、同じことをして懐はどうだ?」

「我らは関東を駆けまわっても倉に黄金が唸っておる。翻って武田は火の車であろう」

「関東で得た土地も北条高広らや、江戸城を含めれば我らの方が質は上ではないか」

 正直な話、景虎としては史実通りに晴信が敵に回る可能性を考えていた。

そうなれば撤兵して信濃で戦う必要が出て来て、関東と右往左往しながら生涯を掛けることになるだろう。それに比べたら信濃も関東も平和になり、その立役者は長尾景虎であると周知されている。これ以上はない成果であったのだ。

 

そして北条高広ら一部の豪族が上野や武蔵に転封し、江戸城近隣も得た。

西上野よりも良い場所であるのは確かで、大規模な開墾でもやれば相当な収穫が見込めるだろう。それに江戸城の城代、城下町である東京の代官、そして江戸湾に作る港の奉行を考えれば相当な役職が手に入ったとも言える。関東には景虎に近づこうとする武将も多いため、江戸に赴任する武将は相当な袖の下が手に入るであろう。

 

「それはそうなのですが……」

「政景殿。そういえば言ってなかったが、越後上杉家には私が入る」

「代わりに御子息に長尾家の総領の座を譲ろうと思う」

「なっなんと!?」

 ここで景虎は上杉家に養子に入ることを切り出した。

景虎としても上杉謙信を名乗るのにそうする必要があるし……この後何年も当主として率いて行くのは面倒でならなかったからだ。その点、他家に入って相談役となれば話も変わって来る。ついでに文句を言ってる長尾政景も黙るので丁度良いと考えたのである。

 

「我が子である喜平次が次代に……よろしいのですか?」

「構わぬ。あの子が大きくなる前にこの辺りは平定されよう」

「私は相談役となって見守るとしようか。後は任せたぞ……とな」

「そこは嫁入りや婿取りではありませぬのか? ですが承知いたしました」

 棚からぼた餅とはこのことで、政景もすっかり不満を収めた。

てっきり上杉家に養子に出され、押し込まれるのは我が子だと思っていたのかもしれない。それが景虎が隠居の様に上杉家を継ぎ、代わりに我が子が次の総領となれば話が変わって来るからだ。上杉家の養子になるということは家を出るという事で長尾の名前を棄てる事につながるが、景虎は女子であるので問題はなく、逆に喜平次は長尾の名前を残せるという事に当たる事もあって話に自然な流れがあった。

 

「それは良い事を聞きましたぞ。これからは我らは遠い親戚でおじゃるな」

「近衛様……。内の大臣に、いえ藤氏の長者にそう言っていただけるのは恐縮であります」

「気にする出ない。じゃが、そういう事に成れば守護の話も即座に片が付こうぞ。どうであろう」

「麿が話を通すので、上洛しては?」

 ここで近衛晴嗣が話を聞きつけて来た。

彼はこちらで騒乱が収まるのを見てから帰るつもりであったのだが、景虎が越後に引き上げたので付いて来たのだ。なお、上杉家の本姓は藤原であり、今の藤氏長者……総領役は近衛家が担っている。長尾家は平氏の一族だが、上杉家を継げば藤原氏の一族になるというのも間違ってはいない。

 

「上洛でありますか?」

「左様。元より都では弾正の功績を評価しておるのじゃ」

「特例で守護と認めるのもやぶさかでは無かったが、越後上杉家を継ぐならば面倒が無くなる」

「一度上杉の手に渡した守護の地位であれば、親族である長尾の家に譲っても問題ない。そのような先例もできるのじゃ」

 この世の中は権威主義であり、主に先例に習う。

同じ守護代だった朝倉家が正式な守護になるまで、御供衆として活躍し献金も相当な物であった。しかし今の景虎は御供衆の一員に一応は数えられており、北陸・信濃・海道の平和に大きな貢献を果たしている。そこに関八州をまとめたという実績が加われば、話が傾くのは想像に難くなかった。それが武家であり貴族でもある越後上杉家を継ぐのであれば、誰憚る事はないだろう。

 

「官途は弾正大弼、官位も従四位下への昇進は堅いであろうな」

「これより弾正が何処へ向かうのかも都の関心事じゃ」

「そこまでの話を都と往復して決めるよりも、上洛した方が早いであろ」

(東国の平穏へ貢献した弾正に何も渡さぬなどありえまい。弾正自身は特に何も望んでおらぬし、今上も喜んで官位を昇進させたもおうぞ。後は大樹が何を考えるかよの)

 帝である後奈良天皇は即物的な行為を好まない。

献金による官途を拒むこともあったが、景虎は毎月それなりの額を献金しておりながら特に要求したことはない。もちろんいずれは関東管領になるというつもりだったので権威など不要だと考えていたこともあるのだが……。どちらにせよ、信濃から東を安定させたことで、その昇進は決まったも同然であった。越後上杉家を継ぐならば反対者も居なくなるだろう。晴嗣としては推す甲斐がある若者と言える。

 

逆に前途が暗くなるのが将軍家の問題であった。

細川家と手を切って三好家と結んだはずなのに……今度は三好家の専横が強過ぎると、三好長慶と手を切って細川晴元と手を組み直したのだ。その状態で都を追い出されて居ないのは、将軍側が暗殺騒ぎを起こしていない事、そして三好側も盟友であるはずの畠山が長尾家が東で活躍したことを引き合いに出して遠慮させていた為である。

 

「どうであろ? 都に昇るというのは」

「では先触れも必要でありましょう。関東へ再び赴いてからにいたしたく」

「実は越後ほか北陸の産物を江戸に届け、関東の産物を越後に持って帰ろうかと」

「その折に江戸から堺にでも船を出しましょうぞ。越後より越前の便と都で味比べしたいものですな」

 景虎は江戸で物産展を企画していた。

前世の大型スーパーくらいのノリであるが、魚や食料を保存する冷凍庫を作る計画はまだ活きていたからだ。米もあちらで確保して諸白酒を造ったり、越後に送って清酒や蒸留酒を作ろうかと思っている。この背景にはせっかく作った大街道が惜しいのと、行き来が多くなって経済が発展すれば美味しい物が食べられるかもしれないという判断である。

 

「ほほほ。在りし日の租庸調が揃い踏みしたかのようでおじゃるな」

「よろしかろ。使者を調整したとしても、それだけの時間があれば確実」

「面倒事も全て済ませてから弾正に申し伝えることも出来ようぞ」

「ではそのようにこちらも用向きを合わせ致しまする」

 欲しい物があるから待ってくれ、そんな景虎の言葉を晴嗣は好意的に解釈した。

この時代、地方から租庸調を都に持って行くなどとうに廃れている。それどころか献金することすらあまりなくなり、ブランド維持のために利用している越後を除いては、大内など裕福な大名以外に定期的な献金はない。その状態で東国の産物をかき集めて都で食べ比べしよう……それは租庸調の復活を嫌でもイメージしたり、即物的な献金以外で都に協力しようとする景虎のいじらしさに見えたのである。

 

 景虎が江戸入りして暫く、申し合わせたように二人の武将がやって来た。

共に武田家に所属しており、史実ではその隆盛を支えた名将である。もちろん武田二十四将にも列せられており、話題には事欠かない男たちであった。

 

「信濃が佐久の将、真田幸綱にございます。弾正様にはご機嫌麗しう」

「武田大膳大夫晴信が弟、孫六信廉にござる」

「弾正殿を姉と慕って仕えよとも兄にはきつく申し渡されております」

「我ら両名、弾正殿のお供を仕ります。いかようにもお使いくだされ」

 真田源太左衛門幸隆と武田孫六信廉が挨拶を述べる。

この二人は晴信から派遣されており、氏康が引き起こした上杉家関連の問題への回答である。幸綱は信濃先方衆筆頭であり信濃から派兵される時の先鋒役。信廉は一門の中でも南信濃衆の統括であり、晴信とソックリであるとも言われていた。

 

すなわち北信濃でもめごとを起こさないという意思表示であり、人質でもある。

特に晴信によく似た姿の弟を人質とするということは、己の『影』を景虎の下に置いても良いという判り易い表明でもあった。なおこの時、武田家は大規模な三河攻めを今川家と共同で計画しており、景虎に背後を脅かされたくないというのも大きな原因だろう。

 

「お二人とも楽にされていただきたい」

「供といっても景虎が都に赴くのはまだ先のこと」

「大市を開いたゆえ、市場見学でもなされると良い」

(わわっ。まるで逆ハーみたいじゃん!? 野心家のお晴さんと大人しい信廉くんのギャップとか、幸綱さんは後の真田節が見えてる感じがするにゃー。連れてるチビっ子も可愛いにゃー)

 この二人が訪れたのは、気を利かせた晴嗣が晴信に連絡を入れたためだ。

氏康の策謀でこじれかけたこともあり、その修復を兼ねて晴信が送りつけて来たのである。三河攻めに際して今川と共同する以上は、戦力に関しては問題ない。この二人を差し出すことで『当面』の安全を図り、場合によっては景虎を油断させる算段である。

 

「その事なのですが……。恥ずかしいながら当家は手元不如意でありまして」

「兄の晴信が申すには、必ず返すゆえ都への献金に名前を連ねさせて欲しいと」

(頭を下げて見せるために不要な献金と、その為の借財。無用かと思っておったが……)

(あの大市を見れば意見を変えざるを得ぬ。あの規模の市を江戸だけでなく越後でも開いておるだと? 長尾の金倉はいかほどあるのか……)

 堅実な信廉は当初、長尾との仲を修復することはともかく官位を買う事には反対していた。

既に甲斐守・信濃守と上野介の地位がある。これ以上は不要であり、ただでさえ戦支度で苦しい懐を無駄に痛めるべきではないと考えていたのだ。だが、景虎が口にした大市を見て考え方を変えた。越後勢は通年で戦い続けていたことは良く知られており、それなのに都に献金するその資金源は何処から来たのか? それを物産展を見ることでまざまざと見せつけられたのである。

 

迂闊に長尾家と戦うべきではないし、戦うならば国力を付けてから。

国力そのものは越後・越中・佐渡と、甲斐・信濃では殆ど同等なのだ。だからこそ信廉は兄の方針に納得し、武田が国力を付けるまでの時間稼ぎの為に幾らでも頭を下げる覚悟を決めた。

 

「借財でなくとも別に構わぬが……いかほどあれば良いのかな?」

「治部大輔様の都合にも寄りますが、三家合わせて五千貫は用意したく」

「長尾家の出す金に今川家が出す金を合わせ、足りぬ部分を我が家が供出いたします」

「五千? ああ、織田家の四千貫を越えよというのだな。相分かった」

 晴信の事を信用して居ない景虎は、借財と言う言葉は忘れることにした。

どうせ裏切る時には裏切るのが武田クオリティである。後の今川氏真が御伽集や高家になったことまでは覚えていない景虎も、転生者として武田家の戦略くらいは覚えている。ただ五千貫と言う言葉から、織田信秀が行ったという献金を以前の上洛で聞いたこともあり思い出したのである。

 

「では治部殿に関わらず五千貫を当家で用意しよう」

「武田家には馬や金殻、それと甲州葡萄などの産物は忘れずに用意していただきたい」

「関東の諸将が用意した産物を合わせて朝廷にお渡しいたそうぞ」

(甲斐で金が採れ始めたことを知っておるのか。行基菩薩の葡萄まで知っておるとは油断できぬな。しかし単独で五千を用意するだと……)

 前世のあやふやな記憶だが、金はともかく武田騎馬軍団は大嘘である。

それに絡めて他に何かあったかと甲州ワインを思い出し、『ワインやブランデー作ろうぜ!』と欲望丸出しの景虎に信廉は別の恐ろしさを見た。青苧の年間販売利益だけで三千貫を超えるというのは噂で知っていたが、酒の販売や金山での収入から来る長尾家の底知れない財政事情に戦慄を抱いたのであった。

 

「それで真田殿。そちらのお子は?」

「はっ。三男の源五郎にございます。よろしければお手元で使っていただければと」

「七つか八つで外に出すのか? まあ良い。見どころのありそうな子じゃ。近習に加えるが、いずれ旗本に育つこともあろうぞ」

(真田昌幸ってもう生まれてたっけ? つーか、三男だっけ? まあいいや。本人ならその内に成長するでしょ。もし茶々ちゃんが越後に来たら、遊ばせてあげるのも良いかもね)

 こうして東国での行事を終えた景虎は再び都に赴くことになった。

ありえないことだが江戸から堺に回り、そこから上洛する可能性もあるため、氏康たち恨みを持つ者たちもルートが特定し難い状態となる。新たな策動が伏魔殿とも言われる都で始まるのであろうか?




 ひとまず仕切り直し回です。
関東のその後を簡単にやっつけ、他所の事情を交えて描写。
なお五千貫も出してるのは負けず嫌いなのと、佐渡守のお礼とか次回に貰う弾正大弼とかのお礼込みです。
佐渡で銀山の他に金も掘れ出したので、景気付けに贅沢をしたかったというのもありますね。

そしてこの時期、二転三転する将軍家の情勢。
誰かが潰すことを期待して、三好家と暫く組んでいても良かったんじゃあ?
とか思うのですが、まあ側近たちの都合もあるので仕方がないのでしょう。


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外伝。斎藤家の生存戦略

 長尾景虎が五千貫を単独で用意し、他の者と連名すれば一万貫に登ることになった。

今川治部大輔義元や武田大膳大夫晴信の他、本願寺が強力に後押しして実現することになったという。しかも普段は間に入る将軍家の横槍も無く、下はおこぼれに預かる公家のみならず上は後奈良天皇までも満足したという。

 

さらに関東平定の流れを受けて、東国全体に緊張が走ったこともあるだろう。

自らの国が攻められては叶わぬと、出征せずに守りを固めた大名が多かったのだ。奇しくもこの天文二十三年に戦が起こらず、気を良くした後奈良天皇は後の正親町天皇である方仁親王への譲位と改元を行う事を決めたのである。一万貫もまたその為の予算に組み込まれたという。

 

「馬鹿な。何故、このような時にこのような愚かなことを……」

「これが何を引き越すか判っておるのか義龍!?」

「家臣ですら大名を殺して成り上がる。耄碌した親を追い落とすことが何ほどか!」

「それに世の流れくらい判っておるとも! 武田も今川も三河攻めに必死よ。一番の懸念であった長尾は呑気に上洛しておるぞ! 尾張を併呑するのは今をおいて他はない」

 美濃の蝮こと斎藤利政は子である義龍により強制的に隠居させられた。

親子二代で美濃を掠め取り、様々な政策で戦国大名化を図った利政。その強引な手腕は問題を引き起こすと同時にある種の畏敬を持って扱われていたのだ。だが近年になって争っていた織田家と和平を結んだり、娘を嫁として送り込んでの緩やかな支配を狙うなど、穏健的な政策が増えてきたことで締め付けが緩んだのかもしれない。

 

「なんと視野の狭い。朝廷や大樹にとって坂東より北や大宰府より南など無いも同然よ」

「朝廷にとっては今は平穏なのだ。お前はそこに乱を起こすという」

「隠居せよというならば幾らでも聞こう、思い直せ!」

「老いたな父上。朝廷などの機嫌を伺って何に成ろうか。三河が食われてからでは遅いのだ!」

 見解の相違と言えば相違なのだろう。

利政にとって大義名分を敵に与える程に急ぐ時ではない。織田信秀が死んだことで織田家は荒れており、跡を継いだ信長はまだ若く不行状により求心力も低い。三河に今川や武田が迫っているというならば、援軍を頼まれてから乗っ取る形で進軍すれば良いと思っていたのだ。

 

だが、義龍にとってはソレでは遅いのだ。

隣国に居る武田や、飛騨を介して挟んだ長尾が動けない絶好のチャンスである。また攻め込む織田家自体も今川を警戒して三河側に兵を集めざるを得ない為、千歳一隅のチャンスに見えたのであろう。信長が意地を張って援軍を求めないケースや、戦うだけ戦った後で叩き出される可能性を考えれば、決して間違いではないのかもしれない。

 

「後を考えれば殺しても良いが、耄碌しておっても父は父」

「それに父上が言うように聞こえが悪かろう。鷺山にでも幽閉しておけ」

「はっ!」

 義龍は急な政権交代を良しと思わぬ者や、あくまで利政につく豪族に配慮した。

また自身が美濃の政権を握った後で、従わぬ者を利政の元に集めてまとめて葬る為、あえて生かしておいたのだ。そのうえで鷺山城は他の地域からはともかく、義龍から見れば攻め易い場所にある。何時でも葬れるようにして反乱勢力の動向を見守ったのである。

 

(愚かな。今しかないというならば、なぜ儂を殺して即座に兵を動かさぬ)

(半端に儂の忠告を聞いて家臣団を割る事や、朝廷の怒りを避けたのか?)

(これでは我が家も長くないな。他の息子ともども何処ぞの家に馬を繋ぐことになろう)

(いかんな。……何とかして家を残さねば)

 利政は考えた挙句、道三と名乗って美濃の政治より完全に引退する。

迂闊に反抗しては斎藤家の戦力が半減してしまうからだ。自らに付き従う武将たちも、美濃を割らないために義龍につくことを勧めざるを得なかった。策謀の一環ではなく延命作業であり、かつて従った野心家たちもその姿に心底呆れたという。

 

 

「長尾家が手を伸ばす先を三つ考えて見よ」

「……一つ目は庄内でありましょうか? 北への道が拓けまする」

「うむ。だがこれは無いな。北は手が掛かり過ぎるばかりで飯が食えぬ」

「迂闊に突けばせっかく瓦解した伊達の力が蘇ってしまおうぞ」

 道三と名乗り始めて武将達とも疎遠になり、近頃では子ども相手に議論している。

しかし歳のわりに敏い子であり、十歳前後でありながら道三からもらった情報だけで、越後勢が北にある庄内地方へ手を伸ばす可能性を言い当てたのだ。実際、信濃・加賀・上野と盟友で固めているならば、北に出るのが早道ではあるのだが。

 

「伊達家はそれほどに恐ろしい相手であったのですか?」

「うむ。男子を送り込んで養子とし、女子を送り込んで嫁として、瞬く間に奥州をまとめあげた」

「越後に手を伸ばした時に我が子に背かれ、勢力を落としてしまったがの」

「しかし迂闊に北へ手を伸ばせば、せっかく眠った強者を起こしてしまうであろう」

 良くも悪くも、伊達稙宗は自転車操業の達人であった。

子供を使った養子政策で、家を乗っ取りあるいは親伊達に意見を変えさせることで、わずかな間に諸大名を従属させ、奥州に中央集権的な伊達王国を築きそうだったのだ。だが娘婿である相馬家への援助であったり、越後上杉家との養子問題が起きた時に武将を帯同させようとして、息子である晴宗との騒乱を起こして隠居させられれてしまったのだ。道三は自分と重ね合わせて、寂しくなってしまったのかもしれない。

 

もっともそれはあくまで稙宗の立場から見ての事だ。

次々に打つ政策にはメリットもデメリットもある。何処かで有力家臣の反乱が起きたり、従属させた大名が手を組んで攻めて来たら、逆に伊達王国の方が滅びかねなかった。晴宗側から見れば別の見方もあるだろうし、同様に義龍から見ても道三の戦略には疑問があったのかもしれない。

 

「ふ、二つ目は同盟を裏切って南下……ではありませぬ」

「伝え聞く弾正様の性格とは合いませぬし、これまでの事が利己と受けとられかねませぬ」

「ゆえに飛騨から美濃でありますが……名分も無しに飛騨を獲るでありましょうか?」

「……よくぞ見た。しかしな、名分などは幾らでも作れるものよ。そもそも姉小路と名乗っておるが、三木が乗っ取ったものであるしな」

 幼子は考えがまとまらぬ内に第二案を切り出した。

道三が気落ちした事を察したのだろう。道三もその気遣いには触れず、あえて話に乗って教育を再開する。これほどの神童が我が子に居らぬことを残念に思いながらも、育て切れば斎藤の家の為に役立つだろうと志を新たにしたのである。

 

「乗っ取り……おそろしい事にございますね。しかし……」

「所詮は飛騨での出来事よ。都には伝わるまいな。金を積めば何とでもなる」

「儂も飛騨守の従属を条件に上げるならば援助したであろう」

「じゃが、ここにきて風向きが変わって来た。飛騨の誰ぞが声を上げればたちまち火が点こうぞ。長尾に兵を送って欲しい公卿や大名は幾らでもおろう。近江の管領代はともかく、越前の金吾などは特にそう思っておろうよ」

 三木家は姉小路家の分家問題に首を突っ込み、自らを総領として認めさせた。

家臣の中で随一であり、やろうと思えば皆殺しにして奪えるのだ。力を落とした本家からしぶしぶながらも認められ、他の分家を始末してなり替わったという。そして美濃の斎藤家に協力を働きかけ、あるいは朝廷なり将軍家に働きかけて正式な姉小路の名前と、官位を買おうとしているのだ。

 

だが、奇しくも景虎が行った献金がここでも影響して来る。

御用達の名前欲しさのブランド戦略ではあるが、かねてより景虎は定期的な献金を行って来た。そして今回は自ら五千貫に、諸大名と本願寺合わせて一万貫にも及ぶという。関東の産物も合わせて送り込むので、朝廷はホクホク顔であるのだ。小国である飛騨一国も御し得ぬ三木家に中々勅許が降りないという。

 

「確かにそうなれば、飛騨はおぼつきませぬ」

「そうだ。そしてこの美濃もな。儂が乗っ取ったのは苛政ゆえ望まれてはいた……」

「だが、それでも正式な守護である土岐家を追い出したことには間違いが無い」

「しかもあの馬鹿息子は平穏を破っていの一番に攻め込もうとしておるわ。平穏を乱した罪とはいわぬが、合わせて攻められても文句はいえぬであろう。弾正はともかく、余人が望む故な」

 道三が父親と共に美濃を乗っ取った時、土岐家はロクでもない政治をしていた。

それゆえに他の武将たちと語らって美濃を乗っ取ったのだ。そして殺すのではなく隅に追いやり、そして近年になってようやく美濃国内より退去させたのである。大義名分にはそれほど気を遣っていたということでもあるが、このタイミングで義龍は戦乱を起こすという。

 

繰り返すが天文二十三年は、偶然ではあるが平穏な年だった。

もちろん東北地方や九州南部の巷は修羅の嵐であったが、それらは化外の地としてそもそも朝廷には報告されて居ない。彼らには『長尾弾正が東国に平和をもたらした』『弾正が東国より租庸調を持って上洛する』というおめでたい話しか入って居ないのである。そんな状態で美濃で乱を起こせば、どうなるかは考えたくもない。

 

「……でしたら、なおさら三つ目が重要になりましょう」

「そうだ。今川と武田で三河が即座に落ち、今川はそのまま尾張に雪崩込むであろう」

「武田にとっては手伝い戦。場合によっては美濃が本命と言う事もあり得る」

「それこそ弾正を名分に据えて、北と東より一斉に襲い掛かる事もあろうぞ。だからこそ、三つ目が重要であろうな」

 北条家より河東群を回収し、和睦したことで今川家には余力がある。

それでも時間を掛けて準備したのは、景虎を見習って長期戦を視野に据えたことだ。三河を従属させるのは簡単に出来るが、完全な支配や尾張を考えれば難しい。そして何より大義名分を用意し、信秀が四千貫もの献金をしたという話を吹き飛ばす為の準備をしていたのである。

 

もしここで義龍が美濃から尾張に攻め込めばどうだろうか?

斎藤に攻められて戦力を割かれた状態の尾張を今川は喰らう事が出来る。そして朝廷は平穏を乱した罪人を討つという名目で斎藤討伐を命じれば、長尾も武田も動けるだろう。少なくとも朝廷や将軍家はその流れを誰よりも望んでいた。景虎には野心はないし、晴信も少なくとも表向きは大人しく晴嗣に協力していたのだから。

 

「三つ目。長尾家が攻め込むことが出来て、かつ美濃よりも意味がある場所……」

「その条件ならば何処でも良い。朝廷や大樹の犬である弾正が来ないならば何とでもなろうぞ」

「少し前ならば若狭や近江であったのだがな……大樹め。三好憎さに細川にすりよってしもうた」

「おかげで越前を経由して攻め入れる場所が無くなってしもうたな。管領代はともかく、若狭武田は今ごろ胸を撫でおろして居ろうぞ」

 三つ目の選択肢は固定目標ではなく、景虎の矛先を反らす為の場所全般である。

景虎は上からの命令で動くタイプの人間として見られており、資金も十分にある為か名誉欲はあっても土地を望んで奪う様な面が見られなかったのが大きい。そんな大名が高い戦闘力を有しているのだ。支持者が欲しい将軍家などは直ぐにでも出陣させたがるだろう。越前の朝倉も加賀の一向宗を牽制するために、領内通過を認める可能性は高かった。

 

しかしそれはあくまで景虎あっての事である。

従うかどうか怪しい武田や、足利一門の連枝衆であるがゆえにいまいち信用しきれない今川の為に将軍家が大義名分を用意するとは思えなかったのだ。武田だけならば山越えルートでもあり十分に守り切れるし、それこそ余力で尾張を切り取る事もできたのである。

 

「……むしろ、ここは堺に荷揚げしたという点に向けてはどうでしょうか?」

「商人どもが幾らおっても雑兵であるぞ? 摂津に攻めさせるとしても戦の役には立つまい」

「左様ですが、この場合は船での移動が視野に入った事。そして商人の援助が見込める事です」

「五千貫もの大金、途方もないと思うておりました。しかし、堺の商人が援助したのやもしれませぬ。坂東での商いの見返りと思えば元も取れますゆえ」

 子供だからこそ、少年は頭の柔らかさを発揮した。

普通は海路で遠方に大軍を送り込むなどありえないが、それは大人の発想である。しかし翻って見れば、景虎の行動はむしろ『子供の考えを補強し、実現性を無理やり持たせた物』と言えなくも無かった。絵に描いた餅であろうとも、無理だ無理だと諦めるよりは、よほど建設的な議論であろう。

 

「坂東の諸将への取次ぎを弾正に願い、その見返りに矢銭を出したか」

「簡単に儲かるとも思えぬが、持ち込んだ荷を公家から買い取る話まで含めれば判らぬでもない」

「海で繋がっておるなら何処でも良い……伊勢か、いっそ三好の本拠である阿波でも良いか」

「諸大名を納得させ陸路で移動できるのはせいぜいが二千としても、海を使いさらに現地での銭雇いを含めればもう二千行くか? 海を渡って暴れておるという、根来や雑賀を使えば……うむ。面白い、面白いぞ!」

 流石に道三も堺の商人がそこまで景虎に肩入れするとは思っても居なかった。

だがありえないと閉塞した考えよりは余程面白く、尋常ではないテコ入れを施せば可能な範囲であると思い至ったのだ。このごろは遠のいた若き日の野心が蘇ってきたような気がするほどに。また単独では尋常ではない手段などありえなくとも、朝廷や将軍家が協力すれば話が随分と変わって来るのだ。そこに別角度から道三が絡めば、もしかしたら行けるかもしれないと思えた。

 

そして意外な話だが、根来衆や雑賀衆は傭兵として海外派兵もしたことがあるという。

あくまで倭寇退治であったり、現地での用心棒レベルではあろう。しかし海を使った進軍経験のある者は貴重である。それらを多角的に景虎に接近させ、何処か海岸沿いの小領を切り取らせれ良いのだ。一度拠点さえ手に入れてしまえば、そこを中心に暴れ回ることができる。実際に関東では僅かな兵であるのに猛威を振るったという話ではないか。

 

「半兵衛。もう儂の元で教えることはない」

「先んじて十兵衛を大樹の元に送り込んで居る」

「どのような手段でも良い、弾正に近づけ。そして十兵衛とは立場を変えて吹き込むのだ。美濃よりも良い場所があるとな。それが儂の遺言である」

「はい……はい! 半兵衛、誓って美濃を守りまする!」

 道三はこの時点で斎藤家を守り切れぬと察していた。

その上で一族を分け息子たちには他の城に赴かせたり、病と称して逐電させていたのだ。そして明智十兵衛光秀や、いまだ幼い竹中半兵衛などの有望な近習を、将来に備えて史実よりも早く都に送り込んだのである。




 他家から見た情勢の整理です。

・羽後。庄内地方。楽だけど果てしない、伊達を中心に再結集するとダルイ。
・上野や信濃。せっかく安定してるのにナイナイ。
・飛騨と美濃。大義名分が鴨ネギでやってくるぜー!
・その他。可能性だけは無限にある。

だいたいこんな感じですね。

●各勢力の石高(災害その他からの復興数値/この当時の開墾最大値)
長尾家。40万石/90万石。佐渡・江戸込みで一向宗分マイナス。復興は遅め
武田家。50万石/80万石。西上野込み。復興中
今川家。50万石/60万石。東三河込み。ほぼ復興終了。
斎藤家。40万石/50万石。ほぼ復興終了。
織田家。20万石/57万石。実権のある四群のみ。復興は終了。

金山や大都市を除けば、殆ど横並びなので互角に見えます。
義龍君は「先に大きく成ろう! → 今ならいける!」
道三は「やるなら一気に! → 安全に影響だけでも → 生き残ろう!」
と目的が全然違うので、意見が食い違っております。


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壮大な賭け

 景虎は上洛中に幕府の許可を得て、正式に越後上杉の名跡を継いだ。

その折に既に義藤より名前を改めた足利義輝より『輝』の一文字をもらい、上杉輝虎と名乗る。弾正大弼の地位も受けていた為、一通りの名前が入れ替わった形である。

 

「弾正より上にという話もあったのじゃがなあ。反対されてしもうたわ」

「いえ。大樹様のお気持ちだけでありがたく。この輝虎は田舎者に過ぎませぬ」

「弾正殿は実に謙虚な御方ですなあ」

 義輝とは打ち解けており、近臣である細川兵部大輔藤孝を交えての酒宴を開いていた。

この日は公卿も何人か列席しているが、身内の無礼講と言う事で、近衛晴嗣を除いて高い身分の者はいなかったと言える。どちらかといえば胸襟を開いて複雑な話をするというより、親幕府サイドの懇親会と言う態である。

 

「ほほほ。その辺りは気にせぬでも良かろうて」

「麿が関東管領と話を付けておる。年を経て不安を召した時に、その地位を預けるとな」

「ほう。と言う事は一時預かりとはいえ、輝虎が関東管領になるのか。それは心強い」

「その大役に相応しくあればと精進致したく思います」

 上杉憲政は関東に居たおり、輝虎の動向には非常に気を使っていた。

援助は欲しいが実権を奪われても困るし、そもそも山内上杉家の執事が長尾家であったのだ。その後に関東に残った一族は勢いを落としたが、越後に渡った長尾家は越後上杉家から実権を奪ったことを忘れてはいなかったのである。先代の関東管領が輝虎の父である為景を討とうとして逆に討たれてしまった経緯も忘れることは出来なかった。

 

そこで晴嗣は輝虎が領地に固執せぬ性格であると伝えた上で、一計を案じた。

山内上杉家の一族である、越後上杉家の名跡を与えた上で、憲政が老いた時に我が子である龍若丸が実力を身に着けるまで、関東管領の地位を一時的に……何時とは言わないが『預ける』というエサをブラ下げておくという案である。

 

(これで関東管領、上杉謙信まで後少しって感じかなー)

(もうお坊さん扱いになってそう名乗っても良いんだけどさー)

(でも、やっぱりお坊さんになったら恋愛とかしちゃ駄目って気がするよねー)

(別に佳い人が居るって訳でもないけど、やっぱ気にしちゃうじゃん)

 輝虎は上杉謙信が若い時に収めていた領地を安定して収めており充実していた。

越後上杉家と山内上杉家の差なんかよく覚えていなかったこともあり、関東管領の地位がいずれ貰える事で納得していたと言える。これで参議など何処かの省をまとめる卿だのの地位を渡されても、面倒だという思いの方が強かったのである。こう言っては何だが、公卿たちの都合と輝虎の都合は、妙な処で一致していたと言える。

 

「そういえば弾正は新しい酒を造ったとか?」

「はい。砂糖が珍しいゆえ、それほど量は作れなんだのですが……」

「岩鶴丸、半兵衛。大樹様にご用意を」

「「はい」」

 義輝の言葉に輝虎は梅酒を用意させた。

小姓役には宿泊した寺で傍仕えに付けられた少年たち中で、美貌と知性を気にいって取り立てた二人を起用している。特にオネショタと言う訳でもないと言い訳しているが、性的に食べないだけでこう言った面では輝虎も立派なオネショタの気があると言えるだろう。

 

ちなみに半兵衛は天才軍師と言われた竹中半兵衛であるが、岩鶴丸もまた後の河田長親という知勇兼備の将であった。あの石田三成もそうだが、才能ある若者が教育のために寺に預けられたり、隠居同然の没落した将が寺に籠る事もあるので、この当時のお寺は割りと人材発掘所でもあったそうな。

 

「梅の実と砂糖を荒き酒で漬け、寝かせた物です。ご賞味ください」

「ふむ。荒き酒の強さが抜けて居るが、癖は残っておるな」

「しかし飲み口は良いですぞ。飲み易き酒を好む物もおりましょうなあ」

「「ほほう……」」

 当たり前だが少量しかないので、飲むことができるのは義輝だけだ。

晴嗣が飲んだ時の感想と照らし合わせて、なるほどと頷き合っている。それを見ていた近臣や、公卿が羨ましそうに見つめるのも仕方はあるまい。都人にとっては希少性と、上位者に認められた権威的なブランドが何よりの宝。そして、この当時の酒は基本的に甘い物であり、梅酒は甘いということに忌避感が無かった事も大きいだろう。

 

「のう、弾正や。なんとかならぬのかえ?」

「そうですぞ弾正殿。それほどの酒ならばもそっと仕込めぬのでしょうか?」

「さきほども申しましたが、砂糖の方が問題でしてな」

「こちらの数を増やさねば、程よくはならぬのですよ」

 ブランド戦略の成功に、内心でガッツポーズをする輝虎である。

しかし彼女としても、自分が飲む分を確保できないというジレンマがあった。迂闊に大盤振る舞いすると、最悪、数年は吞めないことを覚悟すべきだろう。砂糖を手に入れたとしても、一朝一夕では味が付かないのだから。

 

「陪席の身で失礼いたします。ならば、砂糖を育てられる場所を征伐なされては?」

「浅学ゆえに詳しくは知らぬのですが、暖かい場所の産とか」

「その土地の守護と共に、筑紫島のいずれなり土佐を治められるのです」

「これ、十兵衛。今はめでたき席であるぞ。戦の話はまたにせよ」

 ここで話を切り出したのは、明智十兵衛光秀だ。

彼は将軍家が雇った常備兵の精鋭であり、藤孝の陪臣に取り立てられた教養人でもある。彼が陪席することも、連歌など会で既に知られており、その辺りの武将などよりも相応しいと周囲からは見られるほどであったという。ゆえに藤孝も土地を切り取る話はともかく、光秀が口を出す事自体は咎めなかった。

 

「良いのですよ兵部殿。しかし砂糖を……ですか」

「それは面白い提案ですな。前に砂糖を育てるという案を聞いたこともあります」

「戦で切り獲るかは別にして、この両案を重ねて検討するのも面白いやもしれませぬな」

(そう言えば竹中半兵衛と明智光秀ってどっちも斎藤家……斎藤道三の家来だったよね。気が合うのかな?)

 数日前の事だが、梅酒の話を半兵衛の前でしたことがある。

義輝が興味を示しているという話を晴嗣から聞いた為だが、その時に子供特有の柔らかい頭脳で、『砂糖が無ければ育てれば良いじゃないマリー』みたいな提案をしたのである。それに対して輝虎は『良い子の諸君! 今までにない話という物は、やれなかったのではなくやらなかったのだ。そこには無理無理カタツムリな理由があり……』と、小さい子の前で良い顔をして見たいので即答を避けていたのだ。

 

なお、これはその話の解決例を半兵衛が聞き、裏で光秀に伝えた結果でもある。

ギヤマンが沢山作れないので温室も無理だから、暖かい地方を手に入れないと無理だねー。みたいな事をドヤ顔して少年の前で口にした輝虎の失態であるかもしれない。

 

「ほほほ。その辺りの農夫とて砂糖を育てるなどは思いもよらぬこと」

「弾正は実に壮大でおじゃるなあ。いや、それほどの器で無ければ、坂東は収まらぬ」

「そうだのう。もし成功した折には、この酒もようさん作れようぞ。その時を楽しみにしておれ」

(しかし、土佐か。土佐を弾正に与えれば、三好を裏から挟み撃ちに出来るのう。実際に攻めずとも、長慶が弁えれば良い。いや、待て。砂糖なぞついでよ、無理に土佐でなくとも……)

 他愛ない話に頷きながらも、義輝は秘かに考えを巡らせた。

剣豪将軍と呼ばれてはいても、勢力バランスの上を泳いで政権を維持する足利将軍家の一員である。そのくらいの計算は簡単に出来るし、その展望に夢を躍らせる程に自分の勢力が非力な事は承知していたのである。その辺りを読みきって今回の流れを作った光秀の思惑通りであるが……。

 

ここで思わぬ闖入者が現れたのである。

 

「失礼します。山科様が連れを伴って立ち寄られたと」

「言継殿が? 他はともかく言継殿では断れぬか……通せ」

「あの方はこちらの手では無かったはず。大方、誰ぞに顔繋ぎを頼まれたのでしょうな」

「そう言えば『連れ』と申しておったのう。せっかくの宴に無粋な事を」

 山科言継は朝廷の庶務を担当する、微妙ではあるが重要な立ち位置にある。

教養深く薬師の腕もあって、諸国を回って諸大名に様々な作法を教え多額の献金を集めた実績があったのだ。後奈良天皇の覚えめでたく、また義輝は彼の領地を没収した時に、晴嗣の父である種家に諭されて返却した経緯がある。これらの問題で、彼の仲介を断れなかったのであった。

 

 言継は一人の青年武将を伴っていた。

匂い立つような風流な仕草で、傍らに碁盤と石を抱えている。荷物を抱えているから言継の従者かと言えば、その装束と雅な香りがそうではないと如実に示していたのである。

 

「内の大臣と大樹様には、ご機嫌麗しう」

「これに伴いましたるは、織田家の当主信長と申します」

「信長と申し上げます。おめもじ仕れば幸いであります」

 言継が紹介したかったのは織田信長である。

彼が通称を付けず、諱である信長のみを名乗ったのには深くて果てしない理由があった。簡単に言うと、若さの過ちで盛大に付けたつもりの通称のせいで……彼は『詰んだ』のである。輝虎と晴嗣のせいで盛大なやらかしになってしまい、周囲の自体も含めて慌てて謝罪に来たような物であった。

 

「ほほう。今をときめく『上総守』殿では無いか」

「尾張に親王様が下向されたとは初耳ですなあ」

「浅学非才の身ゆえご容赦いただきたく。既に通称は、上総介に改めておりまする」

「上総介のう。その通称もどうかと思うでおじゃるな」

 そう、当主になった頃の信長は、イキって事もあろうに上総守を名乗ったのだ。

気を大きくしたというよりは、周囲の全てを飲み込む気概を見せるつもりで親王任国である上総守を名乗ったのだが……。関東を治めるために、上野介の地位を晴信に渡し、その行動を掣肘するために上位の親王様を上野守にしたことが、彼の立場を玉突き事故の様に悪くしてしまったのである。

 

せめて後奈良天皇の宮廷が潤って居なければ、武田と今川が三河を攻める気配を出して居なければ、あるいは斎藤義龍が攻める気配を出して居なければ……所詮は通称に過ぎない物を、とやかく言われる事はなかったであろうに。

 

「まあまあ。無学と言うのは誰しもあるもの。この弾正も常に痛感しております」

「一時は恥ずかしさのあまり、不識庵と名乗ろうかと思ったほどです」

「出家するかを迷っていた折でしたので、取りやめましたが……」

「……そうですなあ。まあ謝罪を兼ねて色々とご用意いただいたのでしょう。適当な官途をいただき、上総介という身に合わぬ名前を省けばよろしかろ」

 ここで輝虎は、信長をダシに自分が無学であると強調して置いた。

いつかやらかした時に、私は知識ないですから! と主張するためなのだが、周囲は肝心の話を聞く為に仲裁したのだと思った。実際、通称に過ぎない事を謝罪するならば、適当な額を献金してしまえば良いだけである。あだ名を馬鹿にすることはあっても、何時までも根に持つことはないのだ。しかし……輝虎が五千貫、上総介である晴信も含めて一万貫を献金した直後というのが信長を追い詰めていた。

 

「大膳大夫の弟には刑部少輔を任せたが、それより下かの」

「これ。そのような話をしては、信長とやらが委縮してしまおうぞ」

「ふむ。では何を持って我らを興じさせてくれるのかのう?」

 ニヤニヤと笑う意地の悪い公卿や近臣たち。

謝罪内容とその表明だけに、マウント合戦に気分を悪くした輝虎も口を挟めない。だが、こんな事は最初から判っていたことだ。この程度で委縮するならば、最初から今にも斎藤家から攻められそうなのに、尾張から出てくるはずが無いではないか!

 

「弾正様と『賭け碁』をいたしたく存じます。お受けいただければ幸い」

「賭け碁とな? 酒宴の出し物としては微妙じゃのう」

「何、掛け代次第でありましょうや。何を持って笑わせてくれるのやら」

「……私は呑み比べの方が得意だが、その意気は買おうぞ。何を持って勝負を挑む?」

 颯爽と信長が切り出したのは、賭け碁である。

あまり受ける気の無い輝虎であるが、酒が入っていた事と、周囲のマウントがウザいので話を聞くことにした。問題は『賭け』と言う事は、自分も代価を用意せねばならないのだ。戦国大名同士の賭けなど、大事過ぎてあまり良い気はしなかった。

 

「賭け代として尾張半国を賭けましょうぞ」

「待たれよ。酒の余興には冗談が過ぎるでおじゃるぞ」

「いえ。この信長、此度の失態は命懸けと存じております」

「将来に尾張一国を従えるとはいえ、信長の身の代には今の全てを賭ける必要があるかと」

 なんと! 信長は自らの所領全てを差し出して来たのだ。

あまりにも突然の話に、思わず真面目に疑義を呈した公卿も居るほどだ。だが信長は真摯に語っており、命懸けで失態を償うという姿勢を見せた。そもそも通称など他愛のない罪であり、今の環境が信長を追い詰めていたのだ。その逆境を跳ね返す為には、この位の賭けは必要だと思ったのかもしれない。

 

「尾張半国、そうは言うがいずれ治部が平らげるであろ?」

「そうなればこの賭けは成立せぬのでは無かろうか? 少なくとも治部は良い顔をせぬぞ」

「ですが、話は聞いていただけると信じております。何より、信長が賭けるのは『時』、従うのは『世の平穏』にございまする故!」

 義元から話を聞いていた晴嗣、そして尾張という立ち位置に義輝が興味を示した。

この時点で信長は話を引き込んでおり、上総守を名乗ったことで、自分が『詰んだ』という状況を脱したのである。この場でこんな話をする時点で、将軍家の為に動く覚悟がある事を示していたからである。

 

「ここで信長を下せば、戦なくして尾張が収まりまする」

「そして何より、治部大輔殿がやって来る二年から三年の時が不要となります」

「流れる筈の血と金、失われるはずの民と兵糧。それら全てを使えばどれほどの事が出来るでありましょうや」

「もしこの信長が敗着した暁には、弾正様の轡を取って尖兵として、世の中を糺す為に働きましょう程に」

 二年もあれば今川家は確実に三河を支配下に置き、場合によっては尾張に至る。

更に美濃の斎藤家も攻める気配を伺っている事を考えれば、かなり信長は不利なのだ。その上で先ほど述べた上総守による失態である。朝廷も幕府も和睦の斡旋などしないであろう。それゆえに『詰んで』いたのであり、話を引き込んだことで、その懸念を払拭したのである。

 

(織田信長……上手いな。もはや誰も侮ってはおらぬ)

(それどころか尾張を使って、何をするかを考えておるほどだ)

(特に、今川を使って大樹様を煽ったのが良い)

(このままでは尾張を今川が領有し、しかも都に大いに近づく。だが、ここで上杉に与えてしまえば、その流れを一気に断ち切れるという訳だ。上杉のやり口は温い……このままでは失う半国を捨てても、残りを従えれば十分だろう。さてどう動くべきか……)

 光秀はこの場の変化を敏感に悟る。

ここで重要になるのは、今川家が足利一門の連枝衆であるという事だ。徳川幕府で言えば、御三家に次ぐ御三卿といえば判るだろうか? 古河公方が御三家と言えその権力の強大さゆえに内紛を起こして失墜した家系。そして今川家は御三卿に匹敵する血族でその力を有したまま生き残っているという訳だ。

 

このままいくと百万石を越える大大名が、都にほど近い尾張まで進出して来る。副将軍どころか将軍家を継いでもおかしくない家系となってしまい、仮に義元にそのつもりはなくとも、息子の氏真以降は怪しいだろう。とはいえ光秀には他人事であり、故郷である美濃を救う使命があった。

 

「僭越ながら天下の平穏には、よき話ではないかと」

「弾正様は一向宗を鎮められる徳を有しておられるとか」

「長島を抑えて伊勢、あるいは根来や雑賀を抑えて紀伊も平穏となりましょうぞ。安芸でも良いのですが……」

「伊勢か、悪くない」

 光秀は美濃から話をそらすため、話を伊勢などに向けた。

一向宗の協力もあれば大抵の場所を抑えられるだろうが、義輝が特に注目したのは伊勢である。尾張からすぐ隣に位置し、信長と長島の一向門徒の協力もあればそれほど時間を掛けずに統一できそうに見えた。これが何より重要なのだが、伊勢に輝虎が来れば近江の六角を掣肘出来る事だ。紀伊から摂津に掛けて勢力を持つ畠山家は、能登・越中の件で長尾に近いのも良い。

 

越前の朝倉は将軍派のまま固定しているのだが……六角家は細川派であった。

以前に輝虎が上洛した折には、義晴・義輝(当時は義藤)を説得するために残ったが、意見が変わらないと見て細川派に戻ろうとした。その後に三好家と義輝が揉め事起こし、三好ではなく細川と手を組み直したことで、再び六角も将軍派になったのだ。こんなに諸大名が右往左往する状況で将軍の権力が安定するはずもない。しかし伊勢に輝虎が居るならば、越前と挟まれて六角も態度を決めると思われたのである。

 

「弾正。この碁、受けてやれ」

「はっ。しかしその前に尋ねる事が一つございます」

「信長殿が負けたら尾張半国。では勝った場合は越後でも差し出せば良いのかな?」

「いえ。その場合は弾正様が新たに切り取った場所に所領を戴きたく」

 元より無茶振りで吹っ掛けられた賭け、輝虎が受ける必要はない。

話の流れを引き込みたいだけだったので、あえて代価を聞かねれば、負けても適当に済ませられるだろう。しかし現代からの転生者でありこの辺の機微を理解できない輝虎は生真面目にその先を尋ねたのである。果たして、その内容は『どのような場合でも、弾正様に従います』といういじらしい表明であったという。

 

「これで良かろう。暫し時を空けて賭け碁を始める」

「晴嗣殿。どうであろうな? 信長には弾正大忠を授けるのは」

「面白いですなあ。同じ弾正、そして藤原である上杉を継いだとはいえ、長尾は織田同じ平氏」

「遠き弟と思うて、暫し碁に興じられるがよろしかろ」

 弾正大忠は弾正台の役職でも、大弼より二つ下である。

輝虎が以前に就いていた少弼の一つ下でもある。つまり現時点での期待度は、景虎時代の長尾家よりも下であるが……これからの活躍で、少弼に引き上げることも検討しているとも言えた。この時点で、信長は窮地を脱出したのである。




 とりあえず書き溜めが無くなったので、また緩やかなペースに戻ります。

1:上杉政虎をキャンセルして、輝虎へランクアップ。
2:関東管領にいつかなる、いつかと決まっている訳でもないが。
3:私は不識庵。そのうちに謙信になるよ。
4:現時点の小姓は、真田昌幸・竹中半兵衛・河田長親ほか。性癖と人格が壊れる。

というのが景虎さんの近況です。
人脈は増えたけど、特に何か変ってはいません。

5:今川が二年以内に来る
6:斎藤がそろそろ来る
7:上総守と名乗ってしまい、上野守の件で朝廷は親王任国を重視しいた
8:仕方ないので尾張を賭け金に、碁で勝負!

というのが信長くんの近況です。
ちなみに碁で領地を掛けるのは、武田信玄における真田幸隆のパロディ。

冒頭にもありましたが、書き溜めが無くなったので、次は早くても二・三日かかるかと思います。


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ゴー! ウエスト

 石を握り合った結果、輝虎の先手で賭け碁が始まったが、この勝敗自体に意味はない。

織田信長が進退を掛けて弾き込んだ『流れ』が重要であって、勝っても負けても将軍家の為に戦うということ自体は決まっているからだ。

 

それゆえに観客は興奮しながらも、余興だと楽し気に見守って居た。

輝虎にも大きな利益があるのだからと強引に、秘蔵の梅酒やら清酒を提供させ酒宴を続けながら勝負を見守っている。

 

(どう転んでも得しかないはずなのに、なんという圧力……)

(勝負事には手を抜かぬという事か、それとも良いように転がされて機嫌が悪いのやも)

(ここは確かめねばならんな。だが、迂闊に話しかけて良いものか判らぬ……)

(……私の梅酒~! 許さないんだからね!)

 織田信長は輝虎の強烈なプレッシャーに気持ちを量りかねていた。

まさか梅酒を公卿たちに取り上げられ、お気に入りの希少な酒が奪われたことに起因しているとは思いもつかないのであろう。無理もあるまい、三国の太守であり青苧の利権や鉱山を豊富に持つ輝虎は、金にも土地にも興味が無いと聞く。それゆえに残るは名誉であったり、キー・プレイヤーとして日本を動かす醍醐味くらいしか思いつかないからだ。

 

(弾正を有効に使うならば伊勢だろう)

(しかし、本当に伊勢に決めてしまっても良いのか?)

(一度伊勢に決めてしまえば他には使えぬ)

(摂津。土佐、後は安芸であったか。そういえば鞆の浦がどうのと申しておったが……これはないな。動かさずに献金を続けさせるのも無しであろう)

 その頃、足利義輝は輝虎を派遣する場所を絞りつつあった。

表面上は公卿たちと賭け碁の趨勢について語り合ったり、他愛ない話をしているように見せて、先ほど出た提案を再検討していたのだ。このまま行けば尾張が将軍家を支持する勢力になるのは間違いが無い。信長が家臣に支持されて居なくとも、将軍家が背後に居れば幾らでもなんとかなる。

 

その上で、早々に安芸の案と献金のみの案を切り捨てる。

弟の誰ぞを還俗させて、鞆の浦に大名として配置する。その援護を輝虎にさせるとして、三好に影響を与えるのに時間が掛かり過ぎるのだ。また、献金は確かにありがたいが、無くても何とかなる物ではある。今回、表面上は受け取って居ないがおこぼれを与ってはいるので、そこまで困窮して居ないというのもあるだろう。

 

(摂津ならば即座に影響があるが、三好が進退を掛けての戦いを起こさぬか?)

(土佐ならば即座の影響はないかろうが、逃げる場所がなくなるのは大きいかろう)

(三好のふてぶてしさは大身であることだけではない。阿波に逃げられるからゆえのう)

(ならば第一の案は伊勢、第二は土佐とすべきか? 伊勢に弾正がおれば近江はもはや旗幟を動かさぬ。土佐におれば三好の余裕を奪えるであろう……やはり伊勢か)

 検討していく中でかなり絞られてきた。碁で言えばどの盤面を抑えるかだ。

実効性があるのは伊勢の支配をさせ、東の地を厚くする事だろう。輝虎ほどの武将が後方に居れば、近江の六角も細川重視でバタバタすることは無くなるのが大きかった。三好を牽制するのが遅くなったとしても、都の東が将軍家支持で固まるならば色々とやり易いのだ。イザとなれば、こちらが朽木谷までではなく、東国の何処かに落ちのびて軍勢と共に戻ることが何時でも可能になるのだから。

 

ここで重要なのが、義輝にとって三好を滅ぼすつもりが無い事である。

滅ぼすならば摂津に上陸させて、本願寺の支援で西の地を奪わせるべきだろう。何なら侮っている間に引き付け、一気に囲んで叩き潰して仕舞えそうなほどだ。だが、それでは本願寺が新しい三好になるだけの話だし、手を組み直した管領の細川晴元にいまいち信用がおけないのもあった。細川支持派である六角を切り崩せば、その辺りも変わって来るだろう。

 

「弾正。先の話じゃが、伊勢の平穏を取り戻せと言うたらいかがする?」

「……伊勢を預かる方に協力をお願いいたします」

「黄門にか? ふむ……アレは同じ師について剣を習うこともある間でな」

「よかろう。その場合は取次ぎをしようぞ」

 伊勢の正式な国司は代々、北畠家が務めている。

当主となったばかりの北畠具教であるが、参議を経て中納言に昇進した公卿でもある。剣術好き仲間で様々な武人(後に上泉信綱など)に剣を習った事もあり、義輝とも同門の間柄ともなる事があった。話をし易い間柄と言え、諍いになって揉め事を起こしたら宥めるのは大変であるが、逆にこちらから北畠家を立てる形で話を持って行けばまとめられるだろうという算段はあったのだ。

 

(黄門ってなんだか水戸黄門みたいだよね)

(何かつながりがあるのかな? 面白ーい)

(む……。圧が弱まったな。やはり勝負への執着か、あるいは自儘に振舞いたいと言う表れか)

 無教養を晒したくないので黙って居る輝虎だが、黄門とは中納言の元祖である中国版である。

ともあれプレッシャーが弱まったことで、信長は話しかけるとっかかりを得た。義輝が最上位者とはいえ、脇から話しかけられるくらいである。何処かで信長も話しかけたとして問題はあるまい。他の誰かが話しかければそれに便乗し、誰もしなければ自分から斬り出せば良い。しかし、その機会は意外に早く訪れたのである。

 

「剣での間柄でありますか? それは心強い」

「黄門様の他、同門の方を推挙していただければ幸いであります」

「そういえばそなたも腕利きを揃えておったのであったな。良かろう」

(黄門に話を持って行く以上、さほど領地は切り取れまい。ならば腕利きに土地を与えて取り立てる算段であろうな。戦の事に成れば、なかなか切り替えが早いのう。ソレに習えば自分も取り立ててくれと言う浪人も次々に現れよう、良き判断じゃ)

 輝虎としては『技を磨き合う男の友情とか佳いよね!』と言う程度だが……。

義輝としては別の判断を下した。伊勢の北には北勢四十八家とも言われる無数の国人がひしめき合っているが、それらの全てを討伐できると決まったわけではない。北畠家に従う者は即座に道を開けるであろうし、六角次第だがそちらの派閥も少し遅れて降参するだろう。そうなれば土地はさほど奪えず、輝虎が将軍の使いとして北伊勢を平定したという功績くらいになるだろう。

 

となれば自ら領有するより、新たに仕官した腕利きに与えると判断した。

輝虎はこれまでも面倒がって土地を奪おうとしない所があり、理由はともかく、あながち間違って居ないのが大きかった。少なくとも輝虎を利用するだけ利用する間がらでありながら、義輝から見て輝虎は相性が良い相手なのであろう。

 

「それがしが敗着いたせば、下四群を提供いたしまするが……」

「平定する予定の上四群の西部をお貸しいたしましょう」

「そこで兵を養われてはいかがでしょうか?」

「不要だ。それまでに片付ける。尾張の平定に必要ならば、先に協力した後でありがたく貸していただくがな」

 信長はあえて、自分が勝った場合とは言わず話に加わった。

輝虎のこだわりがどこにあるか判らないからだが、帰って来たのは揺るぎない勝利への確信である。自分ならば勝てるという絶対の自信があり、それゆえに伊勢も信長への協力も、自分が居れば確実と言うのが透けて見えた。

 

(妄信ではないな……北畠に助力を頼んだし儂の件もそうじゃ)

(勝利追い求め、自分の手で一つ一つ掴み取るのが好ましいのであろう)

(勝つための努力は惜しまぬし、尾張を根拠地にせねばならぬのならば儂にも協力するか)

(さて、どうしたものか。儂とて自儘にするのが何よりよ。力を借りれば確実に勝てるとしても、舐められるのは好かぬ)

 輝虎の性格をおおよそ信長は考察できていた。

勝負事が何より好きで、もちろん自分が勝利することを追い求めるカードゲームのデュエリストのような性格。そこに努力は惜しまず、かといって必要以上の助力を欲しないタイプだと気が付いたのだ。港町である津島を抑え、熱田神宮の門前町を領するがゆえ、あまり土地を持たずとも裕福な理由も察していた。

 

そして輝虎が酒好きとまでは気が付かずとも……。

甘い物も酒も両刀で、男女ともに両刀である信長は、大きく輝虎の性格把握を外すことなく、軟着陸する流れを掴みかけていたと言っても良い。残る問題は、お互いに気難しい部分がぶつかり合った時に炎上するかどうかであろう。

 

「いえ、尾張の仕置はこの信長が役目」

「もし治部大輔さまが三河を平らげても尾張を平定できなんだなら……」

「その時は潔く尾張全土をご提供いたしましょうぞ」

「そなたならば可能であろう。もはや隠す相手がおらんのだからな。自分の目で見てもおらんのに、うつけと侮る愚か者を下すだけだ」

 信長はハッキリと自分の手で尾張統一を成し遂げると言い切った。

無論、自信はある。天文二十四年までに、親族の中でも下四群の守護代を既に倒している。上四群の守護代も既に劣勢であり、残るは弟の勘十郎信行を倒すだけと言っても良い。そして信行が連絡を取り合っている今川家に関しては、将軍家から和睦の使者が出されることが現時点で殆ど確定している。その事を知らない信行では、戦略的に既に勝負は決して居たと言っても良い。

 

「弾正様のお目に叶えば幸いですな。この信長の差配にご期待ください」

「いやいや、そこに懸念などあるまい。むしろ期待すべきは美濃であろうよ」

「都の東を是非とも守って欲しいと思うておる。それが織田であってはならぬ道理も無し」

「その時は弾正様の美濃征伐に参加して、信長は先手を務めましょうぞ」

 信長と輝虎は碁盤を挟んで会話を続けた。

既に碁の勝敗よりも、人物評価や今後の戦に関する話が中心になっている。勝負自体が茶番なのだからどうしてもそうなるし、打ち方としても勝負にこだわる輝虎と、今回の流れの為だけに勝負を吹っ掛けた信長では気概が違ったのもあるだろう。

 

やがて輝虎が僅かに勝利……か、というところで思わぬ話が切り出されたのである。

 

「輝虎の勝ちじゃな。では尾張は……」

「いえ。碁は先手の黒が有利。何目分の地に充るか? その見方に寄るでしょう」

「弾正は本当に欲が無いな。下四群とやらは信長に預けるが、治部が文句を付ければ考慮せよ」

「はっ。どうしても折り合いがつかぬ場合は、一群や二群なりと譲りまする」

 輝虎は現代で定まって居るルールを持ち出して尾張の接収を避けた。

その流れ自体はともかく、義輝たちも賭け碁の勝負で本当に土地を渡せなどと言うはずがない。あくまで信長が率いる尾張一国が将軍家に味方することが重要であり、あえていうならば、三河を狙っている今川家が文句を付けたら……という理由にしたのみであった。信長としても今の流れならば、替地として美濃を切り取る自由が許されるだろう。不満も無く殊勝に頷いて見せたのである。

 

 

そして天文二十四年の秋、ついに平和が破られた。

斎藤義龍が動いたのだ。尾張の上四群の守護代であるが、劣勢であった織田信賢を抱き込んで侵攻を開始したのである。信長が朝廷に伺候していた隙を伺った形であり、これに後奈良天皇が激怒し、懲罰をせよと言い出す流れが俄に朝廷へ巻き起こった。とはいえその後に安芸で厳島の戦いが起きたり、三河で今川と武田の侵攻が始まるなど、一気に激動の年となり、話は少しずつ変わって行ったのであるが……。

 

(美濃の話が出た時はヒヤリとしたが……何とかなったな)

(細川様より援軍に行くか? という内示もいただいた)

(おそらくは戦いが始まった後で、都との取次ぎ役なのであろうが……)

(この機にどちらの弾正でも良い接近して置けば、斎藤家の誰ぞを生かして使うという事を吹き込めよう。あまり言い募っては疑われるゆえ、上杉に行くならば半兵衛とどこぞで連絡を取らねばならぬな)

 明智十兵衛光秀は過程はともかくその境遇に満足していた。

将軍の側近である細川兵部大輔藤考に仕えており、彼に見出されるまでは将軍家の精鋭部隊に居たのだ。義輝自身も目を付けているような節が伺えたし、貸し出そうという話も、パイプ役として動けと言う事だろう。援軍として行動するからには手柄を立てれば自身の功名にもつながる。そして武将として育ててくれた斎藤道三にも恩返しができると……胸を撫でおろしたのである。

 

明けて翌年、かねてからの予定通りに弘治に元号が変わった。

史実と違う所は後奈良天皇が禅譲し、方仁親王が即位(名乗ってはいないが正親町天皇のこと)、上皇として見守るという流れである。輝虎は信長と共に改めての献金を行いつつ、常備軍の一部を陸路や海路より呼び寄せて戦いに備え始めていた頃の事である……。




 囲碁の勝負は勝ちたい輝虎、どっちでも良い信長なのでほぼ決まり。
しかし管理を任されても困るので、五目半とは言いませんが、黒が有利だから!
と理由を付けて「勝利を譲ってあげたんだからね! エッヘン!」とやってます。
次回は輝虎だけは思っても居なかった美濃攻めになります。
他の皆は「あー我慢できなかったかー。だよねー」とか見てたのですが。

●信長
二人いる守護代の内、一人倒してるのは史実と同じ。
その内に信行(信勝)と戦う流れも同じでしたが……。
しかしもう一人の守護代が斎藤と組んで戦闘を始めたので話が変わってきます。


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運命の変わり目

 斎藤義龍が尾張に攻め込む中、織田信長が弾正大忠に任じられる。

東の海道を安んじ、平穏に為さしめよと上皇よりの院宣が下った。この事が窮地にあった織田弾正忠家を救う事になったと言えるだろう。何しろ弾正忠家の家督争いは、信長に確定したも同然。弟の信行が自分の方が相応しいと口を挟む余地が無くなってしまったのである。

 

斎藤家が尾張侵略に対する非難を含んでいるのは当然ながら……。

遠回しに今川治部大輔義元に対する、尾張侵攻が牽制されたのも大きい。これで信行は義元と連携して尾張を乗っ取る算段が完全に崩されてしまった。

 

「弾正様はいかが為される御つもりで?」

「輝虎で良い。そなたも弾正であろうに」

「この際だ……美濃の西口を抑えるとしよう。以後の上洛が楽になる」

「しかし美濃の西は精強なる……いや、失礼した」

 上皇よりの院宣を賜ったことで、輝虎と信長は大義名分を手に入れた。

信長は名実ともに尾張の太守として、全軍を持って斎藤家を迎え撃つことになる。そして輝虎は裏口から美濃の西部を奪取することで、飛騨経由でも越前経由でも、伊勢を目指せるようにしたのである。これが完遂すれば、美濃一国を落とさずとも、都の東を固めることができるので将軍である足利義輝からのオーダーに応えることも出来るだろう。

 

しかし、そのためには屈強なる美濃三人衆と戦う必要がある。

この時期にはそう呼ばれていたわけではないが、彼らが美濃で最も精強な部隊である事は間違いが無い。その事を指摘しようとした信長であるが、途中で口を挟むのを止めた。

 

(美濃で最も強い相手と戦ってみたいのであろうな)

(打ち破れるならばそれは最適解でもある。稲葉や氏家が勝てぬのに誰が挑もう)

(同時に儂への援護でもあるという事か。彼奴等が援軍に来ぬのであれば……)

(尾張で言えば勝家が動けぬようなものだ。後は義龍の勢いを反らして、弱い所から食うのみよ)

 信長はデュエリスト思考で輝虎が動いているのだと判断した。

武将としての自信がある故に、稲葉良通のような屈強の武将と戦いたいのだろう。同時に彼ら美濃最強の部隊が居ないのであれば、信長は斎藤家の軍を打ち破るのは難しくなかった。一部の城で相手の攻撃を受け止めて、相手の動きが止まった所で勝てる敵を各個撃破して行けばよいのだから。

 

(俺より強い奴に逢いに行くっていうやつ?)

(それに面倒くさいしさっさと片付けちゃお。お伊勢参りにも行きたいんだよねー)

(東はお晴さんに任せちゃえば良いかなー。どうせ様子を伺ってるんだろうしねー)

(後は斎藤家で降伏する人に美濃を任せちゃえば良いかな? あーそういえば土岐さんもお願いされてたっけ)

 そして信長の予想はあながち間違いでも無かった。

輝虎のロジックとして、最強の敵をひとまずブン殴る。それで敵の軍勢が委縮した所を包囲して、相手が戦えない春・夏といった農繁期で大攻勢に出るというのが関東攻めで確立した越後軍の戦闘ドクトリンとも言えた。既に毘沙門堂を美濃近くに設置したこともあり、後は美濃の西を攻撃するだけだったのである。

 

「稲葉山を降伏させた後、土岐殿にお任せしようと思うがいかがかな?」

「良き思案ではないでしょうか。美濃の正当な守護は土岐殿ですからな」

(これは儂への報酬か。土岐を名目にすれば義龍も断れんであろうしな)

(治部大輔にいくらか渡す必要が出たとしても、稲葉山周辺を食えるならば元は取れる。欲を言えばもう少し欲しい所ではあるが、攻め込まれている状態ではな)

 美濃から逃げ出した土岐家は信長が保護をしていた。

義龍は道三の息子ではなく、実は土岐家の息子であるという噂を利用していたこともある。もしこのまま斎藤家が敗北した場合、土岐家を名目上の主人として稲葉山城を信長が受け取るという条件ならば断るのは難しいだろうと判断したのである。

 

斎藤家を必要以上に追い詰めないが、分割統治させる。

この方向性がその後の美濃の運命を決定付けたという。裏を通じてこの事を知った道三の伝手で、美濃北部の諸将などは冬から春にかけての雪もあって安堵していた。義龍派・道三派・土岐派と別れるとしても、基本的には本領安堵されるからである。

 

 越前ルートを通り、朝倉家の部隊と共に南下する越後勢。

しかし、その前に斎藤家の部隊が立ち塞がった。共に五千と号しているが斎藤家は地元ゆえに五千を越えている可能性があり、逆に連合軍は五千に及んでおらず実質的には四千人台後半というところである。これが美濃西部の平原でガップリ四つに組み合ったのだ。

 

それゆえ当初、この流れは美濃側にとって有利だと予想されていた

斎藤義龍は愚かではなく、抜かりなく精鋭である美濃三人衆と言う切り札を温存している。また朝倉家の宿将である朝倉宗滴は病の床に伏している事が知られており、士気の面でも優勢であるはずだった。斎藤家の兵が殆ど尾張に言っており、楽に勝てると油断しのこのこやって来た敵を追い出すつもりであったという。

 

「馬鹿な。敵は小勢だぞ! 押し返せ」

「しかし一部が異様に強く……。いつもの朝倉勢ではありませぬ!」

 不幸だったのは美濃三人衆、特に主力を率いる氏家直元である。

三人衆の中でも最大の勢力を持つ彼は、義龍により西美濃の守備を任されていた。北国の雪ゆえ飛騨路ではなく、むしろ朝倉勢と共に来襲する西口が危険だと判断して、美濃三人衆を残していたからこその采配である。だが、結果的にこのことが氏家勢に不幸を呼んだと言えるだろう。

 

越前より来襲した五千弱の兵力、その内の二千ほどが越後勢である。

共同で攻める朝倉勢よりも突出し、小勢であったことから氏家の差配で美濃三人衆に囲まれることになった。だが常備軍の主力を中心にしており、聖戦の呪文を受けた彼らの圧力は生半可な物では無かったのである。

 

「いつまでもあの勢いは続くまい。引き付けて防いでおけ」

「その内に息切れするか、稲葉勢が後ろに回るであろうよ」

「はっ!」

 直元は美濃三人衆の中で最も多数の兵力を持つ。

それゆえに采配を振るうために後方に居る事が多く、このことが勢いに差が付いた理由に気が付けないでいた。これが戦闘力で美濃最強ゆえに、最前線に立つ稲葉良通であれば別の判断を下したであろう。時間を置いて逆転するどころか、今にも自分の軍勢が危ないのだから。

 

とはいえ直元が迂闊とも言い切れまい。

関東で起きた戦いの詳細など普通は知らないのだ。せいぜいが行商人から越後勢が越年で戦ったとか、関東の諸将が歯が立たなかったと聞き及ぶ程度であろう。三人衆最後の一人であり政治家タイプの安藤守就が突き崩され、撤退を決意するまで実態に気が付かなかった。

 

「此処まで来たら撤退して城を守るほかあるまい」

「しかし何故だ。どうしてここまで戦える。所詮は手伝い戦のやつばらであろう」

「それとも宗滴翁が最後の奉公とばかりに奮戦しておるのか?」

「それが……殿軍に立った稲葉様が討ち取られたとか。あの方を朝倉勢が倒せるとも思えませぬ」

 最大の誤算があるとすれば、戦いに関する認識であっただろう。

直元からすれば、後ろを突く楽な戦に出て来た敵を迎え撃つはずだったのだ。だが当初の思い込みを崩されたのは彼らの方で、越後勢も越前勢も慌てふためいてなどいなかったのだ。最初からガツンと戦うつもりの精鋭部隊が、こちらの精鋭部隊と戦って居るという訳である。だが信じられないのは、同じ精鋭部隊同士ならばここまでの差が無い筈であった。

 

だが、ここで入った一報が、遅まきながらに直元へ真実を届けた。

稲葉良通は一鉄とも言われ、強固な防御力を授かる加護を持っていたのである。これに闘気魔法による防護を重ね合わせれば、雑兵に囲まれた程度では死にはしない。少なくとも武芸者クラスを複数人相手取らなければ、倒されたりはしない筈であった。

 

「あいつがか! ぬかったわ!」

「将軍家直参の足軽衆でも借りて来たに違いあるまい!」

「数が少なしと見せたのは、我らを誘き出すためであったのだ!」

「だがこの上は仕方なし。春まで待つか、援軍が来るまで時間を稼ぐほかないだろうのう」

 直元は大規模な常備兵を揃えたとまでは気が付かなかったが……。

凡そのカラクリを想像することは出来た。足利義輝は剣術にかぶれていると知られており、気にいった剣客に武芸を習ったり、精鋭と呼べる直参の足軽衆を揃えている事でも知られていた。そのメンバーを秘かに借り受けて、常備兵の中に混ぜていたのだろうと推測したのだ。その上で付与魔法などを集中的に使い、一時的な剣豪揃いにして強行突破を図ったと想像したのである。

 

だが、そうだと気が付けば脆い策だとも気が付いた。

実際にはそうではないのだが、仮に彼の想像通りならば、せいぜいが小一時間ほどの突撃戦専用に過ぎない。平原での戦いであり、こちらが気が付かない状態ならば確かに有効だろう。しかし籠城戦ではそれほど役に立つ策ではないと想像したのである。

 

「流石に全滅はさせられなんだな」

「ですが予定通りであります。このまま囲んで居れば心が折れるかと」

「既に不破家の援軍を打ち破っております。やがて援軍など来ぬと気が付くでしょう」

「不破? ああ、打ち崩した安藤への援護であったか。では暫くの我慢じゃな」

 その頃、私は斎藤家の別動隊を叩いてたよーん。

正確には西美濃を守るために、援軍としてやって来た数々の部隊を各個撃破したのよね。残念ながら討ち取る事は出来なかったし、近くにある別の城に籠られちったんだけど。まあ、全体としては予定通りなのかなあ。面倒だけど、ここはジっと我慢の子。

 

「このまま西美濃を占拠し、音を上げるまで囲むといたしましょう」

「増援が次々に倒れ、諸城が降参するのを見れば気持ちも変わりましょうぞ」

「そうだな。次の部隊を潰すか、近くにある城を落とした辺りで安藤家に使いを出せ」

「降伏の使者ではないぞ。奴らの援軍が来ぬことを確認するための物見を許すと伝えよ。幾ら待っても無駄じゃと教えてやるのだ」

 私にとって一番つらいのは長丁場の作業なんだよね。

篭城戦は力攻めをしない限りは時間が掛かるし、特に変わり映えなんかない作業ゲー。もちろん越後の最精鋭でも流石に力攻めをすれば大怪我や戦死は当然だからそんなもったいないことするわけにはいかない。そんな事はさせられないので、必然的に周囲を警戒するだけの作業となるのでした。

 

「織田家の方はどうだ? あああ、信長殿の方だ」

「あちらはあちらで籠城戦を互いに行っておるとか」

「美濃勢は織田を囲み、織田勢は内なる敵を囲んで居るとか」

「既に上四群の守護代とやらを打ち破り、美濃勢が囲んでいる自軍の城を救援に向かっておるそうです」

 信長君は勝つ場所と、負けても良い場所を決めて戦ってるみたいだね。

斎藤家の部隊を籠城戦で引き付け、その間に尾張内部の敵を蹴散らしているんだってさ。そして弟の信行……信勝だっけ? その子が動かないことを確認した上で、斎藤家との決戦に出る……んじゃないかなあ。もちろんそのタイミングは、こっちが美濃三人衆を倒して、このままでは美濃を失ってしまうと気が付いてからだと思う。

 

でもさー。こういう作業ゲーってホントに苦手なんだよね。

だから時々やって来る援軍とかを倒しに出かけてるんだけど、その人たちもその内に出て来なくなるんだ。これは関東でさんざんやったからよく覚えてる。倒しちゃえば済む人たちなら良いんだけど、親戚があちこちに居るから、誰かが『助けてー! 言う事言い聞かせるから!』っていうと、流石に許すしかないのよね。人によっては何度も何度もやるから、ウルトラうざいのです。

 

(いい加減飽きて来たなあ。この流れをどうにかしたいっていうかー)

(信長君を助けに尾張にいっちゃう? 向こうではそろそろ決戦だよね?)

(それとも逃げてくるかもしれない斎藤の人たちを後ろから倒すべきなのかな……)

(それとも伊勢にもういっちゃって……)

 その内に堂々巡りの考えが頭をグルグルし始めるのよね。

そんな事は出来ないし、やったら怒られるからダメなんだけど。でも、いい加減この感じは面倒で仕方がないなあ。どげんかせんといけん。みたいな?

 

(数が少ないくらいなら聖戦の呪文で何とかなるけど、お城はそうじゃない)

(お城様にすっごいコンボを考えるか、そもそも別の方法を考えないとシンドイよー)

(道を作って他の人たちを攻めに行くとかはナイスアイデアだと思ったんだけどにゃあ)

 と言う訳で私は美濃攻めしてる間に、そんな事を考えてたのです。

城攻めになったらまず勝てるようなコンボか、それともそんなの気にならないくらいの楽しい事が出来れば解決なんだけどね。

 

後はあれかな……最近はずっと誰かのお願いで動いてるし、そろそろ自分の為に何か見つけるのもいいかもしんない。




 段々と作業ゲーである籠城戦に飽きてきました。
そろそろ新戦術を編み出したり、戦い以外に目を向ける感じですね。
後は遅まきながら、状況に流されるままで、自分で何もしていないことに気が付いたり。
というか謙信様がすべきことはもうやってしまったので、新しい自分探しになります。

●稲葉一鉄
美濃三人衆の一人で、本名は良通。
個人戦でも集団戦でも強力な加護をもっている。
「受け+2・防御値+5」とか「物理防御地+5・魔法防御値+3」とか言う感じで
オーラ魔法による防御は別に乗るので、戦場では凄い死に難い人でした。
残念ながら信長の野望ではなく。謙信ちゃんの話なのでナレ死いたしましたが。


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外伝。今川家の成長戦略

 三河に進駐した今川家の陣地では、ある種の弛緩した空気が漂っていた。

無理もあるまい。武田家との共同で圧倒的な兵力で攻め立て、敵対を試みた場所を殆ど攻め潰したのだ。不可能だったのは早い段階で降伏してしまった場所だけに過ぎない。

 

奥三河からかなりの部分を武田家が占拠しているので統一はしていない。

だが、港を含む町一つと引き替えに、その大部分を引き取るという話まで既に終わっていた。加えて尾張の織田氏とは当面戦わないとの通告もあり、気分が弛緩してしまうのも無理は無かった。

 

「三河の取得、執着至極に存じ上げます」

「雪斎。死に掛けのくせに嫌味は止さぬか。……晴信めは動かせると思うか?」

「暫くは無理でしょうな。武田が引き受ける危険の方が大き過ぎますゆえ」

「越後との隣接か。まったく何をやらせても厄介な小娘よ」

 今川治部大輔義元は師である太原雪斎の床に訪れ問答を始めた。

三河を完全奪取し、松平家も首根っこを掴んで逃げられない状態にしたと言っても良い。あちこちに居た親族衆のほとんどを平らげ、武田に任せた奥三河などは国人たちの大半を討ち取ったという。また晴信の仲介で一向宗とも仲直りしており、三河一国の支配だけならば満額回答と言っても良かったのだ。

 

問題は此処までの準備をし武田を引き入れたのは、尾張攻めを予定していたからである。

本来ならば二年もしない内に攻め込むはずであり、三河の支配を甘くしても良いのであれば翌年には第一陣を送れたであろう。斎藤家が暴れ回り、織田勘十郎信行が裏切ることを考えれば、そのまま併呑することも可能であったかもしれない。それが中止せざるを得なくなったのだ。皮肉の一つも出よう。

 

「だが武田は殆ど傷付いておらぬまま拡大した」

「伊勢……いや北条を我らの仲介で動かせばどうだ?」

「可能であると推察します。ですが、そのためには関東管領がしくじらねばなりません」

「それで暫くは無理と言う事か。……この問答を予想しておったな、雪斎」

 義元の不満は、攻めるべき場所がなくなったからである。

東の北条家とは和睦したばかりであり、攻めるとしても途中に小田原城がある。北は同盟者である武田であり、西の尾張が封鎖された故に攻める場所が無いのだ。その上で、武田家も似たようなものだ。

 

だが異なるのは今川家が安全なのに対し、武田家は逆に越後勢を背負ってしまっている。

北信濃・西上野・東美濃と戦闘する場所が多く、何処を攻めても良い反面、攻められる場所も多いのだ。戦上手の輝虎と戦った場所は敗北する可能性が高いので、慎重にもなろう。

 

「どうせ暫くは三河や河東を慰撫するために動けぬのです」

「関東管領がしくじるのを待っても良いのではありませぬか?」

「その頃には晴信も新領の不満を抑えておろうし、我慢がしきれなくなると言う訳だな」

 戦いで領地を奪ったからといって、そのまま国力に繋がるわけでもない。

反旗を翻そうとする武将は多いのだ。また民が持つ余裕も失われている事が多く、迂闊に放置するのは危険であった。その意味で今川には余裕があるが、甲斐から一気に領地を増やした武田は危険だろう。だが、それ以上に手元がおぼつかないのは、他人の褌で相撲を取った山内上杉家だった。上杉憲政は輝虎に力を借りて戦ったのだ、関東勢がそのまま彼を盟主として担ぐとは思えなかったのである。

 

「しかし統治に苦労するとなると、あの小娘の気分も判らぬでもない」

「だが彼奴はあれほどの財を何処から手に入れておるのだ?」

「我ら以上に交通の便が良く安全であるがゆえ、矢銭の提供が多いのかと。それと鉱山も相当に」

「そう言えば越中でも港と鉱山だけは押さえておったな。金を産む場所を抑えた上で動員もせぬでは貯まる一方ということか? 羨ましい事だ」

 輝虎は見栄っ張りだと思われていたので、金を負担させるつもりだった。

しかし蓋を開けてみれば、自分たちの予想よりも多い額を提供したのだ。これにつられて本願寺も相当な額を出し、今川家も合わせて一万貫にもおよぶ献金を朝廷に施したことになる。

 

無論、義元とて判らぬでもないのだ。平和な国では商人が往来し易い。

この間の三国協商では越後と駿河を往復する商人たちが増えた。今川家でも青苧などの出費も下がった上で、相当な矢銭提供が増えたのだ。越後だと鉱山は輝虎所有であり、殆ど有力豪族も関わって居ないのが大きかったと言えるだろう。

 

「しかし銭雇いの常備兵も相当に増やしたと言うが?」

「その兵の多くは国人共の子弟ですからな」

「これまでにない金をもらえば開墾もすれば贅沢もしましょう」

「他所の領地が豊かに成れば我が家も。金があれば使いたくなるのも当然。そして多くは身の丈に合わない金を使い、金を借りるのですよ。……他ならぬ弾正様から」

 輝虎は殆ど内政の指示を出さない。

ただ街道を作り、作った者を優先するだけだ。逆に言えば国人たちが常備兵を呼んで工兵として扱い、我が領土に道を作りそのついでに領地を開墾させ、あるいは治水に精を出させる。それで増えた食料を売りに出し、子らが常備兵として受けた報酬金と合わせれば、相当な買い物ができるのである。

 

問題は止せば良いのに身の丈に合わぬ出費をする愚か者だ。

越後では都の産物や関東の産物も容易く手に入る為、つい大きな買い物をする国人が増えたという。そして越後における金貸しの元締めは輝虎であり(なお史実)、金貸しでも大儲けをしたそうな。羽柴秀長ほど阿漕でないだけマシだと思いたい。

 

「いっそのこと我が家でも街道整備を行うか?」

「おやめになった方がよろしいかと。今川家は既に大身」

「短い間に隆盛した越後とは違うのです」

「それと弾正様は清々しき程に命令せぬそうで。たった一つの命令ゆえにみな従うのでしょう」

 真似しようかと言う義元に雪斎は厳しくたしなめた。

輝虎は他にまったく内政命令を出していないからこそ、諸将は話を聞いているとも言える。そこに絞っているからこそ、大軍を動員しないからこそ、越後の出費は少ないのだ。同じことをするならば大枚をはたいて諸将の顔を叩くくらいの必要があるだろう。

 

「それもそうだが……。となると晴信は真似をしそうだのう」

「あそこは信濃を中心に獲得したばかりの土地が多いですからな。金山の開発も順調とか」

「従う者には金殻をつかみ取りさせ、逆らう者はそれを理由に罰っすれば良いと?」

「ふむ……それでは武田は暫し動きそうにないのう」

 義元は段々と状況を掴んで来た。

ここに来るまでに雪斎が情報をまとめ、その推論をおおよそまとめて来たのだ。その上で、自分に考えさせることで領主として鍛えているに違いない。ただ漫然と情報を受け取り提案されるのと、自分で考えて色々と推敲してから行動するのではまるで違ったものになるからだ。いつもこの様に試されたいわけではないが、雪斎は死の床にあり、生きている内にこう言ったやり取りは少しでも必要だろう。義元はともかく、嫡子である氏真はまだ若いのだから。

 

(国の主にとって仲が良いなどと言うて攻めぬ理由などない)

(それは我らも晴信も同じよ。我らが武田家を攻めぬのは単に利がない故)

(晴信から見れば、『待ち』の姿勢であろう。今は攻め取った場所が多く、将は服しておらぬ)

(問題なのは晴信には何処でも良いことじゃな。関東管領がしくじれば上野を、輝虎ならば越後を攻めれば良い。そして……我らを狙っても良いのだ。信長や氏康を扇動し三方より攻めて来る。少なくとも『今』、朝廷や大樹を敵にしてはならぬ)

 武田家の領域は難治の地であり、縁戚ゆえに、今川家は攻めるべきではない。

だが武田家にとっては美味しい場所であり、安全地帯も作り易いと絶好の場所である。縁戚と言う事にあまり意味を見出さない男ゆえに、安心するべき相手ではない。少なくとも、武田が何処かの国へ攻め込んでから動くべきだろう。そうなれば晴信は、背中を守るために野心をひっこめるからだ。その隙に尾張なり伊豆・相模を攻めるべきなのだろう。

 

「暫くは模様眺めをしながら氏真の教育と兵の鍛錬になるか」

「その間に関東へと間者を送り、関東管領への不満を探る」

「そのために金を撒き、不満が大きくなって争乱となった所で北条や武田が動くのを待つ」

「主目標は尾張とするが、どうせ関東へ人遣るのだ。伊豆を落とすことも考慮は忘れぬべきだな。無論、氏康に気が付かせてはならんが……いや。同盟を組む可能性を考えれば、尾張の比重が高いと匂わせておくのも悪くはないな。向こうの方で儂を説得するために条件を積み上げよう」

 義元は目を閉じて言葉を口に出し始めた。

雪斎と答え合わせの問答をする為だが、その姿を見て反応を見ようとつい考えてしまう。寿命が残り少ない師に安心してもらう意味でも、何度聞けるか判らない助言を聞くという意味でも、ここは自分の考えを自分だけで出すべきなのだ。もちろん答え合わせを聞けると思う時点で甘いのであろう。だがせっかくのチャンスを無駄にするのも惜しいと思う。

 

狙うべき利益の多い土地は、尾張で間違いが無い。

以前より争った織田家の領地であり、平地が多い場所なのだ。縁戚であり難治の甲斐・信濃へ行く労力の何倍も利益が大きいと言えるだろう。その上で伊豆と相模一部を獲得できるならば、北条家との戦いも考慮から外すべきではない。その事が北条左京大夫氏康が考慮しない筈はないが……その事を計算に入れれば良いだけの事である。同盟を持ちかけて来るならば良い条件で結び、そうならなければ奪いに行けば良いのだから。

 

「それと、尾張に和睦の条件を出すとしよう」

「最低でも三河守継承の放棄。尾張で港を含む一群、または二郡。それと金」

「賠償とは申さぬ。そうじゃな、尾張より駿河……江戸に至る為の道を通す協力金としようか」

「あるいはそうじゃな。川の治水するための共同事業とでも理屈をつけても良いやもしれぬ。こんなところでどうだ?」

 そして尾張に関するちょっかいを考え始めた。

信長の父親である信秀は三河守の地位を得て三河侵攻の大義名分にしていた。父の地位を子供に受け継ぐとも限らないのだが、代々継承する例もあるので、特に誰かが要求しないならば否定されないのも事実であった。そこで最低条件として、三河守の継承を放棄させることを条件に選んだのである。

 

「港を要求したのは武田にくれてやる穴埋めで?」

「いや。むしろ武田に渡すと伝える。緩衝地帯にすると言うてな」

「三河で渡すと取り決めた港が重要になるやもしれぬ。意味なく反故にする訳にもいくまいよ」

「重要なのは口実だ。尾張に攻め込む理由であり、三河に攻め込ませる為のな」

 義元は領土の交渉に関して必ずモメると考えていた。

織田家との戦いに成ればこちらの方が国力的に有利なのだ。ならばイチャモンをつけ易い条件を予め用意しておけば良い。領土交渉は当主が応じても有力武将が不満を漏らして認めぬことが多いのだ。何処かで織田家に所属する武将が不満を掲げて暴発する可能性は高かったと言えるだろう。

 

「どうにかして吞むやもしれませぬぞ? 弾正様を通せば別の条件を付けられましょう」

「官位を朝廷に掛け合う。あるいは途方もない金を積み上げるというやもしれませぬ」

「大樹様や朝廷に『有利なのだから応じるように』と命じられる可能性があります」

 交渉のイロハとして、最初に過大な要求をするのは常の事だ。

少なくともそういう事にして、朝廷や将軍家経由で妥協させに来る可能性はあった。輝虎は彼らから信用されて居るし、金を借りるなりすれば、織田家単独で用意するよりも簡単に行く可能性はあるのだ。その上で大金を積んだうえで妥協を要求されるかもしれない。

 

「その時は尾張が割れるまで精々海道平穏の為に、水軍でも増強するとしようぞ」

「今のところ我らは強力な水軍を持っておるわけではないし、港も大きくはない」

「だが我らを納得させるだけの金が用意できるならば、それを使うて育てれば良いのだ。行く先は何処でも良いしのう」

「御見事。ただ答えるだけではなく、拙僧の予想を超えてきましたな」

 朝廷や将軍家に言われれば仕方がないと内外に宣伝できる。

実際にそれで尾張を諦める訳ではないが、配下を説得するのは難しくないだろう。その上で必要なのは金の使い道だ。今川家をより豊かで強力にするために、もらった金と時間を遣うのだと義元は考えたのである。この方法ならば、織田と戦うにせよ、戦わずに北条なり他の大名を攻めるにも使えるのだから。

 

そして雪斎が将来を不安に思わないように、その想像を越えて新しい策を練って見せた。

決して卑屈になる事も無く、時間も金も有意義に使う事が出来る。雪斎が関与することが難しくなる武田や北条工作よりも、余程に有意義な使い道だろう。それこそ氏真の時代には有力な水軍が育っているかもしれないのだから……。




 今回は今川家から見た情勢と計画の話。
武田家から見ると、攻めるべきでない……となるので止めておきました。
視点を変えると同じ話でも、「いつかやったる!」になるので。
ちなみに太原雪斎はこの功治元年までの寿命です。

●各家の事情
今川家の事情。史実よりも遅いが、史実より直轄地は多い。
武田家の事情。占領地の統治が心配。忠誠度もだけど守る方も。
松平家の事情。半独立従属大名から、完全従属大名になりました。
織田家の事情。斎藤家を追い出したら尾張統一。
斎藤家の事情。撤兵して美濃に戻って戦いたい、しかし追撃されるのは嫌なので悩み中。

上杉(越後)の事情。金持ち喧嘩する。西美濃の次は北伊勢だぜい!
上杉(山内)の事情。関東管領だ! 私が来た! 関東の名手は俺なんだぞおおお!

だいたいこんな感じです。


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未来への舵取り

 夏に成った所で西美濃が降伏した。

尾張より撤退した斎藤家の軍勢がボロボロであり、援軍に来れないことを、美濃三人衆の一人である安藤守就が伝えに来たからだ。彼の部下は輝虎の軍勢に帯同させられ、斎藤家の軍勢がコテンパンになる瞬間を見せつけられたという。

 

もはや援軍は来ず、そして越後勢は何年でも取り囲むことができる。

そんな身も蓋もない事実を聞かされて、俺はまだ篭城するぞと言い切れるほどに氏家直元は楽観的では無かった。降伏の条件を整理し直した時、最後まで戦った氏家や稲葉の家が残されると聞いて安堵したという。

 

「それで美濃の今後はどうなるのでしょう?」

「東美濃に攻め込んだ武田家次第だが、三つか四つに分割される」

「それぞれを土岐家の主導の元、斎藤家の分家や他の家が収めることになるであろうな」

「一色家を名乗ることになった道三殿の子が西美濃を、中央西を土岐家が、中央東を隠居させた義龍殿の息子が治める」

 正直な話、輝虎にとってはどうでも良い話であった。

通行やら都の東を安定させるに、西美濃から北美濃一帯は輝虎の息が掛かった者が治めるだろう。飛騨路でも越前路でも輝虎が選んで通る事が出来れば問題が無い。自分で統治しないのは何時もの事だし、越後から遠過ぎて面倒だというのもある。

 

「そういう事でしたら我らには何の言葉もありませぬ」

「誠心誠意。弾正様にお仕えいたします」

「そなたらの主は一色殿だ。そこを間違えるな」

「私は鉱山があるならばそこだけで良い。それと……そうだな、街道を通すという命さえ聞いてくれれば良いわ。後はその方らの好きにせよ」

 野心家が収める美濃は危険だから割り直しただけ。

そう聞かされれば氏家直元たちにも否応は無い。どのみち国人たちには今までの生活と代わり無く、彼らを束ねる豪族たちとしても重い年貢が無いならば特にどうでも良いのだ。仮に今後に平和が訪れ、塩や干魚などの海産物が安くなるのであればむしろ従う国人は多いだろうと思う程であったという。

 

「では東美濃にこちらからも使者を送りましょうか?」

「武田も春夏に軍勢は動かせておらぬのでしょう」

「少なくない金殻を払って銭雇いの兵を張り付けておるのかと」

「こちらの口利きで降伏するのであれば、良い条件が付け撤兵させられるかと」

 ここで安藤守就が話を切り出した。同国ゆえに親族は多い。

彼らを説得すれば死ななくて済むし、領地を安堵できるならば重畳だ。少なくともここで協力姿勢を見せて、美濃での権勢が取り戻せるならば積極的に動くべき所であろう。そもそも美濃三人衆はそれぞれ得意な分野が違い、政治や交渉に関しては守就の役目であったので猶更であろう。

 

「それは助かるが、どうであろうな?」

「大膳大輔は欲深であると同時に現実主義だ」

「もぎ取れると判ればここで金と兵を費やすであろうよ」

「だが死者が減るのは悪い事ではない。武田が寄こせと言ったとして誰ぞを代官にせよと条件に入れて申し伝えるまではしようぞ。何か不安な事があれば刑部少輔に尋ねるが良い」

 前世の事を思えば武田大膳大輔晴信を信じられる訳が無い。

貧しい甲斐の国を率い諸将に希望を与える存在……なのかはともかくとして、戦国大名が獲れる場所を放置しておくはずがない。それでなくとも川中島を経験して居ない為、余力のある武田家はここで全力を傾けてくる可能性はあった。上皇の意向に従って周囲の戦乱を治めるという言い訳で、斎藤家を攻めれるのだから手控える必要もないだろう。晴信の弟である武田刑部少輔信廉も、おそらく同じ感想を抱くはずだ。

 

いずれにせよ守就を派遣せぬ手はない。条件を付けて送り出したのだが……。

意外な内容の返答を持ち出されて彼は困惑することになる。そして、似たような内容で織田家からも現状を報告する急使が送られてきたのであった。

 

 武田家からの返書は、今川家から織田家に送られた内容と似ていた。

美濃から信濃を抜け上野に繋がる大街道の敷設、そして木曽三川や信濃川に関する共同治水事業が提案されている。その計画に資金を求める内容が主体であり、東美濃で登用する代官に関する記述はむしろ控えめであったという。

 

これをひっくり返し、土地交渉をしたいとしたのが今川家より送られた条件であるという。

上皇様の院宣を受け、織田信秀から始まった戦争に関して始末をつけても良いという主張になっている。それゆえに土地が主体で、金銭は間を埋めるための補助であるという軽重の差であった。

 

「何の事は無い。武田家と今川家は示し合わせておるのでしょう」

「主体となったは今川で織田家より土地をもぎ取ることが目的かと」

「左様です。火事場泥棒である武田は名分が薄いと見たのでしょうな」

「そこで金を積み上げれば我らが支払うと見たのでしょう。迂闊に乗ってはなりませんぞ」

 美濃までやってきている家臣団は明確に反対意見を示した。

見栄っ張りの輝虎は昨年までの蓄えを一気に放出している。今年の余裕分で西美濃の攻めをやったわけだが、これから北伊勢も攻めるのだ。ここで資金を大量放出しては、彼らに支払う報酬が無くなると見たのだろう。実際、土地に関してはそれほど直轄地は増えてないので、せめて金なりと受け取らねば損だと見たのだろう。

 

とはいえ武田家ともめては本領の越後が危うくなる。

それゆえに条件を蹴って、武田が斎藤家ではなくこちらに噛みついてきたら嫌だという態度が透けて見えた。

 

(勝手に押しかけて来て用事が無いかと言っておいて、面倒くさいなあ)

(まあ私だってお晴さんに良いようにされるのは嫌だけど……)

(とりあえず今回の件はどうしよっかな。話自体は判る気がするんだよねえ)

(自分が楽しいようにできれば、そりゃ良いんだけどさ……)

(とりあえず、練習用に今回の件も考えてみるかなあ~)

 西美濃攻略やら、その後に予定している北伊勢攻略を嗅ぎつけて来た地元の武将たち。

どんな状況でも不平しか言わない彼らにヘキヘキしつつも、他人の都合で右往左往させられる今の状況を輝虎も快く思っているわけではない。長い攻城戦でストレスを溜めていたこともあり、最近では考え方を変えて自分らしくある戦略を考えたり、城攻め自体を楽にするような思案を重ねているのであった。

 

実際、野戦では無敵でもそれだけなのだ。

輝虎が出撃して来ると敵は逃げてしまうし、籠城戦では彼女が居たところでどうにもならない。聖戦の呪文は強力な強化魔法であるが、あくまでそれだけ。敵が居ない場所ではどうにもならないのだから。

 

(お晴さんの狙いは東美濃で、お金とかは適度に戦争をやめる理由だよね)

(直接の交渉相手は斎藤さんちだし、戦争を続けても止めても良いけどってブラフ……かな)

(変わりに出したお金の分を相殺して、できるだけ私からお金を持って行きたいってとこ?)

(じゃあ、私はどうすべきだろ? ここで断って斎藤家が潰れるまで放置するのは面倒しか呼ばないだろうしなあ……どこかで将軍様とか近衛さんとかでて来るよね。そんで面倒を見てやれって言われるんだ……。まあ、私も今更武田と戦うのは面倒でヤダナー)

 ずっと領地を増やし続けた武田はどこかで危険に成る。

だからここらへんで仕切り直したいのは確かだろう。晴信の何処を突いたら信頼と言う言葉が出て来るのか判らないが、一応は上皇様を理由に戦いを中断して置いて、戦うとしても武田軍が十分に休養を取ってからにしたいと思われた。これに対して輝虎は一見放置しても構わないように思えるのだが……。

 

問題は将軍家や朝廷が彼女を使い回したいという予定であった。

美濃を制圧するのが誰であれ、そこに関わって輝虎が多忙に成ったり、武田家と怨恨を残して戦い始めると困るだろう。それに関しては輝虎の自意識過剰ではなく、しっかりとそんな感じがしたのだ。もちろん政治はそれほど得意ではないので、何処かで捨てられてしまう可能性はゼロではないのだが、この流れを利用すれば朝廷や将軍家の指示で東が収まったと言い張れるので、おそらくは予想通りに進むであろう。

 

(例え利用されたって私がしたいことならいつかやるんだし、ひとまず他の思惑は無視!)

(結局、私が何をしたいかって事よね! 問題は私……したいことがあるかって事かな?)

(街道に関しては東京~京都間のライナーが作れたら一番良いんだけど……)

(今の荷車じゃ難しいし、お晴さんの所を私が抜けて行くのはゾっとしないなあ。だとすると東海道経由なんだけど……それだと海でも良い気がするよね。だとしたら飛脚とかお取り寄せ便になるよね)

 関東から京都まで直行できるのは良い事だし、過去に決めたことに反しない。

しかし武田家の領地を抜けていくというのは、常に暗殺の危険が付きまとう。それを考えれば、やるとしても伝令を移動させるか、離れた場所の産物を取り寄せるくらいになるだろう。だが、産物を取り寄せるならば、海で良いというのが問題であった。街道に関しては悪くはないが、利益も少ないという事であった。

 

(と言う事は治水? 治水してなんか良いことあったっけ?)

(川が氾濫しないことは良い事だけど、別に何時もの事だしなあ)

(戦争が無くなって暇に成ってからで良い気がするのよね)

(お晴さんちの領地でも治水が出来るのが良いことくらいだけど……あー、神五郎さんの直江家とか治水で困ってるって言ってたっけ。自分所が何とかしても、上流でアレですって。お取り寄せで1ポイント、部下の領地で困ってる所を助けて2ポイントってとこ? うーん悪くはないけど微妙かも)

 輝虎は内政に関して投げっぱなしなので、これがどれほどの事か判って居ない。

どちらかと言えば、晴信は治水に関して断ると思って居るくらいの大事なのだ。水利権の問題で国人たちはモメるし、彼らをまとめている豪族単位で大変なことになるくらいだ。そもそも工事完了までには大金が必要なので、基本的に何処の国でも消極的なのである。史実でも二十年後を見越して行ったり、金山が見つかったから開墾込みで行うか……と言うレベルであった。

 

(やっても良いけど無理にするほどの事じゃないなあ……)

(他に何かしたい事があって、街道や治水を言い訳にすると良い理由になる時かな?)

(さっきの例だと弾丸ライナーに使う荷車じゃなくて馬車を作って旅行したくなったとか)

(お砂糖や珍しいお酒? そういうのを集めて何かしたくなった時だよね。治水の場合はお米を増やして、新しいお酒をたくさん作るくらいだけど……あー甲斐の葡萄は欲しいかも? くらいで)

 輝虎は将軍でも朝廷でもないので悩んでいる。

もし彼女ほどの大金を抱えていて、指導力不足で悩んでいる将軍足利義輝ならば資金を出して実行させたかもしれない。金を出すだけで美濃での紛争が収まるわけだし、国家事業として大規模工事は判り易い成果だからである。しかしながら輝虎が悩んでいるのは、そういう名誉欲だとか実利だとか、サッパリ興味が無いからだ。地方に新幹線を引っ張って来る剛腕政治家とは無縁の感性であろう。

 

(あ、でも……考え方としては判ってきた気がするかも)

(チョー凄い馬車を作りたいとか、そういう未来的なナニカ?)

(そういえば江戸でおっきな冷蔵庫と築地市場作ったじゃん。ああいうナニカを試す時かな)

(確か、冷凍する魔法と魔法陣の組み合わせだっけ。……えーと、倉庫の方は冷却の魔法を銅板で冷気を伝えたんだったかな……昭和初期の冷蔵庫の原理で。んむ、なんだが掴めてきた気がする)

 ここにきて、輝虎に転生した女は未来知識に思いを馳せた。

細かい記憶なんか残って居ないので、現代チートに関しては早い段階で諦めているのだ。だが、冷凍庫を魔法で再現したように、魔法と科学を組み合わせれば不可能ではない様に思えた。

 

ここでは重要なのは、ソレを目指すかは別にして、考え方を思いついたという事である。

 

「普請を任せている斎藤朝信を呼べ。韋駄天を使える術師を使って構わぬ」

「直にこの輝虎が聞かねばならん。様々な法術が普請にどれほど影響を与えたのかをな」

「我ら以外に出来ぬ普請であり、信濃に常備兵を入れる理由になるのであれば……金を出し、大樹様や朝廷に掛けおうて命をいただこうでは無いか。誰でもできるのであれば、無理に武田の策に乗る必要はないがな」

「「はっ!」」

 輝虎は即座に答えを出さず、専門家に話を聞くことにした。

朝信は街道敷設を任せて以来、越後・越中・関東と様々な場所での工事に関わっている。幾つか魔法を使った例を出したこともあり、その成果をあげたり、更なる発展形を考え付いている可能性はあった。そう……輝虎は魔法を積極的に取り入れる方向性を考え付いたのである。現時点では才能であったり、武将として活動するために意味は薄いのだが……。

 

もし、専門家としての魔法使いを育てたらどうだろうか?

もちろん大魔導師なんか一朝一夕に生れる筈はない。だが、工事専用の魔法使いや、未来にあった様な便利な生活用品を作る為の魔法使いならばそれほど難しくはない気がするのだ。

 

「明智殿! 朝廷や大樹様との連絡を取っていただきたい」

「それと賀茂家や安部家の末裔はまだ健在なのか? その見識に期待するところ大である」

「土御門殿が……一応は。ひとまず承知いたしました、弾正様には暫しご猶予を」

(おーし! これでいけるんじゃない? なんだったら工事よりも先に、魔法学園とか作っちゃっても良いかもね! 後はあれだー第三の常備兵として、魔法大隊とか格好良くない!?)

 こうして輝虎は自分の欲求を満たすために交渉内容を捻じ曲げる事にした。

魔法使いを育て、活躍させるために工事を利用するのだ。越後と信濃を流れる信濃川の氾濫を治め、江戸幕府すら手こずった木曽三川を相手に魔法を使って工事する。そしてその成果を利用して、便利で快適なマックアイテムの研究を進めてもらうつもりだったのである。あ、攻城戦への研究? まあ魔法使いが揃えばワンチャンじゃないですかね。




 と言う訳でマジカルな方向に舵を切りました。
もう十分に強いので、魔法学園を作り、マジカル軍団を部下に加える感じですね。


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夏の饗応

 足利義輝たちとの会談は北近江の朽木谷で行われることになった。

以前にも逗留した場所であり、この地を治める朽木家は代々の忠臣であり将軍家も逃げ込むことが良くあることから、その労を讃えるという意味でもあった。

 

逃げ出した時と違い今回は避暑のような物である。

そして何より越後やら東国やらの産物が集まっている事もあって、義輝の機嫌はすこぶる良かった。

 

「以前よりも随分と拓けてきた気がするのう」

「やはり弾正の行っている街道整備あってのことか?」

「大樹様にそう言っていただければ工事を担当した部下も鼻が高いでしょう」

「此度、朽木殿にお願いして若狭や越前との道を拡げさせていただきました」

 以前の朽木谷は将軍家の逃げ込み先としての面が強かった。

しかし政権が安定してきたこともあり、様々な産物が送り込まれてくるようになったのだ。その過程で道を作り直し、以前よりも広げて街道として整備している。若狭武田家は細川派だったので敵対していた以前は話しかけ難かったが、今は味方なので話をし易い。あちらの当主としても今後の派閥問題で狙われたくない様で、輝虎が話を持って行くとパイプを強くするために乗って来たのだ。

 

「……して、道を見せたいだけではなかろ?」

「法術に関する扱いを良くすると聞いたが、そこまで意味があるものか?」

「この道を瞬く間に広くしたのも法術の有効利用でありますが……」

「もう少し判り易い例をお見せいたしましょう。夏には夏に相応しい饗応をと思いまして」

 明智十兵衛光秀を介して義輝を呼んだのには理由がある。

基本的に話は書状にしてあるし、補足情報も光秀を経由して伝えてある。しかしそれではいまいち伝わり難いので、実例を持って説明することにしたのだ。何事も百聞は一見にしかずと言うではないか。

 

そして輝虎は立ち上がると、街道のはるか先に向けて手を上げた。

 

「今、こちらを見ている者に合図を送りました」

「同じようにあちらでも合図を送り直し、若狭で採れたばかりの魚を持って参るかと」

「氷を含ませますので、運が良ければ削り氷をお出し出来ます」

「なんと!? 海の魚に削り氷じゃと……とんでもない使い道を思いつくものよのう」

 デモンストレーションとしては中々の滑り出しであると思われた。

義輝としても京の都で新鮮な海の魚を口にするのは難しい。もちろん将軍家が困窮しているからであるが、大抵は塩漬けや干物しか用意できないからだ。刺身という文化はなくとも、新鮮な魚を焼き物にしたり煮込みを作る方が良い事はすでに理解されていた。貴人ゆえに珍味を食することは可能でも、下向しない以上は鮮魚を嗜むことは難しいのだ。

 

「今言ったことが可能なのは、法術の『組み合わせの妙(コンボ)』ゆえです」

「遠見や鷹視といった法術でこちらの合図を確認し、複数人用意したので遠方まで可能」

「韋駄天や五獣強化(家畜強化)を馬に施し、荷車に壊れぬよう別の術を」

「そして氷もまた特別に作らせた氷室にて……。ああ、臭いの方が問題ですので、もちろん削り氷を氷菓子としてこそご要望でしたら、明日にでも用意させますぞ」

 もちろんこのデモンストレーションにも『手品のタネ』がある。

今入った魔法の呪文を意図的に覚えさせていたわけではない。それぞれに常備兵に登録された者の中でも得意とする呪文があり、可能な組み合わせを考慮して、一番有益そうに見えた組み合わせで演出しただけの事であった。『遠見や鷹視といった』と言えば何人もいるように聞こえるが、実際には一人ずつしかこちらに来ていない。韋駄天の呪文や五獣強化の法術も同様で、たまたま呼び集められる範囲に彼らが居たというだけである。

 

「その辺りは弾正の差配に任せよう。しかし戦かと思えばこのような使い道とは……」

「今申したことは朽木谷までならば十分に可能。都までは厳しいのじゃな?」

「輝虎の護衛や道中警護の兵が覚えておりますので常とは参りませぬが、特別な日であれば」

「しかしそれは『現在』であります。もし将来的に、法術を使いこなす文武の官が増えれば、幾らでも可能となりましょうぞ」

 義輝が考えたのは贅沢そのものではなく、希少性のある饗応である。

仮に都でそれを示すことが出来れば、今までにない演出ができるだろう。この場合は他の大名には不可能で、将軍の指示があれば可能だという特別感であると言えた。ロクに食事も出来ず干物が勢是い、鮮魚と言っても川で家人に取らせてきたアユが何よりの御馳走……そんな公家たちに、圧倒的な存在感を出せるだろう。

 

「さらに言えば氷室を作る許可と、街道を大々的に整備する許可」

「それらがあれば、都での食生活も変えられるやもしれませぬな」

「此度は氷を鮮魚を保つために用いますが、干す代わりに凍らせた魚であれば幾らでも」

「若狭で水揚げした魚をそのまま凍らせ、涼しき夜半に朽木谷へ運び、此処に作り上げた氷室に貯蔵します。そして次の夜にでも都の氷室へ送るのです」

 輝虎に転生した女はむしろ自分の理想を勝手に混ぜ込んだ。

文明的な暮らしの為には、まず豊富な食材を自分が欲しい時に手に入れる事が重要であった。港の多い越後に在住しているから鮮魚には事欠かないが、それだって不便が山ほどある。寒さ対策は必須だし、なによりも米から酒を造るには様々な物が重要なのである。

 

その辺りの事を自分だけで考え付くか? そんなの無理!

だからみんなを巻き込んで、魔法学園を作って大々的に研究させたいのである。

 

「戦の事ばかり考えておるのかと思えば……」

「いや、そなたは最初に新しい酒を都に届けたのであったな」

「ゆえに皆、商売上手の毘沙門弾正と呼んだ物よ」

「知っておるか? 毘沙門神は唐天竺では商売繁盛の神であったそうな」

 義輝は都人の揶揄を教えてくれた。

当初は金儲けの好きな大名として笑っていたのだ。しかし金を儲けてその金を軍備に費やし、精鋭を作り上げて他国に攻め込む。そしてまた金を蓄えて次々に敵を蹴散らす姿を見て、その辺りの公家共はともかく、上層部は別の見方をしたのだ。金と軍事力の両輪で世界を回す、まさしく毘沙門天の化身であるのだと。

 

 色々と段取りを踏まえた事で輝虎の考えが伝わったようだ。

義輝は昼間から酒を呑みながら、芸の代わりに常備兵たちが行っている工事を眺めていた。もちろんそれもまた輝虎が用意したデモンストレーションであった。

 

「のう弾正よ。どうして右と左で進み具合が違うのだ?」

「右の者たちは自らの体を強化し、筋肉とその使い方で堀り進めております」

「左の者たちは道具の使い勝手を強化し、掘る容易さを変えて進んでおります」

「どちらにも言えますが、穴を掘るという行動を容易くし、手早くしても体を壊さぬ努力をしておりますな。さて、これらを組み合わせてみせましょうぞ」

 明らかに能力の違う者が、それぞれのやり方で穴を掘っていく。

前者は一気に堀り進め、道具を壊しながらもペース早い。運び出す分量も多いが……同時に休憩時間も多かった。逆に道具を強化した者たちはペースが一定で、安定したペースで堀り進めていく。それほど早くはないが道具も壊れたりせず、それどころかよく見れば安価そうな作りである。

 

そして輝虎は新たなチームに準備をさせる。

することは同じなのだが、その力を結集している事に違いがあった。加えているならば道具も鉄を使った良いものである。

 

「この者たちは難所を担当する専門家です」

「ここは平地なので彼らだけですが、山や谷では崩した土を固める者も居ります」

「迂闊に崩すと危険な場所は土を固めねばなりませんので、掘る力も何倍も必要になりますので」

「さて、全てを集めるとどうなるかを御覧じろ」

 今度はチームが一丸になって掘り始める。

鉄製の農具はその性能を増し、切れ味ならば切れ味が刺さり具合ならばその刺さり方が違った。そして体を強化した者がその道具を振い、付与魔法を使った後の者は休むのでも何度も使うのでもなく、掘り返した土を運び出すことで作業分担を行っているのだ。

 

圧倒的な能力に加え、彼らには専門家ゆえにチームワークがある。

顔も癖も知らない者たちの集団ではなく、連携能力に長けた者たちいゆえに作業動線も効率も違った。瞬く間に先行した二列に追いついてしまったのである。

 

「彼らの力で三国峠は随分と通り易くなりました」

「彼らなくしては関東を治めることは難しかったやもしれませぬ」

「そしてもし武田の申し出を受けるならば……」

「信濃川や碓氷峠を何とかするのであろう? そのくらい読めるわ。そして、金を渡すだけではなく、難所にこやつらを送り込まねばならぬこともな」

 碓氷峠とは信州と上野の国の境にある峠である。

つまりは武田家の申し出を受けて、美濃から上野に繋がる大街道を作る話を受けても良いと輝虎は口にしたのだ。その際に問題なのが、彼らに担当させなければ意味が無い……いや、武田家が金をふんだくって金庫に入れるだけでは意味が無い。

 

重要なのは金を得るための名目ではなく、本当の意味で街道を作り、川の治水を行う事なのである。異なる大名同士の問題やら、豪族同士の問題がある事など義輝とて知って居た。そして、将軍家の意向があれば問題なく解決することも。

 

(大膳が受けるかどうかは別にして、実現すれば大事業になるのう)

(日の本では滅多に聞かぬ大事じゃ。古の大仏建立や国分寺にも匹敵しようぞ)

(唐の国では長城や大運河を作ろうとして失敗した例もあるが、そこまでの話ではないのも良い)

(命じて実現できれば将軍家の威光も立て直せよう。しかし、問題は大膳が首を振るかじゃのう。所詮は弾正より金をせしめ、兵が休めるまで時間を稼ぐ言い訳に過ぎまいよ)

 義輝は愚かではないがゆえに迷った。

この事を命じられるのは将軍家か朝廷のみ。難しい事業だが十分に可能なレベルで無謀でもない。問題なのは大名同士の間を通して実現せねばならないという事であった。領主である豪族たちの諍いもあるが、国防問題ゆえに武田家が許可するとも思えないのだ。

 

「仮にこの話を通すとして、大膳にも受けさせたとして」

「それでもなお、そなたの兵を引き入れることに反対したならばどうする?」

「その時は学ばせましょうぞ。言って見せ、やって見せ、実現したら褒めてみせましょう」

「そうですな。その時は越後ではなく、都なりに武田の学者や兵を呼び寄せていただければ幸い」

 義輝の懸念に輝虎はあっけなく秘儀を教えると口にした。

ソレは越後の兵が培った経験であるはずだ。先ほど見た工事の実例も、義輝だからこそ見る事の出来た普請の秘奥と言える。滅多な事では見れるはずがないゆえに、義輝も余興として興味深く見守ったのである。

 

「そなた……本気か?」

「もちろんにございます。いえ、この程度の秘密など新たに増やせば良い事」

「都にて法術の教育や研究をし、大樹様に協力するという大名家を招きましょうぞ」

「百の秘奥、万の秘密を全て覚えることは難しいでしょう。どうせならば都に作り上げた学寮にて、一から学ぶものを全国の忠臣たちより集めるのです。さすれば贅沢な食事もただの日常に変わりましょうぞ」

 義輝は思わず正気を疑った。

学問というものは極力表に出さず、ありがたがらせるものだ。賢者・学者と言う者たちはそれで食っているのだと言っても良い。だが輝虎はそれを惜しげも無く公開するという。スパイを送り込んで来るならば上等! そのスパイを使いこなして別の研究に使うまでだと言い切ったのである。

 

何故ならば輝虎にとって領地を増やすことなど別にどうでも良いのだから。

彼女にとって世の中が平和になり、上杉謙信という武将がソレに関わった事が知られればそれで十分。そして自らは現代社会の良い暮らしを受け取れれば、それが何よりの報酬だと思っていたのである。あ、もちろん美味しいお酒もね!

 

「さて、そろそろ魚が届いた頃でありましょう」

「実物を眺めて、どんな料理が良いかを吟味いたしましょう」

「そうじゃな。ひとまずは飯を食うて考えを整理しようぞ」

(上手くいけばその学び舎で知れる事を奪うまで、武田も今川も動かぬと判断したのか? 十年か二十年の平和であろう。……じゃが、それだけの時間を稼げるならば、日の本も平和になるやもしれんのう)

 あくまで酒と食事における戯言としよう。

そう口にする輝虎に対し、義輝の方は考える事があったようだ。自分に何ができるのか、そして何を得て実現できるのかを考え始めたのである。




 と言う訳で魔法学園に向けて走り出す感じです。
盗む価値のある秘密を作り、他の大名に産業スパイと言う人材を提供させる。
そして魔法を育て、魔法の使い方を増やし、自分は文明の利益に享受していく。
何よりも魔法少女って憧れるよね! みたいな流れでありました。


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ネクストチャレンジ

 北伊勢攻略作戦に向けて準備が始まるとともに、もう一つの計画が進んでいく。

魔法学園建設……失礼、法術の使い手を育成する計画が走り出したのだ。その計画に向けて現陰陽寮頭の勘解由小路家は動かなかったが、若狭に隠居していた土御門家が協力を約束してくれた。

 

共に豊かな地方へ下向して居たところを都へ召し出された二家なのだが……。

勘解由小路家が北条家とつながりが有ったり、土御門家が若狭からの直通便敷設のために協力体制にあったことも無縁では無かったかもしれない。

 

「初めに万象があり、両儀を分かつ陰陽道。四象に分かたれし精霊の術」

「神仙術や伊綱の術、そこから派生せし猿飛びなど陰者の術」

「あるいは既に失われた術例えば符蟲の術や付喪の術」

「そして最後に御仏や天神地祇に力をお借りする神聖なる術と存在します。弾正殿はどのような法術をお望みなのかな?」

 前陰陽寮頭である土御門有脩はある程度、体系だてて説明を始めた。

これが余人からの説明であればもう少し勿体を付けたところだが、若狭に魚を冷やすためだけの氷室を作らせた輝虎である。単純に知識をひけらかしても意味が無いと踏んだのであろう。彼はその時に冷気を操れる術者を紹介したことで、相当額の献金を受けていたことで協力しても良い気でいた。

 

元より若狭に隠居したのも都では食って行けないからだ。

太いスポンサーが居るならば、都に戻っても良いとすら思っていた(安全ならという条件が付くが)。

 

「私の目的は人々に現世利益を味おうてもらうことです」

「理想の世は遠いかもしれぬ。だが、熱過ぎず寒過ぎず、飯が食える日々」

「酒が付けば世に事も無し。ゆえに望むのは陰陽かはたまた四象か」

「兵に用いる術は不要なれど、余の大名小名を惹き付けるにはソレも必要でしょうか」

 他の大名が言ったならば、この言葉は建前かもしれない。

しかし輝虎にとってコレは本心であった。現代社会から転生した彼女にとって、本当に必要なのはエアコンと冷蔵庫であると言っても良い。そこに晩酌のお酒が付けばこの世の春であろう。世の中の大名の様に領地を獲得せんと殺し合うなどまっぴらごめんと言う気配が伺えた。兵士を強化する? それは既に毘沙門天から授かっているのだ、無理に求める事でもない。

 

奇しくもそれは有脩に通じた。何故ならば、彼もまた都では食えないからこそ地方に下向したのだ。

 

「第一の目標はソレらを実現する建物、あるいは文物の作成」

「第二にその為に必要な術者の育成、これに関しては越後で幾らか試し申した」

「兵を強くしたり、城を落とすような使い道に関しては余禄」

「世の大名から良き才を集わせる為の名目であると思われたい。無論、賢者にとってその方が簡単ならば資金源として止めろとは言いませぬよ」

 正直な話、攻城戦に使用可能な術があれば輝虎としてもありがたくはある。

しかし、考えても見て欲しい。現時点で籠城戦に持ち込めば大抵は勝てるのだ。ならば……その間に戦場でも退屈しない、戦場でも美味しい物を食べられる方法があれば……全てが解決してしまうと気が付いた。それゆえにコンロや冷蔵庫が欲しくなり、コンロの方は七輪でいっかと気が付き、最終的に冷蔵庫が欲しくなったのである。

 

皮肉なことにそこまで考え付くと、攻城戦のアイデアが湧いて来た。

決死隊が猿飛の術で城門を飛び越えても良いし、トンネルを地下に掘って壁を抜けても良いのだ。それこそ大きな板をみんなで支えて、門に掛けるという力業でも良いくらいであった。城の構造が複雑化するのはもうちょっと先の話なので、たいていは城門や壁を通り抜けたら勝負がつくのである。例外となるのが小田原城などの巨大な城ではあるのだが……。

 

「当面は鉱山から要望のあった火耐性のある炉……」

「おう。忘れておった。鉱夫の病が解明されたゆえ、その発展も必要」

「弾正殿! それは誠か? いや! そうではない。広めてしまっても良いのかの!?」

「別に構わんでしょう。戦いの術よりは余程に安全ですよ。それに日の本が豊かになるのは良い事です」

 輝虎は国内有数の大鉱山を手に入れている。

それゆえに気にして居ないが、これらの技術や知識は大名たちにとって必須なのである。そのノウハウを教えても構わぬという姿勢は、太っ腹であると同時に危うく見えた。だが、同時にこのくらいの人間が主導しなければ、知識や技術というものは大きく発展しないのも確かであった。

 

そしてこれらの会話が武田刑部少輔信廉によって甲斐へ伝わる。

武田家は当初、停戦交渉にはそれほど乗り気ではなかったという態を見せていたのだ。今川家との共同歩調だから仕方なく……と何度も漏らしていたくらいには、演技も徹底していた。だが、今回の会談内容が伝わったことで、大きく話が進んだのである。

 

 国人たちの所領を安堵した時点で、美濃の大勢は決した。

斎藤義龍は父親から政権を強引に奪った上で、尾張攻めに失敗してボコボコにされた反動というのもあるだろう。特に待遇の変化が無く、人によっては前よりも扱いが良いというならば猶更である。

 

とはいえ、隙あれば主人を変えるのが国人というもの。

再び義龍の元へ集まる可能性もあったので、西美濃には越後勢、東美濃には甲斐勢が駐留して慰撫に当って居た。

 

「追加で鉱山技術を提供しても良いというなら条件を飲もう」

「甲斐に関して。武蔵につなげる道や釜無川はこちらでやるが……」

「信濃に関してはそちらの兵を引き入れても良い」

「もちろんこちらの兵も出しての共同作業になるがな」

 武田大膳大輔晴信は、弟である信廉のフリをして入れ替わった。

流石に当主である晴信が美濃の国を移動すると危険だという事なのだろう。しかし条約を速やかに締結し、その内容を浴するには晴信の手腕が重要であると本人が出張ってきているのだ。

 

現に武田から申し入れた無理めの条件なのに、追加条件があれば受け入れるなどと強弁している。ここまで強気に出て交渉が決裂しないという確信が、どこから出ているのか不思議であった。人によっては晴信と輝虎が男女の仲であり、武田に甘いのではないかとロマンスを期待する声もあったという。

 

「具体的には条約締結後に金山奉行が聞くとして……」

「話の触りくらいは聞かせてもらえるのだろうな?」

「……では手付代わりに鉱夫の病について説明しようか」

「話の起こりは越中で鉱夫の寿命が長い事、上納がやや低い事に気が付いた段階だ。……連れてこい」

 傍若無人で強引グ・マイ・ウェイな晴信だが愚かではない。

ギリギリのところで軟着陸を見定めて、肝心の技術はまだ先で良い、その技術があるのかだけを確認して来たのだ。もちろん迂闊にも革新技術について喋れば、これ幸いと持ち逃げするだろう。当主同士の会談とはいえ、迂闊に口にする方が悪いからである。

 

これに対して輝虎は、話しても問題ない範囲で口にする。

鉱夫の病に関しては解決しても問題ないし、何ならその一段先の画期的な手段を開発しないと意味が無いからである。この段階のノウハウが漏洩した所で、それほど意味が無いのだ。

 

「越中で? ……ということは一向宗か」

「そうだ。一向宗は信者を依存させるために法術を掛けている」

「その上で幾つか術の可能性があるわけだが、違和感があった」

「病を癒す術は、あれでかなり難度が高いのだ。鉱夫の為に使うのでは割りに合うまい? ……そこに休ませろ、直ぐに済ませる」

 神聖魔法を使って一向宗は民草に根付いている。

その事に気が付いて追跡調査したわけだが、その途中で術レベルのバランスがおかしい事に輝虎たちは気が付いたのだ。聖戦の呪文を唱えるためには輝虎は最低でも高僧クラスのレベルになるか、さもなければ今している様にマジックアイテムや儀式に頼る必要がある。ハッキリ言って、鉱夫の為に高僧が何度も出かけては割りに合わないという訳だ。

 

そんな話をしている間に、何処からか連れて来られた鉱夫が現れる。鉱山病に掛かっているのだろうか、ゼーゼーと息苦しいように思われた。

 

「鉱山病とされている病が、ただの毒であればどうだ?」

「法術としての必要な格は二つくらい下がる。市井の術者でも良い」

「ささやき……いのり……我は求めて詠唱する、ねんぜよ! 毒よ退け!」

「……あ? お、おらは一体? ……殿さま、ありがとうごぜえやす! 助かりましただ! この御恩は……」

 キュアデイジーズとキュアポイズンの魔法では格も難易度も違う。

輝虎は目の前で実現して見せ、鉱夫の病とされる鉱山病を癒して見せた。しかし不思議な事は二つある。実演が済んだのであれば下がらせれば良い事、そしてこれで全てではないのだろうか?

 

「まだ話は続く。少し静かにしてなさい」

「へっ、へい!」

「話の続きも何も、今ので全てではないのか?」

「体に入り込んだ毒の粉がただの粉に成っただけだな。蝕まれた体は元に戻っておらんし、粉を吐き出せたわけではない。新たに作る法術師の学び舎に今後の研究課題として二つか三つの『先』を示すとしよう」

 輝虎は晴信の質問に答えつつ、鉱夫の喉から肺を指さした。

呼吸と共に吸い込み肺に溜まった毒素。これがただの粉になったが、肺に付着したままだという。それゆえに重度の症状ではなくなっただけで、完治したわけではないというのだ。

 

「一つ目の目標は失われた体力を戻す術」

「二つ目の目標は体の中に溜まった粉を吐き出す術」

「三つ目だが……毒と言うものは三種類あるそうだ。生物の毒、植物の毒、そして鉱物の毒」

「もし陰陽術より地・水・火・風の精霊術が生まれたように、鉱物の毒のみなら解毒できる魔法なり薬が生まれれば、鉱山での病は大きく減ろうな。もちろん先の二つの術も、病の原因ごと除く平癒の術に比べれば余程簡単であろう」

 輝虎は解毒の魔法を一応の解決策として提示し、その先を示した。

スパイを送り込めば最初の段階くらいは楽に盗めるだろう。しかし、新しい術が開発され、その術をどの系統の魔法使いが覚えられるかなど、いちいち調べて回るのも時間が掛かる。もちろん優秀なスパイを育てて、延々と張り付けておくなら話は別だが……。そこまでするならば、最初から学生として協力させておいた方が良いと思われた。

 

「お前は鉱山での仕事に復帰できるが、鉱山では遠からず同じ病に掛かるだろう」

「しかし法術師の学び舎で働くならば、いつでも治癒の法術を掛けてやろうぞ。どうする?」

「へへえ! この命は殿さまに救ってもらいましただ。学び舎とやらで働かせてくだせえ!!」

「よろしい。では別の話をするゆえ、案内した者と共に退出しなさい」

 こうして輝虎は本人の同意を得て人体実験の題材を確保した。

もちろん輝虎自身は善意で言って居るし、被験者としても鉱山以外での働き道など知りもしない。研究者たちがどんなことをするかを除けば、双方にとってwin-winの契約であったことは確かであった。

 

(鉱山の病自体は俺達には関係ない。だから平気で話したのだろうな)

(本命は鉱物を溶かす高温の法術に、それに耐えうる炉の作成)

(それらを使える術者を育てつつ、より簡単な法術を研究させる)

(信廉の報告では街道の難所で堀り進めるために、道具を強化する法術に土を固める法術もあったという。ソレを使えば治水や鉱山での採掘自体も楽になるだろう。何時まで手を組むかは別にして、その辺りを学ばせるまでなら協力して損は無いか……)

 領主としての晴信にとって鉱山病自体は意味のない話だ。

だからこそ例としてこの上なく機能する。術者の母数が増えればそれだけで便利になるし、上澄みが自分の元に居ればどれほどの事が出来るだろうか? その上で上澄みだけが使える術を、次第に下の術者に使えるようにするのだと話の流れを把握したのだ。そして街道はともかく、治水自体は晴信も関心はあった。これまで後回しにしていたのは、国主に成って最初に聞いた時の必要資金があまりにも膨大だったからである。

 

それゆえに輝虎と一時的に手を組み、治水を行える術者を手にすることは魅力的であった。

 

(攻めるとして別に美濃でなくとも良い。いや、関東こそが本命だ)

(関東管領こそが悪で、俺は悪くないと都に周知させれば問題あるまいよ)

(そのためにも大樹や朝廷へ協力する姿勢は必要だし、こいつに表面上だけでも合わせておくか)

(そうすれば関東でモメ事だと都経由でいつでも停戦させられる。適当なところで戦を始めて、俺に都合が良い所で止めればいい)

 晴信は物事を多角的に考えていた。

別に戦いだけが国を大きくする方法だとは思って居ないし、その上で戦うとしても東西の何処でも良いと考えている。常にすべての方法を等価値に捉えて、もっとも良い方法を模索しているの過ぎないのだ。だからこそ平気で裏切る事も出来るし、同時に利益さえあれば輝虎とも手を組む選択肢を考える事が出来た。

 

「……病と言えば甲斐にも厄介なのがあってな」

「胎が膨れて衰弱して死ぬんだが、これも病ではないのかもしれんな」

「学び舎とやらに協力するならば、そういうのを研究させて解決方法を探ってくれるのか?」

「そう言えば脹満とかいう病があると聞いたな。良いのではないのか? 他の方法で対処できる病でも、手段を考えることは有益だ。他にも使えるかもしれんしな」

 晴信は『お優しい』輝虎に合わせる為、甲斐の風土病を紹介した。

これに対して輝虎は簡単に乗って来た。人から思われているほどに他者へ優しいわけでもなく、誰かに頼られ自分が解決することが楽しいという一面が彼女にはあったからだ。だから対処療法で何とかなりそうだと直感的に判断し、その上で研究しても良いと返したのだ。

 

「他の手段で? どうしてそんな事が言える」

「大膳大輔殿の顔色だな。先ほどの鉱山病と同じ顔色だ」

「つまり我ら大名小名には無縁の存在と見える」

「甲斐を百ほどに分割して調べ、脹満の存在する地域から人を遠ざければ良かろう。鉱山の様に大きな利益が見込めるならば、先の様に法術による救済を考えねばならんがな。もちろん鉱物なり生き物由来だと、原因が特定できるならば、もっと簡単になるだろう」

 日本住血吸虫のことは輝虎はすっかり忘れている。

しかし晴信の態度があからさまであった為、対処手段を想像するのは難しくなかった。あくまで甲斐の一部で起こっている風土病ならば、その地方から遠ざければ良いのだ。鉱山でしか鉱山病に掛からないならば、山から人を遠ざければ良いだけのことである。だが、人は鉱山に多大な価値を見出すために、仕方なく高いコストを支払うのである。

 

「人を遠ざけろとは無茶な事を言う。そこには生活があるのだぞ」

「今ならば信濃でも上野でも、甲斐より移住先はあるだろう?」

「それに山野で起きている病ならば、山林を禁則地にして薪を他所から持ち込めば良い。水辺で起きているならば水を煮炊きして、田を畑に変えれば良いだけではないか」

 人は一生同じ地域に住む時代であるが、輝虎はそれを知らない。

無自覚に無茶を言う輝虎なのだが、晴信としても判らない判断でもなかった。領主として風土病で寿命が減る程度でガタガタ言うなと民には言っている訳だが、確かに今ならば豊かな上野を開墾させた方が早いのである。何だったら街道を通すついでに、開墾地を作ってそこへ強制移住させた方が利益があるまであった。その上で病原地は直轄地として人を遠ざけ、病の研究が終わってから人を入れ直しても良いのだ。

 

「ふむ。弾正大弼の言う事にも一理あるな。話は下の者に言うておこう」

「それはそれとして約定はどうする?」

「金を要求するならば信濃川での治水を第一として求める」

「街道に関しては幾らでも技術を提供しよう。手が足りぬ場合に声を掛けてくれれば協力はしよう」

 晴信としても輝虎に対し、歩み寄ったという姿勢の為だけに口にしただけだ。

特に反論するきはないので、『下に任せた』という態で忘れることにした。国主自ら対処手段を調査し、その上で決定権を任せるならば下の者のメンツも立つだろう。それに晴信としては、当面の安全と国を豊かにするためのノウハウさえ手に入れれば、民の事など二の次・三の次であった。

 

この日、交渉に置いて終始優位に立つのはクレバーな晴信である。

だが、同時に自分の目的に対して邁進しているのは輝虎の方であったかもしれない。何も小難しい事を考えず、我が道を行くことでそれを成し遂げる。越後の軍神は、新しいやり方で大名人生を満喫しているのであった。




 と言う訳で新しい条約の発効です。国土交通省の管轄的な?
色々な技術がダダ洩れなのですが、暫く東国は平和になります。
利益を上げているのは間違いなく晴信くん、しかし我儘を結果的に成し遂げているのは輝虎ちゃんとなります。

●日本住血吸虫
wikiを読むだけで一つの物語を味わえるシリーズ。
他には北海道ヒグマとか、爆撃王ルーデルとかが存在する。

輝虎ちゃんは読んだことがあったとしてもサッパリ忘れてるので
対処療法として『近づかなきゃ良いじゃない』『他に移住すれば?』と
金持ちしかできないような事を平然と口にします。
本来ならば『ふざけてんのかテメエ?』案件なのですが……。
晴信くんにとっては『なるほど』と思うレベルだった模様。
史実で信濃に攻め込んだ時、強制移住させたり、鉱山送りしたりしてるので忌避感が無かったのでしょう。


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人との出逢い

 秋になった頃、輝虎は北伊勢を攻めようとした。

夏に西美濃の戦を終わらせたばかりだというのに、狂気のハイペースである。しかしこれに周囲が待ったをかけた。特に慌てたのが織田家と六角家である。

 

この頃の織田家は今川家との最終協議中であった。

交渉の推移は『もし今川家との全面戦争になった時、どれほどの被害が出るか』になるのは仕方がない。朝廷の調停に従い古い遺恨を捨てる代わりに、領地の一部なりと寄こせと主張するのはそれほど不思議な事ではないからだ。これに対して織田弾正大忠信長は、越後勢のバックアップ込みならば戦い抜ける、今ならば不穏分子を抑えつつ今川と戦えると主張していた。そして織田家ほど緊急ではないが、配下を守るために六角家でも動きがあったのだ。

 

「六角殿が北伊勢に話をしてくださると?」

「はっ。南伊勢の北畠家と共に諸将を説得されるとか」

「それゆえに大樹様は暫し出兵を待たれよと仰せです」

(大樹様の狙いはあくまで六角を牽制し、自陣営に収める事。向こうから話を持って来ればあえて伊勢を騒がすほどではないと判断されたのだろう。これではロクに領地が切り取れぬ。問題は……弾正大弼殿が不快に思われないかだな)

 この話を取り次いだ明智十兵衛光秀は困惑していた。

北伊勢攻めと美濃関連の問題で輝虎に付けられて居た従軍武官と言える。活躍の機会が減ったことに加えて、将軍家の意向で右往左往する状況があまり気にいらないのだろう。彼の使命の半分は斎藤道三のからの密命であり、斎藤家が分割して存続することで既に果たされている。残るは自らの立身出世であるゆえの感情かもしれない。

 

光秀にとって微妙だったのは輝虎の心理状況である。

戦の勝敗にこだわる越後勢であると同時に、価値の低くなった名誉ごときで将軍家に付き従う田舎者である。領地を切り取れぬ事がどちらに転ぶのか……いまだに判断できないでいるのだ。

 

「良かったじゃないか。これで都合がつく」

「大膳大輔様。ここにおいででしたか」

「今は刑部少輔だ。そこのところを忘れるなよ」

(大膳殿はお家の利益優先をされる方だ。この方がそう判断される以上、何らかの利益があって、越後勢も動きを止めるべき理由があったのか? その上で、弾正様は勝利を優先されるつもりであったと)

 ここで判断を手助けしたのは弟と入れ替わって居る武田大膳大輔晴信である。

よく似た弟との入れ替わりによる影武者であっても、流石に刑部少輔信廉を知っている光秀には通じない。そして男女の仲を噂される状況でも、日夜議論される国策や軍略の話を聞いては、ロマンスが挟まる余地のない関係であると間近で見知っていたのだ。光秀から見れば晴信の判断の方が判り易いと言えた。

 

「……弾正様。何か新しい任務でありましょうや?」

「伊勢の黄門殿が剣豪を紹介してくださると聞いて、土御門殿も張り切ってな」

「法術の使える陰陽師やら、市井の術師を紹介されてくださるそうだ」

「その内の一人が水位を下げる法術を使えるそうな。その難易度と範囲によっては、治水工事や渡河が随分と楽になるやもしれぬ。どの程度の塩梅かを見るために、予定を変更するかを議論しておったのだ」

 陰陽術から四大精霊系が派生し、その期間は随分と長い。

あまり変わらない例として、クリエイト・エレメンタルからクリエイト・ウォーターへの派生は習得が簡単な代わりに水しか出せないという程度だ。だが精霊魔法の中には今回紹介されたマジカルエブタイドの様に、水魔法の術者のみしか習得できず、かつ微妙な効果ゆえに忘れ去られた術も多いのだという。

 

だが、国主が全面的にバックアップするとしたらどうだろう?

普通に使えば僅かな範囲の水位を下げる魔法でしかない。だが、それを最も有効的な場所に使用したり、儀式魔法やマジックアイテムを経由して効果時間や効果範囲を広げられるかもしれない。あるいはもっと簡単な術にして皆で覚えるとか、逆に複雑にして効果範囲を変更できるかもしれないというメリットが生まれるのだ。

 

(なるほど。国主として有益だと判断した大膳殿にとっては興味が大きい)

(だが武人としての面が強い弾正様にとっては、今ならば北伊勢が容易に切り取れると)

(どちらかといえば弾正様に伊勢を切り取っていただきたいが、大樹様の命もある)

(それに弾正様は欲深い者を好まぬ。大樹様に大膳殿、御両所の意見も一致する。ここは『次』に期待して澄まし顔を浮かべておくべきか)

 光秀はその話を聞いて即座に背景を判断した。

元もと晴信はそう長居をするはずでもなかった。この機に魔法の効果を知っておきたいだろうし、その有益性から将来の領国経営に必須だと判断したと推測できる。その上で戦に勝利し易く、敵対者の領地を奪って直轄地にするという意味では、六角が味方する国人に情報を与える前に動く方が良いのも確かなのである。

 

これらの話を勘案した結果、光秀は話をまとめる方向に思考の舵を切る。

 

「弾正様。そういう事でしたら、六角殿にも紹介をお願いされてはいかがでしょう?」

「近江には甲賀もあり、隣接した伊賀にも六角の領地があり申す」

「その縁で忍びの者も多く抱えておられるとか。ここはひとつご紹介に預かっては?」

「ふむ。悪く無いな。伊賀と甲賀を中心に様々な忍びの家があるとか。六角殿の顔が効く範囲でお願いしてみるとしよう」

 北畠家との共同とされたため、北伊勢で切り取れる領地は元から多くないと想像されていた。

そこで光秀は考え方を変え、輝虎に忍者を大々的に雇う事を進めたのである。武将である事を目指す光秀にとってはそう多くない領地であっても、土豪に近い忍者にとってはそうではないだろう。彼らの協力で今後に戦いが有利に進むならばと、光秀は将来の戦に期待したのである。

 

そしてこの件は転生者である輝虎に覿面に効いた。

現代では忍者というものは過大に評価されている上、城攻めなどに有益な猿飛の術などを覚えられる独自の魔法系統がある。元は闘気魔法や修験道とのミックスであったらしいが、面白味としても将来性としても期待するところ大である。

 

 隠す時には下手に暗夜に行うよりは、こういった日こそ隠密的な行動に適するという。輝虎はこの日に指定されたとある場所へ、二人の従者のみを従者に頭巾姿で赴いていた。

 

やがて同じように武士とその従者が現れる。

不審者と言えば不審者であるが、輝虎の傍にいた内の一人が見知った顔なのか僅かに前に出て片膝を着いた。

 

「これは和田様。和田様もお立合いに?」

「ふふふ。惟政と間違われるとは、儂も捨てたものでは無いな」

「っやや! これは御父君でしたか。十兵衛、とんだ失礼をいたしました」

「この十兵衛、素人技は見抜ける自信がありましたが……流石に本家の忍びには形無しでござる」

 従者として付き従った光秀は、見知った重役ゆえに膝を着いたのだ。

だがその男は将軍家の側近である和田惟政ではなく、その父であり忍びとしての側面を持つ国人の和田宗立であった。彼は甲賀衆の上忍の一人として六角家に仕えていたのだ。晴信と信廉の兄弟による入れ替わりを見抜いた光秀であるが、忍者自身による変わり身には気が付けなかった模様。

 

「上杉弾正大弼輝虎と申す。この度はお手数をおかけする」

「弾正様ほどの方がこれはご丁寧に。手前はあくまで手配人に過ぎませぬ」

「前左京大夫様の命にて甲賀衆・伊賀衆との取次ぎをさせていただきまする」

「ただ忍びは陰者ゆえに迂闊に顔を出さぬが鉄則ゆえ、無礼をご容赦いただきたい」

 輝虎の挨拶に宗立は快く頷いた。

そして主である六角義賢の呼び方は複数ある中、輝虎が良く知る左京大夫の名前をあえて用いる。北条氏康がその官位を得るより前の中に義賢も居たのだが、権威ある地位の持ち主としては六角家の方が上である為に嫌味なく間接的に氏康を落として見せたのである。

 

「忍者は陰、人の陰。その事は重々承知ゆえお気になさるな」

「そう言っていただけると助かります。して、十兵衛殿は既知なれどそちらは?」

「関東より管領殿の指示で参られた上泉伊勢守信綱殿だ。此度は護衛と顔見世を兼ねて居られる」

「上泉と申します、よしなに」

 宗立はもう一人の従者がただならぬ相手と見て名前を伺った。

それは関東の戦でも輝虎と共に戦った上泉信綱であった。この場合の伊勢守は自称ではなく、関東の剣術指南役として以前に授けられたれっきとした官途である。もちろん戦国時代なので金を積めば他にも名乗る者が出て来るが、彼ほど知られた者はいないかもしれない。

 

そして信綱は常備兵の精鋭や魔法使いを集めた部隊を作ると聞き、憲政より派遣された内の一人であった。そこには借りを領地以外で支払って置きたいという意図と、同時に御意見番である剣術指南役を遠ざける意味もあった。それが誰の意図なのかは別にして……。

 

「ほう……なにしおう関東の剣聖殿ですか。ではお連れは旗下の?」

「流石ですな。お気付きならば紹介せぬのは返って失礼というもの」

「弾正様。あやつめをお呼びしてよろしいか?」

「構いませぬ。山ほど忍びや法術師と出逢うのだ。いまさらに暗殺を恐れても仕方なし」

 宗立が彼方に視線を動かすと、信綱は相好を崩して輝虎に尋ねた。

そこに護衛の忍びが居るのであろう。輝虎は構うなと指示しつつ、その登場を楽しみにし始めた。現代から転生した彼女にとって、忍者との出会いは好奇心をそそられるものだ。

 

やがて信綱はまるで提灯か何かを持つかの様にグルリと拳を動かしていく。

上から右に、右から下に、下から左に、左から上に……と一回転させた時、気が付けば誰かが駆けて……いや、跳んでくるのが見える。シュターン、シュターンと人間技とは思えない跳躍距離であり、よく見れば信綱が示した手の動き通りに木々の上を跳んで来たのだ。

 

「唐沢玄蕃……まかり越して候」

「噂に違わぬ飛び六法! 流石の猿飛びですな。上方でも聞き及んでおりますぞ」

「上州忍びの一人で、関東管領様の命に従って上洛した者の一人です」

 唐沢玄蕃は関東管領である山内上杉家に仕えていた忍びである。

憲政が没落するにつれて見限るかどうか悩んでいたところ、輝虎が長尾景虎と名乗って居た時代に援軍として駆けつけ、山内上杉家が勢力を盛り返したところで思い留まったのだ。そのまま憲政が敗北して居れば武田なり長尾家に士官して居たと思われる(史実では真田経由で武田)。今回の上洛で、優秀な武将でもあり金払いの良い輝虎に仕えたがっているような雰囲気が見えたという。

 

「ふふふ……腕利きをこれほど揃えられるとは」

「弾正様はよほど伊勢攻めに相当に力を入れておられると見える」

「どちらかと言えばその後ですかな。伊勢に関しては最後の最後で構わず」

「なんでしたら長野工藤家に協力して北伊勢の国人をまとめられても構いませぬよ。さて、会合の場所に赴きましょうぞ」

 宗立は輝虎が腕利きを集める理由を、伊勢で活躍させるためと考えた。

だが彼女はそこまでの事を考えてはいない。凄い剣豪や忍者に魔術師を絡めた精鋭部隊が欲しいと思っていたが、それはあくまで漫画やアニメ的なロマンからである。とはいえそんな事は口に出来ない。そこで建前としては別の事を口にしたのである。そしてその事を悟られないために、歩きながら言い訳を考え始める。

 

「ほう……意図をお聞きしても?」

「敵は一つにまとまって居た方が相手し易い。それと野戦の方が楽です」

「しかし最後には安濃群の城になるでしょう。細工が欲しいとすればそこですな」

(今のうちに人を送り込み信用させろ、意見を偏らせよと言う事か……悪くない。こちらが何処を何名で攻めるかを前もって伝えれば、功績を誰に立てさせるかなど思いのままよ)

 宗立は常識的な男であったので、輝虎の指示を遠大な罠だと捉えた。

相手の掌の上で躍らせ、勝ち易きに勝つ作戦だと思ったのである。まさか城攻めを面倒くさいと思っており、北伊勢での最終戦だけでも援護してくれれば後は普通に勝てると思っているなどとは考えもしなかったのである。この辺りは漫画やアニメで出て来る、『上忍ならば一人で城を落とせる』なんてフィクションを知らないので仕方があるまい。

 

そして一同はしばらく歩き、ほどなく川辺へと出た。

ここで別口のグループと同流しつつ、実験を見学するつもりだったのである。

 

「……そこに居るのは長門守か?」

「いや、甲賀守の末だ。案内人を連れて来た」

「あれは望月吉棟です。藤林長門守に声を掛けたのですが会見は断られました」

「然もありなん。だが甲賀衆の頭の一人を仲介役とは、ありがたいことだ」

 離れた位置に三人の男たちが居た。

その内の一人に宗立が声を掛けたのだが、今回の一件を差配している望月吉棟という忍びらしい。望月家の頭領は代々天文地理に詳しい他、感受性が強く天候すら操るという。

 

「上杉弾正大弼輝虎と申す。御足労をおかけして申し訳ない」

「いや、土御門様からも頼まれており申す。いわば報酬の二重取り。申し訳ないのはこちらです」

「ほう……と言う事は、今夜の実演はそちらが?」

「戦や治水に用いるならば専門の者が赴きますが、試す程度ならばそれがしでも……暫しご清聴いただきたい」

 改めて輝虎が挨拶を行うと、吉棟は頭を下げて川の方に向かう。

そして明らかに忍術系ではない印を切り、水を操る精霊術の呪文を唱え始めたのだ。そして声を上げると川辺に向かって鋭! と気合を掛ける。すると俄に川の流れが変化し始めたのだ!

 

ゆるゆると水が引いて行き、円形に空洞が出来ていた。代わりにほど近い当たりで水かさが増したように見えるのは気のせいだろうか?

 

「水深が一間と四尺。広さはその五倍ほどか……」

「お聞きしたいが効果時間と、法術の拡大は可能でしょうか?」

「生憎と専門家でも法術を施した文物は有しておりませぬ」

「ですが土御門様の話では可能であろうと思われまする。時間が半刻ゆえ一刻・二刻という風に、水深は……それほど必要なさそうでしょうから、広さの方も可能でしょう。ですが、並みの如く盛り上がり、水が消えたわけではないのでご注意を」

 そう、望月家の頭領は忍術のみならず精霊魔術に適性がある事が多いのだ。

そして実演したマジカルエブタイトの魔法は微妙ではあるが、拡大を含めれば素晴らしい魔法であった。水深は3m、効果範囲は直径15m、時間は一時間ほどらしい。渡河するにも治水に使うにも微妙な呪文である。だが、効果の倍率を拡大できるならば話しは別だ。マジックアイテムや儀式・魔法陣などで時間や範囲を拡大できるならば十分な効力を発揮するであろう。

 

「素晴らしい能力と言えましょうな。高禄を用意するので契約していただければ幸い」

「それと興味本位で尋ねたいのですが、水の上を歩く術は使えますかな?」

「そして操った水の上を歩けますかな? 他にも興味がありますが、まずはその辺りで」

「随分と頓狂な事を考えられるのですな。やったことはありませぬが、おそらく可能でしょう」

 輝虎が上機嫌で聞いてくることに、吉棟は不思議な物を見るような顔をした。

おおよそ大名が忍者風情に見せるような姿では無いし、魔法と魔法のコンボなぞ普通の大名は考えないからである。城門を破壊したり壁に穴を開けるような術に対して質問されたことはあっても、こんなことを聞かれたのは初めてであった。

 

ともあれ、時間を寸刻みにして情報の漏洩を避けるのが忍者である。サッサと要件を済ませてしまう事にした。

 

「ひとまず長門守より頼まれた仲介を果たしましょうぞ。この二人が案内人です」

「この両名は伊勢に近い位置を領有し、その地形をつぶさに知っております」

「植田光次でござる」

「阿波正高にて」

 紹介された二人は共に伊賀忍者の頭領の一人である。

もちろん国人であり区分で言えば、上忍に当るのだろう。しかしパっと見には猟師や薬草採りにしか見えず、ここまでやって来るのに合わせて不自然でない様に変装しているものと見えた。やはり忍者という物はスパイ行為が基本であり、漫画やアニメの様に派手な事はしないのかもしれない。

 

「おお、これはありがたい」

「天候の変化や、地元の地理を使った奇襲などに対していただければ幸い」

「金もですが、塩や魚のような海の物、それと酒ならタップリと用意できますぞ」

「「……変わった方の様ですな」」

 魔法に対して感動した吉棟相手ほどではないが、やはり丁寧な対応であった。

忍者と侮らない輝虎に対し、案内役の二人は顔を見合わせてやはり不思議な物を見るような顔をしたのである。

 

いずれにせよ、輝虎は何名かの上忍たちに出逢った。

彼らを通して忍者たちを雇用することで、これからの局面へ何らかの変化が起きるかもしれない。少なくとも、ここで得た知見を活かすことで治水に関しては一歩進むであろう。




 今回は剣豪・忍者・精霊術師など雇用する話です。
まあブリーチとかナルトに憧れた世代なので仕方なし。
国政とか戦争はサッパリ進んでませんが、信濃川とか木曽川が治水できるようになります。
資金を使い過ぎて切腹する薩摩藩士は出なくなるでしょう。


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オセロの駒

 弘治元年の東国は美濃・尾張・三河の平定で戦を終えた。

まず木曽三川の西部にある揖斐川で、魔法も用いた大規模な治水実験を行う。この令国をまたいだ治水普請の結果を、尾張と三河をまたぐ矢矧川や、信濃と越後をまたぐ信濃川でも行う事を将軍家からの命令で布告されたのである。街道に関しても同様の命令があったという。

 

その資金提供や危険地帯での実演を織田家や輝虎が負担。

代わりに今川家は港を含めた尾張の一群で停戦と和睦を合意。同様に武田家も斎藤家に対して侵攻を停止した。

 

「この山で採れる粉には、石として使う以上の価値があり申す」

「人の目に入れば猛烈な痛みを生じる他、虫や蛭を駆逐できます」

「漆喰の材料以外にも利用法があったのか。しかし鉱山というには微妙よのう」

「そうでもないぞ大膳大輔殿。今ではあまり知られておらんが、虫だのヒルだのは病や呪いの媒介になるとか。治水ついでに使えば脹満とやらへの対策となるやもしれぬ」

 忍者といえば水遁だよね! という輝虎のイメージ先行により……。

甲賀忍者の頭目の一人である望月吉棟は、ビックリするくらいの高額で雇われていた。流石に申し分けないと思ったのか、美濃の山で採れる意外な産物を紹介することにしたのである。まずはただの石灰石なのだが、忍者ならではの使い道を聞いた武田大膳大輔晴信は、帰郷を中断する程の事かと少しだけガッカリしていた。しかし現代知識が多少なりと残っている輝虎は、領主階級にとっては微妙な病である甲斐の風土病にも効果があるかもしれないとフォローしたのである。

 

なお、彼女はすっかり忘れてるのでアレなのだが……。

日本住血吸虫への対策が幾つかある中、もっとも簡単な駆逐方法が生石灰の散布である事を、気が付かないまでに言い当てていた。

 

「まさしく。……弾正様は符蟲道を知っておられましたか」

「様々な病毒や虫毒の元となる事が忍びの間では知られております」

「我らが里を築く時は、自らの領域には住処を作る為に使用しております」

「通りに道には別の使い道として使用し、また虫も残すことで棲み分けており申す」

 吉棟は輝虎の発想にこそ注目した。

先ほどまで感心していた時と比べ、どちらかといえば思い至るまでやその後の補足で少し気配が変わったような気がする。やはり石灰の使い道を知って居たというよりは、符蟲道の厄介さへの応用を思いついたのであろう。とはいえ自分が提案するつもりであったので、別の産物についても説明しておくことにした。

 

「次に面白き石を紹介いたしましょう。これは火を防ぐ力があるのです」

「同じような力を持つ土もこの美濃で採ることが可能です」

「これを混ぜ合わせれば城全ては無理でも、城主の間や城門を補強でき申す」

「……む? 燃えない石じゃと。火鼠の皮衣の材料か。それと土? ……ふむ」

 次に紹介されたのは石綿と似たような効果がある粘土であった。

城を守る気のない輝虎は、むしろカグヤ姫伝承に出て来る五つの文物の方を思い出していた。ちなみに生産チートで非常に重要になる耐火煉瓦を作るための材料なのだが……物凄い微妙な気分であった。なんでかって?

 

「ふふ。珍しいな、俺でもこれは新しい炉に使えると即座に気が付いたぞ」

「さきほどは一本取られたが、今度は俺の勝ちかな」

「うむ……そうだな。炉ならば壁よりも少量で済もうな」

(耐火の魔法を竈に付与して、『マジックアイテムを造る計画』に水を差されたような気がしたからじゃん!? あーもう! こんなんで勝ち誇って! デリカシーないなあ!)

 脹満の件をやり返された形だが、気が付くだけならば輝虎も気が付いていた。

お酒以外に生産チ-トする気が無かった輝虎としては、判断に困る面白アイテムだったのだ。『耐火煉瓦作れたからレジストファイアの魔法を付与する実験は要らんよね?』なんて言われたら、魔法使いを育てる計画の一つが遠のくような気がしたのである。もっとも脹満対策に関しては晴信も気が付いたが自分には関係ないと思っていた可能性も有る。勝ち誇るという意味では、案外、どっちもどっちなのかもしれない。

 

(んー。なんか新しい事を思いつかないと~)

(石灰を大量に撒くとか……そんなの誰でもやってるよね。煙玉とか?)

(どうせやるならド派手に面白く……気球や飛行船から大量散布!?)

(あ、ダメ。この世界には魔法使いが居るんだし、気球を作れるとしても直ぐに落とされちゃう。死んじゃうし使い道がないなあ)

 当たり前だが凄いアイデアを簡単に思いつくようならば誰も苦労はしない。

大抵は生産チートも上手くいかないし、突拍子もない事を命じるキカッケもなければ、実現まで上手く導けるとは限らないのである。輝虎が虎千代と呼ばれた時にやった酒造りも、あくまで荒絞りから始めて、詳細は他人に任せたからこその成功でしかないのだ。

 

なお後に『上から大量散布』というアイデアは形を変えて実装されることになる。

輝虎が残したアイデアノートが盗まれる過程で散逸し、『空から何かを大量に撒くらしい』という部分を『別に空を飛ばなくても噴射魔法で良いじゃない』と一介の法術学生が至極簡単に実現したという。

 

 輝虎の進軍が止まって居た半年の間、忍者たちは北伊勢に潜り込んでいた。

北勢四十七家とも言われる国人の集団である。絶えずどこかに諍いがあるし、その何処かに潜入するだけならば容易いのである。

 

この時、忍者たちは輝虎たちのある事ある事を吹き込んでいった。

主力が『銭雇いの兵士』であることを暴露し、実働部隊は二千程しかいない事。あるいは『昨年の侵攻を止めたのは六角家だが、どちらにも援軍を出さない』事などを吹聴して回った。他にも『南伊勢の北畠家は弘治二年の秋まで動かない』ことや、越後勢の進軍ルートなども平気で伝えたのである。ただ伝えていない事もある、それらの情報は事前に輝虎の耳にも入っている事だ。

 

「また来たな。あ奴ら学習せんのか」

「残らず討ち取ったからな。知らんのだろうよ」

「今日の酒代くらいにはなろう。ありがたくその首頂戴しようぞ」

 この頃は常備兵の中核も入れ替わりが始まった。

北畠具教の仲介で、彼の兄弟弟子である剣豪たちが加わったのである。上泉伊勢守信綱の門弟たちも関東から駆けつけていたし、日がな剣や槍を奮って飯を食うので腕前がまるで違う。いまでは国人たちを討ち取っては越後の銘酒の代金に変えるという退廃的な暮らしを覚え始めたという。

 

「酒も悪くないが……それよりもだ。次は誰が伊勢守殿に挑む?」

「オレだ。今度こそオレが一本取ってやろう」

「ぬかせ。一本取るだと? そんな心意気で勝てるか。ワシの様に殺す気でいどまんかい!」

 史実と違って長野家は滅びてないのだが、思わぬ流れで弟子たちが増えた。

中でも柳生新次郎宗厳と中御門胤栄の二人が二強と言われ、隙あれば師匠に稽古をつけてもらおうと日夜鍛錬を続けていたのである。そういう意味では人を斬って金が貰える今の日々は彼らにとっては極楽であろう。人から見たら修羅道でしかないのだが、越後から輝虎に付いて来た連中はみんな狂戦士なので似たり寄ったりであった。

 

そして彼ら世に名前を残す漢たちが震えあがる戦……いや事件があった。

伊賀忍者が国人たちに渡した情報の中に、『輝虎が迂闊にも百にも満たぬ護衛だけ伊勢に入る』というものがあったのだ。そのこと自体に嘘はない。だが連れていたのが精鋭部隊であり、聖戦の呪文発動済みであったことである。三百程度の国人たちでどうなるものでもない。

 

ここで少し考えてみて欲しい。

闘気魔法や付与魔法などまちまちな方法で自分を強化するのが精々の国人たちが相手であり、攻撃呪文を使える精霊魔法使いなど全体で数名居れば良い方である。付与も強化も同時に出来る精鋭たちや、酷い組み合わせだと剣豪たちに挑んでしまい、三百近い襲撃者は瞬く間に殺戮されたという。

 

「しかし弾正様の鬼神ぶりをみただろう? 伊勢もさしては保つまい」

「さてな。大樹様が手放すはずも無し。次は大和かそれとも紀伊か」

「摂津や河内ということもあり得るぞ。まあ大和ならばオレも文の一つも書かねばならん」

「そうなるならワシもだな。故郷を皆殺しにされるのは出来ればカンベン願いたいわい」

 北伊勢は安濃群に居る工藤長野家を攻め潰せば戦が終る。

宗厳は国人の息子で、胤栄は興福寺の坊官の子であった。共に大和出身であり、生国もまとまりに欠いた戦国の世であることを良く知っている。そして何より都の南部なのだ。伊勢で領地を切り取りそこなった輝虎に対し、将軍家が大和攻めを促す可能性は大きかったと言えるだろう。そんな状況は一介の兵士として働いている間にも推測は出来る。自分たちが今所属している部隊の強さ、そして輝虎が聖戦の呪文を使った時の異様さを誰よりも実感しているのも大きかった。

 

このまま北伊勢で戦いが終わればどうなるか?

そして故郷に攻め入るならば、親兄弟をどう説得するか悩むのも仕方がないだろう。史実では後に松永久秀が攻めるのであるが……もし輝虎が攻め入れば草刈り場になる運命しか見えなかったのである。

 

 北伊勢の攻略が続く中、その後の情勢に頭を悩ませる者は少なくなかった。

安濃群はそのまま北畠具教に進呈され、下った国人たちの領地も一応は北畠家の物だ。タナボタ的に援助を貰った形の彼らが将軍家側につくのは当然のことだろう。輝虎はあくまで手伝い戦の他国人であり、この状況を齎したのは将軍である足利義輝で間違いがないのだから。

 

そして北畠家が将軍家に就くことで、オセロの様に変化する家もある。

例えば近江の六角家は細川派というべき立ち位置なのだが、親将軍派である朝倉家と挟まれることで将軍派になる事を余儀なくされた。もし義輝が三好家と手を組み直し、細川晴元を討つと言っても断れなくなっただろう。そして……。

 

「弾正様! 手前、織田家の警護に雇われておりました滝川一益と申します」

「そういえば何度かお見掛けしましたな。して、此度の御用向きは?」

「はっ。弾正様に御目通りを願いましたのは、これなる九鬼浄隆に頼まれ紹介をと」

「志摩の九鬼浄隆と申します。この度は弾正様にお仕えしたく参上つかまつりました……」

 この日、滝川一益に連れられて二名の男がやって来た。

一人は志摩の豪族で九鬼浄隆という武将である。もう一人は容貌が似通った青年なので、その弟と思われる。今回の話が突飛なのは、いきなり臣従の申し出を行った事だろう。本来ならば、もう少し手間暇を掛けるし……そもそも志摩とは隣接して居ないのである。

 

「この輝虎に仕えると? それはありがたい申し出であるが、仔細を尋ねても?」

「はっ! 伊勢の国が統一されたのであれば、北畠家が志摩に目を向けるのは必定」

「ふむ。志摩は元より伊勢の一部、伊勢が平和に成れば確かにそのような事もありましょう」

「そこで弾正様にお仕えすることで、領地を守ろうとした次第にございまする」

 輝虎が攻めているのは北伊勢であるが、伊勢南部にある志摩は微妙な位置だ。

しかし受けた命令は『伊勢の平穏を取り戻せ』であり、志摩の豪族を部下にして騒乱を前もって抑えたという言い訳が使えなくもない。だからこそ、九鬼浄隆は北畠家に攻められる前に臣従を申し出たのである。『今』ならばそれは可能であるが、この機会を逃せば彼らには滅亡以外の道はあり得ないであろう。

 

「弾正様。こやつらは水軍も率いております」

「放置して滅ぼしてはそれらも無残な海の藻屑となりましょうぞ」

「いかがな物でしょうか? こやつらの忠誠を受け取ってはいただけますまいか?」

「滝川殿がそこまでおっしゃるならば一考いたしましょうぞ。……ただ、このままでは揉めるやもしれませぬな。では、幾らか条件を整えるとして、まずは志摩の国人の中で北畠家に属する者は残す事」

 当たり前であるが、国人たちはその時々で所属勢力を変えている。

だから九鬼家に従う国人も居れば、北畠家に所属する者もいる筈だ。だからこの場で断言するのも問題があるし、そもそも北畠家が志摩を狙っているならば問題となろう。だから輝虎は面倒だからこそ、その危険を避けた。志摩には他にも国人が居るが、彼らを討伐しても良し、北伊勢の様に北畠家の斡旋で従えても良いのだ。志摩に領地が要らないからこそ、その辺りの区分を明確にしておく。

 

「次に北伊勢の中で、鉱山や港に関しては輝虎の取り分になっていた」

「これを返上して志摩と入れ替えることに致そうぞ」

「っ! 忝い! そこまでしていただけるならばこの九鬼浄隆、命に掛けて!」

「また弟である嘉隆をお預けいたします。煮るなり焼くなりお好きに使うてくだされ!」

 いつものように輝虎は鉱山と港のみを確保するつもりであった。

その辺りは先に伝えてあるので、北畠家でもある程度は配慮するつもりであっただろう。だが、国としての価値を考えれば、北伊勢にある港の方が良港と言えた。志摩の整備が遅れており、ろくに米も取れない事から交渉に乗って来る可能性はあった。

 

だが、それはあくまで輝虎と北畠家の勘定である。

良い土地を捨てて、僻地である志摩と取り換えるというのはまずありえない。一応は志摩は一国として数えられており志摩守を名乗れるほどの名誉はあるがそれだけだ。官途での志摩守は別の者に与えられており、それほどの意味はないであろう。

 

「この九鬼嘉隆、御屋形様に命をお預けいたしまする!」

「そうか。ではその命は輝虎が預かろう」

「江戸より堺を目指す船の守り手か、それとも越後から若狭か」

「いずれかの水軍大将として育てるのも悪くはないやもしれんな」

 聞けば姿よりも声は幾分か幼い気がした。

もしかしたら元服して間もない少年なのかもしれない。この当時の豪族は家を存続させるために、家族や親族の国人を敵方に付けたり、離れた場所にいる大名に士官させることもあった。そんな戦国的な生存戦術を知りながらも、水軍衆の弱い輝虎は受け入れたのであった。ていうか……モメて戦い続けるのも面倒だしね?

 

そして弘治二年の秋、伊勢の戦乱の終了と共に輝虎に二国が与えられた。

一国は言うまでも無く志摩の国であり、もう一国は三木家が姉小路家を乗っ取り分家を殺したことが密告され、処罰対象になった飛騨国であったという。おそらくは紀伊へ攻めてはくれるなと言う本願寺からのメッセージであろう。




と言う訳で伊勢の近辺の話はしゅーりょー!
難しい相手でもないので、サクサクと攻略が進みます。

・生産チートキャンセル
 一分野一チート令があるので仕方ないですね。
耐火煉瓦は作りませんし、それで高炉も作りません。

・日本住血吸虫
 前回に引き続いてチラっと登場。
というかこの時期の美濃の鉱山はあんまりないのですよね(ほとんど飛騨なので)。
なので忍者知識を少しだけ入れつつ、この後に治水のついでにその内にナレ死すると思われます。

・上泉門下生たち
 常備兵の精鋭集団に居座る事で、史実とは別の出会い方をします。
まあ伊勢の北畠具教が仲介したという事なので、多少の環境変化では同じ出逢いになるのでしょう。

・今週の風見鶏たち
 伊勢が将軍派に! なので近江も将軍派に! 混乱期が起きないので浅井はチャンスが喪失!
史実よりも早い伊勢の統一が起きたことで、志摩の九鬼家は攻められると判っているのでさっさと降伏。
情勢の変化に気が付いた本願寺は、飛騨をスケープゴートに紀伊の国を守った感じです。


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外伝。三好家の懲りない面々

 都の東が収まっていった頃、西は実に波乱万丈であった。

弘治二年には大内家が実質的にではなく、本当の意味で滅びている。これは大内家の内部でクーデーターを起こしていた陶晴賢が、毛利元就とその息子である隆元によって討ち取られたからである。他にも播磨や丹波と言った比較的に近い場所に置いても騒乱が絶えなかったという。

 

「筑前殿! 上杉輝虎を討つべきですぞ」

「伊勢で暴れ回りこちらにも欲目を見せて居るとか!」

「尾張では手妻で川を枯らし、新田義貞の再来と言われておるとか」

「大樹様の寵愛を良い事に、まつりごとに口を挟みかねませんぞ!」

 京の西、摂津においてはこのような話が三好家へ頻繁に持ち込まれている。

将軍家の近臣に始まり、近隣大名の使者、あるいは三好家内部の諸将からも同様に上がって居た。当たり前の話であるが、越後勢が猛威を振るい、西美濃や北伊勢を攻略していったのだから不安を掻き立てられたり、不満を覚える物が居てもおかしくはあるまい。

 

「確認するが弾正大弼が本当に幕政に口を挟んだのか?」

「伊勢に関しては大樹様の命であろう。そこに何の問題がある」

「まして新田義貞は足利家の仇敵だ。そう呼ばれて有頂天ならばむしろ大樹様が叱りつけよう。そうしないのであればそれほどに寵愛が深き証よ、ここで口を挟むのは危険であろう」

 三好筑前守長慶はそれらの話を一つ一つ諭していった。

大身の大大名として迂闊に人の話を信じるわけにはいかないし、持ち込まれる話も予め裏を取ってある。そして何より、これまでの流れで輝虎の動きを長慶ほどの男が監視して居ない訳があるまい。それでも動かなかったのには理由があるのだ。

 

「ですが! 彼奴が三好家にとって代わろうとするのは明白ですぞ!」

「ならばその証拠を持ってこいと言っておるのだ」

「言葉巧みに我らを動かそうとするのは甚だ迷惑」

「我ら三好家は幕府に対して忠実な幕臣であるぞ。剣豪将軍ごときならばともかく、まともな大樹様であるならば逆らう気などは毛頭ない。第一、効率が悪い」

 長慶は甘言を弄する者たちには取り合わなかった。

もちろん彼も自分で言って居る程に将軍家に忠実な訳ではない。仕えているのは幕府の社稷であり、足利義輝ではないと明確に言い切って居る。自分の勢力も持たずに政治に嘴を挟もうとして、何もできずに剣を振って居るだけの男であれば一顧だにしなかったであろう。だが現在の将軍家には明確な地歩があるのだ、ここで逆らう気は存在しなかった。

 

「大樹様を操ろうというならば、これまでに幾らでも出来た」

「領地を掠め取り奪おうとするならば、どれほどの寸土でも逃すまい」

「だが弾正が自分でやったことは街道を拡げ京に食い物を持ち込んだだけよ」

「儂には判る。それは効率が悪いからだ。どうして腐りかけた幕府のまつりごとに関わる必要があろうか。この世の富貴に浴するならば収まらぬ領地など不要であろう。奴は自分が満足するだけのモノを既に得て、不要なモノを忌避しておるのよ」

 なんというか長慶は効率重視な所があった。

面倒だから領地経営を投げだし、領土も官位も自分から増やそうとしていない輝虎の事を、自分と同じ効率重視者だと誤解していたのである。その視点から見れば、必要以上に幕政に口を挟むのは非効率なのだ。関西圏の三好家ならばともかく、越後上杉入れから見れば、幕政への参加権など不要であろうと長慶は判断していた。

 

「それよりも摂津と河内を確実に抑えておけ」

「そうすれば大樹様は口を出せぬ」

「我らが幕臣として節度を守る限り、名分が無い故な」

「東を弾正が抑えつけ、西を我ら三好が差配する。抑えているだけの弾正と、支配下に組み入れている我らでは時間と共に差が出よう? 今は争う時ではないわ! 判ったら久秀を残して下がれ!」

 長慶は輝虎が動いている間、摂津や河内を抑えていた。

元もと四国の阿波を本領としており、摂津の諸将から請われる形で、以前に剛腕を振るっていた細川家や三好内部の対立者を倒していたのである。その支配体系を確立していたこと、そして伊勢や近江へ輝虎が影響を与えること自体には長慶にも利益があったから止めなかっただけの事である。

 

そう、近江の六角は細川派であり、長慶の明確な敵だったのだ。

細川晴元と六角家が手切れになること自体はむしろありがたい事であり、邪魔するよりも手出ししないことで消極的な援助をし合って居たと言える。同時にそれまでよりも幕政への関与を薄め、摂津・河内に専念することで義輝からの忌避感を抑えることに成功していた。場合によっては再び細川家と手を切って、三好家に鞍替えしかねないほどに……。

 

 他の者たちは下げられ、謀臣である松永久秀のみが残った。

彼は悪辣非道とされるが、長慶とその直系の一族のみには非常に忠実であったという。よく何度も裏切ったとされるが、新たにできた摂津三好家とでも言うべき直系の家系を通してみれば、彼は裏切者ではないのである。あくまで摂津三好家の為に行動して居た結果と言えるだろう。江戸幕府で言えば大岡越前や田沼意次の様な、下級武士から取り立てられた重臣が本来の立ち位置といえば判り易いだろうか?

 

「久秀。丹波の方はどうなった?」

「問題ありませぬ。東への注力を全て注ぎましたからな」

「また街道拡張の件で親細川派であった若狭武田家も弾正様に近くなったと聞きますぞ」

「晴元様も終わりよの。最後まで追い詰めるか、それとも手控えるかで悩ましい所だのう。あの方も政長ずれを重用せねば……いや、言ってもせんないな」

 これまでの輝虎の動きもあり、細川晴元は孤立していった。

晴元は三好政長を重用する事で、三好一族を分断し程よく操ろうとしていた。政長が長慶の父である元長を自害させる一因ともなっており、実に因縁の相手であったのだ。基本的には主君である細川家の方が優勢であり、辛抱強く逆転していったと言える。そして六角と若狭武田家がオセロの様に転んだことで、晴元はまさしく『詰み』になったのだ。

 

「……でしたら右京大夫の地位を奪うのみに留めてはいかがでしょうか?」

「残せば後の災いには成りましょう。されど獲物を獲り尽くした狗は追われるもの」

「京兆家としての格を落とし、管領としての地位は残して追い込むのです」

「なるほど。我らが摂津を先に統一するは必定。そうなれば播磨に逃れるか、誰ぞに匿ってもらうか……か。そこまで零落すれば何も出来まい。もし大樹様が播磨攻めの口実になさるならば、それまでのことよの」

 三好家は史実よりも戦力と政治力を西に集中していた。

その為に細川家の本領である丹波や、係争地である摂津は殆ど三好家が支配下に置いていたのである。以前に義輝が輝虎を摂津に送り込もうとした時には、同じ可能性を久秀も考えていたのである。そこで長慶を説得し、史実よりも早くこのニカ国を抑えたと言えるだろう。

 

そして……久秀は長慶が晴元に未練があるのを知って居た。

口では討伐対象としてあえて残らせると言いつつ、効率重視でありつつも旧主に慮る長慶への配慮を見せたのである。こういう心情の機微に敏い所が、久秀が謀臣でありながら重用されている理由であろう。

 

「その件は此処までと致そう」

「明との貿易はどうなった? 管領家と大内で争っておったはずだが」

「正式な貿易相手としては相手にされておりませぬ」

「どうも陶めが前兵部卿や前左大臣様らを討ち取った時点で、勘合符が失われていた模様。以降は民草の大商人どもや、朝鮮・琉球を介しての行き来のみになっておるかと」

 晴元が勢力を回復する可能性として、日明貿易があった。

しかし尋ねてみると既に大内に貿易権が移って居たことに加えて、正式な相手は正当な大内家だけだとして、明国そのものとの確実に儲かる貿易は陶家のクーデーター政権以降は停止されて居たという事である。陶家やその後に台頭することになるであろう毛利家は、仕方なく民間や第三国を経由して商売することになったという。

 

もっともこの流れで、国家間では機密扱いの技術がもたらされたのは皮肉であった。

 

「銅銭の輸入自体には問題がないか……待てよ?」

「民間との商いと申しても、大商人ともなれば海千山千の腹黒ばかりであろう」

「そう簡単に海を越える取引に応じるか?」

「腕利きの法術師を派遣し手を尽くしたところ、日の本の商売では余禄があるそうですな。色々と商売以外でぼったくられておるそうで」

 晴元が復帰しない事や、国内で鋳造してない銅銭のみが関心であった。

しかしよくよく考えてみると少し奇妙な話である。こちらのみが持ち込んで向こうが買うかどうかを決め、あちらで余っている商品を持ち替えるだけならばまだ良い。それならば国内の商人が博打しているだけなのだが、行き来して同胞の商人が儲けているとなれば話は変わって来る。断られた直後に貿易相手が変わっただけと言うのは信じ難かった。

 

その話が出た時、久秀は懐から金銀銅の小粒を取り出した。それらをひとまとめにして布の上に置き、離れた位置に銅銭の入った袋を置いて見せる。

 

「日の本では金と銀の価値があまり変わりませぬ」

「しかし外つ国ではもっと大きな差であるとか」

「それと最新の技術では、銅より金銀を得る方法もあるとかで」

「……なんと馬鹿馬鹿しい事よの。馬鹿を見るのは儂ではないが……少しずつ手を回し、外つ国との貿易をしたがる者に回状を回せば良いか。ひとまず堺の商人どもに伝えてやれ」

 本来は長慶に商売の話などするべきものでもない。

しかし現在では、日本の国益を考える事が可能なのは義輝ではなく長慶の方である。その事を考えれば、日本から大量の金銀が持ち出されているのは見過ごせないと判断したのであろう。久秀の意を察した長慶は、その情報を使って摂津内部の統一に向けて利益がある方法を取ったのである。

 

情報一つとってもその価値は違う。

長慶は最終的に海外貿易を行う者全てに情報を回すとして、堺の商人の中で三好家の為に動いてくれそうな者や、そうでなくとも有益な情報を渡せば便宜を図ってくれそうな者を中心に情報を撒いて行く事を指示したのである。

 

「さて、頭が冷えたところで弾正大弼の事だ」

「儂としてはあやつは我が家とは敵対すまい。久秀はどう見る?」

「これまで弾正様は三千の精鋭のみを手元に残し、残りは国元を守らせました」

「この数が居れば小競り合いで負けることは無く、現地の諸将と手を組めばまず勝てる。そして国元が脅かされることもなく、コレを越えねば、手元が不如意に成ることもないとの判断で間違いはございますまい」

 長慶が輝虎の分析を口にすると、久秀は冷静に情報を並べていく。

関東でも同様であり、越中や関東での後押しに多少動員したことはあるが、殆ど豪族たちを呼び寄せたことはない事。僅か三千でありながら、野戦においては比類なき存在であることを肯定した。

 

だが、翻って見ればコレが輝虎の限界であるのは間違いないとも口にしたのである。

 

「弾正様の考えは殿のおっしゃる通りかと」

「必要以上の数を動員せねば、何も困らずに左団扇」

「朝廷や大樹様からは忠臣と言われ、世の者どもは義の将と讃えましょう」

「つまり大樹様が全兵力を挙げて討てと言わぬ以上は、絶対に総動員を掛けることはないのです。そして、この事を大膳大輔様や左京大夫様が学んでいる事も重々承知でしょう」

 効率主義であっても、国元を守る為の計算であっても現状を変える事はまずない。

その上で重要なのは、義輝が『三好を討て、あれは謀反人だ!』と口にしない限りは総動員を掛けることはないのだ。そしてやったが瞬間に周囲の諸大名は越後の豊かさを狙うであろう。もし輝虎が兵力を増したとしても、三千が一時的に四千~五千になる程度と思われた。その程度の小勢りあいならば三好家が負けることはない。すくなくとも篭城してしまえば、軍神の雷鳴など無意味な事は研究され付していると言えた。

 

ただし、重要なのは義輝の理性に掛かって居るという事だ。

何かの拍子に激高し、計算を度外視して輝虎をけしかける可能性はあったであろう。その時は輝虎とて覚悟を決めて義輝を見限るか……それとも、短期間で済ませるために無理な戦いを行う物と思われた。

 

「では問題無いな。儂は西の守護者として『幕府と朝廷』を守る事にしよう」

「彼奴が以前のような短絡を起こさず、将軍として相応しいならば担いでも良い」

「適度に幕臣として口を出し、それを超える場合は他の大名の様に金を積むとしようぞ」

「儂が弁えて居る限りは、大樹は絶対に三好の家を滅ぼすことなど出来ぬ。そして、以前のような短絡が無い限りは絶対にそのような未来は来ぬ。その間に三好の家を隆盛させれば良いであろう」

 史実であれば、数年前に暗殺未遂を起こして義輝との仲はこじれた筈であった。

だが義輝は暗殺を思い留まり、長慶も大人げない態度を取る義輝に苦言を呈する以上の事は行わなかったのだ。やがて輝虎が方々に影響を与え始めると、義輝が利用しようとするその動きを逆手にとって三好家の為になるように誘導したのである。

 

そして義輝は何時しか現実を見つめてしまった。

輝虎を背後の守りにして、長慶を黙らせるための魔避けの札にすることを……だ。今の政治バランスのままならば迂闊に三好家を攻めることはありえない。『今のままで良いのではないか?』と義輝が思ってしまった以上は、勝てるかどうかわからない全面戦争に踏み切り、かつての様に京の都を火の海にはできないだろう。

 

「イザとなれば朝廷にお願いするおつもりがあるならば、問題ないかと」

「あえて言うならば隙間を埋める事でありましょうな。弾正様の行き先を狭め、導くのです」

「大和に出兵せよという事か? 先んじて平穏を取り戻せば領地を得ぬと?」

「似たような物ですが……せっかくです。御料を取り戻して差し上げるのはいかがと存じます。荘園を朝廷の元に戻し、大樹様の手元にもある程度は。そうですなあ……織田弾正大忠殿に習って、それがしが大和攻めの轡を取るというのも面白いかと。無論、情勢が許せばその先も」

 久秀は輝虎の動きを牽制しつつ、同時に懇意になるという方策を提示した。

放置すれば大和一国を輝虎が得て、そこを根拠地に蠢動しかねない。だが先に共同で攻めようと言えば全てを得る事はできないだろう。そして、さらにその土地を切り刻むことを提案したのである。

 

「……こちらから御料を献じよというのか!」

「はい。いずれ朝廷にお声を掛けるのです。別に今でも構わぬでしょう?」

「その上で切り取った後でせせこましくお渡しするよりは、最初から大和半国と申すのですよ」

「そこまで申す以上は朝廷はこちらの味方です。残りの分配に我らが加わるなとは申さぬでしょうし、豪族たちと弾正様で分けるならば地歩にはなりますまいよ。同じ百万石を越える大大名であろうとも、我が家の方が都に近い分、兵力も兵糧も上、困る事はありませぬ」

 この時代は朝廷や幕府の領地は奪う事が基本であった。

その上で味方するのだから自分こそが代官であり、経営のために使うから資金も米も献上できないと言い張るのが普通である。だが久秀はあえて朝廷や幕府の手に戻すことで、輝虎に与えられるはずだった大和を切り刻めという。

 

重要なのは朝廷も幕府も困窮しているという事である。

そんな状態でこのような提案があれば絶対に否定することはない。もしかしたら幕府は報酬として輝虎に領地を多く配分するというかもしれない。だが、いったん幕政の場に出してしまえば、長慶も口を出せるし、輝虎を良く思わない近臣たちもこちらに味方するであろう。

 

「よくもまあ、そのような案を思いつける事よ」

「うぬを敵に回さぬ幸運を儂は噛みしめておるぞ」

「なんの。この久秀を取り立てたるは殿ではありませぬか」

「殿に対して策を立てることなどありえませぬよ」

 長慶と久秀の主従は悪い顔をして笑い合った。

世の中には悪人同志でしか判り得ない絆という物もある。日の照らす所に出る事の出来ない悪人には、寄り大きな悪徳によって理解される必要があるのだ。その意味で日本を支配する黒幕である長慶と、その手下として暗躍する松永久秀は良い主従なのであろう。

 

「弾正を利用せよという案は前向きに考えよう」

「それはそれとして、奴に抱え込ませる重しは無い物か」

「猫の鈴でありますか? でしたら面白い……見ようによっては厄介な種があり申す」

「伊勢では和田様のお父上の力を借りたとか。せっかくなので、和田様のお願いを弾正様に聞いていただくというのも愉快かと」

 そしてこの件に関して、久秀が輝虎に近づくことが決定した。

そこで長慶はついでに行う策が無いかを尋ねたのだが、ある種の爆弾を押し付けることを久秀は考案したのである。利用される和田惟政こそ良いの面の皮であろう。




 と言う訳で今回は三好家の人々と西の情勢になります。
今まで何してたの? 輝虎ちゃんが凄い事やってるのに?
それを逆に利用してたんだよ? となります。

・弾正が多過ぎる
 松永さんも弾正ですが、面倒なので割愛して居ます。
弾正忠とか左京大夫とか人気の官位なので仕方ないですね。

・日明貿易
 この頃には厳島の合戦もあり、完全に破綻してます。
今後は民間貿易になって、毛利と大友が博多を奪い合う感じですね。
なお、この当時の金のレートや、銅から金銀がオマケで採れる話を別口で解決。
輝虎ちゃんだと「別にいいんじゃない?」で済ませそうなのと、三好・松永に何か功績を付けたかったので。ちなみに派遣されたのは何とか居士とか言うらしいですよ。

・土地の献上アタック
先んじて中立の緩衝地帯を設置する感じです。


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難問は助走を付けて

 三好長慶が幕政より少し距離を置いた。

おかげで幕府はてんてこ舞いの大忙しだが、所詮は実権の無い組織である。時間が解決するし、文官が育てばやがて問題も出なくなるだろう。必要な部分だけ長慶に頭を下げれば済むようになったと言える。

 

この事で将軍である足利義輝だけでなく、幕臣たちは現実的な問題を直視し始めた。

困窮した財政は全く変わって無いし、今のままでは文官を増やすことも、兵を増やして戦うどころか警備状況も改善しないという事である。そんな所に大和分割案が定義されたのだ、乗らなければ嘘と言えるだろう。

 

「弾正大弼様。この度は伊賀守就任の挨拶と、新たな弾正少弼の引継ぎで参りました」

「和田殿。伊賀守就任おめでとうござる。先だっての伊勢攻めでは御父君に世話になり申した」

「大樹様の命による戦ゆえ、お気になさりますな。父も誉れと思っておりましょうぞ」

「さて伊賀守殿……新しい弾正少弼殿に何かございますかな? それとも大樹様のお声がありましょうや?」

 和田惟政が弾正少弼から伊賀守になったと挨拶に来た。

もちろんこれは別件の用事を切り出すためのキッカケであろう。この程度の事を一々説明せずとも、明智十兵衛光秀あたりを間に介せば幾らでも伝達できるのだ。それに弾正台と言う官庁は機能しておらず、大弼である輝虎の部下に少弼が居るわけではない。単純に流れを解説するためのものであろう。

 

「この度、大和攻めの件を弾正大弼様にと大樹様は仰せです」

「その折に副将として松永久秀殿が付けられ、それに合わせて少弼に昇進いたしまする」

「松永殿は大和での武略に始まり、三好家を介して様々な折衝を担当されるとのことです」

「なるほど。面倒を掛けることになるやもしれませぬな。今度お会いして話し合おうと思います。お伝えいただけるならば、一筆したためましょうぞ」

 大和攻め自体は以前から噂されていた。

都からほど近く、幾つかの勢力で殴り合っている状態である。史実であれば数年後に松永久秀が単独で送り込まれ、三好家の領地とすべく奮闘することになる。だがその計画は輝虎が居ることで、大幅に変更されたのであった。

 

義輝の計画では大和一国を輝虎に任せ、安定した根拠地にするはずであったのだ。

しかし朝廷と幕府の御料地にすることを提案された事と、三好家が一歩引いた事で、対決姿勢を続ける必要がなくなったのでこのような流れになったと言える。

 

「はっ。そういう事でしたら暫し逗留させていただきましょうぞ」

「今後の事について大樹様には色々と聞かされており申す」

「何かあれば何なりとお尋ねくだされ」

「……そうですな。では伊賀守殿にはなんぞこの輝虎に御用事があるのではないですかな? 大樹様の計画に関してこれからお世話になるのです。礼と言う訳ではござらんが何なりと申されよ」

 思えば惟政は最初から緊張して居た。

使者として輝虎の元に派遣されるだけで緊張するはずがない。弾正少弼が別に変るとか、その取次ごときでそうなることはないのだ。ただ惟政は常識人であり、当初の予定通り大和一国ではなく、その四分の一になると言われて輝虎が機嫌を損ねる可能性も考慮していた。その件を領地に関してどうでも良い輝虎が気が付くことは無かったが、それはそれとして女性は男性の目線に敏い物である。

 

スタイルの凹凸を眺めるわけでもなく、だからといって無視もしない。何らかの要件を切り出したくて堪らないのではないか? そう思ったのであった。

 

「……不躾ながらその通りでございます」

「この伊賀守から申すのも口幅ったく、弾正大弼様がよろしいなら……でありますが」

「構いませぬよ。場合によっては何度も往復する用事を申し付けます。その返礼と言う事で」

「申し訳ありませぬ。では厚かましいながら、弾正大弼様におすがりいたしたく存じます」

 惟政は迷いはしたが、結局話すことにした。

これまで方々に頭を下げた件であり、他の者から全て断られた案件である。京よりも東……いや、日の元の大多数に相談しても断られる確信があったが、輝虎ならば受け入れてくれるかもしれないという望みに繋いでいたのだ。厚かましいと知りつつも、ここで退くことはありえなかったと言っても良い。

 

それは輝虎が越後の国主となった時に宣言した言葉に由来している。

 

「まずお尋ねいたしますが、いかなる宗教・宗派について問わぬと仰せで?」

「懐かしい、越後で国主に推挙された時の話ですな」

「いかにも。越後に置いて、いかなる宗教・宗派であろうとも、罪なくして区別せぬ」

「どのような教えであろうと受け入れ、罪があれば何者でも裁くと申し伝えましたぞ」

 かつてそのような言葉で、一向宗との対立を取り除いたのだ。

そして言葉だけではなく、祖父である能景以来の禁教を解き越後への布教を許可したからこそ、本願寺とも手を組めるようになったのだ。これまで一向宗とも協力し出入りを許可して来た輝虎の足跡が、まさに実例であったと言えるだろう。

 

「おすがりしたいのは、まさにこの件なのです」

「世に人を導く教えは幾らもありましょうが、不当な偏見にさらされております」

「しかし、そのくらいであればどこぞで布教できるのでは?」

「それがそうもいかない問題がありまして……実は、外つ国より参った教えなのです」

 この一件は実に難しい話であった。

日本の外よりもたらされた宗教。それは他の宗教のみならず、大名を含めた人々に忌避されている。だからこそ惟政の頼みを誰も聞いてくれなかったし、輝虎以外に頼る相手が居なかったのである。史実よりも早く信長時代よりも前に入信した惟政にとって、輝虎こそが最後の希望であった。

 

 世の中にはタイミングの変化や詳細で大きく変わる時と、変わらない時がある。

輝虎が行った一度目上洛で足利義輝の精神状態は改善されたし、二度目は兵を伴い勢力図に変化をもたらした。これは史実でもやったことはあまり変わらないのだが、数年ほど早まったことで大きな変化がある。一度目は義輝の教育環境であり、二度目は暗殺と言う強硬手段を取らなくても済んだことだ。特に暗殺に関しては失敗するのが当然のことなので、京都から逃げ出す必要が無くなったのである。

 

その事が惟政が史実よりも早く入信し、苦悩したことにつながる。

本来ならば朽木谷に逃れたからこそ起きなかった会見が生じ、本来ならばもっと認知度が高まってから入信していたのだ。ゆえに彼がこの新興宗教への無理解に関して、苦悩する期間が長くなってしまったのである。

 

「弾正大弼様は南蛮より渡来した教えについてご存じでしょうか?」

「通り一辺倒でよければ。寺の書物や人伝ゆえに仔細は違っておりましょうが……」

「蒙古襲来の前後で渡来した、景教や回教の兄弟筋や従兄弟筋にあたる教えでは無かったかな」

(んー。これってキリスト教の話よね? そっかー。ザビエル! な頭の司祭様たちの事だよね? なんだかザ・歴史って感じだなあ)

 惟政の言葉に輝虎は頷いた。

ローマ帝国が大秦国と呼ばれて存在が認知されていること、そこにも宗教があること自体は昔から知られていた。紆余曲折の歴史により変節して伝わった内容と、ダイレクトに伝わった内容の差はあるが、概ね同じ宗教である。それなのに同じ宗教同士でなぜ争うのかとか、なんでその程度の差なのに殺し合うのかとかいろいろ言いたいことはあるだろうが……。

 

それを言い出したら日本における仏教でも同じなので此処は棚に上げておこう。宗派が違う程度ではモメ事や戦争が起きないならば、一向宗や日蓮宗の歴史はもっと平和である。

 

「寡聞にして回教については知りませぬが、デウス様の教えは正しく理に叶っております」

「その教えが南蛮より伝わっただけで、教え長が異人というだけで迫害されております」

「どうか! どうか弾正大弼様のお力で何とかなりませぬでしょうか!」

(多分、キリスト教であってるよね? 和田さんほど理性的な人が信じてるなら大丈夫かなあ? 大丈夫だよね? ええとキリスト教ってなんで江戸時代に残らなかったんだっけ……長崎にはあったよね? よく覚えてないや)

 タイミングや仔細で変わる事もあれば、変わらないこともあると述べた。

では、そういった差で変わらない事があるのを説明しよう。この時代でキリスト教徒がやった悪行や悲劇は幾つかあり、それらが半分くらい無い物として数えるとしよう。輝虎に転生した女はこだわりも少ないので、思い出す確率はさらに半分以下だ。世界史に起きたキリスト教関連の問題を、四分の一から五分の一くらいに薄めて判断して欲しい。

 

さて、ギルティ? Or ノットギルティ?

アフリカ・東南アジア・中南米での悪行を五分の一覚えていると仮定する。その状態で放置できるかと言うと……。

 

(ダメじゃん!? でも西洋の国がやった事が駄目な訳で、キリスト教はOK?)

(うーん。細かいことなんて全然覚えてないんだよね。んー日本だと、どうだっけか)

(一向宗が受け入れられてんのも、南無阿弥陀仏でノーカン以外に堕落してないからだしなあ)

(じゃあ結局悪いのは利用した王様とか領主たちで、攻められる言い訳とかされなきゃ良いのかなあ? それにここで禁止しても、広まったって事は誰かが許可するのよね。あー面倒くさーい! 誰かに丸投げしちゃえ!)

 と言う感じで煮詰まって来た輝虎は、熟慮を投げ捨てることにした。

馬鹿の考え休むに似たり。自分は公正な判断だけして、危険性は他の誰かに判断してもらう事にしたのだ。日本だって最終的に宗教色の低いオランダ船の告げ口とかで何とかなったし、まあ輝虎たちが染まらなければ大丈夫であろう。きっとね。

 

「伊賀守殿。輝虎が出来るのは以下の三つだ」

「第一に、越後や出入りする商人などに宗教・宗派に寄らぬ扱いをさせる事」

「第二に、他の寺と同じく住処を与え、何を為したか正邪の情報を共有する事」

「第三に、法術の専門家がおるならば、新たに作る予定の法術の学び舎に、一向宗の様に教育者を派遣することを許そうぞ。彼らが良き人々で良き教えであるならば信徒は増えるであろうし、邪教であるならばその証拠を持って罪人として裁こう」

 最終的に一向宗と似た扱いをする事にした。

あくまで罪があるかどうかで裁き、宗教や宗派によって裁かぬという越後の法を徹底する事だ。そして一向宗にもそうしたように、住処を与えてその情報を領主たちへ渡し、良い人たちなのか、悪い人たちなのかを尋ねた者にも共有するという事であった。最後に魔法学院の教師として誰か派遣しても良いというのは、魔法の技術を聞き出す事であり、この部分のみが輝虎の望みと言えた。

 

「おお! ありがたい。これでデウス様の教えも救われますぞ!」

「それなのだがな。伊賀守殿の様子を見る限り教え長も良い人なのだろう」

「だが忘れてはならんぞ。比叡山は最初から堕落した生臭坊主の住処だったわけではない」

「また一向宗の多くは善良な民であったが、それを死兵として利用し土豪化した坊官は山と居る。外つ国の王や領主、あるいは坊官どもが良き人々を利用することは普通にあるゆえな。それだけは覚えておかれよ」

 感激する惟政に対し、輝虎は天台宗や一向宗を例に釘を刺して置いた。

認めはするしチャンスもやる。だが、決してキリスト教を利用する人々のことを忘れてはいけないと伝えたのだ。もちろんそれだけでも受け入れ先を知らなかった惟政にとっては福音であろう。この場においては問題の棚上げは成功し、後に最終判断をする者へ丸投げすることになったのである。

 

そして、この件は思わぬ方向に波及することになった。

話を曲解した興福寺の僧兵たちが大和で戦いを挑み、彼らに穏当な処置をしたら、何故かそのことを含めて教え長のガスパル・ヴィレラという司祭に詰問された事である。助け舟を出して何故論戦を挑まれるのか首を傾げた輝虎であったという。




 今回はタメ回なのと、問題が持ち込まれる回です。
バタフライエフェクトで何故かすでに入信している和田惟政がやらかします。
足利スタートだと細川藤孝以外で使える数少ない人なんですけどね……。
ちなみにこの話の義輝さまは弟の義昭と違って、将軍教育を受けている分だけ政治に理解力があります(胃痛は気にしないものとする)。
余計な事をするのは同じですが、考えなしにするのではなく、理想の為に暴走する感じ。


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仕組まれた戦

 弘治三年の当初、大和平定の件は平和裏に収まると一部のエライ人は考えていた

だが『大和半国を御料とする』という計画に対し、ご当地には国人たちが存在する。荘園の横領が横行していたのもあるが、彼らは鎌倉幕府以降、『先祖が褒美としてこの土地をもらった』という理由で居付いているのだ。当時の幕府の指示で没収したり、そこから褒美として与えたりと二転三転する例もあるので『当代の領主から見ればこちらの方が正統である』という事は珍しくなかった。紛糾するのも当然であろう。

 

とはいえこの乱世、エライ人たちも呑気にみんなが従うとは思っても居ない。

ただ三好家と越後上杉家が動くとなれば、戦いを避けるだろうという判断である。誰も戦国最強武将とこの当時の天下人を同時に相手にしたいとは思えない。そこに大義名分まで用意されたらどうしようもないので、御上に差し出す金殻や兵糧を誰が負担するかで押し付け合っているのだろうと考えていたのだ。ならば無理して戦うよりも頭をあげるのを待とうと、出兵が先延ばしにされていたのである。

 

「揖斐川の工事は順調なのだな朝信? ならばその成果を活かすとして……」

「信濃川と矢作川の工事も始まろう。その集大成をいずれ賀茂川で公開する」

「京においてありますか? 所詮は都の事、将軍家からお声が掛かるのでは?」

「それもあるだろうが、法術の学び舎を造る際に、実例として示すのだ。このような方法がある、他にも思いつくことがあるならば取り入れよとな」

 動くに動けない輝虎は、暇を持て余し娯楽に向けて勤しんでいた。

やらなければ成らない事を理由にして、むしろ自分がしたい事をするのに利用し始めたと言っても良いだろう。まずは魔法学園であり、また河川敷で色々な興行をする為のスポンサードである。工事担当の斎藤朝信はそれに突き合わされ、最近では仕事管理の鬼鍾馗さまとか河川を静めた二郎真君の再来だとか評判が右往左往する有様であった。

 

(京都の街に歌舞音曲を齎す敏腕プロモーター、その正体は上杉輝虎!)

(人呼んで輝虎P! なーんちって! まずは歌念仏と……歌舞伎はまだなんだっけ?)

(まあいいや。サッカーとかは無理だったけど、誰かが適当に思い付くでしょ)

(後は……アレを用意しないとね! その為にも学園は早く作らないと!)

 そんなに暇しているならば越後に戻れば良いのだが、戦力の問題で帰れない。

普段は幕政に口出ししないかピリピリしている幕臣たちも、一時帰国だと何度言っても輝虎が腹を立てて帰国するのではないのかと気が気でない様だ。だからこそ義輝は大和に根拠地を作らせようとしたし、帰れないからこそ輝虎は今のうちに娯楽つくりの基盤を用意しているのであるが……。

 

「例の物はどこまで仕上がっておる?」

「外周部の初期鍛練用は既に。しかし治療院前の最難関は、河川の引き込みに掛かりそうです」

「……落下防止に水を用意するほどならもう少し難度を下げてはいかがでしょうか?」

「城攻めではあの様に難しい鍛錬は不要と言うのであろう? だが実戦では命懸けよ。難度は高いが、落ちたくらいでは死なぬくらいで丁度良い」

 魔法学院の予定地に輝虎はとある催しを用意していた。

外周部は走り込み用のマラソンコースでしかないが、保健室の前に難易度が非常に高いアスレチックコースを設けたのである。下は水を張って落ちても死なないようになっているが、難しいトラップを複数越えて行くようになっており……既に城攻めよりも難しいとされていたのである。

 

さて、察しの良い読者の諸兄は思い当たる事もあるのではないだろうか?

 

「この関門の名前はひとまず『猿飛』としておくが妙案があれば変更する」

「挑戦者は独自の場所で鍛錬を行い、ある程度の期間を空けて変更される試練に挑む」

「賞金は走り回るのが得意な武将に合わせるゆえ、忍びであれば足抜けできるやもしれぬな」

「希望する大名小名の見学も許すゆえ、何度も突破できる者にはそれなりの栄誉も与えられよう」

 そう、用意されたのは有名忍者の名前を冠するあの催し物である。

オセロや五目並べの様に、似たような事はあっても普段見れるようなモノではなかった。そこで城攻めの期間を短縮するための訓練も含めて、賞金を掲げて大会にしてしまおうという算段である。この時ばかりは魔法学園に部外者も入ることにしていた。

 

「後は土御門殿にお願いした教本で、概ね教育体制は完成するだろう」

「最初に越後での資料をお渡しした時、随分と驚いておられましたね」

「長らく法術に関するアレコレは、陰陽師や摂関家の秘密であったろうからな」

「そのおおよそが暴かれてしまえば、これ以上秘密にする必要はない。出来るだけ高く売りつけるために奔走してくれようよ」

 魔法学園を作るにあたり、輝虎は常備軍を造る際に得たノウハウを公開した。

この世界の魔法は難易度式であり、魔法の種類ごとに必要な能力が違うという事、そしてそれらが秘密であるというのが術者が増えないおおもとの理由であったのだ。陰陽師や賢者のみがその全容を知って独占し、摂関家や一部の有力貴族・大名のみがその一部を教授されている。祖先が公家だという一部の豪族に、妙に優秀な兄弟が居たりするのも、その影響であると言えなくもない。

 

だが、一向宗は民を依存させるためにシステム化を始めた。

筆マメであった親鸞聖人が残した資料を基に、各地へ流された時の情報を共有せざるを得なかったと言う背景がある。彼らだけならば一向宗の秘密で通るのだが……輝虎は本願寺が恩着せがましく享受する前に、転生者のゲーム脳で体系化してしまったのだ。オマケに神の加護・御仏の加護がランダムに存在する事や、難易度に合わせて訓練する所までセットしてあったのである。

 

「これからは法術を覚えている者がまばらな世ではなくなる」

「その気がある者は法術を覚えに学び舎へ赴き、有用な加護がある者は推薦されよう」

「それらの法術師を育て世に送り出すことで、人々は現世利益を享受することになる」

(んー。この世界では鉄砲が流行ってないけど、魔法のせいで駆逐されたのかもしんないね。……ということは火薬と鍛冶を育てるよりも、魔法を覚える方で正解だったのかな)

 ロマンと娯楽を追求した果てに、輝虎は世の中の真理を判った気でいた。

実際にどうなのかはともかく……魔法使いが増えることで、世界は良い方向になると信じていたのだ。そのついでに鉄砲で攻められたりしないとか、黒船が歴史を越えてやって来ても間に合うんじゃないかなーと楽観的に考えていたのである。

 

 大和の諸勢力との交渉は難航していたが、マイナス方向の変化があった。

現地入りして交渉にあたって居た松永弾正少弼久秀からの情報が、三好家・将軍家を介して輝虎の元に伝わったのである。話を聞いた当初の頃は輝虎は笑って聞いていたという。

 

「興福寺がこの輝虎を名指しで挑んでいるだと?」

「……正確には、邪教を匿う不埒者であり、仏敵を成敗すると息巻いております」

「不思議な事を言う。景教の別派に対し、公正に見よと言っただけであるぞ?」

「しかもその話は我が領内と出入りする商人に向けての事。特に将軍家や朝廷に申し上げた事など無いはずであるが……。召し上げる土地を減らせ、金殻の矢銭・段銭の類を減らせという為の名目ではないのか?」

 この話を聞いた輝虎は、交渉術の一つとして大きく出たのだと考えた。

実際、足利義輝以下、流浪の日々を知って居る者たちは最終的に一定の資金や米が確保できれば良いと考えていたのだ。朝廷や幕府側に立つのであれば流石に領地半減ではなく、献金や収穫の一部で許すという流れである。その事を予測して、最初にモメごとを起こすことで、後から交渉に乗って来る事を期待しているのかと思ったのである。

 

だが明智十兵衛光秀は伝えられたことをフォロー無しに伝達した。

大和攻めでは貢献することで土地を貰おうとしていたので、気が付いたら四分割する話になって居て不服があったのだ。将軍家から輝虎に付けられた武官であり、取り立てられる順位としては相当上の筈だが……馬鹿正直に御上が半国を御料とする話を進められていれば、自分の領地も大きく減るだろうと不満があったからだ。

 

「確認いたしたいのですが伊賀守殿。その件を無関係な者へ話をされましたかな?」

「そのような事は決して! そも弾正大弼様のお手元で時間を掛けて育む時なのです」

「今は迂闊に広めて教徒を募る意味はありませぬ。怪しげではないと評判を積んでおりました」

「また、我が父を経由して確認いたしましたが、怪しい者は確認できなんだと」

 次に尋ねたのは、キリスト教の保護を願った和田伊賀守惟政である。

彼が勇み足で先行発表し、周囲にキリスト教は輝虎にも認められた素晴らしい教えだと勝手に宣伝している可能性を考えたのである。だが惟政は忍者の家系ゆえか理性的であり、父親でもあり甲賀の上忍である宗正に防諜を頼んでいたくらいには慎重であった。今は何人もの有識者たちに問題ないと認められる段階なので当然であろう。

 

「疑っているわけではないのですよ。単純な状況整理です」

「こちらの勢力に通達を送ったばかりで、和田殿らは漏らしておらぬ」

「となれば興福寺の邪推でありましょう。そのような事は無いと順を追って説明……」

「その……あまりよろしくない噂が既に大和で飛び交っておりまして、それらを信じて耳を貸さないのではないかと……申し上げます」

 輝虎は笑って惟政の懸念を払おうとした。

味方が誰も漏らしてすらいないのに、詳しい内情が広まるはずはない。仮に広まったとしても『公正に扱うだけ』と言う情報が伝わる事で、誤解を解けると思っていたのである。しかし、ここで光秀はダメ押しをする事にした。

 

後から判明すると問題に成り、輝虎が激情しかねないハレンチな噂。

その事を先に説明しなければ、計画が大きく変わるし……激怒してヒステリーに陥った場合は、大変なことになると気が付いていたからである。噂の内容には彼も含められてしまうので、早めに消火したかったのもあるだろう。

 

「噂じゃと? そのような事で天下の興福寺が無用な騒乱を?」

「天下の興福寺だからこそ……でありましょうが……その、お耳汚しですが……」

「構いませぬ。もし罵詈雑言であろうとも、その事には明智殿に非はござるまい」

「それでは最後まで冷静にお願いいたします。全ては大和で流れている噂。この十兵衛が選んで伝えたわけではございませぬ」

 光秀は重ねて問題ないかどうか、激怒しても切り殺さないでねと念押しした。

その時の諸将は何を小心な……と光秀の懸念を馬鹿にしていたくらいである。だがその噂について説明された時、むしろ彼の事を勇者だと内心で誉め讃える程に掌がクルクルと回転した。

 

「て、輝るのは蛍の輝きのことであろう」

「その……高貴な方に尻を売って成り上がるとは蛍大名と呼ぶべきか」

「方々に愛想を振りまくだけでなく、稚児や益荒男を侍らせる酒池肉林の不埒三昧」

「天竺の華陽夫人や、唐土に聞こえし妲己。本朝であれば玉藻の前……いやいや六条御息所や式家の薬子であろうと……の……噂にございます」」

 最初に蛍の輝きと口にした時、雅だなあと呑気に輝虎は聞いていた。

だが、色香で将軍や大臣たちを誑かしただとか、酒を呑んで男を片っ端から食っていく肉欲の権化だと言われた時には眉がつり上がった。妲己は凄い美人というのが定番なのでまだ許そう。玉藻の前だってある種の被害者だしね。

 

しかし! そこから例えが高齢化するのがダメである。

源氏物語で問題視されるどころか生霊化する六条御息所であるとか、尊い方を誑かせて反乱を起こした藤原薬子(娘ではなく母親が好かれた)に例えられた段階で限度を越えて居たと言えるだろう。尼将軍北条政子や日野富子に例えられてないのは単純に肉欲の問題にしているからであろう。

 

「そうか……興福寺の門徒は実に雅な例えをするのう」

「この輝虎に言い寄る男の気がないのを見て、かような例えをするとは」

「言うにこと欠いて玉藻の前に例えるとは。つまり輝虎は喪女になり男を求めて生霊になると」

「ははは。きっと大化の改新よりも以前の、旧に復したいと思っておるのであろうなあ……。久しぶりに愉快な話を聞いたわ」

 輝虎はこの時、太宰先生の構文を思い出した。

聖書に登場するヨナタンとダビデの美しい友情をモデルにした、古代ギリシャの物語に関するツッコミどころ満載の構文である。噂を調べもせずに鵜呑みのするのもどうかと思うし、邪知暴虐も許せないだろう。何が許せないかと言って、エロを否定すると反転して喪女になるところである。

 

さて、お分かりの様に輝虎は心当たりがあって焦っているわけではない。

有名どころに囲まれて逆ハーみたいだなあ……なんて思えたのは最初の内だけだ。考えても見て欲しい、チョンマゲで前髪が後退した二枚目たちを現代人の感覚で見た時の事を。友人知人ならともかく恋人としてみると、なんというか『スン』としてその気に成れなかったのだ。色ボケだと例えるにせよ、それをひっくり返して喪女だというにせよ我慢の限界というものはあっても良いはずだろう。

 

 現代人の転生者だからと言ってレスバに強いわけでもない。

輝虎がムカつき頂点を通り越して、むしろ笑っていると知って周囲は思わず黙った。この事を鉄火場で知らなくて済んだことで光秀には感謝しつつも、どうにかしろと皆の視線が語っている。

 

「弾正様。ひとまず興福寺への返書はいかがいたしましょうか?」

「以前に認められた景教の別宗派である事を明記せよ」

「邪教かどうかはこれから衆目によって判断するところ。輝虎が口を挟む所ではない」

「その上で言われなき罪にて仏敵だと申すならばお相手致す。輝虎に後ろめたい所は何らなく、興福寺の言い分が正しいと思う援兵が集まるまでお待ちする所存である。こちらは輝虎の言い分が正しいかどうかを判別する見届け人のみを帯同すると書いておけ」

 仕方なく口を開いた光秀に、輝虎はひとまず話を区切った。

大和で噂されている肉欲の権化などという話は無視したのだ。その上で文句があるならば勝負してやるよと、こちらから挑戦状を叩きつけた。『五千か、一万か? それとも大和の兵士全員でもいいぞ。こっちは手持ちだけで相手してやるよ』と強烈な喧嘩腰の内容であったという。

 

「だ、弾正様……もう少し手心というものを……」

「戦に加減をせよと? おかしなことを。そも言い掛かりをつけたるは興福寺であろう」

「だが加減せよと言うならば考えよう。言い掛かりを信じて集まる兵もおるまいしな」

「興福寺が幾つかの条件に乗る度にこちらは段階的に加減をしよう。兵の数も制限するし、生き延びた僧も殺さぬようにしよう。寺も焼き討ちをせぬと誓おう。その代り……それでも勝った場合、阿修羅像は戴いて行くぞ。何しろ上杉輝虎という女は美丈夫に目が無いそうだからな」

 一見、冷静そうに見える笑顔の怒りに周囲は震え上がった。

どちらが正しいかの勝負をしようなどと言い出す時点で話がおかしいのだが、例え手加減してでも勝利してしまいそうな雰囲気がある。昔から『賀茂川と山法師と賽の目はどうにもならん』とエライ人ですら言っているのだが、別に勝つだけならば勝てるのだ。問題はその後に起きる風評やら復讐者の問題があるからであって、そう言った事をまるで気にしない相手には山法師も形無しである。

 

とはいえ興福寺は大和の勢力に強い影響を与えている。

四つから五つに別れた勢力が常に争っている大和であるが、興福寺は別格で超然としていた。難航していた交渉は暗礁に乗り上げ一転、戦いとなったのである。何者かの思惑通りに……。




 冗談のような始まり方ですが次回、大和戦です。
挑発され退けなくなった興福寺と、ガチ切れの輝虎ちゃんの戦いになります。
みんな根も葉もない噂が悪いんや。


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大和の一番長い日

 大和半国の件が効いているのか、輝虎の行動は朝廷・幕府の区別なく伝わった。

同時に大和で広まっている根も葉も無い噂も何故か伝わり、どれだけ冷静にボールを投げ返したのか、戦力を制限してでも正面から殴り返したいと思った輝虎の心意気も正しく伝わったのである。

 

都合の良い『財布』に徹している輝虎とて我慢の限界がある事。

そして沸点が高く普段は怒らないタイプの日本人を怒らせたら、どれだけ面倒なことになるかも同時に知れ渡ったという。

 

「まったく。大和の件はもう少し穏当に収まると思うたのだがな」

「だが、そなたならば大事はあるまいと皆、信じておる」

「そして、今度ばかりはそなたにも褒美を。今上と共に用意したぞ」

「今上並びに大樹様のありがたいお心、この輝虎。誠に感じ入っております」

 足利義輝が当初抱いた構想では、大和を輝虎に任せるつもりであった。

そして長尾家を従来の越後上杉家のポジションに置き、輝虎自身は上方に据えて幕府の守護者にしようとしていたのだ。大和・志摩・西美濃を合わせれば五十万石を優に超えることから、豪族に任せる土地を除いても根拠地には十分。越後を切り離すことで、分割管理させることでコントロールし易くしようとしていたのである。

 

これが大和半国を御料地とする提案で二転。

更に今回の興福寺との抗争で三転することになった。義輝のみならずとも計画の練り直しに苦笑せざるを得なかった。

 

(輝虎を長慶と共に管領に据えようかと思ったが、ままならぬものよ)

(だが斯波家に続いて細川家も凋落し、関東公方は無いも同然な事を考えれば……)

(いつまでも旧来の仕組みに固執することもないか)

(征夷大将軍や六波羅探題に長門探題。そして鎌倉府へと必要に合わせて変わっていった故な。……いっそ作り直すとして、では残すべきモノと作り変えるモノはなんだ?)

 義輝は基本的に室町幕府を立て直すだけの心算であった。

それゆえに特に力を持ち将軍としても無視できない三好長慶、そして心強い味方であり豊かな金を持つ輝虎を新たな管領に据えようとしていたのだ。だが近畿に根拠地を持たぬのであれば管領として扱うのは少し躊躇われる。今のままならば関東管領でも継がせていた方が、コントロールし難い東国を従えられるのではないかと思う程である。

 

これは本質的に室町幕府や朝廷が考える『日の本』の領域が狭いからである。

美濃(岐阜)よりも東や、備前(岡山)よりも西は本当の意味での日本ではないと考えているくらいに思えば判り易いだろうか? 輝虎と長慶の扱いさえ上手く操れれば、義輝たちの考える領域ではほぼ問題が無くなるのだ。両サイドの問題は適当に鎌倉公方などに任せれば良いというのが、この当時の将軍の考えであった。

 

しかし、それもまた過去の事だと義輝は認識し始める。

破天荒な輝虎や、実質的な天下人である長慶の策謀で少しずつ意識変化させられていたとも言えるだろう。

 

 義輝が組織編制という、深く果てしない産みの苦しみに捉われていた頃……。

輝虎は心強い味方を迎えて、能天気にストレス発散に向かっていた。日ごろから溜まって居る鬱憤を晴らすため、そして特大の皮肉をくれた興福寺を叩きのめすために大人げない対応をしていたとも言える。

 

「キャッキャッキャ! きょーうは何人殺れるっかな!」

「たのしいなー! たのしいな! 坊主はみ~んな皆ごっろし!」

「坊! 洛中で迂闊な事はよさぬか。お嬢! 坊主もそこに居るのだぞ!」

「よいよい。わっぱの頃はこの位、元気が無くてはのう」

 まずは妖怪変化もかくやという、みずぼらしい姿の者共。

好々爺の周囲ではしゃぎまわる子供たちとお目付け役らしき荒武者。羽毛を連ね皮に鉄を縫い込んだ外套をまとい現れた者共、それぞれ得物だけが異様な程に『格』を主張していた。

 

「すまぬのう伊勢守。預かった子ゆえ躾が行き届いておらぬ」

「いえ。塚原殿が加わってくださるならば千兵に値しましょう」

「雲林院殿にも無理を言うてすまなんだな」

「お家存続に力を貸してもろうたのだ。師に声を掛けるくらいならばなんとでも。後は師が戦見物に参ろうと言われただけよ」

 やって来たのは塚原卜伝とその弟子たちである。

雲林院松軒の家が滅ぼされそうになった時、旧知である上泉伊勢守信綱を頼ったのだ。当初は悩んでいた信綱であるが、卜伝への伝手もあり骨を折って居たという訳である。

 

「こらー! 無視するなー!」

「するなー! あちしたちも強いんだぞー!」

「七つの小童が喚いたところで無いも同然。悔しければ百人の首を……」

「雲林院殿……。こたびは一応、加減をする事に成っていもうす。策を聞いた話を鑑みると、切り捨てられた方が本人の為で御座ろうな」

 クソガキとメスガキのコンビに関しては割愛。

共に卜伝の弟子ではあるが、強力な加護持ちゆえか慢心することしきりである。この後で生きているかは判らないので、雲林院殿も紹介するのを止めた。

 

「策じゃと? それは構わんが殺してはならぬのか?」

「一太刀入れて足手まといにせよとのことだ」

「それで死んだら?」

「事故」

 元から常備軍では兜首を必要としていない。

一年で幾ら、一戦闘に付き幾らのボーナスと決まっている。首を獲るような時間を掛けないからこそ、余計に強いのだが……。この日はそれに加えて辛辣なる作戦が加わったのである。

 

この話を聞いた時、卜伝一行はHAHAHA! と笑ったそうな。

 

「時に、そちらの御坊達は?」

「本願寺より参りました」

「弾正様に縁ある者が、邪教と呼ばれては詮方なし」

「我ら一党、弾正様に与力して疑いを晴らす者。また景教の別派とやらが邪悪か見定める者であります」

 次に加わったのは本願寺が派遣した豪傑であった。

こちらは武芸者というよりは、武将の中で武芸や魔法が得意な者となる。本山に居る腕利きであったり、雑賀衆や根来衆など紀伊出身の坊官も居たという。そういった背景からどちらかといえば興福寺への対抗心であり、その後へ影響を与えるためと言う面が強いだろう。

 

「事情はともあれ心強い。では弾正殿の元に案内いたしましょう」

「それはお手数をかけ致します。ですが珍しいですな」

「押しかけた拙僧らはともかく、あの方は客人を自ら出迎えると」

「ああ……。既に祈祷所に籠られておるのですよ。興福寺より日時や戦力に関しての返書が届きましてな」

 ミーハーでもある輝虎は有名人がアポイントメントを取ると大抵は自分で出迎えた。

この当時に律義に先触れを送って来るような奴は大抵が有名人であるが、塚原卜伝ほどの男が来るのに出てこなかったのには理由がある。いみじくも信綱が口にしたように興福寺からの返書が来たこと。その内容が『手加減なんているかバーカ! いつでも掛かって来い!』みたいな内容だったので激怒するも止む無しである。

 

そしていきなり祈祷所に籠ったのはある種、未熟さの発露であったと言えよう。

今でも暇を見つけてレベル上げをしているが、なんとか6レベルというところでしかも専門職ではない。発動率はそれほど高い訳ではなく、マジックアイテムやら祈祷所での儀式魔法を使ってようやく何回かに一回成功する程度に過ぎなかったのだ。公式記録では手紙が届いて三日後には京から大和に到着したというが、出兵準備だけならその日の内に終了していた。翌日にようやく成功したので、三日後の到着と成ったのである。

 

 都雀のヨタ話では九人の戦鬼が颯爽と大和の大通りを闊歩したという。

その行く先々には屍山血河、興福寺の生臭坊主がゴミの様に転がって居たとされるのだが……。実際には千五百程の精鋭部隊が進軍していた。残る二千程が二日遅れ、あまりの進軍速度に驚いた三好勢の援軍は一週間以上後であったという。

 

北伊勢で何が起きたか門徒より手紙をもらった興福寺が知らぬはずがない。

だが小勢と侮ったのか、それとも大人げない手紙のやり取りで退けなくなったのか、止せば良いのに野戦を挑んでしまったのだ。哀れなのは興福寺の強い呼びかけで集まらざるを得なかった大和の豪族たちである。特に哀れなのが越智家で、筒井家が日寄ったこともあり(義輝が義藤時代に名前を貰っていた)モロにその武威の餌食に成ってしまったのだ。

 

「……くそっ! だがこれしきに傷ならば戦える!」

「噂に聞いた越後の武者などこの程度か!」

「わ、若。周りをご覧ください……ここは危険でございます」

「何? 殆ど倒されてはおらぬではないか。む? 何故だ、なぜ下がる! なぜ最後まで仏敵と戦わぬ!」

 この戦いに参加した国人の一人は、突撃して早々に斬り伏せられた。

だが彼は幸運なことに、鎧下を切裂かれたわけではない。普通に戦えるし、味方の方が数倍の数なので楽勝だと思っていたのだ。だが、彼に付いていた目付け役から見ればたまったものではなかった。偶然にも大したことが無かったということは、偶然死んでいた可能性もあるのだ。事実、目の前では周囲が朱に染まっていたのだから。

 

若者が見た光景は、同じような国人やらそれらに付き従う兜を被った組頭たちが後退していく姿である。旗持ちたちが居ないのが奇妙であるが……。

 

「良くご覧ください。みな切られてほうほうの態で逃げておるのです」

「なんだと? ……確かに担がれて居る者も居るな。だが傷ついただけではないか」

「切られて存分に戦える者はそうはおりませぬ。それに殆どの者が一撃ですぞ」

「若の様に数合戦えて、しかも切られて無事な者はおりませぬ。此処は退くべきですぞ」

 当たり前の話だが、当主あっての部下である。

そして兜を被った組頭たちにも、部下はいる。それらにとって主人は誰よりも大切な者であり、自分の家族を含めて一族郎党を支える存在なのだ。容易く切られて何時までも戦場に残って欲しい訳があるまい。ボヤボヤしていると後ろからバッサリだ。

 

この時、老爺は主人を持ち上げることで事なきを得た。

一撃で切られて倒される者が多いのに、数合戦える、怪我が少ないというのは勇者だと言う事でプライドを刺激したのである。皆が戦っているならば奮起しただろうが、仲間が次々と倒されていくこともあり、若者もやがて撤退に同意するだろう。そうなれば動員されただけの雑兵たちも後退するのが当然である。

 

 

「弾正様! 唐沢玄蕃より符丁がありました!」

「越智勢は壊乱! 十市勢は後退しつつあると!」

「よろしい! 本陣を前に出す! 興福寺の奴ばらめを……」

「あいや暫く! 暫く! 暫しお待ちくだされ!」

 この日、輝虎は車掛かりの防衛陣に改良を施していた。

高所に陣取らせた唐沢玄蕃ら忍者を使い、上から下を見下ろさせて戦況を観察していたのだ。そして相手の陣営が崩れたところを見計らい、本陣を使って興福寺勢が打てる手を潰そうとしたのである。

 

だが、ここで静止を掛ける者たちが居た。

 

「弾正様、まずは我らにお任せを!」

「我ら大和の民。皆が皆、弾正様に叛意はございませぬ」

「我らが尖槍として相対しますので、蹴散らすまでお留まりください」

「うぬらだけでか? 面白い。やってみせるが良い」

 それは中御門胤栄と柳生新次郎宗厳ら大和出身者であった。

彼らは親族を中心に手紙を送り、どれほど無謀な事かを言い含めていたのだ。それでもこの戦いが止まらなかった為、自分たちが矢面に立つことで、総突撃で決着がつく前に犠牲者を減らそうと思ったのである。

 

その決意は固く、元から坊官である胤栄はともかく、宗厳たちまでもが頭を剃り上げてその覚悟を示したという。

 

「何じゃ貴様らは!」

「禿頭の行者が仏敵に味方する気か!」

「やかましい! 俺達の苦労も知らずに吼えるな!」

「何が仏敵だ! 弾正様には御仏の加護があるぞ! 疑うならば掛かって来い! 大和が国にて指南と名高き胤栄と宗厳これにあり! 見知った者ならば、我らがどれほど強くなったか知れようぞ!」

 二人を始めとして大和出身者は必死であった。

ここで引いては故郷の人間が死んでいく。もちろん乱世であり気を抜けば同郷で合っても殺し合うのが定めだ。しかし虐殺と言うのは後味が悪い。普段温厚で大人しい人間ほど怒らせては行けないことを二人は良く知って居た。酒さえあればご機嫌の輝虎が激怒していると聞けば、この後に起きる悲劇に気が付こうものだ。

 

ゆえに彼らは命を賭けて、目の前の者だけではなく後ろにいる味方を足止めしていたのである。

 

「何を! この不信心者め……が!?」

「弱過ぎる! 次!」

「何を! このっ……」

「だからお前らが一人で前に出るな! まとめて掛かってこんか! 頼むから真面目に戦え!」

 胤栄たちは指南役だったので、8レベルくらいだと思って欲しい。

つまり他の連中はレベルが高くても7レベル位だ。それでも数が居れば話になるのだが……。今の彼らは聖戦の効果でプラス2レベル。カンスト組である信綱や卜伝と同じレベルで戦えた。その辺りの武芸者や、腕に覚えのある国人ごときではまるで相手にならなかったのである。

 

「きっきき。あいつらやられたら次はオレたちが行こーぜー」

「何人倒せるか競争しよ! モゲたら減点ね!」

「ジャリ共は黙っとけ! ワシらの戦いぶりを見とくんじゃの!」

「来るなよ! 来るなよ! ここは俺達の戦場だからな!」

 胤栄と宗厳は必死であった。手加減を忘れる大人はまだしも、子供は残酷だ。

あんな奴らを前に出せば、殺し殺されて戦線が急拡大するとしか思えなかったのである。だが、あえて言うならば彼らもまた興福寺の本気を舐めていたのかもしれない。ここに来て寺の方もまともに精鋭を投入し始めたのだ。できるならばさっさとやれ、先にガキ共を疲弊させてから自分たちが止めに入りたかったところであろう。

 

ただ、それは胤栄たちによる見方とも言える。

興福寺は興福寺で研究しており、強化魔法や付与魔法の集中投入であると予測していたのだ。そこで序盤は豪族たちを宛てて消耗を誘い、こちらが疲弊した所で精鋭部隊を投入する予定であったのである。奇しくも輝虎が本隊投入で決着を付けようとしていたのに似ているとも言える。

 

「我ら八部が仏弟子の名前を借りる者成り!」

「仏敵、上杉輝虎に仏罰を当てよ!」

「天魔覆滅! 悪鬼退散!」

「仏敵を滅せよ!」

 魔法のノウハウであれば興福寺側にもある。

母体になる数も多いため、坊官の中でも魔法であったり特殊能力的な加護を持った者たちは、寺の中でもエリートとして育てられていた。中には胤栄が教えた者の中でも、能力を使えば苦戦を免れない、数で攻められたら必死という者たちも居たのだ。

 

それらがまとまって襲い掛かって来るのだから、本来ならば窮地であっただろう。

 

「……馬鹿が。お前らが一緒に出てきてどうする」

「なっ!? 乾闥婆と緊那羅が瞬時に!」

「俺達は回復役は最初に潰せ、異常役も次点と教えられている」

「おのれ仏敵に従う不信心者めらが!」

 魔法のノウハウだけならば彼らの方が上であっただろう。

だが、そこから戦いに際しての試行錯誤に関しては全く違った。転生者のゲーム脳ならば、たとえ記憶に残って居なくとも同じ結論に至る者だ。輝虎は常備軍を鍛え、そしてメンバーの入れ替わりが始める事までには戦いにおけるイロハを色々と考え付いていたのである。ゲームにあったアレコレは、どうするべきだったか? 攻城戦など暇な時に幾らでも考える余地があったのだから。

 

胤栄たちは真っ先に回復役と状態異常役を気絶させた。

急いだのでそのままお亡くなりになりかねない勢いであったが、そこは自業自得である。武芸者や豪傑同士の戦いになれば手を抜いている余裕などは無い。それぞれ仏像の面を付けていたが一人は面を割られて額から血を流し、もう一人は膝を折ってしゃがんだままだ。

 

「そろそろ混ざっても良かろう。一番強いのはどいつじゃ?」

「天王と竜王の面を付けた者ですが、塚原様が出るほどのことはありませんぞ」

「我らで余裕を持って勝てますからな」

「なにを小癪な!! いつもは境内を血に染めぬためと思い出すが良い!」

 ここで厄介な闖入者が参加。卜伝一行が遊びにやって来たのだ。

鼻歌を歌いそうなノリでやって来る好々爺に、八部衆の名前を借りた集団が一時に襲い掛かる。その間に強いと言われていた二人は胤栄と宗厳に勝負を挑み押し勝とうとした。

 

「馬鹿な! 何故だ! 今では互角の筈……」

「我らは普段は使わぬ全力を用いておるのだぞ!」

「そりゃ当然であろう。お前が手を抜いていたならばワシらも」

「それに輝虎殿を介して我らにも毘沙門天の加護があるからな」

 闘気魔法や付与魔法を用いて、重複不可ではない重ね掛け。

それら強化状態で戦い、さらに武技を用いるところまでは同じであった。しかし修行の旅に出ている二人は指南などに使わない組み立て(コンボ)を持っているのだ。ここからさらに、聖戦の力で底上げしているのだから当然であろう。

 

「オレ流、一の太刀!」

「あちし流、一の太刀!」

「おのれ! クソガキが!」

「わっぱと侮るな! こやつら、やるぞ! この槍を見よ! へし折られておる」

 右から左に抜ける変幻自在の一撃、そして重量溢れる猛墜!

それぞれに自分の加護に合わせた一の太刀が繰り出された。軽妙なる一撃をあえて受け止めることで防いだ畢婆迦羅の面が激高し、鳩槃荼の面が掲げた大槍を見せて冷静さを促した。

 

「だっさ、受けられてやんのー!」

「そっちこそ軽傷じゃん!」

「オレは次、急所狙うって!」

「あちしも次はあてるもん!」

 ただ得意げでもクソガキはクソガキ。

即座に追撃して切り殺すのではなく、自分の成果がどうの、次はどうしようかと修業の延長であるかのようだ。

 

「ふざけるなよクソガキ共が! あれをやるぞ!」

「仕方がない。ぬおおおりゃ!」

「ほう……同調か。実戦でやるのは珍しい」

「坊! お嬢! 手は出さぬ。死ぬならばそれまでよ!」

 激昂した法師たちは腕を組み合わせてスクラムを組んだ。

そして儀式魔法などで使用する同調による魔法強化を開始したのである。もし攻撃魔法か何かであれば危険な筈だが、雲林院と呼ばれたお目付け役は平然と見ている。もしかしたらこの男もまたクソガキ共には困って居たのかもしれない。

 

「奔身! 二倍……」

「いや三倍だ!」

「「はやっ!?」」

 突如として法師たちの動きが加速した。

動いている自分にすらダメージを追う超加速。オーラ魔法により肉体を活性化させ、筋肉の動きをいきなりマックスにする奥の手である。秘儀などではないが難易度が高く、自傷ダメージの問題で一騎打ちくらいにしか使われない魔法である。

 

装備を付けての移動や振りかぶりの問題があるとはいえ、三倍の加速があれば常人が二倍で動くのに匹敵しよう!

 

「ツエ! ツエ! ツエ!」

「どりゃ! どりゃどりゃ!!」

「ずっこい! けど……」

「速いだけであんたらが強くなったわけじゃねえ!」

 怒涛の勢いで槍を振り、拳で強打していく法師たち。

もし二人の師匠が塚原卜伝でなければクソガキたちは絶望し、実力差を判らされていただろう。だが絶対的な強さを持つ剣豪にぶちのめされる続ける訓練をしている二人にとっては、攻撃回数が多いだけで普通の腕前なのだ。決してカウンターを浴びせたり、落ち着いて攻撃する事が出来ない訳でもなかった。そして負傷しているのに自傷ダメージを追えば逆転するのは難しくないだろう。

 

「さて……向こうも終わりそうじゃが、おぬしらはこんのかの?」

「悪いが足止めさせてもらおう。我らは所詮、足止めに過ぎぬ!」

「腕利きの武芸者がおらねば仏敵、輝虎を葬るのも容易いわ!」

「くく……くくくかかかか!! おろか、ほんに愚かよ! 腹筋(はらすじ)にそうらえとはこのことよ」

 どうやら八部衆を名乗る連中は、ここにいる連中がアタッカーとして見ているらしい。

同時に仕掛けるのは兵法として当然なので、本隊に向かっている一団が全てを片付けるつもりなのだろう。だが、それは甘いとしか言いようが無かった。

 

「何がおかしい!」

「確かに儂らは強いがな。……誰が儂らにだけ加護があると言ったのだ?」

「本陣には信綱や黄門に推薦された者共がおる。毘沙門天の加護は皆の上に等しく注がれて居るわ」

「「「はっ?」」」

 ハッキリ言うと勘違いも甚だしい。

カンストしているのは上泉信綱も同じだし、興福寺側の武芸者と同ランクの者は山ほど居るのだ。それらが全て聖戦の魔法の影響下にあるとすれば(中には輝虎を信じていない者もいるはずだが)、全員が剣術指南相当の腕前になって居たと言える。

 

「興が削がれたわ。受けてみい」

「もし無事ならばその時点で印可をくれてやる」

「なっ!? 避けろ!」

 つまらない戦いに終止符を打ったのは、卜伝の放った剣圧である。

戦技の中に剣圧を放つものがあるが、基本的には隙だらけなので雑魚にしか普通は使わない。だが、放つは伝説の大剣豪! まるで嵐が全てを吹き飛ばすかのように蹴散らしていったのであった。

 

「御師さま。時に手加減は?」

「おお、そんなものもあったのう。まあ生きておるじゃろうよ」

「速く! 治療師を連れてこい!」

「急げ! 手遅れになるぞ!」

 こうして興福寺を叩きのめした輝虎は、本当に阿修羅像を回収して立ち去った。

都雀たちが囁いて曰く。意地を張らずに最初から最大の兵を集めていれば、一万には達したであろうから負けなかったはず。少なくとも篭城する時間が稼げたはずであり、何もかも興福寺が悪いとみな噂し合ったという。




 と言う訳で興福寺は降伏。
バビロン虜囚とかカノッサの屈辱とは言いませんが阿修羅像は物質に。

剣豪オールキャストにする必要は無かったのですが、時系列的にネタで参加。
愉快な仲間達を紹介するぜ!

『塚原卜伝』
 言わずと知れた大剣豪。一の太刀で有名。
加護は武器の重量を無視するというもので、3mの飾り太刀を振り回し
あるいは普通の太刀を右手から左手に放り投げて戦える。

『クソガキ』
天文十九年生まれ。普通は筋力と器用の平均で剣を振うのだが……。
こいつは敏捷と知覚の平均で使用でき、回避と同じ能力値で行ける。
その内に巨大手裏剣の上に乗る忍者と戦ったりするかもしれない。
生涯性格は治らず、生きていたら鬼と伝えられる。

『メスガキ』
天文十九年生まれ。純粋に人並外れた剛力の加護で、身の丈よりも巨大な太刀を使う。
後に金剛棒に持ち替え、ゴリ押し戦闘して周囲から鬼と呼ばれる。
後に『判らせ』にあってお淑やかになり、立派な戦国武将(性別は女)になったそうな。

『雲林院松軒』
今週の胃痛枠。北伊勢での混乱に巻き込まれ酷い目にあった。
現在はクソガキたちの面倒を見ているが、普通にる良い剣豪である。
加護は魔力と気力の境が無く、魔力で戦技を使用したり、気力で魔法が使用できる地味だけど有用な加護である。
なお、この加護が一番活かせるのは武将なのだが、この後に武将には成らずに剣豪として生きていくそうな。

『本願寺の人たち』
下間とか鈴木とか言う名前をした人たち。
面倒くさいのでみんなCVイメージが山寺さんのレインボーボイスで良いだろうという集団。
今回は顔繋ぎなのであんまり活躍してません。

『天竜八部衆』
 天王とか竜王とかの面を被った興福寺側の精鋭。
念動で楽器が弾けるとか、毒草の効果を受けないので周囲に振りまけるとか、戦闘中のペナルティを受けないとか、それぞれに有用な加護を持っている。今回は強い人たちにバフが掛かって居て可哀そうな目に合う。


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外伝。義輝と幕府再建案

 将軍である足利義輝は、三好筑前守長慶と話す機会を増やしていた。

彼が幕臣として働く以上は上方は平和に収まるし、そもそも実権の無い今の幕府では彼が居なければ成り立たないからだ。

 

そんな中、側近の中でも気心の知れた者しかいない時に輝虎の話を切り出した。

不自然に大和で広まった噂と、輝虎がどう対処し解決したか、それらが不自然なまでに都雀の噂になっているのだ。いくら下々に縁のない義輝と言えど気が付くなと言う方がおかしいだろう。

 

「弾正をそのままにはできまい。報いるのになんぞ良い案はあるか?」

「さて。天下の大兵、剛の者よと持ち上げるのは容易いですが、本人が望みますかな」

「妬みそねまれ持て余すような地位は不要でしょう。領地や金殻など必要とするはずも無く」

「誰もが認める程の名誉を本人に与え、適当な官途を部下に許す。後は得免の権利を与えるといったところかと」

 義輝からの問いに長慶はスラスラと答えた。いつ問われても問題ない予習ぶりだ。

確かに輝虎は身に余る地位は不要としていたし、それで足を引っ張られる方を嫌っていた節がある。百万石を越える大大名であり、無数の鉱山や優良な港を有しているのだ。これ以上、どんな富貴を望んでいるかと言われたら首を傾げるところであろう。とはいえ正四位下の弾正大弼に屋形号の授与はしてあるのが微妙であった。

 

実際、義輝も少し前までは褒美を決めかねていたところがある。

後奈良上皇からとある提案されたことでそれは解決したのだが……。ともあれ部下に渡す地位はともかく、本人の名誉と得面の権利については気になる所があった。

 

「ほう。だがこれ以上の名誉でありながら、誰も妬まぬ地位じゃと?」

「まずは昇進の内諾として、弾正”卿”とお呼びするのですよ。尹にはまだ早いでしょうし」

「存在しない地位を異称として許すと? 確かにあやつ以外に今後現れまいしな」

「後は蔵人を経由させておくのも良いやもしれませぬな。そしていずれ蔵人頭に」

 弾正台の長官は弾正尹で三位相当で、皇族や大貴族が就く地位であり問題がある。

もう少し活躍時期が長くなり、様々な功績を立てて先に三位に成った後ならば話が別だろうが、今では『格』がまだ足りないのだ。しかし長慶は他の省の長官である、『卿』の名前を持ち出して来た。そちらは正四位相当なのでそれほど問題は無いし、弾正卿など存在しないので、ただの異名としてなら問題が無いとも言える。実際に与える訳ではないので、式典も必要ないのが効率が良さそうだ。

 

また輝虎以降にそう名乗る者が居ないのであれば名誉とも言えるし、公家から見ればただの異名だと無視できる範囲とも言えた。

 

「蔵人と蔵人頭への昇進内示か。確かに悪く無いやもしれぬ」

「はっ。一度でも蔵人頭になることがあれば以後、帝に拝謁する先例が出来まする」

「また蔵人自体はさして高い地位ではありませぬので、部下にやっても良いでしょう」

「さすれば宮中に伺候し、主に付き添う事も代わりに意見を述べることも許されますゆえ」

 基本的に武士へ与えた地位は、一時的な物でその内に他の者へと渡されることがある。

だが、慣例的な権利として以後も普通にその名前を名乗ったり、親族や部下に渡すこともまた許されるのである。これが官途と呼ばれる理由の一つであろう。そして蔵人頭は低い地位であるが秘書役ゆえに帝に謁見する権利があった。そしてその部下である蔵人は付き添って昇伝することが例外的に許されているとも言える。

 

そしてこれらの地位は高くも無く低くも無いのが良い。

平安時代からそんな風に扱われてきた地位であるが、輝虎に与える地位としては妥当なのだ。信頼される者に与えられる面会権利とも言えるし、余分だと思えばその権利を使わなければ良いだけの事で合った。

 

「名誉については納得した。では得免の権利とは? まさか馬上で宮中へとは申すまいな」

「それこそまさかにございます。弾正殿ならば自分よりも部下にこそ願うでしょう」

「さすれば如何なる変事が起きようとも効率が良く報告を……」

「誰が効率の話を申したか。それよりも何を許すかを話せ」

 流石に無理な権利は与えられないが、長慶はこんな時にも効率重視なのに失笑する。

おそらくは自分が権利を貰うとしたら、伝令兵に与えて緊急連絡を円滑にしようというのだろう。しかし義輝としてはそんな事を聞きたいわけでは無いし、こういった性格であると判ってきたことに苦笑せざるを得なかった。これまでは追い出すべき憎い相手であり、意図を見抜こうとすることはあっても性格など知り様も無かったのだ。

 

「利を交え弾正殿に合わせるのであれば、国外商人との貿易権かと」

「勘合貿易など国同士の付き合いは許された者のみであり、おいそれとは難しいでしょう」

「しかし、国内で三か所から四か所程度の港と区切ってしまえば、権利と成り得ます」

「なるほど。まずは弾正に一つ。大友なり毛利にも、日を遡って許可をすると。そなたらしいわ」

 勘合貿易は大内家がクーデーターで勘合符を失った時点で終了している。

その事は在留していた中国人その他を介して伝わっており、明の国は正式な貿易相手とは陶・毛利・大友のいずれにも許可しなかった。だが、商人同士の貿易は行っているそうだ。こう言った話が義輝に徐々に伝わってきたことからも、前々からこの事を考えていたのだろう。

 

輝虎へ特別に『最初』に与えるということは、他が問題に成る。

しかし三か所から四か所というならば、他の者たちは争って求めようとするだろう。少なくとも密貿易同然の今よりは、よほど商売がやり易くなるし、この事が広まれば国内の商人もその港を目指すのだから。そしてそれらの認可は現状の追認であり、『今までの問題行為を見逃す』というアピールでしかないので効率が良かった。

 

「……では明の国を三か所、南蛮を三か所としよう」

「どうせそなたの事だ。摂津を考えておるのだろう?」

「毛利と大友にどちらか一か所までは与えてやれ。それ以上は考えている事がある」

「ありがとうございます。かの家の者共も、必ずや感謝を示すでありましょう。また弾正殿にはひとまず一つずつ両方とし、望まない方は他の者に与えても良いとしましょう」

 義輝は複数個所と聞いた段階で長慶が自分の勢力圏を選ぶことは理解していた。

そこでの貿易を公式に認め、また毛利と大友に現状の保証を与える事まではストレートに認めた。それ以上の権利はあくまで輝虎のみとして、それも話の上では両方の権利を渡すのだが、不要だという事にして他者に譲っても良いとすることにしたのだ。

 

「後は五畜の戒めを緩和するとか、施療院より薬草を施すなどですかな」

「その辺りを望む者ならば勝手にやっておるとは思うが……許可するだけでも違うか」

「まさに。弾正殿の望む所であるかどうかです。並べておいて、好きな物を選べと告げる方が本人の為であるかと」

 こうして輝虎に与える基本的な褒章は決まっていった。

特に欲しい物の無い輝虎に合わせて、適当に本人の趣味でチョイスできる物を選んだのである。なお、もし本人に直接聞いたら『正倉院の瑠璃杯でお酒飲みたい!』とか『蘭奢待って本当に良い香りなの?!』とか言い出しかねないので注意が必要である。

 

 そして義輝からの諮問が終わった所で、今度は長慶からの質問である。

それは質問と言うよりは、考えている事の答え合わせ。そして、これからどうするか……を三好家の為になるようにコントロールすることであった。

 

「大樹様。此度の諮問、他になんぞあったのでは? と愚考いたします」

「もし弾正殿のことであれば、他の皆様がおられても構いますまい?」

「ここにおられるのは側近の中でも大樹様に近く、我を通さぬ者ばかりとお見受けいたします」

「隠せぬか。まあ以前より話す機会を伺っていたのはお互い様よ。その辺りは仕方あるまいて」

 長慶は不敬と承知で周囲を見渡しながら尋ねた。

一口に近臣と言っても、身分が高いが凋落した家の者たちが多く、忠誠心や才能の面で目を掛けて居る者たちはどちらかとえいば身分が低かったり、分家の者が多かったのだ。今回選んだのは、少なくとも義輝の為ならば本家への連絡を後回しに出来る者たちであるとも言える。

 

そして最も大きなポイントとしては、長慶や輝虎たち新興の勢力の持つ力を認めているという事だった。

 

「儂はな。幕府の威光をなんとしても取り戻したいと思うておる」

「じゃが今更に三職だの四職にこだわってなんとする」

「それでは建武の御親政と何ら変わるまいよ」

「やるならば屋台骨からとは言わぬが、現実に即する必要があろう」

 三管領やそれに準ずる職のメンバーは基本的に没落していた。

彼らは足利家の親族筋であったり、有力な味方大名の後継者たちであったのだ。だが長い戦乱や内部闘争の問題で、その殆どが往年の力を取り戻せずに没落していったのだ。

 

幕府の威光を取り戻し、その権威で日本を治めたい。

その理想を維持していたし、少しずつ改善している事に手答えを感じてはいた。だが、実際に無力な彼らを幕府の重責に付け、新興勢力を排除できるとは流石に思っても居なかったのである。

 

「まずは将来に残す課題と、喫緊の課題に分けるべきかと」

「仕方なく採用する案や、金で要求される調停や地位もありましょう」

「しかし重要なのは、この日の本から乱を取り除くことにございます」

「権力などはその過程で何とでもなりましょう。少なくとも畿内の……いえ御所の中のみでの権威に何程の事がありましょうや」

 長慶はこの時ばかりは赤心から答えた。

効率主義者の彼にとって、何度も灰燼に帰しては情けなく蘇る都と幕府に意味を見いだせないでいた。それこそ無視して、摂津の何処かにでも臨時幕府を作った方が良いかと……実際に史実では行っていたくらいである。そして義輝が本当の意味で幕府を再建するというならば、その点において彼はどこまでも協力する気であった。

 

もちろんその中核には三好家を据えるつもりであったし、部下や協力的な大名ともども、再建した幕府で好き勝手をするつもりではあったのだが。

 

「貴様! 言うにこと欠いてなんと不敬な!」

「良い。今の儂にどのような力があるか?」

「こやつと弾正が揃って他方を向けばなにも出来ぬ」

「それはそれとして……。言うが容易いが、明確に言うてみよ。この場での無礼は許す」

 側近たちの一部が激昂するが義輝はそれを留めた。

正直な話、同じような機会はもう無いかもしれない。それに今回、強烈な切り札を後奈良上皇より提案されていたのだ。今度も三好家が協力するかは別にして、今のうちに善後策を考えておく必要はあった。

 

「では、判り易き場所として奥州・羽州はどうにもなりませぬ」

「冬は早い内から閉ざされ、春は遅くまで動けませぬ。その代わりに陰謀三昧」

「ならば彼らは無視して、いずれ鎌倉府に当るモノを復権させ押さえつければ良い事」

「ゆえに東国を安定させるために、関東管領の目方を増やすか、さもなければ関東公方に変わる副将軍が肝要でありましょうか。関八州が収まっておれば東国はいずれ全てが収まりますが、乱が起これば百年は乱れましょうぞ」

 判り易い例として、長慶は東北地方を上げた。

化外の地として早くから放棄されて居るし、無理に統一させるのが難しいのだ。もちろんそのまま平和になってくれれば問題ないのだが、冬の間に動けないからか延々と陰謀と小競り合いを繰り返しているイメージがあった。

 

その意味で東北地方は将来に丸投げするしかない。

だが、関東に関しては詳細を知らずとも、長慶やその参謀である松永久秀にはある程度の予想は付いたのだ。そもそも関東管領である山内上杉家の力もまた凋落しており、輝虎が居なければ復権も叶わなかっただろう。今は良いのだが、放置すればまた問題に成ると釘を刺して置いた。

 

「関東の目方を増し、押さえつける分銅とする……か」

「はい。弾正殿を関東管領にするなり、鎮守府将軍として送り込めば早いのですが」

「それでは都が収まらぬ。少なくとも今はまだ駄目だ」

「では他の方法が必要であるという事を何処かに存念していただきたく」

 この件は判り易い対処法があり、その手段を取れるならば一気に解決する。

幕府や朝廷に協力的な輝虎を送り込めば、それだけで東日本は安定するだろう。金持ちの輝虎ならば余計な課税はしないであろうし、その武力の前に誰も反乱を起こすまい。それこそ興福寺の二の舞になってはたまらぬと、東北地帯の大名たちが一斉に静まる可能性すらあったのだ。

 

だが同時に、ソレは切り札を早々に使うという事である。

都の守護者であり都合の良い財布扱いしている者が居なくなったら? それだけで騒乱が巻き起こり、幕府も朝廷も資金不足で困る以前の生活に逆戻りかねなかった。それこそ輝虎が幕政に口を挟むのであれば、余計な事をする前に遠ざけることはあっても、今の状態ではありえまい。

 

「次に関東を抑える役目の越後・甲斐・信濃・駿河に関しては問題ありませぬ」

「騒乱の火種は常にありますが、現状では戦をせぬ方が復興が進みます」

「彼らが動きたくなった頃、大樹様が命じた街道整備や河川の改修が終わりましょう」

「そうなれば今までにない富がもたらされます。さすれば彼らも平和を享受したいと思うでしょう。重要なのは、むしろ関東や畿内の争乱でありまする」

 この四つの地を名指しするのは、関東勢が反乱する可能性に備えた地域であるからだ。

それゆえに親族衆である今川家や関東管領の分家である越後上杉家、あるいは名門である武田の本家や小笠原家がそれらに配置されているのだ。現状は中身がだいぶ変わっているが、概ね問題の無い範囲で再編成されたと言えるだろう。

 

ここでも関東情勢が問題に成る、とは釘を刺しつつも長慶は次へと進む。

 

「畿内の東は弾正殿の動きもあり、まずは問題ありませぬ」

「あえて言うならば今川家がやや不穏でありましょうか?」

「もっともソレは今川家を正式な副将軍なり管領とでも定めれば落ち着きはしますが」

「それはあまり考えたくは無いな。副将軍と言う意味では、まだ関東公方の方が相応しかろう」

 親将軍家同士のサンドイッチで都の東が安定した。

六角はこれまで細川晴元の派閥であったが、明確に将軍支持派の輝虎が居ることで動けなくなったのだ。北伊勢は北畠家のものになったが、それも含めて北畠具教はこちらを裏切れない。それこそ残るのは今川家と織田家の抗争が再燃しないかであろう。

 

その上で今川家は将軍家の親族衆というのが良くも悪くも問題であった。

彼らは名門中の名門であり、足利家が絶えれば代わりに将軍に成れる家系なのだ。徳川家であれば一橋家に当る存在に成っており、領地も拡張したいが名誉の方でも良いという選択があった。長慶としてはいっそ副将軍にしたいところであるが、義輝としては将来のライバルを育てたくないのも確かであろう。ゆえに動かすとすれば、関東の何処かに飛び地を切り取らせて関東公方にする方がマシだと考えたのである。

 

「畿内の西に関しては言うまでもございますまい」

「管領である細川晴元さまが何も仰せ出なければ平穏でございます」

「もちろん何かあるというのであれば播磨に出兵する手はずは整えておりまする」

「細川の爺が何も言わぬというのであれば放っておけ。京兆家の復権を望まぬのであれば無理に滅ぼす事でもなかろうて」

 管領である細川晴元に残された勢力は少ない。

本領である丹波は既に陥落。丹後と但馬は細川家が将軍家の敵に成ったり味方に成ったりする間に人心が離れており、国人たちは輝虎の武名と三好家を脅威と思って恭順している。興福寺が五千の兵を用いて千五百の兵にボロ負けしたと聞いて、進出されるのを何より恐れたのだ。彼らの盟主となる者が、凋落した一色家や山名家では仕方がないと言えた。

 

ゆえに晴元に残された勢力は播磨のみ。

だが義輝も長慶も幼いころに世話になっており、その専横が無ければ……と未練がある事、そして適度な脅威としてあえて残して置いたのである。

 

「残るは西国と言う事か」

「はっ。筑紫島では大友を筆頭に、幾つかの勢力に別れおります」

「名門の島津家が復興を果たした以外は、勃興を繰り返す有様。故に……」

「大友家に筑紫島の舵取りを任せるか、それとも誰ぞを鎮西将軍に送りつけるかであろう? だが、毛利と争い始めたのであったか」

 この頃、九州はいまだ三国志と呼ぶには程遠い乱世である。

竜造寺は当主が追放されて何とか復帰したばかり。島津家も史実より早く大隅を奪還しているが、旧領全てを回収しているわけではない。あえて言うならば大友家の一強と言えるのだが……親族を送り込んだ大内家の傀儡政権が滅びたことで、毛利家と争い始めたのだという。

 

ここまで段階を追って説明されれば、義輝にも何をすれば良いかが見えて来た。

九州は大友家を専念させれば何とかなるが、そのためには毛利家と和解させなければならない。もし毛利家と争って壮絶な殴り合いを始めれば、その間に諸勢力が大きくなって混乱が続くと思われたのだ。

 

「毛利を止め矛を収めさせ、和解させれば良い」

「だが、迂闊に釘を刺せば毛利の動きが制限されてしまう」

「筑紫島の騒乱は収まるが、都に影響を与えることが可能な毛利が動けぬのは痛いな」

「御意。尼子を認めて毛利との戦いを止めるのも手ではあるのですが、それはそれで幾つかの問題が出ることになります」

 毛利家は大内家の旧当主である義隆の派閥を継承している。

クーデーターが起きる前から連名で献金を行う事があったし、親将軍家である大内家の路線を継承するのであればありがたい。そもそも都で幕政に協力していた大内家が山口に撤兵したのも、尼子家が巨大に成ったことが影響をしている。幕府の重臣である山名家が凋落した一因も尼子家であり、どちらの味方かと言えば毛利家サイドではあるのだ(尼子が大きくなったのも将軍家のチョッカイが原因でもあるが)。

 

此処で重要になるのは、毛利に東進させることである。

できればその理由は九州方面に向かわず、自然に尼子の勢力圏を食うくらいが妥当であろう。そして適度に進軍が止まった所で、その戦いを調停するなり、三好家と挟んでしまうのが理想と言えた。

 

(そういえば……輝虎は鞆に下がる事も考えて居ったな)

(毛利へ諸権利を認める代わりに、誰ぞ弟でも西国公方に送り込むか?)

(それとも大友に領地を諦めさせて代わりに貿易を二国と……)

(いや。急ぐまいぞ。彼奴等に西国を任せる形でまとめるとして、幕府の威光を取り戻さねばならぬ)

 ここで義輝は以前に輝虎が口にした、鞆の浦から幕府の拠点を作る話を思い出した。

あの時は美濃に拠点を作る話もしていたはずだが、随分と懐かしい気がする。今となっては過去の思い出に過ぎないが、自分が赴かずに弟を使うならば手法の一つとしては悪くないと思えたのだ。

 

結局、この日は毛利と大友のどちらに肩入れするか? あるいは尼子をどこまで追い詰めるかの判断を保留して話を終えたのである。

 




 輝虎ちゃん快勝! に関する馬鹿話はひとまずおあずけ。
真面目に足利幕府どうすんの? という話になっております。
とはいえ論点は大友・毛利・尼子といった、ポスト大内をどうするか?
どこを弄ったら幕府の為になるかとかを考えているところ。
義輝さんはそういうバランス取りに関しては教育受けてるので話に付いて行けます。
やっぱり義昭さんが悪いんじゃなくて、教育受ける時間が無かったのが問題なのかな。
もっともソレは義輝さんが暗殺されたのが問題でもあるのですが。


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凱旋

 弘治三年が後僅かに成った頃、輝虎は京の都に帰還した。

本当はもっと早くに戻れたのだが、大和の仕置きで時間が掛かったのだ。豪族たちは盛んに興福寺が参戦を強制したと言い募り、興福寺は興福寺で頑として負けを認めないと言い放つ厚顔無恥ぶりである。だが仏敵認定は解除され、阿修羅像は一時的に貸し出すという事になった。

 

誰が見ても輝虎の完勝であり、大和勢の強がりは目に見えて明らかだ。

興福寺が頼りにならぬと見た国人たちは、輝虎の傘下に移ることで本領の安堵を願ったという。長引きそうになった所で将軍家の調停が入り、所領の一部と収穫の何割かと段銭権の一部で折り合いがついたのである。

 

「冬だというのに凄まじき人の出よな」

「みな、弾正様の帰還を心待ちにしておったのです」

「一目見ようと、鞍馬寺まで列を為しておるそうですぞ」

「見ようとしているのはこの弾正ではなく阿修羅像かもしれんぞ? あそこが女人禁制を解くとは私も思わなんだくらいだ。興福寺が折れないのであればこのまま安置することになろう」

 言い掛かりにも関わらず、冷静に穏当な勝利を収めた輝虎。

その人気は鰻登りであるが、我が世の春と高笑いするような性質ではない。今回赴いている鞍馬寺は途中の毘沙門堂までは女子でも入れたのでしょっちゅう参詣していた。だが、いきなり全山の女人禁制を解除し、輝虎を迎え入れるというのだから明け透けである。おそらくは興福寺との勢力争いなども関わっているだろう。比叡山は金持ちの味方であるため早くから輝虎に接近しており、この機に味方に付けるつもりであろう。

 

「ただ阿修羅像と同じ様式で像を掘らせても良いやもしれんな」

「見事な像ゆえ千年でも二千でも伝えられよう」

「天竜八部衆……いや四人の阿修羅王を表現しても良かろうなあ」

(確か若者で日食の中二病系。いきなり突撃して負けたヒャッハー系。あとは最後に出て来るオジサマ系がいるんだっけ? 三人目……三人目? まあいいや、髪型とか私の好みで掘ってもらおーっと)

 前世知識になるが世紀末を越えても阿修羅像は残っている。

仏像女子の中で一番人気と言われるくらい、美少年ぶりでも有名。黄門様が地獄に行く話とか、聖なる伝説やら斎の伝説に、あるいは仏像同士が殴り合うバトル漫画などなど……様々なフィクションにも登場するくらいである。輝虎に転生した女は、この気に前髪を剃る文化からの脱却を秘かに狙って居たという。

 

「御屋形様。大樹様より例の件を早めるようにとの仰せです」

「朝信か。承知したと伝えてくれ。明年には普請に取り掛かる」

「それとそなたを修理少属へ推挙するとの言葉があったのだろう? 受けておけ」

「はっ! ありがたきお言葉に存じ上げます! 斎藤修理朝信。これまで以上に忠心申し上げます!」

 鞍馬寺までの移動途中、工事担当の斎藤朝信が声を掛けて来た。

彼は都への街道拡張を行いつつ、賀茂川の工事に向けて調査していたのだ。今回の興福寺の件を受けて、かつての権力者ですら頭を抱えた山法師や賀茂川の害を乗り越えたと天下に喧伝したいのであろう。彼が移動途中に伝えてきたのには幾つか理由もある。

 

この後で輝虎に与える為の褒美を足利義輝が用意しているという事だ。

その中に普請責任者である朝信への官途があるのだろう。造営長官職である修理大夫には三好長慶が就くことが既に決まっている為、輝虎と長慶が共同して都の為に動いているという事にしたいのだと思われた。また、官職の数では輝虎に利を与え、上下関係では長慶にマウントを取らせるつもりだと思われた。

 

 さて、輝虎が掲げる旗が四種類ある事を説明しよう。

毘沙門天の旗に関しては言うまでもないだろう。次に『乱れ龍』は軍勢というよりは不動尊が掲げる正義の戦であるということを示す。そして『竹に雀』が上杉家の旗印と言う事だ。

 

「弾正よ。よくぞ無事に戻って来たな」

「しかも勝利しただけではなく、余計な人死にを極力抑えたとか」

「きっと仏道の守護者である阿修羅王も、そなたと共にこの日の本を守ろうというのだろう」

「誠にありがたき御言葉。この輝虎、何よりの励みにございまする」

 義輝は白い包みに入ったナニカを持って待っていた。

下げ渡す物など、その都度に下人や直接の部下から受け取れば済む話なのにだ。そして輝虎が頭を下げて感謝の言葉を述べると、ニヤリと笑って首を振るのである。

 

「その言葉はまだ早いぞ」

「上皇様がことのほか喜ばれてな」

「儂と話し合い、帝を通じてコレを用意されたのだ。ありがたく拝領せよ」

「こ、これは……錦の御旗にございまするか!! なんともったいないお心遣い! 感謝の言葉も即座には見当たりませぬ!」

 白い包みより出されたソレを見て、輝虎はその場で片膝を着いた。

それは輝虎が所持していた第四の旗と同じ……いや、格が違うどころか最上級の存在あった。描かれたのはたった一つの紋様とセットになった文言、金糸で描かれた花をもって日輪を象った紋様と、天照皇大神の御名を記した……まさしく誰もが思い描く錦の御旗であった。

 

今まで使っていた御旗は、あくまで日輪を描き朝廷の意を汲んだ戦いと示すだけの物だった。

だがこれはその域に留まらず、朝廷の軍を預かり朝敵を討つために用意された旗であったと言える。どれだけ恐れ多いかと言うと、本来ならば将軍家の一族にのみ掲げることを許されるという『慣習』があったほどである。

 

「上皇様の御言葉を伝えるぞ? 心して聞くがよい」

「はっ! 上杉弾正大弼輝虎、一字一句聞き逃さぬ所存!」

「うむ。『天晴れ、見事なる神兵である。日の本の騒乱を治め、末永く今上を助け参らせよ』との事である」

「誓ってお言葉通りに!」

 たかが旗一つ、たかが言葉一つと侮ってはならない。

この旗に歯向かう事は朝敵であると自ら宣言したも同じなのだ。そしてその御言葉は日本を守るために悪意無く働き、世を混乱させようという者共を討ち取れとの命令そのものなのである。そこらの大名と違って、言葉自体に大義名分があった。

 

この事は義輝が長慶にすら話さなかった最大級の褒美であった。

万人が見守る中で輝虎は将軍家に付き従う姿を見せつけるだけでなく、その武威を示すだけで世の大名は恐れるだろう。これまでの御旗はあくまで越後国内での防衛戦や、関東で守りの戦をする時に多少効果がある程度であった。だがこれからは違う、それこそ中心人物となれる豪族の居ない国などは現れただけで降伏しかねなかったのである。

 

「それと名誉職というべきか、いずれ来る昇進の前渡しがあるぞ」

「これ以降、そなたの事を弾正卿と呼ぶことにする。弾正尹へは三位に成った時に正式にじゃな」

「それと蔵人にも任ずるが、これもまた蔵人頭になるという内示であるぞ」

「蔵人の官自体はそなたが朝廷に寄こす使者に渡して構わぬ」

 次に桐の箱と共に幾らかの言葉を掛けた。

先ほどの御旗を収納する為の箱だが、ついでに掛けられた言葉は形の無い褒美であると言えた。昇進そのものはまだ無いが、確実に昇進するという事と宮中に参内できる身分に成るという事は重要だからだ。授けられても実際に昇殿する武士はあまりいないだろうが、そこは様式美であり輝虎を『別格』として印象付ける為の物である。

 

「ほほほ。弾正であればいずれ少将、あるいは中将にも届こうぞ」

「その時は『頭中将』ということか。まるで平安の世の様だのう。嬉しや」

「誠に華やかな事です。この輝虎、七つや八つに成った娘の様に胸が高鳴っており申す」

(頭中将!? それってアレだよね! 源氏物語に出て来るイケメン! 源氏と違って誠実だし、格好良いよね!)

 恐れ多くも将軍の言葉に割って入る者などごく僅かだ。

近衛晴嗣が冗談交じりに言うと、義輝も輝虎も清々しく笑顔で笑い合うのであった。他の者共が口にすればやっかみもあるかもしれないが、ここは真に世の平穏を求める者たちが集って居たと言えるだろう。そうするために輝虎の凱旋をわざわざ途中で待ち構えていたと言える。なお現在の左近衛中将は義輝なので、いずれ少将・中将になるというのは、その影として派遣されるという例えであると同時に、征夷大将軍が就く地位としては低いので早く義輝も昇進しろとの暗喩であろう。

 

「それとこれはそなたに渡す得免の権利であるが、不要なら誰ぞに譲るが良い」

「第一に、外つ国の商人と売買を行う権利。明の国と南蛮のどちらでも良いし、両方でも良い」

「第二に五畜の戒めを緩めるゆえ、もし牛馬を育てるならば食うても良い」

「第三に施薬院より薬草を求める許可じゃ。無論、管理しておる物ならば薬草に限らぬ」

 交易権は判り易いが、微妙に判り難いのが五畜の戒めであろうか。

奈良時代以降、『牛・馬・犬・猿・鶏』を食べることを禁止する法令がたびたび出されることがあった。仏教伝来の影響で禁止令を時の天皇さまが『その都度』に出していたのだ。禁止を促したという事は、肉食する習慣があったことと、同時に農耕の奨励など他に意味があるから改めて出したということである。

 

そしてこの話のミソは、肉食は常に禁止されてはいない事だ。

あくまで仏教重視の天皇様や、農耕を奨励したいというその当時の支配者が話し合って出していたと言える。よって無理に禁止する必要のない時は食べられていたこともあるし、『薬食い』として栄養補給をしたり、神事で鹿を撃ち殺すことを認めた諏訪大社の鹿食免状などがある。日本が代々肉食を禁止して居たならば解除は難しいが、時々控えるように促す程度の慣習ならば緩めることは可能であった。

 

「重ね重ねありがたき事。もし外つ国より薬が入りましたならば施薬院に献上いたします」

「また、法術師の学び舎にて験力を発揮する生薬が作られましたならば同様に」

「肉食に関しては兵共を育てる折に、厳しき鍛錬を乗り越えることに役立ちましょうぞ」

(ワーイ! やったね! とりあえず外国産のワインやブランデーでしょ、ビフテキでしょ? あとあと何があるかなー。とりあえず江戸に南蛮船を呼ぼうかなあ……でも中国……中国? 紹興酒とか桂花陳酒とか欲しい物はあるだろうけど、越後から? ちょっと遠くない?)

 なお、この中で一番喜ばれたのは現代日本人らしく御食事権である。

予め『育てたら』と言う限定があるので、食べるとしてもその為に育ててから……という言い訳で牧畜に精を出すことができる。またこの当時は蒸留酒とか技術が遅れているので、それらが今から愉しみである輝虎であった。

 

なお、彼女は教科書レベルでしか知らないのだが東北と中国での貿易はあったらしい。

例えば平泉の黄金とか金貨が無い日本で装飾品以外にどう売り裁いたのかと言うと……実は福建省のあたりと密貿易を唐の時代辺りからしていたらしい。やろうと思えば越後からでも十分可能ではあっただろう。そして明確に北陸からでも可能だと認識して居なかったことが、中国との貿易権を実質的に手放すことに成ったと言えるだろう。

 

「かっかっか。弾正は実に謙虚よのう。地下の者共とも親しんで居るか」

「これは一色様。大樹様の前で、下々に関することをお耳に入れて申し訳ありませぬ」

「良い良い。儂もその件で話が合ってのう」

「美濃の件での続きという訳でもない。改めての話じゃ」

 ここで話に加わったのは一色義幸で、何人か前の左京大夫である。

この辺りの官途は微妙なのだが、関東の以東はみんな無視しているので彼が左京大夫といえなくもない。ちなみに一色家の本家を継ぐことにして修理大夫になる話もあったのだが、三好長慶に譲ったのでその話はお流れになった。

 

そして美濃の件というのは、斎藤家の一人に一色家の名前を与えた事だ。

かつて美濃の土岐家に一色家から養子が出され、そこから縁故を結んだ相手には一色家の血が入っているとも言える。そこで斎藤家を割って存続を許した時、西美濃の斎藤家にその名前を許したのである。ようするにそこでの借りを、ここで終わらてやるから話を聞けよ。という実にありがたい御言葉であった。

 

「明との貿易を行うのであれば、我が丹後の港を提供しようではないか」

「旗の色を明確にせぬ愚か共も、そなたが来れば鮮明にしよう」

「義幸……めでたい席でその様な話をせぬでも良かろうに」

「いえいえ大樹様。実は山名殿からも同様の言葉がありましてな。生野の銀山を提供しても良いといっておるのです。いや、都の北が平穏と成るのはめでたいことではありませぬか」

 なお、一色義幸は相伴衆という側近の中でも上位にランクされている。

幕政に口を出す権利のある側近であり、義輝に協力もするが振り回している人物でもあった。丹後の港を提供すると言っているが……実は細川晴元や若狭武田の問題で支配権はかなりボロボロになっており、他人任せで大名の地位を取り戻すために報酬として渡そうというだけの事である。三好長慶に地位を譲ったのも、丹波を平定した次の問題なので取引とも言えた。

 

本来ならば彼は置いて行かれて一気に済ませてしまう予定だったのだが……。

今回の件や長慶との兼ね合いで、今までの様に義輝を振り回すことが出来なくなっており、明確な将軍派として態度を固めたことから情報の共有と同伴を許されたという経緯があった。

 

「ほう……右衛門督がか。しかし生野の銀山は彼奴の生命線だと聞いたが?」

「そうも言っておられぬようで。相当に足元が弱って居るようですな」

「因幡に続いて但馬も怪しいとか。どうせ奪われるのであれば、援軍と引き替えにしても良いということでしょう」

「もちろん弾正が越後で行うというならば儂は無理にとは言いませぬよ。ですが……山名殿の窮地は救ってやっても良いのではないかと思いますぞ」

 山名家は山陰側の名門だが尼子家によって追いやられていた。

但馬と因幡が最後に残った砦とも言えるが、その支配もおぼつかないどころか、史実よりも早く追い詰められている。その凋落を何とかしのいでいるのが生野銀山であり、まさしく生命線であった。だが逆に言えばその所有が尼子家の興味を引いているとも言え、もし援軍を出してもらって但馬……できれば因幡も取り戻せるならば渡しても良いということなのだろう。

 

そして義幸の用事はこの話を耳に入れる事であったともいえる。

実際に丹後の港を渡さずとも、もし但馬へ援軍が派遣されるならばその過程で丹後にも影響が及ぶからである。そして丹後と但馬が親将軍家側になるならば、すり寄ってきている若狭武田も態度を明確にするだろう。この条件を義輝が否と言うはずがないし、言うならばそもそもこのセレモニーへ加えていないことから確信が持てているに違いあるまい。

 

(一色と山名。この二つが僅かでも力を取り戻せば幕府の復権も近いか)

(そして今の輝虎にやらせる以上、相伴衆に入れるなとも言えまい)

(義幸としては色々とチラ付かせてでも援助させたいのであろうな)

(そして山名の要請は渡りに船であった。自らは可能性のみに言及し、何も渡さずに援助させる気なのだろう。少々小賢しいが……絵に描いた餅の見事さだけならば見習いたいものだ)

 義幸の考えを義輝は見抜いて見せた。

その上で『小賢しい』と思える自分に苦笑せざるを得ない。以前の自分であれば顔を真っ赤にして賛同していたかもしれないからだ。だが、現実を見据えた今の彼にとって『少々遅かったな』とでも言うべき小ささであった。

 

この件をゴリ推す自体は出来るだろう。

だが、それで何を得るのか? 一色家は取り戻した丹後と美濃で二国、山名は但馬と因幡で二国。以前の繁栄程ではないが、現実的に可能な範囲で最上級の結果になるだろう。幕府も一見安泰に見える。しかし、この話はそれ以上の価値が無いのに、様々な大名へ喧嘩を売る未来しか見えなかったのである。

 

「義幸。今はめでたいせきじゃ、その件はここまでとせよ」

「た、大樹様。この件は高度に政治的で……」

「判っておる。同じことを頼み込む者がおらねば儂から言うても良い」

「じゃがの。めでたき席に損得ずくの話を持ち掛けるべきではなかろう」

 義幸の話には他者がどう思うかが欠けていた。

輝虎の選択権がまずあり、持て余すから不要で身内に渡すというならば話も判る。だが他の大名が話を持ち掛け、もっと良い条件の話を持ち込む可能性すらあるのだ。それこそ欧州の小大名が従属と引き替えに話を持ち掛けたり、南蛮貿易の方が有望だと思って居ても、他の大名が大きな利益を積み上げたら話は変わって来るだろう。

 

そして何より、それらの交渉をするならば長慶を通すのが筋だった。

今回の件で根回ししたのは彼であったし、よい良い条件を整えるとしたら彼が間に入るだろう。また丹後や但馬に行くならば三好家が収めたばかりの丹波を通おらねばならず、今この話を押し通せば細川派の国人が息を吹き返してしまう可能性が問題であった。では若狭を通れば良いではないかと言うならば、その貿易港は若狭でも良いということになってしまうであろう。また但馬で尼子とモメているというならば、毛利を動かしても居ないのに、尼子を今の段階で刺激したくはないのである。

 

「そういう事じゃ弾正よ。まずはお披露目をすませて、鞍馬寺に安置して来るが良い」

「その上でゆっくりそなたにとって良い内容を考えるが良かろう」

「はっ! 大樹様の御命にしたがいまする!」

「では、方々。暫し離れまする事、ご容赦を!」

 一度に凄い話が舞い込んで、パニックになってる輝虎は義輝の配慮に感謝した。

そしてエライ人たちの前を辞して、鞍馬寺に阿修羅像を持ち込んだのである。もちろん興福寺や他の寺に対抗意識のある鞍馬寺の僧侶たちも坊官以下僧兵たちもスタンディング・オベーションで出迎えたという。

 

なお、この話には他愛ない余禄と面倒くさいオマケが付属している。

余禄に関しての馬鹿馬鹿しい一幕としては……鞍馬寺の御本尊は、毘沙門天と千手観音菩薩と護法魔王尊の三位一体の尊天である。これが阿修羅像を持ち込んだことで奇妙に習合して河原で催される芸事で『鞍馬尊天魔王尊』と言う一幕が公演され人気を博した。遥か古代に飛来して一万年に一度、人類を教導するために現れる永遠の十六歳。三つのしもべに命令を下して何処かにある塔から出撃し、日の本を守る中世的な武将が現れる……との物語が爆誕したという。面倒なオマケに関してはまたの講釈としよう。




 と言う訳で京都に帰って来た輝虎ちゃんはパンダ並みの人気です。
人々が見て熱狂するのも、政治的利用されるのもおんなじ。

●錦の御旗
 以前のは日章旗に近い、一番下のランクです。
今回のは金糸で縫い取り、基本的には太陽を模して描かれる紋章。
特に菊御紋と決まってませんが、金色の太陽があり、神様の名前が入っております。
これがあり天皇様の御言葉上がると「朝敵を討つ!」と言う決め台詞が言えるわけですね。

●今更協力するといっても、もう遅い!
 輝虎ちゃんが京都に着た頃なら凄い条件なのですが……。
政治的妥協が成り立っていて、もっと大きな絵図面を描こうよ! と成って居る今日この頃。
放っておいても切り取れる京都北部をレンタルしても良いよ! と言われても困りますよね。

●鞍馬尊天魔王尊
 サナト・クラーマ。いろんなものが習合して、アニメのような存在と化しました。
多分、輝虎ちゃんの像が立ち、後に歌舞伎とか宝塚とかで公演されるでしょう。


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勝利の後始末

 弘治四年、燈明売りがぽつぽつと賀茂川へと集まり始めた。

燈明売りというのは民間術者の中で、持続光を夜間に掛けて回る商売の事だ。本来ならば警備用ならば工兵の担当官だけで十分なのだが……。

 

病気になった後奈良上皇が賀茂川での工事見物を最後の余生にされた事が影響している。

 

「神事、滞りなく終了いたしました!」

「陰陽寮よりの見分、ヨシ!」

「法術師の験力、ヨシ!」

「よろしい! では、普請を開始せよ!」

 上皇は天皇であった治世には清廉潔白で知られていた。

あからさまな献金は突き返せと主張し、疫病が流行った時には人々の安寧を願って写経し、方々の寺へと治めていたという。そんな方に末期くらいは、お望みの光景をご覧に戴きたいという善意からである。

 

もちろん、そこには賀茂川の治水が収まれば安全になるという期待もある。

越後勢を始め、各地から送られた工作兵たちの飲食で儲かるという期待もある。

だが、治世の殆どを善良に過ごし、死に際しても人々を見守らんとする心に人々は涙したという。

 

「お侍さま! あっし達にも何かさせてくだせえ!」

「あたし達も参加させてくださいな!」

「荷運びくれえはできまさあ! 是非ともやらせてくだせえ!」

「お前たち……」

 そこに打算はあっただろう、都人としての矜持で口にしただけの者も居ただろう。

だが斎藤修理少属朝信には判らぬ。義理と人情と酒の為に戦う武骨な越後人たちは、この他愛ない話を信じ涙した。所詮は地方の田舎者よと心中では舌を出した者もいるだろう。だが、人の良い越後勢が命を掛けるには十分な祈りであった。

 

「だがな、お前たちを巻き添えにしては上皇様に申し開きが立たぬ」

「せめて危険な場所での普請が終わるまで待つが良い。何、それほど長くは待たせぬ」

「お前たち、やるぞ!」

「「おお!」」

 朝信以下、工作兵たちは一心不乱に働き始めた。

もしかしたら正倉院にローマンコンクリートの資料があったかもしれないが、流石にそんな物を探すような教養は無かった。だからこそ越後兵は命を賭けて工事を始めたのである。川を分岐させ、あるいは蛇行させて勢いを削っていく。中には川辺の崩落や岩運びで怪我をした者も出たという。

 

そしてそんな彼らの健気な思いは、人々を突き動かした。

何より大名にしては腰が軽く、感動し易い性質の輝虎が大きく動いたのである。

 

「秘儀だのなんだの隠して警戒することもあるまい」

「忍びに情報を抜かれるとしたら、既に抜かれて居よう」

「我らが旭将軍と同じ末路を辿る瀬戸際かもしれぬ……」

「龍神堂を建て大々的に法術を使おうぞ。土御門殿に連絡を、術師を呼んで計画に修正を加えよ」

 その時、奇跡が起こったと後の世には記されている。

黄金の太刀が投げ込まれると、賀茂川が真っ二つに裂け工事が格段にし易くなったという。川の幅を広くし、深く砂を浚渫し、分岐の為に用水路へと流れ込み始めたという。しかもその時間は広い場所では二刻続き、もっと狭い領域では半日以上が乾いていたというほどであった。

 

すると物見遊山に集まった人々が、本当に工事に参加し始めたのではないか。

二万とも三万とも言われる群衆たちが、男女どころか腰の曲がった老人から歩き始めた子供まで我も我もと土運びを行ったと怪しげな記述する者も居たとか

 

そして……その奇跡の結果であろうか、賀茂側は上皇様の存命中に大半が……全工程が僅か一年で工事を終えたという伝説が後の世に記されたという。工事を取り仕切った朝信は二郎真君の化身ともその使いとも呼ばれ、輝虎が魔王尊と混同された後の芝居では、率いる三つのシモベの一人に数えられたそうな。

 

 その年の出来事は色々あるが、越後勢にとって大きなエピソードはもう一つある。

大和に関する面倒なオマケが用もないのにやって来て、大々的に居座って輝虎相手に論議を始めたのであった。

 

その名はガスパル・ヴィレラ。

ラ・コンパニーア・デ・イエズス……イエスの友の会、略してイエズス会の日本における布教活動の立役者である。

 

「悪魔を信じてはなりません!」

「悪魔など信じてはおらぬが?」

「ではなぜ悪魔像をこの世に二つとなき宝物の様に崇めるのですか?」

「そして人々を扇動して働かせるのは良くありません! ただちに解放なさい!」

 実際にはこれほど強い言葉を使う気は無かったらしい。

だが稚拙な日本語を必死になって上達させた結果、このようにストレートな内容で喋る様になってしまったのだ。どうやら大和で流れている噂やら、京の都で起きている事を自分流に解釈した結果、ここまで頭と心がヒートしてしまったのだろう。

 

「あれは仏教における神の一柱であり悪魔ではないぞ」

「神はただデウス様があるのみです! 悪魔が神を語っているだけです!」

「それはおかしい。確か、そなたらの神は『我のみを神として契約せよ』『偶像を我の代わりにしてはならぬ』と言ったのではないか?」

 面倒なので輝虎はマジレスを返した。

キリスト教の詳細なんか覚えていないので、アヤフヤな前世知識と、転生してから暇を持て余して調べた宗教観をごっちゃにしていた。ユダヤ教の旧約と、キリスト教の新約の区別なんか勿論ついては無い。

 

「っ!? それは大いなる誤解です!」

「神を名乗るモノは多く居るでしょう」

「ですが神と呼ぶに値する尊い方はただデウス様のみ」

「そして我らが罪を背負い、デウス様の身元に召され契約の全てを代行されるイエス様を通じて我らは立っております!」

 イエズス会の基本は熱心さ、そして上長への従順さである。

詰問するにあたり……本人は討論と言い張っているが、その事前段階で予習するのは当然の事である。ヴィレラは輝虎の事を異教の司祭であり騎士であり将軍であり、ようするに修道騎士(テンプルナイト)か何かだと思っていたのだ。討論の為の論述は幾つも用意して居るし、言い負かすための……討論の為の内容は万全に用意していた。

 

そえゆえにユダヤ教に由来する部分を突かれると、即座にイエス重視に切り替える。

契約した神は一人という以上は、他にも神は居るんだろ? と突かれたら確かに痛い。だが、その程度で百戦錬磨の討論を行うイエズス会などやってはおれまい。全世界(のキリスト教徒)に対するキリストの献身を持って、神と呼ぶに値するのは一柱だと言い切ったのである。

 

「それは貴殿らの立ち位置と解釈だな」

「だが我ら日の本の民は違う。神と出逢う前に、人の道の上に立っているのだ」

「悪しき行いをするよりは、ただ人である方が良い。善き行いをすれば、しないよりは良い」

「それらを積み重ねて少しでも善くあろうとする心、それを道徳と呼ぶ。その上で神や御仏は誰が正しいのか、自分にとっての神や御仏は誰なのかを常に問うておるのだ。もしそなたの言葉が正しいとしても、他者が信じるモノを真っ先に否定する段階で、論じるに値せぬと思わぬか?」

 ああ言えばこう言うと言うのは詐術の基本なので信用されない。

そこで輝虎は嘘は言わずに、日本人の精神性で殴ることにした。そこに同調圧力が掛かる事は多い物の、悪事を減らし正しさを積み重ねて『徳』を積み上げようとする姿勢である。要するに罵倒と否定から入って、論議を乱しているのは君の方だよと、話を打ち切ることを促したのであった。

 

「判りました。では、貴女が大事すると言うあの悪魔像の正しさを教えてください」

「阿修羅像のことを言うのであれば、阿修羅は敗北者だからだ」

「略奪婚で娘を連れ去られ、取り戻そうとした正義の戦いでやり過ぎてしまったのだ」

「生きとし生ける者には等しく価値が有ろう。それなのに多くの命を省みず、逆に帝釈天が省みた為に敗北者とされた。だが、後に許されて正道に戻り、今度は人々を守る正義の守護者となったのだ。私はそんな、悔い改める事の可能な敗北者になりたいと思うと人々は信じておる」

 なんというか阿修羅と帝釈天の勝敗にはツッコミどころが多い。

だからこそ輝虎はネタ込みで記憶することに成功していた。ここで正義の神だとか、闘神だとか言って何に成ろう。それならば敗北者として、何が悪いかを悔い改めることに重きを置いたのである。実際、今の輝虎にとって、大勝したからといって有頂天になったら木曽義仲の二の舞なのだから。

 

「では貴女が契約して力を借りている存在は?」

「我が前方にラファエル、我が後方にガブリエル。我が右手にミカエル、我が左手にはウリエル」

「仮にそなたが、そう唱えれば周囲が守護される術を与えられたとしよう」

「それはミカエルに航海の無事や、海賊へ立ち向かう水兵たちへ加護を祈って居た時だと仮定する。そなたは特にミカエルへ感謝を捧げないのか? もちろんそなたにとっては天使であっても神ではないのだから盲目的に『私は神に選ばれた』などと吹聴して回らぬであろうな」

 輝虎が論議する気は無く淡々と説明している事にヴィレラも気が付いた。

最初からそんな状態であり、別にヴィレラを論破しようとも無実を証明しようと思って居ないのだ。もし異教の神の司祭であり、修道騎士であればここまでヴィレラの言葉を受け流すことはあるまい。無理に仏教や神道を信じているというよりは、人々を守ろうとする為に力を貸してくれるからこそ、感謝を捧げているのだと理解し始めた。少なくとも強欲な他の大名たちに比べて、人々を守る大名だと思われたのだ。

 

ただ、理解したという事と、説得を諦めるということはイコールではない。

そもそも彼はキリスト教を伝来させるためにやって来ており、キリスト教を信じる余地のある者へ伝道し、そして導く為に居るのである。そして何より、論議を尊ぶのは欧州人にとって基本の事で合った。今は受け流されることを学習し、教徒の為に最大限の成果を得るべきだと判断したのである。

 

「そうですか。貴方達について良く知りもせずに断じたことをお詫びいたします」

「しかし、デウス様の教えが素晴らしき事。人々を導く教えであることを繰り返し申し上げます」

「そうか。我が領内と出入りの商人に対して、宗教や宗派によって差別せぬ事を保障しよう」

「それと住む場所と最低限の飲食も、他の寺社と同じく扱うと約束しよう。……だが、そなたたちの言葉に合わせれば、神は何時でも見ている。ゆめ、争いごとをせぬようにな」

 ヴィレラはひとまず、悪魔呼ばわりしたことを謝った。

この国の人々が信じている者が悪し様に言われたくないのであれば、より正しくより公正な存在であると伝えるまでである。この辺りの内容は和田伊賀守惟政から伝えられており、越後で本願寺が扱われて居る程度に……縁故の差はあれど正しく扱われるという事で、ひとまず満足したのである。

 

「まったく。あやつは何様のつもりなのでしょうか?」

「いきなり訳も判らぬことを言い放ち、不敬ではありませぬか!」

「日の本で例えると、一向宗に弥勒菩薩が現れて毎日欠かさずに南無阿弥陀仏と唱えた者を末法の世に救うという教えだからな。一向宗の狂信性、日蓮宗の弁舌好き、叡山や興福寺のような歴史ある寺社の改革派だ。むしろ良く留まった方だと思うぞ」

 これまで止められていた側近たちが怒りを噴出させた。

無理もあるまい、彼らから見れば尊敬し忠誠を捧げている主君がいきなり罵倒されたのである。予めこういう展開になりそうだと口出しを止めていなければ、直情的な越後人の事であるどこかで刀を抜きかねなかった。

 

「ひとまず理解できたのは、持論をひっこめることの出来る冷静さがある」

「その上でこちらの懐を突き、議論で勝とうとするところがあるな」

「認めるところは認めておるし、何よりも情熱的だ。その公正さを好む者はおろう」

「問題なのはやはり、彼奴等を利用しようとする異国の大将軍や帝であろうよ。道を閉ざすのは簡単であるが、迂闊に殺せば我が門徒が不当に害されたと攻めくるやもしれぬ。斬るとしても罪によって裁いてからじゃ。もちろん捏造はいかんぞ」

 厚かましさを感じるものの、直球の人間だけに悪い感じはしない。

と言うよりも。そういうタイプは身近に多い。弁舌ではなく武器を使うのだとしたら越後の武士はみんなあんな感じである。ひとまず神聖魔法が使えるらしいので、その辺りのノウハウに期待していた。

 

その上で放置する危険性と、手持ちで監視する気持ちでいた方が良いと判断したのである。問題なのはガスパル・ヴィレラは熱血漢でのめり込み易く、不足部分を推測でつなげるところがある。ようするに小説家的な部分が問題であると、教会の上層部からも思われている、弁論の突撃屋なのであった。これ以降もたびたび訪れては議論を吹っ掛けたり、白熱した挙句に口論になるなど問題行動を起こすという。

 

「ひとまず景教の件はここまでで良かろう。大和は明智殿に任せるとして……」

「蔵人任官に関してはいずれ大々的に行うが、神五郎に与える」

「将軍家や朝廷、あるいは間に挟まる公家どもの面倒は任せるぞ」

「はっ! ありがたき幸せ。直江蔵人実綱、これまで以上に御屋形様に尽くしまする」

 輝虎はマルチタスクには出来てないので、一つずつ片付けていく。

キリスト教の件をひとまず棚上げにすると、大和の件は残り領土配分のみ。輝虎に与えられる分は貸し与えられている明智十兵衛光秀を雇用する事で、その下に柳生新次郎宗厳らの協力した数少ない国人へ与えることで解決を図った。

 

そしてこれまでの功臣の中で、文官筆頭である直江神五郎実綱に報いたのである。

将軍家や三好家の横槍で斎藤朝信が先に修理少属になってしまったので、これで遅まきながら文官のバランスは取れたと言えるだろう。後は武官であり、越後を守って居る柿崎和泉景家らに報いれば形に成って来ると言えた。

 

「いただいた貿易権限に関しては、南蛮との交易を江戸で行う」

「志摩も考えたが港をどうせ大きくするなら、既に計画している江戸で良かろう」

「そういえば修理大夫様が摂津で行う事も考慮されておられるとか」

「うむ。三好殿がやるなら輝虎が無理に行う必要もないだろう。どうせあちらを通して文物が入って来ようしな。欲しい物があれば東西のどちらでも贖える方が良い。後は……」

 南蛮貿易に向いた港は志摩と江戸の二か所しか有して居ない。

そこで九鬼家が忠誠を誓っているだけであり、北畠家を通さないと物資を運び難い志摩は考慮から外した。飛び地であることには変わりないが、大型都市を目指す江戸を貿易港にすることで、そこに近隣の商人が集まる理由を作ったのである。

 

「残る、明との貿易港に関してはいかがいたしますか?」

「一色家からも申し出が出ておりますが、大樹様は考慮せずとも良いと……」

「かといって無視も出来ず、悩んでおられましたが?」

「うむ。援軍を送るにしても丹波を通らぬ方が良いとのことだ。ゆえに最初は若狭武田家に話を通す気でいたのだ。だが、先ほど功績に報いると言う話を思い出してな」

 輝虎は明との貿易を九州や中国地方はともかく、越後で可能とは思って居なかった。

また現状で越後や越中の港は十分に賑わっており、過不足を感じていないこともあった。そこで丹後ではなくその隣の若狭で良いではないかと単純に思ったのである。もし中国からの荷が入るなら直ぐに京に送れるし、これから味方になってくれるのであれば、貿易『可能な』の権利くらい譲っても良いのではないかと思っていたのである。

 

しかし、先ほど話に出た功績のバランスに苦慮した話を想い出したのである。

 

「……と、言いますと?」

「大宝寺や安東あたりに声を掛けるわけではなさそうですな」

「仮にこちらに属しても援軍を強請られるだけだ。それに明と交易できるとも限らぬ」

「そこで一端、大樹様に権利を戻すことを前提にして、朝倉殿に一声かけてはどうかと思うたのだ。左衛門督の官途を受けたとはいえ、長年の忠節には見合うまい。もちろん朝倉殿が不要とされたり若狭武田家や畠山家と仲良うする為に譲られる分には構わぬ」

 輝虎は承認欲求が強い方だが、名誉を独り占めしたいわけでもない。

そこで長年の間、親将軍派として行動し続けて来た朝倉家が報われるべきだと主張したのだ。十分だから不要と言うならば、若狭や能登辺りに権利を譲っても良いと二段構え三段構えの理屈である。

 

……と言う事にしたが、本心はその辺のバランス取りが面倒くさくなっただけだ。

カードゲームのデッキ作成で能力の微妙な差の把握が面倒くさくなるタイプなので、将軍家へ丸投げすることにしたのだ。功績への報酬としてその辺のバランス取りを代わりにやってくれないかなーという算段である。金持ち喧嘩せずと言うか、既に豊かな港を幾つも持っており、そもそも明と貿易できるなんて思っても見なかったがゆえの大盤振る舞いであった。

 

「なるほど。一色殿に配慮されるのであれば大樹様が判断されますか」

「では丹後……いえ但馬に関してはいかがされますか?」

「朝倉殿に話を持っていく過程で、若狭・丹後・但馬と大街道を延ばせばよかろう」

「確か朝倉殿の母君は若狭の出である事だし、但馬より移られたのが朝倉家の出発であると聞く。話の筋としては自然なのではないかな?」

 もちろん、この辺りの協議には時間が掛かる。

だが、賀茂川の工事もまだ完全には終わって居ない。協議を重ねている間に工事を済ませ、終わり次第に大街道拡張に向けて舵を切る。もちろん丹後や但馬の国人相手には時間を掛けて説得の使者が赴くであろう。それこそ尼子家でも攻めてこない限りは輝虎が実際に出陣する必要はないと思われた。

 

こうして弘治四年は平和裏に過ぎていくことになった。

史実ではここで帝の崩御により年号が変わるのだが、既に譲位されているので変更はない。この年号は甲子の年まで運用され続け、そこで遅まきながら永禄に移り変わることになる。




 ひとまず大和で起きた争乱終了と言う感じです。

●史実との差
作中にも書いてますが、弘治五年以降があります。
また永禄が甲子で切れるはずだけど続いた……と言う年に、永禄になります。

キリスト教は史実よりも認められるのが早いので、ガスパル・ヴィレラさんは
大分で布教するのではなく京都に来てる感じですね。



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外伝。景教通信

 1558年の冬、上杉輝虎なる人物と会見。

 

都のある区域と、それ以外では統治の法が別の国の様にまったく違う事もあります。

 

この女伯爵(ラ・コンテス)は北方の辺境伯とでも言うべき地位にあります。

 

東方を治める公爵の権威が大きく下落したので、それを援助することでその地位につきました。

 

西方を治める大友宗麟、後のドン・フランシスコに匹敵する立場と言えるでしょう。

 

メキシコの銀山に匹敵する鉱山を持ち、透明な酒を売り、資金を貸し出すことで金蔵は尽きることがありません。

 

ただ、彼女が他の伯爵たちと違うのは、騎士団を率いて戦う雑号の将軍であることです。

 

彼女を『淑女(ダム)』として崇め、将軍として付き従う騎士団は都で最も精強な強さを持っていました。

 

前述の豊富な資金を考えれば、かつてのテンプルナイトの栄華を思い起こさせます。

 

加護としては『四大天使の守護方陣』を与えられているようで、騎士団はその精強さを失う事がありません。

 

注記。

 著者は自分の見聞きをしている範囲で記述し、不足分は想像で補っている。

このため、輝虎の家系が繊維を売って代々儲けていた事や、加護が正確には『ミカエルの剣』であることを知らないので注意が必要である。またテンプルナイトはフランスや教皇領では悪意を持って語られ異端審問に掛けられたが、他の地方では問題ないとされていることにも留意が必要である。

 

 この日の会見は、キリスト教を布教する為の許可を得るためでした。

 

彼女は都の北側に館を構え、河川の改修工事に大きな援助を与えている所でした。

 

日本人は非常に名誉を重んじるという事は周知の事実で、輝虎もその特徴があります。

 

彼女は特に騎士道的精神を重視し、騎士の八徳を極めたい、そう思われたいと望んでいます。

 

そこで工事に多大な資金を提供し、同時に我々へ公正な態度を取ることで、示そうとしたのです。

 

その強さと精神性は、百年戦争初期に活躍したエドワード黒太子の様です。

 

彼の騎行戦術と弓兵投入の革新性にも似ていますが、その騎士道へ熱烈さもよく似ています。

 

しかし、我々は幾つかの懸念を持っており、確認をせねばなりませんでした。

 

悪魔は常に人々の陰に隠れ、時には尊い聖君のフリをして堕落させることがあります。

 

彼女は酒を売り金貸しの元締めでもあり、参詣した神社はインド管区で言えば『マーラ』です。

 

我々が何を懸念し、そして尋ねなければならなかったのか。

 

彼女が悪魔信仰に寄って立っているならば、糺さねばならないと感じたことはお判りでしょう。

 

マーラは人々を誑かす存在であり、淫蕩な事に誘う悪魔でもあります。

 

調べたところ、都の南で『輝虎は淫蕩な力で王である義輝を惑わせた』と噂されていたのです。

 

また河川を工事するにあたり、ドラゴンの神殿を立てて、群衆を率いて工事に加わったというからなおさらです。

 

ここで我々が声を大にして尋ねることになったのは、当然と言えるでしょう。

 

注記。

 エドワード黒太子は敵地で食料調達していたので、フランスでは嫌われている。

マーラの神殿に参詣したことも、『マーラの悪い面を封じ、良い面を祀った』神社であることや、東洋ではドラゴンは水の守護者であるという文化に注意が必要である。加えて認識していた『四大天使の守護方陣』は軍団の保護であるが、『ミカエルの剣』は付き従う事を『望む者』の能力を引き上げる事であり、この付属効果をマーラの権能である魅了と勘違いしたと思われる。

 

 会見して質問した所、判って来たのは彼女たちの宗教観が大枠である事です。

 

聖母マリアを人としたネストリウス派の教義や、ユダヤ教と我々の事を混同しているようです。

 

今まで我々のことを初見で見知った者の中で、もっとも知見のある彼女ですらそうなのです。

 

我々の活動が人々に誤解され、悪魔を信奉する宗教から排斥されるのは当然の事です。

 

とはいえ、今までにない知識があるようなので、その間違いを糺すことから始めました。

 

主イエス・キリストの献身こそが重要であり、悪魔は善行を為したとしても堕天使の由来でしょう。

 

その事を説明したところ、彼女は思わぬことを口にしたのです。

 

我々が神の教えを通して学ぶモラルを、東洋では教えを学ぶ前に備えるべきだと。

 

ソレが出来るのであれば誰も苦労はしませんし、事実、東洋における先進国の中国でも同じです。

 

しかし、彼女はそうあるべきだと信じていました。おそらくは、だからこそ宗教観が大枠なのでしょう。

 

こんな宗教観では神の教えを求め、自らを律しようとしないのも理解はできます。

 

宗教とモラルが分離されている訳で、我々の様に心の拠り所ではないのですから。

 

ですが、この事は主の教えを広める事自体には問題が無い事にも気が付かせてくれました。

 

主の教えが正しい事をゆっくり教え、他宗教は悪魔が神の名前を借りた物だと諭せば良いのです。

 

ともあれ我々の布教を許可すると同時に、公正な監視下に置く約定を締結しました。

 

我々が犯罪を犯さない限りは、異教徒であることを理由に排斥しない。また他者より守る契約です。

 

代価として求められたのは、我々の活動が犯罪的でも、非道徳的でもないという事を監視することです。

 

彼女たちから見れば、我々は犯罪予備軍であり、そうではないことを示す必要があるのでしょう。

 

我々は神の教えと共にあり、そのような懸念は杞憂というものなのですが、異教徒には判別できないのでしょう。

 

礼節と知性を有する彼女たちが一刻も早く神の教えを受け入れ、神々の庭としてこの地がある事を望みます。

 

注記。

抜粋して七割以下にすること。(以降、注意書きが書かれては頓挫している)

 

 今日は輝虎が率いる騎士団についての説明を受けました。

 

彼女は弾正卿という地位にあり、『帝国観察軍』の代理長官とでも言うべき地位についています。

 

これは雑号将軍の一種で、正式な将軍位ではない者が持つ、現場の最高監督者です。

 

彼女はつい先日も、邪悪な寺社の一つである『興福寺』を懲らしめに行きました。

 

この地の王から横領した荘園を回収に向かったのですが、もう一つ理由があります。

 

男女の仲を絶ち貞淑であるべきなのに、バビロンの大淫婦であるかの如く非難されたからです。

 

彼女は温厚な日本人の中でも、特に温厚なのですが、『鍛冶屋の妖精』の様な悪癖があります。

 

普段は職人気質で世の中の富貴を退けているのですが、大酒を吞み、度を越えた侮辱は許しません。

 

職人の多くがそうであるように、金勘定や血筋を罵倒されても笑い飛ばします。

 

しかし、騎士道を強く志向しているのに、不道徳であると言い掛かりを受けたことで激怒したのでしょう。

 

御存じないかもしれませんが、職人たちの多くは普段温厚でも、怒らせると狂乱し暴れ回ります。

 

輝虎は僅か千人の修道騎士を率い、その何倍もの興福寺のモンク達を打ち破りました。

 

この時に司教を虜とせず身代金を取らない代わりに、インド管区でも知られたアスラの像を奪い去りました。

 

アスラ神族とディーヴァ神族の抗争については、ひとまず筆を置きましょう。

 

邪悪な悪魔の像を砕くべきだと、先日の会見でも……。

 

注記。

前述の繰り返しなので、ここからの文章は割愛。

 

 輝虎の戦力について詳細を求められたので追記致します。

 

帝国観察軍に所属しておりますが、直属の兵士は最大で三個大隊の修道騎士です。

 

第一大隊は精鋭部隊で、全員が騎士団長や切り込み隊長級の実力を求められます。

 

最大が千人のエスパーダ大隊ですので、劣った者は次々と格落ちさせられます。

 

中には格落ちされて、『元』と呼ばれる事を恥として、腹を切って自殺した者も居る程です。

 

それほどの名誉であり、この国でも一等級の透明な酒と、目の眩むような報酬を得ます。

 

彼らはストイックというよりはシステマチックに戦い、一切の略奪と身代交渉を禁じられます。

 

ただでさえ騎士団長に匹敵する腕前なのですから、捉まえようとしなければ強いのも当然です。

 

では、格落ちした彼らが第二大隊に行くかというとそうではありません。

 

第二大隊は全員がローマ時代の戦闘工兵であり、街道整備や架橋の専門家です。

 

彼らは命を賭けることは稀で、代わりに専門知識を詰め込まれてきました。

 

しかし、画期的な治水工事が導入されたために、大隊に格上げされたのです。

 

恐ろしい事に、魔法陣や儀式魔法を積極的に導入し、その指揮下で瞬く間に工事を済ませてしまうのです。

 

我々がよく知る『ヘラクレスの塔』や『水道橋』を建設するような偉業を用い、僅か一年で河川を分割しました。

 

最後に第三大隊ですが、前述した魔法陣敷設や儀式魔法を行う者たちを中心にしています。

 

ただし、その多くは韋駄天(イスカンダル)などの初歩的な魔法と長距離走を組み合わせて専門としています。

 

しかし、聖堂を築いて大々的な魔法陣を用意して、魔法兵団と成ってから第三大隊に成りました。

 

今はまだ、殆どの者が他愛もない術を得意とする町の術者と変わらないでしょう。

 

しかし、輝虎は魔法学園を作ることで、術者を増やして行き、第一大隊の様に入れ替えを行うつもりです。

 

これらが完成し、完全に整備れた時……この騎士団は、東方第一聖堂騎士団とでも呼ぶべき精鋭になるかもしれません。

 

そして彼女は勤勉であり、多くの場合は公正でかつ先進的です。

 

我々に多額の寄進と、大々的に布教する機会を与える代わりに、学園での教授職を斡旋しました。

 

これはチャンスであると同時に、危険な存在を作ってしまう可能性を有して居ます。

 

この要請に応えるべきか、それとも危険な事態に陥らない為に断るべきか悩み続けております。

 

(筆はここで止まって居る)

 

「何と言うか……暑苦しいですね。色々と長いですし」

「文才はあるし色々な知識もあるんだがな。余計な言葉が多過ぎるんだよ」

 上位者であるインド管区への手紙は頻繁に送られる。

 もちろん航海の長さと、途中で災禍にあう可能性を考えればそれほどでもない。

 ガスパル・ヴィレラを送り込んだ豊後の仮本部では、こんな感じで添削作業を行っていた。

 

「尋ねて初めて判る様な例えもありますしね。水道橋はともかくヘラクレスの塔なんか知りませんでしたよ」

「お前は出身が違ったんだっけ? そういやジャック・ド・モレーの異端審問をマジで信じてたっけか。十三日の金曜日なんかありません安心しろって、解説した覚えがあるわ」

 熱血漢であるヴィレラは色々な所に首を突っ込み、余計な言葉が多い。

 なので上層部が求めておきながら、信頼のおけない叙述者扱いされているとは思っても居るまい。彼らは送られてくる長い文章を添削する役目を担わされていたのだ。

 

「しかしこの東方聖堂騎士団って本当に強いんですかね?」

「島津の方が大友より強いとザビエル様はおっしゃってたが、大内の西国無双より大友の西国無双の方が強いとも言われたぞ。結局は主観だよ。戦い方次第さ」

 イエズス会は色々な事を精査して論議する性質がある。

これは修道騎士たちの切磋琢磨し、高め合う性質を真似たとも言われる。それゆえに上長に対して忠誠を持ち、法王の言葉であれば白すら黒と言う程であった。それでいて熱心さは比類なく、こんな辺境である日本くんだりまで布教にやってきているのだ。

 

そして全員ではないが、一部の会員は植民地獲得に意欲があった。

それは国王らとの契約で、会の運営を認め、援助してくれるからだ。何というかイエズス会は法王の許可を得て設立しながらも、異端扱いを受けて追放され掛かったという苦い思い出があるからである。実際に植民地を獲得できるかには興味は無いのだが、その姿勢を見せて忠実だと思わせておく必要はあったのである。

 

「イングランドやネーデルラントの小型船で、神聖帝国の大型船を倒せるのか? 公式発表じゃ無理って事になってるが、そうじゃないのは一杯見てきたろ?」

「そうですね。指揮官と士官が揃ってりゃ、後は戦術次第って面もありました」

 この時代、ハプスブルグ家の支配で神聖帝国は強大だった。

スペインやドイツにネーデルラントなどを支配し、最強の陸軍国家と言われていたのだ。彼らの所属するポルトガルはともかく、イギリスは対抗すら無理な三流国家でネーデルラントに至っては独立戦争が上手くいっていない。士官教育とその状況に合わせた魔法の導入など、戦術で戦力を覆す実例自体はたくさん見て来たのである。

 

「神聖帝国の連中が来たらこの国はお終いですかね?」

「さてなあ。連中が勝つなら適当に援助して、微妙なら日本に肩入れ。実は雑魚ってんならゴアの総督が奪いに兵を出すんじゃねえの? ま、少なくとも十年か十五年は先の話さ」

 なお、彼らにとってこの話は無用の展望であった。

何故ならば、1580年にポルトガルはスペインに併合されるからだ。彼らがレジスンタンスとして活動するならば日本側の魔法教官、そうでなければスペイン側のスパイと言う所であろう。




 と言う訳で教会側から見た話の一部です。
内容自体は進んでいませんので、次回の話になります。


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西国に掛けられた網

 弘治五年、将軍である足利義輝は最後の詰めに入った。

都の周辺や東国に関しては平穏が達成され、幕府の権威が回復しつつあったからだ。もちろん実権は無いし領地何て殆どないが、少なくとも威光に関しては快復した。大街道の敷設や治水を許可することで、自分がこの治世を主導したと歴史にも残るだろう。

 

それゆえに残る問題である、西国安定へ動き出したのだ。

 

「覚慶たっての願いにより、鞆へ送る事となった」

「兄としてせめてもの贈り物をと考えておる」

「阿修羅像に関して配慮をしてやれぬか?」

「大樹様がそう仰せであれば、滞りなくそのように為されるでしょう。他にも心ばかりの品を贈り届けさせていただきます」

 興福寺の僧侶である覚慶が還俗して足利義秋と名乗った。

朝廷の意向と兄である義輝の命により、鎮西将軍として備後にある鞆の浦へと下向する。その後の流れによっては鞆公方として室町幕府を西から支える副将軍になるかもしれないとのことだ。

 

義輝が戦利品として持ち帰った阿修羅像について促すと……。

輝虎は義秋に届けることを約束した。なんというか義輝としては興福寺と取引したし、配慮してやれという心算だったのだ。輝虎としては『弟が送り返すことで功績にさせてやれ』と受け取り、その意味で阿修羅像に付属させて金を積み上げると付け足した心算である。なんというか報連相の大事さを伝える一例であったそうな。

 

「大友家に九州探題の長官職と貿易権限二種が付与することになった」

「そなたが朝倉家に譲ったゆえ国内で唯一の権利じゃな」

「筑紫島の平定をお任せになられたのですね?」

「うむ。代わりに毛利と和睦させ、大内家の再興に関しても譲らせた」

 大友家は九州の平穏という大役を任せられた事で、毛利家と和睦。

代わりに現代で言う北九州市から門司までの以北を手放すことに同意させ、縁戚であった大内家に関するあれこれといった権益を放棄した。要するに毛利が西進しないのであれば、九州の玄関口を抑えることは認めたのである。

 

九州方面での戦線は大友家有利だったが、一進一退であった。

そこで毛利家は主君筋であり名門の大内家に関する権益として血縁に取り込む許可と、明との貿易権や将軍のお墨付きを得て尼子家を攻める許可を得たのである。義秋の鞆入りはその一環であり、地方の一国人まで落ちていた毛利家は……豪族に返り咲くどころか、大内家の後継者として中国地方に覇を唱えることに成ったのである。

 

「これで西は収まると思うが、念のためにそなたを但馬に送る」

「既に丹後と但馬の諸将は幕府の威光に頭を垂れておる」

「じゃが確実と言う訳では無いし、尼子を挟んだ方が毛利も助かろう」

「但馬から因幡を伺って欲しいが、無理に落とす必要はない。尼子家の心胆寒からしめ、山名家を助ければ十分じゃ」

 錦の御旗の効果なのか、最強軍団が怖いのか但馬までの諸将は味方に付いた。

元より山名家の凋落と尼子家の隆盛が原因であり、後ろ盾が強くなるならば、あえて敵対する必要はないとの判断であろう。その後の警戒に関しては一応必要なのだが……大街道を敷設することで、経済的にも進軍ペース的にも彼らが裏切ることはまず出来なくなったと言っても良かった。

 

そしてこの中途半端な命令は義輝にとっても重要である。

最強の駒である輝虎はあまり遠くには置かないことで、但馬の南にある播磨に居る管領の細川晴元も牽制できる。彼は既に左京大夫を世襲する地位に無く、その子供に管領を世襲させるコースを許可しないが必要以上に追い詰めないという事で話が付いていたのだ。とはいえ念押しは必要なので、但馬に輝虎が居ることが重要なのである。

 

「尼子に関してはあくまで毛利にやらせるゆえ、ゆるりとせよ」

「山陰の平穏を乱した罪のみを問えれば良い」

「因幡を山名が回復すればそれ以上は追わぬ。出雲と伯耆は許して置こうぞ」

(ラッキー。必要以上には戦わなくて良いって事だよね? 山陰地方でバカンスしよっと)

 毛利家は銀山のある石見は確実に落とすだろう。

その上で大内家が凋落する原因になった、出雲の月山富山城には攻めあぐねるはずだ。そこで調停を行い、尼子家を二国で抑えるのが義輝の策であった。毛利家と尼子家の戦いに決着がつけばどちらかが強くなり過ぎるので、適当なところで落としどころを用意していたのである。

 

もちろん鞆に義秋という生きている大義名分が居る。

そのまま備後から備中・備前へと進むであろうが、その辺りは考慮済みだ。三好家と睨み合うのを避ける為、播磨の手前あたりで止まると予想していたのだ。中国地方は毛利と尼子を両軸として、鞆将軍として残す場合は義秋の子孫を加えた三つ家系で安定させる。同時に畿内や九州・四国にも影響を程よく与える……というのが義輝の描いた統治図の全貌である。

 

(ただ強い将というだけならば弾正にも限界があろう)

(本領である越後も手を掛けた関東も危ういやもしれぬ)

(だが錦の御旗を授かり、向かう所で敵なしと有れば話は変わって来る)

(江戸が南蛮貿易港となって重きを増せば、北条も今川も迂闊には動けまい。唯一の例外は武田であるが……そうなれば大膳は弾正を助ける方向に行くであろう。無論、大膳が治部と出を組んで関東を目指すのであれば弾正に叩き潰させるだけの事よ)

 義輝は決して輝虎に過信はしていなかった。

その戦闘力は折り紙付きでも、所詮越後の田舎大名出身である。山内上杉家を継いだことで藤原氏の一門に数えられたが、貴族としては末流でしかない。従四位と正四位の幅を越える役には立ったが、そこが限界の家格なのだ。だからこそ亡くなられた後奈良上皇が清徳の御方であり、欲望を持たぬ輝虎を認めたことが僥倖であったと言える。

 

義輝や将軍家にとって輝虎は都合の良い存在であった。

一番足りぬ武力を持ち、豊富な金を有しているから手が掛からない。何より重要なのは野心を持たず、領地も官位もこちらから言い出さなければ欲しがらない事だ。それゆえに他の重臣たちとは軋轢を生まず(義輝から見れば貿易権の一つを預けたことで一色家にも配慮したと言える)、必要に成ったら関東管領として配置することで、いつでも遠ざけられるという意味で安心できる相手だったのだ。

 

それが錦の御旗を手に入れて無敵となったのだからまさに天祐であろう。

 

「これより但馬へ出立する準備を始める」

「山名家への要望などは無いが、生野銀山の銀は暫し留め置かれよ」

「この弾正の取り分を用いて、但馬までの街道を作り申す」

「また、朝廷よりご配慮のあった五畜の戒めを緩める権利がある。但馬にて大々的な畜産を行おうと思うゆえ、その費用にも銀を当てたいと思う」

 と言う訳で、但馬でバカンスしちゃいまーす!

みんな~。但馬と言えば何を思い浮かべる? 私は断然、但馬牛なのです! なのでせっかくもらった許可を使って、牛さん達をたくさん育てちゃうんだから!

 

そういえば神戸牛と但馬牛ってどっちが高級なんだっけ?

まあどっちも兵庫県だもん、美味しく育てちゃえばどっちも同じだよね。とりあえずはあちこちで育てたりとかはせずに、子牛を育てて数を増やし、次の生産地に出荷しないとね。育てるのはいろんな場所で試すとして、肉牛と乳牛を取り置きしても問題ないようにしないと! だって今の時代、牛って労働用で痩せてるんだよ!

 

「それと港を拡張して移動の便を良くし、荷受けに充てるつもりだが山名家はいかがか?」

「ありがたき申し出でござる。我が主も同様でしょうな」

「では御屋形様。そのように手配いたしまする」

 この話に但馬からやって来た山名さんちの偉い人は納得顔だった。

なんだか偉そうだと思ったけど、この人というか山名さんちは本家がまだ残ってるんだって。一色さんちは本家が没落して親戚の人が変わったって経緯があるけど、本家が無事だって事はこの重臣さんも親戚筋の偉い人なのかな? よくわかんないので出来るだけ無礼にはしないでおこっと。

 

「さて、半兵衛。但馬行きについてなんぞ思う事はあるか?」

「まず……但馬の銀は但馬で使用し、反感を避ける策であると思われます」

「御屋形様は特に金策に困っておりませぬ。他方、山名様は銀が生命線」

「諸将を繋ぎ留める分と武威は我らで何とかなるとしても、目の前で運び出されれば不安も募りましょう。また街道と港が拡充されることは山名家にも利がある事ですから断るはずがありませぬ」

 小姓は何人かいるんだけど、双璧が竹中半兵衛くん。

特に何か説明しなくても、今までの延長上の話は直ぐに思い付くし、他の子の前で説明することで委員長役をやってくれる。もちろん他の事も出来るんだけど、もう一人の子が積極案を出すので、どちらかといえば慎重な案を出す方を重視してるみたいね。

 

「源五郎は何を思う?」

「兵や兵糧があとから幾らでも送られてくる保証でもありまする」

「これで我らを切ろうと思えぬでしょうし、因幡を見据えれば殊更」

「むしろ積極的に御当家に取り入り、弾正様の御出馬はともかく、援軍と兵糧を強請ることになりましょう。少なくとも因幡の諸将にはそう説明するかと」

 双璧のもう一人は後の真田昌幸くんで、正式に上杉入りしました。

二人のお兄さんたちはお晴さんの所に居るし戦力とか連れてないので、よくある家を半分に割って生き残るというよりは、三人目で役職が無いからこっちに就職って事なのかな? 長男が家を継いで、次男が武田家で武将やる感じなんだと思う。昌幸くんがこっちで有力武将に成ったら、実家に仕送りできるしね。

 

とりあえず意見としての差は、こっちは攻撃的な感じがする。

半兵衛くんがみんなに判り易く情報共有する為だとしたら、昌幸くんはどんな風に利用できるかを真っ先に考えて提案してみる感じで役割分担してるんだろうね。高校生にもなってない年齢なのにどっちも凄いなあ。

 

「よろしい。では次に取るべき方策についてなんぞ語って見せよ」

「面白ければそなたらの案を交えても良い」

「とはいえ何の目標も無ければ思案もできまいか」

「輝虎ならば、京の都で起きたことを手に取る様に目指すかのう」

 せっかくなので彼らの意見を聞いてみるね。

良い案があれば採用しちゃう。その方が彼らの励みになるし……なんというか私もそんなに思いつく方じゃないからね。だからこういう感じで偶に意見交換会をやるんだよ。もっとも小姓の中で意見が出るのは稀で、大抵は双璧の二人が案を出して、次回までにみんなで修正案を出してくる感じなんだけどさ。

 

あ、ちなみに京都の情報が欲しいのは本当です。

バカンスするのは当然なんだけど、田舎に行ったら退屈だもんね。インターネットなんか存在しないので、アンテナは張り巡らせとかないと退屈なのです!

 

「京での出来事を……それは色々と利用できますな。半兵衛はどう考える?」

「唐沢様がされている符丁の普及はどうかな?」

「あれなら難しくないし狼煙より安全だよ。送れる情報が限られちゃうけどね」

「明では『駅』に馬を繋ぎ情報の伝達に余念がなかったと聞くな。その範囲の何処か……悪くない。戦や要人の死など緊急の要件と、平穏無事などの常の状態が判るだけでも良いはずだ。後は早飛脚や馬で良いか」

 二人の考え方はある程度一致してるけど、やっぱりまとめ方が違うんだよね。

昌幸くんは自分で考えてその先をドンドン改良しようとするし、半兵衛くんはみんなが判る様にみんなが思いついても途中で話せるようにタイミングを切ってるの。だけど昌幸くんはさらにそこから話を進めちゃうので、みんなは付いて行けないのよね~。

 

「ちょっと待ってね。絵にしてみる」

「その間に利用方法を拡充するか……」

「御屋形様。せっかくですので、距離を示す塚を立て兵が泊まれる空き地を作っては?」

「ふむ。それで早飛脚が何日後につくか、兵が到着するのは何時か判るな。せっかくなのだ宿にも使える兵舎も建て、兵糧も蓄えておけば良かろう。平時は余った物は腐る前に民草にでも施しておけば良い」

 昌幸くんは性格的に行軍を前提に考えたみたいね。

一里塚を作って、休憩所としての空き地を低予算で整備することを考えたみたい。ひとまず御金に困って無いし、全部整えた簡易宿泊所で良いんじゃないかな。

 

そんな話をすると、半兵衛くんが簡単な絵を描きあげてきた。

 

「御屋形様。簡易図が出来上がりました」

「ひとまず若狭・丹後・但馬を繋いだ道がこのようになります」

「間に入れた線は、先ほど源五郎が申した塚。そしてこちらが……」

「ふむ。符丁のみならば道のりに進む必要は無し。直線距離でつないだ必要だけの情報を送れば良いという場所じゃな? よくぞ思いついた」

 なんというか携帯のアンテナみたいな場所に塔を作るアイデアだね。

確かに『戦争が・起きた』『偉い人が・死んだ』『良い意味で・全く同じ』『悪い意味で・全く同じ』とか、そういう情報は確かに、棒を二本か三本で済むもん。私は現代知識があるから良いけど、半兵衛くんは今の間に修正したわけよ。すごいよねー。

 

「あ、ありがたき御言葉にございます……」

「御屋形様! この案を二段階に分けるのはいかがでしょうか?」

「駅を設け早馬を送る話は山名家に申しても構いませぬ。全ての情報を渡す必要はないかと!」

「ははは。判った判った。符丁で判る様な話を教えられても山名殿は困ろうしな。判ったから半兵衛に嫉妬するではないぞ源五郎。後は各々が見知った法術に関して考慮することで、改良していくくらいかの」

 そんな感じで色々とみんなでアイデアを出し合い、私たちは日々の退屈へ立ち向かう事になったのです。




 と言う訳でインターネットならぬ輝虎ネットが蔓延ります。
これからの情報はナウい方が良いんじゃよとかなんとか。
いずれ大魔術師とか生まれたらロケ-ト・オブジェクトやアポートを使って、いつもの場所に置いた情報誌を送るとかなるかもしれませんね。


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酒肴

 凄まじきは錦の御旗、あるいは銀の魔力か?

輝虎はその猛威をいかんなく奮い、若狭から但馬までの道を強引に開通させた。正確には事前調査で畑の移動に同意する村や、町の改良を許可する国人たちに首を縦に降らせてから現地入りしたのである。

 

そして山名家に何度目かの訪問をした際の事。輝虎は三つの進物を持って現れた。

一つは生野の銀を使った交易用の棒銀。一つは越前にやって来た中国船が置いて行った粗末な茶碗。最後の一つは最近になって可能になった色ガラスによる夜光杯である。

 

「山名殿。良いものが仕上がったのでこれをお渡ししたい」

「何故……このような物が……ここに……」

「なぜも何も山名殿が描かせた図案でしょうに。仕上がればお見せするのが妥当かと」

「いや、儂が……それがしが預けたのはつい先日の話で……」

 山名右衛門督祐豊は思わず二度見した。

棒銀は判る。三好修理大夫長慶が棒銀の形状を統一して交易をやり易くしたいと言ったからだ。同意して色々と注文を付けたのはこの間であるが、サンプルが有ったので調整自体は早かろう。茶器も事前に仕入れておけば簡単だ。しかし……ガラスの盃は絶対に無理だ、自分が『家紋を元にこのような図案を入れてくれ』と言ったのだ。それから十日も経過して居ない。

 

日本ではガラスの色は上手く出せなかった。

それを最新の窯と魔法による補正により、最近になって可能に成った技術だと聞く。ようやく始まった魔法学園での成果であり、但馬の砂を使った特産品はどうかと輝虎が熱心に勧めて来たのだ。祐豊は成り上がり者めがと対抗心を燃やして、肝いりで城下の絵師に具体的な例を描かせたばかりなのだ。どうしてそんなものが此処にあるのか?

 

「もしや一色殿に頼んで丹後にも工房を?」

「いえ? 窯をもそっと改良せなば、法術抜きには無理です」

「今のところは京の都でしか無理ですな」

「法術師が山ほど育ってあちこちに職務いたさば別ですが。ひとまず広げている最中の大街道を通して運ばせたのですよ」

 やがて祐豊は宙を見つめる猫の様になった。

人間、理解が及ばなくなった時、考えることを放棄する者がいる。図案をガラスに採用する方式は既にあった物としよう、躊躇なく試作……いや十器くらいまとめて焼いて、一番良い物を持って来たのだとしよう。だが、それらを三日ほどでやったとして……一週間で都と往復したというのだろうか? こんな割れ易い物を抱えて?

 

もしかして、城下の絵師は既に買収されている? あるいは一色義幸は既に輝虎の傘下に加わり、秘かに窯を作っていたのか? ああ、その場合は窯とやらに専念できるという魔法使いも必要だろう。

 

「せっかくです。これで酒宴でもいかがですかな?」

「憚りながらこの弾正、酒がことのほか好きでしてな」

「越後の清き澄み渡る酒のほか、色々と酒を用意させたのですよ」

「はは……ははは。それは結構ですな。儂も……いえ、それがしもお相伴に預からせていただきましょうかな」

 この辺りで祐豊の許容範囲を軽く超えた。

最初に会った時は運良く成功して将軍たちを味方につけただけの成り上がりかと思ったし、代価を大して要求しなかったときは金持ち風を吹かせやがって……と思った。大街道を速攻で作るために銀を積み上げたと言う時は、糞ったれな成金女郎だとすら思った。しかし、これは駄目だ。祐豊の理解を越えている。

 

どう考えても雑に見せつけられて居るソレは機密の結果にしか見えない。

もし寝室に天井まで金銀を積み上げたら城を譲ると言ったら、本当に人間よりも高く積み上げかねないところがある。もし浄土に行きたいので湯船に酒を満たしてくれと言ったら、嬉々としてやるだろうという確信があった。こういう人間を真面に相手にしてはいけない。どうにもならない存在は、敬して遠ざけよ。昔の人は良い事を言ったと祐豊は名門ゆえの知恵に感謝することにした。

 

 この時期の輝虎は見事にすることが無い。

頼まれたのは後詰であり、山名家の安全保障と発展性の担保でしかないのだ。抜け駆けするような性格では無いし、やったら大問題になるだろう。では何もしなかったかと言えばそうでもない。

 

転生者にとって退屈は天敵だからだ。

 

「おや。この地に温泉があるのは知っておりましたが、何時の間に」

「せっかく長逗留するのです。一から宿を拵えようかと思いましてな」

「露天の風呂とは別に、この東屋には足湯が用意してあるのです」

「さて。ゆるりと酒でも呑むとしましょう」

 まずは現代風の温泉宿である。防御? そんな物は要らない。

足湯に露天風呂に室内温泉と、至れり尽くせりやり過ぎの気配がある。もし輝虎が引き揚げたら祐豊も接収して保養地にするかもしれない。だが現時点でそんな事は微塵も匂わせたりしないのが歴戦の大名という者。『温泉ライフを邪魔する者には死を!』という気配を感じ取って大人しくしている。

 

それはそれとして、足湯と言う物はリラックスできて良いなと思う祐豊にも気になる事があった。もちろんテーブルの下ではしたなくしている輝虎のおみ足ではない。

 

「その、ところで……あの灯りはなんですかな?」

「ああ。あれは夜間行軍訓練ですよ。法術師の学び舎で予科の者にやらせております」

「本科は法術の腕を伸ばし、研究が本文。しかし、予科の者は武芸が本道です」

「長距離行軍訓練を行わせたり、夜間にも行っているのですよ。優秀な班には余禄もあります」

 遠目にポツリと浮かぶ夜間の灯火。

戦争の為の移動と言うにはあまりにも少なく、旅人と言うには夜に動くのは不自然であった。輝虎に聞いたところ魔法学校の生徒だという。どうやら生徒の一部を連れて来て、訓練しているらしい。

 

なお本科と予科は区分は簡単だ。

有力者の子弟やらが加護や能力値バランスの適性を見ながら、ジックリ自分に見合った魔法を覚えたり、将来は研究性となるのが本科。商人やら名前を挙げた傭兵が自分の役に立ちそうな魔法を、選んで集中的に覚えるために訪れるのが予科である。

 

「班と言う事は、個人単位ではないのですな」

「本科ならば数も少ないですが、予科は多いですからな」

「それに武家の子や大商人の息子などもおります」

「人を効率的に使い、あるいは使われる訓練を行うための集団行動と言えるでしょう。体を鍛える訓練であると同時に、少人数を率いらせたり、優秀者には大人数を率いらせるのです」

 当然ながら本科生はみな京都にいる。

陰陽師の他に貴族やら大名の子弟もおり、伸び伸びと魔法の腕を伸ばし、コネを結ぶためだけにいると言っても良い。極論を言えば、彼らは有用な魔法使いになるのが目的であり、後の世に良い魔法を伝えるのが役目でもあった。

 

逆に予科生の連中は戦うために居る者たちだ。

最新式の訓練として行軍訓練を行い、自分が覚えたい魔法の授業にだけ顔を出している。中には燈明持ちも覚えて居る持続光や、水作成・着火といった日常でも便利な呪文だけ1つか2つ覚えたら、後は卒業と言う者も少なくは無かった。但馬くんだりまで連れ出しても、全く問題はないと言えるだろう。

 

「しかし歩くだけで訓練になるので?」

「歩くのは泳ぐのと並んで全身を鍛えることができるのですよ」

「長距離行軍訓練では十里を歩くだけですが……」

「夜間行軍訓練では一里から二里の過程で幾つかの案件を果たさせます。間者ではないので、あくまで落ち着いて考えられるか……の課題になりますかな。半兵衛と源五郎、そなたらも考案した課題を持って参れ」

 輝虎は一分野につき一チートしか導入する気はない。

なので国策は街道、軍事に関しては常備兵である。その一環として導入する訓練なので、基本的には歩くことだけしかやらせてなかったと言える。歩くことが全身運動だというのは、丁度良い言い訳でもあった。

 

なお、長距離行軍訓練は30kmを歩くだけだが様々なバリエーションがある。

可能な限り急いでも一人も脱落者を出さぬ訓練、逆に可能な限り疲れぬ訓練、ゆっくり歩くだけだか整列して綺麗に動く訓練、別動隊と時間を図って合流する訓練などがある。基本的には面倒くさがりだが退屈を持て余した輝虎が飽きない様に色々と工夫が凝らされていた。

 

「失礼いたしまする。此処に酒と酒肴を用意いたしました」

「酒は三種、酒肴は七種ありまするが全て風味が違うのです」

「そこで一晩に三か所で酒宴を開くとして、程よい塩梅にご賞味ください」

「ふむ。将としてどう見切るか、どこで消費するか、念の為に備えるかと言ったところかのう? むむ……これは悩むわい」

 半兵衛が持って来たのは大き目の盆である。

布を取ると清酒・どぶろく・蒸留酒とあり、酒肴も干した魚や貝柱の他、焼いた物に酢で和えた物などが色々とあった。祐豊は特にチャレンジする必要などないのだが、酒宴に酒とあって笑いながら吟味していく。

 

「当然、酒の肴は足の早い物が最初じゃな。干した物は逆となるか」

「清み澄み渡る酒はここぞと言うべき場所で呑むべきじゃろう」

「呑むべき順番は簡単じゃの。最初にいつもの酒、途中の名所で清き酒。この荒き酒は気付けに使うとして、不要であれば最後に飲んでしまえば良い。となれば残りの肴も必然的にこうなるか」

 所詮はお遊びなので酒が入った頭でもクリア可能だ。

祐豊は頭の体操として、何度か試す試験問題の一つを攻略した。回答までの時間制限があったり、酒肴に布が被せられて難しくなるのだが、ひとまずはこんな物であろう。そんな訓練に何の意味か……については半兵衛は語らない。ここで培われるのは、魔法学園の予科で自分の部隊に何の魔法があれば便利なのかを学ぶ訓練でもあるからだ。行く先々を考えるための第一歩である。

 

「まだ早いとは思いまするが、次は定番の肴をお持ちいたしました」

「この地図と共に読み解きながら退屈を紛らわせてください」

「ほう……これは但馬の地図じゃな。そして、何処で何が獲れるかか」

「しかし肴の方は戦勝と引っかけた験担ぎのモノが多いが……幾らか欠けておるのう。しかし、地図には載っておる……。おう! そうか、これは足らぬモノを集めさせる遊びじゃな」

 最初の試験をクリアして、暇に成った所で源五郎が『次』を用意した。

盆に乗って居るのは干したアワビに昆布などの酒肴である。これらは出陣に際し、『敵に打ち勝ち、喜ぶ』という言葉に引っかけた物である。他にも塩や味噌が乗せられているが、中央にある膳としては『栗』がかけており、地図の方には但馬で栗が採れる場所が記載してあるのだ。

 

祐豊は見事正解であろうと上機嫌だが、源五郎は微笑むだけである。

実際には出先で補充可能な薪やら買い付けた米・味噌などがあると仮定して、調達できない物をみんなで運んで食事したりする。要するにそれらの計画性を見る訓練である。もし足らない物があればどうするか? あるいは……何を省けば、他の物を用意できるかの思考テストである。

 

「しかし弾正殿。将を鍛えることにはなろう」

「じゃが……別に法術の学び舎で教わる事でもないのでは?」

「ははは。鍛錬法自体はそうですな。ではここで座興を一つ」

「源五郎、そこの松明を。半兵衛はその後じゃ」

 祐豊は愚かではないので酒が入って居てもその程度の事は判る。

特に輝虎に隠す様子が無いため、思い切って聞いてみることにした。もしかしなくても、酒が入って気が大きく成った為だろう。せっかくの先祖の入れ知恵も、酔っ払い始めては意味をなさない。まあこの当時の酒は甘くてアルコール分が低いのに、輝虎が持ち込んだ酒を吞んだらこうなるよね……という良い例であった。

 

もし祐豊が女子大生で、輝虎がヤリサーのチャラ男だったら大変なことになったかもしれない。まあ輝虎なら女を放っておいて酒呑んでそうな気もするけどね。

 

「では、仕りまする。さん……に……いち」

「暗幕よ!」

「光よ!」

「お……おお!?」

 源五郎は暗幕という、闇の呪文を改良したものを唱えた。

松明が消えて暗闇なった所で、半兵衛がテーブルの上に持続光の呪文を唱える。するとテーブルの周囲だけが明るく輝き、急に訪れた闇の恐怖は消え去っていく。そして周囲が暗いからこそ……足湯の暖かさが身に染みるではないか。

 

「この夜光盃をご覧あれ。実に見事ではないですか」

「た……確かに。幽玄とは違いまするが、光り輝く姿も見事ですな」

「さて。余興を愉しんでいただけたところで、弾正からも問いが」

「二人の用意した問い。あれらをこなしていくと仮定して……、どんな法術があれば楽になりまするかな? そして小姓の一人・二人だけではなく、どれほど居れば行軍そのものが楽になりまするでしょうか?」

 明かりを消し、闇を呼び込んだのは呪文に対して想起させる為である。

持続光の呪文があれば夜間行軍がグっと楽になるし、水作成であったり着火の呪文も同様だ。もし夜間での遭遇戦を考えるならば暗視の呪文があれば自分たちだけが有利になるだろう。もし闇や静寂の呪文もあれば奇襲攻撃だって可能かもしれない。

 

そして一人・二人ではなく何十人も居たらどうだろうか?

それこそ三百~五百程度の小部隊を好き勝手に動かせるだろう。砦へ救援へ行くとして、夜間を徹して行軍を行い、しかも水の補給なども要らないので食料だけ持って行けば良い。それこそ魔力の限界まで水作成の呪文を使えば、砦に籠る兵士たちは何カ月でも戦い抜けるだろう。もちろん奇襲して、敵部隊の後方を突くなんてとても簡単なのだ。

 

それら軍事的に有利となれる貴重な情報。

輝虎が平然と口にして隠しもしなかった時……。そこに捕食者が居る事を思い出した。キュアポイズンの呪文ををかけてもらったわけでもないのに、すっかり酔いが醒めて胃が痛むのを感じる祐豊であった。まあ塩とか味噌を舐めながらアルコールをカパカパ呑む輝虎の方がおかしいんだけどね。




 とりあえず京都では魔法学園が動き出しました。
研究成果としてレジストファイアーを掛けた窯が動き出します。
色ガラスとか鋼鉄が作れるのですが、輝虎ちゃんにはガラスコップ!

『本科生』
 加護やら能力適性を調べ、様々な呪文系統がある事を学ぶために通う。
各種魔法の中で自分が何を得意としているかを見定めてから学習する。
基本的には寺に放り込まれていたお偉いさんの子弟が、じっくり学ぶ。
現在はただのデータサンプルであるが、将来的には研究性になる予定。

例えば解毒の呪文を鉱物毒・植物毒・動物毒に分割できるかを研究。
次に呪文を簡単にするのか、専門化で効きを良くするか議論したりする。

『予科性』
 必要な呪文を覚えることを前提に、習得を効率的に行うために通う。
燈明持ちなら「持続光」一直線で、拡大魔法による強化範囲のみを習う。
もちろん兵士として雇われる場合や、街中で幾ら稼げるかも習いはする。
しかし本科の様に加護やら適性能力なんかどうでも良いと考える人たち。

武将の子弟なら戦力に期待される者で、強化呪文や付与呪文を習得する。
その時に体力が高ければ闘気魔法のオーラパワーを覚えるように教えられ
知恵が高いならば物質操作系のエンチャント、知覚力ならば精霊系を指導されヒートウエポンを習う程度。
ただし脳筋の闘気魔法でオーラを学ぶものはともかく、精霊魔法などは水作成などを覚えられるので、お勧めされる事も無くはないとか。


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宅急道

 但馬は安定し、山名家が因幡に持つ分家へ支援を強めた。

これは輝虎が協力的である事や、周辺の大名が但馬を攻めようと様子を伺わなくなったことが影響している。山名本家も総力を挙げて分家の支援を始めたというところだ。

 

史実よりも押されて滅亡寸前だった山名家は勢力を盛り返しつつあった。

 

「何かあったと駆けつけてみれば……荷車に積んであるのは塩漬けの魚か?」

「左様です。手が空いた者の訓練も兼ねて増産を手伝い始めたのですが……」

「これまでの荷車が耐えられなくなったとか。古びておるわけでもないことに注目いたしまして」

「軍務に使う大荷駄ですが、この機に良き物をと思いました」

 暇を持て余した輝虎は、近くにある港の一つに駆けつけた。

大型化しつつある荷受け港ではなく、塩を作ったり魚を取って居る漁港側である。そこでは優良な塩ではないが、魚を漬けこ込む為にそれなりの塩を作っていたのだ。この時代の塩は延々と海水を一部の砂浜にぶっかけて、乾いて濃くなった砂を煮詰めて作る物なのだが……それに協力したのが手隙の予科生たちである。

 

この重労働で体を鍛えつつ、火系や水系の呪文を使える者が協力することで効率とコストを上昇させたという。いずれ彼らが去った後、どうするかは山名家次第であろう。

 

「私の許可を取るという事は、鋼でも使うのか?」

「それもありますが、まずは大きさの統一を図ろうかと思いまして」

「修理大夫様が棒銀の規格化とやらをされたのを参考にいたしました」

「大荷駄の大きさと、上に載せる荷を合わせれば楽になるかと思うたのです。輸送に関しても、いかほど倉に蓄えておるかも素早く計算できますので」

 今回の発案は事務方のトップである直江蔵人実綱である。

彼は小姓の中でも双璧である竹中半兵衛や真田源五郎らと相談して、日ごろにどんな話が飛び交っているとか、どのような相談事が起きているかを先に確認した。事務方のトップとはいえ大名同士の会話に必ずしも同席出来ないし、魔法学園などから色々な工夫が提案されて居ても、事務方の方まで滅多に回ってこないからだ。

 

そして輝虎は実力主義というか、身分に頓着の無い転生者だ。

良い提案ならば許可は出すが、その許可を何処かに持ち込んだりまでは協力したりはしない。それは提案を通した本人が努力すべきであると同時に、輝虎は面倒事が嫌いだからだ。越後時代どころか今でも政務の殆どを丸投げしているのに、必要も無いのに取次ぎなどをするはずも無かった。

 

「良かろう。上方や越後との話は請け負っても良い」

「ひとまず大荷駄用に荷車を何例か作り、大きさや形状を思案してみよ」

「ただ戦場に持ち込むことが多いのも確か。大街道のみを基にしてはいかんぞ」

「はっ。しかと承知しております」

 ちなみに荷物運びは小荷駄といって、人や駄馬が担いで移動する。

大荷駄は『小荷駄以上』という怪しい分類であり、荷車を使ったり大八車のような物を使ったりと特に基準は無い。実綱はこれに統一規格を持ち込むことで、運搬量を安定化させて発送量の把握を行おうとしたのである。この辺りは輝虎が精鋭のみを率いることで、幾らでも行軍する苦労に悩まされた末の思案であったという。

 

「おお、せっかくなので荷車以外に網代車か何かも頼む」

「と、言いますと? 誰ぞを運んで来る為ですかな?」

「そうだ。こちらを見学したいという将もおれば、研鑽したい本科生もおろう」

「牛ではなく馬で引く網代車があれば、輿に乗るよりもよほど早かろうよ。大名として参るならば格式も必要であろうが、秘かに会談を行うのであれば誰であるのか判らぬ方が良かろうて」

 要するに馬車が欲しいと輝虎は思い付きを述べた。

寝台列車や夜行バスの代わりに用意して置けば、寝ている間に京~但馬間を往復可能である。なんというか雨の時に濡れて移動するのが嫌なのと、本科生の中で有用な魔法……例えばマジカルエブタイドで水位を下げる魔法が欲しい時に呼んで来れるからだ。そうなれば架橋とか桟橋を作る時だけ居てくれれば、五日後には別の工事現場で働ける出張生活が可能である。移動だけに数日費やす日々を、ブラック労働と呼ぶかは不明と言っておこう。

 

 暫くして輝虎はしがない漁村に呼びつけられた。

戦国屈指の大大名を呼びつけるとは良い度胸だが、機密事項だと言われては仕方がない。ひとまず今夜は海鮮鍋だと心に決めて、とある村を訪れたのだが……。

 

むくつけき男たちが巨大な歯車を回転させる地獄絵図が待っていたのだ。

 

「用水路で海の水を引き込むのは判る」

「水車を回して引き開けるのもな。……で、アレはなんだ?」

「小屋の上まで海水を引き上げる作業にございます。いずれ魔法で何とかしたいとのことで」

「中は非常に乾燥させており、通常の何倍もの速さで海水が乾きまする」

 最初は全部バケツリレーで、集めた砂も同様であったとか。

それらを短縮するためにこうなったというのが全ての顛末である。砂は全て小屋の中であり、煮込む作業も同時にそこで行っているとか。その炎も無駄にはできぬと、小屋を乾燥させることを思いついたそうな。海水の運搬と砂の運搬を大幅に短縮し、乾燥時間も短縮したので、これまで以上の塩の増産が可能に成った瞬間である。もちろんポンプなんか輝虎が覚えていないせいである。

 

「見せたい物は判った。荷車に関しても試作したのであろ?」

「だが、それだけではこの輝虎を呼びつけるとも思えぬ」

「他に見せたいモノがあり、何やら機密が関わると思うのじゃが……」

「はっ。まずはこの施設を考案した本科生の方をご紹介したいと思います」

 こういってはなんだが、暇であっても輝虎は正四位下の弾正大弼である。

一昔前は田舎マイナー大名であったとしても、呼びつけるには十分な理由があるはずなのだ。前回の様に暇をしているから、事故現場を見に来たと言う訳ではないのだから。

 

その事に恐縮しつつも、実綱が輝虎を呼んだのには当然意味があった。

そして魔法学園の学生に対して、『この方』と呼ぶのだから、そこにはある種の理由が付属するだろう。もちろんその人物が貴族を兼ねているならば呼びつける筈はないので、もう少し下の格ではあるのだろうが……。

 

「こちらの方が考案されたのですが……」

「御足労、並びに御目通り感謝申し上げます」

「間を省く為に、失礼を承知で要件を述べさせていただきますね。よろしいでしょうか?」

「面倒を避けるためならば致し方なし。いかなる女傑か、お教え願えれば幸いですな」

 紹介されたのは、いずこかの家中の女子であった。

この世界では加護や魔法の素質の問題で、史実の武将が死んだり、逆に女性でも武将になる事が出来る。そして何より、魔法学園は武芸よりも魔法で身を立てる者が入学したり、寺の代わりに文物を学ぶために訪れるのだ。何処か名門の子女が紛れ込んでいてもおかしくはない。

 

その上で、実綱が配慮するという事は京に関わる重要人物の子弟か、さもなければ北陸方面の誰かであろう。

 

「家門としては、能登畠山家の係累に属しております」

「御存じかどうかは判りませんが、能登では塩の銘品を扱っております」

「その縁もありまして、この度の本科生を呼ばれた件で、私が名乗りを上げたという流れになりましょうか」

「ああ、なるほど。そういう事でしたら『大枠』は納得できますな」

 北の塩を扱うのは能登商人たちである。

越後にも訪れて商いを行い、そこから枝別れする様に大街道を利用して売りさばいていた。特に信濃や上野への利が高いと聞いたことはある。能登畠山家に所属する者であれば塩の流通を知り、その増産に関心があっても不思議では無かった。そして機密が関わるというならば、ここで得た知見を機密として管理したいという事なのだろうと『一応』は納得したのである。

 

問題はその程度の要件であれば、実綱経由でも良いのだ。

実綱が何処かのタイミングで機密にすることを提案するか、急ぐ場合でも、源五郎なり半兵衛経由で囁かせれば済む話であろう。『他』に何かあるのか想像させるではないか。

 

「それで、輝虎は何をすればよろしいか?」

「……わたくし、何年かして家に戻り、家中のいずれか、あるいは……」

「なるほど。そのまま嫁入りするか、いったん養子として大名家に嫁ぐと?」

「左様です。ですが、法術師としてどこまでやれるかを知りたい、何かが為せるのではないかと思ってしまったのです」

 箔をつけると同時に、コネを結んだ誰かが気に入れば大名家に嫁がせる。

そのつもりで魔法学園に入学させられたという訳だ。他にも似たような女子は居るし、男子も含めた子弟の中にはそれ以外に役目を持って居ない者も多かったと言って良い。寺に預けるよりは、中央とつながりを作る方が良いと送り込まれたのだろう。

 

それはそれとして、女子でも名を挙げられる世界である。

そして自らに才能やら才覚があると知ってしまった以上は、ただの嫁入り道具として魔法を覚えるのが惜しいというのも確かであろう。もし男子であれば剣術一本で食おうと飛び出す者も居るくらいなのだ。遠慮しているのもあくまで『嫁入りを前提』として大事に扱われた影響だろう。

 

「よろしい。いずれ常備軍の第三軍に席を用意しよう」

「柳生の様に剣で名前を挙げて士官する国人の子弟も居る」

「そなたが法術で名前を挙げても悪くは無かろうて」

「そうさな。現時点で百貫文、他にも案があり向上できるならば二百貫を最低でも保証する。もちろんその知見を何処かに伝える際には、そなたに相談することにしよう」

 働く女子に憧れる者は何時の時代でも居る者だ。

これが武芸や軍略で兵の命を扱うならば止めるところだが、これから魔法学園を担う秀才と言うのであれば留め置いて問題ないだろう。ダイナミックな青田刈りであるが、魔法学園が動き出して初年度から雇うと決めれば、奮起して彼女に続く者も出来やもしれない。

 

「そこまでいたさば、芽が相当にあると思うであろう」

「あるいはこの輝虎や周りの者と縁が繋げるやもしれぬ」

「そう思うて畠山殿も配慮致すであろうし、少なくともそなたの方が選べるであろうよ」

「ありがとうございます! この上は、更なる案を練り上げて貢献いたしますね!」

 なお、この提案が良かったのか彼女は更なる奮起をする事になった。

同じ乾燥させるならば、伐ったばかりの薪も乾燥させようとそちらでも魔法を使用する為の小屋を作っている途中の事。薪を竹に出来ないかとか、そもそも竹細工の出来損ないを砂の代わりに用いて、ソレをに詰めることで砂よりも早く乾かす方法を思いついたそうである。

 

もっとも思い付きが全て利用できたという訳でもない。輝虎が以前に忍者に尋ねた『水を操り、水上歩行で城壁を越えられるか?』というアイデアを聞いたことで、水を操る魔法を使えば男たちの労働が減るのではないかと考案したのだが……人員の貴重さ的に、労働力の方が安価だと却下されてガッカリきたという顛末が記されることになるとか。知識チートを狙う現代人にありがちなことは、現地人でもありえるという教訓であろう。

 

 陽が少しずつ陰っていくが、塩作りの話はあくまで前置きに過ぎない。

戦国大名としての輝虎の見分は、むしろここからであろう。一同の前に馬で引き出されて来たのは網代車と荷車二台になる。網代車の中には敷物が多層に成っており、荷車の上には軽鎧と食料がそれぞれ積んであった。

 

網代車の方が大きくほぼ木製、荷車は車軸に鋼が使っているがやや小さめになっているというところか?

 

「御支持の通り網代車の方は仰臥位または側臥位して移動が可能です」

「脇息と枕を下に置き、その上からさらに布を敷いております」

「これらの面で貴人の方を長距離運んでも全く問題ない造りになっておるかと」

「問題点としてはあくまで一人一台、護衛は御者を兼ねた者が一人しか同乗できませぬ」

 輝虎の要望により網代車の方はリクライニングした寝台車である。

本来ならば女房やら舎人こみで数人が乗る場所に、エライ人が寝ながら移動するという贅沢な造りだ。強引な力技を用いることによりサスペンションなしで揺れを治めるという造りになっていたと言えよう。なお、この車の登場に最も喜んだのは将軍である足利義輝ではなく……フットワークの軽い関白の近衛晴嗣であったとか。

 

後にこの車は金を積んで更なる加工が施される。

中国から輸入した木綿の布を敷き詰め、専用に煙が出難くなった炭を火鉢に入れて暖房を兼ね備えた旅行用になったという事である。

 

「荷車の方は大街道でなくともすれ違える大きさに揃えました」

「戦場での狭い道ではすれ違う場所すらない所もございます」

「代わりに車軸に許可を得ました鋼鉄を併用。滅多な事では折れませぬ」

「積載量も旗持ちや国人たちが着用する軽めの鎧を基準に計算しております。御下知があれば、いつどこなりと攻め入る事が出来るだけの物資を輸送できるでしょう」

 網代車が輝虎の我儘であるならば、この荷車は文官たちの希望である。

面倒くさい後方業務を円滑にするには、これらの大荷駄隊の拡充は必須であった。もちろん戦場では大荷駄ではなく、足軽が背負って運ぶ小荷駄の方が主力となるのだが……。まあ、それは何処の軍隊でも同じなので、特に語ったりはしていない。

 

「よろしい。最後に例の者供は?」

「……現在、陰者を動員して余計な者がおらぬか確認しております」

「問題が無ければ、三番隊の中でも選りすぐりの百名が駆けつけましょうぞ」

「完了次第で良い。輝虎の都合に構う事は無いぞ」

 最後に用意されたのは『背負い子』であり、案内して来た者がクルリと後ろを向いた。

これは荷物を運搬するための装備だが、小荷駄用の物と違って頑丈かつ軽量に出来ている。乾燥させた木など高価な素材を吟味して作り上げた、L字の装備だ。リュックサックを補助して荷物を山ほど載せても疲れない道具と言った所か。

 

やがて夕日が沈む頃、哨戒活動を終えたのか、彼方から色の付いた明かりが灯る。

狼煙と同じような物だが、煙と違って遠距離からでは判らないのが難点か。それを補うために、数kmずつ離れた位置に同様の明かりが灯るではないか。

 

「ほう……この配置。街道を通らぬのじゃな」

「今回はあくまで戦場を意識したもの」

「距離を測るのであれば、江戸から但馬まで駆けて見せましょうが」

「さて、始まりますぞ」

 夜中にポツポツと灯る灯火は、まるで航空機のガイドビーコンの様だ。

実際には夜目に慣れた精鋭たちが赴くので不要だが、見分している輝虎たちには明かりがあった方が良かろう。そして目の前にいる作業者が背負い子に松明をホールドすると、彼方の方でも同様の動きがあった。

 

俄に明かりが増え、気が付いたらそれらは動き出していたのだ。

最初は一人・二人、三人・四人……五人……いや、十人か! 一塊になった明かりはそのまま夜の道を疾走していく。時々に上下左右に動くのは、飛び越えたり難しい場所を迂回したりするのだろう。

 

「退屈ではありませんかな?」

「我らが真骨頂はこれから」

「夜盗組……改め、目付方の脅威。とくと御覧あれ」

「おお!」

 彼らは当然ながら戦闘用の部隊ではない。

先行して敵偵察部隊を蹴散らし、あるいは浸透突破して敵後方地帯を狙う影の軍団であった。全員が韋駄天や猿飛に身体強化といった、初歩ながら有用な術を身に着けている。派手さはないが百名全員が可能という点で恐ろしい集団であると言えるだろう。

 

そしてこちらから合図を送ると、松明の動きが変化し始める。

先ほどまでは地形に合わせた移動であったが、ここからはデモンストレーション。夜間でも十分な指示と共に動けることを念頭に、十隊が右と左に別れ、そこから七対三であったり四対六など指示通りに変化する。そして最後にはバラバラになって交差したはずなのに、再び十人の集団が十組出来上がるという有様であった。

 

(ヒャー! まるで日体大の行進見てるみたい)

(戦国の東大は武田で、日体大は上杉とかゲームネタで見たことあったかも)

(あ、色が変化した。花火の要領かな……スゴーイ!)

(ん……もしかしてあの人たちが背負ってるのは土嚢かな? てっきり兵糧かと思っちゃった)

 輝虎が大人しく見ている間に、光のイルミネーションは最終段階を迎えた。

指示通りの行進を終えた後は、背負い子に載せた袋を次々に一か所で下ろし始めたのだ。乱雑に見えて規則正しく、そしてうず高く積み上がっていくではないか。

 

「はい!」

「「ハイ! ハイ!」」

「「「はいはいはい!」」」

 土嚢が山に成り、その脇で十人ほどが組体操。

十人の空になった背負い子の上に、五人が乗った。五人の上に三人が、三人の上に一人が乗っていく。最後の一人が登り切って終りかと思えば、一段目の十人の前に五人が並び、上に三人、一人と階段を作り上げていく。もちろん五人の前には三人が乗ったのだ。

 

そして今度は残りの者が土嚢を手渡し、先ほどの土嚢の上に綺麗に積み上げていったという。

 

「頭上から御無礼を申し上げます」

「おお、そなたか玄蕃。もしやそこから飛べるのか?」

「カカカ! 無論の事! でなければこのように綺麗には並べませぬわ」

「ですが弟子共も含めて、この程度の高さは問題ありませぬ」

 これが攻城戦に対する忍者たちの回答例であった。

城攻めに対して魔法を使った愉快な力攻めはないのかと尋ねたら、『そんな都合の良い物は無い』と返すのが当然である。だが『では全員が恵まれた環境で術を覚えたらどうだ?』と言われて、『そうか我らは陰でなくとも良いのか』と、表芸の範疇で考え抜いた攻城戦である。

 

誰よりも情報を重視し、誰よりも準備を重視し、兵が居なくなった城へと百名で駆けつける。そして百名で即席の梯子を作り、ゆうゆうと壁を登って場内に進入するのである。

 

「さて。この始末は兵の方々にしていただきましょうぞ」

「代わりに玄蕃は別の物を戴いて行きまする!」

「では、雇用の教授料! 確かに頂きましたぞ!」

「なんと! 兵糧が……何時の間に!」

 組体操を終えて土嚢だけが積み上がっていた。

代わりに荷車に載せていた兵糧が消え去り、鎧の方はともかくもう一つの方がガランとして寂しげに見えた。おそらくはド派手な組体操に夢中になっている間に、残らず持ち去ったのであろう。

 

そしてこの事は何種類の作戦へと波及を思案できるということだ。

自分達の食料を持ち込めば、何処まででも浸透突破で抜けていける。敵の兵糧を持ち去り、あるいは火を点ければ籠城戦どころか通常の戦いも出来なくなるだろう。百名全員が薪やら油を持ち込めば、城下であろうと城門であろうと焼き払えるであろう。

 

「あっぱれ! 見事、これほどの武を練り上げた!」

「いえ。これも御屋形様が彼ら忍びを優遇したからですぞ」

「他所から赤子を買い上げ、あるいは才ある子を攫って育てておる里もあったとか」

「しかし高額の俸給で雇い入れ、法術師の学び舎で教授できる環境が整ったからこそであります」

 NINJYA! に妙な幻想を抱いて居る輝虎に転生した女は彼らを平等に扱った。

あくまで常備兵の一部として雇い入れ、国人の子弟たちと同じようの高額の報酬を払ったのである。そして漫画の様に忍者にも学校に通う事を許したことで、誰もが学べば最低限の事は身に付くと、常備兵の一環として活躍する未来を見せたのだ。ならば彼らが環境に合わせて行くのも当然であっただろう。

 

こうして夜盗と呼ばれた彼らは、いつしか周囲を見張る目付方と呼ばれるようになったという。




 超人墓場とか漢塾名物的なノリで塩を作成。とはいえ生産チートしないので丸投げ……。
そんな流れが見えたので、過信が気を利かせて畠山の縁者を呼んだ感じ。
この女性は輝虎の愛人(?)と誤解されつつ、後に北条高広に嫁ぎます。

『乾燥』
 火ではなく水の呪文。肉体から脱水して攻撃する呪文の派生形。
周辺の蒸気が減り易い空間を作り、その空間に数分間留まった場合はダメージを受ける。
しかし、今回は塩を作り、薪を作るために大活躍する。

『網代車EX』
 ガッシリした造りになったほか、絨毯方式で敷物を利用する。
このことでサスペンションとか板バネとか無しでもエライ人が利用可能。
なお、この時代の木綿は輸入の高級品なので、一台に御金がむっちゃ掛かる。

『大荷駄/雄型荷車・雌型荷車』
 軍隊用の大荷駄としてガッシリした共通規格が誕生した。
この事により輝虎は欲しいだけの兵糧を申請し、旅程を決めれば何処までも行けるようになった。
ちなみに一般販売したものの、より大型で安価な雌型の方がベストセラーになったそうな。解せぬ。

『背負い子Hardタイプ』
 軍隊の蛮用に耐える他、忍者が攻城用の道具としても使えるようになっている。
後にスコップが第二軍で発明されると、この背負い子を立てにしてスコップで戦うツワモノが登場するそうな。

『夜盗組改め、目付方』
 初歩の魔法のみながら全員が共通して習得している。
「城を簡単に落とす方なーい?」と聞かれたので「ねーよ!」と答えたら
「じゃあ学校で色々覚えて見ない?」と言われて「忍者如きが学校に行ける!?」と一念発起したそうな。
自転車並みの移動力で敵地へ進軍し、シャッター付きランタンの開閉で連絡を取り合い、隙だらけの後方へ侵入。
後にルイス・フロイスが「一度の戦いの裏で十の城を落とした」と真実を記述したのだが、ガスパル・ヴィレラ以上に信用のおけない彼の事、ただの誤字だとみなされて本国からは無視されたそうな。


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戦わない為の戦闘準備

 ある日、馬車タイプの網代車を使った連絡網が作られることになった。

ハブとなる拠点が越後なのが微妙だが、それは輝虎主体で始める以上は仕方がない事だ。一応は京との往復を目的にしているが、テスト期間中は但馬になる。これは治安の問題で都に直通できないのと、暇を持てあました輝虎が情報を欲しているからである。

 

では、なんでこんなことを始めたかと言うと複雑どころか馬鹿馬鹿しい事情がある。

 

「まさか格落ちした者の中で身を持ち崩した者が出ようとはな」

「大抵は郷里に戻って錦を飾るなり、どこぞに士官すると思うていたのだが」

「なんぞ聞いておるか景持? 聞いておるなら構わぬから話せ」

「御館様の精鋭として刀を振るう日々を送っていたのです。気位から言っても、俸禄から言ってもそう折り合う物ではありませぬ」

 輝虎は国元で詳しく調べて来た甘粕景持に確認をとった。

常備軍の第一軍はランキング方式である。最大千名を上限として、追い抜かされたものは格落ちすることになっていた。これまでその制度の問題が顕在化していなかったのは、国人たちの子弟が普通に強かったからである。身分制度がある世界では代々の食事による栄養累積で体格が違うし、余った時間に刀を振るって鍛えることができる。だからこれまでは入れ替わり式で落ちることは無かったのである。

 

だがしかし、都に来て名声が上がると立場が変わって来た。

将軍家の覚えめでたい最強軍団であり、よく聞いてみれば阿呆かと思う様な現金収入を貰っているのだ。浪人している連中や、腕に覚えのある剣術家や有用な加護持ちが目指さぬはずが無い。当然ながら格落ちが発生し、その全員が故郷に戻ったり何処かに士官出来るわけではないのだ。

 

「その点、此度の計画では腕前と馬術の経験が必要です」

「さらに都と府内を往復する巡検士とも言えますし、名誉と信用が両立しております」

「故郷に戻って部屋住みになるよりは、よほど遣り甲斐があるでしょう」

「まあ剣術以外に馬術を鍛えるようになっただけとも言えるしのう。気分は判らんでもないか」

 地方の人間は都に昇って見識を身に着け、故郷に戻れば箔が付く。

しかし有力な国人の子弟が全員そう扱われる訳では無いし、格落ちする者は何人も現れたのだ。上位に戻れると期待できる連中はまだ都に残ったり、戦争が起きれば空いたランクへ返り咲けるだろう。だが、明らかに二桁の差が出た者で、都の知識も文化も全く知らない者は、流石に兄のスペアでしかない部屋住みには戻り難いのだろう。

 

そう言った理由もあり、国人出身層のメンバー向けの仕事として馬車の護衛隊が組織されたのである。彼らは剣も槍も弓も出来るし、当然の様に馬術を覚えている。長距離を右往左往する苦労はあるが、遣り甲斐のある仕事として受け入れたのであった。もちろん信用と護衛としての格がないと貴人には付けられないので、輝虎たちも高禄を払っている。

 

「しかし越後や江戸との往復はともかく、信濃路や海道筋はそうもいくまい」

「その辺りは我らの成果を見て、武田や今川でも組織するかと」

「網代車そのものには、早速注文が入ってきております」

「領国ゆえに我らには立ち入るなと言っておりますが、治安が良くなり、都が近くなれば彼の家にも利益はありますゆえ」

 当たり前だが天下御免の越後勢に噛みつく山賊はいない。

ひとまず月一と決めた網代車のキャラバンや、それとは別に鍛錬を兼ねて行っている往復で大街道は安全に成ったという。定期的に設けた駅もあり、周囲では宿場町に商人たちも賑わっているそうだ。金さえ出せば商人も網代車に乗れるのだが、今のところは大商人以外は乗る馬車の余裕が無いという。

 

ちなみにこの計画に関心を示したのは意外にも武田大膳大輔晴信である。

港を何とか手に入れたものの、海そのものは隣接して居ない。そこで収益を増やし、街道や治水の件でアピールする為にも、上野から美濃を越える横ルートと、越後府内から駿河へ向かう縦のルート。この二つを整えて領国の安定を図ったという。これが史実には無い武田騎馬軍団の、この世界での始まりであるとか。

 

「そういう事ならば、大きな催しを行うとするか」

「江戸から府内を経由して、この但馬まで競争させよ」

「まずは馬のみで直通する試みを行う」

「それを繰り返して網代車で休ませる場合や、あるいは途中で流鏑馬などを披露させる。ただ撃つだけではなく、同じ場所に十も的を用意し、武者ならば十点で徒歩ならば一、間違えて女子供の的を当てたら減点とするのじゃ」

 調子に乗った輝虎は、ル・マンやら何やらを混ぜた企画を思いついた。

この無茶苦茶な提案に対し、家臣たちは実現に苦労するものの何とか計画に載せたという。だがその準備……特に長丁場では替えの馬が必要な当時である。四年か五年に一度の大会にしてくれと、輝虎に提案することになる。なお初代チャンピオンは国を追われた小笠原長時であったという。

 

 レースや寝台馬車の運営はただの趣味だが、馬車運営の全てが趣味ではない。

輝虎にも治安維持に利用しようとするちゃんとした考えがあり、ファンタジーに付き物の盗賊対策などもその一環だ。もちろんもっと重要で、日本の為になる試みも一応は計画しているのであった。

 

例えば貴人が越後や東国に移動して居ても、おかしくない状況である。

 

「景綱。必要も無いのに越後に下向したがる公家は減ったそうだな?」

「だが居なくなったわけでもないし、何名かずつ冬の前に連れて行くが良い」

「そして春を過ぎ雪がのうなったら京に戻すのだ。それで良ければ連れて行くと伝えよ」

「越後の冬の厳しさを教え、同時に逃れる事が可能であると示すのですな」

 直江実綱は長年の功績と、宮中への出入り込みで景の一文字を与えられた。

よって直江蔵人景綱という名前に成り、次席であった景持は同じ名前で名門ながら絶えていた甘粕家を継いでナンバー2として確かな格を与えられる。文官のトップ2の体制がここに固まったのである。普請の功績で昇進した斎藤修理大属朝信や留守居役の柿崎和泉守景家を含めて、いずれ四家老と呼ばれることになるだろう。

 

そして蔵人になったことで、彼は公家から無茶な頼みを聞くことが多くなった。

それが安定した越後へ亡命同然で下向し、安楽にそして裕福に暮らすことである。田舎である越後の格は上がるし、公家が多く住むことで北の京都と呼ばれるから良いだろう? と断り難い頼み方をされたのだ。もっとも輝虎が平穏を維持し献金を続けることでその数は減っていくのだが。

 

「そうだ。そのまま府内であろうと江戸であろうと気軽に赴けると周知する」

「大江山や生野の道は遠いとされるが、もはや近いのだと誰もが知るようにせよ」

「越後や東国が豊かになるだけではない。イザとなれば東の京として逃げ込めるようにしておく」

「さすれば京の街並みを焼き払い、将軍家や朝廷をどうにかしようとする者も減るであろう。実際に逃げ出す事はないであろうが、そう思えることは皆の平穏に繋がろうて」

 極論だが、臨時政府が安全地帯に移動できるとしたらどうだろう?

京都に攻め上って言う事を利かせようなんて連中は現れなくなるだろう。仮に三好家が二万か三万の兵力を率いたり、あるいは暗殺で将軍を殺したとしても、その労力に見合わなくなるのだ。足利義輝に弟はもう一人いるし、義秋と共にスペアが東西に居るならば何の問題も無くなる。

 

公家や側近も移動するとしたら、謀反を起こす意味自体が無くなると言えた。

これは以前に『将軍家が勢力を立て直すとしたら?』という問答で、東国や西国から再スタートを切る為のネタを考えた事に起因している。当時は義輝ではなく義藤であった頃にはそんな決断はしなかったし、まだ生きていた義晴も同意はしなかったのだが、その考えそのものが悪いと思った事は無い。

 

「実際に公家を連れて行くと、大内家が困ったように莫大な出費ですので良き思案かと」

「しかし、我らが囲い込むと懸念を抱かれませぬか? 実際に囲わぬのであれば……」

「計画だけなら別に我らの手持ちである必要もあるまい。他の大名にも用意を促そう」

「仮に東京計画として、第一候補は江戸。第二の東京候補は甲斐……は腸満の病があるか。信濃の松本あたりとして、第三東京は駿河なり箱根で良かろう」

 あくまで政府が逃げ出せる体制作りが必要なだけだ。

周囲がそう思うだけで十分であり、攻めるつもりのある大名から見て無駄になるリスクがあるから止めておこうと思えば良いのである。それゆえに大都市化計画が持ち上がっている場所を挙げてみた。

 

信濃では武田家が支配力を高めようと、史実で言う海津城の代わりに統治用の松本城を建てて居るとか。そして今川家の駿河は当然のことながら、領地が狭まった北条家でも防備用と経済発展を兼ねて箱根に町を拡充しているそうだ。越後ではなくこれらの都市であっても、計画自体には支障が無いように思われたのである。それこそ既に公家が多く在住する駿河などは、臨時政府が成り立っても問題ないように思われるのだから。

 

「景持。これらの計画に合わせて宿と駅に置く食料を少しずつ増やせ」

「廃棄前に民に配る食料が多くなる分には構わぬ」

「一朝、事あらば越後より三万の軍勢が即座に動ける体制もまた重要なのだ」

「ぬかりありまぬ。飛騨路には既に準備を始めておりますし、本願寺は快く受けております。畠山様や朝倉様に話が通らば、そちらにも用意する所存にございます」

 大街道各地に倉があり、そこに食糧が蓄えられ始めている。

平坦な場所ばかりではないが、以前よりもはるかに整備された道だ。馬車ほどではないが素早く移動することができるだろう。大荷駄により食糧輸送や軽鎧の輸送が簡便化したことにより、国元やら友好関係にある大名から食料が送られる準備体制ができつつあった。その一環として、移動途中で回収できるように各地の倉を拡充することにしたのである。

 

加賀の一向宗たちは当初、統治の仕方も知らずに困って居た。

そこで本願寺と友好関係を結んだ越後勢が助け舟を出し、早い段階で統治法やら開墾の方法を教授していたのだ。加賀を通る北陸路でも同様の備蓄が行われ、金は輝虎が供出し余る度に民衆へ振舞うという態勢が敷かれていたのである。この状況で彼らが輝虎を裏切るとも思えず、本願寺と敵対しない間は問題ないだろう。

 

「それは重畳。……例の計画は?」

「問題ありませぬ。僧房を用意して本願寺を含めた様々な寺に寄進いたしております」

「緊急の使者を派遣する場合、そこで法力による回復を行うことが可能かと」

「よし。各家にはこちらで話を通しておく。土産話を含めて少しずつ伝わる様にしておけ」

 連絡網としての駅の中に、一定距離で僧侶の宿坊を用意していた。

各地を巡礼して回ったりする場合に使ってくれと理由は付けているが、要するに魔力提供やら気力回復を行う場所である。韋駄天や身体強化の魔法で移動する場合に、そこに立ち寄ることで急行できるように改良したのである。もちろん夜間には暗視の魔法が使える者が選ばれるであろうし、夜を徹して一昼夜もあれば第一報くらいは届けられるだろう。

 

「後は朝信の報告か。賀茂川の改修は終わったのだな?」

「はっ。既に分線と蛇行は終わっております」

「夏の間に浚渫と土手を増すつもりですが、そちらは民衆たちが協力してくれるでしょう」

「どちらかと言えば、法術師の学び舎に拵えた水練場で問題が出まして……いえ、直接の問題ではないのですが……」

 普請の責任者である朝信は大属に昇進したこともあり、もっぱら京で動いていた。但馬への街道を通すだけならば他の者でも良いので、諸将やら公家の顔を見ながら陰陽師を交えて工事するのが任務であった。

 

「朝信が言いよどむとは珍しいな。何があった?」

「その……水練場が物珍しいらしく……」

「摂関家の方や裕福な下の家の方が我が屋敷にもと」

「京の都は水浴びをせねばならぬほどに暑くは無かったと思うがな。ひとまず陰陽寮を経由してもう一度頼ませよ。水辺を迂闊に弄るのはならぬとな。その上で、という話ならばどこぞに迎賓館でも立てるとしようか」

 魔法学園には鍛錬上の脱落用だけではなく、ちゃんとしたプールも用意している。

貴族の御庭にあるような浅い物ではなく、体を鍛えるために少なくとも水深1m以上は用意して、25m・50m・100mと段々型で川に面していたのだ。魔法使いの候補生である本科の者はあまり触らないが、予科生たちは体を鍛えるために泳ぐこともあるという。

 

そして朝信が困って居たのは、川で水浴びするのではなく、競泳込みで練習するプールが珍しいからだったという。京都は海辺ではないので、深くて広い水というものが珍しいのだろう。

 

(あーでも迎賓館かあ。西洋式とは言わないけど動き易い易い建物はどうかな)

(お庭は薔薇園とか葡萄園で南からの西向きの日当たりが良い感じで―)

(プールは南向きの一番暖かい場所に……作る感じ。あとはそこに流れ込む川かな)

(となると大きなお風呂を北向きに欲しいかも。何だったらサウナでも良いかなあ。場合によってはその蒸気を巡らせる、冬用の庭があっても良いかも。地下にパイプを巡らせて、一見地獄みたいな感じにするのさ)

 なお、この機に人生をエンジョイしようとする輝虎が居たという。

この迎賓館は後に南蛮人が協力することでガラス細工なども充実し、西洋様式を木造で再現した南蛮寺と呼ぶことになったという。




 と言う訳で未来に起きるである戦争対策です。

●サーキット・ライダー
失業した越後組の人たちを長距離バスの護衛にして簡単に往復可能に。
遠国に言った経験の近衛さん山科さんとかは「便利に成ったでおじゃる」とか言うかと。
前回出て来た夜盗組が走るのが得意な忍者向けならば、今回のは騎馬が得意な国人向けですね。
ちなみに国人たちは出身階層的にかなり恵まれてるので、真面目に訓練すればまずランキング内。成人時にはファイター2レベルとか当たり前の人たち。
しかし加護自体は誰もが持つものであり、極まれに戦闘面で役立つ籠の人も居ます。そういう人たちが真面目に訓練すると、ランキングで簡単に上に言っちゃう感じですね。これまでは大したことのない人数でしたが、都に行った事で甲子園常連校の球児が、超高校級とかプロ級の才能を見てしまった感じ。

●トーキョー・エグソダス計画
・いつでも脱出して東京(仮称)に臨時政府が作れる。
・いつでも越後から大軍団がやって来れる。
・いつでもスペアの将軍を立てることができる(別に今川でも良い)。
・ダミーの馬車自体は毎月一回キャラバンが構成されている。
 謀反を起こす常陸から見れば、悪夢のような計画。

●賀茂迎賓館
京都の北に作られた西洋建築に近い迎賓館。
屋根瓦とかは特になく、みんなただの砦であると思っていた。
しかし甲州葡萄を手に入れて植えていたり、サウナがあったり、プールがあったりとかなり無茶なつくりをしている。なお実際の見た目と事前申告よりもサイズが大きく、キャットウォークや隠し扉があってが忍者の人たちが平然とうろついているそうな。


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外伝。毛利家の野望と理想

 安芸の国北部、石州街道を見下ろす丘に喪服の女が佇んでいた。

普段は武将然とした姿をしているが、この日は女性としての姿をしているどころか、眉を剃り歯を黒く塗るなど公家めいた格好をしている。そんな女が街道を悠然と見下ろす姿はどこかチグハグであったという。

 

「元春か。何の用だ?」

「姉貴! 兵が足らん! 兵糧も金もだ!」

「尼子を叩き潰すには幾らあっても足りん! もっと送ってくれ!」

「その準備をしている。暫し待て。今送っても途中で食い潰されるだけだ。少なくとも国人たちはまるで足りぬ。いや最初から無かったのだと、そう主張するだろうな」

 毛利備中守隆元は弟である吉川元春の訪問を受けた。

だが隆元はにべもなく断った。毛利家の評定で依頼されたのならばともかく、分家の当主からの直談判で首を縦に振るわけにはいかないからだ。少なくとも彼女に従う文官の派閥は半分未満、残り半分が隠居した父である元就や他の者の息が掛かっている以上はここで頷くわけはいかない。

 

なお、この時代の物資輸送は管理手数料込みなので中抜きするのが当然。

前線に届くまで半分も残って居れば奇跡だが、それでも中国の官僚よりはマシだというのだから笑えない状態であった。

 

「だから直に姉貴へ頼んでるんじゃないか!」

「戦いは数だよ姉貴! 戦う気のない連中でもどうにかして駆り出さにゃならん!」

「そのためには大義名分と整った街道により、一息に済ませる方が確実だ。暫し待て」

「それじゃ遅いって言ってるんだ! 石見からは叩き出せるかもしれん。だが尼子を潰すには今を置いてほかはない!」

 元春とて筋道は判って居る。ここで話を通しても何処かで止まるのだ。

ゆえに大義名分を整え、少なくともいつまでに実行し、確実に量を届けるためには……と権威と武力を持って国人たちを追い立てねばならないなんてことは、百も承知なのだ。何しろ毛利家は豪族から国人レベルに転落したことがあり、大名格まで成り上がって来たのは、ついこの間なのだから相当に舐められている。

 

「尼子を叩くのは良い、弱らせるのも良い。だがそれ以上は駄目だ」

「姉貴! いったいどうしちまったってんだよ! あれほど憎んでたじゃないか!」

「敵は潰せる時に潰す! そうだろ!?」

「……くそっ。ラチが開かん。父上に言ってもらう!」

 隆元が一睨みすると大の男である元春が首をすくめた。

史実では誠実で数字や文化に強いだけの文弱ゆえに、優秀な弟たちに言う事を利かせることができなかった隆元であるが……。この世界では女性なのでそれらはプラスに働いていていた、女である姉に出来て男である自分に出来ない筈がないと国政を握ろうとして……毛利家の生産力を一人で二倍も三倍も引き揚げていると知って、野心面では完全に心が折れていたのである。

 

こう言っては何だが常に格上との戦争を繰り返しているのに、特産品も無しに地味に生産率を上げ無駄をなくし、それだけで純粋な現金収益が二割以上増えたのは地味にチート染みている(史実)。銭を汚い物として扱う覚悟が無かったのに、真似をしろと言われたらこうもなろう。

 

「兄上も意外と甘いようで。今の父上に評定以外で何を言っても無駄なのを知ってるでしょうに」

「隆景。お前まで一体何をしに此処に来たのだ?」

「元春兄ほどではありませんが、疑義が生じまして」

「どうして父上も兄上も、尼子を不要に残そうとするのです? まるで月山富田城での敗戦で、羹に懲りて膾を吹くような有様ではありませぬか」

 次にやって来たのは妹の小早川隆景である。

主であり大姉とも慕う大内義隆に躾けられ、寵愛と共に隆の一文字を受けた、二重の意味での妹分である。彼女もまた喪服……かと思ったら、尼のような格好をして紫色の頭巾すら被って居た。この当時の女同士の愛は性格的や距離と旦那の問題で途中で醒めることもあるのだが、隆景は情愛ある手紙のやり取りが楽しい盛りで死別した影響もあるのだろう。

 

余計に思いを募らせたというか、このままでは男嫌いになって世継ぎが産めぬのではないかと心配する姉であったが、今はその件は置いておこう。エルダーだとか姉妹制度とか、そういうのは今は関係ない。

 

「このまま行けば間もなく戦国の世が、乱世が終わる」

「何時まで続くか判らぬが、太平の世となるやもしれぬ」

「ゆえにその時までに、出来るだけ『上』へ食い込んでおかねばならぬのだ」

「確かにそのような気配も見えてきましたが……。それゆえに元春兄も焦っておられるのでは? 戦が終わるのであれば、切り取れるだけ切り取るべきかと。その為にあのような愚物を受け入れたのでありましょうに」

 毛利家では野望と理想のバランスを取り、現実を見ることを第一としている。

それゆえに『天下は目指さぬ』として、足元を固めながら堅実に周囲を食らって来た。血縁もありライバルでもあった吉川や小早川などへ養子として送り込んだのも、そういった事情である。暗殺を含めなりふり構わず勢力を拡大する面があると同時に、酷く冷めた目で世界を見通していたのだ。

 

だが、この先が見えているのであれば隆景には余計に判らなかった。

野心的にも理想的にも現実的にも、今は少しでも毛利家の力を高める時なのだ。その為に利用できるものは何でも利用するべきだと……隆景は自らを覆う紫色の頭巾を撫でて見せる。禁色と呼ばれるその色彩をまとう事を許可できるのは、実に限られた相手であるか、そう言った殿上人から色々な文物を受け取れる立場の者なのだ。

 

「隆景。お前は優秀だ、謀略に関しては私よりも上だろうな」

「だが国を経営する者としては少し足らぬ」

「……毛利の家を支えるためにもう少し控えよ、と?」

「いや。私も子を産み、いつ死ぬやもしれぬ。元春も前線で戦う以上は同様だ。幸鶴丸よりも先にそなたが当主になる事もあるだろう。その時に備え、自分が国を切り盛りするならばどうするかを悩め」

 この時代、才能次第で女性でも子供でも武将に成れる。

加護や魔法の才能次第で幾らでも強く成れるからだ。だが、同時に子供を産んだ女性が死ぬ確率は対して減ってはいなかった。感染症その他の知見がないので、出産・育児の環境がほとんど変わって居ない事も影響している。おしろいに毒がある言うのが魔法の問題で知られて、使われなくなったから乳児の生存が若干上がったレベルでしか無かった。

 

そして隆元は女性武将としては生命力が強くない。

しかも子供を産んだ年に、大姉と慕う義隆が陶晴賢に殺されている。生き死に関して何が起きても不思議はないと考え、自分のスペアとして我が子どころか自分より優秀な妹を数えるのは仕方は無いのかもしれない。

 

 二人は少し場所を移し、これまで国人たちが文句を言っていた場所に移動する。

不思議な物でこの辺りの道筋を拡大しようと言っても納得しなかったのに、大街道の整備を義輝が後押ししていると知って、みなが首を縦に頷いたのである。もちろん推進派に金を回し軍役を免除した隆元らの差配もあるのだが。

 

「将軍家は百万石格の大大名を相伴衆に、五十万石を御供衆に入れようとするだろう」

「そこまでは何も不思議ではありませぬ。とはいえ名誉の問題であるかと思いましたが?」

「これまではな。弾正卿の話は聞いたか?」

「長尾景虎と言う田舎大名が大樹様を篭絡し、今では上杉弾正大弼輝虎と分不相応の名前を名乗ると聞き及びました……。違うのですか?」

 足利幕府では側近にも格というモノが存在する。

相伴衆は政務の論議にも参加できる側近中の側近であり、本来は管領やらそれに準じた格式高い数家の大名にしか許されない。御供衆は傍に侍って守り援助すると言うレベルであり、政務には参加できないが格を上げるためのステップと言え無くも無かった。貴族のサロンで言えば常日頃から料理やお相伴をしながら話す相手と、御供をしてお散歩する時に園遊会などでゾロゾロ顔見せる相手との差と言えば判り易いだろうか?

 

これまでもそう言った雰囲気はあったし、入ったとしても官位を上げるための前のステップとして、名前だけの存在であったのだが……。

 

「大街道の整備と高速の連絡網で時代を変えつつある」

「陰者に探らせたところ、僅かな間で越後と但馬を走ったそうだ」

「貴人を乗せて走らせる為の準備と言うておったが見せかけであろうな」

「おそらくは各大名から後継ぎや重臣を派遣させて、相伴衆としての論議をさせる気だ。そこまでの『厚遇』をした上で、逆らう者を根こそぎ薙ぎ倒す気であろう。大名からは一万ずつとしても、大大名は三万に及ぼう。合わせれば優に十万に届くであろうな」

 移動と伝達の高速化が歴史を変える。少なくとも隆元はその可能性を見た。

それと同時に実行力のある軍勢はどうしても必要に成って来るだろう。だが、大街道の整備は軍勢の移動にも役に立つのだ。国人たちが街道の拡張を嫌った理由の半分は、自治権の問題もあるが攻め取られては困るからである。現在整備している大街道がすべて完成すれば、海道からは今川と織田家が、信濃と甲斐からは武田家が、もちろん北陸からは上杉が畠山や朝倉を伴って軍勢を集結させるだろう。

 

もちろんその必要が無ければそれまでの話である。

だが、もし戦端が開かれれば間違いなく十万近い軍勢がやって来るのだ。食糧問題も大荷駄が改良されて居るので、必要な場所に必要なだけの物資が届くものと思われた。しかも江戸や若狭では冷凍庫も作られたという。食糧が腐る事はなく、守って居れば兵糧が尽きるなど言う事はあるまい。

 

「判ったか? もし将軍家が戦を止めよと言った時」

「行儀悪く何時までも領地にこだわって居たらどうなる?」

「運が悪ければ取り潰して、他の大名に領地を分け与える」

「運が良くとも……そうだな。相伴衆や御供衆への加入が見送られたり、格が下げられるのは間違いなかろう」

 隆元は史実に置いて、豊臣秀吉や徳川家康らが行った政策を予見した。

というよりも、統治者の見地に立つとその方が効率が良いからだ。自らの声で戦争が無くなれば、全て自分の功績として世に讃えられる。逆に逆らって戦争を継続すれば、それを口実に攻め滅ぼして、自らに味方する連中へ御褒美とするのである。無論、その中には敵対した大名の配下を寝返らせる為の報酬も含まれるであろう。

 

「しかし上杉がその気でも、三好や今川が協力するとも思えませぬ」

「まして上杉の隣国である武田家は喉元に何時でも刃を突きつけられると聞きますぞ」

「君側の奸を取り除くべく日夜策を練り、大名共や諸将を寝返らせるべく動いている……と?」

「そうは申しておりませなんだが……似たような事は漏らされました。本人は『虎に翼を与えて放り出された』御つもりなのでしょう」

 ここで重要なのは大義でも何でもない。毛利家の利益である。

仮に上手く行けば乱世が収束するとして、利益が無いのならば逆張りして邪魔をするのも一手であった。そうすることが可能であると隆景が仄めかすと、隆元は面白くも無さげに話の出所を突いた。そう、この話を隆景に吹き込んで、輝虎の邪魔をしてやろうと思う者が居るのだ。

 

そう……隆景がいる備後には、鞆の浦へ足利義秋が鎮西将軍として訪れているのだ。

都落ちして興福寺から逃げ出す羽目になった彼は、輝虎憎しの思いと、それはそれとして鎮西将軍として相応しい暮らしをする為に隆景にすり寄って居たのだ。ゴマをするのは嫌いだし適当にあしらわれるのも嫌いで、それゆえに自らが兵を養う土地も欲していた。その意味で隆景が女であり、手に取るには丁度良いと思われたのだろう。

 

「その様子だと大方、武田晴信は快い返事をしたとでも言ったのであろう?」

「武田が攻勢を担い、今川と北条がそれぞれの位置から上杉の同盟者を討つ」

「絵に描いた餅としては随分美味そうではありませぬか? 乗るのも良いのでは?」

「上杉輝虎を始末して我らに利があるならばそうするとも。だが現状では三好から重荷を取り除いてやるだけだな。尼子を滅亡させ出雲と伯耆を奪ったとして、ようやく利が見えて来る。だが、その時は三好と正面から相対することになろうよ」

 毛利家にとって、義秋の策謀が上手くいったとしてローリスク・ローリターンでしかない。

武田が全力で春日山城を攻め、越後府内の金銀財宝と国内有数の港を奪ったとしよう。それで上杉家が倒れるわけでもなし、新たな戦乱の始まりに過ぎない。今川家が尾張を攻め、北条家が山内上杉家を攻める。その間に毛利家は独自に尼子家を滅ぼしたところで三好家と出くわすことになるのだ。天下自体は目指さないので、三好とぶつかるのも良しとしよう。

 

では、その後はどうするのだろうか?

もちろん備中や備前にも手を出すし、四国方面でも三好とぶつかるまでは進めはする。独力で尼子家を倒し切る必要があるが、そこまで行けばまあ百万石格の大名として独自に目指せると言った所であろう。尼子以外にも三好や上杉の動向次第だが、そこはみなで何とか行かせるものとして計算しておこう。義秋の協力があれば確率は高くなる。三好に大和や丹後を与えるとでも言わせ、主力はそちらに向ければ良い。

 

「ですが姉上。それは上杉に協力したとしても同じ」

「いえ、尼子を生かしておくという意味では、領地は増えませぬぞ?」

「代わりに相伴衆に加えろと言えば良い。あるいはその権利を持った特任の御供衆でも良いな」

「大樹様の傍に侍って政務に当る十名程度の大名。そこには大大名の他に数名の御供衆を加えて評議するとして、利益をもぎ取れる決定に加わるのだ。ああ……言って居なかったが、私は太平の世が来ても来なくても良いのだ。毛利の家が栄えるならば、仕切り直してまた戦乱でも良いとすら考えている」

 隆元の狙いは実利を確実に取りに行く事で合った。

将軍家の意向には逆らわず安全に銀山を含む石見を確保し、同様に備中・備後も手に入れるのだ。無理に攻め取らずとも大大名として評定に加わる権利と地位を手に入れ、自分たちに都合の良い政策を取らせればよい。例えば中国との貿易権をもう一か所、もし南蛮船が瀬戸内海に来るならそちらでも良いだろう。

 

「仕切り直しを前提にする……と。確かにそれならば利は大きいかと」

「一度戦いを治めることを知っており、綺麗に戦いが終えられ、次の準備も万全」

「出雲で月山富田を囲んだところで停戦ならば、妥協しても石見の全てが手に入りまする」

「攻め潰さないのであれば、余力を先行させて備中へ向けても良いでしょう。いえ、安全に勝ち確実に領地を拡げて従わぬ国人共を取り除くなれば……むしろその方が都合が良いとも言えます」

 この案は、仕切り直した後でまた戦乱の世を迎えるところまでがワンセットである。

考えても見て欲しい、現時点で上杉家を倒せそうならば、それは一度平和に成った時でも同様の筈なのだ。大大名の格を手に入れ、貿易やら石見銀山で大量の資金を手にしてからでも遅くはないだろう。輝虎が但馬に居るならば、尼子家は全力を出せないし、三好家も大人しくしている必要がある。もし将来に戦う気が無ければ、水軍を貸し出して四国平定に協力するのも良いだろう。

 

そうなれば第二期の戦乱が起きた時、毛利家はかなり有利な条件で戦争が始められるのだ。

尼子家を滅ぼすのはそこまで行けば造作も無い。三好と手を組んで瀬戸内海を安全にして貿易を行っても良いし、中央の戦いで三好が弱体化するならばそちらを攻めても良い。仮に畿内と四国で二分化されるならば、利益の出る方について内紛を煽っても良かった。また将軍家に素直に従って覚えもめでたいとなれば、戦争を調停させるための使者を好きなタイミングで出す事すら可能と思われたのだ。

 

「判ったか? ゆえに我らにとって都合の良い終わり方をする必要があるのだ」

「確実に石見を奪うのは勿論の事、無理攻めせずに兵は温存し、不要な国人は戦死させる」

「そのためには上杉に但馬を抑えてもらう必要があるだろう。後はそうだな協力を申し出る代わりに……」

「彼奴が抑えているモノの中で、我が家に利があるモノを譲ってもらうのも良いかもしれん。鞆公方様には精々、その為に役立ってもらうとしようか。石見攻めの終わりが見えた段階で、備中へ侵攻する。その為に寝返りそうな者を見繕っておけ。我らが大姉、義隆さまの夢見た未来を目指すのだ」

 毛利家の当主としての見地に立てば、どちらが有益なのかは自明の理だ。

無理攻めを続けて確実に勝てる保証が無く、その為に身内の誰かが死ぬかもしれないし、そうでなくとも言う事を聞かぬ国人は幅を利かせるだろう。だが上杉家を利用して尼子へ有利な戦いを仕掛け、義秋の威光で備中攻めを確実にしておく。なんだったら言う事を聞かない国人の領地を渡し、組下の与力武将にするとでも言えば良いのだ。

 

利益があるからこそ、隆元は輝虎に誠実な取引を申し出る気でいた。

輝虎が死ぬか犬の様に叩かれて逃げ帰るまでは、精々仲の良いお友達でいましょうと声を掛けるのだ。尼子攻めでも協調するし、三好に対する扱いも出来るだけ話を聞く。もちろん三好家とも仲良くするつもりなので、その辺りはバランス感覚を問われることになるだろう。しかし騙し騙されるのは戦国の習いであり、その意味で、家同士の為に仲良くするのは戦うことよりも遥かに好んでいたのだ。

 

「もし予測通りに大樹様が幕政の再編を行わば、そなたを送り込む」

「私が乗り込んでも良いが、いずれにせよそなたを後継に指名するとしよう」

「いえ、それはなりませぬ。あくまで毛利の後継は幸鶴丸です。四人目を人質に連れていけば目方は取れます」

「それに、私が後継となれば余計な思いを抱く者も出るでしょう。……実のところ、言い寄って来るのを断るのが大変でして」

 決して仲が良いわけではないが、家の為に忠実な二人は互いに譲り合った。

隆元は妹を後継者に指名しても良いと言い、妹は甥が重要であると断った。そして妾腹の弟を人質として伴い、表面上は将軍家や上杉家に付き従う事を了承したのである。

 

そして上杉家とのやり取りの後、興福寺の阿修羅像と塩田の知識を受け取ることになった。

将軍家の戦略と将来の政策に関わる代わりに、利益として尼子を滅ぼし土地を得る代わりに塩の増産技術を得たのである。そして義秋宛ての阿修羅像を受け渡すセレモニーを行うため、そして詳細を伝えるために輝虎が京へ一時的に戻った時……事件が起こった。




 という訳で毛利のターンです。
長男と三男が女性で、比重が変わったことで史実よりも良く成って居ます。

『義輝の目論見』
 隆元の推測通り、100万石数名、50万石数名によるプチ議会。
従来よりも協力的で、お互いの家に配慮しながら戦力提携し、大兵力による運営を行う事が狙い。
その為に幾つかの家には地力を付けさせ、場所的に足りそうにないが重要な家には、経済的・地位的なアドバンテージを渡す予定であった(今川や毛利など)。
隆元の打つ手としては話の通り、協力しつつ名声を高めて、第二幕に備える感じですね。

●今週の人物紹介
・毛利隆元(長女)
 人質なのに女子高の王子様である大内義隆に気に入られて色々手ほどき(意味深)を受けた地味子。
ただし自分より上位互換な陶晴賢(女性)が居たため、愛憎入り乱れる禁断のエスカレーション的な結果に。色々と幻滅することもあり、落ち着いてみる事の出来る女性となる。なお、その影響で温和で誠実で文化に傾倒するというマイナス面が、全部プラスになった不思議な人物。特に名産品も無いのに、戦争し続けて純利益二割~三割増になる地味に内政系の加護が史実の時点から存在する。

・吉川元春(長男、史実では次男)
 正妻の子供としては唯一の男で、武勇もあり文学もそこそこ出来る名将。
そのせいか自分が家を継ぐ物として色々頑張った結果、言う事を聞かない国人や、金勘定をしたら「武将たる者が汚いモノに触るな!」と言われて色々と心が折れた模様。

・小早川隆景(次女。史実では三男)
 以前にみた可愛い子ちゃんの面影を残す超絶美少女として、女子高の王子様を卒業したスパダリにお姫様扱いされてこじらせた。義隆のマイナス面をあまり見ずに一番良い時期に死別した為、余計こじらせて将来を危ぶまれている(史実ではその影響で子供が居なかったとも言われるほど)。なお、この世界では姉を交えて三人プレイで色々と躾けられたため、義隆を大姉、隆元を上姉として史実よりも仲が良くなっているとか。

・大内義隆(故人)
 中国地方から北九州一帯に領土を持ち中国貿易の正式な勘合符を持ち、日本で一番裕福な大名であったが、敗戦のショックやお気に入りの子を失って色々あったり、愛憎入り乱れた結果、先代の西国無双である陶晴賢(女性)に殺された。死因は痴情のもつれ。史実の武田信玄と違って、浮気をしないと神には誓わなかった模様。ザビエルさんも呆れる訳である。

・足利義秋
 鎮西将軍として鞆の浦(平清盛が整備した西の御所)へとやって来た。
気の早い男で既に鞆公方を名乗り、輝虎憎しで策謀を続ける不眠症の男。
御料地による独自資金・独自兵力に異様にこだわる(史実)など、あまり好かれてはいないが、田舎の国人からは権威の象徴として担がれている。
なお、後の世では百合に挟まる男役として薄い本の主役になる事もあったとか。


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花の御所

 弘治六年。とあるセレモニーが行われることになった。

小早川隆景が船で三好家を訪れ、修交を行いながら色々と未来について語り始める。要するに将軍である足利義輝の思惑に乗って、戦乱の世を店仕舞いする為の準備に入ったのだ。

 

その象徴として輝虎が取り上げた阿修羅像を返却。

隆景が足利義秋の名代として受け取り、一度鞆の裏に持って帰るかそれとも興福寺に直接返却するかまでを決める段取りに入って居たという。

 

「但馬より呼びつけてすまぬな」

「此度の事でそなたが居った方が話が早いのと前後して、塩田の話がある」

「何割もの増産が可能で法術師を揃えれば倍増も可能とか。それを供与してはどうかと思うてな」

「法術師の学び舎で培われた知見です。大樹様のよろしいように為されてくださりませ」

 このまま戦乱を終結させると不利益を被る大名が居る。

例えば毛利家は尼子家を叩き潰せる段階なのに、それを止めねばならない。主家であった不倶戴天の敵であり、輝虎が協力している山名家を追い落とした家でもある。倒すべき理由はあるのに留め置くのは、一刻も早い戦乱終結であると同時に、バランス取りとして残っている方が都合が良いからだ。

 

そこで阿修羅像に関わる名誉の他、塩田で利益を与えることになったのである。

この事は東国の今川家にも言えるので、織田家を攻めない代わりに塩田の話を持ち掛けているとの事だ。だがその確定には技術開発を行った輝虎の承諾があった方が確実だし、さらに技術が磨かれているならソレも供与するのか、一段劣っている段階で済ませるのかの協議も必要であっただろう。これらは将軍のお声掛かりの事業とはいえ、実際の金を出しているのも人材を育てているのも輝虎であり、彼女を隠れ蓑として土御門家は一歩引いているというのもあった。

 

「そうか! そなたならば必ずやそう言ってくれると信じておったぞ」

「最後の協議と公開は妙心寺で行う。花の御所があった辺りと言えば良いか」

「臨済宗の寺に改められ、その後に戦乱で焼けては再建を繰り返しようやく形になった」

「それは素晴らしい場所でございますね。臨済宗にはいささかご縁もあります。これも仏縁でしょう」

 花の御所は将軍の座所であり、同時に天皇や上皇の避難所でもあった。

だがそれも戦乱で焼け出されてしまい、再建を断念した義輝が別の場所に移ったために放置されるはずであった。しかし輝虎たちが一万貫文を献金し、その後もそれなりの献金を続けている事から、小規模ながら再建を果たしたという経緯である。他にも再建する場所がある中で、あえて選ばれたのは奇しくも臨済宗だからだ。

 

輝虎が幼き日に学んだ林泉寺は臨済宗であり、その縁もあるだろう。

予算を出してくれるであろう彼女に慮った面も無くはないが、やはり一向宗や興福寺のような寺とは無縁な場所が必要であったというのも大きい。その点、武家の者が懇意にし易い臨済宗であり、元々御所だった場所が選ばれやすかったと言っても過言ではないだろう。

 

 輝虎は一時的に京に戻ったこともあって、迎賓館の進捗を見に来ていた。

構想は既に伝えてあるが、構造上の問題で北向きから西へと至る、素焼きのパイプを地下に張り巡らせている所であった。東から取り込む用水路と南のプールは後からでも済むので、簡単な区分けのみを施され放置されている。

 

そして迎賓館の本館としての部分は、簡単に屋根だけ作って資材が置かれていた。

彼女とその護衛である剣豪たちが、東屋代わりにそこを訪れるのも、まあ当然と言えば当然であろう。

 

「弾正様。四神相応に準拠しているのは判るのですが、何のためにこのような?」

「甲州葡萄を譲ってもらうつもりなのですが、寒さに弱いやもしれませぬので湯気を少々」

「それと南に水練場を設けますので、北には湯殿を用意するつもりなのですよ松永殿」

「なるほどなるほど。肌寒い京の都で健やかに暮らすには良さそうな案ですなあ。ふむ……」

 輝虎は急遽、松永弾正少弼久秀の訪問を受けていた。

同じ弾正台の官位を受けてはいるが、この時代の概念だと特に同僚と言う訳ではない。監察官という意味合いが東の武家には好かれるので要望されることが多い地位であるが、ここ最近では三好家の者が上杉家を立てる時に久秀が輝虎に。逆に上杉家が三好家を建てる時は、修理大属の斎藤朝信が三好修理大夫長慶を訪れるようになっていた。

 

同じ省庁の官職で平安の世では上司にあった。そこで適当な言い訳で上下関係を作って、互いの協調性をアピールしているというだけである。

 

「松永殿。なんぞこの輝虎に御用の向きが?」

「いえいえ。用と言う訳ではないのですが、西からの御客人が当家に居りましてな」

「仲次と言う訳ですか? ご足労をおかけいたしました。面会して構いませぬよ」

「そういってくださると幸いです。いや、色々心配しておりましたが、この屋敷を見てむしろ安心できましたぞ。おそらくは良い方向に進むでしょう」

 直接の関係が無く官位も離れていれば仲次を挟むのが当然。

しかし久秀は緊張しながら輝虎の様子を探っていたようにも見える。正式な場所でアポイントメントを取らず、こんな工事現場で話を付けるというのは、闇取引というよりは相手に問題があるという事だ。その事を察せる様になった輝虎であるが、いつもの調子で未来の自分に決断をブン投げる。時として周囲が胃を痛めることになるのだが、そこは語るまい。

 

やがて通されたのは匂い立つような美女である。

尼のような格好をして紫の頭巾を被っているが、紫衣をまとう事をゆるされた僧侶は少ない。それを考えればそれらの誰かから衣を与えられ、その代理人として動いているから……という意味合いである。ただそれほどの尼であれば本来は仲次など必要ないのだが……。

 

「弾正様。こちらは西国は鞆より参られました、小早川隆景殿と申される」

「毛利家が家中、小早川隆景と申しまする」

「毛利家の分家で御当主の妹君でしたか。上杉弾正大弼輝虎と申します。よしなに小早川殿」

「無位無官ゆえ、隆景で結構でございまする。あるいは三原とでもお呼びください弾正様」

 小早川と言えば毛利だよね! と僅かながらに思い出した輝虎。

しかし小早川隆景の方は面食らった。家の名前で呼ぶときは暫定的にその家をある程度認めて口にするものだ。これだけ身分に差があれば、いきなり諱である隆景と呼んでも許される向きがある。もちろん親しい仲や近隣の武将であれば、家中で使っている通り名を使うのであるが。

 

ともあれこちらを立ててくれたのだろうと思い、特に突っ込みは無し。ひとまず屋敷を立てている三原と名乗ったのだが……後日、この通り名に官位名を付けて呼ばれることなるとは思わぬ隆景であった。

 

「それで三原殿は輝虎に何をさせたいのでしょうかな?」

「それともこの度は顔繋ぎでそのうちに毛利家から何かでしょうか」

「……要件としては後者になります。しかし、お願い事がないでもありません」

「輝虎が可能な事であれば構いませんよ。弾正大弼としては私よりも松永殿の方が御存じでしょうけれど」

 面倒事が嫌いな輝虎は直球ストレートでボールを投げた。

弾正台の官位に何の意味も無いことは誰もが知っている。ゆえに要件としては、将来の交渉に向けた顔繋ぎで次回は直接来るつもりなのか、それとも個人的な願いで何かあるのかと尋ねたのである。何しろ現時点で日本一の金持ちは輝虎であり、メキシコにある大銀山の半分くらいは一人で対抗できるとかいうおかしい財政をしている。朝廷や将軍家に献金しているほか、色々な公家や寺社が金の無心に訪れるくらいだ。

 

これに対し隆景は本来の要件である顔繋ぎの方を優先した。

毛利家を代表する者として当然であるが……輝虎の言動には何処か既視感を覚える。そして彼女の理想的にも、ここで聞いておきたいことがあったのも確かだった。次に会う時は公式の場やもしれず、このチャンスを失うのは惜しいと言える。

 

「失礼ながら、先ほど松永様よりこの屋敷の事を聞き及びました」

「西には甲州葡萄を植え、寒さ対策をする予定であると」

「どうしてそのような事をご存じなのですか? 大抵の大名は配下に命じるでしょうに」

「ああ、なるほど。いえ……ただ書を読むのが好きなのですよ。幼き頃は寺で修業の合間によく読んでおりました。その折に色々と学んだものです」

 隆景はとある植物に関心があった。正確には彼女自身の望みでは無かったのだが。

しかしその事をボヤかして婉曲的に尋ね、前段階の条件作りに入った。植物に関して関心が無い者に聞いたり、命じるばかりで実行は他人に任せる者では話の通し方が違うからである。

 

なお輝虎は『暇だったから』という切実な転生者事情を語れないでいた。

ついでに言うと多聞宝塔の呪文で賢者たちに質問すると、ク-ルタイムを挟んで熟練度型経験値が貰えるなんて話す訳にはいかない。仕方なく読書は趣味なんですよ……とお見合いのような事を口にしてしまったのである。だが知らぬであろう、その姿に隆景は一条の光を見たのだ。

 

「その……弾正様は特免により施薬院へ出入りできるとか?」

「薬草以外にも、本朝に持ち込まれた色々な植物があると聞き及びましたが……」

「ええ。何か必要でしたら戴いて参りましょうか? それとも世話人が記載した知識でも?」

「っ! はい、はい。その通りなのですが……弾正様にお縋りする前に、どうして必要なのかを聞いていただきたいのです。我らが大姉、大内義隆様以来の大願にございまする」

 隆景は輝虎の姿に今は亡き大内義隆の姿を見た!

武家は武門であり公家趣味はいい加減にしろだとか、芸術やら産業振興など捨て置けと言われつつ、それでも文化を愛して保護した尊敬するべき最愛の大姉である。世間の評価など知った事かと嘯いて、堂々と様々な産物を育て、公家を保護して文化を保護した義隆を思い出したのだ。関東では逆らう者を皆殺しにするなど鎌倉武士の様で、関東管領すら脅かしているそうだが、とうていそのようには見えない。

 

そういえば輝虎も魔法学園を作って公家の子弟を保護しているというではないか(大名どころか忍者も居るけど)。

 

「我らが長らく求めて来たのは木綿。そして高麗の人参を始めとした生薬です」

「我が国は古来よりそれらを珍重して多額の金殻を持って輸入してまいりました」

「ですが義隆さまは金儲けではなく、人々の為、国より出で続ける富を心配されておいででした」

「ああ。寒さは厳しいですからね。そんな時に綿の服と布団があれば、小さな子でもちゃんと育つのですが。生薬と言えば……富士の霊峰などで採れるという、冬虫夏草も健康に良いそうですね」

 木綿生産と朝鮮人参は財政チートの一つである。

日本では基本的に生産できないというか、平安時代に持ち込まれてそれ以降に廃れている。寒冷期になったことも影響しているが、日本に合わなかったとも言われていた。ただそれは渡来人が遠くの出であったなど、知識の問題もあったので、かなり改善される可能性はあったのだ。それゆえに戦国物のストーリーにおいて財政を改善させたい者が目指すチートと呼ばれていた。

 

それはともかく、言いたいことを瞬時に理解した輝虎!

隆景は無くなった大姉以来の情愛を感じた。まさかこの程度の情報で、自分が言いたいことを全て悟ってくれるなどとは! まあ輝虎に転生した女にとっては、茶々こと顕如が小さな時に越後で侍らそうかと思ったり、自分も安楽な現世利益の為に欲しいかも! とか思っただけなんだけどね。

 

「ええ! ええ! その通りでございまする!」

「我が国に限らず小さな子が死ぬのは良くあること」

「それゆえに七つまでは神の内。死ぬのも当然だとみな諦めておりました」

「しかし義隆さまは常に思われていたのです。木綿を我が国で生産し、生薬の幾つかだけでも増やすことは出来ぬかと! お願いでございまする! 毛利の地でとは申しませぬ! どうか弾正様のお手で何とかなりませぬでしょうか!?」

 正直な話、大内家でも様々な文物が生産されていたが、失敗したのだ。

まず木綿の種そのものの入手と、基本的な育成方法が手に入らなかった。しかし最近になって、朝貢貿易が終了して民間との取引になってから多くの賄賂と引き替えに可能となったのである。火薬を重視していないこの世界では、むしろそちらの方が史実よりも早く知られたくらいであったとか。

 

中国貿易を許可された事、費用を賄う石見銀山を手に入れた事。

そしてここで輝虎と出逢い、彼女が朝廷の施薬院へ出入りして、種や知識を手に入れることが可能と……全ての条件が整ったように見えたのだ! 隆景が感極まるのも仕方があるまい。

 

「よろしいですよ。その辺りの種と書を入手してまいりましょう」

「そういえば妙心寺……花の御所は再建途中とか」

「輝虎も多少協力いたしましょう。温かな場所で育てる植物はこの賀茂の迎賓館で法術も使うとして」

「そうですね。外つ国で生産されておる砂糖も入手してみましょうか。木綿と共に温かな国の産とか、本格的な生産は我らで育てるよりも、大友家なり島津家にお願いするのが理に叶っておるやもしれませぬ。毛利家や三好家からもお声を掛けていただければ幸いですね」

 せっかくなので輝虎はこの案に乗ることにした。

かつて冗談で言って砂糖生産の話もあるし、馬車などにも木綿は大量に使うのだ。木綿の絨毯が欲しいなとか、砂糖やら朝鮮人参を使ってお酒も作りたいなとか思うのであった。

 

「弾正様。よろしいのですかな? 必要ならば我が殿、修理大夫様にもお声を掛けまするが……」

「巨額の費用を用いた上で、その成果物を他の大名に託すなどとはお人が良過ぎませぬか?」

「構いませぬよ。先ほど三原殿もおっしゃっていたでしょう? この国の為、この世をしょって立つ子供の為です」

「弾正様……」

 流石に大事に成って来たので、見守っていた久秀が割って入った。

百合の間に挟まる男は死んでしまえとか良く聞くが、男女のアレコレに詳しくエロ方面でノウハウ本まで書いた男は一味違う。急接近した輝虎と隆景に遠慮しており、自分が交渉担当だと理解した段階で出てきたのである。なお隆景は先ほどから感激することしきり。弾正という言葉が、輝虎の慈悲を指すのかそれとも久秀の苦労を指すのかは聞くのも野暮であろう。

 

ちなみにご存じかと思うが、輝虎は自分で努力するのが面倒なだけである。金とコネだけ出して貰うモノ貰った方が良いじゃない。

 

「承知いたしました」

「御両所の話は必ずや修理大夫様に……いえ、大樹様や朝廷にもお伝えいたしまする」

「花の御所の造営に関する件も含めて、この久秀が請け負いまする」

(まさかこのような事態になろうとはな。大友や島津にも一口噛ませるなら話がまとまり易いわ。御屋形様もお喜びになろう)

 三好家のスタンスは毛利家と同じ戦乱の一時収束である。

効率重視者である長慶はさっさと戦乱の世を治めるために行動していた。中央に居て幕政に関わる彼の意見は非常に重視されるし、主要経済圏を支配する彼は日本が平和になるだけでも十分に利益となるのである。それゆえに義輝の計画に賛同していたし、同時に三好家が主導できるように西国方面では調整していたのである。

 

ゆえに毛利家が輝虎の噂を仕入れる時、特にフォローはしなかった。

彼女たちが誤解するならぶつけ易いし、交渉するならば間を取り持って後から噂は嘘であると補えば良いからである。そして今回の件では得をするのは主に西の大名であり、仲次する三好家に直接の利益はなくとも、恩を売れることや各家の修交状態を良くするキッカケになった事を喜んでいたのである。

 

 

そして長慶に対しては忠臣であり、同時に謀臣としても知られる久秀。

彼の動向を容易につかめる事、そして周囲にいる大名の戦力では護衛である剣豪たちをどうやっても突破できない事。その事が輝虎に油断をさせていたのかもしれない。後に妙心寺で起きる事件の首謀者は久秀は無関係だったのだから……。




 と言うわけでそろそろ戦国の世も終結に向かいます。
それはそれとして戦争では負けそうにないので、ミニマムな事件が一つ。

●三好家と毛利家
どっちも兄弟が全員才能が有って、同時期に重要な人が死ぬという。
それまでは隆盛していた三好家と、それ以降も栄えた毛利家。今回は同盟者になります。
ひとまず戦争止めて国力を高め、第二幕で好条件で戦うつもりという戦略になりますかね。

●小早川隆景と同盟交渉
史実で羽柴秀吉と交渉して、何故か昵懇の仲になって両陣営が修復されるという。
その後でも仲が良く、お互いに良くしたり協力関係にあったとか。
この話ではチョロイというよりは、木綿の実用化一歩手前だったのもあります。


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不要者たちの挽歌

 輝虎は花の御所再建に力を貸した。

資金を惜しげも無く投入し、ひとまず専門的な部分へ戦闘工兵を送り込んで片付ける。そうすれば後は元から再建に携わっている者たちで可能だし、作業全般を手伝うには、自分の所でやってる迎賓館がまだ完成して居ないのだから。そして明け透けに作られた東屋で、茶を愉しむと言う理由で暫しの会見が設定された。

 

「この度は弾正様の御協力に感謝いたします」

「いえいえ。山名殿には但馬でお世話になっております。お気になさらず」

「お世話になっておるのは叔父の方だと何度も言っておりました」

「因幡を取り返さばますますご厄介になりますし、その事を考えれば、感謝してもしきれませぬ」

 花の御所と呼ばれる妙心寺を再建して居たのは山名宮内少輔元豊である。

彼は但馬で輝虎が協力していた山名右衛門督祐豊の甥にあたり、山名家から派遣されて幕政に協力していた。そしてその一環として、花の御所を中心とした一角の造営に関わっていたのである。本来は因幡の領地を守る為に父と共に動くべきであったが、今は幕政への関与と輝虎へのアピールが重要であると送り込まれていたのもあるだろう。

 

要するに山名家は現在の力関係を正確に判断して居たと言える。

余計なプライドで関係をこじらせるよりは、協力し合うことで、両家が近づく為の実績作りに励んでいたと言えるだろう。彼の言葉通り、因幡を制圧する作業は実行中。取り返したとして、復興の一環として大街道開通は既定の事実なのだから。

 

「妙心寺は花の御所と呼ばれた範囲に多くの別房を持ちます」

「我が東林院にもお越しくだされば歓待できると自負しておりますよ」

「おお。それは楽しみにしております。いずれ機会があればゆっくりと酒宴でも……」

「いえ、寺ではそうもいきますまいか。茶の湯でも楽しむと致しましょうぞ」

 東林院というのは細川家由来の別房である。

その血が山名家に入った段階で管理と後援が移っており、元豊はそこを宿にして周辺の再建を行っていたのだろう。輝虎は酒を持って行くまでは確定として、流石に昼間から酒宴はできまいと残念がったのである。そして茶の湯と言えば有名人が居る。

 

「その茶の湯を持ってまいりましたぞ。ごゆるりと楽しまれませ」

「久秀の腕はともかく、道具ばかりは良い物を誂えさせていただきました」

「亡き宗滴殿が扱われた物ですね。これは懐かしい。それと、もしやあれは……」

「はい。我が秘蔵になりますぞ。いや、これ以上は道具自慢になりますかな」

 松永弾正少弼久秀は朝倉宗滴の九十九髪茄子を入手していた。

没する前に質に入れて朝倉家の軍資金を増やすために行われたのだが、それを買い取ったのが久秀になる。金貸しの元締めでもある輝虎は購入を持ち掛けられてその事を知っていたが……酒はともかく茶の湯にはあまり興味が無いので放っていたのだ。そして茶入れが九十九であるならば、茶釜は平蜘蛛。共に松永弾正の所有する名物として知られていた。

 

「しかし、この東屋も面白い物ですな。一日限りとはいえまさか移動可能とは」

「賀茂の迎賓館と往復するという話をしたら、誰ぞが拵えまして」

「おそらくは誰ぞが街道普請の管理用に思いついたのでしょう」

「工兵を集め育てたのはこの輝虎ですが、放っておいても育つもの。時の移り変わりの早さに驚くばかりです」

 この東屋はプレハブ工程に近い物だった。

骨組みの上に畳を張った床を用意し、その上に別の建物で覆っている。完全なプレハブでもないのだが、簡単に輸送できることと、必要に合わせて内部施設を増やせるのが特徴的であった。一から輝虎が指示すればもっと別の物になるだろうし、茶の為の機能は適当に付け足されたので粗末な物である。

 

しかし花の御所として再建中の敷地を眺めながら飲める茶は丁度良かった。

話を進めながら茶が飲めるし、興味が無い時は建物や植えられつつある植物を眺めておけば良いのだから。

 

「工兵と言えば大規模農業というのは面白いですな」

「全員で効率よく作業して、細かい所を好きに調整する」

「あれも弾正様が御考案されたので?」

「いえ。街道整備に貸し出して居ったら何時の間に始まっておったのです。輝虎が口を出したのは細部で研究したい作物を個人で管理するところですね。おそらくは手法自体は昔からあり、実現したいと思った誰かが取り入れたのでしょう」

 久秀は主人の三好修理大夫長慶の影響で大規模農法に目を付けていた。

四角四面の田を作り、そこに綺麗に苗を植えていくという手法である。いかにも転生者である輝虎が主導したかのような内容なのだが……実はこれも越後で貸し出した工兵が考案した手法なのだという。なお……まるで美談の様に言っているがそうでもない。

 

街道整備の為に真っ直ぐな棒道を作り、強制的に種蒔きを終えた田を移動させた。

その時に工兵が一気に終わらせるために行動し、同時にまばらに生えていた苗を移動させ、一列に並べたことが原因であるとか。ただ育てた苗を綺麗に植えた方が効率的なこと自体は、理論であったらしいのでその影響もあるのだろう。この当時の種蒔きは米を適当に投げるので、一か所に集中したりあちこちにバラバラだったりするので、対策自体は練られていたらしい(忙しいから誰もやらないけど)。

 

「なるほどなるほど。それは面白いですなあ」

「この久秀も鈴虫の育て方やらいろいろと研究しましたが工夫のし甲斐はあるもので」

「苦労はあるようですが、いよいよ乱世が収まるならば領地は増えませぬ」

「同じ田畑でどこまで作付けを増やせるのか考えてみるのも一興ですな」

 久秀は凝り性で様々な研究を行っていた。

鈴虫を飼って大きくしたり、どこまで寿命が増やせるのか試してみたのだ。上手く育てた虫をストレスなく飼えば、野に生きる虫の五倍は生きるとデータを残している。他にも男女の夜の営みに関してハウトゥー本を残しており、エロティックな方面にも知識が深い。決して天才ではないが、策士としての才能はこうやって培われたのかもしれない。

 

 和やかな話題から腹の探り合いに関しての話題に。

この時点で山名家の面々はその場を辞しており、既に担当区画の視察に向かっていた。残る二人で会談というかヒソヒソ話というところである。これで弾正台としての監視業務に限らないのが皮肉なのだが。

 

「阿修羅像に関しては興福寺に戻すと決められたそうです」

「三原殿が儀式には参加されますが、緊張を避けるために兵は最低限にするとか」

「ではこちらも兵は下げておきましょう。信綱たちが居れば何とでもなりますしね」

「そうしていただけると幸いです。大樹様や修理大夫様もそれぞれ精鋭をお連れになりますし、滅多な事には成りますまい。無論、興福寺の悪僧共には監視を付けております」

 義秋経由で戻すという形式自体は変わらないが、無理に鞆には送らない。

そういう話し合いが終っただけのことだが、距離を考えれば当然のことなので特に不審な点はなかった。また興福寺の僧侶がモメ事を起こすかもしれないので、義秋側についている小早川家は遠慮して兵士を減らしたそうだ。となれば少数精鋭の勝負に成り、剣聖である上泉信綱ほかカンスト組を連れている輝虎の優位は揺るがなかった。

 

そこまで用意した上で、久秀は興福寺の僧兵たちを監視していた。

大和で僧房に居る千から二千程の兵ほか、坊官たちの中で剣豪であったり高レベルの使い手である八部衆達を常にスパイ経由で見張っていたのである。

 

「後はそうですな。そうそう、九十九と言えば朝倉様」

「何やら大男の集団を召し抱えて鍛え上げられたとか」

「その話を聞いた大樹様は、相撲でも取らせようかとおっしゃったそうです」

「そういえばそんな話を輝虎も聞き及びました。確か義の一字を授けられたという話のついででしたか。いや、その後だったか」

 朝倉延景は将軍である義輝から、将軍家の通字である『義』の字を受けている。

輝の文字を貰った輝虎よりも格上扱いだが、長年の忠節と近さを考えればそんなものであろう。輝虎もその内に謙信と名乗るつもりだったので、特に気にして居ないと返したような気がする。

 

それはそれとして大男の軍団と言う物のインパクトは凄い。

この当時は江戸時代ほどに身長が減ってはいないが、それでも180cmもあれば大男間違いないのだが、そんな兵士は中々いないのだ。妙な方向での気合の入れように笑みがこぼれた。輝虎よりも何歳か年下なので、対抗心でもあったのかもしれない。なお、史実に準拠して居るので嫉妬心ではないのじゃよ。史実で信長に対抗心があってやったのかは不明。

 

「しかし朝倉殿も参られるという事はかなり大掛かりとなりますね」

「はっはっは。阿修羅像を持ち込んだ時も大掛かりでしたぞ」

「弾正様はまったく、御自分のなされた大業を小さく捉え過ぎておられまする」

「長らく続いたこの乱世。ようやく終わるのです。そこに参加して天下の偉業に自らの名前を刻みたいと申すのも当然ではありませぬか。はばかりながら、この久秀も修理大夫様のもとで名前を為そうと思わぬでもありあせぬ」

 なお、輝虎は当然の様に自分がやったことを偉業などと思ってはいなかった。

織田信長は十万の兵を動員したというし、豊臣秀吉は天下の大阪城とその金蔵に巨万の富を築いたのだ。また徳川家康に至っては、江戸時代数百年の平穏を成し遂げた大人物。三英傑を知る転生者にとって、自分の功績など出来て当たり前、彼らに比べたら小さなものなのだと考えていたのである。

 

だからこそ……輝虎は人の気持ちが判らないと言われるのだ。

彼女の足跡にただの敵対者として刻まれた者たち、まるで経験値の様に無造作に摘み取られた命と尊厳。人生全てを掛けても名前一つも上がる事はなく、ただの盆暗として歴史に埋没する者たちの事など何一つ考慮に無かったのである。

 

 結局、花の御所造営自体は間に合った。

当初の予定期間では不可能であったが、思ったよりも出席を希望する諸将が増えたのである。また大街道を主導したことになっている将軍足利義輝のデモンストレーション目的もあった。朝倉・北畠・六角と言った畿内の大名以外に遠方の使者も訪れるという。

 

関東管領である山内上杉憲政が派遣した将たちもまたその一人だ。

流石に遠方ゆえに数は多くないが、それでも格式の問題で北畠家や六角家が寄こした文官・武官と同じ程度には兵を送り出すと言って来た。この予定に合わせてセレモニーを延長した為、落成が間に合ったという訳である。だがセレモニーは開かれることはなかった。妙心寺が襲撃されたからである。

 

「御謀反! 御謀反にございます!」

「ですが興福寺の悪僧共も北条家の兵も動いておりませぬ」

「御所に詰めている兵はこちらの味方の方が多いくらいですが……」

「まさか自分たちが不利な状況で仕掛けて来るとは。この松永久秀、油断いたしました」

 弘治の変と呼ばれる襲撃は、防御側が遥かに有利な状況で始まった。

ただし、その全軍が全て利用できるならば、あるいは信用が置けるならば……という前提が付く。用水路を兼ねた水堀と壮麗な壁を随所に導入したことで、味方と味方が分断されているのである。しかもこちらの味方であるはずの兵の一部が反乱側に加わっており、いまいち信用が置けないという問題があった。

 

こうなった理由の遠因は、単純に時期としても兵数としても不適切であったからだ。

危険分子である『敵』は全て監視され、その動向が掴めているので数万どころか数千であっても事前に見つけ出すことができる。そうなれば賀茂川の迎賓館で工事している戦闘工兵も含めて、千か二千居れば圧倒的戦力で叩き潰せるのだ。

 

「久秀一生の不覚。御屋形様、責任はいかようにでも」

「それを今言っても仕方あるまいて。それよりも状況を整理せよ」

「謀反と聞き及んだが、それだけでは何が何やら分からぬ」

「謀反人めの目論見を看破し、大樹様を守らねばこの長慶、死んでも死に切れぬ。どうせ死ぬならばこの乱世を治めずして死ねまいぞ」

 この襲撃が上手くいってしまった原因の一つは、第一にセレモニーがまだ先であること。

それゆえに将軍である義輝以下、三好修理大夫長慶や久秀らが準備に勤しんでいたのだ。もちろん兵は十分に詰めているし、敵になり得る連中は兵力と言うほどの勢力ですらなかった。いや、儀式の最中に攻めたら油断などすまい、圧倒的な兵力で守ってしまうからだ。

 

おそらくは絶対的に有利な状況であり、同時に幕府側が警戒している獅子身中の虫である三好勢を巻き込むことで、強引に成功させたのである。

 

「攻め立てている連中は、『長尾景虎』と名乗っております」

「同時に『景虎謀反を聞きつけ、討伐に参った』と一色様や伊勢様が……」

「待て、義幸が儂に謀反だと!? それに貞孝めが……いや、あやつの不正に気付いたからか」

「でしょうな。おそらくは長らく政所を支配した伊勢家排除を試みた事が凶行に走った一因かと。それと伊勢の分家は関東で弾正殿に痛い目に合わされております。弾正殿をかつての名前で呼んで居るのが何よりの証拠でしょう」

 伊勢貞孝は政所を支配する家柄で、いわば側近の筆頭とも言える。

しかし幕府へと献金された資金の一部を着服し、また持ち込まれた裁定を自分が都合の良いように扱っていた事が発覚している。めでたい席ゆえに大事に至らない様に排除の準備に回っていたことが、どこかで嗅ぎつけられたのだろう。史実よりも早い問題発覚と、それゆえの謀反であったのかもしれない。

 

ただ、判らないのは一色義幸の方である。

伊勢家は幕臣ゆえに金はあっても兵力はさほど持っていない。それゆえに主力は一色家が連れて来た兵であろうが、彼が謀反に加わる理由が無いように思えたのだ。

 

「貞孝はまだ判る。父上の代から色々とおかしいと探っておったのだ」

「晴嗣殿から献金総額の話を聞き、一万貫文の取り分を詳細に決めたことも不満に思っておった」

「だが義幸が謀反に加わる? 丹後は取り戻せるし幕府も元に戻る。これからではないか」

「……おそらくはその後に居場所が見いだせなかったのではありませぬかな? ……ああ、阿修羅像を持ち込む際に彼の不手際を大樹様が御留めになりました。不手際自体がなかったことになりましたが、交易権ももらえませなんだし、怨みかはともかくとして少なくとも重用されぬと思うておるやもしれませぬ」

 輝虎は最初に上洛した際に三千貫を献金している。

その時にまだ存命であった義晴を通すことで、他の大名に連名の名義貸しを行ったり、伊勢家の頭越しに資金援助を始めたのだ。その辺りから徐々に献金の差額がおかしいと発覚し始め、伊勢家の早期排除が念頭にあったのは間違いが無い。

 

それはそれとして今回、阿修羅像を返すことが儀式の一環である。

しかし持ち込んだ時に彼を公衆の前で叱りつけたのは間違いがなく、将軍家にいったん預けると言われた中国との貿易権を与えないことで罰の代わりにした。それまでの義輝であれば、喜んで一色家に協力させたであろう。確かに不満に思う要素はあった可能性はある。

 

「言われてみればそのような気もするが、貞孝と違って罪はないのだぞ?」

「名家と言う物は何よりも体面を重視いたします。それに無役なのも確か」

「このところ彼奴に何も命じておらんが……それを申せば誰も彼もそうだぞ?」

「いえ。同じ身の上の山名殿はこの妙心寺の造営を行っております。但馬のほかに因幡も取り返すことは必定。生野の銀山の事を忘れれば、自分だけが置いて行かれたと思うのではありますまいか?」

 名門なのに役目が無いからと言って、それを不服と言うにはおかしな話だ。

幕政の重要部分は殆ど三好家が握っているし、毛利家との折衝なども同様である。同じ名門では赤松家などは早くから居場所を無くし、細川晴元と三好長慶との戦いに巻き込まれて播磨を守るために動けないでいるのだ。

 

しかし、ここで同様の山名家が再び浮上し始めた。

一色家以上の名門であっても尼子家に押されて山名家は滅びかけていた。だからこそ虎の子の生野銀山を放出するとまで言ったのだが、義輝からの命令と輝虎の好意で但馬の奪還と領国整備までやっている状態だ。因幡まで取り返せるとしたら、その運命は大きく変わろう。一色家が丹後を取り戻せるだけなのに、だ!

 

「人の心は必ずしも効率的ではありませぬ」

「他者と比較されれば焦りも憤りもするもの。この長慶も余計な戦をしたことがあり申す」

「誰もが弾正殿の様に、自分の心を切り離して専念などできませぬぞ」

「おうっ! その弾正を忘れておった。あやつならばこの危機など容易く乗り越えよう。何をしておるのだ?」

 ここで上層部が悠長に真相解明をしていられるのは当然輝虎の影響である。

彼女が居れば現時点での問題など無いも同然。一騎当千の剣士たちが全て神兵へと変わり、数百居ようと数千居ようと瞬く間に蹴散らせる。少なくとも封鎖されている門を越えて、鞍馬山や賀茂に居る越後勢と合流するなど息をするよりも簡単なのだ。

 

「弾正様ならば、『輝虎は謀反などせぬ。ひとまず武器を置いて下がれ』と命じられ……」

「そのまま祈祷所に向かわれました。おそらくは多少強引にでも攻囲を破る御つもりでしょう」

「相も変わらぬ電光石火よ。儂への説明まで余計と切り捨てるのも小憎らしい」

「左様ですな。このままいけば他愛なく……。いえ、これはいけませぬな。連中の目的は最初から弾正殿。自らの上に立つべき者を、君側の奸として除くのは常の事ですので」

 ここで詳細を確認していた久秀が口を出した。

本当に謀反したと思われても困るので、方々に待機を命じたのだろう。信じられる味方ばかりとは限らないし、聖戦の呪文の影響を受ける数十名だけで戦おうと思われる。実際にそれで勝ててしまうのだから冗談のようなのだが……。ここで長慶は真相に至った。

 

現時点で上層部が手出しされて居ないのはどうしてか?

御所の各地を孤立させ、必要な相手だけを倒そうとしているのは明らかだ。それゆえに逆賊扱いされそうな上、別に殺したい相手でもない義輝たちは後回しにしているだけのことである。

 

「なに? どういうことだ? 意味が分からぬぞ」

「ああ、大樹様にはお分かりになりませぬか?」

「一色殿が不満に思った原因は? 伊勢家が没落する遠因は?」

「それは弾正殿です。この長慶だけならまだしも、上位者がもう一人おっては彼らも立ちいきますまい。しかし、だとすればもう一人、黒幕が居りますな。今となっては弾正殿が目障りな御仁がもう一人……。我らが弾正殿を京の都から遠ざける為の場所の主です」

 義輝が一色家の謀反を信じるまで時間が掛かった。

それは彼から見れば大して侮辱したつもりはないし、取りなしてやったからプラマイゼロと言う相手でしかないからだ。将軍から見ればそれで十分に慈悲と言える。だが輝虎に対する一色義幸のスタンスは少し違う。全ての遠因なのだ。彼女が居なければ丹波は取り返せなかったかもしれないが、少なくとも三好家にすり寄れば問題をやり過ごせる。

 

また輝虎が居たことで面目を無くし、これから地位を無くす者がもう一人いる。

そう、関東管領である山内上杉憲政だ。彼は自分が失いそうになるに際して、何もかもを女に救われたと侮蔑され、今も彼女の手下を借りて関東で地位を守っている。諸将は彼の事を居ないも同然に考えており、輝虎が恐ろしいから従っている者が殆ど。プライドを誰かに刺激されたら動いても仕方あるまい。少なくともかつての仇敵である北条家はむしろ協力的なのだから。

 

それだけならば反乱に加わらなかった可能性はあるだろう。

だが、義輝たちが輝虎を遠ざける方法として、関東管領に付けることを企図していると知ったら? 憲政自身は彼女のご機嫌を取るためにその『可能性』を述べたが、彼としては可能性だけを仄めかしてそのつもりはなかったのだ。精々が我が子に繋ぐための一時的な代行。しかし義輝たちがその気ならば、完全に関東管領家を入れ替えるのも可能なのだから……。

 

そして憲政が敵ならば問題が幾つかある。

例えば輝虎の元に援軍として兵を送り込み物資を送り込むことが容易い事。何よりも信頼している上泉信綱たちもまた敵に回る可能性があったのである……。




 と言う訳で陰謀の『弘治の変』になります。
正直な話、戦争で勝つとか正気ではないので。
「磯野~戦争しようぜ」と誰かが言ったら
子供まで「はーい!」と言って参戦して最低2レベル。
まあ正面から戦いませんよね。

●その時、歴史が動いた。
「今回の件、黒幕候補が三人居られます」
「一色、伊勢、そして山内上杉さんです!」
「武田や今川も怪しいですが、この三名はほっとくと面目も地位も失います」
「特に伊勢さんはバタフライエフェクトで横領発覚してますしねえ」
「親戚の北条さんは大変な目に合わされたそうですね」
「でも一色さんは動機が薄くないですか?」
「今までだったら絶対にイエスという状況で、いきなり馬鹿にされましたしね」
「あと、見下していた山名さんが自分より上に立ちそうなのも腹を立てたのかと」

 テレビ番組だったらこんな企画やってる感じですかね。
それこそ「え? こいつ、何でこんなことしたの?」
「明智光秀が本能寺で謀反起こすようなもんじゃない? チャンスあったからだよ」
って感じですかね。


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外伝。輝虎暗殺帖

 花の御所が襲われたその日、一匹の犬が地下深くに埋められた死体を見つけた。

見つかったのがただの死体であったり、見つけたのがただの犬であれば問題が無かっただろう。見つかった死体は『顔が焼かれ』ており、犬は輝虎自ら『押井七房』と名前付けた忍犬で、太田資正より訓練された凄腕である。犬ながらに常備軍の第三大隊に一席設けようかと冗談めかして語れるくらいには賢かった。

 

そして検死に連れて来られたのは望月吉棟。

望月甲賀守の末裔として、才能豊かではあるが感受性が明敏過ぎて荒事には向かぬと言われ、今では魔法学院の教師になった男である。

 

「頭領。この死体、何者でしょうか。顔が焼かれておりますが」

「死人を見慣れた七房が、ただの死体を掘り起こすとは思えぬ」

「本来死ぬべきでない男であろうな。顔を焼いたのは入れ替わる為か」

「ふむ。身は軽くそれでいて足腰の筋には張りがある。相当に達者な猿飛の使い手と見た」

 吉棟はまず状況証拠から変装の為と見た。

影武者などが己の痕跡を消すために自ら潰す可能性も有るが、味方の忍者にその様な者はいない。また七房がいかに優れていようと、無関係の相手だと判別は付け難いだろう。ゆえに顔見知りの忍者であり、死ぬはずがない者が死んだので、不憫に思って掘り出したのだと思われる。弔って埋められたのであればともかく、証拠を消すために埋めたならば七房も躊躇うまい。

 

そう思って推理を次の段階に進ませると、体付きが独特であった。

スパイ活動を行うために陰に潜む事こそが忍びの本質であるが、派手に動く陽忍とでも言うべき荒事役は存在する。こういった男たちは自分の得意技を元に特化することが多いのだ。ならば特定は難しくあるまい。

 

「我らの見知った男で猿飛の……まさか唐沢玄蕃か?」

「玄蕃ほどの男をこうも容易く仕留めるとは……」

「いや、待て! 玄蕃になり替わっている男は誰だ? 何を目論んでいる!?」

「玄蕃はどのような任務に就いている? 急げ! もしやすると大事やもしれぬ!」

 吉棟の指示で伝令が飛んだ。だがその結果はともかく、内容が芳しくない。

まず殺された玄蕃が率いていた小隊の行方が知れず、七房を連れて探せばその死体まで見つかる始末。そして本来就くべき役目は、輝虎の護衛班の一つである。玄蕃班はフィールドワーク向きの忍者だったので、外周部の警護と言うのが良くも悪くも問題を決定付けた。

 

輝虎の近くで侍って守る役目ではないので、直接の危険はない。だが、その分外回りゆえに外部の人間を引き入れ易いのだ。流石に軍勢などは無理だろうが、剣客であれ忍者の類であれ……十分に可能やもしれぬ。

 

「だが、なんだこの違和感は……まだあの死体から感じられるものが残っている?」

「玄蕃を殺せる腕前。……いや、玄蕃に成り代わって見破れぬ相手……」

「我らを出し抜くほどの人遁の使い手とは厄介な。それでいて玄蕃を倒せる腕を持つか、あるいは……」

「いかんな。どちらにせよ弾正様の元に駆けつけねば危うい。『死人語り』が使える法術師が居るか尋ねておけ、我らは弾正様の元へ駆けつけるぞ!」

 輝虎を狙った相手は、戦場打倒することを早々に諦めたに違いあるまい。

老人から大人まで、老若男女の区別なく忠実な兵士に変える魔法の使い手なのだ。戦場で殺せと言う方が無理難題であろう。極論を言えば京の市民全てを率いて、近隣の領国を制圧できるだけの無法な戦闘力を有しているのである。輝虎が三千にも満たない精鋭の身を率いるのは、舐めプというよりは、経済効率・移動効率の結果でしかない。

 

だからこそ黒幕は、入念な計画の元に暗殺計画を立てたのであろう。

表の世界では弘治の変、裏の世界では輝虎暗殺帖と呼ばれる、陰の戦いが始まろうとしていた。

 

 花の御所の中でも、妙心寺の境内では閉じ込められた兵士たちが右往左往している。

元から広く作られ、壁も壮麗で用水路を堀として使った瀟洒な造りだ。あちこちに花や木々が植えられているが、そのせいで別区画へ行くための道を封鎖されると動き難いのである。そして上層部を閉じ込めたこのエリアには不思議と敵も入っては来ない。

 

そんな中で、祈祷所への道を守る武芸者たち。

そして彼らを抹殺して輝虎を目指す忍者たちの戦いが、人知れず行われていた。

 

「木っ端忍者どもめ、掛かって来い!」

「はっはっは! 田楽刺しにしてくれるぞ!」

「貴公ら。アレが始まるまでは迂闊に出るなよ、数で攻められると面倒だ」

「まあ弾正様が祈祷を終えられるまでは時間稼ぎよなあ!」

 武芸者たちは数人ごとにまとまって祈祷所周辺をガードしている。

要所要所はカンスト組が守っているが、そんな連中の数が多いわけではない。だが、頂上の頂には及ばないものの、彼らもまた腕利きには違いが無かった。

 

ある者は太刀から闇を放って槍の様に斬撃を延ばし、別のある者は太刀や小太刀を磁力の様に使って蛇腹剣の様にして振り回す。あるいは鎖鎌から雷電を迸らせ……と、それぞれが得意な魔法を絞り、それを剣術に組み合わせる武芸の達人でもあった。

 

「流石は弾正の精兵。聞きしに勝るわ」

「ここで時間を掛けるのも上手くは無いな」

「ここはワシが行こう。役目は済ませたゆえ好きにして構うまい?」

「「……」」

 襲撃者側の頭目格が三人。その内の一人が前に出た。

その男は『唐沢玄蕃』の顔をしており、配下の忍者たちを此処まで導いた者である。忍びの数はそう多くはないが、二人の頭目だけで御釣りが来よう。輝虎配下の常備軍が精鋭ならば、攻める方もまた精鋭だけが居れば良い。

 

そして残る二人は別方向に別れた。

一人は攪乱を兼ねて義輝たちの元へ向かい、もう一人は輝虎を目指している。一人目は忍者の中でも魔法使いの部類であり、もう一人は……まあ直ぐに判るだろう。

 

「お前たちは下がれ」

「援護も要らん、怪我人が増える」

「ですが!」

「そう思うならば小太郎の元へ迎え。奴には数が居るが、ワシにはむしろ数は足手まといよ」

 偽玄蕃は手下たちに声を掛けると、大きな鉄扇を拡げる。

そしてもう片方の手で、煌びやかな色合いの扇子を掲げたのだ。その風流な姿は彼の戦仕度であり、部下たちも渋々ながら退散していく。既に倒された仲間の仇を討ちたいのであろうが、忍術に巻き込まれるのを避けたのであろう。

 

「行かせると思うか?」

「時間稼ぎに徹しておいて良くも言う」

「まあ時間稼ぎをしていたのはこちらもだがな」

「何っ!?」

 ここで武芸者たちが足止めに出ようとする。

輝虎を守り聖戦発動まで時間稼ぎをする為だったが、彼らを無視して輝虎を目指すというならば話が変わってしまう。腕利きらしき頭目格だけならカンスト組に任せたと言えるが、雑魚を行かせるのは勝手が違うのであろう。だが、それはこの偽玄蕃も同じことだった。

 

ある目的の為に時間稼ぎをしていたが、同時に頭目たちを辿り着かせねばならないのである。

 

「うぬらには聞く耳は不要であろう」

「さて、見るがよい我が芸を」

「ぬっ! 扇子が宙を舞うだと……」

「それだけではないぞ。一枚が二枚、二枚が四枚、四枚が八枚……」

 偽玄蕃が煌びやかな扇子を投げると、手裏剣のような鋭さで空を舞った。

いや、この場にいる者は知らないであろうが、ブーメランを思わせる機動で戻って来るのだ。それを高速でジャグリングさせていくと、無数の扇子手裏剣が宙を舞って武芸者たちに襲い掛かる!

 

だが武芸者たちもさるもの、咄嗟に背中合わせになると宙を舞う奇怪な扇子を撃ち落としていったのだ!

 

「私に任せろ!」

「なんの、貴様だけが得手と思うなよ」

(む……簡単過ぎて妙だな。それにこの匂い……)

 鎖鎌や魔法で延長された刃が次々に扇子を撃ち落とす。

そのたびに煌びやかな扇子は切り裂かれ、あるいは撃ち落とされながら光を乱反射させていく。しかしこれでは大道芸であると武芸者の一人が思った時、奇妙な匂いが周囲に立ち込め始めた。そう、ここまでの段取りはただの仕込みに過ぎないのだ。

 

「迂闊! 息を止めて風上に回れ! 幻魔の毒だ!」

「ひ、卑怯な!」

「馬鹿め。風下に立ったうぬらが不覚よ」

「それに風上だと? そのような物はないぞ!」

 幻術だか薬学に心得のある者の叫びで武芸者全員が走る。

しかし時既に遅く、魔薬がまき散らされていた。いや、それだけではない! 偽玄蕃が巨大な鉄扇を仰ぐと、風がコントロ-ルされて武芸者たちの周囲を舞ったのである。残った扇子数枚もまた鳥か何かの様にコントロールされ、武芸者たちの周囲を追随していった。

 

「卑怯者め! 尋常の勝負を致せ!」

「忍びに勝負とは愚かな。だが良かろう」

「これで良いかな!」

「ひ、人が宙を舞う扇子の上に飛び乗るだと!? 妖怪変化か!?」

 口元を抑えて太刀を振り回す武芸者の言葉に偽玄蕃が乗った。

だが乗ったのは言葉ではない! 扇子の上に飛び乗って、宙を舞いながら一同を見下ろしているのだ! 何という奇怪な! なんという忍びの技か! 扇子の上に飛び乗り、蹴り出すようにしてその勢いを高める。そして自らは扇子を選った衝撃で別の扇子に。扇子から扇子に飛び移り、扇子の方は紐を絡めた独楽の様に加速していくではないか!

 

高速回転する扇子に切り裂かれ、あるいはキリキリ舞いする扇子の美しさに目を奪われていく。

 

「なんと不甲斐ない。掛かって来いと言ったのはうぬらでは無いか」

「いつまで地べたに這い回っておるのだ? ククカカカカ!!」

「そうか! 判ったぞ! 目くらましの技に、これほどの猿飛の技!」

「さては飛び加藤! 加藤段蔵かああ!」

 高速で飛来する扇子はまさしく手裏剣の如し。

魔薬をまかれ、空を舞う偽玄蕃に武芸者はまともに戦う事が出来ない。一人、また一人と地に伏し始めた。幻覚剤の類であっても大量に吸い込めば危険。その中で手裏剣を食らって牽制されればこうもなろう。だが、あまりの冴えに、その正体が発覚する!

 

風間小太郎の弟子の一人、加藤段蔵。

幻術を操り強烈な体術で空を舞うとすら言われた凄腕の忍者である。彼が相手では唐沢玄蕃も危うかったのかもしれない。武芸者が弱いという訳ではないが、魔薬を焚かれてから挑んだのでは勝負にもならぬ!

 

「キャッキャ! 面白い大道芸だね!」

「糸の上か何かに乗ってるのかな? かな?」

「上から見てると丸判りなんだけどさ~。あいつらの顔、面白れえよなあ」

「……小童。儂の術を見抜いたか」

 だがその時、屋根の上から声が掛かった。

武芸者たちに道の封鎖を任せて、何もせずにボーっとしていたクソガキである。あくまで段蔵の目くらましは催眠術であり、真正の幻術ではない。角度を変えて視点を変えられたら、言う程に効果はないのだ。煌びやかな扇子の色合い、それを投げて視線を誘導し、魔薬を風上から焚き染め、扇子にも仕込んで撃ち落とさせる。一連の行動を他人事として眺めていたのだった。

 

クソガキも興福寺攻めより歳を重ねて少年めいた姿に成長した。

加護の問題もあるので筋骨隆々とは言わないが、しなやかな筋肉を毛皮で包む姿はマシラかさもなければ猟師の類であろう。しかし、この少年はれっきとした武芸者なのだ。

 

「名乗れ小童。この段蔵が名前を敷いておいてやろう」

「今はねえよそんな上等なモン。だけど将来の名前は決まってんぜ」

「鬼と伝えられし大剣豪。伝鬼坊たあ、俺のことだ!」

 段蔵は巨大な鉄扇を構えて屋根の上に立つ少年に相対する。

足元には細い糸が張り巡らされ、上に立つはずの少年と同じ目線に見えた。だが少年は笑って太刀を右手一本で担ぐと、左手を突き出して名乗りを上げたのであった。

 

こうして恐るべき三忍と呼ばれた、加藤段蔵との本格的な戦いが始まる!

 

 ここで少し整理しておこう。襲撃側が優位に立てた理由は三つある。

一つ目は壁・堀・別房などの構造によって守備兵を分断した事、彼らは妙心寺の造営完了をあえて待っていたという訳だ。二つ目は輝虎が黒幕だと騙って命令系統の混乱を図った事、輝虎を疑う者も居るし逆に彼女が支配者になることを望む者もいるだろう。その相反する両者を同時に煽り、兵士たちが積極的に動かない土壌を作り上げたのだ。下剋上の時代ゆえに強い方に付くことはおかしくないし、将軍と三好長慶の両方を同時に手中に治めるチャンスに見えなくもなかったのも影響しているだろう。

 

三つ目はそれらの複合により、信頼できる手持ちの兵のみに絞らせたことである。

誰も彼もが信用できないのであれば、最終的に直衛である十数名ほどの勝負にならざるを得ないのだ。その上で狙うは輝虎ただ一人、いや、倒せずとも『この機に輝虎を除いた方が良いのでは?』と足利義輝ほか上層部に追わせれば勝ちだと言えた。下剋上の時代だから上を除くのが当然であるならば、ゆえあれば上が下を除く事もあろう。

 

「ど、どうすべきでござろうか?」

「山内様からは弾正様が御謀反とも……」

「うろたえるな、こぞうども!」

「か、上泉殿……!?」

 同じ関東出身の剣士が上泉伊勢守信綱に内緒話を始めた。

だが信綱は怒号を上げ、周辺で様子見をする仲間達を諫める。常備軍の第一大隊に所属する者の中には、山内上杉憲政から『輝虎が謀反を計画しているようだ、備えて将軍家を守れ』と伝えられていたのだ。憲政の使者がセレモニー訪れるまで待って確認しようとしていたところで、突如として弘治の変が始まってしまい焦ったのである。

 

そしてヒソヒソと声を潜める同郷の仲間を信綱は叱った。

 

「うぬら! 弾正様の何を見ておったか!」

「あの方は清廉潔白! 野心の欠片も持たれぬお方ぞ!」

「御謀反? ありえぬ! 将軍家を打倒するだけならば、何時でも出来た!」

「そのような野心が無いからこそ、大樹様は御心の支えとされたのだ! 亡き上皇様は何と仰せであったか!? 天晴れ神兵よと! 我ら田舎者を神兵とお呼び為されたのだぞ!」

 信綱はあえて声を上げることで話題を誘導した。

彼もまた輝虎の兵と疑われて居よう、また越後以来の者には関東からの者とも思われている。真相に近い居る位置からは、憲政の息が掛かっているのではないかとも疑われているかもしれない。だからこそ、ここで話を事件収束へと向けたのだ。疑いたいなら疑えば良い、だが下剋上はならぬと声を上げたのである。

 

もちろん信綱とて一切悩まぬわけではなかった。

憲政の心根を知っているがゆえに真相に近いだろう。そして国人ゆえに山内上杉家に付くか、越後上杉家……いや、輝虎に付くかも迷った。だが、ロマンチストの輝虎に付き合ううちに……彼もまたロマンに目覚めたのである。

 

「今こそ一天万乗の君に従う神兵を名乗る時ぞ!」

「乱世を終わらせようとする大樹様に危機が迫っておる」

「今立ち上がらずしていつ立ち上がるのか? ここで立てば神兵、座れば腑抜けよ」

「ただの武辺者で終わるか? それとも神兵を名乗り軍神に付き従うか? ここで弾正様と共に大樹様を守れば乱世が終わる、富も名誉も後から付いてくるわ!」

 ゆえに信綱は旗幟を鮮明にした。誰あろう、輝虎に付くと決めたのだ。

ただの女ではない、大大名でもない、自分たちに途方もない名誉と頭がおかしい程の高禄を約束してくれる軍神だ。誰を恐れるか、御家の存続に九族が路頭に迷わぬだけの金。そして日本一の神兵よと名乗れる名誉の全てがそこにあるのだ。その先に謀反などありえず、誰かを守るために此処に来たのではないかと武芸者たちに喝を入れたのである。

 

その時、彼方から掛けられた声がある。

それは遠くから来るのに、不思議と耳元で聞こえたような気がする。その姿は走れば千里を駆け、その耳は三里先に落ちた針の音すら拾うと言う……恐るべき三忍の一人だ。

 

「流石は剣聖。野心多き武芸者どもをまとめたか……」

「何奴!」

「……風間小太郎。まかり越して候」

「不埒者め!」

 そこに居たのは頭巾を被った怪しい男。

フードのようなぼろ布を体に巻き付け、風に流離う風神かさもなければ死地に佇む幽鬼の如く。先ほどの加藤段蔵より若い声であり、おそらくは代替わりした若当主としての小太郎であろう。

 

そこへ間髪入れず、数名の武芸者が剣を片手に打ち掛かるのだが……。斬り掛かった瞬間に、グニャリと崩れて黒い靄が周囲に立ち込めていく。

 

「なんだこれは!?」

「奇怪な! 妖怪だと!」

「いや、違うぞ! これは……羽虫の群れだ!」

「左様。風間が富士の霊峰にて育てた符蟲道……味おうて見るが良い」

 人間の体が容易く崩れる筈がない、怪しげな姿は最初から虫の塊だったのだ。

そう考えれば声が届いた理由も判る。虫の塊を眠らせておき、フードを被せて囮としたのだのだろう。ならば本体はもっと手前だろうと信綱たちは近場を見据えて油断なく構える。

 

「上泉様、我らが切り込みましょうぞ」

「我らが頑迷をよくぞ打ち砕いてくれましたな」

「おぬしら……」

「上泉様は弾正様を! 我ら神兵の技をごろうじよ!」

 武芸者の技が初見殺しならば、忍者の術もまた必殺。

それを承知で武芸者たちは前に出た。同じ死ぬならば自分達が先行きであり、要の信綱は死ぬべきではないと語ったのだ。彼らはみんな地方の武士であり、所詮は田舎者よと嘲笑れて来た。だからこそ神兵として生き、負けても満足して死ねるこの瞬間を何より喜んだのであろう。

 

「待てい! そういう事ならば我ら風間一党が相手しようぞ」

「名だたる剣聖ならいざ知らず、木っ端武者に小太郎さまは討たせぬ」

「小太郎さま! まずは我らにお任せを!」

「ならば死ね。そして半刻ほど時を稼げ。それでこちら側の術が完成する」

 ここで段蔵が送り込んだ忍者たちが追い付いた。

所詮は忍者、武芸者に叶うはずも無し。それゆえに小太郎は死ぬことで時間稼ぎを命じたのだ。この任務に参加した者は誰もが生きて帰る事を考えてはいない。彼らは里に紛れ、旅人として、あるいは薬師や猟師として相模から甲斐・駿河と渡って来た一族であり、保護していた北条家が凋落したことでその生存権を大きく脅かされた者たちであった。そして北条家の将には世話になった者も多い、ここで死ぬ覚悟を皆決めていた。

 

だからこそ、小太郎が持つ秘術『瘧神』の礎になったのである。

 

(すまぬな。忍法『瘧神』の礎と成れ)

(さすれば暗黒拳とは言わずとも、二撃決殺か七年殺しのいずれかが成ろう)

(血の刃、肉の弾として砕け散れ。是即ち本日の務め成り)

(我らが死すとも弾正は、あの外道はいずれ殺す。此度の忍務……後はあの外法師に任せるしかないのが悔しいがな)

 下忍たちに向けた最後の言葉、あれはワザとだ。

忍者には言葉に出して敵に教えるようなロマンなど存在しない。あえて時間稼ぎをしている事をバラして、乱戦に持ち込ませたのである。そして自らもまた『贄』として使うために、信綱の攻撃を避けながら輝虎を目指すという苦難に向かったのであった。




 今回はネタ回で山田風太郎とか横山光輝の世界です。
『弘治の変』がそれなりに採算を見込めたこと、輝虎ちゃんを何とかするチャンスがあるという解説回とも言います。

●恐るべき三忍
『加藤段蔵』
 催眠術と猿飛を駆使する詐欺師型忍者。
二代目小太郎の弟子で三代目と同期、今回出て来た四代目の相談役。
光学催眠・薬物・心理誘導など様々なトリックで相手を騙し、場合によっては逃げる・攻撃すると見せかけて魔薬を散布する。

『風間小太郎』
 四代目の小太郎で蟲分身や『瘧神』という秘術を使う符蟲道の法術師。
サモン・インセクトとかコントロール・インセクトとかあるので何とか地方で生き残っている。
ただし富士の霊峰とかあっての物なので、その内に衰退する秘術であろう。
面倒くさいので次回死にます。

『?』
 三人目の忍者で、こいつだけ風間一党とは関係ない。
虫使いの小太郎から見てすら外法師であり、真正の忍者とは言い難い。
面倒くさいので以下略。

●オマケ
『斎藤伝鬼坊』
 クソガキ。成長したことで少しだけスラっとしている。
敏捷で刀を扱える加護なので、卜伝の弟子たちの中では最初にカンストに届いた。
一撃に欠ける欠点を持つが、今回は相手が忍者なので特に問題視していない。

『唐沢玄蕃』
 ナレ死。

『押井七房』
忍犬。名前は当然、里見八犬伝の八房を参考としている、模様が七つある犬。
もちろん花の様に見えるも模様ばかりではないので、実際には七房と呼べるかも怪しい。
育てられたタイプとしては賢さと嗅覚全フリの探知犬、別に強くはない。


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その女、凶暴につき

 時間が経過するにつれ風間忍者たちが次第に討ち取られていく。

それも仕方があるまい。武芸者たちは得意な術を絞って鍛えるという意味では忍者と変わらないが、金を貰って武芸を磨いて暮らすという日々を送っているのだ。スパイゆえに多芸な忍びと戦闘力では比較になるまい。一人、また一人と数を減らしていった。

 

そして不利な戦いを行っているのは風間小太郎も同じだ。

下忍よりは優れて居ようとも、相手は剣聖たる上泉信綱。避けるための戦技と回避力を上げる忍術を使用し、さらに逃げに徹して初めて時間稼ぎが出来る程度でしかない。だがそれも後少しだ。

 

「観念せよ風間! 手下どももあと僅かぞ!」

「だが、まだまだよ。我ら風間一党、誰一人として生きて帰ろうとは思わぬ!」

「やれ! てつはうじゃ!」

「はっ! 風間者の散りざま、とくと見よ!」

 信綱が多重フェイントを掛けた斬撃を放ち、小太郎の肩を切った。

鉄糸を仕込んだ皮鎧と筋肉で受け止めるが、真っ二つになって居ない方が不思議なほどの手傷である。もはや速力すら保てぬ、そう観念した所で本格的な最終攻撃に打って出た。生き残りの忍者たちはみな武芸者に抱きついて懐に腕を入れたのだ。

 

さすれば硫黄と煙が立ち込め、俄に肉が弾ける!

ボフっと鈍い音がして、抱えた忍者は即死、武芸者の方も生皮を焼かれ既に重傷の者に至っては死に至る。

 

(……見事、見事な最後よ)

(よくぞ血を刃とし、肉を弾とした)

(これで忍法『瘧神』は成る、肉弾の幸い彼岸を渡っても忘れまいぞ)

(玉縄の衆はもはや何処にも居らぬ。南武蔵の民は重税を掛けた上杉に尻尾を振った。……長尾景虎。奴は人ではない!)

 和睦が成って、小太郎を始め風間一党は江戸に向かった。

どうにかして攫われた玉縄城下の人々を助けようとしたのだ。だが、そこにはもはや北条家の傘下で質素ながら平穏に暮らしていた人々は何処にも居なかったのだ。事もあろうに輝虎たちは、工兵たちに似た給与システムで働かせていたのである。

 

街道整備に協力し、大工仕事で家を建てれば見たことも無い金がもらえる。

確かに常備兵の精鋭よりは安いが、それでも一般の村人には縁のない銭であった。しかも越後経由で酒も塩も安く、働いた当日は飯も酒も一杯だけならもらえるというのだから戻りたくないのも当然だろう。殆どの村人は、その日暮らしの生活に慣れてしまっていたのである。風間一党は行商や旅芸人として仲良くしていたが、誰も説得に声を貸さなかったという。

 

「じ、自爆しただと!? 火球の法術か!」

「いいや違うぞ! あれぞ元寇で知られし、てつはうの技術よ!」

「忍びずれに弟子どもが剣の道を絶たれた気持ちはどうだ? 我らの悔しさの一端なりと知れ!」

「そして小太郎の散りざま、見るが良い」

 祈祷所までさほどの距離ではないが、もはや届かぬ。

その事を知って小太郎は最後の手に討って出た。あえて信綱を煽り、部下の犠牲を使って武芸者が何もできなくなったと告げてやる。死なずとも手足の筋肉が焼けてしまえば、もはや戦えぬと煽ったのだ。

 

そして小太刀を抜いて、ズブリと己の腹に突き刺したのであった。左手一本で真一文字に横に引き、残る右手を……。

 

「腹切りだと!? 観念したか!」

「命が惜しくば近寄るまいぞ!」

「これぞ忍法……、おこりがみ!」

「我がハラワタ……あの外道にくらわせてくれるぞ……」

 小太郎は腹を切裂くと、腕を突っ込んで内臓を抉り出した。

あまりの壮絶さに唖然とする一同に対して、見せつける様に引きずり出し……握り込んだ肝臓を誤魔化したのである。そして血を吐き、血の涙を流しながら信綱ではなく……輝虎が籠った祈祷所へヨタリ、ヨタリと歩いていくのであった。

 

「させぬ!」

「剣聖よ! 貴様も連れて行く! 」

「瘧……神が、秘術の一つ。七年ごろしが……貴様を狂わせる」

「一足先に、地獄で……待っておるぞ!」

 驚こうが何をしようが、信綱の体は技を覚えている。

虎が尻尾を振るかの如き、一閃でニ撃を放つ最速の斬撃! ただの一瞬で小太郎の手足ごと切り裂いたのだ。ゆえに小太郎が握り込んでいた、肝臓が弾けて周囲に血潮を振りまいたのに気が付かなかったのである。信綱も己に返り血が散った事に気が付いたが、小太郎が何をしたのかまでは気が付かなかったという。

 

だが、その事が信綱を……いや武芸者たち全員を追い詰めることになった。

忍法『瘧神』とは何か? 瘧とはマラリヤを始めとした疫病の事。風間小太郎は疫病を制した事で、瘧の神と呼ばれることもあったという。そう、彼ら風間忍軍はその為だけに死んだのだ。死して屍拾うことなく、疫病を京の町に広めるために死んだのだ。

 

 その頃、将軍である足利義輝たちが籠る妙心寺の本堂へ最後の忍びが向かっていた。

その姿は小さく、細くそして動きは緩慢だ。まるで老人のような動きであり、……それでいて、頭巾や行者装束の下にある肌には張りがあった。

 

そして風に乗って鈍い音が何度か聞こえるのに耳をそばだてる。

 

「てつはうか。風間の衆は本懐を果たしたようじゃのう」

「さても恐ろしき蟲使いよ。直に興福寺の奴ばらも結界を築こう」

「ならば……わらわもお役目を果たさねばならんの」

「上杉輝虎。その武名に泥を塗ってくれる」

 おそろしき三忍と後の人々は畏れを持って語った。

それは三名の忍びが、それぞれのやり方で忍務を成功させたからだ。己の命すら勘定に入れ、我が身と引き替えに役目を一つずつ果たしていった。

 

先に言っておこう、この三名の忍びは全員が役目を全うしたのだ。

それがどういう結果を日本史にもたらしたのか、輝虎たちがどう対処したのかは今は……語る時ではない。

 

「そこまでだ狼藉者め!! それ以上は本殿に近寄るでないぞ!」

「松永……久秀。何故、策士である貴様が此処に……」

「お前たち不埒者のせいで随分と面目をなくしてのう」

「しかも、てつはうじゃと? あんな物まで持ち出すとは。知っておるのは儂や毛利の衆くらいじゃと思ったのじゃが……それだけにまっこと迷惑を掛けてくれたものよ」

 松永弾正少弼久秀は兵を連れて巡回していた。

本来、彼のような身分の者がすることでは無いし、するとしても剣豪としても名を馳せた細川兵部大輔藤孝あたりが担当すべきであった。だが、彼が言うように反乱側の策謀を見抜けなかったことで、足軽頭からやり直すつもりで巡回していたのである。もちろん、現場の情報を仕入れて、判断材料にする為でしかなかったが……。

 

魔法があるこの世界ではあまり発展して居ない、火薬が出て来たことでさらに追い込まれることになった。

 

「やれやれ、計算が狂ったわ。そも久秀は居らぬと思うたのじゃが」

「ふん。小早川の他にも色々客人が来ておっての」

「じゃが、それにしても、誰が名前を許したか!」

「……知らぬ顔でもなし、少々つれないのではないのかえ?」

 しかし、それも仕方がない事なのかもしれない。

その女は久秀旧知の間柄であったのだから。他ならぬ若い時分、共に色々とやらかした相手であった。酸いも甘いも嚙み分けるどころか、後ろ暗い事も任せたことがある相手。久秀しか知らぬことになって居ることをこの女は割りと知っていたのだ。

 

「っ!? まさか……」

「そうじゃ、長年連れ添うた顔を見忘れたか?」

「天竺渡りの四十八手を試し、房中術を鍛え合った仲ではないか」

「上杉弾正の名前を落としに参ったが、まさか松永弾正。貴様の名前まで泥を塗れるとは思わなんだわ」

 女が頭巾をずらした瞬間、その顔色が一気に青くなった。

その女は久秀の若き日を共にし、暗部まで任せた相手であったのだ。水魚の交わりどころか褥を共にして日夜、立身出世からこの世の悦楽までを語り合った中であった。

 

「……果心、貴様よもや……儂を陥れる算段であったか!」

「貴様には随分と良くしたに! 死を偽って出奔どころかここまで手を噛むとは!」

「それが死に別れた女に向ける言葉かえ? まあ死んだことにしたのはワシの都合でもあるがの」

「ともあれ両弾正の浮名はここまでよ。いっそ織田弾正にも何かしてやれば面白かったやも知れぬがなあ」

 その女の名前は果心居士!

生没年の一切が不明の忍者、ゆえに存在すら疑われる希代の幻術師であった! 畿内を縄張りとして暴れていたが、近頃はとんと話を聞かぬ。彼女を使って悪事を働いていた久秀は、死んだと聞いた時に残念がると同時に、たいそう胃が楽に成ったという事である。何しろ共に働いた悪事の数々は数えられよう物ではないのだから。

 

「何をする気か知らぬが、これ以上の狼藉はさせぬぞ!」

「せっかく天下が収まり平穏に成ろうというこの時に!」

「それよそれ、貴様にはギラギラした野心が似合おうにつまらぬことを言う物」

「それにじゃ、何をする気か知らぬじゃと? このワシ、果心居士が為すは幻のみよ! 世に忍びはあまたあれど、幻の寵児。大幻術師といえばこの果心を置いて他にはおらぬわ!」

 それは奇妙に矛盾した話で合った。

久秀が平和を願う事も奇妙ならば、果心居士がそれを残念がる事もまた奇妙。いや、そこは君臣の情や、男女の情と思えば理解も出来る。三好長慶を良き君主として慕う事も、松永弾正を悪漢として讃えることも人の情でしかない。

 

それより奇妙なのは、たかが幻術師風情が何をできるというのか!?

 

「っ!? まさか貴様……」

「気付いたか久秀。伊達に長年連れおうてはおらぬ」

「じゃが、もう遅い。謀反人の名前は『長尾景虎』、実におかしなことよのう」

「あからさまに虚名、罪を押し付ける為に適当に名乗ったと思っておるのじゃろ? 実にその通り! うぬらがすべきは、さっさと否定して見せる事であったになあ! ゆえに……我が事、成れり!」

 顔を青くした久秀がより一層に顔を青くした。

事態がこれ以上悪くなるのか? その通り、しかも久秀たちが読み違えたがゆえに一層悪化するのだ! それでこそ上杉弾正大弼輝虎を貶める最後の一手なのだから!

 

果心居士は己の顔に手を当てると……頭巾とフードを取って仁王立ちになったのである。

 

「その顔……やはり……」

「そうじゃ! 弾正めの顔よ!」

「これで……全ての元凶は上杉弾正に相違なし!」

「もはや醜聞は止まるまいぞ! 多くの者が見るじゃろう! 弾正様が大樹様を殺そうとなすった、京の都に火を放ち、さらに悪疫を放ったとな! 千年先まで語られようぞ!」

 現れた姿は輝虎ソックリであった。

ニタリとした表情が合わぬものの、その顔付きも……それどころか華奢で小さかった体つきまでが輝虎に似ているではないか! 果心居士の技は幻術と相場か決まっている。ならばこの程度の小細工は容易かろう。

 

「まだだ……。うぬをここで仕留めれば……」

「むーりだ。今更止まらぬよ。いいや、忘れておるのではないか?」

「興福寺の奴ばらがここに至るまで何もしておらんのを忘れておらぬか?」

「貴様らは弾正の秘術を心待ちにして時間稼ぎしておったのだろう? それはこちらも同じことよ! 強い? 神兵? 神州無敵? ああ、貴様らそうなのだな。良かったのう! 好きなだけ殺すが良い! 殺せるのならばなぁ!」

 青ざめる久秀に果心居士は断言した。

そして興福寺が僧兵を一切動員せず、済ませた理由をここで開陳する。そう……あの連中は最初から、儀式魔法を使うための術者を送り込んでいたのである。

 

「ワシは修験道は知らぬ故、オン・シュラ・ソワカとでも言えば良いのかすら知らぬ」

「ただの加護を与える結界に過ぎぬと聞いて居る。ただその効果は覿面よ」

「風が吹けば蘇る。敵も味方も、全ての死体が蘇るのじゃ」

「ワシらの手勢が既に生きてはおらぬ? いいや、むしろ死んで居らねば困るのよ! 死者にのみ掛けられる幻術も掛けておるでのう。もう一度申そうか! 全ての元凶は上杉弾正に相違なし!」

 むくりと何処かで死体が動き始めた。

欠点は幾らもあろう、そも結界を築くには四本の基部が必要で、維持にすら三本は必要。だが花の御所造営に際して一色家を介して手配していた。その能力も強くはなく、制御すら曖昧だ。死体が動き回るだけの術で、理性を保っているならば術者にすら従わない。

 

その効果は『死を禁じる』以外の効果が無い……修羅界を演出するためだけの魔法であった。問題なのは……そこに果心居士が幻術を掛けているということである。

 

 死体が動き回り、常備軍の服装をして人を脅かす。

更には瘧のキャリアーとして、悪疫を引き越す。放っておけばそんなことになるだろう。上杉弾正大弼輝虎がそれをやったという目撃証言も広められ、京の街が壊滅すれば歴史にも残ろう。

 

だが、その時……輝虎は何をしていたのか?

 

(もーやだ! なんで私がここまで言われなきゃなんないの!)

(みんなでお金たかってさ! あるからあげたけどもっと寄こせって!)

(戦えって言われたから勝ったのに、勝ち方に文句まで付けてサイテー!)

 祈祷の途中で逆ギレを起こし、最後の最後の詠唱部分に踏み込めないでいた。

今回の件で『お前のせいだ!』と言わんばかりの訴状が投げ込まれたこともある、これまでのストレスもある。しかし知っているだろうか? 史実の上杉謙信は結構ナイーブで癇癪持ちで、そういった面を精神面で押さえつけていたのだ。我儘をいう国人たちを調停し、何度も謀反を起こす豪族を一族全員許してあげたり。

 

そこから逃げるように酒を浴びるほどに呑み、戦国大名にあるまじきことに……国主としての地位を投げ捨て、修行の旅に出た事すらあったのだ。止せば良いのに、この転生者の女はそういう悪い面がよく似ていた。

 

(しかも! あとちょっとで全部終わるところでさ!)

(これから平和に成って楽ができるねーってタイミングで!)

(全部終わったら隠居して好き勝手するからさ! 地位もお金も全部あげるってのに!)

(何もかも台無しじゃん! ムキー!)

 そんな心と葛藤し、自分と向き合っていたのだ。

こんな状況で聖戦の呪文を発動し、無理やりに勝利する必要があるのか? そこに意味はあるのか? そもそも誰かに自分の行動は望まれていたのかと悩んでいたのである。

 

呪文を発動するならば造作もない。

祈祷所の効果と多聞宝塔の呪文を組み合わせれば十分に成功する程度には神聖魔法の腕も磨いていたのだ。だが、ここに来て葛藤が邪魔をする。

 

「弾正様。お急ぎの所、申し訳ありませぬ」

「このような時に! 弾正様はお忙しい! 後に致せ!」

「いえ、以前この寺に居られた住持様より、弾正様がお悩みの時があればこれをお見せせよと」

「……? どなたからだ?」

 そんな中、一人の僧が小さな箱を持って来た。

由緒はありそうだが小さく、大したモノは入りそうにない。紙面による簡単な手紙であろうか? そう思った時……現われたのはただの花びらであったのだ。

 

「数代前の住持様で、太原崇孚様と申されます」

「雪斎殿が!?」

「しかし入っているのはただの花びらでは無いか……弾正様?」

「そうか。そうだったのだな……」

 太原崇孚、俗世での名前を雪斎と知られている。

今川家の黒衣の軍師として知られるが、それ以前はこの妙心寺において住持を務めていたのである。その優れた見識で今日の事を予見していたのか、あるいは何らかの加護や魔法によって知ったのやも……。何しろ雪斎は護国の禅師と贈り名された程の僧侶であったのだから。

 

縋るような気持ちでその花びらを見た時、輝虎の覚悟が決まった。

 

「弾正様!?」

「東林院に赴く。これまでよく仕えてくれた」

「弾正様!? それは如何なることでしょうか!」

「お、お待ちくだされ!」

 四枚の花弁に、一文字ずつ文字が書かれていた。

その文字を連ねて読んだ時、そしてこの寺の別房にある東林院に、とある花が咲いている事を知って輝虎の覚悟は決まったのだ。

 

これまでの葛藤がすべて消え、嘘のように神妙に成った輝虎の顔に一同は驚くどころでは無かった。

 

「今日の災い、日の本で起きる騒乱の全ては連れて行く」

「みな、達者でな。もし輝虎が永らえることがあれば、どこかで会おうぞ」

「な、何をおっしゃっておられるのです? あのような者共、勝ちようはあります。何が書かれておったのですか!?」

「それはな……」

「阿・頼・耶・識」

 輝虎はそう言って、入滅するために東林院にある沙羅双樹の庭に赴いたという。

この日に唱えた最後の呪文は、聖戦の呪文などではない。同じ位階にもう一つだけ存在し……最高ランクの魔法を唱えると言う加護を持ちながら、これまで輝虎が唱える事の無かった呪文である。

 

その日……毘沙門天が京の都に降り立ったという。




 と言う訳で風間小太郎も三人目である果心居士も死にました。
敗北することを前提に特攻したので、読み勝った感じですね。
幕府側は苦い勝利となるはずだったのですが……。まあ何が起きたかは次回の講釈で。


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そして御伽話になった

 ゴーンと鐘の音が鳴り、日本に居た誰もがその音を聞いたような気がする。

そこには黄金の巨人が居た様な気もするが、緑青の様な色合いであったような気もする。手には塔にも鳥籠の様にも見える何かを持ち、中には鳥にも虫にも老人にも見えるナニカが自ら閉じこもっていた。

 

男性とも女性ともつかぬ光の巨人を見て、人々は毘沙門天が現れたことを知った。ガスパル・ヴィレラに言わせれば大天使ミカエルなのかもしれないが。

 

『虎千代や』

『虎千代や……』

『何故、そなたは泣いておるのだ?』

『仏様……』

 幼き頃、輝虎がまだ虎千代と呼ばれていた頃。

彼女は世の無常に涙していた。林泉寺に預けられ、人恋しさを紛らわせる為に子供たちと交流し、その中で様々な事を知ってしまったのだ。知らねばヤンチャな猿山の大将で居られただろう。

 

「みなが食い物がない、着る物が無いというのです」

「住む所を焼け出された、戦があると攫われて来るというのです」

「食い物がまずい、酒も飲めない、なのに人々は争うのです」

「いいえ、いいえ。争うから食えないし酒も飲めないのでしょう」

 虎千代は普段から何気なくやってる衣食住が人々には足りない事を知った。

彼女は守護代の家に生れて、何不自由なく暮らせたし、幼き頃から頑健で聡明だったので姉と違って後継者候補の一人になった。だからこそ林泉寺に預けられて教育されていたのだが……。

 

その途中で世の無常を知り世を儚んで泣いていたのだ。

 

「どうして人は争うのでしょうか?」

「手を取りおうて助け合えば良いのに」

「戦わずとも満足して欲しい物を手に入れようとすればいいのに」

『ではお前はなぜ何もしないのかね? お前が語り掛け、努力を促せば少しはマシになるだろう。もしお前が協力してやればもっとマシになるだろう』

 どうして? それは世の無常に向けた問いであった。

決して満足の行く答えなどないと幼き虎千代ですら知っていた。妙に敏い虎千代は、自分が何かをしても大したことは無いし、自分が食べられる物、着ている物を分け与えても足りないことを知っていたのだ。

 

だからその問いは、あくまで神や仏はいないのかと問うていたのである。

 

「……仏様。虎千代にはどうして良いのか判りませぬ」

「助けてやりたい、世を糺したいとは思いまする」

「しかし誰も虎千代の言う事を聞いてくれませぬ。仕方がない、どうしようもないと」

「みんないつか死ぬるのだから、それまで我慢なさいと言うのです。人の世は何と短く、そして無常なのでしょうか?」

 幼き日の虎千代は妙に聡明であった。

誰もが望むことをやり遂げ、子供ながらに武芸も知識も文芸的なこともこなせた。さすがは若君よと言われて有頂天になっていたが、それが身内だけの事。寺を一歩でも出て、足軽長屋の隅でひもじくて泣いている子供を泣き止ませること面出来なかった。一人・二人ならば自分の食い物を分け与え、小姓にも命じれば十人くらいはいけるだろうとも知っていた。

 

だが、それが長い目で見れば何にもならない事も、子供ながらに知っていたのだ。何しろ泣いていた子供は馬に蹴られてあっけなく死んだし、その親は怪我で戦えなくなって子供とは別件で死んだのだもの。そんな子ばかりではないが、子供ながらに足軽長屋を蹂躙する我儘娘だったので、自然と耳に入っていたのだ。

 

『ではそなたに知恵を授けましょう』

『これよりはるか未来、そなたが幾度も輪廻転生を繰り返した後』

『今よりもはるかに恵まれた世の知識です。それを活かすも捨てるもそなた次第』

『為すべき事などありませぬ。そなたが為したい事を為しなさい。……ただし、知識は知識。己一人では為せません、汝が技は汝のみにて為すに非ず……』

 本来、御仏が加護として虎千代に授けたのは膨大な知識であった。

数世代の知識を一人の人間が記憶できるはずもない。御仏と人間の尺度の差によって、あっけなく虎千代と言う少女の記憶は焼き切れて精神が死んだ。だが肉体は生きており、生きて死んで蘇る内に……虎千代の未来の中から、とある一人の記憶を元に虎千代は再現されたのである。偶然に虎千代の中に転生したのではなく、統廃合された転生先の魂の内、たまたま無事だった相手が彼女であったというだけである。

 

そしてこの世界では一人に一つずつの加護がくだされる。

統廃合された虎千代の中で、未来の『彼女』が戦国の世に生れた時、改めて与えられたのがたまたま『最高位の神聖魔法を唱えることが出来る』という加護であったのだ。もし虎千代がアグレッシブに『私が日の本を統一します!』と言って居れば、最初から聖戦の呪文を自動発動できたかもしれない。もっとも……そんな性格であれば神も仏も手を貸さなかったであろうが。

 

 

「仏様、思い出しました」

「そうだったのですね……」

『虎千代よ。そなたには悪い事をいたしました』

『わたしは命を二つ持ってまいりました。蘇る事を望みますか?』

 虎千代であった少女はゆっくりと首を振った。

林泉寺で発狂してしまい、精神的に死んだことに対して御仏が謝罪して蘇生してくれるという。しかし、そんな埋め合わせなどは必要あるまい。何しろ、彼女の望みは叶っているのだから。そのくらいは代価として当然であろうと、子供ながらにませた少女であった。

 

「仏様。もし、叶うのであれば……」

「私の代わりに苦労したあの子を助けてあげていただけませぬか?」

「この十数年、虎千代に成り代わり……いえ虎千代自身として駆け抜けたのはあの子」

「もし、この世に蘇って何かを為すのであれば、自分では何もしなかった虎千代ではなく、あの子でありましょう。それに……」

 虎千代であった少女はにこやかに笑った。

妙に悟った顔なのは、生きて死んで蘇り、彼女が思っていた願いの殆どが奇想天外な転生者によって叶えられていたからだ。他人がやったことを自分のやった事として享受するような性格を彼女はしていなかったのである。

 

「あの子の知識に寄れば、虎千代は後二回、変名を残しているそうです」

「ならば此処で一度死に、別の名前で蘇っても良いではありませぬか」

「次の名前と……ふふふ。どなたかと添い遂げて婚礼をした名前でしょうか」

『それが望みならば良いでしょう。では砕け散るそなたの魂は、わたしが受け止めましょう。もし魂がもう一度蘇ることができるならば……その時は、貴女こそ……神に最も近い者として、歴史に名前を残すかもしれませんね』

 御仏の掌の中へ虎千代は掬い上げられた。

砕け散っていく魂は再分解され、また一つの塊になっていく。神仏の失敗により与えられた二度目のチャンス、活かすも殺すも走り抜ける人生の持ち主次第なのだ。

 

 ゴーンと何処かで鐘が鳴った気がする。

その音を日本に居た誰もが聞いたような気がするのだ。そして黄金の輝きが散っていく中、神に捧げられた金属である青銅が、酸化して緑青色に染まっていくほどの、僅かな期間の奇跡であると……不思議と誰もが知っていた。

 

そしてその女は正気に戻った。

 

「いやーもう色々と面倒くさいんで本格的に隠居して旅にでも出ますね~」

「名前は謙信にしますんでそのへんヨロっ」

「あ、そうだそうだ。雪斎さまに色々とお世話になったし、今川家に江戸あげちゃってください」

「……うむ。うむ。そなたの良いようにしようではないか。そなたを留める事はない、そなたの好きな様に生きるが良いぞ」

 あれでも歯止めをしていた虎千代としての本性が抜けた。

よって残念な性格の転生者としての無礼で不躾な面が表に出てきてしまった。しかし将軍である足利義輝は、神降ろしによって魂が砕けてしまった影響だと捉えたのだ。太古の時代に審神者と巫女と神主の三位一体で占いしかできなかったことを、たった一人で奇跡まで起こしてしまってはこうもなろう。

 

そう考えてみれば人格が多少壊れていても、生きているだけ奇跡である。

それに……隠居だけならまだしも、あれだけ心血を注いで作った江戸をアッサリ手放すなどありえまい。今では南蛮貿易が可能な港どころか、付近の川や沼を干拓することで穀物の実りが期待できる平野に成れる可能性があると聞く。……まるで遺言であり形見分けの様ではないかと思うのだ。

 

「そうだな。ならば今川家の継嗣を足利家の分家として江戸公方とでも……」

「あ、もし既にお嫁さんが居る場合は、私の養女ってことにしたげてください」

「好きあってる人を引き離すのは可哀そうでしょ? モチ、身分違いの恋人が居る場合もネ」

(……確か、今川氏真には大膳の娘が嫁ぐ約束をしておったはず。……まさかあの噂が真実とは……事実は世にも奇妙じゃのう)

 今川家は足利家の分家筋であり、徳川幕府で言えば御三卿にあたる。

それゆえに義輝はライバル候補としてできるだけ京には近寄らせたくなかった。だが東国を支配する関東公方としては申し分ないこともあり、輝虎の……いや謙信の提案をアッサリ吞んだのである。それに八十万石ほどの今川家が江戸を手に入れれば、百万石相当には成ろう。親族である武田家も含めて、東国を抑える要石には十分であった。その際に本領である駿河が離れているというのは、好き勝手出来ないという意味では丁度良いとも言える。

 

なお、この時の義輝は謙信の台詞を微妙に勘違いした。

何と言うかライバル的なポジションになりながら、睨み合ってバチバチと交渉していた武田大膳大輔晴信との間柄は、世間では敵対者同士の間に芽生えた禁断の恋愛として噂になっていたのである。もちろん知っている人間たちから見れば噴飯物なのでむしろ放置していたのだが……しかし晴信の娘を自分の娘扱いにするということは、その噂を間接的に認めたということではないだろうか? とかなんとか誤解が後の世に伝わったそうな。

 

「他になんかあります? 私が居る間に出来ることはやっときますけど」

「そうだな……伊勢や一色は全て片が付いたが……ああ、奇妙な貝があってな」

「動き回る死人を含めて全ての害を毘沙門天様が掃討なさり、塩に替えられたのだ」

「死人は塩の立像となり、虫は地に落ちて全てが砕け散った。しかしな、不思議な事に川や用水路の傍に塩の塊があったそうな。なんぞ知っておるか?」

 コールゴットの効果で京の都を襲う全ての脅威が殲滅された。

アンデッドやらインセクト系の呪文で操られた感染源の虫は全てが塩の柱となった。だが奇妙なことに、用水路や賀茂川などで塩の塊があったという。もちろん水の中にある物は全て溶けてなくなり、川辺にあ在った物もジワジワと水気を帯びて消えたというのだが……。

 

早い段階で毒でも撒かれて居ないかと調査をしていた甲賀忍者たちが気が付いたという。

 

「貝? 貝? 病原菌の……あ、もしかしたら腸満の元かもですね」

「甲斐の方で見られる地方の風土病なんですけど、確か寄生虫が原因なんですよね」

「それが貝とかを中間に移るそうですよ。そういえばお晴さん……武田家で探してたかと」

「何処にあったかなあ……あったあった。コレコレ、百分割した甲斐の土地で、怪しい候補の中にあったってレポートで見たんです! 毒を消した後で、その残留物を排除する呪文作ってたら、生物系で反応したって書いてますね」

 甲斐で流行った日本住血吸虫は思わぬ段階で判明した。

それほど気にして居なかった晴信であるが、治水行事で釜無川を始めとして甲斐の国を開墾した時に判明し掛けたのだ。もちろん完全には把握されて居ないが、呪文の構成上、怪しいのではないかとリストアップされたのである。

 

この後、ミヤリ貝ならぬ上杉貝は甲斐の国を挙げて殲滅作業が始まることになった。

なお、甲斐中の貝を壊滅させるのは非常に難しいので、怪しい地域を徹底的に干拓。あるいは水分を吸収するという忍者の秘薬(生石灰)で処分していったという。

 

「儂はもはや望むことは何も無い。そなたのお陰で日の本は平和に成るであろう」

「そなたの望むことは何かあるか? 何でも叶えようぞ」

「知りたいことがあれば今のうちに調べさせる」

「特にはないですかね? 黒幕の人たちも自業自得らしいし、別に生き残ってても困りませんしね」

 黒幕たちはその殆どが自業自得な目にあった。

現場に居た伊勢貞孝や一色義幸は発狂し、神の祟りであると噂になった。関東管領である山内上杉憲政はこの顛末を聞いて禿げあがり、そのまま落飾して僧への道に入る。そして北条氏康に至っては手紙を握り締めたまま憤死したという。襲撃側で生き残ったは加藤段蔵ただ一人との話である。

 

なお、ヴィレラからこの話はソドムとゴモラの続く第三の退廃都市伝説として伝えられた。

ゴアや欧州へ出陣要請を出したのだが、ポルトガルがスペインに統合されてしまった事や、あまりにも荒唐無稽な話に完全に無視されたとの事である。もしこの時に戦力を東方に派遣して居たら、アルマダ海戦の敗戦などスペインの凋落はなかっただろうとか言われている。

 

 やがて彼女の足跡は日本から綺麗さっぱり消え失せた。

日本ですべきことはやり尽くしたとばかりに国外へトンズラこいたのだ。止せば良いのに宗家や島津家どころか、何でも言う事を聞くようになった雑賀衆や根来衆のコネも使わずに海外旅行を始めたのである。

 

おかげで助けた船に奴隷として売り飛ばされたというオチが付いて来た。

他人に共感して更に迂闊に信じる日本人の悪い癖が出たともいうし、エールに酔っぱらって実力も出せずに縛られ、目が覚めたら牢屋の中だったという。この事が幸なのか不幸なのかは現地でもいまだに答えが出ていない笑い話のような伝説の始まりであった。

 

「謙ちゃーん。あたしもう飽きたー!」

「穴掘りばっかでつまらないんだもん!」

「えー、でもさあ。ウっちゃんが居てくれてみんな助かるって言うじゃん」

 あれから数年が経過し、メスガキは立派な少女になった。

何と言うか毘沙門天を見てしまったため、いつまでもメスガキではいられなかったのだ。神による分からせではあるが、神を降ろした謙信には他人事なのでそんな自覚はない。やんちゃなお子様を宥めれば良いやなんて思う時期はもう過ぎたのだ。

 

なお、そろそろ良い年の謙信はともかく、この少女が奴隷化して手を出されなかった理由は簡単である。東洋人は気持ち悪いのと……変な事をしたらネジ切られる奴が続出したからであった。加護が怪力の少女に手を出す馬鹿はいない。

 

「思うんだけど~。もうあたしたちで締めちゃってさ、この国をなんとかした方が早くない?」

「えーそれダルクない? また国を一から面倒見る訳? だるいしー」

「別に最後まで見なくていいじゃんさー。適当な人を将軍様にしてねー」

「というか、ここの銀山を征服したら、後はバックレちゃえばよくない?」

 いままで奴隷生活をしていたのは、お気楽ご気楽素っ頓狂でいたいというだけだ。

責任問題を全部ぶっちして、日本を出国した女は違う。奴隷に落ちながらも神聖魔法を駆使して牢名主に収まると、困っている人々やら監視の兵を買収したりして、適当ぶっこいて生きて来たのであった。ちなみに一番のお気に入りは現地で手に入れたテキーラもどきである。

 

「やだやだ、いやなのー!」

「また助けた亀に捨てられて、竜宮城から追放されるみたいなのはヤダ!」

「んー。謙ちゃんが京でどんな目に遭ってるか知ってるし、こっちでも同じ目に遭ってるのは知ってるけどね……」

 それはある種のトラウマであろう。

山内上杉やらいろいろな勢力を助けて、その挙句に襲撃されたら世話はない。更には『お前が全部悪い!』とまで言われたのである。更いにいえば商人を助けたらそいつが酔っぱらわせて、珍しいからと奴隷として売り払ったのだからやる気が出ないのだろう。もともと面倒くさがりだし、牢名主に成ったら後は好き放題できるしね。

 

しかしウっちゃんこと真壁氏幹はこれでも豪族の娘であり、京ではいろいろ学ぶ機会があったのだ。同じ小姓として竹中・真田の双璧に鍛えられたのもあるだろう。脳筋だけど理屈をこね回せる考える脳筋なのだ。

 

「どっちみち、もう無理だと思うよ?」

「だって望月のおっちゃんとか嗅ぎつけちゃったもん」

「今ごろはこの地方の代官か、逆に隠れてる豪族たち探してると思うよ」

「あ~もう終りかー。ならしょうがないにゃー。とりあえず変装してから戦おうっか。バックレるならそっちの方が良いもんね」

 どうやら忍者軍団が駆けつけて来たらしい。

その事で楽しい牢名主生活に別れを告げると、謙信は獣の仮面と皮を被って反乱を起こした。ナワル・タイガーと名乗って五百にも満たない兵を組織すると、そのままメキシコ軍の中核である五万の兵士をさんざんに打ち破ったという。

 

こうして今度はテスカトリポカの化身と呼ばれつつ、次なる観光地とお酒を目指して逃げ出したと……シャイング・タイガーの碑銘には記載されているそうな。




 と言う訳でこのお話は完結します。
後は魔法とかのルール覚書とか、大名のその後のメモ帖。
書いたとしてもエイプリルフールですかね?
お付き合い、ありがとうございました。


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アフターフェスティバル

 輝虎が去った後の日本は緩やかな合議制度になった。

将軍である足利義輝が総代と成って決定するが、相供衆を務める百万石格の大大名やこれに準ずる一部の御供衆が部下を派遣している。大名自身は本領を確実に抑え、利益代表を兼ねた家臣が調整役となっているのだ。

 

羽柴秀吉が行った五大老と五奉行の制度よりも利権周りが強いというべきだろうか?

しかし義輝個人の武力はそう高い物ではなく、輝虎が残した常備軍を含めても将軍家固有の戦闘力が高くないのも影響しているだろう。

 

「それで、上野は収まったのですか義兄上(あにうえ)?」

「一応はな。しかし優秀な弟を盗られるとは思わなんだわ」

「そういえば典厩殿が扇ヶ谷上杉家の養子と成られたのでしたね。お喜び申し上げます」

「顕如……。いま困っていると言わなかったか俺は? こまっしゃくれた成長をした物よ。まあそうでなくば僧をまとめることはできんのであろうがな」

 本願寺を正式に継いだ顕如が武田信玄を迎え茶飲み話を始める。

今も弟の逍遙軒信廉を影武者として入れ替わり、東国の諸大名の中で一人、平然と自分自身で合議に口を出す始末だ。茶飲み話とはいうが、実質的には当主会談に近い。いや、合議制といえるのだから、党首会談でもおかしくはないだろう。

 

弘治の変の黒幕であった山内上杉家と北条家は追及によって衰退した。

もちろん雇っていた忍者が勝手にやったという態で誤魔化そうとしたが、諸大名が幕府に協力的な状況では意味が無い。背後で出回っていた書状を突き合わせると、黒に近いグレー。将軍家にまったく力がないのは大して変わらないのだが、それでも大義名分としては十分だった。武田家や今川家が中心になって、両者の領地や権益を削ぎに掛かったのだ。

 

「義兄上のお気持ちは判りますよ。しかし、武田家の伸長が大き過ぎます」

「それにあの謀反が成功した場合、越後の春日山城を落としていたやもしれぬ」

「そう申して謀反人側であったのではないかと言う者も居るのですから」

「武田家を分割して、山内上杉家の代わりに関東管領を構成する一家を担う……。十分な『配慮』ではあると存じ上げますとも」

 山内上杉家を追い込み、上野の殆どと北武蔵の一部を手に入れた。

坂東太郎と呼ばれた河川の多くを治水してしまえば、武田家は大きな勢力となるだろう。これが関東のみであれば将軍家も気にしないのだが、東美濃にまで及んでいる事が問題であったのだ。そして何より……怪しげな書状の中に、武田家に関する文章も存在したのである。

 

そもそも黒幕側が首尾よく輝虎を暗殺して、主君押し込めで義輝を幽閉したとしよう。

主犯は輝虎であり、自分たちはそれを討伐したなどと言って誰が信じるのだろうか? 少なくとも越後勢は報復に動くであろうし、身を守る兵力は精々が丹後一国といったところであろう。最低でも越後勢が動けなくなるような状況でなければ成らないのだ。

 

「例の書状は治部とも図って裏を掴むためにやったものだぞ?」

「内容を記載した物と、真の黒幕が義秋公であると突き止めた書状も事件前に送っている」

「せめて訴状であれば幕臣たちも信じたでしょうね。少なくとも松永殿は調べたと思いますよ」

 信玄を名乗り始めたのは、この世を去った謙信に習うための僧形とも言われている。

晴信と名乗っていた頃に黒幕の一人に目されていたので、その追及をかわす為の一手であるとの噂もあった。書状が実際に幕府に送られて居たのも確かなのだが……表側から特に優先度の高くない表書きでギリギリに送られており、実際に内容確認が行われたのは、事件が片付いたずっと後。しかも怪しい話を聞いた、実際には家臣を送るか、訴状として正式に送るという内容であったのだ。

 

今川治部大膳義元と図って謀反の失敗に備え、自分たちが黒幕側で無いと証明するための証拠作りではないか? そう疑われても不思議では無かっただろう。今川家との書状は実に明確に義秋からの包囲網参加への呼びかけを不要と論じたり、伊勢家の怪しさを訴えているが、幕府へ送った方は名前を控えている。もし謀反が成功すれば、その相手は輝虎だったと言っても通じる内容なのである。

 

「言っておくが俺が黒幕ならもっと上手くやっているさ」

「少なくともお前さんに声を掛けて事件の始末を任せている」

「そして丹後の連中も興福寺の連中もまとめておさらば。自分たちは弾正の……謙信だったか? 法要を行い後継者に収まるって訳だ」

「それ真面目におっしゃってます? その場合は謙信様の側に立ちますよ」

 信玄ならば黒幕も始末して全てを握る。そう言われれば信じそうになる。

だが実際には真の黒幕というか、大義名分を用意したのは義秋であり、既に信玄の手を離れていたから静観したとも言えるのだ。実際に話を持ち掛けられたら……本願寺としては協力した可能性もなくはない。顕如一人の感情はともかくとして、周囲の坊官たちは『この機に動くべきだ』くらいは口にしたであろう。

 

ただ、やはり感情面では顕如は謙信の為に行動したと思う。

妻を介して信玄とは義兄弟ではあるが……一向宗の聖地回復を狙って人質として越後に送られるという話が出た時、『寒くて子供には向かぬ。せめて温かに暮らせる伽藍の建立を待て』と言ってくれるような女性だったのだ。もしどっちと組んでも同じであり、手を取り合うならば謙信の方であろう。

 

「お前さんはまだまだ当主としての趣に欠けるな」

「それはこれから判るにしても、俺が黒幕なら治部の奴もだ」

「なのに奴には無償で江戸をくれてやり、俺は戦いと調停をこなした結果でこれだぞ?」

「その挙句に家を割らねばならぬというならば、せめて江戸は俺の方に寄こせと言うのだ」

 信玄としては目の上のタンコブとして謙信を除きたかった。

仮に世間が言う様に恋仲だったとしても、守って日本の平和など望むべくもなかった。武田家は程よい位置にあり、謙信さえいなければ越後も北関東も、当然の様に美濃も奪えただろう。そこまで行けば内に抱えた今川家を恐れる必要も無い。いや、むしろ今川家の方から臣従を申し出て来る可能性すらあった。天下を望むつもりはないが、東日本の覇者には成れたであろう。

 

そして何より気に食わないのが、大都市になりつつある江戸である。

南蛮貿易も許され各地から商人が……それも堺の大商人ですら訪れて大きな蔵を幾つも構えた。氷漬けにした魚や塩漬けの魚が山ほど貯蔵してあり、関東のみならず西にも運ばれるとの事である。その港を手に入れれば、どれほどの利益と食料が得られるか判らないほどだ。しかも治水で周囲を整えれば、田畑もだが難攻不落の城まで作れそうなほどである。

 

「だからではありませんか? 武田家が手に入れたら大き過ぎます」

「ですが江戸公方様の御座所としてならばこの上なく立派な場所でしょう」

「実家である今川家も小田原に居を移したとか?」

「国力的にも要石としても程よい塩梅であると拙僧は思うておりますよ。治部殿は三河に吉良家を復活させるとか、あの方は実に弁えておられますね」

 今川家は継嗣である氏真を足利家の養子として江戸に送り込んだ。

そして家臣となっていた親族の吉良家を本来の遠江ではなく、三河の大名として復活させる気であるという。もちろん氏真の子や吉良の子には今川本流の娘をいずれ婚姻させる気なのだろう。今川家という勢力を強大にしつつも、足利家から疑われない程度に自ら分割する算段であると思われた。

 

この辺りの如才なさが今川義元という人物の能力であろう。

太原雪斎も色々な遺言を残していたであろうし、もし妙心寺に残していたモノが未来視なり予言であるならば、その事も義元に言い含めていた可能性が有る。武田家の隆盛に追いつくと同時に、家としての格式や安定性を重視した策に出たのであろう。係争中であった織田家も、今川家と吉良家が別れるならばと安心しているのだから。

 

「それで北条家の方はどのような顛末になりましたでしょうか?」

「知っているのではないのか? 伊豆を含め小田原までは没収。箱根と玉縄に分割して存続」

「まあ美濃と同じような塩梅だな。稲葉山城と違って小田原城を奪われたのは大きいだろう」

「美濃と違って『伊勢を名乗ってならぬ』と釘を刺された分だけ不名誉が残るという辺りか。あの様子では当面の間、他所から輿入れはあるまいな。分家同士で嫁のやりくりをするほかあるまいよ。逆に言えばそれで許されたのは、それだけ小田原城が厄介だったからだが」

 北条家は罪に比して、落とすべき格式が無いので散々な有様であった。

斎藤家の場合は土岐家を追放しただけだったので、土岐家の復権を認めさせた上で、嫁いできた一色家の名前も許され分家ではないが親族扱いにはなった。分家複数に別れて存続と言う意味では同じだが、名誉に関しては問題ない。斎藤道三が協力的であったこともあるだろう。これに対して北条家は都を壊滅させる手段の提供もあり、本家である伊勢家も謀反に加わっていたのが問題であった。

 

結果として伊勢の本家は断絶、北条家も滅亡かというところであった。

しかし決定的な証拠が見つからなかった事と、小田原城が堅城であったことが、東国勢が面倒事を嫌ったために有利に働いた。憤死した氏康が切腹して責任を取ったことにした上で、小田原城以西を今川家に明け渡すことになったのである。おかげで北条家は分家幾つかに別れての存続をかろうじて許されたのである。

 

「最終的にその件を氏真が取り仕切ったことになっている」

「実際には治部がやったわけだが、これで関東諸将は大人しくなるだろう」

「北条は二つの城に挟まれて何も出来ぬ。上杉憲政も隠居して山内家の家督共々越後預かり」

「今ごろは本領安堵を願う簒奪者と、我こそは本来の領主だと名乗る負け者で江戸は溢れかえっておるだろうよ。だがそれでも治部は、今川家の為になる者を残すだろうな。ある時は正統性を重視し、ある時は実効性を重視してな。大局で平穏に向かえば良いと言う程度だ」

 義元は幕政や日本の平安の為に弁えているわけではないと信玄は語る。

あくまで今川家が生き残り、隆盛するためにこそ弁えているフリをしているのだと告げた。今川家は将軍家の血筋ゆえに警戒されるし、貴ばれる存在でもあるのだ。だからこそ関東の平定に力を貸しているし、江戸公方として継嗣が引き抜かれていくことに納得したのだと言う。同族の中でも格上であった吉良家を復興させたのも、将軍家を継ぐ問題での矢面に立ち尾張との緩衝地帯を作る為なのだろう。

 

そして関東の諸将が申し出る話をどう裁くかもその一環である。

ある場所ではモメ事を起こすために正統性を重視して古い家を復権させ、実効支配している簒奪者を懲らしめる。別のある場所では平穏を乱さずに済ませるためという理由で実効支配者を建てるのだろう。

 

「それでは管領や三好が幕府でやっていた事と変わらぬではありませぬか」

「その通りだ。連中と違うというのは、日の本の騒乱を治めるという方向性がある事か」

「大樹が将軍家を指す言葉であるのは唐土(もろこし)から伝わった言葉だ」

「寄らば大樹の陰という言葉を聞いたこともあるだろう? 人品優れて才覚をひけらかさないが、それでいて優秀な将軍の元には兵士も他の将軍ですらも集まった大将軍が居たという。さて、その大樹将軍は本当に武功を誇らなかったのかはしらぬ。だが、その大将軍に学ぶものはそういった風評込みで真似るのさ」

 幕政を好きに扱っていた管領や、その後を継いだとも言える三好家。

彼らは自分たちの良いように官位を渡し、あるいは代官の権利を認可する。他にも様々な権利を与え、取り上げ、あるいは平均化して埋没させる。それゆえに嫌われて反乱を起こす者も居る訳だが、信玄は義元も似たような物だと断定した。その上で大義名分として日本の安定を上げているだけなのだと。

 

何となく言いたいことを理解しつつも、話の流れに首を傾げた顕如は一つの事に思い立った。

 

「なるほど……。謙信様が作り上げた平穏への流れ」

「その流れは抗いがたい奔流であり、誰もが願い平和への道ということですね」

「本朝の大樹様がそうであるように、治部さまも義兄上も心の底では望まれていると」

「馬鹿を言え。どうしてこの俺があの女の言う事など……というよりもあの女、本当に平穏など求めていたのか? 勝利の結果を治める箱に平穏と言う銘を張っていただけにも見えるがな。……ま、そういう意味ではとりあえずの落としどころとして利用しているのは変わらんか」

 謙信の掌の上なのでしょうと告げれば信玄は途端に嫌そうな顔をした。

だがそれも最初だけの事だ。目の前に謙信が蘇ったわけでもなく、自分たちが『平穏を乱すものを罰する』という大義名分で特定の方向に向かっているのは確かなのである。謙信が蹴り込んだゴールとしての平穏と言う言葉を信玄は否定しなかった。

 

そして東の話が過ぎれば今度は西の話だ。

 

「東は今川・武田・長尾の三家に織田・伊達・佐竹といった家が従って安定するだろう」

「中央も三好と畠山に本願寺、あとは朝倉・六角・北畠が続くのまでは判っている」

「西の方はどうなんだ? あまり詳しくは無くてな。そっちの方が詳しいだろう?」

「大筋は依然と同じですね。尼子家が早めに降伏しそうだったのですが、義秋様が鎮西将軍を降ろされたことで立ち消えになりました。しかし予定通りの所で決着がつくでしょう。筑紫島の方は既に終盤で、どこが引き際になるかが焦点になって居ます」

 尼子家も馬鹿ではないので将軍家の戦略は察していた。

義秋の調停で降伏して石見の途中までを安堵され、石見銀山を奪い返す流れを狙っていたそうだ。征夷大将軍どころか鎮西将軍の威光などないも同然なので、おそらくは不利だと知って一時的に義秋を利用しようとしたのかもしれない。しかし時間が経過するにつれ、恐るべき謙信が居なくなり義秋が真の黒幕に違いないという事で降ろされると、毛利家単独ならば負けないということでその話を反故にしたのである。

 

とはいえ今は平穏に向かうのが日本のトレンドだ。

毛利家に合わせて三好家が挟む形に移行しているとのことで、本願寺も安芸門徒を介して毛利家に協力するらしい。いずれ中国地方は収まるだろうし、四国は元より三好一強だ。ゆえに残るは九州のみである。

 

「筑紫島は大友に島津だったか」

「日向だか大隅当たりの支配権を揉めているところか?」

「そうですね。肥前に竜造寺と言う大名も居たのですが、そこは既に恭順しています」

「大友と島津が争う筑紫島の抗争は早めに諦め、むしろ外つ国のルソンを狙いに定めたそうですよ。正直なところ国の外にまで手を伸ばすのは勘弁してほしい所だったのですが……」

 史実と違って大友家は毛利家との抗争を早めに終えた。

そして九州の平定を目標として拡大と戦争調停を始めたのだ。戦いの無い平穏な日の本を目指し、従わない大名を倒すという東国でも使われた大義名分である。最盛期の大友家の勢力には抗えず、北九州の諸大名は概ね順った。大友家だけならばともかく、将軍家の方針もあったので従わぬ理由はなかったのである。

 

これで竜造寺が噛みついて三国態勢に成れば話は別だったかもしれない。

しかし諸外国からの情報を得ていたことで、竜造寺隆信は方針を転換したのである。反乱を起こしがちな部下に目を光らせて無茶はしない。その上で拡大主義派は外国へ送るという新たな見解であった。

 

「おいおい。どんな名分を掲げる気だ?」

「大樹様も流石に止めるんじゃないのか? 外つ国との戦争は容認されまい」

「それに肥前一国では兵力なんぞたかが知れるだろうに」

「実はですね。ルソンは南蛮の国々に敗北して支配されている所なのだとか。そして南蛮の国もまた別の南蛮の国との戦争で兵力を引き上げてしまい、今では五千よりも多い程度の直属兵に、現地で雇用した兵ばかりだそうです。ああ、大義名分には日の本の民を奴隷として牛馬の如く使役している事だそうですよ」

 余り知られて居ないが、根来衆や雑賀衆は外国との貿易に付き添っている。

自から貿易しているというよりは、堺の大商人や博多の商人に雇われて護衛して居るという方が正確な処だろう。顕如は一向宗である雑賀衆からその辺りの事を聞いており、キリスト教の布教問題もあって良く調べていたのだ。

 

竜造寺の狙いはおそらくルソンの何処かに進軍して現地を解放。

敵が顎で使っている現地民を兵士として組み入れ、『俺たちの方が税を安くして使ってやる』という塩梅で味方の兵として扱う気なのだろう。それはスペインの兵士たちが現地民を苛酷に使えば使う程に可能性を帯びて来る策であった。

 

 

「南蛮に支配された……ねえ」

「その様子だとこっちの尺度よりは随分と広そうだな」

「その通りです。南から来たので南蛮と呼んでいますが、実際には西方夷狄になりますね」

「秦や漢の時代に合った大秦国ほど広くはないですが、大国同士が国の外に領地を求めたのだとか。まさに竜造寺が狙っている様に、近い相手との戦いを止めて、弱い国を攻め取っているのだそうです。謙信様は景教はともかく操る国には気を付けよと仰せられましたが、まさにその通りの歴史だそうですよ」

 二人は奴隷として扱われる日本人の話は無視した。

日本でも負けた国の兵士や住民は売り払って、身代金に変える事は良くあることだ。一応は家族が買える様にその場所で売るが、別の地域の商人が購入して地域の者が身代金を払えない場合は当然外に売られることになる。そしてその外が外国と貿易する商人であれば、労役をさせた上で海外で商品としても売り払う事もあるだろう。

 

そしてキリスト教を布教するイエズス会が情報を提供し、商業の為と称して南蛮船を引き入れているという話になった。場合によっては日本でも同じことをやりかねない。

 

「ちっ。一向宗の元締めが良くも言う」

「だがまあ、言いたいことは判った。景教の坊主はともかく背後には注意しろ……か」

「奴らの逗留先に江戸を定めた事と言い、説明をしないくせに余計な事もしない所だけは頭が下がるよ」

「今のところ大友家はこちら側なので大丈夫でしょう。イザとなれば筑紫島に残した領地より、毛利家が牽制するはずです」

 南蛮を攻めることが可能と言う事は、逆もまた可能と言う事だ。

その事に注意して情報を集めてみると、実に怪しい流れが見えて来た。西洋の国々は南蛮諸国の分藩・藩属国といった地方勢力に介入し、キリスト教徒を守る為……あるいはその要請で援軍を送る形で乗っ取ってしまっているのだ。配下の行動とはいえ、首都から退去命令が出ても従わないどころか、そのことを口実に攻めてしまう事もあるとか。怪しいどころではない。

 

ルソンもその一つであり、聞けばイエズス会の大きな支部があるゴアも同様だ。

そしてキリスト教の流れを追う事で、公然と布教が可能な場所を江戸のみに絞った謙信の狙いが読めて来る。……実際にはそうではないのだが、信玄や顕如から見ればそうとしか思えない流れであった。

 

「まさかとは思うがあの女、南蛮に喧嘩を売りに行ってないだろうな」

「それこそまさかですよ。幾らあの方でも南蛮の急所など知りません」

「竜造寺がルソンを狙おうと思ったのも、あくまで五千しか必要ない末端ゆえです」

「どの街を攻略すれば打撃を与えられるのか、それが本当に有効なのかも我らは何一つ知らないのですから」

 二人は与り知らぬ事であるが……。

その謙信は奴隷にされて南米の銀山に労働力として売られているのである。そしてスペインを含めたハプスクブルグ神聖帝国を支えたという、スペイン大銀山地域で反乱を起こすなどとは思いもよらぬ事であったという。

 

「……まあその件は置こう。注意するとしたら他の連中も同様の考えをすることだな」

「俺がもっと大きな港を抑えていたら、琉球なり明の藩族国を狙う」

「いや、国ではなくても良いな。放置された大き目の島でも良いか。そこで交易でもすればいいさ」

「琉球ですか……。島津から近いとも聞きますね。今のところ大友との競争に力を入れていますが、筑紫島の争いが終われば領地の獲得はもう見込めないでしょう。その辺りに注意する必要はありますね」

 話しながら信玄は第二期の戦乱に付いて考えていた。

残念ながら武田家の動きは抑えられてしまった。頼りになる弟の信繁が扇ヶ谷上杉家を継いで上野の経営に専念することになったのだ。大きく動こうと思っても周囲に丸判りだろう。こうなれば領地拡大は中美濃くらいなので、無理をするよりは発言権拡大を狙った方が良い。その上で自分の世代よりも先に力を残すべきだと判断したのである。

 

その上で重要なのは出る釘を打つ事だ。

九州の武将たちが海外領土を手に入れて財政面で上を行かれるのは困る。また九州で諍いを起こすならば諸将の軍を糾合して征伐に当る……という言い訳で自軍を派遣して領地を切り取れるだろうが、海外ではどうしようもないのだ。今川との協定で念願の港を手に入れたものの、それほど大きいわけではない。発言権を増やして将軍家なり今川家から塩の製造方法でも譲らせるべきだろう。

 

「毛利も忘れてないか? あそこは元から密貿易をしているのだろう?」

「大友の抑えに動いている時は良いが、暇になると何をするか判らん」

「密貿易に使っていた島を占拠して領地にするとか言ったらことだぞ。大明国は巨大だからな」

「そうですね。以前ほどの冴えではないと聞き及びますが、それだけに命を改めて強大な国になりかねません。大きな戦は控えるべきでしょう」

 実際の話、この時期の台湾島あたりなら占拠しても影響がない。

そのことを二人は知らないが、似たような事を毛利が考えていれば厄介なことになるだろう。武田家も本願寺も乱世の事は騒動を起こす側であったが、今では抑える側になったというのが不思議な物である。

 

こうして史実よりも大友家が早く南下したことで九州の戦乱も終わりを迎える。

そして海外への派兵や、逆に海外からの侵略へ注目を移しながら……応仁の乱以降、乱世となった日本の歴史はギクシャクしながらも正道に戻ったのである。

 

 その後、室町幕府は寛永年間で終わりを告げた。

大飢饉を始めとした大災害に際して、十五代将軍である足利義喜が高まる乱世の予兆を確認。諸大名を翻意させるべく、大政奉還を行ったのである。

 

頻発した災害を収めるべく動く為として、初代議長に就任。

最も日の本を安定させた家に征夷大将軍の地位を譲るとして、強引に混乱を収束させたのである。この事が史実よりも遅れて起きた天草の乱……南蛮侵攻に速やかに対処できた一因であったという。

 

 

・人物名鑑

 

『足利義輝』

 室町幕府、中興の祖として讃えられる。将軍職を譲ってからは、左近衛大将と左大臣を歴任。

武芸者たちを寓して近衛兵を拡充したことから、剣豪将軍としても知られる。

御仏の加護は自分に対する殺意を見ることができる能力であり、若いころはよく振り回されたという。

 

『足利氏真』

 江戸公方として関東を平穏に導き、東北鎮撫を伊達家ほかに任せて抑えきった名君として伝えられる。

名門の今川家より足利家に入った養子であるが、実家である今川家との仲は良好であったという。

御仏の加護はバッドステータス無効。武芸者や蹴鞠仲間の中でも、彼のバランス感覚は特に優れたという。

 

『三好長慶』

 六名しか居ない相伴衆の筆頭で、右近衛大将と右大臣を兼任、右府と称される。

室町幕府を切り盛りし、内外に潜む諸問題を鎮圧。名宰相として教科書に載ったという。

その政策は実力主義で血筋を半ば無視したものであり、あくまで血筋は能力の一部と言い切った。

御仏の加護は並列思考であり、複数の勘案を並列して考察して居たという。

 

『武田信玄』

 鎮守府将軍に任命され、弟の扇ヶ谷上杉信繁や親族の真里谷武田氏と共に東国の大半を抑えた。

出家してからは若い頃の貪欲さが嘘のように収まり、以後は諸国の平穏の為に動き続けた。

相伴衆の一人であったが、後に武田幕府が成立した時、生前に遡って征夷大将軍の地位を贈られた。

 

『今川義元』

 六名しか居ない相伴衆だが、血筋的に警戒されただけでもっと格上とも言われている。

最終官位は侍従だが、その生涯で朝廷に出仕することはなかったという。

彼の加護自体は良く知られて居ないが、軍師である太原雪斎の加護は予言であったとされる。

このために彼の行動は実に慎重で、かつ未来を見据えた物が多かったという。

 

『大友・D・宗麟』

 相伴衆の一人で西の横綱と良く称される。キリスト教に改宗し、ドン・フランシスコとも。

足利義秋が失脚後に、鎮西将軍の地位を受けて九州の地を平穏を齎した。

なお、彼の功罪の一つとしてキリスト教教会への大規模な土地寄進が挙げられる。

進んだ西欧の技術が入るキッカケであり、その後の大飢饉を治めた要因の一つなのだが……。

この事が天草の乱の一因でもあり、良くも悪くも、後に彼の偉業はマイナス方向に語られた。

 

『島津義久』

 相伴衆の一人で西の大関と称えられるタフ・ネゴシエイター。

竜造寺家が起こしたルソン出兵案に協力し、自らは沖縄を平定。鎮南将軍を自称したとか。

西で起きた大問題の半分を引き受ける家系だが、後に起きた天草の乱を子孫が鎮定に成功。

その貢献を持って鎮南将軍を贈り名してくれと武田幕府に申し入れ中であるとか。

 

『長尾景勝』

 相伴衆の末席固定。本人は生涯にわたって叔母の影響に振り回されたという。

官位は松永久秀が隠居後に、弾正大弼と大納言を兼ねるが、もっぱら米大納言とか酒大納言と呼ばれる。

これは叔母の影響で開墾や治水に励み、延々と開拓を行って米や酒の出荷に励んでいた為とも。

これが大飢饉を治めた理由の半分であり、後の小学校には厳めしい顔をした彼の銅像が立っているとか。

 

・人物名鑑、番外

 

『上杉謙信』

 正一位と神号を死後に贈られたが、春日権現を構成する一柱とも鞍馬尊天魔王尊であるとも言われている。

メキシコでは軍神としてのテスカトリポカの一面と言われ、スペイン・ハプスブルグ帝国に大災厄を齎した。

他にも尼将軍政虎と呼ばれたり、悪い事をすると輝虎が食い殺しに来るとか一部の地方では言われている。

風刺画ではよくイギリスのドレークや、ネーデルラントのマウリッツと一緒に地獄で焼かれているとか。

 

『本願寺顕如』

 日本の大僧正として宗教界を取りまとめた。長尾景勝と違い謙信の影響を良い方向に受けた。

諸宗派や他の宗教とのやりとりを治め、宗教的な混乱を室町幕府の時代では起きなくさせた功労者。

御仏の加護は『大魔導師』で、能力の知力が高い他、魔法系の必要経験値が少なくなる。

老後は本願寺の跡目を譲り、魔法学園の校長として後進を育てたが……御仏の加護を見抜く鑑定の呪文を作成し、神号授与があるのではないかと噂もされた。

 

『毛利三姉妹』

 長女である隆元、長男である吉川元春、次女である大内隆景の三人で、三人とも御供衆に選出。

このことから西の三役を一家で総なめにしたとかよく言われる。なお元春は男だが三姉妹と数えられる。

大内隆景は小早川の家を継いでいたが、和平案で大内家の家督を許された事で名前を変えた。

その後は大友家に流れた大内家の血筋から婿を迎えたとも、養子を迎えたとも言われている。

なお、妾腹の弟・妹含めて才能が豊かであり、後の武田幕府では相伴衆に当る地位に付いたとのこと。

 

『松永久秀』

 朝倉・六角・北畠を差し置いて人物名鑑に良く乗る人物。

謙信が姿を消した後は、この男が弾正としての顔役になる。

弘治の変以後はめっきり老け込み、掌握を要請された常備軍は織田信長に投げた。

しかしソレは弾正台の役目を復活させて、地方を巡る為であったとも言われている。




 と言う訳で事後譚になります。
この後は魔法関連とかを書き綴るくらいですかね。


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ルートB
外伝。彼女が紅茶をキメた日


 授かった膨大な知識と経験時間により虎千代の心は砕け散った。

何度か転生する分の人生の経験を全て得たならばこうもなろう。魂は無事なので次第に人格が再構築されていくのだが、その主格と与えられた御仏の加護は千差万別である。ちょっとした変化や環境で変わってしまう物だ。

 

具体的に言うと、今回は最高位の呪文ではなく別の呪文に適正があった。

 

「オー! サムラーイ。ファンタスティック~素晴らしいデース」

「虎千代さま!?」

 林泉寺に預けられた少女が突如奇妙な言葉を発した。

それはあまりにもこれまでとかけ離れた発音であり、小姓たちは思わず何を言われたのか分からなかったのだ。虎千代がキョロキョロと興味深そうに寺やら自分達を眺めているのが気になる。

 

自分達は共に寺に預けられて教育を施されたのだ。いまさら珍しいものがあるはずもないのだが……。

 

「鎮守府語だ。気にするな」

「ち、鎮守府……? 田村麻呂様由来なのですか?」

 虎千代に宿った少女は咄嗟にそう誤魔化した。

この戦国時代に外国語を口にしては気が触れたとしか思われない。中国語ならまだしも、ジャパニーズ英語であれば胡散臭さ極まる。いつ精神病として隔離されてもおかしくはなかった。

 

だが、そんな彼女に理解を示した者が居る。

 

「もしや……御仏とお話をされたのでしょうか?」

「はい、和尚様。御仏は『汝の為したいように為すが良い。ただし、汝のみにて為すにあらずと』申されました」

「「おお……」」

 御仏の加護は誰しも授けられるものである。

だが、直接会話できることなど稀なのだ。その多くが過度な負荷を受ける代わりに、強大な加護を授かった反動による幻想だと思われている。余人は知らずとも林泉寺の天室和尚程の人物ならば、なにがしかのことを知っていたのかもしれない。

 

そして、強大でありながら自分では何もできない力とはいったい……。

 

「弥三郎と弥七郎は栖吉の御爺様からいただいたアレを持って参れ」

「「はっ」」

 栖吉には分家である古志長尾家が存在する。

虎千代の血筋にはその血が入っており、祖父はたいそう虎千代を可愛がっていた。そして、とある物を彼女にプレゼントしていたのだ。

 

それは後に景勝と名乗る甥っ子へと受け継がれ、現代にまで残る遺産であった。

 

「お持ちしました」

「どれを用いられまするか?」

「そのまま置いて置け。ワシが直接に選ぶ」

 それは戦場をイメージした人形のセットであった。

武将であり兵士であり、軍団や城もある。要するに今日でいうジオラマとでも言えば良いだろうか。流石に現代まで時間が流れれば、失われたモノも多かったであろうが。

 

だが、虎千代は自分で選ぶと言いながら、立ち上がりも畳の上を統べることも無かったのだ。

 

「よう見ておくのじゃ。これがワシに授けられた力じゃ」

「……に、人形が勝手に動き出すとは」

「ほう。傀儡繰りの法術ですか……ふむ」

「和尚様?」

 虎千代が人形に対して呪文を唱えると、なぜか動き出した。

天室和尚はそれを見てどんな内容なのかを即座に把握した。呪文自体は珍しくないものなのだろう。ただ、普段から使われる物ではない事が伺えた。

 

ただ、それに留まるような風情には見えなかったのだ。

 

「いやいや。傀儡繰りそのものは大した術ではありませぬが、虎千代殿の使い方は『見事』なのです。騎兵を示す駒が最も遠くへ居りますでしょう? これなら術以上の価値がありましょう」

「……そう言えば。陣列を示す駒は対して動いておりませぬのに」

「ああ。どうせなら軍学の参考にしようと思うてな」

「なるほど。素晴らしいお考えです。感服いたしました」

 それは移動力の差である。虎千代はただ動かすだけではなかった。

人形に見合った移動力を与えており、ちょっとした工夫でただの人形遊びでは無くなっているのだ。移動距離に差があるという事は、地図の上でどれほどの差が出来るか……もしジオラマであるならば、どの程度の差になるかを参考に出来るかもしれない。もしプログラム出来るのであれば、戦の演算用として先行入力が出来るかもしれないのだ。

 

これは、虎千代の中に憑依した転生者の知識に影響され、『駒によって移動力のさがあるのが自然だ』というシミュレーション知識に引きずられたのだろう。

 

「そういえば傀儡繰りが大した術ではないというのはどういう事でしょうか?」

「はっはっは。法術を磨くには何度も繰り返さねばなりません。しかし、幾度も幾度も傀儡を動かせますかな? また、もっとも効果が大きいのは確か、作る時であったかと。人と同じだけの木を切り出し、岩を削り出すのは難しいのですよ。それに、人と違って強さには上限がありますな」

 自分が授かった力を『大した術ではない』と言われ不満顔の虎千代を和尚は笑った。

その様子を見れば虎千代に教育を施すため、敢えて突き放したのだと分からなくはない。ただ、和尚が語る様に、傀儡……現代風に言えばゴーレムであろうか? その術を鍛えるのは確かに難しそうに見えたのである。

 

『ポイント』法術は難易度に応じたチャレンジを何度も繰り返さねばならない。

少なくとも現時点では法力がまるで足りない上に、そもそも最もコストパフォーマンスの良いゴーレムの製造が頭打ちなのだ。今回は小さな人形を動かしただけなので対して経験値は入っていないし、ゴーレムを作るとしても途方もない労力を掛けて一体ずつでは意味が薄いのである。

 

「ゆえに虎千代殿。勘違いしてはいけませぬ。拙僧は先ほど、使い方が見事だと申しました。御仏の加護も法術も一時の方便に過ぎませぬ。己を磨き、そのためにこそ術を使うのだと考えることが重要なのですよ」

「……ありがとうございます和尚様。虎千代は精進いたします」

 やはり天室和尚は優れた教育者なのだろう。

きかん坊で癇癪持ちの虎千代を素直に学び続けることに導いてしまった。そう、御仏の加護は手段に過ぎないのだ。それを理解した時、初めて虎千代が武将となる道が切り拓かれていくのだから。

 

 人格の有り様が千差万別なら、英雄としての解釈も同様である。

上杉謙信という英雄が高潔で領土が欲しくないけど戦争が得意だという解釈があるならば、気が難しい癇癪玉で秘密主義と言う解釈もある。また、土地ではなく経済を重視して、義侠心だの名誉などを『名目』とし二枚舌を使っただけという見方もあった。

 

この少女は最後のパターンだ。具体的に言うとブリカスである。

自国を脅かす者を駆逐しつつ、最低限の動きで経済活動を活性化させるというやつである。実際、上杉謙信は繊維のセールスを行い、借金取りの元締めであった為、毎年戦争しても金蔵は唸っていたという。

 

(イエース! 流石は和尚様デース!)

(ミーとしたことが魔法を覚えたことで浮かれてしまいましたネ)

(手段は方便。良い言葉デスネ。戦争もまた経済活動の一種に過ぎません)

(能ある鷹は爪を隠し、舌なめずりなどする前に全ての決着をつけているべきなのデース。ともあれ今は研究もしていない段階。まずは和尚様のお勧め通り、レッツ、スタディ! そしてエンジョイ戦国デース!)

 毘沙門天は本来、経済の神であるクベーラである。

中の人もまた経済重視で行く気であり、二枚舌と高度な情報戦を愛するブリカスであった。本物のイギリス人ならそこまで割り切れないが、中の人は日本人がイギリスの暗黒面を愛好しているだけの存在だ。そこに容赦も躊躇いもない。勝手気ままに正義の表看板を維持できれば良いやと、戦国人生を愉しむ気マンマンであった。

 

そして今は修業期間であると認識した彼女は、さっそく修行と目的を考察することにした。そう、闇雲な修業に意味はなく、その到達点を操る事こそが彼女の理想であろう。

 

(ゴーレムが弱い? ノープロブレム!!)

(弱いなら別の側面を利用するだけ。産業用ロボットに戦闘力は不要デース)

(問題はこの力で何を目指すかデース。まずは財力として、将来の目標は……うーんうーん)

 この少女がこの能力に優れている点は、魔法的才能ではない。

転生者ゆえに『ロボット』という完成系を知っているのだ。参考例はロボットアニメだけではなくTRPGであったり、ロボットアームやら人工知能搭載型の車なども視野に入るだろう。実際にはどんな能力があるのか、どんなことに使用できるのかは要検証である。だが、完成系を知っている事で、色々試すにも弾みがつくのである。試して駄目なら、より改良するか別の能力を目指せば良いのだ。

 

こうして思考はまとまって行く。

やるべきことを体系化し、リスト化していく中でどうしても外せない事がある。人生を楽しむことが主目的としても、彼女が目指すべき到着点というものがなければ楽しさも半減だろう。ゲーマーにはトロフィーが必要なのである。

 

(やっぱり紅茶が無いと締まりマセーン!)

(目標は紅茶の輸入……生産? それとも……)

(夢はでっかく生産地を占領……いえ、解放デース!)

(植民地になってるセイロン島をゲット! 今の時代はイギリス領ではないはず、魂の故郷に対する裏切りではあーりまセーン!)

 こうして彼女は紅茶をキメた。文法としておかしいのは気にしてはいけない。

ひとまず日本の茶葉を紅茶に出来ないか試行錯誤させるとして、しれっと侵略活動を自己肯定し、植民地を奪い取って解放するというお題目を最終目的に据える。嗜好品で戦争が起きることは割りと珍しくないが、輸入じゃダメなのかと思わなくもない。まあ自己生産した方が安いもんね。品種改良も命じられるし。

 

ともあれ目標が決まったのでスケジュールを詰めていく事にした。

 

(そのためには準備が必要デスネ)

(最終目的地はセイロン島として……鎮守府はマスト)

(大湊は除外するとして、横須賀・舞鶴・呉・佐世保……北条と毛利デスカ)

(強敵が居る上に、小田原城を突破するのは難しそうデスネ。ふふふ……滾って来ました。これは挑み甲斐がありマース!)

 その為の手段として、強さと権力と資金を稼ぐことの重要性を理解した

金がないのは首が無いのと同じで切ないし、謙信さまが弱くてビンボというのはありえまい。権力は怪しいが、解釈違いではないはずだ。その過程で立ち塞がる有名大名との激突に思いを馳せる。若狭武田氏ないし一色氏と松浦氏はアウト・オブ・眼中だが、そこまで戦国に詳しくないミーハーなので仕方あるまい。ノブヤボだと速攻で滅びるしね!

 

ともあれ、この段階で攻城戦を視野に研究するのは正しい行為かも知れない。何しろ謙信さまは攻城戦は得意では無かったのにあの戦績なのだ、成し遂げることが出来れば満額回答。お前のせいで後世に名前が残らなかったと後ろ指刺されることはないだろう。

 

(修練は繰り返しが必要デス? なら壊して修理。スクラップ&ビルドデース!)

(動かすより造る方が経験値が多い様デスガ……別に逸品は不要デスネ)

(量産型をひたすら作って……ンー。芸がないデスネ。もっとローコストで華麗に!)

(雪だるまをゴーレムにしてみまショー! 原初のゴーレムは泥でゲームでは石や煉瓦が定番デス。なら雪だるまをゴーレムにしてならぬという理屈はない筈デース。それに雪だるまなら、工程と結果を自分で検証できマスネ)

 傀儡舞の様に躍らせずとも、ぶつけあって修理すれば良い。

それは『ゴーレム上げ』というゲーム知識で、ゴーレムを操作する魔法や修理技能を磨くゲームにおけるテクニックである。この時点で天室和尚の想定以上であるが、それは創造においても同じだ。原初のゴーレムが泥人形であるとか、RPGでは様々な建材がゴーレムになっている。それらを人形(ヒトガタ)にして、ゴーレムを創造する魔法を掛けて行けば良いだろう。こういった知識を流用することで、一般的な者より虎千代の経験は三倍以上の速度で高まって行くだろう。

 

そして何より大事なのは、雪だるまならば子供が作っても問題ない。

将来のライバルに見抜かれること無く、そして、実物を自分の目で確かめることで能力を確認できるのだ。それはごく普通の雪だるまと比べてどのくらい強いのか? 兵士よりも弱いと仮定しても、作業用に転用すれば有用ではないだろうか? 少なくとも雪だるまは風邪を引いて死んだりはしないのだから(なお、手を抜くとゴーレムにしても溶けてしまう模様)。

 

(戦闘にどの程度使えるかは検証次第として……)

(後はお金をどうやって稼ぐかデスヨネー。金があれば後は物量)

(でも四苦八苦して金稼ぎというのも違う気がしマス)

(というかマジカル戦国時代に現代知識で十分にチート。これ以上は控えるべきでしょう。……うん。決めました。もはや生産チートや軍事のチートは不要デス。ゴーレムを流用して得られる産業的成功と、軍事的優位でなんとかするのデス。その方が格好良いデスヨネー)

 虎千代に憑依転生した中の人にはポリシーがあった。

妙な所でこだわる気質があり、それで逆境になるならドンと来い! という英国の暗黒面である。本物のイギリス人に謝れと言いたいが、彼女の信じているにはそういう所があった。稀有壮大な想定と、裏でソレを実行する際の二枚舌外交。体面だけ守って裏で卑怯な事をするくせに、馬鹿みたいなポリシーを守って死んで行くような連中である。主に漫画やニメの影響であるが。

 

いずれにせよ、頭に紅茶をキメたブリカス謙信様がここに爆誕したのである。




 と言う訳で、思いついたのでルートB。ブリカスのBです。

●この世界の謙信様
 ゲーマーで提督や審神者や殿などを歴任した、飽きっぽい人物。
歴史知識は中途半端、なろう系チート知識も中途半端。
しかし雑学に詳しく、暗記能力が高かったために、転生で知識が失なわれてそこそこ残っている。

性格に関しては、艦これの金剛の似非英語(作り馬鹿設定)で、紅茶スキー。イギリスを第二の故郷と言う割にはブリカスと思っている。

加護は『ゴーレム魔法(各種)に+1レベル』となります。
ゴーレム魔法は地・水・火・風に分化されますが、次回に定義を付ける予定。
(要するに、ゴーレムを使う歴史物を思いついたけど、こっちで消費することにした感じですね)


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外伝。越後開拓計画(ゴーレムで)

●白い粉

 御仏の加護を授かった虎千代はメリハリをつけて修業した。

元もと飽きっぽい事もあり、集中して武将としての勉学に励んだ後、何のかんのと理由を付けて人形遊びを始める。はた目からは子供らしい部分と、利発で真面目なお子様と言う評判を勝ち得ていた。そして『加護を授かった祝い』に何が欲しいかと聞かれ、海辺の小屋を貰って遠乗りで往復する日々を始めたのである。

 

こうして冬には雪だるまを造り、夏には泥遊びに川遊びと称して泥人形を造る。そうすることで材料購入から始める常人の、何倍ものペースで、ゴーレムに関する修業を積んでいたのだ。

 

「塩梅はどうだ?」

「恐ろしい程の量が作られております。『元』が元ですので、いかほどの利があるか判りませぬ」

 ある日、小屋を訪れた虎千代の前に『白い山』があった。

ゴーレム魔法を検証する内に可能になった成果を試すついでに、金を得る手段を一つ思い付いたのだ。ゴーレムとも言えぬちょっとした機材を造るだけで、右から左に商品が出来上がるという訳である。ゴーレムはあくまで労力を短縮するだけなのでノーコストとはいかないが、秘密も守れてwin-winと言えるだろう。

 

そしてこの白い塊は酒粕などではない。

 

「この『塩』を父上に届け、この漁村を直轄としていただけ。秘密は漏れるものだ」

「はっ! 既に小屋を任せておった小者が善意で村の者に塩を分けておりました。叱責はしましたが、村ぐるみで秘密を守るべきかと」

 それは海水を汲み上げて砂の上で乾かし、煮詰めて得た塩である。

そして成果に満足すると次の段階に入った。何というか、この当時のモラルはよろしくない。村人は殆ど親戚みたいなものであるし、村長なり有力者の分家みたいなものだ。それゆえに『これは秘密だぞ』と言っても、親族にお裾分けするくらいは良いだろうと、『情報のみを秘密』として、塩を無償で分けていたらしい。それでは早晩、ここの秘密はバレてしまうだろう。

 

虎千代は現段階の成果を持って、父親である長尾為景に報告することにした。自分用に欲しくなればこの小屋と同じことは他でもできるし、長尾家の財として献上して秘密を守らせることにしたのだ。目の前の小姓が父親に知らせていないとは思えないし、どこぞの武将が見つけて奪われても困る。

 

「それと、これ以上増やすのは薪の面で難しいやもしれませぬ」

「所詮漁村であるか。……そうだな、竹から炭でも作って見よ。無理なら火の法術を扱える者を雇うべきだな。元がタダ同然なのだ、少々の出費は構わぬ。代わりに良質の塩を目指して工夫して見るが良い。ああ、それと……これは無理なら良いのじゃが、竹で紙が作れるかをやってみてくれ。竹を潰すのはこちらでやらせる」

 海水を乾かすのは時間経過や天日でも良い。

だが、そこから窯を煮るのにどうしても薪が居る。だがこの村はあくまで父親に『海辺の小屋』をねだる(・・・)だけの過程であり、特に木々が多い場所では無かったのだ。それゆえに、その辺に生えている竹の利用を、成長が早いという理由だけで申しつける。また、植物繊維から紙が作られるという事を思い出したこともあり、労力も考えずに気軽に命令してしまった。

 

本来ならば、それは悪手であろう。人手を分けるからだ。

だが、虎千代にはゴーレムという手段がある。パワーしか芸の無いゴーレムを作って置いて、石臼でも挽かせればよいのだと判断したのである。いや、石臼そのものがゴーレムと言うべきか。

 

「承知しました。可能な範囲と言う事であれば、村を抱えた後で試させまする」

「頼んだぞ」

 上手く行けば良質の塩と安価な紙が得られ、無理でも塩の増産だけなら可能。

虎千代は計画が上手く進行したことに満足すると、改良案を色々考えていく。例えば幾らでもある砂を媒介に使っているが、竹の成長が早いなら竹でも良いのだ。そちらの方がよほど軽かろう。青竹の香りが良いならば、塩に匂いも付けられるやもしれぬ。また、竹炭が無理であった場合は火の法術の使い手を雇用するのだが、効率よく温めて天日よりも早く干せるだろう。その時は小屋も改良して、暖かい部屋で同時に作業させるのもと良いかもしれない……と他愛ない事を考えていたのである。

 

こうして虎千代は幼いころから長尾家に貢献する事となった。

紙はともかく塩は資金以上に重要である。能登から流れて来る塩の中間売買をせずとも、良質の塩が得られるようになった。そして信濃や上野などの内陸では採れぬ塩は、戦略物資足り得る。この二つの国は越後から見れば良くも悪くも縁深い場所でもある。虎千代は間接的に、影響を与えていたのであった。

 

●ゴーレムは弱いモノである

 虎千代は人型ゴーレムの他、水車型・コンベアー型・石臼型を作った。

それは人型の研究の余禄であり、同時に人型の運用に行き詰った息抜きでもあった。何というか、和尚に言われていた問題がここに来て立ち塞がっているのである。

 

具体的に言うと、戦えないほどに弱く、改良しようにも研究がされてないので、手探りで解決策を見つけねばならなかったのだ。

 

(人形。傀儡。そしてまだ見ぬ大鎧。どれも戦には堪えませんネー)

(精々が三人力。手を抜いたら二人力と言うのでは量産しても雑魚デース)

(資材を集めてもらっても意味はアーリマセン。これなら作業用の方が良いデスネ)

(その点では水車と石臼は思わぬ成功デシタ。ここからは呪文の考察と、改良レシピのデータブックを作らねば。元服したらこんな余裕はもう二度とないかもデース)

 書物でゴーレムのランクが三つ程度あるのは判ったが、それだけだ。

小さな人形を動かし、命令する程度の扱い。そして戦闘は出来るが、対して強くもないのに素材が沢山必要な傀儡。そして書物には『それなりの強さ』と言われているが、虎千代が作れない大鎧の存在があった。しかし、傀儡は最大限に魔力を込めても、三人分くらいの戦闘力しか無い。その辺の武芸者と同じくらいで、豪傑に五人力の弓を放たれたり、勇猛な武将が部下と共に囲んだら瞬殺なのだ。これでは時間をかけて資材を集め、十体くらい作っても、戦闘にはまるで意味をなさないのである。仮に無茶して千体造っても、一会戦で大半を壊し尽くしてしまうであろう。

 

一方で、段々とゴーレム魔法と言う物が判って来た。

そしてその呪文に関する大きな問題が見えて来たので、どんな塩梅で用いるかという課題も見えて来たと言える。現時点では、少なくとも戦闘よりは作業に使った方が費用対効果が大きく違う事は判明したと言える。

 

(これまで研究すら難しかったのは第一に戦闘力。第二に、効果の未整理デース)

(ゴーレムの製造と改良。ゴーレムへの命令と強化。まさかその全てが同じ呪文トハ)

(代わりに地水火風の属性が別々の呪文で、全て別の概念とは困りマシタ)

(これでは研究するのも面倒デスシ、肝心の傀儡が弱いのでは、誰も研究するはずがアーリマセン。仕方ないデスネ……当面は特化しながら作業用を造りマショウ。それでレシピ造りデース。追加魔力を仮に合計10として、配分率を1・2・3・4の組み合わせで意識的に割り振ってみマース)

 一つの呪文を鍛えるだけで、一系統が揃ってくれるのはありがたい。

しかし、逆に言えば分化して居れば簡単に覚えられた魔法が、一つの呪文のままであるがゆえに成長させ難いのだ。もし分化した呪文になって居れば、虎千代でも強力な大鎧を建造できたかもしれない。また、自分以外の者に覚えさせて、大量のゴーレム軍団を作れたかもしれなかった。もちろん米帝戦術が嫌いな中の人の事、そこでヘソを曲げたかもしれないが、少なくとも魔法の成長と技術発展の恩恵は得られたであろう。

 

そして、厄介さを増しているのは地水火風の四系統の呪文がある事だった。それぞれ属性を持つゴーレムを造るのなら一系統に絞れば良いので簡単なのだが、ゴーレムを上手く扱う為の概念を、それぞれ所有しているのである。即ち、良いゴーレムを造ろうと思ったら、これらを複合して唱えねばならないのである。ここまで来たら、そこも複合したままにしておけよと思わなくもなかった。とりあえず、もし自分が弟子を取る時は、一系統ずつの魔法として極めさせようと思う。

 

(今の所、人型は強くしようとして、閾値が出来てしまってマース)

(これに対して、水車型や石臼型は特化することに成功しマシタ)

(特化型でも最低限の能力を持ってますので、その部分が振り分ける所デスカネ)

(火の呪文が動力。基本的なパワーの設定、パワーの強化。動くという概念の付与……アレ? もう一つはなんでショウカ? それとも属性によって無い物がアル? とりあえず空欄にしておいて……検証してみまショウ)

 こんな風に、いちいち確かめながら付与して行く。

板や紙に書いて考えるだけならば簡単であるが、この検証自体が『雪でスノーゴーレムを造り、泥でクレイゴーレムを造る』という節約術を思いつかなければ、検証できなかったのだ。いかにゴーレム魔法というものが研究し難いかが伺えるであろう。この状態で傀儡が強くないのだ。裕福な領主階級ですら、ゴーレムを揃えようなどと酔狂な事を考えない事が判ろうものである。

 

なお、残りの属性は水がゴーレムという概念そのもの(構造決定・基礎プログラム)。地が耐久性(維持・硬度含む)で、風がエネルギーと命令伝達系と思われた。格の高いゴーレムを造ったり、解呪呪文への抵抗向上が水の魔力。壊れ難く硬くタフになるのが地で、周囲からエネルギーを集める範囲や、命令できる距離を延ばすのが風になる。土属性をおざなりにすると雪だるまが柔らかかったり、直ぐに溶ける(気合入れても夏には溶けるが)。あるいは他の能力を盛っても、水が低ければ強化しきれない。あるいは風を増やさないと、エネルギーが尽きてしまうなど、少しずつ検証して行ったのである。

 

こうして、呪文を少しずつ研究していた虎千代であるが……一足早い元服と戦国武将デビューが彼女を待っていたのである。

 

●幼年期の終わりに

 ある寒い冬に、その悲劇が起こった。

父親である長尾為景が、越中の国を治める能登畠山氏に請われて出陣していた。だが越中守護の争いと、その部下である守護代同士の争いに巻き込まれて殺されてしまったのである。塩の製造に関わっていた小姓が成長して甘粕長重と名乗っていたが、急遽、虎千代の元へやって来たのである。

 

おりしも、兄の晴景はその政治力を活かして反対方向の揚北へ赴いている所であった。

 

「金津は兄上たちとの連絡を取り、葬儀の準備を勧めよ。甘粕は任せておいた塩を持って参れ。諸将に配るモノだけではないゆえに、多目に持って来るのじゃ」

「では新兵衛めは城に参ります」

「長重、心得えてございます」

 乳母の夫である金津新兵衛と長重は虎千代派と言えた。

元服前に声を掛けても動かせる人間は少なく、枇杷島(宇佐美)定行の息子である弥七郎には、人質であると同時に自分の凄さをアピールする目的があるので動かせない。畢竟、元服もしてないこの時点で出来ることは少なかった。精々が菩提寺である林泉寺を固めて、父親の遺体を守って葬儀を整えるのが限界であると言えた。

 

ただ、そのためにやっておくことはある。

 

「弥三郎と弥七郎には雪傀儡を与える。この寺の周りに壁を作り、塩水を打って固めておけ」

「「はっ!!」」

 雪傀儡は扱い慣れたもので、何度も作って練習材料にしていた。

作業用に能力を特化させ、『手長』『足長』『首長』などと除雪や高所作業で用いれるようにしていた(アームショベルやクレーン)のだ。性能は低いがパワー特化で作り上げており、林泉寺の周囲に雪で壁を作るくらいは訳はない。長重に持って来させた塩を雪の壁にふりまけば、それだけで氷と化すだろう。この辺りも氷のゴーレムを造る過程で練習しており、小姓たちもまた慣れたものである。

 

そして塩には本来の使い道がある。

穢れ払いであると同時に繁盛の象徴でもあり、戦略物資でもある塩は使い勝手が良い。最近は褒美として配る事もあったので、仏事の返礼に持たせて帰らせることに意味があった。塩の差配は既に虎千代が抑えたというアピールであり、長尾家から奪う事が出来ないし、虎千代に経済基盤があるという事を諸将にそれとなく認識させる事が出来るのだ。

 

(デモンストレーションには不足デスガ……予行演習には十分デスネ)

(権勢をふるっていた当主の死亡。誰かが反乱を起こしかねマセーン)

(いずれ何処かの城を任されるデショウ。その時に備えておきましょうカ)

(今の間に使い勝手を研究しておけば、イザという時に困りませんネ。少しずつ城を拡張しておけば、ゴーレムが弱くても何とかなりマース。備えがあったら嬉しいデスネー)

 転生者のみならず、戦の気配を感じ取ることは難しくないだろう。

何しろ剛腕を振るって守護の越後上杉から実権を奪っていた為景が死んだのである。不満に思っていた者たちには反乱を起こすチャンスであり、そうでない者たちにとっても発言権を拡充させるチャンスであった。虎千代もまたその機会を狙っていると言えたが……。自分に自信のある虎千代にとっては、むしろ反乱を起こす者を待っていたと言える。

 

肌の白いダークエルフが『予期出来るトラブルは収めるのではなく、利用するもの』と言っていたような気がするが、まさしくその通りであろう。表向きは殊勝な顔で、裏ではこんな事を考えるあたり実にブリカスである。

 

 

「虎千代。以後は平三景虎を名乗り、我らが府内長尾家を支えるのだ」

「はっ。兄上を支えるべく精進いたしまする!」

 そして、その時は意外に早くやって来た。

長兄である晴景は、剛腕であった父の代わりに武力を欲した。そこで虎千代を元服させて、武将として周囲を固める気になったのである。晴景は暗君どころか交渉能力のある武将なのだが、この時代は腕力こそがパワーという武断の時代である。文治派は惰弱と侮られて肩身が狭いのだ。

 

それはそれとして、外交分野には長けているので愚かではない。

 

「そなたは栃尾城を復して三条の残党に備えよ。上田には婚姻をちらつかせる」

「承知いたしました。栖吉の御爺様と共に三条を抑えまする」

 長尾氏の分家は仲が良い者も居れば悪い者も居る。

府内長尾家を本家とする体制造りの過程で、三条長尾家と争いこれを潰していた。また栖吉長尾家から虎千代……景虎の母を娶っている。そして姉を上田長尾家へ『いずれ』嫁がせるという名目で、二度に渡っていう事を効かせるタイミングを狙っていた。もし、このまま推移すれば晴景の権勢は整ったかもしれない。

 

だが、それは上手く行けばの話だ。

文弱な若当主が強くなるのを黙って見ているわけが無かった。そしてこの世は戦国である。晴景の程近くから火の手が上がったのであった。

 

●起て、景虎!

 虎千代が平三景虎と名乗って暫くは栃尾城に関わっていた。

この城は以前に破却されており、城跡と化していたのだ。そこで人手を栖吉長尾の祖父に借り受け、ゴーレムを預けて一気に造成したのである。そのついでとばかりに道を整えたり、逆に枇杷島定行の知恵を借りて誘導ルートを用意しておくという悪辣さであった。

 

そんな中で、直ぐ上の兄である平蔵景康が死んだという報告が飛び込んで来た。

 

「黒田和泉守、御謀反!」

「平蔵景康様が防がれたため、春日山のお城そのものは無事との事ですが……」

「城を攻めあぐね、平蔵景康様を討ち取った事を契機に、撤退を始めたとのこと!」

「おのれ! 和泉守は兄上の家老であろうに……許さぬぞ!」

 守護代である長尾家は、守護の越後上杉家に下剋上をしている。

その為か、あるいは乱世であることもあってか、越後ではたびたび反乱が起きていた。中でも今回の乱は突発的な物でありながら、家老が反乱を起こしてあわや落城という危険な状況にあった。それを防げたのは、兄の平蔵景康が槍を取って二の丸までで防ぎ留めたのである。だが多勢に無勢、景康は討ち取られて黒田勢は所領まで撤退中であるという。

 

景虎はこういった流れ自体は予測していたが、流石に兄が殺されるとまでは思っても見なかった。春日山城が堅城でもあり、町を焼かれることはあっても守り切れると判断していたのだ。だが実際には、信頼していたはずの家老までが裏切ったことで、落城し掛ける有様だったのである。この辺りの甘さが転生者であり、戦国での経験が薄い事にあるだろう。

 

 

ただ、この事は景虎の情操と名目に上手く機能した。

兄を殺され、しかも謀反という非常手段で世を騒がしたことに正義の心で挑むことが出来る。仇討ちは武士にとって自然な事であり、大義名分の方から転がり込んで来たと言えるだろう。

 

「殿よりの御言葉では、平三様は城を堅く守って……」

「不要! 謀反人は我が手で引導を渡してくれる! いや、黒田の領地まで攻め入り、上から下まで耕してくれるわ! 地図を持て!」

 ショックではあったが、この時代は兄弟でも滅多に会わない

落ち着きを取り戻すと、この機会を最大級に利用するために動くことにした。守備を固めれば確かに自分は無事であろう。しかし、その後にやり難くなるのは間違いがない。それに、今ならば黒田領を勝手に開墾したり治水を整えることが出来るのだ。この時代は国人たちの領土に手を付けることが出来ないので、この機に街道を整備し湿原を田畑に変えるつもりであった。

 

そう、兄を殺された以外は景虎の思惑通りなのだ。

ならば殺された兄には手を合わせて拝んで置き、徹底的にこの大義名分を利用し尽くすべきであろう。それこそが何よりの弔いと考えることが出来るところが、中の人のサイコパスぶりであり、ブリカスを標榜する外道ぶりであった。

 

「じゃがの、敵は柿崎や三条にも声を掛けておる。それに父である胎田常陸介も動こう」

「それは逆よ、本庄殿。まだ当方は囲まれてはおらぬ。むしろ各個撃破の好機と見る」

 そこに苦言を呈したのは、揚北衆の一人である本庄美作守だ。

彼は栖吉長尾家の家老でもあり、ある意味で黒田和泉守と似たような立場にあった。仕える家というか報酬や権威と引き替えに、協力している相手が違うだけとも言えた。それだけに黒田勢が何を考えているか良く判っていたのだ。ただ、差があるとすれば揚北衆は源頼朝以来と自負する御家人の家系である。武門の長として相応しい剛毅さを持つ、景虎の気質自体には好感を抱いていた。

 

そう言った事が判るがゆえに、景虎は地図を出して理論を元に口説く事にしたのだ。

 

「こういう場合は時と場所が肝要」

「そして、敵は示し合わせて蜂起したわけではない」

「つまり、合力してこの城を攻めるのではなく、三々五々に駆けつけるのだ」

「三条勢は残党に過ぎず、迷っていた柿崎勢は勝てる方の尻馬に乗るつもりだろう。ならば倒すべきは黒田勢と胎田勢のみ。移動途中でこれを阻み、あるいは横撃して彼奴等が勝る勢いを潰す! この地図を見られい、ワシはここにある川へ、『橋』を用意できる」

 景虎は四つの勢力を駒で示し、術で動かした。

等速で動く四つの駒の二つを手で塞いで壁を作る。そして自軍を示す駒を配置して、同じような速度で合流しようとする敵の駒へぶつけたのである。その地図自体は美作守も協力して作った物であり、間違っていない事は承知の上だ。

 

もし予測通りの速度で動いているならば、確かに栃尾に籠るよりも、打って出た方が有利に見えるのだ。

 

「それは確かに……。橋、橋か。それはもしや……」

「弥七郎! 枇杷島勢に三条残党を抑えていただけ! 弥三郎には新造の傀儡『川上猛』を授ける。近隣の山吉勢と共に胎田攻めの先鋒に立て!」

「「はっ!!」」

 それは後の世に三つのシモベと呼ばれる切り札であった。

背中に階段を背負った、雲梯型のゴーレムである。戦闘には全く向かず、指示があったら階段または橋となるように背中の建築物を動かす事しかできない。だがしかし、このような時には非常に力があった。この当時の越後は川と湿原で分断されており、自分達だけが一方的にスムーズに動けるのだから有利になるのは当然である。

 

そう、先ほどの地図での計測には欠点があった。

所詮地図は平面、子供の考える事よと美作守は注意しようと思っていたのだ。だが、実際には『その先』を考えていたのは景虎の方である。春日山から街道を引き上げる黒田勢はともかく、本領から駆けつけて来る胎田勢はこの速度で攻められるなど予想もしていないであろう。

 

●やるなら徹底的に

 暫くして、栃尾城を目指し柿崎勢がやって来た。

当主の柿崎景家は女将ならがらも優秀であり、晴景も幼馴染とあって優遇していた。だが、それでも文弱な晴景側につくか、それとも政治的妥協を要求するかを迷っていたのだ。そんな中で黒田和泉守が反乱を起こしたと聞き、協力するにしても取引をするにしても、これ以上ない機会だと動いたのである。

 

そして彼女が迷った僅か数日、それが命運を分けるとは思っても見なかったのである。

 

「黒田領を攻めるのにお手前の力が借りたい」

「はん。和泉守の軍勢くらい、なんとかしてみせな。本庄や山吉だけじゃなく、枇杷島勢も居るんだろ?」

 景虎の言葉を景家は勘違いした。

枇杷島駿河守定行が青い顔をしている事もあり、栃尾城が落城寸前で脱出して来たと思ったのだ。こんな短時間で城を落とされるなど、どれほどマズイ指揮をとったのかと疑ったほどである。まだ若い景虎が主将で、言う事を聞かずに城を出て勝てなかったのだろうと早合点した。

 

確かに忠告を置き去りにして討って出はしたが……その勝敗は真逆である。

 

「いや……。その、和泉守はもうおらぬ」

「は? 何を言ってるんだい駿河。それなら、あたしの力は不要だろ?」

「……ふふふ。これは我らの言いようが悪かった。黒田和泉守も胎田常陸介も討ち取ったと言うておるのだ。この世にはおらんと駿河守殿が言いたかったに違いあるまい。そしてこの景虎が借りたいのはな……黒田の土地を徹底的に掘り返すためじゃ」

 景家は当初、何を言われているか分からなかった。

それもそのはず。戦力的に劣勢だったのに、戦いがそんなに早く決着がつくはずがない。一発逆転で攻めるにしろ、黒田勢と胎田勢を同時撃破など不可能だ。仮に各個撃破したとしても、片方がやられている間にもう片方が攻めて来るなり、逃げ出すかするだろう。

 

また、彼らを倒したのであれば柿崎勢の力は不要な筈なのである。

 

「この際じゃから、黒田家の田畑を隠し田も含めて掘り返して統合してしまう」

「街道も水路も太く真っ直ぐにしてしまうかの。それで収穫がいかほどになるか」

「逆らう者は全て討ち取るとして、従った者に統合した田畑をやるつもりじゃ」

「時が許せば胎田の土地も同様に行う。さて、良き土地になった領地を見て、残った者がどれほど逆らうかのう? ワシはもうこのような愚かな謀反は止めたいのじゃよ。しかし、そのためには手が要ろう。そのために柿崎勢の力も借りたいのよ」

 景虎に躊躇など最初からなかった。

最初から黒田の謀反をしゃぶりつくし、後の中央集権と土地改革の礎になってもらうつもりでいた。この時代、隣村ですら信用できずに、隙あれば刈田狼藉を行う時代だ。街道は真っ直ぐではないし、橋も掛かっていないことが多い。加えて川の領有や水利権で争う事は当然である。しかし、黒田領で常識が徹底的に破壊されたらどうだろうか? 従えば豊かな土地が与えられる。だが逆らえば一族は殺されてしまうのだ。

 

そのためにはゴーレムを造る為の資材が必要だった。

ソレさえあれば、川に橋を架けて移動するのも、田畑を掘り返して一つにするのも簡単なのだ。パワーしかないゴーレムでも、そのくらいの役には立つ。そして柿崎勢の力は、その資材の切り出しと掘り返した田を耕す役目なのだ。

 

「駿河……若君は本気なのか?」

「この上なく本気であらせられる。確かに黒田と胎田の有様を見れば、二度と長尾家には逆らうまいよ。あの揚北衆ですらもな。そして、そのくらいせねばこの越後は……いやこの戦国の世はまとまるまい」

 驚いた顔で景家が尋ねると定行は青い顔で頷いた。

彼は景虎の才覚を見せつけられた一人であり、今回の徹底的なやり方にある種の納得を覚えていた。越後の国は湿原と川が多く、我の強い者ばかりでまとまりがない。さらに言えば越後最強の揚北衆はその血筋を自負して従う者が少ないのだ。だが、今回の騒動を知れば旗幟を明確にするだろう。

 

だが……そのためには一つだけ重要な事がある。

 

「俄にゃ信じがたいが……てーことわ、だ。あの件も必要だぞ」

「うむ。神五郎にはこちらで話を付ける。『我らの殿』により越後を一つにまとまった強い国にするのだ」

 ここに至り、景家はようやく定行の顔が青い理由に察した付いた。

そう、文弱な晴景では越後がまとまることはない。適当に日が経てば反乱が起きるし、場合によっては景虎と争う事になるだろう。だが逆に景虎を担ぐ場合、その迷いのない態度と明哲な軍略は頼もしさを越えて畏れすら感じる物であった。そして、そう考えるらば、むしろ先んじてやっておくべきことがあるのだ。

 

こうして直江神五郎定綱を加えて図り、傀儡である上杉定実に話を付け、当主交代劇を一気に推し進めるのであった。




 既に通って来た道を、酒と常備兵ではなく、塩とゴーレムで突破。
当時の越後は米処ではなく不便な場所なので、ブルトーザーとクレーンで土を運び、耕運機で耕す感じです。
また、良質の塩は能登半島から運ばれた物を中間貿易してますが、これを自家生産。
何も無かったところに突如生えてきた産物なので、かなり儲かります。
長尾家は繊維と銀鉱山(まだ佐渡の金山はない)で儲け、金貸しに出資しているので、ウハウハな経済状況と言えるでしょう。

●ゴーレム魔法
 難易度は普通~やや難しいくらい。
『人形』戦闘力はない
『傀儡』二人力(強化なし)~三人力(フル強化)
『大鎧』?(まだ作れない)
くらいの戦闘力で、ゴーレムの操作では経験値は少なく、建造の方で経験値が沢山もらえる。
なので、この時代では研究は頓挫して居る感じになりますね。

呪文効果はゴーレム付与して強化・ゴーレムの質を上げる・ゴーレムに命令・瞬間強化。
これらが複合されており、1つで済む代わりに個別の精査・指示が必要。
発展途中ゆえで、西洋だったら別々の呪文となっていて、難易度が少し下がっています。

作中にも書いていますが、景虎ちゃんの認識としては
『ゴーレム/地の呪文』耐久・装甲強化、維持モード・防御強化
『ゴーレム/水の呪文』構造決定(抵抗)・プログラム、受動防御態勢・抵抗強化
『ゴーレム/火の呪文』動力付与・動作付与、パワー強化
『ゴーレム/風の呪文』エネルギー収集・命令可能距離、エネルギー吸収・命令伝達
くらいの認識で、ところどころ間違って居たり、混同もあります。
これらはたくさん作ることで、徐々に修正されていくでしょう。

●ゴーレムの作例
『手長』パワーショベルタイプ
『足長』高所作業用
『首長』いわゆるクレーン

『越後の塩』水車で海水巻き上げ、コンベアーで砂を輸送
『竹獲の翁』石臼で竹を粉砕する

『川上猛』雲梯型ゴーレム。このシリーズは三つのシモベと呼ばれる傑作機に発展する


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信濃の安定

●国主就任

 黒田と胎田の領地がまっさらになったことで、越後の国人も動いた。

あちこちにあった田畑も湿原も全てが耕され、木々は伐採されて開墾されている。小さな丘程度なら崩されて、湿原を埋めるのに使われてしまって居る程であった。そして街道は太く真っ直ぐに固められており、川も浚渫されて治水とはこういうものだという見本にされてしまっている。信濃川の下流に在る直江領などは、既に景虎に頭を下げて同じように開墾してもらっているという。

 

ここまで徹底された領地開拓と、黒田・胎田両家の扱いを見て、頑固な揚北衆ですら残らず景虎を守護代にすべしとの声を上げたのである。

 

「ワシを守護代にというその方らの声は良く分った」

「守護様も兄上も認めておるというのならば否応はない」

「だが、その前に言うておくことがある。ワシは一つずつ片付けていく」

「領内においては当面、湊の拡充のみを優先する。ワシの助力を求めた者のみに傀儡を貸し与え湿原を田畑に変えようぞ。無理にこちらからは押し付けまい。じゃが、傀儡は杓子定規に動くゆえに小さくは掘り返せぬとだけ覚えておけ。そして戦においては、『依怙によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方へも合力す』。ゆえに越中征伐を行い、父上の仇を討つことだけが望みじゃ!」

 景虎が行った就任の挨拶を受け諸将は安堵した。

自分の領地を好き勝手にされて好ましい者は居ない。ゆえに開拓を望む者だけが、頭を下げてゴーレムを借りて行けばよいのだ。今まで通りで良いならば無理に借りなくて良いと安堵したとも言える。最も、水害が殆どなくなって湿原が無くなった直江領が、今までの三割から五割増しの畑になったと聞いて何人かは顔色を変える事になるだろう。

 

とはいえ、それは内向きの話で今の事ではない。

諸将の関心事は、むしろ外に関して景虎が明確な方針を固めている事であった。自分勝手に戦いはしないが、復讐の為の戦いは別だと告げた。もちろん諸将はそんな言葉は信じていないが、戦いに参加すれば功績が得られるし、景虎の軍略は枇杷島定行も本庄実乃も認める程であるとか。領地や俸禄を求め、諸将の意気が上がるのも当然であろう。また父親の仇を討てぬ弱い主よりも、明確に報復を宣言する若武者にこそ好感を覚えたというのもあった。

 

「揚北には交代で、主将のほか奉行を置くゆえ北の地を共同で守れ」

「信濃と上野には塩を持って交易で様子を見ておくが良い」

「能登の塩を買うのではなく越後の塩であれば安く売っても利があるゆえな」

「越中に関しても先に言うておくぞ。功績は俸禄を基本とし、土地は守護代の椎名家が約束した範疇で行う。その場合……街道や水利あるいは領地同士の諍いに関して、『引く』ことを認めた者への補填として優先しよう。あくまで功績に寄るが、そこに領内開拓による協力を加える」

 景虎は土地目的の領地獲得戦争はしないと明確に方針を表した。

大義名分は重要であり、そもそも守護代同士の争いゆえに領地の切り取りが難しいのだ。また、越後は湿原が多い事もあり、税が米の石高ではなく、銭による貫高性であったことも影響しているであろう。その上で数少ない領地獲得に対し、領内で街道や水利権の争いに協力した者を優先すると明言したのである。

 

その辺りの内容は、諸将にも思う所はあった。

ただ、功績によると明言しており、誰憚ることない武功を上げれば問題ないと思う者は多かった。同程度であれば、言う事を聞く側近を重視するのは誰でもやる事だ。そういう意味で、後から言われるよりも、こうして明言される方がスッキリするというものである。もちろん諸将としては、ダダをこねて文句を付けて俸禄をせしめるつもりはあったのだが……。

 

「当面の揚北の主将は中条越前守に任せる。普請においては本庄美作守に、外との取次には直江神五郎、段銭方は大熊備前守、軍務の相談役は枇杷島駿河守に奉行を任せる。以後、励めよ!」

「「はっ!」」

 この辺りの人事は納得の行くところであった。

中条越前守藤資は揚北衆の中でも、父親の為景時代からの同盟者である。本庄美作守実乃は栃尾城の城代として周囲の街道やら開拓を任せていたし、大熊備前守朝秀と直江神五郎実綱は守護の上杉家に所属して元からその役目を担っていた。要するに今まで通りの人事で、枇杷島(宇佐美)駿河守定行もまた軍師役であったからだ。

 

こうして今まで通りと見せかけて……正式に奉行として認知させた。

彼らに面倒な任務を任せつつ自分は責任を取るスタイルであるが、これは『今まで通りが良い』という諸将の好みにマッチした人事であり、正式な役職を与えるという事は、彼らの忠誠を得ると同時に与力で数名の国人を就かせて領内の安定を図る目的があったのである。

 

 

そして……奉行を任せたという事は、彼らと傍仕えのみが残って相談をする事に違和感がないという事でもある。

 

「これより表でも塩田を拡げて本格的に産とし、甘粕長重に塩の管理を任せる」

「神五は京三条の神余に送って、青苧の金ともども朝廷や将軍家との誼に使え」

「急激に越後の財が増えては、良からぬ腹を探られるゆえ程ほどにな」

「それで越後界隈で塩が安くなることは覆い隠せよう。その上で、四方の者どもに撒いて利用する。戦うにしても守るにしても、国人を黙らせるにしても役に立つ」

 まずは傍仕えの中で無名であった長重の紹介を行いつつ、塩の話をした。

何しろ内陸では塩が採れないから高額になるのだが、越後では塩が安く採れるようになり、今では良質の塩を研究している所である。多少安価でバラまこうが、数名の国人に賄賂を贈ろうが大した負担ではないのである。金をばらまいても良いのだが、生活必需品であり、軍需物資である塩の方が情報を隠し易いとも言えた。

 

越後は能登よりも塩の算出が悪いし質も悪いが、ゴーレム技術のおかげで裏では相当な利益が出始めたのだ。元がないも同然どころか、中間貿易で売りに行っていただけに相当な利を蓄え始めていたのだ。

 

「駿河。ワシ直属の塩商人たちの差配は任せる。判っているな?」

「はっ。越後添いの国人衆にも挨拶と称して配っておきまする」

 気配りという日本語があるが、これは『探る』という事にも使える。

定行はスパイとして塩商人を利用し、上野や信濃に諜報網を築く。さらに越後に近い国人たちに挨拶回りをしておけば、お土産を配るだけ親密に成れるのだ。先の『依怙によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方へも合力す』という言葉からすれば、これは戦わないから防衛用に通じておけと言う言葉になるのだが……。

 

転生者である景虎の中の人にとっては、いつか戦争になるのだから今の内から情報を探る糸口を作っておけという思惑を覆い隠すために使う事にした。

 

「美作には湊と、表向きの塩田の拡充を命じる。街道も広げたいところであるが、国人どもは従うまい。その方らの暮らし向きが楽になったのを見て、我先に飛びつくまでに湊を広げておく方が良かろう。それ向きの傀儡もワシの方で研究しておくゆえ、交易用に大型の船に関しても金を出しておけ」

「はっ。蝦夷はともかく、越前や若狭とも手を組めましょうぞ」

 景虎は内政でも焦る気はないので、将来を見据えた。

街道を拡げ領地の開墾を行えば越後は豊かになるだろうが、この時代の国人たちは言う事を聞かないし、越後は特に頑固なので先は長いだろう。それを踏まえれば、将来の目的である四大鎮守府の占拠や、海外渡航への第一歩を始めておくべきだ。この手の作業は長いし、船にしてもゴーレムにしても研究と言う物は一朝一夕にできるものではない。

 

そこで越後に在る幾つかの港に手入れ、大型船の研究を指示しておいたのだ。

 

「山吉兄弟は相すまぬが越中から加賀の一向宗の中で、話が通じる者を探ってくれ」

「頻繁に顔を出しては疑われよう。越前か若狭あたりの船で戻る様に」

「もし見つかった場合であるが、越中においては、一向宗を差別する気はないと」

「寺を増やす気はないがそうだな……もし一向宗同士の争いで寺が焼ければ再建や、立派な伽藍の建立には手を貸しても良いと伝えても構わんぞ」

 最後に傍仕えの中で新参である山吉兄弟に指示を出した。

彼らは栃尾城の近くの国人出身であり、直江領に並ぶ大きな領地だ。黒田との戦いで協力したこともあり重用すると決めたが、他の者との差が大きかった。そこで山歩きが得意な事もあり、『一向宗との交渉』と言う苦労は大きいが相手次第で確実性のない連絡役を任せたのである。これならば生きて戻るだけで功績となるし、他の者からみても労力ゆえに讃える気持ちの方が先に建つであろう。

 

なお、景虎は一向宗を単一の勢力とは見ていない。

彼らは大きな寺院を中心として、身内で争う間柄でもあるのだ。そこで互いを争わせ、口約束で動かすつもりであったのである。こうして景虎は数年分の計画と、その後を見据えた差配を行っていった。

 

 方針を発表した景虎だが春から夏にかけては、することがない。

もちろん大名としての行動はやっているのだが、田仕事のシーズンなので兵が動員出来ないのだ。その事を活かしてゴーレムの研究を始めている。折よく、黒田攻めの余禄で木材を大量に切り出し、ゴーレムを建造したデータが揃って来たのもあった。

 

人の領地を更地にして嬉しいかと聞かれたら、滅多にできない経験でウマかったと言う他はないのだが。

 

(雪以外でも数が作れたことで経験値も得られマシタ)

(雪で造ると地や風も必須でしたしネ。木は自然に消滅しないので助かりマス)

(ですが経験といえば、色々魔力のレシピを検証出来たのが大きかったデスネ)

(その時にパワー重視という前提もあったのが良かったデース。一つずつずらしたり入れ替え、検証でしましたからネ。これで一歩前進デース。工業力を高め、いつか大型船もゲットデスヨー!)

 ゴーレムを造り始め、雪で造ること自体は良いアイデアであった。

だが、次第に地の魔力が耐久力を増しているのではなく、『存在を保っている』のだと判明して来たのだ。地に割り振る力は低すぎると、HPが少ないのではなく……総合的な耐久性が低くなるのである。そして、ゴーレムの力を回復させるには風の魔力が関わっていることも判っている。最初は特殊機能が無ければ不要かと思って居たら、存在維持などにも消費していたのだ。

 

結果的に雪で作ったスノーゴーレムは早い段階で消えてしまい、一時しのぎの作業用にしか使えなかったのである。そう言う意味で、黒田領で得た経験も、資材も、その全てが無駄にはならなかったのである。

 

(何も知らない時に均等に魔力を最大限注いだ時ハ、戦闘力は変わりまセーン)

(これはおそらく風が持つエネルギー保有で、水のゴーレムとしての格上げダカラ)

(イメージ的に長保ちさせようとしたり、凄いゴーレムを想像した為デショウ)

(しかし、長保ちするゴーレムが強いわけではありません。合計値10くらいの割り振りで、1・2・3・4の組み合わせの羅列にしマシタ。すると想定よりも強いゴレームが出来た割に、直ぐに壊れたのですよネ。水車や石臼が上手く行ったのハ、自然に壊れない素材で、パワー重視でも問題ない構造だったからデース。もし、同じ構造でパワーが少なくても良いモノや、消耗対策が必要なモノなら?)

 検証作業と言う物は、延長であったりちょっとした入れ替えから始まる。

現在上手く行っている水車や石臼をベースに、類似品で重視する能力を兼ねてみると仮定した。例えば『ろくろ』は板を回すことで、上に載せた粘土をコネ繰りまわすものだ。パワーなんか必要ないし、手を抜いても問題なく、それこそ耐久性とエネルギー重視にすればずっと使える物になるだろう。その想定とは逆に、消耗度の激しい存在……丸ノコとか旋盤ならば耐久性が必要になるはずだ。場合によっては長時間使ってしまい壊れることになるだろう。

 

ただ、こういった検証で新しいアイデアを閃くのは面白い。

実際に作ってみることも難しくはないし、目に見えた成功は気分が良いものである。反対に戦闘用ゴーレムは短時間専用にしなければ強くならないし、それでも柿崎景家の様な猛将なら簡単に壊せてしまうので、気分が乗らなかったりする。とはいえ戦国武将である以上は、そちらの方の研究が重要なのだが……。

 

(短時間なら三人から四人力? でも一体では駄目デス)

(移動速度は関節でも導入するとシテ、パワー特化……)

(三・四体並べて十人以上の戦闘力で、数十体で百人分)

(マイガッ!? 全然コストに見合わないじゃないデスカー!! まさか謙信さまなのに城攻めの方が楽勝になるとはアンビリーバボーデース。アメイジングな戦い方を見つけなければ!)

 景虎は日本でも最強格の上杉謙信となるべき存在だ。

しかし現状ではその辺のマイナー田舎大名に過ぎない。茶器一つ手に入れるのも苦労するだろうし、茶会(紅茶)を開いても誰も出席しないだろう。趣味の紅茶は少しずつ開発するとして、どうにかしようと研鑽を積む日々であった。奇しくも上杉謙信最大の問題であった城攻めは既に克服しているのだ。

 

チャンピオンのタイトルに相応しい実力を身に付けなければなるまい!

 

「ほっほほ。根を詰めるのも良いのですがの。偶には初心に戻られよ」

「和尚様? それは虎千代に戻ったつもりで自分を見つめ直せと?」

「然に非ず然に非ず」

 そんな迷いを抱えて居た時、毘沙門堂に天室和尚がやって来た。

景虎がここで研究をしている時に尋ねて何か物を言えるのは和尚だけである。どうやら深い悩みを抱えて籠っていると側近に聞き、言葉を掛けに来たのであろう。

 

果たしてソレは迷いを切り拓き、景虎に未来を指し示すモノであった。

 

「汝が為す業は汝のみにて為すに非ず。御仏はそうおっしゃったのでしょう?」

「っ! 和尚様、ありがとうございまする。この景虎、今もって頑迷に囚われておりました!」

 天室和尚は『背負い込むのではなく、人に頼れ』と言おうとしたのだが……。

一周回って景虎は突破口となるアイデアに辿り着いた。これは転生者であるゆえか、現代知識でゴーレムの戦闘力不足を補ったのである。そう、ゴーレムの戦闘力が低いのであれば、戦闘以外に用いれば良いのだ。たとえそれが戦場であったとしても、ゴーレムと人間が共同で敵と戦ってならないという方はないのだから。

 

例えば黒田との戦いで活躍した『川上猛』は、橋を背中に背負った雲梯型ゴーレムではないか。

 

(和尚様は良いこと言いマシタ! 人を乗せれば良いのデース!)

(弓の達人やオーラ魔法の使い手。攻撃呪文の使い手に、デサント!)

(耐久力特化で前線に置いて置けば、後衛でも安全に戦えるデスヨー)

(戦わないなら四足歩行でダイレクトエントリーも可能ネ! 武器も要らないから、矢盾くらいで良いデス。投石機やバリスタがあれば戦車も出来ますケド……私一人じゃそこまで無理デスネ。開発に専念できるのも今だけでしょうし。後は工業用で幾つか考えたら、弟子を育てて終わりデスネー)

 景虎の中には現代知識があるが、それは別にゴーレム=ロボット直結ではない。

工業機械の代わりにしたように、別に戦車や戦艦をモデルにしたって良いのだ。城攻めで取り囲んで攻城櫓みたいな使い道で考えていたが、同じことを戦場でやったって良いのである。仮に敵方に弓の達人や強力な呪文の使い手がいたとしても、櫓をスムーズに戦場へ持ち込めるこちらの方が強いに決まっているのだから。

 

そう思えば川上猛が活躍した理由も、相手が思わない場所から攻められるという使い道である。ゴーレムが弱いならば、山がちな日本の地形で物を運ぶ手段として捉えても良いではないか。こうして川上猛の強襲型『熊襲猛』と、戦場に飛び出した防壁代わりのゴーレム『軒猿』が越中攻めでデビューすることになったのである。

 

●北信濃の動向

 運命の分岐点というものが存在する。

北陸から中部にかけの一部の大名にとって、その年の出来事がまさにソレである。この年、景虎は五千の兵を率いて越中へと侵攻したのだ。

 

越中の守護代は椎名家と神保家に分かれて争っていた。

父親である為景を殺したのは神保家であるので、椎名家に断りを入れてから侵攻することにした。当主に就任後、準備を整えてから満を持しての侵攻になる。だが、彼女の動きを逆に利用する者も居た。

 

「長尾の小娘が神保と戦っている内に、このまま高梨めの領土を切り取ってくれる」

「はっ!」

 信濃の雄である村上左近衛少将義清は、景虎の親族である高梨家を攻めた。

高梨家は北信濃でも北部の豪族であり、長尾家と相互に協力し合い、お互いが困っている時は兵力を融通し合っていたのだ。関東管領である山内上杉が攻めて来て、為景が逃げ出した時には高梨家が佐渡の本間家と共に援助したくらいである。何かあれば長尾家が助け舟を出すのだが、越中深く攻め入ればそれも不可能。つまり、義清にとって高梨を攻める絶好の機会である。

 

なお、義清にとってこれは仕方のない流れでもある。

景虎が野心的な人物であれば、神保から領土を削り取り椎名家を押さえつけ、越中の半ばを奪えば次は北信濃の番である可能性は高いのだから。彼からしてみれば、景虎の野心が招いたことだと言えたのだ。

 

「しかし、殿。大丈夫でしょうか? 取って返すやもしれませぬぞ」

「右馬助、ワシとて愚かでは無いわ。むしろ愚かなのはあの小娘よ。神保には難攻不落の増山城がある」

 重臣の一人である矢沢右馬助頼綱の声に義清は笑って応じた。

増山城は越中でも西部に位置しており、しかも名城とされていたのだ。つまり野戦で勝てたとしても、そのまま篭城してしまえば問題はない。長尾勢は攻め疲れるであろうし、援軍が駆けつけてきたら立場は逆転するのである。

 

それに、越中にはもう一つの懸念もあるのだ。

 

「ましてや越中には厄介な一向宗が居るでな。囲まれてしまえば、先代と同じ末路を辿ろうよ。それにな高梨勢が城に籠っている間に両属の被官どもを従えれば良かろう?」

「なるほど。彼奴等を切り従えればこちらは高梨を圧倒出来ますな」

 越中での一向宗は厄介な存在で、二派に分かれて争っていた。

名声を上げ物資を奪おうと長尾勢に攻め掛かれれば、例え雑魚であろうと万を越える大群である。どこかで戦力をすり減らすし、場合によっては討ち取られる可能性があると告げたのだ。そして義清は愚かではないので、その後の展望も考えている。

 

この時代、豪族たちの間に居る土豪や国人の中でも小さな家は、村上家と高梨家の両方に仕えて、それぞれの顔を立てている。そこで籠城戦の間に、こちらへ従えと脅せば勢力は一気に傾くであろう。

 

「そう言う事だ。ここで高梨を圧倒し、北信濃を手中にすれば長尾など恐れるに足らん」

 何度も繰り返すが、この当時の越後は国力は高くはない。

相次ぐ災害もあって二十万石前後といったところで、災害の少なかった信濃よりも高くはない。特に村上家の領地は穀倉地帯が広がる中信濃から北信濃に掛けてであり、高梨家を追い落とせば土豪や国人はその威に逆らう事など出来ない。そうなれば長尾家とも互角に戦えるであろう。

 

ただし、それは義清の思い通りに行けばの話である。

史実では彼の行動を見計らって武田家が中信濃に食指を延ばしているし、この世界では景虎が高梨家を経由して塩の交易で優遇しているのだ。彼は土豪たちの思わぬ反応に手間取ることになる。

 

●早過ぎる進撃

 高梨政頼が篭城している間に、村上義清は周辺の土豪たちを調略していた。

景虎が神保勢を打ち破って増山城に向かったと聞いて、土豪達を味方に付けてから、後戻りできぬように最前線で戦わせようとしていたのだ。それなのに土豪たちは首を縦に振らず、逆に時間を与えてしまう事になる。

 

それどころかありえない事が起きてしまっていた。

 

「大変です! 越後勢が現れました!」

「その数、少なくとも三千以上! 四千に達しているやもしれませぬ!」

「馬鹿な! 彼奴は越中深くへと攻め入ったのではないのか!? 謀反に備えた春日山の守備兵を動かしたのか? それとも神保を放って慌てて駆け戻ったというのか!」

 この報告に義清は激怒した。何しろ予定通りに進んでいたはずなのだ。

景虎が神保勢を破るまでは二千の兵で領地境の侵犯に留め、最大でも千五百しか動員出来ぬ政頼を圧迫するだけに留めていたのだ。そして景虎が増山城を目指したと聞いて、増援を呼び寄せ政頼を篭城させて土豪の調略にあたっていたのである。本来であれば城を落すのは不可能でも、武威を示しせた筈であった。

 

それが思いもよらぬ援軍に、当初の計画は瓦解してしまった。

まさか親戚とはいえ、景虎が守備兵を寄こすなり、せっかくの進撃を不意にして戻って来るとは思っても見なかったのである。

 

「殿! 長尾家より軍使が派遣されて参りました!」

「いかがいたします? 例え三千でも高梨勢と合流されては不利ですが……」

「戦いを止めて戻れとでも言う気だろうよ。ここで我らがすごすごと引き揚げれば、越中攻めを再開できるものな! だが、そんな事をしてみろ我らは信濃で物笑いのタネになるわ!」

 軍使を示す白い旗に、矢沢頼綱が義清に意見を問うた。

当初の予定では土豪たちを味方に付けており、高梨勢は風前の灯の筈であった。両属の兵をこちらにつければ、次回の戦いでは圧倒出来るし、その時に越後勢とも互角に戦える筈であった。それが今や逆転している。数こそ三千程居るが、それ以上後方から連れて来れば中信濃が危険なことになるだろう。そして高梨勢が今のまま出てきてしまうと、相手は千は残っている上に、援軍で士気が高くなっている。今戦えば不利なのはこちらだろう。

 

ゆえに義清は停戦調停を蹴ろうとした。

景虎も無理を承知で強行している筈であった、ここで兵を無為に失いたくはないだろう。そう思って強気で交渉に当ろうと思ったのだが……だが、使者の口上は義清どころか北信濃の諸将が思いもよらぬ内容であった。

 

「それで、使者殿はなんと? 我が土地を侵した高梨を許せはせぬぞ?」

「さて? それがしは西越中を任されることになった神保民部大夫と申します。越中の風紀を乱した神保長職の首実検をするゆえ、方々を招きしてはと派遣されましてございます」

「「は?」」

 義清は全ての争乱を高梨家にあると告げたが、景虎の思惑は違った。

彼らが宛にしている神保勢は既に討伐を終えており、越後勢は幾らでも戦えるのだと堂々と宣言しているのである。これには村上勢も思わず眉を顰め、何かの冗談かそれとも脅かすためのフカシかと思ってしまった。それほどに突拍子もない話であったのだ。

 

だが、それでもその場でホラ吹き扱いしなかったのは、使者が神保家の反乱分子で、次の当主と西越中の守護代を狙う者であったからである。

 

「使者殿。何を申されておるのだ? いかにとて早かろう。それとも戦場で……」

「増山城に籠った者供ことごとくを討ち取りまして、皆様方の存じ上げられている顔もあるかと参上仕りました。西越中……いえ、一向宗を始めとして、越中のことごとくを守護である畠山家のもとで働くべし。そう申しつけられております」

 ここに来て民部大夫はカラクリを披露した。

最初の段階で景虎は一向宗を仲互いさせて動けぬ状況にしていた。そして一気に神保勢を打ち破ると増山城を速攻で囲んで、いかなる秘策か城を早々に陥落させてしまったのだ。そこからは主家である畠山家に話を付け、味方にした国人へ掃討戦を命じると、さっさと帰還してしまったのだ。強過ぎる上に、情勢を操る見事さに越中の国人たちは、感心するどころか畏れすら抱いていたのである。

 

それが嘘か誠が別にして、さしもの村上勢も話し合いのテーブルに乗るしかなかったのである。

 

 北信濃での問題が起こるまで、景虎は上機嫌であった。

懸念となる一向宗は報酬と引き替えに出て来ず、ライバルとなる寺と殴り合いを演じている。お互いに信用しているとは言えないが、『越中でなら一向宗の信仰を許可する』という約束を長尾家と椎名家の双方で認めている。もし問題が起きるなら守護である畠山家経由で破棄するつもりだが、現状では問題がなかった。

 

外交的に決着がついた状態での戦闘であり、負ける要素はなかった。

増山城に籠られた事も、小田原城攻めの切り札として完成させた川上猛強襲型『熊襲猛』のテストケースとして丁度良かったのもある。

 

「何事も計画通りにはいかぬものだ」

「越中は最初から手放すおつもりでした。何もかも求めるのは我儘が過ぎましょうぞ」

 景虎の愚痴に軍師である枇杷島(宇佐美)定行が苦言を呈した。

本当は増山城を落した後、周辺で色々と悪さをする気であったのだ。はげ山にして木材を調達し、土台となる石を奪ってゴーレムの材料にする気であったのだ。それが時間の問題でトンボ返りする羽目になっては不機嫌となるのも仕方あるまい。とはいえ定行としては戦で完勝したのだ、それで満足して置けと言わざるを得なかった。今回はたまたま上手く行ったが、一向宗が約束を信じずにこちらに向かって来る可能性もあったし、北信濃に潜ませている素破たちが情報をつかみ損ねる可能性もあったのである。

 

それを考えれば、高梨勢が決定的な敗北をするまでに主力だけでも戻ってこれたのだから上々と言えるだろう。

 

「それに鉱山と魚津城はこちらで抑えたのです。それで満足すべきでは?」

「仕方ないな、そうするとしよう。それに……『本番』なのは此処からだ。信濃の豪族たちからいただく『モノ』をいただくとしよう」

 この頃には景虎の思考をある程度見抜いており、定行も容赦がない。

景虎がふてくされているのはパーフェクトゲームにケチを付けられたからで、単純に利益や経験を得るだけなら何処でも良いのだ。そもそも越中は一向宗が多いので捨てる事にしたのは景虎自身であり、理は港から、経験は鉱山や城の普請で得られるのだから。

 

そして、重要なモノとしては、ここからが『本番』である。

もちろん何も無い信濃に景虎はまったく期待していない。それに欲しいのはトロフィーとしての四大鎮守府やセイロン島であって、勝利も領土も全ては過程に過ぎないのだから。

 

「殿。高梨刑部少輔さまがご到着為されました」

「そうか。通してくれ。くれぐれも失礼のない様にな」

「いよいよですな。国元で苦労しておる神五郎の為にも、ここは失敗できませぬぞ」

「判って居る」

 実のところ、今回の交渉相手には高梨家も含まれている。

親戚だから無条件で援軍を派遣するなどという甘い事はない。程近い位置にある春日山城を守る為であり、そしてこれから信濃勢から得る『モノ』の中に高梨家の勢力も含まれているのだ。ここでへそを曲げられては困るといえた。もちろん村上家と手を組んで向かってくることなどあり得まいが、行き来したり交易の条件などがまるで変って来るのだから。

 

では、儲けの出ない信濃の領地以上に利益のある条件とは何であろうか?

 

「刑部殿。ご無事でござったか。これにあるが長尾平三景虎様にござる」

「駿河守殿も息災の様で。しかし平三殿、大きく成られた。父君もさぞや泉下でお喜びであろう」

「いえ、これも皆で盛り立ててくれたおかげでござる。それがしがしたことなど、塩の増産くらいじゃ」

 定行が紹介すると政頼は戦ぶりではなく、長じた事こそを喜んだ。

死んだ父為景や兄景康の事を思えば無事に成長し、しかも武将として花開いた事を第一としたのだ。もちろんそれは武功に話を持って行くと救援してもらった謝礼をせねばならないからなのだが、そこは景虎の方が一歩上手であった。武功よりも商売の話を優先することで、今後の話に弾みをつけたのだ。

 

これには政頼も乗るしかない。何しろ救援での武功ではなく、その後の商売の話だと無視も出来ない。それどころか配下の土豪たちが背かなかった理由の一つは、景虎が塩を格安で売り、『いつでも駆けつける』と聞いていたからだ。ここで援助を打ち切られちぇも困るというのがあった。

 

「塩……。そう言えば神五郎殿が土産に持って参られましたな。助かっておりますぞ」

「この景虎、依怙によって弓矢は取りませぬ。ただ筋目をもって何方へも合力いたす所存。そこに不正なく、戦いが無く平和であれば人の和やかさで利がありましょう。信濃の諸将とも同盟を組み、交易を持って和したいと思っておりまする」

 政頼が救援の代金をトボけ続けたので、景虎はさりげなく刺した。

土地を奪う気はない、ただ交易で利が出せるならばそれで良い。それどころか……村上家や南信濃の豪族たちでも良いと『表向きは』平和な事を言ってとぼけたのである。これには政頼も心胆を寒からしめた。遠まわしであるが、『これ以上話を誤魔化すならば、村上家と組んでも良い』と取れるからである。

 

親しい仲でも先制パンチありというのがこの時代の交渉だが、景虎のソレは必殺の一撃であった。表面上は平和ボケした話に聞こえるから尚恐ろしい。

 

「へ、平三殿。こたびの戦勝に水を差した村上に対して何を要求されるおつもりかな?」

「おお。これは話が早い。信濃の戦いを止め、皆が安心して暮らせるようにしたいのです。戦が起きないように調停し、上杉や武田などの他国から攻められたら援軍を派遣しましょうぞ。それで十分に景虎には利がありまするが……いえ、それはまた今度にいたしましょうか。村上殿も交えて話をしても良いかと」

 ここまでくると政頼の顔が青くなった。

関東管領である山内上杉はこの間まで北信濃に従属させていた豪族が居たし、甲斐の武田がちょっかい掛けて来るのは何時もの事だ。そこに協力すると言い、塩で利を示されたらみな協力するだろう。土地を寄こせと言ったら話は別だが、交易での儲けなど武将たちは下に見ているからだ。

 

だが、これまで海千山千の相手と話をしてきた政頼には、そうは受け取れなかったのである。

 

「差し支えなければ、この政頼も手を貸しましょうぞ。何なりと申されよ」

「さすれば……。信濃川にして少しばかり治水の協力をいたしたいと思います。堤を設け用水路を敷き、洪水も干害も起きぬようにしたいのです。そのために人足や荷車などを引き入れても良いかの話がしたいと思いまして。何しろ……越後は川下でござるゆえな」

 ここまで景虎が話を用意したのは信濃川の治水である。

自分が人手と金を出してまで、北信濃の諸将に協力する理由は何か? それは越後では信濃川の氾濫で大変な目に合っているからだ。ゴーレムで大規模工事をしようとも、北信濃で今まで通りならば根本的な解決は出来ない。史実でもこの件が何とかなったのは江戸から現代にかけての話である。

 

そして、この件がその時代になるまで無理だったのには理由がある。

誰も他国の者に自領に入って欲しくないのだ。それでなくとも水利権は収穫にも防衛にも影響する行為である。こんな時のように、北信濃の諸将が集まる時でもなければ、話を通す事すら難しかったであろう。

 

「ははあ……。なるほど。この政頼、先ほど言った事には嘘はありませぬぞ。共に手を取り合い、この地に平和をもたらしましょう!」

「この後で行われるである、村上との話し合いでも、よしなにお願いいたしまする」

 こうして景虎は高梨家と村上家を掌の上に載せると、北信濃から中信濃に掛けて強い影響力を手にしたのである。




 ダイジェストですが、前回と似たような部分を一気に終わらせました。
流石に次回からは大きく変わるので、数日後というのは無理だと思います。

●国策
今回はゴーレムでの開拓事業になります。
湿原が多く災害もあって二十万石前後なので、ひとまず三十万石目指す感じですかね。
戦わずにそれだけ田畑を拡げ、塩の販売やら鉱山拡充をゴーレムで補助すれば経済的にはもう問題が無くなります。

●戦争『依怙によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方へも合力す』
俺は正義! と言うためのお題目ですね。
実際、『領地は』奪わないので傍目から見て大きく成ってませんが……(経済植民地を除く)。

●ゴーレム
雲梯型ゴーレム。川上猛の強襲型『熊襲猛』
 矢盾を付け城に取り付き易くなったバージョン。
塀の大きさに関わらず、簡単に越えて侵入できる。
『三つのシモベ』と後に世間を揺るがすシリーズの集大成になる。

タンク型ゴーレム『軒猿』
 手足が長く、矢盾をぶら下げて兵士を守りながら移動する移動要塞。
全く強くないが、ポータブル天井になり、壊れても壁になるという優れモノ。
弓使いや呪文使いが乗る事で、越後軍の援護射撃をしてくれる。
後にジャンク船型ゴーレム『海猿』の登場によって、これまた『三つのシモベ』に数えられることになる。

●外交政策
信濃同盟を造らせることで、強引に武田を封印。
信濃川も治水することで、越後は無事に三十万石を迎えることが可能でしょう。

『神保長織』ナレ死。
『武田信玄』面倒くさいので次回死にます。


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パンジャンドラムの陣

 せっかく授かった御仏の加護だが、戦闘力に直結しないと判明した。

戦国最強と言われる上杉謙信であるのに、それはないよ~と思っていたのだが、事前段階において駆使すれば無類の強さが発揮できるのではいかと思えて来た。そういった準備にかけては現代人の方が戦国時代の人間よりも上である。景虎はそこに目を付けて、可能な限りの準備を行うことにしたのだ。

 

具体的に言うと戦国最強候補のライバル武田信玄となる、今は晴信と言う男の妥当である。まずはブリカスらしく、外交と経済で押さえつけることにしたのだ。

 

「村上が武田を単独で追い返した? ……せっかく同盟にこぎつけたのだがな」

「一当てしてからではないとあちらも面目が保てないのでしょう。それに力ばかり借りては同盟内での立場にも関わります」

 北信濃からの第一報はあまりよろしい内容ではない。

せっかく他国から攻められたら援軍を派遣するという内容で締結したのに、こちらへ事前の報告はまるでなかった。奇襲されたわけでもないのに事後報告というのでは、せっかく同盟を結んだ甲斐もないではないか。もちろんそれは甲斐の武田が負けたから、甲斐がないというギャグではない。

 

ただ、枇杷島定行の言葉にも理解はできる。

景虎に大きな借りが出来たら返済するのが大変だ。戦続きで金で困っているのもあるだろうが、『借り』を作りっぱなしと言うのは体面に関わる行為なのだから。

 

「まあ良い。こちらの値で食い物と塩を売ってやれ。それで商人どもが値を下げる筈だ。下手に援助してはへそを曲げるというのもやり難いな」

「武士というものはそんなものでござる。ですが、承知いたしました」

 この時代、商人たちは平然と売値を吊り上げるし、買値も値切る。

初期のノブヤボではコメの価格が0.5~2倍以上に変動した物だが、実際にはそんなものではすまないのだ。近隣の国が飢饉であったりすると五倍とか当たり前だし、借金のカタに米を取り立てていると安価な査定のまま剥していくので恐ろしい相手だ(しかも坊主がケツ持ちなので始末も出来ないし)。

 

この点で景虎は手持ちの物資を定額で供給することにした。

越後からの物資が高騰しないということは、村上勢の懐が必要以上に痛まないという事だ。また、高額で買い取っている武将の所へ供給すれば、それだけで褒章足り得た。頭の良い小者が蔵係になっていれば、商人に高く売りつけるだろう。その結果、信濃の商人は高額で売れないと諦めるのだ。

 

「信濃に関してはもう少し素破だけで済ませるとして……神五郎。お前のところはどうだ?」

「はっ。おかげ様で大きな水害は起きておりませぬ。まったく無いとは申しませぬが」

「あともう一押しか。信濃に出兵する時の条件とするべきだな」

 信濃川の改修をこちらですることを利としたが、全ての諸将が受け入れたわけではない。

自分の領地に人が入るのを嫌うのは当然だし、その事を条件にして入ったとしても、案内役の小者が渋ったりするのは良くあることだ。というより、同じ領内にある村と村が対立関係で、戦で男手が少なくなった時に米を奪ったり村長をやってる土豪の屋敷から何もかもを奪っていくとかは良くある話なのである。

 

そう言う訳で武田を潰したいという理由以外にも、治水を完了させる為にも北信濃へちょっかいを掛けたかった。川上で治水をしないと、何時まで経っても下流である越後は大変なのである。

 

「ですが強情だからこそ首を縦には降らないのでは?」

「そこは守護である小笠原を利用する。そろそろ任期の問題を理由に、他の者が地位を寄こせと言いかねまい? こちらはソレを察して、朝廷と将軍家に献じておこう。どうせ佐渡守や弾正大忠の御礼もせねばならんからな。守護と国司の地位をそのまま小笠原にとお願いするのだ。現状維持で十分なら問題無かろう」

 長尾家の地位は低いので、まだ越後の守護には成れない。

領国性で上国であることに加えて、『関東を抑える要衝の地』の扱いが軒並み高いせいだ。越後・駿河・甲斐などは、その影響で格式の高い家が守護となっており、守護代の家系である長尾家は即座に守護には成れず、将軍家への貢献を続けよというありがたい言葉と共に、弾正大忠の官位と佐渡守の地位を貰っているのである(しかも畠山の推薦と海賊退治が無ければなれなかった可能性すらある)。

 

ともあれ、起きたことは起きた事として利用するのが景虎である。

現実逃避と言う言葉は彼女には無く、外交関係では既に寝業師としての見方すらされ始めていた。こうした介入を続けて行けば、信濃川も数年後で良ければ何とでもなっただろう。問題は、武田家の伸長があるのだが。

 

「ではその辺りを小笠原家中に?」

「そうだ。火のない所へ煙を起てよ。判っているとは思うが本人には伝えるなよ? あくまで都へ登る為に作った借りの御礼として何人かに吹き込むのだ」

 今の信濃守護は小笠原氏であるが、仮に武田家が手に入れたら?

権威に弱い土豪や国人たちは武田家に付きかねないし、そうなれば村上家を攻めるなり小笠原家を攻めるなりやり放題である。単独で勝てないならば、遠方と交渉して近隣を攻めるというのは兵法における常套手段である。仮に景虎が吹き込まずとも、その様な路線で武田家が勢力拡大を狙う可能性はあった。

 

そして景虎はその問題を最大級に利用することにした。

現段階ではまだ『懸念』に過ぎないが、時が経てば金山を持つ武田ならばいずれやるだろう。先んじて手を打たれて撤回させるのは不可能だが……今の間に朝廷工作を始めれば『攻める為の大義名分にするから、武田の話を聞かない』という理由で断らせることが出来るのである。間を取りもつ公家たちも、礼金だけもらって『あれは駄目だった』と言えるのだから損ではない。

 

「これが上手く行けば、小笠原は援軍要請に見返りに信濃川の改修で後押ししてくれるだろう。正式な守護の頼みとしてこちらに要請もしてくれよう」

「むしろ上手く行き過ぎた時が問題ですぞ。窮鼠が猫を噛みましょう」

 越後開拓計画は良好に進んでいる。数年先には食糧問題が解決するだろう。

現代の米処という評価にはほど遠いが、湊の拡張工事や大型船の研究もあって、経済的には完全に近い形で充足すると思われた。頑固な国人たちも景虎の手腕に恐れ入っており、また攻められたらゴーレムを利用して川を平然と渡ってくるため、防衛手段としての河川に見切りをつけたのもある。

 

つまり、越後陣営としては今から数年を万全に保てれば良いのだ。

定行ならずとも余計な事をせずに、国力の全てを投入できる時期を待てと言いたくもなろう。現段階では伸長しそうな武田家の先手を打っており、良好なのだから。

 

「武田は総力を挙げて現状を打開しに来るだろうからな。望むところよ」

「駿河守。知っているか? 碁にしろ将棋にしろ対戦相手が居るものだ」

「しかもこの対局のおそろしきところは、一人相手に勝ち切れるとは限らぬ事」

「武田が悪かろうと伊勢や今川が後押ししては容易く引っ繰り返されるぞ? 特に伊勢は関東管領殿を追い詰めているからな。両家の親族である今川を中心に同盟を組んだとしても一向に不思議ではあるまい。いや待て……今川?」

 とはいえ景虎は油断しているわけではなかった。

将来に武田信玄と呼ばれる男ならばここから逆転して当然! とばかりにその対策をここで終わらせることが出来る事こそ重要だと告げたのだ。実際、史実でもこの時期の武田は実に勝ったり負けたりを繰り返しているのだ。後にそのカリスマでまとめあげ、配下を粛清しながら息子を送り込んでいく過程で強くなるのだ。そしてソレを後押しするのは、親族である今川家と、協力者となった伊勢家(北条)である。

 

ここまでは他愛ない歴史知識の思い出し作業に過ぎないが、ここからがこのブリカス的頭脳の汚い所である。

 

「今川に声を掛けてみるか。こちらとしては武田を滅ぼしたいわけではない」

「甲斐から出てこない程度に叩ければよい。仮に滅ぼすとしても今川側と分配する」

「信濃の安定が為されればそれで良く、もし滅ぼす場合は釜無川の治水と腹っ張りの奇病に対する協力をするとな。もちろん今川家が武田家を管理下に置くならば、その場合でも提供しようぞ。腹の内は読まれても良いから、そんな内容で使者を送っておけ……都からの帰りを船を使ってな」

 この時代は親族であっても背中を伺う時代である。

武田晴信の父親である信虎は油断できない男であり、親族と争っていた甲斐をまとまめあげ、そして扇谷上杉と結んで関東を攻めていた。その信虎を追い落とす策謀に今川が協力したのも、その辺りが背景にあると言っても良いだろう。今川から見れば、抗争中だった伊勢家を叩きたいが、必要以上に潰れては困るのだ。

 

その辺りの匙加減を考えれば、今川は武田と長尾のどちらに付くだろうか?

晴信は有能だが油断のならない所は父親以上だし、強大化すれば滅ぼした諏訪家の様に今川にも牙をむきかねないところがあった。ただ武田を滅ぼすところまでやるかと聞かれれば、甲斐と言う国自体がどうしようもないのである。そこで景虎は甲斐を良くする方法を伝えつつ、現状の晴信体制だけ何とかしたい……そう伝えれば、勝手に信虎の時の策謀に考慮するのではないだろうか?

 

「殿。それでは見抜かれて乗って来ないのでは?」

「必ずしも手を組む必要はない。伊勢と合わせて三国同盟などされたら困るだけだ。この話を吹き込めば、たとえ見抜いたとしても武田に関する事のみよ。同盟関係を組むとしても、武田晴信を除いてからになるだろうな」

 そう、景虎は甲相駿三国同盟こそを警戒していた。

武田と今川と伊勢が組めば、それぞれに全力を投入できるのだ。今川は同レベルである織田を圧倒出来るようになり、武田は信濃を奪い越後や美濃への道を開き、伊勢は関東を席巻して関東管領の権威を叩き潰すであろう。そんな状況になってなっては困るのはこちらである。せっかく抑え込んだ武田は勢力を盛り返すし、伊勢は武蔵どころか上野を奪って越後が危険になるのだから。

 

そんな感じで景虎は同格以上の相手に上手くやる事が出来た。

ただ、天才は常人とそれ以下の人物には想像が及ばないという。小笠原長時という愚か者が居ることを見抜けなかったのである。

 

どんな奴かって? 悪役令嬢物に出て来る王子様を思い浮かべてほしい。

個人的武勇に優れ、知恵も文化理解度も良く名家出身で顔も良いのに……政治的手腕がサッパリな男である。

 

 やがて、武田は全力を挙げて南信濃を攻め始めた。

中信濃から北信濃を収める村上義清が強い事や、南信濃にはすでに橋頭保がある事、そして小笠原長時の人望が地の果てに低い事である。彼は小笠原家中の問題にもつけ込み、八千とも一万ともされる兵を投入して一気に南信濃を席巻したのである。

 

なお、この当時は一万石あたり二百~三百の兵が妥当である。

二百以下ならば余裕をもって動員できるし、三百を超えるならばかなり財政的にも厳しくなる。それは兵糧の消費もあるが、田仕事におけるダメージが半端ないからだ。そして南信濃でも強引な徴兵を行い、そのまま中信濃へと向かった。

 

「いやいや。弾正殿、御助勢感謝する」

「そうだ、河川の改修がお望みであるとか。木曽の川も含めて全てお任せしようぞ」

「いやあ木曽家の者共も弾正殿が協力してくれるならばありがたい限りじゃと言うておった」

 これが仮にも守護である小笠原信濃守長時の言葉である。

領土奪還を他国の景虎に一任し、しかも領地の中に侵入して河川改修をする権限を、何も考えずに与えている。しかも頼まれても居ないのに、南信濃の木曽川までやって良いと言っているのだ。彼は善意であろうが、景虎は木曽川までやる気はなかったし、木曽氏としても良い迷惑であろう。これで反旗を翻していないのは、家族を討たれているからだ。もし今の当主が死ねば、武田から養子を迎えて鞍替えするだろう。

 

ただ、それでも守護の言葉は地方には重い。

武田との戦いに介入できるし、そのためにゴーレムを持ち込むことが出来た。既に信濃川の改修には手を付けているので、後は勝つだけではあるのだ。武田に勝ったらコイツはもう死んでも良い……それが周囲の武将たちに一致した意見であろう。

 

「では要地はそちらにお譲りしますので、こちらは平原に陣を敷きましょうぞ」

「おや? 良いのかね? それでは武田と正面からぶつかってしまうが……いや。武功で知られる弾正殿の事だ、勝利間違いないのでござろうなあ」

 そんな馬鹿殿の長時だが、いちおうは戦略に疎いわけではない。

ボンボンなのに戦場に立ったら突撃したがるとか、KYな言動で家臣団の結束を乱すとか、村上家などの豪族に嫌われてるだけで決して知識がないわけではないのだ。要するに空気と時勢が読めないだけで、文武両道なのである。イメージ声優が子安とか塩沢の暗黒面(情けない方)だと言っても良い。

 

なお、そんな長時でも読める地形にあえて景虎は布陣することになった。それが……対武田への必勝の構えである。

 

『平原に布陣するとは……馬鹿め。この戦い勝ったぞ。援軍を真っ先に叩き潰せば、此処で引いても次がある』

 これが武田晴信が諸将に告げた最後の言葉として知られている。

グダグダな信濃勢がまとまっているのは、越後勢が援軍を約束し、資金援助を行っているというのを晴信は掴んでいた。ゆえに彼の戦略眼は間違っていないし、戦術においても間違いではない。例え強引に駆り出した農民主体であっても、最終兵力が一万五千を超える大軍は侮れない。平原では数こそが力。『大軍に兵法無し』との言葉通り、数の勝負になるからだ。

 

例え総数では信濃・越後連合が勝っていても……景虎が直卒する八千を叩き潰せば、それだけで勝てる。引き分けであったとしても次の戦いでは、土豪や国人たちを味方に付けて逆転できるのだから。

 

「殿。彼奴等は釣り出されましたな」

「よろしい。『伊吹童子』を使い潰せ。武田に草薙の剣でもあったら困るからな。切り札を使う前に全てを終わらせる」

 後の世に、三つのシモベとされるゴーレムが三シリーズある。

その中でも最後に投入された『伊吹童子』は最悪の兵器として恐れられることになった。景虎の本陣からジャーンジャーンジャンという銅鑼の音が鳴ると……越後勢の陣地から一斉に巨大な丸太に車輪を付けたようなナニカが飛び出して行ったのである。

 

ソレはただ回転エネルギーと姿勢制御にだけ全てを注いだ巨大ゴーレムである。

粗製乱造された大型の水車の様な物であり、何も無くてもこの戦いの後では長保ちできない。やれることはと言うと、平原で転がる事で、相手を轢き潰す事しかできない、おおよそ考えられる限りコスパの良い使い捨て兵器であった。

 

「武田家当主代理。典厩信繁であります。我が首に掛けて、部下たちの命を助命いたしまする」

 不運な長男晴信に対し、重傷を負いながらも降伏の使者となった次男信繁。

彼は九死に一生を拾い、部下たちの命を救おうと申し出た。その天晴な心意気があった為か、後に甲斐から『泥かぶれ』とか『腹っ張り』と呼ばれる奇病を払い、貧困を遠ざけた名君として知られることになるのであった。きっと悪運は強いのであろう。

 

こうして武田晴信の野望は短く終わったのである。




 と言う訳で武田晴信は速攻で死亡、轢殺されました。
以後、信濃の国で景虎に逆らう者はいなくなったそうです。
まあ、誰もでっかい車輪にオカマ掘られたくないから仕方ないね。

●ゴーレム
『伊吹童子』
丸太というか車輪みたいなゴーレム。
イギリスの発明家と軍部が生み出した紅茶の暗黒面、パンジャンドラムの爆発しないバージョン。要するに平原でしか役建たない、体当たりドローン。
山頂からヤマトタケルに体当たりした猪が、神の化身であったことから名前を付けられている。

●武田信玄
 二周目というかBルートなので、同じ流れをやるのも馬鹿馬鹿しいのでサクッと死にました。
現代だったら『嘘だろお前!?』と言う感じでトラックに跳ねられる感じです。
しかも彼の死後、甲斐の国は急激に良い国になるので、全て晴信が悪かったことにされそうな勢い。


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正義の裏表

 この時期の景虎は地味な調整作業に入っていた。

朝廷から官位を貰った御礼として上洛する可能性を探る程度であったのが、護衛を兼ねて僅かなりと兵を率いて行かねばならないからだ。そのためには、道中の大名に対する配慮(と警戒)もしないとならない。例え千にも満たぬ軍勢であろうと、互いの警戒心の問題で、金品を配っておく必要があった。これが佐渡守だけなら献金だけでも良いのだが、いずれ越後守をもらおうと思ったら、ここでお伺いするべきだというのが厄介であった。

 

その調整をしている間……各地の調査と、ゴーレム魔法の使い手を増やす労力に充てざるを得なかったと言える。逆説的に言えば、いつか来る飛躍の為の、準備期間とでも言うべきだろうか?

 

「殿。信濃にて治水が終わり、甲斐に傀儡を移しました」

「よし、これで甲斐に回せるな。釜無川もじゃが『腹っ張り』なる奇病が収まれば、あの辺りも変わるであろう。傀儡は虫に食われぬゆえな」

 景虎も権威が上がったこともあってゴーレムを造れず使い回すことが多くなった。

信濃や甲斐で領土を得てはいないもの……。代わりに川をフルしてしまったが、それが大きく取り上げられるのはもっと後の事だ。佐渡守に就任したことに加え、佐渡の国人であった本間家が海賊を操っていたことから、彼らを征伐して佐渡島を領有したのが精々の拡大であった。もちろん対外的には……である。

 

越中の魚津の湊を抑え、越後にある幾つかの湊を大規模拡大。

更に能登の畠山氏と同盟を組んだこともあり、北回りの船を抑えることに成功したと言える。塩の増産だけではなく、佐渡の銀山・金山によって経済的には大成功であった。

 

「甲斐の開拓は実入りは少なかろう。だが今後には大きな影響を与える」

「近くは、我らがその土地を奪わず、良きものにする事が出来るという評判」

「遠くは、佐渡島を温かくしたような、あるいは寒くしたような島を見つけた時じゃ」

「無人であったり差配できる人が少ない様な辺境であれば、本来は見つけただけで使えぬであろう。しかし傀儡を用いて行えるならば話は別よ。大軍を蹴散らして僅かな土地を奪うよりも、よほど広き実入りを得られようぞ。それゆえに急ぐな、利を求めるな。ただ何が出来て、何が問題であったかを記録して置け。それがいずれ我らの理となる。それこそ朝廷が蝦夷を耕せと口にしても、ワシは驚かぬぞ」

 ここで景虎は土地を奪わぬ事や、地道な開拓の利を説明した。

信玄が生涯をかけて治水した釜無川を他人が行い、腹っ張りなる奇病と相対する意味は薄い。だが、それが今後の礎になると判れば、戦いで寸土をせしめるよりも重要だと告げたのだ。そして今の段階で越後の長尾家は信用に足りると評判を得れば、いずれ豊かな土地を得られるかも知れぬと諭しておいた。

 

もちろん、それはいずれありえる東南アジアへの出兵、そしてインド洋にあるセイロン諸島への出撃を考慮してのものであった。

 

「殿。その件で、大宝寺殿がこちらに臣従したいと」

「出羽の? 確かあそこの湊は奥州藤原の時代より唐の国と交易しておったな。条件付きで『色々』と許すと伝えよ」

 出羽南部の大宝寺氏は時節や勢いによっては、越後との両属をする事もあった。

本庄美作守実乃の手引きで景虎に降り、行政委任と港拡充のために自主独立の道を進み始めたのである。それが陸地においては手放しの委任を求めての事とは推測しつつも、景虎は快く許可をした。それというのも、平安時代に遣唐使を廃止して国交が絶えた後も、奥州藤原氏以降ずっと交易を続けたからだ。

 

源義経の部下に『金売り吉次』という男が居たとされる。

その当時は物々交換の代価の他は、金とは装飾品の素材でしかなかった筈だ。では何処に『売っていた』かというと、主に中国に向けて売っていたのだ。今で言う福建省あたりと交易しており、景虎の中の人はとある少女漫画で知ってよく覚えていた(なお、この当時は朝鮮北部の騎馬民族の方が盛んであった模様)。

 

「条件とは? 安東の湊でも奪って来いと言いまするか?」

「不要だ。ワシが頼みたいのは大型船の図面なり叶うならば実物の入手よ。海賊どもが奪った中古で良い、状態は問わぬ。何隻かを得るための仲介を頼め。金はいくらでも出すとな」

 景虎の目的は四大鎮守府とセイロン島である。

その為に渡航可能な大型船が必要なのだが、そのためには今の内から研究に着手する必要があるだろう。もちろんそこから経験を踏まえて、ちゃんと運用できるモノに進歩させていかねばならない。

 

その事を現実的に考えると南蛮船にこだわるべきではないだろう。

むしろ入手し易いジャンク船こそが手っ取り早い手段であり、帆の張り方から竜骨と言う概念まで、今の内から知っておかねばならないのだ。むしろ数隻手に入れて、一隻はばらして資料に、次の一隻は組み立ててまたバラすくらいで丁度良いだろう。その意味で、中古でも良いのである。

 

「承知しいたしました。仲介で良ければ納得いたしましょうぞ」

「頼んだぞ。別に上洛までに間に合わせる必要はない。図面ならば真実と思える物であればよく、実物ならばひとまず浮いて佐渡まで引ければ良い」

 秘密裏に船を建造するならば佐渡の立地は丁度良かった。

律令では下国どころか中国扱いなのが不思議なほどだが、海の向こうであるがゆえに秘密を守り易い。また鉱山も見つかったばかりとあって、作業用ゴーレムを造るために景虎が移動することがあるのも好都合である。

 

そして、ジャンク船の入手もであるが、手漕ぎ式の旧型船を手に入れたことも後に大きな影響を与える事になった。兵士を運搬するための『軒猿』を発展させた、『海猿』の建造のきっかけに繋がったのである(オールを漕ぐ人間大サイズのゴーレムを載せるので高速で移動できる)。

 

 そうこうする内に新たな使者が越後を訪れた。

これまで信濃・甲斐以外は畠山や本願寺が誼を求めてくらいであったが、将軍家より上洛命令が出たのだ。大河ドラマでは気軽に兵をあげて上洛してやると言うシーンが出て来るが、この当時は朝廷か将軍家が命じなければ出来ないのである。

 

つまり何某かの事件か、景虎に何かさせたくなる出来事が起きたと言えるだろう。

 

「それにしても将軍家から重ねて上洛せよとは何が起きたのでしょうか?」

「おそらくは細川との手切れであろうよ。越前の朝倉は依然として将軍家寄りであるが、近江の六角や若狭の武田は管領の細川京兆家寄りだからのう。大樹様がまだお若いのも影響しておろうが」

 長尾家が上洛を計画していたと聞いたのか、将軍家からも命じられた。

これに対して理由らしい理由としては、先年、大御所政治を行っていた足利義晴が逝去した事が挙げられるだろう。右近衛大将の地位でもありその権威だけは非常に高かったが、いかんせん借り物の戦力しか持っておらず、細川京兆家の内紛に巻き込まれて都落ちしたまま亡くなったのである。そしてまだ若い将軍の義藤(後の義輝)は細川晴元に反発し、細川の反逆者である三好長慶と結んで対抗したのである。

 

問題なのはその事で細川晴元の権勢は失墜したが、細川派の二家が敵に回ったのが大きいのだ。

 

「駿河の申す通り、そんなところであろう」

「ワシはかねてより領地は欲しておらぬゆえ、最悪でも若狭の湊で済む」

「一向宗とは和議を結んでおるゆえ、朝倉は一向宗対策になるので手が空く」

「逆に若狭武田は身動きが取れまい。越後と越前の兵が参ればとうてい太刀打ちできぬ、六角も立場を考えるであろうしな」

 それは派閥の力学の応酬であった。

名門細川京兆家とて内部反乱で実働部隊であった三好家が割れ、一族の者が京兆家を継いだと言われれば揺らぎもする。そこで傀儡にしている将軍家を使って抑えようとしたところで、義藤が反発して対抗者である長慶に権威を与えたのだ。これで三好家に最も足りなかった権威と大義名分を失ったわけだが、代わりに六角や武田が細川について自ら離れていくとは思わなかったのだろう。

 

そこで足りない戦力の代わりに景虎を動かし、同時に越前の朝倉が動き易くしたのは落ちぶれたとはいえ足利将軍家であった。

 

「では若狭を攻めまするか? 少々遠いですが」

「いえ。得る物が湊ではそこまでの価値はないかと」

「ふむ。……確か丹後の一色領を若狭武田が奪っておったな? ではそちらに使いを出せ。湊一つで丹後の再平定に力を貸すとな。将軍家に請われて上洛する折りゆえ、助力が不要ならば断っても構わぬと伝えよ」

 ここでも景虎はブリカスぶりを発揮した。

ただ若狭武田を攻めてもコストばかりで恒久的な占領は出来ないし、実乃や定行ら家臣たちも良い顔をしないだろう。だが、隣国である丹後の一色家を味方に付けたらどうであろうか? 一色家は若狭武田に攻められて領土の一部を失い、国人たちに背かれて大半の勢力を失っている。一時守護職ですら奪われていたのだが、将軍家に味方すると誓う事で何とか守護の地位だけは取り返した頃であった。

 

ゆえに国人たちを味方に付け、若狭を叩く為の戦力を欲していた。

そして若狭と丹後の湊を抑えることが可能であれば、日本海側の湊の大半を長尾家で抑えることが出来る。家臣たちも反対しないであろう。もちろん景虎の中の人にとって、将来に舞鶴と呼ばれることになる丹後の湊こそが最重要の目的であった。

 

「ひとまず海路として、保険で幾つか分けて手勢を出す」

「ワシを暗殺しようと狙う者がおるやもしれぬが……」

「それよりも諸大名を警戒させぬ程度に兵では何の役にも立たぬ」

「土地を奪わぬという事と、戦わぬということは同義ではない。仮に将軍家の命があっても五百程度では大した戦は出来まいよ。銭雇いで嵩を増すのにも限界はあろうしな」

 景虎の上洛は複数ルートが検討された。

属国扱いになっている信濃沿い、同盟者である越中から仲直りしている一向宗の手引きで木曽・美濃と通るコース、最も有望なのは海から越前へと渡る海路であろうか?

 

実際にはそれら全てに三百程の手勢を持たせて送り出すことにした。

自身は丹後の一色領に上陸し、後に舞鶴と呼ばれる辺りを見学する予定である。もっとも使者からは色よい返事があったというだけで、いきなり軍勢を連れて乗り込むことなど難しいのであるが。

 

「しかし、湊一つとはいえポンとくれますかな?」

「口の上では頷くであろうよ。若狭武田に領土を奪われているばかりか、国主の地位も危ういのだからな。ただし、口約束など守るに値するまい、将軍家か朝廷に地位を掛けおうてくれれば御の字であろう」

 景虎が本気と知って定行は確認することにした。

確かに丹後と若狭の湊を抑えれば、朝鮮や中国との密貿易をせずとも、北回り航路を完全に支配できる。その利は想像を絶する程であろうし、流通を抑えることで、何もせずとも商人たちが矢銭を収めてくることは想像できたのだ。だが、それは直に報酬を支払ってくれればの話。協力だけさせてお帰り願うなどと、軍師としてはとうてい認可できるはずもない。

 

では、どうして景虎はそれが判っていて実行しようとするのか?

 

「今の話、馬鹿正直に一色殿にだけ話す必要はあるまい?」

「幾人かの国人にワシの後援があると、手紙のみをチラつかせる気であろう」

「ならばその話を全ての国人衆が知っていても構うまいよ。勿論、大樹様もな?」

「何も約定は左京大夫殿と交わすわけではない、一色家と交わすのであるからな。後は国人衆なり将軍家と図って奴の息子の中で、ワシの意図を正しく理解して居る者に継がせればよいわ。とはいえ……銭の流れを何処まで丹後の守護様が理解できるか分からぬのじゃが。案外、ワシの事も越後の国人風情よと見逃すやもしれぬ。それで済むならば、喜んで笑われようぞ」

 正直な話、一色左京大夫義幸を少しも信用して居なかった。

魂の故郷と思ってすらいるイギリス自体が、何度も口約束で他国を動かしている。欲しくもない官位を要請してくれるならばまだ良い方で、二枚舌は当たり前であろう。ゆえにやるべきことは、政治的に嫌だと言えない所に追い込むことなのだ。そもそも一国の権威を取り戻す手伝いとしては破格の取引なのだし、それが嫌ならば断っても良いと告げているのだ。頷いて置いて渡さないというのはありえまい。

 

最終的に景虎は今川家と誼を通じる為、駿河から船を使うコースも含めて千五百を越える兵を京の都へと送り込んだのである。

 

 丹後入りした景虎であるが、予想を反して出迎えられた。

それが良い事なのか悪い事なのかは分からない。『元』左京大夫にして丹後守護である一色義幸の意向であるのは間違いがないのだが、守護自ら相対して詰問めいた問答をし掛けられたのだから、どちらかといえばマイナス面の方が強いのかもしれない。

 

ただ、義幸の反応を早期に探れたという意味では、メリットも大きいのだが。

 

「管領殿の我儘にも困った物よのう。おかげで若狭や丹波と睨みおうておった。援助を申し出てくれた佐渡守殿にはお礼を言うべきなのやもしれんのう」

(あ、こいつ面倒くさい奴デース)

 景虎の事を弾正大忠ではなく、佐渡守と呼んだ。

佐渡守護を任官した景虎の事を示している筈だが、別に弾正大忠でも良い筈だ。武家の名乗りとしては監査官である弾正の方が通りが良い筈なのだが、基本的にその役職には若手のホープが就くことが多い。せっかく得た左京大夫の官位を管領が別に人物に渡るように指示して、無冠になってしまった事で、丹後守護として後から佐渡守に就いた景虎に年齢や地位の順番なのでマウントを取りに来たのだろう。

 

ただ、名門としては一色家の方が圧倒的に上の筈だ。

長尾家は所詮は守護代であり、関東管領一門を構成する上杉家の家令職の一つに過ぎなかった。もしかしたら、他にも何かプライドを刺激されたものがあったのかもしれない。

 

「それは丹後守殿が景虎の手をお受け為されればの話。この地を無事に平定されればの話かと」

「それよ。儂とて武門の当主。他所者の手を借りて不手際は起こせぬ」

 婉曲的に『邪魔なら帰ろうか?』と告げると義幸は如実に顔色を変えた。

管領である細川派の若狭と丹波からプレッシャーを受けており、縁戚である但馬の山名家もまた頼りない状態である。ここで『帰れ』とは言えないのだろう。国人たちも彼にはまるで忠誠を誓っておらず、景虎の援助自体は喉から手が出るほど欲しいのだと伺えた。

 

では、一体何が不満なのか?

 

「佐渡守殿は一体何を利とされておるのだ? 手を借りてこの地を奪われてはご先祖に申し訳が立たぬ。湊一つであればくれてやろうぞ。だが、それでは割に合わぬのは確実! いかに!」

(あー。軒を借りて母屋を取られるのを警戒してしマシタ? うーん)

 どうやら義幸は状況を過度に捉えているらしい。

確かに湊を口約束で済ませた場合、奪ってから彼の息子にでも渡す気では居た。その時に隠居させたりはするが、別に丹後が欲しいわけではないのだ。それにこんな敵中にあるような場所の切り盛りなど、頼まれても嫌だと言いたい。湊一つならば要塞化すれば守れなくはないが(ローマン・コンクリートの材料を思い出せれば)、一国奪うとか過剰な評価だと言える。

 

ただ、そういうことをやった者はいない訳ではない。

この世界の斎藤利政(道三)は別に成り上がりではないが、それでも守護代が守護を追い出して乗っ取ったことには変わりないし、美濃の土岐家は一色家から養子に言った者がいるので、他人ごとではないのだろう。

 

(悪魔の証明みたいなものデスネ)

(信じたいけれど信じきれない。マイナスの証明だけは可能)

(こちらが相手を説得することが必須であり、義務だと言い張る)

(実に面倒で、それで信じてくれるとも限りマセーン。……ここは色々混ぜておいて、主客を逆転させマスカ。利益が有りそっちの方がより重要だと言えば納得するかもデス。煙に巻いたと思わせないようにしないとデス)

 相手は損得を重視しており、こちらを信用して居ない。

領地だけではなく権威を大事にしており、お飾りではなく名実ともに国主となることに固執しているようだ。だから景虎の協力は喉から手が出るほど欲しいのだが、それはそれとして景虎が親切に声を掛けているとか、湊一つで済ませてくれるというのが怪しいと思っているのだろう。実際……同じような状況であれば、奪うのは簡単なのだから。

 

だが、そうではないとどうやって説得するのか?

スマートな説得は無理だと判断した景虎は、欲望のためのステップでしかないと言い切ることにした。

 

「先左京大夫殿。ワシはな、領地以上のモノを欲している」

「国難を払ったという名誉、銭の遣い切れぬ裕福な生活」

「領地を得るにしても疑い疑う様な場所は要らぬ。誰もが敬う様なやり方でな」

「そのために調べたところ、最近うろつき始めたという南蛮人が怪しいと判った。おそらく日ノ本を奪う気であろう。それに対抗し、彼奴等が奪った場所を取り返して発展させるのじゃ。さすればワシは日本武尊(ヤマトタケル)以来の英雄に成れるし、桃太郎の様に謳われようぞ。こう言っては何じゃが、この地を苦労して奪うよりも、佐渡や対馬のような島を外つ国より切り取る方が遥かに利がある」

 それは名声と利益を正直に口にすることだった。

夢物語にも見えるが、実際に南蛮人が怪しいのではないかと言う声は出始めているのだ。景虎が四大鎮守府の事を詳しくは把握して居ないので、呉や佐世保などを調べていたのもある。また佐渡の地を景虎が奪い、確実に我が物としているのは確かだ。そこは越後に近い事もあるが、越中や信濃を切り取るよりも楽であっただろう。島であるがゆえに収穫がどれほどあるかは分からないが……今後にドンドン増やしていく過程での、練習台としては説得力があった。

 

そしてここに新たな話を付け加えることで、具体性を持たせていく。

 

「甲斐の国に腹っ張りという病がある。こういった疫病がまだ見ぬ地にはあろう」

「その確認のために今では甲斐の統治に協力し、病の根絶に動き始めた所よ」

「これが『泥かぶれ』と呼ばれて居る事、田や水に触らぬ者は無事であること突き止めた」

「そこからワシは水の中に棲む小さな虫が原因であると推測し、それを何とかする方法を編み出しておるところじゃ。同じ経験を繰り返さば、似たような土地でも切り取れるゆえな。どうじゃ、この辺りにも古老が決して近づくなと告げた場所はないかの? そういう場所を何とかすれば、その地の住人は喜んで迎えてくれようぞ」

 まったくの嘘ではないが本当でもない。

だが、この話の良い所は部分的に景虎も部下たちに聞かせていた事だ。また腹っ張りや泥かぶれの症状自体は、実のところ甲斐だけではない。備後の辺りであったり九州ならば筑後川や関東ならば印旛沼の辺りにも存在している。調べればそう言う場所があるし、近づいてはならぬと思われているのも確かであった。

 

この話に評議で聞いたことのある景虎の部下は頷き、一色家でも噂だけは聞いた者は何処か同意したがっているようなところを見せた。

 

「港はその為の物か? じゃが口では何とでも言える。だがその証拠は?」

「最上級の塩を用意した。これはワシがそのような地で財を成すための物よ。これと同じ物をこの部屋に敷き詰めて見せようか? 僅かな領地を奪うのと違い、コレはこれから幾らでも採れる。探せば金山銀山も見つかるやもしれぬ。領国一つ切り取るよりよほどの財、そして島々には限りが無いわ」

 景虎が用意したのはまるでインゴットの様に加工された塩の塊であった。

煮詰めた塩を石臼ゴーレムでゴリゴリと完全に砕かせ、それを改めて分別してから固めたものである。見るからに真っ白なソレが、漆で塗った盆の上に載せて供された。まるで財貨の様であり、これを山ほど用意できるならば……国人程度ならば容易く転ぶであろう。それを隠すのではなく、義幸の目の前で告げて見せたのである。

 

ただ、景虎はそれでは不足だと判断し、更にここでもう少しベットすることにした。賭けであるのだから、賭け金は多い方が実入りが良かろう。

 

「そうじゃな。先左京大夫殿だけではなく、一色家の名前で山名家にも援軍を出しても良い。仮にワシに野心があろうとも、先左京大夫殿が但馬にも影響を及ぼし、大樹様に都の北の安定を齎すと称せばいかがか? もしやすると丹波も切り取れるやもしれぬぞ」

「わ、儂が但馬や丹波を……確かに若狭武田が邪魔をせぬなら……」

 このまま話が進めば、朝倉と連合で若狭を攻める事になるだろう。

そうすれば丹後の国で奪われた場所も取り返せるし、細川家を叩く方針には変わらないので丹波も攻めるのは当然だ。その時に誰がその地を得るのか? 細川に反旗を翻した三好家もいるが、価格的には一色家の方が上である。そして元細川の部下であった彼らより、将軍家にすり寄って丹後守護を取り戻した代わりに、左京大夫の地位を奪われた義幸の方が相応しいと思われた。

 

ただ、そこまで話が進んだにも関わらず疑り深い義幸は尋ね返すことにした。やはり景虎が欲得がないのがおかしいと思うからだ。

 

「では貴殿が望む地はひとまず何処なのだ? 宛もあろう」

「さて。鞆の浦に大樹様の弟君でも推戴するか……あるいは肥前の半島なり対馬でも良いかと考える。あの辺りは群雄が割拠して居るでな」

 ゆえに景虎は素直に呉や佐世保の事を答えた。

欲深い男には欲得がある方が通じるからだ。平家が栄えた鞆の浦や、大宰府より西の地は確かに海運の象徴であり、特に肥前の半島……平戸の辺りには南蛮人が居るという。景虎の言葉には首尾一貫性があり、そこまで調べている事から、さしもの義幸も納得したのであった。

 

こうして一色家という陰謀相手と同盟を組んだ景虎は、都の北を切り取る準備に掛かったのである。




 と言う訳で今回はタメ回です。
最初の鎮守府である舞鶴を西部侵攻の為に、佐渡を隠された造船用に。
ひとまずの目標として、呉や佐世保を狙うと明言する形になります。
まあ……平戸では南蛮寺問題が起きてたり、毛利家は立て直しのために動いてる所ですが。
(天文十九年ごろで、大内家は文治統治で問題を起こし、もうすぐ反乱が起こるところです)

●景虎の国力
土地。越後・佐渡の開拓中、二十万石 → 三十万石ほど。
影響。東越中・信濃・甲斐北部。庄内平野・丹後(いまここ)
湊。北日本を中心に、北回り系の航路を抑えた所。舞鶴湊の設営開始(今ここ)
船。大型船としてジャンクの研究開始。ジャンクは竜骨があるタイプと無いタイプがあり、時間が掛かる物と思われる。
財。最上級の白塩。佐渡の鉱山の拡充開始(いまは銀だけ)。北回り商船からの矢銭。

とりあえず、こんな感じですかね?


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寄らば大樹の陰

 若狭を攻める前に、やるべきことがある。

もちろん本来の目的である上洛だ。避難所である朽木谷へ赴き大樹将軍たる足利義藤(後の義輝)に拝謁し、その場で二千貫ほどを献上した。朝廷に収める銭とは別物であり、直接渡すことから、将軍家の政治を切り盛りしている伊勢家にポッケナイナイされる心配がないのも大きいだろう。

 

その上で少数の側近のみを率いた義藤と内々の話をする事になったのである。

 

「弾正。直答を許す。何故に世の中はこのように勝手なのだ。どうすれば世が収まる?」

「されば失礼をいたしまして。あまりにも尊氏公が偉大過ぎ、誰も彼もが真似た為かと」

 義藤の下問に対し、景虎はオブラートに包んで返した。

室町幕府の変節振りと出過ぎた杭の叩きぶりはあまりにも酷い。だが、親しくもないのにいきなり直球で投げては無礼に当たるし、それしか方法が無かったというのも事実なのだ。余人にとって豊かな大名同士を喰らい合わせるという手法は、『そりゃないよ』という非道ではあるが……ブリカス的見地からすれば正しい行為である。欧州でもイギリスは似たようなことをしており、ドイツなりフランスなり強者が出てきたらライバルを援助して、勝利した次の瞬間には裏切るのである。

 

婉曲的な表現に首を傾げる物と、内容に気が付いて非礼とするべきか悩む中、景虎は徐々に説明を始めた。

 

「唐の兵法を思わせる巧みさであります。まず下した諸将を罰せず配下としました」

「また組む相手を変えることで、己よりも強き者を打倒して行きました」

「さらには朝廷との取次ぎを務め、武士の頭領に相応しき権威を有すに至りました」

「されど、足下には領地が無く、手には直属の兵が居りませぬ。僅かな土地も代官が領有し、直参たる奉公衆ですらそのまま独立してござる。これでは誰も従いますまい。そして、如何にかする手段は、『将軍家独自の力』を持つ事、『命を聞いた事が上手く行った』という、確かたる道を示す事でありまする」

 足利将軍家には固有の武力も財源もない。

有るにはあったが、幕府の規模としては小さい上に、外国との交易権を始めとして大名に渡してしまっているし、土地など横領されて久しいのだ。更に有能な部下たちは関東へと派遣したりして、戦力を分断してしまったのも問題であろう。もっとも先ほど言ったように、尊氏が考案した当初はそれが名案であったのだ。諸葛孔明が『天下三分の計』を口にして中原の外に世界を見出したように、全く新しい方法で室町幕府を作り上げたのだから。

 

ただ、それを続け過ぎたせいで、倒したはずの敵から全ての土地を奪えず、歯向かった部下は僅かな罰則と領地を削って済ませるのが当たり前。部下たちは舐め腐って反抗し、咎められたら担当者どころか名前も良く知らない小者を犯人に仕立てて『これで責任を取りました。大切な部下を処刑したのです。累代の功績に免じて許されよ』などと平気で口にするのだ。それを咎めようにも、頼りになる部下同士を食い合せているから、戦力があるはずもない。

 

「弾正、貴様! 口が過ぎるぞ!」

「良い。余が許したのだ。それに誤魔化されるより良いわ。我が命の結果、我が領地が必須か……。一色や山名に手を貸したのも、その一環という訳か?」

「はっ」

 戦力が無いので中国の武将めいてなりふり構わず、また実績もない。

そんな事を言われては側近も腹を立てることで体面を守るしかない。だが、そこまでいう者は今までいなかったのだろう。義藤はいっそ清々しい思いで景虎が言った事、朽木谷へやって来るまでにやろうとした事を吟味する。確かに兵士を養う領土は必要だし、義藤が何かを成し遂げて、彼に従えば安泰だと思えるようなことは必要なのである。

 

ひとまず将軍の命で丹後や但馬を安定させ、若狭を落せば実績になる。

その上で領有を認めてこれまでの様に争わせることはせず、そのまま丹波を落とし次なる実績へとつなげる。何処かで独自の領地も必要だが……少しずつ拡大して行けるのかもしれない。

 

「言いたいことは判った。丹波守護とその北を一色に与え、南を将軍家が」

「摂津守護と西を三好に与え、東を同じく将軍家が抑えよというのであろう?」

「北近江も独立させ東は浅井にでも収めさせようか。面白い策ではある」

「だが、それでは足りるまい? 確かに都の周囲は抑えられるが、存外に寺社領が多い。本願寺は協力的だが暴れると手が付けられぬ。門跡の位を得ようと必死になって居るからじゃ、かつては周囲を灰燼に帰してしまった事もあるのじゃ。石山に行って落ち着きはしておるが、どこまで信用したものか。王法為本の言葉も何処まで信じられる物か判ったものではない。興福寺や延暦寺も食い詰めておらぬだけで根は同様よ」

 この策で浮き彫りになるのは、『家格の貫目』と『寺社の不輸不入』である。

景虎は預かり知らなかったが、一色義幸は当主親子が討ち取られた後に、分家筋が混乱期に成り変ったもので家格が低い(丹後守護を取り上げられていたのではなく、与えてもらえなかった)。三好家や浅井家に至っては有力国人出身に過ぎず、分家でも守護代ですらないのだ。彼らを守護とする前に、守護代として将軍家が直接統治。後に褒賞として守護職を渡せば良いということになる。

 

ただ、彼らが不満に思わぬよう取り分に問題を無くすと、今度は将軍家の取り分が大きく減ってしまうのだ。興福寺や延暦寺に関わらず、寺社はその代償に関わらず寺社領を持っている。彼らの地には入って何かをする事も出来ないし、徴税や徴兵も行えないのである。仮に都の周囲を百万石ほど 切り取ったとして半分を協力した大名に与えると残り五十万石、更にここから寺社領が減ってしまうので実質的には三十万石を割るだろう。

 

「大樹様……いえ、上様。何も都の近くのみを切り従えずとも良いのです」

「西国であれば福原、あるいは平家つながりで鞆の浦を中心に抑えまする」

「かの地ならば所縁があるので兵が、水運にて利がもたらされるでしょう」

「御舎弟を西国の公方として派遣されるか、幕臣を探題として置くかで従えられる兵は変わりまするが……。周囲の大名と共に増やすことも出来まする。同様に将軍家や朝廷所縁でありながら、戦乱に明け暮れておる場所は幾つもあるでしょう。彼らの中でこちらに従う者、後押しする代わりに土地の一部を天の領として確かと約束する者らを支援して地方を平定いたしまする」

 これは過去の流れを『焼き直しする』ものである。

諸国に将軍家の血を引く分家を配し、あるいは関東公方などを派遣して諸国を抑えさせる。これらは手元の戦力であった為、将軍家の兵が減ってしまったのだ。更に彼らは今では独立してしまい、関東公方どころか分家の吉良家(既に滅びかけている)にそのまた分家の今川家は従うようなそぶりが全く見えない。それどころか、『足利の血が絶えれば吉良が、吉良が絶えれば今川が』との言葉ある様に、もし時勢が許せば対抗してしまう流れすらあるだろう。

 

「場所はどこからでも良いですが、上様に従った事が正しかったという形式が必要でしょう。東国ならば美濃へ、本家である一色家の権勢が蘇ってから、伊勢はその後。どちらかと言えば西国の方がよろしいかと存じまする、もちろん今から準備を整えて」

「なるほどのう。まずは実を取り、形を整えておく……か」

 現時点で将軍家の戦力も何も無い。せいぜいが二千ほどだ。

権威を持って従えていたが、その過程で強くなり過ぎた家を他の家と争わせてしまったので信用がない。ならばここで方針を切り替え、従う者を支援して『諸国の戦乱を収める』という大義名分を与えてともに大きくなるべきだろう。その地域に複数の家があるならば、将軍家に取り分を与えれば勝てそうな相手を支援していくという流れを作り上げる。そのためにも、まずは丹波や若狭で始め、それまでは遠くへ布石を置くだけだと告げたのである。

 

もちろん……この辺りは建前で、景虎は鎮守府が欲しいだけだ。

舞鶴は既に着工して居るし、毛利はまだ安芸の国すら手に入れていない(彼らは大内家の反乱による混乱を利用して大きくなるので)。今から調査を行い現地有力者に声を掛けていけば、呉鎮守府も取引次第と言う所だろう。そうなれば西方拠点が出来上がり、佐世保も現地が弱いので何とでもなる。その間に山内上杉が逃げ込んで来れば、小田原城を攻め落として横須賀鎮守府を手に入れるという流れが出来上がるのである。

 

「つきましては上様。朝廷に収める三千貫、これを上様の手で収めていただければ幸いです。さすれば上様の名前は上がり、先ほどの銭は隠れてしまうでしょう」

「ほう……それは良いな。二千貫もあれば銭雇いの兵なり徴募も進む」

 更に景虎は朝廷に収める予定の金を義藤に預ける事にした。

能ある鷹は爪を隠す者であるし、この時期に単独でそこまで金を使うと周囲に警戒されてしまうからだ。北条氏もさることながら、景虎の元へ行ったら山内上杉家も吸収されるなどと思われたら困るのである。こうすることで彼女の朝廷への貢献は隠れてしまうが、義藤ならばそれなりに伝えてくれるであろう。そして彼女が多大な資本力を持つことを隠し、また将軍家が莫大な軍事資金を持つことを隠すことにしたのである。

 

こうして良くも悪くもアクティブな義藤は、吟味した上で行動を開始したという。

 

 景虎は都へ移動し途中で、通称『伊賀屋敷』と呼ばれる場所へ向かった。

実際には伊賀には存在せず、伊賀忍者に頼む為の別邸だ。上忍の一人がそこに居を構えており、中継ぎをしているとの事。畿内には他にも同様な場所は幾つかあり、本拠地を探られ無いようにしつつ、上忍が配下の素破たちを支配しているという。

 

そこへと案内するのは枇杷島駿河守定行の配下で、本来の意味での軒猿と呼ばれるようになる物の一人だ。

 

「殿。依頼が出来まするが……あそこは表の屋敷。他の者に見張られておるやもしれませぬ」

「構わぬ。攻め取る為の依頼では無いゆえにな」

 要するに忍者の口入所であり、必要と有れば場所ごと消す存在だ。

同時にみなに知られているという事は、対策され易くそして忍者たち自身から裏切られて、情報を他に流され易い場所である。ゆえにここでは相手を信用せず、大口の情報収集のみを頼むつもりであった。敢えて言うならば、その流れ自体を伊賀忍者たちに見せつけるプロパガンダとも言えよう。

 

屋敷に到着した景虎は壺や行李より幾つかの品と山ほどの銭を見せつける。

 

「これは長尾弾正様。今日は何用で?」

「くくっく。挨拶がまだであろうに。失礼な奴よ」

「いやいや。弾正様ほどの方であればさっさと本題に入るのが当然よ」

「……」

 周囲から聞こえてくる声に、景虎はむしろ何も無い暗がりこそを眺めた。

この手のコケ脅しにはあまり興味が無い。何しろ現代社会では様々な現象やら設備が存在するのだ。声を届ける成り、場所を誤魔化すなり幾らでもやり様がある。引っかけであるとしたら、最初から誰かが見え難い場所に居て、こちらが声を掛けたら反応するつもりだと思ったのである。声朱ならば下忍を使えば良い、だが貴人の相手は本人でなければ色々な意味で勤まるまい。

 

果たして『その男』は笑って手を叩いた。

ポンと暗がりから手を打つ音が聞こえると、隠されていた行燈に火が点き部屋が明るくなる。

 

「よくぞ忍びの手管をご存じで」

「昔、小遣い銭を握って疑問に思うたことを忍びに問うたことがある。するとな、銭だけ取られてしもうた。教えぬのが教えじゃとな。まあ、それは良い。じゃが、子供心に見つけるのが楽しく成っての」

 景虎が傀儡を造り始めて、幾つかのテクニックで急成長した。

それは現代人だからこそ簡単に思いついたわけだが、紆余曲折で思い至った術者が居ない訳では無いだろう。そこで流しの傀儡使いに尋ねたところ、依頼料の持ち逃げをされてしまったという下だらない話である。まあ単純に、現代社会のイリュ-ジョンとか手品を思い出して面白かっただけなのだが。

 

とはいえ、忍者らしいおどろおどろしい演出はこれまで。互いに真面目な商談に入る。

 

「依頼は二つ。一つは他の上忍なり甲賀への口利き」

「もう一つ……幾つかの地域で情報を集めて欲しい」

「特に策を巡らせる必要はない。その土地の風土や武将の性格」

「そういった情報を全国廿浦浦を巡る一環と称し、指定した場所より自然に集めて欲しいのよ。行商であり炉担ぎの鍛冶であり水夫であり娼婦であり、様々な立場で集めてくれ。行商に赴くならば、塩と油で良ければ安く用意しよう。伊賀甲賀で口に入れる物としても構わぬぞ」

 それは忍者の伝説で言えば、甲斐の歩き巫女が近いだろうか。

歩くついでに情報を集めるだけで、得意何か工作をする訳ではない。情報を集めて総合的に判断し、何か有用なモノはないかと後で判断するのだ。ついでに言うとその過程で現地に商人やら鍛冶職人として入り込み、『草』と呼ばれる者も居るだろう。重要なのは情報の領と、その角度。様々な性質の情報を、あらゆる角度で集めることが目的である。

 

先ほど景虎が並べた物は、その為の物資である。

 

「それは随分と間口が広く、捉え処がありませんな。期間をお尋ねしても?」

「ひとまず三年。漢の国の最強元帥ではないが、人手は多ければ多い方が良い。田仕事では食えぬからと、素破働きで僅かな銭をもらって命を掛ける者どもを引き抜け。彼らに仕事を与えて他の大名に依頼をさせるな。情報を流すのは構わんが、『次』を頼まぬと下の者に言うておけ。代わりに支度金として前金も用意した」

 この時代、伊賀甲賀では食料が採れない。

それでも生きていくために傭兵として出ていき、忍者をやっているのだと言える。僅か一握りの銭で命を懸けるのも、故郷での生活で『足りない分だけ』を買うからだ。中世の交換経済から抜け出せておらず、故郷から出るつもりが無いから仕方が無い事だと言える。スイス兵やグルカ兵のような傭兵たちよりも、余程安い金額で命を懸けていただろう。

 

とはいえ、景虎は彼らに善意で救済したいわけではない。

食えないからこそ忍者をやり、様々な大名に使えている派遣業者だと言える。それは時に味方となり、時に敵となる存在なのだ。報酬を多少積み増したところで、他の大名に利するよりは安かろう。

 

「支度金として千貫、協力する上忍ごとに用意する。年度ごとの報酬や、甲賀の惣に払う金とは勿論、別じゃぞ」

「せっ……!? まさか伊賀ごと雇われるおつもりで!?」

「ワシが他の仕事を頼んだか? 聞いての通りよ」

 もし仮に、伊賀の上忍全てを雇うと朝廷への上納を軽く超える。

それどころか義藤を通して流れる資金の全てすら越えてしまうのだ。実際に千貫あれば一人の上忍が差配する一党を雇って、城を落すなり城下町に火点けをするなり出来てしまう。それが安全に情報を集めるだけで良いとは信じられないし、伊賀全てを雇っても良いとは途方もなさ過ぎる資金力である。

 

嬉しいどころか、まず正気なのかを疑う所であった。

 

「本気なのですか? いえ、それほどの銭を何処から……」

「そうそう。ワシは北向きの青苧座の他に塩座を抑えたが、最近になって油座を幾つか銭座を一つ抑えてのう。……意味は分かるな?」

「まさか……大樹様が……」

 長尾家は青苧で大儲けしているが、景虎はそこに塩を加えた。

菜種油を信濃から甲斐にある田には向かない場所に植えて、それを買い取りゴーレムで絞り尽くすという新しい商売も付け加えた。この時点で資金力はMAXだが、佐渡の鉱山も軌道に乗り始め、元から越後に在った銀山・金山と合わせて金蔵が足りないほどであった。だが、それでも銭座までは許可が下りない。何故ならば、それを命じるのは幕府であり、関東公方であったり堺などのみが許可されて銭を鋳造していたのだ。

 

つまり、この言葉は有り余る金に加えて、将軍家からの命であるとも言えた。

 

「近く不心得者を討伐し、将軍家の御料地も増やす」

「その際に士官を許可し、幾人かは将として用いようぞ」

「奉公衆であるのに上様の役に立たぬ北勢四十八家より使えるならば良い」

「俸禄で雇うても良いし、新しき土地に領地替えをしても良い。加増に関してはちと後回しじゃな。戦っても居らぬのに領地を寄こせという馬鹿どもよりその方らを上に扱うためには、その程度の制限は必要であろう。いつまでも素破暮らしをしたいのでなければ欺くな。ワシが頼む場所より情報を持ち帰るだけでも、食うて行ける程の銭をくれてやるほどに」

 こうして景虎は金で頬をひっぱたいて忍者たちを篭絡した。

もちろん地縁血縁であったり、過去の因習や恩義などで動けない者も居る。他の家に個人的に仕えている者たちは当然であろう。だが、これより多くの者たちが景虎の差配で情報収集に向かう事になったのである。他ならぬ景虎から、塩や油を購入し、あるいは増産に成功した米を買いながら……。

 

そして派遣される場所の中には、堺や博多などの商人や雑賀に根来といった傭兵たちを経由して、明の国や南蛮にも水夫や行商として赴く者が出たという。そして最も重宝した情報が、未来に鎮守府がおかれる場所であることは言うまでもないだろう。

 

『プランテーション甲斐』

 十六世紀末から十七世紀に甲信地方へ登場した新型農場。

元よりこの地方ではあまり米が採れない場所が多く、特に山ばかりの甲斐に居る武田家などは相当に苦慮していたとされる。

 

流れが変わったのは砥石崩れの戦いで大敗し、侵略戦争を断念した武田家は、友邦である越後の長尾家を頼り、今でいうゴーレムによる大規模農法を導入した事による。

 

後に晴信虫と称される寄生虫対策に苦慮した両家は、徹底した聞き取り調査の結果、寄生虫被害がある場所を特定。そこからの一時避難を行って人手が足りない場所(砥石崩れの戦いで男手の五割が戦死したとも言われている)へ移すと同時に、該当区域の徹底した開拓を行ったのである。

 

ゴーレムを使い一度全ての湿田と水路を山の土で埋めた後で、改めて畑として開墾。それでも肥沃ではない場所で菜種を収穫するようにしたのである。長尾家はこれを快く買い取り、甲斐では取れない塩であったり豊富な米を、安価に(関銭を無視したぶんだけ)提供したと伝えられている。

 

なお、十七世紀に入りこの地方病は終息傾向にあったが、当時に流行った庚申信仰により『悪いことをしたら景虎さまへ、腹の虫がお伺いを立てるぞ!』と三尸説や景虎伝説と奇妙な習合が行われたという事である。




 と言う訳で準備回2です。

●将軍家の実力とやり口
 サッパリ存在しない地力と、まるで存在しない信用度。
かろうじて存在する権威と、朝廷への取次役と言う前例の踏襲。
これが足利将軍家の全てなので、そりゃ誰も信用しませんよね。
なので、将軍家の土地と自前の戦力、信用の積み上げが献策になります。

なお、本編で行った二回目の上洛前ですが……この時点で遥かに金持ちなので
合計した金額をポーンと出せている感じですね。

●伊賀忍者の派遣労働
本編では甲賀の一部を雇っただけですが、今回は伊賀忍者を大量雇用。
伊賀は上忍が統制する形の派遣会社で、甲賀は個人雇いの一人親方の組合であるので、伊賀に声を掛けたのもあります(伊勢の北勢四十八家に近く、良く知っているのもありますが。

思うのですが、イギリス最強のグルカ兵とダブルオーナンバーを同時に雇えるならば、そりゃ雇いますよね。放置すると敵にもなるのでお安い買い物です。


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晴元追討令

●side 朝倉

 足利義藤の細川晴元追討令が降った。

まずは若狭武田に朝倉家が攻め込み、主将は若き当主である朝倉延景が、軍監を朝倉宗滴が務めている。これはまだ若い当主に経験と実績を積ませる為であり、年老いた宗滴の先を見据えた物であった。また、これまで一向一揆警戒のために動かせなかった全力を振るっており、若狭東部に武田家は主力を集めて対抗せざるを得なかったのだ。

 

この後、僅かに時を遅らせて丹後の一色家が旧領回復に向かう。

一色義幸は正式な跡継ぎではなく一門をまとめられて居なかった。先代親子の戦死による弟流繰り上げでしかなく、武田に奪われた守護の地位を奪還したばかりで、それほど余力が無いと見られていたのだ。しかし義幸は旧領どころか、若狭に攻め入る気配すら見せていたのである。

 

「弾正殿から急報とは、いかがでございましたか?」

「どうやら丹後に向かう援軍を捕捉。打ち破ったらしい。話半分にしても好機であろうよ」

 預けられた細工物を眺めていた延景に家臣たちの注目が集まる。

それはゴーレム技術の一部を使ったもので、『遠くのゴーレムに指示を出す』能力しか与えられていない小物であった。これは船同士の通信を狙って考案された実験機であり、一つ一つの傀儡は遠距離にある棒を動かす程度の能力しかない。景虎はこれを何器かリレーさせた上で、複数組み合わせ、略文を即座に朝倉家に送れるようにしていたのである。

 

もちろんそんな新しい概念の代物を並の武将が理解はできない。

まだ若く、文化的でむしろ文弱とすら思われている延景であるからこそ、使いこなせたのだろう。

 

「誤報やもしれませぬが?」

「以前に確認したことがある。やって置け、損には成らぬ」

「いやいや、実に素晴らしい絡繰りですな。確実な情報であれば絶好の潮目でございまする。若返って一向一揆との戦い辺りからやり直せればと思いますわい」

 延景が侮られているのもあるが、若狭横断通信に懐疑的なのは仕方がない。

不機嫌になりそうな当主を宥め、そして実績として認知させるために宗滴は若い世代が羨ましいとすら評した。実際には複数台のゴーレムで指令をコピーさせ、情報自体も無数の忍者を派遣しなければ確実とは言えない。だが、これほどの速度で通信が可能ならば、戦いがやり易いのは確かであろう。

 

何しろ睨み合う敵が暫くすれば勝手に撤退すると判っているのだ。

追撃戦の準備をするなり、一部を城へ退却できないように回しておくだけで、この後の戦いがずっと楽になるのだから。

 

「宗滴。この後はいかがなると思う?」

「武田に関してはいかようにでも。おそらくは大樹様に降って家を長らえるでしょうな。管領に付きおうて家を滅ぼすなどあってはならぬ事。丹後勢は丹波攻略に備え、我らは越前から南と東へ睨みを利かす役でござろう」

 既に若狭に関しては終わったも同然だ。

手元に残していた兵を丹後へ送り、それが壊滅した時点で先はない。仮に打撃を受けた程度であっても、篭城している間に他を切り取られて終わる。後は出来るだけ傷が少ない間に、将軍家に願い出て降伏を認められて家名だけは存続と言うのが落としどころだと宗滴は語る。最後まで戦い続けても援軍など来ないし、管領である細川晴元自身が叛徒扱いであれば、取りなせる状態ではないのだ。

 

いずれにせよ若狭の東部と守護職は朝倉家に与えられることが決まっており、宗滴としてはこれまでの忠勤がようやく認められたかと安堵する思いだ。戦国中期の最強武将とも称される彼をしても、将軍家から朝倉家の褒章は家格の上昇以外にはもたらされなかったのである。越前を斯波家から奪い、反乱の褒章として与えられてはいるが、元より守護代であり所詮は追認に過ぎなかった。

 

「宗滴でもそう考えるか……。仮に既に武田が滅んで居る場合は?」

「そのような場合、北近江の浅井に手を貸すことになるかと。折を見て大樹様が六角が話を付けることになっておりますが、こちらに余裕があれば機を逃すことはありませぬ。戦わずに交渉で済ませる場合と、こちらが削り取った状態で降るのでは訳が違いまする」

 この時代、『一戦して様子を見る』というのが常道だ。

お互いに適当な所で話を付け、優勢であれば僅かに領土を融通して終わる事が多い。もし朝倉家が予定通りに若狭攻めを続行する場合、一向宗の抑えに戻る必要もあるので連戦は出来ない。だが、既に決着がついており、追撃戦でほとんどが済んでしまう時などは話が違って来る。

 

だが、その場合は大前提の初期状態が異なるのだ。

近江全土を六角が抑えたままだと、反乱分子である北近江を手放して終りになる。その場合、六角は名目だけの支配を失うだけで、座から入る矢銭が減る程度でしかない。だが、北近江を失陥した状態で領土交渉が始まる場合、本領である南近江を守るために他を捨てることに成ってしまうのである。地位を失うか、それとも北伊勢などから手を引くことになるか?

 

「殿? もしや……」

「そうだ。弾正殿の話には追伸があった。これより小浜を攻めるとな。流石に誤訳であろうと思い話さなんだ」

 長尾勢は総勢で二千と聞いているが、先ほどの情報の解釈が違うのだ。

最初はそれら全てを使用して奮戦し、勝利を大袈裟に伝えたのだと思った。だから勝利している事自体は間違いないが、流石に小浜攻めは『その気がある!』程度の心意気を伝え、自分を大きく見せているのだと判断したのだ。しかし、それが真実であればどうだろうか? 若狭から丹後に向かう武田勢を横合いから奇襲できたとしたら? それならば一部でも敵を壊乱するだけならば出来る。

 

別に援軍に向かうつもりで油断している敵を蹴散らす事は簡単だからだ。だが、そこから壊滅させるには兵が居る。しかし、そういったセオリーをすべて無視して、残りの千二百が小浜にある後瀬山城を攻める事が出来るだろう。

 

「殿。よき判断を為されましたな。知って居るのと知らぬのでは大きく違いまする」

「その可能性を突き詰め、この後の事を算段いたしましょうぞ。さすれば殿の功績」

「足早の隊を一つ、長尾殿への援軍として追撃無用で進発。残りは追撃ですな」

「それでどう転ぼうとこちらの勇戦は喧伝出来ましょう。殿はこの一連の戦で、しかと先を見通して命を下していくとの動きを見せることが可能ですぞ。大樹様が成し遂げた実績と同じく、殿がこれから家臣を従えていく力強い証しと成りもうそう」

 もし、あの場で全て語って居れば家臣たちの態度が違っていたはずだ。

少なくとも妄言を信じる馬鹿殿扱いされた上、終わって見たら強かったのは景虎であることにされてしまう。だが、しっかりと計算した上で、越後勢の動きを予測して今後を睨んだ行動を強い態度で出し続ければ話が変って来るのだ。若造である延景の事を見直す者が出て来るだろうし、その時に宗滴と相談して何とかひねり出すのと、自信をもって答えるのではまるで結果が違うのである。

 

そして最初の見解を、延景が自ら判断した事に宗滴は満足する。

文弱の当主として見られていても、その知性と判断力は確かなものだ。後は実績さえ作って行けば、年老いた宗滴が支え続ける必要はなく、危ぶんでいた朝倉家の未来に光が差すであろう。

 

 若狭の国にある小浜の後瀬山城が武田家の本拠であった。

しかし朝倉の本隊がやって来た時、それは無残な物であったという。風上から丁寧に焼き払われており、周囲には油の残り臭いがするほどであったという。

 

この様子を見れば何があったかはある程度の想像がつく。

越後軍は瓶か何かで油を山ほど投擲し、そこへ火矢でも掛けたのであろう。余人であれば中間過程が判らなかったが、教養の深く一部の秘密を知っている朝倉延景や宗滴には察する事が出来たのである。

 

「弾正殿……少しは加減と言う物を」

「いやいや。時は金なりという言葉がありましてな。この場合は銭とも、装飾用の金でも構いませぬ。その稼いだ時間で何が出来るかが重要なのです。今回は相手の被害を考慮する必要が無かっただけのこと」

 僅かに年下の延景が苦言を呈すると景虎は切り返した。

この時代には存在もしない格言を用い、話をでっちあげて適当に流す。重要なのはこれからであり、焼け落ちた後瀬山城もそこに居た武田軍もその礎でしかない。これからの大きな成果が舞鶴港だけならば景虎だってそこまでしなかっただろう。多分。

 

ただ、時は金なりと言う比喩には間違いが無いというだけの事である。

 

「殿。弾正様の仰せの通りです。ここで費やすはずであった三カ月が無ければ、いかようにでも領土を切り採れましょう」

「宗滴殿のおっしゃる通りですよ。ただ、訂正するならば領土だけではなく、日ノ本の明日であり平穏があるからこそですけれどね」

「理解はする……理解は」

 宗滴は以前から、武士と言う者は勝利が全てと言っていた。

勝たなければ何も得られないし、負けてしまえば全てを奪われる。だからこそ、何かを言う前に、勝利してこそ武士。犬畜生と罵られようが勝たねばならないのだと言っていた。ゆえに判る、誰もが予想もしていない三カ月と言う時間が、今後にどのような影響を与えるか理解できてしまったのだ。

 

だが、延景が理解できないのは朝倉軍が到着するまでに整えられた湊である。喫水線が違う船に合わせて複数の高さが用意された桟橋、鶴の首の様な傀儡で持ち上げられる荷物。ここまでの整備が必要であったかどうかだ。

 

「では、この湊は何のために……銭ごときではありますまい?」

「続々と諸国の兵と米を出入りさせる為でありますよ。今建設中の塔は灯台と言って、夜間でも灯火を点けて船が迷わぬようにするためのもの。同様な港を近淡海(琵琶湖)や摂津でも造り、将軍家の兵が動き易くしまする。必要ならば福原であろうと何処であろうとです」

 やろうと思えば景虎は諸国から米を買い上げることが出来る。

その米を舞鶴と名前を付けた丹後の新湊に集め、協力を約束した諸大名からの増援を呼び寄せ、あるいは送り出していくと告げた。所詮は沿岸部だけの話に過ぎないが、同様の整備は内陸でもやる気である。いわば軍隊用語でいう『デポ』みたいなものであり、ソレが軍団の動きを素早くするであろう。少なくとも越後から更に兵を呼び、協力を約束した大名にもよるが信濃などから呼び寄せることも、逆に瀬戸内海に送り込むことが出来るであろう。

 

そして内陸でも同様の拠点を得るための場所を切り取り、将軍家の直轄領にするのだ。

 

「ひとまず我が朝倉軍は北近江に赴けば良いので?」

「左様です。この三カ月を使えば、六角は守り切る事が出来ぬでしょう。ならば交渉は何を代価に? かの管領代ならばむざと六角を逆賊にせず、こちらに着こうと損切りを為される筈。北近江の追認だけでは足らぬ、思い切った譲歩をされるかと」

 延景がおそるおそる既定路線を尋ねると景虎は頷いた。

その上で六角定頼という大人物の手腕を高く見積もっている。彼ならばいつまでも落ち目の細川晴元にはつかず、反骨心の強い北近江を捨てた上で、他に材料を持ち出すものだと思われた。

 

そうなれば伊勢なり伊賀甲賀を差し出すか、あるいは六角軍を将軍家の片腕にしようと口では『先手を承る』と言い出すだろう。そこまで申し出れば義藤でも受け入れるしかないし、豊かな南近江の援助があれば、色々と動き易くなるのだから。

 

「……承知仕った。時に弾正殿は次はどちらへ? 丹波にござろうか」

「いえ。おそらくは安芸になるかと。どうも西国で変事が起きた様で……ああ、この三カ月で命運が変ったとも言えますな。急いだ甲斐がござった。武田殿も泉下で満足しておられよう」

 延景は内心で、おおよその流れを言い当てた宗滴に感謝する。

バケモノのような景虎の眼光にも屈しないでいられるのは、宗滴の推測の延長上であるからだ。しかし丹波や因幡はともかく、安芸の国というのは突拍子もない気がした。話の筋的に、大内家でナニカが起きたのは間違いないのであろうが……。

 

天文二十年八月、大寧寺の変が勃発。

大内義隆を始めとして、山口に避難していた多くの公家が無くなった。その中には上位貴族である公卿たちもおり、西国一の大名であり『応仁の変の勝者』たる大内家の没落が始まったのである。




 と言う訳で畿内の話は適当に切り上げて本命に向かいます。
頑張って早回ししたけど、大内家の内乱には間に合わなかった感じですね。
とはいえ正念場なので安芸の国へと移動する感じ。

●通信技術
丁字暗号の組み合わせとか「1-1は、あ」みたいな簡単な暗号での通信です。
実際には最初に持たせておいた内容の文章で、どれを実行します。くらいしか無理ですが。
ただ、それでも「作戦の転機が、成功・失敗した」「タイミングは何時」というのが判るので十分ですけど。

ちなみに技術としては成功でも、製品としては失敗。
中継器が多過ぎるので、信用のおける忍者を高速移動させた方が早いかと思います。
ただし、本来は船の上で通信する技術の開発なので、十分ですが。

●若狭攻め
 少数で潜んで、川を渡って横から攻める。
後は櫓を造って風上から、瓶に入った油を投げて火矢。
そんな感じで叩き潰しましたが、城攻めの方は中途半端に終わって、当主以外は降伏して居ます。
なんでかというと、菜種油はあんまりもえないそうで……瓶に入れて投げるのでは無理ですね。
石油を見つけて精製するか、吐龍車(ポンプ車)で油を霧吹きして、火を点けないと駄目でしょう。


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禁断のエスカレーター的解釈

 大寧の変という、マイナーな大事件が起きた。

どのくらいマイナーかというと、戦国大名の話では軽くしか説明されない割りに、もうちょっとで本能寺の変に匹敵するくらいには大事である。大内氏が応仁の乱を制した最終勝利者であり、国力も豊かで中国とも『正式』な交易を行い、自身が上級貴族である公卿に列せられており、避難していた数名の公卿ごと謀反で死亡したという事件であった。それ以降、正式な貿易は終了し、日本では製造できない綺麗な銅銭を手に入れられないという追撃もあったという。

 

今回の焦点となる『呉』獲得と合わせて、問題としては国人たちの意識と縄張り問題がある。しかし読者の方々には馴染がないと思うので、現代における禁断の花園的な概念(レズが一般的な学園物)で翻訳してみよう。

 

(この世界の大内さんも陶も女性武将デスカ。実に百合デスネ)

(伝統あるエスカレーター式女学校におけるレズの王子様が大内義隆)

(一方の陶隆房は、副会長と風紀委員長と体育会系部活のリーダー)

(たった一回の大敗北で、それまでの体育会系路線を捨て、突如、文科系サークルのお姉さま方に傾倒してしまう。これは戦争デスワー)

 大内義隆と陶隆房(晴賢)は同性愛者で、痴情のもつれと愛情への過信が背後にある。

義隆は何度忠告されても隆房を信じ続けたり、隆房は隆房で戦闘重視の経営を見限った義隆が悪いと信じ、『自分の理想のダーリン』を追い求めて監禁しようとしたとされる。最終的に決裂して殺そうとし、そうはさせまいと自決している。もはやドロドロのメロドラマの行く末と言う感じであろう。

 

この件に絡んで、サクっと無視されるのが路線変更問題だ。

 

(文治派に舵を切り、新生徒会が主催するサロンで主導し始めマシタ)

(方針転換を伝え、様々な政策を打ち出し、文化活動は大きいデスネ)

(中でも重要なのが、地位の取得とその権威での裏付け攻勢デース)

(朝廷から該当地区の長官や、有名な指導者が歴任した地位をもらってから権威で従えマシタ。事実、大内義隆は敗北後に最大の版図を築いて居マース。これは今まで反抗的だった国人たちが従った事も大きいデスヨネー。なので、義隆が文弱になって大内家を弱くしたという論法は違っているのでしょうネ。費用だって、そう言う方針でいくと説明している筈だったのですから、『想定通りなら』問題なかった筈デス)

 要するに、戦国ゲームのごとく中央集権で富国強兵をやったのだ。

国を富ませてからその収益で兵を増やし、工作資金で敵を寝返りさせ、危機が悪いと朝廷にもお金を出して権威で殴る。この辺はノブヤボとかやってたら良く判る話だが、『まず防衛策で、余裕があったら領土経営。その金で強くなる!』という路線とあまり変わらないのだ。つまり机上の空論の段階では義隆の手腕は見事ですらある。

 

問題なのは、机上の空論が上手く行ったら世話が無い事だ。

 

(問題は今まで体育会派閥が幅を利かせ予算を握ってた事デスネ)

(当主の命令を無視。今まで通りの予算を組んで、指示は税を追加して解決)

(国を整えるくらいなら戦力増強に使うし、茶会をして外交で脅すより殴って解決)

(その結果が『重税』であり、お互いに『奴らは信用ならん』と反目したのが致命的デスネ。ちょっとずつ実行して、次の世代で成し遂げれば歴史は変わっていたかもそれません……無理カナー?)

 良くある話だが、国人たちは独立君主が利益のために従っているだけである。

それが中央集権で兵力や金を中央である山口に集め、そこからの命令で諸国を切り盛りするとか言われて従うわけが無い。上納金なんて存在しないし、あったとしても守護代の中でも有力者である隆房に相談して、『敵を倒すために使った』事にしてもらえばそれで終了なのだ。その上で、要求が満たされて居ないから上納金ではなく、臨時税を貸して送っている。

 

こんな二重態勢で、似て非なる命令が繰り返されて居たら齟齬が出るし、全ては『大内家の命令』として出ているので、当主である義隆がすべて悪いことに成ってしまうのである。まあ、命令を徹底できてないとか、そもそも金の流れを把握して居ないとかその辺から問題なのだが……この時代は金は汚い物であり、理想的な武士は関わらないから仕方がないね(なお隆房も理解して居ないので、後で困ることになる)。

 

(ここでの教訓は、自分は注意しましょう。国人はクソ)

(命令ははっきりわかりやすく、みんなの前で)

(伝えていたとしても無視して『努力したけど出来なかった』と誤魔化す)

(報連相なんかしないし、大切な情報は不都合だと思ったら握り潰すし、縄張りの中では好き勝手にやってるってことデスネ。やっぱりあの連中は信用なりまセーン。思い出したら腹が立ってきマシタ)

 景虎は思い出しムカツキしながら、これからの事を考える事にした。

越後でも信濃でも、ちょっと伝えたくらいでは無視するし、皆の前で伝えて重要だと言っても出来なかったことにして、命令する方が悪いとすら言う。ゴーレムだって頭を下げて借りるまでは良いのだが、指示と違う事ばっかりして自分がしたい事だけするし、何かあったらぶっ壊して『あの傀儡の性能が悪いですな。使えませぬ。あのような物に頼ってはなりませぬ』などと言うのだ。それこそ、工事用で貸しているのに、領地のいざこざで戦力として消費してしまう事すらあった。

 

ともあれ、強権を手にした景虎にはもう関係ない話だ。

突然怯えた家臣がムギャオーして反乱し『敵は毘沙門堂にあり!』などと言われないようにしておけば良い。

 

(狙うはレディースの小早川隆景。そして、その両脇デース)

(毛利元就とは争うべきではありまセン。あくまで協力するだけデース)

(彼が今一番欲しいモノを用意するとして……隆景さんをさきに調k……略デス)

(そのためには……というか、一番欲しいのは呉鎮守府の候補地。先にいただいてしまいましょうかネ。その後で追認させるべきデス)

 重要なのは、この時代の呉は田舎である。

大内水軍として行動していたが、陶に攻められて陶と秘かに同盟していた毛利の小早川を頼って、嫌々ながら吸収されたりしている。決して望んでいるわけではないが、対等でもないし仕方ないと言えるだろう。村上水軍の一部が毛利家に従ってからは更に肩身が狭くなるのだが、それはもう少し先の話である。

 

そして、そんな状況だからこそ景虎にも呉を手に入れるチャンスはあると考えたのである。

 

(フフフ。良いタイミングで問題を起こしてくれましたネ)

(というか、まさかここまで国人たちが傍若無人とは思いもしなかったデスガ)

(その辺りは隆景さんに同情しておきましょうカネ。問題は……)

(どうやったら、話のテーブルに載せられるかデース。真面目に考えたら話に乗るべきデスガ……それで済むなら大内家は滅びている筈がないデスシネ)

 国人たちについて現代で説明すると判り易い。

既に聞かれなくなった番長や影番が存続し、バイクに乗った暴走族と住み分け、大人に成ったら半グレ集団になってヤの付く自営業はそれはそれとして存在している。そういう状態で言う事を素直に聞くかというのと、縄張りに余所者が入ってきたらどう扱うかを考えてみて欲しい。他人を見たらドロボウだと思えどころか、飢饉で食えなくなったら食料がある所へ奪いに行く、税が払えないならお前ら盗賊になってでも収めろと言うくらいには身勝手なのである。

 

当然、彼らが身内の問題なんか上に語らないし、表面化したら適当なパシリに押し付けて首を切る(物理的に)というものだと思ってくれれば割安いだろう。

 

(あ、良い事を思いつきましたネー)

 そんな中で忍び達からの手紙を見ていた景虎は、トントンと机を指で叩きながら何事かを考え始めるのであった。

 

 呉の具体的な話に入る前に、毛利水軍である小早川の話をしよう。

この時期の小早川水軍は各勢力を『喰い』、三倍ほどに膨れ上がった勢力を消化している所であった。おりしも小早川隆景は本拠のある三原から、竹原に来ていた。養子に入った小早川家の分家を取り込み、一体化して小早川軍と水軍を造る過程である。そこの若い息子を婚約者として、がっちり監禁して居るので隙は無い(なお、大内義隆に百合の手ほどきはバッチリと受けた模様)。

 

そんな中で不本意な報告を受け、怒鳴り散らしたいところをかろうじて抑えることに成功していた。

 

「越後屋なる商人が『後ろ』を呼び出しただと?」

「はっ。西の者がたいそうな勝手をした件で、官位持ちを呼んだとのことで」

「なんでも薄利多売とやらで参入した商人どもが目障りになり、掛け買いを古い徳政の書を見せて帳消しとし、その上で段銭を貸したのだとか」

 隆景の元にやって来たのは地元や、東の神辺領主たちである。

彼女からすると取り込んでいる最中の土豪たちであり、特に竹原小早川家ゆかりの地元の水軍衆は重要な相手だ。神辺も西国街道沿いの要衝であり、尼子家に寝返った山名理興を攻めて奪ったものの、こちらに従った者の中にはその一族もおり、手懐けている所であった。彼らを消化しきって取り込まねば、一つの軍としては到底使えまい。

 

要するに、彼らの話を無視してはいけないという事になる。

この当時の国人たちは好き勝手にやっており、彼らを保護するのも仕事の内だし、かといって西(呉周辺)の者どももまた配下としたばかりで何が起きているのか良く分らないというのが正直なところだ。

 

「はっ! 他所の商人が信用出来る者かよ。理屈をつけて奪ったのであろう?」

「西の水軍衆の中には商売をしておる者も居た筈じゃ。商い事など放っておけい」

「ですが本山からの書も携え、徳政免除の令を引き合いに出し争うておるとか」

(妙だな。私でも知らぬことをどうして東の者が知って居る? ふむ……)

 地元の者は相槌を適当に打つが、身勝手なのは変わりがない。

どちらかといえば西の者の弁護に近いくらいだ。場合によっては竹原の者も同じような事をしたかもしれない。この時代の水軍は海賊でもあり、通行税を取り立てて水先案内人をしているのだ。金持ち相手ならば高くせしめることもあるし、都で徳の高い寺がバックについていると、通行税を取れずに泣き寝入りすることもあるのだろう。

 

その話を聞いて納得しかけた隆景だが違和感を覚えた。

この時代は情報遮断が当たり前ではあるが、察することは不可能ではない。だが、それにしても話が早過ぎるし……特に東の神辺の連中にとってはどうでも良い筈なのだ。場合によっては東の連中は何かの代価で交渉を……いや、そこまで段取りを踏んでいるならば、竹原の者も金くらいは積まれているかもしれない。そう考えることができる程に、隆景は謀略の神と呼ばれた元就の血を引いていた。

 

「その件は後で良い。それよりも村上を抑えることを優先し、東の青景殿とも連携する。個別に詳細を詰めるゆえ、後で参れ」

「「はっ」」

 隆景は察したものの、口には出さずその場は流した。

その上で三原・竹原の者は村上対策で、東の者は備後差配人として神辺城以東を支配している青景隆著(陶家に寝返り済み)との連携を行うとして、個別に事情聴取と必要ならば根回しをする事にした。この手の推理は表に出すモノではなく、裏で秘かに進めて一気に対処する物だからだ。

 

そして何より重要なのは、毛利家は大内家での謀反では陶家に着いたが……大勢が固まり次第に陶家を謀反人として反旗を翻す予定だからである。青景隆著に異変に気が付かれては困るのだ。

 

 

「それで……何処に頼まれた? 金如きでそなたが動くはずもあるまい。山名理興か? それとも陶殿か?」

「……ご本家にございまする。ゆえあって小早川家に協力せよと」

「なに? 但馬の山名本家か?」

 隆景はある程度の証言を集めてから東の者を個別に呼び出した。

暗殺を狙っているわけではなく、情報を吹き込めば良いと言われたようで、他の者の前ではなく個別に会う事でメンツを守ってやったのだ。もちろん顔色を窺い真意を読むのに、個別の方が良いし、もし暗殺する場合もこの方が楽だかあらである。

 

だが、神辺の領主であった山名理興ではなく、大元の山名本家であるとは思いもしなかったのだ。

 

「報酬は『腹でっぱり』の対策と、合わせて領地の干拓資金と言われて断るに断れませなんだ。申し訳ありませぬ」

(それほどの報酬を約束して、話を吹き込んだだけだと?)

 腹でっぱりというのは、神辺周辺で見られる奇病である。

田仕事を続けてると腹が膨れる奇病であり、呼吸や血流が悪化して死んでしまう。飢えで腹が膨れるのとは違うため、食事を採らせても薬を飲ませても祈祷しても駄目なのだ。その対策法に加えて、干拓資金を出すと言われたら断れるはずもない。何しろ神辺周辺は街道沿いで平地も多く良い場所なのだが、湿原も多いので困っているのだ。しかも田仕事で腹でっぱりになるということは、水ないし泥に触れたら駄目だという事。あの辺りの土豪が断ったらむしろ一族の者に殺されるであろう。

 

カンの良い読者の方以外にも、そろそろご理解で戴けただろう。

腹でっぱりとは、甲斐で見受けられた『腹っぱり』『泥かぶれ』と同じ病なのだ。その正体は寄生虫であり、この地方ではおそらく隆房病とか陶病と呼ばれることになるかと思われる。

 

(破格過ぎる。それでいて我が家に協力せよだと? 山名は何を考えておる)

(小早川のみならず『毛利』を潰したい? いや、それならば陶を動かせば良い)

(ならば利用したいということか? 陶と対決することを知っており、その間に?)

(いや、それならばむしろ兄上の吉川家を動かしたい筈だ。山名は尼子に押されて因幡を失いかけておる。いまさら備後に手を出せる筈もない。となると山名は頼まれただけ。村上を牽制したい……三好か大友あたりか)

 隆景は数少ない情報で限りなく真相へと近付いた。

奇妙な病であろうとも、都から来た官位持ちの武士かそれなりの公家ならば知っている可能性は高い。そこまでは容易く想像できるとして、ただこちらに協力するなどあり得ないのだ。ならば毛利を強くして得るモノがあるのは、今のところは陶討伐・尼子討伐に関わる連中だ。山名家が直接に関わって居れば尼子対策であり、その場合は吉川家になる筈。それゆえに山名家はあくまで仲介であり、持ち掛けたのは三好家なり大友家ではないかと思ったのである。

 

もちろん大まかな流れは正しくとも、黒幕が今は田舎である呉が欲しいだけの景虎であるとは思いもしなかったのであるが……。

 

 やがて隆景は一向宗の仲介で景虎と会う事になった。

安芸門徒はかなり強い勢力だが、加賀や三河程に制御が効かない訳でもないからだ。彼らが場所を提供し、第三者として互いの安全を保証すると言われたら仲介に感謝して話だけは聞いておくべきであろう。すくなくとも一向宗の顔に泥を塗って無事な勢力は居ないのだから、その点だけは安心できる。

 

なお、この頃の隆景は勝手極まる国人衆に嫌気がさしていた。

姉の毛利隆元が大内義隆の文治路線を部分的に引き継ぎ、『書面での約束くらいは守れ』と腐心している気持ちが判ってきたところである(なお、そんな隆景でも銭勘定は苦手と言う辺り、この時代の武士は金回りが上手くない)。

 

「貴殿が越後谷とやらの『後ろ』か?」

「左様。越後の住人、長尾弾正大忠景虎と申します。よしなに」

 景虎を一目見た瞬間、隆景は背筋に冷たい物を感じた。

自分よりワンランク上の武将……どこかの国主であるか、それに準ずる武士だと把握できてしまったのだ。少なくともこんな交渉の場に出てきて良い存在では無いだろう。こんな相手と話せと言われたら、息まいていた国人たちが逃げるのも仕方がない。なにしろ隆景ですら『貫目』が足りないのだ。身分的にも地位的にもオーバーキルであろう。

 

ただ、そういった緊張を覆い隠し、そして外に向ける胆力を隆景は持っていた。謀神と呼ばれた男の子として、いつか自分も交渉の場に立つ気であったからだ。

 

「しかし、奇妙な文机と床机ですな。それに銀盆とは」

「これはテーブルに椅子と言うのですよ。南蛮寺を参考にしました」

 景虎が何か持ち込んでいたのは知っていたが、座る物であったとは。

ただ、板の上に座るよりは、椅子なる物の上に腰掛ける方が安全で腰を痛めないのは確かだ。それにテーブルなる足の長い文机は面積も広く、書面を載せて話をしたり、食事をするには向いているように思えた。そして南蛮寺の様式と言えば、大内義隆に可愛がられていた(意味深)当時に話だけは聞いたことがある。確か違和感もあるが、意味の知見も多かったとか。

 

やがて取っ手のついた茶器に赤い茶が二つ注がれ、『好きな方を』と差し出される。毒などは入っておらず、不信感を抱かせない為であろう。

 

「随分と奇妙な茶会だ。それほどまでに南蛮好みで? 亡き御屋形様も喜ばれよう」

「どちらかと言えば警戒心ですな。一向宗が可愛らしく見えるような強欲であるとか」

 知識自慢がしたいのか? と問えば、その逆だと景虎は返した。

まあ紅茶をキメようと日本茶を強引に似せたので、南蛮好みかと言えばその通りであるのだが、この後の話に繋がらないからである。そして一向宗の方が話が分かると告げれば、隆景も何となく南蛮寺の危険性に想像がつく。最初は優しい事を言っておいて、土地を寄進したという理屈で、金を貸して奪っていくのであろう。例えば景虎が真似をして、呉周辺の土地を抑えたように。

 

隆景の言い様は不作法であるが、景虎は景虎でかなり不作法だ。なにしろ金を貸して土地を奪う準備をして置き、その上で土豪たちが強引に徳政令だと言い張った所で、一向宗の力を借りて徳政令の免除の話を持ち出したのだから。土地を寄進するという約定を破棄しても良いと持ち掛けて来たそうだが、非礼以外の何物でもない。

 

「それで……長話をするような間柄でもないでしょう。要件は?」

「私が欲しいのは島の方ではなく、陸の方でしてね。それも湊一つ普請したいだけです。南蛮寺への警戒と、西国への足掛かり……そしてこの周囲の平穏の為にでござる。小早川……いいえ毛利家には安定して戴かねばならないのですよ」

 隆景が直球で投げると、景虎も直球で返した。

それどころかど真ん中の火の玉ストレートであり、明らかに危険極まりない話をオブラートにも包まずに投げ返したのだ。一触即発どころか、この場で部下を呼んで切り捨てられても不思議が無いくらいである。

 

だが、隆景はそうしなかったり大きな『利』にも気が付いた。

水軍衆は島の方を重視しており、呉自体は交易地でしかない。水軍衆が守るのに向いているのは島であり、行き交う船から徴税するのもまた島の方が楽だからだ。陸にある湊は徴税権を武士は基本的に持たない事から、この時代はそれほど重視して居ないのである。清盛時代の大きな港にしない限り……という限定であるが、景虎はその大きな湊にしようとしているのだろう。だが、何のために? そして得るために何を提供しようというのか?

 

「安芸と備後の二国を下さると?」

「いいえ。大内家の代わりに西国の盟主と成れる様に大樹様へ掛け合いましょうぞ。陶を討つための大義名分もついでに」

 隆景は毛利が既定している路線の追認かどうかを確認する。

安芸と備後だけならば、おそらく確実に奪える。問題なのは、その後に陶と対決して勝てるかどうかなのだ。果たして景虎は大義名分を用意すると言っており、将軍家からの陶隆房追討令……ソレさえあれば陶が味方に付けた国人衆もこちらに着くのではないかと思われた。

 

こちらに与える『利』としては確かに十分だ。

博打で勝つために努力している所だが、保証となり得る。その保証があるならば切り崩せる可能性は高まるので、喉から手が出るほど欲しいのは確かであった。だが、迂闊には頷けない。もう一つ、確認せねばならない事があるのだから。

 

「話は理解した。では、貴殿の得る利は? その、保証は? 善意だけを信じる程に甘くはありませんぞ?」

「これは手厳しい。では、こちらを御覧じろ。まずは腹でっぱりの対策から」

 隆景は景虎にも相応の利があり、確保する計画がある筈だと問うた。

なにしろ、毛利を大きくさせて恩を売ったとしても、こちらはそれを反故に出来るのだ。恩など無視して、それどころか陶を動かした黒幕だと言い募っても良いくらいだ。将軍家はこれまで大きな大名同士を争わせているし、大内家も尼子を使って疲弊させている。最終的には自爆したわけだが、尼子に負けなければこうはならなかっただろう、その意味で、景虎の話は甘過ぎるのだ。

 

景虎が自らの利益を得るために、理想以外の確かな『利』を得て居なければ嘘であろう。そのくらいで無ければ信用できないし、こちらが反故に出来るように……何らかの策を練っている可能性もあった。例えば三好と大友を使って挟み撃ちにする裏の提携などだ。

 

「腹でっぱりと同じと目される病を、既に甲斐で対処しておりまする」

「かの地を干拓し、川の流れを変えて、川に住む怪しげな虫を始末」

「開拓も含めて、この景虎で無ければ叶いますまい。その後の保証も」

「神辺の地で虫が始末されるまでの間、採れた菜や豆は景虎が買い上げましょうぞ。それで油を造れば元は十分に取れる。彼らと一向宗がこちらにつくならば……失礼ながら、毛利家が何を言おうと、真実は曲がりません。嘘を言えというのではなく、真実を保証するだけですので。これが第一の利と保証でござる」

 以前に、一色義幸に詰問された事もあり、景虎は既に予想していた。

ゆえに幾つかの『利』と名目を用意しており、神辺周辺の土豪たちを味方に付ける手段を用意していたのだ。ちょうど甲斐の国で同様の病に対策していたこともあり、土豪たちが要求するならば連れて行って対処を見せることが可能である。更にゴーレムを使えば湿田を干拓し、田畑に変えることが出来るのだ。それを一から人間がやるのは難しいが、景虎ならば簡単な事である。それらの保証も甲斐で既にやっている為、証言くらいは幾らでも可能なのだ。

 

その上で、当然ながら利も保証も一つどころではない。

 

「景虎が望む二つ目の利は、大いなる名誉。三つ目は実質的な拠点」

「南蛮寺は天竺の一部や、琉球の遥か南を征服したと報告があり申す」

「その対策として日ノ本大都督の地位を得る事、仮に征伐するならば我が」

「甲斐や神辺でそうする様に、この景虎ならば佐渡や対馬のような島であろうと開拓が可能でござる。こちらで争う場所を奪うよりも、よほど簡単。まあ、それ以前に大きな湊があれば大きな戦船や交易用の船を揃えることも、途方もない矢銭を得ることも可能でしょうな。必要ならば、開発中の銅張り鉄甲船を融通しても構いませぬぞ」

 この時代は権威主義であるので、名誉は重要だ。

そこまでの地位に上り詰めれば、官位だって公卿に匹敵するだろう。実際には彼らの下に付けられるであろうが、景虎は公家になるつもりはないので十分だ。そして大きな湊を幾つか奪い、そこに軍艦や商船を幾つも派遣すればそれだけで何でもできるのである。少なくとも、村上水軍と交渉するのは容易いであろう。そこまでいけば、水軍に関しても彼らは景虎を裏切れないのだ。

 

そこまでやったら、小早川水軍も奪われるのではないか?

そういう危険性もあるが、大将が部下を常に支配する必要はない時代だ。それこそ守護代として小早川家が扱われれば、水軍はそのまま保証されることになる。景虎だって、越後が本領なのだから何時までも居ないであろう。それを考えれば、隆景と景虎は手を組めると言えなくもない。

 

「対馬……なるほど、博多と合わせればたいそうな利ですな。ですが、足りるので?」

「そうですな。尼子を貴殿らが叩くなら、美保もいただきましょうか。美保が駄目ならば隠岐を。博多が無理だというならば……まあ、こちらで肥前を切りとるだけの事。かの地では既に南蛮寺に寄進しておるとか。それ以上は許すわけにはいかぬでしょう」

 博多は大内が抑えていたが、現在では大友が狙っている。

陶を滅ぼしたら毛利も向かうつもりだが、そこまで言われたら確かに『利』が無いとは言えない。九州の玄関口である門司を抑えるくらいならば行けそうな気がするが、博多を手に入れられるかは怪しい所だ。それも景虎が協力すれば可能になるかもしれないが、維持するにも力と大義名分が必要である。その伝手で大友家に大義名分が下りないようにすれば、確かに毛利家が抑えられるし、景虎の力を借り続ける必要が出て来るのである。

 

その上で、景虎は第二案も用意している。

対馬・隠岐・肥前の湊町を抑えれば、博多や美保(島根)を毛利が欲しがっても構わない。そちらはむしろ遠すぎるので、毛利家には不要とも言える。そちらで良いと断言しないのは、やはり博多や美保の湊が魅力的であるのだから、交渉次第と言った所であろう。少なくとも隆景はそう判断したのであった。

 

「納得いたした。しかし、あの地に大きな湊ですか。清盛公以来ですな」

「名前は既に決めてあるのですよ。先ほど日ノ本大都督と例えましたが、三国の世の『()の国』と、あの地を囲む九つの峰を引っかけて、(くれ)と呼ぶのです。呉鎮守府とでも呼びましょうか」

 こうして二人は手を組み、毛利家に陶家を倒させる計画が始まったのであった。




 呉を調べたら、この時代には大したことが無い状態です。
毛利水軍である小早川家は、いきなり三倍になって吸収してる所。
そして呉の地自体は大したことが無く、周囲の島々の方が有効で
厳島で戦った挙句に、陶家に負けて一部は小早川が吸収中。なのでこうなりました。

なお、この当時の毛利元就は超人的な策謀をやっています。
大内家をバックに、吉川家と小早川家内部を粛清して戦力を一本化。
陶家と手を組んで大内義隆側の国人を倒し、その後に陶を大内家への謀反で倒し……と、次々に乗り換えて強大化してます。そして、尼子内部を揺さぶって、内部対立中に切り取るとか。まあ、逆に言えば、その手前ではあんまり強くない訳で、ここでも武田攻めと同じく事前段階でのちょっかいになります。

●腹でっぱり
 日本住血吸虫は甲斐だけではなく、東広島でもあったそうです。
そして、そこは小早川家の東の端。ちょうど切り取った所ですね。
つまり、景虎の力を借りると、小早川家と毛利家は数か月分の戦略を一気に推し進められます。
陶に負ける可能性が減り、博打しなくても勝てるかもし得ない。というところですね。
こちらでは隆房虫とか陶病と呼ばれるでしょう。

●利と保険
 一色義幸のところで、理想論だけでは話が通じないと知ったので
天丼回避で理論を用意して居ました。
もし毛利隆元なら、商売の話だけで通じた筈ですが(文治派だし)、実は元就も隆景も理解して居なかったそうなので、その為の説明用ですね。丁度良いので、ここでも日本住血吸虫の出番です。


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技術革新

 景虎は佐渡国で色々と準備をしていた。

西国に関しては毛利次第なので、将軍家に『陶隆房追討』の大義名分を用意してもらえば後はすることが無いというのもあるだろう。むしろ、次に攻める場所の準備中というところだ。

 

ただ知見次第で一足飛びに進むモノもあれば、段階が必要なモノもある。

例えば米を増やすために良い種籾を選ぶために、『塩水選』というモノがある。これは稲は中身がスカスカであったり、詰まっている物との差が激しい。コレに『塩水は軽い物が浮き易い』と言う知識を提供してやれば、割りと早い段階で普及できる。一番問題なのは『都合よく思いつけるのか』とか『高額な塩を使ってまですることではない』ということだが、この時期の佐渡島には人が多く、塩水で米を炊く事もあるから、そのうち誰かが思いつくだろう。

 

「ようやく完成したか。見事」

「はっ。櫂を自ら漕ぐ船、完成にございまする」

 佐渡国ではゴーレムを使った船の研究と鉱山開発をしている。

鉱山の方は露天掘りで一気に話が進んだが、船の方はそうはいかない。『オールを漕ぐだけのゴーレム作れば、勝手に進むじゃないマリー』と思いついた物の、左右のペースを合わせたり、そのペースを変える方法を編み出し、互いのオールが邪魔にならないようにするのに時間が掛かったのだ。こればかりは試してから失敗と言う過程を経て、その対策を行いさらに試して修正する……という作業が必要だからである。

 

そういった苦労を行うのに、親族へ善意で伝えてしまうような場所では出来ない。敵国のスパイが入り込むかもしれない事を考えれば、猶更であろう(なお、スパイの方が比率が低い当たり、この時代のモラルは緩々である)。

 

「軒猿を発展させたものゆえ『海猿』と銘付ける」

「猿と言う訳ではないが、見ざる・言わざる・聞かざるという」

「一つ一つの知見を検証し、省いたり足してみよ」

「更に陸へ上がる時に、速やかに乗り降りする様な梯子を『熊襲猛』を参考に付け足せば、もっと良い物が出来上がるであろうな。いずれにせよ良うやった。関わった者みなに褒美を取らせようぞ。秘密を黙って置く為の誓詞の分も含めてな」

 ここまで来るのに時間が掛かった理由は幾つかある。

試して実行するだけならば、虎千代と呼ばれた時代から可能であった。だが、景虎となってさらに国主と成って以降は、開発にそれほど時間が掛けられなかったのだ。そこで傀儡師を雇ったり、手元に居る学者を志す子供たちに術を教えたりで時間が掛かったのだ。そこから親兄弟であろうと情報漏洩は禁物であること、その代りに多額の報酬を与える事など誓いあってようやくスタートだったのだ。

 

そこから何度も失敗を繰り返して、ようやく完成にこぎつけたと言う訳だ。

 

「承知いたしました。皆も喜びましょうぞ。この船はいかほど揃えますので?」

「いや。あくまでこの船は勢いが必要な時用だからな。基本は大型船で移動となろうよ」

 担当者の言葉に景虎は内心で首を傾げる。

結局のところ、自分で動く船と言うのは早々使わないし、秘密も多い。余計な事をするよりも大型船と共同作戦を組んだ方が早い事もあって、取り回しがし易い状態で改良をするだけの方が早い気がしたのだ。実際、大宝寺家に中国からジャンク船の中古を手にいれるように伝えており、到着したらバラしたり組み上げたりして、自分の所でも建造できるようにするつもりであった。今から着手しても、不要になる可能性があると判断したのである。

 

陸戦でもそうだが、この時代の戦いは『戦機』の読み合いになる事も多かった。相手が本気で無いタイミングで、こちらが全力をぶつけることが出来れば結構あっけなく勝てる物だ。海戦に関しては暫く数の勝負になるだろうし、セイロン島へ向かうまでに完成させればよいと思っていたのである。

 

「大宝寺と船大工次第であるが、ひとまず銅張り鉄甲船の旗艦を『金剛』、大型輸送船を『毘沙門』と銘付ける予定じゃ。その方らはこの『海猿』をしかと使い物になるように励んでくれ」

「はっ! お言葉のままに」

 こうして船に関しての準備が着々と進んでいくのであった。

銅張り鉄甲船の二番艦『比叡』を抑えた後、三番艦を小早川水軍へと供与。最大四隻を建造した所で、そこにゴーレム技術を持ち込んで『金剛改』という風に段階的な導入計画を進めていく。もちろんその時にゴーレム技術は自分たちだけが独占する心算であり、金剛改以外は戦艦での自動航行など備えない予定である。

 

なお、技術の進歩と傾向の違う概念は想定を覆すものである。

後に竜骨を用いたジャンク船を手に入れた事や、唐時代の外輪船の設計図を手に入れたことで計画は大きく狂うことになる。水車を動力とするパドルシップを景虎が思い出したことにより、戦艦である金剛級はともかく、毘沙門以降の大型輸送船の計画はガッタガタに崩れ去るのであった。

 

 暫くして西での工作が耳に入った。

毛利家がとうとう陶家との対決姿勢を取り、追討令は一時的に隠して、寝返りそうな連中だけに見せているとの事だ。その辺りの塩梅は勝手にしろというところだが、景虎が周囲で何もしていない訳ではない。

 

神辺周辺で行っていた寄生虫対策に紛れ、とある工作を実行したとの報告が入ったのだ。

 

「厳島に『堆肥』が密封されて送られたのだな?」

「はっ。専用の傀儡に入れ、小屋の中に移しております」

「合わせて虫殺しの薬と、硫黄に墨粉も持ち込みました」

「ただ……陶家が気が付かぬなどと言う事は無いかと」

 この時代、人糞を発酵させて肥料にしている。

だが寄生虫が人糞を媒介にしている可能性を指摘すると、甲斐や神辺では使わなくなった。代わりに山の落ち葉であったり、油カスを混ぜ合わせて肥料にしている。今は食糧難の時代ゆえに干した魚を肥料になどしていないが、将来的にその辺りも考慮に入るかもしれない。

 

だが、そんな事を景虎は全く気にはしていなかった。

人糞が危険だと判ったことで、堆肥を移動させるという事が口実として利用できるからだ。島で隔離して実験……と言う言い訳も、何処の島でも良いのに、あえて厳島で大々的に行う事に重要な意味がある。

 

「殿。……失礼ながら堆肥はともかく、硫黄とやらに何の意味が?」

「蒙古が襲来した時に、法力が不得意な連中は『てつはう』なる代物を使ったとの事じゃ。瓶に入れて投げれば、少しばかり破裂する程度の武具ではある。ただ……海での戦や、城攻めでは大きく話が変ろうな。小石なり銅の欠片でも仕込めば無数の傷がつく」

 陸の戦ではそれほど意味が無かったという。

少し驚いたという程度だが、ちょうど馬に乗っていた連中は大変であったそうだ。ただ日本では下馬騎兵または長弓騎兵が普通なので、白兵戦を挑む場合は馬から降りる。最終的に対策が速攻で取られ、矢盾を構えて飛び込んだら終了と言う微妙な兵器扱いだったらしい。

 

だが、景虎の話では海戦や城攻めで大きく話が変るという。

 

「なるほど! 確かに船戦や篭城では場所が狭うなり申す。避けることもできませぬ」

「その事に陶が気が付いてしまうのでは? 毛利めに忠告をした方がよろしいかと」

「それよりも、その様な武具を毛利如きに作らせて良いので? 裏切るやもしれませぬ」

「たわけたことを。この話は陶の耳に入れてやって初めて策が成り立つのだ。『厳島で毛利必勝の策が練られている。完成の暁には陶など一捻りよ。晴れた日ならいつでも勝てる』と耳打ちさせるのだ。するとどうなる?」

 家臣たちの進言に景虎は不敵に笑って返した。

ブリカスを標榜する彼女が、その様に底の浅い策を立てる筈がないではないか。立った者は親でも使えと言うが、敵も味方も利用するために存在しているのだ。自分たちの都合が良い様に、動かすために『火薬』を製造させているに過ぎない。

 

そう、この話は最初から罠なのである。

 

「てつはうとやらは晴れにしか使えぬ……ならば……」

「陶は大雨……いえ、いっそ嵐を突いて進軍しましょうな」

「完成する前に最低でも破棄、上手く奪えれば我が家の勝利と全軍を……まさか!」

「そうだ。何時来る、何処へ来る、そして何をするかが全て判って居るのだ。毛利に誰も付かずとも陶に大勝できようぞ。後は軍が再集結次第に周防や長門、そして筑前や豊前に進軍するであろうな。我らはそれに合わせて博多や平戸を奪う。大雨程度であれば別だが、嵐の日ならば推測が出来よう」

 厳島で大戦が起こり、そこで陶の大軍が壊滅する。

毛利家はそのように動くであろうし、嵐の日と言う判り易い区分があれば、遠方でも把握できる。最初に『嵐が着そうだ』という報告を舞鶴で受け取り、嵐が去ってからか、『毛利が周防を攻めた』との続報を聞いてから出撃して良いのである。周防と長門を攻略し、そのままの勢いで門司を渡り豊前や豊後に進撃するであろう。

 

景虎たちは彼らを囮にして、悠々と海を渡って博多を攻め落とせば良いのだ。表向きにはまだ大内家側だが、クーデターを起こして公卿を殺した陶隆房追討令が出されている。何時でも攻め落として良いのである。

 

「それと先ほど口にしていた毛利への懸念じゃがな」

「てつはうに使うという『火薬』はまだ未知の部分が多い」

「腹でっぱりの地で得た人糞を利用して居るし、穢れは疫病にもつながる」

「ワシとて傀儡を利用すれば安全と思いつくまで、試そうとすらと思わなんだくらいよ。完成して効果があると判るまでは、精々毛利に頑張ってもらおうではないか。我らはそれまで今まで通りに法力や矢で戦を起こし、意味があると知れば何食わぬ顔で利用すれば良い。そも、瓶に入れ火を点けてて投げたら破裂する……どうしてそうなるのか、そこから何につなげれば有益なのかすら判って居らぬでな」

 この世界では魔法が存在するので火薬研究が下火である。

魔法を苦手としていたモンゴル軍が大々的に研究した他は(シャーマンは居るらしい)、市政の魔術師を魔女狩りと称してかり集めた欧州で多少開発された程度である(魔法の一元管理を目指して居たらしく、途中で元の流れに戻るルネサンスが来た)。どんなふうに使えるのか微妙であり、景虎としてもゴーレムは無関係なので、あまり利用する気にはならなかったくらいである。火薬は『厳島の戦い』を意図的に引き起こす程度に過ぎなかった。

 

 

「それよりもじゃ、各地から佐渡へはどうであった?」

「何度も舞鶴と往復しておりまするが、問題ありませぬ」

「越中や出羽でも順調ですぞ。大宝寺などは下げ渡しを何度も頼んだ程にござる。断るのが大変なほどですな」

 枇杷島定行や本庄実乃は各地の湊を回っている。

軍監や普請奉行という差はあれど、それぞれの役目では往復して行う任務があるからだ。実乃などは勝手に調略を進めている様な気がしてならないが……ひとまずゴーレム技術を勝手に渡してはいないという報告が、素破たちからも上がっているので処罰はしていない。いずれ職務を取り上げるか、別の任務を与えるとしても、今はその時ではあるまい。

 

それよりも、景虎は火薬などよりも余程に重視している技術があるのだ。

 

「夜間。水の中ともども、人とは異なる『眼』を持っているのは確かかと」

「よろしい。今後はその精度を高め、初めて参った海でも、己が何処にいるのか、船底を擦らぬようにする工夫を積むとしようぞ。さすれば広い海を越えて、何処の土地なりと切り取れる」

 景虎が注目したのは、ゴーレムの魔法知覚力である。

目も耳も無いゴーレムがどうやって周囲を把握しているかと言うと、基本的に魔法能力の延長で把握しているのだ。鷹の目・魚の目どころか人間の達人にも及ばないが、それでも夜間に周囲を見たり、水の中で水深を図る事が出来る。特に重要なのが、人間と違って昼間に太陽を見ても目を傷めないし、ボンヤリとした星の光を見てくれることだ。人間の場合、そういったモノを見ても適当に処理してしまうのだが、ゴーレムは杓子定規なのである。

 

そう、景虎が狙っているのは六分儀・水深探査機・羅針盤などの研究にゴーレムが使えないかなーというものであった。現代技術程に優れてはいないが、一つでずっと太陽を追い掛けさせ続け、別の一つで北を把握させ続ける……そういった工夫で出来上がる物もあるだろう。

 

●今週のゴーレム

『金剛』

 長尾弾正景虎が最初に建造した銅張り鉄甲戦艦。

技術検証艦の意味が強く、様々なゴーレム機器を艦橋に搭載している。

火薬の研究を後回しにしていたこともあり、ルソン海戦に勝ちきれなかったのだが、条約をこの船で締結することになった。その時に日本脅威のメカニズムに驚いたイスパニアは、『猿の文字は人間の文字ではない』と条約を破棄して強引にこの船を奇襲して魔法で撃沈した。初代軍師である枇杷島定行は、イスパニア人を信じてそんな事態を引き起こしてしまった事を恥じ、二番艦『比叡』で火船戦法を断行。炎上する比叡と引き替えに、イスパニア艦隊を道連れにしたとの事である。

 

なお、ヨタ話としてその事を知った景虎は激怒し、二代目軍師に収まった松永久秀に命じ、信貴山級火船『平蜘蛛』を建造し、セイロン島沖での海戦で大爆発を起こさせたというお伽話が存在する。新造艦としてはゴーレムが櫂を漕ぎ主砲を備えた『金剛改』の研究がされており、混同された物と思われる。

 

『毘沙門丸』

 楯艦と呼ばれる防御用の船を二艘揃えた、三胴の内輪型輸送船。

毘沙門天の三叉戟をモデルにしているとされる。いわゆるパドルシップとして本船の両脇にゴーレム水車を幾つも備え、それを回転させて移動する。その両脇に浮きであり楯として縦長の船を配置し、その上に板を渡して巨大な甲板を配したという。正面にも板を付けた為、パドルは傍目には見えず、同時に波の影響を抑え目にして概要でも使用できたとの事である。ちなみにヨタ話で出て来る『信貴山』は、魔法技能で負けている日本が劣っている部分を火薬に求め、その輸送に使っただけで、特に新造艦ではない。それは独特の毘沙門堂と呼ばれる施設で確認できるとの事。




 今回は技術更新と『厳島の戦い』に関しての話です。
やっておかないと、九州に移動したり、フィリピンやセイロン島に行けませんしね。

●『厳島の戦い』
 日本三大奇襲の一つ。安芸の宮島に陶家二万を呼び寄せ、三千で打ち破った。
その大敗で陶隆房は自害するのだが、その話にもっともな噂を付け足した物。
火薬製造で一番危険な疫病・誤爆をゴーレムなら安全にできる……とは思いつつ、他人にやらせる外道。
そして何より、「毛利が一発逆転の策を思いついた! 厳島がキーで、取られたら負ける!」なんて怪しい噂が史実では流行ったそうだが、そこに技術的な証拠を付け足した物。

『船におけるゴーレム技術』
 勝手に動く・知覚が人間とは違う・感性や飽きっぽさも違う。
という所に目を付けて、「ずっと北を見つめるゴーレム」「太陽を追い掛け、見えなくなっても、予測位置を見続けるゴーレム」などを組み合わせて位置を把握している。そこから「あれ? ゴーレムって魔法知覚なんだから、水中とか暗視とか昼間に星を見ても目が痛まないんじゃあ?」と後から気が付いて、徐々に更新中。


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