東方単車迷走 (地衣 卑人)
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単車迷走
一 人と鉄


 本文は、上海アリス幻樂団様によります同人シューティングゲーム、東方projectの二次創作SSとなっております。
 未熟、遅筆ではありますものの、せめて暇つぶしにでもなれれば幸いで御座います。

 また、本文は所謂『幻想入り』SSとなっておりまして、東方project原作には登場しない、オリジナルのキャラクターが主人公で御座います。
 その点のみ、ご了承をば。




 

 小さな神社。

 山奥の、本当に小さな神社へと続く石段の下。道路から外れ、少し開けたその場所に、一台のバイクと、その上に寝そべる男性が一人。

 俺である。

「ああ……ぬくい……」

 多分、傍から見れば相当間の抜けた顔をしていると思う。人は来そうに無いから、気にする必要も無いのだが。

 人一人来ない神社。

 そんな神社に何故来たのかと言えば、なんて事はない、只の趣味である。

 バイクに乗っての神社廻り。

「ああ、気持ちえぇ……」

 季節は冬。風は、今日も冷たい。が。

 バイクに乗ったあとの仄かな疲れに、暖かな日光。そして、エンジンの余熱。冷えた身体に染み入るように伝う温もり。

 気持ちいい。車のエンジンルームに潜りこむ猫の気持ちが分かる気がする。そのままエンジンを駆けられて南無、なんて話もよく聞くが、被害者たる猫達の心境はきっと今の俺のような状態だったに違いない。

危機感一つ憶えず、重くなる瞼を跳ね除けようともせず。睡魔に身を委ね、気付いた頃にはもう手遅れ。

 今思えば、俺が置かれている状況は、正に猫達のそれであった。

 

 

 

「……さみぃ」

 

 目を冷ますと、辺りはもう暗かった。どうやら、眠ってしまっていたらしい。

「やべ、帰らないと……」

 何せ山奥。灯りの無い道の走行はかなり恐い。俺はギアがニュートラルに入っている事を確認し、エンジンを回し始めた。

 なんだろう、何となく違和感を感じるのは。変な体勢で寝たからだろうか。

 兎角、早く帰らないと。

 周りを確認し、ギアをローに落とす。クラッチを繋げないままアクセルを数回、勢いよく掛けた。

 夜の山にエンジン音が響き渡る。

 それが、いけなかった。

 

「何者だ!」

「うぉあぁあ!?」

 突然かけられた怒声に、つい間抜けな悲鳴を上げてしまう。チキンだから仕方ない。あ、エンストした。

「何時の間に入り込んだのか……」

「な、な、あ? どちら様で?」

「天狗よ。そして此処は私達の山。侵入者さん」

 天狗?天狗と言うと、あの天狗だろうか。

「ほ、本物?」

 天狗。日本では馴染み深い妖怪の一つ。山の神であるとも、修験者達の成れの果てとも言われる、力ある妖怪。

 その正体は漂流し、日本に流れ着いた外国人であるとも言われるが、かけられた言葉は流暢な日本語、それも空から聞こえて来たとなると、信じる他なさそうだ。

「貴方は?」

「はい?」

「種族」

「見て分かる気がしますけど……」

 

 声の主は姿を表さない。それが、逆に不気味で仕方ない。声自体は上から聞こえるのだが。

「……狼?」

「人間です」

 そんな馬鹿な、と言う声が聞こえたかと思うと、目の前に何かが着地する。

「私の知る人間は、貴方ほどおかしな姿はして無いわ」

 降りたったのは少女。想像していた姿とは大分食い違ったが、女の天狗だっているのだろう。

「鼻、長く無いのな」

「烏天狗だからね。もっと上役がお望みだった?」

「滅相もございません、そんな畏れ多いこと……」

 彼女は俺の周りを回りながら、俺の姿を注意深く観察している。

 バイクが珍しいのか、非常に興味深気である。バイクを知らないのであれば、先の反応も当然なのかもしれない。言われてみれば、確かにバイクの形は狼のそれに似ていないこともないし。

「……生き物、って感じがしないわね。どこも硬そうだし……甲殻類?」

「哺乳類」

「それは無い」

 無くない。

 未だ人間扱いされないのは悲しいが、どうやら敵意は無いようだ。寧ろ、好奇心か。

 これは、何とか上手く説得なり謝罪なりすれば生きて帰れるかもしれない。

 さて、どう出るべきか。

 天狗は未だに、バイクに興味深々な様子で、何やら一人で呟いている。

「うーん、生き物かしら。でも、現に話してるし、妖気も感じるし……」

 遂に生き物であるかも疑われ始めたか……って、妖気?

「妖気? 俺から?」

「ええ、妖気。あ、もしかして憑喪神?」

「人間!」

 おかしい。妖気は、妖怪が発するものじゃないのか?

 そして、天狗には俺が人間には見えないと言うし、身体には違和感もある。

 てか、実を言うと、今俺はバイクに乗っている感覚が無い。けど、確かに俺はバイクを操作している。まずい、混乱してきた。

「……なあ、俺って何に見えます?」

「エビに似てる気がしてきたわ」

「……鏡とか、持ってません?」

「あるけど……はい」

 天狗が、俺に鏡を向ける。ライトが反射して、バイクが明るく映し出された。

 バイク、だけ。

 乗っている筈の俺の姿は、何処にも無い。

「……なあ、鏡に映ってない部位とか無いよな。鏡に映ってる俺の姿と、天狗さんから見える俺の姿、何処も違いは無いよな……?」

「質問の意味がよく分からないけど……何処も、違いはないわ」

「で、ですよねー」

 なんてこったい、と手を投げ出して叫んでしまいたいが、それすら出来ない。

 この違和感の原因にして、俺が人間に見えない理由が分かったのだ。

「俺、バイクになっとるがな……」

 かくして、俺のバイク人生が幕を開けたのであった。



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二 鴉と鉄

 

 夢の中で動物や、赤の他人になるというのは、よくある話である。空想上の生き物が現れるというのも、ごく普通の、ありふれた夢。

 しかし、夢の中で、それが夢だと自覚出来ることは少ない。夢だと自覚できた夢を明晰夢といい、その状態ならば、夢を自由にコントロールする事も出来るのである。つまり、夢の中だと気付けたならば何でも出来るのだ。

 

「トランスフォーム!」

「……何をしてるの」

「……どうやら夢じゃないようだ」

「はぁ……」

 

 夢ならば、自分の好きな様に操れるのである。しかし、今の俺の状況は操るどころか、天狗に白い目で見られる始末。少し恥ずかしい。

 

「やっぱ、夢じゃないのかぁ……」

 

 天狗に案内された池で、もう一度、よくよくと自分の姿を確認する。

 やはり、バイクである。ちなみに、赤いアメリカン。中型。

 俺の愛車、そのままの姿である。これは、俺がバイクになったというより、俺がバイクに取り込まれたといったところなのか。

 身体にあった違和感は、自分がバイクになってしまったことに気付いてからはとんと無くなった。さも昔から、自分はバイクであったかのように。

 

「とりあえず、上には無害で、変化したての迷い妖怪って報告しておいたから。監視はするけど」

「ありがとうございます……」

「ほらほら、落ち込まないの。妖怪もいいものよ? 人間よりずっと」

 

 それには同意する。もし、妖怪が実在するならば、俺も妖怪になって気儘な人外ライフを送りたいと常々思っていた。が。

 

「でも、この姿って……手の一本もないなんて……」

 

 一番の問題は、そう、手である。人間が人間たる象徴。物を持つことさえ出来ないと言うのは、不便そうで仕方が無い。バイクなんで、物を掴む必要なんてないかも知れないが。

 

「まあ、慣れるわよ。そのうち」

「うぅ……」

「それより、これからどうするのよ。流石に、この山には居られないわよ?」

 

 そう言えば、この天狗と話していてもう一つ分かったことがある。

 時代が違うのである。具体的に言うと、千何百年かに渡るタイムスリップ。歴史はとんと駄目だが、それでも少ない知識を騒動員し、なんとか今が、元いた時代から千数百年程前であるということが分かったのであった。

 そんな時代にバイクて。いいのだろうか。いいか。

 

「とりあえず、朝になったら出て行きますので……それまでは此処において下さるとありがたいです」

「それは構わないけど……暇だしね。どうせだし、家に来ない? 寒いでしょう?」

「よろしいんで?」

「いいわよ、一晩くらい。それより、ね……」

 

 少し恥ずかしそうに、俺を見る。俺、というよりシート部分を、か。

 何だろうか。そんなにまじまじと見つめられるとこっちが恥ずかしくなるのだが。

 

「貴方、乗り物だって言ってたわね」

 

 ああ、話が見えた。それくらいなら、お安い御用である。

 続くであろう言葉を先取りし、彼女に一つ提案する。

 

「乗ってみます?」

 

 その言葉に、彼女の顔がぱっと輝く。やっぱり、乗りたかったのか。

 

「いいの?」

「ええ、早くこの身体にも慣れたいですし、誰かを乗せて走る練習にもなりますし」

「なら、遠慮なく」

 

 第一、彼女は恩人である。天狗に目をつけられようなら、今頃スクラップになっていてもおかしくは無かった。そこを、上の天狗に掛け合って俺の滞在を許可してくれたのだ。それに加え、今晩泊まる場所を提供してくれるなんて。天使だろうか。天狗か。

 

「馬と同じ様に跨って、横の出っ張りに足をかけて下さい」

「こ、こう?」

 

 天狗様が俺のシートの上に乗る。あ、柔らけ……

 

「……変なこと考えてない?」

「いや、無生物ですし」

「それもそうね」

 

 悲しきかな、感覚こそあるもののそういう邪念は本当に湧かない。バイクだからか。精神的に老けた気がする。

 

「あ、一応ヘルメット被って下さいね」

「へるめっと?」

「その、後ろに掛かってる丸いのです。安全のための兜……みたいなものですので」

 

 何故か、俺のシーシーバー……バイクの背もたれに引っかかっていたヘルメット。赤いフルフェイス。

 

「ん、分かった……ちょっと息苦しいかな」

「慣れますよ、すぐに。さて……」

 

 運転は、俺が勝手に動くので問題ない。

 唯、彼女がアクセルを回したり、ブレーキを掛けたりすると非常に危ないので、そこだけは注意しておく。

 

「次は、前にある二本の棒の先……握りやすくなってる部分を握ってください。でも、絶対に回しちゃ駄目ですよ。あくまで、軽く。それは、舵みたいなものなので」

「ん」

「股に力を込めて。身体を支えるのは、基本的に足、太ももの部分で挟む力で」

「こう?」

「そうそう、振り落とされないように……では、行きますよ」

 

 エンジンを掛け、ギアをローに。クラッチはまだ、繋げない。

 

「道案内、頼みますね」

「まずは、右。とりあえず、そのまま真っ直ぐ」

 

 了解、と言う言葉の代わりにアクセルを一度勢い良く掛け、俺は彼女を乗せて夜の山路へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「いいじゃない、これ! 速い速い! 気持ち良い!」

 

 彼女が楽しそうに言う。天狗の飛行速度は途轍も無く速いと聞いていたが、楽しんでもらえているようである。

 それに、俺自身も楽しくてならない。人を乗せるのが、こんなにも楽しいなんて。

 

「あの別れ道、右!」

「了解!」

 

 少しばかり危なっかしく、右の道へハンドルを切る。舗装されて無い道でもこれだけ走れるのは、バイクと一体化したからか。とても動きやすい。

 

「ここから、ずっと真っ直ぐ! まだ速くなる?」

「速くはなりますけど、ちと怖いです!」

「分かった! 頑張って!」

 

 はて、頑張ってとは一体、い!?

 

「ちょ、天狗様!?」

「舵は任せた!」

 

 突然上がったスピード。エンジンが唸りを上げ、ギアを挙げろと騒ぎ始める。

 彼女の手には、強く握られたハンドル。アクセルを掛けたのだ。どうやら、アクセルと速度の関係に気付いたらしい。

 

「あ、危ないですって!」

「大丈夫! 速く! 速く!」

 

 しまった、スピード狂だったか。

 どうやら、止めても聞く気はない様だ。

 

「ああ、もう。怪我しても知りませんからね!」

 

 ギアを上げる。嫌な音を立てていたエンジンが一旦静かになり、またその鼓動を早めていく。

 過ぎ去る景色を楽しむ暇も無く、置き去りにした景色を思う余裕さえ無く。

 夜の山路を轟々と駆け抜ける。

 

「あと、どのくらいですか!」

「もうすぐ! ……見えた!」

「天狗様! 右手、戻して!」

 

 強く握られていたアクセルが戻され、スピードが落ち始める。

 

「止まれる!?」

「なんとか!」

 

 前輪後輪のブレーキを、徐々に、それでも速やかにかける。クラッチは、繋げたまま。

 タイヤが地面を抉り、砂埃が車体にまとわり付く。ああ、風呂入りたい……違う、洗車したい。

 

 速度が落ちる。落ちる。車体が若干前につんのめり、天狗が倒れまいと足に力を込め、タンクごしにその感覚が伝わる。やっぱり柔っこい。

 ズザザ、と砂を撒き散らしながら、地面に車輪の跡を引き、俺は一軒の家の前で止まった。やってて良かった急制動。ありがとう教官。

 

「到着、ですかね?」

「ええ……ああ、楽しかった」

 

 ヘルメットを俺に掛け、彼女が俺から降りる。

 

「天狗様なら、飛べば俺よか速いでしょう」

「飛ぶのと走るのは全然違うわよ。いいわね、あの疾走感。家に置いておきたいくらい」

 

 俺に背を向け、引き戸を開く。

 

「あと、天狗様なんて呼ばないでよ、気恥ずかしいし」

「でも、名前……」

「あ、教えてなかったっけ」

 

 彼女が、俺に向き直り、その名を告げる。誇らしげに、凛と胸を張って。

 

「私の名前は射命丸文。清く正しい鴉天狗よ」

 

 

 




 単車のことは、某モトラドさんを思い浮かべて頂ければ……


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三 和と鉄

 

 

 ミラーに映る天狗の山が、どんどん小さくなっていく。俺は射命丸さんと約束した通り、日が昇ると共に山を降りた。今は、影の伸びる方向を目指してひたすら走っている。

 

 折角妖怪となったのだ。楽しまないと損である。

 そんな訳で、俺は旅に出ることにした。なんたって、ごく普通に妖怪のいる御時世である。妖怪やら物怪やら、そんな不可思議な連中が跋扈する時代。誰もが憧れるファンタジーの世界。そんなジャパニーズサーガを、満喫しない手は無い。

 

 下手すると即スクラップだが。

 

 

 

 とりあえず、今向かっているのは飛鳥。この時代の都である。

 歴史はとんと駄目な俺であるが、それでも、かの聖人の名前くらいは知っている。

 そう、俺の目的は厩戸皇子……聖徳太子である。

 射命丸さん曰く、都に、十人の言葉を同時に聞き分け、的確な答えを返してしまう人間がいるとのこと。

 どう考えても、聖徳太子その人である。これは会わぬ手は無い、と、射命丸さんに都の方角を聞き出発した次第である。

 方角さえ間違えなければ、半日もあれば着くらしい。間違わなければ。

 

「にしても、やっぱり走りにくいのう……」

 

 山道、泥道、獣道。走りにくいわ汚れるわで堪ったものではない。

 実は、人間が使う交通路もあるにはあるのだ。が、俺はやはり妖怪、しかもこの時代に相応しく無い容姿である以上、そう人間に見つかりたくは無い。

 結果、今の悪路走行に至る。ああ、洗車したい。

 

「てか、結構走ったつもりなんだがな……」

 

 彼此走りはじめて数時間。日も、少しずつ傾き始めている。しかし、都はおろか人里さえ見えてこない。

 これはあれか、道に迷ったか。

 一旦停車し、エンジンを切る。

 

「方角もわかんねぇや……詰んだか」

 

 とりあえず、辺りを見渡せる高い山等は無いかと、見回そうとした。

 その時であった。

 やけに澄んでいて、何処と無く儚げな声が聞こえたのは。

 

「そこの者、動くでない」

 

 声は、後ろから。ミラーで確認すると、紫色の服の少女が一人、此方を見据えて立っていた。

 

「……妖怪か、獣か、物か。生き物か、死に物か」

 

 少女が俺の前まで移動する。

 俺は何も喋らず、ただの『物』の振りをする。口は災いの元。

 

「……喋れることは分かっています。さっき、独り言を言ってたでしょう」

 

 ばれてら。

 

「……怪しいものじゃありません。唯の道具、乗り物にござい」

 

 見た所、相手は人間。服装からして、貴族とみて間違いないだろう。

 こんな山の中に、貴族が一人と言うのは引っかかるが。

 

「道具……そう、貴方は永い時を経て、意思を持つようになったのですね」

「えっ、別にそういう訳じゃ」

「ご謙遜なさらずに。永きを生きて仙人となるのは決して人だけではありません。かの孫行者も猿で有りながら、最後は仏に迎え入れられました。貴方もそう、自覚は無いのかも知れませんが永き時を過ごし、仙人へと近付いたのでしょう。ならば、同じく仙を志す者として敬意を払うのは当たり前で御座います」

「……はぁ」

 

 よくもまあ、これだけ一気に喋れるものだと感心しながらも、俺は投げかけられた言葉の大半を受け流していた。

 彼女も最後まで人の話を聞かないのだから、お相子である。

 

「ところで、都へはどう行けばよろしいのでしょうかね」

 

 唯、勘違いであれ敬意を持ってくれているらしいので、乗じて都への道は聞いておくことにする。

 

「都? 何か、御用でも?」

「いや、用って程でも無いのですけどね。何でも、十人の話を同時に聞き取れる程の方がいらっしゃると聞きまして。一度お目にかかれたらな、と」

「一度に十の……ふふっ」

 

 急に笑い出す少女。何かおかしな事を言っただろうか。

 

「いえ、すみません。都はこのまま真っ直ぐですよ……そう言えば、まだ名乗っていませんでしたね」

 

 

 

 

「私は、豊聡耳神子。十人の話を聞き取れる者とは、私のことで御座いましょう」

 

 

 

 

 あれ?

 

「今、なんと?」

「ですから、私が豊聡耳皇子なのです。噂ほど立派ではありませんが……」

 

 何と。聖徳太子は女だった!

 歴史が変わる音がきこえる。気がする。

 

「まあ、虚構説もあるし、いいんかね……」

「何のことです?」

「うにゃ、こっちの話です」

 

 百聞は一見に如かず、とはよく言うものだと痛感する。過去の世界を生きていけば、こういった歴史とのズレと直面する機会が、幾度もあるのだろう。

 あまり常識に縛られない方が、悩まなくて済むのかもしれない。

 

「そんなことより、貴女が太子であられましたか。この度はお目に掛かれて光栄で御座いまする」

「止してください、気恥ずかしい」

 

 さて、聖徳太子に会うという目的は果たしてしまった訳だが。

 一つ、疑問が湧く。

 

「太子様は、何故、こんな所にお一人で?」

 

 聖徳太子ほどの人物が、護衛も無しに山歩き。無防備にも程があるなんていう話では無く、実際、その様な外出など認められる筈がない。

 と、なれば。

 太子は人には言えぬ理由を持っているはずである。

 

「……丹を、取りに行っていました」

「丹?」

 

 丹とは、辰砂、つまり硫化水銀のことである。水銀と言えば、不老不死の薬の材料として用いられてきたことで有名だが、それを、どうして聖徳太子が欲しがるのか。

 そんな疑問を読み取ったように、話を続ける。

 

「私は、実は道教を信じ、不老不死を目指して研究をしているのです。しかし……」

「民衆には仏教を広めている」

「その通りです。なので、誰にも知られる訳にはいかないのですよ」

 

 確かに、道教より仏教の方が、国を纏めるのには向いているだろう。道教の目的は仙人になること。努力すれば超人に成れる、なんて広まってしまったら、政治には邪魔である。

 

「私に話してよかったんで?」

「ええ。それに、永きを経て意思を持った貴方の意見も聴きたいですし」

 

 勘違い続行中。しかし、今更訂正するわけにもいかず。

 

「貴方は、ぁっ……?」

「太子様!?」

 

 小さな悲鳴とともに、太子の体が崩れ落ち、小さな土煙りが太子の衣を汚す。倒れた太子は咳込み、華奢な体が震えている。

 その太子が持っていた袋から、赤い塊がころがっていた。

 

「……太子様。貴女は」

 

 太子は答えず、唯咳込むのみ。よくよく見るとその体は病的にやせ細っていた。いや、事実病気なのだろう。

 太子の持つ辰砂……水銀が、それを物語っている。

 

「す、いま、せ…」

「喋らないで。呼吸が落ち着いてからでいい」

 

 こくりと小さく頷く太子。背中を摩る事さえ出来ないのが歯痒くて仕方が無い。何一つ、助けになれないのが申し訳無い。

 せめて、何か出来ないのか。考えたところで、腕の一本さえ無い俺には、何も出来ることなどない。只々、苦しむ彼女の姿を見つめることしか。

 太子の震える体を、俺は、見守り続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 もうじき、夜が降りてくる。森は赤く、空は紫色に。緑と赤、青と赤。やがて、全てが黒に塗りつぶされることだろう。

 俺は太子をシートに乗せ、振り落とさないようにゆっくりと走る。太子は疲れたらしく、俺の上で眠っていた。

 都はまだか。早く、太子を安静にしたい。

 

「……私は」

 

 太子の声。さっきよりもより儚げな、弱々しい声。

 

「私は、もうじき死にます」

 

 呟くように、そう零す。ミラーで太子を確認するも、表情までは読み取れなかった。

 

「しかし、私は死ぬわけにはいかない。一度死に、尸解し、人々が聖人を求めた時に、再び蘇る。不老不死の為政者となるために」

「為政者、ですか」

「傲慢でしょうか」

「そんなこと、無いですよ」

 

 暗くなりつつある森を走る。ゆっくり、ゆっくりと。

 

「和を以て貴しとせよ。派閥も党派も、位も宗教も関係無く、相手の意見や思考を認め合い、取り入れることが、最も貴きことだと私は思っています。宗教戦争なんてものも無く、他人の思想や、欲さえも受け入れていけるような、そんな世界にしていきたい。全てを受け入れる、そんな世界」

 

 太子が苦笑する。

 

「夢の見過ぎですかね」

 

 夢の見過ぎ。その通りだと思う。結局、他人は他人だし、宗教毎の価値観も大きく異なる。数ある思想の、全てを平等に受け入れるなど、実現出来やしないだろう。

 でも。

 

「永い時間を費やせば、いつか出来るんじゃないですかね。そんな理想郷」

 

 推測では無く、希望。

 でも、不老不死の為政者なら。それが、かの聖人ならば、或いは。

 

「待ちましょう、そんな世界が出来るのを。だから」

 

 だから。どうか。

 

「どうか、必ず復活なさりますように」

 

 ええ、と答えたまま、太子がまた眠りに着く。寝息は、さっきよりもずっと穏やかだ。

 

「太子様ー! 何処におられますかー!」

 

 向こうから、太子を探す少女の声が聞こえてくる。どうやら、ちょうど迎えが来たようだ。

 

 

 

 

 陰陽師風の服装の少女に太子を預けた後、俺は都を離れ、天狗の山の近辺を中心に走り回っていた。手が無いのだから、走るくらいしかやる事がないのである。日が昇れば走り出し、日が沈めば薮に眠る。まるで獣のような生活を続けている。

 

 そんな中、偶々出会した妖怪から聖徳太子が死んだと聞かされたのは、太子に会ってから数週間後のことであった。

 

 

 

 

 



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四 友と鉄

 目が覚めると、何故か見知らぬ男に押されていた。何を言ってるか分からないと思うが、俺にも分からない。

 誘拐か。いや、物だから泥棒か。全く、碌でもない男である。

 

 まあ、薮の中で寝ていた俺にも非があるのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太子と出会ってから、ざっと二百年程の時が過ぎた。

 少しずつではあるが妖怪としての力も強くなり、俺と同じく物の妖怪たる憑喪神達の間では、ちょっとした有名人となっている。えへん。

 そこらの妖怪よりは強い妖力を持ち、馬力も速度も随分と上がったように感じる。

 

 唯、生活は獣のそれに近い。走るは獣道。寝床は薮の中。昨日も、都に程近い薮の中で眠りに着いて……

 

 今に至る。

 男は依然として、懸命に俺を押している最中である。ハンドルに手をかけ、えっちらおっちらと。

 見た所貴族だが、何を思って俺を運んでいるのか。汗だくになっている所をみると、かなりの時間、こうして俺を押しているのだろう。京まで押すつもりだろうか。一人では中々京には入れないし、折角なので運んでもらう事にしよう。

 

「ふぅ、ふぅ……なんと、重いんじゃ」

 

 貴族は、見るからに辛そうだ。

 

 

 ……運んで貰っているのだし、少しくらいは自分で動くか。

 エンジンを駆けずとも、歩く程度の早さまでなら自力で動ける。

 俺は、貴族に悟られない程度に、車輪に力を込めた。

 

「おお? 心なしか、軽く……コツを掴んできたようじゃな!」

 

 貴族の足取りが、幾分軽くなる。これなら、京に行くまでに倒れてしまうこともなさそうだ。貴族は口笛交じりに俺を押していく。

 

 京が、見えてきた。

 

 

 

 男の屋敷の庭。やはり、貴族だけあって広い庭である。その庭の端、屋敷の縁のすぐ近くに俺は停められた。

 

「よっこらせ、と」

 

 縁に、水桶と丸めた藁が置かれる。持ってきたのは、貴族男。それにしても、貴族としては珍しく従者に任せるということをしない男である。

 

「さて……」

 

 貴族が腕捲りをし、藁に水を付ける。そして、俺の横にどかりと腰を降ろした。

 まさか、洗うつもりか。

 

「輝夜姫も、これならば喜んで下さろうて」

 

 男が俺を磨き始める。

 砂、土、泥、枯葉、埃、苔。男が手を動かすたび、透き通っていた水が不純物を乗せて伝落ちるたび、その心地良い振動がボディを通して身体中に響き渡る。溜まりに溜まった二百年分の汚れが、貴族の手によって俺から擦り取られていく。

 この姿になってから……偶に水浴び程度はしていたものの……洗車されるのは初めてだった。水に浸かったり、雨に打たれた程度では取れなかった汚れが、どんどん落ちていく。

 

 気持ちが良い。身体が、随分と軽くなった気がする。無論、重量的には大して変化は無いのだが。

 水に濡れた体に風がぶつかり、少しだけ肌寒い。

 

「さて、後は乾かすのみじゃな。大分綺麗になったのう」

 

 満足した貴族が、桶を抱えて離れて行く。

 

 

 

 洗車されて、俺は、少々気が緩んでいたらしい。貴族の姿が消える前に。まだ、お互いに独り言でも言えば聞こえてしまうであろうで距離あったにも関わらずに、俺は痛恨のミスを犯してしまう。

 つまりは。

 

 

「くしゅんっ」

 

 

 静かな木造建築に、僅かな湿り気を含んだその音が響き渡る。

 貴族が振り向く。くしゃみの主たる俺を凝視する。

 

 やっちまった。なんでここでくしゃみなんてしちゃうかな、俺。めっちゃ怪しまれとるやん、俺。

 てか、無生物なんだからくしゃみ必要ないだろ。何故出た。

 

 ……しかし、やってしまったものは仕方が無い。勇気を出して話しかけてみることにする。

 

「……こ、こんにちは」

 

 びくり、と、貴族の身体が跳ねる。此方を警戒しながら、恐る恐ると口を開いた。

 

「……こん、にちは」

 

 さて、何と切り出したものか。

 

「な、なあ」

「な、何でしょう」

 

 何を話せば良いかなんて知らないし、どう接するべきかなんて分からないが、とりあえず。

 

「あ、洗ってくれて、ありがとよ…」

 

 予想外の言葉だったらしく、きょとんとする貴族。しかし、それも束の間。若干引き攣り気味だった顔が見る間に解れ、その穏やかな笑みが浮かび上がるのにそう時間は掛からなかった。

 

「どういたしまして」

 

 

 

 

 

 数刻後。

 俺は貴族と世間話に花を咲かせていた。

 俺が意思を持っているとばれた時は焦りに焦ったが、一度話してみれば不思議と気が合い、終いには酒まで持ち出して二人で飲み始める始末である。

 ちなみに、俺は偶に酒を燃料タンクに流し込んでもらっている。昔は壊れやしないか心配だったが、どうやら、妖怪となった今はそんなことじゃ故障すらしないようだ。錆びも、焼き付きもしていない。

 

「そういえば」

「何です?」

 

 先程から気になっていたことを尋ねてみる。

 

「さっき、輝夜姫、っていってたよな」

 

 男が、はっとしたように此方を見る。

 

「……そうでした。貴方をここまで連れて来たのも、輝夜姫に献上しようと思って……」

 

 輝夜姫。そういえば、時代は大体この時期だったか。

 男が、苦笑混じりに続ける。

 

「本当は貴方を献上するつもりでしたけど、流石に友人を献上するわけにはいきませんね……」

 

 友人、と言う言葉を聞いて面食らう。

 会って間も無い、喋る鉄の塊という俺を、友人と呼んでくれるとは思わなかった。

 実に人間らしくない、等と言うと些か失礼かも知れないが、無論良い意味で、であるので勘弁して欲しい。

 

「代わりの物は無いのかい」

「それが、何にも。彼女が喜びそうな物など」

「なら、俺を献上する他無いな」

 

 男が俺を見る。その顔は、驚きに染まっていた。

 

「しかし」

「何々、洗って貰った恩もある。それに、だ」

 

 男は俺を友人だと思っているらしい。

 ならば、尚更。

 

「友人が困っているんだ、助けるのが当たり前だろう?」

 

 友人ならば。彼が俺を友人だと思ってくれるのなら、俺も、喜んで彼を友達だと思いたい。

 

「……なら、貴方を輝夜姫に献上しましょう。あと」

 

 男が、真っ直ぐに俺を見て言葉を紡ぐ。

 

「ありがとう」

「いいってぇことよぅ」

 

 少し、胸を張って答える。胸に当たるパーツが何処かも分からないので、あくまで気持ち、だが。

 

「でも、そんなに美人さんなのか、輝夜姫」

「そりゃあ、もう。この世で、あれ程美しい方等、いる筈も無い程に」

 

 そこまで言って、男が酒を煽る。月灯りに照らされ、頬が少し上気しているのが見て取れた。

 

「でも、正直な話、私はあの方に釣り合わない」

 

 彼の話に話に頷くことも、遮ることもせずに、唯、改めて男の顔をまじまじと見る。際立って顔が良いという訳ではないが、整った顔立ちに切れ長の目。間違いなく美形の類に入るであろう優男である。少しばかり妬ましい。俺は最早このなりなので関係無いが。

 

「あのお方には、きっとこの世の男では釣り合わないのだろう。あのお方は、それ程に美しい」

 

 諦め、に近いのだろうか。しかし、男の顔は吹っ切れたように爽やかである。その顔に、哀しみや憂いは感じられない。

 

「だから、せめて、いつも物憂げな顔をしていらっしゃるあの方を驚かせてみたい。笑わせてみたい。そのための」

「俺というわけか」

「呆れましたか」

「うにゃ、好きだぜ。そういうの」

 

 そう言って、男と二人して笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋の中頃、宵の中頃。弓張の月が地上を照らす。俺の知る竹取物語の通りならば、かぐや姫の迎えが来るまでもう、あまり時間は無い。

 あの男はもう眠ったことだろう。俺は、間違ってもあの男に聞こえることの無いように溜息を吐き、今頃迎えの準備をしているであろう月の都を思う。恨むでもなく、嘆くでもなく。只、ぼんやりと月を眺めて、其処に映る兎の影を見やる。

 叶わぬ恋。ただただ一方的で、それでいて、ささやかな恋。彼の思いは、かぐや姫に届くのか。それとも、いとも簡単に振りほどかれて潰えるのか。

 

「……まあ、あいつ次第なんだけどな」

 

 そう。全て、あいつ次第なのだ。俺に出来ることは、献上されて、使われるのみ。

 

「……運転の仕方くらい、教えとくかね」

 

 俺に出来る、せめてもの手助け。友の想い人の前、少しくらい格好付けさせてやりたいものである。

 

 人の手助けなど、実に妖怪らしく無い。そう、心の中で呟いて、俺は。

 タンクに残った酒を、一思いに流し込んだ。



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五 姫と鉄

 竹取の翁の屋敷にて、一人、ぼんやりと月を眺める。

 風は冷たいし、話し相手もいなくて暇な事この上ないが、それでも、気分はすこぶる良かった。

 

 今日の昼頃、俺は、俺を友人と呼んでくれた男と共にここ、竹取の翁の屋敷に参上した。翁も従者も俺を見て警戒するも、それが自分等への贈り物であると分かると喜んで男を歓迎してくれた。竹取物語の中の翁そのものな性格であったが、不思議と憎めず、男と共に苦笑しながら門を潜ったのであった。

 

 それからは、俺は庭に停められていたのでよく分からないが、庭に出た時の輝夜の表情は心なしか微笑んでいる様に見えたので、きっと上手いこと話は進んでいたのだろう。

 最後は輝夜の前で俺に乗って見せ、鳴り響くエンジン音と走る速度に目を丸くした輝夜の顔を拝んで、満足そうに帰っていった。

 終始幸せそうだった男の顔が思い浮かび、改めて、今回の謁見の成功を心の中で祝う。

 本当に、良い一日だった。と、俺が今日一日を締めくくり、いざ寝ようとしていた時であった。

 輝夜姫が障子を開き、その姿を表したのは。

 

「……やっぱり、満ちていってるのね」

 

 輝夜の視線の先には、月。半月よりも幾分膨らんだくらいのそれは、月の迎えの到来を嫌でも思い出させる。

 

「……それにしても」

 

 俺を見つめて、呟く。

 

「彼は、貴方の話し相手になってやってほしい、なんて言ってたけど……

物、よね。貴方」

 

 あいつめ、そんな事を言ってたのか。多分、俺が暇するといけないから~、なんて気を効かせたつもりなのだろう。

 そこまで気を遣う必要は無いのに、と苦笑する。あくまで、心の中で、だが。

 

「貴方、喋れたりなんてしないわよね?」

 

 しないよ。

 

「意思があったりしないわよね?」

 

 無い無い。全然あったりしない。

 

「ま、当たり前だけど」

 

 輝夜は縁側に座り、俺の体を撫で始める。

 

「……地上に、こんな技術があるなんてね」

 

 物憂げな瞳。月の光を反射する黒髪。

 見た目幼くはあるものの、確かにそれは物語で語られる輝夜姫の美しさ。無生物の身でありながら、うっかり惚れてしまいそうな程。

 

「……帰りたくなんて、無いなぁ」

 

 輝夜が、外気に冷やされた俺のタンクに額を付け、寄り掛かる。

 滑らかなボディに温かい雫が落ち、伝い、また地に落ちる。

 

 輝夜は、何も喋らない。唯、数滴の雫が落ちては伝い、また流れては落ちていく。

 数分の間、輝夜はそうして俺に体を預けていた。

 

「……眠くなってきちゃった。もう、寝ようかな」

 

 ふああ、と欠伸をしながら、輝夜が立ち上がる。その瞳に涙は既に無く、長い黒髪が彼女の動きに合わせて揺れる。一々動作に優雅さが付きまとうのは、月の民であるからか、それとも単に彼女の気質がそうなのか。

 

 彼女の欠伸が、俺にも眠気を運ぶ。俺も、そろそろ寝るとしようか。

 

「それじゃ、おやす」

「ふあぁぁ……」

 

 輝夜が固まる。しかし、視線は俺から外さない。

 曰く、欠伸はうつるという。人から犬へもうつった事例があるくらいなのだ。月人からバイクにうつっても仕方の無い事なのであろう。多分。

 そんな、言い訳にもなりそうにないようなことを考えている間も、彼女はじとりとした目付きで俺を凝視している。こわい。背筋がゾクゾクする。

 

「……貴方」

 

「…………くしゅんっ」

 

 ぱしん、と、俺のヘッドライトに輝夜姫の平手打ちが飛んだ。

 

 

 

 

 

 その後、喋れることを隠していた事について輝夜に散々説教された後、俺は彼女の話し相手と言う位置に落ち着いた。

 月の姫は喋る鉄に臆する事もなく。毎夜同じ頃に障子を開いては、俺と他愛も無い会話をし続ける。

 そんな関係が、数日の間続いた。

 

「起きてるわね」

「寝てますけど」

「よろしい」

 

 俺が起きている事を確認すると、また月を見上げて独りごちた。

 

「月の満ち欠けなんて、止まってしまえば良いのに」

 

 ひとしきり月を恨めしげに眺めたあと、俺のシートに顎を乗せて寄り掛かる。非常に、つまらなそうに。

 

「……ねえ」

「なんでしょ」

「私を乗せて、逃げ出してよ」

 

 返答に窮する。冗談か、本気か。

 ミラーで確認しても、彼女はつまらなそうに虚空を眺めるのみ。その真意は伺えない。

 

「……今の私の持ち主は貴方です。好きなように使ってくださいな」

「使う私の責任、て訳ね」

「そりゃ、貴方の命令ですし」

 

 輝夜は俺に腰をかけ、そのままシートの上で仰向けに寝転ぶ。輝夜程度の身長なら、後部座席がちょうど枕の位置にあたり具合が良いらしい。

 輝夜は俺の返答を聞いて、雲の掛かった空を見上げて溜息を零す。

 

「薄情ねぇ。私は持ち主だっていうのに」

「何、逃げろと言うなら全力で逃げましょう。それこそ、壊れるまで走りますよ」

「言わないわよ、そんな。それに、逃避行ならもう、相手がいるわ」

「駆け落ちですか。不潔です」

 

 ガン、とタンクを蹴られる。痛い。

 

「生憎、相手は女よ。何を期待してるのか知らないけど」

「同性愛……さらに不潔です」

 

 ガンガンガン、と、タンクに彼女の蹴りが幾度も繰り出される。痛い痛い痛い。

 

「誰が不潔よ、誰が」

「同性で愛の逃避行なんて、他に何と表現すればいいんですか」

「だからなんで愛の、が付くのよ。頭沸いてるんじゃないの? このカマドウマもどき」

「カマ……」

 

 確かにちょっと似てるかもしれない。納得してしまい、ひとしきり鬱になる。

 対する輝夜はふふんと鼻でせせら笑っている。悔しい。

 

「この竹の子姫……」

「何か?」

「なんでもねっす」

 

 聞こえなかったのなら、その方がいい。聞こえていたにしても、これ以上の口喧嘩は無用である。第一、俺よりも相当長生きの輝夜に口で勝てるわけが無い。

 それに、彼女が、月へ帰る前に聞かねばならないことがある。

 

 俺は、できる限り真剣な口調で、話を切り出した。

 

「ところで、姫。一つ、お尋ねしてよろしいでしょうか」

 

 輝夜は、空を見上げたまま返事を返さない。続けろ、という意味だと勝手に解釈して、俺は、輝夜に言葉をかけ続ける。

 

「彼について、どう思いますか」

 

 彼、とは、俺を友と呼んだ貴族の男のことである。そういえば、名前を聞いていなかった。

 俺は、輝夜の返答を待つ。返ってくるとも限らないが、他に話さなければならないことがあるわけでもないので、気長に待つ。

 

「……良い人だと思うわ」

 

 でも、と、話を続ける。

 

「私は、月の者。彼の思いには答えられない……貴方が聞きたかったのは、こんな答えじゃなかっただろうけど」

「それだけ聞ければ十分です」

 

 あいつなら、これで満足することを俺は、知っている。志が低い訳ではなく、彼女の記憶に残りさえすれば、本望。きっと、彼女は彼を忘れはしまい。

 そう、と小さく返事をして、また、輝夜は空を見上げる。

 

 彼女は、先の会話で逃避行と言った。そして、それを共にする相手がいるとも。どうやら輝夜は、月の迎えに応じる気は無いらしい。逃避行に及んだとして、本当に月の民から逃げられるのか。考えるのが嫌になってくる。俺がそんなことを考えたところで、何かが変わるわけではないのだけども。

 急に辺りが暗くなった。どうやら月が、雲に隠れたらしい。

 

「本当はね」

 

 おもむろに、輝夜が口を開く。俺は、何も喋らない。輝夜は話を続けた。

 

「本当は、不安で仕方ないの。私は死ぬ心配なんてないし、私の味方となってくれるその人は、月の賢者と謳われる程の天才。下手をするなんて、考えられない。私の逃避行は、必ず成功する。彼女がいて、失敗はありえない。そう、絶対に、月の使者から私達は逃げ果せる」 

 

 彼女は一旦、話すのを止める。段々と早く、強くなっていった口調を落ち着かせるように、彼女は呼吸を整えている。

 少しだけ間が空いて、また彼女が話し始める。落ち着いた、静かな声だった。

 

「……それでも、やっぱり心配なの。何か、予想外のことが起きて失敗するかも知れないって。私の想いなんて関係無く、否応無しに連れ戻されそうで」

 

 輝夜は体を起こし、俺に腰掛けた状態になる。長い黒髪が揺れ、何時の間にか顔を出した月の光を反射して、淡い紫色に光る。

 

「それに、彼女の……私の我儘で共犯にしてしまう、彼女の傷付く姿は、見たくない」

 

 輝夜の目に浮かぶのは、決意。彼女の言うそれは、きっと唱えるだけの願望ではない。それを叶えるためならば、あらゆる犠牲も厭わないとでも言わんばかりの気迫が、彼女の言葉には篭っていた。彼女の美しさは、容姿だけでは無いのだということを感じ、俺はかける言葉の一つも見つけ出せない。

 ……と、俺が見惚れていると、輝夜が、まるで力の抜けたように溜息をついた。

 

「……はぁ、貴方に話しても、仕方ないのだけどね。結局、私の問題だし……冷たっ」

 

 俺から降り、履物も履かずに冷たい大地に足を着ける。穢れ多き地上に素足で降り立つ月人は彼女位のものだろう。

 

「……もしかして、寝てる? さっきから喋らないけど」

 

「寝てますよ」

 

 くすりと笑いながら、障子に手を掛けたところで、俺は彼女の背中に声をかける。

 

「姫」

 

 彼女が首を傾げながら振り向く。

 

「おやすみなさい。また、明日」

 

 不意を打たれたように、彼女が立ち止まる。

 結局、俺には彼女にかけれるような大層な言葉を見つけることは出来なかった。

 けれど、せめて今は、安心して眠ってほしい。来るべき明日に備えて。

 俺の考えを知ってか知らずか、輝夜が微笑む。

 

「ええ、おやすみなさい……また、明日」

 

 障子が閉まるのを見届け、俺も彼女に倣い、寝ることにした。

 また明日。全ての結果は、明日になれば嫌でも分かる。それが輝夜の望むものになる事を願いつつ、俺も眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 月は、そんな俺たちを見下ろしながら今宵も、静かに、そして無慈悲に満ちていった。

 

 

 

 

 

 



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六 月と鉄

 屋敷を包み込む、月の光。

 しかし、見慣れた筈のその光は、空に浮かぶ満月が放つものではない。

 中空に浮かぶ、光り輝く牛車や、戦車に似た乗り物。

 兵士達は、矢を構えることも出来ずに、只々呆然と立ち尽くしている。そして、俺も、神々しいにその姿に見惚れ、動けないでいた。

 

 月の使者。俺の知る竹取物語のそれよりも、ずっと近代的な姿形。しかしその科学力も然ることながら、彼らが纏うその力は確かに、この地上には存在しないもので。月の民はどうやら、科学力と幻想の力の両方を兼ね備えた存在であるらしい。

 

 本当に、輝夜は逃げ切るつもりなのか。人間達はおろか、妖怪である俺さえも戦慄し、目を離すことさえ出来ない、この存在から。

 

 

 

 その時であった。

 ゆっくりと高度を下げる月の民に向かって、一本の矢が飛んだのは。矢の放たれた方を見れば、なんと我が友人その人である。屋根の上、足を震わせながらも弓を構え、月の使者を睨み付けていた。

 風を切る音と共に、勢い良く飛んだ矢は、しかし月の使者に届く事なく。あらぬ方向へと軌道を変え……

 

「あだっ」

 

 何故か、俺に向かって落ちて来た。刺さらなかったが、鏃も鉄製なのでかなり痛い。しかし。

 

「すまない、すまない。我が友よ」

 

 その痛みで我を取り戻すことが出来たのはありがたかった。そうだ、俺はあいつの分まで働かねばならないのだ。自分に活を入れ、事の行方を見守る。

 

「汝、幼き人――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、竹取の翁の訴えなど聴き入られるはずもなく。輝夜姫は地上に蓬莱の薬を遺した後、月の使者に連れられて空高く月へ向けて上昇して行くのであった……

 

 

 何故か、俺も一緒に。意味が分からない。しかも、どういうつもりか俺まで牛車に乗せられている。牛車といってもかなり大きく、戸や壁は、何か金属の様な物で張り巡らされている。まるで、宇宙船のように。

 牛車の中にいるのは、俺と、輝夜と、赤と青の服を着た女性の三人だけ。

 

「……永琳。なんのつもり?」

 

 輝夜が、顔に困惑の色を浮かべながら問う。答えるのは、赤と青の服を来た女性。俺を連れて行くと言い出した張本人である。

 

「大丈夫。ただ、私の計画に、彼はちょうど良かったから……ごめんなさいね、急に連れ出して」

 

 永琳が俺に話し掛ける。俺が意思を持っている事に、気付いているのか、否か。とりあえず、息を殺す。

 

「あ、喋ってもいいわよ。永琳は味方だから」

「ああ、さいですか……」

 

 輝夜の言葉に安心し、止めていた息を吐き出す。と、言っても口も肺も無いのであくまで気分、だが。

 

「はじめまして。しがない地上の普通の乗り物で御座います」

「こちらこそ、はじめまして。しがない月の使者、八意永琳よ」

 

 簡単な自己紹介を済ませ、俺は輝夜に声をかける。

 

「姫、もう、言ってあるんで?」

「いいえ、まだ……」

 

 輝夜が、悪戯を白状する子供の様にそわそわしながら、永琳と向き合う。牛車は地上からゆっくりと、しかし確実に離れて行っている。早く思いを申告しなければ、手遅れになる。

 

「……あのね、永琳。私……」

 

 ちらちらと永琳の顔色を伺いながら、輝夜が続ける。やはり、言い難いのだろう。

 しかし、俺と目が合った途端、意を決したように彼女は永琳の目をしっかりと見詰め、自分の思いを打ち明けた。

 

「私、月には帰りたくない。地上に残って、この地上の、美しい穢れと共に生きたい」

 

 静かな牛車の中に、輝夜の声が響き渡る。

 永琳は、輝夜の話を遮る事なく黙って聞いていた。

 

「お願い、永琳。私を、地上に住まわせて」

 

 少しの間を置いて、永琳は口を開く。

 

「地上に残るとするならば、血塗れた道、茨の道を進む事になりますよ。月から隠れ、永遠に逃げ続ける……そんな道を辿る事になるのですよ。それでも」

 

 

 それでも、地上に残りますか。

 それでも、地上に残りたいの。

 

 

「……ふふっ」

 

 言葉が重なり、二人は笑い出す。話は纏まったとみてよいのだろう。

 

「姫」

「ん」

「何処までも、お供しましょう」

「……ありがと、永琳」

 

 笑い合う二人。逃避行の前とは思えない程に穏やかな時間。この二人なら、きっと、永遠にでも逃げ果せるに違いない。

 

「さて……そろそろかしら」

「そろそろってなに、あ!?」

 

 ガタン、と、牛車が大きく揺れる。永琳が輝夜を庇って抱きしめ、俺はサイドスタンドで必死に踏ん張る。

 

「まさか……」

「ええ、落とすわ」

「結構高いんじゃないのか、こ、れえ!」

 

 遂に横倒しになる俺の体。しかも、自力では起き上がれないという情けなさ。

 

「お、起こしてくれ……」

「また倒れても何だし、暫く我慢してなさい」

 

 爆発音が数回聞こえ、緩やかに下降して行っているのが中からでもわかる。月人の悲鳴、喧騒。随分と大ごとになってしまったなぁと、他人事のようにその音を聞く。

 

「××様! ××様は!?」

「何処にもいない!」

「姫のところか!?」

「牛車の戸、外からじゃ開かない!」

 

 名前がよく聞き取れないが、永琳を探しているのか。月の使者達が慌てふためいている。

 

「いいの? 永琳」

「ええ……どうせ、生かしておく訳にはいきませんし」

 

 永琳が苦笑する。

 対する輝夜は、表情が曇る。

 

「姫……私達が進むのは、こういう道です」

「……うん。分かってる」

 

 外の喧騒が、更に五月蝿くなる。どうやら、もう地上に落ちる寸前らしい。

 

「貴方に頼みがあるの」

 

 永琳が、俺を起こしながら話し掛ける。腰を入れ、梃子を使って車体を起こすと、俺に囁く。

 

「姫を連れて逃げなさい」

「…何処へ?」

「東へ。何処までも東へ。流石に、月の兵器相手に私一人じゃ、ね」

 

 輝夜が聞いたら怒りそうな事を言う。死ぬ気だろうか。

 

「要は、時間を稼ぐから逃げろと」

「そう。あの子のこと、頼んだわ」

「面倒も見ろと言いますか」

「月の追っ手から逃げながらね……貴方、この時代に来てから何年?」

 

 この時代? この時代に来、あ?

 

「な、なんでそのことを!?」

「地上の遅れた科学力で、自動二輪車が作れますか。月の都の物でもないし。なら、ね」

「……この時代に来て、二百年程にまります」

「妖怪としては、そこそこね。なら、大丈夫」

「……ねぇ、何を話してるの?」

 

 存外長い内緒話に、輝夜が不安そうに訊ねる。

 

「姫……いえ、輝夜」

 

 永琳が輝夜に向い直る。

 

「貴女は、これに乗って逃げなさい」

「――ぇ……?」

 

 呆然と、立ち尽くす輝夜。

 

「永琳は……?」

「私は、ここに残って使者達を倒してから」

「なら私も」

「駄目」

 

 永琳が、輝夜を抱きしめる。優しく、けれど、強く。

 

「月の使者は倒さねばならない。でも、貴女が捕まっては意味が無い」

「でも!」

「大丈夫。少し遅れるけど、必ず会えるわ」

 

 肩を震わせる輝夜を撫でながら、永琳は言う。

 

「幻想郷、という場所があります。地上の賢しい妖怪が、人と妖怪の共存を望み、保護している……」

「……」

「そこで、待ち合わせ。詳しい場所は分からないけど、きっと見つけ出せる」

「絶対に、来るのね?」

「なんなら、先に着いて待ってますよ」

「……絶対に――」

 

 輝夜の言葉を遮る様に、牛車が揺れ轟音が響く。遂に、地上に墜落したらしい。

 永琳が俺に目配せする。

 

「姫。お乗り下さいな」

「えっと……」

 

 輝夜が、俺の友人に教わったように乗車する。自分の教えたことが輝夜の役に立っていると聞いたら、彼奴はどんな顔をするだろうか。

 

「もっと足に力を込めて。体を支えるのは、手じゃなくて足です」

 

 タンクを挟む力が強くなる。が。

 

「もうちょっと強くなりませんか?」

「も……もう無理……」

 

 弱い。本当に弱い。これでは、発車しただけでも振り落とされそうな程に弱い力。

 

「……次に会う時には、運動しておいてくださいね、姫」

 

 見兼ねた永琳が輝夜の体に紐をかける。足をタンクに縛り付け、ベルトの様に腰に一巻き。

 ちなみに、バイクにシートベルト装着は転んだ時に脱出出来なくなるので危険である。真似してはいけない。

 

「フェムトファイバーの組紐です。これなら、大丈夫でしょう」

「フェムトファイバー?」

「絶対に切れない組紐よ。科学的とは言い難い構造だから、説明しても分からないと思うけど」

 

 さあ、と、永琳が輝夜にヘルメットを被せ、牛車の扉の鍵に手をかける。俺は、いつでも飛び出せるようにエンジンを駆け、ギアをローに落とした。

 

「では……また」

「ええ……また」

 

 そして永琳が鍵を開け身を引くと同時に、俺は扉を勢い良く突き破った。驚く月の使者たちを尻目に、逃げる、逃げる、逃げる。

 

 

 

 

 東へ。

 永琳との約束の地、幻想郷を目指して。

 

 



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七 神と姫と鉄

 

 永琳と別れて、早数年。

 未だ、幻想郷なる土地は見つからず。しかし、焦ることもなく。

 月の使者は変わらず血眼になって輝夜を探しているようだが、それも満月の日のみ。

 だが、それでも定期的に住む場所を変えるようにはしている。

 そのせいで、気持ちとは裏腹にあまりのんびりとは暮らせていないというのが現状である。友達の類も作れないというのは、辛いところ。

 

 ちなみに輝夜の服装は動きにくい着物ではなく、動きやすく、目立ち難く。そして旅をしていても違和感の無い行者のような格好をさせている。

 寧ろ、俺の方が目立ってしまうので、赤いボディの上にボロ布、それを注連縄によく似たフェムトファイバーで縛り上げている次第である。まるで妖怪のような姿。いや、一応妖怪ではあるのだが。

 

 

「ねえ、まだつかないの?」

「もうそろそろ。の筈。多分」

 

 上に乗った輝夜が俺に問い掛ける。そう言えば、ヘルメットを通して会話ができる様になった。風に遮られることも無く、中々に便利である。

 

「なんでそんなに曖昧なの……」

「だって、行ったこと無いですし」

「ああ、もう。飛ばすわよ!」

 

 輝夜がアクセルを戻し、クラッチを切りギアを上げる。そして、またアクセルを回す。

 

「……上手くなったなぁ」

「そう?」

 

 今や、輝夜も自分で運転出来るようになり、何処へでも自由にいけるようになった。昔は、俺が輝夜を乗せていたが、今は、輝夜が俺に乗っている。道具の身としては、持主に使われるというのは非常に喜ばしい。が、少しばかり寂しさも憶える。

 

「ああ、多分近いです。何か、それらしい気配を感じる気がします」

「曖昧ねぇ、ほんと」

 

 森の中、程々に整備された大きな坂。

 目的地は、この上にあるらしい。

 

 

 

 

 

「……姫」

「ごめんなさいごめんなさい」

「笑いながら言わないで下さいな」

 

 坂の中程。そこに転がるボロと、それを見下ろし笑う少女。

 坂の途中で鹿が飛び出し、避けたところで、すっ転んだ次第である。

 しかも、坂の低い方に向かって倒れたため、輝夜の力では起き上がらせる事ができない。車輪も浮いているので、どうすることもできない。

 ちなみに輝夜は脱出して無傷。世は真に不条理である。

 

「でも、困ったわ……助けを呼ぶ?」

「それは、まずいかと……」

 

 輝夜を一人にさせるのは、避けたい。何も月の民だけが驚異では無く、妖怪やら賊やらに見つかっても、不味い事になるのは目に見えている。

 

「じゃあ、どうするのよ」

「どうしましょうか」

「もうすぐ夕暮れよ」

「……どうしましょ……ん?」

 

 坂の上に、違和感を感じる。

 何かの気配。妖怪でも、人でも無く、どちらかと言えば月の民に近いが、月の民では無い。

 この気配は……

 

「姫、離れないで下さい」

「ん」

 

 輝夜も気配を感じ取ったらしく、素直に俺の後ろに回る。

 しかし、俺もこの状態。せめて、上手く扱うこともできない妖気を集中して威嚇する。

 坂の上に、気配が近づき……

 

「……人でも、妖怪でもない。ましてや、神でもない。しかし、決して弱くはない妖気を持っている。その癖、助けを欲している」

 

 気配の主が姿を表し、ゆっくりと近付く。

 

「我を呼ぶのは何処の人ぞ?」

 

 巨大な注連縄に、赤い衣を纏った女性。

 注連縄、となると、この気配の正体は……

 

「近付かないで。私たちは……」

「姫、お待ち下さい」

 

 俺を庇うように前に出た輝夜を止め、目の前の女性に話し掛ける。

 

「貴女様は、この社の……」

「ええ、この神社の祭神、八坂神奈子。建御名方、の名の方が知られているかしら」

 

 やはり、神。この気配は、神力だったか。

 

「申し訳御座いません。彼の建御名方神の鎮まりになられるという諏訪大社、一度参拝に上がりたく思いまして」

 

 建御名方と名乗った女性が、何やら考える素振りを見せる。やはり、人間もどきと妖怪もどきが参拝というのは信じられないか。しかし、本当に今回の目的は参拝なのである。

 

「……それで、どうしてこんなとこで転がってるの?」

「情けないことに、先ほど鹿を避けた拍子に転びまして」

「ふむ」

「それから起き上がれないので御座います」

「亀かお前は」

 

 俺と神のやり取りに、輝夜が笑いを堪えている。

 警戒を解いたと見たか、建御名方が輝夜へと話しかけた。

 

「貴女、名前は?」

「私は……蓬莱山、輝夜」

 

 一瞬迷うも、偽名は使わなかった。少しばかり無用心だが、この神ならば多分大丈夫だろう。

 それに、彼女の決定に逆らう気は無い。

 

「そうか、輝夜……かぐや?」

 

 また、建御名方が考えこむ。かぐやという名に引っかかったようだが、それも束の間。

 

「聞いた事がある気がするけど、分からん!まあ、話せばわかるだろう」

 

 俺の体、腹の部分に手を入れて……

 

「よっと」

「うわ、わわ!」

 

 片手で持ち上げた。軍神とは言え、細身の女性が片手でバイクを持ち上げる様は、余りにもミスマッチである。

 目を丸くしている輝夜に、建御名方が話し掛ける。

 

「さ、すぐそこだからついておいで。折角だから運んでいくよ」

 

 俺を肩に担いだまま歩き出す神を追い、輝夜も慌てて歩き出したのであった。

 

 

 

 

 諏訪大社。今回の目的地たる社である。

 単なる参拝……というのもあるが、一番の理由は幻想郷についての情報収集である。遥か先、遠い未来まで残るこの神社の神ならば、何か知っているのではないか、と。

 

「そんなわけなのですが」

「知らんな」

「……そうで御座いますか」

 

 今俺たちがいるのは本殿前。

 俺の上に輝夜が腰掛け、建御名方神……もとい八坂神奈子は賽銭箱の上に座っている。

 

「まあ、まて。もうそろそろ私の友人が帰ってくる。そいつの方が地理には詳しいだろうさ」

「友人?」

「ああ、名前は洩矢」

「諏訪子ね」

 

 突然、何処からか声が聞こえ、本殿の方から何かが飛び出してくる。

 

「おぅ、お疲れー」

「あんたはもうちょい疲れなよ」

 

 幼い外見に蛙のような仕草。洩矢諏訪子というらしい神様が、輝夜に尋ねる。

 

「あなたは?」

「私は、蓬莱山輝夜。ここへ参拝にくる途中、助けてもらって」

「助ける? 妖怪にでも襲われたのかい」

「いや、連れが……」

 

 訝しげな顔をする諏訪子。周りを見回しながら、神奈子に聞く。

 

「連れだって?」

「あぁ、そいつそいつ」

 

 俺に目線を投げ掛けながら言うものの、俺の上には輝夜が乗っているので、輝夜を指したようにしか見えない。

 ますます考え込む諏訪子に、俺は声かけた。

 

「私で御座いまする、洩矢様」

「うぇ?」

 

 気の抜けた声を上げ、蛙のように俺のところまで一跳び。

 

「あんた、喋れるの?」

 

 輝夜が俺から降りたので、俺は自力で動き諏訪子に向き直る。

 

「おお、動いた……妖怪?」

「おそらく」

「えらく曖昧だねぇ」

 

 曖昧なのは、自分でもよく分からないから。とりあえず、神から見て俺は、同類とは感じないらしい。憑喪神やも知れぬと思っていたが、違うのかもしれない。

 

「気が付いたら、喋れるようになっておりました故」

「ふうん……あんた、鉄だね」

「鉄ですね。所々違いますけど」

「ふむふむ」

 

 興味深気に俺を眺める諏訪子。

 洩矢、蛙、鉄と言えば、嘗て諏訪を収めていた神洩矢神が思い浮かぶ。建御名方神とは戦を交えた筈だが、見たところ仲は良さそうだ。

 なんとなく、こんな神様達を信仰して来た先人達が誇らしく思える。敵対しあっても後腐れせず、こんな風に生きていけたなら……きっと、世は見せかけではない、本物の平和なんてものを手に入れることができるのではないか。人と妖の間の溝も、埋まるのではないか、なんて。夢物語もいい所……だが、それ故に、魅力的で。

 後で輝夜に話してみようか。

 実際、彼女の方がずっと長生きなので、俺が話す事なんてないのかもしれないが。

 

「一旦、ボロ布を取りましょうか?」

 

 輝夜が紐に手をかける。この場だけならば構うまい。俺は何も言わず、輝夜が紐を解くのを待つ。

 

「はぁ……赤いねぇ」

「派手よねぇ、いつ見ても」

「……」

 

 一人と一柱は俺の赤い部分に注目するも、残る一柱は別の部分を観察していた。

 

「あんた、絡繰だね。何が出来るんだい?」

 

 エンジンやホイールを見つめながら、八坂神奈子が言う。機械に興味があるらしく、俺の外見からどんな用途の道具なのかを探ろうとしている。

 

「車輪……しか見た感じ分からないね。物を運ぶための道具?でも、それならこんなに重くするのはかえって不便だし……いや、逆ね。これだけ重くても、女の子の腕であの坂を途中まで登れたんだから。つまり、動く為の力を車輪に送って、回せるのかな。人が押さなくても、勝手に進む車。馬みたいなものなのかね」

 

 驚いた。大当たりである。

 少なくとも、俺が走っている姿を、彼女は一度も見ていない筈だ。

 

「その通りです……すごい」

「神奈子は技術革命が好きだからねぇ」

 

 からからと、諏訪子が笑う。そういえば、此方は当時の最先端技術たる鉄を使う神であった。どうやら、諏訪の神々は技術系に強いらしい。なんとなく、未来にまでこの社が残る理由が分かる気がする。

 

「ま、私達にはまだまだ作れそうにないね。構造がさっぱりだし」

 

 神奈子が溜息を吐き、諏訪子はなにか輝夜と話している。

 日は、もうじき沈む。境内は赤く色付き、長く伸びた影が賛同を覆い始めている。

 

「もう、日が暮れるね」

 

 諏訪子が言い、輝夜が夕日を見つめる。

 

「今日は泊まって行きなさい。こんな時間に外に放り出したりしたら、信仰に関わるわ」

「またまた、素直に心配だからと言えばいいのに」

「なんとなく、こっちのが格好いいじゃない」

 

 そういいながら、二柱の神様は本殿に引き上げる。

 

「ついといで。使わない部屋もあるし、今晩くらいなら貸すよ」

「あなたは?」

「私は、外で。乗り物ですゆえ」

「ふぅん……ま、外で飲むのも悪かないね」

 

 どうやら、飲むのは前提らしい。手をひらひらと振りながらまた後で、と、先に中に入って行った二人を追うように神奈子が神社に入って行く。

 一人残った俺は、先よりも影の強くなった境内を眺めながら、神社から聞こえてくる楽しげな談笑を聞く。

 平和である。束の間の、がついてしまうのが悲しい所だが。

 しかし、それも輝夜の選んだ道である。ならば、道具である俺がどうこう言うつもりは無い。

 彼女が望む未来を掴むまで、使われ続けるだけである。

 

「おーい、こっち、こっち」

 

 輝夜の呼ぶ声が聞こえる。ミラーで確認すると、開いた戸から輝夜が手を振っていた。どうやら、あの部屋を借りたらしい。

 

「今行きますよ、姫」

 

 これからどうなるかなんて分からないし、輝夜が何を望むかなんて知る由も無い。

 唯、今は。

 

「ほら、酒持って来たよ!」

「あんたはあんま飲むなよ?酒癖悪いんだから」

 

 こういう貴重な時間を、大切にしていきたいとだけ思った。

 

 

 



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八 神と姫

 

 青い月の光に照らされた、平穏な夜。小さな宴会は終わり、みんな、思い思いの時間を過ごす、夜。

 聞き慣れたエンジン音が静かな境内に響き渡る。心臓の鼓動によく似ていて、それでいて生物のそれよりもずっと早い。

 走り去る鉄の塊を見送り、私は隣に座る神様を見る。

 

「……すまないね、連れを追っ払って」

「気にしないで。彼も、諏訪子と話したほうが楽しいだろうし」

「不思議な奴だね、アレは……物、って言ってたけど、あまりに人間臭い」

 

 お酒を煽り、彼の居なくなった境内を眺める神奈子。私よりもずっと背が高いから、隣に座ると私が見上げる形になる。あんまり見上げると首が痛くなるので、私も彼女に倣って境内の方に顔を向ける事にした。

 

「彼はね、贈り物なの。私を好いてくれた人からの」

「贈り物、ね……彼奴は物、だからねぇ。意思のある者を物扱い、っていうのはちょっと気が引けるけど」

 

 彼は自分を道具だと言うけど、私からしてみれば友達に近い。彼からしてみれば、主人と従者の関係なのだろうけど。少しだけ、寂しさを憶える。

 

「ま、そんなことより」

 

 神奈子が話を変える。

 

「あんたは、行者と名乗ったね」

「ええ。アレと二人で、旅をしてるわ」

「月の姫が、地上の旅ね」

 

 月の姫。私が輝夜と名乗った時点で、バレることはある程度覚悟していたけど……

 それでも、わざわざ二人きりの状況を作ってから、この話題に臨む理由が分からない。何か企みが有るのでは、と勘繰ってしまう。

 

「安心しな、何もしやしないよ。唯、さっき思い出したからさ。かぐや姫の話。それで、気になることがあってね」

 

 軽く笑いながら、杯を傾ける神奈子。私は拍子抜けして、深く溜息を吐いた。

 

「いやなに、かぐや姫は月に帰った、と聞いたけど、まだこの大地の上にいて、しかも行者の形で旅してるとなれば、誰でも興味を惹かれるだろう?」

「あんまり、面白い話じゃ無いと思うけどね。それでもいいなら、聞く?」

「よかろう。受けて立つ」

「その反応は、何か違う気がするけど……」

 

 酔った神さまを前に、私はあの逃亡劇の事を覚えている限り話していく。月のこと、私のこと、永琳のこと。そして、贈り物をしてくれた彼のこと。普段は誰にも話せない話だけど、彼は、この神様なら話してもいいと言っていたので安心して話す。なんで話してもいいのかは……彼が説明してくれてたけど、あんまりに長かったので聞き流していた。割りと面倒臭いのよね、アレ。

 ただ、人に話すのは、初めて。私のやったことは許されることじゃないし、時効なんてあるわけないのだろうけど、それでも誰かに告白したくもなる。

 神奈子は静かに私の話を聞いている。手に持ったお酒にも手を付けず、唯々目を瞑って微動だにしない。もしかして寝てるんじゃないかしら。

 

「起きてるよ」

 

 起きてるらしい。寧ろ、起きていたことより考えを読まれた事のほうに驚いた。

 

「心、読めるの?」

「多少はね。でも、今のは貴女の雰囲気から察しただけ」

「はあ。便利ねぇ」

「そうでもないよ。嫌なこともあるさ……誰々を呪いたい、とか」

「うわぁ……」

 

 便利と思えば、不便な面もある。

 なんとなく、不死の体に通じる気がする。

 

「ま、それはどうでもいいんだけどね……んぐ」

 

 神奈子がお酒を一気に流しこむ。あまり飲まない私と違い、神奈子はぐいぐい飲む。ウワバミ、という表現がぴったりだと思う。

 

「貴女は、この地上をどう思う?」

「どうって……そりゃ、魅力的よ。そうじゃなかったら残らない」

「もっともだね」

 

 でも、と神奈子が続ける。

 

「地上の歴史は戦いの歴史。血で血を洗う、そのままな歴史。殺戮を正当化して富を蓄え、その富を狙ってまた戦いが起こる。貴女が見たくも無い一面が、この地上にはある。月の御仁に、それが耐えられるかい?」

 

 神奈子が私を見つめる。背の高くない私は、神奈子を見上げる。見下ろされる。相手は神なので、見下ろされて当然ではあるのだけど。

 

「私も、もう地上の者よ。汚い一面なんて見たくもないけど、それは、誰でも同じでしょう?」

 

 ぽかん、と。神奈子の動きが止まる。あれ、何処か可笑しかった?

 

「貴女が、地上の者だって?」

「……認めては、貰えないのかしら」

「いや、そんな事はないけど……くく、けど!」

 

 段々、神奈子の言葉に笑い声が混じりだす。

 

「高貴な月の民が、穢い地上の民になりたいだって?」

「……なによ。悪い?」

「悪いこた無いよ、全くね。ただ、月にもまだ面白いのがいるんだな、って」

 

 笑いながら言うので、馬鹿にされてるように感じる。が、嫌味は感じない。とりあえず、拗ねた振りをしてお酒に口を付ける。

 

「ああ、ごめんごめん……あまりに貴女が、私の思っていた月の民とかけ離れていたもんでさ」

「いったい、どんなのを想像してたのよ……」

「傲慢で付け上がってて地上の生き物をごみ扱いしてて高飛車で慇懃無礼で全てを見下した……」

「あー……割りと当たってるかも」

 

 月の民は、大体そんな感じだった。あの雰囲気も、嫌いだった。

 

「それに比べて貴女は……なんて言うか、全てを対等に見てる。この、神たる私さえも」

「気に障った?」

「いや、全然……なんか、安心したよ。貴女なら、地上でもきっとやっていける」

 

 神奈子が私から視線を外し、月を見つめ始める。私は、やっと空になった自分の杯にお酒を少しだけ注ぐ。つもりだったのに、勢いが強過ぎてぎりぎりまで注いでしまった。零さないようにそっと口を付ける。

 

「……幻想郷、だっけ」

「ん」

「さっき諏訪子に言われて思い出したよ。今頃、諏訪子が貴女の連れに話してるんじゃないかね」

 

 その時、屋根の向こうで何かが光った気がした。気のせいかも知れないけど。

 

「場所、わかるの?」

「うんにゃ、知らん」

「……まだまだ着くのは先になりそうね」

 

 神奈子が笑い、お酒をぐいっと一気飲みする。私も、真似て一気に飲んでみた。

 

「んぐ、ん、けほっ、けほっ!」

「……なにしてんだい」

 

 呆れた口調で神奈子がいうけど、涙で視界がぼやけて表情までは分からない。それより喉が痛い。慣れない事はするものじゃないと、今更ながら理解する。

 

「さぁて、そろそろ諏訪子も戻ってくるだろうし、私は寝るよ」

「ん、おやすみなさい」

 

 のっそりと立ち上がって、廊下を歩き出す神奈子。私も立ち上がって、部屋の戸を開ける。

 

「輝夜」

 

 後ろを向いたまま、神奈子が私を呼び止める。私は、半分程部屋に踏み込んだ体を神奈子に向ける。

 神奈子が、私に向け何かを放り投げ、慌ててそれを掴んだ。

 

「困った時は、何時でも呼びな。信仰さえあれば、何処にいても助けにいけるんだから」

 

 神奈子が投げたのは、小さなお護り。

 

「……ありがと」

 

 手をひらひらさせて、神奈子はまた歩き出す。

 私も、もう寝よう。

 神奈子に貰ったお護りをしっかりと握り締めて、部屋に入る。

 最後に月を、この地上の目線から見上げて。そして、私は戸を閉めた。

 

 



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九 鉄と鉄

 

 

 

 深夜。鈍く輝く月が、冷えた鉄の体を照らす。

 此処にいるのは、俺のみ。神奈子が輝夜に話があるらしく、追い払われる形で諏訪子の元にやってきた次第である。

 

「ほら、持ってきたよ」

 

 幼く、それでいて落ち着いた声。酒を取りに行っていた諏訪湖の声である。

 

「かたじけないです」

「いいのいいの、私が飲みたいんだから」

 

 そう言って自分の杯に酒を注ぎ、俺のガソリン投入口にも酒を注ぐ。

 

「……あんた、神話とか詳しい方? 諏訪の大戦とか」

「いえ、全然。外来の神である建御名方神が諏訪に侵入したために起こった、洩矢神をはじめとする土着の神々との戦いなんて全く知りませぬ」

「……中々に面倒臭いやつだね、あんた」

「よく言われます。姫に」

 

 諏訪子が呆れた様子で酒を煽る。性分なので仕方ない。

 

「……まあ、昔あいつと戦ったのさ。結果は知ってるね」

「建御名方の勝利。洩矢神はその配下に、でしたか」

「そうそう。ま、配下とは少し違うけどね」

 

 そう言って、諏訪子が拳大の鉄の輪を取り出す。鈍い光沢を持った黒金が、月の光を受けて光った。

 

「最先端、のつもりだったんだけどねぇ」

「製鉄技術、ですか」

「そう。当時の最先端技術さ。呆気なく負けたけどね」

 

 自分の負けた時のことを笑い、鉄の輪を空に投げる。風を切る音と共に勢いよく空を舞い、甲高い音と共に地に落ちた。

 落ちた輪は、くるくると地面に円を描き、やがてその平べったい体を地面に伏せる。

 

「……鉄はさ」

 

 動かなくなった鉄の輪を見つめ、ぼぅっと諏訪子の話を聞く。

 

「錆びるんだよね。時間が経てばさ」

「……錆び、ですか」

「人が使わなければ。人が手入れをしなければ。人に忘れられたならば。鉄は、錆びる」

 

 当たり前のことである。当たり前だと言うのに、受けたショックは存外に大きい。

 そう、錆びるのだ。鉄は。俺は。

 人が使わなくなれば。人が触らなくなれば。人に忘れられたならば。

 そして、それは……

 

「神も同じ、と?」

「さぁてね。その辺は、神奈子のが詳しいんじゃないかな」

 

 月を見つめ、諏訪子が境内へと跳ねる。鉄が落ちた時の甲高い音とは違う、まだ温かさのある着地音が響く。

 

「……私も、錆びるんですかね」

「どうだろうね。妖怪となったあんたが、鉄として錆びることはないんじゃないかな。壊れるまでさ」

「壊れたかないですねぇ」

「でもま、寿命があるだけ幸せかもしれないね。不死にでもなれば、永遠に苦しみ続ける。罪も重なる。裁く者の所へ行けないしね」

 

 生きることは罪である、とは、何処で聞いた言葉だったか。寿命が伸びれば伸びる程罪が重くなり、死後の苦しみが増えるとするなら、と、そこまで考えて思考を止める。考えても仕方が無い。罪が重くなるからと言って死ぬつもりは無し、死ねもしないのだから。

 

「人間の寿命が、延び始めている」

 

 本の少しだけどね、と付け加えて鉄の輪を拾い、また投げる。先より高く。先より速く。

 

「今は、ほんの少しの寿命の延長。でも、遥か未来にはきっと、人間の寿命は百を超える。もしかしたら、もっと延びるかもしれない」

 

 落ちてきた鉄を掴んではまた投げ、その高度をどんどん高くしていく。もう、神社の屋根より高い。

 

「人が不死に近づくなら。あの娘と違って、普通の人間なら心が腐る。腐っても生き続ける。内側だけが錆びる」

「腐るまで生きたかないですね」

「そう。そう考えて、寿命を減らす努力をし始める。命を人為的に弄り始める。きっと、体が欠けてもそこに合う部品とか作る様になるんだろうね。杖とかじゃなくてさ、人間の体自体を作ったりして」

 

 当たっている。それだけに、何も言えない。指摘されて初めて、自分たちがどれだけ巫山戯たことをしているのかを痛感した。

 人は、己の身体さえも取り替えるようになるのだ。

 

「何もかも技術で解決できるようになって。物理の世界だけを見るようになって。心理の世界の神や妖怪は、忘れ去られて行く」

 

 高く高く上がった鉄の輪が、一瞬、幽かに光って、地に落ちる。今度は、転がることなく動きを止めた。

 

「その時には、私たちも錆びるんだろうねぇ。忘れられた鉄と同じ」

 

 諏訪子が杯を傾け、俺は何も言わずに落ちた鉄を見る。

 少しの間、沈黙が続き、また諏訪子が口を開く。

 

「あんたらが探してる幻想郷。名前だけなら知ってるよ」

「……本当ですか」

「嘘は言わないよ……本当に名前だけ、だけどね。妖怪が一人、ここに来て私に言って行ったよ。ま、さっきの話と似たような話ね。忘れられたその時、この世界と幻想郷を隔離して、そんな忘れられた者の暮らせる世界にする、とかなんとか」

 

 幻想郷。やっと、手がかりを掴んだ。そして、それが作られた意図も。

 

「場所は知らないけどね。自分でさがしな」

「十分です。やっと、手掛かりが得られました……本当にありがとうございます」

 

 からからと諏訪子が笑い、残った酒を一気に流し込んだ。小さな宴会も、これでお開きである。

 

「わたしゃ寝るよ……あ、そうだ」

 

 諏訪子が鉄の輪を拾い、何処から出したのか小さな組紐で俺のハンドルに結び付ける。

 

「御守りだよ。じゃ、寝るね」

 

 礼を言う前に、諏訪子が本殿へと走り去る。

 境内に残ったのは、俺一人。

 

「……幻想郷」

 

 もういちど、その言葉を呟く。

 思っていた楽園は、想像よりも寂しい理由で生まれたものらしい。

 しかし、楽園に変わりはない。たとえ過去に何かあろうと、未来が明るいのならばそれでいい。

 

 明日、輝夜に諏訪子から聞いた話をしよう。

 彼女が、なんと感じるかは分からない。しかし、何か、思うところはあるだろう。

 諏訪子に貰った鉄の輪を眺めながら、俺も、眠りに着くことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きなさいって。ちょっと。ねえ」

 

 朝日が眩しい。シートが痛い。聞こえるのは輝夜の声と、バシバシとシートが叩かれる音。どうやら、朝らしい。

 

「お早う御座います、姫様……」

「お早くない。遅いわよ。もう、日があんなに登ってるじゃない」

 

 朝には弱いのだ。もうちょっと優しく起こして欲しい。

 

「やっと起きたか、鉄の」

「……主に起こされるって、いいのかい?」

「いいんで……ないですかね」

「よくない!」

 

 当然、怒る輝夜。笑う二柱。

 だんだん、頭も回り出した。

 

「もう、出るんで?」

「そのつもりだけど。行ける?」

「姫こそ。酔いが残ってたりしませんね?」

「大丈夫よ。なら」

 

 輝夜が二柱に振り返り、頭を下げる。俺も、頭は下げれないが言葉だけは続けさせてもらう。

 

「色々と、ありがとうございました」

「本当、お世話になりました」

 

 二神と笑い合い、輝夜が俺に跨がる。

 

「元気でな!」

「もう転ぶなよ!」

 

 二柱の声を聞くと共に、輝夜がエンジンを駆け、ギアを落とす。クラッチを繋ぐ前、最後に二柱へ礼をした。

 

「行くわよ」

「どうぞ」

 

 クラッチが繋がる。動力が車輪へと伝わる。

 諏訪の二神に見送られ、鉄の体は走り出した。

 

 

 

 目指すは幻想郷。心なしかいつもより心地良い風を受けながら、俺たちは坂を駆け下りた。

 



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十 旅と鉄

 

 鉄の輪に、日の光が反射する。

 洩矢神から貰ったこの輪は数年の歳月が経てど未だ錆びる事もなく、俺のハンドルにぶら下がっている。

 

 数年、と言えば短いように感じるが、永琳と別れてから数えれば十数年。流石に、焦りも感じてくる。

 

「準備、出来たわよ」

「お疲れ様です。では」

 

 しかし、そんな焦燥感など今はもう、全く感じていない。

 

「行きましょうか。永琳の所へ」

 

 遂に、幻想郷の場所が分かったのだから。

 

 

 

 

 

 

 幻想郷についての情報が入ったのは数日前。情報収集を依頼していた憑喪神達からのタレコミである。

 なんでも、その場所は妖怪が跋扈し、人間ならば迷いこめば食われてしまうのだとか。最近は力ある人間が妖怪退治の為に住み着き始め、毎夜妖怪と人間が戦い続けている、らしい。

 これだけなら別段おかしな事は無い。何処にでもある、唯の妖怪の巣窟である。しかし。

 

「本当に、そこが幻想郷なんでしょうね」

「ええ。間違いない気がします」

「いつもながら曖昧ね」

 

 そこには、妖怪の賢者なる者がいるらしい。遥か先まで見通すほどの知能を持ち、妖怪と人間の共生を目指しているのだという。

 諏訪子から聞いた情報と合致したことから、その場所こそが俺たちが探す幻想郷であると確信したのだ。

 

「大丈夫ですよ。多分」

「もう」

 

 ヘッドライトをぺしんと叩かれ、荷物を括り付け終えた輝夜が俺に跨がる。

 こんな会話も、もう出来なくなる。それを思うと、喜ばしい最期の旅路も淋しく感じる。

 

「さ、行くわよ。道案内、よろしくね」

 

 エンジンがかかり、ギアが落とされた。輝夜の手の動きに合わせて、車体が前へと進み出す。

 

「お任せを。必ずや、幻想郷へと送り届けまする」

「大袈裟ねぇ。もう会えないみたいに」

 

 幻想郷へ向け、俺たちは走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日が傾き始めた頃。俺と輝夜は木と木の間に布を張り、野宿の準備をする。黄昏時には、妖怪たちが動き始める。それまでには、なるべく安全に夜を過ごせる場所を確保する必要がある。

 

「大分、走ったわね」

「もうすぐ、着く筈なんですけどね」

「急げば着いたんじゃないかしら」

「詳しい場所が分からないのですし、約束の地と言えど妖怪の巣窟。夜に行動するのは控えるべきです」

「あー、はいはい。分かりましたよ、っと」

 

 輝夜が薪を集め、地べたに積み重ねる。

 

「火」

「お任せを……よっ」

 

 妖気を薪に集め、小さな火を放つ。簡単な、本当に簡単な妖術。俺には、まだこの程度のことしか出来ない。火を起こすなど、初歩の初歩。鼬などは、集まっただけで火災を起こすというのに、全く持って情けない。

 獣を追い払えこそすれ、強力な妖怪は追い払えない。もし出くわしたらすぐにでも逃げ出せるように、俺は寝ずの番である。

 

「これで、大丈夫かしら」

 

 輝夜が一息吐き、俺に腰掛ける。いつもの事ながら、軽い。

 

「姫、食事は取っておいて下さいね」

「分かってる」

 

 魚の干物を取り出し、齧り出す。たいして美味しくもない携帯食。しかし、空腹を満たすのならこれでも十分……と、いうのは輝夜の言葉。本当、月の民のイメージと異なったお姫様である。

 

「……今日は、えらく無口ね。折角、永琳に会えるかも知れないのに」

「何と無く、ですよ」

 

 思えば、敬語も板に着いてきたように感じる。少なくとも、輝夜相手に敬語以外を使った記憶は無い。

 

「そう……ねえ、何か話して頂戴よ。退屈で仕方ないわ」

 

 疲れた様子の輝夜が、俺のシートに寝そべる。翁の家にいた頃のように。

 

「では……嫦娥の話でもしましょうか。姫も、知っているやもしれませんが」

「あ、名前だけ知ってる」

 

 沈みゆく日が、日本の原風景を紅く染める。静かな薮の中、聞こえるのは、俺の声のみ。

 

 俺は、輝夜の寝息が聞こえ始めるまで、不死となり月へ昇ったという嫦娥の話を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姫」

「ん……朝……?」

「非常事態です。囲まれました」

「なっ……」

 

 焚き火の光では分からないが、薮の向こう。数体の妖怪に囲まれているのが分かる。突然現れて包囲した所を見ると、組織性の高い妖怪と見える。

 

「どうして気付かなかったのよ」

「突然、同時に現れたもので。見張られていたようです」

「……どうするの?」

「逃げます。姫、体を結びつけて」

 

 輝夜が、体を俺に縛り付ける。

 

「出来た。ヘルメットも被ったわ」

「了解です」

 

 輝夜の言葉を聞き終え、周りにいる何かに話し掛ける。これで、受け答えしてくれればありがたいことこの上ないのだが。

 

「我々は旅の者。貴方方の縄張りに入り込んだのならば、無礼を詫びたく思います。どうか、姿を見せていただきたい」

 

 無言。返事が無いのは、許す意思がないから、と、少しばかり強引に捉えて、妖気を散らし焚き火を消す。

 そして。

 

「姫、行きますよ」

「任せたわ」

 

 エンジンを駆けると共に、ヘッドライトをハイビーム……上向きに点灯し、その眩しさに怯む人型の妖怪の姿を確認する。

 天狗。嘴を持った、典型的な鴉天狗。天狗と言えば、射命丸文を思い出す。今なら、彼女とも張る位の速度が出せるかもしれない。

 ギアを落とし、思いっきり走り出す。スタートダッシュには定評のある車種。妖怪となれど、元々備えた良し悪しまでは変わらない。

 

 土を蹴り風を切り。俺は、全速力で走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 開けた道に出て、ひたすら走る。此処は天狗の領域。何処から増援が来るか分からない。

 

「後ろ!」

 

 輝夜の声と共に、俺は右に避ける。先まで俺がいた所を通り過ぎる、黒い影。

 あれは……

 

「射命丸さん!」

「やっぱり貴方ね! お久しぶり!」

 

 懐かしい。俺が、始めて会った妖怪、射命丸文その人である。若干スピードを落としていたとはいえ、いとも容易く俺に追いつく馬鹿げた速度。

 しかし、これでなんとかなりそうだ。

 

「そちらはー?」

「此方は、今の私の持ち主で御座いますー!」

 

 走りながら飛びながら。移動しながらなので、お互い声を張り上げないと届かない。

 

「で、何処へー!」

「幻想郷なる地までー! 通行の許可を頂きたいー!」

「無理ー!」

 

 へ?

 

「今更無理よー! 私だって、捕獲しに来たんだからー! だから!」

 

 射命丸さんが、俺に笑顔を向ける。あの笑顔には、見覚えがある。

 

「姫、少しばかし飛ばします」

「……はあ、好きにしなさい」

 

 ああなったら止められない。勝てば良いのだ。勝てば。

 

「私を振り切りなさい! 私が追いつけないのなら、誰も追いつけないのだから!」

「後で叱られても知りませんよ! 私を逃がした事で!」

「勝ってから言いなさい! さあ」

 

 スピードを上げる。射命丸さんはまだまだ余裕があるらしいが、それはこちらも同じこと。まずは、射命丸さんの下に並ぶ。

 

「手加減してあげるから、本気でかかってきなさい!」

 

 その言葉を合図に、アクセルを強く回す。強く、強く、強く。ギアを最大まで上げ、回転数を上げ、文字通りの全力疾走。

 空を行く黒い影と、一寸も離れること無く走る。抜けも抜かれもせず。未だ、加速し続ける二体の妖。

 風の音が煩く、しかし、何故か心地良い。速く、速く、速く。

 もうじき、森を超える。

 

「あははっ! 速いじゃない! 貴方!」

「射命丸さんこそ! なんで! そんなに速いんですか!」

「周りがみんな遅いからよ!」

 

 なるほど、天狗らしい文句である。しかし、それでは周りの天狗たちも貶していることになる。そういう意味では、非常に天狗らしく無い。

 

「幻想郷は、この先!神社を探しなさい!」

 

 射命丸さんの速度が落ちる。否、あれが限界なのか。

 

「射命丸さん!」

「先導するのも天狗の役目! また会いましょう! 次は本気で競争したいわ!」

 

 射命丸さんを置き去りに、俺はスピードを上げ続ける。遥か後ろ、月の光の中、黒い影が空へ舞い上がったのを見届けてから、俺は速度を落とし始めた。

 

「……あー、死ぬかと思った」

「すみません……」

「いいわよ、仕方なかったのだし。それに、少しだけ楽しかったわ」

 

 輝夜が結びつけていた紐を解く。

 とりあえず、天狗の縄張りからは離れたらしい。

 

「神社、だそうですね」

「ええ……もしかして、あれかしら」

 

 小高い山の上に、鳥居の影が見える。神社、とはあれの事か。

 

「いくわよ。危ない、てのは今更無しね」

「御意」

 

 休憩もそこそこに、また走り出す。何となく、見覚えがある景色。デジャヴと言うのか。奇妙な既視感の中、俺はその小さな山を登り始める。

 緩やかな山道。神社までは、そう遠くない。十分程走った所で、鳥居の前に到着した。が。

 

「あれ? ここって……」

「どうしたの?」

「……いえ、なんでも有りませぬ」

「へんなの」

 

 少しだけ、笑いがこみ上げてくる。偶然か、否か。しかし、姫に言う必要は無いので、この事は俺の胸の内にしまって置く。

 それよりも、今は。

 

「……どうやって、永琳に会えばいいのかしら」

「……大丈夫です。お迎えにきて下さったようですよ」

「え?」

 

 神社から、月の民の気配がする。少し穢れてしまった、輝夜と似た気配が近づいて来る。

 

「お待ちしておりました。姫。いえーー」

 

 赤と青が互い違いに縫い込まれた服、銀の髪。その姿は、忘れる筈も無い。

 

「輝夜」

 

 八意永琳。輝夜が再開を待ち侘びた、その人。

 

「永琳!」

 

 輝夜が俺から降り、永琳に飛び付く。対する永琳も、笑顔で受け止める。

 

「お疲れ様、輝夜。やっと、会えたわね」

「ごめんね、遅れて。待ったでしょ?」

 

 輝夜の、満面の笑顔。遂に、俺の役目も終わり。少し寂しくもあるが、輝夜の笑顔を見るとやはりやり遂げたことへの達成感の方が大きい。

 

「貴方も、お疲れ様。此処まで、輝夜を送り届けてくれてありがとう」

「物は役に立ててこそ、ですから」

「あ、荷物降ろさないと」

 

 輝夜が俺に括り付けた荷物を下ろし、自ら背中に背負う。それを見て永琳は少し驚くも、その顔もすぐに笑顔に変わった。

 

「さて……貴方は、どうするのかしら?」

「え?」

 

 永琳の俺への質問に、輝夜がきょとんとする。

 

「一緒に、行くんじゃないの?」

 

 輝夜が俺を見る。俺は、答えねばならない。

 

「また、旅に出たいと思います。気儘な、一人旅に」

「どうして?」

「……我儘、ですかね。この広い島国を、見て回りたい。走り回りたい。ただ、それだけでございます」

 

 そう、我儘。俺の、勝手な私情。

 輝夜の元を去ると言うのは、つまり、輝夜の所有物である事を辞めるという事。勝手過ぎると言えば勝手すぎる物言いである。

 

「……おわかれ、って、こと?」

「……そう、なりますね」

 

 輝夜が俯く。酷く、悲しそうに。そして、寂しそうに。

 

「もう、会えないの?」

 

 少し震える声。冷たい夜の空気を弱々しく伝ったその言葉は、俺の鉄の体に染み入る。自分で言い出したことながら、辛くて仕方が無い。本当、芯の弱いものだと自嘲する。

 

「……私は、是非ともまた、会いたいです」

「なら」

 

 輝夜が、俺の上に腰掛け、そのままタンクを抱き締めた。彼女の体は温かく、柔らかで。冷たい鉄の体が、微かに、けれども確かに、彼女の熱に温められていく。

 

「いつか、また戻ってくること。会いに来ること。そして」

 

 俺は、黙って輝夜の言葉を聞く。タンクにポタリと雫が落ち、流れ、落ちる。前にも一度、こんなことがあった気がする。

 

「次からは、友人として出迎えるから。敬語なんて、使わないで」

「……御意、いや」

 

 御意は敬語に当たるのか。なんて、今更どうでもいい。唯、今使うべき返事は……

 

「……分かった。また、必ず寄らせてもらう」

 

 輝夜。と。

 ギクシャクとした言葉の最後に、今まで一度も呼んだことのないその名をつけ加える。

 次に会うのは、何十、何百年後か。

 

「……ええ。またね」

 

 顔を上げた輝夜は、笑顔だった。涙の跡は、もう拭き取ったらしい。彼女の笑顔をしっかりと記憶の奥に刻みつけ、ライトを少しだけ明るく照らす。作れない笑顔の代わりになれば、と。

 

「では……また」

 

 輝夜が降り、俺は、永琳にも別れを告げて後ろを向く。

 今来た道を。遥か昔に通った道を、前に見据える。

 

 ミラーの向こう、手を降る輝夜と、小さく頭を下げる永琳に、赤い尾灯を二、三度点滅させて、俺は、力一杯走り始めた。

 

 不死の姫との逃避行は終わるも、俺の迷走は終わらず。始まりとなったこの地から、また、再スタートを切るだけである。

 

 

 暗い夜を照らしながら俺は、来たばかりの山道を駆け下り始めた。

 

 

 



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十・九 願と鉄

 

 

 輝夜と別れて、数十年程経った今、俺は、藪の中から人里を眺めている。

 重そうな荷物を背負って二本足で歩く男。誰かに呼ばれ、振り返る女。駆ける少年。飛び跳ねる少女。人里で暮らす人々の様子を、暗い藪の中から伺い続ける。

 

「蛇の気分……スネーキング? いや、スニーキングだったっけ?」

 

 今更、調べることも叶わず。少しばかり、調べ物があれば即座に調べられた遥昔が懐かしい。今は只、出すことも出来ない息を潜め、覗き続けるだけである。

 

 端から見れば人を襲おうとしている妖怪か、藪に捨てられた不法投棄物のように見えるだろう。しかし、俺は人を取って喰おうとしているわけでも、誰かに投げ込まれたわけでもない。

 只、人というものが急に懐かしく思えて仕方が無くなったのだ。その、二本の足と、二本の腕。丸い頭と、脆い胴体。

 本当、不格好な生き物である。鹿のような美しさも無ければ、熊のような逞しさも無い。小賢しく強者から逃げ回り、その癖我が物顔で地上を支配した気でいる。そんな、人間。

 なのに。

 

「なんでかなぁ……好きなんだよなぁ、やっぱり」

 

 俺が、元々人間であることもあるのだろう。俺が、他でも無い人間を乗せるための乗り物であるという事もあるのだろう。だが、しかし、そういったことを除いてもなお、人間というものは何故か、俺の心を惹きつける。

 近付けば恐れられ、追われることは分かっているのに。

 

「……そろそろ、いくかね」

 

 気付かれぬままに、此処を去ろう。要らぬ恐怖も、人との争いも必要ない。

 慎重に、慎重に。俺は、藪の中をバックしていき……

 

「……あら?」

 

 何かに、ぶつかる。硬く冷たい、板のような何かに……

 

「そこまでだ、妖怪め」

 

 ミラーを見れば、刀を持った男が一人。退治屋というものだろうか。何とも物騒な世の中である。ここまで近付かれて気付かない俺も俺だが。

 とりあえず……

 

「太郎や、この顔を忘れたかえ。ほら、おばあちゃんだよ」

「私は太郎ではない。それに……私の祖母は、貴様のように不格好ではない!」

 

 俺の巫山戯た言葉と、血気盛んに斬りかかる男の刃。アクセルを駆け、俺は全力で藪から躍り出る。結局騒ぎを起こしてしまい、少しばかり気持ちが沈む。

 驚く人々の顔を追い越して俺は、里から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 人と出会えば、逃げ出され。里に出向けば、刀を向けられ。

 何とも、妖怪らしくなったものである。人間だった頃の感覚は薄れ、新たに心を埋めるのは、妖怪としての心情。

 

「まあ、仕方ないことなんだろうけどなぁ」

 

 崖の上から、人里を見下ろす。明かりの灯った家々。小さな明かりを片手に歩く人。窓から登る煙。

 そんな何でもない光景が何故か無性に懐かしく感じて、ついつい見入ってしまう。

 

「人の世界が、そんなに面白いのかしら?」

 

 不意に、声が聞こえた。一体……

 

「一体、誰なのか、と、思ったろう」

 

 ミラー越しに声の主を探すも、映るのは空と、木々の暗い緑のみ。相手の正体が分からぬまま、決して弱くない妖気が辺りに満ち、俺は早々に逃げ道を無くす。

 

「逃げ場を無くした、と、思ったろう」

「……逃げる必要など、無いでしょう」

「嘘。逃げようとしたわ……崖から駆け下りようと考えたわね? そっちは人里よ」

 

 心が読まれている? そんな芸当の出来る妖怪は……

 

 覚、か。

 

「種族はね。貴方は?」

 

 俺は、単車。鉄の乗り物。

 

「乗り物? 付喪神かしら」

 

 分からない。似たようなものなのかもしれないが、俺は妖怪となった経路が若干特殊なのである。

 

「本当に分からないのね。元、人間さん」

 

 姿を見せぬまま……声から判断するに、彼女は、そう言う。本当、面倒な妖怪に捕まったものである。

 覚。心を読むことで有名な妖怪である。飛騨の方で語られる妖怪だった筈だが……此処は飛騨に近いとは言え、大分距離がある。まさか、こんな所にまで現れるとは。余程暇なのだろか。

 

「暇じゃないわよ。ただ、彷徨いてるだけ」

 

 十分、暇そうである。何も、妖怪が他の地域へ出張することもあるまいに。

 

「大体、こんな所から人間を見物してる貴方の方が暇そうじゃない。高見の見物。道具の癖にいい御身分ね」

 

 愉快そうに、おかしそうに。覚の声が暗闇に転がる。笑っているのか、嗤っているのか。嘲りを含んだその声は、俺なんかよりもずっと妖怪らしい。

 

「当ててみせようか? 貴方が人の里を見ていた理由」

「理由などありはしませぬ。私はただ、暇を潰していただけ。それ以外に理由など、無い」

「また嘘。人間に未練が有るんでしょう? だから、ずっと人間を見ていた。二本の足が、二本の腕が、顔が、体が羨ましくて」

「……私は単車。二つの車輪で十分……」

「嘘」

 

 暗闇に、三つの目が浮かぶ。緑色の、人間のそれによく似た二つの目。そして、少し離れた所に浮かぶ大きな、一つ眼。一つ眼は、心を読むための眼なのか。暗闇に三つの目玉の浮かぶ様は、成るほど、如何にも妖怪らしい。

 

「嘘など。私は、既に人間を辞めた身。今更、人の腕も足も要りはしませぬ」

「言葉に用は無いわ。ほら、心を。私の眼を見て……貴方は、まだ、人間に未練がある……そうでしょ?」

 

 そんな筈がない。今更、そんな筈が……

 

「それは、上辺だけの思い。貴方の心の奥深く。貴方は、何を思う?貴方は……」

 

 俺は……

 

「……人と……」

 

 そう、人と……

 

 

「『共に生きたい』と、思ったろう」

 

 

 覚が言う。そうだ、俺は、人と共に生きたいと。そう、願っていたのだ。

 他の誰でもない、この俺ですら気付かなかった思い。この覚は、読み取っていたと言うのか。

 

「……しかし、私は……」

「妖怪じゃ、人とは暮らせないと、おもったろう」

 

 そう。俺は妖怪で、相手は人。妖怪は人を襲い、人は、妖怪を討ち払う。この関係は、崩れることはない。

 俺が妖怪である限り、人と共に生きることは出来ない。それは、この身体になってすぐに理解した筈だった。

 

「それは、頭で理解しただけ。貴方の本心は、ずっとその理解という地殻の下に眠っていたの。小石のように蔑ろにされて、ね」

「……でも、やっぱり、無理ですよ。妖怪と人は、共には暮らせない。妖怪と人との間に打ち込まれた楔は、そう簡単に引き抜くことは出来ない」

「引き抜けないなら、いっそ埋めてしまえばいいじゃない。地下深くにでも」

 

 覚が、俺の上に座る。これだけ近付いてもなお、俺に見えるのは緑色の目と、一つ離れた大きな眼だけ。何か、術でも使っているのかもしれない。

 

「……貴方は、人と共に生きれると御思いですか」

「さあ? 私は、人の心なんてもう、読みたくないし。読んでも、嫌な気持ちになるだけ。共感しても、一緒に傷付くだけ。それなら、私は一人の方がいいかなって」

 

 何処か諦めたようにそう言い、また、ケラケラと笑いだす。

 

「それに大体、貴方が人間と共に生きようがどうしようが関係ないもの。私は、暇潰しに話しかけただけなのだし」

 

 随分と勝手な言い分である。いきなり話し掛けてきた挙句、眠っていた願望を呼び起こすだけ呼び起こして、解決する前に放置。妖怪は総じて自分勝手なので、仕方がないのかもしれないが。

 

「そう、仕方ない仕方ない、と……あ、そういえば」

 

 覚の重みが俺から離れ、地面に降り立ったらしい足音が響く。背は、そう高くはないようだ。

 そんな、どうでもいい事を思う内に振り向いた緑色の瞳が、笑いながら俺に語りかける。

 

「覚はね、一部の人間とは共生してたの。山仕事をする人達とね。だから」

 

 案外、なんとかなるんじゃない? と。

 それだけ残して覚の妖気は、気配は、眼は、俺の前から消え去った。

 

 

「……本当、勝手な」

 

 最後の最後に、希望を生むような事を宣って逃げ去るなど。心に巣食う妖怪は、これだから性が悪い。

 だが。

 

 折角生まれた希望である。細やかな願い事の一つや二つくらい、思い描いても良いのだろう。

 妖怪から見ても、人から見ても。何処の誰から見ても、おかしな願い。しかし、それを捨てるにはまだ、早すぎるのではないか。

 

「……行くかね」

 

 降り注ぐ無数の星。まるで先の覚の視線のように俺を取り囲むその光を受けて俺は、森の中へと走り出した。

 

 小さな願い事を新たに、この身に宿して。

 




 十話目と十一話目の間。
 えらく中途半端なナンバリングとなりましたが、初出の回をば。


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十一 鼠と鉄

 京の外れ。物に溢れた小屋の中、ボロ布を纏った鉄の塊が一つ。

 俺である。

 輝夜と別れて、二百年程。随分と時の流れが早いものだと、心の中で一人ごちる。

 彼方此方を走り回った末に、この荒れ果てた小屋で暮らし始め……もう、十数年は経ったか。乗り物と言えど、雨風に吹きっ晒しというのはやはり、勘弁願いたいのである。

 

「暇、だなぁ……」

 

 今日は雨。こんな日にまで走りに出たくはない。窓も無く、床も、人一人が横になれる程度にしか残っていないボロ小屋の中。一人、ぼぅっと、特に面白くもない天井を眺める。

 暇である。

 が。その退屈な時間も、もうじき終わる。来客の気配だ。

 

「三、二、一……零!」

 

 カウントダウンに合わせ、扉に視線を向ける。一秒、二秒、三秒……何の変化も、無い。

 誰かがいる気配はあるのだが。

 

「……ああ」

 

 気配の正体に思い当たる。こう言う事は、今までにも何度かあった。

 

「いい加減学習しろ、小傘」

 

 前輪を使って引戸を開けると、其処には屋根に引っかかった茄子色の傘。ウィリーの要領で前輪を持ち上げ、傘を下から押し上げて、屋根から外してやる。

 

『はぁ~、助かった』

「だからなぁ、もうちょい屋根から離れて着地しろって」

『難しいのよ、風に邪魔されて』

 

 彼女の名前は、小傘。

 物の妖怪繋がりでよく遊びに来る、化け傘の娘である。

 妖怪に変化してからまだ数年と日が浅く、未だに妖怪じみた姿は取れていない。ごく平凡な普通の傘、である。

 唯、喋る事を除いて。

 

「で……今日はどうしたん」

 

 剥き出しの地面に置いた卓袱台。それを挟んで、小傘と向かい合う。単車と傘が会話する食卓。奇妙な絵面である。

 

『んー……特に急ぎ、て訳じゃ無いんだけど』

 

 小傘がふわりと浮かび上がる。そしてその足に引っかかった、ランプの様な物体。一体、何処で手に入れた物なのだか。

 

「なんだ。盗みでもしたのか」

『落ちてたのよ』

 

 小傘が机の上にそれを置き、また元いた場所に座り直す。傘がどうやって座るのかは甚だ疑問であるが。

 

『貴方、妖怪やって長いでしょ? これ、何か分からない?』

「長い、つっても四百年程度だしなぁ……」

 

 四百年生きれど、大した成長はせず。出せる火は未だに小さな灯火程度で。

 これでは不味いと努力を重ねるも、使えるようになったのは、たいして面白くもない術ばかり……例えば、マフラーから出す煙の色を変える、等。会得した当初は喜びのあまり酷く興奮した覚えがあるが、使いどころも無い上に、後々考えてみれば、心から下らないと思ってしまうような術で。本当、ままならない。

 

 閑話休題。

 改めて、机の上の物品を見る。

 淡く光るランプの様な見た目に、何処か妖怪を退けるような力を感じる。坊さんが使う力に似ているので、多分仏教系の道具なのだろう。が、詳しくは分からない。

 

「分からん。なんかお寺な雰囲気だ」

『何よそれ』

「お寺な雰囲気だ」

 

 呆れたように小傘が言い、また答えになっていない答えを返す。わからないものは仕方ない。

 

「とりあえず、家に保管して置くぞ」

『任せたわー』

「そこの棚に置いといてくれ」

 

 小傘がふわふわとまた浮かび、器用に先の物品を足に引っ掛けた。空を飛べる、というのは本当に羨ましい。

 

『……あれ、雨上がってる?』

 

 そういえば、雨音が聞こえない。戸を開けると、いつの間にか日が差していた。見上げれば、うっすらと虹もかかっている。開いた戸から流れ込むのは、雨上がりの土の匂い。もう、これ以上は降りやしまい。

 

『雨上がったなら、今の内に出ようかな』

「お前、傘だろうに」

『傘だって濡れたくはないわー』

 

 傘らしからぬ言葉を宣いつつ、小傘が戸口を潜る。今度は、屋根に引っかかることもない。

 

『じゃ、またねー』

「おーう、何処其処に引っかかんなよー」

 

 くるくると回りながら、小傘が遠ざかっていく。

 小傘の姿が背の高い木々の向こうへ消えるまで見送り、俺は、戸を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小傘が訪れてから数日後。

 風が容赦無く小屋を揺らし、雨が屋根壁に叩き付けられる。

 台風である。そこそこに強い。

 小傘をはじめとする我が家に入り浸る憑喪神達は、此処にやって来ない所を見ると皆、思い思いの場所に避難しているらしい。風に飛ばされ真っ二つにぽっきり、もといぽっくりなんて洒落にならない。

 それはさて置き、暇である。輝夜といた頃は、こういう日も退屈ではなかったのだが……

 

「ん?」

 

 何かの気配。獣臭い。が、獣とは違う力も感じる。この力、何処かで……

 段々足音も聞こえ始める。どうやら、この小屋に向かっているらしい。

 

「三、二、い……」

「あっ……!?」

 

 ばしゃん、と。

 

 俺の小声でのカウントダウンを遮るように、水飛沫の上がる音が扉越しに響き渡る。そしてその、数秒後。ゆっくりと開けられた扉の向こうから、頭から泥水を被った何者かが顔を覗かせる。

 

「……誰もいないな」

 

 少女である。頭には、丸い二つの耳。手に持った二本の棒と、尻尾に引っ掛けた籠が印象的である。

 そのどれもが、泥水に汚れていたが。

 

「はあ……とんだ災難だよ、全く」

 

 鼠の妖獣、らしい。あ、籠から鼠出て来た。

 

「……宝塔を探すついでに、雨宿りさせて貰おうかな。齧っちゃ駄目だよ」

 

 鼠達は頷き、籠から出た後も家を荒らさず、集まって丸くなっている。躾のなった鼠である。

 しかし、ホウトウとはなんの事か。

 

「この家から感じたんだがね、宝塔の気配を」

 

 宝刀なんて代物、こんなボロ小屋にはおいていない。砲塔なんぞ、言わずもがな。宝塔だって、あんな大きなもの……

 いや。もしかすると。

 棚の方をチラリと見る。小傘の持ち込んだ、あのランプもどき。大きさは小さいが、確かに宝塔の形である。感じた力も、彼女の纏うそれと同質のもの。あれが宝塔と見て間違いあるまい。

 

「……妖怪がいたのか? 妖気を感じる……」

 

 俺のことか。妖気はなるべく抑えているのだが、やはりここまで近付かれると分かるらしい。

 

「……くしゅっ」

 

 鼠少女が、くしゃみを一つ。濡れた体、顔に張り付いた髪。妖怪と言えど、どうやら寒さには強く無いらしい。

 

「……流石に、誰も来ないだろうね」

 

 俺の隣を抜け、申し訳程度の面積しかない床に上がる。そして、自身の着ている服の裾に手を掛け……

 

「……露出狂?」

「っ……!?」

 

 鼠少女が、今まさに脱がんとしていた服を戻して振り向く。その顔に浮かぶのは、驚愕と羞恥。そして、警戒。

 鋭い目つきで俺を睨み付け、一歩後ずさる。

 

「誰だ」

「……勝手に入ってきて、誰だはないでしょうに」

「む……だが、入った時は何も言わなかったじゃないか」

「そりゃ、まあ」

 

 本当は、何も言うつもりは無かったのだ。宝塔を見つけて、雨宿りしていくくらいならば、何も問題無い。しかし。

 

「まさか、人の家で服を脱ぎ出すとは思わなかったもので」

「っ……! そ、それは! 誰もいないと!」

 

 途端に顔を赤くする鼠少女。楽しい。

 

「いやまぁ、脱ぎたいなら別に構いませんけど」

「脱ぎたいわけがあるか!」

 

 ふいっと、そっぽを向かれる。ちょっと遊びすぎたか。

 

「……くしゅんっ」

 

 ……もう少し友好的に話しかけるべきだったか。話し難い。

 

「……着替えの服は一番右の棚。屏風や几帳は、同じ棚の一番下」

 

 ぴくりと、彼女の耳が動く。

 

「こんなところで風邪を引かれても困ります故。此処にある道具は、御自由に」

「……恩に切るよ」

 

 床の上に屏風が広げられ、その向こうから衣擦れの音が聞こえ始める。

 しかし機械の体。こんな状況でも、何も感じない。生殖能力なんてものを持ち合わせていないので、当然と言えば当然か。

 

「……着替えたら、何かに掛けておいて下さいませ。火くらいなら起こせます故」

「分かった」

 

 屏風が畳まれ、少しだけ大きめの着物を着た少女が現れる。手に持っていた二本の棒に着ていた服が掛けられ、彼女がその棒を棚と棚の間に器用に渡した所で、俺はその下に妖術の火を放った。

 

「……君は、妖怪なのか?」

「人間に見えますでしょうか」

「私には、見えないかな。人間のつもりなのかい? その姿で」

「いえいえ、そんな。妖怪ですよ。怖い、怖ぁい妖怪でさぁ」

「……君が親切な奴なのか、おかしな奴なのか分からなくなってきたよ」

「おかしくて親切なものでござい」

「……そうか」

 

 若干疲れた顔をして、鼠少女が横になる。実際、雨に打たれての疲れもあるのだろう。無論、精神面の疲れもあるのだろうが。

 

「貴女、御名前は」

「私は、ナズーリン。しがない物探しさ」

「ナズーリン……?」

「ああ、異国の名前だよ。漢字は当てられない」

 

 異国の妖怪、なのだろうか。しかし彼女の雰囲気は妖怪というより……

 

「ナズーリン殿」

「……殿?」

「ああ、ノリで付けているだけで御座いまする故、お気になさらず」

「大分失礼なことを言うね、君は」

 

 輝夜にもよくどつかれた。曰く、慇懃無礼にも程がある、と。

 しかし、今はそんなことどうでもいい。彼女には、聞いておきたいことがある。

 

「毘沙門天、という名に憶えは」

「ん……どうして」

 

 少しだけ驚いた顔をするナズーリン。当たりと見ていいようだ。

 

「宝塔と鼠から連想しまして。あとは、雰囲気がお寺っぽかったので、もしかしたら、と」

 

 毘沙門天は手に宝塔を持った姿で表されるし、鼠はその使いである。そして、ナズーリンから感じる気配は、余りに獣らしく無かったのだ。神の使い……白狐とか白蛇とかに似た雰囲気。ならば、と。

 

「……よく、これだけの手掛かりで分かったね……確かに、私は毘沙門天様の使いさ。ご主人様の失くした宝塔を探しにやって来て、ごらんの有様だ」

 

 ナズーリンが溜息混じりに、びしょ濡れになった服を見る。

 

「台風が来る前に見つけ出したかったのだがね……反応は、この辺りからしたのだが」

「ああ、それなら……先の棚の、一番上に」

 

 ナズーリンが棚を漁る。思いきり背伸びして、棚の上にあるそれを掴む。

 

「これだよ……君が拾ってくれてたのか。助かった」

「何、友人が持ってきたんでさ」

 

 小傘の手柄、である。俺は、預かっただけ。

 

 それにしても、傘、宝塔、鼠、と。小傘は偶然とは言え、いや、偶然だからこそ。

 毘沙門天に関係のある単語が三つ。本当に、偶然と言えるのか。これはもはや、毘沙門天の思し召しではないか。毘沙門天が俺を(いざな)っているのではないか。

 半ば妄想と思い込みであるが。

 

「時に、ナズーリン殿」

「なんだい?」

 

 宝塔を傍らに、俺の出した火に手をかざして暖をとっているナズーリンに話しかける。宝塔を見つけたこともあって機嫌が良い。

 

「私も、毘沙門天様に参拝させて頂きたいのです」

「……これまた、どうして」

 

 少しばかし訝しげな顔をするナズーリン。まあ、妖怪が参拝、なんていう時点でおかしな話ではあるのだが。

 

「私は、実を言えば乗り物の妖怪。日本中を走り回り、色々なものを見聞きして生きてまいりました。しかし、やはり妖怪の身。神仏に近づく機会は、中々無いので御座います」

「……ふむ」

「参拝をしようとしても、突き返されるなんてことも多々。それ故、この機会に、と」

 

 ナズーリンが考え込み、俺を見る。

 

「まあ、構わないんじゃないかな。家の寺は、大分特殊だし」

「ありがとう御座います」

「ああ」

 

 そこまで言って、ナズーリンが壁に寄り掛かる。非常に、眠たそうに。何処か、安心したように。

 

「すこし、眠らせてもらうよ……疲れた」

「どうぞ……おやすみなさいませ」

 

 おやすみ、と、小さく返事をしたのを最後にナズーリンが眠りに着く。

 風は、依然として強い。しかし、明日には台風も過ぎ去ることだろう。

 まだ見ぬ毘沙門天を思い浮かべながら、俺は、小さな妖火を夜通し焚き続けた。

 

 

 



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十二 虎と鉄

 

 走る。走る。

 目指すは信貴山。毘沙門天の元へ。

 

 台風が過ぎ去った後の、雲一つない青空の下。毘沙門天の遣い、ナズーリンを乗せて俺は、日本の原風景を走る。

 速度は六十前後。のんびりとした旅路である。因みに、ナズーリンはヘルメットを被っていない。あの特徴的な耳が入らなかったのだ。色々な意味で危ない。

 

「……いいな。楽だし、速いし」

「褒めても速度くらいしか出ませんよ」

「上手くないよ」

 

 中々に手強い鼠である。この鼠、会話をしてると結構な頻度で皮肉を混ぜてくるのだが、不思議と悪い気はしない。何か話術でも心得ているのか、単に彼女の性分か。多分、後者だと思う。

 

「もうすぐ着く。くれぐれも、ご主人様に失礼の無いように」

「品行方正な乗り物になりたいと思っているので大丈夫です。思ってるだけですが」

「……品行方正には程遠いね」

 

 溜息を吐き、また前を向くナズーリン。その視線の先には、一つの山。

 

「あの山だ……実は、少しばかり訳ありの寺なのだがね」

「と、申しますと」

「まぁ……着けばわかる」

 

 少しだけ難しそうな顔をして、後部座席に括り付けているヘルメットが落ちそうになっていないか確認する。ヘルメットの中には、彼女の遣う鼠達。物は使いようである。

 

「寺でなにかあっても、他言無用で頼むよ……毘沙門天の怒りは買いたくないだろう」

「まあ……まだ命が惜しいですしねぇ」

 

 山が近付く。

 訳あり、他言無用。かつて命蓮上人が修行していたと伝わる信貴山。今は誰が住職をしているのか分からないが、中々に面白い事になっているようである。

 山の上にあるという寺に、期待と

、本の少しの不安を憶えながら俺は走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 山門の前に停まっている、ボロ布を括り付けた鉄の塊。

 例にもよって俺である。

 ナズーリンは先に報告を入れるとの事で、俺を置いて中に入って行ってしまった。残された俺は暇で仕方が無い。

 空に浮かぶのは、遠い入道雲と白く輝くお天道様。蝉の声と、風が木の葉を揺らす音。

 夏の匂い。

 唯々ぼぅっと、暖かなと言うには些か高すぎる気温に項垂れている時であった。

 

「……何これ」

 

 声。ミラーで確認すると、一人の若い尼僧……尼僧?

 それにしては、雰囲気が……

 

「おまたせ……ああ、一輪。戻っていたのか」

「ただいま……ねぇ、何これ」

「さあ、私にはよく分からない。乗り物らしいが、どう動いてるのかはさっぱりでね。家のご主人に会いたがってるんで連れてきた」

「え、乗り物?乗り物なのに、会いたがってる……えぇ?」

 

 困惑する、一輪と呼ばれた尼僧。面白いので、まだこのままにしておく。

 

「……深く考えない方がいいよ。言葉通りの意味だから」

「んー、なんか釈然としないけど……まあ、いいわ」

 

 ナズーリンが、俺のハンドルに手を掛ける。そして、小声で。

 

「……やっぱり、君は意地が悪いね」

「なんの事でしょ」

「……はぁ……じゃあ、一輪。私はご主人の所へコレを持っていく。聖に、君が帰ったことを伝えておこうか?」

「いや、いい。もう少ししたら自分で行く」

「そうか。なら、また」

 

 一輪尼僧と別れ、ナズーリンと俺は山門を潜る。一輪の姿が見えなくなった所から、自力で車輪を回し始めた。

 

「……やっぱり、意地が悪い」

「何のことでしょ」

「そういう所さ」

 

 ナズーリンと並んで進む。周りには、数匹の鼠たち。俺の上に登ったり、駆け下りたり。くるくると俺の周りを周りながらついてくる。

 

「えらく気に入られたね。見た目、鼠に似ているからかな」

「……布を取ったら、綺麗な赤色です。目立たないよう隠してるだけで」

「おっと、褒め言葉のつもりだったんだがね」

 

 少し拗ねた素振りを見せた俺に、ナズーリンが苦笑する。そういえば、彼女も鼠か。人型をとる妖怪は、元が獣であることを忘れやすくていけない。

 

「さて、この堂だが……階段、登れるかい?」

「登れますけど、重さで壊しそうですね」

「そうか。くれぐれも登ろうとしないように」

 

 俺だって、武神の鎮まる堂を壊したいとは思わない。自殺同然の行いである。破滅願望なんて持ち合わせてはいない。

 

「私のヘルメット……鼠たちの入っていた、丸いのを持って行って下さいな」

「うん? なにか、意味があるのか」

「そちらを通じて会話できますので。あと、目の役割も」

「便利だな」

「自分じゃ動かせないんで、割りと不便ですよ」

 

 ナズーリンがヘルメットを抱える。

 

『あーあー、本日は晴天なーりー、本日は晴天なーりー』

「お、喋った」

『視界良好、聴覚問題無し、嗅覚多分良し。完璧』

「そうかい。なら、行こうか」

 

 ヘルメットに映る世界が、一段一段登るごとに高くなっていく。妖怪となってもやはり単車。階段を登ったり、建物の中に入る機会は殆ど無い。新鮮な感覚である。

 まるで、人間にでもなった気分……あれ?

 違う。俺は、元々人間。いつの間にか、その事を忘れてしまっていた。生まれた時からバイクであったかのように。

 

「ご主人」

 

 ナズーリンの声。

 毘沙門天の堂、その扉の前。今は、この事を考えるのはやめておく。忘れたところで、何かが変わるわけでもない。

 少なくとも、俺の場合は。

 

「……入るがよい」

「失礼します」

 

 厳かな声が聞こえ、ナズーリンが扉を開く。

 遂に、毘沙門天とご対面である。緊張から、唾を飲み込み手に汗を握る……気分である。

 

「よく、参られた。我が、この信貴山の毘沙門天、星である」

 

 宝塔と槍を手に、胡座をかいて此方を見下ろす一人の女性……女性?

 何故女なのかは分からないが、その辺は太子に会った時に割り切った。何の問題もない。

 しかし、だ。それ以上に気になる点が。

 

「この度は、妖怪である私に参拝の機会を与えてくださったこと、心より感謝致します」

 

 ナズーリンが俺を床に置く。毘沙門天の位置が、いっそう高くなったように感じられた。

 

「……毘沙門天様」

「何だ」

 

 言って良いのか。怖い。が、伝えないというのは、それはそれで失礼に当たるのではないか。

 

「あの……大変失礼かと存じ上げますが……その……」

 

 何か、良い言い回しは無いのか。何と言ったものか。

 

「我が毘沙門天だからといって、恐れることはない。言いたいことがあるのならば、遠慮などせずに申すがよい」

「……では」

 

 腹を括る。ヘルメットなんで、腹なんて無いけど。

 

 

「毘沙門天様、口に、ご飯粒が」

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 毘沙門天が槍をもったまま、手を口元へ。

 

「こっち?」

「いえ、反対側です」

「あ、見つけた」

 

 手で口元を隠し、数秒。

 毘沙門天の手が口から離れると、口の端についていたご飯粒は綺麗に無くなっていた。どうやら、舌で掬い取ったらしい。

 

「ありがとうございました、全然気が付かなかった……」

「ご主人」

「え、あ!や、今のはあれ、つい、うっかり」

 

 先までの威厳は何処へやら。

 鼠に説教を受ける毘沙門天。緊張が解れ、急に話しやすくなった。

 

「まあ、まあ……ナズーリン殿」

「……何だ」

 

 ナズーリンが、大変不機嫌な様子で俺を睨みつける。無理もない。毘沙門天は、助けを求めるように俺を見つめる。無理である。

 

「……なんでもないっす」

 

 また、ナズーリンが説教に戻る。俺だって、小言なんぞ言われたくはないのだ。許せ、毘沙門天。

 

 半刻程の間、堂に鼠の声が響き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……見苦しい所を見せた」

「大丈夫です、寝てましたから」

「途中何度か笑ってただろうに」

「気のせいです」

 

 少し疲れた顔をして、ナズーリンが言う。星は、説教が終わりほっとした顔をしていた。

 

「……星様は、本物の毘沙門天では御座いませんね?」

「……彼処までの痴態を曝しておいてなんだけど、どうしてそう思う?」

「まあ……失礼ですけど、獣の匂いが。貴女以上に」

 

 そう。あまりにも、星は獣くさい。従者たるナズーリンよりも獣らしいのだから、疑問に思うのは当然である。

 ナズーリンは、罰の悪そうな顔をする。

 

「……ああ、察しの通り、ご主人は虎だよ……獣くさい、と言われたのは始めてだがね」

「……そんなに臭いますかねぇ」

 

 どこか惚けたことを言う星。ナズーリンは、聞き流すことに徹している。

 

「星は、毘沙門天代理。聖が推薦してね。元は、虎の妖獣さ。私は、毘沙門天から遣わされて星の下に就いている」

 

 毘沙門天って、代理出来るものなのか。

 

「普段は、優秀なんだけどね……まだ、この地位に就いて日が浅くて。偶に、あんな風にね」

「……申し訳無いです」

 

 ナズーリンの言っていた訳あり、とはこう言うことだったのか。一人納得し、俯いたままの星に問い掛ける。

 

「所で、毘沙門天様」

「なんでしょう」

「私は、参拝に来たのですが……何分、手も足も無い身。合掌することも、頭を下げることできません。それでも、礼拝させて頂けるのでしょうか」

 

 俯いていた星……毘沙門天が顔を上げる。

 

「礼拝って、私にですか?」

「他に、何方が」

「あれだけ情けない所を見ても、ですか?」

「確かに、情けなくはありましたが」

「うっ……」

「それでも、貴女は毘沙門天。世に名高い毘沙門天……もっと、自信を持って下さいな。私みたいな妖怪なんぞに目を向けて下さる毘沙門天なんて、何処を探してもいらっしゃらないですよ」

 

 落ち込んだ顔をしていた毘沙門天だったが、俺の言葉を聞いて、少し表情が変わる。

 

「……いいのでしょうか。私みたいなのが、毘沙門天の代理なんて務めても」

「私は、嬉しいですよ。貴女が、毘沙門天の代理を務めて下さっていること。とてもありがたいです」

「そう……ですか」

 

 虎柄の毘沙門天がはにかむ。武神にしては、朗らか過ぎる笑顔。しかし、こういう毘沙門天がいたっていいんじゃないだろうか。

 

「それで、文字通り無作法で恐縮ですが……」

 

 もう一度、問い掛ける。

 毘沙門天は、今度ははっきりとした声で。少し、微笑みながら。

 

「私で、よければ」

 

 

 

 

 

 

 ナズーリンが、ヘルメットを俺の後部座席に戻す。地に足、もといタイヤの着いた感覚があると安心する。やっぱり、誰かに抱え上げられるのは慣れない。酔う。

 

「……ありがとう」

「何がです」

「ご主人のことだよ。」

 

 俺の横、階段に座る。

 

「……毘沙門天の代理となってからも、悩んでいるようだった。自信がない、とね。私は、毘沙門天としてきちんと仕事が出来るようになれば、自ずと自信が付くかと思っていたけど……」

 

 ナズーリンが苦笑する。

 

「どうやら、逆だったみたいだ。私が叱る度に、自信を奪っていたのかもしれないね」

 

 暫し落ち込み、それでも、自身を奮い立たせるように力強く立ち上がる。

 

「失敗は繰り返さないよ。今回は、気付かせてくれて本当にありがとう」

「……そんなに礼を言われると、照れますよ。いや、もっと言ってくれても構いませんけど」

「……やっぱり、品行方正には程遠いね」

 

 苦笑混じりにナズーリンが言う。

 

「聖にも会って行くといい。君なら、きっと歓迎してくれるだろう……ちょっと待っててくれ」

 

 ナズーリンが小走りで本堂に向かう。多分、聖に俺が会いに行く旨を伝えに行ったのだろう。

 

 その間、先の毘沙門天……星のことを思い出す。

 虎柄の毘沙門天。獣からの変化。

 今はまだ頼りない彼女も、いつかは一人前の毘沙門天として多くの信仰を集める日が来るのだろう。

 その時、彼女は変わらずに虎柄の衣を纏っているだろうか。自信が一頭の虎であったことを、覚えているだろうか。

 

「……俺が言えたことじゃないわな」

 

 毘沙門天に会う直前まで、自身が人間であったことを忘れていたおれである。だが、しかし、彼女もまた。俺が人間だったことを忘れかけていたように、虎だったことを忘れるのだろうか。

 虎だったことを。妖獣だったことを忘れた時、その時彼女は、先のように妖怪の参拝を受け入れてくれるのだろうか。毘沙門天が妖怪と接しているなど、人に知られれば唯では済まない。それを願うには、彼女に掛かるリスクが大きすぎる。

 ……考えても仕方が無い。大体、本人の勝手である。彼女の生きたいように生きれば良いのだ。

 

 唯、遠い未来で彼女がまだ、妖怪の参拝を受け入れてくれているのならば。

 俺は、また参拝に来たいな、と。此方へ向かってくる毘沙門天の遣いを見ながら一人ごちた。

 

 

 

 

 



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十三 寺と鉄

 

 聖の居るという本堂前に、一匹の鼠と一台の単車。片方は、鼠でありながら人の姿をとり、もう片方は物の癖に自分で勝手に動き回るおかしな単車。見て分かる妖怪二人組である。

 いいのだろうか。聖が妖怪と面会なんて、周りに知られれば唯で済む筈がない。

 

「いいのですか? 本当に」

「ああ、構わない。訳ありの寺だと言っただろう」

 

 訳ありというのは、てっきり毘沙門天の事だけかと思っていたが、どうやらまだ何か有るらしい。

 

「聖。彼を連れて着た。開けても構わないかい?」

「ええ、どうぞ」

 

 ナズーリンが扉を開ける。俺の本体は、またもや階段の下。今度もまたヘルメットを通しての面会である。

 

「はじめまして。この寺にて責任者を務めております、白蓮と申します」

『はじめまして……しがない乗り物妖怪でございます。階段を登れないもので、一部だけでの参拝となってしまったこと、お許し下さい』

「構いませんよ」

 

 ナズーリンが俺を座布団の上に置き、一つ礼をして部屋を出て行く。俺と聖、一対一。

 

「改めて、ようこそいらっしゃいました。ナズーリンから話は聞いています。大変、お世話になったようで」

『いえ、そんな。私自身は、何も』

「台風の中、一晩泊めて頂いたのでしょう?」

 

 まあ、泊めるに至るまでに一騒動あったわけだが。

 

「そして、妖怪でありながら、仏を敬っている。誠に、立派な心掛けです」

 

 やはり、妖怪が参拝に来るというのは珍しいのだろうか。しかし、星は元妖怪で、聖に推薦されたと言っていた。聖も今、俺を前にして特に警戒するでもなく普通に会話している。

 寺と妖怪。一体何が、その間を繋いでいるのか……まあ、間違いなくこの聖が、なのであろうが。

 

『ところで……不躾ですが、聖様』

「なんでしょう。あと、聖で結構ですよ」

『では、聖……貴女は、妖怪なのでございましょうか』

「……妖怪に、見えますか」

 

 少しだけ驚いた様子で。しかし、怒りも落胆もせずに、変わらぬ口調で俺に尋ねる。

 

『見えるってか……妖気を溜め込んでいるようでしたので、もしやと』

「……やっぱり、見る人が見れば分かるものなのですね」

 

 あっさりと肯定する聖。となると、この寺にいるのは全員……

 

『先に、一輪という尼僧に会いましたが、彼女も?』

「彼女は、人から妖怪となったもの。私もまた、元人間……今は、妖怪と変わらないみたいですけどね」

『これまた、どうして妖怪に?』

 

 今度は、少し言い難そうな顔をする。訳あり、らしい。

 言えないならば言わなくても、と付け加えた所で、白蓮が口を開いた。

 

「命蓮の名を、知っていますか」

『有名ですし、噂程度には』

「彼は、私の弟なんです」

『弟?』

 

 命蓮に姉がいたとは。本当に、噂程度にしか知らなかったので、倉を飛ばした云々、帝の病を治した然々。それ以上は、聞いたことがなかった。

 

「弟は、本当に優秀で……私が送った僧衣も、ボロボロになるまで着続けてくれて……」

 

 暖かな笑顔。命蓮がどの様な人物だったのかが窺える。

 が。その笑顔も、唐突に暗くなる。今は亡き人の事を語るのならば、当たり前の事かもしれないが。

 

「そんな命蓮も、若くして亡くなり。私は、死というものを恐れました。本当に、どうしようもなく恐れた……あの弟さえも、抗えなかった、死を。そして、私は」

 

 白蓮の言葉が止まる。俺は、続く言葉を待つ。

 

「外法に手を出した。今は、妖怪から妖気を分けて貰って生きている身です……幻滅しましたか?」

『いえ、そんな……誰でも、死ぬのは怖いもんですし。貴女は、それに抗って超えただけで』

「そういうと、少しは聞こえが良いですね……でも、実際は、寺に妖怪を住まわせて妖気を吸って生き永らえるだけ。自分の命を保つためだけに、妖怪と共に生きていました」

『と、なると、今は?』

「今は……妖怪の立場の向上を。妖怪と人の共存を目指して、共に生きています」

『妖怪と人との共存……ですか』

 

 何処かで、聞いた気がする。

 

「……無理だと、思われますか」

 

 実際、難しいだろう。何百年、何千年かかるか分からない。

 

『難しいでしょうねぇ。不可能に近い……唯、どうしてそのような考えを?』

「……貴方も、妖怪だからという理由で追われたりもするでしょう?」

『まあ、それなりに』

「人に害を成さない者や、穏やかに暮らしたいという者もいる。それに」

 

 俺だって、妖怪であるばかりに退治されそうになったり、寺や神社からは閉め出されたり。人間を乗せる事も出来やしない。しかし、だ。

 それをどうにかすることもまた、出来やしないのであろう。

 

「気付いたのです。妖怪も、仏も、神も。扱いこそ違えど、本質は同じであることに。人の、勝手な思い込みが、その姿を変えていることに。そうして、迫害される妖怪達が不憫でならない。そう、感じて」

 

 白蓮の目は、しっかりと俺を見据える。決意か、覚悟か。何れにせよ、俺が何か言ったところで揺らぐことはなさそうである。言うつもりも無いのだが。

 

「私は、作りたい。人も妖怪も神も仏も、同じ。全てを受け入れる、そんな世界を」

 

 全てを受け入れる世界。

 その言葉も、何処かで……

 

『ああ』

 

 思い出した。

 四百年前、太子の言葉だ。

 先の、人間と妖怪の共存、は、永琳から幻想郷について説明された時。ざっと、二百年前。

 ゆっくりと、しかし、確実に、人と妖怪の共存の道は出来ていっているらしい。力有る者が、永きを生きる者が、もう三人もその道を目指しているのだ。形は違えど、いつかは……

 

 

 

 復活した太子が人の世を治め、永琳や諏訪子から聞いた妖怪の賢者。その賢者が妖怪達を纏め上げ、そして白蓮が妖怪と人とを繋げる。

 見事な大団円。無論、彼女達はまだ互いにその存在を知らないのであろうが、それぞれが思いを曲げず、望む世界を作ろうとするならば、何処かで接点を持つはずである。成功したならば、の話だが。

 

「……どうでしょう。少しでも共感して頂ければいいのですが」

『私は、好きですよ。そういう話。とても、難しいでしょうけど』

 

 夢の見過ぎ、なんて言葉が脳裏を過るも、自分の行く末を案じたその言葉も、今日ばかりは華麗にスルーしておく。野暮、というものである。

 

『私にできる事があれば、なんでも言って下さいな。足になるくらいの事しか出来ませんが、微力を尽くしましょう』

「……! ありがとうございます!」

 

 永い永い妖怪の一生。どうせなら、何かを成してから死にたい、と、思ったしまうのは元人間だからなのか。兎角、俺は聖の計画に賛同したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聖と話したのは、大して長い時間でもなく。ナズーリンに頼んで堂の外へ出してもらった今も、太陽は変わらず空高くに輝いていた。一日が長い。

 

「どうだった?」

 

 ナズーリンが、ヘルメットを背もたれに嵌め込みながら言う。

 

「ええ。非常に共感したので、手伝わせて頂くことに」

「ほう……案外良いやつだな、君も」

「いえいえ、そんな……もっと褒めて貰っても構いませんよ」

「前言撤回。やっぱり一言多いな」

 

 ナズーリンの苦言を聞き流し、さっきよりも低くなった目線から、青い青い空を見上げる。そう、俺の心はこの青い空のように澄み切ったものに違いない。なんて、言えるほどに徳を重ねて来た訳では無いのだが。

 青い、青い空。見渡せば、遠くの方で鳥や雲、船なんかが……

 

「……幻覚が見えまする。熱中症やもしれませんな」

「幻覚?」

 

 怪訝な顔をして、辺りを見回すナズーリン。と、彼女の視線が、俺の眺めていた方向で止まる。

 

「ああ。あれの事か」

 

 彼女にも見えるのならば、幻覚ではないらしい。ならば、やはり船か。

 空飛ぶ船。といっても飛行船なんて洒落たものではなく、空に浮かぶその船は、海に浮かべるべき船そのものである。

 

「おお……降りてきた……」

 

 碇が降ろされ、船がその碇についた縄を手繰り寄せるように地上に近付く。船、船である。空飛ぶ船。まるで宇宙戦艦。目指せ、銀河の彼方。

 

「かっこいい……惚れる」

「は?」

 

 ナズーリンが、俺に何とも言えない表情を向ける。

 

「やっぱり、乗り物は、乗り物に対してそういう感情を抱くのかい?」

「……聞かなかったことにして下さい。悲しくなってきた」

「……分かった。すまない」

 

 俺は健全。健全だ。元人間として、乗り物に恋愛感情なんて抱くわけにはいかないのだ。でも格好良いな。

 そんなことを考えてる内に、船の上から一人の少女が降りて来る。

 

「ただいま、ナズーリン」

「おかえり」

 

 手に柄杓をもった、少女。元気良く飛び出して来た彼女だが、その気質に生の温もりは感じず。感じるのは、青白く冷たい霊気……船幽霊であろうか。

 

「ん……だれか、妖怪来た? 妖気を感じるけど」

「ん、ああ。目の前にいるよ」

「いや、あなたじゃなくて」

 

 彼女から見れば、俺は妖怪にはカウントされないらしい。当たり前である。物だもの。

 

「私以外にも、もう一人いるよ」

「えー……姿が見えない系?」

「ちゃんと見える系」

 

 きょろきょろと、辺りを見回すも、やはり俺のこととは気付かない。

 

「……んー、どこ? てか、何これ。椅子?」

「まぁ、座るものであることには変わりはないが」

 

 ナズーリンは、俺に意思があることを明かさず。俺は、ひたすら唯の物のように動かず。

 彼女が、俺に腰掛ける。

 

「あ、以外と座り易い」

「ところで、さっき言ってた妖怪だが……そいつなら」

「私ですよ」

「うぇえ!?」

 

 俺が突然喋り出し、素っ頓狂な声をあげて俺から飛び退く。隣ではナズーリンが笑っている。彼女も、おれと同じくらい意地が悪い。

 

「な、え? 喋った?」

「どうも、乗り物から変化した妖怪に御座いまする。何卒、宜しくお願い致します」

「ちょ、ナズーリン!」

「私は、何も言ってないよ」

 

 未だに少し笑いながらそんな事を宣うナズーリン。無論、確信犯である。

 

「あ、あなたも言ってよ! 乗る前に!」

「言う前に乗られたもので」

 

 よくも抜け抜けとこんな言葉を吐き出せるものだと、我ながら感心する。

 

「あー、もう! 全く!」

「まあまあ……聖の考えに賛同してくれた者だ。そんなに怒るんじゃない」

「怒るようなことするからでしょ!」

 

 顔を少し赤らめた彼女を、ナズーリンがなだめる。俺は、彼女が落ち着くまでは素知らぬ顔をしてやり過ごす。顔なんて無いけど。

 

「はぁ……私は、村沙水蜜。この船、聖輦船の船長よ」

「聖輦船……」

「乗ってみたい? って、あなたも乗り物って言ったっけ」

「ええ。乗ります?」

「えぇ……」

 

 やはり、さっき乗ったときに驚かしたからか、乗るのを躊躇する村沙。

 

「安心したまえ、私だって乗ったんだ」

「ん……それなら……」

 

 村沙が恐る恐る俺に腰掛ける。

 

「馬みたいな感じで跨って下さい。前の棒は、舵に当たります」

「了解」

 

 村沙が俺に跨り、ハンドルに手をかける。

 

「そうそう。体を支えるのは足の力で……挟み込むように。あ、後ろにある丸いのも被って」

「丸いの? これ?」

「安全のための防具です。頭を守る」

「了解」

 

 やはり、船の船長をやっているからか。死ぬことのない幽霊であるにも関わらず、躊躇せずにヘルメットを被る。安全第一なのは、どの乗り物でも変わらないものらしい。

 

「うん。大丈夫。あ、運転なんて出来ないけど」

「私が動きますんで、まずは乗っていて下さいな。気に入りましたら、運転の仕方も教えます」

「了解」

 

 ミラー確認。ギアがニュートラルに入っているかの確認。エンジンのスタート。彼女にも、教える事になるのだろうか。

 

「行きますよ。振り落とされないように、しっかり」

「足に力を込めるのね」

「そう。では」

 

 ギアをローに落とし、少しずつアクセルを回しながらクラッチをゆっくりと繋げていく。

 はじめは、ゆっくり。振り落とさないように。

 段々と、速度を上げて。広めの庭をいっぱいに使って、八の字を描いたり、直進してみたり。

 

 半刻ほど、彼女を乗せて走っていた。

 元いた位置に戻ってみると、白蓮や一輪の姿が。エンジン音を聞いて見に来たのだろう。

 

「あらあら……おかえりなさい、水蜜」

「あ、ただいま戻りました、聖」

「もしかして、音、煩かったですかね……?」

「まあ、少しだけ。でも、便利そうね。速くて、小さくて……」

 

 聖は、何かを考えるように押し黙る。

 

「……そうね。貴方には、布教活動でも頼みましょうか」

「布教?」

 

 壺を持って自宅まで押しかければいいのだろうか。押し売りは良くないと思う。

 

「私に賛同してくれる妖怪を探して、連れてきてもらうだけでいいのです。そうね、水蜜」

「はい!」

「貴女も一緒に行ってもらっていいかしら。説明もいるでしょうし、船を動かさない時に出来る仕事が欲しいと言っていたでしょう?」

 

 村沙がちらりと俺を見る。了解を求めているのか。俺の了解なんて要らないというのに。

 

「ご自由にどうぞ」

 

 短く、答える。俺は物。使われるために在るのだ。使わせるために在るのではない。

 

「……はい。行きます!」

「ありがとう、水蜜。では」

 

 白蓮が俺の方を向く。

 

「貴方も、この寺で暮らして貰って構わないかしら」

「……此処に置いて頂けるので?」

「貴方さえ、良ければ」

 

 寺暮らし。それも、いいかもしれない。どうせ、彼女の夢を実現するまでは、共に活動していくつもりなのだし。

 

「勿論、喜んで」

 

 

 

 

 

 

 

 その夜。

 喋れることを隠していたことで一輪に叱られたりその後ろに現れた雲山の迫力にびびったり。とりあえず寺にいる妖怪達と顔合わせをした後、俺は、毘沙門天の居る堂……昼間、星と話した堂の裏手に停まっていた。俺は大丈夫だと言ったのだが、小さな小屋を作るのだと白蓮は言って聞かず。明日にでも作り始める予定のようだ。

 実を言えば、ありがたい。小屋が出来たなら、元居た小屋にあった物も一緒に運んで貰おうか。村沙に頼めば直ぐに終わりそうだし。

 

「いる?」

 

 村沙の声が聞こえるが早いか、堂の影からひょっこりと声の主が顔を出した。

 

「ちょうど留守ですね」

「目の前で言わないでよ」

 

 村沙が俺の隣に立つ。

 

「乗ってみていい?」

「許可なんていりませんよ」

「了解」

 

 村沙が俺に跨る。ハンドルやブレーキに手を足をかけ、色々と動かしてみる。

 

「ここを回すと速くなって、ここで止まる、と……ねぇ、これはなんの意味があるの?」

 

 クラッチを握ったり開いたりしながら、俺に聞く。

 

「それは、動力を車輪に伝えるかどうかを決めるための物です」

「んんん?」

「船の櫂を思い浮かべて下さい。櫂をどれだけこいでも、その櫂が水面に着いていなければ船は進みませんね?」

「うん」

「その棒を握り締めた時は、櫂が水面に着いていない状態。それを開いていくと、徐々に水面に櫂が入っていく……そんな感じです」

「ああ、なるほど」

「ちなみに、その部分の名前はクラッチと言います。右の回す場所はアクセル。それを回しただけ、櫂を漕ぐ速度が速くなると思って下さい」

「ふむふむ……」

 

 なるべく分かりやすく、運転の方法を教えていく。嘗て、輝夜に教えた時のように。

 

「右の棒は、車輪を止めるための物。ブレーキ、といいます。右足の踏む部分も、ですね」

「何か違うの?」

「止める強さと、前輪後輪の違いですね。前のブレーキの方が強い。そして、後ろのブレーキは後輪に対して働いて、それほど強くもありません」

「ふーん……難しいなぁ……」

 

 確かに難しい、が。

 この時代には、他に車なんて走っていないのだ。道路は悪いが、それでも、他に車がいないと言うのは楽なものである。

 つまり。

 

「一度乗れるようになれば、後は楽ですよ。練習すれば、すぐに乗れるようになります。で、左足ですけど」

「まだあるの?」

 

 こうして、村沙が俺に乗るようになり、人と妖の共存を望む聖の元、俺の寺暮らし生活が始まったのであった。

 

 

「ねぇ、碇積んでいい?」

「駄目です」

 

 



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十四 終と鉄

 

 

 

 

 寺に住み着いて数年。

 今も俺は、聖の元、彼女の考えを広めるべく西へ東へと村沙と共に駆け回っていた。

 時には聖輦船と並走し、河を渡る時には吊られて移動なんてことも、数える程度ではあるがあった。中々に苦労の多い仕事である。その分、やり甲斐もあるのだが。

 元々彼方此方と迷走する身、しかし、今は、目的に向かって走っている。

 持ち主がいると言うのは、やはり、良いものである。

 が。

 

「これぐらいでどう?」

「大きすぎますって」

「なら、これなら!」

「殆ど変わらないじゃないですか」

 

 我等が船長、キャプテン村沙とのやり取りである。なんでも、俺に碇を取り付けたいとか。何を考えているのか分からない。彼女の考えが全く読めない。

 

「流されたら危ないでしょ!」

「流される前に、浮きませんし。私」

「ほら、水以外でもさ……」

「宙にも浮きませんし」

「なんか、あの、時代の波とか」

「乗り遅れたくもありませんし……」

 

 因みに、もう、既に一つ付いているのだ。しかし、それでももう一個付けたいと言って聞かない。俺をどうしたいのだろう。

 

「あ、じゃあ水に浮ける様にすれば良いんだ」

 

 ……どうしたいのだろう。

 

 

 

 

 至って平和な毎日。平穏な日々。

 その日も、普段通り、いつもと変わらない一日を過ごす筈だった。

 

「ここにいたか」

 

 毘沙門天堂の前にいた俺たちに、ナズーリンが話しかける。その顔は、何故か険しい。

 

「ムラサ船長。聖から身を隠せとの命令だ。船も。いいと言うまで、絶対に出て来るな、と。何処か遠くへ逃げても構わないとも」

「え?」

「一輪からの報告で、妖怪退治の人間が向かってきているらしい」

「妖怪退治? それって……」

「私たち妖怪がいることがばれたか、聖自身がばれたか、だ」

 

 まさか。一体、どうして……なんて、言えるほどの情報操作ができるわけでもなく、他人の口に戸は立てることなんて出来やしない。いつか、その手の人間に見つかることは分かっていたのだ。

 そう。来るべき時が来た、それだけのこと。

 

「船長、船を」

「う、うん」

「君も隠れた方がいい。エンジンは駆けずに移動してくれ」

「了解」

 

 山の裏手へ向け、聖輦船が飛び立つ。俺は、白蓮が建ててくれた小屋の中へ。

 白蓮は、きっと説得しようとするだろう。あとは、相手がそれを聞き届けるか。

 正直な話、望みは薄い。説明に応じない場合は……やはり、殺しあう覚悟をしておかなければならない。一番戦闘に向いていないのは俺である。殺す覚悟より、壊される覚悟。

 道具は道具として。持ち主が望むならば、壊れるまで使われ続けたい。ずっとそのスタンスでやってきたし、今更変える気もない。

 山の向こう、ゆっくりと降下し始めた聖輦船を見ながら、俺も、村紗を迎えに行くために走り出す。通り過ぎる景色を眺めながら俺は、密かにその決意を固めた。

 

 

 

 

 最も本堂に近く、妖力を隠す術も掛けられている俺の小屋。狭いその部屋に、妖怪が三名。村沙、一輪、俺である。ナズーリンは、寅丸の所へ報告に向かった。雲山は、上空待機。持って行ってもらったヘルメットを通して、監視をしている所である。

 

「……姐さん、大丈夫かな」

「とにかく、本当に危なくなったら……」

「全力でいくわよ」

 

 物騒な話だが、仕方が無い。どれ程の実力者が来るかは分からないが、何れにせよ、白蓮や寺の皆の事がばれた以上此処に留まる事は出来まい。

 逃げるにせよ、何にせよ。まずは、障壁を除かねば。

 

 基本、突っ込むことしか出来ない俺が役立てるかは不安であるが。

 

「……あれ、か?」

「来たの?」

「紅白……巫女か」

 

 偉く目出度いカラーリングの少女。あれが、妖怪退治の人間らしい。

 

「巫女。女の子です」 

「女の子?」

 

 若干拍子抜けする二人。しかし。

 

「気を付けてください……あの巫女」

 

 強い。見れば分かる。上空から眺めていると言うのに、ここまで嫌な匂いがやって来る。

 

「……妖怪じゃ、勝てないかも知れません」

「そんな、巫女一人でしょ?」

「あれは……何なんでしょうね。なんか怖い」

 

 天敵、というものだろうか。

 これは、ひょっとすると拙いかもしれない。

 

「山門、潜りました……」

 

 紅白の巫女が、寺の、広い庭の中央に立つ。手には、祓い棒と札。戦う気満々である。

 

「あー、妖怪退治に来たわ。なんか居るなら出て来なさい」

「……ようこそ、信貴山寺へ。妖怪とは、私のことでしょうか」

「あー? あなたは人間……いや、妖怪ね。匂うわ」

 

 小屋に、二人分の声が聞こえて来る。

 

「私の所に退治の依頼が来たわ。出張してきてあげたんだから、大人しくお縄に着きなさい」

「それは、遠くから態々……どうです、休憩がてら説法でも」

「私は巫女、神道よ。お寺に用は無いわ。休憩はしたいけど」

 

 えらく軽い口調の巫女である。余裕の表れなのか、何なのか。ふわふわと掴みどころがない。

 

「……私は、何も悪事など働いた憶えは」

「妖怪を」

 

 巫女が遮る。

 

「退治するだけが私の仕事。その裏側にまで、興味は無いわ」

「……可哀想に」

「あん?」

 

 白蓮の一言で、二人の間の雰囲気が一気に険悪なものとなる。飛び出そうとする一輪を、村沙がどうにか押さえつけた。

 

「ちょっと、早く行かないと……!」

「待って! まだ話が終わってない!」

 

 白蓮が口を開く。

 

「自分の意思に従えず、誰かの言いなり。自分の本心に背を向け、目の前の、目に見える事象だけに対処する。自分の行いが誤ちであるということに気付かずに済むようにと、物事の裏側まで目を向けようとしない」

「……余計なお世話よ。私は私。あんたはあんた。人の考えなんて、一々聞いていられるほど、私は暇じゃないの」

「逃げないで」

 

 話を切り上げようとする巫女に、なおも食い下がる白蓮。巫女は、苦々しげな顔。もしかしたら、何とか説得出来るかもしれない。

 

「……あんたの望みは」

「人と妖怪の共存」

「何故」

「虐げられる、罪なき者を救うために」

「……」

 

 巫女が、白蓮を見据える。対する白蓮も、巫女の目を一心に見つめている。

 

「虐げられているのは人。妖怪は、極悪非道の略奪者。調伏されても仕方がないの」

「人に善人と悪人がいるように、妖怪にも心優しい者と心無い者がいます。私は、そんな心優しい者たちを救いたい」

 

 少しの間が空いて、巫女が口を開く。

 

「人と妖怪は違う。人と人さえ相入れないのに、人と妖怪が共存なんて」

「出来ます」

「妖怪は人を食う」

「食べない妖怪もいます。平穏を望む者だけでも、共存の道を歩ませたい」

 

 さらに嫌そうな顔をする巫女。

 

「ああ、もう……悪役は悪役のまま消えなさいよ。やりにくいったらありゃしない」

「悪も正義もありません。唯、私たちは平穏が欲しいだけ」

「……話は、終わりでいいわね?」

 

 巫女が護符を、棒を構える。これ以上、聞く気は無いらしい。

 

「いつか気付くでしょう。自分の間違えに。感情を押し殺してまで、誤った道を進んでいることに!」

「御託は要らない!」

 

 白蓮が魔法を唱え、空へ浮かぶ。巫女は、何の動作も無しに同じく空へ。重力を無視するかのような動きで、ふらふらと飛行する。本当に、何者なのか。

 

「自分勝手で軽挙妄動な人間よ。今、私が貴方の間違いを気付かせてあげる……いざ、南無三!」

「煩い! 間違ってるのはあんた! 私は私の思うように生きているだけよ!」

 

 言うが早いか、投げられた無数の護符が白蓮に迫り、しかし、彼女に当たる前に迎撃され、打ち落とされていく。

 護符、針、玉。

 近距離では身体能力の優れた妖怪の方が有利と考えてか。彼女は、近付く気は全くないらしい。

 が。

 

「ぐっ」

 

 対する白蓮も魔法使い。遠距離でも充分に対応できるのだ。法術は勿論、魔法、外法まで。巫女の投げた飛び道具を呑み込みながら、人外の術が空を飛び交っている。

 

「ああ、もう、一気に片付ける! 夢想封印!」

 

 一枚の護符を掲げ、声高々に術を放つ。

 色取り取りの光の玉。白蓮が避けようと起動を変えるも、追尾機能があるらしく逃げる白蓮に追い迫る。

 

「遅い!」

 

 今まさに彼女を飲み込まんとする光の玉を前に、白蓮が何かの術を使う。白蓮の飛ぶ速度は跳ね上がり、彼女の纏う妖気も、先よりも数段強く。自身の能力を引き上げた白蓮は、光の玉に追尾されたまま寺の上空を飛び回った。

 巻くこともせず、打ち砕く事もせず。純粋な速さのみで巫女の攻撃を振り切る。出鱈目である。

 高速で飛び回る白蓮を前に、巫女が悪態をつく。

 

「面倒な……でも、掛かったわね」

 

 上空の白蓮。その八方に浮かぶ、護符。

 

「終わり。封魔陣」

 

 護符の放つ蒼白い光。それが繋がってできた、一つの立方体が白蓮を包み混む。白蓮の姿が、青の光に掻き消された。

 封印。嫌な言葉が脳裏を過る。

 

「姐さん!」

「聖!」

 

 小屋の壁の隙間から見ていた一輪が飛び出し、村沙が俺のエンジンを駆ける。雲山が急降下し、聖輦船が山の裏手から浮かび上がる。

 

「ああ、もう……まだいたの」

 

「姐さんを……っ」

「聖を!」

 

 見る間に巨大化する雲山。聖輦船は、止まることも考えずに猛スピードで突っ込んでくる。そして、村沙を乗せた俺も。

 

「「放せッ!!」」

 

「夢想封印、散」

 

 全方位に、無差別に。白蓮を襲ったのと同じ玉が放たれる。

 一輪が光に弾かれ、何発も被弾した雲山の形が崩れ去る。俺の体がひしゃげ、乗っていた村沙が放り出される。

 そして、聖輦船も。撃ち落とされ、砕かれた欠片が辺りに散らばった。

 

「……これを使うか」

「なに、を……」

「封印の軸にするだけよ。私の力じゃ、結界なんて長くは持たないし」

 

 欠片を摘み上げた巫女が、村沙を一瞥し、白蓮を捉えた結界に向き直る。

 させない。封印なんぞ、させてたまるか。

 まだ、エンジンは生きている。

 俺は、思い切りアクセルを回し、無理やりエンジンを駆ける。歪に曲がった体。前輪はひしゃげて回りもしないし、排気口からは煙と共に破片が飛んで行っているのが分かる。しかし、気にしている暇は無い。馬力任せにガリガリと地面を削りながら、巫女へと突っ込んでいく。

 

「まだ動くの」

 

 そこへ、空からまた光の玉が降り注いだ。車体が、また凹み、折れ、砕け、地面へ減り込んでいく。痛い。が、エンジンだけは止めない。減り込んだ分地面を抉り、突進を繰り返した。

 

「しつこい!」

 

 光の玉が、さらに放たれる。ついに、エンジンがやられた。辛うじて点灯していたライトも消え、タンクからはなけなしの妖力が垂れ流される。もう、自力で車輪を回す事すら出来ない。しかし、巫女の攻撃は止まること無く俺を潰しにかかる。

 

「止めて、止めてよ! もう動けないから! ねえ!」

 

 村沙が叫んでいる。良く見えないけど、泣いているのか。巫女は、その言葉を聞いてか聞かずか、攻撃を止めた。

 村沙は船幽霊なので死ぬ殺される心配は無い、が。最悪消滅、なんて事も有りうる。正直逃げて欲しい。

 ボロボロになった一輪は、涙を流しながらも巫女を睨みつけている。こっちも、早く逃げて欲しい。

 白蓮を置いて逃げる事など、彼女たちにできる訳が無いのだが。

 

「あー……泣かないでよ、もう……どんどん後味悪くなってくじゃない」

「泣いてない……聖を放して」

「無理。私だって依頼で来てるんだから」

「依頼って……私たちは、唯、妖怪も人も幸せな世界にしようと……」

「止めてよ、もう。あんたらが善人だってのは分かったわ。どちらにせよ依頼は達成しないと拙いんだから、悪役のままやられて頂戴よ。これ以上後味悪くなったら帰ってお茶飲めないじゃない」

 

 巫女が溜息を吐く。心底、疲れた顔で。

 

「……あんたんとこの親玉は、魔界に封印する。雲入道と、あんたらと、船は地底」

「……」

「地底は、案外自由がきくらしいわ。這い出して親玉の封印を解くなり何なり、好きにしなさい。何年かかるか知らないけど」

「ぇ……っ?」

「殺してもいいとか言われた気がするけど、殺さないでおいてあげるわ……一匹は、もう駄目かもしれないけど。共存でもなんでも、私が関係ないところでやってよね。あー、後味悪い」

「どうして……?」

 

 面倒臭そうに、巫女が答える。

 

「あんたんとこの親玉が言ったこと、なんか、気になったしね……でもまあ、強いて言うなら」

 

 感情論? と、巫女は答えると同時に、白蓮、村沙、一輪、雲山、そして聖輦船を封印した。残るのは、俺のみ。

 

「……あーあ、こんなボロボロになっちゃって……あんたのせいで、あの娘にも泣かれるし……」

 

 俺の前、地べたに彼女が座る。もう、何度目か分からない溜息を吐き、ぼうと俺を眺める。

 

「……あいつらは、いつか出て来るでしょうねぇ……私は、その頃はもういないだろうけどさ。ってか、生きてる?」

 

 返事代わりに、俺の砕け散ったヘッドライトに淡い妖火を灯す。これで、限界。

 俺はもう、何も喋れない。発音が出来ないのは、それを行っていた部位が破壊されたからか。一体、何処がその役割を果たしていたのか、なんて、どうでもいいことが思い浮かんだ。

 

「生きてるわね……で、続きだけどさ、知り合いの妖怪にも、あんなこと言う奴がいるのよ。あんたんとこの聖? だっけ? それよかもっと妖怪妖怪してる奴だけど」

 

 どこか、遠い目をした彼女が呟き、懐から札を数枚取り出す。

 

「そういうのが増えるとさ、いつか本当にそんな世界になるのかもね。妖怪退治なんていらないような」

 

 俺にぺたぺたと札を貼っていく。妖力の流出が止まっていく。俺だけは、別の封印でも施されるのだろうか。

 

「あいつらが出て来たときに恨まれたくもないから、死なない程度に助けとくわ。一応、封印って形だけどね。だから、いつか、あいつの言ってた世界を……」

 

 巫女が何か言うが、良く聞こえない。唯、眠い。眠い……

 視界が暗くなり、体の力が抜ける。体を地面に沈ませたまま、俺は、眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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単車夢走
十五 覚と鉄


 

 

 

 穏やかな風が、荒れ果てた寺の草木を揺らす。妖怪と人が共に生きる世界を目指した僧侶。その僧侶が修業をしていたという寺である。最後は、彼女の元に集まった妖怪達共々封印されたとか。

 夢追い人の末路と笑う者もいれば、自分の発したその言葉の裏で密かに涙を流す者もいる。そんな穏やかな世界を望む妖怪の数が決して少なくはないということを、心を読む妖怪たる古明地さとりは知っていた。

 だからこそ、こうしてこの寺へとやって来たのである。封印された者達の世界、地底へと潜るその前に。

 

「……なんにも、ありませんね」

「まぁ、廃墟みたいなものだしねぇ」

 

 さとりの隣にいるのは、鬼。赤い一本角に金の髪、語られる怪力乱神と名高い鬼の四天王が一、星熊勇儀である。地底への移住前に此処を訪れたいと申し出たさとりの連れであり、実質的な護衛でもある。怨霊の管理を引き受けたさとりに何かあってはならないから、と言うのは建前で、本当の理由は地上の景色の見納めである。あと、地上の酒の飲み納め。さとりの目には、まだ見ぬ酒を視る鬼の心が映し出されていた。

 

「廃墟、ですか」

「ああ。私達の新天地も、似たようなものだけどね」

 

 さとり達が移住する、旧地獄。成る程、そこの別名は廃獄。こんな荒れ寺に惹かれて来たのも、廃れた地獄を新天地と呼び、求めてきた者の性なのかもしれない。

 

「……廃墟でも、思わぬ宝物が出て来ることがあります。隠された、魅力も」

 

 鬼の心に、熱を失った地獄の様相が思い浮かぶ。さとりの目に映る、鬼の心像風景。人を信じ切れなくなった悲しさ、寂しさ。陰鬱とした地下に思い描く、忌み嫌われた妖怪の楽園。

 その忌み嫌われた妖怪の筆頭が覚であることくらい、さとりも理解している。そして、地下へと逃げる事がどれだけ、悲観的な選択肢であるのかということも。頭では分かっていても、心が地上に残る事を拒む。

 心を読む妖怪の癖に、自分の心さえ制御出来ないのか、と。独り、心の中で自嘲する。

 

「お……何かあるね」

 

 さとりよりも頭一つ、二つは背の高い勇儀が、草むらの向こうを見て言う。さとりが目を向けると、確かに揺れる草の向こう、日の光を受けて輝く光沢。何だろうか。

 

「見てみましょうか」

「あいよ」

 

 鬼が先陣を切り、生え放題伸び放題の雑草を踏みつけ、道を作っていく。鬼の作った道を、覚が後から着いていく。

 

 鉄?

 

「鉄?」

 

 さとりの第三の目が、勇儀の心を映し出すのとさほど変わらないタイミングで、心の声の主はさとりの読み取った通りの言葉を発する。

 

「鉄……ですか」

 

 溶かしたら何か、良い物でるかな。

 

「溶かしたら何か、良い物出て来るかな」

 

 殆ど、心に思い浮かべた事をそのまま口に出す。鬼という生き物は、裏表が無くて良い。さとりにとって精神面で疲れる事の無い、貴重な話し相手である。

 鬼たちとなら、多少は上手くやっていけそうだ、と。思わず口元が綻ぶ。

 

「……なにニヤけてるのさ、気持ち悪い」

「……なんでもありません」

 

 思った事をそのまま口に出すのは、些か問題でもあるのだが。

 と、隣人の事を頭から引き剥がし、目の前の物体を観察する。

 ボロボロになった、鉄の塊。どうやらカラクリの類らしいが、何のための仕掛けなのかは全く分からない。河童の道具かとも思ったが、彼等は鉄を嫌うのでその線は薄い。

 唯、分かるのは。

 

「触らない方が賢明でしょうね」

 

 思わぬ動作を始めたりでもしたならば、またもや痛い目に遭うかもしれない。意識の無い、無意識の内の行動こそが最も恐ろしいものであると、さとりは己の経験から学んでいる。

 そう、この第三の目に映らない事象は……

 

「……え?」

 

 思わず、声を上げる。

 今、何か、第三の目に……

 

「どうしたんだい? あんたが驚くなんて、珍しい」

「……これ。いえ、この子、意思があります」

「はぁ?」

「この子の心が、一瞬映し出されました。もしかすると、この子は……」

 

 その言葉を聞いた勇儀が、鉄の塊を注意深く調べる。表面に付いた汚れの一部を落とすと、そこには。

 

「……封印の札だね。こいつも、同胞か」

「この寺で封印となると……」

「まあ、あの話の妖怪の一体だろうね」

 

 あの話。妖怪と人の共存を願う僧侶の夢物語。その時、封印された妖怪の一体だとするのなら。

 

「解せないね。私ら鬼は兎も角、こいつは……」

 

 人間と、共に歩みたかっただけで。それだけで、壊され、封印されたのか。

 

 勇儀が噛み殺した言葉が第三の目を通してさとりに伝わる。そして、勇儀が埋まる鉄の塊に手をかけたのを確認するが早いか、さとりは一歩二歩と距離を置く。もはや、さとりが何を言っても聞きはしまい。心が読めたところで、それを防ぎきるだけの力が無いのなら、それに何の意味も無い。再びの自嘲と共に、回避のために身構える。

 

「ッ、は、ああッ!」

 

 掛け声と共に、埋まっていた鉄の塊の隠れていた部分が、力強く地上へと引っ張り出される。まるで雑草か何かを引き抜いたときのように、勢い良く日の下へと躍り出た鉄の塊。そして、さとりが予想していたよりも一回りは大きかったそれは、その勢いを殺し切る事もなく低空を飛ぶ。

 何故か、さとり目掛けて一直線に。

 

「っ……!」

 

 流石にここまでは予想していなかったであろうさとりの動きが、意表を突かれて一瞬止まる。巨大な弾丸と化した鉄塊がさとりのもとへ届くには、その一瞬があれば十分であった。

 避けることも出来ず、唯反射的に目を閉じ、手で頭を守る。無意識の為す行為は覚の弱点と言えど、何度同じような手に引っかかるのか。

 飛んで来ない鉄の塊と、笑う鬼の心像に気付いたさとりが頭まで掲げた腕を降ろすのに、そう時間はかからなかった。

 

「……」

「心の中で笑わないで下さい。顔にも出ています」

「……ぷっ、クク……」

 

 さとりの目の前で宙に浮く鉄塊。別に、妖術魔法の類の力で浮かんでいるのではなく、唯単に鬼の馬鹿げた腕力で浮かび上がっているだけである。

 元々、さとり目掛けて鉄が飛ぶかも等と、鬼が意識するはずが無かったのだ。手さえ離さなければ、飛んでいく事なんて有り得ないのだから。

 

「……なんですか」

「いやぁ? 別になんでも無いけど」

 

 にやにやと嫌な笑みを浮かべながら、木刀か何かを担ぐような軽快さで鉄塊を肩に掛ける。確かに鬼は裏表が無いが、その性格は基本的に悪い。心を読む上では疲れはしないが、会話するとなるとどっと疲れる。

 

「……鬼なんて嫌いです」

「いいね。正直者は好きだよ。でも、心を読まれるのは御免だね」

 

 結局の所、地底に落ちるものは皆嫌われ者なのだけれども。忌み嫌われるはお互い様、それ故の地底への移住。

 覚と鬼は、地底へ続く洞穴を目指し歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 灼熱地獄跡の真上。

 そこに、一件の洋館が建っている。地霊殿と名付けられたその場所は、旧地獄に眠る怨霊たちを縛り付けるために建設された、言わば牢獄の監視塔である。

 静かな洋館。日の届かぬ地下深くに建つくせに、ステンドグラスがやけに多い不思議な構造。

 さとりは、そこで物言わぬ鉄の塊と暮らしていた。

 

「……」

 

 静寂に包まれた広間。さとりは一人で使うには大き過ぎるテーブルに向かい、呆としていた。

 退屈な日常。せめて話し相手でも居ればと、物言わぬ隣人を見やる。

 鉄の体は、鬼が掘り出した後も傷が塞がっていっており、この分なら、そう遠くない内に意識を取り戻すかもしれない。

 しかし、人との共存を願った妖怪とは言え、その平穏な世界を望んだ心も憎しみに染まっているかもしれない。もし、さとりに危害を加えるような妖怪だったなら。

 いつでも、すぐに殺せるようにしておかねばならない。鉄塊が広間に置かれている理由の一つは、それであった。

 もう一つの理由は、せめてもの暇潰しになれば、という期待に他ならないのだが。

 

「……はあ」

 

 しかし、動かぬカラクリなんて面白いわけも無く。唯一の肉親たる妹は今日も何処かを放浪しているらしく、家に顔すら出さない。

 机に項垂れ、目を閉じる。昼も夜も無い地底、これが昼寝に当たるのか、なんて、どうでもいい事を考えながら。

 段々と強くなる睡魔に身を委ねようとした、そのとき。

 

「……?」

 

 一瞬、何かの気配を感じ、辺りを見回す。何の変わりも無い、目を瞑る前のままの部屋である。妹が帰って来たのかとも思ったが、そもそも彼女の場合は気配なんてもの自体が無いに等しい。

 姿は見えず。しかし、やはり何かの気配は感じる。そして、自分のものでは無い幽かな妖気も。

 

「……誰か、いるのですか」

 

 さとりは立ち上がり、姿の見えない何者かへと問い掛ける。第三の目に映るのは、限りなく無意識に近い意識。何も考えていないのか、妹のような能力を持っているのか。何れにせよ、面倒な相手である事に変わりはない。

 もう一度目を閉じ、第三の目に意識を集中させる。相手の思考を読む事は諦め、せめて、相手の位置だけでも掴もうと。

 目に映る意識の気配と妖気の流出源を辿り、その濃度が一番密な位置を探る。

 

「……ああ。貴方なのね」

 

 気配の正体。それは。

 さとりの言葉が引き金となったのか、壊れて動かなかったカラクリが、無機質な音を響かせ始める。

 ギュルギュルと、何かが回るような音。長くは続かず、回っては止まり、回っては止まり。産まれたばかりの獣が転びながらも自力で立とうとするように、何度も何度も繰り返す。さとりは、この鉄の塊が、その本来の機能を取り戻すのを静かに待った。

 

 ギュルルルル、ギュルルルル、ギュルルルル。

 

 ブオン。

 

 一際大きな音が響いたのを皮切りに、夥しい程の妖気がその体から溢れ出し、音も、先程までとは明らかに違うものに切替わる。正面と思しき部分には明かりも灯り、薄暗い部屋に光の筋が浮かび上がった。

 心臓の鼓動にも似た、その音。そして、その心像にも色が見え始める。

 

「……おはよう、鉄のカラクリさん」

 

 心臓は鼓動を始めても、彼の体は未だに歪に圧し折られたまま。車輪を使って動くのであろうが、流石に体が曲がったままでは動けないだろうと、さとりは鉄塊の前に立つ。

 

『此処――――誰――――何故――――』

 

 鉄の塊に意識が戻り、その思考がさとりの目に映し出される。覚醒してすぐだからか、その思考は断片的で、混乱も見受けられた。

 動けないとはいえ、内包する妖気の量は無視できるものではない。さとりは、なるべく刺激しないように話しかける。

 

「此処は、地底。封印された妖怪の住まう場所です。貴方は、勝手ながら地上で封印されている間に連れて来ました。封印された身である貴方は、私達と似通うものがある、と」

 

『貴方は―――』

 

「私は、覚の古明地さとり。心を読む、忌み嫌われた妖怪です」

 

『覚?』

 

 彼の心に、覚に関する情報が溢れ出す。心を読む妖怪、人をからかう妖怪、考えを読んで人を食う妖怪……

 成る程、彼から溢れ出す情報にはろくなものが無い。これなら、覚という種が忌み嫌われるのも分かる。分かり切った事ではあったが、再確認するとなると、やはり気が滅入った。

 が、何も悪い情報ばかりではなく、覚が人を助けた話や、人と共生していた話、等。人間から見て好感を得るであろう情報が混じっているのは、予想外ではあったが素直に嬉しいものであった。

 妖怪が人から好かれても、仕方がないのではあるが。

 

「私について、知ってるのね。なら、次は、貴方のことを教えてくれるかしら」

 

 鉄の塊がまたブオンと唸り、その思考をさとりが読み取っていく。

 彼は単車という乗り物で、憑喪神に近い妖怪であること。天狗と張り合うくらいに速いこと。最後は寺で聖の下、妖怪と人が共存出来る世界を目指して働いていた事。ある日雇われの巫女に封印されたこと。

 やはり、あの夢物語の妖怪の一体だったらしい。

 彼の鼓動が段々と弱まっていく。眠い、のだそうだ。

 彼が眠る前に、さとりは問う。

 

「封印されて、貴方は人に何を思う?」

 

 鉄の塊は、その質問への答えを思い浮かべたのを最後に、ついにその鼓動が止まる。

 意識は無くなれど、今度は唯眠っているだけ。それを確認して、さとりはまた椅子に腰掛けた。

 

 たった十数分の、会話とも呼べないような一時。思えば、彼方の心を読んでばかりで、さとりは殆ど何も話していなかった。少しだけ後悔して、彼が最後に思い浮かべた事を思い出す。

 彼が自分を封印した人間に対して思うのは、『またいつか乗せて走りたい』と、それだけだった。何の怒りも失望もなく、唯、それだけの思い。

 

 さとりは椅子に深く座り、目を閉じる。人に嫌われ地下に逃げた妖怪と、人を愛して封じられ、それでもなお人を愛する妖怪。自分等よりも余程前向きで、希望ある思考に触れ、またいつか人に会ってみたい、なんて考えしまう自分を、逃げた癖にと自嘲しながら。

 

 古明地さとりは、眠りについた。

 

 

 



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十六 封と鉄

 

 

 

 さとりに拾われて、数ヶ月は経っただろうか。圧し折られた俺の体は徐々にではあるが再生し続け、自力で動くくらいのことならば出来るようになった。クラッチがまだ壊れたままなので、エンジンの動力が車輪へ届かないのが難だが、それもじきに回復するだろう。替えのパーツなんて売ってる訳も無いし、再生能力が無ければ本当に屑鉄と化すところだった。妖怪万歳。

 

 地底での生活にも段々と慣れ、今ではさとりに代わって買い物に出かける事もある。今も、袋いっぱいに詰めて貰った食料品をハンドルにぶら下げ、地霊殿へと帰る途中である。

 

 地獄の繁華街。幾つかの地獄は既に機能を停止しているものの、此処は地上から移住してきた妖怪が多いこともあって、いつでも大賑わいである。鬼、妖怪、妖獣、獄卒……と、種族で言えば碌でもない者ばかりだが、此処ではそんな事を気にする者は誰もいない。性格は捻くれてる者ばかりだが、基本的に全員飲み仲間といった具合である。

 

『爺さま爺さま!』

『乗せて乗せて!』

 

 のろのろと車輪を転がしている所に、数体の憑喪神が俺の上に飛び乗ってくる。繁華街に初めて来た時から、ずっと俺にくっついてきている憑喪神たち。下駄やら行燈やら笠やら、全員小柄で、まだまだ変化したての者ばかり。そういえば、小傘は元気にしているだろうか。

 

「爺さまは止めい。まだまだ若いぞ」

『でも、五百歳でしょ?』

『大っきいしー』

「大きさは関係無い……と、そんなことより、どうだ?」

『まだ見つかって無いよー』

「そうか……」

 

 憑喪神たちに探させているもの。それは、封印された寺の仲間達である。

 村紗たちが封印されたのは、地底だった筈。しかし、何処を探しても見つからない。さとりにそのことを相談してみたら、何処か地中で眠っているのだろうとの返事を頂けた。

 埋まっているのだとしたら、俺には何も出来やしない。どうにか、埋まっている位置だけでも分かったら、掘り返すことも出来そうなもののだが……

 

『頑張って探すよ!』

『頑張るよ!』

 

 背中から元気の良い声で、憑喪神たちが言う。沢山孫が出来た気分……と、いうと、自分が爺だと認めることになってしまうが。実際、五百も生きれば立派な爺ではあるのだけれども。

 随分と長く生きてきたものだと、憑喪神たちの声を聞きながら何とは無しに空を見上げた時であった。

 

「ん……?」

 

 暗い空、何か大きな物体が落下してきている。微弱ながらも妖気を放ちながら、それは灼熱地獄跡へ向けて落ちていく。

 方角的には、地霊殿の方。地底にとっての空は、地上にとっての地殻の層。ならば、今落ちて来たあの物体――恐らく妖怪――も、地殻を越え地上から落ちてきたとみるのが妥当だろう。

 

「……行くか」

『どしたの?』

「何、ユーフォー見物さ」

『何それー』

『私も行くー』

 

 突如地上からやって来た未確認落下物体を目指し、俺と憑喪神達はノロノロと走り出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 血の臭いが近付く。弱々しくも禍々しい妖気が、進むに連れ濃くなっていく。予想していたよりも、力有る妖怪。もし暴れ出したならば、俺には抑えきれないかもしれない。

 

『お爺ちゃん』

「手負いかぁ……お前等、戻った方がいいぞ」

『でも、爺さま、のろいし』

『何かあったら大変だよ!』

 

 背中の憑喪神たちが口々に言う。まさか、此処まで懐かれてるとは思わなかった。爺思いの孫たちの言葉に、思わず目頭が熱くなる。

 血縁者でもなければ、目頭さえ無いのだが。

 

「お」

 

 地霊殿へと続く、暗い一本道。その真ん中に、一体の獣が横たわっていた。猫のような、虎のような、蛇のような……

 

『何これ』

「鵺、か」

『ぬえ?』

 

 鵺。暗雲と共に現れ、複数の獣が混ざった姿をした妖怪である。頼政の矢を受けて落下した所を斬り殺された、というのが俺の知る鵺の話だが……此処に来たと言うことは、こいつも封印されたのか。

 胸の辺りに矢が刺さり、体に残った真新しい刀傷が痛々しい。

 

『どうするの? ほっとく?』

「うんにゃ……此処に来たなら、こいつも仲間だろうよ」

 

 俺が、此処に運び込まれ、受け入れられたように。

 

「とりあえず、地霊殿まで運ぶ。乗せるのを手伝ってくれ」

『わかったー!』

 

 さとりには、後で平謝りしよう。兎に角、今は手当が先である。体に巻きついたフェムトファイバーを腕代わりに操り、鵺を持ち上げる。やっとのことで習得した、腕代わりになる妖術。細かい作業は出来ないが、物を持ち上げることくらいなら出来るようになった。

 憑喪神達が下から押し上げ、鵺を俺の上に乗せる。

 

「ぐ、ぅ……」

「気が付いたか。人語は分かるかね」

「ぁ……ぅ……まだ……」

 

 掠れた鵺の声が響く。その姿に見合わず、その声は高く、まるで少女のようだった。

 

「死にたく、ない……」

 

 鵺が言い終えると同時に、その姿が水に映った像を掻き乱したかのようにぐにゃりと変形する。

 

「お、おお?」

 

 鵺の巨体が消え、俺の上に残ったのは。

 

「お、女の子?」

 

 胸に矢を受け、刀傷を負った一人の少女であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まあ、大丈夫でしょう。彼女も妖怪ですし」

「ありがとうございます」

 

 地霊殿の一室、俺とさとりはベッドに寝かされた鵺少女を見る。包帯を巻かれた体に、先の獣の面影は無い。

 正体不明の癖に有名な鵺。姿は現れる度にころころと変わり、暗雲に紛れ鵺鳥に似た声で鳴く。声や暗雲は知らないが、確かに落ちてきた時の姿は話に聞くそれであった。

 

「どうしましょうか。傷が癒えるまでは、ここに置いても?」

「仕方がないわ。まあ、退屈凌ぎにもなりそうですし」

 

 さとりが扉を開く。廊下は、いつも通り鈍い光に照らされていた。

 

「部屋にいます。何かあったら、呼んでもらえるかしら」

「了解です」

 

 さとりが出て行き、俺は、鵺の眠るベッドの横に一台

ひとり

きり。鵺は目を覚ます気配もなく、憑喪神たちはさとりを恐れてか早々に引き上げてしまった。話し相手が一人としていなくなり、暇になってしまう。

 やることも無いので、鵺少女の姿を改めて確認してみる。包帯を巻かれ、その上にシーツを被せただけの体は、本当に伝説の鵺なのかと疑ってしまう程に華奢である。あの姿は幻覚の類なのか……とも思ったが、それにしては生々しかった。彼女がどんな能力を持っているのかが気になる。

 背中には、一対の翼。らしきもの。赤と青の、歪な形の物体が、左右に三本。これで飛ぶつもりなのか、それとも翼ではないのか。先端が尖っていて、これだけでも武器になりそうな形状である。

 

 それにしても。

 

 心の中で独りごちる。この世界の妖怪は、やたら少女の姿を取るものが多い。それも、頭に美が付く少女ばかり。俺の知っている妖怪とは、かけ離れた姿の者も多い。此処に来て初めの方で太子に会ったため、そういうものだと割り切っていたが。

 ずっと、此処は過去の世界だとばかり思っていたが、もしかすると……

 まあ、考えた所で納得できる答えなんて出るはずがない。この時代にバイクが走っている時点で、俺の知る歴史からははみ出しまくっているのだし。

 

「ん……」

 

 鵺が身を捩る。どうやら、目を覚ましたらしい。

 俺は考え事を止め、鵺の方に意識を戻した――――

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

「ん……」

 

 体を捩ろうとすると、胸や腹に痛みが走った。背中には、柔らかい感触。どうやら、布団の上にいるらしい。

 ぼんやりとしていた頭の中。目を開けると、そこは見知らぬ部屋。鈍い明かりの灯った、薄暗い部屋に寝かされているようだった。

 

「お目覚めですか」

 

 突然の声に、思わず体が小さく跳ねる。そうだ、私が地底に落とされた後、この声が聞こえて……

 

「喋れますかね。胸を撃ち抜かれてたので、辛いやもしれませんが」

 

 声のする方をみると、そこには何か、鉄製のモノが一つ。他に人影は見えないし、これが喋っているのだろうか。

 痛みを堪えて、私は布団……周りから一段高くなった寝台の端に腰掛けた。

 

「……私を、助けたの?」

 

 言葉を発する度に、胸に痛みが走る。触ってみると、矢の刺さっていた所に包帯が巻かれていた。

 自分が包帯しか身に纏っていないことに気付き、少しだけ顔をしかめながら薄い掛け布団を羽織る。寝台の横に厚い掛け布団もあったけど、痛みで手を伸ばせなかった。少し、肌寒い。

 

「ええ。封印されたのでしょう?」

「……あっさりと、ね。嗤う?」

「そんな、まさか」

 

 封印されたのは、他でもない私の力不足のせい。生まれたばかりの、未熟な妖怪が増長した結果。どうやら私には、人々に語り継がれるような大妖怪になる素質は無かったらしい。

 いとも簡単に射抜かれ、落ちたところを斬られ、抵抗虚しく封印。これだけでも、自分の力不足を痛感する。しかし、何より悔しいのは。

 

「誰も、怖がらなかったなぁ」

 

 正体不明の種が剥がれ、曝け出された私の姿は、幼い生娘のそれで。そんな少女など、恐れる人間はいない。そればかりか笑われ、蔑まれ、見下され。挙句には下卑た目で私を見る始末。妖怪として、ではなく、ただ嬲られるだけの少女として見られたことが、何よりも。

 

 口の中に、血の味が広がる。何時の間にか、唇に歯を突き立てていたらしい。

 唇を噛み締めたところで、悔しさが紛れるわけでもない。寧ろ、そんなことしか出来ない自分を再確認して益々嫌になる。

 

 私は、弱い。その事実が、否応無しに私の胸に押し付けられて。

 

「く……そ……っ」

 

 涙が溢れ出し、私の頬を伝い落ちた。人前で泣くなんて、みっともない。手で顔を隠しても、落ちる涙までは隠せなかった。

 涙を止めようと躍起になる。呼吸がし難い。傷を受けた胸が痛い。

 苦しい。苦しい。苦しい――

 

「っ……?」

 

 その時、何か、背中に柔らかい物が覆い被さった。厚めの掛け布団……さっき、手を延ばせなかった掛け布団が、私を包み込むように被せられていた。綿の入った布団の温かみが、背中を通して体の奥深くへと染み渡る。

 

「その格好では、寒いでしょう。温まれば、少しは気も楽になりますよ」

 

 鉄の塊が言う。その口調は、無機物の癖に暖かかった。

 その言葉を皮切りに、堪えていた涙が溢れ、零れ出す。

 

「あ、ぅ……」

 

 彼の伸ばした、二本の紐のような物が布団の上から私の背中を撫でる。腕の代わり、とでも言うつもりなのか。何となく、滑稽で。その癖、やけに優しくて。

 

「ぅっ、あ、うああああっ……」

 

 私の背中を撫でる彼に寄り掛かって、生まれて初めて声を上げて泣いた。鉄の体は冷たく、生き物のそれとは程遠い。それなのに、確かに暖かい。本当、意味が分からない。けど、やっぱり暖かい。

 

 正体不明の鉄の塊に向かって、私は泣き続けた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

「……ありがと」

 

 鵺が布団に顔を埋め、小さな声で言う。案外、素直な性格のようだ。

 

「なんか、楽になったわ。もう、大丈夫」

 

 先程呟いた時よりも、はっきりとした口調。精神が回復したならば、体の回復は遠くないだろう。

 

「ところでさ。あなたって、何? 憑喪神っていうやつ?」

「まあ、似たような物ですかね。こう見えて、乗り物なのですよ」

「ふうん……」

 

 鵺がフェムトファイバーを弄りながら言う。横になって布団を深く被っているので、表情はよく見えない。

 

「此処って、貴方の家なの?」

 

 眠た気な声。もう、二、三言話せば眠ってしまいそうな。

 

「まさか。此処の主はさとり殿。私も居候でして」

「そう……なら、さ……」

 

 鵺の言葉の続きを待つ。が、待てども待てども意味のある言葉が続くことは無く。やがて聞こえたのは、その寝息だけ。

 眠ってしまったか。

 

「さとり殿に連絡入れるかね……」

 

 そのまま曲がるとベッドにぶつかるので、車輪を回し、後ろに体を引く。と、その時だった。

 鵺が、俺の腕とも言うべきフェムトファイバーを握ったままである事に気が付いたのは。それも、両端。

 

「……」

 

 俺は静かに元居た場所に体を戻す。鵺の手は固く握り締められたままで、抜け出せそうにはない。

 

「まあ、いいか。後ででも」

 

 鵺の傍、ベッドの横にてサイドスタンドを立てる。彼女が起きるまでの間、少しだけ眠らせてもらうことにする。

 

 

 鵺が目覚め、やってきたさとりに叩き起こされるのは、それから数刻後のことであった。

 

 

 



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十七 鵺と鉄

 

 繁華街の外れ。

 地霊殿にも程近いその場所に、一件の小屋が建っている。

 物が少なく、あるのは布団と机と、小さな箪笥のみ。寝るためだけにある、当に寝床というに相応しい内装である。

 しかし、地底に建つ家の内装など、どの家もこんなものである。食事や風呂は全て外で済ませ、自宅を使うのは寝る時だけ。江戸の暮らしはこんな感じだったと聞いた覚えがあるが……今は鎌倉時代である。江戸に入るまでこの暮らしを続けるつもりだろうか。妖怪の文化は進んでいるようで、進展が殆ど無い。地底のこのような生活が、江戸時代までこのままで続く可能性も、十分にある。大体、妖怪というものは寿命が長すぎるせいもあってか、人間に比べ向上心と言うものが少ない。新しい物を取り入れるのは、外から何か……例えば、西洋文化などが取り入れられた時や、妖怪のそれと比べ目まぐるしく変化する人間社会に、惹かれるような発明があった時だけなのである。時間が止まっている、とまではいかないものの、妖怪の歴史の流れは、恐ろしく遅い。

 

 閑話休題。地底の文化事情などはどうでもいい。

 兎角、今、俺がいるのはそんな、地底では極一般的な小屋の中なのである。一般的と言いつつ、入口にスロープがついている家は此処ぐらいのものなのだが。俺が上がり難いから、と、この家の主が作ってくれたお手製のスロープである。

 そして、その主は俺の真横に広げた布団の中で寝息を立てている真っ最中で。

 

「ほら、もうそろそろ起きて下さいな」

 

 俺の言葉を聞いてか、布団がもぞもぞと動く。が、中にいる人物が出て来る様子は一向にない。

 

「……あと五時間」

 

 そんな戯けた返事が帰ってきたのを確認し、俺は布団に包まる主の方へ向き直る。

 

「警告ー、警告ー、残り三秒以内に起きなければ、強行手段を取らせて頂くー」

 

 どうせ、この言葉も聞こえてはいないのだろうが。そんなことはお構い無しに、俺はカウントダウンを開始する。

 

「三、二、一、ゼロ」

 

 何でゼロだけ横文字なのか。なんて、小さな疑問を置き去りにして。

 俺のクラクションが、地底に建つ静かな小屋に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿じゃないの!? なんで真横で鳴らすわけ!? 鼓膜が破れるかと思ったわ!」

 

 布団から飛び出したぬえが俺に捲し立てる。起こしてやったというのに、酷い言われようである。

 

「何回起こしても起きないのが悪いんじゃないですか。大体、毎日毎日……」

「いいじゃない。どうせ、朝も夜も無いんだしさ。地底には。大体妖怪が早起きして何になるのよ」

 

 まあ……一理ある。俺たちは妖怪だし、地底で規則正しい生活を送るものなど数えるほど。ぬえが毎日同じ時間に起きる必要は、本来なら全く無いのだ。

 しかし。

 

「ぬえ嬢は構いませんが、私が困るのです。ほら、ご自身の手を見てください」

 

 ぬえが俺に従い、自分の手を見る。そこには。

 

「……仕方ないじゃないの。これないと寝れないんだから」

 

 ぬえの手に握られているのは、一本の紐。俺の体から伸びるフェムトファイバーである。

 あの一件以来、ぬえは眠る時はいつも俺の腕代わりたるフェムトファイバーを握りしめている。寝ている時は構わないが、ぬえより起きるのが早い俺としては迷惑極まりない。

 

「いい加減、その癖治してくださいな。私だって、やらなきゃならない事があるのです」

 

 やる事、というのは地底に封印された村紗たちの捜索である。憑喪神たちと共に地底を虱潰しに探し回る、気の遠くなるような作業。そんな重労働を、憑喪神たちだけに任せるわけにはいかない。

 そして、そのことはぬえにも伝えてあるのだ。

 

「何よ、もう……寺の仲間、寺の仲間って。今の持ち主は私でしょ?」

「勿論、今の私の主は貴女。でも」

 

 今の主は、ぬえ。それでも。

 

「私は、前の主を見殺しに出来るほど薄情ではありませぬ故」

「っ……なら、今の持ち主はどうでもいいわけ!?」

「そんなことは」

「煩い!」

 

 ぬえが俺を突き飛ばし、小屋の外へと走り去る。少女の姿を取るといえど、ぬえは妖怪。俺の体は易安と押し倒され、ぬえを追う事も出来ない。

 

「ぬえ嬢!」

 

 走り去る背中に、俺の声は届かなかったらしい。いや、無視されたのか。何れにせよ、怒らせてしまった事に変わりはない。

 先程までぬえが掴んでいたフェムトファイバーを使って、体を起こす。片方のミラーが曲がってしまい、打撲した時に似た痛みが走った。

 

「……そこの箒よ」

 

 俺の呼び掛けに応じて、立て掛けてあった箒が動き出す。ひょこひょこと俺の前まで歩いて来て礼をする箒に、俺は言伝を託した。

 

「憑喪神たちに伝えておくれ。持ち主の用事で、今日は行けそうに無い。本当に申し訳無い、と。言えるな?」

『憑喪神たちに伝えておくれ。持ち主の用事で、今日は行けそうに無い。本当に申し訳ない、と。言えるな?』

「よし、頼んだ」

 

 箒が小屋の外へ走り出す。憑喪神には至らずとも、そこそこ古い箒だ。心配はあるまい。

 

 それなりに長くを生きた俺には、ある能力が備わった。憑喪神以外の、意思を持たない道具たちをも活性化させる力。一時的に自由に動けるにし、使役する能力である。

 『道具を使う程度の能力』とでも言うべきか。道具の癖に道具を使う、何ともおかしな能力だ。

 

「まあ、それは、さておきっと」

 

 俺は、小屋の外に出てエンジンを駆ける。広い地底、正体不明の彼女を見つけ出すのは骨が折れそうだ。

 既にミラーは折れてるけど。

 

「行くか」

 

 ギアを落とし、走り出す。

 確かに、前の主人は大事である。が。

 今の主は大事では無いと言えるほど、俺は薄情では無い……つもりである。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 封獣ぬえは後悔していた。

 今しがた突き飛ばした彼に非は無く、自分の我儘を言うだけ言って飛び出してくるなど、まるで子供のようで。前の持ち主への嫉妬の為に相手を傷付けるなんて、自分の事ながら情けない。

 妖怪としての生を受けて高々、数十年。精神的にまだまだ未熟な部分があったのだと言い聞かせた所で、彼に対して自分がしたことを正当化出来るほど図太い神経は持ち合わせていない。

 

「あーあ……」

 

 考えが纏まらない。現状を打破するにはどうすればよいかを考えても、出てくるのは意味の無い呟きのみ。逃げ込むように飛び込んだ、暗い橋の下。いつものように、話し相手になってくれる相方も、今は居ない。

 

「何、辛気臭い顔をしているのかしら」

 

 唐突に声がかかり、ぬえの体が跳ねる。そこにいたのは、緑の目をした少女。尖った耳と、綾取りの橋に見たてたらしい着物の装飾が目に付いた。

 

「……誰よ」

「貴女こそ、誰よ。ここは私の守る橋。橋姫の橋に腰を下ろす、その勇気が妬ましいわ」

 

 橋姫……たしか、彼がこの妖怪について何か言っていた気がする。嫉妬心を操る、橋の守護者……だったっけ。

 

「ごめんなさいね。ちょっと、嫌なことがあったから」

「そう。でも、此処にいられるのは迷惑だわ。私みたいなのの近くにも、あまり長いはしたくないでしょう?」

 

 言葉は攻撃的だけども、その口調と表情は暗く、寂しげな橋姫。

 心優しい守護者だけど、自身の種族と能力故に他人を遠ざける……彼の言葉が頭の中を反響する。

 ならば、ここを出る前に。

 

「貴女がそう言うなら、出て行くわ。でも、一つだけ悩みを聞いてよ」

「出て行けと言って出て行こうとする素直さも妬ましいわね……一つだけ、よ」

 

 やっぱり、根は優しいらしい。

 ぬえは、目の前に佇む橋姫に自分の悩みを打ち明ける。

 

「私は……何て言うんだろう。ある道具を持ってるんだけど」

「道具?」

「憑喪神って言うの? 車輪が付いてて、赤い体の……」

「ああ、彼ね。名前は知らないけど」

 

 そういえば、私も彼の名前を知らない。他の持ち主たちには……彼が今頃探しているだろう寺の仲間たちは、彼の名前を知っているのだろうか。なんて。

 

「ほら。妬まない。それは、私の仕事」

 

 橋姫の指が、私の頬を撫ぜる。その指に付いているのは……涙?

 

「あれ? なんで、私……」

「嫉妬よ、嫉妬。彼の、前の持ち主への嫉妬。ごめんなさいね、私が近くにいるから、貴女の嫉妬心を掻き立ててるの」

 

 申し訳なさそうに、橋姫が言う。

 

「嫉妬は、誰もが持つ下賤な感情。私は、それを操る妖怪。貴女の嫉妬心は、私が美味しく頂くわ」

 

 橋姫の目が怪しく、けれど優しく輝く。深い、緑の光。水の底から見た月の光にも似た、朧げな輝き。

 その光に吸い付けられる様に、私の心を覆っていた暗い『何か』が消えて行く。これが、彼女の言う嫉妬心なのだろうか。

 

「ご馳走様。貴女の嫉妬、とても美味しかったわ」

「それは……喜んでいいのかしら」

「いいんじゃない? もう、気持ちも晴れたでしょう」

 

 確かに、気持ちは晴れた。さっきまでの苛立ちも、悲しさも。

 

「さ、ここにもう用は無いでしょう?さっさと何処へでも行きなさい」

 

 半ば追い出される形で、暗い橋の下から、ぼんやりと明るい繁華街の方角へと浮かび上がる。

 

「ねぇ、あなた名前は?」

「二つ目ね……まあ、いいわ。水橋パルスィよ」

「パルシー?」

「パルスィ」

 

 彼女の憮然とした顔を見て、橋から飛び出す。お礼は言い忘れたけど、それはまた今度にとっておくことにした。

 今は、やらなきゃならない事があるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな小屋。私と彼が生活を共にしている小屋で、私は彼の帰りを待っていた。

 数刻。昼も夜もない地底だけども、起きたのを朝だとするのならば今は夜中。流石に、帰りが遅過ぎる。

 まさか、もう帰ってこないつもりだろうか。

 

「……さむ」

 

 普段、彼の起こす妖火で暖をとっている小屋の中に、他の熱源は無い。起こそうと思えば火くらい簡単に起こせるが、そんなつもりにはなれなかった。

 

「名前くらい、教えてくれてもよかったのに」

 

 さとりに無理を言って彼を引き取ったというのに、このざまである。欲しくて堪らなかった。それは、幼子が玩具を欲しがるときのそれとは違う、他の感情で……無機質相手に何を考えてるんだかと、自分でも呆れてしまう。

 それでも、元々無理に自分のものにした手前、出ていかれても何も文句は言えない。

 だけど。

 

「行こ」

 

 せめて、謝ることくらいは許してくれるといいなと思いつつ。私は、昼も夜も無い地底の空へと飛び出した。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 困った。

 非常に困った。朝一でバッテリーが上がって充電するために態々シート周りを全部バラさねばならなくなった時くらいに困った。

 具体的に言えば。

 

 

「てめぇ。聞いてやがんのか。おい」

「八割ほど聞き逃しました。申し訳ない」

 

 小中併せて十数匹の妖怪達。封印されたてらしいが、懲りることはなかったようである。

 地底は鬼の天下と知ってか知らずか、徒党を組んで追い剥ぎの真似事中らしい。なにも、妖怪相手にやる事もあるまいに。

 

「あんまり、調子に乗ってると痛い目に遭いますよ。此処は鬼の天下。貴方がた程度では、赤子扱いが関の山。もっと静かにお過ごしなさいな」

「鬼だ? んなもん、皆封印されちまった野郎ばっかだろうが」

「貴方達も変わらないでしょうに」

「俺たちは、嵌められたんだよ。あのひょろくせぇ人間共に」

 

 成る程、それで荒れているのか。結局、此処に来るのは皆、同じような境遇のものばかりらしい。

 理由が理由だけに、あまり手を出したくは無い、が……

 

「まあ、数日も居れば慣れますよ。此処は、貴方たちの為の楽園ですし」

 

 やらなければやられる。偶には、戦う事も必要かとエンジンを駆けようとした、その時だった。

 あの時見た獣が、俺の前に降り立ったのは。

 

「あんたら、何やってんの?」

 

 猿の頭、狸の体、虎の足、蛇の尾。俺が初めて見た時の鵺。禍々しい妖気と黒雲を吐きながら、巨大な獣は妖怪たちを見下ろす。

 怯んだ妖怪たちを一瞥し、俺に向き直ると、いつもと変わらない少女の声で囁いた。

 

「ちょっと待ってて。何処にも行かないでよ」

「行きやしませんよ。持ち主をおいて」

 

 先まで猿だった顔が何時の間にか猫のそれに変わり、背には鶏の翼を生やしたぬえが、その羽で羽ばたく。姿を変え続けるぬえに、俺は一応、注意を促す。

 

「殺しは駄目ですよ」

 

 返事代わりの唸り声と共に、その一方的な蹂躙は始まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぬえが、いつもの少女の姿で俺の上に寝転んでいる。多少、疲れたように見えるぬえ。気怠そうに黒い空を見上げ、俺の座席に身体を横たえている。

 

「お疲れ様です」

「本当、疲れたわよ……探したんだから」

「私だって、探しましたよ」

「貴方が探してたのは寺の仲間、じゃないの?」

「今日は、貴女ですよ」

 

 ぬえが、俺のタンクに向けうつ伏せに体勢を変える。暖かい。俺の体は、冷たく無いだろうか。

 

「よかった。もう、帰って来ないかと思った」

「寧ろ、私の方がそう思いましたよ」

 

 初めて鵺を載せた時の体勢。それだけで、なんと無く安心する。

 

「……ねぇ」

「何でしょうか」

「寺の仲間探し、手伝わせてよ」

「……結構、疲れる仕事ですよ」

「それでもいいから。私を乗せて、ね」

 

 冷たい鉄の体に、ぬえの体温が伝わってくる。逆に、ぬえの身体には俺の冷たさが。俺は、少しでも暖めようとエンジンを駆けた。

 

「貴女が言うのなら、喜んで」

「……ありがと」

 

 ぬえの表情は見えない。けれど、笑ってくれているように思える……と言うのは、流石に都合が良すぎるか。

 唯、俺は。今、この胸に湧き上がる気持ちを、彼女に伝えねばならない。

 

「こちらこそ……ありがとう」

 

 俺の言葉を聞いたぬえは顔を上げ、今度は、確かに微笑んだ。

 

 

 



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十八 二人と鉄

 錆の匂いが近付く。そして、妖力でも神力でもない、別の力の気配も。

 それは、法力。かつて、聖が使っていた魔法の源。封印された力。

 そんな法力を放つ存在たるそれは、もう、俺の目の前にまで迫っていた。

 

 聖輦船。やっと。やっと、見つけたのだ。聖と志同じくした仲間たちを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「船?」

 

 時は、聖輦船発見の数刻前。朝ご飯の塩鮭をおかずに、ぬえが白ご飯を頬張りながらそう問い掛けた。

 

「ええ。船です。私の仲間たちを探すのならば、まずはその船を探すした方が手っ取り速い……そして」

「やっとそれが見つかった、ってわけね」

 

 もごもごと咀嚼を繰り返すぬえを眺めながら、フェムトファイバーを使って空いた皿を片付けていく。

 

「そっか。見つかったのかぁ……」

「ええ。見つかったのです」

 

 報告を受けたのは、ぬえが起きる少し前。釣竿の憑喪神が見つけ出したらしい。なんでも、潮の匂いがしたとのこと。

 ぬえが起床するのを待ってからその報告をしたのだが……何となく、言葉に詰まる。ぬえは何も言わず、俺もそれに倣う。喜び半分、悲しみ半分。複雑そうな顔のぬえを見ると、人間だった頃の事を思い出す。俺も、この体になる前は、姿と精神面で言えばぬえと同年代だった……筈である。

 悩んで、悩んで、悩んで。そんな年頃だった。その後どうなったかまでは、覚えてなんかいないけども。

 

「……ねぇ」

「私は」

 

 ぬえの問いかけを遮り、言葉を続ける。

 

「私は、道具。今の持ち主に従いますよ」

「……ありがと」

 

 安心した様子で、ぬえが立ち上がる。黒い髪が微かに揺れ、すらりと長い足が俺に跨る。

 

「もう、行くんで?」

「会いたいでしょう?お仲間さんたち」

「ありがとうございます。あ、ヘルメット忘れないで下さいね」

「……いいじゃない。息苦しいのよ、アレ」

「駄目です」

 

 渋々とヘルメットを被り、俺のエンジンを駆けるぬえ。彼女も、俺の扱いに慣れたものである。

 ノーヘル、飲酒、危険運転を繰り返そうとするのは、大問題だが。

 

「行くわよ。その、『船』まで」

「安全運転で、お願いしますね」

 

 

 かくして、赤と黒の影が小屋から飛び出して行ったのであった。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

「そして、今に至る、っと」

「誰に説明してるのよ」

 

 間の抜けた相棒の声を聞きつつ、改めて目の前の『船』を見る。

 錆の臭いがきつく、本当にこれが空を飛ぶのかと疑ってしまう程に泥塗れな船体。でも、確かに、この船からは私達妖怪の苦手とする力……仏の力が宿っている。

 こんな物を守る妖怪がいるなんて、俄かには信じ難いけど。

 

「ああ……懐かしい……さて、引き摺り出しますかね」

 

 彼の体から紐……腕の代わりの、私が寝る時にいつも握りしめているあの紐を、船の先頭にくくりつけていく。

 

「ぬえ嬢。下がっていて下さいな」

 

 私は何も言わずに、空へと浮き上がる。このくらい離れれば、十分か。

 

「さて……!」

 

 エンジン音が、地底に鳴り響く。私が聞いたことも無いほどの音量。そして、流れ出る妖気。

 こんなにも膨大な妖気を隠し持っていたこと自体、私は知らなかった。それこそ、私を上回るくらいの量の……

 

「何だかんだで、強いんじゃないの」

 

 妬ましい。と、言っても僻んでいるわけでは無い。

 いつか、彼を追い越す。唯、それだけを決意して彼を見つめ直した。

 

「ふぬぬぬぬ……ぐおお」

 

 力一杯引っ張っているからか、おかしな声が聞こえてくる。ギュルギュルと回転する車輪と、軋む大地。少しずつではあるが、確実に船は動き出している。

 そして、その法力も。埋れた船が姿を表すに連れて、溢れ出す法力もより大きなものへと変わっていく。その目覚めは、もう遠くない。

 

「いつまで……寝てるのですか……船長!!」

 

 岩肌に亀裂が走り、崩れ落ちる音が反響する。転がり落ちる岩や砂の中から、それは、その全身を曝け出した。

 

「……全部、出てきたわね」

 

 彼のエンジンの音が止まったのを確認し、彼に近付く。無機質で、表情の一つも無い彼だけども、こころなしかその姿は疲れているようにも見えた。

 

「ええ……これで、そのうち目を覚ますことでしょう」

「ふぅん……そう言うものなの?」

「一応、まだ封印は完全には解けていません。少しずつ、解けていっているみたいなので……」

 

 何時になりますかねぇ、なんて、彼が他人事のように言う。私としては、彼の所有者を決める為にもさっさと出てきて欲しいのだけど。

 

「……なんで、私の方が心配してるのよ」

「はい?」

「なんでもない」

 

 彼を置いて、私はまた地面を蹴る。そして、その勢いのまま、宙へ。

 

「私は引っ込んでるわ。何かあったら、呼んで」

 

 振り返ることなく、彼に言い残す。今は、私はいない方がいい。

 再開の場面に、邪魔者は要らない。自分を卑下するわけでは無いけど、それくらいの気配りは、私にだって出来るから。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 ぬえの姿が闇に溶ける。気紛れで、子供っぽくて。やたら、人間味のある妖怪。自分から姿を隠してくれた気遣いは、少しばかり失礼かも知れないが、実を言えばありがたかった。

 前の持ち主と、今の持ち主。その二人の間を取り持つことなんて、俺には出来やしないだろうから。

 

「……そろそろかね」

 

 俺の中にある法力……寺で暮らしているうちに何時の間にか取り込んでいた力。それを、未だ封印の解けずにいる聖輦船へと流し込みながら呟く。

 一輪や雲山。そして、村紗との再会。やっと、と言うべきか、ついに、と言うべきか。何れにせよ、この時が来てしまった。

 前の持ち主と正式に別れた訳では無いにも関わらず、新しい持ち主と共に居るこの現状。彼女等の封印を解くことが出来たから、俺としては本望。この際破門されても嫌われても良しと腹を括る。

 

「……ここ、は……」

 

 聞き慣れた声。そして、姿を表した、その人物。

 

「おはようございます。村紗船長」

 

 眠たげな顔で、俺を見る村紗。その後ろに一輪、そしてもくもくと雲山らしき雲が立ち上る。

 

「封印、解けたのね。いや、解いてくれたんだ」

 

 村紗が俺の前に降り立ち、そして、俺と同じ目線になるようにしゃがみ込む。

 そして、幸せそうな顔で。

 

「ありがとう」

 

 俺は、村紗に抱きつかれたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「百年とちょっと、か」

 

 一輪が俺の言った言葉を繰り返す。彼女等の封印されていた期間。やはり、三桁の空白は大きい。

 

「聖もまだ、封印されてるんだよね……」

 

 俺の上に腰掛けた村紗が呟く。聖の封印されているのは、魔界。地底と魔界は、俺が調べた限り繋がってはいない。地上経由でしか聖の元へはいけないのである。聖を、救出する前に、如何にして自分達が地底から脱出するか。悩みは増える一方……だが。

 

「船長」

「ん?どうしたの?」

「少し、話があります」

 

 村紗が一輪に視線を向ける。対する一輪は、眠たげな顔で。

 

「……私は、少し船で寝てるから。話して来なさい」

 

 封印が解けた後の、何とも言えない疲労感。やはり、俺があの時感じたように、一輪達も眠気が襲っている真っ最中らしい。

 となると、村紗の方も……

 

「私は、そんなに疲れて無いけど……とりあえず、話って?」

 

 船へと飛んでいく一輪を見送りながら、村紗が俺に問いかける。はてさて、なんと言えばよいものか。

 

「……船長は、私の事をどう思っていますか」

「貴方のこと?」

 

 不思議そうに首を傾げ、俺の問い掛けに対する答えを探す村紗。彼女とこうして会話するのも、本当に久しぶりだ。

 

「大事な仲間、だよ。同じように聖を慕っている、ってことを除いても、ね」

「……そう、ですか……」

「そうだ、折角地底に落とされたんだから、色々乗せて回ってよ。あっちの方の明るい場所って、街でしょ?案内してほしいな」

 

 ……言えない。腹は、括ったつもりだったのだが。今は、別の持ち主がいることなんて。彼女もやはり、俺にとっては大事な人物なのだと実感する。が、今はぬえが俺の主人。一体、どうすればいいのか……

 

「もう。なにやってんのよ」

 

 その時だった。

 暗闇から現れた彼女が、俺と村紗の前に降り立ったのは。

 

「はじめまして、村紗水蜜さん。私は封獣ぬえ。コレの今の持ち主です。よろしく」

「え、ぁ、あ、よろしく……って、持ち主?」

「そ。私がコレを譲って貰ったの。だから、今の所有者は私」

 

 ぬえの言葉に、棘がある気がする。対する村紗は、ぬえの発する妖気に腰が引けている状態。しかし、その目に浮かぶのは恐れではなく、悲しみ。一体、何がそんなに悲しいのか。

 

「……そうなんだ。道具、だもんね」

 

 俺に腰掛けたまま、村紗が俺のタンクを撫でる。

 

「持ち主、かぁ。じゃあ、私とはもう、会えないんだよね……私だって、聖の命令には逆らえないもん。仕方ないね」

「ち、ちょっと。勝手にあなたの物を私のだなんて言われて、怒りもしないわけ?」

「怒らないよ。仕方がないじゃない」

 

 ぬえが、苛立たしそうに村紗を睨みつける。双方のこんな表情は、みた事がない。

 

「その程度なの?あんたの、そいつに対する思いは。そいつはずっとずっと地底を探し回って、誰よりも心配してたのに、あんたは、こいつを手放すことに未練もないの!?」

「手放すなんて、そんなこと思ってないよ。私は、持ち主なんてものじゃないもの……ずっと一緒にいてくれた、大事な、とも、だち……」

 

 村紗の目から涙が零れ落ちる。持ち主ではなく、友達。村紗が、そんなふうに俺を見ていたなんて知らなかった。

 

「私は、彼の……名前も知らないけど……それでも、友達なの!その友達が、誰かに仕えたいって言うなら、離れたくなくても、我慢して応援しないといけないじゃない!だから、だから私は……!」

 

 村紗が、俺から降りる。俺を挟んで、ぬえと向き合うように。

 

「私は、身を引きます。彼を、どうか、よろしくお願いします」

 

 深々と、頭を下げる村紗。ぬえは、村紗の言葉に動揺しきっている。

 

「まっ、まってよ、頭なんて下げられても、私、そんなつもりじゃ」

 

 ぬえの想像していたであろう展開とは、かけ離れた状態らしい。概ね、口論の後冷たく突き放し、所有権をもぎ取ろうとでも考えていたのだろう。彼女もまだ、幼い。そしてそれは、村紗も。

 

「ぬえ。水蜜」

 

 二人の体がびくりと跳ねる。両方黒髪ショートという点を除いても、彼女等はどこか似ている気がする。

 

「お二人共、もう少しゆっくりお話し下さいな。私は、二、三日引っ込んでおりまする故」

「え?ちょ」

「待っ」

 

 二人の言葉を聞くこと無く、猛スピードで走り去る。彼女等は、話し合えば和解できる。そして、二人とも納得できる答えを見つけ出せる。

 そんな、希望的予想をもって。

 

「何処に行くかなぁ……さとり殿に匿って貰うか」

 

 普段は出さないほどの速度で、地底を駆け抜ける。

 二人の、大事な持ち主を残して。

 

 

 



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十九 鵺と錨と鉄

 

 雲山に一輪への伝言を頼んで、私は鵺に連れられ彼女の家に来ていた。入り口に作られた小さな坂には、車輪の跡。どうやら、彼女の手作りらしい。

 

「何にも無いけど、上がってよ。お茶くらいなら出せるから」

「お、お邪魔しまー……す」

 

 腰が引けながらも、家の中に入る。彼女の妖気が染み付いた部屋。得体の知れないと言う表現がぴったりな、怪しく、禍々しい気質。正直、入るのはかなり怖い。

 

「……そんなにおどおどしないでよ。何もしやしないから」

「う……うん」

 

 部屋の中、畳まれた布団の横、かつて私の相棒だった彼の妖気が染み付いた場所に腰を下ろす。おどろおどろしい妖気の中、唯一、私の知っている懐かしい気配。

 彼について、私は、これから彼女と話をせねばならない。

 

「よっ……と。ちょっと待ってて」

 

 卓袱台を私の前に置き、お茶をいれ始めるぬえ。妖怪としての格は彼女の方がずっと上のはずなのに、此方を見下す素振りも見せない。

 

「はい、お茶。安いのだけど」

「ありがとう」

 

 彼女から湯飲みを受け取り、口に付ける。やたら熱い。やっぱり、種族が違うと味覚や感覚も違……

 

「あっつ」

 

 わないらしい。

 冷まし冷まし、ちびちびとお茶を飲むぬえを眺めていると、何だか親近感が湧いてくる。彼方が、私をどう思っているのかは分からないけど。

 

 

 お茶を啜る音だけが部屋に響く。話す事は、決まっている。でも、話し出せずにいる。

 恐怖は薄れた。あるのは、緊張感のみ。

 

「……あの」

「……なに」

「えと、あの……彼、乗り心地は如何ですか!」

 

 ……何を聞いてるんだろ、私。顔が熱い。

 

「……えっと、そこから切り出すの?」

「ご、ごめんなさい、ちょっと気が動転してて」

「私程度に怯えてるんじゃ、ここじゃやっていけないわよ。酔っ払いの鬼たちが絡んでくるっていうのに」

「鬼? いるの?」

「むしろ、鬼ばっかよ……あいつら、ずっと酒飲んでるんだから。酒臭いったらありゃしないわ……て、何の話だったっけ」

 

 そう言って、頬杖をつく。私が言うのも何だけど、だらしない。崩れた体勢の彼女に倣い、私も正座していた足を崩した。少しだけ、足がピリピリする。

 

「えっと、彼の」

「ああ、そうそう。で、乗り心地だっけ?」

 

 にやにやしながら、私の顔を見る。顔の火照りがぶり返すのが分かる。あと、彼女の性格が悪い事も。

 

「良いわよ。とっても。畳何かよりも柔らかくて、それでいて布団よりも固くて。ちょうどいいわ」

「運転は、なさらないんですか」

「敬語使わなくていいわよ。同年代でしょ?多分。封印されてた間除けば」

 

 何時の間にか空になった湯飲みを転がしながら、彼女が言う。とても、同年代とは思えない妖気。でも、確かに打ち解けやすい雰囲気もある。天賦の才、というやつだろうか。

 

「じゃあ、改めて……運転とかは、しないの?」

「あんまりしない。めんどい。て言うか乗ってる時間も少ない」

「えー……なら、なんで彼を貰ったの」

「……都合があるのよ。都合が」

 

 特別、彼と走るのが好きな訳ではないらしい。なら、一体何に惹かれたのか。

 ぬえが口を閉ざした以上、そのことについて追求する勇気も無いので話題を切り替える。

 言いたくない事の一つや二つはあるもの。そういうものを抉り出すのはいけないと、聖も言ってたし。

 

「そういえば、地底ってどんな暮らしなの? 思ったより悪くなさそうだけど……」

「私らにとってはね。でも、あんたらは別に悪い事してた訳じゃないんでしょ?」

「まあ……」

 

 聖と共にしていたことは、悪事などでは無い。そういえば、私達には封印される様な理由は無いのだ。

 

「鬼や、悪事を働いた妖怪、怨霊、獄卒。ここは、封印された者達の監獄であって、自主的に引きこもった楽園でもある……彼の受け売りだけどね」

「……結構、治安とか悪かったりするの?」

「まあ、喧嘩ばっかやってるけど。でも」

 

 ぬえが此方に向き直る。地底に封印されたにしては、明る過ぎる笑顔で。

 

「行き場のない私たちにとっては、文字通り楽園よ。それに、私がここに落ちた時、助けてくれたのが彼だったから。だから、私もあなた達を受け入れなきゃね」

「……ありがと」

 

 だから、彼を貰い受けたのか。ならば、彼女にとっての彼は、只の道具なんて物じゃなくて……

 

「あーあ。にしても暇ね。あいつも何処か行っちゃったし」

 

 ぬえがその場に寝転び、天井を見上げる。暇なのは、私も変わらず。やっぱり彼女に倣って横になった。

 

 沈黙。

 遠くで、喧騒が聞こえる。彼女の言っていた鬼の街だろうか。天井は、私達がいた寺のそれよりも随分と低い。

 二人共喋らないけど、それでも、不思議と気まずさは感じなかった。まるで、何年も前から友達だったかのように。

 

 ぬえは、何を考えているのだろうか。私と、同じ事を考えてたらいいな、なんて。

 

「ねぇ」

「なに?」

「今日、さ」

「うん」

 

 一旦、間を置いて。

 

「家に、泊まってかない?」

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 夜。と、いっても感覚的に、だけども。唯、街の灯りが昼間よりも暗くなるのが唯一の目印で。やっぱり、昼夜の折り合いは付けないと問題があるらしい。主に、店の店主側にとって。

 

 近くの居酒屋で夕食をとり、今はもう寝支度を済ませた後。

 二つ並んだ布団。一組、余分に持っておいて良かった。流石に同性とはいえ、初対面で一つの布団で寝るなんて提案が出来るほどに図太い神経は持ち合わせていない。

 

「あいつ、何処にいったんだろ」

「走ってるんじゃない? 走るの好きだったし」

「そっか」

 

 天井を見上げたまま、隣にいる村紗と話す。

 そういえば、彼以外の人と寝るのは初めて……と、いうと誤解が生じそうだけど。

 

「前から気になってたんだけど」

「うん」

「彼って、強いの?」

 

 あの、船を引き上げた時の妖気の量は尋常じゃなかった。下手をすれば、そこいらの鬼なんかよりもずっと……

 

「……うーん……巫女と戦った時は、ぐしゃぐしゃにされちゃってたけど」

「……えー……」

「でも、相手が相手だったしなぁ……全員でかかったのにボロボロにされちゃったし」

「……地上って怖いのね」

 

 あの妖気を封じ込めること自体、無理な話だと思ったのだけど。そんな彼を容易く倒せる人間がいるなんて。

 

「……私からも、質問いい?」

「どうぞ」

 

 村紗の言葉が止まる。暗くてよく分からないけど、躊躇しているかの様な雰囲気。

 

「私が聞くのも何だけど……彼の名前、なんていうの?」

 

 名前。そういえば、さっき名前も知らない云々言ってた気がする。

 しかし、名前。知らない方が不自然な気がするけども、やっぱり思い出せない。元から記憶に無い。

 

「ごめん、私も知らない」

「え?」

「あいつ、考えて見たら名乗った事無いのよ。鉄の乗り物だとか、憑喪神だとか、そういうのは名乗るくせに」

「貴方にも名乗ってないの? 持ち主でしょ?」

「あいつは、あなたのことを前の持ち主って言ってたわよ。それに、地底に来てからもずっとあなた達を探してたし……むしろ、あなたが知らない方が不思議だけど」

 

 かけ布団を押しのけ、座る。村紗も私と同じように、敷布団の上に座り直した。

 

「なんで、名前を言わないのかしら」

「信頼されてない?」

「いや、信頼してない相手の為に命は掛けない」

「……なら、なんで教えないのかしら」

「……聞かなかったから、とか言いそうよね」

「言うわね。絶対」

 

 暗闇で笑い合いながら、また布団に横になる。夜目が効く妖怪同士、暗い部屋の中でも相手の表情くらいは分かる。

 

「……私、持ち主辞めよっかな」

「え?」

 

 村紗がまた跳ね起きる。面白い。

 

「あなた、言ってたじゃない。仲間、だとか友達、だとか。そんな関係の方が、楽なのかなって」

 

 私にとっても、彼にとっても。そう、心の中で独りごちて。

 

「……なら、私とも友達だね」

「嫌かしら?」

「全然」

 

 座ったままの村紗が、私に向かって右の手を伸ばしてくる。何のつもりだろうか。

 

「ほら」

「……えと、何のつもり?」

「握手」

 

 上半身だけ起き上がり、しばし目線を合わす。握手、なんて。生まれてこの方、した事が無い。

 

「ちょっと、なんで左手だすのよ。右手右手」

「あ、ごめん、ほら、暗いから」

 

 知識としての握手は、分かっている。手と手を握る、友好の証。でも、やったことなんて。

 こんな行為一つでおどおどするのも滑稽な話だけど。そんな事を考えている私の、出し直した右手を彼女が力強く握る。

 

「これから、よろしくね」

 

 冷たい。彼女はどうやら、幽霊等の類らしい。思ったよりもずっと冷たい手の平を握るのを一瞬躊躇し、それでも強く握り返した。

 彼をどうするか、は、まだ決まっていない。けれど。

 こんな関係も、悪くはない。

 

「こちらこそ、よろしく」

 

 暗闇に浮かぶ彼女の笑顔を見ながら、そう思った。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

「じゃあ、これで決定ね」

「問題無いわ」

 

 ぬえの家には二日泊まり、三日目の昼。もうじき、彼も戻ってくるだろう。

 私達は、一枚の紙を前に座り込んで居た。それは、彼に対する「取り決め」の紙。彼のいない場で決めるのも何だかおかしい気がするけど、彼も話し合えとかなんとか言ってたので気にしない。

 

「一つ。私、封獣ぬえは彼の持ち主を辞め、友人としての関係を築くことを此処に誓います」

 

 これは、私としては実は無くても良かった取り決め。唯、ぬえが彼との関係を見直したいと言って聞かなかったので取り入れたのだ。

 

「一つ。彼は今後もこの家に……勿論、彼が許すなら、だけど」

 

 これは、彼とぬえとの関係が友人となったからと言って、彼を追い出す訳にはいかない……というより、居て欲しいという理由から。

 

「一つ。私村紗水蜜は一輪、雲山に封獣ぬえを紹介し、聖輦船をこの家の裏に着陸させる事を誓います」

 

 これは、私の我儘。一輪達には、なんとか説得する……なんとか。

 

「最後……上記の取り決めは、彼の承諾を持って受理することとします。以上!」

 

 つまり、全ては彼次第。彼が受け入れなければ、上記の取り決めは見直すか、取りやめか。

 ぬえが持ち主でなくなる以上、彼が何処かに行ってしまう可能性もあるわけで。それは、ぬえも分かって言っている。

 でも。彼がそれを望んだならば、私たちは喜んで受け入れたい。

 

 懐かしいエンジン音が近付く。乗っている時に効く音よりも、少し高い音。それが、家の前で止まる。

 

「ただいま、戻りました」

「入っていいわよ」

「失礼します」

 

 車輪が、坂を上がり、床の上へ。熱を持ったエンジンを、ファンで冷やしながら近づいてくる。全部、彼に教えてもらったことだけど。

 

「どうでしょう。仲良くしてました?」

「まあ、仲良くはしてたけど……なんで子供扱いなの」

「若々しいという意味です」

 

 一言多いところも変わらず、昔と同じ彼。そんな彼の前に、一枚の紙を突きつける。

 

「これが、私ととぬえが話し合った結果。どう?貴方は、了承してくれる?」

「私の意見はいりませんよ? 私はあくまで……」

「道具、なんて言わせないわよ」

 

 ぬえが、突きつけた紙の最初の項目を指差す。彼女の禍々しい妖気と、強気な態度が頼もしい。

 

「……友人、ですか」

「そう。友人」

「私は、まだ貴方方と一緒に居たかったのですけど」

「最後まで読んでよ」

 

 彼が黙り込み、ライトに幽かな灯りが灯る。読んでいる、と見て良いのかな。

 

「……なるほど。理解しました」

「どう? 了解、してくれる」

「私の了解なんて、聞かなくても」

「だから、道……」

「こちらこそ」

 

 彼が、ぬえの言葉を遮る。彼にしては珍しく、少し、強い口調。

 しかしそれも、ぬえの言葉を遮り終わると、また、いつもの口調に戻って。

 

「こちらこそ、その内容でお願いいたします」

 

 嬉しそうな、彼の声。一瞬、泣いてるのかと思ったほどに。涙なんて、流れるはずも無いのだけど。

 握手しようと手を伸ばしたが、握り返せる腕なんてそこには無く。宙を描いた手のひらをとりあえず彼のハンドルに置いた。

 ぬえも、私の様に逆側のハンドルへ。最後に、私とぬえも手をつなぐ。

 握手とも呼べない、三人の繋がったおかしな円が出来上がる。霊と、妖怪と、物。今までは、持ち主と物として。これからは、友達として。

 

「改めて……これからも、よろしく」

 

 表情は分からない。けど、確かに彼は笑っている。

 こうして、ぬえと私と、そして、彼の、新しい関係は始まったのであった。

 

 



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二十 夢と鉄

 ぬえの家に泊まったり、走ったまま野宿したり。酔っ払い妖怪達を運んだり、鬼に酒を流し込まれたり。地霊殿に赴く事もあれば、付喪神達と地獄見物に出向く事もあり。三人揃えば村紗が運転し、ぬえが後部座席に陣取る。そうして地底を走り回りながら、数百年の時が過ぎたある日。

 俺は、地上に上がる決心をする。

 

 

 

 

 

「……地上、ですか」

「ええ。もう、地底に封印された妖怪が、自力で地上に這い上がるのは、事実上不可能なの。何か、地底と地上の繋がりが曖昧になるような事件が起きない限り、ね」

 

 一輪が、雲山の手に座って言う。

 

「そして、魔界への道も無い……姐さんは地上から魔界に送られたのだから、地上と魔界は繋がっているはずなのだけれど。そして、地上に上がることが出来るのは」

「私だけ、と」

 

 そう。俺は、地底に封印された訳では無く、唯単に運ばれて来ただけなのだ。自主的に地底に降り立った鬼や、妖怪たちと同じく、地上に上がれるのはうちの面子では俺だけ。

 一輪が言うのは、俺だけでも先に地上に登って、聖を救出しろと言うことだろう。

 

「貴方なら、裏切ることは無いだろうしね。それに」

 

 小屋の中、並んで眠る村紗とぬえを見やる。

 

「あの子達も、もう大丈夫そうだしね」

 

 二人の友人を見ると、少しだけ胸が痛む。彼女等に挨拶してから行きたいものだが、やはり、辛い物がある。

 

「言い難いなら、私から伝えようか?」

「……手紙だけ、渡して頂けますか」

「分かったわ。ごめんなさいね、貴方一人に……要る物があれば、準備しておくから」

 

 雲山が上昇する。それに乗った、一輪も。

 

「一輪殿」

「なにかしら」

「今まで、お世話になりました」

 

 深々と頭を下げる。ことは出来ないので、声だけの感謝。

 何だかんだで、いつも村紗とぬえをサポートしていたのは、一輪だった。食事を作ったり、掃除をしたり、と。二人の姉か、お母さん的な立ち位置。無論、俺も世話になっていたのは言うまでもない。

 何故か、影が薄いイメージばかり先行するが。背景が濃すぎるのだ。

 

「……どうせ、地上で会えるでしょ。何百年かかろうと、私たちは妖怪なんだから」

「それも、そうですね」

「あと、さ」

 

 一輪が、雲山に乗ったまま言う。

 

「私も、貴方の友達として扱ってもらえない?敬語なんて、使わなくていいわ」

「……敬語は、使わせて下さいな。貴方の方が、先輩なんですから。一輪さん」

「……ふふ。そういうことにしておくわ。なら、おやすみ」

「おやすみなさい。また、明日」

「ええ。また、明日」

 

 船の前に、一台、ぽつりと取り残される。

 さて。手紙なんて言ってしまったものの……

 字なんて、書いた事が無い。いや、人間の頃は学生だったのだから文字は読めるし、書ける。唯。

 

「筆、持てるのか……?俺」

 

 ひょろりと長いフェムトファイバー……いつも以上に頼りなく映るそれを見つめながら、独りごちるのであった。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 遠ざかっていったエンジン音が、今も耳に残っている。手紙を書くと言って、彼は地霊殿に向って行った。ぬえの家では書けず、ここでは気恥ずかしいから、と。

 そして私は一人、聖輦船の中で座り込む。彼に大役を押し付けたはいいが、本当にそれでいいのか。彼の本質は道具であり、故に頼まれれば断るなんていうことはまず無い。それは、使い手と物という対等では無い関係があるから。友人ならば対等なので、話は別ではある……けれど。

 友人として扱って欲しいと最後に頼むあたり、質が悪い。友達になりたいのは、確か。しかし。

 

「ごめんね、村紗。ぬえ」

 

 彼には苦労させ、彼女等には辛い思いをさせ。私一人、何の苦しみもなく此処で手を拱いている。本当に、それでいいのか。

 

「……姐さん……」

 

 この悩みもなにもかも、姐さんに向って吐き出したい。叱られるなり、慰められるなり、何でもいい。兎角、会って、話したい。

 

「……我儘が過ぎるわね。けど」

 

 姐さんを助け出す。それだけは、最優先なのだ。私の私情を、挟まなかったとしても。

 それを言い訳にして、逃げ込むように布団に潜り込む。

 彼が、いつ出発するかは分からないが、行ってしまう前に、もう一度問おう。

 本当に、村紗とぬえを置いていけるのか、と。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

「先立つ不幸をお許し下さい。あなた方を置いて行くのは、とても寂しい思いで……」

「なになに?自殺でもする気なのかしら」

 

 俺の上に乗った少女が、楽しそうに笑う。緑がかった銀色の髪。緑色の目。閉じた、第三の瞳。

 古明地こいし。さとりの妹である。

 無意識を操り、それ故に誰にも察知出来ない彼女であるが、俺には彼女の存在が分かる。見える。俺にとっては、普通の人妖以上に存在感がある。彼女のあり様が、意思の無い物、道具に近いからだろうか。

 それ故か、彼女からも俺は気に入られているようで。彼女が俺を見ての第一声が「友達になって!」だったのが印象深い。

 しかし、どうも初対面の気がしないのは何故なのか。彼女と、何処かで会ったような記憶は、無い。よもや無意識の内にとは言うまい。

 

「死にませんよ。唯、地上に赴く事になりまして」

「でも、それ遺言書にしか見えないよ。下手くそだし」

「下手なのは、仕方ないのです」

 

 木炭でうっすらと書いた下書きを、フェムトファイバーで擦り落とす。下手なのは構わないが、文面が遺言書なのは拙い。

 

「地上ねー。ついでに、私も乗せて行ってよ。久しく地上を出歩いていないわ」

「駄目です。さとり殿が怒ります」

「戻ってこないなら、怒られないでしょ?」

「また、いつか会いに来ますよ」

 

 。

 

「……いつか、ねぇ」

「大分、先になりそうですが。何とか、受けた命を遂行せねば」

 

 こいしが俺の上から降り、振り向くこともなく俺から遠ざかる。

 その背中から感じるのは、殺気。

 

「……こいし殿」

「私にはね」

 

 こいしが振り向く。薄暗い部屋の中。少し潤んだ瞳が緑色に輝き、白い肌がぼんやりとした光を受け青白く浮かび上がる。人形のように整った顔立ち。いや、もしかすると彼女は、もう。

 

「友達が、貴方しかいないの。心を持っていて、それでいて、同じ無意識の存在。私は彷徨う、糸の切れた人形。貴方は旅する、乗り手のいなくなった乗り物。ね、似てるでしょ?私達」

「……私は道具。私は物。貴方は人物。貴方は妖怪。自分を、卑下なさらないで」

「卑下じゃなくて、これが私。意識の無い人の形。人形」

「定義が間違っています。貴方は、人形なんかではない」

「人の形をしてるのに無意識。定義されるには十分でなくて?」

 

 平行線の問答。相手が相手だけに、争いは避けたいのだが……

 交わらない主張に、妥協する点などありはしない。最近は、腹を括らねばならない事ばかりで疲れる。

 

「こいし殿」

「何?連れて行ってくれる気になった?それとも、ずっとここにいる?」

「どちらも御免でございまする」

 

 エンジンを駆けギアを落としアクセルを回しクラッチを繋げる。ほぼ、同時進行での行程。妖怪となったからこそ出来る、一瞬での高加速。そして、ブレーキ。強引にハンドルを切り、ドリフトの用量で車体をずらし、目の前にある机と並行に並ぶ。これで、いつでも発進出来る。

 目の前の机を避けるだけならば、エンジンを駆けずに自力でバックすれば良い話。しかし、今回はそんな悠長な事をしている場合では無い。こいしを威嚇する、という意味も籠めてエンジンを駆けたのだ、が……

 

「あら、やる気なのね。嬉しいわ」

「……退く気は無いと」

「貴方は、轢く気なんでしょう?」

 

 埒が空かない。戦闘は、避けられそうに無いようだ。

 

「全員、退……」

 

 この部屋にある物達に命令しようとして、何か、違和感を感じた。誰の意思も読めない。誰も居ない?

 

「来ないの?なら、私から行くね」

 

 俺が現状を把握し切らぬ内に、こいしの手から螺旋状の光が放たれる。眩しい。なんて言っている場合では無い。

 

「ああ、もう!怪我しても知りませんからね!」

「やってみなさいよ」

 

 急発進した俺の背後で机が弾け飛び、その破片が辺りに散らばる。こういう戦い方はあまり好きではないが、非常事態なのだから仕方が無い。

 

「飛べ、机の亡骸」

 

 光弾を受けて爆ぜた机の脚や板、さらには釘や破片までもが浮かび、こいし目掛けて射出される。辺りにある物を手当り次第に飛ばしまくるのは、遠距離の攻撃としてはかなり使い勝手が良い。が……

 やはり、俺も同族を投げつけるような真似はしたくない。今回は、特別である。

 

「貴方は、道具を使えるのね。道具の癖にっ!」

 

 顔に笑みを含ませ、切り傷を作りながらも降り注ぐ塵芥の雨を避け続けるこいし。このまま疲れ果てて終わり、と成る程妖怪同士の戦いは楽では無いのが辛い所である。

 

「もう、邪魔!」

 

 こいしが避けるのを止め、迫り来る弾幕を打ち砕き始める。華奢な体に細い腕、そんな見た目からは想像出来ない程の身体能力。妖怪というのは、本当に恐ろしい。

 俺が言えた話ではないが。

 

「ええい……点数マイナスかなぁ、これも!」

 

 弾幕を打ち払うのに気が向いているこいしに向って、全力で突っ込む。アクセルは限界まで。ギアは六。クラッチは完全に繋げたまま。文字通りの全力全開。避けれる速度では無い上に、当たれば例え妖怪でも死は免れない。

 やらなければやられる。ならば、せめて一瞬で。

 

「こいし殿、申し訳ない」

「ふふ、それで勝ったつもりなんだ」

 

 こいしの視線が、俺を捉える。その手には、一つの蕾。

 

「嫌われ者に近付くなんてね」

 

 蕾が花開き、現れたのは、巨大な薔薇。止まることはおろか、避けることも出来ないほどに大きな、一輪の薔薇に俺の体が包み込まれる。まんまと引っかかった、らしい。

 

「ぐぐ……」

 

 車輪が空中で空回る。こうなると、何も出来やしない。

 俺は早々と諦め、エンジンを切った。

 

「お終い、ね。ほら、私と一緒にこうしてましょうよ。薔薇のベッドもいいものでしょう?」

「……確かに、眠くなって来ますね」

「ね。それが、本能なの。規律だー、とか社会性がー、とかいうのは、唯の鎖。貴方が本当に望むのはその安らかな眠り。私と一緒に眠りましょう?」

 

 イドの解放、とでも言うべきか。勿論、彼女はそんな単語を知っているはずが無いのだが。

 イド。簡単に言えば本能。意識下。それを抑えるのが、スーパーエゴ。抑制を失ったイドは、機械となり食欲も色欲も失った俺の、唯一残った欲求……睡眠欲を刺激する。

 眠い。ひたすらに、眠い。が。

 

「ほら。もう頑張らなくていいの。眠りましょ、永遠に」

「……残念ですが、もう、眠り飽きましたゆえ」

「え?」

 

 分かっていた。はじめから、ずっと。

 意識を持たない癖に、俺の命令を聞く机に違和感を憶えた時から、ずっと。

 

「明晰夢、という物をご存知でしょうか」

「……知らないわ」

「夢は、夢であると自覚出来たならば自由に、その内容を操れるというのです。そしてその、自覚した夢、見る者の自由になった夢を、明晰夢と言うのです」

「……まさか、貴方」

 

 これ以上の問答は不要。

 これは夢。何時の間にか眠らされた俺の見ている、幻想。

 夢の内容は操れても、俺を眠らせているのはこいし。彼女を何とかしなければ、夢が終わることは無い。

 ならば、終わらせよう。もう、この夢は俺の意のままなのだから。

 

「少しばかり、灸を据えますよ。こいし殿」

 

 今なら、出来る。ここは、俺の世界。

 

「トランスフォーム!」

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 何処で、間違ったのか。

 途中までは良かった。彼の夢は、私の独擅場。あのまま薔薇に包まれて、深い深い眠り、無意識に意識を落として終わり……の、筈だったのに。

 今の、この状況が理解出来ない。

 

「ああ、二足歩行なんて久しぶりだ……」

 

 ガシャリ、ガシャリ、と。重く、硬い足音に思わず後ずさる。

 薔薇を振り払い、目の前に迫るのは鉄の巨人。私よりもずっと背の高い、赤い怪物。普段の彼の姿よりも、よほど妖怪らしい姿の魔物。

 自分が見せた夢で、まさか私が悪夢を見る羽目になるとは思わなかった。

 

「現実では、無理なのです。この体。この力。痛い目を見る前に、眠りを解いてはくれませんか?」

「……私を連れていってくれるならね」

「なら、致し方ありません」

 

 彼の腕が変形し、見慣れた部位がその尖端に取り付けられる。ギュルギュルと音を立てて回るそれは……

 

「こういう使い方じゃ無いんですけどね」

 

 車輪。鋸にも似た鉄の刃が取り付けられ、恐ろしい勢いで回るそれの向く先は、私。

 

「痛いですよ?体を割かれるのは。ここらで、終わりにしませんか」

 

 彼から溢れ出す妖気、殺気。私のそれを遥かに上回るそれに当てられ、身動きが取れなくなる。

 体の力が抜け、床に崩れ落ち。足が動かない。能力を使う気力も無い。

 彼の夢だからか。こんなにも、体が言う事を聞かないのは。こんなにも、彼の事を恐ろしく感じてしまうのは。

 

 崩れ落ちてもなお眠りから覚めない事を否定の意と受け取ったのか、溜息を一つ吐いて彼が言う。

 その手に、車輪を回転させたまま。

 

「……気絶でもすれば、夢も終わりますかね」

「あ、あ……や……」

 

 鉄の足が、一歩近づく。回転する車輪も、また。

 後ずさろうとすれば、そこには壁。彼が作り出したのだろうその壁に阻まれ、私は、逃げ場を無くす。

 

「やだ、やだ、やだやだやだ死にたく無い死にたく無い死にたくない!」

「大丈夫ですよ、夢なんですから」

 

 回る刃が、近付く。洋服の端が切り裂かれ、風切り音が耳をつんざく。鉄の刃はゆっくりと、しかし確実に私の体へと近付く。

 彼の眠りを解こうにも、それに集中出来ない。能力を行使するだけの力さえ残っていない。

 

「お願いだから、待って待って待って、待ってよ!止めて止めて止めて!お願いだから……」

「おやすみなさいませ、こいし殿。少しばかり、痛いですけど」

 

 近付く。近付く。近付く。もう、刃が肌に届く。逃げ場も無ければ話をする余裕も無い。

 回転する車輪の生んだ風が、肌を撫ぜる。私は唯、訪れるであろう身を割かれる痛みに、目を閉じた。

 

「……なんて、悪役ぶってみたり」

 

 目を閉じた私が聞いたのは、腹を割かれる音ではなく、気の抜けたような男の声。

 目を開けるとそこには、いつも通りの姿をした、彼。鉄の怪物は、もう何処にもいない。

 

「流石に、切りませんよ。例え夢の中でも」

 

 へたり込んだままの私に、彼が声をかける。割かれた服も元通りに戻っていて、私は唯、壁を背に座り込んでいた。

 

「怖がらせて、本当に申し訳無いです。唯、能力を使える程の体力も残ってないだろうと思いまして」

「……散々脅かしておいて」

「灸を据える、といった筈です」

 

 彼の体から二本の紐が伸び、私の体を持ち上げる。そしてそのまま、彼の背中へ。

 柔らかい。そして、暖かかった。

 

「申し訳御座いません。多少、強引に切り込むしか無いと思いましたもので」

「……怖かったんだから。例え、夢でも」

「申し訳ない」

 

 いつもの彼だ。

 それだけで、安心する。安心したせいもあってか、ひどく、眠い。

 

「ねぇ」

「何でしょう」

「いつか、地上で会おう。私も、自分で地上を目指すから」

 

 眠い。伝えたいことは伝えた。ならばもう、本能に従って眠ってもいい、はず。

 

「私が眠れば、能力は切れるわ……だから……」

「ええ。おやすみなさいませ。こいし殿」

 

 その言葉を聞くが早いか、私の意識は無に落ちた――

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 眠ったこいしを乗せたまま、フェムトファイバーで筆を握る。

 派手な変形は、もう出来ない。憧れの姿も、夢の中だけで十分。それも、友人を脅す為に使う力ならば、無い方が良いに決まっている。

 夢の中で疲れさせるには、精神に攻撃を仕掛けるしか無い。夢では体にダメージを与えられない上に、妖怪は精神に依存する生き物だから、精神的に痛め付けるのは最も効果的な方法とも言える。それは、分かっているのだけれども。

 

「甘いなぁ……物だから仕方ない、仕方ない、と」

 

 数枚の手紙を前に、独りごちる。村紗宛て、ぬえ宛て、一輪宛て、雲山宛て、さとり宛て。

 そして最後に、俺の上で眠るこいしに宛てて。

 古明地姉妹宛ての手紙を机に残し、残りの手紙を、俺の体の収納スペースに突っ込む。そして、眠ったままのこいしをソファへ。

 随分と怖がらせてしまったが、眠っているこいしの表情は穏やかで。とりあえず、安心する。

 

「……こいしを、大分怖がらせたのね」

 

 いつからそこにいたのか、さとりがドアの前に立っていた。その表情からは特に怒りも悲哀も感じず、唯、少しの安堵があるだけ。

 

「いいのよ。あんまりふらふらしてると、危ない目に遭うから。これで少しは、放浪癖も収まってくれると良いのだけど」

「無理でしょうねぇ。私程度の威しでは。夢の中でしたし」

 

 先のこいしの言葉を思い浮かべ、苦笑する。心を読むさとりは、俺の表情に出来ない感情まで読み取ってくれるから話しやすい。

 

「……惜しいわ。貴方。地上に行かせたくないくらいに」

「物としては、冥利に尽きます」

「物として、だけじゃないのだけれどね。こいしが執着する理由が分かるわ」

 

 さとりがドアを開く。そして、自身はその真横に。

 

「行きなさい。何処へでも。いつか、また会いましょう」

「ええ。いつかまた、必ず」

 

 エンジンを駆けず、自力でドアを潜り抜けてミラーで後ろを確認する。少しだけ寂しそうなさとりの顔が映るが、俺は覚では無い。彼女の心までは、知り様が無いのだ。

 

「鈍感ね。鉄だから仕方ないのかもしれないけど」

「申し訳ない。心まで鉄でありまする故」

「そうね。なら、遠慮なく行きなさい」

 

 エンジンを駆け、ギアを落す。相手は覚、言葉は不要。地霊殿の石の床を、俺は走り始めた。

 

 目指すは地上。本当、物の癖に身勝手なものだと嗤いながら。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 ソファの上で眠る妹の顔を眺める。彼女の心は読めないけれど、こうして無意識の内に作り出した表情なら、たとえ覚で無くともその心境は覗き見ることくらいできる。

 安らかな、微笑。いつもの作られた笑顔では無い、彼女の本当の笑顔。彼の心を読んだ限り、相当恐ろしい目に遭った筈ではあるのだけれど。

 無意識の内に飛んだ小石に敗れ、人の意識を読んで地下深くに逃げ出した私と、夢と覚られて敗れ、それでもなお笑うこいし。心の目を開いたまま相手から逃げた私と、心の目を閉じてでも相手に歩み寄ろうとしたこいしとでは、一体、何方の心が強いのか。

 彼との接触はこいしに、他者への興味を生じさせた。彼女はきっといつか地上に赴き、人と触れ、心の目を開く。地下深くに隠された種が、やがて芽を出し雨に打たれ、日の光を浴びて遂には、その花弁を大きく開くように。

 その時彼女は、私が、覚が持ち得なかった強さを得るだろう。人と共に共存していける、心の強さを。

 

 眠り続けるこいしに毛布をかけ、部屋を出る。その手に、一封の手紙を握らせて。

 

 私も、部屋で彼からの手紙を読んでみよう。私とは会話がしやすいなんていう、酔狂な人間……数少ない友人からの手紙を。

 

 反響しながらも遠ざかり続けるエンジン音を聞きながら、私は一人、冷たい石の床へと踏み出した。

 

 

 



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二十一 地と鉄

 

 見慣れた洞窟。

 淡い光に満たされた、まるで井戸の底のような空間。剥き出しの岩肌や、流れる水、そして、進む毎に増してゆく外の空気。

 地底と地上を繋ぐ、洞窟。地獄と地上というならば、この洞窟こそがかの黄泉比良坂だと言えよう。抜けた先にいるのは、醜女の類などではなく、親愛なる友人達ではあるのだけれども。

 そんな事を考えながら、岩を避け、坂を登り、地上へ繋がる洞窟を駆ける。

 

「……寒」

 

 と、言うほどに気温は低くはない。唯、何故か。酷く、寒く感じるのだ。

 俺に生物としての体があれば、きっと震えていることだろう。それ程に、体が冷え切ったかのような感覚に包まれていた。

 俺は、物。体温など存在しない、冷たい無機質。そんな俺が、寒さを感じるなど。これが、寂しさと言うものなのか。

 

 本当、笑ってしまう。

 

「鉄の!」

 

 空気を揺らす……否、洞窟を揺らす程の大声と共に、ライトの照らす暗闇の中に一人の妖の姿が浮かび上がる。大岩の上に仁王立ちをして待ち構えるそれは、鬼。その岩までの距離は、あまり残されていない。

 あまりスピードを出してはいなかったとは言え、急な停止は中々に堪える。前輪と後輪のブレーキをじわりと、しかし速やかに掛けてスピードを落とす。

 停止する体。見慣れたその姿を見た為か、少しだけ寒さが和らぐ。

 

「星熊童子殿」

「だから、その名前は古いっての。勇儀と呼びな、鉄の」

 

 星熊勇儀。怪力乱神と名高い彼女。いつも旧都で酒を煽っている彼女が、何故、こんなところにいるのか。

 

「ははっ、やっぱり辛気臭い面してるね。そんなに地底を離れたくないかい?」

「……顔に出ていましたか?文字通りの鉄仮面ですよ」

「なに、分かるもんさ。理屈じゃなくてね」

 

 成る程、彼女は怪力乱神。対する俺は、自我を持つ道具。理屈などは大した問題ではないのだろう。

 

「で。さぞや寂しいんだろうなぁ、鉄の」

 

 鬼は、嗤う。

 

「何を申しますか。私は、鉄の妖。只の道具。一時の感情に流されて任務さえ遂行出来ないような、不良品では御座いませぬ」

「して、その本心は」

「寂しさ半端無い。私、一人で地上、行きたくない」

 

 俺の言葉を聞いた鬼が笑う。仕方が無いのだ、それが本心なのだから。鬼に嘘を吐くなど、無理な話なのだ。

 

「まあ、可愛らしい連れが二人に、面倒見の良い美人さんがいりゃぁねぇ。離れたくないに決まってるか」

「そりゃ、まあ……他にも、未練はありますがね」

 

 水蜜にぬえに、一輪。彼女達と過ごした期間は、あまりにも長い。もはや、家族同然の親友達。

 それに加え、さとりやこいし、雲山に、憑喪神達、そして、地底の鬼達。目の前にいる勇儀も含め、皆、大切な仲間である。

 陰鬱な癖に華やかで、碌でもない連中ばかりの癖に皆仲が良くて。本当、挙げれば切りが無い未練の数々が、俺の後ろ髪を強く握りしめている。

 最後に一輪と話した時は、心配させたくなかったので大見得をきって出発したが……

 道具の癖に未練たらしいなんて、聞いて呆れる。

 

「私は別に引き止めに来たんじゃないよ。喝を入れに来たのさ。人の心を持った鉄の塊に」

「鉄の心を持って生まれて来たつもりですが……」

「そんな弱気な姿勢でかい。笑わせるなコオロギもどき」

 

 蔑み、口元を斜め上に歪めながら俺を見下ろす勇儀。返す言葉も無い。コオロギにもちょっと似てる気がするし。

 

「ま……地底は、私たちにとっちゃ楽園だからね。お前がそう思うのも仕方ないのかも知れないし、そう思えるくらいの場所を作れたのは嬉しいよ。でも」

 

 勇儀が杯を仰ぎ、酒気の混じった吐息と共に続く言葉を吐き出した。

 

「あんたはそれに依存し過ぎた。こうして此処まで走ってきたあたり、頭では分かってるみたいだけどね」

 

 頭では、分かってる。だが、心は、拒み続けている。これは、やはり自分の甘さ故なのか。

 

「もっと、気楽にいきなよ。道具なんていう括りに縛られずにさ。お前はお前、自分のやりたいようにやれば良いんだよ。戻りたくなったら、何時でも戻ってきて良いんだしさ。ちょっとそこまで、ってな感じで」

 

 そこまで言って、二通の封筒を取り出す勇儀。

 

「手紙の返事だよ。これで、気が楽になるはずだってさ」

 

 フェムトファイバーで手紙を受け取り、その差出人を見る。一通は、一輪から。もう一通は、村紗とぬえから。

 

「……読みますね」

「音読はしなくていいよ」

「しませんよ」

 

 まず、一輪からの手紙の封を切る。

 俺の字とは、比べ物にならないくらいに綺麗な字が等間隔にそこには並び、あまりに彼女らしくて笑みが零れた。

 

『急ぎの返事で、雑な字面となってしまってごめんなさい』

 

 本当に、彼女らしい。何処まで真面目なのだろうか。

 

『まずは、ごめんなさい。貴方一人に大役を押し付けた挙句、心配までさせてしまって。本当は辛かったのだろうと思うと、本当にこれで良かったのかと、少し、後悔しています。頼んだ手前、こんなことを言うのも気が引けますが、本当に、ごめんなさい。そして、引き受けてくれてありがとう。辛い時はいつでも、戻ってきてくれて構いません。戻りたくなくなったのなら、そのまま地上で暮らしても構いません。貴方の自由に。私はあくまで友達で、貴方の行動を束縛することは出来ないし、そんなことは望んでもいないから。だから、自由に生きて下さい。一輪』

 

 一輪からの手紙を読み終え、一つ、溜息を吐く。此処まで見抜かれているとは、思ってもみなかった。それに、ここまで一輪が思い悩んでいるとも。

 そして、もう一通。村紗とぬえから着た手紙。

 

『見送らせてくれたっていいじゃないの。何、そんなに私たちに顔合わせるのが嫌なの?ぶっ飛ばすわよ』

 

「うぐぅっ」

「どうした」

「いや、直球すぎる内容だったもので……」

 

 あまり丁寧とは言えない筆跡。多分、ぬえの字なのだろう。

 

『ぬえはこう言ってるけど、あんまり心配しないでいいからね。聖を助けるのが最優先だし、聖が復活するのなら私も嬉しいから』

 

 此方は村紗か。丁寧に書かれた字は、ぬえとは真逆の印象を受ける。本当、彼女たちらしい文面。

 

『あ、でもね。最後に顔合わせてくれなかったのは怒ってるからね。次に会ったら錨で殴るからね』

『からね』

 

 村紗の文に続き、ぬえの言葉が短く入る。どうやら、ぬえの方はこの辺りで手紙を書くのに飽きたらしい。

 紙の隅に、蛇やら虎やらの落書きが描かれているのも、そのせいか。

 

『あ、あと。地上でも、新しい持ち主を見つけて構わないから。私たちは友達だし、その辺は貴方の自由だからね。でも、持ち主が見つかっても友達ではいてね。絶対にだよ』

 

 絶対。それは、当然。

 彼女らと縁を切ることなど、あり得ない。

 また、筆跡が代わる。

 

『私達も、地上に出れないか方法を探して見るからさ。だから』

 

『また、いつか会いましょう』

『絶対に、ね』

 

「村紗水蜜、封獣ぬえ、より」

 

 手紙を出来る限り丁寧に折りたたみ、俺の車体の収納スペースに収める。

 遠く離れようと、彼女達とは繋がっている。いつかまた、必ず会える。だから。

 今は、前に進もう。他でも無い、彼女達との約束を果たす為に。

 

「どうだい?気は晴れたかい」

「ええ。次にあったら殴られるそうですけども」

「そうかそうか。そりゃあ良かった」

 

 杯を仰ぎ、からからと笑う鬼。そういえば、地底に来る時には勇儀に運んで貰ったのだったか。

 

「勇儀殿」

「なんだい。畏まって」

「いつでも畏まっているつもりでありまするが……」

「やっぱり、一言多いね。あんたは」

 

 村紗や一輪達と再開出来たのも、ぬえと出会えたのも。此処に運んだ勇戯という存在があってこそのもの。彼女に受けた恩は、測りし得ない。

 

「今まで本当に、ありがとうございました!」

「おぉっと、鬼が人に礼を言われるとは」

「人じゃなくて、鉄ですがね」

 

 からからと鬼は笑い、釣られて俺も、動きもしない鉄の面に精一杯の笑みを作る。彼女ならきっと、分かってくれるだろうと。

 

「……さっ、て。そろそろ、私ゃ行くよ」

「本当に、ありがとうございました」

「はは。そうだ、どうせだから……お前の地上旅行に少しばかり、手を貸してやろう」

 

 にやりと。悪戯でも思いついたかのように笑い、勇儀は俺の後ろに回り、荷台を掴む。

 

「な……何をする気で?」

「なぁに、ちょっと空を飛ぶ気分でも味合わせてやろうとなぁ」

 

 嫌な予感がする。

 

「いや、結構です。走ります、走りますから!」

「遠慮するなって!」

 

 此方が困っていることを理解し、それでもなお続けようとする。

 やはり、彼女は鬼。性格は、悪い。逃げなければ、痛い思いをするのは自分である。

 俺はエンジンを駆け、ギアを落としアクセルを回す。この鬼の魔の手から脱出せねば、地上どころか天国まで昇る羽目になる。

 

「はっ!鬼に力で勝てると思ってるのか!」

「負けでいいから、離して下さい!」

 

 微動だにしない勇儀の体。只管、大地を削りながら車輪を回す俺。自慢の馬力も、鬼からしてみれば犬の散歩程度の引力にしかなり得ないらしい。

 

「さあ!覚悟を決めな、鉄の狗!お前の前にいるのは鬼の四天王が一、星熊勇儀!無事地上へと送り届けようぞ!」

「い、要りませぬ!助けて!離して!」

 

 車輪が浮かぶ。タイヤは虚しく空を切り、鉄の体は重さを無くしたかのように軽々と持ち上げられる。

 そして始まる、回転。何をしようとしてるのかは、理解した。

 

「勇儀殿!ちょっと待って!待て!おい!」

「一!」

 

 一周。勇儀は俺の木刀でも振り回すかのように軽々と、俺の体を回転させる。

 

「二!」

 

 二回転。鬼の手は未だ身体から離れず、巫山戯た速度で車体が舞う。鬼の馬鹿げた筋力は、凄まじいとしか言いようのない加速度を以って俺を、回す。

 次で、別れなのだろう。俺は、今更ながら覚悟を決め、エンジンを切った。

 

「三!」

 

 手が、離れる。

 

「達者でな!鉄の!また会おう!」

 

 勇儀の声が途方もない速度で遠ざかる。返事をする余裕は、無い。

 勇儀の手を離れた俺は、撃ち出された弾丸の如く空を切り。纏わり付く風を引き剥がし、その音を鉄の体の中に反響させながら、飛ぶ、飛ぶ。

 

「土蜘蛛殿!巣!破ります!」

 

 地底の最上に位置する、土蜘蛛の巣。いつもなら、此処まで来て休憩して、旧都に戻るのがお約束のルートであった。

 土蜘蛛の驚く顔を追い越し、その言葉も聞けぬまま俺は、巣を引きちぎりながら飛行する。

 彼女に別れを告げられなかったのは残念だが、すれ違う彼女の顔に確かに、笑みが浮かんでいた。また会ったときに、平謝りしよう。

 

「……さようなら、地底」

 

 差し込む光が、俺に近付く。まさか本当に、此処まで投げられるとは思っても見なかった。鬼の怪力に苦笑しながら、眩し過ぎる外の世界へと踊り出る。

 

 俺は慣れ親しんだ、暗く湿った洞窟を、地底を、飛び出した。

 

 



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二十二 邂と鉄

 

 

 

 

 

 草木が俺のライトを打つ。

 追い越した樹木の伸ばした蔓が俺のハンドルに絡みつき、振り払い、引きちぎりながら強引に藪の中を走り行く。

 地底と地上を繋ぐ洞窟。あの洞窟を抜けた先……正しくは、放り出された先。勢いが強すぎて、洞窟を飛び出した直後に地面に減り込むというハプニングはあったものの、無事地上へと這い上がった俺は幻想郷を求め走り出したのであった。

 しかし、現在地が何処なのかも分からない上、何処を見ても森ばかり。とりあえずは、走っていれば何れ森を抜けるだろうと、駆け出した次第である。

 

「むぅ……視界が悪い」

 

 走れど走れど、視界に映り込む緑の量は減りもせず。まるで、閉ざされた結界にでも閉じ込められたよう……

 いや。実際に結界の中に囚われているのか。何者かが、俺のことを結界に閉じ込めている。走れど走れど同じ景色が続くのは、俺が実際に同じ場所を走っているから。真っ直ぐに走り続ける物が、ぐるぐると回り続けるということもあるまい。

 ブレーキを掛けクラッチを引き、ギアをニュートラルへ。見知らぬ誰かの手中を律儀に走り続けるほど、俺はお人好しではない。

 

「……何方でしょうか。こんなに回りくどい方法で引き止めるなど」

「あらあら」

 

 視界が歪む。激しい違和感と共に現れ出たるは、一体の妖怪。

 

「始めまして。普通自動二輪車さん。ちょっと、声をかける機会を探していたもので」

 

 紫のドレスに金髪。周囲を歪ませる、妖気。

 見てわかる、力有る妖怪。しかし、今は、それよりも。

 

「……250ccのアメリカンですよ。普通より、少し小さ目です」

「あら、ごめんなさい。そちら方面には疎いもので」

 

 扇で口元を隠し、笑う。妖怪らしい妖怪。そして、何故か未来を知る不気味さ。

 

「貴方は」

「私は、八雲紫。お会い出来て光栄ですわ、無機質の王様」

「私を無機王

(ノーライフキング)

と申しますか。その名は、不死者の王の方が相応しいのでは?」

「……やっぱり、この時代で作られた物では無いのね」

「貴方は、時を越えれるのですね」

 

 バイクを知り、俺が生まれた頃に書かれた本の事について知り。それを、問い掛けに含ませる、とあらば。

 遥か先まで見通す賢者。成る程、其の筈。知るどころか、経験済みなのだ。

 

「貴方が、地上の賢者」

「そう呼ばれておりますわ。自分で言うのは、流石に自惚れが過ぎるけど」

 

 地上に来て、いきなり会えるとは思わなかった。寧ろ、彼方から待ち構えていたような……

 

「地上と地底を繋ぐあの風穴も、私の管理下ですの。害為す者が、互いに行き来しないように見張るのも私の仕事ですわ」

「私は道具。為すのは益です」

「気狂いに刃物は持たせるな」

「持ってみますか?人の真価は、事があって分かるものと言いますし」

「免許はありませんけども」

 

 クスクスと笑う。

 しかし、隙が無い。

 

「そう、警戒しないで下さいな。私は、貴方に興味があるだけなのですから。どうして貴方が時を越え、さらに地底から現れたのか。物で有りながら、人の魂を持つのか。何故、かような力を持ったのか」

 

 八雲紫が、空間に一本の線を引く。

 

「如何?ちょっと署まで」

「減点ですかねぇ」

「それは、貴方の行い次第」

 

 空間の裂け目が広がる。俺が通るのに、不都合がない程度まで。

 

「不安なら、一緒に通りますけれど」

「どうです、乗ってみますか?」

「あら、ありがとう」

 

 八雲紫が、俺の後部座席に腰掛ける。

 

「いいですわねぇ、男女の二人乗り。まるで、青春ドラマ」

「ドラマも近頃、すっかり見なくなりましてねぇ。私も憧れはしましたけど」

 

 何となく、懐かしい。彼女しか知らない、未来の世界。彼女としか話せない、未来の話。

 

「バイクなんて、始めて乗ったわ。スピードは、出さないでね」

「なら、エンジンだけ駆けときますね。折角のバイク、エンジン音が無いなんて寂しいでしょう」

「あら、分かってるわね。なら、安全運転でお願いね」

「了解です、お嬢さん」

 

 空間の裂け目。趣味がいいとは言えない、未知の空間へと向けて、俺は超低速で走り出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま、藍。良いものを見つけたわ」

 

 紫と世間話などをしながら、境界を抜けた先。そこにあったのは、一件の民家。どうやら、彼女の家らしい。

 俺から降りた紫は、中にいるのであろう誰かに向かって声を掛けつつ、戸を開いた。

 

「お帰りなさいませ、紫様……なんです、それ。猫車ですか?」

「ふふ。良いものよ。良いもの」

 

 良いもの良いものと、褒めちぎられても照れる。性能などはエンジン音を聞かせただけに過ぎないので、道具として良いものだと言っているのでは無いのかも知れないが。何にせよ、褒められるのは嬉しいことだ。

 

「なんですか、良い物って。妬きますよ」

「あらあら、ごめんなさい。さ、これを磨いておいて頂戴。仲良くなって損は無いわ」

「了解しましたー」

 

 藍と呼ばれた少女……もふもふしてる。見たところ、九尾。始めて見る、妖獣の頂点。紫曰く、彼女は、紫の式神らしい。式神と言えば陰陽師などが遣う使い魔の事と記憶していたのだが、紫の言う式神とはコンピュータのことらしい。素体となる依代に、術者がプログラミングを施す……インストールすると言った方が的確なのかもしれない。唯、俺の知識にある式神とは別の存在であるということは確かだ。

 彼女は、紫の道具。ある意味、俺と同類と言えるのではなかろうか。妙な親近感が湧く。

 

「……それにしても、何なんだか。絡繰の類ではあるようだけど……」

 

 持ってきた雑巾で俺を拭きながら、藍が言う。こうして磨かれるのも久しぶりだ。

 

「……私と役割が被る事は、まず、無いかな。私の仕事まで取られちゃ、堪らないわ」

 

 どうでもいいのは回したいけど、なんて、少しばかり愚痴を吐きながら俺を磨く。

 やはり、彼女も道具。持ち主に従順な姿勢。やはり、道具たるものこうでなくてはならない……というのは俺の勝手な意気込みである。

 

「……妖気を感じるな。まあ、普通の道具では無いのだろうけど。どう操作するんだ?」

「馬みたいに跨ぐのよー」

 

 お茶を入れた湯呑を二つ、急須を一つ盆に乗せた紫がやって来る。

 

「跨ぐ?これは、乗り物なのですか」

「ええ。馬より速い優れものよ。次は、その棒を握って」

 

 藍が俺に跨り、ハンドルを握る。

 

「次は、左側に着いてる鍵……これこれ、これを回すの」

 

 紫が藍の手を誘導し、俺のキーを回させる。キーが回り、俺のメーターのランプが点灯した。

 

「おお、何か点いた」

「次は……えーと、どうするのかしら」

「紫様?」

「えと、えーと……ああ、もう、エンジンかけて!」

 

 慌てふためく紫が命令するのは、藍ではなく俺。キーを回すまでは分かっていたらしいが、どうやらスターターまでは知らないらしい。

 仕方が無い。俺は、スターターのスイッチを押し込み、エンジンを駆けた。ついでに、アクセルも思いっきり回しておく。

 

「うあっ!?」

 

 突然の爆音に藍が仰天し、車体から飛び退く。それを見て、紫が隠しもせずに愉快そうに笑う。

 全く、趣味が悪い。俺は、心の中で笑うに留めているというのに。

 

「紫様!なんなんですか、これは!」

「自己紹介、よろしくね」

「了解ですー」

「な、喋っ……」

 

 動転したままの藍に追い打ちをかけるべく、俺は芝居がかった口調で自分の紹介をする。更に混乱するように、更に動揺するように。

 俺もやはり、負けず劣らず趣味が悪い。

 

「私は乗り物、自動二輪車。又の名をオートバイ。俗に言いますると単車という物でござい。ブイ型二気筒エンジン搭載、排気量250ccのアメリカンにて御座いまする」

「あ、え?ちょ、ちょっと待ってくれ、情報を整理するから」

 

 頭を抑える藍。それを見てニヤつく紫。本当、趣味が悪い。俺は顔に出ないから良い。

 

「……エンジンとか言うものは分からないが、後はまあ、大体理解出来た」

 

 出来たのか。

 

「唯、なんでお前は意思があるんだ?物だろう?」

「貴方は、紫殿の道具と聞きましたが」

「ああ。私は式神。紫様の忠実な道具。しかし、私が意思を持つのは獣の体という意思のある依代があるからだ。物が意思を持つといえば……」

「まあ、憑喪神ということにしておいて下さいな。私にも、よく分からないのです」

 

 鉄なのか、人なのか。

 俺は、鉄として、妖怪として生きることを選んだ。今更、掘り返す話でも無い。

 

「それより紫殿」

「何かしら、単車さん」

「私が地底より赴きましたは、貴方様に頼みがあっての事にございます」

 

 そのことを伝えた途端、紫の雰囲気が和やかな物から、張り詰めた物へと変わる。その目は、何処か冷たく。真剣さと、冷徹さ。

 やはり、賢者。なんでもほいほいと相談に乗ってくる気は無いようである。

 

「……それで、その頼みと言うのは」

「魔界に封印された我等が師、聖白蓮の解放に、手を貸して頂きたい」

「聖、白蓮……人間でありながら妖怪の側に着き、人と妖の共存を望んだ僧侶ね」

「ご存知でございましたか。私は、彼女の下でその考えを広めるべく働いておりました」

 

 紫が扇子を広げ、口元を隠す。

 

「それで、その僧侶の封印を解いたとして、私になにかメリットがあるのかしら」

「幻想郷」

 

 ぴくりと、紫の眉が動く。口元は、隠したまま。しかし、少しでも感心を向けれたのならば構わない。

 

「妖怪の賢者が、遥か先の世まで妖怪を存在させるために作った郷であると聞いております。彼女は、喜んでその助けをしようと動くでしょう。力有る僧、命蓮上人が姉、白蓮。必ずや、貴方の力となり得ましょう」

 

 暫し沈黙が流れ、不意に、扇子の閉じる音が鳴り響いた。

 扇子が隠していた彼女の口元、そこにあるのは、笑み。

 

「私も、その僧侶が封印されたのは惜しく思っておりました。彼女は、人と妖の仲介を為すことが出来る人材。いつかは、幻想郷に招き入れたいと、そうまで思っていたのですが……」

 

 言葉が濁り、笑みが消える。

 

「ごめんなさいね。実はもう、試してみたの。聖の封印に干渉できるか、否か。でも、封印は、解くことが出来なかった」

 

 申し訳なさそうに、紫が言う。

 

「何か、封印を為すのに使われた特殊な力。それが無いことには、あの封印は解けない」

「そんな……」

「貴方には、心憶えがないかしら。封印される瞬間を、見たのでしょう?」

 

 白蓮の封印。それに使われた力。

 あの状況を、思い出す。紅白の巫女、光輝く光弾、結界。巫女が摘み上げた、一切れの破片……

 

「あ」

 

 破片。飛倉の破片。それを使うと、あの巫女は確かに告げた筈だ。

 

「飛倉の破片です。巫女は、命蓮上人の飛倉の破片を使って封印しました。その力の正体は」

「法力、ね」

 

 紫が溜息を吐く。折角、結界を解く力の正体が分かったと言うのに。

 

「飛倉は、今、何処にあるのかしら?」

「……地底、ですね」

「巫女が使ったもの以外にも、破片はあったのかしら?」

「沢山ありました、けども……」

「今は何処だかわからない、と」

「……イエス」

「はぁ……」

 

 張り詰めた雰囲気は何時の間にやら消え、唯、項垂れる二体の妖怪。藍は、終始黙っていた。

 

「……でも、時が経てばその破片も幻想郷に集まり出すわ。人間に忘れ去られるに連れて、ね」

「どういうことで?」

「妖怪拡張計画。貴方が地底に潜っている間に、地上では人間が妖怪の勢力を押し始めた。私が危惧していた通りにね。だから、私は幻想郷にある作用を持った結界を張ったの」

 

 紫が、俺に腰掛ける。

 

「妖怪を惹きつけ、幻想郷内に取り込む結界。遮断する結界ではなく、妖怪達を集める結界。これは、妖怪に限ったものではなく、人々が忘れた物すらも惹きつけて行くわ。そう、例えば」

「……法の力、ですか」

「そういうこと。だから、気長に待ちなさいな。どうせ、その破片だけじゃ足りないでしょうしね。飛倉が地上に顔を出し、破片が揃わなければ聖は救出する事が出来ない。それならいっそ、人と妖怪が共存する世界に聖を招くのも、中々、よろしいんでなくて?」

 

 人々が法力なんて物を忘れ、村紗達が地上へと解放されるまで。一体、どれだけの時間が掛かるのだろうか。

 ならば。

 

「幻想郷の開発に務めよと申しますか」

「ええ。猫の手も借りたいくらいに忙しいの」

「狐の手があるでしょう。尻尾も合わせれば、十一本」

「それでも、藍は一人しかいないの。藍がしなくても良い、けれどもしなくてはならない仕事。それを貴方にお任せしたいのです」

「……具体的には、何を」

 

 くすくすと笑いながら、紫はまた扇子を拡げる。

 

「大したことではありません。貴方は、幻想郷の人間に使われるだけで良い」

「妖怪に馴れさせよと言うことですか」

「理解が早くて助かりますわ。妖怪の中にも人の側に着く者がいる。それだけを知らせることが出来れば良いのです」

「そんなことで良ければ、喜んで。人の寿命は短いですし」

「ええ。多くの人と関わることになるでしょう。時には、妖怪を退治することにも」

「いいので?」

「許可しますわ。でも、あくまで使い手の意思に従いなさい。それだけが、唯一の条件」

「それは、言われずとも」

 

 俺の前に、裂け目が入る。俺が通ってきた、あの裂け目。紫は俺から降り、藍の横に。

 俺は、エンジンを駆けた。

 

「では、御機嫌よう。地底へと繋がる風穴は、既に幻想郷の中。貴方の働きに期待しますわ」

「では、これで。幻想郷、大いに走らせて頂きます」

 

 そう、言葉を残し、開いた裂け目へと体を潜らせる。文字どおり一瞬で、あの洞窟の前へと舞い戻った俺がミラーを確認すれば、先の裂け目は既に閉じた後。賢者のと謁見は、どうやら幕を閉じたようである。

 

 目の前に空いた大穴。俺は、一輪が用意し、後部座席横に括り付けてくれた荷物に呼びかけた。

 

「紙と炭よ、出ておいで」

 

 荷物の中から、一枚の紙と細く切った炭が這い出してくる。炭は鉛筆の代わり。筆は、フェムトファイバーで扱うには難し過ぎる。

 

「えー、と。拝啓、雲井一輪様、と……」

 

 紫に聞いた話を要約し、手紙に書く。封印を解くには飛倉が必要で、寺の面子が地上に出て来ないと封印が解けないこと。逆に言えば、それさえ叶えば聖は復活出来るので安心して良いこと。俺は地上の賢者に言われたように、聖の願う人と妖怪の共存を実現するために動くこと、など。

 一通り報告を書き終え、手紙を飛行機の形に折る。紙飛行機とは、懐かしい。

 

「地底の、雲井一輪の所までお行き」

 

 紙飛行機を投げる。投げた紙飛行機は急降下し、地底へ続く穴の中へ。

 これで、報告も終わった。俺は、木炭に荷物の中に戻るように指示し、空を見る。

 

「まずは、人里をさがすかね」

 

 人間が、俺をそう安々と受け入れてくれるか、否か。考えても仕方が無い。とりあえずは、動くことだ。

 エンジンを駆け、アクセルを回す。森の中、山の麓。川さえ見つければ、人の里はその下流にあるので楽に見つかる。

 

「さって、と。行くか!」

 

 一人、改めて喝を入れ、俺は走り出したのであった。

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 聞いたことの無い音が、山の方角から近づいて来る。獣の唸り声でも、妖怪が地を駆ける地響きでも無い、もっと騒々しく、調子がかった音。

 

 妖怪退治用に力を込めた刀を握り締め、その音の主が姿を表すのを待つ。森の中、開けた空間。その真ん中に立てば、流石に相手も気付くだろう。

 正体の分からぬ妖怪は、里に入る前に此処で断つ。刀を握る手に、力が入る。

 

「来るか」

 

 森の中から飛び出してきた妖怪が、俺から少し離れた所で止まる。赤い体に、車輪。眩しく光る一つ目。物が化けた者なのか、その体に生物らしさは見受けられない。

 

「もし、そこの人」

 

 妖怪が話しかける。

 

「口がきけるのか」

「達者なもので御座いましょう?」

 

 頓珍漢な答え。真面目に話す気があるのか。

 

「人里へ向かいたいのですが、何方になりますでしょうか」

「理由を聞こう」

「何、少しばかり親睦を深めようと思いまして」

 

 冗談を言うだけの知性はあるらしい。面倒な妖怪が現れたものだ。

 

「通すと思っているのか」

「てことは貴方の後ろ側に向かえば良いのですね。ありがとうございました」

 

 しまった。まさか、本当に知らないとは思わなかった。

 だが、しかし。

 

「貴様は此処で切る。人の里に行かせはせぬ」

 

 近付く魔の手は、切り払えばよいこと。

 

「私は物。私は道具。人に作られ、人に使われるのが存在意義にてございます。その為には、人の元へ行かねば」

「ふん。化けた者が人に使われるなど。見え透いた嘘を吐くでない」

「生憎、嘘を嫌う方々の街で暮らしておりましたゆえ、嘘は得意でござらんのですよ、侍殿」

「侍ではない。私は、妖怪退治を生業としているだけの者。だから」

 

 刀を抜き、構える。白刃は、向かい合う妖と同じ煌めきを以って真っ直ぐ、敵を捉える。

 

「退治屋の頭領たる私に会ったが運の尽き。人に害為す妖怪は、全て、断ち切って見せようぞ」

「……そんな姿勢だから、人と妖怪は共存出来ないのです。人に歩み寄り、共に生きんとする妖怪もいると言うのに、その声を聞きもせず、その刃を振り下ろす」

「人と妖怪は相入れぬ。妖怪はいたずらに人を食い殺しては厄をもたらす。妖怪など、皆同じ。だから私は全て絶つ」

「仕方が無い。切ると言うなら、私も抵抗せねばなりません。それに……」

 

 相手の発する妖気が増し、途轍もない量に膨れ上がる。恐ろしい程の量の妖気。此処までの力を持つ妖怪は、相手取ったことが無い。

 

「私が封印される前と人間は変わっていないな。真に独善的で、偏狭頑固である!いざ、南無三!」

 

 奴が飛び出す。俺も、その動きに合わせ刀を振るう。

 格が違う、勝てるはずの無いであろう、その妖怪に向って。

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

「話になりませんね。最近の妖怪は、こんなのに負けるのですか」

「ぐぅう……」

 

 肩で息をし、傷だらけになった青年を眺めながら言う。

 内心、勢いで聖の真似までして負けたらどうしようかと心配で仕方が無かった。安堵の溜息を吐きたい所だが、それを堪えながら言う。

 

「……殺すがいい」

「は?」

「私は負けた。さっさと殺すがいい。しかし、里には手を出すな。私の血肉でお前の腹は満たせるだろう」

 

 えらく男前なことを言ってくれるが、そもそも俺は人を食いに行くわけではない。使ってもらう為に行くのだ。

 

「いや、私、人なんて食べませんし……てか、口無いですし」

「は?なら、何故」

「だから、私は物であり、道具なのです。乗り物。だから、人に使われたいと思って人里へ向かっているのです」

「本当なのか?嘘じゃないだろうな」

「なんで嘘つく必要があるんですか。大体、本当に人里襲う気なら貴方程度軽く撥ねて先に進みます。貴方に気圧されて立ち停まった、なんて考えないでください。自惚れが過ぎます」

「……道具にしては、失礼過ぎやしないか」

「なら……いやはや、まさか私を此処まで追い詰めるとは。あの刀捌き、只者では無いに違いな」

「止めろ、胸が痛くなってきた」

 

 退治屋と言えど、からかってると面白い人物である。根は、悪い奴じゃ無いのだろう。

 持った刀も、数えきれない程妖怪を切ったものだと分かる。腕も確からしい。地上の妖怪と地底の妖怪との間には、どうやら随分と力の差が生まれてしまったらしい。

 少しばかりの寂しさを覚えながら、男に言う。今は、これからのことを考える時だ。

 

「人里、案内して下さいな。出来るだけ多くの人に使われたいのです。退治屋の頭領たる貴方が使えば皆安心できるでしょうし」

「……信じて、良いのだな」

「なんなら、諏訪大社まで赴きましょうか?彼処には、私を知る神々がいらっしゃる。この鉄の輪も、洩矢神様から頂いたものですし」

「神……確かに、神の力が籠っている……何故、始めに見せなかった」

「どうせ聞きやしなかったでしょう」

「確かに、な」

 

 乾いた笑みを浮かべ俺を見る。

 

「乗り物と言ったな。乗せて行ってくれ」

「では馬のように、跨いで下さいな。人里は」

「そっちの方へ真っ直ぐ、だ」

 

 俺に跨り、指差す。一本の獣道。十分に走れそうだ。

 

「足に力を込めて。振り落とされたら怪我じゃすみませんよ。ヘルメットは……貴方は、兜があるからいいか」

「なら、頼んだ。里の連中にも、私が説明する」

「了解」

 

 エンジンを駆け、獣道を駆け出す。人里。普通の人間に乗られるのは、本当に久しぶりである。

 一悶着はあったものの、これで、紫との約束も果たせそうだ。

 

「妖気はなるべく隠して過ごしますから」

「当たり前だ」

 

 かくして、俺と人間との生活は幕を開けたのであった。

 





 予期せぬ出会い。
 人と妖怪の新しい関係作りへ……


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二十三 時と鉄

 

 

 妖怪が里を襲えば、退治屋達と共に里を守り。人が攫われれば、その行方を追い。

 人の生は短く、それでいて、多様性に溢れていて。時は飛ぶように過ぎ去り、後には思い出だけが積み重なっていく。

 

 

 人里で暮らし始めて、もう、随分となる。妖怪である俺の感覚でも長いと感じるのだから、人間にとっては途方もない時が過ぎたのだろう。

 昔は退治屋が中心だったこの里も、今は大手の道具屋に飯屋、甘味屋なんてものまで立ち並ぶ、ちょっとした街が出来上がり始めていた。

 

「おっす。座らせてもらうぜ」

「お疲れ様です、店主殿」

 

 少し疲れた顔で、若い男が俺の上に座る。大手道具屋の若き店主。商才に恵まれたらしく、ここの所彼の道具屋、霧雨道具店はぐんぐんと成長し続けている。

 

「仕事はよろしいんで?」

「おう、こっそり抜けて来ただけだから大丈夫だ」

「あまり大丈夫じゃないように聞こえますな」

 

 霧雨家の者は、どうも素行がよろしくない。しかし、それでも商売が繁盛しているのは彼が影で努力しているからなのだろう。

 今も、道具店の周りを見回し、人通りがどれ程のものなのかと探っているようである。商品開発にも余念は無く、俺にサイドバッグを作ってくれたこともあった。丈夫で、大容量。車輪への巻き込み防止のカバー付きという、此方の需要を実に理解した一品。デカデカと『霧雨道具店』と刺繍されている辺り、宣伝効果も期待したらしい。

 前の店主も研究熱心で、よく仕事を抜け出しては辺りを歩き回って他の店の観察なんてことをしていた。

 また、誰に対しても親身になって話を聞き、信用も厚い。それも、商売繁盛の秘訣なのだろう。

 

「おやっさん!何処ですか!」

「おお、いけねいけね。んじゃ、帰るぜ。丁度、邪魔になるとこだったしな」

 

 すたこらと店に戻る店主を眺めながら、欠伸を一つ。はて、丁度邪魔になる所とはどういう意味だろうか。

 

「おい、行くぞ」

 

 またもや唐突声を掛けられる。次は、刀を持った青年。いつぞやの、俺と争った青年の面影を残したその顔は、忘れるはずもない。

 

「いつでもどうぞ、頭領殿」

「おう」

 

 現退治屋頭領。と、言っても彼の他に退治屋はもう皆廃業した後で。最後に残った彼も、自身の代で退治屋業は畳むつもりだと語っている。

 

「……依頼が、数件。幾つかは、説得で終わりそうだ」

「了解。頭領殿、ヘルメットを」

「……」

 

 無言でヘルメットを被り、俺のキーを回す。俺が使われ始めてから何回も代替わりしたが、彼が一番真面目な性格で。若干とっつきにくいものの、仕事が終わったら毎回磨いてくれるなんて一面もあるので、物としては嬉しい限りである。

 

「まずは、人里の外れ。化け猫の被害が出た」

「了解」

 

 人通りの少ない道を選んで走り始める。

 俺を運転出来る人間も、彼だけになってしまった。昔は、退治屋達が取っ替え引っ換えに乗り回し、忙しくも楽しく暮らす事が出来た。のんびりと走る者、慎重な者、荒々しい者。改めて、人の個性というものに気付かされることばかりで。

 そうやって、段々と成長する人里を見守って来た。

 

 人里は狭い。バイクなんて必要無く、歩きで十分事足りる。幻想郷において、妖怪の跋扈する人里の外まで出掛けるのは退治屋か、物好きか。

 最後の退治屋たる彼が廃業すれば、俺の役目は無くなりそうだ。そうなれば、俺は、もう―――

 

「……依頼の数が、最近、目に見えて減ってきている」

「……巫女、ですね」

「ああ。大きな悪事を働けば彼女が動く。依頼がくる前に動くからな、あれは」

 

 巫女。俺を封印した巫女の後継。

 勘で動き、現行犯で退治しているのだから此方に依頼がくるはずがない。

 

「……平和が一番だ。彼女が即座に対応すれば、被害は目に見えて減る。人は、安心して生活出来る」

「人里も、暮らしやすくなりましたねぇ。人にとっても、一部の妖怪にとっても」

 

 妖怪の中には、人と共に暮らしたいというものも居る。そういった連中が、少しずつ人里まで来て人間の仕事を手伝うようになって来た。まだまだ人と妖の間はギクシャクとしているが、次第に解れ、自然に付き合えるようになるのだろう。

 

 不意に、ブレーキがかかる。

 

「さて、行くか」

「引っ掻かれないといいですねぇ」

「お前なんぞ、誰が引っ掻くものか」

 

 猫たちの集まる中、一際大きな猫に向けて彼が歩き出す。

 俺は、その後ろ姿を見ながら後に続くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 依頼がとんとこなくなってから数週間が経ったある日。

 妖怪退治の看板の下を、一人の少女が潜り抜けた。

 

「いらっしゃい……これは、稗田様」

「こんにちは、退治屋さん、妖怪さん」

 

 阿礼乙女。幻想郷縁起と呼ばれる妖怪に対する対処法などを記した書を編纂するために転成を繰り返す少女。

 実を言えば、前々から仲の良かった二人。最近は依頼が少なくなったこともあり頭領が里にいる事も多くなったため、話す機会が増えたようである。

 友達以上カップル未満、と言った所か。

 

「とりあえず、私は出かけて来ますね。あ、戸は閉めておかないと茶化されますよ」

「ち、茶化されるような事はしない!」

「ご、誤解です!」

 

 顔を赤らめて同時に宣う。もう、この時点で十分茶化せる。

 

「顔、赤いですよ。お二人とも。では……」

「ま、待って下さい!今回は依頼で来たのです!」

「依頼?」

 

 頭領が、阿礼乙女を見る。此処しばらく依頼が来なかったかと思えば、突然の稗田家からの依頼。当然、困惑する。

 が、俺は先代の阿礼乙女にも会っている。俺が里に来て、数十年くらいの時だったか。その時もこうして、当時の頭領に依頼がきたのである。

 

「……お体は、大丈夫ですか」

「ええ。私の準備は出来ています」

「お、おい。説明してくれ」

 

 一人会話に取り残された頭領が慌てる。依頼の内容を知っているのは俺と、記憶の一部を引き継いだ彼女のみ。

 

「阿礼乙女の編纂する幻想郷縁起。そこに記す妖怪の調査、ですね」

「はい。退治屋さんにはその護衛を頼みたいと。妖怪さんには、前回同様に足代わりになって頂きたいのです」

「それは、つまり」

「旅ですよ。頭領。稗田様が幻想郷を巡る間の護衛役です」

 

 幻想郷は、そこまで広くは無いと言えど遠くまで行けば日帰りで帰るのは難しくなる。それ故の、旅。その場で記録し、記録し終えれば次の場所へと移動する小旅行。

 

「わ、私で良いので?」

「貴方以外に退治屋もいませんし」

「博麗の巫女なんて言うのは」

「彼女は大きな異変を解決するためにいるのですから、私の都合で連れ出す訳には行きません」

「ですが、私だって一応は異性であって……」

 

 顔を赤らめ、段々声の大きさも小さくなっていく頭領。生娘かと突っ込みたくなるものの、ぐっと堪える。

 

「何、顔を赤らめてるんですか!これは依頼、旅といっても、仕事なのですからね!」

 

 対する阿礼乙女も顔が赤い。この二人は人の目の前で、何をしているんだか。

 

「そ、それに、別に、他に頼む人がいないからという訳ではなくて、その、わ、私は、貴方が……」

「……本当に、よろしいんですね?」

「……はい」

 

 頬を朱色に染め、潤んだ瞳で見つめる阿礼乙女。同じく顔に朱を滲ませ、真剣な眼差しで彼女を見つめる頭領。真っ直ぐに繋がり、絡み合う視線。吐息の音が聞こえるであろう程に近付いた、二人の距離。

 二人の顔が、ゆっくりと近付いて―――

 

「あの、私、居ますからね?此処に」

 

 重なり会う前に、弾けるように跳ね退いた二人。本当に、俺の事を忘れていたらしい。天然なのだろうか。

 

「い、いつからそこに!?」

「ずっと一緒だったじゃないですか」

「ぬ、盗み見るなんて……!」

「いきなり始めたんじゃないですか」

 

 呆れた声で二人に反論し、未だにあたふたと慌てふためく二人に告げる。やはり、天然らしい。

 

「兎角、頭領は荷物の用意を。稗田様はその手伝いを!私は外で待っていますからね!よろしいですか!」

「わ、分かった!」

「は、はい!」

 

 それだけ告げて、俺は外に出る。あの二人の事だから、荷造りの途中もあの甘ったるい空気を醸し出しながらの作業となるのだろう。大分、長くなるかもしれない。

 偶々店のすぐそばをぶらついていた絶賛サボり中の霧雨店主を眺めながら、俺は溜息を吐くのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 数刻の後、店から二人が出てくる。予想通り、やけに長い荷造りであった。荷作りなんてせずに子作りでもしてれば良い、なんて、少々下品な嫌味が頭に浮かぶも、流石に口には出さない。デリカシーなんていう問題ではなく、ただ単にまた面倒な事になりそうだからである。

 

「終わりましたか、子作……荷造り」

「ちょっと待て今何か」

「荷造り」

「いや、別の言葉が」

「終わりましたね?荷造り」

「……ああ……」

 

 荷物で手の塞がった頭領に代わり、阿礼乙女が店の鍵を閉めて近付いてきた。

 

「では、行きましょうか。どうしました?」

「いや……なんでも、ありません。ただ、人目は気にするべきだと学んだだけです」

「?」

「賢明です。頭領」

 

 俺の荷台に自分の荷物を括り付け、阿礼乙女の荷物をサイドバックに詰め込む。

 

「あら、この袋……」

「ええ、霧雨店主に頂いたもので御座います。丈夫な作りなんで助かっております」

「はあ……家の備品も痛んで来ましたし、次は彼の所で買い揃えましょうかね」

 

 頭の中で、霧雨店主が親指を突き立てる姿が浮かんだ。サイドバッグの対価が店の宣伝ならば、安い物である。

 

「さて……稗田様、後ろへ」

「はい。えっと……こう、ですかね」

「はい。ヘルメットは稗田様がお被り下さい。私は兜がありますゆえ」

 

 阿礼乙女がヘルメットを被る。フルフェイスの為会話がし難いのが難点だが、そこは俺の能力でどうにかしておく。

 頭領の兜と、阿礼乙女のヘルメット。その二つを通して会話出来るようにしておく。これで、走行中も会話が出来る。

 

「もっと、足に力を込めて下さい。振り落とされないように。腰に手を回して、しっかりと捕まっていて」

「は、はい」

 

 バイクの二人乗り。特に、後ろが馴れていない時には、二人は殆ど密着した状態になる。

 

 なんとなく、押し黙る二人。

 しかし、俺は黙らない。

 

『お二人共』

「何だ」

「何でしょう」

『平常心』

「「うるさい!」」

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 稗田様を後ろに乗せ、魔法の森を走る。悪路の走行、流石のこいつもガタガタと揺れながらの走行となる。しかし、倒れはしない。たいして運転の上手くない俺でもこの道で転ばないのは、こいつの助けがあるから。

 単車に馴れていない稗田様が振り落とされないのも、こいつがこっそりと縄で固定しているから。本当、こいつには世話をかける。

 

『この辺りで止まって頂いてもよろしいでしょうか』

「分かりました」

 

 ブレーキをかけながらギアを落とし、最後にニュートラルへと一段上げてからエンジンを切った。

 魔法の森。瘴気に満ち、妖怪と化した木々や蟲が蠢く森。

 

「稗田様、ヘルメットを取らないで下さいね。瘴気にやられます」

「退治屋さんは……」

「私は、耐性がついていますゆえ」

 

 森での修行の中、段々と森の毒気に慣れていって。今ではもう、この程度の毒では気分さえ悪くならない。

 しかし、稗田様の場合、森の瘴気は死を招く。私も、彼女に何かが起こらぬように細心の注意を払わねば。

 

「この辺りの妖怪は……妖花や蟲、妖獣などですか。薬草や茸の類も多いので、そちらも記録するべきですかね……」

 

 稗田様は手帳に記録を取りながら、森の中を歩き始める。私と相棒も、稗田様を中央に置きつつ進み始めた。

 

「稗田様、無理はなさらぬよう」

「ええ。只、森で一晩過ごすことになりそうですので、お願い致しますね」

「分かりました。必ずや、お守り通してみせましょう」

「……侍っぽいなぁ。やっぱり」

 

 どこか寂しそうに相方が呟くも、その表情は微塵も変化せず。よって、その心情を読み取ることも出来ない。

 

「稗田様を頼む。稗田様、暫しお待ちを」

「了解ー。はい、結界張りまーす」

「えっ……えっ?」

 

 困惑する稗田様が、相棒と共に結界に包まれる。慇懃無礼ではあるものの、流石は永きを生きる妖怪。その結界の強度は、巫女といい勝負になりそうな程。

 二人に背を向け、迫り来る妖気に身構える。気配は、複数。囲まれてしまってはいるものの、稗田様は安全。安心して、妖怪達を退治する事が出来る。

 

「さて……かかってこい!」

 

 私は、茂みから躍り出た妖獣達に切りかかった。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 頭領が妖獣の群を一掃してから数刻後の、夜の森。焚火と、簡易テントの張られた小さな広場。キャラバンとは、こんな感じなのだろうか。瘴気除けの結界で広場を護りながら、揺れる焚火を見守る。

 阿礼乙女はテントの中で森の記録を取り、頭領はその傍に控えている。テントの中の様子は分からないが、覗き見たりするほど俺は野暮では無い。

 只々、二人に邪魔が入らぬように結界を維持し続ける。暇だったので、妖怪や幼獣を寄せ付けぬよう、妖怪除けの結界も張っておいた。

 

「……それで……この辺の妖怪は……」

「なるほど……では……対処法等は……」

 

 テントから二人の話し声が聞こえる。あまりよく聞き取れないものの、この辺りの妖怪について話しているようだ。

 男女二人、狭いテントの中。本当、真面目なんだか奥手なんだか。

 二人がこのままくっつかないんじゃないかと、要らぬ心配をしてしまう。

 

「……老いたなぁ、俺も。精神的に」

 

 人里で、沢山の人に使われる中で。生まれては死に、かと思えばまたその子が生まれ、育ち、また死んで。

 人の寿命は短い。阿礼乙女は、その中でも特に短い。彼女は転生するので、付き合い自体は長いものの、それでも。

 人の生は、短い。何度も別れては、何度もその面影を残す者と出会って。そして、また別れがくる。

 人と妖怪とが共に生きるには、寿命というものは大きな壁になるだろう。妖怪側は、何度も別れを味合わなくてはならない。人間側は、妖怪を残して逝かなければならない。

 寿命の差。それは、あの二人の間にもあることで。

 テントの方を眺め、また焚火を見る。二人の話し声から察するに、どうやらまた、昼間の桃色な空気に突入したらしい。人と妖怪の関係を再現したかのような恋愛談。見ていて、少しだけ辛くなる。

 

 暗い、夜の森。俺は二人の人間の事を想いながら、其処に停まり続けた。

 



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二十四 代と鉄

 

 私の袖に、一枚の花弁が舞い落ちる。

 見上げれば、そこに舞うのは紫の桜。様々な『幻想』が流れ着く幻想郷と言えど、此処まで紫がかった色の桜は、この丘にしか存在しない。紫の花弁は、この地にのみ降りそそいでは土へと還り、また、桜の一部となってこの塚へと舞い落ちる。桜がこの塚にしか存在しない上、この場所自体が、人々にあまり認知されていないこともあり、この色の所以は、未だに誰も知らないまま。

 唯、この桜。見ているとやけに哀しくなる。

 

「稗田様、此処は……」

「無縁の塚。その名の通り、無縁の者を弔う墓地です。と、言っても……」

 

 無縁の者なんて、里にはあまりいないのですけれど、と付け加える。

 無縁の塚。紫の桜が舞い落ち、墓地である為に冥界との境界が曖昧になっている危険な地域。

 それは人にとっても、妖怪にとっても。

 

「最近は、里に住む妖も増えてきましたしね……妖怪達にも注意を呼び掛けましょうか」

 

 手記を取り出し、記録しておく。その場で感じた一時の感情も、こうして記録に残しておけば後で何か役に立つ。

 妖怪に向けた注意喚起。人間の為にと編纂して来た幻想郷縁起も、その在り方を変えるべきなのかも知れない。

 

「……む……?」

 

 退治屋さんの顔が、不意に険しくなる。

 

「どうしました?」

「いえ……なにか、気配が」

 

 気配……私には、まだ分からない。しかし、彼が感じたのならば、もう此方へと向かって来ているのだろう。

 私は、単車さんの方に目を向ける。

 

「……どうします?離れていましょうか?」

「いえ、構いません。人が、あの方と出会う機会はそうそうありませんし」

 

 単車さんは、前回の転生時からの付き合いなので、此処に向かって来ているその方を知っている。

 私が記録を残す時、此処にくるのは一番最後。何故なら。

 

 

「阿礼乙女。編纂は終わりましたか?」

 

 

 桜の下。何時の間に其処に現れたのか、緑色の髪に冠を乗せた少女……閻魔が、私に問い掛ける。その瞳は、私の全てを見透かすように。その佇まいは、全ての干渉を受けつけぬかのように。

 内心では冷や汗を流しながらも、現在の幻想郷縁起の編纂状況を報告した。

 

「後は、此処の記録を取り、屋敷で纏め、仕上げるだけです。一通りの記録は、終わりました」

 

 震える手を戒めながら、纏めて来た幻想郷縁起の原案を閻魔に手渡す。彼女の反応が、如何様なものか。すこし、不安に感じながら。

 

「……ふむ。要所は掛けておらず、確認の取れていない妖怪には注意だけ促し、それでも不確定な憶測は加えていない。人を危険に晒しめるような事は書いていない、と」

 

 彼女が、私の幻想郷縁起をどう見るか。

 それで、私の次の転生が確実に行われるかどうかが決まるのである。言い方を変えれば、閻魔は今、私の此度の人生を評価しているのだ。

 

「……妖怪にも向けた注意喚起を取り入れましたか。人も妖怪も、所詮は同じ。悪行を為すか、善を行うか。善を為し、人と共に歩む妖怪も現れ始めたのですね……」

 

 私の記録は、閻魔が幻想郷の近状をしる一つの参考ともなっているらしい。彼女が、私の纏めた文書を通して見る今の幻想郷は、どの様なものか。それは、私には知り得ないけど。

 

「合格です。次の縁起にも期待していますよ」

 

 その一言を聞いて、私は、安堵の息を漏らす。今回の転生の意義は、認められたのだ。

 これで、私の役目は終わったも同然。これで。

 

 これで、悔いを残さずに、また。

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 阿礼乙女と閻魔の会話を聞き終えると共に、阿礼乙女のそれに合わせて溜息を吐く。これで、役割を終えた彼女の生も、その終わりを迎えてしまうのだろう。喜び半分、寂しさ半分。また、知っている人間が一人遠くへ行ってしまう。

 

 頭領には閻魔の事は何も伝えていないが、口を挟むべきではない事は理解しているらしく、ずっと沈黙を貫いていた。

 

「頭領殿」

 

 小声で話しかける。引き続き話を始めた二人の邪魔をするほど、空気が読めない単車ではない。

 

「あれは、あの方は誰だ」

「閻魔様で御座います。おっかないですよ、口を開けば小言に説教、叱咤激励罵詈雑言」

「聞こえてますよ。それに、罵詈雑言はおかしい」

 

 閻魔の声がかかる。流石閻魔、地獄耳。その地獄耳を隠す緑の髪と、その上に乗っかる王冠。

 面倒な御仁に目を付けられたものである。

 

「……面倒、などと考えましたね」

「そんな、人々の罪を裁き社会に秩序と平静を与える尊き方々閻魔王が一である貴女様を前に、そんな無礼極まりないような事を考えるなどという事がどうしてあり得ましょうか、いえ、あり得ません」

 

 俺の言葉を聞いた閻魔が呆れたように溜息を吐き、その手に握る板……悔悟棒というらしいそれを握りしめる。

 

「本当、変わらないと言うべきか、懲りないと言うべきか……」

「道具の性質は、中々変わらぬものですよ。閻魔様」

「……貴方にはもう、自我が芽生えているのです。いつまでも、物であることに固執するべきではありません」

 

 大体、と。閻魔は続ける。

 

「貴方は……物であるにせよ、主人に仕えるという存在意義がある。そして、貴方はその道を進んで選んだのです。だと言うのに、貴方の言動は慇懃無礼にして相手を小馬鹿にしたことばかり。貴方の言動は、主人の顔に泥を塗る行為であると前にも言ったはずなのに、また、今、私の目の前で繰り返すとは言語道断。そう、貴方は少し……」

「ほら、こんな感じで」

「ふむ、なるほど」

「何がなるほどですか!」

 

 頭領よりも頭一つ背の低い閻魔、四季映姫が声を張り上げる。も、やはり低身長。迫力が無い。

 

「全く……大体、貴方も……」

 

 今度は頭領への説教。本当に説教好きなのだなぁ、等と他人事のように見守る。

 

「さて、阿礼乙女……阿礼乙女?」

 

 少し離れた場所、閻魔と話をしていた場所に佇む阿礼乙女。

 俺の二度目の呼び掛けで、我に帰ったように振り向いた。

 

「は、はい?なんでしょう」

「……いえ、取り敢えず里に戻る準備でもと」

「そう、ですね。里に……」

 

 ふと、阿礼乙女の顔にかげが差す。寂しげとも、悲しげとも言えない表情。しかし、それも束の間。

 その顔から陰は消え、真剣な眼差しへと変わる。

 

「単車さん。すこし、お時間を頂いてもよろしいですか」

「……何故でしょう」

「……私は、退治屋さんに伝えなければならない事がありますので」

 

 伝えなければならない事。

 まあ、大体想像はつく。

 阿礼乙女の、もう一つの使命。稗田としての、使命。その相手に、頭領を選んだのだろう。

 

「結界、張っておきますね。邪魔の入らぬよう」

「ありがとうございます」

 

 ぺこりと、頭を下げる。花の形をした、髪飾りが揺れる。

 

 閻魔と頭領の話が終わり、阿礼乙女が閻魔に話しかける。俺は、今の内に引っ込んでおくとしよう。

 

 来た時と同じように姿を消した閻魔。紫の桜の下、二人の男女が話し始める。

 俺は、エンジンを駆けることなく静かに、その場から離れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「暇そうねぇ。うら若い男女が、恋路を辿っている最中だと言うのに」

「ドラマだったら、喜んで見たのですけどねぇ。生憎、脇役でしたもので」

「なら、仕方ありませんわね。阿礼乙女と妖怪退治屋の恋愛ドラマ。月曜九時から」

 

 本当、懐かしい。こんな話題。彼女以外とは、話すことの出来ない話題は、遠い遠い過去の記憶を甦らせる。

 

「そして、その後。残されたる一人の男と、二人の愛の結晶。其処からの方が、視聴率は高いのかしら?」

「さぁ。私は、見ることはないでしょうけどね」

「あら。子供を男手一つで育てる中、出勤は赤いアメリカンバイクで、なんてのも良いと思うのだけど」

「……確かに、見守りたくはありますがね。ただ、そろそろ私も……そう、疲れてきたもので」

 

 少し驚いたような顔をして、彼女が此方を見る。

 

「あら。寿命?」

「寧ろ、今まで動けていたのが不思議なくらいです。ガソリンも入っていないというのに」

「妖怪でも、死ぬ時は死ぬしねぇ……って、無生物でも死ぬのね」

「不思議なことに。元から生きて無いのですがね。唯、眠るだけなのやもしれません」

「そうである事を、心から願いますわ」

 

 空間が裂け、紫色の隙間が開く。

 

「お疲れ様。貴方のおかげで、人と妖怪にも接点が出来た。ありがとう」

「どういたしまして。役に立てたのならば、道具として冥利につきまする」

「では……また」

 

 妖怪が消える。紫のドレスに、金色の髪。白い日傘。

 八雲紫とも、もう会う事もあるまい。

 

「……あと、どれくらい動けるかねぇ。一年は、無理だな」

 

 思えば、この体になってから千年以上の歳月が過ぎた。生き過ぎた、と言っても過言では無い。

 もうそろそろ、彼等を迎えに行こう。

 この体が動かなくなるまで、残り数ヶ月。

 それまでは、主人の為に尽くそうと。

 

 そう、誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 阿礼乙女と退治屋の頭領の子が生まれる数週間前。

 一つの鉄の塊は、その産声を聞くこともなく。

 静かに、その鼓動を止めた。

 

 

 






 二つ目の、終わり。


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単車幻走
二十五 紅と鉄


 人里の外れに、一つの、小さな祠が建っている。年季の入り、苔生し、それでもなおしっかりと大地を踏みしめる丈夫な作りをしたそれは、造った者が如何に手を掛けたかが見て取れる。龍神が現れ、長い嵐の中でもびくともしなかった、祠。

 そこに眠るのは、一つのモノ。赤い鉄の体には注連縄を思わせる細い組紐が絡みつき、ぶら下がった鉄の輪を鈍く輝かせ、何故か小さな錨を吊るしたそれは、かつて妖怪退治屋達が使っていた道具だと言う。馬より速く地を駆け、人語を解し、妖術を使う妖怪。人とともに歩んだその妖は、今では里を守る神として祀られている。

 それが、先の阿礼乙女の記録に残る彼に関しての記述。

 私は、阿礼乙女ではない唯の稗田の子。それでも、稗田家に生まれたからには阿礼乙女の思いを継がねばならない。

 

「……妖怪に対しての見方を、改めるベキなのでしょうね」

 

 彼がその機能を停止させたのは、退治屋が活躍する時代が終わったためなのかもしれない。それはつまり、人と、一部の妖怪が手を取り合って生きる道を選んだ為である。

 人に味方する妖怪……彼が人々に認知され、受け入れられるにつれ、人は妖怪の中にも人との和平を望む者がいるということを知った。そして、それを受け入れていく勇気も持った。

 まだ完全ではなく、出来始めたばかりの新しい関係。まだまだ妖怪の襲撃もあるし、人が食われる事もある。しかし、今それ等と対峙するのは人と共に歩む決意をした妖怪や、人と妖怪の間に生まれた子、そして。

 

「何をしているの?」

 

 声の方を向くと、そこには紅白の巫女が立っていた。

 博麗の巫女。妖怪を退治する事において、彼女の右に出るものはいない。

 

「いえ、少しお散歩でも、と」

「体に触るわよ。身体、弱いんでしょ」

 

 巫女とは思えないほどに砕けた姿勢の彼女。やる事が無ければ里をぶらつき、悪さをするものがいれば人間でも容赦しない。悪人を調伏しては金をせびり、飽きれば自分から妖怪の住処へ赴く。まるでごろつきである。こんな巫女は、今まで例が無い。

 

「ほら。甘味屋でも行くわよ。暇だったのよ」

 

 巫女が、祠の前でしゃがんでいた私に手を伸ばす。

 

「ほら」

 

 しかし、悪人ではないのだ。誰に対しても……そう、妖怪に対してさえ公平に扱い、時には優しささえも窺わせる。人と妖の関係の変化、博麗の巫女の変化。そして何より、時代の変化。

 変化し続ける世界を思いつつ、伸ばされたその手を掴む。

 

「ありがとうございます」

「さ、行くわよ。あ、勿論あんたの驕りね」

 

 苦笑はしながらも、彼女の手を離すことはなく。

 人と妖怪が争い合う時代は、きっともうすぐ終わりを告げる。

 私は、そう確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 黒い霧が世界を覆う。本当に、悪趣味なものだと思う。

 どうせなら、紅く。闇より深く、暗く、美しい紅。そんな霧で、この地を覆ってしまえば良かったのに。

 妖気を消し、民家の建ち並ぶ里の外れを歩く。護衛など要らないし、誰かと戦うつもりも無い。第一、あんな奴らの顔など見たくもない。

 あれが、同胞だなんて、認めない。

 

「ん……何、これ」

 

 辛うじて風雨を防げるだけの、石造りの小さな小屋。これは、友人の持っていた本で見た事がある。

 祠。この地にいる、八百万の神々を祀るものだという。神と言えど絶対的な唯一神ではなく、その性質は私達悪魔や、この国でいう妖怪に近い。

 

「神、ね。これが」

 

 黒い霧が覆っているせいでぼんやりとしか分からないが、金属のようだ。見た事の無い形をした無生物。これが、神だと言うのか。これを、人々は崇めるのか。

 少し、興味が湧く。近頃、嫌なことばかりだったからか、それとも、何か私を惹きつけるものがあったのか。

 纏わり付く黒い霧を魔力をもって無理やり引き剥がし、その、祀られている神の姿を見る。

 

「……ふ、ふふ。いい趣味してるじゃない。この地の神は」

 

 其処にあったのは、赤色の鉄塊。それを使って移動するのか、二つの大きな車輪が目を引く。

 だが、何より。この鉄の歩んできた歴史。運命を操る私には、彼の歩いてきた道がぼんやりと分かる。そして、これからの運命も。

 

「いいわ。命亡き貴方にもう一度、この世界を走る力を上げる。命亡き者の王たる、この私の力でね」

 

 冷たい鉄の赤に、私の紅い魔力を注ぎ込む。無生物が死ぬはずが無い。これは、自ら歩むだけの力を失っただけに過ぎない。

 ならば、今。

 その力を授けよう。

 

「さあ。甦りなさい、鉄の塊、命無き物の王よ。私と共にこの黒く醜い霧を、紅く染める為に」

 

 手の輝き、鉄の反射。紅く、紅く、紅く。その命の灯火を、再び鮮やかに燃え上がらせる。

 

 乾いた金属音が聞こえ始め、私も注ぎ込む力の量を増やす。何かが中で回転する音、始めは篭っていたその音が、段々と澄んだものになる。

 そして。

 

「わ、わわ!」

 

 爆発音にも似た、中で何かが鼓動する音。まるで心臓のように、しかし、生物のそれよりもずっと強い鼓動。溢れ出す、強い妖力。

 他の魔物の妖力を燃料として動くのか、私の魔力がその鉄の体を廻り、燃え、再び新たな妖力を生み出していくのが分かる。

 

「……私を呼ぶのは……黄泉返らせたるは、何者か」

 

 鉄の塊が口を効く。少しだけ反響したような、若い男の声。

 

「我が名は、レミリア・スカーレット。『気高き』吸血鬼にして、夜の王、レミリア・スカーレットだ」

「吸血鬼……お会いできて光栄でございます。命亡き者の王、夜の支配者、西洋の魔物の頂点……まさか、実際に会うことが叶おうとは」

 

 どうやら、長く眠っていたというのに吸血鬼を知っているらしい。私達がこの地を訪れたのは、つい最近だと言うのに。

 

「この霧は、貴方様のお力で?」

「いや……これは、他の吸血鬼達の出したもの。全員で力を合わせて、この程度。私なら、一人でこの地を覆ってみせるというのに」

 

 少しだけ、隠していた妖気を放つ。私の持つ、紅色の妖気。夜の力を集めた、限りなく純粋な、妖魔の気質。

 

「……強い。貴方は、吸血鬼という点を除いても、強過ぎる」

「そうね。そして、誰よりも気高く、誰よりも格が高い。これが、本来の吸血鬼。本当の吸血鬼。それが……」

 

 徒党を組んで、他の地を征服しようなどと。やっていることは、卑劣なコンキスタドール共と変わらない。

 あんな俗物達が、吸血鬼の筈がない。

 

「この地、幻想郷を、吸血鬼面した下級魔族が侵略しようとしているわ。流石に、名前だけは吸血鬼。そちらの妖怪達の中にも支配下に置かれた者が現れ始めている。私は、そんな吸血鬼の汚点を全て、消し去りたい」

「……吸血鬼は、貴方一人で十分と?」

「私と、あと、妹ね。ちょっとだけ気は狂ってるけど、あの子もその力を恐れられて幽閉された身。強く、哀れで恐ろしい、私の可愛い妹なの」

「して、私などを目覚めさせたのは、どのような理由で?私程度が、力になれるとは思いませぬが」

 

 謙った物言い。しかし、その真意は此方に探りをいれようと、自らを卑下しているのだということが分かる。力が無いと言いつつ、その内包する妖力は並の吸血鬼を優に超える。

 扱いは、難しいかもしれない。でも。

 

「私は、運命を操る能力を持っている。貴方は、私の力になる。その運命が私には見える」

「運命なんて……それこそ、結果論。ダイスの目は読み取れようと、箱の中の猫の生死は開けて見るまで分からない」

「シュレディンガーの猫は、只、生と死が重なり合っているだけ何だってね。運命なんて、全てそんなもの。私は、その重なりあい、絡み合った運命を捻じ曲げ、選り分け、一本の糸だけを残すことが出来る。私には、その選択権がある」

 

 幻想郷という隔離された空間にいながら、外の世界の知識を持つ鉄塊。やっぱり、面白い。

 

「私は、この幻想郷に私の屋敷を持ってきたいの。他の吸血鬼達には内緒で造った私の城。それには、この幻想郷が、私の屋敷が建つに相応しいものでなくてはならないとは思わない?」

「貴方の求める幻想郷とは?」

「人と、魔物が共存出来る地。家のメイド長は、人間でねぇ」

 

 目の前にいる鉄のライトが輝く。それは、希望を見出した人間の目に光が灯るのにも似た。

 

「人と魔物……妖怪の共存は、この地の生まれた理由。それだけを目指して、今までこの幻想郷は保たれてきた……貴方のその言葉が、真意ならば」

 

 鉄の塊が続ける。その先に続く言葉は、私の望む一言。運命など読まずとも、予想はつく。

 

「私は、貴方の手と、足となりましょう。剣と、盾と、そして馬となりましょう。貴方が、人と妖の共存する幻想郷を、本当に望むのであれば」

「本当に、望むわ。だから私に貴方の力を頂戴、命無き物の王よ。この地を侵す、愚か者を退けるために」

 

 小さな、紅い魔法陣を展開する。これは、悪魔の契約の印。あとは、彼がこの魔法陣を受け入れるだけで契約が済む。

 

「喜んで。私は今、この瞬間から、命亡き者の王たる、貴方の物」

「契約は完了ね。もう、引き返せないわよ?」

「後ろ向きには走れない構造でして。只管、貫き通すのみです」

 

 紅い鉄。彼が、運命の歯車となり得る。

 咲夜と。フランと。パチェと。この地で、穏やかに。家族として過ごすという、細やかな夢。

 それに繋がる、運命の糸。

 

「行くわよ。もうじき、勘付かれる。今の私はまだ、増長した下賤な吸血鬼の一人なんだから」

「すぐに、胸を張って歩けるようになりますよ。高貴な吸血鬼として……お乗り下さい、レミリア様。乗り方は、馬のように」

「馬、ね。私と貴方、どっちが速いのかしら」

 

 鉄の上に飛び乗り、二本の棒を握り締める。彼の鼓動が伝わり、また、魔力が繋がるのが分かる。

 

「行きますよ。吸血鬼ですらも納得出来るよう、全速力で」

「頼んだわ。あんまりノロかったら私が運ぶからね!」

 

 鉄の塊が爆音を上げ、走り出す。ゆっくりと走り始めたかと思えば、唐突な急加速。凄まじい速度で景色を追い越し、ライトは黒い霧を払っていく。成る程、私よりも、速い。

 

「まだ、まだ速くなりますよ!何処まで行けばよろしいのでしょうか!」

「湖の畔、黒い館が建っているわ!其処まで!」

「御意!」

 

 紅い翼を畳み、空を飛ぶ時のように体を水平にして。

 加速していく運命の中、私は、その運命を望んだものへと捻じ曲げる為。

 纏わり付く黒い霧を、この身で割いた。

 

 

 

 





 そして、始まり。


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二十六 戦と鉄

 

 

 

 紅い天井。

 私が自分で選んで購入したベッド。人間が作った製品であるそのベッドに寝転がり、只々紅い天井を見上げる。

 他の部屋は、全て黒い壁。この部屋だけは、私の私室ということで真っ赤に染め上げてある。他の吸血鬼達は入れない、夜王の寝室。自分のことながら、子供っぽいと思う色のチョイス。

 それでも、私はこの色が好きなのだから仕方がない。人間に流れる、あの液体と同じ色。外の世界に私が創り上げた秘密の館……その屋敷も、全て紅い色で染め上げられたものになっている。

 人と共にしか生きれない吸血鬼。

 この幻想郷が人とヨウカイの楽園だと聞いた時は、私の屋敷を移転させるのにぴったりの世界に巡り会えたと喜んだものだが、それも束の間。配下の吸血鬼達……私と比べれば、貧弱すぎるほどに弱いあいつらは、ここを自分等の楽園にしようと戦争を仕掛けてしまった。

 集団心理、とか言ったか。友人の魔女に聞いた言葉だが、奴等は私の命令さえ無視して独断で暴れ出した。

 思い出しただけで、腑が煮えくり返る。

 

「紅茶……自分で入れるしかないわね」

「私がいれましょうか?不器用ではありますけど」

「入れれるのかしら。頼んだわ」

 

 紅い乗り物……単車というらしい。

 私がこの幻想郷に来て、始めに出会った魔物。本当に奇妙な見た目だけど、その色と、彼が辿る運命に魅力を感じて所有物としたのだ。

 不器用な手つきで紐を使い、紅茶を淹れようとする彼。その内、彼にも名前を付けてあげよう。

 

「どうぞ、夜王様」

「レミリアでいいわ」

「では、レミリア様」

「……あくまで、様付けなのね……」

「なら、レミリアちゃ」

「捨てるわよ」

「ごめんなさい」

 

 彼のライトに爪を立てながら紅茶を受け取り、ティーカップの淵に口を付ける。

 意外と美味しい。しかし、また調子に乗るので褒めはしない。

 

「いかがでしょうか」

「血が入ってないわ」

「オイルで良ければ……」

「いらない」

 

 何処か恍けた感じが、咲夜に似ていて。早くこの問題を解決して、あの館ごと彼女を連れてきたい。

 私が求めた楽園へ。

 気高い吸血鬼のいる、幻想郷へ。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 紫の空間。

 紅色が暗闇の中うっすらと浮かび上がり、不思議な色合いとなって俺の視界を埋める。

 暗い、日の届かない部屋。何処も彼処も紅く彩られた、しかし、何故か落ち着いた雰囲気の空間。

 其処に、一台の単車と一体の吸血鬼がいた。

 

「弱いわねぇ、妖怪。あんな雑魚達にやられていくなんて」

「どうやら、人を襲う事が出来なくなった所為で弱体化がすすんでいるようで。ですが、じきに力有る妖怪が動くでしょう」

「ふうん……面倒な場所ね。此処って」

 

 幻想郷は博麗大結界と呼ばれる結界に囲まれ、外の世界と自由に行き来が出来なくなった。それで、数少ない人間の数を減らすわけにはいかない状況に陥り、妖怪達が弱体化し始めた……全て、辺りにいた憑喪神達からの情報である。

 

「……でも、私たちだって人の血がいるしねぇ」

「その辺は、どうにかしなければなりませんね。貴方の場合、襲うことも必要ですけれど……」

「血。それが飲めなければ、吸血鬼じゃない」

 

 妖怪は、精神に依存する。鬼であれば、人を浚う。妖怪ならば、人を襲う。吸血鬼ならば、人を襲い、さらに、血を啜る。

 アイデンティティ。それが、精神に依存する者にとって一番大事なものなのだ。

 因みに俺の場合、誰かを乗せて走ることが彼女達のそれにあたる。

 

「吸血鬼と妖怪の戦争、と認知されているようですので、和平条約でも結ぶしか無いでしょうね。血の供給については」

「うーん……養殖物かぁ」

 

 レミリアがベッドに、なかば飛び込むように寝転がる。

 

「一応、私がトップだしなぁ。やっぱり、私が出るべきかしら」

「いえ……レミリア様、貴女は今回、表に出ない方が良い」

 

 レミリアが起き上がり、不思議そうな顔をする。

 

「なんで」

「貴女が……吸血鬼のトップが出れば、必ず彼方は貴女を殺そうとするでしょう」

「私がやられると?」

「やり返せば、戦争は続きますよ」

「あー……成る程」

 

 そう言って、また考え込むレミリア。若干考え方は幼いものの、頭の回転は速いようだ。

 

「……私の代理を立てるにも、そんな信用出来る奴はいない。それは、相手からしても、ね」

 

 俺の方を見ながら、レミリアが呟く。何となく、言わんとすることの想像はつく。

 

「私に、代理に立て、と?」

「そのつもりで言い出したんでしょ?」

 

 にっ、と。小さな口から八重歯を覗かせながら、彼女が笑う。

 今回の主は、一緒に居て楽しくて仕方がない。緊迫した状況でも、まるで、只の遊びのように感じてしまう。

 

「……御意。仰せのままに、レミリア様」

 

 俺は苦笑しながら、その命を受けたのであった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 青い空。

 幻想郷を多い尽くした、黒い霧の上空からスキマに腰掛けて下界を見下ろす。

 時々上がる閃光は、巫女が吸血鬼に加担した妖怪を退治しているからであろう。

 

 吸血鬼。西洋から境界を越えてやってきた、強大な種族。

 彼等が、ここまで好戦的な種族だとは思わなかった。人に近く、人と恋に落ちることだってある知的な種族。そんな幻想は、この幻想郷には流れつかなかったらしい。

 流れ着いたのは、ホラー映画にでも出てくるような、元々の、恐怖の象徴としての吸血鬼。外の人間は、吸血鬼に対する畏怖を忘れたらしい。

 

「……戦いは、あまり得意ではないのですけれど」

「何言ってるんですか、私を打ち負かしておいて」

 

 隣にいた私の式、藍がそうぼやく。

 

「ああ、貴女がいたわね。どうかしら、九尾の狐の鼠退治」

「空を飛ぶ鼠なんて、嫌ですよ」

 

 あら残念、なんて、適当に返事をしつつ、頭の中では別の事を考える。

 吸血鬼は、服従させるなり殲滅するなりすれば良い。問題は、この妖怪の弱体化。

 吸血鬼の侵入は、妖怪にも人間にも危機感を持たせただろうけれど、妖怪が人を襲えないのには変わりない。このままでは、次にこんな事が起こった時に対処出来る筈が無い。

 己の張った結界。策。それ等が生み出した、不具合。過去の自分を恨みながら、対処策を探す。

 何か、人と妖が安全に戦えるようにするためのルールがあれば。それを、制定することができれば……

 

「ゲーム感覚の決闘、ね。彼なら、何か思いついたかも知れないけど……」

「彼?」

「ええ。古い古い、未来の友達ですわ」

「はぁ……?」

 

 彼女は知らない。彼……あの単車が未来から来たことを。

 ゲームとなれば、女の私よりも男である彼の方が詳しそうだったのだけど。

 彼は、結界が張られる前に眠りについてしまった。

 

「まあ、其方についてはゆっくりと考えるとして」

 

 まずは、目の前にある障害を打ち破る。

 私の、愛しい幻想郷の為に。

 

「ちょっと出かけて来るわぁ」

「お供しましょうか」

「蝙蝠退治くらい、一人で出来ますわ」

 

 スキマを開き、体を滑り込ませる。吸血鬼の支配下に置かれた、幻想郷の奪還。

 偶には、こんな陣取りゲームも楽しいかもね、なんて。

 私は、黒い霧に包まれた地に飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 吸血鬼の根城、黒い屋敷の門前。

 呼び鈴を鳴らす必要もなく、彼等は私を歓迎してくれた。

 襲いくる剣尖。突き出される槍。振り下ろされる斧。

 無粋で、つまらない余興に呆れながらも彼等のもてなしに付き合っている。

 切る、穿つ、断つ。全てが、私にとっては無意味な行動。スキマを開いて、相手の頭上に、背後に、その軌道を無理矢理移動させる。

 面倒なのは、それで吸血鬼達が死なないこと。放っておけば、すぐに再生して武器を握り、届きもしない攻撃をしかけてくる。

 

「いい加減に、飽きてくるわ」

 

 埒があかない。私はスキマを使うのをやめ、その攻撃を傘で受け流す。攻撃が外れ、態勢を崩した吸血鬼の頭に手を当て。

 

「これなら、どうかしら」

 

 思考と肉体の境界を弄り、吸血鬼の意識を断ち切る。思考は続けど、それが身体に伝えられないのならば、動ける筈がない。

 金縛りの原理と同じ。思惑通り、吸血鬼は倒れて動かなくなる。

 

「さ、この調子でいくわよ。蝙蝠退治」

 

 降り注ぐ武器の雨をかわしながら、そう、呟いた。

 此処も、すぐに片付く。そうして、巫女が辿り着くより先に。

 

 私は、黒く彩られた屋敷の門を打ち破った。

 

 

 



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二十七[番外]水の林、岩と花

 

 

 その日は、風が強かった。

 

 

 

 

 だから、倒れても仕方がなかったのだ。と、自分に言い訳をしながら、何とか起き上がろうと前輪を動かす。

 俺は単車。腕もなければ、足も無い。起き上がらせるときはテコをつかって、なんて、俺には関係の無い話である。

 

「誰かー、誰かいませんかー」

 

 風が強い。雲は暗く、閃光をちらつかせながら迫ってくる。もうじき、雨が降るだろう。辺りに生い茂る木々も、俺を雨から守ってくれそうには無い。

 

「誰かー、誰か助けてくださいー」

 

 今一緊張感に欠ける、俺の声。どうも、敬語を使うと何処か惚けたような、胡散臭い調子になってしまう。輝夜には慇懃無礼だのなんだのと怒られてばかりだった。

 そんな輝夜と、別れたばかりだと言うのに。彼女なら、坂の上ででもこけない限りは俺を起こす事ができた。

 それは、さておき。

 

「……妖怪を助ける人もいないか」

 

 妖怪を助ける妖怪も、あまりいないが。

 風は強くなる一方。もうそろそろ雨が降り始めるかと思っていた時であった。

 一羽の兎が、俺の前に現れたのは。

 

「そこの兎さんよ」

 

 茂みから現れた、白兎に声をかける。無論、兎と意思疎通ができるわけもない。只の気休め、である。

 

「誰か助けを呼んでくださいな。一人じゃ起き上がれなくてね」

 

 兎はその長い耳をぴくりと動かして茂みに向かって飛び込んだ。

 すわ言葉が通じたか。若しくは、俺の声に警戒して逃げたか。十中八九、後者であろう、が……?

 

「ん……?これは、妖気……?」

 

 何かの気配が近付く。妖気と、獣の匂い。妖獣は基本的に血の気が多い。この気配の主が妖獣ならば、この状態で出会すのは、出来れば避けたい。

 

「何方でしょうか。人語を解すことは、出来ますか」

「日本人だからね。日本兔?どっちでもいいけど」

 

 茂みから、まず素足が飛び出し、そして、その全身が躍り出る。

 頭に兎の耳が付いた、兔。妖獣にしては珍しく、人間よりの容姿。

 

「助けを呼んでる変なのって、あなたのこと?」

「助けは呼びましたが、変なのではありません」

「ふぅん。ま、いいけどね。元から助けるつもりは無いしー」

 

 この兔。中々にへその曲がった兔である。雷様に取られるが良い。

 

「ま、私に会えたんだから大丈夫でしょ。じゃねー」

「て、ちょ……」

 

 言うが早いか、また茂みへと飛び込む兔少女。一体何をしに来たのだろう。

 また、一人になる。咳をしても、心配してくれる人もいない。いつものことなのに、今日は何故だか寂しく感じる。

 

 必要も無いくしゃみを一つした、その頃。

 俺のタンクに、一滴の水が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 雨が降る。

 土砂降りの雨が、視界をぼやかす。世界を曇らせる。

 纏ったボロ布も、水を吸ったせいで車体に張り付いている。その車体は、変わらず地面に張り付いている。

 雨の匂い。土の匂い。

 雨の音。土の湿る音。

 

 俺は、雨に打たれながら、静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の音と、湿り切った泥の跳ねる音に、何か、別の音が混じる。

 一定のテンポで近付くそれが足音だと気付き、あたりをミラーで見渡した。

 音は近付く。ちいさな水飛沫をあげながら。

 

 先の兔と同じように、一人の少女が飛び出した。

 

「……なに、これ」

 

 俺の姿を見て、目を丸くする少女。否、少女の姿をした、何か。

 

「こんにちは。お嬢さん」

「……喋るんだ」

「喋ることには驚かないのですね」

「十分驚いたつもりだけど」

 

 少女が言う。短めの黒髪、裾の短いぼろぼろの着物。

 少し、淀んだ目。

 

「貴女は、人間でしょうか?」

「貴方は、人間じゃないのね」

「私は妖怪。乗り物の妖怪」

「私は、人間。不死の人間」

 

 不死。輝夜と同じ、不死。しかし、彼女からは月の民のような匂いは感じない。感じるのは、この、地上の匂いだけ。

 

「それより、こんなところで何してるの?」

「転んでしまい、立てないのです。手をかしてはくれませんか」

「構わないけど……結構、重いね」

 

 そう言いつつ、俺を難なく起こす彼女。人なのか、何なのか。

 

「ありがとうございます。助かりました」

「どういたしまして。それじゃ、私はこれで」

「お待ちくださいな」

 

 振り向く彼女を止め、次の言葉を続ける。

 

「すぐそこに洞窟があります。私は、そこに向かおうとしていました。雨が上がるまで、雨宿りでも如何でしょうか」

「……構わない、けど」

「なら、どうぞ、こちらへ」

 

 エンジンを駆けずに、自力で進み始める。その横を少女が歩く。

 

「そういえば、お名前は」

「藤原妹紅。貴方は?」

「私の名前は……何でしたっけねぇ。もう、憶えていないのです」

「へぇ……貴方も、長生きなのね」

「永遠に生きるわけではありませんがね」

 

 泥にタイヤを沈ませながら、獣道を進む。

 

「乗りますか?」

「いや、いい。歩く」

「さいですか」

 

 歩く。俺には、もう、縁の無い言葉である。

 名前も忘れた、元人間。もう、人間らしさは欠片も無くなってしまったけれど。

 

 岩肌が見えてくる。じきに、洞窟に着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 濡れた身体から、水が落ちる。乾いた岩肌を濡らし、湿らせ、また落ちる。

 ゴツゴツとした、洞窟。

 座った途端、隠れていた疲れがどっと溢れ出す。少しだけ、眠い。

 

 目の前にいるのは、見たこともない乗り物。鉄の妖怪。しかし、此方を襲うつもりは無いらしい。

 彼が起こした火に手をかざしながら、濡れた身体を乾かしていく。

 

 外は、変わらずに雨が降っていた。

 

「お疲れのようですけど」

「ちょっと、ね」

 

 火の暖かさ、水の冷たさ。今更ながら、背中が冷たい。

 そういえば、あの時も。

 私が薬を奪った、あの時も。

 こうして、岩笠と……

 

「藤原殿」

 

 彼の声に驚き、少し身体が跳ねる。

 

「貴方の過去は知りませんが、そんなに自分を責めないでくださいな」

 

 どうやら、見透かされていたらしい。

 

「でも、私は……最早、人間でもない。罪を犯したまま、永遠に生きなければならない。償うことも出来ずに」

「私だって、遥か昔に人間を辞めた身。元人間。罪を後悔するのは構いませんけど、後悔したって何も始まらない事くらいは知っています 」

 

 元人間。この、鉄の身体をした彼が、人間だったと言うのか。

 

「人間だったって、本当?」

「ええ。身体は、何処かに置いて来てしまいましたけどね。心だけ、この鉄に乗り移って」

 

 少し、淋しそうに言う。表情は変わらないけど、多分、本当に淋しいのだと思う。

 

「割り切らないと生きてはいけません。後ろを見ても、何も変わらない」

「……それでも」

 

 それでも。

 

「私は、やっぱり、後悔してる。あの日、不老不死の薬を飲んだ事。その為に、彼を、岩笠を殺したこと」

「……不死ならば、いつか、心を切り替えることが出来るのかも知れませんね。自殺も出来ない、貴方なら」

「嫌味かしら」

「そんな。二割程度ですよ」

 

 少しだけ笑って、彼の背に腰掛ける。

 

「背中、借りていい?」

「どうぞ」

 

 岩肌より柔らかい。鉄の癖に、なんて、背中を借りておきながら少しだけ恩知らずなことを考えながら。

 彼の起こした火に、身体を温めながら横たわる。

 

 岩の冷たさ、鉄の暖かさ。

 永遠の岩と、咲いて散る鉄火。

 私は岩を突き放し、今は火にこの身を預けている。しかし、それでもかの神話のように寿命が縮まる訳でもなく。

 富士の火口にこの身を投げれば、私の一生も終わるのだろうか。焼けて煙となってもなお、身体は生まれ変わるのか。それならば、空に浮かぶあの月まで。岩も、花もない、輝く夜へと届けばいいな、なんて、あり得ないことを願いながら。

 

 私の意識は、遠く、遠退いていった。

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日も、風が強かった。

 だからだろう、こんなに昔のことを思い出していたのは。

 

 

 

 あの日、黒い髪の少女は、朝、目が覚めた頃にはいなくなっていた。彼女も輝夜と同じ、永遠を生きる者。

 ならば、いつかまた、この幻想郷で会えるかもしれない。

 不老不死なんて、外の世界では幻想の物となってしまっていることだから、もしかしたらもう、幻想郷にいるのかもしれない。この異変の中、彼女達を探す余裕なんて無いのだが。

 

 月には、変わらず暗い雲がかかっている。

 紅く、輝く夜と合見えるのは、まだ先になりそうだと、一つ、必要のない溜息を吐いて。

 

 

 雨が振り出す前に、俺はまた走り出した。

 今度は、転びなんてしないように。

 





 ちょっとした、小話を。


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二十八 明と紅

 吸血鬼の黒い館。館とは名ばかりで、実際は巨大な、西洋の城……

 その城の、頂。吸血鬼なのにベランダ付きの、真っ赤な部屋から、下の喧騒を眺める。

 

「おぉ、賢者殿のご到着です」

「賢者、ねぇ。一番偉いのに、自分で来るのね。徒歩で」

「幻想郷と外の世界を隔てる結界を張った方です。妖怪が消えてしまわぬよう、人と共存できるように、と」

「共存……すまないわね、その関係を壊して」

「レミリア様が謝ることはありません。転嫁できる責任は他に回すのが世渡りの秘訣ですよ」

「私が、世を渡ってもねぇ」

 

 第一、いつかは壊れる関係だったのだ。

 互いに、極力干渉を控えるなんて。妖怪は、人を襲うもの。それが崩れたのならば、妖怪の力は弱まる一方。

 それを明るみに出した吸血鬼は、ある意味このシステムのデバッカーの役割を果たしたとも言えなくはない。

 

「で、いいのですか。あれ」

「まあ、食欲は湧かないわね」

「血の海に向かって涎垂らす主は嫌です」

「だから、湧かない」

 

 眼下に広がる、血の海。八雲紫と吸血鬼達による戦闘……否、八雲紫による吸血鬼達の虐殺の跡である。どうやら、殺してはいないようだが。

 

「本当に一人も、殺したくない吸血鬼はいませんね?ほら、幼少期に一緒に遊んだバービーちゃんとか」

「誰よ」

 

 後は、スカーレットちゃんとか、と、まで言おうとして何とか言葉を飲み込む。人形繋がりで危うく同じ過ちを繰り返すところだった。

 

「私が守りたい吸血鬼は、妹だけよ。あとは、まとめて」

 

 ぽい、と。物を放る仕草をする紅い悪魔。非情である。

 かくいう俺も、知ったこっちゃないのだが。主の決定に、物が逆らうことなど無いのだ。

 

「血は、流れているのですよねぇ」

「海を作る程度にはね」

 

 海は、塩分濃度の高い水。血液の紅い海も、塩水の青い海も、成分だけみればそう変わりは無いのかもしれない。

 そういえば、血の海で思い出したが、血の味は、鉄の味である。

 ならば、吸血鬼にとって、鉄は美味いと感じるのか、否か。

 

「レミリア様」

「何かしら」

「レミリア様は、私を食べたいと思いますか」

「鉄のバッタなんて食べたく無いわ」

「せめて、鉄のグラスホッパーと言ってくださいよ」

「……なんで、そんな単語ばっかり覚えてるのかしら」

「紅鉄グラスホッパー……格好良い」

「まあ、格好はいいけど」

 

 やはり、この主はセンスが良い。

 と、遊んでいる場合でもない。

 

「……では、行って参ります」

「頼んだわ。さっさと終わらせて、戻ってきなさい」

「妖気、消せる限り消しておいてくださいね」

「分かってる。見つからないようにするわ」

 

 レミリアが、強い力を持っていることが知られては困るのだ。

 紫は、必ずレミリアの命を狙うから。危険因子は、幻想郷から排除するべきと判断するだろうから。

 紅い主を守るため、俺は、紫の妖の元へと進み出した。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 鉄の鎧が、剣を振るう。

 命無き、物体。中身の無い空蝉。しかし、これ等の甲冑はどういう訳か自ら私へと襲いかかって来る。

 

「っ、はっ!」

 

 傘を真横に一閃。鎧は砕け、また、次の鎧。鎧の攻撃をスキマに送っても、鎧は砕けず、ばらけるだけ。私が一体一体、直に砕いていくしかないのが辛い。

 意思も感じなければ、生気も感じない。本当に、ただの物。

 

「何なのかしら、ほんとう、に!」

 

 傘を大きく広げ、回し、断つ。丁度、電気ノコギリのように。

 

「これで、最後!」

 

 砕けた鎧を飛び越え、襲い来る鎧の胸に思い切り日傘を刺す。

 

「お終い」

 

 そして、傘を開いた。

 

 

 

 砕けた鎧の破片が、ダイヤモンドダストのようにキラキラと舞い落ちる。

 微弱な妖気を纏って落ちる、鎧だった物の成れの果て。

 この妖気は、憶えがある。

 これが、私の知る物の妖気ではないことを祈りながら、扉の前に立った。

 

「……きな臭いわねぇ、本当に」

 

 やはり、巫女を出さなくて良かった。彼女が出ると、話がややこしくなる。

 巫女は今頃、常闇の妖怪……闇に包まれた幻想郷で、強く膨れ上がった妖気を手に入れた妖怪。それを退治している筈。あの妖怪なら、まだ時間稼ぎをしてくれることだろう。

 

「では、行きましょうか……命亡き者の王の元へ」

 

 扉を押す。軽い力をかけただけで、その扉は大きく、ゆっくりとした動きで開き切る。

 紅い霧がドアの隙間から溢れ出し、私の衣の袖を摩る。

 

「……なんで、貴方がここにいるのかしら」

 

 紅い霧の、噴出源。

 一定間隔の鼓動、赤い体、二つの車輪。マフラーから出すのは、紅い煙。

 

「何故、貴方がここにいる。命無き物の王よ」

「命亡き者の王は、この奥にいらっしゃいますよ。紫殿」

「……通す気は、無いのかしら」

「ありませんが、戦う気もありませぬ。私は、和平を結ぶ為にここにいるのですから」

 

 和平?

 

「……貴方は、代理というわけね」

「話が早くて助かります」

 

 吸血鬼の王と言えど、その力はたかが知れる。あれだけ力の差を見せつけたのならば、降伏してもおかしくは無い、が。

 何かが引っかかる。

 

「貴方は、何故そちらについているのかしら」

「吸血鬼の力で蘇ったものでして。私は、吸血鬼に使役される身となった次第にてございます」

 

 真面目なのか、巫山戯ているのか。彼の敬語は、どうも小馬鹿にした感じがして好きになれない。

 私も、人の事を言えないが。

 

「それで。和平と言うからには条件があるのでしょうね」

 

 勿論、と、単車が言う。

 私は、後に続く言葉を待つ。

 

「一つ、吸血鬼に幻想郷で暮らす権利を与えること」

 

 一つ目の条件。これは、次の条件を聞くまで食い下がることは出来ない。

 

「一つ。我々吸血鬼はこの条約が結ばれたならば、幻想郷の人間を襲わないと此処に誓う」

「待って。人間を襲わないならば、血はどうやって手に入れるつもりかしら」

「そこは、三つ目の条件で……一つ。幻想郷の妖怪側は、定期的に食糧となる人間を供給すること。現時点での、他の妖怪にも供給してらっしゃるのなら、容易いことだとは思いますが」

 

 つまり、此方には受け入れだけを求めた訳か。

 彼の言葉は、吸血鬼よりは信用出来る。こうして、裏切られた形ではあるものの。

 

「どうなさいますか。契約、交わして頂けますか」

「そう、簡単に事が済むと思って?」

「まあ、思いませんね」

 

 殺気をぶつけてみても、返って来るのは恍けた一言。張り合いがない。

 

「私が仕える、命亡き者の王。彼女は、今回の騒動に乗り気では無かった。だからこそ、吸血鬼と妖怪の間のこの戦争を終わらせようと私を蘇らせたのです。神として祀られ、幻想郷に馴染んだ私を」

「……つまり、吸血鬼の王は、配下の吸血鬼の意見も聞かずにこの条約を?」

「聞く必要がありませんので」

 

 勝手にこんな条約を結べば、後々どうなるかは知れたこと。配下の吸血鬼たちの怒りを買い、殺されるのが関の山。

 しかし、悪魔の契約は絶対。吸血鬼の王がこの契約を交わせば、他の吸血鬼達も従うしか無い。

 王が死に、配下も朽ちる。それは、それで良いのかも知れない。

 

「……契約、結びましょう」

「ありがとうございます」

 

 彼のライトが紅く煌き、また、消える。契約は済んだらしい。

 それにしても、疲れた。肉体的にも、精神的にも。

 疲れたのではある、が。

 

「で、今回の騒動のラスボスは、貴方でよろしくて?」

「……降伏は」

「無しで」

 

 あの鎧達は、彼の配下なのだろう。ならば、彼を倒してから行くのもまた一興。

 殺し合いでは無い、ゲーム感覚での戦闘。その、練習相手として。

 

「命を奪いはしないわ。ただ、ちょっと殴らせなさい」

「嫌です痛い」

 

 彼が、エンジンを一層強く駆ける。嫌と言いつつ、その体からは妖気が溢れ出してくる。

 戦う準備は、出来たらしい。

 

「いくわよ、無機王(ノーライフキング)。ラスボスにはぴったりだわ」

「剣を抜きもせずに言いますか、勇者殿。否、賢者殿」

「装備は傘しかないものでね」

 

 傘を剣のように抜き、その先端を彼に向ける。

 

「さあ。これで、ゲームもお終い」

「いえ。これが、ゲームの始まり」

 

 私は、床を強く蹴り、彼に向かって跳び出した―――

 

 

 

 

 

 

 

 遠くで虹色の光が見え、地上を覆っていた闇が溶けるように消える。

 巫女が相手をしたという、常闇の妖怪。吸血鬼の側に着いた彼女の力は、幻想郷から日の光を奪っていた。つまり、闇が溶けたということは、巫女の勝利に終わったと言うことだろう。

 闇が解けるに従い、黒い霧が消えて行く。日の光が、いつも以上に眩しく感じた。

 

「城内の吸血鬼以外は、これで死滅ですかね」

「でしょうね。あの契約、守るわよね」

「当たり前です。悪魔の契約は絶対ですから」

 

 紫は、少し眠た気に、久方ぶりの日の光に目を細めた。

 

「ところで、紫殿」

「何かしら」

「離れないと、危ないですよ」

 

 

 彼女は知らない。これから起こる、最後の惨事を。

 俺は、フェムトファイバーで紫の手を引く。

 

「ほら、早く、早く」

「ち、ちょっと、何なのよ」

「巻き込まれたら、紫殿でも辛いですよ」

 

 仮にも千年は生きた俺を倒した紫。それでも、直撃すれば只では済まない。

 

「これくらいで、良いですかね」

 

 湖の畔に移動し、黒い城を眺める。

 そこから溢れ出し始めた、強い妖気。紅い霧。

 

「……何をするつもり?」

「なに、ちょっとしたことです。供給する食糧の数、大分減りますよ」

「まさか」

 

 紫はきっと、吸血鬼の王は逆上した吸血鬼達に殺されると思っていたのだろう。

 それは、大きな間違いだと、ここに来て気付いた筈だ。

 

『吸血鬼の名は、貴様らには相応しくない。陰鬱な夜の魔物よ、更に深く、紅い夜に恐れ慄け』

 

 声が聞こえる。紅い霧と妖気が乗せて来た、レミリアの声。城内全ての吸血鬼に伝える為に、スピーカー代わりに使ったのだろう。

 芝居がかった台詞も、こうして聞けば身が竦む。

 

『ここは、人と妖の理想郷。私が求めた楽園(エリュシオン)。貴様らの居て良い場所ではない』

 

 刹那。

 巨大な、紅い柱が黒い屋敷を飲み込む。粉々に砕けた残骸を更に細かく砕きながら、紅い十字架は吸血鬼達を絶つ。

 

「……王は、隠れて居た訳ね。そして」

「今に至る、と」

「彼女の言葉を聞いて、貴方が何故吸血鬼に……『気高い』吸血鬼についたか分かったわ」

 

 紫が空間を割く。

 

「彼女もまた、人と妖の共存を望んだのね。ならば、私が言うことは何もない」

 

 そして最後に、綺麗な紅ねと言い残して、紫は裂け目に消え、俺一人が取り残される。

 

 紅い十字架は、吸血鬼達を砕き。砕かれながら、吸血鬼達は日光に焼かれ。

 紅い光が消え、レミリアが降りて来る。白い煙を立て、それでも、満足げに笑う彼女。陰鬱な夜の魔物だということを忘れる程に、その笑顔は喜びに満ちていて。

 

「日傘、持って行こうかね」

 

 俺は、日に焼かれながらも笑う主の元へと、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 





 吸血鬼異変、完結。


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二十九 平と鉄

 

 吸血鬼異変と呼ばれた、此度の争い。その、数日後。

 異変に関わった者達が、妖怪の山の集会所に集まっていた。

 天狗や、何処にも所属していない妖怪達。その中でもトップや、今回の異変で一際目立った行動をしたもの達が、十数人。しかし、異変の発端たる吸血鬼の姿は一人も見えない。

 

「賢者よ」

「如何なさいました、天魔さま」

 

 天魔……天狗の頂点。現在の山の支配者が苛立ちながら言う。

 

「あの……なんだ、吸血鬼といったか。誰一人として来てないではないか」

「ええ。ほぼ全員が、来れる状態ではありませんもので」

「何だと?あの、怪我してもすぐに治る連中が……まさか」

「その、まさか」

 

 天魔が、少し驚いたように言う。

 

「殺したのか。全員」

「殺されましたわ。全員」

「一体、誰に」

「吸血鬼の王。それこそ、鬼といい勝負になりそうな子に」

 

 辺りがざわめき、集会所が喧しくなる。

 俺は、吸血鬼の王の代理として紫に呼ばれたのだ。レミリアは何で自分が呼ばれないのかと憤っていたが、至極当然である。

 これは、吸血鬼に対する会議なのだから。

 

「吸血鬼。西洋の鬼と考えて頂いて結構です。その能力は……どうぞ」

 

 俺の方を見て、紫が話を振る。事前にレミリアに聞いておくようにと言われていた、吸血鬼の能力と、弱点。

 無論、命に関わる弱点などを晒し出す筈がない。黙秘権といったところか。お遊びのような、フェイクの弱点ばかりが並んだ。

 

「力は、鬼の四天王には届かずとも、他の鬼と同等以上の力を。速さは、天狗と同等か、瞬間的にはそれ以上。魔力、妖力は、一声かければ数千の悪魔達を召喚出来るほど。再生能力は、首だけになってもお昼寝したら治ってるそうです」

 

 吸血鬼の能力。各能力がバランスよく、かつ全て、幻想郷の強者と同等のものである。

 しかし、どうでもいいような弱点も多い。

 

「弱点は、日の光を始めとして、流れ水が渡れない、ニンニクなど。鬼と同じく炒った豆も駄目とのこと」

「十字架はきくのかしら」

「十字架のペンダント持ってましたよ。こないだ普通に着けてました」

「……そう」

 

 くすくすと笑いながら、紫は頷く。

 

「笑いごとではございませんぞ、賢者よ。鬼と同等の力を持った者を野放しには……」

「でも、貴方がた天狗は、鬼を野放しにしてきた」

 

 空気が凍る。勿論、比喩であるが。

 とりあえず、とばっちりを受けないように俺は紫と天魔から二、三歩分くらい離れる。

 

「相手に弱点があるからといって。あなた方が数で勝ってるからといって、増長しない方が身の為ですわ」

「我等天狗が負けると?」

「負けるでしょうね。相手は、西洋を束ねた命亡き者の王。鬼と違うのは、吸血鬼は悪魔であり、そんじょそこらの妖怪とは格が違うということ」

「だが、我等は山で吸血鬼と戦い、何体かは倒した」

「今残っている吸血鬼の王は、それ等吸血鬼全員を一撃で葬りさった」

 

 天魔は睨み、紫は笑う。とても、愉快そうに。

 一触即発、まさに修羅場。俺を除いた、会場内の全員に緊張が走る。

 俺は、紫から事前にこうなるであろうことを伝えられていたので、どうもないが。

 

「で、貴方は残った最後の吸血鬼に喧嘩を売るのかしら。その力を恐れて」

「恐れてなどおらぬ。ただ、我が眷属が害を被るようなことがあれば……」

「害も何も、自分から首を突っ込む連中ばかりじゃないの」

 

 二人の話は終らず。緊張仕切った会場、集まった妖怪たちの中。一人だけ、その手を懸命に動かす者がいた。

 懐かしい顔。最後にあったのは、輝夜と幻想郷を目指した時だったか。

 その、見知った顔に向けてライトを当て、すぐに切る。その天狗は、俺の目線に気付き、足早に此方へと駆け寄ってくる。

 

「あら、貴方は……お久しぶりです」

「なんで敬語なんですか、射命丸殿」

「今は、新聞記者の射命丸文ですので」

 

 その手帖……文花帖と書かれた手帖と、万年筆を見せ付ける文。

 新聞記者なんて始めていたのか。

 

「で、早速ですが取材です。今回の吸血鬼異変、貴方は吸血鬼の王の側についたとのことですが、その馴れ初めとは」

「馴れ初めって、そんな使い方でしたっけ」

「細かい事はいいのです。これは、他の天狗の新聞と差を付けるいい機会なんですから、さあ、早く」

 

 敬語の割に、ガンガンと行く記者である。流石天狗。謙っても何故か上から目線。

 文の場合、親しみやすい程度の、態度のでかさではあるが。相手を気遣って調節してるのか、素か。

 まあ、どちらでも構わないのだが。

 

「それに、貴方は数ヶ月ほど前に見た時は完全に動きを止めて……死んでませんでしたっけ?」

「そう。そして、村人に祀られていたようで……」

「ああ、だから、若干神力を持ってたのね」

「やっと憑喪神らしくなってきました。千年生きてようやっと……」

「まあ、その辺はどうでもいいのです」

 

 流石天狗。相手に合わせず自分に合わさせる。

 

「で、敵側につくというのは勇気のいるもの。しかし、その勇気を与えるほどの魅力が相手にあったと言う事にもなります。では、貴方は一体、何に惚れ込んだのか」 

 

 射命丸文が、俺に問う。

 その解答は、もう決まり切っているというのに。

 

「惚れ込んだのは、事実です。しかし……」

「しかし?」

「私は、あくまで物。誰かが私を使おうとするのなら、使われるのが物の使命。私の自我は二の次、三の次」

 

 はあ、と、酷く落胆した様子で天狗が肩を落とす。

 

「それじゃあ、貴方個人に対する新聞になってしまうわ。異変の記事じゃなくて」

「あ、でも私を蘇らせたのは吸血鬼の王ですし、何に惹かれたのかも知ってますよ」

「なになに、何でしょうか!」

 

 途端、顔を綻ばせて万年筆を握る文。そして、また。

 

「紅かったからだそうです。主人は、紅色が大好きで」

 

 落胆。先よりも、大きな落胆。見ていて楽しい。

 

「私の話より、あのお二方の話の方が面白いと思いますよ」

「他の仲間と同じものを新聞に書いてもねぇ」

「すぐに、同じ場面を取材する事になりますよ」

 

 未だ睨み合う紫と天魔の間に割って入る。太い鉄の塊が間に入るのだから、それなりの威圧感がある。

 と、思う。

 

「八雲殿、天魔殿。貴方がたが言い争っていると、話が進みませぬ」

 

 俺も一応、吸血鬼側の代表。自分の主に対しての、幻想郷側の議論を見守らねばならない。

 それに、話が始まる前にこうなった時は仲裁に入れと、紫に言われていたからでもあるのだが。出来レースである。

 

「……そうね、ごめんなさい。天魔さん、ここは、一度、手を取りあって」

「……そうだな。此方も申し訳なかった。話を戻そうか」

 

 紫と天魔の間のぴりぴりとした空気が消え、話が元の、吸血鬼にたいする議論に戻る。我が強い妖怪同士の議論は話が進みにくい。

 

「では、吸血鬼と私はある条約を交わして和平しました。その条約について、説明して頂いてもいいかしら」

「了解です。吸血鬼は幻想郷の人間を襲わない代わりに、妖怪側は食糧の提供をする。そして、幻想郷に吸血鬼を受け入れ、住まう事を許す、と」

「もう、そんな条約を?」

「はい。主は、この幻想郷を楽園と言っておりました。人と妖怪が共存する、そんな理想郷だと。主は人間と手を取りあって暮らすことを望んでいます。だから、その邪魔になる他の吸血鬼達を一掃しました」

 

 会場が沈黙に包まれる。

 吸血鬼に対する、妖怪達の見方は、少しは変わっただろうか。

 

「今、主は幻想郷に自分の館を移転する準備を進めております。そこには、人間の従者がいる。主が望むのは、平穏な生活。だからこそ、自ら人を襲わないと誓ったのです」

「その誓いは、信じれるものなのか?」

「悪魔の契約は、絶対。それは、意思など関係なく悪魔を縛り付ける鎖。それを自ら体に巻きつけた覚悟を、ご察し頂ければ」

「……ふむ」

 

 天魔が考え込む。

 

「吸血鬼を幻想郷の味方につければ今後、このような事態が発生した時に強い戦力ともなります。そして、力の均衡を保つ柱にもなる。私は、吸血鬼と手を取りあうことに賛成ですわ」

 

 紫が俺の発言を後押しする。周りの妖怪に対して、賢者の発言力は強い。こうなってしまうと、山の妖怪も数で負ける。賛成するしか、選択肢は無い。

 

「それに、吸血鬼は我儘で、好奇心も強い妖怪ですわ。きっと、人に危害を加えない程度の異変を。それは、貴方達天狗にとっても嬉しいことなのでは?ね、新聞記者さん」

 

 いきなり話を振られた文が、天魔の顔色を伺う。天魔は少し顎を突き出し、苦笑いする。

 天魔と言えど、天狗。ゴシップは好きなのだろう。

 

「それは、勿論歓迎したいところですね。是非取材にも伺いたいですし」

「眷属がそう言うならば、仕方がない……我々山の面子も、吸血鬼を受け入れよう」

 

 角して、吸血鬼の幻想郷への移住は、幻想郷から認められたのである。

 

 

 

 

 

 

 出発の準備をする俺に、紫が近付いてくる。紫の洋服に、日傘。その背後に開いている、境界の裂け目。

 

「貴方に頼みがあるのだけど」

「何でしょう」

「ちょっと、知識が必要でして」

 

 会議が終了し、人が疎らになった集会所で、紫が俺に話しかける。会議の後に一杯やるという魂胆らしく、酒樽を担ぎあげてくる天狗の姿が目に入った。そんな他の妖怪達を眺めながら、俺は、紫の話を聞く。

 

「幻想郷にぴったりの決闘ルールが必要なの。此度のような殺し合いじゃなくて、安全で、それでいて熱中出来る……」

「遊びの決闘、ですね」

「ええ。ゲーム感覚のね。貴方は、何か思いつかと思ったから」

「つまりは、ゲームのルールを考えろ、と」

 

 ゲームなんて、千年以上やっていないと言うのに。

 パズルゲーム、RPG、格闘ゲーム、STG……挙げれば切りが無い、が。

 

「力が強い方が勝ち、というのが従来の決闘。だから、死人が出るのです。だから、別の事で競えばいい。例えば……」

「例えば?」

「……美しい方が勝ち?」

「抽象的ねぇ」

「とりあえず、ゲームを模倣して見たら如何ですか?パズルゲームとか、格闘ゲームとか。シューティングゲームなんて、綺麗で良いと思いますけど」

「まあ、いくつかのルールを考えてはいるのですけどね……まあ、施行しながら考えていきましょう」

「施行だけに、ですか」

「思考と言うのね。他では言わない方がいいわよ」

「すみません」

 

 上手いこと言ったと思ったのに。

 

「とりあえず、この辺で私はお暇しますね」

「あら、宴会には参加しないのね」

「物が主の元を離れるのは、命を受けた時か捨てられた時だけです」

 

 エンジンを駆け、ギアを落とす。クラッチは切ったまま。

 

「残念ね。貴方にとっては、その方が幸せなのでしょうけど」

「物にとっては、嬉しいことです。では」

 

 俺は、クラッチを繋げ、走り出した。

 向かうは湖の畔。黒い屋敷の跡地まで。

 

 

 

 

 

 

「これは……なんとまぁ」

 

 湖畔に、いつの間に築かれたのか、大きな屋敷が建っていた。黒い屋敷に似た形ではあるが、その色は赤。何処も彼処も紅く染められた屋敷。その屋敷の塀の、門の前。

 

「あら、もしかして、貴方が……」

「始めまして。ここは、レミリア・スカーレット様のお屋敷でしょうか」

「ええ、ここは、レミリアお嬢様の屋敷。貴方が、単車さんね?」

「貴方は」

「私は、美鈴。紅、美鈴。この屋敷の門番よ」

 

 中華風の格好に、紅く、長い髪。

 美鈴。彼女も、レミリアの従者なのだろう。

 

「私は、レミリア様に拾われたしがない乗り物でございます。以後、お見知りおきを」

「乗り物かぁ。メイド長が喜びそうね。あ、レミリア様は中でお待ちよ。屋敷の中は、メイド長が案内してくれるはずだから……」

 

 美鈴が、門を開く。見るからに重そうな扉が、軽々と開く。

 

「これから、よろしく」

 

 笑顔。吸血鬼達を一掃した、紅い悪魔の屋敷の門番が、人間味に溢れた笑顔で笑う。レミリアも、この笑顔に惹かれて門番にしたのだろうか。

 

「此方こそ、よろしくお願いいたします」

 

 俺は、その笑顔に見送られながら門を潜ったのであった。

 

 まずは、彼女の言っていたメイド長に挨拶しよう。それから、レミリアの所へ案内して貰おう。

 俺は、人間が大好きなお嬢様の元へと走りだしたのであった。

 

 

 

 



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二十九・五 久と鉄

 人里の外れ。

 そこから見える景色の中には、民家などは既に無く。あるのは、青々と色付いては揺れる木々と、喧しい蝉の声だけ。

 村紗に貰った錨に水を汲んだ桶を吊るし、纏めて放り込んだ束子やら雑巾やらが、水面に合わせて揺れている。

 人のいない道。乾いた土に落ちた影を踏みしめながら、目的の地を目指して進む。

 

「暑い……」

 

 暑い暑いと項垂れど、汗の一滴さえも流れはせず。全力で回すファンが、体に溜まった熱気を逃がしてくれるのが唯一の救いと言ったところで。

 

 徐々に見え始めた、木々の切れ目。背の低い柵に囲まれた、御影石の並ぶ広場。

 此処は、人里の共同墓地。眠りに着く前は、何度もここへ訪れたものである。

 

「さて……と。頭領達の墓は……」

 

 俺が参る墓は、俺を使ってきた退治屋達……全員を参るには時間が掛かり過ぎるので、歴代の頭領達の墓だけ、こうして墓参りに来ているのだ。

 頭領の座は、基本的には親から子へと受け継がれていく。偶に例外もありはしたが、それでも墓の数に大した変化は無い。一つ、二つと増えるだけだ。

 

 一つ。二つ。墓石の数は、数える程。眠る御霊は、数え切れない程。主人達の眠る土の上、俺は、未だに車輪を転がし続けている。

 

「……頭領……」

 

 一人一人。その顔を思い浮かべながら、腕代わりの組紐を合わせて、冥福を祈る。

 そうして拝むのも、ものの数十秒のこと。人間の真似事は、物には似合わない。俺は持って来た桶を地面に置き、その組紐に束子を握る。

 

「さて、始めるかね」

 

 そう、呟いて。

 照りつける日差しの中、俺は、日に焼かれた墓石を、水で濡らした。

 

 

 

 

 

 

 一つの墓を磨き終えれば、また、次の墓石へと体を滑らせる。退治屋という職業は、昔と比べれば随分と廃れたものであるが、里を守る為に、副業にも似た形で続いているらしい。自警団と言った方が、近いかもしれない。

 兎角、退治屋という職は廃れても、退治屋の家系が途絶えた訳でも無く。殆どの墓は、その家系の者によって既に掃除された後であるため、汚れも簡単に落ちていく。

 束子を擦り付けては、僅かな泡が其処に残り。そしてまた、すぐに弾けて消える。まるで人の一生のように儚く……なんて宣う程、俺はロマンチストではない。唯、妖怪からしてみれば人の一生は、余りにも短いということを痛感して。

 そんな思いを忘れようと、さらに束子に力を込める。御影石に映る曇りを拭い去ろうと、躍起になって。

 

「……妖怪がおる」

 

 必死に墓石を磨く俺の背後で、不意に声が響く。

 否、響くという程に力強い声ではない。寧ろ、それは済んだ鈴の音にも似て。転がる、と言った方が良いのかもしれない。

 

「……お久しぶりで御座いまする、阿礼乙女」

「お久しぶりです、単車さん。と、言っても、あまり多くは覚えていないのですけどね」

 

 声のする方へ向き直れば、薄い紫がかった髪を揺らし、小さく礼をする少女が一人。

 阿礼乙女。彼女もまた、この現代に生を受けていたのだ。

 

「それと、今の私は九代目阿礼乙女、稗田阿求です。出来れば、名前で読んでくださいね」

「御意に、阿求殿」

 

 そう言ってまた、墓石へと向き直る。この墓は、もう良いだろう。

 次の墓へと移動しながら、俺は彼女に語りかける。

 

「今日はお一人で? この暑い中を」

「ええ。散歩がてら、ですけどね」

 

 彼女の手にあるのは、線香。何処か、来る途中にでも買ったのだろう。まだ封も切っておらず、真新しいままである。

 そうして彼女が向かうのは、稗田家の墓。綺麗に掃除されている所を見ると、多分もう、家の者と共に何度か訪れているのだろう。

 

「ところでどうです。編纂は」

「ぼちぼち、と言っておきましょうか。今回は少しばかり、趣を変えてみようと思っているので……」

 

 線香を立て、手を合わせる様をミラー越しに眺めながら、黙って目の前の作業を片付けていく。人が手を合わせている時に話しかける程、俺は無粋ではないつもりである。

 

 墓場に聞こえるのは、束子を擦り付ける湿った音と、蝉の声。時折風が吹いては木々を揺らし、線香から上がる煙を攫ってはまた、静けさを取り戻して。

 何十秒、いや、何分経っただろうか。そうした静寂の中にまた、先の声が転がった。

 

「前回」

 

 墓石と向かい合ったまま、阿求は告げる。

 

「私は、人と妖の関係が変わっていくのを感じました。妖怪と人との新しい関係……今の幻想郷に必要なのは、人が妖怪に打ち勝つ為の知識ではなく、人が妖怪に歩み寄る為の知識。今回の幻想郷縁起は、そういったことを念頭に置いて、書き進めているのですよ」

 

 貴方みたいなのもいますしね、と付け加えて阿求は、別の墓石へとその身を移す。

 幻想郷縁起。その在り方が変わるということは、それだけこの幻想郷にも変化が現れたということ。かつて俺たちが目指した楽園は、確かに、その形を成していっているらしい。

 この分ならば、聖がこの地に降り立った時も胸を張って出迎えれそうである。少しばかり嬉しくなって、墓石を擦る速度も上がる。

 

「……それにしても、随分と汚れてますね」

 

 感慨に耽る俺の傍ら、彼女はその墓石を見て言う。

 その墓石は、俺が眠りに着くその時まで仕えていた頭領……口数の少なく、その癖隙あらば阿礼乙女と桃色な空間を作り出していた、あの頭領の家の墓である。昨年も掃除したというのに、たったの一年で草だらけの埃塗れ。流石に苔までは生えていないものの、このまま放置すればそれも危うい。

 

 結局彼は、最後まで阿礼乙女以外の妻を娶らなかった。家は彼の代で断絶し、今では参る人もいない……あまりに真面目で、一途で。その結果残ったのは、参る人のいない汚れた墓石。

 

 まあ、それでも。

 こうして、誰か一人でも、彼のことを覚えているものがいるのならば、その汚れを取り除くことも出来よう。そう、胸の中で独りごちて俺は、その墓の前へと移動した。

 

「さ、ちょっと束子貸して下さい、ぴっかぴかにしてやります」

「あ、私が磨いておくんで阿求殿は……」

「二人でやった方が早く終わるでしょう。それに」

 

 振り向き様、いつか見た花を模した髪飾りが、揺れる。

 

「思い人のお墓くらい、自分で綺麗にしたいじゃないですか」

 

 僅かに赤らめた笑顔。花の髪飾りは、あの時と変わらずに、其処にあって。頭領の愛した彼女は、今も其処にいて。

 人と妖怪の関係を再現したかのような恋愛談は、今も、こうして続いている。

 

「……御意に、阿求殿」

 

 小さな吐息と共に、言葉を紡ぐ。吐き出した息は、安堵か、はてまた喜びか。多分、何方も、なのだろう。

 

 かつての面影を其処に視ながら、俺は彼女に、その束子を手渡した。

 

 

 




 盆には間に合いませんでしたが、一つ。


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三十 霧と紅

 

 

 

 紅い館には、不夜城という言葉がよく似合う。

 いつでも騒がしく、吸血鬼の主が遊び疲れるまでその瞳を紅く輝かせ、明け方になって眠りに着くまで宴は終わらず。館に灯された燈は夜の湖に反射して、その煌めきを水面(みなも)に揺らす。

 しかし。

 紅魔の宴は、月の下。太陽の下で開かれることはない。如何に吸血鬼が強力な力を持つと言えど、日に焼かれれば、その体は灰となって消えゆく。

 吸血鬼の天下は、夜の間だけ。それを憂いだ吸血鬼は、一つの答えを導き出した。

 

 日の光が邪魔ならば、いっそこの地からその光を奪ってしまえば良い、と。

 

 幼い吸血鬼は、その細く白い腕を掲げて宣言する。

 

 新たな、異変の始まりを。

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の裏手に設けられたガレージの中、俺は、覚め切らぬ思考の中、夢現(ゆめうつつ)の午前を満喫していた。

 ガレージといっても、物置を改造しただけの簡易的なものである。館の裏庭から直接入ることが出来る上に館の内部にも通じているので、レミリアに頼んでこの物置を貰ったのだ。

 

 それにしても。

 外からは蝉の声が聞こえ乾いた空気が入り込み。窓の無いこの部屋からでも、外には青い夏空が広がっていることが予想出来る。きっと、外に出ればその爽やかな空気が俺を出迎え、包み込んでくれることだろう。

 しかし、対する俺は未だに半分夢の中。働かぬ頭と、気怠い体。夏休みに入った学徒のように、俺は薄暗い部屋の中で惰眠を貪り続ける。

 今頃、レミリアもその夢の中で翼を広げ飛び回っていることだろう。主が眠っている日中……特に午前中は、館に仕える人妖の休憩時間である。メイド長や、妖精メイド達、図書館の主や、小悪魔……門番たる美鈴以外の全員が、今は眠っているはずである。

 

「……俺も、寝るかなぁ……」

 

 明け方に眠り、時計が正午を指す前に起き。そしてまた、眠りにつこうとしている。

 二度寝である。その言葉、その響きはまるで、魔法のように魅力的な……

 

「おやすみ……」

「起きなさい」

 

 不意に、声がかかる。この声は……

 

「メイド、長……?」

「そう。ほら、お嬢様がお呼びよ」

「でも、二度寝が……」

「巫山戯たことを言わない。ほら、行くわよ」

 

 咲夜が俺のハンドルを握り、押し始める。俺の体が進むにつれ、俺の二度寝は遠退いていく。

 

「って、お呼び……? レミリア様、起きてらっしゃるのですか……あ、自分で歩きます」

「ええ。今日は、随分と早起きで……」

 

 咲夜の手を離れて、自身の力で車輪を回す。速度は、隣を歩く咲夜に合わせて。

 

 それにしても。

 

「何の御用なのでしょうかね」

「さあ……私にもさっぱり。パチュリー様や美鈴も呼ばれているみたいだし……」

 

 本当に、何なのだろうか。パーティーを開く程度なら、態々皆を呼ぶ必要はない。咲夜に伝えて、それで事が済む。しかし、今回は主要人物を全員……門番たる美鈴まで……呼んでいる辺り、緊急の事態か、何か大きな事件が起ころうとしているらしい。

 

「……何なんだかなぁ……」

 

 紅い絨毯の敷かれた階段を登りながら、独りごちたのであった。

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 咲夜。パチェ。美鈴。

 そして、名も無き私の単車。皆大事な、私の仲間達。皆にはこれから、一仕事してもらわなければならない。

 

 悪魔の館と呼ばれる紅魔館、その館を動かす人妖達が、私の元へと集まる。咲夜は、いつも通りの立ち振る舞いで。パチェは、本を読んだまま。美鈴は額に大粒の汗を乗せて。単車は、心無しか眠た気に。

 普段通りの皆の姿を見て、何となく笑みが零れる。

 

「……レミィ、そろそろ用件を」

「ん……そうね」

 

 皆を集めたのは、これから私が起こす異変の為。幻想郷を紅い霧で覆い、日の光を奪う……自分でも、我儘なものだと思ってしまうほどに、身勝手な異変。

 しかし、これは。

 この、幻想郷に必要な異変なのだ。

 

「皆、よく聞きなさい」

 

 途端、美鈴が背筋を伸ばす。パチェは本から顔を上げず、咲夜は元から姿勢が良い。単車は……よく分からないからいいや。

 

「私は、常々思っていたの。何で私が、日の光などに泣き目を見なければならないのか、と。あの光さえ無ければ、昼間でも自由に出歩けるのではないか、と」

 

 芝居掛かった動作で、私は言う。

 

「どうすれば、私は日の光に苛まれることなく外の世界に踏み出せるのかしら。どうすれば、あの恨めしいことこの上ない日光から、妨げられることなく昼間の空を飛び回れるのかしら……だから、私は考えたの。一つの、計画を」

 

 翼を開き、皆を見る。今は、この、心強い仲間達のトップとして。『気高い』吸血鬼として。

 続く言葉を、強く、強く紡ぐ。

 

「幻想郷を、紅い霧で覆い尽くすわ。日の光の届かぬ紅色の世界を作り上げる……異変を、起こすわ」

 

 咲夜の目が一瞬、紅く輝く。

 パチェは本から顔を上げ、美鈴が纏う気が張り詰めたものに変わり。

 単車のライトが、淡く揺らめく。

 

「異変である以上、きっと、ミコが動くわ。どんな奴かは知らないけど……間違いなく、戦闘が起きる。だから、貴方達は……」

 

 この異変で、最も重要な事を、告げる。

 

「貴方達は、『スペルカードルール』を用いて迎撃に当たること。そして、死者を一人も出さないこと。あとは、自由でいいわ」

「スペルカードルール?」

 

 彼が私に問う。そういえば、彼は男だったか。知らないのも無理はない。

 

「女の子の間で流行ってる遊びよ。弾幕を張って、その美しさで勝敗を決めるの」

「……美しさ、ですか」

「そう……あくまで、美しく。この地を、紅く染めるわ。皆、いいわね?」

 

 答えはもう、分かり切っているのだけど。それでも、彼女達のその言葉が聞きたくて。

 

「了解ですわ、お嬢様」

「嫌と言ってもやる癖に。了解」

「全力で、守らせて頂きます!」

 

 三様の返事を聞き、最後に、彼を見る。今回の異変、女子の遊びの決め事を用いる以上、男の彼は退屈してしまうかもしれない。

 少し申し訳ないけれど、今回は、このルールを浸透させる事こそが最大の目的なのだ。故に、彼に回るのはつまらない仕事。しかし、少しの間我慢して貰わなければならない。

 

 彼は、そのライトの中に微かに、灯りを灯しながら、返事を返す。

 

「……御意。仰せのままに、レミリア様」

 

 その声は、あの時の苦笑に似て。それでも、何処か愉快そうに。きっと、彼も楽しんでくれるに違いない。

 

 我が紅魔館の面々を見て、私は唯、目を細めた。

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

「咲夜、パチェ、美鈴」

 

 紅魔館の地下図書館に、レミリアの声が響き渡る。幼く、それでいて凛とした声。名を呼ばれた三名と同じように、俺もその声に耳を澄ます。

 レミリアを含めた彼女達四名は、今回の異変にて『スペルカードルール』と呼ばれる方式での決闘を繰り広げる。一方男子の俺は、その遊びには混ざれやしない。否、混ざれはするのだが、やはり気恥ずかしい。

 それに、俺には他にやる事があるのだ。

 

「やるからには本気で行くわよ。巫女だろうがなんだろうが、追い返してやりなさい」

「分かりましたわ」

「それなりに頑張るわ」

「全力でいきます!」

 

 三者の返事を聞き、また、満足そうに目を細めるレミリア。そのまま俺に合図をし、俺は、頼まれていた物を四人の前に運ぶ。

 

「あら」

 

 驚いた咲夜の声。

 俺の背に乗った盆、その上で湯気を立てる、四杯の紅茶。

 

「乾杯よ。本当はワインが良かったけど……」

「流石に、開戦前からお酒を飲むわけにはいかないでしょう」

「そう言うこと、って……」

 

 レミリアが、俺の上の紅茶を見て、不満そうな顔をする。

 なんだろう。一応、前に紅茶を淹れた時は合格だったのだが。小悪魔と一緒に淹れたから、味は更に良くなっている筈……

 

「何で、四杯なのかしら」

「へ? レミリア様、メイド長、パチュリー様、守衛殿……」

「貴方達を加えて、六杯いるでしょう? 小悪魔!」

「はいぃ!?」

「貴方も出てくる。今回は図書館も舞台なんだから」

 

 俺は兎も角、小悪魔の分は完全に忘れていた。そういえば、彼女も弾幕ごっこには参加するのだ。

 

「自分達の分を忘れるなんて、人が良いと言うかなんというか……咲夜」

「ええ、もう、準備しましたわ」

 

 俺の上に乗った盆。その上には、四杯のティーカップに囲まれるように、二杯の紅茶が置かれていた。

 

「これで、良しと……なら、手にとって」

 

 レミリア、咲夜、パチュリー、美鈴が手にカップを取り、残されたカップの内一杯を小悪魔が取る。

 俺も彼女等に倣い、フェムトファイバーでカップを取った。

 

「我等が紅魔館に、乾杯!」

「乾杯!」

 

 重なるその声と共に、俺は、燃料の投入口に熱い紅茶を流し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の面々と乾杯を交わした数分後。レミリアは、その細い指から霧を放ち始めた。

 数刻の時間が過ぎても、未だ霧は広がり続けている。

 紅い霧。俺のライトですら、その中では屈折し、否応無しに紅い光となってしまう。きっと、この霧は細かい宝石のようなものが集まって出来ているのだろう。

 そんな、紅い霧の中を走る。

 俺の背には、誰も乗っていない。乗せる面子は決闘に備え、各自持ち場についているからである。

 俺がレミリアから命じられたのは、侵入者の排除。彼女達の弾幕ごっこを邪魔する者を屋敷に近付けないこと。

 男は、男らしく。スペルカードルールの浸透していない男性には、力尽くでの戦闘でお出迎えしなければならない。

 

「ぐっ……」

「ほらほら、この程度ですか? レミリア様は更に強いですよ?」

 

 退治屋……俺が仕えていた、頭領とは比べ物にならないほど弱い……を、適当にあしらう。迫り来る紅霧に里の危険を感じ、その手に矛を持ったのだろう。戦い慣れていない上に、無茶苦茶な太刀筋で挑む男を座席に縛り付け、里へと走り出す。

 レミリア達が、心から遊びに興じる為。本来の使い方では無いものの、それでも構わない。

 彼女達の遊びが終わるまで、全力で。俺は防衛を繰り返す。

 紅い霧の中を、俺は走り続けた。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 霧の放出を始めてから数刻後。私は、未だに霧を放ち続けている。

 指の先から放たれる霧は枯れることなど無い。私の魔力は、この程度で尽きはしない。

 かつて幻想郷を覆った、黒い霧。幻想郷が、黒い霧に包まれたという歴史を塗りつぶすように、紅い霧で染め上げる。

 黒なんて辛気臭い色ではなく、人を引きつける色、紅で。幻想郷の吸血鬼の歴史を塗り替える。

 

「レミィ」

「ん」

「もうそろそろ、霧の放出を止めて良いわ。後は勝手に拡散してくれるから」

「分かったわ。この霧、何か人間に影響は?」

「咲夜が人里で調査済み。結果から言うと一応、有害」

「なに……」

 

 此処まで薄めた魔力の結晶でも、人に害を為すと言うのか。

 あまりに浅はかだった自分の予想を恨みながら、パチェの話の続きを聞く。

 

「と、言っても吸い過ぎると気分が悪くなる程度だけどね。ただ、日の光が十分に届かなくて、農作物には影響があるわね。数日以内に終われば、まあ影響は少なくて済む……かな?」

「なんで最後が曖昧なのよ」

「私は、農業関係者じゃないから」

 

 最もな意見を宣いながら、また、持っていた本に視線を落とす。

 彼女が本を読み始めたと言うことは、もう話す内容は無いと言うこと。

 私は、彼女から目を離し暗くなりゆく幻想郷を眺める。窓の外には、段々と浮かび上がっていく紅い月。

 

「紅い月は」

 

 パチェが口を開く。

 私は背を向けたまま、その話を聞く。

 

「空気中の水分や、塵や埃。それ等を通して見るから、紅く見えるのだそうよ。レミィの霧と同じ原理ね。だから、高く上がってしまえば紅くは見えないの。でも」

「私は、その月さえ紅く染めるわ。塵や埃と同じようにね」

「レミィ」

「分かってるわ。私は、運命を操れる。決して、人に害を為す……貴方の天敵である、塵芥ではないって、そう言いたいんでしょ?」

「そう。寧ろ、レミィは水分。人間に必要不可欠であり、時には害を為す」

「その水分たる私は、流れ水を渡れないのよねぇ」

「ふふ……そうね」

 

 空に浮かぶ月は、その高度を上げていく。しかし、その色は未だ、紅いまま。

 霧が、空気中の水分の役目を果たして紅く染め上げているから。そして、この霧は、私の思うが侭に消すことも、出すことも出来る。

 

「早く来ると良いなぁ、巫女」

「来るんでしょ? 貴女が望めば」

「来るわよ。ただ、待ち遠しいだけ」

 

 乾いた音と共に、親友が本を閉じる。彼女も、ここから見える光景を眺めることにしたらしい。

 テラスから一望出来る、今の幻想郷。紅く染まった幻想郷。遂に、此処まで来たのだ。

 

 私たちはただ、紅色の幻想郷を眺め続けた。

 

 

 

 



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三十一 音と鉄

 

 

 

 幻想郷を霧で覆って、数日の時が過ぎた今。紅い視界の中を、紅白の巫女と黒白の魔女が飛び回っていた。

 冷たい湖上、霧を切り裂くように輝く、虹色の閃光。日の光を失った天を貫く、眩い光線。そして、鳴り響く爆発音。あれが、異変を解決する少女達の弾幕なのだろう。私の振り撒いた紅の中、その深い霧の中に呑み込まれることなく存在を誇示する、強い輝き。その光を見て私は、思わず口元を歪める。

 なんて、愉快なのだろう。人と妖怪が、対等に戦える時が来るなんて。昔の私には、想像すら出来なかった、今。運命を操る私にも、この沸き立つ感情までは見通せなかった。

 

「……咲夜」

「此処に」

 

 呼ぶが早いか、彼女は、私の後ろに。足音の一つも無ければ、着衣の乱れも無く。その佇まいは、完璧という言葉がよく似合う。本当、出来たメイドである。

 

「彼を呼び戻せるかしら?折角の遊び、彼だけ除け者なのは良くないわ」

「大丈夫ですわ。彼のヘルメットを此方で預かっているので……ほら」

 

 途端、彼女の手の上に現れる一つのヘルメット。手品のような気軽さでその手に乗せて、私の前へと差し出す。

 

「聞こえているかしら」

『全然聞こえてないです』

「へぇ、で、今から戻って来てほしいのだけど」

 

 彼の戯言は聞き流し、手短に用件だけを伝える。忠実ではあるのだが、如何せん性格に癖があり過ぎて……彼との会話は、真面目に取り合うと非常に面倒臭いのだ。

 

『戻れはしますけど……何故でしょう』

「もうそろそろ、警備は必要無いでしょう? それに、もうじきクライマックスよ」

『了解です、なるべく急いで戻ります』

 

 これで良し、と。

 あとは、異変解決に乗り出したあの二人組を待つだけである。咲夜に手振りでヘルメットを下げるように命じ、私はまたテラスから騒がしい湖上を眺める。

 

「咲夜」

「何でしょう、お嬢様」

 

 私の背後に立ち続ける彼女。その手に先のヘルメットはもう、無い。

 

「貴女は、彼女達に勝てそうかしら?」

 

 視線は、紅い霧に沈む世界に向けたまま。悪魔の傍に控える人間に、問う。

 

「……お嬢様は、どちらをお望みで?」

「貴女は、どっちがいい?」

 

 勝利か、敗北か。正義か、悪か。そんなことは、些細な問題。本当に大事なのは……

 

「……実力で言うならば、私の勝ちでしょう。時を操る私には、止まった世界で首を掻くのは容易いこと。でも」

 

 咲夜は、続ける。

 

「それでは、楽しくありませんので。今回は、私も遊びに興じたく思います」

 

 微かな笑みを、しかし、確かに浮かべ彼女は言う。彼女の思う、本心からの言葉。人間という短い生が作り上げた一つの、かけがえの無い思考。その、答え。

 それが聞けただけで、私は満足で。

 

「そう……なら、行きなさい。貴女の、好きなように」

「はい。では……」

 

 声は、彼方に。

 彼女のその華奢な体は、霧の紅に溶け込むようにその気配を消し、残るのは、日の光を失った世界と、一体の悪魔。そして。

 

「……見ているかしら、フラン?」

 

 呟きは、誰も居ない室内に広がり。壁に当たって反響し、音の波は空中に、不可視の波紋を作りだす。

 こうやって彼女も……貴女も、一人で遊び続けていたのかしら、なんて。

 感傷に浸るなど、悪魔らしくない。そう、自嘲しながら私は、大きく開かれたテラスから、飛び立つ。じきに、人間が私の元までやってくる。ならば私は、それに相応しい舞台の上で待つべきなのだろう。

 

 体型と比べて酷く大きな翼をはためかせ、館の外壁沿いにこの、幼い体を滑らせて。紅い吸血鬼は、霧中を飛ぶ。

 

 

 幻想郷を一望出来る、その部屋。開いた扉は、開け放たれたまま。吹き込む風は扉にぶつかり、ゆっくりと、収まるべき場所へとその重みを押し込む。

 扉の閉まる音は、その響きを微かに、遥か地下深くへと沈ませて。

 

 そして、誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 炸裂する光弾。見覚えのある札が空を埋め、虹色の雨が降り注ぐ門前。円を描いたかと思えば爆ぜ、その色取り取りの妖力弾を四方八方へと散らし、不可思議な幾何学模様を描いてはまた、新たな華を空に咲かせる……これが彼女達の間で流行っている遊び、弾幕ごっこというものらしい。一見避ける隙間など無いように見えて、中々どうして当たらない。きっと、必ず逃げ道の出来るように弾を射出しているのだろう。

 本気の中に見え隠れする、余裕。成る程、何とも幻想郷らしい決闘である。本気の殺し合いではなく、擬似的な、それでいて熱中してしまう魅力のあるルール……妖怪の賢者も、考えたものである。

 

「いやぁ、あいつの弾幕も綺麗なもんだぜ」

「……そうですねぇ」

「虹なんだか雨なんだかな。ところであいつって中国産なのか?」

「さあ、名前は中国読みですけどね……で」

 

  俺のシートの上。飛んでくる流れ弾を箒で打ち返しながら、巫女と美鈴の戦いの観戦に徹している少女へと、問う。

 

「何故、貴女は此方にいるので?黒白の魔女殿」

「誰が時代遅れだ」

「早い早い。まだそこまで言っていません」

 

 なんとも、愉快な人間である。冗談を飛ばしつつも巫女達の戦いからは目を逸らさず、その一挙一動を注意深く観察している様を見るに、案外努力家なのやもしれない。

 しかし、彼女のその在り方は……何処かで、見覚えがある。

 

「今はあいつが頑張っているからな。私はその分楽が出来るんだ。だから、ここであいつが落ちる様を見届けやろうとな」

「はぁ……ところで、魔女殿。お名前は」

「人に名前を聞くときは先に名乗るもんだぜ、付喪神よ」

 

 魔女はそう言って、立ち上がる。その手には、一つの魔導具。

 

「それは?」

「ん? ああ、これは八卦炉。家事から火事までこれ一つで事足りる、私の商売道具だ」

「……大事に使われてますね。若干、乱暴ですが……良い主人だと言っていますよ」

「なんだ、物と会話出来るのか、お前は。付喪神ってのは、皆そうなのか?」

「いえいえ、多分、私だけで」

 

 ほうほう等と適当な相槌を打ち彼女は、笑う。楽しいという感情を隠すことなくその表情を作ったまま、手にした八卦炉を高く掲げて。

 

「まぁ、私は自分の名前さえ教えないケチでもなければ、自分に自身の持てないペシミストでもないんでな。教えてやるから忘れないことだ」

 

 炉は輝きを灯すや否や、その内に秘めた魔力を燃やし。漏れ出した魔力は、まさに虹のそれで。

 

「私の名は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだぜ!恋符『マスタースパーク』!」

 

 言うが早いか。炉が抱いた輝きは、空を舞う二人へと向けて弾け、紅い霧の中に虹色の柱を映し出す。美しくも凶悪な、一本の光線……これが、彼女のスペルカードか。

 それにしても。

 

「……霧雨、か」

 

 ミラー越しに、すっかり汚れてしまったサイドバッグを見やる。妖怪たる俺の一部となったことで、このカバンも傷つけども再生はする……が、洗うことが少ないせいで泥だらけである。

 かの道具屋の名前も、もう確認することさえ出来ない。少しばかり昔のことを思い出して、寂しくなる……が。

 彼の面影は、彼女の中にある。もう、感傷などに浸る必要もない。

 

 光の柱に呑み込まれた巫女と美鈴、そして、霧雨の魔女をのこして俺は、館へと向けて走りだしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 遠い地上から、物の壊れる音が響く。

 何かが地上を駆ける音や、誰かの話し声。何かがぶつかる音、誰かの足音。

 扉の閉まる音。

 沢山の、波紋。音の波は反響し、この暗い地下へと落ちてくる。

 

 

 495年前。

 この階段を登った先。地上には、クランベリーの木があった。

 あの果実は、もう実っただろうか。収穫は、もう始まったのだろうか。なんて。

 随分と永い間、閉じこもっていたものだと自分を嘲る。自分への嘲笑が終わったならば、次は世界を嘲る。

 私を恐れて閉じ込めた吸血鬼達。破壊を恐れておきながら、この鳴り響く爆音は、一体何のつもりなのか。

 

「んっ……」

 

 吸血鬼達、と、言う言葉の中に、何か、引っかかるものがあった。

 誰か、一人。そう、一人だけ。いなかっただろうか、私の手を取り、引っ張り出そうとした存在が。

 

「……まあ、いいや。誰か、来たみたいだし」

 

 迫り来る、轟音。無機質な、それでいて熱い鼓動。この音が聞こえるようになったのは、つい最近の事。何か、私の知らないものが館に入り浸っているらしい。

 吸血鬼ではない。生き物ですらない。その正体が分からない内に、その何かは私へと……館へと接近する。

 

「レーヴァテイン」

 

 手に持った杖に炎を纏わせ、歪な形の翼を羽ばたかせる。羽ばたかせる必要なんて無いのだけど、朧げにしか思い出せない、私を連れ出そうとした誰かは、こうして翼を羽ばたかせていた気がするから。

 

 窓のない地下。延々と続く、螺旋を描く階段。まるで、そびえ立つ塔のように地上と地下を繋ぐ、階段。

 

 

 

 日の届かない、黒一色の地下に、私は居た。

 

 

 

 

 

 



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三十二 遊と鉄

 爆発音が、立て続けに鳴り響く。

 空を覆っていた紅い霧は何時の間にか薄くなり、抱かれた紅い満月が崩れ落ちた瓦礫の影を伸ばしている。

 

 月は、空に輝き。その中を踊る、二つの影。

 レミリアと、巫女の二人が、無数の弾丸を撃ち出しながら舞う。スペルカードによる決闘も、もうクライマックスと言ったところか。

 巫女の札が飛び、吸血鬼のナイフが空を切る。色鮮やかな光弾に、美しい軌道。息を飲む程の美しさ……

 等と、感動に浸る暇も無く。降り注ぐ流れ弾や、爆風で散った瓦礫や破片の雨を、飛べない俺は、長い影の這い回る地上で避け続ける。

 彼女等の弾幕ごっことやらは、確かに美しい。しかし、それは遠巻きに眺める時にのみ言える事で。これだけ接近すると、鑑賞する余裕など全く無いのである。

 

「あっぶな!」

 

 目の前に紅い光弾が落ち、地面が爆ぜる。俺は、巻き上がった粉塵の中を突き抜ける。気分はヒーローものの主人公……の、バイク。

 煤と埃だらけになった体を右へ左へと揺らしながら、目的の場所へと急ぐ。

 

「ああ、くっそ……洗車したい……」

 

 悪態を吐いても、この車輪の回る速度を落としはしない。

 レミリアと巫女の決闘の行方を見守りたくもあるが、今は、為すべきことがあるのだ。

 俺のこの行為に館の……幻想郷の未来は今、この俺に掛かっていると言っても過言では無いのだと、少しばかり見栄を張った理由付けをして、自分に喝を入れる。

 レミリアと巫女の戦闘のため、現時点でもう館は半壊に近い状態なのだが……彼女が地上に姿を現したならば、紅魔館だけの問題では収拾がつかなくなる。

 妖と人の理想郷たる、幻想郷。永い、永い年月を経てやっと、今の状態にまでなったのだ。そんな幻想郷を壊す訳にも、そして、そんな幻想郷から吸血鬼を追い出す訳にもいかない。郷と主と、その妹君を守るために、走る、走る。

 

「急げ、急げと……」

 

 これだけ派手に騒いで、気付かれないはずが無かったのだ。皆が暴れ回った音は全て、暗い地下室へと伝わっていたに違いない。

 気配と妖気は、どんどん濃くなっていっている。急がなければ、手遅れになることだろう。

 俺は、目一杯にアクセルを回し続けたのであった。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 レミィと紅白の巫女が戦う空の、真下。そこを、紅い鉄が駆けずり回っている。

 幸い、レミィ達は彼女が地上へと向かっていることにまだ、気付いていないようだ。二人が気付く前に、彼女を止める必要がある。

 私は流れ弾の届かない時計台から、彼のヘルメットを通して通話を開始した。

 

「こちら、パチュリーノーレッジ。聞こえてる?」

『こちら、紅鉄グラスホッパー。聞こえてます』

「……レミィみたいなこと言わないの」

『ごめんなさい』

 

 初めは、もっと普通な性格だと思っていたのに。彼の主に似たのか、若しくは似ていたから巡り会ったのか。

 何れにせよ、レミィと彼のセンスは分からない。巫山戯ているのか、本気なのか。

 

「まあ、いいわ。鉄バッタ」

『紅鉄グラスホッ』

「もういい」

 

 蒸し返さなければ良かったと反省し、弾幕を避け続ける彼を見やる。今は、巫山戯た会話をしている場合ではないのだけれど……気を張り過ぎるよりは幾分ましかと、思考を改める。一見余裕そうに見えるが、シートに紅いナイフが刺さっているのは、気付いていないのだろうか。

 

「目的地は、その辺りよ。地下へ続く階段があるはずだから、探してみて。レミィ達の戦闘で大分破損しているだろうけど」

「了解」

 

 それは、今はもう使われなくなった地下への階段。地下深くに位置する、図書館を通らずにあの部屋へ続く唯一にして最短の経路。

 彼女はその階段を上っていっている。

 

「心してかかりなさい。スクラップになりたくなければ」

『できればストラップになりたいです』

「そうね。破片と残骸を使って作りましょうか」

『緑色の皮と、黄色い金属で……』

「はいはい」

 

 彼の世迷い事を聞き流し、手の中の本に目を向ける。

 この本に込められた魔法は、吸血鬼を抑え込むためだけに作った私のオリジナル。本当は、酔っ払ったレミィが暴れた時に使う予定だったのだけれども。

 今は、彼の持つ鉄の輪に術式を埋め込み、この魔法を発動させることが出来るように手配してある。あとは、彼が上手くやってくれる事を願うだけ。

 

「彼女の攻撃は、レミィのよりも強力よ。加減を知らないから。被弾すれば鉄屑になるわよ」

『了解……見つけました、階段』

 

 ヘルメットの透明な部分……シールドと言うらしいそれに、彼の視界が映し出される。

 そこには、ボロボロになった一つの階段。

 

「そう。その階段よ……気を付けて」

『了解……行きます』

 

 彼が、薄暗い階段へと一段、踏み出す。緩やかな傾斜を以って階段は螺旋を描き、その様は、逆さの摩天楼を思わせる。彼のライトの照らす範囲は限られ、光の届かぬ暗闇からは不安が顔を覗かせ……思わず、笑ってしまう。

 悪魔と共に遊ぶ魔女たる私が、暗闇を恐るなど。

 

『如何なさいました?』

「いえ……なんでもないわ」

 

 彼女が表に出れば、この地に大いなる災厄をもたらす。彼女の力は、加減の効くようなものではない。

 破壊か、否か。それは、言うならばゼロとイチ。一度能力を開放すれば、その対象は一瞬で無に帰す。

 そんな力が、幻想郷に現れれば……その力が、牙を剥けば。必ず、レミィも彼女も、この幻想郷から排除されてしまう。

 私も咲夜も、美鈴も小悪魔も、先の戦闘で動ける状態ではない。咲夜に至っては、疲れきった体で撃ち落とした黒白の魔女を捕まえている状態である。頼りは、彼だけ。

 一見すれば、絶望的とも言えるかもしれない。けれど。

 

 自分達の仲間を信じれない程、私はペシミストではない。

 

「頼んだわ、私の友人の、可愛い妹様を」

 

 ヘルメットに手を添え、他でも無い彼へと祈る。二人の吸血鬼の運命を私は、その車輪に託した。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 巫女と共に、紅い月の下でステップを踏む。くるり、くるりと空中で宙返りをしながら、実に無駄の多い動作で札を、針を避け続ける。無駄ではあるが、この方が格好が付く。ならば、美しい方が勝ちの弾幕戦、無駄を省く必要性は、無い。

 一つ弾を避けては、彼女の運命を覗き見。一つ弾を撃ち出せば、彼女の何事にも縛られない力を測りながら。

 大き過ぎる翼に、巫女の針が掠め。投げ付けたナイフが、巫女の頬を浅く切り。薄く垂れた血を拭う暇を与えることなく、私は更に、出鱈目な軌道でナイフを投げる。

 空中での戦い。吸血鬼と巫女の夜。あまりに愉快で、思わず笑みが浮かぶ。

 

「何笑ってんのよ、気持ち悪い」

「ふふ……やっぱり楽しいわね、人間って」

「その楽しい人間が、死滅しそうな雰囲気だけど」

 

 巫女が地上を見下ろす。そこには、禍々しい妖気の溢れ出す、傷付いた一つの階段。あの階段と、続く地下室は吸血鬼の館からそのまま持ってきたもの。地下にいた彼女は、此処がもう吸血鬼の館ではないことをまだ、知らないかもしれない。

 

「二人以上の殺人は大量殺人よ」

「大丈夫よ。私の忠実な道具がもう向かってるから」

「道具? メイドならもう冥土に行ったわよ」

 

 この巫女は、正義の使者にしては口も、態度も悪い。同じ人間ですら道具扱いするのは、人妖分け隔て無く接するからか、それとも、ただ単に捻くれているのか。

 

「向かったのはメイドじゃないし、冥土にも行ってないわ。今の所」

「ふん。でも、私も大丈夫な気がするからいいわ」

「そう。そんな事に気を取られなくていいの。今は――」

「あんたを倒す。そして、帰って洗濯物を乾かす」

「そうそう、それで良いの」

 

 彼女は、そんな所に注意を向けなくて良い。これは、私の家庭の問題。そして、そちらの解決には私の友人や、忠実な道具が既に対処しようとしているのだから。

 私の運命を、彼等に。普段は運命を操る側だが、偶には、自身の行く末を他人に任せて見るのも楽しいかもしれない。

 懐から、一枚のカードを取り出す。これが、最後の一枚。

 

「運命は覆らない。紅い霧が晴れようと、この地は永遠に紅いまま……『紅色の幻想郷』」

「世迷い事は要らない、あんたを窓の少ない棺桶へと封印する! 『夢想封印』!」

 

 紅と、紅と白と、七色の光。

 今宵最後の遊びを、私達は興じ始めたのであった。

 

 

 

 

 



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三十三 響と鉄

 地下へと続く螺旋。

 何処までも深く、暗い闇の中に、紅い炎が咲き乱れる。凝縮した妖気と、大気を揺らす魔力の波。抉られた壁が崩れ落ちる音が反響し、俺のタンクを震わせる。

 予想以上の力に少しだけたじろぐも、スピードは落とさない。落とせない。

 ガタガタと車体を揺らしながら、地下へと続く階段を疾走する。

 

「こんばんは、正体不明のユリック・ノイマン」

 

 幼い声が、地下から反響する。存在は知っていたものの、初めて聞いた彼女の声。落ち着いてはいるものの、何故か、その声はとても、狂気を孕んだものに感じて。

 

「……こんばんは、誰とも分からぬユナ・ナンシー」

「U.N.オーエンは貴方の方よ」

 

 突如、妖気が急接近し、その源たる少女が姿を表す。

 薄い黄色の髪に、美しくも歪な翼。燃え盛る杖。姉のレミリアに似た、幼い顔。

 少々気が触れていると聞いたが、会話は出来そうである。

 

「貴方は、何をしに来たのかしら? もしかして、私と遊んでくれるの?」

「そんな。役不足ですよ」

「私に勝つなら、ストレートフラッシュより上ね」

「ポーカーフェイスは得意ですがね」

 

 回りくどい会話。精一杯の虚勢。間違っても刺激しないよう、彼女の言葉遊びに会話を合わせる。

 

「で、何して遊ぶ?」

「何をお望みで? かくれんぼでもしましょうか。それとも、ままごとでも?」

 

 その程度で満足してくれるならば、問題児等と呼ばれやしないだろうが。

 

「もっと楽しい遊びがあるんでしょ? ずっと地下から見てたわ。何て言うんだっけ」

「弾幕ごっこのことですかね? 最近流行りの遊びでして」

「貴方もやってるの?」

「私は、男ですので。弾幕ごっこは女子の遊びらしいので」

「少しくらい、付き合わない?」

 

 要は、暴れたいのだろう。その瞳に浮かぶのは、小童の持つ輝き。捕まえた虫の手足を捥ぐ、そんな無邪気さを残した、瞳。

 俺を使って遊びたいと言うのであれば、喜んで使われよう。しかし、それだけでは俺が此処まで来た意味が無い。せめて、彼女がその遊びのルールを知るきっかけくらい作らねば。

 

「カードは、お持ちでしょうか」

「無い。だから、これは練習ね」

 

 彼女の手の中の杖が、いっそうその炎を燃え上がらせる。俺の体すら溶かすつもりではないだろうかと思う程の、熱量。

 加減を知らない、というパチュリーの言葉は本当だったらしい。

 戦慄する俺を前に、手加減の出来ない問題児は楽しそうに嗤う。

 

「どうやるんだったかしら。技の名前を言いながら、攻撃すればいいんだっけ?」

 

 本当に、愉快そうに。全てを嘲笑うかのように。

 彼女が、そのか細い腕を振り上げる。

 

「レーヴァテイン」

 

 彼女の手が振り下ろされると同時に俺は、今来た道が崩れ去る音を聞く。逃げるつもりは元々無かったが、これでいよいよ後には引けなくなった。

 

「……力だけではありません。この遊びは、美しい方が勝ちなのです」

 

 弾幕など、張った事も無い。相手も、それは、同じ。故にこれは、ごっこ遊び等ではない、本当の(こわ)し合い。

 我等が主の妹、フランドール・スカーレットは、見よう見まねのスペルを宣言した。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

「不意打ちでもかませばよかったのに」

 

 お嬢様の友人、パチュリー様がぼそりと呟く。紅茶を持ってきた私は、ヘルメットに映る光景を眺めながら言う。その紫色の瞳に輝くのは、無機質なライトと禍々しい炎の煌めき。私の持ってきた銀のプレートにも、パチュリー様の目に映るものと同じ光景が映り、あたかもそれは、舞台の照明のよう。

 

「パチュリー様、それでは美しくありませんわ。美しい方が勝ちなのですから」

「カードすら持ってないじゃない、あの二人。いや、一台と一柱。スペルカードルールは無効よ」

 

 最もな意見。でも、パチュリー様も本当は分かっているのだ。

 お嬢様が、あの単車を妹様の元へと送りつけた理由を。お嬢様が、彼に何をさせようとしているのか。私にも分かることに、パチュリー様が気付かない訳がない。

 

「傷や凹みくらいなら、私でも直せるけど……あれの中身は、外の世界の魔法よ。私は専門外だわ」

「河童はそう言うのに詳しいとか。持って行ってみましょうか」

「ばらけて戻ってくるだけでしょう」

 

 パチュリー様がカップに口を付け、また、本を読み始める。本を読む余裕があると言う事は、特に問題は起きていないと言う事。私も少し安心して、紅茶を乗せて来たプレートを下げる。

 

「彼は」

 

 不意に、パチュリー様が言う。表情は、本に隠れて分からない。

 

「あれでいて、物なのよね。偶に忘れそうになるけど」

 

 その言葉の意味を探ろうとしても、何も掴むことが出来ない。

 しかし、彼方も私がその言葉を正しく理解出来る等とは思っていないだろう。

 故に私は、思ったままの回答を言葉に表す。

 

「ですから、大事に使わないと。私には、時を戻すことは出来ませんよ」

 

 ティーカップなら、取り替えれば良い。華やかな手品に気を取られ、それが元のティーカップと違うという事には、誰も気付かない。

 しかし、彼は。

 取り替える事の出来ない、珍品中の珍品なのだ。

 

「……帰ってきたら磨いてあげて頂戴」

 

 苦笑しながら紫の魔女は言い、また、本に目線を落とす。

 私は一言、了解とだけ返事をして、その背を彼女へと向けた。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 ライトが、降り注ぐ瓦礫と塵を照らし、光の線を映し出す。

 階段は、あれよあれよと崩れ去り、ついに俺は、その終着たる石の床へと車輪を乗せる羽目になった。

 地底暮しだった俺にとっても、この暗闇は居心地の良いものではない。ましてや、今にもスクラップになりそうなこの状況では、辺りを見渡す余裕さえない。

 

「まだやるんですか? もう、逃げ場が無いですよ? 私の」

「まだ逃げる気だったのね。黒死病でも撒き散らす気?」

「鼠と申しますか」

 

 ならば、彼女は猫。

 いつでも殺せると言うのに、捉えた獲物を生かして遊ぶ、猫。

 だが、鼠には鼠なりの戦い方がある。

 

「逃げきって見せましょう。私は、地を駆ける二輪。最速の座は譲りません」

 

 天狗と競うとなれば、怪しいが。それでも、今ぐらいは見栄を張っても良いだろう。

 

「妹様……いえ、フランドール様」

「何かしら。鉄の鼠さん」

「次に会う時は、スペルカードで遊びましょう。だから、それまでには、カードを用意しておいて下さいな」

 

 俺は、シートに刺さったナイフ……その柄に挟まった、一枚のカードに妖力を込める。

 

「レミリア様から、お手本を頼まれました。紅魔……」

 

 レミリアから託された、一枚のスペルカード。上空から降り注いだレミリアと巫女の決闘の、流れ弾の中。唯一被弾した、紅のナイフ。その一振りのナイフが運んできた、レミリアのスペルカード。

 弾幕ごっこ等やったことも無いが、このスペルは見覚えがある。

 あの日、レミリアが吸血鬼を一掃する時に見せた、光の柱。それを、そのままスペルカードにしたものなのだろう。

 幸い、カードにはレミリアの魔力も込められている。この魔力を使えば、俺でもあの紅を再現出来そうだ。

 

「『スカーレットデビル』」

 

 スペルカードの使用を宣言すると同時に、暗い縦穴に紅の光が満ち満ちる。夜の力を凝縮した、レミリアのスペル。その紅い光を前に、狂気の少女は目を丸くする。

 階段が崩れ去り、僅かな凹凸はあるものの、随分と平になった壁。俺は紅い光と共に上昇しながら、壁に車輪を押し付けた。

 

「さようなら、フランドール様。また、お会いしましょう」

 

 紅の柱に押し上げられ、俺の体が壁を這う。俺は、その流れに合わせてアクセルを回す。

 車輪が壁を踏みしめ、光が俺を押し上げる。壁を走るのは、初めての体験だが……何とか、行けそうである。

 ミラーを見ると、フランドールはその七色の翼を羽ばたかせて飛び立とうとしていた。いつまでもスペルに目を奪われているほど、大人しくはないらしい。

 しかし、それについての対処は、もう準備済みである。

 

「もう一つ、置き土産です」

 

 洩矢神から貰った、鉄の輪。それに込められた魔法を発動させるため、ありったけの妖力を注ぎ込む。発動させるのは、パチュリーから託された魔法。相手よりも高い位置で発動させなければ意味の無い、吸血鬼対策の魔術。

 本当は地下に潜ってすぐに発動させればそれで良かったのだが、それでは、あまりにも無粋な気がしたのだ。

 相手と対面する事もなく、話を聞くこともなく封じ込めるなど。地底の皆が聞けば怒るに違いない。

 

 鉄の輪が輝き、籠められた魔法が暗雲を作り出す。雲は瞬く間に赤く染まった地下への洞穴を覆い尽くし、その色に染まり。

 そして、振り出す水滴。紅い光に染められた、紅い雨。まるで、血が降り注ぐかのように紅い、雨。

 

 途端に弱まった彼女の妖気を背後に感じつつも、振り返ることもなく。

 俺は、血の雨の降り注ぐ洞穴を駆け上がった。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 雨が降る。と、いっても、雨なんて初めて見るのだけど。

 知識としては、知っている。空に浮かんでいるという雲から、無数の水滴が落ちてくる自然現象。

 その雨に撃たれながら、私は光を失った縦穴を見上げる。体が少し怠い。どうやら吸血鬼は、雨が苦手らしい。

 

 雨は、紅い光が消えてもなお降り続けている。足元には、早くも水が溜まり始めていた。

 

「弾幕ごっこ」

 

 彼の言葉を繰り返す。何だかんだで、別れる前にまた会う約束をしてしまった。こんな狂人とまた会おうだなんて、何を考えているのだか。

 私が幽閉されてから 495年の間、彼のように、私と接触しようとした存在は、一人も――

 

「あれ……? いや、確か……」

 

 また、あの時と同じような感覚に包まれる。大事な何かが思い出せない、そんな感覚。

 本当に、誰かいたのだろうか。私を連れ出そうとする、誰かが……

 

 水は、溜まり続ける。もう、私の膝近くまで水面は迫って来ている。

 

「……スペルカード」

 

 ルールに則ったならば、また、会える気がして。

 手の中で、一枚のカードを作り出し、只々見つめる。雨の所為で魔力は弱まっているけど、この程度の魔法なら、使うのに何の支障もない。

 

魔法(スペル)の名前は……クランベリートラップ。禁忌、クランベリートラップ」

 

 水の溜まった地下。降り注ぐ雫の生み出す、無数の波紋。

 クランベリーの収穫は、畑に水を張ってから、落とした果実を掬い上げるらしい。いつ覚えたのかも分からない知識を、しかし、確かに見たことのある光景を元に、一枚のカードを作り上げる。

 水の張られた地下深くから、私をすくい上げるのは――

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 静まり返った、主の寝室。囲む、赤い壁。転がる声は、その、壁の中に響き。その、言の葉に乗せた問いを、俺へと投げかける。

 

「お疲れ様。よくやったわ」

「レミリア様こそ、お疲れ様です」

 

 妹様の元から帰還した俺に、レミリアが労いの言葉を投げかける。妹様の一件で忘れかけていたが、今は異変の真っ最中。その決着も、俺が地下にいた間についたはずだ。

 

「もうじき……日の出と共に霧は消えるわ。あー、負けた負けた」

 

 負けた割には嬉しそうに、彼女が言う。妖怪は人を襲い、退治されるものなのだから、当然なのかも知れない。

 退治されるまでが、異変なのだから。

 

「それより、妹はどうだったかしら」

「とても可愛らしい妹君でした」

「あー、そうじゃなくて」

 

 苦笑しながら、レミリアが言う。彼女が何を聞きたいのかは、分かっている。

 

「スペルカードには、興味津々といった所で。レミリア様のスペルにも、驚いていましたよ」

「ふふ……それが聞きたかったのよ」

 

 満足気に息を吐き、笑うレミリア。俺のシートに腰を下ろし、未だ刺さったままだったナイフを引き抜く。

 

「あだっ」

「ああ、ごめんなさい」

「いえ……痛いですけど」

 

 ナイフの刺さっていた穴に手を当てるレミリア。彼女の手を伝い、俺の傷口に魔力が注ぎ込まれる。

 そして、彼女が手を離すと、そこには。

 

「直しておいたわ。これで勘弁してちょうだいな」

 

 完全に塞がった傷口。

 その上に、彼女が体を横たえる。

 

「疲れたわ。少し、眠る」

「お疲れ様です。ごゆっくりと」

「……起きたら、ちょっと話があるわ……」

「分かりました。では」

「ええ、おやすみなさい」

 

 満足そうに、安心したように。

 紅い悪魔は、目を閉じる。数分も経たぬ内に寝息を立て始め、俺は一台(ひとり)、窓の外を眺める。

 

 何についての話なのかは分からないが、悪い話では無いのだろう。

 兎角、今は。俺も、疲れが溜まっている。

 

 明るくなりゆく空。差し込み始めた朝の日差しから、紅い暗闇へと身を滑らせて、サイドスタンドを降ろす。

 子供のように眠る主を乗せたまま、フランドールと交わした……と、言っても一方的に、だが……約束を思い、視界を閉じる。

 俺も、少し眠ろう。霧が晴れようと、彼女達は、永遠にこの地に。また、夜が来れば共に騒ぎ、遊ぶことになるのだから。

 

 

 辺境を包んだ紅の幻想は、日の光と共に眠りにつき。斯くして、紅霧異変と呼ばれた此度の異変は、終わりを迎えたのであった。

 

 

 

 

 

 




 紅霧異変、完結。


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三十四 白と鉄

 

 雪の降る山路。

 舞い落ちる雪の結晶は、エンジンの熱に溶かされては雫となって、鈍い金属光沢の上を伝い落ち。雪の中に車輪を頃がしては、踏みしめる音に耳を済ませて。

 マフラー越しに吐く息は、白く。凍った地面に滑らぬよう、なるべく雪の積もった場所を、ゆっくり、ゆっくりと走り続ける。

 

 紅い霧に覆われた郷は、白銀の世界に変わりゆき。辺境は、冬の寒気に包まれたのであった。

 

「おお、寒い、寒い」

 

 金属の比熱は小さく、エンジンから離れた部位は、その熱をそうそうと奪われたきり。単車である俺は手袋も付けれなければ、帽子さえ無く。あるのは、高温を発し煙を吐くマフラーのみ。冷たい風を受けたライトが、垂れる雫に温度を攫われ、寒いことこの上ない。

 が。その、寒ささえ気にならない程、今の俺は気分が良い。

 辺りを見渡せば、雪の積もった木々と、白銀の大地。ミラー越しの視界には車輪の跡が線を引く様子が映り込み、しんと静まり返った世界には、単車のエンジン音だけが響く……

 弩の付く田舎の冬景色。

 この景色を見るのは、初めてではない。この幻想郷なる地に来てから……そして、それ以前も。遥か過去へと飛び、この無機質な人生を歩み始める前にも。

 この景色は、何度も眺めた。

 

「懐かしいなぁ……」

 

 思うのは、俺が人間だった頃の、祖父母の家。人も疎らな山奥の、田舎の景色。

 休みに入れば、よく泊まりに行ったものである。今となってはもう、会うことも無かろうが。

 

 しかし、それでも構いはしない。俺には、今の生活が……人を乗せて走る、単車としての生活があるのである。あの、鉄筋の森の中で生きる日々よりも、ずっと、満ち足りた日々。

 紅魔館の一員として、主たるレミリアの元で走る日々……いや、今の主は、彼女の方だったか。何れにせよ、あまり変わりはないので良しとする。

 兎角、俺は。主達の眠る昼間の間に、気分だけでも里帰りをと、冬の雪山へ訪れたのである。

 

 過ぎ去る視界に目をやっては、車輪を滑らせ体を揺らし。体勢を立て直してはまた、同じ事を繰り返して。

 成長しない自分に苦笑しつつ、また、繰り返す。そうやって、雪の中を進んで行く。

 目的地などは無い。満足するまで走って、帰路に着くだけである。幸い、帰り道は車輪の跡が教えてくれる。雪が強く降り出せば埋まってしまうが、それまでに帰れば良かろう、なんて。

 自分の浅はかさを後悔しつつ……あの時に似た過ちを、繰り返すのであった。

 

 

 

 

 

 

「……寒い」

 

 辺りは何処も、雪、雪、雪。地上は疎か、天を仰げどそこには、猛烈な勢いで降り続ける、雪の弾幕があるばかり。避ける術の無い弾幕というのは、実に美しくないものである、と。

 どうでも良いことを考えながら、真っ白な世界を、いつも以上に低い視線を以て見つめる。

 

 倒れた体は、雪に埋れ。後輪は浮き、辛うじて地に触れている前輪を自力で回せど、凍った地面の上で空回りを繰り返すのみ。文字通り頼みの綱たるフェムトファイバーも、辺りに掴むことの出来る支えが無ければ、体を起こすことは出来ない。

 

 もう、数刻はこうしているだろうか。転んだ拍子に急な斜面を滑り落ち、そのまま崖から転落……本当、よく出来たものである。

 きっと、冬の雪山で遭難しやすいのは、こういうことがあるからなのだろう。雪が積もっていたおかげで怪我は無いが、雪に埋れて動けない、この現状。千年以上生きた妖怪がこれとは、情けない。

 

「……白い、なぁ……」

 

 雪に体を沈めたまま、呟く。

 随分と余裕のある言葉であるが、実の所、危機感などは感じもせず。

 雪に体が埋まったなら、雪を溶かせば良いだけのこと。エンジンの熱や、妖火を使えば雪は溶け、この体は自由となる。態々そんなことをしなくとも、時間が経てば日が顔を覗かせて、纏わり付く雪を溶かしてくれるだろう。

 俺がこうして雪に伏せて空を見上げているのは、唯、何となくそうしていたかったからに過ぎない。

 

 何となく。そう、何となく、この遭難という行為が、実に人間らしいものに思えて。

 こうして、代わり映えのしない空を見つめていた。

 

 風は強く、空は暗く。あとは、全てが白く染まって。赤い体が場違いに思えるほどに完全な、白。

 そして、その白の中に浮かんだ、青い、二つの瞳。

 

「……物、かしら。それとも、妖怪?」

 

 青いスカートが吹雪に揺れるも、その体は風に揺れることもなく。一見華奢な体型ではあるが、その身に秘めた力と、白い肌は人外のそれで。

 吹雪の中に佇む、美しい妖。思い浮かぶ妖怪の名は……

 

「雪女、ですかね」

「あら……正解。私がこの吹雪の黒幕よ」

 

 こうして雪女に出会すのは、初めてである。大分ポピュラーな妖怪ではあるが、彼女に会えるのは、吹雪の中でだけ。吹雪の中を走ることの少ない俺は、彼女と相見えることもなかったのだ。

 

「それで、何をやっているの? 寒くないのかしら」

「少しばかり、遭難ごっこを。割と寒いです」

「人間の真似事?」

 

 彼女が、俺の横にしゃがみ込む……が。

 

「熱っ……」

「あぁ、申し訳ない」

 

 腰を降ろすや否や、俺から一歩、二歩と離れる彼女。エンジンの余熱は、未だ残ったまま。雪女たる彼女には、どうやら熱過ぎたらしい。

 

「……暖房器具?」

「いえ、乗り物です。走る時に、熱が出まして」

「……私は、乗りたくないわね」

 

 少しばかり恨めしげに呟き、今度こそふわりと、雪の上に腰を降ろす。

 それにしても、流石、雪の妖怪。降り積もった雪は、柔らかな寝具のように。降り続く雪は、まだ見ぬ桜の花吹雪のように。彼女の姿は、雪の中でよく映える。

 対する俺は、まるで不法投棄物のように埋れ、雪は場違いな赤を塗り潰さんと体にぶつかり。いっそ、完全に埋れて見るのも良いかもしれない。

 

「……で、何をしているの?」

「折角の雪景色なので、山に来ていたのですよ。崖から落ちて、この様ですが」

「本当に遭難じゃない。雪景色の良さが分かるのは、良いことだけど」

 

 一つ、溜息を吐いて俺を見下ろす。俺の姿を眺めるのに飽きればまた、雪女は、その瞳を何処か遠くに向けて。俺は、瞳は無いが彼女に倣う。

 

 

 どれくらいの間だっただろうか。

 たったの一言も喋ることなく、一人の妖怪と、一台の単車が、雪に体を沈ませながらそこに居たのは。

 雪の落ちる音は、微かに、けれども強くその波紋を広げ。少しずつ、少しずつ、世界の表面に層を作る。

 あまり雪の降らない都会から、田舎へと帰省した昔。降り続く雪の中で、幼い頃の俺はこうして、天を仰いだ。

 今も変わらず、それを繰り返している。姿は変われど、中身にはそう変化は無いらしい。

 

 

「……飽きないわねぇ」

「あまりに懐かしいもので」

「あら、貴方は……人間から妖怪になった口?」

「えぇ、まぁ。貴女は?」

「私は……どうだったかしらねぇ。姿形は、貴方よりは人間らしいと思うわ」

「全くで」

 

 雪女と単車では、何方が人間らしいかなど考えずともわかる事。元が、どうであれ。

 

 降り続く白は不規則に舞い、気まぐれに揺れ。無数の雪を乗せた風も、次第に、その力を弱めていく。

 

「……そろそろ、行くわ。一人で起きれるかしら」

「何とか……雪女殿」

 

 今にも振り向かんとする彼女に、声を掛ける。

 

「何かしら」

 

 肩に乗った雪が、はらりと落ちて俺の上に。何時の間にやら熱を失った鉄の体は、その結晶を溶かす事もない。

 

「お名前は、何と」

「あら……また、会うつもり?」

「ご迷惑でしたでしょうか」

「まあ、熱いしね」

 

 互いに苦笑するも、その裏にあるのは、手を伸ばすことへの諦めや絶望ではなく。

 

「レティ・ホワイトロックよ。貴方は?」

「私は……未だ、名無しでして。単車とでも、お呼び下さい」

「名無し、ね。真っ白じゃない」

 

 くすりと笑って、彼女は、背中を向ける。スカートに乗った雪は、そのはためきに合わせて散り。

 苦笑混じりの交友に、煌めきを添える。

 

「じゃあ、また」

「ええ、また」

 

 雪の妖、レティ・ホワイトロックは徐々に、その姿を雪の向こうへとかき消して。俺は、一人雪に埋れたまま。

 

 もうしばらくは、このままでいたい。飽きが来たら、また走り出せば良いのだから。

 平坦な世界にくしゃみを一つ響かせて、俺は、真っ新な雪の中に沈み続けた。

 





 避暑。


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三十五 雪と鉄

 

 気温が低い時は、エンジンの掛かりが悪い。

 ガソリンなど当の昔に使い切ったと言うのに、一体何故、掛かりが悪くなるのか。

 必要も無いのにくしゃみが出る俺である。きっと、理由なんて無いのだろう。ガソリンが入っていないのにチョークを引く理由も、必要も無いのにくしゃみが出る理由も、『そういうもの』だから仕方が無いのだ。

 

 もう、五月まで日が無い今日。

 この、いつまでも続く冬の寒さも、『そういうもの』なのだろうか。なんて。

 

 下らないことを考えながら、俺は、紅魔館へと走りだした。

 

 

 

 

 

 

 気分だけの里帰り、雪に埋れ続けたあの日も、随分と前のこと。冷たい冬は、本来ならば暖かな春に代わる頃。

 

 しかし。

 

 背の低い皐月の木も、未だ花を咲かせることなく雪に埋れ、桜の花さえ咲くことなく。幻想郷の春は、誰かに盗まれたまま。

 盗んだ犯人の居所は分かっている。雪に混じって舞い落ちる、桜の花弁。幻想郷で、桜の咲いている場所は一箇所も無かった。つまり、この舞い落ちる花弁は何処からか飛んで来たのではなく、直截空から舞い込んできているのだ。

 

 空高く。天空の花の都へは、俺にはどうあがいても駆け上がるような真似は出来ない。駆け上がるなんて気も起きない。

 俺には、他にやる事があるのだ。

 

「妹様、調達して参りました」

「はい、ご苦労様」

 

 此方に視線を移すことさえなく、ベッドの上から素っ気ない返事を返す我等が主の妹君、フランドール・スカーレット。

 彼女に頼まれたのは、傘やらブーツやら防寒着やら。出かける気満々の品々である。

 

「一応聞いておきますが、これで何をする気で?」

「部屋の中で傘をさす人がいるのかしら」

「吸血鬼はさすのやもしれませぬ」

「へぇ。お姉様が廊下でさして歩いてたら、傘を爆破してみよう……っと」

 

 体を起こし、俺が買ってきた品々を身につけ始める妹君。流石、彼女の妹。行動が早い。

 

「お姉様には内緒よ」

「はいはい。分かっておりますよ」

 

 コート、手袋、靴下、ブーツ、そして、UVカット仕様の傘。

 彼女にとっては、始めての外出である。勿論、レミリア達には秘密での、外出。

 

 紅霧異変の終わったあの日、俺は、レミリアからある頼みを聞き、二つ返事で了解した。

 その頼みとは、フランドールに俺を譲渡すること。乗り物である俺をフランドールに渡すと言うことは、つまり。

 公には出来ないものの、ある程度は目を瞑ってくれると言うことだろう。

 

「では、妹様……いえ、フラン様」

「ん」

 

 少しだけ、緊張した様子のフランドール。前回抜け出そうとした時は魔法使いと巫女に迎撃され、その前は俺に邪魔されと、今のところ二連敗である。三度目の正直となるか、否か。

 全て、彼女次第。俺は、彼女に使われるだけ。

 

「地上に出る道は、地下図書館を経由するものしかありません。しかし、フラン様は……」

「姿は消せるけど」

「気配と妖気が強すぎるのです。ですから、今回は、あの時の螺旋階段を使いましょう」

 

 パチュリーの図書館は、警備が厳しく、フランドールが通り抜けることは到底出来はしない。

 なので、今回は崩れ去った螺旋階段を通っての脱出。あの時半壊した紅魔館はすっかり元に戻ったが、この螺旋階段だけは壊れたまま、硬く封をされているのだ。

 

「……暗に、行くなと言っているのかしら」

「そんな。必ずや脱出しましょうぞ」

 

 疑うのも無理は無い。しかし、俺は本気である。

 

「……失敗したら恨むからね」

「どうぞ。さあ、行きましょう。外は雪が積もって綺麗ですよ」

 

 出るなら、今しかない。開けない冬の異変の為、咲夜が空の彼方へと向っている、今しか。

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 私たちの目の前に、次々と階段が形作られていく。比喩でもなんでもなく、崩れた瓦礫が浮き上がっては、私たちが上るのに不自由無い程度の広さの階段が生まれていっているのだ。

 私たちが通り過ぎた階段は、崩れてまた私たちの前へ。組み合わさっては崩れ、また、階段を形成して。

 足下だけを照らすランタンの明かりのように、私たちの脱出を助ける。

 

「こんな能力があったんだ」

「能力というか、協力を得たと言うか。私は、物と会話できるのですよ」

「ツクモガミ、だっけ?ツクモガミは皆、こんな事ができるの?」

「いえいえ、私だけですよ。知ってるところでは、ですけどね」

 

 彼がスピードを落とし始める。前には、閉じた扉。階段の終着にあったそれは、固く封をされて、立ちふさがっていた。

 

「ちょっと、通しておくれ。妹様のお通りだよ」

 

 彼が扉に話しかける。話しかけられた扉は、別に返事をするわけでも無く。返事の代わりに扉自ら、その封を解き、開いていった。

 

「物にも意思はあるのです。だから」

 

 あまり乱暴に使っちゃいけませんよ、と。少しだけ寂しそうに、私に言う。

 私の力は、破壊の力。物だって、幾つも壊してきたし、きっと、これからも壊す事になるのだろう。

 唯、彼がこんなに寂しそうにするのなら、私は。

 物を壊すのは、出来るだけ控えよう。開きゆく扉を見ながら、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 フランドールを乗せて、雪の降る地上を走る。雪は流れではないことはレミリアで実証済みなので、今は日光だけを気にすればよい。唯一気をつけねばならない日光も、雲に隠れ、その輝きは弱まっているため、外出にはもってこいの天気であった。

 俺のシートに座るフランは、眩しそうに、目を細める。しかし、細められた目は、楽しそうに輝いていて。

 

「フラン様。何処に行きましょうか」

「花。花が見てみたい。綺麗なのを」

「了解です。ではなるべく、目立たぬよう」

 

 ギアを上げ、アクセルを回す。

 花といえど、今は冬。暦の上では春であるけれども、咲いている花は少ない。数少ない冬の花が咲いているところと言えば……

 

「あー……」

 

 思いつくその花が咲くのは、人里近く。そんな所にフランドールを連れていくのは、気が引ける。

 そして、もう一つ、気が引ける理由が……

 

「……何とか、なるかね。多分」

 

 持ち主が望むのならば、俺に拒む権利はない。危なくなったら壊れてでも持ち主を逃がす義務はあるが。

 フランドールは、俺のハンドルを握ったまま楽しそうに、本当に楽しそうに白銀の世界を見つめている。

 レミリアが望んだのは、こんな表情のフランドールなのか。ならば。

 

「行きましょう。何処までも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の積もった道に、車輪の跡。ミラー越しに見える、俺が通って来た道には、早くも新しい雪が降りつもり始めている。

 そして、その雪に混じる桜の花弁は、目に見えて多くなっていっている。異変の終わりも、近いのかもしれない。

 

 俺が辺りを確認する傍、フランドールは日傘をさして俺から降り、初めて見るその花に目を輝かせていた。

 その花は、椿。冬に咲く花と言われて、俺が思いついた唯一の花。

 

「ツバキと言う花です。冬に咲く花は、少ない物で。これしか思いつきませんでした」

「ん……いいよ。とっても、きれい」

 

 白い雪の中、鮮やかに咲き誇る赤い花。まだまだ満開とは言えぬ上に、あまり縁起の良い花とは言えないが、確かに、その見た目はこの上無く美しい。落ちる瞬間だけ見て勝手な想像を抱き、縁起が悪いなどと決めつけるのは、如何なものだろう。

 

「あら。珍しいわね」

 

 突然掛けられたその声を聞き、背筋に冷たいものが走る。背筋といっても、シートとフレームしか無いが。気分である。

 

「お久しぶりです。風見殿」

「お久しぶり。また、花を踏み潰したりしてないでしょうね」

「あれは不可抗力でした。本当にごめんなさい」

 

 俺とこの妖怪の出会いは、酷いものだった。俺が一人で走っていた時に突然襲われ、倒れた所で踏み千切られた花……彼女曰く、俺の車輪に轢かれた花を突き出し、謝罪させられたのだ。

 その日以来、彼女は俺を見る度に移動に使うようになった。花を踏まないように、監視だと言って。十中八九、楽がしたいだけである。乗ってもらう分には構わないのだが……

 

 

「そちらの彼女は?貴方より余程、風情が分かりそうな子ですけれど」

「本当にすみませんでした……フラン様」

 

 風見幽香の出現に気付き、此方を向いたフランドール。俺の掛けた言葉に対し、小さく首を縦に振る。紹介しても、いいということか。

 

「此方は、フランドール様。私の今の主で御座います」

「あら?貴方の主は……ああ、なるほど」

 

 幽香が、何か納得した風にフランドールを見る。

 

「吸血鬼のお嬢さんの、妹さんね。はじめまして、風見幽香と申します」

 

 スカートの端を摘み、丁寧にお辞儀をする幽香。対するフランも、少しぎこちないながらも礼をする。

 片や吸血鬼、片や大妖怪。挟まれる俺は、戦々恐々とするばかりで。

 二人の間で戦闘が起きれば、死人が出る。俺とか。

 

「吸血鬼が、昼間にも関わらず花見だなんて」

「お姉様が寝てる間に、抜け出して来たの」

「あらあら、それは。そうまでして、花が見たかったのね」

「地上にある綺麗な物と言えば、花かな、って」

 

 満足そうに頷き、目を細める幽香。花を踏み潰すような輩には問答無用で挑み掛かる幽香であるが、花を大事に扱う相手には終始紳士な態度で接するのも、この妖怪の特徴である。

 この分ならば、諍いなく終えることが出来るかと、思った時であった。

 風見幽香が、こんな問いを投げかけたのは。

 

「貴方は、椿がどんな花か知っているかしら」

 

 幽香は、その整った顔に笑みを浮かべたまま、問う。しかし、その裏に隠した凶悪さは、美しい笑顔に禍々しく影を落とす。

 この問い掛けは危険だと、本能が叫び狂っている。しかし、この問いに俺が口を出せば更に危険だと言うことも分かっている。

 

「……綺麗な、花」

「そう。雪の冷たさに負けずに咲き誇る、とても綺麗な花。でも、この花はとても、不吉な花」

 

 幽香が、椿の前に立つ。フランドールとの距離が、手を延ばせば届くほどに縮まる。

 

「この花は散る時、花首が折れて一気に落ちるの。そう、それはまるで、人の首が落ちるように、ね。だから、この花は人々に忌み続けられてきた。貴方は、そんな花を見て――」

「煩いな」

 

 フランが、幽香を睨み付ける。

 

「貴女も周りの言葉に惑わされて、罪の無い者を閉じ込めるのね。縁起とか、禁忌とか、本当、下らない」

 

 フランドールは、静かにその怒りを風見幽香にぶつける。しかし、その目にあの時の狂気は無く。そこに映るのは、真っ直ぐ、芯の通った紅。彼女の姉によく似た、瞳。

 

「私は、この花が好き。それは、私と似てるからと言う同情でも、地上に出て始めて見た花だからと言う思い入れでもない。私は、この花が、純粋に好き。唯、好き。それじゃいけないのかしら」

 

 崩れること無く笑い続ける妖怪に、彼女は、真っ向から挑み掛かる。

 二人の間に、沈黙が生まれる。しかし、この沈黙の間にも、状況は大きく動いていっている。

 幽香の笑みから影が消えて行っているのが、最たる例で。

 

「……そう。なら、私は、この辺でお暇するわ」

 

 あまりに、あっけなく。風見幽香は、此方に背中を向ける。

 

「私も、この花は好きよ。忌み嫌われ、雪に埋れてもなお咲き誇る気高い花。貴女の言うとおり、この花はとても綺麗な、素晴らしい花……だから、こうして見に来たの」

 

 最後に、また会いましょうと付け加えて、風見幽香は歩き去る。

 肩透かしを食らったように立ち惚けるフランドールと、心から安堵する俺を残して。

 

「……何だったの?あいつ」

「まあ、深くは考えなくてよろしいかと」

「ふうん……え?」

 

 また、椿の方に視線を向けた彼女が、驚嘆の声を上げる。釣られて、俺も椿をみれば……

 

「……これは、また」

 

 そこには、満開の椿。雪を押しのけて開花した、無数の椿。つい先程までとは比べ物にならないほどに鮮やかな、風見幽香の置き土産。

 

 そして、また、目を輝かせるフランドール。風見幽香も、最後に良い仕事をしてくれる。今度会った時には、礼を言わねばならない。

 俺は、フランドールが飽きるまでずっと、椿の傍らで待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうだったのかしら。フランは」

「ええ。冬服もとても似合ってました」

「うん、ああ、そう」

 

 前にも同じような受け答えをしたな、なんて。例にもよって、彼女が聞きたいことは、分かっている。

 

「大丈夫ですよ、フラン様は。思っていたより、ずっとしっかりしていらっしゃいました」

「そう。フランも、そろそろ外に出た方が良いと思ってたから……屋敷の中は、解禁ね」

 

 嬉しそうに、レミリアが笑う。本当、よく似た姉妹だと思う。

 

「風見幽香と遭遇した件は」

「ん、まあ、いいんじゃないかしら。悪い運命は、見えないわ」

「そうですか。なら、良かった」

 

 彼女がそう言うなら、きっとそうなのだろう。俺は安心して、車輪を左へ切る。

 

「お疲れ様。また、使われてやって頂戴」

「ええ。幾らでも使われましょう。では」

 

 反時計回りに旋回し、レミリアにテールランプを向ける。今日は、心労の多い一日であった。機械の体とはいえ、疲れはする。今晩は、ゆっくり眠ろうと、レミリアの元から離れていっていた、その時。

 

「今度は」

 

 投げ掛けられたその言葉に、ブレーキを掛ける。微かな金属音と共に停止した俺に、レミリアは続ける。

 

「私も乗せて頂戴。最近、乗ってないから」

「……いつでも、どうぞ。私は、願ったりですから」

 

 こうして、レミリアと約束を交わして、俺は。

 紅魔館の紅い廊下へと、車輪を進めた。

 

 





 花を覆う雪と、溶ける狂気。


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三十六 宴と鉄

 

 

 紅魔館から、暇を出された。

 

 と、言うとまるで捨てられたようだが、実際は単純に休暇を貰っただけである。

 三日置きに繰り返される、宴会。俺は乗り物なので、基本的にあまり飲む方では無く、更に、宴会は女子が大多数を占めるために何と無く居場所が無いのでそれならば、と、暇を出された次第である。

 偶には、好きに走って来いとのレミリアの言葉通り、俺は今、人気の無い山道を疾走中である。

 ある程度走れば、幻想郷を一望できる崖に出る。俺はどうしても、そこで確認したいことがあった。

 

「多分、当たっている筈。多分」

 

 いくら幻想郷が呑兵衛揃いの楽園と言えど、この頻度の宴会は、流石におかしい。それに加えて、辺りに充満した、妖気。本当に薄っすらと漂うそれが、まるで意思があるかのように人妖にまとわりついている。

 生い茂る木々の続く山道を抜け、視界の開けた崖に飛び出す。そして、眼下に広がる幻想郷を見れば……

 

「やっぱり。何時の間に、湧き出したのやら」

 

 そこにあるのは、薄く、霧に包まれた幻想郷。バイクの癖に鼻が効く俺は、この霧の存在に気付くのにそう時間はかからなかった。そして、この霧の正体も、想像が付く。

 この、薄っすらと酒臭い霧はおそらく、俺のよく知るあの鬼神。地底にいた頃は、力比べと称して何度も投げられたものである。

 その鬼神が、何故地上に這い上がり、そして幻想郷を包んでいるのか。

 大体予想はつくのだが。

 どうせ、春が短かったために花見が出来なかった分、今、宴会をしようなどという魂胆に違いない。

 

「まあ、レミリア様も巫女もいるし。紫殿もいらっしゃいますしねぇ」

「お呼びかしら」

 

 呼べば出る妖怪、八雲紫。こうして話すのは、久方ぶりである。

 

「いえ、何やら地底の同胞が遊びに来ているようなので。よろしいので?」

「同胞たる貴方も、地霊の一でしょうに。それに、宴会に人を萃めているだけですので。あの子も暇してるみたいですし」

「鬼が復活する、と、いうのは」

「それは、私が防ぎます。此処で鬼まで現れたら、管理が面倒臭いわ」

 

 相手は鬼、最強の人攫いたる、酔っ払い集団である。人間は勿論、力有る酔っ払い達は、妖怪にさえ害を及ぼす可能性がある。

 妖怪に対しても、人に対しても。鬼は、危険すぎるのだ。

 

「とりあえず、貴女が宴会に参加しているのなら安心です。賢者様」

「あら、私も、貴方が面倒を見てくれるのなら安心ですわ。あの、箱入り娘の」

 

 箱入り娘と言うのは、彼女のことだろう。確かに、鬼と同じくらいに扱いは難しい。単車の扱いの方が、ずっと簡単だと思う程に。

 

「では。今日も、宴会がありますので」

「お忙しい所、ありがとうございました」

「いえいえ、貴方も暇なことに忙しそうね」

「ええ。中々手が空かなくて」

 

 下らないやり取りをしながら、八雲紫はスキマに消える。崖の上に、単車が一台。確認したかったことは確認し終えたし、次は、何処に行こうか。

 とりあえず、前に進もう。俺は、目の前の崖を、駆け下りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 鳥居を潜り抜け、階段を駆け上がった先に、一社の神社が建っている。幻想郷でも指折りの桜の名所も、今は夏。冬は長引けど、春までが長引くなんてことは無く、飛ぶように過ぎ去った桜の見頃。今は、新緑の葉を付けた木々が並び蝉が鳴く、夏の様相を成している。

 

 博麗神社。最後に訪れたのは、輝夜と別れた時だったか。

 思えば、この神社とも長い付き合いになる。輝夜と別れたのも、この神社。かつて寺を襲撃したのも、此処の巫女。それに……

 

「懐かしい。本当に」

 

 あの頃の俺には、手も、足もあった。今の俺にあるのは、二つの車輪と、誰かを乗せるための、シート。

 

「変わっちまったなぁ。随分」

「何、人の神社で黄昏てんのよ」

 

 神社の裏手から現れた、紅白の巫女。箒を手に、些か不機嫌な様子で俺に声をかける。

 

「やや、出ましたな、怨敵よ」

「誰が悪役だ……大体、私からしてみれば、出たのはあんた。お昼寝を邪魔した怨敵もあんた」

 

 前半は、最もである。後半は、職務怠慢ではないだろうか。

 

「いいんですか、お昼寝なんて」

「宴会宴会で、睡眠不足なのよ。疲れるし」

 

 酔っ払いの起こした異変による、些細な弊害。この様子だと、やはり宴会は自由意志によるものではないらしい。

 

「お疲れ様です。では、私はこれで」

「待ちなさい。私を起こしておいて、タダで済むと思ってるの?」

「お金なんて持ってないですよ。大体憑喪神から賽銭を取ろうなんて、何を考えているのです」

「あー?付喪神だぁ?」

 

 怪訝な顔をして、俺を見つめる巫女。確かに、元人間なので少しばかり違うのではあるが。勘が鋭い巫女にも、俺が人間だったなどということまでは分かるまい。

 

「憑喪神ねぇ。祀られてただけあって、神力は感じるけど」

 

 感じても、特に有難がったりしないのがこの巫女である。本当に、神の器なのだろうか。

 砕けた口調といい、あの時の巫女にそっくりで。懐かしさばかりがこみ上げてくる。痛かった思い出ばかりなのは、苦笑したくなるが。

 

「で、何しに来たのよ。あんたが此処にくるなんて……って、初対面だっけ?」

「ええ。始めまして。しがない単車の憑喪神でございます。以後、お見知りおきを」

 

 単車の憑喪神。単車自体が無いに等しい幻想郷では、俺の存在はそこそこ有名である。紅魔館に所属し、幻想郷中を走り回っているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。

 

「知ってるわよ、聞かなくても。外の世界の乗り物が、憑喪神に……あれ?」

「なんです?」

「いや……単車、だっけ?憑喪神になるには、長い年月がかかる。それに、あんたは昔から幻想郷にいたらしいけど……単車って、そんなに昔からあったの?」

 

 おもわず、答えに詰まる。そこを突っ込んだのは、この巫女が初。納得させるような答えなど、用意していない。時を越えたなどという事を、信じてくれるものなのか、否か。

 

「えー、と、話すと、長くなるので……」

「……怪しい」

「う……」

 

 万事休す、とはこの事か。仕方ない。

 俺は、この幻想郷に来るに至った理由を、語り始めたのであった――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘘でしょ」

「本当です。九割方」

 

 俺も、千四百年も前の事まで正確には記憶していない。しかし、大体の流れは、伝えたつもりである。

 外の世界のこの神社を参拝し、昼寝をしていた間に、タイムスリップ。人間であったことは隠し、それでも、嘘はつかない。話さないだけならば、嘘にはならない。

 あの地霊が大気を覆う今の幻想郷で、嘘は危険である。

 

「……そんな簡単に、過去に行けるのかなぁ。月にでも行く方がまだ簡単に思えるわ」

 

 そう言って、一本の針を中空へと投げる。針は、突如開いた紫の裂け目に吸い込まれ、消える。

 そして、霊夢の背後。そこに、見慣れた裂け目が口を開いた。

 

「幻想郷には」

 

 今日は、彼女とよく会う日である。紫の裂け目から這い出す、一人の妖怪が、言葉を続ける。

 

「過去の物や、未来の物も流れ着きますわ。それは、それは残酷な事に」

「紫」

 

 幻想郷の管理者、八雲紫。本日、二度目の登場。先の件は俺が呼んだから来たのだが、今度は自分からの参上。案外、暇なのかもしれない。

 

「未来や過去?そんな事したら、おかしな事になるんじゃないの?」

「貴女はそんな事を考えなくていいのよ。そういうのは、当事者が考えること」

 

 そういって、俺を見やる紫。

 当事者が考えるとは、どういう事か。

 

「まあ、まだまだ先ね。貴方が悩まなければならないのは」

「なんか、釈然としないけど……いいわ。それより」

 

 巫女が、面倒くさいと言わんばかりに思考を止め、話を切り替える。

 

「偶には、あんたも宴会に出ない?本当は、宴会への招待は魔理沙の仕事だけど……レミリアがあんたを自慢したいって煩いのよ」

「……自慢したい気持ちは分かりますが……」

 

 宴会に参加しない間暇だから、と貰った自由時間である。その時間を、宴会に当てて良いものか。

 

「いいんじゃないかしら、偶には。古い友達にも会えるわよ?」

 

 紫が、そう提案する。レミリアとも数日程会っていないことだし、それに。

 酒臭い霧の主にも、聞きたいことがある。

 

「分かりました。参加しましょう」

「そうこなくっちゃね。次の宴会は、明後日よ」

 

 お酒も用意してきてね、と。

 したたかな巫女の声を聞きながら、俺は、かの地霊との再開を想った。

 

 

 

 

 

 

 

 



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三十七 道と鉄

 

 夕刻。

 博麗神社の境内に、人と妖が集まり始める。今宵は宴、裏に黒幕はいるものの、やはり、呑兵衛揃いの幻想郷。皆、様々な酒や摘みを持って鳥居の下を、まるで屋台の暖簾を潜るかのような気軽さを以て越えてくる。

 かくいう俺も、既に、持ってきた酒を巫女に預けた後で、宴会を楽しむ気は満々、と、言ったところである。

 俺が選んだ酒は、ウォッカ。霧雨道具店で一日働き、その対価として貰ったものだ。

 

「あら……貴方も参加してたのね」

「お久しぶりです、メイド長殿、レミリア様」

 

 長い階段を上ってきたのは、紅魔館の二人組。数日振りに顔を合わせるが、変わりないようで安心する。

 

「うんうん、流石私のバイク。ちょうど、自慢したいと思っていた所なのよね」

「出来たバイクですから」

 

 紅魔館自体がレミリアの持ち物。俺は、紅魔館の備品といったところなので、やっぱりレミリアの持ち物ということになる。

 もう一人の主も、そのうちまた連れ出さねば、と、心の中で独りごちた。

 

「こんばんはぁ」

「おはよう」

 

 鳥居の前に立つ二人の背後に、見慣れぬ顔が現れる。桃色の髪に、青い着物。ふよふよと宙を漂いながら、気の抜けた挨拶をする、一人の人間……否、亡霊。

 幻想郷で、初めて見る顔というのも珍しい。二人は知っているようだが、一体、何者なのか。

 

「見なさい、幽々子。これが私のバイクよ!」

「あらあら、何と無く、兎に似ているわね」

「跳ねはしませんけどね」

 

 何とも、マイペースな亡霊である。そして、もう一人、階段を上がってくる気配が。

 

「幽々子様、流石に重いです……」

「失礼ね、私はそんなに重く無いわ」

「いや、そうじゃなくて……なんでもいいや」

 

 多少投げやりに返した、大荷物を持ち、二振りの刀を差した少女。その後ろには、他の幽霊よりもずっと大きな、一体の霊魂が浮いている。この少女も、知らない人物だ。

 

「妖夢、私のバイクを貸すから、霊夢のところにそれ、置いてきなさいな」

「え、バイク……?これのことですか?」

「はい、これのことです」

 

 そう答えながら、フェムトファイバーで彼女の持つ風呂敷を抱え上げ、シートに乗せる。

 

「わわ、喋った」

「行きましょう、妖夢殿」

 

 覚えたばかりの名前を呼び、荷物を運ぶ。レミリアが手を貸すようにと指示をしたのだから、悪い人達では無いのだろう。

 俺は、慌てて後に続く少女を眺めながら、巫女の元へと向かった。

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

「どうよ、私のバイク」

「どうって言われてもさ、大体の奴は見たことあると思うぜ?こいつのこと」

 

 霧雨の魔法使いが、レミリアに言う。レミリアは俺の上に座り、ブランデーを飲んでいた。

 

「それにしても、どうやって動いてるんだ?一応、外の世界の魔法で動いているんだろ?」

「エンジンで燃料を燃やして、その爆発の力を回転する力に変えているだけですよ。原理は単純です」

「ほぉ、それだけ聞くと、なんだか私にも真似出来そうだな」

 

 そう簡単にはいかないだろうが、何しろあの霧雨道具店の血を引く少女である。研究を重ねていく内に、似た物を作りかねない。彼女は、爆発関連の魔法が得意だと聞いているし。

 

「爆発を推進力に、か……何となく、応用できそうだな」

 

 霧雨の魔法使い……魔理沙が呟いている間に、レミリアが俺のシートから降りる。レミリアの身長では、俺と地面の間に高さができて。ブランコから飛び降りる子供のように俺から降り、境内に乾いた足音を響かせた。

 

「ちょっと霊夢のとこにいくわ。ほら、魔理沙、いくわよ」

「ん、ああ、何なんだ、いきなり」

 

 レミリアの意図が飲み込めないまま、魔理沙が引きずられていく。特に抵抗をせず、寧ろ体の力を抜いているあたり、楽して移動しようとしているのが丸分かりである。

 

「……さてと、私は、一足先に」

「楽しんでるかしら?」

 

 俺の真横に開いた裂け目から、紫が顔を出す。呼ばなくても来る、便利な妖怪である。

 

「ええ。でも、そろそろ懐かしい顔が見たくなりました」

「あら、そう。なら」

 

 紫が、俺の目の前にスキマを開く。ちょうど、単車一台が通る程度の広さの、境界の裂け目。この先に、かの鬼神がいるのだろうか。

 

「炒った豆は持ったかしら」

「豆さえあれば、いつでも炒れますけど」

「残念、貴方のご主人様が今食べ終わったわ」

 

 元々、戦うつもりは無いのだが。

 俺は、エンジンを駆ける事なくスキマへと車輪を転がす。

 

「では、行って参ります」

「スクラップになったら、ストラップにしてあげるわ」

 

 紫の言葉を聞きつつ、俺は、紫色の境界を越えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 静かな世界。雲の上にいるかのような、浮ついた感覚。そして、異様に大きく見える月。辺りに漂う霧と、懐かしい力の気配。

 

「お久しぶりです。四天王殿」

「お、懐かしいねぇ。どうしてこんなとこにいるのかは、知らないけど」

 

 辺りに漂っていた霧が萃まり、渦を巻き、一つの形を成していく。低い身長に、大きな二本の角、人間のそれと比べ、少しだけ長い腕。

 伊吹萃香。鬼の四天王の一であり、密と疎を操る鬼神である。やはり、霧の正体は彼女だったか。

 

「賢者殿に連れて来て頂いたのですよ。伊吹殿こそ、どうして地上に?」

「ん、ぐ。観光?」

 

 手にした瓢箪を仰ぎながら、言う。鬼の中でも、彼女ほどに捻くれた鬼はいやしまい。扱いに困るのは、どの鬼でも変わらないが。

 

「で、何をしに来たんだい? まさか、顔合わせってわけじゃないんでしょ?」

 

 萃香が、その茶色の眼で俺を見る。鬼は、総じて好戦的で。ついでに如何なるときであれ酔っているから、すぐに喧嘩をしたがる。物は大事に扱わなければならないと言うのに。

 

「喧嘩なんてしませんよ。私は、道具ですから。刀は勝手に人を切らない」

「刀を叩けば手が切れる。お前を叩けば、どうなるのかしら」

「私が凹む」

 

 鬼などに叩かれてたまるものか。

 

「道具、って言ったね。あんたは、昔からそうだ」

 

 萃香の目付きが変わる。楽しそうに、嘲笑うかのような目付き。本当、鬼は性格が悪い。

 

「自分は道具だからと、決して能動的には動かない。全ての責任は使い手にあって、自分は使われただけだからと、責任から逃げる。道に従いて君に従わず。ほんとは、主の過ちを咎め、正しい道へと引き戻すのが従者の役目だというのに。それが、あんたは全て主人任せ。他人事のように物事を進める」

「……私は従者では無く、主の一部たる道具。主が道から外れても、私は、それを引き戻す権利はない。あるのは、主の目的を遂行する義務だけ」

「はっ。そうやって人の心を無理矢理錆び付かせて、自分を保とうとしてる。あんたが主に選ぶのは、いつでも、道を踏み外しそうにない者ばかり。進言して、棄てられるのが怖いから。イレギュラーのあんたに居場所があるのは、主という拠り所があるから」

「幾ら咎められようと、私は、主の道を行く。主が危険に曝されれば、何より早く私が砕けて主の代わりに壊れましょう。その道だけは、譲れない」

 

 ずっと寝そべったまま酒を呑んでいた萃香が立ち上がる。ふらついた足取り、しかし、鬼は酔えば酔うほど強くなる。

 

「その道を、通れるものなら通ってみろ!私は鬼、横道無く、曲がる事無き鬼の道を、道具風情が通れるものか!」

 

 目の前に立ちはだかる鬼が、その力を萃め始める。

 地上から失われた、光り輝く、鬼の力。その力を前に俺は、エンジンを駆け、ギアを落とす。敵うとは、思わない。しかし、曲がる訳にはいかない。

 俺は、愚直なまでに真っ直ぐに、立ち塞がる鬼へと突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

「あら、おかえりなさい。スクラップにはならなかったようね」

 

 所々に煤や、凹み、傷の入った俺に紫が言う。妖怪となった俺は、この程度の傷なら勝手に再生するのだから、ありがたい。

 紫が、スキマを開きその身を、すべり込ませる。もう、帰るつもりなのか。

 

「元々、お呼ばれされた訳でもありませんし、私はこの辺で」

 

 境内から少し離れた、森の中に一台、取り残される。神社からは、未だに騒がしい宴会の音が鳴り響いている。

 結局、俺では鬼には叶わなかった。けれども、道を曲げたつもりも無い。道具は道具。主が進むと決めた道ならば、何処までも乗せていくのが俺の役目なのだ。

 今の俺は、人間では無く、只の、一つの物なのだから。しかし。

 

「道に迷った時のナビになるくらいなら、許して貰えるかね」

 

 主が道を踏み外すことは、避けたい。ならば、壊れてでも元の道へと引き戻すのも道具の……俺の務めか。

 その意を込めた呟きは、宴の喧騒に溶け、俺は。

 また、騒がしい宴会へと、車輪を転がし始めた。

 

 

 

 



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三十八 輝と鉄

 

 月が、欠けている。

 

 宴会続きの夏は去りゆき、徐々に秋めく辺境。随分と涼しくなった夜の風が吹き抜け、冷たい鉄のタンクを冷やしてはまた、空へと帰り。

 暗い闇を妖しく照らす、我等が妖怪の力の元、太陰。古きから変わらず天蓋に映り、空を移る月の明かり。だが。

 今宵は、本来ならば満月。しかし、空に浮かぶのは……僅かに欠けた、不可思議な月。美しい筈の満月が、本の少しだけ欠けた月にすり替わっていた。否、すり替えられていた。

 

「フラン様」

「ん……何?」

 

 吸血鬼だと言うのに眠た気なフランドール。地下には、昼も夜も、日も月も無い。彼女の引きこもり癖も最近は解消されつつあるが、それでもまだ、この地下にいる時間の方が遥かに長い。少しずつで良いから、外の世界に慣れていって欲しいと願いつつ、告げる。

 

「月に、異変が起こりました」

 

 俺の言葉を聞き、その瞳にゆらりと、紅い光が揺れた。

 

「異変、ねぇ……だから、お姉様と咲夜がねぇ」

 

 クスクスと笑う彼女は、ベッドに転がるクッションを引き寄せ、抱く。

 

「レミリア様のメイド長は、異変の解決に向けて先ほどお出掛けになりましたよ。パチュリー殿は留守番だそうで」

「ふぅん。で、貴方はどうしたいの?」

 

 紅い光を映した瞳は俺の視線と交わり、その口元に浮かんだ笑みは、ゲームの行く末を期待するようにそこにあって。

 今までの俺ならば、ここで命令を受けなければ、誰かが異変を解決するまで待っていただろう。しかし、今宵の異変は、誰かに任せておいて良い規模の物ではない。

 人手は、多い方が良い。ならば。

 

「少し、出掛けて来たいと思います。よろしいでしょうか」

「……貴方は、私が引き止めたら留まるのかしら?」

 

 フランドールが、悪戯っぽく笑う。俺は物。主の命は絶対で、断るようなことは出来ないと知って。しかし、今日、今宵だけは。

 

「今日だけは、物ではなく、一人の妖怪として動きますよ。少し、お暇を頂きます、フラン様」

 

 俺の言葉に満足したように、ケラケラと笑うフランドール。こうして楽しませることが出来ただけでも、異変の解決に乗り出したのには意義がある。

 

「なら、帰ってくるまで待ってるわ。あと」

 

 フランドールが、俺の体を指でなぞる。何かを書き記したようだが、ミラーを使っても良く見えない。

 

「はい、これでいいわ。なら、いってらっしゃい」

 

 何をして貰ったのかは分からないが、彼女が俺の為にしてくれたことである。何か、悪いことが起きるようなことはないのだろう。俺は、エンジンを駆け、その言葉を紡ぐ。

 

「では、行って参ります」

 

 俺は隠された月の欠片を求めて、夜の幻想郷を走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 のでは、あるが。

 何分、大規模な異変である。紅い霧はその発生源を、奪われた春は舞い落ちる桜の花弁の先を、三日おきの百鬼夜行は、その宴を。今までの異変は、全てその手掛かりが、手の届く処にあった。しかし、今回の異変は月が欠けているだけ。それも、人間では気付かない程にほんの少し欠いただけなのである。犯人の意図も、目星もついたものではない。余程、邪魔されたくないのか。今回の異変は、お遊びのそれとは違うらしい。

 

「さて……とりあえず」

 

 こういう時は、異変の専門家の所へいくのが手っ取り早い。昔は、頭領と共に手当たり次第駆けずり回ったりもしたが、今の退治屋は何分頼りない。故に、今回当てにするのは。

 

「巫女の力を、妖怪が借りる事になるとは……」

 

 博麗神社の階段を、ゆっくりと上る。時刻は、十一時頃か。少しばかり古臭く言えば、子の刻。そういえば、昔、月の使者が輝夜を迎えに来たのも、この時刻だったか。何とは無しに、あの時の光景が思い浮かぶ。光輝く月の使者、墜落する牛車、流れゆく竹藪。満月の夜は、いつも二人で逃げ回ったものである。輝夜は、元気にしているだろうか。

 神社の階段を登り切り、境内に出る。俺は、年季の入った社へと声を張り上げた。

 

「巫女殿ー! おはようございますー!」

「ああ、もう五月蝿い! これだから昼夜逆転してるやつはー」

 

 俺が呼ぶと直ぐに、巫女が不機嫌そうに顔を出し、真夜中の訪問者に向かって愚痴を吐く。その後ろには、八雲紫。やはり、この異変は深刻なものなのだ。

 

「貴方も来たのね。嬉しいわ」

「レミリア様達も動き始めています。そして、魔法の森の魔女達や、数多の、名も無き妖怪達も。何処も彼処も、妖怪達が暴れ回っています」

「やっぱり、妖怪は気付くわよねぇ、何人か人間が混じってるようだけど」

「魔理沙殿は、暴れ出した妖怪達と交戦しているようです。蛍とか、夜雀とか」

「ほら、霊夢。先を越されたわ。貴方があんまり遅いから」

「あー、もう。なんだってのよ。これで空騒ぎだったら本当に怒るからね!」

 

 霊夢が、宙に浮く。重力を無視するかのように、何の動作も無く空を飛ぶ。その姿があの時、俺を封印した巫女と重なって。

 敵にすれば厄介だが、味方となれば、これ程頼りになる人間もそういない。あの時はスクラップ同然になるまで痛めつけられたが、今はこうして共に戦う事が出来ている……人と妖怪の関係はやはり、段々と近付いていっているらしい。

 

「霊夢。貴方の勘は、どっちに行けと告げているのかしら?」

「まずは、里ね。勘だけど」

「なら、里ね。間違い無く」

 

 紫が、霊夢に続いて宙に浮かび上がる。そして、俺の方に向き直り、扇を広げた。

 

「私たちは、空を飛び里を目指しますわ。貴方は、如何なさる?」

「地を走り、貴方達を追いましょう。地上の妖怪は、私が」

「そう。なら、空の妖怪は、霊夢が」

「あんたも働け」

 

 二人の人妖が、宙を舞う。俺は、その二人に続いて走り出す。

 人里も、妖怪の襲撃を受けていることだろう。物があまり壊れてなければいいな、なんて。

 場違いな思いと共に、俺は、二人の少女の後を追った。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 妖精達が放つ弾幕を躱しながら、不吉な夜の空を飛ぶ。妖精の力がやけに強いのは、それだけ大きな異変が起きているからか。私達人間には、月が欠けていると言われても分かりはしない。しかし、妖怪や妖精、人外の騒ぎ様は異常と言う他なくて。眠い眼を擦りながら、紫と共に宙を漂う。

 視線を落とせば、私たちの遥か下を、一台のバイクが走っている。紅い体と、やけに明るいライトのおかげで、暗い夜空からでも見失うことはない。心臓の音に似た鼓動を打ちながら、その単車は私達の後を追う。

 

「本当についてきてるじゃない。なんで、私の周りには妖怪ばっかりよってくるかなぁ」

「妖怪にばっかりちょっかいをだすからでしょ」

 

 人にまで手を出し始めたら、それこそ妖怪だ。私は、人間として生きているつもりなのに。

 下を行く単車は、妖怪やら妖精やらを、その注連縄によく似た腕で薙ぎ倒しながら私たちに続く。乗り物ならば轢いてしまえば良いのに、態々死なないように気を使っているのは、それだけ優しいと言うべきか、甘いと言うべきか。妖精ならば死んだところで生き返るし、妖怪だって、そう簡単には死にやしないと言うのに。

 本当に、妖怪らしくない。かと言って、神様のようでも、まして鬼や吸血鬼のようでもない。強いて言うならば、人間。物のように、主に付き従う人間……って、あいつは物だったっけ。

 誰かの下に着く事が、そんなに楽しいとは思えないけど。私は、自分の好きな時にお茶をのみ、好きな時に掃除をし、やる気が出た時に修行をしたい。

 

「何を考えているのかしら。免許でも取る?」

「取らないわよ……ねえ、紫」

「何かしら、霊夢」

「あいつって、もしかして人間?」

 

 紫が、少し驚いた顔をする。それは多分、正解ということだろう。

 

「いや、物らしいなとは思うんだけどさ、なんて言うか、どっちかっていうと、物みたいな人間って感じじゃない? あいつ」

「……中正解ね。貴方は、あんな姿の人間がいると思う?」

「私の知り合いには、あんな姿なのは一人しかいないけど……中正解ってことは、昔は人間だったのね」

 

 どういう経緯で、彼が人間からバイクになったのか。別に、そんなことに興味はないし、詮索するような趣味もない。ただ。

 

「私は、あんな姿にはなりたくないなぁ。間違っても」

「ならないわよ、間違っても。薬でも飲んでああなるわけでもなし」

 

 そりゃそうだ、と納得して、暗い夜の幻想郷を見下ろす。月は満月に限りなく近いと言うのに、やけに暗く感じるのは、今が異変の最中だからか。私が鳥目になったのではないのだと思いたい。

 

「霊夢。彼が人間だと気付いたあなたの勘なら、もう気付いているわね。この夜が、こんなにも暗い訳に」

 

 今思っていたことを質問され、戸惑う。そんなことを、何故私が知っているというのだろうか。

 

「日が出ていないんだから、暗いに決まってるじゃない」

「まあ、夜ですし……ほら、ここには元々、何があった?」

「ここは……あ、里」

 

 そうだ、ここには、人間の里があったはず。それがどういう訳か、今はその形さえ認識出来ないでいる。

 そんな中、立ち塞がるかのように宙に浮き、此方を睨む銀髪の少女。

 

「異変ね! 懲らしめてやるわ」

「大丈夫、里はちゃんと存在してるわ。そんなことより私たちは、月の異変を追うわよ。ここは、他に回しましょう。例えば、人間の大好きなあの子とかにね」

 

 紫が軌道を変え、竹林へと向かって飛ぶ。置いていかれる訳にはいかないので、私もその後に続いた。

 紫の言った通り、あいつが近付いてきているみたいだし。

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 慧音の周りに妖気が集まる。他に類を見ない、博識なる神獣、白澤の半獣。その、人間時の姿のまま、迂回する霊夢達を見送る慧音。彼女は里を守る守護者。通り過ぎるだけの妖怪を追うこともなければ、近付きつつある悪魔の気配を見逃すこともない。彼女は戦闘に入る態勢を整え、深夜の襲撃に備えた。

 レミリアの気配が、慧音の気配とぶつかる。人の里は変わらず見えないままだが、レミリアに任せれば何とかなる筈だ。

 大方、慧音がこの異変から里を守ろうと歴史を隠したのだろう。レミリア達なら、慧音を殺してしまうこともあるまい。

 欠けた月と、暗い夜空。吸血鬼と半獣の下、俺のライトは里のあった空間を照らしては、闇に飲まれるばかりで。

 

「歴史ばっかり見ているお前には、運命は変えられないよ」

「お嬢様。時間を頂いてもいいのですね?」

「しょうがないわねぇ。ちょっとなら、私の時間も使っても良いわ」

 

 耳をすませば、レミリアと咲夜の声が聞こえる。里の歴史は慧音が保護しているので、弾幕も人間達を傷付ける事はあるまい。しかし、下にいる俺は、ここに居れば弾幕の雨に巻き込まれる事になる。

 巫女と妖怪は、もう随分先に行ってしまった。俺も、のんびり走っている場合ではない。ギアを上げ、アクセルを回し、更に速く、車輪を回す。

 

「あっちは……竹林かね」

 

 迷いの竹林。妖怪たる俺でも、あまり入ることのない自然の迷宮。成長の早い竹のお陰でその景色は毎日のように変化し、四方八方を同じような竹に囲まれ、どっちが出口なのかも分からずに人間は、延々と彷徨い続けてしまう。

 里から程近く、こうしている間にも、周りには深緑の檻が俺を囲い始めている。

 人間ならば、真っ直ぐ歩いているつもりで同じ所をぐるぐると回ったりなんてこともするが、俺は道具。人間の様に視覚に頼らず、真っ直ぐに進み続ける事が出来る。

 それにしても、この竹林には、不可思議な力が宿っている。おそらく、人間がこんなにも迷いやすいのはこの魔力のせいだ。竹は地下で一つに繋がっている植物だが、もしや、この竹林は既に妖怪と化しているのではなかろうか、なんて。

 考えている内に、巫女達に追いつく。そして、彼女達の前に立ち塞がる、一人の、魔女。

 白と黒のツートンカラーが印象的な、霧雨の魔法使いが、愛用の箒と共に空に浮かんでいる。様子を見るに、月の異変には気付いていないのか。

 アクセルを緩め、三者の会話に耳を傾けるが、果たして。

 

「魔理沙に何言っても無駄ね」

「あの歪な月は危険なのに……」

 

 巫女と妖怪は、諦めた様に溜息を吐く。どうやら、魔理沙は引く気はないらしい。

 

「あー? 何だか知らないけど。夜が終らない方が害だらけだぜ」

 

 夜が終わらない、とは、なんの事か。そういえば、今日はやけに月の動きが遅い。どうやら、異変の解決に乗り出した者たちの中には夜を止めているものがいるらしい。

 さて、魔理沙は終わらない夜が危険だと言うが、その訳は……

 

「妖怪は夜に人を喰う。夜が続けば、喰い過ぎで妖怪は自滅する」

 

 する訳が無い。

 俺の声が、紫の発した言葉と重なる。思わず発した言葉に気付いた紫が、俺の真横に隙間を開いた。

 

「行きなさい。あの月を目指して、真っ直ぐに」

「了解」

 

 隙間越しに囁く紫に短い返事をし、それと同時に俺は、また、アクセルを回す。

 目指すは、月。光輝く夜を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

  □□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

「姫、お隠れ下さい。侵入者が現れました」

 

 イナバが私に、そう告げる。地上のイナバより一層紅いその瞳は、地上の者を狂わせる月の光。月と縁を切った私の元へと逃げ込んだ、月の兔。金烏玉兎は流れさる時、しかし、烏兎怱々と言うには此処には、太陽の光が足りない。此処の時は、未だに止まったままなのだ。

 

「……そうね。私の所まで、通さないように」

 

 本音とは逆の言の葉を、月の兔へと投げかける。畏まった返答は、私の背中にぶつかり、また、その足音と共に闇に消えた。

 

「貴方が見たら、どう思うかしらね。今の私の、この有り様を」

 

 かつて、この地上を共に駆け巡った友人を想い、私は、地上から奪い去った狂おしい珠を見つめる。

 

 彼と共に見つけ出した、この理想郷。多くの人妖の息衝く大地と、美しき穢れ。そして、進まない歴史。

 

 

 私もまた、幻想郷にいた。

 

 

 



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三十九 夜と鉄

 

 熱を持った鉄の体が、夜の外気に冷やされていく。溜め込んだ熱をファンを使って吐き出すものの、エンジン周りに浮かび上がる陽炎は消えることもなく。

 ライトに照らされた壁。純和風の、木造建築。それは、そう、平安時代に立ち並んだ寝殿にも似た……

 

「……此処か。紫殿の言っていたのは」

 

 こんな所に家があったなど、俺は知らなかった。否、今まではきっと、その存在を隠していたのだ。外界との接触を断ち切り、この、緑の檻の中でひっそりと息を潜めて。

 異変を起こした意図は未だに分からぬままだが、異変の犯人に会えば分かることである。まずは、忍び込むのが第一。

 

「って、どうしても見つかるわなぁ……この図体じゃ」

 

 空を飛べる者ならば、こんな塀など飛び越えれば良いだろう。しかし、俺にはそれが出来ない。扉を潜るか、塀を壊すかの二択である。

 さて、どうしたものか。警備の厳しいであろう門を通ろうが、塀を壊して人目を引こうが、結局は同じことに思える。ならば。

 

「正面から行くかね」

 

 態々、物を壊す必要は無い。塀だって、壊される為に建てられたのでは無いのだから。俺は、エンジンを駆けないまま、その木造の壁に沿って走り出す。

 湿った土、苔。竹の匂い。この状況でなければ、もっとのんびりと散策でも出来ただろうに。緑の大地に、僅かに車輪を沈めながら、この壁を越える為の門を探す。と、その時であった。

 竹林から、一人分の素足が躍り出たのは。

 

「あ」

「……貴女は」

 

 薄い桃色の衣に、一対の兔の耳。妖獣。しかし、この妖獣に、俺は見憶えがあった。

 

「……あの時は、どうも」

「あは、ははは……さよならっ」

「待て」

 

 逃げる兔の足に縄を掛け、宙吊りにする。なんともやる気の無い声を挙げながら、大人しく吊られる兔。どうやら、逃げ切るとは思っていなかったらしい。

 

「お久しぶりー、元気してた?」

「吊られながら、よくそんな台詞が言えますね」

 

 そう、この兔。輝夜を送り届けた後で出会った、あの兔である。転び、一人では起き上がれなくなっていた俺を非情にも放置し、正に脱兎の如く逃げ出した……その後、見ず知らずの不死人が助けてくれたから良かったものの、誰も通りかからなければそのまま不法投棄物になるところであった。その恨み、今晴らさずにしていつ晴らす。

 俺は、吊るした兔をライトの近くに寄せる。

 

「まあ、待ちなさい鉄の獣。釈明の余地ありよ」

「それは、自分に対して言う言葉ではない」

 

 そうだっけ、と、悪びれもせずに宣う素兔。見た目と言動は純粋無垢で無邪気な幼子、しかし、思い出して欲しい。

 彼女と出会ったのは、千と、二百年余りも前の事なのだ。千年生きた妖獣が、こんなにも幼い訳が無い。つまり、この言動は全て、敵を欺く為のフェイクだと考えるのが妥当であろう。

 この兔、玄い。

 

「私は、騙されはしませんよ。鰐達とは違って」

「いやだなぁ、騙すなんて。ちょっと、説得して言いくるめるだけだって」

 

 同じである。

 

「あの時見捨てたのは謝るわ。でも、私だって望んであんな事をしたわけじゃないのよ。ただ、貴方の幸せを邪魔したくなかっただけ」

「……幸せ?」

「こうして貴方と再会したと言う事は、あの後誰かに助けてもらったんでしょう? その相手は、貴方のラッキーパーソン。私の能力によって引き寄せられた、ね」

 

 確かに、あの時はそう待たずして助けが来た。それも、不死だと名乗る少女。偶然と言うには、出来すぎている気がしないでもない。

 

「ね、思い当たるでしょ? 私の能力は、人を幸せにする能力。訪れるのは些細な幸せかもしれないし、もしかしたら大きな幸せかもしれない。でも、私があの場にいて貴方を助け出していたら、貴方はその恩人さんに出会うことは出来なかったのよ」

 

 彼女が語る話は、俄かには信じ難い。逃げ場を失った子供の、最後の言い逃れにも聞こえる。しかし。

 俺の知り合いにも、人の禍福を操れる者がいるのだ。紅い糸を手繰り、運命を操る悪魔が。ならば、この兔の言う事も、真実なのではないだろうか。この幻想郷。千年以上生きた兔ならば、幸福な運命を呼び寄せる力が宿ることも、在り得るのではないだろうか。

 俺は、彼女をゆっくりと降ろす。彼女が足を地につけた所で、縄を解いた。

 

「申し訳ありません。まさか貴女に、そのような意図があったとも知らずに」

「良いのよ。あの時の私は、確かに貴方を見捨てたのだから。これぐらいの報いは、受けて当然だわ」

 

 縄の跡の付いた足を摩りながら、兔が言う。本当、出来た兔である。

 唐突に吊るし上げたことを土下座して謝りたくもなったが、生憎ながら頭を下げることはおろか座することすらも出来ない。心の中で地に頭をつけながら、兔に問うた。

 

「もしや、貴女はこの屋敷の……」

「如何にも、私はこの屋敷の主の配下、因幡てゐ。幸運の素兔よ」

 

 屋敷の真横で出会ったのでもしやと思ったが、やはり、この屋敷の住人だったか。今は異変の最中であり、この屋敷の主はその異変の犯人であるという疑惑が掛けられている、つまりは敵である。この兔も、また。

 

「貴方は?」

「ああ、申し遅れました。私は、単車という乗り物。憑喪神のような物で御座います」

「ふぅん。やっぱり」

 

 やっぱり?

 

「貴方のことは、姫から聞いてるよ。紅くて、鉄製で、すこしカマドウマに似てる乗り物だって。貴方なら、通してもいいんじゃないかな」

「ま、待って下さい。私は、異変を解決しに……」

「まあ、まあ。どうせ月の異変なんて、朝になれば勝手に解決するよ。今は、姫の所にね」

 

 兔が、俺の前を跳ねる。まるで、先導するように。

 状況は飲み込めないが、どうやら相手は俺のことを知っているようである。ならば、このまま通された方が、楽に事は進む。

 知り合いならば、説得すれば良い。そうでなければ。

 

「仕方が無い」

 

 満月を奪いとるまで、である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長い廊下を、因幡と共に進む。辺りを跳ね回る兔達を眺めながら、ゆっくりと、床を軋ませて行く。そのうち抜けそうで怖い。

 

「それにしても」

 

 兔の多いこと。前を行くてゐを始めとし、人に化けた兔や、四つ足で跳ね回る普通の兎まで。無数の兔が、まるで何かを守るかのように廊下で犇き合っている。

 守るのは、この屋敷の主か、はてまたこの因幡てゐか。

 

「てーゐー! 何処に行ってたのよ!」

 

 そこにかかる、少女の声。見れば、そこには一羽の兔……否。

 

「っつ、月の使者か!」

 

 思わず身構え、エンジンを駆けた上でフェムトファイバーを構える。輝夜を送り届けるまでは、ずっと敵対しあっていた月の民。その敵対関係は、途絶えた訳ではない。

 

「な、何!? 私はもう、月の都とは縁を……って」

 

 兔の紅い目が、俺の腕を凝視する。その目に映るのは、驚愕。そういえば、このフェムトファイバーは月の道具であったか。

 

「まさか、月の使者? 無人機でも送りこんだのかしら?」

 

 彼女の紅い目が、怪しく輝く。その光は、月の光のそれ。狂気をもたらす、真実の月の放つ光。

 やらなけやば、やられる。先手必勝とばかりに、俺が飛び出そうとした時であった。

 俺と月の兔の間に、地上の兔が立ちはだかったのは。

 

「てゐ殿! 下がってください!」

「てゐ! 退いて、そいつは敵よ!」

「まあ、待ちなさい、二人とも。互いに勘違いだって」

 

 てゐが、緊張感の無い声で話し始める。俺は、とりあえずエンジンを切った。

 

「まず、鈴仙。彼は、月の使者なんかじゃないわ。ほら、姫が偶に話すでしょ? 使者から逃げる時に乗った、単車って言う乗り物のこと」

「……あ、もしかして」

「次に、単車さん。あの兔は、確かに月の兔。でも、月から逃げ出した兔で、今はこの永遠亭で共に暮らしているわ。そう、貴方が守った姫を守りながらね」

「……姫って、まさか」

 

 月の兔、鈴仙。そして、彼女が守る、姫……

 月の異変、月の民。竹林に建つ、永遠を冠した建物に、姫。

 まさか、この屋敷にいるのは。満月を掠め盗った、犯人は……

 

「輝夜?」

 

 俺は、かつての主の名を、誰にも聞こえぬ声量で呟いた。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 無数の兔が跳び交う屋敷を、霊夢達と共に飛ぶ。紫の話では、どうやら幽々子達が先に忍び込んだようだが、今の所彼女等の姿は確認出来ずにいる。多分、既に先へと進んでいるのだろう。

 兔達の放つ弾幕を躱しながら、咲夜に命じる。

 

「咲夜」

 

 目を合わせれば、自ずと私の言わんとする事が通じる。彼女が返事をするよりも早く、その目が紅く輝きだした。

 

「お任せ下さい、お嬢様」

 

 返事と共に、数本のナイフが咲夜の手の中に現れる。まるで、奇術のように現れたそれは、薄暗い和製の廊下の上に無機質な幾何学模様を描き出す。銀のナイフは空中でくるくると回り、まるで咲夜の命令を待つかのようにその場に停まった。

 

「貴方達の行動も時も、全て私の手の中。幻符『殺人ドール』」

 

 澄んだ声が、銀のナイフに意思を与える。無機質な刃は宙を舞い、跳ねる兔の群を撃ち抜く。銀の軌道は、まるで人形へと伸びた糸のように。放つ少女は、まるで自分が感情を持たず、主の命に従う人形だと言うかのように。

 咲夜は、妖獣の群を駆逐していく。

 

「おっかないわねぇ。あんたんとこのメイドは」

「自慢のメイドよ。悪魔の館に相応しい」

 

 撃ち抜かれた兔達も、ナイフ一本で死に逝くほど柔では無い。その体は人間や普通の獣よりもずっと頑丈らしく、ナイフが当たってもその体を床に落とすだけに留まり、刃の刺さった者は見受けられない。

 それより、本当におっかないのは、咲夜の落とし損ねた兔をお祓い棒で殴り落としていく霊夢だ。頭にたんこぶを作った兔達が、次々と床に落ちていく様は、哀愁を誘うには十分だった。

 

「はあ。それにしても長いわねぇ、この廊下。一体、どこまで続くんだか」

 

 あくびをしながらぼやく霊夢だが、そんなにのんびりとしてはいられない。廊下の先から、そこらの兔とは違う気配が近付いて来ている。

 人間には、少々毒気の強過ぎる者。狂気を孕んだ、月の満ち欠けにも似た力。視線を交えれば、きっとその深淵へと引きずりこまれるであろう、狂おしい波長。

 

「……霊夢、紫。先に行きなさい」

 

 黙々と兔を叩き落とす霊夢と、それを眺める紫に声をかける。そんなに、兔を叩くのが楽しいのか。少し眠たげな目をした霊夢を尻目に、紫に目線を投げた。

 

「あら、優しい所もあるじゃない」

「前にも聞いたわね。ほら、さっさといく」

 

 半ば強引に、紫を送り出す。近付く気配の主が気付く前に、彼女達は先に進ませなければならない。

 

「ほら、霊夢、行くわよ。兔なんて叩いてないで」

 

 紫が霊夢を引っ張りながらも、速度を上げて飛び始める。状況を把握してか、それともただ単に抵抗が面倒だったのか、霊夢は紫に引かれたまま私から離れていった。私は羽ばたく速度を落とし、兔を駆逐中の咲夜に、また、命令を下す。

 

「咲夜」

「ここにいますわ」

 

 真横から、声がかかる。本当、出来たメイドだと、そう思う。

 

「そう、それでいいの。行くわよ」

 

 近付く気配は、地上の生物のものでは無い。それは、古きの満月の光が抱いていた力。ならば、この異変の首謀者はきっと、月の者なのだろう。

 先に進んでいるであろう、幽々子達に、霊夢に紫。そして、私の単車。五対一ならば、月の者を相手取っても負ける事は無いだろう。

 だから、私は。

 ここで、もう一体の月の生物の相手をすることにした。霊夢達の邪魔をさせないように、私達がここで抑え付ける。

 

「遅かったわね」

 

 月の兔。私は、その紅い瞳に視線を重ね、翼を広げ、この身に宿した妖気を放つ。傍では咲夜が、その手にナイフを握り宙に停まった。

 私達の気配と妖気に紛れて、霊夢達は異変の首謀者の元へと向かっていく。

 満月を掠め盗った、犯人を撃ち抜く為に。

 

 

 

 



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四十 姫と鉄

 

 竹林に立つ屋敷にて、一台(ひとり)、ぼんやりと月を眺める。

 永い永い廊下を抜けた先にあったのは、月の映る夜空。何らかの術が働いているのだろうが、俺にはそれがどういった物なのかは、さっぱり分からない。ただ。

 此処にある月は、暫く見る事の叶わなかった本物の満月。地上から盗み出されていた月が、そこに、静かに輝いていた。

 

「驚いた? ここに隠してたのよ、満月」

「……永琳殿は、思い切ったことをなさる」

 

 本当に月を掠め取るとは、壮大な異変である。一体、どんな原理が働いているのか。

 

「永琳殿は、何処に」

「んー、なんか、さっき忍び込んでた亡霊と遊んでるみたい。互いに死なないし、大丈夫じゃない?」

「一人は、半分人間なんですけどねぇ」

「ま、私とも一戦交えたから大丈夫。小さな幸せのおかげで、死ぬことはないわ」

 

 てゐの能力がどれ程のものかは分からないが、そう言われると心強い。妖夢も、無事に帰ることが出来るだろう。

 彼女達の心配は、無用。ならば今は、自分のすべきことを為すのが、先だろう。

 俺はてゐに、まだ見ぬ彼女のことを問い掛ける。

 

「……輝夜は、何処に」

 

 呼んで来ようか、と、てゐが訊ねる。目の前に床は無く、そこには暗く深い闇が続くのみ。

 永きを生きても、未だ空を飛ぶことは叶わず。いくら妖気を溜め込もうが、重い鉄の体を宙に浮かせることは出来ない。俺は、てゐの言葉に是と答えた。

 

「……輝夜……」

 

 去りゆく素兎を視線だけで追い、俺は、その名を呟く。

 輝夜。彼女と最後にあったのは、千年程前。その後てゐに見捨てられたり不死人に助けられたりと、色々あったが。彼女はきっと、あの時と全く変わらぬ姿で、この屋敷の中に隠れ住んでいたのだろう。

 輝夜と共に、幻想郷を探し回っていた頃。旅をしながらの生活だったのもあるが、輝夜には随分と苦労をかけてしまった。それに加えて、月が満ちれば使者が地上に降り立ち、その度に逃げ回る日々。せめて月が満ちなければと、何度そう思ったことか。

 今回の異変の動機は、もしや。

 その疑問を飲み込んで俺は、語り掛ける。

 

「……お久しぶりです。いや」

 

 近付く懐かしい気配。月明かりに照らされたのは、古き友人の、驚いた顔。

 

「久しぶり。輝夜」

 

 俺は、かの月の姫との再会を果たしたのであった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 イナバが、私を呼ぶ。

 誰か、侵入者が現れたのか。それとも、この終わらぬ夜の犯人が分かったのか。どちらにせよ、私はこの場を離れることは出来ない。

 私は、姫。月の使者から逃れるために、私はこの誰も入れない密室の中で待っていなければならない。永琳の術と、私の力で作り出した、この密室に。

 

「って、なんで手を引くのかしら?」

「ほら、早く早く。お客を待たせるのはマナー違反よ、お姫さま」

 

 イナバ……突如として、この時の止まった屋敷に現れた地上の兎、てゐが、私の腕を引く。見た目よりも、ずっと強い力で。

 

「ち、ちょっと、私は出るわけには……」

「そんなことを言ってたら、幸せを逃すよ! さ、どんといってこーい!」

「わわっ!」

 

 てゐが、遠心力に任せて私を投げ飛ばす。空中では踏ん張ることも出来ないので、私の体は思っていたよりもずっと、遠くまで飛ばされてしまった。

 てゐは、お客だと言っていたけれど、こんな所に訪れるお客様がいるとは思えない。此処まで来るのは、私を狙う月の使者くらいのもの。しかし、使者が私を捕らえに来たにしては、あたりは随分と静かで。

 私は疑いながらも、永琳が作り出した廊下に、視線を落とした。

 

「……えっ……」

 

 何故。なんで、どうして。

 

「お久しぶりです、いや」

 

 彼が、此処にいるの?

 

「久しぶり、輝夜」

 

 その言葉を聞いたと同時に、私は、彼の元へと飛び出す。何か、言葉を掛けたい。でも、掛ける言葉が見つからない。

 言葉が体に追いつくよりも早く、私は彼の車体に抱きついた。

 

「なんで! どうして此処に来たの!」

 

 唯、ただ、嬉しさばかりが込み上げてくる。私の、唯一の友人がこうして訪れてくれるなんて。予想だにしなかった出来事に、思わず顔が綻ぶ。

 

「まさか、会えるとは思いませんで……いや、思わなかった、よ?」

 

 片言の常語。あの時、別れ際にした約束を、憶えていてくれたらしい。たったそれだけの事が、こんなにも嬉しく感じるなんて。

 

「よく、居場所が分かったわね! 私も、会えると思って無かったわ」

「本当に、久しぶり……元気に、していたか?」

「ええ。あなたこそ、元気だった?」

 

 シートに座り直した私に、勿論と答える彼。ぎこちない口調が、やけに心地よい。

 

「唯、会いに来た理由が……」

 

 急に彼が口籠る。何か、言い難いことがあるのか。

 

「実は、この月の異変を解決する為に、此処まで来たんです……だよ。ごめんなさい、敬語じゃ駄目?」

「だーめ。って、異変の解決?」

 

 月の異変……この、地上の密室の術のことかもしれない。永琳は、本の少し欠いた偽物の月と、此処にある本物の月を入れ替えたと言っていた。なら、彼はこの本物の満月を取り返しにきたのかもしれない。

 

「異変、ね。そんなに大それたことになっているのね」

「まあ、起きる時は起きるし、構いやしないと思うがね。解決さえすれば」

 

 彼の常語も、少しずつ自然に聞こえるようになってきた。きっと、普段から敬語ばかり使う生活をしているのだと思う。新しい持ち主は、どうやら見つかったらしい。

 

「それで、どうするのかしら。私を倒して月を取り返してみる?」

 

 ちょっとだけ月の力を開放し、彼を威圧してみる。彼と一緒だった頃は、助けられてばかりだったけれど、今は。

 彼を負かすことも出来る。そんな、私の今の力を彼に見せたくて。

 

「……強くなりましたね。輝夜……」

 

 彼が、そう呟く。敬語に戻っているけど、今だけは目を瞑っておく。

 

「私は、輝夜とは戦いません。しかし、人間と妖怪が此処へ向かっております。彼女達は、この幻想郷を管理するもの。満ちた月は、この幻想郷に必要なもの。だから……」

 

 後は、聞かずとも分かる。その、此処へやって来る人間と妖怪と、戦わなければならないのだろう。

 

「輝夜」

「何、かしら」

「逃げるおつもりは、ございませんか」

 

 逃げる。その言葉が、頭の中を駆け巡る。

 考えてみれば、ずっと。逃げて逃げて逃げて、隠れ潜み怯え。彼と別れてから千年余り、この竹薮の中で隠れ続けてきた。

 そして、あの時も。永琳だけに月の使者の相手をさせ、私は、最も辛い役目から逃げ出して。

 彼と会えた嬉しさから、また、暗い思考へと落ち込んでいく。

 

「……甘え過ぎたの、かな……」

 

 小さく、呟く。言葉は冷たい夜に呑まれ、消える。彼は、こんな私のことを友人と呼んでくれるのか。彼だけではない、永琳や、イナバ達も……

 

「甘えかどうかは、知らないけれど。それでも」

 

 彼の声。その言葉に籠る感情は、読み取れず。しかし。

 

「それでも、私は……俺は、輝夜の友人。いつまででも、何処まででも。輝夜が、どんな道を選ぼうと」

 

 その言葉に籠る感情は、決して冷たいものではない。優しく、それでいて、対等な言葉。

 私は、力強くこの手を、握り締めた。

 

「……なら、私も、友人として恥ずかしくないようにしないとね」

 

 この地の決闘のルールは、永琳に教わっている。後は、私がそのルールに従って、立ち向かうだけ。

 懐から取り出した、五枚の符。かつて私の出した、五つの難題。それらを以て、この終わらない不吉な夜に終止符を打つ。

 私は、近付きつつある人妖の気配に身構え、その虚空を見据えた――

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

「求めるは、私と共に歩める命……『ライフスプリングインフィニティ』」

 

 輝夜が、四枚目のスペルを宣言する。俺の、遥か昔の記憶にある、かぐや姫が望んだ宝の、四つ目……これが、燕の子安貝らしい。

 まるで、車輪のようだと思ってしまうのは、俺の感性が乏しいからか。光輝く、無数の光線。それが描く、一つの輪。今対峙している巫女やスキマの妖怪ならば、このスペルが意味する物も正しく理解出来るのかも知れない。

 

「……いつまで隠れておられるのですか、因幡殿」

「あ、ばれてた?」

 

 廊下の裏側から、てゐが顔を出す。その表情は、愉快そうな笑み。先のやり取りも、全て聞いていたのだろう。

 

「……巫女達が此処まで進めたのは、貴女のせいですね?」

「なんでそう思うのかしら」

 

 素知らぬ顔で言いつつも、否定はしない。別段、ばれても問題は無いのだろう。結果として、良い方向へ向かうのだから。

 

「鈴仙殿は、私がこの廊下へ入った後すぐに、扉を封印しました。あの封印は、そう簡単に解けるものでは無い。誰かが、中から開けなければ」

「風でも吹いたんじゃないのー?」

 

 口笛混じりに、てゐは笑う。掴めない性格なのは、やはり彼女が、永きを生きた妖怪だからなのであろう。

 

「ありがとうございます。あの二人なら、輝夜を此処から連れ出せる」

「だから、風の仕業だってば。そんなことより、ほら、もう最後よ」

 

 少し恥ずかしげに、輝夜達の戦いを見入るてゐ。あまり、感謝されることには慣れていないのか、その顔にはうっすらと朱が混じっている。

 彼女に倣い、空中での戦いに目を向ければ、輝夜のスペルは既に五枚目。これは、蓬莱の玉の枝か。何色もの玉が軌道を描き、巫女達へと飛ぶ様は、確かに、玉の枝という表現が的確である。

 蓬莱の玉の枝。そういえば、あの時地上の人間に渡された蓬莱の薬は、ちゃんと、富士の火で焼かれたであろうか。輝夜が消えた後に残された、幾多の哀しみと共に富士の山へと運ばれた、あの薬は。

 七色の玉は、そんな哀しみを感じさせぬ程に美しく、夜空を埋め続ける。そんな艶やかな弾幕も、もうじき、終わりを迎える。

 スペルが激しくなるにつれ、霊夢と紫の撃ち込む弾も強くなっていき。輝夜が宣言した最後のスペルが、遂に、終わりを……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんて事!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、夜を止めていたのは……貴方達だったのね」

 

 輝夜が纏う気配が変わる。彼女から溢れ出す、感じたことの無い力。月の力でも、地上の力でもなく、これは。

 これは、輝夜自身の力。

 

「貴方達が作った半端な永遠の夜なんて……」

 

 今までの弾幕を遥かに上回る密度のそれが、霊夢と紫を飲み込んでいく。そんな弾の嵐の中でなお、彼女達は避け続けているのか。

 

「私の永遠を操る術で全て破ってみせる」

 

 静かに響き渡る、輝夜の声。そして、急速に落ちる月。彼女が、こんな力を持っているなんて、知らなかった。

 

「夜明けはすぐそこにあるはずよ」

 

 仄かに明るくなりゆく空。

 輝夜の言葉通り、夜明けは、すぐそこにある。

 

「どう?これで永夜の術は破れて、夜は明ける!」

 

 輝夜の放つ、最後の弾幕が、消える。月の影を残したままの闇に日の光が差し込み、輝夜の力によって、永い夜が、明け。

 

 そして、輝夜が一人、明けゆく空にへと落ちてゆく。

 

「輝夜!」

 

 全ての力を出し尽くしたのか、輝夜は飛ぶことも出来ずに落ちるのみ。落下する彼女を見据えながらエンジンを駆けギアを落としてアクセルを回し。全力で、落ち行く輝夜を追って飛び出す。

 疲れ果て、驚いた様子の霊夢達やてゐが遠退き、俺の体が、落ちる、落ちる。

 

「輝夜!」

 

 追い付いた彼女の体に向けて、フェムトファイバーを伸ばす。輝夜の体をしかと抱き、引き寄せ、そして。

 

「てーゐ!!」

 

 輝夜の体を、持てる限りの力で、上空へと投げ上げた。

 

「姫!」

 

 てゐが輝夜の手を掴んだのを確認し、俺は、落ち行く方向……遥か、下方を見つめる。

 明るくなり始めてもなお、底の見えない空中。この空間も、何らかの術が作り出したものなのか。もしかしたら、永遠に落ち続けるのかも知れない。しかし。

 友人を守れたならば、それは、それで。

 

「フラン様、申し訳ない。私は、帰れそうにありませぬ」

 

 俺は、駆けたままだったエンジンを止め、目を瞑る。生還を諦め、力を抜いて。

 只々、視界を閉ざしたまま、俺の体は、下降していく――

 

「待ってるって、言ったじゃない」

 

 突然声が聞こえ、目を開ければ、そこには。

 俺の体を掴んだまま宙に浮かぶ、彼女の姿。そして、彼女は、空いた右手を握り締めて。

 この空間は、壊れた。

 

 

 

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

 

 

 紅魔館。紅い紅いこの館にもまた、満月が戻ってきていた。

 此処で暮らす住人にとっては、久方ぶりの満月。そう、この俺と、妹様を除いて。

 

「自分自身を召喚するなんて、聞いてませんよ」

「助かったんだから良かったじゃない」

 

 俺は、フランドールと共に満月を見上げる。彼女が俺に描き記したのは、自身を呼び出す為の術式。当然、既にその術式は消してある。

 

「でも、よく分かりましたね。ピンチだって」

「ずっと見てたもの。あの術式を通して」

「……覗き癖は、いけませんよ」

 

 何にせよ、助かったのであるから良いが。俺は、シートに座るフランドールから、また、満月に目線を移す。

 今宵の月は、いつにも増して強く輝いている。あの、竹林に建つ屋敷の上で。

 輝夜はあの後、屋敷に掛けられていた永遠の魔法を解き、永遠亭の存在は明るみに出た。これからは、いつでも会いに行けるのだ。

 

「……そろそろ、寝るわ」

「お早いですね」

「昨日は、あんまり寝てないから。じゃあ……」

 

 フランドールが、俺から降りる。

 去り行く彼女の背中に、俺は、言葉をかける。

 

「ありがとうございました。お休みなさい、フラン様」

「……おやすみ」

 

 くすりと笑い、彼女が暗がりに消える。俺は、館の窓辺に一台(ひとり)。輝く夜を見つめたまま、動くこともなく。

 

 紅い紅い屋敷にて、俺は、ぼんやりと月を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 





 永夜異変、完結。


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四十一 物と鉄

 

 風に棚引く、銀の髪。ハンドルに絡む、細い指。

 紅いフルフェイスを被った咲夜が、俺に乗って魔法の森を駆ける。此処の所、異変の度に解決に向かっていた咲夜。久方ぶりの運転だが、その腕は全く鈍っていない。

 

『メイド長、本日は何処に』

「ちょっと、買い物にね。貴方は、行ったこと無いかしら?」

『魔法の森に、店が?』

 

 こんなところに店があるなんて、俺は知らなかった。人間を相手にしているのか、それとも、妖怪を相手にした商売なのか。何れにせよ、こんなところに店を建てている時点で、店主は相当の変わり者だと言うことが分かる。

 

「ほら、見えてきたわ」

 

 視界の悪い魔法の森。見えてきたと言うことは、それは則ち対象が目と、鼻の先まで近付いていると言うこと。その言葉を聞くのと殆ど同時に、咲夜が俺のクラッチを引き、ブレーキを駆ける。止まる寸前にギアを落とすと、停車と同時にニュートラルへ。無駄の無い動作は、運転されていて気持ちが良い。

 エンジンを切って、サイドスタンドを立て。彼女は、フルフェイスを取る。

 

「……ふう、やっぱり、髪が乱れるわね」

「ヘルメットは、それしか無いもので」

「ええ。だから、買いに来たの」

 

 咲夜が、店の扉を開ける。すると、そこには……

 

「……え……?」

「いらっしゃい。久しぶりだね……凄い音がしたが……」

「ええ、お久しぶりですわ。ちょっと、欲しいものがあって」

 

 咲夜が開いた、扉の先。そこに並ぶのは、外の世界の道具……

 

「此処になら、置いてあるかと思ったので。バイクのヘルメットは置いていらっしゃる?」

「ヘルメットだって?あるにはあるが……」

 

 エンジンを駆けずに、店の扉を潜る。一昔前のコンピューターや、電気スタンド。湯沸かしポッドまである。

 ここは、外の世界の道具を扱っているのか。外の道具が幻想郷に紛れ込むことはあるが、こんなに沢山並んでいるのは、初めて見た。

 

「おや……それは……里の守り神じゃないか」

 

 店主らしき男が、俺を見て言う。俺が眠っている間の俺を、知っているらしい。

 

「守り神? 今は、お嬢様の乗り物ですわ」

「君のご主人様は、えらい物を拾ったね……自分で動いているようだけれど、意思があるのかい」

 

 男が、俺に話しかける。この男、他の者よりも道具に対して真摯に向き合っている。その言葉は、妖怪としての俺に話しかけているのは勿論だが、道具としての俺にも語りかけてくるのが分かる。

 

「はじめまして。現在紅魔館にて使われています、単車の憑喪神で御座います」

「ああ、口もきけるのか……ふむ。用途は、乗って遠くまで移動すること……前と、変わっていないな」

「まあ、そんなにころころと変わるものでもありませんし」

 

 店主は本を閉じ、カウンターの奥で姿勢を正す。きっと、客足はさほど良く無いのだろう。

 

「それで、ヘルメットだったかな。無い物は無い香霖堂。きっと、気に入ってくれる物があると思うよ」

 

 まあ、無い物はやっぱり無いんだがね、と。そう付け加えて店主は、積み重なった道具の山に視線を移した。

 

 

 

 

 

「これなんてどうだい。名称はヘルメットのようだが……」

「ああ……それは、自転車のヘルメットですね。学徒が通学時に使う」

「これは……えらく、仰々しいわね」

「あー……潜水用……ですね」

 

 香霖堂。数少ない外の道具を大量に溜め込んでいるのは流石と言う他ないが、肝心のバイク用ヘルメットが非常に少ない。今見つけたのは、フルフェイスが一つ、ハーフ型が二つ。そして、ジェット型が一つ。ついでに通学用、自転車用、工事用、潜水用が、一つずつ。

 

「うーん……思ったより少なかったが、これで全部みたいだな」

 

 店主、森近霖之助がもう一つ、銀色のヘルメットを机に置く。鈍い光沢を放つ、ジェット型。これで、ハーフが二つ、ジェットが二つ。フルフェイスは、今持っているのが同種なので除外。

 俺としては、ハーフ型はお勧め出来ないが……

 

「この、被るだけのは楽そうね。安全性は、どうなのかしら」

「あまり、お勧め出来ませんね。やはり、守ってくれる範囲が少ないですので」

「そう……没ね」

 

 そう言って、二個のハーフヘルメットを横に除ける咲夜。見た目や快適さより、安全性を重視してくれるのは、使われる身としてもありがたい。

 

「残るのは、この二つね。黒と銀。そうねぇ……」

 

 咲夜の前に並ぶ、ジェット型のヘルメット。フルフェイスが頭全体を覆うのに対して、ジェット型は、顎の部分が大きく開いた構造になっている。頭を締め付けることも無く、フルフェイスよりは装着が楽で、快適なヘルメット。

 咲夜は、一つのヘルメットを手に取る。

 

「これを、頂いてもよろしいかしらら?」

 

 選んだのは、霖之助が最後に持ってきた銀のフルフェイス。それを手に取り、見つめる。

 

「被ってみたらどうだい?」

「そうね……っと」

 

 咲夜の頭にすっぽりと、ヘルメットが覆い被さる。後ろ髪はヘルメットの中に収まり、長めの三つ編みが垂れる。そういえば、彼女が髪を結んでいない所は見たことが無い。

 

「ぴったり、ですね。あ、そうだ」

 

 俺は、咲夜の被るヘルメットに意識を集中する。感覚としては、俺の妖気を薄く引き伸ばし、ヘルメットに繋げるように……

 

『あー、あー、マイクテス、マイクテス。本日は曇天なーりー』

「うん、聴こえてるわ」

「ああ、良かった。ちゃんと繋がった」

 

 これで繋がらなかったら、運転中の会話が非常に困難になるところだった。運転中の電話は厳禁だが、バイクにも意思がある場合は、意思疎通が上手くいかないとかえって危ない。進もうとする道が逆方向なら、簡単に転んでしまうだろう。

 

「さて、と。買うヘルメットも決まりましたし……私は、もう少し商品をみたいのだけど」

「了解です。私は……」

「僕と少し話さないかい。道具とこうやって話すのは、初めてでね」

「了解です」

 

 咲夜が商品の並ぶ棚を眺め始め、俺は、霖之助とカウンター越しに向き合う。と、言っても気分、ではあるが。店内は物が大量に積み重なっており、あまり下手に動くと、積み上がった同胞達が俺の上に降り注ぐことになるだろう。

 

「さて……憑喪神、と、言ったかな」

「まあ、そのようなもの、ですね」

「ふむ……一般に憑喪神とは、永い年月を経た道具がなる物だが、永きを生きたという意味では、そこらの妖怪と大差ない。神とは名がついてはいるがね」

「私自身、妖怪だと思っていますけどね。憑喪神に、神性は薄い」

「君は、里の守り神として祀られていたそうだね。そのせいか、君はそこらの憑喪神よりも神性が強いな」

「ええ、まあ。千年以上生きているというのも、ありますが」

 

 ぴくりと、霖之助の眉が跳ねる。何か、要らぬことを言ってしまっただろうか。

 

「……蒸気機関が開発されて、まださほどの時は立っていない。少なくとも、千年もの期間はね」

「あ……」

 

 してやったりと言わんばかりに、霖之助の顔が綻ぶ。それでも、僅かに笑ったという程度ではあるが。

 

「何。幻想郷には時を超えて紛れ込む事だってあるんだ。君のようなのがいても、不思議じゃないよ。特に、回答も求めていないしね」

「……助かります」

「僕が聞きたいのは、君がどのような経緯で意思を持つに至ったかさ。君は、どうも普通の妖怪とは違うように感じてね」

 

 まあ、無理にとは言わないが、と。付け加える霖之助の目に輝くのは、一筋の光、知的欲求。霧雨の魔女や、パチュリー等の魔法使いが瞳に映すものと同等の光。

 昔なら、未来から来たなどと言っても信じては貰えなかっただろう。しかし、今となってはその未来も、近しい時代。特段、知られて困る話でもない。

 あの、雨の日。不死の娘が俺に話してくれたように。

 

「そうですね、何処から話したものか……」

 

 俺は、道具屋の店主、森近霖之助に、あの冬の日の出来事を話始めたのであった。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

「では、これで」

「ああ、まいどあり。また来るといい」

「ええ、では」

 

 エンジン音を響かせ、単車に乗ったメイドが、僕の店から離れていく。彼女達の姿が魔法の森に消えると、僕は、静かに店の扉を閉めた。

 慣れ親しんだカウンターに置いたままの本を手に取り、椅子に座る。掌の中の本を開くが、意識は、本ではなく先ほど会話したばかりの憑喪神のことへと向けて。

 頁に並ぶ文字を眺めながら、思考の海へ沈む。

 

「ツクモガミ、か」

 

 彼は、その言葉を履き違えているのではないか。彼の生い立ちは、一般に言う付喪神のそれとは大きく異なる。付喪神は確かに意思を持った道具の妖怪だが、その意識は、言わば自然発生によるもの。道具自身の意思なのだ。

 しかし、彼は。物に、人間の意識が憑いているに過ぎない。死んだ人間が獣に生まれ変わったり、魂が物に取り憑いたりするのは別に珍しい話では無い。鉄鼠などがいい例だ。

 だが、彼は死んでなどいないのではないか。真冬とは言え、昼間。それも、高々数時間眠ったくらいで死ぬものなのか。眠りながら死んだものが、取り憑いてしまうほどに強い未練を持てるものなのか。

 生きたまま、それも、眠りながら他のものへと生まれ変わる例は、あるにはある。寧ろ、そっちの方が彼に合致すると言える。

 しかし、それは酷く残酷で。

 

「……僕は、ちゃんと存在している。この思考が、何よりの証拠だ」

 

 蝶や蟻の方が定番だが、成る程、ここは幻想郷。まさに、楽園と言うに相応しい。ならば、彼は……

 

 僕はそこで、思考を止める。興味深い話ではあるが、考えても仕方が無い。待っていれば、いつか、分かる事。

 もし彼がその時に、此方を望んだならば、誰かが迎えに行かねばならない、と。それだけを決意して。

 僕はまた、頁の上を踊る文字を追いかけ始めた。

 

 

 



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四十二 生と鉄

 

 肌寒くなってきた気温に、必要もないくしゃみを一つ。日の暮れつつある高草の群に、辺りを包む竹の香り。目前に広がる緑の檻も、かの屋敷が永遠の鎖から解き放たれてからは、月を撃ち抜かんとする天の柱に思えてくる。

 延々と続く、竹薮。竹の匂いに混じって、空を覆う暗雲が放つものなのか、雨の匂いが辺りに満ちる。

 じきに、雨が降るだろう。丁度、あの日もそうだったように。

 

「……おお」

 

 違うのは、そう。互いに、酷く歳をとってしまった事くらいか。容姿も、随分と様変わりしたものだ。

 

「……久しぶり」

「ええ。本当に」

 

 二人の、元人間が声を交わし、そして。

 竹林に、雨粒が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 降りしきる雨と共に、夜の帳が降りてくる。雨雲に隠された空は、唯々その明るさを失って。

 雨の中、急ぐこともなければ、打ち付ける雨粒から逃げることも無く。不死と鉄、今更雫に撃ち抜かれようが、関係ない。寧ろ、その痛みこそが生の証ともなろう。そう思える程度には、生から遠ざかってしまった。

 

「……変わらぬものですね」

「まぁ、岩だからね」

 

 苔の生えた洞窟。湿っぽい土の匂いと、岩の冷たさ。あの日、この不死人と雨宿りをした洞窟である。

 洞窟の中に座り混んだ彼女が、目の前に一つの火を灯す。

 

「……変わりましたねぇ。色々と」

「貴方こそ。前は、そんなに赤かったっけ?」

「前は、ボロを纏っていましたから」

 

 白く、長い髪。あの時は、黒のおかっぱ……だっただろうか。

 

「それで、どうです。未だに後悔していますか」

「ははっ、まあね。後悔の念なんざ、そうそう消えるものでもないでしょう?」

「ええ、その通りで。でも」

 

 その目に、あの時のような淀みは無く。唯、永きを生きた者のある種の達観と、幽かな諦め、そして、強い、光。

 

「強くなられましたね。あの時よりも、ずっと」

 

 あの時の小さな体は、今や、妖怪達よりも力強いものへと変わり。

 それは、同時に、人から遠退いた事も意味して。

 

「まあ、生きてりゃ変わるものさ。貴方も、随分と……人から、遠ざかったねぇ」

「生きてりゃ、変わるものです。鉄も、永きを経れば錆びつき、重みが加われば曲がり、熱すれば溶ける。形を変えながら存在し続ける。人は」

「永きを過ごせず、打たれれば死に、燃ゆれば死に。輪廻の輪に呑み込まれれば、次の、真っ新な生を得て」

 

 不死人は、自嘲気味に微笑する。微笑したまま、その手に小さな火を灯し、それを、暗い岩肌に落とした。

 

「私は、最早鉄に近いのかな。有機物じゃなくて」

「鉄はいずれ腐るもの。貴方は、腐ることなどありますまい」

 

 俺は、不死では無い。永い時を生きるのは確かだが、いつかは、この迷走にも終わりが来る。

 彼女と同じ時を過ごすことは、到底出来ない。

 

「分かってるさ。私は、永遠に一人。あの薬を飲んでからずっと、ね」

「……不死は、貴方だけでは無いでしょう。竹林の奥深くには、月の姫がいらっしゃる」

「輝夜を、知ってるの?」

 

 少し驚いたように言う、不死人。俺としては、彼女が輝夜のことを知っていた事の方が驚きである。

 

「共に、月の使者から逃げ回った仲でして」

「……あいつも、不死なのよねぇ。未来永劫、ずっとあいつだけは存在する。癪ねぇ」

 

 ……ああ、思い出した。あの時、目の前の不死人は、岩笠の名を語ったではないか。岩笠といえば、不死の薬を富士の山へと運んだ、その人で。あの時は、岩笠が誰であるかを思い出せなかったが……

 その薬を地上にもたらしたのは、他でも無い輝夜。運命というものは、本当、分からないものである。

 ならば、彼女が不死となったのは、突き詰めれば輝夜のせい……

 

「恨んで、おいでですか」

「そりゃあ、ね。未来永劫、恨み続けるだろうね」

「……感情が死ぬよりは、ましですかね」

「ずっと、ね」

 

 彼女が、そう言いつつ火を強める。夜は、始まったばかり。冷え込みも、段々と厳しくなってくるだろう。

 

「……不死、か」

 

 輝夜は、そのことをどう捉えているのだろうか。死ねないことを。生に付きまとう苦しみを、永遠に味合わねばならないこと。

 俺なら、御免であるが。

 

「……最近、さ」

「何でしょう」

「生きるってのも、案外捨てたものじゃないと感じ始めたよ。昔は、後悔してばかりだったけれど」

 

 手の中にまた、火を灯し、先ほど岩肌へと落とした火をもう片方の手で拾い上げる。

 

「ここは、いい。寿命が長い奴らが、沢山居て」

「理想郷ですから」

「確かにね。ここでなら、私も生きていけそうだよ」

「何があっても、生きていくことになるのでは?」

「生きるのと、生きながらも死んでいるのは違うでしょ?」

 

 最も、である。

 

「……私にも、少ないながら理解者が出来た。共に、永遠に殺しあえる相手も出来た。人の里を見守るなんていう、細やかな楽しみもね」

 

 嘲笑では無い笑みを以て語る彼女。そんな彼女に、一つの問いを投げかけてみる。

 何の考えも、裏も、含みも無い。唯の興味から、である。

 

「幸せ、ですか」

 

 少し、考える素振りを見せる。俺は、彼女が口を開くのを待つ。

 

 湿気った洞窟。外に目をやれば、水の林。風もあるのか、雨の音に竹のざわめきが混じって聞こえてくる。

 彼女の手に灯された二つの火は、その、両の手の中で揺れ、湿った岩の壁に指の影を映し出す。

 影は、揺れる。まるで、何かを探すかのように。

 

「……私が、幸せになって良いのかな」

 

 そう訊ねる不死の少女。その目に、迷いを湛えて。

 もし、罪に時効なんてものが本当にあるのなら、それは、彼女の為にあるのだろう。千年もの間、一人の男を殺した罪を悔い続けてきた、彼女の為に。

 俺は、その問に応える。

 

「いいんじゃ、ないですかね。少なくとも私は、貴方には幸せになって欲しいですよ」

 

 飾り気も何もあったものではない、言の葉。岩のように無骨な鉄の塊の言葉は、華は疎か、花の一つさえ持ち得ない。しかし、拙きながらも伝えたいことだけは、その言葉に宅せた筈である。

 少女は、そんな俺の言葉を聞いて微笑む。その笑顔の裏に後悔の念は残ったままだが、それでも良い。

 暗い過去の積み重なった上でもなお、人は、笑って良い筈だから。

 

「……ありがとう。とりあえず、また、生き続けてみるよ」

 

 彼女は、右手と、左手、それぞれの手に宿した火を、一つに纏めて。

 その火をそっと、燃え続ける焚き火に合わせた。

 

 

 




 岩と花の。
 


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四十三 鉄と人

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅魔館の、一室。俺に与えられた車庫の中。

 今は、丁度昼頃と言ったところか。夜通しはしゃぎ回った館の主や、仕事に疲れたメイド長、徹夜明けの図書館。更に、生活リズムの不規則な妹君までもが眠りについた、正午。

 そんな中、何故俺だけが眠りについていないのか。特に理由があるわけでは無い、ただ、目が冴えてしまっているだけである。

 

「なんで、眠れないかね……」

 

 眠れない朝。嫌な、胸騒ぎ。窓の無い車庫に、上り始めたばかりの日の光が射し込むことも無ければ、朝の香りが風に乗って入り込むこともない。あるのは、冷たく沈んだ、静寂だけ。

 妖怪の方が人間よりもずっと多い幻想郷。日の光は、眠りの合図。鳥が鳴き始めれば、それは夢への旅立ちの催促。車庫の外では日は既に上り、小鳥達は鳴き始めている。そんな中で、何故、眠れない朝は続くのか。

 

「……何処か、行くかね」

 

 寝てばかりいるのも、なんだか勿体無い気がする。何故だかは、分からない。ただ、時間を無駄にしている気がするのだ。

 エンジンを駆けずに、車輪を回し始める。扉に命じ、車庫を開き。紅魔の眠る館を抜ける。

 

「……守衛殿は、起きてらっしゃるかな」

 

 エンジンを駆けぬまま、門を目指す。美鈴の管理する花畑を眺めながら、見知った赤髪の立つ門へ。

 

「あら。お出掛け?」

「ええ。眠れなくて」

「そう……あ、門、開けるわね」

 

 少し疲れた表情の美鈴。彼女が守る門をくぐり抜け、また、彼女に向き直る。

 

「では、お疲れ様です」

「ありがとう。なら、行ってらっしゃい」

 

 行ってきます、と。彼女に、言い残し。

 俺は、エンジンを駆け静かに、ギアを落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 日の光が眩しく照らす、幻想の郷。季節外れの花が咲き始めたこの地を、二つの車輪を転がして駆け巡る。他に車も無く、道路標識さえ無いこの地を、唯々、走る。

 近頃、よく昔の事を思い出す。フランドールとの出会い、レミリアとの出会い。頭領や、退治屋達との出会い。ぬえとの出会い、水蜜との出会い。輝夜との出会い、友との出会い。太子との出会い。紅魔館、人間の里、地底、寺。そして、古き、古き日本。

 今まで出会った者たちとの記憶。そして、その、先。俺が、人間だった頃の記憶が、幽かに、その癖はっきりと浮かび上がる。

 俺は、元々人間だった。その事実は、覆りもしなければ、否定もしない。ただ、人間だった頃の記憶が蘇る度に、少し、怖くなるのだけだ。

 

「……空は、落ちない」

 

 あり得ないことだと、自分に言い聞かせる。そう、あり得ない。俺の嫌な予想は、起こり得ない。

 

 だが、しかし。もしかすると、本当は……

 

 気になるならば、試せば良い。だが、試してみる勇気が湧かないし、試す方法があるのかも分からない。ただ、しかし。

 もし、俺の予感が当たっていれば。俺は、生きていけるのか。全てが嘘なんて、俺は、受け入れることが出来るのか。

 そんなことになったら、俺は、俺は……

 

「……俺、俺と煩いな」

 

 自分の思考を吐き捨てる。幻も現も関係無い。俺は、此処にいるのだから。

 俺は、唯只管に、エンジンを吹かせ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 様々な花が咲く道。今は、冬の終わり。これらの花が咲く時期は、本来ならばまだまだ遠い。また異変が起こっているのかも知れないが、今の所実害は無いようである。

 それに、俺の胸騒ぎの原因は、この異変によるものではないことも、ぼんやりとだが分かる。

 この道を進めば、神社に辿り着く。思えば、あの神社こそが、全ての始まりであった。その思い出の地に向け、走る、走る。

 静まり返った、日の照らす道。響くのは、俺のエンジン音だけ。

 

「……着いた、か」

 

 ギアをニュートラルに入れて、エンジンを止める。車輪が地面に沈みこむが、転んでしまう程では無い。

 そんな、中途半端に柔らかい大地に、桜の花弁が舞い落ちる。薄く赤みの掛かった花弁の舞うこの神社は、幻想郷でも指折りの桜の名所である。そういえば、彼岸の塚の桜の色の所以は、最後まで分からず終いだった……

 

「……何、を」

 

 何が、『最後まで』なのか。一体、何が終わるというのか。

 終わりなど、あるものか。いつまでも、延々と……

 

「……ああ、くそ……」

 

 ……本当は、分かっている。

 全て、分かっている。唯、この幻想から離れたく無いだけなのだ。

 離れたくないという思いが強くなるにつれ、過去の記憶が蘇る。懐かしさと、そして、それ等を失うかもしれないという悲しさが、滾々と溢れだす。

 

「……輝夜」

 

 彼女と出会ったのは、ある男が俺を、輝夜に献上したからであった。あの男は、心から輝夜を好いて、好いて。笑顔を見れただけで満足だという程、彼女に陶酔していた。そんな、もう会うことも叶わない、俺の友。

 輝夜も、随分と強くなった。月の姫は、泥臭い地上の穢れに塗れてもなお、その輝きは失わず。彼女と友人になれて、本当に良かった。

 

「村紗、ぬえ……」

 

 彼女達は、今も仲良く、元気にしているだろうか。最後にあってから、随分と時間の経ってしまったが、今でも変わらず、俺を友達だと思ってくれているだろうか。

 正体不明の妖怪に、船幽霊。種族さえ、性格さえ違うというのに似通った二人。彼女達は、きっと、上手くやっていけることだろう。

 

「頭領……そして、頭領」

 

 退治屋の頭領達。最初に出会った頭領も、最後に出会った頭領も、何処か侍のようで。人里や阿礼の子を守る彼等の姿は、何処までも勇ましく、共に戦えたことが誇らしい。

 

「……フランドール……」

 

 彼女の元から離れるのが、一番、心残りで。籠の中の彼女も、少しずつ、外との関わりを持ち始めた所であった。その彼女と、もっと共に館を抜け出し、出かけて行きたかった。

 しかし、彼女ならば、俺がいなくとも大丈夫であろう。きっと、自らその籠を砕き、外へと羽ばたく日がやって来る。

 

「……そして、レミリア」

 

 紅い、紅い悪魔。運命を操る、俺の、自慢の主。彼女と契約を交わしたのは、決して間違いではなかった。

 いつまでも、いつまでも。彼女の為に走っていきたいと、そう、思っていた。

 

 

 桜が舞い落ちる地で、一人の、否、一台の鉄が思い出に沈む。離れたく、ない。この、幻想郷から。

 運命に抗うように、ギアをニュートラルに入れたまま、エンジンを掛け、吹かす。静まり返った世界に響く、爆音。俺の存在は確かにここにあるのだと、存在するのかも知れない誰かに誇示するように

 俺に涙腺があったのならば、その雫の枯れるまで泣こう。俺に声帯があったのなら、声の枯れるまで哭こう。しかし。

 

「……必ず。絶対、絶対に」

 

 泣いても、叫んでも、それでも、絶対に。

 この地を目指そう。これは、俺の短い夢。しかし、形の無い幻では無い。これが幻だなんて、思えない。

 

「必ず、絶対、に……」

 

 エンジンの鼓動が、遅くなりゆく。神社に続く階段の下、鳥居から少しだけ離れた、開けた空間で、俺の意識は遠退き始める。

 

「絶対……ぜったい……」

 

 凄まじい眠気が襲う。もう、別れの時が、すぐそこまで迫っている。

 

 俺は、一つの誓いと共に、その、薄れゆく意識を手放した――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……さみぃ」

 

  目を冷ますと、辺りはもう暗かった。どうやら、本当に眠ってしまっていたらしい。とりあえず俺は、シーシーバーに引っ掛けてあったフルフェイスを被る。

 永いようで、短い夢だった。ここは、夢を忘れた幻想の外。妖怪達や、神々が恋した理想郷の、外。

 

 しかし、俺が夢の終わりにした誓いは、未だにこの胸に残っている。

 

「……幻想、郷」

 

 覚えている。確かに、その地の名を。持ち主達の名を、覚えている。それだけだと言うのに、嬉しくて堪らない。

 そして、同時に。寂しくて、堪らない。

 

「……くそ」

 

 目に涙が溜まるが、ヘルメットが邪魔をして上手く拭えない。涙に霞む視界、紅い単車や、降り積もった桜の花弁が滲む……

 

「……あ……」

 

 桜の花弁。辺りを見渡せば、そこには、花の一つもつけていない裸同然の木々が並ぶばかり。

 ならばこの、花弁は……

 

「あ、ああ……」

 

 花弁の先、ハンドルに掛かった物を、俺の目は捉える。そこに下がるのは、鉄の輪。洩矢神から貰った鉄の輪。

 幻想郷は、幻などではない。幻想郷は確かに存在し、俺は、確かにそこへと訪れたのだ。夢と言う媒介を通し、俺の体は、俺の単車は、確かに。

 

「……必ず、絶対に、幻想郷へ行く。絶対、絶対に」

 

 エンジンを駆け、無駄にアクセルを回す。自分に喝を入れるように。桜に塗れた俺の半身を、奮い起こすように。

 あの誓いは、まだ、胸の中にある。目的地の存在は確認した。手掛かりも見つけた。後は、この車輪を走らせるだけ。

 時間はかかるかもしれない。しかし、行けない距離ではないだろう。

 

 

 降り積もった桜の花弁をポケットに突っ込み、俺は、力強く、バイクのギアを蹴り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 






【完】では、ありませぬ。


 唐突……と言えば唐突ではありますが、ストック+新規の分もやっとこさ上げ終わったので、私事により少しの間連載を休止させて頂きます。
 にじファンで読んで頂いた方はご存知でしょうが、集中せねばならないためでございます。
 数ヶ月程ではありますが、その間は感想への返事も出来ませんので、次に更新する時に返事を書かせて頂きます。

 では。いずれ、また。


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単車現走
四十四 幻と鉱


 

 一つ、二つと。

 数えるのも馬鹿らしい程の時を、あの日、幻想の世界から弾き出された後に過ごしてきた。

 

 俺は、未だ……彼の楽園には、辿り着いてはいない。主との再開は、果たせていない。

 

 黴臭い物置の中で一台(ひとり)永い、永い沈黙に沈む。

 人の体は、とうの昔に限界を迎え。俺は、幻想を求めてこの心を、意思を、単車に乗り移らせても尚、この生にしがみついている。

 

 

 また、眠りにつくとしよう。あの日、幻想郷を求めて走り出した時の事を、思い出しながら――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――地を、踏みしめる。

 

 二本の足は紅い単車から離れ、黒く湿ったコンクリートの上へと降り立った。エンジンを切ったばかりの我が半身は、その熱を以って小さな陽炎を作り出し。地面は揺らぎ、大気は歪み。先程買った、微かに熱を残した缶飲料をちびちびと流し込んでは、白く染まった息を吐き出す。

 幻想郷から弾き出されてから、もう数ヶ月も経てば一年となる。幻想郷にへと戻る為の情報は、未だに見つかっておらず。感じる焦りは、輝夜と共に幻想郷を探したあの日々を思い起こさせてまた、更なる焦りを生じさせて。

 しかし、妖怪として生きた時間が長すぎたせいで忘れていたが、人間だった頃の……つまり、今の俺は、学徒の身であり。半身たる単車があるとは言え、そうそう遠くまで出かけることも出来ず。高校三年という、最も忙しいであろう時期を、焦燥感の中で過ごした次第である。

 しかし、そんな日々ももう、終わり。やっと訪れた冬休みを機に、遂に俺は幻想郷を探すために走り出したのだ。

 

「……諏訪、かね。まずは」

「八坂様と、洩矢様ですね」

「おう。まだこっちにいるとは思うがね……多分」

 

 傍らに停まる、紅い単車と言葉を交わす。自分の半身である単車と会話すると言うのも不思議な気分であるが。意思も記憶も共有してはいるものの、一人旅とは寂しいもので。こうしてもう一人の自分と会話をすることで、そんな肌寒い感傷を紛らわしている。

 

「行くか」

「了解」

 

 少しばかりの休憩を終え、ヘルメットを被る。そのまま単車に跨って、エンジンを掛け。

 飲み干したばかりの空き缶を上着のポケットに突っ込み、俺は、静かにギアを蹴り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い煙、白い煙。濁った水、透き通った水。汚れた空気、澄んだ空気。この世界に、後者はもう、殆ど残されていない。あるのは前者、目を背けたくなるような過ちの歴史が満ち満ちるのみ。

 

 未知を忘れた、舗装道路。

 想像を忘れた、鉄筋建築の群。

 夢を忘れた、人形の森。

 冷たい鉄、淀んだ川、灰色の塔……

 辺りに満ちた、人の匂い。

 

 幻想郷を知らない、現実と呼ばれた世界。人は神ではなく、科学を信仰するようになってもう、久しい世界。

 そんな世界でもなお、人形達は生き続ける。流されるように。追われるように。何処へ向かうのかも分からず、夢を一つ、また一つと消していきながら収縮する、世界。

 

 俺が今いるのは、そんな、幻想を忘れてしまった世界。俺の生まれた、幻想の外。

 この星に広がるそれは、コンクリートの森、アスファルトの大地。オイルの海、デブリの宇宙(そら)

 人の作り出したるそれ等は、作り出した張本人たる人間にさえも疎まれて。溢れかえった物たちは、行き場を無くしてツミ重なり。

 人は道具を、技術を信仰しておきながらも……それは、かつて全ての神々を否定したように……壊れた物を、或いは時代に乗り遅れた道具を捨て去っていく。

 汚染された世界。いや、これからも尚、汚染され続けられる世界。元人間たる俺が、そんな世界のことを憂うことは許されはしないことは分かっているし、今更悪びれるつもりもない。唯。

 境界を隔て、この世界から消えゆく幻想の集いし彼の地へ。少しでも早く、幻想郷にへと帰りたい。

 人類の一として見れば、逃げに当たるのだろう。事実、俺はこの世界から逃げ出さんと、幻想の世界へと続く道を探して彷徨い続けている。

 逃げ出すものが、声を大にして咎めることなど出来はしない。そんな、権利は無い。

 

「……気にしても仕方がないと思いますよ」

「分かってる。けど、な」

 

 一度意識を向ければ、目を背けるのも難しくて。何一つ出来ることなど有りはしないというのに、罪悪感ばかりが積み上げられる。

 

「……貴方は……私は、もう人間じゃないのだから」

「分かってる。大丈夫、行ける」

 

 神々や妖怪が現世を捨て、幻想郷にへと向かう時というのは、このような心持ちなのだろうか、なんて。免罪符じみた思考に沈む内に、街の外れ、緑の多くなりつつあるその場所に、一軒の建物が見えてくる。

 

「……廃墟、か?」

「ですねぇ……おろ?」

 

 アスファルトの地面を駆け、その建造物を前方に見据えながら、半身と共に何かの気配を感じ取る。

 

「……なんだ? 人間……か?」

「妖怪っぽくなかったですか?」

 

 食い違う意見……否。人間の体も、単車の体も、両方俺自身なのだから意見が別れたりなどはしない。つまり、俺達が感じ取った気配の正体は……

 

「行くぞ。同類やもしれん」

「了解」

 

 人と妖の境界。そんな不安定な存在に他ならない。

 幽かに感じた気配を辿り、俺は、半ば崩れたその建物へと、走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――がらんどう、と言ったところか。灰色の壁に囲まれ、崩れた天井から、紅く染まりつつある木漏れ日が差しむ其処は、外界から隔離されたがごとく静まり返った、冥い様相を示している。

 何処かから吹き込む風は、この世の風ではない。どれだけ身構えようが、否応無しに襲いくる悪寒……全ての生きる者が最も直視したくない事象が形を成し、辺り一面に漂う光景。

 幽霊。それも、無数の幽霊達の犇く空間。こんな場所が、外の世界にあったなんて。

 

『幽霊……でも、先の気配は……』

「……何処に行った?」

『微かに、匂いますね。そっちです』

 

 ヘルメットを着けたまま廃墟へと入り込んだ俺に、半身が語りかける。先程感じた気配は、幽霊達のものではない。何のものかも知れぬ匂いを追い、慎重に歩を重ね、その姿を探し……

 

「そこか!」

 

 振り向いた途端、刹那に感じた気配は霧散し。

 

『右!』

 

 ゆらりと揺れては、吹き消された蝋燭の火のように虚空に溶け。ふらふらと移動する気配を捉えんと、辺りを警戒し、感覚を研ぎ澄ます。

 正体不明のそれは、廃墟の奥へ、奥へ。幽かに感じる妖気と、人間の気質を追って、俺の足も奥へ、奥へと歩を染める。

 爪先は、コンクリートの破片を蹴り、埃の積もった床に歩みの印を記し。吐く息は、ヘルメットの中を曇らせるに飽き足らず、外へと漏れ出ては視界を覆い。現れては消える目標を追い、遂には二本の足で走り出す。

 

『深追いは……』

「もしかしたら、幻想郷への手掛かりになるかもしれない! 今は許せ!」

 

 半身の意思は、俺の思考の一端。自身の中での、自制の心。単車と分離してからは、どうも突っ走りやすくなっていけない。そう思いつつも速度を落とさない自分に自嘲しつつ、走る、走る。

 

『ああ、もう……その突き当たり、右!』

「すまん! 助かる!」

 

 壁紙の剥がれた廊下を駆け抜け、体の行方を自身の助言にへと委ね、幽霊達を避け、掻き分け、押し退けて。近付く気配にへ向け全力で疾走する。

 ぼろぼろの廊下の行き止まり、ゆっくりと閉まりゆく扉。気配は、もう、すぐ其処に在って。

 

「見つけ、た!」

 

 半ば体当たりするように扉を穿ち、部屋に転がり込む。其処には、紫色の裂け目へと消える……恐らくは少女の……後ろ姿。

 必死に手を伸ばそうとも、もう遅い。消える姿と、閉じゆく亀裂には到底届かず。只々、人気の無い廃屋に一人の男が取り残されるのみ。

 

「ッ……くそッ!」

 

 肩で息をしながら悪態を吐く。吐き出した言葉は、あと僅かで及ばなかった自分に対する戒めと、自分の思い通りにならない世界の不条理さに対するもの。あと、少し。あと、本の少しでも早く追い付いたならば、彼女の手を掴むことも出来たかも知れないと言うのに。徐々に落ち着き始めた耳触りな鼓動に呼吸を合わせつつ、その場に座り込む。

 

『……先の少女は……』

 

 遠く離れた半身が、有りもしない口を開く。その言葉はヘルメットを通して、俺の鼓膜を震わせた。

 

「……はあ……分かってる……当たり前だけど」

 

 他でも無い自分自身による問題提起である。その答えを、俺が知らない筈はない。

 たった今、一目見た彼女の姿。それは、見覚えが無いと言うには、記憶の中の人物と似通い過ぎていて。

 

「……紫殿、だったのか?」

 

 しかし、彼女が紫本人であるならば、俺に気付かない等ということが、有り得るのだろうか。それに第一、俺が感じた気質は、どちらかと言えば人間よりのもの。八雲紫は、言うまでもなく妖怪であり、そこに人の気質が加わるなど、ある筈がない。

 ならば、あれは紫ではなかったのか。いや、しかし……

 

 

 纏まらない思考。部屋の中には最早、先に起こった出来事の名残の一つさえ残っていない。目に映るのは更に深く、紅く色付く窓硝子が、静まり返った闇の中に浮かぶ光景のみ。

 

 世界は、俺の心情なんてものに頓着などはせず。誰に対しても公平に、機械的に秒針を進め、無情にも俺を置き去りにしていく。

 

『……もう、行きましょう。あまり、長いするわけにはいきません』

 

 半身が、告げる。

 

「……そう、だな」

 

 被りっぱなしだったヘルメットを開き、一つ、真白い息を吐き出し。

 埃塗れの体を床から離し、幽かに残る光に背を向けて、俺は。

 

 置いてけぼりの妖怪は、一人、その身を暗い、闇に溶かした。

 

 

 

 

 

 

 





 とりあえず、受験やらなんやらが片付いたので更新をば。
 大学生になれそうです。多分。きっと。


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四十五 迷と鉱

 

 

 

 

 

 思えばもう、外の世界に放り出されて百を越える年月が過ぎた。人の体を捨てた後、幻想郷に帰る手段の見つからぬまま俺は、俺の魂は、単車の中で眠り続けて。

 そして単車は、俺の親戚にへと渡り、また、その親族にへと譲り渡され。何人もの乗り手を乗せた後に俺は、この黴臭い物置にへと放り込まれてしまった。

 皆の手を渡る間、俺は一言足りとも言葉を発する事など無く。余計な行動は身の破滅を生む。下手に喋って祓われでもすれば、俺の今までの歴史は無に帰すのだ。そうなってしまっては、目も当てられない。

 俺は、既に幻想の産物。今の世界からは、排除されるべき物の一となってしまったのだから。

 

 

 なんて。眠りの淵、夢現の中、俺は、また。

 映る景色を断ち、記憶の海にへと、意識を放った――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――朝ぼらけ。

 疲れた体を休めるため、一晩を小さな神社の駐車場で過ごした俺は、単車に腰掛け一つ、大きく息を吐く。

 幻想郷にいた頃は野宿など日常茶飯事であったが、外の世界で野外で眠るのは、落ち着く事が出来なくていけない。妖怪が跋扈する幻想郷よりも、人間の支配する現代社会が恐ろしいとは、何の皮肉だろうか。

 

「さっみぃ……」

 

 真冬の朝方。最も冷え込むこの時間帯に、寒空の下。指先はかじかみ、爪先は芯まで冷え切り。奥歯をガチガチと鳴らしながら、キーを回してチョークを引く。

 寒さに弱いのは、人間の体だけではない 。バイクのエンジンだって、冷え込んでしまえば掛かりは悪くなり、チョークを引いて調節してやらねば、燃料を満足に燃やす事さえ侭ならない。ガソリンも無しに走っていたあの頃と違い、今の単車……俺には、そういった調整が不可欠なのである。

 此処は、幻想郷ではない。そんな、当たり前の事を再確認して俺は、静まり返ったこの世界に、けたたましいエンジン音を響かせた。

 

「今度は、転ばないでくださいね」

「分かってらぁに」

 

 輝夜と共に駆け上がった、あの坂に思いを馳せて。朝霧のアスファルトから爪先を浮かせ。俺は、未だ外界に鎮まるであろう神々の元へと、走り出した。

 

 

 

 そして、車輪は宙に浮き、タンクは凍りついた地面に貼り付いて。凍った坂道にバイクで突っ込むは良いも、坂の中腹まで来た所で滑り、結果、このザマである。

 

「……転ばないと言ったじゃないですか」

「まあ……フラグだったんだろうよ。あの会話こそ」

 

 つまりは、あのような話をし始めた半身にこそ責任はあるのだ、と。自分自身に責任を転嫁しては、重い車体を起き上がらせようと力を込める。

 が。凍った地面の上では踏ん張りが効かず。つるりと滑っては尻餅を付き、一向に成功する兆しが現れない。

 あの時は輝夜に愚痴を零しもしたものの、真逆俺まで同じ道を辿るとは。輝夜を責めれたものではない。

 

「……繰り返すものなんですね。色々と」

 

 坂の上に現れた気配を感じ取り、半身が感慨深気に呟く。見れば、其処には、あの時に見た姿が、力強く地を踏みしめていて。

 

「……もう転ぶな、と言っただろうに」

 

 苦笑い。しかし、その奥には懐かしさに対する柔らかな笑みが垣間見えて。

 

「お久しぶりで御座います、建御名方神……いえ」

 

 せめて人間部分だけでも、しゃんと背筋を伸ばして立つ。半身は未だ転がったままだが、折角の再開の場面。少しでも格好を付けたいと思うのは、俺の見栄であり、しかし、それを正すつもりはない。

 千年振りの再開なのだ。少しくらい見栄を張っても、構いはしないだろう。

 

「八坂、神奈子様」

 

 彼の軍神は、幻想を失ったこの世界でも尚、威風堂々と。見下ろす瞳は、全てを見透かさんとばかりに深く、澄み渡っていて。

 

「久しぶりだな、鉄の。変わらぬようで何より、だ」

 

 転がる俺への皮肉。しかし、その言葉には蔑みの念は篭っておらず、受けて心地良い程度に俺の現状を咎める。

 

「ええ、本当に……本当に、懐かしい」

 

 やっと。やっと、出会うことの出来た、幻想の住人。そして、この地に残った神々の一柱。

 熱くなる目頭を押さえ、姿の見えないもう一柱の神について尋ねる。

 

「洩矢神様は……」

「あいつは……今は、眠っていてね」

 

 眠っているとは、どういう事か。千年の時が経つ内に、神様の事情にも、何かしら変化があったようである。

 

「まあ、外で話すのも何だ。上がっていきな」

「りょうか、うわわっ」

 

 片手で担ぎ上げた単車を、肩の上に。あの時と同じように出会い、また、同じように運ばれ。思わず零れた涙を拭き取って、俺は。歩み出す神の後を追って、この歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 朝霧の大社。薄く靄の掛かった境内に、二人分の足音が響く。神の歩みは、只踏み出すだけで霧を払い。高位の神と底辺妖怪の格の差を、図らずしも見せつけられる。

 諏訪大社。千年の時を越えて訪れたこの地を、感慨深く眺めては、その懐かしさに胸を詰まらせ。随分と、老け込んでしまった気分である。

 そんな、ある種の感銘に惚ける俺の鼓膜を、慌ただしい足音が揺らした。

 

「神奈子様! あ……」

 

 訪れたのは、一人の少女。随分と幼い……いや、俺の人間としての歳と同じ位か、少し下か。その目に驚きと、不安の色を湛えた彼女に、神奈子は言う。

 

「安心しな、早苗。こいつは、人間じゃない。半分くらいね」

 

 よっ、と。俺の半身を地に降ろし、俺の方を見やる。彼女は、この神社の巫女……否、風祝か。

 風祝とは洩矢神の末裔であり、その秘法を代々受け継ぐ諏訪大社における神職、で、あった筈だ。

 

「お初にお目に掛かります。しがない単車の半妖怪……の人間部分で御座います」

「に、人間部分……?」

 

 首を傾げる彼女。半身の方でも、自己紹介は必要なようだ。

 

「と、妖怪部分で御座います」

「わっ、喋った!?」

 

 何と初々しい反応か。思えば、村紗と初めて出会った時も随分と驚かせたものである。

 

「妖怪を見るのは、初めてですか?」

「ええ……本当に居るんですねぇ」

 

 興味深げに半身を覗き込むも、見た目は普通の単車。妖怪らしさの欠片も無いと言うのに、彼女の目には未知の物に対する好奇の光が灯っていて。瞳を輝かせながら単車を見つめる彼女を尻目に、神奈子が一つ咳をする。

 

「あ、ごめんなさい、つい……私はこの神社の風祝、東風谷早苗です。よろしくお願いしますね」

「こちらこそ、よろしく」

 

 和やかな空気。しかし、俺が今回此処に訪れたのは、幻想郷の手掛かりを見つける為である。早苗から視線を外し、じっと空を見つめる神奈子にへと声を掛ける。

 

「八坂様。今回は、相談があるので御座います」

「……訳あり、ってことね。早苗、タオルを何枚か持って来な」

 

 タオル?

 

「分かりました……けど、何に使うんです?」

 

 空を見上げる神奈子は、此方に視線を合わせる事も無く。只、一言、端的にその意図を告げる。

 

「……雨」

 

 言の葉が俺の耳に届くと同時に、一滴の水がタンクを打ち。降り始めたのは、雪の混じった雨水。

 

「さ、中に入ろうか」

 

 降り注ぐ水滴は、欠片は冷たく。小走りで駆けていった風祝と、ゆっくりと歩き出した神に従い、俺も社の中に身を置いた。

 冷えた木製の床。続く廊下を抜け、案内された部屋はあの時、輝夜が泊まった部屋であった。

 

「……懐かしいねぇ。二人程、面子は足りないけど」

 

 二人というのは、輝夜と諏訪子か。諏訪子は眠っていると聞いたが、どういうことなのか。

 

「洩矢様は……」

「あいつは……信仰が足りなくなってきてね。私と違って、あいつは自然への畏敬から生まれたようなものだから。形を維持するのも、難しくなりつつあってね」

 

 いつか、諏訪子とした会話が思い起こされる。諏訪子の危惧した通り、人は、神を忘れてしまっているらしい。

 

「ま、仕方が無いと言えば、仕方がないのだけどね。あの時は楽しかったよ。お姫さまとも話せたしね」

 

 からからと笑う神奈子。この状況で笑えるのは、彼女の強さか。

 人を導く神が笑っているというのに、俺までが辛気臭い顔をしていられない。不器用に笑みを作っては、彼女の言葉に返事を返す。

 

「あの時は、お世話になりました」

「いいんだよ。輝夜はちゃんと、あっちに送り届けたんだね?」

「ええ。今も元気にしているでしょう」

 

 俺たちの真下、雨に濡れない場所に移動した半身を見下ろしながら、答える。

 ぼうと、雨の落ちる様を眺める俺に、神奈子が、先の話を切り出した。

 

「……それで、相談というのは」

 

 胡座をかいて座る神奈子に倣い、俺もその場に腰を降ろす。

 

「……八坂様は、幻想郷に行く術を知りませんか」

 

 しんと静まる社。雨の音が、やけに大きく聞こえる。

 

「……しってはいるけど、貴方じゃまだ、行けそうにないよ」

「……それは、何故」

 

 凛と。瞳を閉じたまま、神は告げる。それは、俺が一番聞きたくなかった言葉。直視したくなかった事実。

 

「分かっているんだろう? 半分とは言え妖怪の貴方だ。幻想郷への道は、普通ならば自ずと開ける。それが、こうして迷走し続けているのは……」

 

 まだ、この世界に未練があるからさ、と。そう言い放った神奈子は、俺に向き直る。

 

「貴方がまだ、妖怪に成り切っていないから。人間さ。心が此方側にある限り、境界を超えることなど、出来はしない……貴方が、この世界に何の望みを持ってるかなんて、知らないけどね」

 

 言い終えるとまた、雨天の外界に視線を移し、一つ、小さく溜息を吐く。吐息の煙は雨粒に貫かれ、その形を霧散させて。

 今更この世界に未練など、ありはしない。俺の心は幻想郷にこそあるのだと、そう言い聞かせるように胸の中で呟くも、その言葉もまた、雨中に放り出された吐息の如く、何処かに溶けて。

 何を望んでいるのか。この、幻想を捨て去った世界で俺は、何の希望を抱いているのか。

 分からない。何も、何一つとして……

 

「……貴方にはまだ、この世界で出来る事がある。それを見つける事が出来れば、光も見えようさ」

 

 立ち上がる神奈子。対する俺は、何処とも知れぬ場所に視線を置き、座り込んだままで。

 

「……悩め、人の子よ。道は、必ずあるから」

 

 神は、そう言い残してその場を離れ。俺は、この場で一人、思考の海に沈んで。

 俺が、この世界で為すべきこと。俺が、この世界に抱いた未練。混ざり合い、混沌とした思考の中を、迷走し続けて。

 

 雨音に包まれた社。鳴り続く音に混じった足音は、神奈子のものではなくきっと、タオルを取りにいった早苗のものだろう。

 雪の混じった雨は、やはり、俺の思いなどお構い無しに、境内を打ち据え続けていて。

 

 ぽたり、と。一粒の雫が、人の、体の上に落ちた。

 

 

 

 

 



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四十六 弔と鉱

 

 

 主は、今でも笑顔でいてくれているだろうか。友は、今でも元気にしているだろうか。

 

 俺の体はもう、自分の力では動かすことも出来ない。動かす為の妖気が、全く足りないのだ。

 今思えば、俺の体に溜まっていた妖気は、俺に乗った妖怪や、人を超えた力を持った者達から無意識の内に少しずつ、吸収してきたものだったのだろう。本の僅かに残った妖気は全て、この体が、ガソリンが、腐ってしまわぬ為だけに使っている。

 じきに、それも叶わなくなるのだろう。俺は此処で朽ち果て、永い永い迷走にも、終焉が訪れる……

 

 涙など、最早流れはしない。嗚咽の一つさえも、吐き出せはしない。唯々静かに、自身の意識の途絶えるその日を待つだけの生。陰鬱とした暗闇の中で、自慢の紅い体躯は、その色を失い。

 

 しかし。

 俺は、未だに信じている。いつかこの扉が開き、また、幻想郷へと向けて走り出せる日がくる事を。薄暗い倉庫の中で、その日を待ち続けている。

 

 その時、であった。

 

 物置の扉が揺れ、俺の体を、一筋の光が照らしたのは――

 

 

 

 

 

 

 

 紅い車輪も今や、社会を回す歯車の一。安物のスーツに身を包んだ俺は、今日も今日とて深夜の山道を走り抜ける。

 後部座席に座り、俺の腰に手を回すのは一人の少女。その背には、小さな一対の翼。

 

「しっかり捕まってろよ!」

 

 目的地は、もう、目と鼻の先。鬱蒼と夜空を覆う木々に囲まれ、静かにその存在を浮かび上がらせる一つの社。

 鳥居に刻まれた文字は、読むことさえ叶わぬほどに汚れ、摩耗し、その神社が人々に忘れ去られた物であることが見て取れる。

 しかし。俺は、知っている。この社の名を。そして、この社がどんな役目を担っているかを。

 

「着きました、ね」

 

 半身の言葉を聞きながら、鳥居の目の前に半身を停め、ギアをニュートラルに入れる。サイドスタンドを立てた所で、後ろの少女が飛び降りた。

 

「ここ……?」

 

 赤み掛かった瞳は、不安げに俺を見つめ。その不自然な程に白い肌は、人間の持つそれとは違う。

 彼女は、妖怪。幻想郷の外で生まれ、時代の流れに取り残された……俺と同じ、妖怪。

 今までたった一人で生きてきた少女。他の妖怪と会ったこともなければ、誰かと話しをしたことさえ無い。

 幻想郷を知らない世代の妖怪。今の俺は、そんな妖怪を探し、幻想郷について教え、彼等が移住を望んだならば幻想郷にへと送り届ける……そんな、足として動いている。

 

「……お兄さん?」

「ああ、すまない。此処から、幻想郷に入ることが出来る」

 

 この子と出逢って数ヶ月程。初めの内は、この子の警戒心を解き、隠れ家から引っ張り出すことから始まり……やっとのことで、こうして幻想郷の入口まで送り届けることが出来た。

 

「境界を越えろ。お前ならば、それが出来る」

「お兄さんは……?」

 

 消え入るような声。しかし、俺は、彼女の望んだ答えなど持ちはしない。

 俺には、境界を越える資格が無いのだ。此処からは、彼女一人で進まねばならない。

 

「俺は、越えられないんだ。だから」

 

 強く、生きて欲しい。出逢ってから半年にも満たない俺が言えた口では無いが、それでも。

 

「お前なら、大丈夫だ。あっちでの遊びにもついていけるさ。怖い妖怪を見たら人里まで逃げろ。人間の里は、人と妖怪が共存出来る場所だから」

 

 伝えねばならないことは、もう無い。後は、全て、彼女次第。

 危険が増える事を承知で、幻想郷に行くことを……自由を選んだ彼女である。きっと、強かに生きていけることだろう。

 

「……もう、会えないの?」

 

 その姿が、あの時の、月の姫の姿と重なる。小さな驚きと、幽かな感傷は、フルフェイスの下に隠されたまま。俺の動揺などで、彼女の心を揺さぶる必要などは無い。

 

「……会えるさ。だから、元気にして待ってろよ?」

「……うん!」

 

 嘘、になるのだろうか、これは。俺が幻想郷に行く目処などは立ってもいないし、行ける可能性は、限りなく低い。

 しかし、この小さな嘘で彼女が前へと進むならば、それでいいのだろう、なんて。

 鬼に聞かれれば、只ではすまないであろう呟きを、胸の奥に押し込んで。

 

「さあ……行きな。巫女によろしくな」

「うん……またね、お兄さんっ」

 

 少女は、鳥居を、この世界と彼の楽園とを隔てる境界を越える。

 

「……また、な」

 

 その声は、誰かに届くことも無く。誰もいない神社、その目の前に取り残された俺は、一人。博麗の社に、背を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、今。

 安いボロアパート、散らかり切った一室で、ベッドの上に寝転がり、読み古した本で視界を塞いで寝息を立てる様を、窓の外から眺める。

 我が半身も、いつの間にやら随分と老けたものである。見た目はまだ『お兄さん』かも知れないが、その内面はどう見ても『おっさん』である。俺と分離してからというもの、その傾向が顕著に現れている。

 

「まあ、仕方がないのだろうけれど」

 

 妖怪と言えど、我が半身は紛う事無く人間で。妖としての力も幻想郷の外では殆ど残っておらず、歳だって普通の人間と同じように取る。変わらぬままでいる、なんてことが叶うはずがないのだ。

 この生が続く間に、幻想郷にへと辿り着くことが出来るのか。俺にあるというこの世界に対する未練を、晴らすことは出来るのか。

 その未練が何なのかも分からないまま。こうして逡巡の中で立ち止まってしまっている。

 

 申し訳程度に立った街路樹が、風に揺れてざわめき。駆り立てられる焦燥感が、俺の心を苛む。

 

 幻想郷に行けない俺が選んだのは、せめてこの地で幻想を見付け、彼等の生きる術を模索するために動く日々。余計なお世話かも知れない。そして、はっきりと言えば、これは俺のエゴに他ならないのである。

 幻想の消えゆく世界で、俺に出来る事を探した結果。それが、本当に俺が為すべき事なのかも分かりはせず。考えた所で答えなど見つかりもせず。

 自問自答の渦に呑まれたまま。迷走は極まり、迷い、迷い……

 

「ちょっと、よろしいですか?」

 

 不意に、声が掛かる。それは、脳髄に響くような深く、澄んだ女性の声……

 

「こんにちは、単車さん。お久しぶりですわ」

 

 幻想郷の根幹。境界の妖。

 八雲紫は、幻想の外に確かに、いた。

 

 

 

 

 

 

 半身に叩き起こされ、記憶を辿ればそこに、懐かしの妖怪の姿があって。アパートから転がり出れば、其処には彼女が、微笑みを湛えながら立っていて。

 八雲、紫。幻想郷の賢者。彼女が、俺の元に訪れてくれるなんて。感極まる余りに、口元が綻ぶ。

 

「紫殿……!」

「久しぶりね……えっと……」

「単車で構いませんよ。お久しぶりです」

 

 最後にあったのは、いつのことか。彼女の胡散臭さが、妙に心地良い。

 

「所で、何体かの妖怪が、貴方らしき人のことを語っていましたけど……」

「多分、私の事ですね。何か、出来る事は無いかと探した結果……です」

 

 俺に出来ることなど、そのくらいのものだったのだ。まさか、拙いことであったかと身構える俺に、八雲紫は微笑みかける。

 

「大丈夫よ。寧ろ、此方に取り残された仲間たちを案内してくれて、感謝したいくらいですわ……それで、故郷での暮らしはどうかしら? 此方は科学が進んでいるから、幻想郷とは勝手が違うでしょうけど」

 

 その言葉に胸を撫で下ろし、その言葉へと返事を返す。何も変わった事などない。為すことは人を、妖怪を乗せては走るだけ。

 

「まあ……変わりない、ですよ。出来るならば、其方に戻りたいですがね」

 

 言葉には、幽かな希望を乗せて。彼女ならば、この願いを叶える事も出来るだろう。しかし、俺自身はこの望みが叶うとは思っていない。

 まだ、足りないのだ。俺は、この世界で為すべきことを為していない。

 

「ふふっ、そう思いつめないでよろしくてよ。いずれ、時が来れば貴方は幻想郷にへと訪れる……まだ、その時が来ていないだけ。だから」

 

 今は、自分のしたいように。そう、俺に投げかけて紫は背後にスキマを開く。

 境界の向こう。映るのは、やけに緑が多い世界……そして、その中で一際異彩を放つ、紅。

 俺の変えるべき場所。

 

「また、会いましょう。今度は幻想の淵で……あと」

 

 一拍の間。その沈黙も、永くは続かず。

 

「私を、よろしくね」

 

 言い残した言葉は、アスファルトの上に転がり。俺がその意味を理解する間も無く、幻想の妖怪は、境界に呑まれて。

 

 人けのない世界。残された俺は空を仰ぎ、一つ、息を吐く。吐いた溜息は、諦めや絶望によるものではない。これは、次に進むための小休止。これからアクセルを開き、地を駆ける為の予備動作。

 また、走ってゆける。幻想に呼ばれるその日まで、俺は、この世界で生きていける。この世界に対する未練を晴らし、また、楽園へと。

 

 冷め切らぬ心の昂ぶりをそのままに、俺はヘルメットを被り。

 半身たる単車に乗り込み、力強くエンジンを掛けた。

 

 

 

 

 







 短いながらも。


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四十七 秘と鉄

 

 

 血色の良い小太りの男性が、物置の扉を強引に開く。随分と長い間、開かずの間と化してしまっていたらしい小屋の中に並ぶのは、錆の回った農具や、埃を被った時代遅れな大型家電の群れ。陰鬱とした空間から溢れ出した湿気と黴臭さに顔を顰めるも、視界に飛び込んできた目当ての物を見付けて口元を綻ばせる。態々東京までやって来たかいがあった、と。

 

「綺麗……」

 

 鈍く輝く、紅色の金属。銀のメッキは所々に微かな錆が回っているものの、その輝きは失われることもなく。この、暗いガラクタ置き場には似つかわしくない様相で、そこに静かに鎮座していた。

 

「動きはしないだろうけどね。何せ、最後に乗ったのは二十年近く前な上に、相当古い車種だからな」

「まだ、直せると思う?」

「さあ。直ったら奇跡、かな」

 

 この男性……私の伯父にあたる……は、言う。なんでも、伯父さん自身もこの単車を親戚から譲り受けたらしく、その親戚もまた、別の人から貰い受け……と。何人もの人の間を巡り巡ってきたバイクとのこと。生産終了してから既に百年は経っていると言うあたり、こうして現存していること自体が奇跡に思えてくる。

 百年。言うだけならば、須臾の時。しかし、実際に流れた時間は、私の想像を、許容を遥かに越える永い、永いもの。刻まれて来た時間が生み出したドラマの数は、きっと星の数のように……なんて。

 星を見て時を知るからと言って、似合わない台詞は吐くものではない。言葉は胸の奥に仕舞ったまま。シートに積もった埃を払い、目の前に鎮まる車体にへと跨る。

 

「一応、エンジン掛けてみるね」

「バッテリーが上がってる筈だから、掛かりはしないよ」

「一応よ、一応。キーを頂戴」

 

 呆れ顏で手の中に落とされた真鍮の金属片を鍵穴に差し込み、回す。ずっと使われていなかったと言うのが嘘と思える程に安々と回る鍵。そして……

 

「……っ、え……?」

 

 呆けた声は、何方のものだったか。バッテリーが上がっている筈だと言うのに点灯した、ニュートラルランプ。緑色に輝くそれは、何処か妖しく光を放っていて。

 

「まさか……」

 

 しかし、バッテリーが上がっていないからと言って、ガソリンは既に腐ってしまっている筈で。当の昔に変質したガソリンが詰まって、不具合無く動き出すなんて筈は無い。

 意を決して私は、エンジンスターターのスイッチを強く、押し込み――

 

 

 

 

 

 ――――途端に響き渡る、爆音。

 力強い鼓動は、無機質の癖に何処か生物的な響きをもって、鼓膜を、大気を揺らす。

 

「ありえない……どうして……?」

「……実は整備しておきました、なんてオチは?」

「断じて無い」

 

 まあ、今時この東京で単車に乗る者など両手の指で数え切るほどしかいないのだろうけど。折り曲げるその指の中に、私の伯父は含まれていない筈である。

 ならば、何故。運命なんて言葉で全てを片付けてしまえるのは、魔術師くらいのもの。生憎と私はその対極に当たる物理学者にあたり。求める真理は同一のものであれど、行き着く過程は別のもの。しかし。

 ありえない。これは物理を学ぶものとしての意見と言うより、一般人たる私の常識がもたらす感想である。

 

「……本当に、貰っていいのよね」

「構わないよ。ただ……」

「大丈夫。一応、メンテナンスして貰うから」

 

 もし、何らかの条件が合わさった事でバッテリー切れが防がれたならば。そしてもし、同様にガソリンの変質が防がれたのであれば……

 そこから導き出される確率は、きっと天文学的な数字となることは間違いない。そしてそれは、完全な管理と綿密に組まれた理論の下に起こるもの。こんな、管理も何もあったものではないような物置で起こるような安っぽいものではない。

 私の目が映し出す、世界の座標とその時刻。もしかするとこの単車は、私と同じく、未だ物理学では到達していない事象を抱いた存在なのかもしれない。

 ならば、私が臆する訳にはいかないというものだろう。

 

「貰っていくわ。乗って帰りたいのだけど、ヘルメットはある?」

 

 紅い単車は、私の手に。二人だけのオカルトサークル、秘封倶楽部が部長、宇佐見蓮子の手の中に。

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

『そんなわけでメリー。バイクを手に入れたのだけど』

 

 手の中の電子機器が、彼女の肉声に限りなくに近い音を発して、私の安眠を妨害する。

 夢現、頭の中に霧のかかったような意識の中。何とか携帯に手を伸ばして彼女の声を受信することに成功するも、彼女の話を全て聞き取り、記録するだけの余裕なんてものは無く。うつらうつらと彼女の小冒険譚を聞きながら、欠伸を一つ。

 

『ちょっと、聞いてるメリー? 起きてる?』

「大丈夫……蓮子がバイクに轢かれて真っ赤になったのよね……」

『ポイントは押さえてるけど、概要はてんで駄目ね』

 

 呆れた口調で言う蓮子。呆れるのは私の方である。

 今は、朝の四時。私は日の上がらぬ内に魚を追い求めて海へ繰り出す漁師でもなければ、人々の起きる前に商品を並べるパン屋でもない。ましてや、今日は日曜日。私の安眠は何処へ消えた。

 

「……蓮子、ごめん、切っていい?」

『何その唐突な殺人予告。辻斬り?』

「もう、眠くて仕方がないの。いえ、早起きは良いことだと思うけれど、今はまだ起きる時間ではないのよ。蓮子も東京に行った直後で疲れているでしょう? また後で付き合ってあげるから、だから今は、ね」

『待っ』

 

 聞き取りにくい早口でまくしたて、通話終了のボタンを押す。蓮子には申し訳ないけれど、睡眠欲には勝てない。夢を見ては幻想の世界へと足を踏み出す私とは言え、眠らないことには体力、気力の回復は図れないのだ。

 カーテンの向こうは、未だに暗いまま。眠気も未だ、この瞼の上に乗ったまま。まだ、私の安眠は、手の届く場所に存在している。

 

「く、うぅ……おやすみ、蓮子……」

 

 布団の中で一つ、伸びをして。先程まで電話の向こうにいた蓮子に届きもしない言葉をかける。私の視界は黒に染まり、また、安楽な夢の世界へ……

 

 

 その時、であった。

 聞き慣れない駆動音が、そのけたたましい爆音を響かせながら近付いて来たのは。

 

「……ま、さか……」

 

 冗談だろう。きっと、別人に違いない。アパートの目の前で音は止まったけれども、あれは蓮子ではない。

 そんな、希望的な予測に意識を向けたまま、布団を目深に被る。このまま眠ってしまえば、私の勝利。たとえアレが蓮子であろうと、寝てしまえば後で何とでも言い訳は出来る。今は、今だけは大切な相棒と言えど、無視を決め込むのだ。

 

「メリー!」

 

 聞こえない。何も聞こえない。

 耳障りなインターホンの連打は、私をこの居心地の良い闇の中から引きずり出そうと、頭の中で反響する。大声で呼びかける声は近所迷惑など考えてもいないのであろう、私を呼び出す事だけを視界に映して吠え立てる。

 こうなれば、私も自棄だ。ここで出てしまえば、味を占めた蓮子がこれからも、明け方に襲来することになるであろうことが用意に想像出来る。そんな運命を回避する為に、私は断固として彼女に応じない。

 

「メリー! 居るのは分かってるのよ! 観念しなさい!」

 

 借金取りか、と。思わず突っ込みそうになった自身を抑えこみ、枕で耳を塞ぐ。

 いずれ、蓮子も諦める。それまではこの薄暗い室内で、敵の攻撃から身を守るのだ。地下鉄に逃げ込んだ紳士達の如く、私の安眠をこの爆撃から守り抜くのである。

 

 そんな、熾烈な防衛戦がどれだけの間続いたか。私は、一つの異変に気付く。

 

「……あれ……?」

 

 枕を抱きしめる私を他所に、あれ程激しく鳴り響いていたサイレンと、敵軍の降伏勧告が嘘のように消えていて。あるのは嵐の後のように静まり返った自室のみ。恐る恐る布団から顔を出して見ても、何の変化も訪れない。

 

「諦めたのかしら……」

 

 遂に、その攻撃が無駄なものであると言うことを悟ったのか。それとも、朝食を取りに近くのコンビニにでも向かったのか。何方にせよ、宇佐見蓮子という爆撃機は、私の部屋をその射程から外したようであった。

 

「……ふう……」

 

 漏れ出た溜息は、戦いの激しさを憂うものなのか。随分と長い戦闘に思えたが、時計を見れば五分経つか否かと言った所で。早朝から迷惑を掛けてしまった隣人には、後で謝罪の一つも入れる必要があるだろう。

 兎角、今は。蓮子との戦いの疲れを癒す為に一旦、休息を。

 再び被った布団の中で、また、意識を闇に放って。

 

「……疲れ、た……ッ……!?」

 

 

 刹那。鳴り響いたクラクションの音に、私はドアの向こうへと飛び出した。

 

 

 

 

 

 そして。したり顔でバイクに跨る蓮子を引きずり降ろしたり、早過ぎる朝食を取ったりと。一時間程の時は流れ、今、私は彼女と共に件の単車の前に立っていた。

 先に見た時は暗くてよく分からなかったが、日も登り始めた今ではそれが、鮮やかな紅色で染め上げられているのが見て取れる。

 

「随分と派手なのね」

「まあ、この単車を選んだ遠い親戚の趣味だけどね」

 

 きっと、その人の嗜好は子供っぽく、それでいて人の見る目よりも自分の好きなものを重視する人だったのだろう。それはそう、いつか見た夢の、紅い屋敷のお嬢さんのように。

 

「って、蓮子って免許持ってたのね」

「まあね。バイクなんて乗る機会が無かったから、持ち腐れだったけど」

 

 朝日に輝く紅い光沢の上で、若干眠たげな白黒は言う。なんでも、東京から京都までバイクに乗って帰って来て、荷物だけ置いて此処にやって来たとのこと。どれだけ、このバイクを私に見せたかったのか。

 

「……仮眠を取ってから来てもよかったでしょうに」

「まあ、それでも良かったのだけどね。唯、メリーの目ならこの単車から、何か見えるんじゃないかと思って」

「見える?」

 

 見えると言うことは、このバイクは何か、曰く付きの物なのか。

 

「ちょっと、不思議なの。何年も整備されずに放って置かれても安々と動くし、バッテリーすら切れてない。ガソリンの変質も無し。貴女は、これを聞いてどう思うかしら」

 

 蓮子は、言う。彼女の大好きな科学的な視点から見れば、きっとありえないことなのだろう。しかし、このバイクが現に、そういった状態にあるのであれば。

 答えるべき単語は、一つしかない。

 

「奇跡、なんじゃないの。運命的ね」

 

 聞くが早いか、分かっていたとでも言いたげな目で私を見る蓮子。技とらしい溜息が一々癇に障る。

 

「科学的にありえないものは、やっぱりありえないのよメリー。ましてや、科学で動く道具がその法則から外れて動ける筈がない。そう思わない?」

「現に動いているじゃないの、このバイク。それに、そんなことを言ったら私の目と貴女の目も同じようなものだわ」

「そう、だから」

 

 蓮子の視線は、紅い鉄の塊へと向け。私も、その視線を追った。

 

「私はこの単車が、人知を越えた力を秘めているのではないかと考えたのよ。科学ではまだ追いつけていない、だけど確かに存在する未知の力。それこそ、私たちと同じような、ね」

 

 彼女は、笑う。その瞳に湛えた輝きは、知的欲求と好奇心。まだ見ぬ未知を求めて手を伸ばす、科学者の姿。

 つまりは。彼女は私の目を使い、この単車の秘めた神秘性の向こう側を、覗き見たいということらしい。

 その為だけに、寝る間も惜しんで私の元に訪れる辺り、その欲求の強さがどれほどのものかが伺い知れる。小さな尊敬と、大きな呆れ。その二つの意味を込めて一つの、大きく溜息を吐いた。

 

「……分かったわ。ちょっと、見てみる」

「それでこそメリーだわ。終わったらちょっと、仮眠取らせてね」

「図々しいにも程があるわね……っと」

 

 会話を止め、紅い鉄塊を見つめる。

 様々な結界の境界を捉える私の瞳。その瞳を通して、このバイクが抱いた境界線を、色鮮やかに映し出すのだ。

 十秒、二十秒、と。物言わぬ鉄塊を睨み続ける私は、傍から見れば随分とおかしな人物に見えることだろう。しかし、もう少し。あと少しで、この微小な境目を暴く事が出来る。

 

「……見えそう……蓮子」

「了解」

 

 蓮子が私の右の手を取り、その目にかざす。これで、蓮子にも私の見る景色が伝わるだろう。イザナギプレートの破片を探し始めてからは、この力を使う機会も多くなった。少しずつ強まりつつある力に僅かな恐れを抱きながらも、怯むことなく鉄塊と向き合う。

 段々と視界に映り始めた、一本の紫線。それが、このバイクの内包する境界線。

 

「メリー」

「あったわね……何の境界なのかしら」

 

 紅い体躯に張り付いた、紫色の亀裂。毒々しいカラーリングは、この単車が私達の目には映らない二面性を孕んでいる証拠。それは、()が歩んで来た物語を隠し、秘密を封じた……

 

「……彼?」

「え? なんか言った?」

「いえ……何でも、ない」

 

 何故、彼という言葉が浮かんだのか。この単車は間違いなく、物。意識など無ければ、人格すらも存在しえない道具。なのに、何故。

 境界を暴くのは、言わば第六感によるものである。それは、蓮子が時刻を、座標を読み取るのも同じ。感覚的に読み取った情報こそが全てなのである。

 ならば、私が感じた……彼への人格は、何を表しているのか。この単車に隠されたそれは、一体何なのか。

 見てみたい。この、不可思議な単車の隠した幻想を。

 

「もう少し……もう、少し……」

 

 目を凝らすだけでは、境界までの距離は縮まらず。私は、空いた左手を鉄の塊へと伸ばし……

 

「ッ……!?」

 

 ばちり、と。

 冷たい鉄に触れた途端、強烈な静電気に弾かれたように、私の体はびくりと震え。思わず閉じてしまった目は、視界を黒く染め上げた。

 

「メリー!?」

 

 蓮子が、私を呼ぶ。しかし、その声は唯、この暗闇に落ちていくばかりで。

 左手に感じる無機質な感触は、たった今暴こうとしていた結界の持ち主のものか。手を離そうとしても叶わず、目を開ける事さえままならない。唯一感じ取れるのは、蓮子が握る右手の感覚のみ。しかし、それも徐々に離れゆき。

 

 暗い、暗い空間。私の意識は図らずも、境界を越えてしまったらしい。

 目が閉じているのか開いているのさえ分からず、唯々暗く、静寂に包まれた空間に一人、立ち尽くす。

 

「……蓮子ー?」

 

 声は、沈黙に呑まれて。言葉は、一つたりとて返っては来なーー

 

『…………』

「ーーえっ?」

 

 幽かに、誰かの声が耳へと届く。それは、耳鳴りや幻聴ではなく、確かに、誰かの囁く声で。

 

「誰? 誰かいるの?」

『……貴女は……』

「私? 私は、マエリベリー・ハーン。メリーで結構よ」

『メリー……?』

 

 言葉は、少なく。唯、そこに相手の意思だけは感じて。

 無機質の道具に封印されていた、境界の向こう。そこにいた彼は、一体何者なのか。

 

「貴方は、誰?」

『私は……単車』

「単車? このバイクのこと?」

 

 顔も見えない相手は、言う。いや、彼が本当にこのバイクに宿った人格ならば、顔や、姿なんて概念自体、存在しないのであろう。

 しかし。

 

『ええ……やっと、見つけましたよ…………殿……』

 

 確かに、彼は微笑んでいて。

 彼の最後の呟きは、僅かに聞き取れず。その言葉が、喜悦の情が何を意味するのかも分からないまま。

 

 私の視界は、白く、白く、染まった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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四十八 捌と鉄

 

 

 

 見慣れた天井。

 開かれた瞳は虚空を穿ち、視線は、宙を泳いで。暫くふらふらと揺れ動いた後、私の二つの眼光は、不安を湛えた我が相棒の瞳と行き逢った。

 

「メリー!」

 

 聞き慣れた声が、私を呼ぶ。いつの間に床に伏したのか、私の体はベッドの上に横たわり、私の視線は彼女のそれと比べて随分と低くて。

 開いた窓から差し込む日の光が、見下ろす彼女を黒く浮かび上がらせていた。

 

「蓮、子……」

「気がついたのね。よかった……」

 

 どうやら、境界を越えると同時に気絶していたらしい。

 彼女のその表情は逆光の所為でよく見えないが、しかし、その声に浮かび上がった安堵の色から伺うに、それなりに心配はしてくれていたらしい。

 少しばかりの気恥ずかしさを憶えながら、私の体に掛けられたブランケットを除けて、彼女の手を借りゆっくりと立ち上がる。視線は、いつも通り彼女と同じ高さに。いつも通り、彼女の傍に。

 

「……もう。一人で突っ走らないでよ。せめて、私の手の届くところにいてよね」

「……分かった。約束する」

 

 そう、二人で笑いあって。私は、自分が置かれていた状況を思い出す。

 

「あのバイクは?」

「表に停めてあるけれど……一体、何が視えたの?」

 

 ベッドに座り直しつつ、そう尋ねる蓮子を見やる。その貌から伺えるのはやはり、知的欲求による好奇心ばかりで。彼女のその気質を頼もしく思いながら、先程出会った存在のことについて口を開く。

 

「まず率直に言えば、あの単車には意思があるわ。人格が存在している」

「……それは、単車自体の人格? それとも、何か憑いているの?」

「さあ、詳しくは分からないけど……恨みとか、そういうのは感じなかったかな」

 

 怨みを抱いて死んだ者が、あのよに笑えるとは考えにくい。彼が怨霊の類ならば、境界を越えてまで接触した私は今頃、無事では済まなかっただろう。それに。

 あの単車は確かに、見つけた、と、言ったのだ。

 一体、何を見つけたというのか。それに心当たりが無いと言うほどに、私は鈍感ではないつもりである。

 

「蓮子、行くわよ」

「え、いきなりどうしたの?」

「さっきのバイク。彼は、私のことを知っているみたいなの」

 

 半ば引ったくるように上着を手に取り、蓮子の手を引くのも忘れない。

 

「貴女のことを知ってるって? そに、バイクの人格が何なのかも……」

「行けば分かるわ! ほら、早く靴を履いて」

 

 靴紐も結べぬままの蓮子。戸惑いを多分に含んだ表情から察するに、まだ、私の挙動について来ることが出来ていないと見える。いつも振り回すのは蓮子なのだから、今日くらいは私が振り回しても良いだろう。彼女の手の、届く範囲でならば。

 彼女の手を握ったまま、扉を抜け。私と蓮子は再び、紅い鉄塊の前にへと降り立った――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――境界の先。

 

 どこまでも、どこまでも白い世界。色を失った冷たさも無ければ、光に溢れた眩しさも無い、そんな世界。

 先に境目を超えた時には体の感覚さえ無かったと言うのに、今は目を開いている実感もあれば、その開いた眼で自身の手を見つめることも出来て。目覚めたばかりの赤子のような、真っ新な意識の中で私は、視界の中で掌を握り、開きを繰り返してみる。

 体に、異常はない。思考も、また。

 

「メリー」

「蓮子」

 

 今度はちゃんと、蓮子と共に。片手に加わる負荷は心地よく。そこに相棒がいるという事実は、私の心を支えるとともに強い安心感を生じさせ。

 彼女とならば、何処まででも行ける。そんな、錯覚めいた自信と共に、この世界に立つ。

 

 白い、白い世界。

 唯々、白い世界。

 

「紫殿……いえ、メリー嬢。そして……」

 

 不意に掛かる、男性の声。ユカリなんて名前は知らないが、そこには、確かに私の名も含まれていて。

 

「蓮子。宇佐見蓮子」

「はじめまして……ですね。蓮子嬢」

 

 初対面の二人。私達二人揃っての人外との遭遇は、考えてみれば初めてになるのか。トリフネで出会したキマイラを含めるならば、二度目ということになるが。

 

「……単車さん、ね」

「ええ。私は、単車の妖怪。貴女方は……」

「秘封倶楽部。この世の結界を暴き、その先を覗き見るオカルトサークルよ」

 

 何処から聞こえてくるのかも知れぬ声に返事をする。きっと、この空間自体が彼の、その人格そのものなのであろうと結論付け。何処を向いて話すべきかという逡巡を経て、結局、動くことなく真っ直ぐに前を見据えることを選んだ。

 

「……それで、貴女方は何故、私に気付いたんで? そう簡単には見つかるまい、と思っていたのですが……」

「私には、結界の境目を見る力があるの。貴方の意識が作り出した結界も、ちゃんと見えていたわ……まあ、貴方がその辺の、只の道具と違うことに気付いたのは、こっち」

「蓮子嬢……?」

「貴方の、今の持ち主よ。私みたいな気持ちの悪い目の持ち主ね。見えるものは別物だけど」

「気持ち悪いは余計よ」

 

 彼……この単車を見るようにと言い出したのは、他でもない蓮子、その人で。彼女が私と彼を引き合わせることがなければ、こうして会話をする機会も、永遠になかったであろう。

 

「そう、ですか……私はまた、良い主人と出会えたようで……」

「ええ。良い主人だと思うわ。物使いは限りなく荒いだろうけど」

 

 くすくすと笑い、釣られたように彼も笑う。むすりと遺憾の意を示す蓮子を傍に置き、笑い合う人妖。妖怪と言えども、その心情の移り変わりは人間たる私達と、さほど違いは無いらしい。

 和やかな雰囲気。しかし、その暖かな時間も長くは続かず。再び口を開いた彼が紡ぐ言葉は、何処までも真剣な口調で。

 

「……メリー嬢。少し、話があります」

「……何かしら」

 

 白い世界。その、白く染まり切った世界の中でなお、白く光を放つ人型が、私の前にふわりと降り立つ。彼の自我の形、なのだろう。

 

「まずは質問、よろしいでしょうか」

「……いいわ」

 

 落ち着いた声。静まり返った世界に響く、深く澄んだ、人を超えてしまった者の紡ぐ音色。

 

「貴女は、人間ですか?」

 

「ッ……」

 

 そんな、心の奥にまで響き渡るような声で以て投げかけられた問は、答えの分かり切ったもので。人間でなければ、私は一体何者なのか。何故か蓮子が怯んでいるが、何だというのだろう。

 

「勿論、人間よ。少しだけおかしな力は持っているけれどね」

「……左様、ですか」

 

 少しだけ、世界が、彼の姿が、灰色に曇る。きっと、この世界に満ちる色は彼の心情を表しているのだろうと推測した。精神学を学ぶ者としても、滅多に体験できない意識、そのもの。好奇心と興味深さが合わさって、目的地も見えないままの私の背中を押そうとする。

 

「……蓮子嬢、少しだけ、席を外して頂いても……?」

 

 彼の言葉に、蓮子が視線を此方に向ける。何か、彼女がいて不都合が生じるのか。

 

「……少しばかり、話があるのです。メリー嬢に」

「……話があるのならば、蓮子も一緒じゃ駄目かしら」

「……後悔することになりますよ。多分」

 

 後悔。つまり、今から語られるそれは、私と蓮子の間に溝を作り出す言葉であることに違いなく。彼が何を言うつもりかは知らないが、それを聞くことに一つの、躊躇いが生じる。

 

「私は、聞かないほうが良いと思いますよ。知らぬが仏、友情は美しきままに。きっと、貴女方の友情に終焉をもたらすでしょう」

 

 芝居掛かった口調は、私達の行く末を視て嗤うものか、それとも素か。何れにせよ、此方の神経を逆撫ですることには変わりない。

 

「……メリー」

「蓮子……聞きたいなら、聞いても良いわ。私には決めれそうにないから」

 

 暫しの逡巡。少しの間続いた彼女の戸惑いは、終わり。

 

「……分かった」

 

 

 彼女は一度、その目を閉じて。その目に有った惑いは、何処へ消えたのか。再び開いた眼には、迷いを断ち切った決意が浮かび。いつも通りの、前を見据えて突き進む宇佐見蓮子が、そこにいた。

 

「私も、その話を聞くわ。メリーだけを何処か遠くになんて、やらないんだから」

「……ありがと、蓮子」

「ん……」

 

 少しだけ気恥ずかしそうに。頬を掻く彼女の横顔を頼もしく、また、誇らしくおもいながら、白い単車の意思を見つめる。

 

「そういうことだから。蓮子にも話を聞かせて頂戴」

「……本当の本当に、聞きますか? これが、最後の戻り道ですよ」

 

 続く彼の忠告に、彼女と目配せをして。

 

「教えて。蓮子と一緒に」

「聞かせて。メリーと一緒に」

 

 重なる声に、思わず笑みが零れる。やはり、私は彼女の横が定位置のようだ、と。

 

「……止めましたからね。二度も……」

 

 諦めたような声に、曇る世界。しかし、そんな曇りも一瞬の後に晴れ渡り。

 

「ならば、お話しましょう。私がメリー嬢に伝えねばならない、そのことを」

 

 気取った口調は、小さな人間に対する妖怪の余裕か。先程まで引き止めていたというのに、いざ話すとなれば何処か愉快げなのは、人にあらざる者の性か。

 

「まずは、私の辿った軌跡の一部。少しばかり長いやもしれませぬが、一つ、掻い摘んで……」

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 くるり、くるりと。

 使い古された比喩表現の類ではなく、世界が回る。まるで東海道線のパノラマのように、彼の話に合わせて移り変わる景色。此処がどういった空間なのかは分からないけれど、相対性精神学を学ぶメリーならば、この空間がなんたるかまで見通しているのかもしれない。

 しかし、これは本の序章。彼の辿った軌跡の上映は、まだ、本題では無いはずで。

 

 ――貴女は、人間ですか?

 

 彼の言葉が、頭の中で反響する。

 あれはきっと、メリーの今の状態を表した言葉。私が日々感じていた、彼女が遠くに離れて行く感覚。それは、やはり現実のものであったのだろう。

 

 ならば、彼がメリーに伝えたいこととは、一体何か。彼女が妖怪と成り果てたとして、彼は、彼女に何を語ろうというのか。

 

「時は経ち、現代。幻想郷から弾き出された私は、幻想郷に戻るために右往左往、この外の世界を走り回り……」

 

 隣では、メリーが欠伸をしている。彼の語る口調は更に芝居掛かり、この中で焦りを感じているのが私だけだということに気付く。

 緊張感の無い雰囲気。しかし、事は着々と進んでいる。

 まさに、時間のように。誰も気に留めず、しかし、必ず刻み行く時の流れのように。東北人なみにのんびりしているメリーは騙せようと、時を見る私を欺くことなど、出来ない。させない。

 

「……それで、私は始めたので御座います……して」

 

 一拍の間。止まった時間。彼の紡ぐ言葉に見えた切れ目は、場面の転換の合図に他ならなく。

 

「覚悟は、出来ていますか? 続きを聞く、覚悟は」

 

 彼の口調が強くなる。それは、今までの序章をかなぐり捨てる開幕ベルのように。

 黙り切った私たちの反応を肯定の意と捉えたのか、彼はまた、その続きを告げ始める。

 

「私は、始めたので御座います。この世界に取り残された妖怪達……そんな妖怪達を、幻想郷に送り届ける役目を」

「……まって、それって……」

 

 ああ。

 

「ええ、貴女が想像している通りですよ、蓮子嬢」

 

 嘘。そんなの、認められるわけがない。

 

「メリー嬢」

「メリー!」

 

 未だ話について来れていない彼女の手を取り、光を放つ人型を蹴り倒す。

 

「ぐぇっ」

「蓮子!?」

「逃げるわよ、メリー! 早く、境界の外へ!」

 

 慌てふためくメリーの手を、両手で握り。彼女の瞳を視線で捉え、理解してくれる事を望み。

 

「……分かった。しっかり掴まっていて……」

 

 私とメリーが、淡い光を放ち始める。単車の人格は、何事か呻きながら私たちへと手を伸ばす。

 

「待……」

「ごめんなさい、単車さん。またいつか!」

「もう、会う事もないだろうけど!」

 

 そうして、私たちは。

 白色の世界を越え、現世へ……

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 

 やられた。

 

 俺の意識から離れた彼女達は、俺の元から離れ。逃げ去り際に放たれた蓮子の蹴りにより、車体は倒れて起き上がれない始末。本当、齢千を越えた妖怪が情けない。

 

 マエリベリー・ハーン。彼女を幻想郷にへと引きずり込む、それが、俺に与えられた仕事なのだろう。少々気は進まないが、他ならない紫からの頼みならば、断る事など出来やしまい。

 

 駆け行く二人の少女は、小さくなりゆき。世界には、俺一台(ひとり)が取り残されて。

 

 もう、時間もあまり残されていない。なけなしの妖気を以て車体を起こし、ずれたミラーの位置を調節し、滾々と黒い煙を吐き出しながら。

 

 消えた二人の後を追って……否。

 

 若かりし日の八雲紫を追って、俺は、轟々とエンジン音を響かせた。

 

 

 

 

 



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四十九  と蓮

 

 

 雀の鳴く声はどうやら、時代が進み世界が狂えど変わらぬものの一つなようで。

 ようよう白くなりゆく外界を見たところでその光景が、歌人でも詩人でもない私の琴線に触れることなどもなく。唯々、疲れの取れないままの体を必死に伸ばしては、眠たげなあくびを吐くことだけに徹して。

 体の緊張を無理やりに解くも、思考だけは活性化したまま。私の意識はまた、たった一つの悩みへと向く。

 

 幻想郷。単車。過去。現実。

 

 ――妖怪。

 

 様々な単語が頭の中を飛び交い、私の思考を乱して舞う。情報の波は小さな人間の脳内で膨れ上がり、暴れ回り、私の意識をつつきまわしては覚醒に追いやり。

 

 また、眠れぬままに日の出を迎えた。ベッドで眠るメリーは、その寝息を乱すことなくそこに横たわり。こういう時ばかりは、彼女のマイペースさが羨ましい。

 私とメリーがあの単車から逃げ出して一週間程。とりあえずメリーを私の部屋に泊まらせて単車から隠してはいるものの、いつ見つかるかと不安でならない。東京から帰ってきた際、私は車道に単車を残し、細い道の入り組んだ先にあるこの部屋に荷物を置きに来たこともあり、家の位置は割れていない筈。しかし、あの単車が近くにいるのは間違いないのだ。

 数日前に確認しに行ってみた時、あの単車は既に影も形も無く。誰かが持って行った、なんて楽観的な予想を立てれる程に私はおめでたい頭はしていない。きっと、アレは一人で勝手に動き回ることが出来るのだろう。今も、メリーを探し求めて彷徨っているに違いない。

 動き回る思考。結論の出ない堂々巡り。とりあえず今は、そんな思考をかなぐり捨て。

 

「朝ご飯……」

 

 仄かな眠気を瞼で押しやり、私は。二人分の朝食を作る為に、立ち上がったのであった。

 

 

 

 

 

「で、何か変化は無い? メリー」

「んー、夢を見ることが多くなったかな?」

 

 私の作った目玉焼きを頬張りながら、彼女は言う。睡眠時間が足りていない私よりも眠そうなのは、彼女のもつ能力故か、単に性分か。少しだけ脱力しながら、コップに注いだ麦茶を飲み干す。

 

「どんな夢を見たの?」

「えっと……竹とか。紅い館とか……」

「前にも言ってたわね、そんな夢」

「そう。でも、他にも見たわよ。人間のいる里や妖怪だらけの山とか」

 

 容器からまた新たな麦茶を注ぎながら、彼女の話に耳を傾ける。

 メリーの見る夢の世界が、幻想郷なのだろうか。ならば彼女の夢は、彼女がまた幻想郷に近付いたことを指すのか。

 あの日以来。あの単車の意識に触れて以来、メリーの力は更に強くなった気がしてならない。同じ妖怪に触れたことで、彼女の力が呼び起こされたのか――

 

 ――同じ、妖怪?

 

「ッ!」

「……? 蓮子、どうかした?」

 

 何を。私は今、何を考えた?

 メリーのことを……無二の親友のことを、妖怪、と……

 

「ねぇ、蓮子? おーい」

 

 メリーの呼ぶ声が聞こえる。その声には緊張感を欠片程さえ見出すことも出来なければ、私の思考を読み取り、軽蔑の意を孕ませることも無く。しかし、それがまた一層、私の心を締め付けて。

 

「……なんでも、ない……」

 

 やっとの事で絞り出した声は、震えていて。彼女の目を見る事さえも出来ずに私は、卑屈に、コップ中のお茶を啜った。

 

 

 

 

 

 

 そして、家に籠ったまま時は過ぎ。大学から出された宿題をしたり、テレビを見たり。気付いた時には既に日は暮れ、今に至り。

 薄暗い部屋には、夕日が差し込み。夜の帳が顔を覗かせつつある夜空を、薄いカーテン越しに見上げて一つ、伸びをする。

 

 今日も何事も無く、一日が終わる。その事実がとても、愛おしいものに思えて。

 

「メリー、もう夜よ……メリー?」

 

 別の机で本に埋れた、彼女を見やる。精神学やら心理学やら、彼女を囲む様々な本は、数日前、あの妖怪に見つからぬように彼女の部屋まで取りに行ったものだ。随分と重い荷物を持たされたことを思い出し、決して悪い気はしないものの、苦笑いをしながらそれらを眺める。

 

「メリー……寝てるの?」

 

 覗き込んだ彼女の顔は、悪夢に歪められることも無く静かに、そこに沈んでいて。自前の金髪に整った顔立ちは、図らずとも自分のそれと比較してしまい、その思考に少しだけ嫌になる。

 

「……風引くわよ。メリー」

「……んっ……」

 

 起きた、訳ではないようだ。その仕草が一々可愛らしくて。

 

 同時に、昼間に過った考えが、後ろめたくて。

 彼女の寝顔を眺めたまま、一つ、小さく溜息を吐く。その溜息もそのままに視線を彼女から外して、寝床へと向かい。抱え上げた毛布の重みは、やけに重く感じるも、しかし、この程度の重さでは罪滅ぼしにさえならないことくらい、私にでも理解できていて。

 彼女に掛けた毛布。少しだけむず痒そうに体をよじり、その寝顔は私の目の届かない方を向いてしまう。

 

 眠るメリーに、他意は無い。

 唯々、私が勝手に、彼女を遠くへ追いやってしまっているだけ。その事実に気付きつつも、正すことなどできはせず。比喩ではなく痛む胸を抑えてたところで、罪悪感は消えず。堪らず、彼女から視線を外す。

 

 そういえば、今日の夕飯の材料がもう、無かったっけ。急ごしらえの思考の逃げ場に意識を滑り込ませ、次は、その抜け穴に飛び込まんと体を動かす。

 無地のメモ用紙に、買い物に行くという書き付けを残して。心なしか弱々しい手付きで財布を掴み、玄関の鍵を開ける。

 

「……ちょっと、奮発してやろうかな」

 

 免罪符には、なり得ないが。しかし、気休めでも良い。彼女との繋がりを感じたい。

 

 そう、小さな決意を持って、私は。

 冷えた扉を潜り抜け、一度、鍵の音を響かせた。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 夢に漂う、妖幻な霧。深く、薄く。広大に、細かく。刻々とその姿が移り変わる夢の霧は、何処までも妖しく。何処までも懐かしく、私をより深みへと誘う。

 

 此処は何処か。此処は夢か。夢とは何だ。夢とは幻覚だ。

 でも、それは。本当に。本当に?

 

「……夢が只の幻では無いことは、貴女が一番分かっていらっしゃるでしょう。メリー嬢」

「……単車さんね。人の夢にまで出てくるなんて、あまり良い趣味じゃないわね」

「普通に会いに行っても、また蹴り飛ばされますしね」

 

 霧の中で朧げに。くすくすと笑う彼の影は、冷たい鉄塊のそれではなく。そこにいるのは、薄らぼんやりと濃霧に立つ、一つの人型。

 彼は、単車ではなかったか。ならば、夢の中とは言えども何故、態々人の形を取るのだろう。

 

「私は元々、人だったのですよ。貴女と同じ、人間」

「人間がバイクに? 蓮子が聞いたら、何て言うかしら」

「大事なのは理屈ではないのですよ。科学なんてものでは包括しきれない世界のことなのですから」

 

 確かに、彼の言うことが事実ならば、それを科学で解明する事など出来はしないだろう。第一、人知を超えた力の存在を、私、マエリベリー・ハーンは知ってしまっているのだから。

 

「てか、この間話しましたよね? 私」

「そうだったかしら? タイムスリップしたら幻想郷の外だったって聞いたけど」

「内容を端折り過ぎです。初めと最後しか聞いてないじゃないですか」

 

 一つ、大きな溜息をつく彼。だって、面倒だったのだもの。

 

「……これからする話は、きちんと聞いて下さいね」

 

 落胆するのも、束の間。あの時のように真剣な口調で、彼は言う。

 

「まず、あのとき貴女が気付けたかは……そして、蓮子嬢が貴女に伝えたかどうかも、分かりませんが……貴女は、自分の体の変化に気付いていらっしゃいますか?」

「……何の事かしら」

「とぼけないで」

 

 少しだけ、きつい口調。私の目の前に立つ相手は、妖怪。夢の中だとしても、そこは私。襲われれば怪我は免れないだろう。

 しかし、何故。何故、私は恐怖を感じないのか。恐れを抱かないのか。

 そんなことを考える内に、空気は凍てつき。目の前に立つ妖怪は、その本性を現してゆく。

 

「……怖がれ。恐れろ。私ならば、貴女の頭を握り潰す事くらい、わけも無い事なのですよ」

 

 投げられる言葉には、無感情な残酷さが垣間見え。途端に膨れ上がり、ぶちりぶちりと肉を引き裂き覗かせるのは、ガラクタの寄せ集めのような鋼鉄の体。現すは、無機質な巨腕を伸ばす、紅い鉄の妖。その姿は、鉄の巨人というに相応しく。

 

 しかし、それでも。

 

「変形ものは、あまり好きじゃないのだけど」

 

 そこに恐れは、無く。私の前に立ちはだかる巨人を見上げながらも、慄くことは疎か怯むことさえしないのは、何故。

 

「……ほら。怖がらない。貴女は既に、妖怪たる私に身の危険を感じていない」

 

 しゅるしゅると縮み、元の姿に戻る彼。鉄の体は肉に埋れ。人の姿を取り戻した彼は、また、心底残念そうな様子で……何処か、安堵したようにも見える表情で、私を見据える。

 

「貴女は既に、私よりも強い。貴女が一度手を振ったならば、全ての境は掌の中……貴女は、もう」

 

 知っている。そんなことはもう、気付いている。

 

「……分かってる……私は」

 

 認めたくは、ない。自分が既に、自分ではないなんて。最早、この世界に存在することさえ許されないなんて。

 思い描くのは、喜楽の日々。人として生を謳歌し、小さな体を懸命に動かしては前に進む、本当に小さな、幸せの連続。

 もう、会うことも叶わないのかな。心の中で最後に、誰よりも大事な彼女の……たった一つの、その名前を呟いて。

 

「私は……私は、妖怪。境界の妖怪」

 

 私、マエリベリー・ハーンは。

 

 人間の生の、その名を捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

 街灯に照らされた、薄暗い夜。夜の闇に浮かび上がる暖色は、アパートに備え付けられた味気ない白の光にへと飲まれ、私の視界を明るく、そして寂しく照らし出す。

 左手には、膨れ上がったビニール袋。白菜やら椎茸やら、そして肉やら。合成だらけの世界とは言え、その味が落ちることも無く。むしろ、人間に食べやすいように改良を重ねてある分、天然物よりも味は良いのかもしれない、なんて。

 科学主義者のような思考を振り払い、右のポケットから鍵を取り出す。

 今日は、鍋だ。それも、大抵の人に受けの良い、すき焼きである。財布の中身は寂しくなったが、こういう日は鍋でもつついて騒がしく過ごすに限る。ビールやらカクテルやら、ごっそり買い込んだアルコールの類も、その重みを以て私に存在を訴える。

 

 取り出した鍵は、鍵穴へ。そして、くるりと一回し……

 

「あれ ?」

 

 開かない。今ので逆に、鍵がかかってしまったらしい。まさか、鍵を閉め忘れた……否、私の頭にはまだ、鍵を閉めた時の情景が張り付いている。

 嫌な、胸騒ぎがする。

 

「メリー!?」

 

 再び鍵を回し、飛び込むように家に転がり込む。さっきまで彼女が寝ていた場所には……

 

 

 誰も、いない。

 

「メリー!?」

 

 彼女とは、私と一緒にいる時にしか外に出ないようにと約束した筈。自身が狙われていることを知った彼女は、渋々ながらもそれを受け入れて。

 それが、いない。別の部屋にも。何処にも。

 

「メリー! メリー!」

 

 いない。いない、いない。

 

 いない。

 

「メ……」

 

 再び、先ほどまでメリーの居た机に戻った私は、自身の残した書き置きを見つける。

 そこには、私が書いた字とは違う……しかし、見慣れた筆跡が残っていて。

 

「メリー!!」

 

 部屋の扉を跳ね除けて、全力で外へと飛び出す。冷たい風は頬を打ち、しかし、それに頓着するだけの余裕さえもない。

 

 

 

 残されたのは、短い手紙。

 それは、永訣の言葉。別れの挨拶。

 

 

『さよなら、蓮子。そして、

 

 

    ごめんね。

 

 

        友より』



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五十 東方単車迷走

 

 

 強すぎる心臓の鼓動は、私の胸を奥底から打ち鳴らし。荒い呼吸は胸に詰まり、咳き込んではまた、空気のやり取りを再開して。

 か細い二本の足で、コンクリートの大地を駆ける。何処に行けばいいのかなんて分からない。しかし、彼女の帰りを信じて待つなんて、そんな、悠長なことは言っていられない。

 走る。走る。しかし、その疾走も、疲れた身では長くは続かず。

 一刻と言えども、無駄にすることなど出来ない。しかし、足は震え、痛みはのたうち。彼の英雄がそうであったように、今の私にも、守りたい者が……手放したくない人がいるのだと、自身に喝を入れてまた、走り始める。

 街灯の明かりは、私の足元を闇に浮かばせ。冷たい大気は私の抱いた熱を奪うも、それでも、熱は篭るばかりで。羽織った上着を脱ぎ捨てたくなるも、それさえも面倒にかんじ、全ての思考を捨て去って、彼女を探して走る、走る。

 

「何処……何処にいるのよ、メリー……」

 

 走る、走る。しかし、地を蹴る度、足を踏み出す度に体は傾き、視界はぶれて。乾き切った喉を抑えようものならば、それに気を取られて体のバランスを失い。

 縺れた足は、絡み合い。私の体は、黒の路上で擦り傷を作る。

 

「いっ、つ……くそッ……」

 

 ぽつり、ぽつり、と。地を濡らし、頬を流れるのは雨粒なんてものではなく、私の流した涙の雫。憶えるのは両頬のむず痒さと、悔しさ。

 

 何も、出来はしない。メリーを連れ戻すことは疎か、辿り着くことさえ。

 

「くそッ……この……」

 

 無理矢理に、体を起こし。我武者羅に、大地に踏み込み。

 そしてまた、転ぶ。その様はまるで、不恰好な蛙か何かのようで。全身の痛みは、私の体を、気力を削り落としては道を塞ぎ。見上げた空には、私の事など知ったことかとばかりに、いつも通りの星々が顔を覗かせていて。

 

「……出発してから、一時間……」

 

 視界に飛び込んでくるのは、この世が刻む時。即時に求まるのは、私の転がる世界の座標。星月夜をいくら読み解いた所で、彼女の位置が視えることなど無い。希望の一つも、視えない。

 何一つ。何一つとして、視えない。暗い、暗い夜だ。

 

「……メリー……」

「幾ら呼んだ所で、彼女には会えませんよ」

 

 不意に掛かる、男の声。軋む体に鞭を打ち、声のする方を見やれば、そこには――

 

「お久しぶりです。蓮子嬢」

「ッ! こい、つッ!」

 

 思い切りコンクリートを蹴り込み、紅い鉄に向かって跳ねる。無様なことこの上ないが、この鉄塊にはそれを忘れさせるだけの恨みがあるのだ。

 

 紅色の単車。メリーを連れ去ったであろう、妖怪。

 

「おっと、危ない」

 

 車輪を転がし、一歩引き。本の数秒前まで単車がいた場所に私は落ち、また、擦り傷を増やす。

 

「避けるなッ!」

「嫌ですよ痛い。やめませんか、そう、暴力で訴えるの」

「どの口が……」

 

 ふらふらと立ち上がり、私は、鉄の塊へと近付く。右足が酷く痛み、身体中彼方此方に鈍い痛みもある。全身に傷を、痣を作った私を見てか、彼は。

 

 単車は、笑う。非常に不愉快に、くすりと小さく。

 

「……下衆」

「ああ、すみませんね。いえ、別に嗤ったわけではないのですよ。只、やはり人間は良いものだと思っただけで」

「……何を言ってるの」

 

 この状況で、何を言うのか。

 

「その、懸命な努力。大事な人を思う心。自分の身を削る勇気。諦めない強さ……人間とは、本当に良い」

「……メリーを、何処にやった」

 

 御託は要らない。彼の言葉に触れる事もなく、私は。

 問う。彼女の行方を。彼女の向かった、その場所を。

 

「教えて欲しいですか? 言った所で無駄だと思いますよ。彼女は、自分の意思で彼の地へ向かったのですから」

「嘘を吐くな。メリーが、自分から何処か……何処か、遠くに行く筈なんて、無い」

 

 だって、そうだ。あの時に約束したではないか。

 私の手の届かない所には行かない、と。

 

「人の心は移り変わるもの。貴女の想いも、心も、彼女は既に忘れ去っているのやも知れませぬよ。だって彼女はもう、妖……」

「煩いッ」

 

 単車を、蹴る。鈍い音が辺りに響き、真横に倒れる鉄の絡繰。その音は、私の予想よりも重く、大きなもので。シーシーバーに掛かっていたヘルメットが落ち、幾らか転がった所でその動きを止めた。

 

「妖怪だから何なの? メリーはメリーよ、私の親友で、同じサークルで、二人で何処までも探検した仲なの。いつも、いつもいつもいつも」

 

 再び緩んだ涙腺は、しかし、先よりも強く涙を絞り出して。

 

「何なのよ。妖怪はこっちの世界にいちゃいけないの? 貴方だって妖怪じゃない、メリーが妖怪になっても私は、メリーとずっと、ずっと……」

「……メリー嬢は、此方側が必要とする力を秘めているのです。彼女の力は強大で、時さえも超える力がある……彼女は、彼女こそは、幻想郷の創始者。全ての妖怪を、幻想を守るために自ら妖怪へと成り果てた……聖者なのです。貴女は、彼女のその決意を、志を否定するのですか?」

 

 単車は、語る。その口調には、何処か微かに、悲哀の情が伺えて。

 

「……知らないわよ、そんなこと……メリーに……メリーに会わせなさい」

 

 横たわる単車を引っつかみ、弱々しくもタンクを殴る。鉄は、人間の素手で叩くには硬過ぎて。鈍い痛みと、無力さと。悔しさと寂しさに、涙は流れ、止まらない。

 

「……忘れてしまった方が、楽ですよ。忘却は、決して罪ではない」

「煩い……貴方だって、忘れられない人の一人や二人、いるでしょう」

「……一人、二人どころか……そう、何人も……」

 

 倒れた単車は、呟く。寂しげに、懐かしげに。彼が思う人物は、一体誰なのかと想いを馳せるも、今はそんなことをしている場合ではない。

 

「……連れて行って。私を、メリーの所へ」

「……貴方が行けば、メリー嬢に迷いが生まれる。メリー嬢には、私の想う人達の存在が掛かっているのです」

「……知らないわ、そんなこと。唯、私は……」

 

 私は。伝えなければならない。

 

「メリーが決めた道なら私には、それを応援する義務があるわ。何処に行くのもメリーの勝手。でも、中途半端な意思で……それも、誰かに唆されてやっていることならば、止める義務も権利もあるわ。だって私は……」

 

 秘封倶楽部。たった二人のオカルトサークル。二つの小さな異能を繋ぎとめる、掛け替えのない友情の証。

 その倶楽部の団長は、この私なのだから。

 

「連れて行って。私を、メリーの所へ」

「……私が、嘘の場所に連れて行くかも、なんて、考えないので?」

「信じる。それしか道はないのだから」

「……私の主人は皆、頑固者で困る」

 

 一人でに回ったキーと、点灯するニュートラルランプ。体の奥底にまで伝わる、エンジン音。一人でに立ち上がった単車は、そのまま数メートル程走った後にドリフトを決め、私の目の前に進み出る。

 

「お乗りなさい。私が、彼女の下まで連れて行ってあげましょう」

「……格好付け過ぎよ」

 

 転がっていたヘルメットを被り、彼に跨る。

 

「信じるから」

「道具は人を裏切りませんよ。使用方法さえ守ってくれれば」

 

 月の浮かぶ空。輝く星空。

 刻々と刻まれる時と世界の下。単車のギアは、蹴って落とされた。

 

 

 

 

 

 

□□□□□□□□□□□□□

 

 

 

 

 

 

 古ぼけた神社。夢現の中で彼に連れられて、この社へとやって来た私は今、鳥居の上に座って遠くに見える街の灯りを眺めていた。

 風が心地よい。木々のざわめきが心を落ち着け、今から私が踏み出す世界に誘うようにその手を広げ、私に迫る。

 この神社の祭神は、一体何なのか。もし過去に行っても分からなかったならば、私が貰ってしまっても構わないだろう、なんて。自分勝手な欲望を抱きながら、下界を見下ろす。

 境界を弄る力。その力を以てすれば、私は一瞬で妖と変わり。それだけではない。空と海の境界も、静と動、生と死の境界さえも思うがまま。本当、巫山戯た力を持ってしまったものだと、自分の両手を見つめながら息を吐く。

 

 日頃から、思っていた。何故、妖怪は、幻想は、この世界から消えねばならなかったのか。何故、この世界は幻想の存在を駆逐し、闇の中にへと追いやってしまったのか。相対性精神学なんてものを学ぶ切っ掛けになったのも、人間の精神の移り変わりを知りたくて。そんな思考はきっと、ハーンの血筋によるものなのだろう。

 

 幻想が、人と共に存在出来る。そんな楽園が何処かにあるのでは、なんて。まるで子供のようなことを考えながら生きてきた。夢に見る世界はきっと、そんな……文字通り、夢のような世界なのだと思っていた。

 しかし、現実は残酷で。どれだけ探しても、そんな世界など何処にもなく。こうして人の世に呑まれたまま、短き生を過ごして来た。

 この世界には最早、幻想など無いのだ。ならば。

 ならば、作ってしまえばいい。

 今の私には、それをするだけの力があるのだから……

 

「……蓮子」

 

 これは、私が望んでやること。私の意思、私の願い。でも、本当に……?

 

「迷っているのね。仕方が無いことですわ」

「……紫さん」

 

 紫のドレスに、金髪。そして、私にとてもよく似た、顔。

 八雲紫。私の未来の姿、らしい。

 

「さん付けなんてしなくて結構ですわ。私と貴女は同一人物。もっとフランクでよろしくてよ」

「……ならまず、その胡散臭い喋り方を止めなさい」

「あらあら、手厳しい。流石私ね」

 

 彼女と話しながら、鳥居から境内へとゆっくりと降りる。

 未来の自分がこれだと思うと、少しばかり嫌になる。歳は取りたくないものだ、と年配者のような言葉が頭をよぎるも、幾ら歳をとってもこの姿を維持できるには少しだけ嬉しさも感じ。妖怪として幻想郷を作るという未来を思い、また、溜息を吐いた。

 

「……嫌なら、やめてもいいのよ。貴女の意思こそが、最も尊重すべきもの」

「冗談。他でもない私の頼みを、誰が断れるっていうのよ。私は、妖怪として生きて幻想を守るの。これは、私の意思よ」

「……そう……なら、良いわ」

 

 目を細める紫と、虚勢ながらも胸を張る私。本当は、逃げ出したくなるくらいに寂しくて。投げ捨てたくなるくらいに、重い仕事で。

 でも、ここで私がやらなければ、今までの……秘封倶楽部の活動は……この世界に残された、ほんの一握りの幻想を探してきた思い出は全て、無かったことになってしまうのだろう。

 私と蓮子が巡り合うこともなく。きっと、一度も話すことなく一生を終え……そして、何よりも。

 私が蓮子と歩んだ日々を、無かったことになんてしたくない。私が握った彼女の手の温もりを、消してしまいたくなんて、ない。

 

「……そろそろ行きましょうか。貴女の作る楽園へ――」

「ちょっと、待ったあああ!」

 

 その時だった。長い神社の階段を駆け上がる、一台の単車と……

 紅いヘルメットを被った、彼女が現れたのは――――

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■■■■■■■■■

 

 

 

 

 

 暗い、夜だった。

 二人の少女の立つ大地は、微かに湿った、自然の土。二人を見下ろす荒れ果てた木造建築は、その姿形をまるで、一体の妖怪、巨大な怪物のように淡い、月の明かりに映し出して。

 

 

 蓮子、と。一人の少女は呟き、対する少女はまた、メリー、と。互いに相手の名を呼ぶも、会話が続くことなどなく。二人は沈黙に呑まれ、世界に静寂が降りてくる。

 語るべき言葉は、持っている。それを切り出すだけの、勇気も、決意もある。しかし。

 しかし、二人が口を開くことは、叶わず。唯々、片方が被ったままのヘルメットを通して、視線を絡ませるのみ。

 

 しん、と。静まり返った、境内の跡。木々のざわめきの一つさえ聞こえぬ、動きの無い世界。二人の意識の生んだ簡易的な結界はどうやら、この境内を、二人を乗せたまま現実から遠ざけてしまったらしい。

 

 数十秒。彼女の能力があれば、沈黙の時間がどれほどのものであったかなど、正確に割り出すことが出来たであろう。或いは、彼女の能力ならば、対峙した人と人の間に生じたこの結界の綻びを見付け、打ち破ることも出来たのかもしれない。

 しかし、それはあまりに無粋で。二人の少女は力を使うことさえも忘れて唯、黙して向かい合う。

 

 少女が、ヘルメットを外す。外気に曝け出された唇は、何事かを呟くも――

 

「メリ……」

 

 吹き荒ぶ風が、揺れる樹木が声を掻き消し。吐き出した言葉は、雑音に埋れて。

 どうやら二者の間の結界は、彼女の言葉によりその機能を失ったらしい。これ程までに強く吹いていたのかと言う程の風が、木々に覆われた山肌を撫ぜる。

 

 二人の間の張り詰めた空気の霧散を感じ取ったらしい彼女は、大きく息を吸い込み。そして。

 

「メリー!」

 

 乗ったままであったことさえ忘却していた単車から飛び降り、景気付けとばかりに、力強く相棒の名を呼ぶ。

 

「……蓮子……」

 

 対する少女の目に映るのは、寂しさと、悲哀と。そして、それらに塗れてもなお深く根ざす、決意の光。

 

「何で、来たの。私は、引き返さないわよ」

「……本気なの? メリー」

「本気よ。私は、幻想を守る。そのために幻想郷……楽園を作らなければならないの」

「それは、本当に貴女の意思なの? 誰かに……この単車とかに唆されてやっているわけじゃなくて?」

 

 一瞬だけ、二人の視線は鉄塊にへと向き、当の無機質は、本来そうであるべきように黙ったまま。唯々、二人分の視線をその身に受けてもなお、そこにあり続けるのみだった。

 

「……ええ。単車さんの話を聞いて、決意したのだけどね。でも、私は、話を聞いただけ。遥昔は、単車さんのように妖怪や神様が沢山存在していた……なら、その状態を維持し続けることが出来たなら、そんな幻想のものも存在し続けることができるんじゃないか、って」

 

 口調に、淀みは無く。意思に、揺らぎは無く。寂しさも、悲しさも感じながらもなお、その歩みを止めるつもりはない、と。彼女の口から発せられた言葉は、対峙する少女の胸を打って、転がる。

 

「貴女を連れていけたら、どんなに良いかしらね」

「駄目ですわ。時を超えるのは、境界の妖だからこそ出来ること……そんじょそこらの妖怪や人間では、存在さえも保てない」

「分かってるわ、紫……だから」

 

 一度だけ、小さく息を吸い。彼女は、告げる。

 

「……だから、さようなら、蓮子……もう、会うことは出来ないだろうけど」

「メリー、でも……」

「もういい」

 

 言葉は、撃ち落とされるように。少女は金色の髪を靡かせながら、その手を振って結界を張る。不可視の壁は、しかし強固に世界を隔て。二人の少女の間に、物理的な境が生まれる。

 

「これ以上貴女の声を聞いてたら、行けなくなっちゃうじゃない。貴女の声はもう、この結界のおかげで私には届かないわ、蓮子。私の声は、貴女に届いてもね」

「メリー! メリー!!」

 

 呼ぶ声はもう、届かず。唯々透明な壁を叩く少女の姿から視線を外し、彼女は、傍に立つ妖怪に言う。

 

「紫……もう、行きましょう」

「もう、いいのかしら? お別れの挨拶は……」

「いい。これ以上此処にいると、逃げ出したくなっちゃうから……私はもう、迷わない」

 

 乾いた笑み。疲労交じりのその表情は、諦めの意思を多分に含んで。それを見抜きつつも妖は、彼女の言葉を聞き入れて。

 時を超える。幻想が、幻想となる前の時代……世界が妖怪に、神々に……畏敬に、信仰に溢れていた時を目指して、術式を展開する。

 光は、紫色に。妖気は、禍々しくも美しく。八雲紫は、時の境界を開き始め。

 

「メリー! 待って、待ってよメリー!」

「聞こえやしませんよ。強力な結界です」

「どうにか、出来ないの!」

 

 紅い単車は、返答に詰まり。その逡巡は、相対する感情が彼の中で反発しあっていることに他ならない。

 

「……私だって、本当は貴女方を引き離したくなんて……」

「なら……!」

「でも、私にも。私にも幻想郷に、守りたい方々がいるのです。だから、私は、貴女に手を貸す訳には……」

「引きとめれなくてもいい。でも、メリーに、メリーに伝えたいことがあるの。これだけは伝えないと、メリーはずっと後悔しながら生きる事になるわ。だから」

 

 少女の頭から、帽子が落ち。単車がそれを、彼女が頭を下げたのだと認識するまでに、一瞬の間、時はとまって。

 

「お願い。私を、メリーの所まで連れて行って」

 

 言葉を受けた単車のライトは、明るく、そして強く灯った。

 

「……お乗りなさい。乗せて行ってあげましょう。貴女の、目的の場所まで」

 

 マフラーからは、煙と共に妖気が漏れ。自身の体を維持するために残しておいた全ての力を、エンジンに詰め込み。スタータースイッチを押し込んで火花を散らし、ガソリンと共に妖気を燃やし。

 熱い、熱い鼓動。響き渡る爆音は、静寂の境内を一瞬にして塗り替えて。

 

「ありがとう!」

「それは結界を超えてから! 紫殿、申し訳ない!」

 

 単車は、少女を乗せて。思い切り回したアクセルと、じわりと、しかし速やかに繋げたクラッチ。数メートル程の極短距離の中で力の限り加速し、立ちはだかる壁に、持てる限りの力をぶつける。

 

 強く、強く、強く。前輪は壁を捉え、後輪は結界に圧を加え続け。

 思えば、単車として生きた千と数百の時。様々な人妖、神々と出会い、乗せ、その度に少しずつ、少しずつ染み込んでいった、それぞれの妖気。タンクの中で混ざり合い、金属のフレームを通じて全身に練りこまれた、多種多様な妖気、想いの欠片。

 全ての持ち主達、全ての友人達。その力を借りて、単車は、乗せた少女をその想いの先へと送り届ける。

 

「いっ……けっええええええ!!」

 

 車輪は、境を超えて。硝子細工の様に砕け散った結界の破片は、地に落ちる前に霧散して、その細かな妖気の粒を光らせ舞い落ちて。

 はらはらと落ちる結界の欠片、雪と例えるべきか、花弁と例えるべきなのか。光の中を突き進む単車は、その紅を更に紅く。その音を、更に深く響かせて、一人の少女を幻想へ運ぶ。

 

「お行きなさい、蓮子嬢! 早く!」

「恩に切る!」

 

 反動で倒れ、そのまま地面を滑る単車と、結界を超えたと同時に脱出し、地に足を着けた少女。壁を突き破った勢いもそのままに、今まさに、遥か遠くへと旅立たんとする友にへと駆け寄る。

 

「メリー!」

「蓮……子……」

 

 抱き締めた体は、暖かく。瞳から零れ落ちたであろう雫は、どちらのものかさえも分からない。

 

「馬鹿……馬鹿、なんで、なんで……」

「大丈夫。貴女がそうしたいなら、私はもう止めないから。私が今伝えたいのは、別のことよメリー」

 

 体を、抱きしめたまま。その声は限りなく優しく、何処までも慈しみを持って、二人の間の最後の会話は、続く。

 

「安心して行きなさい、メリー。貴女が過去に行ったとしても、私を遠ざけることなんてない。絶対に、絶対に、貴女の所へ行くから。だから、安心して、メリー」

「そんなの……無理に……」

「メリー」

 

 びくりと震わせた肩は、小さく。妖怪らしさなど微塵も無い少女の、華奢なそれで。

 何も、変わっていない。それだけのことで、こんなに嬉しく感じるなんて。

 

「大丈夫よ、メリー。私は、貴女の所へ行く。それを目標にして、元気に生きる。この世界で……だから、待ち合わせね。少しだけ、ほんの少しだけ遅れるかもしれないけど……私は必ず、貴女のところに行く。だから、だからメリーは、メリーの夢を掴んで」

「……うん……うんっ……!」

 

 抱き締める力は、強く、強く。叶うならば、離したくなどない、と。互いに想い、そして、互いにそれが叶わぬことを知っていて。

 だから、今だけは。強く。強く抱き締めるだけで。

 

「メリー」

「蓮子」

 

 二人は、見つめあい。どちらの顔も、涙と、精一杯の笑みに溢れた、ひどい顔で。

 

「また、いつか」

「ええ。また、いつか」

 

 その言葉を、終わりに。金の髪は、紫の衣は、光に包まれ。

 

 

 

 

 

 

 

 唯々美しく。眩しい光の止んだ後で、残された少女は。

 

 

 一人。静かに、静かに涙を流し続けた――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■■■□■□□■□□□□□

 

 

 

 

 

 

 

「行くのね。ほんとに」

「ええ。妖怪が、都会のど真ん中というのも場違いですしね」

 

 そんな会話をしたのも、もう、数刻ほど前のこと。メリーが過去へ旅立って、数日後の今日。俺は、今の持ち主であった蓮子の元を去り、また、あの神社へとやって来ていた。

 

 ――私は、大丈夫。例え生まれ変わってでも、メリーの所へ行かなくちゃいけないしね。

 

 あの後の蓮子は、悲しみに囚われることも、涙に沈むこともなく。力強く拳を握って自身を振るい立たせる蓮子の姿は、妖怪たる俺から見てもとても、力強いものであって。

 

 ――生きるわ。人間としての生を全うして、メリーの所へ行くの。メリーはこれから長生きなんだし、少しくらい遅刻したって平気よね?

 

 吹っ切れたように笑う彼女は、晴れ晴れとした表情を浮かべて。まるで、全ての呪縛から解き放たれたかのようにその心は、晴天を舞うかのようで。

 あれならば、大丈夫だろう。メリーがいなくとも蓮子は……メリーを想いながら、強く生きることが出来る。そう確信して俺は、人の世を離れることに決めたのだ。

 

「お疲れ様。お元気かしら」

 

 境内に停まった俺に掛かるのは、一人の妖の声。何処から現れたのかも知れぬ彼女は、俺に近付く。

 

「こうやって話すのは、随分と久しぶりですね、紫殿」

「ええ、本当に……本当に、ありがとう」

 

 頭を下げる紫。感謝されても、困るのではあるが。

 

「一歩間違えれば、貴女が生まれないところだったのです。むしろ、私は、謝る側……」

「大丈夫よ。私も、経験済みなんだから」

 

 笑う彼女の顔は、先日過去へ向かった少女の顔と、何処までも似ていて。やはり、同一の存在なのだということを意識して、頭がこんがらがりそうになる。

 

「貴女の過去でも、私が?」

「ええ。その時のことも含めて、ありがとう。やっと、この言葉を伝えられましたわ。それに、あの約束も果たせました」

 

 約束? 約束とは、あの二人の間の約束のことか。

 

「ふふ。夢想転生(・・)ってね。ちょっとした洒落ですわ」

 

 くるりと半回転し、紫は、本殿を向き。

 扇子を以って、空間を切る。その先に広がるのは、朽ち果てた社とは最早別物の、立派な神殿……

 

「さあ、元居た時代に帰りましょう。長居していると、この時代の私に怒られちゃうわ」

「元居た時代……?」

「そう。私はこの時代の八雲紫ではなくて、百年とちょっと昔から来た八雲紫。だから、その時代に帰らないとならないの」

「……そう、ですか。では、またいつか会えることを……」

 

 くすり、と。妖は笑い、俺は、困惑に包まれ。

 

「貴方も帰るのよ。私と共に」

「――――え……?」

「貴方を待つ人もいるのだから。ほら、早く」

 

 そんな。そんなことが、叶うのか。いや、しかし……

 

「蓮子嬢の時は、普通の妖怪が時を超えるのは無理だと……」

「ええ。でも、貴方は超えられるのよ。私にはそれが分かる。貴方なら、私の力に何故か耐えることができると……なんでかしらね」

 

 強いて言うならば、運命? と。悪戯っぽい笑み……俺の紅い主にもまた、似た……で、彼女は言う。

 

 彼女が開いた境界の先は、騒がしく。なにやら、宴会でも行っているよう。

 

「ふふ。サプライズよ。皆、貴方を待っているわ。さあ……」

「……ええ。本当に、ありがとう」

「こちらこそ、ね。では――」

 

 車輪は、境を超えて。

 潜り抜けた洞窟の先には、紅白の巫女や白黒の魔女、鴉天狗や永遠亭の皆や不死人、二柱の神、冥界の二人に、紅魔館の面々……妹君まで。更には寺の仲間や傘、果てには鵺、鬼などの地底の仲間や覚姉妹、御阿礼の子や雪女、道具屋の店主、聖徳太子までがそこにいて……

 

 遂に。遂に、俺は。幻想郷に帰って来たのだと。溢れ出す感情を、シートいっぱいに乗せて。

 

 追い求めた夢に向かって、車輪を転がしながら、俺は。

 

 

 永い、永い迷走に、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 






 遂に、この話にも完の一文字をつけることが出来ました。
 この話にて、東方単車迷走は終わりとなりまする。

 単車になって幻想入り、と。出落ち気味のノリのまま。にじファン掲載時と合わせれば、一年ちょいの迷走を綴らせて頂きました。
 感想が増えたり、お気に入り登録数が増えたり、減ったりする度に一喜一憂しながら楽しく執筆させて頂き……感謝、感謝。

 気が向いた時にでも読み返したり……なんて、して頂ければ、冥利につきます。


 では、またご縁があれば……


 読了、ありがとうございました!





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