実況パワフルプロ野球恋恋アナザー&レ・リーグアナザー (向日 葵)
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第一学年編
1話


 にじファン様から移転してきました。向日 葵ともうします。
 これからお願いいたします。


「お前、本当にあかつき行かないのか?」

 

 少年が問う。

 あかつき大付属中学校、そのグラウンドの引退式が終わってからの事。

 もう空は夕暮れで、ひぐらしが鳴いている。

 その中で、問われた少年は笑みを見せながら頷いた。

 

「ああ、っつーかカネもだろ。あいつはどこだっけ。帝王実業高だっけか? いや、西京だっけか」

「名門に行くんだろうな。まあ金岡のことは良い。……お前は……帝王も、大東亜も……全部断ってるじゃないか! 高校でもボクとバッテリーを組むといったじゃないか!」

「落ち着けって猪狩。お前にゃ弟がいんだろ」

「そんなことは関係ない。パワプロ――お前の腕があって、それを棒に振るのが許せないといっているんだ! まだ東条にもリベンジが済んでいないじゃないか! それなのに……ッ!」

「パワプロいうな。葉波(はわ)か風路(ふうろ)って呼べっつってんだろ。それによ、棒に振るつもりはこれっぽっちもねぇぜ」

「何だと? 名門に行かずに自分の野球のレベルアップを」

「つまんねぇんだよ」

 

 猪狩、と呼ばれた少年を遮って、パワプロは言う。

 その瞳を燃え上がらせ、

 猪狩に言葉をつむぐ事すらためらわせるような決意を込めて、

 

「つまんねぇ。お前みたいな中学校時代から猪狩守世代だって騒がれて、巨人やら中日やらっつープロにも名刺渡されてる最高の投手と組んで野球続けて勝ってもつまんねぇ。一度しかない高校野球なんだよ。甲子園に行ける三年間なんだよ! だからこそ――猪狩やカネ、そんでもって――東条の野郎を倒してぇんだ。俺のチームでよ! 解るだろ猪狩! お前なら!」

「……ふん……ボクにも解る、か」

 

 その決意を聞いて、猪狩はふぅ、と深く息を吐く。

 パワプロは最初から決めたら最初っからそれを貫く男だった。

 今更何をいっても彼は自分の考えを変えない。三年間バッテリーを組んだのだ。そんなことは分かっていた。

 それに、何よりも――。

 

 コイツと全力で戦ってみたいと、自分も思ってしまったのだ。

 

 猪狩守という男は、猪狩世代と呼ばれる時代を作るほどの好投手だった。

 中学生でありながらすでにストレートはMAX一三〇キロをマークし、スライダーにカーブはすでに高校野球でもトップクラスと言われる程のキレをもつ素晴らしい投手。

 だが、一重に抑えられたのは自分だけの力ではない。

 

 今自分の目の前に立つ男――葉波風路(はわふうろ)。

 

 類まれなるセンスを持ち、試合の中ですら成長していくほどの適応力を持つ男。

 三年前は自分のボールを打つ所か取る事すら出来ない駄目捕手だった男。

 それがたかだか一週間で捕球をし、自分の球を唯一とれる人としてキャッチャーとしてのポジションを獲得し、さらに成長を加速させ最後には、猪狩の打順であった三番を猪狩から奪った男。

 そして何よりも――猪狩守自身の成長と結果に強く結びついていた男。

 中学校公式試合、完全試合二度。

 奪三振歴代記録四位。

 そして、中学校野球大会二度の栄冠を手に入れることができたのは、目の前に居る男のリードとバッティングのおかげという一面もなきにしもあらず、だろう。

 それが今度は敵になる。

 敵になるということは――戦えるのだ。

 自分を引っ張ってきた相手と、全力で、全身全霊を込めて、お互いがつくってきたチームで全力でぶつかる。

 それを想像して、猪狩はゾクゾクとしたものを感じた。即ち、“闘争心”という奴を。

  

「……次に一緒に試合をする時は敵同士だ。容赦はしない!」

 

 猪狩はありったけの冷たさを込めてつぶやいたつもりだったが、自分が思ったよりも熱っぽい口調で言ってしまった。

 それを聞いて、パワプロはニヤリ、と満足そうに笑う。

 

「こっちのセリフだぜ猪狩」 

 

 ゴツン、と拳を重ねて、二人は帰路につく。

 それが――二人のお互いの違えた道の、出発点だった。



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第一話 ゛四月二週゛

 春。

 入学式が終わって一週間。高校生ならば部活動を決め始める時期である。

 勿論、それはここ、恋恋高校でも代わりはない。

 ――だが、恋恋高校には野球部という部活動は存在しなかった。

 恋恋高校という高校は、速い話が元女子校である。

 野球経験者はおろか、男子が九人居るかも分からない。そんな高校を、俺は選んだ。

 勿論下見はしたさ。大きなグラウンドがあり、なおかつナイター設備も整っている。更に更に頼りになる人物まで居る。これ以上無い練習条件だ。

 私学であるが故、設備は一流――。たぶん、男子生徒を呼び入れるために様々な設備が揃っているということをアピールするため、導入したものなのだろうけど、まあ今はそれはどうでも良い。問題はそれが有るかどうかだ。

 後は部員がいるかどうかか。もう放課後だし、早速部員探してみるか。

 

「つーわけで野球部入らない?」

「……何が『つーわけで』なわけでやんす? パワプロくん。確か野球部はなかったはずでやんすが」

「パワプロゆーな。……お前矢部だろ? 野球部ならあるから入ろうぜ」

「たしかに矢部でやんすけど……い、嫌でやんす。おいらは野球から離れるためにこの学校を選んだんでやんすよ!」

 

 俺が話しかけたのは、教室でたまたま隣になった矢部明雄、という奴だ。

 特徴的な瓶底眼鏡を掛けているコイツを、俺は見たことがあった。

 シニアでの話だが、コンスタントに打球を流し打っていた。……そしてなにより、こいつは俊足だ。

 こいつの巧打、そしてその足は欲しい。

 それが野球から離れたいと。ふむ……俺としてはその原因を取り除いて是非野球部に入って貰わねぇとな。

 

「なんで離れる必要があんだよ?」

「お、おいら、おいら、野球下手くそでやんす! 一度エラーして笑われたからもうやめると決めたでやんす!」

「エラー、エラーねぇ……」

 

 エラーか、ぶっちゃけエラーなんてつきものじゃねぇか。

 大事なのはその後エラーしない練習だと思うんだが……まあいいか。

 

「エラーなんてどうでもいいだろ。笑われたら次は笑われねぇように練習しようぜ。というわけで矢部明雄、っと……」

「? な、何を書いてるでやんすか?」

「野球部発足の出願書。三人以上いりゃ部活になるらしいから」

「早速おいら書かれてるでやんす!?」

「つーわけで今日の放課後から練習だ。来いよ」

「おーぼーでやんすー!!」

 

 頭を抱える矢部を笑い流して、俺は教室を出て階段を降る。

 部員を見つけないと練習も出来ないしな。野球やってるやついればいいんだが……。

 靴に履き替えて、適当に学校内をブラつく。

 すると二つある大小のグラウンドのうち、小グラウンドの方で、俺の足元に野球のボールが転がってきた。

 

「……お」

 

 ひょい、とそれを拾う。

 間違いない。これ硬式のボールだ。

 キョロキョロ、とあたりを見回す。

 すると、こちらに走ってくる女の子が居た。

 可愛らしいおさげをぴょこぴょこと跳ねさせて掛けてくる少女の左手にはグローブがつけられている。

 

「ごめん。ありがとう。それボクのなんだ」

「あぁ、そうなのか。野球やってんなんて珍しいな。ほい」

 

 俺が言いながらボールを軽く投げると、目の前の少女はむっとした顔をして受け止めた。

 

「べ、別にいいじゃんか。……ボク、野球好きなんだよ」

「へぇ。いいじゃねぇか。……女子か、ふむ。まあいいか。野球部つくろうと思ってさ、部員探してんだ。良かったらお前もどうだ?」

「…………今さ、女子ってことで今誘うの辞めとこうって思ったよね」

 

 どうやら鋭いらしい彼女は、俺をキッと睨みつける。

 こえぇな。なんだよ……。

 

「ま、まあなんだ、高校野球に女性ってあんま見ねぇから、さ」

「……心外だ。女性選手だからって男には負けない! キミ、野球部つくろうって思ってるんだったら当然野球経験あるんだよね」

「あ? ああ、まあ……」

「……じゃ、ボクの球、取ってみてよ」

「取ってみてって……ピッチャーか?」

「そうだよ。キミのポジションはどこ?」

「キャッチャーだ」

「キャッチャー、なら、女だって事で一瞬でも下に見たんだ。ボクの球くらい取れるよね?」

「……分かった。待ってな。防具取ってくる」

「いいよ、取ってこなくて。……キミに当たらないように投げるから」

「わぁった。ミットは?」

「二つ、ボクの予備があるから。キャッチャーミットじゃないけど」

「大丈夫だよ」

 

 行って、少女はずんずんと小さなグラウンドの隅に盛られた土の山の上――お手製だろうか? マウンドの上へと登った。

 

「いつも此処で練習してんの?」

「そうだよ。先生に言ったら端っこなら良いって言われたから」

 

 ザッザッ、と足場を整えながら、少女はぶっきらぼうに答える。

 なるほど。ホームベースの後ろにはコースごとにしっかりと分けられた的が立っている。いつも此処で的当てをしていたって訳だ。……まあ、一年だし、まだ一週間くらいしかやってねーんだろうけど。

 

「うし。投球練習は?」

「要らない」

 

 バシバシッ、と左手につけたミットを拳でたたきながら言うと、少女はふん、と鼻を鳴らして答えた。

 さっきまで練習してたなら肩も温まってるか。なら遠慮はしないでいいだろう。

 

「うし、来い」

 

 ぐいっ、とそのまま腰を下ろし、ホームベースの後ろに構える。

 

(――やっぱ、定位置に座ると落ち着くな)

 

 そんなことを思っていると、目の前の少女が少し驚いた顔をしていた。

 ああ、やけに様になってるとか思われてんのかな? でもま、すぐにキリっとした顔つきになったし問題ねぇだろ。

 

「……じゃ、行くよ」

 

 ぐっ、と少女が振りかぶる。

 そしてそのままぐぐっとフォームが低く沈んだ。

 

(――アンダースロー!)

 

 そう思ったとたん。腕が遅れて身体から姿を表した。

 腕を完全に隠す、“見えづらさ”を追求したアンダースロー。なるほど、たしかに投手は打たれなければいい。球が速けりゃ打たれないって訳でもないしな!

 だが、大丈夫だ。打撃ならこのズレが命取りだが、キャッチングなら……、

 そう思った途端、俺は気づく。

 ボールに凄まじい回転がかかっている。

 すなわち――。

 

「ッ!」

 

 思った瞬間、俺は反射的に身体を動かしていた。

 腕だけじゃ後逸する。

 だが、後ろに逸らしたら俺の負けだ――!

 ドパッ!

 ボールがバウンドしたと同時に、イレギュラーを起こしてあらぬ方向に跳ねる。それほどまでに強烈な回転のかかった変化球――カーブ。

 それを、俺は体ごと動かすことでミットに収めた。

 えっ、という少女の戸惑いの声が聞こえる。あいつ、自分が思ってたより変化させちまってショートバウンドにしちまいやがったな。

 

「ふ、ぅ……あぶねぇ……」

「……す、凄い……」

「あ? 何いってんだ。……凄いのはお前だろうよ」

 

 立ち上がって、少女に近づく。

 俺は驚いた表情でこちらを視る少女の手を掴んだ。

 

「えっ、ちょっ」

「……すげぇタコだな」

 

 何故か動揺した声をだした少女を遮って、俺は少女の手のひらの練習の痕について思わず言葉を漏らしてしまった。

 指にタコが出来てる。一体、こいつはこのフォームとボールを身につけるために一体どれだけの練習をしたのか。

 

「……名前」

「へ?」

「俺は葉波風路だ。お前は?」

「ぱ、パワプロ?」

「違うわ! はわふうろ! お前の名前は!」

「あ、あおい――早川、あおい」

「早川。宜しくな。今日からキミは野球部だ。っつーわけで三人揃ったどー!!」

「え? ちょっ、ボクも入るの!?」

「当然だろが、あんだけのボール持ってて、しかも向上心がある。……十分だよ」

「…………いい、の? ボク、女の子なのに」

「関係ねぇ。そんだけの変化球投げれりゃエースにだってなれる。もっと言えば、プロにだってな」

「プ……ロ……」

「俺がお前を日本一のエースにしてやる。一緒に野球やろうぜ! 早川!」

 

 俺が熱っぽく言うと早川はその場で一瞬俯いた。

 それでも俺は手を離さない。

 すると、少し悩んだようにして、早川は浅くこくり、と頷いてくれた。

 おっしゃぁっ! エースゲット!!

 

「おしゃー!!! これで三人! 早速提出いってくるわ!」

「ちょっ、グラウンドはどうするの!?」

「さすがに今日はムリだろ! 明日から大グラウンド使えるようにする!」

「ちょっと待ってよパワプロ君! そ、それは無理だよ! 此処はソフト部が強いんだ!」

「……ソフト部?」

「そうだよ! 此処のソフト部は過去一〇年で七回全国大会に出場しているようなめちゃくちゃ強い部活なの!」

 

 必死に俺を説得する早川が何だか可愛い。

 そんな必死になることも無いだろうに、顔を真赤にして腕をブンブン振りながら必死で俺に訴える彼女を見ていると、なんだか面白く思えてしまう。

 けどまあ、そんな必死になっている彼女を放置しておくのも忍びない。こっちにはこっちの"アテ"があっからな。

 

「なるほどねー。ま、何とかなんだろ」

「な、なんとかって」

「意外と俺には人脈っつーもんがあるんだよ」

 

 ニヤリ、と笑って、早川から借りたグローブをその場に置く。

 そしてそのままきょとん顔の早川を放って、俺はすたすたと校舎に向かって歩き出す。

 さーて、その人脈を最大限に利用するとしますか。

 

 

 

「彩乃」

「うひゃいっ!?」

 

 校舎の廊下で見つけた後ろ姿を発見して名前を呼んだら、呼ばれた本院はビクリと身体を震わせてこちらを向いた。

 倉橋彩乃――金髪が眩しい美人である上に、この学校の理事長の娘だ。

 そして俺が頼りにしている人脈の一人である。

 中学校の時、猪狩のパーティに付き合った際にそのパーティ会場でヒールが折れたのを助けてやってからメル友というかそういう関係なわけだが……彼女の学校だってことでこの高校を選んだのもある訳で、最大限に友達という立場を利用させてもらわないとな。めちゃくちゃ卑怯だけど。

 

「あ、ああ、パワプロ様、でしたの。お、同じ学校に通えて……本当に嬉しいですわ」

「パワプロいうな。……折り入って頼みがある」

「た、頼み……わ、私に!?」

「ああ、実はお前も知っている通り、俺は野球をやってる。まあ色々あって、猪狩と違う高校で猪狩と戦いたいと思ってな。それで此処を選んだんだ……お前がいたから」

「わ、わたくしが……?」

「ああっ、お前がいれば色々助かるんだ! お前の力が必要だ!」

「ま、任せてくださいませ! それで、何をすればいいのですか!?」

「野球部に協力して欲しい! 大グラウンドを週三くらいで使えるようにしてくれないか?」

「えっ……!」

 

 それをいった瞬間、明らかに彩乃の顔が暗くなる。

 何か協力出来ない理由でもあるのだろうか。その顔は申し訳なさそうな表情でいっぱいになってしまった。

 

「ど、どうした?」

「……ごめんなさい、パワプロ様。……大グラウンドはソフトボール部が使っているのです。そのソフトボール部は全国大会に出場したり、優勝もする強い部ですわ。それを妨害するようなことは……」

 

 ぐっ、やはり早川の言ったとおりそうなるよな……だが、此処で諦める訳にはいかない。絶対に諦めねぇ!

 考えろ……! なんとか野球部が満足に練習出来るような手があるはずだ!

 

「……そうだ、確か近場にレンタルグラウンドがあったよな。そこを使えれば……」

「近場のレンタルグラウンドは一時間二千円程度だと思いますわ。前にソフトボール部がグラウンドで練習出来ないという時に母を手伝って調べたことがあります。その時はそれくらいでしたから。……それを計算しますと、一日五時間練習で一万円……休日だとおそらく倍近くにはなると思います。休日八時間練習で、一時間で四千円と考えて一日三万二千円……仮に平日練習だけで澄ますとして、練習日が二〇〇日程度と考えても、二百万円……更にボールなどの設備代なども考えると三百万円程の投入費用ですわ。それは、私のわがまま程度で動かせる程度の金額ではありませんわ」

 

 ばっさりと俺の我儘を言葉で封殺する彩乃。

 たしかにたかだか三人の部活動のために三百万は出せねぇよな。

 彩乃が悪いとかじゃなくて、普通の経営者なら誰でもそう思うことだ。俺だってそう思う。

 くそ、そう簡単に事情を動かせると自分の力を過大評価してた数カ月前の俺をぶん殴ってやりたい。

 でも……諦めるわけにはいかないんだ。猪狩や東条をぶっ倒して甲子園に行くためには、此処で諦めるわけには!

 

「……それに、パワプロ様の仰っていることは、猪狩様が行くような名門校を倒したい、ということですわよね。それならばその程度の練習では足らないと思います。平日は授業後四時から九時まで部活動をしたと考えてもそれでいいですが、休日返上で練習しなければなりませんわよね。休日練習が雨などで流れたとして八〇日五時間練習するとしても二五六万円……朝から使うとしたら、その倍ですわ。パワプロ様の言うように強豪にも勝てるほど練習するんだとしたら、少なくとも一年で一千万近い資金が必要です。……とてもお願いしても……お、お力になれず申し訳ありませんわ……」

「…………それってさ、要するに、俺たち野球部に一千万かける価値がねぇんだ、って言いたいんだな」

 

 なるほど、たしかにそうだな。たかだか三人の部活だ。対費用効果なんて計算出来るわけがないし、宣伝効果も全くない。

 ――けど、だ。

 そんな程度で諦める程俺は諦めが良くねぇんだ!

 

「……絶対に甲子園に行く」

「……え?」

「絶対に甲子園に行く。絶対に甲子園に行けなくても、俺のプロ入りでの契約金で払ってやる」

「ぷ、プロ!?」

「ああ、そうだ。とりあえず理事長と話をさせてくれよ。直接話さないと伝わんねー。……悪いな。彩乃、お前を利用したみたいで」

「そ、そんな、そんなことありませんわっ! わかりました。お母様におはなしに行きましょう。ちょうど訪れていたはずですから……い、一緒に」

 

 顔を赤らめてもじもじとする彩乃が可愛らしい。にしても、本当にイイヤツだな彩乃。俺のために動いてくれるなんてさ。それが恥ずかしくて赤くなってる姿も可愛いぜ。

 

「よし、じゃあ行こう」

「え、ええっ」

 

 二人して、俺達は校長室に向かう。

 此処を切り抜けないと、野球人生の終わりかもしんねぇ。絶対に野球部が練習出来る環境を作ってみせるぞ。

 

 

 

「……ふぅ」

 

 彼が行ってから、ボクは深くため息をついた。

『あれだけのボールを持ってて』。……初めて言われた。ボクが投手をしてるところを見て、素直に褒めてくれる男なんて居なかったのに、彼は僕のボールを……一番練習したカーブを、凄いって褒めてくれた。

 

 野球はもう諦めようと思ってた。

 

 いくら頑張っても男に追いつけない、追いついても絶対に認められない。

 そんな野球を必死にしても無駄だと思って、そう言われて、諦めようと思っていた。

 ボクの事を心配してるくせにそれを認めない"あの人"の言うとおり、野球は辞めてソフトに入ろうって思ってた。

 

 けど、違う、違うんだ。

 

 諦めるのは簡単なんだ。認められなくても必死で歯を食いしばって頑張った人がそれを手にできる。

 きっと彼の目標でもある、そしてボクの夢でもあるプロ入りという結果を。

 だったら、ボクはどうする? パワプロ君はボクに道を示してくれた。認めてくれて野球部に入ってくれってお願いした。キャッチャーである彼ならボクのボールがどんなものかしっかり確認しても尚、誘ってくれたんだ。

 だったらボクは、全力を尽くすしかないじゃないか。

 

「……三人、っていってたよね」

 

 三人……たった三人じゃ試合も出来やしない。

 彼はボク達のために頭を下げにいったのに、ボクは何もしないの?

 

「……探さなきゃ、部員」

 

 野球は九人居ないと出来ない。だったら探さなきゃ。

 彼に任せっきりなんてごめんだ! ボクだって、チームメイトなんだから!

 といっても、アテがある男子部員なんて居ない。

 

「……だったら……」

 

 あの子に、頼んでみよう。

 ボクと一緒に野球をしていた女性は七人。そのうち、女性に限界を感じて辞めてしまった人は僕をあわせて四人居るが、そのうちの二人がボクと同じこの恋恋に入学していたはずだ。ボクを入れたら三人此処に入学した。

 その中の一人――セカンドを守っていた子なら、きっと……。

 

「きっと、キミもボクと一緒だよ。……野球が嫌いなんじゃないんだ。……そうだよね。あかり……?」

 

 自分に言い聞かせるようにして、ボクは歩き出す。

 皆……ボク、やっぱり野球が大好きなんだ。皆だって、きっとそう。やめることなんて本当はしたくないんだ。お願い! もう一度だけ、野球をやってみて欲しいんだ!!

 あかりは多分、ソフト部にはいろうとするはず。

 ……一緒に野球をやっていた幸子もソフト部に入ったから、それに誘われてあかりもきっと入るはずだ。その前になんとかこっちに誘わないと。

 そう思ってボクが歩き出そうとすると、そこに。

 

 幸子が現れた。

 

 相変わらず鉢巻を頭にして、勝気な目は変わりがない。

 でも、自分の事よりまず先にこっちのことばっかり気に掛けてくれる良い子、良い仲間、大切にしたい、親友だ。……でも、それでもボクはその優しさに甘えたくない。自分の夢を――甲子園を、プロを、諦めたくない!

 

「……何やってんのさ、あおい」

「野球の練習、かな」

「そうかい。……いい加減に諦めてソフト部にきなよ。あの時みたいに男子に混じって一緒に野球だなんてもうムリだ。あんたも、あたし達も……シニアの時に分かっただろ。あたしたち女じゃ、野球は出来ないって」

 

 ――幸子がいったそれは、苦々しい記憶だ。

 

 ボクと幸子とあかりは、三人で同じシニアに入っていた。

 女の子が野球をやる。それだけで好奇のまなざしで見られるような場所だったそこは、決していい気分のする場所ではなかった。

 けれど、ボク達は野球が出来ればそんなこと我慢できたんだ。我慢できていた。実際に。

 ただボクたちは本当に純粋に野球が出来ればそれで構わなかった。それくらい野球が大好きだったから。

 

 ――でもボク達は"野球"をすることが出来なかったんだ。

 

 注目を集めた結果、その注目している人達はこう想う。

 "女の子に重い物をもたせたり、女の子に球拾いをさせるのはどうなんだ?"と。

 その結果、ボクと幸子とあかりは。

 

 露骨にボール拾いや雑務から遠ざけられ。

  きつい練習は免除され。

   それでも練習に参加したいと言えば監督から"女の子なんだからもう帰りなさい"と言われ。

    それなのに、試合にはレギュラーで出続ける。出され続ける。

 

 それが産むものは、チーム内の不和という火種。

 その火種はあっという間にチームを燃やし尽くす巨大な業火になった。

 一派閥争いのようなものに発展してしまったそれは決定的にチームを分つモノになってしまったんだ。

 

 ピッチャーであるボクは捕手からリードを放棄され。

 あかりは内野の守備を全て任されゲッツープレイなどには参加させてもらえず。

 幸子は外野からの中継プレイに反応してもらえない。

 

 野球が成立しない、そんな状況になってしまった原因を作った一因を担うボクたちは、野球を辞めざるを得なかった。

  

「……たしかに、あの時はそうだったかもしれない。……けど、今度は違うんだ」

 

 分かってるよ、幸子が言おうとしている事は。

 ソフトボールだって楽しいし大好きだよ。授業や部活に参加して楽しんだことだってある。

 でも、違うんだ。

 ボクは野球が好きだ。

 小さなボールに力いっぱい力を込めて投げる野球が。

 必死に走って白球を追う野球が。

 小さなボールを細いバットで打ち返す野球が。

 皆と協力して甲子園を目指す野球が。

 あの、テレビでなんどもなんども見た、スポットライトを浴びるマウンドに立つ事の出来る、野球が――大好きなんだ!!

 

「ボク、野球が大好きなんだ。幸子」

「知ってるさ。……あたしだって、大好きさ。今でも……あんな事があっても、大好きさ」

「そうだよね。きっと、あかりもそうだよね」

「ああ、そうだね。……でも、ムリなんだよ、あおい」

「――今ここに男子生徒が来てさ。野球部作るんだって。ボクもその子に誘われて」

「あおいッ!」

「嫌だ!! ボクは野球を諦めない! それにパワプロ君は違う! あの時のチームメイトとは違うよ! 幸子っ!」

「何が違うってんだいっ!? 野球部に所属しても高校野球の試合には出る事はできない! なんてたって名前が"男子高校野球大会"なんだから!」

「ッ……それでも、それでもっ! ボクは野球をしたいんだ!」

 

 幸子の言い分はもっともだ。ううん。幸子の言ってる事にしたがってソフト部にでも入ったほうが利口だってボクにも分かってる。

 けど、それでも野球がやりたいんだ! 諦めかけてた野球を、手放し掛けてた野球を――今はどうしても、やりたい!

 

「……何をもって……そのパワプロって奴が信じられるってんだい……」

「褒めてくれた。ボクの球を。……ボクが一番投げ込んで練習してきたカーブを、たった一球"捕球"して……褒めてくれたんだ」

「…………分かった」

 

 ボクが言うと、幸子は下を向いて静かに頷いた。

 その仕草と言葉が嬉しくて、ボクは思わず頬をほころばしたけど――。

 

「だが、そう簡単には認められない。…………三打席勝負だ。その勝負であんたが一打席でも打たれたら、あんたは野球を諦めるんだ」

「っ、そ、そんなっ……!」

「ムリなのかい? あんたの覚悟は――野球をやりたいって気持ちはその程度かい!!」

「!」

 

 幸子は、ボクの覚悟を試してる。

 ボクが今の気持ちを、どれだけボールに向かわせる事が出来るか、試してるんだ。

 それからボクは逃げちゃいけない。

 ボクは幸子に示さなきゃいけないんだ。自分の全力を、自分の実力を!

 

「――分かった。三打席勝負、する」

「上等。じゃ、大グラウンドに移動するよ」

「ん」

 

 幸子の後について、ボクは大グラウンドへと移動する。

 自然と握ったボールに力が入った。

 ……全力で、幸子を打ち取る。

 それが難しいことなのか。

 男子が居るシニアでも四番をはり、中学の二年から始めたソフトボールであっという間にエースで四番。この恋恋にもスポーツ推薦で合格したソフトボールの天才と言われている。

 ソフトボールだけの経験者ならまだ楽かもしれないけど、幸子は違う。野球をやめるまでは、野球でも四番を張っていた運動神経が抜群の天才だ。

 それを三打席――、それも、こっちの手は完全にバレているのに、抑えなきゃいけない。

 

(ボク一人で、そんなこと出来るのかな? いや、弱気になっちゃ駄目だ。やらなきゃ、いけないんだからっ……!)

 

 バックネットを背にして、打席に幸子が立つ。その瞬間、幸子の周りの空気が一変した。ボクたち投手にとっては最も味わいたくない感覚――打たれる、そう確信させるような威圧感を感じる。

 

「……う……」

「どうしたんだい。あおい。……全力で投げてきな。はじき返してやる」

「…………ッ」

 

 ボクがひるんだのを完全に見切って、幸子はニヤリと微笑んだ。

 分かってるんだ。ボクには幸子が打てない球なんか投げられないってことを。

 

(やっぱり、駄目なのかな……ボク……)

 

 野球は、出来ないのかな。

 幸子でも駄目だったんだから、ボクなんかが頑張ったって……。

 

「う……」

 

 それでも、幸子を裏切るわけにはいかない。

 せめて逃げる事だけは、したくない。それは幸子も裏切る事にもなるんだから。

 ぐ、と足をあげる。

 テイクバックは大きく。

 握りはストレート。せめてボクの投げれる最高のボールを、幸子に見てもらいたい。

 そして、そのまま足をついておもいっきり腕を振って――。

 

 

 

「タイム!!」

 

 

 

 投げよう、とした瞬間、大声で勝負が止められた。

 幸子が声のした方向を睨んでる。たぶん、勝負の邪魔をしやがったとか思ってるんだろうな。

 ボクも幸子に釣られて、声のした方を見る。

 するとそこには、倉橋さんとかいったっけ、金髪の可愛らしい女性をつれたパワプロくんが立っていた。両手にはもう帰りなのか大きなバッグを持っている。ボクがこんな事になってるなんて、知らなかったからもう帰ろうと思ってたんだろう。

 

「何の用だい!」

「倉橋理事長と話をつけてきてな。野球部が認められたんだよ。ついでに練習場所も確保できた」

「……えっ……!? ど、どど、どうやって!? 正直言ってムリだと思ってたんだけど!?」

「彩乃……ああ、こいつのおかげだ、力添えしてくれたし、こいつがマネジに入ってくれるっていったら倉橋理事長マジで考えてくれてさ。……後はまぁ、元チームメイトの名前を出させて貰ったり、な」

「す、凄い……!! 本当に部を成立させちゃうなんて……!」

「お、お待ちください! パワプロ様! あ、あの女性はなんなんですか!?」

「ああ、部員だよ。早川あおい。……ウチのエースだ」

「エース!?」

「ちょ、ちょいと待ちな!」

 

 とんとん拍子に話をすすめるパワプロ君に、幸子が食って掛かった。

 う、うん、本当にちょっと待って欲しい。部活する場所まで用意出来るなんて凄い……! 倉橋さんがマネージャーに入ってくれるといっても、たったの三人の部活なのに……!

 

「まだあおいが野球をするとは決まってない! あたしとの勝負に勝ったら、それを認めてやるって話なんだ!」

「へぇ、そういう話になってんのか。早川に野球をさせたがらない理由はわかんねーけど、そういう事なら助太刀しねーとな」

 

 にやり、と笑ってパワプロくんが制服を脱ぎ捨てる。

 その制服をいそいそと拾ってあげてる倉橋さん。

 なんだか可愛いなぁ。ついてまわってる妹みたい。

 

「助太刀って、どういう事だい?」

「なぁに、俺はキャッチャーだからな、リードとキャッチングするだけだ」

 

 そう言ってパワプロ君はその場にバッグを置いた。

 そしてバッグの口を開き、中からスパイクシューズとキャッチャーミット、そして防具を取り出す。

 持ってきてたんだ。部活がないことは分かっているのに。

 それをあっという間に着用し、ヘルメットを逆にかぶってマスクをかぶる。カチャカチャと軽い金属を響かせたまま、パワプロくんはボクの方へと歩いてきた。

 

「問題ねーだろ? キャッチャーがいてもよ。それが普通の勝負って奴だぜ」

「……構わないさ。キャッチャーがいてもいなくても、結果は変わらないからね」

「つーことらしいぜ。早川。サインは俺が覚える。お前が使ってたサインを教えてくれ」

「……ごめん、面倒な事に巻き込んで」

 

 ボクが肩を落としながらいうとパワプロくんはきょとん、とした表情でボクを見つめた。

 少しの間その表情のまま止まったかと思えば、何故かいきなり口を大きく開けて大声で笑い始めた。

 

「あははははははっ! 面倒な事ってそりゃねーよ!」

「え? え!? な、なな、なんでっ!? なんで笑うの!? しょ、勝負なんかに巻き込んじゃって……」

「あたりめーだろ! 野球出来んだぜ? 面倒なことなんかこれっぽっちもねぇって! それに、この勝負に勝てばお前は晴れて野球部なんだろ? 誰にも文句言われることなくよ。……ならその勝負は受けねぇとな? ……絶対勝つんだからよ!」

 

 パワプロ君はそう言って、幸子に向かって挑発的な笑みを放つ。

 それを見た幸子は憎々しそうにパワプロ君へ睨みを返し、ブンブンッ! と風音がこちらまで聞こえそうな勢いでスイングを始めた。

 どうしてこんなに怖がることなく勝負に挑めるんだろう? 多少なりとも打たれるとかそういう風に考えないのかな?

 

「やっこさん、すげぇやる気だな。……ルールは?」

「え、と、三打席勝負、ヒット打たれたら負け」

「にゃるほど、たしかにまあ、打者有利のルールだな。うし、んじゃまあサインを教えてくれ」

「わ、分かった。……えっとね、これがストレートで、これがカーブ、これがシンカー」

「変化球はカーブとシンカーだけか?」

「うん」

「そうか。……あいつとは知り合いか。手の内はどれくらい知られてるんだ?」

「たぶん、ほぼ全部。幸子……あの子と知り合ってる時に全部覚えたボールだから。それにフォームとかも全然変わってないし……多分、配球の傾向とかも読まれてると想う」

「そうか」

「ご、ごめんね、リード難しいと想うけど」

 

 必要な情報をパワプロ君に伝えるたびに、自分の力の無さを告白しているようで、だんだんと自信がしぼんでいくのが解る。

 ボクの馬鹿……どうして新しい球を覚えようとしなかったんだろう。

 もうちょっと変化球を覚える努力をしてれば良かった。

 

「せめて三球種使える球があればリードも楽なんだろうけど……ごめん」

「そう何度もあやまんな。それにな、謝るこっちゃねーよ。使える球種ならちゃんと"三球種ある"じゃねーか」

「え?」

「うっし、んじゃ投球練習すんぞ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 意味深な事をいって、そのままパワプロ君はホームベースの後ろのキャッチャーズボックスに腰を落とす。

 訳がわからないまま、パワプロくんはボクへと投球練習を促した。

 

「ストレート、カーブ、シンカー五球ずつ! 計十五球! しっかり本番だと思って投げろ! まずはストレート!」

 

 パワプロ君がぐ、と構える。

 その格好は、まさにボクの球に魔法を掛けてくれそうなほどの頼もしい姿。

 ……うん、パワプロ君の言った意味は正直分からないけど、パワプロ君を信じよう。彼はボクのカーブを褒めてくれた。

 ――そして何より、ボクをエースといってくれたんだから。

 だったらボクもキャッチャーを信じなきゃ。それが、それこそが、バッテリーって奴なんだから! 

 

 

 

 勢い良く投げ込まれた球を、俺は腕を伸ばして捕球する。

 バシンッ! と乾いた音。

 さすがに猪狩の速球に比べればある程度音とかキャッチの衝撃が心許ないが、それも全然許容レベルだ。

 アンダースローで一一〇キロ程度、しかも一年生――これだけでも新設の野球部ならエースでも問題ないレベルだ。

 これに鋭いカーブ、さらに逆方向に嫌な感じにドロンと落ちるシンカーまであるなら十分やりようがある。――こいつは絶対に野球部に必要だ。

 この"三種類のボール"で、三打席高木幸子だっけ? こいつを打ち取る。

 

(ただのソフトボール部の四番なら良かったんだけどな。野球経験者、しかもシニアで一年で四番打ってたっつーんなら話は別だ。……油断はしねぇし、余裕はねぇ。――絶対にこいつを打ち取る、んでもって、早川をしっかり野球部に迎え入れさせてもらうぜ)

 

 高木幸子が打席に入る。二、三度足場を踏み固めて、早川を見据えてバットを構えた。

 ……いかにもって感じの雰囲気を持ってやがるぜ。

 なるほど、まだ早くて入部して一週間って話なのに、こいつが時期四番でエースっつー噂はマジだな。

 さっき彩乃と窓から見たときに相手は誰でどういうやつか、っつーのを聞いといてよかったぜ。

 にしても、ソフトボールのベースがしっかり埋まったグラウンドでやるのは変な感じだけど、打球の勢いとか方向でヒットかどうかは判断できるし問題はなさそうだ。

 さて、そんなのはどうでもいいとして、まず考えないと行けないのは初球の入りだな。

 

(……初球、普通なら見てくるがさっきコイツをぐんぐんに煽ってる。更に早川とは旧知の中で手の内も完全に知っている、と。……それも鑑みて、さらにコイツでのバッターボックスでの動きも加えて考えると……)

 

 あんなに素振りして入った上、足場を固めた。更に構えも大きくついでに言うならバットも短く持っていない。

 

(打ち気は満々か。……初球から得意球行くぞ。カーブだ。コースは右バッターである高木幸子のインより、思い切って腕を振ってこい)

 

 俺がサインを出すと、早川の目が驚愕に染まる。

 カーブは緩い球だからな。早川のカーブはおそらく九〇キロ前後。ピッチャーとしては投げるのは怖い上に緩急を付けた後のボールでも無い。特に自分の中で"格上"と位置づけちまってる相手にゃ最高に投げづらい球だ。

 ――だが、カーブは現時点で早川の最高のボールなんだぜ。

 打ち気にはやった高木幸子の打ち気を逸らすには最高の球の上、その後のリードにも幅が出る。

 

(それに、緊張でガチガチになったお前は一番投げやすく、自信のある球を投げた方がいい。そうじゃねぇと、追い込んでから甘くいったら終わりだ。……俺を信じろ! 早川!)

 

 ぐ、と目で意志を伝える。

 俺の視線を見て、早川はやっとコクリと頷いた。

 ポーカーフェイスじゃないことに一抹の不安を覚えるが、求めすぎても酷だ。まだお互い一年生、足りないものはあって当然。それを――バッテリーの協力体制で埋める!

 早川がぐっと振りかぶる。

 そこから上体がぐぐっと沈み、それと同時に前に出た左足がしっかりと踏み込みを刻む。

 それからわずかに遅れて、しなやかに、まさにムチのように振り抜かれた右腕から放たれる最高のボール――。

 

 ドゴッ!

 

 ワンバン。

 打者の少し手前で球速に変化したボールは地面を抉った。

 それと同時に高木幸子のバットも空を切った。

 

「ワンストライク、だな」

「……っ、ああ、そうだね」

 

 立ち上がり、ボールを早川に返しながら確認を取る。

 僅かに驚いた表情をした高木幸子の動作をしっかりと目に焼き付けつつ、早川にも声をかけないとな。

 

「ナイスボール!」

 

 パンッ、と音を立てて俺から返されたボールを早川が受け取る。

 高木幸子が空振りするビジョンなんか無かったのか、驚いた表情をしている早川がなんだか面白い。

 

(さて、と、二球目だ。ここで一球遊ぶのを考えてもいいが。今は高木幸子はビックリしている状況だ。動作から演技っぽさを感じられ無かったし、俺の問いかけに反応するのがわずかに遅かった。なら、ぱぱっと追い込ませて貰おう。ストレート、コースはアウトローだ)

 

 早川が頷いたのを見て、俺はミットをアウトロー。確実にストライクだというところに動かす。

 さっき投球練習したときに受けてみて思ったこと。それは球のキレもそうだが、それ以上に早川はコントロールが抜群に良いということだった。

 緊張した今のカーブこそワンバンしたが、ストレートならほぼ九割九分、俺がミットを構えたところに投げ込んでくれる。

 一つでもいい。絶対的なコントロールの球があれば、キャッチャーとしては大助かりだ。

 早川は自分に自信が無さそうだけど、もっと自分に自信を持っていい。

 

 早川は、――好投手なんだから。

 

 早川が綺麗なフォームで腕をふるう。

 緊張は最初のカーブで解けたのか、コントロールに寸分の狂いもない。

 パァンッ! と乾いた音を立てて白球がミットへと吸い込まれる。

 

「ストライクだ」

「……そうだね」

 

 ボールを投げ返しながら、高木幸子の顔色が変わったのを見逃さない。

 

(今ので完全にスイッチが入った。……さて、んじゃま、早川に言った"第三の球種"で仕留めますか。……行くぜ。インハイへのストレート)

 

 アンダースローからのストレートは上からオーバースローやスリークォーター、エグるように投げられるサイドスローとは決定的に球筋が違う。

 それはすなわち。"下手投げ"という早川の持つ特殊なフォームの持つ利点――つまり、浮かぶ球筋。

 

 早川からボールが投げられる。

 再び、寸分の狂いもなくインハイに構えた俺のミットへ。高木幸子からすれば浮かびあがるような独特の球筋で。

 ビュンッ! と凄まじい風切り音、しかし金属音はしない。

 普通ならばアンダースローでは投げにくい高めにこの精密さで投げれる事に驚きだぜ。早川。

 

「まずは一打席目。三球三振だ」

 

 ビッ、と一本指を立てる俺。

 それを見て、早川が心底嬉しそうにガッツポーズした。

 うし、まずはワンアウト、だが問題はこっからだ。……こっからは打たせて取る。さすがにこうもポンポンと勢い良くストライクを取らせてくれるなんてことは二打席目からはないしな。

 

「早川、ナイスボール」

「あ、ありがとうパワプロくん! キミ、ホントに凄いね!」

「パワプロいうな。……礼はまだだ、あと二打席ある。……こっからが難しいぜ」

 

 カシャカシャと防具を揺らしてボールを早川のミットに返してから、俺は口元をミットで隠す。

 俺の言葉にはっとしたのか、早川はぱっと口元を隠した。

 分かってるみたいだな。相手が"今日の"早川に慣れてくる二打席目移行を抑えるのが一番難しいんだ。

 

「いいか、こっからはなるべく少ない投球数で抑えたい。相手に球をよくみられない、っつー利点もあるし、三打席目打てなかったら負けって状態だと相手のプレッシャーのかかり具合もダンチで違う。だからこそ、相手に"球は十分に見た"っつー印象を与えるのはご法度だ。つまり、早く打ち取れば打ち取るほど、その分三打席目が楽になる」

「う、うん」

 

 早川がこくこくと頷く。頭の回転がイイ奴をリードするのは本当に楽だな。猪狩ん時もそうだったけど。

 

「リードの中身をもう話しておく。あいつの態度とか仕草で変わるかもしんねーが、基本はこれだ。まず、三振に打ち取ったインハイのストレートで一球ストライクを取る。その前までにボール球を使わないか、一球使うか二球使うかはわかんねーけどな」

「う、うん」

「その後二球目だ。こいつが決め球だ。シンカーを使う」

「シンカー……」

「ああ、利き腕方向にデロンと落ちる奴な。インローに食い込ませる」

「ストレートの後に?」

「ああ、インハイへのストレート。こいつが強烈だ。さっき言った第三の球種、って奴だな」

「そ、そんなに違うもんなの?」

「おう。ソフトボールのライズボールに近いかもな。手元で"浮く"感覚がある。アンダースローでスピンがかかった球が投げれるお前の決め球の一つだ」

「でも、ライズボールって幸子、慣れてるんじゃ」

「だからこそカーブ、シンカーっつー球で打ち取る。ソフトボールと違って野球のボールは小さい。浮き上がる球の捉えにくさはソフトボールの比じゃないぜ。……シンカーの変化量も絶妙。芯では捉えられないのに空振りする程変化するわけでもない。キレがあるから変化の具合に一瞬で対応することは難しいが、高木幸子くらいの対応力があれば前には飛ぶ。結果はおそらくサードゴロかサードフライっつーとこかな」

「……す、すご……」

「お前がな。しっかり腕振って投げてこい」

 

 ピシ、と早川の額をデコピンして、キャッチャーズサークルに戻る。

 俺がもどると、高木幸子はジト目でこちらを睨んできた。

 んだよ、待たせたのを怒ってんのか?

 

「……あおいにデコピンしやがったねあんた。勝負終わったらボコボコにしてやる」

「そっちかよ……」

 

 戦ってる割にはやけに早川に対して優しいな。

 ……この勝負は早川に嫌がらせするために挑んだもんじゃねぇのか。

 っ、と、今はそんなことはいい、勝負に集中だ。

 

(インハイのストレートを使うためにアウトローを上手く使いたい、カーブは三打席目にとっとかねーとな。ストレートをアウトローだ。ぎりぎり、どっちとも取れる場所がいいが、出来ればボールよりだ)

 

 早川が投げ込む。

 ストレートのコントロールは天下一品、やはり構えたとこに投げ込んでくれた。

 それに向かって、高木幸子は勢いよく踏み込んでくる。

 カィンッ!!

 

「!」

 

 痛烈な流し打ち。わずかにファール側へ転がって出てくれたものの、一歩間違えばライト線への長打になっていた。

 

(あっぶねー。ボールよりにしといてよかったぜ。……高木幸子。マジでいいバッティングしやがる。ホームランは出そうにないが、ライナーでの痛烈な打球なら幾らでも打てそうだ。……けど、これで見せ球でストライクを稼げた。行くぜ早川)

 

 インハイに構える。

 それを承知していたとばかりに早川は頷いた。

 アンダースロー。鍛え上げたその制球と球のキレ。

 それによって生み出される"第三の球種(インハイのストレート)"。

 早川の手からそれが投げられる。

 ガキィンッ! と鈍い金属音。

 バックネットに白球が突き刺さる。

 ファール。痛烈な当たりだったけど前に飛ばなきゃ意味はない。

 にしても、あぶねぇ、さすがソフト部の四番だ。

 ホップするこれにも二球目でしっかりついてきやがったな。普通の野球部の奴だったらまず対応するのに一打席、二打席は犠牲にしなきゃいけないだろうに、怖い奴だぜ。

 

(この対応されたっつーデータは次に活かす。まずはこの打席だ。……シンカー)

 

 予定通り真ん中内よりに構える。

 早川も打ち合わせ通りに頷いて、投げて来てくれた。

 わずかに予想位置よりインに来たが問題ない。ここから変化する!

 

 くん、と落ちるボール。

 

 全く予想外だったろう。ツーストライクと追い込まれてからストライクゾーンに来たらボールは振らなければならない。

 ビュッ、と勢いよく振られたバットは俺の予想通り芯を外して転がった。ボールはサードへのボテボテのゴロ。

 誰が見てもアウトになると解る打球だ。

 

「ツーアウト、でいいよな?」

「ああ、文句はないよ」

 

 高木幸子が悔しそうにしながら言う。

 二打席とも理想の形で打ち取った。

 だが、問題は此処からだ。

 相手も集中し、さらに早川の球はもう全部知られている。

 カーブとシンカーは一球ずつ、ストレートは四球使った。二打席を連続で三球で打ち取れたのはデカいな。

 けど、これでストレートはもうほぼ使えない、"第三の球種"も読まれれば確実にヒットにされる。

 この一打席、ここからが本当の勝負だ。こちらが有利に戦える状況は終わった。

 それでも負けるつもりはない。ヒラの勝負ならヒラの勝負のやり方ってのがあるしな。

 

「ラスト一打席。気合入れるぜ!」

「おおっ!」

 

 俺の言葉に勢い良く反応する早川。

 よし、まだ余裕があるな。んじゃ遠慮なく要求させてもらうぜ。

 

(まずはシンカーをインローだ。とりあえず思い切って腕振ってこい)

 

 二打席目をサードゴロで討ち取らせた球。

 さすがに続けてくるとは思ってないだろうし、残像も残ってるだろ。

 もとより外すつもりの球だ。ボール判定でも問題無い。

 0-1になってもこれは所謂見せ球って奴だからな。とりあえずは腕振って投げてくれればそう易々とは打てないぜ。

 俺の要求にこくんと頷いて、早川が投球動作に入る。

 インローから更に落ちる球。

 それを完全に見切って、高木幸子はバットを動かさなかった。

 

「ボール、0-1」

 

 すぐにボールを返す。

 慎重に行くべきところだと分かっているんだろう。初球のボール判定にも早川はまったく動じていない。

 

(うし、ボール先行で動揺するかもと思ったけどそんなことはないな。……さて、0-1、シンカーには全く反応無しか。……やな感じだな。――ストライクをとりたいが、ストレート待ち見え見えの反応だな。"第三の球種"は絶対にどこかで使わなきゃならない。そのためには次、もう一球シンカーだ)

 

 俺がサインを送ると、早川がふるふると首を横に振る。

 シンカーを続けろってサインだからな。高木幸子相手にゃ早川も投げづらいだろう。

 

(そんならプラン変更。早めに打ち取る。"第三の球種"を、更に高めに外す)

 

 ストライクゾーンには入れず、更に高めに外す。

 それならばストレートを待っている高木幸子もバットには当たらない。更にこれで次へのシンカーかカーブ、どちらかの緩い球へ活かすことも出来る。振ってくれれば儲け物、振ってくれなくても次で1-2に出来る。

 早川がこくんと頷いた。

 うし、これなら納得してもらえたみたいだな。

 

「来な!」

 

 高木幸子も気合充分。なるほどコイツ負けん気が強い。追い込まれて逆に闘志が湧いてきたのか。

 お望み通り真っ向勝負だ。インハイストレート、打ってみやがれ!!

 早川がぐっ、と踏み込んでしなやかに腕をふるう。

 放たれたボールはストレート。ドンピシャで俺のミットへと"浮かび上がる"――。

 

「ぬっ……!」

 

 ビュンッ! と風切音を残すが、ボールにバットは当たらない。

 ミットにしっかりと収めて表情を悟られないようにしながら、俺はニヤリと頬を釣り上げる。これで七割、こっちの勝ちだ。

 

「ナイスボール。完璧だ!」

 

 ボールを早川へと軽く返して、再び腰をキャッチャーズサークルで落とす。

 

(OKOK。完璧だぜ。これで1-1。……この次で決めるぞ。カーブ)

 

 ストレートの後の緩い球。教科書通りのリードだが、その分打者の対応も難しいからな。

 引っ掛けてくれればベスト。空振りでも圧倒的にこっち有利。

 あのストレートの後だとソフトボールに慣れてる高木幸子じゃヒットにすることは難しい。というより、名門野球部にもこの緩急さとはかなり効く筈だ。

 

(それくらい早川のカーブ・ストレートのコンビネーションは凄いぜ。……さぁ、来い)

 

 これにカットボールとかストレートと同じ軌道で芯だけ外す変化球があれば――あかつき大付属にだって、帝王にだって通用するような凄い選手に成長するはずだ。

 そのために、早川は過去を振りきらなければならない。

 煩わしい過去の事なんか俺は知らないし知りたいとも思わねぇ。

 けど――早川は野球をやらなきゃいけないんだ。

 成長するために。

 自信を付けるために。

 何よりも――自分の夢を叶えるために!

 

「さぁ来い! 早川ッ!」

「うんっ! 行くよ幸子!」

「来なあおい! 打ってやる!」

 

 早川が上体を沈めて勢い良く踏み込み、腕を振るう。

 放たれたカーブは美しい軌道を描き、カーブを狙っていた高木幸子のバットから逃げるように真ん中低めへと落ちた。

 カィンッ、と軽い音を響かせて白球は宙へと舞い上がる。

 ただし、そのボールに全く勢いは無い。

 ふらふらと力なく上がった打球は早川へと落ちていく。

 マウンドから一歩も動くこと無く早川はそれをグラブで捕球した。

 その瞬間、早川がおさげを振り乱して勢い良くガッツポーズをする。

 俺はそれを見て心の中でつぶやいた。

 

『これから頼むぜ。エース』

 

 

                      ☆

 

 

「珍しいですな。理事長さんがわざわざ私を呼び出すとは」

「いや、申し訳ありませんな。影山さん。少々聞きたい事がありまして」

 

 夕暮れ時。

 高木幸子と早川あおい、パワプロの勝負が終わって無事に野球部の設立が完了した後のこと、西の窓から黒いソファへと西日が降り注がれる中、たまたま学校の様子を見に訪れていた理事長である倉橋は、影山と呼ばれる男を呼び出した。

 影山――、それはプロ野球の敏腕スカウトの名だ。

 発掘した選手はプロ野球で八割成功する――そんな伝説じみた記録を持つ名スカウト。

 パワプロと同じように、倉橋理事長もまた人脈を持っている。その中の一人が彼、影山スカウトなのだ。

 

「はて、聞きたいこととは」

「うむ、実はですな。先ほどこの恋恋に野球部を作りたいと駄々をこね、人の可愛い孫をも巻き込んで無謀だと承知で『甲子園に行く』お願いしてくる子がいましてね」

「ほー。凄いですな。特に無謀を承知というのが素晴らしい。なかなか、人に迷惑を承知で、それでも自分の夢を貫ける強い意志」

「うむ。まぁたしかに甲子園にいければ費用対効果も十分だし宣伝にもなる。――だが、仮に行けなくても、プロに行って使わせた費用分返してやる、と言われてね」

「プロ! ほほう、それはそれは……して、もしかして私を呼んだのはその子の事で?」

 

 ヒゲをジョリジョリと指でいじりながら、影山スカウトが問いかける。

 その問いにこくんと倉橋理事長は頷いた。

 

「うむ。本当に彼が行けるのかと思ってね。可愛い孫に聞くに中学時代は優秀な選手だったようだが……」

「名前を伺っても?」

「ああ、パワプロ……葉波 風路といったか」

「葉波風路!」

「おお、知ってらっしゃるかね?」

「ええ、世代の一、二位を争う名捕手です。猪狩守……あの猪狩コンツェルンの息子さんと投手と捕手でコンビを組んで中学時代全国一も経験した男で。勿論私たちスカウトのリストには入っていますよ。なるほど、此処でしたか。名門校のリストに名前が無かった物ですから、どこに行ったのかと思っていたら……」

 

 困ったような嬉しいような複雑な表情を見せて、影山スカウトが声を弾ませる。

 そんな影山スカウトを見ながら、倉橋理事長は楽しそうに笑った。

 

「なるほど、それなら本当に甲子園まで行けるかもしれませんな。それに猪狩コンツェルンの。なるほどパーティかなんかで孫娘と知り合ったんですなぁ。……勢いに押されてしまいましてな。かつての私のように夢に燃えるあの目に圧倒されて――思わず頷いてしまってね。たしかに経営がキツイわけでもないし、余裕はあるが、それでも一年一千万円の支出をたかだか一つの部に出すのは覚悟しなければいけないし、それなりに厳しいものがある。贔屓問題にも繋がってしまうからね」

「ああ、それはたしかにそうですな」

「うむ、だが――経営者の前に私も一人の人間。夢を見る生徒達に夢を叶える道を与えるというようなことをしたいと、彼を見たら思ってしまってね」

「分かります。いえ、私たちはそれが分からないといけないのです。子供達の目の輝き、道を突き進む力――それを見極めるのが、我々スカウトの仕事でもあり、貴方達教育に携わるものの仕事なのですから」

 

 ハハハハ! と二人の大人は大声で笑いあう。

 子供が成長するその道すがら、この仕事に身を置くからこそ貰える権利。

 子供達が夢に向かって突き進む、そのひたむきな姿を最も近くで見れる仕事。

 それに二人は誇りを持っていた。

 

「こほん、では影山スカウト、一つお聴きしたい」

「なんですかな?」

 

 ひと通り笑って落ち着いた後、倉橋理事長は咳払いをして影山に問う。

 それは――。

 

「彼ら野球部が、本当に甲子園に行けると思いますか?」

 

 ――本来ならば問いかけることすら馬鹿馬鹿しい一言。影山もこんな問いをされたら一笑の元に切り捨てていただろう。

 設立三年以内に、しかも未だ部員は三人で、設備は揃っているものの一年生ぞろい。

 そんな部活動が甲子園に行けるほど高校野球は甘くない。世の中には同時に何名もドラフト指名されるであろう選手が在籍し、更に朝から夜までずっと練習するような強い高校がいくつもある。

 そんな高校ですら甲子園に行けない。それが現実だ。

 だからこそ、こんな問いかけをされることもなかったし、それに答える必要もなかった。

 だが――。

 

「いけるかもしれませんね」

 

 倉橋理事長が思ったのとは全く違う答えが帰ってきた。

 一瞬頭が追いつかない倉橋理事長に、影山スカウトは頬を釣り上げて、

 

「いや、こういった事例は幾らでもありますよ。有力選手がハングリー精神の塊で、部を設立させてワンマンチームで甲子園に行こう、といった事例はね。……ですが、ここではワンマンにはならないんですよ」

「ほう、と、いうと?」

「彼のような所謂中学で活躍した選手はリストに入ってますが、特Aではない訳です。つまり、名門校に入った場合はチェックされますが、どの高校にいったかというのをわざわざ後を追ってまで、といチェックはしない、というわけですな」

 

 影山スカウトはメモを取り出し、図にしながら倉橋理事長に分かりやすく説明する。

 

「ですが、逆に特Aの選手はどの高校に行っても追うわけです。もしそこでチームは振るわなくても、本人が成長してると分かれば他球団を出し抜いて三、四位で指名出来る可能性もありますしね。そのなかで、おそらく他のスカウトはリストから外してるかも知れませんが、私が未だに特Aに評価してる選手がこの学校に一人います」

 

 影山スカウトは一息ついて、

 

「そして、もし葉波くんが私の予想通りの選手で、私の予想通りの目を持っているのなら、その選手を間違いなく野球部に誘うでしょう」

「ほう……して、その子は?」

「『友沢亮』、といいます」

「その子は有名なのですか?」

「ええ、シニアリーグ……中学校の硬式野球で活躍した子ですが、最後の大会で肘をケガしましてね、投手としては評価しようが無くなってしまったのです。当時は猪狩守と並び評された選手だったのですがね。その時点で名門校からの誘いもなくなり、スカウト達もリストを外した人が居ると聞きます」

「ああそうなのですか。しかし肘をケガしているのなら、その子が入ってもきつそうですな。それがなぜ……?」

「ええ、実はですね。私はもとより、投手としてより打者としての方が大成すると思っていたのですよ」

「そうなのですか?」

「ええ、そして――葉波くんも彼の打者としての素質に気づいているでしょう」

 

 影山スカウトは目を細めて、在りし日に想いを馳せる。

 中学校時代に見た対戦。

 葉波猪狩バッテリーvs打者友沢亮。

 攻めづらそうにする猪狩と葉波が印象的だった。

 勝負の結果は友沢のツーベース。

 垣間見せたのはあの打席だけだったが、あの打席をいつも出せるようになればドラ1は間違いない。それほどの対応力とセンスを見せつけたのだ。

 

「運がいいですな?」

「ええ、本当に、葉波くんは運がいい。ちらっと見ただけでもこの学校にリトルとシニアの経験者が結構いましてな。……野球を諦めたつもりでも、やはり設備が揃っていて広いグラウンドを持つここを無意識に選んだのかもしれません」

「なるほど、たしかに」

「ええ、矢部明雄という選手なんかも此処にいましたね。彼の状況判断能力、また瞬発力は素晴らしいですよ?」

「つまり、甲子園は完全に不可能ではない、と」

「難しいことにはかわりないですが、不可能ではありません。経験者でスタメンを満たすことができそうですし、何より特Aの友沢くんが居るのが大きいですね。あとは頼りになるエースがいれば、上手くやればもう甲子園に届く条件は揃ってます。矢部くんなどのチームに必要な戦力もいますしね。問題は守備でしょうか、センターライン……セカンド、ショート、センターを強化出来れば問題ありません。その点、友沢くんは守備の動きもセンスの塊でしたからね」

「おお、楽しみですな。影山さんがそうおっしゃるなら、本当に甲子園にいけそうだ」

 

 けらけらと笑って、倉橋理事長は椅子に座り直した。

 夕暮れの日が理事長室を赤く染め上げる。

 この先彼らを待ち受けているのは困難なのだろう。

 だが、きっと彼らなら乗り越えていける筈だ。

 そう思いながら、倉橋理事長と影山スカウトは他愛も無い話に花を咲かせるのだった。

 



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第二話 "四月三週"

 恋恋高校から徒歩五分、そんな近場に存在するレンタル野球場に、恋恋高校新設野球部は集合する。

 早川野球部入部をかけた勝負が終わってから数日。

 今日が俺たちの初部活。けどまぁ、練習を始まる前にやることがある。ズバリ自己紹介だ。それを済ましちまわないとな。

 

「つーわけで、本日より野球部が本格的に始動する」

「おー! でやんす!」

「おーっ!」

「おーっ! ですわー!」

「では本格的始動を祝して自己紹介をしようか」

「うん、それがいいね」

「ええ、相手の事をよく知るには相手から名乗らせればいいのですわ」

「そうでやんすね。ではまずおいらから行くでやんす。おいら矢部でやんす。矢部明雄。愛するものは野球とガンダー、あとは美少女ならなんでも好きでやんす。ポジションはセンターで」

「あ、矢部くん、お前はショートな」

「それはそれは中学校時代は守備の要としてなんででやんすかー!!?」

 

 おお、すげぇノリツッコミだなおい。さすがだな矢部くん。

 

「見てるだけでも外野じゃもったいない、あれほどの守備範囲と反応速度があれば外野じゃなくて内野のがいいと思うんだ」

「そ、そうなのでやんすか……? でもオイラ外野に凄い誇りをもっているでやんす。だから」

「内野の要のショート、それを任せるには凄まじいセンスと走力、そして反応速度が必要なんだ。頼む矢部くん」

「仕方ないでやんすね。そこまで言うならやってやるでやんす」

「……簡単に操作されてますわね」

「操作? 失礼な、本心だぜ」

 

 そうなってくれたらいいなって希望も含まれてるけどな、……ま、俺の予想では矢部くんはそうなれるくらいの能力は持ってるんだけど。まだしっかり見たことはないからな」

 

「じゃ、次だな」

「あ、じゃあボクがするよ。早川あおいです。ポジションはピッチャーだよ」

「スリーサイズをおしえるでやんふべっ!!」

「失礼なことをいっちゃダメだよ♪」

「は、反省するでやんす……」

 

 こいつら仲いいな。良いチームになりそうだぜ。

 んじゃ次は……。

 

「彩乃、言っとけ」

「わ、分かりましたわ。私、倉橋彩乃と申します。マネージャーをさせていただきますわ」

「あ、マネージャーさんもう居るんだ」

「え、ええ、ですが野球のことは、その良くは分かっていません」

「そっか。でも大丈夫だよっ」

 

 何故かそう断言してニコニコ微笑んでいる早川を、彩乃は凄く胡散臭そうに見つめている。

 おっと、もう俺の順番かな。んじゃ名乗っとかないと。

 

「知ってるとは思うが、俺は葉波風路」

「パワプロくんでやんすね」

「パワプロくんだね」

「パワプロ様ですね」

「だからパワプロ言うなって! えー、ポジションはキャッチャー、あかつき大付属中学出身だ」

「あ、あかつき大付属中学でやんすか!?」「あかつき大付属中学!?」

「なな、なんですの? そ、そんなに驚いて……」

「あ、そ、そうか、彩乃さんは知らないかもでやんすね。あかつき大付属中と言えば、野球部に入部試験があるでやんす。それに合格しても競争率が激しすぎて、公式戦に出場権のある一軍から三軍までに別れてるでやんすよ」

「えっと……ぱ、パワプロくんって、そこのどこら辺だったの? 二軍?」

「いや、一軍のレギュラーだった。つまりまあ、正捕手だったんだよ」

「な、なんでやんすってー!!?」

「ちょっとそのセリフはムリがあるよ矢部くん!?」

 

 早川と矢部くんが面白い漫才をしている。これが所謂夫婦漫才ってやつなんだろうな。

 

「と、ということは猪狩守とバッテリーを組んでたでやんすか」

「そういうこったな」

「ちょ、ちょっとまって、なんでわざわざ恋恋を選んだの!? そりゃ、キャッチングといい幸子との対戦でのリードといい凄いとは思ってたけど、しょ、正直いってあかつき大付属高に進むのが普通じゃないの? そうじゃなくても帝王実業とか、西京とか……」

「ああ、たしかに一軍は俺除いて全員そこに進んだな」

「じゃあなんで……?」

「倒すためさ。そいつらを」

 

 やれやれ、結構皆に聞かれるもんだ。

 まあ俺自身ぶっ飛んだ選択だと思うし、実際俺以外にそういうやつを見たらなんでかって理由聞くだ

ろうしな。

 

「倒すため?」

「そうだ。わざわざ名門行って名門倒してもつまんねーよ。苦労して名門倒す方が楽しいからさ」

 

 さらりと言った俺に矢部くんは言葉を失い、早川はぽかんと俺を見つめて彩乃はなんだか熱いまなざしでこちらを見つめてきた。

 なんだかそうも見つめられると恥ずかしいぜ。さっさと話題をそらそう。

 

「つーわけで、今の所この四人で活動するわけだけど……」

「あ、ちょっと待ってパワプロくん。二人紹介したい人がいるんだ」

「お?」

 

 こほん、と早川が咳払いをして、

 

「はるか、あかり、入ってきて」

「あ、あおいー」

「遅いのよっ」

「あっ、お前はでやんす!!」

「げっ! 変態男!」

「なんだ、矢部くん知り合いなの?」

「こ、こいつはオイラのガンダーをぶっ壊したでやんす!」

「人の着替えの上に変な人形を落とすから!」

 

 どうやら俺たちが熱い戦いを繰り広げていたとき矢部くんはこの子……あかりだっけ、とイチャイチャしていたらしい。

 あかりっつー子は黒髪だが大和撫子とかそういう感じではなくてめちゃくちゃ勝気だ。つり目だし矢部くんを圧倒してるし、幸子そっくりだな。

 こっちの子は明らかにマネージャーっぽい子だ。茶髪だけど地毛なんだろう。めちゃくちゃ体が白くて、ちょっと強く接したら壊れてしまいそうな印象を与えてくる。

 

「じゃ、二人にも挨拶してもらおうかな。マネジか?」

「はるかはそうだよ。でもあかりはセカンド」

「そういうこと、このチームのショートは誰? 私と組むわけだから挨拶しとかないとね」

「ああ、矢部だ」

「やべ? ……まさか」

「そう。あいつだ」

「ほ、ほんとに!?」

「ああ、外野からショートだ」

「うげ……」

 

 目の前の少女は心底嫌そうな表情で、はぁと深々とため息を吐く。

 そんな矢部くんが嫌いなのか。矢部くん良い選手なんだからコンビ組んだら楽だろうに。

 

「ま、自己紹介しとくよ。私の名前は新垣あかり。ポジションはセカンド。……本当は野球をやめるつもりだったんだけどね、あおいが熱心に説得してきたからさ」

 

 早川に説得されたっつーことは、昔早川と野球やってたとかそういう感じか。

 なるほど、使い込まれて油で真っ黒になったグローブを小脇にかかえている。

 

「は、はう、あの、私、七瀬はるかと申します……野球はあおいに付き合ってスコアとか付けてたことが有ります。よ、よろしくお願いします」

「な、七瀬はるかですって!?」

「おおうっ、ど、どうした彩乃?」

「わ、私、この人と一緒にマネージャーはごめんですわ! この人と一緒だなんて……!」

 

 こんなに彩乃が人に対して敵愾心を見せるなんて珍しいな。

 たしかに会ったときは高飛車でとっつきにくかったけど中身はイイ奴だってもう分かってる。野球部設立にも凄く協力してくれたし。……けど、そんなこと言ってチームの和を乱すようじゃ困るんだ。

 

「彩乃。ムリならもう来なくていい。……マネジは大変な仕事だし、覚えることも多い、二人で協力してやってくれないと困るんだ」

「う、うぐ……そ、そんな……あうう……わ、分かりましたっ、な、七瀬はるか! 貴方よりマネージャー業を上手くやってみせますわっ! ですから教えなさい!」

「え、えっと、あう。が、頑張ってください……?」

 

 ビシッと指差す彩乃、それを受けて応援する七瀬。それでいいのか七瀬よ。

 俺と同じことを考えているのか、早川、新垣、更には矢部くんまで苦笑いをしている。これ、意外と良いチームになるかもな。

 

「うし、んじゃ部活始めるぞ!」

 

 俺が大きく宣言すると、全員が「「「「「「おー!」」」」」と手を天へ上げる。

 よし、彩乃も七瀬もノリが良くて何よりだぜ。

 

「あ、ちょっとまって、パワプロくん」

「もーつっこまん。なんだ早川」

「監督は?」

「ああ、もう見つけてある、ってか早速仕事してもらってるぜ?」

 

 可愛らしく小首をかしげて尋ねる早川に俺は笑みを返す。

 ん? なんだか気温が下がったような。まあいいか。

 

「仕事って、何してるの?」

「あー、まずはユニフォームの発注してもらってる」

「ユニフォーム! そうか、そうだよね。ユニフォームは必要だよね♪」

「いいねユニフォーム、やっぱ私もなんか足りないと思ってたのよね。此処にいるの全員学校指定のジャージだし」

「そゆことでやんすか。でもまずはってことは他にも仕事をしてるでやんすよね? ところで監督は誰でやんすか?」

「保健の加藤先生だ」

「フィイイイイイイイイイイイイイバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

「うわぁ!!?」

「や、矢部くんがやんすを付けてないだと!?」

「ツッコミどころそこ!? 違うよ! いきなりテンションが上がったのにビックリだよ!」

「き、気持ち悪っ!? なんでそこまでいきなりテンションあげれてんの!?」

「加藤先生と言えばボンキュッボンで美人なあの先生でやんすよね! まずってことは他の仕事もするでやんすか? ま、まま、まさかネコミミを付けてにゃんにゃんとかいっちゃうでやんすかー!?」

「にゃんにゃん? なんだそれ?」

 

 なんだなんだ猫のおまじないか?

 まあお守りとか作ってもらうのはマネジとかの仕事だし、女の先生ならやってもいいもん……か。それにしても矢部くんがまさか験を担ぐタイプだとは思わなかったぜ。これは夏の大会前には作ってもらうべきかもな。

 

「まあそんなおまじないじゃなくて、働き掛けてもらってるんだよ」

「はたらきかけ?」

「そういう事だ。早川に新垣が選手として出場するためにな」

 

 俺が言った瞬間、二人の表情が驚愕に染まった。

 そんな驚くようなもんだっけ? 俺が言ったことって。

 

「……いい、の?」

「何いってんだ。当然だろ。むしろしてもらわないと困るっつーの、エースと正セカンドだぞ」

「あ、あおいとはバッテリーを幸子を打ち取るために組んだって聞いてるけど、私の事は知ってるの?」

「別にしらねーけど、そのグローブ見りゃ解るよ」

「グローブ?」

「ああ、しっかり使い込まれてる。何年も何年も使い込んだグローブだ。正直言ってウチの選手層は薄くなりそうだし、そんなに努力してるセカンドが居るなら喜んでレギュラーになってもらうさ。ウチの正ショートにあれだけ言って、まるでレギュラーのような口ぶりなんだから、上手いんだろうしな」

「ぐぐっ、分かったわよ!」

「うし、なぁに、三ヶ月もある、軟式でも硬式になれる時間はあるさ」

「大丈夫、ボクとあかりはシニアだったから、硬式には慣れてるよ」

「お、そうか。んじゃ後五人くらい当たりつけてる奴らがいるから、学校行って迎えに行こうぜ。ついでに加藤先生にどんな感じか聞いてみないとな」

 

 まあ加藤先生の口ぶりだとムリじゃない、みたいな言い方だったし意外と野球連盟にも女子選手を甲子園大会にーっていう要望は来ているのかもな。男女差別だなんだうるさい時代だしさ。

 

「よーし、じゃあ加藤先生のところに行こう!」

「そうでやんすね。ちゃんと確認するのは大事だと思うでやんす」

「……本当に私たちが試合に出れるかも知れないなんて……それだけで嬉しいな」

「ま、最近は女性の野球人口も増えてる。実際女子プロなんかも増えたし、社会人チームにも有名な女性選手が居たりするからな。女性だから劣ってるって考え方はおかしいって上も重々承知してんだろ。何度か検討した、って噂は加藤先生から聞いたし、ま、俺たちが悩んでも仕方ねーことだ。……うーし、んじゃ走るぞ。学校に移動だ。……掛け声はどうすっかな?」

「じゃあ、ボクが決めていい?」

「どうぞでやんす」

「うん、あおいのセンス信じてるよ」

「んじゃ早川、音頭頼むぜ」

「分かった。こほん。じゃあ……恋高ーファイ、オー!」

「おっし! 出発! ファイ、オー!」

「ファイ、オーでやんすー!」

「ファイ、オー!」

「私たちはどうすればいいの?」

「自転車です!」

「分かりましたわ」

 

 マネージャー二人は自転車で、俺たちは走りで、学校を目指す。

 つっても歩いて五分の距離。ほぼ全力疾走に近い形で走らないと練習にならない。

 途中から声かけも忘れて四人で全力で走る。

 だいたいこの距離だと中距離走くらいか。順位は矢部くん、俺、早川、新垣の順に校門に到着した。

 やっぱり矢部くんは足に関してはスペシャリストだ。瞬発力もさながらだが持久力が素晴らしい、トップスピードだけ見てみれば彼より速い選手は居るだろうが、それでも技術や維持する力も鑑みてみれば、矢部くんの走力はトップクラスだろう。

 早川はトップスピードこそ無いものの、さすが投手といった感じでなかなかの持久力があったな。新垣が問題か。内野手の割に足が遅いな。……だが、あのグローブを見るからに自分の足りないものを補うだけの練習は積んできているのだろう。それは実際のノックとかで見ることにして……。

 

「ふぅ、ふぅ、うーし、んじゃ皆、とりあえず五人を呼んどいた待ち合わせ場所に行くぞ」

「待ち合わせ?」

「ああ、一人除いて残り四人、早川の名前で呼び出しといたんだ。手紙は彩乃が書いたけど」

「え? ボクの名前? なんで?」

「なんか男子に人気あったからおぐぅっ!」

「馬鹿っ! なんで勝手に人の名前を使うのさ!! それってまるでラブレターみたいじゃないか!」

「まあいいじゃないでやんすか。ちゃんと本人がいくでやんすから」

「うー……」

「げほっげほっ、わ、悪かったよ。でも、九人いないと野球も出来ないし……」

「……わかったよ……どこ?」

「体育館裏だ」

「じゃあ、いこう」

 

 四人で連れ立って歩く。

 待ち合わせ場所に到着すると、ちゃんと五人とも揃ってくれていた。

 その中に一人、金髪の男が立っている。

 

「……来てくれたんだな。友沢」

「……お前に呼ばれればな、パワプロ」

「お前まで……まあいいか」

「ちょっとパワプロ、なんだよ?」

「そうだぞ! あおいちゃんに呼ばれたからきたのであって!」

「お前ら全員に、頼みがある」

 

 全員の言葉を遮って、俺はばっ、と頭をさげる。

 俺のいきなり行動に、此処に呼ばれた五人だけでなく、チームメートの三人、そしてマネージャーまでもが息を呑むのが解った。

 

「一緒に、野球をやってくれ」

「……野球……」

「ああ、お前ら、なんでか知らないけど野球をやめちまったんだろ。……でも、わざわざこの恋恋に入ってきたってことは、まだ野球を出来る環境を望んでる筈だ。……頼む! 明石、三輪、赤坂、石嶺、友沢!」

「……俺はいいよ~。ていうか、近いから此処に入っただけなんだ~」

「ほ、本当か三輪!」

「ああ、俺も良いぜ。中学校ではシニアやってたけど、実は野球がどうしても、って訳じゃなかったんだ。でもこの高校に入ったら無性にやりたくなってさ」

「……明石……!」

「ま、皆がいいんならやってもいいかな。あおいちゃんも居るみたいだしね」

「石嶺もいいのか……!」

「俺は此処の推薦がとれたから喜んできただけだし。野球やるのが嫌なわけじゃないぜ」

「赤坂も、ありがとう四人とも! ……友沢、お前は?」

 

 四人の同意が得られた、これでチームは八人。けど、これじゃ足りない。

 もう一人くらい誰でも、って思うかもしれないが、ダメなんだこれだけじゃ。

 このチームが勝ち抜くには、強力な主砲が必要だ。

 その主砲にたる男は、この友沢しか居ない。

 昔シニアで戦ったときはこの友沢相手に対し、どのコースを要求すればいいか分からなかった。それくらいの打撃センスがこの友沢にはある。

 だからこそ友沢は真摯にお願いしたんだ。俺からの手紙で、『一緒に野球をやってくれ。その返事を此処で受け取る』ってな。

 

「――、ふ。俺は野球はもう出来ない。肘を怪我したんだ。完治は下が、変化球を投げることは出来ない。だから野球は――」

「ちげぇ。お前はセンターにするつもりだ。友沢」

「……何?」

「お前のセンスは投手ができなくなったからって無くなるもんじゃねぇ。猪狩の外角低めのストレートを流してフェンスダイレクトにしたあの打撃は、正直に言って投手をやらせるのが勿体無いくらいだった。野球が嫌いになった訳じゃないんだろ。なら――一緒に野球やろうぜ。友沢!」

「……あの猪狩くんから、でやんすか、それなら是非とも入ってもらわないと困るでやんすねぇ」

「そうだね。もしも守備センスが良かったら私のパートナーのショートやって貰わないと」

「ちょっと待つでやんす。このイケメンがオイラに敵うはずないでやんす」

「仲間が増えるのは歓迎だよ。ボクたちと一緒に野球やろうよ! 友沢くん!」

「っつーわけだ。……頼む」

 

「……やれやれ、元から野球は続けるつもりだったさ。約束があるんでな」

 

 友沢は頭にかけたサングラスをぴし、と指で弾く。

 そうして、俺に向き直り、

 

「俺も世話になる。頼むぞ。パワプロ」

「……これで九人。うっしゃあ!」

 

 よし! 目標達成! あとは女性選手が大会に参加出来るようになれば問題ない!

 

「やったぁ!!」

「やったでやんすー!」

「これで無事試合もできそうね」

 

 思い思いの表現方法で喜ぶ早川達、なんか、頑張ったかいがあったな。

 でも、まだまだなんだよな。まだ女性選手出場の問題が残ってる。それが解決してから本当に喜ぼう。

 

「でも、まだだからな、矢部くん、新垣、七瀬。この五人をグラウンドに案内してくれ、俺と早川と彩乃は加藤先生に話を聞いて来る」

「分かったでやんす。頼むでやんすよ!」

「ああ、こっちは任せとけ」

 

 矢部くんたちと別れて、俺と早川、彩乃の三人は職員室へ向かう。

 頼むぜ、加藤先生。なんとか話をつけててくれ。

 

「失礼します」

 

 職員室に入り、とりあえず頭を下げる。

 早川と彩乃も透き通った声で俺と同じように挨拶をした。

 さて、と、加藤先生はどこだ?

 目で加藤先生をさがすと、奥のほうでブンブンと手をふっている加藤先生が眼に入る。

 二人に目配せをして、加藤先生の元に急ぐ。

 

「ちょうど良かった。大体話はまとまったわよ」

 

 茶髪に巨乳という男子学生の大好物なセクシーな加藤先生は、俺にウィンクをしながらにっこりと微笑んだ。

 やっぱり矢部くんを連れてこなくて良かった。こんな所で鼻血でも出して倒れられたら凄く困るしな。

 

「で、どうでしたか?」

「ええ、数年前から何度も同じような要請を受けていたらしくてね、認めたい旨の発言はしていたわ」

「そうなんですか! じゃあボクたちも……!」

「でも、駄目ね」

「え?」

 

 早川がぱぁっと声を華やかに弾ませたが、それを加藤先生が遮る。

 そりゃそうだよな。今までも同じような要請を受けてきて今まで認められてないんだ。そりゃ一筋縄じゃいかねーよな。

 

「結局女性選手を認めても高校の体質は変わらないわ。"女性専用の硬式野球大会は有るんだから認める意味がない"って思ってる節もあるのよ」

「そ、そんな……」

 

 早川が肩を落とす。

 ま、たしかに女子硬式野球大会っつーのはあるだろうさ。

 でも、違うんだよ。早川も新垣もただ硬式野球なら良いってんじゃない。

 

 甲子園に行きたいんだ。

 

 皆と努力して泥まみれで汗臭い毎日を過ごし、必死に歯を食いしばって白球を追う。そんな果てに立つことの出来る、甲子園という夢の舞台。そこに皆と同じように立ちたいんだ。

 それを、なんで女性ってだけで遮られなきゃいけないんだ? 諦めなきゃいけないんだ?

 もっというならその先。

 プロにも入りたいんだ。

 それって俺たちの夢となんらかわりないだろ。それなら"女性だから"ってだけでそれが遮られていい道理は無い。

 ……なら、どんな手を使ってでも認めさせてやる。

 

「……意味がない、ってことは無いってことを証明する。加藤先生」

「ん?」

「俺は難しい事分かんねぇんですけど、世論とか高校野球連盟は女性選手の参加を認めたいって感じになってるんですよね」

「ええ、そうね。というか、貴方達は知らないかも知れないけど、一時期署名を集めてる団体もいてね、数万人規模の署名が提出されたこともあるのよ。男女差別がこういう所から根付くんだっていってね。その時は高校野球大会に出たいという女性選手が実際に存在しなかったから、参考になるって程度で終わったのだけど」

「んじゃ、今度はその甲子園大会に出場したいっていう女性選手が居るって大々的に取り上げられれば認めざるを得ない、と」

「……そうね。たしかにその可能性は高いわ」

「分かりました。彩乃、七瀬に電話して新垣に変わってもらってくれるか?」

「ええ、分かりましたわ」

「早川、先に言っとく。俺が今からやろうと思ってる事は、お前と新垣をマスコミに取り上げてもらい、名門校相手に全力で戦ってる姿を取ってもらって世論を高め、高野連に認めざるを得ないって状況を作ろうとしてる。……つまり、お前らを餌に認めさせようって方法をとろうと思ってる」

 

 我ながら早川と新垣の事を考えてない最低の方法だ。

 早川と新垣が嫌だと言えばこんな方法使えない。大体この作戦には穴が多すぎる。

 まず本当にマスコミが取り上げてくれるかどうかも怪しいし、何より名門校がこんな新設一年目の、しかも数年前まで女子校だったとこの練習試合を受けてくれる可能性もめちゃくちゃ低い。

 こんな穴だらけの作戦、言うだけ馬鹿らしいと思ってる。

 

「…………うん」

「悪い。俺の出来の悪い頭じゃこんくらいしか思い浮かばない」

「ううん、そんなことない、凄くうれしいよ。ボクたちが参加出来るように必死になって考えてくれて。……やってみようよ。ボクたちが我慢すれば他の女性選手も出れるようになるかも知れないし、何よりもボクもそれをやって出れるようなるかもしれないんなら――その方法に、賭けてみたい」

「そっか」

 

 ……でも。それでも。

 やれるだけはやりたいんだ。俺も早川も。

 それでもしも上手くいかなくても、外の道が見えてくるかも知れないしな。

 

「つながりましたわ。パワプロ様」

 

 彩乃がケータイをさし出してくる。

 新垣と繋がったのか、早川には同意はもらえた。あとは新垣だ。

 

「さんきゅ。もしもし? 新垣か?」

「そうですよ。……どうしたの? わざわざ電話掛けてきて」

「よく聞け。やっぱりタダじゃ認められないみてーだ。……で、だ。ちょっと作戦を考えた。どうやら署名とかは集まってるんだが、イマイチ女性選手が本気で男性選手とチームを組んで甲子園を目指したい、って熱気が伝わってねーみたいでな。……マスコミを巻き込んで世論を高める。名門校相手に善戦してるチームのレギュラーに二人も女子選手がいれば本気さが伝わるだろ。世論もほっとかないはずだ。……けど、それをすると早川とお前がメディアに取り上げられて、変な風に扱われるかもしれない」

「あおいは? あおいはなんて言ってる?」

「……賭けてみたい、ってさ」

「私と同じ気持ちだね。頼んだよキャプテン」

「おい、キャプテンって」

「あれ? てっきりそうだと思ってたんだけど」

「それは帰ってからゆっくり決めるさ。とりあえずやってみるだけやってみる」

「うん。でも、ムリだと思うよ? まずマスコミが本当に来てくれるか分からないし、何より名門って呼ばれるトコは私たち程度のランクの部活じゃ受けてくれないでしょ。……めちゃくちゃキツイと思うよ?」

「俺もそう思う。けどまあ、足掻くだけ足掻くよ」

「頼りになるね。じゃ、私たちは練習してるから」

「OK。俺達も戻る」

 

 通話を切って彩乃にケータイを返してから、俺は加藤先生に向き直る。

 加藤先生は俺を見つめてニヤニヤしていた。なんでだ。

 

「マスコミの方は任せてくれていいわ。ツテがあるし。でも、名門校と練習試合っていうのは私にはムリね」

「そっちを担当してもらえるだけでありがたいです。早川、彩乃、戻るぞ。学校の方は俺が何とかしてみる」

「な、なんとかなるの?」

「ま、当てはないかな。でもまあ任せとけ」

 

 大丈夫なのそれー!? と突っ込む早川を俺は半笑いでスルーする。

 そのまま下駄箱で靴を履き替えてから、俺達は無言でグラウンドへと走った。

 やべー、マジでどうすっかな……、手がねぇぞ。

 

 

                     ☆

 

 

「つーわけでー、俺たちの当面の目標は名門校との練習試合に勝つことだ」

「か、勝つって!?」

「そらそうだろ。善戦如きじゃ駄目だ。叩きのめす」

「因みにどこと戦うでやんすか?」

「知らん」

「キャプテエエエン!! ま、マジでいってたの!? ボクはてっきり嘘だと!」

「ははははは」

 

 グラウンドに戻り、あったことを部員に話す。

 案の定驚きというか驚愕というかそういった反応が大半だが、友沢と新垣は対して驚いていないようだ。

 

「ま、いいんじゃない? 勝つつもりだしね私」

「やる以上はどこにも負けないさ。野球をやる以上出場出来ないという事態もゴメンだ。……パワプロ、一つ言いたいことがある」

「おう、なんだ友沢」

「その名門校に一つ、当てがある」

「マジか!?」

 

 おいおいマジかよ友沢! すげぇなお前!

 やっぱアレか、名門がデータ取りたいとか思っちゃうのかな。それくらいセンスあるし、でもまさか名門校の重い腰を一人で動かしちゃうレベルなのか。すごすぎるだろ友沢。

 

「で、その名門ってどこだ?」

「昨年甲子園に出場した県外の"栄光学院大付属高校"だ」

「栄光ってマジかよ。去年甲子園二回戦で敗退したけど一回戦で十二対十五で勝った打撃のチームだよな」

「ああ、そうだ。そこに一人俺の同級生が入った」

「へぇ、それがなんでまたこっちに来てくれるって話になるんだ?」

「……俺が野球をしていると分かれば俺を見に来る。そいつの名は久遠」

「……久遠? 久遠って……シニアの全国大会でスライダーを武器に二戦連続完全試合をした久遠ヒカルか!?」

 

 久遠ヒカル――中学校野球の全国大会で強力なスライダーを武器に二戦連続完全試合を達成した男である。

 という俺も友沢との試合では、友沢からリリーフしたあいつから三球三振を喫した。

 っつーかあの時あかつきシニアは久遠相手に三回を無四球無安打。つまりパーフェクトに抑え込まれたのだ。

 その時のスライダーは忘れもしない。こいつのスライダーは"プロで通用するかもしれない"と俺に思

 

わせる、それほどまでに圧倒的なキレを見せるスライダーだった。

 

「そうだ。奴はすでに一軍、もしくは二軍でエースクラスの評価を貰ってる筈だ。……人づてに聞いた話だが」

「……そうか。深くは……聞かねぇ方がいいか」

「……ああ、そうしてくれると助かる」

「んじゃ、栄光学院大付属高に電話して、お前が野球部に居ると言えばいいんだな」

「ああ、それで久遠は動くはず。そうすれば向こうから頼んでくるさ。向こうも――"久遠の事情"を知っているだろうからな」

「分かった。じゃあそうする。彩乃、加藤先生に連絡しといてくれるか」

「分かりましたわ」

「うし、じゃ俺達も試合する前提で練習を始めるぞ。此処に居る奴は幸運つーかマジ激運的に、全員が硬式経験者だ」

 

 マジで幸運だよな。新設の野球部なら経験者すら居ない事も覚悟しなきゃいけなかったんだろうけど、まさか一年全員で九人満たせた上に、全員が硬式経験者とは。

 

「さらにさらに幸運な事に、学校からの援助もかなり貰えてる。なんか知らんがこのグラウンドが使えることが決まってから数日足らずでピッチングマシンやミゾット製のマッスラー、スーパーノックバットまでもらえた。これで一ヶ月みっちり練習する」

「は、はい、質問!」

「認める! はい早川!」

「ポジションとかどうするの?」

「まさに今言おうと思ったところだ。ぶっちゃけるとポジションかぶりが大量にあるだろうからな。友沢に至っては元ピッチャーで他のポジ経験は無いみたいな感じだろうし。そこで今からポジションを決める」

「どうやって決めるでやんすか?」

「ちきちき☆ 第一回恋恋高校野球部身体能力測定たーいむ! イェーイ!」

「……」

「……んす」

「……結構軽いなぁ、パワプロ君」

「……」

「み、みなさん、拍手しなさい! パワプロ様はこれでも真面目にやってるのですわよ!」

 

 ちくしょう、彩乃のフォローが身に染みるぜ。

 

「こほん、んじゃま、まずはポジ聞いとくぜ。明石は?」

 

「ライトだったよ。シニアじゃそこそこ強い所で四番打ってたんだー」

「ああ、知ってる。お前は見たことあるからな、まあ基本明石はライトのままでいいか、と。んじゃ次、三輪な」

「元ファースト。あんまり上手くはないよ。肩も弱いし、左投げだし」

「左投げか。んじゃまあレフトあたりかな。赤坂は?」

「俺? 俺はファーストだった。豪打で結構有名だったんだぜ? まあ率は悪いし肩弱いしだけどな」

「んじゃまあそのままファーストで、と……最後石嶺」

「ポジションはショートだった。送球には自信あるよ」

「ショートは矢部くんに任せてるからな、送球上手いならサードだ。うし、ポジは大体決まったかな。あとは身体能力測定の後打順決めよう。んじゃやるぞ!」

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 数十分後、全員の五十メートル走や遠投が終わった。

 はぁ、俺もやらなきゃいけないとは言え、打順を考えながらやるのはツライぜ。

 

「はぁ、ひぃ、ふぅ、つ、疲れたでやんす」

「おつかれ、矢部くん」

「け、結構余裕でやんすね?」

「ん? まあな。七瀬。データを」

「は、はいっ、どうぞ! パワプロさん!」

 

 矢部くんに軽く返しつつ、七瀬から受け取ったデータを見る。

 足の速さは五十メートルなら友沢が一番か、ベース間くらいなら矢部くんが勝つんだろうけど、さすがにトップスピードは友沢には劣るからな。

 矢部くんが二位で、後は明石、俺、石嶺、赤坂、新垣、三輪、早川と続く。

 次に遠投の結果だな。さすがにこれは俺は譲れない、と思ったら友沢が一番じゃん……っつか友沢は何やらせても大概最上位に来るな、クソ、ちょっと悔しいぜ。

 友沢、俺、明石、早川、石嶺、矢部くん、新垣、三輪、赤坂の順か。こりゃ結構考えるの面倒だぞ。

 その他もろもろ、バント練習やら(これは新垣が抜群にうまかった。一五〇キロのマシンのボールを楽々いなしてバントするとかハンパない技術だろ)なにやらをやった結果……。

 

「うっしゃ! 打順もポジも決めたぞ!」

「ホントでやんすか!」

「おお、って、ボクはピッチャーで九番に決まってるんだろうけどさ」

「……打力とかは検定してない。打順まで決めていいのか」

「ま、大体感覚で解るよ、大体さ。……このポジが基本的に夏の予選の試合まで続く。勿論その前の栄光学院大付属高もこのポジションで戦う。打順は変わるかもだけどな。とりあえず栄光学院大付属高のスタメン発表するぞ!」

 

 これが現時点で考えうる最良のポジションの筈だ。これで善戦――いや、勝利しなきゃいけない。頼むぜ皆!

 

「一番、ショート矢部くん!」

「はい! でやんす!」

「二番、セカンド新垣!」

「ま、駄メガネが塁にでたら送ってあげるよ」

「三番、ライト明石!」

「おお、三番か、最強論もあるくらいだからねー、任せろー」

「四番、センター友沢!」

「ま、主軸らしくやってみせるさ」

「五番、サード石嶺!」

「ホットコーナーアンドクリーンナップ、燃えるね」

「六番、レフト三輪!」

「レフトかー、頑張るよ!」

「七番、キャッチャー俺」

「下位でいいの? 見た感じパワプロ君はクリーンアップでも打てそうなんだけど……」

「いや、キャッチャーに集中したいのもあるしな、下位に厚みも持たせたい。明石がもっと打力が弱かったら俺が三番に入ったかもしんねーけど、明石は打力ありそうだからな。石嶺とか三輪がでたら俺で返せるし」

「お褒めに預かり光栄だー」

「八番、ファースト赤坂」

「まあたしかに俺はアベレージないからな。下位で一発狙ってプレッシャーかけるぜ!」

「九番、ピッチャー早川」

「ボクは打撃はあんまりだからね。でもピッチャーは任せて!」

 

 各自しっかりを役割は認識してくれてそうだ。やっぱ経験者だと違うな。

 うし、なんか沸々と闘志が沸き上がってきたぜ!

 

「んじゃポジション別の動きに慣れるために練習をする! 始めんぞ!」

「おおっ!」

「おー! でやんす!」

「ああ」

「おーっ! 私たちの初戦、勝つぞー!」

「んじゃノックを始める! の、前に、気合入れるぜ。音頭はキャプテンらしいから俺が行くぞ。せーの、恋恋高校――ファイッ!」

 

「「「「「「「「「おー!」」」」」」」」」

 

「うっしゃ! んじゃ各自ポジションに移動しろ! ノックするぞ!」

 

 俺が大声をあげると、全員が俺の指示したポジションに移動してくれる。

 おし、んじゃまあ気合入れてかないとな。

 

「あ、あの、パワプロ様。加藤先生から連絡がありましたから、伝えておきますわ」

「お?」

 

 ノックをあげようとした瞬間、彩乃がおずおずと話しかけてくる。

 どうしたんだ? 普通に話しかければいいだろうに。

 

「なんだって?」

「先鋒からすぐ、その練習試合を受ける、との事です。日時は五月の二週で、あと、マスコミのこともOKだと」

「……意外と楽にクリアできたな」

 

「そ、そうですわね。でも、一番難しいのは善戦する、ということでは……?」

「それは言いっこナシだな。とりあえずサンキュー、彩乃。……よーし! 全員聞いてくれ! 正式に練習試合が決まった! マスコミも入るらしい! カッコ悪いエラーしないように気合入れてノックうけろ! んじゃ行くぞ! レフトォー!!」

 

 カィン! と音を響かせて、白球がレフトに飛んでいく。

 ここまで幸先良好。後の問題は、俺達の実力がどんなもんか、だ!



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第三話 "五月二週" vs栄光学院大付属高校

 土曜日。

 この一ヶ月、必死に練習に励んだ。

 赤紫のユニフォームが届いて皆でニヤニヤしたり(友沢はさっさと着替えてたけど)。

 矢部くんが女の使用時間中にシャワールームに突っ込もうとしたり。

 女の着替え中に矢部くんがロッカールームに突っ込もうとしたり。

 俺が交通事故に巻き込まれそうになるのをダイビングで助けてくれたりしたが、それはそれ、今は目先の試合に全力にならないとな。

 vs栄光学院大学付属高、の、二軍。

 二軍っつってもところどころに中学校の頃有名だった選手が居るな。

 ほとんどが一年で構成されてる。まあ、早い話が育成試合みたいなもんだ。

 その中心――左肩にバッグをかけた、銀髪の美形の少年。

 あれが、久遠ヒカル。

 俺も見た覚えがあるあの姿。恐らく栄光もめちゃくちゃ期待してるんだろうな。投壊したチームに現れたエース候補――、いきなりの学校を指定してそこと練習試合をしたい、っつーわがままを聞く位だし。

 久遠はその瞳で、友沢を捕らえる。

 わずかに目を細めて"侮蔑感"を顕にした久遠は、用意された三塁側ベンチへと歩き出した。

 

「……友沢」

「分かっている。あいつは俺に対して恨みを持ってるだけだ。試合には何の関係もない。……見てみろ、パワプロ。報道陣も集まってきた」

「ああ。だな」

 

 因みに、早川と新垣は今グラウンドには居ない。

 先に報道陣のインタビューと取材を受けているのだ。

 

「初試合にこんだけマスコミが居るとは凄いでやんすね」

「はは、そうだな。緊張するか? 矢部くん」

「全然しないでやんす。むしろスカウトにアピールするチャンスでやんすね」

 

 ビシッと矢部くんは指を立てる。

 おお、今日の矢部くんはやりそうだな。

 

「んじゃ、頼りにしてるよ」

「両チームキャプテン、ちょっと来てくれるか」

「お、審判さんに呼ばれた、んじゃいってくるわ」

「頑張るでやんす。頑張って先攻をとるでやんすよー」

「おう」

 

 矢部くんと友沢に手を振りながら、俺は審判の元へと走る。

 栄光学院付属高の方はどうやら久遠が代表らしい。久遠がこちらへ向かって走って、俺の目の前で止まった。

 

「先攻後攻を決める権利は恋恋にあるそうだね」

「……そうなのか?」

「当然でしょう。格が違いすぎるんですから。ああ、あと大事な取り決めとして、コールドは七点差以上です。それ以上点差がついて貴方達の攻撃が終わったら試合は終了ですから」

「大事、ね。……そらたしかに大事だよな。お前らが七失点してこっちが〇点に押さえて速攻終わらせないといけねぇからな!」

 

 余裕を見せていた久遠の表情が、一瞬でこわばる。

 ナメんなよ久遠。たしかに俺達は新設してまだ一ヶ月程度だけど、そうコールド勝ちを決めれるほど弱くはねーぜ。

 

「んじゃ、決めていいなら先攻貰う」

「分かりました。ではノックを行ってください」

「了解」

「……友沢さんを野球へと呼び戻したチームの実力、見せて貰いますよ」

 

 久遠はくるり、と踵を返して歩いて行った。

 ……なんなんだあいつ、友沢にやけに固執してやがるな……。

 

「ご、ごめーん! お待たせー!!」

「全くもう! インタビュー長すぎなのよっ!」

「おー、早川、新垣、大丈夫だ。……うし、んじゃノックすんぞー!」

 

 さあ、俺達の命運を握る一戦の幕開けだぜ。

 

 

 

                    ☆

 

 

 

「両校ノック終了!」

「「「「「「「「「「「「あざしたー!!」」」」」」」」」」」

 

 全員が挨拶をして、ノックが終了する。

 いよいよスタメン発表だ。

 

『先攻、恋恋高校のスターティングメンバーを発表します』

 

 うぐいす嬢の声が響き渡る。

 すげぇ、うちが借りてるグラウンド。だから結構値が張ったのかもな。

 

『一番ショート 矢部

 二番セカンド 新垣

 三番ライト 明石

 四番センター 友沢

 五番サード 石嶺

 六番レフト 三輪

 七番キャッチャー 葉波

 八番ファースト 赤坂

 九番ピッチャー 早川

 以上でございます』

 

 友沢のポジションが発表された瞬間、久遠が投球練習をやめて、ギリリとベンチに座るこちらを睨みつけた。

 ……なんだこれ? 友沢が肘を壊したって知ってんだろ。なんで投手じゃないのをそんなに怒ってるんだ?

 ベンチの中の友沢は涼しい顔をして、マイバットをタオルで磨いている。

 まあいいか。とりあえず今は勝つことが先決だ。

 

『続きまして、栄光学院大付属高校のスターティングメンバーを発表いたします。

 一番センター 大橋

 二番ファースト 横田

 三番サード 鈴木

 四番ピッチャー 久遠

 五番レフト 小笠原

 六番ライト 藤川

 七番ショート 渡久地

 八番キャッチャー 荒木

 九番セカンド 岡田

 以上でございます』

 

 うぐいす嬢に呼ばれて、カメラのフラッシュが焚かれる。

 既に栄光学院付属高のナインは守備位置についていた。

 パァンッ! と久遠から放たれるボールが、凄まじい音を響かせてミットに収まった。

 もう既に球速は百四十キロ前後くらい出てるかもしれない。とんでもない同級生だなこりゃ。そりゃぁ監督もある程度のわがままなら聞いちまうぜ。

 

「うーし、んじゃ円陣組むぞ」

 

 それでも、やる。

 絶対に勝つつもりでやる。そうしないと早川も新垣も試合に出れねぇし、野球部の一年目から大会出場っつーのもご破算だ。

 

「さて、いよいよ俺らの初戦だ。――ぜってぇ勝つぞ!!」

「うんっ!」

「やんすっ!」

「そうだね!」

「ああ、勝つ!」

「恋高、ファイ!」

「「「「「「「オ!ー」」」」」」

「うっしゃぁ! 矢部くん! まずは出塁頼んだ!」

「任せるでやんす!」

 

 

 かぽっ、とヘルメットをかぶって、矢部くんは打席へと立つ。

 マウンドでは投球練習をやめた久遠が帽子をかぶり直しながらボールを受け取った。

 

「バッターは一番、矢部」

「プレイボール!」

 

 

 審判が高々と宣言する。

 それと同時に、久遠は振りかぶった。

 そして――まるで閃光。

 オーバースローの凄まじい腕の振りから放たれた直球は、凄まじい勢いでミットに収まった。

 

「トーライックッ!」

「……ッ」

 

 矢部くんが絶句して動けない。

 コースは恐らくアウトロー。あそこに百三十キロ以上の球をきっちり決められたら、今の俺達じゃ打てないぞ。

 ボールを素早く受け取って、久遠は再び振りかぶる。

 ズドンッ! と今度はインハイへの直球が放たれた。

 

「ストラックツー!!」

 

 矢部くんも今度はバットを振るが当たらない。初回からマックスのスピードで来てる。こいつは……やばい、な。

 久遠が素早いテンポで振りかぶる。

 そして、ストレートと全く同じ腕の振りで放たれた次のボールは――スライダー。

 

「トーライッ! バッターアウトォ!」

 

 矢部くんの手元で横に磁石で引き寄せられたように横に滑った。

 このスライダーは当たらない。中学校時代からかわりなく――いや、それ以上に進化したスライダー。

 これは予想以上に手こずりそうだぜ。

 

「すまんでやんす。ストレートは凄い威力があるでやんすよ。追い込まれたらスライダーには手がでないでやんす」

「最初から期待してないよーだ。データは有効活用させていただきまーす」

『バッターは二番、新垣あかりさん』

 

 新垣がバッターボックスにたった瞬間、凄まじい勢いでフラッシュが焚かれる。

 だが、それを意に介す事無く新垣はスムーズにバットを構えた。

 バットは高く。パワーが無いためレベルスイングと呼ばれる、上からバットの重さを利用して叩きつけるフォーム。

 

 わずかに腕でリズムをとりながら、新垣はしっかりと久遠から目を離さない。

 ビュッ、と久遠からボールが放たれる。

 それに合わせて新垣はバットを初球から振った。

 ――ギンッ!!

 鈍い音を響かせて、ボールが弱々しいフライになってバックネットへぽすんと当たって地面に落ちる。

 いいタイミングで反応したが、やはり久遠の直球に遅れ気味だ。前には飛びそうにない。

 

「ふっ!!」

 

 ガィンッ! と二球目もまともに飛ばない。ファーストへのボテボテのファウルゴロだ。

 これであっという間に追い込まれる。矢部くんと合わせて五球……粘ることすら出来ないほどとんでもなく良い球がきてんだな。

 三球目、久遠が振りかぶる。

 恐らく矢部くんの時と同じリード。

 スライダーで来るだろう。新垣もそれを分かっているはずだ。

 ブォッ、と放たれたボールは予想通りスライダー。

 なんとか新垣も崩されながらついていこうとするが、当てるのが精一杯だった。

 ふわり、と浮かんだ打球を、ファーストが前進してキャッチしてアウト。これでツーアウトだ。

 やばいな。今日の久遠の出来からすると、取れて一点か。

 

「バッター三番、明石くん」

 

 明石が呼ばれてバッターボックスに立つ。

 ネクストには友沢が座った。

 こりゃ、チーム全体で攻略していかないと無理かもしんねぇな。作戦を考ないといけないが、今は防具の準備をしねーと……。

 防具を俺が持った途端、快音が響く。

 バッとグラウンドを見ると、明石がファーストベースへ走るところだった。

 外野を見る。

 外野ではフェンスでバウンドしたボールをライトが捕球し、ショートへ素早く返球したがそこまで、明石はセカンドベースに滑り込んだ。

 ツーアウト二塁、ここで四番友沢だ。

 にしても明石すげぇな。強豪校の誘いもあったろうに、本当に断ってくれてありがとうだぜ。

 

「ないばっちー!!」

「ナイスバッチンでやんすー!」

 

 ベンチで矢部くんと早川が声をあげると明石はぐっとガッツポーズをする。

 

「七瀬、今どのコースの球打った?」

「えと、明石くんはど真ん中のストレートです。甘く来たところを明石くんが上手く引っ張ってました」

「さんきゅ」

 

 甘い球、か。クリーンアップに入って緊張したのかもな。

 おっと、友沢の打席か、俺も声かけとかねーと。

 

「バッター四番、友沢くん」

「友沢っ! 打つでやんす!」

「先制点頼むぜ四番!」

 

 軽く手を上げて答えて、友沢は左打席に立つ。

 友沢は両うちだ。相手に合わせてバッターボックスを変える。

 そんな友沢の様子を見て、久遠の顔色が変わっていた。

 あるのは――畏れ。

 友沢の実力を知っていて尚それを認めたくないが認めざるを得ない。それが嫌でしょうがない。そんな表情。

 その表情のまま久遠が振りかぶる。

 配球を変えてきたのか、初球に投げられたのは久遠の得意球である――スライダー。

 だが、そのボールはまるで友沢に打ってくれと言わんばかりにど真ん中へと変化した。

 

 ガッカァンッ!!!

 

 それを、友沢は見逃さない。

 フルスイングしたバットで捉えたボールは凄まじいライナーでフェンスを超えて、マスコミが大挙する芝生でバウンドした。

 

「ツーランホームランッ!」

 

 ワァッ! とベンチが盛り上がる。

 マジかよ。あんだけ手こずると思っていた久遠が明石のツーベースから崩れた!

 この二点は大きい。流れが一気にこっちに来るぜ。

 ……にしても、加藤先生すげぇな、あんだけのマスコミの数どうやって集めたんだよ。

 ふと外野の芝生を見てみればビデオカメラやマイクを持った人々がうじゃうじゃ居る。……これで善戦すれば、間違いなく色んな人達に早川や新垣が頑張ってる姿が届く筈。そうすれば、たぶん円滑に女性選手の参加が認められる筈だ。

 

「明石、友沢ナイバッチ。すげぇな」

「いや、なんかいきなり甘い球が来てさー」

「ああ、甘いスライダーだ。アレを打てなきゃ四番じゃない」

「さいですか。……っとに、頼りになるぜ二人とも」

 

 そうこう話してる間に、石嶺がすたすたと戻ってくる。

 ワリィ石嶺、見てなかった。ボールをピッチャーがその場に置いてベンチに戻る当たり見てると多分ピッチャーフライだったんだろうけど。

 

「ごめん、まともに飛ばなかったよ。明石と友沢が初球から言ってたから、俺にも甘い球来るかと思ったけど」

「仕方ねー。そうそう甘い球投げてくれる投手じゃねーんだろ」

「うん、俺も高校入ったばかりだし他の投手は見たことがないけど、あれは一年からエースになってもおかしくないと思うよ。スライダーのキレなんかゲームみたいだもん」

「俺の打席が楽しみだ。…………うし、んじゃ次はこっちの守りだ! 早川、準備良いか」

 

 俺は防具をつけ終えて早川の方を向く。

 早川はこくん、と無言で頷いて大きく深呼吸をした。

 緊張しているみたいだな。いきなりインタビュー受けた上にこんだけマスコミが居る中で、高校デビュー登板が名門校相手ってなればこうなるのも当然か。 

 けど、緊張してもらっちゃ困るぜ。

 恐らく此処に居る奴らは全員が全員、高木幸子以上に打てる奴らだ。少し甘く入っただけで二点くらい簡単にひっくり返されるかも知れない――って考えてるのかも知れないけど、それ以上に緊張していつもの早川の投球が出来ない方が怖い。

 ……つっても、怖いのも緊張しちまうのも仕方ないか。此処は俺がフォローしてやんねーとな。

 

「……お前は投げることだけ考えろよ。早川」

「……え?」

「ほかは全部やってやる。だからお前は、ごちゃごちゃ考えずに目の前の奴にベストボールを投げ込むことだけ考えればいい。抑えれるように俺がする。んでもって、お前の実力なら絶対に抑えきれる。で、さ。抑えきって――行こうぜ。甲子園」

 

 言いながら俺はぽん、と早川の頭に手を置く。

 そんな俺たちを見ながら矢部くんや新垣は頷き、友沢は鼻を鳴らしてグラウンドを見つめた。

 そして早川は顔をかぁぁとゆでダコのように真っ赤にして、

 

「ぅん……」

 

 と小さな声で少しだけ頷いた。

 よし、んじゃ行きますか。

 ――恋恋高校野球部のエースのお披露目だぜ。

 一ヶ月の間に新しい変化球を覚えさせたりはしない。ひたすらにストレートのキレとカーブ、シンカーを磨いた。

 投球練習はストレートカーブシンカーを三球ずつ、合計で九球だ。

 一球一球を丁寧に投げる早川。その姿をざわつきながら『女性投手か』とか『アンダースローか』とか言いながらざわつくスタンド。

 上等。うちのエースの抑えっぷりを見て驚けよ!

 

「ボールバック! ショート送球するぞ!」

 

 おうでやんす! と矢部くんの答えを聞いてから、最後の早川の投球練習が行われる。

 その球を捕球し、俺は素早くセカンドベースへと送球した。

 矢部くんの構えた位置にしっかりと送球し、矢部くんはタッチの動作をして見せる。

 それと同時に、おぉーとスタンドがざわついた。 

 スローイングにゃ自信があるからな。仮にランナー出してもこのデモンストレーションでビビってくれりゃ儲けもんだが、そんなことはねぇんだろうな。

 

『バッター一番、大橋くん』

 

 うぐいす嬢の声が響いて、大橋と呼ばれた男が左打席に立つ。

 タッパがデカイが一番つーことは普通に考えるなら足がありそうだが、実際はどうかデータがないから分からないな。

 

(まあいい、"第三の球種(インハイのストレート)"は取っておくとして、一巡目はストレートを軸に据えてリードする。行くぞ。一球目はストレート、アウトローにビシっと決めてくれ。制球が良いって印象を一回り目で審判とバッターに付ける)

 

 こくん、と早川が頷いて、いつもどおりの美しいフォームで投げ込んでくる。

 大橋はそれに合わせて一二の三のタイミングでフルスイングしてきたが、バットにボールはあたらな

 

い。

 ボールは寸分の狂い無く俺の構えた通りの場所に収まった。

 

「トーライク!」

「ナイボッ!」

「うんっ」

 

 ボールを返すと、早川はにっこりと笑う。

 余裕あるな。緊張もほぐれているみたいだし調子も良さそうだ。

 投球練習と一球目受けた感じもない。これを生かさないとな。

 

(さて、一球目からいきなりフルスイングしてきやがったな。一番の役割は球をよく見て後に特徴を伝えたりすることだ。こいつはまだ一年だし、チーム方針として初球から好球必打のチームカラーだからな)

 

 じろじろと大橋の様子をみる。

 初球から空ぶった事でひるんだ様子は全くない。まあ早川の球速はマックスが一一〇キロちょいだからな。この程度の球の速さなら見ることもないと思ってるんだろう。

 

(いきなりツーランでこっちが二点先制したからな。ここは長打を打っておきたいのかもしれねぇな。インは使わない。もう一球同じとこにストレート)

 

 頷いた早川が投球する。

 ドンピシャで同じコース。

 さすが早川だ。

 だが今度は大橋も逃さない。振られたバットはギャキンッ! と音を立ててボールを三塁へと飛ばす。

 しかしボテボテのゴロとなって、サードの石嶺の正面へと飛ぶ。

 石嶺はそれを上手く捕球して、ファーストに送球した。

 

「アウトォ!」

 

 一塁塁審がアウトのコールをする。

 良し、二球で打ち取った。上々だぜ。

 

『バッター二番、横田くん』

 

 横田も左打席に立つ。

 こいつは確かシニアの頃全国大会で対戦した機会があったはずだ。色んなバッティングができるから二番に入ってんだな。俺と猪狩がやってた頃は確か三番を打ってた筈。

 スタンスはオープン気味に構えていかにも飛ばすって感じだが、コイツは確か右打ちがうまかったはずだ。

 

(インをせめて打たせて取る。インローにシンカーだ。チーム方針的に初球の甘い球を打てって感じだろう。早川を舐めて、な。……見てな。三回終わった頃にパーフェクトで凍りつかせてやるからよ)

 

 サインを受け取って、素早く早川が投げ込む。

 

「ぐっ!?」

 

 投げられたボールを、横田は待ってましたとばかりにフルスイングするが、手元でグンッとボールが落ちた。

 ゴキンッ、とバットの下っ面でボールが叩かれる。

 打球はホームベースの少し向こうでバウンドするが、バウンド自体は低い上に遅い。

 ボールに素早く反応し、ファースト赤坂がボールをキャッチした。

 すぐさま反転する。

 その先には既にファーストベースカバーに向かっている早川。

 

「ファースト!」

 

 俺が指刺して指示すると、赤坂はぴゅっ! とトスをする。

 それをグローブでキャッチして、早川はとんっとベースを踏んだ。

 

「アウトッ!」

 

 完璧なプレーだ。一ヶ月みっちり練習した成果がしっかり出てるな!

 

「オーケーオーケー! ツーダン!」

 

 三球でツーアウト。向こうも戸惑った顔をしてやがるな。予定では今頃ランナー二人か一人で一点取ってる予定だったんだろ。

 けど、問題はこのクリーンアップだ。鈴木と久遠、小笠原……ここら辺は全国大会で主軸を張ってた奴らだからな。此処は全力で抑えるぞ。まだ温存する球はあるけどな。

 

『バッター三番、鈴木くん』

 

 右打席に鈴木が立つ。

 打ちそうな事この上ない。恐らくこの中じゃ打力は一番だろう。

 が、四番じゃないっつーことは弱点があるってことだな。久遠よりミートがヘタって所が妥当か。

 

(そんなら最初から変化球中心に行く。シンカーを外角から落とす)

 

 早川が頷いて、すぐさま投球動作に入る。

 放たれたボールは再びシンカー。狙ったところよりわずかに内角に入ったがコースは相変わらず厳しい。そして手元で変化する。

 ゴカッ! と打ち上げたボールは真後ろへのファウルフライ。俺が取れる!

 勢い良く立ち上がってマスクを外し突っ走った。

 バックネット手前一メートル程まで走り、ミットを上へと向ける。

 そして、そのまま力無く落ちてくる打球をしっかりと捕球した。

 

「アウッ! チェンジ!」

「おっしゃ! ナイスボー!」

「ナイスリードパワプロ君!」

「お前の球がいいんだよ! 五球でサクサク終わりだぜ!」

「えへ、ありがとっ!」

 

 嬉しそうに笑ってはねるようにして早川はベンチに戻る。

 よし、やっぱり早川の投球は栄光学院付属高組にも通用するぜ!

 一ヶ月しっかり練習しただけなのにここまでの投球が出来るのなら、本戦までにはきっともっと通用する投球が出来る様になるはずだ!

 

「うし、じゃ、次の回は俺の打順か。三輪! 頼むぜ!」

「任せろ!」

 

 一回終わって2-0。得点の後にすぐ失点はしなかった。これは大きいぞ。

 

『バッター六番、三輪くん』

「おっしゃこぉい!」

 

 気合を入れて、三輪が打席に入って構える。

 俺はネクストに移動だ。……さて、久遠の奴は立ち直っちまったかな。

 ドンッ!

 ビシッ!

 ズバーン!!

 

「バッターアウッ!」

「く、くそっ……!」

 

 どうやら立ち直っちまったみたいだな。ストレートスライダーストレートの三球で当てるのが上手い三輪があっという間に血祭りかよ。明石と友沢に任せっぱなしはゴメンだぜ。

 

『バッター七番、葉波くん』

「パワプロくん! 打ってー!」

「打つでやんすよパワプロくーん!」

「打てー! キャプテーン!」

「ええい! うるせーなっ!」

 

 もうパワプロじゃねぇってツッコむのもめんどいぞおい!

 

「宜しくおねがいしゃす」

 

 ヘルメットを外し、お辞儀をして打席に入る。

 さて、打席で久遠を見るのは始めてだな。どんな球投げるんだ?

 一球目はしっかり見るぞ。

 久遠が振りかぶる。

 勢い良く腕を振り、投げられたボールは低めに投げられる。

 次の瞬間、ドスンッ! とボールがミットに突き刺さった。

 

「ストラーイクッ!」

 

 マジか。速いな……その上手元で伸びる感じがしやがるぞ。

 球速表示はないが多分、一四〇キロくらいは出ているだろうなこれ、くそ。猪狩の球を取ってたとは言えこれじゃ甘いところに来ないと手も足も出ないぞ。

 球速自体は一五〇キロのマシン打ち込みをやってきたからついていけるが、それでも生きた一四〇キロの球が低めに決まったら手がでねぇって。

 つーか、一年でこの制球力とストレートのスピード、スライダーは高校同士で争奪戦が行われたくらいのレベルじゃねーかよ。

 

(って、そんな事考えてる場合じゃねぇ。集中しねーと。ストレートか、さっき三輪にはストレートスライダーストレートだったよな。一回は友沢以外にはストレートストレートスライダーのリードで通した。……つーことは、この回はストレートスライダーストレートかな。うし、スライダーにヤマはる)

 

 構えて球を待つ。

 久遠はぐっと構えて腕を振るった。

 外ベルト高、スライダーだ振れ!

 ビュッ! と音を響かせるがバットにボールは当たらない。

 あざ笑うかのようにバットを避けたスライダーはそのままキャッチャーのミットに収まる。

 

「ストラックツー!」

 

 くそ、読み通りに来たから飛びついたらボール球かよ。これで2-0、遊び球は無いだろう。ストレート一本に絞って……。

 ヒュボッ! と久遠が三球目を投げる。

 インハイに来た球、球種は読み通りだ。

 が、当たらないっ……!

 バシンッ! と高めの球をキャッチャーが中腰で捕球した。

 

「トラックバッターアウトッ!」

 

 まじーぜ。外スラと今の高めに外れたのは二球ともボール球だ。しかも最後のはミットに収まってから振っちまった。

 ……くそ、思ったより球威あるな、こりゃ攻略法を考えてやらなきゃヤバイぞ。

 

「わり、当たんなかった」

「どんまいでやんす。久遠くんのストレートハンパないでやんすねぇ」

「うーん、私も当てるのが精一杯だったよ」

「当たるだけ立派だろ。ミートセンスあるな新垣」

 

 防具を付けてる間に赤坂がアウトになったらしく、審判からチェンジの指示が下る。

 この甲斐は三者凡退、次のバッターは早川からだ。一人でも塁に出れば矢部くんからだったんだが、ちくしょう、この失敗は守備で取り返す。

 

「おーし、しまってくぞ!」

「「「「「「「「おおー!」」」」」」」

『バッター四番、久遠くん』

 

 久遠が打席に入り、構える。

 中学校であたったときはショートと投手を兼任してたからな。打撃のセンスはいい方だ。友沢には劣るがショートでも栄光学院大付属高でレギュラーを取れるセンスは持ってるぜ。

 

(ストレートから入る。センスがあるっつっても投手だ。早川のインローをヒットにはできねーはず)

 

 俺のサインに頷いて、早川が投げた。

 コントロールされたボールは俺のミットの位置どおりに投げられる。

 

「ボールッ!」

 

 しかしわずかに外れたらしい。掠ってたんだがな……この審判、外には広い分内には狭いみたいだ。覚えとかねーと。

 

(これで0-1、ボールツーにはしたくない、ストレートを読み打ちされたら嫌だからな。今度はシンカーでストライクを取ろう。真ん中から低めに落とす)

 

 サインをだした俺に、早川はふるふると首を振る。

 ストレートを使った後だが、たしかに四番相手に甘く入ると痛打されるかもしれないな。今は四番だし、此処はストレートを使ったほうが安全だ。

 

(なら、ストレートを外角低めに。外は広いからな、このコースだ)

 

 ぎりぎりに構えると、早川もこくんと頷いた。

 相手は四番だからな此処は油断しないで行こう。

 早川が上体を沈めてリリースする。

 しっかりと指に掛かった良いボールだ。狙いすましたそれがアウトローへ決まる。

 その球を、久遠が踏み込んで流し打った。

 

「っ!」

 

 球に力はない。しかしふらふらと上がった打球はそのままレフトの前にポテンと落ちた。

 思い切って踏み込んできやがった。投手の打撃じゃない……悪い早川、インに投げりゃアウトだったな。

 俺が軽く手を振ると、早川は分かってるよとばかりに頷いた。動揺はしてないみたいだな。良かった。

 

『バッター五番、小笠原くん』

 

 ノーアウト一塁……此処で長打は打たれたくないが、逆打たせてとればゲッツーだ。此処は無論併殺を狙う。

 

(インにシンカー落とす。カーブと"第三の球種(インハイのストレート)"は使えないからな。さっさと打ち取る!)

 

 今度はシンカーのサインに頷いてくれた。よし、来い。

 早川がクイックで球を投げようとしたと同時、ファーストランナーの久遠が走りだした!

 なんで! ピッチャーだろ!? なんでスタートすんだよっ!?

 俺が慌てて立ちあがりながら捕球しようとした瞬間、小笠原もシンカー打って出る。ランエンドヒットか!

 小笠原が打った打球はセカンドのベースカバーに行きかけた矢部くんの反対側を高速で抜けていく。

 やべぇ。あのコースは左中間を抜く!!

 

「友沢! ホーム!」

 

 友沢が捕球し、ホームへと強烈な返球を返してくる。

 それと同時に久遠がこちらへと突っ込んできた。投手の割に足が速ぇ! ブロック……間に合わねぇっ!

 

「セーフッ!!」

「チッ!!」

 

 タッチも出来ず、俺は慌ててサードに送球する。

 小笠原はサードには到達出来ずにセカンドに戻るが、それでも一点返されて、ノーアウト二塁……大ピンチだ。二塁ランナーが帰れば同点になる。

 今のは俺の完全な選択ミスだ。勝手に投手にエンドランが無いと決めつけて……ちくしょう。早川を引っ張るっつっといてこのザマかよ。

 

「わりぃ、早川!」

「だ、大丈夫だよっ!」

 

 ランナーが二塁に居る場面で温存もクソもない。もう"第三の球種(インハイのストレート)"もカーブも使ってくぞ。

 

『バッター六番、藤川くん』

 

 藤川のデータは無い。左打者か……それでも、初見でカーブと"第三の球種"は打てない筈だ。

 

(なるべく三振させたい、初球はカーブだ。その後緩急使ってストレートをアウトローに決めた後、"第三の球種(インハイのストレート)"で空振りを取る! 三球三振ならペースをつかみ直せるはずだ!)

 

 早川が頷く。

 おもいっきり腕を振って投げられるカーブ。

 そのボールは打者の手前で変化しワンバンになった。だが相手もその腕の振りに騙されてバットをだして主審にスイングの判定を貰っている。危うくワイルドピッチになるところだが、逆にこれくらい変化したほうが危険は少ない。相変わらずキレもいいし大丈夫だ。

 

(これで1-0、予定通りアウトロー行くぞ)

 

 アウトローにストレート、そのサインに早川はコクリと頷いた。

 よし、来い早川!

 早川が腕をしならせて、投げる。

 

「っ、甘っ……!」

 

 構えたコースとは全く違う。ほぼど真ん中と言っていいコースにストレートが投げられる。

 それを見逃してくれる程――目の前の打者は甘くない。

 バットが振りぬかれる。

 ッキィンッ!! という轟音。

 打球は凄まじい速度でライト線を切り裂いていく。

 

(くっそっ……!!)

 

 マスクを外してボールを目で追う。

 明石がライト線から右へと切れていくボールを必死で追いかけるが、クロスプレーにすらなりもしない。

 小笠原がホームへ帰る。打った藤川もゆうゆうと三塁へ到達する。

 同点タイムリースリーベース……、甘くなった球を完璧に打たれた。

 ストレートのコントロールを早川がミスするなんて、一体……? ……待てよ。

 早川はカーブだってコントロールはそれなりにいい、緊張とか力みでバウンドするボールになることは有るが、今日は調子が良かったはずだ。通常の状態ならあんなボールを投げる訳がない。

 ……っつーことは、早川、動揺してたのか?

 良く考えろ。そんな動揺するようなこと、なんて……。

 ……久遠への打席か? 俺のサインに首振った次の球でヒットを打たれた上に、そのランナーが生還したから責任を感じてコントロールを乱したのか。

 

「…………っ、馬鹿か俺は」

 

 なんであのタイミングで早川の所に行ってやらなかったんだ。ちくしょうっ!

 

『バッター七番、渡久地』

 

 今でも遅くねぇ。ちゃんと声掛けよう。立て直せば早川はこいつらにも通用するんだから。

 

「早川」

「っ、ぁ……ご、めん、パワプロくん……ぼ、ボク、も、もう甘いところには投げないから、だから、だからっ……」

 

 どうして、だ?

 どうしてお前、そんな怯えた目してんだよ。

 どうして目を下に向けて俺と目を合わせないんだよ。

 どうして――もっと俺を責めないんだよ。

 ……ちくしょう。

 猪狩ならここで俺を怒鳴りつけた筈だ。もっと速く間を取れとか言って。

 それはむかつくけど、俺を信頼してるからこそ怒ってくれたと分かってる。

 もっと自分を上手く活かしてくれって感情が伝わって来て、腹がたつ反面本当に申し訳なくて、それを反省して上手くなろうと思えて、そのおかげで俺はレギュラーになれて。

 それが信頼ってもんなんだ。お互いを信用してお互いの悪いところを伝え合い修正し、お互いのいい所を伸ばして活かす。それが本当のバッテリー。

 けど、そんなことを早川はしない。……いや、出来ないんだ。

 早川が俺を信頼する以上に俺が早川を信頼してないと思われているから。

 怖いんだ。『女だから使えない、もうピッチャーを交代しよう』と思われるのが。この試合をもう諦めようと言われるのが。

 そんなこと言うわけねぇのに、早川の心の中に有るトラウマが早川を縛って離さないんだ。

 だったら俺は今早川に何してやれるんだ。

 今目の前に居る弱々しく俯く女の子に俺は何をしてやれる?

 今目の前に居る俺の投手に俺は何をしてやれる?

 ――そんなの、決まってるじゃねぇか。

 

「悪かった」

「……ぇ?」

 

 言って、俺は早川の右手を右手で握る。

 指の間に指を入れる、所謂恋人繋ぎってやつだ。恋人じゃないけどな。

 

「ちょ、えっ、ええっ!? ぱ、ぱ、パワプロくん!?」

「いいからこっち見ろ!」

「ひぇあっ、は、はいぃっ」

「今のは俺の配球ミスだ! お前が気にすることねぇ!」

「えっ……で、でも、首振ったの、ボクだし……」

「その後の球を要求したのは俺だ。その後のシンカーも俺が相手をなめたから打たれた。んで、今の同点タイムリーは俺が間を取らなかったからお前の球が甘くなったんだ。気にすることねぇよ!」

「……っ!」

「今のは俺が悪い。打たれると思ったらもっと首を振ってくれていいんだ。約束したろ! 投げる以外は全部やってやるって! 今の俺の考えで打たれるんだったら二倍考える。だから、もっと俺を信頼してくれ!」

「……!!」

 

 俺が大声で言うと早川は顔を真赤にした後、ぽかんとした表情になり最後には驚いたような表情をした。

 よし、俺の方を見てくれたな。

 

「そのかわり、もうお前は動揺すんな。お前が打たれた責任は全部俺にある。だからお前は俺に全部責任擦り付けてこの右腕をめいっぱい振って俺の構えた場所に投げてこい!」

「わ、分かったっ、……わ、分かったから、右手離して……」

「? おう」

 

 ぱっとつなぐのを辞めて離すと、早川は真っ赤な顔を右手でぬぐいながら、ふぅと息を吐く。

 落ち着いたみたいだな、よし。

 

「ノーアウト三塁だ。勝ち越されてもいいぞ?」

「その時はキミのせいにするよ」

「うし。初球はストレートな」

 

 カチャカチャと音を立てて、俺はキャッチャーズサークルに戻る。

 

「彼女の手、柔らかかったか?」

「あ? 彼女じゃねーよ。……固かったぜ。今まで握った誰の手よりもな」

 

 いって、俺はアウトローにミットを構える。

 さあ来い早川。お前の本当の球を見せてやれ!

 アンダーハンドから放たれる最高のボール。

 渡久地は初球狙いでおもいっきりバットを振って来る。しかし芯には捉えられない。

 ファーストへ向かって弾んだボールを、赤坂がしっかりキャッチする。

 その間にサードランナーが突っ込んできた。

 ここは無理する場面じゃないかもしれない。ファーストアウトにしてランナー無しにするのが正解かもな。

 ――でも、俺のミスで早川に自責点三点目をつけてたまるかよ!

 

「バックホーム!」

「な、何ッ!?」

 

 慌ててサードランナーの藤川が速度を早める。

 俺の声を聞いて、赤坂は素早く俺に送球した。

 たしかに赤坂は弱肩だが、打球は早めだった。俺が上手くブロックすれば刺せる!

 赤坂から投げられたボールが俺へと一直線に放たれる。

 それと同時、藤川がスライディングで突っ込んできた。

 左足でホームベースを覆い隠すブロック。それを退かそうと凄まじい勢いで藤川はレガースにスパイクを突っ込んだ。

 それに僅かな痛みを覚えながらも必死でホームタッチは阻止する。それと同時に赤坂からの送球をミットで受け止めて俺は藤川の足にタッチした。

 

「どうだっ!?」

「せ、セーフだ!」

「……アウトォォッ!!」

 

 ワァッ、と外野のカメラマン達が歓声を上げる。

 レベルの高いクロスプレーをここで見られるとは思ってなかったのか、かなり盛り上がってるな。

 にしても、ふぅ、良かったぜ。自責が付かなくてよ。

 

「ワンアウト!!」

「おおー!」

 

 俺が高々と宣言すると、早川がおさげをぴょこぴょこさせながら嬉しそうに微笑む。

 それだけで、このプレーをアウトにできてよかったという想いが沸々と湧いてくる。

 うし、次のバッターは八番の荒木だ。慎重にせめてゲッツーを取るぞ。

 

(初球はインローストレート)

 

 構えたところに、早川は素早く投げ込む。

 

「ボーッ!」

 

 ち、ボールか。

 

(だがまあボール判定されたが良い。次は同じ所にシンカーを落とす。今度はベルト高わずかに低めと

 

見せかけてドロンと落ちる球だ。高木幸子にも通用しただろ。……来い!)

 

 早川が力強く頷く。

 鋭い踏み込みから腕が振るわれ、放たれるその一投。

 それは今までと似て非なる球だった。

 

(ストレート!? こんな所で失投はまずい!)

 

 要求はインベルト高の僅か下、ストレートなら痛打必須だ。

 案の定荒木は待ってましたとばかりにバットを振るう。

 その瞬間。

 

 ボールはそのまま変化した。

 

 ギンッ、と鈍い音を響かせて、ボールはショートへと飛ぶ。

 一瞬止まった思考を動かして、ボールの行方を俺は追った。

 そのボールを矢部くんはスムーズにキャッチし、セカンドへとトスをした。

 

「アウト!!」

 

 受け取った新垣はそのままファーストへと送球する。

 

「アウト! チェンジ!!」

 

 ダブルプレー。今考えうる最良の結果だ。これで三回表が終わって、

 早川が視線の先でガッツポーズをするのを、俺は呆然と見つめる。

 今の球……ストレートと同じくらいの速度で落ちたシンカーだ。

 間違いない。早川はシンカーを投げたんだ。けど、それが何らかの原因でいつもの抜いて投げるシンカーではなく、ストレートにリリースが近い……回転数が控えめで落ちが少ない代わりにスピードのあるシンカーになったんだ。

 

「高速シンカー、か」

 

 立ち上がり、マスクを持ってベンチに帰りながらつぶやく。

 今の球をもし自由自在に使えるようになったら投球の幅が大きく広がるぞ。

 

「早川、今の球どうやって……」

「あ、あう、ごめんパワプロくん、ボク打席で……」

「っ、そうか。なら一つだけ答えてくれ。……今の球は意図して投げたのか?」

「……うん、シンカーもストレートと同じで二本指で投げれば甘くならないかと思って。あの時はもうそれで頭がいっぱいで。そしたらストレートみたいな速度だからびっくりしたけど、ちゃんと落ちてくれて良かったよ」

「そうか、なるほど……シンカーは人差し指を立てて投げるが、高速シンカーは人差し指をボールの縫い目にかけて投げる。ストレートと同じ感覚で投げたから高速シンカーになったのか」

「? よく分からないけど……」

「ああ、いや、……新しいサイン決めないとな、と思ってさ」

「あたらしいサイン?」

「ああ、お前の新しい変化球の名前をな」

 

 俺がニヤリと笑うと早川はやっと意味を理解して、ぱぁっと表情を明るくした。

 うし、モチベーションも上がったし、ここらで勝ち越すぞ!

 

「皆ワリィ、俺の配球ミスのせいで同点になっちまった」

「ふふ、やっぱりそうでやんしたか」

「だよね。あの時ストレート連発は危ないと思ったよ」

「……まだまだ甘いな、パワプロ」

「オメーら元気だな。そんだけ元気なら得点取れよ」

「ごめんなさいでやんす」

「あおいー! 頑張るのよー!」

「打て」

「お前ら……」

 

 そうこう言っている間に、ぶるんっ、と早川が勢い良く三振して小走りにこっちに戻ってくる。

 ワンアウトか。投手からの打順だったからな、これは想定内だが……。

 

「ごめん。久遠くんのストレートってすごい速いね。手も足も出ないや……」

「ああ、仕方ねー。ありゃ俺でも手が出ないからな」

 

 キャッチャーの防具を外さないままベンチに座ってパワリンを飲む俺の隣に、早川がちょこんと座る。

 なんだか可愛らしくて、思わず俺は微笑んでしまった。

 

「な、何?」

 

 むー、と頬をふくらして、早川が俺を軽く睨む。

 

「いや、なんでもない。んじゃサイン決めるか。このサインが高速シンカーだ。覚えやすいだろ?」

「うん、シンカーのサインに人差し指一本足しただけだもんね」

「ああ。頼りになるぜ、試合中に成長してくれるエースさん」

「……キミのおかげだよ。……ね、パワプロくん。どうしてキミってそんなに優しくて、そんなに……」

「ん?」

 

 早川がなにか言いたそうにもじもじしている。

 何だろう? ここは聞いたほうがいいのか?

 話しかけようとしたところで、快音が響き渡る。

 あ、そうだ、今は矢部くんの打席か!

 グラウンドに目を向けると、矢部くんが素早く一塁ベースに到達したところだった。

 

「おお! 矢部くん打ったのか!」

「は、はいっ! 矢部さん、初球の厳しいストレートを逆らわずにライト前へ!」

「さすが矢部くんだぜ。あ、それで早川、そんなに俺がなんだって?」

「……もうっ、なんでもないよっ! ほら、あかりの打順だよ!」

 

 早川がむに、と俺のほほをつねってグラウンドを指さす。

 あれー? めっちゃ仲良くなったと思ったんだけど……まあいいか。とりあえず勝ち越しのチャンス

 

だし。

 

「おっとそうだったな。サイン出さないと」

 

 俺はベンチの中から矢部くんへ向けてサインを出す。

 サインは盗塁。さあ矢部くん、見せてやれ。――お前の最大の武器である足を!

 久遠がクイックモーションに入る。

 それと同時に矢部くんが走りだした。

 

「!」

 

 久遠が盗塁に気づいて高めにボールを外し、それを荒木が捕球して素早くセカンドへ送球する。

 だが遅い。既に矢部くんはセカンドへスライディングしている。

 

「セーフ!!」

「す、すごい! めちゃくちゃ速い!」

「ああ、矢部くんの足はトップクラスだよ。んじゃここはヒッティングだ」

「あれ? バントさせないの?」

「矢部くんの判断能力と足があればワンヒットで返ってこれるよ」

 

 新垣へのサインは自由にしろだ。

 つっても新垣なら滅多な打撃はしない。基本は右打ちに徹する打撃をする筈だ。

 ギィンッ!

 

「ファールッ!」

 

 案の定意識は右方向。セットポジションになって威力が落ちた久遠のストレートを右方向へ弾き返した。

 

「セットポジションになると球威が落ちるな」

「ああ、昔からそうだ。だから威力の落ちないスライダーを多用してくるはずだが……新垣が女性だからな、油断しているのかもしれない」

「なるほどな」

 

 外野に目を向けると外野は前進している。内野も少し下がり気味だ。テキサスヒットを警戒するシフトを敷いている。

 そんな中、久遠が二球目を投げた。

 内角へのストレートだ。

 新垣はそれを完全に見送る。これで1-1。

 完全に見切ってるな。新垣も友沢と同じ考えで完全にスライダーは捨てているらしい。

 でもまぁ、むかつくだろうなぁ。そんな舐められてんの。本来なら腹の中はグツグツと煮えくり返ってるに違いない。

 それなのに新垣は右打ちを徹底している。そこまでチームプレーを徹底してくれるとたしかにありがたいけど、たまには自分で決めに行っても良いと思うんだけどな。

 といってもチームプレーは悪い事じゃないしわざわざ口出ししないけど。

 三球目、新垣は再び内角に投げられたボールを見極めて1-2にした。

 新垣の目が鋭い。次が勝負だと分かっているんだろう。

 1-2、バッティングカウント。

 相手は直球を新垣が飛ばす事は出来ないと思っているに違いない。だからこそテキサスヒット警戒のシフトを敷き、なおかつ内角の直球でここまで全球勝負している。

 ならば、次も恐らく内角のストレートだ。それも確実にストライクを取るために置きに来る。

 久遠は早川じゃない。ストレートを全力で投げて狙った所に投げ込むなんて八割方不可能だろうしな。

 新垣もそれは完全に読みきっているだろう。

 捕手は予想通り内角に構えた。

 久遠が振りかぶる。

 

「私が非力だから内角に直球投げとけば外野は越せない、だから内野を後ろに外野を前に詰めれば大丈夫と思ってる?」

 

 新垣は言いながら、バットをぐっと引く。

 そして投げ込まれた直球をおもいっきり引っ張った。

 

「だったらそれは間違いよっ! 舐めないで貰える!? 私だって野球選手なんだから!」

 

 引っ張られた打球はそのままレフトの横を超えてフェンスへ直撃した。

 それを見ずして矢部くんが悠々ホームに生還する。

 打ったあかりはそのまま二塁に到達した。

 

「新垣ナイバッチ!!」

「すごい! さすがあかりだ!」

「完全に読みきった引っ張り打撃だな。……この程度か、久遠」

「……友沢、お前機嫌悪いな」

「……ああ、そうかもな」

 

 言って、友沢はバットをもってサークルに出た。

 バッターボックスに明石が入る。

 

「動揺してるだろうな」

 

 明石くらいしっかりした奴ならそんなこと分かりきっているだろう。

 何より、次の打席は友沢だ。ホームラン打たれた友沢がネクストに居るのを見れば、この明石を打ち取るしか無いと思っているだろう。

 だが、そう思えばそう思うほど球は甘くなる。

 初球、大きくバウンドするワンバンのボール。明石は完全に見切って反応すらしない。

 次の球はスライダー、大きく外にそれてボール判定、これで0-2だ。

 続いて久遠が投げた球は今日初めて投げるシュートだが、大きく外れてストライクゾーンにかすりもしなかった。

 0-3、明らかに久遠の様子がおかしい。ただの動揺ではなく、なんというか――そう、何かに焦っているかのように投げ急いでいる。

 ぶん、と頭をふるい、久遠は構える。

 そうして投げた球だが、ボールは大きく外れてボールになった。

 

「ボールフォアッ!」

 

 ストレートのフォアボール。この場面で友沢。

 だが、久遠の表情がおかしい。

 恐怖心を顔で隠せていないといえばいいのか、明らかに友沢の方を見れなくなっている。

 先ほどまでは睨みつけるほど友沢を凝視していた久遠だが、今はもう友沢をまともに見ることすら出来ていない。

 友沢はそんな久遠をただ見つめていた。

 

「……の、程度か……」

 

 友沢が静かに呟く。そのつぶやきに、久遠はぴくり、と肩を震わせた。

 

「お前の実力はその程度か!」

 

 怒号に似た声。それを受けて久遠はハッとしたように友沢の方を向いた。

 その目には驚きが宿っている。

 俺には二人の間に有る物は分からない。けど、その一言には友沢の想い全てが詰まっていたような気がした。

 友沢は構えをかえない。左打席に立ち、久遠を睨みつける。

 

「……チッ、余計な事しやがって」

 

 言いながら、俺はふぅ、とため息を吐いた。

 

「? 今大きな声出したこと?」

「……ま、大体そんな感じかな」

「??」

 

 俺の答えに早川は不思議そうに首をひねる。

 それをみて俺は笑いながら、グラウンドへと目をやった。

 ちょうどその時、凄まじいキレを持ちながらも大きく変化し、内角へ食い込んでくる横滑りのスライダーを友沢が引っ張って痛烈なフェンス直撃の二点タイムリーツーベースにしていた。

 ……やれやれ。ばかやろ。テメーがベストボールを打ちたいからって厄介な投手を立て直しるんじゃねーよ。

 心の中で毒づきながら、俺は友沢に向けて「ナイスバッティング!」と声を張り上げた。

 

 

 

 

 

 

 夕暮れ。

 練習試合が終わって烏が鳴いている中、俺たちは全員で栄光学院大付属高も含め全員でのグラウンド整備をしていた。

 その中、俺は何気なくお互いの高校の名前と得点が書かれたスコアボードに目をやる。

 

 恋恋  203 001 000 6

 栄付高 020 000 031 6

 

 最後スタミナが切れた早川が甘いストレートを打たれてスリーランを被弾したり、ツーベースを打たれて同点にされたものの、一年構成とは言え英工学院大付属高と戦って引き分けにしただけで十分アピールになっただろう。新垣も一安打だけど一打点あるしな。

 にしてもすごいのは友沢だぜ。5-5で五打点の大暴れ。マジで入ってくれて良かった。

 そんなことを考えていると、ざっと俺を影が包みこむ。

 誰か側にでも寄ってきたのかと思いながら視線をそちらに向けると、そこには久遠が立っていた。

 

「……ちょっといいかな?」

「ああ、良いぜ」

「……友沢は……どうして恋恋に入ったのかな」

「肘を怪我したっつってたからな……帝王実業付属高校や名門から誘いが来なかったんじゃないか?」

「そう、なのかな。……僕が避けられていたようだからさ」

「そうだな。お前と同じ学校に行くのは避けていた」

「っ、友沢。お、驚かせんなよお前」

「友沢……」

 

 いきなり現れた友沢に俺は心臓を跳ね上がらせる。マジでビビッたぜ。いきなり出てくんなよ。

 久遠は友沢を目で捉えて視線から外さない。

 言いたいことは沢山あるのに言葉がつまって声が出すことが出来ないという感じで、ただ友沢を見つめるだけだ。

 

「……お前と、打者として戦いたかった」

「……え?」

「俺は肘を怪我した。そんな俺にお前は言ったな。僕をバットで援護してくれればいいと」

「うん、友沢に教わったこのスライダーを、"投手(ピッチャー)・友沢"が居た証拠にする。だから、友沢は僕をバットで援護して"打者(バッター)・友沢"として存在して欲しい、と」

「ああ、それを聞いて俺は嬉しかった。お前を親友だと思ったし、俺もそれで構わないと思っていた」

「なら、ならなぜ……!? なぜ野球部の無い恋恋高校なんかに……!?」

 

 久遠はトンボをへし折る勢いで強く握りしめる。

 そうか、あのスライダーは友沢のスライダーだったのか。道理ですごいスライダーな訳だ。

 親友でエースの座を競ったライバルが怪我をして投手を断念せざるを得ないと知って、更にそのスライダーを磨き上げた。

 ……共にエースを争った相手の存在した証拠であり、そして――その投手としての魂を継いだ事を他でもない、友沢に伝えるために。

 ……世界一のスライダーにするために、磨き上げたんだ。

 

「……」

「答えてくれ、友沢……! 僕は、僕は……お前が、僕に嫉妬したと思っていた! 僕の側に居るのが

 

辛いと……僕に、スライダーを教えたのを後悔、しているのかと……ッ」

 

 血を吐くように、久遠が言葉を発する。

 親友の魂を継いだつもりで磨いたスライダーが親友を傷つけているとしたら、親友が後悔しているとしたら、俺はどうしただろう。

 きっと久遠と同じように親友に固執したんじゃないだろうか。

 友達に怒りをぶつけるために、友達が昔のように戻ってくれることに一縷の望みをかけてわざわざ監督に頼み込んでこんな所まで来たんじゃないだろうか。

 久遠はうつむいて、友沢の顔が見られない。

 嫌われたというのを肯定されるのが怖いのか、俯いたままだ。

 

「だから、僕はお前に、"実力はその程度か"と言われたときに……分からなくなったんだ。お前は僕のことを、どう思っているのか……」

 

 そんな久遠の肩をつかむ。

 肩を掴まれて、久遠は顔を僅かに上げた。

 その久遠の瞳に、友沢の笑顔が映る。

 

「そんなわけないだろう。俺はお前を最高の親友だと思っている」

「ほ、本当か……?」

「ああ、そして――それと同時に、最高のライバルだと思っている」

「……ライバル?」

「ああ、投手として居るときは、同じチームに在籍し、高めあうだけで満足できていた。俺はお前にスライダーを教え、お前は俺に制球の仕方やスタミナのつけ方を教える。互いを高めあうライバルとして、同じチームに居るだけで」

「……じゃあ、なぜ……?」

「お前に言われて、俺は野球を諦めず打者転向した。その時はこう思っていた。"俺の志を継いだ久遠を、俺はバットで援護しよう"と。……だが、打者を続ける内にある欲求が沸き上がってきた」

 

 俺はその欲求を知っている。

 友沢も俺と一緒だったんだな。

 つまるところ――。

 

「お前と違うチームで、全力で戦いたい」

 

 俺が猪狩に覚えた感情と一緒だ。

 戦ってみたいんだ。一番近くで知っている好投手と、チームを分けた本気でぶつかりたい。戦いたい。そして、勝ちたい。

 

「恋恋に入った理由はとどのところそれだ。名門校に入って強いを倒しても面白くない。どうせなら野球部が無いところに入り、自分で野球部を作って名門校を倒し甲子園で優勝しようと思った。そのために、それなりに財力があり、なおかつ設備が整っていて大きなグラウンドがあるところを近場で探したら、この恋恋しかなかったんだ。……ま、同じ事を考えていた奴がいたようで、そいつに先を越されたが」

 

 友沢が俺をじろりと見る。

 うるせぇな、俺もお前も似たもの同士だろうが。それに結果的に野球部が出来たんだから問題ないだろ。

 

「……だが、黙っていてすまなかった。ずいぶん悩ませただろう?」

「…………バカか。僕は……」

 

 友沢の優しい言葉を受けて、久遠はその場に膝をついて崩れ落ちる。

 

「僕は、僕は最低だ……ッ! 親友の、一番の親友を信じられずに勝手に恨んでいただなんて……ッ、お前は真摯に僕と戦ってくれようとしていたのに……!! 僕が、一番友沢を信じなきゃいけないのに……! ごめん、友沢……ごめんっ……」

「謝ることはないさ。……スライダー。更に良くなってたぞ。だが、俺の打撃の方が上だったな。……"次は"勝つ。今日は引き分けだったからな」

「!」

「お前に会うとしたら、甲子園か」

「…………そうだね。うん、甲子園で、今度はお前には打たせない」

「ふ、では次は甲子園で二打席連発を狙うか」

「打てる物なら打ってみろ! そうだ友沢、スローイングが遅いぞ、外野は野手投げで素早く送球すべきじゃないか?」

「む、そうか。投手歴の方が長いからな……気をつけよう。そういう久遠、お前も、スライダーの投げ方を気をつけたほうがいい。スライダーは甘く入るとホームランボールだ。低めに投げるにはもっと腕をしならせる感覚を……」

「なるほど……」

「……ふ」

 

 技術交換が始まった久遠と友沢を放って、俺はトンボを片付けに倉庫に歩く。

 結局似たもの同士なんだな、友沢も、久遠もさ。

 トンボを片付けてグラウンドに戻ると、友沢と久遠の技術交換会は終わっていたが、久遠は入り口で待っていてくれた。

 つーかいいのかよ。遠征バスお前待ちじゃん。

 

「パワプロ、今日はありがとう。おかげで肩の荷が降りた気がするよ」

「パワプロって……はぁ、こっちこそありがとな。本当に今日の試合放送していいのか?」

「ああ、今日の酷い投球を反省点にして、次は甲子園で好投を見せつけるさ」

「そりゃありがとよ。これはもう明日には放送だからさ。良かったら見ろよ」

「うん、見るよ。……それよりも早川あおい、だっけ。いい投手だった。途中から速いシンカーとインハイのストレートを効果的に使ってたよね。おかげで三回から七回までヒット一本だ」

「ま、八回にスリーラン、九回にタイムリーツーベース打たれて結局同点だったけどな」

「あれはスタミナ切れだよ。早川さんはウチみたいな所謂強豪とは初めてだったろうしね。コントロールが乱れて甘く入ったからだよ」

「ま、そうだろうけどな。心配してねーよ、早川の事は」

「そっか。……ありがとう、おかげで僕も一皮剥けれそうだよ」

「自分で言うか?」

「あはは。……また甲子園で会おう。あかつき大が居る難しい地区だけどね」

「ああ、甲子園でな。……ま、大丈夫だろ。友沢が居るんだ。なんとかなるさ」

「たしかにね、友沢がいて、キミが早川あおいを上手にリードできたら行けるかも」

「かもじゃない、行くんだよ」

「頼もしいね。じゃあ、そろそろ行かなきゃ」

「ああ、またな久遠ヒカル」

「またね、パワプロくん」

 

 俺と久遠は別れを交わした。

 久遠がバスに乗り込んで、バスが発進する。

 そのバスが見えなくなるまで見送った後、俺は帽子のツバを握った。

 これで、きっと早川達も出場出来るようになるはずだ。

 次に必要なのは勝つこと。

 そのためには技術以上にまずスタミナが必要だ。

 ……こりゃ頑張るしかねーな。うん。

 独りごちて、俺は出口へと向かう。

 

「ぱっわぷっろくーん!」

 

 それと同時に、ドゴスッと俺の体に凄まじいタックルが叩き込まれる。な、なぜ……!!?

 げほげほげほっ! と激しく咳き込んでいると、俺にタックルをした人物――早川が割と本気で心配した様子で顔を覗き込んできた。

 ちなみに早川は既に制服に着替え終えている。やばい。ここで倒れたらいろいろ見えてしまいそうだ。

 

「ご、ごめん、そんなに痛がると思わなくて」

「や、だ、大丈夫だ。……どうした?」

「あ、あのねっ。ほら、ボク、今日新しい球使えるようになったじゃない」

「ああ、高速シンカーな」

「うん、だから高速シンカーの練習したいな、って。明日とか……駄目、かな?」

 

 手を前でくんで上目遣いでお願いしてくる早川。

 正直言えば、ぐっとくるほど可愛い。つーかかわいすぎる。これはやばいな……矢部くんならもう惚れてるレベルだ。

 早川ってめちゃくちゃ可愛いよな。野球も上手いし、モテるんだろうなぁ。

 ってそんなこと考えてる場合じゃない。今日早川は九回完投してんだ。そんなことしたら潰れちまうぜ。

 

「駄目だ。今日は一二七球投げただろ。肩休ませないといけないし。……お前が怪我したら終わりなん

 

だし、心配すんだからな。ムリすんな。練習は俺がしっかり指示するから、その指示通りに調整すること。いいな? 球数もしっかり指示するからな。それは絶対守ってくれよ?」

「し、心配……してくれるんだ?」

「? 当然だろ」

「そっか、うん、当然かぁ。えへ、えへへ、分かった。ちゃんと指示通りに調整するよ」

「うし」

 

 うん、聞き分けが良いな。早川も自分のポジションの重要さが分かってるんだろう。

 にしても、俺に調整を任せてくれる位信頼してくれるなんてな。……なんかすげぇ嬉しいぞ。

 猪狩なんか指示しなくてもバッチリ調整してきたからな。まあその猪狩に後学だ言われて投手の調整法教えてもらったのが役に立つんだ。文句はねぇけど。

 

「あ、あのさ、パワプロくん、ボクって明日どういう練習していいの?」

「あん? 今日は試合だったから、明日は練習無しでしっかり休息って感じだけど……早川は練習してぇの?」

「あ、う、うん。一日休むと取り戻すのが大変だろうし」

「いや、そりゃ連続で三日とかはやべぇけど、休むときはしっかり休んだほうがいいぞ。維持トレなら軽いチューブとかランニングくらいでいいし」

「分かってるけど……」

「ふーむ」

 

 早川としては休息よりトレーニングをしたいのか。

 うーん、ならどうするかな。ぶっちゃけトレーニングより休憩を優先して欲しいんだけど……。

 

「……あ、そうだ。なぁ早川」

「? なぁに?」

「もし良かったら、明日一緒に出かけないか?」

「……へ? い、いい、一緒? 一緒って、一緒ってもしかして、デ、デデ、デー……!?」

「ストップ! ストップですわー!!」

 

 早川が何か言いかけたとき、後ろから彩乃が疾走してくる。

 おおう、どうしたんだ彩乃。お前先に帰ったんじゃなかったのか。門限があるとかどうとかいって。

 

「あ、あぶ、危なかったですわ……! パワプロ様へのお別れの挨拶が済んでいないからともどってきて正解でした……」

「? 何が危なかったって?」

「い、いえ、ところでパワプロ様! 休日とは言えデートに早川あおいを誘うとは何事ですの? は、早川さんより、その、わ、私を……」

「いや、デートじゃなくてさ、マッサージ屋に行ったり、リフレッシュしながらトレーニングにもなる所に行こうかなと思って」

「……まぁ、そうだよね。パワプロくんなんだからそういう事だろうと思ったけどね。うん、ボク知ってたよ♪」

「そ、そうですわよね。パワプロ様がデートに誘うなんてこと、ありませんわよね♪」

 

 なんだなんだ。二人して笑いながらお互いの顔を見合わせて。俺の事は置いてけぼりか。仲良し二人組め。

 まあいい。そうと決まれば善は急げ。明日は早川と一緒にお世話になってる"あそこ"に連れていこう。

 

「んじゃ、早川。明日九時頃に恋恋高校の校門前で集合な」

「え?」

「だから、一緒に出かけようっていってんだよ」

「……うん、分かった。じゃあ九時にね、遅刻しないでよ?」

「善処する。……なんてな。大丈夫だよ」

「うん。じゃ楽しみにしてるね」

「おう。んじゃ帰ろうぜ」

「遅いでやんすよー!」

「速くしろ。置いていくぞ」

「はいよー! ほら、帰ろうぜ彩乃、早川」

「……そうですわね」

「うん。……ね、パワプロくん」

 

 早川がぴょんぴょんと跳ねるようにして数歩先に行き、くるりとこちらに振り返る。

 その拍子にふわりとスカートの裾が僅かに浮かび上がり、おさげがぴょこんと動いた。

 

「あん? なんだよ?」

 

 俺が荷物を持ったまま軽く返すと、早川はにこっと笑って。

 

「ボク、恋恋高校に入ってよかったよ」

 

 その笑顔や言葉には、文章にしきれない想いがこもっている気がした。

 色んな苦労をしてきて、

 色んな壁にぶち当たって、

 色んな挫折を味わって、

 色んな辛い想いをして、

 その道程、一つ困難を乗り越えて一段落した時に、こんなに可愛い笑顔を浮かべる事が出来たんなら――きっと頑張ったかいがあったんだと思う。

  

「――俺もだよ」

「うん」

 

 勿論、俺も頑張ったかいがあった。

 俺はそんなこと考えながら、早川と会話しつつ矢部くんたちと合流して途中の分かれ道まで一緒に向かう。

 今日の試合は早川や新垣、友沢、そして俺や矢部くん達、ついでに久遠を大きく前進させてくれるものになった。

 それならその勢いのまま前進していかねぇとな。

 



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第四話 "五月二週" 遊ぶコマンド→早川と遊ぶ

 翌日。天気は昨日に続いて晴れだ。

 気温も少しずつ暖かくなってる。うん、運動日和ってやつだな。

 恋恋高校の校門前に到着して、ケータイの時計をみる。

 時刻は八時半。少し早めに家を出過ぎたけど、まぁ遅れるよりはずっといいだろ。

 

「ふぅ。にしても昨日の試合は楽しかったな」

 

 久々にしびれたぜ。早川も成長著しいし、友沢がすごいっつーことも分かったからな。

 これなら甲子園に行ける。選手層は薄いものの、レギュラークラスの力量なら下手な強豪校より有るかも知れない。

 

「矢部くんもあの走塁センスだし、明石も良い打撃してたしな。……明日からまた気合入れてがんばるぞ。……そういや、今日放送か、早川と新垣のアレは……上手くいくと思うけど、どうかな」

 

 ま、グチグチいってても仕方ない。俺たちに出来る最善の事はやった。後は結果を待つだけだ。

 

「ぱ、パワプロくんっ」

 

 おっと、早川が到着してたのか。

 ぼーっと考えてて気がつかなかった。

 

「おー、早川、おはよ……う」

「おはよう。遅くなってゴメン」

「……いや、こっちが速く来過ぎただけだ、気にするな」

「? どしたの?」

 

 早川は俺の前に立ち上がって、可愛らしく小首を傾げる。

 ……やべぇ、その仕草もやばいけど、着てる私服が可愛すぎだ。

 運動靴に黒いニーソックス。赤いプリーツスカートに白いブラウス。

 学生であることを強く意識させるようなファッションは早川の可愛らしいおさげとあどけない表情と相まって俺の目には物凄く可愛く映る。

 

「……や、なんでもねぇよ。んなら行くか」

「うん、行こう。どこにつれてってくれるの?」

「はは、もう決めてあるぞ。早川が喜びそうなところだ」

「ボクが?」

「そ、まあ、肩を使わずにトレーニング出来る所、かな?」

「ほんとに? わくわくしてきた。ねぇ、早く行こうよ!」

 

 早川が嬉しそうに頬を綻ばせる。

 うし、んじゃそのご期待に答えてさっさと連れてってやるか。

 

「じゃ、出発だ。昼食も摂れるようになってるし、内部にはプールとかリラックスルームとかもあるから一日中居たって飽きないぜ」

「ぷーる? リラックスルーム? な、なんか凄い所いくの? ボクそんなにお金無いけど……」

「安心しろって。猪狩のおごりだ」

「ふぇ? 猪狩?」

「そ、ほら、行くぞ」

「わわ、待ってっ」

 

 早川に気を使ってゆっくりと歩きながら、俺たちは都心部を目指す。

 休日のせいか、表通りはがやがやしていて人ごみが凄い。

 早川と逸れないように気をつけておかないとはぐれてしまいそうだ。……それなら。

 

「早川」

「ん、なぁに? パワプロくん」

「はぐれそうだ。手をつなごう」

「……え? て、手を……?」

「人ごみが凄いからな。はぐれないようにしないと」

「は、う。そ、そうだね。わ、分かった……じゃあ、つなぐ、ね?」

「ああ」

 

 おずおずと早川の手が俺の手を握りしめてきた。

 ――手に感じる固い指の感覚。

 昨日一二〇球以上投げたけど、手に豆は出来ていないみたいだな。

 ……指の皮が硬くなっているんだろう。

 何球も何球も投げて投げて投げ込んで、豆が潰れて新しい皮が出来てもすぐにまた豆を作って潰して、というのを何度も繰り返して出来る努力の結晶。

 

「いい手だな」

「そ、そそ、そんなことないよっ、ごつごつしてるし、固くなっちゃってるし……」

「それが良い手って奴だよ。良い投手の手だ。努力しているのが凄く伝わってくる」

「…………うん、ありがとう」

 

 ぎゅ、と繋いだ手に力が込められる。

 俺たちは黙ったまま目的地に向かった。

 なんだかつないでいる手が暑い気がするけど気のせいだろう。ついでに後ろからビシビシと視線を感じるのも気のせいだ。そうに決まってる。

 

 そして、この時間が惜しいような気がするのもきっと気のせいだ。

 

「ねぇパワプロくん、そろそろどこに行くか教えてくれないかな?」

 

 そのまましばらく歩くと気まずそうにしていた早川が、俺に目的地を尋ねてきた。

 

「ん? ああ、言ってなかったっけ。猪狩スポーツジムだよ」

「猪狩スポーツジム? ……って凄い高い所だよね!? そ、そりゃたしかにプールとかリラックスルームもあるだろうし、色んなトレーニングマシーンとかバッティングセンターとかブルペンまで備えてるけど、ボク会員じゃないし、そんなに高いお金払えないよ!」

「やけに詳しいな、おい」

 

 慌ててそんなことを言う早川が面白い。こいつ、一度入れないかリサーチして金銭面で諦めたな。

 たしかに猪狩スポーツジムは一流のアスリートも御用達のジムであり、多彩な最高級のトレーニングマシンやら何やらが揃っている。

 しかしその設備の維持費が掛かるなどなどの理由で、一日二万円からであり学生にはとても敷居が高い。そこらへん、早川は物凄く心配しているんだろう。

 でも今日は金銭面なんて関係ないんだよな。

 

「ま、騙されたと思って入ろうぜ」

「だ、騙されたって、ちょっと、パワプロくーん!?」

 

 ぐいぐいと早川の背中を押して猪狩スポーツジムに入る。

 白を基調とした清楚なフロント。お客さんが快く利用出来るようにという猪狩コンツェルンの気遣いが透けて見えるみたいだ。

 そのフロントの真ん中に見慣れた女性が座っている。

 

「ミヨさん」

「あら? お久しぶりね。パワプロ様」

「はい、ツレと一緒に利用しようと思いまして」

「分かりました。では無料パスを……」

「ちょ、ちょっとストップパワプロ君!」

 

 パスカードを出そうとした俺の顔に早川が手のひらを見せてストップを要求する。ううん? どうしたんだ?

 すーはーすーはーと深呼吸を二度繰り返して、早川は俺をじろっと見つめて、

 

「な、なんでそんなの持ってるの?」

「あー、そうか。うんとな。俺中学校時代猪狩とバッテリー組んでたんだよ」

「そ、それは知ってるよ!」

「そうだよな。んで、その時に猪狩にこれ貰ったんだよ。好きに使って練習しろってな。ほらこれ、五名までなら友達と一緒に入れるんだ」

「えいぞくむりょうぱす……」

「そうそう、猪狩のズルいだろ? ここで部活終わってから毎日トレーニングしてるんだぜ」

「ボクは今パワプロくんの人脈の凄さを痛感したよ……」

 

 なんか疲れたように早川が深くため息を吐いてる。

 ここまで来るのに疲れたのか。やっぱりスタミナ不足だな。そんな早川にはここでランニングマシンをするといいぞ。バーチャルランニングマシンつって。周りの風景がころころ変わるんだ。あれは楽しい。

 

「つーわけで、ツレと一緒に入りますね」

「分かりました。じゃあここにパワプロくん以外の四名の名前を記入してね」

「はい? 四人?」

「ええ、彼らもパワプロくんのお友達でしょ?」

 

 ミヨさんが後ろを指差す。

 それにつられて後ろを向くとそこに。

 

 矢部くんと友沢と新垣が、友沢を除いてニッコリと笑いながら立っていた。

 

 早川も気づいたらしく、口をパクパクと閉じたり開いたりしながら顔を青くしたり赤くしたりを繰り返している。

 

「いやー、あおいがどんな服を着ていけばいいかとか聞くから、さすがの私も気になっちゃって」

「ふふん、オイラパワプロくんに言いたいことがあってパワプロくん家に行ったらちょうど出かける所だったでやんす」

「……俺はやめろといったんだ。だがこいつらにロードワーク中に見つかってしまって無理やりに連れてこられたんだ」

「本音は?」

「そのまま帰るつもりだったが猪狩スポーツジムをタダで利用出来るならお前たちにかじりついて離れない」

「…………」

「と、ということは、ということは全部聞いてたの!?」

「『いい手だな』『そ、そそ、そんなこと無いよゴツゴツしてるし』」

「うわああああああああああああやめてえええええええええ!!!」

 

 早川が新垣の口を押さえてわーわーと大きな声を出す。人迷惑だぞー。

 

「んじゃま、俺と早川と矢部くんと友沢と新垣の五人で入ります」

「ええ、分かったわ。それじゃパワプロくん意外の四人にはこの書類に記入してもらうわよ」

「分かったでやんす」

「ああ分かった」

「ひょうはーい」

「うう、はい…」

 

 涙目になっていた早川も頷いて、四人がぐりぐりと書類に記入をする。

 それが終わるとミヨさんが五人分のロッカーの鍵を渡してくれた。

 

「んじゃ着替えてトレーニング前で終了な。更衣室を出てすぐのところだから」

「うん。でもボク着替えとか持ってきてないよ?」

「あぁ、大丈夫だ。スウェットみたいなトレーニング用のジャージがロッカーにかけてあるから。今書いた書類に服のサイズを記入する欄があっただろ? それで用意してくれるんだよ」

「凄いわね。いたれりつくせり」

「さすがの猪狩コンツェルンでやんす! お金を払えば骨の髄までサービスしてくれるでやんすね!」

「その着たスウェットはもってかえっていいのか?」

「ああ。良いぜ」

「そうか」

 

 ん、なんか友沢が凄い嬉しそうにしてるな。スウェットが欲しかったのか。

 まあ時間も勿体無いし、さっさと入るか。

 

「じゃ、またすぐに」

「うん」

「なるべく早く行くわよ」

 

 女性陣と別れて俺たちは更衣室に入る。

 さっさと着替えて集合しよう。

 

「良い肌触りでやんすね。動きやすいでやんす」

 

 俺が着替え終えると、隣でスウェットを着た矢部くんがぴょんぴょん跳ねながらロッカーに鍵をかける。

 そのメガネ、意地でも外さないし飛び跳ねても揺れすらしないな。

 そのとなりで友沢がぐいっと服を脱いでスウェットに手をかける。

 すげぇ筋肉だな。打撃には邪魔にならないようにインナーマッスルとか鍛えあげられてら。

 投手と打者の筋肉は違うっつーからな。多分俺に野手をやってくれって言われる前に久遠に打者としてーって言われてから体を作り直したに違いない。その結果があの久遠相手に5-5っていう成績に繋がったんだな。

 友沢も着替え終えたので三人で更衣室を出る。女性陣も着替え終えたらしく、すぐに出てきた。

 

「お待たせ」

「そんなには待ってないでやんすよ」

「はは、じゃ、全員揃ったとこでいくぞー」

 

 一歩トレーニングルームに足を踏み入れる。

 

「ふ、わぁ……」

 

 驚嘆の声をあげたのは早川だ。

 ま、俺も最初にここに入れてもらったときは驚いたっけ。

 最新鋭の機材に豊富な種類。

 猪狩コンツェルンが作ったトレーニングマシーンはどれも一流だ。低価格で高品質なミゾットと高価格で超高品質な猪狩コンツェルンといった感じで、それをタダで使っていいって言われた時にオフだったらここに引きこもっていたくらいだ。

 

「んじゃま、全員分のメニューを作ってみるか」

「え? メニュー?」

「メニューでやんすか? そんなのどうやって作るでやんす?」

「昨日の試合で大体全員の弱点は把握出来たからな。ま、作るっつーよりどのトレーニングマシーンを中心にやったほうがいいってのを言うだけだよ」

「昨日ので解るの? へぇ……よく見てるのね。あおいとかあおいとかあおいとか」

「あん? そらバッテリーなんだからそうだろう」

 

 なぜかニヤニヤする新垣に赤くなる早川。うーんなんだろうこの疎外感。なんか俺だけ話が分かってないような気がするぞ。

 まあいいか。とりあえず今は全員に課題を伝えなきゃな。

 

「じゃあ、早川はランニングマシンな、スタミナ不足だから走りこみ有るのみだ。新垣は体幹だな。腹筋と背筋を中心で鍛えたいから乗馬マシンにでも乗ってくれ、矢部くんは柔軟性がほしいからストレッチマシンかな。友沢は打者としての実戦経験が不足気味だから、俺と一緒にバッセンだな」

「妥当だな」

「ええっ、ズルイー! 私もバッセン行きたい!」

「オイラもでやんす! オイラの足を考えればむしろ出塁が問題でやんすから打撃を鍛えるべきだと思うでやんすよ!」

「ぼ、ボクも打撃練習してみたいな。ていうか、バントの練習をしたいかも」

「あー、たしかに、早川はバント練習はしたほうが良いかもな」

「私は無視なの!?」

「オイラは無視でやんすか!?」

「ちょ、マネしないでよ!」

「マネしたのはそっちでやんすー!」

 

 ぎゃーぎゃー言い合う矢部と新垣。さすが二遊間コンビ、息がぴったりだな。

 まあとりあえずこの二人は放っておくとして、確かに早川はバント練習をした方がいいかもしれない。

 闇雲にずっと走ってても体力は付かないし、三十分程走ってからバント練習して昼食取ってってパターンで行くか。

 

「んじゃ、早川、三十分くらい走ったらバッセン来てくれ。バッセンはこの部屋を出てから右向いて真っ直ぐ行けばすぐだから。打球音が聞こえるから解ると思うけど」

「うん、だいじょぶ」

「うし、んじゃ行こうぜ。友沢」

「ああ」

 

 早川と矢部くんと新垣をおいて、俺と友沢はバッティングセンターへと歩く。

 バッティングセンターは野球ができそうな程の広さだ。確か東京ドームよりも大きいっつってたっけ。"猪狩ドーム"とか猪狩が呼んでたっけ。

 

「好きなところで打っていいのか?」

「ああ、バットは色んな重さとかバランスとかいろいろ取り揃えてあるから、自分が使ってんの探して使うといいぜ」

「そうさせてもらう。パワプロ、気になるところが有るなら言ってくれ。教わるのは癪だが、打者歴はお前の方が長い」

「分かった」

 

 言って友沢が一本のバットを掴み肩に担いでケージに入る。

 猪狩スポーツジムのバッティングセンターは打ち放題で、一度ボタンを押すと一〇球ワンセットで自動的に投球を行ってくれる。素晴らしいところは打ち放題だし、後ろに人が並んでないならボタンを押せば連続して打てる所なんだよな。

 マシンにも色んなものがあって、一二〇キロくらいのストレートのみを投げる奴から七色の変化球を投げるもの、さらには一六〇キロのストレートと緩い変化球、チェンジアップを投げるものまである。

 友沢は迷うこと無くその一六〇キロとチェンジアップを投げる"ボールゴッド"と呼ばれるマシンの前の打席に立った。

 

「おいおい、マジか」

「速球に振り負けれなければ変化球を待って打てるからな」

 

 まあたしかに直球を打てなきゃ変化球も打てないだろうけど、だからって早速一六〇キロのマシンの前に立つ奴があるかよ。部の予算で買ってもらったウチのピッチングマシンがMAX一五〇キロだから、たしかに一六〇キロはここでしか打てないだろうけどさ。

 ……この成長への貪欲さがこいつの凄みの秘訣なのかもしれないな。

 俺も後でこいつをやってみよう。前にやったときは安打性の当たり、確か十球中一本だけだった気がするけど今はもっと打てるようになってるかも知れないし。

 そうこうしている間に友沢はピッとボタンを押した。

 自動で目の前のマシンにボールが入れられる。

 そして、数秒経って、

 

 ヒュゴンッ!!

 

 と凄まじい勢いでマシンから白球が放たれた。

 その速球に対して友沢は初球からフルスイングする!

 ギャキンッ! と鈍い音を響かせて打球は真後ろに飛んだ。

 す、すげー、こいつ一六〇キロの球に初見で合わせて来たよ。

 すぐに二球目がマシンに込められ、射出される。

 

 ッカァンッ!!

 

 今度も一六〇キロの球だ。それを友沢は今度こそジャストミートした。

 ちなみにコースはランダム。つまり飛んでくる場所が前もって分かってる訳でもないのに、一六〇キロの球を高校一年生が二球目でジャストミートしたのだ。

 こいつ、マジにすげぇ……、理由は知ってるけどなんで恋恋に来たんだよ。お前なら西京にでも行けただろマジで。

 いやでもマジで恋恋に来てくれてありがとう。お前が居なかったら甲子園行ける確率マイナス四十パー位だったわ。

 ガシュンッ、と今度は緩いチェンジアップが投げられる。

 速球のタイミングで待っていた友沢は明らかにバランスを崩すが、体重を後ろに残すことで空振りはせず、痛烈なライナーを放ってみせた。

 緩急への対応力も一流である。こうして真後ろで見ると友沢の凄さがひしひしと伝わってくるな。弱点あんのかマジで。

 そうこうして一〇球を打ち終えた友沢は深く息を吐いた。

 結局打ってみれば一〇球中六球をヒット性の当たりにした友沢は、深く息を吐いてケージから外に出る。

 

「オメーおかしいんじゃねーか……?」

「ふ、何がだ?」

 

 うげ、うっぜー、ドヤ顔で俺に打ってみろって促してやがるなこいつ。

 良いぜ、俺が華麗にフライ打ち上げる様を見てろよ。

 

「ま、まあまあ良かったんじゃねーか? 俺の打撃を見てなんか参考にしてみろよ」

「ああ、するところが有ったらな」

 

 軽口を叩く友沢の横をバットを担いで通って打席に入る。

 ちくしょー、一六〇キロなんて打てっかよー!

 ピッと軽薄な音を立てるスイッチを押してバットを構える。

 バシュッ! と放たれた一六〇キロの球を俺は豪快に空振りした。

 

「ぷっ」

「笑うな友沢ッ!」

 

 こ、この野郎馬鹿にしやがって……!

 ええいここは頭をつかうんだ。一六〇キロの球の後はチェンジアップが配球の基本だが、先ほどの友沢の時にこのマシンは一六〇キロの球を二球続けた。

 ならば俺にも二球続けてくるはず!

 読みは一六〇キロストレート。球種さえ分かってれば追っつけて打ってヒット性の当たり位は打てる!

 ガシュンッ、とマシンからチェンジアップが放たれる。

 

「でぇっ!」

 

 ブルンッ! ポスッ。

 

「チェンジアップじゃねぇか!!!」

「ははっ、機械に読み打ちか、面白いなパワプロ」

「う、うっせぇ! 後七球ある!」

 

 ビシュッ!

 

「次が来たぞ!」

「ああっ! ちょっ、今のは無しだろ!!」

 

 ちくしょー、もうこっから全部ヒット打つしか友沢に勝てないじゃねぇかよぉ!!

 それから六球打つが、結局ヒット性の当たりを打てたのはヤマを張って当たったチェンジアップの二球だけだ。

 くそう……負けた……。

 

「じゃあ約束通りパワリンをおごってもらおうか」

「そんな約束してねぇよ!?」

「ケチだな。いいだろ別に」

「はぁ、ったく……一本だけだぞ」

 

 友沢め、明るくなるのはいいがタカりやがってくそ。

 パワリンを自販機で買って友沢に渡す。

 友沢はその場でぐいっとパワリンを飲んで、再びバッティングマシーンに目をやった。

 

「後は体幹と下半身トレをすればお前はもう大体いけんじゃねぇの?」

「ん、上半身もまだだな、だが柔軟性が無くなるのも問題だ。慎重に鍛えたい」

「まぁそうだな。お前の場合パワーっつーより身体の回転とかバネで打球を弾き返すタイプだし」

「となるとやはり時間がかかるか」

「そうだな。下手に腕力つけりゃいいって訳じゃねぇからな。ま、お前は三年間ぶっちゃけ今の打撃技術でも通用するよ。……納得はしねーだろーけど」

「当然だ。だが短絡的に筋肉を付けるのも気にくわないからな。今は打撃技術を磨きながらゆっくり筋肉をつけていくさ」

 

 言って、友沢は再び打席に入る。

 まあたしかにマシンの一六〇キロと人が投げる一六〇キロは違うよな。

 チェンジアップと一六〇キロの回転の綺麗なストレートって分かってるし球速にブレもない。

 キャッチャーのリードもないから打ちにくいとかそういう事も無いだろうからな。

 たしかに力負けするなら俺みたいに打てないだろうけど、友沢みたいに打力があれば打つことは難しくないかもしれない。プロなら多分、十球中九球位はヒットに出来るだろうし。

 

「ふっ、ふっ、ふっ……!」

 

 それでもコンスタントに打球を前に飛ばす友沢は凄い。飛距離も凄いが、何よりも芯で当てるセンスがずば抜けてる。

 

 キィンッ! キィンッ! カインッ! ッキィンッ!!!

 

 気づいてみれば、周りに人だかりが出来ている。そらそうか、このゲージでこんだけ快音連発してりゃな。

 ……うーし、俺だって負けないぜ。

 一六〇キロにゃ手も足もでないけどが、一四〇キロまでならマシンになら幾らだって対応出来るぞ。

 えーっと、確かこのマシンか。一四〇キロの直球にスライダー、カーブ、フォークを投げる奴だな。うし。

 マシンに入り、スイッチを押す。

 ガシュンッ! と放たれるボールを、俺は流し打ちでコンパクトに打ち返した。

 

「おっ、こっちもすげぇぞ。こっちは変化球が三種類あって対応が難しいけど、それを打ち返してるぜ!」

「む」

 

 友沢が気づいたらしく、こっちを見てくる。

 ふん、どうだっ、なかなかやるだろ俺も!

 すると、友沢は打席を出て俺の隣――俺が今打っているもののバージョンアップ番の打席に入る。

 そっちは一四五キロのストレートに、こちらより変化が大きいスライダーカーブフォークを投げるものだ。

 友沢はさも当然かというようにそれを引っ張りで打ち返していく。

 こ、このやろう……絶対に俺には負けないつもりか。

 友沢はホームラン性の当たりをバシバシ飛ばしているが、俺はセンターから右方向を意識した、所謂流し打ちを徹底している。

 それは単に打撃の型を良くするため―とかそういう訳じゃない。ただ単に俺は一四〇キロ以上の球を引っ張る力がないだけだ。

 それを分かってて友沢の野郎……ちくしょう、分かってるよ! お前に叶わないって事くらいよっ!

 ええい、どうせ負けるならやって負けてやる! 少しくらい引っ張って――。

 

「肩が入りすぎてますよ。パワプロさん、それじゃあフライになってしまいますよ?」

「え?」

 

 その声に気を取られて、俺はボールを見逃す。

 振り返るとそこには、

 

「す、進!」

「お久しぶりです。パワプロさん」

 

 猪狩そっくりの茶髪。あどけない表情に頬の絆創膏。

 彼は猪狩進、猪狩守の実弟である。

 俺と同じあかつき大付属中でキャッチャーのレギュラーを争った少年だ。

 今年中学校三年生となった彼はセンス抜群の動けて打てる捕手であり、猪狩と同じあかつき大付属高校に進学すると言われている、あかつき大付属高校の将来を担う選手なのだ。

 

「すげー久しぶりだな! レギュラーは無事とれたか?」

「……ええ、無事に取れました」

「? そっかそっか。やっぱ高校はあかつき行くのか? 猪狩が喜んでるだろ。弟とバッテリーが組めるってさ」

「いえ、僕はあかつきには行きませんよ」

「へ?」

「……たしかに言われましたよ。兄にあかつきに来いって。……でも断りました。僕は帝王に行きます」

「……て、帝王!? なんで!?」

 

 冷たく進は言い放つ。

 ひやりとした言い方が俺の記憶の中にある進の像に一致しない。

 凄まじい違和感が俺を襲う。進はこんな冷たい目が出来たのか……。

 

「兄さんはね、あなたの代わりに僕にあかつきに来いといったんですよ?」

「へ? ……何いってんだ進。猪狩はお前の事を代わりだなんて思っちゃいねぇよ」

「じゃあどうして先に貴方にあかつきに来ないかと誘ったんですか!!」

 

 進の怒号が響く。

 周りの人がこちらを向くが、気まずそうに目線を逸らす。

 友沢は打撃中でこちらには気がついていないようだ。

 

「さ、先にって……そんなの、お前が来てくれて当然だと思ってたからに決まってるだろ!?」

「だとしたら、兄さんはもっともっと冷酷だ。だって――貴方とバッテリーを組みたいと思ってたんだから。僕にレギュラーを取るな、ということでしょう? 控えに回って兄さんや貴方を持ち上げてろってことでしょう!? ふざけないでくださいよ! 僕はあなたの代わりじゃない! たしかに貴方は素晴らしい捕手です。でも負けたつもりなんてこれっぽっちもない!」

 

 その呟きに、俺はぞくりと背中を震わせた。

 ……なんだ、それ……?

 進が俺の代わりで俺には負けてないって? そりゃたしかに一年違いだし、進が入る前から猪狩のボールをキャッチしていたってことで監督からの評価は俺の方が高かった。だからこそあかつきでは二年から俺がレギュラーキャッチャーを努め、進が入っても俺が猪狩とずっとバッテリーを努めていたんだ。

 

「ごめんなんです。そういうの。僕は猪狩進というキャッチャーです。兄さんとセットに見られたり、それだけならまだしも、貴方の代わり見られるのはごめんです! 僕はたしかに兄さんのことが好きです。兄さんとバッテリーも組みたいです! でも、あなたの代わりに見られるくらいなら兄さんとバッテリーを組めなくたっていい!」

 

 進が俺に言葉を叩きつける。

 反論が喉から出かかるが、それは吐息としてしか外に出てくれなかった。

 進が俺に対してそういう感情を持っていたことがショックで仕方ない。

 俺は進を弟のように可愛がっていたつもりだった。猪狩と親しいからかもしれない、猪狩が進と接するのと同じ感覚で進と接していたから自然とそういう可愛がるという対象になっていた。

 でも、進にとってはそうじゃなかったのか。

 

「反論出来ますか? 僕が貴方の代わりではないって、証明出来ますか?」

 

 いや、んな事はねぇだろ。

 たしかに証明は出来ない。俺が不調の時、ダブルヘッダーで疲れていた時、たしかに俺の代わりに出場したのは進だった。

 ――それでも。

 

 あの時の進は笑ってたんだ。

 

 ベンチウォーマーでも、俺の代役でも、それでも自分の力の無さを真摯に捉えて練習していた。

 だからこそ俺も必死に練習した。進に負けないように、スタメンマスクを取られないように。

 そんな進が俺の代わりだなんだとのたまう筈がない。

 

「出来ねぇよ。代わりじゃないなんて。野球なんてのは出れるのが九人だけで、後のベンチ入りは大体は誰かの代役だ。代打、代走、守備交代、誰かの代わりに打つ、誰かの代わりに走る、誰かの代わりに守る。そうじゃないのは投手くらいだな」

「やっぱり、そうじゃないですか……! 誰かの代わりに見られるなんて僕には耐えられな」

「甘ったれてんじゃねぇよ! だからこそ、その"誰か"を超えるために練習すんだろうが! 少なくとも俺が居たときのお前はそうしてただろ! それを『猪狩が俺代わりに自分を見るのが嫌だ。だから帝王に行く』? ふざけんな! そんな考え方じゃどこ行っても中途半端に終わるだけだ! 本当にお前がやりたい事は猪狩とバッテリーを組むことだっつってたじゃねぇか!」

 

 今度は逆に俺が怒号を飛ばす。

 たしかに帝王行きは進が決めたことかも知れない。俺が恋恋に行くことを決めたように、兄を超えたい、そんな思いがあるのかもしれない。

 でも、今進が言ったのはそんな信念に支えられた事とかじゃないんだ。ただ単に小さいガキがいじけてるのと一緒にしか聞こえない。

 レギュラー争いってのは競争だ。俺の代わりに見られるのが嫌なら俺を超えた"キャッチャー"ってのを猪狩に見せつければ良いだけ、そうだろ進。

 

「……試してみますか、僕が今中途半端かどうか」

 

 不意に黙っていた進が口を開く。

 進は俺の反応を確かめる前に誰も入っていない"ボールゴッド"マシンの打席を開き、俺に向けてくるりと振り返る。

 

「勝負しましょう。パワプロさん」

「……勝負?」

「ええ、そうです。この"ボールゴッド"をご存知ですよね。一六〇キロとチェンジアップを合計で一〇球投げるピッチングマシンです。……このピッチングマシンのボールを、どちらが多くキャッチング出来るか勝負しましょう」

「……」

「それで僕が勝ったら、僕の進路についてもう文句は言わないでください。いいですか?」

「……俺が勝ったらどうするんだよ」

「その時はあなたの言うとおりあかつきに入って兄さんとバッテリーを組みますよ」

「っ、それ意味がねぇんだよ! ただバッテリーを組んだって――」

「逃げるんですか? 適当な理由を付けて」

 

 進が俺を睨む。

 ……どんな理由であれ、進はこうしてしっかりと結果が見える勝負を俺に望んでいるんだ。

 だったら受けるべきじゃないか? 進が前に進む為に、それが悪い事か良い事かは分からないけど――ここで逃げてはいけない、そんな気がする。

 

「分かった、受ける」

「……では、パワプロさんが先にどうぞ。防具とミットを用意しますのでお待ちください」

「ああ」

「……パワプロ」

 

 いつの間にか打ち終わっていた友沢が、俺に話しかける。

 俺が振り向くと友沢は複雑そうな表情で俺を見つめていた。

 たぶん、自分が仲の良い人物と今まで確執を抱えていたからだろう。その瞳からは"大丈夫か?"とこちらを気遣う視線が見て取れる。

 

「ま、大丈夫だよ。あいつは凄い奴なんだ。……だから、きっと大丈夫さ」

 

 理由にもならない言葉を友沢に――いや、自分に言って俺は押し黙る。

 

「そうか」

 

 友沢は一言だけそういってバットを壁に立てかけ、自分も壁にもたれかかる。

 どうやら俺と進の勝負を見物してくれるらしい。

 

「お待たせしました。どうぞ」

「ああ、……サイズ、ぴったりだな」

「そのカードにデータは載っていますから。……先攻はパワプロさんでいいですよ。プレッシャー掛かるでしょうから」

「そうだな。じゃ、そうさせてもらう」

 

 防具を着てからミットの具合を確かめ、打席に入る。

 慣れてないミットだし綿が多く詰まっているが硬くはない。まあ行けるだろう。

 スイッチを押して打席の後ろに座った。

 分厚いミットに多少の違和感を感じながらも俺はボールが放たれるのを待つ。

 ――捕球すればいい、というのは破格の条件に見えるがそれは違う。

 素人が一六〇キロのボールを取るのは不可能だ。

 実際にキャッチャーをやってみると解るが、慣れてなかったり芯で取り損なうと手のひらには激痛が走る。だからこそ進は多く綿が入っていて衝撃を分散してくれるミットを選んで持ってきてくれたのだ。

 そういう優しい奴があんな『誰かの代わりに自分が選ばれた』なんて事を自分から思いつくわけがないんだ。きっと何か理由があるに決まってる。

 だったら俺は勝ってそれを確かめねーと。

 

 一球目、球が"ボールゴッド"から放たれる。

 

「ッ!!」

 

 バスッ!!

 鈍い音。ミットの芯で一六〇キロのボールを捕球出来ずに腕に激痛が走る。

 

「……っくっ……」

「どうしました? パワプロさん。ミットの具合が悪いんですか?」

「いや、いい具合だぜ……」

 

 普段使ってるミットだったら骨折してたかもしれない。それくらいの激痛だ。

 今の俺には一六〇キロの球はとれないんだ。

 そんなこと分かっている。それでも――逃げるわけにはいかない。

 結果がどうであれ、進の真剣勝負を受けたんだ。最後まで勝負はやり切る。それが"対等である礼儀"って奴なんだから。

 二球目。

 同じく一六〇キロの球が"ボールゴッド"から放たれる。

 ドスンッ! と再びミットの芯で捕球出来ずに、俺は顔を顰めた。

 三球目。

 考える間もなく放たれるボールに、俺はただただ翻弄されるばかりだ。

 コースはランダム。それを見てからミットを出しただけではそもそも真芯で捕球するのにもムリがある。

 変化球がないのでコースにのみ集中していればいい分楽だが、それでも厳しい。

 四、五、六……とキャッチングする度に腕が悲鳴を上げる。

 ここまでチェンジアップはない。だがストレート一球に対応するだけで精一杯だ。芯で捕球した球一つもない。

 そして、七球目。

 ガシュン! と放たれたのはチェンジアップ。しかも低めだ。

 

「うッ!」

 

 ストレートを待っていた俺は前につんのめる。しまった。ストレートを意識しすぎた……!

 後悔するがもう遅い。チェンジアップをミットの親指の部分にぶつけてしまい、ボールはワンバウンドする。

 

(っ、しまった……)

 

 思いながら構え直す。すぐさま八球目が来る。後悔していて準備が遅れたら致命的だ。

 ガシャンッ! と八球目が放たれる。

 今度は一六〇キロのストレート。頭では分かっても一球チェンジアップを挟まれて緩急を付けられた身体は反応しきれない。

 ミットの上をボールが通過し、胸にボールがぶち当たる。

 

「げほっ、けほっ!」

 

 むせながらも目はマシンから離さない。

 結局俺は九、十球目も捕球出来ずに終わる。

 

「くっ、そ……」

 

 六球。打席では対応出来たチェンジアップもキャッチングになると一六〇キロの球がちらついておろそかになる。

 チェンジアップといっても一六〇キロを投げるマシンのバネだからな。一三〇キロ程はある。それを意識せずに捕球出来るほど今の俺は上手くない。

 打席から出ると既に進は防具を着て準備万端で自分の番を待っていた。

 進は俺の脇を通って進は打席に座る。

 

「それでは行きます。……中途半端な実力じゃないこと、確認してくださいね」

 

 進はそれだけいってスイッチを押し、身構える。

 ドシュッ! と放たれる一六〇キロのボール。

 それを進は。

 

 パァンッ! と見事に芯でキャッチしてみせた。

 

 見事なキャッチング。中学三年生が摂れるたまではないのに、進は見事にそれを腕を伸ばして捕球した。

 続いて放たれる二球目。チェンジアップだ。

 進はそれも見切ってミットを地面につけて見事に捕球する。

 それを見ていた周りからは拍手が起こった。

 俺は黙って防具を脱ぎながら、進の見事なキャッチングをじっと見つめる。

 進のキャッチング技術は卓越しているな。これだけでもう名門校のレギュラーになってもおかしくないほどの技術を持っている。

 これだけの技術があれば誰かの代わりなんかにはならない。いや、むしろ他が進を超えたい、超えなければならない壁と思うだろう。

 結局、進は十球全てをキャッチして周囲のスタンディングオベーションを浴びた。

 

「どうですか? 中途半端じゃないことが分かったでしょう?」

「……ああ、十分過ぎるほどにな」

 

 打席から出て、進は俺に向かって誇らしげに言って見せる。

 ……これほどまでの腕があって、どうしてそれを俺なんかに誇るんだ。兄貴に見せてやればいいじゃないか。

 

「その技術は兄貴のボールを取るために磨いた技術だろ。……どうしてそれを兄貴に見せないんだ? その技術があれば十分――」

「だからこそ、じゃないか」

 

 後ろから鼻に付く声が聞こえた。

 振り向くとそこに一人男が立っている。目付きの悪い蛇を思わせる男だ。

 その男を見て友沢が息を飲んだ。なんだ? 知り合いか?

 

「……蛇島……桐人っ……!」

「おや、友沢くんじゃないか。ハハハッ。結局あの後名門から誘いは来なかったのかい? 僕はてっきり、ウチのセレクションを受けると思ったんだけどねぇ」

「…………知り合い、なのか」

「ああ。知りすぎて居る程に、な」

 

 ギリリ、と友沢は右ひじを押さえて蛇島を睨んでいる。

 ……何かあったのか、昔。

 

「キミには初めましてだね。ああ、そうそう、パワプロくんだっけ? 面白いあだ名だ。僕は蛇島桐人、帝王実業高校で、進くんの先輩になる予定だよ。学年は一年、君たちと一緒だ。ポジションはショート。よろしくねぇ」

 

 にこ、と微笑むがその微笑みには誠実さがない。

 どす黒い何かを感じて、俺は思わず握りこぶしを作り、

 

「……あんたか? 進になんか吹き込んだのは」

「何か? 何かって何だい? それに吹きこんでなんか居ないさ。教えただけだ。……キミの代わりにこの子を扱ってきた兄さんや監督、キミのひどさをね」

「ん、だとコラ……!!」

「おやおや、怖い怖い。ハハハッ。進くんくらい優秀なキャッチャーが来年入ってくれれば、甲子園に行ける確率は高くなるからね。誰かの代わりにしとくには勿体無い。甲子園にいけば、アピール出来る回数が増えて"皆がプロ入り出来る確率は大きく"なるからねぇ!」

「……テメェ……」

「僕のチームメイトにね。山口賢ってのが居るんだ。そいつは凄いフォークを投げるんだけどね、取れるキャッチャーがいないのさ。だから進くんが必要なんだ。君たち以上に、僕たちには」

「……そういうことです。蛇島さんの言うとおり僕を本気で必要としてくれてる人がいる。なら、僕はその人の居る学校に行きます。そういうことですから、止めないでください。……失礼します」

 

 吐き捨てるようにいって、進は踵を返し上機嫌の蛇島とバッティングセンターから出て行った。

 友沢は蛇島の背を睨むようにバッティングセンターの入り口を見つめている。

 そんな友沢を見つめながら、俺は進を止められなかった不甲斐ない自分を呪うように拳を握り締めていた。

 

「遅くなってごめんっ、パワプロくん。……ど、どうしたの?」

 

 ざわつくバッティングセンターに何も知らない早川が入ってくる。

 そんな早川の顔を見て俺は拳から力を抜いた。

 

「いや、なんでもない。さっさとバント練習しようぜ」

「……? うん」

 

 早川は何かを感じながらも、特に深く言う事無く一三五キロの直球を投げるマシンの打席へとバットをもって入る。

 バットを寝かせるのがバントの構えだが地面と垂直に構えてはいけない。フライになりやすくなってしまうからな。

 バントは肩で方向を調節して膝で高さを調節する。バットは振らずにあくまで身体全体で球の勢いを殺す。つまり一朝一夕の小手先ではつかめない。

 だが早川はその基本はしっかりつかめている。シニアで習ったのかな。

 

「いいぞ。後は速い球を怖がらずに転がせるようになれば問題ないな。誰かにならったのか? 綺麗なバントだけど」

「あはは、やだな、パワプロくん。あかりが上手じゃない」

「あー、たしかにそうだったな」

 

 そうだった。新垣のバントは職人芸のレベルだったっけ。自分で二番に起用しといて忘れるなよな。

 でも新垣の凄みはバントもあるが確実にボールをミート出来る凄さだ。矢部くんとのエンドランなんか凄く効果的だろうし、そう考えると凄い一番と二番のコンビネーション攻撃だ。

 

「よし、んじゃまバントの練習は部活中にもできそうだし、やらなくていいぞ」

「えー、ちょっとくらいは打ちたいんだけどな……? 走ってばっかじゃつまんないもん。ここのは面白かったけど」

「んじゃヒッティングの練習しといたほうがいい。いざという時に早川も打つってことにならないとも限らないし」

「うん、じゃあ打つ練習しとくよ」

 

 バントの構えを辞めて早川がスイングをする。

 アンダースローで体幹が鍛えあげられているせいか早川のスイングは終始安定しているがやはりパワーとミートセンスが無い。一三五キロの直球には詰まるし変化球が放たれれば豪快に空振りしてしまう。

 その分投球が凄いからな、バッティングには期待しないほうが良さそうだ。 

 

「ふー」

「十球打ち終えたか。んならそろそろ食事しにいこうぜ? リラックスルームつってそこでテレビ見ながら食事取れるからさ」

「へぇっ、うん、お腹すいたよ! 行こう行こう!」

「友沢ー」

「……ああ」

 

 友沢も打撃練習を終えたらしくバッティングセンターを出る俺達にてくてくとついてきた。

 矢部くんと新垣を迎えにトレーニングルームに入る。

 すると、目の前に。

 

「おりゃおりゃおりゃおりゃーでやんすー!」

「なんの負けるかー!!!」

 

 乗馬マシンの最大振動を華麗に乗りこなす新垣と、ストレッチマシンでほぼ限界までストレッチしている矢部くんがいた。

 

 何やってるんだこいつらは……全く関係の無い分野で争ってどうする……。

 

「さっきよりひどくなってる……!」

「さっきからやってたのか……!」

 

 早川の驚愕の一言に俺は驚きを重ねる。ううん、こいつらウマがあうのかあわないのかよく分からないな。

 つーかどうやってこれ優劣つけんの? ぶっちゃけつけようが無くね?

 

「ふ、ふふ、オイラの勝ちでやんすね。ここまで身体がスライムのようになる人間はオイラくらいでやんす」

「それを言うならこの猪狩コンツェルン製の乗馬マシンの最大値に完全に乗りこなすボディバランスを持つのは私くらいのもんじゃない」

「いいやオイラが凄いでやんす!」

「私よ!!」

 

 うわぁ、不毛すぎる。つーか答えでねぇだろその言い争い。

 

「あー、ストップストップ、二人とも腹減ってっからイライラするんだよ。飯行くぞ飯」

「ごはんだー!」「御飯でやんすー!」

「やっぱお前ら最高に似てるわ」

「あははっ、じゃあリラックスルームだね。看板にあっちって書いてあるよ」

「パワプロ、メニューは何が有るんだ」

「あー、メニューはコースから選ぶんだ」

 

 五人で連れ立ってリラックスルームに入る。

 シックなデザインの個室で大きさは一〇畳くらい。正面には液晶テレビが置いてあって机にはコースメニューを伝える為のタッチパネルが設置されている。ここにワゴンで食事を持ってきてくれるのだ。

 一回二万円でも納得して出せる。そんなサービスの豊富さが猪狩スポーツジムの凄いところだな。うん。

 俺は椅子に座りタッチパネルを操作する。

 皆も俺に続くように椅子に座った。

 

「この中から選ぶんだよ」

「なになに、ヘルシーコースに筋力増強コースにアスリートコース?」

「ヘルシーコースは大豆ハンバーグとかそういう感じのカロリーの少ない物だな。筋力増強は逆にタンパク質を中心に補給する。俺のおすすめは最後のアスリートコースだ。野菜と肉類のバランスがいいし、何より卵とか野菜とか肉類とか全部入ってるからな」

「オイラもそれがいいと思うでやんす」

「うん、ボクもそれがいいな」

「私もこれかな」

「友沢は聞くまでもないよな」

「ああ、五人分頼めばいい」

「了解」

 

 タッチパネルで五人分のアスリートコースを頼む。

 到着までは十分くらいか。それまでテレビでも見て待ってよう。

 

「そういえば、いつ頃やるのかな。昨日の試合」

「もうやったでやんすよ」

「えっ!?」

 

 新垣のつぶやきに矢部がさも当然といった感じで答える。

 その答えに早川はビクッと身体を震わせて矢部を見た。

 

「当然じゃないでやんすか、朝からコラム組まれてやってたでやんす。オイラ、そのことをパワプロくんに言うために朝パワプロくん家に行ったでやんすよ」

「ああ、たしかにさっき言ってたな。言いたいことがあって、って」

「でやんす。オイラの華麗なるヒットシーンが全国放送されるかと思ってわくわくして留守録までしてきたでやんす」

「そうなのか。んで、朝のを見た感じだとどうだった?」

「そうでやんすねー」

 

 うーん、と矢部くんが考えるように腕を組む。

 この放送の感触で次の手……まあ考えてはないけど、それを打つかどうかが決まるんだ。頼む矢部くん、出来れば事細かに教えてくれ。

 

「悪くなかったと思うでやんす。オイラの活躍シーンは無かったでやんすが、あおいちゃんと新垣のインタビューを中心に、前回提出されたっていう署名の放送や街頭インタビューをして女性選手はどう思うかっていう質問を投げかけたり、あおいちゃんが力投して名門校を六失点に抑えた事や、新垣がタイムリーヒットを打ったシーンなどをやっていたでやんす」

「そうか!」

「ふぇー、良かったぁ……」

「い、インタビューって……なんか恥ずかしいわね……」

「フフフ、二人だけ全国区になったでやんす。ということはオイラの華麗なるプレーが放送されればオイラも全国区でやんすね」

 

 矢部くんが鼻高々と言う感じで言うと、二人は恥ずかしそうに顔を赤くする。まあ矢部くんが誇ってるのは早川や新垣でなく自分なんだけどな。

 しかし矢部くんが言ってくれると内容に自信がモテるな。これで世論に動かされて高野連が動いてくれる事を祈るしかないが、朝から放送されたんなら高野連の方にもだいぶ連絡が行ってんだろ。

 もしも動いてくれるなら首謀者であるウチと、後は放送したマスコミに対して大きなアピールがあるはずだ。例えば"女子選手の参加を認めます"とかな。

 

「お待たせしました」

 

 そうこうしている間に五人分の食事が届く。

 ほかほかと湯気を立てる食事を見た途端、友沢の目が変わった。これは野獣の目だ!

 給仕の人があっという間に五人分を机に並べて退室する。

 んじゃま、美味しくいただきますか。

 

「もう俺は食べるぞ。頂きます」

「皆でしないの?」

「友沢はもう待てねーってさ。ほら、食べようぜ。頂きます」

「頂きますでやんすー」

「頂きます」

「もうっ、皆でいただきますってやりたかったのに。じゃあボクも頂きます」

 

 しっかりと手を合わせて食事を始める。

 メニューは炭水化物からアミノ酸までを計算されつくしたメニューだ。アスリートがここに入り浸るのも解る気がするな。

 たまーにこれを無料で受けていいんだろうかと思うんだけど、まあ猪狩がいいって言うんならいいだろう。アイツ社長の息子だし、それならありがたく使わせて貰うに限るよな。

 俺たちは他愛もない雑談をしながら食事を続ける。

 進のこととか悩む事もあるけど、今は悩んでる暇はないんだ。出場が決定しても勝ち抜けると決定したわけじゃない。今は一心不乱に前に進まないと。

 そう自分に言い聞かせて俺は進の事を頭から離す。

 ……そうしないと、進の事に囚われてしまいそうだったから。

 

 

               ☆

 

 

 パワプロくんが寂しそうな、辛そうな表情をしてお皿を見つめている。

 そんな表情を見ると、ボクの胸が何故か絞めつけられるように疼いた。

 遠く遠く――ボクが届かない場所に想いを馳せるパワプロくんの瞳。

 

「そうでやんすねー。やっぱり栄光大付属高戦のMVPといえばオイラの足でやんす。守備の動きも盗塁もなかなかでやんしたね」

「……はは、な? ショートで良かったろ?」

「その足を結果的に活かしたってなったのは私がタイムリー打ったからでしょーが、勝手に自分のいい方に改変しないでよ」

 

 ボク以外の誰も気づかないほどすぐ、パワプロくんはそんな表情を辞めて楽しそうに矢部くんの話に参加する。あかりはそんな矢部くんにツッコミを入れていた。友沢くんは只管に食事を続けてる。

 ボクも矢部くんたちの話に参加したいと思ったけど、それ以上にパワプロくんのさっきの表情が頭から離れてくれなくて――この感情がなんなのか分からずに、ボクはぎゅと拳を握りしめた。

 なんなんだろう、これ。

 ボク、パワプロくんにあんな表情させたくない。

 いつもパワプロくんは笑ってて元気いっぱいでボクたちを引っ張っててくれてて、ボクやあかりの為にいつも動いてくれてる。

 だからなのかな。寂しそうな辛そうな顔をしているパワプロくんを見ると胸が張り裂けそうになるんだ

 胸が苦しくて観ていられないのに、それでも何とかしてあげたくなって堪らなくなる。

 でもパワプロくんはその表情の原因を隠したがってるんだよね。パワプロくんなら何か悩み事があれば、ボクたちに相談してくれていると思うから。

 

「……ッ」

 

 そう考えると、余計に胸が突き刺さるように痛くなった。

 なんなんだろう、これ……ボク、病気になったのかな……?

 結局、その原因が分からないままボク達は食事を終える。

 

「うーし、んじゃ食事も終わったし、かるーく腹ごなしの運動してからトレーニング再開だ」

「あ、うん」

「おーでやんすー」

「そうね。食べた分はしっかり運動しないとね」

「ああ、しっかり汗を流そう」

 

 パワプロくんが各自各自に事細かな指示を与えながらトレーニングのメニューを一人一人につくっていく。

 今度はさっきのと違ってどれを何分やれば良いかという細かいメニューだ。ちょうど終わる頃には四時になってて帰る時間になってる。凄いなぁパワプロくん……こんなのを食事中に考えちゃえるなんて。

 

「次、早川な」

「はわっ、う、うんっ」

「? どうした?」

「なんでもないよ。パワプロくん凄いな、と思って」

「そうか? まあいいや。早川はインナーマッスルを鍛えるのとランニングマシンを三〇分交代でやってくれ、単調だけど大丈夫か?」

「うん、平気だよ」

「そっか。俺も隣でマシンやってるから、今の球種についての理解を深めるために適当に話するから、トレーニングしつつバッテリーミーティングだな」

「あはは、うん、それがいいよ」

 

 パワプロくんがにっこりと笑ってボクを促してくれる。

 今はパワプロ君が言わないならムリに聞かなくても良いや。

 ……それにボクも今の自分の気持ちに整理がついていないから。

 

「高速シンカーは打たせて取る球だな」

「うん、そうだよね。ボクもアレじゃあ空振りは取れないと思う」

 

 足で重りを上げ下げしながらパワプロ君が言う。

 かくいうボクも腕で重りを上げ下げしてるから人のことを言えないけどね。

 

「うし、そこらへんの意識はしっかりしとかねーとな。次カーブな。これ決め球に俺使ってるけど」

「うん。ボクが今までで一番練習した球だから、一番自信があるんだ」

「ああ、これを暫く決め球に使ってきたい。……でもずっとカーブを温存して使うのは厳しいんだよ」

「え? その試合で、ってこと?」

「大局的に見てさ。大体データが揃ってくると研究されてカーブが決め球ってバレる」

「統計データをとるから、試合後半にカーブが極端に多くなれば解るよね」

「ああ、んで、試合後半にカーブを待たれると投球が厳しくなる。だからといって"第三の球種"も続けて投げて慣れられれば打てる。かといって打てない高さに投げると見極められてボールになるしな。そう考えるとカーブを挟んで緩急をつけたいが、カーブは決め球に使えない。ってなるとシンカーも使わなきゃならない」

「うん。カーブとストレートだけしかいざという時にしか使えないっていうのも困るしね」

「そういうことだ。高速シンカーも芯を外すだけだからな。一点取られたら終わりって時に使うには心もとない。シンカーも当てようと思えば当てれちまうからな」

「じゃあ、どうするの?」

 

 たしかに、例えば九回裏ワンアウト三塁とかでバットに当てられてゴロでも終わり、とかそういう場面でカーブを待たれてたら投げる球がないもんね。

 ストレートで押せば内野フライとかもありえるだろうけど、ストレート一本じゃ心もとない。カーブをボールゾーンに投げるっていう手もあるから一概には言えないけど甲子園を目指すのなら備えあれば憂いなしだし。

 

「新しい球種を覚えるのも厳しいだろうからな。今ある球を鍛える」

「それって……カーブ? 分かってても打てないように……ってムリだよね。じゃあシンカー?」

「ああそうだ。シンカーを鍛えるぞ。もしかしたら高速シンカーにも良い影響が出るかもしれないからな」

「なるほど、シンカーかぁ」

「嫌か?」

「ううん、嫌じゃないよ。ただあの変化で使えるのかな?」

「楽勝だろ。むしろ鍛えれば一番良い球になるのはカーブじゃなくてシンカーかもな。まあストレートは別にしてさ」

「え? そうなの?」

「ああ、アンダーハンドだとシンカーのが投げやすいんだ。いずれお前の必殺球になるかもしれないぞ?」

「ひ、必殺球かぁ……」

 

 思い浮かべるボクを、パワプロくんははっはっはと笑う。

 

「もーっ! 笑わないでよ!」

「悪い悪い、あんまり実感なさそうにしてるからさ。いい投手だよお前は。笑ったお詫びに後でパワリン奢ってやっから」

「ホント? 楽しみにしてるよ」

「ああ」

 

 シンカーか、よし、夏の大会までに決め球で使えるようにしてみせるぞ。

 決意を込めてトレーニングマシンを動かす。

 見ててねパワプロくん。ボク、キミが活かせる投手になってみせるからね! 

 

 

 

「ふぅー、楽しかったでやんすねぇ」

「そうね、たまにはこういう所で気分変えてやるのもいいわね」

「スウェットも貰った。満足だ」

「はは、んじゃ帰るか」

「うん、そだね。帰ろう」

 

 夕暮れ。

 皆で四時まで運動した後、シャワーを浴びてストレッチしていたらもう五時になっていた。

 慌てて外に出たのが今だ。

 うん、ボクも今日は凄く有意義だったと思う。やっぱり休みといえどこうやって運動するのはいいことだよね。

 

「じゃ、ここで解散するか」

「了解でやんす」

「ああ、また明日学校でな」

「てか明日学校じゃん……めんどくさいわねぇ」

「あはは、じゃ、一緒に帰ろうよあかり」

「うん。じゃ、またね」

 

 ボクとあかりは二人で、パワプロくんと矢部くん、友沢くんは三人で一緒に帰るようで、三人で連れ立って歩いて行った。

 それを見送ってから、ボクとあかりは河川敷を歩く。

 ざぁざぁと流れる川の音が心地いい。

 

「じゃ、私こっちだから」

「うん、おやすみあかり、また明日」

 

 河川敷の途中にある分かれ道で別れて、ボクは一人で河川敷を歩く。

 夕暮れに一人で歩くのはやっぱり寂しい。特に川の音が寂しさを増させるんだよね。

 と、その河川敷の土手に座っている一人の少年がやけに気になった。どうしたんだろう?

 帽子を反対側に被って頬に絆創膏を張ってる茶髪の男の子。

 わー、可愛いなぁ。大きくなったら格好良くなりそう。

 ちょっと話しかけてみよう。こんな夕暮れに一人でいるなんて何かあったんだろうし。

 

「どうしたのキミ?」

「……いえ……少し悩み事があって」

「そうなの? じゃあボクに話してみてよ。少しは楽になるかもよ」

「…………そう、ですね……その……僕、進路について悩んでて」

「あ、そうなんだ? ボクでよければ話になるよ。といってもボクは私立の恋恋高校だから、勉強の悩みはちょっとムリかもしれないけど」

「……恋恋高校?」

「うん、ボクは早川あおい。キミはなんていうの?」

「……進です」

「進くん、よろしくね」

 

 ボクはにっこりと笑って進くんと握手する。

 これが、ボクと進くんの初対面だった。

 ボクは――進くんとパワプロくんとの確執を知らないまま、彼の頼れる先輩になったんだ。

 



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第五話 "六月二週~七月一週" vs聖タチバナ学園高校 前編

 速いもんでもう夏。

 栄光学院大付属高との試合が終わってから一ヶ月近くたつが、未だに女性選手出場問題は解決に至らないまま抽選日を迎えていた。

 今日中に結果が出なければ、今年の夏は諦めざるを得ない。

 

「……」

 

 ここまで緊張なんか知らずに練習してきた早川や新垣にも緊張の色が見える。ううむ……そういう集中出来ない状態で練習をするのは良くないんだがな……。

 

「よし、ストップ。今日は抽選会だ。……一応高野連の方から連絡は来てる」

 

 加藤先生からだいぶ前に伝えられた内容を俺はもう一度思い出して、復唱する。

 

「特例として当日まで出場資格のあるチームとして保留し、女性選手が出場して良いかの検討を当日までに行う。くじびきは昼の二時で総合体育館で行われるが、その一時間前までに連絡を行う。つまり、後十分以内だ。……その電話で俺たちが出場出来るか決まる」

「……うん」

「……分かってるわよ」

「凄いでやんすよ。あおいちゃんと新垣が全国の女性選手に道を開こうとしてるでやんすから」

「ああ、出場選手登録も事前に通達するというのから初戦のベンチ入りメンバーで大会最後まで固定するというルールになった。……それは、おまえたちの頑張りで達成出来たことだ」

「矢部くん、友沢くん……」

「……ありがと、矢部、友沢」

「っ、パワプロ様! 加藤先生から電話ですわ!」

「はわわわわっ、お願いします神様っ、どうかあおいとあかりちゃんが出場できますようにっ!!」

 

 七瀬が手を合わせて祈り、彩乃が慌ててケータイを俺にさし出してくる。

 皆が皆七瀬と同じ気持ちだ。一緒に出場出来るのを祈ってるんだ。

 頼む……! 早川達に道を示してくれ……!

 

「もしもし、加藤先生ですか?」

「ええっ! 今高野連から連絡があったわよ! 検討した結果――」

「……結果……?」

「――女子選手の出場を認めるって! 貴方達、夏の大会に参加出来るのよ!!」

「本当、ですか……!!?」

「ええっ!!」

「やっ――たああああ!!」

 

 それを聞いて、俺は思わず両腕を突き上げた。

 早川と新垣、矢部、友沢、明石や皆も顔を見合わせた後、想い想いのリアクションで喜びを表現する。

 

「加藤先生っ! ありがとうございます!!」

「ええ、本当におめでとう! それじゃ、今から私はクジ引きの会場に移動するわ」

「はい、俺達もすぐに行きます!」

 

 電話を切って、彩乃にケータイを返す。

 これで夏の大会に一年から出場出来る……! 関門は突破だ!!

 

「うーし! オメーら、聞いたとおりだ!! 俺らのエースとセカンドがしっかり出場出来ることになった!」

「やったー!! やったでやんすー!!」

「ぐすっ、あかりぃっ、ボクうれしいよぅ!!」

「ば、バカ、何泣いてんのよ! あはっあははははっ!!」

「……ふ、当然だ。参加出来ないなんて考えたくもなかったからな」

「よし! んじゃすぐクジ引き会場に移動だ! 初戦は七月の一週だけど今日で相手が決まる! 気合いれてクジ引き会場まで走るぞ!」

「「「「「「「「おー!」」」」」」」」

 

 全員に気合が入る。

 チームメイトが無事に大会に出場出来る。これ以上嬉しい事はないよな。

 うーし! んじゃ全員気合満タンでクジ引きに行くぞ!!

 

 

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 クジ引き会場である総合体育館。

 そこにはこの地区全チームの全ベンチ入り部員が揃っている。

 

「す、凄い人でやんすねぇ」

「全員ユニフォームだ……」

 

 矢部と早川が言葉を漏らす。

 たしかにすげー人だな。予想してたけどこんなに勢いがあるとさすがの俺も気後れしちまうぜ。

 ま、友沢はいつもどおり平然な顔で音楽聴いてるけど。

 

「ね、パワプロ。あんたってもう大体全部の高校リサーチしてあんでしょ? 解説してよ?」

「ん? ああ、良いぜ」

 

 新垣に言われて俺は頷く。

 明らかに顔が"冗談だったんですけど"って言わんばかりだけど、まあこいつらに教えておくのも悪くないし、解説くらいならいいだろ。

 

「あっちの白と赤のユニフォームはパワフル高校だな」

「パワプロくんとそっくりの名前でやんすね」

「うるせーな。あいつは尾崎竜介。一年ながら既に四番に座るチームの主砲だ」

「四番……」

「ああ、その隣に居るのは手塚、あいつも一年だけど、既に一三〇キロをマークする快腕だって言われてる。最高の武器はコントロールだそうだ」

「あおいとタイプが似てるわね」

「うん」

「ま、フォームは違うよ、あいつはオーバースローだし。更にその後ろに居るのは円谷。快速の一番バッターだ。練習試合だけのデータだけど、大体パワフル高校の得点パターンは円谷がヒットで出塁、走って、二,三,四番のどれかが打って返すっつーパターンだ。それを手塚をしっかりと押さえて勝つってパターンが殆どだ。スコアは三戦見ただけだけど4-3、3-1、4-2って感じで得点力は高くない。円谷をしっかり押さえりゃ勝てる」

「ていうかそんなの見てるの? 何時寝てんのよパワプロ」

「そりゃ俺じゃなくて七瀬と彩乃にいってくれ、こういうデータをまとめてるのはウチの誇る優秀なマネージャー達だからよ」

「て、照れます……」

「ふ、ふん、当然じゃない!」

 

 おーおー、二人とも顔を真っ赤にしちまってるぜ。

 でも、それくらいの礼じゃ足らねーよ。有力校のデータを全部調べ上げてきてくれたんだしな。

 

「そういえば、区間分けが変わったんでやんしたね」

「……ああ、そうだな。どう変わったのか詳しくは知らないが……」

「ま、厄介になったんだよ」

 

 そう、今年からここの地区の組み分けが変わったのだ。

 全く厄介になったもんだぜ。なんてったって――帝王実業高校が同じ地区とカウントされるようになったんだからな。

 巷では"死の地区"と言われるようになった。まあ強豪高校が集まってんだから仕方ねーけどさ。

 強豪あかつき大付属を初め古豪パワフル高校、球八高校が居るだけでも厄介だったっつーのに更にここに帝王実業高校、ハングリーさで一枚上手の灰凶高校。パワフル高校と同じく古豪の聖タチバナが絡んでくる。

 でも――。

 

「燃える、よな」

 

 俺がつぶやくと、周りが一瞬で静まる。

 矢部くんや早川たちだけではない。周りに立っていた他校の選手達も黙ってしまった。

 だが黙らない。俺はにやりと頬を釣り上げて、

 

「強い所をぶっ飛ばして上にあがってく快感を他の所の倍味わえるんだからよ」

 

 言い終えると同時に周りの空気が一気に変わる。

 チームメイトは驚き半々やる気半々ってところか。友沢は俺と同じ考えだったらしくイヤフォンを付けたままにやりと笑った。

 他は基本嘲笑か。そりゃそうだ。見るからに一年だけのチームが粋がってるんだからな。その次にあるのが失笑と驚愕、警戒する空気を出しているのは――。

 

「……猪狩」

 

 人垣の向こう。そこに見える勝気な瞳にプライドの高そうな面。

 間違いない、猪狩守本人だ。

 猪狩と目が会った。

 だが、猪狩はすぐに視線をそらして人ごみに消えていってしまう。

 

「……ふん、分かってるよ。猪狩」

 

 試合前に慣れ合うのはゴメンだってんだろ? ……約束したもんな。"グラウンドで会おう"ってよ。

 

「おや、久しぶりだねぇ。パワプロくん」

 

 そんな熱い気分に浸るのを邪魔するように、相変わらず鼻に付く声がかけられる。

 蛇島桐人――帝王実業だ。

 そのチームの登場に辺りがざわつく。

 今季からこの地区に参入する男子校である帝王実業。そこと女性選手が二人居る恋恋高校。

 かたや本命の一つ、かたや"今のところ"色物。その二つの交わりに周りはどよめいている。

 

「ふふ、出場おめでとう。さっきケータイのワンセグの昼ドラを見ていたらさぁ。上の方にテロップで女性選手が出場可能になったって出てねぇ。無事に出場出来てよかったよかった」

「うるせぇよ蛇島。テメェらはぶつかったらぶっ飛ばす。人の後輩をたぶらかしやがって」

「アハハハ!! チーム力が違うからねぇ! そう簡単に行くと思ってもらっちゃぁ困るよパワプロくん。まあぶつかったら――全力で潰してあげるけどね」

 

 高笑いをしながら蛇島は踵を返して歩いていった。

 ……野郎、んな事は分かってるんだよ。帝王とあかつきはこの地区じゃ頭一つ抜けてるってことくらい。

 

「……あ」

「ん?」

 

 そんなことを考えて難しい顔をしていると、早川が声をあげる。

 その視線の先には――ユニフォームに身を包んだ二人の女性が立っていた。

 

「みずき! 聖!」

 

 早川が可愛らしい声で名前を呼ぶと、名前を呼ばれた二人の女性が早川に気づいて嬉しそうに走ってきた。

 片方の女性は黒髪にリボンをつけ、もう片方はあかりと同じように勝気な目をしている。

 二人が近づいてきて新垣も気づいたのか嬉しそうに両手をあげて、

 

「久しぶり! あはは、やっぱあんた達も野球続けてたんだね!」

「いやねー、続けるつもりは無かったんだけど、野球バカが一人いてさ、あっという間に人を集めちゃうの。出場はムリかなーと思ってたらあんたたちが頑張ってくれたから、お礼言わなきゃと想ってて!」

「うむ、あおいとあかりのおかげだ。私も礼を言うぞ」

 

 きゃっきゃと四人は積もり積もったモノを吐き出すようにお互いの言葉を浴びせかける。

 友情の再開か。高木幸子もこの四人と一緒に野球をやってたんだろうな。それにしても野球バカか……誰の事いってんだか分かんねぇが、多分中心選手のことなんだろうな。

 

「みずきちゃーん、聖ちゃーん、そろそろ入館だよー」

「了解キャプテン! じゃ、ごめんねあおい、あかり、あたしたち行かなきゃ。聖タチバナと当たったら負けを覚悟しなさいよ!」

「ま、待ってくれキャプテンっ」

 

 二人は呼ぶ声を聞いて走っていく。

 聖タチバナ、か。

 

「……タレントが揃ってるところだな」

「ふぇ?」

「聖タチバナだよ」

「聖タチバナのこと調べてたの?」

「ああ、勿論」

 

 そりゃ対戦相手になるかもだしな。

 それにシニアでそこそこ名前が通ってた奴らが入ったって聞いたからな、マークするのは当然だ。

 

「さっきの聖とみずきだっけ? その二人はいまいちデータ不足だが、レギュラーのうち五人は中学三年のデータを集めた。宇津久志はエース候補、スタミナはいまいち物足りないがストレートにノビがあって捉えにくい。原啓太はセカンド、体が小さいがその分足が速く、守備とミートセンスに優れる一番打者タイプ。大京は一塁とレフトを守るやつでパワーヒッターだ。肩が強くてパワーがある四番。そしてもう一人――春涼太」

「春?」

「ああ、シニアからそれなりに有名だった奴だ。なによりも野球センスが良い。ショートを守ってるが地肩が強いな。打撃は荒く普段はあんまり怖くはないが――チャンスに強いんだ」

「チャンスに?」

「ああ、普段は打てて二割ちょいだが、こと得点圏打率になると打率が八割に跳ね上がる」

「は、八割って……」

「更に恐ろしいことに、その八割の打ちの六割が長打だ。つまり、打ってほしい時にデカイのを打てる奴ってことさ」

 

 ったく、本当に信じられねーぜ。普通得点圏になったら腕が縮こまったりしてもいいもんだが、コイツの場合勝負強さが異常過ぎる。

 友沢とは違う意味で嫌な打者って奴だな。

 

「凄いね……」

「ああ、守備でもピンチになると好プレーを連発する。つまりチャンスとピンチに強い野球センス型ってことだ」

 

 たぶん、チームの中心はコイツだ。

 本当に良かったぜ。もし矢部くんがこの学校に入ってたらと思うとゾっとする。矢部くんと原にチャンスを作られて春ってことになったら嫌だし。

 まぁたらればなんて考えても仕方ないか。

 

「ま、当たってから対策は考えるぜ。……他のチームも中に入ってった。俺たちも入るぞ」

「うん。はいろう!」

「おー、でやんす!」

「ああ」

「そうね」

 

 九人で扉をくぐった。

 中は三階建ての広いホールでホールの真ん中の舞台にはトーナメント表と発表するためのマイク、そしてくじ入れが設置してある。

 薄暗いホールの中、俺達は広く開いている場所を探して端の方に腰掛けた。

 

「なんかわくわくでやんす」

「うん、ボクも……高校野球に参加できるなんて、夢みたい……」

「……そうね、私も」

「はは、ここで満足するなよ。……目指すは頂き、甲子園優勝だ」

「そうだね。……パワプロくんは凄いな」

 

 俺の隣に座った早川が何故か俺の方を見て目をキラキラさせそんなことをいう。

 何が凄いってんだよ。志が高いってことか? ……よく分かんねーけど、ここが薄暗くて良かった。顔が赤くなるなんてなんか俺おかしいぞ……?

 ぶんぶん、と頭を振って俺はトーナメント表を見つめる。

 地区の分け方が変わったせいで今まで五回勝てば甲子園に行けた所が、七回勝ち抜かなければならなくなっている。

 シードがあれば六回で済むところだが俺達は初参加校、そんなものがあるわけがない。

 ちなみにこの地区のシード権は春の結果で与えられる三つのみだ。普通のA、B、Cなどに別れたシードではなく去年決勝戦まで上がった両チームがシード権を持っている。地区の分け方が変わった分、前回決勝に上がった学校が四つあるので今回はあかつき大付属高校、帝王実業高校、パワフル高校が高校が獲得している。

 

「七回か。最初は中五日、次が四日で三日、二日、一日、中無しの連投が二回か。……球数も考えてやらねーといけねーな」

「そうだね……もう一人投手がいれば楽になったんだけど……」

「ま、たられば言っても仕方ねぇ。俺が懸念してるのは楽とかそういうんじゃなくて、怪我を心配してるんだよ」

「え?」

「夏場に連投が続くからな。……俺がケアしても限界がある。早川が怪我したら終わりなんだ。なるべく球数少なく試合を終わらせて肩の疲労を軽くしないとな。お前しかいねーんだからさ」

「ぅっ……う、んっ」

「?」

 

 早川がぷいっとそっぽを向いてしまった。どうしたんだろ。……ま、良いか。 

 そんなことを考えているうちにフッ、と電気が消えて辺りが暗くなる。

 そして場内に流れだす"栄冠は君に輝く"――。

 舞台上でブラスバンドがスポットライトを浴びて演奏しているのだ。

 周りの雰囲気が明らかに変わる。

 緊張、あるいは期待か。スポットライトから漏れた光を頼りにちらりと隣に座る早川の顔を盗み見てみる。

 

「……わぁ……」

 

 憧れの舞台への扉。それを開けた期待感と満足感でいっぱいの表情。

 俺たちはまだ何も為しちゃいない。

 スタートラインが他校よりずっと後ろで必死でもがいてもがいて、その結果やっとスタートラインに立てただけなんだ。

 でもさ。

 今日くらいは――こんな顔で喜ばせてあげてもいいよな?

 そう思って俺は早川から目線を逸らす。

 キャプテンとして『まだ始まってすら無いんだぞ』とか『そんな顔をするのは甲子園で優勝してからだ』とか、言うべき言葉はいろいろ有るんだろう。

 でもそんな言葉を早川に伝えることは俺には出来なかった。理由はわからないが――多分、早川の苦労をしっているからだ。そうに決まってる。

 そんなことを考えているうちにブラスバンドの演奏が終わって、会場が僅かに明るくなる。

 

『ただいまよりトーナメントのクジ引きを始めます。各校のクジ引きの順番は前もって決めてありますので、その順番通りにお並びください』

「ごくり、でやんす。いよいよでやんすね」

「ええ、初戦の相手だしね。幸先良い相手を選んでほしいわ」

「どこらへんがベストだ?」

「できればバス停前高校とかでやんすかね、弱小で有名でやんす」

「相手はどんな相手でも良いさ。パワプロ、クジ引きの順番は何番だ?」

「全一四二校あるが、そのクジ引きする一三八校のうち、七〇番目だ」

「ぴったり真ん中らへんだね」

「凄いでやんすね。面白いでやんす」

「だろ」

 

 はは、と笑って舞台に目を映す。

 舞台では四つのシードの位置をあかつき大三年日比野、帝王実業の一年生キャプテン山口賢、灰凶の同じく一年生キャプテン豪腕と噂のゴウ、パワフル高校の三年生捕手石原がクジを引いていた。確か帝王実業は一番実力があるやつが帝王になるらしいからな。わずか入学して三ヶ月程で部内一の実力になったっつーことか、あいつは。

 

『続きまして、一般参加校のクジ引きを始めます。四番、そよ風高校』

 

 四人が舞台から降りて、いよいよノーシードのクジ引きが始まった。

 ワァッ! とそよ風高校のメンツだけでなくクジ引きが始まったことでにわかに周りが盛り上がる。

 

『そよ風高校、…………八番!』

「シードがないから、この組み合わせ番号は138まででやんすね?」

「そういうこった。シードは一回戦が終わってから参加だからな。もうトーナメントシートに張ってあるよ」

『聖タチバナ学園高校、…………二九番!』

「あ、みずき達だ」

 

 どのシードと戦うことになるかはまだわからない。だが――どの場所が来ても関係ない。全力で戦うだけだ。

 そうこうしている間に、あっという間に六十五校が埋まる。

 

「んじゃいってくるわ」

「うん、いいとこ引いてきてね」

「いいとこでやんすよ! 頼むでやんす!」

 

 早川達に見送られて列に並ぶ。

 近くまで行くとトーナメント表の大きさに圧倒されそうだ。

 これが一試合終わって半分になる。もう一試合で更に半分。

 六試合が終われば、シードを含めて僅か二校――それに勝てば代表の一校だ。

 

(いくぜ、甲子園)

 

 心の中で言って、壇上に上がる。

 

『バス停前高校、……一二七番!』

 

 六十九番目のバス停前が引き終えていよいよ俺達の番だ。

 目の前の白い箱。その中には紙がいれてあって、それを掴んで腕を出せば対戦校が決まる。

 

『恋恋高校』

「さ、どうぞ。ここから引いてください」

 

 促されて、手を箱の中に突っ込んだ。

 まだ一杯紙が残っているもののうち、一枚を掴んで腕を出す。

 それを横から係の女性が受け取ってマイクを持つ男性の所に見せに行った。

 

『……二十八番!』

 

 特別な盛り上がりもなく終わり、俺は壇上を降りて席に戻る途中振り返ってトーナメント表を見つめる。

 ……一つ。

 一つ勝てば帝王実業との対戦。そして帝王実業も含めて四つ勝って準決勝であかつき大付属だ。

 

「……上等じゃねぇか」

 

 つぶやいて俺は席に戻る。

 面白くなってきたぜ。

 溜まっていた闘志が更にみなぎるのを感じる。うーし、んじゃ張り切って初戦行くか。対戦相手どこだっけ。

 

「……あれ? 聖タチバナ?」

「ぱーわーぷーろーくーんー」

「うわっ!? は、早川っ!?」

「いきなりみずき達の学校ひくなんて……」

「わ、悪い、でもこればっかりは……」

「ありがとうっ。みずき達とまた野球出来るなんて、うれしいよ!」

 

 そっちかよっ! と思わず突っ込みそうになるが俺はそれを半笑いでごまかす。ちくしょう、ちょっと怒られると想ってビビったじゃねーか。

 ……そうだよな。今まで一緒にやっていたのにわかれざるを得なかった仲間達と、敵同志とは言えまた野球出来るのは嬉しいよな。

 

「嬉しいだけじゃ困るぜ。勝ちたい、って思わないとな」

「やだなパワプロくん。……いつでも想ってるよ」

「……はは、そりゃそうか」

 

 にやりと笑っていう早川の頭をぐりぐり、っと撫でて椅子に座る。

 そりゃそうだ。野球やってる上で負けたいやつなんていやしねぇよな。

 一緒にやってた奴が相手なら尚更負けてらんねぇ。そういう事なんだ。

 

「……あ、頭撫でるのは、その……」

「ん?」

「や、なんでもないよ。……みずき達に勝とうね」

 

 早川に頷いて、俺は前を見据える。

 これから長い戦いが始まるんだ。下を向いてる暇はないぜ。

 

 

 

 

             七月一週

 

 

 

               

 第二市民球場の第二試合。

 一番日差しが降り注ぐ時間帯である午後一時――いよいよ、俺たちの公式戦の初戦が始まる。

 既に両チームともベンチ入りしていて、今はグラウンドの整備中だ。

 

「彩乃、準備出来たか?」

「はいっ!」

「付き合ってもらっちまって悪いな。重かったろ」

「大丈夫ですわ! 七瀬さんがデータ班な以上、サポートは私の役目ですもの! 加藤先生のこともお任せください!」

「そうか。頼んだぞ。……にしても赤くなってるな肌、ちゃんと日焼け止め塗ってきたか? ほら、濡れタオル。頭に当てると気持ちいいぞ」

「は、はわ、は、はい……」

「?」

 

 俺が彩乃にタオルを彩乃の額に当てると、彩乃は目線を逸らしながらもおとなしくしている。

 この暑さの中、ベンチにじっと座ってをお嬢様の彩乃がスコア(七瀬か書き方を教わったらしい、えらいぞ)をつけるんだからしんどいだろう。試合中は気を使ってやらねぇし、先に気を使っといてやらないとな。

 

「むぅ、パワプロくんっ! 試合に集中してよね!」

「おわっ、わ、悪い早川!」

「ぷん。扇の要のキミが集中出来てないとめちゃくちゃになっちゃうんだから!」

「悪かったって。彩乃。水分補給しっかりしろよ。あとにウォーターサーバーだっけ、あれにパワリンいれとくの忘れないでくれな。早川に投げ終わる度に飲んでもらうからさ」

「……了解ですわ。がんばってくださいまし」

 

 んん? さっきまでご機嫌気味だった彩乃の顔があっという間に不機嫌になったぞ。いったいどうしたことだ。

 まあ早川の言うとおり集中しねーとな。スタメンもまだ発表してないから、発表しとかないと。

 

「んじゃもう審判にスタメン提出したし、向こうの春キャプテンとスタメン交換したからな。スタメン発表すんぞ!」

「おうでやんす!」

「ああ」

「ボクは九番投手だから緊張することないんだよね」

「ま、早川はな。んじゃ発表するぞ」 

 

 一番ショート矢部。

 二番セカンド新垣。

 三番キャッチャー葉波。

 四番センター友沢。

 五番ライト明石。

 六番サード石嶺。

 七番レフト三輪。

 八番ファースト赤坂。

 九番ピッチャー早川。

 これが今日のスターティングメンバーだ。

 相手は宇津久志と早川の話では凄い変化球を持つ橘みずきの二枚看板が武器だろう。打力もなかなかにあるからな。こっちも打ち勝つ事を考えるぜ。

 栄光に引き分けたあの形を引き続き使うのも良いがさすがに久遠レベルの投手ではないだろうから俺にも手は出せるはず。

 一番の矢部くん、二番の新垣三番の俺までが繋ぎ、友沢が決める。これがウチのベストな得点パターンだ。

 グラウンド整備が終わって、グラウンド整備をしてくれていた人たちがグラウンドから出て行く。

 

「うし、んじゃノック行くぞ!」

 

 俺が一声かけると、全員が声を上げてグラウンドに飛び出していった。

 目を相手のベンチにやる。

 向こうも準備完了といった感じだな。

 暫くノックを続けるとノック終了のアナウンスが流れる。

 それを聞いてから俺達はベンチ前に整列し、全員でありがとうございました! と大声でお礼を言ってベンチに戻った。

 

「相手のスタメンを発表しておくぞ。傾向とかはちゃんと頭に入れてあっからお前らは守ることに集中してくれ」

 

 言いながら俺はベンチにあるホワイトボードに名前を記入していく。

 一番セカンド原。

 二番ピッチャー宇津。

 三番キャッチャー六道。

 四番ショート春。

 五番ファースト大京。

 六番センター篠塚。

 七番サード大月。

 八番レフト中谷。

 九番ライト大田原。

 思った通りの打順だが、やはり一から五番までが怖い。

 データを調べて解析したが特に厄介なのは一、三、四のコンビネーション。三番の六道聖が特に厄介だ。

 今までの試合のデータを確認しても一番の原が出塁し、二番が送ってから三番の六道がタイムリーで一アウト一塁か二塁にするか、ワンアウト一、三塁で四番の春につなげるというケースが殆ど。

 前に言ったとおり得点圏の春は打率八割の長打率が一〇割超えしている超スラッガー。

 初回ピンチの場面で長打で点を取られて更にピンチ、その後に強打者である大京――そこで長打を打たれてそのまま大量得点という黄金パターンを持っているのがこの聖タチバナという学校の特徴なのだ。

 それの証拠に、初回に大量得点を作った場合の勝率は実に八割。

 つまり初回の攻撃で勢いを与えると致命傷になりかねない、ということだ。

 

「早川、今日は初回から決め球解禁で行くぞ」

「え? っていうと……えと、"第三の球種"?」

「ああ、そんでこっちは宇津から先に点を取る。いいな」

「わ、分かった」

「うし。……向こうのノックも終わったな。全員挨拶行くぞ!」

 

 全員に声をかけて、ベース前に整列した。

 向こうも整列が終わると球審が礼! と声を俺達にかける。

 お願いします! と全員で頭を下げて、目の前の相手と俺たちは握手をした。

 その際、向こうは友好的に微笑みながら話しかけてくる。

 

「よろしくお願いします! あおい、お手柔らかにね」

「うん、みずきこそね」

「負けはしないぞ、あかり」

「私たちも負けないわよ」

 

 女性同士が握手をしながらお互いに挨拶をしている横で、俺の前で春がにっこりと笑いながらぎゅ、と手を握ってきた。

 

「宜しくお願いするよ。葉波くん」

「こっちこそな。春涼太」

「あはは、うん。なかなか大変だったからさ、みずきちゃんにお願いして部活に参加させてもらったり、練習試合をしたり、聖ちゃんと特訓したり。……でも、おかげですごく良いチームになったから、負けない」

「俺たちも負けられないんだよ。……試合楽しみにしてるぜ」

「俺もだ」

 

 春と別れてベンチに戻る。

 皆がグラウンドに飛び出していく中、俺もさっさと防具をつけてグラウンドに出る。

 春涼太、か。橘みずきか六道聖あたりがリーダーかと思ったが、違うみたいだな。

 聖タチバナ高校の野球部をここまで引っ張ってきたのはどうやらあの春らしい。だからこそあいつらは春についてってるんだ。俺に付いてきてくれるチームメイトのように。

 チームカラーは全く違うけど、チームのでき方とかはある程度似てるかもしれない。多分、あの春も六道や橘が出場出来るように四方手を尽くしたんだろう。

 

「……ふ。行くぞ早川!!」

「うんっ!」

 

 早川の投球練習をミットで受けて返す。

 疲労もなく調子も良さそうだ。

 球をある程度受け、審判からボールバックの指示が出される。

 

「ボールバック! 早川ラスト。セカンド送球するぞ!!」

 

 バシッ! と最後に早川のストレートを受けてそのままセカンドへ全力で送球する。

 ストライクで矢部くんのミットに収まったのを確認して、ベンチ前から打席に足を運んでくる原を見つめた。

 

『バッター一番、原くん』

 

 うぐいす嬢の声に反応して、聖タチバナの応援団がわぁっと声を上げた。

 それと同時に応援歌が流れ始める。

 なんか知らねーけど聖タチバナの野球部は公式戦自体が久々の割に人気だな。応援まで来てるなんてよ。

 ま、それに臆すこともない。こっから先に強豪とやるときはもっと凄い応援なんだからな。

 

「一回表、しまっていくぞ!」

「おおおー!!」

 

 全員の元気な声を聞き、俺は満足してその場にしゃがむ。

 さーて、夏の初戦だ。早川も緊張している様子はなかったけどもしかして緊張してるかもしんないしな。初回に大量得点だけはさせないとして、この一番の間に緊張してるかどうか確かめないと。

 

(んじゃまずは――磨いたカーブを外角低めからボールゾーンに落とす)

 

 橘や六道から早川の特徴は聞いているだろうが、恐らくはカーブと制球が良いくらいの報告な筈。

 俺と同じチームになってから早川は大きく成長したんだ。あいつらの当時の印象のままじゃ絶対に打てないぜ。

 早川がサインに頷いて振りかぶる。

 踏み込みからしなやかに振られる腕。

 カーブのコントロールも十分に磨いた。

 今の早川なら狙ったところに八割方投げれるようになったはず。

 そして、その予想通りにボールが変化する。変化球をコントロールするっつーのは予想以上に難しいはずなんだが、早川はそれを努力であっという間に乗り越えてしまう。我ながらいい投手を捕まえたもんだぜ。

 バシッ、とカーブを受け止める。原はしっかりと見極めた。

 

「ボール!」

 

 0-1。うし。緊張はしてねーみたいだな。

 

(それならこっから本気で攻めるぞ。早速"第三の球種(インハイのストレート)"だ)

 

 

 早川が頷いたのを見てから、インハイにミットを構える。

 早川から投げられたボールはミットへと吸い込まれるような絶妙にコントロールされている。

 原はそれをコンパクトにスイングした。

 コキッ! と軽い音を響かせて白球はセカンド方向へふわりと浮かび上がる。浅いフライだ。

 

「オーライ」

 

 新垣が両手を広げてそれをしっかりと捕球する。続いて審判からアウトとコールがされた。

 よっしゃ、原を二球でワンアウト。上出来だ。

 

「ナイピッチ!」

「ん!」

 

 早川に声をかけると、早川はにっこりとしながら新垣からボールを返して貰う。

 おっと、相手さんの方を見てないとな。原は二番の宇津に何かを報告しているようだ。

 たかだか二球だがそのうちの一球は独特の軌道の"第三の球種(インハイのストレート)"だからな。それに注意しろと言っているのかもしれないぜ。

 ま、注意して見極めれるような球じゃないから凄いんだけどな。

 

 

『バッター二番、宇津』

 

 うぐいす嬢からの呼び声を受けて宇津が打席に入る。

 宇津は打撃は驚異ではないが送りバントがそこそこ上手い。だからこその二番起用だろう。

 原が圧倒的な出塁率だからな。それを鑑みればわからなくもないが原が出れなきゃただの自動アウトだ。特に早川みたいな好投手相手にゃ心許ない上位打線だぜ!

 ストレート二球を外角低めに決めるぞ。この打者の間に審判にコントロールがいい投手ってことを植えつけとかねーとな。

 2-0から最後はアウトローにカーブを落として2-1にした後、最後はインローにストレート。

 結果、宇津はバットにボールを当てることすら出来ずに空振り三振に終わる。

 

『バッター三番、六道さん』

「……」

 

 六道聖――早川に聞くに"目と集中力が凄い"捕手だ。

 新垣も当てるのは部内で一、二を争う程上手いがパワーはない。だからこそクリーンアップには入らずに繋ぎの役割が大きい二番という打順なわけだが、この六道は三番だ。新垣より当てるのが上手いとは思えないのに三番ということは恐らく、その"目"という部分が抜きん出ているんだろう。

 

(しっかり見られると厄介だ。外角低めにしっかり投げるぞ)

 

 外角にミットを置く。

 じっと六道は早川の持つボールに集中しているようだ。

 早川からボールが投げられる。外角低めに完璧なコース。

 それを六道はフルスイングした。

 

「何っ……」

 

 キィンッ! と痛烈な当たりでボールがファーストベースの右を抜けていく。

 ファール、これで1-0。

 にしてもあのきわどいコースを迷うことなくフルスイングかよ。目が良いって聞いて慎重に攻めておいて良かったぜ。

 

「聖ちゃん! 俺につないでくれ!」

「わ、分かっているっ。は、春はしっかり座ってみていてくれっ」

 

 春の突然の声かけに、六道は顔を真っ赤にして言う。

 ……ん? なんか彩乃が俺にする態度に似ているけど、気のせいか……?

 しかしその呼びかけで更に気合が入ったらしく、六道は深く吐息を吐いてバットを構えた。

 下手にコーナーを変化球でついても見極められる。

 だったら――回転が同じで見極め難い二球種で勝負するほうが得策かもしれない。

 だが駄目だ。この目の良い六道に見られて後ろにヒントでも与えられたら、もしかしたらということもあり得る。

 

 

(ならばここはストレート勝負、インローにストレートだ。1-0。おもいっきり腕振ってこい)

 

 早川が頷いてすぐさま投球に入る。

 インロー、鋭い回転のボールがミットに向かって投げ込まれた。

 しかし、六道はしっかりとそれを引っ張る。

 ッキィンッ! と鋭い音を響かせてボールは赤坂の左を痛烈な勢いで破っていく。

 ライト線への長打コース。六道は迷わずファーストベースを蹴って二塁を陥れた。

 上手く引っ張ったな六道の奴。さすがに球威は無いからな。六道と早川は一緒に野球をやってた仲だというし、目が良いというだけでは早川の独特の軌道のボールは捉えきれない筈だ。慣れられてるってのはやっぱり怖いもんだぜ。

 今の早川のストレートは一一五キロ程度、それなら高校生でも目が良くて慣れていれば打てるのかもしれないな。

 

「おっと、早川、気にすんな。こんなバッティング出来るのは六道だけだよ。お前のボールは悪くない」

「うん、分かってる」

 

 早川が再び新垣からボールを受け取って俺に安心したような笑みを向ける。

 うし、動揺はしてないみたいだな。

 問題はこいつだ。

 

『バッター四番、春くん』

「絶対に聖ちゃんを返す!」

 

 得点圏において打率八割、長打率一〇割超えのスラッガー、春涼太。

 得点圏以外での打率は一割ちょいっつーんだから得点圏の強さが際立ってるな。恐ろしい話だぜ。

 さて、と。何処を攻めるかだが――ここはシンカーを使っていこう。

 

(こいつを打ち取れば向こうの勢いも消沈するはず。ならばここでシンカーを使っても釣りが来るぜ。高速シンカーの方だ。コイツは初球から来るぞ)

 

 インに構えてシンカーを促す。

 早川はこくんと頷いて、俺の要求通りにシンカーを投げる。

 この間までのシンカーではない。大会までの一ヶ月ちょっとの間練習に練習を重ねたシンカーだ。

 キレも変化の仕方も格が違う。本物の決め玉になるボール。

 それを春は見事に初見で当てた。

 打球はサード方向。しかし勢いはない。

 

「おっしゃ!」

 

 だが。

 

「なっ……!」

 

 丁度三遊間の三塁より、石嶺も矢部くんも届かない場所へボールはてんてんと転がり抜けていく。

 その間にスタートしていた六道はサードベースも蹴った。

 なんとかレフトが捕球してボールを送球しようとするが遅い。六道は既にホームベース手前だ。

 

「っ、バックホームすんなっ! セカンド!」

 

 俺はバツを腕で作ってセカンドを指示する。

 その間に六道が生還した。

 マジかよ。完璧に打ち取った当たりが三遊間に上手いこと飛んでタイムリーって、こいつ運までもってやがんのか?

 まあ良い、長打にならなかったし、選択は間違いじゃなかったはずだ。

 

「早川、良い球きてるぞ!」

「うんっ」

『バッター五番、大京くん』

 

 一点先制されてなおもランナー置いて大京。たしかに並の高校だったら崩れかねないクリーンアップだな。

 だが大京は荒い打者だからな。早川のカモだぞ。

 

(出会い頭すら許さない。カーブを真ん中から外角に落とす)

 

 早川が頷いて腕をふる。

 それと同時にランナーの春がスタートした!

 エンドラン! なるほどな! 先制を許して動揺しかける相手を足でも揺さぶるっつー魂胆か!

 だが俺達にゃそれは通用しないぜ?

 大京がおもいっきりバットを振るうがボールは大きく変化し大京の空振りを誘った。

 それを捕球すると同時に俺は素早く二塁を送球する。

 久しぶりの機会だからな、しっかり見とけよ。

 パァンッ! と矢部くんがそれを受け取ってセカンドベース上からバッと春の方を見る。

 春は走るのを途中で辞め、ファーストベースへと戻ったようだ。

 これが世代最高投手と言われる猪狩守に認められたスローイングだぜ。そう易々と走れると想ってもらっちゃ困るしな。

 どよよっ! とスタンドがざわめく。

 高校一年生のスローイングではないとかそういう声が聞こえる。やべ、これちょっと気分良いな。

 

 

「ナイスパワプロくん! 凄い!」

「ありがとよ。お前のピッチングのおかげでリードは楽させてもらってるからな。これくらいやってランナーをファーストに釘付けしとかねーとお前に釣り合わねーだろ」

「は、わ……うん!」

 

 早川がはにかむ。うし、面目躍如。これで早川は投球に集中出来るはずだ。

 大京は一発にだけ気をつければ良い。こっから下位出しな。

 カーブを使ったから次はストレート。インローに決めてから外へシンカーで大京を打ち取る。

 これでチェンジだ。

 

「ふぃー、なんとか一失点で抑えたでやんすね」

「ああ、その当たりも良くなかった。春も薄々感じてるだろうぜ。いつもの勝ちパターンではないって事はな」

「じゃ、すぐにその一点を取り戻さないとでやんすね」

「そういうこった。任せたぜ。リードオフマン」

「任せるでやんす」

 

 ヘルメットを被って矢部くんはにやりと笑う。

 

『一回裏、恋恋高校の攻撃は、バッター一番、矢部くん』

 

 金属バットを肩に担いで打席に向かう矢部くんを後押しするかのようにチームメイト達が大声を上げて矢部くんを鼓舞させる。

 その声援を受けて矢部くんはバットを構えた。

 相手の投手は宇津。球種は高速スライダーと縦のスライダーだ。ストレートは一三五キロがMAX。まだ一年だからな。十分速い。

 けど一三五キロなら、いつも一五〇キロのマシンで打ち込みしてる俺たちなら捉えられないという球じゃないはずだ。

 

「来いでやんす!」

「ふ……僕のボール、受けてみろっ!」

 

 バシュッ! と宇津のボールが六道のミットに向かって投げられる。

 

「ボールッ!」

 

 ストライクゾーンから僅かに外れたボールを矢部くんはしっかりと見送った。

 球速と球威はある分コントロールはかなりアバウトだ。この投手はボールをしっかり見ていけば甘い球が必ず来る。

 それを狙い撃ちすれば――。

 

 ッカァンッ! と矢部くんが高めに浮いたストレートを左方向へ流し打つ。

 打たれたボールは三遊間を痛烈に抜けてレフト前ヒットとなった。

 

「ナイバッチ!」

「ふふん、デビュー初打席で初安打でやんす!」

 

 ぐっとガッツポーズをする矢部くん。

 そんな矢部くんを呆れた表情で見ながら新垣はバッターボックスに立つ。

 ここでバントのサインは出さない。矢部くんには自由盗塁――グリーンライト、新垣には自由に打てだ。

 たしかにバントをして手堅い野球をやるのもいいかも知れないが、初戦だしな。伸び伸びやってもらって一回り目は緊張をほぐす。それが一番ベストだ。

 っと俺ネクストに出ないとな。

 ヘルメットを被ってネクストバッターズサークルに腰を下ろす。

 その間に、新垣は投げられたスライダーとストレートをバットの先っぽで捉えて二球ファールにした。

 相変わらずすげぇバットコントロールだな。わざと先っぽに当てて外に出すとかやんねーぞ普通。

 

「ふー。いいとこ来るから手が出ないわね」

 

 

 バットを構え直しながら新垣は言う。

 構え直すと同時に、宇津が構えを取る。

 その瞬間、矢部くんがスタートした。

 縦のスライダー。これを待っていたのか完璧なタイミングでのスタート。

 

「走るのを待ってたのよ!」

 

 その矢部くんの盗塁を新垣は待っていた。

 キンッ! と新垣が縦のスライダーを右方向へ軽打する。

 縦のスライダーを捉えたボールは一二塁間に飛んでいく。通常ならばゲッツーコース――だが、今は違う。

 矢部くんがスタートした事によりセカンドがセカンドベースカバーに行く。それによって一二塁間は大きく開くのだ。

 つまりヒットエンドラン。

 新垣は一塁、ライトが捕球する間に矢部くんは快速を飛ばして三塁を陥れる。

 足を使った攻撃――これがウチの得点パターンの第一段階だ。

 さて、この攻撃を成就させるには俺が続かねーとな。

 

「バッター三番、葉波君」

「打つでやんすよー! キャプテーン!」

「打ちなさいよね! せっかく繋いだんだから!」

「同点にして! パワプロくん!」

「お前が打たないと大量得点にはならないからな。しっかりつなげ」

 

 矢部くんと早川はともかく新垣と友沢、おめーらもうちょっと俺に優しくしろ。きつすぎだろ。

 まあたしかに練習試合でもあんまり打って無いからな。俺の仕事は捕手だけじゃない、打者としての役割もあるんだ。しっかりやらないと。

 さて、目の前の宇津のデータをまとめよう。ストレートが一三五キロ、コントロールはアバウトでスライダーは縦のと速いの。どっちかというと縦のスライダーのほうが変化する。だからこそ矢部くんはこの球種を狙ったんだろう。

 

(さて、相手としてはここはゲッツーを取りたいはず。ゲッツーを取るには低めの直球を引っ掛けさせてゴロにするか、変化球でつまらせるか……だがコントロールがアバウトだからな。あんまりストレートでゲッツーを打たすっていう選択はしたくないはずだ)

 

 

 そうこう考えている間に、宇津がサインに頷いた。

 考えてる暇はなさそうだな。なら初球スライダーを狙って打つ。

 ブオッ! と宇津が投げる。

 初球はストレート。俺はわざと反応したようにバットをピクリと動かす。

 

「ストラーイク!」

「ナイスボールだぞ宇津」

 

 六道がボールを返しながら、俺の様子をじろりと見てくる。

 いい捕手か、たしかに厄介そうだ。

 今のバットの動きを演技と見極めていたら恐らくスライダーは投げてこないだろう。ならストレートに的を絞って……。

 宇津からボール投げられる。

 予想通りのストレートだ。

 

(引っ張る!)

 

 カァンッ! と捉えた打球は良い音を響かせて右中間へと飛んでいく。

 手応え完璧。久々に自分を褒めれる当たりだぜ。

 矢部君がホームへ帰る。俺もそのままセカンドを陥れた。

 これでノーアウト二,三塁、同点にしたぞ。

 

「ナイバッチキャプテーン!」

「ないすでやんすよー!」

「おう!」

 

 うし、何とか面目躍如だぜ。

 ……にしてもあの動きを演技と見極めるあたりはさすがの洞察力だ。相手のピッチャーのコントロールが良かったら苦労した所だな。

 そのコントロールのいいピッチャー、橘みずきは後半に控えている。なるほどな、徐々に点を返していって波に乗りかけたところで橘みずきで完全に勢いを消す、投手リレーもなかなかに考えられたチームだ。

 だがその前に得点をとっちまえば問題ない。

 頼むぜ。四番。

 

『バッター四番、友沢くん』

 

 友沢が左打席に入る。

 ノーアウト二、三塁だ。勿論俺は打ったんだし返してくれるんだよな? 四番バッター。

 宇津が一球目を投げる。

 縦のスライダー。

 結構な変化を伴ったそのボール。

 それを友沢は。

 

 フルスイングした。

 

 僅かに遅れてッキィィンッ!! と音が響く。

 歓声すらない。あまりの衝撃に誰も声を出せないのだ。

 ボールは遙か上空。ネットを超えて場外へと消えていく。

 

「……凄過ぎるだろ、四番」

 

 つぶやきながら、俺は三塁ベースを回ってホームベースを踏む。

 新垣とぱしんと手を合わせながら立役者がゆっくりベースを回ってホームインするのを待っていた。

 

「ナイスバッティング」

「甘く入ったスライダーだったからな。……ついこないだ高校一のスライダーを見たところだ。これを打ち損じたらそいつに失礼だろう?」

 

 ふ、と笑って友沢と俺たちはベンチへ帰る。

 早速四得点、幸先良いぜ。

 

『ば、バッター五番、明石くん』

 

 次のバッターをうぐいす嬢が呼ぶ。

 それと同時に、せきを切ったようにスタンドがざわつき始めた。

 高校一年生の打球じゃない。プロ入り選手――それも複数球団競合選手でも問題ないほどの打球だったからな。そりゃ度肝も抜かれるだろ。

 これで4対1。あっという間にこちらのペースに引き込んだぜ。

 

「んっ!」

 

 ざわめきが覚めやらぬ中、再び快音がこだまする。

 明石の放った打球が飛ばされる音。

 しかし不運か原の真正面で捕球されてしまう。

 これでワンアウト。

 続く石嶺はストレートを引っ張り三遊間を抜けてランナーが出るが、続く赤坂が縦のスライダーを引っ掛けてしまいゲッツー。

 これでチェンジだ。

 このまま一気に一〇点差がつけば早川の決め球を完全に解禁してコールド狙いもってのが一瞬頭をよぎったが、どうやらそう上手くは行かないらしい。

 

「よし、三点差ある! 抜かずにさっさと三者凡退でリズムつくるぞ早川!」

「うんっ!」

 

 早川の集中力も切れてない。打順も六番からだ。

 これならさっさと打ち取れる。

 "第三の球種"は封印して、高速シンカーとストレートでさっさと打ち取っていく。球数も節約出来るならしたいしな。

 六番篠塚を高速シンカーでセカンドゴロ。

 七番大月をストレートでキャッチャーファウルフライ

 八番中谷を再びストレートでセカンドゴロに打ち取る。

 二回終わって一五球、一点取られているが球数的には大成功だ。

 



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第五話 "六月二週~七月一週" vs聖タチバナ学園高校 後編

「さ、二回裏。張り切って行くぞ!」

 

 投手に変更はない。恐らく橘にスタミナがないんだな。できるだけ宇津に長く投げて欲しいというわけか。

 この回は早川から。一番に戻って矢部くん、新垣という打順だ。

 ここで一点は最低でも取っておきたい。一度切れたくらいじゃこっちの流れは途切れないということを相手にも見せつけてやんねぇとな。

 早川が初球を打たされセカンドゴロに終わる。

 

「ふぐー……」

 

 がっかりしながら早川はベンチに戻ってくる。

 うーむ、やはり早川はバッティングも研究されてるみたいだな。ならピッチングはもっと研究されてるんだろう。

 なら、それを前提にして攻めれば良い。研究されてると分かっているならそれ相応の対応の仕方もあるしな。

 

『バッター一番、矢部くん』

 

 矢部くんが打席に立つ。

 そして初球、積極的に宇津のアウトローへの直球を綺麗にレフト前へと弾き返した。

 これで一死一塁だ。おっとネクストに立たないと。

 投手と捕手があからさまに盗塁警戒しているな。投手が常にプレートを外していて矢部くんから目が離れないし、捕手もじっと矢部を見つめている。

 

『バッター二番、新垣さん』

 

 ま、実際にこんだけ警戒されている中でも矢部くんなら走れるだろうけど――今回は新垣にしっかり送ってもらおう。

 本番で送りバントする感覚を養うのも大事だし、一本決めれば新垣の気持ちも楽になるはずだ。

 

「ばっちりいけるでやんすよー!」

 

 矢部くんがアピールをする。

 そうやって塁上で存在感を見せてくれるとこっちもかなりやりやすいからな。さすがだぜ。

 宇津が投げる。

 ストレート。やはり盗塁警戒か外角高めに投げられたボールだ。

 それを新垣は見送る。これで0-1。

 続いて二球目、今度もストレート。だが今度は外めのベルトの高さにボールが来た。

 新垣はそれをしっかりと一塁線に転がした。

 職人芸という名がふさわしい絶妙なバント。

 矢部くんはゆうゆうとセカンドに到達する。

 これでツーアウト二塁。打順は俺だ。

 

『バッター三番、葉波くん』

「うぃっす!」

 

 ここはしっかり返さねぇとな。送って貰った意味がなくなっちまうぜ。

 投げられたボールをしっかり見る。縦のスライダーが外へ外れた。これで0-1。

 続いてのボールは内へのストレートだが、これもストライクゾーンを大きく外れて高めに抜ける。これで0-2だ。なんとか六道が立ち上がって捕球したからワイルドピッチにはならなかったが、一歩間違えればパスボールになってるような球だぞ。

 

(ここまでコントロール乱したら出来るのは球種のリードだけだろ。縦のスライダー、ストレートって使ったな。……俺のデータを集めたんなら、真っ先に来る情報は"久遠のスライダーに手も足も出なかった"ってのだろう。さっきストレートを打たれたし、この打席はスライダーで勝負してくるはず)

 

 それも縦のスライダーは今初球に使った。それなら今度は縦ではなく横に変化する通常のスライダーで来るだろう。

 コースは0-2ってことも考えて外のきわどいとこで勝負したいだろうが、そんなコントロールはないし、何よりも次はホームランを打った友沢だ。ランナーは貯めたくないはず。それなら打ち損じる確率が高い内側に投げてくるとみた。

 宇津が振りかぶる。それにあわせて俺もぐぐっとバットを引いた。

 投げられたボールはスライダー。コースはインよりの真ん中高め。

 予想通りだと確信して、俺はバットでボールをひっぱたいた。

 ッキィンッ!! と快音を響かせてボールは右中間へと飛んでいく。

 矢部くんは二、三塁の丁度中間当たりで止まり、ボールが弾んだのを確認してからスタートした。

 俺は矢部くんが三塁を蹴るのを見ながら二塁へと向かう。

 これで五対一。タイムリーツーベースで尚も二死二塁で友沢だ。

 

『バッター四番、友沢くん』

 

 コールされた瞬間、六道がすぐに立ち上がってベースから離れる。

 敬遠――。

 宇津も分かっているらしく、表情を変えることなく敬遠を行う。

 これで二死一、二塁。ここで明石。

 明石もなんだかんだいって何処のチームでも一軍に残れそうな選手。今日の宇津あいてなら打てるはずだぜ。

 

「宇津くん」

 

 そう思っていると、春がすたすたと宇津に近づく。

 宇津は春に答える事なくこくりと頷いて、ベンチを見た。

 春もベンチを見つめる。

 それを合図にして、監督が審判を呼ぶ。

 

「ピッチャー交代、橘」

『ピッチャーの交代をお知らせいたします』

 

 アナウンスが流れ、宇津がボールを六道に渡してベンチへと帰っていく。

 それと入れ違いになるように――早川と同じ女性投手、橘みずきが小走りにマウンドへと走ってきた。

 

「準備おっけーだよん。だーりん」

「その呼び方をしてる場合じゃないよっ。……頼むね。みずきちゃん」

「まっかせなさい。聖、初球から行くわよ」

「む……分かった」

 

 六道が頷いて答えると橘はにっこりと笑う。

 上手く聞こえなかったが初球からどうとか言ってたな。まさか初球から決め球のスクリューを投げるのか?

 

『バッター五番、明石くん』

 

 明石が打席に立つ。

 それに合わせて、マウンドに集まっていた選手たちがそれぞれのポジションに戻っていく。

 その中心。橘みずきは胸を張ってボールを握る。

 自信満々なそのマウンド捌きは自分に自信が有る証拠だ。

 

「行くわよっ!」

 

 初球。

 橘みずきが左腕を思い切りしならせて横から振るう。

 所謂サイドスローって投げ方だ。

 放たれたボールに反応することが出来ず、明石はぐっとバットを強く握り締める。

 判定はストライクだ。

 ……橘のフォームは投球の際のステップを内側にすることにより、リリースポイントを左打者の明石にとってはヘルメットで視界を遮られる更に外側にしているため、左打者にとっては死角から投げ込まれる球になっている。

 それは俗に言われるサイドスローの最大の武器。

 

 所謂"クロスファイヤー"。

 

 細かく言えばサイドスローの死角からの投球のみがクロスファイヤーと言われる訳ではない。左投手なら左打者の外角、右打者の内角に、右投手なら右打者の外角、左打者の内角に、という風に対角線上に投げられるボールのことだ。

 だが、対角線上に投げられるボールは角度がつけば付くほど凄まじい威力になる。

 見えないところから一〇〇キロ以上の飛んでくるボールを打つ、それがいかに難しい事か野球の未経験者でも分かることだろう。

 

「……そして決め球になる変化球がある、と。たしかにこりゃ一筋縄じゃいかねぇかもな」

 

 この投法は有効だ。だがその分会得するのも難しいんだぜ。

 制球し辛い上に負担も大きいからな。一朝一夕で覚えようと思って覚えれるもんじゃない。

 橘みずきのように己のフォームにその投げ方が自然だと染みこませて、やっと扱えるようになるのがクロスファイヤーという球。それを使いこなしてるということは相当な練習量を積んでるはずだぜ。

 じりり、とリードを取りながら、橘に注目する。

 初球から全力で行くという意味か、橘は見るからに全力投球かという感じでマウンド上で躍動感を出している。

 二球目。

 再び明石の死角であろう角度から投げられるボール――スクリュー。

 だが、ただのスクリューじゃない。

 

「高速スクリュー……!?」

 

 しかも変化の仕方が尋常じゃない。ストレートよりも僅かに遅い程度の球速だが、変化量は早川のシンカーの三倍以上。

 

「うあっ!」

 

 明石が大きく空振りする。死角から放たれる高速スクリューだ。流石の明石でも初見じゃ無理だろう。

 ……っつか、明石はバッティングだけなら俺より上だ。その明石があんだけ振り回すとなると、だ。友沢以外じゃ橘にはたぶん、手も足も出ないぞ。

 恐らく六道は三球勝負で来る。早い回で橘に出番が回ってきたのは恐らく向こうにとっては誤算な筈だ。無駄に球数は使いたくないはずだからな。

 三球目、橘が振りかぶってサイドからボールを投げ込む。

 だが、今度は高速スクリューじゃない。遅く変化が小さい――普通のスクリューだ。

 

「しまっ」

 

 明石が声を出す。

 既に振りにいっていた明石をあざ笑うかのように変化したボールは、バットのしたっ面にこつんと当たり、セカンドの正面に転がった。

 俺と友沢は全力で走るが真正面の当たり。これで一塁に生きろというのは酷な話だ。

 

「春はん!」

「ナイストス原!」

 

 四、六。

 春のミットがパシッと小気味いい音を立ててボールを捕球する。

 

「アウトォッ! チェンジ!」

「……っくそっ」

 

 明石が悔しそうに俯くが今のは仕方ねぇ。口には出さないがこのコンビネーションはそうそう打てるもんじゃないな。

 ……恐らく、一回りならあのあかつき大付属や帝王だって押さえ込める程に手ごわい筈だ。

 

「無理やりにでも流れをモノにしにきたな」

「友沢。……ああ、そうだな。しっかり抑えないと、ずるずる一点ずつでも取られてったら気づいたら同点ってことになりかねない」

「それが分かってるならいい。……早川を引っ張れよ」

「ああ」

 

 頷いて防具をつける。

 そう簡単に流れは渡さない。打順は九番から、大田原、原、橘という打順だ。

 

『バッター九番、大田原君』

「うーし、三回表しまってくぞー!」

 

 原は別として、九番と投手を交えた相手に取ってはチャンスにし辛い。この回は二アウトは楽に取れるはずだ。

 しかしそのツーアウトは簡単にくれることはない。セーフティを交えたりして少しでも早川の余力を削ろうとしてくるはずだ。

 つっても方法はない。バントダッシュは反射的にしちまうもんだし、それを気にしすぎてリズムを崩しても良くないしな。

 

(ストレートでポンポンとストライクを取るぞ)

 

 早川がリズム良くうつむいて、素早く投げ込んでくる。

 予想通り大田原がバットを寝かしてすぐに引く。その動きに惑わされて早川がダッシュしてくるが大丈夫だ。

 真ん中の内より、パァンッと音を立てて俺のミットにボールが収まる。

 

「トーライッ!」

 

 二球目、同じく内よりのストレート。

 今度は大田原のバットの動きに惑わされることなく、早川はダッシュしない。

 

「トーライッツー!」

 

 "早川が故障したら終わり――"。その俺のセリフを覚えていてくれたのか、早川は俺を信頼するように俺のサインを待っている。

 じゃあ、その信頼には答えねーとな。

 無駄球は使わないが、今バントダッシュしなかったのを見て大田原は恐らくセーフティで来るだろう。

 だが前には飛ばさせない。打順は九番。流れを渡すわけにはいかないということを考えて、石橋を叩いて渡るつもりでここは"第三の球種"を使う。

 インハイにミットを構えると、早川はこくんと頷いた。

 

(……栄光学院大付属高戦はマスコミに波紋を投げかける意味が大きかったけど、きっとこのチームづくりにも大きな意味があった)

 

 友沢もチームの輪に近づき、選手たちの実力の把握も出来た。

 そしてなにより、早川のことを把握出来た事と、早川が自分に自信を持ったことが大きい。

 "第三の球種"を含めた自分のストレート――その力を栄光戦で確認出来た。

 だからこそ、力一杯投げ込めるんだ。甘く入ったら打たれると腕を縮こませることなく――むしろ甘く入っても打たれないという自信を持って。

 

(さあ来い!)

 

 腕が振るわれる。

 投げられる球は"第三の球種(さいこうのきめだま)"。

 キレ味抜群のその球は手元で浮かび上がるような軌道で放たれる。

 バントしようとバットを寝かせた大田原のバットの上っ面に当たったボールは、バックネット上部に当たってグラウンドに落ちる。

 

「アウト!」

 

 スリーバント失敗で一アウト。

 

『バッター二番、原くん』

 

 原が打席に立つ。

 さて、この回はサクサク行くぞ。

 原を丁寧に攻めて五球目にショートゴロ。

 みずきを三球目でセカンドゴロに抑える。

 

「うし……」

 

 最悪、このまま動かない流れに持っていければ試合に負けることはない。

 欲を言えば点を取りたいな。まだ初戦――後六回を早川一人で投げぬかなきゃならないんだ。出来る事ならコールド出来るうちにさっさとコールドにしたいぜ。

 この回は石嶺から。

 六、七、八と下位打線へ続く打順だ。

 正直に言えば橘に取ってこの回は攻略はたやすい回だろうな。

 

「頑張るでやんすー!」

 

 矢部くんが声を上げる。

 だが応援むなしく石嶺はピッチャーゴロ、三輪はファーストゴロ、赤坂はサードゴロに討ち取られる。

 三回裏が終わって5対1。二回のピンチからリリーフして僅か三球でチェンジした橘のおかげでかなり相手さんが流れにのっているな。

 

「おっけー流れこっちにあるぞ! この回一点返してこー!!」

 

 春が大声で言うと、向こう側のベンチが鼓舞され、声を張り上げる。

 だが、実力ならこっちのエースだって負けてないぜ。そう簡単に行かせるかよ。

 四回表、三番の好打順からだがここも点はとらせない。決め球は完全解禁でクリーンアップを打ちとるぞ。

 六道をカーブでファーストゴロ。春を"第三の球種(インハイのストレート)"で三振に打ち取る。続く大京にライト前ヒットを打たれるが続く篠塚をピッチャーフライに打ち取った。

 

「聖、良いリードしてくるね」

「うん。やっぱりあのバッテリーは凄いよ」

 

 新垣と早川が帽子をかぶり直しながらため息を付く。

 まあ完璧に打ち取られちまったからな……。ここはフォローいれとくか。

 

「気にすんな。四点勝ってる。点を取られなきゃもう負けねぇよ」

 

 ぼす、と早川の頭にミットをかぶせる。

 もーっ! と言いながら暴れる早川を笑い飛ばして防具を着用し、五回表の守備についた。

 大月から七、八、九の下位打線。大月は初球からセーフティ。それをサードの石嶺がしっかりアウトにしてくれる。中谷はシンカーを使い三振に打ち取る。続く大田原も同じくシンカーで三振に打ち取った。

 これで五回の表は終了だ。

 続く裏の攻撃は俺からの打順――つまり、クリーンアップの打席である。

 

『バッター三番、葉波くん』

 

 ウグイス嬢に呼ばれて、打席に立つ。

 さーて、明石から新垣までしっかり抑えられた高速スクリューの威力はどんなもんかな、と。

 初球。

 右打ちの俺から見て、かなり遠くからボールが放たれる。

 ストレートインにボール球!

 判断して打ちにいくがインローに来た鋭いボールにバットが当たらない。

 六道のミットの位置を確認するがボールゾーンに置いてあった。

 

「……ッ……、……今の、見送ればストライクですか?」

「ああ、ストライクだよ」

「ありがとうございます」

 

 審判にお礼を言って、バットを構え直す。

 対角線上から放たれるボールは恐らくストライクゾーンの角に掠ってミットに突き刺さっているんだろう。ボール球を振りに行ったつもりだが見送ってもストライクだったっつーことか。

 ちくしょう、マジで厄介だぜ。どうやって攻略すりゃいいんだ。

 まあいい、二球目だ。球種的に考えれば緩急を考えて遅い方のスクリューを使ってくるか。俺ならここはスクリューを使う。スクリューに読みを張れ。俺は左打者じゃねーからな。しっかり見て振れば左打者より打ちやすい筈だぞ。

 二球目が投げられる。

 ぐっ、とバットを貯めて貯めて――ビシッ、と高速スクリューが膝下に決まった。

 緩い球を想定していた俺には手がでない。一応ボール球だと思ったが……。

 

「ットラーイツー!」

 

 うく、またゾーンに掠ってたのか? 左腕のサイドスローなんて珍しいもん、見た事ねぇよ。

 しかもインサイドステップで更に角度を付けて投げ込んでくるんだ。ストライクゾーンの感じ方が違っても不思議はないぞ。

 

「いい球だな。高速スクリューか」

「そうだ。……クレッセントムーンと名付けている」

「……クレッセントムーン?」

「そうだ。良い球だろう。……みずきと春くんのおかげで完成した球だ。そう簡単には打たせない」

「……? ああ」

 

 一瞬目元が緩んだ気がしたが気のせいか。

 にしても"クレッセントムーン"、ね。たしかに弧を描くように鋭い変化するすげぇ球だぜ。

 横手投げのクロスファイヤーにレベルの高い高速スクリュー、それが合わさって初めて高い効果を発揮する決め球中の決め球だ。

 これで2-0。……どうするか。

 ここで緩いスクリューか。それとも決め球のクレッセントムーンか。俺が合ってないストレートか。

 三球目。

 橘の手から放たれたボールは外角の低めに外れる。

 

「ボールッ!!」

 

 外角を使って内角のボールを有効に見せるための見せ球だ。

 これで2-1。友沢の前だからな、ランナーは出さないために慎重に来てるんだろう。

 

(次の球……四球目)

 

 これで速い球三つ。そろそろ緩い球が来そうだが……。

 橘が腕をふるう。

 追い込まれてる。ヒットゾーンを広くどの球にも対応するつもりで振れ!

 放たれたボールにタイミングを合わせて振るう。

 だが、当たらない。投げられたボールは"クレッセントムーン"……ストレートと同じ速さで急激に変化する橘、六道バッテリーの必殺球だ。

 

「トライックバッターアウッ!」

 

 審判のコールを聞きながら、俺はベンチへ帰る。

 くそ、手も足も出なかったな。完璧に見下ろされる形の三振だ。

 中学時代に活躍したといっても高校になれば話は別だ。

 俺の打撃はこのままじゃ、強豪校のピッチャーに手も足も出ないぞ。

 ……自分のことを考えるのは試合が終わった後でいい。今は橘の攻略法だ。

 

『バッター四番、友沢』

 

 打席に友沢が立つ。

 両打席の友沢は左相手に右打席に立った。

 ここは友沢に攻略法は任せよう。あいつならきっと何とかしてくれるはず。

 初球。えぐるように投げられるストレート。

 それを友沢は苦しそうにバットの先でカットする。

 カットしたボールは真後ろに飛んでファールになった。

 

「ファールッ!」

 

 1-0。珍しく打ちづらそうにしたな。流石の友沢でも初打席でこれに対応するのは無理か?

 二球目、外に投げられた遅いスクリューを友沢は見極める。

 

「ボーッ!!」

 

 これで1-1だ。

 

「タイム」

 

 友沢がタイムを取って打席を外し、靴紐を直した。

 どの球を打とうか迷ってんのか……? 大丈夫なのかよ友沢。

 友沢が打席に戻って三球目。

 続いての球は決め球――クレッセントムーン。

 1-1だが確実に追い込むために選択された球だ。

 全く反応せず、友沢がそのボールを見送る。

 

「トーライッ!」

 

 インローぎりぎり、またもやクロスファイヤーで投げられたボールに審判の手が上がる。

 2-1で追い込まれた。くそ、ここまでは完璧に相手が上手のピッチングをしてるぞ。

 それでも友沢は表情を崩さない。橘を見つめたまま、ぴたりとも集中を崩さず橘に集中している。

 投げられた四球目はまたもや高速スクリュー、クレッセントムーン。

 それを友沢は軽く合わせるようにしてファールにした。

 体重を後ろに残し、手で当てに行くだけのフォームだがカットするだけならこのフォームで十分だ。

 

「大丈夫だ。みずき。球は来ている」

「うん」

 

 ボールを六道から受け取りながら、橘はふぅ、と大きく息を吐いた。

 スリーランを打った打者だ。そう簡単に打ち取らせてはくれないと思っていても緊張するもんだよな。

 続いて橘はボールを投げ込む。

 今度のボールはストレート。だが友沢はそれにも反応しバットの根本でそれをファールにした。

 六球目、続いて投げられたのはクレッセントムーン。低めに僅かにズレたボールを友沢は見逃す。

 

「ボールッ!!」

 

 2-2。すげぇ。橘にとっては一〇〇%に近い精度の球を見極めやがった。あいつ選球眼までいいのかよ。

 六道が橘にボールを返しながら、なにかを考えるようにじろじろと友沢を見る。

 どうやったら打ち取ることが出来るか考えているんだろう。

 俺が捕手ならここはクロスファイヤーを使って打ち取るのを狙うが、果たして六道は何を選択するか。

 

「みずきちゃん! 聖ちゃん! 打ち取る事だけを考え無くて良いからね。後ろで勝負しても抑えられるよ!」

「分かってるわよ! いいからちゃんと守りなさいよね!」

 

 春の声に橘がわーわーと答える。

 騒がしいチームだな。だが不和は伝わってこない。やはりチームワークはしっかりしてるんだな。

 橘がふぅ、と息を吐いてロージンを入念に指へと付けてから、ぐっぐっと腰を回す。やはりインステップだからな。かなり負担は掛かってるんだろう。

 ……ん? 負担?

 ちょっと待てよ。

 ……そうか、ただでさえ疲労がオーバースローやスリークォーターなどに比べて大きいサイドスローなのに、更に疲労度が蓄積しやすいインステップで、尚且つ凄まじい精密さで投げ込んで居るんだ。スタミナだって凄まじい勢いで消費しているだろう。

 つまり友沢はスタミナ切れを狙って粘っているんだ。

 

「……っ、すー、はぁ」

 

 狙いに気づいたからか橘がロージンバッグを手につけながら、深く息を吐き出す。

 七球目、橘が思い切り腕をふるってボールを投げた。

 えぐるように内角に投げられた球はクレッセントムーン。

 友沢はそれを体の回転で巻き込むようにして引っ張った。

 ッカァンッ!! と痛快な音を残して打球はショートへと素早く飛ぶライナーになる。

 それを春がジャンプしてキャッチした。

 ファインプレー、そしてこれが友沢の公式戦初のアウト。

 当たりは良かったけどな。相手の守備の勝ちってところか。

 

「よしっ!」

「ナイスキャッチだーりん!」

「いいぞ春ッ!」

「後一人でチェンジだよ! 頑張ってみずきちゃん!」

 

 ボールを返しながら春が橘に言葉を飛ばす。

 続いての五番は明石。……よし、この回は粘らせるぞ。

 待球指令のサインを出す。明石はそれを了解してくれて、ぴたりと構えた。

 結局明石はストレートを確実にファールし、六球粘ってアウトになった。

 

「ナイス粘り。うっしゃ、六回表だ! この回は一番からだからな。しっかり抑えるぞ!」

「うん!」

「任せるでやんす!」

「まっかせなさい!」

 

 部員たちの意気を感じ取って、俺はキャッチャーズサークルへと腰を下ろす。

 この回は一番からだが、決め球を解禁して打ち取りに行く。

 原はカーブとストレートのコンビネーションを駆使し最後は"第三の球種(インハイのストレート)"で三振。

 続く橘はストレートで攻めてセカンドゴロに打ち取る。

 問題の六道には八球粘られたが、アウトハイのストレートをつまらせてファーストフライに打ち取った。

 

「……っ」

 

 六道の顔が悔しさに歪む。

 いよいよ流れが来ないことを焦り始めたみたいだな。しっかり抑えれてるし、これで六回一失点、試合も終盤だ。

 そしてこの六回裏――攻める。

 橘は六道の粘りで少しは休めたろうがそれでも疲れてる筈だ。この回は打者にも立ったし、何よりも友沢と明石の粘りがそろそろ足に来る。

 

「石嶺。初球の甘い球をのがすな。積極的に行けよ」

「分かった」

 

 石嶺が頷いて打席に向かっていく。

 

『バッター六番、石嶺くん』

 

 僅かに肩を上げ下げして、橘が息を吐いている。

 初球、六道が間を取りながら何を要求しようか悩んでるな。

 この回、橘が疲れているのは六道も分かっているはずだ。だからこそ安易にストレートや高速スクリューを要求すれば、甘くなり打たれるということも理解しているだろう。

 六道はアウトコースにミットを構える。

 クロスファイヤー。

 この場面で安易に球やコースを選択する事は出来ない。

 だからこそ考えて考えて必死に考えて、六道の選択したコースは外だった。

 左打者である石嶺の外角に来る球。そこにボールを決めれればそう簡単に打つことは出来ない。

 

「来い! みずき!」

「ん。……」

 

 ざっ、と橘が横手から腕を振るった。

 キレの良いストレートが対角線から逃げるように放たれる。

 初球から積極的に行けとアドバイスしてあった石嶺のバットから逃げるように、ストレートが外角の構えたところに決まった。

 

「トーライッ!」

 

 これで1-0。まだまだ、一球余裕があるぞ石嶺。

 二球目。ここは少ない球数で打ちとっていきたい筈だ。

 なら、ここでクレッセントムーンが来る。

 絶対に打たれないと自信がある球を選択する場面だ。ストレートを外角に構えて真っ向勝負したなら二球目は更に良い球で勝負するしかない。

 その球はたった一つ、クレッセントムーンだけなのだから。

 

「っ!」

 

 橘が腕をふるう。

 外角に構えられた六道のミットが驚いたように内側に動いた。

 球が浮く。一目見て甘いと分かる球だ。

 それを石嶺は押っ付けるようにして左に打ち返し、打球は三遊間を破って行く。

 よし! 予想通りこの回球が甘くなってんぞ! この回一気に攻める!

 ノーアウト一塁。ここでバッターは三輪だ。左打ちを徹底させてここで攻略したいな。ここで四点以上とれば次の回を無失点に押さえることでコールドが成立する。ここは欲張っていくぞ。

 

「三輪、積極的に行けよ。甘い球が来たら引っ張っていい、ゲッツーでも構わねぇぞ?」

「分かった。ゲッツーだけは打たない程度に積極的に行くよ」

 

 俺の軽口を笑って流し、三輪が打席に入る。

 三輪に対する初球。六道が外に構えた。

 だが、外への球がまたもや甘く入る。三輪はしっかりと俺が伝えたとおりにボールを引っ張ってくれた。

 ッカァンッ! と音を立ててボールが飛んでいく。

 ライトへの痛烈な当たり。ライトの大田原がそれを捕球してセカンドの原にボールを返すがランナーが出塁する。これでノーアウト一、二塁。

 

「……っ、く、はぁ、はぁっ……」

 

 橘がついに肩で息をし始めた。

 そうだよな。リリーフであろう橘が二回から投げて三回と二分の三、球数にして既に三八球投げてるんだ。スタミナ切れしても不思議じゃない。

 

「みずき……ッ」

 

 六道が何か言おうとするが、それを腕で制して橘はボールをくるくると指で回す。

 息を落ち着けるように大きく深呼吸をして、橘は再び構える。

 負けん気が強いな橘は。こういう投手は気後れしない。どんなピンチにだって弱みを見せないんだ。

 バッターは赤坂。ここは荒い打撃をさせたくないが、赤坂はバントがヘタな上に対応力が低い。

 長打が出れば良いけど次が早川だからな。ここは好きに打たせるしかないぜ。赤坂はバットに当たればボールは飛ぶ。ここは何とかヒットを打ってくれ。

 橘が腕を振る。

 ボールは外へのスクリュー。赤坂は思い切りそれを待っていましたとばかりにバットを振るったが、ボールゾーンへボールは逃げる。

 それを追いかけるように赤坂のバットが動いた。

 ガキッ、と鈍い音。

 

「よしっ!! 原っ!」

「ほいきたっ!」

 

 飛んだボールは春の真正面、春はそれを受け取って素早くセカンドへトスする。

 受け取った原はそのままファースト送球した。

 

「アウト!!」

 

 ダブルプレイ。チッ。甘くくれば捉えてたようなバッティング内容だったけどな。橘の執念が勝ったか。

 続く九番の早川は甘いストレートで完全に打ち取られる。これでスリーアウトでチェンジだ。

 

「……だが、この内容じゃ九回は持たない。次の回は一番から。……この回〇点に押さえて勝ちに行くぞ!」

「おおっ!!」

 

 全員で気合を入れてキャッチャーズサークルに座る。

 

『バッター四番、春』

 

 バッターは四番の春からだ。

 春がベンチを見つめている。

 その視線の先を追ってみると、そこにあるのは息を荒らげながらベンチで汗を拭う橘の姿。

 それを見つめて、ギリリと春はバットを構える。

 気合が入ってるな。キャプテンとしては力投している投手に援護点をやりたいところだろう。点差的に考えても七回表、そろそろ点を取らないと敗戦濃厚だからな。

 

(アウトローのストレートから、このコースは長打にならないぞ)

 

 ストレートを狙い撃ってきたとしてもヒットには簡単に出来ないぞ、さあ来い。

 早川が腕を振るう。右手のアンダースローから放たれる独特の軌道のストレートを春は振るっていく。

 

「ストラーイク!」

 

 しかし当たらない。空振りする形になってこれで1-0。さて、次の球だ。次は緩急を付けてカーブだぞ。

 早川が腕を振るって投げてくる。

 そのボールも春はビュッ! と振るって手を出してきた。

 これで2-0、追い込んだ。

 けど、なんか不気味だな。闇雲に振ってる訳じゃない。ちゃんと集中はしてるし狙いも付けて振ってきてる。

 

(一球外そう。早川、球数が多くなるが勘弁してくれよ)

 

 俺がサインを出すと早川はこくんと頷いた。やっぱ早川も何か感じてんだな。外すのが当然みたいな反応だぜ。

 外にストレートを投げて一球外す。

 2-1。カウントはまだまだ有利だし、高めの"第三の球種"で打ち取れるか?

 じろ、と春の様子を見てみる。

 集中は見せ球を見せても変わってないな。すげぇ集中力だ。……まるで得点圏のこいつを相手してるみたいだぜ。

 

(四球目は"第三の球種(インハイのストレート)"だ。来い!)

 

 早川が頷いて腕を振るう。

 春のバットの手前でボールが浮かび上がる。その軌道。

 

 それを春のバットが一閃した。

 

 カァンッ! という音を響かせて、ボールがレフトへと飛んでいく。

 完璧に捉えやがった! あの球を引っ張って長打だと!?

 レフトの三輪がフェンスに直撃したボールを取る。そのころには既に春はセカンドを回っていた。

 矢部くんが中継に入り、サードに送球されるが遅い。三塁塁審の手が大きく広げられる。

 スリーベース。完璧に捉えられたけど今の打席のあいつはなんか得点圏に感じる凄みがあったしな。これは仕方ないと切り替えていこう。

 

『バッター五番、大京』

 

 大京の打席だが、ここはヒットさえ打たれなきゃ良いんだ。一点なら取られても問題ない。ランナーさえ貯めなければ同点にまではつながらないからな。

 ……にしても、春の気迫は凄い。逆境に強いのかもな。あいつ。

 

(恐らく初球から来る。低めの高速シンカーを打たすぞ)

 

 俺のサインに早川はこくりと頷いて、ボールを投げる。

 低めのボールを大京はしっかりとミートする。それと同時に春がスタートした。

 ッキンッと乾いた音をバットが立てるが、痛烈な当たりのファースト真正面の当たりだ。

 

「っっ! 赤坂ファースト踏んで速くバックホームだ! 刺せるぞ!」

 

 ファーストベースよりやや後ろにいた赤坂はしっかりと捕球しながらファーストを踏んでバックホームする。

 

「セーフになるっ!!」

「させるかぁっ!!」

 

 タックルをしてくる春を抱えるように俺はブロックする。

 

 ドゴッ!! と鈍い音が球場に鳴り響いた。

 

 な、んてタックルしやがる……! ショルダーでプロテクターの上からタックルなんて怪我承知でやるプレーだぞ。こんな場面でやる走塁じゃねぇ。

 ……けど、まぁ、きっと目の前の春って男にはそういうの関係ないんだな。今ここでセーフになるっつー事しか考えてないんだ。

 そうすればまだチームは戦える。

 そうすればまだチームは勝てる。――そんな力をチーム全員に、そしてなによりここまで頑張って投げてきた橘に与えるために、こいつは全身全霊でそういう走塁をしたんだ。

 そして、そういうプレーはきっと――報われるもんなんだろう。

 

「セーフッ!」

「やっ……たあああ!!」

 

 球審の腕が開く。

 これで5-2か。

 どうやらタッチまでは出来なかったらしい。ブロックして押されたときに春の手がベースに触れたんだろう。しっかりブロックしたつもりだったけど予想外のタックルに押されちまったな。

 春がガッツポーズをして意気揚々とベンチへ走っていく。

 聖タチバナのベンチにいた面々が春の頭をバシバシと叩いたり、橘が春に抱きついたり六道がそれを怒りながら諌めたりする様子がここからも見えた。

 

「大丈夫? パワプロくん」

「ああ、悪いな早川、ブロックしきれなかった」

「ううん、今日はペースも良いし、六回二失点だよ。全然疲れてないし後続は下位打線。大丈夫。それよりもパワプロくんは怪我はない?」

「ああ、結構痛烈なタックルだったよ。……どこにでも居るんだな。ああいういつでも全身全霊でプレーする奴って」

「…………ふふっ」

 

 早川がくす、っと笑う。

 な、なんだよ。俺なんか変なこと言ったか?

 

「ううん、ごめん、パワプロくんそっくりだよ。春くん」

「は?」

「仕草とか口調とかポジションとかは違うけど、いつでも白球を追いかけて、全力プレーでチームを引っ張る。チームの中心にいて皆を支える。……まるでパワプロくんみたい。きっと春くんが聖タチバナのパワプロくんなんだね」

「……なんだよそれ? ……ま、そうかも知れねぇな。よし――んじゃ、切り替えて、後続を抑えるぞ」

「うん」

 

 にこっ、と笑って早川がベンチに戻って行く。

 ……聖タチバナの俺、か。

 そうだな。俺でも点差があれば諦めない。力投していた早川を放ってはおけないだろう。

 そういうプレーをあいつはしたんだ。だったら俺も負けてられないぜ。"恋恋高校の春涼太"として、全力のプレーを見せてやるよ。しっかり見とけ。

 後続の篠塚、大月をそれぞれ三振、ショートゴロに押さえてベンチに戻る。

 バッターは一番の矢部から。一番得点を期待出来る打順だ。

 

「矢部くん。もう小手先の作戦は要らないよ。――全力で打ち返してこの回で決めよう」

「そうでやんすね。絶対出るでやんす!」

「ああ!」

 

 七回裏、この回四点とればコールドだ。

 そして打順は矢部くんから、相手は疲れた橘――不可能じゃない。

 矢部くんが打席に立つ。

 橘はまだ息が整わず、玉のような汗が額に浮かんでいる。

 それでも橘は六道のサインにこくんと頷いて、しっかりと構えた。

 そしてサイドスローからのインステップで投げ込む。

 疲れてでもその投法は変えない。それが橘の矜持なんだ。

 そうして投げ込まれたボールはアウトコースへのストレート。しかし球が浮いていた。やはり疲れで下半身が使えずに球を上手くコントロール出来ていないんだな。 

 勿論矢部くんはそれを逃さない。初球から積極的に振りに行き、バットの先っぽにボールを当ててその球をレフト前へと弾き返した。

 

『バッター二番、新垣さん』

 

 新垣が打席に立つ。

 ここはもう矢部くんはスタートする。問題は新垣がどうするかだが……ここは任せてみよう。

 ネクストに腰を下ろして戦局を見つめる。

 新垣と矢部くんが目を合わせていた。

 一球目、外角高めにクレッセントムーンが外れる。

 0-1か。やはり橘は下半身の粘りが無くなっているせいか球が高く抜けている。上体が高いままリリースしているから球が高くなってるんだ。

 

「悪いけど全力で行くわよ。聖」

「ああ、当然だ。それにまだ負けると決まったわけじゃない。キャプテンの走塁で気合が入ったからな。必ず逆転する」

「……上等、その流れ、全部貰ってくわよ」

 

 二球目、新垣に対して今日六道は決め球をストレートにおいている。それは新垣も分かってるはずだ。

 恐らく球種はストレート。右打者の新垣にえぐるようインコースに投げさせて、力で新垣を打ちとることを選択するのが妥当かな。

 橘がボールを投げる。

 それと同時に――矢部くんがスタートした!

 ヒットエンドラン! 俺はサイン出してないぞ! 大丈夫なのか!?

 思った瞬間、新垣が外への球をバットに当ててボールをゴロにする。一二塁間の二塁寄りへのゴロはゲッツーコースに飛んでいくがそこに二塁手の姿はない。

 矢部くんがスタートしたことでセカンドがベースカバーに動き一二塁間ががら空きになったそこに新垣は的確にゴロを打つ、一、二番の足を絡めた強力なコンビネーション攻撃。

 すげぇコンビネーションだなおい。アイコンタクトでエンドランかよ。相性ばっちしじゃねぇか。

 

「大田原中継返すだけ! ファーストランナー三塁間に合わないっ!」

 

 春が指示を飛ばす。その間に矢部くんは悠々と三塁を陥れた。

 さて、このチャンスで俺か。

 俺としては後につなぐバッティングでいい。恐らく二、三塁になれば友沢は敬遠だろう。つまり無理に長打を打つのではなく、軽く繋ぎのヒットを打てば良いわけだ。

 

「内野前進! バックホーム態勢だ!」

「了解や!」

「任せろ! 守るぞ!」

 

 内野前進守備。積極的な守備だ。ここで一点やればせっかくの流れがこちらに流れる。そうすれば敗戦濃厚だ。だからこそバックホームの態勢を取って一点もやらないという積極的な守備を取ってきているのだ。

 

『バッター三番、葉波くん』

 

 必要な時にしっかり攻める――それが本当の積極的というものだ。

 もう小手先の技術は使ってこないだろう。なら俺も深く考えず、打ちに行く!

 

「んっ!!」

 

 橘が帽子を飛ばしてボールを投げ込んでくる。

 それを打ち返すため、俺は全力でバットを振るった。

 ッギィンッ、と鈍い音を響かせて、ボールはバックネットへと突き刺さる。

 内角のストレート、厳しい所にきたがやはり球威は無い。さっきまではバットに当たんなかったからな。

 

「ナイスボールっ!!」

 

 六道が返して、すぐさま橘は構える。

 二球目。

 ヒュバッ! とバットを振るう。

 キィンッという快音を残すが、バットは三塁線の左へのファール。

 

「……ッ」

 

 橘の顔色が変わる。

 既に息は荒く、六道の呼びかけに応える余裕すらなさそうだ。

 スタミナ切れ――それでも、橘はマウンドを譲らない。

 

 ここは自分の場所だというように。

 ここを譲る訳にはいかないと言うように。

 

 三球目、橘が腕をふるってボールを投げ込む。

 そのボールはインコースの甘いところにきた。

 それを俺は狙い打つ。

 

 キンッ! と快音を残し、ボールは三遊間を抜けていった。

 

 矢部くんが三塁から帰ってくる。

 新垣は二塁へ俺は一塁へそれぞれ進塁、出塁した。

 

「みずきちゃんっ!」

 

 春が橘へと声をかける。

 それでも橘はふるふる、と首を振ってマウンドに行こうとする春を制した。

 

『バッター四番、友沢くん』

 

 ホームランが出れば試合は終わる。

 たぶん、危ないことは橘が一番分かっているだろう。それでもマウンドからは降りない。

 それが――エースの矜持、なのだから。

 

「っ、ぅ、ぁ、あああっ!!」

「――」

 

 指先から放たれたボールは絶対的な決め球であるクレッセントムーン。

 

 インコースよりの真ん中高め。友沢は迷わない。バットを一閃する。

 

 打球が放たれたその瞬間、橘はその場に崩れ落ちて膝をついた。

 俺と新垣は打球の行方も確認せず、次の塁へ向かう。

 ベンチから矢部くんや早川がワッと飛び出してきた。

 ホームに到達し、悠々とベースを回る友沢を俺達は待った。

 

 

                  ☆

 

 

 うるさいわね。

 

『みずきちゃん! 頼むよ!』

 

 うるさいうるさい。私は野球が出来ないのよ。

 

『みずきちゃんや宇津くんたちが入れば、十人――野球の試合に出れるんだ!』

 

 その案件は却下したじゃない。なんでわざわざ頼みに来るのよ。

 

『野球がやりたいんだ! みずきちゃんたちと、一緒に!!』

 

 ――どうして? なんでそこまで私たちにこだわるのよ。私は野球はもう、出来ないっていったじゃない。

 

「それでも、キミと野球するのが楽しそうだと思ったからだよ。聖ちゃんも待ってる。――ほら、行こう」

 

 私の手を、引っ張らないで。

 やりたくなっちゃうじゃない。野球。

 もう諦めたの。私は野球はもうしないの!  だから……!

 

『大丈夫、俺に任せて、聖ちゃんに中学校で練習付き合ってたときから話は聞いてたんだ。学長を説得すればいいなら俺が手伝う! ズバリ婚約者に……あいたっ!』

『馬鹿な事をいうなっ!』

『聖ちゃん酷いよ! 婚約者に化けて学長を納得させようってだけだったのに!』

『そ、そうだったのか、それは済まない。で、でもだな、その、あの』

『あはははっ、分かったよ。じゃ、春くんの案を採用するね』

『み、みずき!?』

『ふふん。ま、大丈夫よ大丈夫、フリだから、フ・リ』

『む、むぐぅぅうぅ……』

 

 膨れてる聖を笑う私を見て、春くんは困った顔をして笑っている。

 私を野球に連れ戻してくれた人。

 おじいちゃんと話ししたらめちゃくちゃ怒られたっけ。それでも春くんは萎縮なんかせず、それどころか『プロになる!』とまで宣言しちゃって。

 バカだなぁ。私がやらなくても三人が入れば九人、それで野球部で大会参加出来るし他の学生を探せばいいのに、私にこだわっちゃって。

 それで夢のような出来事を叶えなければどうなるかわからんぞ、とまで言われたのに、それでも春くんは前を向いて歩く。

 

『これ、ペンダント』

 

 でも、夢を真顔で語って、

 

『うん? なにこれ』

『婚約者のしょーこ、首に付けておいて、大事なものだから壊したら許さないよ』

 

 本気でその夢に向かって努力している春くんは皆の中心で、

 

『分かった、気をつけるよ』

『ふふん、そのペンダントは好きな人に渡すものなんだからね。壊したら将来の旦那さんが殺しにいくわよ』

 

 私が悩んでいる時も親身になって相談してくれて、

 

『うわ、そりゃ大変だ』

『大変よー』

 

 聖が悩んでいるときも側にいてあげて、

 今度は私がクレッセントムーンを完成させることが出来ないってなったときには、その前の千本ノックやバッティング練習なんかで疲れてるのに、夜中まで練習に付き合ってくれて、

 

『分かった。じゃ頑張ろうね。俺と聖ちゃんとみずきちゃん、大京くん、宇津くん、原くん――このメンバーなら甲子園に行ける、いや、全国優勝出来るよ!』

 

 そんな春くんと、私は――、

 

『……ばか。そんなに簡単にいけるわけないじゃん。……って思ったけど……そだね。きっといけるね!』

 

 一緒に、プロに行きたい。

 

「みずきちゃん」

「……う、く」

 

 顔が、見れない。

 終わってみれば四失点。

 友沢にスリーランを被弾しこれで七回裏で七点差、コールドが成立する。

 聖が私を良いリードで引っ張ってくれた。春くんは今日二打点。私が完全に抑えきってれば、流れはこっちに来たはず。それを、疲れで腕が振れなくなった結果――四失点、ここまで無失点に抑えていたのに。

 

「……ごめん」

 

 それをいうのが精一杯。私は声を絞り出す。

 春くんはなんていうかな。

 

 "あの時"、私と聖が言われたように女のバッテリーはチームに要らないとでも言われるのかな?

 そりゃそうだよね。こんなスタミナの無い投手、なんて。

 

「そうだね。でも俺も悪かったよ」

「……え?」

 

 いって、春くんは私の頭にぽむ、と頭をおいた。

 そしてそのままぐりぐりと私の頭を撫でまくる。ちょ、こんな皆が見てる前で!?

 

「うむ、そうだな。私もリードが甘かった。スタミナ配分はしたつもりだったが」

「それをいうならボクが悪いよ。二回途中でノックアウト、あれが痛かった。四回まで一点で押さえてればかってたし」

「それをいうなら俺たち打撃陣だー。みずきちゃんが投げ始めてすぐに逆転してればなー」

 

 皆が皆私を取り囲む。

 な、何よ、私を攻めればいいじゃん!

 

「そういうことだよ、みずきちゃん。たしかにみずきちゃんも悪いのかもしれない。けど、俺たちも悪い。チームの敗戦は皆の敗戦、それをみずきちゃん一人が抱え込むことなんかないんだ。それにまだ一年だよ? 夏の大会は後二回。春の大会なら後三回余裕があるんだ。……今回は大差で負けてすごく悔しいけど、来年は仮を返そう。……恋恋高校にね」

 

 春くんが笑って私の手をつかんで立ち上がらせる。

 聖も春くんの言葉を聞いて嬉しそうに頷いた。

 ――そっか。そうだよね。

 まだチャンスはあるんだから、仮は返さなきゃ。

 覚えてなさい、あかり、あおい! 私の仕返しは倍返し、怖いんだからね!

 

 

                   ☆

 

 

「九対二、恋恋高校!」

「「「「「「「「「「ありがとうございました!!」」」」」」」」」」」」」

 

 全員で礼をして、俺達はベンチを後にする。

 早川の球数も少なめに済んだし、次の試合に向けて良い材料になっただろう。

 

「葉波くん!」

「お? ……春」

「やられた。またリベンジするよ」

「……ああ、そう簡単には負けねぇぞ?」

「うん、分かってる。頑張ってね。次は――」

「――帝王実業」

「……勝つ、つもりだよね?」

「勿論さ。お前らに勝った以上はな」

「いい試合を頼むね。応援してるよ。じゃ、俺たちは帰ってミーティングするからさ」

「ああ、またな」

 

 春と別れる。

 俺も学校に向かわねーとな。早川は今新垣とストレッチしてるからそれが終わったらさっさと帰って 全体的にストレッチ体操して……。

 

「パワプロくん」

 

 鼻につく、どす黒さを感じる声。

 思わず振り向く。

 そこに立っている男――蛇島桐人。

 

「蛇島ッ……」

「アハハハ! そんな睨まなくてもいいじゃないか。挨拶しようと思ってきたところなんだから」

「挨拶? なんのだよ? ラフプレー宣言でもしに来たのか?」

「おお、怖い怖い。嫌われたもんだねぇ。まあいいや、一つ言っておこうと思ってさぁ。……進くん。見に来るって言ってたよ」

「――」

「じゃあね。パワプロくん、五日後の試合でまた会おうね! ハハハハッ!!」

 

 高笑いして蛇島は帰っていく。

 ……五日後か。

 五日後には全力で戦う。

 その様を、進に見せよう。そうすればきっと何かが伝わる。俺が言いたかったことを分かってくれるはずだ。

 俺は決意して歩みをすすめる。



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第六話 "七月一週" vs帝王実業高校

 vs帝王実業の前日、しっかりと連携プレーを確認し、体のストレッチを終えて解散した後、俺はベンチに座ってスパイクなどの道具の手入れをしていた。

 ……進のことが頭から離れない。

 練習中はそれに集中することで気を紛らわすことが出来る。……けど、それが終わって何も体を動かしていない時には進の事ばかりを考えてしまう。

 くそ、こんな状態で帝王に勝てる訳がないだろ。何考えてんだ俺は。

 

「……パワプロくん」

 

 そんな俺を心配そうに早川が見てくる。

 ……なんて顔してんだよ。俺が死んじまいそうに見えるのか?

 

「大丈夫だよ」

「……ボク、何も言ってないよ。……あのさ、パワプロくん。明日、帝王とだね」

「……そう、だな。でも本当になんでもないんだ。それより早川も話があるんだろ?」

「うん。……あのさ。……帝王って、もう何度も甲子園にいったり、優勝も一杯してるチームだよね」

「大本命だな。あかつき大か帝王実業って言われてる」

「ボク、抑えれるかな。怖くて怖くて、たまらないんだ」

 

 ぎゅ、と早川が拳を作って俯く。

 言ってる自分が情けないとでも思ってるのか。誰でも怖いもんだと思うぞ。だからそう気にすることはないんだ。だからそんな顔すんなよ。お前がそんな顔してたら嫌なんだからさ。

 

「安心しな。負けて良い、ってことはないけど――俺達の力を試すつもりでぶつかろう」

「……パワプロくん」

「全力でぶつかる、それが大切なんだ。どんな惨敗でもどんな負け方でも――そうすれば、次に繋がるさ。俺はそうやってあかつき大付属中で過ごしてレギュラーを取ったんだから」

「うん、そうだね。……隣、座っても良い?」

「ああ、構わねぇよ。っつかもう八時近いけど明日試合だぞ? 大丈夫か?」

「うん、平気、シャワーは浴びたし、はるかと彩乃ちゃんが持ってきてた石鹸とシャンプーで体も洗ったしちゃんと着替えたから、後は寝るだけだしね」

「ああ、そうか。俺もシャワーは浴びたしな」

 

 言いながら早川が隣に座る。

 ふわり、と桃のようなシャンプーの匂いがして、俺は思わずうつむいてバットを磨く。

 そんな俺の様子を早川はじっと見つめているようで、視線がびしびしとあたっていた。

 

「えーと、早川?」

「あ、ゴメン。……パワプロくんってさ、すごいよね」

「ん? 何が?」

「だってさ、明日は試合だっていうのにバットの手入れをしてて、抜かりがないっていうか、落ち着いてるっていうか」

 

 落ち着いてる、か、そうでもないんだけどな。

 早川の言葉に苦笑しつつ、俺はそっとバットを立てかける。

 

「落ち着いてなんかないさ。いつでも怖い」

「え? いつでも?」

「そうさ。俺のリードでチームが負けたらどうしよう。俺の作戦で負けたらどうしよう。ってな。ベンチには加藤先生がいるけど、実質的な指示は俺が出してる。ぶっちゃけそれだけで名門と比べたらハンデだろ」

「そ、そんなことないよ。パワプロくんが居るおかげで皆助かってるよ。勿論ボクも……!」

「ありがとな。けど、落ち着いてやるなんてこと無理なんだ」

 

 俺は一息吐いて、

 

「けど、それでも自分の力を出せないのは嫌だから、緊張はしない。落ち着かないけど楽しんでやる。野球って楽しいもんだろ、楽しんでやればきっと――今の自分が出せる最大の実力が出せる」

「うん、そうだよね。ボクもそう思う。実は聖タチバナとしてる時もね。すごく楽しかった。しっかり試合を出来て嬉しかったな……」

「ああ、それと一緒だよ。俺も強豪とやれるのが嬉しいんだ。ここに入った理由が強豪校とやるためだからな。だから全力で戦いたい。全力で自分のプレイを見せたい。全力で――このチームで勝ちたい」

 

 そうだよな。進のことも大事だけど、一番大事なのは俺の全力を出してチームが勝つことだ。

 一人一人がその全力を出せばきっと成長できる。このチームなら絶対に甲子園に行けると俺は思う。――そしてなによりこのチームで甲子園に行きたい。心からそう思えるチームメイトに出会えたんだ。行こう。甲子園に。

 その為に早川の力も必要だからな。しっかりと元気づけとかないとな。

 ぽふ。

 早川を元気にさせるにはどうしたら……ぽふ?

 いきなり肩に感じた重みに驚いて、そちらに目をやる。

 

「……すぅ、すぅ」

 

 そこには俺の肩に頭を寄りかからせて眠っている早川。

 どうやら疲れて眠ってしまったらしい。帝王実業との対戦っつーことで最近眠れてなかったのか、俺と会話して安心して眠気が来たみたいだな。

 ……仕方ない、背負って家まで連れてってやるか。

 ぐい、と早川を担ぐ。

 軽い。

 この体重であんな良い球をほうってるんだな。全身使う投法だし、疲れてるんだろう。

 早川の家は一応知ってるし、大丈夫だろ。

 俺は早川のぬくもりを感じながら、早川の家へと歩く。

 ――明日も頑張ってくれと、心の中で応援をしながら。

 

 

 

                   ☆

 

 

 

『さあ、やってまいりました。地区大会第二回戦。実況は私"川路直樹"がお送り致します。今日は帝王実業の夏の初戦です。相手は初出場の、全員一年の恋恋高校です。一回戦では友沢選手の大活躍で聖タチバナ高等学校をコールドで破っています。今日の試合を楽しみにいたしましょう』

 

 ラジオを聞きながら七瀬がじっとグラウンドを見つめている。

 先攻の俺達のノックは終わった。今ノックをしているのは後攻の帝王実業だ。

 試合が始まったらそういった通信の類は全部ベンチから出さなきゃいけないからな。七瀬がラジオを聞けるのも今のうちだ。

 

『さあ、ではスターティングメンバーを発表いたしましょう!

 先攻の恋恋高校から。

 一番、ショート矢部。俊足です。一回戦でもその足を見せつけました。

 二番、セカンド新垣。今年出場可能になった女性選手です。一回戦ではマルチ安打を記録しました。 三番、キャッチャー葉波。キャプテンでありチームの大黒柱です。ピッチャー早川を引っ張ります。

 四番、センター友沢。彼に言葉は要らないでしょう。一回戦で場外ホームランを放った好打者です。

 五番、ライト明石。彼も強打者です。クリーンアップを努めながらも外野守備の要でもあります。

 六番、サード石嶺。守備には定評があります。鋭いスローイングにも期待出来るでしょう。

 七番、レフト三輪。ミート技術は素晴らしいものがある選手です。

 八番、ファースト赤坂。長打力を感じさせるフルスイングは見物です。今日は強豪から打てるか。

 九番、ピッチャー早川。彼女も女性選手ですが、その独特のフォームで投げる球にはキレがあります。

 強豪帝王実業にどういった試合を見せてくれるのでしょうか。

 そして対する後攻、帝王実業のスターティングメンバーはこちらです。

 一番、レフト大谷。三年のリードオフマン。プロ注目の俊足選手です。春の大会では大会通算九盗塁を決めました。今日も俊足に期待できるでしょう。

 二番、ショート大村。左の強打者です。春の甲子園大会では二試合連続ホームランを記録するなど長打力もあります。その打力にはプロも注目しています。

 三番、センター大石。恐怖のクリーンアップの一人です。痛烈なライナー性の打球に勝負強さを兼ね備えるこの大石にどう対応していくか。

 四番、サード福家。さあ、みなさんお待ちかね。帝王の四番といえば勿論この人、福家です。高校通算五九本。プロも一位指名を検討しているという福家花男選手。今日はどういった活躍を見せるのか。

 五番、セカンド蛇島。一年生ながらクリーンアップに抜擢されました蛇島。期待が出来ます。

 六番、ピッチャー山口。今年一年生ながらその背番号はエースナンバーである"1"。今日も見せてくれるでしょう。快刀乱麻の活躍を。

 七番、ライト猛田。同じく一年生ながらスタメンに入りました、今年の帝王は一年が四人スタメンに入っています。

 八番、ファースト篠田。福家の影に隠れがちですがこの人も高校通算二八本。下位打線にも怖い打者が並びます。

 九番、キャッチャー猫神。一年生ながらその俊敏性とリードセンスを見込まれレギュラーになりました。

 試合が始まります。選手たちが主審の元へ呼ばれました!』

 

 七瀬がラジオをしまいに裏に引っ込む。

 俺達はホームベースに並ぶ。

 

「お願いします!」

「お願いします!」 

 

 キャプテンの福家と頭を下げて挨拶をすると、皆も挨拶をした。

 別れる刹那、蛇島のニヤリとした笑いが目の端に映る。

 ……笑ってやがれ。凍りつかせてやるからよ。

 ベンチに戻って客席に目をやる。

 ……進。来てるか?

 俺は今から精一杯全力でこいつらに挑む。だから見ててくれ。――俺たちはきっと勝つ。

 

『さあ始まります。先発ピッチャーは山口。キャッチャーは猫神。一番バッターは矢部選手!』

『バッター、一番、矢部』

『コールと共に矢部選手が左打席に立ちました!』

 

 矢部くんが打席で山口を睨む。

 さあ初球。狙って行けよ。矢部くん。

 山口が右腕を振る。

 豪腕。その名にふさわしい直球を投げ込んだ。

 そのボールはバシンッ! と凄まじい音を立てて矢部くんの足元に突き刺さる。

 

「ストラーイク!!」

『初球から一四二キロの球でストライクをとります! インローにズバッと決まりました!』

 

 凄まじい剛球だ。久遠や早川の切れ味が凄いという球じゃないが、金属バットでもへし折ってしまいそうなほどの威力をベンチでも感じるぜ。

 ベンチでこれだ。実際の打席で感じる威力はもっと凄いんだろうな。

 だが、ビビることはない。

 蛇島が言ってたじゃねぇか。山口のフォークを取れるキャッチャーが居ないってな。

 ならそういうこった。フォークは追い込んでからは使いづらい。それが足が速くて塁に出したくないやつならなおさらな。

 つーことは矢部くんにフォークはない。あっても二球目ということになる。三球目だとそらせば振り逃げ、ランナーは一塁に出塁出来るんだからよ。

 

『さあ山口が二球目を投げて!』

「トーライク!」

『これもストライク! アウトローに決めた! 一三一キロのフォーク! これで追い込みました!』

 

 このフォークは見せ球だ。

 七瀬のデータで確認した山口のフォークはもっと凄い。垂直に落ちるっつーか、ベルト高からワンバンするようなキレも落差も激しいもの。それがストライクになったということは落とさないフォークということ。

 ということは次に選択されるボールはたった一つしかない。

 三球目。

 山口が投げ込むボールは間違いなくストレート。

 外角低めに投げられたボールを、矢部くんは華麗にセンターへ返す。

 蛇島の右を抜けてボールはセンターへと抜けていった。

 

『センター前ヒット! 2-0と追い込まれていましたが矢部、見逃せばボールのストレートをセンター前に弾き返しました!』

『バッター二番、新垣さん』

 

 ネクストに座りながら、指示を送る。

 ここで新垣か。ここはきっちり送る場面だが――走らせよう。

 恐らく初球はウェストするだろう。だからこそ"此処で"走らせるんだ。

 バッテリーに足の格の違いを見せつける。矢部くんは"刺せない"という印象を付けるためにな。

 山口がファーストへ牽制する。

 頭から矢部くんはファーストに滑り込んだ。

 タッチはない。警戒をしているぞ、というブラフを見せたのだろう。

 けどな、山口――そんなんじゃ矢部くんは止まらないんだよ。

 

「走った!!」

 

 篠田が声を上げる。

 ウェストボールを立ち上がってとった猫神が素早く二塁に投げようとしたその瞬間、猫神は悟り投げるのをやめた。

 

『盗塁成功!! 猫神投げることすら出来ずッ!! ウェストしたが間に合わない!』

 

 もう牽制はない、と決め付けることで、投手が動き出した瞬間走ったんだ。勿論牽制されれば一発アウトだが、今の矢部くんは牽制されない、という自信が見えた。

 確固たる癖を見つけた訳じゃない。でもそれは矢部くんには感じられる感覚なんだろう。

 それが矢部くんの武器であり、矢部くん程の盗塁職人でなければ会得していないであろう技術。

 それを俺は敬意を込めてこう呼ぶことにしている。

 "オーバーラン"と。

 さあ、送ってもらうぜ。頼むぞ新垣。

 

『ノーアウト二塁から、新垣バットを寝かせます』

 

 山口が腕を振るう。

 高めに抜けたボール。新垣がバントしようと上半身を起こしたところで――。

 

 ボールが、落ちる。

 

 フォーク。

 例え高めだろうがなんだろうが、フォークは僅かに落ちる。

 それに対応出来ず新垣が慌ててバットを下ろしてしまった事で、ボールはふわりと浮き上がった。

 

「しまったっ」

 

 新垣が慌てて声を出すが遅い。

 落ちてきたボールを山口が捕球し、これでワンアウトだ。

 

『新垣バント失敗! これでワンアウト二塁になりました! さあバッターはキャプテンながら三番、葉波!』

『バッター三番、葉波くん』

 

 さあ、出番だ。

 このキャッチャーは恐らく初球ストレートで行きたいだろう。フォークはランナーが居るから無い。外のストレート一本に縛って振る。

 山口が振りかぶった。

 来る。

 

『さあ一球目、投げたッ!』

 

 振り切れ!!

 コースも球種も完璧読み通りだ。甘いぜ猫神。一年生だけのチームだと思ってナメんなよ。

 カァアンッ! と音を響かせてボールは左中間へ飛んでいく。長打コース!

 

『外角低めストレート打った! ボールはセンターの右に落ちた! ボールが転々としている間に矢部が三塁回ってホームへ突入! ホームイン!! 打った葉波はセカンドヘー!』

 

 セカンドへ滑りこんでガッツポーズする。よっしゃ! 先制だ!

 一回表から先制で1-0。幸先バッチリだ。

 これでワンアウト二塁で友沢。最高の成績だ!

 

「……調子に乗らないほうが良い。ククク……」

「……あ?」

 

 セカンドのベースカバーに着ていた蛇島が、ボールをユニフォームで擦りながら言う。

 くそ、相変わらず鼻に付く言い方だぜ。塁審が放てるのをいいことに好き勝手いいやがって。

 まあいいさ。悪いけどお返しはさせてもらうからな。

 

「調子に乗らない方がいいのはテメェだぜ。蛇島」

「……何?」

「テメェごときに潰されやしねぇんだよ。恋恋も、俺もな!」

「……貴様……その言葉、覚えておけ」

 

 蛇島が言い捨てて守備に戻って行く。

 覚えておくのはお前の方だぜ蛇島。一泡吹かされないようにしとけよ。

 

『四番、センター友沢』

『一点先制してなおも友沢! 一回戦では特大のホームランを飛ばしています! さあどう来るか!』

 

 恐らくもうフォークは使えないとかは言ってられない。フォークは解禁してくるはずだ。

 初球、猫神は外に構える。

 

「ボールッ!」

『アウトロー外れてボール。0-1です』

 

 次の球、外に見せたということは次は内か。

 俺だったら内にストレートを要求したいところだが相手は友沢。此処は慎重にもう一球外に見せても良い場面だろう。

 

「……むっ」

 

 ビュンッ、と友沢のバットが空を斬る。

 二球目、猫神が選択したボールはフォーク。ホームベースの上から鋭く落ちたボールを、猫神はプロテクターで押さえて前に落とした。

 これで1-1。友沢があんな豪快な空振りをするところを見るのは初めてだな。それだけ凄いフォークなんだろうな。

 ……これを見たらたしかに、進みたいな捕球技術に長けた捕手を欲しくなるってもんだ。

 

『伝家の宝刀フォークで一つストライクをとりました。さあバッテリー次の球は何を選択するのか!』

 

 次のボールも恐らくフォークだ。だがこのフォークは分かってても打てない。

 ならば打つためにどうするか。

 ……友沢が取る方法は恐らく一つ。

 それは――

 

「ボールツー!」

『今度は見極めた友沢! フォークを続けるバッテリー、今のはあからさますぎたか! さあ三球目……』

「ボールスリー!」

『またもや見極めた!! ホームベース上から落ちるフォークを完全に見極めたー!』

 

 ――フォークを捨てる、ということ。

 けど、球種を捨てるって口でいうのは簡単だがやるのは難しいんだ。

 まず自分の中で完全に見切らなきゃいけない。甘いところに来たと思ったら手を出したくなるのがバッターってもんだしな。

 そしてなにより見極める選球眼が無きゃ捨てることも出来やしない。

 だからこそ一年の俺たちじゃ山口のフォークを捨てろ、なんていう作戦は取れないんだ。

 だが友沢は別だ。精神的にも目という部分においてもその作戦が取れる程のレベルに達している。

 流石四番、超高校級といっても過言じゃないぜ。

 1-3から山口が選ぶ球は恐らくストレート。

 無名校の四番相手に逃げるなんて名門のプライドが許さないだろ。

 

 ――さあ、飛び込んで来い。

 

『さあ五球目、山口が振りかぶって――投げた!』

 

 ――その慢心、くだらねぇプライドを、四番が打ち抜いてくれるからよ!

 

 ッキィイン!! という快音。

 痛烈な当たりはレフトへと飛んでいく。

 それを聞いて俺はサードへと思い切り走った。

 

『打ったあああ! 打球は痛烈な当たりでレフトへー! セカンドランナー塁を蹴ってホームへ帰ってくる! 友沢のタイムリーツーベース!!』

 

 セカンドベース上で友沢はバッティンググローブを外しながら、澄ました顔をする。

 流石だぜ。友沢。二点先制はでかい。

 尚もチャンス。――だが、そう甘くはない。

 明石、石嶺が三振に打ち取られてチェンジになる。

 友沢に打たれて余裕が無くなったのかフォークも構うことなく連投してきた。あの猫神ってやつ、フォークは捕球出来ないが全部前に落としてたな。

 

「よし、行くぞ早川」

「うん。頑張ろうね」

「ああ」

 

 頷いて、キャッチャーズサークルに移動する。

 二点取った。――俺達の野球は強豪に通用するんだ。

 

「よーし、抑えるぞ!」

「うん!」

『バッター一番、大谷』

『さあ、反撃する帝王実業の攻撃です。ピッチャーは早川。初戦は二点に抑えた早川ですが、帝王相手に通用するでしょうか!』

 

 バッターに大谷が立つ。こいつは甲子園の土も踏んだこともある選手だ。

 どんなレベルか試してみないとな。

 

(さて、初球はカーブだ。緩急付けてストレートで取る。思い切って内角に腕振って投げてこい!)

 

 早川が頷く。

 アンダーハンドから放たれるボールは体に隠れて最後まで腕を見せない。

 球持ちの良いフォームからカーブが放たれる。

 インローから落ちるカーブ。

 

「ボーッ!!」

『第一球はインサイドへのカーブ、低めに外れてボール!』

 

 よし、これでいい。

 インサイドにカーブを使えるとなると相手は考えざるを得ないからな。

 内側に緩い球は打ちやすいと思われがちだが実は違う。インサイドというのはミートするのが難しいのだ。

 名門校ならある程度読みをつければ打ててしまうだろうが、それでも緩い球とストレートの緩急をインサイドに使えると知っていれば、かなり相手は気を使うはずだ。

 

(次はアウトローへのストレート。緩急と相まって此処は打てない)

 

 頷いた早川がビュッと腕を振ってストレートを投げてくる。

 アウトローどんぴしゃり。どうやら早川の調子は今日も良いみたいだな。

 

「トーライクッ!」

『アウトロー決まって1-1。大谷ここまでバットを振っていません!』

 

 流石に名門校の一番か。どんな球が来ても初対戦の時は"見"に入る。

 つってもこんだけの打撃成績があるってことは、甘い球が来たら振るという体勢ではあるんだ。……っとに、厄介な打者だな。

 三球目に何を選択するか。俺のプランとしては高速シンカーで打たせていくつもりだったが――それは選択できないな。

 

 打たせたら取れないからだ。

 

 キャッチャーズサークルで見た感じや実際に相対すると分かる。このチームに甘い球で打たせて取ろうなんて考えたらこちらの首が取られるぞ。

 

(それを考えて三球目……アウトローのカーブで打ち取る)

 

 ストレートの残像はまだ残ってる。そこに緩い球がくれば相手は緩急でタイミングがズレるはずだ。

 そのわずかなタイミングの違いで打ち取る。

 早川がボールを投げる。

 外へのカーブ。

 大谷が動きをわずかに止めた後、カーブを右方向へと流し打つ。

 痛烈な当たりがファーストへ飛んだが赤坂の正面、そのままライナーでキャッチしてワンアウトだ。

 

『ファーストライナー! 痛烈な当たりでしたが野手の真正面です!』

『バッター二番、木村』

 

 一死とれたのはデカイな。一番が塁に出て二番が塁に出るのが帝王の黄金パターン。それを潰せたのはデカイぞ。

 さて、木村か。こいつの噂は高校野球に携わるものなら聞いた事があるくらいの打者だ。四番に福家が居るとしても三番はこいつでも問題ないはずだが、あえて帝王の監督は長打力のある二番に据えている。

 ま、何処にいても怖いわけだから打順は関係ない。

 この打者に与えられる作戦は大体がフリーヒッティング。好きに打てだろう。そうでもなきゃこの打順に木村を置く意味はないからな。

 ヒットは打たれても良い。長打じゃなきゃ後をゲッツーに取れる確率だって残るしワンアウトは取ってる。一個ずつ進塁打を打たれても二塁までだ。

 

(初球はアウトローストレート)

 

 続ける事になるがこれ以外に選択できる球はない。つーかこの木村に変化球は見せたくないしな。中盤の山場で変化球全種を見たコイツとかになったら目も当てられないぜ。

 早川の投げたストレートは要求通りに投げられる。

 今日の早川のストレートにはキレがあった。聖タチバナを打ち取った時より調子はいいくらいだろう。

 だが、木村はその球を初見でライト方向へ引っ張った。

 

『痛烈な当たりライト頭越えてワンバウンドヒット! フェンスに当たって跳ね返るボールを明石がキャッチするが既に木村はセカンドへー!! ツーベース!』

 

 スタンディングツーベース。

 初見であのアウトローの球を引っ張って長打にするって、いったいどんな長打力だよ……!

 プロ注目っていう前書きは伊達じゃない。……一番火傷しないつもりで選択した球が意味を成さないとは恐れいったぜ。

 

『バッター三番、大石くん』

 

 三番の大石か。

 こいつはチャンスに強いクラッチヒッターだ。逆に外角が危ないタイプだな。

 このピンチ、初回だからな。絶対に抑えたい。

 ――それなら使うべきボールはたった一つ。

 

(ストレートをインハイに、……行くぞ"第三の球種(インハイのストレート)"だ)

 

 こくん、と早川が素早く頷いてちらりと二塁ランナーを確認した。

 そして、早川は俺へと向けて腕を振った。

 腕から放たれるストレートはスピンしながらインハイへと伸びる。

 大石が打ちに来る。初球から"第三の球種"を投げさせたのはこのためだ。

 得点圏にランナーを置きながらの打席では積極的に打ちにくる。それを利用した一度きりの奇襲!

 ッキンッ、とフライが上がる、ファウルフライだ。

 ミートセンスがありすぎる為に高めのボール球にも当てれてしまう。更に予想の軌道より上にボールが来れば打ち上げるのは必至だ。

 ふわり、と落ちてくるボールをミットでキャッチする。

 

『初球打ちもキャッチャーファウルフライ! 大ピンチの中でツーアウトを取りました!!』

『バッター四番、福家』

 

 騒がしかったスタンドが更に騒がしくなり、ただでさえ大きかった応援歌が更に大音量で流れだす。

 福家の出すオーラ。

 凄まじい威圧感を感じるその打者には穴がないように見えてしまう。

 

(……ツーアウト二塁、バッターは四番、次が蛇島……ここはこうだろ)

 

 立ち上がる。

 その瞬間、一瞬スタンドがざわつく。

 早川も意図を察したようで、気にしないでとでもいうように頷いてくれた。

 三、四歩ベースから離れて立つ。

 敬遠――。

 福家も当然の選択だというように表情を変えない。だがそれでもボールが来たら打てる、という体勢は取り続けている。

 ……流石四番、この後もまともに勝負はできねーな。

 

『福家を敬遠で一、二塁。ここでバッターは新一年生蛇島です!』

『バッター五番、蛇島』

 

 気に食わない顔が打席に立つ。

 蛇島は何食わぬ顔でお辞儀して打席に入り早川を見るようなフリをしているが――その実、その目は俺をぎろりと睨んでいる。

 

「……舐めているのか?」

「福家さんの打撃考えれば当然だろ。お前が劣ってるって考えるのはよ」

「…………その口、聞いたことを後悔するがいい……打ってやるよ」

 

 蛇島が言って視線を早川に戻す。

 蛇島のデータは無いが、フォームのタイプ的には中距離っつーところか。

 

(……よし、インコースのストレートで攻める。)

 

 同じ一年だ。早川のボールは通用するってことは分かってる。

 初球からインローの球を華麗にヒッティングする技術は見たところ蛇島にはない。その技術があるならタイプ的には一番、強打の大谷を五番に置くだろうからな。

 さあ来い、早川。

 早川が何か戸惑うように一、二秒動きを止めてから、ハッとしたようにサインに頷いた。

 ……どうしたんだろう? まあ頷いたってことはいいってことだよな。……多分、それでいいか迷ってたんだろう。

 早川が腕を振る。

 綺麗なフォームだ。一点のよどみもない。

 美しいスピンが掛かったボールは俺のミットに吸い込まれるように投げられて――

 

「俺を馬鹿にした罰だ。……クククク……その体で償え……」

 

 ――蛇島のそんな声が、聞こえたような気がする。

 次の瞬間、蛇島が豪快にストレートを空振りし――ドガッ!! という激痛が右肩に走った。

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 "そこは危ない"。

 そんな投手の直感を伝えたら、パワプロくんはどんな顔するだろう。それも打たれると思っているわけじゃないのにそんなことを言ったら、パワプロくんは困っただろうか。

 蛇島くんがボールを空振る。

 空ぶったバットはフルスイングの勢いのまま一回転して――パワプロくんの肩に直撃した。

 パワプロくんがよろける。

 どう、して?

 蛇島くんのその表情――多分この距離で正面に居る僕しか見えないだろうけど、どうしてパワプロくんの肩をバットで強打してしまったのに、笑っているの?

 

「……っっ、う、ぐっ……」

「……あ……パワプロくん!!」

 

 審判がタイムを腕を広げて宣告する間に、ボクはパワプロ君のもとに走った。

 あまりの痛みにか、パワプロくんは顔を真っ青にしながら右肩を押さえて蹲ってる。

 

「大丈夫かい? パワプロくん。ごめんね? バットが当たってしまって……でも内角に構えすぎだよ」

「……そう、かい……だい、じょうぶだ。早川……」

「本当に大丈夫かね? ドクターに見てもらいなさい」

「いえ、そう、痛くないです。プロテクターの上から、でしたし、大丈夫ですよ」

「パワプロくん……?」

 

 パワプロくんが笑みを作って、ボールをボクに渡してくる。

 ……嘘だ。

 大丈夫なんかじゃない。

 

「さ、早川、こいつを打ち取ればチェンジだ。……頑張ろうぜ。俺は平気だからさ。思い切りボールを投げ込んでこいよ」

 

 "どうして、痛いと言ってくれないの?"。

 

 そんな疑問が頭をよぎる。

 ボクはどんな顔で頷いていただろう? 

 パワプロくんはホームベース後ろにもどって行く。

 続いて要求されたボールはストレート。

 ボクは違うことを考えながら、そのサインに頷いてしまう。

 辛いなら辛いっていっていいのに、パワプロくんはボク達には何も言わない。

 パワプロくん、パワプロくんはボクたちのこと、どう思っているの?

 チームメイトだよね。仲間だよね。

 なら、どうして言ってくれないんだろう。

 迷ったままはボクはストレートを投げる。

 コースはちゃんと行った。でも自分でも分かる。

 

 ボールに、力がない。

 

 ッカァンッ!! と快音が響くのが聞こえた。

 ボールはライトへ飛んでいく。左中間をまっぷたつに割る。

 二者が、帰ってくる。

 あっという間に同点――なのに、それにショックを受けるどころか、ボクは違うことばかり考えている。

 

(――パワプロくん。その怪我――大丈夫じゃないよね)

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 ベースカバーに付く。

 いったいどうしたのよあおい。あんたらしくないわよ。あんな力の無いボールを投げるなんて……。

 

「大変だねぇ。君たちも」

「……何がよ?」

「いや、キミにじゃないさ。怪我もちに使えない女性選手二人……惨めな敗戦を喫するキミのチームメイトにだよ」

「……っ」

 

 その言葉は、私とあおいにとってどれだけ傷つく言葉だろう。

 心が、痛い。

 初回にバントを失敗した時から気にしていた事だ。

 私はこのチームの役に立てているのだろうか。

 

「黙るでやんす」

 

 それを遮るように、矢部が近づいてきた。

 な、何よあんた。珍しく怒っちゃって……メガネが釣り上がってるわよ。

 

「あおいちゃんも新垣もチームに必要な戦力でやんす! お前に四の五の言われる筋合いはないでやんすよ! ……新垣、守備位置に移動するでやんす。まだまだ同点でやんすよ」

「……ん、そうね。うん」

 

 矢部に促されて、私はセカンドベースから離れる。

 矢部の言うとおり、今はそんなこと気にしてる場合じゃない。パワプロくんはあの蛇のせいで肩に怪我しちゃったし、あおいもそのせいか動揺してて球に力がない。こういう時はバックが支えないと。

 

 

                      

                       ☆

 

 

 激痛で目の前が白くなる。

 右肩を動かそうとするたびに痛みが走って考えに支障をきたす。

 今は何回の裏で何アウトか。そんな簡単な事すら頭から飛びそうだ。

 

「トラックバッターアウトッ! チェンジ!」

 

 チェンジ、か。

 次の打順は三輪から。防具は外さなくてもいいか。……助かる。今肩を動かしたらどうにかなりそうだ。

 足取りはしっかりと、ベンチに戻る。

 ベンチの入り口には加藤先生が立っていた。監督だからな。そりゃ立ってても不思議じゃない。

 

「……みせなさい」

「……え?」

「肩を、見せなさい」

 

 怖い顔で、加藤先生は俺にいう。

 有無を言わせないその表情に俺は従うしかなかった。

 皆がもどってきて心配そうな顔でこちらを見つめている。

 

「こうすると痛い?」

「……っ、はい……」

「……肩の挫傷ね……しかもかなり酷いわ……最悪ってことはないけど、時には全治一ヶ月もかかる大ケガよ」

「い、一ヶ月……!?」

「ええ、とても無理。……パワプロくんも分かってるでしょう。痛みで肩を動かせない筈よ。――試合を諦めましょう」

 

 諦める? ……何いってるんだ。加藤先生は。

 九人しかいないんだぜ。俺が諦めたら試合が出来ない。問答無用で負けじゃないか。

 

「……やれます」

「パワプロくんっ!」

「やれなくなったらいいます。だから、大丈夫です。……早川、ストレート来てないぞ。しっかり腕を振って投げろ」

「……して……」

 

 早川がうつむいて、ふるふると震えている。

 どうしたんだ? いったい……。

 

「どうして無理するの!? この一試合で高校野球が終わるわけじゃないよ! なのに無理して、ケガがひどくなったらどうするの? ケガがひどくなったら……っ」

 

 ――ああ、そうか。心配してくれてるんだ。

 そらそうだよな。大切なチームメイトで、扇の要で――バッテリーなんだから。

 俺も早川が怪我してるの隠して投げてたらそりゃ怒る。……でも、な。

 

「ごめん、早川。それでも俺がリタイアするわけにはいかねぇんだ。俺が言い出したわがままだし、此処で怪我したから、なんて理由で試合を辞退したんじゃ聖タチバナに申し訳が立たないし、何よりも――俺が俺じゃなくなっちまうから」

「パワプロく……」

「心配かけたなら謝る。……でも大丈夫だからさ、安心して投げてこいよ」

 

 笑って頭を撫でる。

 ごめんな早川。本当は大丈夫じゃなさそうだ。

 痛みで目の前がチカチカするくらい痛い。でも、俺はお前の球を受けるから。

 だから頼む。早川――今だけでいいんだ。俺のケガのひどさに気づかないでくれ。

 

「………………分かった。そのかわり、やるからには絶対に勝つよ」

「早川……ああ」

 

 皆がベンチの前に総立ちして、声を出す。

 ……やっぱ良いチームだ。

 このチームで、絶対に勝つ!

 三輪、赤坂、早川。三人とも山口のフォークとストレートとのコンビネーションに三振に終わる。

 

『さあ二回の裏の攻撃は七番の猛田からです!』

 

 二回裏、此処を抑えればまだ流れはわからない。

 キャッチャーズサークルに座り、入ってきた猛田を見る。

 猛田は丁寧にお辞儀をして、ボックスに入った。

 蛇島とは違った好青年、といった出で立ちの猛田はちらりと俺の様子を見る。

 

「……肩、大丈夫か」

「……平気だよ」

「そっか。分かった。そういう事にしとくぜ。……ウチのチームメイトがやったクソみたいな行為のお詫びをしたいが――真剣勝負だ。そういう訳にもいかねぇ」

 

 ぎり、と悔しそうに奥歯を噛み締めながら猛田は構えを外さない。

 猛田か。こういうやつは相手にしてて気持ちいいぜ。

 さあ、早川、最初はカーブだ。ストレートから入ると行かれるぞ。

 こくん、と早川が頷いてカーブを投げ込む。

 それを何とか捕球しながら、俺はキャッチングした瞬間に感じる痛みを食いしばって耐える。

 

(次は、外角にストレート……緩急をつけて……)

 

 外に構える。

 投げられる球を、猛田が引っ張った。

 決して悪い球じゃない。それでも振り負けずにライト前へ猛田はボールを放つ。

 

『ライト前ーっ! 先頭打者猛田しっかりチャンスメイクします!』

『バッター八番、篠田くん』

 

 くそっ……! この引張り方は外を待ってた打ち方だ……!

 打者を事細かに観察していれば確実に防げたヒットだぞ。

 頭を働かせろ。試合に出ている以上そんなケガなんか理由にはならないんだ!

 

(内角の低め。ストレートだ)

 

 下位打線は基本的にストレートを中心に組み立てればいける筈。

 さあ来い、早川……っ。

 早川がモーションに入った瞬間、猛田が走る。

 完全にケガを見破っての盗塁――。刺すッ!!

 ビュッと篠田がバットを振るった。ランエンドヒット!

 キャッチングと同時に、俺はボールを送球する。

 その瞬間肩を刺されるような激痛が走った。

 

「つぅっ!」

 

 投げられたボールは僅かにセカンド方向にそれる。

 だが大丈夫だ。タイミングは完全にアウト。

 思った瞬間、セカンド新垣が投げられたボールをミットに弾いてこぼしてしまった。

 

「くっ……!」

「バックアップは大丈夫だ。……集中しろ。新垣」

「……ん、ごめん」

 

 タッチは出来ずランナーは二塁へ進む。

 ノーアウト二塁か。この八番は確実に抑えたいぞ。

 もうなんだかんだいってる場合じゃねぇ。"第三の球種(きめだま)"使ってでも抑える。

 ……だがどうやら敵はストレート狙ってるみたいだな。

 

(そうと決まれば追い込むまでが勝負だ。まずは高速シンカー。解禁するぞ)

 

 早川が高速シンカーを投げる。

 インコースに構えたシンカーに釣られて篠田がバットを振るう。 

 ギインッ、と完全につまらせた。

 だが、球足が速いぞ。しかも飛んだコースも一二塁間の丁度中心かよっ!

 ボールはてんてん、とライト前へと抜けて行った。マジかよ。ラッキーヒットが此処で出るのか……!

 

『ライト前ヒット! これで一、三塁! バッターはラストバッターの猫神です!』

 

 くそ、しんどいぜ。

 ノーアウト一、三塁……恐らく、塁は詰めてゲッツーをなくすだろう。一、三塁じゃセカンドに投げるまでにホームスチールされたら下手すりゃ勝ち越されるからな。

 

『九番バッター、猫神』

 

 足元を固めて猫神はバットを構える。

 固めた、ということは打ち気なのは間違いがない。ストレート系をチームで絞ってると考えるのなら、此処はカーブだ。

 痛みを歯の奥に全て持っていくようにぎりぎりと奥歯を噛み締めて、ミットを構える。

 早川が投球に入ると同時に篠田はセカンドへと走りだす。

 バッターが動く気配はない。ボールをキャッチして投げる動作を一応取るが投げることはしなかった。

 初球は見送りか。ランナーを確実に進めるためだろう。

 

(ノーアウト二、三塁……此処はランナーを帰させない。次はストレート。ただしインコースに外すぞ)

 

 こくん、と早川が頷いたのを確認して、ぐっと内側に構える。

 早川の綺麗な腕の振りから投げられるストレート。

 それに釣られるようにして猫神がボールに手を出す。

 根本で打った打球はサード方向へ高く弾んだ。

 その瞬間、猫神は一気にファーストへ走りだした。

 速い。キャッチャーをやる走力じゃないだろ!

 それと同時にサードランナーはホームへ、セカンドランナーは三塁へ走る。

 石嶺が僅かに前に出てボールを取るが間に合わない。猛田がホームへ帰り、猫神も一塁に生きてしまった。

 

『勝ち越しー!! 猫神の内野安打の間に猛田選手が帰って三対二!』

 

 早川の顔がこわばる。

 ちくしょう、もうちょっと攻め方が有るはずなのに頭に霞が掛かってるみたいで思いつかねぇ。

 試合前は勝てると思ったが、何か攻め方を忘れてるみたいだぜ。

 

「早川! 日本ともラッキーヒットだ! 切り替えていけ!」

「……うん」

 

 頷く早川に、元気がない。

 まだ俺が無理して出てる事が嫌なのか。

 ……心配かけるのは悪いと思うけど、こればっかりは仕方ないからな。許してくれよ。

 

『バッター一番、大谷』

 

 さぁ、本当の勝負はこれからだぞ。上位打線に戻る……しかもノーアウト一、三塁だ。

 あの脚が有る猫神は当然塁を詰める。実質ノーアウト二、三塁……ラッキーヒットを含めるとはいえ辛いぞこれ。

 

(俊足だ。初打席はカーブを待って流し打ちをしてファーストライナーだったし……もう一度カーブで打たせて取る。チーム方針としてストレートを待ち打ちしてるくさいからな……)

 

 ふるふる、と早川が首を振るう。

 カーブは嫌か、初回に痛烈な当たりされてっからな……じゃあシンカーでいこう。

 今度は頷いてくれた早川がボールを投げる。

 大谷は初球を見逃す。

 この打者の反応はわからない。どんな待ちをしていてもバットが反応しないんだよな。プロ注目ってのも分かるぜ。

 

(二球目、今度はカーブでいいだろ)

 

 こく、と頷いた早川。

 アウトローから落とす。

 外に構えた俺にミットへ向けて早川は腕をふるう。

 ボールは良い。蛇島に打たれたような力のない球じゃない。

 そんな球じゃ、ないのに。

 

 ッキィンッ! と大谷のバットが音を立てる。

 

 痛烈な打球はライト線を抜けて行く。

 二者が笑いながらホームへ帰った。

 二対五。コースも完璧、読みも外したはずだ。それなのになんでここまで完璧に捉えられるんだ。こいつは……!!

 大谷はサードへ滑りこむ。タイムリースリーベースで尚もノーアウト三塁。

 

『バッター二番、木村君』

 

 此処でバッターは木村だ。

 此処は敬遠も視野に入れたい。一度早川と相談してみっか。

 俺はマウンドへ向かう。

 

「木村は敬遠しようと想うんだが、どうだ?」

「大石くんは大丈夫なの?」

「大石もヤバイが木村の方がやべぇ。多分福家に続くナンバーツーが木村だ、対応力がずば抜けて高い。たぶん、初見の"第三の球種"ですら当てれるだろう」

「……分かった。じゃあ、敬遠しよう」

「…………ああ」

 

 早川はこちらを見てくれない。目線を俺から逸らして、敬遠することを受諾してくれた。

 キャッチャーズサークルに戻って外に立つ。

 今日の試合二度目の敬遠。

 これでノーアウト一、三塁。三点ビハインド――まだ諦めない。

 

(投げさせるつもりはなかったけど、高速シンカーだ。インロー。まずはワンアウト取るぞ)

 

 相手は押せ押せ。ストレートだと思って振って来るだろう。

 ならそこを高速シンカーで打ち取る!

 予想通り大石がフルスイングしてくる。

 早川はサードランナーを目で制してファーストへ投げた。

 

「アウトッ!」

 

 これでワンナウト。ここで福家か……敬遠するぞ。

 今度は相談もせず立ち上がる。

 絶対に抑える。抑えきるぞ。三点なら、なんとかなるんだ……!

 

『さあ此処で福家も敬遠でバッターは蛇島!』

『バッター五番、蛇島くん』

「……ククク、どうだい? パワプロくん、帝王の強さは」

 

 蛇島が話しかけてくるのを無視して、俺はインサイドに構える。

 その俺を見て、ピクリと蛇島の目に憎悪が浮かんだ。はっきり分かるぜ蛇島。俺を壊したいってのがな。

 

(さて、初球はストレートだ。蛇島は一年だから他の奴と比べたらパワーはないぞ)

 

 早川にサインを送るが、早川は投球モーションに入らない。

 じ、と蛇島を睨むように見つめてぎりぎりと硬球を握り締めている。

 ……どう、したんだ? 早川。

 俺が一度構えを解くと、早川はやっと投球する構えに入る。

 

(よし、じゃあまずはストレートだ。――ただしコースは――)

 

 早川が僅かに間を開けて首を縦にふる。

 二度目はない。さっきのように肩にバットを当てれば今度は言い訳できねぇからな。

 ビュッ! と早川が腕を振って投げてくる。

 その瞬間、俺は外へとミットを動かした。

 的が無かった分僅かにそれるが、おおよそサイン通りの場所――アウトロー――へとボールが投げられる。

 狙いに気づいた蛇島だが、遅い。

 ガギッ! と詰まったボールはセカンドの真正面に飛び――、

 

 新垣がボールを逸らした。

 

 一瞬、何が起こったのかわからなかったが慌てて俺は「セカンドベース!」と声を上げて指示を出す。

 どうしたんだ? 新垣、今日は動きに精細がない。真正面の打球をエラーするような選手じゃないのに……。

 ボールがセカンドに帰る頃には二者が生還する。

 

『二者生還! セカンド新垣痛恨のエラー!! 二対七ーっ!!』

「ごめんっ、あおい……!」

「どんまいあかり、大丈夫だよ」

 

 笑って新垣を励ます早川。

 ワンアウト一、二塁。ピッチャーの山口はなんとかショートへのゲッツーで抑えたが、これで五点ビハインド。でも、まだ試合はわからない。

 打順は矢部くんからという好打順だ。

 

「矢部くん。山口相手には追い込まれたら終わりだ。……初球の甘い球、狙っていこう」

「分かったでやんす。……葉波くんは無理にバッティングしちゃ駄目でやんすよ」

 

 それだけいって、矢部くんは打席へと向かう。

 ……ありがとな、矢部くん。

 矢部くんは俺の指示通りに初球を狙ってくれるが、セカンドゴロに終わる。

 新垣にいたってはボール球を振ってしまい三球三振……本当にどうしたんだ。新垣の奴……。

 そして、俺の打席。

 俺が打てばチャンスで友沢だ。ヒットを打てば打つほど皆に回ってくる打席は多くなる。

 矢部くん、悪いけど此処は無理してバッティングする、許してくれ。

 初球。

 

(ストレートで押してくるはず……)

 

 アウトローへのストレート。

 一本に絞って――。

 ヒュゴッ! と投げられたストレートに合わせて俺はバットを振る。

 バットがボールとインパクトした瞬間、衝撃で走る激痛。

 

「ぐっっ!!」

 

 思わずバットを離しちまった。

 そのままてんてん、とボールはセカンドの蛇島の元へ転がっていく。

 蛇島はニヤリ、と心底嬉しそうな笑みで笑いながら、それをファーストに送球した。

 

『スリーアウトチェンジ! この回恋恋高校、チャンスを作れませんでした!』

 

 ぐ、と肩を押さえて、ベンチに早足で戻る。

 ……ちく、しょう。今ののせいで痛みがまたぶり返してきやがった……っ。

 ベンチに戻って防具をつける。

 

「大丈夫でやんすか」

「ああ、俺はな。……新垣、大丈夫か?」

「……帝王の蛇島にバカにされたのが聞いてるみたいでやんす」

「……蛇島、か」

 

 揺さぶるのが上手い奴だな、ホント。

 でも内野の要が不調ってのはちょっと痛い。矢部くんに何とかフォローしてもらうか。

 

「矢部くん、新垣の事頼んだぜ」

「……任せるでやんす」

 

 嫌がるかと思ったが、矢部くんは何か物憂げな顔で新垣を一瞥して了解し、フィールドに飛び出していく。

 さっきと同じ打順から。この回は抑えきるぞ。

 

 

                      

                       ☆

 

 

 

 どうしてだろうか。

 あんなに輝いて見えた蛇島さんが、今はそう見えない。

 パワプロさんの肩にバットを当てたプレイ。あれは多分、わざとだ。

 前に見たときの蛇島さんのスイングはもっと小さくコンパクトだった。それがわざわざインに寄った時だけ大きくなるなんて肩に当てたいですといっているようなもの。

 それに比べて、パワプロさんはなんて凄いんだろう。

 あおいさんが言っていたパワプロさんの印象は、僕が抱いたパワプロさんそのままの人物で、蛇島さんと会ってから聞いたパワプロさんとの印象とはまるで違う。

 ひたむきで、

 必死で、

 他人の為にケガを押して出場する、その姿。

 

「……僕がいれば、パワプロさんのケガをカバー出来たのに……」

 

 ポツリとつぶやく。僕は何をいっているんだろう? ライバルを……あんなに憎んだ相手を、助けたいと思っているなんて。

 じ、っと僕はバックスクリーンを睨む。

 二回までに七失点。五点ビハインド……更に三回に四点加えられて十一対二。

 四回表に二死満塁のチャンスを作ったが打席は投手のあおいさんだ。三者残塁でチェンジになってしまった。

 それでも……それでも、パワプロさんは必死に声を出して、チームを鼓舞している。

 

「そうだな。パワプロのバックアップがいればもっといい勝負をしていたかもしれない」

「……っ!?」

 

 その声に、僕は慌てて振り向く。

 そこに立っていたのは僕と同じ茶髪で、勇ましい風貌の憧れてやまない人――。

 

「にい、さん」

「帝王に行くんだってな。母さんが怒っていたぞ」

「……それは……」

「ふ。……帝王実業か。たしかに凄いチームだ。完成度も高く、パワフルズが一位指名を公言している福家を始め、タレント揃いだ。今の恋恋高校じゃ恐らくこのまま点差が開く一方だろう。……だがそれでも――パワプロなら甲子園に来る。そう想える。そういう姿を見せてくれるんだ」

 

 兄さんがパワプロさんを見つめながら、そう言う。

 たしかにそうだ。……僕もパワプロさんがレギュラーに出たときは、わくわくしながらパワプロさんを応援していた。

 

『さんしーん!! あの福家を空振り三振に取りました早川と葉波のバッテリー!! 更に四点取られましたがまだ試合を諦めません!』

 

 福家さんが苦笑しながらもどって行く。

 凄い、あの福家さんを空振り三振に取るなんて……。

 

「進。お前の人生だ。お前の好きにするといい。だがな、進。僕もパワプロも――お前のことを大切にしているんだ。それを踏まえた上で、自分の道を選べ」

「……僕、の道」

 

 僕が進みたい道、僕が進みたい方向。

 それは――。

 

 

 

                   ☆

 

 

「……」

 

 俺はバックスクリーンを見つめる。

 そこに有る一四対二のスコア。

 だがまだピンチは終っていない。四回裏でワンアウト満塁。

 バッターは三番大谷。もうここから全力で守ってもコールドからも知れない。でも、それでも――全力プレーはやめることは出来ないんだ。

 ドッ! とインハイのボールを受け止める。

 大谷は空振り三振! これでツーアウト満塁だ!

 

「ナイスだ。早川!」

 

 ボールを軽く送球して返しながら、四番の福家を見る。

 

「……肩のケガは大丈夫か」

「おかげさんでな」

「うちのバカがすまなかった。……俺はお前たちと戦えたことを誇りに思う」

 

 十八歳とは思えないほどの威圧感を放ちながら、福家が構える。

 光栄だねこりゃ。プロ注目の男に光栄なんて言われちまったなんてさ。

 

(此処はへたな小細工は要らない。シンカーで打たせて取る!)

 

 早川が頷いて、ボールを投げる。

 福家は初球からバットをフルスイングした。

 

 セカンドベースよりのセカンドゴロとなった打球。

 

 普通にとればアウトだが今日の新垣に精細はない。一歩目が遅いせいか打球に追いつけてないのだ。

 それを知っていてか、矢部くんが全力でボールに飛びついてキャッチし、そのままごろりと転がって体勢を整え、ファーストへ送球する。

 

『矢部選手ファインプレー!! 見せつけました!!』

 

 わああああ! と歓声がフィールドから響く。

 土を払いながら、矢部くんは立ち上がってベンチに戻ってくる。

 ベンチの前でやはり自分でも精細が無いと思っているんであろう新垣が申し訳なさそうに新うつむいていた。

 

「……あおいちゃんが駄目なら、パワプロくんがカバーするように、オイラが――新垣をカバーするでやんす」

 

 そんな新垣に向けて、矢部くんがつぶやくように言う。

 その言葉に新垣が顔を上げた。

 新垣に向かって矢部くんは笑ってハイタッチを求めるように手を上げる。

 新垣は涙を目にいっぱいに貯めてその手にぱむ、と自分の手を重ねた。

 

「……この回、三点だ」

 

 そんな二人の脇を通りながら、友沢がヘルメットを外し言う。

 

「それ以上取らないと試合が終る。――そんなことはさせない。この五回表、死ぬ気で三点取る」

「ああ、さっきの回は二死満塁を作った。今度は上位打線からだ。二点とは言わず四点でも取れるぜ! まずは矢部くん! 頼むよ!」

「任せろでやんす。絶対でるでやんすよ!」

 

 矢部くんが打席に立ち、新垣がネクストに入る。

 さあ、逆転するぞ。

 

「……パワプロくん……肩……」

 

 おずおず、と早川が話しかけてくる。

 さっきは俺の方を見てくれなかった。心配する気持ちを必死に抑えこんでたんだろうな。……ホント、申し訳ない。

 

「早川。……心配掛けて悪い。でも、この試合だけやりたいんだ。……今の俺たちと、強豪の距離を知っておく意味でもな」

「…………分かった。でも、約束して。……ケガ、速く治して……」

「……分かった」

 

 頷いて、俺と早川はグラウンドを見る。

 相手はまだまだ余力を残す山口。

 その山口の決め球、フォークに矢部くんは必死に喰らいつく。

 カウントは2-2。追い込まれてから二球もボールを選んでいる。

 

『さあ粘って七球目――』

 

 山口が投げる。

 投げたボールはフォーク。

 それを矢部くんは追っつけて打った。

 だが芯を外されたボールはセカンドへのゴロになる。

 それを見て矢部くんはファーストへと全力疾走をした。

 蛇島が取って投げるが遅い。

 矢部くんはヘッドスライディングする必要もなくファーストベースを駆け抜ける。

 

「セーフ!!」

『審判の手は横に広がった! セーフ!!』

 

 よし! 先頭が出た!

 

『バッター二番、新垣』

 

 通常考えれば此処はバントだ。だがただバントしただけじゃ、プレッシャーすら掛けられないだろう。

 此処は奇策を持っていく。――バスターエンドラン!

 俺がネクストに座ってサインを出すと、新垣はこくんと頷いた。

 バットを寝かし、新垣は構える。

 矢部くんはじりじりとリードをとって山口を揺さぶる構えを見せるが、この点差なら盗塁は勝手にさせておけ、か。

 それでもこの点差で雑な野球をさせるわけにはいかない。バントダッシュはきっちりとしてくるはず。

 山口が投球に入る。

 矢部くんがそれと同時にダッシュする。

 それに合わせて新垣がバットを引き、セカンド方向に打球を弾き返すが蛇島の正面に飛んじまった。まずいっ、これはゲッツーか……!?

 蛇島がセカンドにトスする。

 それを見て矢部くんは更に加速した!

 

「セーフ!!」

 

 審判の手が大きく広がる。

 矢部くんめ……新垣が間に合わないと感じて速度をわざと一旦緩めて蛇島のセカンド送球を誘い、新垣をアシストしたんだ。

 凄まじい走塁センスと技術……自分の脚に自信を持ち、なおかつ相手の肩との計算を頭に入れてやらなきゃ出来ない芸当だな。素直に凄いとしか言えねぇよ。流石だよ矢部くん。

 これで一、二塁――バッターは俺だ。

 

『バッター三番、葉波くん』

 

 クリーンアップ。後は四番……ケガを押して出ている俺でも此処はヒッティングだと向こうは読む筈。

 奇策は二度続けてこその奇策。ならばここは奇策を二度重ねる!

 山口が投げる。

 ストレート、さっきと同じく外角低め。予想通り!

 俺は素早くバットを寝かせる。セーフティバントだ。

 慌ててピッチャーがダッシュしてくる。それを待ってたんだ!

 俺はバットを押しこむようにバットに当て、わざと強くバントを放つ。ドラッグバント――所謂、プッシュバント。

 虚を突かれた山口はバランスを崩す。

 ボールは弱いバウンドでセカンドの前に転がるが、セカンドの蛇島が取る頃には全員が次の塁へ進んでいた。

 よし、セーフティバント成功! 俺も一塁に残った!

 最高の場面で友沢に回った。これで二点といえず三点、四点取れるかも知れねぇぞ!

 

『バッター四番、友沢』

 

 ベンチが今日一番の盛り上がりを見せる。

 さあ友沢。お膳立てはしたぜ。俺たちを塁に返してくれよ。

 

『さあ回ってまいりました。此処で絶好の得点のチャンス! バッターは友沢です! 十四対二、ここで三点を取らないと恋恋高校、コールドで試合が終わってしまいます! なんとか最後まで試合をやりたい恋恋高校!』

 

 初球から恐らくフォークで来る。

 友沢――狙っていけ。

 山口が振りかぶる。

 ビュンッ! と投げられたボールはフォーク。

 友沢は限界までそれを呼びこんで――掬い上げるように弾き返した。

 快音。

 ボールが打たれた瞬間長打になることを確信し、俺は走りだす。

 スピンが掛かった打球は右中間をまっぷたつに切り裂き、フェンスに直撃した。

 その間に矢部くんと新垣が全速力でホームに帰る。

 ボールはまだ中継にも帰っていない。俺も帰れる!!

 サードを蹴る。

 

「パワプロくん!! スライディングでやんす!! 左でやんすー!!」

 

 矢部くんが指示を出してくれる。ありがたいぜ!

 セカンドの蛇島から鋭い返球が猫神へと帰ってきた。

 それを避けるように俺はスライディングして――。

 

「セーフッ!!!」

『友沢の走者一掃タイムリーツーベース!! コールドをなくしたー!! し、しかし、その代償はあまりにも大きいか!! 葉波選手、肩を押さえて立てません!!』

 

 ……っ。

 スライディングする時に猫神と接触しちまった時変に捻ったみたいだ。

 せっかくある程度収まってた痛みが、今度はさっきの倍近い痛みで帰ってきた。

 激痛で動けない。だが此処で弱いところを見せたら審判に交代を命じられちまう。

 

「っしゃぁっ!! やったな矢部くん!!」

「え? あ、そ、そうでやんすね! ……歩けるでやんすか?」

「大丈夫だ。すまない」

 

 俺が大声を出すと、矢部くんは察して俺と肩を組むようにしてベンチまで一緒に歩いてくれる。

 実際には、俺が激痛で動けないから肩を貸してくれてるんだが、察してくれてよかったぜ。

 矢部くんにベンチに下ろされて俺は一息つく。

 

「……大丈夫?」

「早川。……ああ、大丈夫だよ」

「……そっか」

 

 何か言いたいのをぐっとこらえて、早川は俺から視線を外す。

 ありがとな早川。俺のわがまま聞いてくれてさ。

 この試合だけは、やりきらなきゃいけないんだ。

 俺たちのレベルはどの程度なのか知るためにも、な。

 結局続く明石、石嶺、三輪は空振り三振。

 明石にこそフォークを投げたが、後の二人ストレート一本で三振にしとめ、山口は揚々とベンチに戻って行く。

 さあ、五回裏、きっちり抑えねーとな。一点でもやったら試合終了だ。

 防具を着けてキャッチャーズサークルに座る。

 

『バッター五番、蛇島くん』

「……キミもタフだねぇ。そのケガ、酷いんじゃないかい?」

「そうだな。――でもまあ終われねぇんだよ。気に食わない奴に一発パンチくれてやらなきゃいけねぇからよ」

 

 じろり、というと蛇島の笑顔が凍りつく。

 むかついてんのかよ蛇島。悪いけどラフプレーはやんねぇぜ。プレイで返すのが俺の遣り方だからよ!

 初球、早川に要求する球はストレート。

 打ってみやがれ蛇島!

 早川から投げられるボールはキレ良く俺のミットに向かって飛ぶ。

 パァンッ! と受け止めたボールはアウトロー際どいコース。

 

「ストラーックッ!」

 

 心なしか早川も蛇島に大してのボールには力が乗ってるぜ。いい感じだ。

 1-0からなら変化球を投げれる。外角低めにカーブだ。

 要求通りに投げられたカーブに、蛇島はフルスイングで対応しようとするが当たらない。これで2-0だ。

 硬くなってやがるな。俺の挑発に乗って熱くなってる。

 遊び球は要らない。三球勝負だ。

 "第三の球種(インハイストレート)"。気合いれて投げ込め!

 

「んっ!!」

 

 早川が声を上げて投げる。

 伸びるボール。それを追うように蛇島のバットが動き――当たらない。

 バシッ、とミットでボールを捕球し俺は目で蛇島を見る。

 蛇島と目があう。

 蛇島は一瞥するようにこちらを睨んだ後、すごすごと帰っていった。

 借りは返したぜ。蛇島。

 ――カウントもこれでワンアウト。よし。

 もう一点もやれない、ランナーを出さずに済むならそれがベストだ。

 続くのは投手の山口。こいつも抑えれるのがベストだ。気を緩めるなよ早川。

 投手だ。フォアボールのほうがヒットよりでやすいだろう。

 最初から"第三の球種(きめだま)"で行く。さあ来い。

 早川の投げたストレートにカンッ、と上っ面で当てた球はふらふらとサード後方へと伸びていく。

 そしてそのままポテン、とレフト前に落ちた。

 

『ヒットー! 幸運な当たりですがヒットになりました! このランナーが帰ればサヨナラコールドゲームになります!』

 

 攻め方は間違っちゃいない。運がよかっただけだし、三輪のスタートがあと一歩早ければレフトフライだ。問題ない。

 バッターは猛田。コイツをゲッツーに取れれば最高だし、最悪進塁打を打たれても八、九の下位打線、何とかなるはずだ。

 

(初球はカーブ、こいつはストレートにはめっぽう強いが変化球に当てるのはそう上手くない。来い!)

 

 早川が投げる体勢に入った瞬間、山口がスタートする。

 

(走った!!)

 

 投手でも走らせてくるのか。

 ランナーが二塁に入ったらマズイ。進塁だけは許しちゃいけない。

 肩は痛む。正直に言えば壊れるんじゃないかと思うほどだ。

 それでも、此処は絶対に刺す。刺せる!!

 腕を振るう。 

 セカンドベース上。そこへ向けてボールを投げようと思ったその瞬間。

 

 ――肩に激痛が走った。

 

 ぴ、と指先からボールが抜ける。

 

 ――セカンドの頭上を遙かに超えて、ボールは外野へと飛んでいく。

 

 ライトの右、センターの左に転がるボール。

 まるで人の居ないところを狙ったかのような悪送球。

 それを確認すると同時に、俺は右肩を押さえてその場に蹲った。

 

 ――視界の端で山口がホームに帰るのが視える。

 

 俺の悪送球でランナーがファーストから一気に帰ってきてしまった。

 俺がうつむいていると、早川がマウンドから降りて俺の前にしゃがむ。

 

「肩、大丈夫? ……ごめんね。ボク打たれすぎちゃって」

「あおいちゃんだけのせいじゃないでやんすよ。……オイラももうちょっと攻め方があったと思うでやんす」

「私のエラーが大きかったわ。それがなきゃこんな一点位……」

「打撃は調子良かったが守備等でカバー出来なかった。皆の力不足だ。一人のせいじゃない、チームの責任だ。……次だ。次にリベンジすればいい」

「……ああ……そう、だな……」

「とりあえずパワプロくんは病院だよ。加藤先生! はるか!」

「は、はいっ!」

「その前に整列よ。さ、皆、整列して、パワプロくんはその後速く病院に行きましょう」

「……はい」

 

 皆の言葉が頭に染みこんでくる。

 ああ、そうだ。友沢の言うとおり俺達はまだまだ力がない。これが今の俺達と帝王実業との差なんだ。

 だから――もっと強くなろう。次にやった時は負けないように。

 強くなって次は勝つ。

 それが負けた俺達に出来る唯一のことなんだから。

 ホームベース前に俺達は整列した。

 俺の隣に居る早川は、俺を支えるように寄り添って支えてくれる。

 

「十五対五、帝王実業!」

「「「「「「ありがとうございました!!」」」」」

「さ、パワプロくん行くわよ。車で病院まで送ってあげるから」

「ありがとうございます」

 

 全員でおじぎをして挨拶を終えて加藤先生に促されてベンチへと戻る。

 ベンチから出る直前に俺はスコアボードへと目をやった。

 

 恋恋 200 03

 帝王 254 31×

 

 このスコアボードを、俺は忘れない。

 コールド負けという悔しさを胸に秘めて俺は球場を後にする。

 今日の敗戦を糧にして、次の大会は絶対に勝つ。

 次の戦いは秋大会だ。

 

 

 

                       ☆

 

 

                      

「兄さん、僕、決めました」

「そうか。……行くんだな」

「はい。僕は――恋恋高校に入ります」

 

 決意を兄さんに言う。

 すると兄さんはふ、と笑った。

 まるで僕がそういうのが分かっていたみたいに。

 ……本当に、兄さんには敵わないや。

 

「今のお前は昔、僕たちが居た頃の進だ。パワプロが最も恐れていた時の、な」

「……え? パワプロさんが恐れていた?」

「ああ、そうだ。あいつが僕たちの専用練習場に入って練習したり、スポーツジムの永久会員になったのは知ってるだろう? あれはあいつらお願いしてきたんだ。お前に負けたくない。レギュラーを取られたくない。だから練習場を使わせてくれとな」

「……」

「知らなかっただろう? 進。僕もお前の凄さを認めている。だがな――お前の実力を一番知って、一番認めていたのは他でもないパワプロだ」

「……そうだったんですか……それなのに僕は……」

「ふ。恋恋に行くなら覚悟しておけよ。コンバートするつもりで行かないとな」

「そうですね。外野手も練習してみます。もちろん捕手は諦めないですけど」

「それがいい。多分パワプロもお前と競うことで更に成長出来るし、チーム的にもお前が加入すれば選手層が厚くなる。……これは手ごわくなるな」

「ふふ。兄さんたちを倒して甲子園に行くんですから」

 

 僕は笑って席を立ち上がる。

 今日は見に来てよかった。……僕はパワプロさんに憧れていたんだ。それがいつの間にか嫉妬になっていたけど、僕は嫉妬なんかよりもっともっと別の気持ちをパワプロさんにいだいていたんだから。

 

 ――僕は、パワプロさんともっと一緒に野球をやりたい。

 

 外野手でもいい。もちろん捕手がベストだけれど、僕はパワプロさんともう一度レギュラー争いしてみたい。

 そして何より、もう一度同じチームで野球がやりたいんだ!

 

「それにしても蛇島さん、酷いですね。バットを肩に当てたプレー、あれって……」

「……進。お前はお前のことに集中するといい」

 

 兄さんに故意かどうか確認しようとした瞬間、兄さんの声がひやりとしたものに変わった。

 普段他人に対して怒りなんて見せない兄さんが、怒ってる。

 

「僕のライバルを故意に潰そうとしたのならその報いは受けてもらうさ。……敗戦という形でな」

 

 兄さんは言ってスタンドを後にする。

 ……僕も行かなきゃ。

 パワプロさんありがとうございます。今日の試合、負けてしまったけどパワプロさんの全力のプレイはしっかり目に焼き付けました。

 僕も負けません。中学校で日本一を目指して頑張ります。

 次に会うときは――恋恋高校のグラウンドで会いましょう。



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第七話 "七月二週~三週" 躍進 vs友沢

「全治一週間でやんすかぁ」

「はぁ、はぁ。あ、あ。幸い、はぁ、関節には、異常が、なかった、みたいだから、はぁ、その間のメニューも決めたし、大丈夫、だ」

「他の場所の筋力が落ちないようにトレーニングだろ。お前の場合体幹がまだまだだから体幹鍛えるメニューが中心か。二週間くらいだったら肩の筋肉は落ちないから、すぐ回復出来るだろう。チームも新人戦までに力をつけないと甲子園なんてとても無理だぞ」

「分かってるって。だから、こう、して、ぜぇっ、お、前たち、の前、で、腹筋をっ……ぜはっ!」

「次は背筋五〇回だよー。まだ六セット目だからね。後四セットあるよ」

「うわぁ。あおいの笑顔怖っ。たしかに心配させただろうけどそろそろ許してあげなよ」

 

 グラウンドで矢部くんに足を抑えられながら、俺は必死で上体を起こす。

 敗戦から既に数日、俺達は新しい大会に向けて動き出した。

 俺の肩は全治約一週間。酷い打撲だったが幸い関節には異常が見られず、結果打撲の腫れが引けば練習に参加してもいい程度のケガで済んだ。

 肩を動かしたりボールを投げることは禁止されたが、それ以外の練習になら参加しても良いとの医者のお墨付きを得て皆に報告したのが試合の翌日。

 それから何故か分からないが激怒している早川をなだめるため、矢部くんや新垣の協力を得てニッコリと笑った早川から貰ったお言葉は、

 

『パワプロくんはノックとかキャッチボールとか出来ないからはるかと彩乃ちゃんと一緒にスコアつけたり色んな指示をしたりするんだから楽だよね。だったら――ボクたちの休憩中に腹筋背筋五〇回ずつ一〇セット、肩のケガが治るまでやるって言うんだったら許してあげる』

 

 との有り難いものだった。

 

「はい、腹筋終わりでやんす~」

「次は背筋だな。肩を痛めないようにサポーターを巻いているんだ。張り切ってやれ」

「お、お前ら……っ」

 

 パワリンを飲みながら友沢は楽しそうに俺を見下している。ちくしょう。

 俺が羨ましそうにパワリンを見つめているのに気づいた早川は、くすりと笑って、

 

「大丈夫、パワプロくんの分も用意してあるから。速く終わらせようよ」

「早川……ありがとな。はぁっ、で、でもき、キツイ……ちょ、ちょっと休憩を」

「だぁめ♪」

 

 早川は何故か上機嫌になりながら椅子に座る。

 くそー、ご機嫌でもやっぱり厳しいぜっ。

 俺が指示通り一〇セットずつ終わる頃に、丁度休憩が終わって皆が歩き出す。お前ら容赦ねぇな。

 

「いてて……お前らと一緒にもう一〇セット先に終わらせてたんだぞ、追加はきついだろ」

「お前は主軸だぞ。人以上にトレーニングさせるのは当然だ。俺が四番だがお前もクリーンナップを打つんだからな」

「へぇい……」

 

 この四番冷たすぎんだろ。なんでそんなひんやりしてんの。

 でもまあたしかに友沢の言うとおりか。チーム全体のレベルアップはもちろんなんだから、それよりも真ん中を守ろうってんならもっと上手く強くならねぇと。

 ――さて、んじゃチームの中心であるエースさんにももっと良い選手なってもらわないとな。

 

「早川、ちょっといいか」

「あ、うん、パワプロくん、ボクもそろそろ、話そうと想ってて……」

「お前も? どんなことだ?」

「その、ボク今のままでいいのかな。帝王にあれだけ打たれちゃったし……」

「そっか。実はそれに関係することなんだよ」

 

 まあたしかにエラーもあったけど、たしかに十五失点ってのは思うものがあるだろう。

 早川自身調子も悪くなかった。それなのにアレだけの失点をしてしまって、ただ単に実力を付けても必ず打たれてしまうようになるレベルがある。

 それ以上に行こうと思ったら、球速や変化球を成長させる以上に工夫が必要だ。

 

「……フォーム改造してみないか?」

「フォーム改造……? もしかして、アンダースローをやめる、ってこと?」

「いや、そんな大掛かりなもんじゃない。俺が言いたいフォーム改造ってのは、アンダースローのままもう一段階フォームを良くしようってことだ」

「もう一段階?」

「ああ」

 

 早川が不思議そうに小首をかしげる。

 漠然とこう言われたんじゃ分かる訳ないよな。此処は順序立てて話さないと。

 

「早川は良いフォームってどんな事を言うと思う?」

「え? ……うーん、見てて綺麗なフォームだと最近まで思ってたけど、打たれてからは"打たれづらい球を投げれるフォーム"だって思ったんだ」

「そう、そういうことだ」

 

 早川もいろいろ考えてるんだな。

 ……帝王に負けてよかったのかも知れない。あれだけの敗戦をしたことで、確実に俺達は前に進む方法に気づけたんだ。

 負けて学ぶ事があるとは良く言ったもんだぜ。

 

「今の早川のフォームはリリースが少し速いんだ。ついでに腕は遅れて出てくるけどリリースポイントが隠れてる訳じゃないから、二打席目、三打席目――レベルが高ければ一打席目の途中にすらもうタイミングをアジャスト出来てしまう」

「うん。でもそれは緩急で何とかできるんじゃないの?」

「帝王戦でも分かっただろうが、一段階レベルが上がるとストレートを待ちながら変化球にも対応出来るようになっちまうからな」

「なるほど……だから、フォームを改造するの?」

「ああ、リリースポイントを体に近づけることで体でボールを隠してリリースポイントを見づらくし、更に球持ちを良くすることで相手のタイミングをズラす。球持ちが良くなるとストレートのキレも上がるからな」

「わかった。やってみるよ」

「うし、ポイントは足を踏み込んでからだ、リリースポイントを体に近づけるには体の開きを限界まで我慢して腕を振るんだ。早川はアンダーだからな」

 

 左投げで手本を見せながら説明をする。

 それをみて、早川は早速ネットに向かって投げ込みを始めた。

 やっぱり早川は飲み込みが速い。既に形になってるじゃねぇか。

 今まで横から出ていた腕が、体の下――更に低位置から出てくるようになってる。

 体が目隠しになり、隠れていた腕がいきなり出てくるんだ。これだけで相手は振り遅れるだろう。

 それに加えて球持ちまで良くなれば相手は相当攻略に苦しむな。それだけ利点のあるフォームだが習得は難しい。それをまだ身には付いていないとは言え形にするなんてな。流石だぜ早川。

 にしても俺の言う事が間違ってるかもとか思わないのかな。信頼されてるのはうれしいけど、こりゃ責任重大だぜ。

 

「球持ちを良くするには、リリースを我慢しなきゃいけない。それには下半身の粘りが必要だから、自然と足腰は必要になってくる、というわけで当分は走りこみだな」

「うん、分かった。頑張るよ」

「ああ。早速走りこみだな」

「うん」

 

 早川は投げ込みをやめて、グラブを置くためにベンチへともどって行く。

 これだけ信頼されてるんだ。俺もその信頼に答えてやらないと。

 

「……早川は肩の可動域が広く、柔軟性がある。それを踏まえた上で今最も早川に適切で尚且つ必要な要素は"打ちづらい球を目指す"ということ。それに適切なのは球持ちを良くしてボールのキレ、打ちづらさを追求することと、出所を隠しタイミングをズラすということだ。……早川の特徴を捉えたからこそ出来るアドバイスだ。よく見ているな、早川のことを」

「あん? 当たり前だろ。バッテリーなんだから」

 

 後ろからいきなり話しかけてきた友沢に答える。

 そりゃそうだ。俺と早川はバッテリーなんだ。よく見てるのは当然だ。

 

「ふん、そうか。……お前も一緒にランニングいってきたらどうだ?」

「……ああ、そうする。さんきゅな」

「ああ」

 

 友沢の奴、わざわざそれを言いに来たのか? 暇な奴だなー。

 まあ、ありがたい事だよな。気にかけてくれるってのはさ。

 うし、んじゃ早川と走るか。

 

「早川、一緒に走ろうぜ」

「あ、うん。丁度良かった。僕もパワプロくんと話したいことがあったんだ」

「ん? なんだ?」

「さっき新しいフォームにした時にリリースポイントを体に近づけて出処を見づらくするってやったよね?」

「ああ」

 

 それに加えて球持ちを良くすれば打ちづらい、って話だからな。最初の割には大分フォームも安定してたし、いけるはずだ。

 

「今さっき投げた感じだとちょっとフォームが小さくなっちゃって、上手く球に力が伝わらないんだ。どうすればいいかわからなくて……」

「ああなるほど、腕を伸ばしてた部分をたたんでしまうわけだからな。体の後に腕が出てくるように視えるフォームになるわけだからそうなっちまうのは仕方ないことだ。それを改善するにはそうだな。テイクバックを大きくすればいい」

「テイクバックを大きく?」

 

 きょとんとこちらを見る早川に教えるように、俺は投球フォームをやって見せる。無論左腕だけど。

 早川のフォームは横に広かった。アンダースローでリリースの位置は低いが、投げる際は利き腕方向の右側に腕をのばしている。それによって腕を振れるようにし、球速を伸ばしていたのだろう。

 それを俺が教えた要素を取り入れるフォームにすることで、腕が体の下から出るようになった。それでは腕をふる距離を稼ぐことが出来ないのだ。

 なら、その距離を作ってやればいい。

 

「ああ、こういう風に後ろを大きくとって投げるんだ。トルネード投法のように体をひねるのもそのテイクバックを大きく取るためなんだぜ」

「そうなんだ?」

「ああ、だから早川もテイクバックを大きく取ってみればいい」

「分かった、やってみるよ」

 

 俺の助言を覚えるように早川は何度もこくこくと頷く。

 その後も早川は俺に技術的な質問をしながら、一緒にグラウンドを走った。

 早川なら次の大会までにこのフォームを完璧にモノにしてレベルアップするはずだ。

 俺も負けないように上手くならないと。今のままじゃ――猪狩に顔を向けできないぜ。

 

 

 

 

 

              ☆

 

 

 

『さぁ、大変なことが起こりました』

 

 準決勝第一試合。

 パワプロたちが敗れたその大会の準決勝が、此処、第一市営球場で行われていた。

 あかつき大付属vs帝王実業――名門校同士の"実質決勝戦"と言われたその試合。

 後攻、あかつき大付属高校の守備でマウンドに立ったのはエースナンバー"1"を背負う一年生エース猪狩守。

 現在八回の表、準決勝以上ではコールドゲームが無くなるという規定で始まったこのゲームも終盤を迎えていた。

 だが、グラウンドに対する歓声は殆どない。

 バッターボックスに立つのは蛇島。今日は全くいいところなしで全ての打席を三振で終えている。

 

「お前にだけは、打たせない」

 

 ぽつりと守はつぶやく。

 目には闘志。溢れ出す威圧感はバッターが怯んで手を出せない程だ。

 ギュンッ! と守が腕を振るう。

 同学年で一年生の二宮はそれをしっかりと腕を伸ばして捕球した。

 

「っー、まだこの威力かよ、守」

 

 二宮がヘルメットを直しながらバックスクリーンを見る。

 一四七キロ――高校一年生が出す球速じゃない。

 これが他の有力選手を差し置いて"世代ナンバーワン"の名を欲しいままにする超高校級投手、猪狩守。

 今の一年生が三年になる時、あかつき大付属は過去最強のメンバーになると言われている。

 

 一番センター八嶋中。

 二番ショート六本木優希。

 三番レフト七井アレフト。

 四番ファースト三本松一。

 五番サード五十嵐権三。

 六番キャッチャー二宮瑞穂。

 七番ピッチャー猪狩守。

 八番ライト九十九宇宙。

 九番セカンド四条賢二。

 

 すべてが一年生である。

 そう――なんと今年のあかつき大付属高校のレギュラーは全員が一年なのだ。

 

『全員一年のあかつき大付属高校は初! そしてその一年のみのあかつき大付属が何と――十四対〇! しかも未だにランナー一人出せず! 七回パーフェクト! そしてこの八回も先頭打者の四番福家がファーストフライに打ち取られました!』

 

 猪狩守は蛇島から視線を外さない。

 その目には闘志。相手に対する敵愾心がはっきりと宿っている。

 

「な、なんなんだ貴様……! 俺にそんな目をしやがって……!」

「はぁっ!!」

 

 ゴッ! と猪狩から放たれたボールは針の穴を通すかのようにインローに突き刺さる。

 ストライク二つ目。猪狩は二宮からボールを受け取りながらバックスクリーンへと目をやった。

 

 あかつき大 421 131 11

 帝王実業  000 000 0

 

 そう記されたスコア。もしも蛇島が姑息なことをしなかったならばそこに記されたであろう、此処で相まみえたはずの男の率いるチームを思い浮かべる。

 

「……パワプロ」

「……は? 俺達が負かしたチームのキャプテンがどうしたんだい?」

「貴様は一番やってはいけないことをした。進を誑かした挙句、僕の最も近しいライバルをラフプレーで傷つけたんだ。その報いは受けてもらう」

 

 グンッ、と猪狩が振りかぶる。

 そうして投げられたストレートは空を切り裂きながら凄まじい勢いで二宮のミットを叩いた。

 

「トラックバッターアウトォッ!!」

『三振十五個目!! 恐ろしい選手が現れました! その名は猪狩守ー!』

「――三振に打ち取られる事でな」

 

 猪狩の言葉に、蛇島はギリリと歯を食いしばる。

 厄介な男に火をつけてしまった。

 あのパワプロに何故ここまで固執してるのかはわからないが、今の自分ではこいつには及ばない。

 

(まぁ。いいさ……今回は負けてやる……。……だが、次は負けない。次はお前を潰してやるから覚悟しておけ……)

 

 不敵につぶやいて蛇島はベンチに下がる。

 この先の展開は見えた。どうあがいてもこの投手を崩して一四得点をするなんて不可能。準決勝前に当たっていたらとっくの昔にコールド負けしているのだから。

 六番打者も三振に取られ、九回の攻防へと入る。

 もう殆ど決着はついているようなもの。それでも観客席の面々はそこを離れようとしない。

 観客たちは待っているのだ。恐らく来るであろう歴史的瞬間を。

 一年生同士のバッテリーが甲子園優勝経験もある帝王実業という名門相手に"完全試合"を達成するというその歴史的瞬間を、今か今かと待ち望んでいるのだ。

 九回表が終わって点差変わらず、一四対〇。

 そうして迎える九回の裏。もちろんマウンドに立つのはここまでランナー一人すら許していない男、猪狩守――。

 打順は六番から、もちろん帝王実業の監督も黙ってはいない。ここまで控えに甘んじていた代打要員達を惜しみなく投入する。

 だがそれでも届かない。猪狩守は七番打者の初球から、一四六キロのストレートを膝下に投げ込んだ。

 球審の手があがる。

 ストライク。いや、それ以上に凄い。

 この炎天下、九回まで猪狩守は一〇〇球以上のボールを全力で投げ込んできた。

 にも関わらずまだ一四六キロの球をこのコントロールで投げ込めるという。

 その瞬間客席達は皆確信した。

 

 ――この投手は伝説を作る。

 

 猪狩守はプレッシャーが掛かるわけでもなく、その端正なマスクに滴る汗を拭っただけで、再び腕を振るう。

 今度はスライダー。一二〇キロ程度の速度だが、切れ味と変化量は天下一品だ。たちまちバッターボックスの三年のバットが空を切る。

 続く三球目、今度はインハイに力一杯投げ込まれたストレートが再び一四五キロを計測する。

 バッターは手が出ない。ワンアウト。後二人で完全試合。

 

『ば、バッター八番。篠田に変わりまして、与那嶺』

 

 ウグイス嬢の声が震える。

 バッターボックス立った与那嶺は短くバットを構え、じろりと猪狩を睨んだ。

 だが猪狩は動じない。先ほどと同じ調子で腕をふるうだけ。

 結局与那嶺も三振で終わる。

 

『バッター九番、猫神くんに変わりまして、大沢くん』

 

 ラストバッターは代打の大沢。打力ならば帝王実業ナンバーツーと言われながら、守備走塁に難があり代打に甘んじた必殺の仕事人だ。

 それでも当たらない。猪狩の直球は唸りを上げて二宮のミットを叩く。

 二球目は外れるも三球目はカーブでアウトローに決め、カウントを2-1にした。 観客は固唾を飲んで見守る。

 そのなか、猪狩守はぐぐっと腕を上げて投球フォームを取った。

 

(パワプロ、お前は見ているか? 見ていなくてもニュースなどで知るだろう)

 

 ライバルに心の中でメッセージを送りつつ、

 

(僕は今此処に居る。お前はまだまだ階段の下にいるだろう)

 

 戦うことが叶わなかった男に対して、最大のエールを送る。

 

(……登って来い。パワプロ――僕は高みで待つ)

 

 猪狩守の腕が振るわれる。

 

 ――その瞬間、彼は自分の名を観客の頭の中に刻みつけた。

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

「完全試合……」

 

 ラジオを聞いていた俺は、立ち尽くす。

 早川がフォーム改造をし始めてから数日。

 俺達がコールド負けをした相手に、猪狩はパーフェクトゲームを達成した。

 一緒にやってたときから猪狩は凄かった。モノが違う。俺はあいつに引っ張られるように成長したんだ。

 ……でも、成長してたのは俺だけじゃない。

 そして自意識過剰かもしれないが、この完全試合――これは俺に対するメッセージな気がする。

 

 "パワプロ、この高みまで登って来い。――そこで、僕はお前を待っている"。

 

 そう伝えたいのか? 猪狩。

 ……わかんねーけど、そう受け取っておくぜ。猪狩。

 待ってろ、言われなくてもお前の高さまで皆と一緒に登ってやる。

 次にお前らを倒して甲子園に行くのは俺らだからな。

 さて、肩にまだ痛みはあるが腫れはひいたし、今日からボールに触って良いからな。本格的な実践練習も可能になるってもんだぜ。

 

「よーし!! んじゃフリーバッティングやるぞ。早川、さっき話したとおりに投手はお前だ」

「うん」

「部内対決でやんすね」

「最初打っていいか?」

「ちょっと友沢、あんた遠慮しなさいよね、フォーム改造中なのに慣れる前にいきなりあんたが打ってどーすんのよ。最初は私が行くわ!」

「だめでやんすよ! オイラが先でやんす!」

 

 そう、フリーバッティングの投手を務めるのはマシンじゃない。早川だ。 

 フォーム改造中の早川には実践が圧倒的に足りない。練習では大体前のフォームと同じ感覚で投げれるようになったっていってたけど、本番だとどうなるか分かんねーからな。

 それにしても、まだ練習中だけとは言え前と同じ制球を維持したまま新フォームを会得出来るってどんだけセンスあるんだよ。

 パッと見た感じ球威もキレも上がってるし、フォーム改造は今のところ大成功だぜ。

 

「んじゃまずは新垣か?」

「そうよ。あおい! 全力でやるわよ!」

「うん! ボクもだよ!」

 

 ライバル意識を燃やす早川と新垣。

 いい事だぜ。競争意識の無いチームは成長しづらいしな。

 こうやって相手を意識しあうのはいい事だぜ。

 防具を久々に付け、キャッチャーミットを左手に付ける。

 

「うーし、んじゃ投球練習いっとくか!」

「うんっ、パワプロくんに久々に受けて貰えるしね。……じゃ、行くよ」

 

 早川がフォームに入った。

 体で隠れていた腕が遅れて出てくる。

 足がついてギリギリまでリリースを我慢して――ストレートが放たれた。

 

 ッパァァンッ!!

 

 ミットを打つ音。

 そして同時にするミットが打たれる感触――ビリビリ来るぜ。やっぱこうでなくっちゃな。

 

「……な、なんか速くなってない? 球」

「かもな」

 

 そう視えるのも仕方がない。

 所謂"ノビのある球"って奴になってるわけだからな。球速以上の速さを感じても不思議じゃないぜ。

 とかいう俺も実際に早川のボールを受けたのは約一〇日ぶりだ。

 一球だけじゃ分かりかねるが――それでもこの一球はどれよりも"取りづらかった"。

 

「早川、五球ずつだ」

「うん」

 

 ピュッ、とストレートを投げてくる早川。

 腕を下から出すようにしたはずなのにやはりボールが速い。このフォームは早川にしっかりとマッチしているようだ。

 パァンッ! と音を立ててボールがミットに突き刺さる。それを友沢たちはどこか頼もしそうに見つめていた。

 ストレートの軌道は殆ど変わってないはずなのだが、キレが増したせいか出所が見えないせいかは分からないが全くの別物になっている。この球――俺、打てないぞ多分。

 

「次、カーブだ」

 

 この分だと他の球種も変化の仕方が変わってるかも知れないな。しっかり把握しとかないと俺が早川の足を引っ張っちまうぜ。

 早川がカーブを投げる。

 やはり微妙に角度が違うからかカーブも前のフォームとは違いがあるな。

 前回は横への変化が大きかったが、今はどちらかと縦方向への変化が強い。ドロップカーブまでは行かないものの、やはり前回とは違う軌道で落ちている。変化のし始めも前までとは違って遅いから、見極めが難しいだろう。これなら空振りを取れそうだ。

 

「次、シンカー」

 

 こくん、と頷いて早川が投げる。

 浮かび上がる軌道のシンカーは途中で逃げながら斜めに落ちた。

 軌道としては途中まで遅い"第三の球種"のような感じだが後半の変化はまるっきり違うな。このボールを狙って居ない限りこのボールを当てる事は難しい。

 打者視点として見れば浮かぶと思ったボールが落ちながら逃げるんだ。正面から立つ俺でもノーサインだったら捕球を迷うような変化をするんだからな。バッターボックスに立つ打者は打ちづらいだろう。

 それでも恐らく一定レベルの打者だったらカット出来るか。そこは他の球とのコンビネーションで俺が何とかしないとな」

 

「ラスト、高速シンカー」

 

 予想としてはシンカーに比べて浮かび上がりが大きく、その分沈みが浅い球になると見た。

 さあ、どんな球が来るかな。

 早川が腕を振るう。

 そこから放たれるボールに、俺は――

 

 ――驚愕した。

 

「っ!」

 

 びしっ、と思わず後ろに逸らす。

 なん、だ……? 今の球は……。

 

「わ、悪い。もう一球だ」

 

 後ろに逸らしたボールを拭いて早川に返しながら、俺はミットをぱしぱしと叩く。

 今の球。

 早川の腕から放たれたボールはほぼストレートと同じ軌道でホップした。

 そのホップの仕方は普通のシンカーとは違う。まさにストレートと同じように浮かび上がって――その後、シンカーと同じような変化で更に大きく変化したのだ。

 その高速シンカーを今度は捕球しながら考える。

 高速シンカー。多分、それが角度が下から放たれることで球速がストレートと同じな事と関係し、ストレートのようにホッピングするんだ。ただし回転はシンカーだから、そのせいで途中から急激に変化してあのような独特の軌道になる。

 

「これは……」

 

 予想以上だ。

 キレ、出所の見辛さ――どれをとっても天下一品といって差支えがないだろう。特にこの高速シンカーはこの先の早川の生命線になりうるほどのボールだぞ。

 

「……うし、じゃ、始めるか。矢部くん」

「ふふん、ま、一番バッターはオイラでやんすからね」

「ああ、三打席勝負だ。頼むぞ」

「了解でやんす」

 

 さて、矢部くんか。

 外角の球を左方向に打ち返すのが上手い矢部くんを抑えるには内角を上手く使うことが先決だ。まずは内角低めにストレート。

 早川がぐん、と新しいフォームで投球を開始する。

 体の位置は同じ。

 ただし腕の位置が体の下から。

 いきなり飛び出してくるように視えるそのフォームに矢部くんは一瞬ピクリとバットを動かすが、タイミングがあわなかったようで振ってこなかった。

 コントロールも良い。俺の構えたところにドンピシャだ。

 

「これは……凄いでやんすね」

「まだ一球目だよ。次」

 

 次はカーブ。外から逃げるように落とす。

 ピュッと投げ込まれるカーブに矢部くんはバットを出すがタイミングが合わなかった上に落差が大きかったせいで当たらない。

 これで2-0。追い込んだ。

 

「む、ぐ。これは厄介でやんす」

「ああ、だろ?」

 

 一球外に構えてストレートを外す。

 外した球にすら矢部くんはバットを僅かに動かした。球持ちが良いせいで見極めが難しいんだろうな。俺がバッターでも恐らく同じような反応をしちまっただろう。

 さて、四球目――これが決め球だ。

 高速シンカー。これを矢部くんに見といてもらいたい。

 矢部くんは選球眼もなかなかにいいからな。その矢部くんの感想を聞いておきたいぜ。

 早川がそのフォームで投げる。

 矢部くんは恐らく"第三の球種"だと思っていただろう。内角高めに狙いを定めてバットを振るい――空ぶった。

 

「なっ……ど、どういうことでやんすか!!?」

 

 矢部くんが俺の捕球した位置を見ながら大声を出す。

 伸びてきた筈のボールが目の前から消えるように落ちたのだ。そりゃ驚くに決まってるよな。

 

「一打席目は三振だぜ」

「……まるで水面からはねたイルカのようでやんすね」

「ん?」

「水面からこちらに向かってはねたと思ったら直ぐに水の中に潜り海の中へと消えていく――聖タチバナのみずきちゃんのクレッセントムーンと同じように他の変化球とは全く違う変化でやんす」

 

 なるほど、難しい例えだがたしかにそんな感じだ。

 打者の手前でホップしたと思ったらそのまま落ちて行く。ホップしてくると思い目線を上げたところでその目線から消えるボール。変化球だけでの上下の揺さぶりを可能とする変化球。

 

「さしずめ"マリンボール"でやんすね」

「マリン、ボール」

「そうでやんす」

 

 マリンボール、か。なんかしっくり来るな。早川のこの変化球に。

 早川も何かしっくり来たのか、ボールを受け取ってじっとそれを見つめている。

 流石矢部くん、ネーミングセンスもあるとは恐れいったぜ。

 

「じゃ、マリンボールで」

「うん、ありがと矢部くん、ボクだけの変化球に名前をつけてくれて!」

「てれるでやんす」

「ストラーイク」

「今はタイムでやんすよー!!」

「ほらほら1-0だ。次行くぞ?」

「お、おーぼーでやんすー!」

 

 マリンボール。

 早川の新しい決め球。

 俺達の進む道が間違ってないとでも言ってくれるかのように生み出されたその変化球。

 それはきっと俺達が強豪に勝つために必要なパーツだったんだろう。

 突き進むぜ早川。このマリンボールと新しいフォームを引っさげて秋季大会に!

 だが、その前にどれくらいまでこの投球が通用するのか確かめてみないとな。それにうってつけの奴がチームに居ることだしよ。

 矢部くんを三打席凡退に打ち取り、俺はちらりと横を見る。

 目があったのは友沢だ。

 分かってんだろ。次に俺達が要求することはよ。

 

「……すまない、新垣。パワプロからのご指名だ」

 

 ニヤリとほほを釣り上げて、友沢がバッターボックスへ向かう。

 ――こいつを抑えれるかどうかが本物かどうか確かめる為の指標になる。

 今まで大きく自分を助けてくれた四番を打ち取ることで早川も自信を持てるはずだ。

 

「頼むぞ友沢。真剣にな」

「分かっている。――チームを支えてきたバッテリー相手だ。楽しみながら本気でやらせてもらう」

 

 す、と構える友沢。

 やはり威圧感が凄い。

 帝王実業戦で福家に感じたのと通ずるものがあるぜ。この呑まれるような感覚といい打たれる鴨知れないと思わせる威圧感といい、やっぱりコイツ。名門校の四番を一年から張れるポテンシャルを持ってやがる。

 だが、こういう奴と気軽に対戦出来る環境ってのはなかなか望んでも持てない。それを幸運にも俺達は持ってたんだ。ならそれを最大限利用しないとな。

 

(初球、ストレートをアウトローに入れる。友沢の打撃の傾向は甘い球が来たら打つだ、甘い球じゃなきゃ見るはずだ。打席で早川の球を見るのも初めてだしな)

 

 しかし友沢の恐ろしい所はその選球眼の良さだ。

 いいところの球でもボールの球は完璧に見極める。だからバッテリーサイドはカウントを悪くしてしまい、苦し紛れに投げたカウントを取りに行くボールを痛打されるというパターンが多い。

 更に言えば厳しいコースでもヒットにする技術も持っている。コントロールが良く狙ったところに投げられる投手でも、何も考えずにボールを投げていれば友沢の餌食というわけだ。

 

(にしてもこの打者が味方とはな。頼もしい話だぜ)

 

 思いながら早川のボールを待つ。

 早川はロージンバッグを手につけた後、ヒュンッと腕をふるってボールを投げ込んで来る。

 パァンッ! と構えた場所へと吸い込まれるように投げられたボールを俺は捕球した。

 

「ストライク。1-0な」

「……たしかにこれは骨が折れそうだ」

 

 友沢が言って、再びバットを構える。

 チッ、骨が折れるとか行ってる割には全く動じてねぇな。

 色んな投手が打たれた理由が分かるぜ。集中力、判断力、選球眼にミートセンス、飛ばすセンスに技術力――全てが抜きん出てやがる。

 こんな打者を三打席、多ければ四、五打席と抑えなきゃならないってのは相手に取っては苦行そのものだな。こいつが同じチームでよかったぜ。

 さて、二球目だ。

 

(外角低めは使った。次は内角低めだ。マリンボール行くぞ)

 

 これは試合じゃない。温存しても意味はないしな。配球に手段は選ばずしっかり抑えるぞ。

 内角から変化するマリンボール。

 友沢はそれを待っていたばかりにスイングした。

 

 だが、当たらない。

 

 友沢のバットをすり抜けるようにしてボールは俺のミットに収まる。

 すげぇ、あの友沢にも有効なのかこのボール。

 友沢はちらりと俺のミットの位置を確認し直ぐに早川へと視線を戻した。

 感覚と実際の変化球のギャップを確認したんだろう。こうやって冷静に対応してアジャスト出来るのが天才たる所以かもしれないな。

 

(これで2-0。練習の延長線みたいなもんだが、この勝負は勝ちたい。なら一球外に外す)

 

 パシッ! と早川が大きく外す。

 しっかりとそれを受け止めてボールを早川に投げ返した。

 一緒に戦ってきた奴だ。俺の配球も大体分かっているだろう。相手校の四番……この場面だったら、前の俺ならば"第三の球種"を使ったかもしれない。

 だが、それだけじゃだめなんだ。ワンパターンのリードは選択肢を狭める。早川がせっかく新しい武器を手にしてくれたんだ。なら俺はそれを最大限に引き出せるようにしないとな。

 

(アウトローにストレート)

 

 それもギリギリ。インハイを意識している打者にとっては手を出しづらい聖域だ。

 しかも出所が見づらく球持ちが良いとくれば、次に来る甘い球を期待して見逃すという選択をしてもおかしくないコースだ。

 そこにもしも百発百中で投げることが出来たのなら――それは大きな武器になる。

 そして早川はその大きな武器を持っているんだ。

 だったらそれを俺がうまく引き出してやらないとな。

 早川が腕を振るう。

 友沢がそれを見て僅かにバットを動かすがスイングはしなかった。

 ビシッ、とボールを受け止めた格好のまま、俺は確信する。

 "早川は甲子園に行ける投手"だと。

 

「一打席目、見逃し三振だな」

「! ……入っていたか」

「ああ、ギリギリな。さあ二打席目だ。早川! お前のボールは友沢にも通用する! 三タコで終わらせてやろうぜ!」

「……それは聞き捨てならないな」

 

 再び友沢が構え直す。

 さあ二打席目。

 試合なら色々な状況で思考は変わるだろうが、連続で打席に立つこの練習方式ならば友沢は恐らく次は見逃し三振だけはしないと思っているはずだ。

 ならば追い込まれる前に勝負を掛けてくる。だったら初球から厳しい所をついて行こう。

 ただ友沢レベルの打者になれば、厳しいコースでもヒットコースに飛ばすくらいならば出来るだろう。

 それを鑑みてリードするとするならば――

 

(――"第三の球種(インハイのストレート)"からだ)

 

 決め球に使うことが多かった"第三の球種(インハイのストレート)"。

 だが、マリンボールや他の球も決め球になるとなれば話は別だ。

 これからはいかに決め球で決めるか、ではなくいかに追い込むかに重点を置けばいいんだからな。それならある程度楽だ。

 追い込むまでならばファールを打たせても良いし積極的に来る打者ならボール球でもポンポン振ってくれる。それで追い込んだ後見せてない球種や緩急、上下左右の揺さぶりで打ち取ることが出来る。つまり選択肢が激増するわけだ。

 早川が頷いてインハイへのストレートを投げてくる。

 そして、その選択肢の中でも強烈に輝くウィニングショットであるマリンボールと"第三の球種"。

 女性だからエースにふさわしくないとは誰にも言わせない。早川は絶対的なエースの力量を持っているのだから。

 

 ッパァンッ! とインハイの球を受け止める。

 

 友沢も負けじとバットを出してきたが当たらなかった。

 フォーム改造前までのストレートならば或いはヒットに出来たかも知れない。

 

 だが出所が見づらくなった上に球持ちまでも良くなりキレが増した早川の浮き上がるストレート。それを初見で捕らえる事は流石の友沢でも不可能だったようだな。

 

「当たらないものだな」

「余裕だな?」

「そうでもないさ」

 

 友沢が軽口を言って再び構えを取る。

 これで1-0か。ストライク先攻になってるが、さてどうするか。

 マリンボールを使っても良いが此処はカーブを使ってみよう。緩急がつけれるしな。

 ビュッ、と早川が投げる。

 投げられたボールはカーブ。アウトローへの緩い球。

 友沢はそれを逆らわずサード方向へ流し打つ。

 が、タイミングが合わない。

 キンッ、と乾いた音を響かせて、ボールはふわりと浮かび上がってサードベース後方へとポテンと落ちた。

 

「サードフライってとこか」

「異論はない。……最終打席か」

 

 ふぅ、とため息をついて、友沢が構えを再びとる。

 打席の度に集中力が増して入っている感じがするな。アジャストもだんだん出来てきてるし、こうして実際に戦ってみると厄介この上ないぜ。

 

(ま、もう小手先は無用か。……外角低めストレート)

 

 アウトローにミットを構える。

 いかに友沢といえど、このコースには手を出しきれないはずだ。

 投げられたボールに対して友沢は僅かにバットを動かすが見逃した。

 

「ストライク」

「……そのコースにこの球威で狙って投げれるか」

 

 感心したような声を出す友沢。

 だよな。俺もびっくりだぜ。まさか早川がこんなにすげぇ投手に早変わりするなんてな。

 たしかに早川は球速やスケール感は山口や久遠には及ばない。だが早川には前二人にはない武器がある。

 "制球"と打ちづらさ――それこそが現代において投手に求められるモノ。

 別に一五〇キロを投げれなくたっていい。神がかり的な変化球だって投げれなくてもいい。

 早川には早川の武器があるんだからさ。

 

「1-0だぜ。友沢」

「ここから打つさ」

 

 さぁ二球目。

 選択したボールはマリンボール。

 ボールは高めに向かってホップすると思いきや、逃げるように落ちる。

 友沢はそれをフルスイングした。

 カァンッ! と鋭い音を残してボールはファーストの横を抜けてファールとなる。流石友沢だ。ここはマリンボールを読み打ちしたな。

 

「……頭で分かっていても外角の後内角の緩い球を投げられると振れすぎるな。タイミングに気を取られているとバットがボールに当たらない。……良いボールだ。早川のコントロールで投げれば特に、な」

「ああ、これで2-0だぜ?」

「分かってるさ。……コントロールがいいからボール先行にならず打者は打ち急ぐ。その打者の打ち気から躱すようなピッチング。……これがウチのエースか。……ふ。面白い」

 

 友沢が構え直す。

 目線は早川から外れない。饒舌だが友沢の集中力は切れていないのだ。

 一球外す。

 無意味な球と呼ばれることも多いランナーなしのウェストだが、打者の反応や考え方をリフレッシュさせるのに役に立つことも多い。

 特にピッチャーがコントロールのいい投手なら尚更だ。2-0より2-1の方が投手は投げやすい。なぜならば、2-0からならば打たれたら勿体無い、という意識が働くが2-1になれば慎重に攻めた結果打たれたのだから仕方ないと思えるのだ。

 更に追い込んだ球はマリンボール。決め球を使ってしまったし、ここは一球外に見せ球のストレートを投げさせるのも悪くない選択だ。

 

「うっしゃ、球来てるぞ! これなら打ち取れる!」

 

 早川にボールを返しながら考える。

 これで2-1だ。ここから先――どうしても抑えたい場面でどのような武器を使っていくのか、リードを通して早川と俺が決めなきゃいけない。

 

 変化球(マリンボール)で打ち取るのか。

 第三の球種(ストレート)で空振りを狙うのか。

 それとも他のものを選択するのか。

 

 俺達が選んだ球種は――、

 

 ――早川が頷く。

 きっとこれが俺達にとってベストな選択になるはずだ。

 

「第三の球種か、マリンボールか。どっちでも来い。打つ」

 

 早川がピッチングに入る。

 それに合わせて友沢がぐぐっとバットを引いた。

 リリースされたボール。

 それはインハイへの球ではない。

 

「何っ……!?」

 

 かと言ってマリンボールでもない。

 俺達が選んだボールはアウトローへのストレート。

 マリンボールで打ち損じを狙うのではなく、第三の球種で空振りを狙う訳でもない。

 この二つのボールも間違いなく早川の武器だろう。

 だが、早川の一番の武器はきっとこのコントロールだ。

 だからこそ――このアウトローのストレートを俺達は武器に使っていく。

 友沢がボールを見逃す。

 友沢にしては珍しい追い込まれてからの見逃しだ。インハイのボールと緩い球に意識を割いていたのだろう。このボールは完全に予想外だったといって間違いない。

 そしてその見逃したボールはストライクゾーンを通った。

 

「ストライク」

「や、やったっ! 友沢くんに勝った……!」

「……ッ、まあ、いい。エースだし華を持たせてやるさ」

 

 負け惜しみを言って友沢がすごすごと打席を後にする。

 そんな後ろ姿を見送って、俺はニヤリと頬を釣り上げた。

 早川、俺達はこの"制球力(コントロール)"で――甲子園を目指すぞ。

 

                 ☆

 

 

 練習を終えて。

 俺達は帰路に着く。夏で日が暮れるのが遅いとは言え、十九時過ぎまで練習してれば帰り道は暗い。

 そんな暗い夜道を一人で歩かせるのはどうか、という審議のもと早川の護衛に任命された俺は早川と共に帰路につく。ちなみに新垣は矢部くんといつも喧嘩しながら帰っているそうだ。仲良しだなぁ。

 制服姿の早川はちらちらとこちらの様子を見ながらも、何故か俺とは目を合わせてくれない。

 まあ気恥ずかしいよな。俺だって女の子と二人で一緒に家に帰る――なんて漫画のようなシチュエーション、早川と一緒に帰るようになるまでは味わった事なかったし、未だに慣れないし。

 

「……あの、さ。パワプロくん」

「ん?」

 

 そんな早川がおずおずと俺に話しかけてきた。

 どうしたんだろう。目も伏せがちなのだが、その瞳からは何かを伝えようとする確固たる意志を感じる気がする。

 

「すー、はー、すー、はー……あ、あのね。ありがとう」

「ありがとうって何が?」

「フォームのこと。友沢くんだけじゃなくて、七人全員を打ち取れて……中学校だったら完全試合だったね」

「ああ。そうだな。七回までなら完全試合か。……まぁ打つ方も初見だし、打順で回ってくるわけじゃないから抑えやすいだろうけど、フォアボール一個も出さなかったのは凄いよ。……何より、友沢から見逃し三振をとれたっていうのが、な」

 

 そう、あの後矢部くん友沢以外のチームメイトと対戦したのだ。

 皆驚いた顔してたっけ。打席で立つと見辛さが変わるというが、早川のフォームはそれを追求したようなフォームだ。このフォームでなら名門校のセレクションにだって受かるかもしれない。それくらいの好投手に早川は成長したんだ。

 

「…………パワプロくんのおかげだから」

「あ? そんなことねぇよ。早川が努力して、早川の才能が花開いて得たフォームだ。俺がやれっつってマネ出来るもんじゃないしさ」

「それでも、パワプロくんが居たから僕はあの投球が出来た。ううん。きっとキミが誘ってくれなかったら――僕は野球すらやってなかったと思う。……だから、ありがとう」

 

 それは。

 早川が必死に紡いだ御礼の言葉。

 その"ありがとう"という言葉は多分、バッテリーとして、そのパートナーに対して言われたものだろう。

 それを感じて俺は一瞬口ごもる。

 どうしたんだろう。俺は。

 キャッチャーズサークルではあんなに早川の気持ちを理解したいと思っているのに、今ここでは――早川の気持ちを理解したくない。

 普通にありがとうといっているだけなのに、俺はそれ以上の感情が込められていることを"期待している"。

 ……あれ? 期待してるって、何に?

 

「パワプロくん?」

「あ、ああ、いや、どういたしまして」

「変なパワプロくんだ。……行こ?」

「ああ」

 

 早川と連れ立って、俺は歩く。

 良く分からない自分の心の変化を不思議に思いながら、俺は早川を送った。

 

「おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 

 早川と別れた後、俺は一人家へと向かう。

 その途中にある河原。

 そこは昔俺が素振りに励んだ場所でもある。猪狩に猪狩スポーツジムを紹介されるまではずっとここで素振りをしてたのだ。

 

「……ん?」

 

 ビュッ、という風切り音が聞こえた。ただの風じゃない。無風なのにそんな音が聞こえたのだ。

 音の出所を探すと、河原で一人バットを振る男。

 あれはパワフル高校のユニフォームか。尾崎じゃない。尾崎はあんな明るい色の髪の毛じゃなかったしな。

 フォームを見つめる。

 癖の無いフォーム。体にまきつくように振られるバット。そして驚くべきはそのスイングスピードだ。

 ここからあの素振りしている男までは恐らく十メートル程。そんなに離れているのにバットが風をきる音が聞こえるって、どういうことだよ。

 

「……誰だ?」

「や、ただの帰りだけど。……お前は?」

「……何でもいいだろう」

 

 俺の答えにそっけなく答えて、彼は再び素振りに熱中する。

 こいつ、只者じゃない。

 その素振りから見て取れるほどの実力――こいつは名門で主軸を打てる。

 俺がじっと見つめていると、こいつも気になったんだろう。ふぅとため息ついて俺を一瞥し。

 

「東條小次郎だ。……名は名乗った」

「……ああ、パワフル高校だな。俺は葉波風路」

「……スパイか」

「あ?」

「葉波風路……有名だぞ。世代ナンバーワン、猪狩守の女房役」

「う」

 

 やべぇ。最近知らない人が多かったから普通に名乗っちまった。

 これだけのスイングをしてるんだから普通に野球経験者って分かるだろ。アホか俺!

 

「まあいいさ。……俺は部活には入っていないからな」

「……入って、ない?」

「ああ、そうだ。俺は野球部には入っていない。だから俺を見ていても無駄だぞ?」

「へぇ、そうなのか。……なら丁度いいな」

「?」

 

 東條が不思議そうな顔をする。

 俺はに、と笑って。

 

「俺にバッティングを教えてくれないか。俺は代わりに他の事を手伝ってやるよ。ノックとかな」

 

 そう、提案した。

 東條は少し思案するように顎を持つ。

 これほどまでのバッティングが出来るやつが、他のことをおろそかにしているわけがない。なにか理由があって野球部には入らないが、練習は続けたいんだろう。

 だったらそれを利用する。卑怯だが、俺もこのバッティングをする男に打撃理論を学んでみたい。

 今までで分かったこと――それは、今の俺のバッティングでは高校野球には通用しないということだ。

 球威も変化球も中学校とは比べ物にならないほどのレベルの高さ。それは根本的な意識改善と打撃技術が必要だ。

 それを、目の前の男は持っている。

 この男からその技術を教えてもらえればきっと――俺はもっとチームに貢献出来るはずだ。

 

「……ふ。ギブアンドテイク、というわけか。いいだろう。ただしお前が俺の練習に付いてこれないようなら、容赦なく置いていくぞ」

「ああ、それでもいい。頼む」

「時間は今日と同じく八時から二時間。その間にお前に打撃を教える。ステップはどんどん進めていくからな。ついていけなくなっても同じことは言わないぞ」

「了解。うっし、んじゃ頼む」

「分かった。ではまずは――」

 

 この日から俺は東條に打撃指導をしてもらうことになった。

 東條が何故野球部に入らないのかは分からない。だが、それでも東條の打撃論や技術は友沢と同格のものを感じる東條から打撃を学べることは俺にとって大きなプラスになるはずだ。

 待ってろよ猪狩。直ぐにお前の待つ高みに俺も行くからな!



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第八話 "八月一週" 合宿

「夏休みでやんすねぇ」

「ああ、夏休みだな」

「そんな時に練習ばっかでやんすか。それはそれで気分転換が必要だと思うでやんす」

「馬鹿な事いってないで練習しなさいよ……」

「そんな事言われても……パワプロくんが居ないと物凄くつまらないでやんす……」

「そうだね……パワプロくん、何処に行ったんだろう?」

 

 ボクたちは言いながら走る。

 練習途中、パワプロくんがちょっと用事があるといって出ていってしまったので、残されたボクたちはロードワークを行うことにしたんだけど……どうやら矢部くんはパワプロくんが居なくてつまらないみたい。友沢くんもそっけなく言うけれど、なんだか元気が無さそう。

 ボクだけじゃない、やっぱり全員パワプロくんがチームの中心だって自覚があるんだ。

 みーんみーん、とセミが鳴き、さんさんと降り注ぐ光の中、ボクたちは走る。

 

「そういえば今日は彩乃ちゃんも休みでやんすね」

「そういえばそうね。はるか。なんで?」

「あう、そういえば何か用事があるとか言ってましたけど……」

「もしや……二人してサボりでデートでやんすか!?」

「そそそそそんなわけないじゃないっ! 何いってるの矢部くんっ! ボク怒るよ!」

「なんでそんなに怒るでやんすかー!?」

「うっ……な、なんでだろ……」

 

 そ、そう言われるとそうだよね。なんでボク怒ったんだろう。

 ボクを見てあかりがニヤニヤとやらしい笑みを浮かべている。うう。なんか腹立つぅー!

 

「噂をすれば、だな」

「ふぇ?」

 

 友沢くんがそんなことを言うので、思わずきょろきょろと周りを見ます。

 あ、彩乃ちゃんだ。……それとパワプロくん。

 二人は仲良しアピールをするかのように並んで歩いている。彩乃ちゃんの日傘をパワプロくんが持って一緒に歩いてるんだから距離もなんだか近い気がして、きゅぅ、と胸が締め付けられるのを感じた。

 うう、ボクどうしたんだろう……そんな姿を見てるだけでこんな気持ちになるなんて……。

 

「お、よう皆」

「パワプロくん! サボってデートでやんすか!」

「違うって矢部くん。皆暑いだけでちょっとつまんねーと思わねーか? こう、新しいことがないっていうかさ。だからちょっと前の大会の結果をぶら下げて彩乃のじいちゃんに頼んできた訳さ。合宿できねーかって」

「大好きでやんす。大好きでやんすよパワプロくん!」

「手のひら返し早すぎね」

「あは、あはは、パワプロくんありがとう、それで、何処にいくの?」

「海だ。ちなみに合宿行くのは俺達だけじゃないぞ」

「え?」

 

 パワプロくんがニヤリと頬を釣り上げる。

 ん、ん? ど、どうしたんだろう。パワプロくんが嬉しそうな笑みを浮かべてる。こういう時のパワプロくんはチームにとってプラスになる事を考えついてるんだって最近分かってきたんだけど……合宿に行くのがボクたちだけじゃないってどういう事だろう。

 そんなボクの表情を見たのか、パワプロくんはこほんと咳払いをして、堂々と宣言する。

 

「合同合宿だ。聖タチバナと一緒にいくぞ」

 

 

 

 

 

                  ☆

 

 

 

 

「というわけで来るは海!」

「待ってくれでやんすパワプロくん。それは誰でやんすか」

「あ、こいつ? こいつは東條だ。まあ野球部員じゃないから気にするな。ただ一緒に野球をやりたくて参加しているだけだ、な」

「キャラがかぶるでやんす!!」

「どこがよ! こっちはイケメンだけどあんたは顔の半分がメガネじゃない!」

「誰が萌え萌えメガネキャラでやんすかー!」 

 

 ギャイギャイ、と騒ぎあう矢部くんと新垣、うーん相変わらず仲良しだな。

 東條にはトレーニングにもなるだろうということで合宿に参加して貰うようなんとか説得した。正直にいって俺が打撃を学ぶためなんだが……それでも東條にメリットがあるし、来てくれるっていってくれたからな。問題ないだろ。

 

「パワプロ。よかったのか」

「あ? ああ、構うこたねぇよ。なんならウチに転校してもいいぜ。そんで一緒に野球やるとかさ」

「……考えておこう」

 

 素っ気無く東條は言って、合宿する旅館へと入っていってしまった。

 倉橋グループが所有する旅館だが、お客さんは入っていない。

 速い話が倉橋グループのプライベートビーチなのだ。柵があって前もって話がついてないとSPがこのビーチまで入らせてくれないという徹底ぶりだ。倉橋グループってどんなレベルなんだよマジで。

 

「パワプロ。到着したみたいだぞ」

 

 そんなことを考えていると友沢が俺に話しかけて、くいと顎で向こう側を指す。

 そちらに目をやると、丁度その柵を超えて聖タチバナご一行が到着したところだった。

 

「聖ー! みずきー!」

「あおい!」

「あかり、あの試合ぶりだな」

「聖も元気そうね」

 

 きゃっきゃ、と女性たち四人は駆け寄って楽しそうに談笑を始める。凄い適応力だなおい。

 そしてその向こうから春が歩いて来る。

 俺が軽く腕を振ると、春はにこと笑った。

 

「お招きしてくれてありがとう。こっちも合宿先を探していたんだ。それを無料に近い料金で使わせてくれるのは本当にありがたいよ」

「何いってんだ。近場の球場をタチバナ財閥のコネで無料で使えるなんてこっちも大助かりだぜ。実践感覚も積むことが出来るんだからな」

「ギブアンドテイク、だね。じゃあ早速荷物を置かせて貰うよ。二階が俺達の部屋だったっけ」

「ああ、一皆は俺らだ。貸切状態だから部屋は自由に割り振ってくれて構わないぜ」

 

 ありがとう、とお礼をいって、春達が旅館の中に入っていく。

 よし、俺達も速く行って練習始めねーとな。

 

「うっしゃんじゃ荷物おきにいくぞ」

「その後は水着に着替えて海で泳ぐでやんすー!」

「そうそう……って違うだろ!?」

「か、加藤先生も……ゴクリ……水着に、なっちゃうでやんすか……? フヒッ」

「私は引率だから遊ばないわよ」

「矢部くん、それは流石の俺も気持ち悪い」

「ぱ、パワプロくんに言われると傷付くでやんすね……」

「はっはっは。まあ泳ぐのは休みの日だな。まずはユニフォームに着替えてボールと木製バット、金属だと錆びつくからな。あとグローブを持って砂浜出るぞ!」

 

 はいっ! と全員の挨拶を聞きながら俺も部屋に戻る。

 部屋は適当に使っていいと言われたので一階部分を恋恋、二階部分を聖タチバナに分けて、各部屋を自由に使って良いという感じだ。

 こんな豪勢な合宿は多分あかつき大付属高校にも出来ないだろう。こういう名門には出来ない事をやってかないとな。

 

「うーし、んじゃ始めっぞー!」

「こっちも始めるよ! 皆キャッチボール開始だ!」

「……俺も参加していいのか?」

「ああ、こいつも一緒に参加してもらってっからな!」

「了解」

 

 東條も交えて砂浜でキャッチボールを始める。

 砂浜でのキャッチボールは予想以上に体力を使うものだ。足元が不安定で硬い為しっかりと踏み込み、体重移動しないとボールを勢い良く投げることがない。

 更に足元が砂であるためか足を取られがちで直ぐに体力を消費する。

 日差しが強く暑い中、そういった動きをしているとあっという間に汗をかいてしまい、キャッチボールが終わる頃には全員が汗だくで息を荒らげていた。

 もちろん友沢や東條も例外なくだ。ぜぇぜぇと息をする二人を見のはなんだか新鮮味があるな。とかいう俺もめちゃくちゃ疲れたんだけど。

 

「よーし、次はランニングだ。海の端から端まで二週するぞ!」

「りょ、了解!」

「は、ハードじゃない……あんた達いつもやってんのこんなこと?」

「いつもランニングしてるけど、今日みたいにきつそうなのはボクも初めて、だよ」

「なかなかに、ハードだな」

「これはなかなかにしんどいぞ……ふぅふぅ」

「……これほどの練習をつまないとたしかに強豪相手には厳しそうだ」

 

 個々に違うリアクションを取りながらも、全員俺の掛け声通りに走りだす。

 聖イレブンの面々もわざわざ俺達にメニューを合わせることはないんだけどな。俺達のメニューから少しでも技術を盗もうとしてるのかもしれないぜ。ま、その分こっちもなんか盗ませて貰うつもりだけどさ。

 ざくっざくっと砂を踏みしめる音が周りに響き渡る。

 隣をちらりと見てみれば冷たくて気持よさそうな海。こりゃちょっとランニングした後水泳大会した方がいいかも知んねーな。その後に実戦形式の練習をしたほうがモチベーションや体力的にもモノになりそうだ。

 特に俺達は体力が足りない。ポテンシャルは高くてもやっぱ一年だからな。スタミナ面が大きく不足しているだろう。

 体力があるからこそ真夏の連戦につぐ連戦を耐え切り、あの真紅の旗に辿りつけるんだから。

 歯を食いしばりながら、俺達は走り切る。

 ぜぇぜぇと息を荒げる全員。流石の友沢も東條も膝ががくがくと笑っている。かくいう俺もだけどさ。

 

「よーし、はぁ、全員水分補給した後予定変更して海の中入るぞ」

「本当!?」

「やったでやんすー!!」

「一応水着持ってきてよかった……」

「う、うん、わざわざ選んだ甲斐があったね」

 

 合宿直前の休みで水着の選定会とは、やっぱり新垣も早川も女の子だな。

 あんだけ良いプレー連続してやるようなプレイヤーでもそんなもんなのかもしれない。ま、そんな楽しむ為に海に入るわけじゃないけど。

 全員が一度着替えに戻り、直ぐに集合した。

 矢部くんとかはわくわくしてる顔で何をするんだろうと話し合っている。まあその気持ちは大事だ。練習は楽しくやらないと成長率が悪くなっちまうもんな。

 

「腰まで沈む場所に移動だ」

「了解でやんす」

 

 俺の指示にしたがって、全員が海の中に入る。

 ひんやりとした水が気持ちいい。気持ち悪い汗を拭っていくみたいだ。

 さて、それじゃ楽しいゲームと行くか。

 

「うーし、んじゃ春に橘、友沢に、矢部くん。パス」

 

 俺は春にゴムボールを投げる。

 それを受け取った春はむぎゅむぎゅとゴムボールを握りながらきょとんとした顔で俺を見た。

 よし、んじゃ早速ゲームの説明を始めるとしよう。

 

「これで聖タチバナ、東條入れた恋恋で十対十になるわけだ。つーわけでパスゲームやるぞ」

「パスゲーム?」

「そだ。今投げた四つのボールを仲間内で回して投げる。一人が五秒以上ボールを持つのは禁止だ。キャッチングは利き腕と逆……つまり、グローブをする側で取る事。相手にインターセプトされないようにな。フライは投げちゃだめだぞ。それと相手からは塁間程度にちゃんと離れる事、ルールは以上だ。いいな?」

「面白そうね。とりあえず仲間に投げればいいのね?」

「ああ、ただもう一つの球も気を付けてないと厳しいし、上半身投げじゃ速い球は投げれないからインターセプトされやすい。気をつけてな?」

「了解だ。ふむ、こういう遊びみたいなものも面白いぞ。春、しっかり投げろ」

 

 六道が春に注意をしながらざぶざぶと離れていく。

 離れすぎても送球が難しい。突き指しないようにゴムボールだからな。

 しっかりとしたフォームで投げないとインターセプトされやすい球になる。下半身がおろそかになっても水の中だからな。投げ方が窮屈になってコントロールが付きにくくなる。

 さらに相手もインターセプトしようとしてボールを持ってるやつを囲もうとする訳で、インターセプトされないようにするにはとってから素早く投げる事が必要不可欠だ。

 またゴムボールは指先で取ることは難しい。手のひらの芯でキャッチしないとボールが弾む為、素早く送球動作に移る事は出来ない。

 

「なるほど、下半身強化に素早い送球と強くボールを投げる練習か」

「お、流石だな」

「……たしかにこれは面白そうだな」

 

 流石友沢に東條、既に狙いに気づいてるとは恐れ入るぜ。

 んじゃま早速始めますか。

 

「おっといい忘れたけど、ボールが一個増えるごとに夕食が豪華になるからな。全力で奪い合うぞ!」

「何っ!」

「よーし負けないわよ!!」

「美味しい物食べたいもんね!」

「うむ、せっかく旅行にきたんだ、美味しいものを食べたいぞ」

 

 友沢までもがこんなに大きく反応するとはな。意外と食いしん坊なのかもしれない。猪狩スポーツジムに行った時もそうだったしな。

 かくいう俺も飯は美味いほうが良いしな。全力でやるぞ!!

 

 

 

                      ☆

 

 

「つ、疲れたでやんす……」

「はは、は、私も……足いたい……」

 

 みっちり五時間、海の中で夕食を掛けた戦いをした後、俺達は水着からユニフォームに再び着替える為、またケガ防止の間食をかねて部屋に戻る。

 結局全員が一つずつボールを分けあい、全員が同じ食事を食べる事で落ち着いた。最後ら辺になったらもう全員が全員しっかり投げれるようになってたからな。明日も同じ条件で反復練習しとかないと。

 ユニフォームに全員が着替え終えて出てきた所で、俺はこほん、と咳払いをする。

 まあ全員ユニフォームに着替えさせられた時点でもうこの後何をするかなんて事は察しがついてるだろう。

 全員足がくがくで疲れもすげーんだろうけどしっかり間食も取ったしな。せっかくに合宿に来たんだ、厳しくやらないとここまで来た意味が無いぜ。

 

「うーし、んじゃ全員野球場に移動するぞ。今三時か。暗くなるまで出来るな」

「……粗方何をするつもりかは分かってるでやんすけど、聞いてもいいでやんすか?」

「もちろんノックして試合だ」

「予想より凄いのがきたでやんす」

 

 どうやらノック程度で終わりだろうと思っていたらしい矢部くんはげんなりとした表情で肩を落とす。

 まあ練習は激しくしないと意味無いからな。それに試合はなんだかんだいって楽しいし、やり始めれば夢中になって体を動かすはず。だからこそこういう試合はメニューの最後に組み込むんだからさ。

 こないだの大会でも分かったが、俺達は技術もながら何よりも体力が足りない。ポテンシャルは高くてもそれを最後の一球まで出しきる体力がなきゃ甲子園になんか行ける訳ねぇしな。

 

「んじゃノック行くぞ! 聖タチバナと東條も参加しろ」

「了解!」

「……ああ、頼む」

 

 各自がポジションに並んで準備万端。さあ、始めるぜ。

 バットを持って構える。

 彩乃が横からトスをしてくれるので、俺はそれをすぐさまファーストに向けて打つ。

 キィンッ! と快音を残しボールはファーストを痛烈に襲う。

 聖タチバナも混ぜてのノック。打つ方も辛いんだぞこれ。

 一時間近く打って、ふぅ、と息を吐く。

 ノックの打ち方ではなく、守備ありのトスバッティングをした感じだが、大体狙った所へ打つことが出来た。

 "レッスンその一。打撃練習では狙った場所に打てるようになるべし、だ"。

 ひと月前、東條に習った打撃上達の心得を思い出す。

 芯に当てるタイミングをずらす事で飛ばす方向をコントロール出来る。

 しっかりと芯に当てることが強打者への一歩なのだ。

 

「ふぅ、よし、んじゃ試合やるぞ! 試合っつっても疲れてるだろうからな、五回までで終わりだ。石嶺はファースト、東條はサードに入ってくれ。赤坂は悪いけど審判を頼む」

「ん、分かった」

 

 赤坂が快く頷いてくれる。東條のポジションはサード。石嶺をファーストに置く。

 これで守備は問題ないだろう。

 

「よし、んじゃスタメン発表するぞ」

 

 一番ショート矢部。

 二番セカンド新垣。

 三番キャッチャー俺。

 四番センター友沢。

 五番サード東條。

 六番ライト明石。

 七番ファースト石嶺。

 八番レフト三輪。

 九番ピッチャー早川。

 この打順でいく。

 練習試合といえど全力で勝ちにいく。じゃないと練習の意味がないしな。

 赤坂には悪いが一回り打力が劣ってるからな。これに発奮してくれれば赤坂の為にもなるんだ。頼むぜ。

 

「んじゃ始めるぞ!」

「おおっ!」

 

 先攻はこっち、後攻はあっち……まずはこっちからの攻撃だ。

 バッターは矢部くんから。さあ頼むぜ矢部くん。

 相手の先発は橘。橘のフォームはさして変わっては居ないようで、投球練習を見ていても違和感はさほど感じない。

 ただその分腰回りはがっちりしたような気がする。恐らくスタミナ不足を痛感して下半身トレをやりこんだんだろう。

 

「プレイボール!」

「……ふっ!」

 

 ギュッ、と橘からボールが放られる。

 初球は外角低め、相変わらず針の穴を通すようなコントロール。

 ビシィッ、といっぱいに決まって赤坂が手を挙げる。ストライクだ。

 二球目のスクリューになんとか矢部くんが合わせて打つがファースト前へのゴロとなる。

 ファーストの大京がファーストベースを踏んでアウト。流石の矢部くんも疲れがひどいせいか足の踏ん張りがしっかりと聞かないようだ。

 橘も良いコントロールを投げていたがイマイチキレがない。ただ上体が上がってしまうのは意識して押さえ込めているようだ。

 二番バッターは新垣。新垣も二球目の高速スクリューを打たされてショートフライに打ち取られてしまう。

 うーん、こりゃやっぱ公式戦で当たったら苦労しちまいそうだな。

 さて、次のバッターは俺だ。

 打席に立って橘を見据える。

 球威は無いが抑えたいこの場面……初球は何で来るか。

 

「……でやっ!!」

 

 橘が気合を入れなおして腕を振るってくる。

 ドンッ! と来るようなインローへのストレート。赤坂が後ろでストライク! と判定をした。

 外角への威力のあるクロスファイヤーを使えるのは左打者のみ、右打者の俺にクロスファイヤーを使おうと思えばこういう球を使わなきゃいけねぇからな。

 逆に、こういうふうにインコースを使った後に来る球は予想しやすい。外角へ緩い球を使って緩急をつけたいはずだからな。

 

(外角へのスクリューに的を絞って――)

 

 ビュッ。と投げられたスクリュー、それを俺は踏み込む。

 真芯に当てることを意識して、外角のボールはタイミングを遅らせて流し打つ……!!

 ッキィンッ!! と快音を残してボールが飛んでいく。

 感覚が残らないような会心の当たり、俺はファーストを蹴ってセカンドへ滑り込む。

 レフトへのツーベース。

 気持ちいい……なんだこの感覚は。

 打球がちょっと前の俺とは全く違う。打球に回転が掛かってラインドライブになり、打球のスピードが増している。

 続く四番の友沢は敬遠気味の四球でフォアボール。これで二死一、二塁。

 続く五番は東條――。

 

「彼はどういう打者なの?」

「春か。……ま、見てりゃ分かるよ。あいつはパワフル高校だけどな」

「……もしかして、なんか理由があるのかな? ……もしや転校狙い? 来年は出れないけど」

「さぁな。ただまぁ、転校しても今年中にゃ出れるようになるような理由があるのさ」

 

 そう、東條はパワフル高校で部員に総スカンを食らっている。

 いくら実力があっても、いくら野球を愛していても――チームの和を乱すと勝手に判断され、半場強制的に退部させられてしまったのだ。

 チームの協調を重視する竜崎の野球。

 チームの強化を重視する東條の野球。

 その二つは決定的に噛み合わなかった。噛み合う方法もあっただろうが東條の人見知りのせいで上手く行かなかったのだ。

 その結果チームの全員から――直接やめろとは言われていないが――辞めるように推し進められてしまった。

 だから、あれほどの打撃技術と理論とそれを実行する能力があっても野球部には入っていないんだよな。

 チームの為にしたことが裏目に出て、そのチームから迫害される――東條はどれだけ辛かっただろう。

 

「……だから決めてんだよ」

「え?」

 

 ッカァアアァンッ!!! と快音が響き渡る。

 もうボールの行方を見なくても打球の行き着く先は分かった。

 だからバットをその場に置いてゆっくり歩き出す東條から目を離さず、俺は言う。

 

「あいつはウチの五番サードになってもらうってな」

 

 

 

              ☆

 

 

 

「うぐぐぐ……」

「ワリィな、負けたほうにグラウンド整備さしちまってさ」

「まあ仕方ない。嫌だけど」

「断りなさいよ! そういうの! 決めて無かったんだから!」

「まあ落ち着け、みずき。五回までやって八対二だ。これほどまでボコボコにされては仕方ない」

「くそー……」

 

 ブツクサ文句いいながらも、橘はトンボでぐりぐりとグラウンドを整備している。イイヤツなんだな。根っこはさ。

 投げては早川が五回四被安打二失点、俺、友沢、東條が三の三で猛打賞。東條と友沢はともかく俺も打撃の成長が感じられて嬉しいぜ。橘も疲れからかキレが無かったけどコントロールが甘く来ることはあまり無かった。疲労をしっかり抜いてから投げれば、六〇球前後までなら良い投球が出来るほどのスタミナは付けただろう。

 

「……さて、と」

 

 東條に礼を言わねぇとな。ついでに――転校を誘ってみよう。

 

「東條」

「……ん。……どうした」

「さんきゅな、お前のおかげで大分よくなったよ」

「……しっかり付いてきていたお前の実力だろう。一方的に俺を褒めることはない」

「そか。……じゃ、もう一つ。恋恋に来ないか」

「――」

 

 初めて東條が戸惑ったように動きを止めた。

 一緒に練習して何故野球部に入ってないかを教えてくれたときも戸惑ったような動きを見せなかった東條が、初めて何か思案するようにして動きを止めている。

 

「……俺が入ればチームがめちゃくちゃになる、と話しただろう」

「いいや? そんなことは聞いてねーぜ。意見の対立があっただけでお前自身に問題は無かったってのは聞いたけどよ」

「……」

「一年間は出れないっていうルールなら安心しろ。お前みたいなチームに居られなくなって辞めざるを得なくなった、みたいな場合は十中八九悪くても次の秋大会終わりまで程度で終わる。来年の夏大会からはしっかり出場出来るはずだ」

「……そこまで予測して尚、か。……いいだろう。一週間ほど時間を貰う。また恋恋のグラウンドで会おう。パワプロ」

「っ、ああっ!」

「……合宿だったらしいが先に帰るぞ? 家族にも相談しないといけないからな」

「分かった。とりあえず今日は休んで明日帰ったほうがいいぜ。そう遠くないからバスでも……」

「いや、走って帰る」

「ああ、そう、ストイックなのね……」

 

 俺が苦笑いをすると東條はふん、と鼻を鳴らして――それでも嬉しそうにニヤリと唇を釣り上げた。

 これで十人目。それもクリーンアップを打てるサードが恋恋に加わることになった。

 十人いればレギュラー争いもあってチーム力が全体的にアップする。競争の無いチームは駄目だと言われるように、ウチの唯一の憂い所だった箇所――競争が無いというのが解消された形にもなる。

 赤坂にもしっかり発破かけとかないといけないけど、それでも東條の加入は大きいプラスだ。

 

「うし、秋大会目指してこの合宿で、大きく飛躍するぜ」

 

 俺は一人ごちて部屋を向かう。

 さーて、まずは皆でストレッチして明日まためいっぱい動けるようにしないとな!

 



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第九話 "八月三週~" 未来へと続くその道を。

       八月三週

 

 

 パワプロ達が聖タチバナとの合宿を終えて戻り、東條も加えて恋恋高校用のグラウンドで再始動した頃、甲子園――。

 全員が一年で甲子園に出場という快挙を成し遂げ、黄金時代を予感させた猪狩守率いるあかつき大付属高等学校はそのまま甲子園の決勝へと駒を進める。

 並み居る好投手達の前に経験不足が否めないあかつき大付属には、延長十四回まで無得点という試合も有った。

 だが。

 そのような好投手の前に立ちふさがったのは若干十六歳の一年生投手。

 

 猪狩守。

 

 左腕から最速一五一キロの快速球を放り、キレ味凄まじいスライダーと緩急のついたカーブで打者を惑わし、やっとの重いでバットにボールを当てても芯を外され、外野まで飛ばない球威溢れるボール。

 対戦した高校の監督は口を揃えていう。

 

 "怪物が現れた"。

 

 黄金世代と誇り高い現在の一年生達。

 各高校にも先発したりリリーフしたり、スターティングメンバーに名を連ねている選手が居るその世代。

 そのような選手達を短い間とは言え、しっかりと見てきた歴戦のスカウトや高校の監督、高校野球ファンは異口同音でその世代をこう表する。

 

 猪狩世代、と。

 

『さあ、甲子園の決勝もいよいよ大詰め!! 点差は僅か一点!! 西強高校、春夏連覇した強豪校の意地を見せるか! この回はバッター二番の水瀬から! しかし、しかし……! その前に立ちはだかるは若干十六歳、一年生の超高校級投手、猪狩守!』

 

 九回裏、点差は一点差――1-0。

 表の攻撃はあかつき大付属。七回に四番三本松のタイムリーツーベースで先制したあかつき大付属はここまで無失点で九回裏の守備を迎えていた。

 ただし。

 

『さあ、既に名を刻んだ記録をどこまで伸ばすのか――! ここまで公式戦で一二六回無失点の猪狩守!!』

 

 その無失点というのはこの試合だけではない。今年の公式戦全てでだ。

 彼の一挙手一投足にカメラのレンズが向けられる。

 初球のストレートを打ち上げて、あっという間に一アウト。

 続く打席に立つのはかつて共に戦ったチームメイトである金岡考也。パワプロがカネと呼んで仲良しだった男だ。

 金岡を対戦相手に迎えても尚、猪狩は腕を振ることを辞めない。

 スパァアアンッ!! と速球にミットが叩かれる。

 腕が引っこ抜かれそうな衝撃を受けながらも二宮は涼しい顔のままボールを受け止めた。

 

「ストライッ!!」

『初球決めました猪狩守! ここまで全試合に先発出場し全試合完投完封! 疲労はあるでしょうが球威は衰えません! 今の速球が一四九キロ!』

「おいおいー……化け過ぎだろ。猪狩よ……パワプロに感化されすぎだっつの」

 

 打席の金岡はぼそりと猪狩に聞こえない程度の声でつぶやいて構え直す。

 彼もまた西の超強豪と呼ばれる西強で三番を打つ男。ここまで打率は三割を超え、速くもスカウトから名刺を渡されているような男である。

 

 しかし当たらない。

 

 ビュオンッ! と空を切る快音が響くだけ。ボールは二宮のミットを叩く。

 三球目はアウトローに外し、続く四球目。

 

「っっ!!」

 

 ビシッ! とキレ良くまがるスライダーの前に金岡は血祭りに挙げられる。

 後アウト一つ。

 最後のバッターは西強の四番清本。

 

「来い! 俺がホームランを打って振り出しだ!」

 

 清本が吼える。

 猪狩はそれを受けて、涼しい顔でフッと笑った。

 その顔を見て清本は驚愕する。

 

 ――この場面、後一人抑えれば日本一という場面で果たしてこんなに涼しそうに笑える者が居るだろうか。

 

 九回でも一四九キロを生み出す体。それを一一試合続けてもケガ一つせず痛めすらしない強靭さ。

 そして何よりもこの場面で笑える精神力。

 嗚呼、と清本は思う。

 今の自分では猪狩守には叶わないと。

 

 パァンッ! と二宮がボールをミットに収めた瞬間、マスクを投げ捨てて猪狩に駆け寄る。

 

 瞬間、甲子園は爆発するような歓声に包まれた。

 その中心で猪狩守は左手の拳を掲げる。

 この場所に立つ自分の姿が、未だ相まみえる事のないライバルに届くように。

 

 

 

 

                九月四週

 

 

 

 

 肌寒くなった秋。

 秋大会はもう終わった頃だろうか。

 俺達は秋の大会に出場することはしなかった。

 東條を加えて十人になったものの、俺達は加藤先生の助言もあり俺達は体作りとチーム力強化の為の充填期間とすることに決めた。

 確かに公式戦で経験を積むのも重要だろう。だが、帝王と戦ってみてはっきり分かった。俺達はまだまだ足りないものが多い。

 実戦経験は練習試合などでつかむ事は出来る。だからこそ今はそれ以外の足りないものを埋める事を選んだのだ。

 

「東條、恋恋のユニはどうだ?」

「……なかなか、思ったより似合っているな」

「ははっ」

「東條、勝負だ」

「……またか友沢……一度負けたら諦めろ」

「今日は体調も昨日よりはいい。負けはしない」

 

 あ、素直に良いと言わずに昨日よりってつけたな。また体調の悪さを言い訳につかうつもりだな友沢め。

 東條が加入して初日、飛距離対決で東條に負けた友沢はその日から毎日飛距離対決を挑むようになった。

 俺が欲しかった競争はこんな所にまで左右してくれたようで嬉しい限りだぜ。

 東條も直ぐにチームにも学校にもとけ込めたみたいで良かった。矢部くんのひがみ報告によればラブレターを大量に貰ってて処理に困ってたとか言ってたな。別にちょっと羨ましいなんてことこれっぽっちも無いぞ。本当に!

 

「パワプロくん、走ろ」

「お、ああ」

 

 早川とロードワークするようになってからもう数ヶ月も経つ。

 一緒に走るのが当然になってきた感じがあるけど、ちゃんと早川の下半身もしっかりと力づよくなっている。これで俺も東條に打撃を習ったまま、皆で恋恋野球部をパワーアップさせようとする意識が見えて嬉しい限りだぜ。

 俺は耳に刺したイヤホンで秋の大会の結果をラジオで聞きながら走る。

 猪狩は結局秋の大会の終わりまで失点することはなかった。六試合をこなしてこれで一七〇試合以上の無失点。スポーツ紙には名前が踊り、猪狩の家が経営する猪狩カイザースは既に一位指名を表明するなど、猪狩は既に大スターとなった。

 ライバルがそんな高みに居るなんて思うとゾクゾクするぜ。速く戦えるようにならないとな。

 

「パワプロくん、猪狩くんどう?」

「ん? ああ、決まったよ、センバツは確定的だろ」

「そっか。速く戦いたいね」

「あ、ああ、そうだな」

 

 にこっ、と笑ってくれる早川の笑顔にドギマギしつつ、俺は頷く。

 ううむ、どうしたんだ俺は。東條に会った夜から早川の顔を一〇秒以上直視出来ないぞ。

 ……よし、頭を切り替えろ。うん。そうしたほうがいいぜ。

 夏の大会の時には俺達は二年になって一年が入ってくる。 

 その一年の中にいけそうな投手がいれば大きいんだけどな。もちろん他のポジでも構わない、ベンチ入りメンバーが増えるということはそれだけチーム力が分厚くなるのと同義だし。

 

「今回の大会は出なかったけど、夏は全力でいこう。そんで持って目指すは日本一だ!」

「うんっ!」

 

 早川と目標を語り、走りながら俺は来年に想いを馳せる。

 春までしっかりとチーム力を高めよう。

 高めたチーム力は来年の夏にお披露目してやるぜ。

 だから――それまでしっかり待ってろよ猪狩。勝負は来年の夏だ!!

 

 

                   第一学年編、終わり

 



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第二学年編
第一〇話 "二年生・四月二週" 新入生


「やっぱ守先輩はすげーなー」

「ああ、結局春夏連覇だもんな。しかも二百イニングス連続無失点。他のレギュラーも一年生とかだったけど、それでもその先輩と一緒に戦えるんだったらやっぱあかつき行くよな。なぁ進?」

「僕はいかないよ、あかつきには」

「あー、そっか。進は帝王だっけ?」

「ううん、帝王はやめたんだ」

「……へ?」

「おいおい、じゃあ何処にいくんだよー」

「恋恋高校、だよ?」

「恋恋ー? ……ああ、パワプロ先輩の?」

「まーたなんで。確かにパワプロ先輩はライバルだったけど進はキャッチャーだから恋恋いってもさ……あ、だから最近センターの練習してんのか!?」

「うん」

「おいおいマジかよ、なんでキャッチャー諦めるんだ?」

「諦めるわけじゃないよ。二足のわらじを履くだけだから」

「でもそんな代わりみたいな……進、それが嫌っていってたじゃん」

「うん、でも、それ以上に――パワプロさんと甲子園に行ってみたいんだ」

「へぇ……進そんなにパワプロ先輩の事慕ってたっけ?」

「慕ってたけど、最近もっと好きになったんだ」

「なんで? 正直いって俺らの間じゃ進がレギュラーだろって言ってたぜ? そんな監督のお気に入りでレギュラーになってたようなやつを……」

「そんなんじゃないよ。僕が監督でもパワプロさんをレギュラーにしてた。……だってね。あの人は多分――」

「多分?」

「誰よりも頑張っている人だから」

 

 

 

        恋恋高校アナザー第二部

           二年生

 

 

 四月。

 俺達が二年生に進級し、一年生達が入ってくる春。

 入学式を終え、部活勧誘を始める同級生たち(ほぼ女性)。一年生に入ってきた男子は二〇人。年々増えつつある男子だがそれでも三桁行かないあたり恋恋はまだ女子高というイメージがあるのかもしれない。

 皆が生徒を勧誘をする中、俺達はユニフォーム姿で学校に届いていた新しいボールを運んでいた。

 

「にしてもこれで何度目のボール交換でやんすかー?」

「三度目だな……まあ一日にあんだけ酷使してたらすぐダメになるさ」

「それでも四百球近くが直ぐにダメになるなんて……オイラたち、練習量なら県内一二だと思うでやんす」

「ああ、そうだな。秋の大会なんかは出場せずにめちゃくちゃに練習したからな。早川あたりなんか腰回りがっちりしてるぜ」

「エロいでやんす。弾道が上がったでやんすか?」

「何の話だっ! それに俺はキャッチャーとしてだなっ!」

「分かってるでやんすよー!」

 

 ぐっ、絶対わかってない、頬を釣り上げてニヤニヤしてやがる!

 くそー、そういう意味でいったんじゃないのに……。

 ぶつぶつと文句を言いながら俺と矢部くんはダンボールを持って歩く。

 うーむ。それにしてもやはり二人だけでダンボール八つを持つのは無謀だったか。前が見えねーぜ でもなぁ……他のやつに頼もうにも、早川新垣は合同で練習中だろうし、友沢に言ったら『メシを奢ってくれるなら』って言われるし、東條だったら『……練習の邪魔だ』で終わりだろうし。かと言ってあのグラウンドまで往復するのは辛いし。

 くそー、せめて手伝ってくれる人が後二人居たら……。

 

「パワプロさん」

「ん? ……え? その声は……」

「ふふ……はい、あ、さん付けはちょっとダメですかね? 先輩後輩になったんですから、パワプロ先輩って戻す方が正しいでしょうか」

「進……!!?」

 

 俺は夢を見てるのか。

 進が恋恋の制服を着て俺の目の前に立っていた。

 進は微笑みをたたえたまま、俺のよく知る人懐こそうな笑みを浮かべている。

 

「……お前……」

「ごめんなさいパワプロ先輩。勘違いしてました。……もう一度僕と一緒に野球をしてください。あなたの側にいれば、僕はもっと成長出来ると想うんです。それに――このチームを甲子園に連れていきたい」

「……進……あ、ごめん矢部くんちょっと持ってて」

「やんすー!? ちょちょちょそれはちょっと無理でやんすよー!?」

 

 矢部くんに荷物を渡して、俺は進の手をぎゅっと握る。

 

「こっちこそ頼むぜ、後輩」

「はい、先輩」

「よし、じゃとりあえずこの荷物運ぶの手伝ってくれ」

「あはは、はい。そうだ、あと一人紹介したい人がいて……」

「ん?」

「パワプロ先輩も知ってると思います。……一ノ瀬さん」

「……久々だね、パワプロ」

「一ノ瀬……!?」

「だ、誰でやんすか?」

「同級生だ。進と同級生で猪狩とエースを争ってた。負けてリリーフに回ったんだが、肩のケガでシニアをやめて、行方知らずになってたんだが……」

 

 当時を思い出す。

 猪狩と組む事が許される前、俺は一ノ瀬とバッテリーを組んでいた。

 俺は一ノ瀬の七色の変化球を上手く取れずに迷惑を掛けてたっけ。

 そのたびに笑いながら何度もキャッチング練習に付き合ってくれたんだよな。

 一ノ瀬も猪狩の影に隠れてたがかなりの好投手だ。ケガさえ無ければ強豪校に行き、久遠や猪狩や山口のように強豪校でもエースになったいたくらいの、さ。

 

「僕もそう思っていた。出口の無い迷路に閉じ込められていたみたいだったんだ。手術してもリハビリしても肩の状態は一向によくならなかった。高校進学を辞退して治療に専念してみても駄目だった。…………でも、"とある"博士にあってね」

「……とある博士?」

「企業秘密らしいから名前は言えないよ? でも、その博士に手術してもらったら――見違える程に肩の状態が良くなったんだ。だから今年恋恋に入学したってわけさ。……パワプロくんにもう一度撮ってもらいたくて」

「一ノ瀬……」

 

 一ノ瀬も進も俺と野球がしたくてこの学校を選んでくれた。

 それが照れくさくもあり、それと同時にうれしくもあってなんだか気恥ずかしい。

 だがこの二人が加わってくれればチーム力は大幅に上昇だ。それこそ甲子園が目指せるくらいに。

 

「よし、んじゃとりあえず、グラウンドまで行くぞ?」

「はいっ」

「うん、頼むよ」

「行くぞ矢部くん!」

「後で絶対グーで殴ってやるでやんすー!!!」

 

 切れ気味に叫ぶ矢部くんをなだめつつ、荷物を四人で分けて俺達はグラウンドへと急ぐ。

 さあ、新学年になってから初めての部活だ! 頑張るぜ!

 

 

 

                     ☆

 

 

 

「おーいみんな! 新入部員が入ったぞ!」

「あ、パワプロくん」

「よ、早川。んじゃ紹介するな。俺の後輩の進だ」

「うん、進くんっ、いらっしゃい」

「はい、早川先輩」

 

 ……あれ? 進と早川って知り合いなのか?

 にこやかに話しかける早川に進はにっこりと笑顔を返しているところをみるとかなり親しい間柄って感じがするぜ。。

 う、うーん。なんだろう。このモヤモヤ。チームに速く溶け込むって意味じゃ進と早川が仲良しだったら嬉しいはずなんだけどな。

 

「あ、じゃあ次な。一ノ瀬だ。学年は俺達と同じだけど学年は一年、ケガで一年間棒に振っちまってるけど一応後輩だ」

「みんなよろしく」

「今日のところは二人だな。んじゃふたりとも自己紹介をかねて希望のポジションを頼む」

「はい、はじめまして、あかつき大付属中から進学しました猪狩進です。ポジションはキャッチャーをやってました」

「ほほう、パワプロくんのライバルでやんすか」

「いえ、ここではセンターを希望します」

「センター……っていうと」

「俺と戦うのか」

「仮にそうなることになっても、負けません」

 

 バチチッ! と火花が散りそうな勢いで友沢と進は目線を合わせる。

 でも確かに進はキャッチャーもいけそうだがセンターも行けるかもしれない、地肩は俺より少し強いくらいだし、捕球技術は折り紙付きだ。しかも足も速いから守備範囲も広いだろう。

 まぁポジションはのちのちにしっかり考えるとして。

 

「じゃ、次一ノ瀬」

「ん。一ノ瀬塔哉です。ポジションはピッチャー。希望するポジションは――エース」

「……っ」

 

 一ノ瀬が言った瞬間、早川が息をつまらせる。

 "エース"。

 一ノ瀬は堂々とそのポジションを奪うことを宣言した。

 早川は去年新しく手に入れた新フォームで最近の練習試合は三連続完封中だ。練習試合などを経てそれは完全に早川のものになり、球速も伸びて一二九キロを記録したこともあるほどの成長を見せている。球持ちが良く出処の見づらいフォームからいきなり投げられるキレのある球――それは十分エースクラスだし、名門に行っても通用するものだと俺は思っている。

 だが――一ノ瀬だって名門にいっても通用するんだ。

 一ノ瀬がこれだけ自信を持ってエースを希望すると言い切ったということは自分の中で一〇〇パーセントの力を出しても問題はないと言う事だろう。

 俺が知っている一ノ瀬という投手。

 左腕から一四〇キロ近いボールを投げるのと同時にキレのあるシュートと緩急が付けれる落差の大きいカーブを使い、尚且つ絶妙なコントロールでそのボールをインサイドアウトサイド問わず投げ分けるという非常に実力のある選手だった。

 それが完全復活をしたとなれば――早川が幾ら成長していたって、そうやすやすと一番を付けれる訳ではなくなった、ということだ。

 

「よろしくお願いします」

「ああ、うし、んじゃ練習に移るぜ。まずはノックからだ。二年生は?」

「もうノックは終わったわよ」

「了解、俺と矢部くんはノック受けてないから矢部くんはノックに混ざってくれ。俺入れて四人だから直ぐ終わるだろ。二年は終わるまでキャッチボールしててくれ」

「了解」

 

 俺の指示にしたがって早川たち二年はベンチ前でキャッチボールを始めた。

 矢部くん、一ノ瀬、進はそれぞれショート、センターへと移動する。

 

「ショートっ!」

 

 カァンッ! と打ち返されたボールを矢部くんはバシッ! と広い守備範囲を見せつけて捕球する。

 うん、この数ヶ月で矢部くんの守備技術には更に磨きが掛かってる。これなら打ちとった当たりがポテンヒットになる、ということが激減するだろう。

 去年の初戦でのタチバナとの試合の時に先制タイムリーになったボテボテのヒットも、内野安打にはなっても外野までは抜けずタイムリーにはならないという感じになるはずだ。

 矢部くんは今年もウチの守備の要になるだろう。

 

「うし次! センター!」

 

 キンッ! とセンターとライトの真ん中当たりに落とすように打つ。

 進はそれを見て走り出した。

 流石進だ。打球音と角度の予想で一歩目が速い。落ちるかと思われた打球へぐんぐんと追いついて、進は難なくそれをミットの中に収める。

 

「進続けて!」

 

 次は逆方向、そこから振るように左へと打つがそのたまにも進は軽々と追いついてしまった。

 こりゃ外野の守備範囲は進がナンバーワンだな。センターで間違いなさそうだ。

 となると友沢をライトにおいて、ライトの明石をレフトかな。レフトの三輪はベンチに下がってもらうってのが一番ベストかもしれない。

 おっと、一ノ瀬を忘れちゃいけねーな。

 

「一ノ瀬行くぞ! 肩の状態も見てーからな、バックホームだ!」

 

 フライを打ち上げ、素早くミットにもち直す。

 ふわりと浮かんだ球の落下点に一ノ瀬は入る。

 そして捕球。それから素早く投げる動作をして――

 

 ビシュッ! なんて音が相応しいような速球を外野からホームに投げてきた。

 

 俺のミット目がけてのストライク送球。しかもノーバウンドだ。コントロールも肩にも問題はない。

 何よりも下半身が凄く安定している。投げることはできなくても下半身はみっちり走りこんでいたんだろう。一年止まることを余儀なくされても這いずってでも前に進む。クールな印象からはあまり想像が付かないが、きっと、この一年間一ノ瀬は死ぬ気で頑張ってきたんだろうな。

 そしてこの返球は俺へのアピール。自分は万全だぞと。俺とバッテリーを組んでた頃の自分だぞ、と宣言するようなもの。

 

「一ノ瀬……」

「ふ」

 

 クールな笑みを浮かべながら、一ノ瀬は戻ってくる。

 俺が次にブルペンに指名することを知っているかのようにして。

 

 

 

                  ☆

 

 

 

 

 

 パワプロくんがノックを友沢くんに頼んで一ノ瀬くんとブルペンに入っていく。

 ボクはベンチ前であかりとキャッチボールをしながらその様子を見つめた。

 ……たった一球、外野からの返球を受けただけでパワプロくんは一ノ瀬くんを外野ノックから引き上げさせて、一緒にブルペンに行ってしまった。

 あの外野からの返球を見て、パワプロくんはきっと一ノ瀬くんの実力が前みたいに戻ったことを理解したんだ。

 ううん、きっとそれだけじゃない。パワプロくんと一ノ瀬くんはあかつき大からの顔見知りで、一ノ瀬くんはパワプロくんがすごくなっていくのを近くで見ていてパワプロくんのことを良く知っていて。

 パワプロくんも一ノ瀬くんとすごく親しくて、ボクのことよりも一ノ瀬くんを良く知ってるくらいだってことがなんとなくわかる。ボクとパワプロくんには無い絆をあの二人は持っているということが。

 

「球種は変わってないか?」

「うん」

「んじゃスライダーがこれで、カーブがこれ、シュートがこれでスクリューがこれな。ストレートはこれだ」

「あかつき中の時と同じだね?」

「そういうこと。じゃ頼むぜ? 五球ずつだ」

「了解」

 

 ボクはボールを投げるのも忘れてパワプロくんたちのやりとりをじっと見つめ続ける。

 一ノ瀬くんがマウンドを均してから左腕を振るった。

 その直ぐ後にパァンッ! と乾いた音がグラウンドに響き渡る。

 パワプロくんのキャッチングの上手さも関係しているんだろうけど、それ以上に球威があると伝わってくる一ノ瀬くんの直球。

 左腕から少なくともボク以上の球速のキレと球威のある直球をパワプロくんのミットに向けて投げ込んでるのが分かる。それを当然のように捕球するパワプロくんも凄いけど、そんな球を投げ込んでいる一ノ瀬くんも凄い。

 マウンドさばきも堂に入っていて、パワプロくんからボールを受け取った一ノ瀬くんはビッ、と足元の土をつま先で払い、すぐに構える。

 躍動感のあるフォーム。本当に一度肩を壊した投手なのかと疑ってしまうほど力感のあるフォームから目一杯ボールにスピンを掛け、パワプロくんの構えたところに寸分違わず投げ込む。

 

「ナイボッ!!」

 

 言いながらボールを返すパワプロくん。ミットを打つ感覚はやっぱりボクのボールより重いのかな。

 そう考えると胸が痛い。ボクの所からパワプロくんが離れていっているようで、なんだか言葉に出来ない複雑な感情が沸き上がってくる。

 

「早川先輩」

「ぅわっ!? す、進くん!」

 

 いつの間にかノックを終えて、進くんがキャッチャーミットを持ってボクの後ろに立っている。

 び、びっくりしたぁ。ぼーっとパワプロくん達の方を見てたから全く気づかなかった……。

 

「気になりますか?」

「え? ぅ、え、えっと……」

「ブルペン入りましょう。僕もキャッチャーですから」

 

 にこ、と紳士的に微笑む進くん。ボクもそろそろ体は温まってるし、ブルペンに入っても良いよね。

 あかりに目配せをすると、あかりはこくんと頷いて矢部くんへこいこい、と手招きをする。矢部くんは仕方ないでやんす~なんて言いながらあかりとキャッチボールを再開した。

 ……なら、大丈夫かな。

 進くんと並んでブルペンに入る。

 一ノ瀬くんの隣に立つと、一ノ瀬くんはふっと微笑みを浮かべてボクを見た。

 そして――。

 

「エースナンバーは僕が貰うよ、早川さん。……正捕手も、ね」

「……っ」

 

 面と向かって一ノ瀬くんはボクへと宣言する。

 一ノ瀬くんは挑戦的な笑みを浮かべた後、直ぐにパワプロくんへと向き直って投球練習を再開した。

 その宣言を受けて、ボクは暫し動けない。

 

 ボクは――この人に勝てるのだろうか。

 

 ッパァンッ! とパワプロくんのミットが快音を響かせる。

 

「早川先輩」

「……あ、う、うん、ごめん」

 

 進くんに言われてボクは慌てて向き直る。

 エースナンバーは争うのが普通なんだ。そしてパワプロくんは正捕手。いろんな球を受けなきゃ評価は下せない。

 まだ決めたわけじゃないんだ。ボクにだって投げるチャンスは与えられる。だから焦らなくて良いんだ。

 だから……お願い。ボクの胸を締め付ける"何か"。

 お願いだから、ボクの邪魔をしないで。苦しくて投げらんなくなっちゃうよ。

 ボクは一ノ瀬くんの言葉を振り払うように必死に腕を振るう。

 

「よし、病み上がりだろうからな、もういいぞ一ノ瀬」

「もっと投げれるけど……」

「いや、もう戦力になるって分かったからな。これ以上無理させるわけにゃいかねぇよ」

「分かった。じゃ、走りこみでもしてくるよ」

「ああ、進。あんがとな。トレーニングに戻ってくれ」

「はい、わかりました」

「……早川、投球練習だ」

「……うん」

 

 パワプロくんが座る。

 続けて受けてどちらの球威が強いか確かめるつもりなのかな。……負けられない。ボクだって――エースに、なりたいんだ。

 投球練習といっても本気で投げよう。一ノ瀬がくんがそうだったみたいにボクだって本気で投げれば一ノ瀬くんにだって、負けないはずっ。

 試合で投げているつもりでボクは腕を振るう。

 絶対に一ノ瀬くんには負けない!

 

 

 

                    ☆

 

 

 

「……ま、こんなもんか」

 

 練習後、俺は大会へ向けてのポジション決めを行う。

 一ノ瀬は打撃センスもよかったしレフトかファーストで使うことを考えてもいいな。先発した時は打力にも期待出来る。

 一ノ瀬先発時なら、

 

 一番、ショート矢部くん。

 二番、セカンド新垣。

 三番、キャッチャー俺。

 四番、ライト友沢。

 五番、サード東條。

 六番、センター進。

 七番、レフト明石。

 八番、ファースト石嶺。

 九番、ピッチャー一ノ瀬。

 

 この布陣になるか。

 代打を含まない打撃力なら名門にも匹敵するぜこの打撃陣。十分甲子園を目指せる戦力といって問題ないだろうな。

 早川が先発の時は。

 

 一番、ショート矢部。

 二番、セカンド新垣。

 三番、キャッチャー俺。

 四番、ライト友沢。

 五番、サード東條。

 六番、センター進。

 七番、ファースト一ノ瀬。

 八番、レフト明石。

 九番、ピッチャー早川。

 

 っつーとこになるか。

 どっちも打撃的には殆ど問題ないな。……問題はどっちがエースになるか、だ。

 変則右腕と本格左腕。

 アンダースローからキレの良いボールを投げ、マリンボールや制球力など球速は足りないがそれをカバーする能力は十分にある早川。

 ケガ明けながら一四〇キロ前後の球を投げ、変化球も豊富でキレのある一ノ瀬。

 この二人のどちらかから、"エース"を選ばなきゃいけないんだ。

 明確なエースが居ないチームはガタガタになる。同じくらいの能力を持っていてもエースは決めなきゃいけない。

 そして、それを決めるのはキャプテンであり正捕手である俺の役目だ。

 

「…………よし、決めた」

 

 背番号を心の中で決め、俺は机から立ち上がる。

 彩乃と七瀬に背番号を作ってもらわないとな。……さて。

 東條、友沢、矢部君に新垣、進、一ノ瀬、そして――早川。

 これだけのメンバーが揃っていて甲子園にいけないのなら、それはキャッチャーと作戦のせい。つまり俺の責任だ。

 

「……気合い入れねぇとな」

 

 進と早川がバッテリーを組んでるのに変な感情抱いてる場合じゃねぇんだ。ここからは集中してやってかないと甲子園にゃ届かねぇぞ。

 自分に言い聞かせて頬をバシン、と叩き、立ち上がる。

 腹筋背筋も付いてきたし、今日は素振りしてから帰るか。

 バットを持ちグラウンドに出る。

 まだ友沢と東條がお互いに貼り合って色々やってるな。良く飽きないもんだぜあいつら。

 二人に苦笑しつつ俺はビュンッとバットを振るう。

 一年の時と比べても明らかに音が鋭くなってる。友沢や東條といった好打者が近くにいて技術を教えてもらえる、盗めるってのはやっぱりデカイらしい。

 要点を確認しながら素振りを続ける。

 

「……ふぅ」

 

 一息を入れて汗を拭う。

 素振りも一〇〇回以上超えるとかなりしんどい。特に一回一回集中してやってると余計に疲れてる気がする。

 

「パワプロ、俺達は帰るぞ」

「ああ、またな友沢、東條」

「ん」

「……休むのも仕事だぞ。パワプロ」

「分かってる。またな」

「うむ」

 

 二人を見送って俺はその場に座り込む。

 時間は八時ってところか、今から帰って軽くメシ食ってから風呂入って作戦立てて……授業中に寝りゃいいから軽くメニュー決めて寝りゃ一時から六時までは寝れるな。

 

「ふぃー、んじゃ帰ろ」

 

 バットを入れ物にしまい肩に担ぐ。

 制服に着替えるのは面倒だしこのままでいいか。うし、行こう。

 一歩グラウンドから外に出ようとした時、目の前に進が立っているのに気づく。

 

「進? 待ってたのか?」

「はい。パワプロ先輩に聞きたいことがあって……エース、決めたんですか?」

「……ははっ」

 

 俺は思わず笑いをこぼす。

 流石進。考える事は俺と一緒だな。

 

「ああ、決めたよ」

「そうですか……速い、ですね? 競争を煽らせると思ってたんですけど……」

「競争相手が居るのはいい事だけどな。今の恋恋の戦力じゃ中心選手を決めとかねぇとぐでぐでになって終わりだ。それに早川も一ノ瀬も負けん気は強いからな、ふたりともエースナンバーが貰えなかったとしたら大会までに奪うって感じで張り切ると思うぜ」

「……なるほど、そこまで考えたんですね。流石パワプロ先輩だなぁ……」

「流石って、そうでもないぜ。普通にチーム内の競争を煽れないチームだからそうしなきゃダメなだけだぜ? 進の言うとおり他のチームが大会前ギリギリでレギュラー発表すんのは競争を煽る為だし、そうできないから苦し紛れにチームの中心を先に決めてそいつらが生きるように練習するしかないだけだ」

 

 俺は一呼吸置いて進と一緒に帰路につきながら口を動かす。

 

「うちのチームはレギュラーに入れそうな奴らは掛け値なしに凄いだろ?」

「そうですね。矢部先輩も多分強豪校でレギュラー取れるでしょうし、友沢先輩、東條先輩なんかはクリーンアップも打てるでしょうし、早川先輩に一ノ瀬さんも背番号を貰えますよね。新垣先輩はちょっと厳しいかもしれませんけど、守備とミートは上手いですし」

「ああ、そうだ。けど控えになると途端にそこら辺のちょっと強い野球部くらいになっちまう。だから中心を先に決めて、そいつらをカバーするようにチームを鍛えてかねーといけねぇんだ」

「なるほど……」

 

 分かりました、と素直に頷く進。やっぱ進はこういう感じじゃなきゃな。

 あの時みたいに俺に悪態付く感じの進はやっぱり変だ。こう素直に感心したりしてくれる進のがとっつきやすいし、何よりも俺のかわいがってきた後輩って感じがする。

 

「……そういえばパワプロさん、早川さんのこと、どう思っているんですか?」

「へ? ど、どうしたんだよ。いきなり急に」

 

 なんてことを思っていると、進がいきなり早川のことについて突っ込んで来た。

 早川の名前が出るなんてこれっぽっちも想像してなかった俺は、その発言に面を食らって思わずドモってしまった。恥ずかしい。

 

「……いえ、もう分かりました」

「は? な、何が?」

「なんでもありませんよ~。分かりやすくて助かります。パワプロ先輩♪」

「なんだそりゃ……」

 

 にやにやと笑う進に言って、俺はぷいっと顔を背ける。

 くそ、顔が熱いぜ。俺としたことが早川の名前を出されただけでこうも動揺するとは。

 

「さて、俺はこっちだ。猪狩によろしく言っておけよ?」

「あはは、はい。分かりました。おやすみなさい、パワプロ先輩」

「ああ、おやすみ」

 

 進と別れて俺は帰路に着く。

 顔の熱さが取れてから、俺はふぅ、と一息ついて夜空を仰ぐ。

 明日から夏の大会へ向かって全力で突き進むぞ。待ってろ猪狩――今年の夏は去年の分まで、大爆発してやるからよ。



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第一一話 "四月二週" 月に照らされる道の中で、キミに誓う。

                四月二週

 

 

「つー訳で、スタメンを発表する。ウチは時期が大分速いけど、勿論不調とかだったら随時選手は変えてくから油断すんなよ」

「了解でやんすー」

「……うん、分かった」

 

 放課後、皆が集まってから俺はスタメンを発表する。

 昨日の夜一時まで考えて練りに練ったスタメンだ。これを念頭に置いて各自しっかりメニュー組んでやらねぇとな。

 

「一番ショート矢部」

「はい、でやんす!」

「二番セカンド新垣」

「了解」

「三番キャッチャー俺」

「まあ当然だね」

「ああ、四番ライト友沢」

「ん」

「五番サード東條」

「……初試合はこの打順と守備位置か、了解した」

「六番センター進」

「はいっ! 頑張ります!」

「七番ファースト一ノ瀬」

「……っ!!」

 

 その打順を口にした瞬間、一ノ瀬がぴくんと肩を動かすのがみえた。

 ……まあ、仕方ないか。エースにこだわってたしな。それがエースどころかファーストだ。ショックを受けて当然だろう。

 

「一ノ瀬は打撃もセンスがある。控えとしてただ置いとくのは勿体無いからな。んじゃ続き発表するぞ」

「了解でやんす」

「八番レフト明石」

「了解だー」

「九番ピッチャー早川」

「……っ、う、うんっ!!」

「よし、以上だ。質問は……あるよな。一ノ瀬」

「ああ……教えてくれないか? 何故僕がエースでなく……ファーストなのか」

「ああ、分かった」

 

 一ノ瀬の疑問はもっともだし、しっかり説明してやらねーと一ノ瀬も納得できないだろうからな。

 

「まぁファーストに置いたのはさっき説明したとおり、一ノ瀬は打撃にもセンスがあるからだ。何故先発じゃないかというのは――状況を考えたときに、だ」

「……状況?」

「そうだ。正直に言って早川と一ノ瀬の実力を考えた時に総合して一緒くらいじゃねーかな、って思った。……そんでもって、そうなった時にまっさき思い浮かんだのがそれだ」

「例えばどんな状況だ?」

「九回裏、一アウト三塁。一点でも点が入れば向こうの勝ち、ってなったときにこっちが取れる行動に差が出るんだよ」

 

 俺は地面に樹の枝でベースを書きながら説明する。

 こうして図が合った方が想像もしやすいだろうしな。

 

「打ち取る能力に差が無かったとしても、やっぱり打ちとり方には差が出る。早川は基本打たせて取るタイプで、一ノ瀬は三振を多く取れるタイプだ」

 

 ガリガリ、と図を書きながらゴロを打たせた場合のランナーの動きやら守備の動きやらを説明する。

 全員それを感心したようにふむふむ、と覗き込みながら頷いた。

 ここまでは全員説明の意味を分かってくれてるみたいだな。

 

「こういう場面に登板となった時、ゆるいゴロでも打たれればまず三塁ランナーはホームインするよな。それを防ぐためにはリスキーな前進守備が必須になる。前進守備っつーのは確かに取ったときに素早く本塁にボールを返せるが、ヒットゾーンは広くなっちまう。そういうことを考えたときに三振を取れる投手を投入する為に一ノ瀬はファーストにいて欲しい」

「つまり……クローザーに……抑えになれ、ってことかい?」

「そういうことだ」

 

 否定せずに一ノ瀬の言葉に頷く。

 早川にも一ノ瀬にもまだ完投する能力はない。どちらかが七回近くを投げ切り、残りの回をもう一人で投げる――厳しい夏の大会もこうすれば疲れが大きく累積することなく切り抜けることが出来るはずだ。

 一人一人が全力を出さないと名門には絶対に敵わない。俺達が出来るチーム編成のベストで挑まないとな。

 

「……分かった。ただ大会中でも早川さんが情けない成績を残したら、僕は先発をやるよ?」

「ああ、頼む」

「うん」

 

 一ノ瀬が頷いてくれる。よし、これで一番も問題の投手関係は解決できたかな。

 各自も役割を分かってくれたみたいでいい顔つきになってるな。うし、んじゃそういうことで始めるか。

 

「レギュラーに呼ばれなかった奴らもベンチ入りだからな。赤坂は代打、三輪、石嶺は守備で入ることもあるからしっかり準備しといてくれよ。状態がよさそうだったらスタメンにするかもしんねーからな」

「わかってるさー」

「ああー、任せとけー」

「よし、んじゃ、早川、投球練習するぞ」

「うん」

 

 ……あれ? エースに指名したっていうのにイマイチテンションが低いような。

 どうしたんだろ。それともテンション低いのは俺の気のせいか? ……一ノ瀬の前で喜ぶのはマズイとか想ってんのかも。早川ってそういうやつだからな……うし、ブルペン入ってから話しかけるか。

 一緒に歩きながらブルペンへと入る。

 早川はボールを持って二、三度グローブを叩いた後、小さな声でもういいよ、とだけつぶやいた。

 

「……早川?」

「……なに?」

 

 何かを隠しているのか、早川は俺と目を合わせずに素っ気なくつぶやく。

 どうしたってんだよ一体……俺なんかしたっけか……?

 

「エースだぞ。嬉しくないのか?」

「……嬉しいに決まってるよ。でも、なんだか辛いんだ。……ねぇパワプロくん、ボクはね、エースになれないことより……パワプロくんに長い回、球を受けてもらえないのが辛かったんだ」

 

 ――そのセリフは、どれだけ俺の心に響いただろう。

 な、なんだこの感覚……胸を鷲掴まれるような、そんな感じは。

 瞳をうるませて俺を見つめる早川。

 その瞳を凝視することができずに俺は視線を落とす。

 バカか俺は、ときめいてる場合じゃねぇって。早川は真剣な話をしてんだぞ。それなのに俺がこんな反応してたら早川が気にするじゃねぇか。落ち着け俺。

 

「……そんで?」

「一ノ瀬くんはエースにあんなにもこだわってるのに、ボクがこだわってるのはキャッチャーだけ……それなのにエースになっちゃって、一ノ瀬くんに悪くないかなって」

「……そっか。でも、それは違うぞ。早川」

「違う……?」

「ああ、そうだ」

 

 俺は自分を落ち着けるために深呼吸をしつつ、俺は早川の顔を見る。

 大丈夫だ。野球の事を第一に考えていれば早川の顔を照れずに見れるぞ。

 

「一ノ瀬だって多分同じだよ。こんな事言うと自意識過剰だけど、あいつは俺に受けてもらいたくて此処に来たんだ」

「……パワプロくんに受けてもらいたくて?」

「ああ、あかつきで俺を成長させてくれたのは一ノ瀬だったんだよ」

「そ、そーなの?」

「そうだ。猪狩は入学して早速三年のレギュラーの先輩相手に投げてたよ。俺はその時はまだ期待すらされてなかったからな。球ひろいとか適当な投手の壁役とかだった。……その時に俺を指名してくれたのが、猪狩と一緒でエースになると期待されてた一ノ瀬だったんだ」

「……だから……」

「一ノ瀬は俺を成長させたという自負があるだろうし、俺相手に成長したっつー自負も多少なりともあるだろ。だから此処を選んだんだって想ってる。な? 早川と理由は一緒さ」

 

 ちょっと自分でも自意識過剰だと思うけど、まあ早川を元気づける為だし仕方ないよな。

 と思っていると、早川はまだ目をうるませたまましゅん、と頭を垂れてしまった。ええい、一体どうしたっつーんだよ。

 

「それでもやっぱりボクよりエースになりたがってるから……」

 

 俯いたままポツリと呟く早川。

 ……新垣に聞いた"早川達女性選手がチームから追い出された過去"。それが未だに早川の奥底に刻みつけられてるのだろうか。

 そんなに卑屈になること無いんだぜ。早川。だってさ……。

 

「早川は頑張ってんじゃねぇか」

「……ふぇ?」

「確かにエースへの想いは一ノ瀬のが強いかもしんねぇ。でも――頑張ってんのはお前じゃねぇか」

「……そ、それは、そう、だけど」

「理由はきっと色々あるだろうぜ? エースは格好いいから、エースはプロの目に止まりやすいからとかさ。……重要なのは、そのポジションに付ける能力があるか。そのポジションに付くために努力してるか、じゃねぇのかな」

 

 そうさ。早川は頑張ってる。

 秋大会を休んでから毎日走りこみしてるし、フォームを定着させるためにシャドーピッチングなんか休み時間とか学校の休憩時間でもやってた。

 チューブトレも欠かさずやったし、たまに誘われて猪狩スポーツジムに一緒に行ったことまである。つーか今でも月二くらいで連れてかれるし。

 そんなに頑張ってる人間に文句なんてある訳が無いだろ。

 

「お前頑張ってんじゃねぇか。それはお前の相棒である俺が一番知ってんだよ」

 

 言いながら俺は早川の肩を掴む。

 早川はひえっ、と小さく声をだして驚いた表情を俺に見せるがそれでも俺は止まらない。此処は想ってることを一気に伝えなきゃ駄目だ。

 そうじゃなきゃ早川の不安はおそらく振り払えない。

 

「そんなに頑張ってる奴に文句なんか有る訳ねーだろ! 俺も、チームの皆も! むしろエースというポジションにこだわってた訳じゃないのにあれだけ努力出来るのが凄いぜ!」

「う、ぅ」

「一ノ瀬も文句なんか言ってない。それはお前が如何に頑張って来たか想像が付くからだ。あいつ自身も勿論復帰の為に死に物狂いで努力してきた。だからこそ悔しいし、理由を思わず聞いちまうさ。でもな、出た結果に文句なんか言ってない。いつかそのポジションを奪ってやるって一層努力するだけだ」

「……うん……」

「だからお前も迷ってちゃだめなんだよ。エースに選ばれたなら負けないように頑張ればいい。チーム内のことだけじゃない。他のチームの誰のエースにも負けないように」

「……そう、だね」

「ああ、そうだよ。……悩む事なんかねぇさ。お前は――俺が……いや、違うな、俺達が誇って先発のマウンドに出せる、立派なチームの柱なんだからさ」

 

 ぽん、と早川の頭に手を置いて俺はその頭をぐりぐりと撫でる。

 くすぐったそうに身をすくめるが、それを振り払う事なく早川は小声で「ありがとう」と呟いてくれた。

 ……ああ、そうだ。俺は知っている。

 この華奢な体な早川がエースの座に恥じないようにどれだけの努力をしていたか。

 だからこそ俺は迷わずにああいう作戦を取れるために一ノ瀬をリリーフに回そうとできたんだ。それはひとえに――早川が、頑張っていたから。

 

「うし、んじゃ、投球練習しようぜ」

「うん。……でも、ボクが努力出来たのは当然かも知れないね」

「ん?」

「……ボクにはパワプロくんがいたから。……パワプロくんに、頑張っているところを見て欲しかったんだよ。ボクのために頑張ってくれたパワプロくんのために、ボクを必死で野球に誘って、こんなに楽しい目に合わせてくれたパワプロくんに――見て欲しかった」

「……っ」

 

 早川のセリフに、俺はバッと顔を背ける。

 う、く、な、なんだよ。いきなり。どうしたんだ早川の奴。これじゃまるで――。

 

「ボクね。パワプロくんにこれからも見て欲しい。ボクのことを――ずっと」

 

 ――告白、みたいじゃないか……?

 早川の顔に朱がさす。

 や、ばい。だ、ダメだ。今練習中だぞ? こんな空気になったら絶対にやばいだろっ!

 それでも早川は止まらない。……いや、止まれないのか。

 意を決したように早川は視線を俺と合わせ、大きく息を吸い込んで――。

 

「……あの、パワプロくん、そ、その。だから……」

「ぅ、わっ、ちょ、は、早川、待ってくれっ」

 

 慌ててその言葉を俺は遮る。ヘタレ? なんとでも言え!

 今は駄目だ。今は練習中、変な空気になってるのが見つかったら言い訳のしようもない。新チームとして発足したばっかの今日、いきなりキャプテンがそんな空気作ってたらチームがガタガタになるっ!

 

「っ……そ、そうだよね。ごめん。ボク……な、何、言おうとして……」

 

 早川の目がうるうるうる、と涙に染まってくる。

 そんな顔をさせたいんじゃない。俺だってその続きを今此処で聞いてしまいたいぜ。でも、今此処はそういう事をする場所じゃないんだ。だから――。

 

「……練習終わってから、待っててくんねぇか」

「れ、練習、終わってから?」

「ああ、いつも自主練してるのを今日は切り上げて帰る。待っててくれないか?」

「い、いいけど……いつも家帰ってシャドーピッチングしてるだけだし……でも、いいの?」

「ああ、大丈夫だ。良かったぜ。悪い、ちょっと明日の予定に差し支えるかも知んないけど。明日は土曜だし何とかなると思う。……つ、続きは、その時な」

「……分かった」

 

 俺の言葉にこくん、と頷いて、早川は表情を切り替える。

 うん、流石の切り替えの速さだ。早川のいいところだな。真剣にやる所は真剣にやる、しっかりとスイッチの切替が出来るのは良い事だ。

 だから、俺も切り替えないと……顔を赤くしてる場合じゃねーぞ。

 

「……うし、んじゃストレートから五球ずつ!」

「うん!」

 

 ブルペンに座って早川の投球を受ける。

 ……練習中、俺は早川のセリフを頭の隅に追いやって練習に励んだのだった。

 

 

 

 ブルペンの後はケースノックをやり、次には体幹補強練習である腹筋背筋を二十回、十セットずつ。

 その後ケースバッティングをみっちりとやった後連携プレーの練習をやって終了となる。

 部員が増えてランナー役も出来るようになったし、ありがたい事だぜ。

 そうこうして練習が終わる頃にはとっぷり日もくれて解散となる。時刻は夜七時――今日はむしろちょっと早めに終わった方だ。

 グラウンド整備をし挨拶をして解散、その後残る奴は残って自主練に励む訳だが……今日はそれをやるよりヤボ用が残ってるからな。

 薄暗いベンチで着替えをする。

 珍しく制服姿で俺は自主練をする友沢と東條に手を振り別れてグラウンドの外に出る。

 そこに、早川が立っていた。

 緊張した面持ちでカバンを持って佇んでいる早川。

 月明かりに照らされ、髪の毛はキラキラと輝き、その整った容姿は緊張からか僅かに強ばっている。

 

「……パワプロくん」

「…………ん、ここじゃなんだし、河原にでも行こうぜ」

「そうだね……」

 

 早川と俺は目をあわせないまま、河原へと向かう。

 早川の家の途中、東條と出会ったあの河原。

 二人して河原に降りて川を見つめながら、少し時間が経つ。

 ザザザザ、と流れる水の音と吹く風が心地良い。いつもならそんなことは感じないのに、俺も緊張しているからかやけにその音が生々しく聞こえる。

 

「……ボクね。野球を辞めようと想ってた」

 

 どちらからも声をかけられないまま暫くして……ぽつり、と早川が言葉を漏らした。

 ……出会った頃の話、だろうか。

 

「一人でマウンドをつくって練習してたくせに、心の何処かでは諦めてたんだ。シニアでやっていた時、ボクのカーブも取れない癖に女だからレギュラーになれてズルイって言われて、あかりも幸子も野球を辞めるっていって離れてしまって……」

 

 高木幸子に新垣あかり、そして早川あおい。

 三人の過去は新垣に詳しく聞いたから知っている。監督の贔屓からチームが崩壊しそうになり、そのチームから抜けざるを得なくなった過去も聞いた。

 

「だから練習しながらも、次に幸子がソフトボールに誘いにきたらそっちに入ろうって想ってた。……でも、パワプロくんが来て……ボクを野球に誘ってくれたよね」

「……そうだったな」

 

 早川がやっとこっちを見て、懐かしそうにくすりと笑う。

 そうか、もう一年も前の事になるのか。

 俺にとっては昨日のことのように思い出せる事。それが一年前の話だと言われるとなんだか嘘のようで、時の流れの速さを実感する。

 

「幸子を打ち取る三打席勝負をしたよね? ……あの時、一人じゃ絶対に打たれると想ってた。そうしたら、パワプロくんが来てくれたよね……野球部にはボクが必要だっていってくれて」

「そりゃそうだろ。エース候補をみすみす逃す訳にはいかねーよ」

「……うん、その時になんて凄いんだろうと想った、ノーデータで幸子を三打席も抑えるなんて、って」

「あはは、ノーデータじゃねーよ。彩乃からプロフィール聞いてたんだ」

「やっぱり? そうだと想ったよ」

「当たり前だ。捕手なのにノーデータであんな大胆な勝負するかよ」

「うん。だよね。……それでも、ちゃんとボクをチームに入れてくれて……女性選手だから、まだその時の規則じゃ試合には出れないのに、パワプロくんは絶対に出すって啖呵切って……」

「その件については加藤先生のお手柄だよ。俺がしたのは試合で勝てるように頑張っただけだ」

「それでも、それが凄いんだよ。パワプロくんがあそこで諦めなかったから、必死で頑張ってくれたから、ボクやあかり……それだけじゃない、全国の野球少女に路を開くことができたんだから」

「そ、そう言われると照れるな」

 

 がしがし、と頭を掻きながら一年程前の光景を思い浮かべる。

 あの時は必死だったな。確かに。……早川のために、早川をマウンドに立たせてやりたくて――俺は必死だったんだ。

 

「思えば、あの時からだったのかな」

 

 早川が俺の方に向き直る。

 目には決意が浮かんでいて、俺が簡単な覚悟で口を挟めるような雰囲気じゃなかった。

 意を決したように早川は息を大きく吸って、ぐっと体に力を込める。

 ――そして。

 

 

「ボク、パワプロくんのことが好きっ」

 

 

 小さいけれど、しっかりと俺には聞こえる声で、力強く早川は言い切った。

 ……この雰囲気になってからずっと予想してたセリフだが、それでもそのセリフは俺の心臓に早鐘を打たせる。

 本当にこの眼の前に居る可愛い女の子が自分のことを好きだなんていってくれたのかと、もう一度聞き返したい衝動に駆られるがそれをぐっと我慢して俺は早川から目をそらさずに見つめた。

 

「だから、ボク、と、ボクとっ……」

「……俺も、好きだよ、早川の事」

「ふ、ぇ……」

「俺もきっと、多分去年の夏前くらいから惹かれてたと思う。その気持ちが好きってことに気づいたのが早川に言われてからっていうんだから笑える話だけどな」

 

 そう、なんだよな。

 俺も早川のことが好きなんだ。

 その気持ちに気づけなかっただけで俺は早川に惹かれている。いや、とっくの昔に惹かれていたんだろう。

 

「……だから、その続きは俺に言わせて欲しい」

「ふぁ、う、うん、うんっ……!」

「……ただ、甲子園に行けたら……な」

「え……? 甲子園、に?」

「そうだ。……俺は自分が早川のような凄い奴に相応しいとは思えない」

「そ、そんなことっ……!」

「だから、甲子園に行けたら、俺からお前に伝える。……だから、待っててくんねぇか。それまで」

 

 俺の一方的なわがまま。

 早川はそれを受けて、少し考えるように目を瞑る。

 まだ俺は猪狩に勝ってない。それなのに早川と恋人になりました、なんていったら猪狩に笑われちまう。

 勝って甲子園にいってから――そうじゃないと俺は自分に納得ができないし、自分が早川あおいという甲子園に行けるピッチャーに応えることが出来たとも思えないんだ。

 甲子園に行けたら――その時は、俺から伝えよう。

 

 恋人になってくれ、と。

 

 早川は、うん、と小さな声で納得するように頷いて。

 

「分かった。後三ヶ月くらいだね」

「三ヶ月?」

「うん、今年甲子園に行けばすぐパワプロくんが伝えてくれるんでしょ?」

 

 にこ、と笑って早川が空を見る。

 釣られて俺も空を見上げた。

 ここらへんは少し田舎だからか空には星が沢山視える。勿論満面という訳には行かないけれど、それでも都会に比べたら多い方だろう。

 

「そう、だな。ああ、今年甲子園に行けたら――その時は伝えるよ」

「じゃあこの夏に行こう。甲子園。頑張らなきゃ行けない理由が増えちゃったな。頑張らなきゃ」

 

 とたっ、と早川が川を背にして二、三歩前に歩き出る。

 そして彼女はこちらに振り向いて俺にとびきりの笑顔を見せてくれた。

 その顔は心なしか嬉しそうだ。想いを伝えれた上に俺に好きって言われた事が嬉しいのかもな。

 

「ほら、帰ろうよパワプロくん。速くしないと置いてっちゃうよ?」

「……待てって。そんな慌てんなよ」

 

 早川の手を掴む。

 ここから先やろうとしている行動は俺の独りよがりなもの。つーか、自分で恋人になるのを甲子園に行ってから、なんつって止めたくせに何やろうとしてんだ俺は。

 ……お互い好きあってるならしょうがない、のかもしんないな。まだ恋人じゃなくてもさ。

 そんな言い訳をする自分に苦笑しながら、「きゃっ」と可愛らしい声を上げた早川の腕をぐいっと自分の方向に引き寄せて抱き止める。

 少し乱暴にしてしまったことで後悔がよぎるも俺は止まらない。

 顔を赤らめて不思議そうに俺を見上げる早川の顔。

 そして、俺は――

 

 ――――。

 

 ……。

 …………。

 

「…………ン……ぅ……は、ふ……」

「…………は、ぁ……。……」

「……い、いきなりは、ずるい……」

「わ、悪かった……」

「……ううー……感触とか味とか覚えておきたかったのにーっ、あかりに自慢したかったのにーっ」

「おま、そんな邪なことを考えてたのかよ……味くらいなら残ってんじゃねぇか?」

「うう、だってそういう事考えておかないと照れちゃって……、……舌で確かめてみる……、ん、……塩辛い……」

「部活帰りだしなぁ……顔洗ったんだけどやっぱダメか」

「予想ではもっと甘いと想ってたんだけど……それに急にするのはやっぱりずるいよ」

「悪かったって……どうすりゃ許してくれる?」

「……もう一度……してくれたら」

「…………分かったけど、"まだ"恋人じゃないのに良いのか?」

「ダメだけど……今だけ、特別だよ」

 

 ……甲子園に行かなきゃいけない理由が一つ増えちまったぜ。明日からもっともっと野球を頑張らねぇと、な。

 早川と二人して歩道への階段を登り、歩き始める。

 月に照らされる道を――しっかりと手を繋いだまま。



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第一二話 "六月二週~七月一週" 夏の開幕・逆襲の始まり vs帝王実業

                  六月二週

 

 

 

 総合体育館。

 球児たちが集まるこの季節――そう、今年もまた、クジ引きの日がやってきた。

 総勢十二人の俺達恋恋高校野球部もクジ引きの為にこの会場までやってきたわけだ。

 

「相変わらず人多いね」

「ああまあ参加校の部員全員が来てる訳だからな」

「うーむ、しかし……去年よりは落ち着いてみてられるでやんすね」

「そうだな。でも今年も言う事は変わんねぇさ。甲子園行くぞ」

 

 周りに居た他校の数人が驚くような目でこちらを見る。

 はは、流石に去年みたいに相手を宣言した訳じゃないから大騒ぎにはなんねーか。

 

「……お出ましだぞ、パワプロ」

「東條? どこがだ?」

「ふ、昨年の俺達の敵か。お前は特にそうだろう?」

「……帝王実業」

 

 先頭に立つはエース山口。そしてその直ぐ後ろに立つ軽薄そうな男――蛇島桐人。

 後ろにいた進が息を呑んだ。誘いを蹴ってこっちに入ってきた訳だから思うところはあるんだろうな。

 俺も右肩を痛めたときの事を思い出す。

 ……あの時とはチーム状況も何もかも違う。見てろよ帝王。今度は負けねぇからな。

 そしてざわっ! と会場がどよめく。

 お、こんだけ会場を賑わすということは到着したのか。

 なぁ、二百イニングス連続無失点で春夏連覇の立役者、歴代史上最高の怪物左腕と評される男――。

 

 猪狩、守。

 

 悠然と姿を表したのははやりあかつき大付属。

 その先頭に立つ男。澄ました顔に茶の髪。弟とは似ても似つかぬ勝気な瞳に自信満々のその表情。それら全てが俺の闘争心に火をつける。

 

「……ん」

 

 そして、その闘争心は相手にも伝わった。

 猪狩はこちらに目を向ける。

 普段のあいつなら気付かなかったフリでもして、そのまままっすぐ会場入りするんだろうが今日は違った。

 俺に、近づいてくる。

 俺の前で立ち止まり、猪狩はその瞳に俺を捉えた。

 周りがざわつく。

 早川はあっけに取られて反応できないし、矢部くんはパクパクと口を動かし何か言おうとしているが言えずに居る。新垣はえ? え? と不思議そうに猪狩を見つめ、東條を片目をつむって猪狩を捉え、友沢は我関せずといった様子で耳につけたイヤフォンで音楽を聞いているようだ。後ろに居る進は小さく兄さん、と声を漏らして押し黙った。

 

「……ボクは栄光の道を突き進んだ」

 

 猪狩は言葉をポツリと漏らす。

 春夏連続全試合完封。おそらくこの記録はこの先誰にも破られない猪狩守だけの記録。そしてまた春夏連覇も猪狩の言う栄光の道、というものなのだろう。

 

「ああ、だろうな」

「――だが、その道に無くてはならないモノが無かったんだ」

 

 俺が答えると、猪狩は俺から目を外さないままじっと俺を見つめ続ける。

 負けじと俺も猪狩を目から離さない。

 猪狩の目には闘志が宿っている。俺から放たれた闘争心を身に受けて猪狩の中のライバル心も燃え上がったのか。

 

「分かるだろう。お前だ。パワプロ――」

「猪狩」

「お前がボクの前に立ちふさがらなかった。それだけでボクにとっては手にした栄光すらも不完全なモノに思える。超えるべき壁が無かったような、そんな喪失感だ。お前を倒した帝王実業を倒しても尚、不完全だったんだっ……!」

「……」

「秋の大会もだ。ボクは待っていた。お前が上がってくるのを――! だが、お前達は不参加だった。お前はいつまでボクを待たすつもりだ? それともパワプロ、お前はボクと戦う土俵にすら上がれないのか!?」

「この夏だ」

 

 猪狩から浴びせられる言葉を受け止めて、俺は言葉を返す。

 そうさ。俺もお前も分かってんだ。

 目の前に立つライバル――そいつをぶっ倒して甲子園に行き、そこで優勝しないと本当の全国制覇にゃならねぇってことがな!

 

「この夏戦(や)る。絶対にお前を打ち砕いて――甲子園に行くのは俺達だ!」

「……ふふ、あははははっ! そうだな。パワプロ、お前がボクをこれ以上待たすハズが無かった……。すまない、ボクとしたことが少々焦っていたようだ」

「気にすんな。俺も待たせすぎたと思ってたところだ」

「ボクは今年も勝ち上がる。どこでぶつかるか分からないが――お前を倒すのは僕達あかつき大付属だ」

「悪いな猪狩、今年は誰にも倒される予定は無いんだ。その言葉をそっくりそのまま返すぜ。お前の率いるあかつき大付属を倒すのは俺達恋恋だぜ!」

「……やってみろ。パワプロ」

「そっちこそやってみやがれ、猪狩」

 

 言葉をぶつけ合い、猪狩は満足気に踵を返しあかつき大付属の面々の待つ場所に戻って行く。

 ――だが、満足はできてない。分かるぜ猪狩。闘争心がバリンバリンに溢れ出てることがよ。

 

「す、凄いでやんす。あのプリンスに堂々ライバル宣言でやんすか」

「すごいって言われるのは実際に倒してからだ。……いくぞ!」

「うん!」

「ああ」

「分かってるわよ」

「……ああ」

「やんす!」

 

 全員で会場に入る。

 相変わらず薄暗い中で、俺達は開いている場所を見つけてそこに座った。

 昨年と全く変わらない風景、角度は微妙に違うけど中の空気は一緒だ。

 今年のシード枠はあかつき大付属、帝王実業、パワフル高校に聖タチバナだ。

 

「みずき達シードに入ったんだ!」

「ああ、秋大会でベスト4に入ったからな。相手さんも成長してるってことだ。……でも、きっと一番成長してんのは俺達だ。行こうぜ。甲子園」

 

 全員が頷くのを見て俺は満足し、舞台に目を戻す。

 それとほぼ同時、電灯が消えて流れだす"栄冠は君に輝く"。昨年と全く同じ光景だが確かに違う。

 さあ、クジ引きが始まる。

 

「今日のクジ引きは何番目でやんすか?」

「喜べ、二番だ」

「番号はじめのほうだね」

「ああ、さっさと終わるからありがたいだろ?」

 

 笑いながらクジ引きのためにさっさと舞台へと向かう。

 ずらりと並ぶ高校の数のトーナメント表。

 一番のブロードバンドハイスクールがクジ引きを終わり、次は俺達の番だ。

 ごそり、とカゴに手を突っ込んでクジを抜く。

 

『恋恋高校――九八番!!』

 

 九八番。

 舞台から降り、座席に戻ってトーナメント表を確認する。

 九六が確か帝王実業。だから九八番っつーと九七番と当たる訳だから……。

 

「……一勝すれば因縁の帝王大学か。凄いくじ運だな」

「去年を思い出すでやんすね。去年の夏も二回戦で帝王にコールド負けでやんす」

「パワプロさんがケガした試合ですね……」

「僕も見てたよ。……蛇島のラフプレーだ。怒れるプレーだったね」

「はは、安心しろ。やられた分はしっかりやり返す質だからな、俺は。――今年はコールドし返すぞ」

 

 静かに全員が頷く。

 全員気後れはしてない。目指すはてっぺん――そう分かっているかのように全員落ち着いた様子だ。

 上等。後は突き進むだけだ。

 そうこうしてる間にもクジ引きは進み、俺達と初戦を戦う二番にはバス停前高校が入った。

 うっし、んじゃまぁはりきってこの夏戦わせてもらうとするぜ!

 

「パワプロくん?」

「ん? どうした早川」

「えと、さ。パワプロくんいつも試合前にデータの調査するんでしょ?」

「あー、そうだな」

 

 まあそれがキャッチャーの日課だしな。データが入ってるのと入ってないのじゃやっぱ大違いだ。

 初回に取られた点数が勝負を分けることもある。実際に戦ってみてデータを取る――なんて悠長なことをやってたら勝てるもんも勝てなくなっちまう。だったら頭にデータを叩き込んどかないと行けないしな。

 

「ボクもそれに参加していい?」

「早川も? 別に構わないけど、大丈夫か? 七瀬と彩乃が取ってきてくれるデータ全部に目を通すから凄くきついぞ?」

「その凄くきつい作業をパワプロくんだけに任せておけないから」

「そっか。ありがとな」

 

 にこ、と笑う早川の頭を俺は思わずグリグリと撫でた。

 "河原での出来事"から、なんつーか俺も早川も互いに対して遠慮が無くなったというか距離感が近くなった気がする。

 その前だったら頭を撫でるなんてことが会ったら早川はびっくりして離れているだろうし俺もなでようとなんて思わない。

 早川も撫でられてこんな蕩けそうに気持よさそうな顔を見せたりはしないだろう。

 

「……ふふーん」

「……ハッ!」

 

 しまった、凄い人前だってこと忘れてた!

 俺と早川の様子を見た新垣はにやりと頬を釣り上げて、

 

「やっちゃった?」

「何をっ!?」

「やーね。この小説は一五禁ですらないんだからそんな事とてもとても……」

「バッ、アホなこと言ってねーで練習頑張れよ!」

「そうでやんすよパワプロくん、練習しないとなかなかに難しいもんでやんす。エロゲーのようにそうやすやすと入るとげふぅっ!!」

「あんたが出てくるとホントにやらしく聞こえるから自重しなさい自重!」

「さ、最初に言い出したのは新垣でやんすよ……」

 

 どさり、と腹部を殴られて崩れ落ちる矢部くん。憐れ矢部くん。やはり夫婦漫才においてはボケ役なんだな矢部くんは。

 まあそれはおいといて、バッテリーとして仲良くなることは悪い事じゃないだろう。冷やかされるだろーけどさ。

 

「そういう事なら僕達も参加します」

「うん、進は一応控え捕手ということにもなるし、僕も投げる機会がある以上データは知っておいたほうがいいだろうしね」

「オーケー。んじゃ進、一ノ瀬、俺、早川で今夜部室でミーティングな」

「分かった!」

「分かりました」

「了解だ」

「……静かにしろ。そろそろ騒がしいぞ」

「おっと悪い。ほかはまだクジ引き中だったな。で、だいたいどうなった?」

「キャプテン、お前が見てないでどうする。あかつき大は真逆だ。当たるなら決勝しかない。聖タチバナも反対側だった。残念だがあかつき大か聖タチバナか。どっちかとしか戦えないみたいだな」

「りょーかい。パワフル高校とかは?」

「……逆ブロックだ。つまり俺達はトーナメントとしては、帝王との二回戦を勝ち抜けば決勝へは楽に行ける。灰凶、球八……強いチームと言われるチームはあかつき大付属に勝たないと決勝まで進めない」

 

 なるほどね、俺のくじ運は良かったって事か、それなら問題ないな。

 暫く経つとクジ引きが終わり、電灯が再点灯される。

 閉会の挨拶が流れてこれで終了。俺達で問題がありそうなのは二回戦の帝王実業だけ、ということになったらしい。

 といっても決勝戦までの道のりで勝どきを上げてくるの他のチームよりも強いチームな訳で、油断はしちゃならないんだけどな。

 

「対戦する可能性のあるチームの名前は彩乃と七瀬に送っておいた。あの二人のことだ、優秀なデータを送ってくれること間違いない。それを活かすのは俺らの仕事だからな。別にバッテリー以外はデータを気にすることはないけど傾向と対策くらいは指示する。実力が無いとそういう作戦に対応できねーからな。実力は付けといてくれよ?」

 

 俺のセリフに全員が頷く。かなりチームの状態は良いみたいだな。

 このまま突き進んで猪狩に勝ち、進むは甲子園だ。

 

 

 

 

                七月一週

 

 

 

 燦燦と太陽が降りしきる中、迎えた夏の初戦――。

 バス停前高校との戦い、今現在四回表、他球場でも続々と始まる試合だが、このカードは"弱いとされている"チーム同士の戦いというわけで、観客は殆ど居ない。

 そんな試合に、影山スカウトは足を運んでいた。

 暫く見ていなかった恋恋高校。見る機会はなかなか無かったが、この夏の初戦は別だ。まだあかつき大付属等は戦わないし見る時間がある。一年近く見ていなかったのと、"恋恋は見なければならない"というスカウトならではの使命感のようなものに駆られて影山はこのカードに足を運んだのだ。

 そして、影山のその予感は的中している。

 影山がスタンドに足を運び、バックスクリーンに視線をやって――目を疑った。

 

 恋恋高校 656 7

 バス停前 000 0

 

 綺麗に並ぶバス停前のゼロと、恋恋の大量得点。

 帝王にコールド負けをして以来恋恋は公式戦には出ていない。その間になにが会ったのか理解はできないが――この得点力は何だ。

 始めから試合を見れれば、と後悔をしつつも影山は椅子に座る。

 

『バッター三番、葉波くん』

「パワプロくん、というあだ名だったか」

 

 ウグイス嬢の放送を聞いて、影山を視線をグラウンドに落とした。

 正直に言えば相手は参考にならない程度の投手だろうが、それでも待ちやフォームの良し悪し、こういう相手にも全力で対応できているか。

 そういったことも確認出来る。

 マウンド上の投手が振りかぶってボールを投げた。

 コースはインロー、一二五キロ程のストレート。

 それに対し、打席のパワプロは反応し――。

 

 ボールは柵を超えた。

 

 その打席を見て、ガタンッと影山は立ち上がる。

 今のボール。

 おそらく昨年までのパワプロだったら柵越えにはできない打球だ。

 彼にはストレートに弱くインへのストレートには振り遅れる傾向があった。それは球速が速くなれば速くなるほど顕著になっていく。変化球を打つのはそれなりに上手いのだが、ストレートに振りまけるのは打撃が弱いという目安になってしまう。

 だが今の彼の打席は違う。綺麗に体を回転させ、体重をぶつけて柵越えにしたのだ。

 

「……これは……」

 

 化けた。

 高校生は確かに成長率が激しく、スカウトにとっては難しいことが多い。

 だが打撃技術の根本的なものは流石に高校生でも一年間でここまで急成長を見せる事は稀だ。

 凄まじい成長率……そういえば彼はあかつき大付属中の時でもそうだったか。いきなり二年で頭角を現してきたというデータがある。

 ふむ、と影山がメモをしている間に友沢が打席に立つ。

 

『バッター四番、友沢』

「やはり四番か」

 

 影山が一年前に思ったとおり、やはり友沢は野手としも頭角を現してきた。

 勿論影山にもデータは届いている。あの帝王実業の山口から複数安打に大量の打点……それだけでスカウトレポートにドラフト候補として名が残っただろう。

 ッカァンッ!! と快音を残しボールは再びスタンドを超えていく。

 低めへの変化球。真芯で捉えた打球を見送って友沢はゆうゆうとベースをまわる。

 パワプロに友沢――この二枚の打撃陣が居るだけでそこらへんのチームならば相手にならない。

 やはりパワプロくんは面白いチームを作ったな、と影山は思いながら五番に立った東條に目をやった。

 彼は確かパワフル高校で村八分に会い、チームに居続ける事ができなくなり転校したと聞いている。その転校先がパワプロの居るチームだとは……なんともはや、運命を感じる物だと影山は思う。

 そしてその運命はまるでパワプロの居るチームを甲子園に導く為だと言うかのようではないか。

 東條の捉えた打球は場外へと消えて行く。パワプロ、友沢以上の飛距離を見せてボールは場外へと消えて言った。

 

「……恐ろしい」

 

 影山はいいながら自分の頬がつり上がっているのに気づく。

 この三人が同じチームに居る――それがいかに恐ろしいことか。

 プロが争奪戦を繰り広げる程の逸材になる三人がクリーンアップに座っているだけで恐ろしい。だがそれだけじゃない。続く六番猪狩進――センターに転向したようだが、彼の打撃や守備センスにも非凡なものを感じるし、一番の矢部も足ではトップクラスだと言う。

 甲子園に行くチームの戦力、それを、恋恋高校は持っている。

 結局この回の攻撃も恋恋高校は八点を加えて三二-〇という大量点差を取った。

 五回裏。投手は女性投手の早川あおい。

 投げ方が理想的なフォームになっている。アンダースロー投手に必要な球持ちの良さに制球力、そして出所の見辛さ。なるほど、彼女がエースな理由がはっきりと分かる。

 しっかりとボールを捕球し、パワプロは立ち上がって早川とグラブで嬉しそうにタッチした。

 終わってみれば三二-〇。五回コールド。誰もが疲れる様子を見せることなくパワプロ達は並び挨拶をして、ベンチへと引き上げていった。

 

「……追う、か」

 

 影山が呟く。

 プロのスカウトとして名のある選手をスカウティングするのは当然だ。だが、一流のスカウトにはそれだけじゃ足りない。

 "予感"。

 "直感"。

 "運命"。

 この選手は何かをすると予感し。

 この選手は大成すると直感し。

 そういう選手にめぐり合う運命が必要だ。

 そして影山はそういう選手に出会った。いや、そういう選手達が居るチームに出会った。

 

「もしもし。部長ですか。少し追いかけたいチームを見つけまして。……ええ、恋恋高校というのですが。……はい、ありがとうございます。詳しいスカウティングレポートは週ごとに送ります。それでは失礼しますね」

 

 ぷつん、と携帯電話の通話を切って、影山はカバンを持ち直した。

 そしてトーナメント表に目を落としながら歩き出す。

 次の試合は帝王実業か。

 

「……見せて貰おうか、パワプロくん――甲子園に行くと言ったキミの実力を――」

 

 つぶやきながら影山は球場を後にする。

 面白いチームを見つけたと満足をしながら。

 

 

 

                    ☆

 

 

 一回戦を快勝で終えて、数日後。

 ――第二回戦。vs帝王実業。

 二度目となる対戦だが、帝王実業のメンツはガラリと変わってるな。

 一番から四番が三年だったわけで、それらがごっそりと抜けたせいで新三年と新二年で組まれたオーダーは昨年ほど威圧感は感じられない。

 

『さあ、始まります、昨年の夏を彷彿とさせるこのカード。昨年は帝王がコールドで勝利しましたが今年はどうでしょうか!』

 

 こっちの先発は勿論早川。すでに発表されバックスクリーンに記入されたスターティングメンバーを見つめる。

 一番ショート矢部。

 二番セカンド新垣。

 三番キャッチャー葉波。

 四番ライト友沢。

 五番サード東條。

 六番センター猪狩。

 七番ファースト一ノ瀬。

 八番レフト明石。

 九番ピッチャー早川。

 予定した通りのオーダー。

 対する帝王実業は、

 一番ショート木田。

 二番センター高垣。

 三番ライト猛田。

 四番セカンド蛇島。

 五番ファースト篠田。

 六番キャッチャー猫神。

 七番レフト谷内。

 八番サード後藤。

 九番ピッチャー山口。

 注目すべきは蛇島か? 四番に上がりチームの主軸になったようだが、どうだろうな。

 

「うーし、んじゃ挨拶しにいくぞ!」

 

 全員でホームベース前に集まり、挨拶をする。

 目の前に立つ蛇島。

 蛇島は俺を見てニヤリ、と笑った。

 離れる間際に小声で、

 

「去年のことを覚えているかい?」

「ああ、覚えてるぜ。今年はそのスコアが逆……いや、もっとだな。こっちは無失点、そっちはコールド負けってなるさ」

「はははっ、去年もそうやって軽口を叩いていたらあの結果になったことを覚えていないのか?」

「安心しな、去年とはちげーからよ」

 

 蛇島と別れてベンチに戻る。

 今日も先攻は俺達恋恋高校だ。

 ……熱くなりそうだな。今日は。

 

「よし、矢部くん、頼むぞ!」

「了解でやんす!」

『バッター一番、矢部くん』

『さあプレイボールです。このカード――どのような試合になっていくのでしょうか』

 

 快活に答えて、矢部くんは打席に向かう。

 ピッチャーは山口だ。

 ――さあ、見せてやろうぜ。矢部くん。成長した俺達って奴をさ。

 山口からボールが放たれる。

 初球はストレート。アウトローにビシッと決まるボールだ。

 

「ボーッ!!」

『初球は際どい所外れてボール! 一四六キロ!』

 

 際どい所を見逃してボールになった。これで0-1。

 よし、矢部くんは作戦通り行ってくれてるな。

 

 

 ――それは試合前に遡る。

 

 

 七瀬と彩乃に集めて貰って、山口と猫神のバッテリーデータに目を通して作戦の傾向を決める際の事だ。

 

「……三振が少ないな」

「ああ、そうだな。フォークを決め球にしてる割には三振数が少ない」

 

 やっぱ友沢もそう思うか。

 イニングにして五十程投げている山口だが、三振数は七個しかない。フォークを決め球にしているのならもっと三振数は多くてもいいはずだ。

 球別の割合を見てもフォークは六割は投げている。にも関わらず三振数は七個だけ。

 それが符号するものは――。

 

「追い込んでからフォークは投げてない、ってことだ」

「ふむ、確かにそれなら三振数にはカウントされないでやんすね……でも、なんで投げないんでやんす?」

「……パスボールか」

「ああ、ツーストライクまでなら捕手は後ろに逸らしてもただのボールだ。だが追い込んでからフォークを後逸すると振り逃げになっちまう。だから追い込んでからはストレートかカーブしか投げれないんだ」

「それはランナーが出ても言える事だよね? 後逸したらランナーが進んじゃうし……」

「ああ、そういう事だ。……ん? けど、このデータだとランナーを出してからもフォークは投げさせてるな……それも割合はランナーが居ない時より多いぞ?」

「それはなんでなのよ?」

「おいらに聞かれても……でもランナーが居るのに臆さず投げているのに、ランナー居ないときは投げさせないってのはおかしな話でやんすね」

「ああ、確かにそうだな……」

 

 ふむ、と俺は顎に手を当てる。

 フォークを取れないと仮定しての捕手心理を考えてみよう。ランナーが居ないときは振り逃げが怖いからフォークは追い込んでからは投げさせない。それは分かる。だがランナーが出てからは大量に投げさせるってのはどんな心理でだ?

 

「パワプロ先輩。僕でしたら多分、ゲッツーを狙ってフォークを多投させますけど……」

「ああ、俺もそれくらいしか……」

 

 ……ん? ……待てよ?

 例えば……だ。

 

「……進。"絶対に取れるフォークがある"としたら、どうする?」

「絶対に取れるフォーク、ですか?」

「ああ、三振を取りたい時には基本大きく落ちるフォークが有効だよな。でも、これは捕球が難しい。勢い良く落ちればその分捕球も難しくなるし、ショートバウンドしやすくなってパスボールもしやすくなっちまう」

「はい、そうですよね。だからランナーが居ない時には振り逃げを警戒して投げさせない……」

「そうだ。……でも上手く芯を外すだけで良い場面、ゴロや差し込ませてのポップフライを打たせたい場面――つまり、打たせて取りたい時に投げるフォークなら、どうだ?」

「それでしたら、落ちが少なくてもわずかでもいいから落ちてくれさえすれば……、……あっ……!」

 

 俺はニヤリと笑って進の気がついたことに頷く。

 

「つまり、山口は二種類のフォークを持ってる。大きく落ちるフォークと芯を外す程度しか落ちないフォーク。つまり深く握ったフォークと浅く握ったフォークの二種類だ。ランナーが居ないときは打たせて取る程度にしか落ちないフォークよりストレートの方が打ち取れる可能性が高いからストレートを投げさせてんだ」

 

 なるほど、と全員が納得したように頷いてくれる。

 イメージとしては山口は大きいフォークと一四五キロを超えるストレートのコンビネーションで抑えるピッチャーに思えるが、実際はこのように打たせて取る技術も持っているということだ。

 だが、それがパターン化しているのならそこに漬け込める。複数の技術も決まったパターンでしか使えないのなら対応出来ないことはない。

 

「ランナーが居ない時は追い込まれてからはフォークは捨てる。ランナーが居るときは打たせて取るフォークを多投してくるから見極めて打つ。ランナーが出たら速いゴロを打つつもりで逆らわずに流し打とう」

「ああ」

「了解です」

「分かったでやんす」

「OK。分かりやすいわね」

「……うむ」

 

 全員が頷いたのを確認して、俺はよし、と一声かける。

 

 

『作戦をまとめるぞ。良いか、よーく聞いといてくれよ? 山口攻略作戦その一、山口相手には――

 

 

『ストライク! 山口、矢部相手に初球こそボールになりましたが、フォークとカーブで追い込みました! これで2-1!』

 

 山口が2-1から振りかぶる。

 ツーストライク目をとった球はカーブ。なら此処で投げてくる球は一つしかない。

 

 ――追い込まれるまでは待球、追い込まれてから投げて来るストレートを必打する!』

 

 ッキィンッ! と矢部くんが狙いすましてストレートを打ち返す。

 打ち返された打球は痛烈なラインドライブで右中間を抜けていく。

 矢部くんは打った瞬間から走り出してあっという間にセカンドへと到達する。

 右中間へのツーベース。これでノーアウト二塁だ。

 

『右中間への痛烈な打球! 引っ叩った矢部は悠々とセカンドへー! ツーベース!!』

『バッター二番、新垣さん』

 

 さて、ランナーが二塁になった時は曲りの小さいフォークを投げてくる。

 ランナーが出た場合の作戦は一つ。

 フライを打ち上げないようにボールを強く叩くことを心がけて投げられた球を打つだけだ。

 山口から投げられる。ボールは少しだけ落ちるフォーク。

 新垣はそれをしっかりと懐に呼びこんで右方向に流し打つ。

 快音を残してボールはファースト右へのファールになった。これで1-0。

 

 

「新垣の狙いは良い。引き寄せての流し打ちだ。これなら最低でも矢部くんは三塁に行けるぞ」

 

 二球目、新垣は低めのフォークを見送ってボールを選ぶ。

 

『これで1-1。山口のフォークはキレているか!』

 

 三球目、投じられたボールはフォーク。

 それを新垣はしっかりと右方向に転がした。

 セカンドゴロとなったその打球だが、矢部くんはその間に三塁に進塁する。

 

『山口新垣をセカンドゴロに打ちとりワンアウト三塁! 此処からバッターはクリーンアップに入ります! バッターは葉波!』

 

 打席に立つ。

 ワンアウト三塁……此処は外野フライでも打てば先制の場面だが、此処は先制点だけじゃダメだ。山口と猫神のバッテリーを追い詰める為には複数点が欲しい。

 なら俺は外野フライを打てば、なんてチャチな事を考えずにヒットを狙おう。俺がミスっても矢部くんの足か友沢の打撃がカバーしてくれるしな。

 曲りなりにもクリーンナップを打つ俺相手に甘い攻めは無い。ゆるいゴロでも先制点になる場面、此処を無失点で抑えようとするのなら此処は"データ上"ストレートに弱い俺に対して投げる決め球はストレートだろう。

 

(尚且つ少しでもストレートで抑える確率を上げるためには……)

 

 初球はカーブを見せてくる。振りに来ていきなり打たれちゃ困るから外の届かない所、外角低めだな。

 山口が投げる。球種はどんぴしゃりでカーブ。コースも読み通りだ。

 それを見送って0-1。今の俺の待ち方を見て待っている球はストレートだと予測はできただろう。それでもストレートを投げさせてくるとしたら、コースは浅いフライになり易いであろう場所しかない。

 その場所はたった一つ――。

 

 インハイだ。

 

 ッキィイインッ! とバットを振り抜いた直後、快音が耳に届く。

 投じられたボールをフルスイングする。打ったボールはストレート。感覚すら残らない会心の当たりだ。

 

『強振!! 完璧に捉えた打球はレフト方向にぐんぐん伸びていく!! レフト谷内一歩も動けない! 入りましたホームラーン!!!』

 

 ベースを一週しながら俺はマウンドを見やる。

 猫神が素早く山口のフォローに向かっていた。ここら辺は流石名門校だな。ソツがない。

 ホームを踏んでベンチへと戻り、打席に向かう友沢に向かって「予想通りだ」と一言だけ伝えてベンチへと戻る。

 

「ナイスホームランでやんすー!」

「ナイスホームラン!」

「ありがとうパワプロくん! 先制点とってくれて!」

「流石パワプロ先輩ですね!」

「完璧な読み打ちだったな。流石だ」

 

 他者多様な言い方で褒めてくれる皆とハイタッチをしながらベンチに戻って防具をつける。

 早川がわくわくした様子でベンチから飛び出したそうな顔をしているのを見ると、なんだか行けるような気がするな。

 なんてことを考えていると、快音が轟いた。

 慌ててグラウンドに目をやる。

 丁度俺が見たのは呆然と後ろを見やる山口と、悠々とベースをまわる友沢だった。

 

「……あいつ、何打った?」

「見てる限りはフォークだったわよ。凄く落ちてたし」

「ありがとうございます……」

 

 顧問の加藤先生に教えてもらって俺ははぁ、とため息を吐く。

 あんにゃろー、追い込まれるまでは待球つっただろうが。何初球のフォークをフェンスオーバーしてやがる。

 ……まあ、ホームランならいいんだが、そんな打ち方出来るのはお前みたいな奴だけだっつーの。

 けどまあ、友沢がこうやって初球から打ちに行ったということはこちらの作戦が追い込まれるまで待球、ってのがバレづらくなるとも考えられる。

 友沢がホームインして戻ってきた。……ま、良いか。

 

「友沢。待球忘れたのか?」

「ん? ああ、打てそうだったからな」

「……さいですか」

 

 あの球を打てそうだったから、っつってホームランに出来てたまるか。こんにゃろマジですげーな。

 そんな事が出来る奴がそうそう居る訳がないし、こいつを参考にはしないで――。

 

 ガッキィイインッ!! と再び快音が轟く。

 

「…………」

 

 ため息を吐きながらみると、東條が澄ました顔でファーストベースへと走り出すところだった。

 ボールがフェンス上部を超えて場外へ消えていく。

 

『さ、三者連続ホームラーン!! 葉波、友沢、東條のクリーンアップ三連発ー!! エース山口から初回四得点ー!』

 

 ……ああそうだったな、東條もすげぇバッターなんだった。

 ったく……こいつらは作戦を無視しやがって。

 

「ナイスホームラン。この後も頼むわ」

「……ああ、任せておけ」

 

 クールにベンチに入りながら東條はニヤリと笑う。

 この後進がヒット、一ノ瀬が右方向へ大きい当たりを打って一アウト二、三塁のチャンスを作るも明石がセカンドフライ、早川が三振に打ち取られて一回表の攻撃が終了する。

 四点先制、幸先いいぜ。

 打者も一巡だ。二回からも良い形で攻めれるぜ。

 

「……さて、昨年火だるまにされたリベンジだ。行くぞ早川」

「うん!」

 

 新生エースのお披露目だ。

 

『さあ四点を追う帝王実業、前回の対戦も二点の先制を許しましたが、あっという間に同点として終わってみれば十五得点の大勝でした。今日はどうなるか!』

『バッターは一番、木田』

「よろしくおねがいしっまーす!!」

 

 木田は前回はベンチだった新三年生だ。

 守備要員兼代走要員で足は速いが、いかんせん昨年までは木村が居たからな。スタメンになったのは秋の大会からだ。その大会の打率は二割前半――足を期待しての一番起用だろう。

 

(ま、どんな打者かは関係ない。――見せてやれよ。早川。お前の新しい球を)

 

 ストレートを外角低め。此処にきちっと決められるかどうかが早川の調子のバロメーターだ。

 早川が頷いて腕をふるって投げ込む。

 ッパァンッ! と音を響かせて――外角低めギリギリにストレートが決められる。

 

「ストラーイク!!」

『初球際どい所素晴らしい球が決まりました!』

 

 うっしゃ。ミットを少しも動かさずに良い所に来たぞ。キレも抜群だ。

 木田は一球目を見逃した。……今の投球を見てまずフォームの出所の見辛さとタイミングの取りづらさを確認したはずだ。

 ならば此処はもっと見ておきたいと思うはず。それなら二球目もストレートで軽く取らせてもらうぜ。

 

(インローにストレート)

 

 頷き、良いテンポで早川は投げ込んでくる。

 

「ストラーイクッ!!」

 

 決まって2-0。流石に追い込まれたらゾーンを広く取ってくる。あまり率が高くない一番打者が相手なら此処はカーブでいいだろう。

 早川が俺のサインに頷いて投げ込む。

 緩い球、打者の手前で浮き上がり落ちるアンダースロー独特のカーブに、木田は思わず手が出る。

 

『打ち上げた! ボールはファーストへの浅いフライ! ……一ノ瀬、それをとってアウト! 足の速い木田を打ち取りました!』

 

 鈍い音がして打ち上がったボール。ふわりと高く浮いたボールは一ノ瀬への小フライだ。

 一ノ瀬がそれをしっかりと捕球してワンアウト。……よし、行ける。今日の早川の調子なら、俺が下手なリードをしなければ帝王実業をしっかりと抑えられるハズだ。

 

『バッター二番、板垣』

 

 板垣は新一年生だ。データはなかなか集まらなかったが、新一年生がセンターで二番ということは足が速くバントが上手い打者か。

 フォームを見るからに長距離打者ではない。スタンスをひらいて内をさばけるようにしてるということはインコースへの反応が遅れがちになるのかもな。

 

(ならストレートを投げさせてみよう。"第三の球種"が定石かな)

 

 頷いて、早川がインハイへとボールを投じる。

 投げる瞬間に板垣がバットを寝かす。セーフティバント、予想通りだな!

 だが出処が見づらく球持ちがよくなった恩恵か。それがインハイへのストレートと分かったときにはバットを寝かして切っていて間に合わない。

 カインッ、と鈍い音がして後方へとボールがフライになった。俺がとればアウトになる!

 バッ、とマスクを外して後ろへと走る。審判を躱し、落下点に向かってスライディングして落ちてくるボールをミットに収める。

 

「アウトォ!」

『ファインプレー! 反応良くスライディングして取りました葉波! 前回の大会では送球エラーが決勝点になってしまった葉波ですが、今日はファインプレーを見せました!』

「ナイスプレー!」

「おう!」

 

 ボールを拭いて、早川を投げ返しマスクを拾って装着しなおす。

 さて、三番は二年生に上がり三番に上がった猛田だ。前回の対戦じゃ打たれちまったからな。此処は抑えたいぞ。

 

「……東條、転校したのか」

「ん? 知ってるのか?」

「……ああ、良く知ってるぜ。元から負ける訳にゃいかねーが、東條のチームになら尚更負けられねぇ!」

 

 前回にまして気合が入ってる。なるほど東條とライバル関係なのか。

 まあ燃えてくれるならそれを利用するまでだ。打ち気をそらすようなカーブで勝負する。

 

 内角から落ちるカーブ。ストレートが多目の立ち上がりだから此処でいきなりカーブを投げられるとも思っていないだろう。

 早川が腕を振ってカーブを投げる。

 予想通り猛田は初球からフルスイングしてきた。

 ギャインッ! と詰まった音が響き、ショートへのゴロになる。

 矢部くんは足元の球をしっかり捕球しファーストへと投げた。

 

「アウトー!!」

『三者凡退! 早川素晴らしい立ち上がりを見せます!』

「やたーっ!」

「ナイスピッチ!」

「ナイスピッチでやんすー!」

「この調子なら完封も行けそうだな」

「……この調子で頼むぞ」

 

 ばしばしっと皆に背中を叩かれながら早川が嬉しそうにはにかむ。

 二回表の攻撃、矢部くんが先頭打者だ。

 2-0からのストレートを流し打ちしてヒットで出る。

 新垣が送って一アウト二塁。俺がレフトへとヒットを打ち、ワンアウト一、三塁になり、友沢がきっちり犠牲フライを打って5-0。ツーアウト一塁から東條が大きな当たりを打つがライトの正面でスリーアウトチェンジ、二回裏へと入る。

 

『バッター四番、蛇島』

『さあ四番の蛇島。五点ビハインドの帝王実業、この回で少なくとも一点は返しておきたい所!』

「……久しぶりだねぇ。パワプロくん」

「そうだな」

 

 蛇島がにこやかに挨拶をしてくる。

 俺は蛇島の様子をジロジロと見ながら一応挨拶を返す。

 

「去年は悪かったねぇ。その後の肩の調子はどうだい?」

「心配無用だぜ」

 

 打席に立ち、蛇島の視線が早川へと向く。

 さて、蛇島に対する取っておきの秘策を使わせてもらうか。

 初球はインハイへのボール。つまり――ブラッシュボールだ。

 ブラッシュボール、意図的に顔付近にストレートを投げさせ踏み込みを浅くさせたり、怒らせてその後の攻めに活かすためのボール。

 今のこいつに対して投げさせれば、恐らく俺への報復行為が始まるだろう。

 だが、逆にそういう行為を狙ってやるようになれば――浸け込む隙はいくらでも出来る。

 主軸である四番を軽く分断出来るようになれば勝利はぐっと近づく。

 だからこそ――此処は。

 

「……っ」

 

 俺がインハイへのストレートのサインを出すと、早川は一瞬驚いたような表情を見せる。

 早川も去年のことを覚えているのだろう。一瞬不安そうな顔をした。

 やれやれ、俺にケガされたら困るからってそんな顔するなよな。俺は大丈夫なんだからさ。

 

「アウト一つ優先! 外野間抜かれるなよ!」

「? あ、はいっ!」

「分かっている!」

「了解ー!」

 

 進、友沢、明石が順に声を出して返事をしてくれる。

 まあ実際は今の声かけは早川にしたものだ。

 アウト優先するから俺を信じろ。俺は大丈夫だからさ。

 ドン、と胸を叩いて、インハイにミットを構える。

 早川は頷く。よし。俺を信じて来い!

 ビュオッ! と腕をふるって投げた球。俺のミットに寸分違わず吸い込まれてパアンッ! と大きな音を立てる直球。

 蛇島はそれをのけぞって避ける。

 

『インハイへの危ない球! 何とか蛇島避けました! 早川手元が狂ったか!』

「ナイスボー!!」

 

 早川にボールを返しながらバッターボックスに立ち直す蛇島を横目で見る。

 なんとか動揺した表情を隠そうとする蛇島だが、目が明らかに"怒ってます"って言わんばかりだぜ。

 さあ0-1。……此処で投げさせる球は一つ――マリンボール。

 ブラッシュボールで頭に血がのぼっていて今直ぐ報復がどう、とか考えられる状態じゃないだろう。此処で蛇島に出来ることは、甘いストレートを何も考えずに打つことだけだ。甘い球が来たら反射的に手が出る。

 ならば甘いストレートに見せかけた変化球で打ち取る。蛇島のミート技術は高い。だがその高いミート技術が災いしてこの変化球を当てれてしまうはずだ。

 早川が腕をふるう。

 真ん中インよりへのマリンボール。僅かに伸びてくるような球に蛇島は反応する。

 そして打者の手前でボールは失速し、落ちる。

 ギャインッ、と鈍い音を響かせてボールはショートへのフライとなった。

 

『打ち上げた―! 矢部落下点! しっかりとってワンアウト!』

 

 俺は心の中でガッツポーズする。

 四番が完璧な打ち取り方をされた。この事実は帝王実業に重くのしかかってくるはずだ。

 その証拠に後続の五番、二年の篠田をライトフライ、六番の猫神をファーストゴロに打ちとり二回もさくさくと終了する。

 

 三回表の攻撃、進がライト前ヒットで出塁し、一ノ瀬が落ちるフォークを引っぱたいて痛烈な当たりを放ったもののセカンドの真正面、セカンドゴロゲッツーとなり、続く明石が再びライト前ヒットでランナーに出るものの、早川がファーストフライで三回表は無得点。

 

 三回裏の守備、今年二年からレギュラーに入った谷内がこの試合の初ヒットをライト前に放つが、続く後藤をショートへのゲッツーに打ちとり、九番の山口をピッチャーフライに打ちとって終わらせる。

 そして四回の表。

 先頭バッターの矢部くんがレフト前へのヒットで出塁したところで、帝王実業がマウンドに集まった。

 

「……そろそろ、配球が読まれてるのに気づく頃だな」

 

 ネクストバッターズサークルに戻り滑り止めを塗りに来た新垣に小声で話しかける。

 

「……そうね。ここまで先頭打者は全部出塁してるし、さっきの三回表はランナーが居なくなった途端、明石がセンター前で出塁したしね」

「そういうことだ。此処で欲しいのはゲッツーだが、さっきまでみたいに小さいフォークを投げてくるってことはない。一気にフォークで勝負してくるぞ」

「分かったけど……じゃあどうすればいいわけ?」

「原点に戻ればいいさ」

「……原点?」

「ああ、ウチの黄金パターン。即ち――矢部くんの足を絡め、お前とのコンビネーションでチャンスを広げ、クリーンアップにつなぐってパターンをな」

「なるほど……じゃ、私のやるべき事は一つね」

 

 言って、新垣は打席に戻る。

 頼りになる奴だぜ。もうやるべき事は分かってるってさ。

 帝王の円陣が溶ける。

 

『バッター二番、新垣』

『さあノーアウト一塁でバッターは二番新垣! 一塁には俊足矢部! 帝王実業、どうするか!』

「そういえば去年は私は女だからダメだって蛇島くんに言われたのよねぇ。

 

 ぶつくさ言いながら打席に立った新垣は、すっと構える。

 俺の予想では初球からフォークで来るだろう。フォークで来るってことは矢部くんは走るよな。

 ぐ、と矢部くんは大きくリードを取る。

 一球牽制を挟む山口。矢部くんはファーストへと頭から戻った。

 仕切りなおして、初球。

 山口が投球モーションに入った瞬間、矢部くんがスタートする。新垣はそれを見て――サードにバントした。

 落差の大きいフォーク。完全にフォークと読み切ったようだがかつん、と言う音を立て、ボールはサード方向へと強く転がる。

 サードの後藤が一、二歩前へと動いてボールを取りファーストへ投げる――その瞬間。

 

 矢部くんは、セカンドを蹴った。

 

 その行動に度肝を抜かれたのはピッチャーの山口だろう。

 後藤のボールを思わず山口がキャッチする。――それが、間違いだった。

 

「っ!」

 

 山口はサードへは投げれない。サードのベースカバーに入るのは自分だが、新垣のバントはプッシュ気味の強いもの、打球が早かったためサードベースに入る隙はない。

 サードの後藤は投げた後の体勢の為直ぐにサードへは戻れない。ショートの木田はセカンドベースカバー、セカンドの蛇島はファーストへのベースカバーに入っている。

 つまりサードベースはがら空きなのだ。もし三塁へ投げたら受け取る人がおらずに暴投になってしまう。

 慌ててファーストを見る山口だが、いくら鈍足といっても一度サードへ投げようとしたロスがあれば新垣はファーストベースを駆け抜けている。

 

「すげぇ高等技術だな」

 

 ただ送るんじゃない。矢部くん自身が足でかき乱すことが役割だと承知し、新垣も矢部くんが足でかき乱せることを知っていて、尚且つ絶妙な強さでバントしなきゃ成立しないトリックプレーだ。

 ノーアウト一、三塁――此処で点を取れなきゃクリーンアップに居る資格はない。

 先ほどは俺にツーランを被弾している。インサイドへの直球は使いづらいだろう。

 かと言ってフォークは多投したくないはずだ。決め球に取っておきたいだろうしな。

 

(なら投げる球はアウトサイドへの直球かカーブが定石か)

 

 此処はクリーンアップ相手だからな、じっくり攻略していきたいはず。

 ならまずは外角にストレートで来るか。

 山口が投げる。

 む、狙い通り外角低めだが――これはカーブ、か。

 

「ボールッ!」

『初球、カーブ外れてボール! 0-1!』

 

 予想とリードが違うか。……二球目、山口が投じたボールは手元で僅かに落ちるフォークだった。

 インより少し甘い所。これには流石に審判の手が上がる。

 

「ストラーイクッ!!」

『二球目はフォーク! 決まって1-1!』

 

 ここまでは変化球のみ、大きなフォークとストレートは見せてきてない。

 だとしたら三球目、此処で欲しいものは恐らく俺が手を出して結果的に追い込めることだ。

 見逃して2-1になっても俺が余裕を持ってボールを待てるようだったら山口も投げづらい。

 そして何より追い込んでから打てていることが多い俺達が、追い込まれてからも大丈夫と自信を持って振られる事が猫神も怖いはずだ。

 此処は俺が空振り姿を恋恋高校の面々に見せて、"先ほどまでとは違い山口は立ち直ったんじゃないか"という印象を与えたいはずだ。

 なら此処で投げさせる球は大きいフォーク一択。

 ……それなら反応したが止まる位のキレってのを演出してみるか。

 フォークに反応したが見極めれた。つまり振りに行ったが止めに行ったような演技をしよう。

 

『さあ三球目』

 

 山口が振りかぶる。

 それに合わせて俺はぐっとバットを引き絞り、投げられたボールに反応したがバットを止めることができた、という演技をした。

 投じられたボールは真ん中から落ちる大きいフォーク。

 基本的にフォークを空振りさせようとすればホームベース上から落とすのが有効だ。キレの有るフォークをホームベース上のストライクゾーンから落とされるとバッターは反応のしようがない。

 だからこそ、こうやって俺が見極めることが出来た――なんて演技を入れると猫神や山口はこう思うのだ。

 "今日のフォークはキレが悪いんじゃないか?"と。

 これでカウントは1-2。完全にフォークを投げると読みきったからこその見送りだが、相手は俺が振りに行ったがフォークだと見極めて止めた、と思っているだろう。

 

 そんな相手が四球目にフォークを投げられるか――?

 

 ワイルドピッチの可能性が高く、また投じればボール球になりやすいフォークという球種。

 1-3にはしたくないという思考回路と|三番(俺)には"見極められた"という事実。

 その二つを合致して考えれば答えは一つだ。

 

(フォークは投げさせない)

 

 だが長打にもされたくない。ならば可能性の一番高いボールはストレート。それも外角低めに投げさせる。それも1-3にはしたくないからそれなりに甘いところに投げてくるだろう。

 そして甘い球ならば――今の俺なら、捉えきれるはずだ。

 

『さあ四球目――』

 

 山口が振りかぶる。

 迷うな。自分を信じろ! ストレートを狙って――振り切れ!

 

 ッカァンッ! という金属音。

 

 その痛烈な打球はファーストの頭を超えてライトの右へと落ちる。

 長打コース。すでに矢部くんはホームにゆっくりと生還し新垣はサードへと到達した。

 打った俺もセカンドベースで立ち止まる。

 

『タイムリーツーベース!! 鋭い打球がライトの右へ落ちましたー!! 恋恋高校六点目! さらに帝王実業を突き放すー!!!』

 

 ボールが中継に帰るが何処にも投げられない。

 山口は俯く。予期せぬ炎上に帝王の監督の重い腰も動いた。

 ピッチャー交代――山口は四回途中、六失点で帝王実業としてはまさかのKO。

 続いて出てきたピッチャーは同じく二年の犬河だ。同じ猪狩世代だがこの選手は今まで公式戦に一度も登板していない。山口への英才教育での弊害だな。公式戦で投げる機会がなかったんだ。

 犬河が投球練習を行う。その様子を見てもやはり球の威力などが山口とは段違いに遅い。恐らく一三〇キロ中盤ってところか。

 この投手ならノーデータでもウチの打線なら――。

 

 ッキィンッ! と快音を残し、友沢の打球はライトフェンスへと直撃する。

 

 この打球で新垣と俺がホームインしさらに二点追加。

 続く東條、進、一ノ瀬もタイムリーで繋ぎ一挙三点。この回合計六点を奪い11-0。

 明石、早川が凡退し、続く矢部くんもセカンド真正面へのライナーへと終わるが打者一巡の猛攻で大勢は決した。

 

「……これが、おいら達の力、でやんすか」

 

 凡退しベンチへ戻ってきた矢部くんが呟く。

 まさかあの名門、帝王実業からこんな大差のワンサイドゲームに出来るとは思ってなかったのだろう、そのつぶやきは感動の色すら含んでいた。

 

「負けを知って努力し、あれから必死に技術を磨いた俺達の成長と、相手のデータ――特に帝王実業は捕手不足という大きな弱点もあった。そこに上手く漬け込めたのがこのワンサイドゲームになったんだな」

「……ボクたち、こんなに強かったんだね?」

「ああそうだ。俺達は強いんだぜ? 十分甲子園に行く資格のあるチームだ。……だが、油断しちゃいけない。他にも甲子園に行ける程強いチームがあるんだからな」

「……あかつき大、付属」

「そういうことだ。上には上が居る。自分たちの強さを認めつつ――油断しないで目の前の敵と全力で戦っていって、全力で成長していこうぜ。そうすればきっと、俺達は甲子園には届く」

 

 俺のセリフに皆が頷いてくれる。

 ……さあ、蛇島。この戦いの決着をつけようぜ。

 

 四回裏、ここまでパーフェクトに抑えられている帝王は一番の木田からだ。

 だが、木田は二球目をサードゴロ、板垣は四球目をピッチャーゴロ、猛田が一瞬行ったかと思わせるような痛烈な当たりを放つもセンターフライで四回裏が終わった。

 

 五回表、先頭バッターの新垣がファーストゴロで打ち取られるも三番の俺がレフト前ヒット、友沢がライトオーバーのタイムリースリーベースを放つと、後は犬河も堰を切ったように安打を許し、東條にレフトオーバーのツーランホームランを浴びた。

 続く進にはレフト線ツーベース。さらに一ノ瀬にライトオーバーのタイムリーツーベース、明石にレフト前ヒット、ピッチャー早川の打席で暴投が絡みさらに一失点。矢部くんがヒットを打ち、一、三塁から新垣のゴロを木田がジャッカルしエラー、その間に明石がホームインし一点、俺がスリーアウト目となるポップフライを打ち上げるまでに六点を失った。

 帝王の応援団は一言も発することができない。

 歴史的と言っていいほどの大敗――五回表の攻撃はバッター四番の蛇島からだが、応援団も応援歌を流すのを忘れてしまい、蛇島を告げるウグイス嬢の声が響くだけだった。

 

『大変なことが起きました。帝王実業対恋恋高校、帝王実業、まさかの五回までで一七失点! 打っては恋恋高校の擁する早川投手を捉えきれず四回パーフェクト。応援団も声を失っています!』

 

 さあ、最後は憂いも残さずに終えるぞ。

 この点差、この展開――予想した奴らは恐らく居ないだろう。俺も予想以上に点が取れて嬉しい限りだ。

 この五回を抑えればコールド勝ち。なら此処は一ノ瀬に放ってもらわないとな。

 

『恋恋高校、選手の交代をお知らせ致します。ファーストの、一ノ瀬がピッチャーに入り、ファーストに、石嶺が入ります。ピッチャー、早川に変わりまして、一ノ瀬』

 

 ファーストに石嶺を送り、ファーストを守っていた一ノ瀬を投手にする。

 早川には悪いが四回でお役御免という形だ。

 

「……投げたくてうずうずしていたよ」

「はは。だろうな。……まだ八月までは一ヶ月近くあるのに暑いな」

「うん、暑い。――でもこの夏はもっと熱くしたいね」

「ああ、行こうぜ。甲子園」

「勿論。エースの座は諦めてないしね。アピールする時期が長い方が良いだろうし」

 

 一ノ瀬がにこっと笑う。

 ホント、頼りにやる奴だな、一ノ瀬は。

 投球練習を終えて、一ノ瀬にボールを返してから俺は大きく手を広げる。

 

「おっしゃ。んじゃしまっていこう!!」

 

 おおっ! と返すチームメート達。

 そんな風にチームを鼓舞する俺を、蛇島は憎々しそうに見つめていた。

 

「……ふふ、ふふふふ、勝ち負けとかどうでも良くなったよ。パワプロくん……」

 

 小声で蛇島が呟く。

 ……やる気、だな。

 

「今はもう――キミを潰せれさえすればどうでもいい」

 

 一ノ瀬が足を上げてボールを投げ込む。

 ストレート、要求は外角だったが僅かに中に入ってくるストレート。

 それを見て蛇島はバットをフルスイングした。

 一年前と同じ行動。

 俺はそれを。

 

 ガツンッ!! とキャッチャーマスクで受け止めた。

 

 なっ、と蛇島が驚愕の表情を見せる。

 ボールはミットにしっかりと収め、振られたバットに顔を向けて一番硬い金属部分でバットを受け止めたのだ。

 マスクがみしみしと音を立て、凄まじい音が耳を打つ。

 だがそれだけだ。痛みは殆どない。

 

「……蛇島くん、危ないぞ」

「……す、みません」

 

 審判に注意を受け、蛇島が呆然と呟く。

 これでもう蛇島はうかつな事はできない。

 にしても危なかったぜ。思いつきでやってみたが上手いこと行ったな。もうちょっとずれてたら命まで危ない感じだったけど。

 ベンチにチラリと目を移すと早川がこちらを凄い形相で睨んでいる。……こりゃ、後で叱られるな。

 

「パワプロ、大丈夫かい?」

「おう一ノ瀬。大丈夫だぜ」

 

 一ノ瀬にボールを返し俺はにっと笑う。

 さあ、二球目、さっさとストレートで追い込んじまうぞ。もはや打つ手が無く勝とうという意志すらない蛇島を抑えることなんてたやすいからな。

 二球目のストレートを蛇島は力なく見送る。

 三球目はスライダー。一ノ瀬のスライダーはキレが良いからな。これで大抵の打者は――。

 

 空振り、三振だ。

 

『さんしーん!! 蛇島バットに当たらずー! これでワンアウトー! 後二人!!』

『バッター五番、篠田』

 

 篠田には初球カーブから入る。

 緩急を使って二球目はストレート。一球ストレートを外角低めに外し、とどめはスクリューボールだ。

 見事に術中にはまり、篠田はスクリューに三振となる。

 

『三振! 二者連続空振り三振! 抑えの一ノ瀬。ここまでは完全に相手を手玉にとっています!』

『バッター六番、猫神』

「さあ、最後のバッターだ! 締まっていくぞ!」

「ん」

 

 一ノ瀬は頷く。

 集中力に乱れがない――長いこと野球から離れていたお陰か、一ノ瀬は一球に対する集中力と丁寧さが他の投手とは段違いに高い。

 "力投型"、という言葉がある。

 それは一球一球に力を込めて投げる投手のこと。

 そういう投手は実のところ先発には向かない。全力で投げることは知っているが先発投手に必要な、重要な場面以外では力を抜く、というような投球がし辛いからだ。

 一ノ瀬はまさにそれだ。

 力投型の左腕。その一球の重みを知り、常に全力投球を見せる姿はまさにストッパーとしての理想型。

 先発にこだわっているが、今日の投球を見て俺は確信する。

 

 一ノ瀬は日本一のストッパーになる為に生まれ変わったのだと。

 

『空振り三振ッ!! 圧巻! 三者連続三振でゲームをしめたー! 恋恋高校因縁の帝王実業を。強豪校の帝王実業をなんと、五回コールドで撃破ッ!! 三回戦に駒を進めたのは恋恋高校だー!!』

 

 マウンド上で一ノ瀬は完全復活を告げるように左腕を掲げる。

 頼りになるリリーフエースの誕生の瞬間だ。

 俺はそうつぶやき、バックスクリーンを見る。

 

 恋 410 66    R 17

 帝 000 00×   R 0

 

 きっと、俺達はもっと強くなれる。この結果に満足してちゃ駄目だ。

 あくまで――目指すべき舞台は、あの甲子園の頂きなんだからな。

 俺は思いながら、ゆっくりと一ノ瀬に近づいていった。

 

 

 

 

                  ☆

 

 

 

「出番がありませんわ!」

「うおいっ! いきなりどうした彩乃?」

「最近わたくしと七瀬さんは裏方の仕事ばっかりですわっ! 納得いきませんっ!」

「っていわれてもなぁ、マネージャーだし仕方なくね?」

「うう、うううう! わ、分かりましたわ……一〇〇歩譲って仕方ないこととします……ですが慰安みたいなのが合ってもいいと想いません?」

「あー、確かになぁ。そりゃ欲しいかも」

 

 球場でミーティングを終え、三回戦の相手になるだろう、ブロードバンドハイスクール戦(相手はしるこ高校というらしい。どうやらあのバス停前高校がコールド勝ちするくらいの弱い高校らしいのだが、どうやって二回戦に勝ち進んだんだろうな?)を七瀬に見てもらいに行ってもらった直後、彩乃がそんな事を言い出した。

 俺としてもマネージャーにはかなり無理をしてもらってるし、彩乃には迷惑はかけっぱなしだからなぁ。確かに多少のご褒美は上げたいけど、何あげていいか分からないし。

 

「あの、でしたら、一緒にお出かけしません?」

「へ?」

「あの、あの、で、デート、とかいうの、してみたいんですわ。ぱ、パワプロ様なら、エスコートはしてくれそうですし……」

「デート、デートかー」

「ダメー!! そんなの絶対ダメだからっ!!」

 

 うおっ!? 悩んでたらいきなり早川が大声を上げてきた!?

 ど、どうしたんだろうか早川は、血相を変えてそんな……あ、そうか。デートか……確かにデートはまずいよな。うん。あんな約束しといて今更他の人とデートしましたってんじゃ流石の俺もマズイってのは分かる。

 うん、分かるけど……彩乃が可哀想だよなぁ。此処に来てダメって言われたらさ。

 

「何故早川さんが決めるのですの! わたくしだって頑張ったんですわ! 何か役得があってもいいじゃないですかっ!」

「ダメったらだめなの! じゃあ東條くんとかにしたら? パワプロくんは作戦立てたりとかで忙しいし!」

 

 ……ん、作戦立て?

 ふむ、なるほど。……確かに、これなら一応口実として使える……か? 早川は納得しないだろうけど一応筋は通る。それに彩乃もふたりきりが良いって言ってるわけじゃない。多分最近ゆっくり話す機会がないからゆっくり話したいってだけなんだろうし。チームの皆を連れていけば問題ないか。

 

「分かった。んじゃ一緒に行こうぜ」

「ぱ、パワプロ様!」

「パワプロくぅん!!!? どどどどどういうこと!? まさか、まさか彩乃さんと――!」

「ふふんっ! 早川さんは下がっていなさい。さあパワプロ様、どこにいきますの? いついきますの!?」

「一緒に出かければいいんだろ? なら明明後日の午前練習が終わった後、第四市営球場に集合な」

「……だいよんしえいきゅうじょう?」

「おう」

「三日後の第四市営球場と言えば……第三回戦が始まるよね?」

「そうでやんすね。トーナメント順でやんすから……えーと……」

「あかつき大付属対聖タチバナだな」

 

 ああ、視察もかねてデート。これ妙案! どうだ彩乃!

 俺がニヤリとしながら彩乃の顔をみると、彩乃は完璧な笑顔を表情にしたままカチーンと硬直していた。んん? 俺マズイこといったか?

 

「……鈍感もここまで来るともはやジェノサイドでやんすね」

「全くね……ちょっと可哀想になってきたわ」

「ボクも流石にこれはちょっと可哀想かな……」

「……天国から地獄、持ち上げて落とすか。流石相手の読みをずらすキャッチャーだ」

「恋愛関係は良く解らん俺もパワプロのこの仕打は酷いと分かる」

 

 んん? なんか遠くでチームメートたちが小声で俺を罵倒している気がするぞ。気のせいか?

 まあいいや、これがベストな選択だろ。というわけで――。

 

「んじゃ彩乃、三日後第四市営球場の前で待ってるからな。今日は解散。明日は練習あるからしっかりとくるんだぞー」

 

 はーい。となんだか複雑そうな顔で返事する面々を不思議に思いながら、俺は家路につくのだった。

 



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第一三話 "七月二週" 春達の道程

                 七月二週

 

 

 第四市営球場。

 午前練習が終わり、燦燦と降りしきる太陽の中、俺と彩乃、そして何故か付いてきた早川の三人で俺達は球場に入る。

 聖タチバナvsあかつき大付属高校。下馬評ではあかつき大付属がコールド近い点差で勝つと予想されていたその試合だが――球場内に入って俺達が見た物は、七回まで〇を重ねる両軍のスコアだった。

 

「……凄い……みずき達、あかつき大付属といい勝負をしてるよ!」

「そうですわね。わたくしも最近猪狩様が物凄いお方だと気づいたんですが、その猪狩様のチームとここまで対等に渡り合っているなんて……」

 

 早川と彩乃が揃って感嘆の声を漏らすが、俺はそれに答えれずバックスクリーンを睨みつけた。

 確かに七回裏、先攻はあかつき大付属の攻撃で、あかつき大付属を〇点に押さえてはいるが、内容が全く違う。

 

 それは即ち――ヒット数。

 

 猪狩はここまで被安打はなし、七回裏の時点で一番の原が打席に立っているということは、ランナーを一人も許していない、即ちパーフェクトでここまできているということだ。

 対して聖タチバナの先発であろう橘が許した被安打は九――つまり三者凡退で終わった回が此処まで殆ど無いということだ。

 ピンチこそ抑えているが、その投球内容は非常に危うい。何かの拍子に一気に崩れる事だって考えられる。

 そう考えている間にも、あっという間に原、二番の大月の二人が三振。六道が内野フライに打ち取られて七回の裏が終了する。

 八回の攻防に入る試合。マウンドにあがるのはまだまだ橘だ。

 スタミナはすでに切れかけているだろう。それでも腕をふるって、あかつき大付属のバッター、一番の左の八嶋に対し、外角の凄い所に投げ込んでいる。

 だが、それでも抑えきれない。八嶋は外角のボールを逆らわずにライトへと弾き返す。

 続くに番の六本木はしっかりと送ってワンアウト二塁。ここらへんのソツの無さ――これがあかつき大実業の強みだろう。

 このピンチで打順は三、四番と続く。ここを抑えきれずに一アウト一三塁になればスクイズも含めて警戒しなければならなくなり、抑えるのが難しくなる。

 三番七井に対する初球。

 選択したのは緩いスクリュー。

 初球から七井は振っていく。ッキィンッ! と甲高い音が響いて打球はセンターへ抜けるかという当たり――その打球を、春が横っ飛びでキャッチした。

 

「わあっ!」

 

 思わず隣で早川が声を上げる。

 八嶋は慌ててセカンドベースに戻って行く。

 それを許すまじ、と春は素早くセカンドへ送球。――ダブルプレーにした。これでチェンジ。

 凄いファインプレーだ。あれがセンターに抜けてたら八嶋の足ならアウト二つがなくなったどころか完全にホームインしていただろう。

 

「……レベルアップしてるな」

「うん、そうだね」

 

 聖タチバナの面々の守備が格段に上手くなってる。守備に一つでもミスがあったなら、それに漬け込んであかつき大付属はとっくに先制点を奪っていただろう。

 それを許さなかった聖タチバナの守備力は恐らくあかつき大付属の面々も感心しているほど素晴らしいモノだ。

 だが、それでも試合は動かない。

 

 一人目の春はストレートを三つ振らされ、二人目の大京はスライダーを打たされファーストファウルフライ、三人目の篠塚は外角低めのストレートを見逃し三振。

 

 あまりにも大きく聖タチバナの前に立ちはだかる投手、それが猪狩守。

 スタンドに目を向ければ、何人かの男性がスピードガンをマウンドに向けている。――プロのスカウトだ。

 スター性も実力も甘いマスクも兼ね備えるこの投手を打たなきゃいけない。

 その困難さを目の前にして、俺は背中にゾクゾクとしたものを感じる。

 ……まだ対戦相手が決まったわけじゃない、試合が決まるまでは目を離すな。

 

 九回表。

 バッターは三本松から。

 多分、橘はこの回が限界だ。見るからに八回も疲労していたしな。これ以上無理をさせて投げさせれば球が甘く入る可能性も高いぞ。

 宇津に変えるか、橘を続投させるか。

 どうするんだ春――?

 

 

 

 

                      ☆

 

 

「みずきちゃん」

「審判、タイムを頼むぞ」

「ターイム!」

 

 俺はマウンドに寄る。

 それに応えるように、原さんや大京さん、大月や聖ちゃんも寄ってくる。

 回は九回――みずきちゃんの投球数はもう一二〇球を越えてる。肩で息もしているし、多分もう、限界だ。

 俺が何か声をかけようとすると、みずきちゃんは俺を目で制して、ふうと深く息を吐いて、吸った。

 まだ目は投げれると言っている。

 

「…………行ける?」

「……はぁ、はぁ、うん、行ける」

「バカをいうなみずき。もう球が甘く来始めている。腕も振れていないし、見るからに限界だ。そんな状態で――」

「分かった。この回零点に抑えて裏に勝とう」

「なっ……は、春くんっ!?」

 

 聖ちゃんが何会いたそうにするのを、俺は手で制してみずきちゃんを見つめた。

 ……こんなにみずきちゃんが大変な想いをしているのは、俺達が点を取れていないからだ。

 それなのに投げたいって思ってくれてる。なら、その想いにかけよう。

 

「守備は任せて」

「……全く、仕方ないな。全力で抑えるぞ。みずき」

「うん。もちろん!」

 

 みずきちゃんの頷きを確認して、俺達はポジションに戻る。

 その際ちらりとスタンドに目をやると、パワプロくんたちがこちらを見ているのがたまたま目についた。

 ……俺達は負けない。もう一度恋恋と戦うんだ。

 三本松に対する初球、みずきちゃんが投げたスクリューは聖ちゃんが構えた所よりボール一個分ほど内に入る。

 それを三本松は見逃さない。フルスイングされたボールはライトの大田原の上を超えてツーベースになってしまう。

 

「大丈夫大丈夫! 後続を抑えれば問題ないよ!」

 

 俺が声をかけると、みずきちゃんは浅く微笑んでこくんと頷いてくれる。

 バッターはサードの五十嵐。強打の左打者だ。

 ここは取ってやらないといけない。こっちに飛んできたらどんなボールにだって飛びついてやる。

 初球。投げたボールは外角低めのストレート。読んでいたとばかり五十嵐がそれを流し打った。

 取れるっ!

 判断した瞬間サード方向へと走った。

 セカンドランナーの三本松は三塁へと疾走しているが鈍足だ。取ってサードに送れば間に合う!

 横っ飛びでキャッチし、体を回転させ体勢を立て直しサードへ投げる。

 

 その瞬間、左足に痛みが走った。

 

 体を回転させたときにひねったのかもしれない。でもそんな事で痛いなんて言ってる場合じゃないんだ。

 

「アウトォッ!!!」

『ファインプレー! ヒット性のあたりを取った春、サードへ素早く送りタッチアウトォー!!』

 

 審判の手が上がったことに安堵して、俺はふぅっと息を吐く。

 良かった、一アウト三塁と一アウト一塁は大違いだ。次は打率の高いキャッチャーの二宮――ここで抑えなきゃ。

 

「ナイス守備だ! いくぞみずき! この流れに乗れ!」

 

 聖ちゃんが大きな声を上げて俺達を鼓舞してくれる。

 よし、この回も零点に抑えれる。抑えれるはずだ。

 ズクンッ、と鈍く痛む足。それを押し殺して俺はバッチコーイ! と声を上げる。

 ッキィンッ! と二宮の打った打球がバウンドしてからセカンドベースを上を超えてセンター前へと抜けていこうとする。

 それをなんとか飛びついて阻止し、セカンドへ倒れこみながら送球した。

 原がそれをとってセカンドをフォースアウト、ファーストにしっかり投げてダブルプレー。よ、しっ……! この裏点を取れれば良い……っ。

 ズキンッ、と痛む左足。

 心臓の鼓動とともにドクンドクンと足首が叫んでいる。

 よろよろとよろつきながら立ち上がり、ぐ、っとガッツポーズをした。

 わぁぁああとスタンドが俺達に向けて拍手をしてくれる。

 試合は九回裏に入る。

 バッターは大田原から、中谷、そしてピッチャーのみずきちゃん。みずきちゃんのところで代打で一年生で一番バッティングの良い清水を出して……。

 痛みで目の前が白く染まるほどだ。する、とスパイクを脱いで、足首にテープを巻きつける。

 これでこの試合くらいはもつはず。

 

「よぉし! 九回裏だ! 勝てるよ! 皆!」

 

 俺が声を大きくあげると、皆が頷いてくれた。

 多分、皆俺のケガに気がついている。

 それでも黙っていてくれるんだ。

 だったら、俺は俺の出来る全力のプレーをしないと。

 そして――見ていてくれ、パワプロくん。勝って、君たちと戦うぞ。

 

 

 

                  ☆

 

 

「怪我したな」

「え?」

 

 俺が呟くと、彩乃が驚いたような声をあげる。

 早川も気づいたのだろう、俺の言葉に複雑そうな表情で頷いた。

 さっきのプレー、五十嵐の打球を横っ飛びでキャッチした時に足をひねったんだろう。そのまま続けて送球したあのプレーで痛めた。

 ベンチに帰るときもつらそうな顔をしていたし、間違いないだろう。

 

「……あかつきが勝つだろう、な」

「ど、どうしてそう言えるの?」

 

 俺が小声で呟く。そのセリフに反応して、早川が聞き返してきた。

 友達のチームの負けを予想するような俺のセリフ。それに疑問をもつのは当然か。

 

「チームの中心、攻守の要の春がケガをした。……この回で決めないと一〇回表は春が交代するか守備に付くかは分かんねーが、キャプテンで四番が実戦経験の少ないショートになったり手負いのショートをそのまま使う事になれば、あかつきは容赦しない。一〇回表に得点を取ってしまえばもう、聖タチバナに反撃する気力は残らない。だからこの回に決めないといけないんだが……」

 

 大田原、中谷、そして代打の三人。打順は七番からという下位打線――。

 聖タチバナの勝率は限りなく低いだろう。

 それでも――まだ試合は決まってない。聖タチバナの面々からは闘争心は消えるどころか増しているようにすら視える。

 

 だが、その闘争心も希望(得点)までは届かない。

 

 七番の大田原を見逃し三振、中谷を空振り三振、そして代打の一年生、清水を三球三振で打ちとって猪狩は涼し気な顔でベンチに戻って行く。

 九回パーフェクト。あかつき大付属が一点でもこの回までにとっていたら完全試合。手も足も出ないとはこの事か。

 点を取る。それだけのことが難しく思えて仕方ないぜ。猪狩の前じゃな。

 

 一〇回表、ついに橘が降板する。あかつき大付属相手に九回無失点――素晴らしいピッチングだったな。

 ピッチャーは宇津に変わったが、ショートは変わらない。

 

「――この回を抑えれば、まだ聖タチバナに勝ち目はある」

 

 希望を探るように俺は呟く。

 あかつき大付属と戦いたい。でも、これだけ強くなった聖タチバナとも戦いたい。

 複雑な感情で胸がいっぱいになるな。……くそ。カッコイイじゃねぇかよ。春。

 

「ただ、この回一点でも取られたら……」

「……バッターは下位打線だよ。だから大丈夫。きっと……」

 

 そんな早川のつぶやき。

 ライバルでありながら友達である六道や橘を応援するような言葉。

 ここを抑えれば一番から、聖タチバナは裏の攻撃だ。この回を抑えれば希望が視える。

 

 この回さえ、抑えれば。

 

 そんな希望を、聖タチバナの面々は抱いていただろう。いや、俺や早川も彩乃も、"もしかしたら"という期待が胸にあったろう。

 

 その希望を、猪狩守は打ち砕く。

 

 快音。

 六道が慎重を期して初球はボール球にスライダーを投げさせてボールカウントは0-1。そこから投じられた宇津の二球目はストレートだった。

 ホームランだけは、そんな意図が込められた六道の要求したボールはアウトローのストレート。

 それが僅かに高く入った。ただそれだけ。

 

『入ったー!!! スタンド沈黙っ! 猪狩守の自らを援護するレフトへのソロホームラーン!!』

 

 ただそれだけで、打たれたボールはフェンスを超えていってしまった。

 六道が、宇津が、春が――いや、聖タチバナの面々所か観客でさえも、消えていったボールの先を見つめることしかできない。

 ざわつきが止まらない中、宇津は九十九と四条を痛烈な外野へのライナー、そして八嶋をレフトへの大飛球で何とか抑える。

 

「……猪狩くんの一発さえ……」

「……」

 

 早川のつぶやきに答えないで、俺はグラウンドを睨みつける。

 確かに一発は打たれたが、後続には痛烈な当たりをされながらも真正面で討ち取った。

 まだ流れはある。もしかしたらこの回行けたかもしれない。それくらい守備で流れを、試合を作った貯金は残っていたんだ。

 そう、惜しむべきは――相手が猪狩守だった、ただそれだけのこと。

 

 十回の裏。

 バッターは一番原からだ。

 

「原が出ればなんとかなるかもしれないが……猪狩もそれは分かってる。だから万が一にも打てないように攻めるだろう」

 

 だとすれば、初球は恐らくストレートをインコースに投げてくる。

 ダァンッ! とまるで弾丸を放ったかと思う程凄まじい音を立ててストレートがミットに収まった。

 今のが一四九キロ。延長一〇回とは思えないほどの球威。

 二球目はスライダー、原はそれになんとか喰らいつこうとしてバットを振るが――外野まで飛ばない。ショートが落下点に入り、これでワンアウト。後二人だ。

 二番の大月は初球のスライダーに手を出し、サードゴロ。

 後一人、バッターは六道。

 初球ストレート。インコースのストレートを六道は見極める。

 

「……まだ一点差だ。こっからこっから」

 

 六道は喰らいつく。あの選球眼にゃ俺達も手を焼かされたっけ。

 2-0にこそ追い込まれたが、そこからファールを三球挟んでボールが続き2-2。そして、六道は外のスライダーを見極めて2-3にする。

 そして、九球目。

 投じられたボールはインローへのストレート。

 それに六道は手を出さない。ぐっ、とバットを止めて見送った。

 

「ボール、フォアッ!!」

『フォアボールっ!! 聖タチバナ、ついに、ついに最終回、ランナーを出しました!!』

 

 球審は手を挙げない。六道はガッツポーズをしながらファーストに走っていく。

 四番につないだ。この試合の決着は――エース対四番の手に委ねられる。

 

「初球だな」

「初球、ですの?」

「ああ、初球でストライクが取れれば猪狩が有利だ。1-0。このカウントになったら春はもう手を出すしか無い。追い込まれたらスライダーがあるからな。逆に猪狩側は初球が難しい。こういう場面で打つ打者ってのは知ってるからな。ただ初球を取れたら後はストレートを際どい所に投げさせれば良い。……だから初球だ」

 

 俺のセリフに納得したらしく、彩乃と早川は視線をグラウンドに落とす。

 さあ、見せろ春。お前の意地を!

 初球。

 猪狩は腕を振るう。

 球種はストレート。コースはアウトロー。

 春はそれを分かっていたのだろう。

 足を上げ、フルスイングする。

 

『打ったああああ!』

 

 ッキィンッ! と快音を残し、ボールは飛んでいく。

 レフトがそれを確認して後ろに背走し、手を上げた。

 足さえケガしてなかったら――そう思わせるに十分な飛距離だ。

 

『しかしっしかしっ! 伸びないっ! レフトが落下点に入り、キャッチっ! アウトオオオ!! 試合終了!! 一〇回まであかつき大付属に食らいついた聖タチバナ、しかしあと一歩のところで届きませんでしたー!!』

 

 春がファーストベース前で足を止めて崩れ落ちるように膝をつく。

 足のケガのせいで踏み込みが浅くなり、体重をぶつけることができなかった――ボールが伸びなかった原因はそれだ。

 怪我したプレーが無ければ得点が入り、恐らく九回にあかつき大付属の勝利で試合は終わっていた。

 しかしあのプレーが無ければ春はケガをしなかった。

 結局のところ自力の差だ。力があったから、あかつき大付属が1-0で勝利を手に収めたんだろう。

 

「……帰ろう」

 

 早川と彩乃に声をかけて、俺は球場を後にする。

 いい試合を見せてもらったぜ。春。

 声掛けはしない。決勝であかつき大付属と戦う姿を見せることこそが多分――"次は戦おう"というメッセージになるだろうからな。

 じゃあな春。また会おうぜ。秋大会で、な。

 

 

 

                      ☆    

 

 

 

「ごめん」

 

 悔しさを滲ませて引き上げる聖タチバナの面々、足を負傷し、大京と原に肩を貸してもらって歩く春は、小声でそう謝るしかなかった。

 みずきはよく投げていた。甲子園優勝チームの野手たちを相手に堂々の九回無失点。普通ならば勝ち投手になっているであろう成績。

 なのに、結果はこの様だ。

 9回完全試合。四番である自分も4-0。最終打席は聖が必死に繋いでくれたホームランが出ればサヨナラという場面では痛みを気にして中途半端なバッティングをしてしまった。

 それが悔しくて悔しくて。

 春はギリリと下唇を噛み締める。

 そんな様子を見て、みずきはふう、とため息を吐いた。

 

「バカ」

「え? ば、バカって、え? え?」

「バカだからバカっていったのよー」

 

 頭に? を浮かべて不思議そうな顔をする春を、みずきは笑い飛ばす。

 確かに得点は貰えなかった。でも、それ以上に得点が入りそうな要所要所であったファインプレーはその得点以上に価値のあるものだったと思う。

 だから感謝事すれ、恨むことなんてあるわけがないのにそれでも春は得点が取れなくてごめん、と謝っている。

 それがなんだか面白くて、みずきはあははーと笑った。

 

「あーっ、くやしいっ! 次は甲子園いかないとね!」

「みずきちゃん……」

「次は得点取って、この私が〇点に抑えて、それで甲子園よ! ボコボコに負けた恋恋にもリベンジしなくちゃだし」

「うむ、そうだな」

 

 頷く聖とみずきは肩を組んで『次は勝つぞー!』と腕を上げて次の戦いに向けて切り替えている。

 自分だけが過去にとらわれているような気がして春はははっ、と笑った。

 彼女達と一緒なら、本当に甲子園に行ける気がする。

 

「それじゃ、俺は早くケガを直さないとな」

「そうね。早く直さないとパシリが居なくなるじゃないの」

「酷いなぁ。でもまぁ、頑張るよ」

 

 春は笑って、支えられながら片足で階段を登る。

 

(パワプロくん、ごめんね。今年は戦えなかったけど待っててくれ。次はきっと君たちと戦うから)

 

 そんな決意をして春は歩む。

 頼れる仲間たちと共に、次の大会へ向けて。



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第十四話 "七月四週" vsあかつき大付属 前編

                   七月四週

 

 

 準決勝が終わった。

 七月の一週目から始まった夏の甲子園予選大会も残すは一試合のみ。強豪校が後半にのみ集まってしまうというトーナメント表もあり、"下馬評によると"あかつき大付属vsパワフル高校が実質の決勝戦だったなどと言われている今夏の大会も、いよいよ最後の試合を迎える。

 待ち望んだ――といっても、そう望んだのはこの世で二人だけかもしれない。

 猪狩守と、葉波風路――パワプロ。

 一年と半年前、戦うことを誓い合った二人がやっと相まみえる時が来たのだ。

 

 夏の甲子園予選大会決勝戦。午後十三時プレイボール。

 

 十時頃集合し念入りにストレッチなどをしてミーティングをし、球場入り。

 そして、猪狩守を求めて集まった報道陣や応援団でスタンドは完全に埋まり――始まるは、今年の甲子園の一枠を争う戦い。

 

 あかつき大付属vs恋恋高校。

 

 いよいよ、その火蓋が切って落とされる。

 

 

                 

 

「「「「「「「「「お願いします」」」」」」」」」

 

 ホームベース前でお辞儀をする。

 目の前に立つ男――猪狩、守。

 やっと対等に戦える舞台まで上り詰めた。

 勿論籤運に恵まれた部分が大きいだろう。でも、それだけじゃない。俺達は強くなったからここまでこれたんだ。

 目の前の春夏連覇したチームと甲子園をかけて戦う権利があるのは俺達だけなんだからさ。

 

「……猪狩、いい試合にしよう」

「……ああ、そうだな。……だが――」

「勝つのは俺だ」

「勝つのは僕だ」

 

 目をそらさず宣言しあう。

 猪狩は満足そうに笑って踵を返した。

 俺もそれを見送ってベンチに戻る。

 さあ始めようぜ猪狩。最高の試合をよ!

 

『さあいよいよ始まります。勝ったほうが甲子園の試合。どちらが勝つのか、いよいよプレイボールです! では両者のスターティングメンバーを発表いたしましよう!

 

 先攻、恋恋高校のスターティングメンバーは

 

 一番ショート矢部。

 二番セカンド新垣。

 三番キャッチャー葉波。

 四番ライト友沢。

 五番サード東條。

 六番センター猪狩進。

 七番ファースト一ノ瀬。

 八番レフト明石。

 九番ピッチャー早川。

 

 となっています。注目すべきはクリーンアップでしょう。ここまで六試合で、クリーンアップで稼いだ得点はなんと八十二! 超強力といっていいクリーンアップはここまで二五五イニングス無失点の猪狩守から得点を奪えるでしょうか!

 では、後攻あかつき大付属後攻のスターティングメンバーも発表しておきましょう。

 

 一番センター八嶋。

 二番ショート六本木。

 三番レフト七井。

 四番ファースト三本松。

 五番サード五十嵐。

 六番キャッチャー二宮。

 七番ピッチャー猪狩守。

 八番ライト九十九。

 九番セカンド四条。

 

 となっています。さあ、春夏連覇の"絶対王者"あかつき大付属に恋恋高校どう立ち向かうか。目が離せません!』

 

 先攻はこっち。先頭バッターの矢部くんがゆっくりとバッターボックスに立つ。

 マウンドに立つのは勿論猪狩だ。こうして敵チームとしてあいつをベンチから見るのは初めてだな、そういや。……あれからどれくらい成長してどれだけの球を投げるようになったのか――見せて貰うぜ。

 猪狩がマウンドで振りかぶる。ダイナミックなフォームから、猪狩は腕をふるってボールを投げ込んできた。。

 初球に選択された球はストレート。

 ただし――ベンチにいても魔球かと疑うような、凄まじいキレの、だ。

 ピシィンッ!! とミットが聞いたこともないような乾いた音を立ててボールが吸い込まれる。

 球速は一四九キロ。初回から百四五キロを超える快速球。

 

「っ……」

 

 さすがの矢部くんも手が出ない。

 初回は投手の立ち上がりが不安定――そんな球界の常識を覆すかのように、猪狩は二球目を投げ込んでくる。

 唸りを立てて投げ込まれるストレートから一転、今度は切れ味よく曲がるスライダー。

 捉えようとバットを振る矢部くんをあざ笑うかのようにボールはアウトローへ逃げていく。

 この球が一三八キロ……速いな。あれだけ変化してるくせによ。

 

「トーライッ!!」

『大きく曲がるスライダー! 矢部空振り!』

 

 そんな球だ。初見で当てるのは至難の業か。矢部くんがあんなにあからさまな空振りをするのは初めて観るかもしれない。矢部くんの実力でも当てることすらできないなんて、どんな球投げてるんだよ。

 三球目、投げられた球は再びスライダー。

 外へと逃げていくスライダーを見極めようと矢部くんはバットを出さない。

 だが。

 

「ストラックッバッターアウトッ!!」

『見逃し三振!! 素晴らしいスライダー! 矢部、手がでませんっ!』

 

 結果は見逃し三振。

 バッターの目線から一番遠い所にあのキレと一三〇キロ後半の速度で投げられたら手が出ないのも無理はない。

 さすが世代ナンバーワン。そう簡単に攻略の糸口は見つけさせてくれないな。

 

『バッター二番、新垣』

 

 新垣がバッターボックスに立つ。

 それを見送ってから、俺はネクストに座った。

 新垣に対しては初球からストレート主体だ。当てるのが上手い新垣が当てる事すらできない。

 二球ストレートを見せた後、三球目はスライダーで新垣はあっという間に三振に打ち取られる。新垣はそれを分かってて初球から振りに行ってるんだけどな。着払い……ミットにボールが収まってから降ってるような感じだ。

 ここまで四球、こっちの打者はバットを振っていったけど当たる気配がない。

 ……そんな流れは俺が払拭しねーとな。

 

『バッター三番、葉波』

『さあ、やってまいりました! この二人、なんとかつてはあかつき大付属中学校でバッテリーを組んだ旧知の中! 試合前のインタビューで猪狩守ははっきり宣言いたしました。ライバルはこの男、葉波風路と! ライバル対決はどっちに軍配が上がるか!』

 

 打席に立つ。

 ……こうして猪狩が投げて俺が打席に立つなんて事は今までなかった。……此処に立つだけで、相手が猪狩というだけで、熱い物が燃え上がってくるのがわかる。

 さあ、来い、猪狩。

 初球はスライダー、それを俺は見送ってふぅ、と息を整える。今の球はボールだ。

 初球は見せ球だ。……次はストレートで来る。

 二球目を猪狩が投じる。

 それをフルスイングで迎え撃つ!

 

 ッパァンッ!! と真後ろでミットが炸裂音を立てたのが耳に入った。

 

『な、なんと……今の球が一五三キロ……!! 猪狩守、ライバル相手に自己最速をたたき出しました!!』

 

 ちっ、当たらねぇか。

 つーか一五三キロってマジかよ。

 やってくれるぜ。此処で自己最速か。……燃え上がってんのは俺だけじゃなさそうだ。

 三球目。ストレートで来るかスライダーで来るか……カーブはここまで投げてない。此処でいきなり投げさせるリードは捕手もできないだろう。

 何より今日の猪狩はスライダーもストレートも抜群だ。これを投げさせない手はない。

 ならストレートに狙いを絞って……。

 猪狩が腕をふるう。

 

 ッキィンッ!! と快音を立てて、ボールが飛ぶ。

 

『痛烈なあたりーっ! しかしボールはポールの右っ! しかしライバル葉波、最速更新の猪狩には大きい当たりで返答します!!』

 

 ……ッ、じーんと打った重さのせいか腕がしびれる。いってぇ……どんだけ重い球ほうってるんだよ!

 打ったボールはファールだ。痛烈な当たりだが球威に押されたせいかライト方向のポールの遙か右に消えていく。

 飛距離は十分だったけど、思っきし引っ張るつもりで振ったのに流し方向にファールになってるな。手元で予想以上に伸びてくる……こりゃ確かに二〇〇イニングス無失点とかいうふざけた記録を打ち立てるのもわかるぜ。

 その猪狩は、俺が打ったボールが消えて入ったほうをじっと見つめて、笑った。

 

 ――これが待ち望んだ男だと、噛み締めるように。

 

 四球目。

 投げられた球はスライダー。

 読み通り、だが体にエグるように大きく変化してくるスライダーに俺はついて行ききれない。

 

 チッ! とバットに掠る音が聞こえたが、そのボールを二宮がそのまま捕球した。

 

「ストラーイクバッターアウト!! チェンジ!」

『空振り三振! 初回猪狩守、圧倒的な立ち上がり! 九球で一回表が終了しました!』

 

 ベンチに帰ってレガースをつける。

 初回から捉えれるとは思ってない。勝負は二巡目からだな。

 頭切り替えろ。俺の仕事は打つだけじゃない――

 

「パワプロくん、行ける?」

「おう。んじゃ行こうぜ早川。――勝つぞ」

「うん、勿論!」

 

 ――早川をリードするのが一番の仕事だ。

 そう簡単に打てると思うなよあかつき大付属。ウチのエースはめちゃくちゃ打ちづらいからな。

 

『さあ、マウンドに立つのは女性投手早川あおい! ここまで全試合先発で出場し、防御率は0点台! こちらも好投手。あかつき大付属、どう攻略していくか!』

『バッター一番、八嶋』

 

 八嶋は俊足巧打。矢部くんのような打者だが一つ違うのは――矢部くんが反応良く走るタイプに対し、八嶋はポテンシャル。つまり足の速さに頼った盗塁をするってこと。

 それならそれで打つ手はある、が、ベストは出さないことか。

 

(初球、インコースにストレート。1番バッターだからな、厳しいコースは見てくるハズだ)

 

 早川がロージンを指につけて、ボールを握る。

 きれいなフォームからキレの良いストレートが放られて、八嶋は初球から打ちに来た。

 インコースの球を強引に流すバッティング。

 ボールは高く弾み、早川の頭上を超えて矢部くんの真正面に飛ぶ。

 矢部くんが捕球するが――。

 

「投げるな矢部くんっ! 間に合わない!」

『八嶋内野安打! 快速を飛ばします!』

 

 俺が指示すると矢部くんは悔しそうにボールを早川に返した。

 こんにゃろ。自分のポテンシャルを生かした打撃しやがったな。

 バッターは二番の六本木に変わる。

 守備の上手い選手だがバントはソツなくこなす。だが何よりも恐ろしいのは選球眼の良さだ。

 八嶋を気にしてボール先行になりがちなのに、勝負に行った球を見極められる――実際に守備についてみるとなんて嫌な攻撃だ。矢部くんと新垣も似たような感じなんだろうけど。

 さて、この初回の攻撃……相手の立場に立って考えてみるか。

 

(相手は変則投手だが抑えては来てる。このまま波には乗らせたくない……そこでラッキーっぽいが出塁した一番打者。これを上手く使いたいが大事にもしたい。……出来れば二番打者に有利なボール先行を作ってから走らせ、二番バッターにも打たせて無死一、三塁、もしくは先制点で無死一塁かそれ以上にするのが理想か。なら初球はストライク貰う)

 

 初球はストレート。

 八嶋がスタートだけして見せる。

 俺は"わざと"それに反応したように見せて腰を上げたように見せるが実際は投げない。

 インコース寄りの低め、間違いなくストライクに取られる所にストレートを投げさせて、これで1-0。

 相手は歴戦。此処は甘い読みはしない。コントロールが乱れてたまたまストライクに入った、なんてのは思わないだろう。早川がコントロールが良いってのは知ってることだろうからな。

 

 なら――此処でスタートを切ってくる。

 

 ウェストボールをサインで出すと、早川は表情を変えずにこくん、と頷いた。

 長くボールは持ってくれ……ってんなこと言わなくてもわかるよな。ここまで勝ち進んでこれるような投手な早川なら。

 じ、とファーストランナーを睨むように視線をやって、早川は少し長くボールを持つ。

 そしてセットポジションからクイックモーションで素早く投球フォームに入ったと同時――八嶋がスタートをする!

 

『走った! しかしっ! 早川葉波バッテリーボールを外す!』

 

 確かに走力は矢部くんよりも速いかもな。

 だが、盗塁はスピードだけで出来るもんじゃない。

 セカンドにボールを投げる。

 ッパァンッ! とベースカバーに入った矢部くんのミットにボールは吸い込まれる。狙い通りのところに送球出来たぜ。

 

「アウトォォッ!!」

 

 そして、矢部くんが滑りこんできた八嶋の足にタッチすると、審判が大きくアウトコールを宣告した。

 

『アウト!! 素晴らしい読みに素晴らしい送球! 俊足八嶋を完全に刺しました恋恋バッテリー! 一アウトランナーなし! ピンチを未然に防ぎます!』

「おっしゃぁ!」

 

 ぐっ、とガッツポーズをすると、早川がナイスボール! と声をかけてくれる。

 それに呼応するように他のナインからもナイスボールやらナイス送球やら声がかかった。

 うっし、ムードもよくなったな。そう簡単に好き放題できると思って貰ったら困るぜ。あかつき大付属!

 六本木に対する三球目、カウント1-1から遅いシンカーを投げさせる。

 マリンボールと違い緩いシンカーは打者に向かって上がってくるようなことはないが大きく変化する。

 そのボールを六本木は反応するものの打ちには来ない。八嶋が初球から打ったからな。二番の六本木はしっかり見ようって事か。

 ならマリンボールと第三の球種は温存しようって考え方になるのが普通だが――此処は第三の球種を使おう。

 せっかく八嶋を刺していいムードになった。なら此処で余計な一本を打たれたりして水は刺されたくない。

 それよりもこの後をぴしゃっと抑えて行ったほうがプラスになるだろうしな。

 

(つーわけで、インハイにストレートだ)

 

 こくん、と早川が頷いて構え、ボールを投げてくる。

 インハイのストレート。六本木のバットが待ってましたとばかりに振って来るが――当たらない。

 驚いた顔をして六本木は俺のミットの位置を確認する為にこちらを見るが直ぐに構えをといて早川にボールを返す。

 

『三振っ! これでツーアウト!』

『バッター三番、七井』

 

 さて、爆弾クリーンアップが来たぜ。

 この大会ではあかつき大付属の三、四は三割六分、五番も三割二分は打ってるからな。しかもホームランを五試合で七本打ってる。……ったく、猪狩と二宮だけでも甲子園いってもおかしくねーってのにこの打撃陣だからな、嫌になるな。

 つっても逃げれる訳じゃない。一発貰うのは怖いが、のちのちのことも考えて……此処はインコースで勝負しておきたい。

 三番、七井アレフト。

 名前通りハーフでしなやかな筋力を持つ。インコースも苦にしないタイプのバッターだ。だがこいつの恐怖はインコースも苦にしないことじゃない。

 

 インコースも打てるからといって外角に逃げた所。そこを狙い、流し打って柵越えする驚異のリストだ。

 

 実際、七井のホームランは全てレフト方向だ。こいつからは逃げてはいけない。インコースをしつこく突いていくのが正着だ。

 初球は内角の体に一番近いところへのストレート。

 早川もそのデータには目を通してるからな。すぐに頷いて構え、早川は腕をふるう。

 そのストレートに反応して七井はバットを出しかける。

 

「スイング!」

 

 球審に指を回してアピールすると、球審は一塁塁審を指差す。

 

「ストライク!」

 

 一塁塁審は腕を上げてアウトのサイン。よし、スイングだ。

 にしても、今の球を振りに来るっていうことは七井は選球眼はあまりよくないのかもしれないな。

 確かフォアボールの数も少ないはず。なら外低め、ワンバンするような球にも手を出すかもしれないな。

 なら、外角低めにストライクゾーンからワンバンになるカーブを投げさせよう。

 早川が頷く。

 そして投げられたカーブ。七井は外角の球を待っていたのだろう。グッ、とバットを後ろに引き、投げられたカーブをフルスイングで迎え撃った。

 ッキィンッ! と快音を残し、ボールは痛烈なセカンドへのゴロになる。

 

 それを、セカンドの新垣が横っ飛びでキャッチする。

 

 そしてそのまま素早く立ち上がり、ファーストへと送球した。

 

「アウトォッ! スリーアウトチェンジ!」

「よしっ!」

「ナイスプレーあかりっ!」

「あははっ、もっと褒めなさい!」

 

 ワイワイキャイキャイと騒がしく戻って行く新垣たちの後ろから戻りながら、ちらりとファーストベースで手袋を外す金髪の男、七井アレフトを見つめる。

 外角への外したワンバンへの球に届く上に、あわやヒットかという痛烈な当たりを放つとはな。

 常識はずれのリストの強さだぜ。選球眼は多分、あかつき大付属でワーストワンに入っちまうだろうが、それを補って余りある程の長打力とバッティング技術がこいつにはある。

 甘くなったらいかれるな。七井には慎重に攻めないと。

 今日の早川の調子なら、俺がヘタを打たなければ大量失点はない。取られても二点までだ。

 責任重大だが、おもしれぇ。やってやろうじゃねぇか。

 それくらいじゃないとお前のライバルをするには務まらねぇよな。猪狩。

 

 さて二回表だ。打順は四番の友沢から。

 流れはこっちにある。今日の猪狩を一イニングで捉えるのは難しいだろうが、それでも友沢と東條なら……なんて期待しちまうのがあいつらの凄いところか。

 防具は外さないまま、マウンド上の猪狩を見る。

 猪狩はボールを受け取って打席に立った友沢を見た。

 四番打者相手にどういう投球をしてくるか。わざわざ配球を変えてくるっつーことは考えづらい。

 

「ふっ!!」

 

 初球はスライダー、友沢が声を上げてバットを振るうが当たらない。

 

「ストライク!」

 

 ぱしっ、と友沢がバットを持ち直して構え直す。

 ボールの下をバットが通ったな。あの友沢でも初見じゃ猪狩のボールを上から叩くのは無理だということだ。

 二球目、投じられたボールはストレート。

 ッキンッ! と今度は友沢もバットに当てて前にボールを飛ばすが、大きくは飛ばない。

 ふわりと上がった打球はセカンドの守備範囲。セカンドの四条が軽く手を上げてそれを捕球した。

 

「アウト!」

 

 ワンアウト、バッターは東條。

 フェアゾーンに飛ばす事――つまり長打を捨ててヒットする事を狙ったような打撃の友沢だったが、それじゃ満足にボールは飛んでくれないらしい。猪狩のボールをしっかり飛ばすには全力で振りきらないと駄目みてーだな。

 かといって俺のように決め打ちでフルスイングをしても、球威に押されてボールはフェアゾーンには飛んでくれない。……すげぇよ猪狩。確かに"世代ナンバーワン"って肩書きに偽りは無いぜ。

 けど負けてやるつもりはない。どんな投手にだって突破口はある。それを何とか序盤の間に見つけないとな。

 東條に対する初球。

 

「ボーッ!!」

 

 ボール球からあかつきバッテリーは入った。球種はカーブか。

 今日初めてカーブを投げたな。緩急を付けるつもりかもしれないが……アウトローのいいとこだ。見せ球のつもりだろうがブレーキが効いた良い球だ。あれが決め球と言われても疑問に思わないレベルだぞ。

 二球目はストレート、緩急を利かせてインハイにせめてくる。

 東條はそれも見逃す。これはストライクだ。

 カウントは1-1。並行カウントだが、すでに追い込まれたような絶望感がベンチには漂う。

 三球目に猪狩が持ってきた球はスライダー。アウトローに落ちるようコントロールされたボールが決まって2-1になり、東條が追い込まれる。

 そして四球目、投じられた球は三球目と同じスライダーだ。

 ただし、今度のコースはアウトコースのさらに外。

 東條はそのボールを追って上体を倒しながら振るうが当たらない。

 

「ストラックバッターアウトォッ!!」

『空振り三振ッ!! 当たりません!』

 

 ストレートもえげつないが、このスライダーが一番厄介かもな。

 そして、問題はこの二球種のコンビネーションか。

 途中まで変化が一緒な上だからな。見極めができない上に、何とかついていけても芯で捉える事ができずに凡打を繰り返す。

 かといって追い込まれたらヒットゾーンを広げざるを得ないし、ボール球に手を出すようになっちまう。さらに色んな球を見る内にコンビネーションを使われてヒットの確率は激減するだろうな。だから速いカウントで攻めたいところなんだけど……。

 速いカウントから振りにいくと球の速さについていけずに空振ったり、当たったとしても詰まってゴロになるんだよな。

 球を見極めようとすればコンビネーションで打ち取られ。

 速いカウントから打とうとすれば球威に押される。

 目の前のグラウンドの、一番高いところに立つ投手。

 六番打者の実の弟相手にも油断することなく本気で腕をふるう男からどうやったら得点を出来るんだ?

 

(……どうやって、攻略すればいい?)

 

 ッパァアアンッ!! と進がストレートを空振り、三振に倒れる。

 ミートの上手い進が一球すら当てることが出来ずに三振か。早川の調子が今日いいように猪狩の調子も良いらしい。

 これでスリーアウトチェンジ。試合は二回裏の守備に入る。

 とりあえず今は守備に集中しねーとな。……ごちゃごちゃ考えてたって猪狩が攻略出来るようになるわけじゃなし、むしろ集中力を欠いて失点するのが一番怖い。

 

「うっしゃ! 二回裏しまってくぞ!」

 

 声を出して守備位置に付く。

 あかつきが無得点で抑えるなら俺達も無得点で抑えてやる。そうすりゃ負けることはねーからな。

 迎えるバッターは四番の三本松から。このバッターも七井と並ぶホームラン数を打っているが、こっちは典型的なプルヒッターだ。ホームランの方向は基本的に右方向だけにしかない。

 ただし要注意なのは打ち損じた打球も押しこみが強い為にポテンヒットや、打球に押されて流し打ちになっても飛距離がそれなりには出ること。そのせいだろうけど打率が高いわけはほとんどテキサスヒットのせいだ。勿論長打も多いんだけどな。

 足は遅いから内野安打はゼロ。守備もまともに出来はしない。あかつきのチームカラー上バントは全員がする可能性があるが、データの結果こいつはバント失敗が六、最後の失敗は去年の秋大会だが、それ以来バントの指示は出されていない。

 それなら取るべき守備体形は――。

 

「内野、外野バック! 内野間に落ちるの気をつけろ! 外野! 詰まっても飛ぶぞ! しっかりボールを見て落下地点は予測しろ!」

『おっと? 恋恋高校これは……! セカンドとショート、そして外野がともに大きく後ろにバック! 超後退守備だ!!』

 

 指示を出してから座り、早川を見る。

 セカンドショートが後ろに下がればポテンヒットは殆どない。バントで早川が抜かれてもファースト、サードがボールを取りに行けば十分アウトに出来る。

 

(初球、要求するボールは内角低めギリギリのストレート、それをボール一個分低めに外す)

 

 届く所は振り回してくる打者だし。コントロールが良いし初球はストライクを取りたいのが普通だからな。

 早川が頷いて、投球に入る。

 相変わらずフォームに乱れはない。放たれたボールはきれいなスピンで低いリリースポイントから低めに構えられたミットへと突っ込んできた。

 それを三本松はフルスイングで迎え撃つ。

 カイン!! と快音を残してボールは速度良く伸びるが、低いボールを打った分角度は低い。

 後ろに守っていた明石がそのボールをミットに収め、これでワンアウト。

 にしてもあのコースを強引に引っ張って痛烈なライナーを打てるってのは恐ろしいな。さすが四番だぜ。

 

『バッター五番、五十嵐』

 

 続くバッターは恐怖のクリーンアップの三人目、五十嵐。

 打率こそ前の二人より低いがそれでも三割は打ってる。ホームラン数は前の二人と同じだけ打ってるから怖い事に代わりはないな。

 打率が前の二人よりも低い、ということは荒い打撃をしているということ。打率三割は恐らくフォアボールの多さから着ているんだろう。逆に言えばフォアボールが多いのに前の二人とホームラン数が一緒、ということはパワーだけなら前の二人よりも有るということかもしれない。

 だが、打撃が荒いなら前の二人程怖くはないな。……低めを丁寧につこう。荒い打撃をしながらもホームランを打ててるってことは甘い球は逃さない程度のミート力は持ってるってことだ。甘く入ったら行かれるが、逆に言えば甘く入れば打たれる打者じゃないぜ。

 ミットで低めに、とジェスチャーを出しながらサインを出す。

 

(カーブを打たせる。甘いコースから厳しいコースに落ちる球だ。サクサク打ち取るぞ)

 

 早川がこくんと頷いた。首を振らないからテンポが良い分相手も的を絞りづらいだろうな。こういう所も早川のいいところだぜ。

 

「ふっ!!」

 

 早川が声を出して腕を振るう。

 低めに向けて変化する球に五十嵐は反応してバットを振るった。

 ギンッ! と鈍い音を立ててボールは東條の目の前へのゴロになる。

 東條はそれをしっかり捕球しファーストへ投げた。

 

「アウトォ!!」

『サードゴロ! この回もテンポよくツーアウトを取りました早川!』

『バッター六番、二宮』

 

 しっかりアウトにとって、次の打者はアベレージヒッターの二宮か。

 非常に厄介な打者だからな、こいつは――高めのボールで打ち取ろう。

 インハイのストレートをつまらせて内野フライが理想的。一巡目だが打撃は自由に打てと指示が出ているっぽいからな。

 インハイの構えたところに向けて早川が投げ込んでくる。

 二宮はそのボールに対し、腕をたたんでコンパクトにスイングし、流し打つ。

 ヒュッ! と外野へ抜けようかという当たり。

 

 それを矢部くんが飛びついてキャッチする!

 

 ゴロゴロッ! と飛び込んだ拍子に回転しながらもボールはこぼさない。

 

「アウトオオッ!!」

『ファインプレー!! 矢部、好守でバッテリーを盛り上げます!!』

 

 ワァァアッ! とスタンドも歓声をあげる。ナイスだ矢部くん! 頼りになるぜ!

 

「ふう、さ、三回表でやんすよ」

 

 ピッ、とボールをマウンドに投げながらベンチに戻る。

 よし、この調子ならそうそう得点は与えずに済む。問題は攻撃だが……。

 

「トラック!」

「トラックツー!」

「トラック! バッターアウトォッ!!」

 

 あの一ノ瀬がても足もでず、あっという間に三振、これでワンアウト。

 八番の明石に対する初球はまるで打ち気に早っているのが分かっているかのようにカーブを投げ、それを明石は打ち上げてしまいピッチャーフライ。これでツーアウト。

 ピッチャーの早川にはストレート三つで見逃し三振。スリーアウトチェンジ。

 攻撃時間はわずか三分。テンポが良く圧倒的な投球をする猪狩の前に攻略法すら見つけられない。

 この流れはまずいな……せっかく引き寄せた流れが遠ざかりそうだ。

 それもこれも猪狩の圧倒的なピッチングのせいか。……大したピッチャーになりやがって。燃えてくるぞ。

 

 三回裏、バッターは投手の猪狩。

 普通投手っつったら九番に入るものだが、猪狩は中学校の時からバッティングも特上レベルだったからな、チャンスの回ってくることが多い七番という打順についているんだろう。

 

『バッター七番、猪狩守』

『さあ、この回初めて猪狩がバッターボックスに立ちます! 猪狩守もスラッガー! この回、どう抑えるでしょうか!』

 

 猪狩が近くに居る。

 

 それを意識するだけで背中を闘志が駆け上がるのがわかる。

 

 猪狩は大会でも八本のホームランを放ったスラッガーだ。甘いところに入ったら一発がある。

 それを抑える為にはカーブとストレートのコンビネーションを上手く使わないとな。

 

「……パワプロ」

「ん?」

「楽しいな。この試合は」

「――そうだな」

 

 短いやりとり。その間に色んな思いがちらついて――俺はぐっ、とマスクを深くかぶり直す。

 あの時から待ち望んだ対決。それを今俺と猪狩は実際にしているんだ。

 だったらその勝負に悔いは残す訳にゃ行かないよな。

 

(初球はカーブ、インローに落とす)

 

 早川が頷いて腕を振るう。

 クンッ、と落ちるカーブを猪狩はバットを動かしながらも見送った。

 

「ボールッ!!」

 

 チッ、とって欲しかったけどボールか。これで0-1、次はアウトハイにストレートだ。

 二球目は猪狩がバットを振りかける。これはコース自体がストライクで1-1。並行カウントに戻したぞ。

 

(三球目、カーブ、ストレートで来た。……ここは一発だけは打たれちゃいけない。アウトローにストレートだ)

 

 要求通りに早川は俺のミットに向けてボールをリリースする。

 ベストピッチ、と。

 俺も早川も胸を張って言えるだろうその球を。

 

 猪狩は強引に引っ張った。

 

 ッキィイインッ! と快音を残し、ボールは飛んでいく。

 コースも球威も完璧。これ以上無いってくらいのナイスボールだ。

 しかしそれを強引に引っ張ったはずの打球にしては角度がいい。

 ――いや、伸びも良いぞ……!?

 立ち上がって俺はその球の行方を見る。そんな馬鹿な……!

 レフトの明石がフェンスに手を当て――見送った。

 ぽーん、とフェンスの向こうで弾むボールを、俺も早川も呆然と立ち尽くし見つめることしか出来ない。

 

『は、入ったー!! 外角低めのボール、引っ張った打球はレフトのフェンスを超えての先制のソロホームラーン! 猪狩守、本職の投球だけでなく、自慢の打棒も見せつけましたー! あかつき大付属高校先制ー!!』

 

 ホームベースを踏みベンチへ戻る猪狩を見つめながら、俺はぎりっと歯ぎしりする。

 くそ、インコースの厳しい所をもっと攻めるべきだった。カーブで中途半端にストライクを取り行ったせいだ。

 インコースを使った後外のストレートの高めを一球見せた。そのせいで猪狩は踏み込んでスイングする事が出来、その結果真芯に当たってボールが予想以上に飛んだんだ。

 ミスではないが不注意と言っていい。猪狩の成長は何も投球だけじゃない、打撃も成長しているんだ。

 

(次はクリーンアップと同じ扱いだ。もう一点もやらねぇぞ!)

 

 早川にちょい、と手を立てて謝ると、早川はこくりと頷いて直ぐに八番打者へと目線を向けた。

 八番の九十九をストレートでショートゴロ、九番の四条をキャッチャーフライ、一番の八嶋をファーストゴロにそれぞれ打ちとる。

 

「ワリィ早川」

 

 ベンチに帰りながら早川に声をかける。

 

「大丈夫! まだ一点だよ!」

「……ああ、そうだな。まだまだこれから!」

 

 まだ攻撃は五回ある。その間に攻略法を見つけるだけだ!

 ――なんて思った俺の思考を、猪狩は押しつぶすように、矢部くん、新垣を五球で片付けた。

 全球ストレート。

 一点を先制にした直後だというのに慎重さの欠片も無い、力でねじ伏せるような投球。

 打席に立つ。

 今まで対戦してきた打者達はこんな絶望感を打席で味わってきたのか。まるで打てる気がしないぞ。

 リトルリーグの子供がプロの全力投球から打て、と言われるような感覚。こんな感覚、今まで野球をやってきて一度も味わったことがない。

 ……駄目だ、弱気になるな! 何か術があるはずだ。何かっ……!

 初球はストレートで来る。ここまで来ていきなり俺に変化球で入るなんてことは――。

 スライダー。

 

「っ!!」

「トーライッ!」

『三番葉波、中途半端にバットを出しかけてボール球のスライダーをスイング! これでストライクワン!』

 

 スライダー? なんで此処で?

 二球目は何で来る? カーブで打ち気を逸らしてくるか?

 ッパァンッ! とインハイにストレートが投げ込まれる。手がでないが審判の手は上がらない。ボールだ。

 スライダー、ストレート。次に投げられる球は……。

 三球目に投げ込まれた球はアウトローへのストレート。

 俺はそれを体勢を崩しながら何とかバットの上っ面に当てる。

 ふわり、と上がった球は猪狩へのフライ。猪狩はそれを丁寧に両手で掴んでスリーアウトチェンジ。四回表があっという間に終了する。

 くそ、なんでいきなり配球が変わったんだ。

 あそこまで全球ストレートでいきなりリードが変わるなんて、ストレート一本じゃ抑えられないと思ったみたいじゃねぇか。

 ……ん? ……いや、待てよ。

 

「七瀬! 俺と友沢、東條の打席の猪狩の投球データ見せろ!」

 

 ベンチに戻ってから、俺は七瀬を呼ぶ。高校野球はスコアラーとしてマネージャーが一人ベンチに入ることが許されてるからな。

 ひゃうっ!? と大きな声をあげて、あわあわと七瀬は慌てて用紙を引っ張り出す。悪いな、ちょっと切羽詰ってんだ。

 

「友沢、東條、悪いけど防具を持ってきてくんねーか」

「……分かった」

「ああ、ふたりがかりでやったほうが速いからな」

「悪いな」

「良い。それで、何が分かったんだ?」

「……簡潔に言え」

「ああ、待ってろ」

 

 道具を付けてもらうのを手伝いながら、俺は七瀬の渡してくれた用紙に目を通す。

 思ったとおりだ……二宮のリードの癖を見つけたぜ!

 

「クリーンアップには初球は変化球から必ず入ってる」

「……何?」

 

 東條の驚いたような声を聞きながら、とん、と俺はクリーンアップに対する打席の部分を指差す。

 俺には二打席ともスライダー、友沢、東條はまだ一打席しか立っていないが、スライダー、カーブから入ってる。これは偶然か?

 

「……まだ確証はねぇ。だから――次の二打席目、"三球目まで"待球してくれ」

「三球目まで?」

「ああ、何故変化球から入るのか理由も多分だが分かった。けど確証がない。だから――その確証が欲しい。頼む」

「分かった。ただ――これ以上点差が開けば」

「分かってる、点差が開けば打席一つ一つが大事になるから作戦の為に棒に振れなくなるってことだろ。任せろ。……二点目は死ぬ気で阻止するぞ。相手に流れが合ってもな」

「……分かった」

「いいですか? ハリアップ」

「はい!」

 

 審判に急かされ、返事をして七瀬に用紙を返しながらミットを嵌める。

 折角糸口が見えてきたんだ。それを無駄にしないためにも此処から先は無失点で抑えねーとな。

 四回裏、バッターは二番の六本木から七井、三本松へと続く打順。

 まあ打順はもう関係ないぜ。しっかりと無失点で抑え続けるだけだ。

 早川に目で意志を送る。此処からは飛ばして投げてもらうぞ。後ろに一ノ瀬も居る。――絶対にもう点はやらない!

 六本木に対する初球はストレート。インハイに投げさせて詰まらせるか、それで打ち取れなかったらアウトローの低めにストレート、もしくはインコースへシンカーを続けて打ち取るぞ。

 ヒュッ! とインコースへ投げられた球を六本木は腕をたたんで上手くセンター前にはじき返す。

 矢部くんの左、新垣の右を抜けて打球はセンター前ヒットになった。

 

(くそ、攻め方は悪くねぇがこのヒットは痛いぞ。なんつったって……)

 

 ちら、とあかつき大付属ベンチに目をやる。

 そこに立つ七井、三本松、五十嵐。あかつき大付属の誇る超強力クリーンアップの三人組。

 

(こいつらをランナーが居る状態で抑えねーといけねぇんだからな……!)

『バッター三番、七井』

『さあ、あかつき大付属。先頭打者六本木がセンター前ヒットで出塁しバッターはクリーンアップ! ここは点にしておきたいところでしょう!』

 

 最初は七井か。こいつは腕が長い上に流し打ちでも打球が速い。

 ランナーが二塁に入れば長打でなら生還するだろう。六本木も俊足だ。此処は絶対に二塁に進めちゃいけない場面。

 早川に一塁に牽制してもらいながらリードを組み立てる。

 ……ちょっと危険な賭けだが、先頭打者を進めずに打ち取るならこの程度の賭けには乗らねぇとな。

 ここは――。

 

『さあ初球。投げた! 内角低めのストレート! そしてそれをキャッチングした瞬間――』

 

 一塁から一歩でも出たら牽制だ!

 パァンッ! と一ノ瀬のミットにボールが収まると同時に、六本木が頭から滑りこみファーストベースにタッチする。

 

『鉄砲肩を魅せつける! 葉波強肩を見せます! これではファーストランナー六本木はしれないか!』

 

 刺せなくてもいい。執拗に牽制すればどうしても六本木はスタートが遅くなる。

 そして遅くなったスタートは――

 

『六本木、二球目のアウトローのストレートを打ったー! 痛烈な打球は一、二塁間を抜けてライト前へー! 六本木三塁に走るー!』

 

 ――暴走を生む。

 友沢、見せどころだ!

 ゴロを捕球した友沢はグンッ、と腕を振るう。

 ギュオンッ! なんて効果音が相応しいような速度でライトからサードへと送球されたボールは、ストライクで東條のミットへと突き刺さり、滑りこんできた六本木の足がベースにつくよりも早く、東條はそのミットで六本木にタッチすることが出来た。

 

「アウトォオオ!!」

『ライト友沢レーザービーム!! 俊足六本木サードアウトー!! あるいはスタートが少し遅かったか! 大ピンチになるところ、恋恋高校友沢の鉄砲肩で未然に阻止しましたー!』

「ナイス友沢!!」

「ああ。任せろ」

 

 サードアウトは上出来だった。セカンドストップでもうれしいところだったんだけどな。

 さあ一アウト一塁。ここで欲しいのはアウトを取ること。ゲッツーじゃなくても構わない。とりあえずアウトカウントが取れればそれでいい。

 

(三本松に対してはアウトコースをしつこくせめて行くぞ。長打が怖いし、一打席目は内角低めの厳しい所を攻めた。二打席目は逆に遠いところを利用する)

 

 初球はアウトローのストレート、それを三本松はファールにし、二球目はカーブ、これは三本松も見極めた。

 そして、三球目のアウトハイのボール。三本松は高めの球をフルスイングするが、三本松は七井程リーチはない。

 きんっ! と打ち上げた打球はセンター進の守備範囲。僅かにライト方向に足を進め、進はパシンッと捕球した。

 

「よし、ツーアウト!」

 

 二死まで取れれば後は単打は打たれてもいい。五十嵐に対しては低めのボール球を使って打ち取るぞ。

 思惑通りに四球目のシンカーを打たせ、セカンドゴロに打ちとってこの回は終了。ファーストランナー残塁だ。

 ふう、危なかったぜ……先頭打者が出て焦ったがなんとか無失点で抑えれたな。

 

「ナイスピー、早川」

「ありがと、ふー、友沢くんのレーザービームで助かったよ」

「ふん、礼ならパワプロに言え、スタートを送らせた上に、打球が速くなるようにストレートを選んで投げさせたからな。変化球でもいい場面だ」

「そ、そだったの?」

「いや? 抑える確率が一番高かったからだよ。今日の早川のストレートは来てる。そう簡単には捉えられねーぜ」

 

 話合いながら、ベンチに戻る。

 四回の攻防は終わった。五回表、打席は友沢からだ。

 未だに猪狩の前には完全だが、ある程度リードに当たりはついた。その当たりを確証にするために、この打席は悪いけど自由打撃、って訳にはいかないぜ。

 

「友沢」

「ああ、三球目までだったな」

『バッター四番、友沢』

『さあ二巡目の四番、友沢。そろそろ猪狩守から反撃の狼煙を上げたいところ!』

 

 友沢が打席に立つ。

 その初球、選択されたボールは――やはり、スライダー。

 

「ボール!」

 

 コースはアウトロー、ボール一個程低めに外れた球だ。

 アウトローの際どい所を狙ったボールが外れたように視える球だが違う。あれは意図的なハズだ。

 二球目、投じられたボールはストレート。

 コースはインハイ。

 

「ボールツー!」

『友沢、しっかりボールを見ます! ボールカウントノーストライクツーボール、バッター有利です!』

 

 だが、やはりボール球。

 そして三球目。アウトローへのストレートがバシンッ! と決まる。

 

「ストラーイク!」

『しかし! やはり此処でアウトローの素晴らしいコースにストレートが決まる!! これは打てません!』

 

 これで1-2。やはりそうか。

 そして四球目。友沢は投じられたインローを抉ってくるスライダーを追っ付けるように打ち、ファーストゴロに倒れる。

 

「アウトー!」

『友沢、インコースのスライダーにつまりファーストゴロ! 捉えることは出来ません!』

『バッター五番、東條』

 

 ここまで来ると偶然とは思えないが、一応東條の打席も確認の為三球待球だ。この東條にも変化球、それも外角から入るようだったら、いよいよ間違いない。

 初球に選択された球は、アウトローへのカーブ。

 間違いねぇ。疑惑が確証に変わった。

 

「……進はネクストにいるから、見ろ、ってサインを出して、っと……よし、皆、そのままで聞け。二宮のリードの癖がわかった」

 

 打席に立つ東條を覗いて、全員に話しかける。

 

「良いか。二宮はクリーンアップには変化球から入る癖がある。まあかといって、それ以外の打者には一〇〇パーセントストレートから、っつーことはないが、その場合も初球はストライクだ」

「……ふむ……ど、どうするでやんすか?」

「この回と次の回はボールを見ろ。二巡目終わりまではそれに徹するんだ」

「二巡目は捨てるのかい?」

「ありていに言えばそうなる。正直行って今の俺達でも、配球がわかったからといって打てるような投手じゃない。配球を読んで、なおかつ確率を上げるためには猪狩のボールがどんな感じで来てるのか。一五〇キロのマシンは打ってきただろ? そのイメージとどのくらい差が有るか確かめるんだ」

「わかったでやんす」

「そうね。それくらいしか方法無さそうだし」

「ん、わかった。でも、パワプロ。その作戦は一点も取られちゃいけない計算によるものだぞ。二点差以上付けばチャンスを広げざるを得なくなる。さすがにランナーが居る状態じゃ下位相手にもリードを変えてくるだろうから」

「分かってるよ一ノ瀬。点はやらねぇ。俺と早川、それと皆の守備でな!」

「うん、任せて!」

 

 早川の言葉に皆が頷く。

 東條は五球目のスライダーをセンターフライにした。

 やはり初球はボールから、三球目までは1-2というバッティングカウントを作り、四球目からカウントを整えてきた。

 バッターは六番の進。詳しい作戦は話して居ないが、見ろというサインにしたがって、進は六球目のストレートで三振に倒れるまで、しっかりとボールを見極めていた。

 帰ってきた進に作戦を伝える。

 進は「分かりました」と答えて、センターに走っていった。

 五回裏は二宮から。

 インコースにストレートを投げさせたが、二宮はそれをレフト前に弾き返す。

 七番の猪狩はしっかり送り、ワンアウト二塁。バントはさせたくなかったが、此処は素直にワンアウトを貰っておこう。

 八番の九十九をレフトフライに打ちとり、九番の四条を塁に埋める。

 四条は九番だが、打率だけならクリーンアップと猪狩以外なら上だからな。

 二アウトでランナーが埋まってる状態の八嶋なら怖くない。

 そして何より――もう五回裏だからな。七回か八回から一ノ瀬を投入するということを考えても、そろそろ使っていい頃合だ。

 

(切り札、解禁だ)

 

 八嶋に対する二球目。

 インハイのストレートを見せてから、その次の球――。

 ヒュボッ! と投げられた球を、八嶋は豪快に空振った。

 八嶋の表情が驚愕に染まる。インハイのストレートだと思って振った球を俺は低めで捕球してるわけだからな。そりゃ驚くだろ。

 三球目も同じくマリンボール。

 八嶋はそれをしっかり見極めようとボールを見ていたが、ツーアウト一、二塁で追い込まれた状況下、そこにストライクのが来たら振らざるを得ない。空振り三振に打ち取る。

 

「よっし! ナイスボール!」

「ピンチばっかりだけどね」

 

 苦笑する早川の頭をぐりぐりと撫でながら、スコアボードに目をやる。

 

 恋 000 00

 あ 001 00

 

 ここまでは互角の戦い。猪狩にホームランを打たれて再三ピンチは迎えてるけどホームまでは許してない。上出来だぜ。

 



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第十四話 "七月四週" vsあかつき大付属 後編

 六回表の攻撃は七番の一ノ瀬から。

 一ノ瀬は待球がバレないよう、初球のストライクを豪快に空振りして見せる。

 こういう意識の高さも助かるところだ。結局見逃し三振だが、あれだけフルスイングされればキャッチャーは迷うぜ。

 八番明石も見逃し三振、九番の早川も当然、見逃し三振で終わる。

 結果六回完全。無失点イニングスどれくらいになったんだろうな。猪狩は。

 

『六回パーフェクト! ライバルを前にいつも以上のピッチングを見せています! 怪物猪狩守! さあ六回裏、あかつき大付属、そろそろ追加点が欲しい場面。バッターは二番、六本木から、三巡目です!』

 

 三巡目だ。惜しむことなく使ってくぞ。

 

(初球からマリンボールだ)

 

 ビュンッ! と六本木が豪快に空振りをする。

 八嶋から聞いたはずだが、それでも当たらない。

 二球目にインハイのストレート、三球目はカーブを外に外して見せ球にして2-1にした後、インコースへのマリンボールで三振に切って取る。

 三番の七井。七井に対しては初球は高めのストレートを外して見せた後、インコースへの緩いシンカーでファールを打たせ、1-1にした後にマリンボール二つで空振り三振。

 四番の三本松は全球マリンボール。三球目にはさすがに当ててきたが、やはり捉えるには程遠い。

 キャッチャーフライで打ちとり、六回裏は危なげ無く終わる。

 

『この回早川、上位打線をきりきり舞い! 三振二つにキャッチャーフライ、先頭打者どころかランナーすら出さず六回を終えました! そして試合は終盤、七回へ!』

「……さて、と。三巡目か。ここまで完全試合は完全にやられちまった感じだよな」

「そうだね」

「ああ、全くだぜ」

「……ふん」

「さて、……そろそろ反撃開始と行こうぜ!」

「おうっ!」

「……待ちかねたぞ」

「待ってました!」

「待ってたでやんす! さあ、キャプテン! 指示をくれでやんす!」

「ああ、良いか」

 

 俺は防具を外しながら、皆の方を向く。

 

「矢部くん、初球は必ずストライクゾーンに、球種は恐らくだが、ストレートで来る。その球を使って、何ででもいい。……出塁してくれ」

「……責任重大でやんすね」

「ああ、でもストライクゾーンのバットに届くところに来る。……出来るか?」

「ふふん、甲子園に行くチームの一番に不可能はないでやんすよ! でも出塁できたらガンダーロボのフィギュアをおごってくれでやんす」

「一個だけな。次、新垣、矢部くんを二塁に何としても進めてくれ」

「バントってことね。分かった」

「そしてクリーンアップで返す。どうだ? 単純だろ?」

「……単純にして難しい。だが、それしかないだろう」

「ああ、クリーンアップに対しては初球は外角に来る。ボール球かどうかは分からないがな。……踏み込んで打つ」

「分かった」

 

 頷いて、矢部くんがバッターボックスへ、新垣がネクストへ立つ。

 悪いな猪狩、冷や汗もかかせずにこの回まで投げさせちまってよ。だが、それももう終わりだぜ。

 この回で――必ずお前から点を取る!

 

『バッター一番、矢部』

『さあ三巡目に入ります恋恋! この俊足矢部から状況を打破したいところ!!』

 

 猪狩がロージンバッグを手に付ける。

 矢部くんはふぅ、と息を吐いて、バッターボックスで構えを直した。

 初球で全て決まる。

 猪狩が振りかぶり、腕をふるう。

 頼むぞ切込隊長。

 

 道を――切り拓け!!

 

 初球に投じられたボールはインハイのストレート。

 そのボールは一四五キロは余裕に超える豪速球。

 そんな難しいボールを矢部くんは、

 

 ッキィンッ!!

 

 腕を畳んで綺麗にライト前へ弾き返す!

 わあっ! といつの間にか大勢になっていた恋恋高校の応援団がやっと歓声を上げる。

 

『ライト前ー!! 先頭バッター矢部、ついに、ついに、ついについについに! 猪狩守のパーフェクトを打ち砕くライト前ヒットー!!!』

「よっしゃあああ! でやんすー!!!」

 

 一塁ベースで矢部くんは大きくガッツポーズをする。

 ナイスヒットだ! 矢部くん!!

 

「さて、次は私の出番ね。ランナーが出たからリードが変わるかしら?」

「変わらねぇさ。いつだって圧倒的な投球をしてきたんだ。猪狩の球は打てないっつー自負もあるだろう。……転がせるか?」

「さぁね? 私の仕事はそれだけじゃないでしょ」

 

 ネクストに出てきた俺に意味深なことを言って、新垣は塁に出る。

 どういう意味だ?

 

『バッター二番、新垣』

『さあ、先頭バッターを確実に得点圏に進めたい場面、新垣あかり、どうするか!』

 

 初球、新垣はバットを寝かせる。

 投じられたボールはストレート。インハイにズドッ! と来る豪速球だ。

 それを見て、新垣はバットを引いた。

 

「ストラーイク!」

『今の球が一五一キロ!! ランナーを置いて猪狩、さらに力を入れて投げます!』

 

 初球はバントせず、新垣はボールを見送った。

 どうするつもりだ? 俺の作戦をスルーした訳じゃないんだろうけど。

 二球目、猪狩はやはりストレートを投げ込む。

 そのボールに何とか新垣はバットを当てた。

 

「ファール!」

『2-0! 二球で追い込んだ猪狩守! ストレートの球威は衰えるどころか増しています!』

 

 三球目もインハイのストレート、そのボールに新垣は何とか喰らいつく。

 四球目はストレートだが、コースはアウトローに変わった。その球を新垣は見逃し――ボール。

 

『際どい所、見極めます新垣!!』

 

 ……っ、まさか、新垣の奴、バントじゃなくて――盗塁でランナーを二塁にすすめるつもりか!?

 インハイのストレートは付いて行かれ、アウトローのストレートは見極められる。

 コースに決めてもいいがやはり面倒臭い、何よりも全開のストレートを次の打者の俺に多く見られるのは"慎重な"二宮にとっても不本意だろう。

 ボールカウント2-1からの五球目。

 投げられるボールは一つしかない。

 じりり、と矢部くんがリードを広く取る。

 猪狩はそんな矢部くんを目で制するが、恐らく打者を打ち取るのに集中しているだろう。

 猪狩が投球動作に入った、その瞬間。

 

 矢部くんはスタートを切った。

 

 新垣はボールに当てるつもりなどさらさらない。中途半端に当ててファールになったり、フライになったら全てが無に帰する。それを分かっていて、高めのボールをカットするかのようなスイングで矢部くんを援護する。

 外角低めのスライダー。

 二宮がそれを捕球しセカンドへとそのバズーカ砲を見せつける。

 矢部くんはスライディングをし。

 ッパァンッ! と六本木がそれを捕球しタッチに移る。

 二塁塁審がそのシーンを固唾を飲んで見つめ――。

 

「セーフ!!!」

 

 手を大きく横に広げた。

 

『盗塁成功ー! この場面で矢部、スチール成功ー!! 快速を見せつけましたー!! そして、そして!! 一アウト二塁のこのチャンス! ここで打席に立つのは、猪狩守とかつてバッテリーを組み、猪狩守を支え――そして、一番のライバルとなった男!』

『バッター、三番、葉波!』

 

 ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!! と爆音のような歓声がスタンドから反響した。

 その声を聞きながら。

 ネクストから立ち上がり、打席に向かう。

 恋恋高校の応援団が応援歌を奏でている。これは……狙い撃ちか。

 

 それの合間にスタンドの声が聞こえるが、それはもうざわめき位にしか聞こえなくなった。

 

  両ベンチの選手達は身を乗り出してグラウンドを見つめ、

 

   スタンドに居るスカウト達はスピードガンやビデオカメラをこちらに向け、

 

    喧騒は遠く遠く、小さなものに変わる。

     やけに静かだ。もっと騒がしかったグラウンドなのに――今は、虫の羽音みたいに小さな声でしか聞こえない。

 

       じりじりと焼けつくような日差しも、今は暗闇を照らす電灯くらいにしか感じ無い。

 

 

 そんな不思議な感覚の中で、やけに鮮明に視えるモノ。

 

 ――猪狩、守。

 

 俺の一番のライバル。

 俺が戦いたいと待ち望んだ男。

 その男との、勝負。

 打席に立って、バットを目の高さで構えた後、東條に習って修正した今の俺の一番の打撃が出来るフォームで構える。

 初球、

 

 ッパァァアアンッ!!

 

 放られたボールはストレート、真ん中高めのそのボールは一五三キロとバックスクリーンに表示された。

 ギアを入れ替えたのか、猪狩。

 

「ねーらいーうちー!!」

「パワプロくーん! 打ってー!!」

「パワプロー! 勝ち越し打だー! 頼むー! 折角見に来たんだぞー!」

「パワプロ様!! 打ってくださいましー!!!」

 

「抑えて猪狩くーん!!」

「いけるいける! 猪狩! もう一度甲子園につれてってくれー!!」

「猪狩ー! 三振に取ってくれー!!!」

 

「頑張れパワプロくーん!! 同点にしてー!」

「お願いしますパワプロ先輩! 打ってください!!」

「……打て! パワプロ!! お前が打たねば、誰が打つ!」

「打って、僕に勝った状態でリリーフさせてくれ!」

「私がわざわざアウトになってチャンスで回してあげたんだから、打ちなさいよね!!」

「オイラを、ホームに返してくれでやんす!!」

 

「バッチコイ猪狩! どんな球で取ったるで!」

「任せろ猪狩ッ!! ライン際の打球だって飛びついて取ってやる!」

「大丈夫だよ猪狩くん。キミの投球をすれば必ず抑えられるから」

「大丈夫だ猪狩! 今日も球はビリビリ来てるぜ! 一回に二安打なんて打たれるオメーじゃねぇ! 腕振って投げてこい!」

 

 様々な声が俺や猪狩に浴びせられる。

 まるで、このグラウンドが俺と猪狩の勝負の為に用意されたかのような――そんな自意識過剰な感覚にさせる。味わったことの無い感覚。

 二球目。

 ドッパァンッ!! とストレートがインローに決まる。

 

「ストラーイク!!」

「ナイスボール!!」

「ええっ、際どいよっ!」

「くそっ! 今のストライクかよー!!」

「よっしゃー! 今のコースじゃ打てねぇよ!!」

「おーけーおーけー! 相手ビビってるよー!!」

 

 様々な声がグラウンドから飛ぶ。

 はは、おもしれぇ。……なぁ、猪狩、俺とお前の一挙手一投足で、周りが一喜一憂するんだぜ?

 三球目。

 やめられなくなっちまうよな。この感覚を味わったら!!

 ッキィンッ!! とフルスイングで当てた打球は凄まじい勢いでバックネットに突き刺さる。

 

「ファール!!!」

『これで2-1!! 追い込まれました、葉波!!』

「わあああああ!」

「おっしいいい!!!!」

「おっしゃ!! 追い込んだああああ!」

 

 アウトローのストレート、今の球も一五三キロ。

 もう相手のリードなんか関係ねぇ。力の限り腕をふるって猪狩のボールを弾き返すだけだ!

 

 四球目、スライダー!

 

 インローへ食い込んで来るスライダーを迎え撃つようにフルスイングし――サード左への痛烈なファールにする。

 

「ファール!!」

「うわあああ! 後二十センチ右ならフェアだったのに!」

「ぬううっ! 惜しいですわっ!! でも、いけてますわよ! ねーらーいーうーちー!!」

「捉えてる! 捉えてるよっ! パワプロくん!! ねーらーいうーちー!!」

「打てるぞ! 打て! パワプロ!」

「打てるでやんすよー!! パワプロくーん! ねーらーいうーちー! でやんすー!」

 

 声援が、俺を後押しする。

 変だな。声なんか小さくしか聞こえない状態なのに、チームメイトやスタンドの応援は、面白いように俺の耳に届くなんて。

 

 ふ、と笑みが溢れる。

 

 こんな野球がやりたかったんだ。

 一緒に野球やってて楽しいチームメイトと、全身全霊を出して戦いあえる最高のライバルと!

 この最高の瞬間を――味わいたかったんだ!!

 五球目、投げられたアウトローのストレートを見逃す。

 

「ボールっ!!」

『アウトローのストレート見逃したっ!! これで2-2! 並行カウント!』

 

 六球目。

 ――次だ。

 猪狩の一番自信を持ってる球で、決めに来る。

 矢部くんをちらりとだけ見て、猪狩は俺に向き直った。

 足を一度引き、足を上げて、腕をしならせ振るう。

 

「パワ――プロおぉぉおおぉぉぉっ!!!!!!」

「いか――りぃいいぃぃいいいぃいっ!!!」

 

 帽子を飛ばす程の躍動感を持ちながら、理想的な左投げのフォームから放たれるボール――スライダー。

 

 インコースへ、

 喰い込むように、

 変化する高速スライダーを、

 

 引っ叩く!!

 

『う、ったあああああああああああああ!!!! 捉えた打球は、打球は! 打球はー!!!!!』

 

 当たった瞬間、走りだす。

 右手を、

 

 

 

 空へと、突き上げながら。

 

 

 

『左中間を、破ったああああああああああ!! セカンドランナー矢部サードベースを蹴って帰ってくるー!!! どおおおおおおおおおおてえええええええええええええええええええええええええええええん!!!!!!!!!!!」

 

 わあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!

 

「やったあああああああああああああああああああああ!!」

「打った、打った、打ちましたわああああああああああ!!!」

「パワプロすげええええええええ!! 授業中いっつも寝てんのにすげええええ!!!!」

「やべぇ、やべぇ、鳥肌立った!!!」

「ちょっ、海、何泣いてんのよ!」

「ふぇ、だって、おねーちゃん……あのひと、凄いんだもん!!」

 

 よっしゃぁああああああっ!!!

 セカンドベースへ滑りこみ、大きくガッツポーズをしながら、ベンチに両腕を突きあげて何度も何度もガッツポーズをする。

 

「凄い、凄い、凄い!!!」

「やりやがった……!! ははっ!!」

「インコースへ食い込んでくるスライダーを体の軸回転で弾き返した。軸が崩れず体重をぶつけたことであんな痛烈な打球になったんだ。低めのボール気味の球だったから打球こそ上がらなかったが、打球は最高だ!!」

「さすが先輩です!! 兄さんから……兄さんから長打なんて!!」

「やはりパワプロの居る高校を選んで良かった……! 魅せてくれるな! パワプロは……!」

 

 マウンドに選手が集まる。

 そらそうか。なんてたってこれが初失点、少なからず動揺はするだろうしな。

 

『そして、猪狩守、これが高校生活初の失点!! 連続無失点記録を止めたのは、ライバル葉波風路!! 試合も恋恋高校がやっと追いついて1-1の同点! この回勝ち越せるか!』

 

 初失点か。……やっぱ猪狩はすげぇ。もしも俺が猪狩とバッテリーを組んだことがなかったら、このスライダーにはついていけなかった。

 興奮がまだ冷めやらないグラウンド上で、バッターに四番の友沢が立つ。

 バッターは友沢。俺を返せよ。友沢。

 初球。スライダーを見送りボール。

 作戦は続行中だ。勝ち越しチャンスの場面、恐らくさらに慎重になるはずだ。

 それを選んでいけば必然的に――。

 

「ボールフォアッ!」

『四番友沢フォアボール! 1-3からスライダーを見極めて一アウト一、二塁! チャンス拡大!』

 

 ってなるよな。

 東條に対する初球。

 そのサインを出したところで、猪狩が今日初めて首を振った。

 恐らく出たサインはアウトローから外すボールだろう。

 それに対して猪狩は初めて拒絶反応を示した。

 そして出し直されるサインに頷いて、猪狩は腕を振るう。

 放たれたボールはインハイのストレート。

 向かってきたか。東條、これでガチで打つしか無くなったぞ。

 二球目のインローのストレートに東條は手を出す。

 ふわりと上がったセンターフライとなった球を、八嶋がしっかりとキャッチしツーアウト。

 

(マズイな……配球のパターンを変えてきた。……けど、それはあくまでクリーンアップ相手にボールから入らない、程度の変更点だろ。進。初球の甘い球を打て)

 

 六番の進が初球から振りに行く。

 アウトローのスライダー。なんとか当てたものの、ボテボテのサードゴロとなった打球。それを五十嵐はキャッチし、セカンドに送球。セカンドフォースアウトでチェンジとなる。

 

『チェエエエエエエンジ!! この大ピンチ、切り抜けました猪狩守!』

 

 チッ、この回逆転は出来なかったか。

 ベンチに戻る。

 くそ、どうするかな。……とりあえず、この裏の攻撃は〇点に抑えないとな。

 

「ないすばっちん!」

「ナイスバッティング! あの猪狩くんから打った感触はどうでやんした!?」

「うおっ、あ、ああ。――最高、だったぜ」

「……」

「どうしたでやんす? あおいちゃん」

「ひえっ、なな、なんでもないよ!」

「惚れ直したって話しよ! さ、しっかり抑えるわよ!」

「あ、あかりぃー!!」

 

 元気にベンチを飛び出していく女二人の背中を見つめながら、俺は防具を付け直す。

 早川はまだまだ元気だな。

 もう遠慮は無しだ。マリンボールを全球投げさせるつもりで七回を切り抜けるぞ。

 

『さあ、七回裏、バッターは五十嵐から!』

『バッター五番、五十嵐くん』

 

 初球、マリンボールを投げさせる。

 体に向かって伸びてくると思えば外に逃げる独特の変化――五十嵐はそれを初球から振っていって、空ぶった。

 

「くっ!」

 

 あからさまに悔しそうな仕草を見せて、五十嵐は一度打席を外して素振りをする。

 かなり頭に血が登ってるな。これならマリンボールは使わなくてもいいかもしれない。……だが、ここはもう出し惜しみはしないぞ。

 二球目もマリンボール。

 それを振らせて2-0。最後は――インハイのストレート!

 びゅんっ、と五十嵐が空ぶる。

 

「ストラックバッターアウト!」

『ワンアウトを取ります! 三球三振!』

「よし! ワンアウト!」

 

 続くのは六番の二宮。彼に対してもマリンボールとストレートで打ち取る。

 七番の猪狩も同じように打ち取る。さすがのあかつき大付属も、初見のレベルの高い変化球を弾き返すということは難しい。

 キーポイントになる七回を三者凡退に乗り切った、これはでかいぞ!

 

「うっしゃ、いいぞ早川!」

「うん! ふう……ふぅ、暑いね、今日は」

「ああ。……この回マリンボール多投したからな。どうだ?」

「ふぅ、まだ、行けるよ」

「……そうか。……七回一失点。球数は少ないけど、相手はあかつき大だ。……甘く入ったらまずい」

「…………うん、分かってる。一ノ瀬くん」

 

 早川がベンチに戻って、打席に立つ為にバットとヘルメットを持った一ノ瀬を呼ぶ。

 一ノ瀬は準備をしながら、きょとんとした表情で早川の方を向いた。

 

「次の回から、お願いね」

「……っ、ああ」

 

 早川のセリフに頷いて、一ノ瀬はほほえむ。

 ――早川に、勝ちを付けてやりたかった。

 そのためにはこの回で点を取るしか無いが、先頭打者の一ノ瀬がピッチャーフライに打ち取られると、続く明石はファーストゴロであっという間に二アウトになってしまう。

 そして。

 

『バッター、早川に変わりまして、バッター赤坂』

『ここで好投早川に代打を送ります恋恋! バッターは赤坂!』

「くっ!」

「ぬっ!」

「はぁっ!」

 

 ストレート三つで三振に討ち取られ、すごすごと赤坂は戻ってくる。

 八回表が終了、八回の裏に入り、この試合も後二回――。

 ここまで早川は頑張ってくれた。なら、そのリレーを継ぐ一ノ瀬も頑張らねぇとな!

 

『恋恋高校、選手の交代をお知らせ致します。ファーストに、石嶺が入り九番、代打致しました赤坂がベンチに下がり、ピッチャー、早川に変わりまして――ピッチャー、一ノ瀬』

 

 そのコールがされた瞬間、歓声がスタンドに響き渡る。

 その中を一ノ瀬は悠々と歩いてマウンドへと向かった。

 打順は九十九から。この回を押さえれば九回は矢部くんからだから、ここはテンポ良く三人で切りたい所だ。

 投球練習を終え、打席に立つ九十九を見やり、一ノ瀬はその左腕を振るう。

 アウトローへのスライダー。

 ぐ、とそれを受け止めながら、一ノ瀬にボールを返し、再び構える。

 二球目はストレート。アウトローに外すボール球。

 これで並行カウントだ。

 三球目はインへのカーブ、それについていくように九十九はふるってファール。これで2-1とピッチャー有利のカウントにして――とどめは、スクリューボール。

 ブンッ! と九十九のバットが空を斬った。

 

『空振り三振! ワンアウトー! リリーフした一ノ瀬、素晴らしいボールを投げ込んできます!』

 

 続くバッター九番は四条。

 アベレージヒッターだが届かない。一ノ瀬は見下ろすように圧倒的なボールを投げ込み、四条をあっという間に打ち取った。

 バッターはトップバッターに戻って八嶋。

 その八嶋を、一ノ瀬はスライダーを連投し2-2のカウントにした後――アウトローへの厳しいストレートで、見逃し三振に打ち取る。

 

「っし!」

 

 一ノ瀬がマウンド上で躍動している。

 その様を、あかつき大付属のベンチは苦苦しそうに見つめていた。

 さて、八回裏が終わったか。九回……最後の攻撃だ。

 

「皆、集まってくれ」

 

 防具を外しながら、全員をベンチ前に呼び出す。

 交代してもう出番の無い赤坂も、早川も交えて円陣を組んで、俺はすぅ、と息を吸った。

 

「ここまでいい勝負してる。九回表までで1-1だ! でも、俺達は勝つ!」

「おう!!」

「これに勝てば甲子園だよな。俺達はもう、その扉に手をかけてる! ――だから、その扉を、後は開くぞ!」

「了解でやんす!」

「行くぞ! 恋恋高校――ファイト!!」

「「「「「「「「おー!!!」」」」」」」」」

 

 全員で気合を入れて、バッターボックスに向かうは矢部くんだ。

 矢部くんが出れば何かが起きる。頼むぞ矢部くん!

 猪狩はす、と目を閉じ、その目をひらいて矢部くんを見据える。

 初球、ストレート。ドコンッ! という音が相応しいようなインハイの剛球を矢部くんは見逃す。これで0-1。

 続く二球目、スライダーを見送りストライクを取られたところで、矢部くんは一度打席を外した。

 二、三度素振りをした後、矢部くんは打席に戻る。

 投球の傾向も変わった。その中で出塁するにはどうしたら良いか、矢部くんは必死に考えているんだ。

 三球目はカーブ。矢部くんの打ち気をそらすような内角低めへのボールだが、矢部くんは手を出さずにそれを見送る。

 

「ボーッ!!」

 

 1-2! バッティングカウントまでもってったぞ!

 ふぅ、と息を吐いて集中力を高めながら、矢部くんはマウンド上の猪狩を睨みつける。

 四球目はストレート。外角の際どいところを、矢部くんはしっかりと見極めた。

 

「ボールスリー!」

『おっと猪狩! 先頭打者に1-3というカウント! フォアボールで出せば勝ち越しのランナーになります!』

 

 ……今のボール、多分猪狩は入れようとした。

 でも入らなかったんだ。

 多分だが、猪狩は細かいコントロールがつかなくなっている。球威自体は衰えていないがコントロールは多少なりとも悪くなってるんだ。

 

「ストラーイク!」

 

 ……っつっても、まだ際どい所にスライダーが決まったな今。

 これでフルカウントだが、次も猪狩が制球を乱すとは限らない。フォアボールはあてにしないほうがよさそうだけど……。

 六球目に投じられたカーブに矢部くんはなんとかバットを当てファールにする。

 いいぞ。粘ってる。

 もしかして矢部くんは来るボールが分かっていない自分では前には飛ばせないと割りきって、フォアボールでの出塁を狙っているのかもしれない。

 七球目のスライダーも矢部くんはカットする。

 猪狩の顔色が変わった。

 矢部くんが粘ってきていることを分かってるんだろう。ロージンバックを手に取り、一息ついて猪狩はボールを握り直す。

 振りかぶって投じられた直球。

 凄まじい回転が掛けられた天下一品のストレートを矢部くんは見逃した。

 

「ボールっ! ボールフォアっ!」

『でましたー! 際どいコース見逃して矢部フォアボールを選びました!!』

「よっし!! でやんす!」

 

 べりり、とバッティンググローブを外しながら、矢部くんがファーストに向かう。よし……! これはでかいぞ!

 先頭打者がでた。これで新垣にバントをしてもらい、クリーンアップ――この回一点でも取れれば勝てる筈だ。

 

「新垣」

「分かってるわよ。……ふぅ。……絶対決めてくるから、頼むわよ」

「ああ」

 

 頷いて、新垣をバッターボックスまで送り出す。

 新垣は深く深呼吸をして、すっとバットを身構える。

 その様子を、俺はじっとネクストから見つめた。

 あかつき大付属は手堅い守備をする。あからさまなバントシフトは取らずに後を押さえれば良いという考え方も根底にあるのだろう。なんせマウンドに立つのは絶対的なエースの猪狩なんだからな。ランナーが得点圏に進もうが後続を押さえ込めるだけの力はもってるんだ。

 それに、ハンパな技術じゃボールを転がスことすら出来ない。それくらいの球威を持ってるからな。

 

「…………」

 

 初球だ。攻撃にテンポを作るには初球から決めてほしい。

 頼む、新垣! 道をひらいてくれ……!!

 投じられた球は高めのストレート。

 新垣は決してバントを動かさず、膝を使って高さを調節し――

 

 コンッ……と軽い金属音。

 

 ――見事に、ボールをサード前へと転がした。

 矢部くんがセカンドにスライディングする。

 取った五十嵐はファーストに送球、ファーストはアウトになるが、しっかりと送って一アウト二塁。やってくれたぜ新垣。最高の仕事だ!

 

『さあ、四度ここで見える、猪狩守と葉波風路! 点差は〇点! 打てば勝ち越しというこの場面!』

 

 打席に立つ。

 猪狩は素知らぬ顔でこちらを見るが――その瞳に映るのは今までで一番の闘志だ。

 それを、迎え撃つ。

 矢部くんが、新垣が、必死に創りだしてくれたこのチャンスを棒にふるわけには行かねぇからな。全力で打ち崩す!

 初球――糸を引くようなストレートが、アウトローに決まる。

 ドゴンッ! なんて音が相応しいような速球だ。

 

「トーライッ!!」

『初球決まった! ストライク! この球は打てません!』

 

 パシンッ! とむしりとるようにボールを二宮から受け取って、猪狩はすぐさまマウンド上で構えを取る。

 もう配球を考えるのはよそう。そんなもの猪狩と二宮の間にはすでに無い。今投げれる最高の球をめいっぱい投げ込む。あるのはそれだけだろ。

 なら俺も考えるのはやめる。あいつが何も考えずに腕振って投げ込んでくる最高のボールを――打ち返すだけだ!

 二球目に投じられたボールはスライダー。これは外れてる。

 

「ボーッ!!」

『二球目見逃した! これで並行カウント!』

 

 ストレート、スライダー――猪狩の持つ二つの決め球を惜しみなく使って来る。

 猪狩にとってはもう全てが決め球なんだ。だったら俺も全力で迎え撃つ!

 

『三球目は――ストレート!! そして葉波それをフルスイングで迎え撃つ! しかし空振り! ストライクツー!! 追い込みました猪狩!!』

 

 これで猪狩は追い込まれた。

 ……遊び球は無い、決めに来るぞ。

 猪狩が二宮からボールを受け取りボールを軽く上空へと投げてパシンッ、と横合いにキャッチし、俺を見て不敵に笑う。

 

 ――三振予告。

 

 別に前もって教えられてた訳ではない。中学校時代にもそんな癖はなかったし、高校になってからもそんなサインが有るだなんてこと、データにはなかった。

 それでも、今の猪狩の行動は『俺を三振に取る』。そういうメッセージに俺には見える。

 おもしれぇ……やってみやがれ。お前のそのサイン、しかと受け取ったぜ。

 すぅ、と深呼吸をして、俺はバットをスタンドへと向ける。

 ざわわわっ! と一瞬で球場がざわめく。

 

「パワプロくん……!」

「この場面でホームラン予告か」

「パワプロの心臓には毛が生えてるかもね」

 

 そんな声が俺の耳に届く。

 うるせぇ、言うなら先に三振予告じみたことをしてきた猪狩に言えよな。

 俺の行動を見て、猪狩がこくん、と頷いた。

 猪狩が頷いたのを見て、俺はバットを構え直す。

 

 ――四球目、

 猪狩が選択したボールは、

 

 渾身のストレートだった。

 

 帽子を飛ばしながら、猪狩はボールを投げ込んでくる。

 コースは外角よりのベルト高。猪狩にしては甘いコース。

 俺は、それを一閃する。

 

 早川が、ベンチから身を乗り出してボールを目で追い、

 

 ネクストの友沢は、打球の方向を目で追い、

 

 東條は、ベンチから半分体を出してボールを見、

 

 一ノ瀬はキャッチボールを中断して行け! と声を出し、

 

 

 

 そして俺は、指を一本、天へと掲げてガッツポーズをした。

 

 

 風に乗った打球はぐんぐんと速度をましてスタンドへと伸びていく。

 そのボールは一つの路を走ってスタンドへと飛んでいった。

 俺達の想いを乗せて、

 様々な人の応援や期待によって生まれた、

 一陣の神風。

 

 ――一"風の路"。

 

 ドゴンッ! と外野の方からボールが着弾した音が、静寂したベンチへと響く。

 その音を確認して俺はファーストベースからセカンドベースへと、ゆっくり走りだした。

 

『はい、った……』

 

 呆然、唖然か。

 スタンドもブラスバンドすら止めて、呆然としている。

 色んな人が居るにも関わらず物音一つしない。ただただ呆然と、その打球を見た。

 

『は、入った、入った、入ったああああああああああああ!!! 勝ち越しツーランホームラン!!! これが、これが恋恋高校のキャプテン! 原動力! そして、猪狩守の最大のライバル! 葉波風路の、予告ホームランッ!!!」

 

 爆撃音のような歓声が球場を包む。

 ゆっくりとホームベースに帰ってくると、待っていてくれた矢部くんがニヤリと頬を釣り上げる。

 

「これでひっくり返ったでやんすね」

「ああ、そうだな。試合がひっくり返った、三対一――後一回抑えれば、甲子園だ」

「それもでやんすが、オイラがいってるのは違う事でやんすよ」

「違うこと?」

「そうでやんす。……猪狩くんとパワプロくんの評価でやんすよ」

「……評価か」

「でやんす。胸を張ってベンチに帰るでやんすよ。"猪狩世代"の名称は変わらないだろうと思うでやんすが、その世代を代表するエースを打ち砕いたのは、今のところパワプロくんだけでやんすから」

「ああ、そうだな。……勝つぞ。矢部くん」

「勿論でやんす!」

 

 矢部くんとハイタッチをし、ネクストの友沢ともハイタッチを交わしてベンチに戻る。

 

「パワプロくんっ!!」

 

 帰った途端、ぎゅうっ、と早川が抱きついてきた。興奮しすぎだ。恥ずかしいだろっ。

 それを受け止めながら、東條や新垣、一ノ瀬、進とタッチをする。

 歓声がやまないそんな凄まじい雰囲気の中――猪狩は、続く打者の友沢と東條を打ちとってみせた。

 

『九回表が終了! 猪狩九回を投げ切りました!! しかし、しかし――この回、葉波のツーランホームランで、猪狩がエースになってから初めて勝ち越しを許しましたあかつき大付属! 最後の攻撃で二点を取らなければ甲子園に行くのは恋恋高校! 崖際に追い込まれたあかつき大付属の最後の攻撃は二番の六本木から!』

「行くぞ、一ノ瀬」

「ああ、甲子園に、ね」

 

 にっ、と笑って、一ノ瀬はマウンドへ向かう。

 ……しかし、二番からの好打順だし、そう簡単に抑えれるもんじゃないぜ。二点勝ち越したがまだまだ試合は分からないぞ。

 マスクをぐっとかぶってキャッチャーズサークルに座る。

 

『バッター二番、六本木』

 

 六本木が険しい表情で打席に立つ。

 いきなりストレートを投げさせるのは怖い。ここは様子見を入れてシュートを逃がすように外に投げさせよう。

 一ノ瀬が頷く。足を上げて投げられた外へのシュートに対し六本木はきれいなスイングなんて捨てて、バットを投げるようにして打ちに来た。 キンッ! と快音を残しボールは一二塁間を抜ける。

 

「っ! ライト中継!」

 

 ライトの友沢がセカンドの新垣にボールを返す。

 チッ、マジかよ、初球からこんなに強引に外の球を打ちにくるなんてな。

 落ち着け。六本木が帰ってきてもまだ一点勝ってる。この一点はあげて良い一点なんだ。無理に抑えに行かず、しっかりアウトをとっていこう。

 

『バッター三番、七井』

 

 迎えるのは三番の七井。

 この場面で迎えたくない打者ナンバーワンだが、泣き言言っても仕方ねぇ。全力で抑えるぞ。

 七井がバッターボックスに立ち――バットを寝かせる。

 バント、か? ……いや、バスターも有るぞ。

 初球はスライダー。外角低めからさらに外に逃げるボールだ。

 それを七井はバットを寝かせたまま見て、バットを引く。

 

(これで0-1だが、今の構えを見るにバスターはない。一〇〇%バントの構えだった)

 

 あかつき大はもともとクリーンアップにもバントさせるような堅実な高校だ。この場面でゲッツーだけは避けたい。だから七井にバントさせる、ってことか。

 良かった。助かるぜ。ここで七井をバントでやり過ごせる上にワンアウトに出来れば一ノ瀬も落ち着けるし、守りやすい。

 なら、ここは下手にバント失敗を狙わず初球から決めさせよう。

 一ノ瀬にストレートを要求する。ボールは一番決めやすいベルトよりやや低めの真ん中。

 頼むぜ七井、しっかりと成功させてくれよ。

 ボールを一ノ瀬が投げる。

 

「なっ!!?」

 

 瞬間、七井がバットを引いてヒッティングに切り替える。

 カキィンッ! と快音を残してボールはライトへと飛んでいく。

 か、角度が良い! マズイ! 柵越えするかも知れねぇ……っ!!

 ボールは凄まじいノビのままぐんぐんと伸びていき、

 

 フェンスに直撃する。

 

 バウンドしたボールを、友沢が素早くキャッチしてセカンドに返す。

 ファーストランナーの六本木はサード、打った七井はセカンドへ到達する。

 ノーアウト二、三塁。一打で同点の大ピンチだ。

 ちくしょうっ! なんで二球目にいきなりバスターに切り替えるんだよ……! ゲッツーだけはって作戦じゃねぇのか!

 六本木といい七井といい、来る球が分かってるみたいに良い反応だ。

 ――来る球が、分かってるみたいに。

 

(……ちょっと待てよ?)

 

 六本木に対する初球、俺は"様子見で外へのシュート"を投げさせた。そのボールに対して六本木は先頭打者とは思えないほど強引に打ちに来た。

 その行為は冷静に考えればありえない。フォアボールでもいいからとりあえず出塁したい場面で、外のボール球を無理に打ちに行きましたなんてことをあかつき大付属のレギュラーがやるだろうか?

 それこそ、そんな糞ボールを打ちに行くことが許されるのは確実にそれをヒットに出来る確信がある時だけだ。

 確実にヒットにする為に最も必要なこと。それは――そのコースにボールが来ることが分かっているということ。

 

(この回抑えれば甲子園っつー場面、その状況でなら、ほとんどのキャッチャーは多分、外へ、逃げる変化球を投げさせる――)

 

 それを読んで、六本木はシュートを流し打ったんだ。

 そして続く七井の初手バント。あれは油断させるためのブラフだ。

 三番打者がバントの構えをしたら、バントされたくないだとか本当にバントなのか、バスターじゃないかと勘ぐって必ず外す。

 その時にそのままバントに行くように見せかけたら――怖い七井をバントでアウトに出来ると考えて、甘い球が来るだろう。

 そしてその甘い球を打たせれば、ほぼ確実に長打に出来る。

 

「……くそっ!」

 

 アホか俺は! あかつき大付属が、猪狩のチームがそんな相手を楽にさせるような甘い野球する訳ねぇじゃねぇか!

 一ノ瀬に礼を言わねぇとな。一ノ瀬の直球に球威があったから今のはホームランにならなかったんだ。それにフォローもしとかねぇと。

 

「一ノ瀬」

「パワプロくん……」

「悪い、俺のリードミスだ。もう次からは打たせないが――四番は敬遠しよう」

「……大丈夫かい?」

「大丈夫だよ。お前の球、めちゃくちゃ来てっから。遠慮せずに投げ込んでこい」

「分かった。僕はパワプロくんを信じるだけだよ」

「ありがとな。――行くぞ。甲子園」

 

 一ノ瀬と離れて、ベースから離れて立つ。

 敬遠、これでノーアウト満塁――。

 そして迎えるバッターは五十嵐だ。

 

『バッター五番、五十嵐』

 

 相手の作戦にタダで呑まれてたまるか。ここはその作戦を利用するぞ。

 初球は外に大きく外す。届かない程に大きくだ。

 

「ボーッ!!」

『初球、大きく外します! これで0-1! ランナーは満塁!』

 

 次の球はもう入れてくる。0-2にはしたくないからだ。

 0-2にすれば一球ストライクを取っても1-2でバッティングカウント。大体の捕手でもここは入れてくる。確実にストライクを取りたい状況、後三人で甲子園――ストライクが欲しくて、ストレートを甘いところに投げさせる。

 それとほぼ同じ思考だと、俺は今見せかけた。

 だからここでストレートじゃなく――シュートを投げさせる。

 ストレートだと思わせて討ち取らせる。五番の五十嵐は目が良くない。見分けが付かずにポップフライか、詰まってゲッツーを取るぞ。

 一ノ瀬がシュートを投げる。

 

「ぐっ!?」

 

 途中で五十嵐が気づくが遅い。振りに出ていたバットはキンッ! という音を奏でて大きいフライになる。

 大きなライトフライ。これは犠牲フライになるか。

 友沢が取って中継へと投げる。

 友沢が取った瞬間に六本木はホームに滑りこんで帰ってきた。

 

「セーフ!」

『一点返した! 一点返しましたあかつき大付属! ワンアウト一、三塁! 犠牲フライで同点の場面を作ります!』

 

 二塁ランナーも三塁に行って、一、三塁。バッターは六番の二宮。

 そして、後二人で甲子園。

 いやでも意識するこの場面――やべぇ。楽しくなってきやがったぜ。

 

「お前ら、すげぇな」

「ん? 二宮。話すのは初めてだな。猪狩はすげーだろ?」

「ああ、すげぇ、……だから、すげぇってホメてるんだ。うぬぼれに聞こえるかもしんねーが、正直今年も楽に優勝出来ると思ってた。けど、フタを開けてみれば、お前らにこれだけ苦戦だ。……だから凄いっていってるんだ。お前たちは――西強より強いぜ」

「ありがとよ」

「だが、この試合も勝つのは俺達だ」

「やってみやがれ。絶対に俺達が勝つ!」

 

 二宮と言葉を交わし、ぐ、とミットを構える。

 初球は絶対に打ちに来る。低めにスライダーだ。

 一ノ瀬のスライダーを、二宮は空振った。

 ミート技術が良い二宮だがそのヒットの殆どはライナーだ。犠牲フライは打ちづらい。

 タイムリーを打てばいい話だが、そのタイムリーもデータが無い上、初見の一ノ瀬から今ここで打てと言われても可能性は低いだろう。

 なら、ここであかつき大付属が選択する作戦はたった一つ。

 

 二球目に選ぶ球はストレート。

 

 一ノ瀬がボールを投げる。

 それと同時に、二宮はバットを倒し、サードランナーがスタートした。

 あそこまで豪快な空振りを見せられたら、想像出来ないだろうな、この作戦は。

 ただ、二宮が打席に立った時から取られる作戦がこれと確信していたのなら話は別だ。

 投げられたストレート。それを俺は立ち上がって捕球の構えを取る。

 高めに外されたボールに対し二宮は必死にバットに当てた。

 

 ふわり、とファールゾーンにボールは浮かび上がり、サード方向へ飛んでいく。

 

 サードの東條がそれをファウルゾーンでキャッチした。

 

「くっ……! 読まれてたか……!」

「ふう、悪いな二宮。言っただろ。甲子園に行くのは俺達だってな!」

 

 東條から一ノ瀬にボールが返される。 

 ツーアウト一、三塁。後一人。

 そしてバッターは七番、猪狩、守。

 猪狩は無言で打席に立つ。

 ……一ノ瀬、猪狩、そして俺。

 

 一ノ瀬は猪狩とエースの座を争い、俺と共にあかつき大の将来を担おうと必死に努力し、

 

 猪狩は俺とバッテリーを組んで、中学校で全国一に輝いて、

 

 俺は一ノ瀬に育ててもらい、猪狩に引っ張って貰った。

 

 その三人が今グラウンドで相まみえてる。運命ってのは面白いもんだぜ。

 

「決めよう、猪狩」

「ああ、そうだな」

 

 俺の言葉に、猪狩は頷く。

 俺は、こいつと戦えて良かった。

 こんなに嬉しく熱く、そしてなによりも楽しい野球をできて、良かった。

 だからこそ、この勝負を――

 

「僕達の勝利で」

「俺達の勝利で」

「「この試合を、終わらせる!」」

『さあ! 最後の一人! タイムリーが出るか! それとも打ち取るのか!』

 

 一ノ瀬が振りかぶった。

 初球から猪狩は打ちに来る。

 腕をふるい、放たれたのはストレート。

 猪狩はそのボールを全身全霊で迎え打った。

 ッキィンッ! とバットが音を立てる。

 フルスイングで捉えたれた打球は、空へと高々と打ち上がった。

 

 ただし、勢いは無い。

 

 ショートの矢部くんが手を上げた。

 ゆっくりとボールが落ちてくる。

 矢部くんが、そのボールをしっかりとミットに収めた。

 その瞬間、ワァッ! と球場が歓声に包まれる。

 俺はキャッチャーマスクを投げ出して、両手を空へと掲げた。

 瞬間、走ってきた早川に抱きつかれる。

 続いて矢部くんが、一ノ瀬が、東條が、少し遅れて進むと友沢が、俺をあっという間に囲んだ。

 

『甲子園大会出場校が決定! その高校は恋恋高校ー!! 創部二年目にして甲子園に出場決定ー!! その立役者は勿論、この人! 葉波風路ー! 猪狩守からツーラン含む三打点! しかし彼だけでは甲子園には辿りつけなかったでしょう! 友沢、東條、早川、一ノ瀬、猪狩進、新垣たち――さまざまな選手の協力があって手にした栄冠! グラウンドで歓喜の輪を作る恋恋高校ナイン!』

 

 恋 000 000 102

 あ 001 000 001×

 

 そんなスコアが書きこんであるバックスクリーンを眺める俺を、皆がめちゃくちゃにしてくる。

 くそっ、嬉しいけど! もうちょっとスコア確認させろよ! 実感させてくれよ! ……めちゃくちゃ、嬉しいけど!!

 

「やった、っ、やったよ! パワプロくん!」

「ああっ、やったな!!」

「やったでやんすー!!」

「やったぞ! 甲子園だ! あの舞台に――立てるぞ!」

「……夢のようだ……はは」

「やった、やったよっ……! 私たち、甲子園に出れるんだ……!」

「やりました……やりましたね! 先輩!」

「パワプロが居る高校を選んだ僕に間違いはなかったよ。……最高の気分だ。出来ればエースが良かったけどね」

 

 全員思い思いに喜びを表現しながら、笑いあう。

 ふと、視線を感じて視線をそちらに向ける。

 ベンチから、球場を後にしようとする猪狩。

 猪狩は俺と目が合うと、一瞬だけ悔しそうにぎっと唇をかみしめる。

 だが、すぐに猪狩はそんな表情を消していつものクールな表情に戻す。

 そして――人差し指、ビッ、と空へと向けて立て、口を動かした。

 

 "僕たちを倒したんだ。――どこにも負けるなよ"

 

 口がそう動く。

 俺は頷いて、それに応えるように猪狩と同じく指を空に向けて人差し指を立てた。

 それをみて、猪狩は満足そうに頷いてベンチから消えていく。

 ……負けねぇよ。猪狩。

 お前の分まで甲子園で暴れてくっからさ。その分お前は努力してもっと凄い奴になれよ。

 そんで――また楽しい試合、戦ろうぜ。

 俺は自分の顔が自然と笑ってるのに気づきながら、皆の歓喜の輪に戻る。

 

「皆、分かってるだろうな! 目指すのは勿論――あの真紅の旗だぜ!」

 

 俺の叫びに、皆が頷く。

 よーし、猪狩の分まで暴れてきてやるぜ!

 

 

 

                  ☆

 

 

 

 どっぷりと日が暮れ、日が落ちた中、グラウンドを照らす光を生み出す、モノが錯乱した部室を背に、俺と早川はグラウンドのマウンドの上に立っていた。

 矢部くんたちは部室の中でどんちゃん騒ぎ、祝勝会と称して酒無しでの超テンションのままいろいろ騒いでいる。

 俺と早川だけは、その輪からこっそりと抜けだした訳だ。

 

「終わったね」

「ああ、終わったな」

 

 祝勝会もそこそこに、早川がそわそわしだして俺を釣れ出すまでに祝勝会が始まってから一時間とかからなかった。

 ま、ゆっくりと話す機会もなかったからな。仕方ないっちゃ仕方ないけどさ。

 

「……甲子園、行けたね」

「ん、強かったな。猪狩」

「うん、すごかった。……抑えれたのが嘘みたい」

「はは、俺もだ。んで、明日の朝新聞見て実感するんだろうな。……甲子園、いけるんだ、ってさ」

「うん、だろうね。あははっ、僕がそのチームのエースだなんて、信じられないよ」

「ああ、もっと努力しねーとな。猪狩に笑われちまうぜ」

「そだね。……でも、パワプロくん、ボク、頑張る前に聞きたいことがあるんだけど?」

 

 俺の前に移動して、俺の顔を見上げて早川がイタズラっぽく微笑む。

 "甲子園に行けたら――"。

 その約束を果たしてくれってことなんだろうけど、ううむ、そうも期待されるというか身構えられていると恥ずかしいな。

 ……けど、まぁ約束だし、俺が早川に抱いてる気持ちだって――言葉に出来ないような嘘の気持ちじゃない。

 

「――好きだよ、早川」

「ふぁっ、い、いきなりはずるいって前もいったでしょっ!」

「はは、そうだったな。……俺の、恋人になってくれないか?」

「…………ぃぃょ」

 

 小声で呟いて、早川は頷く。

 おずおず、と手を握ってくる早川の手。それをぎゅ、と握り返して、俺は肩を軽くだきよせた。

 ……これで一区切りか。でもまだ俺達の夏は終わらない。

 ――勝って、すべての高校の頂点に立つ。

 そのためには、この可愛い恋人の力が、必要不可欠なんだ。

 

「これからも頼むぞ、早川」

「……うん、こちらこそ、よろしくね。……あとさ」

「ん?」

「早川じゃなくて、あおいって読んでほしい。……駄目?」

 

 上目遣いで可愛く小首をかしげる早川。

 あおい、か。下の名前で呼ぶのはかなり恥ずかしいんだけどな。ま、それを望むんだったら、それもいいか。

 

「あおい」

 

 あおいの名を呼ぶ。

 あおいはうんっ、と嬉しそうに笑った。

 可愛いなぁくそ。

 

「パワプロくん、頑張ろうね」

「パワプロのままなのかよ!? 風路とかじゃなくて!?」

「だってパワプロくんはパワプロくんだもん」

 

 あははっ、と楽しそうに笑ってあおいは逃げるように部室へと走っていく。

 その後ろ姿を見送りながら、俺はやれやれとため息を吐いた。

 甲子園の本戦は八月から始まる。

 あの優勝旗を手にするのは俺達だ。――勝つぞ、皆。

 俺は心の中で皆にそう言って、部室にもどるのだった。

 



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第十五話 "八月一週" 夏は続くよどこまでも

           八月一週

 

 

「パワプロくん! どこー!?」

「きゃー! パワプロくーん!!」

「ごめんなさいどいて! テレビ局なんです! 機材にぶつかると危ないですよ!」

「パワプロくんはどこ!? サインしてほしいんだけどー!」

「すみません! 責任者の方はいらっしゃいませんか! 週刊パワスポです! インタビューを!」

「……凄く面白くないでやんす」

 

 グラウンドに集まったやじうま達を見て、矢部が一言ポツリと呟く。

 

「……そうだな。練習の邪魔だ」

「そういう意味じゃないでやんすよ! 東條くんはおかしいと思わないのでやんすか! 二得点な上に盗塁も決め、なによりウィニングボールをキャッチしたオイラを差し置いてパワプロくんが大人気ってどういうことでやんすか!?」

「まあ普通に考えれば、あの伝説に残る猪狩から、記録を止めるタイムリーだけでなく、勝ち越しのツーラン……しかも予告ホームランを完璧に叩き込んだんだ。人気が出るのは当然だ」

「それだけじゃないわよー。えーと何々?『甘いマスクで投手も女性もリード』『キャッチャーマスクを被るのがもったいない程の美男子』『あの完封王子、猪狩守も認めたら才能と容姿』って書かれてるわね」

「ていうか、猪狩くんのあだ名って完封王子だったんだね……」

「そうでやんすねぇ、今までの試合は全部完封勝ちでやんしたし、それはわからんでもないでやんすが……くっ、ぱ、パワプロくんめ……悔しいでやんす……悔しいでやんすぅ!!」

「ま、まあそんなにひがむことないんじゃない? あんたもその、三百%くらい贔屓目に見たら、結構いい男かもしれないわよ?」

「三倍イケメン値を上げてやっと結構レベルでやんすか!? オイラそんなにブサイクじゃないでやんす!」

「えっと何何? 猪狩守選手へのインタビュー……」

「無視するなでやんすー!」

 

 ギャイギャイ! とあかりと矢部が騒ぐ。

 そんな彼らの横に立っていた友沢は、ひょいっと新垣からパワスポを取り上げた。

 

「あっちょっと!」

「『チームメイトはいつもどおり最高のプレイをしてくれた。最終回でタイムリーが出ていれば勝っていたし、パワプロを抑えていれば勝っていたと思う。パワプロの予告ホームランはお返しされた形です。彼に投げる前に三振予告をしていた。それのお返しにホームラン予告をされて、その予告通りに打たれた。力負けです。パワプロが一枚上手だった』」

「それ、猪狩のインタビューよ。そのせいでパワプロに人気集中って訳」

 

 ふむ、とあかりのセリフを聞いて友沢は頷く。

 あれだけ注目度の高い猪狩にこんな殊勝なセリフを言わせた上に、予告ホームランのお返し……なるほど、それならこれだけ人が集まるのも納得出来る。

 しかも激戦区のこの地区をわずか二年で甲子園に導いたキャプテンのキャッチャー……騒がれるのは当然だ。

 

「ファン以外にも、な」

「やんす?」

「見てみろ。あそこに居る人」

「……あのニット帽のおじさんがどうかしたの?」

「あれは影山スカウト。プロのスカウトだ」

「プロのスカウトっ!?」

「あっちに居る紅い服の男は遠藤といって猪狩カイザースのスカウトだし、あっちでカメラを構えているのはパワフルズのスカウトだ。あっちはバスターズで……」

「ま、まさか……」

「パワプロ……率いては俺達をチェックに来たんだ。……俺達は思ったより凄いことをやったみたいだぞ」

 

 友沢が呟く。

 矢部とあかりは顔を見合わせて、グラウンドのベンチの目の前でひたすらバットを降っている東條を見つめる。

 すぐさま二人はバタバタとベンチに引込み、すぐにバットを持って出てきた。

 そんな二人を見て、友沢はふう、とため息を付く。

 

「せわしない奴らだな」

「あはは、本当にね……」

「早川、パワプロはどこにいったんだ? これだけ集まってるんだ。主役を出さないと収集がつかんぞ」

「パワプロくんなら、パワフルニュースの取材うけてるよ」

「……やけに落ち着いているな? ちょっと前の早川なら慌てていたような状況じゃないか?」

「そ、そかな。うん、でも大丈夫だよ? えへ」

 

 何かをごまかそうとするあおいを見て、友沢は一瞬で自体を察知する。

 ここらへんの洞察力が野球にもいかされてるのかもしれない。

 友沢は話を切り上げて、グローブを取る。

 

「キャッチボールでもするか。パワプロが帰ってきたら投球練習だろう?」

「うん。ありがとう」

 

 あおいと友沢はキャッチボールを開始する。

 進と一ノ瀬はコンビを組んですでに投球練習を始めていた。パァンッ! という音が球場に響いた。

 

「甲子園に出発するのは明日か」

「うん、パワプロくんが言ってたよ。八月七日に初戦だから、速攻で甲子園入りするって」

「落ち着いているな、パワプロは。速く甲子園入りして甲子園球場に慣れる為に速く移動するとは」

「あはは、違うよ友沢くん」

 

 友沢の言葉に、あおいは笑う。

 あおいは笑いながらもしっかりと丁寧にボールを投げ込んだ。

 

「パワプロくん。速く甲子園に行きたいっていってたから、多分速く甲子園に行きたいだけだよ」

「……なるほどな。そっちのほうがあいつらしい」

 

 そのあおいの笑みに釣られるように笑いながら、友沢はボールをしっかりと返す。

 それと同時に、きゃあああっ! と野次馬が大きく声を上げた。

 何事かと友沢が目を向けると、パワプロが向こうから走ってくる。

 どうやらインタビューは終わったようだ。慌てて帰ってきたパワプロは友沢たちの方に走っていく。

 

「ふぅ、やっとインタビューが一個終わったぜ……猪狩のやつ、こんなんやってたんだな。すげーわ。……今日は俺書類関係と取材で忙しいんだ。だから今日は予定変更。あおい、一ノ瀬がピッチャーになってフリーバッティングで勝負だ」

「あ、うん、分かった」

「了解だ。実践感覚を忘れない為にもいいだろうしな」

「……了解した」

「了解でやんす」

「おっけー」

「その方がギャラリーも喜ぶだろしな。俺は二時からまた別の取材だよ……それまで筋トレやってるよ」

「それもいいだろうが、ファンサービスもだな」

「……うげっ」

 

 友沢がちょいちょい、と後ろを指差すと、パワプロはカエルが潰れたような声を出す。

 それを皆で笑いながら、各自練習に戻っていった。

 

 

 

                    ☆

 

 

 

『猪狩くんの試合では、何を意識して?』

『とりあえず大量失点しないことを意識してました。強力打線だったので』

『猪狩くんの連続無失点記録相手だったけど、緊張しなかった?』

『しないわけないじゃないですか。でも――打てるとしたら僕達しかいない。そう想って試合に望んでいました』

『なるほど……猪狩くんに対しての予告ホームランは?』

『予告三振をされたので、やり返しました。ライバルにやられっぱなしは悔しいので』

『ふむふむ、それじゃ、猪狩くんとの試合の感想は?』

『最高に楽しかったです。また一緒に試合したいです』

 

 テレビの音を聞きながら、猪狩は腕をふるう。

 猪狩の自宅の室内練習場。プロ顔負けの設備を誇るそこで、猪狩はテレビの音を全開にしてパワプロのインタビューを繰り返し流しながら、汗を拭った。

 

『猪狩くん相手への攻略法は?』

『猪狩に対しての攻略法なんて一個もありません。真正面からぶつかって戦うしか無いですよ』

 

 バシィンッ!! と猪狩の投げたボールが、マットに直撃した。

 ――悔しい。

 

「……ボクは、負けた」

 

 不意をつかれた位で揺らぐ自分じゃない。その自負はある。

 だがそれでも負けた。ならば負けた理由はたった一つ――ただ単に実力がパワプロの方が上だっただけだ。

 最後のパワプロの打席。

 あの打席。

 多少甘く入っても構わないと、腕を全力で振るって投げられたその直球を――パワプロは、ホームランにした。

 

「実力が足りないんだ」

 

 甘く入れば一五〇キロを投げても打たれる。

 プロを目指している自分。そのプロに入れば今のパワプロより上の打者はゴロゴロ居るだろう。それならば自分は変わらなければならない。

 ……いや、違う、と猪狩は首を横に振るう。

 

「バカかボクは、まだ先のことを言い訳にしているのか? ……違うだろう。猪狩守! お前が一番勝ちたい相手は一人だろう!!」

 

 ひとりごとを大声で叫ぶ。

 

 ――パワプロに、勝ちたい。

 

 心にあるのはただそれだけ。ただそれだけだ。

 

「決め球がもう一つほしい。……それと、直球のグレードアップも必要だ」

 

 硬球を握り締め、猪狩は呟いた。

 決め球と言えばフォーク。みっちり練習すれば秋の大会には間に合うか。少し卑怯だが――アマチュア法に抵触しないような元プロにフォークの投げ方を教わろう。

 そしてもう一つ。

 

「……"ホップする直球(ライジングショット)"。完成させるしかないな」

 

 これが完成すれば、パワプロも抑えきれるはずだ。

 

「待っていろパワプロ。ボクはお前に絶対に勝つ。――だから、それまで誰にも負けるな。ボクと戦うまでは、お前を応援してやるさ」

 

 ライバルが映るテレビを見つめながら、猪狩は呟く。

 その表情には――僅かな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

「うおー!!! ここが宿舎でやんすか!」

「恋恋高校さまご一行と書いてあるし間違いなくここだな」

「凄いわね、こっから徒歩でいけるんでしょ?」

「ああ、そういうことだ。うーし! じゃあ全員荷物置けよ! その後早速だけど甲子園に行くぞ!」

 

 わーわーきゃーきゃー、と女子部屋男子部屋に別れ荷物を置き、入り口へ集合した。

 強い日差しが降りしきる中を、ロードワークも兼ねて走り――甲子園へと走る。

 俺達がたどり着いた戦う場所。

 ――阪神甲子園球場。

 プロ野球の本拠地としても有名であり、銀傘と呼ばれる独特の応援を反響させる屋根。広いグラウンドに大きなバックスクリーン。そして黒土。

 それら全てが、ここまで勝ち抜いた強者のみしか直接グラウンドでしか味わえないものだ。

 

「……たどり着いたね……」

「着いただけじゃ、足んねーよ」

 

 呟いたあおいに、俺は拳を握りながら答える。

 ここで、勝ちたい。

 猪狩に勝って闘争心が収まるかと思ってたけどそんな事はなかった。こんな良い球場で強豪と戦えるなんてわくわくするぜ。

 

「うん、そうだった。勝たないとね!」

「ああ!」

「……あれ? パワプロくん?」

 

 あおいと盛り上がっていた所で、後ろから話しかけられる。

 ……どっかで聞いたことある声。っていうかこの声の主のことを俺はよく知ってるじゃねーか。

 

「久遠!?」

「やっぱり! 凄いね君たち。あのあかつき大を倒したんだろう!?」

 

 振り返った所に立っていたのは久遠ヒカルだ。

 俺達が創部する際にぶつかった、栄冠学院大付属のエースピッチャー、プロ顔負けとも思える凄まじいスライダーは、今現在の記憶をさかのぼっても猪狩と同等のものだったっけ。

 その久遠がここに居るってことは……。

 

「まさか、久遠も?」

「勿論」

「マジか、さすがだな」

「ふふ……そ、それで、友沢は?」

「ああ、友沢ならあっちに居るよ」

 

 俺が視線を向けると、久遠も友沢の存在に気づいたらしく、そちらの方に走っていく。

 やっぱ友沢と仲良しなんだな。あの一件が終わってから元通りの親友同士になったみたいで安心するぜ。

 さて、甲子園がどんなもんか、しっかり確認しとかねーとな。

 

「貴様が、猪狩を倒した男か」

「……ん?」

 

 威圧的な声。

 その声の先には、日本人とは思えないガタイの良い男が立っていた。

 こいつ、見たことがある。確か去年決勝戦猪狩と戦っていた高校の一年生の四番だ。

 

「……まあ、あかつき大倒したのは俺達だけど。……お前は?」

「俺は清本。西強高校の四番だ。お前たちと戦えるのを楽しみにしている。――優勝は俺達だがな」

「……西強?」

 

 あれ? たしか金岡……カネが入った高校じゃなかったっけか。

 あかつき大付属が優勝する前までは二連覇とかしてたよな。西強って。

 ……データを集めて調べてみるか。

 

「安心しな、清本。俺達も優勝狙いだからよ」

「そう返してくると安心するぞ。甲子園に出れたことでゴールだと思い込むダメな奴らとは違うようだ。――恋恋高校の葉波風路。いや、パワプロと呼べばいいか?」

「もー諦めた。パワプロでいいぜ」

「ハハハッ! それではまた会おう! 今度はグラウンドでな!」

 

 清本は高笑いをして、歩いて行く。

 ……清本か、面白ぇ。猪狩だけじゃない、強そうな奴はうじゃうじゃ居るじゃねぇか。

 

「……勝つぞ、あおい」

「うん、勿論」

 

 にこっ、と微笑むあおいに笑い返しながら、俺は階段を登る。

 目指すは初戦。そこに向けてしっかり練習するぞ。

 

「そういえば、初戦のくじ引きっていつ?」

「三日前だな。そのくじ引きで三回戦まで組み合わせが決まるんだ」

「三日前ってことは、明日?」

「そういうことだな」

 

 あおいの言葉に頷く。

 初戦で久遠や清本と当たるのも面白そうだけど、まだ見ぬ強敵と戦うのもやぶさかじゃない。

 つまり、だ。

 

「初戦、楽しみだな」

「うん、勿論!」

 

 ってことだよな。

 俺とあおいは微笑み会って、チームメンバーの集まる場所へと移動する。

 さあ、始まるぞ。夏の甲子園がな!

 



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第十六話 "八月二週" 進む

            八月二週

 

 

 

 みんみん、とセミが鳴く中、甲子園に俺達は足を踏み入れる。

 帽子をかぶって暑そうにする聖ちゃんに、ぐったりとした様子のみずきちゃん、他のメンバーも疲れた様子でぞろぞろとお目当ての席に向かって歩き出してる。速いなぁ。

 

「暑いぞ……」

 

 ぐったりとした声色で言いながら、聖ちゃんがくいくいと俺の袖を引っ張る。

 ううん、暑いのは俺も一緒だからね……バテバテなのは仕方ないかな。

 

「仕方ないよ聖ちゃん。夏だもの。俺も暑いから、がんばろう」

「うむ……」

「にしても練習ほっぽりだして応援って、あたしたちそんな余裕あったっけ?」

「まあまあ、甲子園に行ったチームの応援ってのも参考になることが多いよきっと」

「そうだけどねー」

「それにほら、あっちには猪狩守がいるし、あっちは帝王実業の山口だよ。……もしかしたら、"あいつ"も居るかも知れない」

 

 俺が呟くと、今までぐでっていた聖ちゃんがシャキン! と立ち上がってキョロキョロと当たりを見回し始める。

 あいつの事となると聖ちゃんの反応が違う。いつも凛としている聖ちゃんが――まるで好きな相手を目で追いかける、女の子みたいだ。

 

「みずきちゃん、聖ちゃん、座るよ?」

「うん、にしても、やるわねーあおいにあかり」

「う、うむ。……さすがにあのあかつきを倒しただけのことはある」

 

 座って、バックスクリーンに目をやる。

 さわやか波乗り高校vs恋恋高校、甲子園大会三日目第二試合。

 すでに試合は終盤――止まないブラスバンドの中、俺達はそのスコアを目に刻みつける。

 

 波 000 000 00

 恋 221 030 02

 

 キィンッ!! と快音がこだまする。

 

「抜けた」

 

 となりの聖ちゃんが呟くように言った。

 バッター四番、友沢くんの放った打球。

 痛烈なライナーはセンター、ライトの間を破り転々と転がってフェンスに直撃する。

 その間にセカンドに居たパワプロくんがホームに帰る。

 セカンドベースを友沢くんは思い切り蹴ってサードベースへ滑りこんだ。

 一一点目となるタイムリースリーベース。七回裏の部分が三の文字へと変わる。

 

「攻めは悪くない。一四三キロのストレートをアウトローへ投げた。……しかし、それをいともたやすく弾き返される……攻略の仕方が分からない嫌な打者だな」

「そうねぇ。でも勝つためには攻略方法を見つけ出さないと。ってかまだワンアウトじゃない。ケータイで速報見よ。えっと……この回の攻撃のワンアウトって、あおいのバントだけじゃないの」

 

 カチカチ、とケータイをいじってみずきちゃんが速報を確認する。

 ワンアウト三塁。ここで長距離砲の東條くん……僅差なら敬遠する場面だけれど、これだけ点差が離れていると正直敬遠してもジリ貧。次のバッターが俊足の猪狩進くんだから、ゲッツーも取れないし……となるとここは勝負しかないんだけど……。

 そう思った瞬間、東條くんがバットを振り抜く。

 一瞬遅れて、ッキィインッ!! という音が響き渡った。

 

「行ったな」

 

 聖ちゃんが素っ気なくいう。

 ぐんぐん伸びた打球は甲子園の一番深い所、バックスクリーン手前の網へと飛び込むツーランホームランだ。

 

「つながったら後は乗るだけ、か……一人一人のバッティング技術が高い上に、四番は対応力がずば抜けている。五番は長打力が凄まじく、かといって六番が三番すら打てそうな俊足巧打……七番も打撃能力が高く、どのチームに行っても恐らくレギュラーに入るだろう、地味だが良いセンスを持つ明石……守備の要は俊足巧打好守の矢部にバントとミートが上手い新垣。そしてそれらを結ぶ三番に――成長凄まじいパワプロ。はっきりいえば、打撃力なら私たちの地区ナンバーワンだな」

 

 聖ちゃんが捕手らしく分析しながらぶつぶつとメモをとっている。

 秋大会に向けてのデータ採取かな。パワプロくんもこういうことをやるんだろうけど、本職ではない俺にはさっぱりだ。

 でも、確かに恋恋高校は凄いチームになった。

 強豪校が喉から手が出る程欲しがるであろう選手達を纏め、一つのチームとして創り上げたパワプロくん。

 スタートラインは一緒だった。けど、あっという間にパワプロくんは先に進んでしまう。そりゃぁ友沢くんとか東條くんとか、そういった主力どころが入ってくれたのが一番だといえばそうかも知れないけど――それをまとめているのは、パワプロくんだしね。

 

「俺も負けてられないな」

「……ふふ、そーねだーりん。負けてられないわね。あおいとパワプロくんのラブラブっぷりに」

「へっ? い、いや、違うよみずきちゃん、俺が言ったのはその、チームをまとめるキャプテンとしての力量のことで」

「みみみみずき! フリ! フリっていっただろう! フリと! そういう冗談は駄目だ! ダメだぞっ!」

「あははっ、いいじゃん。聖も鈴本とラブラブすれば」

「ち、違う! 鈴本とはそういうんじゃないっ! わ、私は春がだな……!」

「え、ええと? 俺が、どうかした?」

「い、いや、なんでもないっ! ほ、ほら、恋恋の攻撃が終了だぞ。さわやかなみのり高校はここまで二ヒット。俊足を生かしたチームだがパワプロの肩と絶妙なリードによってその攻撃を防がれている。こ、この回は見物だぞ」

 

 わぁわぁと大声でグラウンドを指さす聖ちゃん。

 可愛いなぁ。そんなにムキにならなくてもいいのに。

 俺は苦笑しながら、グラウンドに目をやる。

 九回、十三点差という大差ながら先発のあおいちゃんがまだマウンドに登った。

 相変わらず綺麗なフォームから、ビュンッ! とここまで音が聞こえそうなほど速い腕の振りで、あおいちゃんがボールを投げる。相手はそれを空振った。

 それをパワプロくんは一糸乱れぬミットさばきで捕球する。

 

「凄いね」

「……うん、凄い」

「ああ、正直今は勝てる気がしないが……でも、勝たなきゃ甲子園にはいけないぞ」

「そうだね。じゃあ、俺達はもっと凄くなろう」

 

 俺の言葉に、二人は頷く。

 次は負けない。いくらでも成長してくれ、パワプロくん。俺達は――それを超えて、もっともっと凄くなるからね。

 

「ストライクバッターアウト! ゲームセット!!」

 

 審判がゲームの終了を告げた。

 それと同時にパワプロくんはキャッチャーマスクを外して、あおいちゃんとグラブでタッチを交わしている。

 

「……いこうか」

「ああ、行こう」

「そうね、負けてらんないし」

 

 いてもたっても居られなくなって俺達は席を立つ。

 観戦したのは僅か一〇分ほどだったけど、それでも十分に燃えた。

 俺達はその場を立ち去る。

 次にあの舞台に立つのは俺達だ。

 

 

 

                  ☆

 

 

 

「うはー、早川ちゃん可愛いっすね、ドラフトで取ったら人気出るだろうなぁ」

「それもドラフトで取る理由になることもある。他には?」

「影山先輩、まだ俺初めてなんすから……えっと、友沢って子はいいっすね。左右に打ち分けるバッティング、東條くんのパワーも捨てがたいですね」

「……うむ」

「そして――葉波風路……彼はなんというか、タイプがわかりづらいですね。打撃のいい捕手なのか、守備のいい捕手なのか……ただ」

「ただ?」

「わくわく、します」

 

 スタンドで見守る人々の中には少なからず影山やこの若人のような、所謂"スカウト"が居る。

 それが甲子園であればなおさらそのような人物は多い。

 ――その中に、名スカウトと呼ばれる人間は、恐らく両手の指で数えられる程しかいないだろう。

 そして、その中の一人がこの男、影山だ。

 影山は球団の若手スカウトを連れて観戦に訪れている。自分でもスカウティングしながら、若者にスカウトのノウハウを教えているのだ。

 

「――うむ、ならばいい」

「え?」

「そのワクワクが大事なんだ。この選手をみたい、この選手のプレーを目に焼き付けたい。――そう思えるようなプレーをする奴が、プロでは名を残す」

 

 影山は微笑みながら、視線をグラウンドへと落とす。

 そこに立つ選手は、試合終了後の挨拶を追え、ハイタッチを交わしながらベンチへと帰っていく。

 

「彼にワクワク出来たのなら、お前には見る目が有るということだ。私はこのあとも恋恋を追うが?」

「……ついていっても、良いスか」

「勿論だ」

 

 影山は頷いて席を立つ。今日のスカウティングレポートを纏めなければならない。葉波風路と友沢、東條、そして早川あおいのデータを送らなければ。

 若手を連れて影山は球場を後にする。

 恋恋高校の二回戦の相手を思い浮かべながら、影山はくすりと笑みを浮かべた。

 

 

 

                  ☆

 

 

 

「緊張したでやんすー」

「ホントにね」

 

 矢部くんと新垣が、ほうっと息を吐きながらパワリンを飲み干す。

 試合が終わり、宿屋に戻ってロビーの自販機の前に立つ。傍らでは矢部くんと新垣が勝利の余韻を引きずったままぼーっとしていた。

 そんな様子を見ながら、俺はピ、と自販機のパワリンのボタンを押し、出てきたパワリンの栓を開けてぐいっと中身を飲む。

 

「ぷはぁっ、ふぅ。甲子園はいいな」

「うん、凄く楽しかったっ」

 

 うおっ! ビックリした!

 ぴょこ、と言った感じであおいが横から顔を出してくる。俺の後ろに居たのか。全く気づかなかったぜ。

 あおいは俺の手からパワリンをひょいと奪うと躊躇うことなく口につける。あ、間接キス。

 っつか、もう"本物"の方までしてるんだからそんな事気にしなくてもいいか。俺ってもしかして結構子供なのか?

 こきゅこきゅとあおいがパワリンを飲み干す。まあ今日は炎天下の中完投したんだ。文句は言えねぇか。次やったら頭ぐりぐりするけどな。

 

「今日あおいは完封したしな?」

「うんうん、えへへ、次の試合も楽しみだなぁ」

「あ、次の試合はあおいはベンチスタートな」

「うん、勿論初回から飛ばしていくよ! ……あれ?」

「ん? どうした?」

「……今……ベンチスタートとか言われたような……」

「おう、普通にベンチスタートっつったぞ。リリーフ待機な」

「っしゃっ」

 

 俺が言うと、あおいは信じられないような物を見た顔をしてぱくぱくと金魚のように口を開閉する。可愛いなこの子。俺の彼女だけど。

 そんなあおいの向こう側で、一ノ瀬が静かにガッツポーズしたのを俺は目撃した。

 

「ななな、なんで!? どうしてぇ!? ボクなんかいけない投球しちゃった? 今日完封出来たから凄く良かったと思ったんだけど! あ、もしかして今日のリードで高めが多かったのってボクの球が悪かったから!?」

「違いますよ早川先輩。甲子園は広いから高めを使ってリードの傾向を散らすって試合前にいっていたじゃないですかー」

「覚えてるけど、覚えてるけどぉ!! うううー! じゃあどうして先発が一ノ瀬くんなの!?」

「まあ理由も何も簡単な話なんだけどな? 早川、ずーっと先発で連投してるだろ? あっ、ちょ」

 

 俺が新しいパワリンを買って飲もうと思ったらあおいがそれをバッと奪う。納得した答えが出るまで返さないつもりか、くそう。

 

「連投って……確かにそうだけど……」

「だからだよ。これからかなり登板間隔が狭くなるから休まないとな。一ノ瀬を先発させるために今日はあおいを完封させたんだ」

「うー、でも、でもぉ……」

「ま、俺も一ノ瀬はリリーフタイプが合ってると思うけど――勝手にそう決めるのは良くないだろ?」

「さすがパワプロくんだ。次の試合は任せてくれ」

「おう、任せたぞ一ノ瀬」

「ぶー……」

「膨れるなってあおい。出番は有るだろうし、お前の為なんだからさ?」

「……分かったー」

 

 まだぶーぶーと文句を言いながら、あおいは俺にパワリンを返してくれる。

 あおいは何だかんだいって調整に従ってくれるからな。助かるぜ。プライドの高い投手はこういう調整法は嫌がるから別の理由を提示しないといけないからな。猪狩だったら決勝に絶好調を持ってく為に休んでもらうとかかな。

 

「んじゃ、二回戦は一ノ瀬先発だ。がんばるぞ」

「うん! 二回戦の相手は、えと」

「南ナニワ川高校だな」

 

 言いながら、宿屋のロビーにあるテレビにスイッチをつける。

 ちょうど俺らの試合の後の第三試合が始まっていた。

 

「お、打った」

 

 テレビの中の打者がセカンドベース上でガッツポーズをする。先制点があっという間に入ったようだ。

 さて、んじゃま部屋に戻ってデータでもまとめるか。

 

「彩乃ー」

「はいですわ。準備は出来てましてよ」

「彩乃ちゃん、そのデータ纏めたのは私だよぅ」

「七瀬はるか! 静かになさいっ! どうぞですわ、パワプロ様!」

「おう、サンキュー。これが南ナニワ川高校のデータの全部か?」

「ええ、七瀬さんと主に私のデータ回収班で集めましたわ。こちらが去年と今年の公式戦全部の勝敗記録です。細かい配球などのデータは残念ながら……ただこちらのDVD三枚が今年の予選大会全部のデータです。これがあれば配球などの対策は立てれると思いますわ」

 

 ドサリ、なんて音が似合いそうな大量の紙とDVDをロビーの机においてにっこりと彩乃は微笑む。

 すげー。対戦相手決まったの今日の第一試合の結果からだったのに、モノの四時間でこんなにデータ集めたのか。

 こりゃ頼りになるぜ。

 

「さすが彩乃だな。これからも頼むぜ」

「はうんっ! お、おまかせくださいませ!」

 

 キラキラと目を輝かせて彩乃がこちらを見つめる。

 野球の楽しさが伝わったのかいきいきとした表情だ。うん、彩乃も野球が生きがいになるかもな。

 

「むむぅ……パワプロくん、パワプロくん、ボクも一緒に見ても良い? 一応登板するかもだし」

「おお、勿論だ。後は進と一ノ瀬も頼む」

「はい、そのつもりです。部屋まで運びますね」

「ああ、悪い。どうしても捕手一人の頭で考えると意見がよっちまうからな。進が居てよかったぜ」

「僕は要らなかったのかい?」

「言うまでもないだろ?」

 

 一ノ瀬はそれもそうか、などと言いながら部屋に歩き出す。

 矢部くんと新垣はぼーっと試合を見つめている。暇なやつらだなぁ。

 

「……はっ、も、もしかして私……す、進さん以下の必要度ですわ!?」

「彩乃ちゃん、もう諦めようよ……あおいにはさすがに敵わないよ?」

「い、嫌ですわ。付き合っているのはわかっていますがこの世に絶対はないのです! 野球は九回ツーアウトから! 恋愛も一緒ですわよ!!」

「もう九回ツーアウトどころか試合終了してヒーローインタビューが終わった所だと思うけど……」

 

 ん? 彩乃と七瀬がなんか端っこで楽しそうに話してる。

 よかったよかった、アイツら仲悪かったみたいだけど仲良くなったみたいだな。

 

「いやー、野球って凄いな、いがみ合ってた者同士も仲良くしてくれるし」

「野球関係無いしどっちかといえば対立を煽ってるとも言えるんだけど……」

「ん? あおい? なんか言ったか?」

「ううん、なんにも。ボクたちも行こ?」

 

 ぐいぐいとあおいに腕を引っ張られるように部屋に向かう。

 次の試合は五日後。その前までにしっかりと対策は立てとかないとな。

 



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第十七話 "八月二週・夏の甲子園二回戦vs南ナニワ川高校" 乱調とキャッチャー

             八月二週

 

 

 

『さあ始まります。夏の甲子園大会第二戦。恋恋高校vs南ナニワ川高校。エース館西を擁する南ナニ

 

ワ川高校対、強力な打線を売り物にする恋恋高校。勝つのはどちらでしょう! いよいよプレイボールです!』

 

 挨拶を終え、ベンチへと戻る。

 俺達は先攻だ。矢部くんが早速バッターボックスに向かう。

 

「さて、館西攻略するぞ。あおい、復習」

「うん。えっと、たしかマックス一三二キロの軟投派で、制球力が凄くいい。フォームはオーソドックスなデータ重視の選手。これといった決め球は見当たらないけど、球種が多くて打ち取られやすいから、球種を絞って対応する」

「おっけ。んじゃ行くぞ!」

 

 オーダーは先発が一ノ瀬のため、少し変わって。

 先攻のこちらは、

 一番遊 矢部。

 二番二 新垣。

 三番捕 俺。

 四番右 友沢。

 五番三 東條。

 六番中 進。

 七番左 明石。

 八番一 石嶺。

 九番投 一ノ瀬。

 こんな形になる。

 全体的に見れば打撃力は向上してる。打てないあおいがベンチスタートだからな。

 後攻の南ナニワ川のスターティングメンバーは、

 一番中 中谷。

 二番一 紀田。

 三番三 大山。

 四番左 大浦。

 五番二 木口。

 六番右 日間。

 七番遊 白浜。

 八番捕 平出。

 九番投 館西。

 となっている。

 この中で注目すべきは五番の木口。セカンドでありながら予選では六本の本塁打を放っているプロも注目する打者だ。甘く入れば手痛い一撃を食らう可能性も高い。ランナーを木口の前に溜めないようにしないとな。

 

 ウゥゥウウウゥウー!! というサイレン。

 

 プレイボールの合図であるサイレンが鳴り響くと同時、館西がボールを投げた。

 スパァン! とボールはインハイに投げ込まれる。球種はストレート。

 

「ストラーイク!」

 

 審判の手が上がってストライク判定が取られる。

 ボール気味だと思ったんだが……今日の球審は高めに広いのか?

 館西が二球目を投じる。

 コースは再びインハイ。今度は矢部くんも反応し打ちに行く。

 

 だが、そのボールは矢部くんの手元で食い込むように変化する。

 

 スライダーだ。そう思ったときには遅い。

 ガキンッと鈍い音を響かせて打球はファースト真正面に飛ぶ。

 ファーストがそのままボールをキャッチし、ファーストベースを踏んでワンアウト。

 矢部くんに対してはインを二つ続けた。まあ妥当な攻めか。外に逃げれば上手く流し打つ技術はあるしな。

 館西は続く新垣に対しては初球にカーブ、続く二球目に矢部くんと同じような感じでインコースに食い込ませるシュートを使いファールさせてカウントを2-0にした後、高めのストレートを打たせてレフトフライに打ち取った。

 確かにデータ通りストレートのスピードは物足りないし、一つ一つの変化球も前もって調べたように圧倒的なキレは無い。

 だが、そんなストレートと変化球も組み合わせれば打ち取ることが出来るようになる。

 所謂投球のコンビネーションってやつだな。

 緩いカーブの後にストレート。インへのストレートの後に外へと逃げるスライダー。高めのストレートを見せた後のフォークボール。

 代表的な攻め方を三つ上げたが、これ以外にも打者を惑わす組み立てはいくつも存在する。それらを操れば――例え球速が足りなくても変化球で空振りを取れなくてもアウトを積み重ねることは可能なのだ。

 

『バッター三番、葉波くん』

 

 そして今、俺達の前に立ちふさがる南ナニワ川のエースである館西勉もそうやってチームを此処まで導いてきたのだ。

 打席で構える。一、二番は楽に討ち取られたが此処からはクリーンアップだぜ。今大会ナンバーワンなんて評価されている恋恋高校のクリーンアップに対してどう配球する? 生半可なコンビネーションじゃ簡単に対応するだろうぜ。

 特に俺は配球を組み立てるのが本職のキャッチャーだ。あまりにも真っ直ぐな配球ならそれを読んで打つ事だって出来る。

 裏をかきつつ有効な攻めをしなきゃ俺は打ち取れないだろう。さあ、来い。

 館西が初球に選んだボールはインハイへのストレート。

 

 それも、頭に当たりそうなほど厳しいコースだ。

 

 思わず仰け反って倒れ込みながらそれを避ける。

 っぶねー……今避けなきゃあたってたかもしんねーぞ。まさか制球乱したんじゃねーだろうな。

 

「えらいすんません」

 

 館西が帽子を外してすぐに俺に謝ってくる。

 くそ、意図的か抜けたのか判断しづらいじゃねーか。

 ……でも甲子園の二回戦だぞ。初戦じゃあるまいし緊張した、何て事有り得るか?

 二球目、館西はアウトハイにストレートを投げ込んでくる。コースも甘めだ。

 だが、俺はそのボールだが捉えきれずに真後ろへのファールチップにしてしまった。チッ、一球目が厳しいコースだったせいか踏み込めなかったか。そのせいで強くバットを当てることが出来なかったな。

 これで1-1。コンビネーション的には緩いボールを使いたいところだが……。

 三球目、館西はほぼど真ん中にスライダーを投げてくる。思いっきりバットを振りそれを真芯で捉えるが、ボールは僅かにサードの左へと飛んでファールになった。

 

(チッ、振れ過ぎた。アウトハイの後甘いスライダーだったから思わず始動が速くなったぜ。これがストレートならツーベースコースだったんだけど)

 

 構え直しながら館西を見る。

 一球目から三球目までコントロールミスとしか思えない球だ。インハイの危険なコース。二球目はホームランも有り得る打者に対して高めの甘いストレート。そして今のボールも制球を乱せばホームランになりやすいスライダーがど真ん中。これは意図的じゃない。どう考えても緊張して制球を乱しているんだ。

 

(だとすれば2-1に追い込まれてるのもあるし、次の球は好球必打で行くぞ。際どいとこは見逃す)

 

 三振の可能性があるこの場面で見逃すのを念頭に置くことは本来ならば有り得ない事だ。

 だが、相手が際どいコースに投げ込めないほど緊張しているのなら話は別。投手が甘いところに投げてはいけない打者に対して甘く投げてしまうような状態なら、ここは見逃して甘い球を捉えるのに重点を置いたほうがいい結果は出やすいだろう。

 館西の俺に対する四球目。

 腕を振るって投げられたボールはアウトローへのストレート。

 それも、通常時でも思わず手が出ないような絶妙なコースに投げ込まれた館西の球速マックスの球だ。

 見逃すと自分に言い聞かせていたお陰で俺は手が出ない。審判は数瞬迷い、手を高々と上げて、

 

「ストラーイクバッタアウト!!」

「なっ……」

「何かね?」

「……いえ、なんでもありません」

 

 アウトコールを宣告された俺はベンチに急ぎ足で戻る。

 その途中、俺はちらりと横目で館西の表情を見た。

 キャッチャーと走りながら帰る館西の姿に焦りや甘いところに投げ込んじゃって危なかった、なんていうしまった、という表情は気配はない。

 ……やられたな。

 

「珍しいなパワプロ。お前が見逃し三振とは」

「ああ、やられた。相手バッテリーに騙されたぜ。制球乱してんのかと思ったけど違うみてーだ。気ィつけろ。あいつら優しそうな顔に見えて――その実、狸みてーだぜ」

「なんだ、パワプロか」

「なんだ、パワプロくんでやんすか」

「なんだ、パワプロね」

「……なんだ、お前か」

「なんだ、パワプロくんか」

「なんだ、パワプロ先輩ですか」

「オメーらちょっと表出ろ」

「はは、これから守備だから表に出るよ」

 

 くそー、あいつらめ。好き放題いいやがって……!

 まあ仕方ない。相手の術中にハマったのは確かだしな。

 次の打席では覚えてろよ館西め。そう簡単に二度は打ち取られねーぞ。

 ……さて、打者としての考えは終わりだ。次は捕手としてやらねぇとな。

 防具をつけながら一ノ瀬を見た。

 久々の先発でわくわくしているのか、一ノ瀬はマウンドをじっと見つめながら俺を待っている。

 

「……うし、終わり。一ノ瀬、先発久々だな」

「うん。そうだね」

「しっかり投げて来い。今のお前の力、全部引き出してやっから」

「分かってる。頼むよ」

 

 俺が言うと、一ノ瀬は微笑んでマウンドに向かう。

 よし、この信頼に答えてやんねーとな。

 投球練習を終え、南ナニワ川の一番打者、中谷が左のバッターボックスに入る。

 特筆すべき打者ではないが甲子園まで来るチームの一番だ。舐めて掛かったら痛い目にあうぞ。

 特に一ノ瀬は久々の先発だ。手綱は緩めずにしっかり取らないとな。

 

(初球はアウトローへストレート。来い)

 

 一ノ瀬が頷いて、初球。

 パァンッ! とストレートを捕球するがコースは甘い。ど真ん中高めだ。

 緊張しているのか腕が振り切れてないぞ。そのせいで制球がしっかり定まらないんだ。

 しっかり腕を振れとジェスチャーを送り、今度はスライダーのサインを出す。

 頷き、ふぅ、と一息ついて一ノ瀬は再び腕をふるう。

 が、甘いっ……! 殆ど抜けた棒球だ!!

 二度目の甘い球を中谷は逃さない。しっかりとフルスイングで捉えた打球は石嶺の頭を超えてライト線を抜けていく。

 友沢が捕球し新垣にボールを返すがランナーは二塁へと到達した。

 ワァッ、とスタンドが歓声を上げる。

 

「大丈夫だ一ノ瀬! まだ一回だし、一点くらいならやっていいぞ!」

「わかっているよ。大丈夫」

 

 ロージンバッグを手に取ってボールを握り、一ノ瀬は二番の紀田に目をやる。

 紀田は打席に入った途端バントの構えを取った。確実にランナーを三塁に送って先制点を取るっつーか作戦か。……なら、そのワンアウトを確実に貰おう。

 ただ甘い球を投げることだけはしない。あかつき大付属との予選決勝戦での反省は活かすぞ。

 要求するボールはストレート。

 コースはインローだ。

 びゅっ、と投げ込まれるストレートだが球速が出ない。

 紀田はバットにボールが当たった瞬間ファーストに向けてスタートする。

 転がったボールを東條は思わず見送る。ライン際のきわどい所だ、見逃せばファールになるかもしれない。

 

「……っ、切れないか……!」

 

 だが、ボールはそれ以上ファールゾーンへとは転がらなかった。

 東條がとって素早くファーストに投げるが間に合わずに内野安打になる。くっ……! いいところに転がったな。

 これでノーアウト一、三塁。まじいな、立ち上がりだからか一ノ瀬の調子が悪すぎる。下手すりゃ大量失点も有り得るぞ。

 バッターは三番の大山。ランナーが一塁と三塁だ。多分ファーストランナーはセカンドへ盗塁するだろう。

 一、三塁でファーストランナーがセカンドに盗塁すれば、サードランナーはスタートを切る可能性が高い。通常時は投げてもセカンドベースの前でベースカバーにカットされてバックホームに備える、という流れになるため、ファーストランナーのセカンド盗塁は成功しやすいのだ。

 更に言えばサードランナーは俊足。ここは警戒してセカンドにカットさせるケースが殆どだろうしな。

 ――だが。

 

 一ノ瀬が振りかぶる。

 

 ――そんな一般論の野球をしていては上には進めないだろ。

 今一ノ瀬は立ち上がりで不安定。その一ノ瀬を通常の状態に戻してやらなきゃいけない。

 そして、それが出来んのは俺だけだ。

 

 それを見て、ファーストランナーがスタートした。

 一ノ瀬が放ったボールはストレート。高めに抜けた力の無い球だが球速は一三〇をマークしているだろう。

 それを捕球した瞬間、セカンドに送球する。

 同時にサードランナーがスタートをするが関係ない。セカンドでカットすることなく矢部くんが送球を受け取ってセカンドに滑りこんできたランナーにタッチした。

 その間にサードランナーがホームに帰る。

 

『先制点は南ナニワ川ー! ダブルスチール成功ー!』

 

 先制点は許したがこれでいい。ワンアウトだがランナーはいなくなった。

 ノーアウト二、三塁でクリーンアップより一点やってでもワンアウトランナー無しの方が大量失点にはなりにくいからな。

 一息つけたか? 一ノ瀬。ワンアウトを取った……落ち着いて投げればお前のボールは打てない。しっかり投げてこい。

 大山に対してはインローのスクリューから入るぞ。ランナーが無くなってもう一度チャンスを作りたい場面、初球から積極的に来るだろうからな。

 ストレートで不用意に入ると大きいのを撃たれるかも知れない。かといってスライダーは投げそこないが怖い。カーブは決め球に取っておきたいとなればスクリューが一番だ。それを食い込ませるように投げれればある程度制球が乱れても大丈夫。

 一ノ瀬が頷いてスクリューを投げる。

 左打者である大山に喰い込むように変化するボールだ。

 

 それを大山はわかっていたかのように体を開き引っ叩く。

 

 キンッ! と快音を残してボールは右中間に飛んでいった。

 

「ショート中継! 三つはないぞ!」

 

 くっ、完全に読み打ち……! 俺が考えてスクリューを投げさせるのを読んでやがったのか……!!

 進に指示を出しながら俺は歯噛みをする。

 進はボールを捕球し素早く中継に返すが、大山はセカンド上でガッツポーズを取った。

 ツーベース。これで一アウト二塁、再びチャンスメークされてしまった。

 完全に俺の頭の中が読まれてる。配球のパターンを変えた所で、今の一ノ瀬じゃどんな球でも首を振っても今の一ノ瀬の球じゃ抑える事は難しいぞ。

 一ノ瀬の元に走る。

 一ノ瀬は額に珠のような汗を浮かべて苦笑いをした。

 

「悪い、今のは完全に決め打ちだったな」

「仕方ないよ。僕もスクリューを選択した。……今日はやな感じだ。球にスピンがかからない」

「ああ、確かに不調だな……次は四番だ。此処まで相手は速いカウントから打ってきてるし、外角を中心に攻めようと思うんだけどどうだ?」

「それがいいだろうね。ただスライダーは投げたくない。温存とかそういう訳じゃなくて――投球練習からだけど、僕は結構弾く感覚でスライダーを投げているんだけど、今日はその感覚がない。完全に抜けている」

 

 確かに、先頭打者へ対してスライダーが抜けてたな。

 じゃあ今日はほぼスライダーは使えない、封印するべき球ってことか? 決め球が一つ使えないってのは想像以上に重たいぞ。

 

「なるほどな……スライダーが使えないとなると右打者にインへ食い込む球、左打者の逃げていく球が使えないってことか……分かった。それで組み立ててみる」

「うん、助かるよ」

「んじゃ、頼むぜ」

 

 俺は一ノ瀬から離れてキャッチャーズサークルに戻る。

 四番の大浦が打席に立つ。

 南ナニワ川はデータを活かすのが抜群に上手いチームだ。一回の攻防を見てもはっきりとそれが分かる。

 それでも一ノ瀬の調子が良ければ何とでも出来たが、一ノ瀬がこれだけ不調だとリードや使える球なども限られてくる。そのせいでパターンが均一化――結果、このようにリードを読まれて打たれるということになりやすい。

 

(アウトコースへカーブだ)

 

 もうなりふり構っていられない。カーブを投げさせてでもこのピンチを切り抜ける。

 この一回を切り抜ければ一ノ瀬も復調するかも知れない。此処は持てる力で全力で抑えるぞ!

 一ノ瀬がふぅ、と一息をついてボールを投げる。

 ブンッ! と大浦がそれを空ぶった。

 よし、少し甘く入ったがいきなりカーブってのは頭に無かっただろ。

 ボールを投げ返す。

 次はインコースへのストレートだ。甘く入っても緩急があるから打ちにくいハズだ。

 頷いて、ボールを投げ込む一ノ瀬。

 ――だが、ボールは大きく内側にズレる。

 マズイ! と思ったときには遅かった。

 ドカッ、と大浦のお尻にボールが直撃する。

 

「デッドボール! バッターテイクワンベース!」

「だ、大丈夫ですか?」

「いっつつー、大丈夫やで、そっちが制球乱しとんのは分かっとるし。しゃーないしゃーない」

 

 大浦は痛そうにお尻を摩りながらしながらファーストベースへと向かう。

 でもそれ以上に痛いのはこっちだぜ。一番出したくないランナーを出してしまった。

 しかもまだワンアウト――ゲッツーが有るとは言え、プロ注目の五番バッター、木口を一、二塁というピンチで迎えることになるなんてな。

 ちくしょう、相手の攻撃が長いぜ。

 泣き言言っても仕方ない。初球は外へのカーブ。逃げるように投げてもらう。

 パンッ、と捕球するがこれは外れてボールになる。くそ、いつもの一ノ瀬なら入れてくれるけど今日は本当に調子が悪すぎるぞ。

 二球目はストレート。内角低めに投げさせたかった球だがワンバンのボールになった。

 0-2。ここは歩かせてもいいが、今日の一ノ瀬の調子だと押し出しも考えられる。

 特に今日の一ノ瀬は左打者に対して攻めづらそうだからな。次のバッター日間も左打者。ここでフォアボールで逃げたとしてもジリ貧だ。

 

(眼の前の打者を抑えなきゃ道は開けない。来い、一ノ瀬!)

 

 要求した球は再びストレート。外角低めに構えた所に一ノ瀬はストレートを投げ込んでくる。

 僅かに甘くなったストレートだが、これを木口は振らずにストライク、1-2でバッティングカウントだ。

 よしこれは入った。これを上手く使いたいが、どう攻めるべきか……。

 シュートのサインを出す。

 一ノ瀬は首を横に降った。まぁそうか。ここでシュートを使ったら決め球がほぼ無いのと同じだ。ここでシュートを使う訳にはいかないか。

 少し迷って、俺はスクリューを選択する。

 ゲッツーを取りたい場面、追い込んでないこの場面でシュートを使うことも相手は頭をよぎるはず。このスクリューは読みの範疇外だろうからな。

 一ノ瀬が頷いて、インコースにスクリューを投げる。

 よしっ。コースも完璧だ――

 

 ――そう俺が思った瞬間、木口はそのスクリューを掬い上げた。

 

 カァン!! という音が響き渡る。

 今の打ち方、スクリュー待ちとしか思えない。

 まさか南ナニワ川は配球を呼んだとかそういう訳じゃなくて、ただスクリューを狙い打ってただけなのか!?

 一番打者は抜けた甘いスライダーを反射的に振り抜いた。

 二番打者はバントヒットだからこれは無い。はっきり言ってラッキーヒットだ。

 ランナーが無くなった三番打者の大山にはスクリューを振り抜かれた。組み立てを読まれたかと思っていたが、違う。

 最初から、最初から――スクリュー狙いだったのか……。

 

 レフトの明石がボールを見送る。

 

 掬い上げられたボールはレフトへの特大のスリーランホームラン。

 木口がセカンドベース手前で大きくガッツポーズをする。

 一ノ瀬はマウンド上で俯き、俺は呆然とそれを見ることしか出来なかった。

 俺のせいだ。俺の読みが甘かったせいで初回に四失点だ。

 くそ……っ!

 

『入った―!! スリーランホームラン! あかつき大付属に勝利した恋恋高校、まさかの南ナニワ川に初回四失点! リリーフの一ノ瀬を先発に回す作戦は失敗かー!』

「タイム! 内野集まれ!」

 

 こんな速い回から早川を出すわけにはいかない。けど、この流れはかえないと……。

 正直いって今日の一ノ瀬に対して俺には打つ手がない。なら此処で出来ることは一つだ。

 

「え、えぇ!!?」

「ほ、本気でやんすかパワプロくん!?」

「ああ、ある程度やったことあるし、取れる方法はこれくらいだろ」

「……すまない、パワプロくん。折角先発になれてキミとバッテリーを組める試合だったのに……」

「気にすんな、それも含めて俺にリードする力が無かっただけだ。……さて。進!」

 

 センターから進を呼び出す。

 呼ばれた進はセンターから走ってくる。

 

「悪いな」

「いえ、どうしました?」

「俺のリードが相手の考えのドツボにはまってる。今の俺の力量じゃ今日の一ノ瀬を引っ張るのは難しい」

 

 それでも投手は変えれない。

 なら――変えれるポジションは一つだけだ。

 

「――頼むぜ。キャッチャー」

「……っ」

 

 進の顔が驚愕に染まる。

 そりゃそうだよな。いきなりキャッチャーやれって言われたら誰だって驚くもんさ。

 けど、この場面で頼れるのは進しか居ない。頼むぞ。

 

「出来るだろ? ブルペンで一ノ瀬と組んだことも多かったはずだ」

「……はい、出来ます。……ですが、パワプロさんはどうするんですか……?」

「ファーストに入るよ。石嶺、悪い」

「うん。分かってるよ。絶対逆転してくれよ」

「ああ。分かった。すみません、選手の交代です」

 

 よってきた審判に交代を告げる。

 

「ライトの友沢がセンター、センターの猪狩がキャッチャーに入り、キャッチャーの葉波がファースト、レフトの明石がライトに入り、ファーストの石嶺が下がって、レフトに三輪が入ります」

 

 交代を告げて一度ベンチに戻った。防具とか外さねぇとな。

 防具を外しファーストミットを石嶺に借りてファーストへ向かう。

 その途中、あおいが心配そうな表情で俺を見つめているのが見えた。

 俺はあおいにピ、と親指を立ててからファーストに立つ。

 

『ここで恋恋高校、大幅にポジションを変えます。なんと扇の要、葉波がファーストに! 投手は変えずセンターの猪狩進がキャッチャーに入ります!』

 

 頼むぜ進。流れを変えてくれ。

 ピッチャーの交代じゃないので投球練習はない。ぶっつけで一ノ瀬の球を取らなきゃいけないんだ。

 バッターは六番の日間。

 話し合いが終わった進と一ノ瀬は別れ、進がキャッチャーズサークルに座る。

 そして日間に対して一ノ瀬の初球。

 初球に進が要求した球は――ストレート。

 それもワンバンするほど低めの球だ。

 ドッ!! と地面でバウンドした球を進は悠々とキャッチする。

 

「ボーッ!」

 

 審判が声を上げてボールを宣告する。打者の日間も余裕綽々といった表情で再びバットを構えなおした。

 今の球の目的はなんだ? 一ノ瀬が制球を乱しただけに見えるが、進は表情も変えず一ノ瀬ににっこりと笑みを送る。

 二球目、脚を上げて投げられるボールはインコースへのストレートだ。

 バシンッ! と進がそれを捕球する。

 おっ……今の球は普段の一ノ瀬のボールみたいだぞ。進もミットを動かさなかった。

 これでカウントは1-1か。次に進は何を投げさせる?

 三球目のボールはカーブ。アウトコースぎりぎりへと落ちるように投げられたボールを日間は空振った。

 あっという間に追い込んだ。この打者に対する一ノ瀬の投球は俺が受けていた頃と一八〇度違う。いつも通りと呼んでも良いような投球だ。

 立ち直った一ノ瀬にとって下位打線など相手ではない、結局一ノ瀬は日間、白浜、平出をサードゴロ、三振、ファーストフライに打ち取った。

 スリーアウトチェンジ、一回裏にまさかの大量四失点をしてしまったものの――キャッチャーを変えた途端に一ノ瀬は普段の投球を取り戻したんだ。

 ベンチに帰りながら思う。

 すげーな。進の奴……どうやって一ノ瀬の力みを取ったんだ?

 

「進」

「パワプロ先輩?」

 

 レガースだけは外さないようにしつつ、その他の防具を外す進に話しかける。

 進は少し驚いたような顔をする進に俺は近づいて、

 

「一ノ瀬をどうやって立てなおしたんだ? 調子悪かっただろ?」

「……えっと、言いにくいんですけど……調子が悪かった訳じゃないんです」

「何?」

「一ノ瀬さんは緊張してたんです。初戦は出番が無かったですから、初甲子園のマウンドで更に久々の先発登板……緊張してカチコチで腕がふれてなかったんですよ」

「ああ、なるほど……」

 

 確かにそう思えばすべて合点が行く。腕が振れて無かったのも緊張によって硬くなってたからか。

 それくらい気づいてやれればよかったな。

 

「……それで、どうやって緊張を解いたんだ?」

「僕も実はパワプロ先輩が卒業するまで知らなかったんですけど、実は兄さん達が卒業してから組んだ投手は極度の上がり症でして」

「ふむ」

「それでどうすれば緊張がとけるかなーと考えたときに、とりあえず一球、腕を振ることだけを意識して投げさせるといいって思いついたんです」

「へぇ……」

「はい、そうすれば腕を振る感覚だけは思い出せるでしょうし、例えばワンバンとか大暴投とかになってもただの笑い話で済むでしょう?」

 

 なるほどな。確かに投手は立ち上がり緊張したり感覚がつかめなかったりで不安定な事が多い。

 とある大投手が先発の際にわざと大暴投をすることで自分の緊張を解いた、なんて逸話も聞いた覚えがある。つまりは腕を振る感覚を思い出させるため、初球はわざとあんなワンバンの球を投げさせたのだ。

 

「つーと、マウンドで話してた事って……」

「"ワンバンでも大暴投でもいいのでめちゃくちゃに腕振って投げて僕の緊張をほどいてください"ってお願いしました」

 

 進はにっこりと笑う。

 さすが進、投手の操縦が上手い事この上ない。

 捕手が投手より年齢が下だと遠慮が生じてしまったりするもんだが――自分が下級生というのを最大限に利用して一ノ瀬の緊張を解いたんだ。俺じゃこうは行かないだろう。

 

「……お前にゃ敵わないな」

「そんな事ないですよ。たまたま今回は僕が知っていたことがあっただけです」

 

 くす、と笑いながら微笑み返してくれる進。

 ああ、ホントにこいつがチームメイトでよかったぜ。

 

「今日の試合のコントローラーはお前で頼むぞ」

「え? 一応次の回は行くつもりでしたけど……」

「相手さんを喜ばせるこたねぇだろ。捉え始められるまではお前で行く。たまにはファーストも守りたいしな」

「もう……」

 

 おどけるように言う俺に進は頬を膨らせながら、どことなくうれしそうな顔でグラウンドに目を向けた。

 と、俺と進の話を離れた所から聞いていたらしいあおいがとてとてと俺に近寄ってきた。ベンチで待っていて暇なのかな。

 

「パワプロくん。大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ。ちょいとヘマしちまったけどな」

「まだまだ一回の攻防が終わっただけだし、大丈夫だよ。ほら――」

 

 あおいが微笑みながらグラウンドに目をやる。

 それにつられるように俺がグラウンドを見た瞬間、バッターボックスの友沢のバットが快音を響かせる。

 友沢が放った弾丸ライナーがセンターの頭上を超えてそのままフェンスに直撃した。

 ドスンッ! と重々しい音を立ててフェンスから転がり落ちた打球をセンターが捕球し、ボールをショートに返す。

 その間に友沢は悠々とセカンドベースに到達した。

 

「相手に球を投げさせたでやんすね」

「配球はインコースへのスライダー二球。外へのシンカー一球、その後に投げられたインハイのストレートを腕を畳んでセンターオーバーね」

「さんきゅ」

 

 超警戒されてる配球じゃねーかよ!

 インに食い込むスライダー二球で存分にのけぞらせた後外の遠い所を緩い球でもって見せるのと同時にカウントを整え、そこまでお膳立てして決め球に投げたインコースのストレートを簡単にセンターオバーにするってどんなだよ。

 改めて凄さを痛感するぜ。味方でよかった。

 

『バッター五番、東條』

 

 続く五番は東條だ。

 東條に対して南ナニワ川バッテリーは外のシュートを見せた後ドロンと落ちるカーブでストライクを取って並行カウントにする。

 そして三球目に投じた外へ逃げながら落ちる緩いシンカーを、東條は踏み込んで流し打った。

 ッガカァン!! と鈍い音を響かせてボールは伸びていく。

 打球はそのままレフトポールの僅か右のフェンスに直撃するあわやホームランかという当たり。

 てんてん、と転がるボールをキャッチするレフトを館西はおののいたように見つめていた。あれだけ慎重に攻めたにもかかわらず結果がホームラン一歩手前の長打なら当然か。

 

「ナイバッチ!!」

「ああ、取られた分は取り返さないとな」

 

 ホームを踏んでベンチに戻ってきた友沢とハイタッチをしながら言うと、友沢は事も無げに言ってベンチに入る。

 打った東條はセカンドに到達した。

 あおいの言ったとおり試合はまだ始まったばっかだ。恐れる事はない。

 なんてたって俺達は俺達は打撃力に定評のあるチームなんだ。

 ノーアウト二塁。このまま押せ押せのムードにしたいところだぜ。

 バッターボックスに進が立つ。

 

『バッター六番、猪狩進』

 

 猪狩は俊足巧打の打者。館西ならインコースを中心に攻めるだろうな。俺だってそうする。

 けどな、進は伊達に六番は打っちゃいないんだぜ館西。そう簡単に初球からインコースに行くと――。

 

 カァンッ! とインコースのストレートを進はライトに引っ張り打つ。

 

 アベレージヒッタータイプだといっても引っ張る力がないわけじゃない。広角に打球を打ち分ける打撃センスと難しい球をヒットにする技術――それを併せ持つ進だって天才と呼ばれて良い選手だ。

 ……兄の影に隠れがちかもしんないけど。

 ライト前のヒットで東條は一気にホームへ帰ってくる。ライトはボールを中継に返しただけだ。

 これで更に一点を返して4-2。うし、速い内に二点返せたのはでかいな。

 続く七番の明石の打席で進は初球からスタートを切る。

 キャッチャーが捕球して二塁へ送球する動きを一瞬見せるが投げることが出来ない。完璧に盗んだ感じだ。

 これでノーアウト二塁。投球もボールでカウントは0-1。押せ押せだ明石。初球狙って行けよ。

 初球。明石は投じられたボールを右方向に打つ。

 平凡なセカンドゴロ。だがこれで進はサードに進む。ワンアウト三塁。犠牲フライでも得点出来る場面だ。

 続くバッターは八番の三輪。

 三輪も右方向を意識して、追い込まれた2-2からの五球目をしっかりと右打ちした。

 鈍い音を立ててファーストにボールが飛ぶ。その瞬間進はスタートを切ってホームへと突っ込んだ。

 ファーストはバックホームはせず、ファーストを踏む。

 これで三対四! よし! 一点なら簡単にひっくり返るぞ!

 続く一ノ瀬は三振に打ち取られてこの回が終了するが、二回表が終わって3-4。試合はまだまだ分からねぇ。あっという間にひっくり返してやるぜ。

 

「進。一ノ瀬の調子はどうだ? 球種は?」

 

 防具をつける進に話しかける。

 進の防具の着用を手伝いながら進の顔を見ると、進は少し考える顔をして、

 

「ストレートは普段通りになったと思います。でもやっぱり今日のスライダーは決まらないみたいですね。後はシュートもキレがあまり……」

「ストレートとカーブでどこまで行ける?」

「相手も甲子園に来るほどの打撃力は持っていますし、データもしっかり集めてるでしょうから……多分、三巡目まではのらりくらりでいけると思いますけど」

「三巡目か……」

 

 進の言葉を考える。

 三巡目。一回に出塁が多くあったから、次の二回の裏は九番の館西からだ。

 そこから三巡目まで少なくとも出塁が三人あると……。

 

「……ちょっと無理して、六回まで行けるか?」

「六回、ですか」

「ああ、残りの三回を早川で切り抜ける。どうだ?」

「それは最低でも、ってことですよね」

「そういうことだ」

「なら、完投させるつもりでリードしますよ」

 

 にこ、と進が笑ってマスクをかぶる。

 ……ったく、こいつめ。

 

「分かった。んじゃ頼むぜキャッチャー」

 

 進の頭をぽん、と叩いてファーストに走る。

 ホントにこいつは頼りになる後輩だぜ。

 二回の裏、南ナニワ川の攻撃。

 完全に立ち直った一ノ瀬は進のリードも合っているのかマウンド上で躍動する。

 先頭バッターの館西を三球三振に打ち取ると、左右を広く使った投球術で一番中谷、二番紀田をあっという間にゴロに打ち取った。

 三回の表の恋恋高校の攻撃は矢部くんから。一巡目こそ上手く討ち取られたが――そう易々と打ち取られるメンツじゃねぇんだ。見てろよ館西。

 

「ふぅ、行くでやんす」

 

 作戦は無し。何故なら――

 

 矢部くんに対しての初球、館西が選択したのは中に食い込んでくるシュート。

 俊足巧打の左打者である矢部くんに対して内に変化する変化球で詰まらせようという算段だったのだろう。

 でもな館西。その読みは甘いぞ。

 基本通りの配球は矢部くんには通用しない。

 理由は簡単、なんてたって矢部くんは、

 

 ――猪狩守のストレートを弾き返せる程の打撃技術を持っているんだから。

 

 矢部くんはくるりと体を回転させて内に食い込んでくるシュートを打つ。

 打球はファーストの頭を超えて、ボールはライト線にポトンと落ちた。

 

「ゴー!!」

 

 矢部くんはセカンドに疾駆する。打球が転々としている間に矢部くんはあっという間にセカンドベースを陥れた。

 ホントに頼りになる一番打者だよな、矢部くんってさ。

 続く新垣も右方向への打撃を心がけ、しっかりと引きつけ右方向に放つ。

 キィンッ、と書い音を奏でた打球はライト前へ転がった。

 それを見て矢部くんはサードを蹴り、ホームに帰ってくる。

 これで同点、なおもノーアウト一塁のチャンスか。

 バッターは俺。守備ではトチったからな。バットで取り返すぞ。

 さっきの打席じゃ考えを利用されたがこの打席はそうはいかない。失敗は取り戻さないとな。

 

「……ふぅ」

 

 目を瞑って息を吐く。

 落ち着け。館西の投球術にハマらなければ一つ一つのボールへの対処は難しくない。

 俺は猪狩から打ったんだぞ。自信を持て。

 自分自身に言い聞かせ館西を見据える。

 四対四に追いついた。ここで勝ち越せれば一ノ瀬はもう点はやらないだろう。

 館西が脚を上げてクイックモーションから素早く腕を振るいボールを投げ込んできた。

 初球を見逃す。インハイへのシュートだ。

 

「トーライ!」

 

 審判が腕を上げる。

 ぎりぎり入ったか。初球にインハイを使ってくるっつーことは俺には長打を打たせない自信があるということだ。

 初回の攻防で俺の読みを上回ったからな。もう俺は格下って扱いか?

 二球目もインコースのストレート。しっかりと見逃してこれはボールだ。

 

「ボーッ!」

 

 うし、これで並行カウントになったな。

 ここまでの配球を見ても長打を恐れる様子はない。

 三球目は外に緩い球、カーブをアウトローぎりぎりに落としてきた。

 

「トーライッ!」

 

 追い込まれる。

 インハイシュート、インハイストレート、アウトローカーブ……相手にとっては俺を理想的な配球で追い込めた形だ。

 後はインコースにシュートかストレートか、もう一球外の緩い球を見せるか――いずれにせよ、緩急を使ってインコースの球で仕留めたい所だろう。

 試合前にデータで見た館西は自分の気持ちを律する事のできる賢い投手だ。此処は速攻で勝負してくるなんてことは絶対にない。

 腐っても猪狩守からホームランを打った俺に対して、流れがたゆたっているようなこの場面なら尚更だ。

 恐らく館西は"もう打てない"と確信している相手にでも甘い攻めはしてこないだろう。例えば今打席に立ってるのがあおいだとしても、だ。

 四球目は万が一にも届かない遠目へ緩いカーブ。明らかに外したな。

 ボールカウントが2-2になる。

 次が勝負球だ。一球外れても良い保険がある場面で――インコースのギリギリを攻めてくるぞ。

 

(シュートを頭に置きながらストレートを待つ)

 

 館西がセットポジションから素早くボールを投げ込んだ。

 球種はシュート。コースは――

 

(打つっ!)

 

 ――インロー!

 ッキィンッ! と快音が響き渡る。

 打ったのを確認した瞬間、ファーストへと走り出す。

 ボールは角度が低いものの痛烈な当たりでレフトの左を破っていく。

 大浦がクッションボールを素早く処理し中継に返すが、新垣はサードへ俺はセカンドへ到達する。

 

「っふぅ」

「ナイバッチー!!」

 

 スタンドの歓声とベンチからのお褒めを浴びながらマウンドへと目をやる。

 タイムを取ってセカンドとショートがマウンドに集まって円陣を組んだ。

 はっきりと館西には焦りの色が見える。一打席終わっただけで相手を格付けしちゃダメだぜ館西。刻一刻とデータは変化するんだ。スコアラーのようなデータの価値観を持っている奴だと思うけど、そのデータを以って先読みしないとな。

 データを持って戦うのは凄まじい強みを齎す。俺達恋恋高校が甲子園に来れたのもデータがあったからこそだ。

 だが――それと同時にそのデータから得た情報を逆手に取られて利用されるというアキレス腱を抱える事にもなる。

 館西はデータを利用して初回を抑えて俺がリードする一ノ瀬から四点を奪った。なら今度は俺達がそのデータを利用する番だぜ。

 

「あかん、四番は敬遠や!」

「此処で敬遠しても五番に打たれりゃ同じやで! ノーアウトや! ランナー出すことが危険なこと位分かるやろ!」

「それでもアカン! さっきの打席見てへんかったんか? あんだけ丁寧に攻めたのに弾き返されたんやで! どっちかといったら東條の方が怖ない! 敬遠や!」

 

 ヒートアップした漏れて聴こえる声は捕手と投手の言い合いのようだ。

 リードは投手の館西が行っていたんだろう。投手が優位なバッテリーはこういう時に統率が取りづらくなるのが頂けないんだよな。

 やっぱり捕手が投手を引っ張るのが理想的なバッテリーの関係だぜ。

 結局敬遠することに決まり、友沢がファーストベースに歩く。

 続くのはバッター五番、東條。

 俺がキャッチャーならば此処では勝負を挑んだろうな。でもまぁ敬遠をしちゃいけないって場面でもない。ホームゲッツーが取れる可能性も出てくるし、友沢は当てるのが上手いから最低一点は入る可能性も高いだろう。

 

 ――だがそれでも、俺は東條の前にランナーを貯めるなんてことはしたくない。

 

 東條に打撃指導してもらい、チームメイトとして東條の打撃を一番近くで見てきた俺ならばそう思うぜ。

 友沢の方が確かにヒットにする技術はあるだろう。多分、その技術だけなら友沢は十年に一人と言われてもおかしくない程の逸材だ。

 ならば東條はその反対。

 

 ガッッキイインッ!! と快音が響き渡る。

 

 その打球の行方を確認するまでもない。

 東條は打ったバットを軽く投げながら、ゆっくりとファーストベースへと歩き出した。

 ドゴンッ!! と甲子園球場のバックスクリーンに打球は飛び込む。

 その瞬間、割れんばかりの歓声が甲子園を包み込んだ。

 友沢が巧打で十年に一人なら東條は強打で十年に一人の逸材だ。

 つまりはまぁ、友沢はヒットを打つ能力が有り、東條はホームランを打つ能力が有るってこと。

 ただ長打が打てる程度の能力ならこれほどまでに打てないだろう。

 友沢も東條も洞察力や動体視力、状況判断能力がずば抜けて高いんだよな。時代が違っていたなら"友沢世代""東條世代"と呼ばれていたかもしれない。……そんな選手二人が同じチームに居るんだから、そりゃつえぇよな。俺達はさ。

 苦笑しながらホームベースを踏み、東條が回ってくるのを待つ。

 

「さすがね、東條」

「ないばっちん、主砲」

「……甘く来た。……お前のミスは取り返したぞ」

「さんきゅ。切り替えていくぜ」

「次は俺が打つ」

 

 あ、また友沢が東條と睨み合ってバチバチやってら。ホント飽きねーよなこいつら。

 ま、同一チームにライバルが居るってのは良い事なのかもな。友沢一人、東條一人だけならこいつらも此処までの選手にはならなかったろう。運命のめぐり合わせってホントなんつーか、分かってるよな。

 

「んじゃま、後はバッテリーに任せますか」

 

 俺がニヤリとほほを釣り上げると、新垣、友沢、東條も顔を見合わせてからニヤリと頬を持ち上げる。

 さあ、試合の流れは引き寄せた。それを活かすのはお前たちの仕事だぜ。進、一ノ瀬。

 

 

 

                   ☆

 

 

「クソッ!!」

 

 館西は悪態をついてベンチに戻る。

 監督が振ったタクトは投手交代という、館西にとって到底納得の行くものではなかった。

 初回は館西の立てたデータと作戦通りにパワプロのリズムを崩した。一ノ瀬の不調もあったが初回の三者凡退が流れを作ったのに間違いはない。最初の攻撃で四点取るまでは完璧だった。

 あのままパワプロが捕手に座り続けたのなら試合は恐らく決まっていただろう。

 

(チィッ……考えがこっちの作戦と相性がええって察知するや否やキャッチを変えてリードどころか傾向をまるごと変えてくるなんて……! 並のキャッチャーなら出来へん! 向こうの監督はカカシみたいなもんや。自分が監督やっとって、自分がキャッチャーを外れて後輩に任せるなんて普通考えれる訳あらへん……何何やあいつ!)

 

 館西は相手のベンチに目をやった。

 ベンチの中で女性投手と楽しそうに会話するパワプロを見て館西はギリリと歯を食いしばる。

 

(自分の力量と投手の好不調にチームの打撃状態、更にこっちの攻撃力やらリード傾向その他を把握して、今の自分の技術でキャッチ続けても挽回出来へん、このまま崩れ続けて試合が壊れるだけやって見切るや否や、自分のポジをズラしてでも状況を変えてきよった)

 

 攻撃に転じた時に打ち崩せるよう、一ノ瀬が過去に投げた内容のスコアデータをめくりながら、館西は確信する。

 ――やはり、あの恋恋高校はパワプロという男が纏めている"強豪"なのだと。

 

(あいつの打撃がどうとか、守備がどうとかそういう問題ちゃう。正直言って打撃なら三番友沢五番東條どころか、六番の猪狩進や七番の一ノ瀬にも劣っとる。守備やってキャッチングや肩も、リード面でも今日の猪狩進と同レベルかそれ以下や。肩は多少猪狩進よりは強いようやけど、あいつの恐ろしさはそういう所ちゃうんや)

 

 カカッ、とスコアデータに鉛筆で書きこみながら傾向を探る。

 公式戦で進と一ノ瀬が組んだのは今日が初めてなせいか、どの作戦をとってもしっくり来るものは感じなかった。

 

(――あいつの、パワプロの恐ろしさは"感度の良さ"や。ピンチを察知する感度が鋭すぎるっ……!)

 

 その事実にゾッとする。

 それはどんな才能よりもキャッチャーにとって必要な才能だと館西は思う。

 "このまま続ければ試合が潰れる"……それを察知して回避することができたら、どれだけチームは助かるか想像に難くない。

 試合の肝を見極め、その流れを帰るためならば自分のポジションすら厭わない。その思い切りの良さも彼の良さの一つだろう。

 そして何より――その成長率の高さ。

 インハイのボールに対して明らかに一打席目とは反応が違う。一打席目を見る限りは内の球を裁く能力の高さは感じさせなかったのに、二打席目はシュートを完璧にはじき返した。

 

(……完敗や)

 

 ぐしゃ、とスコアデータを握りつぶし、館西はグラウンドを睨みつける。

 データがすべてと思い込んだのが敗因。勝負に勝ち続けるためにははデータを応用する適応力、応用力が必要なのだ。データを手に入れたと思い込んでその上にあぐらをかいているだけでは勝ちは舞い降りてこない。

 

(来年は優勝してやる……! 絶対に……!)

 

 悔しそうに拳を握り締める館西の視線の先では、完全に壊れた試合の勝敗を決定づける一ノ瀬のスリーランが飛び出した所だった。

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 結局、一ノ瀬は五、八回に二点ずつ失ったものの八回まで投げ切った。

 打線も打線で五回に更に一点、七回、九回に各二点ずつを奪い――十六対八。ダブルスコアをつける一方的な試合展開だ。

 

「うーし、んじゃ最終回の守りだ。しっかり三人で締めるぞ! あおい、この回から行くぞ」

「やたー! やっと出番だよ。もう待ちくたびれちゃった……」

「進――」

「センターのグローブをもって出ますね」

「……そうかい。んじゃキャッチャーは俺だな」

 

 防具をあおいに手伝ってもらいながら素早くつける。

 さすが進、次の試合に向けて俺に嫌な感覚だけが残るなんてことはしないようにしてくれてるんだな。

 防具を付け終わり、グローブを持ってキャッチャーズサークルに急ぐ。

 

「キャッチャーの猪狩進がセンターに入り、ファーストの葉波がキャッチャーに入ります。センターに居た友沢はライト、ライトの明石はレフトに言って、ファーストの三輪を変えてファースト赤坂。投手も変わって早川でお願いします」

 

 加藤先生が審判に交代を告げている間、あおいの投球をグローブで受け止める。

 相変わらずあおいのボールは安定している。そういえば俺がキャッチャーやってる間あおいが絶不調だったって事はあんまなかったな。

 なんでだろう。……あとで聞いてみるか。

 ッパァンッ! と乾いた音を立てるのに満足しながらボールを早川へと返す。

 この回の南ナニワは三番から、大山大浦木口にゃ俺がリードしてる間痛い目にあったからな。しっかりとお返ししとかねーと。

 

『バッター三番、大山』

 

 最後まで諦めない。そういう雰囲気が大山から漂ってきてる。

 大山、大浦、木口は三年生だ。この試合で負ければ高校野球は終わりだからな。

 ――いつか、自分達にもそんな日が近い内に来る。

 それまでどれだけ悔いが残らないように出来るのかが大事なんだ。

 投手の調子が悪いからとか言って試合をぶち壊すリードをしてちゃキャッチャーは務まらない。成長していかねーとな。

 あおいが振りかぶる。初球はインハイのストレート。"第三の球種"だ。

 リリーフ登板だから決め球は温存しない。どうせ研究されてるだろうしな。

 スパァン! とボールを受け止めると、背後から審判がストライクと大きな声でコールする。

 よし、これで1-0だ。初球をストライクに出来ると楽になるからな。

 

(二球目は外低めへのカーブ)

 

 早川が頷いて投じたボールは強烈なスピンが掛かりゆるりと落ちる。

 大山は読んでいたとばかりに全力でバットを振るった。

 ゴキンッ! と芯を外れた重々しい音。

 外野まではとても飛ばない。ピッチャー正面のゴロとなったボールをあおいはしっかりと捕球して一塁にダッシュしながらトスをした。

 オーケー。これでワンアウトだ。先頭バッターを取ったぞ。

 正直言って俺はめちゃくちゃ緊張してた。この試合の頭から四失点するリードをしちまった訳だし、あおいとは多く試合組んでるからな。その分データなども読まれやすいし。

 

(それでもあおいは俺を信じて最高のボールを投げ込んでくれる。だったらその信頼にゃ答えないとな)

 自分に言い聞かせて俺はぐいっとマスクをかぶり直した。後二人、全力で抑えるぞ。

 大浦に対しては初球からマリンボールを使う。

 あかつき大付属の時もそうだったがマリンボールはそれ一個で相手の四番がキリキリ舞するような決め球だ。

 先発が豊富ならあおいはクローザーも出来るかもしれないな。アンダースローの抑えってのは珍しいけどこれだけストレートが良くて空振りをとれる変化球が有るなら結果を残せるはずだぜ。

 大浦に対する二球目はインハイへのストレート。点差もあるし大胆に攻めるぞ。

 インハイのストレートを空ぶった大浦は悔しそうにあおいを睨みつける。

 マリンボールの変化を見せられた後でインハイのストレートは打てないだろう。

 さて、2-0だ。此処から遊ぶって選択肢も有るんだけど、相手は打ち気にはやってる上あおいが制球力の良い投手ってのは頭に入ってるだろ。なら此処はアウトローボール気味へストレートを外す。ボール一個分くらいだ。

 あおいが頷いてボールを投げる。

 案の定大浦はそのボールに食いついた。

 コキッ、と軽い音でボールはファースト前へ転がる。それを赤坂が取ってファーストを踏んでツーアウト。

 さて、いよいよ今日五打点大暴れの木口だ。

 試合前に警戒するっつってたのにこの結果を許したのは俺のせいだ。ここはしっかりリベンジしとかないとな。

 

『バッター五番、木口くん』

(インコースを上手く裁く。外角低めギリギリのストレートだ)

 

 緩い球は待たれて打たれる。木口の得意コースはインコースだ。追い込まれるまではインコース待ちと見て間違いない。

 あおいが投げ込む外角低めへのストレートをしっかりと抑えこむ。

 球威があるボールは手首に力を入れて捕球しないとな。球威に押されてグローブが外へ流れるとボール判定されやすくなる。キャッチャーとしてはそれは避けないといけない最低限の技術だ。

 

「トーライ!」

 

 よし、きわどいコースをストライクと取ってもらえたぞ。

 次は外角低めにマリンボールだ。

 ストレートの起動と途中まで全く一緒のマリンボールを外角低め、少し甘い所から逃げるように落とす。

 シンカーは利き腕と同じ方向に曲がるボールだからな。左バッターの木口にとっては外に逃げるように変化する。それを利用するぞ。

 ビッとあおいがストレートと全く同じフォームでマリンボールを投げ込んだ。

 木口はそれを見てスイングをするが当たらない。打者の手元に来る時には先程のストレートより更に外に逃げているボールだ。当たる訳がないぜ。

 

「スイング! トラックツー!」

 

 よし、これで追い込んだ。

 遊び球は要らない。三球で勝負するぞ。

 ストレートとマリンボール、ここまではすべて外で攻めた。インコースは一球も使ってない。

 そろそろインコースを使いたい所だが――ここはあえて、外で勝負する。

 木口はインコースへの意識を更に強くしてるはずだしな。悪い選択ではないはずだ。

 それに俺とあおいの武器は直球でも変化球でもなく制球力。それを証明するのに相応しいボールでこの試合を締め括るぞ。

 

(アウトローへのストレート。最高の球を投げ込んでこい)

 

 あおいが頷く。

 ぴょこん、とおさげが嬉しそうに跳ねた。

 来いあおい、お前の最高のボールで試合を締めろ。

 あおいが綺麗かつ疾い腕の振りから強烈なボールを投げ込む。

 木口は動かない。きわどいコースはカットしなければならないという意識は有るだろうが――手がでないのだ。

 ッパァンッ! とボールがミットに吸い込まれて音を立てる。ミットを一ミリすらも動かさずに捕球出来る――まさに針の穴を通すような見事なボールだ。

 

「……トラック! バッターアウト! ゲームセット!」

 

 球審が手を上げて試合の終わりを告げた。

 木口は悔しそうにバットを持ってベンチに戻って行く。

 ふぅ、なんとか汚名返上は出来たかな?

 

「パワプロくぅーん!」

 

 とたたーと走ってくるあおいが可愛い。ま、何はともあれ――二回戦突破だ!

 あおいを抱きとめながらホームベースの前まで移動する。なんだよ矢部くんに新垣、言いたいことがあるならニヤニヤしてないではっきり言えっ!

 

「十六対八、恋恋高校!」

「「「「「「「「ありがとうございました!」」」」」」」

 

 礼をいって前の人物と握手をする。

 館西だ。

 

「完敗や。負けたで」

「後輩が頑張ってくれたおかげだよ。俺は完璧に読まれたみたいだったし」

「……そんな事あらへんで。データ通りの動きはしてくれへんかった、一ノ瀬の不調が大きかっただけや。次もガンバレや。南ナニワ川の分まで頼むで」

「ああ、ありがとう」

 

 俺が礼を言うと館西は走っていく。

 おっと、校歌斉唱があるんだったな。速く並ばねーと。

 あおいと矢部くんに急かされて、俺はベンチ前に並ぶ。

 さあ次は三回戦だ。絶対に勝つぞ!



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第十八話"八月三週・準決勝"、猪狩の葛藤と確信、そして――。

               八月三週

 

 

 

 

 第三回戦、恋恋高校vs一芸大付属高校 三対一で恋恋高校の勝利。初回の友沢の二点タイムリーツーベースが最後まで重く、また七回表の東條のホームランで試合を決定づける。

 準々決勝、恋恋高校vsワールド高校 六対二で恋恋高校の勝利。初回、葉波のタイムリーヒットで先制するも二回の裏、七番のニックにツーランを浴び逆転を許す。しかし五回に友沢のスリーランで逆転し返すと、八回にも東條のツーランで加点し圧勝。

 ――そして、準決勝。

 恋恋高校が戦う相手は"栄光学院大付属"。

 そう、恋恋高校野球部が一番最初に戦ったあの野球部の一軍だ。

 

 

 

「此処まで来たなぁ」

「もう手が届くところだね」

「やっとオイラたちが強いとひしひしと自覚してきたでやんす」

 

 球場入りしてノックが終わり、栄冠学院大付属の様子を見ながら俺達は呟くように言う。

 準決勝。これに勝てば決勝戦――。

 優勝出来ると思ってたけど、此処まで来るとやっぱり緊張感がすごいな。

 

「あれ? そういや友沢は?」

「パワプロ、あんた忘れたの?」

「パワプロくんパワプロくん、友沢くんは、ほら」

「あー……」

 

 そういやそうだったな。久遠ヒカルに挨拶に行ったんだ。

 ホント仲良しだなアイツら。まあ本当はああいうケンカ別れする形じゃなかったんだし、当然っちゃ当然だけどさ。

 ん、でも猪狩は俺に敵愾心丸出しで睨みつけたりしてくるよな。……えーと……。

 

「あれ? もしかして俺嫌われてる……?」

「? 何いってんのいきなり?」

「ぱ、パワプロくん、その、ぼ、僕は、えと……す、好き、だよ?」

「あー、いや、違う。猪狩の話だよ。久遠と友沢みたいに話すような事あんまないしさ」

「ふぇっ!?」

「やってしまったでやんすねぇ。あおいちゃん」

「あおい……それ皆知ってるわよ」

「えええーっ!? それはそれで聞き捨てならないよ!?」

「むしろ隠せてると思ってたでやんすか」

「う、うう、ま、まあパワプロくん、その、猪狩くんはね、えとね。ただね、パワプロくんと話すとライバル意識が薄れちゃうからあんな風にしてると思うよ!」

 

 ニヤニヤという矢部くんと新垣の視線を必死に避けながらあおいが俺に言う。

 うん、さすがの俺でも話題そらしに必死になってることが分かるな。

 ……可愛いけど可哀想だし、助け舟を出してやるか。

 

「そうか?」

「うん、パワプロくんのことが好きだから話すと凄くフレンドリーになっちゃいそうなんだよ。でもパワプロくんとも戦いたいから、闘争心を煽る時だけ話かけてるんじゃないかな?」

「なるほどな」

「あおいもパワプロのこと好きだから話してるとフレンドリーどころかラブラブオーラ出しちゃうのよね?

「そうでやんすね。出しちゃうでやんすね」

「も、もーっ! ふたりともいい加減にしないと怒るよっ!」

 

 お、ついにあおいが切れた。

 にしても矢部くんも新垣もすごい息のあったコンビネーションっぷりだな。この二人も相性がいいんじゃねぇの?

 

「そ、それを言うならあかりだって矢部くんとずっと仲良しだよね! キャッチボールとかボクをいぢめる時とかも息ばっちりだし!」

「は、はぁ!? な、何いってんのよ! ショートセカンドはコンビネーションが大事だしっ! あ、あおいとパワプロのことに興味があるから一緒にいじってるだけよっ!」

 

 かぁぁーっと新垣が顔を真っ赤にしてぷいっとそっぽを向く。おお、新垣が赤くなるとこ初めてみたぜ。

 そんな新垣の様子を見て何か気づいたらしいあおいは、少し驚いた顔を見せた後ニヤリと頬を釣り上げた。

 

「うぐっ、ちょ、ちょっとあんたなんか言いなさいよっ!」

 

 あおいの様子を見て更に慌て出した新垣はベシベシッ! と矢部くんの肩を叩きながら助け舟を要求する。

 矢部くんはそんな新垣とあおいを交互に見て、

 

「ありえんでやんす。確かに息はあうでやんすがあおいちゃんが言っているような関係には到底ならんでやんす。オイラの嫁は二次元の中にいるでやんすから」

 

 キリッ! なんて擬音が似合いそうな程矢部くんはいい顔をして明言した。

 おおう、さすがのあおいも呆然としてるじゃねぇか。かくいう俺も驚愕として声が出ないけど。矢部くん、俺でもはっきり分かる。今矢部くんはべきべきにフラグをへし折るどころかブルドーザーで轢き壊してるぞ……。

 わなわなと肩を震わしながら新垣は額に血管を浮かべてニッコリと微笑み、

 

「そう、よねぇ? 私もそう思うわ。私の婿ももっと美形で野球が上手くて優しくて人に頼られて気遣いが出来るような夢の中にいる人だと思うわっ!!」

 

 バゴス!! と新垣のチョップが飛ぶと同時に矢部くんのメガネが粉々になった。すげぇ早業だ。七井のライナーより疾いぞ。

 

「ギャアアアアアーでやんすー!!!」

「ふんっ!」

 

 矢部くんは目を抑えながらゴロゴロとその場で悶絶する。頼む新垣。うちの正ショートを壊さないでくれ。

 怒りに肩を揺らしながら新垣はベンチ裏に引き上げていった。

 もう少しで試合開始だというのに和気藹々としてる。緊張はないどころか足りないくらいだ。ま、試合が始まれば引き締めれる奴らだって分かってるから注意はしないけどな。

 

「う、うう、えらい目に会ったでやんす」

「いつのまにスペアメガネ出したんだよ……」

「オイラ、スペアメガネは一〇個は持ってるでやんすよ!」

「かさばるだろそれ! 持って来すぎだ!」

「備えあれば憂いなしでやんす」

 

 メガネをかけ直しながら矢部くんは胸を張る。

 ま、確かに言ってることは合ってるんだが……まあ本人がいいなら良いか。

 いよいよ準決勝が始まる。相手はあの栄光大学付属だ。そう簡単な試合にはならないだろう。

 

「……勝つぞ」

 

 俺が言うと、あおいが無言できゅっと手を握ってきた。

 硬い手だ。こんな手になるまで練習したあおいを、勝たせてやりたい。

 その手を握り返して審判が挨拶に呼ぶのを待つ。

 ――今日も、グラウンドは暑そうだ。

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

「今回の作戦は至ってシンプルだ。"スライダーは振るな"」

「スライダーは振るな……? じゃあ他のボールは?」

「ストライクゾーンに来たなら何がなんでも打っていけ」

「……でもそれじゃあちょっと見逃し三振が増えそうでやんすよね? ヘタをすればゴロやフライばっかで簡単にアウトカウントを献上することになりかねんでやんすよ」

「かもな。でも考えて見てくれよ。久遠のスライダーははっきり言って猪狩以上なんだぜ? そんなスライダーに真正面からぶつかっていく訳にはいかないだろ」

 

 久遠のスコア表を全員に見せながら説明する。

 久遠は六割がスライダーという決め球重視の組み立てをするからな。それを無視すれば多分、見逃し三振の連続になるだろう。

 それでも下手に気を取られて打つよりはそのほうがずっと良い。猪狩以上のスライダーを連打出来る訳ないからな。ストレートやカーブは猪狩よりもレベルは低い訳だからそっちを狙うのが当然の策ってもんだ。

 

「だからスライダーを捨ててその他の球を打っていく。他の球なら猪狩を打って甲子園に出た俺達が捉え切れない球じゃない。カーブ、フォークもあるしストレートもマックス一四八キロだが、それでも猪狩を攻略した俺達ならスライダー以外の球にならついていけるだろう。だからスライダーは捨てる」

「分かった。でも私ならスライダー、バント出来ると思うけどね」

 

 俺がきっぱりというと皆は声を上げてそれを受諾してくれる。

 にしてもマジか新垣。あのスライダーをバント出来ると豪語するとは……よほど自信があんだな。

 まあ良い。攻撃面について知らせる事はこれ以外は無しでいいだろう。

 問題は守備面の方だしな。攻撃面のことでゴチャゴチャ対応をオーダーするってのはナンセンスってやつだぜ。

 

「よし、次は守備面だ。むしろこっちのほうが大事だからしっかりと聞けよ」

 

 俺が釘を刺すと全員がこくりと頷いてくれる。

 

「栄光学院大付属は打撃力のチームだ。一見投手力のチームに見えるが違う。エースの久遠が圧倒的すぎて防御率も低いがそれより特筆すべきはチーム打率。予選リーグではチーム打率が三割六分二厘」

「さ、三割六分!?」

「な、なんでやんすかそのふざけた数値……!」

「ああ、恐ろしくつながる打線だが、何よりも恐ろしいのは得点だ。栄光学院大付属の地区は参加校が少なめで試合数が五つしかない。しかし栄光学院大付属の予選の得点は何と三桁。一〇九打点も稼いでる。

「なんだと……? つまり栄光学院大付属は一試合二〇点を取ったのか?」

「そういうこと」

 

 データ上で見ても恐ろしい打線だぜ。予選では全試合で二桁得点で二桁安打だ。しかも久遠は味方のエラーが絡んだ二失点しかしていない。

 そして、その攻撃力の証としてか甲子園大会でも今まで全試合二桁安打の五得点以上で勝ち上がってきてる。

 今日まで続く"強打"のチームカラーってのを引き継ぎつつ、背番号一番を迷うことなく任せる事ができるエースを手に入れたのが今年の栄光学院大付属と言っていいだろう。

 

「それをどうやって抑えるのかが問題でやんす。……どうするでやんすか?」

「方法は考えたが、明確な攻略法はなかった」

 

 俺がきっぱりというと、矢部くんは驚いた顔をした。

 そりゃそうか、今まできっちり攻略法を示唆してから行動してきたからな。

 だが探しても見つからないってのは本当だ。

 あかつき大付属が甲子園で勝ち残ったのは確実に一点は取れる打力と、後は無失点に抑えてくれる猪狩守が居たからだ。単純な打撃力なら多分、下馬評通り栄光学院大付属が高校野球ナンバーワンだ。

 けど、上位打線とクリーンアップなら話は別だぜ。

 矢部くんと確実にバント出来る新垣にクリーンアップ、特に友沢と東條は相手のクリーンアップを凌ぐ実力を持ってる。

 それなら――取れる作戦は一つだけだ。

 

「……力と力のぶつかりあいしかねぇ。あとはこっちが失点する以上に相手から何点得点出来るかにかかってる」

 

 俺が言うと、全員が神妙な面持ちで俺を見つめた。

 俺は声をあげて、

 

「今回の戦いはあかつき大付属よりも試合が動く。栄光学院大付属はあかつき大付属打者能力はあるだろうが、打ち負けるな! 俺達も打撃にゃ自信があるからな。"高校野球ナンバーワンの打撃力"の看板、そっくりそのまま奪っちまうぞ!」

 

 俺がいうと皆がおおー!! と声を張り上げた。

 さあ、行くぜ久遠。戦いの始まりだ!

 

『バッター一番、矢部』

 

 矢部くんが打席に向かう。

 こっちの今日のオーダーは早川が先発した時と変わらない。

 栄光学院付属のスタメンは以下の通り。

 一番セカンド箕輪。 

 二番センター市瀬。 

 三番ファースト黒瀬。

 四番レフト大黒。  

 五番サード川崎。  

 六番ショート北川。 

 七番ライト九条。  

 八番キャッチャー三田村。

 九番ピッチャー久遠。

 全員が全員打率は三割以上。繋ぐ意識を持ちながらフルスイングをして長打を放とうというその意識は脅威だぜ。

 しかしながら投手は猪狩程圧倒的ってわけじゃない。スライダーは猪狩より上だろうがその他は猪狩以下、つまりスライダーが無いと思えば打てない投手じゃないということだ。

 

『さあ、いよいよ試合が始まります!』

 

 ウウウウウウウウー! とけたたましくサイレンが鳴り響く。

 そのサイレンの中、久遠は初球を投じる。

 スライダーだ。

 矢部くんはしっかりとそれを見逃す。ストライクだ。

 1-0からの二球目も久遠はスライダーを投げる。これはボールゾーンに曲がっていくスライダー。矢部くんもしっかりと見逃した。

 これで1-1だが、ベンチから見ているだけであのスライダー、恐ろしく変化してるのが分かる。

 練習試合でも天下一品だなと思ってたけど、アレから一年経って久遠は更にスライダーを磨き上げたようだな。キレも変化の具合も増してやがるぜ。

 三球目もスライダーだ。続けるな……矢部くんをよほど警戒してるという証拠だ。

 ピクリと矢部くんはバットを出しかけるが、なんとか外れてるというのを確認しバットを止めて1-2。

 そして、四球目に投じられたストレートを矢部くんはセンター前にはじき返した。

 

「よしっ!」

 

 カキンッ! と音を響かせてボールはセンターの前でワンバウンドする。

 先頭打者が出たなら新垣にはバントのサインだ。

 新垣は頷いて、バッターボックスでバットを寝かせる。

 先ほどはスライダーもバント出来るって豪語してたけど、マジで出来んのかな。

 

「ふっ!!」

 

 久遠が腕をふるう。

 投じられたボールは予測通りスライダー。

 それを新垣はしっかりと転がした。

 マジか。あのスライダー相手に一発でバント決めやがった!

 これでワンアウト二塁。これは助かるな。スライダーを捨ててるって配球は読まれにくくなるし、どんな場面でも安心してバントのサインを出せるぞ。

 さて、此処までお膳立てして貰って打てませんでした、ってんじゃキャプテンと三番の名が廃るぜ。

 

『バッター三番、葉波』

 

 コールされた瞬間、わっ! と甲子園中が盛り上がり、恋恋のブラスバンドから応援歌が流れだす。

 うっしゃ、やる気出てきた。ぜってー矢部くんを返す!

 統計的に見れば此処まで五分の四がスライダーだ。データ的にはスライダーが六割だからな。そろそろストレートやカーブ、シュートを投げても良い頃なはず。

 俺が久遠のキャッチャーなら、此処はスライダーを活かすためにインコースへ食い込ますシュートを投げさせるだろう。なら、それにヤマを張って……。

 久遠が腕をふるう。

 コースはインコース、球種はシュート――完璧!

 

 一閃する。

 

 ッカァンッ! と快音を立ててライナーでショートの頭を破り左中間を抜けていく!

 

『セカンドランナー矢部が帰ってくる! 恋恋高校先制! 打った葉波はセカンドへー! タイムリーツーベース!』

 

 よし、これで先制! 理想的だ!

 ガッツポーズをしてチームメイトとハイタッチを交わす矢部くんを見、友沢へと視線を移す。

 友沢、久遠に息を付かせんなよ。このまま攻め立てろ!

 続く友沢に対し、久遠はギリリと友沢を睨みつける。

 恨みがあるとかそういう感じではなく、ライバルに対して負けてられない、そんな気迫を感じさせるようなしぐさだ。

 久遠が脚を上げてボールを投げる。

 投げられたのはスライダー。内に食い込んでくるスライダーを友沢は腰を引いてよける。

 二球目は外したストレートか。やはり久遠の友沢に対する警戒度は最も高いみたいだな。

 続くボールもスライダーだ。それが決まって1-2。これでバッティングカウントになる。

 ここで決め球を続けたい所だが、友沢に対してはスライダーを二つ使った。

 警戒している友沢相手に続けて使えば打たれる確率は飛躍的に上がる。俺がセカンドにいる場面で使ってくるのか?

 

「ふうっ!!」

 

 久遠が声を上げながら腕をふるう。

 投じられたボールは――スライダー。

 友沢はそれを見送るがストライク判定が下る。これで2-2か。

 にしても続けて使ってきたな。精神面が弱い久遠なら嫌がるかもと思ったけどどうやらスライダーに関しては友沢相手でも打たれない、という自信が有るみたいだな。

 ならその自信を打ち砕くだけだよな、友沢は。

 二球続けたのなら三球続けるのも同じだ。次も恐らくスライダーで来る。

 

「……ッ!」

 

 久遠が腕を必死に振るってボールを投げ込んできた。球種は勿論スライダーだ。

 手元で鋭く変化して食い込んでくるそのボールを友沢はくるりと体を回転させて、

 

 ライトへの火の出るような当たりを放った。

 

 あまりにも打球が速い所為でセカンドが一歩もうごけない。ライトの右をあっという間に抜けてボールはフェンスにぶつかる。

 打球の角度こそ低かったけど、もうちょっと角度があれば文句なしでホームランになるような強烈な当たりだったぜ。さすがだな。

 俺はサードベースを蹴ってホームに帰ってくる。

 打った友沢はセカンドに滑り込んだ。

 友沢が静かにガッツポーズを作る。誰にも見えないように作ったつもりだろうけどはっきり見えたぜ友沢。……久遠と戦えて一番嬉しいのはお前だもんな。

 続く東條がライト前ヒットを放ち、一、三塁とした後、進の外野フライで友沢がホームに帰り三点目を追加する。

 一ノ瀬は封殺で一回の攻撃は終了して3-0。いい感じに先制点をとれたな。

 

「この点差をなんとか維持したいところだな。けどまあ打たれても良いからな、今日はさ」

「うん、頑張るよ」

 

 あおいが笑ってマウンドに向かう。

 うっしゃ、あおいは元気みたいだな。……んじゃ、行くぞ。

 一番は箕輪。俊足巧打という言葉が相応しい好打者だ。

 あおいが投げる。

 初球の厳しいストレート、外角低めに投げられた一二二キロの直球。

 箕輪はそれを弾き返す。

 くっ、初球からいきなりきやがったぜ……!

 強烈なラインドライブで新垣の頭上を超えた打球は右中間を破りフェンスに到達する。

 ボールが帰ってくるが遅い。

 箕輪はズザッと滑り込みサードベースに到達した。

 

「計算内だ! 気にするなよあおい!」

 

 俺が声を張り上げると、あおいはこくんと頷いた。

 さーて、今日は暑くなるぜ。

 

 

 

                    ☆

 

 

「すっげーノーガードだなぁ」

 

 隣で二宮がつぶやく。

 僕は視線の先、打ち込まれる恋恋高校の投手――早川あおいをみやる。

 また打たれた。

 

「そう、だな」

 

 つぶやき返す僕を知り目にガリガリとスコアを書きなぐりながら二宮はグラウンドから目を放さない。秋の大会に向けての情報収集も兼ねている観戦だからだ。

 それにしても凄まじい打撃戦。初回に恋恋が三点を取ればその裏栄光学院大付属は四点を取って逆転、二回に同点になれば、三回の裏に栄光学院大付属が勝ち越し。すぐさま恋恋が四回の裏に二点を取り返して逆転すればその裏に栄光学院大付属も二点を返す。そんな試合は中盤を終えて後半七回に入ろうとしている。

 

 恋 310 221

 栄 401 211

 

 九対九――此処までは互角だ。

 見ている側に取ってなら面白い乱打戦だが、僕にとっては全く面白くもない。

 

 "――あのマウンドに立っているのが僕だったら"。

 

 何度も何度も鎌首をもたげた言葉が再び頭をよぎって、僕は首を振る。

 バカか僕は。あいつとの戦いを喜んだのは他ならない僕じゃないか。

 そう思って自分を律してもその思いは消えることはない。

 センターで進がハツラツと声を上げる。うらやましいやつだ。

 別に二宮に不満が有るわけじゃない。あいつと仲良くしたいとかそういう日和った考え方をしているわけでもない。

 ただ、あいつと同じチームでやれたらと、そういう考えが頭をよぎるのだ。

 

「お、また行った。今日の友沢は大当たりだな」

 

 グラウンドを見つめると先頭打者のパワプロが拳を突き上げながらホームに戻ってくる。

 四番友沢のツーラン。これで今日友沢は六打点の大暴れだ。まるで今年の僕と戦ったパワプロのように。

 じくりと胸が痛む。うれしさと同時に僕は後悔しているのか。パワプロと同じ道を歩めばよかったと。

 その回の攻撃を二点で終了した恋恋だが、その裏の攻撃を無失点に抑えた。

 これで一一対九のまま八回の表。

 

「決まったな」

「試合がか?」

「ああ、お前も気づいているだろう。二宮」

 

 僕がつぶやくと、二宮はまぁなと短く言って更に念入りにスコアをつけ始める。

 リードが変わった。

 今まで一方的に打ち込まれていたパワプロ・早川あおいバッテリーだったが、今の回は完璧に三人を退けた。三振、打ち損じのゴロ二つでチェンジとなった。

 今まではストレート変化球のコンビネーションを重視した配球だったのに、今度はストレートだけの力押しをしたり高速シンカー――マリンボールだったか、を見せ球に使ったりとリードの幅が広がった。

 

 例えば、外角低めを一辺倒に攻めると言ってもその方法を帰るだけでパターンは広がる場合がある。

 

 即ち"ボール一個分の出し入れ"というやつだ。

 外角低めの厳しい所を投げさせといて甘い所を投げるとよりボールが甘く着ていると感じるのを利用してわざと最初はボール一個半程外して投げさせる。

 その際ボール判定でも構わない。問題は次のボールだからだ。次のボールを通常のストライクゾーンから一個外に外したところに投げる。――そうすると、不思議なもので審判やバッターは"ストライクだ"と思ってしまう。

 この回最初のバッターをパワプロはそうやって三振に打ちとった。その後もそれを上手く利用して緩急も絡め、あっという間にアウトにしてみせたのだ。多分何かきっかけがあったんだろう。ヒントになるようなきっかけが。

 それだけでパワプロはあっという間に成長する。――あっという間に僕を超えていったように。

 

「……誰よりもそれを見たかったのは、他でもない僕か」

 

 僕は自重気味につぶやく。

 ああ、全く難儀な事を考えさせてくれるね。キミってやつは。

 

 ――最も戦いたい相手でありながら、最も同じチームでやりたい相手だなんて。

 

 でもまぁ、どちらでも構わないよ。パワプロ。

 キミはどちらの関係であっても僕の期待に必ず答えてくれる奴だから。

 

「明日はテレビでの観戦がいいだろう」

 

 二宮に言って僕はマウンドに登る一ノ瀬を見る。

 どういうことだよ? と顔に疑問符を載せて僕を見つめる二宮へ僕は笑って、

 

「西強と恋恋、どちらが勝つかなんて、僕がバス停前高校相手に完封勝利するかどうか位明らかなことだろう?」

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 甲子園にまた凱歌が響く。

 一夏を跨ぐ激闘の終わりを告げる、勇ましい凱歌が。

 参加高校数四〇〇〇校以上。その頂点に立った高校を称える歓声こそがこの夏の終わりを告げるに相応しい歌だ。

 夏の気温に負けない程に暑い球児たちの熱がまた甲子園に飛散し消えていく。

 空に呑まれていく歓声に答えるように、熱を放出してしまった球児たちに再び熱を込めるように、一つの旗がグラウンドに用意された。

 頂点に立った高校を誇る為に用意されたたった一つの真紅の旗――。

 風に揺られて旗は空を泳ぐ。そうして球児たちはまたそれを求めて必死に熱くなるのだ。

 そんな旗の背後で全国四〇〇〇校の頂点に立った高校を称える校歌が流れ出す。

 球児たちの夏を見届けた人に刻むように、

 大きく、

 大きく、

 大きく――、

 

 

 

 

 真紅の旗は揺れる。 

 自分をその手に納めて掲げるであろう男(パワプロ)を、歓迎するかのように――。

 

 

               恋恋高校アナザー、第二学年編"夏" 終わり

 



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第十九話 ”九月一週” 学生の本分

 新聞に踊る文面は、約一週間前に終わった球児達の夏を今もまだ書き立てる。

 それほどまでに印象的だったのだ。女性選手が躍動し創立して間も無い野球部がチーム一丸となり甲子園を制する――世間にドラマのようだと印象付けるのには十分だった。

 

 "新設二年目で夏制す。恋恋高校の軌跡"。

 "甲子園優勝に導いた中軸、超高校級選手が一同に会す恋恋高校の秘密"。

 "社会現象巻き起こす恋恋高校。秋大会では優勝候補に"。

 "振り返る甲子園決勝戦。蘇る激闘の記録"。

 

 各社が各社の切り込み方で恋恋高校野球部の健闘を称えている。

 その記事を読みながら影山はため息をついた。

 

「これで注目度が高まってしまったな。成長は喜ばしい事だが……」

 

 甲子園に行くチームの主軸となれば否が応でも他球団は取りに来る。カイザースは猪狩守に行くとして、他の四球団の動向はまだ来年の事だが、もうスカウト同士の情報戦は始まっている。

 

「……やれやれ」

 

 ため息をつきながら影山は頬を釣り上げて笑う。

 負けるつもりはない。特に去年から影山が所属するキャットハンズは慢性的な選手不足だ。

 投手も野手もスターが不在――その事実はチーム成績にモロに反映されている。今季も最下位が確定的で三年連続の最下位。

 打率は二割二分台、防御率も四点台後半。ファン離れも加速していて経営にも悪影響が出ているほどだ。

 圧倒的なタレント不足を受けてフロントは影山をパワフルズから引きぬく形で招集した。

 今のキャットハンズを立て直すには豊作になるだろう現在の二年、つまり猪狩世代でのドラフトを大成功させるしかない。

 腕が鳴る。スカウトの腕の見せ所だ。

 影山は思いながら書類をめくる。

 その二年が躍動する秋の大会はもうすぐだ。

 

 

 

                  ☆

 

 

 

「そ、そこまで!」

 

 フラフラになりながら声を上げる。

 部員全員が俺の声を受けてシャトルランを辞めてその場に倒れこむように寝転がった。もちろん俺も含めて。

 夏の甲子園大会優勝――最高の結果を残した俺達を待っていたのは激しいインタビュー攻めだった。

 それがやっと落ち着いたのがつい先日。それでもファンの勢いは止むことは無いがそれはまあ別として、最も嬉しかったのが中学生たちの見学が増えたことだ。

 この分なら来年の一年生の部員の数は大幅アップ間違いなし。戦力的に分厚くなるし進達次の代にも何か残せるしいい事尽くめだぜ。

 なんてことを考えていたら『練習メニューを強豪らしくしようでやんす』と矢部くんが発案してくれた。

 夏の甲子園に勝てたからって秋も勝てるとは限らない。気を緩めたくなるような所だけど矢部くんがそれを引き締めてくれて助かったぜ。

 というわけで本日行うのは耐久肉体強化練習だ。

 耐久二十メートルシャトルランから耐久連続トスバッティングまで、時間を惜しまず補強練習を行う。腹筋背筋なんでもござれ。こうやって体のスタミナをつけとかないとな。投手は夏の大会で大分肩などを消耗したろうからノースローでの休息だ。あおいも一ノ瀬もそれを承知でノースロー調整してくれてるし、聞き分けの良い投手は大好きだぜ。

 

「ふー、疲れたぁ」

「おつかれさん」

「うん、はふー」

 

 シャトルランを終えたあおいが俺の隣に腰を下ろす。

 日焼けした肌が眩しい。これでも日焼け止めを塗ってるっていってるんだけどな。汗で流れ落ちてしまうんだろう。

 華奢な体躯のあおいだが、夏の大会の決勝では四回までノーヒットノーランに抑えるなど成長を見せたし、まだまだ伸びそうだな。

 こうやって下半身と体幹を強化していけばいずれ一二〇キロの後半は投げれるようになるだろ。ぶっちゃけそうなってくれないと困るんだけどさ。

 

「パワプロくん、次のお休みってもうすぐあるよね?」

「おやすみ? ああ、うん。そりゃな。適度に休まないとケガしちまうし」

「じゃあ、その、休みの日……一緒に出かけない?」

 

 あおいが上目遣いでこちらを見つめながら小首を傾げる。

 ……くそ、可愛い。

 こんなお願いの仕方は反則だ。断れる気がしない。

 特に彼氏の俺からしたら断るのがもはや苦行なレベルだなこれ。

 ま、断る理由も無いし休日くらいはイチャイチャしたって罰は当たらないよな。うん。

 

「分かった。んじゃデートに――」

「ストップ・ザ・ラブラブですわー!」

 

 俺がうなずきかけたその瞬間、ズザザザー! と野手顔負けのスライディングで彩乃が会話に突撃してきた。おおすげぇな彩乃。野球をやってたらお前も選手になれるぞ。

 

「デートですって! そんなの許しませんわっ!」

「むむぅ。あ、彩乃ちゃん、それはボク達の問題だよ? だからその、あんまりそういうこと言って欲しくな」

「おだまりっ!」

「あうっ!」

 

 おおう、あのあおいを一言で黙らせるとは。今日の彩乃はなんか気合入ってんな。

 などと他人ごとのように考えているとぐりんと彩乃はこちらを向いた。やべっ、矛先がこっちに来る!

 彩乃は何故か怒りの様相で俺をじろりと見た後、こほんと咳払いをして、

 

「……パワプロ様、甲子園優勝おめでとうございますわ。野球界の日本一、素晴らしい事だと思います」

「お、おおう、サンキュー」

 

 表情とは裏腹な彩乃のセリフに俺はドキリとする。

 ……こうやって前置きがある時、後に来るセリフは大体がこっちにとって都合の悪いものに決まってる。

 例えば成績の話とか学業の話とか成績の話とか成績の話とか成績の話とか……。

 

「ですが――テスト点数のほうは下から一番に近いですわね」

「やっぱりか」

「やっぱり? なんのことです?」

「い、いやなんでもない。そ、そんなことは無い筈だぜ。野球部の中では俺が一、二位を争うはず……!!」

「いいえ、私が集めたデータによりますと学年を分けて考えれば野球部で一位は東條様ですわよ? 二位は友沢様で三位は早川さん、四位に三輪様、五位に明石様で六位に矢部様と新垣様が同率で、八位に石嶺様、九位は……あらあら? パワプロ様ですわねぇ」

「赤坂には勝った!」

「そういう問題ではありませんわっ!」

「でもほら、俺の言った通りじゃね?」

「……何がですの?」

「下から一、二位を争う……」

「コラァ!!」

「す、すみません……」

 

 今日の彩乃のこの迫力は何だ? 逃げれる気どころか反論出来る気すらしねぇぜ。

 にしても困ったな。学校の成績のことを出されると全く持って返す言葉がないぞ。

 教科書なんて貰った時の落丁の確認以来、開いた記憶が全くないレベルだし、ノートなんて写したことすらない。授業中は寝てるかポジション考えるかメニュー組むかだし……。

 

「とりあえず、夏休み開けのテストがあるのはご存知ですわよね?」

「テスト? 何それ、楽しいの?」

「ご・ぞ・ん・じ・で・す・わ・ね?」

「ぞ、存じ上げております……」

 

 怖ぇ。何今日の彩乃。威圧感が福家よりあるんだけど?

 ゴゴゴゴゴゴと修羅を背にした彩乃はふん、と鼻を鳴らして、

 

「宜しいですわ。そのテスト勉強を致しますわよ」

「なん、だと……?」

「テスト期間に入る三日前から部活停止になるのはご存知?」

「まあ……ちょくちょくなってたよーな、気がしないでも、ない、かな?」

「まあテスト期間三日前というのは明日なんですけれど。部活動がお休みになったのにパワプロ様はどうやらスポーツジムにお出かけになさってしまうほど運動がお好きなようですから、たまには頭の運動もよろしくてよ?」

「頭の運動なら相手チームのデータ解析……」

「何か言いました? パワプロ様?」

「す、すみません……」

「全く、放置したらスポーツジムにお出かけしてしまいそうですわね」

 

 んー、とわざとらしく彩乃は頬に指を押し付けて考えるフリをする。

 くっ、さすが彩乃。俺の行動パターンを完全に把握してやがる……!

 

「ああ、そうですわ。それなら部活がお休み期間に入りましたら勉強会をいたしましょう。……わたくしのお家で」

「べ、勉強会……だと?」

「あ、彩乃さんのお家で……!?」

 

 あ、彩乃の家に連れ込まれたらジムどころかノートに落書きすら許されないに決まってるじゃねぇか……!

 喉元過ぎれば熱さ忘れるで此処だけ切り抜ければと思ってたのに、ちくしょうっ!

 そんな俺の隣であおいもなんか劇画風に凍結している。あ、やっぱあおいも勉強は嫌なんだろうな。さすが俺の彼女。思考回路が似てると言わざるを得ないぜ。

 

「いいですわよね? ね? ね?」

「ぐっ……!」

 

 ノーと言ってしまいたいが此処でノーといえばまず間違いなく彩乃がキレる。さすがに此処まで世話になった彩乃をキレさせるのはとても申し訳がない。

 かといってイエスといってバックレるのは俺の流儀に反する。約束は破りたくねぇし世話になった彩乃に対する裏切りは一番やっちゃいけないことだとも思う。

 ……つまり、だ。

 

「……分かった……」

「よろしいですわ!」

 

 にっこりと彩乃がご満悦で笑顔を浮かべる。

 くそう。もう勉強からは逃げれねぇ。やってやろうじゃねぇか! 三日間みっちり勉強してやらぁ!

 

「べ、勉強会か、いいね! じゃあ皆でやろうよ!」

「へ? い、いえ、わたくしはパワプロ様と二人きりで」

「ちょうどボクも聞きたかったんだよねぇ! 学力定期考査で毎回はるかと一位二位を争う彩乃さんに♪」

「そ、それなら七瀬はるかに聞けばっ……!」

「皆ー! 今度のテスト勉強彩乃さん家でやるみたいだよ! 皆も一緒にいこーよ!」

「う、うん! 私も行く!」

「いいでやんすね!」

「……大勢でやったほうが効率がいいか」

「そうだな」

「ちょうど良かったー。今度こそこのクソメガネに勝つわよ」

「いいですね。皆さんでやるのは楽しそうです」

「僕達は一年生だけど、是非参加させてもらうよ」

 

 ワイワイと七瀬と選手たちが集まってあっという間に勉強会はマネージャー含めて野球部全員が参加することになった。

 うん、まあこういう嫌な事は皆でやっちまうのがいいよな。赤信号皆で渡れば怖くないとかそういう感じで嫌な事はチーム一丸で乗り切っちまおう。

 なんかそう考えたらやる気が出てきたぜ。いっちょやってやるか。

 

「……くぅぅ、は、早川あおいぃ……!」

「ふぅ……ふふん、そう簡単にパワプロくんは誘惑させないんだから!」

 

 なんだかあおいと彩乃がにらみ合ってる気がするけど多分気のせいだな。あいつら仲いいし。

 うし、んじゃま難攻不落のテストを恋恋野球部全員で乗り切るぞ!

 

「では早速私の家にいきましょう!」

「今から!?」

「明日から部活はお休みなんですから、別にかまいませんわよね」

「う、ぐ!」

 

 ご、強引だ……! 強引だけどここで断ったら明日から更にスパルタになること間違いなしだし、断れねぇぞこれ!

 というわけで嫌そうな顔をしているであろう俺を引っ張るようにして彩乃は俺を車へと押し込み、家へと連行する。

 あおいたちはなんだかんだいいつつ楽しみにしている様子で、ふかふかの車のソファにきゃいきゃいはしゃいでいた。

 彩乃の家に行くのは久々だけど非常に気不味いなぁ……倉橋理事とかと会ったらどうしよう。

 

「うわぁ……凄い」

「ふふん、わたくしの家は名家でしてよ、これほどの家どうってことありませんわ!」

 

 彩乃の家を前にしてあおいが感嘆の声を漏らす。

 わからんでもない。俺も始めてみた時は仰天したしなぁ。こんな城みたいな家に住んでる奴がいるなんてさ。

 彩乃は勝手知ったる自分の家、門を開けて校内へと入っていく。

 それについて俺達は彩乃の家へとおじゃました。

 

「こちらですわ」

「了解」

 

 広いエントランスだ。豪奢なシャンデリアが室内の気品さを一気に高めているみたいだ。

 ふわふわな赤い絨毯を踏みしめて彩乃の後ろについていった先にあったのは巨大な客間だった。

 

「……キャッチボールできそうだな」

「おいやめろ東條、本当にしたくなるだろ!」

「あの、一応言っておきますがパワプロ様、キャッチボールしないでくださいね?」

 

 なんだよ彩乃め、失礼だな。そんなことしようだなんてちょっとしか思ってないぞ、ちょっとしか。

 俺の表情を読み取ったのか彩乃はもうっ、と可愛らしく頬をふくらませた後かばんから参考書を取り出す。

 人数分用意されていた椅子に俺が座ると、その隣に滑りこむようにあおいと彩乃が席につく。

 ってかはえぇなおい! 今の瞬発力は野生動物並だったぞ!?

 

「ぐぬぬ、端っこに座れば隣は私だけでしたのに……!」

「ふふん、パワプロくんの隣は渡さないよ!」

 

 二人が額を寄せ合って小声でなんか言ってるけどなんだろう。勉強の相談だろうか。

 まあキャプテンは俺なわけだし、此処は俺が音頭を取らざるを得まい。非常に不本意だけどな。

 

「よーし、じゃあ解散、各自帰ってよし」

「…………パワプロくん……」

「…………パワプロくん、それは……でやんす……」

「…………パワプロ……」

「……はぁ、パワプロ、お前は……」

「……パワプロ様、さすがの私でもそれは……」

「…………あんたねぇ……」

「……先輩……」

「……パワプロくん、それはダメだ」

「じょ、冗談に決まってるだろ!」

 

 な、なんだよ。そんな哀れなものを見る目で見なくたっていいじゃねぇか! ちょっとした可愛いジョークってやつじゃん!

 俺が額に汗を浮かべていると、やれやれと友沢がため息を吐いてすっくと立ち上がる。

 さすが文武両道男。その上にリーダーシップまで在るだろうから此処は任せよう。勉強のことになると俺のモチベーションが持たねぇ。

 友沢は時間配分を決める為かシャーペンを持ちながら俺達を見回して、

 

「各自グループに別れて勉強しよう。苦手な強化をまずは確かめる。点数が三〇点以下の教科は手を上げろ。最初は現国」

「はーい」

「ほーい」

「パワプロと赤坂、と、次は数学」

「はーい」

「ほーい」

「パワプロと赤坂、と、次は科学」

「はーい」

「ほーい」

「パワプロと赤坂、と、次は現代史」

「はーい」

「ほーい」

 

 あ、友沢が持ってたシャーペンが粉々になった。

 友沢は握りつぶしたシャーペンを机に起いて額に血管を浮かべながら、優しく俺と赤坂の方を見て、

 

「お前ら……授業中は何をしているんだ……?」

「絶賛睡眠タイムだよな」

「なっ」

 

 俺と赤坂が目を合わせて微笑み合うと、友沢が流れるような動きで俺の首を抱え込んでぶん投げた。

 おぐうっ! 首が、首があああああああああああ!!

 掠れる視界の中で視線を這わすと視線の先で赤坂が一本背負いをされていた。恐ろしい、友沢には格闘家のセンスまであったのか。

 

「いいか二人、お前ら二人にはこれから俺達が自分の勉強を兼ねつつ全ての教科を教えてやる。だから全て頭に叩き込め。野球のデータを叩き込むが如く頭に叩き込め、分かったな?」

「えー、勉強と野球はちげーしさ。無理だって。マジで」

「分・か・っ・た・な?」

 

 友沢が俺の頭をアイアンクローしながら了解を促してくる。それはもう恐ろしい形相で。

 ぎりぎりぎりぎりっ……と頭の骨が悲鳴を上げる音がすれば、さすがの俺も赤坂もコクコクと頷くことしか出来なかった。友沢怖っ。

 

「よし、ではまずは一時間みっちりやる。ノートに書きながら暗唱してしっかり自分の描いた字を見て、目、耳、手でしっかりと頭に叩き込め」

「まずは数学ですわね。私が得意ですからしっかり教えてあげますわよ」

 

 隣に座った彩乃が優しく微笑みながら俺の右腕に体を寄せて教科書を開く。

 ううむ、制服の上からでもしっかりと胸のふくらみが分かるなぁ。彩乃は結構隠れ巨乳なのかも。

 それにしてもこう押し付けられるとなんとも言いがたい幸せな感覚がする。

 ふわりと香る匂い、彩乃の髪の匂いか? 果物のような甘い匂いだ。くそう、こんな感触的にも嗅覚的にも女性を意識させるような状態で勉強に集中しろって言われても……!

 

「パ、ワ、プ、ロ、くん」

「う、うっす、ちゃんと勉強してるって、うん」

「むぅ」

 

 あおいがぷぅと頬をふくらませる。

 怒られてるんだけどこう可愛らしい仕草をされると罪悪感より愛でたい気持ちが膨らんできちまうな。

 なんて思っていると、何を思ったかあおいまでもがノートと教科書と椅子をずらし俺の左腕に体を密着させた。

 彩乃程胸はないもののしなやかな体の感覚が腕に押し付けられる。

 あおいの髪の毛からはさわやかな柑橘系の匂いが漂う。うぐぐ、こ、これは拷問かはたまた天国か!? 珍しく勉強しようとした俺に対するご褒美かはたまたずっとバカでいろという神の仕打ちか!?

 グラグラしながら助けを乞うように視線を巡らすと、矢部くんと目があった。

 おお、助けてくれ矢部くん! 俺を、俺を勉強に集中させてくれ!

 そんな意志を込めて矢部くんを見ると、矢部くんはにっこりと笑ってノートに何かを書きなぐり、

 

『さっさと死ね』

 

 と書かれたノートの見開きを俺に見せた。

 

「どういうことなの矢部くん!?」

「黙れでやんすこのスケコマシが! 男の幸せと幸せをあわせて超幸せ状態なくせに何かを懇願するような目でオイラを見るんじゃないでやんす!! ぶち殺すでやんすよこのドンファン!」

「ドンファン!? ポケ○ン!?」

「詳しくはwikipediaで調べて見ろでやんすー!!」

「黙りなさい」

「ほぐんっ!!」

 

 騒ぎ出した矢部くんのみぞおちに新垣の肘鉄が見事に決まって矢部くんは椅子に崩れ落ちた。うわぁ……今のは痛いぞ……。

 つか新垣、矢部くんの隣に座ってんのな。あんなにあーだこーだいってる割に仲良しじゃねぇか。

 あ、でも矢部くんのおかげで落ち着いたな。なるほど、矢部くんは俺を動揺させることで逆に冷静さを取り戻させたのか。さすが矢部くん、やるな。

 矢部くんのおかげで落ち着いた俺は彩乃とあおいに解説を聞きながら、数学の問題を解いていく。

 よし、この調子なら赤点を取らない程度には成績を上げれる筈だ。

 

「ちなみに、ドンファンは貴族の女性を誘惑した色男の名前だよ」

「あおいは物知りだな」

「てへへ……」

「むう、それなら私も物知りですわよ!」

「むむ、雑学ならボクだって負けないよ!」

「……えーと……」

 

 上げれる筈、だ、よ……な?

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

「本当に……いいのですかな?」

 

 どっかりと黒塗りの椅子に座る男が、目の前にいるグラマーな美女――加藤理香に話しかける。

 その姿はパワプロ達が見慣れたユニフォーム姿ではなく、学校の生徒たちがよく目にする白衣姿だ。

 加藤理香は少し寂しそうに笑いながら、倉橋理事の前に差し出した辞職届に目を落とした。

 

「ええ。もちろんです。こんなこと冗談でしたら怒られてしまいますし、信頼して仕事を任せてくださった倉橋理事長に申し訳が立ちませんから」

「そうですか……それにしても勿体無い。実質的にトレーナー業しかしてなかったとは言え貴方は優勝監督ですのに」

「ええ、それを鑑みて思いました。私には監督は向いていません。それに……副業よりも本業の方を頑張らないといけませんから。……パワプロくんの手柄を奪ってしまうのも申し訳ないですしね。監督も他の方を見つけて頂いたのでしょう?」

「いえ、まあ……私に考えがあります。……甲子園が始まる前から相談は聞いていたとは言え、そう簡単にはね……加藤先生の方は安心してください。白鬚さんにも話は通しておきました。貴方が次に行く学校は希望通り安藤梅田高等学校ですよ」

「ありがとうございます。……それでは、退職届を受理していただけますか?」

「はい。今までご苦労様です加藤先生。次の学校でもがんばってください」

「ありがとうございます」

 

 にこやかに笑いながら、加藤理香はぺこりとお辞儀した。

 それを見ながら倉橋理事は腕を組んで机に肘を乗せる。

 

「……それにしても、貴方は一体なんのために野球部の監督を受けたのですかな?」

 

 まっとうな疑問だ。

 一年と半年、それだけの間で監督どころが学校を変わらねばならない事情があるにも関わらず新設の野球部の顧問をする。それは加藤理香にとってはハイリスクでしかない。

 甲子園にいけたからこそいいが、もしもこれで結果が残せていなかったのなら途中で投げ出した無責任な人物――そういうレッテルが張られてしまっていただろう。

 加藤理香はその質問を受けてふっと微笑み、

 

「早川あおいさんを始めとする女性選手が参加できることになった時、それを一番身近で見たいと思ったからですよ」

「……そう、か」

「ですが、残念ですね……」

「……む、残念?」

 

 加藤の言葉に首を傾げる倉橋理事に加藤理香はええ、と頷く。

 

「この秋からは――敵ですから」

 

 その顔に悲しみは無く寧ろ清々しいといった表情で加藤理香は言う。

 秋の大会は、もう目前に迫っていた。

 

 

 

                 

                  ☆

 

 

 

 

 テスト最終日。彩乃の勉強地獄のせいもあり、そこそこ出来た(と思う)テスト週間が今日で終わりを告げて野球部の休みも今日まで、といった所で俺が椅子に座るとあおいたちがなだれ込むように入ってきた。

 

「加藤先生がやめたってホント!? パワプロくん!」

「ああ、マジもマジ。大マジだぜ」

 

 まあやっぱそれだよな話す事って。

 俺も昨日電話できいて驚いたしなぁ。

 加藤先生が転勤という形で野球部の監督を退任し、すでに別の学校に異動してしまったって? 今日の朝保健室に行ってみたらマジでいなかったしさ。昨日俺がうとうとしながら聞いた情報は聞き間違いじゃなかったってことだし多少なりとも動揺したかもしれない。

 それを考えるとこいつらがこれだけ騒ぐのも当然だよな。うん。

 

「……どうするんだ。監督は?」

「それが問題だ。いきなり見つかるとも限らない」

「くそう、くそう、まだデートの一つもしてないでやんすのに……!」

「黙れこのダメガネ。……てか、顧問と監督がいなきゃ試合には出れないじゃない。もしかして秋はまた不参加!?」

「や……それなんだがな」

 

 ……うーむ。実はもう後任は打診されてんだよなぁ。

 言うか言わないか迷ったけど、不安にさせない為にも此処は伝えたほうがいいよな。

 実質的には今までもこういう感じだったんだし不満が出ることもあるまい。なんだかんだずっと隠しているよりも今伝えてしまった方が印象はいいだろうし。

 

「実は監督要請が来ててな」

「え? ……誰に?」

「いや、俺に」

 

 俺が自分を指さして言うと、全員が顔を見合わせて硬直する。

 そりゃそうか、俺も聞いた時は思わず三分くらいなんて言われたか分からなかったからな。

 

「……何?」

「……えーと、でやんす」

「つまり……」

「パワプロくんが……次期監督ってこと?」

 

 全員の目が俺に向く。

 

「どうやらそういうことらしいぜ」

「……ふぇ~……」

「なるほど、まあ納得出来る範囲内か」

「ただあんたの負担が増えるわね」

「……個人個人が頑張ってパワプロくんの負担を少なくしないといけないでやんすね」

「うん、そだね。皆でがんばろ」

 

 おお、予想外にいい効果! 全員のモチベーションが上がってくれるのはいい事だぜ。

 負担承知で引き受けたかいが有ったってもんだ。……ま、元から監督混じりみたいなことやってたけどな。

 

「よーし、それじゃ今日からがんばろうね! パワプロくん! 今日の終わりから部活やる?」

「あ、それなんだけどさ、あおい。実はグラウンドの予約、今日取ってなくてさ」

「え?」

「ほら、テスト期間中だろ。それでグラウンド予約してたりするとその間も部活やってるってことで教育委員会から怒られるんだよ。だからテスト期間三日前からグラウンドの予約をとってないんだけど……実はミスって今日の分取り忘れて、部活ができないんだ」

「ええー!?」

「せ、せっかく野球ができると思ったでやんすのに……!」

「……バカが……!」

「しっかりしろパワプロ監督」

「おいコラ! 一つのミスで好き勝手言いやがって……! ま、まあよく聞けよ? テスト勉強で疲れてるだろうし今日一日休みにしてリフレッシュして貰う。まあ各自トレーニングは自由にすればいい。……つか、ウチの部活のメンバーなら何も言われなくても勉強せず筋トレしたりしたろ?」

 

 あ、全員目をそらしやがったぞ。やっぱりやってんじゃねぇかお前らも。……俺もだけど。

 

「こほん、という訳で明日から本格的にビシバシやるから、その一日前のリフレッシュ休暇ってことで今日は休み。分かったな?」

「分かったわよ」

「まあ久々に本屋にでもいってからトレーニングするでやんすかね」

「バッティングセンターにでも行くか……」

「……友沢、付き合おう」

 

 俺が宣言すると、各自が思い思いの過ごし方をつぶやきながら机に戻って行く。

 あおいも残念そうな表情をしながら戻ろうとしている。

 ……ま、折角の休みだし、そういう日にこう、恋人同士が出かけたりするのは自然なことだよな。うん。

 俺はこっそりとケータイのメール送信画面を開き、あおいに向けてメールを打つ。

 えーと、内容は――

 

 ちゃららちゃっららららーちゃっらっらっらー♪

 

 お、パワプロナインのオープニングテーマだ。やるなあおい。いいセンスだ。

 俺からのメールと気づいたあおいは手馴れた手つきでピピピ、とケータイをいじりその文面を見て嬉しそうにおさげをぴょこぴょこさせる。

 一生懸命メールを打つ姿が可愛らしい。その姿に目を奪われてる男子生徒(矢部くん含む)が居るくらいだし。

 やがてメールを打ち終えたらしいあおいはパタムとケータイを畳んでポケットにしまうと、ちらりと俺を横目で見て微笑み自分の椅子に座った。

 ブブブブブ、と震えるケータイを開くとあおいからの返信だ。当然だけどさ。

 そこには可愛らしい文面でこう書かれている。

 

『うん! ボクもパワプロくんとデートしたい! 一度家に帰って着替えるから、一緒に帰ろ♪

 >今日せっかく野球部が休みなんだしデートしないか?

 >午前中でテスト終わりだし、昼飯兼ねて一緒に出かけようぜ』

 

 うし、そうと決まったらこの最後の地獄を切り抜けねーとな。

 いっちょ全力でがんばるとするか!

 



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第二〇話"九月一週" デートコマンドあおい

「ふぅ、お待たせっ」

「ああ、待ってないぜ。行くか」

「うん!」

 

 テストが終わりお互いに着替えてグラウンド前で落ちあい、俺とあおいは歩き出す。

 デート場所はあおいが着替えてる間に決めた。猪狩スポーツジム――適当に散歩して適当に遊ぼうということになった。

 せっかくの休みだしな。彼女と二人で遊ぶくらいはいいよな。

 二人して連れ立って歩く。

 行き先はない。適当に昼飯でも食って遊ぶくらいの気軽なもんだし、その方が俺達の付き合い方らしいし。

 ファストフード店で適当にハンバーガーを買う。

 

「たまーにこういう体に悪いのをガッツリ食べたくなるってことあるよね?」

「あるな。特に俺達は節制してるから思いっきり行きたくなるぜ」

「うんうん」

 

 あおいと談笑しながら食べる場所を探して適当に歩きまわる。

 ハンバーガーなんて何年振りかな。食った分運動してハンバーガー分のカロリーを消費しないと。

 結局俺達が食べる場所に選んだのは目の前に野球場がある土手だ。

 夏に比べて少し弱くなった日差しの下で袋からハンバーガーを取り出す。

 

「てりやきハンバーガー♪」

「あおいそれ好きなのか?」

「うん、だってお肉入りだし」

「いやハンバーガー自体が肉入りじゃん」

「でもほら、甘くて美味しいよ?」

「まあ確かに、俺は普通のハンバーガーだけど」

「えへ、じゃ、一口交換っ」

「……お、おう」

 

 可愛らしく俺の口元に照り焼きバーガーを差し出すあおい。

 ……ま、まあいいよな。うん、間接キスどころか普通のキスだってしたわけだし、これくらいは。

 あーんと口を開ける。

 その様子を見てあおいは嬉しそうににぱっと笑い――

 

「あんた達ラブラブじゃない!」

「ふぇっ! みみ、みずき!?」

 

 ――予期せぬ襲来者にぱっと手を引っ込めた。

 ガチンッ! と空振りした俺の歯と歯がぶつかりあう。痛ぇ。

 涙目で声のした方を見上げると、そこに立っていたのは聖タチバナの面々だった。

 

「おめでとう、パワプロくん」

「は、春。……サンキュ」

「う、うむ、今あーんというやつをやっていたな……恋人同士とは、恐れいったぞ」

「いや恐れられても困るけど……」

 

 キラキラ、と尊敬の眼差しで六道が俺を見つめる。

 うぅん、何をそんなに尊敬することがあるんだ? ただ恋人とイチャイチャしてただけだしなぁ……。

 

「あ、そういや春、どうしてお前は此処にいるんだ?」

「ああ、今からこの先のグラウンドで野球やるんだ」

「野球! そりゃいいな。どことやるんだ?」

「見てれば分かるよ」

 

 含み笑顔を見せながら春は反対側へと目をやる。

 それにつられて俺とあおいが目をやると、そこに立っていたのは、

 

「――猪狩?」

「なんだ、君もいたのか」

 

 あかつき大付属のレギュラーチームだった。

 猪狩はいつもどおりの澄ました顔で

 

「練習試合をすんのか? あかつき大付属と聖タチバナで」

「その通りだ。試合といっても三回だけだし、まあ監督の特別練習で二宮は居ないがな」

「あ、ホントだ」

 

 あのバンダナをした目付きの悪い捕手が今日は居ない。その代わりに後輩であろうまだ線が細い一年捕手がとことこと後ろについてきていた。

 猪狩はふぅ、と溜息をついて春を見やり、

 

「それでははじめようか。……今日カップルが見学なさるようだが」

 

 かか、カップルじゃないよー!! とわかりきった嘘を叫ぶあおいを無視して、あかつき大付属と聖タチバナの練習試合は始まった。

 ハンバーガーにかぶり付きながら猪狩の投球練習を見る。

 さすがに全力じゃ投げてないな。八割……いや、七割くらいか。球速は一四〇キロ前半ってとこだ。

 それでも一年生捕手には荷が重い。ピシッとボールを弾いたり、芯で取りきれず思わず身をすくめてしまうような動作がここからでも見て取れる。

 試合が始まった。

 一番打者の原が打席に立つ。

 ホームベースの後ろから見えるこの位置は特等席だな。あおいも喋らずに試合に集中してる。……やっぱ俺とあおいって野球が大好きなんだな。

 なんてことを思ってるうちに早速目の前の捕手が変化球を後逸した。

 今のはカーブ、それもバウンドすらしない球か。

 緩い変化球を後逸されるようだと投手は全てのボールが投げにくくなっちまうんだけどな。

 ワンバンしてしまってはいけないという不安感がどうしても拭えなくなると腕が振れなくなって南ナニワ川戦の一ノ瀬みたいな投球になっちまうぜ。

 キンッ! と音を立てて原の打球が二遊間を抜けていく。

 全力じゃない上に腕も振れないとなると、こりゃ聖イレブンが有利か? 守備の方は夏の大会で見た通り聖イレブンが上だしなぁ。

 にしてもこの捕手は酷い。まだ一年生だから仕方ないかもしんねーけど、まだ実践レベルじゃないぞ。ただただ恐怖のイメージを植えつけるだけだ。

 猪狩もそれをわかっているのか、不満な顔一つせずにふぅ、と深くため息を吐いた。

 二番の中谷がしっかりとボールを転がしてバント成功、これで一アウト二塁。バッターは六道。

 六道を抑える為には全力のストレートを投げないと厳しそうだが――。

 

 ッキィン! と快音が木霊する。

 

 打球は痛烈に一二塁間を抜けていく。

 原は三塁に止まったがこれで一アウト一、三塁だ。

 捕手がつらそうな顔をして猪狩をすがるように見つめている。

 猪狩が首を振ってベンチのマネージャーに目をやるが、マネージャーも困惑した表情を見せるだけだった。

 多分練習ではいい動きをしていたんだろうな。それが実践に入った途端これじゃ……。

 控えも一緒に来ずに九人だけで来てたからな。三回を予定していたのならそれも仕方ないことだけど、このまま続けてたらあの一年捕手、潰れるぞ。

 

「大丈夫か?」

「す、すみません……」

「謝らなくていい。……大丈夫か?」

「ちょっと今日は……」

「そうか、分かった。ベンチで休んでいろ。……しかし捕手がいないとなると試合は続けれないな」

 

 猪狩が困ったように溜息を吐く。

 どうやらあの一年生、調子が悪いみてーだな。

 それにしても猪狩と組ませるにはまだ青いと思ったけどな……あかつき大付属の監督も育成を焦ってんのかもな。

 

「どうしたんですか?」

「ああ……こっちの捕手の調子が悪いんだ。申し訳ないが練習試合は……」

「練習試合だし、固い事なしで良いなら良い捕手がいるよ?」

「……いいのか?」

「もちろん、真剣にやってるけど、やっぱり野球は楽しくなくっちゃね」

 

 猪狩と春が同時にこちらを見る。

 ……えーと、もしかして……?

 

 

 

 

                  ☆

 

  

 

 

「悪いなあおい」

「ううん、ボクは全然良いよ。……野球してるパワプロくん見るの大好きだし」

「あん? なんかいったか?」

「なんでもないよ!」

「パワプロ、準備ができたら速くしろ!」

「へーへー分かりましたよ! ……ったく、変わってねぇな、あいつは」

 

 あかつき大付属のユニフォームを借り、防具とミットを借りてグラウンドに出る。

 この青と白のユニフォームを着るのも一年半ぶりか。……なんか感慨深いぜ。

 

「ストレート!」

「ふっ!」

 

 パァンッ! と猪狩のストレートが投げ込まれる。

 一ノ瀬とは違う、球威も凄いストレート。

 次はスライダー。サインがなきゃ取ることすら難しいウイニングショット。

 そしてカーブ。これも緩急が効いてるしブレーキが凄い。

 

(この三つをどう組み立てるか、だけど。――え?)

 

 猪狩がサインを出す。

 人差し指一本を立てるそのサインは――。

 

(フォーク、だって?)

 

 そのサインはあかつき大付属中時代のフォークのサインだ。

 猪狩が頷いて腕をふるう。

 バッターボックスの手前、そこでボールは勢い良く沈む。

 ホームベースでワンバウンドしながらフォークは俺の防具にぶつかって目の前に落ちる。

 

「……っ!」

 

 一級品のフォークだ。

 あいつ、俺に見せるためにフォークを投げやがった!

 夏のままの自分ではないと宣言するかのように、猪狩は不敵に笑って俺が投げ返したボールをミットに収める。

 分かったよ猪狩。全力でお前をリードしてやるぜ。フォークのお返しだ。俺のリードの傾向を探れるのなら探ってみろよ。

 ――お前が、俺にフォークを打てるものなら打てるようになってみろ、っていったように、な。

 

(一アウト一、三塁で春か)

 

 怪我も癒えて、春の打席には力強さが見える。

 いきなり甘い所にストレートを投げさせると行かれるな。……緩い球でも危ない。ここは――。

 サインを出すと猪狩が満足そうに頷いた。

 ……だよな。お前の性格上これを使いたがると思ったよ。

 春もいきなりこの球種とは読めないだろう。さあ来い。

 猪狩が腕をふるう。

 春が初級から振りに来る。

 

 球種はフォーク。春のバットから逃げるように凄まじい落差で落下するそのボールを、俺はワンバウンドでキャッチする。

 

「ストライク!」

「ナイスボール猪狩!」

 

 っとにすげぇフォークだな。落ち始めにキレがあるから打ちづらい事この上ないだろう。

 春も苦笑いをして再びバットを構え直す。これで1-0だ。

 次はスライダー。外角低めギリギリに入れる。

 猪狩はその要求に頷いてきっちりそこに投げ込んできた。

 春は手が出ない。しかし審判の手はあがる。

 

「トラックツー」

「……パワプロくんと猪狩くんが手を組むとこんなに打ちにくいんだね?」

「はは、そうか」

「……こうなっていた可能性も、あるのかな?」

「え?」

「君が恋恋じゃなくて、あかつき大付属にいっていた可能性も、ってことさ」

 

 春が楽しそうにつぶやく。

 ……そう、だな。確かに猪狩と組む未来も有ったかもしれない。

 ――でも。

 

「そうかもしんないな。けどさ、それじゃあ俺じゃねぇんだよ」

 

 俺は笑いながらミットを構える。

 春は不思議そうにしながら顔を猪狩に向けた。

 

「今まで戦った仲間達と戦いたい。強い奴らと戦ってみたい。そう思うのが俺なんだから」

 

 猪狩がストレートを投げる。

 投じられたストレートは多分猪狩の全力だ。

 春がスイングしようとバットを出しかけるがバットを途中で止めて、

 低めから浮き上がるような凄まじいスピンがかかった直球はインローへと決まる。

 

「トラックバッターアウトォ!」

「ナイスボール!」

「……っ、凄い」

「だろ?」

「君たちがね。……確かにパワプロくんは強い相手に必死に食らいついてる姿が似合うけど」

 

 春は苦笑いをしてヘルメットをバットでこつんと叩きながら俺に笑顔を向ける。

 

「猪狩とパワプロくんとのバッテリーとも戦ってみたかったな」

 

 春は笑って戻っていく。

 ――猪狩とのバッテリー、か。

 未来に猪狩と組む事もあるんだろうか?

 そんなことを思いながら俺は猪狩に急かされて五番の大京との勝負に集中するのだった。

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

「今日は悪かったな」

「っとだぜ、あおいとのデート中だったんだぞ」

「恋人になったのか?」

「パワプロくんそういうこというとっ」

「ははっ、まあいいじゃねぇか」

「よくないよぉ……もう……」

 

 ぷー、と膨れるあおいの頭をぽんぽん叩きながら、私服に服を着直す。

 一年生捕手の子はどうやら風邪気味だったらしい。そりゃまあそんな状態で試合をすればあんな結果になるよな。

 あおいを宥めながら俺は猪狩に目をやる。

 

「今日はなかなかに面白かった」

「そうか。俺もだよ」

「ああ、それなら良かった。……なぁ、パワプロ」

「ん? どうした猪狩」

「いや、なんでもないさ。次はもっと成長することだね。さもないと秋の大会じゃ君の実力じゃ負けてしまうよ」

「いってろ。夏の大会で負けたくせに」

「……ふふ」

「……はは」

 

 お互いに頬を釣り上げながらこつん、と拳をぶつけあう。

 猪狩は「じゃあな」と短く言ってグラウンドから立ち去っていった。

 

「じゃ、お二人さん。デート楽しんでね」

「みずきぃっ!」

「あははっ!」

「みずきこそ春くんとそういう関係になったりしてないの?」

「……あんた達みたいに簡単じゃないのよ、こっちはさー。じゃ、あたし行くから。またねー」

 

 苦笑しながら橘は寂しそうに春を横目でチラリと見た後、そのままてくてくとグラウンドの外に歩いて行ってしまった。

 なんかすげぇ印象に残るような表情だな。橘ってこんな顔するのか。

 あおいもそんな橘は意外だったようで目をクリクリさせながらそんな橘の姿を見つめている。

 

「では失礼するぞ。……で、デートを楽しんでくれ」

「あ、聖。うん、またね。あ、そういえば……聖はデートしたい相手とか居ないの?」

「なぁっ! そ、そそ、そんな相手はいない、ぞ!」

 

 言いつつ顔を真っ赤にした六道の目が春の方へと移っていく。

 ……これはもしや。

 あおいも勘づいたらしくなんとも言えない表情で聖の照れた顔を見つめながら複雑そうな表情をしていた。

 

「聖ー! 行くわよー!」

「あっ、待ってくれみずきっ」

「ご苦労様パワプロくん。楽しかったよ」

「ああ、俺もだよ。また戦ろうぜ。今度は秋の大会でな。……色男」

「うん、ボクも聖タチバナと戦う時は全力でやらせてもらうよ。……色男くん」

「え? え? あ、うん……? じゃあまた」

 

 俺とあおいが苦笑しながら言うと春は何のことだろう、と首をひねりながら橘たちの方に歩いて行く。

 ……これ矢部くんに言ったら調子が絶好調になったりしないかな。

 

「ボク、なんだか野球する所見てたら体動かしたくなっちゃったよ」

「ははっ、そうか。じゃあ猪狩スポーツジムにでも行こうぜ?」

「うんっ!」

 

 恋人らしいデートをする予定だったけどそれを変更して俺とあおいは猪狩スポーツジムへと足を運ぶ。

 必要なのは一般的なデートとかじゃなくて俺達らしさだよな。せっかく恋人になれたんだし俺達らしいデートをしよう。

 そんなことを思いながら俺とあおいは足を進めるのだった。



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幕間 十月二週"秋大会籤引" それぞれの進む道

                十月二週

 

 

 

 

 秋大会。

 春の選抜大会へ向けてのトーナメント。三年が引退して一、二年のみのチームになった新チームで行われる大会だ。

 チーム全員ではなく主将だけ集まって行われる抽選会に、俺と顧問の先生と彩乃の三人で訪れる。

 顧問の先生は野球の事が好きなおじさんだ。まだ優勝して数ヶ月。急成長したチームだし、監督も集まらないチームだ。なんとか下の世代に何かを残してやりたいけど……。

 っと、マズイマズイ。今はくじびきに集中しねぇとな。

 

「では始めます。……まずはシード枠のくじ引きです。恋恋高校からお願いします」

「はい。……六番です」

 

 ボールを引いて係員にボールを渡す。

 六番、か。中途半端な所だな。

 ベスト四に入ったチームはシード枠となって先にくじを引かされることになる。

 センバツ大会へ出場するためには、この大会で良い結果を残さないといけないからな。

 壇上から降りて成り行きを見つめるために座席へと歩き出す。

 その次の瞬間。

 

「あかつき大付属……八番」

「……へ?」

 

 わああああ! という歓声がこだまする。

 八番……って……三回戦目、シードだから二試合目だけどあかつき大付属とそんな速い内に当たるのかよ!?

 振り返り壇上に目をやると猪狩が勝ち誇った表情でこちらを見つめている。

 リベンジは速いうちに限るとでも思ってたのか、猪狩は満足そうに壇上から降りて監督と共に座席へと戻っていく。

 おもしれぇ。また倒してやるから首洗って待っとけよ。

 シードのくじ引きが終わりシード外のくじ引きが始まる。

 ――俺達の初戦、実質二回戦の相手になるであろう場所の一回戦のカード。

 そこに入った二チームの名前。

 パワフル高校と聖タチバナ高校。

 どうやら、秋大会は夏の大会の時よりも波乱含みになりそうだな。

 俺が舞台に目をやると、くじを引きおえて降りてくる春と目が合う。

 春は俺に向けて頷いた後、パワフル高校の主将に目をやる。

 ……ん? 誰だあいつ。パワフル高校の主将ってたしか竜崎だったはずだけど、見覚えの無いイケメンになってんぞ。

 パワフル高校の主将は春に一歩近づくと、春と親しそうに握手をする。

 春も笑ってその手を握ったがどこか表情が硬いな。

 

「……誰だ、あいつ……?」

 

 パワフル高校にあんな奴が居たなんてデータはない。……調べてみるか。

 とりあえず野球部のグラウンドに行かねーとな。トーナメント表のこと、みんなに話さないといけないし。

 くじ引きを終えたのを確認して俺は会場を後にする。

 秋の大会はもうすぐそこだ。

 

 

                  ☆

 

 

「久々だ。春」

「……そうだね。鈴本」

 

 握手をする。

 眼の前に立つ男は、昔俺と聖ちゃんとみずきちゃんと同じチームに居た男。

 鈴本大輔――ナックルと威力の凄いストレートが武器の本格派右腕。

 

 そして、聖ちゃんが好きな男だ。

 

 俺は鈴本を見つめる。

 シニアリーグ時代、紅白戦で俺は彼の頭にピッチャーライナーの打球を当ててしまった。

 そのせいで、俺は野球をやめていた時期があったんだ。

 その時の傷はもう無い。

 俺にも、鈴本にも。

 

「大丈夫さ春。……初戦から戦うことになったけど、よろしく」

「……ん、うん」

 

 鈴本の言葉に頷く。

 過去はもう関係ない。ここから先はもう進むだけだ。

 

「絶対勝つよ、鈴本」

「ああ、俺も絶対に勝つ」

 

 にこ、と笑って鈴本は離れていく。

 ……勝ちたい。鈴本には絶対に。

 鈴本の後にはパワプロくんたち、恋恋との戦いだ。

 もう負けるのは嫌だ。このチームで甲子園に行きたい。だから――勝つ。パワプロくんにも鈴本にも、猪狩くんにだって。

 

「……勝つよ」

 

 鈴本の背中にそういって俺は会場を後にした。

 秋の大会は、もうすぐ始まる。

 

 

 

 それぞれの高校がそれぞれの道を歩みだす。

 再び見える時を目指し進む舞台は秋。

 夏に栄冠を手にしたものが秋をも制覇するのか。

 悔しさを味わったものが栄冠を手にするのか。

 元覇者が再び力を取り戻し覇権を取り戻すのか。

 戦いが、幕を開ける。



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第二一話"十月三週"秋大会初戦 聖タチバナvsパワフル高校

           十月三週

 

 

 

 

 三年生が引退したことにより、二年生を中心とし一年生も入れたメンバーで試合を行う秋季大会。

 シード校をのぞく同じ地区の学校が優勝を目指し更にその先のセンバツ高校野球大会を目指して突き進む戦いが始まるのだ。

 この地区では直前の大会でベスト4に入ったチームがシードを得る。

 つまりパワプロ達恋恋高校はシード枠。登場は二回戦からだ。

 だがその以前にも熱い戦いはいくつも行われている。

 因縁があったりライバル関係があったり――部外者では計り切れない程熱い戦いがあるのだ。

 その中の一つ。この戦いにも深い因縁とライバル関係がある。

 パワフル高校vs聖タチバナ高校。

 その因縁の深さなんてものは当人達にしかわからない。

 けれどこの戦いにはきっと何か譲れないものがあるんだろうとパワプロは思った。

 

 

 

 

 スタメンが発表されるのを、俺は静かに座って聞いていた。

 いよいよ鈴本との戦いが始まる。

 それを意識するだけでずしりと重たいモノが肩にのしかかってくるようだ。

 

 一番セカンド原。

 二番センター篠塚。

 三番キャッチャー聖ちゃん。

 四番ショート俺。

 五番ファースト大京。

 六番サード大月。

 七番レフト中谷。

 八番ライト大田原。

 九番ピッチャーみずきちゃん。

 

 いつも通りの、ウチのベストメンバーで打順は組んだ。

 そのはずなのに相手が鈴本のチームだと意識するだけで自信が根こそぎ奪われていく。

 

 一番セカンド円谷。

 二番ショート生木。

 三番ピッチャー鈴本。

 四番ファースト尾崎。

 五番キャッチャー石原。

 六番サード横田。

 七番センター小木。

 八番ライト林野。

 九番レフト峰。

 

 パワフル高校のエースは手塚くんという選手だったが、好投手は言いがたい投手だった。

 それが鈴本が入ることによって劇的に変わった。元から好打者の尾崎くんとキャッチングとリードに定評のある石原くんに鈴本が入れば、そうやすやすと勝たせてはもらえない。

 それでも、勝つしかないんだ。このチームで甲子園に行くためには絶対に。

 

「試合が始まるぞ、春」

「なーに黄昏ちゃってるのよ。ほら、行くわよ?」

「ん、分かってる。さあ! しっかり抑えて攻撃につなげよう!」

 

 先攻はパワフル高校。うちらしい、守り勝つ野球で勝つ。

 みずきちゃんがマウンドに立つ。

 

『さあ、始まります秋季大会一回戦、パワフル高校対聖タチバナ高校。夏の大会はこの地区から出場しました恋恋高校が夏を制しました。さあ、この秋大会、選抜への切符を手にするのはどこの高校か!』』

 

 振りかぶり、先頭バッターの円谷くんに向けてサイドスローで腕を振るった。

 スパァンッ! と聖ちゃんのミットが素晴らしい音を立てる。

 調子は良さそうだ。この球ならそう簡単には崩れない筈。

 二球目は普通のスクリュー。ちょっと遅めだけど円谷くんは空振る。

 2-0から一球外角ギリギリにボールを外した。ストライクととっても良さそうなきわどいボールだったんだけど、ボールと取られたら仕方ないな。

 もう無駄球を使えないなんてことはない。みずきちゃんはスタミナ不足を克服した。エースとして必要な完投能力だって手に入れたんだ。

 それを生かしてあげたい。

 だから――

 

 キンッ! と円谷くんのバットがみずきちゃんのスクリューに当たって速い打球が飛ぶ。

 

「ショート!」

「っ!」

 

 俺の横、取れる。

 打球に飛びつく。

 ミットに強烈な衝撃が走るが構わない。落とすものか!

 ボールをこぼさないように俺は必死でボールを握る。

 

 ――俺は結果をだそう。みずきちゃんが勝ち投手になれるのなら、バッターでも内野手としてでも、全力以上のプレイをする!

 

『ファインプレー!! 痛烈な当たり横っ飛びでキャッチしました!! 夏の大会でも好プレーを見せた春! 秋になってさらにその守備力は高まったか!』

「アウトォ!!」

「ナイスキャッチだぞ春!」

「ま、春なら当然ね! でもナイスキャッチ!」

「うん。がんばろう!」

 

 聖ちゃんとみずきちゃんを始め、みんなが俺に声をかけてくれる。

 それに言葉を返しながら、みずきちゃんにボールを返した。

 みずきちゃんはそれを嬉しそうに笑いながら受け取る。

 ……俺はみずきちゃんに笑って欲しい。

 野球が出来ないと塞ぎ込んでいた時期を知っているから、尚更だ。

 だからこそ、みずきちゃんがずっと野球をできるようにみずきちゃんのお爺さんと約束した結果を残してみせる。

 そのためには絶対に勝たなきゃ。

 ワンアウトでバッターは生木くん。

 俊足巧打の打者って聖ちゃんが言ってたっけ。塁に出すと厄介だし、ミスしないようにしないと。

 

『さあワンナウトでバッターは二番生木。ミート能力には定評があります。四番につなげる為にも、パワフル高校ここでランナーを出しておきたい所! 逆に聖タチバナは裏の攻撃の為に三者凡退で抑えたい所です!』

 

 生木くんがバッターボックスに立つ。

 右ボックスに立つ生木に対してみずきちゃんがアウトコースからボールを投げた。

 

「トーライッ!」

 

 審判が右腕を上げる。

 後ろから見ていてもすごく際どいコースだ。あそこを審判に取らせるリードをしたいって聖ちゃんがいってたっけ。さっきの円谷くんへ対してのアウトローギリギリへのボールがこの球をストライクにしたってことか。

 審判にしてみればあそこがギリギリでボールだったんだから、ボール半個分それよりストライクゾーンに近く投げられればストライクと言わざるを得ないだろう。

 ボールと取られてもおかしくないコースを持ち前の角度とコントロールによってストライクにする。審判にこちらに有利な判定をさせる投球術――"レフェリーアドバンテージ"。

 鈴本の武器が剛球やナックルという投手能力なら、みずきちゃん達は鈴本に及ばない部分をクロスファイヤーとレフェリーアドバンテージといった投球術でカバーして有り余っている。

 結局生木くんはインハイのボールを打ち上げてキャッチャーのファウルフライで打ちとった。

 そして。

 

『バッター三番、鈴本』

 

 みずきちゃんたちが相対するのはかつてのチームメイト。

 鈴本大輔。

 バッターとしても高い能力を持つ鈴本が入る打順は三番だ。

 四番にはパワフル高校歴代最高打者と呼び声が高い尾崎が入っている。此処でランナーとして出せば鈴本は投手としてもリズムをつかむだろうし、四番に打順が回るのも分けたい所。しっかり打ち取らないと。

 みずきちゃんが初球を投げ込む。インをえぐるようにしてボールは低めに決まった。

 これで1-0。際どい所だけど角度が有る分ストライクになるんだよね。みずきちゃんの右打者へのインローって。 

 二球目は外へのクレッセントムーン。

 それを鈴本は、

 

 待っていたかのようにひっぱたく!!

 

「「っっ」」

 

 みずきちゃんと聖ちゃんが呼吸を止めたのは同時だった。

 振り抜かれた打球は俺の頭上へと飛び、そして、

 

 気づいたら飛んでいた。

 

 ドッ! と俺は仰向けに倒れこむ。

 いてて、着地はちょっと無様だったけどうまくキャッチ出来て良かった。

 ボールをマウンドにおいてベンチに走って帰ると、いつも通り皆が祝福してくれる。みずきちゃんにいたっては抱きついてきた。うう、い、色々と柔らかいなぁ。

 

「こ、ここ、こらっ! みずきっ!」

「ないすきゃっちだーりん! いやーキモが冷えたわー!」

「た、たまたま入っただけだよ。それより今度はこっちの攻撃だよ。幸先よく先制点をとろう! 原、頼むよ!」

「ああ!」

 

 原が頷いてバッターボックスに立つ。

 鈴本の決め球はナックル。ナックルは球速が遅いから盗塁はたやすい。いかにランナーを置けるかどうかが鈴本攻略の鍵だ。

 

『バッター一番、原』

 

 鈴本が石原からのサインを受けて頷いて振りかぶる。

 そして、

 

 ズドンッ!! という轟音に、誰もが言葉を失った。

 

 速い。

 

「ストラーイク!!」

 

 審判が手を挙げる。だがその審判に目をやるものはたぶん極少数の人達だけだったろう。

 バックスクリーンに目をやる。

 描かれた球速表示は一四九キロ。

 実際に打席で見たわけではないからなんとも言えないけど、ここから見た感じではストレートは猪狩くんと同等かもしれない。

 二球目に投じられたボールもストレート。

 膝元ギリギリに投じられたボールに、審判が再び手をあげる。

 追い込まれた。それもあっという間に。

 配球がどうのとかそういう問題ではないこの絶望感。猪狩くんに与えられたものと同じだ。

 そして、三球目。

 投じられたボールは――ナックル。

 原が途中で気づいてバットを止めようとするが、止まらない。

 ぐぐぐぐぐっと原のバットが後ろから押されているかのようにホームベースの上を通過した。

 

「スイング! ストライクバッターアウト!」

 

 審判が腕を上げてアウトを宣告する。

 今のナックルが一〇四キロ。

 球速差四五キロ。ストレートに狙いを張っていればバットは止まらないだろう。

 二番の篠塚に対しての初球。

 鈴本はもう一度、ナックルを投げる。

 低めに外れるボールだったが、それを見た篠塚は完全に鈴本の投球に飲まれてしまった。

 二球ストレートを振らされ、そして四球目の2-1からのスライダーに手が出ずに見逃し三振に倒れてしまう。

 鈴本の武器はコントロールだ。

 低め、特にコーナーに散らすのが抜群に上手い。下位打線じゃたぶん手も足もでないだろう。

 

『バッター三番、六道』

 

 そして、バッターボックスに聖ちゃんが立つ。

 ……彼女は、どれくらいこれを待ち望んだんだろう。

 ……いや、違うよね。聖ちゃん。

 聖ちゃんが本当に待っているのは――

 

 キンッ、と聖ちゃんが内角高めのストレートを打ち上げる。

 サードの尾崎がそれをしっかりと掴んで、スリーアウトチェンジになる。

 鈴本は聖ちゃんに向けてにっこりと微笑んだ後、石原とタッチしてベンチへと戻っていった。

 

 ――本当に待っているのは、あの石原のポジションに自分が付くことだよね?

 聖ちゃんが戻ってきて防具をつけ始める。

 俺は頭を振ってショートへと飛び出した。

 そんなこと考えなくてもいい。

 "俺のせいで鈴本と聖ちゃんがバッテリーを組めなくなった"なんてこと、考えなくていいんだ。

 二回の表は尾崎くんから。

 一発を注意していけば今日のみずきちゃんなら連打される確率は低いはず。

 飛んできたボールは全部取ってやる。さあ、来い!

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

「……鈴本、か」

「知ってたのか? 東條」

「……俺と猛田の幼なじみだ。……頭部に打球を受けて病院に行く為に東京の中学校に引っ越した。そこで一時期野球を辞めていたと聞いていた」

「野球を辞めていた? そうとは思えねーボールだな」

「……ああ、実際は試合に出れなかっただけでトレーニングは欠かさずやっていたらしい。中学校三年の夏に完治し、また野球を始めたと言っていた。こちらに戻ってきた理由は此処に来なきゃいけない理由があるからだそうだ」

「やけに詳しいな? 仲良いのか?」

「……はぁ、パワプロ、お前忘れたのか?」

 

 東條がジト目で俺を睨む。

 ……あ、そうだった。こいつ元パワフル高校じゃん。何言ってんだ俺。

 スタンドの一角で、俺と東條はパワフル高校と聖タチバナの試合を観戦していた。

 最初はデータ集めで俺だけが来るつもりだったんだけど、東條が珍しく自分も行きたいっつったからな。普段なら一人で行く所を東條も連れて来たんだが、やっぱりそういう因縁ってのがあったのか。

 炎天下の中グラウンドを見下ろす。

 

「そうだったな。……お前がハブられんの止めてくんなかったのか?」

「……鈴本が越してきたのは夏に入ってからだ、その時にはもう孤立していたからな。その状態をひっくり返すのは難しいだろう」

「まあ、確かに。入学式から二、三ヶ月後っつったら大分人間関係形成されてるもんなぁ」

 

 その後にぽんっと入ってきて状況を打開する、なんて真似できるわけがない。東條は結局こっちに来るしかまともに野球を続ける方法はなかったってことだ。

 まあ俺にとってはラッキーか。この幸運はありがたくいただいておこう。

 

「……だが」

「ん?」

「……どうやら鈴本は、俺が出来なかったことをやったらしいな」

 

 東條が溜息を吐きながら鈴本に目線を下ろす。

 ……確かにそうかもしれない。何があったかはわからないがパワフル高校は鈴本がエースになった後明らかに野球の質が変わったように思う。それもいい方向に。

 ただ、

 

「それが鈴本一人の力とは限らねーよ」

「……どういうことだ?」

「お前が変えたのさ。パワフル高校を」

 

 きょとん、と東條が目を丸くして俺を見る。

 俺はにっとそんな東條に笑みを返す。

 

「他人に嫌われようが必要だと思うことをお前は一人でもして見せてた。それを見てた同級生に火をつけてたってことだ。その証拠に今までの上級生がいなくなってからパワフル高校はチーム力がアップした。そこには確かに鈴本の力も合ったかもしんねぇ。けど、今チームの中心になってる二年は同級生でひたすらに突き進んでたお前の背中を見てた筈だ」

 

 その時には何も言えなかったとしても、

 その時には何も出来なかったとしても、

 その時には何も変わらなかったとしても、

 東條の行いや言動はそう簡単に忘れられるものじゃない。

 鈴本の何かが行動を起こさせる起因になったのかもしれない。

 けど、根っこの部分でアイツらをいい方向に変えるきっかけを作ったのは他でも無い東條だ。

 

「今はお前は俺達恋恋の主軸だし、チームメイトだ。けど、パワフル高校に入ったのが無駄だったって訳じゃない。――お前はパワフル高校を変えたんだよ」

「……そう、か。……だとしたら、良かった」

 

 東條は初めて優しく微笑む。

 いつも無表情な東條のこんな顔は初めて見た。

 こいつの中ではやっぱりパワフル高校に自分が混乱を残したのではとか色々心配だったんだろうな。

 だろ? と俺が笑って言うと東條はこほん、と咳払いをして、

 

「……これは確かに、女性だったら惚れているな」

「一体何の話だ!? 俺にそっちの気はないぞ!」

「……いや、俺にも全く持ってないが、お前が早川に好かれている理由を認識しただけだ。すまないな。今まで野球のこと出来ない能なし……いや、脳なしだと思っていた」

「お前ひでぇぞそれは! 生涯今までで一番傷つく言葉だわ!」

 

 ハハハ、と笑う東條をぶん殴りたくなる衝動を必死で抑えつつ俺はぐううううと頭を抱える。

 くっ、もしかして矢部くんとか友沢にもそう思われてる……!? だとしたらこの間のテスト勉強の時はその疑いを更に深くしたというのか! ちっくしょー! もっと真面目に授業聞いて賢い所を見せれば良かった!

 

「……それにしても、因果な事もあるものだな」

「ぐうう、何がだよ……?」

「……いい加減落ち込むのをやめろ。……鈴本の頭部に打球を当てたのはあの春だ」

「……へ?」

「……更にその時キャッチャーをやっていたのが六道聖……あの捕手だ。すごく仲が良かったと言っていたぞ」

「へぇ、つーことは何か? 六道と鈴本はいいバッテリーだったのか」

「ああ、そうだ。同じチームで紅白戦をやっている時、鈴本のボールを春がセンター返してそのボールが鈴本の頭部に直撃した。その結果鈴本は引越して六道とのバッテリーは解消された。鈴本から聞いたが、あの春もそれが原因で一時期野球を辞めていたようだ」

「へー……」

 

 妙な因果があったもんだな。それがなんでか春は野球に戻り六道と同じチームになり、鈴本は別チームで今試合をしてるのか。

 ドラマみたいだな。

 

「……だからかな」

「何がだ?」

「鈴本が戻ってきた理由だよ。此処でなきゃならない理由……春と戦う為だろ?」

「……だろうな」

「春も意識してる。あのヤローはプレッシャーを感じれば感じるほど調子が出てくるタイプだからな。一回の好守見ても気合入ってるぜ」

「……確かにそうだろう。……パワプロ、お前はどちらが勝つと思う?」

「チームの話か? それとも個人の話か?」

「……ふん」

 

 俺が茶化すように言うと東條は鼻を鳴らしてグラウンドに目を落とした。

 こいつも鈴本のことが気になるのかも。幼なじみっつってたしライバル同士なんだろうし。

 "パワプロ、お前はどちらが勝つと思う"?

 そんなの、決まってんじゃねぇか。

 強い方だよ。

 

 尾崎、石原、横田を橘はゴロに打ち取り二回表が終わる。

 二回裏の先頭バッターは春からだ。

 春は初球、鈴本のストレートを見逃した。

 猪狩のストレートに比べて球威もスピードも控えめだが、その分鈴本は制球力がいい。

 今のストレートも外角ギリギリだ。橘が創りだした"安全かつ確実にストライクを取って貰える"コースを逆に利用している。

 橘はスピードがない分角度とそういった投球術を使って投球を組み立てるタイプだ。

 鈴本はそれを読みきった上で利用している。審判はあくまで公平。ストライク判定をした所にボールを投げ込めばそこはストライクなのだから。

 

(それに気づかなきゃ無為にストライクを稼がせるだけだぞ春。――そこを"安全"で無くさないと勝機はないぜ)

 

 逆に言えば利用されてるのをプラスに使うことだって出来る。

 "カウントを取りたい、なおかつ絶対に打たれたくない場面"で外角低めに投げ込まれるボールは十中八九あのコースへのストレートだろう。

 二球目を春が打つ。

 ナックル。ストレートの後に緩急をつけた魔球と呼ばれるそのボールを春は打ち返したが力の無いゴロとなって鈴本が捕球する。

 ファーストに投げられてこれでワンアウト。

 

「……鈴本は厄介だな」

「ああ、制球力はあるし球速も一四九キロ出てる。ナックルも天下一品だし、スライダーも猪狩レベルではないにしろ一級品だ」

 

 この試合で大事なのは先制点。此処までお互いの投手の出来がいいと先に点を取られた方は一気に流れを失うだろう。

 下手をすればそのまま1-0で試合がつくかもしれない。

 ポイントは後半戦に入ってからだろう。まだ一回戦目だしスタミナは十分に残ってる筈だからな。

 ……八回くらいが一番危ないか。最終回一歩手前で一番疲れる回だからな。……がんばれ。春。もう一度戦うんだろ!

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 迎えた七回。打順は円谷くんからだった。

 それまで快調なペースできていたみずきちゃんの外角へのボールを円谷くんがヒットで出ると、生木くんがたたみかけるようにヒットエンドラン。大きく開いた一二塁間をボールが抜けて一、三塁。

 そして、鈴本の打順。

 ノーアウト一、三塁。外野フライでも先制点のこの場面……聖ちゃんが出したサインは内外野共に前進守備だった。

 鈴本の投球を鑑みれば一点でも致命傷になるかもしれない。

 ――けど、前進守備はヒットゾーンが大きく広がる。

 一点でも致命傷になるかもしれないけれど、二点目はどうみたってデッドゾーン。鈴本は決して打撃は弱くない。寧ろ勝負強さで言ったら強いと言えるくらいだ。

 

「……みずきちゃん、大丈夫?」

 

 マウンドに集まって俺が声をかけると、みずきちゃんは汗を拭いながら当然! と力強く頷いた。

 今日もまた此処まで援護点を上げれてない。

 打撃が弱いのは一〇〇も承知だ。でも、これじゃあみずきちゃんへの負担が大きすぎる。

 ……今悔やんでても仕方ない。今はこのピンチを切り抜けないとね。

 

「前進守備で行く。鈴本の投球は凄い……一点でも取られたら終わりだ。みんな頼むぞ」

「聖。本当に前進守備でいいの? 鈴本くんの勝負強さは……」

「わかっている。だが鈴本相手に消極的になってはいけないぞ。ここは攻撃的に行く」

「……わかった。みんな、絶対守ろう」

 

 俺が声を上げると皆が大きな声を出して散らばっていく。

 "鈴本の投球は凄い"。

 聖ちゃんはやっぱり鈴本を大きく意識してるみたいだ。……前進守備は打球が早く来る。いつも以上に集中するぞ。

 初球から来るからな。

 みずきちゃんが腕をふるう。

 クレッセントムーン。

 それは名前の通り綺麗な弧月を描く。

 それを迎え撃つように鈴本はバットを一閃した。

 ギャインッ!! と凄まじい音を立ててボールがファールゾーンへと突き刺さる。

 フルスイング。まるで知っていたかのように迎え撃った。

 次のサインはインコースへのストレート。

 パァンッ! と音を立ててボールがミットに吸い込まれるが判定はボール。

 ストライクと取ってもらいたかった所だけれど、これで1-1。

 三球目、アウトローへのゆるいスクリューを鈴本は見逃した。

 

「ボールッ!!」

 

 遅い分低めに落ちすぎて外れた。クレッセントムーンだったらストライクだったかもしれないけどこれは見せ球だ。

 1-2からの四球目、再びインサイドへのストレート。

 バシンッ!! と先ほどからボール半個分程内側に入るストレートを聖ちゃんが捕球する。

 

「ストラーイク!!」

 

 2-2、追い込んだ。

 此処まで外ベルト高へのクレッセントムーン、インコースへのストレート、外低めへのスクリュー、インコースへのストレートという順番でボールを投げさせている。

 横の広さを使うなら次に投げる球は外へのボールだ。

 聖ちゃんが外に構える。球種は――ゆるいスクリュー。

 ストライクゾーン広く使い、なおかつ緩急をつけたスクリューで打ち取るつもりだろう。

 みずきちゃんが頷いてボールを投げる。

 次の瞬間、鈴本のバットが一閃された。

 取る。

 俺が思ったのはそれだけだった。

 遅れてッキィィンッ!! という快音が響き渡る。

 ズザザッ!! とマウンドの後ろでスライディングし、立って一塁と三塁を見る。

 一塁ランナーも三塁ランナーもベース上に戻った所だ。

 それを確認してグローブに視線を落とす。

 ボールにしっかりついた打撃痕。

 

『ふぁ、ファインプレー!! センターへ抜けるかと思われたピッチャー右への当たりをショート春がダイビングキャッチー! 鈴本呆然! ショートの春を見つめる事しか出来ません!!』

 

 それをユニフォームで拭いながらみずきちゃんにボールを返す。

 みずきちゃんはビッと親指を立てて笑ってくれた。

 

『バッター四番、尾崎』

 

 ワンアウトになったことでシフトはゲッツーシフトへと変更になる。ゴロで併殺をとれれば無失点で乗りきれるぞ。

 みずきちゃんが初球を投げる。

 それと同時、ファーストランナーの生木くんがスタートした。

 

「スチール!!」

 

 叫びながらベースカバーに入るが、投じられたボールは外角低めへのゆるいスクリュー、これじゃ投げてもアウトに出来るはずがない。

 これでワンナウト二、三塁。一打で二点入る確率まで出てきた。

 今のスチールは読まれてたんだ。犠牲フライも打って欲しくない場面なら初球は外角低めの、飛ばしにくい緩い球で来る。それを読んでスチールした。

 夏までのパワフル高校だったらしなかった野球なのに、此処に来てこの流れはまずい。

 はぁ、とみずきちゃんは深く息を吐いて再びセットポジションに戻る。

 投じられた二球目はアウトサイドへのストレート。

 クロスファイヤーで遠くに投じられるストレートを尾崎くんは、

 

 バットを投げ出す一歩手前というほど体を崩し、ボールを打ち上げた。

 レフトへとボールが伸びる。

 フェアゾーン……ゆっくりと落ちてくるボール。サードランナーの円谷くんは俊足。

 とった瞬間、走者がスタートした。

 捕球した中谷がホームへと送球する。

 帰ってきたボールが聖ちゃんのグローブへと収まるその僅か前に、円谷くんの足がホームをかすめた。

 

「セーフ!!」

 

 審判が両手を大きく広げるのが見える。

 聖ちゃんがサードベースを見るが、サードベースにはすでに生木くんが到達していた。

 ――先制犠牲フライ。なおもツーアウト三塁のピンチ、バッターはクリーンアップの石原。

 ぐっ、と聖ちゃんが悔しそうにボールを握り締める。

 この先制点は、何がなんでもやりたくなかった。

 今聖ちゃんは塁を埋めればよかったと悔やんでいるのかもしれない。

 ……間を取らないとこのままじゃ打たれる。なんとか聖ちゃんとみずきちゃんの頭を切り替えないと……。

 

「……た」

「タイム!」

 

 俺が審判にタイムを告げようとした瞬間、みずきちゃんが大きな声でタイムを要求した。

 審判たちが頷いたのを見て、俺達はマウンドに移動する。

 さすがみずきちゃん、嫌な空気なのを感じて流れを変えるためのタイムだ。

 

「すまん、尾崎は敬遠だったな……」

「完璧に打ち取ってた。この一点は仕方ないよ、切り替えよう」

「しかしだな……」

「駄目よだーりん。そんなんじゃ聖はすっきりしたりしないわよ。それにあたしだってモチベーションダダ下がりだしさー」

「うぐ……じゃあどうすればいいかな……?」

「私に任せなさい」

 

 みずきちゃんがにっこりと八重歯を出していたずらっぽく微笑む。

 ……こういう顔をする時のみずきちゃんはロクな事を考えてると思えないんだけどなぁ……。

 でも俺に何か意見や方法が有るわけじゃないし、みずきちゃんに任せよう。

 なんてことを考えていたら、みずきちゃんはこほん、と咳払いをして、

 

「私、春くんが大好き」

「……んなっ!!?」

 

 とんでもない爆弾を投下した。

 

「な、なんやってー!!?」

「みずきさん、マジっすか?」

「……うん、ホント、だよ」

 

 大京、原までもがポカンとした表情で俺とみずきちゃんを交互に見つめる。

 爆弾を投下した本人であるみずきちゃんはこちらをちらり、と横目で見て、目が合うなり頬を染めた。

 ……な、なんてことを言うんだみずきちゃんは! 冗談でも言っていい事と悪いことが……!

 ……はっ、まさかみずきちゃんはわざととんでもないことを言って頭を一度真っ白にさせてリフレッシュさせようとしてるんじゃ。

 なるほど……確かに俺も驚いて一瞬頭が真っ白になっちゃったし、これなら聖ちゃんだって一瞬試合の事が頭から飛ぶ筈だ。その証拠に聖ちゃんは金魚みたいに口をパクパクさせている。

 

「だから」

 

 冗談だけじゃ足りないと判断したのか、みずきちゃんはじっと聖ちゃんの目を見つめて、

 

「迷ってると(・・・・・)遠慮無く(・・・・)貰っちゃうわよ(・・・・・・・)」

 

 ……? どういう意味だろう?

 俺がその言葉の真意をわからないで居ると聖ちゃんはぱくぱくと口を開閉するのをやめて、じっとみずきちゃんを見つめて一度だけこくんと頷いた。

 

「よし、じゃ戻って戻って! ……絶対に抑えるわよ。だーりん」

「あ、うん。わかった。がんばろうね。みずきちゃん。……あと、ナイス冗談。聖ちゃんリセットしてくれてありがとう」

「……聖の為だけじゃないし……冗談じゃないんだけどね」

「え? なんか言った?」

「負けるなんて冗談じゃないっていったの。ほらほら、集中!」

「了解!」

 

 さすがみずきちゃんだ。頼りになるな。

 守備位置に戻る。

 聖ちゃんは迷わずインサイドに構えた。

 みずきちゃんもそれに頷いて、ボールを投げた。

 投じられたボールはインサイドへのストレート。

 石原くんはそれを迎え撃つ。

 ッキンッ! と乾いた音を立ててボールは飛ぶ。

 みずきちゃんが上空を指さした。

 それに従ってサードの大月がファウルゾーンに出て捕球体勢を取る。

 

「アウトォ!!」

 

 落ちてきたボールを大月がキャッチしたのを見てみずきちゃんはぐっとガッツポーズをとった。

 これでスリーアウトチェンジ、一点ならなんとかなる!

 八回裏の攻撃は原から。一番の好打順だ。絶対に逆転するぞ。

 

「ナイスピッチ、みずきちゃん」

「うん。どういたしまして。ってまだ一回あるけどね。や、もしかしたら二回とか三回とかもかな?」

「……ううん、後一回で終わらせるよ。もちろん、俺達の勝ちでね」

「うん、わかってる。……頼りにしてるよ。ダーリン」

 

 みずきちゃんがにこっと微笑む。

 ……可愛い……あの告白が冗談じゃなかったら良かったのにな。

 そうだ。聖ちゃんにも声かけとかないと。よくピンチを抑えてくれたしね。

 聖ちゃんを目で探す。

 聖ちゃんは防具を早々と外し、ベンチの前でグラウンドを見つめていた。

 声をかけようと思い近づく。

 次の瞬間、キンッ! と快音が響いた。

 原が出塁した!

 これでこっちは四本目のヒット! 先頭打者の出塁は初めてだ!

 よし、それじゃあ篠塚に送らせて……。

 サインを出しおわって聖ちゃんに声をかけようと思ったら、聖ちゃんはすでにネクストに座っていた。

 ……仕方ない、帰ってきてからでいいか。

 篠塚がバットを寝かして鈴本の投球を待つ。

 ナックルはバントしにくい球だけれどこの場面でナックルはない。原にスタートを切られて二塁に盗塁成功になるのが一番厄介だからだ。

 だから此処はストレートかスライダーで来る筈。

 その二球なら、猪狩くんを見たウチのメンバーならバント出来る!!

 

 キンッ! と篠塚がうまく転がす。ボールは三塁線へと転がった。

 

 尾崎くんが全速力で捕球しに行き――見送った。

 切れるという判断で見送ったボールはライン上でぴたりと静止する。

 

「セーフ!!」

 

 審判が大きく腕を広げた。

 よっしっ!! ラッキーヒットだけど二本続いた! ノーアウト一、二塁でクリーンナップ、大チャンスだ!

 聖ちゃんはぷしゅーとすべり止めを塗ってからバットを握りしめる。

 決めちゃうくらいのつもりで振っていい。全力で行け! 聖ちゃん!!

 聖ちゃんはネクストをそっと後にし――こちらへ数歩近づいた。

 ベンチの中に座る俺を見つめた後、みずきちゃんに目をやる。

 ? 何か忘れ物をしたのだろうか。ヘルメットもバッティンググローブもしてるし……。

 そして聖ちゃんは、すぅ、と軽く息を吸って、

 

「わたしは、春が好きだ」

 

 ――目を潤ませて、爆弾を投下した。

 ……え? どういう、こと?

 聖ちゃんは鈴本のことが好きな筈なのに、あれ?

 それにその台詞を俺にじゃなくて、みずきちゃんに……? …………あ、なるほど、さっきの冗談のお返しか。

 そうだよね。聖ちゃん。……そうだと、言ってよ。聖ちゃん……。 

 

「……知ってたわよ」

「うむ」

「もう良いの?」

「ああ、もう良いんだ。目が覚めた。……私は打つ。だから、見ていてくれ。春」

 

 みずきちゃんは微笑み、聖ちゃんは俺を見てそういった。

 俺はどうすれば良いのか分からない。でも。

 

「うん、見ているよ。聖ちゃん」

 

 そう答える。

 

「うむ。私は春が見てくれているなら、頑張れる」

 

 そうして、聖ちゃんは嬉しそうに微笑んでバッターボックスへと向かった。

 俺には何が起こったのかはっきりとはわからない。どうしていきなり告白してきたのか、チームメイトにも聴こえるように言ったのかすら定かじゃない。

 でも、聖ちゃんはそんな嘘は言わない。

 冗談のお返しとか緊張を解すために言ったとかそんなことをする子じゃないんだ。

 だから今の言葉は本心なんだろう。

 ……じゃあ、今まで聖ちゃんが鈴本に抱いていた感情はなんだったんだろう?

 

「キャプテン、ネクスト」

「あ、ああ、うん」

 

 大月に急かされてネクストバッターズサークルに移動する。

 ネクストに座ってバットの準備をしながら聖ちゃんの後ろ姿を見つめた。

 鈴本が投げる。

 球種は――ナックル。

 聖ちゃんは動じない。

 そのボールを呼び込むようにして、初球からフルスイングするだけだ。

 ッカァアンッ! と快音が響き渡る。

 打球はファーストの頭の上を超えた。

 ランナーが走る。原がサードを蹴りホームに戻ってくる。

 打った聖ちゃんはセカンドへ向かい――セカンドへ到達した。

 ファーストランナーの篠塚もホームに戻ってくる。

 ボールが帰ってくるが一足遅い。篠塚はホームを駆け抜けた。

 

『逆転! 逆転タイムリーツーベース!! 三番六道聖の逆転タイムリーツーベース! 六道、セカンドベース上で静かにガッツポーズをとります!』

 

 聖ちゃんが満面の笑みを俺に向ける。

 鈴本ではなく、俺に。

 鈴本はそんな様子を見て少しだけ悔しそうな顔をして帽子を深くかぶり直した。

 二対一、逆転。なおもノーアウト二塁でバッターは四番の俺。

 ……バッターボックスに向かいながらスタンドを見渡す。

 俺は今までどうやって集中していたっけ。聖ちゃんに告白されてからやけに落ち着かない。

 色んな人がいるなぁ。ブラスバンド、応援団。そして――

 

 ――パワプロくん。

 

 パワプロくんはじっと俺を見つめている。

 一打逆転したのにまるで逆転するのは想定内だったと言うかのように冷静な瞳で、俺を。

 ……俺はパワプロくんと戦いたい。戦って勝ちたい。

 

 セカンドベース上に目をやる。

 

 聖ちゃんが少しだけ心配そうな顔で俺を見つめていた。

 自分が告白したことで俺が動揺していないか心配しているんだ。

 俺が野球を辞めていた時も聖ちゃんは一生懸命誘ってくれたっけ。一緒に野球やろうって。

 俺が野球に戻ってきたことを一番に喜んでくれる、俺と一緒に野球を出来ることを嬉しいと言ってくれる素直で頑張り屋さんな彼女のためにも勝ちたいんだ。

 

 ベンチに目をやる。

 

 チームメイトが一生懸命俺にエールを送ってくれている、その奥。

 みずきちゃんがパワリンを飲みながら俺をじっと見つめている。

 俺のわがままを聞いて戻ってきてくれた。

 全然援護点を上げれないのにそれでも泣き言も文句すら言わずにエースとして俺達を引っ張ってくれた女の子。

 悪戯好きで人をパシリ扱いしたりするけれど、本当はすごく優しくて一生懸命な彼女のためにも勝ちたいな。

 ああ、そうか。

 どうやって集中するかなんて単純な事なんだ。

 勝ちたい。その一心になるだけでいい。

 その一心になるだけで、俺は――

 

 ――集中出来る。

 

 

 

 

 音が消えた。

 

 

 

 

 不思議な感覚。

 スタンドの喧騒や応援はそのままなはずなのに、それが聞こえない。

 有るのは鈴本と俺だけ。

 鈴本がボールを投げる。

 コマ送りのように飛んでくるボール。無回転ではなく強烈なバックスピンが掛かったストレート。

 俺はそれを向かってバットを振り出す。

 その瞬間、ボールは確かに止まったように見えた。

 コースは外角低め、みずきちゃんが創り上げた安全地帯にストレートを投げ込んでる。

 さすが鈴本、寸分の狂いもない見事なコントロールだ。

 でも、来るコースと球種がわかっているなら。

 

 音は聞こえなかった。

 ただ感じたのはずしりと重いバットがボールを捉えた感覚。

 振り抜く。

 ボールはピンポン玉のように飛んでいった。

 ライトの頭上を超える。ボールがフェンスにぶつかる。

 聖ちゃんがホームを踏んだのを確認して俺はセカンドを蹴り、サードへと滑り込んだ。

 

『春のタイムリースリーベース!! この回三点目ー!ここまで好投の橘に応えました! 四番春涼太! これで点差は二点! 聖タチバナ、一気に試合をひっくり返した―!』

 

 ガッツポーズをしながらみずきちゃんと聖ちゃんを見る。

 二人は何かを確かめ合うように頷き合って俺に微笑んでくれた。

 

 

                       ☆

 

 

「春はあのコースを打てるようになったのか」

「……わかってても難しいコースだ。特に一四九キロのストレートなら振りまければ内野を超えないだろう」

「それをライトオーバーか。今までの春なら打ち上げてただろうけど、覚醒しやがったな。にしてもチャンスで長打か……クラッチヒッター顕在だな。集中力がすごいぜ」

「ああ、それまで不安そうにキョロキョロしていたと思ったが……あの一瞬で集中状態に入ったようだ」

「意図的にそれをやったんなら大した奴だぜ」

 

 結局あのあと、大京が犠牲フライを打ち4-1。聖タチバナは勝負を決めた。

 今は九回表、あと三人で聖タチバナの勝利だ。

 

「よし、帰るか」

「……最後まで見ていかなくて良いのか?」

「ああ、いいよ。もう試合は決まっただろうしな。それより、対策をしなきゃやばそうだ」

 

 俺が言うと東條はベンチに座る鈴本を一瞬だけ見つめた後「そうだな」と呟いて席を立った。

 ……しかと見届けたぜ春。お前達の成長をさ。

 でも優勝は渡さないぞ。なんてったって二回戦の相手は俺達なんだからな。

 

 

 

 

「ゲームセット! 4-1! 聖タチバナ!」

 

 審判が勝利を告げる。

 九回表をみずきちゃんが三者凡退に抑えて試合は終わった。

 

 パ 000 000 010

 聖 000 000 04×

 

 良くを言えば早めに先制点を取ってあげたかったな。

 でも相手も凄い奴だったんだから仕方ない。なんてたって、あの鈴本だったんだから。

 

「や、春」

「……うん、いい勝負だったね」

「ああ、久しぶりにお前と野球出来て良かったよ。……それから、みずきちゃんと、聖も」

「私はついででしょ? ほら、ひーじり」

「ぬぬわっ」

 

 みずきちゃんがにやりと笑って聖ちゃんの背中を押した。

 わたわたと腕をふるいながら聖ちゃんは二、三歩鈴本に近寄った。

 聖ちゃんと鈴本はお互いに見つめ合い、鈴本は頬をポリポリ掻き、聖ちゃんはもじもじと指をいじる。

 

「……聖、その、楽しかった。……高校が終わったら、また一緒にバッテリーを組もう」

 

 鈴本が微笑んで聖ちゃんに握手を求めるように手を差し伸べる。

 それを見て聖ちゃんは笑った後、

 

「鈴本。それは約束出来ないぞ。……私は、春と一緒に野球をしたいのだ」

「……そうか。知ってたよ」

 

 腕を降ろして鈴本は俺を見る。

 そして寂しそうに笑った後、踵を返して歩いていった。

 

「……その、よかったの? 聖ちゃん」

「む、春。……うむ、いいのだ。……私は迷っていた。鈴本とももう一度バッテリーを組みたかったのも本当だ。でも」

「でも?」

「それよりも大切な事を私は自分で選んだ。悔いはないぞ」

 

 にこっ、と聖ちゃんが満面の笑みで微笑む。

 それは小学校の時から中学校まで、あの鈴本に対して打球を当ててしまった時まで見ることができていた聖ちゃんの笑顔だった。

 

「そっか」

「う、うむ。……だから、その、春にも、前のように聖と呼び捨てで――」

「だーりんっ、勝ったけど反省点あるでしょ~? 早くミーティングしたいんだけど~?」

「おわわっ、みずきちゃん。わかった。じゃあ聖ちゃん。行こう」

「~~~~っ! み、みずきっ! お前は! どうしてっ! 邪魔をするのだっ!」

「あったりまえでしょー? "ライバル"に塩を送ってあげるのは確執が解けるまでに決まってるじゃない。寧ろお礼を言ってほしいくらいよー?」

「なっ……! じょ、冗談じゃなかったのか……!?」

「最初はそのつもりだったけど――」

「だったんだけど?」

「途中から本気になってたの。あの告白だって春くんは冗談だと思ってるっぽいけど本気だからね?」

「な、ぐっ……そ、そんな理由で納得できるかっ! わ、私は小学校の時から春のことをだな……!」

「どっちが早く思ってたかどうかなんて関係ないでしょ? ……結局のところ、春くんを落としたら勝ちなのよ」

「オトすっ!?」

「ふふん。聖、負けないわよ?」

「……わ、私だって負けない! 絶対に負けないからなっ!」

 

 わーわーと言い合いながら聖ちゃんとみずきちゃんはベンチ裏へと下がっていく。

 それを苦笑して見送りながら、俺はもう居ないパワプロくんの座席を見た。

 次の試合はパワプロくん達恋恋高校。

 ……練習試合を除けば約一年ぶりの戦いになる。

 今年の夏の覇者相手だけれど負けないよパワプロくん。

 自分に言い聞かせるようにしてグラウンドを後にする。

 ――次の試合も熱くなりそうだ。



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第二二話 "十月三週" 秋大会vs聖タチバナ① 捕手同士

             十月三週

 

 

 

 俺達、恋恋高校の初戦の相手は聖タチバナ。

 守備力が高くここぞの集中力が高いとデータからも読み取れる学校だ。

 ――なんて文面の評価はどうでもいい。

 最初の夏を思い出す。

 あの時はコールド勝ちしたけど橘がまだ先発出来るほどスタミナが無く、なおかつ途中からバテてくれたから大量得点できた試合だった。

 だが今は違う。

 エースとして成長した橘に八回に集中打を浴びせ好投手鈴本を打ち崩した集中力。そしてなにより安打をなくしてしまう守備力は特筆すべきものがある。

 油断してると足元をすくわれるかもしれないからな。しっかりやるぞ。

 

『さあ、再戦となります聖タチバナvs恋恋高校! お互いに成長した姿を見せ合い、ぶつかり合い、次のあかつき大付属との戦いに進むのはどちらか! そして、全国でも珍しい学生監督、恋恋高校の葉波の初陣でもあります!』

「うーし、みんな、良いか」

 

 ぱん、と手を叩いて皆の注目を集める。

 実力は劣ってるとは思わない。だからこそ、俺達がやるべきことはたった一つ。

 

「俺達の野球をやろう。いつも通りの野球を、さ」

「うんっ!」

「ああ、当然だ」

「……ああ、相手はパワフル高校を倒して勢いに乗っているが、夏の覇者の力を見せてやろう」

 

 全員で頷きあい、声を出しあう。

 グラウンドには聖タチバナの面々が飛び出していく。

 今日は涼しいくらいだがこの場所に来るとひしひしと熱さを感じる。――これが勝負の熱さって奴だぜ。

 負けないぜ春。今日もこれからもな!

 

 聖タチバナのスタメンは前の試合と同じだ。

 俺達のスタメンも不動のままでぶつかり合う。お互いにいつもの野球で行こうって考えが透けて見えるみたいだぜ。

 

『さあ先攻は恋恋高校。打席に立つのはもちろんこの人、押しも押されぬ切込隊長となりました。夏の覇者恋恋高校のトップバッター、矢部明雄!』

『バッター一番、矢部』

「きゃああー!! 矢部くーん!!」

「頑張ってー!!」

 

 矢部くんがコールされた瞬間、スタンドから歓声が上がった。

 日本一に輝いた俺達の応援に来てくれたのか満員の観客が声を上げ矢部くんを応援してくれている。

 優勝した効果がこういった形で出てきてくれるとうれしいな。特に矢部くんは――

 

「もっと応援してくれでやんすー! 全国一千万のファンのためにオイラ、全力で頑張っちゃうでやんすよー!!」

 

 ――こういう歓声が多ければ多いほど調子にのってくれるタイプだし。

 橘が振りかぶってサイドから素早くボールを投げ込んでくる。

 左バッターの矢部くんのアウトコース。遠い所にビシッと決まるストレートだ。

 

「ストラーイク!」

 

 厳しいコースに審判が手を挙げる。

 角度があるからな。アウトコースの厳しい所はストライクゾーン掠って外に逃げてミットに収まる分、ストライク判定に取られやすい。

 二球目はアウトローギリギリへの高速スクリュー――クレッセントムーン。

 それを矢部くんはなんとかバットに当ててファールにする。

 テンポが良いな。その割にコントロールよくコーナーコーナーに来てるから相当打ちづらい筈だ。

 矢部くんが構え直すと同時に橘がすぐに投げ込んでくる。

 今度はインコースへのゆるいスクリュー。

 インコースといっても厳しいボール球だ。見せ球にしようという球を矢部くんは体の回転で打ち返す。

 キンッ、と鈍い音。

 上手い! 内野の頭だけを越せばいいって感じでバットに乗せて引っ張った!

 矢部くんの狙い通りファースト大京の頭を超えてボールはライト前に落ちる。

 

『打ったー! 矢部ライト前ヒット! 上手く体を回転させてライトに持って行きました!』

『バッター二番、新垣』

 

 これでノーアウト一塁。先頭バッターの出塁率が高いってのは良いな。作戦が立てやすいぜ。

 二番の新垣は勿論バントだ。ただし矢部くんが二塁に行った後の話に、な。

 矢部くんがスタートする。

 抜群のスタート。六道もそれを読んで外角高めにボールを外すが投げられない。矢部くんは悠々と二塁に到達する。

 

『そしてすかさず盗塁成功! この快速はとどまる所を知りません!』

 

 最初の球はボール判定。0-1からの二球目、インハイへの厳しいストレートを新垣はきっちりとサード方向へ転がす。

 てんてん、とゆるいゴロとなったボールをサードがキャッチしてファーストへしっかり投げて新垣はアウトになるものの、矢部くんは三塁へ進塁。

 そしてバッターは俺だ。

 

『バッター三番、葉波』

『さあ、絶好のチャンスで三番葉波! 甲子園を制覇した原動力はこの打席でどのような打撃を見せてくれるのか!』

 

 打席に立つ。

 橘は息を深く吸った後、腕を振ってボールを投げ込んできた。

 スパァンッ! とクロスファイヤーでインローにボールが決まる。

 相変わらずプレートの左端ギリギリに立って角度良く投げ込んでくるな。

 二球目を橘が振りかぶる。

 去年の夏は手も足も出なかったからな。リベンジしたい所だが――この、ボールっ……!

 インハイへの厳しいストレート。

 

「ストラーック!」

 

 くそっ。ボールが見えねぇ……右打者の俺でも相当厳しいのに、左打者だったら俺打てないんじゃないか?

 どんな奴にでも苦手なタイプってのは存在する。俺にとって苦手なのは橘のようなサイドスローのコントロールがいい奴なのかもしれない。

 矢部くんはすげぇな。左打者なのに見えない角度から腕を振るわれてそれを回転で打ち返すなんて芸当、俺にはできそうにないぞ。

 三球目。ここまで配球は内低め内高めだからな。一球も外さずに外角低めへズバッと勝負に来るはずだ。

 橘が振りかぶる。

 予想通り外角低めへのボール。

 スイングしたバットがそれにかすって真後ろへ飛ぶファールにする。

 くっそ、コースも球種も予想通りだったのにヒットに出来ねぇなんてマジかよ。

 落ち着け。そろそろ決め球が来んぞ。ストレートなら流し打って、クレッセントムーンならカットだ。

 五球目。

 橘と六道のバッテリーが選んだボールは、

 

(……っ! これは、ゆるい、スク、リュー……っ)

 

 打ちに行ったバットが止まらない。

 ググググググ! と俺の手前でボールは落ちて行く。

 スイングでも無くかといって見逃す訳でもない中途半端なスイング。

 六道はスクリューをキャッチし、スイングのチェックを審判に要請する。

 それを受けた球審はファースト塁審を指さし、ファースト塁審はアウトの格好をとった。

 

『スイングアウトー! 三番葉波を三振に打ち取りました聖タチバナバッテリー! ゆるいスクリューをうちに行ってしまったか葉波風路!』

 

 チッ。やられたな。ゆるいスクリューは完全に頭になかったぜ。

 ベンチに戻って防具をつける。

 くっそー、リベンジどころか更に負けてどうするんだよ俺は。

 

「パ、ワっプっロくーん。どんまいっ」

「ぬおっ!? あ、あおい? どうしたいきなり」

「がっくりしてるなって思って。切り替えていこう? パワプロくんとボクが力合わせればそんな簡単に打たれないと思うし、それにほら」

 

 あおいがにっこりと笑ってグラウンドを指さす。

 するとそこにあったのは、

 

『振り抜いた―!! 打球はレフトスタンド一直せーん!!!』

 

 アウトローのボールを掬い上げ、レフトフェンスオーバーのツーランを打つ友沢の姿だった。

 ……どうやら友沢は橘と相性が良さそうだな……マジで……。

 俺が呆れたように溜息をはくと、あおいはにこっと笑って、

 

「一人が駄目でも他のみんながカバーする。それがいいチームだよ。パワプロくん」

 

 なんてことをいった。

 確かにあおいの言うとおりだ。みんながみんな失敗せず最高の仕事をするなんてチームはたぶんこの世には存在しない。一人の失敗を皆でカバーできる。それが強いチームの条件だ。

 甲子園で俺が一ノ瀬のリードを失敗した時に進が救ってくれたように。

 俺が凡打した後友沢がツーランを打ってくれたように。

 お互いがお互いをカバー出来る。そんなチームならきっと勝てるはずだ。

 

「ナイスバッティング! 友沢!」

「ああ。次は打てよ。パワプロ」

「うっせーやい。まあ頑張るよ」

 

 東條がインローへのクレッセントムーンをショートゴロにする。

 春がそれを取ってファーストに投げアウト。スリーアウトチェンジだ。

 

「うっしゃ! 二点取ったからな! このあとしっかり抑えるぞ! 頼むぞあおい」

「うん、まっかせて!」

 

 あおいがマウンドに向かう。

 さっさと二点取ったからな。ここは抑えてしっかりと流れを貰うぜ。春。

 

「おっしゃ! しまってこー!」

『さあその裏、聖タチバナの攻撃は一番原から! ここはすぐに得点を取って反撃に転じたいところです!』

 

 一番は原からだ。

 二年の後半になって体つきもがっちりしてきたな。甘く入ればスタンドに持ってくくらいの力は持ってるだろう。

 ただ原自身のバッティングスタイルはヒットで後に繋ぐ形だ。なら外を狙って流し打つスタイルだろう。それなら初球はインハイでのけぞらせるぞ。

 あおいが腕をふるう。インハイへの直球を原は思惑通りにのけぞって避けた。

 判定もストライク。うし、これで外への球へ簡単には踏み込めないだろ。

 にしてもきっちり要求した所に投げ込むあおいはさすがの一言に尽きるぜ。

 パワフル高校の鈴本はオーバースローから低めを出し入れ出来る制球力を持っている。それも凄い技術なんだけど、アンダースローで高めに決めるというのはそれ以上の技術力が必要だ。

 上から下へ投げるのは当然の事だ。上から下へボールが落ちるのは自然のことだしな。

 だが、アンダースローは下から上へと投げなければならない。それを百発百中に近い精度で行う。それが出来る投手はプロを含めて何人居るだろう。

 ただでさえ貴重なアンダースローのピッチャー。それに加えて針の穴を通すようなコントロールを持つ投手。

 キャッチャー冥利につきるぜ。こんな好投手をリード出来るなんてさ。

 さて、原に目を戻さねーとな。

 カウントは1-0。インハイを見せたから次はアウトロー。ありきたりなリードだけどあおい程の球のキレと球持ちの良さがあれば打ち取れる。王道な配球ってのは有効だからこそ多く使われてるんだしな。

 原が打ちに来る。インハイを投げさせた後なのに踏み込んでのコンパクトなスイングで流し打った。

 が、勢いはない。

 ファーストの一ノ瀬がしっかりと捕球しファーストベースを踏む。

 

「アウトー!!」

「OKOK! いい球来てるぞ!」

「うんっ、ナイスファースト!」

「ん、さっさと僕に出番を回してくれ」

 

 ボールを返してもらいつつあおいがはにかむ。

 ふぅ、先頭バッターをあっという間に切れたな。

 次は二番の篠塚。最初に戦ったときは六番だった篠塚だが、打順が昇格して二番になった。

 堅実に一点を守る野球をするタチバナにおいて重要なバントで繋ぐ役割をする打者だ。実際、パワフル高校の試合でも上手いバントがヒットになってたし。

 実際の打撃力は原や六道には劣るだろうがそれでも油断は禁物だ。逆転のランナーとしてバントヒットで出塁をしたところを見ても篠塚はラッキーボーイになるかもしれない。一発勝負の大会はそういう打者が結構鍵を握ってたりするしな。

 

『バッター二番、篠塚』

「お願いしますっ!」

 

 篠塚が挨拶をして打席に立つ。

 足場を固めてスタンスは狭め、インコースに意識はなさそうだ。 

(内低めギリギリへの直球かカーブが良いな。インコースに意識がない状態でストレートを投げさせると見逃すだろうから、ここは打ちとる事も視野に入れて反応が遅れても打ちにいけるカーブを行くか)

 

 篠塚は左打者だからな。インコースへ食い込みながら落ちるカーブならヒットにはし辛いだろう。

 あおいが頷いて要求通りのところにカーブを投げる。

 

「うっ!」

 

 篠塚が声を出して内のボールを引っ掛ける。

 ピッチャーへのゴロとなった打球をあおいが丁寧に掴んでファーストへ送球しこれでツーアウト。

 よし、狙い通り! 問題は次のバッター六道だ。

 前回の試合では決勝点となるタイムリーツーベース。捕手で主軸の誰がどう見てもチームの中心といえる選手。こいつを波に乗らせるような事があると厄介だぞ。後が得点圏打率の良い春だからな。

 一球たりとも無駄球は許されないぞ。甲子園の決勝の投球を思い出しながら攻める!

 初球はインハイへのストレート。ボール気味でいいぞ。

 スパァンッ! と投げ込まれた球を抑えこむように捕球する。

 

「ストラーイク!」

「む……」

 

 六道は今の球をボールと見て見逃したか。っつっても俺もボールでも良いってつもりで投げさせたんだけどな。

 初球は儲けたけどこうなると二球目が大事だぞ。インハイのストレートを見せたから次はインローへのカーブだ。右打者である六道のインコースから少し甘いところに変化する感じになる。速い球の後だから振れすぎてファールになるはずだ。

 ビシュッ、と投げたボールを六道が打ち返す。

 サードベースの僅か左を痛烈な打球が抜けていく。

 ……っぶねぇ。もっと余裕でファールにさせるつもりだったのに際どい感じになったぜ。六道の技術分フェアゾーンに近くなったな。

 でもまぁファールには変わりない。これで2-0だからな。

 一球遊ぶ事も視野に入るけど――際どいところをストライクに取って貰った上に際どい狙い通りにファールで追い込めたんだ。流れはこっちにあると見ていい。それなら下手に間を挟むより勝負しよう。

 

(インハイのストレート、インローへのカーブと来た。六道もそろそろ外に一球くらい外すと思ってるだろ。捕手だし配球に対する読みは深いはずだ。そんならその裏をかいてインローへマリンボール行くぞ)

 

 外角に張ってるであろう六道の裏を二度かくぞ。

 外角と見せかけてインサイド、更にインハイへのストレートと軌道が同じマリンボールを使うことで一瞬でインハイへのストレートと判断した六道の反応すらも間違わせるぞ。選球眼のある六道でもそれをファールにするのはきついだろう。

 あおいが頷く。

 テンポも良いな。さあ来い!

 あおいが投げる。

 ぐんっ、とインハイへ伸びると見せかけて落ちるボール。

 六道はそれに機敏に反応した。

 チッ! というチップ音。ボールの軌道がわずかに変わるが取れる! 落とすなっ!

 芯では取り損なうが溢れそうになる球を必死にキャッチした。

 

「ストライク! バッターアウトチェンジ!」

「くっ……」

 

 六道が悔しそうな顔をして天を仰ぎ、ベンチへと戻っていく。

 完全に裏を書いたはずなのに反応してバットに当てやがったな。

 しかもあおいのマリンボールは初見の筈だ。それを殆ど軌道が変わらない程度とはいえバットに当てるか。そりゃクリーンアップになるか。

 ……その凄い打者を三球三振で打ち取った上に二点取った後の初回を三者凡退だ。これで流れはこっちのもんだぜ。

 

「ナイスボールあおい」

「ナイスリードパワプロくんっ」

 

 ぱし、とハイタッチしながらベンチに戻る。

 六番の進からの攻撃だ。もう一点とれば完全にこっちの流れになるぞ。

 と、まだ二回だというのに聖タチバナの面々がマウンドに集まり何か話をしている。

 

 

「なんの話だろうね?」

「さあな……守備に関する事なのは間違いないけどよく分かんねぇ。ただ俺もこの回一点でも取れれば試合は決まるような流れになると思ってたからな。いいタイミングかも知れないぜ」

 

 防具をつけたままあおいに飲み物を渡す。

 勝負に対する嗅覚は鋭い奴だからな。気をつけるように促してるのかも。

 

「じゃ、しまってこー!」

 

 大きな声を上げて円陣が散らばる。

 さて、春はどんな話をしたんだかな。

 

『バッター六番、猪狩進』

『さあこの回は下位打線から。もう得点は上げたくない聖タチバナ。どう守るか!』

 

 進への初球。インローへの緩いスクリュー。

 進はそれを見逃す。

 緩急を考えるなら次はストレートだが、続いてのボールは再び同じ所から更に低めへの緩いスクリューだった。

 それを進はファールにした。これで追い込まれて2-0。

 インステップから角度を更につけて投げ込んでくる投法だからな。視界外から投げ込まれるような感じのせいで高さの感覚がつかみにくいんだろう。

 ボールカウントはゼロ。どう組み立てるかな。

 橘がボールを投げる。

 クロスファイヤーで投げ込まれたボールは外角低めへのストレート。

 ビシッ! と来たボールを六道がミットをピクリとも動かさずに捕球する。

 

「トラックバッターアウト!!」

『見逃し三振! 際どいボールで見逃し三振を奪いました!』

 

 審判が手を挙げる。

 外角へのボールか。クロスファイヤーな上にボール一個分の出し入れが出来る投手だからな。投手有利なカウントで追い込まれるといくら進でもきついか。

 一ノ瀬も同じようにインコースでカウントを整え、外角へのクレッセントムーンでキャッチャーフライ。明石も同じくインコースから外への配球で三振に打ち取られる。

 ならこっちもサクサクと抑えてやるからな。見てろ。

 四番の春からだが得点圏じゃない春は怖くない。低めにボールを集めれば大丈夫だ。

 カウントをストレートで整えてから低めのカーブで春をショートゴロに。大京は外角低めのカーブを打たせてファーストゴロ。大月をアウトローのストレートで見逃し三振に打ち取った。

 

『二回裏。四番からの攻撃もランナー一人すらだせず! 好投手早川の前にランナーを出せません聖タチバナ!』

 

 三回の表は投手のあおいから。

 あおいがピッチャーフライで打ち取られ、バッターは一番の矢部くんに戻る。

 

「さっきうまく打てたけど今度は油断せずにな!」

「わかってるでやんす!」

 

 矢部くんに声をあげると矢部くんは親指を立てて頷いてくれる。

 ん、よし、油断はないみたいだな。

 矢部くんが打席に立つ。

 矢部くんに対しての初球。

 投じられた球はアウトローギリギリへのストレート。

 

「トーライク!」

 

 さすがの矢部くんも初球からそのボールは振れないか。

 二球目はインコースへのクレッセントムーン。低めへのボール球だが矢部くんはそれをファールにした。

 球速がストレートと同じくらいだからストレートだと思って振ったらクレッセントムーンだったな。一打席目に打ったのは緩いスクリューだったから同じ系統であるクレッセントムーン、スクリューは無いと読んでストレート待ちしてたんだろうけどここは六道に上に行かれたな。

 さっきはここから上手く打ったけど……。

 さすがに矢部くん相手には遊び球を使ってくるだろう。

 三球目。

 橘が投じた球はインサイド低めへのストレート。

 スパンッ!! と内角低めのギリギリに決まった球を受けて六道はそのまま動きを止める。

 

「ストライクバッターアウトォ!!」

 

 三球三振。

 遊び球じゃなくギリギリでストライクに取ってもらえればいいっつー球だった。ありゃ打てなくても仕方ないぜ。

 二番の新垣は五球目のスクリューを打ち上げてファーストフライ。これでチェンジ。

 ちっ。左打者が多いうちの打線じゃ橘から連打は厳しいな。

 立ち上がりを攻めて二点を取れて良かった。

 にしてもこの調子で最後まで行かれたら点が取れないぜ。なんとかペースを乱さないと。

 とりあえず今ある2点差を大事にすることが先決だな。追いつかれたら流れがひっくり返り兼ねないし。

 三回裏は幸い七番の下位打線からだ。さくさくっと抑えて流れに乗らせてもらうぞ。

 聖タチバナが取れる方法は俺の出すサインを読んで決め打ちするか、ランナーを貯めて春に回すかくらいしか無いからな。そこに気をつければ大丈夫だ!

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

『バッター七番、中谷』

『この回の攻撃は七番から。ここまでパーフェクトに抑えこまれています聖タチバナ。そろそろ反撃したいところ!』

「しゃーす!!」

 

 中谷が大声を上げて打席に入る。

 聖タチバナは打率成績だけ見れば決して打撃が良いとは言えない。

 だが、実際は違う。恋恋高校を始めパワフル高校、あかつき大付属、帝王実業など――プロ入りする器がエースとして君臨する高校が多々あるこの地区で、そのエースを倒しベスト4に入ったこともある高校だ。

 決して力量が低い訳ではない。相手が良すぎただけだ。

 重要なのはその打率成績を突きつけられていかに攻撃するかということ。

 恋恋高校とは土台が違うのだ。

 プロに即戦力で入れる超高校ルーキーが二人、更に特攻隊長矢部に成長著しいパワプロ、並外れたセンスを持つ猪狩進に一ノ瀬といったメンツが揃っている恋恋高校。

 そんな高校と同じように点を奪おうとするということは、例えるならレース中のエフワンの車を軽自動車がどう抜くかって事を考えるのに似て無謀な事だ。必要なパーツ、エンジンがどうしても足りないのだから。

 ならば、どうすればいいか。

 簡単な事だ。点の取り方を変えればいい。

 塁を貯めて長打が出る――それが理想の得点の取り方なのだろう。だが、聖タチバナにはそんな点の取り方は出来ない。

 春と聖が必死に考えて編み出した早川あおいから得点を取る方法。

 それは読み打ちすることでも、春でランナーを返そうとすることでも無く、初心に帰ることだった。

 すなわち、"センター返し"。

 

「インサイドの球には手を出さず、アウトサイド、真ん中の球をきっちりセンター前に打ち返そう」

 

 春が指示した作戦はそういうシンプルなモノだ。

 いうのは簡単でもやるのは難しい。相手は甲子園を優勝したエース、そう簡単に思惑通り進めさせてくれるはずが無い。

 だが、春は迷わず作戦を告げた。

 そこには『このチームのメンバーなら出来る筈』という春の信頼が溢れている。

 ――そして、共に春と戦ったチームメイトたちはその春の信頼に応えたいと思っている。

 あおいが投じた初球、パワプロのサイン通りの外低めへのストレート。

 それを中谷はセンターに弾き返す。

 積極的に行きつつセンター返し。打撃の基本だ。

 

『センターへの打球は二遊間を抜けたー! 聖タチバナ初ヒットー!!』

「っしゃぁ!」

「ナイスバッチ中谷! 大田原、頼む!」

「おう! 任せろ!」

 

 打席に向かう大田原をじろりと見ながらパワプロは考える。

 

(今の中谷、力みがなかったな……あおいの球を何とか弾き返してやろうっつー焦りみたいなものが見えなかった。……次の打者は橘。バントはない。ここはゲッツーシフト。インコースの球を引っ掛けさせる必要があるから、外角を見せるぞ)

 

 パワプロのサインにあおいが頷く。

 スパァンッ!! と外角低めに投げられたストレートに大田原を豪快に空振りした。

 低めに外れたボール球だったが思わず手が出た感じの空振りだ。

 

(ストレート狙いのスイングだった。……八番だからな。下手に変化球を考えるよりストレート一本に絞って振ってきたか。そんなら次はカーブを外に投げさせてカウントを取る)

 

 あおいが首を立てに振り、うでを振るう。

 要求通りの外角低めギリギリに落ちるカーブだ。

 大田原はそれを見逃した。

 

「ストラーイク!」

「っ!」

「よし」

 

 審判の手が上がる。

 外角低めギリギリを二球。思わず溜息をつきたくなってしまうような素晴らしい制球力だ。

 三球目にパワプロが選択したのはインローへのストレート。

 大田原は作戦通りにそれを見逃したが、内角低めギリギリに決まる絶妙なボールだった。

 

「ストラーイクバッターアウト!!」

「くそぉっ」

 

 大田原が声を上げて悔しそうにベンチに走っていく。

 それを見やりながらパワプロはあおいにボールを投げ返した。

 インコースでゲッツーを取るつもりだったがいい球過ぎて手が出なかったみたいだと思いながら。

 次は九番バッターの橘みずき。バントだろうからそこでツーアウトを取り、原を討ち取れば問題ない。

 自分に言い聞かせるようにしつつパワプロは腰を下ろす。

 案の定九番バッターのみずきはバットを寝かせた。

 それならやらせればいいとパワプロは低めへのストレートをサインで出しミットを構える。

 ヒュッ! と投げられたボールを橘はしっかりと転がした。

 サードの東條がそれをキャッチしファーストへ転送する。これでツーアウト二塁。

 

『バッター一番、原』

『さあツーアウトながらランナーを二塁に進めました! バッターは一番原!』

(……さて、これでツーアウトでバッターは原だ。さくっと打ち取りたいが、中谷のヒットしたボールは外角低めストレート。大田原が狙ってきたボールも外角低めストレート。……外角のストレート狙いかもしんねぇな。インコースにシンカーで行くぞ)

 

 サインを出し、パワプロはインサイドに構える。

 シンカーはドロンと変化する変化球だ。ストレート狙いの打者にはかなり効く。

 ぐぐんっ、と変化するボールを原は腰を引いて避ける。

 これは外れてカウントは0-1。

 

(今の反応……間違いねぇ。外のストレート狙ってやがるな。踏み込んでストレート狙いで振りに行ったら緩い上にインに来たから腰を引いて避けたんだ)

 

 確信し、パワプロはインハイへボールを構える。サインはストレートだ。

 外ストレート狙いならばインハイのボールは相当打ちづらい。特にあおいのストレートは浮き上がる錯覚がある。踏み込めば絶対に打てないと断言してもいい代物だ。

 これを使った後、インコース低めへのマリンボールでカウントを整え、外角低めのボール球を打たせてゴロに打ち取る。それを見逃されてもインハイでこの回は終了だ。

 投じられたボールに原は当たらない。インハイへのストレートを空振った。

 これでパワプロは完全にストレート狙いだと確信し、インローへマリンボールを投げさせる。

 インローへのマリンボールを見逃すがこれはストライク。カウント2-1。追い込んだ。

 内を二つ見せた後はもう外角でいい。ストレート狙いで振ってくるだろうからタイミングを外してカーブだ。インコースを多く使ったからそう踏み込んでは来れないだろうが、万が一踏み込まれてもいいように外角へ外す。これを見逃されても次にインハイのボールで打ち取ればいい。

 じり、と外に寄り、パワプロがミットを構える。

 そのミットへ向けてあおいがボールを放った。

 コースは外。

 原はそう判断するや否やインコースに来たことを無視して思い切り踏み込んだ。

 勝った――パワプロがそう思った瞬間。

 

 ボールは上体を目一杯伸ばした原が持つバットの先に当たった。

 

 ふわり、とボールが飛ぶ。

 ツーアウトだ。ランナーは突っ込んでくる。

 ボールはちょうどセカンドとファーストの先、ライン際へとポトリと落ちた。

 

「っ、セカンド! ホームは無理だ!」

 

 パワプロの指示に従ってボールを取った新垣はセカンドへとボールを送球する。

 矢部がそれを受け取りベースの上で待つが原はファーストベースで止まった。

 中谷がホームを踏む。

 

『落ちたー!! 原の追撃タイムリー! ポテンヒットですが大所に落としました原!』

「よっしゃー!!」

「一点返したぞ! ナイバッチだ! 原!」

 

 ベンチからの歓声にガッツポーズで返しながら原はベースに付く。

 そんな敵の様子を見ながらパワプロは拳を握りしめた。

 ――読みは完璧だった。完全に勝ったといっていい内容だったはずだ。

 それがテキサスヒット。しかもタイムリーヒット。……流れが向こうに行ってる証拠といっていいだろう。

 

(橘の好投のおかげか。……楽はさせてくんねぇな)

 

 だがバッターは二番の篠塚。油断しなければ打たれる相手じゃないはずだ。

 

(外角のストレート狙いは変わってない。なら初球から外角のマリンボールを打たせてゴロに取る)

 

 パワプロのサインはあくまで強気なもの。初球から決め球を使い打ちとってしまうのを狙ったものだ。

 それにあおいも賛同する。相手に流れが行っているこの状態で決め球を投げるのは当然の事。ここでヒットを打たれるようなことがあれば次は聖。その聖に繋がれれば得点圏の鬼、春に打席が回ることになる。

 絶対にここで打ち取らなければならない。

 そしてそれができて来たからこそ――甲子園で優勝できたのだ。自信はある。

 あおいがボールを投じた。

 パワプロの目論見通り篠塚は初球からそれを打ちに来る。

 チギンッ、と掠った音を立ててボールはあおいの横を抜けて矢部の正面へ飛んだ。

 

「任せるでやんす!」

 

 矢部が声を発して捕球に入ったその時、

 ボールはグラウンドの凹凸によりバウンドが変わり、高く跳ね上がって矢部の頭上を超えた。

 見ていたモノが全員目を疑ったろう。こんなことが起こりうるのか、と。

 

「何ぃっ!? でやんす!」

「矢部くん中継! 進中継に返せ! ランナーセカンド蹴るぞ!!」

「行け! 原! ゴーだ!」

 

 お互いの指示が飛ぶ。

 飛んだボールを進がキャッチし矢部にボールを戻すが、すでに原はサードへと到達した。

 

『な、なんとショート正面の打球がイレギュラーバウンド! センター前ヒットとなってツーアウト一、三塁! ここでバッターはクリーンアップの六道聖! ツキも絡みまして大チャンスを作ります聖タチバナ!』

 

 イレギュラーバウンドでクリーンアップにつながった。一見するとツキだけのものに見えるが野球とはこういうスポーツなのだ。流れが相手にある時はどんなプレーでも上手く行く――ショートゴロが内野安打になったり、相手がエラーしたり、想像を超える事が起こる。

 パワプロも頭ではそう理解しているが、それでもやっぱり納得が行かない。なにせ同点のピンチで相手は六道聖だ。

 先ほどの打席では完全に裏のそのまた裏を書いたにも関わらずボールにバットを当ててきた打者。それがチャンスの場面で立ちふさがってくる。

 しかもその後には恐怖のクラッチヒッター。……まずい流れだ。

 

「あおい! 相手の運が良かっただけだからな! 気にすんなよ!」

「う、うんっ」

 

 声をかけてグラブに拳を入れて、必死にパワプロは考える。

 打席に立つ聖もまた、来るであろう球へと必死に思考を走らせていた。

 捕手と捕手――互いに同じポジションだからこその読み合い。

 お互いにここが最初のキーポイントになりうるということは理解している。だからこそ譲れない。

 絶対に相手の手を読み切りこの打席に勝利する――お互いの頭の中に有るのはただそれだけだ。

 

(一打席目の初球はインハイへの際どいところへのストレートでストライク、二球目はインローから甘くなるカーブを打たせてファール。三球目にインローへのマリンボールでチップボールをダイレクトに取って三振に取った。……六道も外角のストレートを待ってると思っていいだろう。それを逆手に取るってのも手か)

 

(一打席目は完全に裏を書かれた。同じリードをパワプロは使っては来ない。おそらくこちらが外角を待っているということにも気づいているだろう。だがパワプロはあおいに絶対の信頼と自信を持っている。故にあえて外角に投げさせるということもありうるぞ)

 

(初球の入りは警戒しなくてもいいだろう。読み打ちのタイプのバッターだしデータから見ても初球から来るってことはないだろうし、このイケイケムードを初球から潰したら後後の流れにまで影響しかねないから絶対に見てくる。けど重要じゃないかと言ったらそうじゃない。初球の入りが相手の反応を決めるからな。相手を迷わせる入りをしないとダメだ。……おそらく六道は追い込まれてから読み打ちしてくる)

 

(初球から行くのはやめておいた方がいいだろう。下手に厳しい球を打ち上げて初球で攻撃終了なんてことになればみずきの投球にも影響しかねない。狙うのは決め球だ。パワプロのリードの傾向を考えるとどうしても打ち取りたい打者の時には二球目三球目といえども厳しい攻めをしてくる。特に私はあおいの事を良く知っているからな。甘い球は一球も来ないといっていいだろう。ならば球を投げさせてある程度来る球を読めるようにしてから、その一球を狙い澄ます)

 

 初球、パワプロの選んだボールは、

 インハイへのストレートだった。

 ッパァンッ! とそのボールを受け止め、パワプロはじろりと聖を見る。

 

「ストラーイク!」

 

 審判の手が上がった。

 パワプロが投じさせた一球目は、聖を三球三振に打ち取った一打席目と全く同じだった。

 

(……っ、全く同じ入り……ならば決め球も同じくマリンボールか……? いや、まだ分からないぞ。初球の入りが同じだっただけだ。確実にストライクをとれるあそこを選択しただけかもしれない)

 

(一瞬動揺した顔を見せたな。一打席目と全く同じ入りだと思ったんだろ? 見てな六道。お前の読み……完全に崩してやるからな)

 

 二球目。投じられたボールはインローへのカーブだった。

 聖はそれに手を出さずに見送ったが、審判の手は上がる。

 これで2-0。――だが、ただ追い込まれたこと以上に聖は追い込まれた。

 

(二球目も全く同じだ……! 私がチップしたからインコースのマリンボールには合ってないと思っているのか。……くっ……あの時とは場面が違う。確かに外で勝負させることも考えられるがそれはランナーが居ないからだ。一打同点、長打逆転の場面であえて相手の狙っているところへ投げさせるメリットは殆ど無い。リードから見ても一打席目を彷彿とさせている。わざわざパワプロがこういう風にお膳立てをしたとしても、マリンボールに全く合ってないと思っているなら不思議じゃない……!)

 

(完全に術中にハメたはずだ。俺の性格をプロファイリングして外角のストレートも、って事を考えてたろうが一打席目と同じリードされたんだ。インコースのマリンボールに完全に意識が行ったはず。特に打席に考えて立つ六道にゃ効くだろう。まだ迷ってるんならもう一球確実にマリンボール読みにするように――)

 

 三球目、外角低めへ大きく外したカーブ。

 もちろんこれはボール球になり2-1となるが、重要なのはカウントではなく今のカーブの持つ意味だ。

 パワプロが無意味にボールを投げさせる捕手ではないということを聖はわかっている。だからこそ、今のカーブは聖の考えを間違った方向に誘導させる。

 マリンボールの軌道は途中までストレートだ。

 つまり外角低めへのカーブの次に来るのは、緩急をつけた上に打ちにくいインハイへのストレートか、それと同じ軌道で落ちるマリンボールという推測が立つ。

 そして更にその前までのリードが一打席目に自分を完全に打ち取ったリードと同じとなれば――

 

(……インコースへのマリンボールが来る……)

 

 そう、思ってしまっても間違いではないのだ。

 この段階でならば、パワプロは一〇〇パーセント聖に読み勝っていた。

 この後に投げるであろうボールで聖は三振か良くてセカンドゴロかセカンドフライか、とりあえずパワプロの読み通りにアウトにはなっていたはずだ。

  ――六道聖の中に在る春の大きさに気づいていれば。きっと読み勝てていたのだろう。

 

『インサイドの球には手を出さず、アウトサイド、真ん中の球をきっちりセンター前に打ち返そう』。

 

 

(……ふ、私はバカか。春がそう言っていたじゃないか。私は春を信じる。自分の読みも重要だが、今は――春の発言を、今ここで思い出したのだから。狙う球は一つでいい)

(ここまでお膳立てしたらもう間違いなくマリンボールに意識が行ってるだろう。徹底的に意識させたんだからな。……でも、ここで投げさせる球は一つだぜ)

 

((外角低めギリギリのストレート!!))

 

 あおいが腕を振るう。

 それを迎え撃つように聖は大きく踏み込んだ。

 投じられたのは外角低めへのストレート。針の穴を通すような絶妙なコントロールで投じられたそのボールは、

 パワプロの、

 ミットへと、

 スピンよく向かい、

 

 

 収まることはなかった。 

 

 

『う、ったあああああああああああ!! 打球は早川の横を抜けてセンター前へー!! 六道の同点タイムリーヒットー!! 六道はファーストベース上でガッツポーズ! ファーストランナー篠塚も三塁へー!』

「……な……」

 

 打球は二遊間を抜けてセンターへと抜ける。

 完璧だった。

 あおいは要求通りに投げ、パワプロも完全に聖の裏をかいた筈だ。

 だが、それでも結果はセンター前タイムリーヒット。それも踏み込んで完璧に持っていった。

 

「悪いあおい、配球ミスだ」

「ううん。今のは聖が上手かったよ。……問題は次の打者だね」

「……ああ、繋がっちまったぜ。春に」

 

 パワプロは振り返り、ホームベース側を見やる。

 そこにはバットを二、三度素振りしながら打席へと入る春の姿。

 得点圏打率八割台。

 得点圏長打率十割超え。

 得点圏において絶対的な強さを誇る春涼太。

 

「……敬遠も視野に入れるぞ。ギリギリを攻めてカウントが悪くなったら大京勝負な」

「うん、了解」

 

 パワプロはあおいと別れて戻る。

 春の目にパワプロは写っていない。春の視線の先には、ファーストベース上から一歩二歩とリードをとる聖の姿がある。

 ――つないでくれた。

 ただその事実だけで、春にはもう十分だった。

 音が消えて行く。

 そしてたどり着くのは集中の世界。

 あおいが内角低めへ、パワプロが構えた位置に向かって投げる。

 要求はマリンボール。あおいの決め球で、一番打たれる確率が低い球だ。

 コースも低めに外し気味に投げたボール。ストライクととってもらえればラッキーという程多めに外した球だった。

 それを。

 

 春は初球からフルスイングした。

 

 ガッキィンッ!! と詰まったような鈍い音が響き渡る。

 それでも打球は飛んでいった。

 あおいが打球を目で追うべく、振り向く。

 飛んだ打球はレフトの頭を超えてフェンスに直撃した。

 

『一人帰ってくるー!! 打った春は二塁へ! 一塁ランナーの六道は三塁でストップー!! キャプテン春の勝ち越しタイムリーツーベース! 内角低めの変化球を捉えました!」

「……くっ……」

「ごめん、打たれちゃった」

「いや、要求通りだったよ。寧ろ低く投げてくれた分フェンスオーバーにならなかったんだ。……素直に逃げればよかったな。悪い」

「打席で挽回してくれればいいよ。ね?」

「ああ」

 

 あおいと会話をかわして、パワプロはキャッチャー位置に戻る。

 まだ試合は始まったばかり、どうなるかは誰にもわからない。



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第二三話 "十月三週" 秋大会vs聖タチバナ② 一点なら。

「さあ中盤だ! 逆転されたけどまだ六回ある! すぐ追いつくぞ!」

 

 声を張り上げて皆をふるいたてる。

 ツーアウト二、三塁のピンチでバッターは大京。

 しっかりとコーナーを突いてサードゴロに打ち取って三回裏は終わった。

 これから四回の攻撃だ。

 ちくしょう。六道にセンターに持ってかれたのが痛かった。一打席目のリードを利用して上手く誘導出来たと思ったんだけどな。

 だがおかげで分かったことが有る。別に俺やあおいにクセが在るわけで無く、春の指示でチーム全員が外角へのストレート……いや、カーブに反応してたところを見ると、外角の球を打てと言われてたんだろう。

 春が内角の球を引っ張ったのは自分が指示したから、ってのと初球から行こうって決めてたからだな。それならそれで対応する方法は幾らでもある。とりあえずは追いつかねぇとな。

 この回は俺の打順からだ。なんとかチャンスを作りたいぞ。

 

『バッター三番、葉波』

 

 打席に立つ。

 左打者の皆より右打者の俺のほうが打ちやすいはずなんだ。落ち着いてしっかりボールを右方向に打ち返すことを意識しつつコンパクトに……。

 スパァン! と内角に直球が投げられる。

 

「ストラーイク!」

 

 内角の球はきついぜ。角度がありすぎて前に飛ばせる気がしねぇよ。

 二球目は外角のスクリューだろう。それにあわせてバットを振り切れ!

 ピシュ! とボールが投げ込まれる。

 それをしっかり振りに行き――コキンッ、と鈍い音を立ててボールはセカンドの正面。セカンドゴロ。

 

「ぐぞー……」

「ふ、後は俺に任せておくんだな」

 

 友沢がどや顔で俺とすれ違い打席に歩いて行く。うぜー。マジうぜー。

 でも実際橘に合ってるのはあいつだけだからなぁ。くそう。

 その友沢は初球のストレートを豪快に打ち上げて戻ってくる。ざまぁ!

 

「惜しかったな」

「アウトカウントはどれも平等なんだぜ」

「……ふん。頼りにならない主軸達だ」

 

 ネクストに居た東條はわざと俺達に聞こえる大きさで言って、打席に歩いていった。

 そして初球のスクリューをファーストゴロにして戻ってきた。

 

「……惜しかったな」

「ぜんっぜん惜しくないから!」

「仲良しクリーンアップでやんすねぇ。やっぱり一番打者が出塁しないとダメでやんすか」

「あんたも大概だけどね。ほらほら、しっかり抑えるわよ!」

 

 新垣の言うとおりだ。一点差ならなんとかなる筈。しっかりと抑えるぞ。

 四回裏の聖タチバナの攻撃は大月から。さっきは下位からチャンスメイクされてるからな。しっかりと抑えるぞ。

 大月をセカンドゴロ、中谷をファーストフライ、大田原を三振に抑えて四回は終了。

 五回の攻防に入るがこちらも下位打線、しかも左打者三人が並ぶ打順だ。

 進がサードゴロ、一ノ瀬がセカンドゴロ、明石がライトフライに打ち取られて攻撃が終わる。

 こりゃ左打者は手が出ないな。出所が見えないってのがきつすぎるぜ。

 一点差のままならウチの打点ならすぐ同点に出来るからな。これ以上点差を離される訳にはいかない。この回もサクサクっと終わらせてもらうぞ。

 橘、原、篠塚を抑えて五回終了。

 六回表のバッターは早川からだったが、早々にセカンドゴロに打ち取られてワンアウトとなってしまった。

 ――だが、ここでバッターは一番の矢部くんだ。

 

「矢部くん、左打者は外角の球キツイぞ!」

「分かってるでやんす! おいらに秘策があるでやんすよ!」

 

 おおっ! さすが矢部くん! 頼もしいぜ!

 矢部君は胸を貼りながらバッターボックスに立つ。

 秘策がどんなのかは知らないが有効そうだったらチーム全体でやってみよう。頼む矢部くん! 道を示してくれ!

 橘の初球。

 投げられた球はインサイドのストレート。

 そのボールに矢部くんは思いっきり踏み込み――

 

 ドゴッ!! と重そうな音を立ててボールが矢部くんの脇腹を直撃した。

 

「ギャッ! でやんす!」

「あっ」

「あ」

「……む」

「あ」

 

 

 矢部くんが悲鳴をあげて、びくびくと体を震わせながらうずくまる。あ、あれは痛い……。

 でもこれでランナーが出たぞ!

 

「皆! 矢部くんのおかげでランナーが出たんだ! このチャンス活かすぞ! にしてもさすがだな矢部くん、自分の身を犠牲にして内角の球に踏み込んでデッドボールにするなんて。これが秘策か!」

「ちが、うぐっ、ちがうでやんすっ……」

『デッドボールで矢部が出塁し一アウトながら俊足の矢部がでます! ここで繋げるか! バッター二番新垣!』

『バッター二番、新垣』

 

 何か矢部くんが言っているが全く聞こえない。ったくやっぱりおいしいところを持って行くな、矢部くんは。

 ここでバッターは二番の新垣。出す作戦はランエンドヒット。

 新垣のバットコントロールならゴロを打てる筈。矢部くんも盗塁のスタートで切ってればゴロを転がせばセカンドは一〇〇%セーフになる。

 それを感じてか、橘はファーストへと牽制球を投げる。

 頭から戻る矢部くん。牽制は投げれば投げるほどランナーは走りやすくなると矢部くんは言っていた。タイミングが掴みやすくなるとかなんとか、俺は多く投げられると逆に走りづらくなるんだけどな。

 しつこく橘は牽制球を投げるが、そのたびに矢部くんは頭から戻る。

 そして三球目の牽制が橘に返されたと同時に矢部くんは一瞬新垣を見た。

 それを見て新垣はバットを構え直す前にヘルメットの鍔を掴んでヘルメットをかぶり直すような動作をして、再びスタンスを取る。

 今のは――アイコンタクト、か?

 新垣の初球が投じられると同時に矢部くんがセカンドへ走り出す。

 投げられたのはアウトハイへ外したストレート、そのボールを新垣は振らない。見送った。

 六道がボールをキャッチすると同時に送球の構えをとるが投げるのを辞める。

 

『盗塁成功ーっ!! 完全に盗みました矢部! これでワンナウト二塁!』

 

 今のは俺でも勝負できない。……いや、プロだって厳しいかも。

 ランナーとの勝負は捕手の肩だけでは出来ない。投手がいかに上手くクイックで投げられるか、そしてランナーのスタートがどれだけ遅いかで刺せるかどうかが決まる。

 今の矢部くんのスタートは完璧の完璧。六道が投げないのもわかるぜ。

 これで一アウト二塁。確実に俺にチャンスで回ってくる。ここで同点にするぞ。

 新垣はセカンドへと打球を弾き返す。その間に矢部くんはサードへと滑り込んだ。

 

『セカンドゴロ! その間に矢部は三塁へ! ツーアウト三塁でバッターはここまでチームを引っ張ってきた葉波に回ります! ここで同点にしたいところ!!』

『バッター三番、葉波』

 

 わああああっ! とスタンドが湧き上がる。

 ここまで期待してもらってんのか。ならその期待に答えねーとな。

 俺は橘に対して相性が悪いから相手もオーソドックスに攻めてくるはず。まずは橘のボールに俺が一番合っていないコース……イン攻めで来るだろうな。そんなら初球から振れ!

 六道と橘バッテリーの初球はインロー。角度を効かせてインコースギリギリに投げ込んでくるストレート。

 それに狙いを定めて振りに行くっ!

 スパァンッ!! とボールがグラブに収まる音が響き渡る。

 当たらない。

 

(予想通りに来たのに当たらねぇ……今ボール下を空振ったな)

 

 下を空振るということはストレートのキレが良いということだ。ストレートの勢いに振り負けているといって良い。

 ストレートに当てようと思ったら五キロくらい速いのを想定して振らないと駄目だな。……かといってそんな速いボールに目付したらスクリューにタイミングが合わなくなる。

 くそ、厄介だな。打席に入る前に友沢にどんな風に打席に入ってるかどうか聞けば良かったぜ。

 ……ストレートを基本において他の球に反応出来るように待つのがバッターの待ち方の基本。でも、そこを曲げよう。ストレートを捨ててクレッセントムーンに絞る。

 クレッセントムーンは変化量の大きい高速スクリュー。打ちやすさなら緩いスクリュー狙いがいいだろうが、この場面でバットに届く範囲にはスクリューは投げてこない。

 今この時点でボールの下を振っているのに無理にストレートを狙っても下手なゴロになるかフライになるかだ。ならここはストレートを捨ててクレッセントムーンを打つ。

 二球目は外角低めへのストレート。

 

「ストラーイク!」

 

 際どいところに審判は手を挙げる。

 今のストレートには手が出ない。あの角度でインコースに決められた後にあのストレートは遠く見えすぎるぜ。

 三球目は外にゆるく外すスクリュー。これで2-1。

 つーことは最後はストレートかクレッセントムーンをインコースに投げてくるはずだ。

 迷いを捨てろ。狙うはクレッセントムーン一本だぞ。

 ふぅ、と息を吐いて構え直す。

 インコースの球に振り負けないようにするは早めに始動してフルスイングするしかない。

 ――来い。弾き返してやる。

 橘が足を上げて腕を引く。

 そこから弓のようにしならせ、ボールを投げ込んできた。

 

(当たれっ!!)

 

 それにあわせて俺は全力でフルスイングする。

 俺の手前でボールは勢い良く沈んでいく。

 クレッセントムーン。

 切れ味鋭い高速スクリュー。

 腕をたたんで体の軸でくるりと回転し、始動を早くしてバットのヘッドを立てる。

 フォロースルーは高々と。

 手に残ったのはジンッとする感覚。

 響いたのは快音。

 

『打ったー!! 打球はレフトの頭を超えてフェンスへ直撃ー!! 葉波の同点タイムリーツーベース!!』

「っしっ!」

 

 狙い通り完璧だ! 

 セカンドに到達し腕を高々と掲げる。

 これで同点。なおも二塁でバッターは友沢、東條と続く勝ち越しのチャンスだぜ!

 マウンドに目をやると六道を始め他の内野手がマウンドで話し合いをしている。

 ここで取る作戦は勿論――。

 

『おっとバッテリー、四番友沢を敬遠します! 当然でしょう!』

 

 敬遠しかないよな。

 これで友沢がファーストに歩き、ツーアウト一、二塁。バッターは東條。

 

『バッター五番、東條』

『さあここで東條、一本打って勝ち越せるか! 聖タチバナとしてはふんばりたい!』

 

 東條は友沢に比べて橘とは相性が悪そうだ。左打者なのもあってクロスファイヤーが打ちにくいのは当然の事なんだけど。

 初球はインサイドへのストレート。それを見送るが審判の手は高々と上がる。

 東條に対して初球からインサイドへのストレートか。対左打者に対してよっぽど自信があるらしい。そうでもなけりゃ東條に対してインコースからストレートなんて投げる筈がないからな。

 ……ん? インコース……? ……なんか引っかかったような気が……。

 そこまで考えたところで、東條が外角の緩いスクリューを打ち上げてしまった。

 落ちてくるボールを春がしっかりと両手でキャッチしてスリーアウトチェンジ、攻撃終了だ。

 何か気になったけど、まあいいか。今は追いついた後の攻撃をしっかり抑えるほうが重要だしな。よそ事を考えてる暇はないぜ。

 

「うし! んじゃ裏の攻撃をサクサクと抑えるぞ!」

「うんっ!」

 

 グラウンドに飛び出す。

 六回の裏。ここをしっかり抑えれば流れをもう一度引き寄せれる。

 だが――相手の攻撃は三番の六道から。

 安易に攻めればヒットで繋がれる。じっくり腰を据えて攻めるぞ。

 

『バッター三番、六道』

 

 打席に六道が立つ。

 六道もこの打席は出塁したいとおもってるはず。

 ……絶対に打たせないぞ。

 初球はマリンボール。

 内から落とす。

 六道はそのボールに対して腕をたたんで当ててくる。

 バットに当たったボールはホームベースの後ろにバウンドして飛んでいく。

 初球はファール、これで1-0。

 次は外角低めへストレート。そして内野陣の守備を右方向に寄るように指示を出す。

 外の球は流し打つつもりだろうがそうは行かないぞ。打っても取れるように野手を右方向に集中させてやればそれだけ右方向へのヒットゾーンは狭くなる。……勿論左方向のヒットゾーンは広がるんだけど。

 けど、あおいのストレートは外角低めにはそう簡単に引っ張れない。守備位置からみて六道も外にボールが投げられる事は予測出来るだろう。それを流し打ってくる。

 内野の頭を越されれば仕方ないがゴロでのヒットは絶対に許さないぞ。外角低めぎりぎりのボールを迷わず投げろ!

 

『さあ、二球目を早川が投げます!』

 

 あおいの投じたボールを六道はぎりぎりまで引き寄せて右方向へ弾き返す。

 カァンッ、と快音を奏でて打球は高速で飛んでいく。

 守備位置がいつも通りなら一二塁間を抜けただろう。だが今回は違う。前もってこのコースを予測して守備位置を右側に寄せているのが功を奏した。

 セカンドの新垣が打球をライナーで捕球する。

 よしっ!! 難関突破だぜ! これでランナーなしで春。これなら無失点でいけるぞ!

 続く春は三球目のストレートで打ち取り、大京は三振で打ち取る。

 三者凡退。テンポ良く七回表に入れた。ここで勝ち越せれば試合の流れはこっちのもんだ。

 ここまでのスコアは、

 

 恋 200 001

 聖 003 000

 

 なんとかこの回勝ち越して試合の流れを引き寄せたい。

 バッターは六番の進からだ。

 左打者が続くけど何とかチャンスを作って欲しい。頼むぞ進、一ノ瀬、明石。

 マウンドには引き続き橘が上がる。ここまで来ても息を荒げるようなことはない。その姿はまさにエースピッチャーそのものだ。

 

『バッター六番、猪狩進』

 

 打席に進が立つ。

 初球はインコースへのクレッセントムーン。それを進は空振ってしまう。

 くっ……この回に来ても球威衰えずか。厄介だな。

 にしても左打者に対して初球インコースが多い。そんなことは一〇〇も承知だけど、それだけじゃ攻略は出来ない。これだけ球威と角度の有るボールをインに決められると狙い打っても凡打になる可能性が高い。特にもう終盤の七回、攻撃は後三回だから、それを確実にヒットできない戦法に費やすのは……。

 そんなことを考えている間に進が打ち取られ、一ノ瀬も二球目を打ち上げてツーアウト。

 くそ、ごちゃごちゃ考えてる暇はないか。

 

「七瀬。スコアを」

「はいっ」

 

 七瀬もわかっているようで、スコア表を差し出してくる。

 ありがたい。これだけ切迫した状態だと一分一秒が惜しいからな。

 ……やっぱり左打者に対してはインコースから入って、決め球はアウトコースが基本だ。

 そんな傾向は分かってる。欲しいのは確実に打てる投球がいつ来るかということ。

 左打者にとって橘は猪狩以上に打ちにくい相手だ。角度を使い視界の外から三つの変化球を投げてくる変則左腕。更に猪狩の時は球種を絞れていたが今回はコースを絞るのがやっと。そんな状態でアドバイスなんて出来やしない。

 

「……くそっ」

「チェンジだよ、パワプロくん」

「ああ、〇点に抑えるぞ」

「うん」

 

 あおいと頷き合い、グラウンドに走る。

 同点だ。点数をやらなきゃ負けることはない。一ノ瀬が居る分こっちのほうが投手は有利だし、最悪延長戦まで行く事を想定に入れておいて戦わないとな。

 七回の裏。聖タチバナの攻撃は大月から。

 大月をショートゴロ。

 中谷をセカンドフライ。

 大田原を三振に打ち取り攻撃を終了させる。

 八回の表はあおいから。いつもなら代打も考える場面だが……延長戦も考えるとなるべく長い回を投げて欲しいからな。ここは続投だ。

 インハイのストレートに空振り三振。

 矢部くんもインコースのスクリューを空振りさせられた後、外ぎりぎり一杯のストレートで見逃し三振を取られる。

 新垣も粘ったもののインローのボールにサードゴロに打ち取られた。

 八回の表が終了。試合は膠着状態のまま八回の裏へ入る。

 攻略法が見つからないまま最終盤に入っちまったな。まあ良い。今やらなきゃいけないのはしっかりと抑えることだ。

 先頭バッターは橘。投手だししっかり低めに投げれば怖くないぞ。

 要求通りの低めの球をしっかりと抑える。

 橘は二球目をショートゴロに引っ掛けた。問題は次だ。

 トップに戻ってバッターは原……四巡目。ここが踏ん張りどころだぞあおい。

 原に対しての初球はインローのストレート。多分継続して外角の球を流し打てという指示は出ているはずだ。

 インローへあおいがストレートを投じる。

 それを受け止めて、これで1-0。

 

「トーライクッ!」

 

 疲れてきたのか僅かに球が浮き始めてるな。でもまだ誤差の範囲だ。

 この調子で丁寧に攻めていけば大丈夫だ。変化球のすっぽ抜けが怖いが……それでもあおいは甲子園を勝ち抜いて優勝したピッチャーだ。経験値は高い。これくらいの疲れならごまかせるはず。

 次はカーブだ。ストレートと同じコースからボールに落とすぞ。

 あおいが頷く。

 投じられた二球目。

 ストライクゾーンからボールゾーンに落ちる球が僅かに高く浮く。

 その球を原は一閃した。

 ッキンッ! と快音を立ててボールがライナーで矢部くんの頭の上を越える。

 っ、やべぇっ。そのコースは抜ける……!

 進が下がってボールを捕球しようとするが届かない。ボールはフェンスにまで到達した。

 原はセカンドを蹴って三塁へ進む。

 しまった……浮く事を視野に入れて低めに要求したつもりだったのに更に高く浮いた分バットの芯に当たったか、くそっ……!

 

(ここで打順は二番。二番を抑えたとしても六道、春という打順になる。ここで点を取られたら不味い。決勝点になるかもしんねぇ)

 

 ……あおいを変えるか? 失点してから動いたんじゃ遅いだろう。でもここで投入してもしも延長戦になったらどうする?

 ……いや、ごちゃごちゃ考えるのは辞めだ。ここはスパッと変えよう。あおいのボールも高く浮き始めてる。このまま続投させて繋がれたら最悪だ。

 

「あおい!」

「……ん、了解!」

 

 俺の呼びかけで分かったのだろう、あおいはこくんと頷いてくれた。

 

「選手を交代させます。ファーストの一ノ瀬がピッチャーに入って、あいたファーストに石嶺が入ります」

『ピッチャーの交代をお知らせ致します、ピッチャー早川にかわりまして、ファーストの一ノ瀬くんがピッチャーに入り、ピッチャー一ノ瀬、ファースト早川に変わりまして、ファースト石嶺』

「ごめん皆、甘く入っちゃった」

「仕方ないでやんす。……このピンチ、絶対に抑えるでやんすよ」

「ああ。抑えるぞ!」

 

 あおいが一ノ瀬にボールを渡す。

 ……顔が引きつってるぞ、あおい。

 ぽん、と頭に手をおいてぐりぐりと撫でてやる。

 

「後は任せな」

「……ぅん」

 

 小声でつぶやいて、あおいはベンチへと戻っていく。

 絶対に抑えるぞ。

 

「よし。一ノ瀬」

「ああ、分かってる。全力で投げ込むよ」

「頼む。内野前進守備。ゴロは迷わずバックホームだ。ホームで刺すぞ」

「「了解!」」

『バッター二番、篠塚』

 

 全員が頷いたのを確認してキャッチャーズサークルへ戻る。

 相手もこの一点の重要性は分かってるはずだ。突っ込ませてくるはずだ。

 篠塚に対する初球はインハイへのストレートだ。一ノ瀬の直球を打ち返せるもんなら打ち返してみろ!

 一ノ瀬が腕をしならせ、サイド気味のフォームから凄まじいスピンがかけられたストレートを投げ込む。

 それに反応した篠塚が初球から積極的に振ってくるが当たらない。

 ッパァンッ!! と快音を立ててボールがミットに吸い込まれる。

 っ……ビリビリ来るぜ。

 あおいのボールもすごいけど、一ノ瀬のボールは本格派のそれだ。あおいとは性質が違う。

 バックスクリーンの球速表示に目をやると一四五キロと表示されていた。

 猪狩には及ばないものの、左腕の本格派として十分すぎるほどの球速だ。……ほんとにすごいな、一ノ瀬は。猪狩に負けてないぜ。

 二球目はスライダー。外角をまだ狙ってる可能性もあるけど、ストレートを見せられた後の一ノ瀬のスライダーならヒットゾーンには飛ばせないハズだ。

 投げ込まれたスライダーに対して、篠塚は待ってましたとばかりに踏み込みバットを振るう。

 その手前で一ノ瀬のボールは思い切りスライドした。

 篠塚が勢いよく空振る。

 よし、完璧だ。球威もコースも文句なし。一ノ瀬の調子はよさそうだ。

 スクイズもあるかもと思ってたけど今までを見るにそれは無さそうか。

 高めへ一球外して見せ球にする。その後低めへスクリューで打ちとるぞ。

 一ノ瀬がボールを投げる。

 高めへ投げられたストレート。それに対し篠塚が振りに来る。

 見せ球を振った。……しかも高めのストレートをだ。

 今日の一ノ瀬のボールは来てる。これならきっとこのピンチも抑えられる。

 

『バッター三番、六道』 

 

 さあ、山場その一だ。

 際どいところを攻めて、ボールカウントが不利になったら敬遠でいい。ただ抜いて投げるのは駄目だぞ。厳しいところでも打てそうな球だったら打ってくるからな。

 一ノ瀬が足を上げ、ボールを投げる。

 要求したコースはインローのスクリュー。それにあわせるように六道はバットを出した。

 スパァンッ! とボールはバットに当たらず、ミットに収まる。

 

「ナイボー!」

 

 初球のインローに手を出してきた、っつーことは決め打ちしてるわけじゃなさそうだ。

 今のコースはストライクゾーンに掠ってたから六道としては厳しいところだと思いながらも振りに来た、って感じだろう。

 次はアウトローからボールになるカーブ。六道がそれをしっかりと見極めてきて1-1。

 やっぱり際どいところでもボール球はしっかり見極めてくるな。特に緩い球だとその選球眼が狂うことは九割無い。さすが三番だぜ。

 アウトローを使ったから次はインハイのストレート。それを六道は振らない。

 

「ストライーク!」

 

 よし、追い込んだ。

 けど今のを振ってこないっつーのは不気味だな。もろにストライクゾーン、六道だったら振ってきそうなもんだけど振ってこなかった。

 まあ良い、これで2-1だからな。次で打ち取るぞ。

 要求はシュート。アウトローのストレートと見せかけてそこから逃げるように変化させて三振に打ち取ってやる。

 一ノ瀬が頷く。

 一ノ瀬のシュートは天下一品だ。打てるもんなら打ってみろ。六道!

 ストレートと全く同じフォームでシュートが投げ込まれた。

 軌道もストレートとほぼ同じ。ただし――シュートは打者の手前で変化する!

 

「っ! まだだっ……!」

「何っ……!?」

 

 空振る。それくらいのベストボール。

 それを片手をバットから離して上体を崩しながら六道は必死にバットに当てる。

 コキンッ、という軽い音。

 打ち返されたボールは力なくセカンドの後方への小フライになった。

 勢いはない。

 勢いは、無かった。

 

「っ!」

 

 ――ボールはそのままポテン、とセカンドの後方に落ちる。

 

『これはラッキーなヒット!! サードランナーがかえるー! 勝ち越しー! 再び聖タチバナ勝ち越しましたー!』

 

 目の前でサードの原がホームベースを踏む。

 運が悪い、といってしまえばそれまでだが、それだけじゃない。相手の裏をかくことばかり考えた俺のリードミスだ。

 ここは絶対に打たせないということを考えて低めのスライダーかスクリューで勝負すべきところだった。カウントが2-1といういいカウントになったから欲張っちまった……くそっ!!

 ……九回はクリーンアップからだ。一点なら返せる。春を打ちとってこの点差のまま最終回の攻撃に行くぞ。

 

『バッター四番、春』

 

 春が打席に立つ。

 終盤この展開での春から感じる威圧感は凄い。だけど抑えないとな。

 一ノ瀬がサインに頷く。

 初球はインローのストレート。真っ向勝負だ。

 投じられたストレートを春は初球は振りに来る。

 ッキィンッ!! と快音を残すがボールはサードベースの左を通ってファールになった。

 元からファールか見逃しでストライクを取るつもりだったけど、やっぱ予想以上に強い打球になってる。甘く入れば持ってかれるぞ。

 二球目もアウトローへのストレート。さあ投げ込んでこい一ノ瀬!

 一ノ瀬が腕をふるう。

 完璧な制球で投げ込まれた外角低めのボールを春は見逃した。

 

「トラックツー!」

 

 うし、追い込んだ! これは大きいぞ!

 次は外に外す! 頼むぞ!

 2-1にしてからじっくり攻めるぞ。

 一ノ瀬が足を上げてボールを投げ込む。

 投じられたボールは要求したところからストライクゾーンへと入ってくる。

 

(甘い――!)

 

 春がバットを一閃する。

 

 一点なら、一点なら追いつけるんだ。頼む! 入らないでくれ――。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 ――あかつき大付属高等学校グラウンド。

 明日を初戦に控え、軽い練習を行なっている面々の中、ランニングをしていた猪狩が突然足を止めた。

 それを見て、監督の千石は声を張り上げる。

 

「猪狩! どうした! ランニングの途中だぞ! まだ六週残ってる! 走れ!」

「千石監督。仕方ないですよ。恋恋高校が今春の初陣ですから……」

「六本木。……わかってはいるがな。それとこれとは別だろう!」

「そうですね……でも守らしくないな。ランニングの途中で止まるなんて……」

「全く……どうした猪狩。足でも痛むのか? 明日の先発に支障が出そうなのか」

「…………」

「……猪狩?」

「…………パワプロが……負けた……」

 

 猪狩は耳につけていたイヤホンを外す。

 そこから聞こえる実況の声と猪狩の呆然とした表情を見て千石は何が起こったのかを把握した。

 

『恋恋高校敗れました―! 六対四! 最終回に友沢のタイムリーで一点返すも反撃はそこまで! 直前の八回裏の春の止めのツーランが最後まで利きましたー!!』

 

 興奮した実況の声に猪狩は何も反応しない。

 そのかわり、その瞳は失望に染まっていた。



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第二四話 "十月四週" それぞれの終戦

 薄闇の中、河原に人影が映る。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 髪を揺らし、荒く息を吐き出しながら走る人物は恋恋高校のリリーフエース、一ノ瀬だ。

 端正に整った顔立ちは苦しさで歪み、額からは無数の汗を流しながら右手に握力を強化するヘビーグリップを握りながら一ノ瀬は走る。

 

"行った! 行ったー!! 飛び込んだー!!!! 甘く入ったボールを春涼太がフルスイングー! 止めとなる一撃ーっ!"

 

 何度もビデオで見た場面が頭に蘇る。

 つい先日の事だ。リリーフで受けた自分を信じてくれた捕手の期待。それに答えようと腕を振るって投げ込んだ球。それが甘く入った。

 野球に言い訳は通用しない。甘く入れば打たれる。

 自明の理のように存在する失敗を、自分は犯した。

 それはひとえに自分の力の無さの所為。

 

「……はぁ、はぁ」

 

 それから、一ノ瀬は毎日朝はやく――恋恋高校の練習が始まる前に走りこみをしている。

 足腰が安定すれば体のブレは少なくなる。投手にとって下半身の強さは命のようなものだ。だからこそ、自分がエースの座を競って"いた"早川あおいも地獄のようなランニングを己に課している。走らない日がないほどに。

 

「……リリーフエースは、打たれてはいけない」

 

 自分に言い聞かせるように一ノ瀬はつぶやく。

 エース争いは二の次だ。……自分が働くべき仕事場はパワプロが示してくれている。

 先発のエース。――それに拘りすぎて、自分が見失っていたものが有るはずだ。最善を尽くしたなら打たれる事なんて無い。何よりも頼れるバックと女房が同じグラウンドに立っているのだから。

 それなのに打たれた。それは自分に足りないものがある証拠だ。

 

(……エースの座を追うことはもうしない。僕がチームのためにやるべきこと、やらなければならないことは一つ。――絶対的守護神になること)

 

 左手に握ったグリップをぎゅ、と握りしめながら一ノ瀬は誓う。

 

(もう、点は取られない。――僕はパワプロともう一度優勝旗をつかむ)

 

 朝日に向かって一ノ瀬は走りだす。

 "もう打たれない"。

 誓いを立てた天才投手は絶対的守護神への道を静かに歩み出した。

 

 

 

 

 

                  ☆

 

 

 

「いくわよー」

「ばっちこいでやんす!」

「全くもう……毎日毎日朝からご苦労ね」

「すまんでやんす」

「いい。アンタの気持ちは分かってるわよ」

 

 スパァン! とグラブの音が河原に響く。

 一ノ瀬が走る道のすぐ下、河原では新垣と矢部がキャッチボールを行なっていた。

 勿論これは準備運動だ。この後補強トレーニングを行ってからペッパーなどのトレーニングを、聖タチバナに負けた日から行なっている。

 

「オイラ、思ったでやんす」

「何をよ?」

「オイラは全力でやってたでやんす。全力を尽くしたと胸をはって言えるでやんすが、それじゃ足りないでやんす。……オイラ、甲子園で優勝してどこか安心してたでやんすよ」

「……わかるわよ。私も安心してた。日本一のチームのセカンドだって……女性でも、ここまで出来るんだって見返してやったって……心のどっかで思ってた」

「オイラもでやんす。日本一のショートだから、って思ってたでやんすよ。でも、それじゃ足りなかったでやんす。……考えてみればそうでやんすよね。オイラ達もあかつき大付属に勝つために練習だけじゃなく、データを集めたり、必死に頭を悩まして攻略の仕方を考えてたでやんすから、相手も同じくデータを探るはずでやんす。勝ち続けるためには、どんな作戦を取られてもそれを上回る実力が必要でやんす」

 

 矢部は丁寧にボールを投げて体の動きを徐々に強くする。

 ケガをしないよう細心の注意を払いつつ、全開の動きが出来るようにウォーミングアップをしているのだ。

 

「なのに、オイラと来たら作戦面はパワプロくんに丸投げしてるでやんすし、パワプロくんからの指示で動くだけでやんす。自分の実力じゃ打ち崩せないからってパワプロくんの作戦があれば打てると勝手に思い込んでたでやんす。……でも、そんなの違うでやんすよね。作戦はただ打ちやすくする方針のようなもので、打つのはあくまで自分の実力でやんす」

「私も同じよ。バントさえすれば、アンタを次の塁に進めれば――そう考えてアンタの足に頼り切りだった。私がヒットを打てば一、三塁にもなるし、打てるにこしたことはないのに。それに見向きもしてなかったわ」

「……オイラ、オイラ……タチバナに負けた時、パワプロくんがもうちょっといい指示をしていれば、なんて思ったでやんす……」

 

 パァンッ! とボールを投げ込む。

 感情が込められたボールは、新垣のミットを強く打った。

 

「そんなことを思った自分が、オイラは許せないでやんす! パワプロくんはなれない監督をしながら必死に考えて、リードして、クリーンアップを打ってるでやんす。そんなパワプロくんにオイラ、負担を与えてばかりでやんす!」

「矢部……」

「だからオイラはもっと上手くなりたいでやんす! パワプロくんに頼るだけじゃない、頼られるようになるために!」

「……バカね。アンタは頼られてるわよ」

 

 そのボールを受けて、新垣はボール握り見つめる。

 矢部は頼られている。そんなのは当たり前だ。リードオフマンでパワプロの親友でチャンスメーカー。足も使えて守備も上手い。打撃だって出塁出来なかった試合を探すのが難しいくらいだ。

 それに比べて、自分はどうだろう? バントを必要とされてその仕事は果たされてると胸をはって言える。でも、足が遅くて長打なんて両手の指で数えれる程度しか打っていない。

 チームの中で一番打撃力が弱く、足も遅い自分は……一体、どうすればいいんだろうか。

 そんなことを考えているとなんだか泣きそうだ。

 ぴゅっ、とごまかすように新垣はボールを投げる。

 矢部はそれを受け取った。

 ぱすん、としっかりと回転していないボールは矢部のミットに収まっても鈍く小さな音しかださなかった。

 

「……それに比べて、私は……」

「ふふふ、何いってるんでやんすか、新垣は。オイラ新垣に便りっきりでやんす」

「え?」

「守備範囲は狭いかもしれないでやんすけど、その分守備範囲に来たボールはエラーしないでやんすし、きっちりゲッツーの時はすぐに投げれるよう絶妙な位置に投げてくれるでやんすし、オイラが送球するときは完璧なタイミングでセカンドに入ってくれるでやんす。ファーストランナーの時はオイラが走れるようにきっちりボール球を見極めてくれるでやんすし、自分のバッティングを捨てて右打ちに徹したり、バントしたり、ヒットゾーンの球も見逃してオイラを走らせてくれるでやんす。こんなに最高なパートナーは居ないでやんすよ」

 

 にやりと笑いながら矢部は新垣に近づく。

 あ、と新垣は目を擦る。

 少なくとも、目の前に立っている男性には涙を見せたくない。弱いと思われるのはいやだ。いつもの自信満々の自分で居たい。

 

「ば、バカ、何いってんのよ。私がアンタに頼られるのは当然でしょ。宿題だってたまに見せてやってるし、授業中寝てたあんたに先生からの答えを教えてあげるのも私だしっ。き、今日だって朝練に付き合ってやってるし……あんたは私が居ないとホント駄目プレーヤーね!」

「む。それは言い過ぎでやんす。……でも、新垣が居ないと持ってる実力を出せないのは本当かも知れないでやんすね」

「ふ、ふん……分かってるじゃない……」

「だから、そんな顔をしないほうがいいでやんすよ。オイラには新垣が必要でやんす」

「~~~~っ」

 

 顔が赤くなるのを感じて新垣は目線をそらす。

 一年生の頃はあんなに馬が合わなかったのに、今は"お互い"に必要不可欠なパートナーだ。

 それを理解して、新垣は声がでない。その代わりに瞳から涙が溢れる。

 こんなに嬉しい事、他に無い。

 

「……だから、泣いちゃ駄目でやんすよ。新垣」

 

 矢部が微笑みながら新垣の頬の涙を掬い上げる。

 こく、と矢部の言葉に頷き、新垣は矢部の胸板にぼふっと顔を突っ込む。

 

「ふぐっ、ヘッドバッドでやんすか、なかなか効くでやんすね」

「……ち、がうわよっ……。……矢部……あ、ぁ、……あり、がとう……」

「ふふ、いつもお世話になってるでやんすからね」

「……だから、その御礼なんだからね」

「? 何がでやんすか?」

「……これからも、よろしく」

 

 新垣はその場で背伸びをする。

 重なった二人の影を、登った朝日が更に伸ばす。

 そのまま影は少しの間動かなかった。

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

「っ、っはぁっ!」

「お坊ちゃま! もう……!」

「いいから、お願いします……! あと二〇球!」

「それくらいの根性が無きゃ役に立てない。行くぞ!」

 

 猪狩スポーツジムのバッティングセンターは実際に試合でも使える"マグマドーム"と呼ばれる球場だ。

 そこに朝速く、新聞配達が終わった友沢と朝からトレーニングをしていた進は練習を行なっている。

 横手投げの軌道からアウトコース、インコースをランダムに射出する特殊マシン。それを相手にひたすらに打ち込む。友沢の打撃に少しでも近づくための特訓だ。

 

「はぁ、はぁ、ふっ!」

「バットが最短距離を通っていない! もっとひきつけろ!」

「はいっ!」

「ヘッドが低いぞ! ヘッドが低いと飛距離が伸びない上にポップフライが多くなる!」

「はいっ!!」

「脇が開いているぞ! 脇を締めてしっかりと振れ!」

「んく、は、いっ……!」

 

 ビュッビュッ! とスイングの音がドーム内に響き渡る。

 滝のような汗を流しながら、進は必死に投げ込まれるボールを弾き返す。

 それを見ながら、友沢もバッティング練習を再開した。

 ガッカァンッ!! ガッカァンッ!! と痛烈な音が響き渡る。

 進と同じ軌道で投げ込まれるマシンを四メートル近づけてひたすらに打ち込む。

 体感速度は一五〇キロに近い。その打球を友沢は広角に打ち返していく。

 二人の間に交わされる言葉は技術論だけだが、二人にはそれだけで十分だった。

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

『昨日行われた決勝戦、あかつき大付属対帝王実業大付属のハイライトをお伝え致します。初回、三番蛇島が猪狩守からセンター前ヒット!。チャンスを作る帝王実業大付属でしたが、後続が続かず〇点。猪狩守がさすがの投球を見せます。対するあかつき大付属。帝王実業大付属の山口賢相手になんと七回までパーフェクトに抑えられてしまいます。それに負けじとあかつき大付属の猪狩、初回の一本のヒットのみに抑え九回までピシャリ。すると迎えた九回裏、七井アレフトへの1-2からの投球! 完璧に捉えた当たりはレフトへの場外へ消えるサヨナラソロホームラン。あかつき大付属、夏の雪辱を果たす春の大会連覇でセンバツ甲子園への切符をほぼ手中に収めました!』

 

 それを聞きながら、俺はバットを振るう。

 恋恋高校野球部グラウンド。

 静かに日が登る中で俺は必死にバットを振るった。

 東條がグラウンドをランニングしているのを視界の端に捉えながら、ひたすらにバットを振るう。

 直接の敗因は最後に打たれたホームラン。だが、全体的に見れば明らかに友沢を除くクリーンアップ、つまり俺と東條の不発が目立つ。

 最後こそ俺は出塁したものの、打つべき時に打てなかった――それが原因だ。

 俺が一本打ってれば流れが変わった場面は合った。そこで打てなかった。

 結果あおいや一ノ瀬に負担をかけ、結果は負け。

 

「……もっと、上手くならないと」

 

 俺だけじゃない、皆がそう思ってくれてるはずだ。

 もう負けたくない。

 その思いを具現化するようにバットを振りぬく。

 そうしている内に、ガシャンと入り口の音が鳴った。

 皆がぞろぞろとこちらに向けて歩いてくる。

 皆ユニフォームに着替え、額には汗を浮かべて、いつでも練習出来るぞといった雰囲気だ。

 それを見るだけで――きっと皆理解しただろう。全員、負けて悔しかったんだって。

 マネージャー二人もいる。荷物を両手に一杯持って歩いてきた。

 

「速い到着だね。パワプロくん」

「お、や、やってるでやんすね」

「やってるわね。おはよ。パワプロ」

「おはようございます! パワプロさん!」

「おはよう。速いな」

「……ふん、やっと来たか」

「おはようだぞー」

「はよっす!」

「おはよー!」

「おはようございますわ!」

「おはよう皆~」

「……うし、んじゃ始めるか……ってあれ? あおいは?」

「あ、あおいなら朝ランニングするから私に先に行ってて、って」

「そっか。んじゃまあおいはほうっておいて……皆。悔しかったよな」

 

 俺が声に出すと、皆が黙って静かに頷く。

 ……だよな。聞くまでもなかったか。

 

「じゃ、次は負けないように強くなろう。……行くぞ。甲子園!!」

「「「「「「「「おぉ!!!」」」」」」」

 

 全員が声を揃えて声をあげる。

 よっしゃ。待ってろ甲子園! またその旗を手中に納めてやるからな!

 ……そういや、あおいの奴、大丈夫かな。

 

 

 

 

                  ☆

 

 

 

 

 たったったった、とボクは道路を走っていた。

 負けた脱力感がまだ抜けない。みずき達のチームが相手とは言え、負けるとは思ってなかった。

 それが慢心なのか、……悔しい。どうしてボクはもっと良いボールを投げれないんだろう。

 朝もやの中を必死に走る。もっともっと上手くなりたい、その一心で。

 すると、前から人影が近づいてくる。

 金髪の女性だ。見慣れないユニフォームを着てる。……どこの高校だろう。

 

「待ってよ雅」

 

 更にその後ろからもう一つ影が近づいてきた。

 ……あれ? この顔、どっかで見たような……。

 

「……っ! と、東条慎吾! 中学校時代にパワプロくんと猪狩くんの連覇を止めたっていう!」

「えっ……し、慎吾くんを知っているの?」

 

 ボクが慌てて声を上げると、金髪の女性は驚いたように声を上げた。

 名前を呼ばれた男はボクの目の前でぴたっと止まると、罰が悪そうに頭を掻く。

 

「まー……うん、そうだよ。東条慎吾だ」

「な、なんでここに……? 東条くんってたしか名門校に行ったって……」

「……俺は海東学院大付属にいったんだ。そこで肩を壊しちゃってね」

「…………肩を……」

「うん、おかげで俺は今は弱肩さ。だから部活を辞めて転校してね。……今は――この雅と一緒に、ときめき青春高校に通ってるんだ。ポジションはセンター。足と守備に自信があるしね」

「そう、なんだ……」

「キミが暗がる事はないよ。……来年は最後だし甲子園に行くつもりさ。この春はアンドロメダに負けてしまったけどね。じゃ、行こうか雅」

「う、うん」

「じゃ、またね。"あおいちゃん"」

「……え? ボクの名前……」

 

 慌てて振り向くと、影はもやの中に消えていった。

 

「……雅ちゃんに慎吾くん、か」

 

 ……ライバルは増える一方だ。負けないように頑張らないと。

 

「……よし!」

 

 ボクは再び走りだす。

 パワプロくんに頼ってばっかじゃいけない。ボクがパワプロくんを引っ張るんだ!

 



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第三学年編
第二五話 "四月一週" ラストイヤー 


 ――恋恋高校の地区からは春のセンバツに、二つの高校が選ばれた。

 一つは、地区大会を制覇したあかつき大付属だ。

 決勝戦、帝王実業を倒し勝ち上がってきた聖タチバナと順当に勝ち上がったあかつき大付属との対戦。

 お互いに○点で迎えた十一回裏、七井アレフトのサヨナラタイムリーで勝利して予選退会は終わった。

 その結果を得て三月、あかつき大付属がセンバツへの切符を手にし、聖タチバナは二一世紀枠で春の甲子園に立った。

 聖タチバナはベスト一六で敗れたものの、あかつき大付属は決勝戦まで進み、大西、神高という好投手を率いるアンドロメダと激突し、1-0で勝利して春の覇者となる。

 だが、猪狩に笑顔はなかった。

 彼にとって、意味のある勝利ではなかったからだ。

 そして、"最強の猪狩世代"達は三年生になる。

 彼らの最後の夏が、始まるのだ。

 

 

 

 

        恋恋高校アナザー 最終章 "ラストイヤー"

 

 

 

 

 四月――。

 秋の敗戦から、約半年。

 俺達は成長したのか、それとも変わってないのか、実際に戦って見ないことにはわからないが、それでも時は経った。

 部員総勢十二名で頑張るのも今日が最後だ。一年生の入学式も滞り無く終わって、新入部員が入る。

 

「おはようパワプロくん!」

「はよ! さーて、今日はいよいよ……」

「新入部員でやんすね!」

「……おはよ」

「おう、矢部くんに新垣、相変わらず仲いいな?」

「ふふん、リア充でやんすからね!」

「あ、あー! もう! 恥ずかしいな! ほら行くわよ!」

 

 新垣と矢部くんが肩を並べて走っていく。

 やれやれ、今日もお熱いことで。

 

「……じー」

「やらないぞ」

「ぶー」

 

 熱視線を送る早川をいなしつつ、グラウンドに入る。

 グラウンドではすでに友沢と東條がウォーミングアップを行なっていた。進と一ノ瀬はブルペンだ。

 赤坂や三輪、明石も集まってくる。

 うし、集合だ。

 

「んじゃ皆、今日のメニューを発表する。今日のメニューは補強トレだ。……で、新入部員が来る。彩乃の話だと大量に、な」

 

 こく、と皆が頷く。

 ――そう、夏の甲子園を優勝した影響か、恋恋高校に大量の男子学生が入学することになったのだ。

 本当はんなこと聞いちゃいけないのかも知れないけど、確か共学になって初めて男子が女子の入学数を超えたとかなんとか。それを考えると甲子園効果って凄いんだよな。

 多分、その内の四分の一……多分、三〇人くらいが野球経験者で、この野球部に入る。

 監督が俺ってことを考えて躊躇するやつが居てもおかしくないんだけどな、検討違いでなければ少なくとも十五人は入るはずだ。

 おそらくそこそこ野球をやってきた奴らが入ってくる。つまり厳しいメニューなんかを課して入部テストーなんてことはやらなくていいだろう。

 ただし、ぬるいと思われても困る。という訳で、しっかり基礎トレをやってるところを見てもらわないとな。

 

「おはようございまーす!」

「……来たぞ」

「OK。んじゃ集合! これから基礎トレ始めるぞ! 入部希望者も参加してくれ。普段の練習だからな。仮入部といっても自分が付いてこれるかしっかり確認しながらやってくれ」

 

 パッと見二十人くらいか。全員線が細いけど体はしっかりと鍛えられてるな。全員経験者だろう。

 その中でも見たことがある奴が二人居る。

 一人は一番前で声を出してる男。北前久丈(きたまえきゅうじょう)。帝王実業付属中でも有名なスラッガーだった。

 長打力に巧打力に秀でているものの、守備と走塁に難があるせいで帝王実業高から推薦が来なかったって話だ(流石彩乃。こんなことも調べてあるな。助かるぜ)。

 その次は一人だけ列から離れて話を聞いてるジャージの奴か。森山大地(もりやまだいち)。俺と一ノ瀬、進の後輩だ。

 ……恋恋高校があかつき大付属中野球部の進む先の選択肢に入ってきてるのかもしれない。あかつき大付属としては頭の痛い話だろうが、こっちとしては願ったりだぜ。

 こいつは猪狩や一ノ瀬と比べても直球の速さのスケール感は小さいだろう。

 だが、こいつにはこいつの武器があるのだ。それはまあおいおい見る機会があるだろうな。進も嬉しそうな顔してるしさ。

 北前と森山が次の世代の中心になるだろう。しっかりと育ててやらないと。

 

「んじゃランニング開始だ! 先輩についてこいよ!」

「「「「「「「「はいっ!!」」」」」」」

 

 俺が声を上げると、一年生達が声を上げてついてくる。

 んじゃ普段の地獄トレを始めますか。

 

 

 

 

 

 

                                  ☆

 

 

 

 

「……っ、はぁ、北前っ……」

「んだよ、森山……ふぅ……」

「中学のとき、練習こんな厳しかったか……?」

「いーや…ランニングだけで吐きそうになるのは初めてだぜ……」

「途中俺とお前以外の一年は走れなくなってたよね……?」

「それでも最後まで走って戻ってくるように、だからな……名門に勝ったチームって、やっぱすげー練習量だ」

「……すごいよね」

「ああ、すげぇ」

 

 ――二人は幼なじみであり、ライバルだった。

 例えるなら猪狩守とパワプロのような、好投手好打者同士の将来を期待された人材。

 元は二人ともそのまま進学し、この地区の名門同士である帝王実業付属とあかつき大付属に別れるはずだった。

 その運命を変えたのは、パワプロという男の存在。

 半年前の猪狩守率いるあかつき大付属vs恋恋高校の試合を森山と北前も見ていた。

 そこで見てしまったのだ。

 一五三キロのストレートを投げた猪狩守。

 猪狩守の無失点記録と無敗記録を打ち破るホームランを放ったパワプロ。

 そして何より、弱小校が這い上がる様を。

 野球は戦力差では決まらない。それを身をもって教えてくれた恋恋高校に、二人は一緒に通おうと決めた。

 パワプロたちはもう卒業してしまう。だからこそ受け継ぎたいと思ったのだ。

 早川あおいが創り上げた"強い恋恋高校"を。

 パワプロが創り上げた"すごい恋恋高校"を。

 自分たちが、継ぎたいと。

 二人は顔を見合わせ、息を整える。

 あの人たちに追いつくためには、こんなところで息切れしているわけには行かないのだ。

 

「ご苦労さん」

「キャプテン……」

「ん、ああ、さすがのお前ら二人でもクタクタか」

「お疲れ様っ、この量のランニングは最初はきついよね。でも三ヶ月もすればなれるよ♪」

「は、はい、恐縮です早川先輩!」

「おう。……さて、と。本当なら一年はこのあと練習見学しつつ休憩ってつもりだったけど――お前ら二人はその休憩はなしだ」

「えっ!?」

「本当にやる気なの? パワプロくん」

「当然だ。使える投手が三人に入れば嬉しいし、一ノ瀬がベンチでしっかり準備できるようになれば最高だろ?」

「そりゃそうだけど……」

「……え、えっと?」

「どういうことですか?」

 

 森山と北前が混乱していると、パワプロは頬をニヤリと釣り上げた。

 

「今からお前らがベンチ入りできるかどうかのテストを行う。俺たちは二年まであわせて一二人。ベンチ入りは一八人までだ。つまり六人一年を入れることになる」

「そうですね。それで、なぜ僕達が……?」

「その六人は夏の予選前に一番伸びた奴にしようと思ってたけど、お前ら二人は別枠だ。本気で戦力にしようっつーんなら甲子園優勝を目指してる俺らにとってどれが一番伸びたかなーなんて見ている余裕はないからな。……今からお前ら二人をテストする。そのテストの結果が良かったら――ベンチ入り、レギュラーを視野に入れてメニューを"レギュラー用"にするってことだ」

「つまり、特別メニューを組むってこと。体を壊さない程度にだけど、普通に一年がやるような体幹補強中心のメニューじゃなくて、実践打撃練習を含めて頭も体も使うようなボクたちが普段やってるメニューに参加してもらうことになるんだ」

「……無論厳しいぜ。なんたって戦力として扱うんだ。エラーとかフォアとか出したら容赦なく怒るぞ。さて……どうする?」

 

 パワプロが脅すように言ったのをあおいが苦笑いで見つめる。

 当のパワプロは何か楽しむようにニヤニヤと笑っているだけだ。

 ――分かっているのだ。どんなに脅そうがどんなに厳しいメニューが待っていようが、森山と北前は断るはずがない、と。

 

「……やらせてください」

「俺も、やらせてください!」

「うし、んじゃアップしてきな。森山は友沢、東條が三打席ずつ相手をする。フォアボールはノーカンとして扱うからそのつもりでな。六つの打席のうち二つアウトをとってみろ」

「はいっ!!」

「北前はあおいと一ノ瀬が相手する。三打席ずつ、合計六打席のうち一度でも出塁すれば合格だ」

「ういっす!」

「俺達の準備はもうできてる。十分で体を暖めろ。できるよな?」

「「できます!」」

「上等、投手の森山は時間がかかるだろうから先に北前、お前からやるからな。んじゃ先に行ってるぜ。あおい」

「うんっ」

 

 あおいとパワプロは連なって歩いて行った。

 その背中を見送りながら、森山と北前はつぶやく。

 

「やってやるぜ」

「絶対に、合格するぞ」

 

 

 

 

 

 

                               ☆

 

 

 

 

 威勢のいい一年が居た。

 ま、正直期待はして無かったんだけどな、ランニングではっきりわかったぜ。北前と森山は一年の中でも別格だ。

 あの距離でランニングをやめないっつーことは相当走り込んでる。二人共弱点があるものの、それを補って北前はレギュラー、森山はリリーフの一角くらいにはなれるかもしれない。

 

「準備出来ました」

「よし、打席に入れ。あおい、いいか?」

「うん! ばっちり!」

 

 あおいがくるくると腕を回し具合を確かめる。

 北前がそれを見ながら打席に入った。

 

「っしゃす!」

 

 ヘルメットを外し一礼をしたあと、打席に立つ。

 一度後ろへ大きくのけぞった後、バットを高く構え直す。

 プロ野球の某外国人野手のような大胆な構え方だ。

 

「それって」

「あ、はい、テレビで見て真似したらしっくり来て」

 

 相当腕力が強くないとできないハズなんだけどな。

 でも、北前はこの打撃で中学校の頃は大会でホームラン王にもなってる。フォームにもぎこちなさがないし、こいつにとってはこれがベストフォームなのかもな。独特だけど。

 さて、まずはアウトローで様子見だ。……見せてやれ、あおい。この半年間磨き上げた新しいフォームで、お前の最高のボールを一年坊主に。

 あおいが足を上げる。

 安定性の増したフォーム。膝を今までよりも高く上げ、足の着地点を今までより前にして上体を沈める。

 グラブを体で抱え、弓のようにしならせた腕が体の下から現れるような感覚でボールが投じられる。

 外角低めのボール。北前は低いと思ったのかバットを振らなかった。

 だが、

 

「ストライク! でやんす!」

「っ……え?」

 

 審判を務める矢部くんの手が上がる。

 これが新フォームの効果だ。低いと思ったボールがあまり落ちずにそのままミットに収まる――プロの超一流の投手に見られる"浮き上がる"感覚を相手に与えることができる。

 今まではインハイ――所謂"第三の球種"にのみに合った効果だが、ボールに掛けることが出来る回転の数が上がったことによって、低めでもそれを感じさせることが出来るようになった。

 まさにあおいが血の滲むような努力によって手に入れた"プロ仕様"のボールだ。

 この球は一年じゃ掠ることすらできないだろう。でも、それじゃダメだ。甲子園で優勝するチームの戦力になろうと思うなら、そんな常識的な力量差を超えてくれないとな。

 二球目に投じられたボールはカーブ。ブレーキの効いたボールに北前はバットを出せない。

 

「とらーいくでやんすー」

 

 これで追い込んだ。このまま三球勝負で大丈夫そうだな。

 インハイに構える。要求するボールはもちろんストレートだ。

 ビュンッ! と北前のバットが空を斬る。

 一打席目は三振だ。

 

「……すごい……これが甲子園優勝ピッチャー……」

 

 北前が呆然とした様子でつぶやく。

 そうさ。これくらいレベルの差を感じてくれないとな。

 二打席目はマリンボールを見せてやる。インハイのストライクが残っている初球からマリンボールをインローに落とす。

 あおいが頷いてボールを投げ込んでくれる。もう投げミスはない。半年で磨きあげたのは球威だけじゃないのだ。

 

「う、おっ」

 

 ブンッ! と再び北前のバットが空を切る。

 初見とは言えひどい空振りだ。ボールとバットが三〇センチくらい離れてんぞ。……こんな調子じゃ期待はずれだぜ。一ノ瀬がピッチングに集中出来るかはお前にかかってるんだ。しっかりしてくれ。

 二球目はシンカー。ゆっくりと大きく沈むボールだ。それを北前はなんとかミートするがボールはファーストの横に飛ぶ。

 

「アウトでやんすね!」

「くぅっ……」

 

 ファーストファウルフライ。当てたのは良いがそこはファールにしないとな。

 ……ベンチ入りはするだろうがやっぱレギュラーに入るにはまだ速いか。この調子じゃ守備が安定してる石嶺あたりをファーストに置くか、長打力のある赤坂を代打からレギュラーにするかになる。

 あおいとの三打席目。北前は再びのけぞるようにしてバットを構えた。

 ただし、今までとは違う。バッターボックスの一番前に立ち、すでにバットをすでに引いた状態で、大きく構えるのをやめて小さいフォームにしている。

 

(バッターボックスの一番前に立つってのはボールが変化する前に叩こうっつー意識だろうが、小さく構えるってのはどういうことだ?)

 

 己の組み立てたバッティングフォームをコロコロ変えるような打者は怖くない。フォームがブレればブレるほど、打者ってのは揺さぶりに弱くなるからだ。

 野球という刹那のタイミングが命のスポーツはいかに自分の形でバッターボックスに入れるかが重要だ。自分のタイミングがわからないままで相手のボールを打ち返すことなんて不可能だし。

 中学とはいえ、名門校の四番を張った男が安易にするようなことではない。……ということは、何か意味があってやっているってことだ。自分の打撃フォームを変えるということ以上に重要ってことなんだから。

 

(あおい、様子見だ。外に一球外す)

 

 俺の出したサインに、あおいはこくりと頷く。

 一球目、外への際どいストレート。そこを北前は振りに来る。

 バットを引く動作が無い分、バットは素早く出る。が、打席の前に立っている分見極めは難しくなり、外の際どいボールにも北前のバットはくるりと回った。

 

「トライク! でやんす!」

 

 これで1-0。ボールにするつもりだったけどストライクがとれたな。今度はもう少し遠くに外してみよう。

 続いてのボールは流石に見極める。これで1-1だ。

 並行カウントからボール先行にしても良いだろうが、それは一年生相手に消極的過ぎる。ここはカーブで2-1にするか。

 北前は右打者だ。ストライクゾーンをかすめるかかすめないかぐらいでインコースに落とそう。

 あおいがサインに頷く。

 よし、来い。

 投じられたボールは、要求通り完璧なものだった。

 凄まじいスピンがかけられたボールは弧を描くようにして落ちる。

 落ちるボールを捕球に行く俺のミットの目の前で、

 

 北前のバットがボールをすくい上げるのを、俺は見た。

 

 一瞬遅れてッバガンッ!! と鉄の棒で何かを殴ったような音が響いた。

 ボールの中心よりわずかに下をひっぱたかれた打球は、一番飛ぶ弾道で、更に飛ぶようにスピンがかけられぐんぐん外野に伸びていく。

 外野のフェンスの上を遥かに超えるボールは、ゆるいボールを引っ張ったためか引っ張りすぎてポールの左へと切れていった。

 

「おおっ! 惜しい!」

「すごい当たりでやんす!」

「……飛距離では負けんぞ」

 

 東條が対抗意識を示すほどの、凄まじい飛距離。

 ……前言撤回。やっぱこいつすげぇわ。

 スイングを見るに待っていたのはおそらくストレート。

 それをタイミングを崩されながらも軸回転を崩さずに腰の回転でひっぱたいた。

 技術がない分ポールの右側にボールを持って行け無かったけど、センスなら友沢、東條に匹敵するかもと期待出来るやつだ。

 

「タイム! ……北前、なんでバッターボックスの前に立ったのか、フォームを小さくしたのか、説明してくれるか?」

「う、ういっす。バッターボックスの前に立ったのはボールをバットに当てるためで。早川先輩の変化球がすごくて自分じゃ一番後ろに立っていたら当たらないと思ったので一番前に移動しました」

「だよな。変化し切る前に打とうっつー意識は感じ取れた。じゃ、フォームを小さくしたのは?」

「"アジャスト"です」

「アジャスト? って適応のことだろ?」

「そうっす。バッターボックスの前に立つことで変化球に当てるようにした上で、際どいボールは打てなくなりますが、ストレートに差し込まれることなく、ストレート待ちをしていて変化球でタイミングを崩されても、軸を崩さないことでストレート待ちをしながら変化球にも対応出来るように短い距離でボールを打ち返したくてフォームを小さくしました」

「……そんなこと、普通やらねーし……」

「ああ、やったところで常人ならタイミングが崩れて終わりだろう」

「口挟んですみません、先輩。北前はバッティングフォームが二つあるんです」

「二つ?」

「はい。説明して欲しいのでしたら、説明します」

 

 進相手に投球練習をしていた森山が口を出してきた。

 ああ、そっか、こいつらライバル同士だったんだっけ。北前のことをよく知ってるなら、投手目線のこいつに説明してもらった方がわかりやすいか。

 

「んじゃ、頼むわ」

「はい、北前には変化球ピッチャー用とストレートピッチャー用の二つのフォームがあるんですよ」

「変化球ピッチャーとストレートピッチャー?」

「どんな捕手がリードするとしても、軸にするボールはあるじゃないですか」

 

 ん、まあ確かにそうだろう。

 俺の場合あおいのピッチングはストレートやマリンボールを軸にすることが多い。

 軸がある方がピッチャーを引っ張りやすいし、逆にピッチャーも安心して投球出来るしリードもしやすい。ふらふらどれを決め球にするか、カウント球にするかと悩むより、データを見て"こいつは緩い球に弱いからカーブを多めにしよう"とかそういうニュアンスで軸にするボールは決めてしまうことがほとんどだ。

 

「バッターボックスの前に立つのはそうでもしないと先輩のボールが打てないと思ったからでしょうけど、変化球がそう圧倒的でないストレートピッチャーの場合はバッターボックスはそのままで、最初からバットを引いた状態で小さく構えることで、ストレートの球威に振り負けないよう、差し込まれないようにしているんです。もともとこいつ、身長がありますしスイングスピードもそこそこ速いので、軸回転だけでボールは外野まで飛びますからね」

「はー、なるほど」

「中学生の時にもストレートだけバカ速い奴は全国大会にゴロゴロ居ましたから、そういうピッチャー用にこういうフォームにしたんでしょうけどね」

「じゃ、最初のフォームが変化球投手相手ってことか」

「えっと、まあ……」

「こいつ用だったんですよ、最初は。あのコンパクトなフォームが最初の俺のフォームだったんす」

 

 北前が森山を指さす。

 へぇ、あの大きなフォームは森山との対戦の為に創りだしたフォームだったのか。

 なんかこいつ思考回路が猪狩に似てるぞ。全国大会で優勝出来なかったっつってカーブを死ぬ気で覚えるあいつとそっくりだ。

 

「変化球投手の緩い球はコンパクトスイングでも飛ばせる自信がありますけど、さっきみたいに引っ張れすぎてファールになることが多かったんす。そのせいで、ファールでカウント稼がれて森山に打ち取られるってのがパターンになってしまったんで、その対策に編み出したのがこの大きなフォームなんですよ」

「……なるほど、わざと遠回りをさせることで引っ張りすぎないようにしたわけか」

「はい、ストレートは振り遅れても流し打ちでぶち込めば良いと思って、そのおかげで中学の最後の大会でホームラン王になれたんです。あの小さいフォームで打席に経ったのは一年以上ぶりですよ。素振りではやってましたけど」

 

 なるほどね、通りでコンパクトフォームのこいつのデータが無いわけだ。この大きなフォームで結果残したデータしか俺は見てないしな。

 にしてもこいつ、結構考えてるんだな……引っ張れすぎるのをわざとスイングを大きくすることで改善しようだなんて並の考え方じゃない。フォームを定着させる努力と、確かな野球センスが無きゃできない芸当だ。

 

「でも、早川先輩はやっぱすげぇっすね。流し打てばいいと思ってたんですけど、全く当たる気配もなくて、変化球用のフォームなのにキレがよすぎて大きなフォームじゃ当たりませんでした。当てに行ったら外野まで飛ばなかったっす……まだまだレギュラーは速いっすね」

「……や、良い、面白いし気に入ったぜ。合格だ」

「……い、いいんですか!? まだ一ノ瀬先輩とやってませんよ!」

「いいんだよ、それに一ノ瀬は秘密兵器だからな」

「ひ、秘密兵器……?」

「ああ、他校のデータ組の前じゃ見せられねーよ」

「……よっしゃー!!」

 

 北前がガッツポーズして雄叫びを上げる。

 ま、実際のレギュラーメニューをやったら合格しなきゃよかったと思うだろうけどな。ククク……。

 おっと、その前に森山のテストもやらねーとな。

 

「おし、友沢、東條、頼むぞ。打席は交互に入ること、OK?」

「……ああ」

「久しぶりの実戦だ、手は抜かんぞ」

「手抜いてもらっちゃ困るしな。……進!」

「はい。パワプロさん」

「組んだことはあるんだろ?」

「はい、あります!」

「なら、"ベストリード"で頼むぜ?」

「……了解です」

 

 進がウィンクをしてキャッチャーズサークルに走っていく。

 緊張した面持ちで森山もマウンドに登った。

 森山は右腕のオーバースローだが、投球練習を見ている限り球速は一二〇キロほどだろう。

 球速のポテンシャルを見ても一年時の一ノ瀬、猪狩とは比べ物にならない。

 にも関わらずなぜ森山がここまで評価されているかというと――"伝家の宝刀"と呼べるボールがあるからだ。

 進のサインに森山が頷く。

 打席に立つのはウチの四番、友沢。

 進のことだ、初球から行くだろう。

 ――さあ、名門あかつき大付属のエースナンバーを投げてきた男の力を、ウチの四番に見せてやれ。森山。

 森山が足を上げ、ボールを投じる。

 ダイナミックなフォーム。友沢はさぞ速いボールが来ると思っていただろう。

 友沢が迎え打たんとバットを出す。

 だが、ボールは来なかった。

 

「なっ……!!」

 

 友沢だけではない。森山のそのボールを初めて見るモノは皆して驚愕しただろう。

 そのボール――超遅球を。

 

「……す、ストライクでやんす!」

 

 ボールは低めに外れたが、友沢が空振った。これで1-0。

 

「……イーファストピッチ……!? 球速は……八二キロ……!」

「お、早めだな。森山のやつ、緊張したのかもな」

「……八二キロで速いだと?」

 

 東條がスピードガンを見て、更に俺の発言を聞いて二度驚いた表情を見せる。

 誰だってそうだよな。初めてこの守山のボールを見た奴は驚くだろう。

 最高球速ならば、他校のエースの方が圧倒的に上だ。高校一年生の時点で一三〇キロを投じる投手も右投げの、それもオーバースローならばそこそこいるだろう。

 だが、森山の最高球速は一二〇キロ半ばが関の山だ。

 そんな男がなぜあかつき大付属中のエースナンバーを守ってこれたのか。

 答えは簡単だ。"最遅球速"がずば抜けているからの一点に尽きるだろう。

 

「あいつはな、もともと"抜く"っつー感覚に関してずば抜けてる」

「……抜く、か」

「ああボールを投げるってのにはいろんな感覚があるだろ。弾くように投げるとか捻るように投げるとか押すように投げるとかさ。その中で、あいつは"抜く"ボールが抜群にすごいんだ」

「抜く……つまり、緩いボールか」

「まあ緩いボールでもいろんな感覚のやつがいると思うけどな、まあ緩いボールだ。あいつの持ち球はカーブ、スローカーブ、これは抜くっつーことは例外で縦スラ、そんでもって、OKボール……つまり、サークルチェンジ」

「……あれはただの遅い球じゃないのか」

「ああ、手元でわずかに、右打者ならインコース寄りに、左打者ならアウトコース寄りに沈むボールだ。それをこの球速で投げてる。腕の振りはストレートそのままだ」

「……そんなことが、可能なのか……」

「指関節が異常に柔らかく、なおかつ抜くっていう技術が優れてなきゃ投げれないボールだ。一三〇キロも投げれない、コースを丁寧につくコントロールもない。そんなあいつが死に物狂いで手にした決め球だよ」

「……ストレートと同じ振りで八〇キロ台以下の遅い球を投げれる……確かにエースだと言われても納得出来るが……それだけで抑えきれるものなのか?」

「いや? んなに甘くはないぜ。けど、それだけじゃない。単に速い球が投げれないだけで、森山は天才さ。指関節もだが、肩の可動域が広い、リリースポイントが体の近くだから、ボールの出所が見づらいはずだ。球離れが遅い……早い話が球持ちもいいからな。友沢は相当打ちづらさを感じたはずだぜ」

 

 友沢が二球目のストレートに振り遅れて空振る。

 八二キロの後の一二六キロのストレート。優秀な打者であれば打者であるほどその揺さぶりは効く。いい打者ってのはいいタイミングで打ってるってことだ。そのタイミングを緩急でズラすわけだしな。

 ……けど、それだけじゃダメだ。

 三球目、投じられた球は縦のスライダー。

 しかし甘い。ふわりと浮いた球は打ってくださいとばかりにど真ん中に変化し――

 

 音もなく、友沢がフルスイングをする。

 

 森山は驚いた表情で後ろを振り返った。

 ボールはフェンスを悠々と超えていく。

 

「……今のは甘かったな」

「ああ、これが森山の弱点だ。細かいコントロールがない。あの緩急はすげぇんだけどな……」

 

 森山の課題はこれだ。

 せっかく2-0と追い込んでもど真ん中にボールが行けば名門校の四番なら苦もなく打ち返すだろう。

 出所が見づらい、球持ちが良いといってもそれはあくまで相手を振り遅らせるくらいの効果だ。コースが甘ければ痛烈な打球を打たれても不思議じゃない。特に金属バットだしな、おっつけ気味に打っても芯に当たればボールは飛ぶのだ。

 

「まぁ対戦してみるといいぜ。かなり打ちづらいけどな」

「……その口ぶり……お前、最初から森山は戦力として……?」

「可愛い後輩だしな? ってのは冗談として、投手は絶対に必要なんだよ。その中であかつき大付属中でエース張った奴が来てくれたんだ。こってり絞って戦力にするのは当然のことだろ」

「……ふん、まあいい。お前のお墨付き、打ってみるさ」

 

 そう言って東條がバットを握る。

 わざわざ言わないけど、これは森山の鼻っ柱を折る意味もあるんだよな。一ノ瀬は別として、あかつきOBはどっか自信家な所があるからなぁ。一度高校レベルってのを味わってもらわないとな。

 パッカァンッ!! とボールを捉える音がグラウンドに響く。

 まだまだ、一年生たちの道のりは流そうだ。

 ――結局、森山は東條と友沢相手からワンアウトも取れなかった。

 

 

 

 

                        ☆

 

 

 

「というわけで一年生達、レベル差は感じ取ったと思う。これが高校野球ってやつだ。中学野球の延長線上と考えると痛い目見るぞ」

 

 日も暮れてきて、夕焼けに染まるグラウンドのベンチ前で座る一年生たちを見下ろす。

 森山と北前を除く一年生は全員が息を荒げ、汗を拭いながら真剣な表情で俺の話を聞いていた。

 ……厳しい練習は覚悟してたか。流石だな。

 

「この中から、ベンチ入するものももちろんいる。そこは競争だ! でもな、お前たちの年はチャンスだぞ! ベンチ入りがいきなり六人。更に俺たち三年が卒業すれば、来年の一年次第だけど少なくとも七人がレギュラー入れる! でもだ、これは監督として言わせて貰うが、誰よりも上手く誰よりも練習した奴しか俺は使わない! それを考えてしっかり練習に励め! 他の強豪校とは違ってウチは勉学もある。練習をどうやっていくか。あいている時間で何をするかが他の奴らと差をつけるからな! それを念頭においた上で頑張ってくれ! じゃあ今日は解散!」

 

 お疲れ様でした! と声を上げて一年生が帰っていく。

 さて、ベンチで横になって寝てる北前と森山も起こさないと。流石に初日から厳しくしすぎたかな。けどま、これに慣れてもらわなきゃ困るんだけど。

 仕方ない。俺も自主練があるし、それが終わるまで寝かせてやるか。

 

「パワプロくん!」

「おう、あおい」

「始めよ?」

「ああ、そうだな。んじゃ始めるか」

 

 俺とあおいは連なってマウンドに向かって歩き出す。

 一年も入った。大会まで後約三ヶ月。それが高校野球生活最後の大会だ。

 最終年――張り切って行くぜ!

 



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第二六話  第二七話 "四月三週" vsとき青 怪我と成長と最大のライバル

                      四月三週

 

 

 恋恋高校野球部グラウンドに現れたのは、縞模様が入ったユニフォームに身を包むいかつい面々達。

 ――ときめき青春高校野球部。

 シニアで有名だった東条だけじゃない。違反投球で野球をやめていたという青葉の姿も見える。他のメンツも筋肉のつき方からしてそこそこやりそうだ。

 その中に一人、華奢な女性(……だよな?)がいる。あれがあおいの言ってた小山雅か。

 金髪でただでさえ目を引くってのに顔も可愛いなぁ。彼女持ちだっていうのに矢部くんも鼻の下を伸ばしてるし。

 

「ふんっ!」

「ギャッ!! でやんす!」

 

 あ、新垣が矢部くんのお尻にバットを叩きつけた。あれは痛いな。

 

「パワプロくん……何見とれてるのかな……?」

「よーしスタメンを発表するぞー」

 

 身の危険を感じるしさっさとスタメン発表しよう。矢部くんの二の舞は勘弁。

 今日は練習試合だといっても本番さながらだ。久々の実戦、これから夏の予選へ向けて試合勘ってのも養って行かないといけない。そういうわけで、今日の試合はレギュラーにしっかりと動いて貰わないとな。

 

「スタメンを発表するぞ」

「了解でやんす!」

「待ってたわよ」

「……久々の試合だな」

「体づくりと技術アップのトレーニングばかりだったからな。全力でやろう」

「一番、ショート矢部くん」

「はい! でやんす!」

「二番、セカンド新垣」

「当然!」

「三番は俺、キャッチャーな。四番ライト友沢」

「ああ」

「五番サード東條」

「……同じ苗字の奴が相手にいるからな。存在感を出していくさ」

「六番センター進」

「はい! 任せてください!」

「七番レフト明石」

「りょーかーい」

「八番ファースト……北前」

「っ、は、はいっ!」

「しっかり頼むぞ。最後、九番ピッチャーあおい」

「うん、任せて!」

「よし、練習試合ってことで試合は六回まで。あおいは三回まで投げてもらうぞ。一ノ瀬は六回だ。四、五回から森山行くからな。石嶺、赤坂、代打で出すからな。しっかり頼むぞ」

「任せろ!」

「了解だー」

「このメンツで行く。絶対勝つ!!」

「「「「「「「「「おお!!」」」」」」」

 

 気合を入れ、グラウンドに目をやる。

 こちらは先攻。相手側は守備からだ。

 えーと……相手の打順とポジションはと。

 一番ライト、三森右京。

 二番レフト、三森左京。

 三番センター、東条。

 四番ファースト、竜宮寺。

 五番サード、稲田。

 六番キャッチャー、鬼力。

 七番セカンド、茶来。

 八番ショート、小山。

 九番ピッチャー、青葉。

 クリーンアップが強力で、ピッチャーの青葉のスライダーが凄いんだったな。

 ……にしても、マジであいつら高校球児か? 色物過ぎるだろ。なんだよあのパーマ、なんだよあの茶髪! いやこっちには金髪いるけどさ! 絶対に怒られるぞあれ!

 ま、まあいい。相手の格好なんて関係ないんだしな。

 青葉が足を上げてボールを投げ込む。

 ストレートの球速は一四〇キロを超えているだろう。これにスライダーのコンビネーションと緩いカーブを使う本格派右腕。無名のときめき青春高校にいるような投手じゃねぇよな。だからこそ練習相手にゃふさわしいんだけど。

 投球練習が終わり、矢部くんが打席に立つ。

 

「さあ、来いでやんす!」

「プレイボール!」

 

 プレイボールを球審が告げると同時に、青葉は腕を振る。

 スパァンッ!! とグラブを叩く快速球。どちらかというとキレ重視のそのボールはグラブを突き刺すような鋭い軌道を見せる。

 

「ストライーク!」

 

 久しぶりの実践だから初球を見たんだろうけど、青葉のちょっと高めに浮いたストレートは威力十分という感じだ。

 二球目、青葉の投じたボールは――ストレートとほぼ全く同じ速度で大きく曲がる、天下一品のスライダー。

 

「ぬぐっ!」

 

 ぷるんっ、と矢部くんのバットが空を斬る。

 矢部くんがあそこまで大げさに空振るのは猪狩のボール以来じゃないか? すげぇスライダーだな。

 三球目も同じスライダーだ。矢部君はそれに何とか反応するものの、打ち上げてキャッチャーへのファウルフライにしてしまった。

 

「ストレートとスライダー二球でやんす。途中までの軌道じゃスライダーとストレートは見分けがつかないでやんすよ。新垣のスイングスピードだと流し打ちが精一杯だと思うでやんすから、気をつけるでやんす」

「分かった。ありがと」

 

 矢部くんの伝言を聞いて、新垣がバッターボックスに立つ。

 ネクストに移動し、グラウンドを見やる。

 ……あの敗戦から。

 俺達は死に物狂いで努力をした。お互いに弱点を見つけてそれを補うような厳しいトレーニングを。

 それの成果を、この試合で少しでもいいから感じたい。

 新垣は二球目のボールを流し打ったがファーストの正面。ファーストの竜宮寺がボールをしっかりとってベースを踏む。これでツーアウトランナーなし。

 バッターは俺だ。

 

「お願いします!」

 

 声を上げてバッターボックスに立つ。

 独特の空気はいつこの場にたっても変わらない。

 ――この練習試合のデータも、きっと猪狩に渡るだろう。それを承知で、俺は全力でバットをふるってやる。秋は待たせちまったけどこの夏は負けねぇから。ちゃんと見ろよ猪狩。……これが、俺の成長だ。

 青葉がボールを投げる。

 矢部くんがいっていた高速スライダー。

 手元で急激に食い込んでくる鋭い変化球。

 

 空を斬り裂き、

 飛来する、

 スライダーを、

 

 

 ――弾き返すっ!

 

 

 反応出来なかったサードの右脇、レフト線をボールは抜けていく。

 レフトの横を抜けてフェンスに直撃したのを見ながら俺はファーストで止まった。

 会心の当たり過ぎて二塁までいけなかったな。まあ仕方ないか。

 フェンスの向こうで見る見慣れた色合いのユニフォームを見ながら俺は拳を握りしめる。

 最後の夏は、誰にも負けない。

 

 

 

 

 

 

                 ☆

 

 

 

 

 恋恋高校が練習試合をする。

 その情報をキャッチし動いたのは一つ二つ程度の球団だけではない。恐らくレ・リーグのすべての球団がこの場に集結しているだろう。

 もちろんプロ野球の球団だけではない、右を見ればあかつき大付属高等学校の情報部門、あっちは帝王実業、パワフル高校もいる、聖タチバナの春涼太も見かけた。

 そんな練習試合とは思えないほどの人数の観客の中に影山は居た。

 持っているスピードガンはボールの速度を図るものではない、スイングスピードを図るためのものだ。

 打者の能力を数値化する中で、スイングスピードというのはかなり有益な情報になる。勿論これだけでは駄目だ。いくらスイングスピードが早くても大成しなかった選手はいくらでもいる。

 見えない部分を測るのがスカウトの役目だが、こういった目に見える情報も上部を納得させるには必要な情報の一つだ。

 パワプロの打球が三塁線を破る。

 影山の握ったスカウターがパワプロのスイングスピードを弾きだした。

 

「……っ、一四〇キロ」

 

 超一流、と言われる選手のスイングスピードは一五〇キロ以上。プロ平均が一四〇キロなので、パワプロの速度はプロの基準を満たしている、とも言えるだろう。だが、それでは一巡選手には物足りない数なの値だ。

 実際今季のドラフト候補ナンバーワンを争うと言われている友沢、東條の二人のスイングスピードを調べてみれば、前回の夏の状態で友沢は一五二キロを出していたし、東條にいたっては一五六キロという怪物じみた速度を出している。

 メジャーで活躍する二百本安打を数年続けた選手のスイングスピードが一五八キロことを考えれば、この二人の異常さ、怪物さが分かるだろう。

 その中で三番を打つパワプロのスイングスピードは一四〇キロ。その速度は友沢にも東條にも及ばない程度のスピードだ。プロに入る選手を数えきれないほど見てきた影山がそれで驚くなんておかしいと言われるかもしれない。

 "だが"。

 もしもそのスイングスピードが――半年前まで一三〇キロ弱だったとしたら?

 

「……恐ろしい」

 

 影山は塁上で静かに立つパワプロを見てつぶやく。

 その成長率も勿論凄い。半年で十キロ以上スイングスピードを早くするなんてことは考えられないし、将来性で言えば今年のドラフト候補ナンバーワンと言えるかもしれない。

 だが、それ以上に影山が戦慄するのは。

 

 "たかだか一三〇キロ弱のスイングスピードで、猪狩守からホームランを打ったこと"。

 

 あの猪狩守の速球は恐らく、プロの一軍でもそう易々打てるようなものではない。まさにエースの器を持つ男が投げるような超一流のストレートだった。

 それを、プロ入りの基準にすら満たないほどのスイングスピードしかない男が打ち返した。それが凄いのだ。

 ライバル対決で盛り上がってたまたま打てたと評価したスカウトも居た。猪狩守の失投だったと言ったスカウトもいた。

 確かにあのボールは真ん中高めへのボールだったし、コースだけ見れば猪狩守の失投だったといえるだろう。

 でも、違う。

 あのボールは猪狩の中で最大最高の、全力で投げたストレートだった。

 パワプロはそれを仕留めたのだ。

 打撃は何もスイングスピードだけで決まるものじゃない。数字で測れない何かがそこには存在する。なんせコンマ一秒遅れるだけで結果が変わる世界。感覚だとかセンスだとか、そういうデータでは片付けられない何かがあるはずだ。

 ――そして、パワプロはそれを持っている。だからこそ、猪狩守からホームランを打てたのだから。

 それが、一年でスイングスピードを一四〇キロまで上げてきた。

 もしも、もしもだ。

 このままパワプロが成長して、スイングスピードが超一流のプロ野球選手と比べても遜色がなくなったとしら。

 その"データに現れない"何かを持つパワプロが、データにも現れる力を持ったとしたら――。

 

「……ふ、ふふ、恐ろしい……」

 

 ゾクゾクと背中を駆け上がる言葉に出来ない寒気のようなものを抑え、大器の片鱗を見せる若き選手達が躍動する試合を見下ろしながら、影山は思う。

 これだからスカウトはやめられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

                           ☆

 

 

 

 

 

 

「っし、守るぞ!」

 

 友沢のタイムリーツーベース、東條のツーランホームランで三点先制。幸先良しだ。

 さて、森山のデビュー戦……しっかり守ってもらおうか。

 バッターは一番の三森右京。

 インコースをしっかり付くぞあおい。今のお前の投球なら――ヤマを貼りでもしない限りそう打てるもんじゃないんだからな!

 あおいがストレートをアウトローぎりぎりに投げる。

 審判によってはボール判定されてもおかしくないところ。捕球して一瞬審判が黙るが、すぐに手を上げてストライクコールをする。

 ここがストライクなのは三森右京も不満だろう。明らかに態度が変わった。

 ならここは……これだな。

 あおいが頷き、ボールを投げる。

 ストレートと全く同じ腕の振りのカーブ。それも真ん中やや低めから当たる程度の変化量で落ちる控えめなボールだ。

 三森右京はそれを手打ちする。当てるためには仕方ない打ち方だけど、まだワンストライクだぜ。見逃しても良い球だったのにもったいないぜ。

 ボテボテのボールを新垣が取り、ファーストの北前に向かって送球する。

 緊張でガチガチの北前だが、流石に丁度ミットのある位置にボールが投げられれば逸らすこともない。しっかり捕球してこれでワンアウトだ。

 

「ナイスキャッチファースト、次も頼むよ!」

「へ、は、はい!」

 

 お……今の声かけはいいな。

 あおいも三年になってエースの貫禄が出てきたぜ。頼りにしてるからな、頑張れよ。

 二番の三森左京をショートフライに打ち取り、これでツーアウト。一、二番とも俊足打者だったから出塁されたらまずいと思ってたけど、きっちり抑えれたな。しっかりと腕も振れてるし、この調子なら本戦でも問題なさそうだ。

 続くバッターは三番の東条慎吾。

 ……天才の名を欲しいままにしてきた男。俺が初めてこいつには勝てないと思った天才。

 それが選手生命を左右する大怪我を負い、捕手をやめて外野にコンバートしている。

 俺も怪我をしていたら外野にコンバートしてたのかな。

 いや、それ以前に――野球をやっていられたのだろうか?

 あの強肩を誇った肩がぶっ壊れても。

 名門学校を辞めるハメになっても。

 それでも、まだ――白球を、追っていられただろうか?

 

「……さあ、来い、パワプロ!」

「ああ、行くぜ東条!」

 

 初球、要求したボールは内角低めのストレート。

 それに対し東条は足を高く上げ、初球からフルスイングする。

 スパァアアンッ! とボールが勢いよくミットに収まった。

 

「ストライク!」

「おおぉっ……」

 

 スタンドがざわめいた。今声をあげたのは多分、事情を知ってるスカウト達だろう。

 東条のスイングはシャープだ。精錬された美しい軌道を描く。それを肩を壊した男が見せているとなればスカウトたちの評価も変わる。怪我してもここまでスイングを戻す努力とセンスは、きっと認められるハズだ。

 二球目はマリンボール。初見のハズのそのボールを、東条はなんとかカットした。

 

「……東条」

「……なんだ? パワプロくん」

「――今度は、もっと大きな舞台で勝負しようぜ。……もっとお前が成長してから、な」

「――そうだね」

 

 東条の声に思わず笑みをこぼしながら、俺はあおいを見つめる。

 さあ、あおい。見せてやれ。

 格の違いってやつを、な。

 

 

 

 

 

 

 十四-〇。

 恋恋高校がときめき青春学園を圧倒し、練習試合は終わった。

 森山もきっちりと抑え、一ノ瀬が久々の実践を積み、練習試合としては文句無しと評価してもいいだろう。

 途中青葉の体力も尽きていたし、何より友沢、東條が鬱憤を晴らすように四打数四安打互いに五打点の大暴れをした。夏の甲子園の道は順調といっていいだろう。

 

「ダメダメだ。怪我のブランクは痛かったなぁ」

「ま、世代ナンバーワンアンダースローを相手にしたんだ。そうなっても仕方ないだろ?」

「確かにね。……凄いチームを創り上げたんだな。パワプロくん」

「天才たちに恵まれたからな。……このチームなら、甲子園にだって……」

「……そうは甘くないよ? パワプロくん」

「え?」

「……あかつき大付属の猪狩守はマックス一五二キロの、ホップする球を会得した。披露してたよ。昨日のアンドロメダ学園、栄光学院大付属戦でね」

「アンドロメダ学園って……決勝戦った者同士で? それに栄光学院って久遠のところか!」

「そうさ。そして、あかつき大付属が二連勝した」

「……そりゃそうか。まあ当然だよなぁ……」

「アンドロメダも、栄光学院大付属も、攻撃を二七人で終えた」

「――え?」

「猪狩くんがね。二連投したんだ。肩の疲れなんて無い、なんていうかのように……ね」

「……待てよ……栄光学院大付属の打撃力は……」

「そう、キミも知っての通り、春の甲子園でもチーム打率四割を記録した典型的な打のチームさ。……そのチームを、猪狩守はパーフェクトに切って取った」

 

 ぞくり、としたものが背骨から這い上がってくる。

 

「キミはすごい男をライバルにしたみたいだね。パワプロくん。はっきり言おう。――僕が怪我をしていなくても、彼は打てない。いや……高校生で彼を打てる男なんて一人も居ないだろう。二年の時の夏の大会、キミは猪狩を打った。でも、もうあの時の彼は居ない」

 

 東条の言葉を聞くたびに、あの時の興奮が蘇ってくるんだ。

 あの時の欲求が、また鎌首をもたげて体を、心を揺さぶるんだ。何度も何度も心の中で思った――

 

「今いる猪狩守は、あの時よりも更に一ランク階段を登った、最高のピッチャーだ。……それを、打たないといけないんだよ」

 

 ――"猪狩守と全力で戦いたい"という、欲求が。

 

「上等。夏の大会を楽しみにしてろよ。最高の勝負を見せてやるからさ」

「……ああ、楽しみにしているよ。それと……怪我には気をつけて」

 

 東条は静かに行って、道を歩いて行く。

 その隣を小山雅が、青葉が支えるように歩いていった。

 

「……"あの時よりも、更に一ランク階段を登った"か。……待ってろ猪狩。階段を登ったのは、お前だけじゃないんだぜ」

 

 一人夕空につぶやいて、俺はグラウンドに戻る。

 グラウンドでは皆がキャッチボールをしていた。



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第二七話 "六月二週" 最後のデートコマンド「あおい」

                    六月二週

 

 

 

 二ヶ月間練習を続け、気づけば最後の大会のくじびきの日。

 ……これが最後のくじびきだと思うと、感慨深いな。

 思い出すのは一年の夏。

 蛇島に大口を叩いて、その時は所詮で聖タチバナとあたったっけ。

 聖タチバナには勝ったけど、帝王に負けた。それが悔しくて春は不参加で特訓して――次の大会、つい去年のことだけど、甲子園で優勝した。

 全てはここから始まったんだ。このくじびき会場から――俺たちの高校野球生活が。

 

「森山、北前、しっかり覚えとけよ。いつかはお前らがやるんだからな」

「は、はい!」

「うっす」

「うし、んじゃ行くか」

「……うむ」

「ああ、行こう」

「行くでやんすよ!」

「できれば楽なとこ引いてよ? いきなりあかつき大付属とか引いたらブチギレるからね」

「最初はバス停前とか乗れるところがいいですかね?」

「それだと手応えがなさすぎるだろうがな」

 

 わいわいと騒ぎながら席に付く。

 皆くじびきの結果のことを言っているけど、今はもうどうでもいい。――どこが相手でも、全力でやるだけだ。

 がやがやと騒がしさの中で、あかつき大付属や帝王実業、聖タチバナ、パワフル高校……見慣れた面々達も席に座って行く。

 

「……ドキドキしますね……」

「ははっ、そんな緊張すんな森山。……つっても俺も最初は緊張してたけどな?」

「うそつき、その時はボク達が出場できたのが嬉しくてそっち方向には緊張してなかったでしょ」

「あはは、そうだな。どっちかというと高野連が女性の参加を認めてくれるのを待つほうが怖かったな」

「……そうでしたね、パワプロさんたちが頑張ったから、あおいさんたちが参加出来るようになったんでしたね」

「おう。……さ、いよいよ始まるぞ」

 

 電灯が消える。

 ――何年経っても変わらない、くじびきのセレモニー。

 きっとこれから何年先も続いていくんだろうけど、俺が選手として聞くのは、これが最後だろう。

 "栄冠はキミに輝く"。一年生の時にこれを聞いて、あおいの顔を盗み見たのを思い出して、俺はあおいの横顔をこっそりと覗いた。

 先を見据え、しっかりとした意志の強い眼。

 一年生の時に感じた弱さはもう微塵も見えない。――プロ入りを意識させるこの時期になっても、あおいはきっとがむしゃらにやるだけなんだろう。

 ……引っ張ってやらないとな。この可愛くて頼もしい彼女を。

 演奏が終わり、くじびきが始まる。

 さて、行くか。俺たちの最後の夏の運命を決定するくじびきに。

 アナウンスが流れ、キャプテン達が壇上へと呼ばれる。

 シード枠は先に決まっている。猪狩達あかつき大付属は七九番だ。

 

『恋恋高校』

 

 アナウンスが流れ、箱の前へと誘導される。

 その中に手を突っ込み……その中のボールを一つ、引っ張り出す。

 

『――二番!』

 

 そのコールがされたと同時に会場がざわついた。

 左はじから二番目に恋恋高校とかかれた札が吊るされる。

 それを確認しながら、俺は席に戻った。

 

「どうせなら一番を引いて欲しかったでやんすねぇ」

「一番はシードだぜ?」

「冗談でやんすよ? ……一番は帝王実業でやんすね」

「二回戦であたる運命なのかもな?」

 

 矢部くんと小声で話しながら席に座る。

 

『パワフル高校――三番!!』

 

 ――ワァアッ!!

 そのコールがされた瞬間、客席が湧いた。

 

「パワフル高校……!」

「ああ、鈴本の」

「……どうやら、皆待っていたらしいぞ。俺達恋恋と、鈴本の対決をな」

 

 東條が不敵に笑みを浮かべる。

 

「……上等。猪狩と戦う前に負けられねぇよ!」

 

 俺が宣言すると全員がこくんと頷いてくれた。

 鈴本ね。おもしれぇじゃねぇか。あのナックルは打ってみたいと思ってたんだ。いい機会だぜ。

 それ以降、くじ引きは大した盛り上がりも無く進行していく。

 ……あかつき大付属とはブロックが真逆だ。ぶつかるには決勝で当たるしか無い。

 

「……あいつとは決勝で戦う運命なんだな」

 

 そうさ。いつも一番盛り上がるところでライバル同士の対決ってのは行われなきゃならないんだ。

 猪狩も俺と戦えるのを待っているだろう。――決勝まで必ずたどり着くぞ。

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 

 

「さて、くじ引きも終わったしもうすぐ大会も始まる。今日はこのまま練習は無しにするから、全員しっかりと休んでくれ。明日からまた練習開始だからな」

「「「「「「はい!!」」」」」

「よし、解散!」

「パワプーロくんっ。顔かして~♪」

「いや普通に誘えよあおい……そんな不良みたいに誘わなくても……」

「へへ……ケンタッキーでも行こうよ!」

「がっつり行くなぁ」

 

 なんて軽口を叩き合いつつ、俺は制服に着替える。

 そんな様子を皆が生暖かい視線で見つめてくるがもう慣れたものだ。……それがいいことか悪いことかは別としてだけどな。

 あおいと連れ立って河原を歩く。

 目指すは商店街にあるケンタッキー。あそこのフライドチキンは美味いからな……食い過ぎないようにしっかりカロリーチェックしとかないとな。

 一人二個までと約束してフライドチキンを購入する。

 えー、もう一個ーなんて口を尖らせておねだりするあおいが可愛らしいがダメなモノはダメだ。しっかり節制しねーとな。

 

「あー、やっぱりおいしいよねー」

「ああ、美味いな」

 

 二人して並んでフライドチキンを齧りながら他愛も無いことを話し合い、食べ終われば骨を捨てて歩き出す。

 目的などない、まったりとしたデート。年に指で数えられる程しかない休みはほとんどこうしてあおいと過ごしてきた。

 こんな時しかあおいはその可愛らしさを堪能することはできない。普段は凛とした表情でキレ味抜群の球を投げ込んでくるし、練習中でもたまに可愛らしい仕草が観えるけど、それを堪能する暇はなかった。甲子園で優勝するために全力で走ってきたから。

 でも、こういう休日くらいは。

 恋人の可愛らしい表情とか、女の子独特の匂いとか、細かくケアしているという美しい髪の毛とか、柔らかそうで健康的に焼けた肌とか、

 そういうのを堪能しても罰は当たらないだろう。というか当ててくれるな神様よ。一般的な高三の男子としてはめっちゃ我慢してるから。そういうの。

 

「どしたの? パワプロくん?」

「や、なんでもないよ」

「? 変なパワプロくん」

「はは、そうだな。確かに配球マニアな彼氏は変かもしれないな」

「ふふっ、そうだねぇ。テストの裏面にあかつき大付属の時のボクの配球を落書きで書いちゃうのは変だよね?」

「ばっ、なんで知ってんだ!?」

「矢部くんに教えてもらったんだよーっ」

 

 矢部くんめー! 余計なことを言いやがってっ。

 でもまぁそれが真実な当たり、俺はかなり変なのかもな。

 ……いや、かもじゃなくて変なの確定か。なんせ――あおいの球を受けた試合は、全部思いだせる。配球も、その意図したことも、あおいが打たれたことも、抑えたことも、あおいの仕草、動作、顔、投げてきた球も、全部。

 

「……デートらしいデートはあんまり出来なかったと思ってたけど、そんなことなかったかもな」

「え?」

「あおいはどうか分かんねーけど。……あおいとバッテリーを組んで試合するたびに、俺はデートしてる気分だったよ。あおいと心がつながってた。その時は勿論、んなこと考える余裕は無かったし、悔しいことも悲しいこともいっぱいあるけどさ、今になって考えると凄く楽しかった」

「……うん、そうだね。ボクもこの三年間が野球やってた中で一番楽しかった」

「ん、ああ」

「ふふっ。……あ、パワプロくん、バッティングセンターあるよ?」

 

 あおいが指さした先を見る。

 古めかしくも大きな建物の看板にはパワフルバッティングセンターの文字が踊る。

 その下にストラックアウトの看板も貼ってある。……面白そうだけど、潰れそうだな。近場に猪狩スポーツジムも有るし人居ねぇじゃねぇか。

 まあいいか。たまにはこういうところで遊ぶのも楽しいだろう。

 

「面白そうだし、んじゃやるか! ストラックアウトもあるみたいだしさ」

「フフン、ボクの制球力を見せてあげるよ!」

「いつも受けてるから知ってるけどな」

 

 店主からコインを貰い、一五〇キロのマシンに入る。

 がんばれーっ、というあおいの黄色い声援を受けながら、バシュッとマシンから放たれる一五〇キロの球を体にひきつけ、センター前にきっちり弾き返した。

 ッカァンッ! と快音を響かせて打球は飛ぶ。

 俺とあおい以外は誰も居ないせいか打球の音がよりクリアに聞こえて気分がいいな。

 貼ってあるネットに突き刺さったボールを確認しながら俺はひたすらにセンター前のイメージで打球を弾き返し続けた。

 

「スイングスピード早くなったね」

「ああ」

「……ひたすらバットに重りをつけて一日五〇〇スイングだっけ」

「東條に言われたのはな」

「……毎日一〇〇〇スイングしてたよね」

「最後らへんは、二〇〇〇振ってたかな」

「……掌の皮がべろべろにめくれてたね」

「ああ、あおいの球を受けるのが痛かったなぁ」

「……それでも……一六〇キロのマシンは打てなかったね」

「マシンでも振り遅れる。マシンならたまーにヒットには出来るけどな。差し引きで考えて一五五キロ前後の速球にゃ振り遅れる計算だな。二年の猪狩との闘いの時みたいにまぐれあたりでホームラン、ってのが出りゃ打てるけどな?」

「…………才能の限界だと思う?」

「まさか」

 

 ッカァアンッ!! と最後の球を引っ張りながら俺は断言する。

 

「俺もあおいもまだまだ成長するさ」

 

 まだまだ歩みは止めたくない。ずっと歩き続けるんだ。――俺達は、野球の道を、ずっと。

 

「よーし、じゃ、次ボクストラックアウト!」

「おお、見てるぜ」

「うん、リードお願いね」

 

 ぱちっ、とあおいがウィンクをしてストラックアウトを始める。

 どの番号を抜くか決めさせてくれるってことらしいな。んじゃとびきり難しくしてやろうじゃねぇか。

 

「七番をカーブ」

「うん」

 

 球種まで指定すると、あおいは軽く頷いてボールを握り、腕をふるう。

 スパァンッ! とボードにボールが当たると、ピコーンなんて可愛らしい音を当てて七番が消えた。

 ……どうでもいいけど、しまったな、今のあおいは制服姿だ。こう激しい動きをするとスカートがヒラヒラしてどうにもそっちに目が行きそうになるぜ。

 ま、まあいい、気のせいだそんなものは、白いなんかが見えたような気がするけど気のせいに決まってる。俺は紳士だ。落ち着け。

 

「こほん、四、五番の二枚抜きをマリンボール」

「了解♪」

 

 あおいがピュッ、と腕を振るうと宣言した四、五番の丁度中間をボールが射ぬく。

 このコントロールはまさにあおいだけに許された神がかり的なモノだ。

 コントロールだけなら既にプロのエースクラスといっても過言じゃない。だからこそ甲子園優勝なんて大それたことができたんだろうけどな。

 

「九番をストレート」

「一番得意なところだね」

 

 パァンッ! と宣言通りにストレートが九番に当たる。

 

「三番にストレート」

「"第三の球種"!」

 

 便宜的に名付けた浮き上がる軌道のストレートをあおいは完璧に投げ込んだ。

 もうそう呼ぶことはない。あおいのストレートはどのコースでも浮き上がるように感じるようになったし、インハイで打ち取ることにこだわる必要は無くなったからだ。

 それは意識付け。

 インハイで打ち取ることが特別だとあおいに思い込ませ、俺自身も効果的に使うために"第三の球種"なんて特別な名前をつけて投げさせた。

 でも、今はそれを必要としないまでにあおいは成長したんだ。

 ホントに凄いよなあおいは。この恋恋の中で一番成長したのはたぶん、俺じゃなくて彼女だろう。

 

「一番にストレート」

「んっ!」

 

 一球のコントロールミスも無く、あおいは淡々と狙った場所を射抜いていく。

 精神的にも、肉体的にも、挫折を味わい、自分だけの武器を探して形を掴んだらそれが身に付くようにひたすらに鍛錬を繰り返す。

 それはきっと誰もがやっている努力の形だ。

 でもあおいはそれを人一倍、いや、それ以上に頑張ってきた。

 それは一番近くにいた俺が知っている。

 ……もう一度、あの舞台に、甲子園にあおいを立たせたい。

 

「? パワプロくん?」

 

 あおいが指示を出さない俺を不思議に思ったのか、こちらを小首をかしげながら見る。

 ……ああ、ホントに俺って――

 ぎゅ、とあおいを抱きしめる。

 

「きゃっ……ぱ、ぱぱ、パワプロくんっ!?」

「……もう一度甲子園に行こうな。あおい」

「……ん、うん……は、恥ずかしいよパワプロくん……」

「あと一〇秒」

「うぅ……もう仕方ないなぁ……」

 

 そんなことを言いつつ、おずおずと俺の腰に手を回してぎゅっとあおいが密着してくる。

 ――あおいのことが、好きなんだな。

 

「……あおい? 一〇秒経ったけど?」

「……あと一〇秒」

「はいはい……」

 

 苦笑しながら、より一層あおいの華奢な体を強く抱きしめる。

 周りに人がいなくて助かった。人がもしもいたら抱きしめる衝動を抑えるのでいっぱいいっぱいだったろうな。

 

「……続きやろうぜ?」

「抱きしめるのの続き?」

「バカ」

「あいたっ、チョップすることないじゃん。もー……じゃ、パーフェクト取ったら……ね?」

「……はいよ」

「よーし!」

 

 苦笑する俺を尻目にあおいは気合を入れてボールを投げる。

 結局、人がいないとは言えいつ誰が来るかも分からない場所で、俺はあおいと何回かキスをしたのだった。

 

 

 

                      ☆

 

 

 楽しい時間とは早く終わってしまうもので、夕暮れが伸ばす影を追うように、俺とあおいはゆっくりと帰路についていた。

 会話はない。ただ隣にあおいが……パートナーが居るというのが嬉しくて、俺達は歩くスピードを遅くしながら、分かれ道を目指した。

 夕焼けの道を穏やかな風が撫でるように吹く。

 途中、河川敷球場に差し掛かりあおいが歩みを止めた。

 俺も同じく歩くのをやめて、あおいが見る河川敷球場の中で行われている、少年同士の野球の試合をじっと見つめる。

 ……あの少年たちも、きっとこうして高校野球に打ち込むことになる。

 その先に見据えるのはプロ野球。野球をやるものが一度は夢見る憧れの舞台。

 ……俺は……。

 

「ね、パワプロくん。……もうすぐ大会終わりだね?」

「ん、ああ、そうだな」

「その後はドラフト会議があるよね」

「……そう、だな……」

「……ボクね。パワプロくんや友沢くん、東條くん……進くんや一ノ瀬くん、それだけじゃない、猪狩くんとか久遠くんとか、いろんな人と戦って――やっとどうするか決めたよ」

 

 思案しかけた時、あおいが不意に話しかけてきて、俺は自分のことについて考えるのを止めた。

 あおいが視線を茜色の空に映しながら言葉を紡ぐ。

 ……きっと、あおいは選ぶ。自分にとって最良と思う道を。

 いや、あおいだけじゃない。猪狩や今まで戦ってきたライバル達、チームメイト全員、そして何よりも――俺が、あおいがその道を選ぶことを待っていたんだ。

 

「ボクね、プロ志望届けを出すつもり。皆が目指す……夢の舞台へ――行きたい。ううん……行くよ」

 

 しっかりとした口調であおいは言う。

 その言葉には驕りとか、そういう自信過剰なもので言っているのではないという、力強い意志が込められている。

 そして何よりも俺はあおいの努力を知っているからこそ、その道を素直に応援してやりたいと思えた。

 

「それでね。……パワプロくんと……同じ道を、歩きたい」

 

 にっこり、とあおいが可愛らしい笑みを浮かべて俺を見る。

 "女性だから"。そんな理由で臆病になっていたあおいはもう居ない。今居るのは輝く夢に向かって全力で走る一生懸命な女の子だけだ。

 そんなあおいが眩しくて、まぶしすぎて――俺は……応援の言葉すら、素直に言ってやることが出来なかった。

 いや、それ以前に、彼女が俺に一番に伝えてくれたはずなのに――俺は、その彼女の意志にはっきりと返事をしてやることが出来ない。

 

「……パワプロくん?」

「……あ、いや、なんでもない。そっか。夢、だもんな」

「うんっ、夢だよ! それでね、スポットライトを浴びながら、パワプロくんとバッテリーを組んで、パワプロくんと一緒にヒーローインタビューを受けるんだ」

 

 一瞬暗い声を出したあおいの不安を取り除くように精一杯声を出す。

 それを受けて、にっこりと嬉しそうに夢を語りだす彼女に、俺は言葉も無しに笑みを返すことしかできなかった。

 ……なんて言えばいいか、分からなかったんだ。

 

 

 ……プロに行かないつもりだなんて、今のあおいに言えばきっと、あおいのことを傷つけてしまうから。



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第二八話  vsパワフル高校 ある球児の夏の終わり

                    七月一週

 

 

 

 夏の大会が各地で開始される。

 それと同時に、こちらでもいよいよ一回戦が始まっていた。

 俺達三年の、最後の公式戦。

 それと同時に最後になる甲子園大会への道。七回勝てば甲子園のその一回戦目――相手は古豪パワフル高校だ。

 ベンチからグラウンドを見つめる。

 先攻はパワフル高校。しっかり守らねぇとな。

 

「選手整列!」

 

 主審の声を聞いて、俺も含めて両校の選手がホームベース前に並んだ。

 

「よろしくおねがいします!!」

 

 全員が頭を下げ、挨拶を交わす。

 頭を上げた時、鈴本と視線があった。

 整ったマスクを持つそいつは、ふっと微笑みベンチへと戻っていく。

 

「パワプロくん!」

「おう! さ、気合入れていくぞ! 最後の大会――最後まで楽しまなきゃな!」

「うん!」

 

 チームメイトが各守備位置に戻っていく。

 こちらの守備陣形は以下の通り。

 一番ショート矢部。

 二番セカンド新垣。

 三番キャッチャー葉波。

 四番ライト友沢。

 五番サード東條。

 六番センター猪狩進。

 七番ファースト北前。

 八番レフト明石。

 九番ピッチャー早川。

 北前が入った以外はそう変わらない、いつものメンツだ。

 対するパワフル高校は、

 一番セカンド円谷。

 二番ショート生木。

 三番キャッチャー七海。

 四番ファースト尾崎。

 五番ピッチャー鈴本。

 六番サード大野。

 七番センター小木。

 八番ライト林野。

 九番レフト峰。

 こうなっている。

 三番の七海は俺達と同世代。なんでもパワフル高校は"マネジメント"とかいうのを取り入れたらしい。

 その結果出てきたのがこの七海という選手だそうだ。

 鈴本が熱望していた質の良い捕手が手に入ったことでどうなるか、警戒しとかないとな。

 

「後三球!」

 

 あおいの球は絶好調だ。今日にあわせて調整してたからな。

 すぱぁんっとボールを捕球しあおいにボールを投げ返す。

 

「ボールバック! セカンド送球行くぞ!」

 

 バシッ、とボールを捕球すると同時に矢部くんのミットめがけてボールを投げる。

 ストライク送球でボールは矢部君のミットにおさまった。

 

『さあいよいよ始まります。夏の決勝戦、恋恋高校vsパワフル高校。勝つのはどちらでしょう!』

 

 一番の円谷が打席に入る。

 初球、あおいは俺のサインに頷いて、ボールを投じた。

 スパァアン!! と乾いた音を響かせてボールがミットに収まる。

 球速は一二八キロ。コースはインロー、完璧だ。

 円谷は無表情で再びバットを構え直す。

 二球目はカーブ。ストレートの緩急をつけてフォームを崩すぞ。

 円谷はバットを振るがタイミングは外れている。んじゃま一球際どいところに外しとくか、アウトローボール寄りだ。

 あおいがボールを投じると、円谷は迷わずスイングした。

 ボール球のストレートにバットは当たらない。

 

「トラックバッターアウト!!」

『三球三振! ボール球に手を出したが当たらず円谷三振に倒れてワンアウトです!』

「っしっ!」

 

 マウンド上であおいがガッツポーズを作る。

 うん、いい球だ。今のは手放しで褒めれるぞ。一番打者ってことは選球眼もそこそこだからな。その円谷にボール球を降らせたってのは何よりもあおいの今日の調子を証明してるぜ。

 

『バッター二番、生木』

 

 守備の要でありつなぐ役割の生木が次の打者だ。

 バットを短く持って流し打ちを基本に塁に出る、つなぐことを重視する打者。こういうタイプが二番で機能すると打線がつながるからな、要注意だ。

 ストレートを軸に使い、追い込む。

 インハイ、アウトローとストライクゾーンを広く使った後はマリンボールで締めだ。

 生木はバットを振らない。

 

「ストライクバッターアウト!」

『見逃し三振! ニ者連続三球三振! そしてバッターは三番の七海!』

 

 さて、この夏から正捕手になった七海が相手だ。

 データによればアベレージヒッタータイプの、守備ガウリの打者だったが、それでも鈴本を五番に推しやって三番に入るということはそこそこミートセンスもあるんだろう。

 

(インコースに食い込むシンカーでカウントを稼ぐ)

 

 ミートタイプの打者の打ち取り方は至極簡単。当てれるということを利用してファールさせてカウントを稼いだ後、決め球で打ち取ればいい。

 ま、それが出来るのもあおいの制球があってこそだけどな。

 シンカーをファール、外角のストレートを一球見極められ1-1。そこからカーブでカウントを稼いで2-1にした後、高めのストレートを振らせて空振り三振に打ち取る。

 

『スリーアウト! さすがの立ち上がりを見せます早川あおい! さあ裏の恋恋高校の攻撃に入ります!』

「ナイスボールあおい!この調子ならそう易々とは打てねぇぞ!」

「うん! さあ先制点をとってね!」

「任せろ。頼むぞ矢部くん!」

「任せろでやんす! オイラが出るから新垣はパワプロにしっかりつないでくれでやんすよ!」

「りょーかいよ。任せなさい!」

 

 矢部くんがバッターボックスに向かう。

 既に高校ナンバーワンといってもいいリードオフマンとなった矢部くんは、その構えのまま鈴本を見つめる。

 鈴本が振りかぶった。

 腕を振るって投げられたのは――豪速球、一四八キロのストレートだった。

 ズパァンッ!! と矢部くんの膝下にストレートが決まる。

 

「ストラーイク!」

「鈴本さん! ナイスボールです!」

 

 言いながら七海が鈴本にボールを返す。

 オーソドックスな右腕だが、明らかにボールの威力は一級品だ。

 二球目、矢部くんは外のスライダーを見極める。

 だが。

 

「ストラーイク!」

「ぬっ……!」

「なんつーコントロール……!」

「……早川が決めてストライク判定されたコースに寸分の狂いも無く投げ込んだな」

「ぼ、ボクより二〇キロも速い球を同じコースに決めるなんて……」

「ああ、キレも良い。……打ち崩すには相当手間がかかるぞ」

 

 鈴本が七海のサインに頷いて腕をふるう。

 高めに外れたストレート。矢部くんはそれをきっちり見極める。

 これで2-1。今のが見せ球だとすると……。

 

「ナックルが来る」

 

 俺の呟きに答えるように鈴本が腕を振るった。

 投じられたボールは――ナックル。

 揺れながらゆるく落ちるそのボールはカットするのも難しい程急角度で落ちる。

 ブンッ! と矢部くんのバットが空を切った。

 

「ストラックバッターアウト!」

『伝家の宝刀ナックル! 矢部空振り三振!』

『バッター二番、新垣』

 

 新垣が打席に向かうのを見てから、俺もネクストに立つ。

 それにしても矢部くんがカットできないレベルのボールか……この地区のエースはレベル高すぎだろ……。

 

「んがっ!」

 

 ゴキンッ! と新垣が三球目のスライダーを打ち上げる。

 鈴本は一歩もマウンドから動かず、ぱしんっ、と両手でフライを捕球した。

 

『ツーアウト! そしてバッターは三番、葉波!』

『バッター三番、葉波』

 

 ワァッ! と歓声が耳に届く。

 さて、観客の期待には答えねーとな。

 鈴本が足を上げ、腕を奮ってボールを投げ込む。

 ズパァンッ!! と外角低めぎりぎりにストレートが決まる。これが一四六キロ。

 

「ストラーイク!」

『初球はストライク! 絶妙なコントロールです鈴本! これは手が出ないか!』

 

 七海からボールを受け取った鈴本はテンポ良く投球動作に入る。

 腕を振って投げられたボールは再び外角低め。

 難しい球だが、打つ!

 ギンッ! と鈍い音を響かせてファールボールはファースト側のフェンスに直撃した。

 くっ、初球と比べてボール半個外だった上にシュートしてたな。

 今のは七海と鈴本のバッテリーがファールさせるために選んだ球か。こりゃ確かに面倒な相手だぜ。

 三球目、鈴本は再び外角低めにズバッとストレートを投げ込む。

 

「ボーッ!!」

『際どいところ外れてボール!』

 

 っぶねぇっ、思わず手を出しそうになったぜ。

 このコントロールがあれば外の出し入れは容易いってことか。くそっ。

 

「鈴本さん! いいとこ来てますよ!」

 

 七海があえてか、ゆっくりと声をかけながら鈴本にボールを返す。

 受けた鈴本は頷いて、ワインドアップモーションからボールを投げ込んだ。

 内角低め! ストレート、やばい、当たる――っ、違う! スライダーっ!

 ぴくり、とも俺のバットは動かない。

 回転の掛けられたボールは俺の体にぶつかる角度から一気に進路を変え、内角低めのギリギリのところに構えられた七海のミットに収まる。

 

「ストライクバッターアウトッ!! チェンジ!」

『見逃し三振! 完璧なスライダー! 手が出ません! 葉波!』

 

 内角低めに完璧に決められた……! 何つーコントロールだよ! 投げ損なったらデッドボールもあるってのに、それを完璧なコースに投じるなんて、あおい並の制球力じゃねぇか!

 それにこの七海ってキャッチャー……捕球をミットの先に力を入れるようにして審判にも気付かれない程度にミットを内側に少し動かした。その分ストライク判定されたんだ。

 ぽんっ、と七海と鈴本がグラブでタッチしながらベンチに戻っていく。

 ……おもしれぇ。黄金バッテリーってんなら俺とあおいも負けてないぜ。打撃はこっちに部があるんだ。絶対に勝つ!

 

「二回表! 抑えるぞ!」

「うんっ!」

 

 防具をつけている間に、あおいにはファーストの北前とキャッチボールをしといて貰う。

 さて、相手の話准は四番の尾崎。一発もあるが、どちらかというと中距離の得点を取るタイプのバッターだ。

 ただまぁこっちが三者凡退であっちがヒット出るってのは尺だからな。押さえさせてもらうぜ。

 

(尾崎は典型的なプルヒッターだが、ミート力がある。その分力は控えめだ。……二球使って打ち気にさせた後、外のボールで打ち取る。オーソドックスな内内外って組み立てでも大丈夫だとは思うが……そうやって痛い目を見たことも多々あるからな。ここは――)

 

 構える。

 あおいは俺のサインに頷いて、腕を振るった。

 初球。

 真ん中高めへの直球!

 尾崎がバットを一閃する。だが、当たらない。

 

「ストライク!」

『真ん中高めの甘めの球でしたが、尾崎、空振り!』

 

 よし、尾崎はあおいの球は完全に初見だ。甘い球でも高めの球なら目線が高くなる分、ホップするように感じる感覚が更にプラスされて空振ると思ったぜ。

 これなら二球目は内角高めだ。

 尾崎はボールを見送る。

 さっきの分、捉えたと思ったボールを空振った分、高めは見逃すだろうし、伸びているように見えるということはボール球と勘違いする可能性も高いはずだ。

 案の定尾崎はボールを見送った。よし、追い込んだなら後はこっちのもんだぜ。

 三球勝負だ。外へゆるく落ちるシンカーで打ち取るぞ。恐らく、外への緩い球は際どいところに外すと思ってバットを止めるぞ。

 投じられたボールを尾崎は途中までバットを出しかけて止めた。

 そう反応するのは予想通りだ。悪いな尾崎、このシンカーは見せ球じゃないぜ。

 

「ストライクバッターアウト!!」

『完璧に四番を手玉に取った形! 見逃し三振!』

『バッター五番、鈴本』

 

 クリーンアップに入ってるものの、尾崎や七海と比べたら鈴本の打撃はそう大して良くない。ここはストレートで押せ押せだ。

 鈴本を三振、六番の大野をセカンドゴロに打ち取り、二回の守備が終わる。

 守る方は問題なさそうだな。どっちかというと攻撃の方が問題だ。

 

『バッター四番、友沢』

 

 友沢に対して鈴本の初球は、なんとナックルだった。

 いきなり投じられた緩いボールを友沢は事もなさげに見送る。

 

「ボール!」

 

 捕手として考えてもあの見逃され方は非常に厄介極まりない。

 決め球を投げたのにフォームが崩れた様子やら焦った様子やらを微塵も見せないってどうすればいいかわかんなくなるからな。

 しかし、鈴本はそんなことを気にした様子も無く、サクサクと二球目を投じてきた。

 今度はストレート。内角高めに完璧に決まるストレートを迎え撃つように友沢はバットを振るうが当たらない。

 

「ストラーイク!!」

 

 ナックルの後に一四七キロのストレートか。流石の友沢も初見じゃ打てないなアレは。

 1-1からの三球目は内角へ食い込むスライダー。友沢はそれをスイングで迎え撃つが、ボールはファーストの横を抜けてファールになるだけだった。

 今のはボール一個分程余計に食い込んできたな。その分ファールになった。

 さすがに友沢の技術を以ってしてもあれをフェアグラウンドに飛ばすのは至難の技だろう。しかも内角と外角をここまで綺麗に投げ分けられたらさすがの友沢でも手が出ない。

 2-1と追い込まれた。そろそろ決め球のナックルが来るはずだ。

 四球目。

 鈴本が腕を振って投げたボールは、

 

 渾身の一四九キロの自己最速のストレートだった。

 

 ズドンッッッ!

 轟音がベンチまで届く程の豪速球。

 それを、鈴本は外角低めの完璧なコースに投げ込んだ。

 投げた後に鈴本の帽子がふわりと飛んでマウンドの後方に落ちる。

 全力で振るって投げた右腕を高々と空へと掲げ、まるで自分の勝利に酔っているかのようだ。

 

「ストライクバッターアウトォ!!」

『友沢手がでませーん! 見逃し三振!』

 

 ワァアアッ! と歓声が上がる。

 実力を誇示するかのように鈴本はクールに飛んだ帽子を拾い、かぶり直す。

 それら一つ一つがスター性とアイドルのようなマスクを際立たせているようで、彼の一挙手一投足に歓声があがった。

 

『バッター五番、東條』

 

 東條に対しても鈴本は全力だ。

 初球に投じられたインハイへのストレートは一四九キロ。

 ――だが。

 一つだけ、鈴本が犯した間違いがある。

 

 それは――、

 

 

 

 インハイに投げられた豪速球を、東條はフルスイングで迎え打つ。

 鈴本が友沢の打席と同じように右腕を高々と上げた。

 それは鈴本という投手のクセなのだろうか。ベストピッチの後にはああやって腕を上げて自らの存在を誇示しているかのようだ。

 それを示すかのようにバックスクリーンには一四九キロの文字が踊り、

 

 その横に、ミサイルのような速度で白球が直撃した。

 

 ドゴッ! とバックスクリーンが鈍い音を立てる。

 観客は動けない。まるで時間を止められたかのように誰も動けなかった。

 ただ一人、その特大のアーチを描いた東條本人を除いては。

 

 

 ――今打席に立っている男もまた、スター性と凄まじい実力を持つ男であり、

 更には、相手のパワフル高校にも因縁があって、

 その男が静かに燃えていることに気づかなかったということ。

 

『入った! 一閃!! 五番東條のソロホームランー! 恋恋高校先制ー!』

 

 東條がホームベースを踏み、進とタッチをしてベンチに戻ってくる。

 

「ナイスバッティング」

「……ああ」

「燃えてたな?」

「……普段は冷静で居ることを心がけているが、――たまには良いな。こういう感情に身を任せるのも」

 

 いつもどおりのクールな言動を崩さずに東條は不敵に笑った。

 ……便りになる五番だこと。あー、味方でよかったよかった。初見の一四九キロのインハイをフルスイングしたくせにセンターオーバーさせるような化物が敵じゃなくてほんとに良かった。

 七海が鈴本にすかさず声をかけてる。ココらへんのソツのなさは流石の一言だぜ。

 バッターの六番、進。

 被弾しても鈴本はブレない。

 ズパンッ! とストレートを内角に決める。

 ストレートを軸にスライダーで打ち取る。ナックルは極力使わずに力でねじ伏せるような投球だ。

 ナックルは握力使うからな。ここぞの時の決め球にしてるんだろう。その遠慮が命取りかも知れねぇけどな。

 スライダーで打ち取られた進の代わりに打席に立つのは――高校の公式戦初打席の北前。

 一番最初の相手が鈴本ってのは運がないかもしれないけど、それでも北前 ならなんとかしてくれそうな――そんな期待感がある。

 あれから三ヶ月、出来る限りのことは教えた。

 だからこそ、見せて欲しい。

 俺達が卒業した後、この恋恋を支える軸になりえるかどうか――この打席で、見せてくれ、北前!

 

『バッター七番、北前』

『さあ、打席に入るは一年生で強豪恋恋高校のファーストの座を射止めた北前! ここで結果を残せるか!』

 

 フォームを小さく構える。

 相手が鈴本だからだろう。友沢が打ち取られる程の投手だ。その小さなフォームは自分の身の程を知った選択だとも言えるかもしれない。

 ……でもな、北前。

 もっと思い切っていいんだぜ。どうせお前は後二年あるんだ。せっかく打席に立つなら――

 

「北前! 大きく行けよ!!」

 

 ――思い切って行こうぜ。

 俺が声を張り上げると、北前は驚いたような表情を見せた。

 初球のストレートを北前は見逃す。

 アウトローのストレート。鈴本はブレない、自分が得意とするパターンをひたすらに突き詰めるだけだ。

 北前はバットを頭にコツンと当てて、何か悩むような仕草を見せる。

 そして、

 バットを大きく後ろに引き、

 中学時代に俺が見た、あの大きなフォームを見せてくれた。

 二球目、鈴本が投じるのはストレート。

 それに振り遅れながらも北前はなんとかボールをバットに当てる。

 ボールは前には飛ばずファールになる。

 ……だが。

 

「……当たったじゃねぇか」

 

 当たった。

 あの大きなスイングでも、鈴本のストレートにあたったのだ。

 三ヶ月間の練習は無駄じゃない。北前のスイッチ打法は確かに面白いし理にかなってる部分もあると思う。

 だが、せっかくの対応力のスペックをそこで使うのはもったいない。北前は才能豊かな打者だ。きっと俺を超えて、この恋恋の屋台骨に。……いや、日本球界を代表する打者にもなれると俺は思ってる。森山と並んで、な。

 そのためにはいちいちフォームを変えている暇なんか無いんだ。

 だからこそ、俺は北前に示してやりたい。

 ――"そのでかいフォームで、名だたるストレートピッチャーを打てよ"。ってな。

 三球目もストレート。

 鈴本は北前を見下している。一年生で大きいフォームで振ったって当たらないってわかってるからだろう。

 でも、違うんだよ。鈴本。

 お前が見る北前と俺の見る北前じゃさ。

 期待値が、見てきた努力が、そして何よりも野球センスが――俺が見てきた北前のほうが、断然上だ!

 ガカッ! と北前は鈴本のストレートに振り遅れる。

 だが、ボールの勢いは死んでいない。

 流し打ちのクセして打球は凄まじい勢いを持ったまま飛んでいく。

 そして、フェンスに直撃した。

 北前がドタドタと走りながらセカンドへ滑り込む。

 

『北前ツーアウトからチャンスメーイク! 明石に打順をつなげます!』

「っしゃあ!!!」

「凄い! 振り遅れたのにあそこまで!」

「もともとセンスはずば抜けて高い奴でやんすし。適応力もあるでやんすからねぇ……あの鈍足とファースト以外は少年野球レベルの守備を除けば名門でもいけたでやんすが」

「……ふ、そういう素材を見るのも、内のキャプテンは好きそうだがな」

「ナイスバッティングだ北前ー! それをわすれるなよー!!」

 

 身を乗り出して喜ぶ俺を東條を始め皆が苦笑して見つめている。

 でもまぁ仕方ねぇよ。つきっきりで教えてた下級生が結果を出して喜ばねぇ先輩はいねぇしさ!

 結局続く明石が打ち取られて攻撃は終了するが、先制点がとれたし北前の初打席も飾れた、幸先は上々だぜ。

 三回の表は七番の小木からだ。

 下位打線はストレート一本槍でも十分抑えれる。

 小木を三振に打ちとったのを皮切りに、あおいは八番の林野、峰も打ち取りあっという間に三回を終わらせた。

 三回の裏。

 こちらの攻撃だが、先頭打者は投手のあおいから。

 流石にワンアウトからじゃチャンスメイクまでこぎつけるのは難しい。あおいが三振、矢部くんがセンターフライ、新垣がセカンドゴロでこちらの攻撃も瞬く間に終了してしまう。

 ソロホームランで一点取れなきゃ多分もっと行き詰まる投手戦になっていただろう。東條に感謝しねーとな。

 一点があるおかげである程度落ち着いて、同点なら良いという気楽なスタンスで打者と勝負出来る。これはあおいのようなコントロール重視の投手にしてみれば大きな利点だ。

 四回表、バッターは一番の円谷。

 この打順のパワフル高校が一番怖い。チャンスメイクされて一打二得点とかそういうケースが作られやすいからだ。

 ここは決め球を解禁するつもりで全力で抑えよう。わざわざ手を抜いてヒットを打たせて調子づかせるのも嫌だしな。

 サインに頷いて、あおいが腕を引く。

 投じられたボールはマリンボール。途中まではストレートと同じ起動で、途中から曲がり落ちるあおいの決め球中の決め球だ。

 円谷はそのボールを身体を前に倒しながらバットで拾う。

 カァンッ!! と快音を残しボールが飛んだ。

 っ、初見でマリンボールを弾き返された……!?

 驚愕する俺を尻目に打球はショートの右、セカンドベースからやや左への痛烈なゴロになる。

 完全にヒットコース。これは抜ける……かと思われたその瞬間。

 

 パンッ! と矢部くんが快速を飛ばし、それを前のめりにながらその痛烈なゴロを捕球した。

 

 だが円谷は俊足だ。その体勢からじゃ――

 

「新垣っ!」

 

 矢部くんがグラブでボールをぽん、と浮かせた。

 ふわりとグラブから離れたボールはまるで矢部くんが望んだ場所にいるかのような新垣の右手にぴったりと収まり、

 

「見てなさい! これが――恋恋の二遊間よ!」

 

 言いながら新垣がファーストにボールを送球した。

 北前が懸命に身体を伸ばしながらファーストミットに必死でボールを収める。

 それとほぼ同時に円谷がファーストベースを駆け抜けた。

 判定は――

 

「アウトォッ!!!」

 

 審判の右手が高々と掲げられる。

 それを聞いて矢部くんと新垣がグラブ同士をぽんとあわせた。

 ……呆然としてたけど今のってプロ野球でも名手同士のコンビが息をあわせてやっと出来る神業的なあのプレーだろ。……ったく、ホントやってくれるよなあの二人は! 最高のプレーだぜ!!

 

『あ、アウトー!! 完全にヒットになるかと思われた打球! 矢部が前のめりに掴んだボールをグラブトス! 素手で受け取った新垣がファーストに転送しアウト! この神業はあの名二遊間、アライバコンビが見せた超絶ファインプレーだー!! ファーストベースを駆け抜けた円谷呆然!』

 

 どわあああ、と球場が地鳴りのように揺れる。

 まさか高校生同士の試合であんなプレーを見れるとは思ってなかったのだろう。観客たちの騒ぐ声がここまではっきり聞こえてくる。

 

「サンキュー! 二遊間!」

「任せろでやんす!」

「もっともっと相手のヒット消してくから! バッチ来なさい!」

 

 二人が笑いながら守備位置に戻っていく。

 そうだな。ウチの守備メンツならどこにボールが飛んだとしてもきちっと守ってくれる。俺はリードにだけ集中すればいいんだ。頼りにしよう。

 さて……円谷のあの打席はまぐれでマリンボールにあたったような感じじゃない。完璧に狙いすまして狙ったような打撃だった。

 マリンボールを狙ってる……か。厄介だがこりゃマリンボールを封印したほうがいいか?

 だが、マリンボールはあおいが決め球と自信を持っている球だ。あおいの性格上、今までだったら決め球を打たれると"キレてた"部分もあるけど、今はそういう精神的な弱さも克服してる。

 ……ここはあえて相手に乗ってやろう。

 逆にストレートに逃げる方が相手を調子づかせる場合もあるからな。

 ゲームのように相手の読みを外せば勝ちなんて単純なモノじゃない。"あえて打たれる"ことが大事なこともある。

 そりゃもちろん点がとられないに越したことはないが、一点を守りにいって配球を変えて、次の回に大炎上なんてしたら意味が無い。

 あおいは器用な方だけど、それでも回の途中で配球をパッと切り替えても、最高のボールが来るまではある程度時間がかかる。それがわかったのは最近だけど。

 例えば回の頭からストレート重視のリードで相手を打ちとっているのに、いきなり変化球重視のリードに変えたら投手はどう思うだろうか。

 そりゃ勿論相手によってリードを変えるのは当然だが、ストレートを中心に投げていたのにいきなり変化球中心のリードが来たら戸惑うだろう。『ストレートがいいのか、変化球がいいのか、それとも両方いいから相手によって変えているのか。相手がこうだから自分もこういう風に投げたほうがいいのか――』そんな風に考えさせちゃキャッチャーは失格だ。

 勿論投手が投げたい球があって首を振ることもあるが、基本投手には"何も考えずに"投げてもらわないといけないんだ。

 いかに投手の頭を空っぽにして気持ちよく投げさせて相手を抑えるか――それがキャッチャーの仕事だと俺は思う。

 何よりもいきなりリードを変えるとテンポが狂うからな。そのテンポが狂った状態で投げても大量失点するだけだ。

 特に今は上位打線。切羽詰まった状況じゃないからな。同点までなら――一点までならやっても良い。それ使って今から続く二番とクリーンアップを切り抜けるぞ。

 一点で抑えれば流れまではひっくり返らない。すぐに失点した訳じゃないし、"こちらの予想通り"の失点だからな。

 パワフル高校は上位打線以外は正直そこらの公立校と一緒だ。クリーンアップ相手に複数失点しないことがパワフル高校の打撃陣の攻略法だと俺は思う。

 

「あおい! 一点はやってもいいからな! 全力で投げてこい!」

「うん!」

『バッターニ番、生木』

 

 生木は円谷に比べて足が少し遅いがミート力は上だ。

 "狙い通りだったのに点がとれなかった。同点までにしか出来なかった"。ってことになれば相手は焦る。焦ってる間に追加点が取れれば試合の主導権は完全にこっちのものだ。

 さて、と、マリンボールを中心に組み立てるっつってもあくまで決め球を解禁してリードに組み込むって程度の変化だからな。まずはストレートを投げさせよう。

 外角低めのストレート。それに生木は手を出さなかった。

 初球から難しいコースきたからな。狙いがマリンボールなのを考えてもこの球に手を出すのは得策じゃない。狙い球じゃない難しいボールに手を出したら打ち取られるのは当然だからな。

 やっぱりこいつ頭がいい打者だぜ。しっかり打席で考えてる。

 マリンボールを外低めのボールゾーンに投げさせる。

 投じられたマリンボールを生木は強引に引っ張った。

 打球はファーストの右のスタンドへ力ないフライで入っていった。

 

(強引に引っ張ったな。徹底してマリンボール狙いか。それもあの難しいコースから更に逃げるボールをなりふり構わず振っていってしっかり当たった。……こりゃマリンボールに狙い定めて打ち込みやってやがったな)

 

 決め球を打たれれば、他の球種を打ったときより投手には大きなダメージがある。

 それを考えてあえてマリンボールを狙った作戦にしたとしたら、この作戦を考えた奴は大胆で強かだな。

 だがな、そのボールを投げさせてれば確実に打ち取れるって球を決め球っていうんだぜ?

 打ってみろよ。あおいの決め球を――!

 ストライクゾーンからワンバンするほどのボール球になるマリンボール。

 生木は迷わず振りに来る。

 逸らさない。必ず止める。

 ドバッ! とワンバンしたボールを俺は身体全体で受け止めた。

 ――あおいと出会った日のカーブを捕球したかのように。

 生木がバッと俺の方を振り向いて捕球したかの確認に来る。

 俺はニヤリと頬を釣り上げて、その手の中に収めたボールで生木の身体にぽん、とタッチをした。

 

『空振り三振! ツーアウト!』

 

 うーし、完璧。これで二点以上の失点はほぼ無くなったろう。相手もかなり焦るはずだ。

 三番、四番に打たれて一失点の確率は十分ありうることだが、それでも五番を抑えれば一失点で終わる。一二番で二アウト取れたってのはそれほどまでに大きいのだ。

 ま、無失点でいけるなんて楽観的な考えはしてねぇししないけどな。

 

『バッター三番、七海』

 

 七海が打席に入る。

 マリンボールを狙っていこう大作戦は多分こいつが考えたことだろう。

 自分で作戦を提案したからには自分が結果を残さないといけない。それを加味しても、気配を消しているがこの打席はかなり気合が入ってるだろうな。

 それを利用して抑えれるといいんだけど。

 あおいがサインに頷く。

 初球はインハイ高めのストレート、勿論ボール球だ。マリンボールと途中まで全く同じ軌道で来るストレートを高めに見せて様子を見るぞ。

 ボールが投げられる。

 七海はわずかにバットを動かし、それを見送った。

 

(このボールに反応するってことは積極的に行こうって思ってんな。おもいっきりボール球だし。……ま、途中まで狙い球とほぼ一緒の軌道だったこともあるだろうけど、それにしてもここまで反応するってのはきな臭いぜ。生木にしてみてもボール球でもマリンボールなら振っていこう、って作戦だ。そういう意識もあんだろうが……)

 

 そも、なんでマリンボールを狙ってってるんだ? あおいが一番自信持ってる球だってことはわかってるだろうに。

 甲子園優勝ピッチャーの決め球を狙えば打てるなんてことはありえない。狙ってても打てない、打てる可能性が少ない投手がそういう高みへいけるんだから。

 

(っとやべぇやべぇ、相手の作戦の真意は後で考えればいいんだ。今は目の前の打者に集中しねーと)

 

 インハイにストレートを使った。んじゃ次は外にカーブでカウントを整えよう。

 外にじりりと寄る。

 ヒットにされてもいい。そんなつもりで思い切って投げろよ。

 ビシュッ! とあおいが腕をふるう。

 それにあわせて七海がバットを一閃した。

 キンッ! と快音を立ててセンター前に打球が落ちる。

 流石に今のボールは矢部くんたちでも取れないな。

 ちっ、三者凡退で行きたかったけど、高めの後の緩いボールを狙いすまされたか。まあツーアウトからの単打なら打たれても全然構わねぇけど。うん。なんか読まれてて悔しいぜ。

 

『バッター四番、尾崎』

 

 

 さて、一番やべぇのが来たぜ。

 ホームランが一番やばいから必然、低めでの勝負になる。

 それでマリンボールを使うとなるとかなり配球が制限されちまうが、逆転だけはご法度だ。ここはセオリー通り低めに行くぞ。

 

(まずは外角低めにストレート、鉄板だな)

 

 スパァンッ! と投げ込まれた球を捕球する。

 審判の手があがり1-0。初球はしっかり見てきたな。

 

(やっぱりマリンボール狙いか。全くストレートに反応してねぇな。……カーブは七海に打たれて投げづらいかんなぁ。ここはシンカー投げさせてくれ)

 

 サインを出すと、あおいがふるふると首を振る。

 

(うーむ、やっぱりここでシンカーは流石に読まれやすいし消極的過ぎるか。んならストレートをインローに決めよう)

 

 こくん、とあおいが頷いてボールを投じる。

 俺の構えたところ、内角低めぎりぎりの所にキレ味抜群のストレートがビシッ!! と決まった。

 

「ストライクツー!!」

 

 審判が迷わず手をあげる。

 っとにあおいって奴は……すげぇな。

 この切れのあるストレートを外低めぎりぎりの後、内低めぎりぎりに投げれたら並の高校生じゃ打てない。

 ……ま、この猪狩世代には並の高校生じゃない奴がうようよしてるんだがな。

 さ、追い込んだぜ。一球シンカーを外に見せて、と。

 緩いシンカーを外ぎりぎりに外す。

 尾崎はそれを見極めたが、バットが思わず出そうになった。

 こうなれば勝ちは揺るぎない。

 

(今のシンカーに反応するってことは完全に際どいところ二球で追い込まれてテンパってる。緩い球の後は速いストレートが定石だ。マリンボール狙いでもテンパってるこいつならストレートが来ると思ってるはず。違ったとしても――今の尾崎の心理状態じゃマリンボールをヒットにすることは無理だ)

 

 マリンボールを要求する。

 頷いたあおいがおもいっきり腕を振るった。

 ベース上を落ちるように、真ん中低めへと投じられたマリンボールを尾崎はフルスイングで迎え打つ。

 キャンッ、と軽い音をさせて打球は俺の真上へと飛ぶ。

 それを落下地点でしっかりキャッチした。

 

『キャッチャーファウルフライ!! 完璧に手玉に取ったー!!』

「よしっ!」

「ナイスボールあおい! 助かったぜ矢部くん! 新垣!」

「まっかせなさい!」

「当然でやんすよ!」

 

 四人でグローブを合わせながらベンチに戻る。

 相手に狙われてるマリンボールを使って相手を押さえ込んだ。この事実を持って俺は確信する。

 完全にこの試合の主導権は俺達が握ったと。

 この攻撃で得点を取れれば俺達の勝ちは確定的だ。

 ――だからこそ、鈴本はここで全力を出してくる。

 バッターは俺から。ここでチャンスを作れば友沢と東條が絶対に返してくれるはずだ。絶対に塁に出るぞ。

 

『バッター三番、葉波』

 

 呼びかけを受けて打席に立つ。

 ズドンッ!! と鈴本のストレートがアウトローに決まる。

 球速表示は一四九キロ。全力を持って投げられたとはっきりと分かる最高のボールだ。

 受けた七海がわずかに反応が遅れる程に見事なボールに審判の手も迷わず上がる。

 やべぇやべぇ、流石に一四九キロをそのコースに決められたらどうしようもないぜ。

 二球目。再び鈴本は同じ所に直球を投げ込んだ。

 

「ストラックツー!」

『完璧だ! これまた完璧なところに決めた! これで2-0! 完全に追い込みました!』

 

 投手に絶対有利な2-0のカウント。鈴本と七海の性格を考えてもここで一気に勝負はしてこない。一球ないしは二球、遊んでくるだろう。

 続く球はスライダー。外低めに外れるボール。

 思わず出かかるバットを必死に止める。

 ……っふぅ、ボール球が来るって予測してなかったら今の、バットが出てたな。

 くそ、流石にこのコントロールでこのスピード……厄介なこと極まりないぜ。

 鈴本は好投手だ。多分全国でも五指に入るかもしれない。

 それでも、打てる。

 猪狩を打った俺なら、打てる!

 鈴本が腕をふるう。

 投じられるボールは――ナックル。

 揺れながら落ちる鈴本の決め球。

 真ん中からワンバンしそうな程低めに沈んでいくそのボールを打つには、

 引きつけて、

 引きつけて、

 引きつけて、

 ぎりぎりまで引きつけて、

 ――ボールの芯を、ぶっ叩くっ!!

 

 パシィンッ!!

 

 ガラスにヒビが入るような、乾いた音を立ててボールは低い弾道で飛んでいく。

 低めのボール球をひっぱたいたんだ。打球が上がらないのは承知の上だぜ。

 大事なのは飛ぶコース!

 三塁手遊撃手が一歩も動かない。

 三遊間の遊撃寄り、センターとレフトの間を破る打球は凄まじい速度でバウンドしながらフェンスまで飛んでいく。

 そのボールをセンターが必死に追うのを視界の端に捉えながら俺は走った。

 

『打ったー! 低めのボール球のナックル! 鈴本の決め球を捉えて葉波は二塁へー! ツーベース!』

 

 っしっ! 一〇〇点だ!

 スイングスピードを鍛える利点ってのを最大限に出せた打席だな。今のは。

 スイングスピードが速ければ速い程、打球の速度は早くなるのは当然だが、それ以上に打者に与える効果は大きい。

 ――それは、投じられたボールの判断をギリギリまで遅らせれること。

 例えば一四〇キロのストレートをスイングスピードの遅い人とスイングスピードの速い人が打つとなると、スイングスピードの遅い人は振り出しを早くしなければボールにバットは当たらない。振り遅れになってしまうしな。

 それが例えば一五〇キロのボールを打つとなると、相手が腕を降りだしたと同時にバットを振らないと当たらない。

 それだと、どの球種が来るかの見極めができない訳だから、無論打撃の質が落ちる。

 だが、スイングスピードが速ければ、相手のボールがどんなボールなのかギリギリまで見極めてからバットを振り出すことができる。つまり引きつけて打つことが可能になるし、選球眼も良くなるわけだ。

 好打者でスイングスピードが遅いなんて奴は野球界には一人もいない。それほどスイングスピードというのは大事なこと。

 そして。

 今現在高校生で野球をやっている奴の中で一、ニのスイングスピードを誇る四、五番の打順だ。

 友沢が打席に立つ。

 それをみて、鈴本は笑った。

 この瞬間、すべてのプロが、高校野球関係者が思っただろう。

 

 ――この男は、プロに行くと。

 

 鈴本が腕をふるう。

 七海がそれを受ける。

 そのやり取りを繰り返し、パワフル高校バッテリーは友沢を追い込んだ。

 カウントは2-2。

 投じられたボールは、鈴本の代名詞ナックル。

 七海が必死にボールを補強しようと腕を伸ばす。

 

 だが、ボールは七海のミットまで届かない。

 

 友沢がバットを振り抜いた。

 鈴本は振り向かない。

 ただただ目を瞑って、無念さやら、悔しさやらに耐えるように拳をぎゅっと握った。

 爆音のように反響する観客の歓声を聞きながら、鈴本は高い青空を静かに仰いだ。

 

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

 

「――呆気なかったな」

「――そうですね。……鈴本くんは悪くないです。悪かったのは俺です。もうちょっといいリードが出来ればよかった。……せっかく世代ナンバーワン投手と組めたのに」

「はは、買いかぶりすぎさ。僕は負けてばっかだよ。今のところは……何に関しても、負けてばっかりだ」

「いえ、それでも、俺にとって鈴本さんはナンバーワン投手でした。今まで組んだ中で、最高の」

「そうか。ありがとう、七海。お前のおかげで僕はここまでやれた。……甲子園には出れなかったが、それはきっとまだ足りないモノが多かったんだろう。止めれれば流れはこっちというところで、僕はことごとく打たれたからね」

「……は、い」

「さ、七海、二年に引き継ぐ準備をしておいてくれ、僕は行くところがあるから」

「分かりました」

「……こっちも決着をつけないとね」

 

 河原でパートナーと別れ、鈴本はゆっくりと歩き出す。

 赤いリボンを風にはためかせながらキャッチャーの防具が入った荷物を持つ女性の元へ。

 

「またせたかい?」

「……いや、そんなには待っていないぞ」

「そっか。それならよかった。……シニアの時以来かな。ふたりきりで話すのは」

「……う、うむ、そうかもしれないな」

 

 緊張した面持ちを見せる彼女に向かって鈴本はくすりと笑みをこぼす。

 シニアまで、鈴本と彼女は名コンビだった。

 鈴本のナックルを、ストレートを、捕球出来るのは彼女だけだったから。

 二人はいつも一緒に練習していたし、

 試合でもいつもバッテリーでいたし、

 いつも尊敬し会えるパートナー同士でもあった。

 

「……春、みずき、鈴本……そして、私、四人でいつも一緒に居たシニアの時のことを、お前と話すと思い出す。……懐かしくて暖かくて、でも、切なくて苦しい……大事な思い出だ」

 

 彼女が語るシニア思い出の終わりというのは、きっとあの時のことだ。

 鈴本は静かにそう思いながらゆっくりと自分の額に手を当てる。

 

「……紅白戦で春のピッチャー返しが僕の頭に当たって終わる思い出、かな」

「……そうだ」

「懐かしいね。僕が遠くに引っ越してからのことは、みずきからの話でしか聞いていないけど」

「私しか、野球は続けて居られなかったのだ。苦しくもなるだろう?」

「そうだね。……僕は入院、春は野球を捨て……」

「みずきは家の都合で野球を辞めた。……中学の二年まで、私は一人だったのだぞ」

 

 彼女は怒るようにその眉を潜めて言う。

 それが可愛らしくて鈴本は思わず笑ってしまった。

 

「わ、笑うなっ。……だが、鈴本、お前のおかげで春が戻ってきたぞ」

「……そうだったかな」

 

 鈴本はとぼけてそっぽを向く。

 ――"僕が負けたら、野球を続けろ。僕が勝ったら、そのバットを置くんだ"。

 あの時叩きつけた言葉。いろんなことがあって、色んな話をして、勝負して――。

 

「……僕は負けたよ」

「む……そう、だな。あおい達のチームは強い。だが、負けるつもりはないぞ。センバツは制した、次は夏を制するぞ」

「ん、うん。……でも、僕ももう一つリベンジすることがあってね」

「? そうなのか?」

「うん。……聖」

 

 彼女の名前を読んで、目を見据える。

 彼女が不思議そうに小首を捻るのが鈴本にとっては可愛らしくて仕方がなかった。

 

「――僕と、付き合ってくれないか。野球の方はいずれパートナーになってほしい。……でも、それ以外では……キミに、ずっとパートナーでいて欲しいんだ」

「っ」

 

 聖がビクッ、と身体を震わせて動きを止める。

 その表情は驚愕と照れで赤くなるやら驚くやらを繰り返していて、

 鈴本はその間も聖の返事を待っていた。

 そして、

 

「す、鈴本、私――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめん春、遅くなった」

「鈴本、遅いよ。全くもー、練習終わりで疲れてるのに、いきなりファミレスに来いって……早く帰らせて欲しいんだけど……今日負けた奴にお願いされちゃ断れないし」

「悪かったよ。……僕の高校野球は終わりか、あっけないものだね」

「まあ、そういうものかもね。それで、俺にエールでも送りにきてくれたの? シードだから二回戦からだけど」

「……違うよ。本当は、勝ち誇ろうと思ってたんだ」

「む……まあ、どっちが来てもやることは変わらないから、俺としてはなんともコメントしづらいんだけど……」

「今までたまりたまってたものを全部ぶつければ、僕は勝てると思っていた。……でも、違ったよ。完敗だった。……あんなに気持ちが強いとは、思わなかったな」

「? そりゃ誰だって最後の試合だから、負けたくはないんじゃないかな……? それに向こうだって練習してるしさ」

「……ふ、ほんとに、こんな鈍感に完敗したんだと思うと、腹が立つな」

「え? なんの話?」

「……いや、こっちの話さ。最後の大会、頑張れよ」

「ん、勿論、全力で戦って――甲子園へ、行くんだ」

「ごめん、今日は気分がすぐれないから帰るよ」

「えっ、驕りって話じゃ……」

「ふ、鈍感男には一人ファミレスがお似合いだよ?」

「ええーっ!? ちょ、まっ、鈴本ー!?」

 

 

 

 

 ――私、私は……春が好きだ。だからすまない。お前の気持ちには答えれない……。例え春が、私じゃない人を選ぶんだとしても、それでも私は、春が好きなのだ。

 

 

 

「……負け続きだな。僕は。……でも、今のところは、の話さ。パワプロ、春……僕は、負けっぱなしじゃないよ」

 

 一人つぶやいて、鈴本はパワフル高校への道を歩いて行く。

 今日もまた、何人もの球児の夏が終わった。

 それでも、負けても勝っても彼らは歩むのを辞めない。

 その道に差はあれども、彼らの球道はまだまだ続いているのだから。

 



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第二九話 "七月一週" vs帝王実業  蛇は夏に散る

 ――二回戦は、恋恋高校と帝王実業との試合。

 投手の山口は勿論、ついにフォークをキャッチングすることができるようになった猫神、新入生の三人の中学生コンビ、そして蛇島――タレント揃いの帝王実業は近年は甲子園出場がなくてもやはり強豪だと思わせるに十分な実力を誇っている。

 そんな中、パワプロがどんな試合をするかと僕はテレビの前に張り付いてその様子を一つ一つ忘れないように見つめていた。

 勿論身体は動かしている。マシンバイクで下半身をイジメながら、それでも室内に用意されたテレビから僕は目を離さない。

 試合は既に五回。

 最大の武器を思う存分に使えるようになった山口はパワプロを始め、友沢、東條といった好打者達を三振に討ち取った。

 先攻の帝王実業もこの回までパーフェクト、恋恋も三振9個を奪われパーフェクトされている。

 行き詰まる投手戦だが――ここからは二回り目、アジャストしてそろそろヒットが出始める頃。

 

「先制点を取ったほうが勝つ」

 

 そうつぶやく僕の感想とパワプロの抱く印象は、多分一緒だ。

 テレビに映されたパワプロの表情が硬い。

 先制点――この試合ではそれが最後まで重くのしかかるということを、パワプロは僕よりも感じているはずだから。

 

 

 

 

                        ☆

 

 

 

 苦しい。

 こんなに苦しい投手戦は多分、高校生活では初めてだ。

 完璧なフォークを、完璧に捕球する――そんなことを高校生バッテリーは出来るはずがない。

 フォークというのは低めに決まれば、打者の技術が超一流でも運が良くてヒットに出来る程度にしか打てない球だ。勿論フォークだけしかないのなら話は別だが、一四〇キロのストレートと曲がりが遅い一級品のフォークがあれば一巡目までなら抑えきれる程にフォークというのは効果的な球だ。

 勿論そんなことを一〇〇パーセントの精度で出来る投手なんてのはこの世には存在しないだろう。フォークが代名詞の投手でも七割程度、あとの三割はボールが早く落ちすぎて見極められたり、打者が見逃したり、引っかかったりする。フォークというのは打つのも難しいが投げる方も難しい球だ。会得するだけでも一苦労なのに、それを使いこなそうとなると一年や二年の練習ではなんともならない。

 それを――帝王実業バッテリーは完璧に使いこなす。

 

『三振!! 友沢空振りさんしーん!! 一四七キロのストレートでカウントを整えた後、ボール球二つを見せ球にした後の伝家の宝刀フォーク! 友沢のバットが空を切ります!』

 

 友沢が三振に倒れ、戻ってくる。

 くそっ……! ただ曲がりが遅くてよく落ちるフォークだけならば、"捨てろ"と指示を出せば事足りるんだ。でも山口には一五〇キロ近いノビの良いストレートと少ししか落ちないフォーク、そして何よりも、

 

『見逃しっ! 五番東條、フォークを見逃しますがこれは低めに決まった!』

 

 フォークを低めに決める力を持っている……!

 フォーク狙いでフォークを見極めてもそれがストライクだったり、フォーク読みでバットを振っていってもワンバンになったりする。その制球力と打ち取る為のフォークが絶妙なアクセントになっててめちゃくちゃ打ちにくい。

 

『さんしーん!! これで二番新垣から四者連続! 三振一一個目!』

 

 こんな投手戦になるなんてな。一年の頃から山口相手にはなんだかんだ点をとれてた。そのせいで投手戦の予想なんてこれっぽっちもしてなかったぜ。

 山口の状態が悪いなら、その調子の悪さがダイレクトに現れるフォークを攻略することも出来たかも知れない。

 だが、今日の山口のフォークは正直、打てる気がしない。

 猪狩のスライダー、ストレートのコンビネーションとか、久遠のスライダーとか、そういうのじゃない。確かにこの二つも打てるか打てないかといったら打てないんだけど、それ以上に圧倒的なんだ。

 

 ――山口のフォークは。

 伝家の宝刀と誉れ高くも、なまくら刀のように活かせていなかった山口の宝刀は。

 ここに来て、その輝きを取り戻す。

 前に立ちはだかる打者を切って捨てるようにフォークは鋭いまま進を血祭りに上げた。

 

『五回パーフェクト!! 山口、得意のフォークで一塁にランナーを出させません!』

 

 こうなると先攻の俺達は厳しい。もしも同点のまま九回が終わればそこから先は勝ち越されれば即終了のサバイバルゲームみたいなものだ。打たれれば負ける。そんな崖っぷちの戦いになる。

 だからこそ、欲しい。

 喉から手が出る程に、先制点が欲しい。

 だが、逆に言えば敵も同じだ。この投手戦で先制点を得れば後攻の帝王実業が有利。この山口に任せていれば今日は九回までなら抑えられる。その自信もあるし、実際そうなってしまうだろう。

 一点もやれない。恋恋高校ベンチ(こっち)と帝王実業ベンチ(あっち)の思惑は全く同じだ。

 

『五回の裏、帝王実業は、バッター四番、蛇島』

 

 そして、蛇島が打席に立つ。

 守らなきゃいけないけど、まもりに入り過ぎるのも良くない。保守的になるのと点をやらないってのは別だ。点をやらないためには攻めるのも必要だからな。

 蛇島は一打席目と同じようにこっちを見ない。

 こっちにとっては相手の四番の調子が変なのは嬉しいんだが、あの憎まれ口尽きないって感じの蛇島が黙ってヘルメットをとって挨拶したり、何も言わないと逆に不安になるぜ。

 あおいに要求したストレートを捕球しながら蛇島の様子を見る。

 

「ストラーイク!」

 

 蛇島はそれでもまっすぐ見据えたまま動かない。

 1-0。ファーストストライクはとった。二球目はカーブをギリギリに決めて2-0にする。

 追い込まれた蛇島はぴくりとも動かない。何か待ち球があるのか? この状況でストレートでもカーブでもないってことは待っているのはマリンボールだろうが……待っている球をこの場で変えれる対応力は蛇島は持っているが、ここでコロコロ待ち球を変えるような打者がいる帝王実業じゃない。狙ったらそれを仕留める。それが一流の強豪ってもんだぜ。

 よし、マリンボールは温存しよう。インハイにストレートを投げさせる。

 あおいがわずかな間を開けて頷いて、ボールを投げる。

 っ、やべ、ボール球のつもりだったのがストライクゾーンにちょっと甘く入った……! 打たれるか……!?

 蛇島は動かない。

 バシッ! と捕球して、思わず蛇島の方を見つめてしまった。

 

「ストライクバッターアウトォ!」

『三球三振! 抑えられればこちらも抑える! お見事な早川の投球!』

 

 蛇島は何も言わずに戻っていく。

 判定に文句があった訳でもないのか。……どうしたんだあいつ? 人を気にしてる場合じゃねぇけど、それにしてもおかしすぎるだろ。

 四番の重圧に潰されるタイプでもないだろうに……っと、やべぇやべぇ、目の前の打者に集中しねぇと。

 バッターの五番は高原。両打ちのショート。

 広角に打ち分ける技術を持った、蛇島と二遊間を張るチームの要だ。打っては五番。守っては遊撃、最近頭角を表した奴。

 こいつはそのがたいの良さの割に高めのボールに弱い。ボールをしっかり見極めれるがその割に高めのボールを長打にしてる割合は低めだ。そのせいか本人は高めに意識を持って、追い込まれた高めの球を確実にヒッティングしようとしてくる。

 

「……っふぅ」

 

 大きく息を吐いて、息を必死に整えながら、あおいが振りかぶる。

 際どいところでカウントを2-0に持っていった後、カーブで遊んで、インハイのストレートと見せかけて――マリンボール!

 ストレートと同じ軌道で来るボールに高原は反応してバットを振り出すが、ボールはストン、と落ちる。

 高原のバットが空を切る。

 よし、クリーンアップ三振返し! やられたらやり返さねぇとな!

 続く六番、大村をセカンドゴロに打ち取り、五回を終える。

 ここまでは調子が最高にいい上に体力の温存無く全力で投げてる。だが、その分あおいは体力を多く使ってるんだ。いつもなら九回投げてもつかれた様子すらみせないあおいが、今日はもう肩で息を始めてるのがいい証拠だぜ。

 五回でこの調子なら、六回はちょっと厳しいかもな。

 でも、流石に六回から一ノ瀬を登板させるわけにはいかないし……、……だったら、俺が取れるべき指示は一つだけだ。

 

「森山! ブルペン入っとけ!」

「えっ……」

「あおい、次の回も行くつもりだけど、ランナーが出たら交代だぞ」

「はぁ、はぁ……うん、分かってる。頼むよ森山くん」

「っ、は、はいっ……!」

 

 備えあれば憂いなし、ってな。……森山はあがり症らしいから初球の入りには気を付けないといけないが、実力はある。一回なら無失点でも不思議じゃない。

 帝王打線は七、八、九番のうち、ランナーが出たら一番まで回るが下位打線。自分の投球さえ出来ればいけるはずだ。

 

『六回表の攻撃は、バッター七番、北前』

 

 ま、お互いパーフェクトだから打順は一緒な訳で、つまりはこっちも下位打線からってこと。

 下位打線で得点を取る為にはこの先頭打者が重要だ。だから――頼むぞ、北前。

 もしも帝王実業が北前に来て欲しいと言っていれば北前は行っていただろう。

 でも誘いは無かった。……北前が帝王実業に呼ばれた一年生以下の評価なんてのは俺にとっては信じられないことだろうし、北前にとっては悔しいことだ。

 自分を低く見た奴を相手にしてるんだぞ北前。

 見せてやれよ! お前の実力を! そんでもって後悔させてやれ!!

 ヒュバッ!! と山口が腕を振るって投げてくる。

 インローへのストレート。球速は一四八キロ――!

 そのボールを北前は振りに行く。

 そのスイングは傍から見ても始動は遅かった。フォークを念頭に置いていたのか、ストレートに対して確実に振り遅れるスイングだ。

 それでも、北前は諦めない。

 

「っ――ぅぅぅぅぅ!!」

 

 北前が唸り声を上げながらバットを振り切る。

 確かに北前は振り遅れた。

 それでも、最後までバットを振ることを諦めなければ、

 

 ふわり、と浮かんだボールはショートの高原の頭を超えていく。

 

 高原は諦めまいと必死にボールを追って、やがて追うのを辞めた。

 

 ポン、とボールがセンターとレフトの丁度中間で弾む。

 

「――っしゃあああ!!」

『ヒットー!! 両チーム通じての初ヒットは一年生打者北前ー!! つまりましたが執念でセンター前に落としたー!』

 

 諦めなければ、ヒットにはなるんだ。

 

「っし! ナイスバッティング! 北前! 戻れ! 石嶺ファーストランナー!」

「りょうかーい!」

「明石! 揺さぶるぞ! エンドランを二球目に掛ける。……確実に決めてくれ」

「分かった。任せて」

「ふぅ」

「ナイスヒット北前! 期待通りだぜ」

「いや、ダメっすね。長打にするつもりだったんですけど」

「……はは」

 

 頼りになる一年だ。

 ……さて、ノーアウト一塁。バントも有りだけど明石はバントがそんなに得意な方じゃない、打順的に考えてもここは一か八かの勝負をする場面だ。失敗してゲッツーになるくらいなら、エンドランを掛けたほうが確立としては成功する確率は高い。

 問題は明石が空振りしないこと。山口のフォークは天下一品、空振りしてもおかしくはないが、ここで空振りされちゃ困るんだ。絶対に転がしてくれ。

 山口が足を上げる。

 初球、ブオッ! と凄まじい勢いで投じられたストレートが猫神のミットを打つ音が響く。

 

「トーライック!」

 

 きっちり初球を決められた。

 だからこそ、ここでエンドランを掛ける。

 突っ走れ石嶺!

 山口がチラリと石嶺の方をにらみ、足を上げて投球を開始する。

 

「ゴーッ!!」

 

 それと同時に、石嶺が二塁に向かって走りだした!

 球種は――フォークっ!

 明石の目の前でボールが落ちる。

 明石はそれに必死にバットを当てに行った。

 

 コキッ、という軽い音。

 ぽんぽん、とサード前に転がる緩いボールをサードの大村が捕球し、セカンドベースを見てからファーストに投げる。

 

「アウト!」

『さぁランナーが二塁へ進んだ! 一アウト二塁! バッターは九番早川ですが!?」

「……あおい」

「うん」

「ここまでご苦労様だ。ありがとう」

「ううん、はぁ、大丈夫だよ!」

「よし、バッター変わります! ――行け、赤坂。恋恋高校赤点コンビの片割れの力、見せてくれ」

「おーっす!!」

 

 代打に赤坂を告げる。

 赤坂はゆっくりと身体を回しながら、バッターボックスに向かった。

 ――赤坂は守備も上手くなければ足だって平均以下だ。

 一ノ瀬が入ってからはスタメンに出る事はなくなった。北前がきてからは多分もう、スタメンで出ることを諦めていただろう。

 それでも、赤坂は腐らない。

 必死に毎日俺達の厳しい練習に汗を流していたのを俺は知ってる。

 自分の生き残る場所を必死に考えて考えて考えて、

 そしてたどりついたのは――。

 

『バッター早川に変わりまして、赤坂』

 

『さあバッターは赤坂! パワー自慢の代打の切り札が、このチャンスをモノにするのか!』

 

 ピンチバッターのポジション。

 苦手なくせに代打でプロで生き残った選手の著書を読みあさり、毎日早くグラウンドに来てはバットを振るい、練習中だって暇さえあればバットを振ってた。

 そんな奴を、

 

『さあ、山口、振りかぶってボールを投げた!』

 

 野球の神様が、

 

『初球からフォークだ! それに対し赤坂バットを振って――』

 

 見捨てる筈が無い――!!!

 

『打ったー!!!』

 

 打球が飛ぶ。

 ぐんぐんぐんぐん風を切り、まるでボール自身が空を飛ぶことを楽しんでいるかのように鋭く飛びながら、ボールはフェンスに直撃した。

 

『フェンスダイレクトー!! 石嶺サードベースを蹴ってホームへー! 先制点は、待望の先制点は恋恋高校ー!! 打った赤坂は二塁へ! 代打の切り札赤坂、値千金の先制タイムリーツーベースー!』

「ウオオオオオオオオ!!!!!!!!」

 

 赤坂が二塁で吠える。

 それに呼応するように、俺達も手を天へと振り上げながら叫んだ。

 

「ナイスバッティング赤坂ー!!」

「さあ矢部! 続きなさいよー!!」

「おう! でやんす!」

 

 わいわいと騒ぎ立てる俺達を、蛇島が見ていた。

 その目は――そう、羨ましそうだ。

 俺が蛇島を見つめ返すと、蛇島は視線を逸らしバッターの方に目線をやった。

 ……あぁ、そうか。そうだよな。

 お前だって、最初は好きで野球を始めたんだ。

 それが勝つことが目標になり、

 勝つためなら何をしてもいいって思い始めて、ラフプレーに走るようになったんだ。

 ――じゃ、もう一度取り戻してもらわねぇとな。野球は楽しいって事。

 矢部くんと新垣が三振に終わり、結局一点だけに終わった。

 だが、この先制点は大きい。試合の流れを引き寄せるには十分過ぎるくらいだ。

 

「森山」

「はい!」

「行くぞ」

「……っ、は、はい……!」

「ははっ、緊張してるな? ……よーく見回してみろよ。森山」

「え?」

 

 緊張して声がふるえる森山を俺は笑いながら、アルプススタンドを指さす。

 

「こんなくそ暑い中、わざわざ球場まで足を運んで必死に声を枯らして応援してるやつらが居るんだぜ? ……こんな野球好きが俺達の応援をしてる。けどさ、それ以上に野球を好きなのは俺達だろ。毎日ボールを追いかけて追いかけて、バットを振って振ってさ。見せつけてやろうぜ。俺達がどれくらい野球大好きかってことをさ」

「……はい」

 

 周りを見回して緊張がほぐれたのか、森山がぱしっ、と自分の頬を叩いてマウンドに向かう。

 バッターは七番の後藤からだ。

 下位打線とは言え帝王実業だからな。気は抜けないけど、ま、元から抜く余裕なんて森山には無いから関係ないだろう。

 

「一人一人、丁寧にな!」

「はいっ!」

 

 森山がマウンドに走る。

 さあ、投球練習だ。

 スパァンッ! と投じられたストレートを捕球する。うん。球の走りも問題ねぇな。球速は一三〇キロといったところ。一年生なら十分合格だ。

 後藤が左打席に入る。後藤は俺達と同い年の三年生。酸いも甘いも知るチームの主力の一人。

 そんな打者が迎える相手は一年生、初勝負とは言え見てくる事はほぼ無いはず。

 

 それなら。

 

 パパ、とサインを出す。

 森山はそれを見て、自信一杯にこくんと頷いた。

 さあ見せてやれ、森山。優勝候補の一角と言われてる帝王実業に、お前のピッチングを――!

 

 森山が腕を全力で振るう。

 ボールは、来ない。

 いや、投じられている。

 それはゆっくりと、打者からしてみれば蚊の止まるような遅さで。

 

「え、え、あ、っ!」

 

 後藤が完全にバランスを崩しながらバットを止めようか振ろうか迷ったような感じでバットを出す。

 ぱふん、とキャッチングして審判を見ると、審判はばっと手を上げて「ストライク」と宣告した。

 球速表示は八五キロ。それを見て後藤の顔色が変わった。

 緩急を使われる。後藤もそう分かっているだろう。

 二球目に投じられたのは高めのボール球のストレート。球速は一二〇キロ。

 そのボールを後藤が空振る。

 打撃が完全に崩れてるぜ。びっくりしてるのもあるだろうけど、それ以上に緩急が聞いてるんだ。

 三球目は決め球の縦に落ちるスライダー。

 森山が腕を全力で振るった。

 

(よしっ)

 

 ボールはベースのど真ん中、一見すれば甘いコースに投じられる。

 後藤としては狙い目のボールだ。でもこのボールはそこから更に落ちる――!

 ブンッ、と後藤のバットが空を斬った。

 

「ストライクバッターアウト!!」

『空振りさんしーん! 初登板の森山、きっちり先頭打者を三振にしとめました! 超遅球からの緩急を生かした投球です!』

 

 これで調子に乗った森山は、八番、九番ともにいとも簡単に三振に打ちとった。

 やっぱり緩急ってのは武器になる。タイミングを一度崩されると修正するのは非常に難しい。

 三人連続で初球に遅球を投げさせたが全く打たれる気配はなかった。

 遅い球なんてのは練習しないからな。初球打ちでいきなり打たれましたってのはほとんどない。ファールぐらいには出来るだろうが初球の段階で無理に打ちにいってもタイミングは崩れてしまう。

 だからこそ三人とも初球を見逃したんだろう。

 

「ナイスボール森山。仕事したな」

「はい、はぁっ、緊張しました。……一ノ瀬先輩、あとは」

「ああ、後は任せてくれ」

 

 一ノ瀬と森山がグローブでタッチを交わす。

 それを見ながら俺は防具を外し、打席に向かう。

 

『バッター三番、葉波』

 

 流れはほとんどこっちに来てる。その流れを決定づける為にはこの回に一点取る事が重要だ。

 山口のクリーンアップに対しての投球はほとんどがフォーク。しかもほとんど失投はない。

 それでも失投するはずなんだ。

 山口が足を上げる。

 だからこそ、ここは好球必打。当てれそうなところにボールが投げられたらフルスイングする!

 初球はフォーク。これは空振りで1-0になる。

 狙い通りに落とされたら当たらない。高校生レベルが打てる球じゃないからな。このフォークは。

 二球目も多分フォークだろう。

 投じられた瞬間に感じたコースでフルスイングする。

 ストーン! と勢い良く落ちるボールに当たらない。これで追い込まれた。

 本当にいいフォークを持ってるぜ。こんなフォークがあればリードなんてほとんどいらないんじゃないか? ストレートも一四八出るし、甲子園優勝しててもおかしくない程の投手だぜ。

 三球目もフォークだろう。でも、俺は三振してもいいんだ。

 フルスイングすることに意義がある。後続に対してのプレッシャーになれば俺はアウトになっても構わない。

 三球目のフォークを俺は空振る。

 三振。三球三振で三球ともフォーク。

 だが、フォークは握力を使う。その調子で連投すればいつか必ず握力に限界が来る。

 そして、続く四、五番は俺より遥かに一発の確率の高い打者だ。

 どこかで割りきって逃げるしかない。だが、逃げ腰になったらウチの打線なら絶対に打ち崩せる。

 失投せずに四、五番を打ち取られれば流れが帝王実業に行くのは必須。

 勝負だ。

 この回にうちのクリーンアップがそっちを捉えるか。

 そっちのエースがこっちのクリーンアップを抑えるか。

 こっちが勝てば試合が決まり、そっちが勝てば流れはわからなくなる。

 友沢が打席に立つ。

 山口は逃げない。真っ向から決め球(フォーク)を投じ続ける。

 友沢も俺の狙いをわかっていてくれてるのだろう。初球からフルスイングで迎え撃ち、その結果三球三振に打ち取られる。

 ――そして、五番の東條。

 ライトの猛田が息を呑むのがベンチからでも分かる。

 まるでここで東條が打つのが分かっているかのように。

 

 パシィンッ、という快音。

 

 投げた球は何だったろうか。フォークだったか、ストレートだったか――どっちにしても、落ちないボールだった。

 ボールはグングンと伸びる。エンジンを与えられた飛行機のように、フェンスを超えて更にその先へと。

 

『入ったー! 特大のアーチをかけたのは五番東條! 完璧に捉えた一撃はチームを勝利に導くような特大の一撃だー!』

 

 ……なんつーか、これを狙ってたけど実際にやられるとこっちの立つ瀬がないな。

 ほら、友沢なんかなんかオーラ出してるし。……でも、これで流れはこっちのものだ。

 続き進はフォークで打ち取られるも、これで2-0。そして次の回からは――。

 

「行こうかパワプロ」

「おう。行こうぜ一ノ瀬」

「見せてやろう。僕達バッテリーの力を。全ての全国のライバルたちに」

「ああ」

 

 ポン、と一ノ瀬とグローブをあわせ別れる。

 打順は一番の北村、二番の山田、そして三番の猛田と続く。

 回は七回の裏。ここを切り抜ければ山場は八回になる。八回を抑えれば下位打線に続く九回。下位打線で代打が来るとは言え、そこまでいけばほぼこちらの勝ちは揺るぎない。

 

『バッター一番、北村』

 

 左打席に入った北村を見つめながら、俺は外角低めに構える。

 さあ、初球。来い一ノ瀬。

 一ノ瀬が足を上げる。

 サイド気味のフォームから投じられるボールは、まるで銃口から射出された弾丸のような勢いで俺のミットに突き刺さった。

 

「す、ストライク!」

「……っ」

 

 北村もわかっただろう。一ノ瀬のボールが打てるかどうか――答えは否、ということを。

 グッ! と腕を弓のように引き絞り、開放するように腕をふるう。

 クロスファイヤーで外角低めに角度をつけて投じられるストレート。

 猪狩守のストレートと同等かそれ以上の球威を持っているそれは、まさに一ノ瀬が世代ナンバーワン左腕に肉薄しようという投手に育った事を意味している。

 二球で追い込んだ一ノ瀬はストレートと全く同じ腕の振りでスライダーを投じる。

 キレ味抜群のスライダーは外角低めを掠めながら俺のミットに収まった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

「えっ……入っ……!?」

 

 北村が思わず声を出すほど際どいコースに僅かに触れるよう、大きくスライドしながら曲がるスライダー、猪狩のスライダーが斬り裂くような空振りを奪う為のボールなら、一ノ瀬のスライダーは薄皮を剥ぐような見逃しを奪う為のボールだ。

 絶妙なコントロールで投じられるボールは、その角度も相まって非常に打ちづらい。

 その打ちづらさは橘のおかげで俺達は十二分に味わってる。その投球を橘以上の球威と制球力で一ノ瀬は行なっているのだ。

 高校生ならば打てなくても仕方ない。むしろ打てる方が怪物と言われるだろう。

 二番の山田もバットに当てることが出来ない。外への外れたストレートを振って空振り三振に倒れる。

 そして、この回の山場――三番、猛田を迎える。

 

「……っふうう」

 

 猛田が大きく息を吐いてバットを構えた。

 ここでヒットが出れば蛇島に廻る。そうなると打線はつながるだろう。

 ここは絶対に抑えるぞ一ノ瀬。猛田はどんなボールでも強振してくる。低めに丁寧に投げれば問題なく抑えれるはずだ。

 一ノ瀬が頷き、ボールを投じる。

 低めのシュート。フルスイングすればこの球は詰まる――。

 

 キンッ、と猛田はボールをセンターへと弾き返す。

 まるでカットをするかのような軽やかさ。打球は二遊間を真っ二つに破りセンターの進の前へと転がった。

 

『センター前ー!! かるーくセンターに運んで行きました!』

「っ、上手い……!」

 

 思わず口に出してしまうような打撃だ。

 後ろにつなぐことを意識してバットにボールを載せる感じでセンター前に弾き返した。

 今まで馬鹿みたいに引っ張ってたのとは違う。しっかりとセンター前を意識しての打撃……後ろの蛇島に託すような、そんな感じの――。

 

『さあ、ホームランが出れば同点のこのチャンス! バッターには四番、蛇島!』

「……俺は勝たなきゃならないんだ……絶対に……!」

 

 蛇島がブツブツ言いながら打席に入る。

 確かに勝つのは大事なことだ。つーか勝つ為に練習とかしてるわけだしな。

 ……でも、それだけじゃない。

 

「蛇島」

「……なんだ」

「もっと楽しめよ」

「っ!」

 

 一ノ瀬が足を上げ、ボールを投げ込む。

 バシンッ!! と外角に決まったボールを蛇島は空振った。

 

「楽しむ……? この真剣勝負の場において……楽しむだと? 名門の野球部に所属して居る俺は勝たなきゃいけないんだよ! 弱小に入って自分が栄光を作り、ただそれを享受しているお前と俺を一緒にするな!」

「だから勝てねぇんだよ」

「何っ……!?」

「敵の戯言だと思って聞き流したいなら聞き流せばいい。ただ――楽しめよ。お前も、野球が大好きなんだろ?」

「――」

 

 ビシッ!! と一ノ瀬のスライダーが決まる。これで2-0。追い込んだ。

 

「……楽しい? 野球が? 敵を騙し敵を欺き敵を刺し敵を殺し敵を打ち砕くこの球遊びが、楽しいだと――!?」

 

 ッカァアンッ!!

 と、一ノ瀬の絶好のベストボールのストレートを、蛇島は強振した。

 ボールは飛ぶ。飛んで飛んで飛んで――ポールの左へと消えていった。

 

「ファール!」

『惜しい当たり! あわやホームラン!! 一ノ瀬のボールを完璧にとらえましたがボールは惜しくもファール!』

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「……蛇島」

「黙れっ! 俺に話しかけるな!」

 

 蛇島が俺との言葉を切って、一ノ瀬に向き直る。

 ビッ、と投げ込まれたカーブを、蛇島はタイミングを崩しながらもファールにした。

 転がるようにして蛇島は転倒する。

 

「……、……っ……くっ、そ……」

 

 息を荒げながら蛇島は立ち上がりバットを拾う。

 ……そうか。

 蛇島は、野球が大好きなんだな。

 勝つって気持ちが前走り過ぎて、少し忘れていただけなんだ。

 蛇島はずっとずっと――俺達と同じくらいに――。

 カァアンッ! と四球目を蛇島が打ち上げる。

 打ち上げたボールを一ノ瀬がしっかりと手を広げ、キャッチした。

 ワァッ、と歓声が反響する。

 チームメイトたちが喜びながらベンチに戻るのを横目に捉えながら、俺は蛇島をしっかりと見つめた。

 

「……蛇島」

「…………」

 

 蛇島は俺の呼びかけに答えずにベンチに戻っていく。

 その表情は見えなかったけど、多分、今まで俺が見た蛇島の表情の中で一番悔しそうな顔だったと、俺は思った。

 

 

 

 

 

 

 

『打ち上げたー!! 落下点に矢部が入る! キャッチー! 試合終了ー! 強豪対決を制したのは恋恋高校ー! 帝王実業を2-0の完封リレーで撃破し三回戦へー!』

「ざっしった!!」

「ありがとうございました!!」

「……蛇島、楽しかったぜ」

「…………次は、負けない。俺はお前には負けない。パワプロ」

「ああ」

 

 試合終了の挨拶を交わす。

 蛇島は自分の高校野球生活の終わりをギリっと歯を食いしばりながら受け止めた。

 そして、蛇島は俺へと手を差し出す。

 

「……いい勝負だった」

「ああ、やっぱ帝王実業は強かったよ」

「ふん……当然だ。わすれるなよパワプロ。お前は俺に倒されるんだからな……プロで会おう」

 

 軽く握手を交わし、蛇島は歩いて行く。

 最後のセリフに答える時間も与えてくれないまま蛇島はダグアウトへと消えていった。

 それを見送り、視線を上にやると春と目があった。

 春はにこっと微笑んだ後、踵を返し歩いて行く。

 ――次の試合は三日後、対戦相手はまだ決まっていないが、おそらくは――。

 

 

 

 第三回戦。

 恋恋高校vs聖タチバナ。

 最後の春とパワプロのライバル対決は、三日後に行われる。



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第三〇話 “七月二週“ vs聖タチバナ 雨中の決戦

 その日は、あいにくの雨となった。

 しとどに濡れる観客たちは、それでも尚帰ろうとはしない。

 降り注ぐ雨の中、グラウンド状態は最悪といっても過言ではないが、詰まった日程を消化するためには多少の無茶は仕方ない場合が多いので、そのまま試合が行われる事となった。

 高校野球の試合でここまで人が入るのは稀だという。

 それが、決勝戦ではないというのだから驚きだ。

 恋恋高校vs聖タチバナ学園――雑誌や新聞などでも女子選手がいる高校同士でライバルと取り沙汰される事も多いカードだ。

 それがぶつかり合う。それも主力同士が三年となったことで実質最後の対決とあれば、観客が殺到するのも無理は無いだろう。

 

『先攻、恋恋高校のスターティングメンバーを発表いたします――

 一番、ショート矢部。

 二番、セカンド新垣。

 三番、キャッチャー葉波。

 四番、ライト友沢。

 五番、サード東條

 六番、センター猪狩。

 七番、ファースト北前。

 八番、レフト明石。

 九番、ピッチャー早川』

 

 バックスクリーンに選手名が明記されていく。

 恋恋高校のオーダーはいつもと変わらない。普段通りに戦えば必ず勝てるということを彼らは信じているからだ。

 

『続きまして、後攻、聖タチバナ学園のスターティングメンバーを発表いたします。

 一番、セカンド原。

 二番、センター篠塚。

 三番、キャッチャー六道。

 四番、ショート春。

 五番、ファースト大京。

 六番、サード大月。

 七番、レフト大谷。

 八番、ライト大田原。

 九番、ピッチャー橘』

 

 呼ばれた選手たちがグラウンドに散っていく。

 雨中の熱戦が今始まる。

 選手たちが待ち望んだ激闘が、今。

 

 

 

 

 

 

 この三年間、雨の中での試合なんて無かった。これが初めての雨天決行――それを考えるとラッキーだよな。いっつもいいグラウンドで試合してたってことだし。

 橘はこの三年間、成長し続けてる。一年生の時に戦った時とは明らかに球の勢い、制球力、スタミナ、変化球のキレ、全てが違う。……胸も大きくなったよな。うん。

 

「パワプロくん」

「いだだだだだっ、尻を、尻の肉を捻るなっ」

「ぬふふ、あおいちゃんは全く土瓶型であ痛ぁっ!! メガネが顔にめり込んだでやんすぅー!!」

「失礼な事いうとガルベスるよ」

「ガルベスる!? 審判に向けてボールは投げちゃ駄目でやんすよ!!」

「うん、分かってる。だからグーで殴ったんだよ。顔を」

「顔をぐーでなぐっちゃ駄目でやんすよー!!」

 

 ギャイギャイと騒ぐチームメイトたちに苦笑しつつ、あおいに捻られた尻を撫でながら、俺はじっと橘の投球練習を見つめる。

 六道にゃこの前の試合上手いことやられたからな。今度はこっちが主導権を握るぞ。

 

「よく聞けよ。昨日言った通りカギは初球打ちだ」

「ん」

「はいでやんす」

「うん」

「……分かっているが、大事なことだからな。もう一度聞いておこうか」

「スタミナが他のエースと違い不安に見られがちな橘だが、それよりも厄介なのが内と外によるコンビネーションだ。去年負けた時は完璧にこの術中にハマっちまったからな。外と内の揺さぶりを使ったコンビネーションで完璧に抑えこんでくる。角度があるせいで一つ一つの球も打ちにくいが、ストレートとクレッセントムーンという球種の選択を敷いてくる上に、前の球とのコンビネーションまで絡めてくる。こうなったら手がつけられない。だからこそ、コンビネーションに至る前――初球を狙い打つ」

「了解!」

「サイドスローってことと六道のスローイングってことを考えて、ノーアウトでランナーが出れば盗塁もあるぞ。足も絡めて全力で得点を取るぞ! 攻撃野球に持ち込めばこっちのもんだからな! 行くぞ。恋恋高校――」

「「「「「「「ふぁい、おー!!!」」」」」」」

「よーし! まず出塁を頼むぜ、矢部くん!」

「任せろでやんす!」

 

 さあ、初球から攻めるぜ。

 

『さあいよいよ因縁の対決がプレイボール! その初球、橘が振りかぶって――』

 

 ギャオンッ!! と投じられたインサイドへのストレート。

 そのボールを矢部くんは身体は崩れながら流し打つ。

 詰まったゴガッ、という鈍い音を響かせながらボールは三遊間へ飛ぶ。

 緩いゴロだが三塁の大月は取れない、春がなんとか回りこむようにキャッチしてファーストに投げようとするが、そのままボールを投げずに止まった。

 矢部くんは俊足だ。

 ショートが大きく回りこむようにして取る打球ならば投げても間に合わないだろう。それほどまでに矢部くんは速い。

 今日は雨だしな、球足が遅くなるからこういう打球は増える筈だ。

 

「ナイスバッティング!」

「……っふぅ」

「みずき、出会い頭だ。大丈夫だぞ」

 

 一球目を転がされてボテボテの内野安打……投手としても嫌だろうが捕手としても嫌な出塁のされ方だ。

 次の打者に集中したいところだが盗塁がある。しかも投手はサイドスローの橘で、スローイングに圧倒的なものはない六道……走るのは当然だ。

 向こうとして最悪なのはヒットで繋がれる事だが、それを除けばワンアウト三塁にされるのも相当きついはず。

 ここは矢部くんを無視して新垣に集中して勝負してくるだろう。

 橘がボールを投じる。

 矢部くんがモーションに入ると同時にセカンドへ向けてスタートした。

 六道は座ったままボールを投げない。盗塁成功、これでノーアウト二塁だが、その間の投球はストライク。今のはアウトサイドへのストレートか。

 インサイドでバントを失敗させようって考えてるんだろうな。

 矢部くんにサインを出す。

 二球目、橘がモーションに入るその瞬間、矢部くんがサードへ向けて走りだした!

 三盗は流石に予想外だったろう。新垣のインサイドへ構えていた六道が慌てて立ち上がりボールを投げようとする。

 だが、ぴくり、と動きを止めてしまった。

 インサイド、というのはつまる所打者側に寄っているということだ。新垣が右打者、サード寄りに寄っていると、新垣の身体が邪魔してサードは見えない。

 サードへ投げるには一歩下がって投げるかスナップスローをするか――とりあえず普通にセカンドに送球するのとは違う動きが強いられる。六道はセンス型の捕手だけど流石にまだ高校生、隙はある。

 

『矢部、盗塁成功!! ノーアウト三塁! 足でかき乱します!』

 

 だが二球目もストライク。これで2-0と追い込まれた。

 こう理想的に追い込まれると――

 

 ビシィッ!! と外角低めに決まったクレッセントムーンを新垣は空振る。

 

 ――打ち取られちまうよな。

 だがおかげで矢部くんは三塁まで進めた。新垣の待球のおかげだぜ。

 

『バッター三番、葉波』

 

 さあ、俺の出番だ。

 状況はワンアウト三塁。先制点が欲しい場面。

 慎重に来るだろうが――バットが届くなら外野には持っていける筈。

 橘がボールを投じる。

 外角低めストレート、届く!

 橘のボールは角度がある分引っ張れない。流せ!

 キィンッ!!

 

「なっ!」

「んですって……!?」

 

 六道の声と慌てて打球を追う橘の様子が目に入る。

 ライトがワンバウンドしたボールを捕球した。

 その間に矢部くんはホームに帰る。

 

『あざやか初球打ちー! 先制のライト前タイムリーヒット! あっという間に先制点を取りました恋恋高校ー!』

 

 うっし! この雨ならコールドゲームも有りうる。この先制点はでかいぞ。

 けど、これで終わらせるつもりはない。次は友沢、東條と続く打順。それなら得点圏にしとく意味も大きいからな。走るぞ。

 六道と橘がマウンド上で話し合い、別れて試合を再開する。

 友沢に対する初球、こちらを橘はじっと見つめて、ぴっと牽制をしてくる。

 立ち上がりで盗塁を刺すのを諦めてたのもあって、矢部くんには牽制(ピックオフ)を怠ってたからな。ここはしっかりと丁寧に行こうって感じか。

 けど、雨で暴投も怖いし、あまり走るイメージの無い俺が塁に居るだけあってそんなに牽制をしつこくしてくることはないだろう。今の見え見えの牽制を見ても牽制で刺すつもりもなさそうだしな。

 橘の視線が俺から外れて友沢に集中する。

 相手は世代を代表する打者、ランナーに割く余力は無いだろうけど――こっちも見てもらうぜ。橘。

 橘の肩が動く。

 それを確認すると同時、俺はセカンドへ向けて全力で走りだした。

 

「走ったッ!!」

 

 春の声が響く。

 バンッ! と捕球すると同時に六道が立ち上がりセカンドへ向けて腕を振るった。

 矢部くんと違って俺は盗塁の仕方がわかってない。雨で地面がぬかるんでるのもあってトップスピードになかなかたどり着けない!

 だが条件は向こうも同じ。降りしきる雨のせいでボールが滑り、捕球したボールを春が落球した。

 

「セーフ!」

『盗塁成功! 三番の葉波がまさかの盗塁! 慌てたか春! ボールを落としてしまいました!』

「ごめん!」

「ドンマイ! 次は頼むわよ!」

「うん、任せて!」

 

 バシバシッ、と春がミットを叩きながら言葉を返す。

 守備の要の春のミス。これはでかい。ランナーが二塁に居るから一打で追加点を取れる確率は上がった。

 友沢への投球は外れてボール。カウントは0-1。

 そして二球目。

 投じられたのはインサイドへのクレッセントムーン。

 友沢はそのボールを弾き返した。

 ライナーで右中間を破ったボールはワンバウンドでフェンスに激突し、そのままバウンドしてセンターの手に収まる。

 あまりの痛烈な当たりに、カッキィンッ! という快音が遅れて聞こえる程の痛烈な当たりに、友沢はセカンドへ到達出来ずにファーストベースで止まった。

 俺はサードを蹴り、ホームへ走る。

 これで二点目!

 

「っしゃー! でやんす!」

「幸先よし! 作戦成功ね!」

「おう! このまま攻めるぞ。……あおい、雨つえーからな」

「うん、分かった。滑らないように気をつけるよ」

「ああ、アンダースローはデリケートだしな、意識しすぎるくらいで丁度いいだろ。しっかり投げる時は足場固めてなげるんだぞ」

「りょーかい!」

 

 さて、打席には東條か。

 六道はインサイドに構える。あくまで抑えるつもりか。

 インサイドに投じられたボールは打者の手元で変化する。クレッセントムーンだな今のは。

 ガキッと初球から振りに行った東條が詰まったゴロになってしまった。ボテボテのゴロになった打球はショート春の真正面に飛んで春に捕球される。

 

「原!」

「ほいきた!」

「アウトー!」

『六四三の綺麗なダブルプレー! しかし恋恋高校二点先制です!』

 

 ちっ、まあ初球攻撃という以上、こういった打ち取られるデメリットがあるのは仕方ない。

 得点も取れたしな、ため息つくことはないぜ!

 

「おっしゃ! 攻撃の後はしっかり守るぞ!」

「うん!」

 

 ざぁぁぁと音まではっきり聞こえる程の強い雨。グラウンドに水が浮いてくるのも時間の問題だ。さくさくいかねぇとな。

 投球練習も早めに切り上げよう。審判の印象もよくなるしな。

 

「んじゃ、行くぞ!」

「お願いします!」

 

 原がメットをとって一礼し、打席に立つ。

 身体も大きくなった原は、長打も打てるようになってる。油断してると足元すくわれて一発とかもあり得るかもしれない。

 ま、油断なんかしねぇんだけどな。

 初球は内角高め。厳しいところを一気に攻める。

 あおいが足を上げ、ボールをリリースする――その瞬間、指からボールがすっぽ抜けた。

 

「っ!」

 

 原が後ろを向く。

 その背中にあおいの投じたボールがドゴゥ! と直撃した。

 

「うぎゃっ!」

「だ、大丈夫か?」

「だ、大丈夫や……雨強いからしゃーないわ」

 

 原はふらふらと立ち上がり、歩いて行く。

 悪いことしたな。……でも、そうか。雨のせいで微妙なコントロールが難しいんだ。

 こりゃ厄介だな。コントロールが持ち味のあおいにとっては、そのコントロールを乱す雨は厄介なものでしかない。

 元々コントロールってのは身体のバランスとか感覚で成り立ってるものだ。それが雨で崩されると幾ら精密機械のあおいでも微妙なコントロールが出来ないんだな。

 

(……こりゃ、厳しい戦いになりそうだが――何時も以上に俺が頑張ってあおいを引っ張ってやらねぇと)

 

 いつもあおいのコントロールには楽させてもらってるんだ。なら今日は楽させて貰った分、いつも以上に頑張るぞ。

 バッターは篠塚だが、ここはバントと決めつけずに行こう、ニ点あるしバントが成功されても問題ないだろう。無理にバント失敗させに高めにボール投げてそれを痛打されるのが一番行けないしな。

 横っ面に雨を受けながら、俺はぐっと外に構える。

 多少アバウトになってもいい。とりあえず初球は決めよう。

 あおいがうなずいてボールを投じる。

 篠塚がバントをしようとしてバットを引く。

 雨を切り裂きながらボールがミットに収まった。

 

「ストライク―!!」

 

 よし、初球はばっちり決まった。

 あおいは後ろのポケットに収めたロージンバッグを触る為だろう、ポケットに手を入れてながら、グローブでボールを受け取る。

 二球目も同じく外のボール。その球に対し篠塚はバットを倒して当てに行く。

 コツンッ、とボールの勢いを殺しボールは俺の前でバウンドするが、弾まない。

 

「あっ!」

 

 篠塚が走りながら声を上げる。

 雨のぬかるみのせいでボールが転がらなかったんだ。これなら刺せる――!

 ボールを拾いセカンドへ投げようとしたところで。

 ズルッ、とボールが指から抜けた。

 

「しまっ……!」

 

 泥濘にはまって泥がついていたせいで滑った! やべぇ!

 ベースカバーに走った矢部くんの逆へボールは飛ぶ。

 慌てて取りに行くが矢部くんのグラブの先を抜けてボールはレフトよりのセンターへと飛んでいく。

 進が捕球してサードへ素早く送球するが間に合わない。滑り込んだ原は三塁の上に立つ。

 

「悪いあおい!」

「大丈夫だよ!」

 

 ちくしょう! 引っ張るって言っといていきなりこんなミスかよ。何やってんだ俺は!

 無理せずにファーストに投げておけばワンアウト取れたんだ。無理する場面じゃないのに焦りすぎだぞ。落ち着けっ。

 バシッ、と己の頬を叩き、あおいに向き直る。

 ミスは引きずらない。このピンチ、最低でも一点で切り抜けるぞ。

 続くバッターは六道聖。こいつに小細工は通用しない。決め球を使ってでも切り抜ける。

 初球からマリンボールを使う。なかなかに難しいボールだがそれでも六道なら当ててくるだろう。

 ……犠牲フライか内野ゴロか、いずれにしても一点は入るかも知れないが、問題は得点圏で春に繋げないこと。前進守備は必要ない。六道は足は早くないし、ゲッツーを取るぞ。

 この雨であおいの制球力は落ちてる、それを見計らって初球から、低めの甘いところを狙って振ってくるはず――それなら、初球はストレートでいくぜ。

 投じられたボールはこの雨の中、構えたところに投げ込まれる。

 完璧な投球。だが、六道はその低めのボールを的確に打ち返した。

 キィンッ!! と高い音が響く。

 打球はサードの右を痛烈に襲う。

 東條の前で激しく飛沫をまき散らしながらバウンドするボール、それを東條が横っ飛びでキャッチした! よしっ! ファーストはアウトに出来る!

 

「ファース――っなっ」

 

 俺が声を上げて叫ぼうとしたその瞬間。

 

 東條は体を泥だらけにしながらも一回転してそのままセカンドへと素早く送球した。

 

 その整った顔立ちを泥で汚しながら投げたボールはベースカバーに入った新垣のグローブに収まる。

 新垣はそのままファーストへくるりと向いてビシュ! と素早くボールを北前に向かって送球した。

 パンッ!! と北前のグローブが音を立てる。

 

「アウトー!」

『ダブルプレー! その間にサードランナー原がホームイン! 二対一!』

 

 最高のデキだな。一点失ったがこれでアウトカウント二つだ。

 続く春をマリンボールとストレートを駆使して抑え、これで一回が終了する。

 

「ナイスプレー東條!!」

「……雨で球足が遅くなったからな。ラッキーだ」

「いやでもマジ助かったぜ。あの後ワンアウト一、二塁で春だったら同点覚悟だ。相変わらず得点圏では鬼のように打ってるからな。あおいもナイスボール。ごめんな、ミスしちまって」

「全然! 普段助けてもらってるからね!」

 

 にこっ、と俺に笑みを向けるあおいが可愛い。

 引っ張ってやるつもりが引っ張られてるな。……この悪天候じゃ一人でがんばろうとしたって無理だ。力めば力むほどミスを呼ぶし、程々にバックを信じてがんばったほうがいいかも知れない。

 ……更に雨は強くなる。おそらくこの強さなら試合成立と同時に試合は終わるだろう。

 

「……次の一点だ」

 

 同点にされれば試合は混沌としてくるし、こっちが一点を取れば、決まった打順からしか得点を取れない聖タチバナにとっては負けをつきつけられたようなものだ。

 この雨が味方をしてくれているのは今の展開的にはこっちといえるだろう。

 この状況を活かしてこのまま逃げきるぞ。

 二回の表の攻撃は進からだ。ここはしっかりチャンスを作って欲しいけど。

 

「ストラーイク!」

 

 内角いっぱいのボールを進が空振る。

 左打者に取っては視界の外から投げ込まれるのに、インコースギリギリに決められたら当たらない。

 そしてファーストストライクを取れば後は上下左右の揺さぶりを使って追い込んで――。

 

『空振りさんしーん! 視界の外から外角いっぱいに投げ込まれるストレートに手も足も出ません!』

 

 左打者に対しての橘の投球はやはり圧倒的だ。視界の外からギリギリいっぱいに投げ込む制球力は雨の中でも揺るいでいない。あおいと違って高さの制球力は多少アバウトな分、左右のコントロールはあおいより精密度が高いみたいだ。

 初球から振っていく作戦は初回こそ功を奏したものの、右打者の北前ですら初球のボールに当たらない。

 結局北前も三振、明石もファーストフライに打ち取られ、二回の表が終了する。

 続く二回の裏は大京から。

 雨でボールがすべる最悪の天候の中でも、あおいはしっかりと腕を振るう。

 多少甘くはいるがボールのキレ自体は問題は無い。大京をフライアウトに打ち取り、続く大月、中谷もゴロに抑えて二回の裏は三者凡退に終わった。

 三回の表はあおいから始まる打順、あおいは三振、矢部くんはショートフライ、新垣はセカンドゴロに打ち取られる。

 その間も雨は止むどころか激しさを増す一方で、グラウンドには水が浮くところも目立ち始めた。

 五回まで行ったら即試合終了もありえるようなグラウンド状態……この雨が俺達に微笑むか、それとも相手に微笑むのか――それは分からない。けど、俺達は俺達にできることをやるしか無いんだ。

 

「あおい、指先の感覚はあるか?」

「大丈夫、気になるのはユニフォームが透けないかってことくらいだよ」

「是非! 透けて欲しいでやんすね!」

「ふんっ!」

「ぶぎゃっ! ああっ! オイラのメガネがパリーンという軽薄な音と共に粉々になったでやんすぅー!!」

「……むしろ殴られた顔の方を心配したらどうだ……?」

「いや東條、よく見ろ、矢部のやつ顔面をぶん殴られたのに鼻血一つ出していないぞ」

「矢部先輩の顔面はメガネより頑丈っすね……」

「いや北前、むしろここは新垣先輩が弱く殴ったという考え方もあるんじゃないか」

「オイラの顔は鋼鉄製でやんす!」

「ほらほら騒いでないでさっさと行け。あおい。ロージンはポケットに入れて、一球ごとに丁寧につけるようにな」

「うん」

 

 わいわいと騒ぐ矢部くん達はどこか頼もしい。やれやれ、一年生達くらいにゃ緊張してて欲しいが先輩たちがこんなだと緊張したくても出来ないよな。

 でも、緊張でガチガチになるよりはよっぽど良い。回は三回の裏。聖タチバナの打順は八番の大田原から橘、原へと続く。

 下位打線だけど、逆に言えば下位打線からチャンスを作られたら得点の大チャンス。この悪いコンディションの事もあるしランナーを出すわけにゃいかないぜ。

 

「……ん、よし」

 

 ざっざっざっ、とあおいが丁寧にマウンドの土を踏み固め、構えを取る。

 

『バッター八番、大田原』

 

 大田原がバッターボックスに立った。

 初球はインロー。あおいが投げ込んでくるがやはり制球がボール一、二個分ほどずれる。

 

「トーラック!」

 

 一応ストライクになったものの、ボールはかなり甘い。上位打線ならヒットにされてもおかしくないような球だ。

 次はカーブだ。ゆるい球なら多少抜けても緩急でヒットにはしづらいハズ。

 あおいが足を上げ、上体を沈めてボールを投げる。

 だが、

 

 ボールがすっぽ抜けてど真ん中へ投じられてしまった。

 

「なっ!」

「しまっ……!」

「来たッ!!」

 

 カーブの回転がかかってない! 雨でボールが抜けすぎたんだ!

 大田原は待ってましたとばかりにバットを振りぬく。

 ッキィン!! という快音が響き渡った。

 ボールは角度良く飛んで行く。くそっ! 入るなっ!!

 レフトの明石がボールを必死に追うが、途中で追うのをやめた。

 その視線の先で打球は――フェンスに直撃した。

 ガシャァンッ! という音を響かせて弾むボールを明石はワンバウンドでキャッチし、中継に素早くボールを投げ返した。

 中継の矢部くんがボールを握りセカンドに目をやるが既に大田原はセカンドに到達していた。セカンドでは新垣が腕でバツ印を作り送球を止めさせる。

 ツーベース。これはまずい、不味すぎる。

 

 次の打者の橘はしっかりと送りバントを成功させ、これでワンアウト三塁になる。

 

 ここまでは想定内だが、問題は原、篠塚、六道と続く上位打線へと戻ることだ。

 特に原には初回デッドボールを与えているし、あおいとしては内側を攻めづらいだろう。甘く入れば痛打され、最悪の場合春にチャンスで回ることになる。

 ここでどう動くかが鍵だ。……ここは。

 

「タイム。あおい」

 

 審判にタイムを宣告して、あおいの元に走る。

 あおいはハッとしたような表情でグローブで口もとを隠した。

 

「ん、ごめん。雨ですっぽぬけちゃった。……もしかして、交代、かな……?」

 

 心配そうな表情であおいがこちらを見つめる。

 まあこんな序盤で交代は嫌だよな。誰だってそうだ。

 でも、ここはあーだこーだ感情論で言える場面じゃない。

 

「あおい、交代だ」

「……ん、うん……分かった」

 

 あおいが頷いて俺にボールを渡す。

 ……ありがとな、あおい。俺のめちゃくちゃな起用に応えてくれてさ。

 そのかわり――絶対に勝つから。

 

「すみません。交代します! ピッチャーの早川に変わって一ノ瀬!」

 

 この回で一ノ瀬を出すのは正直、想定外中の想定外だ。

 だがこの雨――多分試合成立と同時に試合が終わる。いつ中止になるかも分かったもんじゃない。なら出し渋るより一ノ瀬をここで投入しちまったほうがいいはずだ。

 

「一応ブルペンに入っといてよかったよ」

「いきなり厳しい場面で悪いな。頼むぜ」

「火消しは任せてよ」

「ああ、変則的だが頼むぜ。あおいもな」

「……分かった! ごめんね一ノ瀬くん。ボクが作っちゃったピンチだけど」

「チームが作ったピンチはチームが消化する。それが野球だよ」

 

 一ノ瀬は雨に濡れながらにこっと笑顔を見せる。くぅ、カッコイイぜ!

 

「頼んだぜ」

 

 言いながらキャッチャーズサークルに戻り、一ノ瀬の投球練習のボールを受ける。

 一ノ瀬も足場が気になっているようで、僅かにコントロールがズレているが、あおいのボールより球威がある分、多少甘く入ろうとこれをヒットにするのは厳しいはずだ。

 

「……三回に一ノ瀬くん投入ってほんまかいな」

「本気だぜ? 今度は負けないからさ」

「そうやなぁ。……ここが勝負どころと思ったっちゅーことやろ? ……面白いわ。僕が打って同点にしたる!」

「やってみやがれ!」

 

 初球はストレート。甘くなってもいい。思い切り腕降ってこい!

 一ノ瀬が腕をふるう。

 鋭く振るわれた腕から投じられたボールは、俺が考えたことが一ノ瀬に伝わったかのように真ん中高めの甘いコースへと投げられる。

 それを迎え撃つように原がフルスイングした。

 ズッパァンッ!!! とミット音が炸裂する。

 当たらない。雨粒を切り裂くように投じられたボールは原のバットの上を通過し俺のミットに収まった。

 球速表示は一四八キロ――一ノ瀬の最速だ。

 

『ストライクー! この場面で緊急リリーフした一ノ瀬、なんと自己最速の一四八キロを叩き出しました―!!』

 

 原の表情が一瞬こわばり、すぐに俺から見えないように打席を外した。

 しっかり見たぜ、原。ストレートに呑まれたな。なら――後は全部ストレートでいい。

 打席に戻った原は二球目のストレートに振り遅れる。

 そして三球目、投じられた豪速球は膝元にズバッと決まった。

 

「トラックバッターアウト!」

『三球で決めたー! 見逃し三振ー! この球威で内角低めに決められては手も足も出ません!』

 

 よし! ツーアウト! これで犠牲フライと内野安打での得点はなくなったぞ!

 そしてバッターは篠塚。上位打線だが原と比べれば一枚落ちる。丁寧に攻めればヒットにはならないはずだ。頼むぞ一ノ瀬。初球はスライダーだ。

 ちょっと甘く入った初球のスライダーを篠塚は空振る。

 このコースのスライダーに空振るならやりおうはいくらでも有るぞ。二球目はストレートだ。

 外角低めにストレートが綺麗に決まる。まるで雨なんか降っていないかのようなボールだぜ。ホント、すげぇな一ノ瀬のやつ。

 三球目は外に外すカーブ。

 俺のサインに一ノ瀬は頷いて、ボールを投じる。

 外に逃げるように変化するボールを、篠塚は上体を崩しながらも追いかけ――空振った。

 

「ストライクー! バッタアウト! チェンジ!」

『ニ者連続三球三振ー!! 圧倒的! まさに圧倒的な一ノ瀬のピッチング! 恋恋高校、この同点の大ピンチを守護神投入で切り抜けました』

 

 あまりの凄さに苦笑いしか出ねぇよ。全く。

 一ノ瀬は帽子のひさしから伝う雨水を指で払いながら俺に微笑みかける。

 

「ナイスピッチ」

「ナイスリード」

「助かったぜ、一ノ瀬」

「ふふ、打撃のほうも任せてくれればいいよ」

 

 ぽん、とお互いにグローブをあわせベンチに戻る。

 三回の裏が終わった。四回の表、ここで得点を取れば勝てるぞ。

 もちろん相手もそう思っているだろう。バッターは俺から。ここで塁に出れば得点のチャンスはぐぐっと広がる。絶対に打つぞ。

 打席に立って静かに息を吐く。何度体験してもこの緊張感はたまらない。

 

『バッター三番、葉波』

「――もう、得点を取られるわけにはいかない」

「……だろうな。けど、ここで得点を取りに行くぜ。俺達は」

「ここで無失点ならば次の回は私からだ。そして春に回る。……雨でコールドゲームなんかにはさせない。私たちは勝つ。……だから、お前は絶対に打ち取るぞ」

 

 話しかけた六道が静かに目を閉じ、ふぅと一息吐く。

 そして目を開け――ギンッ! と橘に目線を移した。

 ……なんだ? この威圧感。後ろからプレッシャーをかけられているような、今まで感じたことのない感覚だ。

 橘が六道のサインに頷く。

 絶対に打ち取ると俺に言うからには単打すら打たせないリードだろう。それならインコースを使ってから外、もしくはアウトコースを使ってからインコースを使うっていう、一番橘のボールが生きるリードでくるはずだ。この雨だし左右のコントロール以外は橘でもしづらいはずだ。

 一打席目は初球からアウトコースを打った。そのイメージは有るはず。なら初球はインコースだ。

 足を上げて、六道がボールを投げる。

 左投手の橘のリリースは右打者の俺にははっきりと見える。投じられたボールは速いスクリュー。予想通りインコース! 行け!!

 だが、

 ボールは、

 俺のバットから逃げるように変化する。

 

「な――んだとっ!?」

 

 ズパァンッ! と六道のミットが音を立てた。振り向いてコースを確認すると、六道は素早く立ったがインコースの低めだった。

 ……今のボールはクレッセントムーンだ。間違いない。

 でもキレが今まで投げてた球とは比較出来ないほどすごかったぞ? あの変化もいつものボールとは比べ物にならないくらい曲がった。……こんな球を投げれるなんて。

 いや、投げる方もすごいけど捕る方も相当技術が要求されるボールだ。あのキレと変化量で、さらに角度をつけて投げるんだ。生半可なキャッチングじゃ後ろに逸らしちまうぞ。多分進でもミットに当てれるかどうかくらいの、凄まじい変化球だった。

 

「……今のは……」

 

 思考する間も無く橘はサインに頷く。

 くそっ、考える時間が欲しいってのにこう素早く投げ込まれちゃ……!

 二球目は外角へのストレート。思わず体が反応しかけてバットが出る。

 

「スイング!」

 

 六道が指を回しながらファーストの塁審にアピールをする。

 一塁塁審は拳を握りしめてアウトのジェスチャーをとった。

 くそ、今のがスイングか。クレッセントムーンに呑まれすぎてるな。落ち着け。

 内外、変化球ストレートの順番できた。六道のリードはどちらかというと裏を書くより打てないと思われるところへ優先的に投げさせるリードをする。それなら次はインコースのクレッセントムーンだろう。

 橘が足を上げる。

 あの変化球は相当打ちにくい。なら、低めは捨てて高めに狙いを絞って振りぬく。

 バッ! と投げられたボールは内角高め、甘めのクレッセントムーン。

 高めに浮いた分変化はしない。コンパクトに、振りぬけぇえええ!

 ガッキャァンッ!!! と金属バットの音が響き渡る。

 

『打ったー!! 痛烈な打球ー!』

 

 よし捉えた!! 打球はショート方向! ショートの頭を超えろ!!

 

「っあぁ!!」

 

 声を出して春が飛ぶ。

 雨粒を振り乱しながらグローブの土手に当たったボールは、打球が痛烈なのもあってか高々と上空へ舞い上がった。

 俺はファーストへ走る。頼む、そのまま落ちてくれ!

 飛んだ春はドッ、とその場に倒れこむが、素早く手をつき、がばっ、と立ち上がった。

 打球はショートの後方。センターは間に合わない。落ちる――。

 春が帽子を飛ばしながら、一度倒れこんだことにより泥だらけになっていたユニフォームを更に汚しながら、今度はセンター方向に横っとぶ。

 そして――捕球した。

 ドシャァッ! と泥が跳ねる。

 雨に打たれながら春は倒れこんだまま、仰向けになってグローブを高々と上げた。

 

『あ、アウトー!! 痛烈な打球をグローブに当てながらも捕球出来ませんでしたが、その後浮いた打球を再び横っ飛びでキャッチー! プロでもなかなか見れないスーパーファインプレー!! 変化球をコンパクトに叩いた葉波ですが、これでは仕方ありません!』

「おいおい……」

 

 呆然と春を見やる。

 ワァァァ!! と雨音をかき消すかのような大歓声に、春はゆっくりと立ち上がり、雨の中応援に来てくれた人達に向けて帽子を取って微笑んだ。

 ……くそ、カッコイイな。悔しいけど今のは凄いプレイだったぜ。

 ゆっくりとベンチに戻る。友沢が初球を引っ掛けてピッチャーフライ、東條が三振に打ち取られ、試合は膠着状態のまま四回の裏に入った。

 

『バッター三番、六道』

 

 一ノ瀬は変えるわけにはいかない。元々先発だった一ノ瀬はスタミナもある。三回……長くても四回は投げれるはずだからな。

 六道がバッターボックスに立つ。さっきの俺が打席に立った時から集中力が凄まじい。

 ボール球は振らないなら、思い切り球威のある球を投げさせよう。球種はストレート。六道は力で押す!

 ヒュバッ!! と雨を切り裂く一ノ瀬の腕。

 回転良く投じられた直球が低めに突き刺さる。

 

「ストライクッ!」

 

 六道はミットの位置を確認もせず、すぐにバットを構え直した。

 ……嫌な感じだ。ミットの位置を確認にくれば選球眼が狂ったとか思えるのに、それすらしない。

 まあ実際、今のボールは打ってもヒットにならないから見逃した――そんな感じだろう。

 二球目もストレート。今度は外ギリギリだ。

 外れても良いくらいの感じで投げればいい。……頼むぜ。

 ビッ! と一ノ瀬がストレートを投じる。

 ボールかストライクか。いや、おそらくボールだったと思う。

 確認する前に、六道のバットがボールを捉えたからだ。

 

 雨を切り裂き、バットはボールを捉える。

 

 ッキィンッ!!! と金属音を響かせて、ボールはサードとショートの間を抜けていく。

 

「何っ……!」

『ヒットヒットヒット!! 或いはボール球か! 厳しいコースに投じられた投球を六道、弾き返しましたー!』

 

 くっ、あのコースをヒットに出来るバットコントロール。スローイングの弱さがあるものの、捕手としてここまでの打撃が出来る六道は間違いなくこの“猪狩世代”でも最高レベルの捕手だろう。

 ……なんて冷静に分析してる場合じゃねぇか。ノーアウト一塁、聖タチバナとしては同点にする絶好のチャンス。この場面でバッターは四番――

 

『バッター四番、春』

 

 ――春。

 先ほど好守を見せつけた春が、この絶好のチャンスで打席に立つ。

 

「……っふぅ、この雨だと、多分五回終わった時点でゲームセット、コールドゲームだろうね」

「そーだな。……せっかくのライバル対決なのに、文字通り水挿されちまったな」

「うん、残念だけど、それでもこの試合が最後なのに代わりはないよ。……この試合が楽しいのにも、変わりないかな」

「ははっ、そうだな。……絶対に抑えさせてもらうぞ」

「じゃあ俺は絶対に打たせてもらうよ。……聖ちゃんをホームに返して、みずきちゃんたちとまだ野球を続けるんだ」

 

 春がぐっ、とバットを構えた。

 なんとか抑えねぇと。ここで同点にされるわけにはいかない。ここで同点にされたら流れが一気に聖タチバナに行っちまう。

 思い、顔を上げた俺の目に、

 ――猪狩が飛び込んできた。

 猪狩は内野スタンドの俺の顔が一番見えるところに座り、傘を差しながらも俺から一切目を離そうとしない。

 ……ああ、そうだった。抑えねぇと、じゃなかったぜ。

 抑えるんだ。あいつと戦うために。あいつと最後の夏の決着をつける為に。

 ミットに拳を叩きこむ。

 雨で濡れているミットは何時もよりも鈍い音を響かせた。

 

「バッター集中! ここ抑えれば絶対に勝てる! しまっていこー!!」

「ふふ。応! でやんす!!」

「……ああ、バッター打たせて来い! 再びゲッツーを捕る!」

「まっかせなさい! セカンド付近に飛んできたボールは何が何でもアウトにするわ!」

「任せてくださいッス! 絶対キャッチしますから!」

「絶対にランナーは返さない! 誰が相手であろうと僕とパワプロくんのバッテリーならば不可能は無いはずだから!」

「任せろ! 長打が出てもホームで刺す!」

「任せてくださいパワプロさん! 右中間左中間、どっちに来ようとも全力で取ります!」

「任せろパワプロー! 捕るぞー!!」

「ああっ! 行くぜ皆!」

 

 内野にいる仲間達が声で応えてくれる。

 外野にいる仲間達がジェスチャーを交えて援護してくれる。

 こいつらと一緒なら、絶対に負けない。負ける訳がない!

 

「私をホームに返してくれ! 春!」

「頼むでー! 春ー!!」

「春、頼みます。あなたが打てば、俺も続ける!」

「……春くん! 私……私……っ、もっと春くんと野球がやりたい! お願い――私と、私達と、いっしょに甲子園に行って!! 私達を引っ張って甲子園に連れて行って!」

「――絶対に俺は打つ! 来い! 一ノ瀬くん! パワプロくん!」

 

 初球。

 一ノ瀬が全力で投げ込んだボールは144キロの内角低めのストレート。

 バッシィンッ!!! と痛烈な音を立ててボールはミットに吸い込まれる。

 

「ストライクー!!」

 

 っと、その間に一塁ランナーの六道がセカンドへ滑り込んだ。

 ……本当は盗塁は刺さなきゃいけないが、この切迫した場面でランナーに裂く意識なんて必要無い。春を抑える。抑えれば相手の流れは確実に止る。そうすれば一ノ瀬は打たれる投手じゃない。

 だからこそ、ここは春に一本集中だ。それを分かってるから六道は一打で帰ってこれる可能性があるセカンドにリスクを背負って盗塁したんだ。

 カウントは1-0。

 要求する球はスクリュー。

 一ノ瀬が振りかぶる。

 六道は動かない。

 春はバットを引く。

 俺はミットを突き出す。

 内容はどうでもいい。三振だろうがファインプレーだろうがなんでも。

 

 必要なのはたった一つのアウトカウント。

 

     ただただ降りしきる雨の中。

 

 聖タチバナというチームをここまで引っ張ってきた男から、

 

     たった一つのアウトカウントを奪う。

 

 それが、それこそが。

 

     この三年間の聖タチバナとの対決に決着をつける為に必要な、

 

 

 たった一つの“欠片”だ――!

 

 投じられたボールを春が迎え打つ。

 ッカァァアン!!

 と春のバットが音をひびかせた。

 ふわり、と浮かんだボールは雨粒とぶつかりながら外野へと飛んで行く。

 俺と一ノ瀬はそのボールを見送った。

 進が後ろに下がって、

 下がって、

 下がって、

 フェンスに手をついて足を止めた。

 進が空を見上げ、

 

 ――落ちてきたボールを、しっかりとそのグローブに収めた。

 その瞬間、この試合はもう、終わっていた。

 

 

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

「結局2-1のまま五回コールドで試合終了か」

「まぁこの雨なら仕方ないナ」

「こんな雨の中、日程を消化するためとは言え試合をやって五回で終わられては、聖タチバナも溜まったものではなかったろうな」

「……関係ないさ。与えられたコンデションがどんな状況でも、結局強い方が勝つ。そういうものだ」

 

 雨の中、傘を並べて歩くあかつき大付属の面々は雨を見上げながら言う。

 雨はまだ止まない。それどころか試合の時よりも激しさを増して、今はもう先が見えないほどだ。

 

「そしてパワプロたちは勝った。……決勝戦まで残った。……僕達と戦うために」

「それは違うんじゃないかな。守。彼らは僕達と戦うために残ったんじゃない。僕達に勝つ為に決勝戦まで残ったんだよ」

「六本木の言うとおりだナ」

「ふ、それは無理というものだよ。勝利するのは僕達だ。……最後の最後、この僕の苗字をとった“猪狩世代”と呼ばれるこの世代の中心に居た僕と、そのライバルの最後の対決に勝利するのは、ね」

 

 傲慢この上無いセリフを呟いた猪狩の表情を見て、六本木達は猪狩には見えないように顔を見合わせて笑う。

 猪狩の表情はこの上無く嬉しそうだった。

 

「……さあ、パワプロ。いよいよ最後だ。僕達の高校生活最後の対決に僕は勝つ、お前に勝って、僕は初めてこの高校生活で本当の勝利に酔いしれる!」

 

 バケツをひっくり返したような雨でも、猪狩の炎を消す事は出来ない。

 最終決戦は三日後、マグマドームで行われる。

 

 

 

 

 

                     ☆

 

 

 

 

 ――雨の中のベンチで、春は呆然とグラウンドを見つめていた。

 思い出されるのは最後の瞬間。

 五回裏が終わり、ベンチで守備の準備をしていた時、審判たちが本塁の前に立ち、ゆっくりと腕を上げてゲームセットを告げる声。

 翌日の新聞にはなんと書かれるのだろう。

 雨に泣いた、とか、不運な聖タチバナとか、悪天候を味方に出来ず聖タチバナ惜敗とか、そんな感じだろうか。

 そんなことを考えていると、ふと真後ろに気配を感じて、春は顔を俯けてベンチの床を見つめた。

 “彼女”だ。

 

「……負けた」

「……」

「俺は、負けた。雨とか運が悪かったとか、そんなんじゃないんだ。……完全に負けた。チャンスだったのに、得点圏だったのに――! 一ノ瀬くんとパワプロくんに抑えられて打てなかった!! あの時に打ててれば、俺達が勝ってたんだ! なのに、俺が打てなかったから……」

 

 思った瞬間、春の口はいつの間にか動いていた。

 春の声が小さくなる。

 本人が一番わかっている。雨で負けたわけじゃない。……結局勝つのは強いチームだ。周りは不運だったとか言うかもしれない、でも違う。最初に二点取ってそれを守るためにエースをすぐさま守護神にスイッチして抑え込んだ。そのベンチワークに自分達は負けたのだ。

 

「……ごめん……俺のせいだ……、もっと、一緒に野球が出来なかったのは、俺のっ……」

「違う」

「……っ」

 

 後ろに立った彼女は強くそう言って、後ろから春の肩に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。

 汗の匂いに混じって女性の柔らかさやら女性の良い匂いやらが春を満たして、春は余計に動けなくなる。

 それを知ってか知らずか、彼女は更に腕の力を強くして、ぎゅうっと自分の体を春の頭に押し付けた。

 いや、多分自分の体が当たってるのは知ってるだろう。それを承知で強く抱きしめてきたのだ。

 だって彼女は――橘みずきは、そういう女性なのだから。

 

「違うよ、春くん。私が負けたのは私のせい。他の人が負けたのも他の人のせい、つまり、私達全員の責任なんだよ」

「……みずきちゃん……」

「あーあ、終わっちゃったな。楽しかったけど、悔しいな。……三年がもうおしまいかぁ。……でもいいよね。おじいちゃんが言ってた“みずきの許嫁なら甲子園に行ってみろ”っていう公約は今年の春に果たしたし」

「そうだね……でも……」

「でももヘチマもないって。目標は達成。そこで春くんが落ち込む事ないでしょ? 私との約束は果たしてくれた、それでじゅーぶんだよ。ほらほら、落ち込んでないで立った立った。負けたのは悔しいし……むっきー! ほんと悔しい!! でもっ! まだ野球人生は続くんだから、あおいはもちろん、あかりや友沢やパワプロにだって逆襲のチャンスはたっくさんあるんだから、落ち込んでちゃ損だよ」

 

 みずきはぱっと離れにやりと邪悪な笑みを浮かべる。

 人一倍負けず嫌いな彼女は、本当は相当悔しいはずだ。

 それでも自分を気遣ってその悔しさを必死に抑えて――それでも溢れでているけれど――自分を励ましてくれているんだ。

 ぐい、と目元を拭い春は立ち上がる。

 彼女にそこまでさせて自分だけがうつむいてる訳にはいかない。いつまでもここに居るわけにはいかないのだ。これからも――野球人生は続くんだから。

 

「……みずきちゃん、ありがと」

「お礼いいたいのは私の方だよ。……春くんがいなかったらもう野球を辞めてた」

「俺もそうだよ。みずきちゃんが居たから、野球に戻ってこれたんだ」

「どういたしまして、じゃあそれ借りにってことにしちゃうかんね。返してよ? とりあえず何かおごってもらおうかなぁ。……そういえば婚約者のフリももう終わりかな。……、……あの、さ」

 

 くるり、と春の方に振り返り、みずきは何かを悩むようにちらちらと春の顔色を伺う。

 春は首を傾げてみずきが何かを言うのをその場で待った。

 ざぁぁ、という雨の音が響く。

 

「あ、あのさ、あの、こ、婚約者のしょーこで渡したペンダントなんだけどさっ」

「あ、うん、壊したら許さないって」

「う、うん、それなんだけど、さ。えーと。その、さ……」

 

 婚約者のフリが終わりということは婚約者の証のこのペンダントも返さなければならない。

 好きな人に渡すものだと言われていた。それを思い出して春は、

 

「これ、返さなきゃダメかな」

「え?」

 

 そのペンダントを、きゅっと握っていた。

 

「……返したくないんだ」

「そ、れは……そ、その。……は、春くん、それ」

 

 その意味をわかっているのか、とみずきが聞こうと思った瞬間、みずきは春に抱きしめられていた。

 !? とみずきの頭が真っ白に染まる。

 いきなり抱きしめられた――そのことを理解するのに数秒かかって、理解した瞬間みずきは呼吸困難に陥りかける。

 

「……俺は――みずきちゃんのことが好きだ」

「っ――!」

「二年前に俺がベンチに座り込むキミを立たせてくれたように。今度は君がベンチに座り込む俺を立たせてくれた。……ううん、それより前に、キミは俺を立たせてくれたんだ。……キミが野球に戻ってこれたのは俺のおかげというように、俺が野球に戻ってこれたのはキミのおかげだよ。みずきちゃん。……キミのことが、好きだ」

「……やっと、気づいたの……?」

 

 顔を珍しく真っ赤にして上目遣いでみずきが春を見つめる。

 春はその言葉を聞いて慌ててポリポリとほほを掻き、

 

「へ? お、俺、前からみずきちゃんの事好きだってなんか雰囲気出してたっけ?」

「ばか、違うよ。……そのペンダント、返さなくていいから」

「みずきちゃん……、……そ、それって、さ」

「ばか。二度は言わないよ。私は、春くんが私を一生懸命野球に連れ戻してくれた時から、ずっと春くんのこと、大好きだったんだよ?」

「……き、気づかなかったよ」

「ホント鈍感でバカで猪突猛進なんだから」

「ご、ごめん」

「……でも、大好き」

 

 春の腕の中でみずきが背伸びをする。

 そのままみずきの整った顔立ちに吸い込まれるようにして動けない春の唇に、みずきは自らの唇を重ねた。

 雨のベンチの中で、雨の音も忘れて二人はお互いの息を交わらせる。

 数秒して、みずきが唇を離してつい、とそっぽを向いた。

 耳まで真っ赤なみずきの横顔を、同じく赤い顔で春は見る。

 すー、はぁ、と春は深呼吸をして、再びみずきを抱きしめた。

 言葉を発さずに春はみずきの頬を両手で包み込む。

 そして、今度は自ら唇を重ねた。

 

「……んふあっ、……な、内定っ!」

「……ふ、は……え? な、何に……?」

「い、言わせない! ……とりあえず、まずすることは祈ることだよ?」

「――うん、そうだね。一緒にプロに行けますように。……出来れば、同じ球団に行けますように」

「そういうこと! そのペンダント、大事にしてね」

「うん、もちろん」

 

 二人は顔を見つめ合い、微笑み合ってベンチを後にする。

 その手は、しっかりと握られていた。



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第三一話 "七月四週" vsあかつき大付属高校  猪狩守と、葉波風路

 甲子園大会予選、決勝戦。

 

 一年前の夏の甲子園大会もこのカードだった。

 あかつき大付属高校と恋恋高校の、一つしかない甲子園大会の椅子を巡る試合。

 でも、もう甲子園なんてどうでもいいんだ。

 俺にとって大事なのはたった一つ。

 ――最高のライバルと高校生活最後の戦いに勝つ。

 手がふるえる。

 試合前のミーティングで恒例の相手投手や打線のポイントチェック中にもその震えは止まらなかった。

 武者震いって奴か。はたまた猪狩が怖いのか。自分にももう分からない。

 猪狩のこの大会の成績はここまで無失点。完封勝利が当然のような快刀乱麻のピッチングを披露している。

 そんな猪狩の成績の中でもしっかりと目を引く成績がある。

 それは奪三振数。

 イニング数を二〇個以上超える信じられない数値だ。

 その数字を叩き出すのは猪狩の会得した新球種、フォークだろう。

 落ちが遅い上に鋭く変化する天下一品のフォーク。特に左投手のフォークは高校生では珍しい上に、猪狩のそれはプロでも通用するとまで言われる切れ味を誇る。

 それを、攻略しなきゃいけない。

 一年前の夏よりも遥かにグレードアップした猪狩守というこの投手を、打ち崩さなきゃならない。

 でも、成長したのは相手だけじゃない。こっちだって厳しい練習を乗り越えてきたんだ。――絶対に、勝つ。

 球審が俺達をホームベースに呼ぶ。

 整列だ。

 一列に並び、正面に立つ男を見据える。

 整いながらもクールな顔立ちをしているくせに、その瞳の中には闘志を燃え上がらせて、猪狩は俺をはっきりと見つめている。

 

「お願いします!」

「「「「「「お願いします!!」」」」」」

 

 帽子を外しお辞儀をする。

 猪狩と視線を交わらせた後、俺達は視線を外し互いのベンチに戻る。

 言葉は要らない。ただ俺達のプレイをすればいい。

 それだけで、良い。

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

『さあ、始まります。この地区の夏の甲子園大会予選、決勝です。広いマグマドームに高校野球としては異例の観客動員数を記録したお客さんたちが詰めかけています! その数実に四万五千人! この世代を代表する投手と打者との対決を見るために、高校野球ファンのみならず全国の野球ファンが集っています! さあ、いよいよその火蓋が切って落とされます!』

 

 詰めかけた観客たちはザワつきながらその試合の開始を待っている。

 その中には見慣れたスカウトが居た。

 この試合で、猪狩守かパワプロ、東條、友沢の高校野球が終わる。

 それをどこか残念に思いながら、彼はグラウンドに散っていく選手達を慈愛の目で見つめた。

 

『さあ、スターティングメンバーを発表しましょう! 先攻のあかつき大付属高校!

 一番センター八嶋! 俊足巧打。身体能力だけなら恋恋高校の矢部選手を凌駕する快速選手です!

 二番ショート六本木! センスある選手ということはみなさん知っているでしょう! 今日も彼のプレイが楽しみです!

 三番レフト七井! プロ野球のスカウトの中でも、打撃だけなら今年ナンバーワンは彼だと称える声がつきません! 今日も豪打を魅せつけるか!

 四番ファースト三本松! 七井を三番に押しやる豪打のバッター! あかつき大付属の四番は今日も快音を轟かせるのか!

 五番サード五十嵐! 打撃に粗さはありますがパワーは四番の三本松以上! 恐怖の五番は今日も健在か!

 六番キャッチャー二宮! 世代ナンバーワン投手猪狩守の女房は打撃でもインサイドワークでもチームを引っ張ります!

 七番ピッチャー猪狩守! 彼に説明は必要無いでしょう! プロも垂涎の高校野球史上ナンバーワンと呼び声高い最強左腕です!

 八番ライト九十九! ファイブツールプレイヤーとは彼のこと! 下位打線とはいえ他校ではクリーンナップを張れる実力者がこの打順にいます!

 九番セカンド四条! ポジショニング、打球反応、どれをとっても天下一品! 九番ですが打撃も油断は出来ません!

 以上があかつき大付属高校のスターティングメンバーです!

 どんな打順、どんな状況からでも得点を奪える打撃力と鉄壁の守備力、そしてこの世代の名を冠する男、猪狩守を擁するあかつき大付属!

 続きまして後攻の恋恋後攻のスターティングメンバーを紹介しましょう!

 一番ショート矢部! 走守はプロ即戦力レベルと評される好選手は、今日も恋恋高校のリードオフマンとしてチャンスを切り開いてくれるでしょう!

 二番セカンド新垣! 女性選手ですが侮ることなかれ! バント成功率ほぼ一〇割の繋ぎのバッターは矢部選手と共にチャンスを作れるか!

 三番キャッチャー葉波! チームの柱であり、チームを指揮する監督でもあります! ライバル、猪狩守との対決は恐らく野球ファンが今か今かと待っているでしょう! 

 四番ライト友沢! 世代ナンバーワン野手と評価が尽きない男は今日も四番に座ります! 猪狩守を打ち崩せるか! 楽しみです!

 五番サード東條! 七井選手に負けない程の飛距離を誇る孤高のバットマン! 今日も鋭い眼光でボールを捉えることが出来るか! 

 六番センター猪狩進! 猪狩守選手の弟でもあります! 走攻守揃ったファイブツールプレイヤーとして、チームを支える好選手です!

 七番ファースト北前! 一年生選手がレギュラーとしてここに登場! 猪狩守を捉えて先輩の援護をしたいところです!

 八番レフト明石! チームを影から支える隠れた好選手です!

 九番ピッチャー早川! 女性選手ながら恋恋高校のエースピッチャーとして決勝戦までチームを導いて来ました。今日勝って二度目の甲子園の土を踏めるでしょうか!

 さあ、先発の早川選手がマウンドに向かいます! いよいよプレイボールです!』

 

 試合が始まる。。

 数時間後につく決着の末に、甲子園の地に立つのは、果たして。

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 あおいがマウンドに立つ。

 一番バッターは八嶋。目を通したデータによれば走塁技術に磨きをかけて矢部くんに負けないレベルにまで盗塁技術を鍛えたみたいだな。出塁は許すわけにはいかないぞ。

 幸い力は無い。転がすのを中心としたレベルスイングのフォームだから高めのストレートで勝負する。

 

『さあ、八嶋に対しての第一球!』

 

 あおいがボールを投げた。

 カァンッ! とその球を八嶋が初球から振ってきた。

 ボールは真後ろに飛び、ネットへと当たる。

 タイミングは有ってたけどコースは絞りきれてなかったみたいだな。バットがボールの下を通ってる。あおいの球も来てるし八嶋には徹底して高めを攻めるぞ。

 二球目をあおいが投じる。僅かに高めに外れたボール球を八嶋が振りに来て、打ち上げた。

 マスクを取って空を見上げる。

 ふわり、と力の無いボールが落下してきたのをしっかりとミットでキャッチした。

 

「よし! ナイスボールあおい!」

「ん!」

『打ち上げた打球はキャッチャーファウルフライ! 高めのボール球をふらされました八嶋!』

 

 今のボールに手を出すってことはあおいの状態は最高に良いってことだ。ボールを返し、俺は再びキャッチャーズサークルに座り込む。

 前の試合、速い内に交代させたからな。それが良い調整登板みたいになってこの調子につながってるのかも知れないな。

 

『バッター二番、六本木』

 

 六本木が打席に立つ。

 線が細い印象のあった六本木だが、この一年間で相当鍛えたのかがっしりとしてきてる。

 八嶋を打ちとったからって気を緩めてらんねぇ。ここで六本木を塁に出せば次は七井。七井に長打を打たれれば八嶋にヒット打たれたのと変わらねぇ。絶対に抑える。

 八嶋と違って六本木は高めも苦にしないバッターだ。天才と呼ばれてるだけのことはあって、巧打者にありがちなインコースを捌けない、みたいな顕著な弱点は見受けられない。

 インコースを流し打つ技術も持っているし、こいつが二番に居るってのは対戦相手に相当なプレッシャーを与えてきただろう。

 そんな六本木も弱点が無いわけじゃない。インコースにストライクゾーンからボールになるように食い込むようなボールには反応が他のコースに比べて数段劣ってる。……それを狙って投げれる投手は高校レベルじゃ片手の指で数えれるくらいしかいねぇだろうけどな。

 でもって、俺達のエースはそのうちの一人だ。頼むぜあおい。

 

(決め球はインコースへの緩いシンカー。頼むぜ)

 

 初球はアウトローへのストレート。追い込まれるまでは難しいコースには手は出して来ないだろう。

 パシンッ! とボールを捕球する。

 

「ストラーイク!」

 

 1-0。次はインコース、当たりそうなところギリギリへのストレート。

 ズパンッ!! とデッドボールギリギリのところにあおいが投げ込んでくれる。投球はもちろんボールで1-1。

 だがこれで目付けはできた。次はインコースへの緩いシンカーだ。

 インコースの一番厳しいところへ投げさせた後、インコースの甘いところに緩いボールがくれば変化球でも手を出してくるぞ。一番厳しいところを直前に見てるから、ストライクゾーンから食い込んでくるようなボールでも相当甘い球に見えるだろうしな。

 シンカーが投じられる。

 六本木がバットを振りに来た。

 六本木の手元でドロン、とゆるくボールが変化する。

 

「うっ!」

「はい! ファースト!」

 

 六本木が思わず声を上げてゴロを転がした。

 打球はセカンドゴロ。新垣がしっかりとそれを捕球して、ファーストに送球した。

 

「アウト!」

「ナイスセカンド! ナイスピッチ! いいぞ!」

「まっかせなさい! ナイスピッチよあおい! じゃんじゃん打たせなさい!」

「うん!」

 

 よし! データを上手く使って抑えれてる! 良い感じだ!

 あおいの調子も絶好調、ボールのキレもコントロールも最高だぜ。……今のボールは空振りしてくれるはずだったんだけどな。

 

『一、二番をあっという間に打ちとってツーアウト! しかしここからあかつき大付属はクリーンアップ、バッターは三番、七井!』

 

 ワァアッ! とひときわ大きな歓声が上がる。観客は良く打つ打者を知ってるな。

 七井の弱点は選球眼の悪さだ。ただしバットに当たれば打球の速さは凄まじい。天性のリストと飛ばす感覚ってのを持ってる打者だ。

 だが、バットに当たっても打者の正面ならアウトだし、フェアグラウンドの外に飛べばそれはただのファール。七井を打ち取る方法はファールを打たすこと。そうして追い込んでから決め球で空振りを取る。

 初球はインハイの顔付近に投げさせる。ブラッシュボールでも使わなきゃこの打者は打ち取れない。

 あおいが投じたボールが顔付近に来て、しかし七井は瞬き一つせずそれを見送った。

 ……普通は多少なりともリアクションを取るもんなんだが、それが無い。なんつー貫禄だ。まさに打つと言わんばかりの仕草じゃねぇか。

 それでもこれでストレートの速さは刻み込まれただろう。

 次はゆるいカーブをインサイドに投げさせる。ストレートの後の緩い球だ。振れ過ぎてファールになるぞ。

 ビッ、とあおいが頷いてボールを放る。

 

 待ってましたとばかりにそれを迎え撃つ七井のバットが火を吹いた。

 

 ガッカァアアンッ!! と音を轟かせて、目にも止まらぬスピードでボールがファールグラウンドのフェンスに直撃する。

 あまりの打球の威力に金網が震える音がこっちにまで聞こえてきたぞ。……なんてスイングスピードだよ。フルスイングしたのに蹌踉めく事が全くない鍛えあげられた体幹も、七井が実質あかつき大付属ナンバーワンバッターというのを証明してるみたいだ。

 だが、これでストライクカウントをひとつ取ったのと同じ扱いになる。カウントは1-1。フルカウントにしても問題ない。カウントをフルに使って打ちとるぞ!

 三球目、外角低めへのマリンボール。

 七井はそれを空振った。よし!

 これで追い込んだ。2-1になれば攻め方は大きく広がる。ここは……内角低めへのストレートだ。ワンバウンドするほど低く投げてくれ。

 球持ちの良いあおいなら内角へ投じても厳しいところならそうそうフェンスオーバーはない。

 あおいが頷き、腕をしならせボールを投げ込む。

 ドッ! とワンバウンドするボールをしっかり捕球する。さすがにこのバウンドボールは振ってこないか。

 2-2……それなら外角低めのギリギリにズバッと決めてやれ。

 要求はストレート。

 投げられたボールに七井はバットを出さない。

 スパンッ! と寸分も動かす事なく、ミットにボールが収まった。

 

「ストライクバッターアウト!! チェンジ!」

『決まった! 見逃し三振! 最後は外角低め。そこに決められてはどうしようもないというギリギリのところー!!」

「っよし!!」

 

 あおいがガッツポーズを作り、ベンチへと走る。

 完璧だぜ。第一打席で相手も固かったとは言えあっという間の三者凡退だ。文句のつけようがない。

 けど、油断は出来ない。七井のあの当たりは予想通りに打たせたボールだとはいえ、あまりにも痛烈だった。……甘く入れば持って行かれる。しっかり攻めないとな。

 ベンチに戻り、防具を外す。

 守備は終わった、次は攻撃だ。しっかり攻めるぞ。

 猪狩がマウンドに立つ。

 投球練習を見つめながらバットを振り、タイミングをあわせる。

 ――そして、猪狩が投球練習を終えた。

 

『バッター一番、矢部』

「矢部くん」

「分かってるでやんす。……追い込まれる前に打たないと、あのフォークは当たらんでやんすからね」

 

 矢部くんがバッターボックスに立った。

 猪狩は涼しい顔で二宮からのサインを受け取り、コクン、と頷く。

 ワインドアップモーションから、腕をふるう。

 その瞬間。

 

 ――ズドンッ!!

 

 球場が静まり返った。

 猪狩の遥か後方、バックスクリーンにその球速が表示される。

 一五〇キロ。

 弾丸のように鋭い回転の直球がミットを抉った。

 矢部くんが驚きで動けない。球審もあまりの速度に声が出ないのか、一瞬遅れてストライク、と声を出すのがやっとだった。

 

『な、なんなんだー今のボールはッ!! 高校生の球ではありません! まるでプロが見せるような、そんな豪速球だ!』

「う、ぐ、こ、これはっ……!」

「痛っ……ナイスボールだ! 守!」

「ああ」

 

 素知らぬ顔で猪狩が二宮からボールを受け取る。

 ハッと気づいた観客たちがざわざわと騒ぎ始めるが、そんなことに気を裂かず、猪狩はマウンドの砂を足で整え、再び二宮からのサインを受け取った。

 思わず二宮が顔をしかめてしまうほどの球威のボール。

 矢部くんに対する二投目も再びストレート。

 今度は高めへ。当てれるものなら当ててみろと言わんばかりの豪速球を猪狩は投げる。

 ッバァンッ!! と炸裂音を立てるミット。矢部くんもなんとか前に飛ばそうとバットを振ったが当たらない。

 ダメだ。振り遅れてる。三回り目ならともかく、初見じゃこのストレートは当てれない。

 そしてカウントは2-0。追い込まれた。

 そうと来れば、次のボールは――

 

 ヒュッ! と矢部くんの手前でボールが落ちる。

 

 ――フォークしかない。

 

『空振り三振! 地面を抉るような凄まじい落ちのフォーク! これは当てれません! ワンナウトでバッター二番の新垣となります!』

『バッター二番、新垣』

 

 新垣が打席に立つが、新垣の力じゃ恐らく当たってもボールはまともに飛ばないだろう。

 ゴオッ! とボールが唸りを上げてミットに突き刺さる。

 ネクストバッターズサークルから見ててもわかる程のノビに新垣は掠る事もできなかった。

 

『空振り三振!! ツーアウト! ここまで投げた六球の内、五球がストレート! そしてそのすべてが一四八キロを超えているという恐ろしい程の球威に手も足も出ません!!』

「っ、ごめん……」

「まだ一巡目だ。まだまだ勝負はこれからだぜ」

 

 新垣と入れ違いに打席に向かう。

 ……一年前、俺は猪狩のボールを打った。

 だから今度も打てる。絶対に、打てる。

 

『バッター三番、葉波!』

 

 ッワァアアアアッ!! とそのうぐいす嬢のコールと同時にマグマドーム内の熱気が一気に上昇する。

 皆待っててくれたんだな。俺と猪狩の勝負を。

 なら、情けない姿は見せてられない。打ってみせる!

 

『さあツーアウトランナーなしとは言え、ここでバッターは猪狩守最大のライバル、葉波風路! 会場のボルテージもヒートアップしています!』

 

 猪狩がポンポン、とロージンバックを手の上で跳ねさせ、ばふ、とマウンドに落とす。

 そして帽子の鍔を親指と人差指で掴み、腕を高々と上げてミットに入っているボールに手を戻した。

 ふぅ、と一息吐き、二宮のサインに頷いて、猪狩が腕を上げ――振るった。

 その瞬間、

 

 キュッ……ン、と。

 

 レーザー光線を思わせる、残像を残すような、糸をひくような――綺麗な線が見えるほどのストレートが。

 俺の前を横切っていった。

 後方でパァンッ! という音がする。

 球速表示は、一五四キロ。

 紛う事無く、猪狩の今までのマックススピードだ。

 

「トーライクッ!!」

『す、ストライク! 球速表示は一五四キロ! 自己最速を、ライバルの前で叩き出したー!!』

 

 っ……、このボールを、俺は打てるか?

 手が出なかった。初球から甘いボールを叩こうと思っていたのに、それが一瞬で頭から飛んでしまうほどの――打者すら吸い込んでしまいそうな、圧倒的なストレート。

 二宮がボールを猪狩に返し、猪狩は深々と息を吐いて、再び投球モーションに入る。

 次は絶対に振る。――一度ホームランを打ったんだ。打てるだろ、俺!

 レーザービームのようなストレートが猪狩から放たれる。

 コースは高め。振り切れ!!

 ッキィンッ!! とバットが音を立てる。

 飛んだボールは一塁線の右に切れて行く。

 

「ファール!」

『当てた! 当てました! 球速表示は一五三キロ! その豪速球を二球目で当てました!』

 

 ファールになったが、当たった。

 やっぱり当たらないって事はないんだ。どんなボールだって振れば当たる。

 どんなボールだって、当たるんだ。

 ぐっ、と猪狩が三球目を投じるべくワインドアップモーションに入る。

 三球目、

 猪狩が投じたボールは、

 ストレートだった。

 ストレートのはずだった。

 それが、

 ――浮き上がる。

 

「な――っ!!?」

 

 手元であおいのストレートのように浮かび上がる直球。

 ボールは俺のバットの上を通過して、二宮のミットに突き刺さった。

 

『か、空振り三振……! 球速は一四七キロ! 球速自体は二球目より遅いですが、この球の方がスピードを感じるキレが有ったでしょうか。葉波空振り三振でスリーアウトチェンジ! この回を三者連続三球三振で打ちとりました猪狩守!』

 

 今のボールは、ただのストレートじゃない。

 猪狩の今までのストレートに比べて軌道が違いすぎる。……いや、それ以前に、猪狩はオーバースローだ。

 そのオーバースローのボールが浮きあがるなんてこと、ありえるのか?

 

「……ライジングショットだ」

「……え?」

 

 猪狩の声ではっと我に帰る。

 しまった、スリーアウトだから早くベンチに帰らねぇといけないのに、思わず呆然としちまった。

 

「――今の球は僕の新しい決め球、ライジングショットだ。一打席目に見せたのはサービスだよ。パワプロ」

「ライジング、ショット?」

「そうだ。その名の通り“上昇する投球”。……原理は簡単だ。ストレートの回転軸の傾きを小さく。回転数を多くするように投げているんだ」

「回転軸の傾きを小さくと、回転数を大きく?」

「そうだ。通常、ストレートの回転数は平均で三五回程だが、プロでも火の玉ストレートが有名なとある選手のストレートは四五回転もしているそうだ。更には回転軸の傾きが少なければ少ないほど、回転をすればするほど揚力が強く働くため、ボールが落ちにくくなるのだ。それによって、通常のストレートよりも“落ちにくい”ボールになる。……僕の場合、軸の傾きは三度、回転数は四七ってところらしいぞ?」

「っ、お前は、それを意識して、普通のストレートとライジングショットを投げ分けてるのか」

「ああ、パワプロ、お前に勝つために」

「ふたりとも、早く次の回の準備をしなさい。私語はいい加減にしないと注意せざるを得ないよ」

「っ、すみません、すぐに戻ります」

「はい、すみません」

 

 審判に注意され、ベンチに急ぐ。

 その際、猪狩はふっと笑みを浮かべた。

 ――新球種と、その正体まで、はっきり宣言していった。

 それだけ自信があるんだ。

 原理を知ろうが、正体を知ろうが、どんなボールか理解されようが。

 “それだけじゃ打てない”。それを確信しているからこそ、猪狩ははっきりと俺に名前と原理を教えていったんだ。

 あいつの中の感覚的な問題だから、どういう風に投げてるのかはわからない。アイツのことだから細胞を伸縮させてーとか意味不明な事いってるんだろうけど、その結果投げれた球があれなら、あながち嘘じゃないのかもな。

 二回表は四番の三本松からだ。

 三本松は七井と違い、外のボールの選球眼は良い。そのかわり柔らかさが無い分、内と外の揺さぶりが効くハズだ。

 内角の厳しいストレートを見せる。

 ビシッ! と決まったボールを三本松は見逃した。

 

「ストラーイク!」

 

 よし、際どいところがストライクになった。これはでかいぞ。

 あのコースがストライク判定されたらあのコースは振るしか無いからな。外とのコンビネーションが使いやすくなるぜ。

 次も内、但しストレート以外だ。三本松のスイングは振りまけない強さがあるからな。続けて持って行かれた、なんてなったら目も当てられない。

 ……相手はあの、猪狩守なんだ。先制点は絶対にやれないからな。

 インコースへカーブを投じさせる。

 そのボールをすくい上げるように三本松が打ち上げた。

 サードの東條がそのボールをファールグラウンドでキャッチする。

 

「ナイスボール!」

 

 よし、この調子で後続も打ちとるぞ。

 五十嵐はカーブを打たせてファーストゴロ。

 二宮をアウトローへのストレートで見逃し三振に打ち取り、二回をあっという間に終える。

 あおいの調子はいい、良すぎるくらいだ。このあかつき大付属の強力打線を手玉に取っているし、俺のリードにも一〇〇パーセントの精度で応えてくれてる。

 だが。

 そのあおいの頑張りや俺のリードすらもかすませる程の猪狩のボールは、俺達を沈黙させるには十分すぎるほどの球威を誇っていた。

 バンッ!! と二宮のミットが吹っ飛ぶのではないかと想うほどのストレートに友沢は空振る。

 あのタイミング合わせの天才がついていくのでいっぱいいっぱいだ。

 ストレート二球で友沢を追い込んだ猪狩は、最後の直球――

 手元でボールはライズする。

 ドンッ! と轟音を奏ででミットにボールが刺さる。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 友沢が、ストレートだけで三球三振した。

 続くバッターは東條。

 その東條もストレートだけでねじ伏せられる。決め球はいずれもライジングショットだ。

 打順は六番、進。

 弟に対しても猪狩は投球を変えない。ストレートだけを使い、あっという間に三振に打ち取る。

 

「これはマズイでやんす、ね」

「パワプロ。この投球は作戦を建てないと打てない……」

「……分かってる。……でも」

「……建てようがない。これほどの直球。それもリードも上から見下ろすようなストレートの嵐だが、出すと火がつく矢部相手にはきちんとフォークを使い三振をとっている」

「あおい、頼む」

「うん、大丈夫! パワプロくんと力を合わせればどんな打者にだって打たれないから!」

『さあ、三回の表が始まります! バッターは七番投手猪狩守! 打者としても評価が高い猪狩。ここでランナーとして出たい所!』

 

 あおいはにこっと笑って三回表のマウンドへと走っていく。

 バッターは猪狩。

 初球はストレート。内角低めのボールを猪狩は見逃した。

 

「ストライク!」

 

 猪狩はボールをしっかりと見極める。

 一年前はホームラン打たれたが、もう打たれねぇぞ。

 カーブをインコースに落とし、追い込んで2-0。

 最後はインハイのストレートで見逃し三振に打ち取る。

 

『見逃し三振! 完璧なコントロールー! 甘くなれば一発を打たれてもおかしくないインコースを執拗にせめてバットを出させません!』

 

 猪狩が打席を外し、戻っていく。

 ――俺を一瞬だけ見て。

 ……負けられねぇ。絶対に。

 八番の九十九はセカンドゴロ。九番の四条をサードゴロに仕留め、あおいはふぅっと大きく息を吐き出した。

 重圧が有るはずなのにそれをものともしてない。さすがだけどその疲労は凄まじい物が有るはずだ。

 なんとか球数を削っていきたいけど、この打線相手に短調なリードなんてすれば持って行かれる。

 一ノ瀬も居るんだ。ここはじっくり腰を据えて丁寧に、だな。

 三回裏。

 北前からの打順だが、猪狩はここもストレートとライジングショットだけで終わらせる。

 北前、明石、あおい。

 この三人にバットを振ることすらさせない圧巻の投球で、三回を終わらせた。

 

『さあ三回まで終わって両者なんと無安打無四球のパーフェクト! 行き詰まる投手戦はそのまま四回の表のあかつき大付属高校の攻撃へ! 打順は一番に戻ります!』

『バッター一番、八嶋』

 

 八嶋は静かにバットを構える。

 一打席目、八嶋はフライを上げた。"フライを上げる打者になら"あおいの持ち味が生きるはずだからな。高めと低めのコンビネーションで勝負するぞ。

 インローの後のアウトハイを打たせ、矢部くんがフライをキャッチする。

 これでワンアウト。だが問題はここからだ。

 あおいの投球フォームはアンダースロー。基本的にアンダースローピッチャーの投球は打たせて取り、ゴロを打たすピッチングになる。

 だが、あおいのそれは違う。極限までリリースの球持ちを良くし、キレがあって伸びる球筋のボールを投げるあおいはフライを打たすピッチャーになるはずだ。

 それが変化球であっても、あおいの場合読みと外れたボールの場合はキレがある分、空振る事が多いはず。

 それをこいつは一打席目、ゴロにした。

 ということは相当あおいの球筋を予想してきてるってこと。

 八嶋の打撃は基本フリースタイル。自分の好きに打って出塁するって感じだが、この六本木は違う。

 状況に応じ、相手と自分との実力差を鑑みて今取るべき最適の行動を行う――打撃力なら九番の四条の方が上なのにこの六本木が二番を浮動のものとしているのはそういう理由なんだ。

 その打者があおいのコントロールを知った上で一打席目に弱点を突かれた、それを踏まえた上でどういう対応をしてくるか。

 ……ダメだ。何も思いつかねぇ。愚直に弱点を突くしかない。次が七井なんだ。どうしても六本木は抑えたい。

 けど、さすがに決め球に使うのはマズイ。そこを使って追い込んで、二球目に決め球がそこに来るという意識を植えさせる投球をしつつ追い込んで、反応いかんによっては三球目にボール球を使って、って感じでいこう。

 インサイドに構える。

 要求するボールはシンカー。

 あおいが振りかぶり、ボールを投じる。

 

「来たっ!」

 

 投じた瞬間、六本木がそう言ったのが聞こえ、

 ザッ、と六本木がスタンスを大きく開いた。

 

「何っ……!?」

 

 ッカァンッ!! とバットが火を噴く。

 東條がジャンプするが届かない。サードの頭を超えた打球はラインの内側で一度バウンドした後、ラインの外側へと痛烈な回転で逃げていく。

 ――完全に狙い打たれた。

 俺の思惑を完全に理解した上で、そのボールを待っているという匂いを消し。

 苦手なインコースをわざと開く事でグリップの位置を身体側近くに移し、強引に真芯で捉えれるようにしたんだ。

 意図的にフォームを崩してヒットを打つ。それが出来る打者はプロを入れて何人居るだろう?

 明石がボールを矢部くんに返す。

 ズザッ! と滑り込んだ六本木が二塁で止まり、ふぅっと深く息を吐いた。

 俺はバシ、と自分の頬を叩く。

 相手はあのあかつき大付属の、史上最強メンバーと言われる奴ら。

 そいつらを相手に弱点だからだとかそんな甘い考えで通用するわけがない。

 レギュラー全員がプロ入りしてもおかしくないレベルだ。そう思え。

 その上で相手のデータを利用し、同時にデータに惑わされないようにしないといけない。

 俺とあおいなら、それが出来るはずだ。

 

『バッター三番――七井アレフト』

 

 そして迎えるは最高の打者。七井アレフト。

 敬遠か、勝負か。

 立ち上がったまま俺がじっとあおいを見つめると、あおいはコクン、と頷いて、ぐるぐると腕を回した。

 ……あおいは強くなった。

 だったら、俺も強くなろう。

 

 少しでも長く一緒に野球が出来るように。

 少しでも長くこのチームで戦えるように。

 少しでも長く笑い合えるように。

 

 ボールをあおいに返し、座って構える。

 

「さあ打たせてこい!」

「バッチコイでやんすー!」

「バッチコイ!」

「絶対に取ります! センターに打たせてください!」

 

 要求する球はマリンボール。

 低めへと沈む変化球をゴロに打たせてとろう。あおいの打ち取るスタイルなんて関係無い。アウトを取る。

 あおいが腕を振るう。自身最高の決め球を。

 鋭いスピンのボールはインハイへ向かって伸びる。

 それを受け取ろうと俺はミットを伸ばして、

 

 次の瞬間、ドガンッ!! と、

 

 バックスクリーンに突き刺さった打球が、

 そのまま静かに座席に落ち、コーン……と静かに跳ねた。

 

『あ……』

 

 絶句、失望、歓喜。

 様々な感情を込めた沈黙が球場を支配する。

 

『は、入った……入ってしまったー!! 七井アレフトバット一閃ツーランホームラーン!!』

 

 打たれた。

 堰を切ったように歓声が響き渡る。

 その歓声を一心に浴びて七井はホームベースを踏んだ。

 マリンボールが、打たれた。

 

「……そんな……」

 

 あおいが呆然と打球が飛んだ方向を見つめて呟く。

 初めてマリンボールが打たれた。

 衝撃的すぎて現実感がないほどの出来事が起こった証拠を刻む二点のバックスクリーンを見つめながら、俺達恋恋高校の面々は呆然と立ち尽くす。

 決して投球は甘くなかった。

 低めに鋭く堕ちるマリンボール。

 七井はそれをバットを目一杯長く持ち、軸回転で弾き返した。

 結果的に言えば敬遠が正解だったのかも知れない。

 ――逃げたくなかった、それ以上に逃げる必要が無いと感じていた。

 "マリンボールは打たれない"。

 "選球眼は悪くないから、低めにマリンボールを投げさせれば"。

 数十秒前の自分をひっぱたいてやりたい。なんでもっと、慎重に考えなかったんだ。

 

「まだだ!!」

 

 声を張り上げる。

 後悔しても過去には戻れない。

 喚いても嘆いても、無いものは無い。

 

 ならせめて、前へ。

 

 打てないと誰が決めた。あおいが二点取られたなら俺達が三点取ればいいんだ。

 

「まだ終わってねぇ! まだ攻撃は六回ある! 集中しよう!」

「うん! ごめん! 打たれた! 次は抑えるから!」

「ああっ!」

「……ふ、二度同じ打者に打たれるバッテリーではないしな」

「分かってるでやんすよー!」

 

 まだ、声は出る。

 終わったなんて思わない。俺達はまだ、戦える!

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 良いチームを作ったな、と倉橋理事長は思った。

 テレビの前で手のひらに浮いた汗をおしぼりで拭きながら、倉橋理事長は再びテレビに目をやる。

 甲子園に行くという約束は果たされ、宣伝効果も十分だった。

 一年の男子生徒の数は劇的に増え、恐らく来年も増え続けるだろう。それで、倉橋理事長が野球部に注目する必要は無くなったはずなのに、まだこうして彼は野球部の一挙手一投足に目をやってしまっている。

 野球の事なんかわからなかった。今も曖昧だ。

 それなのに、何故だろう。――どうして、彼らの戦いを見ているとこんなに胸が熱くなるのだろう?

 ――泥だらけになっても必死に起き上がり、

 ――素人目に見ても敵わない相手を目の前にして、

 それでも全員が全員、まだあきらめない。

 一度日本一になったからだとかそういうチャチなプライドで動いてるんじゃなく、全員が全員そう思っている。

 だからこうして絶望的な二点差がついても、テレビで見ていられるのだ。

 孫娘がテレビに写った。いつの間にか応援団グッズを身に纏い、外の熱気で真っ赤になった顔を冷やすことも忘れて声を上げている。

 

「……倉橋さん」

「おっと、すみませんな影山さん。ハハハ、年甲斐もなく、熱くなれるものを見つけてしまいましてな。いや、細かいルールはまだわからないんですが、それでも熱くなるのですよ。……彼らを見ているとね」

「いえ、わかります。だからこそ私達は足を棒にして選手たちを見つめていられるのですよ。……そんな熱くしてくれる選手の代表格が……このように私達スカウトの調査書の記入をせず、断りを入れてくるのが信じられません。思わず、試合よりこちらを優先してしまったほどに、ね」

 

 影山スカウトはゆっくりと書類を机に出す。

 それはプロ野球の球団にドラフト指名される際に必須の、調査書というものだ。

 まだ速い時期だが、それでもプロの球団はすでに動いている。

 どこよりも強く誠意を見せる為、我先にと調査書を配るのだ。

 影山の居るキャットハンズもその例に漏れず、猪狩守、アンドロメダ高等学校の神高、友沢、そしてパワプロにも配布した。

 ――だが、そのうちパワプロだけが、その日の内に理事長を通じて連絡をしてきた。

 調査書には、書けないと。

 

「お願いします! 倉橋理事長! どうして……どうして彼はプロに行かないんですか!? これほどまでに人を熱く出来る! これほどまでに人を魅せつける! そんな選手が、何故っ!」

「……数年前まで、加藤、という保険医が監督として居たのをご存知ですかな?」

「え、ええ。それはもちろん。ですが、彼女が何故ここで……?」

「彼女はアンドロメダに赴任しましてな……そこで武井田監督、という方に出会いましてな。……その方からどうやら葉波くんのことがアメリカに伝わったらしく。……来たのですよ」

「ま、まさか、メジャーからの誘いが……!?」

「ははは、いや、そこまで凄いものではありませんよ。メジャーリーガー……神童選手ですよ」

「――っ!」

 

 そう、それは数年前の事。

 カイザースで類を見ないほどの活躍を果たした神童という選手が居た。

 彼はメジャリーグに移籍し、メジャーでも完全試合を達成するなど大活躍を今現在もしている。

 ――そして、一部のスカウトにオフレコとして入ってきた一つの情報がある。

 即ち、

 メジャーリーグの圧倒的実力を肌で感じた神童選手は、日本の野球こそがナンバーワンとするため、野球選手養成の為の、野球選手のためだけの街や野球アカデミーをつくろうとしている、という。

 

「まさか」

「そうです。神童さんが葉波くんを誘い、それを葉波くんは了承した。即ちプロ野球選手育成の為の学校――野球アカデミーの将来的な設置、彼は神童さんが主導するそのプロジェクトの第一号に」

「っ、ぁ、そんな、そんな事が……!」

「ふふ、驚きましたか? 私も驚愕しましたよ。途方もない計画……サイエンスファンタジーのようなありえなさ。それでも神童くんと葉波くんは目を輝かせていました。思わず頷いて出資を約束してしまいましてね。……ああ、これはオフレコでお願いしますよ。影山さんだから教えたのですから」

 

 突拍子も無いことだが、全くありえない話ではない。実際日本プロ野球のレベルはメジャーリーグに近づいていると言われている。

 でも、それは投手だけの話だ。野手はメジャーリーガーの身体能力に負けて、殆どが成功したとは言いがたい結果に終わっているのだ。

 特に捕手は挑戦者数が元から片手の指で数えられる程度しかいない。……それが、パワプロのような捕手のスター選手の卵が出てきた。それならば神童から声がかかるのはある意味、必然といえるのかもしれない。

 

「ああ、そうそう」

 

 倉橋理事長は驚愕して声が出ない影山スカウトへ、いたずらっぽく笑いかけ、

 

「いずれ出来る街の名前は『パワフルタウン』……パワプロくんの葉波と英語のパワフルをかけているらしいですよ?」

 

 とんでもないことを言った。

 ――彼の熱は、

 野球を超えて、街すら作るという。

 そのとんでもない話に景山は苦笑するしか無かった。

 

 

 

 

                              ☆

 

 

 

『七回表が終了しました! しかし、しかし! 依然重いこの二点!! 猪狩守はなんとここまで三振一七個! 完全試合中です!』

 

 必死に食い下がる。

 ピンチはあの七井の被弾以来作らせて居ない。

 ――だが、それ以上に打てない。

 ライジングショットだけじゃなくフォークスライダーカーブを織り交ぜる猪狩の変幻自在の投球に、俺達は手も足も出ない。

 

「ストライクバッターアウト」

「ぐぬぬ……でやんす」

 

 矢部くんが唸りながら戻ってくる。

 新垣も当たらない。一五四キロのストレートを振らされる。

 

『バッター三番、葉波』

 

 第三打席目。

 ――絶対に出る。

 勝つためには流れが必要だ。幾ら猪狩とはいえ、ツーアウトからと言えどもランナーが出れば乱れるハズ。

 フォアボールでもエラーでもいい。とにかく塁に出る!

 猪狩が足を上げる。

 グオンッ! とダイナミックなフォームから投げ込まれる一五二キロのストレートを、俺は懸命に振るう。

 チッ! とチップ音を響かせてボールがバックネットに突き刺さる。

 

「ファール!」

 

 よし、当たった。ストレートはこの要領で振れば当たる。

 これでもまだボールの下だった。つーことはライジングショットは目算でこれよりボール上二つ分を振れば当たりはするはずだ。

 二球目は外、球種はカーブ。

 出かかるバットを必死に止めてボールを見送る。

 

「ボール!」

 

 よし……変化球はスライダー以外なら見れる。フォークは振りに出てたら当たらねぇけど、チップでもいいって気持ちなら当てれるハズだ。

 インコースは追い込まれるまでは捨てる。どうせチップしに行っても下手にフライになったりするだろうからな。

 三球目――インコースへのストレート。

 直前に思ったことが功を奏したのかバットが止まり、

 

「ボールツー!」

 

 これで1-2! バッティングカウント!

 

『初めてボール先行になります猪狩。やはりライバルには緊張するのでしょうか』  

 

 ストレートカーブストレートと来た。そろそろストレートで来るだろうが――問題はライジングショットか否かということ。

 ぐっと猪狩が腕を引く。

 ライジングショットに狙いをあわせて振れっ。

 弾丸のように放たれたボールは俺の手前でライズする。

 予想通り――!

 ググ! とライズするボールにバットが当たらない。

 ズパンッ!! と二宮がボールを捕球した。

 

「トラックツー!」

 

 っ、予想通りだったのに当たらねぇのかよ! なんて伸び……!

 これに当てる為にはもうちょっと高めを振らねぇと。……でも無理やり高めを振りに行っても他の球種ならかすりもしない。狙うにはリスクが高すぎる。

 くそっ……どうすりゃいい。どうすればライジングショットを攻略出来るんだ……!?

 ただでさえ打ちにくいのに真上にライズするなんて……。

 ……ライズする。

 そういや、前まで投げてたあおいの"第三の球種"もコース指定があるにしろライズするボールだったっけ。

 じゃあ今まで戦った相手はどうやって第三の球種をどうやって打ってたんだ?

 そういや、一番最初。

 高木幸子の時、バックネットだったけど真後ろに突き刺さる強烈なファールになってた。

 あれをファールにできたのはソフト部でライズボールに慣れているからだと思っていたけど――本当にそうなのか?

 俺はあの時思ったはずだ。"野球のボールは小さいから浮き上がる打球の捉えづらさはソフトボールの比じゃない"と。

 それを結果はファールだったとは言え、痛烈な当たりだった。捉えづらい球を慣れているからといって二球目で捉えきれるか。ボールの大きさが違えば浮力も違う。浮き上がり方にも違いがあるはずなのに。

 

 これだ。

 

 この認識に何か攻略の取っ掛かりがあるんだ。

 思い出せ。あの場面を。

 高木幸子が何を想ってあの打席に入っていたのか、どうやってあのボールを痛烈なファールにしたのか、思い出せ。

 高木幸子はソフト部の四番。

 高木幸子はあおいと同級生で一緒に野球をやっていて。

 女性ゆえにチームから敬遠され野球をやめた。

 それでソフト部のキャプテンになった。

 ソフトボールはボールが大きい分、球場も小さいから野球で培った打撃が十二分に発揮されてエースになって……。

 球場が小さい。

 じゃあ球場が広かったらどうする?

 球場が広くてホームランは打てない。それでも生き残ろうとするなら、どういう打撃をする?

 あの場面。ヒットが出れば勝ちという場面で大ぶりなんかしない。実際高木幸子も、あの場面は流し打ちしてた。

 

(――そう、か)

 

 ああ、そうか。

 そうだったんだ。

 こんな、簡単な事だったんだ。

 俺はゆらりとバットを構える。

 フォームは変えない。このままでいい。

 猪狩が足を上げ、ボールを投じた。

 浮き上がるボール(ライジングショット)を打つ方法。

 それは、打撃の基本中の基本。

 ボールを上から叩き、

 タイミングを合わせセンター返しをイメージして、

 ただひたすらシャープにバットを振りぬくっ!!

 

 カァンッ!! と快音が響いて、ボールがファーストの頭を超えていく。

 

 俺はそのままファーストベースで立ち止まって、ガッツポーズを作った。

 歓声が、響く。

 

『う、打ったー! 猪狩守のホップするような豪速球を華麗に流し打ちー! 初めてのヒットはやっぱりこの人、葉波風路ー!!』

「やった!!」

「凄いでやんす! でもどうやって……!?」

「次の回の終わりに聞くしか無いわ。……友沢……っ」

 

 新垣が祈るように友沢を見つめるのがファーストベースからも見える。

 だが、その願いも虚しく友沢は空振り三振に倒れ、これで七回裏が終了。残す所も後二回。後二回で、猪狩から二点を取る。

 至難の業だが、無理じゃない。攻略の糸口は見えた。

 

「パワプロくん! どうやって打ったでやんすか!」

「さっさと教えなさいよ!」

「俺からも頼む。今今投げられたばかりだが当たらない」

「……出し惜しみしている場合じゃないぞ」

「わあってるよ。必要なのは意識だ」

「意識?」

「ああ、ボールの上を叩くのと、流し打つイメージ」

「……それで当たるでやんすか?」

「ああ、ボールの上を叩こうとすると自然とバットは高めから出る。ライズしてくる軌道にばっちりかち合うだろ。猪狩のボールのエグいところはこっから更に伸びてくるから、当たらないってことだが……それはセンター返しで対応した」

「センター返し?」

「ああ、ひたすらタイミングをあわせて振る。伸びてくる分流し打ちになっちまったが、これなら自分の打撃を崩す事なくいい形で、なおかつライジングショットに対応出来るようにバットが触れるだろ」

「なるほど……」

「確かに、それしかないかも……」

「ああ、さあ、さっさと守備を終わらせて攻略するぞ!」

「……ん、八回、行ってもいいの?」

「ああ、あおい。頼む。……行こう」

「……うんっ」

 

 あおいが頷く。

 八回の表。

 七井アレフトが打席に立つ。

 さっきツーランを打たれたが、今度はもう打たせねぇ。絶対に。

 インローに構える。

 もう意思疎通は必要ない。あおいは静かに頷いてボールを投げた。

 バットを一閃する七井。

 だが、バットには当たらない。当てさせない。

 空振ったバットがビュンッ! と恐ろしい音を立てた。

 大丈夫だ。

 アウトローへの逃げるボールを投げさせる。それも迎え撃つように振るうが当たらない。

 追い込んだ。

 ――遊び球は要らない。

 逃げるかよ。絶対に勝つ!

 インハイに腰を上げ、俺が構えるとあおいはこくん、と頷いた。

 そうして投げられた投球は、

 俺とあおいの始まりを告げた、あのボール。

 "第三の球種"と全く同じコースの、インハイのストレート。

 それを七井は打ち上げる。

 力のないピッチャーフライ。

 それをあおいはしっかりと両手でキャッチした。

 七井を三球で抑えた。

 その事実に驚いたのは何よりもあかつき大付属のベンチだったろう。

 続く三本松、五十嵐もフライアウトに打ち取り、八回の表が終了する。

 八回の裏、東條からの打順。

 東條は俺の言った通りの打撃をする。

 ――が、猪狩はそれを察知してか、ライジングショットを投げず、スライダーとストレートのコンビネーションに切り替える。

 

「ぐっ!」

 

 そして――追い込んでからのフォーク。

 東條は空振り三振に打ち取られ、スタンドのボルテージが上がる。

 続く進もストレートで。

 北前もピッチャーフライに打ち取られた。

 八回が終わる。

 残す攻撃は後一回。

 一回の攻撃で、猪狩から二点を取らないと行けない。

 ……二宮から続くあかつき大付属の攻撃。点は取らせないぞ。

 

「あおい、一ノ瀬とスイッチだ」

「うん、頼むよ一ノ瀬くん」

「ああ。……パワプロ、勝とう」

「もちろんだ」

 

 軽く一ノ瀬とミットをあわせ、分かれる。

 投球練習を終えると同時に二宮が打席に入った。

 

「僕はパワプロくんともっと野球をする。だから――君たちには打たせない!!」

 

 スパァンッ! と気合の乗ったストレートがミットを打つ。

 打たせない。その気迫が感じられるような直球だ。

 二球目のスライダーで追い込み、三球目のスクリューで打ち取る。

 ワンアウト。

 バッターボックスに立つのは猪狩守。

 目の前で猪狩の投球を魅せつけられた一ノ瀬は色々溜まっていたんだろう。

 それを爆発させるように腕をふるう。

 ――猪狩にすらかすらせない圧倒的な投球を見せて、一ノ瀬は猪狩を三振に打ちとった。

 九十九も低めのストレートで見逃し三振。

 九回の表が終わる。

 そして九回の裏。ここで二点取らなきゃ俺達の負けだ。

 

『……さあ、いよいよ。この戦いも最後が近づいて参りました。二点差を追いついて延長戦に持ち込むか、三点を取って一気にサヨナラに持ち込まなければ恋恋高校は負けてしまいます! 九回裏、マウンドに立つのはもちろんこの人、猪狩守!』

『バッター八番、明石』

「明石。気負うなよ」

「うん」

 

 明石が打席に立つ。

 問題は初球だ。

 猪狩が投じた初球は――ライジングショット。

 それを明石はしっかりと流し打つ。

 

「ファール!」

『伸びるボールをファールにしました明石! ついていけています!』

 

 よし、タイミングばっちり。少し球威に押されたけど圧倒されるってことはなくなってる!

 これならもしかしたら。

 ――そんな希望を打ち砕くかのように、猪狩はスライダーを外角低めギリギリに決め、

 止めとばかりにフォークを振らせた。

 

「う、くっ!」

「スイング! バッターアウト!!」

『空振りさんしーん! 追い込んでからの一四三キロのフォークー! あたりませーん!』

 

 ちくしょう、ライジングショットだけでも厄介だっつーのにあのフォーク……! 上下に揺さぶられちゃ手も足も出ない!

 後アウト二つ。バッターは一ノ瀬。

 

「一ノ瀬。頼む」

「ああ、……打ってくるよ」

 

 微笑み、一ノ瀬は打席に立った。

 空を裂くストレート。怯まずに一ノ瀬はそれを迎え打つように振る。

 

「ストライク!」

 

 だが、当たらない。流石に初見じゃ当てられないか。

 二球目はスライダー、一ノ瀬が必死でついていこうとバットを振るって。

 コンッ、と軽い音が響く。

 ショートが慌てて後ろに下がり、その後ろにぽてん、とボールが落ちた。

 

「よっしゃぁ!!」

『ヒットー!! ポテンヒットながらランナーが出塁ー! そして打順は一番に帰ります!』

『バッター一番、矢部』

「矢部くん!」

「任せろでやんす! 絶対に出るでやんすよ!」

 

 矢部くんがバッターボックスに立つ。

 矢部くんはどうしても打って欲しい時、何時も打ってくれた。

 きっと、今度も。

 初球、猪狩が投じたスライダーを矢部くんはしっかりと振るう。

 キィンッ! と乾いた音を立てて、ボールが一、二塁の間を抜けていった。

 

『ヒットヒットヒットー!! 恋恋繋ぐー! 矢部見事な引張でチャンスを広げます! ワンアウト一、二塁でバッターは二番新垣ー!』

 

 ……はは、やっぱりすげぇわ、矢部くん。

 新垣が打席に向かう。

 深く息を吐いて、新垣はしっかりとバットを構えた。

 新垣の一挙手一投足を俺はネクストから見守る。

 サインは必要ない。新垣は自分の役割をしっかりと理解して行動するだけだ。

 猪狩の初球は恐らくライジングショット。

 新垣のバントを全力で封殺しにくるはずだ。

 じりり、と内野陣が前へと歩みをすすめる。

 猪狩がボールを投じると同時に内野陣がバントシフトの為に一斉に動き出す。サードとファーストは前へ、セカンドとショートはそれぞれ開いたベースカバーへ。

 その間を抜けるためのコースは一つ。

 

 上空へ。

 

 新垣はライジングショットを叩きつける。

 ゴキンッ! と鈍い音を立ててボールはワンバウンドし、高々と浮かんだ。

 バントではバットを振ってはいけないと言われているのに、そのタブーを破ってまでも新垣は一ノ瀬達を進塁させてくれたのだ。

 猪狩がボールを取り、ファーストへ投げる。

 

「アウトー!!」

『送りバント成功ー!! ツーアウト二、三塁! 一打同点のチャンスで――バッターは!』

『バッター三番、葉波風路!!』

 

 ドワアアアアアアアアアア!! と観客が揺れる。

 ほんと、神様ってやつはどうしてこうもこういうお膳立てが好きなんだろうな。

 ルパン三世のテーマが流れだし、皆が俺を鼓舞するように大声で応援歌を歌ってくれる。

 ――死力を尽くし。

 ――全力をぶつけ合い。

 そして今、俺達はこの場面でお互いの命運を決そうとしている。

 延長戦になれば流れの勝る俺達が勝つだろう。

 

 だから、打つ。

 ここで打たなきゃ。

 ここで俺が打たなきゃ――誰が打つ!

 

 猪狩がボールを投げる。

 豪速球。

 それを迎え撃つ。

 ビュンッ!! とボールを空振った。

 

『ストライク!!』

『フルスイングー! そのスイングに歓声が起こります!』

 

 1-0か。初球を捉えたかったんだけど。

 続いて二球目、投じられたボールはスライダー。

 それを追いかけて、ファールにする。

 

「ファール!」

『ファール! これで2-0、追い込みました!! 後一球ー!!』

「あと一球! あと一球!」

 

 後一球じゃ終わらせねぇ。

 ――今まで続いてきたんだ。

 あの日、握手を交わして道を違った、あの時から。

 

「ボール!!」

『低めの際どいストレート、見極めました! これで2-1!」

 

 今までずっとずっと。

 猪狩を追い、猪狩に追われ、抜いて抜かれて。

 

「ボールツー!!」

『今度は伸びる方のストレート! 高めに外れたボールを見極めます!』

 

 必死にバットを振って追いつこうと頑張って頑張って。

 そしてやっとたどり着いたこの舞台を。

 あと一球で終わらせてたまるか――!!

 キュンッ、と投じられた一四九キロのライジングショットを、捉える。

 

『う、打った―!!!』

 

 かぁん!! と音を立ててボールが飛んで行く。

 

 ぐんぐんボールは伸びていく。

 会心の当たりだ。

 技術とか、打つ方法とかは頭に無く、ただひたすらに、終わらせたくない一心でバットを一閃した。

 完璧に捉えた――自分でもそう想う。

 捉えられた打球は、そのままレフトのポールへ向かい飛んでいき――

 

 

 

 

 

 僅かに、左に切れた。

 

 

 

 

 

「ファール!!」

『お、惜しいー!! あわやサヨナラ三ランかという当たりは惜しくもファールー!」

 

 そのボールを見やって、猪狩は笑う。バカにした笑みとかじゃなくて、ただ純粋に、俺を、俺達を称えるような明るさと、野球の楽しさを噛み締めるような、そんな笑顔で。

 ああ、猪狩。

 お前が笑う気持ち、俺も分かるよ。

 だって俺はお前と戦えて、お前と一緒に野球ができて――最高に楽しかった、から。

 

 

 バットが空を切る。

 

 

 最後の球はストレート、一五四キロ。

 あかつき大付属のベンチから選手たちが飛び出し、マウンドの猪狩へと走っていく。

 俺はその様子から目を外して、晴天を見上げた。

 ――この瞬間、俺達恋恋高校の夏は、終わったんだ。

 

「ゲーム! あかつき大付属高校!」

 

 あっという間に整列して、審判が終わりを告げる。

 誰一人として俺達は泣かない。

 終わった実感が無いんだ。そりゃ泣こうにも、泣けない。

 そんな様子を知ってか知らずか、猪狩が少し声をかけようか迷ったように一呼吸おいた後、話しかけてくる。

 ほんと、こいつがそんな風に遠慮するのは珍しい。

 

「……パワプロ」

「ん……負けたぜ。猪狩。やっぱ猪狩世代だな」

「……楽しかった」

「ああ、俺も」

「僕達は甲子園で優勝する。……そして、証明しよう。お前たちがこの夏のナンバーツーだったと。……お前が、お前こそが……僕のライバルに最も相応しい男だと」

「――ああ、絶対だぜ」

 

 猪狩とハイタッチを交わし、俺は後ろを振り向く。

 スタンドには彩乃や七瀬を始め、俺達をずっと応援してきてくれた人たちが居る。

 その人達に向かって俺は頭を下げた。

 ――すみません。もっと頑張りを見せれなくて。

 そんな言葉を飲み込んで、俺は頭を下げ続ける。

 ふと気配を感じて横を見ると。

 友沢が、

 東條が、

 新垣が、

 矢部くんが、

 進が、

 一ノ瀬が、

 北前が、

 石嶺が、

 三輪が、

 赤坂が、

 明石が、

 森山が、

 そしてあおいが、

 俺の隣に並んで、全員で頭を下げてくれていた。

 ……そんなことが無性にうれしくて、

 この仲間たちともっと戦えなかったのが残念で、

 負けたのが悔しくて、

 涙が溢れた。

 

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

 夜。

 打ち上げパーティと称して、俺達は部室に戻った。

 部室の中にジュースやらお菓子やらを持ち込んでのどんちゃん騒ぎ。一番最初の恋恋高校の三年生の引退だから豪華にやろうと言い出した一年生達の気遣いがなんだかくすぐったい。

 六時から始めた打ち上げももう三時間。全員さすがの体力で騒ぎ疲れること無くまだまだはしゃぎまわっている。

 そこをするりと抜けだして、俺はグラウンドのマウンドの上に立った。

 暗い空に浮かぶ星の煌きを見つめながら、静かに俺は息を吐き出した。

 

「パワプロくん、一人でここに出るなんて水くさいでやんすよ」

「そうだ。三年の付き合いだろう」

「そうだよ、ボクなんかバッテリーとしても私生活のパートナーでもあるんだよ?」

「一人で楽しそうなことしてないで私も混ぜなさいよ。……チームメートでしょ」

「……お前が誘ってくれなければ、俺はこんなに満ち足りた気分には慣れなかった。礼をいおう、ありがとう。パワプロ」

「野球部バカツートップの俺もほうって置くなよ」

「そうだぞー。俺達が最初のチームメートだろ―」

「そうだよ、僕達が居なかったら野球部できてなかったんだぞ?」

「そうだそうだー」

「……ああ、そうだったな。……ありがとう。お前らのおかげで最高に楽しかった」

 

 水くさいな、と全員が微笑で迎えてくれる。

 それが、最高に心地いい。

 

「……なぁ、お前ら卒業したらどーするんだ?」

「ふふふ、パワプロくん、いい質問でやんすね。オイラ、プロ志望届出すでやんすよ」

「私も、矢部と二人で話し合ってお互いに決めた。……わ、私なんかはかかるかわかんないけど……」

「無論、俺もプロ志望届を出す」

「……当然だな」

「ボクもだよ!」

「そっか、やっぱ皆行くんだな?」

「俺も出すぞー」

「明石もか。かかるといいな?」

「俺は体育の教師目指すぜ」

「バカなのに!?」

「バカっていうな! バカって! オメーもだろうが!」

「僕は実家を継ぐぞ。石嶺本屋だ」

「俺は大学進学してミゾットスポーツに入りたいな」

「三輪の夢は壮大だな」

 

 全員が全員、未来への道を走っていく。

 このチームで野球をやるのはもうおしまいだ。

 ……それでもきっと、この高校生活のことは、忘れない、忘れられない最高の思い出だ。

 

「パワプロくんは?」

「……え?」

「パワプロくんは、どうするの? もちろん一緒にプロ野球だよね」

 

 あおいが屈託の無い笑顔で、そう話しかけてきた。

 信じているんだ。俺が同じ道を歩むと。

 ずっとずっと一緒に、仮に違う球団になったとしても、歩む道は同じだと。

 でも、

 

「いや、俺はプロ野球には行かない。アメリカに行く」

「――え?」

 

 それは違うと、言わなきゃ行けない。

 

「な、なんでやんす、って?」

「……本当なのか?」

「ああ、皆が、特にあおいが動揺するかもって思って言わなかったけど。実はとある人に誘われてて――」

「嘘だっ!!」

 

 ――そんな俺の言葉を、あおいは大きな声で遮った。

 

「そんなの嘘だ! だって、だって……! あ、アメリカだなんて……ずっと一緒だって、そう思って……っ!」

「あおい、俺は……」

「やだ……! そんなのやだよ! 聞いてないよ……! ボク、ボクは、パワプロくんが一緒じゃなきゃ……」

「あおいっ!」

「っ!」

 

 俺の言葉を聞かず、あおいは後ろを向いて闇の中に走っていく。

 ……っくそ、もっとクッションを挟んで言うべきだったか。

 

「……あの反応は、仕方ないでやんすね」

「明日落ち着いてから話したほうがいいわよ?」

「お前らは結構冷静だな?」

「そうでやんすねぇ。オイラ、親友でやんすから。……パワプロくんがどの道を選んでもオイラたちの縁は続いてるでやんす。どうせいつか一緒にプレイすることになるでやんすよ。敵か味方かは分からないでやんすが……」

「そういうことだな」

「……早川はお前に支えてもらっていたし、お前の恋人だ。俺達とは感覚が違うからな」

「そう、だな」

 

 恋人がアメリカに行く――その相談をされていなかったあおいは、傷ついたんだろう。

 それでも言うわけには行かなかった。それで乱されて野球のプレイに支障が出たら、何よりも傷つくのはあおいだから。

 

「……参ったな」

 

 七井相手のリードよりも悩む懸案が増えちまったぜ。

 ……でも、伝えなきゃいけない。

 俺のためにも、そして何より、プロ野球を背負っていく新人になるであろうあおいの為にも、絶対に。

 

「いってくるわ」

「ちょ、一日おいてからって!」

「無理! 俺の性格的に!」

「あ! こら!」

「無駄でやんすよ、新垣、こう決めたらこう、パワプロくんはそういう奴でやんすから」

 

 矢部くんの褒め言葉かどうか分らない言葉を背に受けながら、俺はあおいを追って走りだす。

 あおいの姿はすぐに見つかった。

 俺が素振りに使ってた河原に、膝を抱えて座ってる。

 

「……悪かったな、いってやれなくて」

「……ぐす……」

「けどな、あー……言い訳になるからいいや。ごめん」

「どう、して……どうして、プロ野球じゃ、ダメ、なの……? どうして……」

「――猪狩は、すげぇよな」

「……う、い、今その話と猪狩くんは……!」

「友沢も、東條も、矢部くんも、あおいも、久遠も、山口も、皆すげぇ。……でも、俺はどうなんだろうな、って思ってさ」

 

 石を拾い、ピッ、と投げる。

 パシャシャ、と二回水面を跳ねた石はそのまま川の流れに呑まれた。

 

「あおいとかに聞いても凄いって答えるかもしれないけど、俺は自分は全然だと想う。……そんな時にさ、誘われちまったんだ。魅力的な懸案に。最初は耳を疑ったぜ? ……けど、それに途方もなく惹かれちまった」

 

 泣きじゃくりながら俺の言葉を懸命に聞いてくれるあおいが愛しくて、頭を撫でる。

 

「加藤先生が言ったアンドロメダ学園高校の監督の武井田って人がさ、神童選手とコネクション持ってて、神童さんとあってさ。話聞いて……やりたいと思っちまったんだよ」

「う、ぅぅ……」

「ごめんな」

「わか、ってるよ、わかってるよぉ……! だって、パワプロくんは、そういう、人だもん、そういうところが大好きなんだもん!! でも、辛いよ……寂しいよう……!」

「……ごめん」

 

 必死に謝りながら、俺はあおいをぎゅっと抱きしめる。

 俺の胸の中であおいはぐしゅぐしゅ涙を流し続けた。

 

「でもな、あおい、これでお別れじゃない。繋がってる」

「ぇ……?」

「俺もあおいも野球をやり続ければ、ずっとつながってるんだ」

 

 あおいの涙を指で拭い、上を向かせた。

 涙をこぼす大きな瞳。潤んだ目に俺が映ってるのを確認しつつ、俺はあおいの唇に自分のそれを重ねた。

 

「……は、ぅ」

「だから、先にプロ野球で待っててくれ。もっといい選手になってから、必ずプロ野球に戻るから」

「……ほん、と?」

「ああ、ホントだ。大好きだからな、俺はあおいのことが。……だから……別れよう」

 

 こつん、と瞳をぶつけて、俺はあおいに告げる。

 あおいは、その言葉を噛み締めるように聞いた後、静かに目を閉じて、

 

「うん、分かった。……待ってるから。約束破らないでね」

 

 頷いて、くれた。

 

「ありがとう」

「……ほんとだよ。バカ。大嫌い……」

 

 言いながら、あおいは俺の身体に腕を回してくる。

 それからしばらくの間、あおいは俺から離れてくれなかった。

 トレーニングの合間も、可能な限り、俺のそばに。

 

 

 猪狩世代最後の甲子園大会は、四神黄龍高校対あかつき大付属の決勝戦の末、あかつき大付属が3-0で勝利を収めた。

 ちなみに、俺達以外の試合ではあかつき大付属はすべて三点差以上の点差で勝利していて、二点差以内に抑えたのは俺達、恋恋高校だけだった。

 

 

 そして、数カ月後。あおいたちのドラフトの前に俺はアメリカに旅立った。

 そこで俺はいろんな目に会うのだが、それはまた別のお話。

 

 この後語られることは、俺の居ない所で行われた後日談。

 あおいからの手紙で知ったことだ――。



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第三二話 “十月十日” 恋恋アナザーエピローグ ドラフト会議

                     十月十日

 

 

 

 

 プロ野球ドラフト会議――。

 その日、球児達の運命が決まるとあって、高校には数多の取材陣が集まっている。

 ドラフト会議の始まる時刻は四時。授業も終わり、ドラフト会議に集中出来る時間だ。

 恋恋高校には取材を受けるスペースが無いので、急遽聖タチバナと同じ会場を予約し、聖タチバナと合同で記者会見を行うということになった。

 

「うう、緊張するなぁ」

「そうでやんすねぇ。流石に」

「ほ、本当ね……あー、心臓に悪い……」

 

 あおいと矢部、新垣は並んでガチガチだ。

 さすがの友沢と東條もその表情には緊張の色が伺える。

 

「うむむ、き、緊張するものだな」

「あはは、聖ちゃんは大丈夫だよ。俺なんか当落線上だからなぁ」

「なーにいってんのよ。聖も春くんももちろんこのみずきもプロ入りは確実よ!」

 

 聖タチバナで志望届を出した三人、春、みずき、聖もテレビの前のソファに座り、ドキドキした様子でドラフト会議の始まりを待つ。

 プロ野球ドラフト会議は全六団、レ・リーグの面々で行われる。

 時刻は四時、いよいよドラフト会議の中継が始まった。

 

「前回の順位の低い方からだっけ? あおい」

「うん、バルカンズ、キャットハンズ、カイザース、やんきーズ、パワフルズ、バスターズの順番だよ」

「バスターズ調子良かったからねぇ……」

 

 画面にドラフト会議の概要が映し出される。

 そしていよいよ、一位指名の入力が始まった。

 

「……ど、ドキドキするな」

「うん……ありえないってわかっててもね」

「まあ順当に行けば猪狩だろう。六球団競合でもおかしくないからな」

『さあ、全球団の入力が終わったようです。まずは最下位だったバルカンズからの発表です……』

【第一回、選択希望選手、津々家バルカンズ――】

 

 ゴクリ、とこの場に居る全員が固唾を飲んで見守り、

 

【――矢部明雄、内野手、恋恋高校】

 

 盛大にずっこけた。

 

「誰だやんすか矢部明雄って、変な名前でやんす、ププ」

「アンタよ!」

「おいらでやんすー!?」

「最初が矢部くんは予想してなかったかなぁ……」

『津々家バルカンズは恋恋高校不動のトップバッター、矢部選手を指名してきましたね」

『内野手の俊足巧打の選手がいませんでしたからね』

 

 面々が苦笑するなか、矢部は鑑の前に立ち、インタビューのためのキメ顔の練習を始めた。

 そんな矢部の様子を新垣は苦笑しながら見つめる。

 その他の面々はすぐさま矢部から目を離して画面に集中した。

 

【第一回、選択希望選手、ギガメガキャットハンズ――早川あおい、投手、恋恋高校】

「わあ!?」

「おめでとう早川、流石だな」

「ぼ、ボクが一位だなんて……」

「当然よ! うちのエースじゃない!」

『新球団オーナーが決まったキャットハンズは早川選手を一位で指名してきました』

『話題性もさることながら見事なコントロールを持ってる投手ですからね、中継ぎ、先発、両方の適性を睨んでの指名でしょう』

 

 テレビで褒められ、あおいは顔を真っ赤にしてしまう。

 甲子園で注目を浴びたとは言え一八歳の女性だ。自分個人に野球ごと以外で注目されると恥ずかしいのだ。

 

【第一回、選択希望選手、猪狩カイザース……猪狩守、投手、あかつき大付属高校】

『カイザースはやはり猪狩守を選択です!』

『当然でしょう。むしろここまで彼の名前が出なかったのが不思議ですよ。バルカンズ、キャットハンズは競合を避ける意味合いもあって指名回避じゃないでしょうか』

「まあここは当然かな?」

「ああ、当然だろう」

【第一回、選択希望選手、極悪やんきーズ……猪狩守、投手、あかつき大付属高校】

『やんきーズも猪狩選手で来ました』

「競合だ」

【第一回、選択希望選手、頑張パワフルズ……東條小次郎、内野手、恋恋高校!】

「……む」

「東條くんおめでと!!」

「……福家と同じポジションだが」

『これは予想外、パワフルズは東條選手を指名しました』

『福家選手をファースト置くのも念頭に入れての指名でしょう。クリーンアップの破壊力を重視したんでしょうね』

「だって」

 

 そうか、と東條はつぶやいてそれっきり黙った。

 

【第一回、選択希望選手、シャイニングバスターズ……猪狩守、投手、あかつき大付属高校】

「あ、また猪狩くん」

「……それにしても凄いじゃん」

「え? 何がでやんすか? オイラがでやんすか?」

「違うわよ。アンタたちよ。……ドラ一を恋恋とあかつき大付属で独占じゃない」

 

 言われてみれば、と恋恋高校の面々が思いを馳せる。

 ……こんなチームに育ててくれた、

 こんな風に自分を成長させてくれた男を思って、

 

『さあ、くじびきです。最初にカイザースがくじを引き……やんきーズ、バスターズがくじを引きます。さあ、引いたのは……!? カイザースー! 猪狩守はカイザースに決定ー!』

「おお、流石!」

「運命力というやつだな」

『さあ、外れたやんきーズ、バスターズが再び一位指名の入力に戻ります』

【第一回、選択希望選手、極悪やんきーズ。青葉春人、投手、ときめき青春高校】

「とき春だ!」

「とき春のエースね、確か甲子園でスライダーで一二者連続三振やったのよねー」

【第一回、選択希望選手、シャイニングバスターズ。鈴本大輔、投手、パワフル高校】

「鈴本……」

「……流石だな」

「うん、流石、でも私達勝ったし」

 

 

  バルカンズ  キャットハンズ  カイザース やんきーズ  パワフルズ  バスターズ

  矢部 昭雄  早川あおい    猪狩 守  ×猪狩 守  東條小次郎  ×猪狩 守

                          青葉春人          鈴本 大輔

 決まった名前が画面上に表示される。

 それと同時に記者たちがどっと押し寄せてきた。

 

「矢部選手、早川選手、東條選手、インタビューお願いします!」

「いってくるでやんすー!」

「が、頑張ってくるね」

「……ん」

 

 三人が退出する。

 その様子を見送りながら、残った面々は顔を見合わせ苦笑いした。

 

『さあ、二位指名になります。二位からは完全ウェーバー制です。二位はバルカンズ、キャットハンズ……というように続き、三位はバスターズ、パワフルズ……というように続きます。偶数の時はバルカンズから、奇数の時はバスターズからの指名となりますね』

【津々家バルカンズ、第二回選択希望選手――六道聖、捕手、聖タチバナ学園高校】

「っ――!」

「すごい聖ちゃん! 二位だ!」

「やるじゃない! くおー! 負けてらんないわ!!」

【ギガメガキャットハンズ、第二回選択希望選手、神高 龍、投手、アンドロメダ学園高校】

「甲子園で猪狩くんと投げ合った投手だね」

「……神高」

「まだ友沢くんが残ってるってのも凄いね」

「ほんと、今年は豊富すぎね。人材が」

【猪狩カイザース、第二回選択希望選手――友沢亮、外野手、恋恋高校】

「っていってたら来た!」

「……ふ、神高とはまた別か。面白いな」

【極悪やんきーズ、第二回選択希望選手――朱雀、投手、四神黄龍高校】

「今年の決勝で猪狩と投げ合った選手ね」

「うん、七回までお互いにパーフェクトだったしね。当然っていったら当然かな?」

【頑張パワフルズ、第二回選択希望選手――七井アレフト、外野手、あかつき大付属高校】

「七井だっ」

「メジャー行くって言っていたが……?」

「拒否でも構わないからとれたら取るって感じだね、勇気あるなぁ」

【シャイニングバスターズ、第二回選択希望選手――清本 和重、内野手、西強高校】

「ここらへんは全員甲子園で見たことがあるね」

「聖入れてね」

「や、やめてくれみずきっ」

 

 聖は顔を真っ赤にしてうつむく。

 友沢も内心ほっとした様子で、テレビにじっと目を向けた。

 

 

  バルカンズ  キャットハンズ  カイザース やんきーズ  パワフルズ  バスターズ

一位矢部 昭雄  早川あおい    猪狩 守  ×猪狩 守  東條小次郎  ×猪狩 守

                          青葉春人          鈴本 大輔

 

二位六道 聖   神高 龍     友沢 亮   朱雀    七井アレフト  清本 和重

 

【シャイニングバスターズ、第三回選択希望選手――東条 慎吾、外野手、ときめき青春高校】

「あ、東条」

「とき春は予選で負けたけど、ここで指名するなんて凄いね」

「まあ鈴本清本とれたから投打の軸とれたし、リスク承知で、って感じかしらね」

【頑張パワフルズ、第三回選択希望選手――尾崎 竜介、内野手、パワフル高校】

「打撃重視のドラフトだな」

「凄いね、東條に、七井に尾崎、この地区の強打者集めてみたって感じね」

【極悪やんきーズ、第三回選択希望選手――三本松一、内野手、あかつき大付属高校】

「三本松くんも指名されたね」

「まああかつき大付属のクリーンアップ出し当然じゃない?」

【猪狩カイザース、第三回選択希望選手――久遠ヒカル、投手、栄光学院大付属高校】

「久遠と同じチーム……」

「……よかったね、友沢くん」

「む。春。……そう、だな」

 

 友沢は柔和な笑みを浮かべて、テレビを見つめる。

 

【ギガメガキャットハンズ、第三回選択希望選手――橘みずき、投手、聖タチバナ学園高校】

「きたーああああああああああああああああああ!!」

「お、落ち着いてみずきちゃん!」

「むむ、みずきとは別のチームか……複雑だぞ……」

【津々家バルカンズ、第三回選択希望選手――猛田慶次、外野手、帝王実業高校】

「あいつか。……あいつはプロ入りしそうだと思っていたが、な」

「あの熱血漢の人だよね。うん、彼は凄いバットコントロールしてたからね。

 

 

  バルカンズ  キャットハンズ  カイザース やんきーズ  パワフルズ  バスターズ

一位矢部 昭雄  早川あおい    猪狩 守  ×猪狩 守  東條小次郎  ×猪狩 守

                          青葉春人          鈴本 大輔

 

二位六道 聖   神高 龍     友沢 亮   朱雀    七井アレフト  清本 和重

 

三位猛田 慶次  橘 みずき    久遠ヒカル 三本松一   尾崎 竜介  東条 慎吾

 

 

 

【津々家バルカンズ、第四回選択希望選手、大西・H・筋金、投手、アンドロメダ学園高校】

「神高くんと並んでアンドロメダの二枚看板が指名されたね」

「コントロール悪いけどまあ当然じゃない? あいつらが指名されないのってありえないレベルだし」

【ギガメガキャットハンズ。第四回選択希望選手――春涼太、内野手、聖タチバナ学園高校】

「orz」

「やたー! 春くんと一緒ー!!」

「六道はどうしたんだ……?」

「お、俺と同じ所に行きたいっていってたから、かな?」

「そうか、お前らも大変だな……」

【猪狩カイザース、第四回選択希望選手、山口 賢、投手、帝王実業高校】

「猪狩カイザースは猪狩に久遠に山口……投手王国だな」

「でも捕手は補強しなくていいのかしらね」

「来年は進がドラフトだろうからな、進を指名するつもりじゃないか?」

【極悪やんきーズ、第四回選択希望選手、鬼力 剛、捕手、ときめき青春高校】

「あ、あの強面の人だね」

「なんかイメージピッタリね。やんきーズって」

【頑張パワフルズ、第四回選択希望選手、館西 勉、投手、南ナニワ川高校】

「データ野球で恋恋高校を戦った……」

「ああ、あのデータならプロでも役立つだろうからな」

【シャイニングバスターズ、第四回選択希望選手、二宮 瑞穂、捕手、あかつき大付属高校】

「あ、凄い捕手残ってた!」

「投手がすごすぎるから目が行きがちだが、十分な実力者だからな。例年なら上位まちがいなしだったろう」

 

  バルカンズ  キャットハンズ  カイザース やんきーズ  パワフルズ  バスターズ

一位矢部 昭雄  早川あおい    猪狩 守  ×猪狩 守  東條小次郎  ×猪狩 守

                          青葉春人          鈴本 大輔

 

二位六道 聖   神高 龍     友沢 亮   朱雀    七井アレフト  清本 和重

 

三位猛田 慶次  橘 みずき    久遠ヒカル 三本松一  尾崎 竜介  東条 慎吾

 

四位大西・H・筋金 春 涼太    山口 賢   鬼力 剛   館西 勉   二宮 瑞穂  

 

【シャイニングバスターズ、選択終了です】

「あ、バスターズの指名終わっちゃった」

「少数精鋭で、だろうな。十分すぎる選手が集まった」

【頑張パワフルズ、第五回選択希望選手――明石 耕太、外野手、恋恋高校】

「「「明石!?」」」

「やったぞー」

「い、意外過ぎたわ……」

「でも安定感はあるからな。指名されて当然といえば当然かもしれない」

【極悪やんきーズ、選択終了です】

「やんきーズも終わりか……」

「まだ新垣が指名されてないが……」

「うっ、い、言わないでよ……」

【猪狩カイザース、第五回選択希望選手――蛇島 桐人、内野手、帝王実業】

「蛇島も……」

「最後の蛇島くんは野球選手の目だった。……だったら、大丈夫だよ」

【ギガメガキャットハンズ、第五回選択希望選手、小山雅、内野手、ときめき青春高校】

「あ、女性ショートの」

「可愛いからねー、それに守備上手かったし」

【津々家バルカンズ、第五回選択希望選手、八嶋 中、外野手、あかつき大付属高校】

「八嶋くんだ」

「まああの走力ならば当然だろう。……バルカンズは厄介だな、矢部に八嶋か」

 

  バルカンズ  キャットハンズ  カイザース やんきーズ  パワフルズ  バスターズ

一位矢部 昭雄  早川あおい    猪狩 守  ×猪狩 守  東條小次郎  ×猪狩 守

                          青葉春人          鈴本 大輔

 

二位六道 聖   神高 龍     友沢 亮   朱雀    七井アレフト  清本 和重

 

三位猛田 慶次  橘 みずき    久遠ヒカル 三本松一  尾崎 竜介  東条 慎吾

 

四位大西・H・筋金 春 涼太    山口 賢   鬼力 剛   館西 勉   二宮 瑞穂  

 

五位矢嶋 中   小山 雅    蛇島 桐人  選択終了  明石 耕太  選択終了

 

「……っ」

「あかり、落ち着きなさい。大丈夫よ、まだ」

「わ、分かってるわよ……」

 

 新垣はぎゅっと手を握り、祈るように目を瞑る。

 

【津々家バルカンズ、第六回選択希望選手――新垣あかり、内野手、恋恋高校】

「あっ……」

「やったー!!」

「ここに居る全員が指名か。流石だな」

「しかも矢部と一緒っ……よかった、よかったぁ……!!」

【ギガメガキャットハンズ、選択終了です】

【津々家バルカンズ選択終了です】

『以上でプロ野球ドラフト会議を終わります……』

 

  バルカンズ  キャットハンズ  カイザース やんきーズ  パワフルズ  バスターズ

一位矢部 昭雄  早川あおい    猪狩 守  ×猪狩 守  東條小次郎  ×猪狩 守

                          青葉春人          鈴本 大輔

 

二位六道 聖   神高 龍     友沢 亮   朱雀    七井アレフト  清本 和重

 

三位猛田 慶次  橘 みずき    久遠ヒカル 三本松一  尾崎 竜介  東条 慎吾

 

四位大西・H・筋金 春 涼太    山口 賢   鬼力 剛   館西 勉   二宮 瑞穂  

 

五位矢嶋 中   小山 雅    蛇島 桐人  選択終了  明石 耕太

六位新垣あかり  

 

 

 

 こうして、猪狩世代の進む先は決まった。

 プロ入りデキなかった猪狩世代も、大学の道へ進み、その歩みをやめることはない。

 そして、人知れず海を渡ったパワプロも多分、歩みをやめることは無いのだろう。

 早川あおいは追える限り、その道筋を追った。愛しい彼の道を必死で探るように。

 しかし最初は大きく取りざたされたパワプロは、神童が提案したアカデミー生は志望届を出さなくてもドラフト指名出来るという一文の追加によりドラフトの時期になると名前が挙げられていたが。

 一年、一年と経つごとに入ってくる情報は少なくなり、

 ――やがて、彼の名は表舞台に出なくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四年後。

 

 日本。

 猪狩世代が二二歳になる、この年。

 三年前の猪狩進のくじ引き獲得失敗によって捕手の強化に失敗した猪狩カイザースは、一流のローテーション、猪狩守、久遠ヒカル、山口賢を擁しながら、五年連続の屈辱のBクラスに終わっていた。

 原因は明らかだ。

 捕手の勝負弱さ。

 対照的に捕手として猪狩進の獲得に成功したキャットハンズは大躍進――この四年のうち、近年二回を優勝で飾った。

 七井アレフト、東條小次郎、福家、尾崎を擁するパワフル打線のパワフルズ。

 鈴本をトップエースに据え、攻守のバランスが揃ったバスターズ。

 快速の矢部、矢島を武器に一点をもぎ取り、守備力でそれを守り切るバルカンズ。

 一発での得点を軸に攻めるやんきーズ。

 数少ないチャンスをモノにしつつ、豊富な投手陣と猪狩進の好リードで勝ち進むキャットハンズ。

 この五球団に比べ、カイザースはタイトルホルダーが三名ものの、扇の要の不在によって最下位に沈むという辛酸を舐めていた。

 それを味わった猪狩守は、父のオフィスである猪狩カンパニーの社長室を訪れる。

 

「父さん」

「どうした、守……捕手の件ならわかっているが、足元を見られてな……流石に友沢くんや山口くんをトレードに出すわけにはいかん。来季始まるまでトレードは凍結することに……」

「いえ、一つお願いがあってきました」

「……なんだ?」

「ドラフトまで後一週間。そこに無理やり話を通すとなるとどうしても父さんが必要なのでお願いしに来ました」

「どういうことだ?」

「数日前、ボクはとある人物と話をしてきたんです。もちろんこの話は無かったことにしてください。ルールに抵触するかもしれませんし」

「あ、ああ、わかった、分かったが……そのとある人物とは……、……待て、まさか……」

「……父さんの想像通りだと思います」

 

 猪狩はすぅ、と息を吐いて父を見つめた。

 

「今年のドラフト一位予定の選手は諦めてください。父さん。代わりに――」

 

 その一言は、

 プロ野球の人気を一身に背負う“猪狩世代”を、

 もっともっと焚きつける、魔法の言葉だ。

 

 

 

 

 

 

             「葉波風路を、指名しましょう」

 

 

 

 

 

                           NEXT STAGE――

                             レボリューションリーグアナザー

                                TO BE CONTINUED

                                  PlEASE LOOK AT IT!



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レ・リーグアナザー
第三三話 レ・リーグ編 プロローグ  ドラフト会議


『空振り三振ー!! ゲームセット!! キャットハンズ逆転勝ちで三連勝! カイザースに三タテを決めました!』

 

 ――猪狩世代のドラフトから三年。

 熱狂するスタジアム。

 人々の歓声は止まない。日本一のスポーツといっても過言ではない野球――その最高峰の選手が集う、プロ野球。

 白熱したペナントレースももう終わりが近い。

 そんな切迫した状況の中、カイザースとキャットハンズの三連戦は、キャットハンズの三連勝で終わる。

 これで順位はほぼ確定、かつて最強と呼ばれたカイザースは屈辱の六シーズン連続のBクラスが確定した。

 一方のキャットハンズは一時期親会社のゴタゴタがあったものの、ギガメガコンピューターが親会社に決まり安定した経営を見せ始めると同時に躍進――なんと今年も優勝すればV4という破竹の快進撃を繰り広げている。

 

『さあ、今日のヒーローはこの人達です! 強力カイザース打線を完封リレーに抑えた早川あおい投手、橘みずき投手と、勝ち越しタイムリーの猪狩進選手!』

「あ、ありがとうございます!」

「いぇーい!」

「あはは、たまたまですよ」

『ではまずは早川選手から。八回まで散発三安打、無四球の見事な投球での一七勝目! これで今日の敗戦投手の猪狩守選手を超えて、単独トップの勝利数になりました!』

「えと、進くんのリードが凄く良くて、何時もお世話になっているんですけど、今日も頑張ってもらっちゃいました! 次も頑張って欲しいな、って思ってます!」

『あはは、たしかに見事なリードでしたね! さて、次は橘みずき選手です! 今日で三九セーブ目。セーブ王はほぼ確定的ですが?』

「まあ当然ね! 入団してから今年までタイトルとれてなかったし、今年はとっちゃおうって思ってます。取ったら記念グッズ売り出しちゃうからぜひ買ってねー!」

『いつもどおりのみずき節、ありがとうございます! それでは最後に猪狩進選手です。勝ち越しのタイムリーヒット、見事でしたね!』

「そんな、代打の春さんが右打ちで一塁ランナーの大友さんを三塁まで進めてくれたので、僕は犠牲フライを打つだけでいい、って気持ちで入れたから打てたんです」

『見事なチームプレーでの兄の攻略に成功したキャットハンズが今日も勝利を収めました! これでマジックは残り二! V4も射程距離に入ってますね!?』

「とにかく一戦一戦丁寧に戦って、絶対に優勝したいと思います! 次の試合も応援よろしくお願いします――!」

 

 ――ヒーローインタビューを聞きながら。

 カイザースの正捕手、近平千登(ちからせんとう)は想う。

 

「今日でほぼ三割確定じゃん、よっしよっし……!! 新人王も行ける……!!」

 

 近平千登は猪狩世代の一つ上だ。

 ドラフト三位でカイザースに入団。二年目に頭角を表すと、他のポジションに比べて圧倒的に層の薄い捕手のポジションなこともあって、そのまま今年、レギュラーを獲得した。

 五年目の彼は二三歳。今年が新人王最後のチャンスというのもあって奮起――インサイドワークとスローイングにはまだムラがあるものの、その類まれなる打撃センスで強豪投手ひしめくレリーグの捕手で、猪狩進、六道聖に続いて捕手では打率三位につけている。

 136試合、3割6厘、ホームラン12本、打点59。

 捕手としてはかなりの数字を残し、今年はレギュラーを獲得、今年は開幕戦から出場、一試合も出場を逃すことなく、ここまで全試合出場というレギュラーとして遜色の無い結果を残している。

 

「まー、進のヒットはマズったなぁ。タイムリーよか犠牲フライでワンアウト取れる方がいいと思って投げたインサイドを狙い打ちだもん。ま、ありゃ仕方ないわな」

 

 二三歳という若さもあって、彼に対する評価は高めだ。誰しもが、二三歳で三割を記録したニューフェイスには風当たりはやさしい。

 そのインサイドワークに難があっても、捕手というのは年齢を重ねて成熟していくもの。元からリードで評価されていた六道聖や、猪狩進とは違い、いずれ成長すればいい……その分で取り戻しているから、というのがカイザースファンの共通認識であった。

 プロの解説陣すらもそのように解説していた。捕手の若さは投手との連携でもってカバーするものだと。

 そんな背景もあって打撃成績を自画自賛していた彼に冷水を浴びせるように、

 

「そんなに甘いものではないと思いますが。……あのリードはなんですか? 先輩」

 

 猪狩守の冷たい声が響いた。

 どうやら隣のシャワールームに入っていたらしい。

 

「なんだ。守か……悪い悪い。まさかあそこ狙ってるなんて思わなかったからさ。どっちかというとパワーないじゃん、進」

「パワーが無くても三割打つ打者は内角にヤマを貼ってれば打てます。貴方だってそうでしょう?」

「あはー、そんな褒めるなよ。悪かったって、次は気をつけるから」

「……そうですか。分かりました」

 

 がたん、と荷物を片付ける音が聞こえて、猪狩守の気配は消えていった。

 それを受けながら近平は深々とため息をつく。

 自分としてはもちろん、ベストを尽くしているつもりだ。

 それでも投手陣からの自分の信頼感は薄い。

 確かに猪狩守の最多勝はこの敗北のせいで絶望的になってしまった。

 でも、防御率に目をやれば2、16。二位のキャットハンズ神高と比べて2、18で殆ど変わらないいい数字だ。

 これは確かに猪狩守の実力もあるだろうが、自分のリードも少しくらいは、と想う。

 

「……ま、まだレギュラーとって一年目だしな」

 

 近平は呟き、きゅっと栓を閉じてシャワールームを出る。

 ああ、そういえばもう二週間後にドラフト会議が差し迫っているんだ。

 

「確かうちの一位はパワフォーのオールラウンド内野手甲斐か、一五七キロ右腕の堂城川だっけ。下位で捕手は取るくらいだっつってたな。……もしかして俺って来年も戦力として数えられてる? ふひひ」

 

 一人笑い、近平は球場を後にする。

 近平は来年も順風満帆に行ける、そう確信していた。

 

 

 

 

 

 

                    プロローグ

 

 

 

 

 

 ガシャンッ!! とトレーニング機がぶつかる音が響く。

 キャットハンズ寮内トレーニングルーム。

 毎日ここに通うことが決まっている三人、春、みずき、あおいは本日がドラフト会議というのも忘れて熱中して身体を動かしていた。

 

「……っ、はぁー、あ、もうドラフト始まってるんじゃない?」

「うぇ? ……あ、ホントだ。気づかなかったなぁ……」

「あ、ごめん。思わずボク、熱中しちゃって……」

「んもう、ドラフトの時間になったら教えてっていってたのにぃー」

「ゴメンゴメン、こういう時は矢部くんか進くんに電話すれば教えてくれるよきっと。えーと……電源切ってた。電源入れて……うひゃぁ!?」

 

 ブーッ、とあおいの携帯に電源が入る。

 その瞬間、某野球ゲームのOPの音楽が鳴り響いた。

 

「あ、で、電話だ。えっと、矢部くんからだ。……もしもし?」

『あおいちゃんでやんすか!? オイラもう二〇回は電話したでやんすよ!?』

「えっ……ストーカー……? あかりがいるのに……?」

『違うでやんすー!!』

「あはは、ゴメンゴメン、冗談だよ」

 

 春とみずきは元チームメイトとの漫才を楽しむあおいを見て顔を見合し苦笑しあう。

 なんだか矢部は慌てている様子だ。春にはそれが気にかかったが、あおいが宥めているのを見て何も言わなかった。

 

「それで、そんなに慌ててどうしたの?」

『そ、そうでやんした!! ドラフトを見るでやんすよ! 大変な事が……!!』

「大変なことぉ? どこかが今年の目玉の甲斐くんと堂上川くんの一本釣りでもしたの?」

『そんなんじゃないでやんす! 実はカイザースが――』

「――え?」

 

 何か矢部が言った瞬間。

 あおいはトレーニング機から降り、トレーニングルームに備え付けられたテレビの前に転がるように走りスイッチを入れた。

 

「放送は何処!?」

『パワフルテレビでやんす!!』

「ッ!」

 

 ピッ、とあおいがテレビのチャンネルを変え、

 ――その瞬間、現れたのは、

 

『いやー、驚きました!!』

『ええ! まさかまさかですよ! まさかカイザースが一位で――“あの”葉波選手を指名してくるとは!』

 

 待ち焦がれ、

 待ち焦がれ、

 待ち焦がれた。

 愛しい人の名前が刻まれた、カイザースの指名票だった。

 

「葉波……って、パワプロくん!!?」

「そんな! アメリカにいって音沙汰無しだったじゃん!!」

「あ、ぁ……」

 

 あおいは口元を抑え、声を出せない。

 ずっと待っていた。

 調べつくした。

 最初は手紙の交流があったのにやがて届かなくなって、必死にアメリカのニュースを読みといて跡を追ったその人の名が、今そこにある。

 

『確かに日本プロ野球憲章に一文が追加されたんですよね!“野球アカデミー生はプロ志望届を出さずともドラフトで指名される権利を有する”。まだ日本人のアカデミー生が葉波くんしかいませんでしたし、実際日本ではアカデミーはまだ出来ていませんから!』

『ええ、誰もマークしていなかったでしょう。それを一位指名ですよ』

『カイザースなりの誠意の見せ方でしょうね! しかしこれ、他球団黙っていませんよ! だってこれ、だまし討ちみたいな戦法ですよ! 一位は全球団が入力してから発表ですからね!』

 

 ドラフト会場がまだざわついている。

 テレビからでも分かる騒然とした様子を見て、あおいはぺたんとその場に座り込んだ。

 帰ってくるんだ。

 実感がわかない。

 それはあおいだけじゃない、春もみずきもそうだった。

 

『び、びっくりしたでやんしょ?』

「びっくりなんてもんじゃ、ないよ……」

 

 嬉しい。

 嬉しいけど、何処かあおいは素直に喜ぶ気分にはなれなかった。

 

 ――今度は、パワプロくんが敵なんだ。

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

 ――時系列は、ドラフト会議一〇日前に遡る。

 赤いスポーツカーが懐かしい場所の前に止まった。

 恋恋高校野球部、グラウンド前。

 そこに座る一人の男の後ろ姿を見て――赤いスポーツカーの運転主、猪狩は車から降りた。

 

「……探したぞ?」

「探されたぜ?」

「……減らず口を……」

「うっせ。人がせっかくのオフにゴロゴロしてたのにいきなり黒服が二〇連続でチャイム鳴らすから何ごとかと思ったじゃねぇか。てっきり彩乃のお食事会の誘いかと思ったぜ」

「ふん。まあ似たようなものだ。お前が帰国していることを教えてくれたのは倉橋さんだったからな」

「彩乃め……」

 

 変わらない。

 筋肉がついてあの時より一回り身体が大きくなったが、中身は全く変わらない。

 あまりの懐かしさの猪狩は上をむいて涙が出そうになるのを必死にこらえた。そんな格好悪い所、こいつにだけは死んでも見せるものか。

 

「ふぅ。……で、どうしたんだよ?」

「……キミのことを聞こうと思ってね」

「俺のこと? あー、アメリカいってから? 別にいいけど面白くないぜ? 神童さんの球を捕球する練習したり身体を作るつって死ぬ思いでメニューやらされたり、自分でメニュー組まされたり、どこぞの独立リーグのチームのマネジメント……メニューから食事メニューまで徹底して勉強させられたりとかさ」

「そう、か」

 

 聞いているだけで濃密だ。

 四年間野球漬けだったのが今の話だけで簡単に想像出来る。

 なんて頼もしい、と猪狩は思った。

 

「何故帰ってきたんだ?」

「就労ビザの更新が出来なかった」

「……何?」

「アカデミーっつってもまあやっぱまだ受講生俺だけだしさ。独立リーグと協力してやってたんだけど。メジャーの契約話が来てな、ドラフト外だけど」

 

 彼は思い出すようにしてはぁ、と深々とため息を吐く。

 

「……神童さんの許可を得てから、って思ってたら神童さんがワールドシリーズまで出ちまって、返事が遅れてる内に契約期限を過ぎて、んで悩んでたもんだから独立リーグの球団に契約延長の書類出せなくて、んで強制的に日本にリターンだ」

「なるほどな」

 

 やれやれ、と彼――パワプロは頭を振った。

 

「パワプロ、実は僕はお前に話があってきた」

「……知ってるよ」

「お前を……え?」

「神童さんから連絡が来てさ。お前が俺を探してるって」

 

 よいしょ、と立ち上がり、パワプロはおしりについた草や砂を払う。

 猪狩もかなりプロにあわせて身体を作ったが、パワプロも同じようにプロ仕様の肉体になっている。屈強さは猪狩と良い勝負だ。

 

「そうか。確かにあの人にコンタクトを取ったからな」

「んで、こうも言われてる」

「あ、すみませーん!」

「いーよ! 返すぜ!」

 

 パワプロはぽん、と飛んできた恋恋高校野球部のボールを軽く拾う。

 それを二、三度、手の上で跳ねさせた後、

 

「――プロから誘いが来たら、お願いしますって言え、ってな」

 

 バシュンッ!! と腕を振るった。

 肩をまだ作っていないハズなのに、そのボールはビュオッ! と音を立ててレーザービームのように放たれ、恋恋高校野球部員の捕手の手の中に収まる。

 高校球児は驚愕しながらも、つっかえつっかえありがとうございました、と言って戻っていった。

 

「昨日の敵は明日の友、じゃないか。四年前の敵は来年の友ってところか? ……頼むぜ、相棒」

「……ふ、ああ! もちろんだ。僕からも頼む。パワプロ。お前と組めるなら僕は無敵だ。僕とお前のコンビは――最強だからな」

 

 パンッ、とハイタッチを交わし、猪狩はスポーツカーに戻っていく。

 こんなに嬉しいことはプロ入りしてから無かった。

 自然に釣り上がる頬を必死にごまかしながら猪狩は車を走らせる。

 まずは神童さんに会って指名すると伝えよう。他にも倉橋さんやら、アカデミーの出資者に挨拶しなければならない。その後父の所に言って、スカウトたちには悪いがドラフト戦線を変更させてもらおう。

 ――さあ、カイザースの逆襲の始まりだ。

 

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

 ――カイザース、トレーニングルーム。

 

「……どう想う? 久遠?」

「ん、とっても嬉しいかな」

「戻ってくるな」

「うん、戻ってくるね、……友沢もうれしそうだ」

「ふ、いや、残念さ。あいつと敵として戦うのはプロに入ってもなさそうだからな」

「僕も少し残念だけど、やっぱり嬉しいよ。あのパワプロくん相手に投げ込める訳だしね」

「猪狩もあいつ相手に投げるんだ。あいつに勝てないとな」

「リーディングヒッターを取った友沢は余裕だね?」

「バカを言え。三冠王を取るつもりだったさ。ホームラン、打点をあいつらに持って行かれなければな」

 

 友沢はバットを振る。

 すべてはホームラン五三本を記録した七井アレフト、一三三打点をマークした、元チームメイトのあの男を、超える為に。

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 ――バルカンズトレーニングルーム

 

「帰ってくるでやんす……。……今度は、敵として」

「矢部くん、どうしたの?」

「元気がないぞ。そんなことやってると俺に盗塁王奪還されちゃうぞー?」

「なんでもないでやんすよ、林くん、八嶋は黙るでやんす。……ただ、強そうな奴が入ってきたなと思っただけでやんす」

「そうなんだ? 確かに俺たちの世代の代表格だったしね、葉波くんは」

「そうだな、結構やるからなぁ、あいつは」

「でもまぁ、“捕手泣かせ”でやんすからねぇ。オイラ達は」

 

 かつての親友が敵になるが、矢部に恐れる気持ちは無い。

 いや、それどころか――迎え撃ちたくもある。

 先にプロに入った自分たちに挑むパワプロを、全力で。

 

「三人で二〇〇盗塁を記録したオイラ達“SSS(スーパーソニックスピード)トリオ”は、どんな捕手だろうと足で崩してみせるでやんすよ」

 

 矢部は笑い、シーズンの始まりを待つ。

 これほどまでに楽しみなオフはプロに入ってから経験したことがない。

 矢部は武者震いを抑え、笑った。

 ライバルとなった男との対決の為に、このオフは死力尽くす、そう心に決めて。

 

「ところでソニックは誰なの?」

「俺だなー」

「いやオイラでやんすよ」

「お前たち三人でSSSトリオだ」

 

 六道の冷静なツッコミに三人は笑いながら、来年のスタートを待つ。

 この足で、あの男を倒す。

 ――チーム盗塁数二八〇。

 その圧倒的な走力で、パワプロを。

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 ――パワフルズ、トレーニングルーム。

 

「……パワプロか……」

「やりにくいのカ? 小次郎」

「……逆だ。……是非とも、あいつとは敵として戦ってみたいと思っていた」

 

 ビシュン!! と空を裂く音が室内にこだまする。

 

「ふふ、あの時感じた予感はやはり間違いじゃなかったな」

「……福家さん」

「案ずるな小次郎。いかな捕手だろうが俺達の打棒で粉砕してやればいい」

「そうだナ。オレが五三本、小次郎が五一本、福家さんが五〇本、ここに居ないチームメイト達をあわせて二四九本のホームランを乱れ打ちするオレ達を前にすれば、どんな捕手でも縮みあがるだろうサ」

「……ふ、だといいがな」

 

 ――チーム本塁打数二四九。

 その驚異的な打棒で、パワプロを負かす。

 三人は静かにバットを振る。

 室内には、ただひたすらに空を切り裂く音が響いていた。

 

 

 

 

 

 

                      ☆

 

 

 ――キャットハンズ、トレーニングルーム。

 

「……」

 

 未だにあおいは呆然としていた。

 彼と戦う、それがどれだけ厳しい事か。

 彼のおかげでプロにたどり着いた。

 彼のおかげで、ここまで上ってこれた。

 その人が、今度は敵なんだ。

 

「負けないよ」

「……春くん?」

「俺達は勝てるよ。何も守備だけじゃない。俺達は投手力と守備力が売りだ。それで勝てばいいんだ」

「こらっ! また口説いてるの!? こないだ聖とふたりきりで食事に行ったの知ってるんだよ!?」

「うわぁ!? ちょ、違うよ! そりゃ確かに聖ちゃんとご飯行ったけど!」

「がるるー!!」

「あはは……」

 

 じゃれあうみずきと春を見て、あおいは笑う。

 ――うん、そうだよね。このままじゃパワプロくんに幻滅されちゃうよ。

 

(ボクも成長したってところ、パワプロくんに見せるんだ)

 

 思いあおいはチューブトレを再開した。

 ――キャットハンズのチーム防御率は2、36。

 失策数は48。

 圧倒的な守備面を武器で四連覇したチーム力は、来年も磐石だ。

 

 

 

 

 

 

 

「パワプロってマジかよ……」

 

 近平は自宅でドラフトを見て深々とため息をつく。

 なんで自分がレギュラーを獲得した年に限ってこんなサプライズを行うんだ。

 だが、プロとしての先輩は自分だ。一つ下だし、負けるつもりはない。

 

「見てろ。ぜってー捕手は渡さないからな」

 

 近平はつぶやいてトレーニングルームに走った。

 ――二月一日にプロ野球は一斉にキャンプインする。

 そこで選手たちは僅かしか無いレギュラーポジションをつかむために必死で努力をするのだ。

 そうして紡がれるのは、筋書きの無いドラマ。

 新たな選手を迎えて、プロ野球はまた活性化する。

 これは、“猪狩世代”が紡ぐプロ野球を舞台にした物語。

 

 

 

 

                       実況パワフルプロ野球

                        レ・リーグアナザー

                          START!!

 



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第三四話 カイザース 二月一日“キャンプイン” 再会と新たな出会いと捕手として

 ――二月一日、ハワイ。

 レリーグのチームはすべてがハワイでキャンプインをする。無論、カイザースもだ。

 そして、新人自主トレを終えた新人たちも合流する。

 カイザースは四人の新人を指名した。

 その中で最も注目を集めているといってもいいのは、やはり一位の葉波だ。

 各社記者がインタビューをすべく集まり、新人自主トレから葉波の事を追うが、当の葉波はそれを笑ってスルーしてしまうので、各種記者はなんとか話題を見つけようと必死に目を凝らしてカイザースのキャンプに注目する。

 普段とは違う、異様な雰囲気の中で監督である神下はふぅ、と息を吐き、

 

「全員揃ったな! 今年の目標は各自言わなくてもわかっているだろう!! ――ペナントフラッグを私達に! それが目標だ! このキャンプは六勤一休で行うが――初週は七勤で行う!」

 

 ざわっ、と記者席がざわつく。

 プロ野球においてキャンプはおおよそ五~六クールに分けられる。つまり、四、五日練習した後は休みを挟むのだ。

 一度の休日をはさみ、次のクールとなるわけだ。

 そうして二月末まで徹底して身体をつくり、オープン戦を得て、三月三〇日の開幕を迎えるわけである。

 だが、カイザースが行うのはそういった一般的なキャンプではない。シーズンを想定した月曜日が休み、残りはすべて練習という過酷なキャンプだ。

 しかも初週は七勤だ。

 月曜日、週の頭に二月一日が来てしまったので、その月曜日もキャンプを行い、翌週の月曜日まで休み無し。類を見ないほど厳しい日程だ。

 

「めちゃくちゃだと想う選手もいるだろう! だが、Bクラスに沈んだ我々が優勝するためにはそういった無理も必要だ! 身体は自主トレで作って来たはず。そうすれば怪我などしない! 我がチームには最高の施設が揃っている。スタッフも最高峰なものを用意してもらっている。それを使ってもなお怪我をするというのなら、それは己の管理の不十分と言わざるを得ない! そういった選手は使うつもりはないからな!」

「「「「「「「はい!!!」」」」」」

 

 神下監督の檄に、選手達が大声で返事をする。

 その返事を受けて、神下はにや、と笑った。

 

「そして、忘れないようにな。一軍と二軍の紅白戦のことを」

 

 うっ、と新人を除いた選手達の顔色が変わる。

 何がなんだか分からない葉波を含む新人たちを見て、神下は笑ったままの表情で、

 

「我がカイザースでは各クールの終了……つまり日曜日に、一軍と二軍の選抜メンバー……無論そのメンバーは私と二軍監督が選ぶが、その選抜メンバーと紅白戦を試合してもらい、活躍した二軍選手を一軍、活躍出来なかった一軍選手を二軍に送っている」

「つまり……俺達新人が、いきなり一軍抜擢もありえる、ってことですか?」

「……そうだ、葉波。活躍できたなら、の話だがな。お前は話題性もあるようだ。その話題性を買って、紅白戦の最初の一イニング、三番キャッチャーで使う」

「――つまり、一イニング、投手をリードし、一打席で結果を残せ、と、そういうことですか?」

「察しがいいな。そうだ。捕手として被安打〇、打撃も必ず出塁しろ。そうすればその後もその試合で出場させる事を約束する」

 

 ざわつく選手たちの中、神下監督と葉波を視線を交わらせる。

 葉波は挑発的な神下監督の言動を受けた上で、彼の目を見据え。

 

「使わせて見せます」

 

 そう、言い切った。

 

「ふ、では解散! 新人は全員二軍、その他は事前に告知したように移動!」

 

 こうして、神下監督が率いるカイザースのキャンプが幕を開けた。

 猪狩、久遠、友沢、一ノ瀬、蛇島はちらり、とパワプロを見た後、一軍グラウンドへと歩いて行く。

 そんな彼らに葉波は軽く手を振った後、二軍グラウンドへと歩みを進めた。

 

(――すぐに追いつく、だから待ってろよ)

 

 目指すは一軍、目標は日曜日の紅白戦。

 そこで結果を出し、一軍に乗り込む。

 青色のユニフォームに袖を通し、葉波のプロ野球人生がスタートした。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 俺に対して二軍監督は静かにメニューの後は好きにしろ、と語った。

 二軍のメニューはそう多く組まれていない。

 他の球団は恐らく二軍選手の方が大量にメニューを組まれているだろうが、カイザースは逆だ。むしろ二軍選手のほうが、メニューの指定は少ない。

 ――故に、厳しい。

 自分で自制し、自分を客観的に見つめ苦手な所を克服し得意な所を伸ばす、もちろんコーチ陣は相談には乗ってくれるが、基本的に自分で考えて行動しなきゃならない。

 カイザースに入ったからといって慢心していく選手はあっという間にコーチからも見切られるし、野球も上手くならない。そして速攻クビになる。

 カイザースは名門で金銭力も有る分選手の入れ替わりが激しいからな、こういうシステムなのも納得だ。

 グラウンド二〇周の後、キャッチボールを挟みノックを行う。その後野手は素振り、投手はブルペンがあって、その後は基本的に自由だ。

 二軍のバッティングピッチャーには待ち時間が出来、コーチ陣はノックバットを離す暇のない程ノックの依頼がある。

 こうして軽く見ていても分かるくらい、カイザースの選手は切磋琢磨しあってるんだ。

 負けらんねぇ。こういう選手が頑張ってやっともらえるチャンスを、俺は話題性で貰ったんだ。……活かさねぇとな。

 とりあえず捕手としてはピッチャーの球を受けとかないとな。

 

「すみません、二軍ブルペンどこですか?」

「おお、葉波くんか。カイザースには二軍のブルペンは無いんだよ。ブルペンは基本的に一軍と合同なんだ」

「え?」

「昔はバラバラだったんだが……捕手と投手の技術をいい選手から見て学ばせるために、ブルペンを合同にしたのだよ」

「なるほど、んじゃブルペンはどこですか?」

「ブルペンならあっちだよ」

「ありがとうございます」

 

 お礼を言って、俺はゆびさされた方向に走っていく。

 ……ん? 今のひげの人、どっかで見たことがあるな。どこだっけ……?

 まあ良いか。カイザースの球団ロゴの入った手帳持ってたしカイザースの人だろう。

 

「――頑張れよ、パワプロくん、ずっとキミを待っていたんだ。スカウトとして心を震わせてくれたキミを」

 

 何か呟くような声が聞こえたような気がするけど、まあまずはブルペンに入らなきゃな。

 備え付けられたマスクとレガース、プロテクターを着用してブルペンに一歩、足を踏み入れる。

 ――その瞬間、空気が変わった。

 

 ズパァンッ!! と響く快音。

 良い球を芯で取らなきゃしない、あの乾いた音だ。

 

「ナイボー!! 良いですねぇ佐伯さん!! もう今日シーズン入りでもいいくらいじゃないですか!」

「ナイスボール猪狩!」

「スライダー! 行きます!!」

 

 すげぇ熱気。初日ブルペン入り、ってニュースに出るくらいだから珍しいかと思ってたけど、カイザースは一味ちがう。初日からサバイバル……七勤という過酷な日程なのにもう投げてら。

 肘に怪我したことのある一ノ瀬も投げてるし。

 

「すみません、近平さん。きたかパワプロ」

「おう、猪狩。早速ブルペンキャッチャーやりにきたぜ?」

「ブルペンキャッチャーもなかなかに競争率が高いぞ。投手から指名されるか、投手にブルペンキャッチャーさせてもらえるようにお願いしないといけないからな。……まぁ、二軍投手相手にでも良いならいくらでも座れるだろうが」

「あー、たしかに」

 

 カイザースは俺を含めて六人キャッチャーがいるが、俺を除いたキャッチャーは皆一軍メインとなる投手のボールを受けている。

 猪狩は去年のレギュラーの近平さん、一ノ瀬は中堅で二軍の正捕手の工藤さん、久遠は六年目の大谷さんで、山口は高卒二年目の俺の二個下、森山と同期の北田、で、去年セットアッパーとして六〇試合を投げたベテランの佐伯さんが同じくベテラン捕手の日村さん相手に投げている。

 他のメンバーはまだブルペン入りしてないしなぁ。

 

「どうしてもというのなら僕がお前相手に投げてやってもいいが」

「……魅力的な提案だなぁ」

「ふむ、ならば――」

「でもいいよ、近平さんに悪いし、どうせ週末の紅白戦で投げんのお前だろ。お前の球を一番近い所で見て打てそうにないって思ったら困るし」

「そうか?」

「ああ、まずは現有戦力のチェックかな」

 

 俺と組む二軍の投手たちの球も見ておきたい。一軍投手の球を取るのは一軍入りしてからでも遅くないし。

 猪狩と離れ、捕手と探している二軍の投手たちの元に歩く。

 ブルペンキャッチャーの方と投げてる二軍選手も多いが、十数人は相手が見つからず、お互いにキャッチボールをして肩を作っている状態だ。

 ……その中で、キャッチボールもせずにボールをじっと見つめる選手がいる。

 

「どうも、どうかしましたか?」

「ッ、お前は……葉波か。ふん」

 

 童顔でイケメンな奴だ。

 くせっ毛が印象的、アホ毛ってやつだな。それがみょん、と頭の先から伸びてる。背は小さく、俺の胸程までしかない。

 その選手は俺をまるで親の仇のように睨みつけ、つーんとそっぽを向いた。

 

「えーと……」

「ふん、オレはお前の二個下だ。森山と同期」

「あー、森山とね。じゃ北田と一緒か」

「……あいつ、ドラ二」

「へー、じゃあドラ一は?」

「オレだ! 悪かったな見えなくて! っていうか知っとけよっ! プロでは一応先輩だし、森山のハズレだったけど一位だったんだぞっ」

「あいつカイザースに一位指名されたんだ」

 

 えーと……確かあおいの手紙によると森山がパワフルズで北前がキャットハンズだっけ。なんというか、世間って狭いよな。一ノ瀬カイザースだしさ。

 と、俺が思い出から頭を戻すと二個下の年下のアホ毛選手はまだ俺を睨んでいた。

 

「えーと、で、名前は?」

「敬語使えよっ、オレのがプロとして先輩だぞっ。……稲村、稲村ゆたかだ」

「稲村」

「呼び捨てすなっ」

「悪かったって。……で、ドラ一の稲村さんはどうして投げてないんだよ?」

 

 俺が尋ねると、稲村はうっ、と顔をしかめ、うつむいてしまった。

 ドラ一ならばそれなりの期待度があるはず。二年前のドラ一だし三年目の高卒だろう。

 グローブを右手にしている所から見てこいつは左腕。左腕はかなり重宝される上にドラ一とくれば首脳陣も注目しているはずだ。

 それがキャッチボールもせずボールを見つめているなんておかしな話。

 背丈が低い所から見て軟投派、それが左腕だといえ一位指名されるということは、相当完成度が高い投球をしてたんだろうな。……アメリカ行ってて見てないけど。

 

「……それ、は」

「それは?」

「…………オレは怪我明けだから」

「怪我明け? ……もしかして、なんか大きな怪我で、メスとか入れたのか?」

「………………」

 

 俺の問いに何も答えず、稲村はだっ、と走って行ってしまった。

 ……身体的にポテンシャルの低い奴が選手生命を左右するほどの大怪我をすると、そのまま引退することが多い。

 才能がないわけじゃない、大投手の中には身長が低い奴なんて何人もいる。

 でも、そういう選手が大怪我をしてからの復帰は難しい。身体のアドバンテージが無いのを乗り越える程の投球も、怪我によって劣化してしまうからだ。

 それを高卒したてほやほやの選手が経験したとしたら。

 しかもドラ一で入って期待されていた選手がそんな目に合ったとしたら。

 

「……やれやれ」

 

 放っておけねぇんだよな、ああいうタイプ。

 それになんだかんだ言ってキャッチボールもしないのに首脳陣が注意も何もしない、ということは首脳陣も待ってるんだ。

 稲村がもう一度輝きを取り戻すことを、きっと。

 でもま、明日だな。とりあえず今日は誰かのボールを受けねぇとなー……。

 

「パワプロ」

「んおっ。……山口!?」

「ああ、こうして話すのは初めてだな……北田は俺のフォークをまだ取れないから。どうだ。俺のボールを受けてみないか」

「……上等。お願いするぜ」

「ああ」

 

 山口はにっ、と笑ってマウンドに立つ。

 俺はマスクをかぶり直し、ざ、とホームベースの後ろに座った。

 その瞬間、フラッシュが焚かれ――猪狩、久遠、一ノ瀬が投球をやめた。

 そのまま三人はじっと俺を見つめる。

 そんなに注目されると緊張すんだけどな。まあこなしてみますか。

 

「行くぞ。ストレートからだ」

 

 マサカリ投法。足を大きく上げて、山口が腕をスライドさせる。

 構えた所より僅かに高くボールが飛んできた。

 それを捕球する。

 ズパンッ!! と重い感触。……良いボールだ。

 

「ナイスボール! 二球目行こうか!」

「ああ、カーブだ」

 

 シュンッ、と山口が投げたボールが途中で軌道を変化させる。

 高校で見た時よりも遥かに良いカーブだ。変化量キレ両方プロレベルに進化してる。……ちょっと腕のフリが緩んだけどな。

 

「ナイボ! ただ腕のふり緩んだぞ! 左腕の引きを意識して投げてみろ!」

「む……」

「カーブの時に抜くことを意識しすぎてるんだ。腕の振りで強弱をつけるんじゃなく、左腕の引く引かないのイメージで良いぜ。もちろんグローブは抱えろよ」

「分かった」

 

 スパンッ!! とカーブが低めに決まる。

 よし、今度はいい球だ。

 数球カーブとストレートを投げた後、

 

「次、フォーク」

「おっしゃ来い!」

 

 山口の決め球、フォーク。

 帝王実業の時もエグかったけど、プロに入ってどんな風になったかな。

 山口がフォークを投じる。

 高さは俺の目線の高さ。

 そこから、ホームベースの手前で急激に落下する。

 

「っ」

 

 バンッ! とミットが音を立てる。

 フォークなのに大した球威、甘く入っても打つのは楽じゃないな。こりゃ。

 

「ナイボー!」

「……流石だな」

 

 パシッ、と受け取り、山口は不敵に微笑む。

 捕球できた事に気を良くしたようで、山口はそこから三球連続フォークを投げ込んできた。

 やっぱ打者がいない分高めに来がちだが、それでも取るのには苦労するな。

 三〇球程投げ、山口が軽いキャッチボールを要求してきたのでそれに付き合う。クールダウンってやつだ。

 

「まさか初見で取るとはな」

「一応ビデオで研究はしたかんな?」

「ふふ、いや、やっぱりお前はこうでなくては、な」

「あん?」

「なんでもないさ。一軍でも頼むぞ」

 

 ぽん、と山口とグラブをあわせ、山口は帰っていく。

 ……一軍に来いってさ。やれやれ、プレッシャーをかけてくれるぜ。

 その後二軍選手のボールを三、四人受け、フリーバッティングをして一日目は終了。

 神童さんに組まれていたプロ仕様のメニューのおかげで肉体的にはそこまできつくはなかったけど、やっぱり気を使う事が多くて疲れたぜ。

 夕食(ガッツリメニューだけど野菜中心、酢の物もあって疲労回復メニューが中心)の後は入浴、入浴の後は専属マッサージ師のマッサージで疲れを取り、三十分のリラックスタイムで就寝だ。

 うーむ、至れり尽くせりだな。こりゃ確かに七勤でも頑張れそうだ。流石猪狩スポーツジムの大本。

 リラックスタイムは好きなことをしていいらしいので、チームメイトのことを調べておく。

 データ室の二年前の四月の新聞……えーと……お、あった、稲村全治六ヶ月……靭帯の再建手術、か。

 トミー・ジョン手術、と呼ばれる靭帯を移植し、傷ついた靭帯を再生させる手術を稲村は行なっている。

 全治に六ヶ月、リハビリを入れて一年、ボールが握れないという野球選手おいて最も重いといっていい怪我の一つ。

 それがドラ一で入ってきた一年目にいきなり肘を壊し、その手術のせいで今まで全く登板がない。

 そりゃキャッチボールもためらうか。“また壊れたら”。そんな恐怖感が拭えないなんて、そんな手術が必要な大怪我を体験したことのない俺でも安易に想像出来る。

 怪我をする前の情報に目を通す。

 マックス一三五キロのキレのある直球に、落ちるスライダーが武器の左腕。

 特にスライダーのコントロールは天下一品。本人曰く狙った所に投げれるという。

 コントロールは殆ど感覚だ。一年間、その感覚を養うどころか投げることすら出来なかったとしたら、本人が自信を失うのも仕方ないかも知れない。

 ……なら、嫌でも自信を取り戻してもらわないと。

 明日の朝からあいつに張り付いて話してみるか。本人の話を聞かないとなんにも始まらないからな。

 

「自信がない、か。……思い出すな」

 

 そういえば、高校生の時もこうやって始まったっけ。

 自信の無い投手に自信をつけて貰う。

 ――恋恋高校に入った時のことを思い出して、俺は一人笑った。

 あいつら、元気かな。

 

 

 

 

                           ☆

 

 

 

 

 翌日。

 朝の散歩メニューの前、朝食の時間に俺は稲村を探す。

 

「お、いたいた、おはよっす」

「げっ、……なんだよ」

「いや別に。一緒にくおうかなって」

「パワプロ。一緒に食べないか?」

「おう猪狩、お前も座れよ」

「パワプロ、隣いいか」

「友沢ー、マジ久々だな」

「ああ、だから喋りにきたんだ」

「僕も仲間外れにしないでよ。久しぶりパワプロくん!」

「久遠! よろしくな。お前の球とるの楽しみにしてるぜ!」

「僕も受けてもらうのが楽しみだよ」

「よう一ノ瀬」

「俺も混ぜてくれないかな?」

「山口も座れ座れ」

「う、わ、わ……」

 

 あ、稲村がテンパってる。

 そりゃそうか。カイザースの主力は誰? とカイザースファンに聞けばまず間違いなく猪狩と友沢と久遠と山口、一ノ瀬の名前は出てくる。そんなチームを引っ張る代表メンバーが同じ席に座ってるんだ。一軍登板どころか二軍登板すらしたことのない選手にとっては肩身が狭いだろうな。俺なんか新人だけど。

 

「稲村。肘の調子はどうなんだ?」

「ひえっ! え、えと、オレは、その、も、もう大丈夫だって、医者には言われてますけど……」

「肘の怪我は怖いよね……ね、友沢」

「そういやお前も肘壊したんだったな。どんな感じだ?」

「痛みでボールが投げれなかったな。俺の場合は肘の手術をしても変化球は投げれないだろうと言われた。靭帯では無く関節の炎症だからな」

「そりゃ手術してもしょうがないよな」

「ああ、結局手術などはせずに投手を断念だ。まあ誰かさんに誘われて打者転向したんだが」

「うっせ、どうせ自分で立ち上げただろお前は」

「ふっ……」

「そういやお前登録内野手になってるな。どうしたんだ?」

「ショートに再コンバートされたんだ。蛇島と二遊間を組んでいる」

「蛇島と! へぇ、どこだよ蛇島」

「パワプロとは顔を合わせたくないからさっさと食べて散歩にいったよ」

「おい山口そこまで聴きだしたなら止めろよ……なんか俺傷つくじゃん……」

「はは、一軍に上がってきてから自分で話しかけるといいさ」

「むぅ……一ノ瀬はどうだった?」

「僕かい? 僕は手術をしたよ。でも怪我をする前より丈夫になった気がするね。というか、ケアをちゃんとするようになったかな。四連投した後とかも時間をかけてマッサージすれば、痛みも違和感も何も無く翌日は好調さ」

「なーるほどな、たしかに怪我をするとそこ気遣うもんなぁ」

 

 そうか、俺が居ない間に色々あったんだなぁ。

 友沢がショートか……矢部くんが外野に戻ったりしたのかな。そこら辺も調べとかないとな。……今度は矢部くん、敵だし。

 

「……あ、あの、オレ、もう行くからさ……」

「まあ、待てよ稲村」

「ぅわぁ!?」

 

 立ち上がろうとした稲村の手を掴み、その場に座らせる。

 うわ、こいつめっちゃ華奢だな。女みたいだ。

 

「どうしたパワプロ、やけに入れ込んでいるが、まさかお前……」

「猪狩、言わないほうがいい。本気で気づいていないからなこいつの場合」

「? なんだよ?」

「……いや、友沢がそういうなら僕は黙ってるさ。好きにするといいと想うよ」

「ああ、ま、こいつはチームにとって必要だろうしな。まあそうギクシャクするなよ稲村。ちょっと聞きたいことがあるだけだ」

「き、聞きたいこと……?」

「そうだ。カイザースのメニューは朝と夜は固定だが、昼はバイキングだったろ。……昨日のメニューを教えてくれねぇか?」

「な、何だよ。……えっと……大豆のハンバーグだろ。スクランブルエッグに、トマトサラダ、野菜ジュースにおにぎり三つだ」

「……それ、自分でバランス考えて食ったのか? 管理栄養士のプロ並に徹底したバランスメニューだな」

 

 俺がそう問いかけた瞬間、ピクリ、と稲村の肩が震えた。

 やべ、なんか地雷踏んだかも知れねぇ。

 稲村はわなわなと肩を震わせながら、目の前に新人の俺だけじゃない、チームの主力がいる前で俺を睨みつける 

 

「んだよ、悪いかよ……! オレだってプロのピッチャーだ! 投げれなくたってプロの投手選手なんだよ! 悪いのかよ、投げることを考えて飯食っちゃ! 投げれないのに投げるときの事考えて色々やっちゃいけないのかよ!!」

 

 稲村はふーっふーっと息を荒げながら俺の胸ぐらを掴んできた。

 ……そうか。こいつ、俺が思っている以上に投げるのが大好きなんだな。

 けれど、怪我で投げれない時期が続いて、傷ついて、自暴自棄になって――それでも、あきらめなかった。

 よくよく見ればこいつの手は豆だらけだ。キャッチボールすら出来ないのに。

 それはきっと、食事だけじゃなく、投げるために必要な事は全部やったんだ。

 チューブトレ、トレーニングマシーンを使った肘の補強運動、インナーマッスルを鍛える筋トレ、下半身強化の走り込み……多分、俺がアメリカで勉強した以上に調べて、試してきたんだろう。

 だからこそ悔しいんだ。投げれないことが。

 努力しているのに理不尽な大怪我を追って、

 その大怪我から復活するために全身全霊をつくしているのに報われなくて、

 その結果やっと復帰できたのに、投げれると分かっても怖くて投げれなくて、

 その気持ちを、何処にぶつければいいか分からないんだ。

 なのに何も知らない俺に脳天気な食事メニューの指摘をされて、そりゃこうやってキレたくもなるだろう。

 

 ――でも。

 

「誰も悪いなんて言ってねぇだろ」

「……ッ」

「安心しな、稲村」

 

 この騒ぎのせいか、食堂の視線が全部こちらに集まってるな。

 猪狩と友沢は俺のことをよく知っている所為かわざとらしくため息を吐き、一ノ瀬はなぜか楽しそうににこにこと笑っている。

 ええい、構うこたぁない。言ってやれ。

 

「俺がお前を一軍に連れてってやる」

「な……ば、バカだろお前っ! オレはキャッチボールすら……!」

「やれることはやってきたんだろうが」

 

 稲村が口を挟もうとするのを、俺はピシャリといって黙らせる。

 そうさ。怪我はたしかに遠回りかもしれないけど、止まってる訳じゃない。

 怪我をした後立ち止まる奴も居るだろうが、稲村はそんな奴じゃないんだ。

 一ノ瀬や友沢のように必死にやれることをやってる。ただ後一歩勇気が足りないだけだ。

 それなら、俺がその背中を押してやればいい。

 ――あの時の、あおいのように。

 

「それなら、俺がお前を一軍に連れてってやる。連れてけなかったら俺のせいだ。だからお前は俺を信じて投げてりゃいい。一軍に行けなかったら俺のせいだ。どうだ。楽だろ?」

「……っ、そんな、ことっ……!」

「稲村、安心するといい。こいつのアホさには救われることまちがいなしだぞ?」

「ひでっ、おいこら猪狩! その言い方はあんまりだろ!?」

「ふ、実際に救われた僕が言ってあげれば稲村も安心出来るだろう? ……先輩として一つアドバイスしよう、稲村。……たまには責任を捕手に押し付けることも必要だぞ? 特にお前は責任感が強そうだからな。敗戦の責任を背負うのは僕のようなエースになってからでいい」

 

 猪狩は食事を終え、立ち上がる。

 野郎……俺の見せ場とっていきやがった……!

 けど、ま、あいつの言ってることも正しいよな。

 二つしか違わないとは言え、あいつはエースで、稲村はまだ実績の無いルーキーみたいなものだ。

 反省することはいいことだけど、それを抱え込むのはよくない。それならばいっそ、他人のせいにしたほうがまだマシだ。

 

「……ふふ、本当に楽しみだ。待っているぞ、パワプロ。お前が取れないようなフォークを投げてみたいものだな」

「ああ、パワプロくんの株は上がるのは良いが困ったものだね」

「あん?」

「試合前のブルペンにキミを専属にしたいのに人気が出たら困るじゃないか?」

「あはは、たしかにそうですね一ノ瀬さん。……僕も、出来ればパワプロくんに受けて欲しくなりました」

「おお、久遠にそう言われると悪い気はしねーな」

「だって調子悪かったらパワプロさんのせいに出来るでしょう?」

「そういう意味か!?」

「あはは、冗談ですよ。頼みましたよ、パワプロくん。……僕達も、後輩は心配なんですから」

 

 笑いながら、一ノ瀬と久遠は歩いて行った。

 友沢はふ、と笑みをこぼし、軽く俺の肩に手をおいて、何も言わずに去っていく。

 ……分かったよ、ちゃんとこいつも連れて行くって。

 猪狩達が居なくなった所為か、全員が朝食後の散歩に出る為に食堂を後にする。

 結局、残ったのは俺と稲村だけになってしまった。

 

「……怖いだろうさ。怪我は。またやっちまったらどうしよう、なんて悩むのも分かる。……けどな。それじゃダメだろ?」

 

 がらん、とした食堂に俺の声が響く。

 今こいつに必要なのは、理解することだ。

 こいつがどうしてそんなに頑張っているのか、どうして、何故――それを理解した上で、接してやらなきゃいけない。

 それが本当のバッテリーになるために必要なことなんだ。

 

「だ、ダメって……」

「あ、言い方が悪かったな。悪い悪い。投げなきゃ――つまんねぇだろ?」

「え……?」

「お前が投げるのが大好きだって昨日今日の付き合いの俺でも分かる。だったら投げなきゃダメだろ。食ってく為に。そして何よりも――楽しむ為にさ」

「……っ!」

 

 稲村が俯く。

 怖い、怖い、怖い――

 でも、

 投げたいんだ。

 もう一度、あの高いマウンドから。

 自分の為に構えられたミットに向けて、

 自分の身体を目一杯使って、

 そうして投じたボールで、

 相手が空振って、

 打ち損じて、

 完璧に打たれて、

 自分が投げたボールで、試合が動き出す。

 その結果で、一喜一憂する。

 その感覚を、もう一度味わいたい。

 ――もう一度、投げたい。

 

「ぅ……、……そ、その、オレっ……な、投げるのが好きで……」

「……分かるさ」

「で、でも、こわ、怖く、て……」

「解るよ。でももう怖がらなくていい」

「っ……でも、怖いんだ……っ! また、壊れたら、って想うと……! 打者を全く抑えることが出来なかったらって想うと……!!」

「大丈夫さ。打たれない」

「そ、そんなこと、分からないじゃないか……」

「いや、打たれない。――打たせない」

「な、え……?」

「仮にお前の投球が打者を抑える事が出来ないものでも、俺が打者を抑えるのに足りない分、全力で埋める。だからお前は今やれる分を全力でぶつければいい。そうすれば通じるさ、どんな打者にだってさ」

「な、何いってるんだ。お前……お、オレは二軍戦も出たこと無いんだぞ? それなのにお前は、力を合わせれば通じるなんて本当に思ってるのか?」

「ああ、そうだ」

「な、ぅ……根拠! 根拠を言ってみろよ!」

「根拠なんてねぇよ」

「は、はぁ!?」

「捕手が投げる為に全力を尽くしてる投手を信じるのに、理由なんて要らないだろ」

「……」

 

 怪我をしても、投げるためにやれることを全力でやる。

 そんな努力に、報いてやりたい。

 その努力を、結果という形にしてやりたい。

 そう思った。思わせるような投手だった。

 だったら、そいつを信じる理由なんて、必要(いら)ない。必要ともしたくない。

 

「行こうぜ稲村。あと、今日のブルペンよろしくな?」

「……ぐす……う、ぅぅ、うっ……ううっ……」

「ど、どうした!?」

「う、うわぁああーん!」

 

 俺にしがみつくようにして、稲村は泣く。

 一年間投げれなかった辛さや恐怖を、全て流すように。

 ……結局、俺と稲村が散歩をすることができたのは、遅れに遅れた三〇分後だった。

 

 

 

 

                           ☆

 

 

 

「だ、ぁぁ……やっと終わった……」

 

 散歩をするのに遅れた理由は二軍監督に許してもらえたものの、示しがつかないとかいう理由でメニューを三倍にされた。

 自主性の高いカイザースの軽度メニューでも三倍にすれば話は別だぜ。

 あー、疲れた。

 

「葉波先輩!」

 

 ぴょこ、とアホ毛が揺れるのが見える。

 どうやら投手の三倍メニューを終えた稲村が俺を迎えに来てくれたようだ。

 ……泣き終わった後、ちょっと恥ずかしそうにしていた稲村だったが、散歩を終える頃にはすっかりその恥ずかしさも取れて今や素直な可愛い後輩だ。啖呵切った甲斐があったぜ。

 

「三倍メニュー終わりましたか?」

「おう、終わったぜ。んじゃまブルペン行くか」

「はいっ! お願いします!」

 

 くぅ、やっぱり後輩はこうでなきゃな! 進といい後輩は可愛いぜ。

 二人で連れ立ってブルペンに入る。

 プロテクター、レガース、マスクをつけてホームベース後ろに立ち、辺りを見回す。

 今日もブルペンには猪狩達が入って居たようだが、俺と稲村のメニューの消化が遅かったせいかすでにブルペンには人が殆ど居ない。記者陣に至ってはお目当ての猪狩辺りを収め終えたらしく、すでにブルペンにはいなかった。

 ここに居るのは二軍の監督、投手コーチと稲村、俺と同期の高卒ルーキーとそれを受けるブルペン捕手くらいのものだ。……ま、これくらいの方が稲村も固くならなくていいかな。

 

「んじゃ稲村。まずは小手調べにストレートからな」

「……っ、は、はい!」

「落ち着け、試合じゃねぇんだぞ? 最初は俺も座らねぇから、軽くな、肩を作るぞ」

「分かりました! いきます!」

 

 ゆらり、と稲村が足を上げ、ぴゅっ、と腕を軽く振るう。

 パシッ! と小気味の良い音をミットが立てた。

 良いボールだ。

 そのボールを稲村に返す。

 

「全然良いぞ。これで肩を温めるんだ。肘とかに違和感はないな?」

「はい! 大丈夫です!」

 

 それを二〇球程繰り返し、肩を作っていく。

 どうやら稲村の肩も温まってきたようだ。

 

「うっし、大分良くなったな。……座るぞ」

「……っふぅ、はい、お願いします」

 

 稲村の同意を得て、俺は腰を下ろす。

 稲村は深く息を吐いて、緊張した面持ちでボールを見つめた。

 ブルペンで投げるのも、多分一年ぶりだ。

 様々な想いが稲村の中をかけめぐっているのだろう。その中には多分、不安とか、怖いとか、そういう気持ちもあるはずだ。

 それでももう、怯まない。

 

「行きます! 葉波先輩!」

「ああ、来い」

 

 ゆらり、と稲村が足を上げた。

 ゆったりとしたフォーム、相当タイミングが掴みづらいだろう柔らかな、それでいて力感を感じるフォームで稲村が腕をふるう。

 オーバースロー。関節が柔らかく出所の見辛い投球フォーム。

 そこから投じられた、回転の良い直球を、俺はミットの真芯で捕球した。

 スパァンッ!! と音が響く。

 

「……ぁ……」

 

 ふるる、と稲村が身体を震わせた。

 嬉しさか、興奮か――稲村は嬉しそうにぎゅ、と拳を握って、表情をほころばせる。

 ……こんな顔をさせてやれて、本当によかった。

 にしても良いフォームだ。ゆったりと足を上げてから、一度ボールを持った手ごと身体を下ろし体重をしっかりと軸足に載せてから、グローブを抱えて足を踏み込み滑らかに体重移動させ、更に柔らかな関節を生かした出所の見えないフォームからキレ味の良いボールを投げ込む。

 ドラ一なのが納得出来る素晴らしいフォームとボールだった。これで左腕ならたしかに一位の器だな。

 

「あ、あのっ、葉波先輩っ、お、オレのボール、どうでした?」

「ん? キャッチャー冥利につきる、っつーのかな」

「え?」

「最高の球だった。もう一球同じ球を頼むぜ?」

「――! はい! 幾らでも!」

 

 にこっ! とひまわりのような満面の笑顔を咲かせ俺からボールを受け取り、稲村が再び腕を振るう。

 パァンッ!! と再びブルペン内に快音が響く。

 ストレートを何球か受けてみるが、本当に怪我をしたのか怪しい程良い直球だ。

 恐らくスピードガンで見ても一二〇キロ後半程度しか出ていないのだろうが、打者の目から見れば恐らく一四〇キロの後半に感じる程の球持ちの良さとキレと球威だ。

 特に球威が凄い。オーバースローで振り下ろすように投げるお陰か回転数が有って、ボールが重いのだ。

 

「さて、次は縦スラ行ってみるか」

「えっ、オレの決め球知ってるんですか?」

「当たり前だろ。調べたんだからさ。さ、来い!」

「先輩がオレの事をわざわざ……行きます!」

 

 何か感激したらしく、嬉しそうにしながら稲村はぐっと足を上げる。

 ストレートと同じフォームから投じられる縦のスライダー――それがドッ! と地面をえぐった。

 

「……っ」

「キレてるぞ! もう一球!」

「っ、はっ!」

 

 ビュッ! と稲村がスライダーを投げるが、今度は大きく浮き上がり、立ってやっと捕球出来る場所にまで抜けてしまった。

 稲村の顔がとたんに曇る。

 ……ストレートは怪我する前と同じ感覚で投げれてるが、縦スラはそうはいかないらしい。

 この後スライダーを何球か投げてみるが、やはりコントロールが付かず、ストレートは大体七割方構えた所に決まるのに対し、縦スラは二割行けばいい方程度だ。

 その後稲村が持つカーブやら、チェンジアップなどを試させて貰ったが、お世辞にも決め球としては使えそうもない。

 

「ラスト、ストレート!」

「――ふっ!!」

 

 パンッ! とストレートを捕球し、稲村の復帰後初の、六〇球のブルペンは幕を閉じた。

 軽くクールダウンのキャッチボールをしながら、稲村と話す。

 

「ストレートは行けるな」

「ありがとうございます!」

「お前も分かってると思うけど、スライダーがな」

「はい……上手くコントロールできなくて」

「ま、初現場復帰っつーことで、一四〇点だな。そのうち六〇点がストレートな」

「後の八〇点はなんですか?」

「お前が頑張って投げた勇気、ってところだな」

「……先輩のお陰です」

「はは、そういうことにしといてやるよ。明日も頼むぜ?」

 

 手を差し出す。

 稲村は少し迷った後、俺の手にその手を重ねた。

 

「さて、んじゃ俺はバッティングやってくるな。お前はアイシングしたストレッチとマッサージ、その後風呂入って飯食って、もう一度マッサージして疲れ残さないようにしろよ。んじゃな!」

「は、はい、頑張ってください!」

 

 稲村に細かに指示を出して俺はバッティング練習しているグラウンドに急ぐ。

 今日はブルペンに入るのが遅かったからなぁ。まだやっててくれよ。

 そんなことを願いながら、俺はグラウンドに走るのだった。

 

 

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

 

 

 ぴちょん、とシャワールームに水滴が落ちる音が響く。

 先輩に言われた通り、オレはあの後アイシングをしストレッチをしマッサージをし――今、自分の部屋の備え付けの風呂で入浴している。

 先輩は凄い。ストレッチをした後マッサージを受けに行ったらマッサージ師の人に話が通してあったし、オレが欲しい言葉をいつも選んで言ってくれる。

 失敗したボールを投げてしまった時も悪い所を説明しつつ決して萎縮しないように優しく。

 良いボールが行った時は大声を出して、

 そして何よりも、オレが投げることが好きだと、気づいてくれた。

 怖がっているって気づいてくれた。

 それだけで一人でずっと暗闇の中に居たような、あの感覚が嘘のように消えてる。

 痛々しく残る左肘の手術痕。

 これを気にして昨日まであんなに投げるのが怖かったのが嘘みたいだ。

 

「せんぱい……風路、せんぱい」

 

 口に先輩の名を出す。

 それだけで、ちくりと胸が傷んだ。

 オレは単純だ。

 あんなに話題性だけで騒がれていると毛嫌いしていたのに。

 ――今はこんなにも、信頼している。敬愛している。

 ……その他にも、えっと、色々、して、いる。……して、しまった。

 

「……せんぱい、まだ早川さんの事、好きなのかな?」

 

 葉波風路は早川あおいの恋人である。

 ちょっと高校野球に詳しい人なら誰しもがそんな話は知っている。高校時代付き合ってたとか腐る程雑誌で読んだし。

 でも、そんな情報、嘘だったらいいのにな。

 ……本当にオレって単純だなぁ。

 ぴちょんぴちょん、と水滴がシャワーノズルから落ちる。

 膨らんだ自分の胸元をお湯が流れていく。

  

「せんぱい……せんぱい……」

 

 先輩、ごめんなさい。

 多分先輩はオレのことを、チームメイトとして心配してくれてただけなのに。

 

「……オレ……せんぱいのこと、好きになっちゃったよ……」

 

 顔半分を湯船のお湯に沈めてお湯をぶくぶく言わせながら、オレは目を瞑り、先輩の事を考える。

 ……早く明日にならないかな。そうしたらまた、先輩にボールを受けて貰えるのに。

 

 

 ――稲村ゆたか。

 白薔薇かしまし学園大付属高校卒業。

 性別、女性。



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第三五話 カイザースキャンプ“紅白戦”

 二月七日、第一クール最終日。

 第一回目の紅白戦が行われるとあって、報道陣も詰めかけたカイザースのキャンプ場。

 いたるところに観客や各球団のスコアラーが居る中、二軍である紅、一軍である白のスターティングメンバーが発表される。

 紅組。

 一番、谷村 ショート。

 二番、大野 セカンド。

 三番、葉波 キャッチャー。

 四番、下井 ファースト。

 五番、仰木 ライト。

 六番、北川 レフト。

 七番、鈴木 サード。

 八番、鹿田 センター。

 九番、稲村 ピッチャー。

 白組。

 一番、友沢 ショート。

 二番、蛇島 セカンド。

 三番、近平 キャッチャー。

 四番、ドリトン ファースト。

 五番、飯原 ライト。

 六番、岡村 サード。

 七番、三谷 レフト。

 八番、相川 センター。

 九番、猪狩 ピッチャー。

 ――白組、一軍は全員が全員、レギュラークラスの選手である。

 ライトを除く外野を固定出来なかったカイザースであるが、最もレギュラーに近いと言われている二人が下位打線に入り、二軍の選手に活躍を許さないと言わんばかりの布陣だ。

 一方の紅組は若手主体だ。

 特に注目を集めているのはピッチャーの稲村。

 ドラ一左腕、しかもカイザースには初めての女性選手で話題を集めていた選手にもかかわらず、一年目から靭帯修復手術を受けた選手が、一年ぶりにマウンドに戻ってきた。

 それを受けるのが、一軍昇格を賭けた葉波となれば、注目が集まるのも仕方ないことだ。

 

「では試合開始!」

 

 神下監督の声が響く。

 先攻は紅組。綺麗なマウンドに猪狩が立つ。

 ――試合が、始まった。

 

 

 

 

 

 一番の谷村さんが打席に入る。

 谷村さんは俊足巧打ながら右打者。一軍経験もある中堅選手だ。ここはアピールするためにも猪狩からヒットを打ちたい所だろう。

 猪狩が足を上げる。

 実際に試合で投げる猪狩を見るのは四年ぶり。

 その猪狩が腕を振るった。

 ――ズッバァンッ!!!

 空気が振動する。

 スピードガンは置かれていないので詳しい球速は分からないが、ここから見る分には一五〇キロの後半を感じさせる球威だ。

 実際の所一五〇出るか出ないかくらいなんだろうけど……やっぱ猪狩はすげぇな。

 スライダーで追い込み、猪狩はフォークで谷村さんを打ちとった。

 近平さんのキャッチングは流石一年正捕手を守っただけのことが有って、猪狩の球にも押されることはない。流石プロだ。

 俺も多分、神童さんのトレーニングを受けてなかったら山口の球も取れなかった。

 二番の大野が打席に入る。

 大野は三年目の若手。俺らの一個下、一ノ瀬と同期だ。

 ネクストバッターズサークルから大野を見る。

 大野は球威に押されているものの、なんとか猪狩の球をカットして甘い球を待っている。

 

「っ!」

 

 だが、高めのストレートを振らされた。

 球威があるからこそ許される投球……高めにストレートを投げ、空振りを誘う。

 プロの打者は凄い。コーナーぎりぎりとかにボールが来ない限りは確実にカット出来る。だが、それをされた上でボールの力で抑えこむ事が出来るのが一流投手なのだろう。

 そして、猪狩はその一流の上――超一流としての道をすでに歩んでいる。

 最優秀防御率を去年取り、チーム最多の一六勝。超一流と言わずしてなんと呼ぶのか、って感じの成績だな。

 

「よろしくお願いします」

 

 お辞儀をし、打席に入る。

 近平さんがじろりと俺を見た。

 射ぬかれるような視線――、高校時代には全く感じなかった、相手の捕手から動作の一つ一つをじっくりと観察される感覚。

 それを掻い潜って、高校野球レベルとは比べ物にならないほど凄い投手達から安打を打たなきゃならない。

 猪狩が足を上げる。

 ゴチャゴチャ考えても打てない。とりあえずストレートにヤマを張って初球からフルスイングだ。

 高めに投じられたボールが浮かぶ。

 ライジングショット!

 ッキィインッ!!! と痛烈な音が響き渡る。

 振り抜いたバットのその先。

 打球が飛ぶ。

 いつか見た軌道で。

 

(ああ、そういや)

 

 あの時はこのまま入れば勝ってたんだ。

 

(まだリベンジ、済んでなかったな)

 

 それが左に切れてファールになって、次のボールで三振した。

 でも、今度は。

 

(やられっぱなしってのは性に合わねぇからな。悪く想うなよ。猪狩)

 

 ガシャンッ! とポールにボールが直撃する。

 その瞬間、オォ~! という声がバックネット裏やスタンド、果てはベンチからまで聞こえた。

 クルクルとサードの塁審が腕を回す。

 それを確認して、俺はゆっくりとファーストベースへ向けて走りだした。

 完璧だったな。まだキャンプの一周目で猪狩の調子が上がってないのと、不用意に高めにストレートが来たのもあってボールの勢いにも押されなかった。

 これで猪狩が絶好調で、丁寧に低めから攻めてきたら打てなかったろう。

 ……にしても初球から高めにストレートか。新人とは言え舐められすぎだぜ。

 ホームベースを踏んで戻る。

 打撃のほうはクリア、次は守備面だな。

 

「稲村!」

「はいっ!」

「準備はできたか?」

「バッチリです!」

「OK」

 

 下井さんが打ち上げ、紅組は俺のホームランの一点で攻撃終了。続いて白組の攻撃だ。

 稲村と共にグラウンドに出る。 

 第一クール、メニューの後は稲村とかかさずブルペンに入ってたけど、ストレートはやっぱりいい。

 だが問題は変化球。特に縦のスライダーはコントロールが安定せず使いにくかった。

 友沢が打席に入る。

 ストレートだけじゃ友沢、蛇島、近平さんと続くこの打線を抑えるのは難しい。

 蛇島の成績も、322だからな。全員が三割経験者。それをストレート一本で、というのははっきり言って無謀以外の何者でもない。

 

「よぉ友沢」

「ああ、……ふ、全力でいかせて貰う」

 

 グッ、とバットを立て、友沢が構える。

 四年前よりがっしりとした身体。威圧感をたたえ、貫禄すら感じさせてくる。こりゃ並のピッチャーなら臆して投げることすら出来ねぇだろうな。

 ――でも、稲村は違う。

 故障の恐怖を乗り越えたんだ。打者に怯えたりはしないはずだ。心配なのは久々に実践に立つ故の緊張か。 

 稲村がサインに頷き、振りかぶる。

 サインはストレート。コースは内角低め。

 稲村が腕をしなやかに振るう。

 ッ、高い! 立たないと捕れねぇ……っ。

 

「ボールッ!」

 

 慌てて立ち上がり、ボールを捕球する。

 いきなり抜けてきた。ブルペンだと構えた所にぴったり、というわけには行かないものの、低めと構えたら一〇割近い精度で低めに来てた。

 それがこれか。よっぽど緊張してるみたいだな。

 かと言って声掛けしても稲村は気負うだろう。とりあえずどんなボールでもいいから腕を振って投げろ、なんて言っても稲村は後輩だからな、先輩の命令にとりあえず従いました、みたいな感じになる。

 難しい、難しいが、手がないって訳じゃない。

 サインを出す。

 そのサインを見て、稲村はびくっ、と身体を一瞬驚くように震わせた。

 リアクションとんな、一軍のマウンドでそんなリアクションは出来ねぇんだぞ。

 ミットを構える。

 

 ――ど真ん中に。

 

 俺の構えを見て、野手達が一瞬動きを止めた。

 神下監督が俺に科したノルマは全員が知っている。

 打撃はクリアした。出塁しろってのをホームランで答えたんだから、一二〇点だろう。

 対して、守備面の条件は被安打〇。それを達成すれば一軍に上がれるのに。更に言えば相手は去年の首位打者、友沢亮なのに。

 ど真ん中に構える。そんな行為は多分、信じられないことだ。

 でも、そんな前提条件(・・・・)はどうでもいい。

 俺が今やれる事は、たった一つ。

 この回を〇点に抑えること、それだけ。

 相手は緊張した後輩。ストライクは今の一球でも感じ取れるくらい、取るのが難しい。

 ならとりあえず、ストライクを一つ取る。

 そうすれば多少緊張はほぐれるハズだ。

 稲村が僅かに悩み、頷く。

 そうだ。お前は俺のことなんか気にしてる立場じゃねぇだろ。今お前に出来る事は、全力で投げること。

 

「――んっ!!」

 

 声を上げて稲村が腕を振るう。

 またボールが上ずる。でも今度はストライクゾーンだ。

 ビュッ! と友沢がバットを振るう。

 ッカァンッ!! と音を響かせて強烈な打球がファーストベースの右へと切れていった。

 さっすが友沢だな。予想以上に稲村のボールが手元で伸びてきたから押された分ファールになったが、とりあえず出塁するために右打ちを心がけて振ってきた。球威に押されてるのにあの打球の速度は驚嘆の一言だぜ。

 1-1。

 ストレートを三つ続けるのは流石にダメだ。縦のスライダー行くぞ。

 縦のスライダーは低めにワンバウンドしてボールになる。

 流石にストレートが入らないような状態でスライダーが入るってことはないか。

 1-2からのカーブも高めに外れ、1-3。

 ボールカウントが三つ。

 ここでフォアボールを出すわけには行かねぇぞ。フォアよりヒットのほうがマシだ。

 友沢相手にここまでバッター有利のカウントに持って行かれると正直、長打にされない方法を考えたほうが建設的だ。

 ヒットを打たれても良い。ホームまで返さなきゃ〇点だからな。

 想い、俺はど真ん中に構えた。

 それを見て稲村は、

 

 首を横に振るった。

 

 一瞬稲村が首を振った理由がわからなくて俺は動きを止める。

 この状況下で首を振るうってのはありえないだろ。

 だって他の球は入る気配がないんだぞ? コースにしてもど真ん中以外に投げようとすれば外れてフォアボールに……。

 ――ああ、そういうことか。

 神下監督が俺に科したノルマは、“無安打のリードをしろ”だったな。

 つまり、フォアボールならヒットにならない。ここまでコントロールが付かないんだから、投手の責任――そういうことか。 

 バカ野郎。お前後輩なのに何先輩に気ィ使ってんだよ。

 

「稲村!」

 

 マスクを取り、立ち上がる。

 稲村はバツが悪そうに目線を逸らす。

 今まで怪我してチャンスすら貰えなかったくせに、そのチャンスを先輩の為に譲る。

 そんな先輩想いの可愛い後輩に答える為に必要な言葉は――。

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

「勝負を楽しめよ! この機会を待ってたんだろうが!! それを楽しまなくてどうすんだ! 全力で投げてこい!」

 

 腹の底から、パワプロが叫んだ。

 球場のざわめきが止まる程の音量。

 それを聞いて神下監督が笑ったのを、僕ははっきりと確認した。

 パワプロ、その言葉を心の底から言えるお前を僕は凄いと思う。

 投手の為に全力を尽くす。それが捕手だとキミは常々言っていたが、その行動を本気で出来るのは一流だけだと僕は想う。

 そしてキミはそれを出来るんだ。

 

「……ダメだな。僕は」

 

 一人の選手、それも捕手という自分が組む相手に対して贔屓の目で見てしまうのはよくないことだ。

 そう分かっていても尚、僕はキミと野球がしたい、そう思った。

 敵としても楽しいけれど、それ以上に、仲間として一緒にやりたいと、そう思った。

 稲村の顔に闘争心がみなぎっていく。

 フォアボールでも構わない。そう想って一度抜けた闘気が、再び充填されていく。

 稲村が足を上げて、友沢に向けてボールを投げ込んだ。

 ストレートが、ど真ん中に。

 そのボールを――友沢が右側に弾き返す。

 弾き返されたボールはサードの頭を超えて、レフトの前で弾んだ。

 稲村が顔を下げる。やっと見つけたパートナーの一軍行きのチャンスを、自分が打たれたことで消してしまった。それが申し訳ないのだろう。

 

「稲村! バッターに集中しろ! 友沢は俺が刺す! だから――お前はボールを全力で投げてこい! それだけでいい!」

 

 それを分かっていて、あいつはあえてそれに触れない。

 ただ、導く。

 投手が全力で投げれるように。

 ただ、思考する。

 投手が全力で抑えれるように。

 パワプロ、わかっているのか?

 お前が当然のようにやっている、その行為が、神下監督が、カイザースが――求めているものなんだぞ?

 

 

 

 

 

                        ☆

 

 

 

「久々、蛇島」

「……ふん。容赦はしない」

 

 そっけなくいう蛇島だが、その言葉に高校時代のような黒いものは感じない。

 野球が好きだという、その気持ちを思い出したのか。……なら、こいつは最高に手強いぞ。

 蛇島のバットコントロールは見事だ。帝王で四番を張ってたこともあるんだからな。

 稲村がボールを投じる。

 それと同時に友沢がスタートする構えを見せた。

 

「行かせるか!」

 

 ボールを取り、セカンドへ送球する。

 ッオォッ!! ボールが風を切りながら二塁へ飛来した。

 バンッ! とそのボールをショートの谷村さんが捕球する。

 友沢は走るのを辞めてファーストに戻った。

 

「おぉおぉー!!」

「鉄砲肩だなぁおい! 高校時代より肩強くなってんじゃねぇの!?」

「パワフルキャノンだな!」

 

 ざわざわ、と球場がざわつく。

 うはー、これは快感だな。何度やってもやめられねぇわ。友沢への牽制にもなったし、そう簡単にスチールはもうしてこないだろう。

 

「……驚いたな、二塁到達まで二秒掛かってないとは。ふん」

「ま、俺もサボってた訳じゃないってことで」 

 

 蛇島が褒めてくれたってなんか新鮮だけど嬉しいな。

 今の投球もストライク、これで1-0。ストライク先行になったのはでかいぞ。

 次はチェンジアップ、ボールになっても良い。タイミングを外す感じで……。

 稲村がチェンジアップを投げる。それを確認して友沢がセカンドへ走り出した。エンドラン!

 ボールは外へと外れている。

 そのボールを、蛇島は上体を折りながら叩きつけた。

 ポーンッ! とボールが高く弾み、一塁寄りの高いピッチャーゴロになる。

 友沢がその間にセカンドへ向かう。くそっ、スタートしてたのもあってセカンドは無理だな。

 

「ファースト!」

 

 稲村がボールを取り、ファーストへとボールを投げる。

 

「アウトォ!」

「おっけー、ワンアウト!」

「は、はい!」

 

 ワンアウトをとれて稲村も落ち着くけど――ちっくしょう、やらしい野球しやがって。

 蛇島も俊足だからな、下手すりゃセーフになる打球だ。右方向を意識してスタートした友沢を最低でも二塁に進塁させる。ソツのない野球だ。

 こんな野球を出来るカイザースの一軍がBクラスだからな。他球団のレベルも高すぎだろ。

 

「おっしゃー! ぜってー打つ!!」

 

 そして、打席には近平さんを迎える。

 俺とポジション争いをする近平さんだ。嫌でも意識しちまうな。

 でもま、俺の事はどうでもいいや。とりあえず〇点で抑えないと。

 パパ、とサインを出す。

 それに稲村が頷く。

 ヒュンッ! と腕を振って稲村がボールを投げた。

 ――それが、低めに決まる。

 

「ストラーイク!!」

「おおっ、はじめて低めに決まった! 良いボール!」

 

 ワンアウト取って落ち着いたか? このボール投げてりゃ早々打たれないぞ。

 

「……絶対に、葉波先輩に一軍で取ってもらうんだ」

 

 何かぶつぶつ口を動かしているが、ここまでは聞こえない。自分に暗示でも掛けてるのかもな。……良いボールを投げてくれるなら何でもいいけどさ。

 二球目はインハイのストレート。目付けを高くするぞ。

 ヒュボッ!! と出所の見辛いフォームから、左打者のインハイにストレートが決まる。

 

「ットラーックツー!」

「ッ!」

 

 近平さんは手が出ない。左対左だし相当打ちにくいはずだ。

 でも相手は三割経験者。ストレートを続ければ流石に対応してくる。

 ならばここは、目付けも高くした分低めに縦のスライダーを投げて空振りさせたい。

 サインを出す。

 稲村が、頷く。

 さあ、来い、稲村。

 もう一度取り戻せ。

 怪我する前の自分を――!!

 

 稲村がゆったりと足を上げる。

 出所の見辛い、オーバースロー。

 そこから放たれる、切れ味鋭い縦スライダー――!

 ブンッ! と近平さんのバットが空を切る。

 この瞬間、きっと。

 首脳陣やカイザースファンの名前に刻まれたはずだ。

 期待の若手として、そして一軍に近い選手として、稲村ゆたかの名前が。

 続く四番のオリバー・ドリトンを同じく縦のスライダーでしとめ、稲村がマウンドから降り、俺へ向けて走ってくる。

 

「ナイスボール」

「な、ナイスリードです!」

「ははっ、〇点、上出来だな」

 

 ぽん、とグローブをあわせ、ベンチに戻る。

 

「ナイスボール稲村! 次の回も頼むぞ!」

 

 二軍監督にバシバシッ、と背中を叩かれながら、稲村は照れくさそうに笑った。

 よかった、そういう顔をさせてやれて。久々の実戦だ。俺が思った以上に緊張してたんだろう。安堵の表情を浮かべ、稲村は二軍監督の話を聞いていた。

 

「葉波、ご苦労さん。クールダウンしてベンチ外選手と同じメニューをするように」

「はい」

「ぁ……」

「抑えろよ。稲村。先に一軍で待ってろよ?」

 

 寂しそうな声を出しかけた稲村に手を軽く振って、俺はベンチを出る。

 ……結果を残した選手と結果を残せなかった選手、それがこの差だ。

 捕手は打撃だけじゃない。もっと友沢に対してもやりようが有ったはず。

 次は、次こそはチャンスをしっかり掴んでみせる。――絶対に。

 こうして、

 俺のカイザース初の実践は、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

                        ☆

 

 

 

 

「では、スタッフ会議をはじめる」

 

 試合も終わり、選手たちは第一クールの休養に備え宿舎に戻る。

 だが、首脳陣に休みはない。次の第二クールの一軍、二軍の振り分けをしなければならないのだ。

 

「では言っていた通り、今日三回無失点の稲村と、4-2の下井を一軍に上げ、今日二失点の犬飼と無安打の城田を二軍に下げます」

「うむ。それで良い」

「……監督、葉波はどうするんです? この試合唯一のホームランを打った彼は……」

「あいつには今後、紅白戦・オープン戦での試合の機会は与えない」

 

 ぴしゃり、と神下は言い放つ。

 二軍監督の使いたそうな唸り声が響いた。

 

「開幕は二軍でしっかりとメニューをさせてください」

「何故です? どうしてそこまで……貴方も感じていたでしょう。近平には無い、葉波の捕手としての素養に」

「……それでもです。……近平にもチャンスを与えてやりたい。もがき時ですよ。あいつは。……それに、葉波をここで使うわけには行きません。データを集められたら面倒でしょうし……データを集めるのにも時間がかかるでしょうからね」

「それは――」

 

 一軍としての戦力として数えているのか、という問いを、二軍監督は飲み込んだ。

 愚問だ。それは。

 この口調で認めていないハズがない。

 いや、それどころか、多分監督も使いたくてウズウズしているんだろう。

 監督だけじゃない、コーチや、多分選手の中にも、使ってみたい、一緒にプレイしたい、そう思ってる者が居るハズだ。

 ――それほどまでに引きつけられる。

 あの挑戦的な目。そして投手を引っ張る捕手の素養。猪狩から初打席でサク越えを放った打棒。

 そして何よりも、自分よりも投手やチームを優先しているにも関わらず消えない存在感――スター性。

 それら全てを兼ね備えた選手はそうは居ない。使いたくなって当然だ。

 それを監督は必死に抑えている。近平の為に、パワプロの為に、チームの為に。

 冷徹に見える監督だが、その実、その中身は温かい。

 だからこそスタッフの皆が全力で付いて行くのだ。

 

「……分かりました」

「ああ、頼む。では解散」

 

 神下は立ち上がり、ミーティングルームを後にする。

 ――こうして、カイザースのキャンプは過ぎていき、オープン戦を経て、稲村は開幕一軍を掴み、葉波は監督の宣言通り、開幕を二軍で迎えた。

 それから、葉波は二軍戦に出場しながら牙を研いで待つ。

 いずれ呼ばれるであろう、その時を待って。 

 

 

 

 

                        ☆

 

 

 

 四月一八日。

 四月一日に開幕したペナントレースも一五試合が終わった。

 カイザースの現在の位置は四位――、スタートダッシュに成功とは言いがたい。

 三位のバルカンズとは二ゲーム差。首位のキャットハンズとの差は五ゲームだ。

 猪狩は三試合の登板で二勝しているものの、久遠は一勝、山口も一勝、その他のローテをあわせても先発陣は五勝と並に乗れていない。

 特に稲村は過去二試合の登板で八失点と奮っていないのだ。近平との相性が悪いのか、まだ一軍が早いのか、それはわからない。

 だが、ただ一つ言える事は、次の登板で結果が出なければ二軍落ちもありうるということだ。

 

「大谷を二軍に下げる」

 

 そんな状況で、神下監督は決断を下す。

 

「いよいよですか」

「うむ。――葉波を一軍に呼べ。そして明日、稲村と組んで貰う。チームを活性化するには新しい風が必要だ」

「しかし新人には荷が重いですね。何しろ明日は――」

「江良くん。……プロたるもの、どんな状況でも、呼ばれれば仕事をするだけだよ。そして――彼はそれをわかっているハズだ」

 

 神下は席を立ち、空を見上げる。

 四月一九日、vsキャットハンズ。

 先発予想投手――早川あおい。

 



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第三六話 三月二〇日→四月一九日 カイザースvsキャットハンズ あおいと葉波

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                    三月二〇日

 

 

「な、何これー!!?」

「うわぁあ!? ど、どうしたの? あおいちゃん……?」

「どうしたのじゃないよ! こここここの子女の子だよね!? 女の子だよねっ! 有名だったもんね!! かしましが初甲子園に出た原動力としてッ!!」

「うぎぎっ、く、首、しま、っ……!」

「なんでこんなに仲良さそうなのさー!! パワプロくんのバカー!」

「ぎ、ギブ、ギブ……! ギブ、アップ、だ、から……っ!」

「あ、あおいさん。おちついてください! 春さんの顔が青を通り越して紫になりつつあります! 死んじゃいますよ! 頸動脈決まってますって!」

「はぁ……はぁ……ごめん、進くん……でも……でもぉ……」

「まあ、帰ってきてから電話一本もないからねぇ。パワプロくんってば、あおいがこうなっちゃうのも仕方ないんじゃない?」

「俺は今三途の川が見えたけど……?」

「うー、うぅー、うぅぅー、連日ブルペン入り……紅白戦でもバッテリーを組んだけど稲村ちゃんだけ一軍に上がってパワプロくんは二軍かぁ……二軍選手に声掛けづらいなぁ……」

「あ、ダメだこれ。もう話掛けること決定してるね」

「あはは、パワプロくん、一軍に上がったら大変だろうなぁ」

「そういえば春くんもバルカンズとの試合の度に聖と話てるけど……浮気じゃないよね? 私、信じてるから……」

「みずきちゃん、言いながら胸ぐらを掴むのはやめてくれないかな……?」

 

 ワイワイと騒ぎながら、テレビの前ではしゃぐキャットハンズの面々。

 開幕を翌日に迎えた緊張感はない。――確信している。自分たちが再び優勝すると。

 開幕戦はカイザース。開幕一軍で葉波が来なかったのは幸運か、はたまた不運か。

 あおいは自らを落ち着けるため深く深呼吸し、ニュースのVTRで紹介される稲村ゆたかに目をやった。

 

(――負けないよ。キミには、絶対……!)

 

 自分に言い聞かせるようにいって、あおいはぐっと拳を握る。

 女の勘として、何故か女性同士通じるものがある。

 この子はきっとパワプロを頼りにしている――そんな核心めいた予感を感じ取ってあおいは更に闘志をみなぎらせた。

 それを見て、みずきは想う。

 

「これは人殺しの目ですわ……」

「ちっがーうっ!」

「進くん……恋するオトメは強いね……?」

「あは、あはは……稲村さんとあおいさんが投げ合う時にパワプロ先輩が捕手を組んだら……僕は過労で死んでしまうかもしれませんね」

 

 なんて事を春と笑いあいながら、進は内心そんなことは無いと想っている。

 開幕投手は間違いなく猪狩守。

 それからローテの都合上、稲村は恐らく五番手か六番手。それなら同じく開幕投手のあおいとはぶつからない計算になる。

 あおいは基本的にエースと投げ合う形になる。この三年間、エースとして君臨するようになってからその図式は変わらない。

 その中で去年一八勝の最多勝を取った。だからこそこの最多勝は最大限の評価をされているのだ。

 そんなあおいと、今年からローテに入るであろう稲村が投げ合うことは、ほぼ全くといっていい程ないだろう。

 

「だから、大丈夫ですよ」

 

 笑って進は春と世間話をする。

 ――それがまさかこんなことになるなんて、進はこれっぽっちも思っていなかった。

 

 

 

                 四月一九日

 

 

 

「どうしてこうなった……」

 

 進は心底からため息を吐き、ぐったりと椅子の背もたれに身体を沈めた。

 ――朝、朝食を食べ終え、球場入りするまでの僅かな自由時間での事だ。

 

「珍しいね、進くん? 朝からパソコンをいじってるなんて」

「は、春さん……助けてください。僕、今日は夜死んでしまうかもしれません……」

「えーと、何何……『ドラフト一位葉波風路、一軍合流。昇格即スタメンへ、「やれることを精一杯やりたい」』」

「パワプロくん今日一軍昇格!?」

「へー、速いじゃない」

「やたー! やたー! やたー!! 試合前話せるかなぁ!? ぼ、ボクと会うの楽しみにしてくれたかな。一度別れたとは言え好きっていってくれたし、うん。ぼ、ボクも会いたかったよなんて……えへ、えへへ……」

「あおいー、戻ってらっしゃいー」

「それで、どうして進くんはそんなに沈んでいるの? ……あ、猪狩くんとバッテリーを組むのか、うわぁ……」

「違いますよ……、それなら僕もどれだけ楽だったか……パワプロ先輩と話せるのはとても嬉しいですし、実際戦ってみたい気持ちもありました、けど……続き、読みますよ?』

 

 はふぅ、と進は大きくため息を吐き、ウェブのページを下にスライドさせる。

 

「『いよいよドラ一ルーキーがヴェールを脱ぐ――。開幕は二軍で迎えたルーキーが一軍昇格するということが一八日、分かった』」

「本当にやっとだね。二軍戦は出てたけど実際には見せてくれなかったし、そういう監督の作戦だろうけど」

「うんうん!」

「『二軍戦では、300。HR3、打点29と結果を残していた。「やれることを精一杯やりたい」、とコメントをした葉波は口数少なく荷物を纏め、猪狩ドームで一軍練習に合流した』」

「二軍戦でそこそこ打ってるのね。まあ上がってきて当然じゃない?」

「うんうん!」

「『昇格即スタメンマスクと見られ、前回一回を二七球でKOされ、中四日での先発が予想される稲村選手との紅白戦以来のバッテリーが予想される』……」

「うんう……な、んだとっ……!」

「ああっ!? あおいちゃんの顔がラオウみたいに!?」

「い、稲村さんと、バ、ッテリー……!!?」

「ひぃっ! やっぱり予想通りあおいさんの背中から威圧感が!」

「お、俺今日は早めに球場入りするねっ!」

「ぼ、僕もそうします……! ま、待ってください春さん! 今あおいさんと二人にされたら僕は、僕は死んでしまいます! 主にストレスで!」

 

 ドタバター!! と男二人が疾駆し部屋を後にするのを聞きながら、あおいは進がつけっぱなしで放置していったノートパソコンの画面をじっと見つめる。

 ……兎にも角にも、負けられない。

 色恋沙汰を気にするなというのは無理だ。

 だが、それでも試合には負けられない。特にこの二人がバッテリーを組むとなれば。

 稲村ゆたかには、絶対に負けられない。

 パワプロには、無様な姿は見せられない。

 

「頑張るぞ……」

 

 自分に言い聞かせて、あおいは荷物を持つ。

 ――球場入りは、もうすぐだ。

 

 

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

「うおーっ! 猪狩ドームか! 流石にテンションあがるな!」

「……遅いぞパワプロ」

「わり、遅くなった。落ちねーようにはするから勘弁してくれ」

 

 パン、と猪狩とハイタッチしながら、俺はチームに合流する。

 待ってましたとばかりに友沢や蛇島が俺を見つめてきた。

 ――vsキャットハンズ。予想先発早川あおい。

 っとに、神様はおもしれぇ事してくれるな。よりによって昇格して最初の試合があおいとか、驚きだぜ。

 

「よぅ、蛇島」

「……上がってきたか。ふん」

「そうツンデレするなよ」

「ツンデレではない。勘違いするな。他の選手が貴様を認めても俺は認めてはいないぞ」

「認めない、とは言わない辺りがツンデレ?」

「チッ。……無様な試合だけはするなよ」

 

 舌打ちをしてバッティングケージに蛇島は向かっていく。

 ……こっち方向何も無いのにわざわざ来て挨拶してくれる辺り、歓迎してくれてるってことでいいんだよな。

 

「パワプロ。またお前とやれるな」

「おう友沢。待ったか?」

「そうだな。是非V逸の責任はお前に取ってもらおう」

「ひでぇ!?」

「冗談だ」

 

 笑いながら友沢は俺と手を交わす。

 うん、やっぱ顔見知りがいるってのは心強い。変に緊張しなくて済みそうだ。

 

「にしても残念だ、僕は明日だからな。……今日活躍すれば明日マスクをつけれるだろう? 今日は4-4で頼むぞ?」

「おいおい猪狩、ムチャぶりすんなよ」

 

 といいつつ、狙ってみるか。

 猪狩もそうだけど、多分それ以上に俺は猪狩とバッテリーを組みたい。

 ……っつか、“あの”ボールを実際にキャッチングしたらどういう感じなのか味わってみたい。捕手としての欲求だな。猪狩の球を取りたくない捕手なんていないだろうし。

 最高のピッチャーはバッターにとっては嫌なもんだろうけど、捕手にとっては最高のご褒美だ。手を痺れさせるような直球なんて取れた日にゃぁ感動もんだしな。

 なんてことを考えていると、ぴょこん、と視界の隅っこで最早見慣れたくせっ毛が跳ねるのが見えた。

 稲村だ。

 

「おはようございます! 先輩!」

「よぅ、稲村。元気か?」

「元気とは言えないかもしれませんね。ボコボコ打たれちゃってますし……」

「防御率8、00はたしかにな。まぁまだシーズン始まったばっかだよ。これから減らしていけば問題ないさ」

 

 沈んだ顔をする後輩の頭をぽんぽん、と叩いてやる。

 ちょっと複雑そうな顔をしたものの、頬を綻ばせて喜ぶ稲村は可愛い。弟みたいだな。

 そんな俺を生温かい目で見つめてくる猪狩。よせやい。そんな頼れる兄貴だなーみたいな目線、照れるじゃないか。

 

「さて、では僕は今日は軽く調整だが、お前はせっかくのチャンスなんだ。ブルペンに入って先輩の球でも受けてきたらどうだ?」

「そうすっか。んじゃ稲村、また後で」

「あ、はい」

 

 手を頭から離すと少し残念そうな声を出す稲村。

 先発投手はランニング多めのメニュー。しっかり走りこんで調整して貰わないとな。

 

「後の事は全部俺に任せて、お前は投げることに集中しろよ」

「は、はい!」

 

 元気いっぱいに返事して、すたたーと稲村は走っていく。

 うっし、いっちょ気合入れますか。

 

「んじゃブルペン行ってくる」

「もう少したったらキャットハンズの面々をお目見えだ。挨拶はしなくていいのか?」

「流石に挨拶は行くよ。忘れてなきゃ、だけど」

「はは、そうだな。では僕はバランスボールをやってくる」

「ああ、またな」

「打撃練習はこっちだ」

「あいよ。案内頼むぜ。友沢」

 

 友沢に案内され、先輩達に挨拶をする。

 先輩たちも俺の事を良く知らないのか、軽く会話した程度で済まされちまってる。まあ高々ルーキー、そんなもんだろう。

 

「待っていたぞ。葉波」

「監督、おはようございます」

「ああ。とりあえずお前は今日スタメンマスクの予定だ。状況は知っているだろうが、チームは正直波に乗り切れていない。お前の能力で波に乗せてみろ」

「プレッシャーかかりますね?」

「……ふ、その割には挑戦的な笑い方をするものだ」

 

 ニヤリ、と神下監督は笑って、ケージに入る順番を教えてくれた。

 ……今の神下監督のセリフは俺への最大の期待が込められた言葉だ。

 なら、その期待には全力で応えねぇとな。

 ケージに入る。

 と、隣に居る近平さんが俺に話しかけてきた。

 

「……葉波、よう」

「近平さん、おはようございます」

「別に前口上はいいぜ。お前にゃ負けねぇから」

 

 言いながら、近平さんはッカァンッ!! と快音を響かせてボールを広い猪狩ドームの中段に叩きこむ。

 思い切りの良いバッティングだ。

 今年も打率を今まで三割キープしてる。ホームランも三本。……正直言って打撃力ならこの人に負けてるかもしれねぇな。

 けど、劣ってるとは思わないぜ。俺だって――負けてたまるか。

 

「ふっ!!」

「おぉっ」

 

 バッティングピッチャーが投げてくれたボールを鋭くセンターに弾き返す。

 別にホームランを打つのが打撃じゃない。

 広角に打ち分け、状況に応じたバッティングをする。それも大事なハズだ。

 カァンッ!! カァン!! と俺と近平さんのバッティングの音が球場内に響く。

 正捕手の座は一つ。

 それを手に入れるには、この近平さんを乗り越えるしかないんだ。

 

「よしストップ。交代だ葉波、近平」

「ありがとうございました」

「あざっした!」

 

 二人してケージを出る。

 神下監督は何か嬉しそうに目を細めた後、別の選手の元へ歩いて行ってしまった。

 

「うっし、身体も温まったしな。キャッチボールでしっかり身体ほぐした後ブルペンに入るか」

「パワプロ、俺と組もう」

「おう、頼むぜ友沢」

 

 友沢がボールを持って軽く腕を回す。

 ヒュッ! とまずは近距離で友沢がボールを投げた。

 パシンッ、と軽い音が響く。

 それを丁寧に身体の可動域を意識しながら投げ返した。

 キャッチボールは何も肩を温めるだけのものじゃない。

 身体の調子を確認したり、身体をほぐす為にしっかり行わないと怪我をしかねないからな。

 まあ今回は此処に来る前にストレッチしてたのもあって速攻バッティングゲージに入ったけど、まずはキャッチボールからするのが常識だ。

 キャッチボールの距離をどんどん遠くしていく。

 二、三〇分程続け、お互いの距離が五〇メートルは開いた所で、ガチャン! と内野のベンチのほうから音がした。

 なんだ? ビジター側のベンチから……あ。

 キャットハンズの面々が入ってきたのか。

 まず一番に飛び込んできたのは進と春だ。何かを探すようにグラウンドを見回し、俺の所で視線が止まった。探してたのは俺か。

 

「パワプロくん!」

「パワプロ先輩!」

「よう、久々だな」

 

 ビュッ!! と友沢にボールを返しながら軽く挨拶をする。

 うわっ、やっべー懐かしい! 四年ぶりだもんなぁ。

 進はキャットハンズで正捕手、カイザースとのくじびきの末にキャットハンズが交渉権を獲得した。

 春はキャットハンズに入団後、みずき、あおいと同じく開幕一軍に入るもののショートのレギュラーをイマイチつかめていない。その分代打の切り札として活躍してるみたいだけど。

 

「本当に久々ですね……身体つき変わってますし」

「おう、アメリカでがっつりやってきたぜ」

「凄いなぁ。即スタメンマスクだって? ……俺も負けてられないな」

「たまにスタメンで使ってもらってるみたいだな?」

「そうだね……でも、高校時代とやっぱり全然勝手が違うよ。ショートは難しいね……」

「ま、プロだし、な」

 

 バシッ! と友沢から返却されたボールをしっかりと握る。

 進は守備面、打撃面とソツ無くこなしているが、春は違う。

 高校時代堅守と言われたショート守備もプロに入れば地肩の強さはショートレベルなものの、ショートの守備は決して上手い方じゃない。

 キャットハンズの正遊撃手、伊藤さんは右打者で守備が上手い。春とタイプがかぶっているから、春がレギュラーになるためには伊藤さんをスペックで超えるしかないのだ。

 だが、それが一番厳しい。伊藤という選手は、守備は名手レベルと言われ、打撃も三割には届かないものの二割八分台と決して低いわけじゃないのだ。

 それを超えるには守備を上手くし、打撃を三割台に持ってかないとな。

 友沢にボールを返す。こうしてる間にも距離は離れ、八〇メートル程にまでなってる。あいつの肩、やっぱすげぇな。

 

「……友沢くんは凄いね、肩も強いし足も速い、打撃も首位打者だし」

「友沢は抜けてるな。たしかに」

 

 春が自嘲気味に笑う。

 やっぱり劣等感を感じてるんだろうな。何も言わないけど、さ。

 

「さて、進くん、俺たちも練習しないと」

「あ、はい、それじゃパワプロ先輩、失礼しますね。それと――生きて、帰ってください」

「は?」

 

 おい進、今から死ににいく仲間を見送る不良のボスみたいな悲しみと慈愛に満ちた眼差しで俺を見るとはどういうことだ!?

 などと俺が戦慄していると、とたた! と走ってくる緑色のおさげ髪。

 ――あおい。

 

「はぁ、はぁ。ぱ、パワプロくんっ……!」

「……久しぶり。あおい」

 

 友沢から帰ってきたボールを受け取り、投げ返す。

 その大きな目が、俺をしっかりと捉えると同時――たぶん、喜びで潤んだ。

 抱きつきたい衝動をこらえているのか、ぎゅうっと拳を握りしめ、あおいはすーっと大きく息を吸い、はぁ、と吐き出した。

 

「おかえりっ!」

 

 そして、俺に満面の笑みを向けてくれる。

 

「ああ、ただいま」

 

 その笑顔に俺は笑い返した。

 パンッ! と友沢から帰ってくるボールが強くなる。

 はいはい、わかってるよ。しっかり投げるって。

 

「あの、アメリカはどうだった?」

「充実以外の何者でもなかったぜ?」

「そっか……手紙、届いてた?」

「ああ、読んでたよ。悪いな。手紙書く暇がなかったんだ。勉強か野球のどっちからだったから」

「ううん、届いてたなら良いんだ。……その……ぱ、パワプロくん。あの、その……」

 

 もじもじ、とあおいがうつむき、自分のおさげ髪を指で弄りながら、俺を上目遣いで見つめてくる。

 うーむ、相変わらず可愛いな。

 自分から別れを切り出した手前、面と向かっては言えないけどあおいは魅力的だ。

 でも、

 

「瓶底体型は変わってなぐふっ!」

「言ったね? 言ったね!? 一番言ってはいけないことをいったね!!? ボクだって気にしてるんだよ! 凄く! ものすごく!!」

 

 俺を(利き腕じゃない方で)殴り、あおいは目を吊り上げる。

 ああ、思わず口から本音が。俺のアホ、口は災いの元だぞ。

 

「ま、全くっ! ……まだボクのことが好きかどうか聞こうと思ったのに……」

「げほげほ、な、なんか言ったか?」

「うっ、言ったよ! だ、だから、その、ぼ、ボクのこと――」

「葉波せんぱーい!」

 

 とたたー! と稲村が向こうから走ってくる声に、あおいの声がかき消された。

 友沢が少しずつこちらに近づきながらボールを返してくる。

 キャッチボールも終わりに入ってる証拠だ。

 

「ブルペンにはい、り……むっ、早川あおい!」

「――稲村ゆたかちゃん」

「え? ちゃん?」

「まだ気づいてなかったか。流石恋恋高校赤点コンビだな」

「懐かしい呼び名を出すなっ。世間一般の人に俺がバカだとバレるだろうが」

「そこが問題じゃない」

「ああ、そうだった、稲村ゆたか“ちゃん”?」

「稲村は女性だぞ」

「へぇー……なるほど、そうだったのか。道理で偶に良い匂いがすると……」

「……パワプロ……」

「引くな! 二歩後ろに引くな! 別に匂いフェチとかじゃないから!」

「は、はう、良い匂い……オレの匂いが……」

「ぬ、ぬぐー……!!」

「まあ、冗談だ……二割くらい」

「残り八割は本気で引いてんの!?」

 

 冗談だ、と真顔で友沢が言い切る。

 こいつは一体俺にどんな印象を覚えていたのかと正座させて聞いてやりたい。

 ってまあ今はそんな場合じゃないな。

 

「そうか、稲村は女だったのか」

「は、はい、黙ってて、その、ごめんなさい」

「謝るこっちゃねぇよ。逆だ、俺が気づいてやれなくてごめんな」

「葉波先輩……」

「大丈夫だって。お前が心配してることは起こりはしないよ。……ちゃんとわかってるから。お前の気持ちは」

「――っ、せ、せせ、先輩……!?」

 

 カァァ、と稲村の顔が真っ赤に染まっていく。

 それに比例してあおいの表情が色を失い威圧感が溢れ出してきた。やばい。今のあおいなら一五五キロ投げれそうだ。こりゃ言わない方がいいのか?

 いやでも、悪い事じゃないのに一度口に出そうと思った事を止めるのは俺の性に合わないし、ここは言っちまおう。

 

「分かってるよ、稲村」

「せ、先輩、そんな、先輩が気づいてくれてたなんて……で、でも、でも、それでも言ってくれようとするってことは先輩も……!?」

「ああ、俺――稲村のこと」

「は、う、先輩……っ」

「――ちゃんと、今まで通りに接するからな」

「……えっ」

「安心しろ。女だから男だからってそう態度をコロコロ変えないから。稲村は稲村だからな」

「……えっ」

「だから今まで通りでいいんだぜ」

「……えっ」

 

 うん、男でも女でも稲村は稲村だ。可愛い後輩という立場は変わらない。流石に遠慮するところは遠慮するけど。

 稲村がポカン、とした表情で俺を見つめる。ふっ、決まったな。あまりのかっこ良さに声も出ないらしいぜ。

 

「くっくっく……っ!!」

 

 友沢が何故か顔を背けてプルプルと震えながら笑いを堪えようとして、こらえきれず笑いを漏らしている。

 野郎……俺に似合わずカッコイイこといってやがるとか思ってるのか? 失礼なやつめ。

 

「……ゆたかちゃん、キミはライバルだけれど、これは同情するよ……ホント、我ながら良く高校時代コレと付き合えたなって想う」

「……はぁ……ありがとうございます。早川先輩。でも、いいんです、オレは。葉波先輩の様子を見て分かりました。今も、そういう関係だって訳じゃないんですね。……なら、ちゃんと気づかせて見せますから。……負けません」

「……そっか。うう、分かった。でもボクも譲るつもりはないから」

 

 慰める早川に対してお礼をいいつつ、稲村はあおいに何か宣戦布告をする。

 それを受けて、あおいもこくんと頷いた。

 んん……? 一体何がどうなった? なんか知らないうちにライバルになったらしいぞ。この二人。

 でもいいことだよな。新しい戦力から刺激を受けてあおいも切磋琢磨し、球界のエースと呼んでいいだろうあおいに認めて貰って稲村も上によじ登る。

 お互いを成長させることが出来る、いいライバル関係だ。

 

「まあ、良く分かんねぇけど、めでたしめでたしだな」

「「めでたしじゃない!!」」

「何っ!? なんで!?」

「パワプロ、ふふ、お前は面白いな。とりあえずこの事は猪狩と蛇島と山口と久遠と一ノ瀬と矢部と東條と新垣などなどに教えさせて貰おう」

「ちょ、待て、なんかよく分かんねぇけどそれはやめろ!」

 

 なんかすげぇ嫌な予感がするから! 特に猪狩はネチネチ同じネタでいじってくるからややこい!

 かくして、再開したあおいとは別に何とも無く、稲村が女とわかった以外はそう変化もなく、試合前の雑談は終わった。

 ところで、進が生きて帰ってくださいって言ってたけど、どういう意味だったんだ……?

 

『カイザース練習終了、一〇分前です』

「うあっ、やべっ、ブルペン行く方を忘れてた!」

「あっ、そうでした。オレもブルペンに付き合って貰おうと思ってて」

「悪いあおい、そういうことだから行くわ。じゃあな!」

「あ、うん。……試合で」

「……ああ、負けねぇよ」

「ボクも、負けないから」

 

 お互いに視線を交わらせ、別れる。

 かつて三年間。喜怒哀楽の殆ど全てを共有したあおいと、戦う。

 残念なようなワクワクするような複雑な気持ちになる。

 ――でも、どっちを取ったって、楽しい試合になる。それは間違いないと俺は想う。

 

「負けらんねぇな。先輩に」

「……はい」

 

 ぽん、と稲村の頭に手を置くと、稲村はこくんと頷いた。

 うし、気合も入ってるみてーだ。しっかりこのモチベーションを保たせたまま試合に入らねーとな。

 二人してブルペンに歩いて行く。

 試合開始は午後六時、後二時間後だ。

 

 

 

 

 

                    ☆

 

 

 

 

『さーご来場の皆さん! 大変おまたせいたしました! それでは本日の始球式に参りましょう! 本日の始球式はプロゴルファー、白井雪さんでーす!』

 

 流麗な髪の毛を颯爽と流しながら、白井雪というゴルファーが始球式に向けてマウンドに向かう。

 そんな彼女を隣に迎えながら、稲村がドキドキしている様子がこちらにも解るくらいカチカチになりつつ、自分の為に渡されたボールをくるくると回している。

 白井雪の投げるボールを受け取る為にホームベース後ろに座りつつ、バックスクリーンに俺は目をやる。

 

 カイザース

 一番、相川 センター。

 二番、蛇島 セカンド。

 三番、友沢 ショート。

 四番、ドリトン ファースト。

 五番、飯原 ライト。

 六番、岡村 サード。

 七番、三谷 レフト。

 八番、葉波 キャッチャー。

 九番、稲村 ピッチャー。

 

 キャットハンズ

 一番、木田 セカンド。

 二番、伊藤 ショート。

 三番、猪狩進 キャッチャー。

 四番、ジョージ サード。

 五番、上条 ライト。

 六番、鈴木 ファースト。

 七番、佐久間 センター。

 八番、水谷 レフト。

 九番、あおい ピッチャー。

 

 あおいって登録名もあおいなんだな。へぇ。

 ぱす、と投げられた始球式のボールを受け取り、駆け寄ってくる白井雪と握手を交わす。

 えっと、確か白井雪はバルカンズの林って選手と付き合ってるとか新聞で読んだな。これでトッププレイヤーか……天は二物を与えるんだな。

 いよいよ試合が始まる。

 先頭のバッターは木田。……覚えてる。確かこの木田って選手は、俺が二年の時帝王実業に居た選手だ。

 

「久々。打たせて貰うよ」

「いやー、そうは行きませんよ。あの時のように抑えさせてもらいますから」

『バッター一番! 雄平ー木田!!』

 

 一七点取ってコールド勝ちした時は木田をしっかり抑えこんだからな。

 あの頃とは大分違うだろうけど、プロに入ってからのデータも集めた。行けるはずだ。

 

「……っし、行くぞ稲村!」

「はい! 先輩!」

『さぁ、いよいよ始まりますキャットハンズvsカイザース! 解説は猪狩カイザースで100勝を上げた蒲公英咲太(たんぽぽさいた)選手にお願いいたします!』

『はい、お願いします』

 

 先攻はキャットハンズ。絶対に負けねぇ。稲村に勝ち星をつけるぞ。

 たとえその相手が、かつてのパートナーのあおいだったとしても――俺達は負けない!

 初球の要求は低めのストレート。

 向こうもストレートが良いってのは承知のハズだ。その上で投げさせる。

 そして植えつけてやる。このボールを打つのは容易じゃない、ってな。

 稲村が足を上げる。

 いつも通りのゆったりとしたフォーム。そこから投じられるはストレート。

 低めに要求したボールが僅かに高めに浮かぶ。

 それを木田は流し打った。

 いや、流し打たされたってのが的確か。

 

「っ! おもっ……!」

『ファール! 一塁線の右にボールは切れるー!』

『稲村選手のストレートは調子よさそうですね。押されてますよ』

 

 流し打たれたボールはファーストの 右に切れていく。

 思わず重いって口走ったな。それくらい稲村のボールが来てるから芯に当たらなかったんだ。

 これだけキレのいいストレート。思わず高めに投げたくなるが、それは禁物。稲村のストレートは低めに決めてこそ価値がある。

 球速以上の球威を感じるといっても、プロレベルならついてくる。一五〇キロの剛球とか、低めを見せた後とかなら話は別だけど。

 基本に忠実に、低め低めに集めれば稲村のボールは相当に打ちづらい。キレのあるボールというのは手元で伸びてくるからな。

 二球目も同じくストレート。ただし今度は先程よりも低めに外すボール球だ。

 こくり、と稲村が頷き、ゆらりと足を上げて腕を振るう。

 リリースの瞬間にだけ力を入れて投じる理想的な投球。それによって生まれた強烈な回転のノビのよいストレートが俺のミットを打つ。

 

「トーライクッ!!」

『低めに決まったストライク!』

『木田選手はボールと思いましたかねー』

 

 良いボールだ。これならストレートを痛打されることは無さそうだぜ。

 次は外低めにチェンジアップ。見せ球だがストレートの後なら相当遅く見える。その緩急を利用するぞ。

 外れたボールを木田は振らない、がバットは出かかった。反応はしてるぞ。

 

『ボー!!』

『ボール! チェンジアップでしょうか!』

『緩い球で降らせにきましたね』

 

 これでいい。外低めのボールを見せられたっつー意識も木田には有るだろう。

 ――さあ、決めようか。

 見せてくれ稲村。“好きな所に投げれる”と豪語した縦スライダーを!

 稲村がゆったりと足を上げ、オーバースローで腕を振るう。

 回転が掛けられたスライダーは木田のベルトよりやや低めのコースへ投じられた。

 木田がバットを振りに来る。

 その打者の数メートル手前で、ボールは急激に落下を始めた。

 それに気づき木田はバットを止める。

 バンッ! と落下してきたボールを捕球した。膝元、内角低めギリギリ一杯。

 ストライクだ。

 

「ストライクバッターアウトォ!!」

『見逃し三振! 縦スライダーが見事なコースに決まった!』

『ストレートかと思わせたスライダーですね。良い所に決まりました。ストレートのキレもありますし、今日の稲村選手は好調ですね』

「おっけー! ナイスボー!」

「っし!」

 

 稲村がガッツポーズをした。

 えーと……確か今までは三振〇個だっけ。そっかそっか。これが初奪三振か。……嬉しいな。なんか記録のスタートの捕手が俺ってのはさ。

 ボールをベンチに投げ返し、保管してもらう。後で渡すとするか。

 

『バッター二番! 大智ー伊藤!!』

『さあ続くバッターは二番の伊藤です! 今年は一五試合で三割をキープしています!』

『今年は打撃も好調ですからねぇ。守備だけでなく打撃も素晴らしくなって来ました』

 

 おっと、春のライバルのお目見えだぜ。

 打率自体はいいが打撃にはちょっと非力さが見える。身体はしなやかだからその分広角に打ち分けてくるのは注意だな。

 インコースと中心に攻めたい所だが、この手の打者は結構インコースもさばける。

 ならばインコースを捌けないようリードしてやるか。

 まずは高めのストレート、外すような球だ。

 

「ボール!」

『おっとこのボールは浮いたか』

『たまーにこういうボールがありますね。これを痛打されて今までは打たれてますが』

 

 これで0-1。次はチェンジアップ。これはコースはどうでもいい。甘くなっても構わないぞ。

 稲村がボールを投じる。

 低めに来たチェンジアップをパンッと捕球した。想ったより低く来たな。ラッキーだぜ。

 

「ストラーイク!」

 

 1-1。伊藤はしっかりと投手に集中したまま再びバットを構え直す。

 集中は切れてない、か。それなら今度は低めにストレートだ。

 稲村がストレートを投げる。

 低め要求だったがストレートが高く浮く。やべっ。

 そのボールを伊藤は振る。

 カァンッ! と快音が響いたがそのままボールはバックネットに直撃するファールになった。

 

「ファール!」

 

 あぶねーあぶねー。でも助かった、稲村のストレートは球威があるからな。こういうファールにもしやすいんだ。

 さて、これでストレートカーブストレートでカウントは2-1で追い込んだ。理想的。

 そんなら次は縦スライダー。低めに決めてくれ。

 スライダーを伊藤さんはしっかりとカットしてくる。ココらへんは流石プロ、見逃せばストライクだし迷ってるような打者が当てれるボールじゃなかったはずなんだけどな。

 さて、次のボールは。

 稲村の縦スライダーは球速が一二五キロ程。遅い訳じゃないが速いわけでもない。それを低めに投げさせた。

 となるとどうしても打者の視線は低く行く。ここで多分、高めのストレートを使って打たれてたのが今までの稲村の投球パターンだろう。

 こういう打者に対して高めを投げて空振り三振を取りたい――その心理はわからなくもない。だってこのストレートだもんな。空振り取れてナンボだって俺もちらっと想う。

 でも此処はアウトロー。外角低めギリギリ――球種はもう一度縦のスライダーだ。

 外角低めというコースは、投手にとっての聖域。

 ボールを動かすタイプでも剛球を投げるタイプでもそれは変わらない。投球の核になるのはこのコースなんだ。

 もちろん投手によってはこのコース以外にも有効なコースは多々有るだろう。状況によってはこの外角低めを使っちゃいけない時だってある。

 それでもどんな投手でも投球の上で外角低めは必要なコースなのだ。

 もちろん打者はこのコースを最重要マークしている。一番打つのが難しいコースだし投手にとっては一番使いやすいコースだし。

 捕手のリードの役割には、“外角低め狙いをいかに外す”か“外角低め狙いを察知していかに他のコースで打ち取る”か、というのも有ると神童さんが教えてくれた。

 つまりそれくらい意識してリードしないとダメだし、打撃においても意識しないといけないコースということだ。

 この場面だったら伊藤は高めのボール、ストレートを予測しているだろう。

 来い。稲村。

 稲村が腕をふるう。

 縦のスライダー。伊藤は振ってこない!

 パァンッ! と捕球する。

 ミットは動かさない。その場で僅かに静止する。

 

「ストライクバッターアウトー!」

『ニ者連続の見逃し三振ー!』

『素晴らしいスライダーです』

「うっし二つ目! ナイスボール!」

「はいっ!」

 

 いいぜいいぜ。今んとこは完璧だ。

 ――さて。

 

『バッター三番! 進ー猪狩!』

『さあ後輩先輩対決です! キャッチャー猪狩進vsキャッチャー葉波風路! 対戦を夢見た方も居るのではないでしょうか!』

『いやー、いいですね、こういう対決も』

 

 進がぺこり、とお辞儀をしてバッターボックスに立つ。

 敵として進を迎えるのは初めてだ。練習試合とかではあったけどさ。

 

「お手柔らかに頼むぞ?」

「そっちこそ。お手柔らかにお願いします」

 

 プロとしてはそっちが先輩だろうがっ。

 進の去年の成績は打率三割九厘、ホームラン八本、打点六九。

 クリーンアップとしても合格点の成績を残してる。ゴールデングラブ賞も取った。

 見ればみるほど厄介だが、打率の割には三番に座っているのに打点が少ない。

 これは多分長打が殆ど無い所為だろう。

 つーことは低めを中心に攻めてりゃ大怪我はないってこと。

 次の四番のジョージという外国人野手はホームランこそ三七本打っていてちょっと怖いが、打率自体は昨年二割四分、今年もこれまで二割二分と荒い打撃をしてる。低めを攻めれば間違いなく打ち取れるだろう。

 ならばここは長打以外なら良いというスタンスで低めを攻めるぞ。

 

「ふっ!」

 

 カンッ! と低めのストレートを進がファールにする。

 左対左だってのにその打球は鋭い。サードの左を切れてファールになったもののフェアなら長打もあったかもな。

 やっぱり去年のデータだからな。多少の穴はあるか。

 次はインコースへストレート。

 ストレートが甘く行きがちだが、まだ一回りで目が慣れてないのも有って、打者が球威に押し込まれてるな。

 コキッ! とインコースのストレートを進が打ち損じる。

 ボールは真上に上がった。俺のボールだな。

 マスクを外し、上を見上げ――落ちてきたボールを捕球する。

 

「アウト!」

『三者凡退! 稲村、初めて三者凡退で切り抜けました!』

『今日はいいですね! 低めにボールが来てますよ!』

「せ、先輩っ! お、オレ三者凡退初めてです!」

「そっか。なら持っとけよ、記念ボールだぜ」

 

 持っていたボールを稲村に投げ渡す。

 ふぃー、緊張した。俺にとっても初陣だ。そつなくこなせてよかったよかった。

 

「ナイスボー!」

「いいぞ稲村!」

「は、はい! ありがとうございます!」

「パワプロ、ナイスリードだったぞ」

「おう!」

 

 友沢とグローブをタッチし、ベンチに座る。

 恋恋高校と違って作戦は俺が立てる訳じゃないからな。ゆっくり見られるぜ。

 相川さん、蛇島、友沢がバットを持ってグラウンドに出て素振りをはじめる。

 ――視線の先には、マウンドに向かうあおい。

 一八勝。防御率2,32。奪三振177。投球回数二〇〇。

 エースとして君臨するくらいにまで成長したあおいが今マウンドに立つ。

 ロージンバッグを丁寧に指に付け、帽子をかぶり直し、お下げ髪を揺らしながらボールを投じた。

 パァンッ!! と進のグローブが音を立てる。

 フォームは大幅には変わっていないが、球威は段違いだ。下半身が更に安定して腕が早く振れるようになったみたいだな。

 

『さぁカイザースの攻撃です! バッター一番! 遊也―相川!!』

 

 相川さんが打席に立つ。

 あおいが進のサインに頷いて、ボールを投げた。

 ズバンッ!! と投じられた高めのストレートを相川さんが空振る。

 

「ストライク!」

 

 なんつーキレ。

 マジで浮かび上がってきてるなあれは。

 続くボールは低めへのカーブ。緩いボールだが初球のストレートを見せられた後、あれだけ緩い球には手が出しづらい。

 それもコースが内角低めギリギリだ。これは打てない。仮に振りに行ったとしても初球のストレートを見せられた分、バットが出すぎてファールになるだろう。

 外低めギリギリにボールを投げさせ、これで2-1。でも今のボールも審判によってはストライク判定だったかもしれないくらい際どいコース。

 そして最後は逃げるように変化するシンカーで空振りを取った。

 

「ストライクバッターアウト!!」

 

 しんっ、と一瞬静まりかけるカイザースベンチを、近平さんが必死に声を出して盛りたてる。

 こういうのもベンチには必要なんだな。うし、俺も声出すか。

 

『バッター二番! 桐人ー蛇島!』

「蛇島! 外角低め臭いとこカットだぞ!」

 

 蛇島は構え、あおいを睨みつける。

 だがあおいは怯まない。腕をふるい外角低めギリギリにストライクを入れる。

 二球目は同じく外角低め、蛇島が振りに行くが、今度は外に僅かに外していて当たらない。

 出し入れも完璧か。くっそ、なんつーコントロールだよ。

 三球目、投じられたボールはインサイド高め。

 蛇島が腕をたたんで打ちに行った。

 そのボールは、途中で失速して落ちる。

 ――マリンボールだ。

 ストーンッ!! と内角高めに投じられていたハズのボールは突如として落下し、内角低めギリギリ一杯に決まった。

 

「ストライクバッターアウト!」

『ニ者連続の三振!』

『今日も素晴らしいですね』

 

 こりゃ、すげぇな。

 一八勝するのも解る程の精度とキレ味だ。

 あの時一緒に組んでたのが嘘みたいに、あおいは高みへ行ったんだ。

 負けてらんねぇ。

 

「稲村、キャッチボール行くぞ」

「はい!」

 

 稲村とベンチ前でキャッチボールをはじめる。

 友沢は内角のボールを上手くレフト前に弾き返したが、続くドリトンがファーストフライに打ち取られ、攻撃終了。

 続く二回の表、稲村はジョージをレフトフライ、上条を三振、鈴木をファーストゴロに打ち取る。

 二回の裏、飯原さん、岡村さん、三谷さんがゴロで打ち取られ、三者凡退。

 三回の表、佐久間、水谷を三振にしとめ、 迎えるは九番のあおいだ。

 

「お願いします」

 

 あおいは軽く挨拶をして、打席に入る――前に、俺をじっと見つめた。

 色んな感情が込められた眼差し。

 それをあおいは一度目をつむって切り替え、打席に立つ。

 ……容赦無く内角を突く。

 ストレート一本槍でも投手ならば十分押さえ込める球威を持った稲村のボールを、俺のミットが受け止める直前で、

 あおいがカンッ! と打ち上げた。

 まるで俺が補球するのを妨害するためだけにするような、当てること重視の緩いスイングだ。

 パンッ、と稲村がそのボールを捕球し、三回の表が終わる。

 だが、あおいはその場から動かない。

 

「……あおい?」

「……ううん、何でもないよ」

 

 俺が話しかけると、ぷるぷると首を横に振ってあおいはベンチへと戻っていく。

 ……どうしたんだ? 一体。

 

「先輩! 次先輩の打席ですよ!」

「あ、そうか。だからか」

「え?」

「あ、いや、なんでもねぇ。早く戻って防具外さねぇとな」

 

 ――なんだ。びっくりした。そうだよな。

 あおいが泣きそうだなんてそんなこと想うなんて、どうしたんだ俺。ちょっと自意識過剰すぎるぞ。

 防具を外し、バットを持って打席に向かう。

 その瞬間、ワァアァー! という歓声が俺を包み込んだ。

 四万五千の観衆。

 それに見られながら、野球をする。

 打席に立つまでリードでいっぱいいっぱいで気づかなかったけど、これってなんて恵まれてる事なんだろう。

 ぶるる、と身体が震える。武者震いだ。

 

『バッター八番! 風路ー葉波!!』

『さあ、プロ初打席を迎えます葉波!』

『どのようなデビューを飾るでしょうねぇ』

 

 お辞儀をして打席に立つ。

 ――視線の先にはあおいがいる。

 プロ初打席の相手があおい、か。ホントに出来すぎだよ。

 ズバンッ! と外角低めにボールが決まる。

 

「ストライク!」

 

 遠いと思ったがストライクか。右対右だから角度があるのかな。

 二球目はシンカー。外に外れてる。

 

「ボール!」

 

 1-1か。今のボールは俺のデータが無いから様子見だろう。

 一度打席を外し、素振りをする。

 外角低めのボールをセンター返し。……よし、イメージは出来た。

 打席に立ち直す。

 あおいが足を上げた。

 投げられたボールは……カーブ!

 ググググッ、とバットのヘッドが先に出ないよう、ボールを待つが待ちきれない。ブンッ! とバットが空を切る。

 

「ストラーイク!」

 

 っくそう。この緩急差、厄介すぎるぞ。

 ともあれこれで2-1と追い込まれた。外の球はセンター前。内の球は引っ張る。これで行くぞ。

 あおいが頷いた。

 来る。

 あおいの上体が沈み、投げ込まれたボールは、

 ――ストレート!

 低めからボールが浮いてくる。

 そのボールを俺は迎え打つようにフルスイングした。

 ビュッ! と風を切る音がして。

 

 パァンッ!! とボールが進のミットに収まった。

 

「ストライクバッターアウトー!!」

『ど真ん中のストレート空振り三振! 葉波の初打席は三振ー!』

『良いボールですからね、バットがボールの下を通ってますよ!』

 

 ぐーぞー……あったんねぇっ。

 パシッ、とバットを持ち替えてベンチに向かう。

 今の打席、二球目のカーブを振らされたのが敗因だな。あそこでカーブは頭に無かったぜ。……あー、結構テンパってたのかな。持ち球が頭から離れてるなんて。

 でもまぁ、しっかりと振れたから良しだな。

 続く稲村は三振、相川さんはセンターフライに打ち取られ攻撃終了。

 あおい攻略の糸口はつかめないまま、回は進む。

 稲村は四回と六回に進と水谷にヒットを打たれたものの、後続を抑え、七回二被安打。上出来すぎるぜ。

 一方のあおいは友沢に打たれたヒットだけで、他は全く寄せ付けず。七回一被安打。エースの貫禄を魅せつける。

 そして、回は八回。

 先攻、キャットハンズの攻撃は五番の上条から。

 

「はぁ、はぁ」

 

 大分疲れた様子の稲村だが、まだベンチは動かない。

 ここで降りたら勝利投手の権利もなくなっちまう。……くそ、速く援護してやらなきゃいけなかったのに。

 

「稲村。大丈夫か?」

「ふぁ、い……はぁ、はぁ……」

「エロい」

「ふぇ!?」

「お、荒い呼吸は止まったか?」

「は、ぅ。……せ、先輩っ。い、いぢわるはダメです……」

 

 カァァァ!! と稲村の顔が赤くなる。

 結構効くもんだな、思いつきで言ってみたんだけど。

 

「まだ息を止めれるなら大丈夫だ。俺を信じて投げてこい」

「……最初から、ずっと信じてます」

「おう。じゃ、そのまま頼むぜ」

 

 ぽん、とグラブをあわせ、キャッチャーズサークルに戻る。

 茶化してみたけど本気で疲れてるみたいだな。

 幸い打順は下位へ向かう。だが三回り目だから油断は禁物だ。

 初球は低めにストレート、コースはどこでもいいぞ。

 稲村がボールを低めに投げこむ。

 インローに来た。よし、最高。

 

「ストライクー!」

『今日は低めへの投球が多いですね』

『ええ、ですがこれが大事ですよ!』

 

 よし、決まったなら次はアウトローへ縦スライダー。

 ヒュバンッ! と外角低めにスライダーが決まる。

 疲れていても尚稲村の縦スラの精度は凄い。流石自信満々の球だな。

 追い込んだなら次もストレート。無駄球は使わない。

 ストレートに押され、上条が打ち上げる。

 セカンドの蛇島がしっかりと捕球し、これでワンナウト。

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 気合じゃ誤魔化せなくなってきたか。こりゃちぃとマズイな。

 

『バッター六番! 武人ー鈴木!』

 

 初球にスライダーだ。無駄球は使わない。スライダー二つで追い込んでストレートで打ちとるぞ。

 稲村がボールを投げる。

 っ、想ったよりスライダーが曲がらない!

 カンッ!! と鈴木が打ち上げる。

 よし! 曲がらないスライダーにビビったのはこっちだけじゃない、あっちもだ!

 ふわり、と打ち上がった打球をマスクを外して追う。

 キャットハンズのベンチ側! 取れる!

 落ちてきたボールをミットで追う。

 なんとか捕球した、が、そのままの勢いで俺はキャットハンズのベンチの中に落ちてしまった。

 ドドンッ! と凄まじい音がする。

 いっつー……でもボールは取れた、アウトだ。

 

「あ、アウトー!」

『ファインプレー! ベンチに飛び込みながらもキャッチしました!』

「パワプロくん、だ、大丈夫?」

「あおいか。大丈夫だよ」

 

 あおいに笑みを返し、立ち上がってグラウンドに出る。

 ふぃー、あぶね、今のは死ぬかと思った。

 

「せ、先輩……!」

「ツーアウトだ稲村。怪我はない。佐久間さんを死ぬ気で抑えるぞ」

「……! ……はいっ!」

 

 稲村のスタミナがもう無いのなら、その分俺が頑張ってやればいい。

 今日は稲村に勝ちをつける。絶対に!

 

『バッター七番、慎司ー佐久間!』

 

 低めにストレート。多分この回が限界だとベンチも見てるはず。残りの力を振り絞って全力で投げろ!

 稲村がゆったりと足をあげ、ボールを投じる。

 低めを狙ったボールは高めに抜けた。

 佐久間がボールをバットでひっぱたく。

 

 ッカァァンッ!! と快音を響かせて、ボールがショートを襲う。

 

 ショートの左側、サードよりへ友沢が飛ぶ。

 ッパァンッ!! とグローブが音を立て、友沢がくるりと一回転して立ち上がりグローブを高々と掲げた。

 

「アウトー!!」

『スーパーファインプレー!! ファインプレー二連発でこの回も三者凡退を抑えました!』

『しかしスタミナは限界でしょう。次の回に勝ち越さないと稲村に白星がつきませんね』

 

 うっしゃー!! サンキュー友沢、流石に今のは俺もキモが冷えたぜ。

 稲村がぺこっ、と友沢に頭を下げる。

 さあ、八回の攻撃だ。ここで一点取らないと稲村に勝ち星がつかないぞ。

 バッターは五番の飯原さんからだ。

 ここは期待するしかない。

 飯原さんはここまで打撃成績はよくないけど、バットはしっかり振れてるからな。クリーンアップだし、なんとかしてくれるはずだ。

 あおいがマウンドに立つ。ふらふらな稲村と違ってあおいはまだ息一つ乱していない。

 でも三周り目、打者も大分あおいのボールに目付けが出来てきた。今までと同じリードなら打てるぞ。

 初球、低めにカーブが決まる。

 ……ま、そう甘くはねーか。くそー。

 二球目も同じくカーブ、それを内角低めギリギリに決めた。

 飯原さんは見逃すが、ストライク判定される。

 右のアンダースローは左打者の飯原さんに対してクロスするような角度で来るから、その分ストライクゾーンを掠ってミットに収まる。そこらへんを計算してリードしてるんだろう。流石だぜ。

 三球目――マリンボール。

 ググッ、と飯原さんの手前でボールが浮かびあがって、落ちる。

 そのボールを飯原さんは無茶振りをした。

 カコンッ、と軽い音が響き、フライがあがる。

 ショートの伊藤がバックし、センターの佐久間もプレスを掛け、

 

 その間に、ポテンとボールが弾んだ。

 

 っし! ポテンヒットでもヒットはヒットだ!

 

『ヒットー! 打ちとった当たりが真ん中に落ちたー!」

『初めてのノーアウトのランナーですからね、これは活かしたい所です』

「タイム! 飯原に変わって代走鹿田!」

『さあここで俊足の鹿田が代走にでます!』

『バッター六番、真也ー岡村!』

 

 岡村さんが打席に向かう。

 ここはヒットが欲しい場面だが、監督はどうする? もしかしてバントか?

 監督がサインを出す。……このサインは……。

 あおいが足を上げる。

 それを確認して、鹿田がセカンドに向かう。

 エンドラン!

 

「走った!」

 

 進が声を出し、立ち上がろうとしたその瞬間、岡村さんが右方向に流し打つ。

 セカンドのベースカバーに走ったセカンドの右をボールが抜けていく。エンドランをかけてなかったらゲッツーコースだった。

 ライトの上条が捕球する間に鹿田は快速を飛ばしサードを陥れる。

 これで一、三塁!

 

「ナイスバッティング!」

「うむ!」

 

 監督が満足気に頷く。完璧だ!

 

「三谷に変わって代打近平! 行け!」

「はい!!」

『三谷に変わりまして、バッター七番! 千登ー近平!』

『さあここでとっておきの代打、近平が打席に向かいます!』

『ここは右方向にしっかりと大きいのを打てば一〇〇点ですよ!』

 

 ふぅ、とマウンド上であおいが息を吐く。

 この状況でもあおいはテンパっていない。

 近平さんが打席に向かうのを見ながら、俺はネクストに出る。

 俺に回ってくる。心の準備をしとかないとな。

 ビュッ! とあおいが腕をふるう。

 高めのストレート、近平さんが待っていた球だろう。

 

 ブンッ! と近平さんがそのボールを空振る。

 

 力を入れたストレート。今までの球とは球威が違うな。

 二球目は低めへのマリンボール。近平さんが空振る。ワンバウンドするほどのボールだが、進はそらさない。

 ビシッ! と捕球し一塁への牽制へも忘れない。

 二球で追い込まれた近平さんはふぅ、っとため息を吐く。

 次のボールを外し、進、あおいバッテリーは2-1からマリンボールで近平さんを三振に打ちとった。

 

「くっ……!」

 

 近平さんが悔しそうに顔を歪め、ベンチに戻ってくる。

 それを確認して、俺はネクストから立ち上がり、打席へと向かった。

 大歓声が俺を包みこむ。

 

『バッター八番、風路ー葉波!』

『ここで迎えるはかつての正捕手葉波風路!』

『いや、いいですねこういう対決は、熱いですよ!』

 

 呼ばれ、打席に立つ。

 一アウト一、三塁。一打勝ち越しのこのチャンス。今まで回ってきたニ打席では俺は全く結果を残せてない。

 だったらここで打たないとな。

 使ってくれた監督にも、稲村にも顔向けができないぜ。

 バットを構える。

 じろり、と進が俺の一挙手一投足を見つめてきた。

 あおいがサインに頷いた。

 初球はシンカー。食い込んでくるボールを俺は見極める。

 

「ストライクー!」

『際どいボール見逃した! ストライク!』

 

 違う、狙い球はこれじゃない。

 ふぅ、と息を吐き出し、打席の土を蹴って再びバットを構え直す。

 あおいが返されたボールを受け取り、サインに頷き、再びクイックモーションから腕を振るった。

 インハイ――マリンボール!

 キンッ! と思わず出たバットでマリンボールをファールにする。

 まじぃ、今のはマジで手が出た。くっそ……良い球だなマリンボール。

 これで2-0と圧倒的に投手有利。けど有利なだけで結果が出たわけじゃない。

 三球目、セオリーから言えばこのバッテリーは外してくる。

 だが。

 

 そこで、あおいはボールを投げ込んできた。

 

 っ、外して、ねぇっ……!

 スパンッ! と外角低めギリギリに投げ込まれたボールに、俺は手がでない。

 ぐぐっ、と進が動きを止める。

 一瞬球審が身動きを取ったのを俺は背中で感じた。

 

「……ボールッ!」

『際どい所外れたか!』

『いや! 今のはどちらとも取れるボールですね!』

 

 っぶねぇ、今のは入ったと言われたらそのまま帰るしか無いボールだったぞ。カットしねぇと。

 ……はは、やっぱり面白いな。あおいと野球すんのはさ。

 仲間だった時みたいに一緒に一喜一憂するわけじゃない。

 でも、こうやって一球一球に集中して、その結果にマズイと想ったりヤバイと想ったり、色々考えてみたりそうするのが最高に面白いんだ。

 

(――打つ)

 

 でも、楽しむだけじゃダメだ。

 楽しんだ上で、勝つ。それが俺達プロ野球選手に課せられた使命なのだから。

 

「っふっ!!」

 

 あおいが声を出してボールを投げ込む。

 コースはインコース寄りの高め。

 

(――打つ!!)

 

 バットを振るう。

 ヘッドは残せ。腕をしならせて、インパクトの瞬間にだけ力を込めて――振りぬく!!

 ――ッカァァンッ!!

 手元に残ったのは僅かな衝撃。

 ボールはショートの伊藤のグローブの先をライナーで超え、凄まじいスピードを持ったままセンターの左を抜けていく。

 

『打ったああああ! 伊藤のグローブの先を抜けセンターの左に落ちたー!! 三塁ランナー生還! ファーストランナーもサードを蹴ってホームへ! 打った葉波はセカンドへ! 葉波、価千金の二点タイムリーツーベース! 塁上で葉波ガッツポーズ! かつてバッテリーを組んだ早川あおいからタイムリーツーベースー!』

『コースはインコースですね! 球威に負けないようしっかりと振り切っています。高めを待っていた訳じゃなくて来たボールをしっかりふろうとした結果じゃないでしょうか』

 

 っしっ!! これで稲村に勝ちがつく!

 ベンチに居る稲村に向かってビッと人差し指を一本立てて笑いかける。

 一勝目! このまま守り切るから、ベンチで待っとけよ!

 

『稲村に変わりまして、バッター九番、智也ー仰木!』

 

 コンッ! と仰木さんが打ち上げる。

 ファーストフライに仰木さんが打ち取られ、一番に打順が戻るが相川さんも三振に打ち取られて、八回裏が終わった。

 残りは九回表だけだ。

 

「ナイスバッティング葉波!」

 

 走ってベンチに戻ると、監督から頷きと共に褒めて貰えた。うしっ。

 と思っていたらチームメイトからばしっと頭を叩かれる。今叩いたのは友沢だな。無言で叩きやがってっ。

 

「まぁ俺を高校時代倒したわけだからな、これくらいやってもらわねば困るというものだ」

「流石だなパワプロ、僕が投げてる時も頼むぞ?」

「流石です! パワプロくん!」

「いい打撃だったな、パワプロ」

「パワプロくん、抑えのリードもしっかりね」

「おうよ!」

「次の試合は俺達が打つ。安心していろ」

「頼むぜマジで」

「……せ、先輩」

 

 と、チームメイトの祝福の輪に乗り遅れた稲村が控えめ気味に俺に話しかけてくる。

 まだアイシングはしていないらしく肩には何もつけていない。

 だが、珠のような汗が額には滲み、上気した顔は今日の激闘の疲れを物語っているかのようだ。

 

「点、取ってきたぜ。このまま九回抑えてお前に絶対勝たせてやるから」

「……ぅ、ぅぅ……は、い……はい……」

「バカ、泣くのははえぇだろ。……んじゃ行ってくる。応援頼むぜ?“ゆたか”」

「!」

 

 下の名前を呼び捨てにすると、ゆたかは泣くのも忘れて俺の顔をじっと見つめた。

 防具をつけ、グラウンドに出る。

 

『ピッチャー、稲村に変わりまして、ピッチャー一ノ瀬!』

『さあ満を持して守護神が登場です!』

『この展開は理想的ですね』

「……こうしてプロでもキミ相手に投げれること……僕は運命に感謝しないといけないね」

「ああ、そうだな。……本当に、最高だ」

 

 周りを見回す。

 詰めかけた観衆は喉を枯らすほど声を張り、俺達を応援してくれている。

 その中で、最高のプレイをすること――野球人にとってこれ以上の幸せなんて無いぜ。

 

「……抑えよう。稲村ちゃんの為にも」

「ああ、そうだな。……ゆたかに勝ち星をつけてやりたい」

「……下の名前を呼び捨てにするようにしたんだね?」

「ん? ああ、彩乃とあおいと、同じくらい親しくなったつもりだからさ。男は下の名前呼ぶとなんか気持ち悪いけど、女の子は下の名前で呼ばれると嬉しいんだろ? 彩乃が言ってたぜ。つかそうやって呼ぶように教えたのは彩乃だし」

「なるほどね……女性陣は下の名前を呼び捨てか……キミは刺されて死ぬかもしれないね。最後はボートに乗った誰かに首を抱かれるんだ」

「は? 何の話だよ?」

「いやいや、こちらの話さ。匂いフェチのパワプロくん」

「……あんにゃろ、話やがったな……ッ」

「あははっ、キミが悪いよアレは。でも僕も結構嫉妬深いんだ。稲村ちゃんと同じくらいに良いリードをして欲しいな」

「ああ、もちろんだ」

 

 ぽん、と一ノ瀬とグローブをあわせ、キャッチャーズサークルに戻る。

 バッターは下位打線の水谷から。

 一ノ瀬が腕を振るう。

 一四九キロの切れ味の鋭いストレートが内角低めにスバンッと決まった。

 

『ストラーイク!』

『見事な制球です!』

『一ノ瀬選手ですからね。凄まじいですよ!』

 

 二球目のアウトローへのスライダーを水谷が打ち損じる。

 ボテボテのゴロを一ノ瀬が捕球し、ファーストへ投げてしっかりとアウトにした。

 

「ワンアウト!」

『バッター、あおいに変わりまして、涼太ー春!』

 

 代打の切り札である春が打席に立った。

 悪いな春、打たせねぇよ。

 アウトローへのカーブ、インハイへのストレートの二球で追い込み、

 

 三球目のスライダーで見逃し三振に打ち取る!

 

 春は悔しそうにバットを握り、打席を外して戻っていった。

 ……今の春は迷いがあるのか打席のキレも悪い。はっきり言えば打席でも怖くないぜ。

 これでツーアウト、後一人。

 バッターは一番の木田に戻る。

 きっとこの先、俺と凌ぎを削っていたライバルや、共に戦ったチームメイトたちと戦うことになるんだろう。

 それでも俺は負けない。

 ――俺は、今共に居るチームメイトたちと優勝するためにカイザースに入団したんだ!

 バンッ!! と木田のバットをかいくぐったボールが俺のミットを打つ。

 

「ストライクバッターアウト! ゲームセット!!」

『試合終了! 一ノ瀬三者凡退で退けました! 勝ち投手は稲村! 嬉しいプロ初勝利! 負け投手は早川あおいでこれが一敗目! セーブは一ノ瀬についてこれで五セーブ目です!』

『両投手が頑張るいい試合でした!』

「ナイスボール」

「ナイスリード。さ、行こうか? ヒーローくん」

「うっせ」

 

 ぱん、と一ノ瀬とハイタッチを交わし、ベンチに振り返る。

 すると――アホ毛が俺に向かって疾走してきた。

 

「先輩っ! 先輩ーっ!」

 

 今度はちゃんとアイシングをしている。左肩に重そうな冷却器をつけながら稲村は俺に抱きついた。

 

「流石に恥ずいんだが……」

「ぐす、ありがとうございます。先輩……オレ……やっと……」

「……ああ、おめでとう、プロ初勝利、ほら、ウィニングボールだ。ちゃんと飾れよ?」

 

 泣いている稲村を引き剥がし、その手に白球を乗せてやる。

 そのボールを大事そうに胸に抱きしめ(あ、結構手が埋まってる。デカイな)、稲村は涙で頬を濡らしたまま、満面の笑みを俺に向けてくれた。

 

『さあ、ヒーローインタビューです! 本日のヒーローはこの二人、葉波風路と稲村ゆたかの両バッテリーです!』

「あ、わわ」

「お願いします」

『まずは稲村さん! 素晴らしいピッチングでした!』

「せ、先輩……あ、葉波さんがいいリードをしてくれたからです!」

『ということですが、どうでしょう? 葉波さん!』

「自分のリードだけじゃ絶対に抑えられませんでした、プロ初試合でこんないい投手をリード出来た事にお礼を言いたいです」

『本当に良いボールを投げていましたね! プロ初勝利の気持ちはどうですか?』

「……怪我をして、復帰出来て、一勝できて……ゆめ、みたい、です……ぐす」

『辛い想いをしてきた上での初勝利、本当におめでとうございます! 葉波さん、あの一、三塁のチャンス、どういった心境で打席に入ったんですか?』

「あおい……早川選手は凄く良い投手だというのは知っていたので、その前の外角低めのボールに手が出なかったので、今度は絶対に打ってやろうと想って振って行きました」

『見事なタイムリーヒットでした! これがプロ初ヒット。これからの抱負をお願いします!』

「カイザースの勝利に少しでも貢献出来るよう頑張っていきたいです、これからも応援よろしくお願いします!」

『本日のヒーロー稲村選手と葉波選手でした! ありがとうございます!!』

 

 ワァァァァー!! とカイザースファンの大歓声を聞きながら、俺はゆたかの手を掴み、共に手を挙げる。

 この先ゆたかと一緒に勝ち星を増やしていける事を願いながら。

 

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

 試合が終わり、入浴、マッサージが済んで各自解散となった後、俺は一人カイザース側のダグアウトから出る。

 稲村は先輩達に連れられて祝勝会会場に一足先に言ってしまった。俺も後から合流しろって言われてるからな、行かないと。

 ――そう想った俺の前に、

 

「パワプロくん」

 

 あおいが姿を表した。

 見慣れたユニフォーム姿ではなく、私服だ。

 白いシャツに赤いフレアスカート。ラフな格好のあおいは俺に一歩近づいて、俺の顔を見上げるようにして――俺を抱きしめた。

 

「……パワプロくん……おかえり……」

「……ああ、ただいま、心配かけたな」

 

 ぽん、とあおいの頭に手をおいて、ぐりぐりと撫でる。

 あおいは気持ちよさそうに目を細め、俺の手を受け入れてくれた。

 

「ずっと、会いたかった」

「そっか」

「……恋人じゃなくなったのに、ごめんね?」

「謝るこっちゃねぇよ、正直言ってアメリカ行った当初はあおいに会いたくてたまらなかった」

「……じゃあ、アメリカでしばらくしてから、は?」

「……それは……」

「遠慮なく、言って欲しい。ボクは好き、パワプロくんのこと、まだ大好き。……だからこそ、今のパワプロくんの気持ちが聞きたいんだ」

「……分かった。俺は野球しかないんだなって想ってさ。……あおいと居た時間はたしかに楽しかったし、満ち足りていたけど、それが実際、あおいが好きなのかどうかは自分でも分からない」

 

 あおいのことは好きだ。

 でもそれは、本当に恋愛対象として正しい見方をしていたのか、俺には分からない。

 あおいとする野球が好きだったのか、あおいのことを女性として好きだったのか――自信を持って、今の俺はそうだと言えないんだ。

 

「……自信を持って、恋愛対象として好きだといえる人と恋人になるべきだと俺は想う。今の俺はあおいのことを自信を持って好きだとは言えない。だから……」

「……うん、分かった。あはは、大丈夫だよパワプロくん」

「え、と。ごめん、何が?」

「心配してくれてるでしょ? 泣き出しやしないかとか、傷ついたりしないか、とか、そのせいで調子崩さないか、とか」

「う、ぐ」

「大丈夫だよ。パワプロくん。ずっと覚悟はしてたんだ。でも、想ってたよりもパワプロくんはボクのこと、忘れてなかったみたいだから」

 

 にこ、とあおいが微笑む。

 ……ああ、くそ、可愛い。俺が真面目じゃなかったらこの場で抱きしめてるのにな。

 でも、やっぱりダメだ。あおいは大切な存在だ。恋人として好きだのなんだの云々とかじゃなく、ただただ、大切な存在なんだ。

 そんな人と中途半端な気持ちで恋人関係にはなりたくない。

 こんな風に思ってくれているのに、中途半端な気持ちで恋人を選びたくない。

 

「安心して、パワプロくん。ボクはあきらめないよ。投球も粘りが信条だから」

 

 あおいはとてて、と俺から離れるように走りその場でくるりと俺の方を振り向く。

 

「――ボクのこと、大好きになって貰うように頑張るからねっ」

 

 そうして、高校生の時と全く同じ――それでも、大人びた雰囲気のまま彼女は太陽のように笑う。

 この明るさに、俺は何度救われた事だろう。

 そして、今もまた。

 

「コメントに困るが……期待してる、でいいのか?」

「うん、それでいいんだよ。……ボクが可愛い女の子で居るのは、キミの前だけだから」

「あ、ああ……」

「あはは、顔赤くなってるよ、パワプロくん。……初安打おめでと。それと、良くも打ってくれたね!」

「……ふ、ああ、打ってやったぜ。次も打ってやるからな、覚悟しろよ?」

「べー、だ。次は打たせないよー!」

「絶対打つ!」

「ふふ、じゃ、何か賭けようよ」

「ああ、良いぜ、絶対負けないからな」

「……じゃあ、ボクが次の登板でノーヒットノーランしたら、キス、してくれる?」

「――っ、それ、俺との勝負じゃないだろ……それに恋人関係でもないし、さ」

「うん、分かってる。でも……四年間も待ったんだよ。……だから、ね?」

 

 上目遣いであおいがおねだりをしてくる。

 ……ああ、もう、ホント不器用だな、あおいは。

 

「……恋人の件とか、関係無しだからな」

「え? きゃっ」

 

 ぐい、とあおいを抱き寄せる。

 華奢な身体つきという印象は高校時代から変わらない。

 長いまつげ、整った顔立ち。

 そして、小さな、それでも柔らかそうな唇。

 それに自分の唇を押し付ける。

 

「――ンっ……ぁ、ふ……」

「……、はっ……こ、これで……待たせた事と、心配させたこと、許して欲しい」

「……ぅん……」

 

 ぽー、っと自分の唇を抑えながら、あおいが瞳を潤ませ、頬を赤くして俺を見据える。

 う、ぐ、この表情はヤバイ、魔性すぎる……!

 

「じゃ、じゃあ、祝勝会行くから。またメールでも」

「ぁ、うん……大好き、パワプロくん」

「そ、そういう不意打ちは照れるっ」

「あはは、うん、ボクもされたら凄く照れるよ」

「じゃな。あ、そうだ。……ボール、凄く良くなってた。努力したんだな。……俺も負けないくらい頑張るから」

「うん、またね、パワプロくん」

 

 あおいに軽く手を振りながら、俺は居酒屋に向かっていく。

 ……この件はとりあえず忘れよう。稲村を祝ってやらないとな。

 こうして、俺の一軍のデビューの日は、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

                      

                    ☆

 

 

 

 パワプロくんの背中が見えなくなって、ボクは手を降るのをやめた。

 まだパワプロくんの匂いの余韻がボクの身体にある。

 でも、それよりもボクの神経を支配してやまない。パワプロくんの唇の感触。

 キス、しちゃった。

 わがままなお願いと分かっていてあんな卑怯の条件を出したのに、それを超えてパワプロくんはボクがしてほしいことを、してくれた。

 卑怯なのはボクじゃなくてパワプロくんだよ。ホントにずるい。

 ……唇に触れると、ふるると僅かに身体が震える。

 ああ、どうしよう。自覚なかったけど、ボク、こんなにもパワプロくんを求めていたんだ。

 はぁ、困ったなぁ……これまででも結構みずきとかに「ヤバイ」って言われてたのに。

 

「もっと、好きになっちゃった……」

 

 そんなことを一人呟き、

 夜空を見上げ、ボクは願う。

 

(どうかもう一度、パワプロくんがボクのことを大好きになってくれますように)



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第三七話 四月二〇日→五月一日 カイザース トレードとコンバートと

 四月二〇日。

 猪狩vs神高の試合。

 この日は葉波はベンチスタートだった。

 対するキャットハンズのスターティングメンバーには、春涼太の名が刻まれている。

 

『打ったー! 近平の打球がショートへー! しかし……ああーっと春、これをグローブで弾いてしまったー! ボールは転々と転がり抜けていくー! その間にセカンドランナーが生還ー!』

 

 ――しかし、その動きは冴えない。

 ベンチから見つめるパワプロでもはっきりと解る。春の動きは――高校時代から何一つ変わっていない。

 高校レベルと比べればプロは未知の領域だ。投手も凄ければ野手も凄い。特に驚くのは、打球の質の違いだろう。

 フライ、ライナーはぐんと伸び、ゴロも速い。高校時代のような対応をしていては、そのスピードに対応できないのだ。

 そして、春はそれに失敗している。

 四年立っても成長の後が見えず、打撃も代打専門――一軍に出ている分他の選手よりは恵まれているのかもしれないが、それでもこの成績では生き残るのは厳しいだろう。

 

(春……)

 

 敵ながら、見知った顔なだけあって、葉波は心配してしまう。

 結局、この点が決定打となってカイザースは二連勝を収めた。

 本拠地での二連勝。これでカイザースは波に乗れるはずだ。

 喜ばしい一方で、やはり気になるのは春だ。昨日も一ノ瀬のボールに全く対応出来ず、今日は守備でもミスを犯していた。

 

(そんなんじゃ、プロじゃ生き残れねぇぞ……?)

 

 思いながら、葉波はダグアウトを後にする。

 結局、この試合は葉波に出番はなかった。

 試合後、キャットハンズのロッカールームにはコーチの怒号が響く。

 

「バカヤロー!! なんであんなイージーゴロをミスするんだ! 練習が足りねぇんじゃねぇのか!!」

「っ、すみませんっ……」

「謝る暇があるんならノックでも受けてろ下手糞! もうお前は使わん!!」

 

 バァンッ!! と扉が乱暴に閉められた。

 怒って出ていったコーチが閉めた扉を見つめながら、春ははぁ、とため息を吐いた。

 春は一人ロッカールームに残され、叱られていたのだ。

 練習はしている。最近は試合後三時間程練習してオーバーワークなんじゃないかとトレーナーに言われた程だ。

 それでも、守備は一向に上達する気配がない。

 

(パワプロくんは……上手くなってたな)

 

 パワプロだけじゃない。友沢も、あおいも、みずきも、矢部も、そして、聖も。

 プロ入りした同期の面子は皆書く球団の主力として躍動し始めている。

 それに比べて、自分はどうしてもカラを破れない。

 練習しても練習しても、どうしても守備範囲は広がらず、そのせいか打球に追いつけずに弾いてしまう。

 打撃にしてもそうだ。チャンスだとあんなに振りきれるのに、チャンスじゃない状態だとどうしても迷いが生まれ、狙い球を絞りきれない。

 

(……プロで生きていく、俺には無理なのかな)

 

 四年だ。

 その時間は短いようで長い。四年間一個も成長出来てないのだとしたら、自分はプロでやれるだけの力を持っていなかったのではないだろうか。

 ぎゅ、と拳を握りしめて天井を見上げる。

 迷いは深まるばかりだ。解決の糸口すら、見えない。

 

(……聖ちゃん、みずきちゃん……俺、どうすればいい……?)

 

 

 

                     ☆

 

 

 

「では、本当にいいのですか? 世渡監督。あれほど惚れ込んでドラフトの時にプッシュしていたのに」

「仕方ない。出したくはないけどね、……だが、このままでは彼は潰れてしまう」

「分かりました。……カイザースにはオファーを出しました。ウチとしては、丁度良く捕手の控えが欲しかったですからね。葉波選手が出てきたお陰で捕手が二軍に落ちましたから、大谷くんを獲得したい所です」

 

 プロとは無情だ。

 例外もいるが、ほとんどが約二〇年で選手生命を終えてしまう。

 その短い期間の中で、いかに結果を残し一つしかないレギュラーポジションを奪って、そこを長い間守ることができるか――それがプロで生きていく為に必要な事だ。

 中には控えとして生き残る選手も居るだろう。だが、それだけでは生き残れない。

 どんな選手でもしっかりと定位置を掴み、存在感を見せなければならない。それが出来ない選手は総じて消えていくのだ。

 しかし、特定の守備位置を守れるのは一人だけ、という訳ではない。

 

「うん、向こうもショートの友沢くんの控えが欲しいだろうから受けてくれるだろう。春と谷村くんのトレードを、ね」

 

 ――プロ野球には幾つもの球団がある。

 仮に一つの球団の中でレギュラーポジションを得ることができなくても、他球団に行けばポジションを掴むことが出来るかもしれない。

 自分の居場所を見つけることが出来るかもしれない。

 その可能性を、優勝を目指しながら模索する。それが球団のフロントという立場なのだ。

 

「これが転機になってくれればいいね。……出来ればウチとの戦い以外で、さ」

 

 世渡監督は深くため息を吐いて窓の外に目をやる。

 願わくば、自分の手で開花させてやりたかった。

 だが、どんな選手にでも育成の相性というのがある。

 春涼太という選手は世渡の手腕やキャットハンズの環境では育てる事は出来なかった。

 でも、もしかしたら神下監督なら――カイザースならその芽が出るかもしれない。

 

「でも、出来ればカイザースには断ってほしいな」

「はは、不思議なことをおっしゃる。でも気持ちはわかりますよ。……どんな選手でも、戦力外通告、FA宣言、トレード……総じて、選手が球団を去っていくのは寂しい事です」

 

 二人は苦笑しあいながら明日に想いを馳せる。

 明日はカイザース戦の三戦目、先発予想はカイザースは山口、キャットハンズは小沢という左の中堅選手だ。

 

 

 

 

                      五月一日

 

 

 

 月が変わった。

 朝早くに目が覚めた俺は、一人閑散としたリラックスルームのソファに腰掛ける。

 キャットハンズを本拠地に迎えた三連戦を三タテで波に乗るかと思われたカイザースだが、相変わらず調子の波が激しく、あれから三カードを消費したがまだチームは四位だ。

 特に顕著なのがチャンスに後一本出ないという状況だ。蛇島と友沢が何とかチャンスを作っても、ドリトンと飯原さん、近平さんが上手くランナーを返せず無得点というパターンが多いし、監督も頭が痛いだろう。

 

「明日も俺は控えかなぁ」

 

 ゆたかを勝たせたリードを評価されてゆたかの専属捕手みたいな形で起用すると明言され、実際そういう風に使ってもらっている訳だが、やっぱりそれじゃ物足りない。

 毎日試合で出して貰いたいのに起用されるチャンスが少ないからなぁ。フラストレーションが溜まるぜ。先発投手ってどうやってそういう気持ち消化してんのかな。

 ちなみにゆたかと俺のバッテリーで組んだ二試合目はやんきーズで、ゆたかは七回二失点で再び勝ち投手になりこれで二連勝。防御率も四点台に落ち着いてきてゆたかのご機嫌はマックスだ。

 どれくらい良いかというと、朝食堂で会うと「せんぱーい♪」とご機嫌で俺の腰に抱きつき(その時に胸がちょっと当たって嬉しい)、猫みたく甘えるくらいである。

 ……まあ、嬉しいならいいんだけどさ。流石に最近チームメイトからの冷たい視線も慣れてきたし。

 なんてどうでもいいことを考えながら、リラックスルームにあるテレビで常に流されているカイザースチャンネル(猪狩カイザースファン御用達の専門チャンネル、猪狩カイザースの試合を一四四試合生中継という他球団ファンにも嬉しい衛生チャンネル)を眺めていると、

 ぴろりん、ぴろりん、と間の抜けた音と共に上にテロップが流れた。

 

「……ん……? …………キャットハンズ春涼太内野手とカイザース大谷新太捕手のトレードが合意……大谷さん、キャットハンズに行くのか。……ってっ!! 春!?」

 

 春涼太ってあの春涼太だよな!?

 そう想った瞬間、俺のケータイがチャララーチャーラーラーチャーラー! と鳴り響く。

 あおいからだ。

 

「もしもし?」

『あ、パワプロくん、おはよ! あの、ニュース見た? 春くんの』

「ああ、おはよ。今テロップで流れたよ。トレードだって」

『う、うん、今今、こっちでも発表されて、みずきが呆然としてるんだ』

「あー……」

 

 なんか簡単に想像出来るな。橘が呆然としてんの、確か春と橘って付き合ってるって話だし。

 ふーむ、それにしても春がカイザースか、伊藤さんが居るからだろうけどこっちにも友沢が居るからポジションもろかぶりだな。

 

『……やっぱり難しいかな?』

「さぁてな、頑張り次第じゃねぇかな? それに、こっちにとっては嬉しいさ。春はチャンスに強いからな」

『そっか……ちなみにパワプロくんはトレードされる予定はないのかな? かな?」

「流石に一年目でトレードされたら凹むわ!」

『あはは、そだよね。じゃあ、ボク今から調整だから、切るね?』

「ああ、俺も練習いかねーと、またな」

 

 ピッ、と軽薄な音を立ててケータイの通話が切れる。

 ……にしても、春がトレードでカイザースに来るのか。プロに入ってまた戦うと想ってたけど――これはこれで面白いかもしれないな。

 

「やべ、顔見知りがトレードされるって色んな意味で刺激になるよな」

 

 しかも自球団に来るとなったらワクワクするぜ。

 春とは一緒にやってみたいと想ってたしな。

 チームに実際合流するのは明日か。

 今日は休養日。んで明日から対戦するチームはバルカンズ。

 つまり、矢部くんと六道、あかつき大付属の八嶋と新垣が居るチームだ。

 

「……くぅ……明日出てぇなっ!」

 

 矢部くんと戦う、そう考えただけで武者震いが起こる。あの足と実際に面と向かって戦うのは初めてだし。

 あー、速く明日になんねぇかな。でも明日の先発は猪狩だ。先発マスクは近平さんが濃厚か。

 

「……あー、速くレギュラーになりてぇな」

 

 ぼす、とソファに横になり、天井を見上げる。

 ……結局、俺は今まで一球も試合で猪狩のボールを受けたことがない。

 猪狩も待ちくたびれたらしくゆたかと組む俺を女好きだの変態だのジゴロだのタラシだのなんだの好き勝手言いやがるけど、仕方ないじゃん。まだマスク被ったの二回だぜ。そう簡単にレギュラー捕手の座は奪えないし。

 なんだかんだいって近平さんは今年もまだ打率三割をキープしてる。対して俺はまだ八打席だけしか立っておらずヒットは二本。打率、250で打点が二だ。

 得点圏打率は一応一〇割だけど、一打席だけだしアピールポイントにはならない。これで八の八とかだったら話は別だろうけど、そんなんは土台無理だしな。

 ぼーっと天井を見ていると、その視界を遮るように一本のアホ毛がソファの影から顔を出した。

 ゆたかだ。

 

「せーんぱい。おはようございます!」

「おはよ、ゆたか」

「どうしたんですか?」

「や、速く目がさめたんでここでテレビ見てた」

「そうなんですか?」

「ああ、お前も速いな?」

「此処で先輩が起きてくるのを待とうと想ったんですよ。先輩が起きてきたら朝ご飯を誘おうと想ってたんですけど、先輩の声が聞こえたので何してるのなって」

「ん、そだな。もうちょい経ったら朝飯行くか」

「はい! そういえば大谷さんがトレードされるんですよね。今さっき荷物を慌ててまとめてました」

「そっか、向こうも速く合流して欲しいだろうしな。同じチームから選手が出るって結構寂しいな」

「そうですね……オレも最初に話しかけてくれた先輩がオレがケガしてリハビリしてる間に戦力外通告されたのを見て軽くトラウマになりました。速く治さなきゃクビにされるかもって」

「まあ一年目からケガするとそういうプレッシャーはあるよな。頑張ったな、よく復活したと想うぜ」

 

 ぽんぽん、とゆたかの頭を軽く撫でると、ゆたかはふにゃっと頬を綻ばせて撫でるのを受け入れてくれた。

 なんか猫っぽくて可愛いな。妹がいる奴はこんな感じなんだろうか。

 

「先輩のお陰です! ありがとうございます、先輩。本当に……オレ、どうやってお礼すればいいかまだ考えてますから!」

「はは、どういたしまして。お礼はいいよ、お前が勝ってくれりゃさ」

「先輩……、……そ、そういえば先輩、トレードで来る春って人、先輩の同級生ですよね。お知り合いですか?」

「ああ、同じ地区で競ったライバルだったな」

「先輩の地区は凄い人が多いですからね……でも、その中で甲子園優勝した先輩はやっぱり凄いです!」

「ま、ほとんどチームメイトのお陰もあるけどな? 友沢に、パワフルズの四番の東條に、あおいに新垣に矢部くん、明石もか。プロ入りした奴が俺含めて九人居た訳だからな、そりゃ優勝するって」

「でもそのチームの主将は先輩でしたよね?」

「あー、まあ、な」

「プロ入りする面子ばっかりのチームをまとめてたんですから、やっぱり凄いです」

 

 キラキラキラー! と尊敬の眼差しで俺を見つめるゆたか。

 まぁ褒められると悪い気はしないな。うん。実際大変だったし。

 あれ、そういえばゆたかの高校時代はどうだったんだろ。確かかしまし大付属高校のエースだったってのは知ってるけど。

 

「ゆたか、お前の高校時代はどうだったんだ? 俺その時アメリカに居たから、俺が卒業してからその三年以内の日本球界事情全く分かんねーから教えて欲しいんだけどさ」

「お、オレですか? オレは一応、三年の時に、甲子園初出場した時のエースでしたけど……」

「おっ、流石だな。カイザースのドラ一だから凄い事やったんだとは想ってたけど初出場に導いたエースか。あのストレートとスライダー投げれるんだもんな、そりゃ当然か。凄いじゃねーか」

「ほ、褒めすぎですよ……」 

 

 カァァ、とゆたかが顔を真っ赤にして俯く。

 最近気づいた事だが、ゆたかは結構恥ずかしがり屋だ。ちょっと自分がほめられたりすると顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

 でも何故か俺の反応を見たいらしく、チラチラと上目遣いでこちらの様子を伺ってくるのがまた可愛いんだよな。

 ホントいい後輩を持ったもんだ。

 

「同級生はプロ入りしなかったのか?」

「あ、はい、同じ高校からは一人も……オレだけでした。プロ入りしたのは」

「そっか。寂しいだろ?」

「最初と、特にケガした後は……でも、今は全然です。先輩が居ますから」

 

 にこ、と照れながらもゆたかは笑う。

 此処まで頼られてるのか。……俺はバカだ。さっさとレギュラーを取りたいなんて考えなくていいんだ。

 今俺が出来る事を最大限にやる。それがレギュラーへと続く道だし、チームやゆたかにだって、それが一番良い影響を与えるってことなんだから。

 

「俺も、ゆたかが居るから頑張れるよ」

「はうっ!」

 

 ゆたかが息をつまらせて変な声を出した。

 ……うん、そうだな、後輩に頼られるってのはやっぱり励みになる。俺が頑張ってこいつを引っ張ってやらねーと。

 

「女を口説いている暇があったら練習でもしたらどうだパワプロ?」

「猪狩。……何ジト目で見てんだよ」

「いや、僕はお前が刺されて死ぬことを期待している面子の一人だからな」

「何の話だよ……」

「本気で気づいていないのか。なんというか、彩乃さんも苦労しているだろうな」

「彩乃? なんで彩乃の話が出てくるんだ?」

「いや、いい。それより朝食にしないか」

「そうすっか。行こうぜゆたか」

「は、はい……」

 

 顔を赤らめたまま、ゆたかはコクコクコク、と何度も首を縦に振るう。

 ? よくわからないけど体調不良とかじゃなさそうだし、まあ良いか。

 三人で食堂に入る。

 カイザースの宿舎の食事は朝からバイキング式だ。自分で考えてメニューを組まなきゃいけないのがシビアだけど、逆に言えば好きに食事のメニューを取れるから自己コントロールをしやすいということにもなる。

 体力が足りなさそうだったら炭水化物多めにしたり、身体をしっかり作りたいならタンパク質メニュー中心、みたいな感じのメニューが取れるからな。

 食堂を見回すと、友沢が久遠と一緒に食事をとっていた。

 どうやら春のニュースには全く動じて居ないみたいだな。そりゃ、あんだけの成績残しててクリーンアップだしショートの座は安泰だろうけど。

 

「パワプロ」

「はよっす、友沢。春が来るってな」

「ああ、いい補強だと想うが」

「そうだな。でもポジションはショートだろ」

「さて、監督がどう考えているだろうな」

 

 何か意味深な言葉を発して友沢は味噌汁をすする。あ、俺もそれにしよっと。

 と思ったらゆたかが甲斐甲斐しく俺の料理を運んできてくれた。メニューのバランスも良し。流石怪我中自己管理を徹底した投手だぜ。

 

「ありがとなゆたか」

「はい!」

「……パワプロ、お前は何か。貴族か」

「ちげぇよっ。ゆたかが気を利かせてくれただけだっつーの。んで、監督がどう考えているってどういうことだ?」

「ああ、サードの岡村が不調だろう?」

「岡村さんなー、たしかに最近あんま打ってないな」

 

 わかめの味噌汁を啜る。赤味噌で出汁がしっかり効いてて美味いな。

 生卵を割り、醤油を少量入れてかき混ぜ、ご飯に掛けて頬張る。

 やっぱ卵掛けご飯は最高だなー。

 

「だからだ。春は俺の代わりという訳じゃないだろう。俺の代わりのショートなら谷村が居るだろうからな」

「んむ、んぐんぐ、そうですよね。谷村さん二軍で好調ですから一軍で起用されるようになってきましたし」

「そうだな。外野も守れるから重宝されているのはお前もわかっているだろう?」

「ああ、確かに最近はライトで谷村さんは良く起用されてるな」

 

 複数ポジションを守れる強みってやつだな。

 谷村さんは元々ショートやれるくらい地肩は強いし足も速い。よってライトとして起用されることも多い訳だ。

 一番センターが不動の相川さんは盤石としても、レフトの三谷さん、ライトの飯原さんを含めカイザースは外野が豊富な方じゃない。そこに入り込む感じで谷村さんが台頭した。

 特に飯原さんはクリーンアップを打つほどの打棒はあるんだけど守備が結構まずい。よって、最近は三谷さんがレフトから外れ、レフトに飯原さん、ライトに谷村さんが起用される機会が増えてきたわけだ。

 

「あれ? んじゃ谷村さん外野計算じゃねぇの? だから春取ったってことに思えるんだけど」

「いや、谷村は外野でも使えショートでも使えるスーパーサブ扱いだ。じゃなければ三谷はとっくに二軍落ちしているはずだからな」

「どーでもいいけどお前先輩に敬語使わないのね」

「チームメイトだからな」

 

 キッパリと言い切りながら友沢はサラダを口に運ぶ。

 うーむむ、なんという男。こういう強心臓があるから結果を残せてんのかな。……俺も呼び捨てにするか? いやいや、投手相手に嫌われたら元も子もないしなぁ。

 

「あー、んじゃ話を戻す。谷村さんがスーパーサブ扱いだろ。岡村さんが不調だろ。……つーことは何か? 春はサードで起用される、ってか?」

「そうだ」

「コンバートってんな簡単なもんじゃなくね?」

「恋恋時代ショートから外野にコンバートさせた奴が一体を何をいっているやら」

「あれは高校だからだろ。プロなんてほぼ毎日試合じゃねーか、練習する時間も限られてるだろ」

「確かにそうだが……パワプロ、正直に言え。春がショートとして大成すると想うのか?」

「……それは……」

 

 確かに、プロレベルのショートとしてレギュラーをとれるかといったら、答えはノーだろう。

 チャンスに強いから印象に残るが故に一軍には在中出来て、偶にスタメンで使ってもらえるような選手だろうが、そこからレギュラーになるには印象だけじゃダメだ。結果を残さないといけない。

 

「キャットハンズではサードにも出来ない。サードには不動の四番のジョージが居るからな。だからこそのトレードなんじゃないか?」

「……そうだな」

 

 確かにサードの岡村さんが不調で、環境を変えるという意味でもこのトレードは春にとっては有りなのかもしれない。

 肉を口に運びながら考える。

 このトレードで一番驚いてるのは他でもない春だろう。

 ショートのレギュラーを捕れずに居た所に、更に壁が厚い友沢が居るカイザースにトレードされる――ただのトレードの弾として扱われてると想うかもしれない。

 サードへのコンバート。そんなことは多分、これっぽっちも頭に無いだろうな。友沢から指摘されるまで俺も気づかなかったし。

 ……これからチームメイトになるんだ。多少の助言はしてもいいよな?

 

「……やれやれ、おせっかい焼きが」

「何も言ってねぇだろ」

「ふん、何年の付き合いだと思っている」

「たった三年じゃねぇかっ」

「それでもお前の事はわかるさ。サードのコンバートを春に提案するつもりだろう?」

「むぐ……まあ、そうだけど、さ」

「それならば辞めておけ」

「へ?」

 

 友沢がピシャリと言って皿をまとめ始める。食べ終わったらしい。

 助言をやめとけってなんで?

 不思議そうな顔をしていたで有ろう俺を見て、友沢はふぅ、と息を吐く。

 なんだよ、これだから恵まれた奴はみたいな顔しやがって。

 

「監督から野手への転向を勧められた時、俺はどこか仕方ないと納得した。だが心の底で“俺は投手としても終わってない”とも自分に言い聞かせていた」

「……まあ、そうですよね、そう簡単に今までやってたポジションを諦めろって言われてもあきらめられないでしょうし」

「そういうことだ。それをチームメイト、それも同級生から言われたら、どう想うと思う?」

「それは……確かに、お前のショートはダメだって言われてるようで良い想いはしないよな」

「そういうことだ。逆にそのポジションでやることに意固地になってしまうかもしれない。だから辞めておけ」

 

 ずっと捕手しかして来なかったお前には分からない気持ちだろうからな――と付け加えて、友沢は歩いていった。

 確かに俺はずっと捕手だった。小学校の頃から中学校、高校、アメリカにわたってからプロに入るまで、捕手以外のポジションにはついたことがないくらいだ。

 

「……コンバートって難しいんだな。恋恋高校の時、矢部くんや友沢とか、他のやつにもコンバートしてもらってたけど、本当は嫌だったかもしれないのか」

 

 それを皆聞き入れてくれていた。

 今になって恋恋高校の面子がどれだけいい奴らだったかが解る。……俺は恵まれてたんだな。

 きっと今だって恵まれてる。いい同級生、先輩、後輩、全員が全員、一緒に勝つと心地良いと思える仲間達がいるんだから。

 春にもそう想って欲しい。いや、想ってくれないと困るんだ。

 

「……先輩、いうつもりですね?」

「そんなに俺分かりやすいか?」

「いえ……でも、なんとなく分かります。オレにしてくれたように、春さんを助けてあげてください。お節介かもしれませんけど、先輩がしっかりと伝えたら、きっと春さんにも伝わるはずです」

「ゆたかを助けたつもりなんて無いけど……分かった、やれるだけやってみるよ」

「はいっ」

 

 納豆をかき混ぜながらゆたかがにっこりと笑う。

 ……そうだ、俺は俺らしく春に接しよう。たとえそれがお節介だとしても、あいつの為になるんなら何でもやってやりたい。

 それが俺の、チームメイトとしての付き合い方だ。

 ゆたかの言葉を信じよう。

 とりあえずまずやることは一つ。

 

「……俺も納豆食べよう」

「あ、やっぱり美味しそうですよね、これ」

「刻みネギと卵を入れて醤油を入れるのがオレ流だ!」

「しらすも美味しいんですよ? 梅干しも!」

 

 ワイワイとゆたかと納豆のカスタマイズについて盛り上がる。

 初対面の時は敵愾心丸出しで俺と接していたゆたかと、こんなくだらない話で盛り上がれる。

 それなら高校時代から顔見知りの春ともこういうチームメイトになれる筈だから。

 

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

『春、大丈夫なのか?』

「あはは、うん、大丈夫。もうカイザースの宿舎に付いたよ」

『そうか。……嬉しそう、ではなく、声が疲れているが……』

「そうかな? 楽しみで眠れなかったから……」

『……そうか、どちらにしろ今度も敵なのだな……』

「うん、今度はみずきちゃんとも敵だ。……頑張るよ」

『う、うむ。それではな』

 

 通話を切り、カイザースの宿舎を見上げる。

 五月二日。カイザースのチームに合流することになった。

 いきなりの一軍登録。準備期間すら与えられないまま。俺は再び一軍選手として此処に居る。

 

「よう、春。待ってたぜ」

「……パワプロくん」

「ああ、お前に言いたいことがあってな。その前に……ようこそカイザースへ」

「うん。よろしくね、パワプロくん」

 

 パワプロくんが柔和な笑みのまま俺と握手をする。

 パワプロくんは頷いて俺に微笑んだ。

 

「……どうしたの? パワプロくん。わざわざ玄関先にまで来て」

「あー、お前に話があってな。荷物置いて挨拶済ませたらちょっと出てくれないか? ……やりたいことがあるんだ」

「うん、分かった。待っていてくれる?」

「ああ、待ってるよ」

 

 俺に話ってなんだろう。とりあえず荷物をおいてこないと。

 宿舎に入り、用意された部屋に荷物を置き、カイザースのユニフォームに着替える。

 そこから食堂に行って監督、コーチ、チームメイトに挨拶をした。

 友沢くんや猪狩くん……凄いメンバーだ。キャットハンズのほうが順位的には上なのに、こちらのほうが豪華メンバーと感じるのは何故だろう。

 

「春、お前には期待しているぞ」

 

 ぽん、と監督に肩を叩かれる。

 友沢くんのバックアップとして、だろう。

 俺はレギュラーを期待されるほどの実力者じゃない。神下監督もそれを分かっていて俺を獲得したはず――。

 そんな考えがよぎって俺は首を振る。落ち着け。そんな風に誰も思っていない。純粋に、若手として期待されてるんだ。

 いけない。トレードからちょっと弱気になってる。頑張らないと。

 パワプロくんに呼ばれていたんだ。外に出よう。

 さっきまでは呼ばれたことが不思議だったのに、今はなんだかそれがありがたい。……もしかして、こうなることを読んでいてくれたのかな。

 

「お、来たか。んじゃ、室内練習場に行こう」

「……練習場?」

「ああ、そうだ」

 

 ガチャ、とボールが大量に入った籠を持ってパワプロくんが練習場に向かう。

 案内ついでに練習でもさせてくれるのかな? ……パワプロくんの意図がどういうことなのか分からないけれど、きっと俺の為に何かしてくれようとしてるんだろう。それは解る。

 

「ん、ユニも着てるし丁度良かったよ。……春、ペッパーやらねぇか?」

「ペッパー、って……」

「打撃練習メニューのアレだよ。トスバッティング」

 

 コン、とノックバットを持ってパワプロくんがボールを軽く真上に打ち上げる。

 ペッパー練習、所謂トスバッティング。俺もやったことがある打撃練習だ。投げられたボールをワンバウンドで軽く打ち返し捕球出来る真正面に打ち返す練習法。

 でも、なんでいきなり……?

 

「分かった。でも俺バット今持ってきてないよ?」

「いや、春、お前は投げる側だ」

「……え? パワプロくんいきなり俺の練習に付き合え宣言……!?」

「違うっての。今回は守備ペッパー、つまり春の練習だよ」

「守備、ペッパー」

「普段のペッパーより離れた所に立ってくれ。お前から投げられたボールを俺は左右に打つ。真正面に返すっつーのを左右に揺さぶる訳だ。」

「う、うん」

「お前はそれを繰り返す。……二〇回で良い。簡単だろ。二〇回なら」

「……出来る、とは思うけど……」

「……それが出来なかったら、春、お前にはショートは無理だ」

 

 ――パワプロくんが、冷たく俺に言い放つ。

 その言葉を理解するのに、俺は数秒掛かった。

 

「……ぱ、パワプロくん?」

「友沢はこのペッパー、二〇〇回は軽くこなす。ショートに大事なのは左右上下への動きの速さとスタートの速さと肩の強さ。春の肩の強さはショートで通用するレベルだ。でも、一歩目が高校レベルでの名手ゆえにプロの打球のスピードにはついてこれてない。上下左右の動きがショートとしては致命的な遅さだし、一歩目もプロのショートストップとしては遅いんだ」

「……っ」

 

 自覚はある。

 打球が速いと感じるのは四年前も今年も一緒の事だ。

 だから回りこもうとしても回り込めない。回り込めないから逆シングルになって捕球がままならないし送球もズレる。

 

「真正面のボールは取れてるよな。それは見てて分かる。必死に努力して捕球技術を磨いたのも分かるさ。……でもな、春。それだけじゃダメなんだ。――ショートはセンスが最も要求されるポジション。身体能力の強さも、ボールへの嗅覚もずば抜けてなきゃショートのレギュラーってのは捕れないんだ。特にライバルが天才な上に努力を重ねてる奴なら、なおさらに」

「……ッ、じゃあ、俺、は、どうすれば、どうすればいいんだ……! このままプロで首になるのを待てっていうのかい……!? そんなのは嫌だよ……! 努力すれば何とかなるって、そう想って頑張ってきたんだ! それなのに、才能には勝てないって、そんなの……っ」

「――春、野球で大事なのはショートだけじゃないだろ」

「っ、それは……」

「単刀直入にいうぞ。このペッパーを二〇回熟せるんだったら上達する可能性もあるが、これをできないんだったらショートは無理だ。だから、サードにコンバートしてくれ」

「サード……?」

「ああ、ホットコーナーだ」

「なんでサードなの?」

「サードならば要求されるのはほとんど横の動きだけだ。守備範囲も限られているから打球が飛んでくる方向のアタリをつけやすい。春の守備範囲はショートだから狭い、という話であって、サードならば十分すぎる程だし、真正面のゴロはしっかりさばけるんだから、真正面にゴロが飛んでくることが多いサードが春には向いていると想う」

「…………」

 

 パワプロくんは、俺へ道を示そうとしてくれている。

 それは分かる。

 わかるけれど、心の何処かで納得することの出来ないものがあるんだ。

 リトル時代からずっとショートをやっていた。

 名手って言われて、みずきちゃんと聖ちゃん達と甲子園まで行ったんだ。

 この守備位置にこだわりたい。

 俺が野球をしている間ずっと守ったこのポジションを、この先も。

 そこまで考えてやっと分かった。

 ――だから、パワプロくんがこのペッパーをやろうって言ったのか。

 俺に現実を教える為に……いや、そんな上から目線とかじゃない。

 パワプロくんは必死に俺を納得させて気持ちよくサードで守れるようにしてくれてるんだ。

 抗いたい気持ちを出してもいい。

 それをぶつけても良い。

 ただ、それじゃあ俺が抗うだけで終わってしまう。

 だから、勝ち負けの形にした。はっきりと結果を出して俺が納得出来るように。

 逆を言えばこのペッパー二〇回っていうのは、プロのショートの最低限の守備のレベルがあれば出来るってこと。

 それができないなら、プロのショート失格なんだ。

 四年も練習して最低限レベルになれないなら止めた方が良い。そう結果として見せる為に、パワプロくんはこういう方法を取った。

 

「……うん、分かった。やるよ」

「そうか、悪いな春」

「ううん、俺も薄々、気がついていたんだ」

 

 グローブをつけて、後ろに下がる。

 パワプロくんがノックバットを抱えてボールを持った。

 

「行くぞ!」

「来い!」

 

 カァンッ!! とパワプロくんが打球を放つ。

 ――そう、薄々気がついていた。

 パンッ! とボールを捕球してパワプロくんのノックバットめがけて投げ返す。

 カキンッ、とそれを逆側にパワプロくんは打ち返した。

 凄いバットコントロール。捕れるか捕れないかギリギリだ。

 ――俺には、プロで生きていくなんて無理なんじゃないかって思っていた。

 それを転がるようにして捕球し、再び投げ返す。

 パワプロくんから僅かに逸れたボールをパワプロくんは見逃して、手にしていた新しいボールを俺が居る反対側に打った。

 ――でも、違うんだ。無理なのはプロで生きていくことじゃない。

 手を伸ばす。

 懸命に、届くように、必死に。

 ――無理なのは、ショートに拘り続ける事、だったんだ。

 グローブの先をボールが抜けていく。

 ズザザ、と俺はその場で倒れこんだ。

 一歩目が遅いっていうのは此処まで差を生む事なんだ。

 練習の揺さぶりでこうなら、実践の打球の速さに追いつく事すら一杯一杯だったのが当たり前のように思えてくる。

 ……練習しても、俺にはショートは無理なんだ。

 

「……っ」

「……春。その……」

「……っはぁ、ねぇ、パワプロくん。……今からノックやってくれないかな。サードの練習、したいんだ」

「! ……ああ、幾らでも付き合うぜ」

「うん、それと、ありがとう」

「ああ、ごめんな春、こんな風に無理やり納得させるようなことしちまって」

「良いんだ」

 

 俺は首を振ってパワプロくんに笑いかける。

 プロ入りしたなら、自分のこだわりなんていう小さいものに囚われてたらいけないんだ。

 生き残るためには何でもやる――そういう風に思って頑張れる人がこの世界で生き残れるんだ。

 中にはこだわった事で大成する人もいるだろう。でも、俺にはそんなセンスも、技術も無い。

 だったら何でもやろう。泥を被ってでも良い。ボロボロでも構わない。

 ただ前に進む。

 それが出来る人が――あの輝かしいフィールドで躍動することが許されるんだから。

 

「よし! じゃあまずノック一〇〇〇本からね、パワプロくん」

「俺今日試合! スタメンマスクじゃないけど!」

「なら俺もスタメンサード!」

「んな無茶言うなよ!?」

「あはは、一緒にがんばろう!」

「……ったく、ああ、これから頼むぜ春!」

「うん、一緒に優勝しよう、パワプロくん。――いや、パワプロ!」

 

 俺のためを想って色々やってくれるチームメイトの為にも、そして俺に魅力を感じてトレード獲得してくれたチームのためにも。

 上手くなりたい。戦力になりたい。微力でもいい。少しでも、少しだけでも良い。

 この力をこのチームの為に使えたら、チームメイト達の為に使えたら。

 

「行くぞ!」

「うん!」

 

 カァンッ! と室内練習場にノックバットの音がこだまする。

 それを心地よく思いながら、俺はサードからファーストに立てられたネットに向けて送球をした。

 

 

 

 

 

 

                         ☆

 

 

 

 

「……葉波が上手くやってくれていた」

「そうですか……やはり同級生同士通じるものがあったんでしょうね?」

「ああ、だが、葉波がやってきてから大分チームの雰囲気も良くなったな」

「ええ、本当に……存在感がある上、猪狩からも一目置かれていますからね。選手達としても刺激があるでしょう。特に近平はライバルですからね」

「うむ。選手同士が助け合い、切磋琢磨し合う……今のところ、葉波はその循環を作ってくれているからな」

「はい、これで春のコンバートによって岡村にも刺激があるでしょうし、春自身、これで何かを掴んでくれれば嬉しいですね。彼の勝負強さには惹かれますし」

「うむ……」

「……? 監督、どうしたのですか?」

「……いや、何でもない。早急すぎると想っただけだ」

 

 神下監督はさらさら、と本日のスターティングメンバーを用紙に記入する。

 コーチは失礼します、と言いながらそれを確認した。

 一番、相川 センター。

 二番、蛇島 セカンド。

 三番、友沢 ショート。

 四番、ドリトン ファースト。

 五番、飯原 レフト。

 六番 近平 キャッチャー。

 七番、谷村 ライト。

 八番、岡村 サード。

 九番、猪狩 ピッチャー。

 最近はこのオーダーで固定している。

 だが、正直言って勝率は良くはない。特にこれから先乗っていくためには、二勝一敗のペースが必要なのにそれすら危うい状態だ。

 

「監督……」

「わかっている。だが早急な判断は禁物だ。次も結果を出したら考える」

 

 神下監督はコーチの言葉に頷いて監督室を後にする。

 レギュラーを変える、というのは相当に判断力が必要とされることだ。

 それがチームの扇の要であるのなら、尚更に――。



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第三八話 五月二日 カイザースvsバルカンズ 林との邂逅とライジングショットの使い方

                五月二日。

 

 

 

 バルカンズの本拠地であるバルカン球場は猪狩ドームのほぼ近くに位置している。

 そのため移動日は宿舎で過ごす事が可能だ。

 バルカン球場の中に入り、周りを見回す。

 猪狩ドームと違って屋外球場。風が有るのが気になるが、自然も味方にして頑張らねぇとな。

 

「おはよう、パワプロ」

「はよ、春」

「うん。久々にゆっくり寝れたよ。練習疲れてたからかな?」

「はは、今日は俺とお前は二人してベンチスタートだ。ゆたかもオフだし、今日は俺とキャッチボールしようぜ」

「そうだね」

 

 春の顔は明るい。

 ……サードコンバートを自ら監督に告げ、それを監督に快諾されて春は一生懸命にボールを追った。

 サード守備はほとんど初めてだって言ってたけど、ショートをずっと続けてただけあって吸収が早い。正面のボールは零さないし、元からサード向きだったのかもな。

 グローブをつけたまま春と離れ、ボールを投げ合う。

 まさか春とこうして共闘することになるとはなー。やっぱプロって面白いわ。

 

「……そろり、でやんす」

「――ん?」

「パワプロくんっ! 久々でやんすよー!」

「うわぁ!? 矢部くんか!」

 

 真後ろからいきなり矢部くんが声を出し、俺に抱きついてきた。やめてくれそんな趣味は俺にはないんだっ。

 春が苦笑いしながらボールを投げずにこちらに近づいてくる。ゆっくり話せって事か? なんか嫌なんだけど……。

 

「久しぶりだな、矢部くん」

「やんすよ。オープン戦に出て来なかったから挨拶できなかったでやんす」

「はは、悪い悪い、二軍に幽閉されてたからさ」

「まあオイラと違って二軍スタートは仕方ないでやんすね」

「……一年目から開幕レギュラーだったのか?」

「そうでやんすよ!」

 

 もしかして俺らの世代の野手で一番最初にデビューしたのって矢部くんか? 凄い選手だとは想ってたけどやっぱり凄い。あの足はプロでも通用するレベルだったんだ。そりゃ俺らを何度も助けてくれるわけだよ。

 矢部くんは俺に笑い掛け、ニヒルにメガネをクイっと上げる。うーん、なんというかっこ良さ。矢部くんめ、腕を上げたな。

 あれ、そういや挨拶に来たのは矢部くん一人だけか。六道はブルペンだとしても新垣が来ないのはおかしいな。そういや一軍情報で見た覚えがない。まだ二軍なのか?

 

「なぁ、矢部くん、新垣は?」

「!」

「パワプロ、知らないかったの?」

「? なんだよ春」

「新垣さんは……」

「クビに、なったでやんす」

「――え?」

 

 クビになった。

 矢部くんのその発言を聞いて俺はぴたりと動きを止める。

 あおいからの手紙では、確か新垣はバルカンズにドラ6で指名されたと聞いた。

 あれから四年、クビになってもおかしくはないかもしれない。

 ――でも。それでも。

 いくども好守とバントで俺達を助けてくれた新垣がクビになった。

 戸惑いを隠すことなんて、出来る訳がない。

 

「ほ、本当なのか? それって……」

「本当でやんす。戦力外通告されたでやんす。……まぁ、まだ野球はやってるでやんすよ、バルカンズで」

「へ? どういう意味だ?」

「クビというより育成降格という言い方が正しいでやんすね」

「育成……育成枠になったのか」

「で、やんす。そんでもって空いたセカンド枠に入ってきたのが、昨年六〇盗塁した――」

「よろしく、林です。林啓介」

「うぉわ!?」

 

 にょっ、と矢部くんの後ろから男が顔を出す。

 び、びっくりした。隠れてたのかよ!?

 

「驚き過ぎだよ?」

「普通に驚くわ! 一人だけだと想ってたんだぞ!」

「林くんは背が低いでやんすからねー」

 

 にこにこー、と笑いながら人懐っこい笑みを林は俺に向けてくる。

 林啓介。さわやか波乗り高校出身。四年前の猪狩世代のドラフトでバルカンズの育成ドラフト一位で入団した、バルカンズの中では“疾風”と呼ばれている一昨年育成枠から支配下枠になると、昨年開幕セカンドを守り、そこからシーズン最後まで二番、セカンドというポジションを守りきった男だ。

 武器はもちろんその仇名通り風のような快速。一年でそこそこ有名だったものの、二年の時に怪我を負い二年生では出場していない。だから俺達がさわやか波乗りと戦った時には出場していなかった。そして三年生ではチームは予選で負けて甲子園には出場していない。

 それでも育成枠とは言えプロ入りする素材として評価されている。ということは、その足は天下一品だということだ。

 

「よろしくね。葉波くん!」

「ああ、よろしくな。林」

「ケイでいいよ! エアロケイ(風の啓)って呼ばれてるし」

「どっかで聞いたあだ名だな!? ギリギリアウトだそれ!」

「あはははっ」

 

 エアロケイ、ねぇ。

 でも確かにこいつの足は凄い。動画とかで見たけど、矢部くんや八嶋に負けないほどの俊足だ。

 そして男受けが凄く悪い。あの白井雪と付き合ってると堂々公言しているせいだろうけど、いやらしいプレイスタイルなのもあって他球団からのアンチが凄く多かった。コメント欄に『このゴキブリ氏ねよ』ってかかれてたもん。まあ確かにショートゴロで出塁されたら堪らないけどさ。

 

「…………負けないよ、葉波くん、君から盗むから」

「――ふ。負けねぇよ、俺も。……って言いたいんだけど、悪い俺ベンチだからさ、今日は無理かも」

「うん、知ってたよ?」

「なっ」

 

 ニッコリ、と林が満面の笑みを作る。

 こ、こいつ……! 中性的な容姿のおとなしい奴かと想ったら超腹黒じゃねえかっ!

 俺が戦慄していると矢部くんがぽん、と俺の肩を叩き、優しい微笑みを浮かべ、

 

「林くんはこういう奴でやんす。怒らないでやってほしいでやんすよ。わざとやってるでやんす」

「そうか、それなら仕方な……くねぇ!? 故意なのかよ! そこフォローする時はわざとやってるわけじゃないっていうべき所だろ!」

「いいツッコミでやんすね! オイラもほとほと林くんの腹黒言い回しには傷ついてたでやんす! さあパワプロくん! ビシっといってやるでやんすよ!」

「俺が言うのか?」

「パワプロくんって酷い仇名だよね、いじめだよね。だから僕、ちゃんと名前で葉波くんって呼んでるんだ(キリッ)」

「矢部くん、こいつ結構いいやつだな」

「ああっ! そういえばパワプロくんはパワプロって呼ばれるの嫌がってるとかいう設定があったでやんす! それに浸け込まれたでやんすー!」

「なんて冗談だよ。諦めたというより皆そう言うし悪意も感じないからそのまま受け入れてるしな。林はこういうキャラなんだろ」

「そうそう、僕、ケガしてから捻くれちゃったんだよね……だからこういう接し方しかできなくて……」

「自分で言うなでやんす……」

 

 ごめんごめん、と言いながら林は矢部くんに頭を下げる。

 根は悪い奴じゃなさそうなんだけど、いかんせん口が悪いのが難点だなこいつ。

 

「冗談はともかくとして――僕も足を売りにしてる選手として、葉波くんにはずっと注目してたんだよ。高校時代もね。だから……君から盗塁したいと想ってるよ」

「光栄だな。俺もお前を刺してみたいと思ったぜ? ま、スタメンが先だけどな」

「ふふ。大丈夫だよ葉波くん、――君を引き摺り出してあげるから」

「っ」

 

 不敵に笑い、林くんはねっ、と矢部くんに同意を求める。

 矢部くんは僅かに考えた後、

 

「そうでやんすね。パワプロくんに出番が来ると想うでやんすよ」

「……? どういうことだ?」

「それは試合が始まってからのお楽しみでやんす。それじゃ、オイラ達は戻るでやんすよ。パワプロくん、今度オフの日にでも遊ぼうでやんす。パワプロくんのメルアドは友沢くんから聞いたでやんすから、またメールするでやんすよ!」

「ああ、楽しみにしてるよ矢部くん」

「それじゃあ僕も行くね。君のメルアド矢部くんから聞いとくから、またメールするねー!」

「分かった。あと傷つく事いうのは辞めろよ?」

「うん、分かった。じゃあこれから宜しくね。女たらしくん」

「矢部くんだな! 喋ったの矢部くんだろ!? 矢部ええええええええ!」

「ひいっ、オイラ何も言ってないでやんすよー!?」

「あははっ、ごめんごめん、ゴシップ誌の早川さんとの話を見てカマかけただけだよっ」

「野郎……」

「じゃあまた試合で! あと女の子を弄ぶのもほどほどにね」

「弄んでねぇっ」

「あはははー! じゃあね」

 

 林が笑い、手を降りながら矢部くんとダグアウトに消えていく。

 ……つ、疲れた……すげー疲れた。なんてやつだ……こうも精神的ダメージを与えてくるとは……。

 

「プレイスタイルも“捕手泣かせ”って言われてるくらいのいやらしいバッティングするくせに私生活でもだと……」

「お疲れ様だよ、パワプロ」

「春……俺はあいつが凄く苦手かも知れん……」

「普通の会話で苦手なタイプならいいじゃないか。野球で苦手よりはよっぽどさ」

「確かにな……」

 

 そう考えると確かに気が楽になってくる。

 サンキューだぜ春。――よし、まぁあいつとの会話もいずれ慣れるとしてだ、気になること言ってたな。矢部くんも林も。

“俺を引き摺り出す”……それはつまり、近平さんに何かするってことだろうか。

 

「……そういや、カイザースって、バルカンズと相性が悪かったっけ」

「うん、そうだね……まあ、理由は試合になってみれば分かると想うよ」

「そう、なのか?」

「うん。あんまり言わない方がいいと思うしね。さ、キャッチボール――」

「春ー!!」

 

 しようか、と春が言いかけた所で、向こうの方から一人バルカンズのユニを来た選手が走ってくる。

 間違いない。六道だ。

 

「ふぅ、ふぅ、ブルペンが終わって慌ててきたぞ。調子はどうだ?」

「聖ちゃん、うん。大分いいよ」

「そうか……心配したぞ」

「ごめんね、いつも心配させちゃって」

「う、うむ。い、いや、謝ることではない。私はいつもお前のことをだな、その……想っているぞ……?」

「そうなんだ。ありがとう、聖ちゃん、心配してくれて」

 

 にっこり、と春が微笑むと、六道は頬を染めて俯いた。

 な、なんという男……たしか春って橘と付き合ってるんじゃなかったっけ。それでも六道は諦めてないみたいだな。

 試合中の六道と違って、今の六道は好きな男性の前でおとなしくしている女の子のようだ。そんな六道が可愛いのか、春は笑いながらぽむぽむと六道の頭を撫でている。

 

「……青春だなぁ。にしても春の奴、鈍感すぎるだろ……あんな笑顔向けたらあいつ橘に刺されるんじゃね?」

「パワプロ……殴っていいか?」

「友沢どっから出てきたんだよっつかなんで!? なんで俺殴られなきゃいけないの!?」

「全力で俺は言おう。お前が言うな!」

「は? え? な、なんで? なんで友沢そんなキレてんの!?」

「……はぁ、自分のことは気づかないとは言うが……お前、本当に大丈夫か……? ほら、俺のパワリンを分けてやるから深呼吸をしてゆっくり飲むんだ。後一+一の答えは分かるか?」

「心配された! すげぇやさしく心配された! 頭の!」

 

 なんで俺こんなに友沢に優しくされてんの!? 訳が分からねぇ! 確かにあおいには凄く優しくしてると自分でも思うけど春みたいに付き合ってる女がいるのに他の女を誘惑している記憶なんてこれっぽっちもないぞ!

 俺が驚いてるのを見て、友沢はふぅぅ、と息吐き出して微笑んだ後、

 

「バカが」

 

 おもいっきり見下してきた。

 

「おまっ、超酷い!」

「とりあえず春は六道とゆっくりしてるようだから、俺とキャッチボールをするぞ」

「お前実はキャッチボールの相手探してただけだろ! なぁ!! このちょっと前の下り一〇〇パー要らねぇよな!?」

「クールになれ、パワプロ、捕手が熱くなったら負けだ」

「最もな事を言うな!!」

 

 友沢にギャイギャイ文句を言いながらも飛んでくるボールを俺はキャッチする。

 結局、春はその後六道を愛で続け、俺は友沢に何故か生暖かい目で見つめられながらキャッチボールを交わすのだった。  

 

  

 

『さあ、いよいよプレイボールが近づきます、カイザース対バルカンズの第七回戦。先攻は猪狩カイザース。スターティングメンバーを発表しておきましょう。

 一番、相川 センター。

 二番、蛇島 セカンド。

 三番、友沢 ショート。

 四番、ドリトン ファースト。

 五番、飯原 レフト。

 六番 近平 キャッチャー。

 七番、谷村 ライト。

 八番、岡村 サード。

 九番、猪狩 ピッチャー。

 となっています。蒲公英さん。最近カイザースはこのオーダーで固定していますね?』

『ええ、そうですね。しかし最近は五試合で合計して六得点と不発してます。特に四番五番が機能していません。得点圏に強い近平くんも今年の得点圏打率は,200と奮っていませんからね。オーダー組み換えも有りかと思いましたが……』

『カイザースは昨日春選手をトレードで獲得しましたが、そこらへんも関係しているのでしょうか?』

『若いですし、終盤の勝負どころでの代打の獲得といった所でしょうか。チームとしても得点圏打率の低さは気になっているところでしょうし、そこらへんも関係しているんでしょう』

『なるほど、では後攻の津々家バルカンズのスターティングメンバーも発表しましょう。

 一番、矢部 ショート。

 二番、林 セカンド。

 三番、六道 キャッチャー。

 四番、猛田 ライト。

 五番、八嶋 センター。

 六番、南戸 ファースト。

 七番、桐谷 サード。

 八番、田中 レフト。

 九番、大西 ピッチャー。

 となっています。注目されるのはやはり一番二番に入った矢部、林のコンビとクリーンアップでしょうか。カイザースとは対照的に六道、猛田の得点圏打率は非常に高いですね』

『バルカンズの強みはやっぱりどの打順からでも攻撃が出来るということではないでしょうか。下位打線の桐谷くん、田中くんも俊足ですからね。カイザースのバルカンズとの相性の悪さも気になります』

『そうなんです。カイザースファンの皆様はご存知でしょうが、なんと昨年のバルカンズとの対戦成績は二八試合の内、何と三勝二四敗一引き分け。カイザースのV逸の原因はバルカンズにあるといってもいいほどの相性の悪さなんです」

『まだ捕手が若いですから、足を使ったバルカンズの野球に対応出来てないんじゃないでしょうか』

『かもしれませんね。さあ、本拠地バルカン球場でバルカンズのスターティングメンバーがフィールドに飛び出していきます! いよいよプレイボールです!』

 

 パァンッ!! と大西の豪速球が六道のミットを叩く。

 大西・H・筋金。

 コントロールが荒いものの、一五〇キロの直球に多彩な変化球を持つ本格派。昨年は一二勝を上げた。

 

『バッター一番、相川』

 

 相川さんが打席に向かう。

 いよいよプレイボールだ。

 

「葉波、二遊間を良く見ていろ」

「――え?」

 

 監督が俺に向けて言って、視線をグラウンドに戻した。

 ……二遊間を見てろ?

 二遊間、つまるところセカンドとショートってことだよな。えーと、ショート矢部くんにセカンド林。それぞれ内野の定位置に立って打者の相川さんを見つめている。変わったところは一つもない。

 あ、そういえばデータ集めした時にたしか矢部くんと林の二遊間は特別な相性で呼ばれてたな。

 確か――

 想った瞬間、大西が振りかぶる。

 ヒュッ! と腕を奮って投げられたのは一四七キロのストレート。それが真ん中の甘い所に入る。

 それを相川さんは初球から打っていった。

 カァンッ!! と快音が響く。

 相川さんが放った痛烈な打球はマウンドを直撃し二塁ベースの右を痛烈な勢いで抜けていく。

 これはヒットになった。そう想ったその刹那、

 

 

 バンッ!! と林が横っ飛びをしてそのボールをグローブに収めた。

 

 

 !? な、なんで林があそこに居るんだ!? あいつはセカンドの定位置に居たはずだ。

 でもあんなとり方じゃファーストはアウトに出来ない、相川さんは内野安打で出る!

 

「くっ!」

 

 相川さんが全力で一塁に向かう。

 よし、これならセーフに……!

 

「矢部くん!」

「ほいきた!」

 

 ヒュッ、と。

 林がグローブを振るう。

 グラブトス……!

 それを矢部くんが素手で受け止め、ビュッ! とファーストへ向かって腕を振るった。

 ファーストの南戸が身体を伸ばしボールをキャッチする。

 それとほぼ同時に相川さんがファーストベースを駆け抜けた。

 だが。

 

「アウトォ!!」

『判定はアウトー!!』

 

 ドワアア!! と観客が歓声を上げる。

 今の当たりがセーフにならないなら、どうやったらセーフになるってんだよ……!

 これがバルカンズの二遊間か。

 ああ、そうだったな。

 ――バルカンズの二遊間、矢部くんと林のコンビはこう呼ばれている。

“二遊間の魔法使い(マジシャンズシックスフォー)”、と。

 ヒットを奪うことで得点を奪い、

 失点を減らしアウトを増やす。

 その技術、守備範囲、そして何よりも卓越した反応速度。

 ポン、と矢部くんと林がグローブを合わす。

 あの守備範囲があれば投手は大助かりだ。キャッチャーとしてもリードのしやすさが違う。

 でも今のは多少まぐれな部分も有るはずだ。ボールがマウンドに当たって打球が少し遅くなったし、セカンド側にボールがよれたからな。

 それでもその守備範囲の広さは明らか。それを見せつけられて力んだりすると――。

 

「クッ!」

『二番の蛇島打ち上げた―! ライト猛田しっかりキャッチ! ツーアウトー!』

『ちょっと力んだでしょうか』

 

 ――こういう風に打ち取られやすくなるんだよな。

 でも中にはそんなことお構い無しのやつも居るわけで。

 

 カァンッ!! と友沢が甘く入ってきた高めのボールを捉える。

 

 完璧、だな。

 

『ライト一歩も動かず見送ったー!! 先制はカイザースー! 友沢のホームランで一点先制ー!』

 

 うーむ、確かにフェンスの向こう側にはお客さんしか居ないからなぁ。

 にしてもすげぇ当たり。こいつプロに入って更に成長してる。

 ……高校時代から続けて仲間でよかった。こんな奴、相手したくない。

 

「ナイスバッチ―!」

「甘く入ってたからな」

 

 続く四番、ドリトンがボール球を振らされて空振り三振に打ち取られる。

 うーむむ。幸先良く一点先制したな。これを守りきれるといいんだけど。

 

『さあ、友沢のソロホームランで先制したカイザースを追う、バルカンズの一回裏の攻撃です! 相手はエースの猪狩! 逆転出来るでしょうか!』

 

 グラウンドにチームメイトたちが散らばっていく。

 その中心に立つのは猪狩だ。

 そして、そのボールを受けるのは近平さん。

 ――俺じゃない。

 ぎゅ、と拳を握り締める。

 ……落ち着け、まだ試合は二試合しか出場してないんだ。レギュラーを取るためにはじっくりアピールしていかないと。

 

『バッター一番、矢部』

 

 矢部くんか。此処は守備位置を少し前目にとるのも有りかもしれないな。当たり損ないのボテボテのゴロでも生きちゃうような打者だし。

 しかし近平さんは内野を動かさない。定位置で野手たちを待機させる。

 矢部くんが構えたのを確認し、猪狩がボールを投じる。

 それに対して矢部くんは――バットを寝かせた。

 っ、セーフティ!

 コンッ、という軽い音を立ててボールは三塁方向に絶妙に転がされる。上手い……! 捕手とサードの丁度中間だ!

 サードの岡村さんと近平さんがダッシュでボールを追う。

 

「俺が行きますッ!」

 

 近平さんが声を出しボールを拾いファーストに送球する。

 だが投げられたボールがファーストミットに収まる前に矢部くんはファーストを駆け抜けた。

 

「セーフ!!」

『セーフティバントで出塁ー!』

『今の守備位置は行けません。明らかに無警戒ですね』

「っくそっ」

 

 近平さんが乱暴にマスクを拾いかぶり直す。

 今のは矢部くんが上手いな。狙って間に転がすなんて。

 そしてバッターは林。

 林はミートタイプだが、足で稼ぐヒットが多いタイプだ。打撃能力はそこそこ程度。三割を達成したが内野安打率は三〇パーセントにも及ぶ。それほどまでの快速なのだ。

 つまりランナーがフォースアウトの時はヒットを打ちにくい打者なのだ。

 ショートゴロを取ってセカンドに投げればアウトになる場面ならば内野安打になることは非常に少ないしな。

 ただ、このチームの攻撃法はそういう林のような、内野安打が多い打者ために有るかのようなチームでもある。

 猪狩が牽制をする。

 矢部くんはそのまま走って一塁にまで戻る。

 それを数回繰り返し、猪狩がクイックモーションに入るとほぼ同時、

 矢部くんがセカンドへ走り出そうとして途中でそれを止めた。

 偽盗……。

 盗塁と読んでいた近平さんと猪狩は大きくウェストするが矢部くんは走らない。

 これで0-1か。これに惑わされ続けるとカウントは非常に悪くなる。

 バンッ!! と次のボールを高めに入れてストライクを取って1-1になるが、続くボールをウェストし1-2。次のボールのスライダーが外れて1-3。

 そして、1-3から矢部くんはスタートする。

 そのスタートに気を取られたのか、猪狩のボールが僅かに低く入った。

 ズドンッ! と勢いの有るボール。

 それを林は完璧に見極める。

 

「ボールフォア!!」

『フォアボール! 矢部の足が気にかかったかー!』

 

 今のは猪狩のせいじゃない。ウェストした分のボールカウントが無駄なんだ。

 林が手袋を外して一塁に走る。

 

『バッター三番、六道』

 

 ノーアウト一、二塁。バッターは六道。

 すっ、と六道はバットを倒す。

 作戦的には有りだが、三番にバントか……素直に来るとは考えにくい場面だな。

 バントさせてワンアウト取る、っていう選択肢も有りだが、此処は素直に高めに投げさせたらバスターなどもあり得る。

 特に六道は目がいいしバットコントロールも上手いからな。そういう揺さぶりに使うには最高の打者なんだ。

 猪狩が首を二、三度振った後、頷いてボールを構え、腕を振るう。

 ギュボッ!! と高めにボールが投じられる。ライジングショットだ。

 ぐん、と浮かぶボール。

 六道はバットを素早く引いた。バスター!

 ッカァァァンッ!! と快音が響く。

 まずい、完璧に捉えられた……!

 

『打ったー! 打球はセンター前へー! 矢部がセカンドからホームへ! ホームイン! バルカンズあっという間に同点ー!』

 

 打球がセンターの前に落ちる。

 矢部くんが快速を飛ばしホームを踏む。一塁ランナーの林もサードに滑り込んだ。

 センターからショートの友沢にボールが戻ってくる。

 ノーアウト一、三塁。これはまずいな……。

 バッターは猛田。

 猪狩が投げる初球のボールはカーブ。

 それを猛田はしっかりと待ち、見事に引っ張り打った。

 岡村さんがジャンプしてボールを取ろうとするが僅かに及ばない。打球はサードの頭を超えてレフトの左を転々と転がっていく。

 

『カーブを待っていたでしょうか! サードの頭を超えた打球はレフト線を転々と転がっていく! 林が悠々とホームイン! ファーストランナー六道サードへ! バッターランナー猛田がセカンドへー! タイムリーツーベース! バルカンズ勝ち越しー!!』

 

 その間に林が悠々とホームイン、ファーストの六道はサード、打った猛田もセカンドへ滑り込んだ。

 五番は八嶋。

 猪狩が四回首を振って投げた高めのボールを八嶋はきっちり犠牲フライにしてこれで三点目。

 ワンアウト三塁。カイザース一点に対しバルカンズは三点。

 この点差ならまだ何とかなるかもしれないが……どうしたんだよ猪狩。高めのボールを投げて空振り三振を狙うなんて分かりやすい配球、読まれて当然だろ。

 続く南戸がゴロの間に猛田がホームに帰り、これで四点目。

 

『どうした猪狩守ー! 初回四失点ー!』

『バルカンズのペースですよ。足を絡めて犠牲フライやゴロなどで着実に得点していく。去年やられたパターンと全く一緒ですね』

 

 猪狩がマウンド上で汗を拭う。

 猪狩の調子は決して悪くない。

 だが、それ以上に足に揺さぶられて上手い事ボールが投げれてないんだ。

 その原因は、言うまでもない。

 捕手との相性が良く無いのだ。

 近平さんはどちらかと言うと高めを決め球にしたがる傾向があるのに対し、猪狩は高めのボールでカウントを取って低めで決めたいタイプだ。

 だからさっき首を振って無理やり自分の投球パターンに持って行こうとしたんだろう。それを狙い打たれた。

 でも猪狩は無理やり自分の想った通りのリードをさせたがるような自分勝手な投球はしない。それでもアレだけ首を振った。

 ということは、捕手の近平さんのリードに納得がいってないんだろう。

 猪狩が苛立たしげにマウンドの土を踏み固める。

 それを近平さんはじっと見つめるだけだ。

 

「……ッ」

 

 出たい。

 俺がキャッチャーだったら、すぐに声をかけに行くのに。

 お互いのリードの意識の差を言葉で埋めようとするのに!

 なんで俺は此処に居るんだ……!?

 焦るなって言われてももう無理だ。こんな猪狩の姿を見せられてじっとして居るなんてこと、俺には出来ねぇっ。

 

「どうした、葉波」

「……っ」

 

 立ち上がって、監督を見つめる。

 ……俺が出たいと駄々を捏ねても仕方ないのは分かってる。

 それでも出たいんだ。

 あいつらに引き摺り出すと言われた、その思惑の通りになるのは気に食わない。

 けど、それ以上に――俺はあいつを、猪狩を支えてやりたいんだ!

 俺はあいつのチームメイトで、あいつのライバルで、そして何よりも、

 

 あいつの最高の捕手

パートナー

なんだから!!

 

 ぎり、と拳を握り締め、神下監督を見つめる。

 神下監督は俺から目を切り、グラウンドに目をやる。

 そしてふる、と頭を横に振った。

 

「……この序盤で捕手の控えのカードを切り、近平をベンチに下げる。その意味がどういうことか分かるか。葉波」

「チームとしては捕手の保険を失うということですし、近平さんに不信感を与えてしまうことになると思います」

「そうだ。私はチーム全体の士気に関わるような気やすい采配はしない。することは出来ない」

「分かってます。……それでも」

「それでも、それを理解してでも出たいのか」

「――はい」

「何故だ?」

「珍しく取り乱してる猪狩をこっから見るのも楽しいですけど、それ以上に――俺はあいつの最高のパートナーだと自分でも思うし、あいつもそう想ってると思うからです。そして何よりも、あいつで勝たなきゃ、このままバルカンズにやられっぱなしになる。そう思うからです」

「……そうか。……自分勝手だな、お前は」

「そうかもしれません。でもそう本気で思いますよ。俺は。だって猪狩守は最高の投手なんだから。最高の投手で勝てないなら他の投手じゃもっと無理でしょう?」

「…………くく、はは、あっはっはっはっは!」

 

 神下監督は俺の言葉を聞いて大声で笑った。

 それを聞いてチームメイト、コーチたちが何ごとかと俺と監督のほうを見る。

 

「これは一本取られたか。確かにそうだな。猪狩はカイザースのエースだ。そのエースで勝てないのに他の試合で取れば良い、と考えるのは都合の良い考えだな」

 

 くっくっく、と肩をまだ震わせひとしきり笑い、神下監督は鋭い視線で俺を見つめ、

 

「ここまで私に自分をアピールしたんだ。結果は残すんだろうな?」

「当然です」

「ふん、そうか。結果を残せなかったら二軍落ちも覚悟しろ」

「か、監督! 何もそんなプレッシャーを掛けなくても……!」

 

 ……身体が震えた。

 自分の立場を賭けてチャンスを掴む。それが選手である俺の立場だ。

 でも、それ以上に監督も自分の立場を賭けて俺達を使ってくれてるんだ。

 それを意識して俺の身体は震えた。

 もちろん、武者震いだ。

 

「――上等です。そのかわり俺が結果を残したら猪狩とバッテリーを組ませてください。これから先も」

「くくくっ……良いだろう。タイム!!」

 

 神下監督が手を上げてグラウンドに出、審判に何かを告げて近平さんを呼んだ。

 近平さんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、ベンチに戻ってくる。

 

『キャッチャー、近平に変わりまして――葉波』

 

 一瞬のざわめきの後、歓声がこだまする。

 防具に身を包み、俺はグラウンドに飛び出した。

 近平さんが一瞬俺を横目で見た。

 その瞳にはいろんな考えが浮かんでいる。

 チームメイトとして試合の後を託したという俺への期待。

 同じポジションを競うライバルにこんな序盤からポジションチェンジさせられたと言う焦り、屈辱。

 その視線を受けて、俺はまっすぐに猪狩の元へ向かう。

 

『何とカイザース、この序盤でキャッチャーを交代してきました!』

『これは驚きです! そして今、高校時代ライバルだった二人がプロで初のバッテリーを組むことになりましたねぇ。これは楽しみです!』

「……驚いたな。此処で出てくるとは」

「驚いてる暇ねぇぞ猪狩。四失点はダメだろ?」

「う、うるさいな……。悪かったと思っている。流石の僕も頭に血がのぼっていたようだ」

「はは。そうだな。……なぁ、猪狩、七年ぶりになんのか? 俺とお前のバッテリーは」

「……そうだ。七年ぶりだ」

「そうか。なら、七年ぶりに皆に教えねぇとな」

「……何をだ?」

「俺とお前のバッテリーが、最強だってことを、さ」

「――ふ、そうだな」

 

 パンッ、とハイタッチをして、猪狩から離れる。

 ツーアウトランナー無し、バッターは七番の桐谷。

 猪狩のボールを受けれるという期待に俺の身体が震える。ああ、俺、こんなに猪狩のボールを受けたかったのか。

 初球はインハイのストレート。

 最初は猪狩の好きなように投げさせてやらねぇとな。

 猪狩が頷く。

 さあ、来い――お前の本気で投げるボールを受ける感覚を、俺に思い出させてくれ!

 猪狩が腕をふるう。

 ――瞬間、俺のミットを突き破るような衝撃が、俺の左腕に走った。

 ビリビリッ、とミット付近の空気が振動するような感触。

 ああ、これだ。

 身体が震える。

 俺はこのボールを受けたかったんだ。

 

「ストライーク!!」

 

 審判が腕を上げる。

 さあ、次も同じところに投げ込んでくれ。桐谷は内角の速いボールには反応しきれてない。当てれたとしてもファールがいっぱいいっぱいだ。

 猪狩が腕をふるう。

 今度は桐谷がボールをバットに当てた。

 だが前には飛ばない。ファールになる。

 これで追い込んだ。それなら次は低めのフォークで打ちとる。ストレート二球で目は内角に向いているはず。そこに真ん中にボールが来たら嫌でも身体は反応する。フォークだと気づいても無駄だ。

 猪狩が頷きフォークを投じる。

 打者の手前、数メートルのところ。

 フォークはまるでボール自らの意志で落ちたかのような急激さで落下する。

 ブンッ! と目の前で桐谷のバットが空振られた。

 仮に2-0から外してくるかもと思っていてもこのボールならば振ってしまうだろう。それほどの落差だ。

 ……にしても猪狩の奴、より一層エンジン蒸かして投げやがったな。

 

「ナイスボール」

「当然だ」

「けど飛ばしたろ今」

「……ふふ、僕としたことが、お前に受けてもらえるのが嬉しくてつい力を入れてしまうとはな」

「バーカ。……嬉しいのは俺もだよ。……この試合、絶対取るぞ」

「ああ、当然だ!」

 

 猪狩とグローブでタッチし、ベンチに戻る。

 回は二回の表へ。カイザース1-4バルカンズ。

 打順は五番の飯原さんからだ。

 

「やれやれ、なかなかにやってくれるな葉波」

「出してくださってありがとうございます」

「結果を残してくれれば幾らでも使うさ」

 

 ニヤリと笑いながら監督は飯原さんに視線を戻した。

 俺はネクストに移動する。

 ビュッ! と大西の投じたボールを飯原さんがライト前へのヒットにした。

 

「よし!」

「葉波。今日の大西の調子は良くないぞ。ゲッツーを気にせず思いっきり行って来い!」

「分かりました。チャンス作るんで谷村さんもお願いします」

「おお、任せとけ!」

 

 谷村さんはブンブンと素振りをしながら俺に優しく微笑んだ。

 うっし、先輩が後ろにいるんだ。思い切って行くぞ。

 

「久々だな、お前と戦うのも」

「そうだな、パワプロ。だが私は負けないぞ」

 

 短く言って六道が動いたのを背中に感じる。

 大西の一挙手一投足に注目しながら、俺はバットを構えた。

 二遊間の守備範囲は広いが恐れずにしっかり振ろう。基本はセンター返しだ。

 制球は良くない。甘く入ってきた球を捉える。

 大西が腕を振るった。

 低め、見逃す!

 バァンッ! とボールが低めに決まった。

 

「ストラーイク!」

 

 今のは手を出しちゃいけないコースだ。

 大西にボールが帰る。

 調子が悪いといっても球速は出てるからな、振りまけないようにしっかり振らないと打球に押し負けるだろう。

 かといって無理に引っ張ると間違いなく併殺の網にかかる。だったら――

 二球目を大西が投じた。

 アウトコースベルト高。

 ――おっつける!!

 ッカァンッ!!! とボールが一、二塁間に飛んだ。

 林が追う。スタートが抜群に速い、が取れない!

 

『落ちた―! ライト前ヒットー! ランナーこれで一、二塁! ノーアウトでチャンスを拡大させますカイザース!』

『今のは上手く流し打ちましたね』

 

 うし! 一〇〇点!

 谷村さんが打席に立ってベンチからサインを受け取り、バットを構える。

 サインは……バント?

 下位打線に続くこの打順でバントは神下監督にしては非常に珍しい作戦だ。えーと、ああ、そうか。今日九番は猪狩だった。

 猪狩は打撃が野手並だからな。ヒットの確率も計算出来る。ここでゲッツーを打たせて八番の岡村さんってのより、バントして岡村さんがゴロでも一点、という状態にした方がメリット・デメリットの比率を考えてもバントすべきだな。

 特に今日の大西は調子がよくないらしいし、一点ずつ確実に返していく方が相手にもプレッシャーを与える事になるだろう。

 大西の速球を谷村さんがサードに転がす。

 それを確認して俺と飯原さんはそれぞれ二塁、三塁へと進塁した。

 これでワンアウト二、三塁。得点のチャンス!

 さあ、此処で点を取ってプレッシャーを賭けるぞ。

 

「タイム!」

 

 想った所で、神下監督がタイムを告げる。

 ……まさか。

 想った瞬間、

 

『バッター、岡村に変わりまして――』

 

 考えた通りの名前がコールされ、俺は笑う。

 神下監督……貴方はやっぱ、最高の監督だぜ。

 

 

 

 

 

                        ☆

 

 

 

 

 

「春!」

「はいっ!!」

「準備は出来たな! お前の為にお膳立てしたステージだ! 暴れて来い!」

「――押忍!」

「タイム!」

 

 監督が審判に告げる。

 俺はぎゅ、とバットを握って光り輝くグラウンドに飛び出した。

 

『バッター、岡村に変わりまして――春』

 

 コールされた瞬間、カイザース側のレフトスタンドが沸く。

 皆俺に期待してくれている。そのプレッシャーが逆に俺にゾクゾクしたものを湧き上がらせた。

 打席に立つ前に数回素振りをし感触を確かめ、バッターボックスに立った。

 セカンドベースを見る。

 パワプロが何故か嬉しそうな顔で俺を見つめていた。

 自分の事みたいに喜んでくれている――そう思うだけで、何か湧き上がるものを感じる。

 打つ。絶対に。

 

「春」

「……ん、聖ちゃん、よろしくね」

「……ああ」

 

 短く会話を交わし、俺は大西くんに意識を集中させる。

 ――初球から行く。

 どんな変化球が来ても。

 どんな速球が来ても。

 大西くんの球を、打ち返す。

 頭に有るのはそれだけだ。

 大西くんが足をあげた。

 来る。

 無心。

 ただボールがヒットになることを考えて、バットを振るった。

 ッカーン! と音を立ててボールはバックネットに直撃する。

 よし、いい感触だ。捉え損なったけど押されてるってことはない。

 聖ちゃんなら俺のこの反応を見て配球を変えてくるだろうけど――それでも打てる!

 配球が読めるわけじゃないし次の球に当たりをつけるなんて打法、俺には無理だ。

 大西くんが腕を全力で振るう。

 だったら俺にできることはひとつ。

 集中し、

 集中し、

 集中し、

 感覚を研ぎ澄まし、

 ただ飛んできたボールを――捉える。

 

 感触は、無かった。

 

『痛烈な当たりー!! フェンスへ直撃ー!!』 

 

 ただ有ったのは、俺を現実に引き戻すような大歓声と、手を叩きながら戻ってくる二人のチームメイトの姿だ。

 無我夢中で走り、セカンドベースに滑りこむ。

 やった……! 新天地初打席でしっかりと決めれた!

 そう想った瞬間、俺は拳を握りしめ、天へと突き立てていた。

 それに応えてくれるように歓声が沸き起こる。

 ベンチの方を見ると、パワプロがにっこりと笑いながらビッと指を立てて俺に笑ってくれた。

 俺はそこで確信する。

 

(此処でなら……俺は、輝けるかもしれない……)

 

 この仲間たちと一緒になら、きっと。

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 春が決めた。

 これで4-3。尚もチャンスでバッターは猪狩。

 ここは進塁だけでもいい。次は明石さんの打席だ。一打席目で良い当たりしてたからな。

 

 ッキーン!

 

 えっ。

 

「えっ?」

「えっ?」

「むっ」

 

 友沢、蛇島、神下監督の順番で声を出す。

 おいおい……。

 ゴンッ!! と猪狩が捉えた打球がスタンドに落ちる。

 マジかよこいつ、俺達の活躍全部持って行きやがった!

 

『は、入った―!! 投手猪狩の逆転ツーランホームラーン! カイザース逆転ー!!』

『恐れ入りました。完璧です』

 

 指を突き上げながら猪狩がホームを踏み、ベンチへ戻ってくる。

 これで4-5と逆転した。……恐れ入るぜ、こいつには。

 

「ナイスバッティング」

「これで失敗分は取り返した。後は相手選手たちを撫で切りにしていくだけだな」

「頼りになる相方で安心したぜ?」

 

 相川さんがショートフライに終わり、これで二回の表が終了。

 二回の裏は八番の田中からか。

 春がそのままサードの守備つく。監督も思い切った事するな。まだコンバートしたてだってのに。

 まあいい、俺が出来るのは無失点に抑えるよう最善のリードをすることだけだ。

 

「猪狩、決め球は低めを攻めてくぞ」

「ああ、当然だ。フォークかスライダー当たりか?」

「いや――ライジングショットを低めに決める」

「何……?」

「浮かび上がるストレートを低めに投げるとどうなると思う?」

「……そりゃ、ストライクゾーンに入ってくるだろう」

「そういうことだ。ストレートとの二択ならどうだ」

「……そのままボールゾーンを通過するストレートか、ストライクゾーンに入ってくるライジングショットを見極めなければいけない」

 

 流石に察しが良い。

 打者としても優秀なお陰で打者の気持ちも分かるってのもあるが、猪狩は頭も良いからな。こういう回りくどい言い方をしても理解してくれる。

 

「ライジングショットを相手にして想ってたことが常々ある。確かに高めに投げられるのも厄介だが、ライジングショットの本質は低めに投げることにあるんだ」

「……ふむ、どういうことだ?」

「高めのボールは視線の高さに近いから伸びてくるのを体感として捉えやすい。言い方を変えればストレートとライジングショットの見分けが付きやすいってこと」

「確かにそうだな」

「ああ、そしてもう一つ。ストレートだと判断し目線を上げた状態で、ライジングショットだったらその視線をもうボール一個分程上げて対応すればいいだけになる。これじゃ効果的とは言えない」

「うむ」

「では、それを低めに投げたらどうなるか。……打者は低めの球を視る為視線を下げる、だが、下げた所でライジングショットなのでボールがホップしてくるよな」

「! そうか……下げた視線をもう一度上げるしか無い」

「そういうことだ。一度下げきった視線をもう一度ライジングショットのライズした分、視線をあげようとしてもどうしても一連の流れではできない。その分始動が遅くなる――つまり振り遅れるんだ」

「二択を強いた上にその要素が入れば……」

「ああ。……でも、あくまでこれは推論。実際に使ってみないとな」

「分かった。お前に任せるぞ、パワプロ」

「任せてくれ。ランナーを出したとしても絶対に走らせないから」

『バッター八番、田中』

 

 グローブ同士をタッチして、猪狩と別れる。

 さて、こればっかりは推論で語ってても仕方ない。実際に使ってみて俺の予測通りなのを願うばかりだぜ。

 ちょうど打順も下位の八番から。試す絶好のチャンス。

 まずは初球、ライジングショットを低めに。

 これで打者の様子を見る。実際に打ちづらそうか試してみないとだしな。

 猪狩が腕を振るう。

 低めに投げられたボールにバットを動かして田中が反応した。

 

『ストラーイク!』

「っ」

 

 今のをボールだと想った。つーことは目がついてけてないってことだ。

 猪狩にボールを投げ返す。

 今度は低めにストレート。同じ所に投げてくれよ。

 猪狩が見事なコントロールで俺が構えた所に投げ込む。

 猪狩の持ち味はスピードとコントロールを両立させてることだよな。どんなボールでも構えた所に大体投げ込んでくれる。

 今度は田中がバットをスイングした。

 だが今度はただのストレート、ボール球からストライクゾーンにホップしないボールだから当たらない。

 

「……くっ、今のは振らなきゃボールですか?」

「ああ、ボールだね」

 

 田中が審判に質問し、その答えを聞いて更に悩みを深めたようで、眉間にシワを寄せながら一度打席を外し素振りを始めた。

 良いぞ、すげぇ悩んでる。

 同じコース同じボールで初球は見逃してストライク。二球目は見逃せばボールだったわけだからな。

 でも田中だって知ってる筈だ。猪狩の決め球を。

 

「……!」

 

 田中が気づいた様子で打席に戻る。

 これで田中は低めのストレート系をライジングショットかストレート、どっちかと見極めてくるはずだ。

 さて、問題は次。低めのライジングショットが伸びてくるとわかっている状態で、どう対応されるか。

 実験みたいで悪いけどこればっかりは実践で使わないと分かんねーからな。頼むぞ。

 猪狩がライジングショットを投じる。

 低めに来たボール。

 田中が迎え打つようにバットを振るう。

 田中のバットの数メートル手前。

 

 グンッ!! とボールがホップする。

 

 その変化に田中はついていけない。

 ッパァンッ!! と俺のミットをボールが強く打った。

 ――行ける。

 このボールの攻略には友沢レベルで有っても相当苦労するだろう。

 

「ストライクバッターアウトォ!!」

『空振りさんしーん!! 凄いボールが低めに決まりました!』

 

 これに変化球を交えれば相当打ちづらい。天下一品のフォーク、スライダーにストレート、そしてこのライジングショット。

 ぞくん、とまるで背中に氷を入れられたような感覚が走る。

 俺はこの投手と一緒に戦えるんだ。一球一球大事にしてかないとな。

 

『バッター九番、大西に変わりまして、バッター斎藤』

 

 おっと、此処で代打を起用してきた。調子悪かったからな、仕方ないか。

 斎藤のデータはあんまりないけど、ストレート系にはめっぽう強い筈。

 それならばスライダーを軸にしよう。

 アウトローにスライダーを決める。

 

「ストライク!」

 

 初球見逃してきたか。

 スライダーだったからだろうな。ストレート一本に絞って待ってるんだろう。それなら次はカーブを使おう。

 ぐおん、と大きく曲がるカーブに手を出しかけ、斎藤はバットを止めた。

 

「ボール!」

 

 今の球に反応するってのはどういう事だ? 思わず反応したにしても、待っていたボールが来たにしてもバットが止まるのが速いぞ。

 神童さんに教えてもらった時、思わず反応した時は“ボールを確認する為、止める動作にラグが生まれる”ので、スイング判定ギリギリになるし、打者が待っていたボールが来て反応した時に動いてしまった時にはスイングを止める事は難しいっていってた。

 頭ではわかってるんだけど、身体がそのボールに対して準備しているが故に身体は大きく反応してしまう、ってな。

 今の斎藤は代打で一点差ってのも含めて考えると、どっちかと言ったら自分の得意な球種……つまるところストレート系統で待ってた筈なんだけど……、……ふむ、ストレートで待ってるが故か。変化球を待ってると見せかける為の誘いスイングか?

 もう一球、今度はフォークを使う。ベースの上から落とせば空振るぞ。

 勢い良く放たれたボールが一気に落下する。

 ブンッ! と斎藤がそのボールを空振った。

 と同時に勢い良く落ちたボールはベースに直撃して高く跳ねる。

 うおー、すげーすげー、真ん中から落とさせたのに一気に落ちてベースにワンバンしたぜ。なんつー角度。

 さて、これで追い込んだ。2-1だからストライクゾーンを広げて際どいボールは振ってくる。

 斎藤は待ちは変えてないものの変化球でもストライクゾーンに来たら振らないといけないから、変化球に対する対応もある程度頭に入れてる状態だ。此処で投げる球は一つ。

 

 低めのライジングショット!

 

 グオンッ! と猪狩が左腕を振るった。

 キュ――ンッ! とレーザービームを思わせる伸びの良さでボールは低めに投じられる。

 斎藤が腕をふるった。このコースは振らなきゃダメだ。

 そこからボールが上にライズする。

 

「――!」

 

 スパァンッ!! と猪狩のボールを抑え込む。

 空振った斎藤が慌てて俺のミットの位置を確認しようと振り向いてくるが、俺はすぐに立ち上がって構えを解いた。

 

「ストライクバッターアウトー!」

『ツーアウト! 空振り三振ー!』

『この低めの球、凄いですよ。並の打者じゃちょっと当たりませんね』

「おっけー猪狩! 次の打者注意な!」

「ああ」

『バッター一番、矢部』

「……こうしてパワプロくんの敵になるのはとても複雑でやんすね」

「矢部くん……ああ、ホントだな」

「オイラ、何故かパワプロくんとはずっと仲間でいると想ってたでやんす」

「俺も、矢部くんが敵になるなんて考えたこともなかったよ」

 

 矢部くんが打席に立つ。

 矢部くんがランナーに出ると一気に走られて流れが変えられるかもしれない。此処は全力で抑えないと。

 初球はとりあえずインローにライジングショットを投げよう。矢部くんのことだ。スライダーカーブ当たりなら拾って打てるだろうし、フォークは投げ損ないが怖い。ただのストレートなら流し打つだろう。

 敵にしてみると更に分かる。矢部くんは凄い。

 あの猪狩のスライダーを、ストレートを打っていったのは矢部くんだ。そのイメージがあるからかもしれないが――矢部くんの苦手コースが見えてこない。

 パァンッ! と低めのライジングショットを捕球する。

 

「ストライクー!」

 

 とりあえずこれは見逃したな。狙いはストレート系では無さそうだ。

 なら次もストレートでカウントを取ろう。一番遠い所、アウトロー。ここなら追っつけて流し打とうとしても猪狩の球威に押されてサードへのファールになるはずだ。

 ズドォンッ!! と凄まじい球威のストレートがアウトローに突き刺さった。矢部くんは動かない。

 

「ストライク!」

 

 猪狩もこの打者は要注意って分かってくれてるみたいだな。

 これで2-0……一気に追い込んだが、矢部くんがここまで動かないのが気になる。

 だが2-0だぞ。ほとんど投手有利だ。……此処はフォークを落として空振りを狙うか。

 猪狩が頷く。

 流石にこのフォークは矢部くんでも打てないだろう。

 ビュッ! と猪狩がボールを投じた。

 それに対し矢部くんはバットを出してくる。

 このボールをヒットにしてみろ矢部くんっ……!

 矢部くんの手前でボールが落下する。

 矢部くんはそのボールにバットを軽く命中させた。

 

 コンッ、という軽い音。

 

 軽く当てられたボールはピッチャーの横を高くバウンドしてサードに飛ぶ。

 なんだこの打撃。軽く当てることを目的としてみたいな……あ。そうか。サード守備が初めてで不安のある春を最初から狙って……!

 

「任せて!」

 

 春が声を上げて猛然とダッシュする。

 バッ、と春はバウンドしたボールを素手で取りファーストへ送球した。上手い!

 

「ヘイ!!」

 

 ドリトンが身体を伸ばしその送球をキャッチするが、遅い。矢部くんはその前にファーストを駆け抜けた。

 

「セーフ!!」

『内野安打ー! 矢部、守備に不安のあるサードの春を狙ったでしょうか!』

『いやでも今のは惜しいですよ! ショートに比べたら全然動きが良かったですね、春選手は!』

「くっそー!」

「いや、ナイス守備だぞ春! 次はアウトに出来る! 頼んだぜ!」

『バッター二番、林』

 

 今の守備を見るにサードに不安は無さそうだな。頼りに出来そうだ。

 さーて、出したくないランナーを出しちまったな。次のバッターは林か。

 

「よろしくね、葉波くん。打っちゃうから」

「ああ」

 

 相変わらず人懐っこそうな笑みを浮かべながら、林は打席に立つ。

 さて、問題は林というよりランナーの矢部くんか。

 矢部くんは塁周辺の土の部分から、天然芝の部分に足を出し、ザッザッと足場を固めた。

 走る気満々だな。

 猪狩がじっと矢部くんを見る。

 相当気にしてるか。昨年から矢部くんには走られまくりだからな。

 

「猪狩! お前はクイックで投げるだけでいい! ランナーは俺に任せろ! 絶対に刺す!」

「……ふふ、やってみるでやんすよ! ずっとパワプロくんから走りたいと思ってたでやんすから!」

 

 ニヤリ、と矢部くんが笑う。

 なるほどな、この場面を待ってたってことか。

 それなら、その勝負――俺が勝つ!

 じりっ……と矢部くんが投手の様子に集中する。

 とりあえずまずは牽制

ピックオフ

しとくか。

 ビッ! と猪狩がファーストへ牽制する。こいつ、牽制までうめぇなぁ。

 矢部くんは頭から滑りこんでファーストに帰塁した。

 うーむ、アウトに出来る気配はないな。矢部くんのやつ、戻るのも上手いぜ。

 盗塁の基本はスタート、スライディング、スピードなんて言われる。そのうちスタートはこうやって戻る技術にも自信がないと思い切ってスタート出来ないからな。

 じりりっ……再び猪狩の動きに矢部くんが集中する。

 幾ら牽制しても無駄だ。矢部くんは投手からの牽制じゃ刺せない。

 猪狩が投球に入る。

 それと同時に矢部くんがスタートした。

 が、戻る。

 スパァンッ!! と低めのストレートを林は見逃した。

 

「ボール!」

「猪狩! 低めにはずれてんぞ! バッター集中!」

「ああ、分かってる!」

 

 猪狩にボールを返す。

 分かってるっつっても投手の性だな。どうしてもランナーのスタートに気を取られて微妙にコントロールがズレるか。

 にしても偽盗をやってくるか。投手の牽制じゃ刺されないって自信があるからかマジな盗塁のスタートみたいだ。あれじゃ投手も捕手も野手も浮き足だっちまうのも無理もない。

 投手の牽制じゃ、な。

 二球目もストレート。今度もストライクゾーンを狙ったボールだが、今度は絶対入れてくれよ。0-2になったら一気に矢部くんと林に有利になっちまうからな。

 猪狩が投球に入ると同時に再び矢部くんがスタートした。

 そして途中で動きを止めファーストに戻る。偽盗。

 

 偽盗二回。それは調子に乗りすぎだぜ矢部くん。

 

 低めのストレートを捕球し素早く右手にボールを掴む。

 そしてファーストに向けて腕をふるった。

 

「! 矢部くんバック!」

 

 たまらず林が声を上げ、

 

「ッ!」

 

 矢部くんが頭からファーストに滑りこむ。

 ドリトンが俺から投げられたボールを捕球し矢部くんの腕にタッチした。

 

「セーフ!」

『セーフ! 間一髪! 葉波から電光石火の牽制球ー!』

「っふ、ぅ、ビビったでやんす」

 

 惜しい、が、刺せなくてもいい。これで容易に偽盗なんて出来なくなるだろう。

 猪狩にボールが戻る。

 1-1。次はスタートしてくる。

 高めにストレートだ。

 猪狩が投球フォームに入ると同時に矢部くんがスタートする。

 今度は偽盗じゃない。本物の盗塁だ。

 刺す――!!

 セカンドに向かって腕をふるう。

 放たれたボールはベースカバーの友沢のグローブ目掛けて飛び、そのグローブに収まった。

 友沢が勢いそのままに矢部くんの足にタッチする。

 

「――セーフ!」

『盗塁成功ー!』

 

 チッ、惜しい。後一歩だったか。

 でもあのタイミングのスタートで刺されないのはそれこそ矢部くん位だ。外の選手はもう簡単には走れないはず。

 思いながらマスクをかぶり直すと、林が俺をじっと見つめているのに気がついた。

 えーと……、

 

「どうした?」

「……今のタイミングでのスタートなら、悠々セーフでもおかしくなかった。……でも、今のタイミングでギリギリセーフ……スローイングの正確さ、肩の強さ、投げるまでの速さがないと出来ない芸当だよね。そこまでの技術をどこで……?」

 

 林が俺に問う。

 そうだな。別に隠すことでもないか。

 

「ちょっとアメリカで、かな」

「え?」

 

 驚いた表情で林が聞き返す。

 こいつの驚いた顔は面白いな。

 今の投球はストライクだった。これで2-1と追い込んだ状態だ。

 

「ほら、集中しないと三振だぜ? 林」

「う、ぐ……分かってる」

 

 林は言いながら猪狩に向き直るが、明らかに集中出来てない。

 これなら低めのライジングショットで――

 

「ストライク! バッターアウト! チェンジ!」

「えっ、入っ……!?」

 

 ――打ち取れる。

 ッパァンッ!! とミットを吹き飛ばしそうな程の勢いのボールを抑えこむ。

 審判が声を上げてアウトを宣告すると、信じられないものを見るような顔で林が呆然とその場に立ち尽くした。

 

『見逃し三振チェーンジ!! 低めへの直球一杯!』

『今のボールは打てませんよ!』

「っし!」

「ナイスリード、だな」

「じゃあ、ナイスボールで」

「じゃあ?」

「ナイスボール以上の言葉を探したけど、恋恋高校バカコンビの俺じゃいい言葉が思い浮かばなかったんだよ」

 

 ニヤリ、と笑って猪狩とグローブを立てる。

 猪狩は珍しく満面の笑みで俺のグローブに自分のグローブをパシ、と当てた。

 

「低めのライジングショットは使えるな」

「ああ、僕の打ち取り方にもマッチしている」

「今日はもう打たれる気がしないし、向こうも打てる気はしてないだろ。……一気に決めるぞ」

「もちろんだ」

 

 猪狩は頷く。

 もう主導権は渡さない。このまま九回まで終わらせるぞ!

 

 

 

 

 

 

                           ☆

 

 

 

 

「ストライクバッターアウト!」

『ゲームセット! 最後は一ノ瀬が三人で締めてカイザースが勝利! バルカンズ決死の継投で更なる失点は防いだものの、打線が奮わず! 打線カイザースが逃げ切りましたー! 今日のヒーローはもちろん! 猪狩守選手です! 八回四失点ながら逆転の2ランホームラン! 素晴らしい活躍でしたね!』

 

 脚光を浴びる猪狩守を見つめながら、林はベンチに座っていた。

 ――矢部くんの言っていた通りだ。葉波くんはものすごく手強い。

 恐らく、明日はスタメンマスクで来るだろう。先発予想は久遠だ。

 

(明日こそは、負けない)

 

 林は自分に言い聞かせるようにしてベンチから立ち上がる。

 ドラ一で最初から注目されて、アメリカに渡るような英才教育をされてきたような葉波や猪狩には負けていたくない。

 育成枠から這い上がって今やっとここに立つ自分と、ドラ一で最初からステージが用意されていたような男達。

 彼ら相手にそう易々と負けを認めるわけにはいかない。彼らの実力を認めてるからこそ負けたくないのだ。

 この足を使ってそういった実力者を倒す――。

 林には矜持

プライド

がある。この足を止められるわけには行かないのだ。

 猪狩がインタビューを受けるその光景を眼に刻み、林はその場を後にする。

 全てはその光景を糧に、明日の勝利を掴むために。



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第三九話 バルカンズ “二年前五月六日→現代、五月二日”林啓介と白井雪と支えになるもの

遠まわしにですが、性的な描写があります。
苦手な方は気をつけてくださいませ。
それでも読んでやるよクソが! という方は是非お読みくださいませ!


 それは、僕がプロ野球の世界に足を踏み入れた事を思い出すと、最初に思い出す記憶だ。

 

『でもさ――育成枠なんだろ? それでプロっておかしくね?』

 

 育成ドラフトで告げられた時、多分、そいつは僕のことを心配していったセリフだと思う。

 それでも僕の心に突き刺さるような言葉だった。

 プロ入りの道が開けた歓びと同時に、本ドラフトで入った選手との間の決定的な差を感じた時のこと。

 三年間で結果を残さなければ自由契約になるというその過酷さ。それだけじゃない。選手としての待遇は支配下の選手とは全く違う。

 契約金は支払われない。支度金という名目でもらえる数百万円と、二五〇万円の最低年俸だけ。

 けれど、そんなものはどうだっていい。一番辛いのは、

 練習施設が使えるのは一番最後で、

 二軍の試合のチャンスすら僅かしか貰えない。

 野球がおもいっきりも出来ず、僕は野球する意欲を、失っていった。

 二年前。三年目のある日。

 そう、あの時、彼女に出会ったことで僕は変わったんだ。

 ――これは彼女と出会う、僕の物語。

 

 

 

 

                playback――二年前、五月六日、バルカンズ二軍球場。

 

 

 

 

 

「林。どうした? 最近五〇M走のタイムが落ちてるぞ」

「……そう、ですか」

「……古傷が痛むのか? 確か高二の時膝をやったよな。その時の傷か?」

「……いえ」

「……はぁ、やれやれ、明日は休め」

「え?」

「お前にゃ目を掛けている。不調なんだ。たまにはリフレッシュしてこい。育成枠だからなんだと遠慮せずに根を詰め過ぎるとケガをするぞ」

「分かりました」

 

 二軍コーチの言葉に曖昧に頷いて、僕はその場を後にする。

 入団してから一年が経った。

 何とか一年、死に物狂いでやってみたけれど支配下枠には入れず、春のキャンプも二軍スタート。……成長してる気が全くしない。

 そんな中でリフレッシュしろって言われても……何をすればいいんだろう。別のスポーツでもやってみようか。

 そういえば昨年末、納会のゴルフやったっけ。適当にゴルフ場でスイングでもしてれば気分晴れるかな。

 想い、僕はグラブを握り近場のゴルフ場へと車を走らせた。

 到着して荷物を下ろす。

 本当に僕何やってるんだろう。こんなことやってる場合じゃない。ひたすらがむしゃらに野球に打ち込みたいのに。

 そんなことを思いながら一〇〇球用のカードを買い、打ちっぱなしに出たと同時に、

 

 スパァン!! という快音と、その華麗なフォームが僕の目を奪った。

 

 真芯を撃ちぬかれたゴルフボールが遥か遠くへ飛んでいく。

 ドローというんだっけ。山なりを描きながらボールは遥か遠くにあるネットにぶつかった。

 ポニーテールが揺れる。

 僕はゴルフ初心者だけれど、凄いということは分かる。

 芯がズレない安定したフォーム。真芯を捉える技術、クールな印象を与えてくる容姿や、流麗な髪の毛をまとめたポニーテールにも目が行ったが、それ以上に、僕はそのフォームに心を奪われたのだ。

 

「……なに?」

「いや……綺麗なフォームだな、と思って」

「……そう」

 

 僕の視線が気になったのか、彼女は短くそう答えて何度も丹念に素振りを繰り返し、ゴルフボールを再びゴルフクラブで打つ。

 先程と寸分変わらない完成されたフォーム。……間違いなく、彼女はプロゴルファーだ。

 

「あ、あれ白井雪だ」

「あぁ、プロの」

「白井雪……」

 

 そういえば新聞で見たことがある。学生の時にプロの大会で優勝してそのままプロになり、プロ後あっという間に二勝したゴルフ界のホープ。

 僕とは違う。彼女もまた将来が約束されたスターの一人。

 そう考えただけで、身体の血が沸騰しそうだ。――僕は才能に恵まれている人達に嫉妬しているんだ。

 恵まれている。あの時ケガさえしなければ、僕だってスターへの道を歩けたかもしれない――。

 そんなみっともない嫉妬心を隠すように僕は彼女から目を離し、少し離れた所にゴルフクラブを立てかけた。

 僕にあるのはただこの足だけだ。打撃も守備も支配下レベルからは程遠い。

 それなのに僕はどうして今ここに居るんだろう。あんなにも野球に打ち込めないと思っていたのに、どうして自分は野球をしていないのだろう。

 どうして――。

 カコンッ、と芯を外したボールがあらぬ方向に飛んでいく。

 止まっているボールすら、僕は満足に打つことが出来ないのか。

 

「……上半身が動いてる」

「え?」

「上半身が動いているから、打点が変わってそんな打ち方になる。上半身は固定して、足は肩幅に開く」

「え、と」

 

 いつの間にか白井雪が、僕の後ろに立っていた。

 教えてくれるみたいだ。

 動かない僕をじっと見て、白井雪は小首をかしげる。

 

「……どうしたの?」

「……どうして、教えてくれているのかなって」

「少し気になったから。……林、啓介」

「え? あれ? どうして僕の名前……?」

「ゴルフバックに書いてある」

「あ、そっか……」

 

 プロ野球選手で見たことがある、とかじゃないのが少し哀しい。

 でもどうして教えてくれるつもりになったんだろう。白井雪はプロだ。わざわざトーシロの僕に教えるだなんて時間が勿体ないのに。

 

「あの」

「プロスポーツの選手でしょう?」

「……そう……なのかな?」

「しっかりと身体鍛えてるのが分かる。背が小さいけれど」

「うぐ」

 

 き、気にしてるのに……!

 白井雪と比べても僕の身長は低めだ。彼女のほうが少し大きいかもしれない。

 女性より背丈が低いって男性としてはかなり気にしちゃうな。

 

「それで、どうしてプロスポーツ選手って断言しないの?」

「それは……野球選手なんだけど」

「プロ野球? ……凄い。どうしてそれを誇らないの?」

「僕は育成枠だからね」

「育成枠……?」

 

 野球の事に詳しくない女の子に育成枠だとかいっても伝わらないか。

 わざわざ自分の立場を説明するようで嫌だけど、小首をかしげる仕草が可愛いしそれを邪見に扱う事も僕にはできそうにないや。

 

「育成枠っていうのは、戦力にまだなりそうにないから、キープしておいて育てようとチームがとりあえず保有している選手みたいな感じかな。三年以内に結果を出さないと、大体がクビになっちゃうんだ」

「……そうなの……。……じゃあ、どうして、練習していないの?」

「ッ」

 

 彼女の言葉が胸を刺す。

 それは何度も自問した言葉だった。

 

「それ、は」

 

 答えられない。

 彼女の言葉は真理だ。僕は野球選手なのに、どうして野球をしていないんだろう。

 

「気分転換で、少しゴルフを」

「気分転換?」

「……色々とうまく行かなくて」

「そう」

 

 その言葉を聞いて彼女は黙る。

 その沈黙が痛くて僕はゴルフクラブをがむしゃらに振るった。

 ボールの芯にクラブは当たらない。

 

「……そんなんじゃダメ。一球ごとに集中しないと、ボールにはしっかりと当たらない。……力を抜いて」

「え、あ……」

 

 きゅ、と彼女の白魚のような細い指が僕の手に振れる。

 硬い指先。

 こんなにも手は柔らかそうなのに、手のひらはタコでカチカチだ。

 

「握り方は親指を……」

「……ねぇ」

「何?」

「手、触っても大丈夫なの?」

「? 何が?」

 

 どうやら男とか女とかそういう風には意識してないみたいだ。

 ふわりと鼻孔に香る甘い匂い。彼女の匂いだろうか。化粧とかするタイプじゃないみたいだけれど香水はつけているのだろうか。

 ってそんなことはどうでもいいか。せっかく気分転換しようと想ったんだ。どうせなら気持ちよく打ちたい。

 

「これで、上半身を固定する。イメージは上半身の動きのみで打つ。力はインパクトの瞬間だけ。やってみて」

「うん」

 

 彼女が離れたのを確認して、言われたとおりにスイングする。

 ヒュパァンッ! と音を奏でてボールは飛んでいった。

 

「ナイスショット」

「……うん、ありがとう」

 

 初めて会心の当たりを打った気がする。ゴルフって芯に当たるとこんなに気持ちいいんだ。

 

「凄く良い気分転換になりそうだよ。……ゴルフって上手く打てると楽しいんだね」

「! ……うん、そう。コースを回ってるともっと楽しくて、想ったとおりに打てるととても嬉しい。ゴルフ、好きになった?」

「ぁ……う、うん。好きになったよ」

「良かった」

 

 白井雪はこくん、と頷いて、にこ、と可愛らしい笑みを浮かべた。

 ――その時の彼女の顔を、僕は生涯忘れない。

 

「そっか。ありがとう」

「いい。私も気分転換になった。ありがとう林くん」

「あ、うん。えっと……」

「雪でいい」

「そっか。じゃあ、雪ちゃん」

「うん。じゃあ、私は練習に戻る」

 

 軽く会話をして、雪ちゃんと別れる。

 気分転換、か。

 今までは野球をひたすらにやることが野球を上手くなる一番の道だと思っていたけど、そうじゃない。

 野球に集中するために必要な事は他の所にも色々ある。しっかり休んだり、気分転換してリフレッシュすることも大事だ。

 

「……頑張ろう」

 

 自分に言い聞かせ、己を奮い立たせる。

 きっと僕なら支配下枠に入って、プロでも結果を残せる。思いつめずに頑張っていこう。

 

 

 

 

                       ☆

 

 

 

 

 雪ちゃんと出会ってから数日後。

 一時から試合がある日の朝、食事を摂り終えた僕は何気無く新聞を開いた。

 

「ッ! なんだこれ。……『白井雪、予選落ち。スポンサー離れも』……」

 

 ゴルフというスポーツは野球のように球団が有るわけじゃない。

 個人にスポンサーが付き、そのスポンサーの道具を使用する代わりに契約料がもらえるのだ。それが年俸のようなものだと勝手に解釈している。

 雪ちゃんは若干十七歳でプロで優勝、プロ転向後二連勝してあっという間に世間を虜にした日本を背負うプロゴルファーとして持て囃されていた。

 でも、最近の雪ちゃんは不調だ。予選落ちを繰り返し本戦にすら出れないような状況が続いている。

 

「……評論家の丹羽氏は『基本がなっていない。運良く勝てたのを周りが持て囃してダメになってしまった』と話す。……そんなことない」

 

 ぐしゃ、と新聞を握りつぶす。

 こいつらに雪ちゃんの何が分かるんだ。

 あの時“ゴルフが好きだ”“上手く打てると嬉しい”って。

 ――僕がゴルフが好きになったといっただけで、あんなに嬉しそうに笑っていた彼女がダメな訳がない。

 基本が出来てない訳がない。技術論云々より一番大切なのは、一番の基本となることは、そのスポーツが好きかどうかじゃないか。

 ……あ。

 そこまで考えて、僕は気づく。

 それは、僕自身の事だ。

 野球が大好きで始めた筈なのにいつの間にか生き残るために必死で苦しみながらやってた。

 どうせスターとしての道が用意されている選手達には敵わない、そんな事を思いながら。

 ……僕はバカだ。

 こんな大切なこと、雪ちゃんが言われてる事で気づくなんて。

 

(…………最初からスターとして道が用意されていたとしても、それは彼らが僕より頑張った結果じゃないか)

 

 雪ちゃんだってそうだ。

 僕が行った日にたまたま練習してたなんてこと有る訳がない。

 それに僕に教えてくれようと手を握った時、彼女の手はあんなに硬くて、タコが一杯できていた。それだけ毎日クラブを振り込んだんだ。

 ぎり、と手を握り締める。

 悔しい。支配下枠の選手に負けていることが。雪ちゃんの努力が運が良かったという言葉で片付けられることが。

 そして何より、自分がその最低な評論家と同じように“支配下枠になった奴は運が良い。ケガをしなかったんだから”なんて思っていたことが。

 僕は、弱い。

 

「……くそっ」

 

 ばさっ、とその場に新聞を置いて僕は立ち上がる。

 雪ちゃんは大丈夫かな。

 車に飛び乗り、ゴルフの練習場に急ぐ。

 大会で負けたというのなら彼女と知り合って間もない僕でも分かる。きっと練習しているはずだ。

 車から降りて、打ちっぱなしの練習場に走る。

 周りを見回す。――居た。

 端っこの方で、雪ちゃんは何かを振り払うようにクラブを振るっていた。

 その顔には焦りが見える。……当たり前だ。まだ一九歳の女の子なんだ。それが評論家にダメだと言われたり、スポンサーに降りられるだなんて報道をされたら焦るに決まってる。

 ……なんて、声をかければいいんだ。

 “ドンマイ”“次があるよ”“気にしないで”。

 そんなありきたりな言葉なんて、彼女は聞き飽きてるだろう。

 そんな彼女に僕はなんて言えばいい?

 なんて言ってあげればいい?

 

「雪ちゃん」

「! ……林くん。……何?」

「新聞見たんだ」

「そう。……それで、どうしたの?」

「……前はゴルフを教えてくれたから、お礼に何処か行こうかな、って」

「いい、練習しないといけないから。貴方がゴルフを好きになってくれただけで、お礼は要らない」

「そっか。……でも、だめだよ。雪ちゃん」

 

 ぐ、と彼女の手を掴む。

 彼女は少し驚いた様子で手を引っ込めようとしたが、僕はその手をぎゅっと握って離さない。

 

「な、何?」

「雪ちゃん。今……ゴルフするの、楽しい?」

「――っ」

 

 僕の問いに彼女は身体をビクッとさせ、目線を落とす。

 

「…………わから、ない」

「ホントに?」

「……っ、そうっ。分からない。だから、離して……!」

 

 彼女が僕を睨んだ。

 手を振り払おうと雪ちゃんがもがく。

 僕はそんな彼女の手を離さない。

 伝えたい事があるんだ。

 それで彼女がどう想うかは分からない。でも、伝えなくちゃ行けない、そんな気がする。

 

「僕はね。野球をするのが辛いよ」

「え」

「小さな頃からボールを追って、あんなに楽しく一生懸命にやってたのに――いざプロになったら、全然楽しむ余裕なんて無かった。僕には野球しかないのに」

「……うん」

「必死で努力しているつもりなのに上手く行かなくて」

「うん……」

「もがけばもがくほど、空回りしてもっと上手く行かなくなって、周りの期待が重くて、それに答えられない自分が情けなくて」

「……う、ん」

「だから、あんなに楽しんでたのに、今はとても辛いんだ」

「……。私も、そう……本当は分かっているの。……ゴルフが、辛い。そう想う自分が嫌。ゴルフは楽しい。そう言い聞かせてるのに、上手くいかないから……」

 

 雪ちゃんが俯く。

 ああ、やっぱりそうなんだ。彼女も――僕と一緒だ。

 きっと誰もが一度はそう想う。好きなことで上手く行かなくて、辛い、しんどい、もうやりたくないって。

 そんな想いを乗り越えてもう一度一心不乱に前にすすめる人が、あの舞台に立てるんだ。

 

 ――光り輝くあのグラウンドに。

 

 経歴なんて関係ない。ドラフト一位と育成ドラフト出身者に違いなんて無いんだ。

 違いがあるとしたら、それは。

 

「雪ちゃん。僕、頑張るよ」

「……?」

「雪ちゃんに教えてもらったんだ。僕に足りないのは運じゃなくて実力なんだって」

「そう、なの?」

「うん。でも、負けられない。今日二軍の試合があるんだ。良かったら見に来て欲しい。気分転換になるだろうし。ダメかな」

「……分かった、見に行く」

 

 雪ちゃんが頷いてくれる。

 うん、良かった。

 雪ちゃんが見ていてくれるなら、僕は頑張れる。そんな気がする。

 

「……でも、ギリギリまで練習していたいから、試合が始まる時にどこに行けばいいかとか、教えて欲しい」

「あ、そうだね。えと、じゃあ、どうしよう……ケータイの番号とメールアドレス、教えてもらっていいかな?」

「うん」

 

 頷く雪ちゃんと、赤外線で番号の交換をする。

 

「それじゃ、僕は行くね」

「……何処かに行かなくて、いいの?」

「あ、そうやっていってきたんだったね。ごめん。でも、見に来てくれるだけでうれしいから」

「分かった」

「うん。じゃあ、練習頑張ってね。ケガしない程度に」

 

 こくん、と頷く雪ちゃんに微笑んで、僕は歩き出す。

 今日の試合は絶対に出場しなきゃ。

 車で球場入りする。

 ユニフォームに着替えて、僕は監督室に急いだ。

 

「おーう。どうした林」

「監督、お願いがあります。……今日、出場させてください!」

「……どうした、いきなり。お前そんな事言うタイプじゃなかったのに」

「お願いします! 僕の実力が今どんなものなのか……見てみたいんです! 一軍まで後どれくらいあるのか、確かめたいんです!」

「! …………分かった。だが、使う以上はスタメンだ。その準備はできてるのか?」

「僕は――いつでも行けます!」

「よし!」

「い、いいんですか! 監督! 今日二軍のスタメンセカンドは会田では?」

「良い。……林、お前のそんな目は初めて見るな」

「……そう、ですか?」

「ああ、言っちゃ悪いが、いつも卑屈で、自分はなんで恵まれてないんだと、他者を羨むような視線でずっと周りを見ていた」

 

 ――監督は、僕のことを良く見てくれている。

 監督の言うとおり、僕は今までそう思っていた。僕はなんて恵まれていないんだろうって。

 でも違ったんだ。恵まれてないんじゃない。自分でそう決めつけて、他人の所為にして自分にする言い訳を探していただけだ。

 プロはそんな心構えじゃ生き残れない。僕はこの足で一軍を掴むんだ。

 

「でもお前は今はっきりといった。一軍まで後どれくらいか、と。……私はお前のその言葉に賭ける。上しか見ずに歩くお前に賭けよう。自分が今どれだけ通用するのか、自分と私に見せてみろ!」

「はい!!」

 

 監督に頷いて、僕はグラウンドに走る。

 雪ちゃんにメールをして、どこから球場に入ればいいのか、何処に行けばいいのかを報告し、ケータイをロッカーにおいた。

 スタメンが発表され、試合が始まる。

 一回の表に一点を取られ、一回の裏。

 一番セカンド、林。

 そうコールされた瞬間まばらな観客席の視線が僕に集まる。

 バットを持って、その観客席を見る。

 雪ちゃんがいる。

 眩しそうにしながら、ポニーテールを揺らして僕をじっと見つめてくれていた。

 周りには気づかれてないみたいだ。こんなところにプロゴルファー、白井雪が居るなんて思いもしないんだろう。

 彼女に見せたい。僕の自慢出来るものが、どれくらい凄いのか。

 打席に立つ。

 投手がボールを投げた。

 ――打ち返す!

 カァンッ! とセンター前に打球が飛ぶ。イメージ通り、完璧!

 一塁ベースに立って、雪ちゃんの方を見上げる。

 雪ちゃんは拍手をしながら僕をまだ見つめていた。

 多分、雪ちゃんは野球のルールも知らないんだろう。

 それでも、僕のお願いを聞いて見に来てくれた。

 そんな彼女を魅了してみたい。

 視線を外し、投手を見つめる。

 

(雪ちゃんを、野球に夢中にさせたい。僕が自慢出来るのは、この足だけだ)

 

 パァンッ! と投手の一球目がミットに突き刺さる。

 

(雪ちゃんを、虜にする快速を)

 

 投手が捕手からボールを受け取って僕を見た。

 そんな事、関係無かった。 

 

(見せたいんだ――!)

 

 投手が足を上げた、その瞬間。

 ギアを入れる。

 エンジンを暖めていたF1カーのアクセルを踏むように。

 弾けるように走りだす!

 

「スティール!!」

 

 ファーストが叫ぶ。

 ――刺してみろ!

 捕手がボールを捕球する。

 ボールがセカンドへ投げられる。

 ザンッ!! と土埃を立てながら僕はセカンドに滑り込んだ。

 セカンドがタッチすらしない。

 

「すっげー! 見たかよ!」

「ああ、なんつー足だ。タッチまで行かなかったぞ!」

 

 一つ目。でも、まだ足りない。

 じりり、とリードを取る。

 投手が動いたのを見て、僕は再び走る。今度はサードへ!

 

「三盗!」

 

 キャッチャーがボールを取る。

 今度は、ボールは投げられない。

 

「さ、三盗成功!」

「なんだ、あいつの足……スゲェ!」

「いやスゲェっつーよりキモイだろ! 一軍の矢部並じゃねぇか!?」

「いや矢部のがスタートとスライディングはすげぇよ。でも……トップスピードがはえぇ。しかも一歩目からそのトップスピードになってる! なんつー瞬発力だよ!」

 

 サードに立って、雪ちゃんを見る。

 雪ちゃんと視線が合った。

 雪ちゃんに野球の魅力、伝わってるだろうか?

 

 コキンッ! と二番バッターがボールを打ち上げる。

 ショート後方へのフライだ。

 

 もっと知ってほしい。野球の魅力を。

 野球の魅力は俺の持つスピードだけじゃないのかもしれない。

 けれど、俺が雪ちゃんを始め皆に魅せれるのは、この疾さだけなんだから!

 

 パンッ! とショートが後ろ向きになり、バランスを崩しながらボールを取る。

 それを見て、頭より早く足が動いた。

 

「は、走った!」

「ショートフライでスタートかよ!?」

 

 ショートが慌てて体勢を直しキャッチャーに向けてボールを投げた。

 ――ギリギリか。それでも。

 

 セーフに、なる、なってみせる!! 

 

 ザシャアアッ!! とスライディングしながらホームに突っ込む。

 捕手が足でベースを守ってブロックしている。

 

「うおおおおおお!」

「ぬううう!」

 

 ゴガッ! とブロックした足を突っ込み、ブロックごとホームへ帰る。

 僕の足にキャッチャーがタッチしてグローブを掲げた。

 

「セーフだ!」

「アウトだ!」

 

 バッ、と僕とキャッチャーが同時に言いながら審判に目をやる。

 審判は、

 

「セーフ!!!」

 

 腕を、横に開いた。

 

「っしゃー!!」

 

 思わずガッツポーズが飛び出す。

 試合でガッツポーズしたのは、いつ以来だろう。

 

「す、すげー! 本当にショートフライで帰ってきた!」

「ギリギリだったけど完璧セーフだなこれ。普通にフライでタッチアップしたみたいなタイミングだったぞ!」

「俺、林応援するわ。この足は一軍に必要だろ!」

「林。次の打者まで待っても良かったんじゃないか?」

「そうですか? でも絶対にセーフになれると思ったので」

「そうか。なら良い。一〇〇点の走塁だな。この調子で頼むぞ!」

「はい!」

 

 ヘルメットを置き、スタンドに目をやる。

 雪ちゃんが立ち上がっている。

 あのクールな雪ちゃんが立ち上がって僕の事をじっと見つめてくれていた。

 それだけで、僕にとっては十分な反応だった。

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

「マジ?」

「まじまじ! 三回で引っ込んじゃったけどさ! 二打数二安打で三盗塁! しかも三盗塁目はウエストしたボールでセカンドセーフになったんだって!」

「そんなの矢部並じゃん。まぁ矢部は一軍でするからすげーんだけど。……でも俺五回から来たから見れてねぇし、そんな選手がなんで育成枠な上に今まで試合出てないんだよ? しかも三回で引っ込んだって嘘くせー」

「本当だって! 高卒育成だからすぐ成長したんだよ。名前覚えたよ! ――林啓介! 出待ちしとこうぜ。サイン欲しい!」

 

 二軍戦の応援に来るコアなファン達の中に、白井雪は居た。

 野球の試合を観るのは初めてだった。ルールだって詳しくは知らない。三アウトチェンジで攻守が交代。一塁、二塁、三塁、本塁の順に一周してくれば一点、柵を超えればホームラン。線の外ならファール、知っているのはそれだけだ。

 それなのに、気づいたら魅了されていた。

 小さくてゴルフがあんまり上手く無い。無理やり手を引っ張って来るあの男性がグラウンドで躍動する姿に。

 それはまるで風のようだった。

 一塁から二塁へ、二塁から三塁へ、三塁から本塁へ。

 気づいたら立って彼を見つめていた。

 後ろに人が居なくてよかった。いたら怒られていただろう。

 魅了されていたのは自分だけじゃない。この試合を見に来る前まで“林啓介”の事を知らない人がほとんどだったのに、終わってみればファンになってる人がいる。

 野球の事を知らない自分でこうなのだ、野球のことを知っている人が彼を見れば、彼はもっと魅力的に見えるんだろう。

 ……それが何だか悔しくて、雪はぶんぶんと頭を横に振った。

 

(私、おかしい)

 

 まだ彼と出会って数日。それなのになんでだろう――今まで出会った男性よりも、彼の事を知りたいと思うのは。

 彼があんなに夢中になる野球の事を、知りたいと思うのは。

 彼も自分のゴルフを見たらこういう気持ちになってくれるだろうか。

 ゴルフのことを知りたいと想ってくれるだろうか。

 もっと自分の事を知りたいと想ってくれるだろうか。

 

(……ダメ。私のことなんか知ってもつまらないと想うに決まっている。……でもゴルフしてる所なら格好いいと思ってくれるかな。……そういえばあった時、綺麗、っていってくれた。……フォームだけど)

 

 ぐるぐるとそんな事を考えながら、雪はごそごそとケータイを取り出した。

 メールを打つのは苦手だ。ゴルフばかりやっていたから友達もあまり居ないので、メールの相手はもっぱら家族とコーチとスポンサーの担当者だけ。そんな状況でメールを打つのが上手くなるはずがない。

 初めて入った家族と仕事関係以外の名前を見つめて、雪は考える。

 

(なんてメールすればいいかな……『格好良かった。また野球を見せて欲しい』……? あ、でも見る前に野球のことを教えて欲しい……それなら『野球の事を知りたくなりました。教えてください』……? あ、でもその前に林くんの事褒めたい……)

 

 むーっ。と眉間に皺を寄せながら雪はケータイを睨みつける。

 周りに彼女のことを知る人が居れば、その人達は間違いなく『雪が変だ』と言っただろう。それくらい、今までの彼女からは考えられない行動っぷりだった。

 ぴこぴこ、とぎこちなく雪はボタンを打つ。

 

(え、と……『すごく、格好良かったです。野球を教えて下さい。また野球を見せて欲しいです』……ちょっと唐突かな。それなら、『林くんがとても速くて格好良かったです。それを見て、野球のことを知りたくなりました。野球の事を教えてもらえたら嬉しいです。林くんが出る試合をまた見たいので、誘ってください』……これなら……あ、でも……ゴルフの試合、見に来てほしい……教えて貰う前に、それを誘ったほうが……)

 

 打ち直そう。

 そう想って文面を消そうとしたその時、

 

 ピロリロリーン♪ とデフォルト設定の着信音が鳴り響き、雪は心臓が止まるかと想った。

 

 取り落としそうになるケータイを慌てて持ち直し、携帯の決定ボタンを推す。

 送信者は――林啓介。

 それだけで、雪の心臓は壊れそうなほど跳ねる。

 内容はなんだろう。普通に考えれば、見に来てくれてありがとうのメールだ。

 でも、もしかしたら他の内容もあるかも知れない。

 優勝決定のパットよりもドキドキしながら、雪はメールを開く。

 

 From:林啓介

 件名:見に来てくれてありがとう

『三回で変わっちゃったけれど、見に来てくれてありがとう。

 今ミーティングが終わりました。お礼になるかはわからないけれど、今度は雪ちゃんの試合を見に行きたいです。

 雪ちゃんが見てくれてるお陰で頑張れたから、今度は僕が見ている事で雪ちゃんが頑張れたら嬉しいです。

 迎えに行きたいんだけれど、臨時サイン会が有るので遅くなりそうだから、先に帰っててください。

 追伸、次の試合もスターティングメンバーに決まりました。雪ちゃんのお陰だよ

 ありがとう』

 

 その文面を二回読み返し、雪は返信ボタンを押す。

 あれだけぐでぐでと悩んでいたのが嘘みたいに、今度は言葉がすらすらと出てきた。

 

 To:林啓介

 件名:Re:見に来てくれてありがとう

『また野球のことを見たいと思いました。今度会った時に野球のルールを教えて下さい。

 林くんとても格好良かった。私もそれくらい格好いい姿を見せたい。

 今度の試合は六月七日から六月十日に県内のパワフルゴルフクラブでやるので、見に来てください。

 林くんに見てもらえたら、私も頑張れると思うから』

 

 そのメールを送信して携帯電話をしまい、雪はそっと球場を後にする。

 道すがら、夕暮れに染まる道を一人で帰りながら、雪はぎゅ、と自分の胸の前で拳を握った。

 ――この気持ちが、きっと。

 人が言う、好きって気持ちなのだろう。

 顔が紅いのが分かる。夕焼けでごまかせているだろうか?

 彼が自分のお陰で頑張れた――そう言って貰えただけで、お世辞かも知れないとは頭の中で言い聞かせているのに舞い上がってしまいそうなほどうれしい気持ちになる。

 

(私も、林くんのお陰で頑張れそうだから。頑張る)

 

 雪は一人、練習場へ向かう。

 そうと決まったらじっとなんかしてられない。

 次の試合までに身体を仕上げておかないと最高のプレイを見せることが出来ないかもしれない。それだけは嫌だから。

 

 

 

 

 

 

 

                  六月十日

 

 

 

 

 林が二軍の試合でレギュラーになってから数週間後。

 あの後何回か林と雪は会うようになった。

 そのお陰で雪は野球の事に詳しくなり、お互いの仲も親密になった。

 傍から見ればデートのように出かけ、お互いに気分転換して練習や試合に望む。

 そんな中で、雪は久々の大会に挑んでいた。

 雪が数試合ぶりに予選を突破した、その大会の最終日。

 この日は二軍の試合が無く、オフなので林は練習が終わった後、約束通り雪の試合を観に来た。

 

(……野球とは違うな)

 

 最終日だけあって緊張感が凄い。選手が打つ時に誰しもが静かになるのは野球では全く考えられない事だ。

 雪の今の成績は-6。二位が-5だから、一打差でトップということになる。

 ヒュパァンッ! と雪が会心のショットを放つ。

 

『見事なショット! 今日は好調ですね!』

『はい。しっかりと安定したスイングです』

 

 ワッ!! と歓声が巻き起こりナイスショットという声が響く。

 放たれたボールはグリーンのピン側にぽとん、と落ちた。

 凄い、と林は想う。

 野球に比べてゴルフは失敗が許されないスポーツだ。

 やり直しが聞かない。一度失敗してしまえばそれを立て直せずにガタガタになってしまうことだってある。

 それをミスショットをしながらも雪はここまで一位で居るのだ。

 どれだけ優勝するのが難しいか、素人ですら軽く想像出来るのだから、実際にはもっと険しい道なのだろう。

 カコン、とホールにボールを入れて雪がほうっと息を吐く。

 

『パーセーブ! これでトップのまま最終ホールへ!』

『二位の選手もパーが確実です。この最終ホールでミスをしなきゃ優勝出来ますよ!』

 

 このホールはパー。これで-6のまま最終ホールだ。

 林はギャラリーと一緒に移動する。

 ホール移動のたびに雪はキョロキョロとあたりを見回していた。

 このホールでもそれは変わらない。

 

(僕を探してくれているのかな)

 

 思いながら林はなるべく前の方に行こうとするが、雪目当ての客が多い為かなかなか前にはいけなかった。

 ライバルである-5の選手もパーで沈め、差は縮まらないまま最終ホールにうつる。

 最終ホールはパーフォー、ここでバーディーをとれれば、ほぼ確実に優勝だ。

 雪がピンを刺し、その上にボールを置いて、丹念に素振りを繰り返す。

 九回一点差で勝っている状況で、ノーアウト一塁になったような感じだと林は想った。

 いや、野球に比べてゴルフの一勝は重い。それを考えればこの緊張はそれより上かもしれない。

 特に最近勝ちから離れている雪にとってはこの状況の緊張感は筆舌に尽くしがたい程か。

 ゴクリ、と林は喉を鳴らす。

 自分がプレイしている訳ではないのにこの緊張感……雪はどれほどまでの緊張を感じているのか。

 周りが静かになる。

 丹念に素振りを繰り返していた雪がす、とクラブを上げて、

 

 カシャッ! とシャッター音が鳴り響いた。

 

「っ!」

『あっ!!』

「ファー!!」

 

 それに反応したのはギャラリーよりも雪だろう。

 バシッ! と打たれたボールが曲がって木々の中に消えていく。

 シャッター音に驚いてスイングが崩れ、ぶつかる位置がズレたのだ。

 ギャラリーたちがシャッター音の元凶を睨みつける。

 

「すみません、へへへ……」

 

 カメラを構えた記者が曖昧に笑ってカメラの構えを解く。

 雪はボールが飛んでいった方に走りだした。

 OBの白い棒は立っていない位置だが、まずい。

 紛失球を探す時間は他の人が打ってから五分。五分以内に見つからなければ、一打罰でティーグラウンドからやり直しだ。

 そうなれば優勝はほぼ無くなる。

 スパァンッ! と二人目の選手がティーショットを打った。

 打たれたボールはドッ、とフェアウェイをキープする。

 それを確認しながら、雪は必死に木々をかき分け、中に入った。

 

(何処、何処にあるの……?)

 

 林くんが見に来ている。いいところを見せたい。

 優勝する所を見せてあげたいのに、あんなシャッター音なんかに負けてミスショットをしてしまった。そんな自分が情けなくてしょうがない。

 スパァンッ! と三人目がショットを打つ音が聞こえた。

 暫定球探しは後五分。その間に見つけなければ……。

 

「どこ、どこ……っ、お願い……見つかって……」

 

 探せば探すほど見つかる気がしなくなっていく。

 奥にあるのは同じような風景ばかり。この中からあの小さなボールを見つけなければならない。

 

「おね、がい……もう少しで優勝出来る。見つかって……」

 

 刻一刻と時間はなくなっていく。

 じわ、と雪の瞳に涙が浮かぶ。

 あと、少しなのに、見つからない。

 この森の中からベタピンのリカバリーショットは難しいかも知れない。それでも、ボールが見つかりさえすればパーは取れるかもしれない。

 パーをとれれば十分優勝の可能性はある。だから、

 

「どう、して、見つからないの」

 

 後少し、あと一歩なのに。

 自分には何が足りないのだろう? 集中力? シャッター音が聞こえなくなるほど集中していればよかったんだろうか?

 それとも単純に運が足りないのだろうか? それとももっと別のものか。

 

「白井さん、あと一分以内に見つからなかったら、ティーショットから一打罰でやり直しをお願いします」

 

 記録員が無情に時を告げる。

 

(……嫌)

 

 後一歩。

 後一歩で殻が敗れるのに、その一歩が足りない。

 

(お願い、私を勝たせて)

 

 雪は思いながら、ぎゅっと拳を握り締める。

 足りないものなんてもうわからない。やっと勝てると想ったのに、こんなのってあんまりだ。

 

(……お願い、助けて) 

 

 もう自分一人じゃ動けない。もう少しのところに、届かない。

 

(助けて……林くん……)

「……時間です、白井さん、一打罰でやり直しを」

「……は、い……」

 

 戻ろうと雪が足を動かした。

 その時。

 

 

「ここにある!!」 

 

 

 聞き慣れた声が、雪の耳を打った。

 林だ。

 ばっ、と雪が振り向く。

 そこには、

 珠のような汗を額から滴らせ、地面にポタポタと汗を落としながら地面を指さす彼の姿があった。

 そして彼の指差す先には紛れもなく、先程打った自分のボールが落ちている。

 

「……林、くん……」

「見つかりましたか! ギャラリーの方が見つけてくれてよかったですね。それでは、早くセカンドショットをお願いします」

「林くん……あり、がとう……ありがとう……」

「うん、良かった、一打罰は辛いもんね」

「……走ってきて、くれたの?」

「えと……まあ、雪ちゃんのショット、いい位置で見たかったから、急いできちゃった」

 

 彼は照れたように笑う。

 違う。

 彼の言葉を雪は心の中で否定した。

 確かにそんな気持ちもあったかも知れない。でも、彼がここまで走ってきてくれたのは――ボールを探そうとしてくれたからだ。

 そして、ちゃんと見つけてくれた。

 まるでヒーローのように、自分の危機に颯爽と現れて、救ってくれた。

 そんな彼のためにも、頑張りたい。優勝したい。

 そんな彼に教えたい。自分が頑張れるのは貴方のお陰だと。

 何よりも伝えたい――。

 

「もし、優勝したら貴方に伝えたいことがあるの。……聞いてもらえる?」

「……うん、僕で良ければ、幾らでも」

「ありがとう、林くん」

 

 にこ、と笑って雪は涙を拭い、スタンスを取る。

 林は大きく離れ、他のギャラリーと同じ位置まで下がった。

 距離にして一〇メートル程離れている。

 それでも、雪は林が一番側に居ると感じつつ、想う。

 自分に後一歩足りなかったものが今やっと分かった。

 

 それは、自分のことを一番知ってくれて、支えてくれる大切な人だ。

 

 それが人によってどんな関係なのかは雪には分からない。

 例えば、大切な家族。

 例えば、切磋琢磨出来るライバル。

 例えば、頼れる先輩。

 例えば、自分を手本にしてくれる可愛い後輩。

 例えば、道を示してくれる先生、コーチ。

 例えば――愛する、大好きな人。

 

(林くんが居れば、私は)

 

 す、とクラブを上げ、

 

(どんな試合にだって、勝てる)

 

 振るう。

 

(どんな状況だってあきらめずに頑張ることが出来る)

 

 林はそんな彼女のフォームを世界で一番綺麗だと想った。

 

(林くんが――大好きな人が、私の側に居てくれれば)

 

 ボールが飛ぶ。

 木と木の間を縫うように、一直線に。

 ボールが光の中へ飛び出す。

 美しい回転が掛かったボールはそのままグリーンへと一直線に飛び、ピンのそばに落ちる。

 

『す、スーパーリカバリーショットー!!』

『神業ですよこんなの! プロでもめったにお目にかかれないスーパーショットです!』

 

 ワァァ!! と歓声がこだまする。

 その歓声は雪にとっては、何万人の野球場の歓声に匹敵するくらいのものだろう。

 雪はくるりと林の方に向き直り、

 

「優勝、してくるね」

「うん」

 

 グリーンに向かって走る。

 二打目で全員がグリーンにボールをのせた。

 

「お先に、失礼します」

 

 雪が周りに言ってパターを握る。

 ギャラリー達とともに移動しグリーンの近くによった林はそんな彼女の姿をじっと見つめた。

 カコン、と雪が打ったボールがホールに沈む。

 その瞬間、ワァという大歓声が響き渡った。

 

『白井雪完全復活優勝ー! 最後のピンチを自らのスーパーショットで打開し見事優勝ー! プロ三勝目ー!』

 

 雪の優勝が決まった。

 雪はそのボールを拾い上げ、大歓声に目もくれず林の方に向き直り、走る。

 いきなり優勝した選手が走ってきてギャラリーがざわついた。

 そんな事は構わないとばかりに雪は林の胸に飛びついて、人目も憚らず抱きしめた。

 

「雪ちゃっ……」

「林くん。大好き。ボール、見つけてくれた時嬉しかった。私と恋人になってほしい」

「え、と。それが、伝えたかったこと?」

「うん。そう。他の女性を好きになっちゃダメ。私のことだけを好きになって」

『えーと……いきなり白井さんが男性に抱きついてますが?』

『彼女も一九歳ですからね。それに彼はさっきロストボールを見つけてくれたギャラリーじゃないですかね。お礼でしょうか。私も抱きつかれたいです』

『逮捕されてしまいますね?』

『うるさいです』

「と、とりあえず雪ちゃん、ほ、他の二人ホールアウトしてないよ?」

「……うん」

 

 その言葉に我に帰ったのか、雪は林に抱きつくのをやめ、戻っていく。

 そして一緒に回った二人のライバルにぺこっと頭を下げた。

 二人の選手は笑ってパットを決めた。

 二人がホールアウトした瞬間、あっという間にインタビュー席が用意される。

 その間も雪は隙あらば林の元に行こうとしていたが、二人の選手に妨害されていた。

 そういうところは結構子供らしくて可愛いのだ。林はデートのうちにそれを知ったのを思い出して、くすっと笑う。

 

『白井さん、優勝おめでとうございます!』

「ありがとう」

『最後のピンチ、ロストボールになっていたら優勝はできませんでしたね!』

「そうだと想う。見つからなくて泣きそうになった』

『見つけてくれたギャラリーの方に一言何かありますか?』

「大好き。恋人になってほしい」

「ぶふうっ!」

「ギャァッ! 後ろの人がなんか吹き出した!!」

「す、すみませんすみません!」

 

 その言葉にギャラリーが一気にざわつく。

 こんなインタビューをすれば明日間違いなくスポーツ新聞の一面だ。

 優勝インタビューで告白するプロゴルファーなんて聞いたことも見たこともない。

 雪は結構恥ずかしがり屋だ。

 それなのに今、この場で他の人が見ている、聞いている、それどころかテレビで放送すらされているのに公言する――その行動は林の事を一途に思っている、その証拠に他ならなかった。

 

『……白井さんも冗談を言うんですねぇ』

(流した!)

 

 しかしながらインタビュアーもさるものだ、反応に困った末にそれを冗談だと流す。

 だが、雪はそれが気に食わなかったようで、

 

「冗談なんかじゃない。私は林君のことが好き。愛してるの。恋人になってほしい」

 

 ぽっ、と頬を赤らめる雪。

 そんな姿に男性ファンは見とれ、次の瞬間にはカッと顔を世紀末覇者のようにして林を囲む。その間実に三秒弱。林の快速を持ってしても逃げきれなかった。

 

『お相手は林さんというのですか?』

「そう、何回もデートをした』

「そんな赤裸々な事言わないでいいからー!!」

「おい……林……屋上へ行こうぜ……久しぶりに……キレちまったよ……」

「屋上!? ここに屋上なんて無いですよ!」

「黙れ! 俺達がなぜここに居るのか気づかないのかッ……!」

 

 血の涙を流しながらギャラリーたちが林を睨みつける。

 よくよく見ればギャラリーは男性ばかりだ。雪のファンだろう。

 

「え、えっと、その、あの」

『お付き合いされているんですか?』

「今からお付き合いしたい。恋人になってほしいけど返事をしてくれない」

「ンだとコラァ!! ぶち殺すぞ!!」

「もちろん断るんだろうなァ? あぁ!? 雪ちゃんを泣かさないようにだ!!」

「そんな無茶苦茶なー!」

 

 じりじりと円を狭めるギャラリー達。

 その目は殺意で染まり、隙あらば林を血祭りにあげようという亡者の目だ。

 

『そうですか……ちなみに林さんは何をされている方なんですか?』

「インタビュアーどんどん質問おかしくなってるよね! もっとゴルフの内容とかについて聞かないと行けない場面だよね!?」

「プロの野球選手をやってる。バルカンズの育成選手」

「ああっ! 雪ちゃんだめぇ! そういうこと言うと野次が凄いから! もう手遅れだろうけど!」

『プロスポーツ選手同士のカップルになれるといいですね』

「大丈夫。絶対になる。私は林くんと結婚する」

『そうしたら私が結婚式の司会しようかな。フフフ』

「フフフじゃない! トリップし過ぎだから!」

「……林くん。もう一度言う。私の恋人になって。私は貴方が好き。大好き。貴方無しじゃ、ダメ。だから――私を貴方の恋人にして欲しい」

 

 顔を真赤にしたまま雪が林に真っ直ぐな想いを伝える。

 そんな想いを前にして、林の頭からギャラリー怖いだとか、ここでは曖昧にして後で答えようとか、そんな考えは消し飛んだ。

 彼女が自分を求めている。

 自分無しじゃもうだめだと、はっきりといってくれている。

 ギャラリーは物音一つ立てない。

 雪の想いがこの空気を作り上げたのだ。ただの優勝インタビューの場を、告白の場に。

 そんな一途な想いを向けられて、林は喉がカラカラに乾いていくのを感じた。

 

「……ダメ?」

 

 雪が不安そうな声を出す。

 林はぎゅっと拳を握りしめた。

 白井雪という女性は、優勝したうれしさでテンションが高くなっていたとしても、軽い気持ちでこの場で告白なんてする子じゃない。

 凄い覚悟と度胸、そしてそれ以上に――林に対する愛情がある。

 そうでもなきゃ、この場で告白なんて出来やしない。

 ソレほどまでに白井雪は林啓介を求めている。必要としているのだ。

 それを知って。

 自分も、彼女を必要としていて、

 

 断る理由なんて、見つからなかった。

 

 ふるふる、と林は首を横に振るう。

 

「僕で良ければ……喜んで」

「……林くん……」

「ううん、ごめん、こういうのはずるいよね。僕も雪ちゃんのことが大好き。僕には雪ちゃんが必要だ。だから、恋人になってほしい」

「……うん、なる。お嫁さんに」

「そこまでは言ってないよっ」

「いつか、なる」

 

 とたた、とインタビュアーの元から離れ、雪がぎゅうっと林に抱きつく。

 それを祝福するかのように、ギャラリー達から拍手が上がる。

 裏でこそこそ交際して新聞のネタになるよりもこうして開けっぴろげに交際したほうが応援がしやすいとでも言うように、その拍手は鳴り止まない。

 雪の背中に手を回しながら、林は想う。

 彼女に釣り合うように一刻も早く支配下枠を勝ち取り、一軍で輝く。

 それが彼女への何よりのプレゼントになるはずだ。

 

 

 

 

 

                   ☆

 

 

 

 

 表彰式を終え、雪ちゃんを車で送る。

 行きはどうやらコーチの車で来たらしく、最後までコーチと話をしていたがどうやらコーチを説得して僕の車に乗ることにしたみたいで、雪ちゃんはゴルフバッグを後部座席において助手席に座った。

 

「……あの、雪ちゃん」

「なに?」

「腕組まれてると、運転しづらくて危ないよ?」

「むぅ……分かった」 

 

 膨れながら雪ちゃんが離れる。

 そんな仕草がとても可愛い。

 ってそんな事考えてる場合じゃなかった。雪ちゃんはゴルフの試合で疲れてるんだから早く家に連れて帰ってあげないと。

 

「えと、じゃあ、何処まで送ればいい?」

「林くんの部屋」

「え?」

「……ダメ?」

 

 可愛らしく小首を傾げる雪ちゃん。

 そういうふうに可愛い事をされると、僕としては何も言えなくなってしまう。

 

「雪ちゃんって結構コアクマだね」

「?」

「いや、天然でやってるから小悪魔じゃないのか……うん、女の子らしくて可愛いよ」

「……ありがとう」

 

 ぽ、と雪ちゃんが頬を染める。

 うむむ、可愛い。これは上手く自制しないとハマってしまいそうだ。

 こんな可愛い子が恋人だなんて夢でも見てるみたいだけれど、夢じゃないんだ。大切にしないとね。

 

「えっとね。雪ちゃん、僕の家は球団の寮なんだ。そこに恋人を呼んだら寮長に怒られちゃうよ。朝帰りもNGだし」

「むぅ……、……なら、私の家に寄って行って欲しい。それくらいなら……」

「うん。それなら全然構わないよ」

 

 デート中に聞いた雪ちゃんの家の住所まで車を走らせ、来客者用の駐車場に車を止める。

 雪ちゃんの家はマンションだ。といっても普通の女性が一人暮らしするような所じゃなく、警備がしっかりとしたところだけど。入るために鍵と指紋認証の二重のセキュリティなんて球団の寮以上のセキュリティっぷりだよね。

 実家も近くにあるが、一人暮らしして自立した方が精神的に成長するとかそういう理由で一六歳の頃から一人暮らしをしているらしい。

 確かにそういうのも大事かもしれないけれど、雪ちゃんは幼い頃からずっとゴルフ漬けで両親に甘えたりは出来なかったみたいだ。

 雪ちゃんの部屋に入るなり、雪ちゃんはぎゅう、っと僕に真正面から抱きついてくる。

 

「……ただいま」

「ふふ、お邪魔します」

「おかえりって言って欲しかった」

 

 すりすり、と頬を僕の頬に押し付け、雪ちゃんは僕をしっかりと抱きしめた。

 親に甘えられなかったその分を僕で埋めるように僕に甘え続ける。

 うれしい、嬉しいんだけれど――健全な男性としては雪ちゃんのしなやかな身体に想った以上に存在感がある柔らかなモノがむぎゅっと押し付けられている訳で、

 しかも恋人同士で、密室に二人きりな訳で、

 精神衛生的にものすごく悪い。

 しっかりと自分の意志を持っていないと理性がプッツンと途切れちゃいそうだ。

 

「うー……?」

「……あはは、うん」

 

 普段の雪ちゃんでは想像できないような甘えた声。

 何の反応も示さない僕が嫌がっていないか不安になったようなので、ぐりぐりと頭を撫でてあげると、雪ちゃんは赤くなりながらも頬を緩める。

 

「今日は練習は休み?」

「うん。オフだよ」

「何時まで、一緒に居れるの?」

「門限が一〇時までだから、九時半くらいまでかな」

「後四時間くらい?」

「そうだね……」

 

 日が沈みかけた空を見る。

 夕焼けが眩しい。夕焼けって凄いな。人が時間を惜しむような感覚になるんだから。

 

「……分かった」

「? どうしたの?」

「汗かいたから、シャワー浴びてくる。……座って待ってて。帰っちゃ、ダメ」

「――っ」

 

 上目遣いに言う彼女の言葉を聞いて、身体が金縛りにあったかのようになる。

 雪ちゃんはヘアゴムを取ってポニーテールを下ろし、お風呂場に走って行ってしまった。

 こ、これは、まさか……? いや、雪ちゃんなんだから素直に汗を流そうと思ってるだけかもしれない。うん。きっとそうだよね。

 なんて、自分に言い聞かせるのがバカらしく思えるような、さぁぁ、というシャワーの音が聞こえてきた。

 その音を聞いただけで僕の思考は停止する。

 ……うん、とりあえず座ろう。

 雪ちゃんに言われた通り、ソファに座る。

 意識しすぎだよ僕。確かに雪ちゃんとは恋人になったわけで、それで部屋にお呼ばれしただけであって、雪ちゃんは褒めて欲しいだけかもしれない。

 それとも野球のことを聞きたいとか、そういう可能性もあるんだから僕だけがそういうのを意識してちゃダメだ。僕は雪ちゃんが必要なのであって、雪ちゃんの身体が欲しいわけでは、

 

「林くん、上がった」

「あ、うん。僕も入っていい?」

「うん、入ってって言おうと思っていた」

 

 ごめんなさい自分に嘘ついてました。思わず入っていいかと聞いた自分の意志の弱さは謝罪する以外にありません。

 っていうか無理! 好きな女性が湯上りの艶やかな姿を見せつけて来たら理性持たないよ!

 今の雪ちゃんの格好は短パンにシャツ一枚。実は大きい雪ちゃんの胸が谷間を作って、シャツの合間から白い肌がチラチラと見えるのがかなり扇情的だ。

 まるで僕を誘っているかのよう。

 ていうか入ってって言おうと想ってたって、や、やっぱり雪ちゃんもそういうつもりで? いやいや、雪ちゃんピュアだからそういうつもりで言ってるんじゃなくただ単に汗を流してって意味でいってるって事も!

 

「わ、分かった。入ってくる……」

「うん、バスタオルは用意してあるから、待ってる」

 

 雪ちゃんの声を聞きながら、脱衣所に入る。

 そこに、なんかこう。脱いでくるくるーっとなった白いショーツが洗濯カゴに入れられていた。勿論ブラジャーとかも一緒に。

 

「……ッッ」

 

 い、色々やばい。雪ちゃんはこういうことに無頓着で無防備だからかこういう不意打ちがかなり多い。しっかり理性を持たないと!

 服を脱いでシャワーで汗を流す。

 ここで毎日雪ちゃんが身体を洗っているのか。ってダメだ、そんな事を考えちゃダメだってっ。

 あ、着替えどうしよう。……いいや。もう一度同じものを着よう。

 服を着て、脱衣所を出る。

 雪ちゃんがちょこんとソファに座っていた。

 

「気持よかった?」

「うん。あの、雪ちゃん。下着とかはちゃんと隠しておいてくれないと色々ともたないよ。理性とか」

「……理性、もたせなくて良い」

「え?」

 

 僕が聞き返すと雪ちゃんは顔を赤くしたままソファから降りて、床に座り、三つ指をついて頭を下げ。

 

「……不束者ですが、よろしくお願いします」

「ゆ、雪ちゃん……?」

「恋人同士になったらすることがある。知ってる」

「え、えっと……それは……」

 

 そういう、ことなんだろうか?

 僕が戸惑っていると、雪ちゃんはそっと立ち上がり僕の身体を抱きしめた。

 柔らかい感触と女の子のふわりとした匂いが僕を支配する。

 背丈が近いせいか雪ちゃんの吐息を感じて――

 

「林くん、恋人同士ですること……して」

 

 その一言で、

 僕の頭の中の何かが途切れた。

 唇を、奪う。

 

「ん、む」

「んっ……」

 

 ぎゅ、と雪ちゃんの身体を抱きしめる。

 彼女もすぐに僕の身体に手を回して、抱き返してきた。

 

「っは……雪ちゃん……好きだよ」

「うん。私も大好き。啓介ってよんでもいい?」

「好きに呼んでいいよ、雪ちゃんなら」

「ありがとう。啓介、大好き、大好き……」

 

 囁き合いながら、お互いを貪り合う。

 最初は啄むような口づけから、やがて、

 

「ん、ふ、んんっ、んぅ、んむぅ……」

「ん、ん……」

 

 お互いを求め合うような、激しく深いものに。

 時間も忘れて、お互いの唾液を交換し合う。

 

「んふ……ぅ」

「はっ……」

 

 ちゅぱ、とお互いの唇を離す。

 ねと、と白銀の糸で僕の舌とつながる彼女の舌がとてもいやらしい。

 

「……ベッド、あっち……」

「うん。……でも雪ちゃん、その、アレ、無いよ?」

「買っておいた」

「そ、そうなんだ。……雪ちゃんって結構むっつりだね?」

「! そ、そんなことない。備えあれば憂いなしだから、用意しておいただけで……きゃっ」

 

 僕に茶化されて真っ赤になる彼女を引っ張り、ベッドに押し倒す。

 ふぁさ、と彼女の綺麗な髪の毛がベッドに広がった。

 

「雪ちゃん。可愛い」

 

 彼女の柔らかい体に触れる。

 

「けいすけ……っあ」

 

 彼女の声が耳朶を打つ。

 服を脱がし、白い肌を顕にさせて、

 その身体に自分の証という証拠を刻み付ける。

 

「っ、けい、す、けっ……」

 

 ぎし、

 ベットが軋む。

 

「あ、ぅっ……ンっ……」

 

 艶やかな声が部屋に響く。

 僕と彼女は融け合って一つになっている――そんな風に錯覚させるような、不思議な感覚。

 それでも構わないと僕は想った。

 彼女と一緒ならば僕はきっと。

 世界一の男で居られるから。

 

 

 

 

 

 

「そろそろ帰る準備しないと……」

「もう?」

「うん、車で飛ばしても二〇分はかかるし……もう九時だよ」

「あと一回」

「雪ちゃんスポーツ選手だからだろうけどスタミナあるね。あと大分エッチだ」

「だって啓介上手……私がはじめて?」

「ノーコメント」

「……むぅ。私が最初じゃなかったら、嫌。……他の女の子を泣かせるような悪い子にはお仕置き。……ンむ……はぷ……」

「ちょ、雪ちゃっ……!」

 

 

 閑話休題。

 

 

「……はぁ、はぁ、もう……」

「こういうやり方もあるって本で読んだ。……それで、私が最初?」

「そんなにモテるように見える?」

「うん。だって啓介は世界で一番素敵な人だから」

 

 にこ、と雪ちゃんが微笑む。

 うぐぁ、こ、この破壊力は凄い。特に今の雪ちゃんの格好はアレだしそんな状態で豊かな双つの丘を揺らしながら上目遣いでされたらああああ!

 

「ぁ……」

「ほ、ホントにこれ以上はだめだよ、明日に響きそうだし……」

「じゃあ我慢する。……我慢するから教えて欲しい。私がはじめて?」

 

 じっと雪ちゃんの綺麗な瞳が僕を見据えた。

 その瞳が不安で揺れている。僕の女性遍歴が凄く気になるらしい。

 僕にとっては彼女が一番大切な存在――それで構わないけれど、彼女にとってはそうじゃないんだ。

 僕を独り占めしたいって嫉妬してくれてる。子供っぽい、相手の過去も自分で埋め尽くしたいと思うどうしようもないくらい深い愛情で。

 ――可愛い。

 ぎゅ、と彼女を抱き寄せる。

 

「うん。雪ちゃんが初恋。後はずっと野球をしてたから」

「……嬉しい」

 

 彼女が抱き返してくる。

 そのぬくもりを感じながら、彼女の頭を撫でた。

 

「雪ちゃん、ありがとう」

「? 何を?」

「雪ちゃんとこういう関係になれて、僕はもっと頑張れる。……ゴルフ界の将来を担うスターに相応しい男になるために、頑張るよ」

「……うん。でも頑張りすぎて身体を壊すのはダメ。いざとなったら私が稼ぐから主夫でもいいよ?」

「あはは、でもそれじゃ僕、自分が許せそうにないし、それに分かったんだよ」

「分かった?」

「そう。僕は彼らに嫉妬していたけれど、それ以上に――支配下枠で指名された選手に憧れてた。スターとしての道が用意されて、最初から求められてる、そんな野球選手に」

 

 雪ちゃんと接して彼女が僕を支えてくれるから、落ち着いて自分を見つめることができる。

 彼女が居なかったら僕はどうなっていたのか想像が出来ない。

 それくらい雪ちゃんは僕を助けてくれて、支えてくれてる。

 だから、それに応えたい。

 一軍の舞台に立ち、躍動することで。

 

「それと同時に想ったことがあるんだ」

「……なに?」

「そのスター選手たちを、この足で掻き乱して倒してみたい。育成枠から這い上がった僕がこの足でそういう選手達を掻き乱してみたいんだ」

「うん、啓介ならできる」

「頑張るよ。それじゃ帰らなきゃ」

「……さみしい」

「うぐっ……! じゃあ、明日試合が終わったら会いに行くよ。いつものところで練習してる?」

「うん」

「分かった。それじゃシャワー浴びて着替えなきゃ」

「一緒に浴びる」

「……今九時一〇分だけど、二〇分以内に上がれるかな?」

「頑張れば大丈夫」

「頑張ったら絶対間に合わないと想うんだけど……」

「大丈夫。あ、忘れないように二つ、お風呂に持っていく」

「二つ!?」

「大丈夫。一二枚入り」

「そっちじゃなくてー!」

 

 その日から、

 僕と彼女は将来を誓い合い、支えあう大切な恋人同士になった。

 翌日の新聞を監督に弄られたり、デートをゴシップ誌にすっぱ抜かれたりするのを野次られたりしながらも、僕は彼女に支えられて支配下枠を勝ち取ることが出来た。

 彼女もスター選手として外国のツアーにも出場するようになって、彼女の支えにもなれているのだろうと想う。実際外国に行った時は一日一時間は絶対電話していたし。

 何よりも四年目でレギュラーを取ったオフに寮を出ることが許されたのが一番の彼女へのプレゼントになっただろう。

 一応今は僕一人で暮らしているけど、雪ちゃんから一週間に三回くらいは一緒に住もうと言われるし、雪ちゃんがお泊りに来ることも……まあ、うん、多々あるわけで。

 そんな一途で一生懸命な彼女に支えられながら、一軍のレギュラーとして過ごすようになった二年目。僕は出会った。

 

『今日は負けちゃったけど、明日は勝つよ。出塁出来なかったしね』

『やってみろよ。明日はスタメンマスクだ。出塁させねぇし万が一出塁したとしても絶対に刺す!』

 

 ――最高にワクワクさせてくれる、最高のライバルに。

 ぎゅ、とケータイを握る手に力を込めると、雪ちゃんが後ろからぎゅっと抱きついてきた。

 柔らかい感触が背中に当たる。

 

「メール、誰?」

「今日会った葉波くんっていうカイザースの選手だよ。明日も試合に出るみたいだから宣戦布告しといたんだ」

「あのキャッチャーの人。……啓介の方が格好いい」

「ありがと。雪ちゃん」

「明日は盗塁して欲しい」

「勿論してみせるよ。――葉波くんには絶対に負けない」

「うん。明日ナイトゲーム」

「見に来れる?」

「練習終わったら行く。多分一回から見れる」

「やった。嬉しいな。雪ちゃんに見てて貰えるならいつも以上に調子出るから、僕」

「嬉しい。明日ナイトゲームだから集合時間はお昼の筈」

「そうだね」

「良かった。それなら大丈夫。……啓介、しよ?」

「……雪ちゃんのえっち」

「えっちじゃない。普通。好きな人と二人きりなら、こうなるのは普通……ちゅ」

「んむ……タイム、先にお風呂。入ってきたけどもう一度入らないと」

「一緒に入る」

「分かった」

「うん。三枚持っていく」

「あの時より増えてる!」

「……最初のこと、覚えてた」

「思い出してたから、雪ちゃんと結ばれた日のこと」

「うれしい。……やっぱり四枚にする」

「のぼせちゃうから、ダメ。一回分はキスで我慢して? んっ」

「んみゅ……んふぅ……けいすけ……早くお風呂」

「我慢できない? ほっぺがとろけてるよ」

「啓介のせい」

 

 ――明日はカイザースとの二回戦。

 負けられない。チームのために、自分のために。

 そして何よりも。

 僕をずっと支えてくれてる雪ちゃんのためにも、絶対に負けない。

 




林! お前くたばれや!! と想った奴は感想に恨みつらみをダンクシュートだ!
これにて「なろう」様にて投稿していた分のストックは全てになります。
これから先は書きためている分もありますが、続きの投稿は遅くなりますので、ご了承くださいませ。
それでは、これからもよろしくお願いします。


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第四〇話 vsバルカンズ スタメンと見えてくるもの

            五月三日

 

 

「スターティングメンバーを発表する!」

 

 監督の鶴の一声で、練習前後の休憩の時の、緩やかな空気は一変する。

 ……一日一日がチームメイトとの戦いだ。スタメンになればアピールのチャンスは増える。

 そのチャンスが貰えるかの瀬戸際だし、レギュラーとしても控えにポジションを奪われる可能性があるから緊張して当然だ。

 

「一番、相川 センター。

 二番、蛇島 セカンド。

 三番、友沢 ショート。

 四番、ドリトン ファースト。

 五番、飯原 レフト。

 六番 葉波 キャッチャー。

 七番、春 サード。

 八番、谷村 ライト。

 九番、久遠 ピッチャー、今日のスタメンは以上!」

「「「「「「はい!!」」」」」」

 

 っし、スタメン!

 やっとゆたかが先発の時以外でスタメンになれた。これを足がかりにレギュラーを奪うぞ。

 

「先輩、がんばってくださいね。オレ応援してますから!」

「おう! 久遠、ブルペン行こうぜ!」

「うん」

 

 久遠と並んで歩く。

 そういや久遠と一緒に試合に出るって二年の甲子園以来か。

 

「あの時は敵同士だったけど、今度は味方だね。頼むよ」

「ああ、勝つぞ」

「うん!」

 

 ぽん、と久遠とグラブを合わせてブルペンに急ぐ。

 試合まで後少し。しっかりとウォーミングアップしとかないとな。

 ブルペンに着き、軽くキャッチボールを繰り返す。

 そのうち、しっかりと座ってボールを受けて投手の修正箇所などを上げていく。

 

「久遠。今日はスライダーがちょっと高く入ってるな」

「だよね。修正しようとしてるんだけど……上手くできなくて」

「うーむ……」

 

 そこを無理に修正させてももっと悪く可能性もあるから難しいんだよな。

 どんな投手でも全ての試合を絶好調、あるいは思い通りに迎えるのは不可能だ。

 悪い調子で悪いなりにも抑えることが出来るのがいい投手の条件の一つだし、その手助けをするのが捕手の仕事だ。

 

「ま、いいや。細かい事は俺に任せて、全力で投げてくれりゃいい」

「うん、了解」

 

 久遠と別れて、俺は一足先にベンチで待つ。

 すでにスタメン発表が終わりボルテージが上がる球場。

 先攻は俺らからだ。打順は六番だけどもしかしたら一回から回ってくるかも知れない、覚悟しておかないとな。

 相手のスタメンを見る。

 一番、矢部 ショート。

 二番、林 セカンド。

 三番、六道 キャッチャー。

 四番、猛田 ライト。

 五番、八嶋 センター。

 六番、南戸 ファースト。

 七番、桐谷 サード。

 八番、田中 レフト。

 九番、平田 ピッチャー。

 昨日と投手以外は変わらないオーダーか。

 九番の平田の売りはコントロールと動くボール。低めにしっかりとコントロールしつつ動く球で打者を打ち取るタイプの右投手だ。

 

「相手の平田はボールを動かしてくる。しっかりボールを見て振っていけ!」

 

 監督の指示に全員が頷く。

 投球練習を見るからにクセ球なのが解る。しっかりとボールを見てコンパクトにスイングしないとな。

 

『バッター一番、相川』

 

 相川さんがバッターボックスに立つ。

 六道からのサインを平田が受け取って、頷いた。

 足を振りかぶって平田が投げる。

 スリークォーターから投じられた低めへのストレートを相川さんは見送った。

 

「ストラーイク!」

 

 球速は一四二キロ。ストレートだけど微妙に変化してる。ツーシームってやつだな。

 ぐっと二球目を平田が投じる。

 手元で僅かにボールが落ちる。

 シンカー……いや、シンキングファストだな今の。

 シンキングファストは落ちるストレートと言われる、手元で僅かに変化する厄介な球種だ。ツーシームとほぼ同じような変化だが、こちらは意図的にシュートさせることで高速シンカーのように落ちるボールになっている。

 メジャーリーグでは打たせて取る球種としてかなりメジャーな変化球だが、日本ではなかなか見ない珍しいボールだ。

 大西に続く二番手な理由がはっきりと解る。このボールを低めに決められたら打者にとってはかなり厄介だな。

 三球目に投じられたのは低めへのカットボール。

 相川さんはそれを引っ掛けてしまった。

 

「任せて! ふっ!」

「アウト!」

 

 セカンドベース方向に飛んだボールを林が回り込み捕球してファーストに送球する。

 安定した守備力と広い守備範囲を持つショートセカンドが居るチームなら、この手の投手はかなり有効だ。ゴロを打たせてアウトにしてくれる確率が高いんだからな。

 大西と比べてコンスタントに低めへ投げれているし、動く球で打ち取る投球をしてる投手だ。大崩れはしないだろう。

 二番の蛇島が打席に立つ。

 だが、蛇島も低めの動くボールでショートゴロに打ち取られてしまった。

ここまで投げたボールは全て低めに決まっている。これじゃ攻略も一苦労だぜ。

 

『バッター三番、友沢』

 

 ウグイス嬢にコールされて、友沢が打席に立つ。

 ツーアウトからだけど、ランナーが出塁すれば平田のリズムも変わるかも知れない。頼むぜ友沢。

 平田が足を上げボールを投げ込む。

 パァンッ! と進が内角低めに決まったボールを捕球した。

 

「トラーック!」

 

 友沢が一度打席を外し、二、三度素振りをする。

 そして打席に戻り構え直した所で、平田が素早く二球目を投じる。

 投げられたのは、球速一四三キロのツーシーム。

 友沢はそのボールを、腰の回転で鋭く弾き返した。

 ッカァンッ! と音が響く。そのままスタンドまで行っちまえ!

 ぐんぐんとスピンを掛けられたボールは、そのままフェンスにドゴンッ! と直撃した。

 ワンバンしたボールをセンターが捕球し、ショートに投げる。

 その間に友沢はセカンドに滑り込んだ。

 

「ナイスバッティング!」

「ナイバッチー!」

 

 ベンチから声が飛ぶと、友沢はそっけなく手を上げた。あいつらしい態度だな。ホント。

 さて、これでツーアウトだがランナーは二塁。このチャンスを活かしたい所だが、今日の平田とドリトンの相性を考えると――。

 

「ヌウッ!」

 

 ドリトンが低めへのカットボールを打たされる。

 ショートゴロとなったボールを矢部くんがしっかりと捕球し、ファーストへ投じた。

 

「アウト!」

『スリーアウトチェンジ! カイザース二アウトからチャンスを作りましたがこの回は無得点です!』

 

 やっぱりか。

 この手のクセ球の投手相手だとドリトンはイマイチ相性が悪い。低めの動く球を打たされてゴロを打つことが多いんだ。

 友沢が戻ってくる。

 さぁて、次はこっちの守備だ。しっかりと抑えねぇとな。

 

「行くぞ、久遠」

「うん」

 

 久遠と頷き合って、グラウンドに歩き出す。

 バルカンズの一番打者は矢部くんか。出したら大変だぞ。集中して抑えないと。

 

『バッター一番、矢部』

 

 コールを受けて矢部くんが打席に立つ。

 さてと、ブルペンで今ひとつだったスライダーを試しておきたいな。

 俺がサインを出すと、久遠が首を縦に振ってセットポジションに入り、腕を振るう。

 グンッ! と投げられたボールが高めに浮いた。

 矢部くんはそれを見逃さずライト方向に引っ張った。

 キィン! という音が響き、一、二塁間を抜けていく。

 

『矢部初球打ち! 一二塁間を破るライト前ヒットー!』

 

 矢部くんが一塁ベース上でアームガードとレッグガード、バッティンググローブを外す。

 うーむ、まだエンジンが掛かりきってないのもあるけど、それにしてもスライダーが高く浮きすぎてるな。こりゃ勝負どころじゃ使いづらそうだぞ。

 

『バッター二番、林』

「「「オオーオオォォー、その速度まさに稲妻。捕手を泣かせるその快速。見せてくれよ矢部明雄。走れ、走れ、やーべ!」」」

 

 ライトスタンドから地鳴りのように響く応援歌。良くあるヒッティングマーチだとか、打者への応援だとか、そういうモノではない。

バルカンズにのみ用意されている"ランニングマーチ"とでも言えばいいだろうか。ランナーへの応援歌だ。

 その応援を受けて、じりりと矢部くんがリードを取る。

 いいぜ矢部くん、走るんだったら容赦はしない。絶対に刺す。

 林が構える。

 矢部くんが走ることも考えて、初球から打つとしたら高めの甘い球くらいだろう。だったら低めへのストレート。厳しいところなら見逃してくるはず。

 久遠がクイックで投球を始めると同時、矢部くんがスタートを切る。

 

「スティール!」

 

 ファーストのドリトンが叫んだ。林は手を出さない。

 セカンド、絶対に刺す!

 低めのボールを捌き右手に持ち替えて思い切りセカンドへ向かって腕をふるう。

 ヒュバッ! とボールが空を切り裂きながらセカンドへと伸びていった。

 それを見ながら矢部くんがセカンドに滑りこむ。

 ベースカバーに入った友沢がそのボールを受け取り、滑りこんできた矢部くんの足にタッチした。

 じ、っとその様子を見つめ、セカンドの塁審は、

 

「アウトー!」

『盗塁しっぱーい! 矢部、今季初めて盗塁失敗! 刺した相手は盟友葉波! 快速勝負第一ラウンドは葉波が制しました!』

 

 っしゃあ! 完璧だぜ!

 すごすごと矢部くんがベンチに走って戻る。

 その際、ちらりと俺の方を見て悔しそうな顔をした。

 悪いな矢部くん。久遠に任せろっていった手前、ここで盗塁を許すわけにはいかないんだよ。

 さて、集中する相手は林に戻ってカウントは1-0。このままサクサクっと守備を終わらせて攻撃にリズムを作らないとな。

 久遠にチェンジアップを要求する。ここはバランスを崩させて打ち取りたい所だ。

 内野安打が怖いけど、そんなこと言ってたらこの手の打者全員を三振かフライアウトに取らなきゃいけなくなる。そんなことは不可能だからな。内野陣を信頼するとしよう。

 久遠が頷き、ボールを投じる。

 ゆるいチェンジアップ。ストレートの次のボールだから林も予想していたのだろう。勢い良くバットが振られる。

 カツンッ! という擦りあげるような音がして、ボールが上がる。

 ショートの友沢が手をあげ、そのボールをしっかり捕球した。

 

「アウト!」

 

 うし、ツーアウト。これでホームラン以外ならOKってリードが出来るぜ。長打を打たれない限り、二連打食らっても得点入らないからな。

 

『バッター三番、六道』

 

 ウグイス嬢に呼ばれた六道が、静かに打席に入ってきた。

 さて、と、六道か。

 非力だが、ポイントに入ってきたボールをフェンス直撃させるくらいのパワーはある。ここはしっかりと低めを意識して打たせるか。

 足もそんなに早く無いから内野安打を意識して前めに守る必要も無い。

 最初は野手用のブロックサイン。通常位置で守備するように指示して、と。

 次は久遠へのサインだ。要求はスライダー。アウトサイドギリギリに構える。

 スライダーの制球がイマイチなのは承知の上。だからこそ、こういう使えない場面で使っておいて慣らしておきたい。

 久遠が腕を振るう。

 ワンバウンドしたボールをプロテクターに当て前に落とした。

 

「ボーッ!」

 

 0-1。

 もう一度スライダーを頼むぞ。

 今度はど真ん中だ。好きなように曲げてみろ。

 久遠は俺のサインを受け取って驚いた顔をしつつ、頷いて構えを取る。

 クンッ! と弓を引くように腕をしならせ、勢い良く振ってくる。

 インサイドにずれたボールが真ん中低めへとスライドした。

 パァンッ! とそれをミットの芯で捕球する。

 

「ストライーッ!」

 

 よし、平行カウント。

 スライダーで厳しい所を狙わせるとストライクを取るのは至難の業だが、どうやら真ん中から好きに放らせればストライクは取れそうだ。流石伝家の宝刀だな。

 今日の所はスライダーを決め球にするのは止めよう。となると、久遠のボールで決め球になりうるのは一四〇キロ後半のストレートか。

 ストレートだけじゃ決め球にするのは厳しい。幸い久遠はチェンジアップがあるから、緩急を使って行こう。

 スライダースライダーと続けた。ここまで見る体勢だった六道も、ワンストライクを取られたことで行動を変えるだろう。

 チェンジアップを外角へ要求する。

 コクン、と頷いて、久遠が腕をふるった。

 抜いたボールを、開かないように六道が溜めを作る。マズイ、読まれた!

 外低めに落ちてきたチェンジアップを六道が流し打つ。

 カァンッ!! と痛烈な音を残しボールはサードの頭上を強襲する。

 その刹那。

 

 春が、跳んだ。

 

 バシィンッ! と強烈な音を響かせながら、春が仰向けに倒れ込む。

 カイザースの青い帽子がぱさりと春の横に落ちた。

 地面に倒れた春が、たかだかとグローブを掲げる。

 その中に、今しがた六道に完璧に捉えられた白球が見えた。

 

「アウトー!」

『ファインプレー! 六道の痛烈な当たりを、春涼太が好捕ー! かつてのチームメイトのヒットを好守で阻みました!』

 

 立ち上がり、帽子をかぶり直して春がベンチへと戻っていく。

 おいおい、ショートでは決して上手いとはいえなかった奴が、サードになった途端こんなプレーするのかよ。なんだかんだいって野球センス抜群だな。

 

「ナイキャ」

「我ながら上手く捕れたと思うよ」

 

 にこっと春が笑いながら答える。嬉しそうな顔しやがって。俺も負けてられないぜ。

 ふと六道の顔を見ると、嬉しいんだか悔しいんだか、複雑そうな表情で戻っていく。

 まあ、気持ちは分かるけど。って今はそんなこと考えてる場合じゃない、平田を攻略する方法を見つけないと。

 回は二回の表に入る。

 バッターは飯原さんから。俺が次の打者だから、ネクストに入っておかないと。

 防具を素早く外し、バットを持ってネクストへ向かう。

 平田は相変わらず低めへの投球を心がけている。

 ポンポンと小気味いいタイミングで素早く投げ込んでくるせいもあって、リズムも良いな。

 飯原さんが小さく落ちる球を打たされた。シンキングファストだ。

 

「アウト!」

「すまん、手元で小さく落ちる球だ。シュート回転してるボールは殆どそれだぞ。しっかり見極めてけ」

「うっす」

 

 飯原さんの助言を貰って、打席に向かう。

 

『バッター六番、葉波』

 

 ドンドンドンッ! という鳴り物の音と歓声がレフトスタンドから木霊した。

 ビジターでもホーム応援団に負けないくらいの応援が聞こえてくる。……高校の時とは規模が違う。この期待に応えたい。

 バットを構え、じっと平田を見つめる。

 狙い球はシンキングファスト。

 日本では珍しい変化球だけど、アメリカに行った時、そのボールを投げる投手とはいくども当たった。

 ただ、平田は映像で何度見てもフォームの緩みとか癖とかは見つからない。投げさせるカウントを作らないと。

 見た感じボール先行とかになれば打ち損じを狙って投げてきそうだな。飯原さんの言うとおりしっかり見極めて行くか。

 初球、平田が腕をふるう。

 速いシュート。内低め。

 

「トラッーク!」

 

 良い所に投げ込んでくる。コントロールもかなり良いな。

 大西は良い時は手を付けられないタイプだけど、この平田は終始安定している。その代わりポテンシャルに頼って投げるタイプじゃないから、このコントロールが高めに行くと痛打されるだろう。

 二球目、外低めへ、ストレートと同じ速度でスライドした。

 いわゆるカットボール。ちょっと前までは真っスラとか言われてたやつだな。

 

「ストライクツー!」

『さあバッテリー、葉波を二球で追い込んだ!』

 

 あ、やべ。追い込まれちまった。投げさせるカウント以前の問題になっちまったぜ。

 んー、でも、面倒くさいなこの投手の攻略は。

 内シュート、外カット。インコースには食い込む球を、外には逃げる球を投げさせてる。

 けど、これは様子見のリードだからな。こっから組立を読むのは難しい。

 だが、ここまで見た感じまともなストレートは一球も無い。確認した球種はツーシーム、シュート、カットボールにシンキングファスト。ビデオではスローカーブも投げてたか。

 三球目。

 外に逃げるスローカーブを俺は見送る。

 

「ボール!」

 

 今度は大きなゆるい変化球か。

 これが実践レベルの球となると厄介だが、このスローカーブはマークから外しても良さそうだ。

 見た感じ、制球もイマイチだし見せ球くらいのレベルにしかなってない。自信も無いのだろう。このボールに自信があるなら友沢の打席で使ってた筈だ。抜けて甘く入れば友沢には一発があるから使えなかったんだろう。

 緩急を使う為にとりあえず投げれます、って程度の球だな。

 四球目、投げられたボールはシュート。

 くっ、まずいっ……!

 インコースに食い込んでくるボールに、何とか食らいつく。

 ビキッ! という音がバットから響き渡りながら、ボールはなんとかサードのファウルゾーンへ転がっていった。

 

「すみません、タイムで、バット変えてきます」

「うむ、タイム!」

 

 審判に許可を貰い、バットを取りにネクストに戻る。

 滑り止めをバットに塗って、再び打席に戻った。

 五球目、再びインコースへのシュート。

 今度は身体をわざと開いて強引に引っ張り打つ。

 

「ファウルファウル!」

 

 明らかにカットしにいくような俺のフォームを見て、六道も横の揺さぶりじゃ打ち取れないと悟っただろう。

 投げさせるカウントを作れないなら、粘って投げる球を絞らせていけばいい。

 平田が六道のサインに頷いた。

 カウント2-1。まだ有利なカウントだから際どい所で勝負してくる筈。

 落ちる球だといっても、ほぼストレート系と同じ。ならばインサイドへ投げさせたい。

 そのためにはインコースを続けすぎたから、一球外。ストライクになったらラッキーくらいのコースに投げてくる。

 平田がボールを投げた。

 外高めギリギリへのカットボール――っ!

 チッ! とバットの先の先になんとか当たった。

 ガシャンッ! と真後ろでフェンスにボールがぶつかる音が響く。

 

「ファール!」

 

 あっぶねぇ。低めに目付けされてたから思わず反応が遅れた。

 にゃろう、六道め。次の球で仕留めるんじゃなくてこのボールで仕留めに来やがったな。

 外高め、しかも逃げるボール。見逃せばボールだけど、平田の動くボールだと手前側に曲がってくる可能性も考慮して手が出てしまうだろう。実際俺も、もう少し外に投げられてたら空振ってた。

 敵ながらホント良いリードだ。

 でも、勝負は次のボールで決める。

 ジリリ、とインコースに六道が寄ったのを感じた。

 来る。

 平田が腕を引いて、投げ込んでくる。

 インコース低め、シンキングファスト。

 ボールゾーンへ落ちるそのボールを。

 腰で回転しヘッドを立てたまま掬い上げるように叩く!

 パカァンッ! と音を残し、完璧に捉えた打球が低いライナーで左中間を抜いていく。

 捉えたと同時に俺はファーストへ走り出した。

 ファーストベースを蹴り、セカンドベースに滑りこむ。

 

『ツーベース! 低めのボール球を捉えましたー!』

「っふぅ」

 

 バッティンググローブを外しながら、六道を見据える。

 我ながら会心の読みだった。月一あるかないかだぜ。

 そして、バッターは七番の春に回る。

 敬遠はない。序盤の七番。勝負強さを知っていても、春はレギュラー定着しているとはまだ言い難い立場の選手。その選手を八番でも無いのに敬遠するリードなんて出来ないだろう。

 勝負は初球。

 平田がクイックからボールを投げ込んできた。

 春に細かい読みなんざ必要ない。

 頭を空っぽにして。

 ただ来たボールを打つだけだ。

 外角低め、外に逃げるカットボール。

 ボール気味のそのボールを、春が流し打つ。

 

「セカンッ!」

 

 聖が叫ぶより早く、林が動く。

 ちょうどセカンドとファーストの中間を射抜くような鋭いゴロ。

 林が飛びついてグローブを伸ばしたが届かない。

 ボールが抜けていく。

 ライトの猛田がボールを捕球した。

 きわどい――が、打順は八、九番。ここは行く!

 ダンッ! とサードベースを蹴った。

 同時に春がセカンドへと向かうのが見える。

 中継にボールが渡る。中継は林か。――勝負!

 捕球した林がバックホームする。

 六道がブロックするべく構えを取る。

 高めにボールが逸れた。

 瞬間、スライディングする。

 ベースを隠す六道の脚の横を滑り、追ってきたタッチを潜り抜けて手だけをベースの端にタッチした。

 すぐさま六道が構えを取り直し春を牽制する。

 春はすごすごとファーストベースに戻った。

 

「セーフセーフ!」

『カイザース先制ー! 少し無理なタイミングかと思われましたがタッチを潜り抜けました!』

『ボールが高めに逸れた分、タッチが遅れましたね』

 

 一塁上で春がガッツポーズを作る。

 初球から良く行ってくれたぜ。ナイスバッチ春。

 ふぃー、にしても危なかった。猛田の肩が予想より良くなってて暴走気味になっちまったな。林の送球が逸れてくれて助かった。

 

「何やってんだ林ー! スルーすればアウトだろ! 余計なことすんじゃねぇよー! お前は白井といちゃ付いてろー!」

 

 容赦無いヤジが飛ぶ。

 うぅむ。男性ファンから嫌われてるな、林は。

 けどまあ、あんなんでへこたれる奴がレギュラーをやれるわけがない。林は既に元の守備位置に戻っている。

 続くバッター、谷村さんが低めのシュートを引っ掛け、ショートへの併殺打に倒れて二回の表が終わった。

 二回の裏は猛田から。

 猛田をチェンジアップでサードゴロ、八嶋をストレートでセンターフライ、南戸をカーブでファーストゴロに打ち取り二回の裏は終わる。

 三回の表の久遠からの攻撃。久遠、相川さんが連続してゴロアウトになってしまったものの、蛇島がライト前ヒットでしぶとく出塁すると、友沢がセンターへのツーベースで二アウト二、三塁のチャンスを作った。しかし四番のドリトンがファーストファウルフライに倒れ、この回無得点。

 その裏の攻撃の下位打線の桐谷、田中、平田を打ち取り、序盤終わって1-0で中盤に入った。

 四回の表は飯原さんから俺、春へと続く打線。

 平田の投球は相変わらず冴えている。初球、インコースへのシュートで飯原さんを打ちとって、これでワンアウト。

 二回と同じ状況でバッターは俺だ。

 打席に立つ。

 シンキングファストへ対しての俺の反応の良さは六道に残ってるだろう。

 決め球にシンキングファストはない。カウント球で使ってくることは考えられるが、その可能性は低そうだ。

 平田が六道からのサインを受け取り、ボールを投げる。

 外角低め、カットボール。

 それを見逃すが、後ろで審判が手を上げた。

 初球はストライクから入ってきたか。ストライクなら振ればよかったぜ。

 二球目はシュート。内角に食い込むボールに思わず手が出るが、当たらない。

 これで追い込まれた。ストライクゾーンを広くして、きわどい所はカットしないとな。

 三球目の大きいカーブを見逃し、2-1からの四球目。

 平田が振りかぶる。

 迎え打つように足を上げて、外角低めへ投じられたボールに対してバットを降り出し――ボールが、外角低めから更に落ちた。

 っ、シンキングファスト!?

 ブンッ! とバットが空を切る。

 

「トライックバッターアウトォ!」

『空振りさんしーん! 葉波、低めのボール球をふらされました!」

 

 さっき痛打されたボールを決め球に使ってきたか。六道のやつ。俺がこの打席でマークを外すことを読みやがったな。

 投手としてもこのリードで抑えれれば気分が良いだろう。完璧に打たれたボールで今度は完璧に抑えたんだ。このあとのピッチングにも気合が入るってもんだぜ。

 続く春がセカンドゴロに打ち取られ、四回の裏へと入る。

 打順は一番から。バルカンズの誇る俊足トリオのうちの二人、矢部くんと林が続く打順だ。

 久遠がロージンを丁寧につけながら、ボールを握る。

 この回は大事だぞ久遠。さっきの回で平田が良い投球して流れがあっちに行きかけてるからな。

 特に先頭バッターの矢部くんには要注意だ。

 もしも矢部くんが塁に出れば、バルカンズベンチは活気づく。そうなれば勢いを押しとどめることは相当難しい。林に連打なんて浴びたら目も当てられないことになりそうだ。

 矢部くんは初球から振ってくるタイプ。慎重に攻めないとな。

 久遠にサインを出す。

 初球は低めへのチェンジアップ。

 投じられたボールに対して、矢部くんはバットを出さずに見送った。

 

「トーラック!」

 

 振ってくるかもと思ったけど、見逃してきたか。

 となると、次は速い球を警戒するはず。なら、ここでスライダーを入れよう。

 久遠が投じたスライダーが真ん中から矢部くんの内角へと食いこんでいく。

 食い込んできたボールに対して矢部くんがバットを振って迎え撃った。

 ベキッ! とバットが折れる音と同時に、力の無いゴロがセカンドの正面へと飛ぶ。

 蛇島がそのボールをしっかりとキャッチしてファーストに送った。

 

「アウト!」

 

 よし、矢部くんを先頭打者打ちとったぞ。

 決してスライダーの球威が悪い訳じゃないからな。普段に比べて高く来るからヒットにはなりやすくなっちまってるだろうけど、それでも十分使えるレベルだぜ。

 

『バッター二番、林』

 

 さてと、林か。

 滑り止めのスプレーを塗り、林が打席へと立つ。

 一打席目はチェンジアップを打ち上げてショートフライだった。

 パワーは無さそうだが足はある。典型的な短距離打者タイプを抑えるには高めの直球が有効。だからこそ、高めの球を勝負球に使いたい。

 初球はスライダーから。球威があるこのボールなら初球から行かれてもそう簡単にヒットには出来ないはずだ。

 久遠がサインに頷く。

 さあ、頼むぞ。

 ぐっ、と久遠が足を上げて腕をふるうと同時、林がバットを倒した。

 っ、セーフティ!

 ダッ! と春が前に向かってダッシュしてくる。

 しかし、林は手前で大きく曲がるスライダーにセーフティを空振った。

 

「ストラーイク!」

「何やってんだー! 一発で決めろよー!」

 

 痛烈なヤジが飛ぶ。

 ふぅ、助かった。セーフティバントで来るとはな。確かに有りだけど、殆ど林はヒッティングしかしてないから頭に無かったぜ。気をつけないと。

 ともあれこれで1-0。次はストレートを外角低めに投げさせる。

 久遠が頷いた。

 一度セーフティ失敗したからっつって引くようなタマじゃないからな。内野陣にセーフティも頭に入れとけとジェスチャーを見せる。

 外角低めに構え、久遠がストレートを投じた。

 再び林がバットを倒す。

 

「それは読んでるよ!」

「オーゥ! ソレハミステイクネ! セーフティヲアウトニスル、ソレガアメリカダ!」

 

 春とドリトンが猛然とダッシュしてくる。

 林はそれを見て、

 

 倒していたバットを引いた。ヒッティング!

 

 カァンッ! と快音が響く。

 ザザッ! と春が足を止めたその横を射抜くかのように、鋭いスイングで捉えられた打球が抜けていった。

 レフト前に転がるボールを飯原さんがキャッチし、友沢に投げ返す。

 

『レフト前ヒットー! 見事なバスターで林、ワンアウトから出塁します!』

 

 ワンアウトランナー一塁。ランナーが久しく出ていなかったライトスタンドが大歓声を上げた。

 

『バッター三番、六道』

 

 この場面、林は絶対に走ってくる。

 二塁に進めばワンヒットで同点になるからな。

 六道がふぅ、と息を吐いてバットを構えた。

 さて、と。どうすっかなこの場面。

 ウェストしてもいいが、カウントで不利になれば六道に狙い球を絞られる。

 盗塁されなくてもヒットになればランナーは二塁を踏む。そうなれば結局のところワンヒットで同点という状況になってしまう。

 つーことは……ウェストなしで林を刺す、これっきゃねぇな。

 初球はスライダー。牽制はしなくていい。クイックで早く投げ込んでこい。

 クンッ、と久遠が素早く投げ込んでくる。

 六道は初球を見逃した。

 

「ストライク!」

 

 林も走らずに、一度ベースに戻る。

 1-0。走者はなるべく早いカウントで盗塁したいはずだ。

 次は、走ってくる。

 一度牽制のサインを出し、久遠にファーストを牽制させる。

 林は走ることもなく、すっとベースに戻った。

 ドリトンから久遠にボールが帰ると同時、じりりと林は再びリードを取る。

 牽制はもうしなくていい。投げるボールはストレート。外角高めに頼むぞ。

 ぐ、としゃがんだまま構えを取る。投げられたと同時に立ち上がってセカンドへ送球するぞ。

 久遠がクイックに入る。

 同時に、林がセカンドへスタートを切った。

 高めに外されたストレートを立ち上がって捕球する。

 速い……! だが、刺す!

 セカンドベースへとボールを投げる。

 バッ、と林がスライディングに入った。

 投じられたボールを友沢がキャッチし、グローブを下ろし林の足にタッチする。

 どうだ……!?

 

「セーフセーフ!」

『セーフ! 盗塁成功ー!』

『やはり脚が速いですねぇ。葉波選手も盗塁を読んで高めへのボール球を投げさせたのですがセーフです!』

 

 っ、くそ、セーフか。

 久遠のクイックも俺の送球も悪くなかった。それ以上に林のスタートが良かったか。ちくしょう。

 ぐっ、とセカンドベース上でガッツポーズをして、林が俺に向かってニヤリと頬を釣り上げる。

 ぐっ、べ、別に悔しくなんかねぇからなっ。一盗塁くらいされたって勝てば良いんだ。

 これでワンアウト二塁。六道か猛田を歩かせることも念頭に入れて、慎重に攻めてかないとな。

 カウントは1-1。スライダー、ストレートと続けた。

 次はチェンジアップが定石だな。ヒットは打たれちゃ行けない場面だ。手堅く行こう。

 内角に構える。

 外角のボールをちょこんと当てられて外野の前ってのが一番怖い。内角低めなら、緩急もあってそう大事故にはならないはず。

 久遠がモーションに入る。

 その瞬間、再び林が走り出した。

 三盗!? チェンジアップの上に六道が被さってサードが見づらい! 刺せるか!?

 慌ててキャッチし、後ろに下がってサードへと送球する。

 バンッ! と春がタッチするが、間に合わない。

 

「セーフ!」

『立て続けに盗塁成功! 快速を見せつけます、林!』

 

 完璧に読まれた。

 でも、今の投球はストライクだ。2-1で追い込んだ。内野ゴロでも同点のピンチだが、追い込んだのは大きい。

 高めのストレートは六道も読んでるはず。それなら、ここは低めのスライダーで空振りを狙うぞ。多少コントロールが乱れても前に零す。全力で低めに投げ込んでくれ。

 久遠がサインに頷く。

 腕を引いて、投球に入ったと同時――六道がバットを倒し、林がスタートした。スリーバントスクイズ!?

 低めのスライダーに食らいつくように六道がプッシュ気味にボールを前に転がした。

 久遠が慌ててボールを拾い、俺へトスする。

 間に合えっ!

 ガッ! とレガースに脚が突っこんでくる。それでもホームインだけはさせじと足に力を込める。

 バシンッ! と滑りこんできた脚にタッチをした。

 

「セーフッ!」

 

 ッ! せめてファーストは刺す!

 ビュッ! とファーストにボールを投げ、ファースト塁審が腕を高々と掲げたのを確認した。

 

「アウトー!」

『スリーバントスクイズ成功ー! 三塁ランナー林、ホームへ帰って同点! 足攻で同点にしましたバルカンズー!』

 

 まさかスリーバントスクイズしてくるとはな。完璧に予想外だったぜ。

 同点にされちまったか。流れが悪い方向に行ってる。

 猛田をファーストフライに打ちとって四回の裏が終了する。

 この五回表の攻撃をサクサク行かれちまうと、流れが完全に向こうペースになるが、打順は八番の谷村さんから、一番の相川に戻るという下位打線からのスタートだ。

 先頭打者の谷村さんが低めのシュートを引っ掛けてゴロアウトになると、久遠はセカンドゴロ、相川さんはシンキングファストを空振って三振を奪われ、五回の表が終了してしまう。

 平田も流れをものにするためかこの回は力入れて投げてたな。今日の平田に気合入れられると、下位打線からのスタートじゃチャンスを作れないだろう。

 だったら耐えて耐えてバテてくる後半勝負、ってのも有りだが、今日の久遠じゃこれから先ずっと無失点ってのは厳しいかもな。

 久遠の調子は悪くないけど、いかんせん決め球のスライダーがこれだけ高く入るんじゃ勝負所で使いづらい。

 今はまだいいが、いずれスライダーを決め球にしないといけない場面が来るだろう。その時に相手に打ち損じを期待するんじゃ分が悪すぎる。なんか対策考えとかねぇと。

 五回の裏、バッターは八嶋から。

 絶対に抑えるぞ。気合入れろよ。

 初球はインロー、真っ直ぐ。

 久遠の真っ直ぐを八嶋はフルスイングで迎え打つ。

 ベシッ! という鈍い音とともにバットがへし折れた。

 打ちとった。

 確信した瞬間、ボールはサードの後方にふらふらと飛ぶ。

 マズイ! あの当たりは落ちる!

 ぽてん、とサードの後方でボールが弾む。

 流れは完全に向こうか。ここは強引にでも押しとどめるしかない。

 バットは六番の南戸。バントしてくる可能性もあるが、八嶋が盗塁して二塁に到達してからしてくるはず。

 そうなると盗塁警戒で外を攻めたいが、そこをエンドランでつながれても厄介だ。

 初球はチェンジアップ。インサイドに来い。

 久遠がじっと八嶋を見つめ、クイックモーションからチェンジアップを投げ込む。

 パシッ、と思ったより低めに来たボールを捕球して、じっと八嶋の様子を見つめた。

 スタートの様子はない。初球は様子見か。

 

「ボー!」

『チェンジアップが低めに外れます』

 

 久遠も相当ランナーに気を遣ってる。下手に警戒しすぎると崩れるかもしれない。

 とりあえず一つストライクを取って落ち着け。球種はスライダー。こういう時は一番自信のある球でストライクを取るのがベストだ。

 久遠が頷いて、ボールを握りなおす。

 そして、足を上げた所で八嶋がセカンドへと走りだした。

 久遠のスライダーが低く投じられる。

 八嶋が目に入ったのか!? リリースがいつもよりも早いっ。

 ボールが曲がる。

 スライダーは横回転を掛けて投じるボールだ。変化が鋭ければ鋭いほど、それだけ回転が多く掛けられてると言って良い。

 つまり、久遠のスライダーは球界屈指の回転数をかけて投げるボールなのだ。

 そのスライダーが回転数を保ったまま地面に当たるということは――必然、イレギュラーバウンドがしやすいということ。

 ドッ! とスライダーがホームベースに直撃する。

 逸れるっ。せめて前にこぼせ!

 俺のミットをすり抜けるようにして弾んだボールを身体で止めに行く。

 だが、ボールは大きく跳ね上がりプロテクターの肩部分に当たって大きくファースト側に転がってしまった。

 

『あーっとこれはワイルドピッチ! ランナーセカンドベースからサードベースへー!』

 

 八嶋がそれを見てサードに走りだした。

 慌ててボールを追って捕まえ、サードに投げようとするが、すでに八嶋はサードへと滑り込む。

 最悪だ……! ちくしょう!

 今のは止めなきゃいけなかった。何やってんだ俺は!

 ふー……落ち着け、今一番テンパってんのは久遠だ。一言声を掛けないと。

 

「タイム! 久遠、大丈夫か?」

「うん、ごめん、引っかかっちゃったよ」

 

 ボールを久遠に渡す。

 久遠は苦笑いをしながらボールを受け取って、ロージンを丹念に手に塗りつけた。

 ノーアウト三塁。一点入っても何らおかしくない状況だ。

 

「一点はいい、連打は防ぐぞ」

「うん」

「フライを打たせるぞ。高め中心に攻めよう」

 

 ぽん、とグローブを合わせて、ホームベースの後ろに戻る。

 一点ならいい。なんとかなる。

 初球は高めへのストレート。

 力は有る。押さえ込め!

 びゅんっ! と腕を振るって投げられた高めへのストレートは、一四九キロとバックスクリーンに表示された。久遠のマックススピードだったはずだ。

 指に掛かったスピンの利いたストレート。

 南戸は、そのストレートをコンパクトに捉えたした。

 カァンッ! と快音が響き渡る。

 高めの一四九キロを初見で捉えた、だって? そんなことって……!

 ドンッ! と打球がフェンスに直撃する。

 サードランナーの八嶋が悠々とホームに返ってくる。

 

『タイムリーツーベースー!』

『今のは配球ミスですよ。不用意に初球に高めのストレートはちょっと……」

 

 久遠が呆然とフェンスを見つめている。

 犠牲フライでもいいってつもりで高めのストレートを投げさせた。あわよくば内野フライの打ち損じも狙って。

 それをコンパクトにスイングしてフェンス直撃……下位打線だからって舐めすぎた俺の失敗だ。相手はプロなんだ。いくら久遠のボールに力があっても、甘く入れば打たれる。

 ギリリ、と奥歯を噛み締め、頭を振るう。

 まだ試合は終わった訳じゃない。この失敗は活かす。

 

『バッター七番、桐谷』

 

 幸い打順は下位。しっかり投げれば抑えれる筈だ。

 スライダーのサインを出す。

 久遠はフルフルと首を振った。

 ワイルドピッチしたからな。スライダーは投げにくいか。ならカーブをインコースだ。

 今度は頷いて、久遠がしっかりとボールを投げる。

 桐谷が初球を狙って打ちに来た。

 カキッ、と詰まった音とともに、ボールがサード方向へのゴロになる。

 

「はいっ!」

 

 春が叫び、ボールを取ろうと前に突っ込んだ所で、

 

 ぽーん、とボールがイレギュラーバウンドした。

 

 その瞬間、カイザースベンチ全員は目を疑っただろう。

 大きく弾んだボールが春の頭を超えて、レフト線へと抜けていく。

 ライトスタンドから流れる大きな音を聴きながら、俺は呆然と立ちすくむしかなかった。

 

 

             ☆

 

 

『パワフルニュースの時間です。本日のバルカンズ対カイザースは、昨日の敗戦の借りを返す大勝でバルカンズが勝利いたしました! 林選手は一日四盗塁に二打点、更に猛打賞の活躍でした!』

 

 ニュースを見つめながらぼんやりと見つめながら、俺は寮の自室で本日のスコアを纏めていた。

 甘い配球に、ボールペンで印を付けていく。

 ポイントは四回。林へ盗塁を許した所と、五回の南戸への不用意な一球だ。

 俺なりに考えてはいたけれど、あの配球じゃプロでは通用しない。

 神童さんから基本はとことん叩きこまれたけど、投手によって配球は変わるもの、捕手としてのセンスが試されるものだ。

 進、六道というプロを代表する二人のキャッチャーに勝つためには、今のままじゃ駄目なんだ。

 猪狩やゆたか、二人と組んでいる時は勢いに任せていれば良かった。猪狩は多少読まれてても抑えこむ能力があるし、ゆたかはまだデータが少ないから読まれても球の軌道が分からなくて打ち損じたりしてただけ。決して俺のリードが良かったとか、そんな訳じゃない。

 

「馬鹿か俺は」

 

 ボールペンを強く握り締める。

 アメリカ行って皆より成長出来たと、心の何処かで思ってた。

 でも、違うんだよな、そんなの。

 皆プロという人生をかけた修羅場で切磋琢磨してきてるんだ。所詮アマチュアで、ただただプロの手ほどきを受けてきただけの俺とは必死さが、置かれた環境が違ってた。

 林だって育成から上がってきて、明日試合に出る為に必死だったはず。

 他の選手だってそうだろう。

 必死にあがいてもがいて、その場その場で必死になって死力を尽くして、そうしてやっと勝ち残れるのが――プロ野球という、夢のステージなんだ。

 スコアを片付けて、テレビを見やる。

 本日のスコアと共に敗戦投手の『久遠』の名が映っていた。

 もしも今日の投手が久遠ではなく、クビになるかもしれない投手だったら、今日の俺のリードで納得してくれてたろうか。

 ――してくれる訳ねぇよな。

 ぱし、と頬を叩く。

 これからは『打たれたのは捕手のリードのせい』だなんて言わせはしない。目の前の一場面一場面に全力を尽くしてやる。

 待ってろよライバル達。

 反省した俺は、ちぃとばかし手強いぜ?

 

 



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第四一話 五月十一日 見えてくるものと、ライバル宣言

            五月十一日

 

 

 ゴールデンウィークの連戦が終わり、今日は休養日だ。

 ゴールデンウィーク九連戦は六勝三敗。しかし、その内の二敗はバルカンズからで、キャッチャーが変わった所でチームぐるみで苦手な球団からはそう簡単に勝ちを取るのは難しかった。

 現在の順位は一位キャットハンズ、二位パワフルズ、三位バルカンズ、四位カイザース、五位バスターズ、六位やんきーズ。

 首位キャットハンズとのゲーム差は5,5。三位のバルカンズとは2,5だ。

 明日は本拠地猪狩ドームでのパワフルズ戦だが、その前に。

 

「パワプロくん!」

「おっ、矢部くん!」

「久々ねパワプロ!」

「新垣! 久しぶりだなおい!」

「あおいちゃんたちもすぐ来るそうでやんすよ!」

 

 長いこと会えなかった恋恋高校のメンツと、久々に同窓会をしようという話になった。

 向こうから矢部くんと新垣が歩いてくる。

 新垣と会うのは久々だな。戦力外通告され、二軍で日夜努力しているみたいだ。

 

「よう、新垣、調子はどうだ?」

「あははー。ドラ一め。殴るわよ」

「!?」

「すまんでやんすパワプロくん。調子はどう? とか最近どう? とか聞くとあかりの駄目スイッチが入るでやんす。そっとしておいて欲しいでやんす」

 

 ひそひそ、小声でそんなことを言う矢部くん。

 なるほど、確かに俺でも育成降格したらこんな風に聞かれたら辛いかもな。そっとしておこう。

 

「む、もう揃っているな」

「……久々だな」

「うわー、懐かしい!」

「友沢くん、東條くん、一ノ瀬くんおはようでやんす」

「よ、東條」

「……ああ、久々だな。パワプロ」

 

 クールなほほ笑みを交え、東條が出迎えてくれる。

 あいかわらずクールなやつだなぁ。

 

「久々だぞー」

「お、お前は……誰だ?」

「ひどいなー、明石だぞー」

「実は覚えてたけどな?」

「……玄人好みの七番ライトだぞ明石は。得点圏打率四割超えだ。まあ普段の打率は二割八分ほどだが」

「すげぇ……」

 

 なんつー勝負強さ。そういや恋恋時代も地味にレギュラー落ちしたことないんだよな。俺たちが二年になるまではライト守ってたし、進がセンターを守って友沢がライトに移動してからはレフトを守りきってた。ある意味安定感の有る選手なのかもしれないぜ。

 

「お久しぶりです! 先輩!」

「ちわっす! パワプロ先輩!」

「おおっ! 森山に北前! ひっさびさだな!」

「うっす! キャットハンズ戦で連絡できなくてすんませんした。二軍落ちしてたもんで……」

「早く一軍に上がってこいよ?」

「あざっす。頑張ります!」

「森山も久々。最近まで上手いこと噛み合わなかったけど、お前はパワフルズで投手やってるんだっけ?」

「はい。館西さんに続く二番手ですよ」

「すげーな。館西か、南ナニワのあいつだな」

 

 館西の顔を思い浮かべる。

 変化球が多彩でコントロールが良かった頭脳派ピッチングだな。大量得点したけど、序盤に凄く苦戦した覚えがある。

 にしてもすげぇな猪狩世代。大体の投手当たってるんじゃないか? しかもエース格は殆ど猪狩世だし。

 キャットハンズのあおい、カイザースの猪狩、バルカンズの大西、パワフルズの館西に、バスターズの鈴本、やんきーズは鷹野という俺たちの世代の一個上だかなんだかだった筈だ。

 うーむ、そう考えると凄い。大当たりだよな、やっぱ。

 

「明日のパワフルズって表ローテだっけ?」

「予定ではそうなる」

「つーことは森山。お前とは二戦目でぶつかりそうだな。楽しみにしてるぜ」

「はい!」

 

 うわー、楽しみだな。後輩と真剣勝負って。

 にこにこと笑う森山に、北前が何か言いたそうに口を動かす。

 やっぱライバルがローテだと北前としては複雑か? 気持ちは分からんでもないけど。

 

「はぁっ、はぁっ、お、おまたせっ!」

「遅れてすみません、皆さん」

「来たぞ。今や球界のエースと、その名女房」

「あう、は、恥ずかしいこといわないでよ友沢くん」

「照れますから止めてくださいよー」

 

 これでレギュラーメンバーは全員揃ったか。いやー、懐かしいな。

 

「あ、北前くん。おめでと!」

「えっ、あの」

「? 北前がどうかしたのか?」

「あ、うん。明日から一軍だから」

「あ、あおい先輩。いいんすか? バラしても」

「あ、駄目だったかな……でも問題ないよね。データを集めれるほど一軍で出てないでしょ?」

 

 ぐはぁっ! とあおいの言葉の槍が北前を貫いた。

 え、エグいな今のは。言外に『ボクの後輩なんだからしっかりしないと許さないよ』って感情が込められてて、関係ない俺もぞくっとしたぞ。

 

「おはよ、パワプロくん」

「お、おう。んじゃ、早速飯屋行くか」

「ここに着ていないメンバーはどうするんだ?」

「殆どの奴都合つかなくてさ。石嶺はミゾットの仕事が忙しいらしいし、三輪は社会人の試合日で来れない。赤坂は来れるから店をとっとくってさ」

「じゃあ、ここにいるメンバー以外で来るのは赤坂くんとはるかだけなのかな?」

「七瀬も来れるのか」

「うん。大学の研究所に入ってて、なんとか都合付いたって」

 

 へー、七瀬は研究者になったのか。頭良かったもんな。

 なんかそれっぽい。白衣とか似合いそうだぜ。

 

「んじゃ。ここに来てないメンツは三人か」

「三人でやんすか?」

「おう、彩乃も来るってさ。久々に会うから楽しみだな」

「……そうだね」

 

 めらり、俺の横で何か炎が着いた気がする。

 え? 何? どういうことこの威圧感。俺なんか言った?

 

「パワプロ、あんた彩乃と会ってたりした?」

「あ、ああ。つーか、言ってなかったっけ? 俺のアメリカ留学の支援してくれたの、彩乃の倉橋グループなんだ。彩乃は今野球選手をサポートする倉橋グループの会社の社長になってて……」

「き、聞いてないよ! ……うう、大人しいと思ってたらそんなことやってたなんて。ま、まだ、諦めてないんだ……。うう、ボクとパワプロくんが恋人関係解消しただなんて知ったらどういう絡め手を使ってくるかな……」

 

 駄目だ、あおいが自分のゾーンに入っちまったぜ。こうなると暫く反応がないからなぁ。仕方ない。ちょっと放置するか。

 さて、と、約束した場所は焼肉屋だ。さっさと行くとしよう。

 

「……パワプロ、調子は悪いみたいだな?」

「ああ、ダメダメだ。ここ五試合で平均失点五点だし、打率も三割切ってる」

「思うようには行かないでやんすよね。やっぱり。オイラも一年目のプロの速球には手間取ったでやんす」

「猪狩世代の野手の一年目で上手く活躍出来たのは東條と友沢、それと矢部だけだったわね」

「オイラの場合は対応出来たのはシーズンの後半でやんす。開幕レギュラーだったでやんすけど、監督が我慢して使ってくれたでやんすよ。八月の月間打率三割超えは嬉しかったでやんす。それまでは二割ギリギリでやんしたから」

 

 うへー、それでも一年目で月間三割は凄いな。

 矢部くんの場合は守備と走塁があるから球団側も使おうと思ったんだろう。ドラ一だし。

 

「月間三割はすげーな」

「でもそこにキャンプでショートになって開幕レギュラーになって、最初の二〇試合、打率四割を記録した化物が居るでやんすよ」

「それほどでもあるな」

「流石だな友沢……」

「ちなみに東條も二〇試合で七ホームランしたでやんす」

「お前らキモいわ」

「つまり当時の俺たちよりも今のパワプロの打撃能力は下ということだな」

「……そうなる」

「テメェらそこに並べや! パワフルキャノンと呼ばれる俺の鉄砲肩で尻に硬球ぶつけたらぁ!」

 

 怒ったー、と棒読みで言いながら逃げる様子すら見せない恋恋高校のクリーンアップコンビ。こいつらー……!

 落ち着け俺。この二人は規格外なんだ。こいつらと自分を比べたら悲しいことになるのは目に見えてるぞ。ライバルだけどさ。

 

「でもま、それでも新人王は猪狩くんだったでやんすけどね」

「やっぱりそうなのか?」

「……当然だな」

「高卒一年目で開幕投手。それもその開幕戦で九回被安打二、四球〇、奪三振一六というゲームのような成績で勝ち投手になり、カイザース史上初の新人開幕投手完封勝利。そこから無傷の一五連勝でプロ野球タイ記録を作り、シーズンを終わってみれば、一七勝一敗。防御率1,96。奪三振二二九、完封五回、完投九回。最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手四冠。満場一致で沢村賞を獲得。投手五冠を取った」

「ば……」

 

 バケモンじゃねーか! なんだよそれ!

 初年度にキャリアハイのパターンか? 猪狩って。

 

「だが、この年でもカイザースは優勝出来なかった」

「……あ、そうか……」

「うむ」

 

 ちらり、と後ろで悩みながらついてくるあおいに友沢が目をやる。

 この猪狩に久遠や山口がいても尚、キャットハンズの――王者の牙城は崩せなかった。

 

「早川の成績は防御率2,08。奪三振一五三、完投完封は無かったものの、一五勝三敗だった」

「……すげぇ、な」

 

 猪狩の後塵を踏んでいるものの、あおいの成績も新人王を取って何らおかしくない数字だ。

 カイザースは先発が、キャットハンズは中継ぎ抑えが安定してる。

 カイザースの勝利は殆どが先発につき、キャットハンズはエースや柱の投手には勝ち星はついているものの、中継ぎ抑えで乗り切って逆転した試合も多い。

 キャッチャーに進ってのもデカい。打てる捕手だからな。それだけで深く語らなくても価値がある。

 対してカイザースはここ数年捕手を固定できていない。昨年こそ近平さんが何とかレギュラーを獲得したものの、それでもレギュラーの捕手としては不満が残っただろう。

 つまり、カイザースが優勝するためには――扇の要が重要なんだ。

 だからこそ、カイザースは俺を一位に指名したんだ。要になってくれることを、期待して。

 だったら、その期待には答えないとな。

 

「うし、ついたぞ」

「む、ここか」

「焼肉JAJA苑だな」

「すみません、赤坂で予約してあると思うんですが……」

「あ、こっちだパワプロ!」

「おお! 赤坂!」

「久しぶり。パワプロくん。皆さん! あおい!」

「はるか! 久しぶりーっ!」

 

 先に来ていた七瀬と赤坂が出迎えてくれる。

 うおーっ、懐かしい! マジで四年前に戻ったみたいだぜ。

 どやどやと騒ぎながら席に座る。殆ど貸切状態だな、これ。

 

「よう、七瀬、調子はどうだった?」

「えと、まあまあ、かな?」

「ふふ、聞いて驚かないでよ、パワプロくん。はるかったら彼氏が出来たんだよ!」

「あ、あおいっ。言わないでってっ」

「おー、良かったじゃねぇか!」

「しかも大学生だよ。万通満大学に通ってる学生で野球部のエース。今年四年でプロ入りも確実なんだよねー♪」

「も、もぉっ!」

 

 かぁ、と顔を真赤にして、七瀬がぷいっとソッポを向く。

 七瀬に彼氏か。まあ七瀬くらい可愛くて頭の良い彼女を持ったらそいつも幸せだろうな。

 にしても万通満大学ね。色々な大学高校があるもんだ。

 

「赤坂はどうだよ。我が母校の監督業は」

「めっちゃ大変だわ。お前すげーな。捕手やりながらキャプテンやって監督とか、正気の沙汰じゃないぜ」

 

 ずぞぞぞぞー、とストローでオレンジジュースを飲みながら赤坂が答える。

 

「でもま、やっぱおもしれーよ。勉強もしてんだぜ、ちゃんと」

「赤坂が勉強……!?」

「おう、ドラッガーマネジメントってやつとか面白いぜ。二人くらいプロ入り出来そうな奴も居るし、楽しくてしょうがねぇよ」

「そか。それなら何よりだ」

 

 ――俺達は、高校の時、確かに同じ道を歩いていた。

 けど、今は違う。

 道を違って、互いに違う道を歩き始めた。

 また交差した奴もいる。でも、殆どの奴とは敵同士になったり、そもそも野球を一緒にできなくなったりしてる。

 それでも、皆歩いてるんだ。

 自分だけの道を。自分だけの、球道を。

 また一緒に歩きたいとも思う。

 いつかまた共に歩める道が来ると、そう思う。

 無数に分かれて、無数につながってる俺たちの未来。

 だから今は、こうして笑って話し合えるだけで満足していよう。敵同士でも、全く関係無い所で頑張っているのだとしても。

 それでいいよな。……皆。

 

「うし、んじゃ肉食うか!」

「はぁ、はぁ、ま、全くもう。忙しくてかないませんわ。おじゃましますわね。えっと……あ、パワプロ様!」

 

 赤坂が張り切って肉の皿を網へひっくり返したと同時。

 金髪を揺らしながら、彩乃が店に入ってきた。

 一年前と変わらない相変わらずの美貌だ。

 俺の顔を見るなり頬をゆるめて、俺の隣にそそくさと移動する。

 ちなみに俺の隣には赤坂とあおいがいたんだけど、赤坂の方が押し出される形になって俺の隣が彩乃になった。強引だなぁ、相変わらず。

 

「よ、彩乃」

「はい。四ヶ月ぶりですわ」

「……四ヶ月ぶり?」

 

 メラリ、とあおいが炎を背に、俺をじっと見つめて威圧感を溢れさせる。

 え、ちょ、ミートポイントがちっさくなりそうなくらいの威圧感なんだけど! やべぇ! 俺殺される!?

 

「あら、早川さんは知らなかったみたいですわね。パワプロ様の留学費を出したのは私の会社……倉橋ベースボールサポート社ですわよ。優秀な選手の海外留学から、オールスター、日本シリーズなどの出資も行なっています」

 

 えへん、と胸を張りながら彩乃が宣言する。

 まあ実際そうだからなんとも言えないけど、そのセリフを聞いてすぅっとあおいから目の光が消えていくのが気がかりでしょうがない。死刑執行されたらどうしよう。

 

「……ということは、彩乃さんはパワプロくんがどうだったかって知ってたってこと?」

「いいえ、神童様に年度の終わり以外は会わないように言われていましたから……」

 

 彩乃が残念そうに言う。

 実際、他のことやってる暇は無かったけど――そうだよな。皆にも寂しい想い、させちまってたよな。

 

「ま、なんだ。お陰で俺は成長出来たと思う。ありがとな」

 

 ぽんぽん、と彩乃の頭を叩くように撫でてやると、彩乃はかぁっと頬を赤く染めた。

 流石にこの年になって頭ぽんぽんは恥ずいかな。まあいいか。

 

「……むぅ」

 

 あおいが膨れて視線を外し、とぽとぽと小皿に焼肉のたれを注ぐ。

 うーん、難しい。あちらを立てればこちらが立たずか。

 

「ジゴロやってないでさっさと食べるぞ」

「ジゴロ? ってなんだ?」

「調べてみろ」

 

 ぐっ、くそう、人の教養が少ないことを盾にしやがって……っ。

 でも、せっかく焼肉屋に来てるんだもんな。飯くおう、飯。

 わいわいと雑談しながら、食事を進めていく。

 そのうち、自然と話は野球の方向へと向かっていった。

 

「パワプロくん、最近リード変だよね?」

「やっぱ分かるか? 色々考えて見てんだけどな。低め全部使ったら完全に読まれるし、かと言って安易に高め投げさせるのもなぁ」

「あのね、パワプロくん。そういう時は……」

「ダメですよ、早川先輩。パワプロ先輩にヒントをあげちゃ。少しのヒントでぐーんと成長する人なんですから」

「進くんのケチ」

「オイラは別にパワプロくんの攻めに疑問を持ったことはなかったでやんすけどねぇ」

「対戦したことがないから何ともいえないわね」

「……同じく、だな」

「俺も無いからなー、なんとも言えないぞー」

「アマがプロに口出しは出来ないぜ」

「俺もあんまり滅多なことは言えないかな、ていうか、俺はパワプロのリードで不利益を被ったことはないし」

「けど、な」

 

 久遠のあの一球は明らかに不用意と言われても良い球だった。

 思考無しでボールを投げさせたりはしてない。だからこそコーチも監督も厳しいことは言ってこないけど、バルカンズからの試合では近平さんが先発復帰したりして、俺との併用状態が続いている。

 あの試合は久遠のスライダーが良くなかった――そう言ってしまえば終わりかもしれないけど、何とか出来る方法はあったはずなんだ。

 本当の意味での扇の要になるためには、その方法にたどり着かないと行けない。

 そうじゃなければ、進や六道を超えることなんて出来やしないだろう。

 

「……あ、そうですわ。パワプロ様。パワプロ様はアメリカに行っていましたから、オールスターのこと、知らないのではありませんこと?」

「オールスター? ってあれだろ、アメリカでリーグ別にファンの選出で行われる……」

「はい、ファン投票の上位でチームを造るあれですわ」

「……でもどうすんだ? 日本って今、レリーグしかないだろ?」

 

 アメリカにはリーグが二つあるから、各リーグごとにファン投票するって形で問題ないだろうけど、こっちはそういかない。なんせレリーグの六球団しか無いんだし。

 

「それについては問題有りませんわ」

 

 こほん、と彩乃は咳払いをする。

 

「日本では、AチームとPチームのふたチームに分かれさせて選手を選出しますの」

「ふたチームに?」

「Aチームはファン代表。ファン投票の結果選ばれた選手達で構成されたスーパースターチーム」

「普通のオールスターのメンバーってことだな」

「そうですわ。そして、Pチーム、これは選手間投票で選ばれるものです」

「選手間投票……」

「はい。ファン投票で選ばれなかった選手の中から、選手たちの投票によって選ばれる、プロフェッショナルが選んだプロの中のプロ、プロフェッショナルチームですわ」

 

 ちなみに監督も選手と同じようにファン投票で選ばれた監督と、プロ達が投票して選んだ監督によって決まるらしい。

 なるほど、だからオールスターのAとプロフェッショナルのPか。

 このルールは彩乃が経営する会社がオールスターのスポンサーになってから取り入れられたルールらしい。ちょっと前まではオールスターはAクラスとBクラスの戦いになってたようだ。

 でも、このルールなら同じチーム内で対決が起こりうる。矢部くんか友沢のどちらかがAチームとPチームに別れるだろう。

 捕手なら、AチームとPチームに六道と進のどちらかが分けられる。……俺はファン投票で選ばれない限り、オールスター出場は難しそうだけどな。

 

「パワプロ様に優秀選手の看板を渡せることを楽しみにしてますわ。社長として、毎年商品の手渡しには参加してますから」

「そうなのか。じゃ、その期待に答えれるように頑張らないとな」

「頑張ってください」

 

 にっこりと彩乃が微笑む。

 そうか、オールスターか。もうすぐファン投票も始まる。ファンも普段見れないチームメイト同士の戦いや、普段敵同士の選手の共闘を見たいと思って投票するだろう。

 もしかしたら、あおいや鈴本とバッテリーを組めるかもしれない。

 

「パワプロくんが出れば……上手く行けばボクと……」

 

 ぼそり、とあおいが呟く。

 確かにいろんな奴と話せるだろうし、楽しそうだけど、今の俺の成績じゃ呼ばれるはずもない。

 今は背伸びをしても駄目だ。ゆっくりゆっくり、一歩一歩前へ進んでいこう。

 自分に言い聞かせて、拳を握る。

 

「ほれ、パワプロ、箸止まってんぞ!」

「あんがとよ赤坂……でもこれ以上肉だけ食うとカロリー消費が大変そうだぜ。一応プロだし摂生しないとな」

「んなこと言わずによ。高校の時は多少の無茶はしたもんじゃね?」

「無茶、ねぇ」

「だぜ」

 

 赤坂はけらけらと笑う。

 

「だって、一点ならいいとか言いつつ目の前の打者に全力を尽くして抑えにいってたじゃねぇか。このメンツ集まるとさ。二年の時のあかつき大付属の試合思い出すんだよ」

 

 赤坂は手を止めて、遠い目をし始めた。

 あかつき大付属戦か。懐かしいな。

 猪狩からツーランホームランを打った試合。

 目をつむっても思い出せるあの光景……そうか、もう五年前なのか。

 

「目の前の一個のアウト、一個の打席に必死で、そうしないと絶対に勝てなかった。一打席の油断が、一打席の慢心が――そのまま負けに繋がる。そう思えた」

「だ、な」

「……高校時代はもう帰っては来ないが、楽しかった、胸を張ってそう言える」

 

 赤坂の言葉に全員が頷く。

 俺もそうだ。目の前の打席、一個のアウトに必死で、この打席で打てば皆が何とかしてくれる、そういう気持ちで頑張ってたっけ。

 特に赤坂なんてその気持ちが強いよな。ベンチウォーマーとして、代打での一打席に集中してきたんだから。

 

「だから、なんつーの? そう"プロだから"とか言わず、一人の"選手として"、目の前の出来事に必死になろうぜ。つーわけで今日は食う日! 野球選手たるもの焼肉の時はがっつくんだ!」

 

 言いながら、赤坂が俺のグラスにビールを注ぎ込む。

 選手として、目の前の出来事に必死に。赤坂のやつ、滅茶苦茶良いこと言うな。

 並々注がれているビールを見つめながら思う。

 俺に足りなかったのは多分、これだ。

 結果を残さなければとは思ってた。実際、それが正しいだろうし、真理でもあると思う。結果を残さなくても良いだなんて思ってる選手は一人も居ないだろうし、この打席で打てなかった分、次の打席はしっかり打とうだとか、二点取ってるから一点やっても同点にはさせないだとか、そういう考え方も必要だとも思う。

 でも、それ以上に、俺は目の前の勝負に必死になってなかった。

 アメリカでは、この打席はこういう課題を持ってやろうとか、今日のリードはこの選手だから決め球を上手く使おうとか、そういう風に課題を持って望む試合ばかりだったから、忘れてたんだ。

 

 目の前の一打席への気迫を。目の前の打者に対する闘志を。

 

 目の前の勝負に全力を出せない奴が、結果を残せるはずがない。

 一日スタメンかどうか。一日ヒットを打てたかどうか。この試合に勝てたかどうかというスパンで考えるからダメなんだ。

 目の前の一個のアウトを全力で取れ。目の前の一つの打席に全力で挑め。

 それが出来る人物でなければ、生き残れない。

 目の前の場面場面で全力を尽くすと俺は誓った。でも、それじゃ足りないんだ。

 一球一球に集中しなければ、目の前に立ちふさがる強力なライバルたちに、立ち向かえる筈ないんだから。

 

「……ありがとな、赤坂。目が覚めた」

「おう? そうかい。飲み過ぎて眠かっただけか。ほらほら、行けって!」

「ん……んぐんぐ」

 

 ぐいっとグラスのビールを飲み干す。

 グラスの中は、今の俺を悩みを示すかのように綺麗さっぱり無くなっていた。

 

 

                ☆

 

 

 夜。

 焼肉屋で解散し、俺達はそれぞれの帰路につく。

 

「じゃあ、また明日だなパワプロ」

「いいなぁ、お前ら。自宅持ちで……」

「そう言っちゃダメだよ、パワプロくん、二年目までは寮ぐらし。そういうルールなんだから」

「分かってるって、んじゃまた」

「またね、パワプロくん!」

「あはは……それではまたです。パワプロ先輩」

「赤坂、今日はありがとな。お陰ですっきりした」

「おう、良かった。今年の夏は恋恋高校が熱くするからよ。またな!」

「ああ、皆またな」

「はいですわ!」

 

 全員と別れ、ゆっくりと夜道を歩き出した。

 夜風が気持ちいい。ちょっとゆっくり帰るか。門限までまだ時間有るしな。

 寮近くまでゆっくりと歩く。

 寮近くの公園に差し掛かった所で。

 ビュンッ! ビュンッ! という風斬り音が木霊した。

 これ、スイングの音か?

 バットの振る音と気づいて、俺は公園に近づく。

 すると、そこに居たのは――。

 

「ち、っくしょう! ちっくしょう!」

 

 泣きながら素振りをする、近平さんだった。

 がむしゃらに振っている訳ではない。しっかりと一回一回、要点をチェックしてスイングしている。

 だが、その瞳からは雫がこぼれ落ち、汗と共に地面を更に黒く染め上げていた。

 

「はぁ、はぁっ……」

「……近平さん?」

「ッ!? パワプロかっ! ……なんだよ、笑いに来たのか?」

 

 俺が声を掛けると、近平さんは一瞬驚いたような顔をするが、すぐに涙をタオルで拭った。

 その瞳からは、溢れんばかりの悔しさが滲んでいた。

 二軍行きでも、言い渡されたのか? いや、最近近平さんは代打で結構打ってるし、その可能性は低いんだけど……。

 

「笑う理由がないですよ。流石に努力してる人を笑う程性格悪くないです」

「……は? なるほどな……聞いてないのか」

「? 何が、ですか?」

「コンバートだよ!」

 

 首をひねる俺にイラついたのか、近平さんが言葉を荒げる。

 コンバート……? って、まさか!

 

「近平さんが、コンバート、するんですか?」

「するんじゃねぇ! させられるんだ!」

 

 ガンッ! とバットを投げ捨てて、近平さんが俺の胸ぐらをつかむ。

 させられる、って、どういうことだよ?

 酒のせいで頭の回りが遅いのか、状況が全く理解できない。一体……?

 

「酒の匂いプンプンさせやがって……! 俺はな、ここまで捕手一筋で来た。甲子園にゃ出れなかったけど、地元ナンバーワン捕手って言われてたこともある。それに対して俺は自信もあったしプライドも持った。カイザースで正捕手を取れた時なんか寝れねぇ程嬉しかったぜ。……でもな、テメェに、その場所を奪われたんだ」

 

 近平さんが吐き捨てるように言う。

 その言い方には、悔しさや無念さが滲んでいるようで。

 

「監督に今日呼び出された。お前をレギュラーに据える為、俺の打力を代打で腐らせとくには勿体無いから、肩を生かして外野手になってくれ、ってな。……分かるかよ……その気持が! 甲子園優勝捕手にもなって、猪狩に頼られて――そのままそのポジションを貫けるお前に! 俺の気持ちが!」

「でも、それは――」

 

 言いかけたところで、はたと気づいた。

 嫉妬の感情は向けられているけど、悔しさの矛先は、俺に向いてない。

 

「黙れッ! わかってんだよ……! 俺に捕手のセンスが足りないってことも。――慢心して努力してなかったってことも!! だからこそムカつくんだ腹が立つんだ! 全力でやってりゃテメェなんかに負けねぇのに! 全力でやってなかった自分に!」

 

 バッ、と俺の胸ぐらから手を離し、息を荒げながら俯き、近平さんは再び涙を拭う。

 

「……俺は……お前に負けたよ。たった一つしかない、捕手のレギュラーを守れなかったさ」

 

 そして次に顔を上げた時には――近平さんの目に、嫉妬の感情は見えなかった。

 

「でもな、二度は負けねぇ。捕手としては負けても、打撃ではお前に勝つ! 勝負しろ葉波! どっちが先にクリーンアップを打つか! 友沢、ドリトンと続く五番打者! そのポジションは譲らねぇ!!」

 

 ビシッ! と俺に指さす近平さん。

 はは、流石だぜ。この人。メンタルが強い。

 伊達に三割打ってないんだ。俺より打撃センスは有ると思う。勿論捕手センスじゃ俺の方が上だろうし、打者として負けてるつもりもないけどな。

 

「ええ、いいですよ」

「後その口調止めな! ライバルに敬語とか何のつもりだ! 先輩だからって遠慮か? んな言い訳させねぇぞ!」

「……わかりました――いや、分かった。近平さん。どっちが先にクリーンアップを打つか、勝負!」

「へへ……そう来なくちゃな。休日だからっつって酒飲んでる後輩のお前に、俺が負けるかよ!」

 

 ニヤリ、と近平さんが笑う。

 課題が見えてきた上にライバルと勝負か。上等、熱くなって来たじゃねぇか!

 

「負けた方がおごりでディナーフルコースだ!」

「財布に万札入れとくといいぞ?」

「後輩の分際で生意気な。テメェこそ契約金降ろしとけよ!」

 

 ゴツン! と拳をぶつけあい、互いに挑発しあう。

 おもしれぇ。この勝負、絶対に勝つ!

 



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第四二話 パワフルズ&カイザース パワフルズvsカイザース もう一人の主人公と、嵐の前の嵐

「――つまり、なんですか……。俺に、捕手は無理だ、っていうんですか?」

 

 声を荒げて、思わず近平は詰め寄った。

 休日。ゴールデンウィーク九連戦が終わった、翌日の休日。

 監督室に呼び出された近平は、監督に言い渡された。

 

「そうだ。上層部、首脳陣との話し合いの結果――葉波を正捕手として育成する方針へと切り替えることに決まった。近平は打撃力を活かすためにも、外野手になってもらう」

「ッ……! な、納得できませんっ!」

 

 プリントに目を通しながら告げた神下監督に、近平は食って掛かる。

 幼い頃から捕手をやってきた近平にとって、それは当然の行動だ。

 ボールを取り、自分の考えで投手が動き、その結果試合が別れる――試合を操っている、その感覚が何よりも好きなのだ。

 それを止めろ、と言われて止めれる程、近平は大人でも無いし、自分の能力に自身がないわけでもなかった。

 

「確かに肩はあいつのが上かもしれません! でも、俺にはキャリアがあります! あいつより五年早くプロに入ってるんですよ!?」

「わかっている。実際、最近の葉波のリードには迷いが見える。プロの壁へぶち当たったんだろう」

「それなら――」

「だが、それを投手陣に赦されているのだ」

「えっ……?」

 

 近平の言葉を、神下は己の言葉で黙らせる。

 神下はじっと近平を見つめながら、

 

「普通、人とは他人の失敗で自分に悪影響が有ることを極端に嫌がるものだ。それが如何な相手であれ、エラーをヒットにされて気持ちが切れる投手をお前も何度も見てきただろう。……だがな、それをしない、させない者が中心になっていくのだ。味方のエラーを見て笑い、悠々と次の打者を切って取る。それができるものがエースになるように――自分のエラーを他人に失敗と思わせないのもその能力の一つ」

 

 神下はプリントを机に置いて、思い出す。

 久遠は、笑っていた。

 あの一球。

 高めに要求した葉波のリードは、プロから見れば激怒ものの、不用意な一球以外の何物でもなかった。

 にもかかわらず、久遠は自分の投球を悔いたのだ。

『もう少し力を入れて投げるべきでした――』。ベンチから帰ってきた久遠の言葉を、神下は、そ痛烈に覚えている。

 それほどまでに、葉波は信頼感を得ていたのだ。

 同級生だから。高校時代同じ学年で戦いあった盟友だから――そういう一面も有ることは否定出来ない。

 それでも、まだ同じチームで一緒にプレイし始めてから半年も経っていない葉波が、久遠にそこまで言わせる程の信頼を得ているのに変わりはないのだ。

 

「同級生だから悪く言わなかっただけ。確かにそうだろう。だがな、近平。そういう能力の及び届かない所も、我々トッププロにおいては大事だろう」

「そ、れは……」

「技術、センス――それら全てが傑出しているもののみが入れる、このプロ野球という舞台で、一線級に戦っていくには、近平。そういった"数字に現れないもの"を持っていることこそ重要なのだ。主力と同級生なこともまた然り。僅か数ヶ月で投手陣の信頼をここまで得ているの然り、な」

「…………」

 

 近平は拳を握り、神下の言葉を聞くことしか出来ない。

 

「稲村は今年伸びたな」

「っ。そう、ですね……ゆたかは、伸びました」

「ふ。……四年前、稲村の初ブルペン、受けたのはお前だったな近平。怪我で一年間投げれなかった投手を、一軍のローテ入りにまで引き上げたのは誰だと思う」

 

 ――神下の一言は、近平の捕手としてのプライドを、叩き潰す容赦の無いものだ。

 それでも神下は言葉を紡ぐのを止めない。

 今、近平に最も必要なのは、大きな挫折なのだから。

 

「"それ"が、正捕手に必要なものだ。猪狩、久遠、山口、一ノ瀬というリーグ屈指の投手を支え登らせ、稲村などの台頭著しい若手投手陣を引っ張り上げる。そういう能力が必要なのだ。葉波にはそれがある。照明してみせた。稲村が、猪狩が、久遠が、山口が。――近平、お前には、その能力はない。控え捕手としてならポジションをキープできるだけの能力が有る。だが、扇の要には成り得ない」

「……う、くっ……」

 

 床にしみが付く。

 ぽたぽた、と音を立てて。

 抑えようのない悔しさだった。なんでこんな想いをしなければならないのかと、頭を掻き毟りたくなるような耐え難い感情だった。

 うつむいて、前を向くことすら出来ない近平。

 その肩に、大きな神下の手が添えられた。

 

「だが、中心にはなることはできる」

「っ、えっ……?」

 

 涙で濡れる頬を拭うことも忘れて、近平は神下の顔を見る。

 普段厳しい神下の表情は、まるで父のように優しかった。

 

「お前に扇の要としての能力は足りないかもしれない。だが、打線の核になることは出来る」

「っ、え……」

「近平、お前の打撃センスは、葉波のそれを大きく超えている」

「……それ、って……」

「要になることは出来ないかもしれない。だが、柱になることは出来る。近平。お前はバットでチームを変えてみせろ。お前にはその能力が有る。一振りで試合を決める。クリーンアップに」

「監督っ……」

「外野手だ、近平。外野用のグローブをミゾットに注文しておけ。しばらくは悔しいだろうが、その悔しさはバットにぶつけろ」

「……っ、はいっ!」

 

 神下監督の言葉に頷いて、近平は監督室を後にする。

 新しい近平の戦いが、始まるのだから。

 

 

                  ☆

 

 

 ――パワフルズ。

 球団設立時代から、カイザースとはライバルと死闘を繰り広げて来た球団であるそこは、レリーグ創世記から名を連ねる、いわば老舗球団である。

 投のカイザースならば打のパワフルズ。

 打のパワフルズならば投のカイザース。不思議とチームカラーが似通ることは無く、現代もエースクラスの投手を数多く抱えるカイザースに対して、四番クラスの打者を多く抱えるのがパワフルズだった。

 東條、福家、七井アレフトという中軸三人に、パワフル高校の主軸だった尾崎、恋恋高校影の立役者明石など好打者を備える強力な打線が売りでもある。

 反面、投手陣の層の薄さはウィークポイントだ。近年、安定して先発としてローテを守っているのは館西くらいのもので、去年台頭してきた森山を入れればローテクラスの先発陣は二人のみ。投手陣の不安定さのせいで、投手戦の勝ちを拾えないのが、近年優勝を逃している原因だ。

 それでも尚現在二位に食い込んでいるのは、野手陣の働きが大きかった。

 打率ランキングは友沢のせいで二位なものの、他の主要の打撃ランキングは全てパワフルズ勢が占領している。特に打点ランキングは一位から五位まで、パワフルズのメンツが占めるという、他球団にとっては恐ろしい事態になっている。

 だが、これでも尚、キャットハンズの牙城は揺るがない。

 首位、キャットハンズとの差は三ゲーム差。

 これだけ打っても、まだ三ゲームもの差がある。

 監督である橋森は、この状況に歯噛みするしかなかった。

 

「このままでは、沈む……」

「監督……」

 

 監督室でのヘッドコーチとの話し合いで、橋森は深々と呟いた。

 打撃陣の調子は絶好調。だが、それは同時に今が打撃陣全体のピークであるということも指し示している。

 もしもこのまま調子が落ちていけば、いずれ打ち勝てなくなるだろう。

 そうなれば待っているのは失速だ。

 失速に歯止めを掛けるのは投手陣だが、その頭数がパワフルズには足りなかった。

 先発はいい。柱は二本立っている。後は谷間だが、中堅選手達は球に完投をするくらいには頑張ってくれているし、中継ぎ陣も豊富と言っていいレベルではある。

 問題は抑え。

 特に、中継ぎの一人を指名して日替わり守護神にしている現状が痛い。

 中継ぎは揃っている。若くして見事なコントロールを持つ手塚に、変化球の豊富な犬河の二枚看板の他、生きのいい若手から、老獪なベテランまで幅広く居る。

 だが、それが抑えになった途端に固定出来ない。手塚は球威が足りずに、最終回にランナーを出してズルズルといってしまうし、犬河は変化球を狙い打たれてしまうことが多々ある。

 他の中継ぎにしても、抑えにするほどの能力は揃えていなかった。

 

「抑えが必要だ」

「はい」

「アメリカに留学に行っていたあいつはどうだ? クローザーで、しかも左腕だったろう」

「――二軍で一一試合投げて防御率〇、〇〇です」

「なっ」

 

 その言葉を聞いて、橋森は顔を真赤にしてバンッ! と机を叩いた。

 二軍とは言え、防御率〇点。そんな好成績を残した抑え候補が、何故二軍からの推薦リストに上がっていないのだろう。

 

「何故そんな好成績を抑えている選手の情報が手元に来ていない!?」

「コントロールが荒いですからね。自責点は無いですが、フォアボールは一一回を投げて一三個ですよ。とても一軍には推薦出来ません。変化球も一球種しか投げれませんし、その球種も高速スライダーですから緩急もあったものではないです。二軍監督は、後一年じっくり変化球を覚えさせてから、と……」

「呼んでくれ」

「え?」

「――水海(みずみ)と二軍監督を呼んでくれ!」

 

 普段穏やかな男だが、芯は熱い。

 根が優しいので普段は怒らないが、今現在の現状によほど苛ついていたのだろう。その声は珍しく荒げられていた。

 わ、分かりました。と慌ててヘッドコーチが監督室を出て連絡に行く。

 しばらく経って、三人が監督室に戻ってきた。

 ヘッドコーチ、二軍監督――そして、後ろに付いてきた特徴の無い男が水海だ。

 水(みず)海(み) 浪(らん)。

 一年遅れでドラフト入りした猪狩世代。経歴的には猪狩世代だが、一年遅れでプロ入りした変わり種だ。

 原因は怪我。

 球八高校という学校に入学したものの、練習での怪我が祟り、また球八高校も公式戦に出場出来なかった悲運の高校生である。

 最終年。あかつき大付属高校が甲子園で優勝したその年に満を持してデビューし、残念ながら二回戦で敗れたものの、そのポテンシャルを遺憾なく発揮――球速表示一五四キロを記録した。

 だが、故障によりドラフトには掛からなかった。

 全治半年の大怪我だけあって仕方のないことだったが、彼は浪人の道を選び、なんと高校卒業半年後の入団テストに合格。翌年、ドラフト七位でプロ入りした変わり種である。

 

「おはようございます。監督。あの、何のようでしょうか?」

 

 緊張した面持ちで、水海が橋森に話しかける。

 第一印象は特徴の無い普通の少年といった感じだ。

 

「水海」

「は、はい!」

「二軍成績を言ってくれ。細かくだ」

「はい……登板数一一。投球回数一一。防御率〇点。四七人の打者に対して、被安打一……よ、与四球、一三です」

「……フォアボールが多いな」

「はい」

「何故だ?」

 

 橋森の問い詰めるような視線に、ゴクリと水海は喉を鳴らす。

 そして、意を決して橋守の目を見返した。

 

「三振を取るために、コントロールを無視して全力投球するからです! 二軍監督に八分の力でコントロール意識して投げろと言われても無視してるからです!!」

「ほう? その奪三振数はいくつだ?」

「三三個奪ったアウトに対して――二九です!」

 

 悪びれることなく、水海が言い切った。

 そのセリフを聞いて、橋森は頬を吊り上げると同時に、何故自分に報告が来ていないのかを悟った。

 つまり、この水海という男は二軍監督の言葉を無視していたのだ。

 通常、それはあってはならないことだ。良かれと思って八割の力で投げろと二軍監督は言う。この成績だ。フォアボールさえ少なくなれば一軍に呼ばれることになるだろう。

 だが、それでも、水海は曲げなかったのだ。

 己のポリシーを。ピッチングスタイルを。

 それで結果を残せて居ないのなら、話にならない。正直クビの理由になってもおかしくない程の理由だ。

 だが、この水海という男は、それで結果を残している。

 ならば、怒る理由なんてどこにも存在しない。

 二軍監督もそれをわかっているのか、やれやれと呆れた表情だった。

 その表情で橋森は確信する。二軍監督は次の報告会議の際、この水海を一軍に推薦するつもりだったのだろう。

 だからこそ、二軍監督は何も意見してこないのだ。

 ここで一軍に足り得ない選手ならば、監督室に来る前に調子などを理由にして一軍行きはさせないとキッパリ言ったはずなのだから。

 

「水海」

「は、はい」

「俺は何も言わない。――ただ、三振を奪ってこい」

 

 橋森は笑みながら、水海の肩を掴む。

 水海という、大器に水を満たす言葉を呟きながら、その獅子を光り輝く舞台に放つ準備を進めるのだ。

 

「最終九回。湧き上がるスタジアムの中心に君臨し、その腕を存分に振るって最後に牙を剥く的打者達を、快刀乱麻に討つのがお前の仕事だ。――出来るな?」

「――任せて下さい!」

 

 そこで橋森は初めて気づいた。

 この選手が持つ目の輝きは、今年ドラフト一位でカイザースに入団した、あの捕手のものとそっくりなのだと。

 

 

            ☆

 

 

「……よし。準備万端」

 

 ぎゅ、と靴紐を結び、オレは立ち上がる。

 この三年間、色々あったなぁ。

 やっと一軍。ここまで凄く長かったけれど、貫いたことがやっと花を開いたみたいだ。

 今日はカイザース戦。戦力はキャットハンズにつぐくらい。今は歯車があってないけど、ぐぐんと伸びてくるだろう球団だ。

 特に中軸の友沢くんは要注意だね。まあ、オレは最終回が出番だから、投げる機会があるかは分からないけど。

 

「うわっ、もう九時だ。早く行かないと」

 

 やばいやばい。練習は一〇時からだから、早めに出ないと。

 

「……じゃ、行ってくるね。――空」

 

 玄関口に立ててある写真立てに行って、それを倒して家を出る。いつものオレのジンクスだ。

 

「おはよッス水海!」

「おはようございます!」

「一軍昇格おめでとうッス! 暴れて来るッスよ!」

「はい! じゃ、急ぐんで行ってきます!」

「いつもの彼女のとこッスか? 律儀ッスねー!」

「彼女じゃないです! じゃ、いってきます!」

 

 かぶった帽子を後ろに回し、走りだす。

 カイザースとパワフルズと言えば、レリーグの中で最も客入りの良い伝統の一戦。その日に一軍入りだなんて信じられないよ。

 空が見たら、なんていうかな。

 家の前に到着して、チャイムを鳴らす。

 パタパタと中から足音がして、ガチャと扉が開いた。

 中からオレンジ色の髪の毛を揺らしながら、海ちゃんがとてとてと近づいてくる。

 

「いらっしゃい。水海さん」

「おはよう、海ちゃん。今日から一軍だよ!」

「はい、知っています。ユニフォーム来て応援に行くので、登板してくださいね」

「チームが勝ってないとね」

「えへへ。……あの、毎日言ってるんですけど……私、大丈夫ですよ……?」

「ううん、心配だからね。あとコレ。特等席のチケット。ホームベース後ろの一番良い所だよ!」

「わざわざありがとうございますっ」

 

 チケットを手渡し、目的は達成。顔も見れたし、そろそろ行かないと。

 

「じゃ、行ってくるね!」

「はいっ、いってらっしゃい。怪我だけはしないようにしてくださいね? ……球八の時みたいな怪我、嫌ですから」

「ありがと、行ってくる!」

 

 海ちゃんに手を振って走りだす。

 球八の時は気合入れすぎて身体を壊しちゃったから、もうあんな無茶はしないよ。

 山ごもりなんかするオレの為に色んな試合のビデオを取りに行ってくれてた海ちゃんと空の為にも、オレはもう怪我しないって決めたんだ。

 頑張市民球場に入る。

 いよいよ、オレの一軍としての一歩が幕を開けるんだ……!

 ロッカールームに入る。

 中に居た四人と目があった。

 

「あっ……!」

「……来たか、水海」

「東條! 七井! 尾崎に福家さん!」

 

 うわぁ! いきなりパワフルズ三十本カルテットだ。オレ、今一軍に居るんだな!

 

「ふ、ふふ、寮からユニフォームで来たのカ? 面白いやつダナ」

「……違う。七井。こいつは普段ずっとユニフォームと帽子をかぶってるんだ」

「ハ?」

「うむ、一度怪我で二軍に落ちた時、わざわざ新しいユニフォームに着替えて『お疲れ様でしたー!』といって返ってくる水海には度肝を抜かれたものだぞ」

「変わった趣味だな?」

「だってカッコイイじゃん! ユニフォーム!」

 

 荷物を置きながら言うと、皆が微笑ましく笑う。な、なんでだろう。オレ変なこと言ったかな?

 とりあえず、ブルペンに行かないと。大倉さんに一度球受けさせろって言われてるし。

 

「じゃ、今日の試合お願いします!」

「……ああ、お前を出させてやるから安心しろ」

 

 東條がクールに言う。カッコイイなぁ。後で海ちゃんの為にサインでもお願いしようかな。

 グローブを抱え、ブルペンへと急ぐ。

 ブルペンに入ると、オレ以外に人は居なかった。当然かな。

 ぐーっと身体を伸ばしたりストレッチをする。

 その内に、大倉さんがゆっくりと入ってきた。

 

「おう。もう来てたか。準備体操は終わったみたいだな」

「はい! いつでも行けます!」

「よし、じゃあ肩を作っていくぞ」

「お願いします!」

 

 パシッ! と大倉さんからボールを受け取り、きゅっきゅと両手で包み込むように撫で、軽く左腕を振るう。

 パァンッ! と大倉さんのミットが音を立てた。

 

「あんまりコントロール良くないんだって?」

「はい。取りにくいと思いますけど……」

「ま、大丈夫だ。一応正捕手だからな。球種、マジで高速スライダーだけなのか? 実は投げれるけど打たれるから投げないだけ、とか?」

「いえ、正真正銘高速スライダーだけです」

「リードしづらっ!」

 

 うわぁ、いきなり言われちゃったよ! そりゃそうだよなぁ。二軍の捕手なんかオレが登板するだけで嫌そうな顔してたし、最終的にはど真ん中に構えてたもん。

 

「まあ、そんなでも一軍に上がってくるってことは魅力があるってことだからな。それを最大限に活かせるよう頑張るから、お前も全力でこい!」

 

 にっと笑いながら大倉さんが快活に言ってくれる。

 流石正捕手。懐の深さが違うよ。

 十分ほどキャッチボールをして、いよいよ肩も温まってきた。

 人はまだまばら。別に見られたいわけじゃないけど、初一軍ブルペンで大暴投なんてしたら変なあだ名付けられそうだから、これくらいの方が気楽でいいかな。

 

「よし、座るぞ。初球は全力投球でいい。ボールストライク関係なく思いっきり投げてこい!」

 

 言いながら大倉さんが腰を下ろし、パシン! とミットを叩く。

 よーし。なら、本気で投げるぞ!

 ボールを握り、グローブで覆う。

 ワインドアップモーション、一歩後ろに下がり、手を大きく上げ、胸を張る。

 そこから足を上げ、身体を回す。

 右腕を伸ばし、左腕を引く。

 テイクバックは大きく。体全体の体重を一度軸足に集中。

 そこから右腕と共にグローブを抱え込み、真っ直ぐ捕手へ向けて足を出し、体重を一気に踏み込んだ足へ。

 身体を斜めに倒し、ほぼ真上に伸びた左手の指先にあるボールに体重を一気に掛けるイメージで、思いっきり、腕を振る!!

 ――ピッ。

 

「!!」

 

 あっ、やばっ。高めに抜けちゃった。

 ビシイイッ! と、オレの投げたボールは大倉さんのミットをかすめることなく、真後ろの緑のネットへと突き刺さった。

 

「……」

「……あー……」

「……」

 

 う、うわぁ、大倉さんが何も言わないよ。

 焦るオレ。このノーコンは使えないとか言われたらどうしよう。

 

「水海」

「は、はいっ!」

「もう一球だ。ミットに入るまで投げさせるからな」

「あ、はい!」

 

 パシッ、と大倉さんから再びボールが返ってくる。

 お、怒ってなかったのかな。うーん……。

 と、とりあえず今度は八割の力で、コントロールを意識して。

 ビュッ! と腕を振るう。

 パァンッ! と今度はちゃんと大倉さんのミットにボールは収まった。

 ふー、良かった良かった。

 などとオレが安堵をしていると、大倉さんがマスクを外し、鬼の形相で俺を睨みつけてくる。ええぇっ、なんで!?

 

「水海! 俺は最初なんつった!」

「え? あ、えと、ぜ、全力投球でいいって」

「そうだよ。今の球は全力じゃねぇだろうが!」

「すみません!」

「全力でミットに入れるまでつってんだよアホ! さっさと投げろ!」

 

 痛烈な勢いで帰ってきたボールにビビりながらも、ボールを左手に握りなおす。

 落ち着け落ち着け。大倉さんは俺のマックスを見たがってる。なら、見せてみよう。俺の全力投球を。

 振りかぶって、ぐっと体重を乗せ、腕を、振りぬく!

 

 ――キュオンッ。

 

 スパァァァアァンッ!!

 どまんなかだけど、今度はちゃんとミットに入った! やった!

 ブルペン内に快音が響き渡る。やっぱりこの音、最高に気持ちいい。

 と、周りの音が完璧に止まっていることに気づいた。

 まるで海中に居るかのような静けさ。えっと、どうしたんだろう。

 

「水海。もう分かった。次はスライダー頼むぞ。勿論スライダーも全力だ」

「は、はい」

 

 パンッ、と帰ってきたボールを握り、スライダーを投じる。

 グオンッ! と大きく曲がるスライダーを、大倉さんはあっさりと捕球した。

 凄いなぁ。二軍だと取れないこともあるのに、やっぱり正捕手って凄い。

 しばらく投げた後、距離を短いキャッチボールをして、とりあえず上がりだ。

 

「試合に備えとけよ。お前の球は取るから、全力で投げろ」

「はいっ。ありがとうございます大倉さん!」

「俺がトンボかけといてやるから、身体冷えないうちにアンダー変えとけ」

「はい!」

 

 大倉さん、めっちゃ優しいじゃん! いい先輩だなぁ。

 るんるんとオレはご機嫌で着替えにロッカールームに戻る。試合、楽しみだなー。

 

 

                  ☆

 

 

「今投げてたのは誰だ?」

「凄い音したな。ガン測ったか?」

「いや、最初に音させた球の次の次からくらいだった」

「あー、あのあとは流す感じだったからな。何キロ出てた?」

 

 プレス席から聞こえる声を聞きながら、大倉は水海の踏み荒らしたブルペンを均す。

 じんじんとしびれる左手を隠すように。

 

(凄いボールだった)

 

 球速なんて関係ない。あのボールは、生きていた。

 まるでボールが巨大化して迫ってくるような、そんな感覚だった。

 二軍の選手が打てないのも無理はない。スライダーも天下一品。あのスライダーはボールからボールへ変化しても振ってしまうだろう。

 

「――152キロだ。152キロ出てた」

「ブルペンで152キロ……! 凄い若手が出てきたな!」

 

 後ろの声を聞きながら、大倉は確信する。

 水海という男は、このチームに何かを齎す、と。

 

 

              ☆

 

 

 試合が始まる。

 俺はブルペンでゆたかのボールを受けていた。

 互いのスタメンは既に発表されている。

 カイザースは、

 一番、センター相川。

 二番、セカンド蛇島。

 三番、ショート友沢。

 四番、ファーストドリトン。

 五番、サード春。

 六番、レフト近平。

 七番、ライト谷村、

 八番、キャッチャー葉波。

 九番、ピッチャー稲村という打順だ。

 対するパワフルズは、

 一番、セカンド近城。

 二番、センター尾崎。

 三番、レフト七井。

 四番、ファースト福家。

 五番、サード東條。

 六番、キャッチャー大倉。

 七番、ライト明石。

 八番、ショート杉内。

 九番、ピッチャー森山。

 という布陣。

 普通なら館西が先発のハズだったらしいが、どうやらふくらはぎの違和感で今日は登板回避になったらしい。

 まあ、相手は誰が来ても同じだ。

 

「ゆたか、ラストボール!」

「はい! 先輩っ! 行きますよ!」

 

 ヒュッ! と綺麗なスピンで投じられたストレートをバンッ! と捕球する。

 ブルペンの感じは悪くないな。

 

「ナイスボール! んじゃ本番行きますか!」

「はいっ!」

 

 ゆたかは最近二連勝中。一勝して流れに乗ったのか、投球にも元気が有る。この調子なら今日も抑えてくれそうだ。

 ゆたかと共にダグアウトからベンチへ歩く。

 頑張市民球場は、頑張市が経営する球場だ。

 野球が人気なだけあって、設備は他の球場とも遜色ない。初めての球場だけど、かなり良い感じだ。

 パワフルズファンのは熱狂的。名選手である古葉さんが代打の切り札で出てきた時なんか歓声すげぇからな。

 森山が投球練習をしている。

 球速は一四〇キロ前半ってところか。キレのあるストレートと相変わらずの超遅球。

 パワフルズの中継ぎは揃ってるから、この森山から早いとこ先制点を取りたい所だな。

 守備のメンツが散っていく。

 投球練習を終えて、歓声と共に一番の相川さんが打席に立つ。

 

『さあ、いよいよプレイボール! パワフルズvsカイザース。勝って流れに乗るのはどちらでしょう!』

 

 初球。

 パンッ! と外角低めにストレートが決まった。

 

「ストラーイク!」

『キレの良いボールが決まった! ストライク!』

 

 球速表示は一三七キロ。キレがあるからそれ以上に感じるが、アレだけ低めにキレ良く決まれば合格だよな。

 ぐんっ、とテンポ良く森山は投球動作に入る。

 そして投じられたボールは――超遅球、スローカーブ。

 ググググッ! と大きく曲がるカーブに相川さんはバランスを崩される。

 なんとかバットにボールを当てたものの、ボールは力ないセカンドゴロ。

 ファーストにボールが送られて、ワンアウトになる。

 

「アウトー!」

『遅いボールを引っ掛けた!』

『あれだけ遅いと捉えにくいでしょうねー』

 

 やっぱあのボールはプロでも有効か。……いや、速い球を打ちなれているプロにこそ、あのボールは効くかもしれない。

 今のスローカーブの球速表示が八五キロ。

 球速差五二キロの緩急か、相当打ちづらいだろう。

 蛇島の打席。

 森山がスライダーを投じる。

 ビシッ! と外角のコーナーぴったりにボールが決まった。

 

「ストライク!」

『良いスライダー決まりました!』

『今のはちょっと手が出ませんね』

 

 二球目、インハイのストレート外れてボール。

 蛇島のやつ、ぴくりとも動かなかったな。……何か待ってるボールが有るんだろうか?

 三球目、投じられたのはチェンジアップ。低めから更に低めに落ちる遅い変化球を、蛇島はぐ、っと体重を後ろに残したまま、手首を返さず、バットコントロールのみで弾き返した。

 ッカァンッ! と音が響き、ライト前にボールが弾む。

 明石がしっかりとそれをワンバウンドでキャッチして、中継に投げ返した。

 

『ライト前ー!』

『うまーく打ちましたね。右打ちは蛇島くんの得意技ですからね』

 

 うっめー! なんだよ今の、ヘッドを残したままわざと振り遅れるみたいな感じで打ち返したな。

 流石帝王の四番を務めただけのことは有ってバットコントロールは半端無い。この蛇島が二番でこんな打撃をしてきたら、相手としては嫌だろう。

 

『さあ、ワンアウト一塁でバッターは友沢!』

『これは凄いプレッシャーでしょう』

 

 友沢は相当警戒してるだろうな、パワフルズバッテリーは。

 しかもランナーが一塁にいる。不用意に遅球を投げれば、盗塁で二塁に行かれる可能性もある。相当攻め辛い場面だろう。

 一球牽制を入れる。

 牽制のモーションは上手いとは言い難い。刺すんじゃなくて、文字通り牽制させることが目的だろう。

 クイックからストレートを投げ込む森山。

 パシィンッ! と高めにボールが外れた。

 やっぱ盗塁警戒してるな。

 森山のクイックは上手いとは言い難い。秒数にして1,4秒程度。下手と言われても仕方のない部類だ。

 これなら二球目はスタート出来るだろう。

 蛇島がリードを取る。

 森山の肩が動いた。投げてくる――。

 すっ、と素早いクイック。速い……!?

 わずかにタイミングが狂わされたのか、友沢が打ち損じる。

 ショートへと転がったボールをショートが取り、セカンドへ、セカンドからファーストへ渡り、友沢は併殺打に倒れてしまった。

 

『三番友沢併殺打! カイザース一回の表得点が入りませんでした!』

 

 あんにゃろ、初球はわざとモーションを大きめにして、二球目は全速力のクイックで投げやがったな……!

 今のクイックは恐らく一秒台。そんな速度のクイックをされたら、ランナーは走れない。

 森山の奴、この四年間の間に球速だけじゃない、投手としての細かい技量をきっちりと練習してやがったな。

 投手は投げるだけが仕事じゃない。クイックモーションや牽制、ベースカバーまで必要となる。

 元から野球センスはあった森山だけど、そのセンスをフィールディングにも生かしている。確かにこれはエースの器だな……まだ二十歳。ここから更に伸びしろが有るってんだから嫌になるぜ。

 けど、伸びてるのは森山だけじゃない。

 

「行くぞ、ゆたか」

「はい! 先輩!」

 

 ちょこちょこと俺の後についてベンチを出るゆたか。

 こいつだって森山と同じ世代なんだ。森山の外れ一位だけど、ポテンシャルの高さで言ったら森山にだって劣っていない。

 いや、それどころか――きっと、猪狩すら脅かす程のポテンシャルがこいつにはあるはずだ。

 俺はそれを引き出す、引き出しながら、目の前の試合を全力で戦う。

 ざっ、とキャッチャーズサークルに座り、打席に近城を迎える。

 

『一回の裏、パワフルズの攻撃です! バッター一番は、パワー自慢の多いパワフルズにおいて貴重な俊足打者、近城!』

 

 昨日頭に叩き込んだ映像を思い出す。

 近城は内角がくるりと回る非力な俊足打者。

 普通俊足打者と言えば、インコースに負けてゴロを打ったり、フライを打ったりするもんだけど、こいつにはそれがない。

 こういうと弱点が無いように思えるが実際はそうではなく、内へ落ちる球には反応が遅れているし、アウトハイのストレートには力負けしてフライになることが多い。

 まずは様子見、アウトローへのストレート。

 キュンッ、と糸を引くようなストレートがギリギリに決まる。

 

「ストライク!」

『決まったストライク!』

『今日の審判は外に広く取りますね』

 

 今のがストライクか、なら次はインローへの縦スライダー。

 投げられたボールがビシッ、と構えた所に決まる。

 

「トラックツー!」

 

 この縦スライダーはまさに針の穴を通すコントロールだ。

 シーズン開幕前には不安定だった縦スライダーの制球も、ゆたかがシーズンで投げているうちに定まってきた。

 縦スライダーのコントロールがこんなにもあるなら十分戦えるな。

 次は外に一球外すボール。

 パァンッ! とストレートを捕球する。これには流石に無反応で見逃した。

 これで2-1。追い込んだ状況は変わらない。

 次は高めへのストレートだが、ストライクゾーンに入れない。インハイ高め、おもいっきり腕振って投げてこい!

 ぐっとゆたかが踏み込みから腕を振るう。

 リリースが遅く、フォームが変化球とほぼ一緒で、出処の見づらいゆたかのフォームから突然投げられる速いボール。

 ストライクを得る為に必要なのは、ストライクゾーンへの投球じゃない。

 ボール球でも、ストライクゾーンから大きく外れたボールでも、スイングさせれば――

 

 近城はバットを振る。

 追い込まれたことでゾーンは広く待っていた状態でこのストレートを投げられれば、振らざるを得ない。

 

 ――ストライクになるんだ。

 

 パァンッ! とボールが俺のミットに収まる。

 

「スイング! バッターアウト!」

『空振り三振! 高めの釣り球に釣られてしまいました!』

『王道リードでしたが、稲村選手のキレのある球に思わず手が出てしまいましたね』

 

 おっけ。このボールを振らせるキレがあれば、このあとの奴らにも対応出来るはずだ。

 二番、尾崎。

 パワフル高校の主軸として一度戦ったあいつだな。

 ポジションはサードだったはずだけど、プロ入りして外野に転向したのか、センターを守っている。

 足も肩も悪くないから、守備力としては及第点だが、こと打撃に関しては対応力もパワーも兼ね備える好打者と言えるだろう。

 つーか、パワフルズのレギュラーは八番の杉内以外、打撃には見るものがある。六番の大倉だってミートはアレだけどパワーが有るし、明石はこないだ飲み会で聞いた通りに勝負強い打撃してるみたいだからな。

 油断はしない。脳みそがちぎれるくらい頭ぶん回して最高のリードをしてやる。

 インローへのストレート。ボールになっていい、思いっきり腕を振れ。

 ビュッ! と投げられた球に、尾崎はフルスイングで迎え打つ。

 バットに掠ったボールは真後ろへと飛んでファールになった。

 1-0。次はアウトローへのスライダー。

 

「ストライック!」

「む……」

 

 尾崎はそれを見逃して、2-0。

 一度タイムを取り、バッターボックスの外で尾崎が素振りする。

 インロー、アウトローと続けた。

 今までの俺のリードなら、ここは高めを使う所だけど――今日は思いきって外低めからもう一球スライダーで、今度はワンバウンドするくらいに落とす。

 スライダーを二球続けることになるけど、今日のゆたかのスライダーならば続けても十分振らせれるし、ワンバウンドするボールならヒットに出来る確率は限りなく低い。

 ゆたかが俺のサインに頷き、腕を振るう。

 外角低め。多少真ん中に寄ったスライダー。

 尾崎がバットを出す。追い込まれている状態で甘いスライダーが来たら手が出てしまうだろう。

 しかし当たらない。ボールはバットを避けるように急降下し、ベースで弾む。

 後ろには零すな、前で止めろ!

 ドッ、と身体でボールを止め、それを持って尾崎の身体にタッチする。

 

「スイング! アウト!」

『二者連続空振り三振!』

 

 っふぅ……! なんつースライダーだ。俺でも多分、今のコースなら手が出てたな。

 さて、と。

 

『バッター三番――七井、アレフト』

 

 問題のクリーンアップがやってきやがったぜ。

 ランナーなしで迎えれたのは僥倖だが、一発がある三人が続く。

 ペナントレースは一四四試合。去年の七井、東條、福家が五十本以上打ってるから、単純に言えばこの三人の内一人が必ず一試合で一本はホームランを打ってるって計算になる。

 そう考えると恐ろしいが、打たせやしないぜ。

 

「久しぶりだナ」

「ああ」

「また打たせて貰うゾ」

 

 七井が構える。

 相変わらず、大きなフォームだ。

 さて、と。

 良い打者相手に駆け引きなんて不要だ。

 ゆたかの全力で、抑える。抑え抜く!

 初球、アウトローへのスライダー。

 ゆたかがグンッ! と腕をふるう。

 初球を七井は見逃した。

 

「ストライク!」

『初球スライダー決めてきました』

 

 このコースはさっきから取ってたからな。

 次もこのコースにスライダーだ。

 ゆたかがこくんと頷く。

 驚いたかもな……俺のリードの傾向を調べると、あんまり同じボールを同じコースに要求することは無かった。

 それは高校生とか、雑なアメリカの野球に触れてきたから。読みを外せばほぼ確実に討ち取れてたんだけど、プロに入ると多少読みとズレててもヒットにできるからな。

 読みを外すのではなく、抑えることが重要なんだ。

 分からなくてもヒットにできる球より、わかっててもヒットにできない球の方が優先度は上だ。

 腕を振るう。

 寸分違わず同じコースに落ちるスライダーを、七井が空振る。

 よし、2-0!

 七井の選球眼の悪さは変わっていない。去年の四死球は七。なら同じコースから一球分外した所からスライダーを落とす。

 ゆたかが迷いなくボールを投じた。

 回転の鋭いスライダーは、ぐにゃりと打者の手前で大きく曲がり落ちる。

 そのボールを七井はカットした。

 ちっ、相変わらず腕が長い。このコースに届くのかよ。

 それでもスライダーを要求する。

 俺を信じて――来い!

 ヒュッ! と軽やかに投げられたボールを七井は捉えようと振っていく。

 だが、今度は当たらない。

 ビシィッ! と低めに決まったボールをしっかりと抑え、俺はすぐに立ち上がってベンチへと歩き出した。

 

「スイング! バッターアウト! チェンジ!」

『空振り三振ー!! 三者連続の三振! スライダーを四球続けました!』

『稲村選手あっぱれ! 全球外角低めの厳しいところですよ! 七井とは言え、あのコースは打てませんね!』

 

 よし。七井を完璧に抑えた。

 このリード、一見悪手に見えるけど実の所かなり有効かもしれない。相手にスライダーのイメージを植え付けれるから、次の打席ではストレートが生きる。

 

「せんぱーいっ!」

「おうゆたか、ナイスピッチ」

「先輩のリード、凄いです! オレ、スライダー続ける勇気なんてないですよ!」

「お前のスライダーが良かったからだよ」

「先輩っ……えへっ」

 

 嬉しそうに頬を綻ばせ、俺ににこにこと笑みを向けるゆたか。

 なんか今日はいつにもまして機嫌が良いな。何かあったんだろうか。

 まあいい、とりあえずは先取点を早くとってやらないとな。

 打順は四番のドリトンから。

 最近当たりがないドリトンだけど、今日の練習ではいいあたりをしてた。そろそろデカイのが出るかもな。

 森山がボールを投じる。

 初球は超スローカーブ。

 低めに投げられたボールをドリトンは見送った。

 

「ボール!」

 

 今の見逃されるとバッテリーとしては辛いな。

 次に投げるボールはストレートか、はたまたスライダーかチェンジアップだろう。

 確率的にはストレートを一発の少ない外角低めに投げさせてくるか。

 ドリトンもそれは分かってるはずだ。

 森山が足をあげ、ボールを投じる。

 投げられたボールは、右打者であるドリトンから逃げていくように外角へ変化するスライダー。

 そのボールを、ドリトンは思いっきり引っ張った。

 強引! 無理やりに引っ張った!

 普通なら頭を超えないはずの打球がぐんぐん伸びて、レフトフェンスに直撃する。

 その間にドリトンはセカンドへ滑り込んだ。

 あの打撃でフェンス直撃させるなんて、なんてパワーだよ。

 森山が悔しそうにマウンドを踏みしめる。

 あのコースを打たれたら捕手としてもお手上げだな。事故だと思うしかないけど――次の打者は、春だ。

 

『バッター五番、春』

「お願いします!」

 

 春がぐっと構える。

 春の得点圏打率はここまで五割。相変わらずでの得点圏の強さを発揮し、打順をクリーンアップ――五番にまで上げてきた。

 春への初球、森山が選択したボールは小さく曲がる変化球だった。

 去年までのデータにはなかった。新しく覚えた球かな。

 カットボールかツーシームか。握りはこっからじゃ見えなかったけど、恐らくツーシームだろう。

 

「ストライク!」

 

 ゆらりと一度バットを降ろし、再び春がバットを構える。

 二球目はインハイへのストレートだった。

 ざっ! と春が思い切りそのボールを引っ張る。

 カキィンッ! と音を残して、ボールは一、二塁間を抜けていく。

 ドリトンがサードで止まり、春は一塁でベリベリとバッティンググローブを外した。

 肘を上手くたたんで繋げるバッティングを意識したのか。流石だな。

 サードになってから守備も安定してきたし、打撃も吹っ切れたように打ち始めたところを見ると、いよいよ猪狩世代の本領発揮ってところか。

 兎にも角にも二連打でノーアウトランナー一、三塁。

 ここで迎えるのは――。

 

『バッター六番……近平』

 

 ワァッ! とカイザース側のレフトスタンドが沸く。

 外野にコンバートしてから一日でいきなり出場することになった近平がバッターボックスに立つ。

 オーソドックスに耳の後ろにバットを構え、近平はじっと森山を睨みつけた。

 一息ついて、森山が腕を振るう。

 初球はスライダー。そのボールを近平は空振った。

 インローの厳しい所。あそこは初球じゃさばけない。

 二球目は外へのストレート、これは外れてボール。1-1。

 近平も相手のリードを考えているだろう。

 森山が腕を勢い良く振りぬく。

 ふわり、と浮かぶようなスローカーブ。

 ゆっくりとボールは低めに吸い込まれた。

 ぐぐぐっ、と待ちきれず近平のバットが出かかる。

 

「スイング!」

 

 ばっ、と大倉がファースト塁審を指さした。

 バッ、と一塁審はすかさず腕を掲げる。

 スイング判定、これで2-1になった。

 追い込まれた――が、近平の顔には焦りは見えない。

 今の出し方は本気で釣られた出し方だった。

 次に来るボールはインハイのストレートか、ツーシーム、もしくは低めへのスライダーだろうか。

 

「ふっ!」

 

 声を上げて森山が投じる。

 っ! 超スローカーブ……! 二球続けて!?

 低めへと変化するボールに、バットを投げ出すようにして近平は何とか掠らせる。

 

「ファールファール!」

「っふぅ」

 

 完全に読みを外してきた。

 なるほどな、決め球が『来ない』と予想させるのもリードの仕事だ。今の近平への打席、スライダー、ストレート、スローカーブとくれば、次はストレートかツーシームというストレート系か、低めのボール球のスライダーを振らせに来ると考えるのが普通だ。

 それを超スローボールで回避する。決して打撃成績では目立たないし、進や六道、俺に比べたら年齢を重ねている大倉さんでしか、今のリードは出来ないだろう。

 でも、それに何とかついていけた近平も凄い。

 次は何で来る? ストレート系か、低めへのスライダーか?

 森山は一度首を横に降った後、頷く。そして森山は足を上げ――腕を振るった。

 選択されたボールは、スライダーだった。

 ただし、ボールはふわりと浮いて真ん中へ。

 決め球をファールされたことで焦ったのか、ここまで低めを攻めることが出来ていた森山の数少ない失投。

 スライダーは決め球になりうる優秀なボールだ。

 しかし投げ損なって中央付近に行った場合、打者にとってホームランに最もしやすい真ん中への棒球と化す。

 

 一閃。

 

 観客が、大歓声を上げた。

 森山は振り向かない。

 フォロースルーを大きく取り、そのままバットを歌舞伎投げて横合いに放り捨てる。

 そしてゆっくりと一塁へ向かいながら、天高々へ指を一本掲げ、

 美しい放物線を描く打球がライトスタンドに着弾した瞬間、近平は派手にガッツポーズをした。

 

『は、入ったー! 近平の先制スリーランホームラン! 打った瞬間の完璧な当たり! ライト一歩も動きませーん!』

 

 ハイタッチをして、近平がベンチへと戻り、俺へと近づいてくる。

 三対〇、先制のスリーランホームラン。

 

「まずは一歩リードだぜ。葉波」

 

 そして、挑発するように言ってベンチに座った。

 甘い球を逃さなかった打撃は流石の一言。守備に気を遣わなくなった分、打撃の思い切りさが増したように思う。

 でも負けられない。そう簡単に負けてたまるか。

 バッターの七番、谷村さんに対して、森山は制球が定まらない。

 やっぱり動揺があるんだろう。低めへの遅球が決まらず、再びスライダーが真ん中へと浮く。

 それを、谷村さんも逃さない。

 

 ガツンッ! と鈍い音を残し、ボールはライトスタンドへと吸い込まれていく。

 

『な、なんと二者連続ホームラーン! 谷村完璧に捉えましたー!』

 

 谷村さんも長打力が無いわけじゃない。甘く入れば持っていくパワーは持っている。

 悠々と戻ってきた谷村さんとハイタッチを交わして、バッターボックスへと歩く。

 たまらずキャッチャーの大倉がマウンドへ走って、森山と何かを話しているようだ。

 二者連続ホームランか。俺も打つつもりで行くぞ。

 ネクストからバッターボックスへ。

 キャッチャーが戻ってくる。

 幾ら中継ぎの枚数があったってまだ回は二回。こんな序盤で投手を変えるわけにゃ行かないよな。

 初球、内角低めにストレートが決まる。

 

「ストライク!」

 

 やべっ、そこは手が出ねぇ。立ち直っちまったか?

 二球目もストレート、今度はインハイへズバッと投げ込まれたボールを、俺は空振りしてしまう。

 これで追い込まれた。今のはボール球だったな、失敗だぜ。

 三球目、外への超スローカーブに、俺はガクンとタイミングを崩されるが、バットを振らなかった。

 ふぅ、2-1。次のボールはストレートか?

 森山が頷いてストレートを投げ込む。

 高めへの釣り球――引っかかるなっ!

 何とかバットを止めた所で、パァンッ! と後ろでミットが音を立てた。

 

「スイング!」

 

 一塁塁審の手は横に広がる。

 よし、並行カウント。

 まだ若干投手有利だけど、2-1よりはよっぽど希望が見えるぜ。

 ここまでの配球はストレート、ストレート、超スローカーブ、釣り球のストレート。

 投げてきそうな球は超スローボールだ。この場面で、二者連続でホームランを打たれているスライダーは相当使いづらい筈だからな。

 だが、どうにも二球目のストレートがきな臭い。

 なぜなら、二球目のストレートの意図が見えないからだ。

 確かに俺が空振りしたことで追い込めはしたが、緩急を使うタイプである森山が選択する球じゃない。

 ストレート系を投げさせ追い込みたいならツーシームをインローに投げてファールさせればいいし、森山の代名詞である超スローカーブを投げさせれば、それこそ空振りやファール、打ち取れる確率も相当高い筈だ。

 なのにストレートを選択した――その理由が有る。

 見え見えの超スローカーブをそのまま真っ直ぐ選択してくるのか?

 大倉さんの立場に立って考えてみろ。ベテラン捕手が若手投手に期待することといったらなんだ。

 そこまで考えて、やっと答えに俺は至った。

 これなら二球目にストレートを選択する理由も理解出来るけど、余程森山に期待と信頼を寄せてないと出来ないリードだな。

"その球種"に狙いを絞り、バットを構える。

 森山が頷いて、ムチのように腕をふるった。

 一瞬ぐっとバットを溜めて、タイミングをあわせる。

 投じられたボールは予想通りのスライダー。

 膝より高めのスライダーを、思いっきり叩く!

 パシィンッ!! と真芯で捉えた、重さの無いような軽い感覚。

 ワッ! と歓声が沸く。

 

『これもまた大きいぞ! 流し打ちだ! ライトにぐんぐん伸びていく!! 真芯で捉えた当たりは――!!』

 

 っしゃぁ! 読み通り!

 走りながら打球の行方を追う。

 ちょっとタイミングが早くて流し打ちになっちまったけど、真芯に当たったし差し込まれてもない完璧な打撃だった。行けっ!

 ドンッ! とライトスタンドでボールが弾む。

 

『入ったー! なんとライトスタンドへ、三者連続ホームラン! 森山を一発攻勢で轟沈! カイザースこの回五点目ー! そして、これが待望の葉波のプロ初ホームランです!』

 

 ベンチで出迎えてくれる。読みが当たったぜ。完璧だ。

 この打席、二球目のストレートは、決め球の超スローカーブを意識させるための布石だったんだ。

 実際に投げるボールはスライダー、ホームランを打たれたボールで先輩である俺を抑えることで、スライダーへの自信を取り戻させて修正するつもりだったんだろう。森山が長い回を投げるにはスライダーも投球のコンビネーションに絡めなきゃいけないからな。

 大倉さんが悔しそうに森山に何かを言っている。

 これで森山は五、六回を目処に降板することになるだろう。

 吹っ切れたのか、森山はゆたか、相川さん、蛇島を打ち取って、二回の表が終わる。

 5-0。回は二回裏――バッターは福家から。

 帝王実業の時ボコボコにやられた時の四番打者だ。きっちり借りは返さないとな。;。

 

『バッター四番、福家』

 

 七井とはまた違う、威圧感を感じる背中をじっと見つめながら考える。

 福家に苦手コースはない。四番に座るだけあってどんなコースにも対応してくる。

 だが、逆にそれを使うことができる。追い込むのが難しいが、追い込めればボール球を打たせて打ち取ることは出来るはずだ。

 外角低めに構える。

 気をつけろよ、ゆたか。甘く入ったら持ってかれるぞ。

 外角にカーブを要求する。

 ゆるい球なら真芯で捉えない限りはオーバーフェンスは難しいはずだ。

 ゆたかがしっかりと要求した所に腕をふるって投げ込む。

 

「ストライク!」

 

 よし、ワンストライク目。

 にしても良い投げっぷりだ。

 覚醒、か。この二ヶ月でゆたかのやつ、ぐぐっと伸びてきてる。

 二球目、ストレートを内角に要求する。

 こくん、とゆたかが頷いた。

 投じられた速球を、福家がフルスイングで迎え打つ。

 ッチッ! とバットにボールがかすり、真後ろのフェンスにガシャンとぶつかった。

 良いボールだ。福家がボールの下を振ってる。

 追い込めばこっちのもの、後は外角のスライダーで――

 

「ぬ、ぅっ!」

『福家空振り! 三球三振! 四者連続の空振り三振です!』

『今のボールは思わず振っちゃうでしょうね。凄いボールです。今日は絶好調ですね』

 

 ――空振りを捕れる。

 絶好調。ゆたかの調子がいいのも有って、相手をキリキリ舞いだ。

 でも、油断は出来ねぇ。なんたって、次の打席は、俺達を甲子園に導いたクリーンアップの一人。

 俺の打撃のルーツを創った男。

 

『バッター五番、東條』

 

 東條小次郎なんだから。

 鋭い瞳で、東條は何も言わずに俺に背を向けた。

 ……さて、どうすっかな。

 東條にも弱点らしい弱点はない。

 福家と違うのは、この体格の細さを持ってして福家よりも飛ばす力を持っているということ。

 福家も長距離砲なのに、この東條はその更に上。天性の飛ばし屋なのだ。

 甘く入ったら行かれるが、かと言ってこの打線相手にランナーを貯める選択肢は無い。

 とりあえず一発は避ける。東條で切りたいけど、下手に三振でも取りに行ってホームランでも打たれたら最悪だ。

 外角低めに構える。

 球種はストレート。力のある東條と言っても、このコースを柵越えするのは相当難しいはず。

 ゆたかが投げ込んだコースは、俺が構えたのとほぼ同じコースだった。

 そのコースを、東條は振ってくる。

 

 次の瞬間、打球がコーンとバックスクリーンで跳ねた。

 

 あまりの打球の速度に、観衆すら反応出来ない。

 一瞬遅れて、爆発的な歓声が球場にこだました。

 外角低めのストレートをバックスクリーンに持っていかれた……!

 ゆたかが呆然としている。あんな凄いホームラン、打たれたことも見たことも無いだろう。

 東條がクールな表情のままホームベースを踏んで戻ってきた。

 

『一瞬一閃! ソロホームラン! 反撃の狼煙ー!』

 

 俺は素早く立ち上がり、ゆたかの元へと走る。

 

「ゆたか、気にすんな、まだ四点差だぜ?」

「は、はい」

 

 ダメか、動揺してるな。

 こういう時は何とか戦う気持ちを奮い立たせないと。

 

「あおいは、こういう時、後続の打者をピシっと抑えてたっけな」

「っ!」

「お前は抑えれるか?」

「勿論です!」

 

 あおいの名を出した途端、揺れていた瞳の焦点が定まる。

 OK。その闘志全開の目が出来るなら、まだ行けるな。

 バッターは六番の大倉さん。

 五対一。点差はあるけど、一発の後、ここでつながれたら

 腰降ろし、サインを出してぐっとミットを出す。

 初球はストレート。インローに思いっきり投げてこい。

 大きく息を吐き、ゆたかがぐっと頭の上にボールを構えた。

 そして、足を上げて、一度腕を降ろし、そこから一気にボールをリリースする!

 釣られるように大倉さんが腰が引けた状態で空振った。

 見せ球を使っていない初球。あまりの出処の見づらさからインコースに突然速球が飛んできた為に、思わず腰を引いてしまったんだ。

 スパァンッ!! と速球がミットを打つ。

 この球、速かったな。

 ちら、とバックスクリーンに目をやる。

 球速表示一三八キロ。自分の最速、一三五キロを、この場面で更新したのか。

 すげぇ、な。僅か数ヶ月でここまで成長するなんて。

 

「ナイスボール」

 

 言いながらゆたかにボールを返すと、ゆたかは帽子をかぶり直しながら、ボールを受け取った。

 アレだけ腰が砕けてたら外のストレートには反応出来ない。外角低めへストレートだ。

 こくん、と頷いて、ゆたかが腕を振るう。

 ビシィッ! と構えた所にズバッとストレートが決まる。

 

「ストライク!」

 

 ストライク二球で追い込んだ。

 高めに釣り球を使った後、外角低めのスライダーで勝ちだ。

 内角高めにストレートを投げた後。

 外角から球速に落ちるスライダーで、大倉さんが空振り三振に倒れる。

 

『空振り三振! これで三振五つ目!』

 

 続くバッター七番は俺達のチームメイトだった明石だが、明石はスライダー二つで追い込んで、最後は高めのストレートを空振らせ、空振り三振。

 これで二回が終わった。

 

『稲村、この回一本本塁打を打たれましたが、その後をスパっと抑えました! これ五対一。未だカイザースリードです!』

『いや、今日の稲村選手凄いですよ! ここまで三振六つ、取ったアウトは全部三振です!』

 

 いやー凄ぇ球投げてるなゆたか。

 

「先輩っ」

 

 ベンチに帰る俺に、ゆたかが慌てた様子でしゃべりかける。

 ? どうしたんだ、慌てて。

 

「オレのピッチング、どうでしたか? あおいさんと比べて……」

「最高だったぜ。次の回も頼む」

 

 ぽんぽん、と頭を叩いてやると、ゆたかは頬を緩ませて「しゃっ」とガッツポーズした。

 そこまであおいのことライバル視してるのか。同じ女性同士思うことがあるのかもな。

 兎にも角にも、今日のゆたかの調子ならこの後大崩れすることはないだろう。

 得点の後の失点だっただけに流れが嫌な方向に行きかけたけど、それを力で防いだ。これなら、ゆたかが飛ばして投げても六回まで投げてくれれば後はリリーフ陣が何とかしてくれるはず。

 パワフルズに流れを変える術は、投手を変えて何とかするくらいしか無いはずだ。

 でも油断はしない。全力でパワフルズを叩くぞ!

 

 

                 ☆

 

 

 ドゴォッ! とパワフルズブルペン内に轟音が響く。

 左腕を振るい、オレは出番を待つ。

 試合は敗戦濃厚だ。

 森山くんが六回で降板した直後に、左腕の鈴木さんがカイザースクリーンアップから続く打線に捕まり二失点、打線も東條くんのホームランのみで七対一だ。

 先発、女性投手の稲村に抑えこまれて七回一五奪三振。プロ野球記録が一九奪三振だから、ペースだけ言えばそのプロ野球記録の上を行くピッチングだ。

 付け込む隙がない。仮に稲村さんがこの回で降りたとしても、後は八回をベテラン右腕で去年六〇試合、今年も不動のセットアッパーとして防御率一点台後半と絶好調の佐伯さんと、クローザーの一ノ瀬くんが控えている。

 そういう展開でパワフルズベンチは、一軍に初めて上がった選手をテストする絶好のチャンスだと判断したのか、オレをブルペンに入れさせた。

 六回終わり位からブルペンに入るように言われて準備しているけど、出番はまだ来ない。

 ブルペンのモニターから歓声が聞こえる。

 どうやら、八回裏が終わったみたいだ。悔しそうな表情で七井くんが打席からベンチに戻り、稲村がぐっとガッツポーズしている。

 

「奪三振一八個って……マジかよ」

「一八個……凄いですね」

 

 確かカイザースのチーム記録が猪狩くんの一八個だったから、それに並んだのか。

 凄いな。オレも負けてられないぞ。

 でも、今日投げる機会といったら次の九回くらいしかない。出番、回ってくるかな。

 思った瞬間、ブルペンの電話がけたたましく鳴り響く。

 

「はい、行かせます! 水海! リリーフカーに乗れ! 出番だ!」

「! は、はい!」

 

 ほ、本当に来た……!

 リリーフカーに乗り込む。

 ゆっくりと車が走りだし、目の前の扉が開いた。

 ――瞬間、大歓声がオレを包み込む。

 ドクン、と心臓が高鳴った。

 ブルペンの前で止まったリリーフカーから降りる。

 

『ピッチャー、鈴木に変わりまして、ピッチャー、水海』

「楽な場面だな。本当なら勝ち試合で投げさせてやりたかったけど……すまん」

「投げれるだけで、嬉しいです」

「……そうか。今日は全力で、結果を気にせず腕を振って投げろよ。せっかくの一軍初マウンドだからな」

「はい」

「よし、投球練習だ」

 

 大倉さんの言葉に頷いて、ボールを受け取る。

 皆がそれぞれのポジションに戻っていく。

 コーチの視線を感じながら、深呼吸をして腕を振りぬくことを意識し、ボールを投じる。

 ッパァンッ! とミットがボールに打たれる音。

 良い緊張感だ。フツフツと闘争心が沸き上がってくのを感じる。

 五球近く投げた所で、コーチが「頑張れよ」と肩を叩き、ベンチへと戻っていく。

 

『バッター三番、友沢……』

 

 打席に立つのは、バッター四番の友沢亮。

 荒れたマウンドを足で均し、バッターに目をやる。

 ――その後ろ。

 マウンドの後ろで揺れる、オレンジ色の髪の毛。

 オレよりも緊張した表情で、いつもオレを見つめていてくれた海ちゃんが、今もオレをじぃっと見つめている。

 顔がこわばってるよ。海ちゃん。そんなに緊張しないで。

 今すぐ、抑えるところ、見せるから。

 大倉さんのサインに頷く。

 ストレート、どまんなかに。

 オレにサインなんて関係無い。どうせ狙った所になんか行かない。

 だったら、全力全開。一球にその時出せるエネルギーを使って、

 

 投げるだけだ!!

 

 ゴウッ! と腕が風を切る。

 投じられたボールは、十八・四四メートルの距離を数秒で渡り、友沢くんのバットを掻い潜ってミットに突き刺さった。

 投げ終わった後のフォロースルーを高く取り、足を上げる。

 帽子が飛んでマウンドの後ろに落ちた。

 ――身体が軽い。

 ざわっ! と観客席がざわめく。

 後ろにちらりと目をやると、バックスクリーンに球速が表示されていた。

 一五八キロ。

 よし、絶好調!

 

『な、なんと、初球は一五八キロー!!』

『速い、ですね……、ど真ん中ですが、友沢選手が空振りましたよ』

 

 パァンッ! と帰ってきたボールをミットで受け止め、再び大倉さんからサインを受け取る。

 スライダー、はい、れっ!

 スライダーが内角の低めに投じられるが、ワンバウンドするほどのボールになってしまう。

 あちゃ、入らなかったか。

 次はストレート。よし、今度、こそっ!

 高めにボールが抜ける。

 1-2。ボール先行になっちゃったな。まずいかも。

 大倉さんが腕を振って投げろ、とジェスチャーを取る。

 うん、カウント気にして全力投球しないだなんて勿体無いことはしないでおこう。

 どうせ初の一軍だ。オレの速球が通用するか――試してやるっ!

 ギュルルルルッ! ズッバーン!

 

「ストライクツー!」

『低めの球、友沢バットを出しません!』

『あのコースは打てません。今のも球速が一五七キロですよ』

 

 低めにストレートが決まった。よし、2-2!

 もう一球ストレート。今度は外目を狙って……!

 スパァンッ! と低めに投げられたボールを大倉さんがしっかりと捕球した。

 凄いな、二軍だったらワイルドピッチしてたかもしれない球だった。やっぱり大倉さんは凄い。

 でも、今のは外れてボール。2-3になっちゃった。

 次の要求はスライダー。

 真ん中に大倉さんが構える。

 頷いて、くるりとミットの中で握りを変えた。

 フォアボールは出さない――抑えて、見せる!

 ヒュバッ! と腕を振るって投げたスライダーは、真ん中へ投じられる。

 そこから、スライドする!

 ビュンッ……!

 投手に恐怖を刻み込む風切り音が、ここまで聞こえた。

 それでもボールは前には飛ばない。しっかりと捕球した大倉さんがファーストへ向けてボールを投げた。

 

「スイング! バッターアウト!」

『空振り三振! スライダー一四六キロー!!』

『スライダーの球速じゃないですよ……! とんでもなく速いです!』

 

 よーし! 空振り取ったぞ!

 続くバッターの四番はドリトン。

 オレの球威がパワーヒッターに通用するか、試してやる!

 ストレートを思いっきり投げ込む。

 どまんなか初球、ストレート。

 ドリトンがまってましたとばかりにフルスイングしてきた。

 そして、ベギンッ! とバットがへし折れると共にボールがふわりとオレの前に上がって落ちてくる。

 それを捕球して、ツーアウト。

 

『初球バットへし折った!』

『ドリトンがパワー負けしてますね……』

 

 っふぅ。

 次のバッターの春くんをストレートでねじ伏せる。

 力のないファーストフライに打ちとって、三者凡退!

 海ちゃんに目をやる。

 海ちゃんは俺と目が合うなり、嬉しそうに笑ってくれた。

 ――良かった。その笑顔が見たかったんだ。

 

「ナイスピッチ水海!」

 

 続いて、大倉さんが俺の頭をばしっと叩いてきた。

 痛いけど嬉しい。オレ、抑えれたんだ!

 

「ナイスピッチー!」

「……ナイスピッチだ」

「良い投球だったナ!」

 

 続いて内野陣に手荒い祝福を受ける。

 もう終わっちゃったのか……。短かったな。

 次は、勝ち試合で投げてみたい。

 ベンチに戻ってマウンドに振り返る。

 オレは、あそこで勝利の雄叫びをあげてみせるから。

 それまで、待っててね、空。

 きっと貰える、最初のウイニングボールは――キミに捧げるから。

 

 

 

              ☆

 

 

 試合が終わりを迎える。

 マウンドに立つのはゆたか。

 腕を振って投げたボールを、最後のバッター、大倉さんがキンッ! と高々と打ち上げた。

 そのボールは俺の後方へふわりと翔ぶ。

 そのボールをしっかりと捕球して、審判が腕を上げた。

 

『ゲームセット! 七対一! 稲村、東條の一撃で完封こそのがしましたが完投勝利! カイザース、三連戦の初戦を白星で飾りました!』

 

 一度ベンチに戻る。

 今日のヒーローインタビューはゆたかと近平だろう。俺はロッカールームで二人がインタビューを受けるシーンでも見ていることにするか。

 ロッカールームに戻り、着替える。

 

『さあ本日のインタビューは二人、稲村選手と近平選手です!』

 

 ワァーッ! という観客の歓声を受けて二人が手を挙げる。

 

『まずは投のヒーロー、稲村選手』

「あ、ありがとうございます!」

『今日は凄いピッチングでしたね!』

「なんか凄く調子が良かったです」

『東條選手に一発を浴びてしまいましたが、見事に立て直しました!』

「先輩……あ、葉波さんが奮い立たせてくれたからです!」

『なるほど。そして――皆さん! なんと稲村選手は今日! チームの猪狩選手の持つ一試合最多奪三振記録のタイを記録しました!』

 

 インタビュアーが高々と宣言すると、ゆたかの顔色が目に見えて変わった。

 びくん、と体を震わせて、何かを確認するかのようにキョロキョロと辺りを見回している。

 ゆたかのやつ、気づいてなかったのか……。

 隣で帰る準備をしていた猪狩の目がキラリと光り、俺を見つめた。……へいへい、次は奪三振中心のリードすれば良いのね。ったく、うちのエース様は何でもかんでも単独一番じゃないと気が済まないみたいだぜ。

 モニターに視線を移す。

 完全にテンパったゆたかはおろおろとしながら、周りからの盛大な拍手に顔を真赤にしてしまった。

 ありゃー、こりゃもう完全に頭が真っ白になってるな。

 

『稲村さん! ズバリ奪三振を取れた要因はなんだったんですか!?』

「あ、う、せ、先輩のっ、リードが凄く良かったからですっ」

 

 声を裏返しながらゆたかは俺を立ててくれる。

 いい後輩を持ったもんだぜ。ホント。

 しかしテンパってるせいで普段の呼び方が出ちまってるな。皆クスクス微笑ましげに笑ってるぞ。隣に居る近平でさえ苦笑するくらいだ。

 インタビュアーはマイクを自分の手元に戻し、更に質問を続ける。

 

『それでは、その"先輩"で好リードをした葉波選手に一言お願いします!』

 

 それは、インタビュアーとして当然の質問だった。

 レリーグタイ記録に、突如現れた若手が名を連ねたとあれば、誰だってその要因を作った人物に対する本人の評価を聞きたいと思うのは当然。俺がインタビュアーでもそういう質問をしただろう。

 だが、今のゆたかにその質問をするのは、結果的には最悪の出来事で、

 何故か俺は背中に嫌なものを感じて、思わず動きを止めていた。

 誰しもにされるであろう当然の質問を受けて、完全に思考回路を失っているゆたかは、差し出されたマイクに向けて、俺に一番伝えたいことを口にする。

 そして、

 

「せ、せせ、先輩っ! オレがこんな凄いこと出来たのは先輩のおかげですっ! お、オレ、先輩に会ってからずっと先輩に支えられてきましたっ! だ、だから、だから……!」

 

 それは、

 

「オレ、先輩のこと大好きですっ! オレと付き合ってくださーい!」

 

 たぶん、色々と大変なことを巻き起こす、決定的な一言で。

 しぃん、と会場も、ロッカールームも音を失う。

 ……あ、これ、やばいやつじゃね?

 次の瞬間、試合中にも負けないほどの大歓声が球場に木霊する。

 ロッカールームには案の定である、といったような諦めにも似たような空気が漂った。

 あまりの歓声にインタビュアーの質問が聞こえない。

 俺は呆然と、モニターに映る凄いことを言ってしまったと自覚して顔をゆでダコのように真っ赤にして俯くゆたかと、完全に空気と化した近平を見つめることしか出来ない。

 誰かチームメイトにバシバシと頭を殴られつつ、怨嗟のこもったボールを尻にボコボコと受けながら、先のことを想像して冷や汗をかく。

 えーと、この先、どうなるんだろうな?

 



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第四三話 見据えるべき、己の姿

        五月八日。

 

 

 その日。

 早川あおいは、いつも通り試合が終わった後、ストレッチなどを終えて家に帰り、入浴してからテレビをつけた。

 いつも通りの日課だ。

 ただでさえ女性ということで、身体的にハンデを抱えるあおいがプロ野球選手として長く活躍することを考え、毎日行っている身体のケア。

 それが終わる頃にテレビをつけると、毎日良く丁度パワフルスポーツという一日のスポーツ情報のまとめニュースが始まっているので、それを見てから寝るのだ。

 

「パワフルニュースの時間です」

「ふぅ」

 

 今日もパワフルニュースが始まったのを確認して、あおいは冷蔵庫からパワリンを取り出して蓋を開け、ごくごくと飲み始めた。

 そこで確認するのは自分のニュースではない。いつも気になっている、愛しい彼のことだ。

 

『本日のカイザース対パワフルズの一戦は稲村選手の球団記録に並ぶ奪三振を含む快投で、カイザースが勝利しました。それから面白いことがあったんですよね?』

『ええ、なんというか微笑ましいというか、野球選手もやっぱり人間だな、というね。とりあえずVTR。いってみましょう』

「む、今日の先発、ゆたかちゃんだったんだ」

 

 目下恋のライバルな選手の名前が出て、あおいは一度パワリンから口を離す。

 どうやら今日、彼とバッテリーを組んだのはゆたかだったらしい。

 彼と同じチームに居る恋敵の動向は見逃せないと、あおいはソファに座ってじっとテレビに集中する。

 

『初回、森山の立ち上がり。蛇島がライト前への見事なヒットで出塁しますが、続く友沢が併殺打で回を終えます』

『森山選手がその前と打たせた投球とで、投げるタイミングを変えてきたんですね。素早く投げられたことによってバランスが崩され、弱いゴロになってしまいました』

『しかし、ここから稲村選手の好投が始まります。トップバッター近城を高めのボールで空振り三振。続く尾崎を低めのスライダーで三振、更に続く七井も同じくスライダーで三振! 三者連続の三振で一回裏を終えます』

『今日は序盤からこのスライダーを多く使ってます。葉波選手はリードが変わりましたね』

「流石パワプロくんだね!」

 

 テレビで葉波がほめられたのが嬉しくて、あおいはにこにことご機嫌にテレビを見続ける。

 

『さあ、そして二回の表。ドリトン、春が連打で出塁すると、六番近平!』

 

 テレビに近平がボールを弾き返しバットを投げ捨てたシーンが映る。

 

『このスリーランホームランでカイザース先制です!』

『スライダーの甘い球がど真ん中に来たんですけどね、上手く捉えましたね。今日外野手で初出場した近平ですが、外野にまわって持ち前の打力を発揮しやすくなったんでしょう』

『続く谷村!』

『これも甘いスライダーでした』

『二者連続ホームランで4-〇。しかしこれだけでは終わりません! 更に葉波!』

「パワプロくん!」

 

 愛しい人がテレビに写って、あおいは思わず身を乗り出した。

 肩にかけていたタオルが床に落ちる。

 

『これもまたスライダー!』

『甘いスライダーが続きましたね』

『葉波選手、プロ初のホームランで5ー〇! カイザース突き放します!』

『今日はこの回で試合が決まっていましたね』

『この回五点を取ったカイザースですが、今日凄かったのはやはり稲村選手! このあとも三振の山を築き、チームメイトの猪狩選手の持つ奪三振記録に並ぶ奪三振数を記録します! 失点も東條選手の一発のみの完投勝利です!』

「むむ、やるなぁ……」

『そして、今日の『イチオシ』はこちら! ヒーローインタビューを御覧ください!』

 

 試合の画面が終わり、ヒーローインタビューに場面が切り替わる。

 どうやらヒーローインタビューはゆたかと近平という葉波のライバルらしい。

 パワプロが出ているシーンが終わって、あおいは残りのパワリンを飲み終えて寝るべく、ペットボトルの中に残ったパワリンをぐぐーっと口に含んで、

 

『オレ、先輩のこと大好きですっ! オレと付き合ってくださーい!』

「ぶふぅっ!?」

 

 そんなセリフが聞こえて、パワリンを口から吹き出した。

 びしゃーっと床にパワリンが飛び散るが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 あおいはペットボトルを机においてテレビを呆然と見つめる。

 テレビでは真っ赤な顔をしてうつむくゆたかが映っている。

 お立ち台で告白――そんなこと、しようともしたいとも思ったことがなかった。

 実はゆたかもパニックに陥って口走ってしまっただけなのであるが、そんなことをあおいは知るよしもない。

 ただただ自分に出来ない程大胆なことをしたゆたかを尊敬する気持ちと、好きな人を取られてしまうのではない焦りの気持ちがフツフツと沸き上がってきて、あおいは動くことが出来なかった。

 

『いやー、プロ野球選手同士の恋愛だなんて何だか素敵ですねぇ』

『ええ、葉波選手は告白を受けるんでしょうかね?』

 

 他人の恋愛の話題で和気あいあいと楽しそうに談笑するアナウンサーと解説者。

 おそらくこの番組を見ている人たちも様々な憶測をしたり、微笑ましいと思っていたりするのだろうが、この恋愛の当事者の一人であるあおいには楽しむ余裕などこれっぽっちもなかった。

 床に散らばったパワリンをビッビッとタオルで拭き、そのタオルを洗濯機に突っ込むなり、カバンに入れっぱなしだった携帯電話を引っ張りだして、凄まじい勢いでメールを打ち始める。

 書きたいことを書き終えて、送信ボタンの上で一瞬だけ迷うように指を彷徨わせた後、意を決して送信ボタンを押した。

 携帯電話の画面で、送信完了の文字が出て、あおいはふぅっと大きくため息を吐く。

 明後日は移動日。葉波もあおいも本拠地に戻る。

 キャットハンズとカイザースはほとんど本拠地の場所が同じ。つまり、お互いがホームで戦う日の休日ならば会うことが可能になる。

 告白されたとは言え葉波のことだ。おそらく野球の練習でもするつもりだろう。

 ならば、だ。

 野球の話題で誘い出せば、葉波は乗ってくる筈。

 高校時代も、デートに出かけるといって自然とバッティングセンターなどの野球がある場所に行っていた。

 特にこの間の同窓会で葉波は何か悩む様子を見せていた。それならば、その相談を出来る場所なら。

 プロ野球選手は休日などにOBの話を聞く、いわゆる『道場』というものに通ったりする。

 あおいもそれに違わず、月一度程プロ野球OBの道場に通っているのだが、その人の元に葉波を連れて行こうとメールを送ったのだ。

 机に置いて、返事を待つ。

 あおいは正座したまま動かない。

 そして、ピッ、とケータイが音を発した瞬間、ケータイをひっつかみ開いてメールだということを確認すると、素早く差出人を見る。

『葉波風路』。

 その名前を見た瞬間、あおいはメールを開いた。

『明後日なら予定も無いし、一緒に行く』

 その文面を読み終えて、あおいはメール画面を閉じ、続いて親友である七瀬はるかに電話を掛ける。

 

『もしもし? あおい?』

「はるかっ! ボクを助けて!」

『!? ど、どういうこと!?』

「明後日、パワプロくんと出掛けるの! でも、ボクその、お洒落とかよく分からないし!」

『……なるほどね。分かった。明日は?』

「登板は無いよ。ベンチにも入ってないからオフ」

『じゃあ、お昼前に駅前に集合。私に任せて、あおいを今の百倍かわいい女の子にしてあげる!』

「ありがと!」

 

 力強い親友の言葉に、あおいは嬉しそうに頷く。

 

(首を洗って待っててよ、パワプロくん。はるかと協力して、僕にメロメロにしてやるんだからね!)

 

 あおいは心の中を燃え上がらせながら、親友との通話を切った。

 

 

               ☆

 

 

「へええっ、ここがあの古葉さんの自宅か。でけぇなー!」

「……うん」

「ここで技術指導してくれるんだろ?」

「……うん」

「古葉さんってショートじゃなかったっけ」

「……うん」

「でも、投手も捕手も指導出来るもんなのか?」

「……うん」

「……えーと」

「……はぁ」

 隣で深々と本日一五度目の溜息を吐くあおいを見て、俺は首をひねる。

 ゆたかに返事をしないまま逃げるように過ごしたこの二日。マスコミから逃げまくることに疲れた俺の元に、あおいから一通のメールが届いた。

 そのメールの内容に快諾し、一緒に訪れたのはプロ野球OBである古葉良己さんの野球道場だった。

 古葉さんは三年前に引退したパワフルズのOB。

 通算猛打賞数が二〇〇でプロ野球歴代二位。

 パワフルズ、カイザースの監督を務める橋森監督と神下監督と共にパワフルズ黄金期を支え、名球会入りも果たし、打率三割をキャリアの半分である九回記録したという名選手だ。

 ポジションはショート、サード、ファーストを守っていたけど、投手のあおいが指導を仰ぐということは、かなりの野球論理があるんだろうな。

 そんな人に教えて貰えるってだけでワクワクするぜ。

 

「……嬉しそうだね、パワプロくん」

「ああ、ありがとなあおい。聞きたいこともあったから、ワクワクだぜ。早く入ろうぜ?」

「野球少年みたいな目をしちゃって……分かったから、待ってて」

 

 あおいが何故かむすっとしながら、古葉さんの家のインターホンを押す。

 にしても珍しい。あおいのやつ、今日はスカート穿いてるな。

 ひらひらと短いスカートを揺らしながら、あおいが俺の前に立っている。

 むき出しの生足が眩しい。筋肉のついたしなやかな足は、あおいの体格に相応しくすらりと長くスレンダーさを際立たせているようだ。

 ……駄目だ。足にばっかり集中するただの変態になりかけてる。今から練習するってのに何考えてんだ俺。

 ぶんぶん、と頭を振るう俺を、あおいが訝しげに見つめる。

 そうこうしているうちに、門がガチャリと開き、中から無精髭を生やした男性が現れた。

 

「おはようございます。古葉さん」

「おはよう、あおいさん。キミが葉波くんだね」

「おはようございます! 葉波風路です。今日はご指導お願い致します!」

「僕に出来ることだったらね。どうぞどうぞ、上がっていって」

 

 にこ、と人のいい笑顔を見せて、古葉さんが俺とあおいを中に招き入れる。

 お辞儀をして、俺とあおいは家の中へと入っていった。

 

「今日は息子は中学の部活でね。ちょうど時間が空いていたからちょうど良かった」

 

 家の庭まで古葉さんが歩いて行く。

 庭にはブルペンとネットが設置されている。

 空を覆うように緑色のネットが張り巡らされ、守備練習以外ならばここで全て行えるようになってるみたいだ。

 すげぇな。こんな家に住んでみたいぜ。

 

「老人の世話好きが講じてね。こうして練習場まで作ってしまったんだ。息子にここで野球を教える為に作ったんだけど、こうして現役の選手にまで教えを請うて貰えるのは大変有難いことだよ」

 

 古葉さんが笑いながら真新しいバットを持つ。

 ――グリップが、手の形になるくらい削れている。

 一体どれだけ素振りをすればこんな握り手になるんだ?

 

「さて、早川さんは今日はどうするのかな?」

「ボクは明日登板ですから、軽くアップする程度にしときます」

「うん。そうか。じゃあ、葉波くんだね」

「はい」

「失礼するよ」

 

 ぺたぺた、と古葉さんの手が俺の身体に触れる。

 うおお、あの古葉さんに触られてる! 光栄すぎて動けねぇよっ!

 

「ふむ。インナーマッスルからちゃんと鍛えてある……走り込みもちゃんとしてあるね。どちらかというと上半身より下半身を中心に鍛えてある。身体の基礎は出来ているね。偉い。テレビばかりでは筋肉の付き方は分からないからね」

「あ、ありがとうございます」

「じゃあ、バットを持ってみようか」

「はい」

 

 古葉さんに言われ、持ってきていたバットを取り出す。

 試合より緊張する。

 

「素振り一〇回」

「はい」

「一」

「ふっ!」

 

 ビュッ! とバットを振るう。

 脇を締め、体重移動を意識しフォローは大きく。

 

「ふむ。東條くんに似ているフォームだね」

「あ、わかりますか? 東條に打撃を教えて貰ってたんです」

「なるほど」

 

 すげぇ。一回素振りしただけで見事に当てられたぞ。

 驚く俺の様子にどこ吹く風の古葉さんは、なるほどね、とだけ小さく言って、先を促す。

 

「じゃあ、二」

「っ!」

 

 ビュンッ!

 風斬り音がこだまする。

 古葉さんは今度は何も言わなかった。

 

「三」

「ふっ!」

「四」

「っ!」

 

 具体的な指示も無く、素振りを一〇回し終える。

 古葉さんは目を細め、俺の一挙手一投足を逃さないようにしっかり見つめていた。

 

「……良く分かったよ」

「あ、ありがとうございます」

「……葉波くん。キミには、辛いことを僕は今から言うよ」

「ッ」

 

 息を吐くように、古葉さんが告げた。

 どくん、と俺の心臓が高鳴る。

 辛い、ことか。

 あおいが心配そうに此方を見つめている。

 俺はぎゅっと拳を握り締めて、古葉さんの顔を見つめる。

 古葉さんは俺の視線を見て軽く頷いた。

 

「葉波くん。――キミには、タイトル争いを出来るような打撃センスは、ない」

「……ッ」

 

 その一言は、思った以上に衝撃だった。

 たった十回素振りを見ただけでそんなことが分かるのか、という疑問が口から出そうになったが、それをぐっとこらえて口をつむぐ。

 古葉さんは、俺のことをしっかりと注目していてくれてたはずだ。筋肉の付き方はテレビじゃ分からないという言い方は、逆を返せば、それ以外の部分はテレビで確認出来ると言っているようなものだからな。

 その古葉さんが、はっきりと俺に――打撃センスが無いと、言っているのだ。

 

「まずは本塁打。これは背丈があれば、真芯を食えばある程度の本塁打数は打てる。ただ、飛距離を伸ばしたり、量産しようと思えば体重を付けなければならない。けれど、捕手であるキミにはそれは出来ない。捕手が体重をつければ怪我をしてしまう。よって、本塁打王のタイトル争いは出来ないものと思ったほうがいい」

 

 しっかりと、古葉さんが順序立てて説明してくれている。

 

「次は打点王。勝負強さは測れないけれど、捕手のキミの場合、クリーンアップに座ることはまず無い。これも、除外。最後に、最優秀打率と最多安打」

 

 古葉さんは、申し訳ないと言わんばかりの表情で、なおも続けた。

 

「バットコントロールは最も才能が必要とされる技術だ。……葉波くん。キミには、それが最も欠けている。三割に到達出来るか出来ないか、位だろう。葉波くんはどちらかというと読み打ちのタイプだ。相手のリード、傾向を読み打つ。けれど、プロじゃそれで三割は打てない。必ず反応で打たなければならない場面が来る。高校時代の金属バットならば、反応が遅れても当たってくれればボールは飛ぶけれど、プロの木製バットはそうは行かない。しっかり捉えなければボールは飛ばないんだ」

「……はい」

 

 声を絞り出す。

 予想以上に、その一言は効いた。

 視線が自然と落ちる。

 俺のセンスは悪いほうじゃない、と思う。曲がりなりにも二軍では三割打ててたからな。

 けれど、古葉さんが言っているのは違うんだ。

 プロの第一線で活躍するためのセンスが無いと、そう言っている。

 顔が上げられない。

 悔しい。

 ギリリ、と唇を噛む俺の肩に、古葉さんが手を置く。

 

「葉波くん。視線を落としてはいけない。僕はキミの打撃センスは無いといっているだけで、野球センスが無いとは言っていないよ」

「……え?」

「それどころか、僕はキミをセンスにあふれる選手だと評価している。……いいかい、葉波くん。野球は、勝つ為に必要なものがあるけれど、それはなんだったかな?」

「……相手より、点を取ること」

「いいや、もっと根本的な所さ。――チームが一つにならなければいけない」

「え?」

「目指す方向は山の頂上と決まっていても、そこまでのルートはいくつも存在する。どのチームよりも早く、各球団はそこに到達しようとしている。けれど、そこでチームが別々になっては登るスピードは落ちてしまうだろう。チームを一つにまとめて、ルートを示し、チームを鼓舞する役割がチームには必要だ。所謂、キャプテンと言うね」

 

 古葉さんは微笑む。

 俺に何かを伝えるように。

 

「捕手とは、フィールドを支配するポジションだ。空気を読み、相手を読み、仲間を読むことが必要なんだ」

「……っ」

「打撃という目に見える数字が残るものを追う気持ちは分かる。でもね、葉波くん。意外と首脳陣やチームメイトは、そういう所でキミを評価しているわけではないよ」

「はい」

「聡明なキミなら、もう分かっただろう。僕の言いたいことが。――キミは打線の柱には成り得ない。だから」

 

 その"何か"は、きっと古葉さんが追い求めていたものだと、そう思う。

 

「キミは"チームの柱"になれ」

 

 ――グラウンド全てを操る司令官になれ、と。

 俺は、自然とそうしてきた。

 高校時代、キャプテンと監督を兼任して、甲子園に行きたいと練習メニューや作戦を考えてきたのだから。

 魂が燃える。

 チームを、導けと。

 

「プロ野球選手にとっての勝利、栄光、成功というものは、決して個人成績を残すことでも、名球会入りすることでもない。それは結果についてきたおまけのようなものだ。プロ野球選手にとっての最も誇らしい勲章は、葉波くん」

「チームが、優勝すること、ですよね」

「……うん」

 

 俺の言葉に、古葉さんが満足に笑う。

 そう、だったな。

 チームが俺に望んで居るのは、ホームランじゃない。

 打点でも、打率でもない。

 ――チームを、勝利に導くこと。

 人には人の役割がある。その過程で求められることはあるかもしれないけど、チームの到着点は"優勝すること"なんだ。

 

「キミには東條くんのような長打力も、友沢くんのような打撃センスも、矢部くんのような足も無い。しかし、何よりも"キャプテンシー"がある。人を引っ張る魅力がある。プロ野球は傑出した選手たちが集まる場所だ。数字なんてものは皆が持っている。その中で生き延びるためには、数字に現れない何かを持っている必要がある」

 

 俺は、古葉さんの言葉を胸に刻み込んで、認識する。

 

「――葉波くん。キミは、その"何か"をしっかりと持っている天才だよ」

 

 自分の有るべき姿、自分が目指す場所を。

 

「ありがとうございます。古葉さん」

「うん。……もう、ここに来ることはないかな?」

「オフになったら挨拶に来ます。お世話になりましたから」

「そうか、楽しみにしているよ」

「はい。――その時は、優勝祝いでも出してください」

「ははは、だ、そうだけれど、早川くん」

「パワプロくん。ボクが居ること、忘れてるよね?」

「そんなことはないぞ? ……ライバルへの、最大限の誠意だ。ありがとな。あおい、おかげで吹っ切れた」

「……なら、いいけどさ」

 

 ふくれっ面のあおいに笑みを向けて、拳を握り締める。

 腹は決まった。

 俺は――チームの柱に、なってみせる。

 

 

               ☆

 

 

「ありがとうございました」

「こっちも楽しかったよ。またね」

「今度はボクの指導もお願いします。古葉さん」

 

 夕暮れ時になって、俺とあおいは古葉さんの家を後にした。

 有意義な時間だったと思う。

 目指すべき道が見えた。それだけで、今日来た甲斐は有ったぜ。

 

「門限まで後三時間くらいあるな」

「そーですね」

「何膨れてんだよ。今日ずっと不機嫌じゃねぇか」

「べっつにー、なんでもー?」

「……せっかく似合ってる服が台無しだぞ、それじゃあ」

「……え?」

 

 俺がつぶやくと、あおいがぱっと此方を振り向いた。

 ? なんだよ。俺、変なこと言ったか?

 

「……今、似合ってるって言った?」

「ああ、言ったぞ」

「……き、気づいてた、の?」

「スカートか? ああ、似合ってるよ」

 

 思わずそっから伸びてる足に見とれそうになるくらいには、な。

 流石に恥ずかしいから、それは言わないけど。

 俺の言葉に、あおいの頬が赤くなっていく。

 

「そ、そっかー、似合ってるんだ。……えへへ」

「いきなりご機嫌になった、だと?」

「当然だよっ。好きな人に……褒めて貰えたんだもん」

 

 にこ、とあおいが満面の笑みを浮かべる。

 うぐっ、そ、そういう顔は反則だから止めろよな……照れるし、どういう顔すればいいか分かんねぇよ。

 

「……あー、えーと、晩飯、一緒に食ってくか?」

「い、いいの?」

「お礼だよ。おかげ様でやることが見つかったからさ。奢るぞ?」

「うん。いく」

 

 先ほどまでの不機嫌をどこかへ飛ばしたあおいは、心底嬉しそうな顔をしたままとてとてと歩き出した。

 ……色々大変だけど、まあ、今日くらいはそれを忘れて、久々のあおいとのメシを楽しむとするか。

 

「どこに行くの?」

「もう決まってる。あおいと行こうって決めてた場所があるんだ」

「! そ、それは、その……も、もしかして……っ」

「ああ、決めてたんだ。あおいと二人で行こうって」

「……夜景の見えるレストラン……美味しい料理……ワイングラスを軽くぶつけあって、食事を終える頃に、鍵を机の上において……『今夜は門限、一緒に破ろう』なんて、なんてっ……!」

 

 何か良く聞こえなかったけど、あおいが目をキラキラさせたまま何処かへトリップし始めてしまったぞ。大丈夫か?

 まあいい、あおいと一緒に行きたかったのは本当だからな。

 二人して、夕暮れの道を歩く。

 そして、辿り着いた場所は、

 

「……らーめんやさん?」

「そうそう」

 

 のれんが揺れる、古びたラーメン屋だった。

 飲み会でゆたか達と来た時にたまたま入った所なんだけど、すげー美味かったんだよな。

 まだ有名じゃないらしく人がいないし、我ながら大した穴場を見つけちまったもんだぜ。

 

「こないだ入ったらめちゃくちゃ美味くてな。あおいに一番に教えてやろうと思ってさ。おっちゃーん! にんにく味噌ラーメン二つ!」

「はいよぉ!」

「…………」

 

 あれっ? あおいが白くなってる。なんでだろう。

 

「……知ってたよ。ボク知ってたよ。パワプロくんがそんなロマンチックなことしてくれるはずないって知ってた。でも、ちょっと期待してみたかったんだ……」

「おーい、あおい、かえってこーい」

「……おごりだったよね」

「ああ、おごりだ」

「……おじさん。ボクのぶんのラーメン、大盛りでトッピングにチャーシューと味付け玉子。チャーハンと餃子に、ビール!」

「へい了解!」

「ぼ、暴飲暴食!? っつーか遠慮しろよっ! あおいの分の会計が俺の三倍になったぞ!?」

「うるさーい! パワプロくんのバカー!」

 

 あおいの声が店内に響く。

 なんでだーっ! と俺は叫びながら、あおいと美味しくラーメンを頂いたのだった。

 



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第四四話 五月三一日 バスターズ "受け継がれるもの"

 五月三一日

 

 

 怪我。

 それはおそらく、才能あふれるプロ野球に入ることを許されるほどの能力の持ち主達がその輝きを失ってしまう、最大の理由。

 

「引退、か」

「はい。アマチュア時代に壊した肩です。……元から限界だったのかもしれません」

 

 それは、葉波風路が憧れの念を抱いていたほどの相手でも、同じだ。

 

「あと一年、リハビリを頑張ってみないか」

「限界ですよ。……もう、肩が上がらないんです」

「一軍監督は、お前に夢を見ていたんだ。その夢をもう少しだけでいい。見せて欲しいんだ」

「……期待して、いただいていたのにこんなザマで、申し訳無いです」

「――ッ、東条……ッ」

 

 東条。

 天才と呼ばれ、中学時代には葉波に立ちはだかるライバルとして君臨した、もしかしたら猪狩世代の主役の一人になっていたかもしれない男。

 

「今まで、お世話になりました。監督」

 

 彼は今日、ユニフォームを脱ぐ。

 二軍監督が何かを言おうと口を開くが、言葉は出て来なかった。

 辞表代わりにユニフォームを脱ぎ、東条が監督に万感の思いを込めてユニフォームを手渡した。

 筋肉のついた身体は彼がここまで、どのような努力を重ねてきたかを物語るようで。

 その右肩に走る手術痕は、彼自身の壮絶な戦いの跡だった。

 

「失礼します」

 

 東条は頭を下げ、監督室を後にした。

 

「雅に、連絡しないとな」

 

 自分とは違い、春がトレードで出された後、順調に一軍で姿を見せ始めた元チームメイトを想い、東条は自嘲気味に笑みを浮かべる。

 長い、戦いだった。

 彼が最初に肩を痛めたのは、高校一年の頃だった。

 捕手にとって、肩は生命線だ。

 それを壊したせいで高校を転校。転校した先のときめき青春高校で、仲間たちと出会った。

 外野手として復活し活躍して、三位でバスターズに入団。そこまでは順調だった。

 プロ三年目で、肩の腱板を断裂した。

 試合中に肩を抑えてうずくまる姿は滑稽だったろうと東条は思う。

 同じ所にメスを入れることになった時点で、もうダメなのかもしれないという想いは頭をよぎった。それでも、もう一度フィールドに立つことを願ってリハビリを続けていたが、結局、肩は上がることは無かったのだ。

 何気なしに、外を見る。

 まだ昇ったばかりの日差しが東条をあざ笑うかのように元気に輝いていた。

 

「もう、夏か」

 

 高校時代の三年間が終わりを告げた日を、思い出す。

 こんな風に鬱屈したような感覚は無かったけれど、清々しくも悲しい終わりだったけれど。

 自分の球道は、終わりを告げたんだ。

 あの時と変わらない感じ方のまま。

 あの時とは違う、もう二度と瞬間を競う為にボールは握らない。プロ野球選手としての、終わり。

 もし、自分が怪我をしなかったらどんな選手になっていただろう。

 カイザースを引っ張り始めた葉波風路のように、なれただろうか。

 葉波風路が東条慎吾にあこがれていたように、東条慎吾も葉波風路に憧れていたなんて葉波が知ったら、笑うのだろうか。

 ふいに熱いものがこぼれたのを感じて、東条は頬に手をやる。

 濡れている。涙だ。

 こんなふうに涙を呑んだ選手なんか幾千も居る。その中のありふれた一人だと自分でも理解しているのに、あふれた涙は止まってくれやしない。

 もう一度戻りたい。怪我する前の自分に。

 けれど、それは叶わない願いだ。進んだ時は戻らない。この一瞬一秒だって貴重な時間で、だからこそ高校時代の時間はあんなにも尊く、愛おしく、眩しいのだから。

 

「……っ……」

 

 ぽたぽたと涙が床に落ちる。

 無念だった。

 二軍監督に夢をもう少し見せてくれと言われた時、思わず頷きそうになった。

 それでも、肩が発する鈍痛は一向に良くなる気配なんか見せてくれなくて。

 ぎゅうう、と己の右肩を握り締める。

 

「――――――っ!」

 

 言葉にならない叫びがバスターズ寮にこだまする。

 五月三一日。

 東条慎吾は、引退した。

 

 

           ☆

 

 

 夕暮れ。

 突然葉波は、東条に河原へと呼び出された。

 私服姿のまま、二人は久しぶりに顔を合わせる。

「よう、東条」

「久しぶり、葉波くん」

「メール貰って驚いた。いきなり会いたいだなんてな。……引退するって?」

「ああ。うん」

「……そっか」

「……精悍な顔つきになったね。一皮むけたのかな」

「かもしんねーな」

 

 東条が地面へと座り込んだ。

 葉波は立ったまま川の流れを目で見つめている。

 

「コーチでも、やってみたらどうだ?」

「……そうだね。スコアラーとかも面白いかもしれない」

「ああ、だろ。お前にピッタリだよ」

「うん。……葉波くん」

「ん?」

「……プレーヤーとして、僕は終わったよ。……だから、キミに預けたい。選手としての、僕の魂を」

「……魂、か」

「うん。今日やっと分かったよ。無念なんだ。ものすごく」

 

 東条が笑いながら、それでもしっかりとした声色で葉波へと告げる。

 それを否定する気など葉波には起こらなかった。

 

「それでも、もう自分にはどうしようもない。……それを、どうやって消化するかって言ったら。託すしか無いんだ」

 

 託す。

 その言葉のウラに隠された東条の気持ちを、葉波はなんとなく察する。

 "キミに預けたい"。

 その言葉を思い出して、葉波は空を見上げた。

 暮れていく空が物悲しい。

 

「……受け取ってくれるかな」

「……ああ、当然だ」

「ありがとう」

 

 微笑みながら東条から差し出されたキャッチャーミットを、葉波は受け取る。

 

「確かに、受け取った」

「ありがとう」

 

 きっと、ライバルでありながら仲間だったんだろうと葉波は思う。

 自分が怪我をした時、もしもあのまま復帰が遅れていたら東条のようになっていたのだろうか。

 東条の顔はスッキリしているのに、どこか儚い。

 

「俺は、お前のことをライバルだと思ってた」

「……僕もだよ」

「ありがとな。……野球から離れんなよ」

「離れられないよ」

「そか。ならいい。"後は任せろ"」

「――うん」

 

 それっきり、二人の間に会話は無かった。

 陽が沈んでいく。

 斜陽。

 夕暮れの日差しが、道をオレンジ色に染めてゆく。

 

「そろそろ帰らねぇと」

「うん。わざわざ、ありがとう」

「ああ、こっちこそな。……またな、東条。今度は一緒に野球しようぜ」

「喜んで」

 

 座り込んだままの東条に背を向けて、葉波は歩いて行く。

 その後ろ姿を、東条はじっと見つめていた。

 歩んでいく葉波と、座り込んで動かない東条。

 まるで対比させられているかのようだ。

 先に進む葉波の姿が見えなくなっていく。

 東条は、その背中をいつまでも見つめていた。

 葉波の姿が見えなくなっても、そのまま、その先を眩しそうに、ずっと見つめていた。

 

 

                ☆

 

 

「引退しちゃうの?」

「うん」

 

 東条はキャットハンズの寮の前にかつてのチームメイト、小山雅を呼び出した。

 金髪のツインテール。長い睫毛、整った顔立ち。猪狩世代、ドラフト指名された五人の女性選手のうちの一人である。

 思えば、東条は辛い時はずっと彼女に支えられてきた。

 東海大付属を中退して入ったときめき青春高校で、初めてキャッチボールをした相手。

 野球をやりたいという彼女に引っ張られて、青葉と一打席勝負を繰り広げたり、部員集めをしたり……色々、一緒に頑張った。

 あおいと葉波、春とみずきのような恋人同士なんて甘い関係じゃない。

 そうなりたいと小山雅は思ったことがあったが、結局言い出せなかった。

 彼女から見た東条はそういった感情を抱く暇もないと思える程にずっと戦っていたのだから。

 肩を痛めてとき春に入ってきた彼とキャッチボールした日を、小山雅は忘れない。

 僅か一〇メートルでワンバウンドするボール。

 野球をやっていたなんて嘘を吐いているんだ、と疑うほど力のないキャッチボールだった。実際、彼の打撃練習を見るまでは疑っていたのだ。

 たかだか一〇分程キャッチボールをしただけで、肩を抑え、呻く。

 それでも必死に笑顔を作って、自分にボールを投げ込んでくる。

 ある日は肩に鍼を打って。

 ある日は肩にテーピングをして。

 徐々に徐々に、投げれるようになって、最終的には外野を務めるまでになって。

 やっと、東条は神様に打ち勝ったのだと雅は思っていた。

 これから彼は野球選手として輝いていくのだと、勝手にそう思い込んでいた。

 ――東条が再び肩を痛めたと聞いたのは、葉波のドラフト指名前、昨年の八月のことだった。

 メスを入れると。

 既に肩は慢性的な痛みに支配されているから、いい機会だと、東条は言っていたのに。

 多分その時には覚悟していたんだろう。

「どうして、話してくれなかったの」

「雅が、頑張っていたから」

「……もっと……頼ってきてよ……」

「心配掛けたくなかったんだ。僕より雅の方がレギュラーになれなくて苦しんでいるから」

「そんなことっ……!」

 

 二の句を紡ごうとした雅の唇に、硬い人差し指が押し付けられる。

 豆がタコになった、硬い指。

 それ以上言わなくていい、というかのように東条は首を横に振る。

 

「僕はそろそろ行くよ」

「……ぅ……」

 

 待って、という言葉も彼は言わせてはくれなかった。

 ただただ優しいほほ笑みを浮かべ、頑張れ、と応援してくれる。

 目頭が熱くなる。

 どうして神様は、彼にばかりこんな試練を与えるんだろう。

 こんなにも優しいのに。こんなにも野球を愛しているのに。

 こんなにも手が硬くなるほど、努力していたのに。

 

「雅」

「……な、に?」

「僕がここに居た理由が、やっと分かったんだ」

「……え?」

「僕は"託す"為に野球をやっていたんだよ」

 

 捕手としての意志を、葉波に。

 野球選手としての魂を、雅に。

 彼と彼女に、魔法を掛けるために――。

 時に彼に立ちふさがり、時に彼女と共に走り。

 そうして、彼と彼女の足りないものを埋めて、野球選手として成長させるために、きっと東条は野球を始めたのだ。

 

「僕は主役になり損なった脇役かもしれない。けれどね、雅」

 

 東条は笑う。

 どうしてそんな風に笑えるのかと思うほど、嬉しそうに。

 

「そんな僕の『意志』を。『魂』を。受け取ってくれる人が居てくれるなら――こんなに幸せなことは無いんだ」

 

 怪我で野球を諦めた人は掃いて捨てるほど居るのだろう。

 けれど、彼らが標した軌跡は絶対に潰えない。

 その背中を見て、『先輩の分まで自分がやる』と火のついた仲間がいるだろう。

 その怪我を見て、『あいつの分までやってやる』と誓った仲間がいるだろう。

 その"意志"を――。

 その"魂を――。

 受け継いでくれるライバルが、仲間がいる限り、絶対に。

 

「……っ……う、んっ……」

 

 もう、声が出なかった。

 ポロポロと涙が溢れだし、地面に染みを作る。

 受け継ごう。

 彼の『魂』を。

 そうすることこそが、道半ばでバットとグローブを置く彼への、最高の"恩返し"なのだから。

 

「がんば、る。がんばるよ……っ」

「……頑張れ」

 

 涙の止まらない雅を、東条はぎゅうっと抱きしめる。

 

「ひ、ぐ……うぁ、うぁぁ……」

「頑張れ、雅。……頑張れ」

「うああああああ……!」

「頑張れ……」

 

 とっくに涙の枯れた自分の代わりに涙を零す彼女を胸に収めたまま、東条は夜空を見上げる。

 夏が、始まる。

 長い長い、夏が――。

 



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幕間 六月一日→七月八日 ”オールスター前”

      六月一日

 

 

「ゆたか、あの、返事だけど」

「は、はい」

「今は――考えられない。ゆたかのことは嫌いじゃない。けど、俺は今野球でいっぱいいっぱいなんだ。だから」

「っ。あ、あの、先輩! お、オレ、今すぐ返事が欲しいだなんて思ってません! だから……その、カイザースが優勝できた時、返事を聞かせてください!」

「分かった。すぐ答えられなくてごめんな」

「い、いえっ!」

 

 ゆたかからの告白に、とりあえず一区切り付けて。

 俺たちカイザースは、四位のまま六月に突入した。

 新幹線で移動しながら、手元の使い古されたミットに目をやる。

 キャッチャー用のミットだ。

 高校時代のものじゃない。裏に刺繍で、四年前のドラフトの日付が書いてある。

 手入れが施された、すぐにでも試合で使えそうなミット。

 東条は、捕手を捨て切れてなかった。

 きっと俺と同じように捕手の魅力にとりつかれてたんだと思う。

 もうキャッチャーは出来ないと分かっていても、それでも。

 ――東条は、キャッチャーで居続けようとしたんだ。

 そのミットを手に嵌める。

 お前の代わりに、こいつを連れて行く。

 見てろ、東条。俺が日本一のキャッチャーになってやるから。

「先輩、着きましたよ!」

「ああ、行くか」

 今日はキャットハンズとの対戦だ。

 先発予定はあおい。久々の対決になる。

 負けられない。ゲーム差は徐々に近づいて三位とは1,5G差だ。勝ち続ければ追いつける。

 ぐっと拳を握り締めて前を向く。

 今日から俺は、もっと強くなる。

 

 

                     ☆

 

 

 ライト前にボールが弾むのを確認してから、小山雅は一塁ベース上に到達し、拳を握りしめた。

 これで雅は六試合連続安打。春がカイザースにトレードに出されて手薄になった遊撃手の控えとして一軍に上がった雅だが、これで遊撃手のレギュラーの座をがっちり掴んだと言っても良い。

 

「小山は配球を読むのがうまくなりましたね」

「うむ。見事だな」

 

 呟く監督とコーチ。

 恐らく、この球場に居る誰もが、彼女が何故覚醒をしたのかは知らないのだろう。

 

(連れて行くよ)

 

 ベース上で、彼女はもう何度誓ったか分からない思いを再び誓う。

 愚かなほど、一直線な想いを、何度でも何度でも。

 

(東条くん。僕はキミの魂をレ・リーグの頂点へ連れて行く。その時――あの時言えなかった気持ちをちゃんと伝えるよ)

 

 カァンッ! と三番の猪狩進の打球がライトへと飛んでいく。

 それを視認すると同時に小山雅はセカンドへと弾けるように走りだす。

 

(――キミのことが、好きだって)

 

 ライト前ヒットでサードへと進塁し小山雅は息を吐き出し、ホームベースに立つ捕手を睨み付ける。

 そこに立つのは、自分と同時に彼の"意志"を継いだ男。

 男はキャッチャーマスクをかぶり直しながら、次のバッターへと目を向ける。

 続く打者、四番ジョージが特大のライトフライを打ち上げた。

 雅はそれを見てタッチアップからホームへと帰る。

 

「……葉波くん」

「ん? 小山?」

「東条くんがね、言ってたんだ」

 

 東条の名を聴いた途端、ぴくりと葉波が動きを止める。

 雅はバットを拾いながら、小声で尚も言い続ける。

 

「魂と意志を、僕と葉波くんに託したんだって」

「ああ、そう言ってたな」

「……僕は、負けないよ」

「あん?」

「――東条くんの"意志"も、"魂"も、僕が継ぐ。キミには負けない。東条くんが遺したものは、僕が背負うものだ。……それを、優勝して証明してみせる」

 

 金髪のポニーテールを揺らし。

 気高い瞳で葉波を見据えながら、小山雅は葉波風路に宣戦布告を叩きつける。

 葉波は投げつけられた言葉を受け取り、そっと目を瞑る。

 

「……負けねぇよ。同じ"捕手"として、あいつが俺の目の前に居たってことを証明してやるんだ。――あんな凄い葉波選手が憧れた捕手が居たんだ、ってな」

 

 二人の視線がぶつかり合う。

 雅は満足そうに頷き、キャットハンズベンチへと戻っていった。

 ――この後、葉波が逆転の二点タイムリーツーベースを放ち、それが決勝点となってこのカイザース対キャットハンズの一戦はカイザースの勝利で終えた。

 そして、いよいよ。

 シーズンは折り返し地点を迎える。

 六月は終わりへと向かい、そして七月。

 スターたちの共演するオールスターが幕を開けるのだ――。

 

 

               ☆

 

 

 プロ野球のオールスターはメジャーリーグのオールスターと違い、変則的だ。

 レ・リーグだけの一リーグ制なので、リーグ別にオールスターを選出することが出来ない為、プロ野球機構は『AチームとPチーム』の二つに選手を振り分け、オールスターを行なっている。

 Aチーム――従来のオールスターチームで、ファン投票で選出されるチーム。

 締め切り日は六月末で、先発三名、リリーバー三名、外野手三名、その他の各ポジションから一名ずつ選出される。

 対して、Pチーム。

 これは選手間投票により選出される、プロが選んだ選手で構成されたチームだ。

 ファン投票で選出された選手を除く選手に投票が可能で、Aチームと同じポジションの人数が選出されるという形が取られている。

 そして、今日七月八日に、両チームの選手が発表される。

 ちなみに、俺の成績は今日の時点で打率二割八分五厘、打点三九、本塁打二。進の打率が三割二分台で、打点も五三、ホームランも七本だから、恐らくファン投票の結果は進が一位だろう。

 

「さて、そろそろだな」

「ああ、そうだな」

「………………あのさ」

 

 俺はノートパソコンでオールスターの公式サイトを開きながら、人のベッドの上でゴロゴロしながら『魔球の秘密~神童のツーシームとは~』と書かれた本を読む猪狩に目をやる。

 

「なんでわざわざ俺の部屋で確認すんだよ、お前の部屋にもパソコン有るだろ?」

「良いだろ別に。見られちゃまずいものでもあるのか?」

「いや、無いけど……」

「良いから早くページを開け、ボクは今神童さんのツーシームの研究で忙しいんだ。……なんとかこのツーシームの理論をライジングショットに生かせないものか……」

「やれやれ……」

 

 カチカチ、とホームページを開いた所で、ガチャガチャと部屋のドアノブがひねられる。

 今日は客が多いな。一体誰だよ。

 

「パワプロ、入れてくれ」

「友沢か。あいてるぞ」

「ん、入るぞ」

 

 ガチャリ、と扉をあけて、友沢が入ってくる。

 その手にはプロテインとスルメが握られていた。

 ……えーと。ああ、タンパク質と栄養補給ね。なるほど。

 

「…………で? 何か用か?」

「オールスターのチーム分けを確認するんだろうと思ってな」

「お前ら……」

 

 なんでこいつらは人の部屋で確認するんだよ。自分の部屋で確認しろ、自分の部屋で。

 まあ追い出すことはしないけどさ。

 はぁ、とため息を吐いた所で、開けっ放しのドアからちらりと久遠が顔をのぞかせる。

 更に廊下の奥からは山口とゆたかと一ノ瀬が此方に向かって歩いてくるのが見えた。

 ……ああ、もう。勝手にしろ。

 

「おじゃまするね。パワプロくん」

「お邪魔するよ」

「おじゃまします。邪魔かな?」

「お、お邪魔します、先輩!」

「はいはい。適当に座れよ」

 

 結局俺を含めて七人の大所帯になった部屋にため息を吐きながら、オールスターのチーム分けを確認する。

 えーと、まずはAチームの先発投手からだな。

 

「『一位・猪狩』」

「ふ、当然だな」

「相変わらずムカツクやつだな。二位、バスターズの鈴本。三位……ゆたか」

「えっ!?」

 

 俺が読み上げた瞬間、友沢のスルメを貰いぱくぱくと食べていたゆたかが思わず声を上げる。

 すげぇな、ゆたかのやつ、あおいを抑えて三位入りって。

 

「新進気鋭の女性投手。しかも勝ち星はボクに続くチーム二位の七勝。入っても不思議ではないか」

「お、オレが三位……」

 

 じーんと感動しているゆたか。まあ気持ちはすげぇ分かるけど。

 ちなみにあおいの勝ち星は五勝。勝ち星が伸びてないのがランキング外の原因なのかもしれないな。

 

「次、リリーバー部門な。えーと、キャットハンズの橘と、パワフルズの鈴木さんと、一ノ瀬だ」

「妥当なメンツだな」

「次なー、キャッチャー部門」

「せ、先輩とオールスターでバッテリー、オールスターで……」

「キャットハンズ猪狩進」

「あーうー」

「ま、当然か」

「一塁手、パワフルズ福家、二塁手、カイザース蛇島、三塁手、パワフルズ東條、遊撃手、カイザース友沢」

「ん」

「外野手、バルカンズ八嶋、バルカンズ猛田、パワフルズ七井。ま、妥当なメンツか」

「あうう。ご、ごめんなさい、先輩、オレなんかが……」

「いいっていいって、頑張ってこいよ」

「まだPチームがあるだろう?」

「プロに俺が選ばれるかよ……」

「どうだかな? ボクはお前に入れたぞ」

「ああ、俺も葉波に入れた」

「オレも先輩に入れました!」

「当然僕もね」

「俺も入れたよ」

「僕も勿論パワプロに入れた」

「組織票かよ」

 

 まー、一応確認してみるけどさ。

 カチッとPチームのメンツに移ってみる。

 

「先発……キャットハンズあおい、バルカンズ大西、カイザース山口」

「お」

「くっ、負けちゃったか……流石に勝ち星で山口くんに負けたのはでかいなぁ」

 

 ま、流石にあおいはファンチームの方で出れなかったならこっちで出てくるよな。

 なんか安心したぜ。あおいが選ばれないなんて納得出来ないしさ。……まあ、俺があおいに入れたからだけど。

 

「次、リリーバー部門。パワフルズ水海、カイザース佐伯、やんきース青葉」

 水海、か。あの凄い球速のやつだな。

「次、野手部門……捕手、葉波……俺だ」

「あ……! ぁ」

 ぱぁぁ、とゆたかの顔が輝き――次の瞬間、俺相手に投げるのだと思い出して、一瞬で顔が曇った。

 面白い十面相だな。ふむ。

「オールスターか。……おもしれぇ。猪狩とまた戦う訳だな?」

「む。……ふふ、そうだな。高校時代を思い出す。今回も、ボクが勝たせてもらうがな」

「抜かせ、打ってやるよ」

 言いながら、パソコンに視線を戻す。

「一塁手、カイザースドリトン、二塁手、バルカンズ林、三塁手、カイザース春、遊撃手、小山雅、外野手、カイザース近平、バスターズ下鶴、パワフルズ明石」

 おお、春と近平もオールスター初出場か。やるな。

 林に小山も確か初出場だったはずだ。……あいつらと同じチームか。三試合だけとは言え、楽しそうだな。

「明石がオールスター出場か……」

「は? あ、本当だ」

 友沢に言われて気づいた。ホント明石のやつ、なにげにサラっと入ってるやつだな。間がいいというか何というか。

「……先輩と、早川さんがバッテリー組むんですか」

「ん? ……そうなるな」

 ゆたかに言われて、頷く。

 そうだよな。あおいとバッテリーを組むことになるんだ。

 四年ぶり、か。今のあおいのボールを受けたら、どんな感覚がするんだろう。

「……ぅー」

「ん? どうした?」

「なんでもないです……」

 ぷい、っとゆたかがそっぽを向く。

 ? よくわかんねーけど、ゆたかとの対戦も楽しみだな。

 オールスターは七月の下旬。猪狩ドーム、頑張市民球場、キャットハンズの本拠地であるギガメガドームで行われる。

 



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幕間 2  七月八日 "夢を継ぐもの"

 矢部明雄は、オールスター休みを利用してバルカンズの二軍を訪れていた。

 本来ならば出場出来ていたであろうオールスターも、六月に入ってからの突然の不調で落選。

 一年目からの連続出場も四年で途絶え、新進気鋭の小山雅の後塵を拝するという不甲斐ない結果に終わってしまった。

 高校で葉波に出会ってから――矢部は初めてと言っていい、スランプに陥ってしまったのだ。

 

(……はぁ、オイラ、どうすればこの不調から脱することが出来るでやんすかね)

 

 今日何度目か分からないため息を吐く。

 五月下旬に突如訪れた不調。

 バットがボールに当たっても打球が前に飛ばず、当たっても内野フライばかり。

 自分では強く振っているつもりなのに打球の勢いは弱く内野の間を抜けない。

 俊足巧打のタイプである矢部がヒットを打てないというのはかなり致命的で、四年間で十二個という数字であった併殺打も今年は既に七併殺。完全に泥沼にハマってしまっている。

 六月には二八打席連続無安打を喫し、スタメン落ち――二軍落ちもちらつく状態で、オールスターは目前で小山雅に掠め取られてしまった。

 

「……新垣は、どこでやんすかね」

 

 キョロキョロと二軍球場の中を見渡し、矢部は二軍を訪れた目的である彼女を探す。

 見当たらない。

 

(室内練習場に居るでやんすか?)

 

 踵を返し、矢部はゆっくりと室内練習場へ向かう。

 人工芝が張られ、ネットで仕切られた室内練習場に、彼女は居た。

 

「新垣!」

「……! 矢部? あんたどうしたのよ? ……まさか、二軍落ち……!?」

「いや、違うでやんす。ちょっと……そう、新垣が元気かどうか気になったでやんすよ」

「あ、そうなの。……元気無いみたいね。あんたがあそこまで打てないの、初めて見たわよ」

「そうでやんすね……」

 

 いつもなら反発する所なのにそうする気も起きないことに矢部は自分で驚く。

 新垣はそんな矢部をジロジロと見て、息を吐く。

 

「……キャッチボール、久々にするわよ」

「む。でも、オイラグローブ持ってきてないでやんす」

「貸してあげるわよ。ほら」

 

 ぐいっとグローブを押し付け、新垣は矢部の手を引っ張りグラウンドへと出る。

 日差しが降り注ぎ、グラウンドが輝いている光景。

 何度見ても眩しい。デイゲームでもナイトゲームでも、周りが暗いかどうかと、球場の作りが違う以外にこの光景に変わりはない。

 デイゲームならば太陽の光で、ナイトゲームならば人工の光で、グラウンドは光り輝いているのだから。

 矢部はグラウンドの外野へと向かう。

 十数歩歩いた所で、新垣がファウルラインの手前で立ち止まってるのを見て、矢部は訝しんだ。

 

「? 新垣? どうしたでやんすか?」

「ここでいい。ほら、始めるわよ」

「うわわ、いきなり投げるなでやんす!」

 

 ビュッ、と新垣がボールを投げる。

 バシッ! とそれを慌てて受け止め、矢部は新垣に向き直った。

 

「驚いたでやんすよ! 何するでやんすか!」

「ぼーるばっくぅー」

「むっかぁ、でやんすー!」

 

 腕を振るい、新垣へとボールを投げ返す。

 パァンッ! と良い音を立てて、新垣はそのボールを受け止めた。

 

「ナイスボール、やれば出来るじゃない」

「当然でやんすー!」

「言ったわね!」

 

 言いながら新垣はボールを矢部へと送る。

 高校時代に数えきれないほど往復したキャッチボールの応酬を、更に回数を重ねて。

 やがてその距離は伸びて、遠投に相応しい距離になった所で、矢部は思いっきりバックホームするかのように強いボールを投げる。

 スパァンッ! と音を立てて、新垣のミットにボールは吸い込まれた。

 

「ふっふっふ、どうでやんすかー!」

「……ごい」

「……ん? 聞こえないでやんすよ」

 

 新垣が何か聞こえたのを聞いて、矢部は新垣の元へと向かう。

 ラインまで走り、新垣との数メートルの距離を詰めた所で――矢部は、思わず足を止めた。

 

「凄いよ。矢部」

「……あら、かき?」

「やっぱり、あんたは……ううん、キミは、私の憧れなの」

 

 新垣は、泣いていた。

 瞳から大粒の涙を零し、グラウンドを濡らしながら。

 

「憧れ、って、どういう意味でやんすか」

「……私ね。足が速くなりたかった。肩はそんなに強くなくていい。足で相手をかき乱し、いやらしいバッティングで出塁して、投手をイライラさせて、盗塁した後に二番打者に送ってもらって、三番の犠牲フライで返ってくる。そんな選手に憧れてた。でも、私は、足が遅くて、バットコントロールを磨くしかなくて……無理なのかなって、諦めた時にね、キミが、私の前に現れたのよ」

「っ――!」

 

 あの時。

 高校生の時のこと。

 

「最初はサイッテーなやつだと思ってた。人の着替えの上に変な人形落として眼の色変えてそれを拾いに行くから、私の着替えに何してんのよってね。……でも、一緒にショートとセカンドでチームを組んで、コンビプレーの練習してるうちに、分かったのよ。……ああ、私の憧れた選手は、キミだったんだって」

 

 それは、新垣にとって人生の最大の出会いだったのだ。

 自分の憧れを顕現するような選手との、運命の。

 

「新垣……もう……」

「憧れの選手に輝いて欲しくて、私は二番打者として、一生懸命だったわ。バントして、時には粘って、キミの盗塁をアシストして」

「止めてくれ、でやんす……」

「それで、甲子園出場っていう夢が叶って」

「止めろ、でやんす……」

「ドラフトで、プロ入りまで出来たのよ? 理想の形だけじゃなく、私の夢まで叶えてくれて――凄く嬉しかった」

「もう止めろでやんすっ!!」

「だから、私は」

「その続きは聞きたくないでやんすっ!」

 

 矢部の怒号のような叫びがグラウンドにこだまする。

 選手たちが動きを止めて、新垣と矢部に目を向けた。

 矢部の言葉に新垣は首をゆっくりと横に振る。

 

「――もう、止まっても、良いわよね」

「良い訳……良い訳無いでやんす! 何諦めてるんでやんすか! 高卒四年で一軍に上がれない選手なんてザラでやんすよ! ぱ、パワプロくんに聞かれたら笑われるでやんすよ! 何諦めてんだって。オイラ達のチームを支えた二番打者が何言ってるんだってっ!」

「……あいつは、ここには居ないじゃない」

「じゃあ代わりにオイラがパワプロくんになって言うでやんす! 諦めるなでやんすっ! 

 オイラ、オイラ一軍でずっと待ってるでやんすから……!」

「――ダメ」

 

 ラインを踏み越えて新垣に近寄ろうとする矢部を、新垣は止めた。

 言われて、思わず矢部は動きを止める。

 

「キミは、待ってなんかいちゃ、ダメ」

「な、なんで、なんででやんすか……!?」

「私が居るのは、グラウンドの外なの。……キミと一緒の所には、立てない」

「どういう――」

「キミが立つ、光り輝くグラウンドの中に、私は入れないから」

 

 そこまで言われて、矢部はやっと気づいた。

 新垣が右肘を抑えていることを。

 

「――そんな……」

「怪我自体は全治二ヶ月。でも……育成契約の私にとっては致命傷。この怪我が治る頃には九月。二軍戦の残りが少ない無い時期。……ごめんね」

「嘘、でやんす。だって、新垣はずっと、ずっと頑張って……! そんな新垣を、野球の神様が裏切るなんてこと……あるわけが……!」

「うん。野球の神様は、私のことを裏切ってなんかいないわ」

 

 ラインギリギリのところまで新垣が歩いて、矢部の正面に立つ。

 整った顔立ち。大きな黒色の目に長い黒髪、特徴的なつり上がった目から溢れる涙は、宝石のようだ。

 

「だって、誰よりも憧れて――誰よりも素敵な選手を、一番近くで見せてくれたんだから」

 

 涙を拭い、新垣が笑う。

 

「オイラ、は」

「見てるから」

「え……?」

「ずっと見てる。もう、キミの一番近くには居れないけれど、それでも、誰よりも貴方を見てるから」

「……っ」

「だから――待ってなんか居ちゃダメ。キミは……ううん、あんたはあの広いセンターフィールドで、誰よりも輝いてなきゃいけないんだからね。分かってんの?」

 

 いつもの口調に戻って、新垣は笑う。

 ――いつまでも一緒に野球を出来ると思っていた。

 あの頃から。

 高校で同じチームで戦っていた時から、ずっと。

 

「じゃ、さっさと一軍に戻りなさいよね。あんたが居るのはファームなんかじゃないでしょ。……光り輝く、このラインの向こう側。グラウンドなんだから」

「……分かった、でやんす」

 

 矢部は踵を返し、新垣に背を向け、離れるように歩き出す。

 これで、いいのだろう。

 ドラフト会議で一年に何人もの選手が入って来て、その分の選手が去っていく。

 今グラウンドに立っている選手たちは、光と陰のラインを超えた向こう側――光の中に立っているのだ。

 ドラフト下位で大成功するなんてこと、滅多にない。

 新垣はそんな"ありきたり"な選手の一人なのだろう。

 この間引退を表明した東条だって、プロ野球の長い歴史から見ればありきたりな怪我で潰れた人の一人に過ぎないのかもしれない。

 けれど――。

 

「けれど、忘れないでやんす。オイラは――オイラは、ずっとオイラの一番近くで、いつだって一緒に戦ってきた誰よりも大切な仲間が居たことを、絶対に」

「……あり、がとう。矢部……」

「すぐに調子を取り戻すでやんす。そしてきっと、タイトルトロフィーを新垣に見せてやるでやんすよ」

「楽しみに、しておくわ」

 

 去っていく新垣を呼び止めることなんて、矢部には出来ない。

 呼び止めても仕方のないことで、一軍に居る自分が育成の新垣を励ましてもそれはただの同情でしかない。

 だから、示そうと矢部は思う。

 

「でも、オイラは思うでやんすよ。夢破れて去っていた選手達の想いは、きっとオイラ達の知らない所で、誰かに受け継がれていったのでやんす。それと同じように新垣の夢はオイラが受け継ぐでやんす。だから――見ていて欲しいでやんすよ」

 

 ――新垣の夢をオイラが叶える、その瞬間を。

 

 

 矢部が新垣が引退すると聞いたのは、翌日のことだった。



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第四五話  七月一七日 "オールスター第一戦"

 ――日本プロ野球機構には、各球団の首脳陣とコミッショナーが一堂に会する"懇談会"が行われる日時がある。

 それがオールスターを控えた今日だった。

 出席者は日本プロ野球機構のコミッショナー、各球団社長、そして、プロ野球に関してほぼ全て資金を出している、倉橋コーポレーションのプロ野球宣伝部部長、倉橋彩乃の八人だった。

 

(……相変わらず緊迫感がありますわね)

 

 この席に座るのが四年目の彩乃も、未だになれない独特の緊張感。

 各球団の代表は相手を敵とも思っていないが、味方とも思っていない。議題が上げられ、それについて議論するだけであるが、その議題への賛成派と反対派が存在している為、互いに牽制しあっているからだ。

 例えば、指名打者制度の導入。今現在は指名打者制度はレ・リーグでは導入されていないが、キャットハンズ、やんきーズ、バスターズは導入すべきと言っているのに対し、カイザース、パワフルズ、バルカンズは導入すべきではないとして、真っ二つに意見が割れている。

 この会談がある度に議題に上がることなので仕方のないことだが、それに話題が及ぶ度に彩乃の胃がキリキリ痛む程に空気が張り詰めるのだ。

 なんせここに座っているのは、彩乃を除けば酸いも甘いも噛み分けてきたやり手ばかり。まだまだ『大人の世界』に入ってきたばかりの彩乃では聞いているのが精一杯で、議論に口を挟める状況ではないのに、スポンサーということもあって向こうから話を振られることも度々でその度に彩乃は心臓が止まる思いをしているのだ。

 

(早く帰ってパワプロ様の新聞の切り抜きでもしたいですわ)

 

 ぼーっとそんなことを考えていると、それでは、とコミッショナーが立ち上がる。

 

「今回の議題を始めます」

 

 ああ、また指名打者制度のことか、と彩乃が内心溜息を吐いた所で、

 

「今回の議題は、来年の春に行われる、『ワールドベースボールチャンピオンシップ』……WBCについて、です」

 

 いつもと違う議題が飛んできて、彩乃は僅かに目を見開いた。

 確かに彩乃の倉橋コーポレーションにも、WBCについての情報は入ってきていた。

 もしも開催の流れになれば出資をお願いしたい、と。

 実際に行われることになってから、とその時は断ったが、まさか、本当に開催する流れになっていたなんて。

 

「我々は日本代表として、野球先進国として、一丸となって優勝を目指します。それについては、各球団とも、同意してくださっていると思います」

 

 コミッショナーの言葉に各球団の代表が力強く頷く。

 

「選手の派遣について、なのですが」

「体調面を除いて、拒否権はないとすべきだ。優勝チームの選手が多く選出されれば早い仕上がりを余儀なくされるだろう。だから拒否する、という選手も多くないだろうからな」

 

 カイザースの球団社長が間髪入れずにいうと、キャットハンズの球団社長もコクリとそれに頷いた。

 上位を狙う位置に居るカイザースの社長と、優勝街道をひた走るキャットハンズの球団社長がこれに同意すれば、他の球団には拒否権が無いも同然だった。

 

「開催を行うことには間違いありません。彩乃さん。出資の件については」

「は、はいっ。失礼しました。こほん。……私達の会社は、日本の中で最も野球を愛している、と自負しておりますわ。そのような会社が、このような全世界規模のイベントを目の前にして、及び腰になる理由はありません」

「では?」

「はい。前向きに検討させていただきますわ。まだ確実に出資する、とはこの場では言えませんが」

「結構」

 

 嬉しそうにコミッショナーが言うと、球団社長の面々も彩乃の言葉に安堵の溜息を吐く。

 会議室の張り詰めた空気が、彩乃の一言で弛緩した。

 

「……ああ、そういえば、今日はオールスターでしたね」

「おおっ、そうだったそうだった。是非とも見なければ」

「良ければご一緒にどうですか?」

「おお、いいですな」

「申し訳ありませんわ。私、花束贈呈などの業務がありまして……」

「ああ、そうだったね。またこんど食事でもお願いするよ。彩乃くん」

「おいこらずるいぞ! 彩乃くんを独り占めにしようだなどと! 皆で順番にという話だったではないか!」

「ええいうるさい黙れ!」

「……あ、あはは。し、失礼致しますわね」

 

 孫を取り合うおじいちゃんと化した球団代表達を置いて、彩乃は会議室を後にする。

 オールスター。

 恋恋高校時代の同級生が数多く出場するその試合を、彩乃は直接見たいと、車に飛び乗って、球場へと飛ばすのだった。

 

 

               ☆

 

 

「パワプロくん」

「どうした? あおい」

 

 大勢が詰めかけた猪狩ドーム。

 ホームラン競争が行われている脇で俺がストレッチしていると、あおいが隣に座った。

 相手側のベンチではゆたかが先輩方に話しかけられて顔を真っ赤にしている。何の話してんだろうな。

 

「今日ね、お願いがあるんだ」

「お願い?」

「……先発オーダー、聞いた?」

「いや、まだだけど」

「……先発は、ボクなんだ。キャッチャーはパワプロくん」

 

 ……来るとは思ってたけど、やっぱりそうなるのか。

 俺の顔をじっと見つめながら、あおいはぎゅっと胸の前で手を握りしめた。

「ボク、今日――九者連続三振を、狙いたいんだ」

「――!」

 

 あおいの言葉に驚愕する。

 オールスターでの先発は、主に三回を投げることが多い。

 お祭りなだけあって様々な選手を起用するためなのだが――あおいは、その三回で対戦する打者全てを、三振で打ち取りたい、と言っているのだ。

 普段のチームを相手するのとはわけが違う。なんせオールスター、それも相手はファン投票で選ばれたAチーム。

 進や友沢を始めとした、なみいる強打者好打者達を全て三振に打ち取るという難易度は、シーズン中の比ではないだろう。

 それでも。

 

「……分かった」

「ありがとう、パワプロくん」

 

 あおいの目は、本気だった。

 頷いて、あおいからグラウンドへと目をやる。

 グラウンドでは、ホームラン競争に勝利した東條が賞金を受け取っていた。

 そして、いよいよスタメンが発表される。

 俺はあおいと共にブルペンへと下がり、ウォーミングアップを始めた。

 先攻はAチーム。俺達Pチームは後攻だ。

 

『ではAチームのスターティングメンバーを発表致します!』

 

 男性の声が球場内に響き渡る。

 Aチームのスタメンはこうだ。

 一番、センター八嶋。

 二番、セカンド蛇島。

 三番、ショート友沢。

 四番、サード東條。

 五番、レフト七井。

 六番、ファースト福家。

 七番、キャッチャー猪狩進。

 八番、ライト猛田。

 九番、ピッチャー猪狩守。

 普段なら九番の位置には投手が入るが、一巡目はそうはいかない。

 相手は打棒でも好打者といって良い猪狩。――一筋縄ではいかない。

 ちなみに俺達Pチームのスタメンは以下のとおり。

 一番、セカンド林。

 二番、ショート小山。

 三番、キャッチャー葉波。

 四番、ファーストドリトン。

 五番、サード春。

 六番、ライト近平。

 七番、センター明石。

 八番、レフト下鶴。

 九番、ピッチャーあおい。

 流石にAチームと比べると見劣りするが、実際のチームなら十分優勝を狙える強力なメンツといって良い。

 パシィンッ! とブルペン内に鋭い音が響いて、俺のミットにあおいのボールが突き刺さる。

 凄いボールだ。ブルペンから受けてみてエンジンをかけていく過程を知るとその凄さが分かる。

 ……でも、これだけじゃ弱い。

 確かにエースクラスの投手のボールだが、あおいのタイプは打ち取るタイプ。三振を取ろうとなると、ストレート、マリンボール、カーブ、シンカーの四つだけじゃ難しい。

 シーズン中の三振がそこそこ有るのは、コントロールされたボールを見逃して三振してしまうというパターンが多いからで、このオールスターでせっかくだから振っていこうとバッターが考え、見逃しが激減することを考えても九者連続三振を狙うには心もとない。

 

「……あおい、あのさ」

「もう一球」

「……え?」

「お願いします」

 

 あおいが俺に告げて、ボールを手の中で動かす。

 ……! その握り……!

 

「いいのか?」

「うん。実はシーズン中、何度も使ってたんだよ」

「なるほどな」

 

 そのボールで空振りを取ってたのか。気付かなかった。

 何度もビデオで検証してたつもりだったけど、アンダースローという独特の軌道のせいで気付けなかったんだろう。直接近くで握りを見せられるまでは気付けない。

 多分、知っているのは進くらいか。あんにゃろ、黙ってやがったな。

 

「来い!」

 

 パンッ、とミットを叩いて構えると、あおいはこくんと頷いた。

 高校時代、俺と一緒に考え、改良した時から何一つ変わっていない、美しいフォーム。

 そこから放たれるあおいのボールを、バシンと受け止めた。

 あおいは今まで秘密にしていた自分のボールの秘密を、俺に明かした。

 普通ならばやってはいけないことだ。他チームの選手に自分の情報を教えるだなんて。

 それでもあおいは、俺に教えたんだ。

 全ては、九者連続三振の為に。

 

「……全力を尽くす」

「え?」

「九者連続三振。……任せろ」

「! うんっ」

 

 にこ、と太陽のような笑みを浮かべるあおいに頷いた所で、いよいよ試合の開始を告げるBGMが流れだす。

 

「出番だ早川! 葉波!」

「はいっ!」

「はい!」

「行って来い!」

 

 コーチに送り出され、俺とあおいはグラウンドへと飛び出した。

 ワァアッ! と大歓声がこだまする。

 

『さあ、ついに戻ってまいりました! プロ野球ファンの中でもご存じの方が多いでしょう! 猪狩世代を盛り上げた恋恋高校のバッテリーが、ここに復活です!』

 

 ぐい、とマスクを被り、キャッチャーズサークル内に座り込む。

 この光景は見慣れてきたが、この光景から見えるマウンドにあおいを見るのは、初めてだ。

 何球かストレートを捕球し、いよいよ試合が始まる。

 

『バッター一番――八嶋』

 

 コールされ、八嶋がバッターボックスに立つ。

 俊足巧打。いきなりの難関だ。

 どう組み立てるか決めあぐねていたけど――早速行かせてもらうか。

 パパっとサインを出す。

 あおいは、そのサインを見て、間髪入れずにセットポジションに入った。

 あおいのやつ、俺が早速要求するだろうって思ってやがったな。以心伝心というか、バレてるか。

 セットからモーションに入り、あおいのその球が、放たれる。

 

「くっ」

「ストラック!」

 

 初球はフルスイングで行こうと決めていたのだろう。あおいから放たれたボールを、らしくない大振りで八嶋は空振った。

 がくん、と八嶋の身体のバランスが崩れる。

 それをあざ笑うかのように、ボールはインハイに構えた俺のミットへと収まった。

 このボール――ツーシーム。

 あおいのボールは元から浮かび上がるボールだ。

 かつて俺が"第三の球種"と名づけた、インハイへのストレートのような、ホップするように感じるアンダースロー独特の軌道を持っている。

 だが、このツーシームはその軌道よりもボール一個分か二個分、浮かび上がらない。

 通常ツーシームは利き手側に鋭く変化したり、ボール一個分程沈むというムービング系のボールなのだが、あおいの場合はストレートと殆ど同じ軌道のまま、ボールが浮かび上がらない。

 打者はボールの軌道を常時確認している場合ではない。投げられた際の角度やボールの速さによって球種を判断している。

 だが、あおいのツーシームはストレートと全く同じ角度で、またボールの速さもストレートと全く同じだ。

 それはビデオで確認しても全く分からなかった。おそらくスロー再生で実際の回転数を確かめてみなければ分からない、ただ普段よりもボール一個分浮き上がらないだけの変化していると言って良いのかも分からないボール。

 しかしプロレベルになるとそれが大きな違いを生む。対戦した打者は既にあおいのボールの軌道を覚えていて、伸びてくるものだと思ってストレートに対応しスイングするだろう。

 だが、実際はボール一個分ホップして来ない。すると、ボール一つ分上を振ってしまうことになる。

 その結果、空振りするという訳だ。

 続けて、ストレートを要求する。

 あおいは頷き、それを俺の構え通りの場所、外角低めに投げ込んだ。

 ブンッ、と八嶋のボールが空を切る。

 武器は何ら変わらない。コントロールが自分の武器だと、理解しているのだ。

 ぞく、と背中を得たいのしれない感覚が這い上がる。

 こんな投手をリードする。キャッチャー冥利に、尽きるってもんだ。

 インハイにストレートを要求する。

 あおいは頷いて、俺のミット通りのところにボールを投げ込んだ。

 八嶋のバットが三度空を切る。

 

「スイングアウッ!」

『三振!』

『流石早川選手ですね、素晴らしいコントロールです』

 

 三球三振。最高の滑り出しだ。

 

『バッター二番、蛇島』

 

 思い出す。帝王の時の蛇島とは、このバッテリーで戦ったんだ。

 蛇島がじっとあおいを睨む。

 まずは、マリンボール。インローに決める。

 ぐんっ、と落ちるボールを蛇島は見逃した。

 

「ストライク!」

 

 次はストレート、これも内角低めに、今度はボール球。

 蛇島はそれを見逃す。

 これで1-1。次はインハイにツーシーム。。

 蛇島がそのボールを空振った。

 2-1。このボールで否応でもマリンボールを意識する。

 なら、その期待通りにマリンボールを使ってやる。外角低めギリギリのボールだけどな。

 あおいの腕が振るわれる。

 ボールは要求通りの所に変化した。

 パシィッ! と俺のミットが音を立てる。

 

「ストラックバッターアウトォッ!」

『二者連続! 凄い制球力です!』

『リーグを代表する投手ですからね、凄いですよ』

 

 いつも以上に気を使って、いつも以上に大胆に攻めないと九者連続は狙えない。

 ……だが、もっとだ。もっと頭をフル回転させろ。そうしないと。

 

『バッター三番、友沢!』

 

 こいつは、抑えきれない。

 

「こうして公の場で対戦するのは初めてだな。パワプロ」

「そうだな」

「今日は早川と戦うのではない、お前と戦うつもりでやるぞ」

 

 ゆらり、友沢が構える。

 なんつー隙の無いフォーム。

 こいつは外内の揺さぶりにも対応しうるだろう。

 小細工は無駄だ。ならば正面からあたって砕ける。

 インハイに、ストレート。

 あおいが投げた、瞬間。

 ガコンッ! とファーストの右を抜けたボールが、ライナーでファールゾーンのフェンスに着弾した。

 

「ファール!」

 

 っ、なんつースイングスピード……!

 右投手のあおいに対して友沢は左打席に立っているが、凄まじい速度の打球で打ち返された。

 もう少し甘く入ってれば、フェアゾーンに飛んでただろう。

 同じ所は打ち直す。こいつにインコースストレートは使えない。

 ならば、次は外へのカーブ。

 ピシュッ、と投げ込まれたボールを友沢は見送った。

 

「ボールボール!」

 

 くそ、見極められるかっ。

 ストレートカーブ、内外と広く使った。なら、次は高低を使う。

 外角高めに、力いっぱいストレートを投げ込め。

 そのボールに、友沢のバットが掠る。

 ガシャンッ! とボールがバックネットに当たった。

 低めのカーブ使った後この高めのボールに当ててくるのかよ。普通、空振るか見極める所だろそこは。

 ……だが、これで2-1だ。まだツーシームは使っていない。

 内外外、高め低め高めと来たこの場面で、マリンボールを意識しないわけがない。

 じろじろと友沢の様子を見た後、俺はパパっとサインを出す。

 あおいは頷き、俺の要求したボールを、投げた。

 投げられたボールに対し、友沢は反応しない。

 あおいの投げたストレートは、そのまま俺が外角低めに構えるミットに、突き刺さった。

 

「ストライクバッターアウトぉ!」

『三者連続さんしーん!』

 

 友沢が一瞬目を見開いて、俺に振り返る。

 

「マリンボールだと思ったんだがな」

「――って、言うと思ってな」

 

 にやり、とマスクを外しながら頬を釣り上げると、友沢は悔しそうに舌打ちをする。

 

「次は負けない」

「打順が回ってきたらな」

 

 ひらひら、と手を振って、俺はベンチへと戻る。

 

「パ、ワプ、ロ、くーんっ!」

「どぅわ!」

「ナイスリードぉ」

 

 ベンチに向かって歩いていると、背中にあおいが激突してきた。

 

「とりあえず三人だ」

「うん、あと六人。頑張ろう」

「おう」

 

 ぽん、といつかのようにミットを合わせて、俺は防具を外し準備をする。

 マウンドには、猪狩が上がった。

 兄弟バッテリー、か。……もしかしたら、何かが少し違ったら――俺は、あのバッテリーと勝負してたかもしれないんだ。

 一番の林がライジングショットで空振りに取られ、小山が見逃しの三振を喫する。

 そして、あっという間に俺の打順が訪れた。

 

『三番、バッター葉波!』

「さあ、待っていた人も多いでしょう! 葉波vs猪狩守! 高校時代の激闘、再びです!」

 

 俺がコールされた瞬間、ドワア! と会場内が揺れる。

 高校時代から俺達を見守っていた人にはたまらない対戦なのかもしれない。

 

「センパイ、勝負ですよ」

「おう。進、お手柔らかに頼むぜ」

 

 進と話した後、勝ち気なマウンド上の猪狩に目をやる。

 猪狩は俺と目が有ったと同時、にやりと笑って――。

 ぴ、とボールを指で弾き、パシッ、と取り直した。

 高校二年の時、そうしたように。

 この野郎、面白ぇことしてくれるじゃねーか。

 なら、俺も応えないとな。高校二年の、あの時みたいに、な。

 す、とバットの先をバットスクリーンにつきつける。

 それだけで、球場のボルテージは跳ね上がった。

 

『この二人のやりとりは……!』

『高校時代、三振予告とホームラン予告! あの時の再現ですね!】

 

 ぐっ、と猪狩が腕を振るう。

 ドゴンッ! とボールが進のミットに突き刺さった。

 やべ、打てるかな。

 続くボールはスライダー。どまんなかからスライドするボールに俺は空振る。

 うへー、当たんねぇ。

 最後は高めのライジングショットにバットを掠らせるのが精一杯で、キャッチャーフライに俺は打ち取られる。

 俺を打ちとって、猪狩はマウンド上でわざとらしく何度もガッツポーズした。

 あんの野郎……、試合終わったら覚えてろよ……。

 ブツブツ文句を言いながらベンチに戻り、防具をつける。

 さて、頭を切り替えよう。

 次は四番の東條から始まり、五番の七井、六番の福家と続く。

 この回が一番ヤバい。さて、どうやって打ちとったもんかな。

 

「パワプロくん」

 

 俺が頭を悩ませていると、あおいがとてとてと俺の方に歩いてくる。

 お、なんか提案でも有るんだろうか?

 

「どうした? あおい」

「えとね。……えいっ」

「もがっ!?」

 

 俺があおいに返事をすると、あおいは突然、俺の頬をぎゅむ、っと掴んだ。な、何故!?

 動揺する俺に、あおいはにこっと笑みを作る。

 

「なんとかなるなる!」

「へ?」

「おまじないだよ。『なんとかなるなる』」

「……なんとかなるなる、か」

「うんっ、こう言ってれば、本当に何とかなる気がするでしょ?」

 

 なるほど、な。確かに悩みながらゴチャゴチャ物事を進めても、上手くはいかないだろう。

 寧ろ、何とかなる――そう自分に言い聞かせて、余計な力を抜いた方が普段の力を発揮できるだろう。

 

「そうだな。俺とあおいなら――『なんとかなるなる』、だ」

「うん♪」

 

 ぽん、とあおいの頭に手をおいて俺は笑う。

 高校の時だって、そうだった。

 俺とあおいが力を合わせれば、抑えられない打者なんて居なかった。

 

「うっし、行くぞ!」

「おー!」

 

 二人で気合を入れて、二回表の守備に着く。

 打席に迎えるはパワフルズ不動のクリーンアップであり、日本球界を代表するスラッガー、東條。

 俺の打撃の師匠でもあり、そして高校時代、俺達を甲子園に導いた元仲間でもある。

 

「……一度、お前と早川のバッテリーと、戦ってみたいと思っていた」

 

 ゆらり、神主打法で東條が構える。

 初球、外角低めへのストレートを要求する。

 外を使い、内を使い、高め低めを使い、全力で打ち取るぞ。俺とあおいが一つ覚えでやってきたコンビネーションで、東條を三振に取ってみせる!

 

「……来い、早川。打ち砕く」

「キャットハンズの時のボクと、一緒にしないでよ。東條くん。パワプロくんがキャッチャーの時は――普段より、二割増しに凄いんだから!」

 

 あおいが腕を振る。

 糸を引くような切れの良いストレートが外角低めに収まった。

 スパァンッ! とミットを白球が叩く。

 

「ストライーク!」

『外角低め、ぎりぎり一杯!』

『流石にあのコース。東條選手でも手が出ませんね』

 

 ストライク先行したい所、ワンストライク目を一球目で取れたのは大きいな。

 ここは緩いボールでツーストライク目を取りたい所だが、東條は軸が強い。緩いボールでも待ってバットに当てるくらいは出来る。

 それで内野に飛ぶのは最悪だ。三振で打ち取るリードをするならば、ここはインハイの厳しい所を速い球で攻めて身体を起こす。

 インハイに構える。

 あおいが腕を振って投げたストレートを、東條は迎え打った。

 ギンッ! と鈍い音がして、ふらりとボールがサードの左へと飛ぶ。

 サードの春がファールゾーンで手を上げた。

 

「オーライ!」

「取るな! 春!」

「えっ!?」

 

 俺の叫び声に、びくんと肩を震わせて春が動きを止める。

 その春の前に、ぽとりとボールが落ちた。

 ざわっ、と球場内が騒然とする。

 

「今、葉波の奴、取るなって?」

「舐めプか?」

「ふざけんなー! 全力プレイを見に来てんだぞ! 何が取るなだよ!」

 

 そのざわつきはやがてうねりとなり、球場内にブーイングが木霊し始める。

 

『これは……いけませんね』

『オールスターと言っても真剣勝負、それを……どういうことなんでしょう?』

『考えられることは……、あ、早川選手の成績って、確か初回、三者連続三振でしたよね?』

 

 俺に向かってブーイングが浴びせられる。

 春に軽く頭を下げて、俺はキャッチャーズサークルへと戻った。

 それで春は察したらしい。ぱっと顔をあおいに目をやり、視線を俺に戻してこくりと頷いた。

 

「……なるほど。そういうことか」

「怒るなよな」

「……ふ、いや、燃えてきた。――打ってやる」

 

 次に要求するボールはシンカー。

 マリンボールと違ってストレートとは違う軌道だ。こっちを植え付けてボール球を使った後、マリンボールで三振を取るぞ。

 外内と使った次は内から落とす。来い!

 ぐっと構えたミットにめがけてあおいがボールを放り投げる。

 手前で落ちるボールを、東條がバットに当てていった。

 軽い音を立てて、俺の真後ろへと白球が浮かびあがる。

 少し経って、俺のすぐ後ろにボールは落下した。

 

「ファール!」

「おいコラァ! なめてんのか葉波ィ!」

「そんな奴なのかよ葉波!」

 

 ブーイングが増えていく。

 それを背に受けながら、ミットに拳を収めながら必死に頭を巡らせる。

 今の厳しいボールにバットを出して当ててくるということは内側に相当意識があると思いがちだが、東條の場合は違う。

 東條の傾向を鑑みれば顕著だろう。東條のホームランはアウトサイドの甘く入ってきたボールを強引に引っ張らず、流し打ちでホームランにしている。

 今期打ったホームランの内、およそ六割は流し方向だ。インサイドよりアウトサイドに意識を置いて、反応出来る内のボールにも手を出しているのだ。

 その意識を利用する。外内内と来たなら、決め球は外だと予測もしているだろう。

 なら、その意識を利用する。

 内角高めにストレートを投げる。

 バットが届かない位置なだけあって、東條はボールを見送った

 カウントはツーストライクワンボール。

 内にじりりとミットを構える。

 そして、高めに構えた。

 あおいが頷く。

 す、っと弓のように引いた腕から、あおいがツーシームを投げ込む。

 インハイ、僅かに低め。

 東條がバットを振るう。

 ボールの真上を、東條のバットが一閃した。

 

「ストラックバッターアウト!」

『空振りさんしーん!』

『やっぱりそうですよ。葉波選手、連続三振を狙ってるんじゃないでしょうか? だからファールフライを取らないように指示して、自分でも取らなかったんです!』

 

 っふぅ、東條を打ちとったぞ。

 だが、次は七井だ。七井にはあおいとバッテリー組んでた高校時代、煮え湯を飲まされたからな。俺とあおいのバッテリーでリベンジだ。

 

「お前と早川のペアと戦うのは久しぶりだナ」

「空振ってくれると嬉しいんだけどな?」

「連続三振記録に協力はしたくないゼ」

 

 ち、流石に取るなーとか言うと狙ってることが気づかれちまうよな。

 まあいい。七井は連続記録を途切れさせる為とかいってバントなんかしてこない。真っ向勝負だ。

 初球から使っていくぞ。マリンボールだ。

 外角低めに構えた所にマリンボールを投げさせる。

 七井はボールを空振った。

 昔から七井の弱点は一貫している。選球眼が良くないということだ。

 常にフルスイングする七井は少々のボール球でも構わずスイングしてくる。バットが届くのと、無理やり打ったボール球でも十分な打球を強さを持っているから出来る芸当だけどな。

 外低めのマリンボールを七井が空振る。

 ならばこのコースを決め球にすれば簡単に打ち取れるだろうと思うかもしれないが、そう甘くはない。

 流石に大きく外れたボールは見逃してくるし、ストライクゾーンギリギリのボールなら腕を振ってヒットゾーンには飛ばしてくる打者だ。つまり上手く外角低めで打ち取る必要がある。

 同じパターンならそれを見極めて対応してくるし、インサイドを使う際にコントロールや順序を誤ればホームランを打たれる。凄い打者には変わりない。

 ワンストライクノーボールから、次はインハイの顔近くにボールを投げさせて、1-1にする。

 所謂ブラッシュボールという、身体を起き上がらせ外を空振らせるための布石だが、七井は全く動じなかった。

 ……くそ、なんて威圧感だ。

 外内。ここは内低めへ緩いシンカーだ。速いボールを続けたから、バットが早く出すぎて空振るか、あたってもファールになるはず。

 抜いたボールを、七井が振っていく。

 ッガァンッ! とファースト右のファールゾーンのフェンスにボールが着弾した。

 

「っぶね……」

 

 思わず呟いてしまうような打球。

 ふぅ、だが、これでツーワンだ。後は外に一球外したボールを見せて。

 インハイのツーシーム!

 ビュンッ! と七井がボールを空振る。

 

『空振り三振!』

『五者連続! すさまじいボールです!』

『いやー……凄い』

 

 マウンドの上であおいがふぅ、と息を吐きだす。

 普段なら緩めたり打ち取ったりするところを、今日は最初からフルスロットルで三振を取りに行っているんだ。疲労が早いんだろう。

 次の六番福家も、同じ七井と同じような配球で三振に打ち取る。

 

『インハイのストレートに空振り三振! これで六者連続ですッ!』

『今日はあそこを頻繁に決め球に使いますね』

「あおい! ナイスボール!」

「うん。今日は絶好調だよ!」

 

 ぶい、と両指を立ててあおいが笑う。

 だろうな。相当ボールも来てるし、相当力を入れて投げてる。

 よくよく見ればあおいの額には汗が浮いていた。

 まだ肩で息をするようなことはないが、完投出来る体力を持つあおいがここまで疲れているとなると、本当に飛ばして投げているのが伝わってくるようだ。

 

「一つ、聞いていいか? あおい?」

「ん、良いよ。なぁに?」

 

 打順も遠いので防具を付けたまま、あおいの隣に座りつつ問いかけると、あおいはこくりと頷いてくれた。

 

「どうして、そこまで連続三振を狙うんだ?」

 俺の質問を聞いて、あおいはマウンドに目をやった。

 マウンドでは猪狩が躍動している。

 暫し猪狩を見つめた後、あおいは目をそっと瞑って、僅かに逡巡する。

 そして目を開け、俺を見つめると、にこりと笑った。

 

「それくらいしないと、霞んじゃうから」

「霞む? 何が?」

「それは聞いてからのお楽しみ。さ、次の回も三振で行くよ」

 

 にこっと笑ってあおいはグローブを持ち、キャッチボールの為にベンチを出て行く。

 次の三回が、あおいの最後の勝負だ。

 進、猛田、そして猪狩という打順。

 一番の難関は間違いなく進だ。進はツーシームのことを知っている。インハイを決め球にするという今までの戦法は通じない。

 ここで左右するもの、それは、あおいの球ではない。

 キャッチャーとしての俺の読みとキャッチャーとしての進の読み、どちらが上かだ。

 つまり、三振を取れるかどうかは俺の能力次第ってことになる。それも僅かに上回っているとかじゃダメだ。

 この一回だけでいい。進を、完全に抑えこむ。それが――あおいが連続三振を達成するために必要なものなんだ。

 

『バッター七番、猪狩進』

 

 進がバットを握り、打席に立つ。

 

「"ツーシーム"。気づいてたんですね」

「まぁな」

 

 実際はあおいに教えて貰えるまでは気づかなかったけどな。わざわざあおいが叱られるようなことは言わないけど。

 進は俺をちらりと見た後、ニヤリと笑った。

 うわ、猪狩に似てる。すげーいやらしい笑みだよなぁ、それ。……やれやれ、面倒臭そうだ。大体猪狩一族がこういう顔する時って、相手にとってはロクなことになんないんだよな。

 

「僕には通用しませんよ。パワプロ先輩」

「知ってるよ」

 

 あおいの球種、球筋を熟知している進だ。中途半端なリードは絶対にしないぞ。

 

「九者連続三振――僕で止めます!」

 

 狙いもしっかり気づいてる。間違いなくミートに徹してくるだろう。

 進程のバットコントロールを持っている選手を三振に打ち取る方法は一つしかない。

 見逃し三振。それしかない。

 頭をフル回転させる。

 進は広角に打ち分ける能力を持った打者だ。特に外のボールの流し打ちは天才的と言っていい。おそらく読みを外しても外のボールは当てられる。

 三振を取るなら決め球は内へのボールが有力だが、進もそれは読んでいる。

 ならば、ここで俺が取るリードは一つ。いかにして、内へのマークを外させるかだ。

 初球は内に構える。

 マリンボール、ぎりぎりを狙ってこい。

 びゅっとあおいの投げたボールは僅かに低めにズレる。

 

「ボーッ」

 

 外れた。これで0-1。

 もう一度。次はストレート。

 あおいが投げたボールが、今度は構えた所に突き刺さる。

 

「ストライク!」

「っふぅ」

 

 あおいが一息大きくマウンドで息を吐いた。

 並行カウント。内内と使った、次は外にマリンボール。

 ここでストライクを取らないと厳しいぞ。気合入れてこい。

 外に構えた俺のサインにあおいが力強く頷いて、投球モーションに入る。

 進が初めてバットを動かした。

 そのバットにボールがぶつかる。

 カァンッ! と快音を残し、ボールはライトへの飛んでいった。

 ばっ、とあおいが振り返る。

 ライナー性の強い打球は、ラインドライブが掛かったままライト線へ落ちていき、

 

 審判が、両手を広げた。

 

「ファール!」

『ファール! ファールです!』

『ライト線のツーベースかと思いましたが、ここは助かりました!』

 

 ほっ、と俺とあおいは同時に安堵の溜息を吐く。

 やべぇ、行かれたと思ったぜ。

 こん、と進がバットで軽く自分のヘルメットを小突く。

 完全に読まれてたな今の。あおいが気合入れて投げてた分流し過ぎてファールになったんだ。あおいに感謝だな。

 次はインコース低めを使う。インローへストレート。ボール二つ分低めへ外す、様子見も兼ねたボールだ。

 そのボールを、進は見送った。

 バットは動かない。

 これで2-2。反応出来なかったのか? アウトサイドを読んで待ってたのか。

 あおいにボールを投げ返し、しゃがみ、思考する。

 内低め、内低め、外低め、内低め。進の思考的にはそろそろアウトローに来てもおかしくないと考えられる。

 だとしたら、やっぱり外を待っていたからこそ、内へのボールに反応出来なかったのか? 外って読みを外せたってことだろうか?

 ……いや、ありえない。追い込まれてるんだぞ? 反応はするもんじゃないのか?

 ぱし、ぱしっとミットを何度か叩きながら進をじっと見つめる。

 進は連続で三割を残しているバッター。そんな甘い考え方をするはずがない。

 だとしたらどうして内に全く反応しないんだ? 追い込まれているのに……もしかして、わざと、か? わざとだとしたら何のために……。

 そこまで至って、はっとする。

 ――インハイに、誘導しているんだ。

 内を二つ使った後の外のボールを進は読み打ちした。

 その時点で俺は外のボールを使いにくくなる。

 だが、今組んでいる相手はあおいだ。

 恋恋高校時代から慣れ親しみ、共に戦った気心のしれた投手。

 その投手が九者連続三振を狙っているならば、俺は進をどうしても三振で取りたいという思考になる。

 進からしてみれば、今までの打者相手への決め球に俺はことごとくインハイへのツーシームを使用している。

 だが、進はそのツーシームの存在を知っている。俺はツーシームを使いづらい。

 それを逆手に取って、俺は内へのマークを外して内角高めにツーシームかストレートを投げさせようと思っていた。

 しかしーー進はそれを読みきったんだ。

 内はもう警戒していない。だから、インハイを投げて来い――そう誘導している。

 ツーシーム、ストレート、どっちにしても、進ほどのバットコントロールが有り、なおかつあおいと普段組んでいる進なら、ヒットゾーンに飛ばせる確率は高いだろう。

 外へのボールは読まれた。ヒットにされる残像が残っている分、あおいのコントロールが乱れる可能性も高い。

 だから、俺は内に投げるしか無い。

 2-3にするか? いや、フルカウントはバッター有利。三振を狙っていると分かられているんだ。ゾーンを広げて当てに来られて三振を取れなくなる可能性の方が高い。

 なら――。

 内にミットを構える。

 進がゆらりとバットを構えて、あおいはボールを投じた。

 

「そこ――っ!」

 

 進がバットを振るう。

 ストレートの軌道で伸びてきたボールはインハイへと浮かび上がり、

 

 ストンッ、と進の目の前で沈んだ。

 

「っ!」

 

 進がバットをぴたりと止める。

 一瞬遅れて俺のミットにボールが収まった。

 流石進だ。瞬時にストレートでもツーシームでもないと見極めてバットを止めるなんてな。

 でも。

 

「ストライクバッターアウトォ!」

『七者連続ー!』

『凄いボールですよ……完全にバットとボールが離れてましたからね』

 

 やっぱり反応が遅れるよな。伝家の宝刀――マリンボール相手なら。

 

「スイングですか?」

「いや、ストライクゾーンに入っているよ」

「ありがとうございます。……内に来た時はしめた、と思ったんですけどね……まさかマリンボールを使ってくるなんて」

「読まれてるって感じたからな」

「初球、マリンボールが外れてたので、ここで低めギリギリ一杯を狙ってくるとは思ってませんでした」

「まぁな。俺も直前までそう思ったよ」

「ですよね。……でも、内を狙ってるってことに気づかれるまでは想定してました。それでも、投げざるを得ないように組み立てたんですよ? 三球目のボールがファールになったことは想定外でしたけど、その後外はもう使えないから、次のボールは内だろうが外だろうが捨てる。そうすれば決め球はインハイのストレート系になるって」

「俺完全に読み負けてるじゃん……?」

「……でも、最後はパワプロ先輩が僕の読みを外しました。……どうして、今のボールがボールになることを考えなかったんですか? 早川先輩は最初から飛ばしまくっているせいか初球のマリンボールを外しました。そのこと、考えなかったんですか? 2-3になったら、僕は三振しないって思ったはずです」

「ああ、思ったよ」

「なら、どうして、三振をどうしても取りたいこの場面でマリンボールを使ったんですか?」

 

 進がじっと俺の目を見つめる。

 完全に読み勝ち、予想通りに誘導出来たのに、最後の最後で抜けられたその理由を、どうしても知りたいって顔で。

 

「……信じたんだ」

「え?」

「あおいなら修正して構えたところに投げてくれる。そう信じた」

「……信じた……」

「ああ、あおいならそうするって確信してた。――いつも、そうだったから」

 

 恋恋高校の時、どうしても決めてほしいって場面で、あおいはまるで俺の心を見透かしているかのように狙ったところにボールを決めてくれた。

 それはきっと、四年経った今でも変わらない。

 いや、きっと。

 これは俺のうぬぼれかもしれないけれど。

 久しぶりに俺と組んで、恋恋高校の時よりも強く強く、思ってくれていた筈だ。

『パワプロくんのリードに応えたい』と、何よりも強く。

 

 俺の発言を聞いて、進はふふっと笑った。

 な、なんだよ。確かに捕手を信用しすぎてるとは思ったけど、笑うことは無いだろ。

  

「敵いませんね」

「え?」

 

 俺が身構えると、進は悔しさも感じさせない、清々しい表情を浮かべた。

 

「僕はこの四年間、早川先輩とベストバッテリー賞を貰っていました。……でも、やっぱり敵いませんね。……早川先輩を誰よりも信頼し、早川先輩から誰よりも信頼されて――あの場面でマリンボールを使える、パワプロ先輩には。僕には絶対出来ないリードでした。……今は敵対するチームだから、公に言えませんが……絶対にやってください。九者連続三振。こっそり応援してます」

「進……。おう、当然だ」

 

 にっと笑うと、進はこくんと頷いて、ベンチに戻っていく。

 あおいがマウンド上で心配そうにこちらを見つめていた。

 そんなあおいに向かって、俺はぐっと親指を立てる。

 俺の仕草を見て、あおいは嬉しそうに微笑んだ。

 続くバッターの八番、猛田はマリンボールとシンカーを駆使し追い込んで、インハイへのツーシームで三振に取る。

 

『八者連続! いよいよ、後一人!』

『バッター九番、猪狩守』

「なぁ、おい。もしかして今まで全部三振で……」

「だよな。葉波がボールを追わなかったのって、三振のためじゃね?」

 

 観客もざわつき始める。

 さあ、仕上げだ。

 

「よう、猪狩」

「よくもまぁキミは僕と組んでいる時以外に目立ってくれるものだ。そんなに僕と目立つのは嫌なのか?」

「嫉妬すんなよ。そうだな……そんなら、お前とはノーヒットノーランでもやってみるか?」

「約束したぞ」

「冗談に決まってんだろ、本気にすんな」

「どちらかというと完全試合の方が好みだな。よし、お前と僕で完全試合しようじゃないか」

「無理だろ!」

 

 猪狩と軽口を叩き合いながらキャッチャーズサークルに座る。

 ここ事故ったら元も子もない。徹頭徹尾、行くぞ。

 初球、インハイにストレートを投げさせる。

 スパァンッ、と俺のミットにボールが収まった。

 

「ストライク!」

「今までで一番調子が良さそうじゃないか」

「だな」

 

 さて、次は外にマリンボール。

 猪狩は豪快にボールを空振った。

 うひー、流石猪狩、打撃も良い振りしてやがるぜ。

 でも、これで追い込んだ。後一球だ。

 遊び球はいらない。内角高めへ、ツーシーム!

 あおいが振りかぶる。。

 どうしてあおいが九者連続三振を狙っていたのか、俺には理由はわからない。

 でも、こうして久々にバッテリーを組んで、最高に楽しんで、あおいの願いを叶えられたなら――これ以上の結果は、無いんじゃないかな。

 ミットに収まるボールの感触と周りからの大歓声に包まれ、弾けるような笑顔を浮かべてマウンド上でガッツポーズするあおいの笑顔を見ながら、俺はそう思った。

 

 

              ☆

 

 

「ストライクバッターアウト! ゲームセットー!」

『オールスター初戦はPチームの勝利! 五回、パワフルズ鈴木選手から打った近平選手のタイムリーヒットの一点を守りきりました! そして、お立ち台はこの人っ! 九者連続三振の早川選手です!』

 

 試合が終わり、フィールドに特設されたお立ち台で、あおいがインタビューを受けている。

 その様子をベンチで見ながら、俺はスポーツドリンクを飲み干した。

 試合は一対〇で俺達Pチームの勝利だった。

 

「応援ありがとうございます!」

『おめでとうございますっ! 九者連続三振は狙っていたんですか?』

「はい、最初から狙ってました!」

『今日バッテリーを組んだのは高校時代のパートナー、葉波選手でした! 久々のバッテリー、いかがでしたか?』

「――最高でしたっ。パワ……こほん、葉波くんには、ボクの我儘を聞いてくれただけじゃなくて、久しぶりにバッテリーを組めたのが嬉しかったです。九者連続三振は、葉波くんのお陰です」

 

 満面の笑みであおいがお下げ髪を揺らす。

 最高、か。確かに最高の気分だった。

 楽しかったぜ。あおい、ありがとな。

 

『では、その葉波選手に一言お願いします!』

「……はい」

 

 そのインタビュアーの一言を聞いて、俺は少し前のことを思い出した。

 そういやゆたかがインタビューでやらかしてくれたな。一応、あの告白紛いの返事はしたけど――今だに週刊誌では俺とゆたかの間の関係を探る記事も出てたりする。

 中には根も葉もないことを書いた週刊誌も有った。なんだよ夜のバッテリーも好調って。夜間練習はしてないぞ。

 そんなことを考えていると、あおいが何か考えるように沈黙した。

 しん、と球場内に静寂が訪れる。

 ……なんだろう。嫌な予感がする。

 背筋から蛇が登ってくるような、波乱が巻き起こるような、そんな予感が。

 ここにいてはいけない。そんな予感がして俺がベンチから立ち上がった所で、

 

 

「パワプロくん! ボク、パワプロくんのことが大好き! 今シーズン、ボク達キャットハンズが優勝したら――結婚してください!」

 

 

 マイクがハウリングするような大声で、あおいが言った。

 一瞬の間をおいて、絶叫にも似た歓声がスタンドから巻き起こる。

 ……今、なんつった? え? 結婚!? 俺プロポーズされた!?

 Aチームのベンチに居る面々が呆気に取られたような顔をしているのがここから見える。

 ゆたかが金魚のようにぱくぱくと口を開いてあおいを見つめていた。

 べしっ、と俺の背中が叩かれる。Pチームの誰かだろう。

 それを皮切りに俺の頭やら背中やらに激痛が走る。

 激痛に涙目になりながら、あおいをじっと見つめた。

 あおいは顔を赤くしたままマイクをインタビュアーに返した後、俺を見つめ、赤らんだ顔のまま笑った。

 その笑みを見て、全てを理解する。

『――それくらいしないと、霞んじゃうから』。

 そりゃそうだ。九者連続三振なんて偉業を成し遂げたその試合のインタビューでプロポーズするだなんて、後世に渡って語り継がれる出来事になるだろう。

 最初から、あおいはこのつもりだったんだ。

 もしも九者連続三振を達成してお立ち台に立った、その時は。

 あの席でああ言おうと、最初から決めていたんだ。

 ドタドタとマスコミがベンチ前に走ってくる。

 良くもまぁ、ここまで騒ぎを大きくしてくれるもんだ……あおいの奴、ゆたかの告白のこと、相当気にしてたんだな。

 

「葉波選手! プロポーズされましたが!」

「稲村選手とのお付き合いはどうですか!」

「早川選手と稲村選手、どちらを選ぶんですか!」

「お返事してください!」

「ええいインタビュアーまでこっちに来るなっ! 近平さんのインタビューが残ってんだろうが!」

 

 矢継ぎ早に飛ばされる記者からの質問に、俺は頭を抱える。

 くそう、何を言えっつーんだ。

 にしても優勝したら、か。大きく出たもんだ。五連覇宣言したようなもんだしな。

 ……ふぅ、ま、俺に言えることは一つだけか。

 

「マイク貸してくれ」

「おおっ、はいっ」

 

 インタビュアーからマイクを受け取る。

 その瞬間、観客席からやじが飛んだ。

 

「葉波死ねー!」

「爆発しろー!」

 

 酷い言われようだ。俺なんもしてないのに。

 こほん、と咳払いをして、あおいを見据える。

 

「そう簡単に優勝出来ると思うなよあおい! ――優勝すんのは俺達カイザースだ!」

 

 俺の発言に、カイザースファンから大歓声が上がる。

 よし、決まった。

 

「それでは、早川選手の誘いに乗るわけですね! キャットハンズが優勝出来なかったら結婚すると!」

「……え?」

「スクープだ! 一面差し替えろ!『早川選手、葉波選手にプロポーズ! キャットハンズ優勝で結婚へ』だ! 急げー!」

「ちょーっ!?」

 

 そ、そういう意味じゃなーい!

 どたばたとマスコミが走って行く。

 ああもう、どうしてこうなったんだよ!?

 涙目でPチームのベンチを見やると、猪狩と友沢が珍しく爆笑していた。

 あいつら、覚えてろ……。

 おそらくゆたかの時とは比べ物にならないほどの大騒ぎになることを予感して、俺はドームの天井を見上げ、深々と溜息を吐いたのだった。

 

 

                  ☆

 

 

 日本があおいの公開プロポーズに揺れている、その頃。

 猪狩ドームではアマチュア同士の代表戦が行われていた。

 諸外国との親睦を兼ねた交流戦だが、選手達の様子は真剣そのものだ。

 その真剣勝負のマウンドで、とある一人の投手が躍動していた。

 男は、韓国人だ。

 長身。整ったマスク。韓国系のアイドルを思わせるその端麗なマスクに汗一つ掻くことなく、男は外角低めギリギリへとボールを投げ込んだ。

 

「うぐっ!」

 

 バッターが空振る。

 バックスクリーンに表示された球速は、一五四キロだった。

 回は九回、最終回。ツーアウト、カウントツーストライクノーボール。後一球。

 

「なんなんだ……なんなんだよっ!」

 

 日本チームの四番バッターがギリリと投手を睨みつける。

 投手はそんな視線に負けることなく、見下すように鼻で笑った。

 

「약한 사람은 집에 돌아가 주세요(雑魚が、家に帰ってろ)」

 

 糸を引くようなストレートが外角低めに決まった。

 

「ストライクバッターアウト! ゲームセット!」

 

 わっと韓国チームがマウンドに集まる。

 勝利を讃え合い、その後はインタビューが始まった。

 

「勝利おめでとうございます。ナイスボールでした」

「ありがとう。大したことはない。いつもやっていることだ。だが、この勝利に意味はないな」

「……え? ど、どういうことでしょう?」

「小耳に挟んだんだが……ワールドベースボールチャンピオンシップの開催が決まったらしいじゃないか」

「! 野球の世界大会ですね。もちろん、貴方も――」

「当然だ。韓国のエースはオレだぞ。オレが出なくて、誰が出るというんだ」

 

 男は笑いながら、インタビュアーからマイクを奪い取り、中継のカメラへと視線を向ける。

 

「よ~く聞いていろ。日本人ども。オレは韓国と日本の問題には興味がない。領土問題だの慰安婦問題だの勝手にやっていろ。そんなものには反吐が出る。オレをそんな下らんことに巻き込むなと言ってやりたい。――だがな、オレは、オレを育てた韓国球界には恩がある。そして、負けるのが嫌いだ」

 

 男は呆然とするインタビュアーを放って、なおも言葉を続けた。

 

「アジアの盟主? 野球アジアナンバーワンの国? ふざけるな。その称号は韓国球界にこそ相応しい。この試合の勝利では、それを証明出来ない。故に意味は無い。だが、世界大会ならば違う。韓国球界こそ、アジア一――それを、今度の大会で証明しよう。……あぁ、そういえば」

 

 そして、男ははっきりと宣言する。

 

「日本では、オレと同じ世代のことを、その世代ナンバーワン投手の名前になぞらえて"猪狩世代"と呼んでいるらしいな。しっかりと覚えておけ日本人、世代ナンバーワン投手は"猪狩守"ではない」

 

 己の名を、その心に刻めと。

 

「――このオレ、"ユン・スンテ"だということをな」

 

 世界は動き出す。

 来年二月に行われる、世界野球選手権――ワールドベースボールチャンピオンシップに向けて。

 



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第四六話 “オールスター第二戦“

た、大変おまたせしてしまったような気がします。どうも、向日 葵です。
一年と半年ぶりの投稿ってヤバイですよね。反省しております。
その間に、いろんな方から応援のメッセージやお叱りのメッセージを頂いておりました。
返信こそしていませんが、どれもこれも励みになり、また反省につながるものでした。
お待ちいただいていた皆様、ホントーにすみませんでした!
これからはこんなにおまたせする事がないよう、稚拙ながら一生懸命頑張っていきたいと思います。

それでは、第四六話、ご覧くださいませっ


「先輩。絶対優勝しましょう! 絶対!」

「朝から気合入ってるな、ゆたかは」

「……うぐぐ、まさかあんな手法でくるだなんて……オレも告白じゃなくてプロポーズをしていれば……っ」

「ん? ぼそぼそ言ってどうしたんだよ?」

「あ、いえ、なんでもないです、よ?」

「そうか? ……そういや、今日のオールスター二戦目、先発はゆたかなんだろ? 体調は大丈夫か?」

「はいっ。大丈夫です!」

 

 むんっ、と力を込めるゆたか。

 体調も良さそうだし、今日も良いピッチングをしそうだ。

 ……惜しいのは、そのボールを受けるのは俺じゃなく、進ってことくらいだな。

 

「んじゃ、俺はそろそろ行くな」

「あ、はい……! 頑張ってください!」

「敵の応援をしてどうするんだよ?」

「あ、そ、そうでした……ぜ、全力で行きますよ! 先輩!」

「ああ! 絶対打ってやるからな!」

 

 ゆたかに宣戦布告をして、俺は球場へと移動すべく、駐車場へと移動する。

 えっと、確か入り口の方でって言ってたよな……?

 

「パワプロ様っ!」

「あ」

 

 目当ての声が聞こえて、俺はそちらに視線を向けた。

 まず目に入ったのは、真っ赤なスポーツカーだった。

 女の人が乗るようなイメージは全くもって沸かない、猪狩が好みそうな派手な車だ。屋根が無いし、雨降ったらどうするんだろ、あれ。

 そしてその車の側に立つ、金髪の美少女……って歳でももう無いか、仕事の出来るオフィスレディの雰囲気を漂わせる美女、彩乃が、俺に向けて手を振っていた。

 

「今、何か不穏なことを考えませんでした?」

「き、気のせいだよ。金髪の美女が居るなぁと思っただけだ」

「びびびび美女だなんて、うふふ、お口がお上手ですわよ、パワプロ様♪」

 

 彩乃が嬉しそうに頬を綻ばせる。

 ……うん。可愛いよな。

 

「うん、可愛いよな」

「ふぇっ!? ぁ……ぱ、パワプロ様……そ、そんな……」

「あ……わ、悪い。今のは思ってたことが口に出てたんだ。無闇矢鱈に女性を褒めるなって、あおいに注意されてたんだけど、気を抜いてたから」

「そんな……そんな、結婚したいだなんて急に言われても……! 式場の予約が出来ていませんわ!」

「言ってねぇよ!? 結婚したいだなんて一言も言ってねぇよ!?」

 

 何故か冷静さを失った彩乃に全力でツッコミを入れつつ、俺は野球の道具を彩乃の車の後部座席に乗せる。

 

「にしても、どうしたんだ? 車で球場まで送りたいなんてさ」

「式は洋風でドレスはやっぱりレンタルではなくオーダーメイドですわよね。手元にとっておきたいですし、そ、それに、しょしょしょしょ、初夜に着て、とか……はわわわ大変ですわエステに行って身体を磨いておかないと……!」

「……おーい、彩乃さーん?」

「はっ! も、申し訳ありませんわ。一人で暴走してしまって……そ、それで、パワプロ様は洋風が良いんですの? 和風が良いんですの?」

「まだ暴走してると思うんだが……?」

 

 高校時代からだけど、彩乃はたまに冷静さを失うよな。

 理由は分からないけど、数少ない彩乃の弱点と言っていいかもしれない。

 落ち着いてる時の彩乃はそりゃもう頼りになるし、俺なんかが近寄れないほどの美女だし、お嬢様オーラというか、雰囲気が凄いんだけどな。

 

「えっと、乗っていいのか?」

「あ、はいですわ!」

「ん、さんきゅ」

 

 彩乃の許可を貰って俺は助手席へと座り、シートベルトを締める。

 そのまま車が走りだす。

 外の景色を見つめながら、俺は空を見上げる。

 ――今日も良い天気だ。野球日和ってやつだな。

 

「パワプロ様は……」

「ん?」

「その、お、お二人の女性から告白を受けたみたいですけど」

「あー……俺なんかに勿体無いよな。ホント」

「そ、そんなことはないですわよっ」

「ありがとな」

 

 でも、実際俺はただの野球バカだ。

 あのまま、高校時代のまま真っ当に行っていたら、きっと俺はあおいと付き合い続けて……もしかしたら、その、結婚とか、してたかもしれない。

 でも、俺はその道を選ばなかった。

 心惹かれる野球の道が開いていて、俺はそこに惹かれて、新天地へと歩いて行ってしまった。

 言うなれば、あおいを捨てて外国に行ったんだ。

 ……だから、あおいにプロポーズされても、ゆたかに告白されても――どこか申し訳なさが先に有って、その気持ちに応えることがひどく申し訳なかったんだ。

 

「きっと俺は……男として最低なんだろうな」

「そ、そんなことはっ」

「だから、せめて野球には真摯で居ないとな」

 

 慌てて俺をフォローしてくれる彩乃に微笑んで、俺は手元のグローブに目線を落とす。

 そこには、託された想いの形が確かに有った。

 

「……わたくしも告白しようと思っていましたのに……そんな顔をされたら、きゅんきゅんして何も言えませんわ……」

「ん? どうした彩乃」

「なんでもありませんわよ。……ただ、想いというものは変わらないものですから。例え、仮にパワプロ様の言うとおり、貴方が最低な男だとしても――好きなものは好きなんですの」

「……彩乃……」

「それに、女の子ってとっても強いのですわよ? 少しの間放っておかれたって、それが夢の為なら、嫌いになるどころか益々好きになるだけですわ。……だって、格好良いですもの、夢の為に単身渡米だなんて」

「……ありがとな。優しいな、彩乃は」

「そ、そんなこと、だって、わ、わたくし……パワプロ様のこと……」

「あおいのこと、よくわかってるんだな」

「へっ?」

「俺のフォローしつつ、あおいの気持ちが本物だって俺に教えてくれてるんだろ? 本当に、優しいよ。彩乃は」

「……あ、あれ? あ、そ、そうなるんですの……!? ち、ちが、あのっ、今のはわたくしの気持ちというか! その!」

「ありがとう彩乃、球場についたし、ここまでで良いぜ」

「はわー!? も、もう到着ですのー!?」

 

 何故かショックを受けつつ、彩乃は車を止めてくれる。

 俺は車から降りて、道具が入ったバッグを左肩に背負うと、未だ呆然とする彩乃の頭をぽんぽん、と叩いた。

 

「楽しかったよ、彩乃。彩乃のそういう優しい所――俺、大好きだぜ」

「――だ、大好き!?」

「ああ、昔から世話になりっぱなしだ。これからもよろしくな」

「……は、はぅん」

「じゃあ、今日もお祭り頑張ってくるわ。応援よろしくな」

「当然ですわっ。わたくし、何よりもパワプロ様を応援していますわよ!!」

 

 むんっ、と力強くガッツポーズする彩乃に手を振って、俺は球場の中へと向かう。

 その入口の途中の木の影で、ぴょこん、とお下げ髪が跳ねるのを俺は目撃した。

 

「……えーと、あおいさん? なんで隠れてるんですかね?」

「……だって、パワプロくんを待ってたら倉橋さんとデート出勤してくるんだもん。ボクが昨日プロポーズしたばっかりだっていうのに、女の人と二人で出勤なんてひどくないかな……?」

 

 むす、と膨れながら呟くあおいに、俺は苦笑しながら頬を掻く。

 確かにそうなるのか。……パパラッチに見られてたら悪く書かれそうだ。

 

「ごめん。でも、彩乃はあおいのフォローしてたんだぜ?」

「え?」

「『二年三年放っておかれたって嫌いにならない。むしろ好きになるだけだ』ってさ」

「そ、そうだし、倉橋さんの言うとおりなんだけど……や、やっぱり倉橋さんって……まだ……?」

「確かに、俺はゆたかの気持ちにも、あおいの気持ちにも、まずは俺なんかが申し訳ない、って気持ちが先に立ってた。ちゃんと向きあえて無かったから……凄く助かったんだぜ、彩乃の言葉が、さ」

 

「そ、そっか、うん、それなら良かった、かな? ……あぅぅ、分かってたけど、ライバル多すぎだよぉ……」

「? どうした? あおい」

「な、なんでもない」

「? そうか。じゃあ、入ろうぜ? こんな所で突っ立ってたら、これから球場に来る選手みんなに見られちまうって。ただでさえ昨日のアレで目立ってるしさ」

 

 俺が中にあおいを誘導した、その時。

 ぽふ、と何やら暖かく柔らかいものが、俺の胸の中に飛び込んできた。

 

「……え、えいっ」

「っ!?」

 

 それがあおいだということに気付いて、俺は思わず身体を硬直させる。

 あおいは俺の背中に腕を回して力を込めると、俺をぎゅうっと強く抱擁する。

 む、胸に、胸が! 小さいけど確かに存在感のある、胸が……っ!

 

「何か失礼なこと考えた?」

「か、考えてないっ、つ、つーかあおい、こ、これは……!?」

「……ボクの、お婿さんだっていう、証拠をつけてるの」

「なっ……」

 

 い、犬のマーキングみたいなもんか……?

 ていうかこれは相当に恥ずかしいっ!

 見てみれば、あおいの耳も真っ赤に染まっている。

 

「は、恥ずかしいなら放せっ、後、まだ結婚するって決まってねぇしっ」

「やだっ」

「子供かよっ!? だ、だから胸が当たってるんだって……!」

「当ててるんだよっ」

「はいっ!?」

「ゆたかちゃんと比べてどうかな?」

「っ……」

 

 ゆたかの姿を思い浮かべてみる。

 ……確かに、大きいよな。うん、最初にウイニングボール渡した時もそう思ったっけ。

 

「ふんっ!」

「ぐああ! 何故!」

「今思い浮かべたでしょ! パワプロくんのエッチ!」

「ちがっ、これは職業柄、人の姿を全体像として網膜に残しておくとゆー捕手の性というか……っ! ていうかずるいだろそれ! 自分から話を振ったじゃねぇか!」

「うー! だって、だってぇ!」

「別に胸の大きさでどうこうって訳じゃねぇよ!」

「うー! うー!!」

 

 駄々っ子状態になり、俺を抱きしめる腕の力を強くするあおい。

 ぐっ、打者のいなし方は嫌というほど教えられたのに、あおいに対してどんな言葉を向けて、どんなアクションを取れば良いか、全く検討が付かないっ。

 俺がどう対処するか、全力で悩んでいると、

 

「うわぁ、入り口で激しくイチャついてる人がいる。たらしだ」

「お、お前……林……!?」

 

 ニヤニヤしながら林がてくてくと歩いてきた。

 その隣には、林にくっつく白井雪の姿もある。

 どうやら二人は一緒に球場に来たらしい。

 林は見られて真っ赤になりながらも離れようとしないあおいと、あたふたとする俺を見て楽しそうにニッコリと笑って、

 

「お熱いね~。でもごめんね、結婚は来年以降だと思うよ。今年優勝するのはバルカンズだよ?」

 

 そんな爆弾を投下する。

 ……相変わらず歯に衣着せない言い方をする男だ。

 

「――へぇ」

「――面白い冗談を言うんだね、林くんは」

「冗談なんかじゃないよ。僕達が優勝する。絶対に」

「その挑発、乗ろうじゃねぇか」

「うん、そうだね。絶対に負けないよ。オフシーズンは開けておいてね、ボクとパワプロくんの挙式が入るから」

「気が速いぜ、あおい。優勝するのは俺達カイザースだ」

 

 抱き合っていることも忘れて、俺とあおいが火花を散らす。

 そんな俺達を、白井雪が不思議そうに眺めながら、

 

「……でも、抱き合ったまま?」

「言っちゃ駄目だよ雪ちゃん、それが面白いのに」

「わあああ!」

 

 叫びながら、やっとあおいが離れてくれる。

 は、はぁ、良かった、見られたのが林にだけで。

 最悪矢部くん辺りには話が行くかもしれないけど、俺とあおいが球場の入り口で抱き合っているだなんてバレたら、友沢とか猪狩になんて言われるか……。

 

「ね。皆もそう思うでしょ?」

「……ん?」

 

 同意を求めるように後ろを向く林。

 その視線に釣られて、俺もそちらに目をやる。

 

「……せんぱいと早川あおいがラブラブせんぱいと早川あおいがラブラブ……」

「試合前に別のチームの女性選手とイチャイチャとは、流石僕達の正捕手だね。やることが違う」

「パワプロくんはモテるでやんすからねぇ」

「いちゃつくなとは言わない、が、せめて人目に付かない所でやるべきだと思うが」

「……意外とパワプロは手が早い。恋恋高校の時も、気付いたら早川と付き合っていた」

「あ、あはは、でも良かったですよ。あおいさん、最近オフの時情緒が割と不安定でしたから」

「だーりーん、私達も魅せつけてあげよっかぁ? 最近聖とやけに仲が良いみたいだしぃ?」

「あ、あはは、な、仲良しなのは良いことだよ。ね、聖?」

「……私も春と……い、いや、なんでもないぞっ」

「全員揃っとるやないかい……」

 

 視線の先に居た面々の、様々な感情を浮かべた表情を見て、俺は思わず関西弁で呟く。

 最早手遅れだったのか……今日ベンチでイジられまくるんだろうな、俺……。

 

「あはは、仕方ないよね。ボクとパワプロくんがラブラブなのは本当だしっ」

「ストップ早川あおいっ! それ以上先輩に近づかないでください! 先輩も迷惑そうじゃないですかっ!」

「め、迷惑じゃないよっ。そうだよね? パワプロくんっ! ……あれ? パワプロくん?」

「パワプロなら早川が一瞬稲村に目をやった瞬間、まるでニンジャのように素早い動きで球場内に入っていったぞ」

「あ、ありがと友沢くんっ! 待ってよパワプロくーん!」

「あっ、ずるいです! 待ってくださいよ先輩~!」

 

 後ろから追いかけてくるあおいとゆたかの声を聞きながら、俺はベンチへと走る。

 尻尾を巻いて逃げる俺を笑うなら笑えっ! ちくしょーっ!

 

「まるで天敵に有ったネズミみたいだったね、あははははっ」

「アレだけ無様な逃走劇も中々無いね。これをネタにして、しばらく僕の我儘を聞いてもらおうかな。ハハハハハ!」

「本当に笑うんじゃねぇよぉぉおお!」

「止まってよパワプロくーん!」

「せ、せんぱーい! オレにもぎゅってさせてくださーい!」

 

 後ろから追いかけてくる女性投手陣の声と共に、俺の絶叫が球場の外にまで響き渡るのだった。

 

 

                      ☆

 

 

『えっ、聞こえなかっ……』

『言わなきゃ分かんないかな。……お前のこと、もう飽きてたんだよ』

 

 目の前の彼女の表情が、悲しみに染まる。

 何度も覗き込んだ彼女の目が、潤む。

 

『外国にでもなんでも、行けば良い』

 

 何度も、夢に見る。

 どうして俺は、こんなに不器用な言葉しか選べないんだろう。

 野球だってそうだ。俺の腕はフォアボールを量産し、細かいコントロールが付かない。

 これを不器用だと言わずして、なんていうのか。

 

『酷い……っ、っ……!』

 

 ポロポロと、

 空の瞳から雫が溢れる。

 俺の言葉で、大好きな彼女を傷つけている。

 それが酷く虚しくて身体から力が抜けそうになる。

 心が、軋む。

 それでも俺はぎゅっと拳を握り、身体に力を必死に込める。決して、俺が悲しんでいる、なんてことを彼女に悟られない為に。

 

『さ、さよなら……ッ!』

 

 走り去っていく彼女の背中を見送り、俺は彼女の名前と同じ、晴天を見上げた。

 ――せめて彼女の妹だけは、海ちゃんだけは……彼女が居ない間に寂しい想いをさせないように、しよう。

 そして空が帰ってきたら、海ちゃんとも離れて、俺は一人でこの腕を振るおう。

 いつか見せてくれた、空の部屋。

 そこに飾られた、分不相応に輝いている俺のポスターよりもまばゆく。

 それだけが、俺を支えてくれた、俺が傷つけた、藍沢 空という女の子に出来る、不器用な俺の恩返しだから。

 スタジアムの歓声が、俺を現実に引き戻す。

 ――さあ、行こう。

 今日はオールスター。

 野球人の祭典に出場を許された俺に出来るのは、電光掲示板に一六〇という数字を、刻むことだけなのだから。

 

 

                    ☆

 

 

『さぁ、オールスター二戦目、回は二回裏、ツーアウトランナー無し! ピッチャー稲村、ここまでランナーを一人も許していません! そして迎えるは、女房役の葉波!』

『バッター六番、葉波』

「女たらしー!」

「早川に良いところ見せろよー!」

「彼女に三振で花を持たせてやれー!」

「……うぐぐ」

 

 散々な野次を浴びながら、俺はバッターボックスに向かう。

 予想通りベンチからも内野スタンドからも弄りに弄られた俺は、若干背中を丸めながらバッターボックスに立った。

 ちきしょう……なんだって俺はこんな目に合うんだ。

 

「ふふ、ふふふふ」

「こぉら進っ、笑うんじゃねぇよっ!」

「す、すみません。だって、面白くって……っ」

 

 端正に整った顔立ちを楽しそうに歪めながら、進がくすくすと笑い続ける。

 

「だー! リードに集中しろ! ゆたかの球筋はよぉく知ってんだぞ! しっかりリードしないとホームラン打つからな!」

「来るボールが分かってても、ヒットも難しいと思いますよ?」

「なんだと……?」

「だって、ほら、稲村さん――凄い燃えてますから」

「え?」

 

 進に言われて、マウンドを見る。

 すると、そこでは、

 

 ゴゴゴゴゴゴゴ、と擬音が見えてきそうな程、ゆたかが気合を溢れさせていた。

 

 瞳に炎でも映っていそうだ。

 

「……な、何故……!?」

「僕が察するにですけど、恩を感じているパワプロ先輩にいい所を見せたいという気持ちと、早川先輩とイチャ付いている所を目撃した怒りが合わさってあのようなことになっているんだろうと。ちなみに僕は猪狩です」

「猪狩と怒りを掛けるお茶目なジョークは言わんで良いわ!」

「ほら、サイン出しますよー」

「ちょっと待って今俺平常心じゃな」

 

 ズバンッ。

 

「ストラーイク!」

「ちょっ! せっかくのゆたかとの勝負なのに集中できてないって! まだ準備出来てねーよ! 投げさせんのずるいだろ!」

「あはは、野球中にこんなに取り乱す先輩は初めてですね」

「ぐっ……」

 

 く、くぅっ、落ち着け俺っ。

 そうだ、折角ゆたかがこんなに気合を見せてくれてるんだ。俺もそれに全力で答えないと失礼だ。

 こつん、とバットを頭に当てて、スイッチを切り替える。

 よし、ここからが勝負だ。

 今の投球は外角低めへのストレート。

 相変わらずストレートのコントロールは凄く良い。進もこのボールを生命線に考えているだろう。

 ゆたかの決め球はストレートと縦のスライダーのコンビネーション。

 カーブ、チェンジアップも投げられるが、特筆すべきはストレートのキレ、コントロールとキレ味抜群の縦スライダーでオールスターに出る程の活躍をしたといっても過言ではない。

 今使ったのはストレート。

 なら、緩急を考えるのなら次はチェンジアップか縦スライダーだろう。

 だが、進も俺が今シーズンゆたかに出してきたサインは確認しているはず。

 ゆたかと組んだ時の俺は、ゆたかに対しては調子の良いボールを活かすリードを心がけている。

 ここまでゆたかは縦のスライダーで五人の打者を打ちとってきた。

 なら、この打席でも縦スラを活かして来る筈。

 進が後ろからサインを出す。

 それに対して、ゆたかが首を横に振った。

 ゆたかの性格は知ってる。

 基本的にゆたかが首を振る場合のパターンは二種類。

 前の球の感触が凄く良くてもう一度それを使いたい場面か、もしくは決め球を活かすためにチェンジアップかカーブを投げたい場面。

 たまにダミーで首を振らすサインも出す場合もあるけど、急造の進とのバッテリーでそれは無い。

 ゆたかは俺に良い所を見せたいと気合を入れて望んでいる。

 となれば、ここは前者。つまり、“前の球の感触が良かったからもう一度投げたい”と思っているということ。

 ならば、投げてくる球種はストレート。

 ストレート一本に狙いを絞る。

 ゆたかが足を上げ、オーバースローから腕を振るう。

 投じられたボールはストレート。コースはもう一度外角低め!

 思い切り踏み込み、バットを一閃する。

 バットがボールに当たる瞬間、ずしり、という重い感触が手に走った。

 

「っ……! おもっ……!」

 

 ガキィンッ! と鈍い音を立てて、ボールがファーストの横へ飛んで行く。

 

「ファール!」

 

 か、完全に読んだのに振り遅れた……!

 なんつー球の重さ……! 出処が見づらいのも有ったけど、それにしても球威が凄まじすぎる。

 これがゆたかのボールか。

 あおいの時もかなり驚いたけど、これも驚きだ。

 

「……すげぇ」

 

 心の底から呟く。

 すげぇよ、ゆたか。

 出処の見づらいフォームから放たれる球威抜群のストレートを、外角いっぱいに決める。

 文字にすれば簡単なこの技術を身に付けるために、ゆたかはきっと凄まじい努力を重ねたんだろう。

 そんなボールを、俺のミットに向かって目一杯投げ込んでてくれたんだな。

 

「……っと、いけね」

 

 今は勝負中、感動してる場合じゃなかったぜ。

 打席で構え直し、ゆたかを見る。

 ゆたかは進からのリードを受け取り頷くと、投球モーションに入った。

 ストレートを二球続けたなら、この後に投げるボールは一つだけだ。

 ――縦のスライダー。

 投じられたボールに向けて、俺は全力でバットを振るう。

 強烈な回転が掛けられたボールは、俺の視界から姿を消して、そのまま進のミットに収まった。

 

「ストライク、バッターアウト! チェンジ」

『空振り三振~! 葉波、三球三振ー!』

『伝家の宝刀、縦のスライダーですね。普段捕っている葉波選手ですら手も足も出ないボールです。素晴らしいの一言ですよ!』

「やったーっ!」

 

 マウンド上でゆたかが喜びを爆発させる。

 ……本当なら、俺は悔しがらなきゃいけないんだろう。

 だが、俺を打ちとって嬉しそうにするゆたかの姿を見て、俺は嬉しいと思ってしまった。

 

(……やれやれ、古葉さんにも言われたっけ。俺は一流のバッターにはなれないって。……ホント、その通りだと思うぜ)

 

 自分が抑えられて喜んじまうなんて、バッター失格だ。

 でも、仕方ないよな。

 キャンプの時、初めて会った時のゆたかの顔を思い出す。

 ……あの時、まるで世界が終わるのを知ってしまったかのように辛そうな顔をしていたゆたかが、俺が手も足も出せないような凄いボールを投げて、あんなに嬉しそうにしている。

 全てが俺のお陰だ、なんて自惚れるつもりはない。

 それでも、少しでもあの笑顔を浮かべられる手助けを出来たのなら。

 ――それだけで、キャッチャー冥利に尽きるってもんだよな。

 一人のバッターで有る以前に、やっぱり俺は、キャッチャーなんだ。

 

「パワプロ先輩、笑ってますね。ベンチに戻らなくて大丈夫ですか?」

「あ、わりわり。すぐに戻るよ」

「稲村さん、凄く良いボールでした」

「そっか、ありがとな」

「? どうして先輩がお礼を言うんですか?」

「ん? ……さて、な」

「変なパワプロ先輩ですね」

 

 進が笑って、それじゃ、とベンチに駆けていく。

 俺も慌ててベンチに戻った。

 ベンチで捕手の防具を付けていると、じとーっとした目をしながら、あおいが俺に近づいてくる。う、なんだよその目は。

 

「パワプロくん。三振して喜んでちゃ駄目だよ?」

「あー、すげぇ良いボールが来たから、思わず笑っちまってさ」

「……ボクのボールと、どっちがすごかった?」

「んー? 今日はゆたかに軍配、ってとこかな?」

「むぅぅぅっ!」

「今日はあおいと対戦してないからな。比べられないって」

 

 防具を付け終えてミットを左手に嵌めた俺の裾を、あおいが控えめに握る。

 

「……どうした? あおい」

「……うぅん、なんでもない。頑張ってねっ」

 

 にこっと笑顔を浮かべて、あおいが俺の背中をトン、と押す。

 な、なんか変な感じだけど、なんでもないって言うなら良い、のか?

 

「じゃ、じゃあ、いってくるな」

「うん。頑張ってね」

 

 ふりふり、と手を振って俺を送り出すあおいに背中を向けて、グラウンドへと走りだす。

 そんな俺の背中をあおいがじっと見つめていたことに、俺は気づかなかった。

 

「打ち取られるよりもボールを捕れるのが嬉しいって顔はボクにだけ向けて欲しいのに……どうして、パワプロくんはカイザースに居るんだろ。……神様の、バカ」

 

 

                 ☆

 

 

 回が進んで、気づけば九回だ。

 いよいよ、今年のオールスターももう終わりだ。

 点数は昨日の借りを返すと言わんばかりにAチームが三対〇で勝ち越している。

 ファン達はそれでも、終わることを惜しんで声を枯らしながら声援を送っていた。

 その声援に応えるのは、クローザーの役目。

 

「水海。行けるな」

「はい」

 

 名前を呼ばれて、帽子を被りベンチからグラウンドへと俺は足を踏み出す。

 そこに、パワプロくんが立っていた。

 

「よう、水海、だっけか」

「うん。よろしくね。パワプロくん」

「ああ」

 

 笑いながらパワプロくんがホームベースの後ろに走って行く。

 俺もそれに習ってマウンドへと向かった。

 一際高いグラウンドの頂点。

 そこに立ち、俺は周囲を見回した。

 ……海ちゃんは見てくれているだろうか。

 空は――俺がオールスターに出場したことを、知っているだろうか。

 

「……よしっ」

 

 バシッと頬を叩き気合を入れて、パワプロくんへと向き直る。

 パワプロくんは立ち上がって「まずは直球!」と声を張り上げる。

 俺はそれに応えるよう、マウンドの土を鳴らした後、ワインドアップモーションから腕を振るった。

 ッパァンッ! とパワプロくんのミットが小気味良い音を奏でる。

 一瞬顔を歪めたパワプロくんはすぐにボールを俺に投げ返すと、ぱしぱしっと感触を確かめるようにグローブを叩き、再び構え直した。

 ビュンッ、と腕を振るってボールを投げ込む。

 高めに抜けたボールをパワプロくんがジャンプして捕球する。

 あちゃちゃー、この制球だけは何ともならないなぁ。

 

「次、スライダー」

「んっ」

 

 パワプロくんの言葉に頷いて、今度はスライダーを投げる。

 横滑りする高速スライダー。

 パワプロくんはそれを初見で難なく捕球する。

 地味だけど、凄い技術だ。猪狩くんや久遠くん達も、このキャッチャーなら安心して投げ込めるだろう。

 

『いよいよ最終回! バッターは三番、友沢から、四番東條、五番七井と続きます!』

『プロ野球が誇るクリーンアップ対一六〇キロ右腕、若きパワフルズのクローザー、水海! 勝利するのはどちらか!』

『バッター三番、友沢』

 

 コールされ、友沢くんが打席に立つ。

 何度か公式戦で戦ったけど、友沢くんはかなりの好打者。

 でも、相手が誰であろうと構わない。

 俺に出来るのは、腕を振るうことだけだ。

 パワプロくんからのサインを受け取って頷き、構える。

 そして、ワインドアップからボールをミットに向けて投げ込んだ。

 

「っ、あっ!」

 

 パワプロくんが構えた所からかなり高めになったボールを、友沢くんがフルスイングで迎え撃つ。

 カァンッ! と快音を響かせ、打球はセンター前に落ちた。

 わわわ、先頭打者を出しちゃったよ。

 

「水海、大丈夫だ。相手は走れねぇぞ!」

「うん」

 

 パワプロくんからボールを受け取り、頷きながら俺はファーストランナーの友沢くんに目をやる。

 

『バッター四番、東條』

 

 凄まじい威圧感を放つ、普段のチームメイト、東條くんがバッターボックスに立つ。

 俺はピックオフプレーもクイックモーションも上手くない。

 ここはパワプロくんにランナーは任せて、バッター勝負だ!

 初球は低めにストレート。

 俺が投げたボールはワンバウンドして大きく弾むが、パワプロくんがサッカーのキーパーのように身体に当ててボールを前に落とし、友沢くんを睨んで牽制する。

 続いて出されたサインは高速スライダー。

 ノーコンの上、変化球は高速スライダーしか投げられない俺のリードは、相当にし辛いって大倉さんも言ってたっけ。ちょっと申し訳ないかも。

 

「気にすんな水海、良いボール着てるぞ!」

「あ、うんっ」

 

 俺が悩んでたのを察知したのか、パワプロくんが声を掛けてくれる。

 凄い。こんなに敏感にピッチャーの様子を感じ取れるのか。

 バッターの様子に気を裂きながら、リードを考えつつ、ピッチャーにも気を配る……キャッチャーっていうのは本当に大変な職業だなぁ。

 それに比べれば、俺なんか何も考えず、必死に腕を振るって投げ込めば良い分、凄く楽だ。

 なら、それに全力を注がないと。

 ザッ、とクイックモーションからパワプロくんに向けてボールを投げ込む。

 ワインドアップに比べて威力も抑えられ、コントロールも更にアバウトになるクイックモーション。

 だが、今度は外角低めへスライダーが横滑りし、いい所にボールが決まった。

 

「ストラックワン!」

 

 審判の手が上がる。

 ふぅ、いつでもあのボールが投げられれば良いんだけど。

 ボールを受け取って、サインを受け取る。

 今度は内角低めへストレート。よし……。

 頷き、投げたボールを――東條くんが右方向に打ち返す。

 痛烈な辺りは三遊間を容赦無く襲った。

 うわっ、抜けちゃうっ。

 思わず顔をしかめながらファーストに走る俺の目の前で、

 

 小山雅さんが、滑り込んだ。

 

 ボールへと飛び込みながら捕球した小山さんはクルリと回転すると、セカンドにボールを投げて東條くんをアウトにした。

 

『ふ、ファインプレー! 素晴らしいプレーが出ました! 小山雅、スーパープレイ! これぞオールスターです!』

「あ、ありがとう小山さん!」

「気にしないでいいよ」

 

 ポニーテールを揺らしながら素っ気なく答えて、小山さんが定位置に戻る。

 ……凄いバックだ。そうだった、俺は今、オールスターで投げているんだ。

 相対するバッターも超一流なら、俺のバックを守るのも超一流。

 それなら、安心してボールを投げるだけで良い。

 

「……よし」

 

 だから、落ち着け。落ち着いてくれ。

 震える腕に力を込めてバッターボックスに立った普段なら頼れる五番である七井くんを見つめる。

 七井くんは勝負を楽しむように、俺をじっと見つめる。

 俺はパワプロくんからのサインを受け取って、クイックからストレートを投げ込む。

 投じられたボールを、パワプロくんが飛びつくようにして捕球した。

 

「落ち着け水海! せっかくのお祭りなんだ、楽しもうぜ! 盗塁されても良い。コントロールの付くワインドアップで投げろ!」

「う、うん!」

 

 グローブでボールを受け取って、バクンバクンと高鳴る心臓に手を当てて、必死に心を落ち着ける。

 ……ダメだ、落ち着いた自分がイメージ出来ない。

 まるで指先に血が通っていないかのよう。

 今朝見た夢のせいか、心が悲鳴を上げているみたいだ。

 

(……どうして、俺はこんなに不器用なんだ)

 

 あの時、もっと優しく、空の背中を押してあげられたら。

 ストライクゾーンに狙って投げられるコントロールがあれば。

 今マウンドに立っているのは俺なのに、自分の身体じゃないみたいだ。

 コントロールなんか気にせず全力で投げると心に決めて、監督にまで啖呵を切って、クローザーに上り詰めて、オールスターにまで出ているのに――どうして、俺は、ここに来て自分のことを信じられないんだろう。

 

「っ、ぁっ!」

 

 腕を高々と掲げてしっかりと腕を振るい、ボールを投じる。

 投じられた外角に大きく外れるボールを、パワプロくんがなんとか腕を伸ばして捕球する。

 電光掲示板には、一五八の数字が刻まれていた。

 

『今の球速が一五八キロ! 凄まじいスピードですが、コントロールが付きません!』

『どうしたんでしょうね、水海選手は。顔が強張ってるように見えます。パワプロ選手も何とかしようとしていますが、功を奏してはいないようですね』

 

 これでノーストライクツーボール。次が外れれば、フォアボールになってしまう。

 折角、勝負を楽しもうとしてくれてる七井さんに対してストレートのフォアボールは出したくない。

 パワプロくんが深く思案している。

 どうしてここまで俺がコントロール出来ないのか、その原因を探っているのか、それとも、どの球種ならコントロール出来るか考えているのだろうか。

 ……俺は、本当は分かっているんだ。どうして俺が、こんなにも苦しんでいるのか。

 

(自分に、嘘を吐いたから)

 

 空に酷い言葉を浴びせたのもそう。

 心の底では空を愛しているのに、空に夢を諦めて欲しくなくて、咄嗟に取った不器用な行動がアレだった。

 海ちゃんに寂しい想いをさせないようにしようと決めて、勝手に家に通っているのもそう。

 本当は、空や海ちゃんとの関係が切れるのが、怖いだけだ。

 そして、大切な野球にさえも、俺は嘘をついた。

 ――全力で投げるのがポリシーだと言ったのは、嘘だ。

 本当は、どうすれば良いか分からなかっただけ。

 監督に八割の力で投げろと言われても、それが出来る程、俺は器用ではなかった。

 だから、我武者羅に腕を振るった。

 出来ないことをポリシーだと、そんな安っぽい言葉で覆い隠して、自分の弱みを嘘で固めて、隠した。

 その嘘が、今朝見た夢で剥がれ落ちた。ただそれだけ。

 本当の俺はこんなにも臆病で、たった一球でさえまともにコントロール出来ない。不器用なだけの愚鈍な男。

 そんな俺を愛してくれた空でさえ、良かれと思ってやったこととは言え、傷付けた。

 パワプロくんからストレートのサインが出る。

 コースは関係なく、ど真ん中に投げ込んでこいとパワプロくんが真ん中に構える。

 俺はそれに頷いて、ボールを握る。

 ここには逃げ場はない。

 剥き出しの自分を信じて、投げるしかない。

 ――でも、信じられない。

 今まで嘘を吐いてきた自分を――嘘吐きを、信じられる訳がない。

 自分を信じないまま、俺は腕を掲げ、全力で投げた。

 ボールが指先から離れていく。

 ブラックホールに吸い込まれるかのように。

 それは、一瞬の出来事だった。

 放たれたボールは俺の狙った所からは大きく逸れ、内角高めへと飛んで行く。

 

 そして、そのままゴッ! と七井くんの頭部に直撃した。

 

 ぽん、と力の無いボールがバッターボックスから転がっていく。

 砕けたヘルメットの破片が、飛び散っている。

 パワプロくんが慌てて立ち上がって七井くんの顔を覗き込み、「担架を! 早く!」と叫んでいる。

 俺はそんな様子を、悪夢を見ているかのような現実感の無い感覚で、見つめていた。

 電光掲示板が光る。

 そこには、俺をあざ笑うかのように一六〇の数字が踊っていた。

 

 

                   ☆

 

 

 オールスターが、終わった。

 最後に後味の悪さを残し、水海と七井が退場したものの、最後の投手となった青葉が併殺に打ち取りチェンジにすると、裏の俺達の攻撃を橘が三者三振で抑えながら、暗くなった雰囲気を晴らすかのようにウィンクをして、球場内の暗さを振り払った。

 これで、お祭りは終了だ。

 カイザース寮の部屋に戻った俺は、後半戦の最初の三連戦、バスターズとの試合に向けてスコアを取っていた。

 戦いは後半戦に入る。

 今現在の順位は、一位キャットハンズ、二位パワフルズ、三位カイザース、四位バルカンズ、五位バスターズ、六位やんきース。

 一位のキャットハンズと二位のパワフルズとの差は1,5ゲーム差。それを、一ゲーム差で俺達カイザースが追う。

 つまり、一位のキャットハンズとは2,5ゲーム差。三連戦で三タテすればひっくり返る好位置だ。

 だが、シーズン後半戦の辛さを、俺はまだ知らない。

 神童さんが言ってたっけ、プロに入ってからの後半戦は辛いものだって。

 体力が削られ、古傷が痛み出し、新たな怪我にも耐えなければならない。

 それでも歯を食いしばって前に進んだもののみが優勝出来るんだって、神童さんは口を酸っぱくしていっていた。

 でも、こればっかりは経験してみないと分からない。一勝の重みも変わってくるんだろうけど、正直に言えば、負ければ終わりの高校野球の試合よりも重たいプレッシャーなんて有るんだろうかと思う。

 

「……でも、負けねぇよ。絶対に優勝してみせる」

 

 ぐっと拳を握り締め、シャーペンを走らせる。

 まずは目先の一勝一勝に必死になろう。

 気合を入れ直し、スコアへの記入を続けていく。

 やんきース、パワフルズ、バルカンズ、キャットハンズの分とそれを続け、結局、俺が眠りに付いたのは、明け方の三時近くだった。

 



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第四七話 八月二日 カイザース “復活のデートコマンド、あおい”

 今年も、八月に入った。

 トレード、外国人選手の獲得期間が終わり、ここからは現有戦力のみでの戦いとなる。

 猛暑日の続く熱い夏。

 こんな夏の日に、高校球児たちは甲子園を目指しているのだろうか。

 オールスターが開け、九試合が終わった。

 現在の順位は一位キャットハンズ、二位カイザース、三位バルカンズ、四位パワフルズ、五位バスターズ、六位やんきース。

 ――オールスターで頭部デッドボールを受けた七井は即日登録抹消。

 試合にも復帰して居らず、復帰の目処は立っていない。

 問題なのは、水海の方だ。

 オールスターを明けから九試合で登板は五回。そのどれもが、フォアボール絡みから炎上し、試合をぶち壊してしまっている。

 一六〇キロをマークした直球は一四〇キロ前半まで失速し内角に決まらない。

 スライダーは高めに浮き、絶好球になる。

 前半戦、快刀乱麻の活躍をしていた水海の姿はもう何処にも無かった。

 パワフルズが四位に転落した試合が終わって、即二軍落ち。

 クリーンアップの一角と抑えを失ったパワフルズは失速、首位、キャットハンズとは五ゲーム差に広げられ、これ以上離されれば、優勝戦線からの脱落は免れない。

 それとは対照的に、波に乗ったのはカイザースだった。

 猪狩守と葉波のバッテリーが完封勝利で後半戦開幕を飾ると、続く久遠、山口が一失点完投。

 そしてオールスターで敬愛する葉波を三振に打ち取り、自信を深めた稲村が完封勝利と、怒涛の先発完投勝利四連勝を飾り、絶好のスタートを切った。

 そこから二敗を挟んだものの、表ローテに戻った三戦でまた三連勝。

 オールスター開幕後の九戦を七勝二敗と弾みを付け、二位に踊り出て、キャットハンズに0,5ゲーム差と肉薄している。

 そして、本日からの三連戦はカイザース対キャットハンズの直接対決。

 この三連戦を勝ち越した方が首位になる、まさに天王山の第一回戦。

 キャットハンズの世渡監督も、カイザースが後半戦開幕後の猪狩の完封勝利、久遠の完投勝利の二連勝でカイザースの勢いは止まらないと判断したのだろう。

 後半戦開幕戦のローテを詰め、中四でエース、早川あおいを先発に立てた。

 オールスターでこそ九者連続三振を達成したものの、元来は打たせて取るタイプである早川は、そのコントロールも相まって球数がかさみにくい選手だ。

 そのため、前回登板も六回を投げて七〇球と省エネピッチングで試合を作った。

 そこで、世渡監督はカイザースとの直接対決三連戦を睨み、早川を六回で降板させ、七回からリリーフ陣をつぎ込み勝利を収めたのだ。

 だが、それでもカイザースの勢いは凄まじく、2,5ゲーム差あったゲーム差はついに0,5ゲーム差まで縮まっている。

 確かに、傍から見ればカイザースの勢いは凄く、追い上げられているキャットハンズが不利に見えるだろう。

 ――だが、と世渡はいやらしく笑みを浮かべる。

 ここからは、一勝一勝が重たくのしかかってくる。

 この試合を落とせば――。

 そう思えば足が竦み、腕は縮こまり、普段通りのパフォーマンスを発揮することは難しくなる。

 それに比べ、近年優勝戦線を勝ち抜いてきたキャットハンズの選手は、その重さを知っている。

 どんな状況になっても、いつも通りに自分の力を発揮出来るだろう。

 

「しかし……カイザースはどうかな?」

 

 特に――捕手。

 今年から扇の要に座るは、ルーキーの葉波風路。

 彼は現在のプロ野球界を支える猪狩世代の中心選手だろう。

 しかし、度々プロの壁にぶち当たっている。

 確かにそれを恐るべき速度で乗り越えているとは思う。

 だが、それを乗り越える為に逸した二試合、三試合――それが、ここから先では致命傷と成り得る。

 プロで四年間やってきた猪狩世代と、今年プロ入りしたばかりの葉波。

 アメリカで色々と努力してきて、この後の成長に大きな影響を及ぼすとしても、プロで四年間揉まれた選手たちと、今年その世界に飛び込んだ選手の間には、大きな経験差が有る。

 ならば、浸け込むべきはその“経験差”。

 

「狙うべきは、捕手」

 

 とん、と世渡はパソコンのディスプレイに指を当てる。

 そこには、細かに纏められた葉波のデータが有った。

 盗塁阻止率、打率、本塁打率、得点圏打率、リードの傾向、どの打者に対しどうリードしたかまで、事細かにスコアラー達が集めた、珠玉のデータ達。

 その中で一つだけ、葉波の弱点とも呼べる、とある傾向が有った。

 

「投手は稲村ゆたか……こちらも経験不足の、今年一軍に定着したばかりの若手。それなら、ランナーが出ることは多々有る。それなら――」

 

 浸け込める。

 確信して、世渡はフフフと笑った。

 

(覚悟するといいよ、葉波くん。――プロの『いやらしさ』ってやつをね)

 

 

                ☆

 

 

 キャットハンズ三連戦。

 勝ち越した方が首位に立つ、最初の山場。

 キャットハンズの本拠地で行われる試合だが、キャットハンズとカイザースの球場は近く、寮からでもキャットハンズの肉球場に行くのは簡単だ。

 その為、俺は纏めに纏めあげたキャットハンズのスコアを読み込んでいた。

 今日の先発はあおいとゆたか。

 あおいは中四日で、カイザースを意識して三連戦の頭を取るべく、ローテを組み替えてきた。

 カイザースはここ最近絶好調。キャットハンズと0,5ゲーム差で、この三連線が重要なことには間違いない。

 世渡監督の勝負勘という奴だろう。

 相手があおいとなると、大量得点は望めそうにない。

 中四日でも、あおいは元々打たせて取るタイプだから、調子が大きく崩れることは少ないだろう。

 となると、いかにしてキャットハンズに得点を奪わせないか、というのが重要になる。

 

「んーと、一番木場、二番最近絶好調の小山、三番進、四番ジョージ、五番上条、と。……五番までくれば少し打撃は落ちるな」

 

 問題はこの上位打線。

 小山が当たっている現在のキャットハンズは、下位でランナーを出して得点圏まで進めれば、木田か小山か進の誰かがランナーを返すことが出来る。

 ジョージは一発が有るし、どうしてもランナーを前に貯めたくないから、小山、進のどちらかとは必ず勝負しなければならないのも中々に厳しい。

 対策としては丁寧に攻めていくしかないな。木田はアウトロー、小山はインハイ、進はコンビネーションも絡めて、って感じでいくしかないか。

 ジョージは穴も多いが当たれば一発というタイプ。低め低めに投げられるゆたかとの相性は悪い。

 つまりは、いかにして出塁を抑え、上位にチャンスで回さないか、というリードをしないといけない。

 俺が朝食を食べながら、行儀悪くスコアとにらめっこしていると、ぎゅっと背中から柔らかい感触が抱きついてきた。

 

「っわっ、ゆ、ゆたかっ。いきなり抱きつくなっ、驚くだろっ」

「えへへ、ごめんなさい。でも、先輩、オレが抑える為に真剣に悩んでてくれたから、つい」

「ついじゃねぇよっ」

 

 ゆたかの体つきは女性らしい。そのせいで抱きつかれると凄くドキドキする。

 ……それもこれも、あおいのせいだ。

 オールスターの入り口でのあおい抱きつき事件のせいで、ゆたかからのボディタッチが最近、爆発的に増えているのだ。

 この間なんかぼーっと広間のソファに座ってテレビ見てたら、膝の上に乗られて死ぬかと思ったからな。傍から見れば完全に恋人って言われてもおかしくない状態だった。

 流石に恥ずかしいっつって止めて貰ったけど、うぐぐ、こんなこと、あおいに知られたら暴動が起きるぞ。

 思いながら、ゆたかをどう引き剥がそうか迷っていると、

 パシャッ。

 と軽薄な音と共に、友沢が俺に向けてスマホのカメラを向けていた。

 

「早川にメール送信、と」

「まてーいっ!」

「なんだどうしたそんなに騒いで」

「騒ぐわ! おまっ、その写真っ……!」

「ふ、冗談だ。パワリンDXを買ってもらえなかったら本当になるかもしれないが」

「……謹んで買わさせて頂きます。ほら、ゆたかっ」

「あうー、良いじゃないですかぁ、見せつけちゃいましょうよぅ」

「今日から三連戦で顔を合わせるんだぞ! 殺されるわ! ……それに、野球以外の部分で揺さぶるのはフェアじゃねぇだろ」

 

 プロポーズした男性が他の女とどんな理由があれイチャイチャしてたとなれば誰だって気分が悪い。

 もしもそのせいであおいの制球が乱れたら――俺はきっと、自分が許せなくなる。

 

「もしもそれが原因であおいの調子が崩れたりしたら、俺は絶対にそれを償う。具体的には、あおいのプロポーズに返事をしてでも、調子を取り戻してもらう」

「あ、あう」

 

 俺の真剣な声色に、それは嫌だと思ったのだろう、ゆたかが俺から離れてくれる。

 ちょっときつい言い方になっちまったか。フォローしないとな。

 

「ごめんな。ゆたかの気持ちは嬉しいんだ。今日も一緒に頑張ろうぜ。俺とゆたかが最高のバッテリーだって、あおいに魅せつけてやろう」

「せ、せんぱい……はいっ!」

「スケコマシが」

「うるせぇ、ほら、さっさと消せっ!」

「分かっている。えぇと、確かここを……」

「……お前、自分の携帯の機能くらい使いこなせよ。それ、猪狩コンツェルンから支給されてるやつだろ?」

「うむ。だが高機能すぎてな……」

「どうした? 二人して」

 

 唸りながらスマホを操作している友沢の元に、オフで暇を持て余している猪狩が現れる。

 ……もしもこいつに事情を説明したら、絶対にゲラゲラ笑われた後に罵倒されるに違いないな。

 ここは黙っておこう。うん、それが良いだろう。

 俺が一人でうんうん唸っていると、どうやら諦めたらしい友沢が、猪狩へとスマホを差し出す。

 

「ああ、猪狩。これの使い方なんだが」

「友沢は機械音痴だからな。僕に任せると良い。操作の仕方を良く見て覚えておくんだ」

 

 友沢が差し出したスマホを、猪狩が受け取る。

 なんだかんだ言って猪狩は面倒見が良いからな。

 ……でも、なんかすげぇ嫌な予感がする。

 

「い、猪狩。その写真、友沢は削除をしたがっ――」

「これで画像をメールに添付して送信だ。送り主は設定してあった早川で良かったな。送ったぞ」

「ちょおおおおおおおおおおおおおおお!?」

「お、送っちゃったんですかっ!?」

 

 俺とゆたかが慌てて身を乗り出す。

 

「ん? 送っちゃマズかったのか? メール入力画面だったからそのまま送信したんだが」

「……すまない。冗談でそこまで進んで、戻り方が分からなかっただけだったんだ」

「な、な、なーっ!」

 

 思わず六道のように声を上げながら、俺は友沢のスマホを強奪する。

 そこには『送信完了』の無情なる四文字が浮かんでいた。

 

「……お、終わった……野球人生の終わりだ……俺はこれからあおいを支える主夫になるんだ……」

「け、けっこん、せんぱいが、早川あおいと、け、けっこん……」

「……どうしたんだ? こいつらは、僕には全く状況がつかめないんだが」

「実はだな……」

 

 呆然として説明出来ない俺とゆたかの代わりに、友沢がかくかくしかじかと事情を話す。

 それを聞いた猪狩は、ゲラゲラと笑い出した。

 

「ぷっ、あはははははっ、君たちは相変わらず、くくく、ふふふ、面白いな」

「笑いごっちゃねぇよ! どうすんだよ! 生命的に殺されるか社会的に殺されるかの二者択一だぞ!?」

「全く、お前は色恋の事になるとてんで駄目になるな。それとも、早川と離れすぎた時間が長すぎて、彼女のことが分からなくなっているのかい?」

「……う?」

 

 猪狩がやれやれとため息を吐く。

 俺があおいのことを分からなくなってる……? 確かに、そういう部分が有ることも、否定はしないけど……。

 

「彼女が、稲村とパワプロがイチャついてる写真を見た程度でパフォーマンスに支障を来す程度の選手だと思うのかい?」

「……それは」

「彼女は僕達、あかつき大付属高校に唯一の土を付けた君たち恋恋のエースだった選手だ。そんな彼女が、この程度の写真を見せられた程度で落ち込み、調子を崩すわけがない。……そうだろう?」

「……ああ、そうだな」

 

 ……猪狩の言う通りだ。

 何を心配してんだ俺は、どこまで自意識過剰だよ。

 あおいは、いつでも目の前の試合に真剣だ。

 そんな彼女だから、プロ野球のエースにまで上り詰め、最大の好敵手として俺達の前に立ちふさがってるんだ。

 そんな彼女が、あんな写真一枚で調子を崩す訳がない。

 

「わり、ちょっと自意識過剰だったな。ゆたかもごめんな。大騒ぎしちまって」

「い、いえ、大丈夫ですっ、オレこそ、急に抱きついてすみませんでした。これからは言ってから抱きつきます!」

「そこは抱きつくのを控えてくれると、俺のメンタルが平穏になって大層助かるんだが……」

「イヤです♪」

 

 てへっ、と舌を出して可愛くウィンクするゆたか。

 ……くそう、女性ってずるい。

 そんな顔をされたら、何も言えなくなっちまうじゃねぇか。

 

「まあパワプロが自意識過剰なのは今に始まったことじゃないからな」

「それには僕も同意するよ友沢。僕の三振予告に対して予告ホームランを返して来るんだ。自意識過剰にも程が有るね」

「それはテメェ自身にブーメランとなって帰ってきてるの分かってんだろうな猪狩ィ!!」

「仕方ないことだよ。僕は天才だからね。……さて稲村、この三連戦は重要だ。気負うな、と言っても無理かもしれないが――」

「大丈夫です、猪狩さん! 打たれたら先輩のせい、ですよね!」

「ああ、その通りだ。もしも試合に負けたら涙ながらに『全部先輩が悪いんです』と言って責任を押し付けてしまえ」

「ついでに責任を取ってくださいというセリフも付け足すと良い」

「ハハハ! 友沢、それはナイスアイディアだな」

「なるほどです……既成事実ってやつですね!」

「ナイスアイディアでもなるほどでもねぇっ!」

 

 ったく、散々人で遊びやがって。

 猪狩は一頻り笑った後、「じゃあ、僕は行くよ」と言って、歩いて行ってしまった。

 ……まあ、あいつのことだ。本当はエールを送りたかっただけなんだろうな。

 ゆたかに対してはエースとしてアドバイスを、俺には痛烈なエールを、わざわざ言いに来てくれたんだろう。

 そこまでお膳立てしてくれたんだ。俺もちゃんと捕手の責務ってやつを果たさないとな。

 

「ゆたか」

「は、はい」

「猪狩の言った通りだ。もしもゆたかが打たれたら、俺の責任だ」

「……ホントは、そんな風に思えないですけど」

「それでも、そう思って思い切り投げ込んでこい。……前にも言っただろ?」

「――仮に、オレの投球が打者を抑えることが出来ないものでも、先輩が打者を抑えるのに足りない分を、全力で埋めてくれる。だからオレは、今やれる分を全力でぶつければ良い」

「そうすれば、通じるさ、どんな打者にだってさ、だったな。……どうだ? 通じてきただろ?」

「――はいっ」

 

 ゆたかが満面の笑みを浮かべる。

 そんなゆたかへと笑みを返した。

 

「……先輩」

「ん? どうした?」

「オレ、やっぱり先輩が大好きです」

「っ」

「へへ、それじゃ、オレ、朝ご飯食べてきまーす!」

「……あ、ああ」

 

 不意打ち気味の言葉に顔を真っ赤にする俺を尻目に、ゆたかはぱたぱたと食堂へと駆けていく。

 俺はその背中を見つめながら、ポリポリと頬を掻くのだった。

 

 

                  ☆

 

 

「ふぅ、良しっ」

 

 日課の登板前のストレッチを終えて、ボクは立ち上がる。

 疲れも残っていないし、いい調子だ。

 肩の重さも感じないし、今日もいつも通りのコンディションだ。

 中四日で投げるのはこれが初めてじゃない。最初は多少調整に苦労したけど、四年間プロで切磋琢磨してきた事で得た経験は、こういう調整にも好影響を齎してくれてる。

 今日からカイザースとの三連戦。

 優勝するためには、ここでしっかりと勝ち越して、最低でもゲーム差を広げておかないとね。

 特に最近、カイザースは勢いが有るし、もしもこの初戦を落とすようなことがあって、一度でもカイザースに首位を譲ればそのまま引き離されてしまうことだって有るかもしれない。

 だから、今日は絶対に負けられない。

 パワプロくんと結婚するためにも、絶対に勝たないとっ。

 それに、今日はパワプロくんに会えるし、良い所見せないとね。

 むんっ、と力を込めるボク。

 その時、スマホがブルル、と振動した。

 どうやら、誰かからメールが届いたみたいだ。

 

「誰だろ……、矢部くんかな?」

 

 パワプロくんの着信音は別にしてあるから、今のはパワプロくんじゃないし、マネージャーはメールじゃなくて電話をしてくるから、マネージャーでもない。

 となると、ボクにメールしてくるのはみずきと聖を除けば、後は恋恋高校のメンバーだけ。

 送り主を見ると、そこには友沢亮と表示されている。

 友沢くん? どうしたんだろ。もしかして、パワプロくんの寝顔とかを激写したのかな。

 少しだけドキドキしながら、送信されてきたメールを開く。

 すると、スマホには。

 

 恥ずかしそうな表情を浮かべて赤面するパワプロくんに、ものすごく幸せそうな顔をしているゆたかちゃんが抱きついている画像ファイルが表示された。

 

 みしりっ! とスマホから鈍い音が響く。

 

「……こ、ここ、これは一体どういうことかな……!?」

 

 スマホが悲鳴を上げる音を聞きながら、ボクはスマホを凝視する。

 抱き合ってる……訳じゃないよね。

 パワプロくんの性格を考えると、多分、急にゆたかちゃんが後ろから抱きついてきたんだ。

 パワプロくんの手元には紙が映ってるし、パワプロくんはこれを読んでいたんだろう。

 そこにゆたかちゃんが後ろから不意打ち気味に抱きついてきて、パワプロくんが照れている、と。

 

「……う、羨ましすぎるよっ……!」

 

 ぅぅっ、やっぱり神様は意地悪だよぉっ! どうしてパワプロくんをキャットハンズに入れてくれなかったのーっ!?

 

「……決めた。迎えに行こっ」

 

 独りごちて、ボクはパパっと着替えて、慌てて食堂へと向かう。

 朝食を摂ったら、急いでパワプロくんを迎えに行こう。

 今日は久しぶりのカイザースとキャットハンズの試合だし、一緒の球場に入る訳だから、別に良いよね、うん。

 

「おはようございます。早川先輩」

「おはよっ、進くんっ!」

「ど、どうしたんですか? 何か慌てているみたいですけど」

「パワプロくんを迎えに行こうと思って!」

「あはは、久しぶりの試合ですからね。でも、ゆっくり食べないと身体に毒ですよ」

「うん。大丈夫。いただきますっ」

 

 用意されている朝食を急ぎ過ぎないように気をつけながら口に運ぶ。

 行儀は悪いけど、片手でスマホを操作してパワプロくんにメールを打ちながら、ボクはお味噌汁を飲み込んだ。

 

「ご馳走様でした! 身だしなみ整えてくるねっ」

「気をつけてくださいね」

「うんっ、ありがと! 進くんはゆっくりで良いからね」

 

 はい、と微笑み混じりにボクを見送る進くんと一旦別れて、ボクは慌てて部屋に戻る。

 送信ボタンを押した後、ボクは服を脱ぎ捨て、シャワールームに入り、なんとなく丹念に身体を洗った。

 入浴を終えて、バスタオルで身体を拭いて、そのままバスタオルを身体に巻きつけて、髪の毛をドライヤーで乾かし終えたタイミングで、スマホが着信音を発しだした。

 この音……パワプロくんからのメールだっ。

 ぱたた、とバスタオルを身体に巻いた格好のままリビングに走り、メールの文面を開く。

 

『一三時に球場入りだから、会うならその前になるかな』

 

 ボクは迷わず、『今から一時間後は大丈夫? お昼ごはん、一緒に食べよ?』と送信する。

 返信はすぐに帰ってきた。

 

『了解。それじゃまたあとでな』

 

 簡潔な文面を見て、ボクは自分の頬が緩んでいくのを感じる。

 えへへ、久しぶりのデートデート♪ 楽しみだなぁ。

 ラーメンでもなんでも良い、パワプロくんと一緒にランチなんて、ホント久しぶり。

 

「っとと、歯磨きしなきゃっ」

 

 洗面所に向かい、身だしなみを整える。

 いつかパワプロくんが可愛いと言ってくれたお下げ髪を編んで、ぴょこんとさせたら、完成だ。

 

「んしょ、と」

 

 バッグを左肩に担ぎ、準備完了!

 

「いってきます!」

 

 誰も居ない部屋に意気揚々と言って、扉を閉めて鍵を掛け、外へと向かう。

 空には青色が広がっている。

 今日は何だか良い日になりそう。

 ボクはそんな事を思いながら、カイザースの寮へと向かった。

 快晴の空の下を走ること数十分後、ボクはカイザースの寮に辿り着く。

 約束の時間にはまだ少し時間が有るけどパワプロくんの事を待ってると思うと、待っている時間すら何だか楽しくなってくるから不思議だ。

 持っていたカバンを地面に置いて、ボクはベンチに座る。

 今日は何食べるんだろ。パワプロくんにお任せしちゃおうかな。

 そんなことを思った所で、寮の扉が開き、パワプロくんがボクの方へと走ってくる。

 

「あおい、悪い、待たせた!」

「約束の時間一五分前、デートのマナーの基本だよ?」

「なんだよそれ。学生の時はそんなことしたこと無かっただろ?」

「あはは、うん」

「……でもま、本当はあおいを迎えに行こうと思ってたんだけどな。ゆたかに見つかっちまって、凄い探り入れられてたんだよ」

「なるほどぉ」

「……んじゃ、メシ行くか」

 

 パワプロが何か探るようにボクの表情を見つめて、歩くことを促す。

 はは~ん、なるほどねっ。

 

「写真、見たよ?」

「ぶふっ」

「あはは、やっぱり、ボクが怒ってないか確かめたでしょ?」

「な、ぐっ。……バレバレだったか」

「ふふん。パワプロくんのことなら何でもお見通しだよ。ずっと見てたんだもん」

 

 ボクが真っ直ぐに言うと、パワプロくんが顔を赤くしてげほげほと咽る。

 キャッチャーやってる時はあんな頼りになるのに、こういう時は何だか初心な男の子みたいになるよね、パワプロくんは。

 

「まぁ、それは俺も変わらないけどな。あおいの顔を見れば怒ってるのかどうか直ぐに分かるし」

「……う、うん。そうだよね」

 

 パワプロくんの言葉に、今度はボクの頬が熱くなる。

 あうう、逆襲されちゃった。

 二人して顔を赤くしながら、ボク達は見つめ合う。

 ……あれ。これって、凄く良い雰囲気なんじゃないかな?

 もしかして――キス、して貰えるかも。

 ドキドキしながら、ボクはパワプロくんを物欲しげに見つめてみる。

 パワプロくんはそんなボクからパッと目を離すと、ボクの荷物を左肩に担いだ。

 

「ほ、ほら、行くぞ」

「……もぉ、ボクが何を言いたいか分かってたよね?」

「そういうゴシップ誌のネタになりそうな事はしねぇことにしてるんだよ」

「ゆたかちゃんには抱きつかれたくせに」

「もうゆるして」

「だぁめ♪ 今日はパワプロくんのおごりねっ」

「おまっ、推定年俸一億超えが一千五百万の選手にタカるなよっ!」

「年俸は内緒だし、推定だから秘密だもーん。それに、パワプロくんだってすぐに億プレーヤーになれるよ」

「そうトントン拍子に進めば良いけど、とりあえず今現在はあおいの方が稼いでるだろ……いや、奢らせようってつもりはないけどさ」

「あ、それならほら、結婚すれば家計が一緒になる訳だから、奢る奢らないって話じゃなくなるよ?」

「謹んで奢らさせて貰うな」

「むーっ」

「まだ結婚とか考えられないって。今は野球一筋。それに、今の成績の俺が、仮にあおいと結婚したとしたら、キャットハンズから大バッシングだぜ?」

「そうかもしれないけどぉ……」

 

 むす、としながら、ボクはパワプロくんに付いていく。

 そんなボクの歩幅を意識してか、パワプロくんはゆっくり歩いてくれる。

 

「……でも、約束だよ?」

「キャットハンズが、優勝したら?」

「うん。キャットハンズが優勝したら」

「……あおい、本当に良いのか?」

「何が?」

「俺は、一度お前を置いてアメリカに行ったんだぞ。……帰ってきた後も、アレだけ高校時代好きだ好きだ言ってたくせに、好きかどうか分からないとか言ってるんだぞ? 愛想尽かさないのか?」

「……無理だよ」

 

 パワプロくんの言葉を首を振って否定して、ボクは微笑む。

 だって、忘れられなかった。

 パワプロくんが居なくて、辛くて、寂しくて。

 パワプロくんを忘れて野球に打ち込もうとしたことは、勿論有る。

 でも、出来る筈が無かったんだ。

 だって、ボクの野球の形はパワプロくんと作ったものだ。

 あの高校三年間。

 決して忘れることのない、黄金の三年間。

 一緒に悩んで一緒に悔しがって一緒に喜んで。

 気づけば、パワプロくんと共に戦った三年間は、ボクの“野球”に刻みついていた。

 

「ボクのボールを一番受けてくれたのは、パワプロくんだから。年間でバッテリーを組んでる進くんのほうが、受けたボールの数は多くなったかもしれないけど――ボクの一番のボールを受けてくれたのは、パワプロくんだから」

「……あおいの、一番のボール?」

「――外角低め、ストレート」

 

 ボクはその場でビシュッ、とアンダースローで腕を振る真似をする。

 想像上のボールは、ボクの手を離れ、18,44メートル先に座る想像上のパワプロくんのミットに収まった。

 コースは外角低め。

 幾度も打者を打ちとって来た、今でも寸分違わず投げることの出来る、ボクの生命線。

 パワプロくんにもその光景が見えたんだろう。パワプロくんは目を細めながら先を見つめていた。

 

「マリンボールじゃなくて、第三の球種でもない、ボクの一番の武器。……それを一番受けてくれたのは、パワプロくんだよ」

 

 血がにじむ程練習した、そのコース。

 肘や肩に負担の掛からないよう最新の注意を払いながら、夜遅くまでパワプロくんと特訓したウイニングショット。

 プロになってからでも、それがボクの野球の基本になっている。

 だから、忘れられる筈がない。

 早川あおいという野球選手が存在し続ける限り、ボクの中から葉波風路という存在は、絶対に消えないんだから。

 

「……そか」

 

 優しい微笑みを浮かべて、パワプロくんがボクの頭に手をぽんぽんと軽く添える。

 高校時代は何度もして貰った、ボクに力をくれるパワプロくんの手だ。

 

「分かった。ごめんな。あおいがそうしたいって言ってるのに、今更俺が本当に良いのか聞き返すのは、無粋だった」

「そうだよぅ。もう、結構恥ずかしかったんだからね」

「悪い。……でもな、あおい。あおいだけじゃないんだぜ?」

「……? えと、何が……?」

 

 首を傾げるボクに、パワプロくんはにっこりと笑った。

 

 

                 ☆

 

 

「悪い。……でもな、あおい。あおいだけじゃないんだぜ?」

「……? えと、何が……?」

 

 不思議そうに小首を傾げるあおいが可愛くて、俺は笑った。

 ずっと心に有った感謝の気持ちを、今伝えてしまおう。

 

「――努力に、信頼で応える事。信頼で応えれば、投手は応えてくれようと全力を尽くしてくれるってこと。それを、あおいはいつも教えてくれた。……バッテリーの基本の『信頼関係』って奴を、あおいはずっと、俺に教えてくれてたんだ」

 

 捕手としての技を、一ノ瀬が。

 捕手としての体を、猪狩が。

 捕手としての心を、あおいが。

 俺に教えてくれた。

 捕手“葉波風路”は、早川あおいが居なければ、今ここに存在しなかった。

 

「ゆたかが俺を信頼してくれてるのも、あおいのお陰だよ。あいつに初めて話しかけた時、あおいの事を思い出したんだ」

「ボクの、こと?」

「ああ、凄く努力を重ねていて、実力も有るのに、自分に自信を持てなかった、出会った頃のあおいを」

 

 徐々に自信を取り戻していったあおいの姿は、今でも思い出せる。

 

「俺が出来たことなんて、あおいの背中を押して、手助けすることだけだった。でも、あおいはそんな俺に対していつでも全力で、本気で投げ込んできてくれた。……嬉しかったんだぜ?」

 

 さらさらしたあおいの髪の毛を梳くように撫でる。

 あおいは顔を赤くしたまま、俺をじっと見つめていた。

 

「栄光学院大付属高校との練習試合、覚えてるか?」

「……うん。忘れないよ。忘れられる訳が、無いよ」

「あの試合で、あおいに信頼されてないんだって気付いた時、凄く悔しかった」

「ち、ちがっ、アレは……!」

「分かってるよ。昔のことが原因だって。それでも、その『昔』に負けていたことが凄く悔しかったんだ。その後、檄を飛ばした俺に、あおいは全力で投げ込んできてくれたよな。……それだけじゃない、マリンボールにつながる高速シンカーを、あの場で投げ込むなんて離れ業をやってのけた」

 

 あの試合こそが、俺の原点だ。

 

「それで、理解したんだ。投手は捕手が信頼すれば、何倍もの力で応えてくれるんだって。試合をする度に、何度も何度もあおいは俺に教えてくれてた。だから、今の俺が有るんだ」

 

 ゆたかとだって、まずは信頼する事から始まったんだ。

 そうさせた、俺の捕手としての原点。

 それは、間違いなくあおいと過ごした日々が作り上げたものだ。

 あおいの野球が俺に影響を受けてどう変わっていったかは、俺には分からない。

 でも、俺の捕手観の柱には、あおいがいつも居るんだ。

 

「――あおいに出会えて、良かった」

 

 心底、そう思う。

 そして同時に、俺はある事に気がついた。

 あぁ、そうか。

 

 俺――やっぱり、あおいが好きなんだ。

 

 あおいと過ごした時間の全部に感謝して、あおいと歩いた道を振り返れば全てが楽しいって思える。

 この気持ちが指し示すのが林と白井雪の間に有るような、男女関係の愛情かどうかは分からない。

 けど、一つだけ確かに言えることが有る。

 あおいと、ずっと一緒に野球をやっていたい。

 敵同士でも良い、味方同士でも良い。

 でも、俺が居る球場にあおいが居て、そこで一緒に白球を追いかけていたいんだ。

 

「パワプロ、くん」

「ん? どうした?」

 

 呼ばれて目線をあおいに戻す。

 あおいは、涙を目にいっぱい溜めて、いつの間にか俺の目の前に立っていた。

 

「……ずるいよ」

「わ、悪い。なんか変なこと言ったか?」

 

 俺の言葉に、あおいはぶんぶんと首を横に振る。

 あおいはそのまま自分の胸に手を当てると月の雫のような透明な液体を、瞳から溢れさせた。

 

「ずるいよ。今、出会えて良かったなんて言われたら、どうしようもない位、好きって気持ちが溢れて、苦しくなっちゃうよ……」

「……ご、ごめん」

「ごめんじゃないよ。本当に、ずるいよ……っ」

 

 ぼふっ、と俺の身体に顔を押し付けて、あおいがぐりぐりと頭を動かす。

 一体俺は、どうするべきなのだろう? ここは抱きしめるべきなのだろうか。

 俺がどうするか迷っていると、あおいはパッと顔を上げて、

 

 そのまま俺の唇に自らのそれを押し付けた。

 

 何度か味わった、柔らかくて暖かな感触。

 避ける暇なんて無かった。

 ――いや、避けるつもりも無かったと思う。

 しっかりと俺の首に腕を回してがっちりホールドしながら、あおいは暫くの間、俺と口付けを続ける。

 ……頼む。今だけは取材だけじゃなくて、目撃者も居ないでくれ。

 

「っ、はぁ……」

「……っ、あ、あおい……」

「ごめんね、どうしても苦しかったから。……怒らないで? お願い」

「……、怒るわけないだろ」

「……え? それって、どういう意味?」

「言わない! ほら、昼飯っ」

「ちょ、ちょっと待ってよパワプロくん! それ、凄く大事なことだよっ!? 言ってよぉっ」

「良いからメシっ。イタリアン食べに行くぞ!」

「い、イタリアン? どうして?」

「パスタだよ。炭水化物多めで、タンパク質が有る方が良いだろ。パスタを多く頼めば炭水化物を取れるし、イタリアンと言えば地中海料理。つまり、魚介類も多く出るから、タンパク質も取れる。……そして、何よりも」

「何よりも?」

「……何よりも、デートらしいだろ」

「ぁ……うんっ!」

 

 先程までの表情はどこに行ったのか、あおいは満面の笑みを浮かべて、俺の手に自らの手を重ねる。

 指と指の間に指を入れてぎゅっと密着させる、所謂恋人繋ぎで。

 

「前はディナーでラーメン屋さんだったのに、今度はちゃんとイタリアンなんだ?」

「猪狩に『登板前にいつも利用するおしゃれなイタリア料理店が有るから、キミも行ってみたらどうだい? 少しはセンスが良くなるかもしれないよ』って、たまたま教えられてたんだよ。せっかくだから行ってみようと思ってさ」

 

 本当は炭水化物とタンパク質を摂れて、かつデートの食事に誘えるような場所を知らないかって聞いて教えてもらったんだけどな。

 散々からかわれたけど猪狩のセンスは確かだし、猪狩自身も登板前に利用することが有るって言ってたから、間違いはないだろう。

 俺の言葉を聞いて、あおいは何か悟ったのか、嬉しそうに笑いながら俺の手を更に強く握りしめる。

 

「……ホントはボクの為にわざわざ聞いてくれたくせに、変な所で嘘吐きなんだから。……そういう所も、好きだけど」

「な、何か言ったか? ――ってそんなことよりも手が潰れそうに痛いっ!? 結構握力強いんだから加減してくれよ!」

「嫌だよーだ♪」

 

 ご機嫌で俺の腕に身体を密着させながら、あおいが嬉しそうな声をあげる。

 ……喜んでくれてるみたいなら、別に良いか。

 俺達は昼食を摂るべく、並んで歩く。

 一緒に楽しく喋れるのも、球場に着くまで。

 そこからは、俺達は頂点を争うライバルになる。

 だから一層、あおいと過ごす今のゆっくりとした時間を楽しもうと俺は思ったのだった。

 



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第四八話 八月二日 カイザース "天王山一回戦  葉波風路の、長所と短所"

 キャットハンズの試合前練習が終わってカイザースの練習が始まった頃、開場が始まって、カイザースファンとキャットハンズファンが応援の準備を始める。

 ペナントレースも残す所残り四五試合。

 一四四試合ある内、戦った試合が九九試合と、一〇〇試合経っていないと聞くとまだまだ先は長いと感じるだろう。

 キャットハンズの直接対決も残り一一試合。

 まだまだペナントレースの先は分からない。

 ……だが、俺の勘は、そんな生易しいものじゃないと告げている。

 ここでもし勝ち越しを許せば、カイザースは必ず流れを逸する。

 此処最近のカイザースは絶好調で貯金を五つ増やしたというのに、順位はまだひっくり返っていない。

 圧倒的勝率でも、キャットハンズとの差が詰まっただけ。

 つまりは、キャットハンズはそれだけコンスタントに勝ち星を稼ぎ続けている、ということだ。

 今カイザースの調子は頂点だ。

 必ずここから落ちる時が来る。

 その時、ここで勝ち越していたか、居なかったのか――その差は大きいのだろう。

 

「――良いか。今日は必勝。全力で勝ちに行く。行くぞ!」

 

 神下監督の声が監督室に響く。

 俺達は「はい!」と勢い良く答えて、ダグアウトからベンチへと歩いて行った。 

 試合の開始が近い。

 表の攻撃はカイザースから。

 つまり、今日のホームはキャットハンズということになる。

 でも、そんな事は関係無い。もう何度もキャットハンズの本拠地、肉球場での試合は経験した。

 今日も普段通りにプレイするだけだ。

 思いながら、ベンチに出た瞬間。

 

 ――耳を劈き、身体を震わせるような巨大な歓声が、俺を射抜いた。

 

 咆号のような両球団をもり立てる応援団の応援合戦。

 それは、まさにこの試合が”特別なもの“であることを示しているかのようだ。

 

「せんぱい、始まりますよ」

「あ、ああ」

 

 ゆたかに促されて、自分が立ちっぱなしだったことに気付いてベンチに座る。

 同時に、時刻が五時三〇分になって、スターティングメンバーの発表が始まる。

 

『本日のスターティングメンバーを発表致します!

 先攻、カイザースのスターティングメンバー。

 一番、センター相川。

 二番、セカンド蛇島。

 三番、ショート友沢。

 四番、ファーストドリトン。

 五番、レフト近平。

 六番、サード春。

 七番、ライト谷村。

 八番、キャッチャー葉波。

 九番、ピッチャー、稲村ゆたか』

 

 ワッ! とレフトスタンドから大歓声が巻き起こり、俺達の名前を歓迎する。

 普段の何倍もの大きさの歓声だ。それだけ、ファンの皆もこの試合に掛ける意気込みは凄い。

 こりゃファンの為にも負けてらんねぇな。

 ぐっ、と拳に力を込めて、俺は相手ベンチを睨む。

 視線の先では、キャットハンズの面々が普段通りにベンチの中で談笑を楽しんでいた。

 進とあおいは何やら打ち合わせをしているようで、進の話にあおいがしきりに頷いている。

 その様子をじっと見つめていると、俺の視線に気付いたのか、あおいがパッとこちらに目線を向けた。

 目が合うと、軽く手を振ってくれる。

 俺は軽く頷いて、ゆたかに目線をやった。

 ゆたかは緊張しているのだろう。大きく深呼吸をしながら、帽子をぐりぐりと弄っていた。

 

「ゆたか」

「は、はいっ」

「大丈夫だ。いつも通りにやれば抑えられるって。俺に任せて、全力で投げれば良いからさ」

「わ、分かってます。おねがいしますね、先輩」

「おう」

 

 笑って、俺がゆたかの頭に手をぽん、と置いた、その時だった。

 

『後攻、キャットハンズの本日のスターティングメンバー!

 一番、セカンド木田。

 二番、ショート小山雅。

 三番、キャッチャー猪狩進。

 四番、サードジョージ。

 五番、ライト上条。

 六番、ファースト鈴木。

 七番、センター佐久間。

 八番、レフト水谷。

 ――そして!』

 

 グラウンドに響く、ウグイス嬢ならぬウグイスボーイの声。

 一人一人の名前が呼ばれる度に、歓声と応援が球場内に響き渡る。

 そして、最後。

 

『本日の先発ピッチャー――早川あおい!』

 

 あおいの名前が呼ばれた瞬間、まるで落雷のような一際大きな爆発的な歓声が、キャットハンズを包み込んだ。

 す、げぇ、なんだ。これ……っ。

 これが、あおいに対する信頼の証なのか。

 あおいが名前が出た瞬間、まるで勝利を祝うかのような、あおい専用の応援歌が鳴り響く。

 ぞくり、と背筋を悪寒が這い上がる。

 なんだこの感触……。今まで、全く味わったことがないぞ。

 掌に汗が浮かんでいるのに気付いて、俺はそっと自分のズボンで汗を拭う。

 プレイボールの時間が、刻一刻と近づいてくる。

 試合前のセレモニーが終わり、いよいよ、試合開始の時刻数分前になった。

 球場内に音楽が流れだし、今年のキャットハンズの激闘を編集したムービーがバックスクリーンに流れる。

 それと同時に、キャットハンズの面々がそれぞれ守備位置に向かって走っていった。

 スタンドのファンにサインボールを投げ入れながら、全員が守備位置に向かう。

 そして、一人だけ遅れて――あおいがベンチからマウンドへと向かった。

 普段のあおいからは考えられない鋭い視線。

 こちらのベンチからは、一番バッターの相川さんが打席に向かう。

 

『本日の始球式は地元のリトル野球チーム、お元気ボンバーズの皆さんです!』

 

 守備位置に付いた少年少女達が、近くに居る選手と握手をする。

 中でもマウンドに立った女の子は、同じ女性選手として憧れているのか、あおいに握手をして目を輝かせていた。

 女の子が振りかぶり、ボールを投じる。

 ストライクゾーンに飛んだボールを、相川さんがわざと空振りをし、そのボールを進がしっかりとキャッチした。

 球場全体からの温かい歓声を受けながら、お元気ボンバーズの少年少女はグラウンドを後にする。

 そして、いよいよ、始まる。

 普段の試合とは一味違う、異質な雰囲気とすら感じる――天王山の一回戦目が。

 バックスクリーンの時計が、六時を指し示した。

 

『バッター一番、相川』

「プレイボー!」

 

 球審の右手が上がる。

 サインの交換が終わり、あおいが足を上げ、アンダースローからボールを投じる。

 

 ッパァンッ! とあおいのストレートが外角低めに決まった。

 

「ストラーイク!」

『さあ、いよいよ始まりました。天王山の第一回戦、キャットハンズ対カイザース。

 先発はキャットハンズがエース、早川あおい。カイザースが期待の若手、稲村ゆたか! 勝利するのはどちらでしょう! 相川に対して、初球外角低め、ストライク!』

『いきなり凄いコースです。早川選手はここにボールを決められるかどうかが調子のバロメーターです。今日は良さそうですね』

 

 相川さんがじっとあおいの様子を見つめ、バットを構え直す。

 続いて進が要求したのは、再び外角低めだった。

 あおいが頷き、ボールを投じる。

 

「ボール!」

 

 先程よりも厳しいコースを球審はボールだとジャッジする。

 これで1-1。

 相川さんはしっかりとボールを見ている。

 テンポ良く進の出したサインに頷き、あおいが三球目を投じた。

 遅い方のシンカーだ。

 左打者の相川さんにとっては逃げていくボールを、内角のボールゾーンから変化させる。

 相川さんはそれを振りに行き、ミートするがボールはワンバンして真後ろへと飛んでいった。

 速い後の緩いボールだったせいだろう、ボールの上っ面を叩いた上、タイミングも有ってなかった。

 これで2-1。

 追い込まれ、ゾーンを広く見ざるを得なくなる。

 そうすれば――内角高めへのストレート、つり球にも。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

 ――手を出してしまう。

 空振りの三振に倒れて、相川さんはベンチへと戻る。

 途中、ネクストの蛇島に情報を伝えて戻ってきた相川さんが、俺達にも情報を伝えてくれた。

 

「――キレてる。いつも通り……いや、いつも以上だ。……相変わらず、此処一番の試合で最高のピッチングをしてくるぜ」

「当然だろう。それでこそエースだ」

 

 友沢が言って、ネクストへと歩いて行く。

 確かにその通りだ。高校時代から変わらない。大事な試合で、あおいはいつも好投をしていた。

 それがエースの条件だというのなら、あおいは文句のつけようのないエースだろう。

 

『バッター二番、蛇島』

 

 蛇島がじろりと鋭い目をあおいに向ける。

 あおいはその視線を意にも介さず、進のリード通りにボールを投じた。

 内角高め。

 伸びてくるボールを、蛇島が振りに行く。

 だが、そのボールは蛇島の手元で僅かに落ちた――ように見えた。

 いや、実際思った以上にノビて来なかったのだろう。

 打球は弱々しいゴロになり、あおいの前に転がっていく。

 あおいはそれを丁寧に取ると、ファーストにピュッと送球した。

 

「アウトー!」

『二番の蛇島は初球を打ってピッチャーゴロ!』

『キレの有るボールです。差し込まれましたね」

「葉波、今のが」

「はい。ツーシームだと思います」

 

 神下監督の言葉に頷き、答える。

 わざわざ教えてくれた情報を教えるのは少し気が引けるけど、そんな事を言ってる場合ではないと判断して、俺はオールスターで得たあおいの情報をしっかりと監督、コーチに伝えていた。

 勿論、監督達は選手全員にそれを通達。しっかりとミーティングを行って、あの内角高めへのツーシームの対策はしてきた筈だった。

 だが、それでも、あのミート上手の蛇島が初球で打ち取られたのだ。

 

「蛇島、どうだった?」

「ツーシームはフォーシーム……一般的なストレートに比べて回転数が少ない球種みたいですが、早川さんの場合はボールが浮き上がってくる軌道のせいでボールの変化が非常に見づらいですねぇ。……見極めるのは難しいでしょう」

「……なるほどな」

 

 蛇島がバットを置いてベンチに座る。

 ……チッ、選球眼、ミート共にずば抜けて良い蛇島に見極めるのが難しいとまで言わせるのか。

 そりゃそうか、オールスターで九者連続三振を打ち取った軸のボールの一つだ。そう簡単に攻略なんか出来る訳がない。

 

『バッター三番、友沢』

 

 コールされ、友沢がボックスに立つ。

 かつてのチームメイトに相対する、あおいと進のバッテリー。

 ここまで友沢は三割二五本、六〇打点と中軸に相応しい成績を残している。

 流石のあおいと進も、友沢相手には球数を要する筈だ。

 

「ゆたか、キャッチボールだ」

「はい」

 

 ゆたかと共に、ベンチ前に出てキャッチボールを始めながらも、俺はあおいと友沢の対決からは目を離さない。

 友沢に対して、あおいと進のバッテリーが選んだ初球は、内角へのマリンボールだった。

 ビュンッ! とここまで風切り音が聞こえそうな程速いスイングだが、ボールには当たらない。

 空振り、これでワンストライク。

 続いて、あおいは外角低めへのストレートを投じる。

 

「ストライーク!」

 

 球審の右手が上がる。

 あのコースは、さしもの友沢も打てない。

 内外、マリンボールストレートと続けた。

 続いてあおいは外ギリギリ、友沢のバットが届かないコースへ、ゆるいカーブを投じた。

 友沢はそれをしっかりと見極め、これでツーストライクワンボール。

 緩を入れてきた。

 となれば、次は急。ストレートが来るはずだ。

 予想通り進が内角へと寄る。

 あおいは進のサインに一度で頷いて、アンダースローからボールを投じた。

 スイッチヒッターで有る友沢は、右投手で有るあおいと対戦する際には左打席に立つ。

 その友沢の内角に投じられたボールは、

 

 そこから、ストライクゾーンへと変化した。

 

「っ――!」

 

 友沢が思わず身体を仰け反らせる。

 変化球――マリンボールを捕球した進は、そのままピタリと動きを止めてコールを待つ。

 なっ……!? い、今のボールって……!

 

「ストライクバッターアウト! チェンジ!」

 

 友沢が一瞬だけ驚いたような顔をして、ベンチに戻ってくる。

 

「パワプロ、今のは」

 

 友沢が確認するように俺に視線を送る。

 俺は、その友沢の視線に頷いて応える。

 

「”フロントドア“だ」

「フロント、ドア……って、メジャーリーガーとかが良く使う奴ですよね? メジャーリーグの中継で聞いたことは有りますけど……」

 

 ゆたかが首を傾げる。

 日本ではまだ一般的な単語じゃないからな。知らなくても不思議ではないだろう。

 

「ああ。内角のボールゾーン、内角のボールゾーンから曲がってストライクゾーンに入ってくる変化球のことだ。ぶつかりそうなほどのインコースから急激にストライクゾーンに入ってきたな。……しかも、今のはマリンボール」

「途中まで、ストレートと全く見分けが付かなかった。ボールが浮かび上がりながら身体に向かって来るように感じて、避けなければと思って仰け反った途端、ボールが急激に失速し、ストライクゾーンを掠めていった」

 

 友沢が悔しげに言いながらグローブを付けてベンチを出る。

 内角へのマリンボールで確実にストライクを取った後、対角線で最も見づらい所へストレートを投げ込んで簡単追い込み、見せ球にカーブを使った後、マリンボールを使ったフロントドアで見逃し三振に打ち取った。

 ――なんて投球術。

 あおいの精密機械のような制球力がなきゃ出来ない芸当。

 まだ対戦していない俺にも、その凄みが伝わってくる。

 俺が一軍に上がって間もなく戦った時とは、まるで違う。

 成長したんだ。シーズン中に――もう一段階上の投手へ。

 これが、早川あおい。

 俺達の前に立ちふさがる強敵であり、キャットハンズのエース。

 この感覚を俺は確かにどこかで感じたことがある。

 これはそう、高校時代。

 対あかつき大付属高校で、猪狩を前に感じた圧倒的なプレッシャーにそっくりなんだ。

 

「……せ、せんぱい?」

「あ、悪い。じゃ、俺達もお返ししてやろうぜ」

「……はい」

 

 ゆたかが俺の言葉に頷く。

 負けられない。あおいが良い投球をしたなら、こっちもお返しするだけだ。

 

『後攻キャットハンズの攻撃は、バッター一番――木田』

 

 木田がバッターボックスに立つ。

 俺は、木田の様子をじろりと見て――。

 

 

                  ☆

 

 

「ナイスボール、あおいちゃ~ん」

 

 ベンチに戻ったあおいを出迎えた世渡監督に、あおいはにっこりと笑みを浮かべ、ベンチに座る。

 

「はいっ、ふぅ、上手く行ってよかった」

「ずっと練習してましたもんね。フロントドアとバックドア」

「うん。本番で使うのは初めてだったけど凄く上手く行ったね」

「友沢さんを三振で打ち取れたのは大きいです。カイザースも意識してくれるでしょうから、これで早川先輩の制球力が活きます。これで今日の試合は保つと良いんですけど……」

 

 戻ってきて、打席の準備を進める進と話をしながら、あおいはキャッチャーズサークルに向かうパワプロの姿を見た。

 

「そう簡単に行かないよ。相手はパワプロくんだもん。油断しないで、ボクに出来ること全部やって抑えなきゃね」

「……そうですね。頼もしいです」

 

 進が微笑んで、あおいの言葉に頷く。

 その二人の会話を聞きながら、世渡監督がニヤリといやらしく笑った。

 

「そうなるといいけどねぇ」

「? どうしたんですか? 監督」

「いやぁ。あおいちゃん、今日は大丈夫だよ。勝負にすらならない」

「……ど、どういうこと、ですか?」

 

 世渡の言葉に、あおいが身を乗り出す。

 そんなあおいに世渡は顔を向けることなく、フィールド上のパワプロに視線を集中させる。

 

「今日は、パワプロくんは打撃に集中する暇は無いと思うよ。あおいちゃんとは、端から勝負にならないと思う」

「え――?」

 

 困惑するあおいの目の前で、木田が甘く入ったゆたかの直球をライト前に打ち返し、塁に出る。

 

「神下くんもまだまだだね。――この大事な試合を、若いバッテリーに任せるんだから。ゆたかちゃんは良い投手だけれど、この緊張感の有る、独特の雰囲気の試合……ましてや初回、その場面で普段通りにボールを制球するとはいかない。甘く入ってくる。……となれば、プロならばヒットに出来る」

「そ、そうですね……」

「そして、そのヒットがパワプロくんにとっての、命取りだ」

「っ」

 

 世渡の言葉に、あおいは思わず息を呑む。

 嫌な予感がする。

 チームとしては喜ぶべきことの筈なのに、何故かあおいは感じたことのある恐ろしい感覚に支配されて、素直に喜べなかった。

 この感覚を、あおいは知っている。

 それは高校時代。

 一年の夏――帝王実業との試合で感じた、あの感覚。

『そこは危ない』と感じた次の瞬間、パワプロが蛇島にラフプレーを受け、肩を故障したあの時と、同じ感覚だった。

 

 

                 ☆

 

 

 甘く入ったストレートを木田に捉えられた。

打球がライト前に弾むと同時に、ライトスタンドから大歓声が沸き起こる。

 

「ゆたか! 気にするな! 単打なら問題ないぞ!」

「は、はい」

 

 ゆたかに声を掛け、ボールをゆたかに投げ渡す。

 ノーアウト一塁。

 初球、外角に投げさせたストレートが甘く入ってヒットになった。

 でも、単打で済んだのはゆたかのボールにキレが有ったからだ。

 制球は甘かったけど、球威は有る。調子は悪くなく、むしろ良い部類だろう。

 なら、ここはそれを活かそう。

 

『バッター二番、小山雅』

 

 金髪をポニーテールに結った美女が、打席に立つ。

 彼女の姿を見て、俺は自然と自分のミットへと視線を落とした。

 東条慎吾。

 俺の目標だった、一人の野球選手。

 その野球選手としての形見――小山雅。

 

「……そのグローブ」

「ん?」

「慎吾くんのですよね」

「……ああ」

 

 ぱしん、とグローブを拳で叩きながら言うと、小山はすっと目を細めた。

 

「それがどうかしたか?」

「――いえ」

 

 俺の言葉に首を振って、小山が構える。

 ゆらりとバットを身体の前で倒し、揺らしながら僅かに左足でタイミングを取っている。

 所謂『神主打法』と呼ばれる、独特なフォーム。

 一見穴だらけに見えるが、この打法で小山はここまで打率を三割近く残している。

 ……まずは様子見だ。外角のストレート。

 ジリ、と外角に寄る。

 ゆたかが足を上げたと同時、倒していたバットをすっと身体の方に寄せながら、足を上げる小山。

 投じられたボールはストライクゾーンに甘く入ってくるが、小山はそれを見逃した。

 

「ストライク!」

 

 バントの構えはなし、か。

 初回の、それもノーランナーだ。

 確実に送ってくるとは思うんだが、木田は足も有る、スチールで二塁進塁を狙っているのかもしれない。

 と思っていると、俺の目の前で小山がバットを倒し、バントの構えを取った。

 やはりバントか。

 ワンアウトを貰ってゆたかを落ち着かせるということを考えてもいいが――やすやすとさせるのは良くない。

 それに、バントと決めつけて甘い球を投げれば、バスターということも考えられる。

 一度高校時代にそれで痛い目に遭ってるからな。ここは慎重に攻めよう。

 サインを出した後、インコースに寄って高めに構える。

 インハイにストレート。

 ここならバントも難しいし、仮にバスターで来られたとしても、今日のゆたかのストレートを安打に出来る確率はそう高くない。

 ゆたかが頷いて、モーションに入ったと同時、ファーストランナーの木田が走りだした。

 このタイミング、エンドランか!

 立ち上がり送球の体勢を作る。

 ボールをミットで受け取り、セカンドへとボールを送球する。

 友沢はボールをつかみ、滑りこむ木田の足にタッチする。

 

「セーフ! 盗塁成功!」

「ちっ」

 

 エンドランでスタートが遅れたのに刺せなかったか。

 小山がバントの構えで覆いかぶさってた分、送球が遅れた。くそっ。

 今のボールは決まっていたらしく2-0。一応追い込んだことになる。

 

「ゆたか! 気にするな! 内野ファースト優先!」

 

 ゆたかにフォローを入れつつ、内野に指示を飛ばす。

 この天王山でいきなりエンドラン、しかも盗塁成功……嫌な流れだ。

 ここはしっかりと後続を打ち取らないとマズイ。

 特に今日は相手があおいだ。一点が致命傷に成り得るかもしれない。

 

(ここは小山を絶対にアウトに取る。外角に縦スライダーだ)

 

 俺のサインにゆたかが同意して、ボールを構える。

 得意なボールである縦スライダーを投げさせて緊張を解しつつ、カウントを整えるぞ。

 ゆたかが投じた小山への三球目は、小山のベルト高の高さに投じられた。

 甘く入ったように見えたのだろう。小山が打ちに来る。

 ――だが。

 ゆたかのスライダーは、ここから魔法のように視界から消え去る。

 ブンッ! と小山のバットが空を切って、白球が俺のミットへと収まった。

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

 よし! 三振!

 ゆたかの縦スライダーの変化は俺も実体験済みだ。

 このボールは一流の打者であれ、そう簡単に攻略することは出来ないぜ。特に追い込まれてからとなると、見極るのは相当難しいはずだ。

 

『バッター三番、猪狩進』

「よろしくお願いします。パワプロさん」

「ああ」

 

 呼ばれて打席に入ってきた進と軽く挨拶を交わして、俺はじっと進を観察する。

 進はスタンダードにバットを構える。

 隙のない、オーソドックスなフォーム。

 左打者で内野安打も有るとはいえ、進は今年も打率三割をキープしている好打者だ。

 ワンアウト二塁で一打勝ち越しのピンチだ。だからこそ、此処は攻めよう。

 一つアウトを取ったことでゆたかもある程度落ち着いただろうし、内角の厳しい所を要求する。

 内角に外れても良い。ストレートを思い切って腕を振って投げてこい。

 進の内角に身体を寄せ、構える。

 ゆたかがチラリと二塁ランナーを見た後、足をあげる。

 同時に、また木田が走りだした。

 三盗!? この状況で!? ――舐めるなよ! 俺の盗塁阻止率は五割だぜ!

 内角へのボールを、進が盗塁援護のスイングをする。

 その瞬間、俺の脳裏に”何か“がチラついた。

 それが何なのか、俺には分からなかった。

 パァンッ! とサードの春にボールが渡り、春が木田の足にタッチする。

 だが。

 

「セーフ!」

『セーフセーフ! 盗塁成功!』

『葉波選手、驚いたのでしょうか一瞬ボールを握り直しましたね』

 

 っ! くそっ。

 ゆたかのクイックは悪くない。俺の送球もストライクゾーンに行った。

 なのにセーフだって? 相手が矢部くんならいざ知らず、相手は木田だ。確かにキャットハンズの中では進に次いで俊足だった筈だけど、木田の脚力はこんなにも良くなってたのかよっ!

 これでワンナウト三塁。外野フライでも勝ち越される。

 “汗を拭い”、俺はキャッチャーズサークルに座り直す。

 大きく深呼吸して、”高鳴る心臓を落ち着かせる“。

 落ち着け。相手は進だ。

 先程のボールは外れて0-1。

 ここはフォアボールでも良い、厳しい所を攻めていくぞ。

 ギリギリを狙ってストレートを投げさせる。

 だが、進はそのことごとくを見逃した。

 

「ボールフォア!」

『フォアボール! これでワンアウト一、三塁!』

『今日の早川選手を見るに、一点勝負と考えているのでしょう。座っていましたが、フォアボールでも良いという考え方ではないでしょうか。ジョージは大きいのが打てますが、キャットハンズの中では併殺打が一番多い選手ですからね』

『バッター四番、ジョージ』

 

 バッターの四番、ジョージはキャットハンズが獲得した自前の外国人選手だ。

 昨年三五本塁打を打ったものの、打率は二割七分。バッティングは荒く、併殺打も多い。

 ここは併殺を狙って、インコースの低めにチェンジアップだ。

 盗塁が来たら刺す。これ以上、走らせてたまるか。

 進は脚は速いが、盗塁の技術は無い。変化球を投げさせても刺せる。

 俺なら刺せる。

 絶対に、刺せる……!

 ゆたかが進へ牽制をする。

 進は立ったままベースに戻った。

 今のところ、走る気配は微塵も感じない。

 だが、関係ない。仮に走ってきたとしても、俺が刺せばそれで良いだけだ。

 俺のサインにゆたかが頷き、俺はインコースの低めに構える。

 そしてゆたかが脚を上げたと同時に、三度キャットハンズは盗塁を仕掛けた。

 ジョージがスイングして進を援護するが関係ない。

 俺はインコースのチェンジアップを捌き、セカンドへ鉄砲肩を魅せつける。

 

 ――状況も忘れて。

 

 俺が、それに気付いたのは春の声を聞いてだった。

 

「スティール!」

「――あ」

 

 ダブルスチール。

 捕手がボールをセカンドのに投げたのを見てサードランナーがスタートするプレー。

 本来ならばこの場面、キャッチャーはピッチャーがカット出来るよう、低いボールを投げなければならない。

 しかし、俺はセカンドランナーを刺すことばかりを考えて、全力で腕を振るっている。結果、ボールは高くゆたかにはカット出来ない。

 カットされることのないボールはセカンドのベースカバーに入った蛇島のグローブに収まる。

 蛇島は俺の送球をキャッチしてホームに送球するが、間に合わない。

 俺が蛇島からの送球を受け取り、タッチしようと伸ばした腕よりも早く、木田がホームを駆け抜けた。

 

「セーフ!!」

『だ、ダブルスチール成功~!! キャットハンズ、先制点は脚で奪いましたッ! 猪狩進もセカンドに到達し、これで何と、初回で盗塁四つです!』

『これは葉波選手のミスです。送球が高く、稲村選手がカット出来ませんでした。セカンドランナーを刺そうと力が入りすぎましたね』

 

 ライトスタンドは喜びの歌を奏で、レフトスタンドからは大きなため息が漏れる。

 今、俺、完全に、サードランナーのこと――忘れてた。

 ファーストランナーが盗塁したら刺そう刺そうとばかり考えて、完全に頭から飛んでいたのだ。

 足元が揺らぐ。

 何やってるんだ、俺は。

 崩れそうになる脚に必死に力を込めて、歯を食いしばる。

 動揺は見せるな。

 俺は扇の要、チームの要だ。俺が崩れたら、チームも崩れる。

 

「わりぃ! 送球が高かった!」

「この程度の失点、返せる。気にするなよ稲村」

「大丈夫です! 信じてますから!」

 

 友沢の声がけに笑顔で答えて、ゆたかが俺の方を向く。

 心の中で謝りながら、俺はゆたかへとボールを投げ返した。

 ワンストライクノーボール、ワンアウト二塁でバッター四番。

 併殺は無くなったが、犠牲フライや内野ゴロで一点入ることも無くなった。ここは確実に打ち取ればいい。

 初球はインコース低めにチェンジアップ。なら次は外角低めにストレートだ。

 ゆたかが頷き、ボールを投じる。

 パンッ! とストレートを捕球すると、後ろで球審の手が上がった。

 

「ストライク!」

 

 ランナーに動きはない。

 これで追い込んだ。カウントはピッチャー有利。

 ジョージの弱点は外角への変化球だ。特に落ちる球に弱い。

 これが甘く入ると打たれる傾向にあるが、生憎、ゆたかにそんなコントロールミスは九割九部九厘無い。

 前回までの対戦でも、ゆたかはジョージに一本もヒットは打たれておらず、相性は抜群だ。

 ここで四番を打ち取れば、流れを完全にキャットハンズに奪われるなんてことはないだろう。

 

(外角へのボールを活かすためには、インコースを使わないとな。インハイ高めに見せ球のストレート。その後外角のスライダーで終わりだ)

 

 サインを出し、ゆたかが同意したのを確認して、俺はジリリとインに寄る。

 そして、ゆたかが脚を動かしたその刹那。

 進が、サードへと走りだす。

 っ、いい加減にしやがれっ! もう盗塁なんて許さねぇよ!

 捕球するべく腕を伸ばす。

 ジョージはそのボールを見逃した。

 俺は捕球したボールを持ち替えてサードに向かって腕を振るう。

 タイミングはアウトのはずだった。

 しかし、ボールはサードファウルゾーン側に逸れる。

 春がなんとか腕を伸ばしてボールを掴む。

 そのまま滑りこんでくる進の脚にタッチするが、ボールが逸れた分、タッチが遅れる。

 

「セーフセーフ!」

『さ、三盗二つ目~! 盗塁は五つ目! 葉波、稲村バッテリー、完全に盗まれています!』

『……いえ、稲村選手のクイックは悪くありません。しかも今のはストレートです。明らかに葉波選手の送球が遅かったのと、送球が逸れたのが原因でしょう』

 

 こ、れは……。

 審判の手が横に広がった瞬間、俺はやっと気付いた。

 

(……っ、狙われてるのは、俺か……っ!)

 

 明らかに、キャットハンズは俺の何らかの癖を盗んでスチールを仕掛けている。

 なんだ? 何をどう判断して、あいつらは盗塁をしてるんだ?

 ……ダメだ、分からない。

 首を横に振るって、俺は審判からボールを受け取り、ゆたかへと投げ返す。

 ゆたかは心配そうな表情で俺を見つめていた。

 俺はマスクを外し、目いっぱいの笑顔を浮かべる。

 

「俺も緊張してたみたいだ。ごめんな」

「っ……いえっ! 大丈夫です! まだ一点しか入ってないですよ!」

 

 俺の言葉に、ゆたかが目一杯の元気を返してくれる。

 俺はマスクを付け直し、座り直す。

 視線を落とせば、そこには、俺の右手に付けられた東条のミットが有った。

 ……盗塁が刺せねぇから、なんだってんだよ。

 東条は肩を壊したって、最後まで諦めなかった。

 だから俺も諦めない。折れない。折れて、たまるか。

 俺は、カイザースの正捕手。

 優勝するチームの正捕手が、弱気になんかなってたまるか。

 予定通り、ゆたかに外角低めのスライダーのサインを送る。

 ゆたかは、そのサイン通りにスライダーを投げ込んできてくれた。

 ジョージが空振る。

 

「ストライクバッターアウト!」

『四番ジョージを打ち取って、これでツーアウト! ランナーは三塁!』

 

 ツーアウトまで、やっとこぎつけた。

 続く五番、上条はチェンジアップでストライクを取った後、ストレートで追い込み、縦のスライダーを二球見られたものの、2-2から、もう一度縦のスライダーで空振り三振に打ち取る。

 これで、やっとチェンジ。

 長く感じたキャットハンズの裏の攻撃が、やっと終了する。

 俺は駆け足でベンチに戻る。

 

「葉波、大丈夫か?」

「近平……」

「気にすんな。俺もバルカンズにはこれくらい走られまくったからよ」

「それ、フォローになってないぞ……?」

「安心しろって、得点は取ってやるからさ」

 

 珍しく近平に励まされ、俺は何とか笑みを浮かべる。

 そして、戻ってきたゆたかに目を向けた。

 

「悪い、ゆたか」

「大丈夫です。この何倍も先輩には助けられてますから!」

 

 満面の笑みで応えてくれるゆたかに笑みを返して、俺は神下監督と投手総合コーチ、スコアラーの元へと脚を運んだ。

 

「監督」

「ああ。……自覚は有るか?」

「何か癖を盗まれているのは分かりますが、それは何か分かりません」

「……気が動転しているのか?」

「……はい、多少は」

 

 ごまかしてもしょうがないので、正直な感想を口にする。

 当たり前だ。一回五盗塁なんてプロ野球でも初めてだろう。

 しかも相手はバルカンズではなく、どちらかというと盗塁の少ないキャットハンズ相手にだ。

 これで動揺しない選手なんて居ないだろう。

 

「そうか。お前も人の子だな。……まずは落ち着け」

「はい。ですが、スコアを見せて貰っても良いですか?」

「……後悔するなよ」

 

 意味深なことを言って、神下監督がスコアラーに促す。

 俺はスコアラーからスコアを受け取って、一回裏のスコアに目を通した。

 グラウンドでは、四番のドリトンが打席に立っているが、ドリトンとあおいの対戦成績はドリトンが圧倒的に不利だ。

 あまり時間はないかもしれないと思いつつ、俺はスコアを見た。

 盗塁された所の配球を見る。

 球種は……ストレートで多めに盗まれている。五つの盗塁のうち、ダブルスチールで二つ記録されてるから四つとカウントしても三つだ。

 だが、ダブルスチールを決められた際の一球はチェンジアップ。

 つまり、ストレートを投げさせる際の癖ではないということだ。

 球種じゃない。だとしたら、残りは一つしかない。

 

「……コース」

「そうだ。……キャットハンズはお前がインコースに寄った際に盗塁を仕掛けている」

「……ですよね」

「ああ、ここから見ていても分かる。今日のお前は、インコースを捕球しセカンドへ投げる際、明らかに送球が遅くなっている」

「……っ」

 

 それを、的確に突かれた。

 一体何が原因なのか分からない。どうしてそんな癖が有るのか、どうして気付かれたのか。

 自覚が無い、ということは今まで気にすらして来なかったということだ。

 インコースへの投球の後に送球が遅れるという致命的な癖が有るのなら、もっと早く表面化しているはずなのに、どうして今になって気付かれたんだ……?

 

「葉波、これが直接関係しているかは分からないが――一つ、気になることがある」

「気になること、ですか?」

 

 そうだ、と神下監督が頷く。

 

「お前、自分の盗塁阻止率は分かるか?」

「……五割一分です」

「ああ、プロでもダントツトップの、立派すぎる数字だ。……だが、許盗塁の数は知っているか?」

「……ええと、二一です」

「うむ。……では、その二一の内、バルカンズの盗塁七つを除いた一四。この内何個を、どの回で決められたか、知っているか」

「それは――」

 

 そこまで言われて、はっとする。

 バルカンズとの試合で許した盗塁は七。残りの盗塁の一四個を決められた回は――。

 

「……八、九回……」

「そうだ。盗塁阻止率と、序盤、中盤での盗塁阻止が有るがため、今まで表には出てこなかったが、お前は八回、九回に盗塁を許しやすいという癖がある」

「……で、でも、今日は序盤から決められてます」

「……葉波。今現在、お前はプレッシャーを感じていないか?」

「へ? し、してるに決まってるじゃないですか。こんな雰囲気味わうの初めてですし、天王山って言われてますし」

「では、普段の試合はどうだ」

「……最近は大分慣れてきましたから、大きな重圧を感じることは無い、ですね」

「――それでは、その日の試合の勝敗が掛かった八回九回は?」

「そりゃ、終盤で点が入ったらマズイですから、プレッシャーは掛かりますね。……っ、まさか」

「……そういうことだ」

 

 神下監督がグラウンドに目を戻す。

 あおいにサードゴロに打ち取られたドリトンが、すごすごとベンチに戻ってくる所だった。

 俺はそんな光景を見つめながら、到達した結論にギリッと奥歯を噛みしめる。

 ……つまり、俺には『重圧の掛かる場面での、インコースに投じられたボールの際の盗塁阻止率が著しく悪い』という癖が有る。

 キャットハンズは、それに気付いたのだ。

 

「今日は天王山。若いバッテリー……プレッシャーを感じるなという方が無理だ」

 

 カァンッ! と五番の近平が良い当たりを放つも、ライトライナーに打ち取られる。

 

「そこで、お前の弱さ、脆さが露呈した。……お前のその脆さに気付かなかった、俺も迂闊だった。――だが、もう逃げ場はない」

 

 神下監督の鋭い視線が、俺を睨む。

 

「説教は試合後だ。……お前は変えん。歯を食いしばって、戦ってこい」

「……はい」

 

 ……そうだ、俺は逃げるわけにはいかない。

 俺はプロ野球選手なんだ。

 東条の魂を譲り受け、ナンバーワンのキャッチャーになるんだ。

 そんな俺が、こんな所で逃げてたまるかよ。

 六番の春は三振に打ち取られ、二回のカイザースの攻撃が終わる。

 点差は一点差。まだ試合は分からない。

 ――絶対に勝つ。

 

 

                 ☆

 

 

「しぶといねぇ、パワプロくんは」

 

 世渡は、ベンチの中で感心した声を上げた。

 世代ナンバーワンキャッチャーのプライドか、はたまた神童にメンタルを鍛えぬかれたのか、盗塁を幾つ決められてもパワプロは逃げようとせず、真正面から戦おうとする。

 それでも、普通の状態ならばもうワンサイドゲームになっていてもおかしくなかっただろう。

 フォアボール、ヒットが全てスリーベースになっているような状態だ。

 それでも崩れないのは、ひとえにあの投手、稲村ゆたかの投球のお陰に他ならない。

 どうやら弱点に気付いたようで、パワプロはインコースを使わずアウトコース一辺倒で攻め、盗塁を許さないようにするという手も使っている。

 だが、そんなものは焼け石に水だ。むしろ、コースを限定化し、ヒットの確率を増やしているに過ぎない。

 確かに外角低めはヒットのコースが著しく落ちる聖域では有るが、それでもプロならば、来ると分かっていれば、踏み込んで安打を放つことは造作も無い。

 回は五回。

 友沢にヒットを打たれたものの、あおいが許した安打はその一本、四死球もなく、完封ペースで回は五回だ。

 見れば、稲村ゆたかは肩で息をしている。

 ランナーが出る度にギアを上げ、ピンチを抑えぬいてきたのだ。体力はもう限界だろう。

 そんな状態の投手を変えるのは非常に勇気が居る。

 ボールが来ているかどうか、分かるのはパワプロだけだ。つまりは、パワプロの進言がなければ、大量点差でも付かない限り稲村は交代しないだろう。

 大量得点をした時、それはすなわち、キャットハンズの勝利だ。

 そうならない前に投手を交代させることが出来るかどうか。

 

「……出来る訳がないよねぇ」

 

 不甲斐ないのは自分。

 盗塁を大量に許し、五割台だった盗塁阻止率は4割台前半にまで低下した。

 それを抑え、失点を最小にまで抑えてくれているのは他でもない、あの稲村ゆたかなのだから。

 そんな投手を変えてくれだなんて監督に言える訳がないのだ。

 

「ひっこめクソ捕手!」

「何個盗塁されりゃ気がするんだボケッ! 敵チームの女とイチャついてんじゃねぇぞコラ!」

 

 観客から容赦無い野次が飛ぶ。

 それでも、その野次を背中に受けながら、パワプロは決して逃げようとはしない。

 

「末恐ろしいけど……」

 

 まだまだ青い、と世渡はほくそ笑む。

 五回裏が終わって、いよいよ試合は後半戦へと突入する。

 六回表、カイザースの攻撃。

 バッターは捕手、葉波から。

 傷口を広げないためならば、ここで葉波に代打を送るのも一手だが、神下監督は代打は送らず、バッター葉波をそのまま打席に立たせた。

 葉波はあおいの球筋を良く知っている。

 だが、それでも今日のあおいは打てない。

 初球ストレートを見送り、カーブはボール、シンカーでストライクを取って追い込んだ後、四球目のインハイへのストレートを空振り三振する。

 進のリードにしてやられた形だろう。どうしても追い込まれた後のインハイはツーシームがちらつく。

 それを利用したインハイへのストレートだ。

 バッターは九番、稲村。

 ここまで五回一失点で、勝利投手の権利を得ていない、裏ローテのキモを此処で交代することは出来ないだろう。

 

(次の回辺り、試合が決まるかな)

 

 世渡が想い、椅子に座り直した所で、神下監督がベンチから現れた。

 

『選手の交代をお知らせいたします。九番ピッチャー稲村に変わりまして、ピンチヒッター、岡村』

 

 そのアナウンスを聞いて、世渡は目を見開いた。

 

(交代、だと……!?)

 

 ベンチに座るパワプロを見る。

 稲村が信じられないような表情でパワプロに詰めより、何かを必死に訴えていた。

 パワプロはその稲村に首を振ったり頷いたりした後、再びフィールドへと目を向けた。

 その目は、決して諦めていない。

 試合を、勝利を、――自分自身を。

 その目を見た瞬間、まるで背骨に液体窒素を突っ込まれたような悪寒が世渡を襲った。

 

(ぱ、パワプロくん……! まだ諦めていないのか……!?)

 

 諦めず、まだ前を向いて。

 このまま稲村を投げさせれば絶対に失点すると感じて、自分の失敗をフォローしてくれたパートナーをスパッと変えるよう、神下に進言したというのか。

 

(……ダメだ。あいつは)

 

 ここで、潰さないといけない。

 さもなければ、脅威になる。

 今年だけではなく来年、再来年以降。彼は、立ちはだかる。自分達の前に、強大な敵として。

 その世渡の感覚と全く同じものを数年前、とある選手が感じた事があった。

 ――館西。

 現在パワフルズのローテーションピッチャーである彼は、かつて甲子園に出場したパワプロ達の前に立ちはだかり、世渡と同じようにパワプロを策に嵌め、調子を崩して一時は自分のチームの圧倒的優位を築いた。

 世渡監督は知る由もない。

 同じフィールドでプレイしていた館西と、あくまでもベンチから戦況を見つめる世渡では、感じるものが違うのだから、気づける筈がない。

 館西と世渡が感じた同一の悪寒の正体に。

 それは、パワプロの“感度”。

 ピンチに対する、嗅覚。

 このまま行けば試合が壊れる。このまま進めば試合に負ける。

 プレッシャーが掛かる時であればあるほど、負けられない戦いであればあるほど、パワプロは敗北の匂いを鋭敏に感じ取り、その展開を回避する。

 そして――成長する。

 試合中だろうがなんだろうが、彼は決して同じ所には立っていない。

 常に一歩一歩、前に進んでいく。

 戦慄する世渡の前で、岡村が痛烈な当たりをライトに放った。

 ボールはライト前に弾み、ランナーが出塁する。

 それを見てカイザースベンチが盛り上がる。

 ワンアウトランナー一塁。打順がトップに戻って、バッターは相川。

 相川はあおいの狙っていたのか、初球に投じられたシンカーを引っ張った。

 ファーストランナーの岡村がサードを陥れる。

 ワンアウトランナー一、三塁。バッターは二番蛇島。

 先程までの流れは消え、完全にペースは互角。

 もしもここで同点、逆転となれば――敗戦も見えてくる。

 手に汗を掻きながらも、世渡は動かない。

 

(あおいなら、このピンチを抑える)

 

 それは一重に、エースへの信頼感。

 世渡はそのまま祈るようにあおいを見つめた。

 あおいは進のリードに頷き、蛇島へボールを投げ込む。

 蛇島がじっくりボールを見る打者だということを念頭に置いて、まずはストレートを外角低めに外し様子を見てボール、続いてツーシームでファールを打たせ、1-1。

 ゆるいカーブを低めに外し、1-2。内角へのツーシームを蛇島は見逃し、これで2-2。

 そして、追い込んでから投じたボールは、

 外角のボールゾーンからストライクゾーンに入ってくるマリンボールだった。

 それは、あおいが血の滲むような努力で練習した、フロントドアに対するもう一つの投球術。

 

 ”バックドア“。

 

 外角のボールからストライクゾーンをギリギリ掠めてミットに収まるよう変化球を投じる、角度を最大限に使ったピッチングだ。

 蛇島は、そのボールに手が出ない。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 審判の手が上がる。

 あおいがマウンド上でガッツポーズをする。

 ツーアウト一、三塁。

 続く三番、友沢をフォアボールで歩かせ、ツーアウト満塁にした後、あおいはドリトンをショートゴロに打ち取った。

 その瞬間、今日の試合の勝敗は決していただろう。

 あおいがグローブを手で叩きながら戻ってくる。 

 ライトスタンドから歓声が、レフトスタンドからため息が漏れる。

 堂々と胸を張って戻ってくるあおいの姿を見ながら、世渡は思った。

 確かに、あの葉波の得体のしれない判断力は、この先脅威に成り得るかもしれない。

 それでも。

 ――早川あおいがエースに君臨している限り、キャットハンズは王者であり続けるのだと。

 

 

              ☆

 

 

 試合が終わって、解散した後、俺は人気の無くなった寮でぼーっとテレビを見つめ、今日のニュースを眺めていた。

 ……敗戦投手、稲村ゆたか。

 俺から交代を告げられた時のゆたかの顔が、忘れられない。

 最初は嫌だ、とゆたかは言った。

 バットを握って、グローブを付けて。

 

『まだ俺は負けてないです! 投げられます!』

『俺は先輩を信じてるのにっ! 先輩は俺を信じてくれないんですか!?』 

『どうしてっ……せんぱい……っ』

 

 目にいっぱい涙を溜めて懇願したゆたかの願いを突っぱねて、俺は身勝手なお願いを神下監督にした。

 その結果、ゆたかの代わりに登板した中継ぎが打たれ、炎上。

 試合は0-4でキャットハンズの勝利と、最悪の展開だった。

 交代を告げられた後、俯いて、俺の問いかけにも応えず。

 普段なら勝っても負けても俺と今日のピッチングについて話すのに、ゆたかは俺の方を一切見ずに、部屋にそのまま戻っていった。

 ……当たり前だよな。あんなに調子良かったのに。

 ゆたかは、頑張ってくれたのに。

 俺は、根拠もなく、打たれる気がするからってだけで、ゆたかを交代させたんだ。

 有るのは後悔。

 どうしてもっと速く、自分の悪癖に気付かなかったんだ、俺は。

 そうすれば――今日のゆたかなら、十分勝ち投手になれたのに。

 後悔する俺の隣に誰かが座る。

 ちらりと目をやると、神下監督だった。

 寮に来るだなんて珍しいな。……俺を叱りにでも来たんだろうか。

 

「……眠れないか。明日も試合だ。お前は先発マスクだぞ」

「……そう、ですね」

「お前と話をしようと思ってな。家に帰ってからもう一度来た」

 

 神下監督は俺の目の前にパワリンを置くと、深くソファに座り込んだ。

 

「今日の稲村は、絶好調だった」

「……はい」

「今日のお前の酷いザマで一失点だったのは、稲村が許盗塁をカバーしてくれたからだろう。……お前なら立ち直ると信じて、な」

「……はい」

「それを、お前は投手交代させた。いわば、稲村の信頼を裏切ったんだ」

「……」

「それでも交代させたお前を、稲村は許さないかもしれない。どうしてだ。何故、交代させた。……キャッチャーをやっているお前が、どうしても交代させてくれと頼めば、私は動かざるを得ない。だから交代させたが、納得はいっていない。俺は現役時代は投手だ。だからこそ、納得しなければ眠れない。……言ってみろ、葉波」

「負けを――付けたくなかったから」

「……」

 

 俺の言葉に、監督が黙る。

 

「あのままゆたかが投げれば、点も捕れないし、次の回に取られてました。肩で息してましたしね。……あの回しか無かったんです。先頭バッターが俺で、俺を三振に打ち取った事で多少なりともあおいに緩みが出る。そこを突くしか得点は捕れなかった」

「それは、監督である私の仕事だ」

「そうかもしれません。でも――あのまま続けたら負ける気がしたんです」

「……結局、負けたな」

「でもただの負けじゃないです。一度もチャンスを作れずに負けるか、一度でもチャンスを作るか。……そして何よりも、バックドアを引き出せた。もしもピンチがなかったら、あおいと進のバッテリーは、恐らくバックドアは使ってないでしょう」

「……そうだな。それが、どうした?」

「残り一〇戦の内、あおいは絶対、もう一度カイザース戦で投げてきます」

 

 ぐっと拳を握りながら、俺はテレビを睨みつける。

 

「その時、このバックドアをデータとして取れたことが、絶対に活きます。……今日は負けましたけど、まだシーズンは終わってない。最後まで――諦めない。絶対優勝する。そのためには、こんな所でゆたかに潰れてもらっちゃ困るんです」

「潰れる?」

「はい。もしもあのまま投げてゆたかが打たれて大量失点していたら、俺のせいなのに、ゆたかは絶対自分の責任だと背負い込む。……あいつは優しいですからね。全部俺のせいなのに、自分が打たれたせいだって抱え込む。……そんなの、許せない」

 

 俺は、尚も言葉を紡ぐ。

 

「だったらあのまま、俺が酷い有り様だったのに一失点で抑えたっていう自信を持ったままで降りて貰った方が、絶対に良い」

「ふむ、なるほどな……納得した」

「はい。……次、もう一度ゆたかはキャットハンズと――あおいと、戦う日が来ます」

「ああ、それが事実上、早川と稲村の今年最後のマッチアップだろう」

「猪狩をぶつけるって考え方も勿論有りますけど――お願いします。もう一度ゆたかとあおいを戦わせてください」

 

 真っ直ぐに監督を見つめたまま、俺は頭を下げて懇願する。

 神下監督は、そんな俺に問いかけた。

 

「……そのためには、お前は嫌われても良いのか?」

「構いません」

「好いてくれているんだぞ。彼女は」

「関係無いです」

「可愛い後輩だと言っていただろう。その可愛い後輩が、二度と口を利いてくれないかもしれないぞ」

「――俺を嫌って、軽蔑してくれてもいい」

「……」

「ただ、勝って欲しい。勝ってくれれば、それで良い。俺が嫌われようが、軽蔑されようが、無視されようがひっぱたかれる……のは嫌だけど、でも、それでも――」

 

 俺はテレビに視線をやる。

 既に野球の話題は終わって、政治のニュースが流れていた。

 

「――努力しているゆたかに勝ちを、付けてやりたいから」

 

 真っ直ぐ、そう言った。

 監督は僅かに笑って、ソファから立ち上がる。

 ……俺の言葉に、納得してくれたんだろうか。

 

「条件が有る」

「……はい」

「この三連戦、残り二戦――そこでも、お前は弱点を突かれるだろう。それだけじゃない、弱点が明らかになった今、各球団がお前の弱点を突く」

「……そう、だと思います」

「――そうなる前に弱点を克服しろ。この二連戦をお前に捧げる。元より、お前がその弱点を克服する以外に、カイザースがキャットハンズを超えることは出来ない」

「分かりました。全力でやります」

「ああ。それが達成できたら、私も約束は守る。――誰よりも後輩思いな先輩の顔を、立ててやろうじゃないか」

 

 俺ではなく、廊下の奥に目をやって意味深に微笑みながら、神下監督は約束してくれた。

 俺も後ろを振り向いて確認してみるが、誰も居なかった。

 ……気のせいか? まあ良いか。それよりも今は、やることが有るんだ。

 思い、俺はソファから立ち上がって、神下監督を真正面から見据える。

 

「約束します。俺は――諦めない。成長する、してみせます」

「よし。その言葉、信じているぞ」

「はい。それじゃ、俺は今日は寝ます」

「ああ、ご苦労」

「それじゃ、お休みなさい」

 

 俺は監督に挨拶をして、部屋に向かう。

 明日もマスクだ。今日のような醜態は、二度と晒さない。

 自分の心に誓って、俺は部屋に戻っていった。

 

 

            ☆

 

 

 ぺこっとお辞儀をしてパワプロは自室に戻っていく。

 それを見送って、神下は自動販売機の前へと移動した。

 

「――だそうだ。どう思うんだ? 稲村」

 

 そこにしゃがみ込むようにして声を殺しながら泣きじゃくる小柄な投手、稲村ゆたかを見下ろし、神下が問いかける。

 

「……ひっく、オレ、酷いこと、いっちゃっ……! っ、ぐすっ」

「誰でもそう思うだろう。あの場面、恐らくベンチにいた誰もが、葉波に反感を抱いていたはずだ。……友沢は何かを察していたようだが」

 

 そこは流石に付き合いが長いだけのことは有るか、と神下は思う。

 それでもゆたかは泣き止むことなく、溢れ出る涙を床にぽたぽたと零す。

 

「オレ、だけは、ずっと先輩を、信じてなきゃ、いけないのに……っ、せんぱいは、オレが、早川あおいに勝てるって、信じてるのに……っ、どうして、オレ、は、先輩のこと、信じなかったんだ……っ、っくっ……」

「……稲村」

「っ、っ、は、いっ……」

「葉波は、お前が努力していることを知っている」

 

 稲村ゆたかを一巡で指名したのは、神下監督だった。

 女性投手を一位指名。

 実力主義を掲げるカイザースには、女性選手を指名することに反対する人物達が多く居た。

 それでも、彼女の野球に対する姿勢や、技術、関節の柔らかさなどを見て、これならば一軍のエースクラスになる、と思い指名を決めた。

 そんな彼女を、一年目から悲劇が襲う。

 左肘の靭帯損傷。

 トミー・ジョン手術を行った頃には、彼女の目は死んでいたように思う。

 期待したドラ一の選手が大怪我を負う。

 指導者たる監督が、その出来事に心を痛めないはずもない。

 二軍に視察に来る度、辛そうにリハビリを続ける稲村の姿を、神下は見ていた。

 ボールに触れず、筋力練習とランニングしか行えない、辛そうな姿を。

 完治してリハビリが終わってからもそれは変わらず、彼女はボールを投げることなく、不安から逃れるように下半身強化のトレーニングばかりを行っていた。

 ――そんな状態でも彼女は練習を一度たりともサボらなかったし、遅刻もしなかったし、誰よりも遅く室内練習場に残って、身体を苛めていた。

 食事の管理を徹底的に貫き、決してプロのアスリートであることを捨てようとはしなかった。

 そんな姿をパワプロは一目見て看過したのだ。

 背中を押して、もう一度誰よりも高い場所へ、マウンドへ――彼女を連れ戻した。

 

「その努力に報うためならば、奴は自分の事など嫌ってくれて良いと言った」

「ふぇ……ぅ……っ」

 

 じわり、とゆたかの目に再び大粒の涙が浮かぶ。

 それでも神下は言葉を止めない。

 

「ならば、その気持ちに応えるには、どうすればいい?」

「っ……オレ、は……」

「捕手の信頼に、捕手の気持ちに、『俺達』投手はどう応えれば良い?」

 

 いつの間にか、神下の言葉は監督のものではなく、選手時代の、投手時代の彼に戻っていた。

 その問いかけにゆたかは立ち上がり、涙を拭って答える。

 

「気持ち、と、勝利、で……っ!」

「そうだ」

「全力を出してっ、早川あおいに勝ってっ、先輩に、ありがとうって、先輩のお陰で勝てたんだって、そう伝える……っ!」

「そうだ!」

 

 神下はゆたかの目を見つめ、頷く。

 

「勝て、稲村。葉波は必ず自らの悪癖を修正し、成長して戻ってくる」

「はい……」

「その時、お前もまた一〇〇パーセントの力で奴の努力に応えて、勝て。……そうすれば、お前達は最強のバッテリーになれる」

「……最強の、バッテリー……、先輩と、オレが」

 

 ゆたかの目線が定まった。

 それを確認して、神下は踵を返す。

 

「今日は良く眠れ。……そして、次の登板に備えろ」

「――はいっ!」

 

 ゆたかの返事を聞いて満足気に頷きながら、神下監督は寮を後にする。

 ――かつて橋森に負けない程に熱かった頃の自分に戻ったかのような、不思議な充実感を感じながら。

 負けた日とは思えないほど清々しい気持ちのまま、神下監督は帰路に着いた。

 



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第四九話 八月四日→八月一六日 パワフルズ ”苦悩と、女神”

                八月四日

 

 

 新聞の見出しはいつも残酷だ。

 勝った日は英雄を褒め称え、負けた日は戦犯を叩く。

 キャットハンズ三連戦。一番最初の、天王山。

 0,5ゲーム差でキャットハンズに肉薄していたカイザースは――三タテを食らった。

 初戦、早川あおい対稲村ゆたかの投げ合いは、捕手であるパワプロが稲村ゆたかの脚を引っ張る形で、敗戦を喫した。

 許した盗塁の数は、一試合で実に六。

 プロ野球ワースト記録に並ぶ、最悪の結果だった。

 各社は書き立てる。

『バケの皮が剥がれたルーキー』。

『怒号響く許盗塁。キャッチャー葉波の呆れた女遊び』。

『刺せない葉波。イップスでスタメン落ちか!?』。

 カイザースに吹いていた追い風も、一戦目の敗北から完全に逆風に転じたと言っても良い。

 続く二戦目も力負けをすると、そのまま三戦目も敗退。

 勝ち越しを目論んだカイザースは三タテを決められ3,5ゲーム差。順位も三位に落ち、三位のバルカンズが二位に上がった。

 キャットハンズのファンは確信したに違いない。

 今年も優勝は貰った、と。

 だが、勝負はまだ分からない。

 野球とは筋書きのないドラマ。最後まで何が起こるか分からない。

 キャットハンズのライバルは、カイザースだけではないのだから。

 やんきーズも、バスターズも、バルカンズも。

 そして、

 パワフルズもまた、優勝を虎視眈々と狙う好敵手だということを、忘れてはいけないのだ。

 

 

                 ☆

 

 

 まだ夜が明ける前、ぱらぱらと小雨の振るパワフルズの二軍のグラウンドで、俺は淡々とランニングをしていた。

 今日もまた、寝られなかった。

 眠りに落ちる手前で、空との別れと七井に与えてしまった頭部死球をハイライトで見せられて、眠れない。

 コンディションも最悪なら、ボールはもっと最悪だった。

 深く解析しなくても分かるほどブレたフォームから投じられるボールは一四〇キロ前半。完全に俺の武器である直球は鳴りを潜め、ただただ四球を繰り返し安打を打たれる。

 それはまるで、出口の無いトンネルを一人で彷徨い歩いているかのよう。

 空が、見えない。

 

「はっ、はっ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 足を止めて、俯く。

 もう、一歩も歩けない。

 

「……はぁ、はぁ……はは、情けない……」

 

 そのまま泥濘んだ足場に座り込む。

 身体が重く、胸が痛い。

 まるで酸素を上手く取り入れられていないみたいだ。

 景色が滲む。本格的に体調が悪くなってきた。

 そんな中、青色の傘色が揺れているのが見える。

 

「……ぁ」

 

 傘を差しているのは、オレンジ色の髪の毛の美少女。

 一瞬空に見えて声を上げそうになったけど、俺はそこで首を振るう。

 空はもうここには居ない。あれは、海ちゃんだ。

 

「ああ、そうか……そういえば、二軍に落ちてから、海ちゃんの家、いってなかった、から」

 

 情けなくて合わせる顔が無くて、行ってなかった。

 毎日来ていたのに突然訪れなくなった俺を心配して、様子見にでも来てくれたのだろう。

 

「お礼、いわな、きゃ」

 

 思った所で、視界がぼやける。

 あ、ダメだ。これは――落ちる。

 思った所で視界がぶつ切りになって、グラウンドへと倒れこんだ。

 ぐらぐらと揺れて消えていく視界の中、俺は。

 

「ばかっ! なんでこんなになるまで――っ」

 

 ――海ちゃんではなく、愛しい人の声を、聞いたような気がした。

 

 

            ☆

 

 

 セピア色の記憶は、楽しい記憶ばかりを思い出させる。

 

『私、貴方のことが好き……恋人に、して?』

『本当に!? っ――、俺も空のことが好きだよ!』

『……嬉しい……』

 

 アレは……そう、高校に入って直ぐの頃。

 海ちゃんがたまたま財布を落とすのを見て、追いかけて間違えて空に話しかけたんだ。

 新手のナンパかって疑われたりしたのが初対面。

 その後、同じ学校のクラスになって再開して、メールアドレスを交換して。

 デートを重ねて――ドラフトにかかってパワフルズに入団した年に、告白された、

 付き合い始めて、オフの日には毎日会って、恋の病だな、なんてチームメイトにイジられたりして。

 そんな幸せな日々をブチ壊したのは、俺の一言だった。

 早い話が、俺はずっと悔いていたんだ。

 空を外国に行かせた事も。

 空の為だなんて言ってカッコつけて彼女を傷つけた事も。

 頬に熱いものが伝う。

 思い出を視ている俺が、涙を流している。

 

「どうしたの?」

 

 そんな俺を、優しい空の声が慰めてくれる。

 思い出の中でも夢の中でも、俺の隣に居るのは空だった。

 

「……空……」

 

 バッティングセンターで全然良い当たりを打てない俺を笑って手をつないできてくれたことも。

 一緒に街を歩いている時、好きな色のコーディネートをしてって言われて無色透明を選んだら顔を赤くして怒った後、抱きついてきてくれたことも。

 工事現場で転んだ空を抱きとめて、その後お礼だって言ってキスしてくれたことも。

 占いの館で相性が悪いって言われて憤慨して出て行った後、本当に相性が悪いか確かめるだなんて言って、求め合ったことも。

 全部全部覚えてる。……野球をしてる時だって、空を支えにしている。

 

「俺……空が……好きだ……」

 

 夢の中で隣に居る空に伝える。

 空は俺の涙を拭って、目を潤ませてはにかみながら、

 

「私も、貴方のことが好き」

 

 もう一度、告白してくれた。

 届かないことなんて分かっていた。その先には何も無いと分かっていた。

 ――それでも、どうしても彼女に触れたくて。

 届かない空へと、手を伸ばす。

 何にも触れるはずの無い手は、

 

 何か温かいものに、包まれた。

 

 その感覚は、決して夢なんかじゃなくて。

 

「……ぅ……?」

「……浪くん」

「そ、ら……?」

 

 目を開ける。

 景色に色が戻る。

 そこには、目に涙をいっぱいに溜めた、空が居た。

 周りを見回す。

 そこには輝くスポットライトを浴びる、俺のポスターが張ってあった。

 空の、部屋だ。

 

「……俺……」

「貴方、グラウンドで倒れたのよ。海に大変なことになってるって聞いて慌てて様子を見に行ったら倒れてるんだもの、驚いちゃった」

「……っ、あ……」

 

 雨の中で見たのは、空だったのか。

 い、いや、大事なのそこじゃない。

 

「ど、どうしてここに?」

「プロジェクトが落ち着いたから、日本に呼び戻されたのよ。昨日の夜に家に到着したから一晩休んで、それから酷いフリ方をしてくれた男に文句を言おうと思って、朝起きて直ぐに会いに行ったら、その男が突然雨の中倒れるんだから驚いたわ」

 

 ため息を吐きながら、俺の手をぎゅっと握り続ける空。

 憎まれ口を叩きながら、それでも空の表情は優しかった。

 

「どう? 元気してた? 新しい彼女とは上手く行ってる? もうそれだけが心配で堪らなかったんだから」

「……新しい彼女なんて、そんなの居るわけ……ないよ。だって俺はずっと、空のこと……」

 

 ぐらぐらと揺れる視界の中で、唯一輪郭がしっかりしている空の表情を見る。

 空は俺の言葉を聞いて、泣くのを堪えるように眉を潜めていた。

 

「……本当に……?」

「本当だよ。俺には、空しか居ない。空以外の女の子と付き合うなんて、これっぽっちも考えたことなかったし、思いつきもしなかった……」

「やっぱり、あの時の言葉は嘘だったの?」

「……うん、ゴメン。……空に夢を……諦めて欲しく、無かったんだ。他に言い方も思いつかなくて……本当にゴメン……空、俺、あんな酷いこと」

「それじゃ……私、貴方を諦めなくても、いいの?」

「……諦めるのは俺の方だ。あんなに酷いことを言ったんだ。空に嫌われるのだって、覚悟してる」

 

 俺はまた、嘘を吐く。

 本当は覚悟なんて出来てない。空に嫌いだなんて言われたらきっと、立ち直れない。

 それでも、その気持ちはどんなに弱っててもおくびにも出しちゃいけない。

 空を傷つけたのは俺で、嫌われて当然のことを言った。そんな俺に弱みを見せる権利なんて無いのだから。

 それなのに、目の前の女の子は、自分を深く傷つけた俺なんかの言葉に首を振る。

 

「諦めたら、許さない」

「え……?」

「私のことを諦めたら、絶対に許さない。酷いことを言ったお詫びに、ずっと私を諦めないで」

「それって……」

「私、貴方が好き」

 

 空の真っ直ぐな紫色の瞳に、俺が映る。

 その姿は弱々しい俺ではなく、自信に満ちていた頃の俺の姿だった。

 自分の身体に活力が漲っていくのを感じて、俺は身体を起こす。

 

「……空、好きだ」

 

 そして、空の身体を抱きしめた。

 力の入らない腕に、力の変わりに目いっぱいの想いを込めて、もう感じることはないと思っていた温もりを、二度と離さないようにしっかりと抱く。

 

「ああ……このぬくもり、懐かしい……。私も、貴方以外の人なんて考えられない……!」

 

 空の腕が俺の背中に回される。

 俺はそのまま空に口づけをした。

 

「ん、む、ん、ふ……あ、だめっ……ま、まだお昼だし、貴方、熱が有るのに……」

「空、空……っ」

「あぅ。せめて、ベッドに……あっ」

 

 自分の身体のこと、後のこと、時間のこと、場所のこと、全て忘れて。

 俺は空の温もりを求めた。

 

 

                   ☆

 

 

「……疲れたぁ」

「久しぶりだったもんね……もう、本当に体調が悪かったの?」

「あはは……うん。空に会うまでは……死にそうだった」

「大げさね……バカ」

 

 苦笑いを浮かべる俺の腕の中に居る空が、肩に額を当てて、ぐりぐりと甘えてくる。

 それが可愛らしくて、俺は空の頬を撫でた。

 

「……あ、そうだ」

「うん……? 貴方、野球、凄く調子悪いって海にきいたけど……」

「……うん。実はね」

 

 俺は、包み隠さず空に合ったことを話した。

 後悔ばかりしていたこと、不器用なことを悩んでいたこと、コントロールのこと、七井に与えてしまった死球のこと。

 俺が同じ学校で野球をしている姿を見てから俺のファンだったという空は、勿論技術的な面までは精通していないけれど、野球のことを理解してくれている。

 俺の話を聴き終わった空は、嬉しそうな、それでいて困ったような複雑な表情を浮かべていた。

 

「私は貴方のそういう不器用だけど真っ直ぐな所が大好き。だから、そのままで良いの」

「あ、ありがとう、空。……うん、空にそう言ってもらえるなら、不器用でよかったって思えるよ」

「ん……、……七井くんへのデッドボールはわざとやったんじゃない以上事故よ。謝ったんだし、大事には至らなかったんでしょ?」

「うん。もう打撃練習してるよ。後遺症とかも無いみたい」

「それなら、気にしちゃダメよ」

 

 空が一つ一つ俺を弱気を励まして、フォローしてくれる。

 それだけで、俺は自分の折れていた心が修復されていくのを感じた。

 うん、やっぱり俺には空が必要なんだ。

 しかし、メンタル面的な事はどうにでもなっても、コントロールのことばっかりはどうにもならない。

 ……でも、心が折れていなければ、なんとでもなる。そんな気がする。

 

「ありがとう。空、コントロールは相変わらずだけど、空が居るだけで俺、頑張れるよ」

「ふふっ。うん。……あ、そうだ。コントロールのことは分からないけど……おみやげがあるの」

「おみやげ?」

「うん、ちょっと待って」

 

 空が俺から離れ、旅行かばんへと移動する。

 その拍子に華奢な空の裸体が露わにされて、俺は思わず赤面してしまった。

 うーん、何度見ても綺麗だ。

 あの身体を、こう……して、ああ、したと思うと、その、男としては滾るものが有るというか何というか。

 

「空……」

「有った、これ……って、あんっ! ちょっ、ど、どこ触ってるのよっ! ば、バカバカっ、し、信じられないっ。真剣に悩みを聞いてあげてるのにっ!」

「だ、だってっ! 空がそんな格好を見せつけるから!」

「見せつけてないわよっ! きゃぁぁぁっ!?、ばか! ばかーっ!」

 

 

 …………。

 

 

「はぁ、はぁ、も、もぉっ」

「ご、ごめんなさい」

「反省しなさいよねっ」

 

 息を荒げながら顔を真っ赤にして怒っている空に謝りながら、俺は空が持っている本に目をやる。

 やけにボロボロだけど、何の本なんだろう?」

 

「それって?」

「これ、なんか日本の野球の技術書の古本みたいで、凄く珍しいものだけど要らないからって、向こうで知り合ったお爺さんに譲って貰ったの。……その、貴方と仲直りする切掛に出来ないかな、って」

 

 物凄く可愛いことを言って、空が俺の様子を伺うようにじっと見つめてくる。

 そんな空が可愛らしくて、俺は空の頭を撫でる。

 

「ありがとう、空。じゃあ見せてもらうね」

「う、うん」

 

 赤面する空から本を受け取って、ページを開いてみる。

 ……っ、これって……。

 

「や、野球超人伝……!? しかも、海外用に纏められてる……!」

「? その、野球超人伝って何?」

「野球人に伝わってる伝説的な本なんだ。これを読むだけで、凄い能力が手に入るっていう眉唾ものなんだけど……これ、凄い……!」

 

 低めへのコントロールの付け方、ボールのノビを良くする方法、そして――新しい、変化球の投げ方。

 俺が欲しかったもの全てが、そこには記されていた。

 

「っ……ありがとうっ! 空っ」

「んぅっ。……どういたしまして」

 

 ぎゅうっと空を抱きしめてお礼を言う。

 メンタル面も技術面も支えてくれるだなんて、本当に空に頭があがらなくなってしまいそうだ。

 

「空、俺、なんてお礼を言ったら良いか……」

「言わなくてもいいわよ。そのかわり……」

 

 空が何かを求めるように、長い睫毛を閉じる。

 それが示すものはひとつしかない。

 俺は瑞々しい空の唇に、自分の唇を寄せて――。

 

「お姉ちゃん、ただいまっ、水海さんのおかゆの材料を――ふぇっ!?」

「う、海!?」

「海ちゃん!?」

 

 ガチャリ、と触れ合うか否かというタイミングでドアが開き、海ちゃんが入ってくる。

 海ちゃんは俺と空の様子を目の当たりにして硬直する。

 それも当然だろう。熱を出して倒れていた俺と、その看病をしている筈の空が裸で抱き合って、キスをしようとしているんだ。

 しかも、海ちゃんからしてみれば俺と空はまだ別れたままだ。

 そんな関係の俺と空のこんなシーンを目撃したら誰だって驚くに決まってる。

 

「あ、あの、しょのっ……っ」

「あ、あわわ、海、違うのっ、これはっ!」

「う、海ちゃん! そ、その、えっと!」

 

 慌てる俺と空。

 海ちゃんは動揺のあまり、扉を閉めることも忘れたまま動けないでいる。

 そして、海ちゃんは何故かゴクリ、と喉を鳴らし、視線をゆっくりと下げて、

 

「……はう」

 

 俺の一部分を見て、顔をぽっと朱色に染めた。

 

「な、何よその反応っ!? ちょっ、貴方、まさか海に手を出したんじゃないでしょうね……!?」

「どうしてそうなるの!?」

「と、とりあえず服を着てください……」

「わぁぁ、ごめん海ちゃんっ」

「ちょ、ブラっ、ブラがっ……!」

 

 大声を出して騒ぎながら慌てて着替える俺と空と、それを困ったような笑顔で見つめる海ちゃん。

 空が居なくなる前の温かい毎日が戻ってきたみたいで、俺はいつの間にか笑っていた。

 

「……変態」

「違うよ!?」

「あ、あはは……良かった。水海さんのそういう笑顔、久しぶりに見ました」

「……う。そうかな?」

「はい。いっつもチケットを渡しに来てくれる時も、どこか無理していたように見えていましたから、本当に良かったです。私、水海さんのそういう明るい笑顔が好きですから」

「す、好きって……」

「だ、駄目だからねっ!」

「ふふ。あんまりとぼけてると、取っちゃうんだからね?」

 

 ウィンク混じりに海ちゃんが空をからかう。

 空は顔を真っ赤にしながらも、俺の腕にぎゅっと抱きついた。

 

「ふふ、それじゃ、おかゆ作ってきますね」

「あ、うん。おかゆじゃなくても大丈夫。熱、大分良くなったから」

「分かりました。それじゃ、美味しいものと……精の付くものを用意しますね」

「う、海っ!」

「水海さんに速く力を付けて貰って、一軍に戻ってもらわなきゃだもんね」

「あ、ぅ、そ、そういう意味ね。うん」

「……体力、奪っちゃ駄目だよ?」

「海ぃ!」

「きゃー♪」

 

 笑いながら海ちゃんが台所に走って行く。

 本当にこの姉妹は仲が良いなぁ。

 両親が早くに他界して二人三脚で生きてきたんだ。それも当然な気もするけど。

 

「……空」

「……ん、何?」

「俺、頑張るよ。早く一軍に戻って、マウンドに立った姿を空に見て欲しいんだ」

「うん。楽しみにしてる」

 

 空が俺の活躍を信じて疑わないと言わんばかりに力強く頷いてくれる。

 それだけで、俺は無敵の男になれる。

 すぐに一軍に戻ろう。今ならまだ間に合う。

 優勝戦線に、食い込むんだ。

 

 

                八月一六日

 

 

 カイザースを三タテを喫してから、三カード対戦が終わった。

 順位は変わらずキャットハンズが一位で、二位バルカンズがそれを2,5ゲーム差で追いかける。

 カイザースは一位とのゲーム差を4,5ゲーム差、二位のバルカンズを2ゲーム差で追う三位だ。

 パワフルズは四位の位置に付け、一位とのゲーム差は六ゲーム。三位のカイザースとの差を1,5ゲームとしている。

 バスターズとやんきースは不調で、優勝戦線からは脱落したと言ってもいいだろう。

 頭ひとつ抜けたキャットハンズが戦うのは、パワフルズだ。

 キャットハンズにとってのビジターゲーム、つまりはパワフルズの本拠地、頑張市民球場で行われる試合である。

 そして、パワフルズは今日から登録抹消されていた水海が合流する。

 一足先に復帰した七井は三番に座ると、その日にホームランを打つなど活躍を見せていたが、水海は体調を崩すなどして、二軍でも調子は悪かった。

 しかし復帰した八月六日の二軍戦にリリーフで出場すると、球速一六〇キロをマーク。

 制球も相変わらずアバウトだったものの、課題だった高めへの抜け球は一球も無く、低めに纏める投球をして四死球無しの三者三振に打ち取り、先日までとは別人のような投球を見せた。

 何よりもファンが目を疑ったのは、球質の変化だった。

 今まではドゴッ! とミットに突き刺さるような重たい球質だった水海のストレートが、糸を引く、という表現が似合う程にノビるようなモノに変化していたのだ。

 球の重さはそのままに、回転数だけ増したようなキレの有る速球に進化した直球は、同じ左腕で球界ナンバーワンの猪狩守のストレートに近いもの――いや、それ以上だと、パワフルズファンは胸を踊らせる。

 その期待感を抱いているのはファンだけではない、監督も同じだった。

 橋森監督は水海の復調を聞くと、一軍への昇格を即断即決した。

 二軍で三試合連続、三者連続三振を記録した一六〇キロ左腕の復帰に、チームは活気づく。

 その雰囲気こそ、橋森の求めていた『流れ』だった。

 水海は久々に戻ってきた一軍のロッカーに荷物を置いて、息を深く吐き出した。

 

(よし、やるぞ)

 

 気負っている訳ではない。寧ろ、やる気に満ちている。

 こんな気持ちで試合に臨むのは本当に久しぶりだった。

 空との復縁は、心身に良い影響を及ぼしている。

 

(林くんが言っていた、支えになってくれる人が居ると強くなれる、っていうのは本当なんだな……)

 

 同級生の言葉を思い出しながら、赤と白を基調とした帽子を被り、グラウンドへと向かう。

 そこでは、キャットハンズの面々が練習をしている。

 その中の一人、お下げ髪の女性投であり、キャットハンズのエースである早川あおいが本日の登板に向けてストレッチを行っていた。

 カイザースを完封に抑えて勝利投手になった試合から、中六日で九日のバスターズ戦に登板。

 七回一失点で抑えて勝ち投手になったあおいは、そこから再び中六日で本日のパワフルズ戦に登板する。

 対するパワフルズの先発予想は館西。中四日での登板となる。

 恋恋高校時代、二年で甲子園に出場した際、パワプロ達の前に立ちはだかった南ナニワ川高校のエースだった男である。

 彼もまた猪狩世代の一人として、パワフルズを支える好投手の一人だ。

 データを駆使して頭のいい投球術を行うということで、仮に選手として結果を残せなくても、裏方としてチームに貢献出来るだろうという判断の元、ドラフト四位で指名された技巧派投手である。

 そんな予想を良い意味で裏切り、ドラフト四位ながら高卒ルーキーとして初年度からローテーションに入った館西は、ローテーションに欠かせない選手としてパワフルズを支え続けていたのだ。

 そして、今年。

 ついに館西は、エースとして"覚醒"したのだ。

 残り三三試合にして、ここまでの成績は一一勝三敗、防御率は2,11。

 タイトル争いからは一歩遅れているものの、まさにエースと呼ぶに相応しい成績を残している。

 つまり、今日はパワフルズ、キャットハンズのエースピッチャー同士の対決なのだ。

 ここから先、優勝を狙うためにはキャットハンズのエースを叩かなければならない――そんなパワフルズの橋森監督の意志が垣間見える、ペナントレース後半の開幕戦をエースとして飾った館西の中四日起用。

 そして、抑えである水海の復帰。

 ここから先、正念場になって、エースは中四日起用も増えてくる。

 そうなれば、必然的に継投が多くなるだろう。

 中六日と中四日では、中四日の方が疲れるのも早くなり、中六日で登板していたとしても先を見据える早めの降板も多くなってくる。

 そんな中で、クローザーが安定しているのと居ないのとでは雲泥の差だ。

 後半戦開幕から酷い有り様で二軍落ちしたものの、シーズン前半をクローザーとして支えていた水海の一軍復帰は、現場にとってもファン達にとっても期待と不安、両方を抱くニュースだろう。

 

(……期待されてるんだ。その期待に、応えてみせる)

 

 水海は自分に言い聞かせるようにして、大きく息を吸って吐き出し、ランニングを始める。

 試合開始はもう間もなく。

 水海とパワフルズの今後を占う試合が、いよいよ幕を開ける。

 

 

                ☆

 

 

 キャットハンズの強み――、それは、隙のない守備と投手力だ。

 エースのあおいの名前が良く上がるものの、二番手の神高を始めとした先発陣の防御率はカイザースに続く二位で、リリーフ陣も安定している。

 特にクローザーである橘みずきは、聖タチバナのエースとして甲子園出場経験もあり、恋恋高校の前にも立ちはだかった。

 カイザース不動のクローザー、一ノ瀬を抑えてセーブ王になっているのも、その能力の高さを証明しているだろう。

 そして、その投手陣を引っ張る名女房、猪狩進を始めとした鉄壁の守備陣。

 打撃はカイザース、パワフルズには劣るものの、ファイブツールプレイヤー猪狩進を始め、帝王実業から入団したリードオフマン木田、巧打がウリの小山雅、ホームラン王を取った経験は無いものの、入団してから二年連続で三〇本塁打を放ったジョージに、一発のある上条、パンチ力の有る鈴木と、油断ならない選手たちが揃っている。

 つまりは、キャットハンズは"総合能力の高い"、強豪チームなのだ。

 だが、と橋森監督はグラウンドを見つめる。

 パワフルズは、そんなキャットハンズが持っていない武器を持っている。

 ――二番の尾崎から始まる強力打線。

 二番尾崎、三番七井、四番福家、五番東條。

 リーグを代表するスラッガーが二番から五番に座るという豪華な打線。

 六番の大倉も、捕手ながら六番に座っているというだけあってホームランを二〇本放てる打力を持ち、恋恋を支えてきた好打者、明石が七番に座っている。

 そんな打線を相手にすれば、早川あおいとて完封は難しいはずだ。

 何点取られようと、相手より点を取れば野球は勝利出来る。

 ……だが。

 快刀乱麻という表現が相応しいように。

 早川あおいは、そんなパワフルズの強力打線すら寄せ付けない。

 

『回は七回!』

 

 ずらりと並んだパワフルズの得点を示す〇の文字。

 六回を終えて、パワフルズは立ちはだかる精密機械、早川あおいの前に一点すら奪えて居なかった。

 館西も負けてはいない。ランナーを三塁まで進められても決してホームに返さず切り抜けている。

 しかしそれでも、

 

『――パワフルズ! 六回もランナーを二塁にすら進められず! カイザース戦から好調を維持したままのキャットハンズのエース、早川あおいの前に、散発の二安打のみ!』

 

 目的を手にし、そこに邁進する早川あおいの前では――勝利のビジョンすら、見えてこない。

 この回も、二番の尾崎をセカンドゴロに打ち取った彼女は、指に付いたロジンバッグを

ふっと吹き飛ばすと、ゆっくりとベンチに向かって歩いて行く。

 六球団トップの勝利数一四を誇る早川あおいは、貫禄すら思わせる投球術を駆使し、パワフルズを沈黙させている。

 そんな投球を目の当たりにして、館西に気負うな、という方が難しい。

 七回の表、キャットハンズのバッターは七番、佐久間から。

 中四日ということもあって疲れの見える館西の初球。

 

「……っ!」

「甘い……!」

 

 今まで丁寧にコースを突くピッチングをしていた館西のボールが、キャッチャー大倉のミットが構えた所からは高く外れて、ベルト高の甘い所に投じられてしまった。

 下位打線といえど、そんな甘い球をプロは逃さない。

 カァンッ! と佐久間が右打ちでそのボールを弾き返す。

 打たれたボールはセカンドの右を抜け、ライトへと転がっていった。

 

『ヒット~! 先頭バッターが出ました! キャットハンズ、大チャンスです!』

「バッター八番、水谷」

「っ、はぁ、はぁ」

「……くっ、しまった……」

 

 館西が肩を上下させ、激しく呼吸を乱す。

 それを見て、橋森は自らのミスに気付いた。

 ここまで六回を無失点で抑えてきたとはいえ、相手がエースである早川あおいを立てていて、先に失点することは許されないというプレッシャーを常に感じながら投げているのだから、その疲労度は計り知れない。

 しかも館西は中四日。中六日で投げた時と比べて、スタミナが持たないのは道理だろう。

 

(俺のミスだ……! ここは継投すべきだった……!)

 

 ぎり、と歯ぎしりしながら、橋森は投手コーチに目を向け、「リリーフピッチャーを用意させてくれ!」と指示を出す。

 自らを攻める橋森だが、彼を攻めることは出来ない。

 これが谷間の投手ならともかく、今年エースとしてここまでチームを牽引してきた投手を無失点のまま変えることなど、どんな監督にだって出来やしないだろう。

 だが、そんな信頼が、ここでは裏目に出る。

 続く水谷に、館西はツーベースを浴びた。

 

「……くそっ! 何やっとるんや僕は……!」

 

 館西がマウンド上で汗を拭いながら自らを責める。

 ノーアウト二、三塁。

 バッターは早川あおいだが、ここで代打が出されるはずもなくそのまま打席に立つ。

 

(スクイズも有る……今日の早川なら、一点あれば十分だな……監督は館西を変えないのか?)

 

 キャッチャーの大倉がちらりとベンチを見るが、橋森に動きはない。

 かわりに、ベンチの投手コーチからサインが出る。

 スクイズ警戒、ウェスト。

 大倉はそれを確認し、館西へとサインを送った。

 そんなバッテリーのやりとりを見つめながら、橋森は電話番をするヘッドコーチに、ブルペンに入った投手の状況を事細かに聞く。

 

「今ブルペンには誰が入ってる!? 状況は!」

「犬河、手塚が肩を作り始めています!」

「大急ぎで準備をさせてくれ!」

「分かりました!」

 

 橋森が責められるとしたら、この準備不足だろう。

 もう一回早く肩を作る指示を出していれば、こうしてバタバタすることも無く、バッター水谷の場面で投手を投入することが出来て、ピンチは広がらなかったかもしれない。

 どうしてもっと早く指示を出さなかったのだと激しい後悔に苛まれながら、橋森はじっとグラウンドを見つめる。

 一球目をウェストで外したバッテリーだが、バッターに動きはない。

 早川あおいは打撃は非力で、一本だけプロでヒットを打ったことがあるものの、それ以外は全くヒットを打っていない。

 しかし、バントは下手という訳ではなく、きっちりボールの勢いを殺したバントをすることが出来る。

 高校時代共に戦った新垣あかりからバントのコツを聞いていたからだろう。スクイズは何度も決めたことが有る。

 ここで安易にストライクゾーンに投げさせれば、スクイズされるかもしれない。

 もはやこの試合は一点勝負。先に一点取ったほうが勝つ。

 それ故、安易にストライクゾーンに投げさせる指示は出せない。

 二球目、大倉は何とかギリギリを狙ってボールを投げさせるが、上手く決まらず、これでボールカウントはノーストライクツーボール。キャットハンズが仕掛けやすいカウントになってしまった。

 続く三球目は流石にストライクを取らせるべきだと判断し、大倉はバントしにくい、内角高めにミットを構える。

 

「……っ、くぅっ!」

「なっ……く、高い……!」

 

 しかし、スタミナが完全に切れた館西に、そこを狙うコントロールは残っていなかった。

 大倉が思わずジャンプして取らなければならないほど高いボールを投げてしまい、これでノースリー。

 そして、四球目。

 緊張の糸が切れたかのように、館西の投げたボールはワンバウンドしてしまった。

 

『なんと投手の早川あおいにストレートのフォアボールー! ノーアウト満塁!! パワフルズ、絶体絶命の大ピンチです!』

「……くっ、リリーフの準備は!?」

「……出来てませんっ」

「く……!」

 

 まさに一手遅れたという表現が正しい、ベンチワークのミス。

 それが致命傷となり、今やパワフルズは崖っぷちに追い込まれてしまった。

 

(どうする……!?)

 

 投手交代を伝えるべくベンチからフィールドへの境界線に足をかけたまま、橋森は頭を高速回転させる。

 

(犬河も手塚も準備不足……ならば制球力の有る手塚か……? ……ダメだ。球威が足りない。犠牲フライを打たれて終わりだ。ならばコントロールが出来、アンダースローで内野ゴロを打たす公算が立つ犬河か? ……くっ、犬河は打たれ弱く、得点圏被打率が高い……。だが、消去法ならば犬河か……っ)

 

 橋森が思考を終え、犬河の登板を告げるべく、ベンチから出ようとした、その時だった。

 

「――か、監督! 水海が!」

「水海が、どうした!?」

「既に準備を終えたようです!」

「なんだと……!?」

 

 そのヘッドコーチの報告に、橋森は驚く。

 当然だろう。水海の起用パターンは守護神として、つまりは九回限定のクローザーだ。

 普通ならば八回、早くても七回から肩を作り始めることも有るだろうが、まだ七回表のこのタイミングで、『肩が出来た』というのは、明らかに早すぎる。

 

「奴はクローザーだぞ!?」

「それが、『いつ出番が来ても準備不足にならないように』と、四回頃から準備を始めていたようで……!」

「……それでスタミナが切れたらどうするつもりだ」

 

 言いながら、橋森の表情は笑っていた。

 ――いつ出番が来ても良いように。

 確かに抑え投手にとって、こんな早くに準備が完了するのは体力の無駄だろう。後のキャリアに影響を与えてしまうような負担が掛かる原因にもなるかもしれない。

 だが、このシーズンの終盤。抜き差しならない自体に陥った時、準備不足で力を出せませんでした、というのでは話にならない。

『危機管理』――、その一点において、水海の行動は正しいのだ。

 

「水海を呼べ」

 

 いつか放った言葉を、橋森はもう一度口にした。

 

「投手交代――ピッチャー、水海だ」

「は、はい!」

 

 総合コーチが電話口で水海を呼ぶ。

 橋森はそれを主審に伝えて、自らマウンドに向かった。

 

「ピッチャー、館西に変わりまして――水海!」

『ここでピッチャー交代です! パワフルズ、不調で二軍落ちしていた水海を、ここで起用します!』

『まずは中継ぎで様子見というところでしょうが、水海選手にとってはかなりきつい場面での登板になりましたねぇ」

 

 ざわつきが頑張市民球場を包む。

 コールされた水海がゆっくりとマウンドへ登った。

 

「水海、ノーアウト満塁の場面だ。……いきなりきつい場面ですまないが」

「――ありがとうございます。監督」

「え……?」

「こんな痺れる場面で俺を選んでくれて、ありがとうございます。此処を抑えればヒーローじゃないですか」

「……はは」

 

 二軍落ちする直前とは、まるで別人になったかのような明るい表情の水海に、橋森は震えにも似た"何か"を感じて、思わず笑みを零した。

 神下がパワプロに感じた何かを、橋森はこの水海に感じたのだ。

 

「任せた、水海」

「はい!」

「……ああ、そうだ。一つだけ聞いても良いか?」

「? はい、なんでしょう?」

「どうして、速い回から準備していたんだ? お前はクローザーで起用すると伝わってなかったのか?」

「いえ、ちゃんと二軍監督から聞いてました」

「それなら、何故四回という早い回から準備していたんだ?」

 

 橋森の至極真っ当な質問に、内野で集まった近城、福家、東條、杉内がじっと水海に視線を集める。

 水海は、そんな橋森の質問に笑顔を浮かべて、

 

「だって、後悔したくないじゃないですか」

 

 そう、答えた。

 

「やらないで後悔するより、やって後悔したい。……俺は、今まで自分にウソを吐いてマウンドに登っていました。でも、大切なものが帰ってきて、気付いたんです。……俺、やってなかったらきっと、もう一度顔向け出来ないくらいに後悔してたって。ウソを吐いてでも、誤魔化しの為でも、他人の為と偽った自分自身の為でも、嫌々でも――、……やれるだけのことはやってきたから、もう一度取り戻すだけで歩き出せた。前を向けた。……だから、俺はやって後悔するんです」

「……そうだな。お前の言う通りだ」

 

 優しい微笑みを浮かべながら頷いて、橋森はぽん、と水海の背中を叩く。

 

「抑えて来い、水海。そして、ヒーローになれ」

「――はい」

 

 力強く答えた水海に背中を向けて、橋森はベンチに戻る。

 

(水海は、ミスターパワフルズになる。この男は、パワフルズを担う男になる)

 

 ベンチに座ると同時に橋森の焦燥や不安は消えていた。

 確信があったからだ。

 水海ならこの大ピンチを抑えきるという、不思議な確信が。

 

「バッター一番、木田」

『さあ、ここでキャットハンズはトップバッターの木田から! 二軍に落ちる直前は連続フォアボールでピンチを作り長打で返されるという最悪のパターンを見せてしまった水海ですが、このピンチを抑えられるでしょうか!?』

 

 投球練習を終え、グローブでボールを受け取った水海は、バッターボックスに入った木田を睨みつける。

 右対左な上に、木田は左打者を得意としているというデータも有る。

 対右の打率は二割九分と決して悪い訳では無いが、対左になるとその打率は三割四分にまで上昇するという、シーズン打率も三割を超える好打者だ。

 そんな相手に外野フライすら許されないこの場面で大倉がまず選択したのは、水海の一番の武器であるストレートではなく、高速スライダーだった。

 

(高速スライダーを外角低めに……か。犠牲フライでも許されないこの場面、ノーアウト満塁の初球なら、間違いなく打者はストレートを狙ってくる……ってことかな?)

 

 大倉の思考を予測し、頷く水海。

 おおよそ、その思考は正しい。

 付け加えるのならば、キャットハンズは水海が制球難だというデータも手に入れているはずだと大倉は予想している。

 パワフルズバッテリーとしても初球はストライクを取りたいと思う。それなら、初球に選ぶのは最も制球のつきやすいストレートを選ぶ……そう思われているはずだと読んでの、大倉は高速スライダーを選択したのだ。

 ただし、これは大倉にとっても賭けだった。

 水海のコントロールは良くはない。高速スライダーもワンバウンドを何回も試合で投げている。

 もしもそれで逸らしてしまえば、犠牲フライどころかワンアウトもとれず相手に得点を献上する形になってしまうだろう。

 だが、それでも大倉は水海を信じた。

 

(こいつは決めるべき時に決める男だ。――絶対に、決めてくれる)

 

 初めて水海を見た時に覚えた手の痺れは、大倉に「こいつはパワフルズを支える選手になる」と思わせてやまなかったし、水海が調子を崩し二軍落ちした時は本気で心配して、こっそりと様子を伺いに二軍の球場を見に行ったくらいには、大倉は水海を一軍の戦力だと認めている。

 認めているのなら、捕手が投手を信頼してやらない道理はない。

 

「来い! 水海!」

 

 大倉の声がけに頷いて、水海が脚を上げる。

 メカニック的には決して意味はないと言われるものの、見るものを魅了するワインドアップモーション。

 振り上げた腕を高く掲げたまま、脚を上げて体重を軸足へど移動する。

 そして、勢い良く踏み出した右足の勢いを左手の指先に移すようにして、腕を勢い良く振るう。

 縫い目に引っかからせた中指に力を込め、手首を軽く立てて、腕全体でボールに力を掛ける。

 そうして放たれたスライド回転のボールは、大倉のミットよりも僅かにアウトローにズレる。

 だが、木田はそのボールをスイングした。

 

「ストライク!」

『スライダーを空振り! そして、そのスライダーの球速は――なんと一五〇キロ!』

「いいぞ水海!」

 

 パンッ、とミットでボールを受け取って、水海が構える。

 

(決まってよかった。……次は低めにストレート。大倉さんが腕を振ってこいってジェスチャーしてるってことは、ワンバンしても良いから低めにってことだよね)

 

 こくん、と頷き、再びボールを投じる。

 そうして投じられたストレートは、

 まるで、途中で加速するかのようなキレ味で大倉のミットに吸い込まれた。

 

 スパァンッ! という音が、遅れて響く。

 

 バックスクリーンに表示された球速は――一六二キロ。

 同時に、審判の手が上がった。

 

「ストライクツー!」

『低めへのストレートが一六二キロ! 決まってストライク!!』

『これは……打てませんね……』

 

 ワァッ! とライトスタンドから歓声が響く。

 たった一球――それだけで、観客が湧く。

 ビリビリと背中に歓声を感じながら、水海は初めて、自分が一軍のマウンドに立っているということを実感した。

 

(見てる? 空……海ちゃん)

 

 三球目。

 大倉が選んだのは、水海のもう一つの新しい武器だった。

 

(俺……ヒーローになるよ。だから、見守ってて)

 

 投じられたボールはど真ん中の、スッポ抜けの変化球だった。

 木田は待ってましたとばかりにそのボールを狙ってバットを振るう。

 ――そこから、ボールが突然、浮き上がったように、木田は見えた。

 

「――な……!?」

 

 バンッ! と捕球音が聞こえて、木田が慌てて後ろを振り向く。

 大倉はすぐさま構えを解いて、ワンアウトだと示すように指を一本立てた。

 

「ストラックバッターアウトォ!」

『空振り三振! 投げ損ないのスライダーを空振って木田、三振!』

『ラッキーですね、今のはホームランボールですよ』

 

 木田を空振り三振に打ち取った水海は一息を吐いて、ボールを大倉から受け取った。

 今水海が投げたのは決して投げ損ないなどではなかった。

 それは――ツーシームジャイロボール。

 それは、空のお土産の本に乗っていたジャイロボールの投げ方の一つだった。

 変化球だと思って振っていったら、それが落ちてこない。

 するとバッターは、そのボールを『浮き上がった』ように感じるのである。

 落下してくるように感じたら、落下してこない――。

 そうなれば、バッターのスイングなど当たらない。

 話だけ聞けば、『それならば落ちないのを確認してから振れば良い』。と思うだろう。

 球種自体はスライダーを失投したかのような球だ。真芯に当たればホームランボールだろう。

 だが――もしも、投じられた"失投"が一五〇なら、どうなるだろうか。

 それはもはや失投などではない。狙って投げた『落ちない変化球』なら、それは最早別の変化球と化す。

 それこそが、水海のツーシームジャイロ。

 彼が手に入れた、新しい武器なのだ。

 

「バッター二番、小山雅」

『しかしまだピンチは終わっていません! ワンアウト満塁で、ここ最近絶好調の小山雅を迎えます!』

 

 二番バッターの小山が打席に立つ。

 だが、相手が誰だろうと関係ない。

 橋森監督は水海に言った。

『抑えてこい』、と。

『ヒーローになれ』と、そう言った。

 なら、水海がやることは一つ。

 

 目の前に立ちはだかる並み居る強打者達を、その自慢の豪腕で抑えるだけだ。

 

 スパァンッ! とミットを斬り裂くような直球が大倉のグローブを打つ。

 内角に構えていたボールが真ん中の低めへと流れたものの、ボールは高くなく、丁度バッターの膝の高さに収まっていた。

 

(ボールが浮かなくなった……低めへの投球が上手くなったんだ。一体なにが有ったかは分からないが――水海は、先月までの水海じゃない。一皮剥けて帰ってきやがった……!)

 

 背中にぞくりとした興奮を感じながら、大倉はもう一度ストレートのサインを出す。

 ボールを受ける左手が痺れる程の球威のストレートを捕球し、大倉は思わず笑っていた。

 これほど捕手冥利に尽きることが、あるだろうか。

 今レ・リーグで最も優勝を経験した捕手、猪狩進であろうと経験出来ないであろう、威力抜群の一六〇キロ左腕のストレート。

 それを受けられるのは、レ・リーグの正捕手では自分だけだ。

 今日の水海に、変化球は必要無い。

 大倉はすっと中腰になり、高めにボールを構える。

 水海はそのミットに向かって腕をふるった。

 唸りを上げる豪速球は、振りに言った小山のバットをすり抜け、大倉のミットに収まった。

 

「ストライクバッターアウト!」

『に、二者連続三振! 高めのボールは一五九キロ!』

『つり球に引っかかってしまいましたね。ですが仕方ないでしょう。高めにあんな速いボールを投げられれば思わずバットがでてしまいます』

『これでツーアウト満塁! しかし、ここで迎えるはバッター三番、猪狩進! キャットハンズの中では最もミートに長けた好打者です!』

「バッター三番、猪狩進」

 

 ふぅ、と深く息を吐き出し、帰ってきたボールをミットに抱えて水海が大倉のサインを待つ。

 大倉はバッターボックスに立つ進の様子をじろりと見つめ、サインを出した。

 内角低めへのストレート。

 この豪速球を打つには外角へ投じられた甘いボールを追っ付け流し打つしかないと判断し、内角に投じさせることで流し打ちを許さない為のリードだ。

 特に猪狩進は右方向へ強い打球を放つことの出来る打者。ならばなおさら、内角を攻めるべきだと判断したのだ。

 水海にも異論はない。頷いて、ボールをミットの中で握る。

 そして視線を上げた所で、水海は気づいた。

 バックネットに揺れる、オレンジ色の、二つの髪の毛を。

 

(――空、海ちゃん)

 

 視線が合って、空が微笑む。

 "――ちゃんと見てるから。貴方が、誰よりも輝く所"。

 空のそんな言葉が聞こえたような気がして、水海は微笑み、目をつむる。

 瞼の裏に浮かんでくるのは、空を失った辛い日々などではない。

 それは、まるで夢の中にいるかのような、空の部屋に張られたポスターのように輝く、自分の姿。

 

(――そう、迷わない)

 

 腕を振るう。

 指に掛かったストレートは、大倉の構えるミットに寸分違わずに吸い込まれていった。

 ワンストライクノーボール。

 無論今のは偶々だ。それでも、猪狩進相手にファーストストライクを最高の形で取れたのに代わりはない。

 続いて出されたサインは外角への高速スライダー。

 

(俺は、主人公に、ヒーローに、なるんだ。……そして)

 

 ワンバウンドするほどのボールを、初球が効いているせいで猪狩進は空振った。

 一球外に外し、ツーストライクワンボール。

 水海はサインを受け取って、頷いた。

 

(――そして、パワフルズを優勝させる! 最後の最後まで、諦めない!)

 

 腕を振るう。

 猪狩進のバットは、動かない。

 糸をひくようなストレートが、真ん中低めに決まった。

 

「ストライク! バッターアウト! チェンジ!」

『見逃し三振ッ! パワフルズ、ノーアウト満塁の大ピンチを抑えました! 水海、仁王立ち!』

『素晴らしいボールです……!』

「よっしゃぁ!」

 

 ガッツポーズをすると同時に、セカンドの近城、ファーストの福家が水海の背中をばしっと叩いた。

 

「ナイスボール! 水海!」

「最高のリリーフだったぞ!」

「は、はい!」

 

 チームメイトに祝福されながら、水海はベンチへと走る。

 そこには、思わずベンチから飛び出した橋森が待っていた。

 

「よくやった水海!」

「抑えられて良かったです!」

「ああ、良く抑えてくれた!」

 

 握手をして水海を称える橋森。

 その後ろから、ゆっくりとレフトを守っていた七井がベンチに戻ってきた。

 

「水海、ナイスボールだったナ」

「あ、七井……うん。その」

 

 ごにょごにょ、と水海が言いよどむ。

 謝罪したとは言え、頭部にボールを当ててしまったことは忘れられない。

 なんと話していいのか分からない水海に、ベンチに入った七井は、無表情のままバッティンググローブを嵌め、バットケースからバットを抜きながら、

 

「……お前、まだ勝ち星が付いたことは無かったよナ?」

「あ、うん。セーブとホールドは経験あるけど、勝利はまだ……」

「そうか。それなら待ってろヨ。水海――」

 

 その青色の瞳を覆い隠す漆黒のサングラスを額から降ろして、堂々と主軸として宣言する。

 

「――好リリーフをしてくれた最ッ高のピッチャーに、白星っていう最高のプレゼントを、用意するゼ」

「バッター三番、七井アレフト」

 

 その背中から、恐るべき威圧感を発し、七井はバッターボックスへと向かった。

 マウンドには再び早川あおいが登る。

 高校時代、何度もパワプロ、あおいのバッテリーに辛酸をなめさせてきた七井が打席にたった。

 

「七井……。……っ、頑張れ! 七井!」

 

 水海の声を背中に受けて、七井がバットを構える。

 

(……気合が入ってますね……。……ノーアウト満塁を逸して流れはパワフルズに有ります。ここは慎重に、外角低めからカーブを一球外しましょう)

 

 あおいが頷き、カーブを投じる。

 外に逃げていくボール球に、七井は反応すら示さない。

 

(……反応無し……、それなら、"フロントドア"を使いましょう)

 

 左バッターである七井になら、マリンボールによるフロントドアが使える。

 このボールは分かっていても打てない。思わず仰け反ってしまう。

 特に今の七井は打ち気に逸っている筈だ。どんなボールにでも踏み込んでくるだろう。それならば、このボールは絶対に打てない。

 あおいが進の指示通りに、マリンボールを投じる。

 内角のボールゾーン、体にぶつかりそうな角度から急激に変化し、内角低めギリギリを掠めてストライクになる、あおいの決め球の一つである、フロントドアのマリンボール。

 内角の体にぶつかりそうな程のボールゾーンから、ボールはグン、と落ちていく。

 そのボールを掴もうと、進がミットを伸ばした瞬間。

 

 目に見えない程の速度の何かが、目の前を通過していった。

 

 それが、七井のバットだと進が理解したと同時。

 既に白球は、ライトスタンドの遥か向こうへと消えていた。

 

 爆音のような歓声が球場を包む。

 

 ホームランを確信した七井が片手を突き上げ、ベンチでその七井の姿を見つめる水海を指さすと同時に、スタンドのパワフルズファンが総立ちで応援歌を歌い出した。

 

『じょ、場外へ消えたァー! 早川あおい選手の決め球、内角低めのきわどいマリンボールを一閃ッ! ライナー性の打球は目にも留まらぬ速さで場外へと消えていきました! 七井アレフトの第二七号ホームラン! 好リリーフを見せ、同時に自らに頭部死球を与えてしまったチームメイト、水海に勝ち投手の権利を発生させる、七井の場外ソロホームランで、パワフルズ、ついに早川あおいから先制点を奪いました――!』

 

 ホームベースを踏んだ七井がベンチまで戻って、ハイタッチを交わしていく。

 

「七井……!」

「水海、オレはあんな死球程度で崩れる男じゃナイ。だから気にするなヨ。……パワフルズを優勝させるのに必要な頼れるチームメイトが落ち込んでたら、困るだロ」

「……っ、ありがとう、七井……。……うん、俺達が居れば、パワフルズは、負けない!」

「――良く言った! 水海、七井!」

「わわ、福家さん!?」

「……やっと必要なものが揃った。今俺達は四位だが、まだ追撃は間に合う」

「東條……」

「ああ、東條の言う通りだ。まだ俺達は四位。だが、クローザーも揃い、クリーンアップの七井も完全復活を果たした。追撃の準備は整った。バルカンズにも、カイザースにも、キャットハンズにも負けられない」

「……監督……はい! ……今年やっと初めて一軍に上がって、迷惑を掛けて、やっとまた一軍に上がってきたばかりの俺が言うのは烏滸がましいけど――絶対に優勝しよう!」

「「「「「「おお!!」」」」」

 

 パワフルズベンチが活気づく。

 その様子を見ながら、あおいはマウンドの上でふぅ、と息を吐いた。

 そんなあおいに声掛けをするべく、進がマウンドに駆けつける。

 

「ごめんなさい。早川先輩、不用意すぎましたね」

「ううん。進くんのせいじゃないよ。フロントドアとバックドアを使ってカイザースに勝ってから、ボク、忘れてた。ライバルはパワプロくんやカイザースだけじゃない。パワフルズも、バルカンズも手強いライバルなんだって」

「先輩……」

「まだ負けたワケじゃないよ! 後続をしっかり抑えなきゃねっ」

「……っ、はいっ」

 

 捕手の自分が励まされてどうするんだと思いながら、進がキャッチャーズサークルに戻る。

 だが、波に乗ったパワフルズは、あおいですら止められなかった。

 福家がツーベースを放つと、東條がツーランホームランを放ち、ここであおいはノックアウト。

 リリーフした小沢でも勢いを止められず、大倉にツーベース、明石にタイムリーヒット、杉内にヒット、打席に立った水海にバントを決められてワンアウト二、三塁とすると、近城、尾崎、七井に連続ツーベースを浴びて、この回、パワフルズは打者一巡の猛攻を仕掛けた。

 終わってみれば、この回八得点。

 火の付いた重量打線を前に、キャットハンズは自慢の投手陣が大炎上してしまった。

 大量援護を貰った水海は八回、九回も三人に抑え、終わってみればパワフルズは完封リレー。

 〇対八という大差で、勝利を収めたのだった。

 

 

                  ☆

 

 

「野球場にお越しのパワフルズファンの皆さん! お待たせしました! 本日のヒーロー、七井アレフト選手と、水海選手です!」

 

 大歓声に包まれる球場内で、水海は初めてのお立ち台に登った。

 特別に設置された場所で、人より高い場所に上がってインタビューを受けるというのは、なんともむず痒い。

 

「まずは決勝の先制ホームラン! 七井選手です! 七井さん! あの場面、どんなことを思って打席に立ったんですか!?」

「水海が大ピンチを抑えたのを見て、水海に勝ちを付けてやりたいと思ッタ。オレが怪我してから、水海がファンにヤジられたり調子を崩しているのは知っていたけど、そこから戻ってきた。だったら、それに応えてやりたいと想うのがチームメイトだ。だから、あの場面は狙っていタ」

「打ったのは早川あおい選手の決め球、マリンボールでした!」

「早川とは、高校時代からしのぎを削ったライバルだけど、相性は良い。結構長打を打てているからナ。……でも、この場面は絶対に打ってやると思っていタ。ボールが内角に来る時はマリンボールだろうと予想していタのが当たってよかっタ」

「流石の打撃でした!」

「ありがとウ。だが、今日に関しては褒められるのはオレじゃナイな」

 

 七井が微笑み、隣に立つ水海に目を向ける。

 インタビュアーも頷き、水海の前へと移動した。

 

「――悪夢のようなオールスターから、戻ってきました! パワフルズのクローザー! 水海選手です!」

 

 その名前がコールされた瞬間、観客たちが大歓声を上げる。

 今日の"ヒーロー"が誰なのか、皆分かっているのだ。

 

「あ、え、えっと、迷惑掛けてすみませんでしたっ!」

 

 突然お立ち台で頭を下げる水海に、スタンドから笑いが溢れる。

 

「迷惑だなんてそんなことはありません! ノーアウト満塁から、好リリーフ! 三者連続三振で大ピンチを乗り切って見事な初白星! お見事でした!」

「そんなこと……チームメイトの皆、ファンの皆……そして……支えてくれたいろんな人達の、お陰です。ほ、本当にありがとうございます」

 

 目にいっぱい涙を溜めながらお礼を吐露する水海に、温かい歓声が投げかけられる。

 水海はぐいっと袖で涙を拭うとインタビュアーに向き直った。

 

「あの場面、交代を告げられてどんなお気持ちでしたか?」

「……監督から、ヒーローになってこいと言われて、『絶対にヒーローになってやる』、そう思ってました」

「見事、監督の指示に応えましたね!」

「大倉さんのリードのお陰です」

「そして、その裏の攻撃で七井選手がホームランを打って初白星の権利を手に入れました! その時のお気持ちを教えて下さい!」

「七井が、ホームランを打てて良かった、最初に思ったのは本当にそれだけです。何度も謝ってたけど、やっぱりオールスターでのあの一球は本当に申し訳なかったので。……でもその後に、七井が『気にするな』って励ましてくれたのと、『優勝する為に必要な戦力が落ち込んでたら困る』って言ってくれて……本当に嬉しかったです」

「あの時、そんなことを話していたんですね……、素晴らしい友情で、す……! ぐす」

 

 思わず感涙するインタビュアーに微笑み、水海は観客席に目をやった。

 そこでは、空が目から大粒の涙をこぼして、水海の姿を見つめている。

 

(……きっと今の俺の姿は、空の部屋に張ってあるポスターとは、比べ物にならないくらい泣き虫で、情けないけど)

 

 インタビュアーが涙を拭うと、ごほん、と咳払いをして水海にマイクを向ける。

 

「水海選手が復活して、首位キャットハンズに快勝です! 明日の試合以降に向けて、一言お願い致します!」

「――やっと一軍の戦力になれたばっかりの俺が言っても、説得力がないかもしれないですけど、パワフルズの選手たちは全員、優勝するつもりです! ファンの皆さんの応援を力にこれからも頑張って行きたいと思いますので、応援宜しくお願いします!!」

「ヒーローインタビューの水海選手でした!」

 

 大歓声に包まれながら、七井と手を取って両手を上げる水海。

 その視線は、空をずっと見つめていた。

 

(それでも、やっとヒーローになれたんだ。……ポスターの中だけじゃなくて、本物のヒーローに。……ありがとう、空。大好きだ)

 

 光り輝くスポットライトの中で水海が最高の笑みを浮かべる。

 そんな彼の姿を網膜に焼き付けるように、彼の愛しい女性は、ずっとその姿を、見つめていたのだった。

 

 

                  ☆

 

 

 三連戦の頭で雰囲気が最高潮に達したパワフルズは、その後キャットハンズを三タテして上昇気流に乗ると、一気に爆発し、八月の勝率を八割で終えた。

 八月終了時点で首位へのゲーム差を1,5ゲーム差に縮め、ついに首位、キャットハンズの背中を捉える。

 キャットハンズがこのまま逃げ切るかと思われたレ・リーグの優勝争いは混迷を極め、最早展開を読むのは不可能とさえ思える程だ。

 すべての球団の残り試合数は三〇試合を切った。

 果たして、最後に一番上に立つ球団は何処なのか。

 全ての決着は残り二ヶ月以内に、必ず着く――

 



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第五〇話  playback 八月五日 カイザース "本当の、信頼関係"

      playback 八月五日

 

 

「イップスね」

「……ふむ。やっぱりそうですよね」

 

 オフの日を利用して、俺はかつて恋恋高校の監督を努め、今は大学病院でスポーツ医学に携わる、加藤先生の元へと訪れた。

 理由は勿論、送球に害を及ぼしているものの原因を確かめるためだ。

 キャットハンズに痛恨の三タテを食らった中で、技術的に送球難の理由を見いだせなかった俺は加藤先生に相談することで、自分の中に燻っているある仮説が正しいのかどうか確かめたかったのだ。

 結果的に言えば、俺の予想は正しかった。

 

「イップスによる送球動作の阻害……お手本のような、一般的なイップスの症状ね」

「ですよね……」

「原因は分かっているの? そのイップスの」

「……まあ、分かってます。加藤先生も知ってると思いますよ」

「私も? となると、高校二年生までの出来事ということかしら?」

「はい。俺のイップスは、『打者の内角にミットを構えた際』に起こるものです。……もうピンと来たんじゃないですか?」

「……なるほどね。そう考えると面白い運命ねぇ。その原因の相手と、今はチームメイトだなんて」

「あはは、本当ですね」

 

 加藤先生に苦笑いを浮かべ、"当時のこと"を思い出す。

 ……そう、あれは高校一年の夏のことだった。

 

「蛇島くんのスイングによる肩の挫傷……」

「はい。あの試合、コールド負けした最後の一点を与えた原因は『俺の悪送球』でしたからね。……でも、蛇島のスイングで怪我したことそれ自体はそんなに関係無かったはずなんです。アレから約七年、ずっと症状は現れて無かったし」

「そうねぇ。……どうして突然、イップスにまでなったのか、解ってるのかしら?」

「まぁ、おおよそは、ですかね。キャットハンズに突かれてあらわになっただけかもしれないですけど、この二日間……ずっと考えてて、一つだけ思い当たったことがあります」

「……そう、なら、問題ないわね」

「そうなんですか?」

「イップスは、その原因が分かっていて、それと向きあえているかどうかが大事なポイントになるの。……イップスを克服するには、『そのイップスの原因を練習などによる自信を得たことによって乗り越える』こととか、『原因と向き合って克服する』ことが必要よ。そのどちらでも、貴方なら出来る。だって貴方は、私が見たきた中では最高のキャプテンだもの」

 

 妖艶に微笑んで、加藤先生が脚を組み替えた。

 思わずその艶めかしい仕草に目を奪われる。

 その視線に気づいた加藤先生は、にんまりと微笑んだ。

 

「……女性関係は、まだまだ初心なのね」

「放っといてくださいっ!」

「ごめんごめん。可愛かったから思わずね」

「ま、全く……」

「それで……イップスが発病するに至った原因っていうのは、なんなの?」

「……恐れ、ですかね」

「……恐れ?」

「はい。……正直に言うと、プロの選手ってめちゃくちゃレベルが高くて、怖かったんです」

「貴方が? 怖いもの知らずだと思っていたわ」

 

 驚いた表情を加藤先生が浮かべる。

 失礼な、俺にも一般的な感覚は有るぞ。……まあ、鈍感なのは認めるけど。

 

「……特にゆたか……後輩のボールを受ける時は、打たれる責任は全部俺にあるって豪語した手前絶対に打たれたくなかった。久遠を不用意な一球で被弾させてしまったりもしましたし、俺の選択したボールで相手の将来に関わるかもしれないって思ったら、怖かったんです。……それが原因で、『もう一度試合に負けるのを決定づけるような悪送球をしてしまったら』って無意識に思って、体が強張って、イップスになってしまったんです」

「……なるほど。イップスは『トラウマ』によって引き起こされることが多いというけれど、大きな括りで言えば『精神的な原因でスポーツのプレーに支障を来すこと』。私は、貴方の怪我は『内角に構えた際のバッターのスイングを恐れていることが原因』だと思っていたけど……そうじゃないのね」

「まあ、怪我は在り来りですし、痛かったけど、それならアメリカのブロック練習中にラグビー選手に突っ込まれてふっとばされた方が痛かったです」

「……凄い練習してるわね……」

「それに、それなら内角に構えられなくなりますしね」

「……確かにそうね。つまり、貴方のイップスの原因は――」

「責任感が強すぎること、ですかね」

 

 俺の言葉に、加藤先生が苦笑する。

 

「……責任感が強いのは良いことだけど、一人で背負い込むのは違う」

「貴方のキャプテン・シーは誰もが評価する所だけれど。そうね、そういう危険性と隣合わせなのかもしれないわ」

「はい。……俺は、一人で勝手にチームの皆の将来を背負って抱え込んで、勝手に怖がって失敗を恐れて、イップスになってたんです。そんなこと、誰も望んでないのに」

 

 そのことに、今回気がついた。

 俺は投手を信頼する、信用するのが俺の野球観だなんて言っておいて、根本では何も分かっていなかった。

 負ける責任は俺に有る――そうやって投手を励ますのは良い。

 でも、根っこの部分ではそうじゃいけないんだ。

 信頼する、信用する。そういう信頼関係は、『お互いが失敗を半分ずつ分け合うこと』で成り立つ。

 一方的に抱え込まれても、抱くのは相手への申し訳無さ。

 一方的に抱え込まされても、抱くのは相手への不信感。

 だったら、半分でいい。

 半分なら『一緒に失敗してしまった。なら、次は一緒に成功させるぞ』という、支え合いになる。

 

「俺は、一人でバッターを打ち取ってるんじゃない。投手と二人で打ち取ってるんだ。……いや、もっと言えば野手を含めた九人で野球をやってるんだ」

「……ふふ。そうね……、恋恋高校野球部は、そうだったわよね」

「はい。それを思い出したから――俺はもう、大丈夫です」

 

 加藤先生の言葉に俺は頷き、そしてもう一度手を伸ばす。

 成長するためにアメリカに渡った時に忘れてきてしまったものに。

 それは、ライバルとの戦いへの、熱い気持ち。

 それは、野球をチーム全員でするのだという想い。

 それは、後の無い戦いに臨む覚悟。

 体は鍛え上げた。

 技は磨き上げた。

 それなら、鍛えることも磨くことも出来ない心は――過去から拾おう。

 

「……加藤先生。そろそろ行きますね」

「……ええ。優勝、応援しているわ」

「あおいや東條や矢部くんにも言ってますよね?」

「勿論」

「はは、じゃあ、失礼します」

 

 笑って、俺は病室を後にする。

 もう、迷わない。

 俺は――最高の捕手になる。

 

 

             ☆

 

 

「……せ、せんぱいっ!」

「ん? ゆたか」

「あう、その、あのぅ……」

「三日ぶりにお前に呼ばれたなぁ。『せんぱい』ってさ」

「ぅぐ」

 

 寮に戻ってきた俺に、ゆたかがおずおずと話しかけてきた。

 どうやら俺の帰りを待っていたらしいゆたかは、俺の言葉を聞いてしょんぼりと俯く。

 同時にアホ毛もしんなりと元気を失い、しおれてしまっている。

 ふーむ、面白い。あのアホ毛はゆたかの感情と連動しているのか。

 いやまぁ、実際は俯いたからそう見えるだけなんだろうけど。

 ってそんなアホなこと言ってる場合じゃないか、落ち込んだなら励まさないとな。

 

「気にしてないよ」

「え……?」

「俺は、お前が何と言おうと気にしてない。怒るのも当然だと思うし、理不尽な交代だって誰しも思ったと思うよ」

 

 ぽんぽん、とゆたかの頭を軽く叩く。

 ゆたかは、叩かれた頭を両手で抑えながら、俺をじっと上目遣いで見つめた。

 俺は微笑んだ後、そんなゆたかの目を見つめながら、自分の気持ちを素直に伝える。

 

「でも、これだけは言わせて貰うぞ。お前の後を継いだ中継ぎ投手が炎上したけど、俺は交代を進言したことは正しかったと思うし、間違ってないって胸を張って言える。チームとお前の為に最善を尽くしたって、チームメイト全員の前で言える」

「……はい……」

「……でも、あの試合、俺のせいでお前があんなに早く降板することになっちまったのは、本当に悪いと思ってる。だから、それは謝るよ。ごめんな、ゆたか」

「謝らないでくださいっ」

「っ、ゆたか?」

「……オレ、自分のことばっかだった。……交代させられたことに腹を立てて、せんぱいなんか嫌いだって。盗塁を許してるのはせんぱいの所為なのにって、ほんとうに想いました」

「ぐっ、その告白は傷つく……!」

「ちがっ、あのっ、そのっ」

「あ、悪い悪い。良いよ、ゆたかの言ってることは本当なんだ。だから、大丈夫だから続けてくれ」

「あ、はい……。……でも、違うんですよね。オレがグラウンドに立ててるのも、ローテに入るくらい活躍できてるのも――せんぱいと出会えて、ここまで引っ張ってもらえたからなんです。オレ、せんぱいに頼りっぱなしで、せんぱいならなんでもしてくれるって思ってたけど……それじゃ、駄目なんですよね」

「……ゆたか」

「オレも、せんぱいを助けないといけなかったんだ。……せんぱいだって、苦しんで、一生懸命で、勝つために必死なんだから。……でも、オレ、そんな当たり前のことに、気が付かなかった」

 

 ゆたかが潤んだ瞳で俺を見つめる。

 

「ごめんなさい、せんぱい。でも、オレ、頑張るから。……頑張って、せんぱいを助けるから……だから、せんぱいに酷いことしたり、言ったりしたこと、許してくださ……」

「……分かった」

「え……?」

「次は頼むよ、ゆたか。俺がおどおどしたりおかしくなったら、お前に頼る。だから、もう謝らないでくれ。……具体的にはそうだな、盗塁が刺せなくなったらゆたかに牽制して貰うかな。十球とか、ブーイングが起こる位しっつこく」

「つ、疲れちゃいますよ!」

「はは、冗談だって。でも、頼るのは冗談じゃない。……これからも頼むよ、ゆたか。他球団のライバル達に勝つためには俺一人じゃ、どうしたって力が足りない。……だから、力を併せて一緒に勝とう」

 

 笑って、手を伸ばす。

 ゆたかは、感激したのか俺の手と顔を交互に見て、くしゃっと顔を歪ませた。

 ――その選手は、高い段差の下にいた。

 段差を飛び越える力は有るのに、投げられない恐怖、打たれてしまう恐怖に怯えて、段差の上に登れなかった。

 だから、そいつに向かって俺は手を伸ばし、その手をしっかりと掴んで、段差の上に引っ張りあげた。

 そこから俺は手を引いて、ここまで歩いてきた。

 でも、ここからは違う。

 手は引かない。

 繋いだまま、"並んで"歩き出そう。

 勝利という明るい場所へと、共に。

 

「取ろうぜ。ベストバッテリー賞。そんでもって、優勝しよう」

「……はい……はいっ」

 

 ゆたかはぐいっと自分の目元を拭い、俺の手を取らず、俺の胸へと飛び込んでくる。

 俺はそれを受け止めた。

 

「せんぱい、大好き……大好き……っ」

「ゆ、ゆたか、流石に入り口で抱きつかれると猪狩とかに見つかりそうで非常に気まずい……!」

「ほほう、僕が何だって?」

 

 猪狩の名前を出した瞬間、物陰からすっと猪狩が現れる。

「どぅわ!? い、猪狩! 居たのかよ! 一体どこから……!?」

 

 なんだよこいつ! ニンジャか何かか!? 全く気配を感じなかったぞおい!

 

「『三日ぶりにお前に呼ばれたなぁ、せんぱいってさ』からだ」

「最初じゃねぇか!」

「それよりも聞き捨てならない事を聞いたな。ベストバッテリー賞を取ろうだって? 僕はどうなっているんだい? このカイザースの勝ち頭であり、エースである僕を差し置いて、その子と最優秀バッテリー賞を取るっていうのかい?」

「……なんか猪狩、最近嫉妬深くね? 俺、貞操の危機を感じるんだが」

「君は失礼だな! 僕はノーマルだ! いいかいパワプロ、君は僕が認めた唯一の捕手だ。だったらその期待に答えるのが筋だと思わないのか?」

「いや思うけど……」

「だったら稲村ではなく僕とベストバッテリー賞を取ろうというのが筋じゃないか。なのに稲村と約束するとは何事だ。まあいい。僕は君を練習に誘いに来たんだ。送球が不安定だったからね。だから、いつまでもイチャついてないで練習に行くよ、パワプロ」

「むむ、せんぱいを取ろうとしたって駄目ですよ、猪狩さん! せんぱいはオレのせんぱいです!」

「ふん、小娘が生意気だね。僕とパワプロの絆を知らないのかい? 僕とパワプロはね、中学に入って初めて会った時から互いに切磋琢磨しあってきたライバルだったんだ。君の入る余地はこれっぽっちもないよ」

「いやお前、俺が入ってきて初めてお前のボールを受けようとして捕球出来なかった俺に向かって『僕のボールを取れないのなら邪魔はしないでくれ。僕は天才なんだ。君のような凡人に付き合って時間を無駄にしたくない』って痛烈な一言を浴びせかけて投球練習から追い出したじゃねぇか。それを拾ってくれたのは一ノ瀬だぞ」

「甘いねパワプロ、僕はその時からお前が僕のライバルであり、パートナーに相応しい奴だと思って発破をかけていたんだよ」

「うそつけ。初めて俺がお前のストレートを捕球した時、その後『じゃあスライダーを投げるよ』っつって思いっきり変化させて俺の腹にボールをぶつけたじゃねぇか。痛がって悶える俺を見て『ストレートを取れたくらいで調子に乗らないくれるかい? 君程度の捕手なら掃いて捨てるほどいるんだ』っつってたじゃん」

「……よく覚えているね。一字一句間違っていないじゃないか」

 

 猪狩が驚いた表情を浮かべる。

 ……確かめられるってことはお前も覚えてるのか。あながち最初から認めてくれてたのはウソじゃないのかもしれないな。

 俺は俺に抱きついたまま、俺と猪狩の話を聞き続けるゆたかの温もりを感じながら、猪狩をじとっと睨みつける。

 

「まぁ、当たり前だろそんなこと。お前が凄い奴だってのは一目見た時から分かってた。お前のボールを取る為に必死こいて練習したんだぞこっちは」

「道理でぐんぐん成長していた訳だね。にしても、そんなに僕のボールを取るのに必死だったのか?」

「そうだよ。……お前に俺を認めさせてやるって思って、監督に頼み込んで遅くまでピッチングマシンで捕球練習させて貰ってたんだよ」

「なるほどね、監督が君を評価していたのも分かるよ」

「せ、せんぱい、猪狩さんの球、最初は捕れなかったんですか?」

「ああ、こいつ中一で、しかも左腕で一二〇キロ投げてたんだぜ? 中学入ったばかりの俺が捕れるかっつーの」

「ひゃ、ひゃくにじゅっ……!?」

「中三の先輩がやっと捕球出来るくらいだったかな」

「一年の捕手が俺しか居なかったのもあって、猪狩と優先的に組ませて貰うことになったんだけど、初球の真ん中のストレートをミットで弾いて後ろに逸らしてさ。その時のこいつの表情ったら、マジで汚物を見るようだったぜ」

 

 あの時の顔は忘れられない。本気で邪魔者扱いしてたよな、こいつ。

 

「だから、キャッチングだけは一番に磨いた。二度とこいつにそんな顔させてたまるかと思ってな」

「僕のボールをパワプロが完全に捕球出来るようになったのは、中二の夏だった。どんな嫌味を言っても真正面からぶつかってくるのは、こいつが初めてだったんだ。そんな奴が僕のボールを捕球した時は、最高のパートナーを手に入れた、そんな気分だった」

「ほら、やっぱり認めたのはそこじゃねぇか」

「期待していたのは本当さ。僕は自分が認めてない奴は無視して終わりだよ。嫌味を言われるだけありがたいと思って欲しいね」

「……まあ、確かにお前が会話するのは、一ノ瀬と俺と進くらいだったな……」

 

 あれ? そうするとこいつ、もしかして友達が少ないのか?

 

「もしかして猪狩の友達って……」

「ん? 今現在交流があるのは、カイザースの面子を除けば進くらいだな」

「……あかつき大付属のメンバーは?」

「君と違って僕が他球団の選手と仲良くするような真似をすると思うかい? そんな時間があるなら、僕はトレーニングするよ」

「……」

 

 やっぱりこいつ、友達が居ないんじゃ……。

 

「……猪狩、お前ってさ……」

「ほら、ごちゃごちゃ言ってないで練習をするよ。明日は僕が登板するんだ。その時にまで悪送球を連発されちゃ堪らない」

「いや、俺は今日はオフだから昼飯食った後に古葉さんの道場に行こうとだな……」

「良いから行くよ」

 

 俺の話も聞かず、猪狩が俺の腕をがっしりと掴んで引っ張っていこうとする。

 

「むーっ、だめですっ、いくら猪狩さんとは言え、今日ばっかりはせんぱいは渡せません!」

 

 そんな猪狩を阻止するように、ゆたかがぎゅっと俺の身体をしっかりと抱きしめた。

 むにょん♪ と何やら柔らかい感触が胸の下当たりに潰れる。

 ――っ、こ、これはいけない! ゆたかの凶悪な部分が押し付けられている……!?

 

「ふん。後輩が正捕手を独り占めしようとはいい度胸だね。でも残念だ、パワプロは僕と練習するのを選ぶよ。彼も自分がやらなきゃいけないことは分かっているだろうからね」

「そ、そんなことないですよ! せんぱいはオレとこないだの試合の反省をするんです! その後は一緒に練習して一緒に晩御飯を食べて一緒に寝るんです!」

「最後にさらっと過激な一言を添えるんじゃねぇよ! 一緒には寝ない!」

「……寝ないん、ですか?」

「っ……!?」

 

 ゆたかの動きに俺はビシリと動きを完全に停止させる。

 見れば、ゆたかは顔を赤らめて上目遣いで俺を見つめたまま、むぎゅぅと俺に身体を密着させている。

 そんなゆたかの服の胸元からは、男の視線を釘付けにしてやまない深い谷間と、それを包む純白の何かがちらりと見えていた。

 

「……どうしますか?」

 

 むぎゅむぎゅ、とゆたかが抱きしめる力を強めたり弱めたりして、女の武器を俺に押し付けたり離したりする。

 なんという強烈な誘惑か。こんなものに逆らえる男は存在するのだろうか。

 ……いや、俺は鋼鉄の意志を持つ男! 決して、決してこの誘惑には負けないぞ!

 

「……ね、寝ない」

 

 あ、声が裏返った。

 

「……ちっ」

「今舌打ちしたよな!?」

「気のせいです。さあせんぱい、一緒に寝ましょう!」

「そっちがメインになってんじゃねぇか!」

「今日は大丈夫ですから! 登板日も四日後ですし、多少激しくしても良いですよ! あ、でも、初めてだから優しくしてくださいね……?」

「何の話だよ!?」

「ほら、パワプロ、練習場に行くよ」

「お前も人の話を聞けぇ!」

 

 どうして俺の周りには話を聞かないやつしか居ないんだよ!?

 

「せんぱーい!」

「パワプロー!」

「か、勘弁してくれー!」

 

 俺の叫びが寮内に響き渡る。

 結局、俺は猪狩に送球が乱れた理由を説明し大丈夫だと納得させてから猪狩に解放され、そのあとゆたかと一緒に食事を摂り、反省会をした。

 一緒には寝てない。

 ……ちょっと惜しいような気がするのは、きっと俺が男という誘惑に弱い生き物だからなのだろうと、俺は自分を納得させるのだった。

 



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第五一話 九月一日 カイザース "vsバルカンズ 矢部との決着"

 九月一日

 

 

 パワプロが調子を取り戻したことが流れを変えたのか、カイザースは再び再点火し、勝ち星を稼ぎ始めた。

 八月が終了し、順位はキャットハンズ、パワフルズ、バルカンズ、カイザース、バスターズ、やんきーズのままだが、キャットハンズとパワフルズの差が1,5。パワフルズとバルカンズとの差が2ゲーム、そして、四位カイザースと三位バルカンズとの差は0,5ゲーム。

 四球団が四ゲーム差の中にひしめくという大混戦の様相を呈している。

 そして、残り試合は三〇試合。いよいよペナントレースも終盤。

 カイザースは九月最初の試合を本拠地猪狩ドームで迎える。

 対戦相手はバルカンズ。かつてのパワプロの盟友である矢部と、ライバル林、六道聖が在籍するカイザースが苦手とする球団である。

 俊足選手が揃っていることを利用した波状攻撃に、カイザースは辛酸を嘗めさせれてきた。

 だが、カイザースにとっては今回も同じようにやられる訳には行かない。

 今日勝てばカイザースは三位に浮上する。残り試合数が少なくなった今、四位に燻っている余裕はない。

 目先の試合を必勝し、順位を上げて首位に近づいていく――、残された優勝への道は、それしかないのだから。

 

 

                   ☆

 

 

 矢部は誰よりも早く球場入りした。

 

(今日はパワプロくんとの試合。……今日は絶対に勝たなきゃいけないのでやんす)

 

 ユニフォームに着替えてストレッチをしながら思う。

 矢部は今日、新垣に向けて試合のチケットを送ったのだ。

 引退すると決めて練習に姿を見せなくなった新垣は、矢部に一切の姿を見せなくなった。

 オールスターが開けてから声を聞くどころか姿さえ見ていない。

 そんな彼女に向けて、わざわざカイザース戦のチケットを送ったのは、訳が有った。

 ――パワプロは、矢部にとって最高の親友であり、最大の壁だ。

 自分を野球に引き戻し、道を拓いてくれた大親友であり、立ちはだかった最高のライバル。

 対戦成績こそバルカンズが有利だし、矢部だってパワプロ相手に何度も盗塁を決めている。

 しかし、まだ乗り越えられたとは言えない。

 盗塁した後は本塁に帰らせてくれない。気付けば、ヒットを打った後は進塁させてくれない。勝利を手にしたと思っても、気付けば立ち上がり、徐々に成長して、気付けば此方を超えている、そんな感覚を抱かせるのが、あのパワプロという男だ。

 そして、恐らくこのペナントレースの大詰めでこそ、パワプロは真の力を発揮する。

 そのパワプロを越えてこそ、壁を乗り越えた、そう言えるのだ。

 

(その姿を、オイラは……見せるのでやんす)

 

 あの子が抱いた理想を体現する自分が壁を乗り越えて優勝する姿を見せてこそ、彼女に言えることが有る。

 その一言を伝える為に、今日は絶対に勝つと矢部が拳を握りしめた所で、目の前に最大のライバルが現れた。

 

「矢部くん、早いな」

「……パワプロくん」

「? どうした? 怖い顔で」

「……オイラ、今日は負けられないのでやんす」

「……、そうか」

 

 矢部の言葉を受けて僅かに逡巡したパワプロは、柔和だった表情を引き締めた。

 

「俺も、絶対に負けられない。……勝負だ、矢部くん」

「……やっぱり、パワプロくんは最高の親友でやんすよ」

 

 理由も聞かずに闘争心を露わにしてくれた、ライバルであり同時に親友でもある彼に微笑んで、矢部は後ろを振り向く。

 

「――新垣に最高の試合を見せてやろうぜ」

「! ……そうでやんすね」

 

 背後から掛けられた言葉にそれだけ答えて、矢部はダグアウトへと歩き出す。

 この観察眼に、高校時代の矢部達は幾度も救われてきた。

 それが、敵となる。

 今まで『頼りになる』と思ってきたその観察眼を、今度は向けられる立場になって、矢部は恐ろしさを感じつつも、野球選手としての当然の欲求を覚えた。

 

(――その眼を、越えてやるでやんす)

 

 ライバルに勝つ。

 そんな男として当然の、欲求を。

 

 

                ☆

 

 

 午後六時が近くなり、試合がいよいよ始まる。

 俺は先発の山口の投球練習のボールをキャッチングし、投げ返した後、バックスクリーンに目をやった。

 バルカンズのスタメンは殆ど不動のメンバーだ。

 一番、矢部、ショート。

 二番、林、セカンド。

 三番、六道、キャッチャー。

 四番、猛田、ライト。

 五番、八嶋、センター。

 六番、後藤、ファースト。

 七番、桐谷、サード。

 八番、田中、レフト。

 九番、大西、ピッチャー。

 開幕メンバーに入っていた六番の南戸は不調の為二軍落ち中で、代わりに上がってきた後藤がそのまま六番に入る形になっている。

 後藤は大卒七年目の二九歳。左投げ左打ちという、起用がファースト、外野に限定されてしまう選手で、今までは代打としての出場が多かった。

 しかし、今年に入ってファーストの守備が上手くなり、持ち前の打撃力を発揮して南戸のレギュラーを完全に奪った形になっている。

 こういう風に好不調で選手が入れ替わることは多々ある筈なんだけど、レ・リーグは近年稀に見る大混戦。

 皆、空気を変えるのを嫌がっているのか、どの球団もレギュラーを大きく変えずにここまで戦い抜いている。

 また、怪我人も殆ど出ていないのも大きいだろう。……何よりも、殆どの主要メンバーは猪狩世代。

 近年稀に見る黄金世代と言われたメンツの殆どが、二軍や控えの選手たちに脅かされることがない程に実力を伴っているせいで、メンバーの入れ替えが殆ど『出来ない』のだ。

 それは俺達カイザースも変わらない。

 一番、相川、センター。

 二番、蛇島、セカンド。

 三番、友沢、ショート。

 四番、ドリトン、ファースト。

 五番、春、サード。

 六番 近平、ライト。

 七番、飯原、レフト。

 八番、葉波、キャッチャー。

 九番、山口、ピッチャー。

 変わったのは六番でレフトを守っていた近平がライトに回り、レフトに打力が優秀な飯原さんが入ったことくらいだ。

 捕手から今季外野にコンバートされた近平が守備に慣れてきたということで、肩の強さを活かしてライトへ。守備的な負担が少ないレフトには、守備は劣るものの打撃能力が高い飯原さんがレギュラーに座った。

 谷村さんはどちらかというとスーパーサブ的な扱いの選手だったが、ここまでレギュラーを守ってきた。

 しかし、レギュラーでの出場で疲れが溜まったのか、此処最近はバットが湿りがちだった。

 それでこんなスタメンになったのだろう。

 間もなく、午後六時。

 バッターボックスに矢部くんが歩いてくる。

 始球式のボールを矢部くんがわざと空振りして、マウンド上のアイドルにお辞儀をした。

 矢部くんは、俺の方を向かない。

 殺気みなぎる、という表現が正しいのか、矢部くんは今日の試合にいつも以上に気合を入れている。

 矢部くんが、そんな風に気合を入れる理由は決まってる。……新垣が、来るんだ。

 引退が決まった、矢部くんのパートナー。

 きっと、このプロという舞台でも共に戦おうと誓っていたはずの、恋人なんて甘い関係じゃない、大切な人。

 その気持ちは――誰かを想い、試合にぶつける気持ちは、俺にも解る。

 だからこそ負けられない。相手が全力で来るのなら、真正面からぶつかり合えばいい。

 相手が親友なら、尚更のことだ。

 

「バッター一番、矢部」

「プレイボール!」

 

 後ろの審判から声が上がる。

 俺は、マスク越しに山口を見た。

 ブルペンでの調子は悪くない。問題はそれをマウンドの上でも出せるか、ということだけだ。

 それを見極める為にも、まずは山口の調子のバロメーターであるフォークを使ってみよう。

 初球はフォーク。内角から落としてくれ。

 俺のサインに頷いて、山口が右腕を振るう。

 放たれたボールに、矢部くんが反応して初球から振っていく。

 その手前で、ボールは重力に逆らえずにストン、と落ちる。

 バウンドしたボールをミットでしっかりと捕球し、素早く山口に投げ返した。

 

「ストラーイク!」

『初球決まってストライク!』

『いきなりフォークから来ました。矢部選手を相当警戒していますね』

 

 よし、良い落ちをした。これなら決め球と分かっていても打てないだろう。いい時の山口だ。

 二球目は外角低めへのストレート。

 矢部くんはそれを右方向への力の無いファールにした。

 ツーストライクと追い込んだ。ここで一球高めへ外す。

 高めへのストレートの後にフォークを落とすのはセオリー通りの配球だ。矢部くんは嫌でもフォークを意識してしまっているはず。

 ここでその意識をズラすように別の変化球を投げさせるのも手だけど、ここは王道のリードで行く。

 今日の山口のフォークは分かっていても手が出てしまう程のキレが有る。当てることも出来ないだろう。

 俺のサインに山口が頷く。

 ツーワンから、山口が投じたフォーク。

 それを、矢部くんは振っていった。

 狙った場所よりも低めだが、十分バッターが手を出してしまうコース。

 三振を取った――俺がそう確信すると同時、矢部くんのバットがワンバウンドする程の強烈な落ちをしたボールを捉えた。

 ボール自体に力は無い。ボテボテのゴロを蛇島は前進して捕球し、ファーストへと投げてワンアウトを奪う。

 

「アウト!」

『フォークを打つもセカンドゴロ!』

『よく当たりましたねぇ。当てられるだけ凄いですよ』

 

 矢部くんが表情を変えずベンチに戻っていく。

 ……当てられた。今日の山口のフォークなら、確実に空振りを奪えた筈なのに。

 これは、この後の矢部くんの打席には最新の注意を払わないといけないな。

 調子も然ることながら、今日の矢部くんの集中力には恐ろしいものを感じる。

 思えば、昔から『ここ一番』という試合、場所では矢部くんは確実に結果を残していた。

 試合前に気合が入ってたのもあるし、今日はまさにその怖い矢部くんだろう。

 

「バッター二番、林」

 

 林が打席に入ってくる。

 林は典型的な俊足巧打。ラインドライブ系の打球を多く放つ。

 この手の打者に有り来たりな非力さを持つが、懐が深く内角を単純に攻めただけじゃ打ち取れない。

 ゴロを打てばヒットの確率が上がる打者。それも考えると、ゴロは打たせたくない所だが――ここはあえて、内角へのカーブでゴロを打たせてみよう。

 左打者である林の内側を攻めてそれを引っ張り打ってくれば、必然的に打球はファースト方向だ。

 内角に来た緩いボールであるカーブを流し打つには相当な技術が必要になる。林には悪いが、林は内角のボールを流し打ち、尚且つ間を抜くような強い打球を放つミートもパワーも無い。内角のボールをヒットにするには引っ張るしか無いだろう。

 引っ張り打ったゴロなら林の俊足を持ってしてもアウトに出来る確率は高いし、それを見極められても次のボールへの布石にもなる。

 山口のカーブはフォークと比べれば精度、球威共に劣るものの、十分プロの一線でも使えるボールだ。信頼して投げさせよう。

 思惑通り、山口が投じたボールを、林は引っ張っていく。

 ファーストドリトンがそれをキャッチし、そのままファーストベースを踏んでツーアウト。

 続く三番は六道。

 目が良い打者だが、ランナーが居ないのならば単打は怖くない。低め低めを丁寧に攻めていけば問題なく打ち取れる。

 ストレートを中心に、カーブを交えて追い込んだ後は、フォークで空振り三振に打ち取る。

 一回の表は順調に終わらせる事ができた。よし、この調子で次の回以降も抑えていくぞ。

 

「ナイスピッチ、山口」

「今日のボールは良さそうだが、パワプロの目から見てどうだ?」

「ん、俺も同意見。ただ、もうシーズンも終盤だし累積疲労も有る。調子に乗りすぎると痛い目を見るから、気をつけていかないとな」

「……うむ。では、そこら辺の手綱は任せる」

「ああ、任せろ」

 

 山口とグローブを合わせてベンチに戻る。

 さて、切り替えてこっちの攻撃だ。

 相手のピッチャーは大西。

 データ的に見ればカイザースは得意としている相手だけど、油断は禁物だ。

 

「バッター一番、相川」

 

 ウグイス嬢に名前を呼ばれ、相川さんが打席に立つ。

 大西の初球は、ストレートだった。

 パァンッ、と小気味いい音がベンチまで響く。

 審判が手を上げて「ストライク!」とコールした。

 バックスクリーンの球速表示を見れば、球速は一四九キロ。

 恐らく、自分がカイザースを苦手としているのを知っていて、飛ばして投げているのだろう。

 二球目は高めに浮いたシュート。

 しかし、コースは厳しく、球威抜群のシュートに相川さんは詰まらせてしまい内野フライとなる。

 林が手を上げてそれを捕球し、ワンアウト。

 続く蛇島、友沢も変化球を打たされ、三者凡退のチェンジになる。

 ふむ、変化球主体のリードだったな。

 六道のリードはデータ主体ではなく、投手の気持ちや調子を優先する傾向にある。

 ということは、今日の大西はブルペンから変化球の調子が良かったのだろう。

 まあいい。どうやって攻略するかは置いておいて、今は目の前の打者を打ち取るのに集中しないとな。

 キャッチャーズサークルに移動する。

 続くバッターは猛田から。

 今シーズン、猛田は三割を打っていてチャンスに強く、得点圏打率は脅威の四割。名実共にバルカンズの得点力の中核を担っている。

 春と似たような選手だが、春には申し訳ないけど打棒ならば春よりも数段格上だろう。

 流し打ちも上手く、外角に甘い球を投げてしまえばまずヒットになる。

 そういう打者を打ち取る時はインコースを上手く使うことが重要になる。

 幸い猛田の長打力はそこそこ程度。ホームランも一〇本にやっと到達したばかりだ。

 ツーベースはそこそこの数を放っているが、山口の球威ならばスタンドインはまず無い。

 データ的に見れば決して内角に弱い訳ではないけど、ここは内角を使おう。

 ただし、一応一発は警戒して低めにフォークを投げさせる。

 猛田は積極的に来る打者だ。交通事故があったら怖い。

 俺のサインに山口が頷き、フォークを投じる。

 猛田のバットが空を切った。

 

「ストライクワン!」

『初球からフォーク!』

『今日のフォークはキレてますね』

 

 これでフォークを印象付けることは出来ただろう。

 元々猛田は考えて打ってくるバッターではないが、否応でもこのフォークは意識してしまうはずだ。

 次はスライダーを内角低めに投げて貰おう。

 フォークの後、ストレートを意識してしまう所を曲げて打ち取る。

 見極められても内角に二球で目付けは済む、外角にストレートを投げさせればまず踏み込めない。それならバットに当たってもゴロになるだろうし、仮に安打を打たれても単打で済むはずだ。

 山口がボールを投じる。

 多少中に入ったスライダーを猛田はフルスイングするが、ボールはぼてぼてのサードゴロになった。

 春が丁寧に処理し、ファーストにボールを投げてこれでワンアウト。

 

「良いぞ山口!」

 

 審判からボールを受け取り、山口へとボールを返す。

 続く八嶋は五番だが俊足だ。

 バルカンズの足での攻めを象徴するかのような打者と言っても良い。八嶋が塁に出れば、八嶋も盗塁してチャンスを作ることが出来るからな。"どこからでも攻撃の起点を作ることができる"という印象を濃くしている打者と言ってもいいだろう。

 更に、五番に入っている事からも分かるように、打力もバルカンズ屈指と言っても良い程に高く、バッテリーにとってはかなりやりづらい打者だ。

 あのあかつき大附属の一番を三年間守りぬいた奴だからな。センスも技術も超一級品。

 そんな打者を打ち取る方法は小細工じゃなく、投手が出来る最良のピッチングをすることのみ。

 俺の役割は少しでもその最良が輝くよう、導くことだ。

 八嶋も山口のフォークが良い事は重々承知のはず。追い込まれればストライクゾーンを広げて、多少際どいボールでも振っていかなければならない。そうなれば、山口のフォークは最大限に活かされる。

 つまり、俺は打者をいかにして追い込むかを考えればいい。

 逆に言えば、八嶋は追い込まれる前に打とうとしてくる。

 バルカンズベンチは恐らく八嶋へ『積極的に打て』という指示をしているだろう。ワンアウトランナー無しのこの状況……普通の五番なら長打をベンチは望むだろうが、バッターが八嶋なら単打でも盗塁で進塁出来る公算が高い。

 それを考えると、八嶋の狙いは少なくとも出塁出来るよう、外角の甘い球を狙っているはず。

 なら、まずはインコース低めへストレート。初球だけはしっかりと力を入れて投げて貰おう。

 俺のサインに頷き、山口が腕を振るう。

 唸りを上げる豪速球はインコースへと投じられる。

 多少ボールが高くなったものの、スイングした八嶋のバットをすり抜けて、山口の全力のストレートが俺のミットに収まった。

 ズドンッ! という音と共に表示された球速は一五一キロ。山口の自己最速だ。

 八嶋が一度バットを降ろし、足場を均す。

 一度頭をリセットするための動作だろう。インコースは頭に無かったんだ。ここでインコースが強く意識づけられたはず。

 これでワンストライクノーボール。追い込めば勝ちと言っていい。

 そこで要求するボールはフォークだ。見極められても並行カウント。今日の山口のフォークなら、ストレートの後に投げさせれば確実に空振る。

 俺は八嶋が意識しているであろう内角に構える。

 山口がボールを投じた。

 コースはストレートならば甘いコース。

 八嶋はそのボールを振っていくが、ボールは空気抵抗によって深く沈み、バットをくぐり抜けてワンバウンドする。

 そのボールをしっかりと捕球し、審判にボールの交換をして貰って、山口へとボールを投げ渡す。

 追い込んだ後は、一球内角高めに釣り球を投げて貰って上体を起こし、ツーストライクワンボールからフォークで空振り三振に八嶋を打ち取る。

 よし、計算通り。完璧だ。

 六番バッターの後藤を打ちとって、バルカンズの二回の攻撃は終わる。

 続くカイザースの攻撃はドリトン、春、近平と続く。

 ドリトンは大西の多彩な変化球で三振。春は内野フライに打ち取られ、ツーアウト。

 続くバッターは近平だ。

 クリーンアップからは外れたものの、近平はここまで三割をキープし、ホームランも二十本打っている。

 捕手という守備の負担が大きいポジションから外野へコンバートしたことで打撃に集中出来るようになったことが功を奏していると言っていいだろう。

 流石神下監督だ。適正をしっかりと見極め、近平を諭して外野にしたんだ。この采配は凄いぜ。

 新人捕手である俺をレギュラーにして、昨年まで正捕手だった近平を外野にスパっと転向させるなんて真似、普通の監督に出来ることじゃない。

 首脳陣にバッティングを期待され、それに見事に答えている近平も流石だ。打撃の才能はチーム内でもピカイチだな。

 ツーアウトランナー無し。近平はバッターボックスで悠然と大西の投球を待つ。

 ネクストに座る飯原さんが、そんな近平の後ろ姿を頼もしげに見つめていた。

 大西がボールを投じる。

 投げられたボールはスライダー。

 そのボールを、近平は見事に流し打った。

 カァンッ! と快音を奏でながら、ボールはライト線を破る。

 

「おっしゃぁ! 俺をホームに返してくださいよ! 飯原さん!」

「ナイスバッティング!」

「飯原、続けー!」

 

 セカンドベースに滑り込んだ近平が大きく拳を握り、突き上げる。

 それを見ながら飯原さんがバッターボックスに向かった。

 ツーアウト二塁。バッターは七番飯原さん。

 六道が投手に寄って行き、口元をグローブで隠しながら何やら話している。

 大西はそれに対して何度か頷いた。

 

「バッター七番、飯原」

 

 飯原さんはボールをしっかり見ていく打者で、大西とは相性が良い。対大西の通算成績を見ても三割以上を記録している。

 その打者と俺を天秤に掛け、バルカンズバッテリーの出した結論は、

 

『おっと! 捕手の六道、立ち上がります! 敬遠!』

『勝負強いとは言え、打率が三割無い葉波選手の方が御しやすいということでしょうね』

 

 ネクストから立ち上がり、バッターボックスへと移動する。

 自分の成績が伴っていないせいとは言え、やっぱり前の打者を敬遠されるとムッとするぞ。

 二度バットを素振りして、バッターボックスに立つ。

 

『バッター八番、葉波』

「悪く思わないでくれ、パワプロ。お前の方が知っている分やりやすいし、打力が劣っているのは確実なのだ」

「分かってるから気にするな。まぁ、俺がそこに座ってても、同じ選択をしたとは限らないけどな」

「そうか。……それならば遠慮なく、まずはインコースから攻めさせて貰うぞ」

「何……?」

 

 六道が淡々と言って、サインを送る。

 コースを自分から宣言しただと……? ささやき戦術、ってやつか?

 六道のやつ、なりふり構わず俺を抑えるつもりだな。

 バットを構え、しっかりと大西を見据える。

 インコースと宣言してバカ正直にインコースを投げるとは限らない。

 かと言って、インコースを投げないとも言い切れない。

 それならば、ゾーンを大きく広げて、投じられたボールを強く叩こう。

 大西が投球動作に入る。

 来い! どこに来ても打ってやる!

 ビュッ! と投げられたボールは――内角へのカーブだった。

 

「っ!?」

 

 強く打とうと思うあまり、全力でスイングした俺をあざ笑うかのように、抜いたボールは俺のタイミングを完全に狂わせながら、六道のミットに収まった。

 

「ストライク!」

「宣言通りだぞ」

「……っ」

 

 しまった……っ。コースを意識しすぎて、緩いボールを思わず振っちまった……!

 落ち着け。大西はストレートも速く球種も多彩だが、コントロールはかなりアバウトな打者だ。必ず甘いボールは来る。

 息を吐いて、構え直す。

 惑わされるな。六道が何を言っても、俺は俺の考えで打てばいいだけのことなんだから。

 

「インコースだ」

「……」

 

 さっきは宣言通りにインコースに投げてきたけど、まだ、続けるつもりなのか。

 それなら読みを上回ればいい。それに、宣言通りにボールを投げられるとは限らない。つまるところ、甘いボールだけに狙いを絞って打っていけば良いだけだ。

 大西が二球目を投げる。

 投げられたボールは、内角高めへ外れたストレート。

 そのボールに向かって俺は全力でスイングをするが、ボールにバットは当たらなかった。

 

「追い込んだぞ」

「く……っ」

「パワプロ、ボール球だぞ。落ち着いて見極めていけ」

 

 ベンチから友沢が声を張り上げる。

 くそっ。結局乗るつもりはなくても、打ち気にさせられちまってる……!

 甘い球を必ず打っていくと言うことは、プロのボールに対して選球眼の甘い俺にとって『積極的に振っていく』ということとほぼ同義だ。そうなれば高めの速いストレートには必然、手が出やすくなる。それを狙って、六道は高めへ速球を投げさせたんだ。

 六道にコースを宣言されるだけで、球種の読みと積極性を完全に狂わされ、あっという間に追い込まれた。

 特に俺は思考型のバッターだ。考えて打席に立つ分、情報に惑わされる確率は高くなる。

 ささやき戦術に惑わされて余計なことを考えてくれれば、こういう風に追い込むのは容易い。

 完全に六道の思う壺だな、くそう。

 コン、とバットでヘルメットを叩く。

 プロで一流のバッターになろうというのなら、配球を読むことも勿論大切だが、それ以上に読みを超越した『反応』で打てなければならない。俺にはそのセンスが圧倒的に不足している。

 いくら肉体的にホームランを打てるようなスイングが出来るようになっても、反応して真芯でボールを捉えなければ意味がないのだ。

 センスが不足しているからといって、打席からは逃げられない。野球は打って点を取るスポーツ。センスが無いからといって諦める訳にはいかないんだから。

 それなら、どうすれば良い? 

 ……簡単だ。センスが足りない分――考えて、集中しろ。

 目の前の一球に全ての情報を注ぎ込み、後はボールに集中して、余計なことは考えるな。

 投げられたコースは二球ともインコース寄り。カーブ、ストレート。

 大西の球種はカーブ、スライダー、シンカー、シュート。

 ここで三球勝負は無い。大西のコントロールが悪く、無駄なボールカウントを増やしたくなかったとしても、六道の性格から考えても少なくとも一球は外してくる。

 大西が、投球モーションに入る。

 バットを引き、タイミングを測る。

 投じられたボールはスライダー。

 外へ流れるボールは外角低めにハズレてボールになった。

 これでツーストライク、ワンボール。

 序盤だが、ここは勝負どころの一つ。シーズンのことを考えればもうお互いに一敗も出来ないこの状況。カイザースは先制点を絶対に取りたいし、バルカンズは取られたくない。

 それならば石橋を叩いて細心の注意を払ってくるはず。

 カウントがフルカウントになったら次は投手だ。最悪の場合満塁策も考えられる。

 つまりは、もう甘いところには投げさせない。

 次はインコースにストレート。

 腰を引く程に厳しいボール球を見送り、ツーストライクツーボール。

 嫌というほどインコースを突いて来る。俺の九分割した打率のデータを見ても、俺はインコースに弱い。特にインコース低めの低打率は目立っている。

 ついでに球種別で見れば、一五〇キロ近い速球の打率が一割台前半だ。

 速いボールに対する俺の打率の低さも六道も知っているはず。だからここまで徹底してストレートとインコースを使っているのだろう。

 並行カウント。使ったボールはカーブ、ストレート、スライダー、ストレート。コースは順に内外内内。

 カウントがフルカウントになれば敬遠も視野に入る。

 バッターはストレートに弱く、インコースが弱点である俺で、六道は投手を盛りたてるリードをする、慎重型の捕手。

 この上で、俺が六道の立場で大西をリードするのであれば。

 ――投げさせるボールはアウトコースへのシュートだ。

 徹底してインコースを使って、苦手であるインコースを強烈に意識させ、アウトコースへの警戒を薄れさせつつ、速い球に弱いという俺の弱点を突いて、意識の薄れた外へ、速い球を投げさせる。それが最も打ち取れる確率が高いだろう。

 ストレートでも打ち取れる公算が高いが、更に慎重に行くのならば、万が一ストレートに反応された時の事も考えてシュートを投げさせれば、左の大西に対して右打者である俺からボールは逃げるように変化する為、インコースを意識して踏み込めないであろう俺が空振るか打ち損じる確率は高い。

 バットをぎゅっと握りしめ、息を吐き出す。

 狙いは決まった。後は、自分を信じて思い切りスイングしてやるだけだ。

 大西が頷き、クイックモーションからボールを投じる。

 同時に、俺は思い切り踏み込んだ。

 

「な――っ!」

 

 六道が息を呑む。

 投じられたボールは、

 

 外への、シュートだった。

 

 逃げていくボールをバットの真芯で捕え、月まで吹き飛ばすような勢いで、バットをフルスイングする。

 音は、一瞬遅れて聞こえた。

 弾き返したボールはファーストの頭を越えていく。

 

『打ったー! 葉波の放った打球はファーストの上を越えてライト線に落ちるー! ボールは転々と転がっていきます! セカンドランナー近平ホームイン! ファーストランナー飯原もサードを蹴って戻ってくるー! 葉波、先制二点タイムリーツーベースヒット! 前の打者を敬遠された葉波、どうだと言わんばかりの意地のバッティング!』

『少々ボール気味の外への変化球を良く打ちました。バッテリーとしてはボールと判定されれば投手の山口選手勝負で良い場面ですから、厳しい所を攻めたんですが、葉波選手の打撃が上を行った形ですね』

 

 よしっ! 完璧っ!

 ぐっとセカンドベースの上でガッツポーズを作る。

 これで二点先制。山口としてもピッチングがラクになるはずだ。

 

「……今の、完全に読み打ちだったでやんすね」

「矢部くん。流石に分かるよな」

 

 ショートの矢部くんが外野から戻ってきたボールを握りながら、俺に話しかけてくる。

 

「分かるでやんすよ。パワプロくんがここぞという場面で勝負強いのは分かりきってるでやんすからね。オイラがキャッチャーなら、勝負なんかしたくないでやんす。……一番近くで、パワプロくんがなんとかしてくれるのを、見てきたでやんすからね」

「そう言われると照れるって。……でも、俺も知ってるからな」

「自画自賛でやんすか?」

「いや、違うよ。――どうしても塁に出てほしい時、必ず道を切り開く一番打者が、バルカンズには居るって事をさ。……一点でも多く取らないと――一気に、劣勢にされそうだ」

 

 矢部くんと視線が交差する。

 矢部くんはふっと笑って、俺に背を向けて守備位置へと戻っていった。

 謙遜はしない。矢部くんも分かっているからだろう。

 この劣勢の場面で、道を切り拓くのが矢部くんだ。

 そうすることが、自分の役割だと本能で知っている。だから否定もしないし肯定もしない。それが当然のことだからだ。

 続く山口は三振で打ち取られ、これで二回の裏が終了し、三回の表に入る。

 三回の表のバルカンズの攻撃は、七番桐谷を三振、八番田中をショートゴロ、ピッチャー大西をサードゴロに打ちとって攻撃を終了する。

 その裏のカイザースの攻撃は一番からの好打順だったが、一番の相川さんがライトフライ、二番の蛇島がヒットで出塁するものの、三番友沢がレフトライナー、四番ドリトンがセカンドゴロに打ち取られ、無得点で終了する。

 そして、四回のバルカンズの攻撃は、一番の矢部くんから。

 正直に言えば、この打順でのスタートが一番怖い。

 矢部くんが塁に出れば、まず間違いなく足を絡めてくる。

 仮に出塁させた上に盗塁を許してしまえばノーアウト二塁の場面が作られ、林までヒットで繋げられれば、最早失点は免れないだろう。

 矢部くんが先頭打者で出塁し、ツーアウトになるまでに盗塁が成功した場合の得点率は脅威の九割。つまり、矢部くんに盗塁を許せばほぼ確実に得点を許してしまうということだ。

 まさに矢部くんは理想の切り込み隊長と言っていい打者だ。……恋恋高校時代も、その能力に何度も助けられてきたっけ。

 でも、その矢部くんは今は敵なんだ。全力で抑えに掛かるぞ。

 左バッターボックスに矢部くんが入る。

 一打席目は完全に打ちとった当たりだったが、それでもフォークをバットに当てられた。

 フォーク、ストレート、ストレート、フォークという配球で、フォークをセカンドゴロという結果だった。

 ……フォークか、ストレートか、カーブか、スライダーか。

 一打席目と同じくフォークを投げさせても良いが、内野安打の可能性が高いゴロは打たせたくない。

 フォークは当てられればゴロになる可能性が高い球種だ。先程の打席の最期に見たフォークなら当てられる可能性も高いし、ここはフォークじゃなく、ストレートで行こう。

 矢部くんは速いボールでも内角をコンパクトに弾き返す技術を持っているが、今日の山口のストレートを一二塁間に飛ばすのは難しいはず。

 初球にストレートを見せていれば、矢部くんは嫌でもフォークとのコンビネーションを意識するだろうし、追い込まれたくないという思いが有るはずだから初球から積極的に振ってくるだろう。

 ここは内角の低めにストレート、それもボール気味に投げて貰おう。

 俺のサインに、山口が頷く。

 ストレートは、俺のミットから僅かに内側に逸れた厳しいコースへと投じられる。

 それを、矢部くんはしっかりと見逃した。

 

「ボール!」

「ナイスボール、山口!」

 

 厳しく来すぎたな。まあいい、見極められてボールになるのも織り込み済みだ。

 次は先程より甘い内角へフォークを投げさせる。

 当てられてゴロになるかもしれないが、ストレートを一球見せた分、空振りする可能性は初球に投げさせるよりも高い。

 山口が頷き、フォークを投げる。

 そのボールを待っていたとばかりに、矢部くんはしっかりとバット振っていった。

 打席の手前で勢い良く落下する超一級品のフォークボール。

 それを矢部くんは、バットから左手を離して掬い上げるようにして引っ張って弾き返した。

 

「な――にっ!?」

「狙い通りでやんすっ!」

 

 放たれた打球はファーストの頭の上を越えてライト前にポン、と落ちる。

 矢部くんはそれを見やり、ファーストベース上でガッツポーズした。

 ……狙い通りだって? 確かに読まれるかもしれないリードをしたけど、それは『読まれても絶対に打てない』という自信が有ったからだ。

 実際、山口のフォークの被打率は脅威の零割台。まさに『打たれるはずのない魔球』のはずなのだ。

 それを、矢部くんは敢えて狙って行った。

 それも、初球にストレートの厳しいコースの後に。

 確かに初球よりも甘いとは言え、内角から鋭く落ちる投げ損ないではない天下一品のフォークを狙って打つなんて真似、普通はしないし、出来ない。

 だが、矢部くんはそれをやってのけた。

 両手で握っていたらバットが引っ張れない低めのボールを、左手を離して無理やり身体に巻き込むようにして弾き返したのだ。

 金属バットならまだしも木製バットでそんなことをやろうとしたら、真芯に当てなければとても外野までは届かない。内野ゴロか、せいぜいで内野フライが関の山だ。

 素晴らしいバットコントロールと集中力。

 拓かない筈の道を無理矢理にでも切り拓く。高校時代に何度も助けられた矢部明雄という選手の最大の魅力だ。

 ……これが、矢部くんか。

 シーズン終盤の取り返しの付かない場面で相手にしてみて初めて分かる、脅威の出塁能力。

 高校時代の一発勝負の場面で相手してきた捕手はこんな気持ちだったんだろう。人事を尽くして確実に抑えられた筈なのに、気づけば矢部くんは一塁に居て、次の塁を狙っている。

 まさに切り込み隊長という言葉がぴったりだ。……お陰で、二点差だっていうのに生きた心地がしないぜ。

 

『バッター二番、林』

「よし! 僕も続く!」

 

 左打席に林が立つ。

 ……さて、問題はファーストランナーの矢部くんだ。

 この場面、矢部くんは必ず盗塁を狙ってくる。

 それを刺せるかどうかは置いておいて、矢部くんは今シーズン、既に盗塁数は四〇を数え、五〇を伺おうかという所まで伸びている。

 残り三〇試合残っているこの状況で四〇という数字は驚異的の一言だ。……昨年の林は六〇盗塁って数字だったけど、それは代走を含めての数だ。矢部くんのように常時スタメンに立つようなバッターがこれだけの数の盗塁が出来ているということは、出塁率が高い何よりの証拠だろう。

 そんな走者を一塁においているこの状況で、分かりやすいフォークを投げさせるリードをすれば、確実にファーストランナーの矢部くんは次の塁へ盗塁を試みるだろう。

 かと言って、変化球を投げさせない訳にはいかない。

 全く、厄介な敵だな、矢部くんは。

 バシッバシッ、とミットを叩きながら、頭をフル回転させる。

 とりあえず牽制を入れて貰う。

 山口は牽制が上手い牽制死を奪ったことも多々ある。それを矢部くんも知っているだろうから、かなり走りづらくなるはずだ。

 矢部くんが頭からファーストに戻る。

 さて、まず初球。林はこの場面、ストレートを一本狙いだろう。

 矢部くんも初球からは走らない。この場面ならボールカウントを稼げば有利になるし、ボール先行になれば林も出塁する確率が上がるからだ。

 それなら、まず初球はカーブ。

 一応はスライダーも投げられる山口だが、コントロールもアバウトで球威もカーブやフォーク、ストレートに比べたら雲泥の差がある。

 慎重を期すためにも、ここはカーブを選択しよう。

 ランナーが一塁にいる場合ならフォースアウトもあるし、ちょこんと当てられて内野安打という確率はかなり低い。なら、まずは外角に投げてストライクを取ろう。

 初球のカーブを山口が投じる。

 多少甘く入ったものの、ストレート狙いだった林はカーブを見逃した。

 

「ストライク!」

 

 よし、入ってよかった。

 ファーストストライクを取れなかったらこの林の打席は矢部くんが帰ってくることを覚悟して、同点を避けるリードをするしか無かったが、まだこちらに有利な形を作れた。これならまだ無失点を狙える。

 俊足のランナーが一塁に居る状況。並行カウントになったとしてもまだ投手有利なこのカウントならば、矢部くんは走れない。一球外される確率が高いからだ。

 なら、ここで使うボールはフォークが良いだろう。追い込めば林はどうとでも料理出来る。

 じり、と山口が長くボールを持つ。

 矢部くんがタイミングを見計らってベースから一歩、二歩と離れる。

 ピッ、と山口が一度ファーストにボールを投げ、矢部くんは頭から滑りこんでベースに戻る。

 ドリトンからボールが戻ってきて、山口がもう一度構える。

 さぁ、来い。

 山口の手からボールが離れる。

 林がフォークボールを勢い良く空振った。

 矢部くんは一塁からダッシュをするが、途中で足を止めてファーストに戻る。

 読み勝った。これでツーストライクノーボール。

 追い込まれたのを見て、バルカンズベンチも仕掛けてくるだろう。

 ヒットエンドランか、単独スチールか。

 前者は確率を考えればほぼ在り得ないと言っていい。山口は三振を奪うことに長けた投手だ。その投手相手にヒットエンドランを仕掛ければ、三振ゲッツーという可能性も大いにあり得る。

 とりあえず一球外しておこう。見せ球にもなるし、警戒しているというのをファーストランナーの矢部くんやバルカンズベンチに見せておく必要もある。

 一球ウェストボールを挟み、ボールを返してこれでツーストライクワンボール。

 これでカーブフォークストレートという順で投げさせた。

 セオリーでいけば次はフォークが濃厚なカウントだが、矢部くんもそれは承知だろう。

 山口のクイックの速度は平均程度。それを考えれば変化球でスタートされれば矢部くんの盗塁成功はかなりの高確率になる。

 全く、頭を使わせてくれるぜ。

 林でアウトカウントを取るのは当たり前として、できれば矢部くんをセカンドまで進ませたくない。

 ストレートを投げさせれば、矢部くんはセカンドで刺せるはずだ。

 ここまで上手く林を追い込めたし、いい流れなんだ。案外ストレートでも打ち取れるかもしれない。

 指でストレートのサインを出そうかとミットを動かした所で、俺はぐっと思いとどまる。

 ……、落ち着け、欲張るな俺。ストレートで林を確実に抑えられる保証はないんだ。なら投げさせるべきじゃない。

 俺は俺と、チームメイトを信じる。

 たとえ変化球で走られたとしても刺せる可能性もあるし、仮にセカンドに進まれても必ず矢部くんがホームに生還するとは限らない。

 生還されたとしても、まだ一点勝ってるんだ。カイザースの打線なら追加点も取れる。

 俺は山口にサインを送る。

 送ったサインに山口が頷き、矢部くんから目線を離す。右投手である山口はファーストに背を向けなきゃ投げられないからな。

 矢部くんが一歩二歩、ベースから離れる。

 そして、山口がクイックモーションからボールを投じた瞬間。

 

 ダンッ! と力強い踏み込みと共に、矢部くんがスタートを切った。

 

 ボールは林の手前で激しく急降下し、林はそれを空振りする。

 ここからは先は俺の仕事。

 弾んだボールを捕球する。

 素早く右手に持ち替え腕を振るう。

 空気を切り裂く弾丸が俺の右手から射出された。

 俺の捕球してからセカンドへ到達のベストは1,81秒。

 勝負だ、矢部くん――!

 送球は寸分のズレもなく走りこんできた友沢の膝の高さに構えられたミットに吸い込まれる。

 そのままミットを地面に付けるようにして友沢がタッチに行く。

 そのミットをかいくぐるように、矢部くんがセカンドへと滑りこんだ。

 塁審がその瞬間をじっと見つめ、

 

「セーフセーフ!」

 

 両手を横に広げた。

 

『と、盗塁成功……!』

『タイミングは際どかったですが、矢部選手のスライディングがうまかったですね……! 僅かな減速すらありませんでした!』

 

 ちっ、惜しい……っ。手応えはバッチリだったんだけど。

 投げさせた球種がストレートならアウトだったかもしれないが、これで良い。ヒットをワンアウトランナー二塁。この状況なら、後続をアウトにすれば得点は入らないからな。

 

「ワンアウト! 山口、ナイスボール!」

「ああ」

『それにしても今の葉波選手の送球、早かったですね。コースもドンピシャでした!』

『ストップウォッチで測っていたんですが、捕球してからセカンドへの到達時間が1,8秒でした。球界最速は1,79秒と言われていますから、それに肉薄する素晴らしい数字です。球界ワーストの許盗塁を許した選手と同じ人物だとは思えませんね。送球技術と肩の強さでいえば、彼は今、日本球界一かもしれません』

『バッター三番、六道』

 

 さて、次は六道か。

 シーズン終盤になった現時点で、六道の打率は三割まで及んでいない。

 打率は二割九分二厘。四〇〇打数一一七安打の成績で、ホームランも二桁打っていない。

 これだけ見るとクリーンアップの三番を打っているにしては力不足だと思うかもしれないが、特筆すべきはその選球眼だ。

 ここまで全試合、一一〇試合に出場している六道の打席数は四七一打席。

 打数は打席から四死球、犠打、犠飛を引いた数だ。つまり、六道は四七一打席のうちの七一打席でそれらの結果だということ。

 長打力の無い六道は犠飛は殆ど打たない。ライナー性の打球が多く、外野手も殆どが前に出る。

 バントは上手なものの、俊足の矢部くん、林は脚で攻撃することが多く、殆どバントはしない。今年に至っては僅かに三本決めたのみだ。

 犠飛と犠打を合わせて七本。残りは全て四死球で出塁している。

 つまり、一一〇試合終えた時点で六道は六四もの四死球を選んでいるのだ。

 これを出塁率に直せば、六道の出塁率は脅威の三割八分六厘。これはリーグ三位の記録で、友沢、東條に続いている。

 つまり、大体五打席に二回は塁に出るバッターなのだ。

 そして、次の四番打者には得点圏打率四割を超える猛田が控えている。

 矢部くんと林がかき乱し、六道がきっちり繋げて四番が返す。これこそ、バルカンズの黄金得点パターン。

 六道は選球眼と動体視力が抜きん出て高い。ここに捕手としての読みまで加わるとなると、アウトに取るのはかなり難しい打者の一人だろう。

 さて、と、ワンアウト二塁。矢部くんの足ならライト前ヒットなら十分に帰ってこれるこの場面。六道もおそらく右打ちを心がけてくる筈。

 ここは内角を厳しく突いて行こう。まずは上体を起こさせて、外中心でカウントを整えて内角へのフォークで三振を狙う。

 勿論六道のリアクション次第ではリードを変える必要は有るだろうが、基本はこれで攻める。

 内角の厳しい所を突かれて上体を起こされれば、右打ち狙いで外のボールを狙っていたとしても山口のストレートを弾き返すのは難しい。もう一度体勢を整えるまでに外でカウントを整えられれば、内角のフォークで確実に打ち取れるはずだ。

 内角高めのストレートのサインに頷いた山口がボールを投じる。

 だが、そのストレートが甘く入った。

 

「!」

「ふ――っ!」

 

 六道はそのボールを逃さない。

 カァンッ! と捕えたボールが二遊間を抜き、センターへと抜けていった。

 矢部くんがサードを蹴る。

 

「バックホーム!」

「おらぁっ!」

 

 センターの相川さんからボールが戻ってくる。

 矢部くんが快速を飛ばし、ボールよりも早くホームベースを駆け抜けようと向かってきた。

 帰らせて、たまるか!

 足でホームベースを隠してブロックしつつ、ボールをミットで捕球し、タッチしようとしたその瞬間。

 

 矢部くんの姿が、目の前から消えた。

 

 しまった! 横から……!

 衝突を避けるように、矢部くんは俺の真横をスライディングで滑り抜け、そのまま身体を捻りホームベースをかすめるようにタッチした。

 

「セーフセーフ!」

『六道タイムリーヒット! バルカンズ、すかさず一点を返す~!』

 

 ファーストランナーの六道を牽制しつつ、チラリと矢部くんを見やる。

 上手いとしか、言葉が出て来ない。

 タイミングは際どかったけどアウトに出来たタイミングだったのに、俺のタッチとブロックを避けながら、身体を捻ってベースにタッチした。

 まさに職人芸レベル。ベースランだけじゃない、スライディングまで一級品じゃなきゃ、今のはアウトだった。

 矢部くんがゆっくり立ち上がり、俺を一瞥してベンチへと戻っていく。

 まだ一点。こっちが勝ってる。後続を切れば、俺達の優位は揺るがない。

 逆を言えば、後続を切れなきゃ大ピンチってやつだ。

 続くバッターは四番の猛田。

 ここはもうなりふり構っていられない。

 フォークのサインを連続して出し、フォーク二球で追い込む。

 ストレートとカーブを見せた後、最期はホームベース上に落ちるフォークで猛田を三振に打ち取った。

 その次のバッターの八嶋もフォーク中心のリードで内野ゴロに打ち取り、四回のバルカンズの攻撃は終了する。

 続く四回裏、カイザースの攻撃、相川さん、蛇島が変化球で打ち取られ、友沢がフォアボールで出塁、ドリトンがライト前に安打を放ち、チャンスをツーアウトから一、二塁と作るも、春が痛烈なサードライナーで打ち取られる。

 五回はお互いにチャンスすら作れず三者凡退で、試合は後半戦に入る。

 ここまで試合は二対一。カイザースが勝っているが、ロースコアの試合になっている。

 七回表、バルカンズの攻撃は九番大西から。

 バルカンズの中継ぎはそこまで厚くはないが、ビハインドである以上、ここで代打を使わざるを得ないだろう。

 

『選手の交代をお知らせ致します。バッター九番大西に代わり、バッター、大崎』

 

 大西がベンチに下がり、代わりに出てきたのは大崎さんだ。

 大崎さんはプロ一五年目のベテランだ。

 左打者として安定した成績を残し、バルカンズの屋台骨を支えてきた選手だが、近年はその経験を活かして代打に回っている。いわゆる代打の切り札だ。

 足はそこまで速くはないが、一五年のキャリアの内、タイトル獲得こそ無いものの年間打率三割を七度も経験している柔らかいバッティングには定評が有る。

 広角に打ち分ける打撃センスを持ち、ラインドライブを掛けた打球で外野の間を抜いていく打撃を得意としている。

 弱点という弱点は見当たらないが、しいて言えば速球への反応が遅れ気味な点が大きいだろうか。その証拠に大崎さんの直球の安打率は他の球に比べて低く二割三分程度。ヒットゾーンも左打者の大崎さんにとっては流し打ち方向のレフトの方向ばかりだ。

 それを考えるならば、ストレートとフォークのコンビネーションを持つ山口は苦手だろうが、気になるのは毎年シーズン後半になって上げてくる打率だろう。

 昨年に至っては後半戦で代打出場だけで七打席連続安打を記録しているし、安易に攻めれば手痛いダメージを被ることになりかねない。

 それに、回は七回。フォークを多めに投げさせているのもあって、そろそろ山口も疲労してくる頃だし、握力が低下してくる頃でもある。

 ここは山口の状態を確認しつつ、ストレート中心で攻めていくか。

 外角に構え、ストレートを要求する。

 山口はボールを投じた。

 大崎さんはそのボールを見逃す。

 

「ストラァイ!」

 

 やっぱり疲労が見えるな。球速が二、三キロ落ちている気がする。

 バックスクリーンにちらりと目をやれば、球速は一四三キロ。

 山口のマックス球速は一五二キロだが、平均球速は一四七キロ程度。それを考えればやはり疲労しているのかもしれない。

 もう一度ストレートを、今度は内角に投げさせる。球威の確認と、打たれる確率の低いボールを選択を兼ねた配球だ。

 今度は大崎さんがバットを振り、ファールになる。

 バックネットにボールが当たる音を聞きながら、審判からボールを受け取って山口に投げる。

 やっぱりストレートの球威は落ち気味だ。

 この次の回、カイザースの攻撃は山口から。監督はそこで代打を出すつもりだろう。

 今頃、ブルペンでは一人目の中継ぎである佐伯さんが肩を作ってる頃だろう。

 なんとかこの回は〇点で行きたい。

 幸いカウントは2-0。強気で攻めて行けるカウントだ。

 もう一度外。ストレート二球続けた後、見せ球も兼ねてカーブを外して投げて貰う。

 大崎さんはそれを見逃した。

 2-1。次は内角にストレート。ゆるい見せ球の後、速いボールを対角線上へ、というお決まりのリードに対して、大崎さんは果敢にバットを振っていく。

 甘く入ったストレートを、大崎さんはバットでしっかり捉えるが、球威に押されたのか、レフト線へ左へ切れるファールになった。

 しかし、打球自体は痛烈だ。

 次はフォークを投げさせたいが、山口のスタミナは大丈夫だろうか。

 ……打球自体は痛烈だったが、ボールに押されてファールになったのも事実。厳しい所にきちんと投げられれば打ち取れるだろうし、大崎さんの頭にはフォークがちらついている筈。ここはストレートでも打ち取れる確率は高い。

 少し悩んだ末、ストレートのサインを出すが、それに対して山口は首を振った。

 む、悩んだことを山口に悟られたか。

 これは山口からの『俺に遠慮をするな』というメッセージだろう。

 それなら遠慮はしない。お前の最高の決め球を頼むぞ。

 もう一度出したサインに山口が頷き、ワインドアップから腕をしならせ、投じる。

 内角への、フォークボール。

 投じられたボールは、意志を持っているかのようにバットを避け、打者の手前で大きく降下する。

 それを、大崎さんは豪快に空振った。

 

『ストライクバッターアウト! 代打大崎、空振り三振!』

 

 或いは、大崎さんはそのボールが来ると分かっていたのかもしれない。タイミングはばっちりだった。

 だが、バットには当たらなかった。

 分かっていてもヒットに出来ない。――それこそ、伝家の宝刀という表現が相応しいウイニングショットだ。

 全く、頼りになる投手陣だぜ。

 ワンアウトで打順は頭に戻り、矢部くんに戻る。

 先頭打者を取って流れに乗ってるんだ。ここは抑えるぞ。

 

『バッター一番、矢部』

 

 矢部くんは何も言わず左打席に立つ。

 元は右打者だった矢部くんを左打席に立つようアドバイスしたのは他でも無い俺だけど、こんな恐ろしい打者として戦うなんて思ってもみなかったな。

 矢部くんに対して取れる方法はフォークを中心に攻めるだけだ。

 さっきヒットにされたけど、あんな打撃、狙って二度も出来るもんじゃない。

 俺のサイン通りに、山口が投げる。

 矢部くんは初球から、フォークボールを打っていった。

 

「甘い、でやんすっ!」

「な、にっ……!」

 

 快音を残し、ボールが一、二塁間を抜けていく。

 ライト前ヒットで矢部くんに出塁される。

 く。読まれてたとは言え、ああも完璧に捉えられるなんて。今のは失投なんかじゃないのに。

 切り替えよう。ここはワンアウト一塁。さっきと違って一つアウトカウントが有る分かなり戦いやすい。

 矢部くんは盗塁の機会を伺っているだろうが、ワンアウトの上に後半ということも考えれば、成功したとはいえ先程の盗塁がかなりギリギリの勝負だったことも有り、安易にはスタートは出来ないだろう。ここは林との勝負に集中だ。仮に、スタートされても俺が刺す。

 続く林をフォークとストレートのコンビネーションで内野フライに打ち取る。

 これでツーアウト一塁。六道か猛田か八嶋。誰かで一つアウトを取れればチェンジだ。

 疲労の見える山口の甘いストレートを六道がライトへ弾き返し、ツーアウト一、二塁とされるが、この後の猛田はフォークに全く有っていないし、山口はここでお役御免となるだろう。

 ならば、と、ここは山口にフォークを連投させる。

 フォークでファーストストライクを取り、二球フォークを見逃され1-2となるものの、もう一度フォークで追い込んだ後、最期もフォークで内野ゴロに打ち取る。

 これでスリーアウトチェンジになり、山口とゆっくりとベンチへ向かう。

 

「ナイスボールだったぜ、山口。ちょっとキモが冷えたけど」

「ああ、流石に疲労を感じるな。バルカンズが相手だけあって、かなり気を使った」

「仕方ない。でも、結果的に七回一失点だ。九〇点だろ」

「同点にされなかったのは大きいか」

「そういうことだ。良いピッチングだったぜ」

「山口、良かったぞ。良くここまで抑えてくれた。次の打席はお前だが、そこで代打を出す。ゆっくり休んでくれ」

「はい」

 

 神下監督と山口ががっちりと握手を交わし、山口がダグアウトへと下がっていく。

 お疲れ様、山口。クオリティスタートをきっちり記録してくれたんだ。後は任せてくれ。

 七回の裏の攻撃。

 山口の代わりに、谷村さんが打席に入る。

 最近不調とは言え、レギュラーを守れる打撃力は備えている。代打の厚さに少し不安の有るカイザースにとっては、代打の切り札と言っていい存在だろう。

 バルカンズの投手は代打を出された大西に代わり、佐藤という中堅投手が入る。

 ここまで三〇ホールドを記録し、防御率も二点台と安定している、勝ちパターンの右投手だ。

 一敗が重くなる後半戦。バルカンズもこの一戦を重く見ているんだろう。

 軟投派でコントロールとテンポが非常に良く、かなり打ちづらい印象の有る投手だが、その佐藤に、谷村さんはレフトフライ、相川さんがライトフライ、蛇島がライトライナーと打ち取られる。

 完全に打たせて取られてたな。ここで追加点が欲しかったけど、こっちはこっちでもう勝ちパターンの継投に入れる。そう簡単に同点にはさせないぜ。

 八回表は佐伯さんがマウンドに上がる。

 八嶋、後藤、桐谷という打順だが、佐伯さんはその三人を内野ゴロにきっちりと打ちとった。

 流石のコントロールと変化球だ。

 老獪なピッチングという表現がぴったりだろう。要求通りに投げてくれるコントロールを使い、外の出し入れでカウントを整えて、決め球であるシュートやカットボールで打たせて取る。

 更にテンポよく投げることで試合のリズムを損なわず、勝ちパターンを勝ちパターンのまま、絶対的守護神である一ノ瀬へ繋げることが出来る。

 たまに被弾はしてしまうものの、連打は殆ど浴びない。

 ベンチが最も頼りにしているリリーフと言ってもいいベテラン中継ぎが、佐伯さんなのだ。

 

「リードが随分良くなったぞ、パワプロ」

「ありがとうございます。でも葉波です。佐伯さん」

「皆がそう呼んでるんだ。俺もそう呼んで良いだろ?」

「まぁ、そうですね、はい」

「はははっ、そんな不服そうな顔をするな。今日勝ったら一杯奢ってやる。今日で俺も二七ホールドだからな!」

 

 機嫌よく佐伯さんが俺の背中をバシバシと叩いてダグアウトに戻る。

 あんまりうれしくはないけど、アダ名で呼んで貰えるようになったということは、ベテランとも上手く打ち解けられている証拠かもしれない。

 まだ終わった訳ではないけど、今の所試合も上手く行っているし、手応えも感じる。

 でも、優勝しなきゃこんな手応えはただの気のせいで終わってしまう。そのためにも、今日は絶対に勝たないと。

 八回裏、カイザースの攻撃は三番、友沢から。

 クリーンナップからの攻撃だが、続投した佐藤の前にテンポよくゴロに打ち取られてしまった。

 そして、ついに試合は最終回、九回に入る。

 この回を抑えれば、カイザースの勝利だ。

 打順は下位打順の八番から。代打が出るだろうが、油断せずにきっちりアウトを取れば、矢部くんと林には一発はない分ラクに攻められるようになるはずだ。

 登板するのは、勿論、

 

『ピッチャー、佐伯に変わりまして、ピッチャー、一ノ瀬』

 

 絶対的守護神、一ノ瀬だ。

 ウグイス嬢の声にライトスタンドが大歓声を上げる。

 その歓声を背に、一ノ瀬がマウンドに現れた。

 

「一ノ瀬、アウト三つ、しっかり取ってくぞ」

「ああ、任せてくれ」

 

 一ノ瀬にボールを渡した後ミットを合わせ、キャッチャーのポジションに戻る。

 何球か投球練習をする。

 シーズンも後半で疲れが溜まっていないか心配だったけど、その心配はなさそうだ。良いボールを投げてくれているし、コントロールも構えた所にぴしっと来る。

 

『バッター八番、田中に代わりまして、バッター、片岡』

 

 代打の片岡が右打席に立つ。田中は左打者だし、左投手に対してかなり打率が悪い。一ノ瀬は左投手だから、当然の代打だろう。

 この片岡は典型的な巧打者タイプだ。

 外の球を上手く流して打つのが上手な俊足打者だが、唯一守れるセカンドの守備に難があってレギュラーでは使われていない。

 しかし、こと打撃走塁に関して言えばレギュラークラスの能力はしっかりと備えている打者だろう。

 二対一、バルカンズから見れば一点ビハインドのこの状況なら、絶対に出塁をしたいだろうし、得意な外のボールを待っているだろう。

 なら、そこに敢えて投げさせてやる。

 外角低めギリギリのゾーンにミットを構える。要求はストレートだ。

 一ノ瀬が頷き、ボールを投じる。

 スパァンッ! と構えた所に、キレの良いストレートが投げ込まれる。

 

「ストラァイク!」

 

 次はもう一球、今度は外角のボールからストライクゾーンに入ってくるスライダーだ。

 打者の手前で鋭く曲がるスライダーが、またもストライクゾーンを掠めるように外角のギリギリを通過する。

 片岡はそのボールを振っていくが、当たらない。

 

「ストラックツー!」

 

 相手の得意なコース二つで追い込んだ。これなら遊び球は要らない。三球で決めるぞ。

 ストレートを要求し、内角に構える。

 一ノ瀬から放たれたボールは、打者の内角へ食い込むような角度で内角に突き刺さる。

 

「ストライクバッターアウト!」

「なっ……」

 

 片岡が不服そうに審判を振り返る。

 片岡にはかなり厳しいコースに見えただろう。

 だが、一ノ瀬が左腕でサイドスロー。右打者のインコースへ投げるボールの軌道はストライクゾーンを掠めるようになる。片岡にはボール球に思えたかもしれないが、今のは完璧なストライクだぜ。

 完璧な投球で八番を見逃し三振に打ちとった一ノ瀬は、続く九番、佐藤に対して出た代打篠森も完璧に封じ込め、ピッチャーフライに打ち取る。

 これでツーアウト。お膳立ては整った。

 ここでバッターは一番、矢部くんに戻る。

 

『バッター一番、矢部』

 

 その瞬間、レフトスタンドから祈るような歓声が沸き起こる。

 観客も知っているのだろう。この絶体絶命の場面で一番頼りになる男が誰なのか。

 ゆっくりと矢部くんが打席に立つ。

 さぁ、今日の最期の勝負するぞ。矢部くん。

 調子も集中力も、おそらく今シーズンの中で矢部くんはベストの状態だろう。

 まずはインコース、ストレート。

 スパァンッ! と投げられたボールは構えた所に凄まじい勢いで投じられる。

 

「ストライク!」

 

 ファーストストライクを取ったが、矢部くんの集中は乱れない。

 ……く。ファーストストライクを取ったっていうのに、何故かこっちが追い詰められているような気分になるぜ。

 今日の矢部くんは三打数二安打。その一つの凡退も、痛烈なセカンドゴロだった。

 続く二球目はカーブ。

 矢部くんのカットボール、シュートなどの芯を外すようなボールに対してのアジャスト力は凄まじい。

 逆に、変化の大きいボールにはまだ対応するのが遅れる傾向にある。

 このシーズン中も、矢部くんを打ちとったのは山口のフォークや久遠のスライダー、ゆたかの縦スラなどが多い。

 一ノ瀬の最も変化するボールはカーブだ。

 インコースにストレートを投げさせたが、今度はアウトコースのギリギリを狙ってカーブを投げさせる。

 左対左の矢部くんになら、一ノ瀬のカーブは逃げていくような軌道を描く。厳しいコースに投げさせれば、初球のインコースのストレートも相まってかなり遠くに見えるはず。

 緩急も着けているし、そう簡単にはヒットには出来ないボールだ。

 ミットをボールゾーンに構える。

 並行カウントで良い。ここはしっかりカーブを矢部くんに見せて、三球目の布石にする。

 一ノ瀬がカーブを放る。

 寸分の狂いもなく、一ノ瀬のボールは俺のミットへと投げられる。

 矢部くんは、そのボールを、

 

「ふ――ぅっ!」

 

 しっかりと、狙って行った。

 快音を残し、ボールはサードの頭を越えてレフト線を転がっていく。

 

「くっそっ……!」

 

 なんで今の球をヒットに出来るんだよ! インコースのストレートの後の、外角に外した低めのカーブだぞ!?

 速い球ならともかく、緩いボールを、しかも外に外れた遠く低いボールをあそこまでしっかり飛ばせるなんて。

 アレをヒットにされちゃ、抑える方法が見つからない……!

 

「ボール中継! セカンド無理だ!」

 

 矢部くんがセカンドに到達する。

 スタンディングツーベース。完全に、やられた。

 これでツーアウトランナー二塁。もし前の打者二人を抑えられて無かったと思うとゾッとする。

 ここで打席には、林が立つ。

 

『バッター二番、林』

 

 ……最終局面、勝つぞ。絶対に。

 

 

                ☆

 

 

 矢部がセカンドに到達するのを見て、林はバットにすべり止めを塗りつけ、ゆっくりと打席に向かった。

 

(矢部くんが、繋いでくれた。……ここで打たなきゃ、男じゃない)

 

 本日の成績は三打数無安打。前の矢部がこの安打で猛打賞だったことを考えると、今日の流れを分断しているのはこの林と言われてもしょうがないだろう。

 点差は一点。もう負けられないこの場面で、チャンスが回ってきたということは、神様が打てと言っているのだと林は自分に言い聞かせる。

 気付けば、カイザースは背後に迫っていた。

 キャットハンズに三タテを決められている時は、バルカンズとパワフルズとキャットハンズ、いつも通りのこの三球団のうちのどこかに優勝争いをするんだろうと何処かで思っていたが、それは大きな間違いだった。

 

 カイザースは、強い。

 

 元々、役者はどこの球団よりも揃っていた。打の友沢蛇島ドリトン、今シーズン頭角を現した近平に、春。

 投手はもっと凄い。猪狩守、久遠、山口、一ノ瀬、ローテに食い込んだ稲村。ローテーションピッチャーの六人のうち、猪狩守、久遠、山口が二桁勝利を既に記録し、稲村も現在八勝で、後二勝すれば二桁勝利の大台に到達する。

 なのに、順位は奮わなかった。

 理由は簡単だ。それを一つにする『要』が無かったからだ。

 そう、扇の要が。

 林は、背後に視線を向ける。

 そこに座る一人の男は、鋭い目付きで自分の様子をつぶさに観察していた。

 一度弱点を突かれて完全に崩れたはずなのに、おおよそルーキーとは思えない速度で弱点を克服してそこに座る男は、カイザースの破竹の勢いを支え、自分たちの前に立ちはだかっている。

 個性が強すぎるが故にまとまりきらなかったカイザースを一つに纏め、優勝争いに食い込ませた、その男。

 一見してライバルが見つかったと直感した自分の勘は正しかったのだと、林は微笑んだ。

 そして、そのライバルを打倒してこその、野球選手だ。

 一ノ瀬がボールを投じる。

 インコースへのストレートを、林は見逃した。

 コンビを組んできた矢部が、セカンドベース上で自分を返してくれと目で訴えてくる。

 それに答えるのが、一、二番を組んだ自分の、今求められる最大で最低限の仕事だ。

 一ノ瀬が二球目を構える。

 狙いはインコース低めのシュート。

 林が速球系に弱いという情報を最大限に利用して抑えに来ると予想しての、一点読みだ。

 

 野球には、流れが有る。

 

 そんなオカルト、と笑う人がいるかもしれないが、確かに『それ』は存在するのだ。

 雰囲気がそうさせるのか、確率論の奇跡なのか、それは分からない。

 だが、二点先制したカイザースが一点を返された上、直前の八回はクリーンアップにも関わらず三者凡退で終わり、そのまま無得点で迎えた最終回。

 今日唯一の得点に絡んだ矢部がツーアウトながら出塁した、この場面。

 まるで、魅入られたかのように、一ノ瀬とパワプロの選択したボールは、インローへのシュートだった。

 待ってました、と、林が全力でバットを振るう。

 快音を残し、痛烈な当たりの打球が一、二塁間を抜けていく。

 

「矢部くん、行っけぇ!」

 

 声を上げ、林は一塁へと走りだした。

 言われた矢部は、弾丸のようにサードへと走る。

 

(帰るでやんす。このまま振り出しに戻して、勝って、新垣に――)

 

 コーチャーが腕をぐるぐると回す。

 そのまま一切減速せず、寧ろ加速さえ感じさせるような速度でサードベースを蹴る。

 そんなホームベースに戻らんとする矢部に、パワプロの声が届いた。

 

「――バックホームッ!」

 

 その瞬間、矢部は思い出す。

 

(――ライトは、元捕手の近平でやんす)

 

 つい、と視線を僅かにライト方面へ向ける。

 矢部が見たのは、明らかにライトの定位置よりも随分と前に居る近平が声を上げながら腕を振るう所だった。

 

「うおおおおお!」

 

 それは白い光線のよう。

 まっすぐに伸びた白い糸が、目の前のパワプロのミットへと吸い込まれていく。

 そう、打球は痛烈だったのだ。

 普段の林に長打が少ないことが災いした。そのお陰で、捕手にとってはそのサインを出すことへの迷いが消えるのだから。

 更に、二塁走者が矢部だったことも仕方ないこととは言え、不幸だった。

 コーチャーもチームも、全員が俊足での攻撃を軸にしている分、前進守備を見ても、コーチャーは腕を回したのだから。

 

 パワプロが投球前に出した指示は、外野前進守備だった。

 

 林も矢部も、その場面に集中するあまり、内野守備はともかく外野の守備位置までは見て居らず、気が付かなかったのだ。

 野球には、流れがある。

 空気を支配し、試合の結末すら変えることも有る、流れが。

 だが、それを断ち切ることが出来るのもまた、野球の面白さの一つだ。

 ヒットを打たれても、打者を帰らせなければ良いだけのこと。

 安打を打たれないのが勿論一番良い。だが、カイザースはそれを見越して外野を前進させていたのだ。

 しかし、それでも。

 

(帰る……っ! 帰るでやんす!)

 

 まだ試合は、分からない。

 矢部が身をかがめ、滑り込む。

 並の走者ならアウトだったろう。だが、こと走塁に関してなら矢部は日本球界ナンバーワンだ。その技術力を持ってセーフになろうと、スライディングに入る。

 

(帰らせないっ!)

 

 それを受けて、捕手であるパワプロも対応する。

 先程外から周り込まれたのを加味し、足を伸ばしてブロックする面積を増やす。

 

(読まれてるでやんすよねっ! わかってたで、やんすっ!)

 

 矢部の狙いは、それだった。

 外を回る事を意識して捕手が足を伸ばせば、その分股の下の空白は増える。

 

 即ち、股下に足を通す範囲が広がるということだ。

 

 そこを狙って、矢部が足をくぐらせる。

 勝った――矢部がそう思った瞬間。

 矢部は確かに、パワプロの鋭い眼光を見た。

 ドガンッ! と二人の身体が激突する。

 パワプロは身体の角度をサードベース側に倒し、足が股下を通るのよりも速く、矢部の身体をブロックしにいったのだ。

 矢部がそのままその場で停止する。

 パワプロは、脇腹を抑えながらその矢部の身体に、ポンとミットでタッチをした。

 

「アウトー!」

『あ、アウトー! 試合終了~! 最期はホームクロスプレーで近平が矢部を刺しましたー! 二対一! カイザースが勝利を収めました!』

 

 矢部はそのまま転がって、天井を見つめていた。

 完全に、負けた。

 腕を回したサードコーチャーが悪いという意見もあるかもしれない。でも、それでも矢部は、絶対にセーフになると思ってサードベースを蹴ったのだ。

 前進守備の確認を怠った自分の落ち度も有る。だが、それ以上に、カイザースの、パワプロの作戦に、絡め取られた。

 それが悔しくて、矢部が拳をぎゅっと握りしめたと同時に、一ノ瀬の声が耳に届いた。

 

「パワプロ! 大丈夫か!?」

「あ、ああ、大丈夫だよ」

 

 慌てて身体を起こすと、目に飛び込んできたのは脇腹を抑え、その場に蹲るパワプロの姿だった。

 

「あ……パワプロくんっ、だ、大丈夫でやんすかっ!?」

 

 慌てて立ち上がるが、矢部の身体に殆ど痛みはない。

 激突の瞬間、まだボールは到達していなかった。

 パワプロは足でブロックするつもりだったが、矢部の狙いが中央、股下だと読んだ瞬間、身体をぶつけにいったのだ。

 そのため、腕は伸ばした状態で、矢部の身体を脇腹で受ける形になった。

 防具を付けているとはいえ、全速力で突っ込んでくる人間一人の身体を脇腹で受ければ、痛めるのも当然のことだ。

 急いで駆け寄る矢部に、パワプロはにっと笑みを浮かべる。

 

「俺の勝ちだ。矢部くん。だからそんな顔をするなよ」

「……パワプロくん……」

「楽しかったな、矢部くん。また勝負しようぜ。次も俺が勝つけど」

「……そう、でやんすね。うん、悔しいけど、楽しかったでやんす。次は、勝つでやんすよ」

「ああ。それじゃ、整列とヒーローインタビューに行ってくるよ。……それと、お礼は要らないぜ」

「……? 良く分からないこというでやんすね。パワプロくんは」

 

 ゆっくりと立ち上がり、パワプロが整列に向かう。

 パワプロの言葉の意味を理解出来ないまま、矢部はゆっくりと、ダグアウトに戻っていった。

 

 

                ☆

 

 

 ゆっくりと身体をマッサージし、シャワーを浴びて着替えた頃には、時間は二三時を回っていた。

 矢部は、ゆっくりと猪狩スタジアムの外への通路を歩いていた。

 

「結局、勝った所は見せられなかったでやんすね」

 

 ぽつりと呟き、廊下を歩く。

 自分をヒーローだと言ってくれた新垣に、ヒーローになるところを見せたいと思って今日は張り切ったが、ヒーローどころか、勝てすらしなかった。

 悔しさと無念さを胸に抱きながら歩く矢部の前に、マネージャーが現れる。

 

「お疲れ様です、矢部さん」

「マネージャー。ちょっとゆっくりしすぎたでやんすね。待っていてくれたでやんすか」

「ええ、少し業務連絡がありまして……」

「珍しいでやんすね。そういう連絡は大体がシーズンオフに入ってからが多いでやんすのに」

「ええ、人事のことですから……実は私、矢部さんのマネージャーを降りて、球団の営業部の方に異動になったんです」

「あ、そうなんでやんすか。了解でやんす。寂しくなるでやんすが、今までありがとうございましたでやんす」

 

 矢部が頭を下げると、こちらこそとマネージャーも頭を下げる。

 

「それで、後任のことなんですが、今から紹介していいでしょうか」

「? 明日じゃダメなんでやんすか?」

「ええ……新しいマネージャーがどうしても、今という話で」

「む……分かったでやんす」

 

 試合で疲れている自分に、マネージャーがどうしても今が良いと我儘をいうのはどうなんだ、と矢部は思ったが、仕方ない。

 大方途中採用の新人か、今シーズン終わりまでの繋ぎだろう。自分に対して踏み込んで良いラインは今後教えれば良いかと思い、矢部は頷く。

 まずは、こんな時間に連絡はあまりしないで欲しいと言おう、と矢部が心に思った所で、

 

「どうも"初めまして"。矢部さん」

「……え……」

 

 目の前に現れたのは、

 

「マネージャーとして球団にお世話になることになった、」

 

 黒髪を揺らし、勝ち気なツリ目の、

 

「新垣あかりです。今日から貴方のマネージャーを務めさせて頂きます。一生懸命頑張りますので、よろしくお願い致します」

 

 いつも自分を支えてくれていた、パートナーだった。

 

「あら、かき……」

「……え、えと、怪我が治ったから、正式にマネージャーとして採用されたの。球団から話は有って。あ、今日からって言っても怪我してる間にちゃんと勉強もしてたから大丈夫だとは思うわ。ただ、まだ始めたばっかりだし、色々失敗したらごめんね。頑張るけど、何か間違ってることとか有ったら言ってくれれば治すから」

「……っ」

「だから……えっと……よろしくね。矢部さん」

 

 にこり、と目の前の新垣が微笑む。

 野球を止めて伸ばし始めたのだろう、髪の毛は前に見た時よりも長くなっていた。

 紺色のスーツに身を包んだ姿は初々しい新入社員そのもので、どちらかというとスーツに着せられているかのような印象だった。

 何よりも矢部が驚いたのは、新垣が随分と女性らしくなっていたことだった。

 そんな彼女を、矢部は思わず抱きしめる。

 

「きゃっ、ちょっ!?」

「なんで相談しなかったでやんすか……! めちゃくちゃ……めちゃくちゃ心配したでやんすよ!」

「……ごめん。でも、ずっと悩んでたんだよ。マネージャーになること。余計な心配かけたくなくて、あんたには黙ってたんだけど、彩乃さんとか、七瀬さんとかに」

「そう、だったんでやんすか?」

「うん。そうしたら、パワプロの耳にも入ったみたいで。……やれよって言ってくれたの」

「パワプロくん、が?」

「そうよ。『ここまで野球をやったことは無駄じゃない。プロ選手だった新垣にしかわからないこと、そして、新垣でしか支えられない人が必ず居る。だからやれよ。普通の野球選手とは違う道かもしれないけど――それが新垣の野球道なんだから』、って」

「……あ……」

 

 そこで、矢部は試合終了の時にパワプロが言ったことを思い出した。

『お礼は要らない』というのは、この事だったのだろう。

 思わず新垣の身体を離して、矢部がぶんぶんと頭を振るう。

 

「で、でも、なんで決めた後オイラに言わないでやんすか!」

「それもパワプロ。『正式に決まってから、矢部くんを驚かせてやろうぜ』って」

「ぱ、パワプロくんっ……!」

「でも、あんたのマネージャーになれたのは、監督やコーチが推薦してくれたの。私に、あんたを一番近くで支えなさいって。そう言ってくれたのよ」

 

 新垣の目に涙が浮かぶ。

 その姿を見て、矢部の脳裏に新垣の引退を知った時のことが思い浮かぶ。

 

『ずっと見てる。もう、キミの一番近くには居れないけれど、それでも、誰よりも貴方を見てるから』。

 

 形は、変わった。

 一緒のグラウンドに立って、一緒に白球を追うことは、もう出来ない。

 それでも――彼女は、また。

 マネージャーという立場で、自分の近くに、居られるようになったのだ、と。

 

「……新垣」

「な、何……?」

「今まで支えてくれて、ありがとうでやんす。そして、これからも、よろしくでやんすよ」

「……うんっ」

 

 新垣が笑顔を浮かべる。

 その笑顔を見て、矢部も笑顔を浮かべたのだった。

 

 

                十月五日

 

 

 カイザースは、苦手としていたバルカンズとのこの三連戦を三タテし、三位に浮上した。

 二位、パワフルズとの差も1,5ゲーム差と肉薄する。

 熾烈な戦いを繰り広げる三球団の争いは九月の下旬までもつれ込み、残り試合数が二桁を切っても殆どゲーム差は変わらなかった。

 そして、一〇月。

 残りいよいよ、二試合。

 普段のペナントレースなら順位が決まっていてもおかしくない場面でも、今年の優勝フラッグの行方は、まだわからない。

 一位キャットハンズ、二位0,5ゲーム差でパワフルズ、三位、首位と1ゲーム差でカイザース。

 四位のバルカンズ以下の球団に優勝の可能性はなくなり、覇権争いはこの三球団に絞られた。

 カイザースが残すのは、雨天中止になったキャットハンズ、パワフルズの二球団。

 まるで仕組まれたかのような残りカード。

 そして、この球界史に残る程の接戦となったこのシーズンの決着を占う試合が、今日、十月五日に行われようとしていた。

 キャットハンズ対カイザース。

 球場はキャットハンズの本拠地、肉球場。

 他のカードは無く、プロ野球ファンの視線が一点に集まる好カード。

 それを目の前にして、パワプロは一ヶ月前から痛めている脇腹にテーピングを施し、寮を後にした。

 ――本日の予想先発。

 早川あおいvs稲村ゆたか。

 ゆたかの二桁勝利と優勝を賭けて、パワプロはゆっくりと、肉球場に向かったのだった。

 

 



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第五二話 "カイザース" vsキャットハンズ最終戦①

       一〇月三日

 

 

「舘西が、怪我だと?」

「――はい。場所は右肘……靭帯や骨に異常はありませんが、筋肉の炎症だそうです。疲労が蓄積していたようで……今シーズンの登板は不可能かと」

 

 その日、パワフルズの首脳陣に飛び込んできたのは、耳を疑うようなニュースだった。

 ここまでチームを牽引してきたエース舘西の負傷。

 残りの試合は絶対に勝たなければならない。その中で、ここまでの勝ち頭であるエースが負傷することが何を意味するのかは誰にだって分かるだろう。

 

「……なんてことだ」

 

 呟いて、橋森は頭を抱える。

 残り試合数は二試合。

 バルカンズ、カイザース。

 その内、シーズン最終戦であるカイザースに当てようと思っていた舘西が怪我をしてしまった。

 ゲーム差は首位キャットハンズと0,5。三位カイザースとも0,5。

 最早一戦も負けられないこの佳境で、エースがまさかの負傷離脱。

 精神的支柱が欠けたそのダメージは、計り知れない。

 試合日程は五日、六日という二連戦だが、五日には森山が先発し、六日には舘西が先発するはずだった。

 パワフルズの先発陣は決して豊富とは言えないが、その中でも森山と舘西の二人は二桁勝利を達成し、貯金を七つ以上作るという、ローテーションの柱としての働きをしてくれている。

 その二枚をぶつけるという盤石な作戦は取れなくなってしまった。

 そうなれば先発ローテの三番手をカイザース戦に回すか、五日に先発予定だった森山をカイザース戦にスライドし、五日に三番手を登板させるしかない。

 だが、そう簡単にスライドさせられない事情もある。

 

「森山の今年のカイザース戦の戦績は散々、だったな」

「はい……三試合に登板し、負け星が三つです。やはり高校時代の先輩である葉波選手がいるのが影響しているのかもしれませんね」

 

 そう、森山とカイザースの相性は致命的なまでに悪い。

 森山がカイザース相手に投げれば負けるという印象すら有り、後半戦では意図的にローテーションをズラし、カイザースを徹底的に避けるという手段を取る程に、だ。

 かといって、三番手をあの好打者揃いのカイザース相手に、しかも優勝が掛かったシーズン最終戦の重圧も掛かる場面で先発させるなど、自殺行為に他ならない。

 

「プレッシャーの掛かる場面でなければ、三番手の大宮を先発させるという手もありましたが……」

「大宮は元々、谷間扱いから今年ローテに入った選手だ……プレッシャーには強くない……。せめて、プレッシャーに強ければ――」

 

 そこまで言った所で、橋森はハッと息を飲んだ。

 ――居る、一人だけ。

 プレッシャーが最も掛かる場面で登板し、シーズンの終盤には緊急登板から三回を抑え勝ち投手になった、ある程度なら長い回も投げることの出来るスタミナを持つ投手が。

 

「……、水海を」

「……あ」

「うむ。水海を、呼んでくれ」

 

 絞りだすような声で告げた橋森の言葉に、コーチが頷いて部屋を後にする。

 最早、取れる選択肢はわずかばかり。

 その中で最良の手を打つ。それが、橋森に出来る唯一のことだった。

 

 

              一〇月五日

 

 

 球場に到着した俺を待っていたのは、異様な空気感だった。

 誰も一言も喋らない。ピリピリとしたムードの中、黙々と試合に臨む各々のルーティーンワークを熟している。

 首位とのゲーム差、一ゲーム、二位とのゲーム差、0,5ゲーム。

 近年最大の混戦と言われるこのペナントレースも、残す所後二試合。

 カイザースが優勝する方法は残りの二試合を勝った上で、最終戦のキャットハンズ対バルカンズで、キャットハンズが敗北するというパターンのみだ。

 どちらにしろ、勝たなければ希望はつながらない。

 そんな大事な二試合の内、最終戦のパワフルズ戦には猪狩が登板することが確定している。

 そして、残った今日の先発に選ばれたのは――ゆたかだった。

 山口、久遠という好投手が控える中、監督が選んだのは、ゆたかだったのだ。

 ここまでゆたかは防御率3,20。勝数は九。

 今日勝てば、先んじて二桁勝利を達成している猪狩、久遠、山口の二桁勝利トリオの仲間入りになる。

 だが、そこに立ちはだかるはキャットハンズのエース――あおい。

 ここまで防御率は2,01、勝利数一五と、エースと呼ばれるに相応しい活躍を見せている。

 それでも、なんとか勝たせてやりたい。

 そんな今日の先発であるゆたかは、ロッカーで静かに座って、イヤフォンで音楽を聴いていた。

 ゆっくりと目をつむっているゆたかに近づく。

 ゆたかは俺の気配に気がついたのか、薄っすらと目を開けて俺を見つめた。

 

「あ、せんぱい。おはようございます!」

「……ああ。すげぇピリピリした空気だな」

 

 隣に座ると、ゆたかは耳からイヤフォンを外す。

 

「そうですね。皆緊張してるみたいです」

「……そういうゆたかは他人事だな」

「あ、えっと……わ、笑わないでくださいね?」

「笑わないよ。どうした?」

「……凄く、ワクワクしてるんです。こんな大舞台で先発に選んでもらえて、しかも、相手はキャットハンズのエース、早川あおい……甲子園でも味わえなかったくらいの、最高のシチュエーションで投げられる……そう思うとオレ、武者震いが止まらないんです」

 

 ぐっと拳を握って、ゆたかが前を見つめる。

 ……なんて頼もしい後輩だろう。

 そういえば、猪狩やあおいにも、こんな所が有ったっけ。

 プレッシャーの掛かる場面で、持ちうるポテンシャルを全力で発揮出来るメンタル。

 これが『エースの素質』ってやつなんだろう。

 大舞台を前に怯むのではなく、前を見据えて挑んでいく。

 そんな投手の前に座るのが俺の仕事だ。泣き言なんて言ってられない。

 例え身体を痛めていたとしても――俺も、持っている力を全力で出すぞ。

 

「ゆたか、ブルペンに入るか」

「はいっ!」

 

 ゆたかと一緒に立ち上がり、ブルペンへと歩き出す。

 ――いよいよ、キャットハンズとの最終戦の火蓋が、切って落とされようとしていた。

 

 

                  ☆

 

 

『本日のスターティングメンバーを発表致します。先攻、カイザースのスターティングメンバーは。

 一番センター相川。

 二番セカンド蛇島。

 三番ショート友沢。

 四番ファーストドリトン。

 五番サード春。

 六番ライト近平。

 七番レフト飯原。

 八番キャッチャー葉波。

 九番ピッチャー稲村、以上でございます。

 そして、後攻――キャットハンズのスターティングメンバーを発表致します!

 一番セカンド木田。

 二番ショート小山雅。

 三番キャッチャー猪狩進。

 四番サードジョージ。

 五番ライト上条。

 六番ファースト鈴木。

 七番センター佐久間。

 八番レフト水谷。

 そして、本日の先発ピッチャー……九番、ピッチャー、早川あおい!』

『さあ、いよいよ始まります大一番! この大一番に迎える解説は、ミスター猛打賞、古葉良己さんです』

『よろしくお願いします』

 

 ピッチャーが呼ばれた瞬間、爆音のような歓声が球場を包み込む。

 観客の期待を背に受けて、姿を現すはキャットハンズのエースナンバー『18』を背負うお下げ髪の女性。

 アンダースローで一三〇キロを叩き出し、ストライクゾーンの隅を的確に突くコントロールと、シンカー、カーブ、ツーシーム、そして決め球のマリンボールを操るレ・リーグ最高の技巧派投手。

 フロントドア、バックドアといった投球術を使いこなし、ここまで一五勝、貯金一二をチームに齎している強敵。

 今日は、その投手を打たなければならない。

 始球式が終わって、相川さんが左のバッターボックスであおいを睨みつける。

 あおいはこともなげにその視線を受け止めて、

 

 スパァンッ! とスピンの掛かったキレの有るストレートで、外角低めを射抜いた。

 

 ストライク! と審判がコールする。

 相川さんのバットはピクリとも動かない。

 あおいは進の返球に笑顔を返して、ロージンバッグを指先に付けると、続く二球目を投じた。

 二球目はマリンボール。ストレートと同じ軌道で内角からボールがワンバウンドする。

 相川さんはそれを空振った。ストレートを二球続けてきたと思ったのだろう。

 相手バッテリーは一球外のボールで外し、ツーストライクワンボールとカウントを整えた後、内角に、マリンボールを投げ込んだ。

 身体にぶつかりそうな角度から、マリンボールはストライクゾーンを掠り、進のミットに収まる。

 相川さんは内角へのボール球だと思ったのだろう。バットを振ることすら出来ない。

 

「ストライクバッターアウト!」

 

 手も足も出ないという印象を残して、一つ目のアウトカウントが灯る。

 続く二番蛇島は、二球目のインハイへのツーシームを打たされてショートフライ。

 三番の友沢は初球から振っていくが、これも読まれていたのか、外角から逃げていくマリンボールを打たされて、セカンドゴロに打ち取られる。

 わずか七球で、一回表のカイザースの攻撃は終わった。

 ゆたかとのキャッチボールを終え、ゆっくりとフィールドに足を向ける。

 震える程の緊張感。それでも、この舞台に立てる事が何処か誇らしい。

 怯える気持ちなど微塵も無く、俺はキャッチャーズサークルに立った。

 震える身体が、俺に訴える。

 野球しようよ、と。

 俺はその欲求に従って、声を張り上げた。

 

「――締まっていくぞ!」

「! ……はいっ! 締まっていこー!」

「……高校野球かパワプロ。懐かしい掛け声だな。……だが、締まっていくぞ!」

「そんなマヌケな掛け声に付き合わされる身にもなって欲しいですねぇ……。稲村、打たせてこい! この蛇島がどんなボールでも取ってやる」

「俺も気合入れないとね。締まっていこう! サードは任せて!」

「締まっていくぞ! 今日は俺がホームランを打って勝つ! 葉波よりは絶対活躍するぜ!」

 

 思わず叫んだ俺の声に呼応して、マウンドから、ショートから、セカンドから、サードから、ライトから――全てのポジションから、声が帰ってくる。

 それが無性に嬉しくて、俺はにっと頬を釣り上げた。

 この最高の仲間たちと優勝する。そのためにも、今日は絶対に勝つ!

 

『バッター一番、木田』

 

 好打者木田が右のバッターボックスに立つ。

 今年も打率三割が確定している木田だが、出塁は絶対に許さない。

 立ち上がり、ブルペンではゆたかの調子は良さそうだった。それを信じて、まずは外角低めのストレートから要求する。

 まずは実践での、ゆたかの調子を確かめたい。ブルペンでは良くても試合のマウンドでは余り良くなかった、なんてことはよく有ることだからな。

 俺がサインを出すと、ゆたかはコクリと頷いて、足を上げた。

 ポン、とフォームの途中でミットを一つ叩き、出処の見辛いフォームからゆたかが一球目を放つ。

 彼女の投げたボールは、まるでミットとボールに磁石が仕込まれているかのように寸分違わず俺の構えた所に投じられる。

 ズバァンッ! とミットを切り裂くような快音が響き渡った。

 

「ストライク!」

『外角低め! 木田、手が出ません!』

 

 震えが走る程の完璧な球だ。

 痛めている脇腹にビリっとした痛みが走るが、そんなことが気にならない程の快音に俺は感動すら覚える。

 この負ければ優勝の可能性が消失する試合の立ち上がり、一球目にこんなボールを投げられるゆたかの精神力は、ともすればベテランの選手すら凌駕しているかもしれない。

 ゆたかはまだローテに定着して一年目だ。殆どルーキーと同じ彼女が、久遠や山口を差し置いてこの試合のスターターに選ばれたことに疑問を覚えるファンやメディアも居ただろうが、このボールを目の当たりにすれば、誰しもがゆたかが先発であることに納得するだろう。

 一度靭帯の再建手術が必要なほどの最悪な怪我を経験し、投げられないという地獄を味わったゆたかにとって、この重圧は寧ろ、味わいたくてしょうがなかったものなのだろう。

 その証拠に、初球を投げ終えたゆたかの表情には笑顔が浮かんでいた。

 ……ったく、似たもの同士だな、俺とゆたかは。

 ――俺も、この最高のボールを、こんな痺れる試合で受けられることが楽しくて嬉しくてしょうがない。

 ビュッ、とゆたかにボールを返し、二球目のサインを出す。

 今度も外角。ただしボールはスライダーだ。

 ストライクゾーンから逃げるような縦のスライダーを要求する。

 ゆたかは頷き、テンポ良くボールを投じた。

 投じられたボールは先程のストライクゾーンよりバッターの近く、しかし低めに投げられた。

 その低めから、更に地面をえぐるようにボールは落ちる。

 そのボールに木田は反応し、スイングするが、途中でなんとかバットを止める。

 

「スイング!」

 

 俺が指を回し、バッターがスイングしたと球審にアピールすると、球審はファースト塁審を指さして確認をする。

 ファーストの塁審が拳を掲げ、スイングしたという判定を下すと、審判がストライクを宣告した。

 これで追い込んだ。

 ウイニングショットのスライダーもバッチリだ。今日のゆたかの調子は好調と言っていいだろう。

 とはいえ、気を緩めて良い訳じゃない。目の前の打者を全力で抑えるぞ。

 もう一球決め球のスライダーで木田を打ち取り、ゆたかがふぅ、と一息を吐く。

 木田を打ち取れたのは大きいな。次の小山が当たってるだけに、ここで出塁を許したら初回から苦しい展開になる所だった。

 

『バッター二番、小山雅』

 

 ポニーテールを揺らしながら、小山がヘルメットを被りつつ打席に立つ。

 後半戦に入ってからショートのレギュラーに定着した小山は、規定打席には届かないものの三割を打っている。

 守備もさることながら、打撃でも戦力になり始めたのはキャットハンズにとっては大きいだろう。

 

「勝負、だよ」

「……ああ」

 

 小声で言った小山に応えて、俺はふぅ、と息を吐く。

 さて、と。

 小山の得意ゾーンは幅広い。非力だが、意外に長打も放つ事のできる打者だ。安易に内角を攻めれば外野の頭を上を越えられるだろう。

 更にビハインドの後半では五割以上の打率を残している勝負強さを持つ。

 後半戦に入った約七〇試合で五度ものサヨナラ打を放っていることからも、それは伺える。

 そんな打者に対しては――無論、他の打者にも必要だが――"一打席ごとの勝負"ではなく、"試合ごとの勝負"を意識したリードは特に重要となってくるだろう。

 と考えると、安易にスライダーを続けるのはよろしくない。

 いくら目の前の一打席一打席に集中しなければならないと言っても、だ。

 ゆたかの使えるボールはストレート、縦スライダー、チェンジアップ、カーブ。

 ここは緩急を使うか。続く進、ジョージの前にランナーは出したくはないが、単打ならこちらの勝ちというつもりで、思い切って攻めよう。

 初球はアウトコースのチェンジアップ。ゆたかのチェンジアップは決め球にこそならないが、使えないボールってわけじゃない。

 俺のサインに頷いたゆたかが腕をふるう。

 初球、小山はそれをしっかりと見送った。

 

「ストライク!」

 

 ……ぴくりともバットが動かなかったな。

 嫌な感じだ。見極められたか、読まれて敢えて見逃されたか。

 だが、どちらにしろワンストライクを取れたのも事実。それならその優位を使うだけだ。

 続いて外低めへの際どいストレートでストライクを取れ、一球外に外して、最後は縦のスライダーで小山はピッチャーゴロに打ち取った。

 ふ、ぅ。一打席目なのもあって、相手がゆたかにアジャスト出来てなかったな。

 だが、それでも縦スライダーにバットが当たっていたことを考えると、やはり小山の状態はかなり良さそうだ。

 三番の進はライトライナーで打ち取って、初回が終わる。

 三者凡退……順調な立ち上がりだ。この調子でいけばクオリティスタートは固いけど、ただでさえ緊張するであろうこの試合に、一年間ローテを守ったことのないゆたかが登板しているんだ。気をつけないと。

 シーズンの累積疲労も有る。投手の状態は注意しとくに越したことはない。

 

「ゆたか、ナイスピッチ」

「ありがとうございます!」

 

 ゆたかとグローブを合わせながら、ベンチに戻る。

 回は二回の表、カイザースの攻撃はドリトンからだ。

 一応打席が回ってくるかもしれない。防具は外さないままで準備はしておこう。

 思いながら、ふと視線を感じてそちらの方を向くと、マウンドに立つあおいとばっちりと目が合った。

 あおいはボールを弄りながら、俺の方をじっと見ている。

 ……俺との対戦を、楽しみにしてくれているのだろうか。

 あおいは俺に向けて微笑んだ後、防具を付けているが為に遅くなった進に向けて投球練習を始めた。

 "一緒に野球やるの、やっぱり楽しいね"

 ……その微笑みに込められたそんな言葉が聞こえた気がして、俺はあおいの投球練習をじっと見つめた。

 楽しいけど、手強いな、あおいのチームは。

 バットをケースから引き抜き、ぎゅっと握りながら、俺は息を吐く。

 この回、俺に打席が回ってくるとしたら、必ず得点圏にランナーが居る場面だ。

 そんな場面であおいと戦えたら――、そう思うと、ぞくぞくしてくる。

 

『バッター四番、ドリトン』

「ハッハッハ! 大舞台デ強イ、ソレガ、アメリカダ!」

 

 ブンブンとバットを振り回しながら、ドリトンが右打席に立つ。

 あおいが進からのサインを受け取り、ボールを投じる。

 初球は外角のカーブ。ぐにゃりと意志を持つかのように曲がるボールをドリトンは豪快に空振る。

 ドリトンは初球から積極的に来る打者だ。良くも悪くもストライクゾーンの届く所に来たら、全力で振る。

 そのスタイルは成績を見れば一目瞭然で、打率は二割五分台と低迷しているが、ホームランはカイザースの中で唯一四〇本台の大台に到達している、四三本だ。

 このドリトンが返しそこねた打者を、後続の春、近平で返すというのがカイザースの得点パターンなのだ。

 前の打者が塁に出れば、一発で複数得点が入るリスクが有り、こうして先頭打者に立てば一撃で得点が入る可能性がある打者。

 打率が低いため叩かれることも多いが、逆に賞賛されることも多い、魅力的な長距離砲だろう。

 1-0から、進の動きが止まる。

 ……ふむ。外のカーブから入ったということは、一発警戒と見て間違いない。

 ならば、次も外を攻めたいが――球種を迷っているのだろう。

 俺ならばここは外角低めのストレートを使うが、進が迷っているのはツーシームを使うかどうかだろう。

 ツーシームのバックドアを使ってストライクを取るか、そのままストレートで際どい所を狙うか、変化球を続けるか。

 或いは、他の打者ならツーシームを使っていたかもしれない。アレは分かっててもなかなか打てる球じゃないし、外にウィークポイントがあるドリトンには非常に有効に思える。

 だが、ドリトンはストレート、特に"動くストレート"、つまりはムービング系の球にはめっぽう強い。

 レギュラーリーグ経験が有るお陰だろう。アメリカにはボールを動かす投手は多いからな。その第一線でプレーした経験が活きているのだ。

 ……あおいのコントロールは球界ナンバーワンだ。

 そういう投手をリードする捕手はかなり気を使う。

 しかもペナントレースの最終盤ともなれば、プレッシャーも有ってかなり慎重にならざるを得ないだろう。

 進が息を吐いて、サインを出す。

 選んだボールは、

 

 ――外低め、ストライクゾーンに入ってくるツーシームだった。

 

 ドリトンは、それを勢い良く踏み込んで振っていった。

 バットにボールが当たった瞬間、ファースト方向に痛烈な打球が転がる。

 

「ハッハー!」

『打った! 痛烈な打球はライト線!』

 

 痛烈なゴロとなった打球は、ファーストの鈴木の右、ライン際へと猛スピードで転がっていく。

 だが、抜けない。鈴木が素早く打球方向に入っている。守備範囲内だ。

 取られる――。

 そう思った瞬間、

 

 ガツン!! とボールがベースに直撃した。

 

 目を疑ったのは俺だけじゃないだろう。

 ベースに直撃したボールは高く弾み、鈴木の頭を超えてライトへと抜けていく。

 脚の早くないドリトンは、それでも全力疾走でファーストベースを蹴ると、セカンドベースに滑りこんだ。

 ライトが慌てて捕球し、内野へとボールを戻す。

 

『なんと! カイザースにとっては幸運! キャットハンズにとっては不運! 打球がベースに当たり大きく跳ねてファーストの頭を超えてライトへ! 打ったドリトンはセカンド到達~!』

 

 よしっ! 運が良かった部分も有るがランナーが得点圏に進んだ!

 しかもノーアウト。先制の絶好のチャンス。

 更に、打順は五番の春。得点圏四割を打つ、球団随一の勝負強さの打者だ。

 にしても、進の奴、ツーシームを選んだな。

 しかも打球は痛烈だったとはいえ、打ち取っていた当たりだった。

 ……ツーシームは、進とあおいが協力して作り上げた球種なんだろう。バックドアという投球術を使うというのも、二人が作りあげた投球だ。

 進は、ああいう迷う場面で自分たちが作った"形"を優先した。

 つまり、根っこの所には確固たる自信が有るんだ。自分たちの作り上げた投球は打てないという、いつもどおりにやれば、自分たちは負けないという自信が。

 武者震いが身体に走る。

 ――これが連覇を続ける"王者の野球"なのだと、グラウンドに立つあのバッテリーがその姿で知らしめて来るから。

 

『バッター五番、春』

 

 なら俺達は、その王者にただ、挑むだけだ。

 

「春! 打てよ!」

「ん、うん。"集中してくる"よ」

 

 俺の檄に春が頷いて、一番頼もしい一言を返してくれる。

 春の"集中する"という一言は、たぶん、俺達で言う"打ってくる"と同じ意味だから。

 右の打席に立った春の瞳が、あおいを捉えて離さない。

 あおいと進バッテリーは、その視線を受けて尚、全く動じない。

 初球、内角低めギリギリ一杯に、ストレートをビシっと決める。

 

「ストライク!」

 

 あのストレートは打てない。ただでさえ今日の試合初打席に、そんな際どいコースに、しかもインコース低めに投げられて反応出来る打者は球界でも指で数えられるくらいしか居ないだろう。

 二球目はもう一度内角低めへマリンボール。ただし、コースは低めに外れたボール球だ。

 それを、春は空振ってしまった。

 くっ、ストレートと同じコースで急降下したか。前のボールがちらついて、思わず手が出てしまったのだろう。

 二球で追い込まれて2-0。ここまでは完全に見下されたような投球をされてしまっている。

 ここはセオリー通りなら一球外してくる場面。

 あおいと進の選択したボールは、

 

 外からの、マリンボールによるバックドアだった。

 

 それを、春は踏み込んでバットを振っていく。

 読んでいた訳ではないだろう。内角、内角と来て外一球外すまでは予測出来るだろうが、そこからストライクゾーンに入ってくるというのは予想の外のはずだ。

 しかも、相手はあおい。内角二つ続けられた後、ただでさえ打ちづらく、ボールゾーンに来やすいこのカウントで、外を狙って踏み込むなんて、打者として思考していたら、まず考えつかない。

 春のバットが、ボールにぶつかる。

 打球は小さなフライになってしまった。

 だが、コースは面白い。セカンドとファーストのちょうど真ん中のコースだ。

 

「落ちろ!」

 

 春が言いながら走る。

 その声に従うかのように、ボールはちょうど真ん中にポトンと落ちた。

 

『落ちたー! 打ち取った当たりも飛んだコースが良かったか! カイザースチャンス拡大! ノーアウト一、三塁の大チャンスを作ります!』

 

 浅いフライだったせいでセカンドランナーは帰れなかったが、三塁に進んでノーアウト一、三塁。

 バッターは今シーズン、打者として頭角を表した近平になる。

 

「おっしゃぁぁぁ!」

 

 バットを握り、近平が左打席に向かう。

 進はそれを見ながら、あおいに駆け寄るまでもなく、マスクをかぶり直してその場に座った。

 ……ここは一声掛けても良い場面だ。だが、進はそうしなかった。

 これがテンパっての事なのか、それとも、そうする必要すらないと思っているのか。

 ここは外野フライでもこっちが先制。この大一番、慎重に慎重を重ねるのは悪いことじゃないと思うけど……。

 そう考える俺を尻目に、キャットハンズの守備陣はこの序盤から前進守備を取った。

 あくまで、一点もやらないつもりなのか。

 あおいと進のバッテリーは外角低めへストレートを投じる。

 近平は今シーズン、既に二七本の本塁打を放ち、打者としての才能を開花させつつある。

 そんな彼相手に、外野フライを打たせない、というのは難しい。

 俺が捕手なら、一点は上げても良いというリードをするが、進あおいバッテリー、キャットハンズは一点も与えるつもりはないようだ。

 あおいはふぅ、と一息吐くと、進のリードには一切首を振らず、ボールをインコースへと投じた。

 ベルト高から真っ逆さまに変化するマリンボールに、近平が目一杯バットを振っていくが当たらない。

 またツーストライクノーボール。こうもポンポン際どい所にボールを投げられたら、打者としてはたまったものじゃない。

 近平がバットを構えなおす。

 キャットハンズバッテリーのサイン交換は、一瞬で終わった。

 あおいが弓を彷彿とさせるテイクバックから、腕を振るう。

 ボールは、一直線に内角低めに向かって放たれた。

 また三球勝負……!?

 俺が驚愕したと同時に、おそらく、近平も同じように驚いただろう。

 そして同時に憤ったはずだ。舐めるな、と。

 前進守備という一点もやらない姿勢を取ったにもかかわらず遊び球を使わない三球勝負。そんな攻めをされた打者は、近平と同じように『舐められた』と感じるだろう。

 強気は時として攻めを単調にする。そうなれば、プロのバッターは造作もなくそのボールを捉えることが出来るだろう。

 だが、そんな俺の考えを嘲笑うかのように、ボールは低めへと更に変化した。

 ボールが引っ張り気味の緩いゴロになる。

 ファーストの鈴木が前進してそのボールをキャッチし、セカンドにボールを投じる。

 セカンドの木田がベースを踏み、ファーストへと素早く送球を返すが、間一髪近平の足がベースを駆け抜けた。

 ドリトンは鈍足だ。今のボールじゃ、ホームには帰れない。

 これで、ワンアウト一、三塁。

 

「ナイスボール、早川先輩」

「うん!」

 

 二人のやり取りをネクストに向かいながら、じっと見つめる。

 ……今のキャットハンズバッテリーの攻め。舐められていたように感じてもしょうがない。アレは――実際に、見下していたんだから。

 二七本塁打を放った打者である近平を、三球勝負で抑えるビジョンが、二人に共通して見えていたんだ。

 いや、近平だけじゃない。多分、カイザースの二~四番以外は全て。

 思えばドリトンのツーベース、春のヒットという、この回のヒット二本とも、こちらにとって幸運だっただけで、実際は打ち取られていた当たりだった。

 その事実に気づき、俺は背中に冷風を掛けられたかのように、ぞくっとした悪寒を

感じる。

 ……シーズン中に戦った時とは違う、シーズン最後の山場の全力のあおいは、そこまでなのか。

 まるで、高校時代の猪狩と戦った時のような――いや、それ以上の威圧感をバッテリーから感じて、思わず生唾を飲み込む。

 目の前では、俺の前の打者である飯原さんがピッチャーフライに打ち取られた所だった。

 打撃に定評のある飯原さんも、赤子の手をひねるようにやられた。

 

『ノーアウト一、三塁のチャンスが瞬く間にツーアウトに! ここで迎えるバッターは高校時代、キャットハンズバッテリーと甲子園を共にした、葉波を迎えます!』

『ここでカイザースは一点でも取りたい所ですね』

 

 ふぅ、と息を吐き出しながら、右打席に立つ。

 近平、飯原さんとくらべて俺の打撃技術は劣っている。

 でも、相手はあおいと進だ。あおいの球筋は良く知っているし、進のことも理解している。

 だったら、臆することはない。全力でランナーを返すだけだ。

 あおいが腕を引き、ボールを投じる。

 初球は外角低めのボール球。それを俺はしっかりと見送った。

 ……明らかに、この回の今までの打席の打者とはリードが違う。

 おそらく、俺が二人を理解していることを、キャットハンズバッテリーも分かっている。

 だからこそ、こうして初球ボールから入って、慎重に組み立てようとしているのだろう。

 二球目、選ばれたボールはインローのストレート。

 浮き上がるようなストレートを、俺はスイングする。

 スパァンッ、と背後でミットの音がした。

 空振りでワンストライク。でも、スイングしても脇腹の痛みはなかった。

 これなら、打撃にだけ集中出来そうだ。

 外角低め、内角低めにストレートを続けた。

 次で追い込みたいはずだ。と、考えれば、俺の不得意なコースであるインコースにボールを見せたい。

 ただ、変則的なタイプと俺の相性は良い。特にあおいの球質は見慣れてる。

 それ故、安易には来ないだろう。

 と、なれば――インコースのボールからストライクになる変化球で来る。

 つまり、"フロントドア"のカーブだ。

 それに狙いを定めて、息を吐く。

 あおいがセットポジションに入る。

 一度決めたら、迷わない。

 後は自分を信じて――振りぬくだけだ。

 低めからリリースされたカーブは、普段どおりならば一度浮き上がり俺の視界から一瞬消え、肩口から曲がりながら姿を現す。

 だが、カーブだと分かっているのならば。

 あおいが構えた瞬間、意図的に身体とスタンスを僅かに開かせる。

 その動きで進は察しただろう。だが、遅い。

 投じられたあおいのカーブは、スタンスを開いたことで広がった視界の中で、消えることなく浮き上がってくる。

 俺はそれに狙いを定め、予め開いていたことで反応しやすくなった内角の球をしっかりと軸回転で弾き返した。

 同時に、脇腹に痛みが走る。

 つっ……! 身体を開いて打ったせいか……っ。

 だが、しっかりと弾き返したボールはサードとショートの間を痛烈に抜け、レフト前のヒットとなる。

 

『打ったー! 三遊間抜けてレフト前! カイザース先制ー!』

『完全に読んでいましたね。インコース、身体にぶつかりそうな所からストライクゾーンに入ってくる変化球……いわゆるフロントドアですが、早川くんと猪狩進くんのバッテリーのことを葉波くんはよく知っています。自分がインコースを苦手にしていることを分かっている上で、キャットハンズバッテリーが苦手なコースをただ狙ってくるのではないとしっかり読んでいたのでしょう。この読みこそ、葉波くんの真骨頂ですね。打撃センスはあまり感じないのですが、それを補って余りある読みです』

『なるほど、古葉さんは葉波選手のことをよく知っているんですね?』

『ええ、プライベートで親交が有りまして』

 

 ファーストランナーの春はセカンドでストップして、ツーアウト一、二塁。先制点を取れたのは大きい。

 打った時に痛みが走ったのは気になるけど、今のは痛みがなかった。打撃の時、身体が開くと痛みが出るのかもしれないな。

 あおいはマウンドからちらりと俺の方を見た後、気を落ち着けるように息を吐き出し、続くバッター、ピッチャーのゆたかを三振に打ち取った。

 これでスリーアウトチェンジ、二回の表が終了する。

 二回の裏、バッターは四番のジョージから。

 甘く入ったチェンジアップをヒットにされたものの、続く五番上条をセカンドゴロ、六番鈴木をピッチャーフライに打ち取りツーアウト。

 そして七番佐久間の佐久間をスライダーでしっかり空振り三振に打ち取った。

 ふぅ、アウトこそ取れるが、流石に楽には行かせてくれない、頭を使うぜ。

 でも、ゆたかの調子は悪くない。このままの調子でいけば抑えられるだろう。

 三回の表、相川さんは内角のボールを振らされて三振。蛇島はセカンドゴロ、友沢はライトフライで攻撃が終わる。

 さくさくと攻撃が終わってしまったか。キャットハンズは守備から攻撃のリズムを作るチーム。気をつけないとな。

 三回裏、打順は八番の水谷からだ。

 八番打者とあって打撃力は低いが、それでも俺より打率は高いし、ホームランも打っている。

 勝負強いという印象はないものの、油断して出塁を許せば次は九番のあおいから上位打線に回る。

 ここで出塁を許す訳にはいかないぞ。

 データ的に見れば水谷は外角に弱い。逆に意外なパンチ力が有り、打率に比べて長打率は高めだ。

 ここは低めを丁寧に攻めよう。

 まずは外低めにストレートから。

 ゆたかがボールを投じるが、構えた所より低く外れる。

 

「ボール!」

 

 外れたか、次もアウトコース低めに、今度は縦のスライダーだ。

 しかし、今度もボールは低く外れてしまった。

 

「ボールツー!」

「大丈夫だゆたか、ボール来てるぞ!」

 

 ゆたかにボールを返しつつ、息を吐き出す。

 ノーツーか、ボールカウント先行になることは多々あるけど、先頭打者へのフォアボールは失点に繋がりやすい。

 かと言って、不用意にストライクを取りに行くのも避けたい場面。

 それなら、縦のスライダーを真ん中付近から落とそう。コースを狙わなくて良い分、ゆたかもストライクを狙いやすいだろう。

 サインを出し、ゆたかが頷いてボールを投げる。

 だが、指が引っかかってしまったのか、ボールはベース手前で大きく弾むボールになってしまった。

 ゆたかがマウンド上で息を吐き出す。

 ボール先行になってしまったせいで、余計な力が入ってるみたいだな。

 ストレートのサインを出して外角に構えるが、そのボールも外れて、ストレートのフォアボールになってしまった。

 

「ボールフォア!」

『あっとこれはいけません! ストレートのフォアボールでピッチャーはラストバッターの早川選手に回ります!』

 

 マスクを外し、タイムを取ってマウンドのゆたかに近づく。

 ゆたかはバツが悪そうに帽子を被り直した。

 

「ごめんなさい、せんぱい……フォアボール、出しちゃいけないと思ったら力んじゃって」

「そんなことより、今日のゆたかはなんだか可愛いなと思って言いに来た」

「ふぇっ!? な、なな、何をいきなり言ってるんですかっ、嬉しいですからもっと言ってください!」

「ははは、ゆたかって結構図々しいというか積極的だよな。ピッチングもその調子で行けば大丈夫だよ。一点あげたってまだ同点なんだ。フォアボールも気にすることないって」

「え? あ、そういうことですか。……もぉ! そういうので投手をリフレッシュさせるのは良くないですよ! 乙女心を踏みにじってますから!」

「本心だよ。でも、次は格好いい所を見せて欲しい。俺はゆたかが打者を抑えてる所を見るのが、一番好きだからさ」

「むぅ……真意が見え見えの言葉でも嬉しいのが困る……。……わかりました。次のバッターは早川あおいですからね。ビシっと抑えます!」

「おう、その調子で頼むぜ」

 

 ポンポン、と頭を軽く叩いて、キャッチャーズサークルに戻る。

 見れば、ゆたかは腕をぐるぐると回して気合を入れなおしていた。

 よし、これなら崩れることもないな。

 マスクをかぶり直していると、打席にやってきたあおいがジト目で俺を睨みつける。

 

「どんな言葉でたらしこんだの?」

「たらしこんでねぇよ! 励ましただけだ!」

「うっそだー、ただ励ましただけで顔が赤くなったり喜んだりがっかりしたりしないでしょ? ボクも何回もマウンドでパワプロくんの言葉に騙されたもん」

「ぐっ……実体験を交えて言われると否定出来ない……!」

「あはは。お手柔らかにお願いね、パワプロくん」

「それは承諾しかねるぜ。なにせ相手が超一流の選手なんだ。加減なんかしてたら一気に食われちまうからな」

 

 俺の言葉に微笑んで、あおいがバットを寝かせて構える。

 まあ、ここはバントだよな。

 あおいのバントは可もなく不可もなくと言った感じだ。

 ただし、打撃は流石に悪く、打率は一割も無いし、打点も〇だ。

 ここは恐れず高めに直球を投げさせてバントを封じに行く。

 ゆたかが左腕を振るう。

 あおいはそのボールを初球で三塁側に殺した。

 っ、上手い……!

 マスクを外しボールを掴みセカンドを伺うが、間に合いそうもない。

 しっかりと一塁に送球し一つ目のアウトを取ってこれでワンアウト二塁。

 ゆたかのボールはキレを感じると言っても一四〇キロ弱。あおいにとってはバントしやすい球なのだろう。

 ともあれ、これで得点圏にランナーが進んだ。

 バッターはトップに戻って木田、小山、進と続く。

 ランナーを一人許せば進との勝負になる。そうなればかなり厳しいと言わざるをえない。

 ゆたかには一点あげてもいいと言ったが、ここは最高のボールを使って抑えたい。

 まずはインコースに縦のスライダー。

 木田は積極的なバッター。インコースにくれば間違いなくバットを振ってくる。

 それを利用して、スライダーでファーストストライクを取ろう。

 ゆたかが頷き、ミットへ向かってボールを放る。

 流石の精度で、ゆたかは俺の構えたミットへとスライダーを投げ込んだ。

 木田のバットが空を斬る。

 

「ストライク!」

 

 よし、狙い通りだ。

 次もスライダー、正し今度は外から落としてギリギリを狙う。

 ファーストストライクを取ったことで、積極的な木田でもきわどい所は見極めようとするはずだ。

 ゆたかが投じたスライダーは狙い通りの所に来る。

 木田はそれをスイングした。

 ボールにバットが掠る音が聞こえて、俺の右をファールボールが抜けていく。

 これで追い込んだ。後はボール球を使って打ち取るだけだ。

 外、内とストレートを外し、カウントを2-2にした後、ゆたかの伝家の宝刀である縦スライダーで空振り三振に木田を打ち取る。

 これでツーアウト二塁。

 

『バッター二番、小山雅』

 

 ポニーテールを揺らし、二度目のバッターボックスに小山が立った。

 ……さて、次は進だ。ここで是が非でも打ち取っておきたい。

 しかし、この小山も打率三割を超える好打者だ。油断すればヒットを打たれる可能性は高いだろう。

 ……攻めが難しいが、ここはゆたかの力を信じてスライダーを軸としたリードで行くしかないか。

 俺のサインにゆたかが頷く。

 外角低めいっぱいを狙ったストレートが投げ込まれるが、ストライクゾーンからボール一つ分ほど外れてしまった。

 今のは見せ球だ。ストライクを取れなかったのは残念だけど、これでまだ五分五分。次はインコースにカーブ。甘くさえ入らなければ、ストレートを見た後なら、引っ張って打ってもファール。おっつけて打ってもゆるいボールなら、小山の力なら内野の頭は超えにくい。

 ゆたかはストレートよりも変化球の方が制球力が有るタイプだ。甘く入ることはそうそうない。

 投げられたカーブを、小山が強く引っ張る。

 ボールはサードの横を抜けてファールになった。

 ここまでは予定通り。だが、小山の視線はゆたかから外れない。

 ……普通の集中力じゃない。

 つ、と汗がマスクの内側を流れる。

 まずい、気迫に押されているのが、自分でも分かる。

 小山雅は、俺には絶対に敗けたくないんだろう。その負けん気の強さが、この集中力につながっている。

 でも、恐れる事じゃない。俺にはゆたかがいる。一人じゃないんだ。

 す、とミットをもう一度インコースに構える。

 配球は縦のスライダー。カーブよりも速くストレートよりも遅い。切れ味抜群の変化球。

 ゆたかはロージンを指先に丁寧に塗った後、ふっと白い粉を息で飛ばして、構える。

 そして、俺のミットめがけてスライダーを投げ込んだ。

 そのボールを、小山はバットで打ち返した。

 だが、勢いはない。ぼてぼてのゴロとなったボールは、ショートとサードの間、少しショート寄りの方へと転がっていく。

 

「抜けろ――!」

 小山が叫びながら全力で走る。

 くっ、勢いが無い上、いやらしい所に跳びやがって……!

 春はサードから出かけるが、サードベースへと戻り、打球を友沢に委ねる。セカンドランナーがサードに走るかどうかの確認のために一度ボールから目を切ったことで、一歩目が遅れたからだ。

 友沢は快速を活かし、ボールに真っ直ぐ突っ走る。

 回り込むことなく最短距離でボールへと到達した名手は、グローブを使わず素手でそのまま打球を鷲掴むと、そのまま体を反転させてファーストへとボールを投げた。

 俺のベストの送球と見紛う程のスピードでボールはドリトンのミットへと収まるが、それよりも速く小山の足がファーストベースを駆け抜けた。

 

「セーフセーフ!」

『友沢の凄まじい送球も及ばず内野安打!』

『レギュラーリーガーかと思う程の送球でした。あれで間に合わないのなら仕方ないでしょう』

 

 凄いプレーだ。今のでアウトを取っていたら、まず間違いなくニュース番組のピックアップシーンに取り上げられただろう。

 でも、そんなプレーを持ってしてもセーフになった。

 嫌な流れだ。今までこちらに吹いていた追い風が、突如逆風になる感覚。

 そんな場面で迎える打者は――三番、進。

 

 マスクをかぶり直す前に汗を拭う。

 ツーアウト一、二塁。

 パシン、と頬を叩いて気合を入れ直す。

 進を、抑えるぞ。

 座り直して、進の背を見つめる。

 広角に打ち分ける技術と抜群のバットコントロールを持った進なら、ゆるいボールから入れば痛打されるかもしれない。

 ワンヒットで同点、それなら、インコースのストレートから入ろう。

 俺の出したサインに、ゆたかが首を振って、帽子を取って汗を拭いながらマウンドの足元を均す。

 投げにくいのも有るんだろうけど、これはどちらかというと、時間を取ったんだ。……俺のために。

 ゆたかの意図が分かって、俺はぐっと拳を握りしめる。

 そうだよな、まだ三回なんだ。一点を恐れて初球からインコースをストレートで攻めちゃダメだ。もしも長打を打たれたら、ボールがバットに当たった瞬間にスタートを切るこのツーアウト一、二塁という場面だと、二点を取られてしまう可能性が大きくなる。

 なのに、ここで一点を恐れてインコースストレートという選択をするということは、ただ、『頼むから打ち損じてくれ』と、駆け引きから目を背けて相手の失敗を祈り、運に身を委ねているだけだ。

 本当に戦うつもりなら、ここは腰を据えてじっくり攻める。一点を取られても同点、回はまだ三回。しんどくても、脳みそが爆発しそうなくらい考えることになっても、脇腹の刺すような痛みを堪える事になったとしても。

 ――戦って勝利をもぎ取る。そういう選択をするんなら、ここはインコースのストレートじゃない。アウトコースのスライダーが、きっとベスト。

 俺たちの持ちうる最高の武器で、戦おう。

 ゆたかが構え直した所で、俺は改めてそのサインを出す。

 ゆたかはそれに頷いて、スライダーを投げ込んだ。

 そのボールで進の体勢が崩れる。だが、キャットハンズ一の巧打者は、ぐっと堪えながらバットを振り、レフトへとボールを打ち返した。

 サードとショートの間を打球が抜けていく。

 セカンドランナーがサードを蹴って、ホームに戻ってくる。

 レフトの飯原さんからショートへとボールが渡るが、ランナーはホームに帰還した。

 

『猪狩進選手、初球から積極的に打ってタイムリー! これで同点! 三回裏、キャットハンズが同点に追いつきました!! ランナーはなおも一、二塁! バッターは四番、ジョージです!!』

 

 二巡目とはいえ、ゆたかのスライダーを我慢して打ち返しやがった。

 しかも、今の崩され方――間違いない、インコースのストレートを狙っていたんだ。

 全く逆のコースを狙ってたのに、アウトコースの、それも切れ味抜群のゆたかのスライダーをきっちり野手の間に打ち返すその技術は、もはやキャットハンズの中にだけでは収まらないだろう。

 日本一の投手を兄に持つ、日本一の捕手。

 俺は、こいつを……進を、超えなきゃいけないんだ。

 続くジョージが打席に立つ。俺は、その姿を見つめながら自らを奮い立たせる。

 ――上等。アイツと約束したことだし、なってやろうじゃねぇか。

 立ちはだかる進とあおいを超えて、日本一の捕手ってやつに!

 

 

               ☆

 

 

 ジョージがファーストファウルフライに打ち取られるのを見届け、進はゆっくりとベンチに戻った。

 同点止まり。流れが逆流しかけていた割にはあっさり攻撃は終了してしまった。

 いや、終了させられたというべきか。

 ベンチに戻った進に、タイムリーを打った賞賛の言葉が投げかけられる。

 

「ナイスバッチ! 流石だな!」

「ありがとうございます。木田さん」

「進ー、良い打撃だったけど、崩されたかけてたねぇ?」

 

 監督である世渡に話しかけられて、進は曖昧に微笑む。

 

「狙いはストレートだった?」

「そうですね。インコースのストレートを投げさせてくると思いました。……近年まれに見るペナントレースの大接戦。その優勝をかけた残り二試合のうちの、一戦目……一点もやりたくないとインコースのストレートで勝負を賭けてくると思ったんですけど、流石先輩です。"踏みとどまり"ましたね」

「……強敵だねぇ、君の先輩、あおいくんの元パートナーは。もしもあそこでストレートを投げていたら、間違いなく長打に出来たのに」

「はい。……稲村さんが首を振った所で自らを諌めたんでしょう。先輩は、並じゃありませんから。多分本能で分かったんだと思います。"まだ此処は勝負所じゃない"と、ね」

「ここが勝負所だと勝手に盛り上がって勇み足で攻めてくれれば楽だったんだけどな」

「楽さを求めているなら、諦めてください、監督」

 

 防具を付け終わって、進がマスクを頭に掛けてグラウンドへと足を踏み出しながら、世渡に振り返って笑みを浮かべる。

 

 

「僕が捕手として、唯一憧れたパワプロ先輩が、楽な試合なんて、させてくれる訳ないじゃないですか」

 

 

 言って、進はグラウンドへと足を踏み出していく。

 ライトが照らす、グラウンドへ。

 ――進にとって、パワプロはいつだって壁だ。

 パワプロが進を優勝への、日本一の捕手への壁だと感じたのと同じかそれ以上に、中学時代から兄から認められ、自分から正捕手を奪っていたパワプロは、乗り越えるべき壁なのだ。

 

(敗けませんよ、先輩。――優勝するのは、僕達キャットハンズです)

 

 マスクをかぶり直し、キャッチャーズサークルへと座る。

 キャットハンズ対カイザースの最終戦。

 進とあおい、パワプロとゆたかの雌雄を決する戦いの中盤戦――四回表が、幕を開けようとしていた。

 



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