TS妖精さんは百合の華を咲かせられない (ちぇんそー娘)
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1.血錆に百合は枯れ落ちて





この作品は氷陰様主催の『欠落杯』参加作品です。





 

 

 

 

 戦況は最悪。

 

 輸送部隊の壊滅から始まった物資不足。

 予想外の悪獣(マリス)の出現。

 天候の悪化による援軍の遅れ。

 

 様々な要因によって前線の様子は地獄と化し、誰も彼もが絶望して目の前に迫る自分の死をどう受け入れるかだけを考えている。

 

 

『そんなわけで、出撃の準備は出来た?』

「ちょっと待って。まだ髪型が決まらない」

『状況聞いてた?』

「逆に聞くけど、その状況で(わたし)が急ぐ理由、ある?」

 

 

 絵に描いたような絶望を聞いても、少女は鏡に映る自分の姿以外に対して興味を見せる様子もなく、通信相手に軽口を叩いていた。

 

華人形(ガラテイア)は何機いたって損をすることは無い』

「そうは言ってもねぇ。(わたし)の役目って、結局見た目(コレ)が武器じゃない?」

 

 少女は鏡の前で何度か決めポーズをし、くるりと回って全体を見回して、それからようやく座席(コクピット)へと腰をかける。

 

『ようやく準備完了かな、お姫様?』

「そろそろ《星刻(アーカイブ)》と《不壊(アダマス)》が戦場を蹴散らしたころでしょ?」

『まったく……アンタってほんと()()()()()だよ』

「褒め言葉として受け取っておくよ。──────《聖娼(ファムルーナ)》、出撃します」

 

 少女の声と共に、座席に埋め込んだ四肢が強化外装と接続。

 魔力エンジンの駆動が開始され、まるで弾丸のように少女の体は無骨な機械と共に空へと打ち上げられる。

 

 

 彼女はこの感覚が嫌いだった。

 

 自分の何倍もある巨大な機械を無理やり『自分』として接続される不快感。

 空へと打ち上げられる時に感じる強烈な重力。

 聖娼とか言うあまりにも似合わないコードネームを自ら口にしないといけない羞恥。

 

 

 そして、上空から見下ろす戦場の光景。

 

 先に出撃した《星刻(アーカイブ)》と《不壊(アダマス)》によるものだろう。

 地上は突然巻き起こる爆発と降り注ぐ宝石の雨によって地獄絵図。しかしそれは先程までの人間にとってのモノではなく、悪獣(マリス)にとっての地獄だ。

 

 戦場の端々から歓声や雄叫びが巻き起こり、打ち漏らした悪獣(マリス)にトドメを刺さんと人々が力を振り絞って突撃を行っている。

 

 

 そんな光景を見て、少女が漏らしたのは小さな吐息。

 

 戦況の変化を悟った歓喜。

 戦場の惨状を見ての嗚咽。

 

 そんな人間らしい感情を吐き出すことが出来たなら、彼女にとってはどんなに幸運だったろうか。

 

「今日は何時に上がれるかなぁ……」

 

 漏れだしたのは、ただただこの後の仕事を考えた時の憂鬱な言葉。

 華人形(ガラテイア)隊、コードネーム《聖娼(ファムルーナ)》。個体名、リリィ・ファムルーナは己の仕事が大嫌いだった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 100年以上も前のこと、この大陸にまだ国が4つあった頃の話だ。

 その頃人類の敵は、同じ人類だった。人類は同じ生き物、仲間であるはずの彼らを肌の色や文化の違い、所属の違いで敵とみなして殺しあっていた。

 

 その領土は自分達のもの。

 その利権は自分達のもの。

 優れているのは自分達で、劣っているのはお前達。

 

 そんな声を上げながら殺し合いを続ける人類を咎めるように、東の海からある時よく分からない生き物が現れたのだった。

 

 それと最初に接触した東の国は、その性質を見て生物兵器として利用できないかと考えた。

 それを知った北の国は、東の国よりも先にそれを利用しようと東の国への侵攻を激化した。

 南の国は、東の国と北の国の争いを静観して漁夫の利を狙うことにした。

 西の国は他の国々が動きを止めたのを良い事に独自の技術の開発に勤しんだ。

 

 

 そして、この選択が人類の未来を分けることとなった。

 

 

 まず最初に、東の国が滅ぼされた。

 北の国は笑った。ざまぁみろと、これでやつらは自分たちのものだと。

 

 それから北の国が滅ぼされた。

 彼らは最後まで自分たちがそれを制御できると驕り続けた。だが、東の国が滅ぼされた時点で気がつくべきだったのだ。

 

 西の国によって悪獣(マリス)と名付けられたそれは、生物であるかすら怪しかった。

 東の海より現れて人類の生活圏に侵攻し、目に付くものをひたすらに破壊する性質を持つ。見た目はタールのような黒い粘液で肉体を構成し、何らかの既存の生物数匹を組みあわせたかのような異形であることが多い。

 加えて、粘液で構成されたと言ったが肉体は非常に頑強であり、粘液でもあるため破壊しても飛び散った粘液から再生する。

 

 最大の特徴はその増殖方法。彼らは他の生物、或いは人間が生み出した『文明』の副産物───例えば建物や道具、兵器をその粘液で取り込み、新しい悪獣(マリス)を生み出すのだ。

 

 

 まるで文明を築き、数を増やし続けた人間に対する天敵のような生態だった。

 

 もしも4つの国が協力して、最初の接触の時点でこの生物を葬ることをしていたならばこうはならなかったかもしれない。

 

 だが、2つの国の命と文明を喰らった悪獣(マリス)と対抗する力は、南の国と西の国に残されていなかった。

 南の国が彼らに攻め落とされて、最後に残った西の国は他の国が攻められている間に、自分達だけは生き残る為の策を練り続けた。

 

 そうして完成したのが、人類の最終生存権である三重結界。

 そして、人間でもなければ人類が生み出した文明でもない。それらに当てはまらない魔法の産物、『妖精』との契約だった。

 

 

 ──────『華人形(ガラテイア)』。

 

 

 それが西の国が生み出した最終兵器である(わたし)達の名前である。

 

 全員が人間の女の子のような見た目をしているが、生物ではない為正確には性別はない。しかしほぼ全員人間の女子と似たような思考回路を持つ。

 その肉体は魔力によって構築された仮初の肉であり、死と同時に霧散して大気に溶ける。

 

 繁殖方法は野菜よろしく、濃厚な魔力を持つ土地から生えてくる。産まれてくる瞬間は大層美しいらしく、華人形という名前の由来にもなっている。

 

 そして生物でも文明の産物でも無い為、悪獣(マリス)に対して有利な性質と、生物ならば拒絶反応に耐えきれない拡張魔導装甲に対して高い適正を持ち合わせる。

 

 加えて、彼女達は大なり小なり特別な異能を一つ持ち合わせる。

 魔法とはまた違った異能力。既存の技術では考えられないような優れたエネルギー効率で敵を殲滅することの出来るそれらと拡張魔導装甲による機動力によって、華人形は現在の人類の生命線であり、最後の希望。

 

 

 

 この世界の現状は、ざっとこんな感じ。

 

 (わたし)、リリィ・ファムルーナはこんな末期の世界に華人形として生まれ変わってしまった、どこにでもいる傭兵だった。

 

 ちなみに華人形の先輩によると、華人形は世界の魔力から構成される都合上他の生物の記憶が混在することがあるらしい。

 

 その話だとこことは全く違う世界……魔力なんてもののない地球という星の西暦という暦の上で生きていた男である(わたし)の記憶が混在しているのはやっぱりおかしいと思ったが、あんまり酷いなら記憶処理をしてもらえるとか聞いた辺りで周りに相談するのはやめた。

 

 とにかくこの世界の人類は悪魔のような生物と生存競争の真っ最中。

 土地の魔力を糧に生まれる華人形にしても、土地そのものを自身の体液で汚染してしまう悪獣(マリス)は放っておくことは出来ない。

 

 

 けれど(わたし)は最初、あまりこの事態を深刻に考えていなかった。

 

 何せ(わたし)の前世は地球という星で傭兵をやっていた記憶だった。魔法なんてものは存在しなかったので部分的には劣るが武装の性能というのは殆ど地球の代物の方が上。

 

 しかもこれでも(わたし)は実際の戦場で何人も殺し、何度も生き残ってきたベテラン。そんな(わたし)が華人形となったからには、悪獣(マリス)なんて片っ端から殲滅してあっという間に平和を勝ち取ってみせる、と。

 

 

 思っていたんですけどね。

 どうやら(わたし)にはその才能が、全くないらしいんですよね。

 

 

 

 

 

 

「だれか、だれか、たすけて……」

「治癒魔法持ちはいないのか! さっさと治癒しないと手遅れになるだろ!」

「いるにはいるが足りてねぇんだよ! くそっ、そんな傷治せるわけねぇだろ奥に運べ!」

「いでぇ、いでぇよ、いてぇいてぇいてぇ!」

「……ぁ、……ぅ、……ず」

 

 野戦病院というのも烏滸がましい簡易テントの中は、腐った肉を無理やり押し込めた箱みたいな臭いだった。

 華人形の到着で悪獣(マリス)の戦線が消し飛んだことによって、怪我人の治療をする時間が生まれた。しかし、それは余裕が生まれたという訳では無い。

 

 人類は攻めてくる悪獣(マリス)相手に常にギリギリの戦いをしている。

 物資も兵士も何もかも不足、不足、不足。かと言って人間の価値が高まることなんてなく、特攻同然に悪獣(マリス)と戦わせられる兵士達はだいたい死ぬし、生き残ったとしても死んだ方がマシな負傷をすることだってある。

 

 

「はーいどうもみんなこんにちは! 華人形隊所属のコードネーム、《聖娼(ファムルーナ)》です! はい、拍手!」

 

 

 そんな地獄に、(わたし)は元気よく大声で踏み込んだ。

 帰ってくるのは呆然とした顔か、侮蔑の瞳。元気付けてあげようってのにこれは無いよ。そもそも好きでやってるんじゃなくて、このキャラも上からの命令でやってるのに。

 

 人類の希望たる華人形のお仕事には、兵士の皆様の戦意高揚も含まれている。

 (わたし)の役割は戦場の天使様。だから常に元気よく、何があっても笑顔でと上官から厳しく言われているのだ。

 

「……《聖娼(ファムルーナ)》……って、まさかあの、治癒の異能持ちの!?」

「そうそう多分そのですよ。それじゃ、仕事を始めていくんで怪我人のところに案内していってくださいね」

「すいません。……既に、ここがそれです」

 

 気まずそうに目を逸らす兵士の視線の先には、両足がちぎれてるのに止血だけされて寝転がされている青年がいた。

 毎度の事ながら、こんな酷い怪我どんな状況で負って、どうやってここまで運んで来たのやら。

 

「病床どころか消毒液すら足りないのが現状で。もはや医師と治癒魔法使いだけでは……」

「ん、気にしないでいいですよ。それじゃ、片っ端から治していきますから」

「片っ端、から……?」

 

 首を傾げる兵士を他所に、(わたし)は足のちぎれた青年の体に触れて、それから自分の体の中でお湯を沸かすようなイメージをする。

 そのイメージは段々と、まるで噴火直前の火山のようになり、遂には耐えきれなくなった何かが全身の血管を焼き尽くしながら駆け抜ける、そんな激痛。

 

 正直毎回これをやるのはしんどい。

 けれど、これが俺の仕事であり、その為にはこのイメージは必須なのだ。

 

「終わりましたよ」

「終わったって……まさか、彼はもう……」

「縁起でもない。よく見てくださいよ」

 

 初めて見るのならば、そりゃあ信じられないだろうけど。

 

 この世界には魔法がある。

 火を出したり、傷を癒したり、そう言ったことに利用こそできるが万能ではない。火炎魔法の掃射はそこそこ強いが、それこそ火炎瓶でも似たようなことはできるし、治癒魔法だって擦り傷を塞いだり酷い傷だと化膿や腐敗を防いだり、治癒を促進するくらいしかできない。

 

 だからこそ、俺の異能である《聖娼(ファムルーナ)》を初めて見た人間は、正しく奇跡だと表現する。

 

「……あれ、俺の足……え、ちぎれて……?」

 

 先程まで意識すらあやふやだった青年は、本来なら既にちぎれて戦場の塵になっていたはずの足で立ち上がり、何度か跳ねて、それでも現実への理解が追いつかずに固まってしまっている。

 

「こ、これが華人形……噂に聞いてはいたが、これは……」

「褒められるのは嬉しいですが、仕事なんですよね。手遅れになる前に他の方の治療も済ませていきましょう」

 

 そうして俺は、いつも通り何人も怪我人を治療していく。

 

 華人形としての俺の異能は、治癒の力。たとえ手足が失われていたりしようともそれを治すことだって出来るし、致命傷だって生きているのなら状況によるがひっくり返す。

 

 一度その技を見せてしまえば、もう疑うものはいなくなる。

 それくらいにこの異能の力はこの世界の基準では『奇跡』に近い技だった。

 

 信頼さえ得られたのならあとは流れ作業。

 転がされている怪我人たちに片っ端から触っていき、治していく。

 

 異能の発動の度に発せられる激痛を除けば、この時間だけは勤務時間の中で比較的マシな時間だ。何せ目の前で人の怪我が治ると、自分の価値というものが実感できる。

 

 だいたい衛生観念もへったくれもないこんな場所に転がされているので、治しても直ぐに反応してお礼とか言ってくれる訳では無いけれど、確かに命を救えたという喜びがある。

 

 だからこそ、()()()()とわかった時は少し、いや結構辛い。

 

「……どうしました?」

「この人、もう手遅れです」

「えっ……いや、待ってください。せめてその御手で触れてから……」

「異能も無限ではありません。そして、こうしてる間にも別の方が手遅れになるかもしれません」

「……そう、ですか」

 

 結構キツいことを言ったはずなのに、手伝いをしてくれている兵士は文句も言わずに納得してくれる。

 ただ先程まで(わたし)の異能に目を輝かせていた顔に、明確に陰りが見えていた。

 思わず漏れだしそうになる溜息を抑えながら、作業を続けて……。

 

 

「すいません! 華人形がここにいるって聞いて……コイツを、コイツを助けてやってください! 死にそうなんです!」

 

 

 続けていこうとした時、野戦病院にそんな叫び声が木霊した。

 声はまだ若く、戦場に立つ人間のものとは思えない青さのあるもの。そんな若者がこんな最前線にいることと、これから始まる面倒事を察して(わたし)はさすがに溜息を抑えられなかった。

 

「コイツ、俺を庇って、それで、それで……」

 

 暗に無視していいと言うように、俺を隠すように前に出る兵士さんを押し退け、俺は叫び続ける若者の近くに寄る。

 

「っ、貴方が華人形……? お願いです! コイツを……」

「すいません。その人は手遅れです」

「…………え?」

「出血が多すぎるし、欠損が大き過ぎます。私の治癒は失ったものをそのまま補ってくれる訳ではありません。欠損を治すには相応に本人の体力が必要です」

「で、でも……」

「介錯が無理なら、(わたし)が担当しますが。これ以上は彼も苦しむだけですよ」

 

 突き放すように、淡々と。

 モノでも扱うようにそう告げながら、俺は懐から護身用の銃を取り出して若者に見せ付ける。

 これくらいキツく当たらないと、取り付く島があると思って諦めてくれないことが何度もあった。だからって、この言い方は自分でも無いとは思うけど。

 

 

「…………わかり、ました。お時間を取らせてしまい、申し訳、ありません」

 

 

 こんな酷い言い方に、青年は声を震わせながらであるが何とか自分を納得させ、既に呼吸の止まりかけた友人の体を安置所へと運んでいく。

 

 触りもしないで何がわかるんだよとか、如何に彼が良い人間であったかとか。

 

 そんな言葉を並べて激昂してくれた方が、幾らか気分が楽なものなのだが。

 

 (わたし)も、この仕事も。本当にろくでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日の仕事を終えた頃には、既に朝日が昇りかけて空が明るくなり始めていた。

 

 今日は何人助けたのか、今日は何人見殺しにしたのか。

 既に魔力がすっからかん。体に残ってるのは倦怠感と激痛くらいのもの。すぐにでも座席(コクピット)に戻って睡眠を取りたいところだったが、そんな(わたし)の往く道を遮るように立つ女の子の姿があった。

 

「どうしたんですか、ネム。(わたし)は見ての通りもうお話する気力もないんですが」

「ここは戦場よ。戦場での華人形は識別コードで呼び合う規則。アタシのことは《星刻(アーカイブ)》と呼びなさい、《聖娼(ファムルーナ)》」

 

 彼女の個体名はネム・アーカイブ。

 華人形の一人で(わたし)の同期。同期の中では最強と名高い戦闘能力でいつも最前線で戦闘をしている、所謂エリートと言うやつだ。

 

 エリートなだけあって、彼女も長い戦闘からの帰りのはずなのに宝石のような輝きの青い髪や、戦闘装束には一切汚れが無い。

 先程までずっと忙しなく働き続け、死体の処理とかも手伝ったせいで全身汚れまみれの(わたし)とは大違い。

 

 不機嫌そうなままこちらへと歩み寄ってくるだけで、果実を思わせる爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、同時に汗と硝煙の臭いが自分に染み付いていることが少し恥ずかしくなった。

 

「聞いたわよ。アンタ、助けを求める人間を見殺しにしたそうね」

「そんな酷言い方しないでくださいよ。(わたし)はより多くの人間を救うのが仕事であって──────」

 

 パチン、という甲高い音と、頬に走った痛みが(わたし)の言葉を遮った。

 

「サイアク。ただでさえアンタは敵を殺せない華人形の落ちこぼれなのに、自分の仕事も満足に出来ないとか。アタシ達華人形全体の評判が下がるんだけど。向いてないんだから、さっさと消えてくれない?」

「……消えれるもんなら、消えてますよ」

 

 ネムの言うことは全くその通りで、華人形でありながら殲滅系の異能を持たず、かと言って奇跡と呼べるほどの力では無い(わたし)の力。

 

「何いっちょ前に悩んだみたいな顔してるのよ。アンタは悩んでるんじゃなくてビビってるのよ。戦場で前に出ることも、戦場から去ることも。怯えて決断できてないだけのくせに、被害者ですって顔されるのが一番ムカつくの」

「さすが、部下のことはよく見ていますね」

「皮肉だけは一人前ね。……私達、同い年でしょう。なんで敬語使ってんのよ、気持ち悪い。そういうの、大嫌いなの」

 

 それだけ言い残して立ち去っていくネムとのやり取りは、もう何度目か。頬だって何度叩かれたか覚えていない。昔は仲良しだったんだけどなぁ。

 

 しかしネムの言うことは的を得ている発言だった。

 華人形の価値とは、どれだけ多くの敵を殺すことが出来るかだ。その点で言えば、人の怪我を癒すことしか出来ない(わたし)は華人形の落ちこぼれ。

 

 幾ら(わたし)が人を治そうとも、それよりも多く、それよりも速く悪獣(マリス)が人を殺してしまうのなら意味が無い。

 

 幾ら武装を上手く扱えても、華人形にとって最大の武器である異能が敵を殺すのに役に立たなければ何の意味も無い。

 

 

「……ネム、力強くなったなぁ」

 

 

 訓練兵時代、ネムに力で負けたことは無かった。

 むしろ同世代でも一番貧弱だった彼女の張り手がこんなに痛く感じるなんて、あの頃は思ってもいなかった。

 

 気分的にはもう膝から崩れ落ちて泣き出してしまいたい。

 でもそんなことしても何も解決しないし、何より今更泣き喚けるほど血の通ったフリは出来はしない。

 

 

 

 西国歴113年。

 明日のことなんて考えることも出来ず、今の痛みに苦しみ続ける人々の時代。

 

 こんな記録を、「思えばあの頃は平和だった」と思い返すことになるなんて、冗談でも思いたくはなかった。

 

 それでもこの記録を、(わたし)達がここに居たという事実をいつかのどこかの誰かに、知っていて欲しい。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 掌にはもう熱は残っていない。

 それなりに力を込めて叩いたと言うのに、全く痛まない己の掌を見つめて、ネム・アーカイブはなんとなく鉄を思い浮かべた。

 

 冷たくて、硬くて、血の匂いばかりする鈍色の非生物。

 今の自分とそれは、相違点より共通点の方が多いのかもしれない。

 

 昔はこんなんじゃなかったのになぁ、と。ネムは自分の掌を他人の物のように見つめていた。

 

 

『いやぁ、俺ってかなり美少女だよなぁ。ネムもそう思わない?』

 

 

 いつだってリリィは私の前にいてくれた。

 

 

『皿を割ったくらいでそんな落ち込むなって。ルリさんも手伝おうとしてくれたことくらいわかってるし、俺の次に可愛いネムが謝ったら、ルリさん顔デレデレにして許してくれるから』

 

 

 私はリリィがいたから前を向けた。

 臆病で、自信がなくて、不器用な私をいつもリリィは手を引いて、進むべき道を示してくれていたのに。

 

 

 

『……あー。ネム、さんって呼んだ方がいいんですかね。いや、《星刻(アーカイブ)》か。部隊長ですもんね。(わたし)のは《聖娼(ファムルーナ)》なので、よろしくお願いしますね』

 

 

 

 なのに、なんで。

 

 なんで私なんかに敬語を使うの。

 なんで昔みたいに、男の子みたいな口調を使うのを辞めたの。

 なんで、貴方が私の後ろに立っているの。

 

 

 何をやっても一番だったのはリリィだった。

 姉さん達の手伝いも、かけっこやかくれんぼも、戦闘訓練もテストの成績も、どんな時も一番だったのに。

 

 そんな貴方がいたからこそ、私は頑張れてきたのに。

 

 

 なんで、それを捨てしまったの? 

 なんで、あんなくだらないもの何かのために捨ててしまったの? 

 

 

 

「……大嫌い」

 

 

 

 いつの間にか口癖になってしまった、好きでも無い言葉を呟いて。

 叩かれた頬を抑えて苦しむわけでも、悲しむわけでもなく、誰かに謝るような表情を浮かべるリリィの姿を、ネムは彼女が立ち去るまで遠くから見つめ続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






『リリィ・ファムルーナ』
主人公。百合の花を咲かせられないTS妖精さん。前世は平和とは少し縁遠い国で傭兵をしていたらしい。傷を癒す異能を持つ。

『華人形』
妖精さん。拡張魔導装甲を乗りこなして悪獣(マリス)に立ち向かうことが出来る人類の最終兵器。基本的に心優しい子が多い。

『悪獣』
人類を追い詰めているバケモノ。とても強い。

『ネム・アーカイブ』
リリィの幼なじみ。リリィのことが大好きだった。



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2.博打に金剛は煤汚れ

 

 

 

 先日の悪獣(マリス)掃討作戦で、結界付近の東部戦線にはだいぶ余裕が出来たということを、(わたし)は後方基地のベッドの上で知った。

 

 あの後、何度も何度も悪獣(マリス)が攻めてきてはそれを押し返し、その度に負傷者が山ほど出て気絶するまで治療を続け……そこから先はよく覚えていない。

 

 だが、結果として少なくとも『勝利』と呼べる程度の戦果は得られたようで何よりだった。

 まぁ、現存する拡張魔導装甲を扱える華人形(ガラテイア)9体のうち、3体が投入されたのだ。それくらいの戦果は上げられなければ人類はとっくの昔に滅んでいるだろう。

 

 

 ベッドの上でぼんやりと、誰かが剥いて置いていったであろうリンゴを口に運ぼうとすると、そのうちの一つが別の手によって取られて行った。

 

「よ、相変わらずお寝坊さんだね。リリィ」

「……他の皆より体力がないの、気にしてんだけど」

「ありゃ、戦場の女神様モードはお休み?」

「そっちがお望みなら、そのように接しますよ。ロッテ」

「いいよ。変に優しいリリィとか見てて気持ち悪いもん」

 

 ケラケラと明朗な笑顔を浮かべながら、誰もいない隣のベッドに腰をかけていたのは、濡れ羽色のショートカットの少女。

 

 彼女の名前はロッテ。

 俺の同期であり、幼なじみ。俺とネムとロッテ、この3人は同じ『花園』出身の幼なじみかつ同期であり、そういう縁もあってか未だによく組むことが多い腐れ縁と言うやつである。

 

「ネムは?」

「今日一旦帰還するって。しかし、一番魔力量が多いとは言え、燃費は良くないはずなんだけどねぇ」

 

 魔力と言うのはこの世界において生物が持つエネルギーのこと。

 華人形もそれを持ち合わせ、異能のエネルギー源として消費する。使い過ぎると神経に負担がかかって、(わたし)のようにぶっ倒れてしまう。

 

「ネムがこっちに下がるってことは、もう暫くは安全ってことでいいのかな」

「さぁね? 今の戦線で良い状況なんて聞いたことないし。補給終わり次第アタシ達ももっかい同じ戦場か、別の戦場かでしょ」

 

 この100年で人類が悪獣(マリス)に勝ったことは一度としてない。

 焦土作戦によって土地の侵食を免れた例や、大規模侵攻に対して迎撃を成功させた例はある。

 だが、悪獣(マリス)によって奪われた土地の奪還に成功したことは、一度だってない。

 

 人類はじわじわと滅んでいる。

 その事実は、最前線で戦い続ける(わたし)達が一番よく分かっている。

 

 その事を考えると、胸の奥から針が生えてきたかのような苦しみが生まれる。

 華人形という種族は共感性が高く、同時に献身的な性質を持つ。元々、別の世界で人間として生きていた記憶を持っていても、誰かが死んでいると考えるだけで酷い不安と苦しみが生じてくるのだ。

 

「あー……いやいや! ここはプラスに考えよう! リリィのおかげで相変わらず死者負傷者の数は減少傾向にあるんだから!」

「……悪い。表情に出てた?」

「何年一緒に居ると思ってるの? ま、仕事中じゃなきゃ注意する理由もないし、アタシの前だけならどんな変顔晒そうが爆笑するだけで済ますから」

 

 一応生まれとしてはロッテの方が姉に当たるが、精神年齢上は自分の年齢の半分の女の子に励まされてしまった。

 

 ロッテは同世代で一番早生まれであり、本人も常に周りをよく見ている。下の子達もロッテのことは姉と言うよりも母親のように慕っているし、俺達の『花園』のお母さんポジションが彼女なのだ。

 

「まぁ気にしなくてもいいんだけど……もしもちょーっとでも恩義に感じているのなら、手を貸してくれないかな?」

「今度は何をするつもり?」

「やらないように手を貸して欲しいというか……」

 

 ネムも(わたし)も、ロッテのことは信用しているし頼りにしている。

 

 戦場において彼女の識別コード、《不壊(アダマス)》は勇敢なる盾であり矛を示す。

 土から超高硬度の結晶体を生成するその力と、勇猛果敢な彼女の戦いぶりにケチをつける者なんて一人だって居はしない。

 

 

 

 

 

 

 

「よっしゃ! ロイヤルストレートフラッ」

「はい今異能使ってカードの表面を結晶でコーティングしましたね。触って見ればわかりますよ」

「この女またイカサマしやがったぞ!!!」

「やらねぇって言うから賭けに乗ってやったのに!!! どうしてそんなに人の心を踏み躙られるんだ!」

「なんで言っちゃうんだよリリィィィィ!!!」

 

 軍の男衆に詰め寄られているロッテを見て、さすがに溜め息が漏れてしまった。

 

 ロッテはすごく良い奴なのだが、一つだけ欠点を上げるとしたらギャンブルが大好きな事だろう。

 

 もっと具体的に言うなら、金を賭けたギャンブルをやらないと興奮できない。依存症なんて言葉も生温い生粋の中毒症状患者なのだ。

 しかもギャンブルをするのは好きだがお金が無くなるのは嫌なので徹底的にイカサマをするのでタチが悪い。

 

「イカサマしないように見張っててって頼んだの、ロッテの方ですよね?」

 

 他の人の目があるので(わたし)はちゃんと外行きの口調でロッテに話しかけるが、本当なら普通に「なんでイカサマしてんのバカなの?」くらい言ってやりたい。

 

「だって……リリィが見張っててくれないと絶対イカサマするからって、誰もアタシとギャンブルしてくれないんだもん! 仕方ないじゃん!」

「イカサマ本当にするからだろイカサマフェアリー! 何被害者ぶってんだよ!」

「頭までお花畑になってやがんのか!?」

「んだとヒューマン共! よっしゃもっかいだ! 今度こそ金を巻き上げてやる! リリィ、お金貸して!」

「嫌だよ……」

「リリィー!」

 

 反則負けの連続で既に懐が寂しくなっているロッテは、泣きながら俺に縋りついてくる。

 戦場で弱音を吐いたところなんて一度も見たことない鋼の華人形(ガラテイア)が、恥も外聞もなく泣きわめきながら同僚に金を縋る姿は、市民の皆様には絶対に見せられない。

 

 兵士相手にも偶像(アイドル)売りをしている(わたし)がやったら、まず上官に死ぬほど怒られて、次にネムに顔の形が変わるまで殴られることだろう。絶対やらないけど。

 

「リリィちゃん……なんだか見てて可哀想になってきたから、金貸してやってあげてくれよ……」

「イカサマするのは擁護しようがないカスだとは思うが、俺達のことを何度も戦場で助けてくれたあの《不壊(アダマス)》がこんな情けない姿を晒してると、心が苦しくなるからよぉ……」

「貴方達が貸してあげたらいいんじゃないんですか?」

 

 (わたし)がそう言うと兵士達は皆目を逸らして下手くそな口笛を吹き始める。

 

 ギャンブル癖は最悪であるが、戦場におけるロッテの活躍を知っている兵士たちからすれば、ロッテは戦場の花であり同時に命の恩人。邪険には扱えないだろうが、まさかここまで親バカ、いや兵器バカ? 或いは華人形バカだろうか。ここまで甘やかされているとは思っていなかった。

 

「はぁ……しょうがないですね。絶対に後で返してくださいよ」

「やったー! リリィ大好き!」

「さすが《聖娼(ファムルーナ)》のリリィちゃんだ。まるで女神の如き優しさだな……」

「言っておきますが、後で全員賭け事に夢中になっていたことは上官に報告しますからね?」

「「…………」」

 

 (わたし)がそうつけ加えると、ロッテ達は黙ってしまい、それからディーラー役からカードを受け取った。やめはしないんだね。

 

 

 本当に、ロッテは昔はこうでは無かったのだが。

 とは言え変わってしまったことはあれど、本質的には変わってないところもあるのかもしれない。

 

 ロッテはギャンブルでスった結果、定期的に(わたし)やネムからすらお金を借りているが、約束の期限までには絶対に返すし返していないお金がある時は絶対に追加で借りようとはしてこない。

 

 当たり前のことと言われれば当たり前のことなのだが、ロッテはギャンブルに対して明らかに依存に近い何かがあるのに、自制がギリギリで効いている、ように思えなくもないのだ。

 

 加えて彼女とギャンブルをして、最終的に怒っている人を(わたし)は見たことがない。

 そりゃあイカサマがバレた瞬間はえげつないくらいキレられているが、最終的に終わった時は何故かみんな笑顔で解散しているし。

 

 ロッテはいつもどんな時も、誰かを笑顔にできる才能がある華人形だ。

 俺や、ネムにだって無い才能。その上で強くて頼れると来たら、多少の欠点くらい目を瞑れるというもの。

 

 まぁ、それはそれとして。

 

「そいつまた表面コーティングイカサマしてますよ」

「こいつ! 俺たちの純情を弄びやがって!」

「なんで同じ手が二度通じると思ったんたんだ!? 新手の煽りかこの煽り上手め!」

「娘くらいの年齢の女の子に賭けポーカーでイカサマされるオッサンの気持ちを考えろ! 心が痛ぇんだよ!」

「リリィィィィ!!!」

 

 

 イカサマしないかの監視役として連れてこられたので、(わたし)の役目はちゃんと果たすのだが。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「ふぅ……何とか収支プラスで納まったぁ」

「最後の方めちゃくちゃ接待プレイされてたじゃん」

「まぁアタシ可愛いからね」

 

 財布の中身を数えながら、ロッテは笑顔でそう答えた。

 確かにロッテはというか、華人形は全員美形ではあるが(わたし)の価値観として大手振って自分の可愛さを主張するのはどうかと思わなくもない。

 

「これで『花園』の妹達に今月もプレゼント買ってやれるな〜。何買ってあげようかな〜」

「最初からそう言えば、(わたし)だってネムだって普通に一緒にお金出すのに」

「ダメダメ! みんなでお金出したら帰った時に『ロッテお姉ちゃん大好き〜』って言いまくってもらえなくなっちゃうじゃん! 愛嬌で二人に勝てないのはわかってるからね」

 

 ギャンブル大好きのくせに、自分のお金は全て『花園』の妹達が少しでもいい暮らしを出来るように使ってしまう。

 本当に、ギャンブル依存症さえなければ完璧と言ってもいいだろう。

 

「……ねぇ、ロッテ」

「なに、リリィ?」

「それ、『拡張症候群』でしょ? そう言ってくれれば、こっちだって向こうだって……」

「アハハ、違うって。アタシのはそう言うのじゃないから。なんて言うかなぁ、死ぬって分かったら楽しく生きなきゃってなって、その結果ギャンブルにハマっちゃっただけ。見下してくれていいから」

 

 拡張症候群。

 華人形が戦闘時に乗り込む、鉄の龍のような魔導機械、拡張魔導装甲。搭乗者の意識を拡張し、鉄の塊を己の手足のように動かして空を飛び、敵を殲滅する華人形が最強の兵器である一因。

 

 だが、本来ならば小さな体に収まる意識を無理やり巨大兵器の操縦に組み込むことは大きな負荷となる。

 人間ならば廃人に、自己の定義が人間などの生物と比べて曖昧で薄く、良く言えばゆとりのある妖精族ですら、その長期使用は精神に悪影響を及ぼす。

 

 奇妙な趣味嗜好が現れたり、好悪が反転したり、記憶や人格、或いは肉体そのものに影響が出たり。それが拡張症候群だ。

 

「ロッテ程の出撃回数で何も出ないなんておかしい。ちゃんと申請さえしてくれるなら、軍から相応の補填が……」

「だから違うって言ってるじゃん。アタシはギャンブルが好きなの。リリィの方こそ、拡張症候群の申請してないでしょ?」

「それは……」

 

 (わたし)は前世がある影響で自己意識が拡張される感覚に耐性があるのか、或いはそういう体質なのか。何故か拡張症候群の症状が一切出ていない。

 けれど、ロッテは(わたし)のように別世界の前世の記憶なんてないだろうし、そうでなくても(わたし)なんかよりもロッテの方が負担は大きいはず。

 

「それでも、(わたし)はロッテが心配だよ。(わたし)の異能は治すことしか出来ないから、いざって時にロッテを守ってあげられない。だから、今ここでくらい心配できるだけさせて欲しい」

「……そう言われちゃうと弱いねぇ。でも、ほんとに心配する必要は、()()()()()()()

 

 そう言って、ロッテは懐から赤色の紙を取り出した。

 

 それを見て、(わたし)は思わず言葉を失ってしまった。

 

 赤色の紙は(わたし)達華人形にとって特別な意味を持つ。そう言えば、前世でも似たような風習が昔どこかの国にあったはずだ。

 

 

「次に『散華』するのはアタシだから。今更リリィが心配するべきことなんて、何もないんだよ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 リリィは昔から面倒見が良かった。

 それがロッテから見たリリィという幼なじみの姿だ。

 

 なんと言うか、妙に大人びていたのだ。

 同い年のはずなのに、こちらを年下のように見ている。見下しているのではなく、見守ってくれている。

 

 それでいて色々なことを知っているし、訓練が始まってからは何をやらせても一番だった。特に射撃訓練なんて、リリィが外しているところをロッテは見た事がなかった。

 

 

 でも、そんなみんなの憧れのリリィは、ある日を境に居なくなってしまった。

 だからロッテはリリィになろうとした。リリィみたいにみんなを後ろから見守って、いざと言う時は前に出てなんでも解決する。

 

 そんなカッコイイお姉ちゃんになりたかった。

 でも不器用な自分にはそれが出来なかった。だからせめてずっと前に立って、ただ不格好にまっすぐ進んで、せめてみんなの前に立つことで頼りになる誰かになりたかった。

 

 

「はは……。ちょっと前に、進みすぎちゃったかな。でも」

 

 

 届いた赤紙は、一言で言えば死刑宣告。

 けれど、ロッテの胸にあったのは不安や悲しみよりも安堵だった。

 

「これなら胸を張って先輩面できるし、もう何も壊さなくていいもんね」

 

 部屋の隅に飾ってあった一輪の花。

 指先で愛でるようにその花に触れ、次の瞬間彼女の手は無造作にそれを握り潰した。

 

 手が開かれれば、そこにあるのはくしゃくしゃに丸められた花であったモノ。

 それを見るロッテの表情は、今日一日のどの瞬間よりも輝いていた。

 

 

 

 

 

 







『拡張魔導装甲』
華人形を核として起動する巨大兵器の総称。過去の魔道遺産と現代の技術を融合した不格好な鉄の塊。核となる華人形の能力に合わせて改造、調整する為量産は出来ないが、文字通りに一騎当千の戦闘力を秘めている。

自身の肉体を機械によって物理的、能力的に強制拡張させる技術であり、通常の人間は使用した時点で自己の喪失による廃人化は免れない。華人形も長時間の使用や連続使用によってはそのリスクがある為、彼女達には定期的に休息をとることが義務付けられている。

とは言えいくら気をつけても華人形は人類の最大戦力であるためどうしても高負荷下での戦闘は避けられず、精神負荷による後遺症、『拡張症候群』が確認されている。
拡張症候群は魔導装甲の長時間使用が原因とされているが、それ以外は不明な点が多く、症状は主になんらかへの依存症、記憶障害、精神の不安定化、非接続時の肉体機能の喪失、人格汚染などが挙げられる。


『ロッテ・アダマス』
リリィの同期の華人形。リリィ、ネムとは幼なじみであり、同じ『花園』の出身。明朗快活で頼れる人物だがギャンブル依存症。
リリィのことが好き。


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3.観測者は華に重ねる

 

 

 

 

「どういうことだ! 話が違うだろ!」

「なになにどうしたの()()()。おいおい顔が怖いじゃない。お話しよう、お話?」

 

 ヘラヘラと笑いながら両手をあげる髭面を見て、(わたし)は思わず我を忘れてその顔に風穴をぶち上げてやるべく胸ぐらを掴み、拳を振り上げる。

 

「落ち着け。さすがに殴るのはまずいぜお姫様」

「───。殴られるようなこと、するんじゃねぇよ」

「さすがに俺にそこまでの権限はねぇよ。ま、文句も罵倒も真正面から受けるのが俺の仕事だ。言いてぇこと言ってみな、お姫様」

「任務中以外その呼び方やめろって言ってんだろ」

 

 ロッテから『赤紙』を見せられてすぐ、(わたし)はある男を探して基地中を走り回った。

 そして目的の男は格納庫で一人、俺の識別コードであり拡張魔導装甲の《聖娼(ファムルーナ)》を見上げていたこの髭面の男。

 

 (わたし)の専属オペレーターを務める軍人、レガン・シュロウ。

 僅かに刻まれた皺と整えられた髭と、見た目だけならば小綺麗でダンディなおじ様と言った感じだが、(わたし)にとっては顔を合わせると喧嘩になるのでできるだけ顔を合わせたくない相手だった。

 

 何せこのオッサン、常軌を逸して意地が悪い。

 

「なんで、なんでロッテが散華するんだよ! 次は(わたし)がやるって、やらせてくれるって、次はお前だって、約束したじゃねぇか!」

「頭に血が登りすぎだぞ、《聖娼(ファムルーナ)》。ちょっと考えればさすがにオペレーターにそこまでの権限はないって分かるだろ」

 

 華人形の専属オペレーターがどれくらい偉いのか、というのは正直よくわかっていない。

 だが、世辞無しに最強の兵器である華人形の管理を任されているのだ。それなりにこの男には発言権があるはず。だからこそ(わたし)はこの男の条件を呑んで、偶像(アイドル)じみたクソッタレな女神様ごっこまでやっていたと言うのに。

 

 

 散華とは、端的に言ってしまえば自爆特攻だ。

 

 華人形は大なり小なり異能を持つ。

 その異能が強力かつ大規模な代物になればなるほど、華人形個人が扱える魔力もその出力を支える様に上昇する。

 

 そうして一定以上の魔力と強力な異能を併せ持った華人形には、識別コードと拡張魔導装甲が与えられる。

 ここまで至った華人形の異能は皆、現実を塗り替える様な奇跡と言われるに相応しい力。その体内では小規模であるが、世界の『改変』に近しい現象が起きているのだと言う。

 

 それを体外に放出することこそが散華。

 強力な華人形の散華は、周辺一帯の悪獣(マリス)を殲滅しながら、異能の力に応じた奇跡を齎す。

 

 7年前、(わたし)と姉妹関係にあった歴代最強の華人形、ルリ・テンペストが行った散華は、崩壊しかけていた南部戦線『ポイント14』とその周辺結界を飲み込み丸ごと『消滅』させた。

 現れた黒い壁は今現在も破られることなく悪獣(マリス)の侵入も、人類の干渉も遮り続けている。

 

 

 だが散華には大きすぎるデメリットがある。

 華人形を失うのはもちろんのこと、これほどのエネルギーを指向性を持って放出するのは華人形単体では不可能。

 散華には拡張魔導装甲の装備が必須。しかし散華の衝撃で拡張魔導装甲は間違いなく破壊される。加えて、戦場で散華を起こすとなれば下準備などを含めて多大な犠牲が出るのは間違いない。

 

 

「今の東部戦線は常に進退を繰り返していて、そんな用意をする余裕はない。だいたい、ロッテの年齢はまだ15だぞ。耐久限界の目安である18にはまだ3年も──────」

「だから落ち着け、落ち着けって。お前が話すような情報をこっちが知らないと思っているのか?」

 

 声を荒らげて、威嚇するように話しかけてもレガンが浮かべている胡散臭い笑みの仮面は剥がれない。

 これだからこいつは嫌いなんだ。いつだって、どんな時だって、(わたし)達を子供に接するように扱って、それでいて人間としてみていない。

 

「近々、東部戦線『ポイント9』の奪還作戦が計画されている。お前の言うロッテちゃんの散華は、この奪還作戦の要ってことだ」

「ポイント9を……?」

 

 ポイント9は旧西国の領土であり、東部戦線の現在の最前線の先にある平原を中心としたエリアの総称だ。

 あの辺には農地や鉱床が存在し、奪還出来れば現在の資源不足や住民の問題の幾つかは解決できる。

 

 だがそれは奪還出来ればの話。

 

「ポイント9の要となる地点から現在の前線基地までの距離、そしてそこにいる悪獣(マリス)の数を考えれば、そんな作戦成功するわけが無いとわかるだろ。華人形と魔導装甲を一つ無駄に失うつもりか?」

 

 人類が悪獣(マリス)から領土を奪い返したことは一度もない。

 だと言うのに、いきなりこんな大規模な領土奪還作戦が成功するなんて、頭にお花畑が出来ていたって普通は考えない。

 

「……いや、言い方を変えるか。そんなに(わたし)が嫌いか、レガン!」

「嫌いって……俺はお姫様のことが大好きだぜ?」

「じゃあ言い方変えてやるよ。毎度毎度嫌味っぽく、自分が娘にしていた、お姫様なんて洒落た呼び方を俺にぶつけて、そんなに()()()()()()()が嫌いか!? (わたし)が幼なじみを無駄死にさせられて苦しめば満足か!? 全人類を道連れに自殺でもしたいなら、せめて華人形(わたしたち)は巻き込むな!」

 

 レガンの笑みが明確に固まった。

 そう、(わたし)は昔、この男の娘を殺した。それからこの男は(わたし)のオペレーターになって、毎度毎度(わたし)に嫌がらせをしながら、作戦を完璧に成功させてきた。

 

 正直言って恐ろしい。

 自分の娘の仇を相手に笑顔で指示を出して、完璧に任務をこなしながら、確実に(わたし)が嫌がることはする。

 

 傷を癒す力があるならばもっと優しく、お淑やかに。

 偶像(アイドル)としてのイメージ戦略をしようと、(わたし)が嫌がるのを承知で上層部に売り込み、バッチリ通して(わたし)が今現在兵士の前では女神のような立ち振る舞いをしなきゃならない原因を作りながら、しっかりと戦意高揚の結果を出したり。

 

 この男がその頭脳をしっかり活かせば、悪獣(マリス)に勝つことは出来ずとも1つのポイント奪還くらいなら本当に出来てしまうのじゃないかと思うほどに、この男は優れた思考能力を持っている。

 

「はぁ……勘違いするなよ。いや、お前に合わせてこう言い換えるか。()()()()()()()、《聖娼(ファムルーナ)》」

 

 レガンは笑顔を捨て、(わたし)を識別コードで呼んだ。

 それはじゃれ合いや嫌がらせなしの真面目な会話だと、コイツなりに(わたし)に伝える合図。

 

「俺はお前よりは長く生きてるし、残念ながらお前よりも頭がいい。だからムカつくが人が死ぬ前提で人類がより長く生き延びられる確率のある選択肢を選ぶ。それが俺の仕事だ。確かにテメェのことはぶち殺してやりてぇさ。テメェが大切にしてるものを全部ぶち壊して、あの子が味わった苦痛の何百倍もテメェに与えて殺してやりたいさ」

 

 だが、と(わたし)への怒りに燃える瞳に、確かに力強い意志と正義をレガンは宿らせていた。

 

「無駄死にだぁ? 貴重な兵器をそんな使い方させるほど俺がバカに見えるか? 見えるんだったら花園からやり直してくるんだな! それが一番現実的で可能な作戦であるから、俺達はそれを遂行することを決めたんだよ。テメェへの嫌がらせで、貴重な華人形を減らすわけがあるか。テメェが散華に選ばれねぇのは、単純にテメェがそれをしたって大した戦果にならねぇことが分かりきってるだけだ!」

 

 普段のレガンからは考えられないほどに口調が荒く、かつ胡乱な言い回しを好むコイツらしくない真っ直ぐな正論に、(わたし)は言葉を失いながら一歩後ろへ後ずさる。

 

 そして、一歩引いた場所からレガンの姿を見て、彼が何を言いたいのかを理解した。

 

「悪い、レガン。少し冷静じゃなかった」

「───気にすることないぜ、()()()。アンタらのメンタルケアも仕事のうちだ」

 

 激情に呑まれている人は、自分よりも激情に呑まれている者を見ると逆に冷静になると言うが、どうやらそれは本当らしい。

 

 レガンの憤怒の()()を見せられて、傍から見たら今の自分が同じような状態であることに気づき、冷静になった。

 だからコイツは嫌いなんだ。変なところで気が利いている。(わたし)は本当にコイツの娘を殺した兵器なのに、何処かで(わたし)を大切に扱っている。

 

「とは言え言ったことは一部はホントだ。俺だって、早くアンタには死んで欲しいんだが、如何せん死なせるメリットがない。その最大たる散華でですら、期待できない優しい異能持ちだからな」

「悪かったな、役立たずで」

「そうは言ってねぇだろ。むしろ殺すには惜しいから殺さねぇんだから」

 

 あぁ、やっぱりこの男にはバレているんだろうな。

 (わたし)が7年前からずっと、死にたくて戦場に立っていることを。

 

 だからこそコイツは(わたし)を死なせない。

 けれどコイツは(わたし)の願いをわかっている。(わたし)が死にたいのは、少しでも役に立ちたいからだ。

 

 だから(わたし)を生きたまま最大限活用し続けるんだ。

 (わたし)の願いを踏みにじりながら、(わたし)を喜ばせる。本当にこの男は、性格が悪い。

 

「どうした? まだ何か言いたいことがあるか? お姫様」

「ないよ。何言っても口喧嘩じゃレガンには勝てないし」

「はっはっはっ。よくわかってるじゃねぇか」

 

 

 西国歴113年。

 ポイント9奪還作戦の4ヶ月前。

 

 幼なじみの散華の時を前にして思い出していたのは、7年前のこと。

 

 最強の華人形と呼ばれていた、(わたし)の姉が死ぬことになった、あの日までの日々だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 細い首引きちぎってカラス共の餌にでもしてやりたかった。

 

 それが、レガン・シュロウがリリィへと向ける正直な感想だった。

 

 表向きは事故であり、実際にそう処理されていたが、レガンにだけは自分の娘を殺したのがリリィであることはわかっていたし、リリィもその事実を認めた。

 

 本人が認めているならば仕方ない。

 もしも認めていないのならば、レガンはそうですかと諦めて普通にリリィのオペレーターをやっていただろう。

 

 何故ならば、リリィという華人形は極めて優秀だった。

 異能や魔力を抜きにした知能テスト、格闘訓練、判断能力、射撃訓練何れも記録にない程の好成績。

 

 魔力の伸びも順調で大層な異能に覚醒し、優れた心技体と強力な異能を併せ持った最強の華人形である彼女の姉、ルリ・テンペストすら超えると誰もが想像していた──────が、そうはならなからなかった。

 

 レガンの娘が殺された日、リリィは全てを失った。

 だからそれで終わりにしてやろうと思っていた。もう後悔も反省も済んだ相手に憎悪をぶつけたところで意味が無いことは知っている。

 

 それに、幾ら落ちぶれたとはいえレガンは昔娘の死の理由を問いつめた際に、リリィが如何に優秀な華人形かは思い知らされていた。だから何もかも過去のことと水に流して、優秀な華人形の優秀なオペレーターとして振る舞うことが正解だと。

 

 そう思っていたのに。

 

 

『殺したければ殺していいさ。お前なら事故に見せ掛けて殺すことだってできるだろ。……なんでって。そうすれば、1つくらいは何かを救えるから、かな』

 

 

 リリィは自分を許していなかった。

 

 なのになんで、俺はこの女を許さなければいけないのか。

 

 リリィという華人形は落ちぶれたと人は言う。

 同期の青髪の華人形はその姿に嫌悪すら抱いているようであったが、何もかも間違いだ。

 

 リリィという生物の本質は何も変わっていない。

 しょうもない異能に覚醒してしまった程度でそれは変わりなんかしない。

 

 

「許してやらないさ。あぁ、そうだ。世界中の誰もがお前を許そうとも、俺だけはお前を許しはしない」

 

 

 聖娼とはよく言ったものだ。

 あの女は正しくそれを名乗るに相応しい。放っておけば、いずれ暗黒とすら閨を共にするだろう。

 

 リリィという存在は、人が割り切るものも、華人形が割り切るものも割り切れない。完璧だからこそ、無欠だからこそ。

 

 その姿は──────美しいまでに、欠落している。

 

 

 

 仇の居場所が地獄にしかないというのならば。

 地獄にまで共に落ちてやるというのもまた、一興だろう。

 

 

 

 

 







『レガン・シュロウ』
リリィのオペレーター。リリィの事を殺してやりたいと思っている。





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4.戦火は百合に血を刻み

 

 

 

 

 

『戦線が突破されている。悪獣(マリス)達め、どうやら こっちが準備してるのに気づいたらしい。乱戦になるがくれぐれも落ちるなよ、お姫様。今アンタが死んだら、ポイント9奪還作戦は白紙になる』

「…………」

『おっと、白紙になるって言っても、元々アンタが参加する前提だからその部分が組みなおしになるだけだ。間違っても自殺なんてすんなよ』

「わかってるよ。するかよそんなこと」

 

 あの後ポイント9奪還作戦と───ロッテの『散華』は(わたし)とネムにも正式に伝えられた。

 

 人類初の領土奪還作戦。

 それに伴う準備の為に戦線の動きが停滞したところを、悪獣(マリス)共は嗅ぎつけて来た。

 

「第一結界が破壊されたわけでは、ないんだよな?」

『それは心配するな。そうなったらこんな呑気にブリーフィングも出来やしねぇよ』

 

 人類の生存権を護る三重結界。

 その第一層は、常に流動し強度の高い地点と低い地点が存在する。

 

 悪獣(マリス)は一定の知能があるが、そこまで高い知能を持つ訳では無い。だから奴らの感覚機能で結界の『弱い部分』を感知させ、それを常に動かすことにより迎撃地点を分散させながら、悪獣(マリス)に常に移動をさせて一気に突破されるのを防ぎ、同時に一部分の出力を弱めることによって他の部分の出力を高めている。

 

 欠点をあげるとすればそれは、悪獣(マリス)が突破してくる前提であるし、最近では弱い部分以外も突破されることが多い。

 故に人類の正確な生存権はより強度の高い第二結界の内側ということになる。第一結界と第二結界の間は、常に悪獣(マリス)と人間が殺し合う激戦区という訳だ。

 

 

 現在その第一第二結界間の状況は、一部分を悪獣(マリス)に侵食されながらも結界のおかげで何とか殲滅速度が上回っている程度。

 前線を下げられたり、少しでもこちらが痛手を受ければいつでも状況は向こうに傾き、この領域は放棄しなければならないかもしれない。

 

 それを避けるためにも、近郊で最も悪獣(マリス)の発生が多く確認されており、新しい前線基地の建築にも適したポイント9の奪還は不可欠。

 

『《不壊(アダマス)》は現在、作戦に備え機体の調整中だ。《星刻(アーカイブ)》は前線で可能な限り悪獣(マリス)を殲滅中。ここの防衛が成功するか、そしてどれくらいの犠牲で済むかはお前にかかってるぞ』

「言われなくたってわかってるよ。───《聖娼(ファムルーナ)》、出撃します」

 

 その宣言と共に、俺の意識が鉄の塊に接続され、中に流し込まれる。

 魂という鋼を一度溶かし、別の型に流し込むかのような所業。終わった時、果たして本当にそれが同じ形に戻っているのか、同じ硬さに戻っているのか。

 

 そんなことを考えている余裕は、視界に広がる黒泥の群れを見ればすぐになくなってしまった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 彼はどこにでもいる普通の兵士だった。

 生家は第二結界の内側にあるが、裕福という訳でもない農家。そうするのが当たり前だから軍人となり、東部戦線の前線部隊に入り。

 

 

 そこでこの世の地獄を知った。

 

 

 初めてその姿を見たのは、隣にいた仲の良い同期が頭から齧りつかれて、残った下半身が彼らの体液に犯されて痙攣しながら、ゆっくりと悪獣(マリス)へと成れ果てていくという形だった。

 

 100年前から人類を追い詰めている天敵。

 散々親からも、学校でも聞いたその姿、その恐怖は理解しているつもりだった。

 

 性能(スペック)上では、一般的な悪獣(マリス)である猟犬型ならば、普及している銃で頭部を撃てば十分に核を破壊し仕留めることができる。

 猟犬型は図体が大きく最高速度こそ速いが、決して身軽でなければ知能も高くない。

 

 理解している。

 理解していた。

 わかっているのに、恐怖というものはいつだって理解の外に在るものだった。

 

 

「バカ、銃なんか握るな! 撤退だ! 間違いなく特異個体がいるんだってよ! 華人形(ガラテイア)がその特定と足止めをして、遠距離砲撃で殲滅の後白兵戦だ!」

「で、でも……ほんとに、ほんとにあんなの止められるのか!?」

「俺だって知らねぇよ! でも命令でそう言われてんなら信じるしかねぇだろ!」

 

 軍の上層部は決して自分達を見殺しにはしない。

 そして同時に無駄死にもさせない。撤退命令ということは、今ここで戦っても勝ち目がないということだ。

 

 だが、考えてしまう。

 

「だから、さっさと後方にしゃ」

 

 隣に立っていた同期の男の体が、突然飛来した岩石によって吹き飛ばされ、凡そ人の形を保っていない肉の塊となりながら吹っ飛んでいった。

 

 一瞬遅れて衝撃で吹き飛んだ彼は、すぐに顔を上げて敵の姿を目に移す。

 猟犬型と同じ姿であるが、背部に砲台のような器官が付いている。あれも一般的な悪獣(マリス)であり、空を舞う華人形を撃ち落とす為に生み出された砲撃型。

 

 そして、その後ろから続々と現れる猟犬型。

 地を覆い尽くさんばかりの軍勢、その全てに彼は生物としての意志を感じられなかった。

 

 何故人間を殺すのか、彼ら自身何も理解していないかのような。

 どこまでも冷たく、無感動な殺意。生物が行うにしては残虐過ぎるのに、どこか無機質的な虐殺行為。

 

 既存の生物のパーツを無理やりちぎり、繋ぎ合わせ、腐敗させた上で犬の形になるように捏ね回したかのような異形の群れが一歩ずつ、人類の領域に迫り来る。

 

 彼は理解していなかった。

 本当の恐怖は死ぬことなどではない。自らの尊厳が侵されることでは無い。

 

 

 この無機質で無感動な殺戮の尖兵が、何も考えていないかのような虐殺を自分の故郷にいる家族たちにも行うかもしれないこと。

 自分達が紡いできた日々が、歴史が、この腐肉の一部になる為だけになんの理解もなく食い散らかされること。

 

 それだけは人間として許してならない。

 たった1cmでも、こいつらが愛する人達の住む場所に近づくことを許してしまえば、いつか必ずその牙は彼らに届いてしまう。

 

 そもそも、こんな目の前に迫っていてもう逃げられるわけが無いのだから。

 

 

 

『そこの方、すぐに下がってください!』

 

 

 

 兵士が決死の覚悟の突撃を行おうとした、まさにその時。

 上空から聞こえてくる、少女の声。そして一瞬遅れて降り注いだ機銃の掃射。

 

 大口径のそれによる掃射は、悪獣(マリス)の核を砕くだけには留まらず、その肉片を細切れにし、地面に落ちる前に焼き払う。

 

 思わず上に目を向けた兵士の目に映ったのは、巨大なツバメのような鉄の塊。

 人類が悪獣(マリス)に対抗できる所以。見目麗しい華人形達が乗り込む、鉄の翼。

 

 拡張魔導装甲第八番機。

 現機体識別コード《聖娼(ファムルーナ)》。

 

『ここは(わたし)に任せて、貴方は撤退の後、戦線を押し返す準備を』

 

 機械仕掛けの天使の、優しく透き通ったその声を。

 彼はきっと死んでも忘れないだろうと思った。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

『よし、今ので撤退支援は完了した。直に砲撃が始まるから、当たるんじゃねぇぞ!』

「当てないように砲撃させろ!」

 

 歩兵の撤退を確認すると同時に、背後の砲台達が火を噴き始めた。

 悪獣(マリス)は肉体を吹き飛ばされても、核が無事であれば幾らでも再生する。加えて、核も多少の傷ならば時間経過で修復されてしまう。

 大雑把な砲撃よりは近距離での掃射が幾らか効果的なのだが、有効射程にある機銃群のエリアは今更人が近づける状況ではない。

 

『装甲車と砲台の位置と砲撃予測を順次脳に叩き込む。止まるなよ』

「了解」

『お前の役目は足止めだ。《星刻(アーカイブ)》が前線の特異個体を片付けるまでのな』

 

 拡張魔導装甲と一体化している間、(わたし)達の存在は生物よりも機械の中枢に近くなる。

 正確には生物では無い妖精ならではの利点。通信で送り込まれた情報はすぐさま脳で処理され、それを参考に自分の動きを他人事のように機械群へと命令していく。

 

「確認できるのは猟犬型と砲撃型。これくらいなら(わたし)でもどうにかなるな」

 

 背後から迫る砲撃の雨を、軽く機体を揺らして避け、大地が炎に包まれると同時に(わたし)は機体のブースターの出力を上げる。

 

 元々魔力の流れでものを見る、ということに長ける妖精種の感覚を機械で増強、拡張することによって一体化中は文字通り全方位に目が付いたかのような感覚。

 そして、魔力探知によって悪獣(マリス)の核の位置は凡そ把握出来ている。

 

『火器の制御を一部こっちに回せ』

(わたし)より上手く当てられる?」

『それは無理だが、今は手が欲しい』

 

 元から断る理由もないし、そう言ってくるレガンに一部重火器の使用権限を渡す。

 華人形の専属オペレーターは、華人形と常時更新可能な特殊な通信機器を使用しているが、これはいわば『感覚の共有』である為、あまり使い過ぎるのは良くない。

 

 だがレガンの言う通り、今は手が少しでも欲しい。

 (わたし)はあまり多くの敵を捌くのは得意では無いし、元々《聖娼(ファムルーナ)》は援護用の機体故に武装は最低限しかない。

 

「無駄弾はやめろよな」

『アンタと比べたら、この世界中全員無駄弾撃ちだろうよ』

 

 減らず口と共に、自分の体が勝手に動かされるような感覚。そして機銃の一門が起動し眼下の悪獣(マリス)を蜂の巣にし始める。

 

 (わたし)も続くべく、搭載されている火器に意識を集中させる。

 銃は前世でも握っていたが、今世では銃を握ると言うよりは、銃そのものになるような感覚。

 

 それからいつものように、引き金を()()

 何度も繰り返してきて、何度も訓練してきて、何度も想定してきた動き。

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()

 

 単発式大口径対悪獣(マリス)砲は、(わたし)の頭の中のイメージと寸分の狂いもない弾道で悪獣(マリス)の核を穿ち、さらにその背後にいた悪獣(マリス)も穿つ。

 

『……相変わらず、射撃の精度だけは文句無しに一番だな』

「射撃が上手いくらいで何になるってんだか。ほら、無駄弾撃ちは手を止めないで射撃に集中しろ」

『射撃中は妙にふてぶてしくなるよなアンタ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 猟犬型は対空攻撃を持たない。だから殲滅するのは華人形にとって難しくない。

 

 砲撃型も、背中の大砲型の器官から放たれる投擲攻撃はダメージにこそなり得るが、弾道予測と拡張魔導装甲の機動力にとってはほぼ当たらない。

 

 

 だから、(わたし)達が負ける要素はない。

 この状態を永遠に保てるならの話であるが。

 

 

「っ、ぁ……っぐぅ、ぅ……戦闘開始から、どれくらい経った?」

『5時間と少しだな。よくやったよ』

 

 想定よりも悪獣(マリス)の数が多い。

 今回の戦闘の目的が、下げられた前線の奪還と悪獣(マリス)の迎撃である以上、現在攻めてきている悪獣(マリス)を殲滅しなければ終わりは無い。

 

 故に、その間(わたし)達に休む暇はない。

 

 頭の中に刻まれた情報によれば、人類側も奇襲からの立て直しに成功し装甲車や歩兵が戦線に戻りつつあった。

 

 華人形の全力でのフル稼働の制限時間は、約4時間。

 それ以上になれば拡張症候群の悪化と意識拡張による精神疲労が深刻化する。

 

『そろそろ前線は安定化してきた。《星刻(アーカイブ)》も大方の特異個体の殲滅を終えて帰還する。アンタも一度退いて休憩しろ。ここからが本番だぞ』

「……それもそうだ。了解」

 

 ロッテが居ない故に前線維持なんて仕事に引き出されてしまったが、本来の(わたし)の仕事は負傷兵の治療だ。

 魔力の方は幸いにもまだ余裕があるし、これなら数分寝れば立って歩ける程度には回復できる。

 

 

 帰投するべく戦場とは逆方向に進行方向を定めた時。

 連続戦闘で疲弊し切った意識の隙間を縫うように、鋭い視線が(わたし)の羽へと突き刺さった。

 

 

『ッ、回避───』

「え?」

 

 

 直後、(わたし)の羽がなにか鋭い槍のようなモノに貫かれた。

 

「いづぅ!? っ、ぁ、アァ!?」

 

 (わたし)に羽なんてない。

 だが、鉄の中に染み込んだ(わたし)の意識は、貫かれたという感覚を如実に脳に叩き込んでくる。

 

 痛みが意識を支配し、既に疲労により限界を迎えていた脳はあっさりと処理能力の限界を迎え、電源を落とすかのように意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








『オペレーター』
華人形と戦闘中意識をシンクロさせ、援護を行う役職。
極めて高度な情報処理能力と思考能力が求められる為、適正を持つものは少ない。

華人形とのシンクロは華人形が追う全ての感覚を軽度で共有するということであり、華人形を通してのものでもその精神への負担は計り知れない。最大でも3年程度で拡張症候群により退役するか、精神崩壊により死亡する。

レガンはリリィと組んで4年目である。


『《聖娼(ファムルーナ)》』
リリィが搭乗している拡張魔導装甲の名前であり、彼女の識別コード。
拡張魔導装甲の形状はツバメのようだと表現される。最低限の射撃装備以外は機動力と収容に機能を割いており、戦場で負傷兵を回収、治療することが可能。反面、火力と防御力に関しては他の拡張魔導装甲と比べれば劣る。
そもそも異能が火力に貢献しない時点で、攻撃兵器としての価値は皆無に等しいが、リリィは卓越した射撃能力によってそれを補っている。

リリィ程の射撃能力がなければ、彼女の異能ではそもそも拡張魔導装甲を与えられることもなかった。


『射撃』
前世からリリィは射撃が大の得意で、よっぽどの悪環境でない限り射程距離内で的を外すことは無い。
拡張魔導装甲で感覚器官を強化すれば、一回の射撃で基本的に悪獣(マリス)を3体仕留めるらしい。

射撃の腕はリリィ>>>レガン>ネム>>>ロッテ。



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5.刺殺に百合は血滲む

 

 

 

 

 

 

『くそっ、射手型(サジタリウス)か! 何処に潜んでいやがったんだ……。おい、《聖娼(ファムルーナ)》……リリィ! 応答しろ!』

 

 

 羽根を射抜かれ地面に墜落した《聖娼(ファムルーナ)》。

 拡張魔導装甲はこの程度で行動不能になる作りはしていない。だが、拡張魔導装甲は搭乗する華人形(ガラテイア)がいて初めて起動できる。

 

 逆に言えば、何らかの要因で搭乗者の意識が奪われれば、その瞬間拡張魔導装甲は巨大な鉄の棺桶へと成り果てしまうということでもある。

 

 

 

「……ぅ、づぅ」

『リリィ! 生きてるか?』

「体は無事だ。痛みのショックで意識が飛んだだけ」

 

 油断していた。いや、油断させられた。

 今回の悪獣(マリス)の侵攻自体、華人形の長時間稼働による集中力の低下が狙いだったのかもしれない。

 

 大量の猟犬型の中に潜むことで魔力を隠していたのだろう。

 (わたし)の視線の先には、巨大な弓の形状をしたかのような腕を持つ人型の悪獣(マリス)が空を舞っていた。

 

 特異個体。

 拡張魔導装甲やそれに類する兵器軍を吸収し、急激に成長した悪獣(マリス)を指す。

 他の個体には見られない容姿と能力を持ち、単体で華人形と戦闘が可能な程の高い戦闘力を持つ。

 

 人類と悪獣(マリス)が戦っているのだとしたら、華人形はその中でもこの特異個体を倒すことが一番大きな役割だろう。

 

 

 ──────だからこそ、(わたし)は役立たずの華人形なのだ。

 

 

「近接武装、届けられる?」

『やってみるが期待するなよ。この状況、逃げろとは言えないが戦うなとも言えん』

 

 特異個体はその強大さ故に数も位置も、基本的には『予言』で確認できている。華人形の配置の殆どは特異個体に合わせたものだ。

 今回の作戦も、後方に展開された特異個体をネムが叩き、前方の部隊は(わたし)と人間の皆さんで片付ける。

 

 そういう方針だったからこそ、ここまで(わたし)達の誰にも発見されず接近されるというのは想定外だ。

 

 予言はあくまで大雑把な数と位置の特定しか出来ないし、普段なら魔力探査の設備が生きている。

 幾つもの偶然、或いは敵の作戦。加えて不運と疲労と不注意が重なった、危機的状況。

 

 

「──────キ、キキキキキキキキキ?」

 

 

 射手型の全身を走る亀裂が開き、幾つもの眼球が(わたし)を捉えた。

 同時に蟋蟀(コオロギ)の断末魔のような奇声が周囲に響き渡り、射手型は弓を引き絞る。

 

 核の位置は頭部。

 次の攻撃が来る前に(わたし)は素早く大口径の対悪獣(マリス)砲の一撃を放つ。

 

 もちろん外すなんてことはありえない。

 当然のように目標の頭部に命中した弾は───これまた当然のように、核を破壊しきることなく防がれてしまう。

 

 特異個体の装甲は、現代兵器の出力じゃ抜くことは出来ない。

 だからこそ華人形の持つ異能が鍵となるのだが、生憎(わたし)の異能は傷を癒すことしか出来ない。

 

『次弾、来るぞ!』

「わからいでか!」

 

 矢と言うよりは槍と言うべき射手型の攻撃を、ブースターを無理やり吹かして地面を滑るようにして避ける。

 そのまま再び飛翔し、旋回しながら機銃掃射で今度は核ではなく腕を狙う。

 

 豆鉄砲なんて意に介することなく、射手型は次弾を装填し放つが、今度の一撃は明後日の方向へと飛んでいく。

 

『腕を攻撃して照準を外したか。やるじゃねぇか』

「有効手段がない以上、時間を稼ぐしかないからな。それより、そろそろか?」

『ああ、今コンテナを射出した。中身はブレードだ。アンタ、得意だろ?』

 

 (わたし)の拡張魔導装甲である《聖娼(ファムルーナ)》は、元々特異個体との戦闘を想定しておらず、奴の装甲を撃ち抜く術がない。

 

 故に、まずはそれだけの武器を手に入れる。

 後方から飛んでくるコンテナの存在をこちらでも認識した。あとはあれの中身をどうにかして回収すれば、まずは勝負の土台には立てる。

 

 そう考えた瞬間、射手型が動いた。

 右腕の弓に矢を番えることなく、左腕で地面を抉りとり、そのままそれを空へと投擲してくる。

 

 石礫程度では拡張魔導装甲にダメージを負わせることは出来ない。だから直ぐに狙いはコンテナの方だとわかった。

 

「やらせたくねぇ、けど!」

 

 (わたし)は直ぐに、コンテナの回収を諦めた。

 もちろんブレードがあれば事態が好転するが、コンテナを狙い、わざわざ弓を使う大振りの一撃ではなくコンテナだけなら投石で十分と判断できる個体相手に回収は難しい。

 

 かと言ってそれではこちらに相手を突破する方法はない。

 

 

 故に、()()()()()()

 

 

『待て、何をするつもりだ《聖娼(ファムルーナ)》!』

「レガン、同調出力のリミッター外せ。至近距離で最大出力をぶち込む」

『馬鹿が! 不許可だ!』

「もう突っ込んでんのはわかるだろ。無駄死にさせたくないなら、やって」

『……クソが。だからアンタは嫌いなんだよ』

 

 

 拡張魔導装甲の一番の利点は、機械群を自らの肉体とすることだ。

 華人形は素の肉体を魔力で強化することが出来る。人間にも普及している技術だが、華人形のそれは人間のそれの効率を遥かに上回る。

 

 そして、自分の肉体であるならば。

 

 拡張魔導装甲に搭載された兵器群にも、この強化は可能である。

 

 だが魔力による強化を行う為には神経一本一本を頭の中でトレースするかのような集中力と、自らの体であるという認識が必要。

 

 つまりは拡張症候群が加速度的に進行する。

 

「っ、ぅ……」

 

 接続されている自身の右腕が、ゆっくりと周囲の機械と同じ色になっていく。

 これが(わたし)の拡張症候群、境界喪失。

 徐々に肉体が自分と拡張魔導装甲の境界を見失い、体組織を鉄に置換し始めてしまう。

 

 症状の進行と共鳴するように、対悪獣(マリス)砲は光を帯びて形状を変化させる。

 可能な限り接近して、最大威力を至近距離でぶっぱなして、一撃で仕留める。

 

 

「───キキ、キキキ」

 

 

 そんな(わたし)の思考を読んだかのように、射手型は嗤った。

 

 わかっている。

 (わたし)は今、敵の掌の上で踊っている。あの射手型は次の一撃を確実に避けて、隙を晒したこちらを仕留める気でいる。そうせざるを得ないように、盤面を操作して。

 

 かと言って他に取れる手段はない。

 ならば相手の予想通りに動いた上で想定を超える。現状の突破手段はこれだけだ。

 

 ここで引いても、被害こそ甚大になれど恐らくは戻ってきたネムがこの個体自体は速攻で片付ける。

 だから(わたし)もここは引くか、可能な限り時間を稼ぐべきかもしれない。

 

 

 けれど、そうしたらこの個体は間違いなく沢山の人間を殺す。

 距離を取り過ぎれば標的を人間に変更してこちらの接近を誘うだろう。もちろん撤退を選べば現在の戦線をこの個体が蹂躙し尽くす。

 

 それは多くの人が殺されてしまう道だ。

 華人形である以前に、(わたし)はそんな道を選ぶことは出来ない。

 

 

 射手型の腕が変形し、枝分かれした矢を一度に数十本番え、こちらへ放たれる。

 威力よりも命中率重視。少しでもこちらに思考を働かせて、本命の一撃を当てるための。

 だから回避しない。全弾、致命になる攻撃以外は一切回避しない。そもそも最初からこんな風に矢を複数かつ分割される方式で放たなかったのは、そうしないとこちらの装甲を貫けないからだ。

 

「火力不足はお互い様。でも、こっちは臆したりしない」

 

 今の攻撃に意味が無いことを悟ったのか。

 射手型は先程までと同じような、槍と形容すべき矢を生成した。そしてそれを弓に番えるのではなく、左腕で構えて(わたし)を迎え撃つ。

 

 なるほど、槍のように見えたのはそもそも槍として使う前提だったからということか。

 

 しかし遠距離で撃ち落とされる心配は減った。

 有効射程に入るまであと数秒。外せば間違いなく貫かれるが、当てたとしても最後の力でやられるかもしれない。

 まぁ、相打ちならば問題は無いだろう。躊躇うことなく(わたし)はブースターの出力を更に上げ、有効射程へと踏み込んだ。

 

 

 

 

 

 

物質固有時波形、観測完了(テルミナス・クリア)

 

 

 

 

 引き金を押すその瞬間、突然目の前で射手型が()()した。

 こちらには熱は一切感知できなかった。だが、何をどう見ても炭化したとしか言いようがない変化を受け、それが核まで到達したのか、射手型は(わたし)が横をすり抜ける衝撃で吹き飛び、塵となって消えた。

 

 そして次に目に入ったのは、上空からゆっくりとこちらへと降りてくるもう一機の拡張魔導装甲。

 

 飛龍のような様相をしたそれは、華人形の中でも最高戦力である《星刻(アーカイブ)》と呼ばれる華人形、ネム・アーカイブの搭乗機だった。

 

「……ネム、か。助かっ……りました。あと、すいません。この程度の敵に、手こずって」

『いいわ。特異個体を見逃したのは私の落ち度。他の特異個体は片付けたから、ここからは私が戦闘は引き継ぐ。貴方は一度帰投して、体を休めなさい』

 

 ネムの声色は酷く平坦なものだった。

 てっきり怒られるかと思ったから拍子抜けすると共に、ふと考える。

 

 

 何について怒られると俺は思ったのだろうか。

 

 この程度の敵を倒せなかったこと? 

 それとも弱いくせに無茶をして危うく死ぬところだったこと? 

 レガンを脅して同調出力を上げたこと? 

 

 

「なぁ、ネム」

『《聖娼(ファムルーナ)》、まだ作戦中よ。識別コードで呼びなさい』

 

「あの日、お前なんで『死んじゃえばいいのに』なんて言ったんだ?」

 

 

 通信は繋がっていた。

 けれどネムからの返答はなかった。

 

 

 レーダーに映る悪獣(マリス)の反応が急速に消滅していく。

 ネムが現れれば通常の悪獣(マリス)は戦闘にすらならないし、特異個体であろうとも一方的に有利な戦闘を行える。

 

 ネムは強いが、拡張魔導装甲に乗る華人形にとってはこれが当たり前の戦果。今回の結果は、(わたし)が特別弱い故の事態だ。

 

 弱いから選択肢がない。

 弱いから無茶をしなくちゃいけない。

 弱いから、嫌われてしまう。

 

 こと戦場に置いては当たり前のことだ。

 ネムの事なんか考えるのはやめて、さっさと次のことを考えよう。

 

 帰投したら流石に数分は寝かせてもらえるだろうか。

 その後は休む暇もなく負傷者の治療を魔力が切れるまで。いや、その前に同化してしまった体をコクピットから引き剥がさなくてはならない。

 

 この後待っている激痛に憂鬱になりながら、帰投しようとした(わたし)に、去り際に一つのメッセージが届いた。

 

 

 

『私の目の前から消えてよ。それだけで、いいんだから』

 

 

 

 それだけは出来ないんだよ、と。

 面と向かって言えるほど、(わたし)は強い華人形ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「リリィ〜! ロッテが、ロッテがわたしのかみ、ひっぱった!」

「やってない! そんなことやってないから! だって三つ編みにしてって言われたけどアタシそういうの得意じゃなくて……」

 

 泣きついてくるネムを宥めるため、俺は読んでいた途中の本に栞を挟み、同年代と比べても一際小さいネムの頭をゆっくりと撫でる。

 さっきまで大泣きしていたくせに、これだけでいつの間にか笑顔になっているのだから可愛いものだ。

 

 

 西国歴104年。

 まだ俺が(わたし)なんて一人称を使う前で、《聖娼(ファムルーナ)》なんて名前をつけられていなかった、ただのリリィだった頃。

 

 

「と言うか、できないならやるなよロッテ。ネムだってできないって言えば俺なりルリさんに頼むなりするんだから」

「だって……アタシもリリィみたいにネムに頼られたかったんだもん。リリィばっかずるい」

 

 華人形だとかいう種族に生まれ変わって6年。

 未だに自分が女の子のような妖精になったことや、魔力とか色々あるこの世界に生まれ変わったことには戸惑うこともあるが、もう随分と慣れてしまった。

 

 まぁ前世では190cmのムキムキのおっさんだったのに、今では薄い桃色の髪の毛の少女になってしまったという事実には未だに慣れないが。

 

 それでも結構楽しく暮らしている。

 何せ、少なくとも華人形というのは生まれついて結構強い。外には悪獣(マリス)とかいうバケモノがいるらしいが、それでもある程度平和に暮らせる人がいるなら、軍は頑張っている方だろう。

 

 そもそもあの頃は、全部俺がどうにかしてやろうとか考えていた頃だ。

 

 拡張魔導装甲とか異能とか、そんなことはよく分からずに訓練をしている年長組の銃をこっそり使って、腕が前世から落ちてないことを確認したりして。

 

 俺が頑張ってこの平和を守るんだって。

 

 

 

「たーだーいーまー! 私の可愛い妹達は元気にしてるー!? おーい、リリィー! お姉ちゃんが帰ってきたよー!」

 

 

 

 喧しいのに、何故か心地よいと感じてしまう声が響いた。

 声の先には、軍服に身を包んだ桜色の髪をした美しい女性の姿。

 

 その女性を形容するなら正しく花という言葉がピッタリだろう。

 そこに在るだけで空気が柔らかくなる。笑顔を見るだけで心が和らぐ。そう言った数字や感情を無視した天性の美貌。

 俺がいた戦場のような場所ですら、彼女がいれば誰もが武器を握るのをやめてしまいそうなほどに、その女性は美しかった。

 

「あ、ルリだ! ルリィー! みつあみ! みつあみやってぇー!」

「おーよしよしネム久しぶりだねぇ! よーし、お姉ちゃんが三つ編みどころか六つ編みやってあげるからねぇ〜!」

「ルリ姉、まだ帰ってくるには早いんじゃないの?」

「なんだロッテ、嬉しいくせに〜! みんなに会いたくてぱぱっと任務こなしてきちゃっただけだよ。嬉しいだろ〜」

「……まぁ、嬉しく無いわけじゃないけど」

 

 ネムもロッテも、それぞれの表現で彼女に親愛を示していた。

 それから、『花園』中の華人形達が彼女の帰還に気付いて集まり出す。それを受けてより一層の彼女も嬉しそうに笑い、様々な髪色の少女達が楽しそうに笑い合うその姿は、まさに『花園』と呼ぶのが相応しかっただろう。

 

「って、リリィー? なんで貴方だけそんな離れたところにいるの?」

「いや、俺はいいよ。みんなルリさんのこと大好きなんだから……」

「私はリリィのことも大好きなんだけどなぁ〜? お姉ちゃん寂しいなぁ。同じ髪色の妹だけ、おかえりのハグしてくれないなんて」

 

 下手くそな泣き真似を始める彼女を見てるとなんだかアホくさくなってきて、読書の続きでも決め込んでやろうとしたが、それを見たネムが同情してしまったのか、泣き出しそうな顔でこっちを見ていた。

 

 ……あの人はともかく、ネムを泣かせるのは良くないからな。仕方ない。

 

 

 

「……おかえり、ルリさん」

「ただいま、リリィ!」

 

 

 

 彼女の名前はルリ・テンペスト。

 歴代でも最強の華人形と謳われた少女。西国歴106年、散華によりこの世界から消滅した、守りたかった人。

 

 

 (わたし)の姉にあたる華人形だ。

 

 

 

 

 

 

 

 







『花園』
華人形が産まれる土地と、華人形を育てるための施設の総称。ネム、リリィ、ロッテの三人は同じ花園の出身。
6歳前後から戦闘用の訓練が始まり、10歳になる頃には華人形は戦闘に駆り出される。


『姉妹』
華人形には血縁という概念は無いが、リリィの出身の花園では髪の色が似ている華人形を姉妹として扱っていた。桃色の髪はルリとリリィ以外にいなかった為、ルリは唯一の妹として大層かわいがっていた。

ロッテなどの黒髪は非常に珍しく、似た髪色が居ない華人形は大雑把に全員姉妹と考えたり、そもそも華人形同士は全員姉妹関係だと考えていたりする者も多い為、リリィのいた花園独自の考えらしい。





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6.回顧:リリィ

 

 

 

 

 ルリ・テンペスト。

 識別コードは《天帰(テンペスト)》。年齢は俺の11個上で、歴代でも最強の華人形(ガラテイア)だったらしい。

 

 らしい、というのは何せ俺は彼女が戦場に立つ姿を見たことがなかった。

 なんでも、彼女の異能は「空間そのものを捩じ切る」というものでありたった一撃で悪獣(マリス)の大群を仕留めてしまっていた。

 

 だが、その攻撃はあまりにも見た目がグロテスクである為妹達には何があっても見せたくない。

 ……と、生前口にしていたことを、俺は後で聞いた。

 

 勝利の女神とも、最強の兵器とも。

 彼女の事を示す大層な肩書きはいくつもあった。けれど、俺たちにとっての彼女は──────。

 

 

 

 

「リリィちゃ〜ん。ちょっとリリィ吸わせて〜」

「暑いうるさい気持ち悪いルリさん。……ちょ、マジで吸ってる!? 今汗かいてるから普通にやめろ!」

「いいなぁリリィ。アタシもルリ姉に吸われたい」

「安心しなロッテ。すぐにそっちも吸ってあげるからね〜」

「やーめーろー! マジで教育に悪い!」

 

 良く言えば愉快なお姉さん。

 悪く……と言うより正直に言えば喧しいし馬鹿だし抜けてるところがあるお姉ちゃんと言った感じだったろうか。

 

 黙っていれば美人なのに、花を愛でながら「この草食べれるかな。前にお腹壊したんだけど」とか言ってくるタイプの人だった。

 

「だってぇ……またしばらくみんなに会えなくなると思うと辛くて。できることならみんな食べてあげちゃいたいくらい可愛いんだけどなぁ」

「ぅぅ……ネム、リリィにならたべられてもいいよ……」

「あら可愛いこと言っちゃって。じゃあいただきますじゅじゅじゅじゅ」

「吸うな! ネムのほっぺちぎれるから!」

 

 キスと言うには音が汚すぎる吸引を受けたネムの頬は、いつも赤みがかっているのに吸われたことと本当に食べられるかもと思って彼女の涙腺が緩んだことで真っ赤になってしまっていた。

 

 こんな風に、本当に愉快な人だったことを覚えている。

 

「それじゃ、また近々帰ってくるから元気でね妹達〜。あとリリィ、私の部屋の掃除よろしく」

 

 

 今にして思えば、ルリさんは本当に良い姉だったと思う。

 華人形に与えられる休暇で、自分の『花園』に帰れるような暇は殆どない。俺やロッテ、ネムは自分達の花園には識別コードを受け取って以来一度も帰れていないのだ。

 

 理由は単純に時間が無い。

 絶え間なく続く悪獣(マリス)の襲撃に備えるため常に前線で警戒任務。ルリさんがどれだけ強くて、同時にどれだけ妹思いの姉だったか、彼女が居なくなってから知ったのだ。

 

 

 

 

 

 

「リリィってさ、なんでそんなに射撃が上手いの? やっぱりルリさんの妹だから?」

 

 ロッテにそんな話をされたのは西国歴で106年、8歳の頃だったか。

 

「別に髪の色が似てるだけで関係は無いと思うぞ」

「実は裏でこっそり色々教えて貰ってたりとかするんじゃないのか〜? 教えろよこのこの〜」

 

 まさか「前世は別世界で傭兵として銃握っていたから」、なんて口が裂けても言えるわけが無いし、言ったら言ったで正気を疑われる。

 

 訓練が始まったのは7歳になる前くらいのときだったが、その内容は俺が思うよりずっと本格的で、華人形の体は存外スペックが高い。

 元々銃を扱うのは得意であったし、外すようなことは滅多になかった。

 だが、リリィの体で撃てば敵が弾を見てから避けられるようなバケモノでは無い限り外す気がしない。止まっている標的なんて、目を瞑っていても外す道理がないと言ったくらいに俺の射撃センスは高まっていた。

 

「まぁ、真面目にやるのが一番なのかねぇ。リリィ真面目だもんな」

「ロッテが不真面目なだけだ。座学だって大事なんだから寝るなよ」

「アタシ考えるの苦手だからさ。アタシなりに考えて考えないで動こうって考えたの」

「ちゃんと考えろ」

「そう言われてもさぁ。やっぱり戦いたいとはならないじゃんか」

「え?」

「逆にリリィは戦いたいの? アタシは嫌だよ。守るためとはいえ、やらなくていいなら戦いたくないかな」

 

 ロッテの言葉を聞いて、俺はそういう考え方があるのだと思い出した。

 

 何せ前世の俺はテロに巻き込まれて両親を失ってから、ずっと戦ってきた。

 平和というものが世界にあるのは知っていたが、自分とは縁遠いものだと思いずっと戦い続け、死んで、ここに居る。

 

 戦うことは当たり前のこと。

 だから当たり前のように受け入れていたが、そうだ。確かに戦えば死ぬし、やらなくていいならやる理由はない。

 

 

 ……でも。

 

 

「ルリさんは、戦ってるからさ」

 

 

 あの人がどれだけすごいかはまだ理解しきれていなかったけど、あの人がずっと戦っていることは知っていた。

 

 別にあの人にそんな気はなかっただろうけれど。

 俺はあの人のおかげで、平和というものがどういうものかを思い出せたのだ。

 

 ルリさんの周りにはいつも笑顔があった。

 ロッテも、ネムも、ほかの姉妹もみんなが笑っていた。

 

 それはきっといい事だろう。俺には自分のものとしてそれを享受する、という感覚が欠落してしまっていたけれど。みんなが笑っていることはきっと良い事だ。良い事を為せるのならば、それもきっと良い事だ。

 

 人間だった⬛︎⬛︎⬛︎には存在しなかった感情。

 何かになりたい、何かを為したいという欲望。

 

 皮肉なことに、人間じゃなくなったことで、俺は人間では無い華人形の皆に生きる目的というものを貰ったのだ。

 

「ルリさんが俺たちを守ってくれているように、俺も皆を守りたい。幸いにも、俺にはそれが出来るだけの技術があるからさ」

「……ぅあー! ずるいぞリリィ! そんなかっこいいこと言えたら人気者になるに決まってるじゃん!」

「別にそんなつもりじゃ。俺はただ、皆が幸せになれればそれが……」

「そういうとこだぞお前ー! ……はぁ、本当にそういうところ。……好きだけど、嫌い」

 

 最後にロッテが少し悲しそうに口にした言葉を、その時の俺はよく聞き取ることができなかった。

 

 それでも当時の俺は大丈夫だと思っていたんだ。

 いざとなれば俺が全てを守る。前世で身につけた知識もあるし、俺はルリさんと同じ髪色をしている華人形。きっと強力な『異能』を身につけて皆を守れる。

 

 そういう存在理由が自分にあるのだと。

 そうやって、ずっと不安を埋めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ネムの様子がおかしい?」

「らしいんだよ。ネムの妹によると、最近ほとんど部屋に戻らずどっかをウロウロしてるらしくてな」

 

 ネムは俺とロッテと同い年、その中でも一番遅く生まれて一番背が小さい。

 性格も内気で引っ込み思案で、いつも俺やルリさんの後ろに隠れたり、些細なことで泣き出してしまう。果ては妹にまで宥められてしまうほど泣き虫だった。

 

 かと言って俺もロッテもネムが弱いだけのやつとは思っていない。人一倍優しいからこそ、人一倍涙脆いのがネムのいいところだ。

 

 ただ最近は、訓練で常に最下位の成績を出していて精神的に参ってしまっていそうなところがあったのだ。

 元から優しさ故に戦闘に向いていないと思っていたし、抱え込んでしまう子だ。

 

「けど、それがわかってるならロッテから何か言ってやれば良かったんじゃないか?」

「いやぁ──────アタシじゃ、ダメでしょ。こういうのはリリィの方が適任ってわかってるから!」

 

 ロッテだって妹達に頼られているしネムだってロッテのことを嫌っていることなんてないと思うのに。妙にロッテの反応はぎこちなかった。

 

 多分喧嘩でもしたのだろうと、深く考えず俺はネムについての相談を受けて、ある日こっそり休憩中にどこかへと抜け出していくネムを尾行することにした。

 

 俺たちの『花園』は第一結界から比較的近い場所にあった。

 と言ってももちろん戦線からは離れた場所にあったし、それもあって近くには人間の集落があり、そこで軍人以外とも交流する機会があった。

 

 強力な『異能』を育てる為に、未覚醒の華人形は訓練以外は基本的に自由に暮らすことが出来る。異能はストレスを受けて育つと強力なものが育ちにくい、らしい。

 

 とにかく、そういうわけで俺達は割と『花園』をこっそり抜け出したりしても怒られたりはしなかった。

 ただ、臆病なネムが『花園』の外に出ているということを意外に思いながら、森という程でもない林の奥に俺が足を踏み入れ、そこで見たものは。

 

 

「そ、それでね。お皿割っちゃった妹と一緒に、私はお姉ちゃんに謝りにいったの……」

「すごい! ネムちゃん、本当に優しいお姉さんなんだね!」

「え、えへへ……そうかな……」

「ネム、何やってんだ……?」

「…………あ、り、リリィ……これは、そのぉ」

「もしかしてその子、ネムちゃんの妹!? 綺麗な髪の毛、桃みたい!」

 

 

 結論から言えば、ネムは人間の女の子と遊んでいるだけだった。

 別にそれ自体は悪いことではない。人間と触れ合うことだって俺達は禁止されていないし。

 

 ただ良くないのは、ネムはその子に嘘を話していたことだ。

 俺やルリさんのエピソードを自分の事のように話して、その人間の女の子に自慢していた。

 

「リリィさんですね。私はアーデリア。アーデリア・シュロウって言います。ネムちゃんとお友達をやらせていただいています!」

 

 アーデリアちゃんは近くの集落に住んでいるが、同年代の子が居なくて一人でこの林で遊んでいたところをネムと出会い意気投合。

 ネムはこの子を喜ばす為に、つい内容を盛った自分の話をしてしまっていたようだ。

 

「ご、ごめんリリィ……。私、情けない話しか出来ないから、つい……」

「いや別に俺は気にしないからいいけど……嘘は良くないよなぁ」

「うぅ……」

 

 誰にどう思われようと、よっぽど酷い内容じゃない限り俺は気にしないが、仮にも友達に嘘ばかり話していたのは見過ごせない。

 引っ込み思案のネムに初めてできた、『花園』の外の友達なのだ。出来るならば末永く仲良くして欲しい。

 

「仲良くなりたいのはわかるけど、嘘を吐いていたらバレた時に大変なことになるし、何よりそれで仲良くなっても辛いのはネムだぞ?」

「わかってる、けど……私、いいところないし。私と一緒にいたって、誰も楽しくない。私がいたって、何も出来ないもん」

 

 聞けば、ネムは連日訓練の成績が最下位なのが実はかなり堪えていたらしい。

 引っ込み思案だが、承認欲求は結構強い子だ。ネムを積極的に褒めていたルリさんも最近は忙しくて帰って来れていなかった。

 

 もっと、ネムの顔を見てやるべきだったな。

 反省しながらも、俺は三角座りをして縮こまってしまっているネムの隣に座り込んだ。

 

「私、戦いたくなんかない……。どうせ何も出来ないもん。これ以上自分を嫌いになりたくない。嘘でも、自分のことは好きになりたいし好きになって欲しいもん」

「ネムは嘘なんか吐かない方が可愛いと思うけどなぁ。アーデリアちゃんとこれからも仲良くしたいなら尚更やめた方がいいぞ」

「じゃあやめる」

 

 うん、ちょっとネムの将来が心配になってきたな。

 

「リリィには嫌われたくないし、好かれたいもん。だから私、もう嘘吐かない」

「嬉しいけどもうちょっと自分の意思は持った方がいいぞ?」

「なんか私蚊帳の外にされてません? ネムちゃん、何かリリィさんの面白い話とかないの?」

「リリィはすっごく頼りになる、私の大切な人だからないよ。強いて言うならば……リリィがルリと一緒にお風呂に入ろうって言われて拒否したせいで、ルリが拗ねちゃってリリィもそれを慰めるしかなくなって、二人で2時間くらいお風呂場の前で裸で座り込んでたこととか……」

「めちゃくちゃ面白いじゃん!? それ聞かせてよネムちゃん!」

「ネムそれ話すなよ!? それは本当に話すな!」

「え、えぇ〜!? アーデリアちゃんは友達だし、リリィは姉妹だし、私どっちの言うことを聞けば……」

 

 

 結局その後もネムの成績が良くなることはなかったが、訓練には積極的に参加するようになったし、前より少しだけ明るくなった。

 

 ネム曰く、「華人形じゃなくて人間は、私が守らなきゃいけないから」との事。

 なんだか華人形側の立場としては複雑であったが、ネムが俺が思うよりずっとたくましく育ってくれていることが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 射撃演習場で一人、俺はそんな日々を思い返していた。

 

 ロッテ、ネム、ルリさん、アーデリアちゃん、姉妹のみんな、軍の人。

 俺の周りには良い人ばかりで、俺は幸運にもそれを守る力がある。前世の俺が今の俺の気持ちを聴いたら、どんな顔をするだろうか。

 

 

 一発、銃弾が銃から放たれて的の中央を撃ち抜く。

 

 

 前世での俺に守りたいものなんてなかった。

 傭兵になったのは、最初は両親を奪ったテロリストへの復讐で、途中からそれ以外の生き方が分からなくなっていたから。

 

 何が幸せかなんて考える機能そのものが、当時の俺からは欠落してしまっていたんだ。

 

 

 また一発、銃弾が銃から放たれて的の中央へと吸い込まれていく。

 

 

 けれど今は違う。

 憧れた人がいる。隣に立ってくれる人がいる。守りたい人がいる。そして、その為に戦いたいと思える自分がいる。

 こんな形であの戦闘の日々が役に立つというのも少し複雑な気分であるが、とにかく嬉しかったんだ。

 

 俺は誰かを守れる。

 ロッテは俺を頼りにしてくれている。リリィも俺を頼りにしている。ルリさんも、俺を妹として大切にしてくれている。

 

 

 引き金が引かれる。

 弾丸は前に放たれた弾丸によって撃ち抜かれた穴を寸分違わず通り抜けていく。

 

 

 

 こんな風に、銃弾を外さない俺でいる限り。

 俺はここにいていいんだ。前みたいに、背中を預けたやつに後ろから頭を撃ち抜かれて死ぬなんてことは無い。

 

 俺はなんて幸福なんだろう。

 もうあんな怖い思いをしなくていい。たとえ死ぬ時でも、きっと今世は皆を守れることを誇りに思って死ねるだろう。

 

 

 腕に残った銃の反動。

 それを無理やりかき消すように、俺は無理やり歓喜に体を震わせた。

 

 

 

 








『リリィ(ロリ)』
今より男の口調を隠すつもりもなく、ちょっぴり自信過剰。ロッテとネムとルリと、皆のことが大好き。そうすれば嫌われないと思っている、


『ロッテ(ロリ)』
今より少しだけ影のある笑みを浮かべるが、ギャンブル依存症でもないし花壇を大事に手入れしている。リリィをどう思っているか、自分でも上手く口にできない。


『ネム(ロリ)』
今と全く違うすぐ泣くか弱い生き物。初めてコオロギを見かけた時ショックで丸一日寝込んだ話は『花園』では鉄板の笑い話。皆のことが好きだけど、自分をなかなか好きになれない。


『ルリ・テンペスト』
リリィの姉。血縁関係は無いので姉を名乗る人。
最強の華人形であり、誰よりも頼れる人。どんな時も笑顔で、その場にいるだけで場が和む人。

西国歴106年、ポイント14にて散華。その影響で周辺一帯は現在人間も悪獣も立ち入れない領域となっている。




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7.回顧:リリィ 2

 

 

 

 

「リリィってどんな異能が欲しい?」

 

 それは訓練中、ロッテからの何気ない一言だった。

 

 異能というものは、華人形が10歳前後に目覚める特殊な力。

 既存の魔法技術の法則を無視した強大な力。拡張魔導装甲には、この力を補佐する目的も大きい。

 

 また、強大な異能に目覚めれば目覚めるほど、それを扱う為の魔力量も成長する。つまりは強力な華人形になれるかは、目覚める異能にかかっていると言ってもいい。

 

「ルリさんほどのものじゃないにしろ、やっぱ汎用性が高くて強いやつがいいな。俺は射撃が得意だし、出来るならそれと併せやすい感じで」

「なんかふわっとしてるなぁ。アタシはやっぱり派手にドカーンと、何も考えずぶっぱなせるのがいいな」

「派手にドカーンとするやつを何も考えずにぶっぱなすのは、戦略的にまずくないか?」

「……例えだって。そんな真面目に取らないでよ」

 

 しかしロッテの言うことにも一理ある。

 小細工を弄せずとも強い異能が発現すれば、それだけで人類にかかる負担も減るしわかりやすい攻撃は他と組ませやすい。

 

 ルリさんクラスにもなると強すぎて逆に味方と組ませづらいらしいし、それほどではなくてもそこそこ強い異能は身につけたい。

 

 とは言っても、どんな異能が発現するかの法則はまだほとんど解明出来ていない。しかしそれでもこれだけが、悪獣(マリス)の脅威から人類を守る手段なのだ。

 

「あー、強いて言うなら欲しい異能があるな」

「なになに? 聞きたい聞きたい」

「硬質の物質生成」

「……なんか地味じゃない。アタシはもっと派手なのがいいな」

 

 便利で強いと思うんだけどなぁ。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「どんな異能が欲しいか、かぁ」

「そうそう。ロッテに聞かれてさ。ネムは欲しいのある?」

 

 いつものように、林の真ん中の空き地でアーデリアちゃんを待つネムに、何となくその話を持ちかけた。

 

「私は……どうせならみんなを守れるような力がいいかな。私は弱いけど、リリィやロッテ、ルリを守れたら、便利だし」

 

 なんともネムらしい優しい回答だった。

 

「でも華人形は一人で敵を殲滅できてなんぼだからなぁ。欲しがるならもっと攻撃的な感じじゃないと」

「じゃ、じゃあ……盾を出して、それで、押しつぶす」

「思ったよりえぐいの来たな」

 

 そんな他愛のない話をしていた時。

 

 地平線の向こう側で、戦線に何か「異常」が起きたことに、華人形である俺達は半ば本能に近い形でそれを悟った。

 

 だが、戦線で予想外のことが起きるなんていつもの事。

 たまにその気配を感じ取っても、それは戦線で戦う先輩達も同じこと。すぐに対処すべく動き出すし、そもそも悪獣(マリス)が直ぐにこちらに迫ってくるわけでも、俺達が何か出来る訳でもない。

 

 

 

 

 ──────方舟型(アルゴス)

 

 

 

 後にそう名付けられたその特異個体は、上空で己の体を自爆させ、広範囲に悪獣(マリス)をばら撒く個体だった。

 

 結局、ばら撒いた悪獣(マリス)は飛距離、数ともに費用対効果が現実的ではないとなったのか、すぐに姿を見なくなる特殊個体であったが、悪獣(マリス)達の想定よりもずっと深く、この得意個体の爪痕は俺達に刻み込まれることになった。

 

 

「リリィ……あれ……」

「っ、伏せろネム!」

 

 ネムを庇うようにして俺達は地面に伏せる。

 直後、近くに隕石でも落ちてきたかのような大きな揺れと、()()()()()()が響き渡る。

 

「ネム、大丈夫か?」

「私は大丈夫。で、でも、今の悲鳴……」

「わかってる。急ぐぞ」

 

 悲鳴は間違いなくアーデリアちゃんのものだ。恐らく降ってきた『何か』の近くにいたのだろう。

 視界の遠くに移る小さな村から火の手が上がっている。だが何が原因かはすぐに判別がつかない。

 

 十中八九、原因は悪獣(マリス)だろうが、戦線が突破されたにしてはその姿がはっきりと見えない。

 

 あまりに情報が不足している。

 今はとにかく、アーデリアちゃんを見つけて直ぐに『花園』に戻るのがベストだ。あそこなら、相当の防衛設備が整っていて少なくとも助けが来るまでの時間は稼げる。

 

「アーデリアちゃ───」

「リリィさん! ネムちゃん!」

 

 アーデリアちゃんの姿はすぐに見つかった。

 衝撃の発生源を辿っていけば、彼女はそのすぐ近くにいたのだから。

 

 だが、同時にそれは衝撃の発生源そのものにも近づいてしまったことを意味する。

 

 

「───悪獣(マリス)

 

 

 生まれて初めて直接見た悪獣(マリス)の姿を、俺はその時機械のようだと思った。

 生物の肉を腐らせてから無理やり糸で繋ぎ、その上からタールでもかけたかのような不細工で不快な姿。

 対して瞳は何も映していない。なんのために人に、華人形に攻撃するのか。自分自身ですら理解していないかのような虚空。

 

「り、りりぃ……」

 

 俺の後ろに立っていたネムが、腰を抜かしてその場に座り込んでしまう。アーデリアちゃんの方は……木片が足に刺さっていて、そのせいで上手く立ち上がれない様子。

 

「二人とも───大丈夫。俺に任せろ」

 

 懐から護身用の銃を取り出して、即座に放つ。

 悪獣(マリス)の弱点は体内にある核。しかしそれはある程度体外に近い部分に置いておかなければ感覚器官が上手く働かなくなってしまうらしい。

 

 猟犬型ならば、だいたいその位置は頭部にある。

 訓練でやった魔力とやらの流れを見るように意識を集中させれば、透視でもするかのようにその位置を把握し、そこを狙って射撃を行うことが出来た。

 

「キ、キキ、キキキ、キ?」

「ちっ、弾が小さいか」

 

 だが、銃弾はタールのような液体と肉に阻まれて核に届かない。

 とりあえずはアーデリアちゃんではなく俺の方に意識を集中してくれて、奇声を上げながらこちらへと向かってきてくれているが、そうなってくると今度はネムが危ない。

 

 ───決めるしか、無い。

 

 俺は走り出して、狙いを定める。

 先程と同じく頭部。だが今度は至近距離でぶち込む。

 

 猟犬型の牙や爪は、家屋を容易く砕く威力がある。

 捕まったら即死。そもそも俺が死んだらアーデリアちゃんもネムも死ぬ。

 

 そう考えたら、失敗する理由はなかった。

 

 衝突の1歩手前で跳躍し、大きく開かれた口の中に突っ込むような形を取る。

 

 鋭い牙が目に入って、この口が閉じられたら俺は死ぬんだろうなぁと他人事のような思考が頭を過った。

 猟犬型の核の位置は頭部。大体が脳のような場所にある。そして口内は、外殻がない分銃弾の威力が減衰せずに核へと届く。

 

 

 引き金を引くのと、顎がギロチンのように閉じられようとしたのはほぼ同時。

 俺の足が食いちぎられるよりも早く、悪獣(マリス)の体は四散して全身にその体液を浴びながらも、なんとか仕留めることに成功した。

 

「あ、あ、うわぁぁぁぁぁぁん! り、リリィ! なんで、なんであんな危ないことしたの!?」

「悪い。あれ以外方法が思いつかなかった」

「心臓止まると思ったよぉぉぉぉ!!!」

「俺なんかよりもアーデリアちゃんだ。俺はちょっと汚れてるから、ネムが見てやってくれ」

「うぅ……ぐすっ。うん、ありがとう、リリィ」

 

 アーデリアちゃんの脚は大事にはいたってなかったが、それでも今すぐ走り出すのは少し難しそうであった。

 人体に有害な悪獣(マリス)の体液を全身に浴びてしまった俺が背負うことは出来ないため、ネムが背負うしかないが体格、筋力ともに俺と比べればかなり劣るネムの顔には、かなり辛そうな表情が浮かぶ。

 

「ネム、大丈夫そうか?」

「ごめんねネムちゃん。重くない?」

「大丈夫大丈夫! それよりも、早く花園に……」

 

 なんとか笑顔を作ろうとしていたネムの表情が、一瞬硬直した。

 それから徐々に、その表情は青ざめて俺の背後にいる何かを見つめていることに気付いた。

 

 

「キ、キキキ、キィ」

「キキキキ、キキ」

「キ、キキキ、キキキ」

 

 

 猟犬型が三体。

 今の装備でどうにかなる相手では無いとか、そんなことを考えるよりも先に叫んでいた。

 

 

「走れ!」

 

 

 俺達が走り出すのと、猟犬型が走り出したのはほぼ同時。

 だがこれはあまりにどうしようもない。一体ならともかく、三体。さっきの方法で仕留めようとしてもその間にネムとアーデリアちゃんが殺される。

 

「リリィ、リリィ、リリィ! どうしようどうしようどうしよう!」

 

 ネムもパニックを起こして、呼吸が明らかに乱れている。アーデリアちゃんも同じく顔を真っ青にして必死に涙を堪えている。

 

 俺が何とかしなくちゃ。

 このままでは三人とも喰われて死ぬ。最悪を想定し、最善を想定し、打開策を考える。

 誰かが助けに来てくれる? いや、さすがにまだ時間がかかるはず。そもそもみんな状況把握でいっぱいいっぱいのはず。そんなものに期待しても、あと1分もかからず全員死ぬのに希望は持つだけ無駄。

 

 武器は、口の中からぶち込んでやらないと意味の無い役立たずの銃だけ。一体の動きならこれで止められるが、残り二体にそのうちに俺達が殺される。

 

 あれ? これ詰んでないか? 

 どれだけ思考を回しても三人助かる道がない。三人で助かる方法が俺の頭では思いつかない。俺の能力では実行できない。

 

 

 

 だったら、仕方ないな。

 

 

 

「ネム、アーデリアちゃんは俺が背負う」

 

 ネムも体力的にも精神的にも限界なのだろう。特に抵抗することなく、アーデリアちゃんを抱えていた腕の力を弛めて、それでも彼女が落ちないように丁寧に俺の方に体重を移動させた。

 

 俺は悪獣(マリス)の体液で汚れているとはいえ、体力も体格も俺の方が優れている。ネムとしては渡さない理由なんてなかったのだろう。

 

 

 そして、俺はアーデリアちゃんの体を横へと放り投げた。

 

 

 

「──────え?」

 

 

 万が一がないように、彼女の足に一発銃弾を撃ち込み、走れないようにする。

 

 悪獣(マリス)は血や負傷者に敏感だ。

 予想通り、銃声が轟いた瞬間にはもう彼らの意識が俺達ではなくアーデリアちゃんに向いたのがわかった。

 

「リリィ?」

「今のうちに逃げるぞネム」

 

 このままでは三人とも死ぬ。

 しかしこの方法なら二人は生き残れる。

 

「え、リリィ?」

「ほら早く、小さいからすぐに殺されて、こっちを追ってくる」

 

 俺がその役割を引き受けられればよかったが、華人形より人間を優先する可能性があった。一体引きつけるだけでは、結局生き残るのが俺一人になってしまう。

 

「……」

「早く逃げるぞネム。耳は、塞いだ方がいいかもしれない」

 

 人間を見捨てることに、華人形としての精神が悲鳴を上げる。

 苦しくて、立っているのも辛い。わざわざ足を撃ったのも響くし、アーデリアちゃんの口から放たれている俺への憎悪と疑問の声。

 

 なんで、どうして。

 そんな声はやがて、悪獣(マリス)への謝罪と嘆願の声になっていく。

 

 けれどこれが最善だ。

 人間一人の命で、華人形二人。友達の友達と、友達の命。天秤にかけてしまえばあまりに簡単に答えは出た。

 

 なんでこの天秤を使うのを躊躇っていたのか、自分でも不思議なくらいにあっさりと出た答え。

 

 

「リリィ───なに、してるの?」

 

 

 聞いた事のないくらい低いネムの声で、俺の思考はようやく現世に戻ってくる。

 ネムを助けたかった。ちゃんと守ってやりたかった。その為に、俺は最善の策を打ったはずだった。

 

 けれど、その選択ができてしまう時点で。

 俺は、誰かを守る側の存在になんてなれなかったのかもしれない。

 

 

「ひとごろし───」

 

 

 路傍の石でも見るかのような、冷たいネムの瞳に俺が固まってしまった一瞬の隙。

 ネムがアーデリアちゃんの方へと駆け寄る。

 三体の悪獣(マリス)に踏みつけられ、食いちぎられ、もうどう見ても助からないその姿を見ても、彼女は泣きながら銃を構えて走る。

 

 

 

 結局この時どうすればよかったのか。

 その答えは、未だに出てこない。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「ネム……いき、てる?」

「…………」

 

 その後のことはよく覚えていない。

 必死にネムだけでも引き離そうとしたけどできなくて、仕方なく悪獣(マリス)と戦った。

 

 左腕の感覚がなくて、右目が開かない。

 ネムの方は全身血まみれで体のサイズが2/3くらいになってしまっている。

 

 アーデリアちゃんは、確認するまでもなかった。

 今にも消えてしまいそうな浅い呼吸のネムを抱えて、俺は何とか『花園』へと辿り着いた。

 

 何があったかを説明する余裕もなく、直ぐに治療が開始された。

 悪獣(マリス)に関しては心配する必要もなく、先輩たちが処理してくれたらしい。

 

 とりあえず助かった、と思ったけれど。悪い事をしたバチでも当たったのか、まだ周囲が静かになってはくれなかった。

 

「……これは、もう手遅れね」

「……ぇ」

「ネムちゃんの方は傷が深すぎる。体の末端の崩壊も始まっているわ」

 

 ネムの体が端から薄く透け始めている。

 それは華人形にとっての死。肉体を維持することが出来なくなり、魔力となって霧散してしまう、死体すら残らない終わり。

 

「やだ……やだやだやだやだ! 頼む! 俺は、俺はどうなってもいいからネムを───」

 

 先輩は俺の顔を見て、辛そうに目を逸らした。

 手の施しようがない。暗にそう言っているのだ。

 

 

 

 

 俺は人を殺した。

 ネムの大切な友人を殺した。その挙句にこのザマ。ネムも守れず、自分も死にかけて、本当にどうしようもないクズだ。

 

 これで誰かを守れるなんて本気で思っていたのだから救いようがない。

 俺にはそんなもの、過ぎた願いだったんだ。周りの人達があんまりにもいい人達だったから、自分まで同じようになれたんだと勘違いしてしまった。

 

「ネム、ごめんな」

 

 だから、俺はこの時心の底から願ったんだ。

 

 

 せめてネムだけは守らせて欲しい。

 それ以上のものなんて俺には望む資格もなければ、力があってもどうせまた間違えてしまう。

 だから今だけ、ネムを助けさせて欲しいって。

 

 

 

 

 

 この日、俺は《聖娼(ファムルーナ)》の力に目覚め、同時に落ちこぼれの華人形へと成り果てた。

 

 

 

 

 

 

 

 



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8.天刻と百合はすれ違う

 

 

 

 

「ネムちゃーん。リリィちゃん目を覚ましたってよ〜」

「なんでそれ、私に言うわけ?」

「知りたいかな〜って思って」

 

 猫なで声で話しかけてくる己のオペレーター、ナハト・ヴィナの声と顔全てに一切苛立ちを隠さずに、ネム・アーカイブはベッドの上から起き上がった。

 

「アイツ、さすがに今度こそ下ろされるでしょ」

「そうねぇ。今回は右腕の切断、臓器の一部機能変調、そして過度の疲労による脳へのダメージ。なんで死んでないのかしらね」

 

 華人形は人間よりも丈夫である。

 それは拡張魔導装甲に乗れる点からも明らかであるが、その中でもリリィのそれは常軌を逸している。

 

 何せ、拡張症候群による肉体の変質とそれに伴う右腕と一部の臓器切除。

 

 それを行ったあとで、負傷兵の治療を魔力の限界まで行い、その結果として体力と魔力の限界で倒れたというのだから。

 

「本人の体も治癒の対象、ということでしょうけどあの子の異能は治癒対象が複雑であればあるほど体力の消費が大きい。……理論上は数日まともに動ける状態じゃないのに、そんな状態で治癒を続けたらそりゃあ、ねぇ?」

「何が言いたいのよ。私、はっきりしないの嫌いなんだけど」

「お見舞い行ってあげなさいよ〜」

「いくわけないでしょ」

 

 人間の少女向けの雑誌を開いて、ネムはどうにかしてリリィのことを考えないようにしようとした。

 

「……言いたいことがあるなら伝えた方がいいわよ。ロッテちゃんにもね。死んでからじゃ何もかも遅いんだから」

「うっさい。アンタは私のママにでもなったつもり?」

「なってあげられれば良かったんだけどねぇ」

 

 雑誌の内容をどれだけ読んでも、まるで左耳から右耳へとすり抜けていくかのように頭に入ってこない。

 どれだけ忘れようとしても、去り際のリリィの悲しそうな声が頭が消えてはくれない。

 

「あら、どこ行くのネムちゃん」

「トイレ」

「……長くなりそう?」

「多分」

 

 人間は嫌いだ。

 私達を道具みたいに使って生き延びようとしている。簡単に死ぬのに、人間が死ぬと華人形は誰であれ胸が苦しくなってしまう。

 

 そして、人間はみんな華人形の苦しみは理解出来ない。

 理解なんて出来ないくせに、わかったように寄り添ってくる。だから大嫌いだ。

 

 嫌い、嫌い、嫌い、嫌い。

 みんなみんな嫌いだ。ネムは何もかもが嫌いだった。こんな世界も、自分も他人も何もかも大嫌い。生きてるだけで吐き気がする。こんな苦しみに満ちた星で生きるだけで頭が痛くなる。

 

 

『あの日、お前なんで『死んじゃえばいいのに』なんて言ったんだ?』

 

 

 多分、あの時の私は余裕がなかったんだと思う。

 

 怖くて仕方がなかった。

 ずっと自分を守ってくれる、どんな困難も彼女が入れば大丈夫だと信じていた。そんなリリィが、友達を殺したことを。

 

 殺した、なんて認識とネムの勝手な思い込みだ。

 あの時の状況ではああするしか無かった。少し考えればわかることなのに、あの時のネムは何も分からなかった。

 

 信じていた人が友達を殺した。

 

 怒り、不安、恐怖、困惑。

 その末にネムは、リリィがした苦渋の選択の価値を台無しにした挙句、瀕死の重傷を負ったネムを蘇生するために、リリィは強く願った。

 

 

 傷を治す異能が欲しいと、願ってしまったんだ。

 

 

 リリィが傷を治す異能に覚醒したと知って、ネムはすぐにそれが自分のせいであることがわかった。

 でも、素直に謝れるほどあの時は余裕がなかったんだ。本当に訳分からなくて、リリィの姿を見るだけで自分も殺されるんじゃないかっていう妄想に囚われて、自分のせいでリリィが『治癒』だなんて言うあまりに役に立たない異能に覚醒してしまったんだって。

 

 だから、もう消えたかった。

 自分もリリィも、何もかも消えてしまえば楽になると思っていた。

 

 だから───『死んじゃえばいいのに』なんて言う主語の欠けた発言をしてしまった。

 

 

 

「多分、そんなところよね。当時の私の気持ちって」

 

 長い廊下を歩きながら、再確認するようにそう呟く。

 

 それはネムの記憶。

 ネムは当時のことを何一つ忘れずに覚えていた。覚えていたけれど、それを()()()()()()わけではなかった。

 

 実感がないのだ。

 まるで面白くもない他人の自伝を本で読んだかのような、その記憶に纏わる感情が欠落してしまっている。

 

 自分とリリィの間にある確執の理由は、推測すれば分かる。

 けれどそれは当時のネムが抱いた感情と地続きではない。あくまでその記憶を参照にした、感情の模倣。

 

 

 大袈裟な言い方をすれば、今のネムは拡張症候群によって生まれた別の人格。

 リリィ達と共にあの『花園』で過ごした記憶を持つネムは、既にこの世界のどこにもいないのだ。

 

 

 それでも『ネム』はリリィのことが大切だ。

 大切であり、やっぱり嫌いだ。自分なんかの為に未来を捨てたバカ。そんな彼女の気持ちを考えてやることも出来なかった愚かな昔の自分。

 

 何もかも謝って、終わりにしてしまいたい。

 けれど、そこまでの感情をネムはもう込めることが出来なくなってしまっていた。

 

 

「なんて言えば、いいんだろうな」

 

 

 いつの間にか、リリィの病室へ向かう足は止まっていた。

 なんでこんなに大好きだったのかも、なんでこんなに大嫌いなのかも、ネムはもう、自分の感情としてそれを理解できなくなってしまっていた。

 

 体は進みたい方向と逆を向いている。

 だって今更何を言えばいい? あの日のことを謝ったとして、自分にとって他人事のようにしか思えないそれに、私はどれだけの感情を込められる? 

 

 何より、お前がそんな半端な異能で無理して戦線に立ってまで守ろうとした妹分は、とっくの昔に死んだも同然だったと。

 

 そんなこと伝えて、誰が得をする? 

 得をするとしたら、それはネムだけなのだ。傷つけて、奪って、台無しにして。その上でこんな痛ましい心だけ残して、記憶の価値すら思い出せなくなった女だけが救われるなんて、そんなのだけは間違っている。

 

 私達の関係は、もう終わってしまっているのだから。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「ひでぇ顔だな。そういう顔をしたいのは俺の方なんだけど」

「……夢を見たんだ。お前の娘を、殺した時の夢」

「なんだ? 殴って欲しいのか?」

「そうだな……。殴って欲しいんだよ(わたし)は」

「じゃあ殴ってやんね。俺、アンタのこと嫌いだから」

 

 一人格納庫で黄昏ていると、いつの間にか隣にレガンが立っていた。

 (わたし)と感覚を接続していたせいで、彼も数日寝込むほどの酷い状態になっていたと聞いていたが存外元気そうで安心すると共に、さすがに申し訳なさが先立った。

 

「悪い。命令を無視した」

「まぁそうだな。さすがにそろそろ庇いきれねぇぞ。このままじゃお前、拡張魔導装甲から下ろされるな」

 

 元々(わたし)の異能は、予定では衛生兵として後方勤務になる予定だったのだ。

 それを(わたし)は、自分の射撃能力を見せつけてかつレガンの根回しで無理やり拡張魔導装甲を手に入れて、乗り込んだ。

 

 そうまでしてでも、戦場の最前線に立ちたかった。

 力がなくても、自分なり方法で何かを守りたかった───なんて、高尚な理由ではない。

 

 前にネムに言われた通り、逃げる勇気がなかったんだ。

 今更実力が足りないなんて理由で戦場から下がることが出来ない。

 

「誰かの為に戦うことは、失敗したんだ。だって(わたし)は、その人がなんの為に戦ってるかを測り間違えてしまうから。それでもさ、(わたし)は自分の価値を戦術的価値でしか示せない」

「だから自分を犠牲にして戦うってか? バカバカしい。ほんと、アンタは馬鹿でクズで救いようがない」

「……だよな」

「はぁ。反論しろっての、お姫様。まぁ戦って死にたい気持ちはわかるけど、このままじゃ足でまといにしかならないって話なんだ」

 

 特異個体は強大な存在だが、華人形にとっては倒せて当たり前の存在。特に射手型(アンタレス)はよく確認される特異個体であり、これに負けるのは拡張魔導装甲持ちとして致命的だ。

 

 今まで騙し騙しやって来たが、今回の失態でロッテの『散華』作戦から外される可能性すらある。

 

「守りたいとか言ってるのにさ。結局ネムに助けられて、ロッテはもうすぐ散華。(わたし)は何も守れていない」

「アンタらしくないな。現実を見ないで無理するのが十八番だろ」

 

 ……さすがにそろそろ、我慢の限界が来る。

 いや、我慢してるのは向こうなのはわかっている。レガンは今この瞬間も(わたし)のことを殺してやりたい気持ちを抑えてることは、もちろんわかっている。

 

 それでもさぁ……それでもだよ。

 

 

(わたし)だって色々悩んで、ずっと考えてるんだよ!? どうにかして役に立ちたい。どうにかして価値を示したい。どうにかして、カッコつけて死にたい! そうだよ! (わたし)は所詮もうそれしか残ってないからな! 現実を見てない? 見てるからこそ、理想を描いて藻掻くしかねぇんだろ!」

 

 

 言った、言ってしまった。

 呼吸が荒くなって、右腕の傷が開き包帯の下に嫌な痛みが走る。

 

 自分の不甲斐なさが根本的な原因なことはわかっている。

 だからこそどうしようもないんだ。全ての理由が、(わたし)が弱いも言うことに集約されている。

 

 今回の特異個体との戦闘で、それから目を逸らすことすら許されなくなってしまって、自分で思う以上に精神がまいってしまっている。

 

「ごめん……ごめんなさい。(わたし)に、レガンに感情をぶつける資格なんてないのに。本当なら、殺されるべきなのに」

「───いや。嬉しいぜリリィ。お前がそんなに苦しんでいるなら、俺もここまで頑張ったかいがあるってもんだ」

 

 本当に心の底から嬉しそうに、レガンはそう口にした。

 

「だが勘違いするな。俺がアンタを許してないのは、アンタが自分を許してないからだ」

「それじゃあ、一生許されることは無いな」

「だろうな。だから一緒に地獄に落ちてやるつもりだ。どれだけ悲鳴をあげようとも、戦うってんなら俺は最後までお前を使い潰してやる」

 

 そう言いながらレガンは紙の束を(わたし)へと差し出してくる。

 

「これは……?」

「まぁ読んでみろって」

「……読めない」

「あ?」

 

 前の戦闘……と言うよりは、拡張症候群のせいで右腕を切断せざるを得なかったこと。

 実はその右腕はまだ治癒していないのだ。切ってすぐは無理やり縫い合わせて止血して、持てる魔力は全部負傷兵の治癒に使ったし。今日まで残ってた体力は内臓の治癒に使っていたしで、三角巾と包帯の下はまだ肘の少し先以降が生えてきていない。

 

「あ〜……くそっ、しょうがねぇな」

「その、なんかごめん」

「うるせぇ。黙って読んでろ」

 

 なのでレガンは絵本を読み聞かせるかのような体勢で、俺にその資料の内容を見せてくれた。

 

 内容は一言で纏めてしまえば、拡張魔導装甲の新武装のものだ。

 魔力理論を元にした今までにない出力の長距離砲。完成すれば今まで技術的に不可能だった、悪獣(マリス)の特異個体への『狙撃』が成立する。

 

 それ以外にも爆撃、近接戦闘、制圧射撃。

 どれも実用化すれば、俺クラスの魔力でも特異個体相手に有利に戦闘を進められるほど画期的な武装だ。

 

「これがあれば、お前でも最前線で戦える。それどころか、拡張魔導装甲に乗せる華人形の数は軽く見積って倍増するだろう。……まぁ簡単に作れるわけじゃないからそこまでは増えないだろうが」

「なんでこんなのがあるならさっさと出さなかったんだよ」

「理由は単純明快。使ったら死ぬからだ」

 

 なんてことの無いことのように、淡々と説明が続く。

 

「魔力を効率的に使おうとすると、どうしても神経回路の深層接続が必要になる。現在の技術ではリミッターをつけて禁止している領域に、お前達の意識を送り込んで操作しなければこの武装は使えない。そもそも、まだテスト段階だしな」

 

 それはつまり、使えば拡張症候群が一気に進むということだ。

 

「だが、お前の拡張症候群は実質的な肉体へのダメージ。致命的な部位が変わらない限りは、何度でも置換された部位を切除、自分の異能で治すを繰り返せる」

「……建前はいい。(わたし)をどうしたいんだよ」

「実験台になれ。この研究が進めば、人類の戦力は倍増どころじゃない。何より、今お前が仲間達の戦場に立つためには、これを使うしかないんだからな」

 

 

 神様がこの世界にいるのならば、まずは今までの行いを悔い改めさせてぶち殺してやりたいところだ。

 

 だが、今日ばかりは感謝したい。

 こんな(わたし)に、まだ役に立てる方法が存在した。

 

 これでまだ戦える。

 まだ(わたし)は、誰かの為にこの命を散らすことが出来るんだ。こんなに幸せなことはない。

 

 

 

「……何笑ってやがんだよ、気持ち悪い」

「ありがとう。ありがとな、レガン」

「本当に。アンタって、救われねぇよな」

 

 

 

 

 







『拡張症候群』
リリィの場合
機械との境界喪失。長時間の搭乗で徐々に肉体が鉱物に変質する。最初期は肌の一部や髪や爪などだけで済んでいたが、現在は内臓や神経にまで変質が及ぶようになり、部位によっては搭乗中の即死の危険性が考えられている。

ロッテの場合
破滅願望。自他問わず物質を破壊したり、現象を終わらせたりしたいという激しい欲求。小動物の殺害や物質の焼却、自身の肉体の物理的損傷などでしか快楽を感じられなくなる。症状初期はギャンブルによる破滅的行動という形で誤魔化していたが、現在は抑えきれない段階まで進行している。

ネムの場合
詳細不明。記憶喪失の類と思われているが、失われるのは記憶そのものではなく、記憶の『価値』。記憶を客観的な視点でしか認識できなくなり、大切な思い出が無数の情報の一つに成り下がる。自分という形があるのに、その形がどうやって形作られているかを認識出来なくなる。これに伴いネムは過去に関することに触れられると激しい恐怖と苦痛を覚えるようになっている。


これらの拡張症候群の症状は、各華人形のオペレーターも軽度であるが発症している。




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9.聖娼と星刻と不壊と

 

 

 

 

 

「ちっ……」

 

 隣から一切不機嫌を隠そうとしない舌打ちが聞こえてきて、(わたし)は思わず身を縮こまらせてしまう。

 

 一応仕事というわけで軍の制服で来たのだが、隣でずっと舌打ちしているネムはパンツルックの私服だし、そもそも第二結界内の人間の街のど真ん中でこの格好というのはかなり目立つ。

 

「リリィ」

「えっ、な、なんですか……ネ、じゃなくて、《星刻(アーカイブ)》、さん……はいらないか」

「今日一日、私に敬語使ったり識別コードで呼んだりしたらぶっ飛ばすからね」

「……うっす」

「あと、今日は、その……いや、なんでもないわ」

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 話は数日前に遡ることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりですリリィ・ファムルーナさん。私はロッテのオペレーターを務めています、カドラエーナです」

 

 腕の治癒が完了し、次の戦闘計画に目を通しながらリハビリをしていた(わたし)の目の前に現れたのは、10代前半に見える人間の……男か女かも判別のつかない子だった。

 

 華人形は性質上みんな若い故に、軍の内部で自分たちより歳下の相手なんて見たことがなかったが故に、ロッテのオペレーターがこんな幼い子だったことにはそれなりに衝撃を受けたし、ロッテのオペレーターがわざわざ会いに来るなんて一体どんな要件なのかと不安にもなった。

 

「ポイント9奪還作戦と、それに伴うロッテの『調整』が一段落しました。それで、ロッテの方から貴方達に依頼があります」

「依頼……?」

 

 あのロッテが『依頼』なんて話を(わたし)達に持ってくるなんて、一体どういうことなのだろうか? 

 

「『散華』の承諾の代わりに獲得した特殊休暇と特権を行使し、第二結界内のある都市での一日間の作戦行動を希望しています」

「えっと……」

「貴方には一日の間ロッテの指揮下に入ってもらい、ロッテの護衛をしながら特殊任務の補佐を行ってもらいます。拒否権はありません」

「はぁ」

「あと、当日は全身全霊で自身を飾り立てる必要があると思います」

「それは、命令ですか?」

「いえ。個人的なアドバイスです。それでは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かおかしいとは思いつつ、とりあえず一応任務らしいし、式典用の時に一回だけ使ったやつを引っ張り出して来たのだが。

 

「…………ねぇ。なんでリリィ軍服で来てるの?」

「知らないわよ。馬鹿だからじゃないの」

「えぇ……だって、これは(わたし)悪くなくない?」

「いやありえないでしょ。なんで街に遊びに来るのに軍服着てくるの?」

 

 ロッテのオペレーターさんの伝え方が婉曲し過ぎというか。

 要はこれ任務でもなんでもなく、ロッテの休暇に付き合えってことだよな? なんて最初からそう言ってくれないんだよ。

 

「せっかく久々の休暇なのに、軍服に隣に歩かれたらテンション下がっちゃうじゃんか」

「じゃあコイツだけ家に返す? 私は構わないけど」

「いやいやそこまでしなくていいから。うーん、じゃあ予定変えてまずはリリィの服買いに行かない? せっかく顔がいいのに変な服しか持ってないじゃん」

「変な服……あれはルリさんからのお下がりで」

「それが変だって言ってるのよ。あの人センスは最悪だったじゃない。姉妹らしく似たセンス発揮されても私が恥ずかしいし、適当な店で着替えさせましょう」

 

 ネムは(わたし)ともロッテとも目を合わせず、少し早めに歩き出してしまう。

 

「ちょっとー? 今日の主役はアタシなんだけどなぁ」

 

 その後をロッテが小走りで追いかける。

 そして、最後に残された(わたし)は二人に追いつくために軽く走り出す。

 

 

 そういえば、この街には随分前にも一度訪れたことがあった。

 あの時はルリさんがいて、その後ろを俺が着いていって、ロッテがさらにその後ろで、ネムの手を引いてくれていたんだ。

 

 

 逆転した並び順に何となく寂しさと嬉しさを感じながら、華人形の休日が始まった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「ねぇこれ、なんかフリフリ多くない?」

「チビなんだから適当にフリフリした衣装着せとけばいいでしょ」

「えー……でも(わたし)15歳だぞ?」

「知らないのリリィ? 15歳って世間一般的にはまだ子供なんだぞ? それはそうとリリィはもうちょっと大人っぽい感じの……あ、こっちの服とかどう?」

 

 適当な衣服店に入るや否や、(わたし)はネムとロッテが持ってくる服を着せられては脱がされ、脱がされては着せられを繰り返していた。

 

 (わたし)の仕事として士気の高揚があり、その為に見た目にはそれなりに気を使っていた。さすがに戦場にまでメイクを持っていったりなんてことは出来なかったが、式典の時とかはちゃんとしてたし、実はケアにも結構気を使っている。

 

 ただ、服に関しては小さい頃はルリさんになされるがままだったし、配属されてからはずっと支給されたものを着てばかり。

 

 だから(わたし)は、女の子の衣装というものに疎かった。

 正直渡された服は何着か着方が分からなくてロッテに助けて貰ったりしながら、改めて鏡に目を向ける。

 

 そこには桃色の髪をした、少し大人びた目をした少女が映っていた。

 

 

 華人形の年齢からすれば、15歳というのはもう既に死が見え始める年齢だ。この年齢で死ぬ華人形も少なくはない。

 

 だが、人間としてみてみればまだまだ子供。

 前世での(わたし)だったら、戦場でこんな子供を見たら引き金を引くことを躊躇って───

 

 

 

「ひとごろし」

 

 

 

「──────」

「どうしたリリィ? まさか自分に見惚れてたかー?」

「あ、あぁ……って、そんなんじゃないよ。ただ、こういう衣装を着るのってなんだか新鮮で」

「アタシ達だって女の子なんだから、オシャレはやってみなくちゃね。気に入ったのあったらそれ買ったげるから」

「いやお金は自分で払うよ」

「いーのいーの! アタシ、散財したくて今日ここに来ているみたいなもんなんだから!」

 

 拡張症候群による、ギャンブル依存症の延長線の話だろう。

 そういうことなら、無理に我慢させるのも良くないしここは言う通りにするのが吉か。

 

「そういうことなら、ここの会計は任せようかな」

「いえーい! じゃあネムがさっき選んでたやつにしちゃおう!」

「は? 待ちなさいよ。今真面目にリリィに一番似合う服を選んでるんだから。そうねぇ……胸はあまり大きくないけどスタイルはいいから……」

「さっきのヒラヒラのは真面目に選んでなかったんだな……」

 

 大真面目に服を選んでくれているネムを待ちながら、もう一度鏡に目を向ける。

 

 そして今度は少し服を捲り、腹部を映す。

 そうして目に映るのは、傷、傷、傷。墜落した衝撃で破片が刺さった時の傷、同化が進んだ内臓を摘出するために切り開いた傷、昔悪獣(マリス)の爪で切り裂かれた時の傷。

 

 (わたし)と同じような傷が、ネムやロッテの体にも刻まれていることだろう。この仕事をしていたら、幾ら強くても怪我は避けられない。ルリさんの体にですら幾つか目立つ傷はあったのだ。

 

 普通の女の子に見えることはある。

 それでも、(わたし)達は兵器なのだ。特に(わたし)は中身だって女の子でもなんでもない。多くの敵を殺して、仲間を守るための兵器。

 

 そういう風に在ることが(わたし)達の使命であり、(わたし)の望み。

 

「リリィー。ちょっとこっち来てくれなーい? 服のサイズ再確認したいから」

「あぁ。今行くよ」

 

 今の(わたし)は何も守れていない。

 けれど、あの兵器を使いこなせるようになれば──────。

 

 

 そんな事を考えながら更衣室から出た直後。

 (わたし)は突然バランスを全く取れずに無様に地面に転がってしまった。

 

「ちょ、リリィ!? え、なんでずっこけたの!?」

「あ、そっちリリィにサイズ合うと思って置いておいたヒール入のシューズよ」

「ひ、ひーる……?」

 

 そう言えばヒールなんてものを履いたことは、一度もなかった。

 式典と言ってもドレスを着て参加するようなのには出てないし、基本的におめかしとは軍服でするものだったから、履く機会そのものがなかったのだ。

 

「……ぷっ、あはははは! ヒールですっ転ぶって! 15歳にもなってヒールで!? 子供じゃないんだから!」

「……だっさい。もっと低いシューズ探してくる」

「い、いや待て。意識してなかったから転んだだけで、別に普通に立てるから!」

 

 ロッテとネムは、まるで『花園』にいた頃に歳下の妹を見るような目で(わたし)を見ながらも、幼なじみ特有の距離感で容赦なく笑いものにしてくる。

 別にこれくらい恥ずかしくもなんともないはずなのに、何故か(わたし)の方も顔が赤くなってちょっと泣きながら更衣室に閉じこもってしまう。

 

「いやごめんって。リリィがこんなしっぱいするなんて、あんまりにも()()()()()()、おかしくって……」

「そうね。リリィらしくないから、面白かったのかも」

「お前らなぁ……」

 

 (わたし)らしく、って、今の(わたし)はいつだって失敗ばかりで役立たずの、出来損ないの華人形なのに。

 

 今この瞬間だけは(わたし)達は《聖娼(ファムルーナ)》でも、《不壊(アダマス)》でも、《星刻(アーカイブ)》でもない。

 ただのリリィと、ロッテと、ネムでいられる。そんな最後の時間なんだ。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

「いやー、散財した散財した。おかげでアタシは一文無しだよ。特にネム、アタシの奢りだって言った瞬間高いのばっか頼んでなかった?」

「そりゃあ奢りなら一番高いの頼むに決まってるじゃない」

「決まってないでしょ。リリィなんてちんまいお口でいっちゃん安いのを小動物みたいにちまちま食べてたのにアンタと来たら!」

「いや(わたし)はあんまりお腹減ってなかっただけで、別に遠慮したわけじゃないよ」

「そう言うのは言わぬが花ってやつでしょうが。なんだよ二人とも優しくない!」

 

 街を一望できる高台に身を乗り出してはしゃいでいるロッテ。

 夕焼けに照らされて赤く染る景色は、まるで世界の終わりのようで。

 

「改めて、今日はありがとね二人とも。ネムとリリィって最近仲悪そうだったのに、今日は喧嘩しないで最後までいてくれて」

 

 いきなりデリケートな部分に突っ込まれて、(わたし)はなんて返せばいいのか分からず、ネムの方にバレないように視線向けて、彼女の様子を伺ってしまう。

 

「そりゃあリリィのことは嫌いよ。でも、ロッテとの最後の休日にまで喧嘩するほど、空気が読めない女になったつもりは無いってだけ」

「なるほどねぇ。リリィの方は?」

(わたし)も、まぁ。そんな感じかな」

「真似しないでよ気持ち悪い」

 

 今日は喧嘩しないって言ったのに。

 

「あはは。まぁ一朝一夕でどうにかなる問題じゃないか。最後に2人が仲直りするきっかけになればなぁって思ってたんだけど」

 

 最後、という言葉がロッテの口から出てきて、(わたし)は唇を噛み締めてしまう。

 

 この休暇は、人類の為に『散華』することを選んだからこそ、ロッテに与えられたもの。

 明日からは本格的にポイント9奪還計画の為の動きが始まり、もうこんな風に羽根を伸ばせる時間は来ないだろう。

 

 最後の休暇まで(わたし)とネムのことを案じているなんて、ロッテらしいとも思えてそれが嬉しくも、少し悲しくもある。

 

「そんな顔しないでよリリィ。これは全部アタシがやりたくてやってる事なの。だから2人が何かを思うことなんてない」

「そうね。あのカフェのケーキ美味しかったわよ。ご馳走様」

「……ネム、さすがにそれは空気読めてないぞ」

「何よ。そっちが読めてないだけでこれが最近のトレンドなのよ」

「あはは。まぁアタシはこれはこれで好きだけどねぇ」

 

 ロッテは世界の全てを吸い込んでしまうかのように、大きく大きく息を吸って、吐き出した。

 残された全てを噛み締めるように、この世界に少しでも自分を刻みつけるように。

 

「うん。今日は楽しかった。これで安心して死ねるってもの。だから、最後に二人に聞きたいんだけどさ」

 

 なんてことの無い、『花園』での日常の1ページのように。

 

 

 

「二人ともさ。人類も何もかも見捨てて、アタシと一緒に逃げちゃわない?」

「──────え?」

 

 

 

 ロッテは、これまでの時間の全てを否定した。

 

 

 

 



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10.焦熱は金剛を捻じ曲げ

 

 

 

 

 ロッテが何を言っているのか、(わたし)は最初理解が出来なかった。

 

 

 人類も何もかも見捨てて、一緒に逃げる? 

 

 そんなことをロッテが言い出すなんてことが信じられない。己の耳がおかしくなったんじゃないかって考える方がまだ現実的だ。

 

 ロッテは演技でしか上手く人と接することが出来ない(わたし)や、わざと嫌われるように動くネムとは違い人間達とも上手くやっていた。

 この前だって、あんなに楽しそうにポーカーをやっていたじゃないか。

 

「冗談……」

「リリィの知ってるアタシはこんなにつまらない冗談を言う女だった?」

「少なくとも、言うことが面白くない女ではあったわよ」

 

 動揺して言葉に詰まる(わたし)に対して、ネムは極めて冷静だった。淡々と、懐から銃を取り出してそれをロッテへと向ける。

 

「聞き直すわよ。冗談よね?」

「そんな銃が脅しになると思ってるの? アタシは《不壊(アダマス)》だよ?」

「言い方を変えてあげるわ。まだこんなチンケな銃程度の脅しの間に、冗談だって言った方がいいわよ」

 

 肌に刺すような痛みが発せられ、ネムが異能を起動しようとしていることに気付く。

 

 ネムの異能───星刻(アーカイブ)は再現の異能。

 指定した座標にかつて起きた『現象』だけを再現する。かつてそこで誰かが剣を振ったのならば空間に斬撃だけが現れるし、そこに爆発が起きていれば爆発が起きる。

 

 彼女が本気でその能力を行使すれば、限定的であるが()()()()ですら顕現させる。華人形ですら、その一撃を受ければ即死は免れない。

 

 だがロッテの不壊(アダマス)も、彼女の戦闘力もそれを簡単に受けるほどヤワなものでは無い。

 

 二人がここで戦闘を始めれば相当な被害が街に出る。

 

「二人とも落ち着け! ……まずは、ロッテの話を聞こう。銃を向けるのは、それからでいい」

「……じゃあ聞いてあげようかしら。そんな馬鹿で大胆な自殺が、どういう思考回路で叩き出されたのか」

 

 (わたし)の話に応じてくれたように、ネムは銃を下ろす。だが肌を刺すような感覚は消えず、依然彼女は異能の発動準備をしている。

 それはロッテもおなじであり、わかっているようであったが、彼女の方は肩の力を抜き柵に寄りかかった。

 

「今日、楽しかったよね。アタシは楽しかったよ。昔みたいにみんなで遊べてさ。リリィとネムが話してるの見るだけでも、なんか楽しかったし、ルリさんのこともなんとなーく思い出せてさ」

 

 そこから一体何を語り出すのか、どうして逃げるなんてことを言い出したのかの理由が語られる。

 

 ……そう思い身構えるも、いつまで経ってもロッテはその続きを語ろうとはしない。

 

「早く続き、話しなさいよ」

「ん? もう理由は話し終わったけど?」

「は? 何言って……」

「今日が楽しかった。世界を滅ぼす理由にそれ以上のものなんて必要?」

 

 理解ができないと言うよりは、納得が出来ない。

 今日一日共に過ごして、ロッテはロッテであるという確信が(わたし)達にはあった。

 

 拡張症候群による人格汚染は真っ先に考えたが、それを選択肢に入れるには今日のロッテは普段通り過ぎた。

 他の者ならまだしも、ネムと(わたし)が、ロッテが変わり果ててしまったことに気づかないなんてことがあるはずがない。

 

「もっと分かりやすく言うならさ、もうこんな楽しい今日が二度と来ないから、かなぁ。だってアタシ、この後死ぬんだよ」

「…………」

「顔も名前も知らない誰かの為に、アタシは死ぬ。アタシが死んだ後に生きているのは、アタシが知らない誰か」

 

 まぁそれはいいんだけどね、と。

 ロッテは懐から写真を取りだして、それを指先で撫でた。

 

 同時に、表情から笑みが消える。

 (わたし)達でも見たことがないくらい、悲しそうで冷たい瞳が、燃えるような夕焼けを背に(わたし)達へと向けられる。

 

「死んじゃったんだ」

「誰がよ」

「リリィなら知ってるでしょ。一緒にポーカーした人達。みんな死んじゃったの。この前戦線が突破された時に、時間を稼ぐ為に特攻したんだって」

 

 そう言いながらロッテがこちらに向けた写真には、もう何処にもいない彼らと楽しそうに肩を組んで笑っているロッテの姿が映されていた。

 

「みんなそう。アタシ達はいつだって誰かの為に戦っている。それはいいの。華人形の本能だし、誰かの為に戦うことはアタシだって望んだことだ。───でもさ」

 

 

 華人形は誰かの苦しみを許容できない。

 誰かの死や絶望を自分の事のように感じ取り、そうさせない為に戦う心優しい妖精。

 

 じゃあ、(わたし)達の悲しみは一体誰が感じ取ってくれるのだろうか。

 

 

「アタシが本当に守りたいのって、自分が好きな人や大切な仲間達だけなのに。そういうものからなくなって、顔も知らない誰かの為に死ぬのなんて、別に全然楽しくないじゃん」

 

 それは、華人形として根本的に間違っている言葉。

 華人形は、人を守る為に存在している。そこに優先順位はあったとしても、人を守るという根本的な存在理由を放棄してまでの思考は有り得ない。

 

 華人形はそういう存在だから、それを間違っているとか悲しい運命だとかそういう話ですらない大前提。そのはずなのに。

 

(わたし)は、そうは思わないよロッテ」

「……頭から否定してくるんだ」

「そういう訳じゃない、けれど。少なくともルリさんならそういうことは言わない」

「アタシはルリ姉じゃないけれど?」

 

 間違っているとか断言することが出来ない。

 説得するための言葉が不思議と出てこない。ただ笑顔を浮かべるだけのロッテの、本当の表情がどうしても見えてこない。

 

「それでも、(わたし)はその話には乗れない。今まで大切な人に生きて欲しいって、そう願って闘ってきた人達がいて、その人達のおかげで今日こうして(わたし)達は生きている」

「……」

「だから、(わたし)はその犠牲に、その献身に背を向けることは出来ない。彼らの屍が作った未来に、恥じない自分で───」

「アタシはそんなこと言ってないよ」

「え?」

 

 言葉を遮り、ロッテがこちらへと歩み寄ってくる。

 向けられた銃口なんて気にすることも無く、そしてネムもその引き金を引くことが出来ず、ロッテの歩みを誰求めることが出来なかった。

 

 

「アタシは、アタシが死んだ後にその屍の上に作るのに恥じない未来を作って欲しいなんて、言わない」

「ロッテ……?」

「人が死ぬ時のセリフはね、『俺達の屍の上に未来を築いてくれ』なんて高尚なものじゃない。──────死にたくない、だよ。誰だって死にたくない、痛いのも苦しいのも嫌に決まってる! それでも彼らは死ぬしか無かった! それでも、死ぬしか無かったとしても、せめてこんな苦しい思いを大切な人にして欲しくないから戦ったんだ! そうするしかなかった犠牲に、適当なラベル貼っつけて自分が戦う理由にするなよ、リリィ!」

 

 カツン、と銃が地面に落ちる音がした。

 ロッテが怒っているところなんて、(わたし)もネムも見た事がなかった。いつも朗らかな笑みを浮かべている彼女の激情に、ネムですら動揺して銃を落とし、(わたし)は言葉を失ってしまう。

 

「嫌いだよ、アンタのそういうところ大っ嫌い! アタシが死んだ後も、そうやってアタシの死に適当な理由つけて、自分が命を賭ける理由にするつもりなんでしょ!?」

「ち、違う! そういう意味で言ったんじゃない! 戦い続ければ、いつかは……」

「そのいつかにアタシはいない! アタシが守りたい人もいない! ……ねぇ、リリィ。あんたがアタシ達に教えてくれたんだよ」

 

 動悸が激しい。

 呼吸が上手くできない。

 

 目を背けたくて仕方がない。

 それを言われたら、(わたし)はきっと折れてしまう。それがわかっていても、目を背けることも耳を塞ぐことも出来はしない。

 

 華人形として生まれて、大切な人達に囲まれて育って。

 

 (わたし)はそう決めたのだから。

 何があっても彼女たちを守ると。皆を守って、たとえ死んだとしてもそれを誇りにして死ぬ事ができると、喜んだのだから。

 

 

 

 

「アタシは、大切な人達が生きてくれるなら他の奴らなんてどうでもいい。リリィとネムに、生きて欲しいんだよ。逃げ場なんてなくたって、生きていれば、もしかしたら何かあるかもしれない。少なくとも、夢を見続けられる。でも死んじゃったら、終わりなんだよ……」

 

 

 

 それは、かつて(わたし)がした選択。

 ネムと人間の女の子の命を天秤にかけた時、そこに最後にあったのは合理的な理由なんかじゃなかった。

 

 ネムに生きて欲しい。

 ネムの友人なんかよりも、ネム本人に生きて欲しい。

 

 それが(わたし)のエゴであり、それが(わたし)が皆に見せていた姿そのもの。

 そして今も、(わたし)はそんなエゴで戦場に立っている。せめてネムとロッテだけでもと思って、無理やり拡張魔導装甲に乗り込んだ。

 

 何も反論なんて出来ない。

 ロッテが泣いているのも、怒っているのも、苦しいのも、全部(わたし)が彼女に見せた姿なのだから。

 幼い日から語っていた夢が、今の彼女の全てを苦しめている。(わたし)には彼女の言葉を否定する権利も、肯定する権利も、何も無かった。

 

「アタシ達は今も、あの頃みたいに変わらず居られた。でも、夢だけはそうじゃない。結局あの頃見ていた、全部守れるなんて理想だけは、夢幻だったんだ」

「……違う!」

「何が違うんだよ、ネム!」

 

 銃を拾い上げ、ネムはロッテを否定するかのように叫んだ。

 

「それはロッテが勝手に絶望しているだけ。あの日、私達が夢見た理想は、いつかきっと、形にできる」

「そのいつかはいつ来るの? アタシ達が死んだ後かなぁ? それで満足だってんなら、アタシはあんたとは気が合わないよ!」

「私が創る!」

 

 予想外の返答だったのだろう。

 捲し立てるようなロッテの怒声は止まり、世界の終わりかのような静寂が空間を支配した。

 

 その静寂の中で、ネムはロッテから目を逸らさずに宣言する。

 

「私が創る。私にはその責任があるから、私が何もかもを守って、救って、こんな時代をここで終わらせる」

「……じゃあアタシは死ぬよ。何もなせずに死ぬ。最後まで死にたくないって言って死ぬ。アタシの死なんてどうでもいいから、二人にだけは生きて欲しいと思いながら死ぬ。そのあと適当なラベルを貼られて戦い続ける理由にされようとも文句も言うこと出来ずに死ぬ。そうやって、この世界から消えるよ」

「……」

「いい加減にしてよ。あんたくらいだよ、まだあの頃のリリィの夢を見てるのは」

「───違、う。私は、これは私が!」

 

 

 日が沈み、時間は夜になる。

 世界が切り替わるように、いつの間にかロッテの顔には笑みが貼り付けられていた。

 

 

「はーい、冗談冗談! いやぁ二人ともマジになるもんだからキリどころが分からなくてさぁ。ごめんね? でも最後に、腹を割って話せてよかったよ」

 

 

 本当に、さっきまでのは黄昏時の夢幻であったかのように、ロッテは平然としていた。けれど胸に走る痛みは、確かにそれは現実であったと告げている。

 

「それじゃ帰ろうか。迎えの人たちもそろそろ心配してるはずだし。あぁそれと──────気が変わったら言ってね。二人だけでも絶対逃がすから」

 

 去っていくロッテの背中を追いかけることも出来ず、(わたし)はその場に座り込んでしまった。

 

 だって、これは(わたし)のせいだ。

 (わたし)が自分が強いなんて勘違いして、誰かを救えるなんて思い上がって、綺麗なだけの幻想を夢見たから、二人は今こんなに───。

 

 

「ごめんね、リリィ」

 

 

 昔みたいに、ネムが(わたし)に縋り付くような声で話しかけてくる。

 

 

「やっぱり私、貴方みたいに強くなれない」

 

 

 

 

 幼い日に語った夢。

 

 (わたし)なら出来ると、自分を奮い立たせた。

 私には出来ないと、それでも強く憧れた。

 貴方なら出来ると、本気で信じていた。

 

 けれどあの頃から、(わたし)達は変われなかったんだ。

 その夢を叶える為には何もかもが足りていない。未だに夢は夢のまま、現実の中で藻掻き続けている。

 

 そうしていつか夢は呪いに成り果てた。

 

 それを断ち切ることが出来るのは、最初にその夢を見てしまった(わたし)だけ。

 

 

 ──────もう引き返すことは出来ない。

 

 

 

 

 たとえ誰もそれを望まなくとも、(わたし)はその夢の責任を果たさなくてはならない。

 

 

 

 



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11.憎悪と憐憫に百合は咲き

 

 

 

 

 

 ポイント9奪還作戦の開始まで、二ヶ月。

 

 あれからロッテともネムとも合っていない。二人とも調整や他の防衛作戦だってあるし、何よりお互い会いたいとも思えない。

 

 (わたし)自身も実は結構忙しかった。

 レガンの持ってきた『新兵器』の試験運用に朝から晩まで付きっきり。加えてこの『新兵器』が予想以上のじゃじゃ馬。

 

 一発試しに撃ってみたら、自分が華人形(ガラテイア)であることが頭から吹っ飛んで、小一時間管制システムからの情報を口頭伝達するだけの存在に成り下がっていたらしい。

 

 比較的、拡張魔導装甲への耐性が高い(わたし)が、たった一発で自分を見失う程の拡張症候群。

 現在は性能の代わりにデメリットを極力減らしているらしいが、出来るなら最初からそうして欲しかった。こちとら危うく試験運用で死にかけたのだから。

 

「どうだ調子は?」

「ぼちぼち。制御術式での負担も減ってるし、本当に間に合うかもね」

「間に合わなきゃ作戦の成功率は20%だ。気合い入れろよ」

「間に合ったら?」

「25%」

 

 変わんねぇだろ、という言葉はレガンから受け取った水と一緒に、喉の奥に流し込む。

 

 結局、(わたし)はただ流されるままに戦場にいる。

 ロッテの願いも、ネムの言葉も、自身の理想すらからも目を瞑って。

 

「25%の作戦に、華人形の散華を使うなんてな。イカれたのか?」

「25%の賭けに勝てば、将来人類が生き延びる確率が1%増える。それに、この作戦の提案者はロッテ・アダマスとそのオペレーターだよ」

 

 元々ロッテは拡張症候群の進行は味方への攻撃未遂、命令無視、作戦中の行動不能などの不安要素が最近増えていたらしい。

 そんなこと知らなかった。知らされていなかった。ロッテは、一言も(わたし)に教えてくれなかったし、気づくことも出来なかった。

 

 そうして、ロッテのオペレーターは彼女の望みを叶える為にこの作戦を立てた。

 

 ロッテ・アダマスが彼女でいられるうちに、その死を最も効率的に使える作戦。

 それこそがポイント9奪還作戦。

 

「嘘ばっかだ」

「これは嘘じゃねぇよ」

「お前じゃねぇよ。ロッテの話」

 

 死にたくないというのも、(わたし)達以外どうでもいいと言いながら、しっかり自分の命の使い方を考えている。

 

 そんな彼女に対して、(わたし)はどうしてやるのが正解なのだろうか。

 

 自分がやるべきことはわかっていても、それが正解だという確証がない。

 正解を選べるような人間は、前世の最後に背後から仲間に頭を撃ち抜かれたりはしないのだ。

 

「レガン。人類って滅んでいいと思うか?」

「ダメに決まってんだろ何言ってんだ?」

「だよなぁ」

 

 それは良くないことだってわかっている。

 でも、今の戦況から考えてどれだけ頑張っても、(わたし)もネムも道半ばで倒れてしまうだろう。

 

 最後はロッテと同じように散華と言う名の自爆だろうか? 

 (わたし)の場合は拡張症候群の進行で、コックピットでくたばるのが早いかもしれない。

 ネムだったら、きっと最後の瞬間まで悪獣(マリス)と戦いこれも向こうに取り込まれるのを防ぐ為に自爆させられるあたりが妥当な末路か。

 

 大切な人を守りたいのが戦う理由ならば、確かにこれ以上戦う理由なんてない。

 ロッテの言う通りネムと一緒に何処かに逃げてしまえばいい。拡張魔導装甲には逃亡、反逆防止用の機能が何重にも仕込まれてはいるが、それの対処法を思いついているからこそロッテだってあんなことを言ったはずだ。

 

 悪獣(マリス)のいない場所なんて、西国の領内以外ではないだろうけれど。最後の瞬間何にも縛られず自由に生きて、それで死ぬほうが戦って死ぬよりかは楽しいかもしれない。

 

 前世から傭兵をやっていたが、戦いそのものが楽しかった瞬間なんて、残念ながら一度だってなかったしね。

 

 

 ……それでも、やっぱり無しなんだよな。

 

 

「やっぱり、見捨てるのは気分が悪いし、なんか悪いことしてる気がする」

「1度見捨てたやつの言うことは違うな」

「……性格悪いなお前。その通りだけど」

「悪いんじゃねぇ、アンタが嫌いなんだよ。それで、今度は何を見捨てることにしたんだ?」

 

 次の作戦で(わたし)が切れる手札は非常に少ない。

 

 そもそもがロッテの犠牲を前提にした作戦。

 

 まず先行させたロッテとネムが特異個体を撃破し、ロッテの散華までネムが防衛。

 散華後、予測される効果を元に展開していた部隊で悪獣(マリス)を殲滅。その後結界の範囲を変更し、ポイント9を生存領域内に戻す。

 

 極めてシンプルで、だからこそ入り込む余地がない。

 この作戦はそもそもロッテが死ぬ事がスタートライン。(わたし)の仕事はロッテの散華後、残存した悪獣(マリス)の殲滅。

 

 何をするにしても、もう何もかも手遅れだった。

 

 何かをするならば、ロッテの拡張症候群が侵攻する前にやるべきだったんだ。或いはこの作戦が立案される前。

 

 時間は巻き戻らず、何もかも手遅れ。

 だから出来ることだって限られてくる。

 

「レガン、お願いがあるんだけど」

「俺が聞くと思うか?」

「まぁ聞けって」

 

 レガンのことは好きでは無いが、(わたし)はこいつの事をかなり信頼している。

 聡明で、物事を冷静に見ることが出来て、自分の感情を抑えることも、感情のままに動くことも出来る。

 

 レガンの持つ(わたし)という存在への殺意だけは、疑いようがないほど深く、鋭い代物だ。

 

 

「次の作戦で(わたし)を使い潰してくれ。それで一人でも多くの人間の命を救ってくれ」

 

 

 ロッテの為にこの作戦は絶対に成功させる。

 ネムの為にこの作戦は絶対に成功させる。

 

 そして、その為に(わたし)はこの命を使う。

 もうここにしか選択肢はなく、これでしか成すことは出来ない。

 

「はぁ……貴重な華人形を使い潰せと?」

「試験運用中の『新兵器』のデータ。これが完成すれば、拡張魔導装甲の最低運用ラインの魔力が下がり現在適正者なしで凍結中の拡張魔導装甲が使えるようになるし、強力な異能じゃなくても十分戦えるようになる」

 

 その分寿命を削るような戦い方になる可能性が高いが、そこは口を噤む。

 

 (わたし)が持つ『拡張魔導装甲を扱える華人形』と言う最低限の価値。それを捨てても問題がない環境になれば、(わたし)の命は幾らでも投げ出して良いものになる。

 

「……実戦で使う予定はあるが、だがなぁ」

「十分なデータが取れるだけ踏ん張るさ。どうせ(わたし)は後方支援だから機体回収もできる。データが取れて、作戦にも役立って、拡張魔導装甲も回収可能。やらない理由がないだろ?」

 

 ポイント9奪還計画が成功すれば、人類は悪獣(マリス)に対して奪われるだけだった歴史から反撃の狼煙を上げる。

 

 新兵器が完成すれば、よりその勝率は増してこれから先ネムが悪獣(マリス)を滅ぼし尽くしてくれる可能性も上がる。

 

 そして(わたし)はロッテの死を無駄にせず、ネムの理想の応援もして、そして──────。

 

 

「そしてアンタは、一人満足してくたばれるってか?」

「あぁ、そうだよ。……そうだよ」

「じゃあお断りだ。自殺なんかに華人形の命を使えるか」

「自殺じゃねぇよ。命を使うことなんて、お前らだって誰だって、この世界じゃ当たり前のことだろ!」

 

 悪獣(マリス)を一秒止めるために死んだ兵士がいた。

 故郷から1cmでも遠のかせる為に死んだ兵士がいた。

 (わたし)達の今日を守る為に死んだ華人形(せんぱい)がいた。

 

 この生存競争を生き残る為に、誰だって自分の命をチップにしてきたんだ。

 最強と言われていた華人形であるルリさんだって、己の命の使い道を決めて、しっかりと使い切ったんだ。

 

(わたし)にそんなに苦しんで欲しいのか!? お前はバカじゃねぇんだろ? ならわかれよ! (わたし)なんてこのまま生き延びたってなんにもならねぇ! なんにも変えられない! 何も守れない! だから、ここで最大限使えるものを有効に使って死ぬって、そう言ってるだけだろ! 命を有効に使うことに満足すらしちゃいけないのか!? そんなことも許せないほど、(わたし)のことが嫌いか!?」

 

 頭に血が上り、気が付けばレガンの胸ぐらを掴んで叫んでいた。

 こいつの言葉を今否定しなければ、今まで犠牲になってきた人の死が、自殺だなんて言葉で貶められるような気がしたから。

 

「死ぬつもりで戦うようなバカに、死ぬだけの楽な仕事なんて与えねぇって言ってんだよ。バカが」

「っ、何が、言いてぇんだよ」

 

 けれど、冷静になったあたまで考えてみれば、この怒りの理由がそんなものでは無いということに気づいてしまう。

 

 これが怒りということすら烏滸がましい、独りよがりな苛立ちでしかないということに。

 

「命を懸けたヤツらは、死ぬ気だったけど死ぬつもりなんてなかっただろうよ。でもアンタは死にたいだけだ。死にさえすれば、何かやりきった気分になれるから。だからアンタは死ぬかもしれないってなったら、きっと()()()。死ねるってなったら簡単にその選択肢を取る。そんな根性のねぇやつに死ねなんて命令するほど、馬鹿じゃねぇんだよ」

 

 そんなことわかってんだよ。

 

 じゃあ、なんだ? 

 

 このまま大して役にも立てず、ちまちま微妙な成果を上げつつ仲間が死んでいくのを後ろで眺めていろって言うのかよ。

 

 確かに(わたし)は死にたいけれど、普通の人よりはずっと死ぬ事がどれだけ怖いかわかっている。死を望んでいようが、本能的にそれを避けようと行動できる自負はある。

 

「大抵の人間の死に意味なんてねぇよ。結果的に意味がつくだけでな。アンタは自分が華人形だからって、死に特別な意味が付けられると無意識に思ってんだよ。今じゃ落ちこぼれの役立たずのくせに、どこかで自分は他の奴らとは違う特別な存在だって思ってる」

「思えるわけ、無いだろ! こんな誰も救えないやつが───」

 

 その言葉を口にした瞬間、レガンの口端が釣り上がる。

 弱い所を見つけたと言わんばかりに、(わたし)の言葉を引っ掴んで叩き付ける。

 

「普通のやつは、誰も救えないんだよ」

「そう言うことを言ってるんじゃ……」

「人並み以上になんでも出来て、天才と持て囃された軍人でも、唯一の家族である娘が悪獣(マリス)に食い散らかされてるところに駆けつけることも出来ない。最強と言われた華人形だって、結局やれたことは時間稼ぎ。守ろうとした妹分達は無惨に使い潰され───」

「おいテメェ。(わたし)のことをバカにするのなら何言ったって許してやるよ。でも、ルリさんのことをバカにするんだったら軍法会議とか抜かす前に二度と喋れなくしてやるからな」

 

 胸倉を掴む手に力が籠ってしまう。

 華人形の身体能力を以てすれば、人間の成人男性を一人殺すことは容易い。

 

「ったく、これだから冗談の通じないガキは。でもわかっただろ。アンタは自分のことを卑下しながら、特別だと思っている。だから現実と理想が噛み合わなくて苦しんでるだけだ。お前以外は、みんな折り合いつけてるんだよ」

 

 そりゃあ、命を懸けるだけで何かを成せるならば。

 

 みんなが命を賭けて悪獣(マリス)を倒して、守りたい人を守って、失うものこそあれど強い心を持って前に進み、笑顔で終われるハッピーエンドにしかならない。

 そして現実がそうでは無いことなんてわかっている。

 

 

「それでも、(わたし)はやる」

「……まだわかんねぇのか?」

「わかってるんだよ。だから、やる。必要なデータを言え。全部取ってくる。死んでもデータだけは回収するし、作戦途中で死んだりもしない」

「口で言うのは簡単だな。だが、実際に出来るかは別だろ」

「出来るなら、いいんだな?」

「……確証を持てるだけのデータが、あるならな」

 

 

 それでもだ。

 現実がそうじゃないから、夢というものは綺麗だった。だからみんな憧れて、みんなを憧れさせてしまった。

 

 ならば(わたし)の責任は、その夢を一瞬でも現実に引きずり下ろすことだ。

 どんな無茶をしても、無理をしてでも、一瞬だけでもこの体に色彩を宿せならば。

 

 

 ようやく(わたし)の罪は許される。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「マジかよ……」

 

 7度目の『新兵器』試験運用。

 レガンが予定が合わず参加出来ないそ

 結果を見て、レガンはそんな声を漏らしてしまった。

 

 リリィが何かを試すと言っていた今回、終了時の彼女の拡張症候群の影響が、新兵器の方の改良を考えても明らかに()()だった。

 

 リリィの拡張症候群───機械との境界喪失、それに伴う同化は目に見える形で症状が現れる稀有な例。だからこそ、彼女は新兵器の華人形への負担を測るテストパイロットとして最適であった。

 

 そして見えてしまうからこそ、彼女が何かをしたというのが明らかであった。

 

 今更彼女に払えるものなんてあるはずがない。

 切れる札は全て切ったはずなのに、結果を出してしまった。

 

 ルリ・テンペストを越えるかもしれないと言われてきた才媛、リリィ・ファムルーナはまだ死んでいないと言うように。

 

 

 彼女は自分達ですら気づかない何かを犠牲にして、新しい手札を作り出したんだ。

 

 

 

「なんで、諦めねぇんだよアンタは……」

 

 諦めてくれれば、もう許してしまっていたのに。

 

 確かにレガンはリリィのことが嫌いだった。

 殺してやりたかったし、可能な限り苦しんで欲しいとも思った。

 

 でも、彼女の選択もその後の後悔も、何も責められないことくらいわかる程度には、レガンは冷静に物事を見れてしまう男だった。

 

 

 己の感情すら無視した平等で冷徹な視点。

 そこから何もかも見下ろせるからこそ、レガンはリリィを許すことは出来なかった。

 

 

 リリィ・ファムルーナは己を許していない。

 誰も彼女を責めてなんか居ない。この世界の不条理を背負わせてなんかいないのに、全てを背負って血反吐を吐きながら戦えてしまう、強い華人形が彼女だ。

 

 娘を殺したアンタが。

 この世界で、俺よりも娘の死を背負ってくれている。

 

 誰にも責められてなんかいないのに、アンタが己を許さなかったら、それこそ死んだってきっとアンタは救われない。

 

 だからせめて俺だけはアンタを憎み続ける。

 憎んで、憎んで憎んで憎んで。アンタが死んだ時にざまぁみろと笑って、そして許してやるから。

 

 地獄にだって一緒に行ってやる。

 それでもまだ己を許せないなら、死んだ後でも憎んでやるから。

 

 だから、もう。

 

 

「いいかげん、現実を見やがれよ。リリィ」

 

 

 それでもあの華人形は、その名が示すように美しく咲き誇ろうとした。

 花弁の下で悲鳴をあげる根や茎の、何もかもを犠牲にして。

 

 

 

 

 

 



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12.百合は諦観を引き裂き

 

 

 

 

 華人形の名前は、先輩である華人形が付けることになっている。

 

「この子はロッテがいいんじゃないかな」

「それどういう意味?」

「前に読んだお話の登場人物から取ったの。あんまりハッピーなお話じゃなかったけど、美しく育って欲しいって意味でね」

「私はカラスがいいと思うよ。ほら、この髪の色とか……」

「カラスは可愛くないかな……」

 

 

 生まれた時から、彼女達は誰かのために戦って死ぬ運命が決まっている。

 苦しみに満ちた生。それでも、彼女達はここに生まれ落ちることを選択した。その選択に応えるように、華人形達は祈りを込める。

 

 

「ネム。なんかねむねむしてそうだもん」

「ちょっとわかる。なんかずっとウトウトしてるもんね」

「この子はネム一択だわ」

 

 

 自分達と出会うことを選んでくれた後輩に、せめてもの祝福を残す為に。

 

 

 

「この子は──────リリィなんてどうかな。お揃いの髪色だし、ルリとリリィで、姉妹みたいじゃない?」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ! 

 

 脳を引き裂く破壊の衝動に意識が奪われる。

 

 自分は誰だ? 知るかそんなこと。

 

 今は何時でここは何処だ? そんなことも知ったことでは無い。

 

 自分は生きている。生きていることは、何かを壊すことだ。

 そうとしか思えない。そうとしか感じられない。そうでしか、自分の存在を知覚できない。

 

 殴って殴って、また殴る。

 石が砕けて、鋼が砕けて、皮が裂けて、血が滴って。そんな何もかもが気持ちいい。

 

 壊れてる、壊してる。その何もかもが愛おしい。

 そうだ、あと少しだ。あと少しで何もかも壊して、そして私の何もかも──────。

 

 

 

「───ロッテ! 応答して、ロッテ!」

「……え、あれ、わたし……?」

 

 ふと、オペレーターの声でロッテは現実に引き戻される。

 

 同時に鼻腔を刺激する血の臭い。

 血塗れの自らの手を見て、脳に走る恐怖と後悔のままに彼女は己の首を引き裂こうとした。

 

「落ち着いて。全部貴方の血です。手の皮が裂けて、そこから流れた血です」

「エーナ、ほんとうに、私、誰も?」

「ええ。周期も安定しています。何も心配しないでください」

 

 強化ガラス越しにロッテを宥める彼女のオペレーター、カドラエーナの声を聞き、ロッテは一度平静を取り戻す。

 

 既にロッテは自身の拡張症候群を、制御できなくなりつつあった。

 

 自他ともに向けられる破壊衝動。

 部屋のあちこちにはぐちゃぐちゃにひしゃげた鋼鉄製の人形が転がっている。手が血まみれになるまであれを殴っていたなんて、自分でも信じられない。

 

「治療を行う為に部屋に入りますが、大丈夫ですか?」

「……怖いけど。お願いするよ」

「傷の早期治療のために《聖娼(ファムルーナ)》を呼ぶという手も……」

「それは、いいかな」

「そうですか」

 

 治療を受けながら、ロッテはぼんやりとリリィとネムのことを考える。

 

 予想通りではあったが、二人とも話には乗ってくれなかった。

 まぁ、逃げたところで最後に自分の死に方を選べるくらいで魅力がない選択肢だとは思う。それでも、ロッテは二人に死に方を選べるくらいの自由は与えたかった。

 

「お二人が納得してくれなかったこと、やはり悲しいのですか?」

「悲しくないよ。ただ、寂しいだけ」

「違うのですか?」

「うん。むしろ嬉しいよ。寂しいけれどさ」

 

 ネムもリリィも、自分とは違う。

 

 勇敢で、無謀で、眩しくて、狂っている。

 そんな特別な存在になりたかったけれど、なれなかった。

 

 大嫌いで妬ましい。けれどそれと同じくらい大好きな家族だ。

 

 拡張症候群の症状が進行してから、ロッテは日に日に自分が自分じゃなくなっているのを感じていた。

 

 花や蝶、慈しむべき人の営みをふと壊したくなる。

 いつも自分に寄り添ってくれる、自分よりも年下の小さなオペレーターを縊り殺したくなる。大切に思う家族の脳漿をぶちまけて、それで絵でも描いてみたいなどと妄想する。

 

 自分ではない、けれど確かに自分である思考。

 

 そんなものに日夜思考を犯されながら、周りでは自分を如何に効率よく殺すかの作戦が展開されている。

 

 はっきりいってイカれてしまいそうだった。

 拡張症候群のこともあり、専用の部屋に閉じ込められて、死刑執行の日を待つ囚人みたい。

 

 狂ってしまいたい、逃げ出してしまいたい、早く楽になりたい。

 

 でもそれ以上に、こんな思いをあの二人にさせたくない。

 

「ロッテ。辛かったらいつでも言ってください。私は、貴方がやれと言えばなんでもやります」

「エーナ、私は大丈夫だから、気にしないで」

 

 ロッテのオペレーター、カドラエーナは先代のロッテのオペレーターからその役割を、14歳の若さで引き継いだ天才だった。

 

 軍人であった両親は既に悪獣(マリス)に殺され、幼い頃に悪獣(マリス)の侵攻で故郷を失って殺されかけた所を華人形に救われた。

 

 助けたのはロッテ本人ではない。

 それでも、同じ華人形だという理由だけでカドラエーナはロッテを、彼女の役割の領分を越えて助けようとする。

 

 優しい人だ。

 だからこそ、ロッテは彼女にだって死んで欲しくは無い。

 

「……意思なんて問わずとも、無理やりにでも二人だけ逃がすことは十分可能かと私は思います」

「それはきっと無理だよ。あの二人、すごく頑固だから」

「そういう問題でしょうか」

「そういう問題なの」

 

 ネムはわがままで意地っ張りだから、きっと最後まで認めようとはしない。

 

 でもリリィが居てくれるなら安心だ。

 諦めが悪いけれど、彼女は自分達の中で一番よく現実を見ている。本当の本当に、もうどうしようも無くなったとわかってくれれば、きっと理解してくれる。

 

 

 どうにかしてそう思うしか、ロッテにはもう逃げ場はない。

 

 死んでしまえばこんな思いをすることすらなくなるのだろうか。

 

 それならば、それはきっととても──────。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、気まずくないの?」

「何がですか?」

「私と話すこと」

(わたし)に一々そんなこと気にしている余裕は無いですし、一人じゃ怖くてお風呂にも入れなかったネムとずっと一緒にお風呂に入っていたのは(わたし)なんですから、今更気まずいも何も……」

「わかった。喋るな。ぶっ飛ばすわよ。あと任務中でもないのに敬語はやめて」

 

 そういうものでもない気がするが、部隊長の命令とあればそうしておくのが懸命だろう。

 

「それで、なんの用よ。私だって忙しいんだけど」

「今日は魔導装甲の方の調整中だし、オペレーターに聞いたけど休養入れているだろ」

「ちっ、ナハトのやつ、後で殺す」

 

 多分この後割と本気でネムに殴られるであろう、ネムのオペレーターに黙祷しつつ、そんなことよりも今は優先しなければならないことがある。

 

「ネム、異能の発動のコツを教えてくれ」

「は? 知らないわよそんなの」

「そこをなんとか」

 

 華人形の異能は、魔力と呼ばれるエネルギーを消費する。

 魔力自体は人間も多少もちあわせているが、異能を持たないため兵器などのエネルギーとして利用されるのが専ら。

 

 対して華人形は異能を使う為に魔力を溜め込む体質があり、それもあって強大な異能を持つ華人形ほど大量の魔力を扱えるようになる。

 

 ネムの保有する魔力量は、歴代でも最大だったルリさんに次ぐ量だ。

 

「だいたい、異能の発動って。使用時間だけならアンタは歴代でも随一でしょうよ」

「回数や時間じゃなくて、出力のコツを聞いているんだよ」

「それなんの意味があるのよ」

 

 ネムの異能は、魔力を使用しこの世界の全てが刻まれていると言われる根源的領域に一時接続し、時空間のあれこれをどうにかして、どうこうして……最終的に『過去にその座標で起きた現象を再現する』という出力になる。

 

 強力な分、工程が複雑であり一回一回の発動でも相当の魔力を必要とする。

 

 対して(わたし)の治癒は、せいぜい人一人の怪我を治す程度の現象しか引き起こせない。時間や空間に概念的に干渉しているネムと比べればやっていることはしょうもないが、その分コスパが良い。

 

 それと言うのも、(わたし)の治癒は相手の体力に依存した治癒能力の促進と言った代物。

 瀕死の重傷は治せる可能性があっても、瀕死の人間を元気にすることが出来る訳では無い。

 

 しかしだからこそ、魔力も出力も低くても今までどうにかなってきたし、これ以外の使い道がなかった。

 

「リリィの異能の出力を上げたって、治せる怪我の範囲が広がったりするわけじゃないでしょう。教えることになんの意味があるって言うの?」

「もしかしたら、世界を救えるかもしれない」

「はっ、私にできないことをリリィが出来るわけないでしょ」

 

 ネムが片手間に倒すような敵を、(わたし)は命をかけて倒せるかどうかという現状。

 そりゃあ鼻で笑いたくもなる。それでもこれくらいしかもうできることは残されていないから、縋り付くのも仕方ないだろう。

 

「そうだな。でも、(わたし)が死んだ後で、ネムが少しでも楽を出来たなら。それは意味がある事だ」

「リリィ。あんたが死んで、誰が喜ぶのよ」

「少なくとも、(わたし)のオペレーターが喜ぶ」

「……ナハトに聞きなさい」

「え?」

「私のオペレーター。几帳面なやつだから、私のデータは全部纏めてあるはず。感覚派の私に聞くよりは、データを数値で見た方がわかることもあるでしょ」

「……いや、出力を高める感覚を知りたいから出来ればネムのその感覚を」

「うるさい! 知らないわよそんなよ! さっさと出てきなさい!」

 

 これ以上は本当に殴られそうなので、(わたし)はさっさとネムの部屋を立ち去る。

 

 出来ればネムから話を聞きたかったが、まぁ情報が得られるならこれでいいだろう。

 

 着々と、手札が揃ってきている。

 自分の命を賭けたとしても、誰にも損をさせずに済むだけの手札。それさえ揃えられれば、(わたし)の命を散らしたとて、何も問題は無い。

 

 

「ねぇ、リリィ」

「なんだ、ネム」

「死ぬだけよ。やめときなさい」

「意味がある死だ。それに、ネムがいるならきっとこの死の上に道が作られる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リリィにはもう戦って欲しくなかった。

 

 弱くて邪魔だから、きっといつか死んでしまうから。

 わかっていたから何度も彼女を戦場から遠ざけようとした。それなのに、彼女はずっと戦場に立ち続けた。

 

 もっと強く言ってやれば、行動に移せば本当はもっとやり方があったとわかっていた。それでも、それは出来なかった。

 

 

 だって、それ以上に嬉しかったんだ。

 

 

 リリィと一緒に戦えること。

 この戦場にリリィがいるということ。

 

 このままではリリィは本当に死ぬ。

 自らの命を賭けて、昔のような強くてかっこいい、みんなの憧れのリリィが戻ってくる。

 

 ……それが、ほんの少しだけ嬉しくて。

 

 

 私はまた、間違えてしまうのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 異能の出力調整と、それ専用の機体調整。

 元々、生身でしかほとんど異能を使わない(わたし)の拡張魔導装甲にそれが搭載されていないのは当然だった。なにせ搭乗者への負担はかなり増えるらしい。

 

 ロッテの不壊(アダマス)なら、一度の硬質結晶の生成量を上げることができる。ネムならば出力までの時間の短縮と範囲の広域化。

 

 (わたし)の場合ならば、治癒速度の向上が出力増加による恩恵になるようだ。

 

 

『あの、これやっていいんですかね?』

「気にしないでください。オペレーターからは許可は取っています」

 

 

 不安そうに聞いてくる通信機越しの声に、(わたし)は営業スマイルで答える。

 

 やれるもんならやってみろ、と言った感じだったが嘘は言っていない。本当に死にそうになったらちゃんとストップがかかるようになっている。

 

 作戦までに、レガンが(わたし)の命を使い潰して得られるものが大きいと判断できるほどに、『新兵器』を使いこなす。

 

 この兵器の弱点は、威力こそ魅力的だが使うとしたら華人形の方が使い捨てになる、搭乗者のことを一切考えていない親切設計。

 度重なる実験により、現在は効果もコストも廉価版が製造中らしいが、(わたし)がそれを使っても意味が無い。

 

『それでは───実験を開始します』

「了解。《聖娼(ファムルーナ)》、実験を開始します」

 

 搭載されている火器に接続するだけで、爪の先が僅かに鋼鉄に置換される。

 

 本当に最初にこれを考えたやつは馬鹿としか言いようがない。

 本当に華人形を使い捨てにでもするつもりだったのだろうか? しかし、これのおかげで今光明が見えているのも事実なのであまり強くは言えない。

 

 少なくとも、この兵器の起動実験を(わたし)以外に回していたら、そいつとレガンだけは殺していたと言えるくらいに、欠陥兵器だ。

 

「第一、第二接続完了。意識拡張率……基準値な」

 

 基準値内、と言おうとした瞬間、自分が掻き消される不快感が脳を劈く。

 

 引き金を引こうとしただけでこれとは、本当にどうしようもないじゃじゃ馬だ。

 けれど、来てくれたおかげで(わたし)も試したいことが試せる。

 

 直接拡張魔導装甲と接続している手足、及び神経接続部に意識を集中させる。

 

 イメージはそう、背骨を引き抜くかのようなイメージだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『───、《聖娼(ファムルーナ)》! 聞こえていますか!?』

「ん……あぁ、悪いちょっと、意識が飛んで、ました」

『意識が……? バイタル数値は問題はありませんでしたが、念の為検査しておきましょう』

「了解しました」

『しかし……本当に拡張症候群の進行率が、前回までの半分以下になっているなんて……これなら高出力砲の実戦使用も目処が経つでしょう』

「ぜひ(わたし)のパイロットに進言してみてください。あの方は少し過保護な面があるので」

 

 研究者達の嬉しそうな声と、送られてくる今回の数値を見て(わたし)は確かな手応えを感じた。

 これならば、レガンも納得せざるを得ない。(わたし)を使うことに、(わたし)だけを使い潰すことに確かに意味が生まれたのだから。

 

 

『しかし……《聖娼(ファムルーナ)》。一つ聞いていいですか?』

「なんでしょうか?」

『実験中、一瞬ですが全てのバイタル数値が消滅したのですが……そちらで何か違和感等はありませんでしたか?』

「……少し、鼻血が出たりはしましたね。ですが機械の不調ではないでしょうか?」

『そうですか。ではこの後はバイタルチェックと、機体の状況調査になりますので、引き続きよろしくお願いします』

 

 

 通信が切れたのを確認してから、(わたし)はコクピットを見渡した。

 

 あらゆるところが血塗れで、特に接続部は何十年も処刑に使われ続けた処刑台のように、黒鉄の黒が血錆に覆われてしまっている。

 

 どう考えても失血死する量。

 (わたし)をコクピットから出しに来た人達はこれを見たら大層驚くことだろう。

 

 だが、数値上は問題ないことがさっきまでのやり取りで確認できた。

 

 これは使える。

 いや、何がなんでも使わせる。

 

 

 

 

 

 

 ──────ポイント9奪還作戦は、この命に代えてでも成功させる。

 

 

 

 

 

 



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13.ポイント9奪還作戦 1 作戦開始

 

 

 

 

「さてと、これで直接会うのは最後になるのか」

「そうですね。この作戦はロッテが散華に成功するか、或いは失敗するのどちらかしかありません」

 

 全人類の命運がかかった作戦。

 その前だと言うのに、相変わらず無表情な自らのオペレーターであるカドラエーナを見て、ロッテはほんの少しだけ悲しむと同時に、安心できた。

 

 少しくらい悲しそうな顔をして欲しかったが、もしも不安そうな顔でもされたら、この作戦が成功すると思えなくなってしまう。

 

 作戦中、華人形(ガラテイア)とオペレーターは感覚の一部を共有し、迅速且つ正確な情報のやり取りを行う。

 故に、華人形とオペレーターの関係はそれぞれなりの形で、深いものとなり得る。ロッテにとってのカドラエーナは、もう既に片腕のような存在だった。

 

「それじゃ、さよなら」

「逃げたく、ないのですか?」

 

 そんな片腕のような少女の消え入りそうな声を初めて聞いて、ロッテは戸惑ってしまった。

 

 彼女は感情表現が下手なだけで、どこにでもいる多感な少女であることをロッテは知っていた。

 同時に、14歳にして華人形のオペレーターに選ばれる才女らしく、自身の感情をコントロールする事に長けた人物であることも。

 

「こんなに頑張ってきたんです。最後くらい、ロッテが好きに選んでいいじゃないですか。例え《聖娼(ファムルーナ)》と《星刻(アーカイブ)》が来なくても、ロッテ一人だけで、最後くらい自由に……」

 

 だから意外だった。

 このどうしようもない状況。彼女が何を言おうともう変わらない現実を前にして、こんな普通の女の子みたいな声を出すなんて。

 

「そりゃあ、一番大事なのはその二人だけどさ。その次くらいには、カドラエーナのことも大事だからさ。大切な人を見捨てることだけは、何を犠牲にしてもしたくない」

「一番には……やはり、なれませんか」

 

 伏せられた目を見て、ロッテは大切なものに順番をつける難しさを改めて知る。

 

 本当なら、こんなことしてはいけないとわかっていた。この世界の全てのものは優劣なく、全てが唯一であり尊いもの。

 

 それは言い過ぎにしても、本当にそう思えるくらいには、ロッテはこの世界のことが好きだった。

 

 どれだけ酷くて歪で、苦しみばかりで醜くても。

 自分達が生まれ、育ち、出会ったのはこの世界なのだから。

 

「ごめんね。やっぱり、私の一番はあの二人だから」

「では質問です。ロッテの中ではリリィさんとネムさんどちらが大切なのですか?」

「えっ。いや、それは……」

「冗談ですよ」

 

 そう言って、カドラエーナは笑って。

 

「これから貴方に死ねと命令する私に、こんなこと言う権利は無いでしょう。けれど言わせてください。───どうか、貴方が最後に笑って終われることを、祈っています」

 

 ロッテは言葉では応えず、ただカドラエーナの頭を撫でた。

 

 きっと、何と答えても彼女は泣いてしまう。

 最後くらい笑顔でお別れをしたかった。溢れそうになる言葉を押えて、ロッテは自らの愛機であり、これから棺桶となる《不壊(アダマス)》へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ネムちゃ〜ん、具合の方はどう?』

「最悪よ。気分はまるで末期患者ね」

『実際似たようなものだからね〜』

 

 己の不機嫌さを隠そうともしないネムに、彼女のオペレーターであるナハトは、一切機嫌を取ろうともせず笑いながら通信を続ける。

 

『忘れないでね。ネムちゃんの拡張症候群は前例が無いかつ、何が起きているか未だにこちらでも把握しきれていない。もしかしたらなんの冗談もなしに、貴方は末期かもしれないの』

「わかってるわよ。自分の体よ?」

 

 普段の倍はあろうかという神経接続部を始めとした、身体中に繋がれた管。異能の出力を高めつつ、万が一拡張症候群が悪化した時の鎮静剤を投与出来るように増設されたそれは、ネムの言う通り管に繋がれた末期患者の姿にも見えた。

 

 たとえ死にかけても、死んでいなければ無理やり意識を覚醒させて動かす。そういった意図を持って設計された、決戦装備。

 

『とは言えここまでやる必要ある? 昔は注射も怖がってたのに、変わるもんだねぇ』

「昔の話はしないで。だいたい、この作戦が失敗したらそれこそおしまいでしょう」

 

 ポイント9奪還作戦は、これから先の人類の展望を決める作戦。

 

 9機の華人形と拡張魔導装甲、その全てが導入され人類が初めて悪獣(マリス)から領土を奪還する為に戦うのだ。

 

 ネム、ロッテ、リリィ以外の6機は作戦領域にほかのエリアから悪獣(マリス)が集わないように防衛と牽制。

 そして最高戦力であるネムで道を開き、ロッテが散華を行う。

 ロッテの散華で予想される、彼女の異能の産物である硬質結晶による『壁』の生成で防衛圏を生成。

 

 その後、結界の範囲を速やかに広げ内部の悪獣(マリス)を殲滅。

 

「失敗すれば大量の戦力と、人類全体の悪獣(マリス)への攻勢の意欲が失われる。そうなれば、今のゆっくりと死を待つだけの世界が決定する」

『ネムちゃんったら心配性なんだから〜。心配しなくても、挽回の手段は考えてるよ。言わないけど』

「なんで言わないのよ」

『言ったら、それがあるならいっか〜ってネムちゃん手を抜いちゃうかもしれないでしょ?』

 

 そんなことするわけない、と言おうとして、ネムは言葉に出す前に飲み込んだ。

 この女とは口論するだけ無駄。どうせ全てへらへら笑ってかわされる。それがわかっていながら何時も乗せられてしまう己の未熟さに腹が立つ。

 

 こんなにも何時も苛立たされているのに、ネムはこのオペレーターのことを嫌いにはなりきれていなかった。

 

『でも安心はして欲しいな。人類は何があっても負けない。この100年で死んでいった全ての人類、全ての華人形の為にも、私達は決して無意味な敗北はしないから。屍の山の上には、必ずそれに見合ったモノを作り出す』

「……私も、その屍の山に加えるの?」

『ネムちゃんは嫌がるタチじゃないでしょ?』

 

 これだから、この女は嫌いだ。

 けれど気が合う。この女なら、自分が死んでもきっと何処かに辿り着いてくれる。

 

 私は弱くて、いつも頼りないけれど。

 

 ──────リリィに生かして貰った分の仕事は、必ず果たしてみせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………』

「いつもみたいな小言は無いのか、レガン?」

『言って欲しいのかマゾ野郎』

「大事な作戦の時ほど、いつもの気持ちで臨みたいからな」

『けっ、何がいつものだ』

 

 レガンの言いたいこともリリィは理解していた。

 

 何せ新兵器の導入とその調整に伴って、《聖娼(ファムルーナ)》は大幅な改造が加えられていた。

 その全てに立ち会って、しっかり今日という日に備えてきたリリィ本人が、いつも通りの気持ちで動かせる機体ではなくなっていたことを一番理解している。

 

 そのはずなのに、まるでいつも通りに。それどころか上機嫌に振る舞うリリィの姿は、レガンにはこの上なく気味が悪かった。

 

「言っておくが、俺の許可があるまで新兵装群は全部ロックかかってるからな」

『大丈夫。そんな甘い戦場じゃないことはわかってるから』

「ちっ、本当に口が減らねぇな……」

 

 レガンから見たリリィとは、決して前向きな性格ではなかった。

 

 むしろ少し後ろ向きと言うか、現実主義とでも言うべきだろうか。

 口では理想を並べながらも、しっかりそれが理想でしかないことを理解している。

 理想を見ながら現実の上を歩くその姿は、いつか道を踏み外してしまいそうな危うさがあった。

 

 だが今のリリィは違う。

 現実と理想が噛み合ったのか、それとも既に()()()()()()()()()()()()()

 

『リリィ。命令だ。お前のテスターとしての適正は予想以上だったからな。まだ、死ぬんじゃねぇぞ』

「それは、この作戦の成否よりも優先するべき命令?」

 

 随分と気の抜けた声でされたその質問にレガンは───。

 

 

『……いいや。この作戦の為なら喜んで死ね。だが、自分から死ぬんじゃねぇぞ』

「了解。死ぬ気はないよ。でも、生きて帰るつもりもないからそこは謝っとく」

 

 

 否定出来ない歯痒さを抑えて。

 

 

 

 

 作戦開始時刻。

 三機の拡張魔導装甲が空へと羽ばたいた。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 空から見下ろす地上を綺麗と思ったことは無い。

 

 華人形は皆そう言うが、ネムはこの光景が嫌いではなかった。

 世界の全てが小さく見えると、矮小な自分でも大きくなれたかのような気分になれるからだ。

 

「ロッテ、聞こえる?」

『OK、通信はバッチリ。お互いの座標には常に注意していこう』

「了解。それじゃあ、行こうか」

 

 視界に移るのは夥しい数の悪獣(マリス)達。

 既にネム達は人類生存圏を脱し、悪獣(マリス)達の領域内を飛んでいる。

 

 地上にいる砲撃型は、その全てが例外なくこちらに照準を向けている。

 砲撃型の粗末な砲撃程度なら問題は無いが、何体か混じっている射手型(サジタリウス)の狙撃は拡張魔導装甲ですら貫かれる。

 

 このままポイント9へ向かうのは余りに危険すぎる。

 故に、まずは作戦の第一段階。ロッテが指定ポイント辿り着くための道を開く。

 

「ナハト。出力限界及び拡張率の限界の撤廃を申請」

『申請承認。やりなさい、ネム』

 

 ネムの異能、星刻(アーカイブ)は座標に刻まれている記録を読み取り、そこにかつて起きた現象を再現する。

 

 それは過去の時間軸や規模の大きい現象を再現しようとすればするほど、本人への負担も大きくなる。

 

 だが、この辺りはかつては人類の領土だった。

 この土地を奪われないために多くの人々が戦い、そして悪獣(マリス)によって殺された。

 

 星刻(アーカイブ)は忘れない。

 たとえ悪獣(マリス)に恐怖する知性がなくとも、かつてこの地で起きた痛みと悲しみの全てを、彼らに思い出させる。

 

 たった100年前の苦しみ。

 されとてそれは、人類にとって創世の地獄なんかよりもよっぽど忘れられない地獄であった。

 

 

 

「空間固有時波形、観測。第一、第二、第三意識弁起動確認、完了。全記録再現工程完了───解放!」

 

 

 

 ネムの叫びと共に、空間が()()()()()

 そこに立っていた悪獣(マリス)は核ごと肉体をねじ切られて消滅。核が無事であった個体も、そこにあった『空間』ごと潰れた肉体を再生出来ず、悪獣(マリス)達はその場に倒れ伏す。

 

 またあるところでは爆発が起きた。

 当然、巻き込まれた悪獣(マリス)は消し飛ぶ。

 

 あるところでは突然の衝撃に悪獣(マリス)達が体液を撒き散らしながら吹き飛び空へと舞い上がる。あるところでは悪獣(マリス)が見えない何かに串刺しにされた、あるところではそこにいた何もかもが消滅してしまっていた。

 

 そして、全ての現象が同時に起きる。

 降り注いだ砲弾の雨、放たれた弾丸の嵐、巻き起こる爆発、悪獣(マリス)の爪や牙による鏖殺、崩れ落ち消し飛ぶ家屋とそれに引き潰される人々。

 

 かつてそこに起きた地獄を、ネムは再びこの世界に巻き起こす。

 同じ空間に全く同じ時間に違う現象が呼び起こされる。一つの存在が同時に焼死と爆死と裂死と轢死を味わう。

 

 

 炎の竜巻が立ち上り、見えないガラスが降り注ぎ、存在しない牙や爪が何もかもを引き裂く。

 

 もはやネム以外の観測者には何が起きているか理解が出来ない。

 だが、起きた結果だけであれば誰があっても理解出来る。

 

 

 

『観測範囲内、八割の悪獣(マリス)の消滅を確認!』

「ははっ……こりゃすごい。さすがはネムだ」

 

 現代最強の華人形、《星刻(アーカイブ)》の最大出力による広範囲殲滅攻撃。

 

 だが、幾ら最強であろうともこれほどの大規模攻撃を代償もなしに行えるならば、人類はとうの昔に悪獣(マリス)に対して勝利を収めている。

 

『《星刻(アーカイブ)》のオペレーターより全体通告! 予測通り今の一撃で《星刻(アーカイブ)》は意識が()()()。鎮静剤の投与を開始しますが、恐らく帰還には3分程度かかるものと予測』

『了解。ロッテ、《星刻(アーカイブ)》を貴方の機体の自動追従コースに乗せます。殲滅しきれなかった砲撃型からの攻撃を躱しながら、この間に可能な限りポイント9へ近づいてください』

「りょーかいっと。さてと、開始は上々。ここからどうなるかかな」

 

 硬質結晶が《星刻(アーカイブ)》の装甲に発生し、最低限の装甲強化をロッテは施した。

 

 ネムは役割を果たしてくれた。

 

 あれだけの大規模攻撃、間違いなく後遺症が残るレベルの代物だ。ただでさえネムの拡張症候群は、未だに症状の詳細が不明だと言うのに。

 

 ネムは今の一撃を、一瞬とて躊躇わなかった。

 

『遠方より悪獣(マリス)、特異個体の反応確認。種別を射手型(サジタリウス)と断定。狙撃が来ます、弾道予測を表示しますので、回避を』

 

 ならば自分もやるべきことを果たす。

 ネムも死なせないし、作戦を成功させる。

 

 二機の拡張魔道装甲が、悪魔達の腹の中へと向かっていく。

 そこに地獄しかないとわかっていても、地獄にしか未来は無いのだから。

 

 

 

 

 

 



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14.ポイント9奪還作戦 2 彼岸に踏み入る

 

 

 

 

 ネムによる大規模攻撃の成功と、それによって作戦地域の悪獣(マリス)の大半が消滅したことが、全部隊に通達された。

 

 こちらでもネム達の観測結果越しにその一部始終を見ていたが、強力な異能を持つ華人形の攻撃はやはり次元が違う。

 

 ネムの場合は時空間に干渉して本当に別次元から攻撃を持ってきているのだが、そうでなくとも威力も範囲も桁違いだ。

 

 大群を薙ぎ払い、ついでのように特異個体も消滅させる。

 これならば少なくともポイント9到達までは二人を心配する必要は無いだろう。

 

 

『《聖娼(ファムルーナ)》、お前の役割はわかっているな?』

「さすがに役割を放棄はしないから安心しろ。その質問、もう五回目」

『お前がわかってなさそうな顔してるから言ってんだよ』

 

 この通信は顔見えないじゃん、とか言ったらさすがに怒られるので黙っておく。

 まぁ、確かに今頭の中はネムとロッテのことでいっぱいだ。いくら集中したとしても、(わたし)が一番最初に考えることなんて家族であるあの二人のことに決まっている。

 

 だとしても目の前の仕事から手を抜くつもりは無い。

 

 ネムの大規模攻撃を見て、悪獣(マリス)達は二人を無視して結界への攻勢を開始した。

 

 勝てない相手とは戦わず、勝てる相手を全力で攻めたてる。

 東部戦線の第一結界の強度は、現在悪獣(マリス)が破れる程度の強度しかない。そうでなければ、悪獣(マリス)達はネムとロッテを無視せず、彼女達を追っていただろう。

 

 他の戦線及びそこにいる華人形、そちらの悪獣(マリス)を処理するのに手一杯。

 つまり、今第一結界を守れるのは人類の兵士達と(わたし)だけ。

 

 

 この作戦は、人類全てを囮にした特攻作戦だ。

 

 

 小賢しい悪獣(マリス)の嗅覚は、賢明にも最適解の獲物の方へと足を進める。

 

 領地という概念を持たない彼らにとって、自分達の頭の上を飛ぶ敵は攻撃するが、過ぎ去ってしまった上で、目の前にはもっと襲いやすい敵がいるならば、目の前の敵に食いつかない理由はない。

 

 

『来たぞ、悪獣(マリス)の第一波だ!』

 

 

 ネムにやられた残りカス。

 本隊と言うには心許ない数だろうし、本当にこれはお互いにとっての牽制程度の数。

 

 それでも、生身の人間を食い殺すには十分な悪獣(マリス)の群れがこちらへと迫り来る。

 

『雑魚は一般兵が迎撃する。お前はまず特異個体を落とせ!』

「了解!」

 

 観測所の観測結果から、群れの中に隠れている特異個体の数と位置を把握する。

 

 射手型(サジタリウス)が三体。

 砲撃型や射手型(サジタリウス)が防衛設備を遠距離から破壊し、その穴を猟犬型が食い散らかす悪獣(マリス)の基本戦法だ。

 

 敵の数が多く、加えて姿を隠しているのか射手型(サジタリウス)の正確な位置を確認できず、姿を視認出来ない。

 

『おい、リリィ』

「わかってる。無茶はしない」

『既に無茶なんだよバカ!』

 

 だから(わたし)は、空を駆け抜けて悪獣(マリス)の大群に向けてその姿を晒す。

 

 空中で動きを止め、木の葉のように空を舞い。

 お前達の敵は、人類種の天敵たる悪獣(マリス)の天敵、華の名を冠した鋼鉄の殺戮兵器がここにいるぞと。

 

『リリィ!』

「レガン、弾道予測!」

『今送った!』

 

 

 悪獣(マリス)の大群の中から、三発の矢が放たれる。

 拡張魔導装甲すら貫く、もはや光線と形容する方が正確な速度と破壊力を持った一撃が放たれると同時に、全身全霊でブースターに力を込める。

 

 レガンの予測と勘を頼りに身を翻す。

 元々軽量化を重ねていた《聖娼(ファムルーナ)》は、文字通り(わたし)の体のように動き、二発の矢を交わし、一発が翼を貫く。

 

『づぅ! 被弾1!』

「自動修復可能範囲内! それよりも弾道補佐!」

『無茶すんなって言ってんだろうが!!!』

 

 意識がはっきりしていて、覚悟さえ決めていれば。

 

 今まさに先に死しか存在しない空を駆けている彼女の苦しみに比べれば。

 

 体に風穴を空けられる程度の痛みなんて、意識を割くほどの価値もない。

 

「バカ正直に姿晒してくれた、なぁ!」

 

 矢が飛んできた位置から敵の姿を補足。

 魔力追跡もかけて、これで射手型(サジタリウス)三体の姿はロックできた。こうなってしまえば、ただの3vs1の狙撃勝負。しかもお互い遮蔽物なんてない。

 

『第一、第二接続完了。意識拡張率……基準値内。撃てるぞ、リリィ!』

 

 拡張魔導装甲に更に意識を溶かす。

 砲身が指先に、鋼が肌に、油が血潮に。自分自身を水に溶かして限界まで薄めて、別の型に流し込む。

 

 そして、(わたし)意識()が増設された《聖娼(ファムルーナ)》の主砲に触れる。

 

 

「主砲──────魔力粒子拡張圧縮砲(デンドロビウム)、発射!」

 

 

 

 

 

 

 その瞬間、(わたし)は理解する。

 

 この引き金は引いてはいけなかった。

 

 進行する拡張症候群。

 接続した神経を伝い、脳の一部が徐々に鋼鉄に置換される。加えて左肺、大腸の一部、表皮の二割にも症状が現れ始める。

 

 このままでは数分で死亡する。

 拡張魔導装甲にとって、華人形は演算装置でありエンジン。幾ら意識を拡張していようが、肉体が死亡すれば拡張魔導装甲は動かなくなり、そうなれば意識が完全に霧散し、名実ともに死亡する。

 

 

 それはわかっている。

 だから、死ぬつもりなんてない。

 

 

 神経、臓器の拡張魔導装甲との境界喪失による鋼鉄化で肉体が致命的なダメージを追う前に、患部を特定。それからほんの一瞬、レガンとの通信及び感覚共有を全カット。

 

 (わたし)の症状は境界の喪失───自身と機械の違いを見失う。

 

 その性質上、患部の特定は容易い。

 今回の場合、左腕と背部の神経接続部から症状が現れている。

 

 特定後、(わたし)は自身の手足である拡張魔導装甲を動かす。

 拡張魔導装甲との接続は深くなればなるほど拡張症候群の悪化を招くが、同時に操作は繊細になり出力も上がる。

 

 ───神経が侵される程の深い同調。

 だからこそ、ここまで細かい操作も可能になるというもの。

 

 

 拡張魔導装甲内の駆動系の勢いを利用して、(わたし)は神経接続部を、()()()()()()()()()引き抜く。

 

 

 背中、左腕の血管、神経、骨、筋肉。

 それを伝って臓器の一部。鋼鉄になったそれらが、肉体から引き抜かれる。

 

 もちろんそれまでに(わたし)の肉体はズタズタになり、重要器官にそんな現象が引き起こされれば死は免れない。

 

 けれど、これは全身が鋼鉄に置換されるなんて言うどうしようもない不可逆の変質じゃない。

 

 だっていつも、()()()()()()()()()()()()、それから治療するということ自体はやっていたのだから。

 

 無理やり出力を上げ、高速化された俺の異能は、俺の肉体が死亡する前に肉体の治癒を完了する。

 

 

 

 

 

 

『命中だリリィ! 次、来るぞ!』

「……っ」

 

 感覚が戻ってきて、治癒の成功を噛み締めながら急いで射手型(サジタリウス)の攻撃を回避する。

 

 落ちこぼれの華人形である(わたし)が、遠距離から一方的に特異個体である射手型(サジタリウス)を倒すことが出来る兵器。

 

 代償は、文字通りに一度死ぬ苦痛と、極度の疲労。

 魔力も体力も結構持っていかれる。数発、なんてケチなことは言わないが、何十発も撃ってたら再生できなくなってアウトだろう。

 

 それでも、一体倒した。

 

「次、どっち狙う方がいい!?」

『ポインター付けた方だ! 接近される方がまずい!』

「了解!」

 

 一発撃って、一回死ぬ。

 前世から今世に来る時にも味わった感覚だが、こればっかりは何度やっても慣れる気がしない。

 

 射手型(サジタリウス)悪獣(マリス)の群れの中を他の個体の体内に同化、抜け出して隣の個体と同化、それを繰り返して海の中を泳ぐかのように高速で移動している。

 

 その動きを空から追尾しながらこちらも敵に照準を向ける。

 

 放たれた拘束の矢を、翼を折り曲げて斜めに受けて逸らしながら、別方向から飛んでくるもう一射を受け流しきれなかった第一射目の威力で傾いた機体の方向に合わせるようにブースターを吹かせ、回転しながら受け流す。

 

 今の一撃で決めるつもりだったのだろう。

 射手型(サジタリウス)の一体が、僅かに動きが止まった。

 

 

「発射」

 

 

 自分が消える感覚。

 何もかもが無意味になる感覚。

 それすらも忘却して、何処かに沈んでいく感覚。

 

 一度死んで、また生まれ直して。

 それでも何も忘れずに、(わたし)はまたこうして銃を握っている。

 

『あと一体───』

「任せて」

 

 それでも、これだけで役に立てるというのなら。

 これだけで、誰かを救えるというのならば余りに安い代償だ。

 

 

 

 

 

『特異個体、観測範囲での敵は全撃破だ』

「……わかった。次、は……通常個体の、殲滅を」

『呼吸が荒いな。一度休め』

「これ、は……緊張してる、だけで……」

『バカが。こっちはお前のバイタル見えてるんだからな? 何をやったか、分からねぇが想像は付く』

 

 さすがに三発連続は少し堪えたか。

 バイタルに以上が出るほどに影響が出てしまったらしい。

 

「それに、これは第一波だ。《星刻(アーカイブ)》が殲滅してくれた残りカスと、そいつらの周囲にいた逸れ共でこれ。───《不壊(アダマス)》の下を通過していった第二波はどうやら、この三倍近くいる」

 

 3倍となると、単純計算で特異個体は9体。撃たなければならない回数は9回。

 眼下の戦闘は、一先ずは第一波の悪獣(マリス)の迎撃に成功し、明らかに人類の優勢といった具合。

 

『ここの防衛の要はアンタだ。下手に消耗されても困る。悪いが、今は温存しろ』

「……了解」

 

 この作戦を成功させるために(わたし)の命を使う。

 死ぬつもりは無いが、生き残るつもりもない。生き残るつもりは無いが、無駄死にするつもりは無い。

 

 優秀なオペレーターであるレガンが休憩を進言するのだ。

 自分では気づかないほどに、バイタルが不安定になっていると考えるべきだろう。

 

 目を閉じて、大きく大きく息を吐く。

 目を閉じているのに、拡張魔導装甲のレーダーを通して周囲の情報が視覚の形で出力される。

 

 第一波はほぼ撃退に成功している。

 こちらの被害も最小限。されど、被害はゼロではない。

 

 運悪く砲撃型の攻撃が直撃したのだろう。

 ひしゃげた装甲車と、その中で息絶える兵士の青年の姿が見えた。

 

「──────」

 

 その姿には見覚えがあった。

 以前、(わたし)が助けた兵士の青年だ。彼をかっこよく助けた後ですぐに射手型(サジタリウス)に殺されかけた挙句、ネムに助けられるという失態を犯していたけれど、それでも彼はあの後わざわざ(わたし)を探して、面会許可を取って、お礼まで言いに来てくれたからよく覚えている。

 

 

『貴方のように俺も、己の命を賭して、人類の為に戦いたいます!』

 

 

 瞳を輝かせてそう言った彼に、(わたし)はなんと応えたのだったか。

 あの時は余裕がなくて、ちゃんと彼に気の利いた返事をできた記憶が無い。そもそも、(わたし)はなんとも薄情なことに、その時のことをよく覚えていなかった。

 

 彼に何かを聞こうにも、何をどう見ても既に死んでいる。

 ひしゃげた装甲に挟まれて、下半身が潰れている。即死ではなくても、血圧の低下と出血で確実に死ぬ怪我だ。

 最後の瞬間まで、痛くて苦しくて、泣きたくなるような死だったはずだ。

 

 

 なのに。

 彼の目元には涙の跡はなく、どこか安らかな顔で空を見上げて死んでいた。

 

 

 

 どうして彼は、そんな顔で死ぬことが出来たのだろうか。

 その理由が(わたし)には分からない。もう聞くことも出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

『《聖娼(ファムルーナ)》、悪い知らせだ』

「どうした? 第二波の数が倍にでもなった?」

 

 束の間の休息をしていた(わたし)の脳に、通信越しでも焦りと苛立ちが伝わってくるレガンの声が響いた。

 

 そりゃあこの戦場でいい知らせなんてないだろうが、それにしたっていきなり悪い知らせというのは縁起でもない。

 

 そして、彼の口から出た言葉は(わたし)の想像を超える『最悪』だった。

 

 

『《不壊(アダマス)》が……落ちた』

 

 

 この作戦の成功条件は、目標地点でのロッテの『散華』。

 

 つまり。

 レガンが口にしたその事実は、作戦の失敗を意味する言葉であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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15.ポイント9奪還作戦 3 華の天敵

 

 

 

 

 

「───ぅ、あれ、ここは……?」

『ネム。ようやく目を覚ましたの? 全くねぼすけなんだから』

 

 リリィの元に《不壊(アダマス)》が落ちたという知らせが入る数分前。

 

 大規模攻撃の反動で意識を失っていたネムが目を覚ました。

 

「あの……」

『どうしたネムちゃん? さすがに長く寝すぎて申し訳なく……』

「すいません、()()()()()()()()()?」

『───ネムちゃん。ちょっとチクッとするけど我慢してね』

「え、いやというかなんで私の名前を……あれ、なんで私そもそも拡張魔導装甲に乗って……っ!?」

 

 ネムの言葉を聞かずに、オペレーターのナハトは拡張魔導装甲に無理やり情報を流し込む。

 拡張魔導装甲と繋がっているネムには、いきなり脳に大量の情報を流し込まれたのと同等の衝撃が走り、一瞬痙攣した後に大きく深呼吸をし始める。

 

 

「……悪いわ、ね。みっともないところ見せた」

『いやいや。最低限で済んで良かったわよ』

「状況は把握したわ。今のところ、順調ってところね」

 

 

 ナハトが送った情報は、端的に言ってしまえば大規模攻撃直前のネムの記憶のデータだ。

 

 拡張魔導装甲と一体となることで電子化された記憶情報を予めバックアップとして残し、作戦中に拡張症候群による悪影響が見られた際の保険とする。

 

 ネムの拡張症候群が『記憶の破壊』というピンポイントな症状かつ、消えるのが直近の記憶であることが大きいからこそできる手法。

 

『作戦に関すること以外で忘れちゃったことは無い?』

「あったら思い出せないわよ」

『それもそうだね。なら悪いけど、今は作戦だけに集中出来る?』

「元からそのつもり」

 

 送り込んだ情報は、今回のポイント9奪還作戦に関するものと、ネムとナハトの基本的な関係、指揮系統に関する簡易な記憶のみ。

 

 それだけでもネムの脳にかかる負荷は計り知れない。これ以上情報を増やせば、一撃で廃人になる危険性すらある。

 

 その危険を理解しながら、あの大規模攻撃が必要であると判断してネムは行った。

 だが、今の彼女がその時の彼女と同じなのか。それはナハトですら判別が付かない。

 

『ネム! ……とりあえず、もう大丈夫みたいだね』

「ロッテ、よね。うん。私の役割は、あんたを目標地点まで送り届けることだもの」

『まったく。ここまでアタシの誘導で飛んできたのによく言うよ。もうその目標地点は目と鼻の先だよ』

 

 既にネムとロッテはポイント9のエリア内に入っていた。

 あと数分で目標地点に到達する。そうなれば、そこで数分ロッテを守れば無事『散華』を達さられる。

 

『……と、さすがに簡単にはいかないか』

「ロッテ、後ろに下がって。あんたを送り届けるのが私の任務なんだから」

 

 悪獣(マリス)の流れは全て上空を舞うネムとロッテを無視している。

 

 だが、その中に彼女達を無視せずに待ち構える姿が幾つか。

 外見も魔力の反応も通常種とは異なる得意個体。それも射手型(サジタリウス)だけではない。

 

射手型(サジタリウス)六体、要塞型(キャンサー)一体、強襲型(レオーネ)三体に……何あれ?』

 

 二人の意識を最も割いたのは、まるでボスであるかのように最奥に鎮座する巨大な悪獣(マリス)

 牛の首から上だけを切り取り、体に角や耳を生やしたかのような奇怪な形状。捻れた角や耳は翼のようにも見えなく無い。それでいて大きさは要塞型(キャンサー)を上回るサイズ。

 

「魔力の反応はそこまで大きくないけど……妙な反応ね」

方舟型(アルゴス)みたいな特殊能力持ちや支援個体の可能性があるかな?』

「……ナハト、解析は?」

『今解析中。普通の悪獣(マリス)とは明らかに違うけど……なんだろう。気味が悪い』

 

 気味が悪い、というのは全ての悪獣(マリス)に言えることだ。

 タールのような体液を纏い、得意個体なんて全身に目を生やしてばっかりだし、どいつもこいつもまるでこの世界全ての歴史を嘲笑うかのように生物や道具をパッチワークでもしたかのような外見をしている。

 

 そんな悪獣(マリス)を何体も葬り、それを一番近くで見てきたであろうオペレーターのナハトが、『気味が悪い』と口にした。

 

 ネムはその直感を信じ、直接の接触を避けることを考える。

 その思念を感じ取ったロッテもまた、他の特異個体を引き寄せて、最奥の巨大個体から引き離した上で処理。その後迂回して目標地点まで到達を提案。

 

 二人のオペレーターもそれを承諾。

 すぐさまネムが巨大個体の動きに細心の注意を払いつつ、ロッテは装甲を硬めて他の特異個体を引き付けつつ巨大個体からは距離を取る。

 

 

 ここまでの動きに判断の遅れは一切無かった。

 全員が冷静に、正確に状況を分析して最適な動きを行った。

 

『ネム、あの巨大個体の名前が決まった。とりあえず狂牛型(ミノタウロス)と仮称することになったわ』

「物騒な名前ね」

 

 古い神話で迷宮の中で人を喰らい続けたとされる牛頭の化け物の名。

 頭のない牛に名付けるには皮肉な名前だと思いながらも、ネムは目標にいつでも異能を撃ち込めるように構える。

 

 動きは緩慢で魔力の反応も強大であるが動きが凪いでいる。

 すぐに何かをしてくる様子は無いが、何かしたらすぐにでも対処できるように──────。

 

 

「瞳が───」

『魔力の動きはない。でも念の為中止して───』

 

 

 狂牛型(ミノタウロス)の全身に刻まれた目が開かれ、そのうちの一つとネムの目が合う。

 

 その瞳が、嗤う。

 知性も理性も感じられないと言うのに、確かな悪意を宿らせて。

 

 

「ごめん、なさい」

『ネム? ちょっとネム、聞こえて』

「ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい! ごめんなさい……ごめんなさい!」

 

 

 次の瞬間、ネムの駆る《星刻(アーカイブ)》が空中で静止する。

 落ちる訳では無いが、上昇したり進む訳でもない。その場で停止すること以外の操作をネムが行っていない。

 

 ネムが自分からその場に留まっている。

 

『ネム!? 何が起きたの! 状況は!?』

「ごめんなさいごめんなさい! 助けられなくてごめんなさい、弱くてごめんなさい、私だけが生きててごめんなさい!」

 

 明らかな錯乱状態。

 共有した意識からナハトに流れてくる感情は、罪悪感。

 

 幻覚、あるいは精神干渉。

 罪悪感を刺激され、まともな判断が行えなくなっている状態だ。だが不可思議なのはあくまでナハトにはその感覚が、()()()()()()()()()()伝わってこない。

 

 この世界には異能なんて呼ばれる不思議な現象があるが、それにはあくまでメカニズムが存在する。

 ネムが狂牛型(ミノタウロス)と目を合わせたこと、あるいはその時に発せられた何らかの光や音など感覚器官への影響でおかしくなったのならば、感覚を共有していたナハトにも同じ症状が現れるはず。

 

 だがナハトには、ネムを通して伝わってくる彼女の罪悪感以上の変化が無い。

 

「各員通達! 《星刻(アーカイブ)》が原因不明の攻撃により行動不能! 支給解析と応援を……』

『ネムさんも……!? 誰か、誰かロッテが!』

「っ、嘘……《不壊(アダマス)》が……」

 

 ネムの視界越しにナハトの目にははっきりと、《不壊(アダマス)》が全機関停止して地面へと落ちていく光景が映っていた。

 

不壊(アダマス)》が落ちる。

 目標地点まではまだ少し距離がある。そこまで連れて行けるか? 無理だ。華人形が先行している以上、援護は望めないし華人形が動けない状況で特異個体10体の処理は難しい。

 

「カドラエーナ! 《不壊(アダマス)》との通信は!?」

『ダメです! 同調まで解除! 華人形の生死不明!』

 

 脳裏に過ぎるのは作戦失敗の四文字。

 現状の最強戦力であるネムと、作戦の最重要人物であるロッテが行動不能になり、敵の攻撃の正体すら掴めない。

 

「カドラエーナ、こっちの観測情報をリアルタイムで送るわ。負担脳がちょっと焼けるだろうけど、耐えてね!」

『了解! ぐっ……ぅ!? ……共有、完了しました!』

 

 ネムの機体のセンサー越しに、二人のオペレーターは周囲の状況を確認する。

 ネムは空中で停止、ロッテは墜落。ネムの方はともかく、ロッテはすぐにでも回収しなければ敵に華人形と拡張魔導装甲が奪われるという最悪の事態が発生しかねない。

 

 そのはず、なのだが。

 

悪獣(マリス)が全て、ロッテを避けている……?』

「特異個体も動きはなし。魔力反応も相変わらず凪いでいるわね」

 

 二人は同調した意識の中で幾つかの可能性を思案する。

 

 周囲の特異個体全てが同調して行う何らかの精神攻撃か? 

 それならば通常個体までロッテを避けて進軍を続けている理由にならない。

 

 行動不能にしてきた正体不明の攻撃はエネルギーを大量に使うため動けない? 

 それも同じ理由で考えづらい。

 

『ならば可能性は───』

「反撃を警戒している。ロッテ達は通信不能で動けなくなっているけれど、()()()()()()()わけじゃない……?」

 

 その仮説を実証するかのように、流れから外れた一体の悪獣(マリス)が不用意に《不壊(アダマス)》へと近づいたその瞬間、その砲門の全てが一体の悪獣(マリス)へと向けられて一瞬にして塵に変えてしまった。

 

『ナハトさんこれって……』

「そうね」

 

 状況は最悪。

 作戦失敗は目の前まで迫り、失敗の中でも最悪の華人形の喪失及び敵による捕獲が過ぎっている。

 

 それでもまだ、その最悪は人類を追い抜いてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

「近づいたら華人形が動けなくなる特異個体、か」

『仮称は狂牛型(ミノタウロス)。現在解析中だが、華人形のみに効果を及ぼす毒物や音波、発光現象では無いかと考えられている』

「精神干渉なら真っ先に死ぬのは同調しているオペレーターだからな」

『その通りだ。そして現在、目標の特殊能力の範囲外から核を貫ける可能性があるのは……』

「なるほど。(わたし)だけと」

 

 元々魔力粒子拡張圧縮砲(デンドロビウム)悪獣(マリス)への長距離砲撃用武器として作られた代物。

 リミッターを外し、その本来の性能を引き出せる(わたし)は現在存在する華人形で唯一狙撃手としての運用が可能なのだ。

 

『言う必要も無いだろうが、お前の狙撃が失敗したら人類は負けだ。二体の、それも最強クラスの華人形と拡張魔導装甲を失い、撤退するしかない。そうなれば二度と攻勢の機会は訪れない』

「死んでもそうさせなければいい。それだけの話でしょ」

 

 持ち場を離れ、(わたし)は全速力で狙撃地点へと向かう。

 こうしている間にも悪獣(マリス)(わたし)が居なくなった戦線へと攻撃し続けている。

 

 ネムの大規模攻撃が予想よりも有効だった為か、少しは余裕があるがそれでも長引けば長引くほどこちらの不利になる。

 

 この作戦の最終目標であるポイント9の奪還の為には、現在の第一結界の出力範囲を変える必要がある。

 

 その為には一度、第一結界を消失させる必要があるのだ。

 

 その瞬間までに、どれだけ各戦線の戦力を温存できるかの勝負。

 

 つまり我らの状況は現在大ピンチ。

 ここで狂牛型(ミノタウロス)を撃破しても、時間をかけてしまえば戦線が支えきれなくなり結界を広げるチャンスを失う。

 

 加えて、ネムのバイタルは現在異常な値を出し続け、いつ死に関わるような変調が現れてもおかしくは無いと言う。

 

 あれこれ考えている余裕はない。

 

 まずは長距離狙撃で能力範囲外から狂牛型(ミノタウロス)を撃破しなくては何も始まらないどころか全てが終わる。

 

『念の為視認から補足までは俺が行う。だが……』

「魔力を使う魔力粒子拡張圧縮砲(デンドロビウム)は、(わたし)じゃないと扱えないだろ。わかってる」

 

 幾ら感覚を同調しても、華人形の視力と感覚器官をフルに活かさないとこの距離からの狙撃はできない。

 そもそも、一度死ぬほどの負傷を受けて再生するというサイクルを挟む手前、発射の直前に一瞬だけ同調を切らなければならないので、それで照準がブレる可能性も考えれば(わたし)が撃つしかない。

 

『異常を感じたらすぐにでも全感覚器をシャットアウトだ。わかってるな?』

「わかってる。でも時間が無い。(わたし)が死ぬとしても狙撃が成功すると判断したなら、引き金は引く」

『……了承する。悪いが、死んでも狂牛型(ミノタウロス)は落とせ』

 

 レガンもさすがにこの状況では優先順位をつけるしかない。

 現状優先すべきはロッテとネムの安全。それを助けられるなら華人形一機の犠牲は許容範囲内。

 

 だから、この一撃はたとえ(わたし)が死んだとしても成功させる。

 

『───照準固定完了。感覚器官を復活するまで五秒前。三、二、一……』

 

 視界が開けた瞬間、全ての思考を置き去りにして目標を捉え、引き金を引く。ただそれだけを考えていた。それ以外の思考なんて、自分が何者かですら忘れてしまうくらいの気持ちでいた。

 

 

 だが視界が開けた瞬間、(わたし)の思考は全てある一念に焼き尽くされる。

 

 

 

 

『た、たすすたすすたすすすすたす、たすけけけけすけ、すけけけて?』

 

 

 

 

 狂牛型(ミノタウロス)の姿を視認し、全身に浮び上がる眼球の一つの目が合った。

 その瞬間に脳内には何人もの人間の声をかき混ぜたかのような奇怪な音声が迸り、同時に体の動きが止まる。

 

『───おい、リリィ! どうした! 何があった!』

 

 全身から力が抜ける。

 今の(わたし)の全身とは、即ち拡張魔導装甲そのもの。

 

 主砲に貯めていたエネルギーも霧散し、飛行を維持できずそのまま地面へと落ちていく。

 

『リリィ、リリィ! くそ、応答しろ!』

 

 しかし幸運にも、(わたし)は自分の身に何が起きたかを理解できた。すぐにでもこれを伝えれば、まだどうにかなる可能性が残っている。

 

 必死に震える唇を動かして、掠れた声で何とか一言、絞り出す。

 

 

「ごめん、なさい……」

『同じ症状か……クソッ! 機械の観測越しだった! 光信号や音声の可能性も考慮してたはずだ!』

 

 

 違う。

 言葉にしたいのはそんな言葉では無いのに、喉がこれ以外の言葉を形に出来なくなってしまっている。

 

 (わたし)の精神ではなく、華人形の肉体───本能が罪悪感に耐えきれずに動けなくなっている。

 

 

 狂牛型(ミノタウロス)と名付けられたあの悪獣(マリス)は、恐らく大量の()()()()()()()を取り込んでいる。

 華人形に存在を認識された瞬間、カウンターのように取り込んだ人間の悲鳴や苦痛情報を何倍にも増幅して放射する。

 

 人間にとってはそれは戦場における大量の死。

 だが、共感能力の高い華人形にとってはそれは致命の猛毒だ。

 

 百はくだらない人間の、何千倍、何万倍にも増幅された不安や恐怖をそのまま叩き込まれる。

 

 華人形は狂牛型(ミノタウロス)に敵意を向けた瞬間にそれを認識してしまい、通常なら到底味わうはずのない罪悪感で動けなくなる。

 特定の生物だけにしか害のない周波数の音波や匂いなどの、精神干渉版とでも言うべきだろう。

 

 精神や肉体が頑強な華人形であるが、唯一他者の死や苦しみといった感情にのみは過剰に反応してしまう。その弱点を突いた、華人形の天敵。

 

 自分が元々は人間であるという自覚があり、華人形としての自覚が薄い(わたし)ですら、体は完全に言うことを聞かなくなってしまっている。恐らくほうっておけば自責の念で緩やかに生命活動すら停止してしまう。

 

 これが純正の華人形ならば、恐らく何一つ考えることも出来なくなる。

 ただひたすらに助けられなかった人々への謝罪を口にし続け、その原因となった悪獣(マリス)が近づいてくれば攻撃する。思考がそれにしか割けなくなり、やがて死に至る。

 

「レ、ガン……」

『リリィ! 何があった! お前の体に何が起きている!』

 

 この情報だけでも伝えないといけないのに。

 どうにかして必死に言葉を振り絞ろうとしても、出てくるのは───。

 

「ごめん、なさい……助けられなくて、ごめんなさい……弱くて、ごめんなさい……()()()()()()()、ごめんなさい」

 

 体はただ、浴びせられる苦痛や恐怖の感覚に謝罪を続けることしか出来ない。それこそが一番の弱さだとわかっていても、そう思ってしまえばまたそれを謝ることだけに全能力が割かれる。

 

 

 それでも。

 伝えられないということは、伝えられた。

 

 だからあとは賭けるしかない。

 (わたし)達と常に一緒に戦い続ける彼らを。

 

 

『伝えられないんだな?』

 

 

 レガンのその言葉に、返答することは出来なかった。

 体を小さく丸めようとして、涙を流しながら震えることしか(わたし)の体が今できることはない。

 

『わかった。リリィ、この戦い勝つぞ。───死んでもな』

 

 死ぬ気で戦っても、死ぬつもりで戦ってはいけない。

 彼はいつもそう口にしていた。けれど、この時の彼はこの戦場の誰よりも。

 

 

 自分がここで死ぬことを理解して、それでも前に進むことを選んだんだ。

 

 

 

 

 

 

 



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16.ポイント9奪還作戦 4 比翼の鳥





えぐい体調の壊し方をしました。皆様もこの季節は体調を崩しやすいと思うので気をつけてください。






 

 

 

 

 意識がゆっくりと点滅するかのような感覚だった。

 

 全身の水分が涙として流され、謝罪の言葉は呼吸を忘れて紡がれる。

 水分と酸素不足になれば意識が朦朧するという極めて当たり前の事実で、(わたし)は死にかけている。

 

「ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 少しでも気を抜けば意識が消滅する。

 華人形(ガラテイア)としての本能が、罪悪感でその身を殺してしまう。

 

 今まで何人も見捨ててきた。何人も見殺しにした、何人も助けられなかった。何人も(わたし)の為にと死なせた。

 

 なぜ自分が死ぬのか理解できないという顔。

 何をされたか分からないという顔。

 なぜ助けてくれないのかと問いかける顔。

 なぜお前が生きているんだと恨む顔。

 

 考えないようにしても、どうしても考えてしまう。

 (わたし)が死ねば彼らは助けられたんじゃないか? それなのに(わたし)が生きて彼らが死んでいるのは、それは(わたし)が殺したも同然なんじゃないか? 

 

「──────ごめんなさい」

 

 

 ふと、前世のことを思い出した。

 

 初めは両親の仇だった。

 一秒でも早く銃を握って、両親を殺したクソ野郎共を殺してやりたかったんだったか。

 

 けれど、恨みなんて10年もすれば風化する。

 気がつけば殺す以外の生き方を知らなくなり、殺すことが当たり前になっていた。人が死ぬことなんて当たり前だと自分に言い聞かせて、人を殺してきた。

 

 人を殺した金で美味い食事もした。

 たくさん遊んだ。けれどそれは、それが一般的な人々が言う()()と言うやつだと知っていたからだ。

 

 

 それらを幸福だと思えることは、残念ながら俺には一度も無かったのだが。

 他人を慈しむことも、自分を尊ぶことも、俺には出来なかった。ただ殺して、金を稼いで、遊んで、殺して。そうすることが幸せなんだと思い込んで。

 

 

 それで背後から撃たれて脳漿をぶちまけながら最後に思ったことは、「死にたくないな」だったんだ。

 

 

 だから今度は誰かを守れるように戦った。

 愛して、愛されて。そういった関係の中で誰かを守ることが正解なんだと。そういう生き方が幸福なんだと定義して、必死に戦ってきた。

 

 それでも(わたし)は、所詮人殺しのクズでしかないのかもしれない。

 結局積み重ねたのは死体の山。大切なものを守るために幾つも犠牲を重ねて、そこまでしても結局大切な人達は(わたし)を置いていってしまう。

 

 

 自分は優秀だと自惚れていたけれど、結局(わたし)は一番無知で蒙昧だったんだよ。

 

 

 だから戦うことでしか、殺すことでしか答えを出せなかった。そういう生き方しか、想像が出来なかった。

 

 だって仕方ないじゃないか。

 前世だって今世だって、(わたし)は戦って殺して、死ぬ生き方しか知らないんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本当に? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 

 華人形(ガラテイア)のオペレーターの役割は多岐に渡る。

 

 平時の彼女達の状態の監視と管理。戦闘中は彼女達が戦いやすいようにサポートしながら、搭載火器の遠隔操作によるサポート。

 

 求められる能力は知識、知能、肉体の頑強さ、同調の相性、性格の良さなど様々。基本的に戦場の最前線に出ることはなく、限られた人数しかその席に座ることが出来ないエリート職。

 

 

 そんなオペレーターになる為にまず必要なことは、()()()()()()ことである。

 

 

 幾ら華人形を通してと言えど、拡張魔導装甲に干渉することは人間の肉体、精神構造では不可能。故に全てのオペレーターはまず、華人形の因子を肉体に埋め込めみ、同時に脆弱な肉体の一部を機械と置換する。

 

 現代の技術力では、人間の内臓と同じだけの働きを同サイズの機械で補わせることは不可能。だが、華人形の因子を埋め込み魔力を増大させることによって、魔力というエネルギー源を得れば部分的に可能というラインに到達する。

 

 そこまでしてようやく華人形と同じ世界で戦える。彼女達の戦いを支えることが出来る。

 人体改造とでも言うべき施術は、オペレーターの心身に多大な影響を及ぼす。そうでなくとも華人形の戦闘は高速かつ苛烈な代物であり、精神は鑢で削るなんて代物ではなく、ナイフで切り落としていくかのように削れていく。

 

 行われる身体改造も、全て明日の戦闘で最善の動きをする為であり決して長く生き残ることを考えていない。

 

 そこまでしてようやくだ。

 

 ようやく俺達は、彼女達と並ぶことが出来るんだ。

 ほんの一瞬だけでも、彼女達の苦しみを理解することが出来る。

 

 

 

 

 

 

 リリィは既に言語による意思疎通は不可能。

 拡張魔導装甲も動かすことができず、バイタルは少しづつだが全生命維持が停止に向かっている。

 

「同調リミッター、解除。オペレーター、レガン・シュロウの全神経を《聖娼(ファムルーナ)》に、接続」

 

 オペレーターの一番の役割は、精神攻撃により華人形が行動不能になることを防ぐこと。

 頑強な肉体をもつ彼女たちが行動不能になる要素で、最も不安なのが精神への影響だった。特に、初期の拡張魔導装甲は機動性が低く、悪獣(マリス)に侵食され華人形の精神に侵入されることがあった。

 

 元々はその際に、華人形への精神負担を代わりに受け持ち、最高の動きを継続させる為の生贄こそがオペレーターの役割。

 

 ただそれが戻ってきただけだと、レガンは覚悟を決めてリリィの精神との同調率を急上昇させる。

 

 

 

 

 

 小さな水風船に、ダムの水全てが流し込まれたらどうなるか。

 

 その答えが、レガンの精神を引き裂いた感覚だった。

 

「ぁ、がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああッ!?」

 

 華人形が感じている痛み、苦しみ、疲労に人体が耐え切れる理由はない。

 全身の血管が裂けたと脳が認識し、その認識に合わせて血管が自ら裂ける。穴という穴から血が吹き出し、臓器が捻れ脳が沸騰する。

 

 準備していた安定剤、鎮痛剤、拮抗剤を機械が首に打ち込むが、それすらも気休めにすらならない。

 

 そもそもこれは、本来ならば禁止されている行為なのだ。

 同調率は普段はせいぜい10%、最大でも50%。人間では華人形の感覚に耐えられない以上に、50%を越える同調を他の知性体に対して行うことは自己の喪失、感覚の相違による生命維持の変調等の致死のリスクが伴う。

 

 

 だが、レガンがリリィの受けている苦しみを味わうのと同じ理論で、リリィはレガンの心に同調する。

 

 オペレーターの精神状態が健全であるならば、華人形の精神状態もそれに同調して一時的にであるが正常な状態に戻される。

 

 ただし、この方法はあくまで一時的に華人形が受ける悪影響を50%だけカットするのみ。

 それでも動けないほどの負荷が華人形にかかっていればただ無駄に死ぬだけ。かつオペレーターの正気の代わりに華人形の負担を減らすという方式の都合上、オペレーターが死ねば効力は終わる。

 

 かつて最も恐れられた特異個体、侵水型(アクエリア)の対策として用いられることが多かったが、現在ではオペレーターの死亡率と費用対効果の薄さから使用されることは殆どなかった。

 

 それでも、レガンが同調率の急上昇に踏切った理由はただ一つ。

 

 

 リリィという華人形は無意味なことをしない。

 

 

 そう信じているのではない。

 彼女は、そんな自分であることを決してやめられない。俺だけは彼女の選択を、苦しみを、無意味なものにしてはならない。

 

 そうしなければ、彼女はきっと永遠に前に進めないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 沈んでいく意識の果て。

 罪悪感と後悔の海の底。

 

 朦朧とする意識がはっきりとしていくのが感じられる。ここまでめちゃくちゃに振り回されて、ぐちゃぐちゃに押し潰れた心が辿り着いた場所。

 

 

 (わたし)にとっての最も深い後悔が、そこにある。

 向き合ってしまえばきっと耐えられずに壊れてしまう、奥底に秘められたその扉が開かれる。

 

 そんな時、(わたし)の心の中にあったのは不安や恐怖ではなくて単純な興味だった。

 

 何人も殺してきた。

 自分の無能を言い訳に、何人も。

 

 今だって、(わたし)は華人形の肉体に人間の魂なんて言う、狂牛型(ミノタウロス)対策の為に生まれてきた存在のくせして実際はまんまと術中に嵌って呑気に幻覚なんて見ている。

 

 レガンはきっと、(わたし)が伝えたかったことに気付く。

 (わたし)の思考を読み取る為に同調率を上げるだろう。そうすれば、口で伝えられなくても繋がった心が勝手に思考を繋げてくれる。

 

 でも、それをやればレガンは無事では済まないはずだ。

 華人形の肉体がまともに動かなくなるような精神ダメージを人間が受ければ、半分だけでもまず助からない。

 

 

 また(わたし)は、誰かを死なせる選択をしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「──────リリィはどうしたいの?」

「え?」

 

 

 

 

 意識の奥底から、声が響いてきた。

 

「リリィが何をしたいか。それが一番重要じゃないの?」

 

 文字通りに、言葉を失ってしまった。

 

 だって、目の前にいるのは、目の前で喋っているのは此処にいるはずのない相手だった。

 

 彼女の死だけは、(わたし)じゃどうしようもないはずの事態。

 (わたし)が背負うべきでないもの。(わたし)如きが自分のせいにすることすら烏滸がましい。

 

「なんで、ルリさんが……?」

「まぁ……お姉ちゃんだからね」

 

 (わたし)にとって最も深い後悔は、何故かルリさんの形をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……よぉ、ようやく目を覚ましたか、眠り姫様』

「───どれくらい、経った?」

 

 通信機越しではなく、頭の中に響いてくるかのようなレガンの声。

 掠れていて、口の中には自分のものでない血の味、全身には自分のものでない痛みが走る。

 

 なのに心だけはすごく楽で、さっきまで罪悪感で押しつぶされそうだった体が何とか動く。

 

 レガンが何をやったのか、すぐにわかった。

 

「通信切って、もう休め。死ぬぞ」

『ダメだ。解析の結果原因はわかった。だが、対処法がねぇ。アンタ以外の華人形は同調率上げての肩代わりも無理なくらい症状が深刻だ』

 

 やはり(わたし)が半端者だからこそ、この程度で済んでいるらしい。

 対処法がないということは、現状華人形では狂牛型(ミノタウロス)に近づくことすら出来ない。

 

『俺が負担を引き受ける。アンタが狂牛型(ミノタウロス)を倒せ』

「それは、命令か?」

『命令だ。アンタ以外にできない。これを果たすためになら、喜んで死ね』

 

 繋がった心は、言葉に込められた思いも包み隠さず伝えてくる。

 

 こんなに心のこもっていない死ねなんて、生まれて初めて言われたかもしれない。

 

 (わたし)が最初から上手くやってれば、レガンまで命を賭けることにならなかったのに。これは(わたし)のミスなのに、なんで恨んでくれないんだよ。

 

『リリィ』

「……なんだよ」

『終わったら、何がしたい』

 

 さっき死ねと言った部下に、レガンは生きて帰ったらの話をしてきた。

 

 意図が読めず困惑する。

 困惑がレガンに伝わり、それに対するレガンの感情が直接伝わってくる。

 

『俺が思っていたより、アンタはずっと華人形で、子供だよ』

「……なんなんだよさっきから。お前らしくないぞ! そんな、最期みたいな言い方!」

 

 (わたし)自身ですら知らない、(わたし)の本心。

 きっとレガンは、同調を通してそれを知ったのだ。そう思うと怒りとも羞恥とも違う、表現のできない感情が湧いてくる。

 

 (わたし)の醜い心の奥底、そこにあるのが自己保身でしかないとわかっているからこそ、見られたくなかったのに。

 

 

(わたし)を使い潰してお前が生きる! それで作戦戦は成功させる! だから、だから──────」

『アンタって、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 ……そんなの。

 

 そんなの、当たり前じゃないか。

 

 

 生まれてきたんだ。

 出会ってきたんだ。

 このクソッタレな世界で、それでも(わたし)達が生まれて共に生きた世界。

 

 そこに生まれてきたのなら、幸せになりたいに決まっている。

 幸せになって欲しいに、決まっているだろう。

 

「そう願うことは、やっぱり間違いなのかな」

『間違ってはねぇよ。ただ、アンタはやり方は間違えていると思うってだけだ』

「……これ以外のやり方なんて、知らねぇよ」

『そうじゃねぇっての。だったらさ、ちゃんと考えてみろ。これでもわかんねぇなら、もう知らん。一応地獄にまではついて行ってやるがそこまでだ』

 

 自分の生き方を今更他人に諭されて変えるほど、生半可な覚悟で生きてきたつもりは無い。

 だからこれは、レガンに言われっぱなしなのが気に入らないという、極めて個人的な理由での返答。

 

 自分のことはただの死にたがりのバカだと思わなくもないけれど。

 それはそれとして、死にたがりのバカだと思われたままでいるのは癪だから。

 

 

「──────に、行きたい」

『はっ。いいじゃねぇか。それくらいなら連れてってやるよ』

「1人で行ける。いいから、行くぞ」

 

 

 再び拡張魔導装甲全体に力を込め、狂牛型(ミノタウロス)を視界に入れないようにしながら。

 

 

 ポイント9奪還作戦の成否。

 その全てを背負って、《聖娼(ファムルーナ)》は空へと飛び上がった。

 

 

 

 



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17.ポイント9奪還作戦 5 英雄開花

 

 

 

『いいかリリィ。お前がやることは単純で変わらない。狂牛型(ミノタウロス)を一撃で倒す。それだけだ』

 

 作戦概要は単純明快。

 

 使っていいものは《聖娼(ファムルーナ)》の全て。

 それで作戦が成功するならば、命を投げ出すことすらも許可されている。

 

『《星刻(アーカイブ)》と《不壊(アダマス)》が何時まで保つかも、悪獣(マリス)が何時まで静観をしてくれるかも分からねぇ。準備する時間もなければもう一度、なんてのも有り得ねぇ』

「失敗したら人類の最後、ってことだろ?」

 

 人類の命運を背負っている、という事柄に不思議と重さは感じていなかった。

 元々、華人形なんてみんな自分が死んだら人類が終わるくらいの気持ちで戦っていたし、それ以上に嬉しさが勝っている。

 

 こんな重要な引き金を握れていること。自分が今日まで生きてきたことが無駄じゃなかったのだと。

 

『やることも単純だ。限界高度ギリギリから急降下。落ちながら狂牛型(ミノタウロス)を狙撃。以上』

「単純ってか、それ丸投げ……」

『仕方ねーだろ。解析する時間がねぇ以上、唯一狂牛型(ミノタウロス)を視認して動けているアンタに全てを賭けるしかねぇんだから』

「そうだけどさぁ……。なんか、ねぇ?」

 

 元々華人形という極めて個人戦力に近い代物で護られている世界だが、ここまで個人で世界を救えてしまうというのも危な過ぎる。

 1人の行動で救えてしまうということは、言い換えれば1人の行動で滅ぼせてしまえるということ。

 

 それは世界の在り方としてあまりに不確かなものだ。

 数え切れない程の人々の願いが集まりできている世界が、1人の手でどうにかできてしまうなんて、上手く言えないが健全とは言えない。

 

『文句言いてぇ気持ちは分かる。だが素直に喜んどけよ。ずっと世界を救いたかったんだろ?』

「なぁ……お互い心が読める状況だから仕方ないんだけどさ。一々(わたし)の心の声に返答するのやめてくれないか?」

『そこは我慢してくれ。こちとら意識が朦朧としていて、話したことなのか考えたことなのかの区別がつかなくなってきてるんだよ』

 

 それを言ったら(わたし)だって、何度も死んでは治して繰り返しているし半分は負担してもらっているとはいえ未だ狂牛型(ミノタウロス)の影響は抜けてないしで、正直今にも意識が吹っ飛びそうなんだけど。

 

 それでも、感覚だけはやけに冴えている。

 まるで悪獣(マリス)を殺す為に必要なもの以外を全て削ぎ落としたかのように、霞む意識反して思考だけは透明になっていく。

 

『一度、お前の感覚器を全部シャットアウトする。それから自由落下で目標に接近。有効射程に入った瞬間に狙撃だ。最低限の照準合わせはこちらでやるが……とりあえず俺が保つのは3秒だ』

 

 つまりレガンは、3秒で自由落下の状態から相手の小さな核を射抜く狙撃の準備を行なえと言っているのだ。

 レガン以外からの命令だったら頭に悪獣(マリス)でも詰めたのか計算し直してこい能無しが、くらい言ってやっていたと思うが、今この状況でレガンからの指示だと思うと、そんな感情が湧いてこない。

 

「無茶言う度に謝らないでくれ。(わたし)達はこれが仕事で、レガンたちも同じように命を懸けてるんだから」

『おい……俺は今心の中で思っただけで口に出してないぞ?』

「お互い様だろ」

『……無駄話は終わりだ。さぁ、行くぞ』

 

 照れ隠しなのが心を通して伝わってくる。

 それが少しおかしくて笑いそうになった次の瞬間、(わたし)の全ての感覚が虚無に解けて、レガンの心以外何も感じられなくなる。

 

 

 時間にして数秒。

 だが、永遠に思えるような落下が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれは、ルリさんと最後に話した時のことだ。

 

 あの時の(わたし)はとにかく余裕がなかった。

 

 人を殺してしまった、ネムに拒絶された、役立たずの異能に覚醒してしまった。

 色々な要因が重なって、他のことを考える余裕がなかったんだ。(わたし)達の『花園』のことを聞いて、ルリさんが負傷を押してまで様子を見に来てくれたというのに。

 

「リリィ。多分、これで最後になるだろうからよく聞いてね」

 

 ルリさんがそう言っていたことすら、(わたし)は忘れてしまっていた。

 或いは忘れたかった、聞きたくなかったのかもしれない。ルリさんまでいなくなってしまうなんて、そんなこと考えたくもなかったから。

 

「リリィが何をしたのか、何を思っていたのか。事細かに聞く時間は無い。だからごめんね。伝えなきゃいけないことだけを伝える」

 

 髪の色が抜けて白になり、体の至る所に痛々しい包帯が見え隠れしていたのに、ルリさんはいつもと変わらない笑みを浮かべ、俺と目線を合わせて話しかけてくれた。

 

「私はみんなに幸せになって欲しい。ネムやロッテにリリィはもちろん、他の姉妹のみんなや、人間達にも。でもね、1人が幸せにできる限界は、結局1人だけなんだよ」

 

 そんなことない、と否定することも出来ずに、(わたし)はただ彼女の話を聞いていた。

 思えば、ルリさんが弱音を吐いたことなんてこの1回だけだった。本当はもっと、ちゃんと聞くべきだったんだ。

 

「この前友達が1人死んじゃってさ。私を庇ったんだ。痛くて苦しかったろうに、何故かその子の死に顔は幸せそうなものだったんだよ。……満足、したんだろうね。自分の命の使い方に」

 

 死ぬということの苦しさは(わたし)がよく知っている。

 

 死は恐ろしいものだ。

 不可逆の自己の喪失。身体機能の喪失に伴う危険信号が苦しみを産み、それでも避けられないからこそ全身は悲鳴を上げながら意識が消えていく。

 

 だからこそ、その人は幸せだったと言えると思った。

 死の瞬間に、安らかな顔を浮かべられるのはとても幸せな事だと。

 

「でも、私は悲しかったよ」

 

 けれどルリさんは、首を縦に振らなかった。

 

「私は悲しかった。行きたい場所、食べたい物、将来の夢。それを語ってくれた友達が、夢を叶えられなくてもそれを『幸せだった』と名付けて目を閉じることが」

 

 それは理想だ。

 綺麗なだけで、眩しいだけで届かない星のような理想。

 

 あの時の(わたし)はそれを聞いてなんと思ったんだったか。

 ルリさんは次の戦闘で死ぬ。それがわかってるからこんな話をしている。でもなんで、そんな届かない話をしたのだろう。なんで(わたし)にそんな話をしたんだっけ。

 

 理由が、あったんだ。

 それを忘れてしまっている。思い出したくないと、心の奥にしまっていた。

 

 あの時、あの時ルリさんは(わたし)に何を伝えたかったんだろう。

 

 

「生きていれば、夢は何度でも見られる」

 

 きっとそれはロッテにも話したのだろう。

 

「伸ばし続ければ、星にだって手が届く」

 

 ネムにだって話したはずだ。

 2人はちゃんと聞いて、今でも覚えているのだろうか。

 

「私達は1人しか幸せに出来ない。自分か、自分じゃない誰かか。だって、私が幸せに死んでも、私がいなくなったら悲しむ誰かがいてくれるんだから」

 

 だとしたら2人はやっぱり(わたし)なんかよりずっと凄い。

 (わたし)にはそれが出来なかった。綺麗で美しい理想を、自分の汚れた魂で触れられるものだと、思えなかった。

 

「だから、リリィ。どんなに辛くても生きて欲しい。生きることだけは諦めないで欲しい。これは夢想で、理想で、届かないものだってわかっている。それでもね、誰かに生きて欲しいって、その人達と一緒に生きていたいって、その願いだけは絶対に捨てちゃダメだ。───だってリリィは、私の可愛い妹なんだから! リリィが死んだらみんなが悲しいし、いつかみんなが幸せになれる理想に、貴方の手ならきっと届くんだから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの時耳を塞いでしまった後悔を振り切って、(わたし)の意識は現実の時間軸に引き戻される。

 

 生きることを諦めないこと、生きることを肯定すること。簡単な事だけど、出来ないとわかってしまっていた。自分が命を大切にできない人間だって知っていたから、(わたし)はルリさんの最後の願いを叶えられない自分から目を逸らしていた。

 

 なんとも子供じみた、或いは大人になりすぎた後悔だ。

 美しい理想に触れることが怖くて怖くて仕方ないなんて、それは子供なのか大人なのか。

 

 どの道、(わたし)はそんな夢を見れるほど綺麗な心は持ってはいない。

 

 

 でもルリさんはその理想を見続けていた。

 

 ネムも、ロッテも、きっと2人は最初から諦めていない。

 レガンだってそうだ。この戦場で戦い続ける人達はきっと、大切な人を、そして彼らと生きる時間を、彼らが残した世界を愛している。

 

 世界を愛するほどの大きな愛なんて持っていないし、綺麗な理想を見続けられるほど(わたし)の心は強くない。

 

 けれどそんな理想を守ることくらいは、(わたし)にだって出来るかもしれない。みんなが見ようとしている綺麗な星が、見えなくなってしまうのは絶対に嫌だ。

 

 

「レガン! 同調は40%までにしろ! 拡張症候群の進行によっては同調負荷でそっちが死ぬ!」

『却下! 狙撃の成功率を1%でも上げるために同調率は最大まで上げる!』

「……死んでも責任、取れないからなぁ!」

『やれるもんならやってみろ! 感覚再起及び狙撃地点到着まで三、二、一……』

 

 

 魔力粒子拡張圧縮砲(デンドロビウム)を撃つための負荷と、それを踏み倒す為の再生。

 

 狂牛型(ミノタウロス)による精神攻撃をレガンに押し付ける都合上、レガンにさらに負荷をかける一度死ぬレベルでの無理な再生は行えない。

 

 だが、拡張症候群で重要器官が変化すれば狙撃失敗どころか即死のリスクもある。

 成功確率はどれくらいだろうか。生存確率はどれくらいだろうか。それでも、みんなが見ようとしている星との距離と比べたら。

 

 そんな確率、手を伸ばしてしまえば届くちんけなモノのはずだから。

 

 

 

『───感覚、戻るぞ! リリィ!』

 

 

 

 視界が戻り、狂牛型(ミノタウロス)の瞳の一つと目が合った。

 後悔と罪悪感で手が震える。レガンがどれくらい負荷を受けてくれているか分からないが、気を抜けば意識が持っていかれそうだ。

 

 唇を噛み切り、痛みで正気を保ちながら照準を合わせる。

 魔力が迸り、同時に拡張症候群の症状が表に出始めた。肉体が末端から鈍色に覆われ、鋼鉄に置換されていく。機械と自分の違いを精神が見失い、己の体を機械と勘違いして変えてしまう。

 

 確かに(わたし)は機械の方がまだ心があるかもしれない。結局幸せとか幸福とか、そういったものがよく分からない。よく分からないから触れられず、夢に見ることが出来ない。

 

 でもそれが失われる痛みと悲しみはわかる。

 ならば、(わたし)の魂はきっと、機械なんかでは無いはずだから。

 

魔力粒子拡張圧縮砲(デンドロビウム)、最大出力……発射!」

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 

 空から降り注いだ一条の光が、狂牛型(ミノタウロス)の核を穿った。

 

 その巨体が音を立てて崩れ、融解を始める。

 悪獣(マリス)達はその死を察知して、すぐさま華人形への攻撃を再開する。死を待つ戦法は狂牛型(ミノタウロス)が撃破された以上使えない。

 

 ならば、影響が抜けきっておらず衰弱しているうちにトドメを刺す。

 

 

『───ネム! 照準は合わせてるわ! ぶっぱなせ!』

「……了解!」

 

 

 そうして動こうとした悪獣(マリス)達が、吹き上がる炎の嵐に飲み込まれて一瞬で炭化して消滅する。

 

 狂牛型(ミノタウロス)の死と同時に、ネムのオペレーターであるナハトもネムとの同調率を引きあげた。

 

 ネムの体は未だに悪影響が抜けきっておらず、万全とは言い難い。

 それでも負荷の半分をオペレーターに預けることで、無理やりに体を動かしていた。

 

『ネム、体の調子は? 気分は? 私は最悪。多分、5分が限界!』

「同調率あげてくれなきゃまともに動けないわよ。くそっ」

『その割には随分開幕から派手な一撃じゃない?』

 

 強がっているわけでも、無理をした訳でもない。

 ただ、ネムもまた後悔の中で懐かしい夢を見た。そして夢から覚める瞬間、空に星が見えた気がしたのだ。

 

 流れ星に願い事を込めると願いが叶うなんて、昔リリィから聞いたことがあった。

 

「星が、綺麗だったからね」

『随分詩的な言い回し。気合十分ってことかしらね』

 

 

 ネムが再起動すると共に、ロッテも復活していた。

 オペレーターとの回線を取り戻し、傷付いたエンジンに無理を言わせて爆発するように戦場を駆け抜ける《不壊(アダマス)》。

 

 転がり、傷つき、それでもその機体は前に進む。

 既に目標地点は、己の墓標の位置は見えていた。

 

 

『《不壊(アダマス)》が目標地点に入りました! これより、『散華』を開始します!』

 

 

 全体通信で宣言される、ロッテのオペレーターであるカドラエーナの叫び声。血に濁ったその声は、彼女も華人形との同調により激しい負荷を受けている証拠。

 

 それでも彼女の叫び声には痛みも恐怖も混じっていなかった。

 

 その通信が全体に届くよりも一瞬速く、《不壊(アダマス)》が変形して巨大な機構が露出する。

 淡い光に包まれながら幾つもの機関が回転をし、周囲の魔力を吸引し始める。

 

 華人形の『散華』の効率を極限まで高めるため、拡張魔道装甲ら巨大な魔力の爆弾と化す。その為に、周囲全ての魔力をかき集めると同時に、搭載された華人形の肉体を燃料に魔力を捻出する。

 

 

 その巨大な魔力のうねりに、周囲の悪獣(マリス)達の意識が向けられる。

 

 

 意識を失い落下していた《聖娼(ファムルーナ)》。

 残った特異個体全てと戦闘していた《星刻(アーカイブ)》。

 各戦線で悪獣(マリス)と戦闘していた他の部隊。

 

 それらに向けられていた悪獣(マリス)達の敵意が、全て一点に集中する。

 

 なんなのかは分からない。理由なんて理解できない。

 だがこの魔力の原因を放っておけば、自分達にとって大きな不利益となる。そんな本能が彼らを突き動かす。

 

『周囲の悪獣(マリス)が他の目標を全て無視して《不壊(アダマス)》の方角へと向かっています!』

『予想通りだ! 《星刻(アーカイブ)》、《聖娼(ファムルーナ)》、《福音(ガブリエル)》、《獣母(ティアマト)》のリミッターの解除を許可! これより『散華』までの3分、何があっても《不壊(アダマス)》を護衛しろ!』

 

 それに対して華人形達も動く。

 この後動けなくなっても、この3分だけロッテを守る。ここまで犠牲になってきたもの全てを無駄にしない為、悪獣(マリス)に奪われたものを取り戻す為。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───レガン、(わたし)、まだ……」

『…………』

「……そっ、か。じゃあ、頼むよ」

 

 地面に叩きつけられようとしていた《聖娼(ファムルーナ)》の機体が僅かに動く。

 

 

 最後の戦いが、始まった。

 

 

 

 

 



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18.戦場に徒花は咲く

 

 

 

 

 

 気の遠くなるような3分。

 全てを無視してただただロッテを喰らうことだけを目的に動く肉の津波。対するは拡張魔導装甲3機。

 

 駆けつけた《獣母(ティアマト)》に搭乗していた兵器群に乗った兵士達が、自爆特攻同然の攻撃で悪獣(マリス)を食い止める。

 

 各華人形も己の異能の全てを行使して悪獣(マリス)を迎撃する。

 悪獣(マリス)も含め、その場の全ての存在がただ1秒の為に全てを賭す。

 

『あとのことなんて考えるな! ありったけぶち込め!』

『ネム! 神経系がオーバーヒート起こしてる! ちょっとセーブしなきゃ死ぬわよ!』

『セーブして死ぬか戦って死ぬかなら戦って死ぬわよ! 負荷、預けるわよ! 一緒に死んで! あと《福音(ガブリエル)》! 《不壊(アダマス)》いないと近接得意なのアンタしか居ないんだから強襲型(レオーネ)全部頼むわよ!』

『ッ、不可! 可能な限り対処するが、こんな悪獣(マリス)の津波の中で全部は無理だ!』

『無茶をしろって言ってんのよ!』

『でも死なないでくださいね。嫌ですよ、また仲間の死体回収するの』

『縁起でもないこと言わないでくれない《母獣(ティアマト)》? というかもう八割勝ちの状況で死ぬわけないでしょ。こっちは死んだらアンタの死体は回収してやれないから、死んでも生きなさいよ?』

『さっき戦って死ぬって言ってましたよね。なんなんですか意味不明。だから貴方のこと嫌いなんですよわたくし』

『共有回線で口喧嘩するな気が散る!』

 

 

 仲間達の口喧嘩を他人事のように聴きながら、ロッテはおかしくて笑ってしまい、悲しくて泣いてしまいそうになった。

 

 誰も彼も限界、お互いに声をかけあって奮い立たせなければいつ意識が途切れてもおかしくは無い。

 

 それでも、状況は優勢だった。

 何匹か食い止めきれなかった悪獣(マリス)が《不壊(アダマス)》を破壊せんとするが、異能の力で作られた硬質結晶で防御を固めた《不壊(アダマス)》を破壊するのには時間がかかる。

 

 3分だけ。

 その時間さえ稼げるならばこっちの勝ち。そして、そのゴールは既にあと数秒まで迫っていた。

 

 

 あと数秒で自分は死ぬ。

 けれどそれは無意味な死なんかじゃない。みんながその死に意味と理由をくれた。みんながこの死を無意味なものになんてするはずがない。

 

 きっとみんな自分の名前を忘れることは無いだろう。

 なんて言ったって、初めて悪獣(マリス)から奪われたものを取り戻す英雄の名前だ。あのルリさんにだって出来なかった偉業を、アタシが成し遂げる。

 

「結局、逃げてはくれないか。そりゃそうだろうけど」

 

 ネムの方は元気に戦っている。

 リリィの方も、回線に応答は無いがバイタルは生存を示している。

 

 そうだ、リリィにはお礼を言わなければ。

 リリィが狂牛型(ミノタウロス)をどうにかしていてくれなければ、あそこでネムと一緒に死んでいた。と言うか、あの頭がおかしくなりそうな後悔と罪悪感の中でどうやって動いたのだろうか。後でやり方を聞いておこう。

 

 そういえば、リリィに借りていたお金って全部ちゃんと返したっけ。

 貸し借りの話で言えばネムに前に貸した雑誌、返して貰ったけ。

 そういえば部屋の花、もう八つ当たりすることもないんだし最後くらい水を上げてから来た方が良かったかな。きっと枯れちゃうよね。

 

 

「……やっぱり死にたくはないなぁ」

 

 

 死にたくなんてないに決まっている。

 でもどうせ死ぬならばその死には意味があって欲しい。それだけの話だ。

 

 後悔なく死ねるなんて思ってはいなかった。

 そしてこんなに後悔があるだなんてことも思っていなかった。

 

 思ったよりもアタシはずっと、生きたかったらしい。

 それはきっと、幸福なことだろう。

 

 死ぬ時に「死にたくない」って思えるのなら、それだけ生きてきた時間が幸福だったということだ。

 

 

 魔力量が予定の値に到達する。

 あとは起爆剤となる異能の持ち主の華人形が死ねば良い。華人形の死が、大量の魔力と不安定になった異能と結び付いて爆発的な異能現象───『散華』を引き起こす。

 

 大きく息を吸って、吐いて。

 最期に自分が生きていたことを深く、深く刻んで。

 

 

「───なに、これ。なんで、なんでアタシ、生きてるの?」

 

 

 頭の中で引き金を引いた。

 それだけで、拡張魔導装甲はロッテの命を奪い『散華』を実行する。そうなるように調整済みなのに。

 

 その機能が停止している。

 

 何時だ? 

 狂牛型(ミノタウロス)の攻撃を受けて落ちた時? ここに来るまでに無理して転がった時? それとも、今まさに敵の攻撃に耐えきれずに? 

 

 だが機能が落ちていても要は拡張魔導装甲と繋がってるこの状態で自分が死ねばいい。

 片腕の接続を解いて、万が一に備えて作っておいた手動でのスイッチに手を───。

 

「ッ、く、そ……。体、が」

 

 ただ手を伸ばし、スイッチを押す。

 それだけの行為が、今のロッテには行うことが出来なかった。

 

 原因は、すぐにわかった。

 拡張魔導装甲が悪獣(マリス)からの侵食を受けている。神経系にまで深く食いこんだそれが、自身の神経系と影響を及ぼし合い行動に制限をかけてきている。

 

 本来なら精神への侵食ならばオペレーターが負担をしてくれることで防げる代物。逆に言えば、防げていないということは、だ。

 

「カドラエーナ! 何が起きてるの!?」

『ロッ、テ……ごめん、なさい。私、もう、げんか……み、たいです』

 

 狂牛型(ミノタウロス)からの解放後直ぐに、引きずっているダメージの全てを引き受けて。悪獣(マリス)の猛攻を3分間受け切る中でずっとダメージと侵食を肩代わりし続けていたオペレーター。

 

 その限界が先に来てしまった。

 今から別のオペレータを呼ぶか? そもそも同調は相性や適性が極めて激しく、専用に調()()を受けていないオペレーターではろくに接続もできなければ、煩雑な接続処理を行う余裕はない。

 

 舌を噛み切れば死ねるかもしれないが、即死はできない。即死しなければ、死ぬまでの間に要らぬ犠牲者が増えるし、何よりも最悪悪獣(マリス)に取り込まれる。

 

 この作戦にとっての最悪は、自分が悪獣(マリス)に取り込まれること。そうなれば失敗どころか、新しい特異個体の発生によって消耗した華人形が更に討ち取られるリスクがある。

 

『ロッテ……どうにか、自決を。それまでの時間は、絶対に貴方を守り、ます』

 

 カドラエーナは口の中に水を含んでいるかのようなたどたどしい口調でそう話すが、ロッテが無理に自決をしようとすれば同調しているカドラエーナにもその痛みが送られる。

 恐らく今の彼女は耐えきれない。まず間違いなく死ぬ。かと言って同調解除は悪獣(マリス)の侵食が自身を完全に飲み込む時間を縮めるリスクがある。

 

 理想は機能の復活。

 その次は同調を切って直ぐにロッテが自決できる方法の確保。

 

 考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ! 

 

 下手に異能で防御を固めたせいで味方に殺して貰う難易度が上がっている。そもそも、華人形の火力ではロッテどころか機体も壊してしまう。

 拡張魔導装甲が無ければ『散華』の規模は目標に達しない。

 

 だがこの戦場で生身でロッテのコクピットにまで辿り着き、ロッテだけを殺すことが出来る人間なんているわけが無い。

 

 

 そんな人間なんて、いるわけが無いとわかっていた。

 

 

 

 

『ロッテ、待ってて。今会いに行く』

 

 

 

 それでも、彼女がいる。

 いつだって自分達の前に立っていて、どんな時だって無理やり作った笑みを浮かべていた、不器用だけど頼りになる姉妹。

 

 不可能を可能にする華人形が。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「始末書書くのは手伝ってくれよ、レガン!」

『ああ、くそ、わかったよ! わかったから、何があっても死ぬこと選ぶんじゃねぇぞ馬鹿野郎!』

 

 その通信を最後に、レガンとの同調が切れる。

 

 同時に、レガンが負担していた肉体及び精神の負担の全てがリリィの体を襲う。

 意識が途切れそうになるのを舌を噛んで耐え、傷はすぐに異能を使って治す。それでも手の痙攣が収まらず、体の各所の感覚がない。

 神経、精神、肉体、機体。その全てが既に限界に近い。加えてオペレーターの補佐もなくなり、魔力も切れかけている。

 

 治癒が使えるのもあと数回が限度。

 つまり魔力粒子拡張圧縮砲はあと数回しか使えない。

 

 ならいっそ、()()()()()()()()()()()()()()()

 

『ッ!? リリィ、アンタ何しようとしてるの!?』

 

 その魔力の反応に気がついたネムからの応答を無視して、リリィは砲身に魔力を貯めながらロッテの元へと駆け抜ける。

 

 魔力粒子拡張圧縮砲は、散華を参考にして作られた武装。

 空気中の魔力を吸い上げて、拡張した意識で無理やりその魔力を纏めあげる。大量の魔力を扱うのには凄まじい集中と巨大な意識が必要という問題を、使用者に負担を押し付けることで叶えた悪魔の兵器だ。

 

『アンタ……バカなの!? そのままじゃ爆発するわよ!?』

「うん。するから少し離れて……いや、やっぱ近づいて」

『これが噂の《聖娼(ファムルーナ)》。天使のようなアイドルと聞いてましたが予想外にクレイジー』

 

 リリィは魔力の吸収、圧縮の工程を限界を超えて行い続けた。

 大量の魔力の塊がもう一つ、戦場に咲こうとしている。それは『散華』と似た機構によって生み出される魔力の渦。それが2つあるというのならば、悪獣(マリス)は合理的に、潰しやすい方から潰す。

 

 自身の異能で防御を固めた《不壊(アダマス)》よりも、既に壊れかけの《聖娼(ファムルーナ)》に彼らの意識が集中していく。

 

『《聖娼(ファムルーナ)》! 囮になるつもりなら言っておくが、魔力粒子拡張圧縮砲の炉心の安定性では、その出力は数十秒で……』

 

 そう通信で伝えようとして、ネムのオペレーターであるナハトはリリィの目論見に気がつく。そんな馬鹿な方法を実行する華人形なんて信じられないが、こんな破天荒なことを許可しそうな先輩ならば知っている。

 

『全華人形、一度《聖娼(ファムルーナ)》から距離を取って! 同時に炉心を回して魔力を溜め、武装の展開準備!』

 

 ナハトの最低限の号令で、華人形達はリリィのやることを理解した。

 

 溜息を吐き、眉をひそめ、唇を噛み締めながら。

 彼女達は言われた通りに動き、悪獣(マリス)に群がられながら地に落ちていく《聖娼(ファムルーナ)》を見守る。

 

 射手型(サジタリウス)に翼を射抜かれ、飛びついてきた強襲型(レオーネ)による侵食が始まっている。

 

 それでもリリィはとにかくロッテを目指して飛行を続ける。

 あと1秒、あと1秒。拡張魔導装甲に乗っていられる時間が長ければ長いほど、この作戦の成功率は高くなる。

 

 あと1秒。

 

 あと1秒。

 

 あと……。

 

 

「今までありがとう、《聖娼(ファムルーナ)》」

 

 

 

 その言葉と共に、《聖娼(ファムルーナ)》は青白い炎を吹き上げながら大爆発を引き起こす。

 

 魔力の収束の限界値に達し、支配下に置けなくなった魔力から連鎖的に誘爆。周囲一体の悪獣(マリス)を巻き込みながら、拡張魔導装甲は蒼の炎の中へと消えていく。

 

 大量の悪獣(マリス)が巻き込まれた。

 だが、《不壊(アダマス)》は未だ散華に至らない。そもそもいくら悪獣(マリス)を殺したところで散華は始まらない。

 

 だからこれは、道を切り開くための手段。

 

 

 爆煙の中から、小さな円柱が射出される。

 そしてその中から現れるのは。

 

 

『嘘、ですよね。本当にやるつもりなんですかあの方?』

『だがこれに賭けるしかない、か』

 

 

 小さな人影がその中から地面に飛び降り、五点着地を器用に使ってなんとか地面に降り立つ。

 

 明らかに足が折れて変な方向に曲がったが、数秒後にはそれが見間違いであったかのように立ち上がり、《不壊(アダマス)》の元へと走り出す。

 

 

『全華人形! リリィ・ファムルーナを《不壊(アダマス)》まで届けさせなさい! リリィごと殺す勢いで悪獣(マリス)を討ち滅ぼせ!』

 

 

 悪獣(マリス)犇めく戦場を、リリィはその身一つで走り出す。

 距離は600m程度。かなり近くまで飛んでこれたのは幸運だが、その距離にもかなりの数の悪獣(マリス)が居て、少しでも早く走る為に拳銃以外の武装を全て捨てたリリィを狙い近寄ってくる。

 

『ファムルーナさん。私、誰かだけを避けたりとか苦手なんで貴方の異能を信じますからね?』

 

 既に拡張魔導装甲を降りたリリィ、通信は届かない。

 だからその声は上空から拡声器を使って届けられた。

 

 超巨大拡張魔導装甲、《獣母(ティアマト)》の下部コンテナが開く。そしてそこから放たれるのはなんの比喩でもない()()()

 積載量が全ての華人形で最大であるからこそできる質量兵器、槍の雨。

 

 加速を以て降り注ぐ槍の雨は、掠めただけで悪獣(マリス)の肉を削ぎ落とし核を傷つける。

 隙間なく降り注ぐそれは当然リリィにも影響を与える、リリィは魔力による感覚強化で直撃だけは避けながら、破片や爆風で傷つく体を治癒で治して無理やり走り続けた。

 

 体力も魔力も限界を迎えて尚、文字通り脚がちぎれても走り続ける。

 

 その場にいる誰もがその行いを責めることなんて出来るわけが無い。

 たとえ拡張魔導装甲を一つ破壊したとしても、戦場を駆けるその華人形を助けることしかできない。作戦成功の為にはそれが最善だった。

 

 例え、その華人形の目的が作戦の成功じゃなかったとしても。

 

 弾丸が降り注ぎ、焦熱が吹き荒れ、血肉が飛ぶ。

 その600mをリリィは駆け抜けた。ロッテの異能によって生み出された硬質結晶の上を駆け上り、その上に立つ。

 

 背後から追ってくる悪獣(マリス)の事なんてまるで見えていないかのように。

 リリィはその場に蹲って、全身全霊を込めて硬質結晶に拳を叩きつけた。

 

 

「ロッテ。会いに来たよ」

 

 

 硬質結晶に穴が開き、その中にリリィが落ちていく。

 悪獣(マリス)がその後を追おうと殺到するが、その前に穴は閉じて入口がなくなる。

 

 

「……遅かったじゃん、リリィ」

「悪いな。これでも全力で走ってきたんだが」

 

 

 お互い息も絶え絶えで、死人のように青い血相だった。

 魔力の過剰使用に拡張魔導装甲の長期使用による精神の負担。意識を保つことさえ苦しい中でも、お互いの顔を見て2人は思わず笑顔を浮かべ。

 

「それじゃあ、できるだけ苦しまずに頼むよ」

「任せな。銃の腕にだけは自信があるんだよ」

 

 

 リリィ・ファムルーナは、ロッテ・アダマスの額に銃を向けた。

 

 

 

 

 

 

 



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19.散華

 

 

 

 なんの為にここまで頑張ってきたんだろう、と思わなくもない。

 

 本当に死ぬかと思ったし、きっとそれはみんなも同じ。

 そうやって命を懸けて頑張った結果が、仲間をこの手で撃ち殺す今この瞬間なんだとしたら、こんな世界は間違っていると本気で思う。

 

 努力が報われないのは当然のことだけど、間違っている。

 そういう間違いが起きないように世界は良くなっていくべきなのに、(わたし)達はいつも弱くて、何かを間違えてしまう。

 

 そういうものが積み重なっていくのならば。

 

 

「ロッテ」

「なに? 普通に銃を向けられるのは怖いからさ、早くやって欲しいんだけど──────」

「一緒にさ、逃げちゃわない?」

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「今更……今更そんなこと言っても遅いでしょ! それならもっと早く言ってよ!」

 

 ロッテの胸に湧いてきたのは、怒りではなかった。

 

 嬉しかった。

 あのリリィが、何もかも投げ捨ててそんな自分勝手なセリフを言ってくれたことが。その相手が自分であることが嬉しくて堪らなくて。

 

 そんな歪んだ喜びを抱いた自分があんまりにも醜くて、喉から飛び出したのは怒声だった。

 

「もっと早く諦めてれば、投げ捨ててれば! こんなに苦しい思いなんてしなかった……何もかも終わって、楽になれたのに……」

「……ごめん」

「なんで、なんでリリィが謝るんだよ……悪いのは全部敵じゃんかよぉ……」

 

 自分達が幸せになれない理由は、個人に存在するものでは無い。

 それなら世界は一人の努力で救えてしまう。逆に、一人の絶望で世界を閉じてしまうことも出来る。そうでないから誰もが苦しんでいるのだから。

 

「きっと、何も語らず引き金を引けば、ロッテは苦しまずに死ねた。自分の仕事に満足して死ねた。でも、(わたし)にはそれは出来なかった」

 

 ここの語らいになんの意味もない。

 今からどれだけ語っても、リリィはロッテを殺して散華を実行させる。この場の2人の意思がそれ以外に傾くことは無い。

 

「だって、ここでロッテを撃ち殺したら、ロッテはきっと死んで良かったって、そう思いながら死んでいくことになる。そんなの……()()()()から」

 

 許せない、という言葉がリリィの口から零れたのを、ロッテは心底意外に思った。

 だって、その言葉は華人形らしくない。他人の痛みと苦しみに寄り添う自分達が、他人の幸福に大してそんな言葉を送るなんて。

 

(わたし)は、死んで欲しくなんかない。これ以外なくて、これしかなくて、どうしようもなくても、こんなのが正解だったなんて、認めたくない。何もかも終わってたとえロッテが望んだような平和が訪れても、ロッテの犠牲を『正しかった』なんて肯定して作られる平和が、正しくなんてあるものか!」

 

 リリィの瞳から大粒の涙がポロポロと零れ落ちる。

 必死に抑えようとして顔を歪めるが、そんなこと関係なしに涙は頬を伝い、床に落ちていく。

 

「……子供みたい」

「昔を思い出してな。あの時泣かなかった分、今泣いておこうと思ったんだ」

 

 強がりまで子供みたいで、本当にあの頃のリリィを見ているようだった。

 本当に全部を幸せにできると、本気で思い込んでいたあの頃。そう出来ない自分には価値が無いと本気で思っていそうだったあの頃。

 

 リリィも、ネムも、ロッテも、あの頃から随分と変わってしまった。

 でも変わらないものだってあったみたいだ。リリィが馬鹿で、優しくて、諦められない奴だって事のように。

 

 

「───もう一回くらい、みんなで遊んでおきたかったかも」

 

 

 この子はきっと、自分を許せない。

 自分達がどれだけ許したとしても、きっと自分を許さない。

 

 だからこの道を選んだんだろう。

 

「妹達にもみんなで名付けとかしてみたかったな。あとさ、時間が巻き戻るなら訓練とかせずに、ずっとみんなで遊んだりもしたかった。海を見に行きたかった、何も考えずみんなで空を飛んでみたかった、普通の女の子みたいに、着飾ってみたかった」

 

 一度心の堰を開けてしまえば、自分で思っていたよりも沢山の未練が口から溢れていく。

 一つ口にする度に、決意が揺らぐ。だからこそ胸の奥に封じこめていた。これと向き合ってしまえば、決意が揺らぐ。こうすることが最善だって思い込んだこの気持ちが嘘になる。死にたくないという思いが止められなくなる。

 

 このままじゃ、不幸のままに死んでいく。

 死にたくないって脅えながら、涙で顔をぐちゃぐちゃにして死ぬことになる。

 

「もっと、みんなと一緒に、生きていたいよ……」

 

 でもこれが本当のアタシだった。

 強がって、カッコつけて、それでもアタシはリリィやネムみたいにはなれない。かっこよくなりたかったけど強くはなりたくない、そんな華人形、それがアタシ。

 

「忘れないよ。ロッテが優しかったこと、臆病だったこと、それでも戦い続けたこと。忘れない。絶対に忘れない。ロッテが、死にたくなんてなかったこと」

「……そうだね。アタシは死にたくないんだ。それなのに、これから死ぬ。それはきっと、とても不幸なこと。これで満足なんてできるわけが無い」

 

 悪獣(マリス)の侵食が進んできている。

 ロッテに残された時間はもう少ない。ゆっくりと目を閉じて、少しでも銃を向けられる恐怖から彼女は逃げようとした。

 

 それでも怖かった。

 体が震えて、涙が溢れてしまう。色々な思い出が蘇って、心の底から死にたくないと思ってしまう。

 

 ──────それでも、その想いが本物だったんだ。

 死にたくない。けれど、皆にはこんな想いは味わって欲しくない。どうにか幸せになって欲しい。

 生きて、生きて、生きて、自分が届かなかった場所に、辿り着いて欲しい。

 

「連れてってくれるんだね、リリィ」

「分からない。でも、(わたし)は忘れない」

「ありがとう。最後に、アタシをアタシで居させてくれて」

 

 そうして辿り着いた場所に、自分は存在しないと思っていた。

 全てを押し殺して、皆に託して、そうして幸せだったと思って消えていく。

 

 でも今この最後に、リリィが本当のアタシを覚えていてくれると約束してくれた。

 

 死ぬ時に満足して死ぬことと、まだ死にたくないと後悔して死ぬことはどっちが幸せなんだろうか。

 

 答えなんて出ないと思う。

 けれど、アタシは幸せなんだと思う。だってリリィは絶対に忘れない。アタシが弱いくせに見栄っ張りだったことを、そういう性格の幼馴染だったことを忘れずに、ずっと生きてくれる。

 

 捨てた選択肢と比較することは出来ない。

 でも、アタシはこれで良かったと思う。だって、死にたくないと思えることがこんなにも悲しくて、こんなにも満たされるなんて。

 

 

 

 

「大好きだよ。幸せになってね」

「さようなら、ロッテ」

 

 

 

 

 

 

 銃声が轟き、一つの命が散る。

 死と同時に、華人形の肉体は魔力の粒子となって解けるように世界から消えていく。同時に、拡張魔道装甲から汽笛のような、悲鳴のような駆動音が鳴り響く。

 

 制御を失った大量の魔力と、消えゆく異能が結び付いて起きる超常現象。

 

 

 散華が、始まった。

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

『散華確認! 予測より硬質結晶の発生は四割増、周囲の悪獣(マリス)は三割が衝撃で消滅しました!』

 

『結界の範囲の変更を開始! これより148秒、第一結界が消滅する! 各員この148秒を死ぬ気で防衛しろ! そうすれば勝利だ!』

 

 

 頭の中に声が響いてくる。

 拡張魔導装甲との接続は切ってあるのに、何故か通信回線が繋がっている。

 

 不思議だが、悪いことばかりではない。

 どうやらロッテの散華は成功し、今現在外では結界の範囲変更が行われている。これさえ行えれば人類の勝ち、初めて悪獣(マリス)から領土を取り戻す歴史的快挙が成し遂げられる。

 

「最後まで、世話になっちゃったなぁ……」

 

 本当ならこのコクピットは散華の衝撃で消し飛ぶはずだったのに、こうして(わたし)が生きているのは、ロッテが最期の最期に上手く調整してくれたからに他ならない。

 

 死ぬつもりはなかったから、全力で防御するつもりだったが多分それでも死ぬか瀕死になっていたのでありがたいと言うしかない。

 

 既に肉体が霧散し、誰も居なくなったコクピットに腰をかける。

 僅かに残った熱も、ゆっくりと消えていく。それが寂しくて、少しでもその温もりを感じようとすればするほど、(わたし)の体温がその熱をかき消していく。

 

 本当に、これでよかったんだろうか。

 ロッテが自分を押し殺して死んでいくのを許せなかった。ロッテが何を思って戦い、死んでいったのかを忘れたくなかった。

 

 それは全て(わたし)のエゴ。

 そうすることで自分が幸せになれるからと選んだ結果だ。

 

 押し殺して、満足して死ぬほうがロッテにとっては幸せだったかもしれない。わかっていても我慢できなかった。ロッテの想いだけでも未来に持っていかないと、(わたし)が辛くて泣いてしまいそうだったから。

 

 

『リミッター解除! もう後先考えるな!』

 

『どの道結界内に悪獣(マリス)は残すべきじゃないんです。もう出し尽くしますよ』

 

『拝承。広域音波兵器の使用を申請! 他華人形、振動障壁の展開を推奨!』

 

 

 多分、この戦いは人類が勝つ。

 ここまでやったんだから勝って貰わないと困るし、もしも負けたら(わたし)が人類を滅ぼしてやる。

 

 勝ったとしても、ロッテの犠牲が正しいものであってはならない。

 犠牲はいつかそんな道を選ばなくていいように、それでもそのいつかを守る為に在る。それを選んだことを(わたし)達は永遠に悔いなければならない。

 

 そういう未来を作れるように、(わたし)は彼女のことを忘れない。

 

 大きく大きく、息を吸い込む。

 世界に解けてしまった彼女を探すように世界を吸い込み、吐き出す。

 

 拡張魔導装甲を失って、魔力も体ももう限界。コクピットに座り込んでしまったら急に意識が朦朧としてきた。

 こんなところで寝たらロッテに怒られる気しかしないけれど、さすがに意識が限界だ。

 

 

『もうちょっとだけ頑張れる? リリィ』

 

「限界だって、言ってるんだけどなぁ……」

 

 

 体を動かそうとする。

 けれどピクリとも動かない。指先の感覚が凍傷にでもなったかのようにじんわりと広がり、霧散してしまう。

 

 ……あぁ、そうか。

 

 それなら、仕方がない。

 もう少しだけ頑張るのは、義務というものだろう。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 ロッテの『散華』の効果は想像以上の物だった。

 

 ネムの視線の遥か先には、硬質結晶が地面からせり上がって出来た『壁』があった。

 悪獣(マリス)の多くは飛行能力を持たない。破壊できないロッテの硬質結晶を前にしては迂回せざるを得ないだろうが、その範囲が全長数kmともなれば迂回するのにも一苦労。

 

 新しく侵攻してくる悪獣(マリス)の数が著しく減ったおかげで、殲滅は非常に効率よく進んだ。

 各地の防衛も滞りなく進み、これまでのギリギリの戦闘が嘘であるかのように、148秒はあっという間に過ぎていった。

 

『ネム───ちょっとネム! 聞こえてる!? もう結界は再展開終わった! 悪獣(マリス)の残りも残存戦力でどうにでもなる数でしかないから、もう休んでいいって!』

「……あ、そう、なの? 終わった、の?」

 

 終わった、おわった。

 作戦終了は新第一結界内の悪獣(マリス)の一次掃討を以てしてだろうが、少なくとももう勝利は揺るぎない。

 

 現在の第一結界の脆弱点はロッテが生み出した硬質結晶の壁に沿うように貼られており、悪獣(マリス)は侵入することが出来ない。

 

『というかこれ以上動いたら死ぬからもう動くな! とりあえず色々いいたい事はあるけど、今は聞くのもしんどいでしょうから一つだけ。……お疲れ様、ネム』

 

 リリィはどうなったんだろう、ロッテは……『散華』が起きたのだから、確認しなくてもわかる。

 

 ロッテが散華したということは、やはりリリィが殺したのだろうか。

 ネムの口の中に血の味が広がる。それが逆流してきた吐血なのか、噛み締めた唇を噛みきった血なのかも判断が付かない。

 

 なんとか生きていたセンサーからの視覚情報では、巨大な『樹』のような形になった硬質結晶の根元に埋もれる形で、ロッテの乗機であった《不壊(アダマス)》の一部が見えている。

 

 あの結晶の発生点がコクピットであるならば、その中に居たであろうリリィは……。

 

「……勝ったんだ。勝ったんだから、笑わないと」

 

 望んだはずの勝利。

 たとえこれしかなくても、いつかこれ以外の道が選べて。いつか悪獣(マリス)に勝つ為ならと受け入れたはずなのに。

 

 上手く笑うことが出来ない。自分がどんな顔をしているかも分からない。必死にセンサーを稼働させて、もう居ないはずの幼馴染の痕跡を探す。

 

 センサーで捉えられなくても、どこかに居るかもしれない。居て欲しいと縋り付くように、ネムは全神経を使って幼馴染を探そうと……。

 

 

 

 その過程で、ネムの第六感が何か、氷柱のような冷たく鋭いモノを感じ取った。

 

 

「……ナハト。周囲に特異個体の反応は?」

『無いけど……まさか、目視で確認した!?』

「いや、そうじゃないんだけど……」

 

 

 人類の開発した魔力探知は優秀だ。

 かなり遠方でも悪獣(マリス)の凡その数と位置は把握出来るし、今の有効範囲ならば結界のかなり外までも探知できる。

 

 特異個体はその強力さの代わりに魔力の反応も大きい。

 小さな個体だったり、隠密性に優れた個体もいなくは無いが、その警戒は十分にされている。

 

 だからこの嫌な予感は杞憂であると判断した。

 

 

 

 

 

 

 

 同時に、魔弾が放たれる。

 

 新第一結界の外側、視界、魔力探知共に範囲外であるその位置から結界越しにネムの姿を捉えた何者かの攻撃。

 

 全長数百mはくだらない巨体。

 その全ての身体構造を『狙撃』に費やした、もはや生物と呼ぶことすら疑わしい『砲台』とも呼ぶべき巨大な悪獣(マリス)

 

 

『ッ、何この反応……! ネム、避け───』

「え……」

 

 

 超高速で放たれた魔力放射は結界を貫通し、一直線にコクピットのネムを寸分違わず捉えていた。

 予期せぬ一撃にネムは拡張魔導装甲を動かすことすら考えられなかった。それよりも早く攻撃がコクピットを穿ち、ネムの存在を焼き払う。

 

 

 ───そのはず、だったのだ。

 

 

 

「───……あれ、私……?」

 

 絶対に助からないと本能で理解していたはずなのに、ネムは自分がまだしんでいない事実に驚きながら、状況を確認する。

 

 避けられない、防げない一撃だった。

 探知範囲外からの結界を貫通する超高威力狙撃。そんなもの、誰も予測なんて出来ていなかった。

 

 結界の空いた穴は小さいものならすぐさま塞がるが、それでも貫通していたならばネムは今の一撃で死んでいなければおかしい。

 

 ではなぜ、ネムは生きているんだろうか。

 

 その答えは、彼女の目の前に立ち塞がるように存在する、一機の拡張魔導装甲にあった。

 

 硬質結晶を盾のように展開して、結界を貫通するほどの一撃にも耐えられる拡張魔導装甲は、それが出来る華人形は1人しかいない。

 

 機体コードは《不壊(アダマス)》。搭乗している華人形の名前は──────。

 

 

「……ロッテ?」

『いや、違うよ』

 

 

 帰ってきたのは聞きなれた、けれど予想外の声。

 

 

『狙撃地点の特定完了……こんな遠距離から!? 該当特異個体は高速で後退を開始! 魔力の上昇も感じられない為撤退と思われます!』

 

 

 その通信を聞いて安堵したのか、《不壊(アダマス)》はその場に崩れ落ちる。

 

 硬質結晶と半ば同化していた機体をちぎって無理やり動き、今の狙撃の盾となったのだ。幾らその異能である硬質結晶は破壊できないという特性があろうが、機体本体は衝撃で破壊され尽くしている。

 

 沈黙したその機体に、ネムは通信を試みる。

 

「なんなのよ。なんで、いつも私を置いて、ほんとさぁ……」

『…………ごめん、もう、意識が切れる』

「ロッテは、なんて言ってた?」

『幸せに、なって。だって』

 

 通信が終了し、一人になったコクピットでネムは全ての回線切った。

 

 それから、もう泣かないと決めていたのに我慢出来ず、子供みたいに泣きじゃくった。

 

 

 

 

 

 

 西国歴113年。

 この日、人類は初めて悪獣(マリス)に勝利した。

 

 戦死者及び負傷者数は現在不明。

 喪失拡張魔導装甲は1機。

 

 未帰還華人形、1名。

 

 

 

 

 

 



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