やはり俺の青春ラブコメは短編でもまちがっている。 (石田彩真)
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八雪
ありふれた(非)日常


 ──キスをした。

 眼前に彼女の顔が近づいてきてゼロ距離になっているのなら、それはもう唇同士が触れた以外の何者でもないだろう。

 最初は軽いソフトタッチ。次に口を啄むように動かし、不意に彼女の舌と接触する。ピクッとなる彼女と同時に彼女の鼓動も感じた。

 ああ、これがキスなのかと自分がしている行為を自然と受け入れられていることに、俺自身かなり驚いていた。

 そして──

 

 

 

 ×   ×   ×

 

 

 はっと目が覚めた。

 辺りに首を動かすと自分がいる場所は部室なのだと理解する。

 そして視線を斜め上へ向けるとそこには奉仕部部長、雪ノ下雪乃が驚いた表情で立ち尽くしていた。

 

「比企谷くん、大丈夫?」

 

 恐らく俺が飛び起きたことにびっくりしたのだろう。珍しく罵倒もせず、ただただ心配してくれてるのが伝わってくる。

 けどこれは……やっぱりそういうこと、だよな。

 

「大丈夫だ、ちょっとした夢見てた」

「そう。なら、良いのだけれど」

「……それより、なんで俺の横に立ってんだ?」

「えっ……? こ、これは、その……、あなたが魘されてたから起こそうと思ったのよ」

「そうか。……なんか悪いな」

 

 目の前の少女と言葉を交わし、俺は自分が夢の中へ迷い込んでいたのだと知覚した。

 まあそんな気はしていた。だって付き合ってるどころか、友達申請を拒否されてただの部活メイトでしかない雪ノ下と俺が……ね?

 あくびを噛み殺すように伸びをし、関節を鳴らす。そして目を擦りながらほふぅとため息をひとつ。

 ……………………。

 やばいやばいやばいヤバい。

 俺なんて夢見てんの⁉︎ えっ、マジハズイ。

 今が自室だったら発狂して思わず窓から身を投げ出す自信がある。

 多分いま雪ノ下が部室から去っても同じ事象が発生するだろう。

 それほどの衝撃だった。

 夢というのは自分の願望を見る、というのを聞いたことがある。

 もちろん一概にそうとは言えないだろうが、先の夢を"そうじゃない"と断言するのは難しい。だからこその羞恥が俺を襲いまくる。

 ちらっと雪ノ下へ視線を移す。目ではなくそれより少し下にある部分に。

 ……あ、雪ノ下のやつ今日はリップグロスしてるのか。少し艶々してる。

 あの綺麗な唇が俺のかさついた唇に、か。

 ──柔らかかったし、良い匂いだったよな。

 ただ夢で感触が分かるものなのだろうか。

 確か痛覚は感じると聞いた事はある。けれど他の五感は……分からん。

 理屈で考えるなら、一緒にいる時間が長くて触れたこともあるから分かるって事なんだろうけど、そこだけ切り取ると変態みたいだな俺。だいいち唇に触れたことなんて無いし。

 

「……その、比企谷くん」

「ん?」

「いえ……。私の顔に何かついてる?」

 

 どうやら視線を送りすぎていたらしい。チラッとどころかガン見をしていた。

 雪ノ下も俺の目線がどこにあったのか理解をしているみたいで、仕切りに唇を指でなぞっている。

 やめて! それは今の俺に効果抜群だから!

 そう言葉にしようと喉まで出かけたが、理由を尋ねられるとアウトなのでギリギリのところで噤んだ。

 

「や、なんでも。ボーッとしてただけだ」

「……そう。なら、いつものことね」

「いや違うから。あれはニヤついてるだけだから」

「そちらの方がよほど気持ち悪いからやめてほしいのだけれど。由比ヶ浜さんとも前話してたのよ」

 

 あれれ〜おかしいぞ〜? 流れるように俺の心を傷つけられた。まあ話を振ったの俺からだけど。なんだ、自業自得じゃん。

 もう部室ではラブコメ系を読まないことに決めた。ファンタジーにしよう。

 ……や、ダメだな。と言うより、昨今のラノベはどんな系統の作品でもとりあえずイチャつかせとけって感じのばかりだからニヤつかないとか無理だわ。

 なに? 覆面でも被ってれば良いの?

 

「……キズ」

「えっ、キス⁉︎」

「は?」

「すいませんごめんなさい出来心だったんです」

 

 冷酷無比すぎる言葉に謝罪した。

 普段ソプラノボイスから、どうしたらそんな低い声が出せるんですかねぇ。あとイチオクターブ下がってたら床に額を擦り付けて土下座を敢行しているレベル。

 雪ノ下は自分の口端に人差し指を当てた。

 

「あなたのここ、血が滲んでるけど大丈夫?」

 

 言われて手で触れてみると確かに傷が存在するようでピリッとした痛みが走った。けれどそこまで騒ぐほどでも無い。

 

「ああ、問題ない。多分、起きた時爪が当たって切れたんだろ」

「そう。なら良いのだけれど」

 

 言って雪ノ下は自分の席へと戻り、閉じられてた本を読み始めた。

 対して俺は昼休みにラノベを読んでそれが読み終わったてしまったから暇して寝てたことを思い出し、手持ち無沙汰だなぁと心で嘆く。

 

「……っ⁉︎」

 

 不意に傷を触ってしまいヒリヒリした。

 よくあるよね、こういうの。傷があるのに気づくと、そこが無性にに痛くなること。今まさにその現象が起こっていた。

 ヤバいすごい気になるってか痛い。ささくれがむけたときと似た感じだなこれ。とにかく痛い。

 とりあえず手のひらで押さえてみた。少し出血していた。

 思いの外鋭く切れてるのかもしれない。

 スマホのカメラモードで確かめてみるもよく分からない。

 こうなったら保健室でも行って絆創膏をもらってくるか。気休め程度にはなるどろうし。

 そう思い立ち上がろうとすると、不意に雪ノ下と目が合った。

 

「どこか行くの?」

「や、ちょっと保健室で絆創膏をもらって来ようかと」

「それなら私、持ってるわよ」

 

 言って雪ノ下はかばんの小さい開け口から絆創膏を取り出した。

 

「どうぞ」

「…………」

「いらないの?」

「……や、もらう」

 

 無条件に世話を焼いてくる雪ノ下に変な勘繰りをしてしまう。

 なんか今日の雪ノ下はおかしい。絶対裏がある。

 思えば俺が部室に来た時から変だった。笑顔で挨拶してくるし、紅茶は俺の適温で淹れてくれたし、挙げ句の果てには俺が寝る前「おやすみ」って挨拶までくれたし。

 今目の前の彼女が雪ノ下雪乃の双子の妹でしたって言われた方がまだ納得出来る。

 ……ま、それはそれで恐怖しかないわけだが。

 とにかく今日の雪ノ下は何かを隠している! なんて事はなく、ただ単にそういう日なだけかもしれない。

 わかるわかる。無性に身近な人に優しくしたくなる時ってあるもんね。

 俺もあるよ。まあその身近な人って小町しかいないし、そもそも小町のお願いならお兄ちゃん無条件でなんでも聞いちゃうから、あまりその手の衝動に左右されないけどねっ!

 俺の小町愛はこの際どうでも良くて、くれるというならありがたく頂戴することにする。

 雪ノ下の近くまで行き絆創膏に手を伸ばすと、するりと躱されてしまう。試しにもう一度やるが再び繰り返す。

 

「新手のいじめですか」

「違うわ。そこの椅子持ってきなさい」

 

 なぜ? という問答をするのが面倒だった俺は言われるがまま椅子を雪ノ下の眼前に置き、指で指示してきたので座ることにした。

 なにをするのかと思い観察していると、絆創膏を取り出したので理解してしまう。

 

「自分でするから一枚くれれば良いんだけど」

「動かないでね、ちゃんと貼れないから」

「や、聞けよ」

 

 苦言を呈するものの目の前の彼女は取り合ってくれない。

 こちらは絆創膏をもらう立場上、拒否するのも気が引けて既に詰み状態だった。

 

「比企谷くん。ごめんなさいね」

「えっ? なにが……?」

 

 聞くものの彼女はそれを取り合わず、優しい手つきで貼ってくれた。そしてそのまま俺の頬に手を添えるようにして、じっと見つめてくる。まるで夢の中の彼女のように……。

 だがそんな上手い話があるわけもなく、はっとした様子で雪ノ下は俺から距離をとった。

 

「ご、ごめんなさい」

「や、別に……。ありがとな、これ」

「いえ、大したことではないわ」

「……そうか」

「……そうよ」

 

 そして訪れる謎の沈黙。

 やばい気まずい。そして気まずい。

 そもそも雪ノ下と二人の時なんて静寂が常みたいなもんなのに、今日に限ってはいつもとなんか違う。理由は知らんけど。

 あれか? やっぱ変な夢見ちゃったからか? ……や、でも、それだと俺はともかく雪ノ下まで気まずそうにする理由がわからん。

 チラッと雪ノ下に視線を送る。と、さっきは気づかなかったことに気がついた。彼女のグロスが少しだけ取れていることに。

 まあ今日一日してたなら多少取れても仕方ないだろうし、雪ノ下が休憩時間ごとにトイレの鏡で塗り直してるところなんて想像できないからしてなくてもおかしくはないんだが……なんだっけかな? この前小町が言ってたこと。

 例の偏差値低い雑誌片手にだったから、またリア充の話だと思って軽く聞き流してた。

 

『お兄ちゃん。女の子はね、好きな男の人の前ではいつでも可愛くいたいの』

『ほーん』

『だからリップグロスだってご飯食べた後落ちちゃうからお手洗い行くでしょ?』

『行くでしょ? ってそうなの? それは初耳だわ』

『もうほんとダメだなぁごみいちゃんは』

『や、彼女いない歴イコール年齢なの小町も知ってるでしょ』

『……そんな自信満々に言われてもなぁ』

『ふっ、どうだ』

『どうだじゃないよ全く。じゃあそんなお兄ちゃんに彼女が出来た時のためにもうひとつ』

『俺に彼女が出来るとか小町に彼氏ができるレベルであり得ないんだが?』

『それお兄ちゃんとお父さんが邪魔する予定だからだよね? そんなことしたら家族の縁切るから』

『小町ちゃん? マジトーン怖いからやめて? 冗談だから』

『……はぁ。いい? 女の子がグロスを直すのはご飯食べた後と──』

 

「ひ、比企谷くん!」

 

 あと少しで思い出せそうなところで、雪ノ下からお声がかかる。

 まあ思い出せたところで今の状況と全く関係ないだろうからどうでもいいけど。

 とりあえず雪ノ下との会話を優先することにした。

 

「どうした?」

「い、いえ……。今日はもう帰りましょうか?」

「そうだな。もう少しで下校時刻だしな」

 

 言うが早いか雪ノ下は素早く帰り支度を済ませ、鍵を俺に押し付けてきた。

 

「これ、返しておいてもらえる? 私このあと急ぎの用があるの」

「ん、了解。平塚先生に渡せば良いのか?」

「ええ。それで構わないわ」

 

 さようなら、と雪ノ下は部室から姿を消した。が、すぐに引き返してきた。

 

「今日、家帰ったら真っ先に顔を洗いなさい。……いい? 真っ先によ?」

 

 そして今度こそ去っていった。せめて俺にも挨拶ぐらいさせて欲しかったなぁ。ってか最後のあれは暗号か何かか?

 雪ノ下の態度はいろいろと気に掛かったが、俺も帰り支度をし部室を後にする。

 そして不意のフラッシュバック。

 ここまで鮮明に覚えられてる夢も珍しいのではないだろうか。

 ……やばい。なんだこれ。今更ながらドキドキしてきた。

 雪ノ下とそう言うことをするなんてそれこそまさに夢物語だ。

 けれど夢だからこそってのもある。

 考えるだけでも心臓が破裂しそうだ。多分今の俺、相当顔にやけてる。

 

「明日、雪ノ下とまともに会話できるかもわからん」

 

 俺はその事ばかりを考えて、雪ノ下の帰り際の言葉をすっかりと忘れてしまっていた。

 

 

 

[newpage]

「ただいま」

「あっ、おかえりおにいちゃ……っ⁉︎ どったのお兄ちゃん⁉︎」

「は? 何が?」

「……待てよ。今日結衣さんはサブレの美容院に行くって言ってたし、じゃあ雪乃さんと?」

「や、何がだよ。ってかなんでお前が由比ヶ浜の事情知ってるんだよ」

「良かったねお兄ちゃん! 後で雪乃さんにもお礼言っとかなくちゃ! 今日は赤飯だよ!」

「さっきから訳わからん。おい、待て。小町ちゃーん? おーい?」

 

 そして今晩の夕飯はガチの赤飯でした。

 ……八幡、いっちょんわからん。

 

 

 

 



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珍しく比企谷八幡は怒ってみた。

 ここ最近俺は釈然としないことがある。

 ……いや、以前から心の奥底にあった気持ちだからそれが爆発しそうになっているが正しいか。

 それが何かというと理不尽な罵りや不当な扱いだ。

 2年の時、思い返せばそんな記憶しか無い。奉仕部入部、夏休みの千葉村、文化祭実行委員……などなど。あげたらキリがない。

 それに輪をかけるように俺に関わりのある奴らはキモいやら拒否権はないなどと好き勝手言いやがる。そりゃ我慢の限界が来たとしても仕方のない事だろう。

 と言うより、よく一年耐え切ったと自画自賛したいレベルだ。

 ……さて、なぜ俺が今こんなことを語っているのか問われれば、目の前の奴が起因する。

 

「あなたに見つめられると腐敗してしまうわ」

 

 この言葉は俺が雪ノ下のスカートから伸びる足を見てしまっただけでぶつけられた発言だ。たまたま視界に入っただけでこの言われよう。流石に泣けてくる。

 だがまあ待て。俺は別に本気で怒っているわけではない。伊達に一年もの間奉仕部で過ごしてきていない。雪ノ下が本気で言っていないことぐらい理解しているつもりだ。

 ただ、俺だって傷つくことがあるんだぞってことに気づいて欲しいだけ。

 だから今この瞬間、とある作戦を立てた。

 上手くいくかどうかは五分五分。フィフティーフィフティーだ。

 けどやってみようと思う。半分は雪ノ下が改心してくれること。もう半分はただの興味本位。これをした後の雪ノ下の反応が若干の楽しみでもある。

 その怒りをぶつける相手が雪ノ下なのはたまたま今思ってしまった事だからである。

 もしこれでさらに罵倒を続けてくるのであれば、俺はきっと雪ノ下に失望してしまうだろう。けどもう覚悟は決めた。やると言ったら最後まで貫き通す。

 

「比企谷くん、あなたさっきから聞いてるの?」

 

 ……ああ、まだ続いてたのか。

 こいつの語彙力には関心すら覚える。

 俺は作戦実行のため静かに息を整えた。

 

「まあまあゆきのん。ヒッキーもたまたま見ちゃっただけだろうからさ、その辺に……」

「満足か?」

「……えっ?」

「なに?」

 

 由比ヶ浜の言葉を遮った俺に二人は別の反応をする。雪ノ下は俺がいつものように言い返すとでも思っているのか、挑戦的な感じで。

 由比ヶ浜はさすが由比ヶ浜といったところか。空気を読むことに長けている彼女は先の俺の発言だけで穏やかじゃないのを感じ取ったらしい。

 ……すまん由比ヶ浜。今度ハニトー奢ってやるから、今日は巻き添え食らってくれ。

 

「満足かって聞いてんだよ」

「だから何がって私は聞いているのだけれど」

 

 ここで俺は呼吸は整える。そして雪ノ下を見据え口火を切る。

 

「俺が何も言い返さないのを良いことに言いたい放題言って、それで満足かって聞いてんだよ。学年主席様ならそれくらい読み解け。あと言っとくけど、お前の足に目がいったのはほんと偶然だからな? 誰もお前の足になんか興味ねぇし」

 

 これは嘘です。実際目にした瞬間は綺麗な足だな、どうやって普段手入れしてんだろ? ってすごい真面目に考えてました。

 心の中で雪ノ下に謝罪をしつつ顔を窺ってみると今までで見たことないくらいの焦り顔をしていた。

 

「ひ、比企谷くん……?」

「あ? んだよ」

 

 俺は怒りを継続中。雪ノ下はようやく状況を理解したようであたふたとしはじめる。

 

「比企谷くん、別に今のは軽い冗談のつもりで……ほら、いつも軽口を言い合っているでしょう?」

「はっ、そう思ってたのはお前だけだろ。俺が傷ついてないとでも思ったか? いい加減うんざりしてんだよ。俺はお前に罵倒を浴びるために奉仕部に入ってたんですか? 違うよね? ほら、じゃあなんで入ったか言ってみ? はい雪ノ下さん」

「そ、それは……あなたの性格の矯正で」

「だよな? ……まあそれもあの教師が勝手に言ってるだけで気に食わなかったんだが」

 

 今はそれほどでもないが昔思ってた事を含めて言葉を吐き出していく。

 

 

「そもそも、だ。俺の性格を矯正する立場のお前が俺を罵倒して……お前は何がしたいんだ? 俺を不登校にでもしたいのか? それなら面倒な依頼を一つ解消出来るし理に適ってるかもな」

「……誰もそんなこと言ってないじゃない」

 

 いつになく気弱な雪ノ下。

 それを聞き今まで静観をきめていた由比ヶ浜が間に入ってくる。

 

「ヒ、ヒッキー、それはちょっと違うと……」

「悪い由比ヶ浜。今は少し静かにしててくれ」

 

 その由比ヶ浜の発言をやんわりと遮っておく。

 今の俺の言葉で頭の良い雪ノ下は自覚したはずだ。今俺に敵意を向けられているのは自分だけだと。まあ、多少の混乱をしてる彼女がそこまで頭が回るか定かじゃないが。

 

「なあ雪ノ下。お前は"俺だから"何を言っても許されると思っているのか? それなら脳内お花畑だな。お前だって昔、陰湿なイジメ受けたことあんだろ? その中には当然悪口の類もあったはずだ。なら、俺が言いたいこともわかるだろ?」

「それは、その……」

 

 雪ノ下が見たことないほどに狼狽ている。……やばい、これ超楽しい。俺は生粋のサディストなのかもしれない。

 

「何か言ったらどうだ? 反論あるなら聞くぞ」

 

 ここで雪ノ下にターンを譲る。

 一気に捲し立ててちょっと疲れたし、雪ノ下が最初に入れてくれた紅茶で放課後ティータイム。……やっぱいつ飲んでも美味いな。

 まさか、さっきまでの穏やかな雰囲気からこうなるなんて二人は予想もしていなかっただろう。

 そりゃそうだ。咄嗟の作戦なんだから。そう考えてしまうと罪悪感の波が急激に押し寄せてくる。でもここまで来て引き返すことも出来そうにない。

 

「あの、その……ごめんなさい」

 

 少し詰まりながらも雪ノ下は謝罪の言葉を口にした。

 この時点で俺の作戦は成功だ。が、もう少しだけ先に進んでみる。

 

「ごめんなさい、ね。つまり自分の非を全面的に認めるってことでいいのか?」

「でも私、ほんとにそんなつもりであなたを貶してたわけじゃ……」

「ちっ、どっちなんだよ」

 

 舌打ち混じりに苛立ちを露わにさせると雪ノ下はビクッと体を震わせた。こんな雪ノ下、後にも先にも見られるのは今日だけだろう。

 多分今俺がしていることが彼女にバレたら、今以上に罵倒され白い目で見られ、小町に報告され、小町に一ヶ月は無視され、朝昼晩トマトづくしの料理を食べさせられるのだろう。

 やだそれ地獄じゃん。絶対バレずにやり抜こう。

 俺は再度紅茶に口つける。そして湯呑みを置き、言葉を紡ごうと雪ノ下へ視線を向けると涙目の雪ノ下と目線がかち合ってしまった。

 

「……比企谷くん。私、あなたを傷つけてた?」

「あ、いや、……まあ」

 

 不意打ちの弱気発言に顔を逸らしながら答える。

 

「そう……」

 

 そう雪ノ下が呟くと謎の沈黙が奉仕部を支配する。これは修学旅行以降の奉仕部と同等の気まずさだ。

 そう思ったのは俺だけじゃないらしく、この場では一番の部外者である由比ヶ浜が両者に助け舟を出してくれた。

 

「ほらヒッキー。ゆきのんも反省してるみたいだからさ、この辺で許してあげられない? 今はヒッキー、ゆきのんに怒ってるけどさ、あたしだってヒッキーにキモいとかいっぱい言っちゃってるじゃん? ここで謝るとついでみたいに聞こえちゃうかもだけどごめんね? もう言わないからこれで終わりにしよ?」

「…………」

 

 由比ヶ浜の優しさに涙が出そうになる。

 彼女は謝罪をしてくれたが、彼女も本気で俺を傷つけようと思っているわけではないと理解しているので謝罪される謂れはない。

 むしろ謝り倒さないといけないのは俺の方だ。あとで由比ヶ浜にだけは事の経緯を説明しておこうか。……いや、ダメだな。伝えたら雪ノ下にバラされる可能性が大だ。つまりそれは俺の死と直結する。

 けれど由比ヶ浜にここまでさせて、俺が折れないわけにはいかなくなった。ここが妥協点か。あと単純に今にも涙が零れそう雪ノ下を見てるのが辛くなってきた。

 俺は席を立ち上がり雪ノ下へ近づく。雪ノ下は由比ヶ浜にしがみつきこちらの様子を窺ってくる。

 その子どもじみた雪ノ下の態度に庇護欲が沸いてきた。

 小町に接する時と同じ気持ちのような……。

 だからだろうか、俺はごく自然に雪ノ下のサラサラな髪に手を添えてスライドさせていた。

 

「……あーその、悪かった。さすがに言いすぎた、すまん」

「……比企谷くん、私もごめんなさい」

 

 両者謝りこれにて一件落着。

 被害にあったのは由比ヶ浜と雪ノ下で加害者は完全に俺なのだが、それを告白すると纏まりかけた空気がぶち壊される未来しか視えないので黙殺しておく。世の中には知らない方が良いこともあるからな。

 にしても雪ノ下の髪、いくら梳いても全く引っかからない。これだけ上質だと何時間やってても飽きない気がする。

 そもそも普段なら触れようとするだけで罵倒の一つでも飛んでくるだろうに、今はそんな気配すら全くない。

 なのでもう少し堪能させていただくことにした。

 と、それを見ていた由比ヶ浜もごく自然に雪ノ下へと手を伸ばしていた。

 

「うわー、ゆきのんの髪さらさらで気持ちいいね!」

「だよな、癖になる」

 

 雪ノ下はもじもじするだけで何も言ってこない。

 由比ヶ浜の胸に顔をつけて隠してはいるが、耳まで真っ赤になっているところをみるとよほど恥ずかしいらしい。

 そこから数分間、俺と由比ヶ浜は無言で撫で続けた。

 が、唐突にその謎の時間は終わりを告げる。一人の来訪者によって。

 

「せんぱーい、大変なんです! たすけてくださ……い?」

 

 ノックも無しに部室に突入してきたのは生徒会長であるあざといろはすこと一色いろはである。

 最後に彼女が言葉を詰まらせた理由は察してくれるだろう。

 ズバッと俺と由比ヶ浜が扉に顔を向けるとそこにはこれ以上ないくらいシラーッとした目つきの一色が立っていた。

 

「あの……、先輩方はなにしてるんですか?」

「あ、や、これは……だな。見ればわかるだろ?」

「うん、そうそう。見ればわかるはずだよ。いつもと同じ部活だよ?」

 

 嘘をつくにも下手すぎると思った。

 だが一色は笑顔でなるほどと頷いていた。そして一歩下がり扉を閉めて大声で叫びながら廊下を走っていく。

 

「平塚せんせーい!」

「っ……⁉︎ ヒ、ヒッキー!」

「おう、分かってる!」

 

 雪ノ下を由比ヶ浜に任せ俺は全速力で一色を追いかけた。

 どうしてこうなるんだよ。どこで間違った?

 ……多分、俺が作戦を実行した時点から間違っていたのだろう。

 その後、なんとか無事一色に追いつき、嘘と真実を織り交ぜながらの説明で納得してもらうことに成功した。

 余談だが、俺を怒らせると怖いと思ったらしい雪ノ下が次の日から罵倒を言ってしまうたびに謝ってくるようになったのは後日語ろう。

 ……ってか、罵倒止めるって選択肢はないのね。

 



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比企谷八幡のサボり日誌。(雪ノ下雪乃の看病編)

 今日は祝日でもなんでもないただの平日だ。よって学生は通常通り学校で勉学に励んでいることだろう。

 だが俺は雪ノ下宅へと自転車を走らせていらところだった。

 昨日の徹夜で今日は十一時過ぎに目が覚めてしまい、学校をさぼろうと決めたところで平塚先生から電話が来たのだ。

 内容はこうである。

 

『比企谷、堂々と学校をサボるとはいい度胸だな』

「ひゃっ、堂々となんて滅相もないです。実は今日が土曜日と勘違いしていまして……」

『ほう、つまり貴様は日曜日に学校へ来るわけだな?』

「い、いえ、夜には今日が金曜だと思い出すつもりですので」

「……はぁ、お前というやつは」

 

 ここまでは良かった。

 雲行きが怪しくなり始めたのはこの続きから。

 

『比企谷……、後日衝撃のファーストブリットを食らいたいかね?』

「く、食らいたいわけないじゃないですか!」

『だろうな。……なら、今から雪ノ下の看病をしてこい』

「看病?」

『ああ、あいつは今日熱を出して休んでいる。陽乃が病院に付き添って看病していたらしいんだが、今日は午後から親と一緒にどうしても出席しないといけない用事があるらしい。だから比企谷の出番というわけだ』

「いや、意味わからないんですけど」

『なに、同じ部活のよしみだ。都合よく今君は体が空いてるじゃないか」

「……断ったらどうなりますかね?」

『一応陽乃には比企谷を向かわせると伝えてある」

「それ拒否権ないやつじゃないですか……」

 

 陽乃さんと平塚先生の組み合わせが悪魔すぎて泣きたくなった。

 まあでも雪ノ下が心配じゃないわけでもなかったので、脅しなんかされなくても最初から行くつもりではあった。……ホントホント、ハチマンウソツカナイ。

 雪ノ下は寝ているかもしれないとのことで、陽乃さんがあらかじめスペアキーを管理人に渡してくれていた。

 にしてもあの管理人おばさん。「若いっていいわね〜」とか言ってたけど絶対何か誤解してる。大方陽乃さんのせいだろうけど。

 俺は管理人から鍵を受け取り、エレベーターで雪ノ下の住むフロアを目指す。

 この微妙に重力がかかる感覚、子供の頃は苦手だったんだよな。いつからか気にならなくなったけど……などどうでもいいことを思い出しているうちに目的の階に到着した。

 

「確か雪ノ下の部屋は……」

 

 よく考えたらここにきたことあるのって去年の文化祭の時だけなんだよな。数回マンション前までってのはあるけど。そう考えると緊張してきた。

 救いがあるとすれば女の子チックな部屋じゃないことだ。物も必要最低限しかなく、ここは仕事部屋と説明された方が納得できるぐらい、ものが少なかった記憶がある。

 寝てるかも、と言われていたのでゆっくりと開錠していく。

 

「……お邪魔します」

 

 中へ入ると甘い香りが広がってくる。

 何か芳香剤とかアロマとかそういう感じの。……やべぇ、すげぇドキドキする。

 心を落ち着かせようと深呼吸を試みたが失敗した。いい匂いが直で鼻腔を刺激してきたからだ。

 

「雪ノ下、起きてるかー?」

 

 念のため小声で声をかけながら廊下を進んでいく。

 突き当たりのドアを開けると驚いてしまった。てっきり眠っているんだと思ってたパジャマ姿の雪ノ下がベランダの方を向いて女の子座りでいたからだ。

 とりあえずに声をかけてみる。と、雪ノ下はゆっくりとこちらに振り返った。

 

「ふみゅ?」

「…………」

 

 ふみゅ? 今ふみゅ?って言ったのか? 昨今漫画でもそんな表現使われないぞ。というかこの子大丈夫? ちょっといやかなり目が虚ろだし、若干赤くもなっている。

 

「おい雪ノ下大丈夫か? 辛いならベッド連れてくぞ」

「……といれ」

「は?」

「……といれ、いきたいの」

 

 ……といれ。

 …………トイレか。

 ………………トイレね。

 単語を咀嚼するのに時間がかかった。

 いや行きたいなら行けよと思わなくもないが平塚先生から聞いた雪ノ下の現在の体温が三十九度近くだったのを思い出し、ベッドから起きたけどそこでふらついて力尽きたんだなと理解する。

 ……仕方ない、か。

 

「じゃ、連れてってやる」

「……うん」

 

 雪ノ下の手を取ってトイレへ向かう。

 場所を知っているわけじゃなかったがなんとなくで当てられた。

 そこに雪ノ下を座らせて扉を出ようとすると、袖口を掴まれる。

 

「どうした?」

「……そとでまっててね?」

「……おう」

 

 緊張しながら扉を閉める。そして少しだけ距離を取る。

 いやだっていくらなんでも扉の前は……ねぇ? 俺だって健全な男子高校生なわけですよ。

 自分自身に言い訳をしていると水流の音が聞こえてきた。出てくるかな? としばらく待ってみたがトイレが開く様子はなかった。

 

「終わったか?」

 

 声をかけてみるも反応はなし。おい、どうすんだこれ?

 さっき雪ノ下は鍵を閉めてなかったし開けるのは簡単だ。が、もし雪ノ下がその……あれだ。おろしたままだったら色々やばい。なにがって、俺の社会的地位がやばい。まあもとより最底辺だから気にする必要はないのだろうけど。

 そういうことではなく、雪ノ下を傷つけてしまうことは明白だ。

 けど中で意識を失っている可能性が無きにしも非ずなので、このまま放置ってわけにもいかない。俺は意を決してドアノブに手をかけた。

 

「雪ノ下、開けるからな?」

 

 相変わらず無反応なのでなるようになれ! という勢いでトイレを開く。

 そこにはぼーっとしたままこちらを見据え、俺の危惧するようなことにはなっていなかった雪ノ下が座っていた。

 

「もう大丈夫か?」

「……うん」

 

 返事を聞き手を取って立ち上がらせる。と、足に力入らなかったのかふらついてしまったのでとっさに体を支えた。

 

「おいほんと大丈夫か?」

 

 雪ノ下はこくっと頷く。

 

「……でも、だっこしてほしい」

「は?」

「だっこ〜」

 

 手を伸ばしてせがんでくる彼女を優しく押しとどめる。

 さっきから気になっていたが今の発言で確信した。雪ノ下は熱のせいか少し幼くなっているようだ。

 ……言葉にしてみたがダメだ理解出来ん。そんなことあるのか普通。

 でも実際、目の前の雪ノ下はいつもと違いすぎる。「だっこ〜」なんえ幼稚園の時でも言ってたかどうかわかんないやつだぞ。

 前から抱えるのは俺の理性が崩壊してしまうので、屈んで背中を向けてやった。と、さすがは雪ノ下である。意識が幼くなってても状況把握は出来るらしい。

 俺の前側にゆっくりと手を回し、身体を預けてきた。

 きちんと背中に暖かさを感じながら立ち上がる。雪ノ下の熱い吐息が耳を撫でてこそばゆい。早いとこベッドに連れてこ。……その前に洗面所だな。

 

「……入っても怒られないよな?」

 

 手を洗い終え、寝室であろう扉の前で思案する。

 ここは緊急事態だし非難されることはない……と思いたい。

 だが相手は雪ノ下だ。理解してくれても納得してくれるかは定かじゃない。

 だとしても病人をリビングのフローリングで寝かせるわけにもいかないわけで。結局、寝室まで運ばざるを得ない。

 俺を本日二度目の意を決することにした。

 

「恨み言なら後でいくらでも聞くからなー」

 

 恨み言だけで済めば御の字だな。

 まあ雪ノ下が寝てる間にやることやって帰れば問題ないか。あとで全部陽乃さんがやってくれたって口裏合わせてもらえれば……無理か。あの人面白がって絶対雪ノ下に告げ口するだろうし。

 なんなら後日俺をどうからかってやろうかと今から考えているまである。この想像が強ち間違っていなさそうで怖い。

 

「んぅ、ぅ〜」

「っ……⁉︎ 考えるのはあとだな。今はこいつを寝かせてやらねぇと」

 

 俺が被る害など二の次だ。そんな未来の出来事、明日の俺に任せておけばいい。

 ……お、今のフレーズイケてる。未来の俺に任せる。これ、採用!

 脳内で「カッコいいように聞こえてただの逃げ口上なのだけれど」と雪ノ下の小言が響いてきた。全くもってその通りである。

 

「失礼しまーす」

 

 寝室へ入るとパンさんがいた。

 まずは本棚。パンさんの書籍害何冊かある。

 次に壁。違うパンさんカレンダーが三部取り付けてあった。

 極めつけはベッド及びその周り。複数体パンさんのぬいぐるみが置いてあり、ベッド上には見覚えのあるパンさんが鎮座していた。

 

「……懐かしいな」

 

 初めて雪ノ下と出掛けた時に俺が店員に取って貰ったやつだ。言葉にするとなんとも情けない。

 俺がそれを手にしようとすると後ろから伸びてきた手によって制されてしまった。

 

「ダメよ……。それは私の宝物なの。姉さんには触れさせないわ」

 

 少し落ち着いてきたのか先ほどよりも声に力が入っていた。

 だがこいつ……、もしかしてずっと俺を陽乃さんだと思ってたのか?

 それならトイレに連れてってと言った理由も説明がつく。姉妹なら看病でそれくらい許容範囲だろうから。

 ……それ、俺だって知ったらこいつどうなるんだろう。

 

「俺はお前の姉さんじゃねぇぞ」

「……すぅ」

 

 ここで寝るのかよ! いや良いんだけどさ、病人だし。

 なんか今日は雪ノ下に振り回されっぱなしな気がする。

 雪ノ下を起こさないようにベッドにおろし、布団をかけてやる。

 

「……どうするかな」

 

 雪ノ下の寝顔がだいぶ可愛くて起きるまで眺めてたい衝動に駆られるが、そんなことしてたら開口一番罵倒される未来しか視えないので自重する。

 寝室をあとにし、リビングへ戻ると一枚の紙が目に入った。そこには十一桁の数字が書かれている。

 

「これは……、何かの暗号か?」

 

 暇つぶしにやってみたが虚しくなった。というか、病人の人の家で何やってんだろ俺。

 とりあえずスマホを取り出し数字を打ち込む。

 

『あ、比企谷くん、ひゃっはろー!」

「どうも雪ノ下さん」

 

 電話相手は陽乃さんだ。

 

『電話、意外に遅かったね』

「いやまあ、落ち着くまで多少あったもんで」

『もしかして雪乃ちゃん、泣いてたりした?』

「それは無かったですけど」

『けど?』

「……いえ、来た時は目が赤かったですね」

「ふーん。ま、いっか」

 

 直接会って話すのも脅威だが電話でもやはり陽乃さんは陽乃さんだ。

 けど今回は雪ノ下が病気で弱ってるからだろうか、俺の発言を拾い上げることはしないでくれた。

 陽乃さんは言葉を続ける。

 

「雪乃ちゃんね、昔から病気とかになると途端に甘えん坊になって一人を怖がるの。私やお母さんがいないとすぐ泣いちゃうくらいに」

「そうなんですか……」

「ふふっ、意外? 雪乃ちゃんが寂しがり屋なのは比企谷くんも知ってると思うけど?」

「……まあ、あいつ由比ヶ浜大好きですからね。たまに三浦と遊びに行っちゃうと部室で落ち込んでますし」

「へぇー、それは良いこと聞いちゃったな〜」

「や、今のオフレコでお願いしますよ。いやガチで」

「う〜ん、どうしようかなー。……じゃあ、私のお願いでも聞いてもらおうかなー」

「くっ、わかりましたよ」

 

 結局揚げ足を取られてしまった。

 ひとつ目の分かりやすい罠を躱させて、油断したところをふたつ目の罠で仕留めに掛かるとか、どこの有能狩猟者だよ。

 陽乃さんだったらリアルがモンハン世界に変わっても最強だと思います!

 俺がどんな要求をされるのかビクビク怯えてる間もあれじゃないこうじゃないとひとり電話越しで盛り上がっていた。

 絶対ろくなお願いじゃない。まずそもそもこれは陽乃さんのお願いではなく、命令だろう。彼女はそういう人だ。

 やがて決まったのか陽乃さんは分かりやすく咳払いをした。

 

『じゃあ比企谷くん。今日一日、雪乃ちゃんの看病よろしくね?』

「……それだけですか?」

『なに? もっと難易度高めの要望をご所望なのかな?』

「はい、きっちりパーフェクトな看病をしてみせます!」

『うん、よろしく。雪乃ちゃん、普段人に全く甘えないからね。たまには誰かを頼って息抜きしなくちゃ』

「それが俺で良いんですかね? 由比ヶ浜とかの方が素直になる気がしますけど」

『まあ確かに。でも私は雪乃ちゃんが甘えられる相手が比企谷くんであってほしいと願ってるからさ』

「えっ……、それ、どういう……?」

『比企谷くんなら、私の義弟として認めてあげても良いかなーって話』

「あなたが認めても当の雪ノ下が認めないですよ」

『そうでも無いと思うけどな』

 

 肝心なところで陽乃さんの声が小さくなって聞こえなかった。

 

「すいません。今なんて言いましたか?」

 

 聞くと、陽乃さんは急に慌てだす。

 

『あっ、ごめん。お母さんが呼んでるからもう行くね? とりあえず必要そうなものはリビングに揃えといたし、お粥の作り方のレシピもメモっといたから、何か分からないことがあったら一時間後くらいにまたかけて。じゃあね、明日の朝まで雪乃ちゃんをよろしくね!』

「えっ、ちょっ……」

 

 と、最終的に早口で捲し立てられ通話を切られてしまった。

 まあ最後に聞きたいことは聞けたし問題ないけど。不穏な言葉も残していったけど。

 それを考えるのは後にして、俺は雪ノ下が起きるまでにやれることをやっておくことにした。

 ……まずは手を洗うことから、かな。

 

 

 

 ×   ×   ×

 

 

 

 雪ノ下の額に冷えピタを貼り、陽乃さんが残してくれたメモでお粥を作り、暇になったので読書でもすること暫し……寝室でドサッという音と、微かに声も聞こえてきた。

 

「ぐすっ……」

 

 嗚咽だった。

 俺は慌てて扉を開き雪ノ下に声をかける。

 

「どうした雪ノ下⁉︎」

「……どうしてちかくにいてくれないの?」

 

 ベッドから落下していた雪ノ下は体に力が入らないのか、乱れた髪や服を気にせず、匍匐前進の要領で俺に近づいてくる。

 

「ちかくにいなきゃだめなの!」

「わ、悪かった」

 

 雪ノ下の言動が再び幼くなっていた。

 寂しさが増幅されるとリミッターが外れる的なやつだろうか。

 まあそんなのどうでも良い。今は目の前の彼女を宥めるのが先決だ。

 

「ほら雪ノ下。俺ずっとここにいるからベッド戻ろう。……な?」

「……ほんとにいる?」

「おう。むしろ離れたく無いまである」

 

 ……何言ってんだ俺。

 どうもこの雪ノ下を見てると俺自身が自覚できるレベルで優しくなってる……っていうか、これはあれだ。小町が病気になった時の俺に近い感じだ。

 あいつも大概、熱が高いと甘えてくるタイプだからな。

 でもそれで得心がいった。今の雪ノ下と小町を無意識にダブらせてたお陰で俺は冷静でいられるのか。

 

「お腹空いたか?」

「うん」

「じゃあ今温めて持ってくるから、少しの間だけ待ってられるか?」

「すぐもどってくる?」

「ああ、すぐ来るぞ」

 

 雪ノ下が頷いたのを確認し、俺は急いでお粥を温めに戻る。

 一応前から少しは料理してたし、今回は陽乃さんのレシピ通りに作ったから大丈夫だと思うけど、不味いと言われたらどうしよう。

 いやでも小町も美味しいって食べてくれてたし、何も問題ないか?

 

「ほら雪ノ下、持ってきたぞ〜」

 

 お盆と小さい机を持っていくと雪ノ下は正座をして待っていた。

 さっきまで横になってたはずだけど、お行儀が良いのか落ち着きがないのか分からん。

 

「……たべさせて」

「はいはい分かってましたよ」

 

 いちいち戸惑ってたらキリがない。

 今日の雪ノ下は俺にとって病気になった小町と同義だ。食べさせるのなんて楽勝だ。

 一口掬い熱を冷まし口まで運ぶ。一口掬い熱を冷まし口まで運ぶ。同じような動作を何度も、途中水分を摂らせながら繰り返し、数分で完食してしまった。

 

「食欲はあるみたいだな」

 

 それだけでもだいぶ回復してるのかもしれない。

 だがまだ油断は禁物だ。少なくとも雪ノ下の言動が元に戻るまでは。

 

「……あせかいた」

「そ、そうか」

「うん、あせかいたの」

「……タオル持ってくる」

「からだふいて?」

 

 俺は部屋を飛び出した。

 分かってたよ畜生! 漫画とかでよくあるけど、普通彼氏じゃないやつに体拭かせるとかあり得ないからな? あれは漫画だから許せるだけで、現実の行為なら犯罪だ。……いや、合意の上でならセーフだろうけどさ。

 俺はタライに水を入れタオルを持って雪ノ下の元に行く。そしてそれを絞って手渡す。

 

「さすがに体拭くのは自分でしてくれ」

「……いや」

「いやって……ああもう分かった! 前は自分で、後ろは……俺が、手伝って……やる」

 

 断腸の思いで言葉を紡いだ。

 今日の俺はどこかおかしい。……違う。おかしいのは雪ノ下の方だった。

 俺は後ろを向いて彼女が服を脱ぐのを待つ。……えっ? なんで部屋を出ないのかだって? それをしようとしたら雪ノ下が泣くんだよそれぐらい察しろ!

 衣擦れの音と雪ノ下の吐息が生々しくてある一点に熱が籠る。これを材木座増殖の術でなんとか回避した。

 

「ふきおわった」

「……じゃあ背中向けてくれ」

「うん」

 

 雪ノ下が後ろを向いた気配を感じとり、俺は彼女の方に向き直る。そこには本来見ることが叶わない雪ノ下の背中が存在した。

 毛穴などは全くなく、触れなくても肌がすべすべなんだろうなと想像に難くない。

 ──これは小町これは小町これは小町。

 俺は今から小町の背中を拭くんだ、その気持ちで取り掛かろうとしたが無理だった。

 だって小町に悪いけどあいつここまで女性らしい体つきしてないもん! 体系的にもう少し幼い感じだし、普段から兄の古着一枚でうろつくから論外というか遊戯王ですぐに除外される対象っていうか、ああもう何言ってるか分からなくなってきた。

 とにかくこいつはどうあっても雪ノ下雪乃である。

 

「拭くからな? やめて欲しかったら今だけだぞ」

「はやくふいて?」

 

 俺は三度目の意を決した。

 一日三度も決意することなんてそうそう無いはずだ。これ、ギネス記録になるんじゃね? ないか、ないな。

 恐る恐る手を伸ばす。と、ピクッと雪ノ下の肩が上下に震えた。

 俺はなるべく顔を背けつつ、けれど丁寧に拭くためにはある程度観ないとダメなので、雪ノ下の背中を視界に入れつつ上から下に拭いていく。

 

「……痛くないか?」

「うん、きもちいい」

 

 上から下へ、上から下へ……。

 なるべくタオル以外に俺の手が触れないように努めた。

 

「よし、終わったぞ」

「……ありがと姉さん」

 

 やっぱりかー。

 薄々そんな気はしてましたよええ。

 

「だから俺はお前の姉じゃないぞ」

「…………?」

 

 言うと、コテっと首をかしげる。なんだよそれ可愛いなこのやろう。

 暫しの沈黙を保ち、雪ノ下は数回瞬きをする。

 そして上限突破の赤面を見せた。

 

「ひ、ひき……ひきがやくん⁉︎」

「おうそうだぞー」

 

 半ば投げやりに肯定する。

 雪ノ下が呂律が回っていない口でいつから居たのか聞いてくるので、昼前だと答える。と、何かを思い出したのかパンさんに顔を埋める。

 

「……じゃ、じゃあ、トイレのときもひきがやくんだったの?」

「っ……⁉︎ あ、ああ。そうなるな」

 

 都合よく記憶が消去されてることを願ったが、雪ノ下ははっきりと覚えていたみたいだ。

 くぐもった声で「じゃあおかゆ食べさせてくれたのも、背中拭いてくれたのも全部比企谷くん……」と呟いていた。

 やめて、振り返られると俺が恥ずかしくなるから。

 パンさんに顔を押し付けては息が苦しくなって顔を離す雪ノ下を見てると、声をかけていいものか迷う。

 

「だいぶ体調が落ち着いてきたなら、俺帰ろうと――」

「だめっ!」

 

 立ち上がろうとする俺を同じように立ち上がろうとした雪ノ下が制止してくる。

 するとどうなるか……。今日これまでの雪ノ下を見れば分かるはずだ。足をもたらさせ、前のめりになって倒れてきた。

 

「うっ……⁉︎」

 

 背中を床に打ち付けて息が押し出される。

 俺を姿勢が万全じゃなかったから今度は雪ノ下が床に衝突するのを防ぐことしかできなかった。

 結果、俺は雪ノ下を腕に収める形で横たわっている。

 

「…………」

「…………」

 

 雪ノ下が俺の上から退く気配はない。

 俺から雪ノ下を退かすことも出来ない。

 彼女の熱がこちらまだ伝わってくるようだ。

 

「…………かえっちゃだめよ」

「わかったから降りてくれないか?」

 

 ふるふると首を振る。えぇ……、なんでだよ。

 これが陽乃さんの言うところの甘えるってことなのか?

 そう思うと庇護欲が湧いてくる。俺は背中をさすってあげた。

 

「んっ……」

 

 くすぐったそうに何度か身を捩るが、やがて耳元に寝息が聞こえてくる。ただでさえ体力のない雪ノ下が、発熱で常に体力を削られてる状態だ。ある意味仕方がないのかもしれない。

 ……けどさぁ、これどうすんのよ。

 

「すぅ……」

 

 背中を撫でるのはやめない。俺が動くと起きてしまうかもしれないので動けない。実に八方塞がりだ。

 だがこれで良い、のかもしれない。

 俺も多分雪ノ下の熱に充てられてしまったのだろう。

 とりあえずこの後のことは雪ノ下が起きた後、未来の俺に委ねることにした。

 このフレーズ、結構気に入ったから使ってみた。俺の中の名言集に加えておこう。

 最後に雪ノ下一言声をかけ、精神的に疲れた俺も思考を手放すことにした。

 

「おやすみ」

 



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やはり雪ノ下雪乃は一筋縄じゃいかない。

 今日の天気は快晴。雲ひとつない青空である。

 秋にしては気温も暖かく外の空気が心地いい。

 だから俺は受験の息抜きに駅前の本屋でラノベを購入したあと直帰せずに近くの公園で読書をすることにした。

 公園全体を使い鬼ごっこをする子どもたちもいれば、その子どもたちを微笑ましそうに眺めながら井戸端会議を繰り広げる母親たちもみられる。

 そして俺が座っている隣のベンチ近くで子猫と戯れる雪ノ下がいた。

 ……や、あいつなにしてんだよ。

 

「ニャー」

「にゃー?」

 

 ああ、会話してるのか。なら邪魔しちゃ悪いな。俺も大人しく読書をしていることにしよう。

 

「ニャー」

「あなたはどこから来たのかにゃー?」

「ニャ〜」

「ふふっ、そうなのね。それじゃ一緒に遊ぶにゃ」

「…………」

 

 いや誰だよお前⁉︎

 えっ? あれ雪ノ下だよな? なんか語尾に『にゃ』って付けてるし、口調が聞いたことがないレベルで甘ったるいし、あと何気に会話成立させちゃってるし……。ほんと誰だよあいつ。

 しかしあの子猫も逃げ出さないところをみると人間に慣れているのか。現に雪ノ下の足にすり寄ってるし。

 

「にゃんにゃん」

「ニャー」

「にゃんにゃん」

「ニャー」

 

 なんか合唱が始まった。

 俺は笑いを堪えるのに必死だった。

 雪ノ下との距離は五メートルもない。なので少しでも動けば一瞬でバレてしまうかもしれない。あいつがこっちに気付いていないのは最初から猫に夢中だったからであろう。

 

「ハチくん、お歌上手ね」

「ニャー!」

 

 いつの間にか子猫の名前がつけられていた。

 というか『ハチ』って……、それ犬に付ける名前じゃね? ほら代表的なので忠犬ハチ公さんがいるし。俺も名前に八が使われてるから親近感湧くんだよな。

 

「……比企谷くんも昔はこのくらい澄んでいる目をしていたのかしらね」

「っ……⁉︎」

 

 子猫の前足の肉球を触りながら呟いた雪ノ下の発言に、思わず咽せそうになってしまった。

 なんでここで俺を引き合いに出すんだよ。ちょっとドキッとしたじゃねぇか。

 

「ねぇハチくん。私は彼にどう思われてると思う?」

「ニャー?」

 

 今度はいきなり雪ノ下の人生相談が始まった。

 

「私、彼にいつもひどいことを言ってしまうの。でも別に本気で思ってるわけじゃないのよ? きちんと反応してくれるからそれが楽しくてつい……」

 

 雪ノ下がいう"彼"とは文脈から考えておそらく俺のことだろう。

 ならこの話は俺が聞くのは少しまずい気がする。

 だがもう後の祭りだ。今からフェードアウトしようとしても動いたら気づかれる可能性が大だ。ならここは大人しく空気に溶け込んでいた方が賢明かもしれない。

 なおも雪ノ下の子猫に対する独り言は続く。

 

「……比企谷くん優しいから、つい甘えてしまうの。それに頼ってばかりじゃいけないってことはわかっているのだけれどね。けど彼とそういう関係になれたら……その、楽しいだろうなと思わなくもないの」

 

 雪ノ下は恥ずかしそうに子猫へと語りかけていた。

 かくいう俺は顔にこれ以上無いくらい熱を集中させていた。

 

「ねぇハチくん。もし私が本気で好きって告白したら、彼はきちんと答えてくれるかしら?」

「ニャッ」

「…………」

 

 まるで雪ノ下の心中を覗いてしまってるようで少しだけ申し訳ない気持ちになってしまう。

 今までの時間、なにも聞いてなかったことにしてそろそろ声をかけるべきか思案していると、雪ノ下は猫を一度撫でてから立ち上がった。

 

「……さて、少しだけ待っててね。さっきからあなたと私が遊んでるのを盗み見てる人にお仕置きしなくちゃいけないから」

「っ……⁉︎」

 

 急激に冷や汗が出てきた。

 おかしいな、さっきまで八月並みの暑さだったのに今は真冬並みに冷えてきたぞ。

 ラノベから視線を外さず耳だけに集中する。足音が徐々に近づいてきてやがて止まった。

 恐る恐る顔をあげるとにこやかな笑顔を浮かべる雪ノ下の姿が目に入った。

 

「比企谷くんこんにちは」

「……コンニチハ」

「今日はいい天気ね」

「ソウデスネ……」

 

 今この状況で見下ろされてると俺が悪いことをしてしまった気がしてならない。……や、実際盗み聞いてた時点で多少の罪はこちらにある。

 

「あの、雪ノ下さん? いつから気付いてました?」

「そうね……。逆にいつからだと思う?」

 

 挑戦的な雪ノ下の笑み。

 そこから推察するにこいつは多分最初から俺の存在に気付いていた可能性がある。なら、今までのは全部俺をからかうための演技だったのか。そう考えると納得できる部分も増えてくる。

 よく考えればいくら猫大好き雪ノ下でもあそこまで赤裸々に独り言を言うわけがない。……いや、普通に分析すれば分かることだった。

 

「……お前、悪趣味だぞ」

「あら、それはお互い様じゃなくて?」

 

 全くもってその通り。反論の余地もない。

 だがそれでも何かを言わないと気が済まなかった俺は反撃の糸口を探りつつ、思考を巡らせる。

 

「そもそもお前、よくこんなとこで猫に喋り掛けられるな。あっちの奥さんたちもちらちら様子窺ってたぞ」

「そうなの、気づかなかったわ。でもさすがにあの距離じゃ内容までは聞かれてないだろうから問題ないわね」

 

 雪ノ下は動揺する気配が全くなく話のすり替えは失敗した。

 

「でもな、俺をからかうためとはいえその、す……好きとか言うのはどうなんだよ」

「……そうね。私としては貴方を困らせた時点で勝ちだと思ってるわ」

 

 ああこの攻め駄目だ。むしろ俺が羞恥で言葉が詰まる。

 

「…………」

「どうしたのそんなに私を見つめて。もう私を追い詰める手立ては無くなったのかしら?」

 

 別に見つめてないし睨みつけてただけだ、と声に出して言っても今の彼女には無意味だ。一ミリも相手にされる気がしない。

 というより俺はどうして真っ向から雪ノ下の相手をしているのだろうか。今日の俺はたまたま公園で読書をしようとしただけでそこに偶然雪ノ下が居合わせただけだ。それ以外になにもない。

 そこまで来れば話は早い。俺は本を閉じ袋に入れベンチから立ち上がる。と、子猫はそれにびっくりしたのか走り去ってしまった。

 

「あっ」

「……なんか悪い」

「いえ、私も帰るところだったし別にいいわよ」

 

 そういう雪ノ下だったがどこか悲しさを含んだ声音だった。

 

「じゃあ俺帰るな」

「……私も行くわ」

 

 そして自然と二人並んで歩き始める。

 どちらも言葉を発さず無言の時間が続く。そういや俺さっき雪ノ下に告白紛いなことされた気がする。からかわれただけだけど。

 あと俺が優しいとか雪ノ下が俺に甘えてるとか……ないな。冷静かつ客観的にみればそんな事ないのだから、雪ノ下がこちらに気付いててあえて言っていることにも気付けたのかもしれない。

 まあそこまで頭が回らなかったのは恐らく雪ノ下が子猫と遊んでいたのに見惚れてしまっていたからだろう。

 

「ふんふ〜ん」

 

 そこでふと鼻歌が聞こえてきた。

 何故だか今の雪ノ下はとても上機嫌だった。

 

「……なんか良いことでもあったか?」

 

 気になったので聞いてみると雪ノ下は「どうして?」と首を傾げる。

 

「や、鼻歌が聞こえたから……」

 

 言うと、今気づいたとばかりに雪ノ下は驚いた様子を見せる。

 

「そうね……、貴方と会えたからかしら」

「もうそれは通用しねぇぞ」

「あら残念」

 

 さすがに何度も同じ手は食わない。

 会うだけならいつも部活で顔合わせしてるし、それだけで鼻歌をするなら雪ノ下は毎日していることになる。だが俺は部活中一度たりとも聞いたことがない。よって彼女の矛盾がここに証明された。

 ようやく少しだけ優位に立てたと思ったところで、俺と雪ノ下の分かれ道に来てしまった。

 

「それじゃここまでね」

「おう、そうだな」

「また明日学校で」

「……ああ」

 

 挨拶し俺は右折をする。が、数歩進み何かに引っ張られた感覚を覚えたので後ろを向くと雪ノ下が俺の裾を握っていた。

 

「なんだよ」

「いえ、ひとつ公園でのことで言い忘れていたことがあって」

 

 言うとこちらが問いかける間を与えず雪ノ下が耳元で囁いてきた。

 

「私、本当のことを言わないことはあるけれど、からかうためだけとはいえ嘘も虚言も吐かないわ」

「っ……⁉︎」

「だから返事、期待しているわよ?」

 

 言うだけ言って雪ノ下はこちらを振り返らずに歩いていく。

 それはつまり、そう言うことで良いのだろうか。

 いや、だとしてもこの状況とタイミングは色々と……。

 

「反則だろ」

 

 俺はこの出来事を数年後、自分の子供たちに語る事になるなんて想像もしていなかった。

 



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相槌

 ペラペラと本を繰る音だけが聞こえる。

 由比ヶ浜さんが不在で、部室に私と比企谷くんだけの時は基本こんな感じである。

 それは彼と付き合う前も後も変わっていない。私はこんな何気ない日常が好きだ。

 そう素直に思えるようになったのはきっと、目の前の彼といつも私の前で笑顔を見せてくれる彼女のおかげだ。

 

「ねぇ、紅茶飲む?」

「……おう」

 

 自分の本を読み終え代わりを持ってきていなかった私は、紅茶の入っていない彼の湯呑みに目をやり声をかける。が、彼はこちらを見向きもせずに返事をしてきた。

 ……まあいい。彼の愛想ない態度はいつものことだ。付き合い始めてから気にし出して、その度にイラッとしてたらキリがない。

 私は熱々の紅茶を注いで彼の目の前にそれを置く。

 

「はい、どうぞ」

「……おう」

 

 またしても彼は顔を上げてくれなかった。

 きっと今良いところなのだろう。私も話の核に触れる展開になると集中してしまうから分からなくはない。

 けれども、彼女が世話を焼いているのにこの態度はいかがなものか。

 

「比企谷くん。隣座っても良いかしら」

「……おう」

 

 許可が取れたので比企谷くんの椅子と私の椅子を隙間なく近づける。

 と言っても集中力が持続している彼は自分が許可したことも、私が近くに寄ってきたことにも気付いていないはずだ。

 まあそれを知っていて聞いた私も私なのだけれど。

 

「…………」

「…………」

 

 彼の近くにいるだけでこんなにドキドキする日が来るなんて、彼と初対面の時は思いもしなかった。

 比企谷くんのページをめくる指、静かに上下する肩、時折り深く吐かれる息、そのどれもが愛おしく感じる。これが惚れた弱みか。

 いやでも比企谷くんだって私に惚れてるはずで、愛してくれてる……はず。多分。

 そういえば私から何度か好意を示したことはあるけれど彼からはそこまで無い気がする。

 そう思うとちょっとあれだ。ずるい。

 私だってもっと比企谷くんに──

 

「愛してるぞゆ、雪乃」

「──っ⁉︎」

 

 不意の呟きに息が詰まってしまった。

 

「……比企谷くん?」

 

 呼ぶと、彼はサッと顔を背ける。

 

「お前さっきから笑ったり、しかめっ面したり可愛すぎるだろ。集中できるものもできねぇよ」

「っ……⁉︎」

「それに……ほら、俺一応お前の彼氏だし。……なんとなく通じた」

「そ、そう」

 

 つまりあれか、比企谷くんは私の百面相を見て何かを察して言葉にしてくれたのか。

 自分の顔に熱がこもっていくのがわかる。恥ずかしさはあるけれどそれ以上に嬉しすぎる。

 私はその嬉しさを噛みしめつつクスッと微笑んだ。

 

「なんだよ」

「いえ別に……。ただ、それで吃るなんてやっぱり比企谷くんは比企谷くんね」

「悪かったなヘタレで」

 

 少し拗ねた様子の彼がますます愛おしい。

 私は彼を包むように抱きしめる。

 

「っ⁉︎ お、おい!」

「今日は部活が終わるまでこのままよ。部長命令」

「お前そんなやつだったか?」

 

 疑問を呈しながらも私の提案を拒絶はされなかったので、もう少し楽になるように抱きしめ直す。

 彼もそっと私の肩を抱いてくれる。

 そんな優しい彼とこれからもこうして過ごしていきたいと思える、私と比企谷くんの日常の一幕である。

 



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言い合い

「比企谷くんのバカ!」

「バカって言う方がバカだろ」

 

 小町がいつものメンツとお茶を終え帰ってくると、お兄ちゃんの部屋から子供の言い争いのような声が聞こえてきた。

 既にデッドヒートを終えているようで、小町からしたら「またか」という感じだ。

 扉が閉まる音、階段を下りる音を耳にしげんなりしながら顔を上げると、涙目の雪乃さんが姿を現した。

 

「雪乃さん。お兄ちゃんがまた何かやらかしましたか?」

「小町さん……」

 

 正直このやりとりが何度目かもうわからない。多分軽く数十回はいってるんじゃないだろうか。

 それでも私は毎度雪乃さんのお話を聞く。

 未来のお義姉ねえちゃんの話を聞く小町ポイント高い! とかやらないと流石にやってられないんだよね、本当に。

 まあ高校生になってからはこのポイント制もお兄ちゃんの前では数えるほどしか出してないし。

 

「あー、雪乃さん? とりあえず小町は荷物を部屋に置いてくるので、リビングで待っていてもらっても良いですか? お話は伺いますので」

「ええ、……ありがとう」

 

 言って雪乃さんはリビングへ入っていく。

 それを見送り、小町は二階へ上がりひとまずお兄ちゃんの部屋のドアをゆっくりと開ける。

 これでもし気づかれるならそれで良しだった。が、兄はちょうど扉に背を向けイヤホンをしていたのでこちらに気づく様子はない。

 なので大人しく引き下がり、自分の荷物を自室へ投げやり、リビングに戻ることにした。

 

「お待たせしました〜」

「いえ、大丈夫よ」

 

 時間が経ちある程度落ち着いたのか、テーブルには紅茶と雪乃さんが家で焼いてきたのであろうクッキーが置かれていた。

 勝手知ったるように台所を使っていたようだが問題無い。なんなら小町もお母さんも公認なのでこれからもどんどん使ってもらいたい。

 

「で、今日はどうしたんですか?」

 

 椅子に座りがてらクッキーをひとつ口に運ぶ。安直な表現だが、香りが口の中に広がってとても美味しい。今度作り方を教えてもらおう。

 雪乃さんとのプチお菓子教室を目論んでいると、目の前の雪乃さんが兄との喧嘩を思い出したのか、再び涙で瞳を潤ませた。

 

「あのね比企谷くんが――」

「はい、兄が?」

「その……、比企谷くんが……」

 

 そこで俯いて口が閉ざされる。

 これは今までになかったパターンだ。大体兄たちの喧嘩の原因なんて、デートの際雪乃さんの服を褒めなかっただとか、兄のラノベに出てくる娘は胸の大きい子ばかりだとか、それはもうマジでくだらない事ばかり。

 『八雪カップル被害者の会』を作ってしまうぐらい、こちらとしてはそんなレベルで相談してくんな! って感じだ。

 ちなみにメンバーは小町、結衣先輩、戸塚先輩、沙希さん。あとメンバー(仮)で厨二先輩がいる。

 何を隠そう今日の集まりも厨二先輩を除いたこのメンバーでのお茶会だったのだ。

 皆さん優しくて小町は先輩方が全員好きだ。今後とも是非仲良くしていただきたいと思っている。

 そしてなるべく他の人に迷惑が掛からないよう、小町の手で兄と雪乃さんのくだらない諍いを仲裁していきたい。

 そんなことを思っているとようやく言葉にする決心が付いたのか、雪乃さんが顔を上げた。

 

「比企谷くんが自分の方が私を好きだって!」

「……………………は?」

 

 思わず素で返答してしまった。

 いや、えっ? ちょっと待って? ほんとわけわからない。

 

「だから、私の方が比企谷くんを好きレベルが上なのに彼は自分の方が私を好きレベルが上って言い張るのよ!」

「…………そうですか」

 

 ………………………………聞いて損した。

 過去最低でどうでも良い内容だった。

 今までも酷かったけどこれはもうどうしようもない。

 そんな今時の少女漫画でもありえない相談内容だとは思わなかった。

 そもそもそこまで溜めて言うことだったのだろうか? ……あ、いや、待て。もしかして恥ずかしくて口に出すのに照れてただけとか?

 もしそうならビンタ一発くらいしても許されるよね? もちろん雪乃さんじゃなくてお兄ちゃんに。

 

「私の方が絶対彼を愛してるのよ。小町さんもそう思うでしょう?」

「はあ……、そうですね」

 

 正直どっちでも良い。けど、ここで曖昧に返すと余計拗らせる可能性があったので肯定しておく。

 まあ実際色々な愛情表現をしているのは兄より雪乃さんの方だと思う。

 

「それなのに比企谷くんったら……」

 

 その後もお兄ちゃんへの愚痴が延々と続く。

 

「……で、私のことを思い切り抱きしめてくれたの」

 

 そしていつのまにか惚気に変貌していた。

 ……小町知ってた。聞いてるだけでこうなるって。いつものことだし。

 ここまでくれば後はテンプレとなっているパターンがある。

 

「雪乃さん、その気持ちを兄にぶつけてみてはどうですか? きっと兄も同じだと思いますよ?」

「……そう、かしら」

「はい、間違い無いです! あの愚兄の妹である小町が保証します!」

 

 机を叩き立ち上がる。手のひらがヒリヒリして痛い。

 雪乃さんは「そう……。そうよね」と自分の中で何か答えを見つけたようでやっと笑顔が戻ってきた。

 

「ありがとう小町さん。比企谷くんと話してくるわ」

「はい、いってらっしゃい」

 

 言ってリビングから出て行く雪乃さんを見送ってほっと一息つく。

 これにて雪乃さん慰めミッション終了。クッキーをひとつはむっと食べる。

 

「……おいしい」

 

 兄と雪乃さんの痴話喧嘩は一体いつ頃落ち着くのだろうか。もしかしたら一生続くのかもしれない。

 まあでもそれならそれで我が家の今後は安泰だなと思う小町なのでした。まる。



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運勢占い

「ねぇ占いアプリやろうよ!」

「やらないわ」

「やらねぇよ」

 

 奉仕部の扉をガラッ、ピシャリと開け放って閉めた由比ヶ浜の発言に、俺と雪ノ下はすげなくあしらう。

 雪ノ下が淹れてくれた若干冷めつつある紅茶を一口啜る。うん美味い。

 

「ちょっと二人とも! 拒否するの早すぎるし!」

 

 俺と同様紅茶に口をつけていた雪ノ下は、丁寧にカップを置いて息を吐くと由比ヶ浜を見据えた。

 

「由比ヶ浜さん、まずいきなり扉を開け放つのはやめなさい。びっくりするじゃない」

「うっ、ごめんなさい」

「それと、今日は三浦さんたちと出掛けるんじゃなかったの?」

「あっそれはね、隼人くんがサッカー部のミーティングがあるからってその後になったんだー」

 

 だからゆきのんに会いたくって、という由比ヶ浜に対し「そ、そう」と素っ気なく返す雪ノ下。

 けれど広角がわずかに上がっていることから嬉しさが隠しきれていない。

 もうやだー雪ノ下さんったら由比ヶ浜さんのこと好きすぎじゃ無いですかー、とうんうん頷いていると雪ノ下に睨まれる。

 あれ? 俺の思考読まれた?

 

「ねぇゆきのんやろうよー。色々あるんだよ」

「ちょっと由比ヶ浜さん、あまり揺らさないで──」

「仕事運に金運、あっ、恋愛運ってのもある! これやろー!」

「由比ヶ浜さん、あの、話聞いて」

 

 どんどん由比ヶ浜のペースに流されて行く。こうなると雪ノ下にはなす術がない。そして奉仕部内で拒否権を剥奪されている俺は従わざるを得ない。

 

「じゃあまずヒッキーとあたしね」

 

 言ってポチポチっと自分の携帯を操作する由比ヶ浜。鼻歌を歌いながら楽しそうにしている姿を見ていると、止める気も失せてくる。

 そこでふと由比ヶ浜は指を止める。

 

「ヒッキーって血液型なんだっけ?」

「A型よ」

「なんでお前が答えんだよ」

 

 そもそも血液型の話したことあるっけ? と記憶を遡ってみると思い出した。そういやあったな一回だけ。

 由比ヶ浜の誕生日会だったか、文化祭の打ち上げだったか──

 

「あっ、結果出たよ」

 

 最初は楽しそうな表情をしていた由比ヶ浜だが、それが徐々に険しくなっていく。

 

「むっ、五十パーセントだって」

「あら、良かったじゃない」

「ま、妥当だな」

 

 どこが良かったのか雪ノ下に詳しく聞いてしまうと俺が傷つく未来しか視えないので、スルーしておく。

 

「あっ、占い結果もちゃんとある。えっと『あなた達は友達としてお互いに刺激しあえる良い関係を築けるでしょう』だって」

「……良かったわね比企谷くん。由比ヶ浜さんが友達になってくれるそうよ」

「そうだな。でも俺には戸塚だけいれば十分だからお断りします」

「なんか知らないけど断られた⁉︎」

 

 ますます膨れっ面になる由比ヶ浜。

 そして無造作に再び携帯を打ち始める。

 やがて驚いた顔を見せた。

 

「うそっ! ヒッキーとゆきのんの相性、99パーセントだってさ!」

「っ⁉︎ そ、そうなのね」

「…………」

「えっと……、『あなた達はまさに運命の二人でしょう。ただお互いに一歩踏み込む勇気が足りません。それさえ乗り越えれば未来永劫、幸せに暮らせるでしょう』だってー」

 

 ……へぇーふーんそうなんだー。

 なにこれ妙に気恥ずかしいんだけど。

 俺はふと雪ノ下の方を向く。と、ぱっちり目があってしまう。そしてすぐに顔を逸らされた。

 

「ひ、比企谷くんと相性良いなんて少しいえ大分虫唾が走るわね」

「俺だってお前と相性良いとか……はっ、あり得ないな」

 

 うん考えれば考えるほど可能性皆無だ。

 大体部室内で俺は罵倒されまくりだぞ。雪ノ下からの好意なんて感じたことない。

 そんな俺と雪ノ下の否定をよそに、由比ヶ浜は考えるように呟く。

 

「ん〜、でも二人ともいつも仲良さそうに会話してるし、案外間違いでもないのかも」

「は?」

「由比ヶ浜さん。私だって怒ることがあるのよ?」

「で、でも本当のことだし……」

 

 仮にそれが本当なら俺はドMで雪ノ下がドSという図式が成り立ってしまう。なるほどそれなら相性は抜群そうだ。

 けれどそんな事実は存在しないのですぐさま頭から消し去る。

 そして由比ヶ浜を睨み付けてる雪ノ下に便乗し、俺もじとーっと睥睨した。

 

「あ、あの……。そ、そうだ! あたしそろそろ時間だからもう優美子達のところ行くね!」

 

 居心地が悪くなったらしい由比ヶ浜はカバンをサッと背負い、そそくさと奉仕部を後にした。

 最後に帰りの挨拶を忘れないのは由比ヶ浜の良いところだろう。

 

「…………」

「…………」

 

 ただこの空気で俺たち二人を残すのはいただけない。あいつ、空気読むのだけが取り柄じゃないのかよ。空気破壊人エアーブレイカーは俺だけで充分だ。

 

「その、私たちもそろそろ帰りましょうか」

「そ、そうだな」

 

 時間も丁度良い時間だし、特に異論はない。

 無言で帰りの支度をし部室を出る。

 

「比企谷くん。また明日」

「おう。またな」

 

 小さく手を振ってくる雪ノ下に別れをつげる。その背を少しだけ見送って歩き始めた。

 昇降口までの道程、俺は由比ヶ浜がやっていた占いアプリを検索し、彼女との相性を出してみた。

 出てきたのは由比ヶ浜が伝えてくれたことのすべて。

 ──一歩踏み込む勇気、か。

 

「俺らしくねぇ、だろうな」

 

 昇降口には俺たち同様、部活を終わらせたらしい文化部連中が騒がしく談笑しながら校門へと向かっていく。

 俺がそれを佇みながら何度か見届けていると、コツコツと静かな靴音が耳に響いた。

 それをいつも意識的に聞いていたわけじゃないが、不思議と誰だか分かってしまった。

 顔を上げると想像通りの人物、雪ノ下雪乃は驚いた表情を向けてきた。

 

「比企谷くん?」

「おう」

「なに、してるの?」

「……雪ノ下を待ってただけだ」

 

 「そう、待っててくれたの。……そう」と噛み締めるように呟く雪ノ下と顔を合わせられない。

 きっと綺麗な夕焼けじゃなかったら、彼女に俺の赤面具合が露呈してしまっていたことだろう。

 

「んじゃ行くぞ」

「ちょっと待ちなさいよ」

 

 早足で歩く俺を靴に履き替え追いかけて来る雪ノ下。

 校門を抜けて俺と雪ノ下は一定の距離を保ちながら歩いていく。

 そこで雪ノ下に声をかけられる。

 

「そう言えば比企谷くん。あなた、自転車は?」

「あっ……忘れてた」

「ふぅ、まったく」

 

 呆れた声を出す雪ノ下だが、俺としては今日は雪ノ下と一緒に下校することしか考えてなかったので仕方がないと言い張るしかない。

 まあそれを雪ノ下に伝えると色々墓穴掘りそうなのでやめておくが……。

 

「それで取りに戻る?」

「……いや、学校に置いとけば無くなることもないだろうし、いいだろ」

「そう。比企谷くんが良いのなら私は構わないのだけれど」

 

 俺と雪ノ下は無言で歩いていく。

 いつの間にか雪ノ下は俺の隣に並んでいた。

 肩と肩が触れ合うんじゃないかってくらいに近づいている。

 

「……ねぇ、どうして待っていてくれたの?」

「どうしてって──」

「もしかして"一歩"踏み込むため?」

「っ⁉︎ いや、それはな……」

 

 そしてパッと雪ノ下の方に顔を向け確信した。あ、これバレてる、と。

 いや今日のアレの後でバレない方がおかしいだろうが、いざバレたと自分が気づいてしまうと恥ずかしくて軽く死にそうになる。

 だがもうここまできて引くことはできない。

 

「そうだな。少し思うところがあった……っていう感じだ」

「そう」

 

 それからお互い無言になる。

 まあ元々俺たち二人、喋る方ではないので気まずい感じはあまり無い。

 しばらく歩いていると右手に微かな違和感を抱く。それが指を握られた感触だと気づくのに時間はかからなかった。

 

「"一歩踏み込む"を私も実践してみようと思って」

「……そうか」

 

 俺と雪ノ下の関係はまだまだ奉仕部の部長と平部員の域を出ない。

 けれど近いうち、関係を変えることが出来るんじゃ無いかと思う俺と雪ノ下の一幕であった。




深夜にかけて投稿したのは本来全部まとめてで投稿してたやつなのでひとつひとつが短いです!


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天使or小悪魔=雪ノ下雪乃

天使はエンジェル
小悪魔はミニデビルと読みます!


 俺にとっての天使的存在は我が愛しの妹である小町と、俺にとってかけがえのない親友でありたいと思える戸塚彩加である。

 彼女たちに敵う俺の癒し的ヒロインは金輪際現れない! とそう思っていた。

 だがしかし。ここ最近、その領域を脅かす者がいる。

 その名は雪ノ下雪乃。

 出会った当初は冷徹、冷酷、冷淡の冷蔵庫さえも驚愕の底冷え具合を見せてきた彼女。

 けれど最近の彼女はどうだろうか。

 俺が部室に来ると笑顔で挨拶し、小さく手を振って来る。

 紅茶を淹れてくれるとき、息を吹きかけてから渡して来る。

 挙げ句の果てに俺が前日徹夜で眠たそうにあくびをすると、座布団を用意し、そこに正座してスタンバイしてしまう有様だ。もちろん最後のは遠慮したが。

 あと由比ヶ浜が不在の時しかやらないのが何気にたち悪い。

 ここまで好意を露わにされて嬉しくないわけではないし、次はなにしてくれるのかドキドキして部室に行くのが楽しみになる。……って違うそうじゃない。途中文法が脳内でメタモルフォーゼしてしまった。

 や、楽しみなのは事実だが、根本はどうにかしたいってのが本音だ。

 じゃなきゃ俺の理性もそろそろ限界である。

 なので今日こそはと部室前で気合を入れ、ガラッと扉を開いた。

 

「あっ、比企谷くん。こんにちは」

「……うす」

「ふふっ、比企谷くんの挨拶、かわいい」

 

 若干の恐怖を感じた。

 以前の彼女なら「あら、きちんと挨拶も出来ないの? まあ仕方ないわね、普段は土の中で勉強なんてしないものね」とかなんとか言ってきたはずだ。うん、我ながら雪ノ下の物真似がうまい。

 ところがどっこい、雪ノ下は俺の挨拶を可愛いとまで言ってきた。

 やだ、少し恥ずかしくなってきた。これからはきちんと挨拶するように努めます。

 もしこれが俺にまともな挨拶をさせるための策略なら孔明も驚嘆するだろうが、今の雪ノ下にそれほどの知恵が宿っているとも思えない。

 や、勉学は相変わらずなんだけど、雪ノ下のやつ、俺に関わると最近ポンコツになるんだよなぁ。

 

「比企谷くん、紅茶飲む?」

「ん、もらうわ」

 

 最初の頃、湯飲みに息を吹きかけられてから紅茶をもらうのを控えていたのだが、一度涙目で「紅茶、いる?」と言われれば流石に断ることが出来なかった。

 なので最悪そこに関しては諦めることにした。

 まあすぐに飲める温度にしてもらえてると思えばなにも悪いことばかりではない。こうして少しでもポジティブに捉えないとすぐにでも丸め込まれそうだ。

 

「ん、これぐらいで良いかしらね。……はい、どうぞ」

「…………」

 

 雪ノ下が目の前に湯呑みを置いてくれた。

 ……ねぇ、なんで口つけたの? なんで少し飲んじゃったの?

 大事なことだから二回言いました。

 いやほんと何で飲んだんだよ。(三回目)

 俺これ口つけたらあれじゃん、もうあれじゃん!

 色々と言葉に出来なかった。

 そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、雪ノ下は肘をつき手のひらに顎を乗せこちらを見つめていた。

 くそっ、絵になるのが尚ムカつく!

 

「比企谷くん。飲まないの?」

「ああ飲む飲む。もう少し冷めたら──」

「私が確認したから大丈夫よ。さあどうぞ」

 

 比企谷八幡に逃げ場なし。

 仕方なく意を決して湯呑みに口をつける。そして見なければ良いものをつい目線が雪ノ下を捉えてしまった。

 

「ふふっ、間接キスね」

「ゴホッ⁉︎」

 

 

 次に来る言葉が何となく予想は出来ていたのに、それでも目の前の彼女の笑顔を見せられたらむせないようにするのは不可能だった。

 もうだめだ。今日こそはと意気込んできたものの、さっきからやられっぱなし。

 気持ち的にはハメコンボを食らってる感じだ。

 マジあれ地味にストレス溜まるよね。あとポケモンの"みがわり"と"かげぶんしん"と"どくどく"。あれ考えたやつ俺以上に性根が腐っていると思います。

 そんなくだらないことを考えていたからだろうか。いつの間にか正面にいたはずの雪ノ下がいないことに気付かなかった。

 そして気配を感じ、後ろを振り向こうとすると、背面から抱きしめられる。いわゆるあすなろ抱きってやつだ。

 

「……おい、雪ノ下? さすがに冗談がすぎるぞ」

「そうね。冗談なら、ね?」

 

 柔らかな手つきで首筋をなぞってくるのがこそばゆい。

 雪ノ下はきっと、俺が無理やり引き剥がさないことを分かっているからやっているのだろう。

 事実俺は彼女に言葉で拒絶を示すことしかできない。

 それはきっとこの状況を受け入れつつあるからで。

 

「ねぇ比企谷くん」

「お、おう。何だ……?」

「私にこういうことされるの、いや?」

「や……」

 

 その甘く囁きかけるような声は俺の全身を絡めとろうとするようで決して逃してはくれない。

 ふっと耳に息を吹きかけられゾワっとした。

 

「……好き」

「っ⁉︎」

 

 思えば直接言葉で伝えられたのはこれが初めてだ。

 身体が硬直する。息が浅くなる。ギリギリ動かせる首だけを動かし、ゆっくりと雪ノ下の方へと振り向いた。

 瞬間、目を覆い隠され、柔らかい感触が唇に触れた。

 しかしそれも一瞬のこと、すぐに解放される。

 

「ちょっ、おまっ、なにして……」

「さあ? 何をしたのでしょうね?」

 

 言って、雪ノ下は自分の唇に触れた。

 それはもう回答してくれているようなもので、大体そんな事されなくても薄々気付いていたので俺としては何をされたのか確信させられただけなのだが……。

 そして雪ノ下は何事もなかったかのように自分の席へと戻っていく。鼻唄混じりの上機嫌な様子で。

 

「マジでなんだよ」

 

 ほんとどうしたら良いのか分からない。

 分かるのは雪ノ下にされた行為の意味と、そこにある純粋な好意だけだ。

 ……や、さっきまでのが純粋かどうかは審議する余地は残ってるけど。

 まあでも──

 

「ふふっ」

 

 微笑みながら相変わらず鼻歌を歌っている姿は可愛らしく、"これはこれで良かったんじゃないか"と思わせる何かがあった。

 ……って、結局大分絆されてんな俺。

 俺は雪ノ下をチラリと見やる。

 

「次はもっと攻めようかしら……」

「…………」

 

 ──最後の発言は聞かなかったことにしておくか。

 



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おしどり恋人

恋人はカップルって読みます!
今回はオリキャラ視点で八雪を観察します!


 私の名は綾瀬彩香。

 これでも普通科より多少偏差値が高い国際教養科に通っている優等生である。

 顔面偏差値だってそこら辺の一般ピーポーに負けていない。そう、私は美少女なのだ!

 ただ総武校生には"そこら辺"の枠に収まらない輩が数多くいるせいで私自身が霞んで見えてしまう。

 同級生では結衣ちゃんや三浦さんや川崎さん。下級生だと生徒会長の一色いろはさん、あとは今年の新入生の比企谷小町ちゃん。

 この前学食で偶然的にも会話をしたけどお持ち帰りしたくなるぐらい可愛かった。

 あれはもう自分の長所を全て理解している振る舞いだと、私は読んでいる。

 三年つまり私の同級生に兄がいるらしいのだが、"比企谷"なんて性の人は聞いた事もない。

 一度聞けば覚えていそうな名字のはずなんだけどなぁ。……っと、話が逸れた。

 つまり、私が可愛くないわけではなく、運悪く私の世代の総武校生が可愛すぎるだけなのだ。

 で、私偏見でその頂点に君臨しているのが我が三年J組の女神、雪ノ下雪乃様であられる。

 J組は基本、クラス替えが存在しない。つまりこのクラスだけは三年間同じなのだ。

 だから私はずっと雪ノ下さんを見てきた。

 ……べ、別にストーカーじゃないよ? ほら、雪ノ下さん。可愛くて綺麗で出来れば仲良くなりたいな〜とか思っちゃったりして。

 一年の頃はそんな雪ノ下さんと仲良くしたいと思っていた人は多くいたと思う。けれど今ではそれも多くはない。

 というのも一年の時に問題があった。

 会話をすればラリーは続かず、業務連絡以外は無視とまではいかなくともあまり成立させてはくれなかった。

 時々反応してくれる内容もあったけど……あれ何だっけ? 確か猫?

 まあそんなのはどうでも良くて。

 二年になる頃には多分雪ノ下さんに話しかけてるの、私ぐらいしかいなかったと思う。

 けどその時期から雪ノ下さんは言葉を返してくれるようになった。それが嬉しすぎて饒舌に喋ってたら、若干引かれたのは良い思い出だ。

 三年になった今では席も隣同士で益々仲良くしていけたらと私は思っている。

 そんな中、雪ノ下さんに彼氏が出来たという噂が流れてきた。

 正直、私は噂を信じたりはしない。

 去年はヒキタニって人の噂が何度か流れてたけどそこまで話に上がるとか逆に人気者じゃね? とか思ってしまったぐらいだ。

 まあでも雪ノ下さんにもし本当に彼氏が出来たのなら、イチ雪ノ下雪乃ファンとしては見定めないわけにはいかないと思ったわけで、即行動に移した。

 すると意外にもあっさりと現場を見つけることに成功した。

 

「はいお弁当」

「ん、いつも悪いな」

「一人分も二人分も変わらないわ」

 

 なんだよお前ら? 夫婦?

 場所は風当たりの良い校舎の裏、テニスコートが見える位置。そこに二人は座っていた。

 一人は言わずもがな雪ノ下さん。

 ただ座っているだけなのにそれだけで彼女の品の良さが伝わってくる。

 もうひとりは誰だか分からない。ここから見える唯一分かる特徴といえば、ピンとしているアホ毛くらいなものか。

 もう少し近づいて容姿を確かめたいけど、もし雪ノ下さんにバレたら冷めた目で睨めつけられそうなのでやめて――なんか変な扉が開きそう。

 私はここで風に乗って届く声に耳を傾けることにした。

 

「美味しい?」

「ああ。すげぇうまい」

「そう、良かった」

 

 雪ノ下さんの横顔が目に入る。

 今までに見た事のないぐらいの笑顔で、本当に隣の奴が彼氏なんだなと実感せざるを得ない。

 噂を確信にした瞬間だった。

 

「ここの風、気持ち良いわね」

「だろ? 俺の一年の頃からのお気に入りの場所だからな」

「……ごめんなさい」

「おい今のは別に自虐ったわけじゃねぇぞ?」

「あらそうなの?」

 

 微かに笑い声が聞こえてくる。

 今の会話のどこに面白さがあったのかイマイチ伝わってこないが、きっと二人だけに分かり合える何かがあったのだろう。

 そこでふと私は視界に捉えた。

 雪ノ下さんたちより奥にいる人物がこちら側に手を振ってくる。

 恐らく、その距離だと辛うじて私を視認出来ないだろうから座っている二人に向かって。

 それに気づいた弁当を食べていた二人も手を振り返した。

 で何を思ったのか雪ノ下さん、おもむろに玉子焼きをひとつつまみ、それを彼氏の口元へ近づける。

 

「はいあーん」

「あのちょっと? 今戸塚がこっち見てるんだけど?」

「ええそうね」

 

 事もなげに雪ノ下さんは言う。

 これはあれだ。雪ノ下さんなりのイタズラなのだろう。それを分かった上で、恐らく彼氏の方は乗っかっている。会った事もないのに何となくそう思った。

 

「戸塚くんに見られてると恥ずかしいの?」

「や、当たり前だろ。戸塚だぞ戸塚!」

「あなたのその戸塚くん好きはそろそろ矯正しないとダメなレベルね」

「安心しろ。お前は戸塚と同じぐらいに好きだから」

「そこは私が一番だと言って欲しいのだけれど」

「ばっかお前、照れだよ照れ。戸塚は友達として一番だけどお前は俺の好きになった人としてずっと一緒にいてくれなきゃ……こま、る」

「最後が減点対象だけれど良いわ。……ありがと、私も同じよ」

 

 ……なにこの甘々空間。

 自分から近づいといてあれだけど軽く呪いたくなってきた。

 雪ノ下さんってあんな表情豊かだったんだね。なんか新鮮。

 きっとあれは彼しか引き出せない顔なのかもしれない。

 まだ数分しか彼を観察していないけど、雪ノ下さんがどれだけ彼のことを好きかは伝わってきた。

 

「はいあーん」

「や、まだ続けるのかよ」

「ええ。だってもう戸塚くんも練習に戻ったもの」

 

 奥を見れば確かにこちらに背を向けて素振りを始めていた。

 戸塚くん練習熱心で感心感心。私も女子テニス部の部長として見習うべきかもしれない。

 

「今なら誰も見てないわよ」

「そう言う問題じゃなくてだな……」

「恥ずかしいとか言うのなら、さっきのあなたの発言の方が恥ずかしいのだから気にする必要ないわ」

「おまっ、勇気を出した発言を言うにこと書いて恥ずかしいって──」

「冗談よ。こうでも言わないとあなた食べてくれないじゃない」

「うぐっ」

 

 雪ノ下さんの悲しげな声音に彼氏の喉が詰まった。私これ知ってる、泣き落としってやつだ!

 あの雪ノ下さんが彼氏に対してここまでやるとは……恐るべし名も知らぬ彼氏よ。

 

「今なら誰も見てないわ」

「……分かったよ」

 

 言って、彼は戸塚くんの方を一度向いてから雪ノ下さんが摘んでいる玉子焼きを口に入れた。

 ただ、目測を誤ったのか雪ノ下さんの細くてきれいな指ごと口に入れやがったこいつ!

 

「んぐっ、わ、悪い!」

「ふふっ、なにが?」

 

 あ、ちがう。これあれだ。雪ノ下さんの方がわざと突っ込んだんだ。

 あの悪戯に成功したような笑顔可愛いなぁ。……じゃなくて。

 

「どっちがおいしい?」

「どっちって何をだよ。……や、"玉子焼き"は美味かった」

 

 彼は恐らく頭が良いのだろう。雪ノ下さんの悪戯を瞬時に見抜いた上で玉子焼きを強調したはずだ。

 しかし雪ノ下さんはそれの上を行くことを私は何となく察していた。

 

「じゃあ私の指は?」

「っ……⁉︎」

 

 雪ノ下さんの直接的な発言に流石の彼氏も動揺を禁じ得ない。

 彼氏の発言に要注目!

 

「えっと……、甘かった、です」

「……そう」

 

 私は二人の空間が甘々だと思います!

 そもそも誰も見てないって思ってるけど私見てるからね⁉︎ もう終始穴が空くほど見ちゃってるから!

 多分バレたら雪ノ下さんに舞浜海岸辺りに沈められちゃうんだろうなぁ、と思います。

 でも雪ノ下さんの記憶に残れるならそれもそれであり……や、無いな。記憶に残るなら友達としてが良い。

 というわけでそろそろ時間も頃合いなので退散しましょうかね。

 

「そういえば比企谷くん。今日小町さんにお呼ばれしてるから、お家にお邪魔するわね」

「……えっなに? 俺聞いてないんだけど」

 

 私も聞いてないんだけど。

 ってか今なんて言った? 比企谷? 小町?

 その二つを組み合わせたらもう私の知ってる名前だし、比企谷なんてそうそういるはずもない。

 ……つまり、雪ノ下さんの恋人は小町ちゃんのお兄さん?

 

「小町さんにおいしいクッキーの作り方を知りたいから教えてって頼まれたのよ」

「ほーん」

「時間的に遅くなれば泊まらせていただくかもしれないわ」

「ふーん。まあ良いんじゃねぇか? 小町が許可してるんなら」

 

 ちょっと私の情報処理能力が追いつかない。

 この二人ってもしかしてもうやることやってんの⁉︎ ……いやいやないない。あの雪の下さんに限って、……うん。

 彼氏、比企谷くんのあーんでの照れ具合から考えればまだしてないでしょ、多分。

 私はそう信じてる!

 チャイムが鳴ってからだとあの二人に気付かれてしまうので、その前に抜き足差し足忍足で二人の近くから戦線離脱をする。

 ──噂以上の進展具合だったなぁ。

 けど雪ノ下さんはすごく幸せそうだった。その彼氏の比企谷くんも……まあ結局顔は見えなかったけど楽しそうではあった。

 

「……彼氏かぁ」

 

 誰かを好きになったことがない私にとってそれは未知の領域だけれど、いつか自分にも素敵な恋人ができたら良いなぁと思わせてくれる、雪ノ下さんと比企谷くんの昼休み風景であった。

 



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雪ノ下雪乃は比企谷八幡を甘やかしたい。

 最近の奉仕部はやたら穏やかだ。

 と言うのも理由はいくつか存在する。

 ひとつは由比ヶ浜がここ最近補習で部活に顔を出さないことだ。

 なんでも文系の大学を目指しているため、今年から度々平塚先生にマンツーマン指導を頼んでいるらしい。

 まあ平塚先生なら協力してくれるだろうな。生徒第一主義だしあの人。あれでもう少し性格が女性らしければ結婚に近づけるんだろうけど。……早く誰かもらってやってくれないかな。

 ここのところ切実にそう思ってしまう。

 ふたつ目だが正直こちらの方が重要だ。

 それは──

 

「はい、紅茶よ比企谷くん。……そ、その、まだ熱いでしょうからふ、ふーふーしてあげましょうか?」

「……や、気持ちだけ受け取っとく」

「そ、そう」

 

 言って、雪ノ下は自分の席に戻っていく。

 これだ。これなのだ。

 由比ヶ浜が補習に行きはじめた辺りから、雪ノ下が妙に俺に対して優しくというか気遣いをするようになったのだ。

 始めは何か企んでるのかとか、あとで理不尽な損害賠償を叩きつけられるのかと思った。けど様子を見てるとどうやら違うらしい。

 ここ最近、雪ノ下は俺に罵倒を飛ばしてこない。言いそうになることはあるけど、自分の中で押し留めてるような感じがある。

 俺はそれが不気味でならない。……や、それを言ったら雪ノ下に失礼かもしれない。彼女は彼女なりに何かしらの考えがあるだろうから。

 そう、例えば、受験まで俺に優しく接すれば志望校に受かるジンクスがあるとか。

 ……ないな。そんなことしなくても雪ノ下は受かるだろう。なんせ総武高学年主席だし。

 よくよく考えれば進学校の学年主席って凄いことだぞ。そいつが身近過ぎて実感が無かったけど。

 あるとすればそれを由比ヶ浜のためにやってるとか。……なにそれ、雪ノ下さん由比ヶ浜のこと好きすぎでしょ。事実そうなんだろうけども。

 雪ノ下が俺への態度を軟化させた理由は見当もつかないけど、それがないに越したことはない。

 物足りないとか少し寂しいとか言ったら俺のドM説が浮上してしまうので控えておく。

 

「あ、あの比企谷くん」

 

 二人で読書をしていること数分。本を閉じずに顔だけをあげて雪ノ下が声をかけてきた。

 

「どうした?」

 

 こちらも顔だけ前を向き応答する。

 

「……比企谷くん。最近受験勉強でお疲れでしょう? か、肩でも揉みましょうか?」

 

 これもここ数日のやり取りで恒例となってきてる。無論、お願いしたことは一度もない。

 だって、雪ノ下に借りを作るとかいつあの雪ノ下大好き姉が出張ってくるか分かったもんじゃない。

 けど毎回断ると悲しそうな顔するんだよなぁ、こいつ。

 それもさすがにいつも見てると俺が悪いわけでもないのに罪悪感が出てくるわけで。

 たまには受け身に回って雪ノ下が何をしたいのか探るってのも手か……。

 

「あの……、比企谷くん?」

 

 何も答えない俺を不思議に思ったのか首を傾げてくる。

 彼女のこういう仕草はいつ見ても絵になる。

 だがそれに見惚れてばかりじゃいられない。俺は誤魔化すように咳払いをした。

 

「そんじゃ頼むわ」

「えっ……⁉︎」

 

 自分から申し出ておいて驚く雪ノ下。……いやおかしいだろ。

 あれ? えっ? もしかして冗談だった? だとしたら俺が恥ずかしいんだけど。

 羞恥に悶えかけたが俺のその思考は杞憂で、雪ノ下は動揺した様子からすぐに立ち直り、メモ帳とペンを取り出して何かを書き記したあと椅子から立ち上がる。……おいなんだよそのメモ帳。

 

「それじゃ始めるわね」

「おう」

 

 雪ノ下の手が肩に触れる。制服越しでも伝わってくる温もりと柔らかさにドキッとした。

 ぐいっと親指を押し込まれる。適度に場所を移動し、力加減を変化させながら続けられる。

 ──やばい、これ気持ち良い。

 油断したら変な声が出そうになる。

 俺は雪ノ下に気づかれない程度に唇を噛み締める。

 

「どう? 気持ち良い?」

「へっ?」

 

 不意の声かけに情けない悲鳴をあげてしまった。

 

「ふふっ」

 

 挙句、雪ノ下に笑われる始末。

 俺としては立つ瀬がない。

 まあ保てる面目なんか元々ないけどな!

 

「んんっ、もっと強くしても良いぞ?」

 

 俺は再び咳払いでごまかしながら注文する。と、少しだけググッと力が入れられる。

 

「どう?」

「ああ、悪くない」

 

 肩をグニグニ、肩をモミモミ、肩をトントン、色々なバリエーションで癒してくれる。

 ──これ癖になりそうでやばい。

 しばらく気持ち良さに浸っていると雪ノ下の手が肩から二の腕、そこから下がり手首、手のひらにまで移動してきた。

 

「おい、雪ノ下?」

「比企谷くんの手、大きいわね」

「ま、まあ……一応男子だからな」

 

 肩とかならともかく、手のひらを他人に触れられることがほとんどないせいか擽ったい。けどそれを指摘すると弄ばれそうなので耐えることしかできなかった。

 

「ふふっ、比企谷くんの手」

「…………」

 

 いや、なんだよ。俺の手だからどうした。

 雪ノ下が行っているのはマッサージではなくなっていた。

 人差し指を立て文字を書いていた。

 左手に持っている本へ使っていた集中力を右手だけに集約させる。と、少しずつ読み解けてきた。

 ひ、き、が、や、く、ん。

 書かれたのが俺の名前だったので振り向くと、雪ノ下と目が合う。それが恥ずかしくなりサッと逸らしてしまった。そして雪ノ下の指が再度動き始める。

 す、き。

 

「……はあ⁉︎」

 

 おそらく、生きてきた十七年の人生で一番みっともない悲鳴をあげてしまったことだろう。けれど仕方ない。いきなり告白みたいなことをされたのだから。

 一瞬間が空いたのは言葉を繋げるのに時間がかかったから。

 全部通して読むと出来上がる言葉を咀嚼するのに時間を要したからだ。

 ──比企谷くん、好き。

 雪ノ下は確かにそう書いた。

 ……いや待って。これなんて超展開?

 試しに左頬を抓ってみる。痛かった。

 試しに右頬を叩いてみる。凄く痛かった。

 もう一度左頬を……叩こうとしたところで、優しく制止される。

 

「何度も叩いたらほっぺが赤くなるわ。それに夢じゃないわよ?」

 

 ですよね。知ってた。

 でもでもーそんないきなり告白されるなんてしんじられるわけないじゃないですかー。

 ……一色の真似で落ち着こうとしたが無理でした。

 

「あの、比企谷くん?」

「お、おう。……なんだ?」

「そ、その……、返答をいただきたいのだけれど」

 

 言われ、雪ノ下の瞳を真っ直ぐと見つめる。

 顔が赤い。体も小刻みに震えている。

 そして分かった。雪ノ下も相当の勇気を出してくれたのだと。

 最初はあやふやに誤魔化そうと思ってた。けれど、今の彼女を見てそれをする気はすぐに失せた。

 なら率直に今頭に浮かんだ言葉をそのまま伝えれば問題ないはずだ。

 

「……雪ノ下、手を出してくれ」

「? これで良い?」

 

 雪ノ下の細く白い手が差し出される。

 触れても良いものか一瞬迷うも、痛くならないように優しく手を添える。

 そしてゆっくりなぞっていく。

 ──お、れ、も。

 そう書いた。すごく恥ずかしい。

 雪ノ下の顔色を窺うと何故か不満そうだった。

 

「……それだけ?」

 

 認めてしまえばむくれてる雪ノ下でさえ愛おしくなってきてしまう。

 ──ああ、俺はこいつが好きなんだ。

 俺は羞恥を押し殺し、続きを書く。

 ──す、き、だ。

 瞬間、雪ノ下が勢いよく抱きついてきた。

 俺は椅子に座ったままで雪ノ下は立っていたので、そうなると床に倒れ込むのは必然である。

 俺は背中を強く打ち付けた。

 

「ぐっ……」

「比企谷くん大丈夫⁉︎」

 

 慌てて雪ノ下が心配する。

 

「おう、大丈夫だ」

「でも……あっ」

 

 俺は痛みで、雪ノ下は興奮気味で気付かなかったが、今の俺と雪ノ下は上下で重なっている状態だ。

 腕を伸ばして俺に体重をかけないようにしてくれている雪ノ下だが、そうなると顔と顔が真正面から向かい合うわけで。

 

「……比企谷くん」

 

 徐々に雪ノ下が無駄な力を抜きつつ顔を近づけてくる。

 俺の意識は一点に集中していた。

 そして、やがて──

 

「んっ……」

 

 唇が触れた。

 これはあれだ。……初めて味わう感覚だった。

 どうにも形容し難くて、俺の思考は完全に停止していた。

 ようやくして雪ノ下は腕に力を入れ離れた。

 それを少し名残惜しく思ってしまう。

 けれどそんな卑しい考えは彼女の表情を見て一瞬にして吹き飛ぶ。

 

「比企谷くん。……これからよろしくね?」

「……ああ、よろしくな」

 

 そして俺たちは完全下校時刻まで気持ちを確かめ合った。



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八幡の合コンを覗き見る雪乃。

 とある居酒屋。

 私は由比ヶ浜さんとサシ飲みをしていた。

 

「ぷはぁ、ビール美味しいねー!」

「……そう。良かったわ」

 

 由比ヶ浜さんの飲みっぷりは豪快だ。

 まるで連日残業でようやく一息つけた中年おじさんみたいな。

 喉を鳴らし、一気に呷る由比ヶ浜さんを見ていると自然と笑みが溢れてくる。

 

「どしたのゆきのん?」

「いえ、なんでもないわ」

 

 彼女とこうしてお酒を酌み交わすとは出会った当初は思いもしなかった。

 それどころか少し苦手な部類ではあったし。

 「ゆきのんも飲もー!」と私が頼んだカシスオレンジをずいっと前へと出したので、ちびちびと飲み始める。

 

「……そういえばそろそろ来るの?」

「え、ええ。そのはずよ」

 

 由比ヶ浜さんはふと思い出したかのように言葉を漏らした。

 ……そう。私は由比ヶ浜さんとサシ飲みをしている。それはもちろんそうだけどある意味建前だ。

 本命は今日ここで行われる合コンを監視すること。

 そこに私の彼氏……比企谷八幡も参入するのだ。

 彼の名誉のために言っておくと、そもそも彼はこの合コンに乗り気じゃないし、私にも相談してくれた。

 だからこうして私は先回りして現場に入れるわけだし。

 けれども、それでもやはり気にはなる。

 いくら気がないといっても、万に一つ……いや億が一つ八幡が私以外の女性に心が揺らいでしまったら、と。

 そんなことあり得るはずがないと分かっているのにだ。

 そして一人で居酒屋に入る勇気のなかった私は、全て事情を話し、由比ヶ浜さんに協力してもらって、今に至る。

 今日の飲み代は私の奢りってことで。

 

「あっ、ちょうど来たみたいだよ」

 

 由比ヶ浜さんに言われ振り向くと団体客が現れた。

 男女四人ずつの合計八人。八幡は……両手をポケットの仕舞い込み、あくびを噛み殺していた。

 

「うわぁ、ヒッキーつまんなそう」

 

 由比ヶ浜さんは彼の態度に苦笑を浮かべていた。

 せめて外面だけでも良く……と言いたいが、八幡には無理な話ね。

 団体客が丁度私たちがいる斜向かいの席につく。

 私たちが入った時、予約席と書いてある札があったのであえてこの席に座っていたのだ。

 ここなら八幡の姿もバッチリ見えるし、会話だって聞こえる。

 それぞれ席に着くと色々注文を済ませてから、男性側からの自己紹介が始まった。

 

「……じゃあ最後。ほら比企谷」

「ん? あ、ああ……」

 

 気だるげに立ち上がり周りを見回す。

 はぁ、とため息をついてから言葉を紡いだ。

 

「比企谷八幡です。俺は彼女がいますしただの数合わせで呼ばれただけなのでどうか空気のように扱ってください」

 

 言って彼は満足そうに席に座った。

 

「あ、あはは」

「はぁ……まったく」

 

 彼らしいっちゃ彼らしい。

 反感を買うことなんて恐れてはいない。

 隣の男性が小声で八幡に話しかけてるが、彼はニヒルな笑みで受け流す。

 

「ねぇ、由比ヶ浜さん。私、合コンには疎いのだけれど、ここまで沈黙することってあるのかしら?」

「……あたしも良く友達付き合いで参加するけど、ここまではないかなぁ」

 

 だとしたらこれは八幡の才能ね。

 この前、彼は私のことを心の中で「氷の女王」って呼んでたって白状してたけど、空気を冷やすのは彼の方が得意なんじゃないかしら?

 

「さ、さあ気を取り直して女子の皆さん!」

 

 八幡の隣の男が仕切り直す。

 恐らく彼に何を言ってもダメだと気づいたのだろう。

 誘った本人の手前、あまり強く言えないのかもしれない。

 まあ八幡は八幡で、これで合コンに誘われなくなれば儲けもの、くらいは思っていそう。

 それから女子の自己紹介を挟み、各々話したい人との時間となったようだ。

 八幡は狙い通り一人に──

 

「あっ、ヒッキーに誰か話しかけてる!」

「えっ?」

 

 なっていなかった。

 カシスオレンジに口をつけようとしたら由比ヶ浜さんが叫ぶものだから、慌ててそちらへ振り向く。

 女性の一人が八幡の正面に移動し、「サラダ食べる?」と聞きながらも既に取り分けて八幡の前に置いた。

 流石に彼もそれに断ることはせず、軽く会釈をしてから箸を動かした。

 

「ヒッキーって普段ズケズケ物言うけど、こう言う時はダメだよね」

「今のは仕方がないのではないかしら」

 

 空気を悪くすることを躊躇ったのではなく、善意からの行動か分からないが、サラダに罪はない。八幡ならそう思うはずだ。

 八幡と付き合って数年経つが、彼のことを考える分かってきた事が少し嬉しく思う。頬が緩みそうなのを咳払いで誤魔化す。

 そして再度彼らへ視線を向けると、今まさに会話が始まろうとしているところだった。

 

「ねぇ、さっきの面白かったね。いつもあんな自己紹介してるの?」

「や、しませんよ。そもそも合コンも初めてなんです」

 

 八幡と話している人は一つ上の先輩らしい。

 一応、八幡は丁寧に話していた。

 そういえば八幡って年上への礼儀はきちんとしてるのよね。平塚先生は教師だから当たり前として、城廻先輩とか。あと姉さん……は、あれは例外ね。

 姉さんと会話した後の八幡の疲弊っぷりはいつ見ても気の毒だ。

 まあ最近ではそれも落ち着いてきてるけど、「いつ結婚するの?」って言われた時の八幡の動揺っぷりは面白かった。

 それと同時に吃りながらも「ちゃんと考えてますよ」って答えてくれた時は、驚いたのと同時に今まで生きてきた中で一番嬉しかったかもしれない。

 ……そうだ。そこまで考えてくれてる八幡に対し、私は何をやっているのだろうか。

 ここは引き上げて別の場所で由比ヶ浜さんと飲み直すべきか。

 

「……ゆきのん、どうしたの?」

「いえ……なんでもないわ」

 

 動揺が顔に出ていたのか由比ヶ浜さんが心配してくれた。

 私が答えると「そっか」とだけ言い、後ろを向いて八幡を観察し始める。

 私も見るといつのまにか女性がはちまんのとなりへとやってきていた。

 

「ねぇ、八幡君。二人で抜け出さない?」

「……いや、それはどうすっかね?」

 

 なんか誘われていた。

 念のためもう一度。

 八幡が女豹に誘われていた。

 ……おっといけない。つい口調がおかしくなってしまった。

 先の言葉を訂正する。八幡への監視は継続。

 大体、きっぱり断りなさいよ。なんで曖昧な返答にしたのかしら。

 お陰で、『少しは脈あり?』みたいな顔に女がなってるじゃない。

 まあ彼のヘタレっぷりは今に始まったことではないけれど、それでも彼女持ちなら男を見せるべきではないかしら。

 

「ゆ、ゆきのん。枝豆、かわいそう」

「あっ……ごめんなさい」

 

 私は無意識のうちに枝豆を皮から取り出し箸で潰しまくっていた。

 これはきちんと召し上がるとして、八幡にさらに詰め寄ってる女を睨みつける。

 

「八幡くんは胸って大きいのと小さいのどっちが良い?」

「さ、さあ? その人に合っていれば問題ないと思いますよ?」

「わー、男前!」

 

 手をパチパチ叩き、上下に弾むようにして女がわざと胸を揺らす。

 それにまんまと引っかかり、視線が吸い寄せられている八幡。

 ……とりあえず家に帰ったらお仕置きをしなくては。

 

「大丈夫だよゆきのん! ヒッキーは胸で人を判断しないよ!」

「……デカ乳が何か喋ってるわ」

「ひどいっ⁉︎」

 

 由比ヶ浜さんがしょぼくれる。

 いけない、つい親友に当たってしまったわ。

 ……けど、胸の話題を出した由比ヶ浜さんが悪いと言う結論に至った。

 「これ結構肩凝るんだよ」と何かほざいているけど、そんなの知ったこっちゃない。実際、私には知る良しもないんだから。

 

「あのー、美智留さん? 比企谷彼女がいるんで、俺らと話しませんか?」

 

 八幡のゼミ仲間が助け舟を出した。

 

「ううん。八幡君と話すの楽しいから大丈夫よ、私」

 

 そしてあえなく撃沈していた。

 彼はというより他の人も少なからず美智留という女性に興味があるような感じがする。

 まあ確かにあの四人の女性の中では群を抜いて美人なのかもしれない。私には敵わないけれど。

 なんていうか、彼女は一色さんのあざとさに由比ヶ浜さんの活発さ、それに小町さんと姉さんの計算高さを合わせ持った感じの人に見える。……なにそれ最強じゃないかしら。

 

「はい八幡君。あーん」

「い、いや、自分で食えます」

 

 女の積極性が増した。

 八幡の腕をツンツンしたり、頭をぽんぽん撫でたり、抵抗されないのをいいことにやりたい放題だった。

 由比ヶ浜さんは合コングループと私を交互に見てあわあわしているけれど、私は至って冷静だ。

 いつ頼んだか覚えてないカルーアミルクが四つ目の前にあるけど、平静を保てている。

 ……カルーア、甘いわね。

 

「八幡くーん。そんなに私と話すの嫌なのかなー?」

「いえそうではなく、俺彼女いるって言いましたよね?」

「ふーん。八幡君の彼女さんは女の人と話すだけで怒る人なの?」

「……まさか。いや、あいつならあり得るか?」

 

 否定するならしっかり否定してほしい。

 私はそこまで束縛するつもりはない。ただ偶に一色さんとの距離が近すぎてお灸を据えたりすることはあるけども。

 

「束縛されて鬱陶しくならないの? 私は八幡君を尊重するし、きっと楽しませられるよ?」

「束縛されてるとは思わないし、嫉妬も一種の愛情表現だと思ってますから」

 

 あれは八幡かしら。

 なんか気障な台詞が聞こえてきたのだけれど。

 ふと由比ヶ浜さんと視線が交わる。

 彼女はなぜかニコニコしていた。

 

「ゆきのん、もう多分大丈夫だよ」

「……なにが?」

「まあ見てれば分かるよ!」

 

 言われた言葉は理解できなかったが言われた通りにしてみる。

 

「嫉妬も愛情表現か……。なんか歪んでない?」

「……そうっすね。歪んでます。けど、それが俺とあいつの関係だったんで、今更ですね」

 

 八幡がビールジョッキを傾ける。

 そして強く机に叩きつけた。その音がグループ内に響き、合コンメンバー全員の視線が自然と八幡へと向けられる。

 

「俺、今の彼女が初恋で初めての彼女なんですけど、めちゃくちゃ可愛いんですよ。同棲してるんですけど、朝ご飯ができると耳元で優しく起こしてくれるし、俺が家に帰ると笑顔で玄関までお迎えしてくれるし」

 

 八幡がパネルで何かを注文していた、

 

「俺がバイトで疲れて帰ってくるとマッサージしてくれるし、膝枕とかもしてくれるんですよ。もうなんであんな出来た女性が俺の彼女でいてくれるのかなぁって常日頃から思ってます」

 

 八幡が注文したのはビールだったようで、それを再び一気に飲み干した。若干だが少し顔が赤くなっているような気がする。

 

「今日だって本当は行って欲しく無かっただろうけど、あいつ……雪乃は笑顔で送り出してくれました。寂しそうな笑顔を浮かべて」

 

 私、そんな顔をしていたのかしら。自分では気付かなかった。

 

「だから俺は、そんな寂しがり屋で強がりな雪乃を裏切りたくないんです。仮に俺が裏切られるような事があっても、それは俺に至らないことがあってのことだろうし、雪乃が幸せになれるならなんだって良いと思ってます」

 

 私が八幡を裏切るなんてあり得ない。

 そんな未来は決して来ないと断言できる。

 

「……えっと、なんの話でしたっけ? まあいいや。つまりなにが言いたいかと言いますと、俺は雪乃以外眼中になくて、生涯雪乃以外を好きにならないし、愛するのも雪乃だけって事です」

 

 私たちと合コングループだけ、空間が切り取られたかのような静けさだった。

 八幡があんなに長々と喋り続けるのを初めて聞いた。

 顔が熱い。そんな酔うほど飲んではいないつもり……いや、カルーア全部飲み干してるし、これのせいかもしれない。

 私がすり潰した枝豆をちびちび食べていると、拍手が鳴り始める。

 まばらな音から一瞬にしてまとまりのある音へ変化する。

 指笛を鳴らすものまで現れた。

 

「よっ、言うじゃねぇか比企谷!」

「うん。今のは格好良かったよ!」

「お前、案外凄いんだな!」

 

 周りが彼を褒め称えていた。

 八幡は「やっちまった」みたいな表情を浮かべている。

 

「や、すみません。今のはあれです、酒の勢いです。彼女にすら直接ここまで言ったことないんで」

 

 そんな弁明はこの場ではどうでも良いらしく、しばらく八幡を持ち上げる言葉が飛び交っていた。

 それから一時間と少し、そろそろお開きとなりそうなところで私と由比ヶ浜さんは一足先に居酒屋をあとにした。

 

 

 

× × ×

 

 

 

「ゆきのん、ごちそうさま!」

「いえ、今日は付き添いありがとう」

 

 会計を終え居酒屋を出た私たちは駅に向かう途中にある公園で休憩をしていた。

 

「いやー、さっきのヒッキーほんとカッコよかったよね!」

「……ええ。そうね」

 

 八幡の心を覗き見してしまった罪悪感はあるけども、自分でも心が温かくなっているのが分かる。

 私は彼にここまで愛されていたんだ、と。

 

「……ねぇ由比ヶ浜さん。居酒屋で「もう大丈夫」と言っていたでしょう? あれはなぜかしら」

 

 確かに由比ヶ浜さんがそう言ってからは八幡が饒舌に語り出し、一瞬場を沈黙させたものの、私は恥ずかしかったけれどグループから拍手を浴びるほどのご高説だった。

 あの時の由比ヶ浜さんはまるでそうなることが解ってたかのような、表情と姿勢だった。

 聞くと、由比ヶ浜さんは笑顔で言葉を紡ぐ。

 

「だって、あの時ゆきのんを悪く言われて凄い怒ってたもん」

「……怒る?」

「うん。ヒッキーのイライラがあたしにまで伝わってきたよ」

 

 あの八幡が怒る? 正直想像もつかない。

 今まで付き合ってきて軽く言い合いみたいになったことはあるけれど、本気で怒った八幡は正直見たことがなかった。

 私が呆けていると由比ヶ浜さんは抱きついてくる。

 

「あれはあたしだから気づけたんだよ。ヒッキーと同じで、ゆきのんの事が大好きなあたしだからね」

「ちょっ、ちょっと由比ヶ浜さん……」

 

 キツく抱きしめられる。

 すこし苦しいけども全然嫌ではなかった。

 でもこうされていてよかったかもしれない。

 今の私は酒のせいではなく別の要因で顔が赤くなってしまっているだろうから。

 やがて抱きしめから解放される。

 

「……よし。じゃああたしはそろそろ帰ろうかな」

「それなら一緒に」

 

 帰るわ、と言おうとすると手で制される。

 

「ゆきのんはヒッキーと帰りなよ。もうすぐ来るかもだし、連絡してみたらどうかな?」

 

 言うとベンチから立ち上がり少し駆け出し、こちらを振り向いた。

 

「じゃあねゆきのん。今度はまた三人で飲もうよ!」

 

 大きく手を振りながら由比ヶ浜さんの姿は徐々に小さくなっていく。

 

「……ありがと」

 

 小さくつぶやいた頃にはすでに由比ヶ浜さんの姿は消えていて、私はベンチに座り直す。

 家に帰れば八幡に会えるけど今すぐ会いたい。会って抱きしめたい。そして今の私の気持ちを心を込めて伝えたい。

 空を見上げる。今日の星がいつもより輝いて見えるのは私の心が澄んだ状態だからか。

 

「……雪乃?」

 

 ふと名前を呼ばれる。

 私の事を名前で呼び捨てにするのは父と母ともう一人。

 

「八幡」

 

 私は彼の名前を呼び、歩みを進めそのまま胸へと顔を埋めた。

 

「……どうした、雪乃」

「ごめんなさい」

 

 まずは謝罪した。

 そして私が由比ヶ浜さんと飲んでいたこと、八幡と同じ居酒屋にいた事を吐露した。

 

「そうか」

 

 それだけ言うと八幡は私の背中に腕を回す。

 聡明な彼なら今の説明でどうして私がいたのか理解したはずだ。

 それを咎めず、優しく抱擁してくれる彼が愛おしい。

 

「ごめんな、不安にさせて」

「違うの。八幡を信頼していないわけでは」

「ああ。わかってる」

 

 抱擁が強くなる。

 それが私を安心させようとするものだと分かった。

 

「……ねぇ、八幡」

「ん?」

「私は八幡が好きよ。大好き。私の人生は貴方なしでは考えられないくらい、愛しています。これからもずっと一緒にいてください」

 

 言ってからは顔をあげる。

 八幡と視線が合い、彼の顔が街灯に照らされ朱に染まっているのがみえた。

 

「俺も……、その……」

 

 つっかえつっかえからも言葉を発す。

 が、そこから先が紡がれない。

 

「……ヘタレ」

「ばっ、ばっかちげぇし! ちょっと喉が乾燥しただけだし!」

「みんなの前で堂々と惚気てたものね」

「………………やっぱ聞いてましたか」

 

 彼のなんとも言えない表情が面白い。

 このままからかい続けるのも良いけれど、折角だしたまには直接聞いてみたい。

 私の眼差しを受け止め、彼は一息ついてから言葉を吐き出した。

 

「俺も雪乃が好きだ。多分俺が生まれたのはお前と会うためなんだと思えるくらいには雪乃が大好きだ。……だから、これからもずっと一緒に居てください、愛してます」

「…………合コンの場でもそうだけど、今日はよく喋るのね」

「あなたが言わせたんですよね」

 

 恥ずかしさでつい誤魔化してしまう。

 けれど彼の想いはきちんと伝わった。

 だけど彼は今の言葉がプロポーズになっていることに、気づいているのかしら? ……いえ、気づいてないわね、きっと。

 よく考えれば私も似たような事を言ってしまったし、本番はもっと凄い事をしてくれると期待しましょう。

 

「……そろそろ帰るか」

「ええ、そうね」

 

 自然と手を繋ぎ駅へと歩き始める。

 今日の日を多分この先忘れることはない。

 いえ、彼との出会いは全て忘れたくはない。

 そして未来、私の元へとやってくるであろう子供たちに聞かせてあげるのだ。

 八幡がどれだけヘタレで屁理屈をこねる人で、そしてすごく格好良い人なのかを。

 きっと八幡は照れながら止めてくるであろうが、馴れ初めを聞かれたら正直に答えてあげないといけないので諦めてもらおう。

 そんな未来に絶対辿り着く予感しかしなくて、私は微笑む。と、八幡は首を傾げていた。

 

「どうした?」

「いえ、なんでもないわ」

 

──貴方と家庭を作るのが楽しみなだけよ。

 

 心の中でそう呟くだけで留めておいた。



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八色
最近、一色いろはのアピールが露骨すぎる件について……。


 礼に始まり礼に終わる。

 授業とかは大体そんな感じだろう。

 適度に流す人もいるし、きっちり毎回頭を下げる真面目な人もいる。

 俺はその日の気分次第って感じだ。

 ──まあそんなことはどうでもよくて。

 ここ最近の俺の一日は一色いろはに始まり、一色いろはに終わる、という感じなのだ。

 ……や、うん。何言ってんだこいつ、ってなるよな普通。

 分かる分かる、当事者じゃなければ俺だってそういう疑問持つと思うし。

 だが実際、俺の言ってることは間違いでは無いのだ。

 例えば朝、俺が目覚ましをセットしている5分くらい前に携帯が鳴る。

 寝ぼけ眼でスマホ手繰り寄せて着信ボタンを押すと甘い声が耳に響く。

 

『あっ、先輩、起きましたか? モーニングコールですよ?』

 

 夜、布団に潜って寝る準備を整えていると、電話が鳴る。

 もちのろん、その人物は一色いろはである。

 

『あっ、先輩、今日はですね──』

 

 そして一日あった出来事を逐一報告されてから寝ることになる。

 ……ほら、一色に始まり一色に終わるで間違ってない。

 こうなった経緯は正直覚えてない……が、一色が全力で好意をぶつけてきてくれるのは伝わっていた。

 ほんと、どうしたら良いんだこれ──。

 

 

× × ×

 

 

『先輩、おはようございます! 今日も一日頑張りましょうね!』

「あー、うん、おはよう」

 

 あくびを噛み殺しながら身体を起こす。

 今日も今日とて一色からのモーニングコールである。

 最初の頃は毎回ドギマギしていたものだが、二週間近くも毎日電話されたら流石に慣れてくる。

 

「ん、じゃあ電話切るぞ」

『あっ、待ってください、先輩』

 

 一色はそう言うとなぜか深呼吸をしていた。

 そして息遣いのみしか聞こえなくなったなと思っていると──、

 

『ちゅっ』

「──っ」

「……えへへ」

 

 えっ、何急に? 舌打ち? 舌打ちなの?

 ………………。

 違いますよね、知ってます。

 むしろ現状で舌打ちをしてくるようなら俺は一色の情緒を疑ってしまう。

 今のはあれだ、リップ音だ。

 まあ要するに、電話越しに一色はキスの真似事をしてきたのだ。

 こんなことされたのはモーニングコールをしてくるようになってから初めてで、動揺しない方が無理だった。

 耳元でそれを聞かされたらなおさら。

 朝から鼓動が早くなる。

 

『先輩、今日もお顔が見れるのを楽しみにしてますねっ』

 

 言って俺の返事を待つこともなく一色は電話を切った。

 無情に響く機械音。

 

「……朝飯準備するか」

 

 一色が毎朝電話してくれるおかげで、ここ最近は俺が小町の朝食も用意していた。

 そのことに関して小町から感謝されるので、電話してくるなとも言えないところ。

 ……まあ、言えない理由は別にもあるけども。

 俺は朝食を済ませて、いつもより少し早めに家を出た。

 

 

 

× × ×

 

 

「先輩、おはようございます!」

「お、おう、おはよ」

 

 登校すると正門前で一色が待っていた。

 まあこれも、ここ最近じゃいつものことなんだけど、君サッカー部のマネージャーだよね? 今普通に練習してるよ?

 それを突っ込むと返ってきた言葉はこうだった。

 

「生徒会長として朝の挨拶運動です。……あっ、でも先輩が来るまで限定ですけどね」

 

 なんともまあ上手い言い訳。

 いや確かに俺が生徒会を上手いこと使え的なことを言った気がするけど、こういうことじゃないんだよなぁ。

 職権濫用ってレベルじゃない。

 

「では行きましょう!」

「行くって、何処にだ?」

「もちろん、生徒会室に決まってるじゃないですか」

 

 ですよねー。知ってた。

 一色の平日ルーティンは俺に電話をしてくるようになってから変わらない。

 まず朝イチに俺に電話をする。

 次に校門前で挨拶活動……と見せかけた待ち伏せ。

 そして俺を生徒会室へ強制連行。

 これを俗に朝の三点セットと呼ぶ。

 まあ呼んでるのは俺だけなんだけど。

 

「えへへ、先輩」

 

 生徒会室に連れてこられ椅子に座らされると、一色は隣に椅子を持ってきて俺へと抱きついてきた。

 腰に手を回し、がっちりホールド。

 顔をお腹に押し付けてくるものだから、熱い吐息でその部分が湿ったようになる。

 や、まあ、それは良いのだが、その顔をぐりぐりするのはやめて。なんかこそばゆい……、あと身体がビクッと反応しちゃうから。

 

「先輩、今日は撫でてくれないんですか?」

「……はぁ」

 

 諦めと共に亜麻色の髪へと手を伸ばす。

 さらさらしてふんわりしていて、触り心地は星五つ。

 梳くたびに鼻の奥まで届く柑橘系の香りに、脳まで痺れさせられる。

 俺は理性を保つため、戸塚を脳内で思い浮かべた。

 ……うん、ダメだな。むしろ理性崩壊が加速しちゃう。

 俺の限界値を突破しそうになったところで、予鈴が耳に届く。

 

「むぅ、もう終わりですか」

 

 言って、名残惜しそうに離れる一色を見てほっと息を吐く。

 分別だけは弁えてくれてるんだよな、こいつ。

 

「先輩。次はお昼休み、生徒会室でお待ちしてますからね?」

「……ああ、わかった」

 

 これがここ最近の朝のやりとり。

 俺は授業が始まる前から疲弊してしまっている。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 ここまで好意を示されておきながら、それに答えず誤魔化し続けている自分は流石に最低だと思っている。

 だがしかし、俺は別に一色に告白されたわけではない。

 や、これいうとさらにクズ度が増すわけだが、そんなの今更だった。

 一色の行動をこのまま受け入れ続けるのは良くないと思っている。

 だけど、俺が一色を好きかどうかと問われれば、すぐに答えられないのだから、仕方ない。

 好きと嫌い、その二択しかないのなら間違いなく前者を選ぶ。

 けど、それがイコール恋愛的好意と呼べるのか、分からない。

 結果中途半端に接することを許してしまってるわけで──、

 

「はい先輩、あーん」

「や、自分で食えるから」

 

 無駄だと分かりつつ言葉にする。

 箸でつままれた卵焼きは眼前から遠ざかろうとはしなかった。

 仕方なく口に含む。

 ……うん、甘い、そして美味しい。

 程よく甘く、甘すぎず、一色が作ってくれた弁当に入っていた卵焼きは俺好みの味だった。

 

「……美味いな」

「っ……、えへへ、喜んでもらえたら、作った甲斐があります」

 

 心底嬉しそうな笑顔を見せられれば、俺も自然と顔が綻ぶ。

 このままの関係で良いんだ、と錯覚してしまう。

 日々それの繰り返し。

 お昼ご飯を食べ終えれば、一色の行動は朝と同じで抱きついてくる。

 これが昼休憩終了間近まで続けられるので、俺は諸々を耐えるのに必死だった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 

 放課後になればさも当たり前のように一色は奉仕部へやってくる。

 

「雪ノ下先輩、結衣先輩、こんにちはー」

「ええ、こんにちは」

「いろはちゃん、やっはろー」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜が自然と受け入れるのはテンプレ。

 雪ノ下が自然と一色の紅茶を淹れるのもテンプレ。

 一色が椅子を持ち、俺の隣に来るのもテンプレ……ではなく、この行動は今日が初めてだった。

 

「一色さん、何をしているのかしら?」

「……えへへ」

 

 いや無理だから。

 氷の女王様を笑ってやり過ごそうとか不可能だから。

 ほら一色……じゃなくて俺が睨まれてるし。

 なんでだよ、俺何もしてないじゃん。

 理不尽すぎて泣けてきた。

 

「比企谷くん、早く一色さんから離れてあげなさい」

「や、俺がくっつかれてる立場なんだが」

「何か言った?」

「……いえ」

 

 言われた通り、とりあえず椅子を少し横にずらす。

 と、一色もそれに合わせて同じくらい移動した。

 

「ヒッキー、いろはちゃんと近すぎだよ!」

「や、だから俺からじゃねぇよ」

 

 一色を見ると雪ノ下と由比ヶ浜は眼中にないのか、俺にしか目を向けてこない。

 今まで俺に好意を示して来てたのはあくまで二人きりの時だけだった。

 廊下とかですれ違っても軽く手を振ってくるくらいで、接触はしてこない。

 そんな感じのスタイルを貫いていたのに、今日はその部分を突き破ってアピールしてくる。

 そう言えば朝の最後のリップ音も今日が初めてだった気がする。

 あれはいつもと違うスパイスの追加程度にしか考えてなかったが、計算のうちだったのかもしれない。

 

「一色さん、そんな比企谷くんに近づくと手を出されるわよ」

「そ、そうだよ、いろはちゃん! ヒッキーはケダモノなんだから!」

「お前ら、俺をなんだと思ってるんだよ」

 

 流石にそこまで言われたら傷ついちゃうぞ!

 しかし一色はそんな二人の方を見て、ふっと余裕の笑みで微笑んでいた。

 

「わたし、先輩の読書している横顔が好きなんです。だからここが特等席ですし……、それにそろそろかな、って」

 

 最後のひと言は俺にだけ聞こえるように呟かれた。

 

「はぁ、もういいわ」

「うぅ……、ずるい」

 

 先輩二人を諦観させた一色の勝利である。

 いや、うん、それよりも最後の呟きが僕は気になるなーって。

 不穏すぎるし、不安煽るのやめて。

 本は開いているがページは一向に進まない。

 なんなら逆さで持っていることに今気づいた。

 雪ノ下と由比ヶ浜は無理やりこちらを気にしないようにしようとして、どうでも良さそうな話を繰り広げていた。

 そうしてようやく部活時間が終了する。

 と、雪ノ下と由比ヶ浜はそそくさと立ち上がり、雪ノ下は俺の目の前に鍵を置いた。

 

「部室、閉めておいてもらえるかしら?」

「や、いつもお前が──」

「閉めておいてもらえるわね?」

「あっ、はい」

 

 ひぇぇ〜、ゆきのん怖いよ〜。

 部室を出て行く際、べーっと舌を出してた由比ヶ浜は怖くなかった。

 俺が帰り支度をして立ち上がると、同時に一色も立ち上がる。

 部室をしっかり施錠し、歩き始めると自然に二人で並ぶ。

 腕を掴まれて嬉しそうにされれば、やめろとは言えなかった。

 

 

 

× × ×

 

 

 

 部室の鍵を平塚先生に返しに行った時、俺と一色を見て血の涙を流さんばかりに睨みつけられたのには恐怖を感じた。

 ほんと、先生はちょっと戦闘アニメが好きでロボが好きでラーメンが好きなアラサーなだけだから、早く誰かもらってくれないかな? すごく良い人だから!

 

「自転車取ってくる」

「はい、待ってますね」

 

 なんかずっと隣歩いてたから自然と二人で帰る流れになってるけど、これ俺が駅まで送らなきゃダメなの?

 や、まあ、もう大分暗いし送るけど。

 二人乗りは危険なので俺は自転車を押して行くことにした。

 その間も一色は俺の腕を掴んでいるのだが……歩きにくい。

 

「一色、ちょっとバランス取りにくい」

「あっ、ごめんなさい」

 

 謝って来たものの、どうしてもどこかに触れていたいのか、少し手を彷徨わせた挙句、ハンドルを握ってる俺の手に手を重ねて来た。

 しっかり握って来たかと思えば、わさわさ触れてくるかこないかのソフトタッチ。

 人差し指で文字を書くような仕草。

 そしてクスッと微笑む一色。

 大変楽しそうでなによりだった。

 俺は全然楽しくないけどね!

 この状況に終始困惑気味なんだよなぁ。

 

「……ふふっ」

 

 やめて。手の甲の皮引っ張って遊ばないで。

 駅に着くまで俺の右手は一色のおもちゃと化していた。

 

「ほら、着いたぞ」

「……ですね」

 

 言うものの一色は動かない。

 首だけを動かすとこちらをじっと見つめていた。

 

「先輩、わたしが葉山先輩に告白したこと覚えてますよね?」

「……あ、ああ。そんなこともあったな」

 

 どうして今急にその話? と疑問に思ったが、それを問う前に一色は口を開く。

 

「心変わり早いなーと思われるかもしれませんが、今のわたしは先輩が好きです」

「──っ」

 

 それは告白だった。

 紛うことなき告白。

 アプローチはずっとされて来たが直接言葉で伝えられたのは初めてだ。

 これは、返事をするべきなのだろうか。

 そもそもなぜこのタイミング?

 分からないことだらけで、思考が追いつかない。

 一色の真剣な眼差しに思わず目を逸らしてしまう。

 ダメだ、情けない。

 いつかこうなるって分かっていたのに。

 いざ突然こられたら俺は対処が出来ないんだから。

 俺が無言を貫き通していると、一色はふっと弛緩した。

 

「言ったじゃないですか、そろそろって」

「? それ、どう言う──」

 

 意味だ? と問いかける前に、一色は俺の耳元に唇を寄せて来た。

 

「わたし、自分から告白するより、好きな人には告白されたいみたいなんです」

「っ──」

 

 息を呑む。

 一色はバックステップで俺から離れた。

 そしてクルンと反転して顔だけをこちらに向けて告げてくる。

 

「だから、期待してますね!」

 

 それだけ言うと一色は駅の中へと消えて行く。

 俺は呆然と立ち尽くし、力の入らない手でなんとか自転車が倒れることだけは防いでいた。

 

「……帰る、か」

 

 今もなお何が何やらさっぱりだ。

 ただ、ひとつだけ確かなのは、俺が好きな人に告白するまでのカウントダウンが着実に進んでいることだけだった。

 

 



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八幡といろはの恋人事情。

こんにちは、お久しぶりです!
二次創作のリハビリがてら八色を書いてみました!


 読書は良い。自分の世界に入れるから。

 俺は割と速読が得意だが、より小説に没入したくてじっくり読むタイプだ。

 ページを繰る音と微かな呼吸音のみが耳に響く。

 そんな状態がかれこれ2時間ほど続いていた。

 そんな折、ふと何かが視界の端で動く気配を感じ、その物体は胡座をかいた俺の足に体重を乗せてくる。

 

「…………」

 

 その様子を見下ろしつつ、寝心地が悪いのか少しもぞもぞ動き、やがてフィットする場所が見つかったのかようやく収まる。

 そして顔を脹脛あたりに擦り付けてきた。

 一応言っておこう。

 今俺に構ってアピールをしてきているのはカマクラでは無い。

 我が家の猫はマイペースではあるが、俺にここまで甘えてこない。……や、言ってて悲しいが。

 さてじゃあ今の状況を簡潔に説明すると──、

 

「ん〜、ふぅ……」

 

 俺の彼女である一色いろはが頭を乗せてきているのだ。

 確かさっきまで俺のベッドを陣取って小町から借りてた少女漫画を読んでいたはずだが、もう読み終わったのだろうか。

 

「すぅ……、はぁ……」

 

 なんか匂い嗅がれてる気がして恥ずかしい。

 俺はなんとなく一色の頭に手を乗せてみた。

 

「ん、ふふっ」

 

 うん、喜んでくれてるようでなにより。

 もうひと撫で。さらにもう一度。

 繰り返すたびに一色は気持ちよさそうに息を吐く。

 何この可愛い生物。

 今まで自分に彼女ができるなんて想像したことはなかったが、俺はどうやら恋人には甘いらしい。

 こうやって寄りつかれてることをすごく愛おしく思っている。

 まあ絶対面と向かって口にしてやらんけど。

 愛してるとかキザな台詞を言ったが最後、結婚して子供が生まれた後ですら弄られる未来が目に見えているだよなぁ。

 ……………………。

 自分が一色との未来を無意識に考えていたことに気付いて顔が熱くなる。

 そして一色の髪を梳いている俺の手が止まってしまうと、顔をこちらに向けてきて口を開く。

 

「先輩、どうかしました?」

「あ、やっ……、なんもない」

 

 意識を髪を撫でるのに集中させると再び一色は甘えたように顔を俺の足に擦りつけてくる。

 その様子がとても可愛らしく、ついつい頬が緩んでしまう。

 とうの昔に読書への集中力は切れてしまっているので、栞を挟んでベッドに置き一色だけに集中することにした。

 柔らかな頬に指をふにっと押しつけ、首元にも優しく触れてみる。

 と、一瞬だけぴくっと反応したが、拒否することはなく、撫でられることを許容してくれる。

 

「んっ、それ、気持ちいいです」

「……そうか」

 

 顎の下辺りが気に入ったようなので、そこを重点的に揉みほぐすようにしていく。

 時折り耳に手を持っていくとくすぐったさからか身じろぎするのが面白い。

 ……しかしあれだ。このままだと少しやばい。

 

「痒いところは無いですか〜?」

「なんで急に美容院風味を出してくるんですか」

 

 気まずかったわけでは無いが、あのままだとエロティック方面に雰囲気が極振りされそうだったので、なんとか無意味な会話で理性を取り戻す。

 けれどやめ時が分からず撫でつける手はとまらない。

 俺と一色が付き合い始めてかれこれ数ヶ月。

 一色とデート……買い物……荷物持ちには何度か付き合わされたが、未だ手を繋いだことまでしか無い俺に取ってはこれでも十分刺激が強すぎる。

 ぼっち街道を突き進んできたとしても、俺だって一応健全な思春期男子なわけで。

 本音を言えばもう少し先に進みたい気持ちもなくは無い。けれど、俺の意思より一色の意思を尊重したいと付き合い始めた時に密かに心の中で決めているのだ。

 傍からみればそれは受け身でしか無いヘタレとも捉えられる。

 けれどこっちから迫って相手を怖がらせるよりは充分マシだろう。

 それに今はこうして一色を愛でられるだけで満足している俺もいるのだから、何も問題は無い。

 何分、何十分こうしていたのだろうか。

 やがて一色は満足したのか、のそのそ起き上がり伸びをする。そして胡座状態の俺の上に座り、すっぽりと身体を収めた。

 次に俺の手を動かし、後ろから一色を抱きしめるような形にさせられる。

 さっきよりも顔の距離が近くなって幾分恥ずかしい。

 俺、鼻息荒く無いかな? 息とか臭かったりしないかな、大丈夫? と密かに心配していると、一色は顔をこちらに向けて照れたように微笑んだ。

 

「えへへ、先輩。好きですよ?」

「……っ。おう、そうか」

「はい、大好きです」

「どうした急に」

 

 不意の愛情表現にたじろぎつつなんとか聞き返すと、一色は前を向き直し俺ごと身体を揺らしながらゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「今割といい雰囲気だと思うんですよ。……先輩、私にあまり好きって言ってくれないので今ならチャンスかな、と」

「……なるほど」

 

 理に適ってるようで、でもそれ聞いた後に言ったら言わされたようであまり良く無い気がするんですがそれは……。

 けれど一色は期待の眼差しをちらちら向けてくる。

 ならば期待に応えはいわけにはいかない。

 俺は耳元で彼女の名前を呼んだ。

 

「一色」

「は、はいっ!」

 

 俺は耳を寄せたまま数秒そこで止まる。

 緊張で口元が震え、なんなら全身が緊張で硬直していた。

 こういうのにもいずれ慣れてくるのだろうか、……いやむしろ慣れずに常にドキドキしていた方がカップルとしては長続きするのかもしれない。

 そんなどうでもいいことを考えつつ、俺はゆっくりと息を整えて、ようやく言葉を発した。

 

「いろは、愛してるぞ」

「……っ⁉︎」

 

 一色の身体が震え耳まで赤く染まっていくのが見える。

 そしてばっと立ち上がり潤んだ瞳を一瞬見せてから、ベッドに向かい布団を頭まで被ってしまう。

 ……あれ、思ってた反応と違う?

 

「うぅ〜、先輩、それは流石にズルすぎですよぉ〜」

「…………」

 

 思ってた反応通り、いやそれ以上の反応だった。

 多分俺も先ほどまでは彼女同様顔全体真っ赤だったかもしれないが、今はやり方が間違っていなかった安堵の方が強く現れホッとする。

 布団の山を撫でて一色を落ち着かせてやると、やがてひょこっと顔だけを出す。そしてボソッと一言。

 

「わたしも愛してますよ。……は、八幡、さん」

「っ……⁉︎」

 

 再び殻に閉じこもる一色。

 けどそうしてくれて心底安心した。

 多分今の俺の顔を人生で一番だらしなくなっているだろうから。

 なるほど、これは破壊力抜群だ。

 すぐさま意趣返しを行える一色はやはりあざとさの頂点にいる女の子。

 けれどそんな彼女を俺は好きになったのだ。

 

「えへへ、先輩に初めて名前で呼ばれちゃった」

 

 布団から聞こえるくぐもった声。

 そのあとは「八幡さん」と名前を連呼していた。

 俺が喋らなければ部屋は沈黙そのものなのでもちろん俺に聞こえている。

 けれど、一色はそれに気づいていないのだろう。

 まあ楽しそうでなによりだ。

 この日を境に、俺と一色は二人の時はたまに名前呼びで過ごすようになっていくのだった。

 




約7ヶ月ぶりくらいですが、これからまた少しずつ書いていけたらなぁと思ってます!
感想などいただけると嬉しいのでぜひお待ちしております!


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