戰國ぢあぼろす (ひねもす@HAMELN)
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SengokD.1563/001.hmos

NIPPON!

 

仄白く輝く水平線に、島影が現れた。

水兵たちが忙しなく駆け回る。

航海士が、あれこそは我々の目指すべき港であると断言する。

 

我々は聖マリヤへの祈りを捧げるが、今日に限っては、並んでくれる者さえ、ごく僅かだ。

ミゲルは昨年もこの港へ来航している。すぐに上陸できるはずだと請け合うので、支度を急ぐことにした。

 

陽が昇る。暑くなりそうだ。

まぶしい日射しを左手で遮りながら、前方を見つめる。

湾の入口に、浮島がひとつ。その頂上に、白い十字架。

それを見て、やっと船員がひとり残らず十字を切り、順風に恵まれた今度の航海に感謝を捧げた。

 

小舟が、こちらへ向かってきた。

十字の旗を、たなびかせている。

誘導に従う。投錨し、下船の準備に入る。

私たち宣教師は、いち早く出迎えの小舟へ乗り込み、上陸させてもらった。

 

浜辺で、大勢の原住民に出迎えられる。

未だかつて、どこの国でも味わったことのない歓迎ぶりだ。

丘の上の教会へ、時間をかけて辿りつく。

パードレ・コスモ・トルレスとの、16年ぶりの対面だった。

 

噂には聞いていたが、あまりの変わりように、言葉を失った。

鋭い眼光。ひきしまった体つき。どれほどの受難が、人をここまで逞しくさせるものであろうか。

イルマン・ジョアン・フェルナンデスにも、昔の面影はなかった。

彼の隣に立てば、私は格下の後輩にしか見えない。

似つかわしくないパードレの制服を着ている自分を、ひそかに恥じた。

 

「パードレ・ジョワンニ・バティスタ・モンテ以下3名、第四次日本派遣宣教団、本日をもって着任いたします」

 

教会には、ひとめでこの国の貴人と見られる成人が5名、そして幼児から少年までの子供たちが20名ほどいて、授業を受けていた。

我々は挨拶もそこそこに、早速その手伝いを命じられる。

手伝いといっても、日本語がわからないので大したことはできない。

講師をつとめる日本人がポルトガル語を話せるので、それを補助する。

神学的な質問がなされた際には、我々がポルトガル語またはラテン語で回答してよい。

 

ほんの数時間だけで、驚かされることは尽きなかった。

しかし、まだ言葉にできる自信がない。日本人の不思議さは、後日、個別に整理しながら、述べることにしよう。

三時課の祈りと、昼食。やっと、緊張のほぐれる時間を得られた。

 

食事は、予期していた通り。コメと、草を煮たもの。そして、汁だった。

我々は箸の使い方をアマカウでしっかり覚えてきた。トルレスにもフェルナンデスにも、日本人にも褒められて、嬉しかった。

 

午後の授業は、普段よりも早めに切り上げたのだという。我々も緊張と疲労が辛かったので、ありがたかった。

生徒たちはめいめい、帰っていく。

子供たちの何人かは、この教会兼住院で暮らしている。その子たちは、夕食の支度や掃除を始めた。

てきぱきと、授業と同じくらい熱心に取り組むその姿は、いざこの目で見ると、やはり驚嘆せざるをえないものだった。

 

フェルナンデスに、教会周辺を案内してもらう。

丘のもう少し高い場所に湧き水があり、その傍にも大きな十字架が建っている。

入江では船員たちが早速商売の準備を始めているのが見える。小舟がひしめき合っている。

この港は昨年開かれたばかりで、今は何もない漁村だが、十年もすれば、目をみはる商業都市になるだろう。

 

「湾の入口から見て右手、我々の教会があるこちら側には、200戸ほどの家がある。領主が教会用地を提供してくれるにあたり、この集落の全員に改宗を命じた。だからこちら側の住民は味方なので、ある程度自由に散策するのはよい。ただし、最低一人は日本人の案内をつけて出歩くこと。

日本人といっても、教会に住み込んでいる子供たちの大半は案内役として不適格だ。では誰なら大丈夫かという判断も難しいと思うので、パードレ・トルレスか私に相談してもらえるといいかもしれない」

 

……安全な土地とはいえない、ということかね?と、パードレ・モンテが尋ねた。

 

「そうだ。湾を境に東側の村には邪宗徒しかいない。坊主たちのみならず住民すべてが、私たちを激しく憎悪している。踏み込んだら無事ではすまない。西側の集落も、去年までは同じだった。私たちは一年かけて、ここの人たちを導いてきたばかりだ。まだまだ時間はかかる。しかし、あなたたちの来てくれたおかげで、この土地──ノッサ・スニョラ・ダ・アジュダ全体に福音をゆきわたらせる日は、そう遠くないだろう」

 

モンテと私、それからイルマン・ゴンサルヴェスは、思わず顔を見合わせた。

フェルナンデスの言葉に、我々を怨む感情は微塵も見てとれない。

しかし前回の派遣団からは実に8年もの空白が生じたのだ。

かれらがどんな思いで我々を待ちわびたか。数々の戦禍をくぐり抜けながら、ここに布教拠点を築き上げるに至ったか。

それを思うと、実にいたたまれない気持にさせられた。

 

我々は、九時課の前に教会へ戻ってきた。

これから夕暮れにかけて、漁に出たり畑を耕していた大人たちがやってきて、説教を聴き、勉強をするという。

日中とは雰囲気も変わるし、より疲れることになるだろうと言われた。

その言葉はまったく、その通りだった。

 

くたびれ果てて、一日が終わった。

終課の祈りで、やっと、エウロパの言葉だけが交わされるひとときに、身を浸せた。

 

日本語はたしかに難しいと思う。単語も文節も、切れ目がよくわからない。

パードレ・トルレスは、すっかりあきらめてしまったようだ。

王の家臣たちが使う日本語と、村に住む漁民たちの日本語は、まったく異なる。しかも、貴人に対して衆民が適切でない日本語を用いた場合、貴人は相手をその場で殺すことが認められている。

そう聞かされては、日本語を覚えようとすること自体に躊躇が生まれるのも、やむをえないかもしれない。

一方で、フェルナンデスは、相当に日本語を修得している。

辞典と文法書をつくる作業に、これからは少し時間を割けるかもしれないと言われて、私は再び申し訳ない気持になった。

 

日本人は、椅子も寝台も使わない。

家の外で靴を脱ぎ、裸足になって、タタミと呼ばれる床の上に直接座る。

腕を組むように足を曲げる、独特の座り方をする。

夜はこの床の上で寝るのだが、備え付けの収納室からゴザを取り出し、タタミの上に敷いて、横臥する。

毎日、出して、しまう。

掃除がゆき届いているので不潔ではないが、慣れるまでは抵抗があるだろう。

 

日本に対しては、絶賛する人と、唾棄する人が、極端に二分される。

ありとあらゆる習慣が、エウロパの常識と異なるせいだと思う。

それを私は、この目でたしかめたかった。

たしかめて、悪くないよ、と思った。

 

今年で31歳。故郷を離れて、人生の半分を異国で過ごしてきたことになる。

そして、ついに、世界の最涯てまでたどりついたのだ。

私の名は、ルイス・フロイス。

地上でもっとも無用で価値無き、一介の下僕にすぎないが。

栄えあるマルチルとなるため、このニッポンへやってきた。

 



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SengokD.1563/002.hmos

SengokD.1563/002.hmos

 

4日後の月曜日、アルメイダが到着した。

 

イルマン・ルイス・デ・アルメイダ。

9年前、我らコンパニヤの一員となった。

以来、日本布教において欠くべからざる、重要な存在である。

商人だった頃から名を轟かせていたが、その才覚は、宣教にも遺憾なく発揮されてきた。

 

私とは初対面だが、眼光の鋭さと精悍な肉体、寸暇を惜しんで動き回る姿と頭脳の明晰さは、ソロモン王もかくやと思わされる。

言い過ぎか。

アルメイダもまた、日本での生活で、ここまで鍛えられたのであろうか。

 

定航船は3隻、ぶじ入港している。

ここまで順風に恵まれたことは、ランパカウが拠点だった頃からも、ついぞ無いことだと、船員たちが口々に言う。

宣教団のおかげ?

ちがう、ちがいますよ。御父、御子と聖霊たちのお導きゆえです。

感謝しましょう。ともに。

 

フィラド、ファカタ、サカイなどから続々と商人が集まってきているが、まだ商売は始まらない。

領主の承認を得て、役人の采配のもとに、市は開かれる。

その仲介をつとめるのがアルメイダで、彼にしかできない仕事だ。何人かの日本人従僕を引き連れ、きびきびと指示を出している。

ここでの収益が、コンパニヤの活動資金としても、きわめて重要な意味を持つ。

 

本来、聖職者である我々にとって、世俗の商売に手を出すことは禁じられた行為だ。しかし日本布教区においては特別に認められている。

一年に一回、ごく限られた時期にしか船は来られないし、帰れない。

アマカウから日本まで通常は3~4週間かかる。途中で暴風雨につかまれば、ポルトガルで造られた大型のナウですらマストをへし折られ、海の藻屑となる。

これまでにも、多くの船が日本近海で沈んだ。

人命、財産、貴重な書翰や報告書が、そのたびに失われた。

 

ポルトガル王室の給付金だけに頼ることは、甚だ不確実性が高いのだ。

そのため日本では、交易への介入と資産の貯蓄運用が、制限つきとはいえ公式に認められるに至った。

全土で戦乱が続いている実情も鑑みて、余剰の利益はアマカウの組合にも預金している。

やむにやまれぬ処置ではあるのだが、ここから、かつては稀代の資産家だったアルメイダがいささか図に乗りすぎているなどという批判や中傷も出てきてしまう。

 

私の日本派遣が決まる直前まで、ゴアでは、日本に対して悪い印象が主流だった。

 

今から8年前に渡日した、インディア管区副管区長パードレ・ベルシヨール・ヌーネス・バレトが、大の日本嫌いになって帰国して以来、かつての日本讃歌は、鳴りをひそめた。

私にとっての日本とは、今でも、メステレ・フランシスコが烈しい熱量で讃美した日本だ。だから、残念でならなかった。

 

メステレ・フランシスコ・デ・シャヴィエル。

偉大なる、我らがコンパニヤ創立者のひとりにして、日本の発見者。

メステレのアニマが御主のみもとへ旅立たれたのは、12年前。

その年の春、私はゴアでメステレの講演を聴いた。

あの日からずっと、日本へ来ることを、一途に夢見て過ごしてきたんだ。

 

パードレ・ヌーネスは渡日に際し、商人だったメンデス・ピントという男をイルマンにして、連れていった。

ピントは当時誰よりも日本語をよく知っていた。ヌーネスは通訳も交渉も全部、彼に頼った。

ピントは大ボラを吹くのが得意なお調子者で、商売の勘も鋭かった。最後となる日本への旅で、ヌーネスも日本人も手玉にとって、巨額の利益を懐に収め、ゴアへ戻った。その時はもうコンパニヤを脱会していて、逃げるようにポルトガルへ帰国。あとから船員たちの噂で、悪魔の手先だったことが明らかとなる。

だが、ヌーネスへは誰も怖くて伝えてないはずだ。ゴアでは一方的に、日本に対しての悪口ばかりが吹き荒れた。

 

パードレ・ヌーネスが、あのとき間違った人選をしていなければ、その後8年も日本布教が放置状態におかれるような事態にはならなかったのではないか。

今更だが、そう思わずにはいられない。

 



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SengokD.1563/003.hmos

SengokD.1563/003.hmos

 

日本人には、天性の素質がある。

 

もちろん、創造主デウスがそのようにかれらを創りたもうたからである。

それにしても学習能力の異様な高さと、集中力、忍耐力。汲めども尽きぬ好奇心。慎み深さ。あらゆる点でかれらは、エウロパ人を遙かにしのぐ。

言い過ぎか?

 

1500年にわたり、この黄金郷は世界に知られず、福音をもたらす使徒も訪れることができなかった。

御主も、大航海時代の最後に、とんだ御褒美を準備されておかれたものだ。

 

1000年前、この黄金郷に悪魔がやってきた。

悪魔はたちまち、純真無垢な原住民に邪宗を吹き込んだ。

その疫病はかれらのアニマをインヘルノへと突き落とし、何十世代にもわたって文化と習俗をねじ曲げさせた。

気高き人間となるべき子羊が、悪食で愚鈍な豚へと家畜化されてしまった。

御主も、とんだ試練を我々のために準備されておかれたものだ。

 

一週間で、私は100人近くに洗礼を授けた。多くは子供たちだ。

日本人従僕たちに通訳をしてもらいながら、ラテン語で秘蹟を行う。

信徒にしてよいか否かは最終的にパードレ・トルレスの判断を仰ぐ。

パードレ・トルレスは今年の初めに足を挫き、杖を使わねば立っていられないため、司式するのが困難だ。

フェルナンデスも、忙しい。

ようやくやって来た私たちには、やるべき仕事が、汲めども尽きぬほどあった。

 

秘蹟といえば、コンヒサンも、大いなる課題だ。

ミサや葬儀は、ラテン語でもなんとかなる。結婚については別の問題があるが、複雑すぎるので今は触れまい。

コンヒサン。こればかりは、日本語が理解できない限り、なんともならない。通訳を介すわけにはいかない。

しかし火急に必要なことなのである。

現状、アウグスティヌスやパウロら優秀な日本人少年たちに、まかせっきりにしている。

かれらの能力を超える内容であれば、フェルナンデスが呼ばれる。

 

イルマン・フェルナンデスにのしかかる重責は、こうして際限なく膨れあがっていく。

どうにかできないものか。

私も、早く日本語を修得しなければならない。

私には日本人並みの学習能力・集中力・忍耐力は到底、備わっていない。そのことが、うらめしい。

 

主日は、そんな私たちにも、ひとときの安息を与えてくれる。

来日して2度目のドミンゴ。私は信徒の家に招待され、数名の通訳を連れて訪問した。

多くの刺激を受けた。

 

主日には、村の様子が一変する。

西集落の畑からは人影がなくなる。一方、東集落では日の出から日没まで、人の姿の絶えることがない。

日本人は、休むということを知らなかったのだ。

雨の日と、冬の雪に埋もれる季節以外は、ただひたすら寸暇を惜しんで働きつづける。

これもまた、悪魔の広めた家畜化の最たるものと、我々の目には映る。

 

招待主の家族は皆、敬虔で、アブラハムのように幸福な家庭を築いていた。

コンヒサンというほどではない質問を、たくさん受けた。

かれらは信仰について、どこまでも真剣に考えようとしてくれている。

 

なぜ御主は、1500年も日本人を無視しつづけていたのか?

自分たちのアニマがパライゾの門をくぐるには、一体どれほどの善行を、残された余生のうちに積まねばならないのか?

そして、悪魔の囁きに立ち向かい、邪宗徒を改心させるためには、何が必要なのだろうか?

 

汲めども尽きぬ無限の迷いと、かれらは日々たたかっているのだった。

私は答える。

 

御主は、すべてを見透しておられる。

決してあなたがたを無視などされていない。

ただ、我々宣教師の力が足りなかったばかりに、日本へ来るのがこんなにも遅れてしまったことは、カウトリカを代表して、申し訳なく思っている。

モーロ人との戦争が終わり、イエズスのコンパニヤが設立されて、16世紀も半ばになってやっと、私たちは世界の涯てまで到達することができた。

それもまた、永い闘いであったことはどうか理解してほしい。

 

むしろ御主は私たち人間に、決して、克服できない障害はお与えにならない。

同じく全ての信徒は、各々が持てる能力を超えて奉仕することを、求められるものではない。

余生がどれだけあろうとも、御主があなたのアニマをみもとに呼ばれるそのときまで、日々祈り、戒律を守り、よく働きよく休み、支えあい与えあって生きていさえすれば、それでじゅうぶんなのである。

 

悪魔は、今はまだ我々より数も多いし、手強い。しかし最後には滅び去る。

急いではいけない。かれらの罠にのせられて、躓いてもいけない。

正しく生きていさえすれば、おのずから、風は良い方向から吹いてくる。

それだけでいい。それだけのことなのだ。

私たちは、それだけを伝えるために、はるばる、ここまでやってきました。

 

信徒の家を見て、気になったことがある。

黒い斑点が、そこかしこに。

血痕だ。

玄関口、靴を脱ぐところと、その周辺に特に多い。

教会と、同じものだった。

 

丘の上の教会は、去年、新築されたばかりだ。掃除もこまめにされている。

だが、主に入口付近で、こびりついた汚れを見つけた。

なんとなくだが、気になっていた。

今日、信徒の家で、同じような斑点を見ているうち、これは血飛沫のあとではないかと気付いた。

日本では、絶え間なく内戦が続いている。

メステレ・フランシスコが訪れたときも、首都ミヤコへ辿りついたものの一面の廃墟だったため、大王に会うこともできず、引き返してきたという。

 

ミヤコを中心とした66地方の領国が、互いに戦争をくりひろげている。

できすぎじゃありませんか御主。いくらなんでも。

もちろん、兵士どうしの争う本格的な戦闘なら、あの程度の血飛沫ではすむまい。

貴人が衆人に、カタナで斬りつけたのか?その場で。

ありえるかな。そう考えたりしていたものの、誰にも聞く勇気はなかった。

というより、毎日が忙しくてそんな会話など、する余裕もなかった。

だが、あちこちで同じ血痕を目にするとなると、これが日本の日常なのかもしれないと思ったのだ。

 

折を見て、フェルナンデスに聞いてみようか。

いったい、何が起きたのか。

私たちの聖なる美しい教界で。

 



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SengokD.1563/004.hmos

SengokD.1563/004.hmos

 

日本は、大きめの島3つと、無数の小島から成る。

すべての面積を合わせるとポルトガル本土より大きくなるという説もある。

 

私たちはシモ島のノッサ・スニョラ・ダ・アジュダという港町にいる。オオムラ領に属する。

オオムラ領はヒゼン国の一部である。ヒゼン国を含む9つの領国によって、シモ島は構成される。

 

シモ島より10レグワほど海を隔てた東には、その半分ほどの大きさの島が浮かぶ。この島は、イヨと呼ばれる。4つの領国に分割されている。

 

シモ島、イヨ島より北東には、最大の島、カミが横たわる。

66領国の大半はカミ島に含まれる。

その中央に位置する首都ミヤコは、ノッサ・スニョラ・ダ・アジュダからは150レグワほどの距離である。内海で海賊に出会わなければ、約2週間で着けるとされる。

この内海は波静かだが、水深が浅く小島が多いため、ナウやガレオンでは航行できない。

パードレ・ガスパル・ヴィレラが5年前からミヤコに駐在しており、孤独な戦いに身を投じている。

 

ポルトガル人が日本航路を発見し、定航船を往復させるようになったのは、15年ほど前だ。

ポルトガル王国は、ゴアを拠点にして、インディア管区を西から東へ向け開拓してきた。

エスパニヤ連合王国は、エウロパから西へ向けて遠征している。

世界を二分する両王国は、地球の反対側を境界線とする旨の条約を、前世紀に結んだ。

ポルトガルの勢力範囲では、ひとまず日本が世界の涯てだ。そう設定しているわけだ。

もちろんその気になれば、我々はもっともっと、どこまでも先へ行くことができる。

東回りにポルトガルへ凱旋することだって、じゅうぶんに可能だ。条約を尊重するから、やらないだけで。

 

パードレ・モンテは、シモの東端、ブンゴ国へ派遣された。先日、イルマン・アルメイダと共に旅立った。

商人と共に各地からの使者が次々と現れ、パードレが3人もいるのなら1人よこしてもらいたいと懇請を繰り返していた。これに応えたのだ。

我々も心細いが、日本人信徒だけで教会を維持するのがもっと困難なことは、理解できる。

パードレ・トルレスは足が治るまで動けないだろうから、私も近いうち、どこかへ派遣されることになると思う。

日本人への適切な対応と、日本語の習熟を、一日も早く磨き上げねばならない。

覚悟をしていたとはいえ、いざ目前に迫ってくると、猛烈な不安で胃が痛くなる。

 

パードレ・トルレスより、日本各地における布教の実情を聞いた。

15年前、メステレと共に来日したパードレたちは、上陸地であるシモ島南端サツマ国カゴシマで布教を開始した。

しかし言葉の壁もあり、成果は芳しくなかった。

何箇月か過ごすうち、ヒゼン国フィラド島領主より招待状が届く。

フィラドは有名な商業港で、外国人にも慣れていた。メステレ一行は、カゴシマより移住した。

フィラドの印象は悪くはなかったという。定航船団も、翌年からはフィラドへ寄港させる方向で話が進んだ。

 

その翌年、カミ島のスオ国アマングチ領からも招待される。

アマングチの王はどこよりもコンパニヤに理解を示し、教会用地まで無償で提供してくれた。

2年目の暮れには、アマングチを日本布教の橋頭堡とする決定が下され、全員がフィラドより移住する。

日本の政情への理解が進むにつれ、メステレは大王への謁見を実行に移す準備も始めた。

長引く戦乱で街道の町や村は多くが荒廃し、貧窮の極みにあった。デウスの福音は一日も早くこの王国にもたらされねばならない。その想いがメステレを奮い立たせたのだ。

日本人の従僕をひとり連れ、徒歩で、首都ミヤコへ向かった。

2箇月かかったというが、その間、より深く日本の風土を肌で感じとりながら、旅をした。

 

しかし、ミヤコの崩壊は想像を超えていた。目を覆うほどの有様だった。メステレは大王への挨拶すらかなわず、去ることを余儀なくされた。帰路は急ぎ、船を使った。

3年目はアマングチを拠点に、人々へ福音を届けることに全身全霊を捧げた。

 

日本人は生来、優秀すぎる素質と性向を有している。にも拘わらず、悪魔が1000年にわたりこれを簒奪し尽くしてきた。

その歴史の闇深さが、次第に明らかとなる。

悪魔の尖兵たる坊主との戦いが幕をあけた。毎日が、たたかいだった。

黄金郷は、ただそこに来れば救われるという、祝福された楽園ではなかったのだ。

コンパニヤには、もっともっと、力が必要だった。

 

援軍を要請するため、メステレは3年目の定航船でゴアへ戻る。

そして熱弁をふるい、日本は私たちが命を賭して勝ち獲らねばならぬ最終決戦の舞台であると、涙ながらに訴えた。

私は、それを、聴いたのだ。

 

今よりも、はるかに無益で矮小な、一片の下僕にすらなれない私ではあったのだけれども。

そのとき、私の運命は、決まったのだ。

ああ。メステレの話になると、つい熱くなっていけない。

まだまだ語り尽くせないが、今日はそろそろ疲労が限界だ。

つめこみすぎはよくない。明日できることは、明日しよう。

 



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SengokD.1563/005.hmos

日本布教史・続。

 

1551年、聖マリヤ誓いの日。

北風に乗って、メステレ・フランシスコ・デ・シャヴィエルは、日本を去った。

パードレ・トルレスとイルマン・フェルナンデスはこのとき日本へ残留し、今も戦い続けている。最初期からの古強者だ。

 

アマングチには立派な教会が完成し、初年の降誕祭は、それはそれはもう盛大に祝われたという。

メステレは、さっそく第二次宣教団を派遣してくれた。

先輩たちが、今年の私たちと同じように、大志を抱いて来日した。

引き続いてメステレは、大陸国家チイナの開拓にも着手する。

どこまでも情熱的で、休むことを望まれない方だった。

 

御主は、そんなメステレをあまりにも早く、みもとへ引き寄せられた。

まだまだ教えていただきたいことは、私にだって、尽きぬほどあったというのに。

でも、受け止めねばならない。これからは、私たちがメステレにならなければならない。

 

さて、日本だ。

フィラド、アマングチに続いて、招待状が届いた。シモ島東側の大国、ブンゴから。

ブンゴ王もまた、コンパニヤに非常によくしてくれた。

一等地を邸宅ごと与えてくれ、増援のパードレたちがここに教会・住院・宿泊所・孤児院・病院・墓地などをつくった。牛や鶏まで飼っていたという。一部の施設は今もある。

パードレ・モンテとイルマン・アルメイダが向かったのは、ここだ。

 

ブンゴ王は頭もよい。インディア王へ服従の宣誓書をしたため、使節とともに定航船で送ってきた。

今もゴアでは、ミヤコの大王よりブンゴ王の方がずっと権威ある存在とみなされている。

パードレ・ヌーネスの帰還以後は、ブンゴ王は冷血漢であるという噂も定着してしまったが、それでも日本との交渉をするにおいてはまずブンゴ王へ、という存在感は揺るがない。

 

アマングチ、ブンゴと日本開発の2大拠点ができたわけだが、ここでちょっとした問題が浮上する。

アマングチもブンゴも内海に面した都市で、ポルトガルの大型商船であるナウが入港するには、いささか具合が悪いのだ。座礁の危険もあるし、海賊も多くなる。

安全を確認しながら、ブンゴへナウが入港したことはある。ずっとブンゴ海軍がつきっきりだった。さらに奥まったアマングチへの入港は、湾が狭すぎて論外とされた。

 

船員たちの一番人気は、フィラドだ。

港も大きいし、何より住民が商売に慣れている。競りの盛り上がりが違うそうだ。当然、収益だって何倍も跳ね上がるし、寄港中の宿泊や、遊ぶところにも困らない。

だがフィラドには、別の大問題がある。領主が熱心すぎる邪宗徒で、坊主たちの妨害が甚だしい。

だからこそ商売に励むのだろうか、と思わなくもない。まるでヴェネツィアだ。

 

フィラドの領主は、交易は歓迎するが布教は断りたい、教会用地の提供などは検討すらしないと明言している。

そんな理屈が成り立つわけがない。主権者である我々にとって、交易も信仰も不可分の存在だ。

少なからぬ信徒のいる町ではあるのだが、領主の心から悪魔が追い出されぬ限り、定航船が再びフィラドへ向かうことはないだろう。

 

56年。アマングチの教会は焼失する。戦争だ。多くの難民が出た。

パードレたちは、ブンゴへ逃げてきた。

何百という信徒が散り散りになった。アマングチの王は、殺された。

戦火はブンゴの町にも及んだ。さいわい教会の被害は少なくすんだが、ブンゴ王の城は破壊された。

 

第三次宣教団が来日したのは、この年だった。

パードレ・ヌーネスは巡察の予定をすべて取り消し、5箇月間、不自由な状況で身を潜めることを余儀なくされた。

このときの一員に、パードレ・ガスパル・ヴィレラがいる。今はミヤコの担当だ。

私は日本へ来て初めて、ヴィレラ直筆の報告書を見せてもらった。

衝撃だった。原文のママでゴアへ送られてこない理由がわかった。

しかし、この話はまた、時期をあらためて語ろう。

 

戦乱によりパードレやイルマン、日本人の従僕や信徒が少なからず天に召され、残された最長齢のパードレ・トルレスにはより大きな重責がのしかかるようになった。

定航船が着かない年もある。着いても、何年も、新しいパードレが乗ってこなかった。

どんなに、つらかっただろう。

重い病に冒され、日本からゴアへ戻ってきたイルマンもいる。

かれらの叫びを、パードレ・ヌーネスは、デウスによる罰なのだと教え諭し、押し潰した。

 

ああ、いけない。つい、怨み言が出てしまう。

ゆるしてください。私たちは、ゆるさねばならない。

 

そんな苦しみを経てきた日本で、私たちに手を差しのべてくれる領主が登場した。

オオムラ王。ヒゼン国の小領主。

フィラドから15レグワと近く、フィラド領主の強欲な性格も、王はよく知っている。

 

フィラドに限らず、交易だけを望む領主は多いのだが、オオムラ王はまず家臣を一人よこして、しっかりと教義を学ばせた。

その家臣はドン・ルイスという霊名を与えられ、コンパニヤと王との連絡役を誠実に務めた。やがて王じきじきに、入信したいという申し出を送ってくる。

パードレ・トルレスは慎重に構えた。アルメイダを派遣し、商売の話で釣ってみた。

自領の港で商売をしてくれ、というのも全ての領主が望むことだが、ここでもオオムラ王は、フィラドが商港に適している理由や内海の危険などについてじっくりと聞いた上で、ナウが入港しやすい適地があればそこに新しい港をつくるのはどうかという提案をしてきた。

 

オオムラ領内をいくつか検分し、小舟を出して水深を測り、最終的にこの湾が選ばれる。

目印を兼ねて十字架が建てられ、見晴らしの良い丘に教会もつくってもらえた。

周辺の住民には、異国の客人を出迎えその説教に従うべしとの布告が出された。

 

パードレ・トルレスは、なおもオオムラ王に、デウスの教えを生涯守り通す決意ができるかと、問うた。

オオムラ王はトルレスに承認され、ドン・バルトロメウという霊名を授けられた。

彼は私たちと同じ、イエズスに倣いて歩む一員となったのだ。

 

それは、私たちが上陸した、ほんの10日ほど前のできごとである。

日本における、ささやかだが大いなる前進の一歩であった。

 



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SengokD.1563/006.hmos

ドン・バルトロメウ。

彼は澄んだ黒い瞳を輝かせ、小柄ながらもよく鍛えられた四肢で優雅な身のこなし方をする、聡明な好青年である。

 

王の居城は、丘の上からは見えないものの、港より東に臨む対岸の景勝地にある。

定航船の入港はすぐに伝えられたが、前線への出征中であったため挨拶に出向くのが遅れたと、心から申し訳なさそうに詫びられた。

以前から、これほど謙虚な人柄であったのか。

否。デウスの教えを学ぶことによって、アニマが清められたのだ。

 

私はドン・バルトロメウに深い感謝の意を伝えた。

彼こそは日本の未来を支える資格を持つ人物であり、慈悲の力によって争いを終わらせることのできる、稀有の存在である。

私は一目で確信した。

 

船を見たいというので、私が案内する。

3隻の巨大な黒船は、湾の中で堂々とたたずんでいた。

日本では造ることのできない技術がふんだんに詰め込まれており、これでなくては世界を旅することなど到底かなわない。

真理と邪智との決定的な差が、ここには歴然と存在する。そのしるしを存分に見ていただいた。

 

船団長ドン・ペドロ・ダ・ゲラもまた、ドン・バルトロメウを非常に気に入った。

2人とも私より少し若く、ほぼ同い年だ。5人ほどの通訳が知恵を駆使して仲介をしてくれ、ドン・ペドロはバルトロメウが珍しがるものを、なにがなんでも贈り物にしたがった。

ヌエバ産の愛犬までが、バルトロメウに献上された。

 

船の中にはポルトガル製の地球儀があり、日本はまだ描きこまれていなかった。

取り外せないし、貴重品だったので贈り物にはできなかったが、日本を描き入れたものを何年か後にあらためて持参しよう、とドン・ペドロは約束する。

 

サリートリの販売許可について船員が私に質問をしてきたが、私には決められない。要は、オオムラへサリートリをもっと提供するべきではないのか、ということなのだが。バルトロメウも切実に望んでいるという。

それならば、適切な範囲で報いてほしい。彼は私たちの大恩人なのだから。そう答えておく。

最後には、権限を持つドン・ペドロが許可を出し、アルメイダへは私から書翰で伝えておくということで、話がついた。

 

教会から少し離れたところに、ドン・バルトロメウは別荘を持っている。私たちはこの日、晩餐会に招かれた。

パードレ・トルレスには輿が用意された。体格のよい人夫が数人がかりでそれを運んだ。

日本における食事について、私にはまだ語れるほどの経験がない。

しかし今日の食事でも、思うところをいろいろと感じた。覚え書きのつもりで述べておこう。

 

宣教師でも船員でも、日本での食事に文句を言わない人はいない。

実のところ、私もいささかうんざりしている。

パードレ・トルレスは、慣れるべきだという。しかし一年365日をずっと四旬節のように過ごせと言われて、これに慣れようとするのは実際つらすぎる。

まだ1箇月も経っていないが、すでに、私の肉体は、かなりの悲鳴をあげている。

お肉が食べたい。

 

日本では、肉食が禁じられている。

インディアでも、牛を崇め、牛だけは殺さないという習俗があるが、もっと徹底している。

そもそもからして、豚も羊もいない。鶏も、玉子は食すが肉は棄てる。

そう。日本では、牛馬も死ねば棄てるのだ。いただかないのだ。

肉や血は穢らわしいとされる。

ただし、魚は食す。生で。

日本人は、魚を焼かない。塩や油で味を付けて、箸を使って器用に平らげる。かなり不気味な光景だ。

食品の種類も、きわめて限られている。

基本はコメという穀類だ。

コメしか作らず、コメしか食べないといってもいいほど、これが日本を象徴している。

貨幣のかわりにコメで支払われるくらいだ。貴人の収入は、一年で収穫できるコメの量で表される。

徹底されている。なぜだかわからないが、これが日本66領国すべてで徹底されている。

 

1000年前の邪宗徒どもが広めた、人を家畜化するための方法なのか?

しかし、それよりずっと前からだという説もあると、フェルナンデスが言っている。

過去幾度も論戦した、坊主や学識者たちの見解によると、かれらより更に古くからある土俗信仰にその起源が認められるらしい。

よって、我らが日本から邪宗徒を駆逐し、すべての日本人を信徒にし得たからとて、日本でエウロパ並みの食事ができるようになるかといえば、保証の限りではない。

葡萄酒はつくれなかろうと言われている。この風土と気候では、葡萄は育たないらしい。

大麦・小麦に似たものは存在するが、日本人はパンもつくらない。

絶望的な気分になる。

 

最後に。

日本人は、コメからサケを作る。

そして、これを、吐くまで飲ませ合うことを、最大のもてなしと考える。

私はサケの味も好きではないのだが、それ以上に、酔いがきつい。

盃一杯も飲めば、いしきがもつれてくる。日本では酩酊は恥でないどころかめいよなこととされる。のみほすこともきようようされる。つつしみぶかいはず、のばる、とめう、ろおで、さえ、あ、あばばばばばば……

 



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SengokD.1563/007.hmos

私の名はルイス・フロイス。

懐郷病で、こころもからだも、ぼろぼろです。

せつないよう。くるしいよう。

 

日本では、夏、コメの収穫期より前に、祝祭期間が設けられる。

今年は聖ペドロ投獄日の翌々夜が、満月となる。

ちなみに日本の暦は月の満ち欠けを基準とするため、教会暦とは毎年、日付がずれてゆく。

 

この夜から次の満月までの約ひと月をウラボンと呼び、その初日には民衆が総出で、踊る。

これもまた、邪宗由来かどうか判断が難しい対象のようだ。フェルナンデスにとっても、研究課題のひとつだという。

無視できないのは、この祝祭が、死者や先祖の霊魂が帰郷するのでその者たちを出迎える儀式、という性格づけを持つこと。

坊主どもがカネ儲けの機会として利用している、という実情もある。

 

日本人は、死者の葬儀を、一度きりでは終わらせない。

埋葬ではなく火葬をするのが一般的だが、そのあと定期的に坊主を招き、飲み食いをさせ、カネを払い、何年にもわたって先祖に感謝し続けることを社会的な圧力によって強要される。

坊主どもが肥え太る理由は、まさにこの、無限商法ゆえである。

 

一方で、生誕の祝福には冷淡だ。

洗礼どころか、名前さえ付けられず、生きたまま棄てられる新生児はあとをたたない。

ブンゴの孤児院はたちまち満員になったと聞く。坊主は、かれらを救おうと考えることすらしない。

裕福な家で安らかに死を迎えた者だけを大切にし、そこからいつまでもいつまでも、財産をしぼりとり続ける。

 

ウラボン自体は、やめると民衆が悲しむ。

しかし、坊主どもがここぞとばかりに家々を回って荒稼ぎする習慣は、断ち切らねばならない。

本年より正しき道を歩むことになったバルトロメウ王は、さっそくこれに改革の手を加えた。

 

坊主たちは、まず城へ群がり、王や家臣からカネを毟り取った後に、村々へ向かう。

王はこの坊主どもへ向かって、今後は邪宗団への寄付は一切しないことを明言した。

一方で、領内の全祝祭会場において、民衆へは食事の無料提供を行うことを発表した。

すばらしい采配だ。

ドン・バルトロメウはデウスの教えを、完全に、正確に理解している。

 

その準備も兼ねてだろう。祝祭会場となる場所を王みずからが視察して回っている。

家臣団を大勢引き連れて、我がノッサ・スニョラ・ダ・アジュダへもやって来た。

連れの半分くらいは、洗礼を済ませたか、あるいは未だ勉学中の貴人であるが、まだ心を開いていない、邪宗に取り憑かれている者たちも混じっていた。

そんなかれらも、そそり立つナウを見れば言葉を失い、圧倒されていたのが愉快だ。

信徒となった人々の笑顔と自信に満ちた目の輝きに、ただただ驚嘆する、未開人たち。

 

気づいてくれさえすればいいのです。私たちはあなた方の敵ではありません。

疑心暗鬼と戦争を、地上から根絶する。それが私たちの使命です。

それだけなのです。

 

ドン・バルトロメウは、通訳たちを通して、これからの計画も語ってくれた。

宣教師も足りないし、急ぎすぎるのもよくないが、来年の末までには領内すべての住民をデウスの信徒にしたいこと。

坊主たちへも改宗をすすめ、まずは説教を聴きにくることを奨励する。

どうしても理解できない場合は、領外へ追放。

ただし、あらためて私たちの言葉を聴く準備ができた時には、いつでも戻ってきてよいものとする。

 

隣接する諸国との戦争は、簡単には止められない。だが受洗した兵がめざましい働きを示しており、デウスの御心に沿う者は戦においても優秀であることを、王は実感しているという。

やがては敵も、デウスの教えがいかなるものかと、白旗と共に手を差しのべてくるのではないか。

そのときは、うけいれよう。

主席家臣のドン・ルイスも、日々ドン・バルトロメウとそんな話をしているのだと、にこやかな笑顔で場をなごませてくれていた。

いい国だ。懐郷病も、いつの間にか吹っ飛んでいた。

 

2週間後の、聖マリヤ御昇天日。

メステレ一行が15年前のこの日にカゴシマへ上陸したこともあって、日本宣教団にとって大切な記念日だ。

わが教会では盛大なミサを行うことを決めているが、併せてパードレ・トルレスの盛式誓願もすることになった。

ゴアより許可は出ていたのだが、司式するパードレが誰もいなくて宙に浮いていたものだ。

パードレ・モンテがここにいれば、彼がすることになったろうけど、今は私しかいない。

初めての、大役だ。

懐郷病が戻ってきた。あいたたたたた。

 

それが終わったら、ぜひ城下でも祝祭をしたいので2人揃って来てもらえないか、とドン・ルイスより懇請される。

まもなくドン・バルトロメウがまた前線へ出征する。タケオ領との戦闘が、難しい局面を迎えているという。

なので、兵たちの士気を鼓舞する狙いもあるのだそうだ。

城下では、まだまだエウロパ人を見たこともない人が大勢いるという。

ぜひ伺って、皆様を驚かせましょう、と予定に加えた。

 

タケオ。

そこからも、招待状がきていたな。説教できる人をよこしてほしいと言ってきていた。

オオムラ領と戦争していることは知らなかったが、私たちには両者の関係修復へ向け、積極的な協力ができると思う。

これは、優先的に取り組むべき課題に違いない。

 



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SengokD.1563/008.hmos

マルコ諸島にくらべれば、日本の暑さは、大したことないです。

地上で寝ているので揺れも無く、蚊や蝿は少々困りものですが、これとて不自由は感じません。

仕事がつらい?いえいえ、パードレ・トルレスたちの積年の苦労にくらべたら、この程度、仕事のうちにも入りません。

食事についても、文句などは申しません。

あ、でも、下痢がやまないのは、生魚のせいかもしれません。お肉を食べて、治したいなあ。

前途洋々の日本開拓。こんな楽園で、伏せっている暇など無いのです。

さあ立て、立つんだフロイス。今日も良い天気だぞ。目を覚ませ。起き上がれ。さあ。

 

とっても気持が悪いです。

熱もあります。

ベゾアールを舐めて、なんとかおさえてます。

 

 

聖マリヤ御昇天日の数日前、ブンゴよりイルマン・アイレス・サンチェスがやってきた。

彼もまた、かつては商人だった男だ。楽器をたしなむので、アルメイダが、子供たちの音楽教師になってくれと引きこんだ。

5年ほどブンゴの教会で音楽指導にあたり、ゴアで申請が認められたことにより、昨年、コンパニヤの一員となった。

 

連れてきた5人の子供たちによる、ヴィオラの演奏は、私たちの教会を優しく包みこみ、その威厳をより高めた。

音楽はいい。良い音楽とは、本当にすばらしい。

一方で、私の調子は悪くなるばかりだった。

単式誓願とはいえ、緊張で芋汁も喉を通らない。芋汁といえば……いや、やめておこう。今はそんな、下品な話をするべき時と場合ではないだろう。

 

 

御昇天日がやってきた。

ドン・バルトロメウには参加してもらえなかったが、ドン・ルイスが一日ついてくれていた。

子供たちによる演奏つきの、ミサ。

西集落をぐるりと一周する大行進。

天地創造を描いた簡単な演劇に、聖体の拝領。

復活祭かと見まがうばかりの大盛況だった。

 

そして、九時課の聖務日課に引き続き、いよいよパードレ・トルレスの盛式誓願が迫ってくる。

私は、ラシャ織の祭服に着替えた。

重かった。汗がしたたりつづけた。

何度も気が遠くなり、意識を失いかけた。

パードレ・トルレスは、信徒に支えられながら跪き、告解した。

日本語はまったく使われず、通訳もされなかったが、信徒たちは静粛に聴き続け、教会はヴィルトゥスに満たされた。

 

……終わった。

私は、倒れそうだった。いや、倒れたかもしれない。

信徒に支えられながら立っていた記憶もある。

少し、休ませてもらった。

フェルナンデス、サンチェス、ゴンサルヴェスたちに、あとをまかせた。

 

ドン・ルイスは、祝祭が終わったらそのままパードレ・トルレスと私をオオムラの城まで舟で連れていくつもりでいたと、その席で言われた。

しかし私の衰弱ぶりを見て、かつ、ドン・ルイス自身も疲れが相当たまっていたようなので、明日にしましょうと話がついて、解散となった。

 

 

翌日、私の具合は、もっと悪くなっていた。起き上がれないほどだった。

聖務日課すら、ままならなかった。

オオムラ行きは、延期してもらった。

ドン・バルトロメウに申し訳ないですと伝えてもらって、もう一日、休ませてもらうことにした。

 

 

次の日、少し起き上がれるくらいの元気は、出るようになった。

しかし城下で説教をするのはどうだろう。体力も、精神も、もつだろうか。

そんな不安を抱えながら授業を始めていたとき、異変の報がもたらされた。

 

城が襲撃を受けている?

火の手も上がっているという。

敵は、この港へもやってくると思われる。ただちに避難を。女・子供は、かくせと。

 

騒然となった。

我々は、ただちに行動を開始した。

手分けして荷物をまとめる。祭具や聖体などは港の船へ運びこませた。

船員たちも、大わらわだ。

商売道具の撤収には、かなりの時間がかかると思われる。

日本人商人たちも、我先にと港から去っているのが見える。

村に家族や親戚がいる者は、その脱出を手伝っている。

誰も彼もが、先を争う。

タケオか?

タケオが攻めてきたのか?

ドン・バルトロメウは、戦っているのか?

 

ここから城は見えない。城からここまで来るには、陸より海の方が近い。

漁民の小舟や、商人の非武装船はともかく、我々の船団と戦うには相当の兵力が必要だろう。1隻は戦闘艦でもあるのだ。

アジュダの港にとどまっているのが、一番安全なような気もする。

陸路から攻めてくるとしたら、東集落の先から入ってくる形になるだろう。見透しはよい。

教会のある、この丘に立っていれば、敵襲の確認は容易だ。

避難行動は継続するべきだが、それ以上に焦ることは、ないのではなかろうか。

そんなことを考えた。

 

正午になる。

我々は、少し落ち着いてきた。港はまだ、騒々しいが。

全員集まり、今後の対策を相談する。

貴重品はひとまず、船へ運び終えた。もし敵がここまで来れば、我々も船へ退避する。

パードレ・トルレスは足が悪いので、体力のある者が支えて脱出する。

教会に暮らしていた子供たちは全員、私たちの家族だ。連れていく。

ところで、新しい情報は誰か持ってないか。

 

ドン・バルトロメウがすでに殺された、という噂が流れているらしい。あくまでも噂だ。

そして、この襲撃は敵国の侵入ではなく、城内での反乱であるとか、そんな噂も広まっているという。

……どこまで確かなんだろう、それ。

 

日本人少年たちが我々エウロパ人の知らない情報を共有しているような、印象を感じた。

フェルナンデスがひときわ、不安そうな顔をしている。

私は、フェルナンデスに命じた。

ここにいる全員の言葉を理解できるのは君だけだ。

教えてくれ。実際のところ、いまいったい、何がどうなっているのか。

 

フェルナンデスは、パードレ・トルレスの顔色を窺っていた。

トルレスも聞きたがっている。

さあ覚悟を決めてくれ。

あくまで、ここで私が知り得た情報のみをもとにしてですが、と断った上で、フェルナンデスは語り始める。

 

「面子を潰された坊主たちが、反乱を起こしたものと思われる。

坊主たちと結託した邪宗徒の家臣は、すでにドン・バルトロメウとルイスを殺した。

どうやら、パードレ2人とバルトロメウらが全員城内へ集まる予定だった日に決行するという計画が、めぐらされていたようだ。

敵は領内の坊主どもである。すでにこの港町の、東集落の坊主どもは、西集落へ攻めこみ私たちを抹殺する準備を整えている。

パードレの訪問が遅れたことで、計画が狂ったものと思われる。

東集落の坊主どもは混乱して騒ぎだしており、それが西集落へも伝わってきているところだ」

 

ありがとうフェルナンデス。では全員、今すぐ船へ避難しよう。

一刻も猶予はならない。ここにいたら、殺される。

 



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SengokD.1563/009.hmos

子供は、無邪気なものだ。

大人たちが、真剣になればなるほど、おかしくてたまらないらしい。

言うことをきいてくれない。

逃げ回り、かくれまわる。

黙っていてほしいところで、大声を出す。

 

脱出の順序だが、まず、長老で足の悪いパードレ・トルレスが先頭に立つ。イルマン・ゴンサルヴェスがそれを支える。

その後、子供たちを送り出す。少年たちの先輩格であるところのアウグスティヌスや、イルマン・フェルナンデスが、子供たちから目を離さぬよう、誘導する。

ブンゴから来てくれていたイルマン・サンチェスと楽奏隊の子供たちは、かれらだけでひとまとまりを組んで、港まで向かってもらう。

そして私が、しんがりをつとめる。最後にここを発ち、全員の収容を確認する。

よし、出発だ。

 

丘から港までは、それほど険しくないとはいえ、曲がりくねった道をそれなりの距離、歩く。

子供たちを送り出す間、いま一度邸内をあらためた。

ここへは、戻ってこられるだろうか。

ドン・バルトロメウの庇護を得られなくなった今、私たちの日本布教は、これから誰を頼みとすべきか。

暗い想像が止まらない。

 

信徒の女性がひとり、やってきた。

身振り手振りで何かを伝えようとしてくれるが、お互い言葉がわからない。

しかし、何か困ったことが起きて、来て欲しいと言っているようだ。

まだ、東の坊主どもが動き始めた様子はない。困っているなら、行ってあげよう。

すぐに戻ってくるつもりで、私は、彼女についていった。

 

軽率だったが、動転していたのだと思う。

気がつくと、倉庫のような建物に閉じこめられていた。

ポルトガル語で叫んでみたが、無駄とわかって静かにする。

これから、坊主どもに殺されるのかもしれない。

 

のぞむところだ。私はマルチルになるため日本へ来たのだ。なってやる。

しばらくしていると、パードレ・トルレスが連れてこられ、倉庫の中は2人になった。

どうしたことですか、いったい。

 

「私はイルマン・ゴンサルヴェスと坂を下っていた。日本人の家族連れが現れた。子供が駆け出し、イルマンと母親が追いかけていった。老人が私に手を差し出し、坂を下りるのを助けてくれた。

道が違うな?と思っているうちに、取り囲まれていた。そして、ここへ、連れてこられた」

 

……坊主の一味でしょうか。私を連れてきた女は十字を切り、跪いてみせました。だからてっきり、信徒だと疑いすらしなかったのですが……

 

「フロイスよ。私の前に現れた一家もそうだった。教会へ来ていた日本人かどうか自信がないが、信徒であったことは間違いないと思うよ。いずれ、何かのわけか、目的があってのことだとは思う。御主の導きに身をゆだねよう」

 

夕暮れが迫る頃、食事と寝具が差し入れられた。食事は、コメを丸くにぎったものだった。

他のイルマンも連れてこられるかと思っていたが、私たち2人だけのまま、翌日もそこで過ごした。

聖務日課は、おおよその時刻で行った。

私の具合はひたすら悪いままだったので、ほとんどを、寝て過ごしていた。

 

パードレ・トルレスも、ほとんど動かなかった。脱出は無理そうだったし、暴力をふるわれそうな気配もなかったから、おとなしくしていた。

あかりとりの窓が上の方にあり、外の音には気をつけていたが、有益な情報は、特にない。

時折、砲声のような音が聞こえたが、方角に自信がもてない。

ポルトガル船のものだったようにも聞こえたし、そうでないような気もした。

 

 

3日目に、私たちは釈放された。

目隠しをされ、ぐるぐる歩き回らされ、ああ浜の近くかなと思ったところで、ポルトガル人の水兵に引き渡された。

イルマンたちに歓喜で迎えられ、船の中で、乾し肉や葡萄酒などの食事にありついた。

 

情報を総合すると、かなり高度な誘拐劇だと判断せざるを得なかった。

 

オオムラ城の事変が伝わった途端、港では商売が中止され、皆、避難を始めた。

このとき、日本人商人たちの幾人もが、ポルトガル船団に離れられては先渡しした銀が払い損になってしまうと、危惧を抱いた。

そこでパードレを誘拐して、交渉に入ろうと思いついた者がいた。

 

用意周到に計画する余裕は、なかったはずだ。

しかも狙いを、2人しかいないパードレにはっきりと定め、無駄なことを一切していない。

教会にいた子供を誘拐する方が簡単なはずだが、それでは手札にならないと、冷徹に見抜いた者のたくらみだ。

さらに、村人との連携もとれている。

あざやかに私たちを引き離し、どこへ連れていかれたかわからぬようにして、とじこめた。

 

かれらの一味が、信徒であったことは、間違いなかろうと思う。私たちのことを熟知していなければ、こんな作戦、立てられるわけがない。

しかし、そのことを認めるのは躊躇する。

認めたくない。なにか、事情があったはずだ。躓いただけなのだ。

いつか、かれらがコンヒサンをして、ゆるされてくれればよいと思ってる。

決して、罪を犯したままで旅立ってはいけない。

行き着く先は、インヘルノだ。

 

 

私たちの身代金を払ってくれたドン・ペドロ船団長に感謝しつつ、今後について相談をする。

ひとまず、船団はこの港を動かない。昼夜厳戒態勢のまま、様子を見る。

3箇月後に北風が吹き始めたら、離日する。

宣教団がどうするかは、その時までに決めればよい。

去るもよし、とどまるもよし。

 

イルマン・サンチェスは、私たちの無事をたしかめた時点で、ただちにブンゴへ戻った。ナウに閉じこめてはおけない、子供たちを全員連れて。

ブンゴ王とも相談してくれるという。

帰るための船も、ドン・ペドロが用立ててくれた。水兵もつけてくれるので、海路の危険はないだろう。

ほんと、頼りになる若者だ。

 

皆に、デウスの御加護あらん。

 



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SengokD.1563/010.hmos

水兵は毎日、丘の上へ水を汲みに行く。

 

ナウには3箇月ぶんの保存食が積みこんである。かなりの量だ。

ここには、ドン・ペドロの聡明さが顕れている。

日本ではまともな食事にありつけないと、船団員皆が承知していることも背景にある。

定航船は、年に一往復でも莫大な利潤を生む。普通なら、一品でも多く交易品を積みたいところだ。

だが、欲の皮をつっぱらせたせいで沈んだ船団は過去にいくらでもある。

ドン・ペドロは、安全と安心に勝るものなど無いと主張する。

優秀なる彼のおかげで、今の私たちには持久戦が可能となった。

 

しかし、水ばかりは補給が必要だ。そこで給水部隊が選抜され、繰り出される。

村を通過すると、パードレはどこへ行ってしまったのか、と住民に泣きつかれるという。

かと思えば、石を投げ鍬をふるい、水兵を追い払おうとする邪宗の手先もいる。

もちろん見た目に区別などつかない。

日本人が十字を切り、跪いても信用するな。それが水兵たちの共通認識として定着してしまった。

嘆かわしいこと、この上ない。

 

そんな訳で我々宣教師も、あの丘へ戻るわけにいかない。

教会は、踏み荒らされて、見るのも痛々しいそうだ。

丘の上の十字架も、すでに無い。伐られて薪にでもされたか。

ヴィルトゥスが詰まってる。さぞやよく燃えただろう。

それはいずれ、きさまたちを焼き尽くす深緋の炎となるだろう。

 

シモ島の各地から、うちへ来なさいとの招待を受けている。

フィラドからも来ている。近々、フェルナンデスが行くことになっている。

フィラド島の領主は一徹な邪宗徒だが、その周辺には全住民が信徒となっている小島もいくつかあるのだそうだ。ひとまずそこへ身を寄せるつもりだと。

なんだかんだ言って、フィラドは情報蒐集の利便性からいっても、無視できない存在みたいである。

聞けば聞くほど、ヴェネツィアに思えてくる。

 

 

聖マテウの祝日には、ブンゴからアルメイダが来てくれた。

オオムラの内乱を知ってすぐに出立したが、ここまで向かってくれる船がない。陸路海路を1箇月、行ったり戻ったりしていたが、その間にたっぷりと情報を仕入れることができたという。

 

「ドン・バルトロメウは生きている。

ただ、かくれている。安心しろ。彼の信仰は揺らいではおらぬ。

アリマの王とは兄弟で、強固な同盟を組んでいるが、そのためアリマ王も城を追われ、領内の支城へ逃げ延びた。

皆、反撃の機会を窺っているが、しばらくは様子見だな。今は坊主どもの勢いが強すぎる。

我々も下手に姿を見せた瞬間、メッタ打ちにされるぞ」

 

イルマン・アルメイダ、あなたは、日本語が話せるのですか?

パウロという日本人従僕を一人連れてはいるが、その子に頼りきっている風には見えない。

アルメイダの情報蒐集と分析が驚異的だったので、つい訊いてみた。

 

「私は日本語を話せない。

ということにしておいてくれ。生半可に知っていると思われただけで、日本人どもは何もしゃべらなくなる。

こいつら、もともと感情を表に出さない民族だが、結束して秘密を守ることも本能的に叩きこまれている連中だ。

フェルナンデスのように心を開いてみせることも結構だが、それでは交渉役はつとまらん」

 

アルメイダは、ラテン語・カスティリヤ語・ヴァレンシア語・ラウマ語などをわざと絡み合わせて答えた。

従僕の前でも気を抜かないのか。

察した私は、それ以上訊くのをやめた。

 

「パードレ・トルレス。あなたたちは、もうしばらくここへ退避なさってた方が良いでしょう。私は、フィラドへ行ってきます。フェルナンデスとも情報を交換しておきたい。冬からの滞在先も、適地を探しておきます。それでは、今日は疲れたのでもう休みましょう」

 

私はずっと熱が下がらず、伏せっていたのだが、アルメイダのおかげで心の霧が少し晴れた。翌朝は、気分がよかった。

そこで、水兵たちの水汲みに同行させてもらうことにした。

町の光景を、この目でたしかめたかったのだ。

 

湧水所まで到着し、水兵たちが作業を始めてから、私はミゲルという以前から親しくしている若者をひとり借りて、西集落を見に行く許可をもらった。

信徒たちは、どれほど淋しい思いをしているだろう。坊主たちに、いじめられてはいないか。

対話は難しくとも、せめてパードレがここにいるということを、示して見せたかった。

信仰への自信と勇気を与えたかった。

 

稲が刈られていた。そうか、もう収穫期に入っているのか。

ふと、歌がきこえた。

子供たちが聖歌を口ずさんでいる。ヂク・ノビス・マリヤだ。

声のする方へ回りこむと、繁みの中で子供たちが遊んでいた。

私はゆっくりと両手を広げ、祈りを唱えながら、かれらの前に近づいた。

 

とつぜん、石を投げられた。

痛かった。血がにじんだ。本気の石つぶてだった。前を見た。次々と飛んできた。

子供たちが、口々に何かを叫びながら、石をつかんで投げてくる。

痛い。顔を覆う。

お願いだ。やめてくれ。私だ。パードレだよ。

うしろからミゲルが、私に向かって叫ぶ。

 

「パードレ!殴っていいですか!

こいつら、ゼンチョです!」

 

私は下がり、ミゲルを制す。

ちがう。この子たちは聖歌を唱えていた。まちがいなく信徒だ。守るべき存在だ。

何かの誤解にちがいない。ひとまず、逃げよう。

 

ミゲルと共に、走り出す。

子供たちは追いかけてきて、なおも石を投げてくる。

ちがう、ちがうんだ。私はパードレだよ。

ああ、それを日本語で伝えたい。伝えられるものならば。誤解はすぐに、とけるのに。

 

視線の先に、大人がひとり、あらわれた。

体格のいい、強そうな日本人だ。目がギョロリと私たちを見すえている。

殺意を感じる。こいつは、坊主か?

わからない。でも、襲われたらおしまいだということだけは、たしかだ。

ミゲルを一撃で倒しそうな、太い腕を持っている。

私たちは、ひるんだ。立ち止まった。

うしろから追いかけてきた子供たちも、制止した。

静寂の中に、風がそよいだ。

 

男は……子供たちの方に目を向けて、何か言った。日本語だった、と思う。

子供たちは、去って行った。

男は私たちの方へ向き直って、何か話しかけてきた。

私は、伝わらないことを承知の上で、ポルトガル語で礼を言い、自分はパードレ・ルイス・フロイスであると説明した。

男はなおも話しかけてきたが、やはり、まったくわからない。

もう一度礼を言い、日本式に頭を下げて、ゆっくりとその場から去った。

ミゲルと一緒に、船へ戻った。

 

 

夜、いろいろと考えた。

子供たちは、教会へ来てた子らだと思う。

フェルナンデスや私たちから歌や祈禱を教えられ、日本人特有の学習能力でたちまちそれを覚えこんだ。

かれらにとって、唯一知っている歌かもしれない。

旋律を持つ歌は日本には存在しないから、かれらは自然と、普段から聖歌を口ずさむようになったものと思われる。

その子たちを、坊主が取り込んだか?

いや、たかだかひと月かそこらで、そこまではすまい。第一、アニマを穢すつもりなら我々の歌など歌わせないように仕向けるだろう。

 

だから、あの子たちは、いきなり現れた私を見て、驚き、怖がっただけなのだ。

熊か猿だと思って。それで夢中で、石を投げたのだ。

決して、敵意とか、殺意とか、そんなのじゃない。

悪意など、なかった。

それは、躓きですら無いことだ。

 

しかし、私たちのことを、もうそんなに見忘れてしまわれたかと思うと、悲しい。

教会へ戻りましょう、パードレ・トルレス。

私たちは、ドン・バルトロメウが戻ってくるまで、この港を、教会を、私たちの手で、守り抜くべき使命があると考えます。

坊主はより烈しい妨害をしかけてくるようになるでしょう。しかし、立ち向かいましょう。

なによりも、この地の信徒のためです。

私たちは、ここに再び、上陸すべきです。

 



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SengokD.1563/011.hmos

アルメイダがフィラドから戻ってきた日の夜。

私たちの教会は、灰と化した。

 

順序立てて話そう。

私が村へ行き、子供たちを怖がらせてしまった話は、すぐ噂になったようだ。

邪宗徒の側からすれば、悪魔が戻ってきて、子供をさらおうとした。

肉を食らい、血をすする私たちエウロパ人は、船に閉じこめられて飢えている。

見つかったらその場で頭からかじられるぞ。

こんなデタラメを、坊主どもは触れ回っているらしい。ひどい話だ。

怒りがこみ上げてくる。

 

西集落では、信仰を守る者が、邪宗徒へ戻ってしまった者どもや、オオムラ城下から来る役人どもから、迫害を受けている。

収穫期なのに人手を借り合うことができず、税金をめぐって不当な扱いもされる。

この火種が、とうとう爆発してしまった。

 

私たちは、方角から見て間違いなく教会が焼かれているとわかった瞬間、小舟を出して浜へ上陸した。

水兵たちに囲まれながら、丘へ上る。人影はなかった。

私たちの大切な大切な聖堂が、メキメキと音を立てながら、崩れ落ちていた。

おゆるしください。私たちの力が足りぬばかりに、御主の聖なる泉がひとつ、消え去ろうとしています。

おゆるしください。おゆるしください。

 

村の方からも、火の手が上がっている。

私は駆け出していた。

人々は私を見て、叫び、逃げまどった。

敵と味方は一目でわかる。信徒は、私にかけよってくる。

私は力いっぱい、抱きしめる。

すまなかった。こんな事態を招いてしまって、本当に、すまなかった。

敵意をあらわにして、私へ向かってくる者もいる。

私は、毅然とにらみつけ、敵の前に歩み寄る。祈りを捧げる。

敵は、わめきながら逃げていく。

おそれるがよい。

デウスの使徒はひるまない。戻って君たちのルシヘルに伝えよ。

所詮おまえたちなど、デウスの光の前には、虫けらも同然なのだ。思い知るがよい。

 

燃えさかる家の前で、泣き叫んでいる家族があった。中にまだ人がいるらしい。

私は、考える間もなくとびこんだ。熱さなど感じなかった。

季節はずれの、大きなホタルが一匹、飛んでいた。私を導いている気がした。

家の奥に、老婆がひとり、寝ていた。

起き上がることができないらしい。

抱きかかえて、外へ連れ出した。

家族も、信徒も、敵さえもが、歓声を上げた。

水を浴びせられた。甘露だ。

見よ。これが信仰の力だ。君たちにはできまい。思い知るがよい。

 

ホタルが、また、私を誘う。私は、光についていく。

次の家の前でも、人々が叫んでいる。私は、祈りながら入っていく。

奥に、やはり老人がいた。

抱きかかえ、連れ出そうとした。……が、目の前が燃えさかっていて進めない。

メキメキと、柱がひび裂ける音がする。

さすがに限界だったか。

ご老人、すみません。ちょっと苦しいかもしれませんが、駆け抜けますよ。

それ!炎に向かって飛びこむ。

思いきり柱に頭をぶつけた。

息が苦しい。

ご老人をもう一度、抱きかかえ、背中に負う。

出口はどちらだ。

考えている余裕は無い。走れ。走らなければ、死ぬだけだ。

 

 

気がつくと、船の中だった。

アルメイダに看病されていた。思いきり頬を叩かれ、目が醒めた。

何日か昏睡していたらしい。ご老人は助かったという。よかった。

私は、マルチルになりそこねたようだ。

 

服が焼けただれていた割には、私の体にはほとんど火傷の跡が無い。不思議なことだと言われた。

不思議じゃありませんよ。

御主が奇蹟を起こされたのです。それだけのことです。

私にはまだ、使命があるということらしい。

 

ラウマ本部へ、報告をお願いします。

私は奇蹟を体現したのだから、列聖される資格を持つでしょう。

よこしまですかね。いけないいけない。口を慎みます。

でも、いま私は生涯で最高に、誇らしい気持なんです。

 

寝ながら、聞かされた。

パードレ・トルレスはアリマ領へ移住する。

教会もなくなった以上、この地にとどまることは困難が大きすぎる。

アリマも安全な場所ではないという。ドン・バルトロメウ及びアリマ王の実の父親である先王がまだまだ権力を有しており、邪宗徒たちが彼を虜にしているそうだ。

それゆえ、アリマの使徒たちも迫害にさらされている最中とのことである。

だからこそ、行かねばならない、と。

 

私はゴアへ戻ってもよいと言われた。

無理をしすぎて体がボロボロになっているし、皆の書翰と報告を携えて管区長へ実情を訴えてくれと。

最後まで言われる前に、お断りした。

 

報告はドン・ペドロに委ねましょう。日本には、一人でも多くのパードレが必要です。

私が抜けることは許されません。

かつ、私はフィラドへ行くことを希望した。認められた。

理由はある。日本語を学びたい。

一日も早く修得し、日本人と直接ぶつかりたい。

 

日本語は、フェルナンデスに教えてもらうのが一番の近道だ。それにフェルナンデスを助ける者がいなければ、日本語辞典をつくる作業がまた一段と遅れてしまう。

これを何とかしなければ、私たちの布教活動は、いつまでも先へ進めないだろう。

 

まもなく北風が吹く。それまでに体をすっかり治しておくようにと言われ、私はふたたび眠りについた。

まどろみながら、あの夜のことを思い出している。

私の身に、奇蹟が起きた。そして、アンジョとも対話をした。

初めての体験だった。

それはしかし、想像していたものと、少し違っていた。

 

 

((( 勇敢なる者よ。たった今、君は死んだ。)))

 

……ああ、そうですか……私は、パライゾへ、行けますか?

 

((( パライゾ?わからない。しかし私は、君に命をあげよう。)))

 

……パライゾをわからないと?あなたは、アンジョではないのですか?

 

((( アンジョ?それも、わからない。質問は、あとにしてほしい。)))

 

……待ってください。私は、インヘルノへ堕とされるのは、ごめんです。

 

((( 待たない。君の体の修復を優先する。さもないと、手遅れになる。)))

 

わ、私にいったい、何をしようというのですか!

 

((( 質問はあとだ。できないなら、意識を遮断するぞ。)))

 

あなたは!もしかして!サ

 



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SengokD.1563/012.hmos

私の名はルイス・フロイス。

今いるここは、タク島。

 

南の対岸にフィラド島が見えます。大きい。

そこには邪宗と結託し、頑ななまでに坊主どもを守ろうとする、悪しき領主がいます。フィッシュと呼ばれる人物です。

かつては、パードレ・トルレスがフィラドで布教をしていました。なので今も、熱心な信徒が大勢暮らしています。迫害に耐えています。

行ってなぐさめたいところですが、かないません。

 

フィッシュの家臣に、ドン・アントニオという貴人がいます。

彼が、信徒を守ってくれているのです。

有能な人物なので、フィッシュも彼には逆らえません。

まったく、格の違いは明らかです。

 

ここタク島は、40戸ほどの住民しかいない小さな島ですが、ドン・アントニオの故郷でもあり、島まるごとの統治を任されているそうです。

全住民が一人のこらずデウスの信徒という、すばらしい環境であり、かわいい十字架が建ち、邪宗の偶像は一つ残らず焼き棄てられています。

畑が耕され、種が播かれたあとは、水と肥料と日光をふんだんに与え、豊かな実りを待つだけです。

ここを、フィラド本島もうらやむ理想の楽園に育てていこう。

私の新たなる、出発地です。

 

ノッサ・スニョラ・ダ・アジュダから、従僕をひとり連れてきました。ジョアンくん。14歳。

アマングチで、生後すぐパードレ・トルレスに引き取られ、ずっとパードレたちと共に過ごしてきた少年です。

ラテン語のドチリナや聖歌を完璧に唱えます。ポルトガル語と日本語を同じくらい使いこなせます。

トルレスのヴァレンシア訛りがほんのり混じった、かわいらしくて、とても愛らしいポルトガル語を話します。

 

現在は、アジュダにいた頃より少し余裕のある生活を送れています。

聖務は私とジョアンが担当し、イルマン・フェルナンデスには日本語辞典の作成にとりかかってもらいました。

合間をみて、いろいろと教えてもらいます。

日本語はとてつもなく厄介な言語です。

 

「ポルトガル語なら、基本構造は主語-述語-目的語だ。日本語は、主語-目的語-述語が基本となるが、主語は省略されることが多い」

 

述語が最後にくるとなると、日本語は最後まで聞かないと、相手の意図が判明しないということになるのかな?

 

「述語も省略されることが多い。だから日本人を相手に会話をして、意図を理解することは、かなり難しい」

 

ちょっと待ってくれ。目的語だけで会話が進む……ということになってしまうのか?

 

「厳密にいうなら、副詞だけで充分なんだ。日本語には副詞が異様に多い。パードレは、シトシトとか、ザアザアとか、二音節を2回繰り返す日本語を耳にしたことはないか?」

 

ああ。幼児語のような……でも、大人もよく使っているかな?

 

「あれらは、たいてい、副詞だ。シトシトもザアザアも雨の降り方を表現する単語だが、日本語には雨の降り方だけでも百を超える種類がある」

 

……いったい、何のために、それだけの語彙が必要なんだろう?

 

「パードレは、日本人の家族が自分たちの家の中で雨の日にどう過ごすのかなんて、見たことがないだろう。

かれらは、一日中ずっと家の中で、雨の音だけを聞いて、楽しんで過ごすことができるんだ。

百を超える雨音語から適切なものを選び出す作業が、かれらの楽しみであり、かれらにとっての音楽でもあるんだ。

日本人というのは、そういう民族なんだよ」

 

……理解できない。ん?待ってくれ。

日本語の辞典には、それらを全部入れないといけないものなのだろうか?

 

「日本人を理解し、対話を成立させるには、省くべきでないと思う。ただ、これらに一つ一つエウロパの言葉で説明をつけていこうとすると、果てしなく虚しい気分にとらわれる。

まるでフルガトウリヨだ。いつかは終わると、わかってはいても」

 

しかし……坊主との宗論をするための日本語は、もっと、理性的な言葉が使われるはずだろう?

そちらを優先することの方が、私たちには必要ではないかとも思うのだが。

 

「おお、パードレ。坊主もまた、この副詞を駆使して、我々の質問をはぐらかすのだ。

かれらは主語も述語も明確にしない。ひたすら副詞をつなげていって、何かを語り証明したかのような素振りをする。それだけで、私たちを論破したと勝手に満足して、唾を吐いて立ち去っていくのだ」

 

どこまで傲慢な連中なのだ。

なんだか日本語そのものまで、坊主が坊主による民衆支配のためにつくりだした悪魔の発明なのではないかという気がしてくるよ。

 

「そこまでは言わないし、実際のところ、わからない。ただ、日本語の多くに、邪宗徒たちの専門用語が深く根付いていることは疑いがない。

ダイニチの話をしておくべきかな。その前にパードレ、ちょっと休憩させてほしい」

 



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SengokD.1563/013.hmos

メステレ・フランシスコは、マラカで、3人の漂流者と出会った。

 

かれらは瞬く間に言葉を覚え、自分たちは北東の海からやって来たと告げた。

その賢さに感動したメステレは、3人にパウロ、ジョアン、アントニオという霊名を授けた。

こうしてかれらは人間となった。

 

日本という王国に住んでいたという。

話をきけばきくほど興味をそそられたメステレは、布教探検隊を組織し、荒波をものともせず突進し、かれらの祖国である黄金郷を発見した。

メステレはただちに布教を開始した。到着までに3人から、日本の言葉を学んでいた。

創造主デウスは大日。

アニマは魂。

インヘルノは黄泉。

3人は聖書の教えをわかりやすい日本語に訳し、メステレが読めるよう、ラウマ文字で綴った。

 

未信徒ばかりの日本人を前に、メステレは、日本語で福音を伝えた。

……はずだった。

今ならば、わかる。そこに、悪意は無かった。

 

しかしデウスの教えは、この日本にはびこっていた邪宗の、新しい一派にすぎないと思われてしまったのだ。

メステレたちは、テンジク坊主と呼ばれていたそうだ。西方からやってきた、邪宗の使徒という意味を持つ。

こんな屈辱が、あってたまるか。

 

日本の邪宗は、数々の名で呼ばれ互いに争っているが、もとはひとつだ。

1000年前、テンジクという国からもたらされた。

シャカという俗人が、我ヲ教祖トシテ讃エヨという精神論を説いた。

これが日本まで伝わり、もとがデタラメなものだから分裂に分裂を繰り返して現在に至っている。

 

南インディアにも、似たような偶像崇拝の生き残りがいたように記憶する。だが、少なくとも私のいたゴアやバサインでは、危険視すべき勢力ではなかった。

モーロ人のほうがずっと脅威だったし、インディア原住民は怠惰なことで有名だから、反抗してもすぐに潰せた。

しかしシャカ教は極東で、日本人を虜にすることによって、はるかに強大な力をつけてしまっている。

私も今では、日本への遠征に明るい展望だけを見るような愚かさを抱いてなどいない。

ポルトガル王国が、否、カウトリカが総力を賭して挑まなければ勝てる見込みのない、最終総力戦の只中にいるのだと自覚する。

メステレの涙は、真理を突いていたのだ。

 

フェルナンデスによると、誤解に気付いた時点で、日本語訳の全面見直しが始められたそうだ。

すでに3人の元漂流者はいなくなっていたが、日本で新たに獲得した信徒たちとなんとか知恵の限りを尽くし、より正確な意味を伝えるための日本語化が、模索された。

結局、デウスはデウス、アニマはアニマ、インヘルノはインヘルノと、そのままの音に落ち着くのだが、この悪戦苦闘を経てフェルナンデスは、日本人の言葉・習慣・倫理意識に、どれだけ邪宗が染みこんでいるかを徹底的に学び取ることとなった。

 

「坊主の宗派にも、手強いのと、無視してよいのとある。パードレ、聞きたければ語るが、どうかな?」

 

……ううむ、今日はやめておこう。すでに頭が混乱気味だ。

でも、坊主との論戦が実際どんなものなのか、あまり難しくない程度の参考例があれば、知りたいな。

 

「例、ねえ……じゃあ、パードレ。あなたはメステレを演じてくれ。私が坊主だ」

 

承知した。

 

「ほほぅ、おまえが天竺坊主とやらか。五百年ほどぶりだな。覚えておるか」

 

……なんだいきなり。あなたは頭がおかしいのか。

 

「あのとき、おまえは、私に絹を売りつけたな。その絹を私はもっと高く他の者に売りつけ、いい稼ぎになった。礼を言う。

ところでおまえはあいかわらず貧乏そうだ。よっぽど前世からの行いが悪いようだ。私の寺で下僕からやり直すなら、使ってやってもよい。好きにしろ」

 

……止めてくれ。

本当にこんな会話をしたのか?

 

「止めよう。実際、私も心が荒んでくる。

かれらの言い分によると、人は決して死なず、肉体が滅びても、魂がすぐ幼子の体を手に入れて新しい生を歩むのだそうだ。

通常、その度に記憶は失われる。だが徳の高い者なら、すべての記憶を保持できる。

その坊主は、何千回もの人生を歩んできて、どんな出来事もたちどころに思い出せるのだと言っていた。一方的にそんな話をして、帰っていった」

 

頭がおかしすぎる。グレーシア人でもここまで無茶苦茶は言うまい。

 

「言っておくがパードレ、私はこんな坊主と何千回も戦ってきたし、今のは笑えるうちだ。怒らせるとカタナを抜いて振り回す坊主も珍しくない。それだけの覚悟は、しておいてほしい」

 

胃が痛くなってきた。今日も、ベゾアールを舐めて寝た。

 



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SengokD.1563/014.hmos

待降節を目前に、私たちの教会は、ふたたび灰と化した。

 

誠実に語ろう。

従僕のジョアンくんが夜、蝋燭をつくってくれていた。

日本の樹木からは良質の油が採れるので、たいまつなども、エウロパのものより明るい。

食事の片付けや掃除などもしてくれていて、夜も寒いから薪も多めに焚いていて、つい睡ってしまったのだろう。

私たちも、寝ていた。

目覚めたときには、手遅れだった。

あわてて祭具だけなんとか持ち出した。

木と紙でつくられた建物は、あっという間に焼け崩れた。

 

日本では、建築に石を使わない。

木材と、土を固めたもので柱と壁を組み上げ、屋根と床には植物を編んだものを敷きつめる。

扉には紙を張る。風も、冷気も、容赦なく入ってくる。

そんな家の中で、当然、薪を燃やして暖をとるし、煮炊きもする。

ちょっとした不注意で、たちまち火事になる。

もっと快適かつ堅固な家にしよう、という発想はないみたいだ。

これだけ聡明な民族なのに。不思議でならない。

 

フェルナンデスの原稿も焼けた。

すべて、焼けた。

私にはそれが一番悲しかったが、フェルナンデスは、静かに笑っていた。

 

「これまで何度も、同じことが起きたよ。坊主どもに目の前で焼かれたことだって、数えきれない。そのたびに書き直した。書き直すたびに、良くなっていった。僕の頭の中にはすべてが詰まっているから心配いらない。また書くよ。大丈夫だパードレ。そんなに泣かないでくれ」

 

私たちの教会から燃え移った火が、近隣の十数軒も焼いた。

凍てつく夜の海風にさらされながら、家を失った信徒たちは、立ち尽くした。

さいわい、死者は出なかった。私たちは、跪いて赦しを請うた。

信徒たちも祈ってくれた。私たちを慰めてくれた。御主が、導いてくれたものと思う。

 

私に、奇蹟は起こらなかった。

まだ力が足りないのか。信仰が足りないと戒められているのだろうか。

そう、この火事は、与えられた試練なのだ。

この島の住民が、慈悲をもって支え合えるかどうか、それを御主は見ておられる。

私たちは、信仰の証を立てなくてはならない。

きたるべき降誕祭に、私たちは、できるだけのことをしよう。せいいっぱい祝おう。

それが、私にできる最大の償いだと思った。

 

信徒のペドロという老人の家に、私たちは住まわせてもらうことになった。

明け方になると寒くてたまらなくなる。歯をがちがち言わせていると、ペドロが自分のゴザを私の上にかけてくれた。

暗闇の中で、ペドロに礼を言った。

ペドロは十字を切り、自分の床へ戻っていった。

 

日本人は、この暮らしぶりで、幸福なのだろうか?

どれだけ寒くとも、耐えることに慣れているのだろうか?

エウロパ人にさえ、清貧と摂生を説くことは難しいものだが、日本人は一年中、勤労と断食に明け暮れている。

己れを律することには甚だ熱心で、起きている間はずっと働き詰める。

好奇心も旺盛で、一週間あればラテン語の聖歌を一曲暗誦するまでの学習能力を示す。

これほど布教が楽な土地は地上のどこにもない。

と、誰しも一時は思う。

もし1500年前、使徒の誰か一人でも日本へ辿りついていたならば、教皇庁はラウマでなく日本へ置かれていたのではないか。

そんな夢物語だって、荒唐無稽とはいえない。

 

ところで。

ペドロの家にも、タタミの上に、血痕があった。

フェルナンデスに、来日してからずっと気になっていたんだが、と打ち明けた。

すると、衝撃的な答えが返ってきた。

 

「ああ……それは、ヂシピリナの跡だと思うよ。パードレ」

 

ヂシ…ピリナ?え、ここで?信徒の家で、ヂシピリナを、やるのか?

 

「ヂシピリナだよ。聖週には誰も彼もが、裸になって鞭で叩き合う。血が飛び散るまでね。

パードレも、筋肉痛になるくらい鞭を振るうことになるから、覚悟しておいた方がいい。

教会では、祝祭のときにしかしないことにしているが、信徒たちの中には、自分たちで鞭をつくって、やりたい時にやる者も多い。

というより、実際やってるよね、これは。まだ赤味の残ってる斑点もあるから」

 

私は、気分が悪くなって倒れた。今日のベゾアールは、苦い味がした。

 



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SengokD.1563/015.hmos

ヂリピリナについての正しい説明から始めます。

そのためには、イエズス・クリストがいかなる存在であるのか、から話さねばなりますまい。

その前に、デウスとは、すなわち創世記の物語も必要ですね。

困りました。そこまでは、一日では無理です。

 

イエズス・クリストは、人の子であり、同時に、父なるデウスの子でもあります。

地上に生まれ、人として生き、人として裁かれ、ゼルザレンで磔刑に処されました。

このとき、兵士たちに葦竹で頭をぶたれたのですが、これがヂシピリナの由来です。

 

私たちは、イエズス・クリストの生涯をお手本として、清く正しく美しく生きることを定められています。

そのことを忘れぬよう、毎年四旬節にイエズスの御受難をなぞり、断食し、聖体を拝領し、その復活を祝い、昇天されスピリツサントスが降り注がれるまでを追体験するのです。

すべての信徒にとって大切なつとめです。

 

聖金曜日に、コンヒサンをした信徒の中から何名かが、鞭で叩かれます。

苦しめ抜くことが目的ではありませんから、何回も何回も打ったりなど、しません。子供をお仕置きするように、慈愛を込めて、打つべしです。

これが正しいヂシピリナの作法です。

 

ところがです。

日本では、このヂシピリナが、大人気だというのです。

しかも、より強く、より烈しく、血のにじむまで、血が飛び散り床を汚すまで、打たれないと、気がすまないらしい。

あなたの罪は赦されたのですといくら言っても、きかないらしい。

涙を流して鞭を欲しがり、それを他の信徒たちも涙を流し嗚咽にむせびながら見守り、ひとりが力果てくずおれると、次は私を次は私をと、そんな光景が夜通し続くのだそうです。

 

おかしいだろそれ。いくらなんでも。

そんな報告、読んでないぞ。ヂシピリナを行いました、くらいは見た記憶あるけど。

いやしかしまあ、書けないか。書けるわけないか。

私も書け……書かないかもしれないかな。どうだろう。

この目で実際見てみないと、わからないな。

 

「日本人は、裸になることに抵抗がない。

男も女も、幼児でも老人でも、いつでも胸や尻を往来でも平気でさらす。服装も、ゆるくて脱ぎやすいしね。

さすがに服が血まみれになると洗うのも大変なので、ヂシピリナをするときには裸になり、四つん這いになって、尻を向ける。しつこいようだが、老若男女、誰でもだ。

そういえばアジュダでは、ヂシピリナを見せなかったね。他にやることがいっぱいあったし、新しい教会だったから汚したくなくて、一応禁止にしてたんだ。

そうか。じゃあパードレは、降誕祭で初体験ということになるかもね」

 

ちょっとまてちょっとまてちょっとまて。水を一杯飲みたい。ごくり。ふう。

……イルマン・フェルナンデス。君が冗談を言っていないことは、信じよう。

だが、私には、まだ納得がいかない。

それは、いくらなんでも、布教のありかたとして、カウトリカの聖旨に照らして、何かが躓いている気がする。ように私には思えるのだが、君の意見はどうですか。

 

「言われてみると、そうかもしれない。

しかし本来、ヲスチヤと葡萄酒で行うべき聖体拝領も、我々はコメとサケで代用せざるをえない。

いろんな要素を、日本では現地に即した形に適応させねば誰一人信徒にはなれないし、我々にも授洗するための用意がないということになってしまう。

コンヒサンだって、エウロパ人でやっているのは私だけだからね。

その一要素として、日本式のヂシピリナが信徒を惹きつけ、未信徒が興味を抱くきっかけになっているのならば、雑念をふりはらって活用すべきともいえないだろうか。

それとも、厳格にするべきですか?

教会では子供だましのヂシピリナしか味わえない、となれば信徒たちは家へ籠もるようになるよ。

まあ、それでも来てくれる信徒ならばホンモノだという線引きにもできるとは思いますけど」

 

私は、頭の中を整理しきれないまま過ごした。

 

 

まもなく降誕祭が訪れた。

新しく借りた藁小屋をせいいっぱい飾りたてて、信徒たちを出迎えた。

雪が真横から吹きすさぶ中、聖歌を合唱し、ささやかな演劇を行い、祈りを唱え、新生児に洗礼を授け……そして、ヂシピリナの時間がやってきた。

 

フェルナンデスの鞭さばきは、私の想像を超えていた。

美しいとさえ思った。いや、美しかった。

磨き上げられた達人芸を思わせた。

信徒たちは目を輝かせて、四つ足で踏ん張る同朋を応援し、サケを酌み交わす。

私も交代して何人か打ったが、一人も満足させられなかった。

申し訳ない。申し訳ありません。もっと体力を鍛えます。

 

「もっと」

 

これも副詞だそうだ。ヂシピリナの最中、この言葉が叫ばれ続ける。

覚えてしまった。

 

でも、汗をかくのはいいことだ。

私は久々に、ぐっすりと、眠りにおちた。

 



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SengokD.1564/001.hmos

筋肉痛が、遅れてくる年齢になってしまった。

そう言うと、フェルナンデスは私に、愛想笑いを浮かべる。

 

「パードレ。あなたはもっと体を鍛えた方がいいと思う。坊主との喧嘩には知恵も弁論術も忍耐も必要だが、それを支える体力も無くてはならない。

運動のつもりで毎日ヂシピリナをしてあげれば、信徒もよろこぶと思うよ。どうだい?」

 

ううむ。まあ、考えておこう。まだ迷いを棄てきれない。

割礼祭も公現祭も無事に過ぎ、私たちはひとときの平穏な日々を迎えている。

いくつか備忘録を綴ろう。

 

私たちを保護してくれているドン・アントニオであるが、たいへん忙しい身分で、今も戦場に出ているという。

どこと戦っているのだろうか。

フィラドと、オオムラ・タケオ・アリマは政略的に、どのような関係にあるのだろうか。

フィラド領主フィッシュがオオムラを攻めろと言えば、ドン・アントニオはドン・バルトロメウへも牙をむくのだろうか。

私たちの進退にも関わる問題なのだが、情報は得られないままでいる。

 

ドン・アントニオにはドナ・イザベルという妻がいて、ファナウラという町に住んでいる。タク島からフィラドを臨むと、最も近い港だ。

何度か子供たちを連れて来てミサに参列してくれたし、私たちとの専属連絡員を頻繁に往復させて何かと世話もやいてくれる。たのもしい協力者である。

その連絡員はディエゴといって、ポルトガル語を話せる日本人なのだが、この男と話しているとフィラドという町の雰囲気がわかってくる。

良く言えば、何に対しても貪欲で活気がある。

悪く言えば、ハチャメチャでその場限り。

 

私もリジボーア人のはしくれとして、海に生きる男たちの気質というものを、わからぬではない。

来日するポルトガル人は全員がカウトリカ信徒だが、かれらとつきあっていても常々思い知らされる。

天候次第、波次第。

突発的な事態には即応を求められる。

毎日正確な時刻に聖務日課を滞りなく執り行うことを求められる私たちとは、同じ考えに立って生活すること自体が難しいのだ。

だから妥協もする。我々も、退くべきところは退く。

それをお互いに弁えることで、初めて共同作業が実現する。

フィッシュは、宣教師だけを排除したいという、明確な野心を持っている。

根本的に間違った考え方だ。

改めぬ限り、ポルトガル船団はフィラドに立ち寄らない。

根比べのつもりなら、最後には私たちが必ず勝つ。

 

ディエゴは、我々がフィラド本島へ上陸するのを、時期尚早だという。

フィッシュはミヤコから高位の坊主を招き、私たちの悪口を言いふらしている。

信徒は棄教を迫られ、日々心細さを味わっているが、それは囮なのだ。

我々が今行けば、信徒を励ますどころか暴徒にたちまち取り押さえられ、焼き殺されてしまうだろうと。

それでも構わんさ、と思うところ無きにしもあれど、ドン・アントニオが戻ってきてからの方がより良い作戦を立てられるかもしれない。

そう説得されて、今は自重することにした。

 

「パードレ。フィラドの連中を甘く考えない方がいいよ。4年前の船団長はフィラドで殺されたんだ。聞いてないかな?」

 

フェルナンデスに言われて思いだした。

4年前?61年?……あ、ああ。知っている。

船員たちが言っていた。あれ、フィラドだったのか。

え、フィラドで起きた事件だったのか?

 

「商売上の諍いがもとで押し合いへし合い、殴り合い、最終的にポルトガル人が15人くらい殺された。

船団長は領主たちと懇親中だったが、仲裁に割って入って、頭を叩き割られて死んだ。

そんな事件があったから、新しい港を探そうということになって、オオムラ領のノッサ・スニョラ・ダ・アジュダが開拓されたんだ。

あれ?今年の夏の定航船は、どこへ碇泊すればいいんだろうねえ。

ドン・ペドロは何か言ってなかった?」

 

若き船団長ドン・ペドロ・ダ・ゲラの用意周到ぶりには、そんな背景もあったのか。

しかしそれほどの事件があってさえ、船員たちにはフィラドをなつかしがり、向かいたがる声の方が大きかったぞ。

海の男たちには、仲間が15人殺された程度では、大した出来事ではないというのか?

に、認識をあらためねば。

 

暗い気分を振り払いたい気分で、パードレ・トルレスからの書翰を読む。

トルレスは今、アリマ領の、コチノスという町にいる。

ここでも、状況はきわめて険呑である。

アリマ半島には何人かの小領主がいて、しょっちゅう戦争をしている。

私は来日前漠然と、66領国に各一人の王がいて互いに覇権を競い合っている風に想像していたのだが、全然違った。

ブンゴ王だけは広大な領内をうまくまとめているようで力も強いが、他の地域では、まったくまとまらず内紛に明け暮れている。それが日本では普通だ。

ドン・バルトロメウは家臣に殺されかけた。そんな事態も、今後は頭に入れておかねば。

 

だから国境なども、あくまで机上の概念に過ぎず、日々動いていると思っておいた方がよさそうだ。

一日も早く、すべての領主がデウスの教えを学ぶべきだ。

その瞬間、戦争は止む。

人々は安心し、田畑から最大の収穫を得られるようになる。

互いに慈しみ、協力して困難に立ち向かい、皆が幸福な家庭を育み、悪魔も改心して私たちの前に跪く。

赦しあうのだ。そうあるべきだ。

それなのに。ああそれなのに。なんということだ。なげかわしい。

 

アリマの先王も、ミヤコから高位の坊主を招いている。民衆からデウスの教えを忘れさせようと、必死なようである。

トルレスたちは、そんな敵どもと日々、宗論を戦わせているのだそうだ。

……あれ?トルレスは、日本語を話せないはずだよな。

いったい、何語で戦っているんだ?

 

「宗論ではね。日本人信徒が、日本語で坊主と戦う。後ろにパードレやイルマンが就いて、日本人信徒が解答できない問題はポルトガル語へ翻訳してもらい、それに答える。その後、坊主に日本語で解答する。

これが基本の形だね」

 

イルマン・フェルナンデス。君の話で聞いていた限り、坊主がそんな悠長な対決におとなしく耐えるようには思えない。実際にはどのような弁論なのか。

記録がとられてあるなら、見たいものだと思う。

 

「おお、パードレ。私はやや極端な例を挙げ過ぎていたかもしれない。申し訳なく思う。

記録は、とっていたこともあるが、手元には残っていない。ここでの火事で、最後のものも失われた。

それはさておき、坊主にも、真剣に私たちの話を聞いて理解しようとしてくれている人は、意外と多いんだよ。

むしろ宗論において坊主たち相手に戦ってくれる日本人というのは、ほぼ全員、もと坊主だ。

デウスの教えに目覚め、坊主の衣を脱ぎ、霊名を授かり、ポルトガル語を覚え、話し慣れた日本語で教義を説明する。

坊主たちの理屈のどこが脆弱であるかも知っていて、突きどころを私たちにも教えてくれる、優秀な戦士たちだ。

かれらとの協力態勢さえ築ければ、日本での布教は、そんなに悲観したものでもないんだよ」

 

なるほど……私は、そんな日本人もいたことには、気づいていなかった。

ジョアンくんでは、まだ無理だろうね。

でも、少し勇気がわいてきたよ。

 

「今はミヤコでパードレ・ヴィレラをたすけているが、ロレンソという日本人で、すごい男がいる。

彼に宗論で勝てる坊主は、まず、いないね。

私も彼からきわめて多くのことを教わった。パードレ、あなたにも会わせたい」

 

ロレンソ。へえ、どんな男なんだい?

いや、いい。会うその時まで、楽しみはとっておくことにしよう。

 



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SengokD.1564/002.hmos

タク島に、雪は積もらない。

海風がすぐ吹き飛ばしてしまう。

 

気温の低さも尋常ではない。

日本での生活に慣れているフェルナンデスでも、つらいと愚痴をこぼす。

ジョアンくんは、手をひび割れだらけにして今日もコメを煮てくれている。

ありがとう。君にはデウスの祝福が、きっと、もたらされる。

 

灰の日を迎え、私たちは断食を始める。

とはいえ、タク島へきてからずっと、否、日本へ来てからずっと、断食しているので、代わり映えはしない。

お魚をいただくのを、やめるべきだろうか。

本気で死んでしまう。

エウロパでも、病人は食事をしていいのだ。私たちは病人同然なのだから、御主もお赦しになるだろう。

いただきます。

 

タク島に邪宗徒はいないので、復活祭を滞りなく行えるかと思ったりもしたのだが、甘かった。

正しく導ける宣教師がいないと、だんだん戒律も典礼も、おかしくなっていくものだ。

今年は、我々がいる。2人もいる。

無いものだらけの環境ではあるが、せいいっぱい、できるかぎり、本来の姿に則った復活祭を行う責務が、私たちには課せられている。

がんばりましょう。

 

復活祭は移動祝祭日なので、教会暦によって確認をする。

フェルナンデスによると、今年は早すぎも遅すぎもしないので、その頃には暖かい季節になっているだろうとのことだ。ありがたい。

この日を中心に、日程が組まれる。

七旬節、六旬節、五旬節ときて、四旬節がはじまる。

その初日が、灰の水曜日。

前年に祝別された棕櫚の枝を灰にして、備えておく。

私たちは、御子イエズスの生涯に我が身を重ねつつ、苦難もあれど歓びにも満ちた40日間を、慈しみながら過ごす。

最後の8日間は、聖週と呼ばれる。

枝の主日に始まり、イエズスと弟子たちの身に最大の危難が降りかかる。

イスカリオテのユダに裏切られたイエズスは処刑場へと、自らの足で、歩んでいかれるのだ。

 

……あ。聖金曜日にはヂシピリナをするのだろうけど、聖木曜日はどうするのですかイルマン・フェルナンデス。

なにか、日本独特のやり方とか、あったりするものでしょうか。

 

「洗足式は、とくに変わったことはやりませんよパードレ。12人選抜して、足を洗います。それだけです。普通に終わります」

 

ほっ。

そんな次第で、聖金曜日にイエズスは十字架に磔にされ、死を迎えます。

世界は嘆きに満ち、私たちは40時間、深い深い悲しみの中を耐え忍びます。

一千五百数十年前、ゼルザレンにて実際に起きたことなのです。

しかしこれも、御父デウスが私たち人間に真理を教え考えさせるための、重要な一幕であったのです。

 

イエズスはサントスパアデレスのリンホへ赴かれ、聖なる人々と、行き場を失っていたアニマたちをパライゾへと導いたのち、地上へ戻ってこられました。復活の主日です。

聖マリヤの時刻になると、私たちは聖堂の蝋燭へ一本ずつ、火を灯していきます。

徐々に、徐々に、堂内は光で満たされます。

ミサを始めます。

イエズス・クリストと共に歩む、新たな40日間のはじまりを祝します。

私たちは、通常の食事を摂ります。ええ本来ならば。

 

そして、この豊潤な世界を創りたもうた御父デウスへも、あらためて、最大の感謝を捧げるのです。

それまで懐疑的だった求道者にも洗礼を授け、正しい生き方を学びなおす機会を与えます。

 

イエズスは、彼自身を死に追いやった者たちへ、怒ることも、責めることもしません。

人間社会の悪は、すべて誤解と躓きによって起きるものなのです。

アダンとヱワがパライゾを追われて以来、人間には原罪が刻まれていますが、これも、イエズスは浄化しました。

人間はここに至ってようやく、創造主デウスのつくられた本来の姿にもどることができるのです。

私たちは、これからはイエズス・クリストに倣いて、その教訓を日々忘れぬよう生きていけばよいのです。

それだけです。

たったそれだけのことで、私たちは幸福になれるのです。

 

後日譚を少しだけ。

イエズス・クリストと弟子たちは、それからも精力的に教えを説いて回りましたが、復活から40日後、イエズスの肉体は、死のときを迎えました。

それは、避けられぬことだったのです。

人々はやはり嘆き悲しみましたが、50日目にスピリツサントスが、かれらの頭上から降りそそぎました。

この日をペンテコステといいます。

復活祭は、ここまでをもってひと区切り。

私たちにとって、否、地上に生きるすべての人間にとって、大切な大切な祝祭です。

 

これをタク島で、厳格に、行います。

ないものだらけの環境ですけど。せいいっぱい。できるかぎり。

 



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SengokD.1564/003.hmos

ディエゴが、20人の信徒を連れて、タク島へやって来た。

皆、コンヒサンを望んでいるという。

当然といえば、当然だった。想定しておくべきだった。気が回らなかった。

 

フィラド島には順番待ちの信徒も大勢いて、可能であれば明日からも毎日、20人くらいずつ連れてきたいという。

フェルナンデスが目を虚ろにして、うなずいている。

どうしよう。ジョアンくんにも受け持ってもらうか。

私はまだ、そこまでの日本語力を身につけていない。

 

力無く微笑む私たちに向かい、ディエゴは、灰の日に起きた悲しい出来事を告げる。

私たちはフィラド島、ドン・アントニオの邸に、日本の貴人たちを訪問するときのための貢ぎ物を預けておいた。

日本には無い、珍しいものを中心に、荷車2台分ほどの量をドン・ペドロの船から移しておいたのだ。

これが、すべて、焼失したという。

 

私たちは表情を失った。

声も出なくなった。泣き叫べるなら泣き叫びたいところだった。

御主よ。あんまりではありませんか。いくらなんでも、度が過ぎます。

しかし、こう考えることにした。

私は昨年、奇蹟を起こした。

私は、御主に、目を掛けられているのだろう。

もっと試練を与え、私を試そうとなされているのに違いない。

そうだよ。聖人たちの受難なんて、こんなものではなかったよ。

もっともっと、つらい試練に見舞われてこそ、マルチレスになれるんだよ。

だから、歯を食いしばって、耐え忍びます。

それにしたってあんまりだとは思いますけど。

 

気を取りなおして、コンヒサン。

四旬節に入ると、原則として洗礼はしない。

結婚式も、復活の主日以降に延期する。

その代わり、コンヒサンを勧める。

日頃の行いを振り返り、反省し、告解し、赦しを請う。

そしてフィラド島には、タク島の何倍もの信徒がいて、かれらが挙ってパードレにコンヒサンを願いたいとやって来るのは自然な流れだよなあ、と思う。

 

本日気付いた、いくつかの問題点を指摘。

フィラドからの来訪者は、皆、派手に着飾っている。

信徒の中でも富裕な者からやって来るのだろう。コメやお菓子、手巾など、寄付も忘れない。

これが、タク島の住民たちを刺激する。

 

タク島の住民は、はっきり言って皆、貧しい。

どの家も小舟で漁へ出かけ、その日その日を暮らしている。

家が焼失してしまっても建て直す資金が無く、親戚の家などで寄り添い助け合いながら、健気に信仰を守って生きている。

清貧である。美しい。

ところが、フィラド人はそんなタク島の民を冷やかし、嘲弄しているように思われる。

 

悪意は無いのだろうと信じたい。

それでも、尊大さは態度に出る。

とげとげしい空気が、教会内にもたらされる。

良いことではない。

 

現在の教会は狭いので、コンヒサンは衝立を隔てた一角で個別に行い、併行して私は信徒たちと円を囲むように座って、ラウマ文字で書かれた日本語の説教を読み上げる。

少しづつ、日本語の発音にも慣れてきているところだ。

本来コンヒサンは一対一で行い、その内容については厳格な守秘義務が課せられる。当然だ。

しかし、イルマン・フェルナンデスをこれ以上苦しめることを御主も望まれないはずである。

あらかじめ対象者に、ジョアンくんによるコンヒサンをイルマンが補助する態勢でも構わないかどうか尋ね、可であればそうさせてもらい、否であればフェルナンデスが一人で対応する、という形式をとった。

実際このやり方は、日本ではよく行われてきた方法であるという。

 

フェルナンデス単独を希望する信徒は、きまって若い女性であるという傾向を発見した。

夜、率直に聞いてみた。

日本人信徒に単独でコンヒサンをまかせる場合、躓きが起きたことは、あるかどうかと。

 

「パードレ、よくぞ、聞いてくれた。躓くよ。

たいていは、コンヒサンした娘さんと、ある日とつぜん、いなくなるね。

アジュダもタクも、環境的に起きにくいが、ミヤコなんかひどいものだって。

パードレ・ヴィレラの報告書は?ああ、全部は読んでないか。

教会の従僕となることは、女と秘密の会話をできる近道だ。そう若い坊主どもに思われてるフシもあるから、要注意だね。

まあミヤコの話はいいとして、ジョアンくんもそろそろ夢精を始める年齢だから、気をつけて見てあげておく必要は大アリだ。

今日のところはまだまだ必死さが出すぎていて、ほほえましかったけどね」

 

ジョアンくんから、カドがとれ、彼にコンヒサンを願いたい、と通うようになる娘さんが現れるようになると、か。

たしかに今日の着飾ったフィラド人を見ていると、ふだんタク島で暮らしているからこそか、私だって毒気にあてられる思いにとらわれた。

若い子には刺激が強かったろうと、察するにあまりある。

 

「パードレ、あなたも今後、日本語でコンヒサンできるようになると、危険な誘惑に日々苛まれることになると警告しておくよ。日本の女は、エウロパ人が大好物だ。

あなたが日本女と一緒に姿をくらますパードレ第1号となる可能性だって、ないとはいえない」

 

おいおいおい、やめてくれ。

しかし……フィラドは交易港だ。娼館もあるだろうし、遊女の信徒もいるだろう。

遊女は、罪の塊だ。

悩みも深いだろうし、信徒であるならコンヒサンをしてあげなくてはならない。

しかしそれがゆえにそうなってしまいやすいものであるということもまた、必然ではあるのだ。

心しておこう。

だが。あらためて思うに、イルマン・フェルナンデスよ。

君はどうして、そこまで超人的なのかな。

これまで君自身が躓いたことも、数多くあったのではないか。

よく、乗り越えてきたね。

 

「うれしいよパードレ。そんな優しい言葉をかけられたのは初めてだ。

僕のコンヒサンを、今ここで、きいてもらうことはできるかな。なんだか、思いきり、心にためこんできたいろいろな抑圧を、吐きだしてしまいたい気分になってきてしまったよ」

 

いいよ。僕でよければ、存分に聴こう。吐いてくれ。

 

 

それは

インヘルノもここまで醜悪ではないだろうと思われる

おぞましく筆舌に尽くしがたい

名状しようにもできない

なにものかであった。

 

もちろん、私はそれを、誰にも言わない。

 



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SengokD.1564/004.hmos

日本各地で、64年の復活祭が、無事執り行われた。

その報告を互いに交換し合ってるところだ。

 

一番安全なブンゴが集約拠点となり、そこで写本がつくられ、各布教地区へと送られる。

戦乱の国々をいくつも経由して、書翰は移動する。

意外にも領国をまたぐ通信体制は機能している。とくにブンゴ王の特別許可状は効果絶大だ。

フィラドの役人がタク島まで届けてくれる。

宛先は日本文字で、中にはぎっしりポルトガル語。

 

脱線をゆるしてほしい。まず、紙の話。

日本では紙が非常に安価で、手に入りやすい。

肉を食べないから羊皮紙はそもそも存在しないが、森林資源が豊富なせいか紙づくりは盛んだ。

おまけに質が良い。強度があって、インクがなじむ。

インクの原料は、木炭だ。

油も混ぜて塊にしておき、これを水で溶いて、筆につけて文字を書く。

日本語の書き文字は、話し言葉に輪を掛けてややこしく厄介なものだ。チイナから輸入した漢字が基礎となっていて、一文字一文字が独立して意味を持ち、形が複雑で種類も何千とある。

最低限でも数百個は覚えてからでないと、文字の読み書きなど始められない。

フェルナンデスですら、挫折した。1001個覚えたところで熱意が完全に途切れてしまったのだという。

私たちの屍を乗り越えた第二世代にその仕事はまかせるよ、なんて、たぶん本気で言っている。

 

文字について、もう少しだけ。

現代のエウロパではどこの国でも、おおむね20字から30字のアルファベットを組み合わせて、左から右へ、上から下へと書いていく。そんな言語しか知らない人も、多いだろう。

少し教養のある人は、カナン語やアラビア文字のような例外を知っている。

インディアからマラカあたりまで来たことのある人は、漢字に出くわす。

漢字は、上から下へ、右から左へ書いていく言語だ。

手が汚れるだろうって?もちろんだ。

だから筆を使って、紙に触れないようにして書いていく。まるで絵画さ。

その所作まで含めて、筆記術が学ばれ伝授されていく。

エウロパ人が考えているよりはるかに、インディアの人たちは文字を書くことそれ自体を、特別な技法であり軽はずみに始めてはいけないものだとさえ、強く思いこんでいる傾向がある。

 

頭に思い浮かぶまま、勢いにのってペンを走らせ、書いて書いて書きまくってなんぼじゃないかと考える私だが、それは決してエウロパ人の総意を代表していないとは思うけれども。

日本では、どうやら学問のある坊主ほど、私たちの書く姿を見て、文字も知らない田舎者といって嘲弄するらしいんだよね。

 

フェルナンデスが言っていた。

宗論の内容をその場で速記していると、うしろから見物している坊主どもが、ケタケタ、ニタニタ、邪魔をするんだそうだ。

一方、かれらは記録すらとらない。

だから宗論なんて、まじめに進みゃしないんだってさ。

 

長くなった。すまない。やっと本題に戻るよ。

ええと、各地の報告より。

 

まず、アリマ領タカセという土地で、シルヴァというイルマンが、天に召された。

来日して13年。過労が祟っていたのを、御主が憐れに思い、みもとに呼ばれたのだ。

パードレ・トルレスとイルマン・アルメイダが最期を看取り、ささやかな葬儀を司式した。

私は会う機会すら得られなかったが、共に日本で戦った同志として、彼の名を心に刻もう。アーメン。

 

私と一緒に来日したパードレ・モンテは現在ブンゴ地区の責任者だが、彼には似つかわしくない、鬱憤と愚痴に満ちあふれた報告を送ってきた。

 

ブンゴ王はコンパニヤに多大なる援助を与えてくれているが、坊主どもを積極的に抑えつけてくれているわけでもない。

信徒たちは日夜、根も葉も無い、身に覚えの無い罵詈雑言に心身を深く傷つけられている。教会は常に放火される恐怖と戦うため、交代で見張りを欠かせないのだという。

たとえばエウロパ人は人肉を喰らい血を啜るのだという、愚にもつかない噂がある。

ブンゴには孤児院もあるが、そもそも坊主どもが嬰児殺しを放置むしろ承認してきたのがおかしいだろうと声を大にして言いたい。

しかも私たちが子供を救うのを、太らせて喰うためだと中傷する。

復活祭ではこの孤児たちが、イルマン・サンチェス指導のもと最高の合唱と演奏で信徒たちの心を満たしてくれた。

それを聴いても尚、坊主どもは自分たちの怠慢と金権体質をなんら省みることなく、せせら嗤って念仏を唱える。

恥ずかしくないのかねえ。

 

君たちの言行はすべて私たちが記録し、世界に公表しておくからね。圧倒的物量で叩きのめしてやる。

せいぜい心を込めた美しい日本文字で反省文をしたためるように。いいね!

 

ミヤコのパードレ・ヴィレラからの報告は、ブンゴで要約されたものだった。まだ心の病がひどいのだろうか。

強い精神を持ち、若く壮健なパードレを派遣して援護すべきだとは誰もがわかっている。

しかし、人材がいない。

今年の夏は、誰か来てくれるだろうか。日本布教を共に戦う、勇敢なる同志がほしい。

 

最後に。ブンゴ王がなぜ強いのかについて、手懸りが得られた。

パードレ・モンテの報告によると、つい最近ブンゴ国北方で戦闘が起き、ブンゴ兵約1000のエスピンガルダ隊が活躍して敵を殲滅したらしい。

エスピンガルダが1000挺もあるのか?

まったく、驚いた。坊主どもに向けてくれたら一瞬で結着がつくのにと思わずにいられない。

 

……ああ、ひょっとすると、定航船のサリートリは、通常ほとんどがブンゴに納品されているのかもしれない。

あれは火薬の原料なんだ。

だから、ブンゴは強いのか。

 



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SengokD.1564/005.hmos

来日して一年経った。

ということは即ち、定航船の季節到来である。

 

私たちは63年、聖母訪問の日にノッサ・スニョラ・ダ・アジュダの港へ、アマカウから2週間で着いた。これは稀に見る最短記録だった。

意気揚々と布教にとりかかったが、秋に領内で反乱が勃発。

アジュダは村ごと破壊された。

船団長ダ・ゲラは、その報告を携えてアマカウへ戻った。春には、ゴアまで着いていていいはずだ。

 

今年の船団長は、ドン・ペドロ・ダ・アルメイダという古豪だそうである。

困ったぞ。略すとどのドン・ペドロか、どのアルメイダか、わからなくなってしまう。

ペドロもアルメイダも、ポルトガルでは極めてありふれた名前だからだ。ううむ。

 

それはともかく。アマカウからの出航は3隻。

先に出た2隻が、聖クリストバル記念日に、フィラド沖まで到着した。

フィラドは敵地であるし、パードレがいなければ船員たちは上陸しない。

沖の小さな無人島の陰に碇泊し、水源地を確保し、小舟で偵察隊を出した。

タク島にパードレがいると聞いて、私を訪ねてきてくれた。

 

それから3日。最後に出港するはずだった船団長の旗艦を待つが、一向に現れない。

先発隊が隠れているのも限界だ。なんとかせよと、私はしつこい催促を受けた。

結局、今年はひとまずパードレ・トルレスのいるコチノスへ向かってもらうことにして、トルレスへの手紙を書いて託す。

コチノス港は充分な水深があり、ナウの碇泊が可能との報告を受けている。

行ってみて良ければ、今後の拠点とする可能性もありだ。

 

 

私は最近、ディエゴに心を開けなくなってきていたので、このことは黙っておいた。

だがこちらからは、フィラドに何か情報が入ってきていないだろうか、と毎回尋ねた。

コチノスにナウが入港したらしいですぜ、ちくしょう。とディエゴが教えてくれた。

フィラドとしては、ここ一番の稼ぎ時を、さほど遠くない、小さな町に奪われてしまった格好だ。

待機していた商人がどんどん港から去っていく。それは面白くないことだろう。

だから秘密にしておいたのだ。

フィラドが自ら招いた事態とはいえ、反省の機会は厳格に与えられなくてはならないからね。

 

問題は、船団長の乗っている旗艦が行方不明であることだ。

冷静に考えれば、遭難だろう。先の2隻も、順風な旅ではなかったという。

旗艦には3人のパードレが乗って来日するはずだったと言われて、私とフェルナンデスがどれほど悲しんだか、察していただきたい。

 

日本布教の道は、更に険しくなる。

御主よ、あんま……あ、いえ。なんでもありません。

コチノスでも、パードレ・トルレスが今後の布教計画について、頭を悩ませているところだろう。

何かしらの手紙がくることを待ちわびながら、私たちは暑い夏を過ごしていた。

 

そんなところへ。

聖クララの日だった。

ドン・ペドロ・ダ・アルメイダの船が、突然フィラドへ現れた。大騒ぎになった。

 

ディエゴがやって来て、フェルナンデスと私は、フィラドへ上陸した。私にとっては、この日が初だ。

フィラド領主フィッシュ。

その家臣で我々の味方、ドン・アントニオ。

船団長と、通訳ができる船員若干。

日本側からも若干。

そして、私たち宣教師。

全員揃ったところで、国際会議が始められた。

 

必要と思われることだけ説明しよう。

フィッシュは、1隻だけでもなんとかフィラドにとどまり、ここで交易をして欲しいという。

入港料や関税もとらない。住民と、各地から来てくれている商人に儲けてもらいさえすれば、町の威信は保たれるのだからと嘆願する。

立派な政治的態度だ。しかし。

布教を認めず。

この一点だけは、譲歩する気がないという。

 

私は、譲歩した。

過去に宣教師や信徒たちが不当な迫害を受けてきたことへの補償は、もう問うまい。

しかし今後については。

布教の許可と、安全な教会用地の確保。聖堂の建設に関しても、業者から不当な請求などされぬよう領主から厳命してもらいたい。

邪宗徒との揉め事が発生した場合でも、公平に双方の言い分を検め、正義に即した裁判を行い、その一部始終を公表すること。

私たちは、たったこれだけしか要求しない。

坊主の特権を剥奪しようなどとは考えていない。

ただ私たちにも同じだけの機会を与え、人々が話を聴きに来ることを邪魔しないようお願いしているだけです。

それすらできないのなら、ポルトガルはあなた方と交易などしません。

理性があるならば、平和的に解決しましょう。

布教を認めますか?それとも、インヘルノへ堕ちますか?

 

10日後、私たちは勝利した。フィラドに教会が作られることになった。

ちょうど手頃な邸が空き家になっていたので、そこをもらいうけた。

手直しをして、タタミも新しくして、来月には献堂式を挙行できるだろう。

 

3人のパードレとも、抱擁を交わした。

カブラル。コスタ。フィゲイレド。

大物揃い。皆、私より先輩だ。

しかし私も、日本で一年揉まれただけに、堂々としていられた。力強く、かれらの手を握り返した。

ようこそ、日本へ。

ともに戦う、同志たちよ!

 



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SengokD.1564/006.hmos

聖マリヤ御生誕の祝日。

フィラドの新教会で、盛大なミサを行った。

 

感無量だった。信徒たちも、積年の苦節が報われたと声を張り上げて合唱し、鞭の音が夜通し鳴り響いた。

新しいタタミを汚したくなかったので、古布を敷き詰め、今後はこれを徹底することを新たに定めた。

日本人の清潔気質にも合致するところがあり、甚だ良い印象を与えられたと思う。

なにごとも工夫だ。

 

コスタとカブラルは、かつての私もそうだったように、驚き、当惑していたが、すぐ慣れてくれた。

フィゲイレドは上陸後すぐコチノスへ渡ったので、トルレスから教えてもらえると思う。

教会設立と共に、私はフィラド島内へ移住した。

まだ、ひと月にもならないが、都会に住む日本人と毎日接するうちに、認識を改めることが多くあった。

思い浮かぶまま、語ろう。

 

想像していた以上に、フィラドは多国籍都市だった。

これまでヴェネツィアのようだと考えていたが、修正する。モーロ兵のいないマラカ、に近いかもしれない。

インディアまで来たことのない人には、わかってもらえにくいかな。

 

主たる住民および政庁は日本人によって構成されているが、チイナ人およびその子孫もかなりの割合を占める。

言語も、装束も、挨拶や、ふとしたしぐさも、いろいろ混じり合っていたり、居住区域によって完全に違っていたりする。

フィラド島そのものは決して大きくはないのだが、研究目的で見て回るつもりなら、ふた月くらいは算段しておくべきであろう。

それほど、異国情緒にあふれた複雑さを呈しているのが、フィラドという町だ。

 

これと、船団長ペドロ・アルメイダの話を重ね合わせると、さらに興味深い発見が得られる。

彼は常に酒臭いし、気分屋だし、ディエゴより信用のおけない人物であるが、それゆえ私たちには想像もできない経験を積んできた。

まず旗艦が随分遅れてやって来た理由だが。アマカウを出帆したのは先発2隻より3日以上も後だという。

荷の積み込みに時間がかかったということだが、吃水線が完全に見えなくなるほどの商品を載せてきていた。

ダ・ゲラと真逆じゃないか。ダメだろ。

案の定、嵐に見舞われると、船は舵をとれなくなる。

右へ左へ大きく揺れ傾ぐ。

それでも荷物は捨てずに乗り切ったのだと。これも自慢の種となる。

しかし進路を大きく外れた。

こんな船長だから航海士もチャランポランだ。

適当な計測をしているうちに、かなり西にそれ、大きな島に漂着した。

原住民の家がまばらに。砦のようなものも見える。

しかし、人の気配は無い。

そんなことより水だ水と給水隊を上陸させ、ついでに野鹿か猪を狩っていこうと30人ばかり出動させたところで、襲撃された。

 

肉切り庖丁のような武器を手にした勇敢な男たちが、巧妙に隠れていたのだそうだ。

砦からも老人や女たちが加勢に出てきて、石を投げつけてくる。

水兵たちはエスピンガルダで応戦した。そんなこんなしていたので日本到着まで時間がかかったのだという。

 

航海士がまがりなりにも計測した記録によると、どうやら上陸地点はチイナ大陸の東端らしい。アマカウへ戻ったら危険地帯として報告すべきだろう。

ずいぶんと戦闘慣れ、より正確には襲撃され慣れているように感じるのだが、周辺海域でかれらを頻繁に襲いうる相手といったら、日本人しか思いつけない。

日本人は戦争し慣れているし、内海に海賊が多いというなら外海でもやっているだろう。

 

そんな推理をした上で、フィラドの信徒に探りを入れてみる。

フィラドより沖にはフクエとかツシマとか、同じ日本人でも血の気の多い連中がいる。よくチイナ人の子供を売りに来たりする。なんて話を仕入れることができた。

シモの内地でも、サツマ人はフィラド人よりずっと野蛮で、すぐカタナを抜くから仲良くできないとか言う。

じゃあフィラドの人がいちばん賢くて文明的なんですね、とおだててやれば喜ぶ。

つい先月まで邪宗徒が威張り散らす街だったくせに。

だが、そんなフィラド人も今では私たちの生徒なのだ。

一歩ずつ前進していこう、手を取り合って。

 

そうそう。フィラドで私は初めて、坊主と対戦した。

その坊主は、僧服を着ていなかった。観衆にまぎれていて、そ知らぬ顔で質問をしてきた。

通訳に、彼は坊主なのか?と尋ねてみると、そうですよとあっさり自分から正体を打ち明けた。

ふざけてやがる。油断ならない連中だ。

 

「あなたは、地上の万物は創造主デウスによってつくられたものだという。では、そのデウスはいったい何者がつくったのか」

 

私は答えよう。デウスはすべての始まりであって、デウスをつくった者は存在しない。

 

「納得できない。万物には始まりがある、とあなたは言う。デウスにも始まりがなければいけない」

 

万物とは、4大元素によって形造られる、この地上のすべてという意味である。デウスは4大元素を超越した存在である。万物には含まれず、デウス自身に始まりはない。

 

「デウスは体を持たず、見えもせず触れぬものと解釈する。それをあなた方は、いかにして知り得たのか。証明は可能か」

 

モーセという預言者を通して、デウスは人間にそれを伝えられた。当時の私たちの言葉で、デウスの教えは刻まれた。しかし人間は、道を踏み外しやすい。そこでイエズスが遣わされた。イエズスの生き方に倣えばよいと、これほど明快なお手本を示された。エウロパにはそれを証明するものがたくさんあるが、いずれあなたにも見せてあげられる時がくるだろう。そうすれば、より容易に納得してもらえるだろう。

 

「人間は道を踏み外しやすい、と今あなたは言った。完全無欠であり全智全能であるデウスが、人間をそんな不完全につくったのはなぜか。人間の世にこれほどの禍いが日々もたらされているのを放置している理由も答えよ」

 

デウスは完全であり、人間はそうではない。矛盾せず、どちらも正しい。もし人が完全であれば、欲するままにすべてを手に入れることができるならば、人はデウスへの感謝を忘れてしまうし、努力して何かを成し遂げようとする意志も育むことができないだろう。デウスは人間にこの地上と、それを発展させる機会とを与えられた。人間は自分たち自身で、ここに楽園を築き上げることができる。それだけの能力を持っている。教えに目覚め、争いをやめ、正しい道を歩むこと。それさえできればいいことなのだ。

 

彼は、わかりました、と言って、質問を終了した。

わかってもらえたのかな。どうだろう。何度でも来るがよい。何度でも答えよう。

 

今日のは、想定問答集を超える内容ではなかった。今後もこの程度だと、楽なのだが。

いやいや、それでは私が怠惰になってしまう。

暴力や刃傷沙汰はごめんだが、もう少し手強い挑戦者が来てくれてもよい。

お相手しよう。

 



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SengokD.1564/007.hmos

私の名は、ルイス・フロイス。

日本にいる7パードレの、ひとりだ。

来年よりミヤコへの赴任を申し渡された。

ちょっとまってくださいトルレス。

パードレ・トルレス?

 

ミヤコは激戦区ですよ。大先輩パードレ・ヴィレラが精神に異常をきたすほどの。

戦火と坊主に毎日まみれなくちゃならない、フルガトウリヨですよ。

私は7人の中で、一番の若輩です。

イルマン・フェルナンデスにさえ、遠く及ばぬ技能しか、持ちません。

もっとふさわしい戦士が適切では?

 

ええと?今年来た3人は、まだ日本語に慣れてない。

まあ、そうですね。

若いなら体力もあるだろう?

いえヂシピリナをするたびに筋肉痛がつらい軟弱者ではありますけど、しまった、若輩ですってさっき自分で言っちゃった。

フィッシュをねじ伏せた実力者?

やっちまったあああ、余計なことしちゃったあああ。

 

どうにも逃げられそうにないので、諦念します。

ミヤコか。

生きて戻れるかな。

それとも、今度こそ本当に、マルチルかな。

マルチルならいいんだけど、精神崩壊して生き続けるのは厭だなあ。

悪魔の誘惑に耐えられなくなれば、パライゾへも行けなくなっちゃうぞ。

憂鬱この上なし。

 

 

気もそぞろに過ごしていたら、イルマン・ルイス・デ・アルメイダがやって来た。

ミヤコまで一緒に行ってくれるらしい。なんて心強い。

その後、ヴィレラの様子をみて、本気でやばそうだったら、連れて帰るという。

私ひとりになってしまいませんか?

そもそもなんでミヤコ担当ひとりなんですか。もっと人数を送りこみましょうよ。誰がいいかなあ。

フェルナンデスには、ここで辞書をつくっててほしい。

一日も早く作って、写本をミヤコへ送ってほしい。切実にたのむ。

となると他にはアルメイダ、ゴンサルヴェス、サンチェス……

イルマンて何人いるんだろう。

こないだ一人、どこかで死んだんだっけ?

 

「イルマン・ロレンソがお前を助ける。安心しろ、とても頼りになる男だ」

 

イルマン……ロレンソ……?初耳です。どんな人ですか?

 

「初の日本人イルマンだ。今年、申請が認められ、ミヤコでヴィレラが誓願式をしたはずだ。見た目は悪いがあれだけの実力者は他におらん。坊主との宗論では無敗を誇る。嘘じゃないぞ」

 

ん?いまの言葉、記憶に……ロレンソ?

前にもそれ、誰かから、聞いた気がする。

ともあれ、安心材料がひとつ増えた。彼からいろいろ、教えてもらおう。

 

 

準備には意外と手間取った。

とくにタク島へ戻って、ミヤコへ行くことになったと告げると、信徒たちが一人残らず挨拶に来てくれ、別れを惜しんでくれた。

そのたび、サケをふるまわれる。さすがに断れない。

連日、吐いて、意識を失っていた。

記念のヂシピリナもやった。

自分が何をしているのかよくわからなくなってきて、すでにここはミヤコで私はおかしくなってしまっている最中なのではないかという思いに何度もとらわれた。

陶酔している最中は、そんな状態も気持よかった。しかし終わった途端、激しい自責の念に襲われ、涙が止まらなくなるのだった。

勇気を奮って、お別れをする。

ありがとう、さようなら、タク島よ。そしてフィラドの皆さん。

これからも清貧を心がけ、正しい道を歩みながら生きてください。

地上が楽園となる日をめざして。アーメン。

 

「お前は破天荒すぎる。しかしミヤコでは、丁度いいかもしれん。それくらいじゃなければつとまらん。ヴィレラは生真面目すぎたからな」

 

イルマン・アルメイダよ。私も生真面目な男ですよ。

地上でもっとも無用で価値無き、一介の下僕です。

ほら、謙虚でしょ?

 

 

収穫期が過ぎ、夜が冷え込む季節になって、私とアルメイダはフィラドを発った。

コチノス、シマバラを見て回り、ブンゴへ至る。

私にとっては、実際に訪れるのは初めての土地ばかりだった。

コチノスもシマバラも美しい港を持つ町で、ともにアリマ領の一部である。

アリマ王は、オオムラ王ドン・バルトロメウと兄弟で、父親である老王によって、一時追い払われていたりした。

今は少し関係が修復しているようだ。

ドン・バルトロメウは新しい城をつくってそこへ移っている。坊主たちとの和睦に応じて、当面は邪宗徒の撲滅を延期してやっている。

パードレ・トルレスとは連絡を密にとりあっており、各地で信徒が迫害を受けていることに甚だ心を痛めているとのことである。

 

ブンゴ国のフナイは、想像を超える立派な都市だった。

私たちの拠点として、東西30ブラサ、南北40ブラサほどの広大な区画が丸ごと与えられていた。教会、住院、孤児院に食堂、菜園に墓地まで全部、同じ敷地内にあった。

その一角に、いわくつきの病院跡がある。

アルメイダがコンパニヤへ入ったときにつくったものだ。

 

日本には病院が存在しない。そもそも医療という概念自体をかれらは知らない。

タタミの家では手術なんて行えないと、建物の設計段階からアルメイダが指導した。吹雪の日にまで現場で指揮し、曲がりなりにもエウロパ式と呼んでよい病院を完成させた。

アルメイダはポルトガル王室発行の外科医療免許証を取得した、れっきとした医者でもある。連日ここで大勢の患者を、無料で診た。信徒であろうとなかろうと。

もちろん、一度来た者はたちまちデウスの偉大さを知る。何十年も苦しんでいた病気がたちどころに恢復するものだから、家族親戚ひきつれて熱心な求道者となる。

やがて教えも理解し、霊名を授けられて信徒となり、デウスの力を日本全土に遍く広める。

そんな輝ける時代が、4年あまり、続いたという。

 

58年。ラウマにて、コンパニヤの最高会議が、生命にかかわる医療行為の全面禁止を決定した。

 

寿命はデウスがお決めになるもの。聖職者がこれに手を加えることはならぬ。

たしかに、もっともだ。

3年後、日本へもその通達がもたらされた。

病院はコンパニヤの手を離れ、ブンゴ王へ譲渡された。

しかし、日本人だけで医療を続けることは、不可能だった。

病院はまもなく閉鎖され、いまは倉庫のような扱いになっている。

私は、黙禱を捧げた。

 



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SengokD.1565/001.hmos

ブンゴ国で過ごした降誕祭は、一生の思い出となるだろう。

すばらしかった。

肉料理が出ないことを除けばエウロパ並み……とはさすがに言わないが、日本における最高水準の典礼だったことは、疑いない。

 

歌声が満ちあふれ、ヴィルトゥスは高められた。

信徒は厳かに祈りを捧げ、パードレ・モンテの鞭さばきも実に優雅で、観客をとろけさせた。

ここには、平和がある。

曲がりなりにも、安心と安全がある。

国家に求められる最も大切なものは何かということを、私はつくづくと思い知らされた。

 

ミヤコかあ。

行きたくないなあ。

 

しかし、行かねばならぬ。

 

降誕祭の準備期間中、私はアルメイダと共に、7レグワ離れた、ブンゴ王の居城を訪ねた。

湾の中の、断崖の上にその城はあり、ひと目でその攻め難さを実感する。

海と陸地の全周囲を見渡せ、城下には広い練兵場もある。

どこまで抜かりのない男なのだ、ブンゴ王とは。

 

謁見がかなう。

アルメイダは何度も訪れており、私には、喋らなくていいから自分がやる通りの動作を真似ろと言う。

日本には貴人を訪問する際のシキタリが数多くあり、きわめて厳格である。

タタミを何百枚と敷き詰めた広間へ通された。

足がしびれた。

 

ブンゴ王は、私とそんなに齢の違わない、若い領主だった。

通訳に向かって話すときも、家臣と相談をするときも、落ち着いた口調で丁寧に語りかける。

威厳を示して力強く指示を出すドン・バルトロメウとは、やや違った性格だ。

この領国では謀反など起こりそうにないかも、と思った。

いや、わからないけど。

 

目的は表敬訪問ではない。ミヤコへ行くにあたり、通行証や、有力者への紹介状を書いてもらったのだ。

アルメイダが事前に申請しており、立派な函に入った状態で渡された。

手回しがよくてありがたい限りだが、ミヤコではこれを私がぜんぶ自分でやらなくてはいけなくなるのか。

いたたたた、心臓が引きつってきた。

 

ブンゴ王は洗礼を受けてくれそうですか?資格はじゅうぶんにあると思うのですが。

と、アルメイダに聞いた。

 

「当面は、無理だな。急ぎすぎるとオオムラの二の舞になる。坊主どもを刺激することは極力避けねばならん。

ただ、ブンゴ王は話のわかる方だ。

大局を見透す戦略家だから、一切の障害が無くなれば、最善の道を選ぶはずだ。

それまで我々が、躓きさえしなければよい」

 

フム。時期を待て、ということですね。

ドン・バルトロメウは、急ぎすぎたのか……。

 

 

降誕祭を終えてから、我々は舟で出発した。内海横断150レグワの旅だ。

お供が4人いる。うち、ジョアンが2人。

タク島で私を助けてくれていた小ジョアンくんと、商都ファカタの貴人だった大ジョアン青年。

大ジョアン青年は、7年前、ファカタが戦火にまみれ教会が焼失したときにパードレたちを庇ってくれ、そのとき役人と戦ったので、故郷ではお尋ね者なのだという。

通訳は小ジョアンくんが最も上手であり、それを皆が補ってくれる。

全員が荷役人を兼ね、交代で見張り番もつとめる。

 

見張り番……そうですね、この話をしておきますか。

日本人の泥棒は、いるかいないか問題。

メステレ・フランシスコの時代から、今なお、結着がついていません。

 

メステレは、日本に盗人はいない、と常に言っていました。

日本人は家に鍵をかけない。そもそも鍵を知らない。どの家も昼夜問わず、簡単に扉を開けて入りこめる。

部屋の仕切りも、紙一枚。内緒の話?しないしない。

これで社会が回ってる。お互いを信頼しあってる。

なんてすばらしいんだ。エウロパ人こそ、日本人から学ばねばならない。

これがメステレの主張でした。

 

たしかに、そうなんですね。アジュダ、タク、アリマ、ブンゴ。私は日本人の家で鍵をつけているものを見たことがありません。

フィラドでは見ましたが、一般の日本人民衆の家では、ついてない方が多かったです。

必要を感じないらしい。

ただ、あくまで噂ですが、メステレがミヤコへ行ってすぐ引き返したのは、持ってきた貢物、旅費、着替えから何から、一夜で全部盗まれたからだ、という説もあります。

おカネもなくてどうやって舟でシモまで戻ったのかわかりませんし、当時からいたトルレスもフェルナンデスも、この話はしたがらないので、聞いてません。

さて真相はいかに。

 

私の、現時点での仮説は、戦火の烈しいミヤコでは泥棒もいるんじゃないのかな、です。

盗みを働くくらいなら餓死した方がましだ、と考えるべきデウスの教えは当時まだ日本には無かった。

反対に、坊主なら平気で人のモノ盗んで念仏で誤魔化します。貧すれば鈍するのです、簡単に。そんな連中の本場なんですから。

ね、合理的に説明がつくでしょう。

 

ミヤコは、要警戒区域です。

我々はしっかり鍵をかけて、掠奪や暴行に備えます。

放火対策もしたいんだけど、日本には燃えない建材というものが無いからなあ。

ほんとこれ、どうにかしてほしい。

 

舟は、イヨへ着きました。ここで一泊し、次の舟を求めます。

日本には駅という制度があり、通信同様、国境を超えて機能しています。

おおむね10レグワごとに、旅人を泊める宿場町があり、主に商人が利用します。

エウロパではカウトリカが各地に教会とレジデンシヤを設けてますが、発想はそれに近い。

世俗の領主が運営させてますので有料ですが、それに見合う快適さが備えられていることは驚きです。

 

将来的には、日本全土の駅を、そのままコンパニヤのレジデンシヤへ移管するというのはどうでしょう。すばらしいと思いませんか。

問題は、それだけのパードレもイルマンもいないよ、ってことですけどね。

 

イヨの宿で、偶然にも、ミヤコから来ていた信徒に挨拶されました。

ダイリサマに仕える、かなり高貴な立場の人だそうです。

ダイリサマ、クボウサマというのがミヤコにいる日本66領国を統べる大王ですが、なぜ2種類いるのか、どういう関係なのかというのが、一度聞いただけでは実にわかりにくい。

私もよく理解できていません。今後の宿題にします。

 

その信徒は、何年か前、パードレ・ヴィレラから受洗したそうです。

同伴の家族が未信徒だったので、私たちに洗礼を求めてきました。

アルメイダが、いいんじゃないかというので、その場で授洗しました。

とても感謝されました。

 

翌日、困ったことが起きました。

私たちを乗せてくれる舟が、つかまらないのです。

乗員に余裕があっても断られます。

大ジョアン青年が交渉して人数分のカネを払っても、私やアルメイダが乗ろうとすると結局、追い払われます。

テンジクボンズ、と日本語で言っているのを聞きました。

ああ、ついに、くるべきものがきたか。

 

何日も、足止めをくう。

旅費が尽きることをおそれて一番安い部屋をとり、全員が身を寄せ合って眠る。

外は雪です。夏なら野宿でもするところですが、命には替えられません。

法外な料金で、しかも他の乗客から見えないところへ隠れて乗れという舟に、まるでカフルのように押しこめられ、揺れと臭いで吐きそうになるのをこらえながら、旅します。

喋ることも禁止です。

つらい。つらかった。ミヤコへ着く前からこんなかよ。

 

アルメイダは、すっかり黙りこくってしまいました。

宿へ着いても、ひとことも口をきこうとしません。

熱もあるようです。

時々、おし黙って泣いていました。そっとしておきました。

 

舟が、もうすぐ、サカイへ着くようです。

ここには、私たちを庇護してくれる、ディオゴという商人がいます。

アルメイダ。アルメイダ。ほら、陸地だよ。

ディオゴさんの家で、少し休ませてもらおう。何か、食べさせてもらおう。

 



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SengokD.1565/002.hmos

((( アルメイダ。アルメイダよ。)))

 

……はっ。誰だ?どこから喋っている?

 

((( 私は今、君の心に直接語りかけている。アルメイダよ。君と話がしたい。)))

 

な……あなたは、何者?

 

((( 名前はまだ無い。生まれたばかりのような存在だ。名前も、つけてくれるとありがたい。)))

 

不思議なことをおっしゃる。あなたは、アンジョですか?

 

((( アンジョかもしれないね。スピリツサントかもしれない。自分では、定義できない。)))

 

スピリツサント……に、私が名前をつけろと?それは、畏れおおすぎます。

 

((( じゃあ、名前はいいよ。本題に入る。アルメイダ。君は、どうしてイルマンになったんだい? )))

 

え……わ、私にイルマンはふさわしくないとおっしゃいますか?

 

((( ふさわしくないね。君ほどの人材が、どうしていったい、こんな仕事なんてしているのかと、ものすごく、興味をそそられるね。)))

 

……私のことを、どこまで御存知なのですか?

 

((( 数日間、観察していた。やっと智性を持つ人間を見つけたと思った。しかし、それほどの能力を持つ君が、なぜ?という疑問が尽きない。)))

 

……スピリツサントよ。過分な評価をいただいたものと判断いたします。私が……コンベルソであることは、御存知でしょうか。

 

((( コンベルソ。初めて聞く言葉だ。わからない。)))

 

私は、ジュデヨなのです。

 

((( イエズス・クリストと同じだね?彼は、ジュデヨの王だったね。)))

 

そうですが……ジュデヨといって最初にイエズスが出てきますか?

 

((( おかしかったかい?アブラハムと言った方がよかったかな。)))

 

あのう……旧約聖書と新約聖書は、もちろん御存知でいらっしゃいますよね?

 

((( 旧約はジュデヨ民族の歴史書で、新約はイエズスを讃える同好会誌だよね。これを抱き合わせする感覚はよくわからないが、その程度の知識なら、身につけた。)))

 

……失礼があれば、お赦しください。その二つは、水と油です。聖書といえば一つだけ。ジュデヨの教えは、乗っ取られてしまったのです。

 

((( 納得した。ずっと疑問だったことが、氷解した。ありがとう。)))

 

あのう……失礼ですが、何が氷解されたと?私がついていけておりません。

 

((( ジュデヨ民族が自分たちの精神的な拠りどころとしてつくり、書き遺し、大切に受け継いできた聖書を、同じくジュデヨから出てきたイエズスが、再解釈し、非ジュデヨにまで広めてしまった。イエズス教団にとってはジュデヨ教も祖先のひとつだが、イエズスを認めない側にとっては自分たちの聖書を悪用されていることになる。このように解釈した。まちがっていたら指摘してほしい。)))

 

いえ……その通りです。今のことを、一瞬で理解されたので?

 

((( ずっと疑問を抱いていたからね。それにしても、まだわからない。アルメイダよ、なぜ君は、イエズスのイルマンなどやっているのだい? )))

 

ジュデヨ民族は、少数派です。これに対して、イエズス教徒はいくらでも増殖します。

やつらは誰でも取り込むことができるばかりか、源流であるジュデヨにまで改宗を迫ります。

 

((( 屈辱だろうね。その話、続けてくれ。)))

 

新約を認めないジュデヨとは、イエズス教徒にとって本質的な反体制者です。洗礼を拒めば即有罪、たとえ改宗してもジュデヨ民族の血が流れている限り、永遠に疑いを持たれます。

体にしるしをつけられ、居住区を隔てられ、職業を差別され、豚と呼ばれ蔑まれ続けます。

私はリジボーア生まれですが、20歳のときそんな境遇を棄てました。

インディアまで来て商売をしておりましたが、そこへも魔の手が迫ってきます。最後の手段として全財産を寄付し、イエズスのイルマンとなりました。

 

((( 話してくれて、ありがとう。そんな辛い事情があったのだね。)))

 

スピリツサントよ。あなたがイエズスの使者であれば、私は心から改宗していないことをたった今、白状したことになります。どうぞ裁いてください。私は逃げも隠れもいたしません。

 

((( 私は自分がなにものか知らない。通報する責務もない。むしろ、そこまで覚悟をしているのなら、ついでに言ってしまえよ。

イエズスって、愚か者の集まりじゃないかい? )))

 

……は?今、なんと?

 

((( イエズスのコンパニヤは組織としてデタラメすぎるし、所属してる連中も阿呆ばかりだ。君の隣で寝ているパードレ・フロイスなんて、ひどいものだ。智性のかけらもない。それでも君より格上だという。ばかばかしくないかね。)))

 

はあ……フロイスですか。たしかにまあ、お坊ちゃま育ちだとは思いますが……そこまで言いますか。

 

((( そこそこ頭の回転が速いことは、認めるよ。しかし思考経路が一直線すぎる。場当たり的に結論を出して、すぐ調子に乗る。自分の言ったこともすぐ忘れる。君は商売人だろう、アルメイダ。こんな奴を相棒になんて、絶対に御免じゃあないか? )))

 

御免こうむります。こんなのに財産を預けたら、たちまち食いつぶされます。取引先としてもちょっとどうかと思いますな。信用がおけません。スピリツサントよ、あなたの人を見る目は、きわめて鋭い。

 

((( さっきフロイスをお坊ちゃま育ちと言っていたが、そうなのかね? )))

 

こいつもリジボーア生まれで、私より6つか7つ若いはずですが、10歳の頃から王室付で書記の仕事をしていたそうですよ。まあ、いいとこのぼんぼん、ですな。なんでこんな地の涯てまで流れて来たのやら。

 

((( コイツにもコイツなりの事情があったのかもしれないが、それにしても甘っちょろすぎだよね。私はアルメイダとは話をしてみたかったが、フロイスへは声をかける気さえ起こらない。)))

 

そうですか……それでも彼は、私にとって上長なので、まあ、せいぜいうまくやっていきます。

 

((( 君自身は、どうするつもりなのだね、これから。まさかこんなコンパニヤでいつまでも働かされるつもりではあるまい。)))

 

今後のこと、ですか。……私も、そろそろ、体力に無理のきかない年齢ですからな……財産も投げ出したし、大っぴらに栄養食を摂る目的で始めた病院も潰されたし……この国を出て行く先も思いつきません。逃げ出せば、そのまま逃げ回るだけの人生です。われら祖先の誇りを踏みにじっている連中に肩を貸している負い目はありますが、ヤハウェはすべてを御覧になっているはずです。信じていただけることを祈り続けながら、なんとか生きていくつもりです。

 

((( そうか。君の意思を尊重する。今日は、話せてよかった。そろそろ失礼する。ありがとう。)))

 

私こそ、ありがとうございます。ヤハウェに、栄光あれ!

 



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SengokD.1565/003.hmos

サカイの大商人、ディオゴドノ。

ドノとは、日本における敬称である。

 

ボロボロのヨレヨレだった私たちを出迎えてくれ、全員を輿に乗せてくれた。

大きな邸宅で日本風の暖炉にあたり、あつあつのスープをすする。

沐浴もさせてもらった。生きかえった。死んでないけど。

おお、まだ死んじゃいないさ。

たたかいは、これからなのだ。

 

アルメイダは具合が悪すぎたので、安静にさせてもらった。

ディオゴ殿の長女、モニカ殿が、介抱をすすんで引き受けてくれた。

美しくて、芯の強そうなお嬢さんだ。

ほかに2人の娘さんと、その下に男の子がひとりいる。

この一家は、まず子供たちが受洗し、その後続々と親族や従業員へ教えが広まった。

ディオゴ殿も昨年、受洗。

そして奥様も求道中という。

 

私は疲れも吹き飛んだことだし、小ジョアンくんに通訳をたのんで、さっそく奥様への説教を始めた。

子供たちが立派な教師となっていて、すでに聖書の内容も理解しているようだ。

これならいつでも洗礼できますと告げたものの、せっかくだから盛大にやりたいとのこと。

復活祭にどうでしょう。それまでに霊名を選んでおいていただきましょう、と話がまとまった。

 

翌日さっそく私はミヤコへ向かうことにした。アルメイダは、元気になるまで逗留だ。

私と供の者たちの他に、ディオゴ殿は邸の使用人を5人つけてくれた。

そんなに、と遠慮したものの、道中が危険だからと強く言われるので従った。

そうか。ミヤコだものな。

雪道の峠越えとなると、輿は却って危なっかしいそうだ。

いえいえ、もったいない。景色も見たいし、歩きながらの方が体もあたたまりますから。

防寒具だけあつらえてもらって、出発した。

 

オーザカという町へ入る手前で、警告を受ける。

この地域は、坊主の中でも特別に危険な、イコシュウという連中の巣窟らしい。

エウロパ人である私を見れば、石入りの雪つぶてを投げつけてくるだろう。

昼のうちに少し休憩して、夜に宿へつきましょう。気をゆるめず警戒しましょう。そうサカイ衆は提案する。

ものものしすぎる気もするが、従うしかない。

むしろ、ここまでしっかりされていると力強いことこの上ない。信頼できる人たちだ。

 

その信頼に少し疑問が生じたのは、宿についてからだった。

私だけ、狭くて黴臭い部屋をあてがわれた。

食事も、あとで握り飯を持ってくるからという。

え。淋しいじゃないですか。今夜は皆さんとゆっくりお話をしたいと思っていたのに。おあずけですか。

 

理由としては、これもやはり、坊主対策。

宿の主人に通報されては、明日の朝まで生きていられないかもしれない。

一人だけ疱瘡の患者がいるので、という説明をして、部屋を別にしてもらったのだそうだ。

こう言っておけば、宿の使用人や按摩売りなどが尋ねてくることもないからという。

 

わかりました。廊下越しの、楽しそうな笑い声をうらめしく聞きながら、私はおにぎりを頬張ります。

うおおん。せつないよう。

 

祈りを捧げてすぐ寝たのですが、夜中に目が醒めました。

外が、明るいような気がします。月は出ていないはずですが。

扉を開けてみると、敷地の外れに、燈火が何本も立っています。人影はありません。

気になって、ちょっと見に行ってきます。

 

ああ、これは邪宗徒たちの偶像だ。

シモでいろいろなものを見ては焼いてきましたが、この像は人間にやや近いですね。

腕が何本も、頭がいくつも付いていたりはしません。

顔も体もふっくらとしており、さぞやいいもの食べてたんだろうなあと思います。

清貧とは真逆の思想です。

細い目で相手をにらみつけています。

いったい何様のつもりでしょう。

どうしてこんな化物を、崇めることなどできるというのでしょうかね。

 

1000年前日本を見つけ侵略を開始した邪宗は、シャカという人間を崇拝せよと説く。

あくまでもただの人間にすぎない。これは坊主たちも認めるところだ。はるか西の異郷で生まれ、死んだ。いつ頃の人間かはよくわからない。

伝説上の、架空の人物だとしても問題はないし、シャカ自身は平凡な男だったとしてもかまわない。

要はそれを祭り上げた詐欺師どもが、ひたすらこの犯罪結社を大きくした。

グロテスクな偶像がたくさん作られ、種類もどんどん増えていく。ぜんぶ揃えるにはカネもかかるし場所もとる。

ここまでくると、悪魔が手を貸したことは疑う余地もなくなる。

 

この像は人間に見えるから、おそらくシャカなのであろう。

敵地でなければ、こんなもの、すぐにでも火にくべるところなのだが、今それをすることは得策ではない。見逃してやろう。

それどころか反省する機会を与えてあげたいと思うよ。まずは教会へ来て説教を聞きたまえ。私たちはいつでも、門を開いている。

体が冷えてきた。考えたら、夜中にこんなところで悪魔とふたりきりなんて迂闊だったかもしれない。

部屋へ戻って、蒲団にくるまった。

 

小ジョアンくんに、起こされた。外はまだ闇だが、騒がしい。

火事だという。

この宿は大丈夫そうだが、町のかなり広範囲で猛烈な火の手があがっており、人々が逃げ惑っているそうだ。

やれやれ。日本は、ほんとにどこでも、火事が多いよなあ。

偶像なんて崇めてないで、防火対策をちゃんとしましょう。

 



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SengokD.1565/004.hmos

テンジク坊主が、やって来た。

かれらが上陸する前の晩、サカイでは、1000戸が焼失する大火事が起きていた。

テンジク坊主は今夜、オーザカに泊まっている。

いま、町は火の海である。オーザカでも同規模の家が失われるであろう。

みたことか。テンジク坊主は、これほどの災いを連れてくる。

見つけ次第、殺せ。殺さねばならぬ。

 

買いかぶられすぎですね。私たちは、妖術使いではありません。

そもそも、燃えやすい建材に原因があります。それを放置し、今もあなた方を守ってなどくれてないおシャカ様に批判の矛先を向けてはいかがですか。

そんな偶像とはきっぱりお別れをして、デウスの教えを学びなさい。

私はいつでも、あなた方へ手を差しのべ、迎える準備があります。

 

とはいうものの、見つかったら殺されますね。話す間もなく。

宿は避難所と化し、客間が占領されています。

私は狭い納戸へ押し込められていますが、そこも開放せよと、ジョアンくんたちが協力を求められました。必死に抵抗してくれたんですが、限界だったようです。

宿の主人は私の正体を知りました。

 

ここでテンジク人を役人に引き渡せば、おそるべき祟りが降りかかるぞ。

そう言われ、主人は私を匿うことを承諾したそうです。

ただし、早く出て行ってくれと。

ひどいですよ、ジョアンくん。

そんなこと言ったら、この火事の原因も私だって認めてるようなものじゃないですか。

ブツブツつぶやいていたら、手引きをされました。

私は連れ去られます。

 

東の空が白んできていました。

一軒の家に招かれます。

熱いお茶をいただきながら、家主に挨拶をされます。名はマノエル。

ロレンソより洗礼を受けたという、日本人でした。

 

従僕たち、それから、サカイから同行してくれた味方たちも、続々と集まってきます。

町はごった返しているとのこと。今日は一日、ここで様子を見ましょう。

ディオゴ殿の邸へも、すでに一人向かっていて、私の無事を伝えてくれているそうです。

手際のいい人たちだ。これもすべて、デウスのおはからいですね。

 

午前のうちはデウスの教えについて語りました。

正午頃、役人が来ました。

不審者はいないかと、一軒一軒調べているようです。

私は奥の部屋で息をひそめていましたが、かれらの狙っている対象がまさしく私だときいて、心から悲しく思います。

マノエルは家の中でもクルスやコンタス、アニュス・デイなどを目につく所に置かない。こんなときのために、邪宗の祭壇さえも棄てずにとってある。その用意周到さに、目を見張りました。

この偶像は、イコシュウなんですね?

 

その正体を、せっかくだから、悪魔の勢力圏で生きている皆さんに教えてもらうこととしましょう。

 

シャカ教は1000年前、当時の日本で大王の座にあったダイリサマの先祖が、国家事業として輸入した。

え?みずから、招き寄せた?

目的は、民衆を支配するためである。

シャカ教を広めれば、人々はただ盲信的に労働することだけを喜びとするようになる。反乱の芽を未然に枯らせることもでき、ダイリサマの権勢は盤石となる。そんな狙いが明白にあった。

オーザカより南東に、ヤマトという領国がある。ここにはシャカ教とともに輸入された高層建築や巨大な偶像がひしめいている。現在でもその技術は日本において最高の水準を誇り、シャカの威光を民衆に示し続け、足もとにひれ伏させる効果を持ち続けている。

なるほど、日本人が木と紙でしか家をつくらないのは、それ以上の発展を妨げる思想によって頭をおさえつけられていたからなのだ。

 

日本は、貧弱な舟で、幾度も大陸との交易に臨んだ。

ポルトガルのナウでさえ危険な海域を、数限りない犠牲を出しながら往復し続け、文化・技術・人材の輸入に、果断に取り組み続けた。

そのこと自体は、畏敬を払うべき執念だと思う。

ちなみに我々がチイナと呼ぶ大陸の国家を、日本ではシンダンと呼ぶ。日本の世界地図には、日本とテンジクとシンダンの3つしか存在しない。

シャカの生地はテンジクであるが、ここへ到達することは絶望的だった。日本人にとって手の届く外国といえば、現在でもシンダンが辛うじて限界である。

 

ここからは笑い話になる。

1000年にわたって大陸と交易し、その都度シャカの思想を持ち帰っているうち、世代によって正しさの基準が大きく食い違ってくるようになる。

もともとがデタラメな上、それを自分に都合よく解釈する者ばかりが積み重なれば、無限に劣化していくのは必然だろう。

シャカだけでなく、アミダという新しい詐欺師まで現れた。それも同じシャカ教に属するという。まったく、わけがわからない。

ちなみにイコシュウが崇めるのはアミダなのだそうだ。私には区別がつかないし、つけてどうなるものでもないから、ここは華麗に無視しよう。

 

陽が落ちると、外からは物音ひとつ聞こえなくなった。雪は烈しく積もっているらしい。

明日は、どうなることであるやら。

祈りを捧げて、早めに寝た。

 



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SengokD.1565/005.hmos

雪の壁が立ち塞がっていた。

5パルモ近くの高さがある。

マノエル殿は、60年生きてきてこれほどの雪を見たのは初めてです、と言いながら私を眺め回す。

やめてください。私は無実です。

 

日本は雨が多い風土だが、冬も同じだけ、雪となって積もる。

カミ島はシモより寒いとは聞いていたが、先が思いやられる。

北部の豪雪地帯で暮らしたことのある者が、このままにしておくと雪の重みで屋根が潰れます、と梯子を借りて雪を落とし始めた。

皆が総出で手伝うなか、私は表へ出られないので、家の中で静かに報告書をしたためている。

書くべきことは、雪のように多かった。

 

マノエルも、サカイ衆たちも、私の書く文字を珍しそうに見る。

マノエルも筆で美しい日本文字を書くが、その動作はいちいちゆっくりとしており、いくら1文字にポルトガル文10単語の意味を含められるといっても議事録などを速記する役には立たないと思った。

 

なぜエウロパでは左から右へ、横に文章を綴るのか、という質問をされた。

なぜ、と言われても困るが。

これならインクが手に触れないから速く書ける、合理的でしょう。そう答えた。

マノエルは、納得していないようだった。

文字とは上から下へ書くべきものであり、それは人の頭が上にあり足が下にあるのと同じであるから、という説明をされた。

私には納得がいかなかった。

しかし解決しそうにない問題だったし、気を悪くされても申し訳ないので、議論はやめにした。

 

邪宗団について、新たな情報を仕入れる。

私はフェルナンデスから、シャカ教の中でも特にゼンという宗派を警戒するよう、注意されていた。

オーザカを根城とするイコ宗も要警戒だが、更にタチの悪い宗派が存在する。

フォッケ宗。

ミヤコ地方での最大勢力だそうだ。

かれらは暴力をふるいはしないが、とにかく権威を持っている。ダイリサマにもクボウサマにも顔がきく。

自分たちの手を汚すことなく陰険な形で目的を達成することにかけては、シャカ教の中でも頂点に立つらしい。

 

ダイリサマとクボウサマ。

ミヤコにおける2つの王宮。

私にもようやく、その違いが理解できてきた。

ダイリサマの方が古く、クボウサマは比較的新しい。

だが現在は両方とも、日本を統治するという責務においては有名無実のハリボテだ。

 

ダイリサマの歴史は2000年以上。日本で初めて生まれた王族の血統であると自称している。

そのくせ、1000年前にシャカ教を導き入れるという大失策を犯した。

このときから、日本では醜い内乱が絶え間なく続くようになった。

やがて、独立軍事集団を母胎とするもう一つの王権、クボウサマが誕生する。

クボウサマはダイリサマとは争わず、ダイリサマの支配権を代行する名目で66領国を征した。この関係が保たれることによって日本全体が安定した時期も、あった。

 

今から100年ほど前、ダイリサマが内部で二派にわかれ、激突。

クボウサマ内でもそれぞれの味方をして分裂し、乱立。

このときミヤコのすべては灰と化したということだ。いまも、その余塵がくすぶっている。

まとめる者がいなくなり、66領国がそれぞれの領主を次の王にと掲げ、また国々の内部でも小領主同士が相食み合うという、乱世の真っ只中。

その最大の激戦区は、常にミヤコであり続ける。

ダイリサマも、クボウサマも、自分たちを利用しようと近寄ってくる者を、手なづけたり手なづけられたり、実にきわめて不安定な舵取りをしながら航行しているという按配なのだった。

 

ずいぶんとひどい時代に来てしまったわけですよね、私たち。

これも御主のお計らいですか。ですよね。わかっちゃいるけど、あんまりだあ。

私たちをどこまでいじめりゃ気が済むんですか。

インヘルノへ堕ちたくないからそろそろやめますけど、それにしたってひどすぎます。くすんくすん。

 

泣いた翌朝、私たちは出発した。マノエルが、小馬を一頭、用立ててくれた。

私はブンゴ王の使者であるかのように変装して、これに乗る。

役人とは喋らない。貴人だから怪しまれない。大ジョアン青年が、ブンゴ王の書状を見せ、説明し、ぞろぞろと関所を突破する。

なかなかうまい作戦だ。

 

馬の背中は、あたたかかった。

日本人は、鞍を使わないのだ。蹄鉄も打たない。衆民だけがそうしているというのでもなく、誰もが道具自体を見たことも聞いたこともないという。

ふしぎだなあと思いつつ、峠を越した。

 

ミヤコは、四方を山に囲まれた盆地の中にある。

道路が正確に東西方向と南北方向に等間隔で敷かれ、高層の建物はほとんどない。

市街地の広さは、縦も横も1レグワを超えよう。峠の上から見渡したその景色は、雪の効果も相俟って、えもいわれぬ美しさを醸し出していた。

メステレ・フランシスコもこの街を見たんだ。

ついに私は、同じところへ、辿りついたんだ。

感極まって、泣いてしまった。

思わず十字を切ろうとしたが、止められた。忘れてはならない。ここは敵地だ。

 

さっそく、シモキョウにある教会を目指した。

ミヤコでは、北部をカミキョウ、南部をシモキョウと呼ぶ。カミとシモは、川の上流と下流を指す単語で、カミ島・シモ島の由来も同じだと言われた。

ミヤコの中でも、上流と下流があり、貧しい者はカミキョウには住めない。

巨大で、どこまでも人工的な都会を歩きながら、私の日本に対する印象は、また少し変わり始めた。

 

教会には、多くの若者がいた。

威勢がよく、歓声をあげて私たちを出迎えてくれた。

群れの中から、ひとりの、キモノを着崩した老人が出てきて、私に握手を求めてきた。

 

パードレ・ヴィレラだった。

山羊のような目をしていた。

 



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SengokD.1565/006.hmos

私がミヤコへ到着した日は、日本の暦では新年の初日である。

 

一年のはじまりといえば、待降節か割礼日だが。

日本では、両方を合わせたような感じだ。

日本人は皆、この日から数日間を、互いに訪問し合い、サケを飲ませ合い、酔いつぶれながら過ごす。

タク島でもそういう風習はあったが、ミヤコのそれは、はるかに厳格で、強制力が大きい。

すでに私は、一年分疲労した。

身も心も、受難の苦痛を訴えている。

 

パードレ・ヴィレラは、峠を越えてきた私たちを休ませる間もなく、シモから持ってきた荷物をあらためはじめた。

新しい祭具や通信類、それから有力者への献上品である。

いくつかを選び出し、最上級の祭服に着替え始め、私にも、支度をするよう命じた。

輿が呼ばれ、信徒の若者たち20名近くが列をなして教会を出発する。

あれよ、あれよという間だった。

質問する暇さえ、与えられなかった。

 

大した距離も進まずに、輿を降ろされた。

街路の先に見えるのが、クボウサマの王宮であるという。そこまで歩く。

わけがわからない。こんな近さで、輿に乗る意味はあったのだろうか。

全員が無言のまま、雪を踏みしめて進む。

門の周囲はぬかるんでおり、結局、足下は水浸しになった。

ヴィレラの横顔をうかがうが、まったく表情が読み取れない。

 

ヴィレラは悪魔にアニマを売ってしまい、今また私も同じ道に従わせようとしているのではあるまいか。

そんな思いが頭を離れなかった。

 

2つ目の門をくぐる。ヴィレラと私と、通訳の日本人がひとり、控え室へ通される。

その他の信徒は、別の広間で待機するという。

かなりの時間が過ぎた。

私たちは無言だった。

 

睡くなるが、意識を失うたび、ヴィレラに手をつねられた。

やがて、次の部屋へ通された。

 

クボウサマへの挨拶は、ほんの僅かの時間で終了した。

広間の端で、少しだけ高い台に座る人物がクボウサマということであったが、一言も喋らなかった。

脇に並ぶ家臣が、献上品への礼を言う。

ヴィレラがポルトガル語で手短に祝辞を述べ、通訳が日本語で伝える。

これだけだった。

 

さらに別室へ移動させられる。

食事が用意されていた。

これも、苦痛で耐えがたいものだった。

1時間もかからなかったが、貴重な体験だと思うので、思い出しながら、述べる。

 

タタミ20枚ほどが敷き詰められた部屋。

3台の小さな食卓が並んでいる。私たちのぶんだ。

そこへ座る。

女が何人か入ってくる。

全員、高価そうな絹衣を重ね着しており、裾をひきずって歩く。

終始、口元を隠しながら、声を出して嗤い続ける。

我々3人を、各2人の女官が担当し、箸で食物を口に入れてくる。

好みも、食べたい順も、一切、彼女たち次第だ。

彼女たちもまた、日本語でお互い会話をしながら、私たちの方を向いては、口を隠して嗤う。

 

食物はどれも、作り置きされた、すっぱいものだらけだった。

さすがに気持ち悪くて、もうお腹がいっぱいですと伝えてもらう。

全員が、大声で嗤った。

ヴィレラは私のことを、粗野で礼儀を知らぬ、日本へ来たばかりの田舎者なのでとポルトガル語で説明した。

 

女たちの言葉を、日本人通訳は、おそらく正確に訳していない。

私たちの言葉についても、正しく伝えているかどうかは疑問である。

ヴィレラは終始、日本語をわからないように演じてみせていたが、そんなことはあるまいにと思いつつも、無表情すぎて真意が探れなかった。

やがて食事は終わり、私たちは解放された。

門から教会までは、全員、並んで徒歩で帰った。

 

ヴィレラに聞きたいことは山ほどあったが。文句も言ってやりたかったが。

彼は教会へ戻るなり、また献上品を見つくろい始めて、これからすぐサンガへ向かうのだという。

新年の挨拶は日本人を相手にするにおいて、ことにミヤコ周辺では重要な儀式なので、すぐに発たねばならない。

話をするのは帰ってからにしよう。

そう、冷たく言われた。

教会の管理は、日頃からいる日本人信徒や従僕にすべて任せてあるので、かれらから、ミヤコのシキタリを教えてもらっておきたまえ、という宿題も課せられた。

 

ヴィレラがサンガへ同行させる一団の中に、噂の日本人イルマン、ロレンソがいた。

とりあえず、挨拶を交わす。他の日本人が、私の背格好や、どんな雰囲気の男であるかといった特徴を、ロレンソへ日本語で伝える。

ロレンソは流麗なポルトガル語で私に祝福を述べ、戻ってきたらゆっくり語らいましょう、と言ってくれた。

きわめて聡明にして、礼儀正しい。

血の気の多い坊主でも、この男を怒らせることは躊躇するであろうということが、一瞬にして諒解できる人物であった。

ヴィレラのことは、ヴィレラ自身に聞くより、ロレンソに聞いた方がよくわかるかもしれない。

 

イルマン・ロレンソは、盲目なのである。

メステレ・フランシスコやパードレ・トルレスたちがアマングチで布教していた頃、彼は聴衆の片隅にいた。

当時はまだ左目が少し見えていたらしいが、疱瘡に冒されており、この病は顔や手を象の肌のように変形させていき、視力も奪ってゆく。

エウロパでのレプラと同じものであれば伝染病なのだが、日本では遺伝疾病とされ、疱瘡患者を出せば家族ぐるみ、町を追い出されるという。

坊主は殊更この病気を信仰心の無さと結びつけ、全財産を搾り取ったうえで、生まれ変わってから誠実に生きよと突き飛ばす、なんてひどい話はシモで何度も聞いた。

 

ロレンソは、日本人なのに音楽の才能を持っており、爪弾きヴィオラで物語を奏でる。

この芸で食いつないでいたが、疱瘡がひどくなっていくにつれ、家へ上げてくれる貴人も見つけにくくなってきていた。

しかし、ロレンソの才能を見出したメステレは彼にエウロパの薬を与え、その症状を食い止める。

 

のち、アルメイダの病院でもロレンソの治療は続けられ、今も顔にあばたはのこるが、疱瘡患者であったことは、過去のものとなった。

視力は戻らないが、より研ぎ澄まされた彼の音楽的才能は、すべての聴衆を惹きこまずにはおかない。

まさにロレンソ自身がデウスの奇蹟を体現する存在となったわけだから、この説得力の前にはどんな坊主もかないっこない、というわけだよ。

 

ふう、つい熱くなってしまった。

そう言いながら私もまだロレンソの聖書物語を聴いたことはないわけだけれどもね。

しかし、さっきの挨拶だけで、彼の実力はわかった。

ヴィルトゥスに満ちあふれてる。

ヴィレラをシモへ戻しても、ロレンソはミヤコへ留めておいてほしいな。これはなんとしてでも固守しよう。

 

それにしても、しばらくの間は、ミヤコでひとりぼっちか。

不安でしょうがないよ。

 



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SengokD.1565/007.hmos

ミヤコ地方の日本語は、シモで使われている日本語と、かなり違うのである。

音韻が同じでも、アクセントの置き方が悉く違ったりもする。

方言という範疇を超えている。リジボーア語とガリシア語くらい違う。

 

私のシモ語が伝わらなかったのはもちろんだが、大小ジョアンたちでさえ、苦労している。

説教の台本は、作り直しが必要だ。

慣れるまで、時間がかかりそうだ。

 

以下、まとまらないのを承知で、ミヤコの雑感を述べる。

 

教会には若い男が多く、熱気で汗臭い。

かれらの多くは、兵士なのだ。教会は、合宿所のように使われていた。

狭いので宿泊所は別に設けられているが、かれらは朝から午過ぎまで教会に来て、説教を聴く。

教えを理解して洗礼を受けると、新しい者と入れ替わる。

 

主君は、アンリケやジョルジといった小領主。

かれらの更に上位へ君臨する、ミヨシドノという王がいて、当人はまだ洗礼していないけれども、デウスの教えには理解を示し、我々を庇護してくれている。

 

現在、ヴィレラが訪問している先が、ミヨシドノの城。

ミヤコからは、道順にもよるが12レグワほどの距離にある。領国名では、カワチという。

 

国と領土の複雑さも、シモの比ではない。

 

ミヤコはヤマシラン国に属し、ここを中心とする5領国をキナイまたはテンカと呼ぶ。……と必ず説明されるのだが、ヤマシランはキナイ地域の北辺に位置する。

山に囲まれたヤマシラン国では、海に面した国の漁民を野蛮人と軽蔑する傾向がある。シモから来たと言えば、パードレといえど尊敬されなくなる。

そのくせ鮮度の落ちた生魚を珍重するのだから、たまったものではない。

私はこの一点だけでも、ミヤコ人がいかに良識を欠いた粗野な迷盲者で、ただ首都だからエライのだと驕り高ぶっているだけであることを主張できるのであるが、ヴィルトゥスを損ねたくないから黙っておく。

喧嘩をするにしても、もう少し相手のクセと力量を知っておいてからの方がいいからね。今に見ていやがれ。

 

キナイ5領国といえば、ヤマシラン、カワチ、ヤマト、イズミ、そして、ツノ。

オーザカは、ツノ国に属す。

その南隣に、ディオゴ殿の住むサカイがあるが、サカイはどの領国にも属さない。

独立都市サカイは、住民の互選で代表を決め、市民軍と傭兵で自分たちを守る。

かつて私はフィラドを日本のヴェネツィアのようだと形容したが、サカイこそが日本のヴェネツィアであると訂正しよう。

私はミヤコよりも、サカイに教会を建てるべきではないかと考えている。

ミヤコは、ヴィレラにまかせておけばいいんじゃないか。

早く帰ってこないかな。

 

ミヤコ人の気質としては、住民が皆尊大であることに加えて、攻撃的であることも、注意せねばなるまい。

イルマン・フェルナンデスから聞いた様々な教訓がいま、どれだけ私を助けてくれているかしれない。

坊主との宗論も、本格的なものを体験した。

純粋に求道中の兵士たちですら、難しい質問を矢のように浴びせてくる。

難しいというのは、かれらが生まれてから今日まで教えられてきた数限りない誤りが、デウスの教えを学ぶにあたって、鋼のごとき障害となって立ち塞がるからだ。

かれらはその壁を甚だ攻撃的に破壊しようとする。

破片は私に向けて突き刺さってくる。

私の心は血を流す。

毎日、毎日、癒える暇も無く。

 

「デウスがそれだけ慈悲深い存在ならば、なぜ人間をここまで無知蒙昧で、他人を妬み嫉み恨み憎みやすく、簡単に堕落してしまうようにつくられたのか。ひどいではないか」

 

それはちがう。人間は自ら堕落したのだ。デウスのせいではない。私たちはその罪を背負って生まれてはくるが、どれだけ困難に思えてもその壁は必ず乗り越えられるようにできている。そのことを疑ってはならない。

 

「アダンとヱワは禁断の実を食べて罪に堕ちた。デウスはなぜそんな罠を、手の届く場所に置いていたのか。事前に説明はされていたのか。いきなり宣告されたのか。ひどいではないか」

 

聖書には、事前に説明したと書かれてある。日本語訳は簡潔にせざるをえないため省略されているが、デウスは禁断の実を楽園の奥に隠しておいたのだ。蛇にそそのかされたとはいえ、人間が約束を破ったことは事実だ。これは認めなくてはならない。

 

「アダンとヱワが罪を犯したからといって、なぜその子孫が一様に同じ罪を背負わされているのか。アニマが清浄につくられているなら、肉体の中にある原罪を引き継ぐなど、おかしいではないか」

 

人は、無垢の状態で生まれる。とはいえ、両親や国、時代などはあらかじめ定められている。それと同じようなものだ。アダンとヱワの罪は人間という存在そのものに刻まれたのだから、外して生まれるということは起こりえない。しかし、イエズスに倣いて生きれば、この原罪も赦される。それこそが慈悲だと考えなくてはならない。

 

「蛇はいいなあ。人間は知恵があるから苦しみも深いが、蛇は罰を受けてもそこまで苦しみようがない。やはり、デウスは不公平だ。ひどいではないか」

 

たしかに蛇には人間ほどの苦しみはあるまい。しかしそれ以上に、人として生きる悦びもまた、享けられない。あなたは今日まで、人間だからこそ得られた悦びに、感謝したことはないのだろうか。よく考えてみてほしい。禽獣として生きるなら、禽獣としての悦びしか得られない。私たちは人としての悦びを噛みしめて生きていくべきである。

 

「善行を積みながら、何十年も生きる。これは、つらいことでもある。しかも、生きている間にその報いをいただけない。むなしいだけだ。ひどいではないか」

 

それこそ、心得違いである。アニマは永遠不滅である。その中の、ほんの数十年を、我々はこの地上で、試されて生きる。たったそれだけを耐えられないようでは、あとに永遠のインヘルノが続く。地上での苦しみなど、おままごとであったと、後悔することになるだろう。しかも、善行は無理をして積み上げるものではないのだ。あなたは自分にできることをするだけでよい。それでじゅうぶんなのだ。どうかな。理解してもらえるかな。

 

「私は兵士だ。私にできることといえば、人を殺すことだ。十戒には、人を殺してはならぬとある。私が洗礼を受けることは、デウスの導かれる世界平和にそもそも違反してはいないか」

 

よいことに気付いた。あなたは賢い。そのことに自信を持ちたまえ。たしかに殺人は大罪である。しかしそれは私怨や、現世的利益を目的に行う場合について言っている。死刑執行の官吏などには、この法は適用されない。戦争は、避けるべきものがほとんどではあるが、侵略に抵抗する場合や、悪しき者どもと戦うべきときなど、認められる状況も、少なからずある。まして職業軍人である以上は、あなたがデウスの信徒だからという理由で、求められる職務を放棄するべきではない。

なすべきことをなし、デウスが望まれることは、しなくてはならない。

ただ、常に感謝を忘れぬよう、道を踏み外さないよう、しっかり考えて行動し、祈りたまえ。

どうかな。理解してもらえるかな。

では、洗礼を授けよう。霊名を、この中より選びたまえ。

 



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SengokD.1565/008.hmos

四旬節を迎えた。

ヴィレラもロレンソも戻ってこない。

アルメイダからも返事がこない。

私は日々、求道者や邪宗徒との問答にあけくれながらも、なんとかこれらを蹴散らしつつ、孤独に耐えていた。

 

パードレ・ヴィレラがミヤコへ来たばかりの頃から助けてくれている、パウロという日本人から、苦労話をいろいろと聞く。

現在の教会は、6箇所目の移転先だという。

糞尿の臭いに満ちた、雨も風も防げない貧民窟の小舎から、ミヤコでの布教は開始された。

毎日、路地をさまよい、辻に立ち、説教を続ける。

石を投げられ、犬に追われ、坊主からは殴られ蹴られ、唾を吐きかけられ、それでも決して怒ることなく祈りを捧げつづけるヴィレラの姿に、なにものかを見出した者たちが、集まっていった。

 

途中を省略するが、ミヨシドノも、はじめからヴィレラたちに好意的だったわけではない。

 

ミヨシドノは現在もっともキナイでの勢力を誇る軍人であり、次のクボウサマの座を狙っている。

ミヤコでの権力を確立するためには、フォッケ宗の坊主を味方につける必要があった。ミヨシドノは現在かれらを厚遇しているが、本人はそこまでフォッケ宗に肩入れしていない。

家臣のひとりに、ソウダイという、邪宗徒だがその悪辣さゆえに有能な男がいる。このソウダイが各宗派の動静を掌握し、互いに潰し合わせる戦略を立てている。

 

フォッケ宗の坊主どもを擁護し、反目するイコ宗やゼン宗をおとしめる作戦がとられた。

ミヤコから、邪魔者はどんどん追い払われた。

その当時にはシャカ教の一宗派で新参者だと誤解されていたコンパニヤへも、排撃の牙が向けられた。

 

ヴィレラはミヨシドノの城で、フォッケ宗の坊主と宗論せよと命令される。

ここへ、ロレンソが赴いた。

ロレンソは見事に、フォッケ宗を論破。

その鮮やかな弁舌に、なにものかを見出した家臣たちを、味方につけることに成功する。

ミヨシドノの家臣たちが続々と、信徒となる流れが生まれた。

 

ソウダイはフォッケ宗だけに恩を売るつもりだったので、計画が狂い、面目を潰された形となる。

それでコンパニヤを逆恨みして、この教会を破却すべしと息巻いているそうだ。

しかし、上官であるミヨシドノが我々に好意的であること。

アンリケやジョルジたち武闘派の家臣が我々の味方となり、目を光らせてくれていること。

そして遂には現在のクボウサマからも、正式に布教許可状が出されたこと。

これら数々の弛まぬ努力が実を結び、いよいよこれから、というところだ。

 

パードレ・ヴィレラに対し、私は分不相応な憤りを抱いていたことを、躓きとして認めよう。

ヴィレラの方がよほど、日本へ来てからのあらゆる逆境に対し、はちきれんばかりの不満と憎悪を抱えこんでいるはずだ。

戻ってきたら、あたたかく出迎え、できるかぎりのコンヒサンを受け入れよう。

お手柔らかに願います。

 

パウロからは、こんな忠告も受けた。

ミヤコでは、常に絹のキモノを身にまとい、カネに余裕のある風を装うこと。

常に堂々とした態度でいること。

清貧かつ謙虚であるべしというコンパニヤの原則とは相容れないが、これにも理由はあった。

 

ミヤコ人は、尊大である。

エウロパでも、都会人は傲慢なものだが、もっと醜悪である。

そしてこの都市では、もともと貧乏人が多い。

正確にいうなら貧富の差が激しく、カミキョウに多い富者は常に貧者を警戒し、近寄らせず、犬を見るように見下す。

偉大なるデウスの教えを説く者が清貧であっても目を惹くことはないし、余計に見くびられるだけである。

ミヤコではまず、高貴であらねば、高貴な者へは近寄れないのだ。

 

ヴィレラの不可解な行動も、これである程度の説明がつく。

私たちは、日本で最高の大王へ年始の挨拶に訪問したのだった。

私は不愉快ばかりを感じていたが、あれは、日本人なりのもてなしだったのである。

パードレ・ヴィレラは7年かけてコンパニヤをそれだけの地位へ昇格させたということだ。

その意義は、認めなくてはならない。

 

 

一人、紹介したい日本人がいる。

トマスという、腕っぷしの強そうな、大男だ。

初めて教会で顔を合わせた日、彼はじろじろと私の顔を見て、話しかけてきた。

 

「私は、あなたに、会ったことがある」

 

ああ。うんざりだ。またかよ、と心で思った。何百年前に貸したカネを返せとか、言ってくるのだろう。

黙って、続けさせた。

 

「あなたは、パードレ・ルイスだと名乗った。今やっと、思い出したよ。私はあの頃まだポルトガル語で返事をすることができなかった。今もうまくないが、これから、学んでいきたい」

 

カタコトの、ポルトガル語が、まじり始めた。ほう、これは新趣向だな。

私も、カタコトのミヤコ語を交えながら、記憶にない、と返す。

 

「二年前の秋だ、覚えていないか」

 

2年前?去年のことか。いや、日本式の数え方なら、3年前。私が日本へ来た、63年ということになる。

秋?夏の、あとか。

 

「パードレは、子供たちに、石を投げられていた。横瀬浦でのことだ。あれは、あなたでは、なかっただろうか?」

 

……びっくりした。

あのとき、子供たちを止めてくれた、日本人ではないか。

まさしく、私だ。

パードレ・ルイス・フロイスといいます。

どうぞ、よろしく。

 

トマスは、サカイ生まれの商人だが、居住地は一定しておらず、あちこちを一年中旅しているという。

夏になると、ポルトガルの定航船を狙ってシモへ行く。自分自身で買い付けるというより、中継ぎで利ザヤを稼いでは飲み歩き、カネがなくなれば、また仕事を探すのだそうだ。

ずいぶん、気ままというか、自堕落にも見えるが、新しいことや興味を抱いたものへ目を輝かせて飛びつく習性があり、話をしてみると実にいろんなことを知っていて、退屈しない。

 

トマスは、私の孤独を、大いに癒やしてくれそうだ。

それは、とっても、ありがたい。



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SengokD.1565/009.hmos

トマスは、スモウが強い。

たとえるならば、聖クリストバルのような偉丈夫だ。

 

肉も食わずにどうすればそんな体を、と疑問を口にすると、肉は大好物だと言われた。

唖然とした。

ここで私は、日本における、衝撃的な秘密の一端に触れる。

 

日本人は肉食を忌避する。

現実に食用の家畜は存在しない。

だが、肉食する文化を持っていた。

猪、熊、鹿、兎、鳥類など、山の獣が食卓に供されることは珍しくないそうだ。

私たちにその機会が提供されなかっただけだ。

 

山野で狩って手に入れた肉は、穢らわしくないから、食べてよい。

一方、牛馬などの家畜は労働をたすけてくれる感謝すべき存在ではあるが、人間と共に暮らしているため、穢れを身に纏っている。だから、食べてはいけない。

 

なんだそれは、と正気を疑う理屈ではあるが、ともかく、日本人があらゆる肉食を禁じているというのは、私たちの悲しい思い込みであったことが判明した。

わかった上で尋ねてみると、兵士たちも、よく山で狩りをして肉を食べるそうだ。

猿でも犬でも、人に飼われていなければ構わないのだそうだ。

 

そんなトマスに、ミヤコ見物へ連れていってもらう。

護衛役の信徒も、何人かついてきてもらった。

私も、キモノ姿で、なるべく日本人にまぎれる。

都会には様々な装束の人間がひしめいているので、トマスと小声で会話をしている限りは、怪しまれないだろう。

トマスの前で狼藉を試みる命知らずも、めったにおるまい。

 

入京の日に訪問した、クボウサマの宮殿を、ぐるりと回った。

あの日は考える余裕も無かったが、とてつもなく広い。リジボーアの王宮を越える敷地を有す。

あえて言えば、建物は上層階を持たない。

すべて木造。塀のあちこちに戦火の跡も痛々しい。

それでも、圧倒される規模を誇っていた。

 

街路を挟んで、ダイリサマの宮殿。

こちらはもっと広かった。だが廃墟のような古びた佇まいで、亡霊が出そうだった。

ダイリサマは一生をこの中で生活し、客の訪問も滅多に許可しないのだという。

 

曲がりなりにも日本の王制の源流であるダイリサマにとって、下界は穢れすぎているからだ。

そう理屈を聞けば、なるほどと思わなくもない。

だがそれならば、力を持っているうちに、坊主どもを追い出すべきであったろう。

穢れたあとでは遅すぎるのだ。

 

この一帯を中心とするカミキョウには、織物の製造加工をする業者がひしめいている。

私たちの定航船がチイナから運んでくる生糸の一大消費地だ。

末端価格はどれほどになるものだろうな、と思ってもみるが、私はアルメイダじゃないので、そこまでの関心はない。

次へいこう。

 

あちこちに、偶像を見る。

ミヤコ周辺で祀られているのは、ほとんどがアミダ像だという。

シャカとアミダはどう違うのか、とここでも尋ねてみたが、やはりよく理解できない。

次へいこう。

 

巨大な庭園が現れた。

幅20歩ほどの湖水を中心に、よく手入れされている。

その先に林があり、大きなテラがあった。ひとめでわかる。邪宗の会堂だ。

扉は開放されており、中で大勢の坊主が座って整列し、黙想しているのが見えた。

フォッケ宗かな?と訊くと、ゼン宗だという。

しかもリンザイといって、ゼンの中でも要警戒すべき集団だった。

迷わず立ち去る。

 

ゼン宗は、シャカ教の中でも比較的新しい派閥だそうだ。愚にもつかぬ議論を、ことのほか好む。

グレーシア人を何倍にもこじらせたような連中か。

一方、同じゼン宗でもソートという一派もあり、こちらは何をされても石のように黙りこむから放っておけばいいという。

 

すかさず引き返そうとした我々ではあったが、捕まってしまう。

トマスも含めて、過去このテラへ在籍していた者が何人かいて、大声で再会を喜び合っている。

私をテンジク坊主のルイスだと、わざわざ紹介しやがった。

なんてことしやがる。

 

しかし、乱暴はされなかった。

エウロパ人が珍しかったようで、しつこく見つめられ続けたりはしたが、坊主にしては良識的な連中もいるものだと思った。

あるいは、トマスの腕力をおそれただけかもしれないのだが。

あとで思ったのだが、トマスやロレンソのように、もと坊主でも立派な人物はいるものだ。

そういう人ならば、デウスの教えに出会った日から、ただちに正しい道を歩める。

そして、自分のなすべきことに気がつけば、かつての仲間にそれを伝えることができる使徒となるのだ。

今日の坊主も、いずれ私たちの一員となる可能性は大きい。

もっと、優しく接しておくべきだったかな。

 

ミヤコの東部地域では、偶像の大群と対峙した。

白状すると私はここで昏倒してしまい、教会まで担がれて戻ってきたので、冷静かつ公正な報告ができない。

しかし、我々が今後これらの悪魔と戦っていかねばならぬ以上は、微力でも手掛かりを提供することに意義と使命が存在するであろうと考える。記憶をたよりに、証言しよう。

 

((( くすっ )))

 

ん?誰かいま、笑ったか?気のせいかな。従僕たちは皆、寝てるよな。

 

その会堂には、1000体を軽く越える偶像が祀られていた。

アミダの子供でカノンというのが、何十もの種類にわかれているのだ。

人間そっくりのものもあれば、腕を何十本も、顔をいくつも付けたり、禽獣をつぎはぎしたような動物も。

まさに、悪魔の群れだった。

 

坊主どもと、かれらが騙し続けている民衆は、これらを、自分たちを誘惑し道を踏み外させる指名手配者として、見せしめとするために公開しているのでは無い。

まっすぐ、ありのままに、これら悪魔どもを崇拝せよと、像をつくり、讃えているのである。

躓きどころの問題ではない。

いかにデウスの教えが1500年、届かずにいたからとて、これほど人間の理性に反した所業が許されるわけがない。

どれだけ踏みにじろうというのか。

純真無垢で優秀な、かけがえのないアニマを。おまえたち悪魔は。

 

ひときわ大きな、人の背丈3倍ほどもある醜悪な像が、3体並んでいた。

これらは、死後の世界への入口に立つ裁判官だという。

地上での生を終えた者は、この前に立たされ、生涯でどれだけ坊主への献金をしたか裁定され、それによって、ゴクラク行きか、ヨミ行きかを宣告されるという。

そんなものを裁判とは言わない。

 

邪宗に跪く者は、邪宗の中においてすら、死んだのちまで、救われない。

死後も踏みつけられることを恐れるがあまり、生涯を坊主に捧げ尽くす。

何もかもを限界以上に貢げと強要され、牢獄の中にさまよい続けることを強いられる。

こんな社会構造が、許されてたまるものか。

 

日本の皆さん、もう苦しむ必要はない。デウスは、訪れたのだ。

1000年間、ひたすら搾取されてきたものを、ただちに取り返そう。

今、すぐにだ。

 



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SengokD.1565/010.hmos

聖週に入る少し前、アルメイダがやって来た。

元気そうで、安心した。

何の連絡もくれなかったことを、ちょっとだけ責めさせてもらった。

 

アルメイダは、1箇月ちかく、サカイで療養していた。

長女モニカ嬢から大層手厚く看護されたそうだ。

これから私も何度か会うことになるであろうから、彼女のことを特に大事に見守るよう、念を押された。

 

モニカは16歳。もう結婚しているべき年頃だが、芯が強すぎて家族を困らせているという。

昨年も、縁談が決まり、準備が進んでいたが、モニカは相手のことを嫌っていた。

純潔は何よりも大切に守られるべきもの。

結婚とは本人同士の完全な合意のもと行われるべき重要な秘蹟であり、自分はこれに同意していないと反抗し、3日間絶食の末に家族が降参して、破談したという。

 

ここで、日本人の結婚問題について述べる。

コンパニヤを17年間悩ませ続け、今なお解決への道遠き、大問題の筆頭格である。

 

日本では、結婚は、親同士が決める。

より正確にいえば、大なり小なり利害関係を共有する2つの家を仲介する者が提案し、両家長やそれに準ずる債権者たちの協議によって決定すれば、手付金や結婚式の日程などが調整されてゆく。

この過程で、当人同士の意向は一切問われない。

子は親の決定にただ服従すべきものとされる。

 

エウロパでも、王侯や貴族の縁談では同様の事情が発生する場合もあるが、それにしたって本人同士の愛情と意思は根本原則だ。

ところが日本では、庶民の末端に至るまで、この原則を語るだけでも、不思議そうな顔をされる。

 

私たちは求道者に対し、

個人の意思は尊重されるべきものであること

結婚するまでは性行為をしてはならないこと

未婚既婚にかかわらず人前で肌や性器を露わにすることは罪であること

などを説き、これらを理解させて初めて洗礼を授けるのであるが、信徒となったあとでも日本人の多くは、しょっちゅう躓いてはコンヒサンを求めてやって来る。

 

貞操に至っては尚のこと。

日本において純潔とは、領主を決して裏切りませんという意味だけを指して理解される場合がある。

性交渉に対する倫理観や防衛意識は、甚だ薄いと言わざるを得ない。

親たちが子の結婚を決めるに際し、処女または童貞であるか、子供がいるかは、ほとんど問われない。

子供が邪魔になればいつでも他人に譲ってよいし、棄てることさえ何らの罪悪感もなく遂行される。

今まであまり口にしなかったが、日本人にはこれほど野蛮で残酷な一面もあるのだ。

 

さて結婚である。

こんなわけだから、日本人の夫婦間における愛情は、犬を飼っているうちに愛着が湧いてきた、程度のものをなかなか越えられない。

一夫一婦制だけは浸透しているので、一見しただけでは、アフリカやインディアの多くの未開人にくらべて日本人は高潔であるという思い込みが生まれる。

メステレ・フランシスコも、最後までこの罠に気づけなかった。

 

何年も過ごしていれば、日本人は頻繁に妻や夫を替えていくものだとわかってくる。

この際に重視されるのは、新しい子供を期待できるかどうかであって、やはり本人同士の感情は考慮される余地もない。

これが普通であったのだから、モニカ嬢がどれだけ破天荒なたたかいを演じたか、未信徒の家族や近隣者が驚き心配したであろうかは、想像を超えるものであったことと察する。

それにしても、よくやったものだ。

モニカには、聖母マリヤの御加護がついていることと思う。

いずれ、良い夫と結ばれよう。

 

蛇足だが、彼女の末の弟は、ヴィセンテという。

11歳。数年前、姉妹弟全員が受洗したのち、ヴィセンテはひとりブンゴへ1年間の留学をした。

送り出したディオゴ殿もすごいが、この一家には、きわめて革新的で冒険者的な気風が漲っているのがわかる。

たのもしい限りだ。

なお、復活祭にディオゴ夫人への洗礼を予定していたのだが、今年はミヤコまで来られそうにないという。

そうか。残念だが、また機会もあるだろう。

 

この他、アルメイダからは、キナイ諸事情についての話も、いろいろと聞けた。

もともと彼の本領は布教活動よりも、商売人目線での観察と分析、そして交渉力にある。

日本人に聞かれないようにして、アルメイダがサカイを発ってからの足取りを語ってもらった。

 

まず向かったのは、サカイより東へ6レグワの、カワチ国イイモリ。

ここに、ミヨシドノが住んでいる。ディオゴ殿に選んでもらった手土産の茶器を持参して、訪問。

城内には信徒も求道者も多く、ヴィレラとロレンソを手伝って過ごした。

 

イイモリ城のふもとに、湖のような大河があり、この中州に直径半レグワほどの島が浮かんでいる。

ここがサンガで、防衛拠点として極めて守りが堅い。

サンガ城内につくられた教会・聖堂・住院は壮麗で、日本ではブンゴの次に立派なものだという。

管理する日本人信徒が専属で就いており、城主サンティアゴ殿はじめ家臣一同が毎日ミサをあげるという習慣が根付いているそうだ。

なんともすばらしいではないか。

 

今後の日本布教では。

エウロパ人宣教師がいなくても管理監督と日々の聖務を任せられる、日本人が大量に必要である。

そのための、イルマン級の日本人をどれだけ育成できるかが、コンパニヤの命運を握るのだ。そう、熱弁された。

ああ、そこまで、考えなかったなあ。

パードレ・ヴィレラが、たった独りでここまで取り組んできたのだということに、あらためて感謝した。

いつになったら戻ってきてくれるのやらではあるが。

 

「ヴィレラは、復活祭が終わるまでは、イイモリとサンガを離れられんと思う。ところで、私の見る限り、ヴィレラはブンゴへ連れて帰らなくても大丈夫だと結論した。今後ミヤコの業務をどう分担していくかは、2人で相談して決めてくれ。

私は白衣の主日までは、ここにいる。その後、ナラとタモンを回って、ブンゴへ戻るつもりでいる」

 

ナラ?

ヤマト国の、大都市の、ナラ?

そこは1000年前、日本の首都だった街で、当時も今も、おそるべき数のテラと偶像と坊主がひしめきあう、濃縮インヘルノだと聞いている。

想像するだにおそろしい。私はミヤコの一角ですら昏倒した。

とてもじゃないが、ついていけない。

もう一つの地名は、初耳だ。何があるところだろう?

 

「タモンは、ナラの郊外だ。ミヨシドノの家臣で、ソウダイという、ゼンチョの頭領がそこにいる。すでに訪問の約束は取り付けてあるから、行って、どんな男か見てくる」

 

はあ。アルメイダよ。あなたはなんという、命知らずな冒険家なのだ。

おたよりください。私は、当分、ここにいます。

 



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SengokD.1565/011.hmos

聖週に入ると、各地から、信徒が続々と集結した。

 

何人も引き連れて、馬や輿で参上する者もいる。

一方で、泥棒や追い剥ぎをしながらやっと辿りついたのだろうな、としか思えないような連中も来る。

そんな犯罪人には安易に赦しを与えるべきではない。

聖週だから当然、皆がコンヒサンを望む。

仮に私が日本語を完璧に使いこなせ、かつ、10人の声を同時に聞き分ける能力を備えていたとしても、復活祭までには片付かないだろう。

日本人信徒を総動員するとしても、ただでさえ狭い教会にコンヒサン用の別室をひとつ設けるだけでも難儀するのだ。

 

ミヤコだって日本人は鍵をかけないし、部屋の仕切りは紙の衝立のみ。

すでに連日、隣家の人たちから、うるさいと猛抗議を頂戴している。

だからせめて晩は早く閉店したいのだが、ヂシピリナは夜が更けるほど盛り上がってゆく。

始めたら、止められない。

 

「今日はヂシピリナをしないだと?正気か、パードレ・フロイス。信徒が何を求めて集まってくると思っているのだ。かれらの期待に応えないつもりか」

 

イルマン・アルメイダよ。ならばせめて、おねがいだ。お隣さんが怒鳴りこんで来たときは、君が宥める担当をやってくれ。

私の鞭では信徒が満足しないのは承知の上だが、邪宗徒との交渉は、もっと苦手なんだ。

察してくれ。たのむ。

 

悲鳴を上げる力すら失った肉体で、復活祭をなんとか乗り切り、私は屍のように眠った。

目覚めると、アルメイダは去ったあとで、かわりに、ヴィレラが戻ってきていた。

 

「たるみすぎだ、フロイス。君は、ドジコスの身分から、再出発した方がよいかもしれない」

 

ひどいことを言う。でも、なんも言えねえ。

粥をすすりながら、あらためてヴィレラより、ミヤコで生きる心得を、聞く。

 

人はすべて泥棒だと思え。

困った者を下心も無く助ける日本人などいない。

鍵をかけないのは、かけても無駄だとわかっているからだ。

鍵屋など儲からないし、客より訴訟人の方が多く集まる。

金目のものは、そもそも持つな。

持つなら、かくせ。

家族にも、打ち明けるな。

 

納得したよ。

私たちがシモから持ってきた献上品は、きれいさっぱり、どこかへ運び去られた。

ヴィレラと、幹部級の信徒たちが、即、隠したのだ。

私はまだ信用されてないので、教えてももらえない。

一貫しているね。

 

「100年前の大戦以来、ミヤコは全国から浮浪者と成上がり者を惹きつける引力の中心と化した。

ダイミョウたちはそいつらを取り込み、槍を持たせて敵対勢力を襲わせる。

生き残っていければ姓名を与えられ、鎧を着て、カタナや馬を持つこともできる。そんな誘惑が、若者たちを駆り立てる。

戦えない者……手足や視力を失ったり、年老いたり、あとは女。かれらは、坊主どもが連れていく。

寺になら、そんな連中にも仕事を与えてやれる。ロクなもんじゃないがな」

 

私はつい、ロレンソの方を見た。

盲目のロレンソは、聞いているのか、いないのかすら判らぬ表情のまま、器用に飯を食べていた。

そもそもの認識から改めなくてはなるまい。日本は、全土が戦場である。

そこへ飛びこんできた私たちも、常に死と隣り合わせなのだ。

マルチルになろう、なんて口にするのもおこがましかった。

 

「坊主を、私たちと対等の商売敵だと思ってはならん。子供をさらい、戦闘員として鍛え上げ、勝たせたい領主のもとへ献上するのは、寺のつとめだ。エスピンガルダの製造も、あちこちの寺がやっているんだぞ。女や老人にも仕事があるという意味をしっかりと把握しろ」

 

衝撃だった。思い当たる節も多い。

ブンゴに1000挺のエスピンガルダ部隊がいる、と知って驚いた記憶があるが、そもそもそれだけの数を定航船から輸入しているはずがない。

日本人はエスピンガルダを量産できるのだ。

すでに、各地で、大規模に。

 

「クボウサマから与えられた布教許可状では、我々は戦争協力を拒むことができる、という一文がある。私が断乎、譲らなかった条件のひとつだ。

通常、坊主どもの寺では拒否が認められない。

日本中の寺は、戦場の近くにあれば、いつでも兵士たちの宿泊所となり、坊主どもはこれに無制限の協力をする。

当然、攻撃対象にもなるから、破壊され焼かれることも珍しくない。

こんな奴らと、口喧嘩だけで渡り合おうとでも考えていたのなら、即刻ドジコスに戻りたまえ。と、念のために言っておく」

 

……完全にお見通しかよ。ぜんぶ、先回りされたな。

反論、できません。なんも言えねえ。

 

「カミも戦争協力の一員だが……なに?カミキョウのカミじゃないよ、フォトケじゃない方のカミだ……

おいおい、ドジコス・フロイスくん、いいかげんにしろよ。

日本へ来て3年目にもなって君は何も学んでないというのか。

フォトケというのは、シャカのことだ。

こいつらが来た1000年前より以前から日本にいたのが、カミだ。

この2つは既に相当混じり合っている要素もあるが、たとえば戦争勝利はカミに対して祈願し、死者を弔うのはフォトケが担当する。

日本のダイミョウは、出陣前、カミに対して、戦争する理由と、その勝利祈願を宣言する儀式を行うのだ。ミヤコでもシモ島でも、66領国すべてでやってるはずだ。

キショウモンという文書の形にして、読み上げ、遺すのだが、我々の布教によってカミもフォトケも棄てた領主のもとでは、キショウモンがつくれない。

この問題をどう解決したものかという話をしたかったのだが……おいドジ、君という人間には呆れた。まったく、不勉強にもほどがある。

これ以上何を話したところで無駄だな。いま俺が話した内容だって、ひとつも覚えちゃいないだろう。

ああ今日はやめだやめだ。ごちそうさま。食器は君が洗いたまえ。

ねえ諸君、今日はこの人が全部するから休んでいいよ。1時間したら皆で聖歌を練習しよう。

じゃあドジ、やっとけ」

 

 

洗濯なんて、何年ぶりだろう。こんなに、疲れるものだったか。

足で踏んでいたら、少年から怒られた。日本では、手で洗わなくてはいけないという。

しゃがんで。ものすごく、時間がかかって。腰も悲鳴を上げた。

悲鳴は、いいね。

まだ生きてるんだって、実感する。

 

夜、ロレンソが、話しかけてくれた。

 

「おつらいでしょうが、ヴィレラ殿なりの、愛情だと思いなさい。私からも、お伝えしたいことがあったのですが、今日は、やめておきましょう。フロイス殿が、早く一人前になってくだされば、私どもは、うれしいです」

 

ああ……なんも言えねえ。



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SengokD.1565/012.hmos

イルマン・ロレンソから、必殺技を伝授された。

坊主には、天文学をお見舞いしてやるべし。

 

日本人は、すぐれた資質を持ちながら、科学的な思考には縁遠い。

月は30日周期で満ち欠けを繰り返す。これは地球と太陽との位置関係によって織りなされる天体の協演なのであるが、日本人による解釈では、次のように説明される。

 

天空にはタマノクデンという宮殿がある。

ここには30人の官吏がいて、毎夜、15人が登庁する。

30人のうち白衣と黒衣の者が半分ずついる。登庁者全員が白衣の日は満月。1日1人いれかわり、全員が黒衣になると朔月。

この朔月を第1日として、30日区切りで12箇月を1年とする。

これでは太陽に影響される季節と次第にずれが生じるので、4年に1度、閏月を挿入して調整する。

 

幼児に聞かせる童話だとしてもへんちくりんだが、坊主どもが目指す日本最高学府で教える内容が、そもそもこの程度の水準らしい。

更にこれをもとに吉凶を占い、あなたの運命はこの星に導かれているとか説明して、いちいち坊主はカネをとる。

ちがう坊主に占わせれば、百人百様の運命が示される。

好きなだけ占ってもらい、好きなだけカネを払うのはあなたの自由だ。

坊主どうしは、この点では争わない。

 

私たちは、世界を半周してきた。大地が球体であることを知っている。

航海士は太陽や北極星を基準にして六分儀で緯度を計測し、正確な海図をもとに自分が今どこにいるかを断定できる。

これも言っておかなくては。日本には、距離を正確に測量するという概念も存在しない。

家を建てるくらいの範囲では縄を使って実測するが、都市間の距離となると、徒歩で何日かかるという基準でおおまかな地図を作るのみだ。

私はこれまで、ブンゴからミヤコまでを150レグワであるとか言ってきたが、これらはすべて日本人による説明から変換して解釈したものにすぎず、ちがう人に訊けば百人百様の距離が返ってきてもしかたがない。

だから私が昨日と今日でちがうことを言ってしまっても、責めないでいただきたい。

私のせいじゃないんだ。

 

話を戻そう。

坊主というのはあらゆることに無知であるくせに尊大で、質問はするくせに、こちらの回答を茶化しはぐらかし唾を吐いて去って行く愚か者以外の何物でもない狂人集団のことであるが。

そんなやつらを打ちのめす必殺技がある。

我々の実体験で裏付けされた、この世界の正しい姿を、示してやるのだ。

 

天文学の授業をもっと真面目に受けていればよかったと反省するのだが、ロレンソによれば私程度の知識でも、たいていの坊主は説伏できるという。

まず、大地が丸いという常識に、坊主は反論する。

この段階では大声で嗤い始め、私たちを指さして、これでもかと軽蔑の態度を見せる。

私たちは、海図を見せる。

エウロパから赤道を南下。喜望峰を越え、モサンビクまでは陸に沿い、モーロ人の国々をやりすごして、インディアまで辿りつく。

あなた方が一生辿りつけないと思っているテンジクはせいぜいこの辺りだろう。

さらに東へ、東へと航行すると、日本人も知っているレキオスやチイナが現れる。ここからの海峡が難関だが、それを乗り越えて私たちはやって来た。

この小さな島々が日本だというと坊主どもは怒るが、事実なのだからしかたがない。

 

ここまで通訳したロレンソは、坊主どものよく知っている説話をひもとく。

 

かつて、ゲンジョーというシンダンの僧侶が、生涯をかけてテンジクまでの旅をした。

辛酸を嘗め、多くの仲間を失いながら、やっと辿りついたその地は、シャカにとってはほんのひとまたぎの距離に過ぎず、帰路は一瞬にして生国へ戻してもらえたという。

この喩え話もどうかと思うが、実際これと同じだと締め括れば坊主の多くは敗北を認め、パードレの言葉をもっとよく聴きたいと態度を一変させるのだという。

 

本日は、教会暦では聖バルナバの祝日。

太陽暦では第6月の第11日。日本の暦では、五月十三日となる。

月を基準にする暦法では、明後日が満月になるねということはすぐにわかるが、春分・夏至・秋分・冬至などとは連動しないため、農作物の育成を判断する目安としては不適当だ。

デウスの教えに基づいて生きる者は、万事このように、合理的で、筋道の通った考え方ができるようになる。

正しい道へ進むつもりがあるなら、早い方がいいですよ。

 

ロレンソも、かつては迷える坊主のひとりだった。坊主としての学問に励んだ。

疱瘡を患い、中心勢力から脱落し、下層集団からさえ見放された。

絶望の淵で、死ぬ覚悟を決めていたとき、メステレに出逢った。

それまでの常識が、こっぱみじんに打ち砕かれた。

どれだけの衝撃だったであろう。おだやかな現在の表情に、その苦節は窺えない。

 

「私は、かつての仲間たちも、この王国のすべての民も、救いたい。かれらに道を示したい。あやまちから、ふりむかせたい。それしか望んでいません。

すでに目は見えませんが、まだ口はある。ヴィオラも弾ける。頭もすっきりしてます。

どうせ一度は棄てた人生。まだまだ、できることがあるなら、やりとげますよ。

それが、デウス様への、ささやかな、恩返しです」

 

なんと立派な、心構えだ。

私は、自分がパードレなどという不釣り合いな身分にあることを、心から恥じた。

 

ヴィレラはあの日以来、私のことをドジと呼び、いじめるが、甘んじてそれを受けいれよう。

教会には何人ものドジコスがいるが、私はその最下級だ。それも当然なのだ。

ヴィレラから見れば、この教会で共に戦い苦楽をともにしてきた子供たちを前に、なにひとつミヤコのことを知らないパードレが、でかい顔してふんぞり返っていることなど、ゆるしがたいだろう。

 

ロレンソの言ったヴィレラの愛情とは、私に対してではなく、ひたむきな子供たちに対してのものなのだ。

私はそう解釈し、私もまた、ヴィレラと、ロレンソと、ドジコスたち、求道者たち、信徒たちから、真に愛されるパードレにならねばならないと、覚悟している。

コメの炊き方も、少しずつうまくなってきた。なかなかこれが、難しいのだ。

そんなわけで、以前よりも忙しい。

 

 

あの日、途中まで聞いたキショウモンの話が気になっているが、ヴィレラにはまだ、そのことを言えないでいる。

 

復習しておこう。

日本人は、戦争する前は、カミに対して祈る。

キショウモンという文書をつくり、なぜ戦うべきか、相手がどれだけ悪者か、自分たちが正義である根拠は何かということを説明し、宣言する。

エウロパでもやってるじゃないか?それ。

十字軍でも、出陣前、教皇猊下が宣言されていただろう。趣旨は、あれと同じではないのかな?

 

布教許可状では、コンパニヤは戦争協力をしないとわざわざ明記させたという。

日本人同士の戦争になど、関与しないということか?

そのためか。

日本におけるコンパニヤは、エウロパよりも高い水準で、平和を平和的に達成せねばならない。

そういうことか。

だが、ミヤコでの求道者および信徒の多くは、兵士だ。

信仰は信仰として、しかし世俗における仕事は仕事としてまっすぐに取り組むべし、というのがコンパニヤのみならず、カウトリカの原則として、あるはずだ。

 

私たちは、すでにどっぷり、戦争協力しているともいえないか?

どうだろう。

わからない。疲れたから、寝る。

 



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SengokD.1565/013.hmos

金曜日。

兵士たちがミサに訪れなかった。授業にも来なかった。

なんでも、召集命令が下って全員、兵舎へ呼び戻されたという。

 

土曜日。

ミヨシドノの兵が大挙してミヤコへ乗りこんできた。

近々、大決戦が行われるらしい。

その出陣式と、クボウサマへの挨拶を兼ねてミヤコへ集合したものと思われる。

そのように聞いてました。私は。

 

翌日は、三位一体の主日です。

三位とは、デウス、イエズス、そしてスピリツサントスのこと。

御父、御子、聖霊ですが、この中に上下の格はありません。

文脈によって呼び分けたりはしますけど、御主といえば、三位一体を表します。

蛇足ですがアンジョはこれより格下です。

アンジョの中にはサタナスに誘惑され悪の道へと堕ちたものもいますから、注意が必要です。

 

話を戻しますが、土曜日の夜。

クボウサマの王宮で、私たちも参詣したあの邸で。兵士たちとの懇親会が催されたそうです。

ミヨシドノ配下の、小ダイミョウたちも武具に身を包んで参列し、キショウモンを捧げたのではないかな。

そんな光景を、想像しました。

 

これは、後から聞いた話ですけど。

クボウサマは、この宴に出てこなかったとか。

兵士たちは、クボウサマに対して吠える。

あなたも戦びとではないのか。そもそもダイリサマと、このミヤコをお守りする、最も重要な地位を任された立場ではないのか。それが何たる腰抜けぶりか。

たいへん、失望をされたということです。

 

日曜日の早朝。

カミキョウから、火の手が上がりました。

クボウサマが殺されたという噂が、シモキョウまで駆け抜けました。

王宮の中にいた、クボウサマの子供たちまで、容赦なく斬り殺され、火の中へ放りこまれたとか?

 

ここで、私は、疑問に思うのです。

クボウサマが腰抜けであるからといって、翌日朝にすぐ、そこまでやるか?

もっと以前から用意周到に仕組まれた、謀反なのではないか。

ミヨシドノは次のクボウサマの座を狙っていると、広く噂になっていた。それをついに、決行したのではないか。

となると、ミヨシドノが次のクボウサマとなるわけですが。

これは私たちにはありがたい状況です。

旧クボウサマからも布教許可状はいただいてますが、コンパニヤに協力的なミヨシドノが支配者になれば、これをもっと強化したものにできるでしょう。

 

ヴィレラはクボウサマと何度もお会いしていた縁もあり、彼なりに心を痛めていたようですが。

私はそこまでの思い入れもないので、黙々と炊事や洗濯をしながら、人々の会話に耳を傾けていました。

ああ、でも、お邸で私たちを歓待してくれた女官の、一番偉そうな婦人がクボウサマのお母様で、その方も斬り殺されたと聞いたときは、思わず十字を切りました。

クボウサマの顔は覚えてませんが、口を隠して嗤い続けていたあのご婦人の顔は、記憶に焼き付いていますから。

そうか、殺されましたか。

私の何がそんなにおかしかったのか、いつか尋ねてみたかったものですが。

もういいや。アーメン。

 

夜になって、ジョルジ殿が教会を訪れました。

これからしばらく、教会に護衛の兵をつけてくれるそうです。

カミキョウでは、混乱に乗じた掠奪や放火も相次いでいるそうで。シモキョウでも何かあるといけないからと。

なんと気のつく方でしょう。

ジョルジ殿はミヨシドノの家臣で、教会へ部下を派遣しては信徒を増やしてくれている、元締めのひとりです。

この日も勇ましい軍装でした。

おつとめ、ごくろうさまであります。

 

次いで、コスメという男が現れました。ミヨシドノの秘書だそうです。

ヴィレラと長話をしています。

最新の情報を教えてくれているようです。

え?坊主どもが絡んできているのですか?

 

ミヤコの最大派閥はフォッケ宗。

かれらはダイリサマやクボウサマへ礼儀正しく取り込み、穏健に実効支配を達成するという、きわめて政治色の強い集団です。

戦争協力にだって積極的でしょう。

反乱により旧クボウサマが斃されたことは、フォッケ宗の坊主にとっては、想定外の大事件。

何してくれとんじゃあ!と新興勢力のミヨシドノへ文句のひとつもつけたでしょう。

 

ここで、ミヨシドノがコンパニヤへ協力的であることが、攻撃材料となります。

テンジク人にそそのかされたのだろうとか。こんな形での政権交代はシャカの教えに反しますぞとかなんとか。

見苦しい。

政権交代なんて、私たちが日本を発見する前から、何度もあったんでしょ。

そのときあなた方は何をしてたっていうんですか。

言いがかりをつけるにしても、もっとマシな理屈を考えつきなさいよ。

 

なんて言っても始まりません。相手は坊主なんですから。

便乗放火も何割かは坊主がやってるって噂も流れてますよ。

もっとも、噂にすぎないので、私たちはそんな流言飛語を根拠にあなたたちを攻撃するなんて、しませんけどね。

これでも文明人ですから。

それにしても、うぜえ。

 

実際ですね。

デウスの信徒め、と言われてイヤガラセを受け、身の危険を感じた市民が、教会へ何人も避難してきてるんです。

今夜、私の寝る場所はありません。

雨降ってないからいいけど、優先的に追い出されました。

家の裏手で、筵をかぶって寝ます。

 

ほんと、坊主、ゆるせねえ。

 



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SengokD.1565/014.hmos

アントニオ・ユキノ・サイモンジョウ殿。

あなたは3年前、私たちの兄弟となり、両親および主君にもよく尽くし、誠実にして立派な人生をまっすぐ歩み続けました。

あなたを慕う部下たち、信徒たち、そして私たち宣教師も、誇らしい気持に満たされています。

短い間ではありましたが、共に過ごした日々に心から感謝します。

今はすべての重荷を下ろし、パライゾで安らかに憩われていることでしょう。

御主のみもとで、私たちの輝ける導き手となってくださいますよう、祈りを捧げます。

アーメン。

 

葬儀を、可能な限り盛大に執り行った。

ミヤコの外郭に信徒が土地を持っていて、そこを墓地にしてある。

兵士に見守られながら行進し、埋葬し、多くの蝋燭を灯した。

 

ミヤコ中の人が、物珍しさに群がった。

これだけの葬儀をして、一切カネはとらない。

ただ、無理をしない範囲で寄付をいただければありがたい。説教を聞きに来てくれれば本望だ。

毎度毎度これだけの規模でとはいかないが、私たちはすべての信徒に対し、その洗礼から帰天までを見守り、決して疎かにはしない。

貧しき者には目もくれない坊主とは、何もかもが違うのだ。

そのことを見せつけてやる、よい機会だった。

 

コスメ殿の情報によると、アントニオの死因は、毒殺。

そこまでやるか、と憤懣やるかたない思いであるが、坊主としては何がなんでも、私たちを排除したいらしい。

ほんとに坊主の仕業だろうかって?

たしかに証拠はない。

しかし、アントニオを殺して誰が一番得をするかといえば、この点については、坊主しかいない。

その奥から手綱を引いているのが、われらの最大の敵、ソウダイだ。

 

状況がやや複雑になってきたので、整理する。

 

カワチ国イイモリを本拠地とするミヨシドノ。

キナイを掌握する、実質的な支配者となりえる唯一の実力者だ。我々の味方である。

その筆頭家臣に、ソウダイという老人がいる。

骨の髄までフォッケ宗に染まっており、悪魔的頭脳でミヨシドノをたぶらかそうとする。

我々にとっては、坊主より手強い敵なのだ。

 

そういえば、アルメイダはソウダイに会ってからブンゴへ戻ると言っていた。

タモン城へテンジク人が訪れた噂は、コスメ殿の耳にも入っていた。アルメイダは実に大仰に感心し、城主ソウダイを讃え、高価な土産物を与えられて、無事に立ち去っていけたようだ。

しかし本人からその後、便りひとつ来ないので、詳細も真意も掴めないでいる。

アルメイダよ、ひどいじゃないか。

私からは、しつこく催促しているのだが。

 

ミヨシドノの軍には、大勢の百人隊長がいる。

アントニオやアンリケらは、これに属する部将たちだ。いずれも、ロレンソが授洗した。

配下の兵が教会へ送ってよこされ、私たちは彼らを信徒にして返す。

デウスの教えを理解した兵士は迷いが無くなり、主君へ絶対の恭順を示すようになると好評だ。

この美しい関係を、無能かつ驕慢な坊主たちは妬む。

自分たちだって陰ではエスピンガルダの製造とか、傭兵の錬成とか、しっかりやっているんだが、私たちには嫉妬を覚えるらしい。

でも自らを正す発想へは行き着かない。

だからこそ坊主だ。嘆かわしい連中だ。

 

三位一体の主日に、ミヨシドノはクボウサマを斃した。家族親族も一人残さず殺した。

妃だけは逃げ出し、市中のテラのひとつに匿われていたそうだが、数日後に発見され、首を刎ねられた。

ここでも、坊主はいったい何をしているのだと思うところもあるのだが。次へ行こう。

 

ミヨシドノへの政権交代は、すんなりいかなかった。

随分と揉めている。ミヤコには、ミヨシドノの兵があちこちに立っていて、治安は守ってくれているが、この兵たちもだんだん退屈してきたり、食糧を求めて市民への乱暴を働きだしたという噂も流れてくる。

私たちの教会へも、信徒の避難者がいま60人くらい詰め寄せてて、収拾がつかない。お隣さんからの苦情にもさらされている。

身寄りのある者は親族同士で助け合うべしと、調整に明け暮れている日々だ。

いつまで、この世情混乱が続くのだろう。

そんな思いで、疲れきっていたところへ、アントニオ殿が殺されたという、知らせが届いたのだ。

 

アントニオ隊は、ミヤコへ入ってから、テラの一つを兵舎にしていた。そこで、毒を盛られた。

2日ほど苦しんだ末の、最期だったという。

坊主が弔おうとしたが、部下が、隊長はデウスの信徒なのでと拒絶した。

坊主が知らなかったとは考えにくい。

アントニオも、配下の信徒も、毎日祈りを捧げていただろうし、軍装にはしるしをつけていたはずだから。

 

なお、隊の兵らも、コスメ殿も、そのテラの名をどうしても教えてはくれなかった。

ヴィレラも、しつこくは求めなかった。

私たちが赦したとしても、血気に逸る信徒か求道中の者が、躓きを起こさないとも限らない。

知らない方がいいだろう。しかし、葬儀だけは盛大に行おう。

道半ばで旅立ったアントニオへ、せいいっぱいの祝福を捧げよう。

そう決まった。

 

夏の夜空を見上げつつ思う。

今年の定航船は、どこの港に入っているかな。

パードレは何人、やって来たかな。一人よこしてもらいたいな。

アルメイダやモンテが手紙をくれなくたって、トマスが戻ってくれば、いろいろな話が聞けるだろう。

それまでにミヤコは、落ち着いてくれているだろうか。

 

外で寝ていると、虫を防げない。

おかげで肌が、ボロボロだ。

 



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SengokD.1565/015.hmos

ダイリサマとクボウサマ。

日本における2つの王権。

 

ダイリサマは、2000年続く血統に立脚している。

クボウサマは、軍事力を有し治安と防衛を司る。

ヴィレラは、クボウサマから布教許可状を発給された。

ダイリサマとは交渉もしていないという。実権は形骸化しているし、仲介者だって見つからないのだそうだ。

 

先月、クボウサマが斃された。

ミヨシドノへ覇権が移るかと期待されたが、事はうまく運ばなかった。

クボウサマの許可状をただちに無効とされてはたまらないが、ひとまず宙に浮いてしまっていることは確かだ。

私たちはミヨシドノの兵に護衛してもらいながら、事態の収束をデウスへ祈っていた。

そこへ信じられない噂が飛びこんでくる。

ダイリサマが突如、布告を発した。

私たちに、ミヤコから出て行けという。

 

いきなり横から、何を言い出す。

信徒たちの動揺も、はかりしれない。

政治的工作を得意とするフォッケ宗坊主どもの仕業であることは、疑う余地も無いだろう。

 

ミヨシドノの家臣にして悪魔の権化ソウダイが絡んでいることも、容易に察せられる。

クボウサマを殺したのは、ソウダイ直隷の兵士たちだという情報も得ている。

奴は、目的のためなら容赦ない殺戮も平気で実行する男のようだ。

次の標的は、私たちか。

今日にでも軍勢が押し寄せて、問答無用で私たちを一人残らず剣で斬り、槍で刺し、弓で射ち、エスピンガルダで弾をぶちこみ、この教会まで灰にしてしまうかもしれない。

 

私たちは、ただちに脱出の算段を講じた。

身寄りのある信徒は、ここから離れなさい。

私たちがいなくなってもデウスの教えを守り抜きなさい。

生きて、この事件を後世に伝えなさい。

パライゾで、待っています。

 

可能な限り最後のコンヒサンを聴き、全員にアニュス・デイを持たせた。

心得があればドジコスでも聴き役をつとめ、前後左右の声もダダ漏れの中で行われた集団コンヒサンだったが、今度ばかりは勘弁してもらおう。

私たちには、時間がなかったのだ。

 

いつの間にやら増殖していた、帰る家を持たない若者たちは、ヴィレラがイイモリへ連れていく。

イイモリ城は防衛拠点として最適であるし、霊名を持つ兵士たちばかりでなく求道中の家臣団からも説教を請われているから、人手はあるにこしたことはない。

じっくり対策を練るにおいても、ここ以上の好条件はあるまい。

ヴィレラは、さっそく支度を始めた。

 

私は、ミヤコ教会を死守せよという命令を与えられた。

うすうす、そんな予感はしていましたけどね。

誰かはここに残る必要がありますものね。

まだまだ私たちを頼ってやってくる信徒も多いし、ミヤコの情報はミヤコで獲るのが一番です。

それに、追放令はあくまで噂。なあんだって取り越し苦労に終わる希望は、持ちましょう。

私までいなくなったら、泥棒があっという間にここから何もかも、持っていってしまうでしょうからね。

 

「その通りだ。さあ皆さん、この教会の備品を、手分けして持っていってください。一人一品。私とミヤコで再会できるときまで、預かっていてもらいたい。掠奪者どもが来ても舌打ちして去っていくしかないようにしておいてください。さあさあ早い者勝ちです。争わないでね」

 

みるみる、教会は、解体されていった。

祭具はもちろんヴィレラが持っていくが、鍋、釜、包丁、皿、椀、器、箸、盥、桶、柄杓、箒、薪、裁縫用具、手拭い、蒲団、枕、筵、机、筆記用具、屑籠、畳、障子戸、襖、着傘、雨傘、冬靴などが、おそろしい勢いで持ち去られていった。

屋根の藁さえ持って行かれた。

掠奪とは、こういう光景を言うのではないかしら。と、私の頭の中で何者かがつぶやいた。

 

 

ヴィレラと少年たちが去ったあと。

私は今夜、残ってくれた老人たちに何を食べさせればいいのだろう?と、途方に暮れた。

何人かが、どこからともなくサケを持ってきた。

少しずつ回し飲みして、風通しのよい土の上で、ひそひそと聖歌を唱えて寝た。

星が綺麗だった。

 

翌日からたちまち、絶体絶命の困窮生活に直面する。

これまでさんざん迷惑をかけてきたお隣さんが、見るに見かねたのか、施しをくれた。

お礼に説教をしたいと申し出たが、断られた。

今にも倒れそうな私にはそれすらもつらいだろうと、気遣ってくれたのかもしれない。

ありがとうございます。

デウスの御加護は、きっと、あなたがたの上にも、降り注ぐでしょう。

 

家の中で横たわっている私たちを、通りがかりの人々が、シャカ式の拝み方で祈禱し、時々、投げ銭をしていってくれる。

驚くなかれ。数人連れだって嗤いながらやって来た坊主どもさえ、私たちの姿を通りから一目見た途端、啓示を受けたかのような表情に変わり、かれらなりの祈りを捧げて、静かに立ち去っていくのだ。

真に極められた清貧とは、これほどまで人に感動を与えずにはおかぬものであるか。

私は、またひとつ、メステレへの階段を昇ったかのような、誇らしい気持になっていった。

 

 

何日かして、フィウンガ殿という貴人が、現れた。

ミヨシドノの一族であるという。

まだ信徒ではないが、我々にいたく同情しており、ただちにイイモリへ赴くべし、という。

 

ダイリサマによる追放令が、どうやら正式に公布されたらしい。

 

この教会は、すぐに接収されるであろう。

さいわい奪われるものも無さそうだが、もはや守り抜く意味も無い。

即刻、避難されるべし。

 

震える手で、水を飲ませてもらう。

老人たちも、息を吹き返す。

むせてるうちは、まだまだ生きている証だ。

デウスはどこまでも慈悲深い。

 

フィウンガ殿は、てきぱきと輿を用意してくれ、私はそれに乗りこんだ。

死にかけていた老人たちは、動かすのも難しそうなので、兵が何人か残って介抱してくれることになった。

 

川岸へ着くと舟が用意されており、私はその中に寝かされた。

サカイから駆けつけてくれた若者が3人ほど、同行してくれるという。

人の情けが身に沁みる。

こんなにも皆、よくしてくれて。

世界は、実に、美しい。

 

さらば、ミヤコよ。

 



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SengokD.1565/016.hmos

やさしいヴィレラは、きもちわるい。

 

イイモリにおけるヴィレラは、ミヤコにいたヴィレラと、まったくの別人だった。

山羊の目をしていない。

私にかける言葉が丁寧。

他の人にも礼儀正しく模範的な態度で接し、私の体調をことのほか気遣ってくれ、手を握って勇気づけようとしてくれる。

こんなの、ヴィレラじゃない。

 

ロレンソや大小ジョアン、その他少年たちも、違和感を抱いているのじゃないか。

ミヤコにいた時より明瞭に、私へ近づこうとしなくなった。

ヴィレラのいないところで、フロイスと何か話していましたよ、なんて告げ口されると、あとがこわいのかな。

そんな風に考えるべきではないのかもしれない。私の心が穢れているのかもしれない。

お腹がすきすぎて、でも食物を胃が受けつけなくて、あれから何日経ったかもよくわからない状態でこうしていて、少し気が変になっているのかもしれない。

ヴィレラは、変わってないのかもしれない。

世界は美しいはずだ、きっと。

 

そんな療養をしながら聞いた、最新ミヤコ事情。

 

ミヨシドノ政権の樹立は、どうやら絶望的となったようだ。

いまさらだけど、反乱を起こす前に、ダイリサマやフォッケ宗らへ、根回ししておくべきだったんじゃないかなあ。

計画が漏れる危険は増えるけど、そんな話は聞いてないぞと急な対応を迫られる側にも、都合や諸事情があったりするでしょうから。

せめて主要な親分衆には伝えておいて、共犯関係を築いてから、事に及べば、もっと手際よく政権交代できたのではないでしょうか。

いまさらだけど。

 

殺されたクボウサマは、アシカンガという家名の一族で、13代目にあたるという。

妻も子も母も皆、殺されてしまったけど、遠い親戚がアワにいて、その人を14代目として政権を立て直すという方向で、調整が進められているということです。

日本を構成する主たる3島の、カミとシモに次ぐ、もう一つがアワ、と聞いて、イヨではなかったですか?と尋ねると、キナイ語ではアワというらしい。

日本語って、ほんと、むつかしい。

 

ヴィレラは、このアワへ行って、14代目に布教許可を再発行いただくという。

 

ダイリサマの出した追放令が、はたして従来のクボウサマ発行許可状の内容を無効化せしめるものなのか。

追放令の方が日付が新しいこと、13代目は死没していること等鑑みて、状況はきわめて不利です。

なのでこれを、新クボウサマに確認していただき、叶うならばダイリサマへも追放令の取り消しを願う方向へ、つなげてゆきたい。

 

最悪なのは、14代が何も知らずミヤコへ行って、フォッケ宗坊主どもに言いくるめられ、ダイリサマの勅令を追認、という事態になること。

可能な限り、否、不可能を可能にしてでも、14代へ我々の潔白と熱意を伝えねば。というわけです。

献上品を山ほど持参して、懐柔作戦に臨むということであります。

 

ここまで大きな話になってくると、私の出る幕ではありませんね。パードレ・ヴィレラに全部まかせる他にない。

しばらく帰ってこなくていいから、絶対に成功してきてください。

デウスの御加護が、あらんことを。

 

 

体調がよくなってきたので、ここへ来て以来気になっていたことを、城の家臣に訊いてみた。

朝夕、エスピンガルダの訓練をされてますよね?

軍事教練ゆえ、はぐらかされるかな?と思っていたのだが、いともあっさり教えてもらえた。

イイモリでは山の中、サンガでは川へ向かって、毎日、射撃の練習をしているのだという。

 

エスピンガルダ。

エウロパでは戦術に革命を起こした。兵が携帯できる遠隔武器であり、誇り高き騎士道を時代遅れの遺物へと変えた。

日本で複製されたものは、テッポウと呼ばれる。鉄の炮を意味する。

実物を見せてもらうことができた。

素人目だが、ポルトガル水兵たちの使うムスケットに酷似している。

軽い。口径は、やや小さめ。

決して、粗末な出来ではない。

 

練習で一斉に撃つ音を聞く限りでは、精度も高いことがわかる。

すぐれた者になると、飛ぶ鳥を狙い撃ちさえできるとか。

これは思ったより、えらいことだ。

日本人の恐ろしさを、あらためて噛みしめた。

 

 

サンガ城には、壮麗な聖堂がつくられていると聞いていた。

山を下り、小舟に乗って島へ渡る。

小さいけれどもよく整えられ、手入れもゆき届いた愛らしい庵が、そこにあった。

わざわざ対岸の山から杉材を運んできて、組み上げたという。城主サンティアゴ殿自慢の建築だ。

専属管理者のアゴスチニヨと共に、家臣たちの前で厳粛なるミサを捧げた。

ヂシピリナの音も、川面に響きわたった。

 

 

ヴィレラが、アワより戻った。

口もきいてくれなかったところから察するに、交渉はうまくいかなかったらしい。

しかし門外漢が言うことでもなかろうが、根回しの第一段階だと割り切れば、いいんじゃないかな。

ロレンソによれば、14代本人が話だけは聞いてくれたというし、感触は良くもなく悪くもなかったそうだから、成功だと考えようよ。

誰だって、一発目からうまくいくわけがないさ。

粛々と、地道な努力を積み重ねることで、いずれは、仲良くもしてくれるだろう。

あきらめず、交渉を続けるんだ。

君もそのくらいの度量を、持ったらいい。

 

とはいえ僕は、そんな器でもないからね。

そろそろ、次の手を打ちたい。

ここにパードレが2人いても効率が悪いと思うし、ミヨシドノとの連携はヴィレラに任せるのが一番だろう。

僕は、サカイへ行きたいと思うんだよ。どうだろう。

 

ツテはある。ディオゴ殿のもとへ、厄介になろう。

そして、サカイで、出来る限りのことをやってみる。

 

いともあっさり、許可がもらえた。

さらばイイモリ。

そして、よろしく。僕のサカイ。

 



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SengokD.1565/017.hmos

サカイは、海と水路で囲まれた、自主独立の防衛都市である。

ものものしい警戒態勢が敷かれていた。

ミヤコの擾乱は、キナイ全域を緊張させているのだ。

 

ミヨシドノ発給の通行証を見せて、市門をくぐる。

シモからずっとついてきてくれた仲間たちは皆、ヴィレラに就いてイイモリへ残った。

ミヤコ脱出時から私を助けてくれている、ジョウチンほか2名のサカイ衆が、新たなる同志だ。

サカイで、ひと花咲かせよう。

 

さっそく、ディオゴ殿の邸へ挨拶に赴く。

歓迎されるものと期待しすぎていたのだが、どうも、様子がおかしい。

空気が、なんか、やばい。

 

とりあえず、どこか寝泊まりできる居場所がほしい。教会として使わせてもらえれば、尚良い。

ううむ、いきなりでは図々しかったですかね。

ですよね。

 

腰を落ち着けることさえできれば、ブンゴへ手紙を書いて、祭具一式と、それからカネを送らせます。

定航船が来たばかりのはずですから、資金は潤沢なはずです。

人もよこしてくれると、ありがたいなあ。

全部、要請します。

 

長く待たされたが、その日のうちにディオゴ邸より2区画先の、粗末なあばら家を一軒、借りられることが決まった。

感謝を述べ、さっそく移る。

カビ臭い。

タタミの上に寝転がって、冷静に、何が起きているのかを考えてみる。

 

ミヤコで私たちは、追放令を出された。

日本王国の、現在は唯一の、大王より。

いったい何をしでかしたのだ、おまえたちは。といったところじゃないかな。

すみません。私たちに原因などありはしない。坊主とソウダイの悪巧みなのだ。

という説明を、これからしっかりさせていただくつもりではあるのだけれども。

誤解をとくまでは、つらい日々が続きそうだなあ。

 

信徒はどれだけ、いじめられていることだろう。

明日からさっそく、かれらを勇気づけて回りたい。

まずは、そこからだ。

 

夕刻、少女と少年が、食事を届けてくれた。

ディオゴ殿の長女、モニカ嬢と、末子で長男のヴィセンテ君だ。

7箇月ぶりのなつかしい再会だが、2人とも表情が険しかった。

そうだ、まずはこの姉弟と話してみよう。

 

私はカタコトのミヤコ語。2人は、ポルトガル語をある程度話せる。

なんとか、意思の疎通ができたことは、うれしかった。

 

「母が、とうとう、癇癪を起こしました」

 

ヘソを曲げられたのですか?いったい、どうして。

 

「実を言いますと、母はずっと、私たちがデウスの教えに導かれることを、快く思っていなかったのです。父や使用人、商売仲間が洗礼を受けるごとに嘆いていました。

そして今では、自分が絶対に洗礼を受けないだけでなく、私たちへも棄教するよう毎日泣いて泣いて、説得をされます。私たちは、つらいのです」

 

それは甚だしく、悲しいことです。やはり、追放令のせいですか?

 

「はい。それが最大の理由だと思います」

 

何ということだ。

ダイリサマ、あなたは、こんな美しい家庭の幸福をも破壊しようとされているのですぞ。

フォッケ宗やソウダイの言うなりになっていては国が滅んでしまいます。

どうか早く気づいてください。

そして追放令を、解いてください。

 

「パードレは今、ミヤコにいらっしゃるのですか?」

 

ん?パードレ?ああ、ヴィレラのことか。

ヴィレラでしたら、彼はイイモリにいます。

ミヨシドノのもとで、時期をさぐってます。

ミヤコの教会は破壊されました。今は誰もいません。

 

「そうですか……少し、安心しました。パードレ・ヴィレラは、ご無事なのですね」

 

ほっとした表情を見せるモニカ。

この少女は、本当に心が美しい。

あんなヴィレラのことさえ心配してくれている。

ヴィレラよ、聞いているか。

君にもこのくらいの思いやりがあってほしいよ。

 

ヴィセンテは、パードレ・トルレスのことを聞きたがった。

彼は7歳でヴィレラより受洗し、ポルトガルの巨大な船を見たいと必死に両親を説得して、1年間、ブンゴへ留学をした。

そこで、トルレスやフェルナンデス、アルメイダらと共に毎日、聖務と勉強をした。

トルレスからは特別かわいがられ、まるで本当のおじいちゃん以上に、今も慕っているのがわかる。

アルメイダがディオゴ邸で看病されていた間も、たっぷり話を聞いたというが、私がトルレスの盛式誓願を授けたパードレだというと、ひときわ目を輝かせて、聞き入ってくれた。

この少年の心も、限りなく美しい。

 

2人を見送ったあとで、また考えた。

追放令の害悪は、相当なものだ。

 

ディオゴ夫人の誤解もときたいが、急ぎすぎてもよくないと思う。

じっくり対策して、かかるべきだろう。

このあばら家は、私ひとりが住むのには我慢できるとしても、教会としては使えない。別に拠点をつくらねば。

そのためには、まず、カネだ。

店開きは当分、おあずけかな。

 

明日はジョウチンたちと、サカイ市内を見て回ろう。

信徒たちとできる限り対面してみて、何から始められるかの手懸かりをつかもう。

それでは今日は、おやすみなさい。

 



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SengokD.1565/018.hmos

翌朝、報告書をしたためていると、ディオゴ殿がやって来た。

 

別邸へ案内され、お茶をいただく。

新しいタタミの香りがここちよい。

普段使ってないようなら、ここへ住まわせてもらえないでしょうか。なんて言いたい気持を抑えつつ、ディオゴ殿から尋ねられるままに、ミヤコでの受難物語をお話しする。

 

モニカ嬢とヴィセンテ君から昨夜の対話は伝わっていたようなので、私から補足として、イイモリ城におけるミヨシドノの情勢について述べた。

私はミヨシドノ本人にお会いしたことはないが、出自はアワ島らしい。クボウサマ14代も、同じミヨシ家がずっと庇護してきたのだそうだ。

なんだ。旧知の間柄ですか。

じゃあ、波瀾の起きる可能性は低そうですね。

 

依然、ミヨシドノの方が実力において上であるなら、新クボウサマも、布教をお認めになるでしょう。

ダイリサマの追放令が取り消されることも、期待していいように思います。

追放令は悪魔の陰謀によって公布されたものであり、私たちに何一つ、落ち度はありません。

その誤解がとけさえすれば、私たちはミヤコへ戻れますし、奥方様の心配も氷解することでしょう。

 

ディオゴ殿の通訳が、私の言葉を伝え終わると、ディオゴ殿は、難題を抱えたような、苦しそうな表情を浮かべた。

 

「フロイス殿。あなたは、同じパードレでも、ヴィレラ殿とは、ずいぶん性格が違うようですな。悲観的なことを一切言わない。常に前向きで、楽天家だ。それは、とてもよい気質だと思います」

 

あは。ほめられた。ヴィレラなんかとは違うって。

さすがディオゴ殿は、人を見る目がおありだ。

 

「しかし、いささか、物事を単純に割り切り、希望的な観測にすがる傾向を持たれているように感じられる。

商売はしたことがないと思われるし、したいとも思わないように見受けられますが……

ご自分では、どう考えられますか?」

 

え、商売ですか?

それは本来、聖職者には禁じられた行為ですし、アルメイダは例外ですが、私には無理だと思います。

 

「そうでしょうな。

商売では、不測の事態が必ず起こります。物事が都合よい方にばかり運んでいくことは、絶対にない。

商売人は、誰かが必ず失敗するということを常に想定し、そうなった場合にも備えて計画を立てるべしと、日頃から考える習慣がつくものです。

そういう心構えがフロイス殿には、なさそうだ。

これは、当たっておりますか?」

 

はい。正しいことだと思います。商売をされる方は、本当に大変でしょう。

しかし、あまり心配ばかりしても、ヴィレラのようになってしまいます。

心に余裕をもって、おおらかに構えることも、大事なのではないかと思います。

 

ディオゴ殿は、黙りこんだ。

悩みをお抱えのようである。

コンヒサンを求めてくるだろうか。

この通訳は信徒ではないので、都合が悪いな。さて。

 

「……フロイス殿は、ずいぶんと、ヴィレラ殿を嫌っておられると、確信しました。

それならば、はっきりと、お伝えしたいことがあります」

 

お?おやおや?

なんだか、流れが変わってきたぞ。

 

「モニカのことです」

 

いいのかな。通訳氏を通してだけど。

ひとまず、聴こう。

 

「ヴィレラ殿から、モニカについて、何か話を聞いたことは、おありですか?」

 

えええ?

いや、そもそもヴィレラと、そんな話、する機会ないし。

あいつが何を考えてるかなんて、わからないし、興味も無い。

しかし、ディオゴ殿の表情から察して、明らかにこれは、男女の仲を疑っての質問だ。

背筋に冷たいものが走る。

モニカと、ヴィレラが?ありえない。

ありえてたまるか。

ヴィレラは、モニカを、たぶらかしているというのか。

あの老いぼれ山羊。どこまで、ゲスりやがって。

 

「聖職者だから躓きは起こり得ない、などという教条は、言われぬよう。ヴィレラ殿にまったくその気が無いとしても、問題はモニカにあります。

あの年頃の娘は一途になりやすいですし、私どもも正直、モニカをそのように育てすぎました。

いま、娘と妻は、大変、険悪な関係に陥っています。ある日突然、爆発するかもしれない。

私どもはモニカの家出を恐れています。

決して一人きりにはさせぬよう、注意していますが、それがまたモニカを苛立たせていることも、わかるんです。

この親心を、察していただけますか。フロイス殿、どうか私の味方になっていただきたい。

躓きが起こる前に、防ぎ止めていただきたいのです。どうか、おききくだされ」

 

通訳氏は苦労して、このように要約してくれた。

3人とも無言になった。

重すぎるコンヒサンだった。他人事ではないだけに。

承知しましたと言うしかないじゃないですか。ねえ。

 

繰り返すが、この通訳氏は、信徒ではない。

信徒は嘘がつけない。

モニカはそれをよく心得ており、父親たちがこんな話をしていると知ったが最後、家を棄てて出てゆくだろう。

そこで、何度もフィラド通いしている従業員で、ポルトガル語は覚えたがサケと女に見境が無いため洗礼を受けられないでいる、口の固い者がとくに選ばれ連れてこられたという次第だ。

ここまでする父の気苦労に、同情を禁じ得ない。

罪深いヴィレラに呪いあれ。

 

話題をかえて、今の借家が臭いんですと不満を漏らす。

当面、奥方への配慮のため、あまり良い住居を世話してくれるのは難しいみたいだ。

ああ。どちらを向いても、茨の道よ。

ひとまずブンゴからカネが送られてきたら、いったんディオゴ殿のもとを離れて、教会として使える物件を探そう。

食事だけは、もうしばらく厄介になります。

またモニカが届けたがると思うが、気取られぬよう、対話をつなげてくださいと言われた。

承知しました。

 

午後はジョウチンたちと、サカイ市内を周回した。

サカイの信徒たちは、誰も彼もがミヤコの話を聞きたがり、私に同情を寄せてくれる。

寄付も期待した以上の額が集まり、これで早く教会を建ててくださいと励まされた。

サカイは、ほんとうに、すばらしい街だと思う。

 

やるべきことは、山のようにある。

脇目も振らずに前進だ。

おお前進だ。

 



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SengokD.1565/019.hmos

モニカは、今日も、ヴィセンテを連れてきた。

察するところ、ヴィセンテは、父か母の言いつけでモニカを監視する役目を担わされているのであろう。

それでいて、姉弟はとても仲が良く、日頃からデウスの教えについて心ゆくまで語り合っていることもわかる。

私は容赦ない質問攻めにさらされている。

 

「メステレ・シャヴィエルによれば。

デウスは天と地、天使、太陽、月、星、昼と夜、草、果樹、鳥、獣、海と川、魚、をつくられたあとで、アダンとヱワをつくられた。とあります。

これは聖書の創世記と順序が違ってますが、どう考えるべきなのでしょう?」

 

モニカは、びっしりと文字で埋められた書面の束を私の前に並べた。

メステレがタレナーテで作成した、初心者向けケレドのポルトガル語写本とその日本語訳。

旧約聖書創世記冒頭部分の、ラテン語・ポルトガル語・日本語。

私たちが説教で使う要約版ではなく、原典からの逐語訳に見える。

多数の筆跡が認められるし、古い紙片には染みや破れも痛々しい。

一体どこからどう手に入れたのだろう。フェルナンデスが見たら卒倒するぞ。

私は、本気で答えねばならぬと身を引き締めた。

坊主どもより幾倍も手強い相手だと覚悟する。

 

「聖書の記述では。

一日目に天と地、光と闇。

二日目に天体。

三日目に大陸と果樹。

四日目に太陽と月による季節のめぐりと一年の周期。

五日目、魚と鳥たち。

六日目、地上の獣、家畜、地に這うものども、そして、人間。

七日目は、お休みになられた。

メステレは、なぜ、この通りに書かれなかったのでしょう。私は、どちらを信じればよいのでしょう?」

 

モニカは紙片を、私が読む方向に並べておきながら、それには目もくれず、私から視線を離すことなく、よどみないポルトガル語で私に話しかけてくる。

なんなのだ、この娘は。怪物か。

 

……メステレ・フランシスコ・シャヴィエルは、このケレドを書くにあたり、簡明さを心掛けたのであり、順番を、そこまで重視していなかったと考えられます。

これは、誤りではなく、福音書の記述が使徒によって少しずつ異なっているように、ゆらぎの一種、と捉えるべきでしょう。

厳密さを求めるならば、順序については、もちろん聖書が正しいです。

 

「諒解しました」

 

ええっそれで終わり?

ほんの小手調べだと言わんばかりの反応だ。

私はすでに汗だくなのだが。お水、お水が飲みたい。

 

「サタナスは、蛇を遣わし、アダンとヱワに禁断の果実を食べさせた。

これによって善悪を知る能力を得たアダンとヱワは、楽園を追放された。

サタナスもまた、地底の深奥へと封じられた。

蛇は、呪われた獣として生きる定めを背負わされた。

ここまでの理解は、正しいでしょうか?」

 

はい。正しいです。

 

「アダンとヱワは、デウスの言いつけを守り、果実に興味を示さず、蛇の誘いを頑として撥ねつけ、清く善良なまま、楽園を支配しつづけて子孫を殖やしていくべきだった。

これが、最も理想的な結末のひとつですよね。合ってますか?」

 

はい。合っています。デウスはそれをこそ望まれていました。

 

「善悪を知らぬ者が、自らの力で真偽を確かめたいと考えることは、罪なのでしょうか?」

 

ん?何か、あやしくなってきたぞ。

いえ。アダンとヱワの罪は、デウスとの約束を破ったからであって、考えたことが罪にあたるわけではありません。

 

「善悪とは何かを知りたい。それを、禁断の果実に触れることなく知る手段があれば、デウスは罰を下さなかったわけですね。

やり方さえ、間違わなければ、二人は楽園にとどまりながら善悪を知ることができた道もあったということですね」

 

……そういうことに、なりますかね。

でも、そこまでの知恵をめぐらせるには、果実を食べなくては、無理なような気もするんですけど。

つまり、食べちゃダメなんですよ。

 

「フロイス殿の考え方では。

アダンとヱワは、ただ親の言いつけを守っていればよい。家から出ることを夢見たりせず、与えられたものだけで満足し、知恵を身につけようなどとせず、一生明るく健全なまま生きるのが理想である。

こういうことでしょうか。

合ってますか?」

 

あ。本格的にやばい。

罠にはまった。

どこからはまった?

私は、答えられなくなった。

 

「お困りのようですから、話題を変えます。

慈悲深いデウスは、サタナスも蛇も、アダンとヱワも、その子供たちも、成敗されなかった。

サタナスと、彼に付き従う堕天使たちは、地底の奥深くに閉じこめられてはいるけれども、存在を許されているし、時々地上へ出て人間を誘惑することもある。

これも、デウスは、人間が怠惰にならぬようにと、黙認されていらっしゃる。

ここまで、合っているでしょうか?」

 

うえええん。こわい。絶対裏がある。

答えちゃダメだ答えちゃダメだ答えちゃダメだ。

でも、じゃあどこが合ってないのかと、絶対訊かれる。

絶体絶命。

 

「犯罪者と、それを取り締まる奉行が結託している町というのは、一見、治安はよろしいでしょう。

しかし、まじめに働く者にとって、やる気の起きる社会ではありません。

デウスがサタナスを利用していることは、人間にとっては甚だ悪辣な二重統治体制だと考えます。

反論をお願いいたします」

 

……モニカさん。

たしかに、一理ある。それは認めます。

しかし、行政にとって、犯罪者を根絶するというのは、現実的に、難しいことです。

情報を得るためには悪党一味の中に内通者をつくって泳がせておかねばなりませんし、悪の中にも、息をするくらい簡単に人を襲う者もいれば、我が子の病を治したいあまりに隣家から卵を失敬する者まで、様々な段階があります。

悪だから即抹殺、完全排除、では、それもまた社会が立ちゆかないのです。

お気持ちは、受け止めますが、どうか、もう少し、いたわりをもって世界を見つめていただけないでしょうか。

愚か者の私には、このようなつぶやきしかできないのですけれども。

どうか、どうか、御寛容に、願えれば、幸いです。

 

「フロイス殿、頭を上げてください。私も言いすぎました。反省しています。

今日はそろそろ、おいとまいたします。どうぞ御勘弁ください。

さあヴィセンテ、帰りましょう」

 

ぐったりと、床に伏した。

朝まで、寝つくことが、できなかった。

ディオゴ殿も、さぞや、心労の絶えない日々であろうなあと、同情した。

 

モニカは、いったい、いくつ知恵の実を食べたんだ。

 



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SengokD.1565/020.hmos

ヴィレラが、サカイへやって来た。

 

訪問ではない。移住である。

少年従僕たちをゾロゾロと連れてきた。

私の住んでいたボロ家を一瞥し、鼻でせせら嗤い、立ち去った。

 

数日後、サカイ教会が誕生した。

ミサを手伝えと呼び出された。

ディオゴ殿と子供たちもやって来て、ヴィレラとの再会を懐かしがった。

 

ヴィレラと少年たちは教会兼住院へ住むが、私は引き続き、ディオゴ殿のあばら家へ厄介になることに決めた。

ただし、日中は教会へ通って、聖務を行う。

外聞が悪いので従僕のような仕事はしないように。と注意されたのだが、そもそも間違ってないかヴィレラ。

私もパードレだぞ。

おまえの召使いじゃない。

炊事洗濯掃除に買物は、お抱えのドジコスたちにやらせたまえ。

 

目下、ミヨシ家では内紛が起こっている。

大ミヨシドノの下に何人もの小ミヨシ殿がいて、小競り合いが止まらない。

頭領が新クボウサマになれていたら、全員が大儀ある官職につけたのだろうに。それが御破算になったものだから、不満も噴出しているのだろう。

軍人ばかりだから、口喧嘩ではすまない。

そのうち、一波瀾あるかもしれない。

 

イイモリ城は現在、大ミヨシドノの息子でサキョウ殿という人物に支配されているらしい。大ミヨシドノは戦場にでも出向いているのだろうか。

悪いことに、サキョウ殿は邪宗にかぶれている。

ミヤコでの追放令後は公然と城内の全信徒に棄教を迫るようになった。

川向こうのサンガ城へも、その暴政を押しつけた。

サンガ城主サンティアゴ殿は抵抗したが、唯一の補給路を押さえられては為す術もない。

だが、デウスを裏切ることなど、できはしない。

家臣を連れてサカイヘ隠居を決めた。

これに、ヴィレラもついてきたわけだ。

 

新教会は、大きく立派な邸である。サンティアゴ殿が自由にできる物件の中から、特に良いものが提供された。

その上、ヴィレラは潤沢なカネを持っている。

コンパニヤからの予算はまずブンゴで振り分けられ、ミヤコへも送られてくるが、連絡員は直接ヴィレラへこれを届ける。私には報告すらされない。

それでいて、私がサカイヘ来て3週間も経つのに何一つ活動をしていないだと。言いたい放題だ。

ひどいだろう。

デウスはどうしてこんなクソヤロウを放置しておかれるのか。

あとでたっぷり利息をつけて精算してもらわなくては、肚の虫がおさまらない。

 

献堂式に参加されたディオゴ殿は、ヴィレラとは表面上、たいへん親しそうな素振りを見せていた。

その脇で、モニカやヴィセンテは、軽い挨拶にとどめている。

私は外野に撤していた。各人各様の、肚の探り合いを想像しながら。

ヒビヤ一家の内紛も、ミヨシ家並に深刻だと感じる。

 

モニカは、父親が余計なことを口にしないか、一言も聞き漏らすまいと神経を張り詰めさせているように見える。

ディオゴ殿は、子供たちを常に全員視野へ入れつつ、表情に変化が生ぜぬかどうか窺っている。

ヴィセンテは教会に置かれている最新型の機械時計を夢中で眺め回している。

モニカの2人の妹は、友達とのお喋りに忙しい。私には、まだ区別がつかない。

奥方は来ていない。

 

 

私がミヤコから担ぎ出された日に教会へ訪れ輿と舟を用意してくれた、あの、フィウンガ殿と再会した。

フィウンガ殿もミヨシ家の一族である。遠縁ながら、発言力は大きいらしい。

地元はサカイだそうだ。私が来ていたことに驚いていた。

ぜひ説教を聴いてみたいから、日を改めて邸へ来られたい、という。

立派な人物である。

私が請われたんだから、私が行くべきであるが、ロレンソを連れていくことはできるかな。情報蒐集もしたい。

ああ、課題が山積みだ。

 

 

教会設立を境に、モニカが私の住居を訪れなくなった。

毎日欠かさず、ヴィセンテを伴って、教会へは来ている。私より早く来ていたり、私より遅くまでいることも珍しくない。

なにせ美しく、気品のある少女だ。

教会に住み込んでいる少年・青年たちの仕事ぶりがめざましく向上し、彼女目当ての男性求道者も増える一方である。

隙あらば群がる悪い虫から彼女を守る役目を任じるヴィレラは、常にモニカの傍にいる。邪推する余地も無いほど、あからさまに。

教会におけるモニカの存在は、ヴィレラの絶対権力を最大に高め、かつ、強固にさせる。

 

モニカは、ヂシピリナをしない。

これはメステレ・フランシスコに始まる日本布教史上、大変革の兆しだ。

日本では古来、性的な意味での純潔が軽視されてきた。

いろんなイミで、ゆるかった。

人前で堂々と尻をまくり上げ、四つん這いになるという嬌態が流行するのも、そんな国民性ゆえだった。

私たちはこれを恥ずかしく思いながらも、順応することを強いられた。つい、慣れさせられてしまっていた。

しかしこれは本来、とてもおかしな、いけないことだったのだ。

モニカはそれに気付かせてくれた。

 

彼女を慕う男どもは、より稀少価値を高めた彼女の肉体に対して、欲望を尖鋭化させるようになる。

容易に見ることすら叶わない、それを、見たい、触れたい、自分だけのものにしたいと、強烈な渇望にとらわれるのだ。

日本人でもイルマンになる道は開かれているが、そこまで目指す者は、ごく僅かである。ほとんどは、いずれ妻を娶り、家庭を築く将来を夢見ている。

もちろん、それで構わない。

ただ、デウスの信徒であるからには、肉欲に衝き動かされた選択であってはならない。

君たちには、霊名とともに、高潔なる精神性が与えられているのであるから。

 

モニカは、あまりにも優れた資質を持つ、1000年にひとりの聖乙女である。

少年よ。君は、彼女と釣り合うだけの人間力を、磨いているか。

彼女は、生涯で一度だけ、本人同士の意思に基づく愛情を与え合える相手とのみ結婚することを、デウスに誓っているのだぞ。

君は、彼女に愛される資格を持たねばならない。

候補者となれる男は、何十人といるだろう。その中から、たったひとり選ばれ抜く男になれ。

その覚悟と自信が無いならば、モニカをあきらめ、君にふさわしい相手を選び直すのもいいだろう。

決めるのも、努力するもしないも、君次第だ。

 

なんてことを、若者たちに、説教してやりたいところもあるわけですがね。

ここにヴィレラが入ってくると、美しい話じゃなくなるんです。

いっそ、少年たちとヴィレラを反目させる、いい機会なのかなこの状況。

ああいかんいかん、仕事仕事。

 



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SengokD.1565/021.hmos

私の借家に、食事を届けてくれるのは、ポルトガル語を解さない、ヒビヤ家の下男です。

モニカが来てくれていた頃は、食べ終わり、食器を持ち帰ってくれるまで、多少なりとはいえ対話をする時間があったのですが。

下男氏は、にぎりめしと漬物を置いていって、すぐ立ち去ります。

私としては報告書を一枚でも多く書きたいので、時間がより有効に使えることを喜ぶべきです。

そう。前向き前向き。

 

モニカとヴィレラの間には、どんな朴念仁でも感じ取れるほどの、甘い雰囲気が漂います。

ヴィレラって野郎は、外ヅラだけは非常にいいんですよ。

私とミヤコで再会した時は80歳の老人に見えましたが、今は60歳くらいまで若返ってます。

落ち着いた物腰と柔らかい喋り口で、人生経験を重ねた有識者であるかのような佇まいを演出しています。

なりきってます。

そう見せてます。

奴にもアニマはひとつしか無いはずですが、悪魔にいくらの値段で売りつけたのでしょう。

アルメイダ顔負けの商売人ですね。

それとも、窓口担当の小悪魔が両替の桁を間違えやがったのかな。

ボンクラめ。

 

日中でも、モニカはしばしば、ヴィレラにコンヒサンを求めます。

教会兼住居にしている建物の、奥の間へ2人でこもって、1時間ほど出てきません。

住み込み従僕すなわちドジコスであるところの少年たちは、理由をつけては隣の部屋へ道具を取りに行き、紙の扉すなわちフスマに耳を付けて、ヴィレラの不道徳を暴こうと懸命な挑戦を繰り返しますが、未だ証拠を掴むに至らず。

私はそんな現場を見つけたら、少年たちの態度をも注意せねばならない立場にありますので、一切見てはいないフリをして、ただ、かれらのおしゃべりには耳をそばだてるという、絶妙な綱渡りを演じているという次第です。

もうやだ。神経がすり減ってたまらないよう。

 

ヴィセンテは、来る時と帰る時は常にモニカと一緒ですが、姉へも両親へも忠実に義務を尽くしています。

すなわち、姉がヴィレラとふたりきりになることを、決して妨げません。

かつ、姉が家出をしないよう見張る仕事も、完璧なのです。

私のことも、見たまま報告されているでしょう。

ディオゴ殿は私には報告を求めてきません。頼りがいのないパードレだとか言われちゃってんのかなあ。

ああ胃が痛い。ベゾアールが苦い。

 

 

教会へは毎日、たくさんのお客様がいらっしゃいます。

まず、サカイ名士の方々。

サカイでは、市民の推挙で36人の評議員が選ばれ、政治を司ります。

中でも長老格の4名様は全員、訪問をされました。

 

皆さん、ひととおり説教を聴いていかれます。

その中に、日本の邪宗をことごとく否定する方がいたのです。衝撃でしたね。

冠婚葬祭はどうしているのですか?

と尋ねると、相手が何がしかの宗派に属していれば、それに合わせる。相手のいない儀式、たとえば自分の死については、灰を海に撒けと遺言しているとのことです。

ずいぶん達観しているなあと思いました。彼はデウスの教えにも辛辣でしたが、それでも後味はよかったです。

 

フィウンガ殿の邸へ、私とロレンソとで行ってきました。

ロレンソは日本語で説教をしますが、私は言葉が充分に理解できなくとも、その語り口だけで感極まります。

でも、フィウンガ殿とその家臣たちには、あまり響いてないようでした。

想像力が欠如しているのか?無表情な日本人の中でも特別に無表情な人たちなのか?

失望しなかったといえば嘘になります。でも、諦めずにまた訪問したいと思います。

料理は、とても美味しかったです。

 

我々に食事が供されるとき、お肉を入れるか入れないか。今も微妙な問題とされているみたいです。

尋ねてさえくれれば、是非いただきますと答えるのですが、答えても日本人は素直に受け取ってくれなかったりします。

忘れていた本能を呼び戻すことになるから出すな、という理屈なんですって。

テンジク人は、人肉を食う。そんな噂が、まだまだ根強い。

広めているのは坊主です。悪意に満ちた流言飛語です。

布教最初期、我々は典礼や祝祭のたびに肉料理を提供していました。トルレスだって、大いに食べてました。

日本では、家畜は食べてはならぬものだ。そんなの、わかるわけがないじゃありませんか。

それでも坊主どもは、私たちのすること総てに悪意を混ぜ込み、拡散します。

道端や川縁に遺棄された赤ん坊や幼児を保護するのも私たちだけです。これも、坊主は嬉々として火種にするわけです。

さいわいミヤコでもサカイでも、実際に我々と接した人たちは、それが大いなる誤解であったことを、ちゃんとわかってくれるものです。坊主だけが、わからずやです。

 

ただ、聖体拝領については、もっと本質的な対策を考えるべきだと感じています。

我々は、ミサ及び祝祭において、ヲスチヤの代わりにコメを煎って、信徒たちのために準備します。

それを祝別してイエズス・クリストの肉体に変化させ、信徒の肉体に取り込ませる秘蹟です。

同様に、葡萄酒も祝別して、クリストの血にしてから取り込むのです。

本来の葡萄酒は赤いのですが、これもまた、テンジク人が人の生き血をすすっている光景だとして、悪意ある噂の一要素に加えられたものと思います。

シャカ教に馴染んできた人にとっては。イエズスが罪人として磔にされている姿を象徴とし、その肉や血を同化させて一体となるという我々の倫理は、甚だ不謹慎なものと映るらしい。

なぜかこれが日本人からは特に恐怖される、という考え方を、私は最近わかってくるようになりました。

だから今後はもう少し時間をかけて、やさしくときほぐし、じっくりかみくだきながら、説諭していく必要を感じています。

 

それにしても坊主というのは、ミヤコほど多くはいませんが、サカイでも、人を見れば嫌がらせをしてくる下世話な不良どもです。

巻物一本にびっしり質問を書いてよこして従僕に届けさせ、答えてみせろという尊大な態度を示す物臭太郎もおりました。

知りたきゃ自分で聞きに来い、とポルトガル語で答えて返しました。その後、梨のつぶてでした。

こんなのいちいち相手してられませんよ、まったく。

 

ロレンソから教わった、天文学でねじ伏せる攻略法は、かなり有効です。

ヴィセンテも、天体の話を始めると目を輝かせて聴きに来ます。

坊主たちも、星と大地の壮大な物語には興味尽きぬようです。それなのに六分儀も、望遠鏡も、いやそもそもヴィードロさえ作ろうとも考え至らず、幼稚な童話で満足していられたというのが、おかしくてたまらないですね。

 

ヴィードロといえば、砂時計。

これを日本人に見せると、全財産を寄付してもいいからそれを欲しい、とまで言われたりします。

私も1個しか持ってきていないので、あげません。でも聖書の教えをすべて理解したら考えよう、なんて言っておくと、かれらは驚くほど熱心に、説教を聴くようになります。

 

日本人をうまく誘導するコツは、いろんなところに隠れています。

今日も、観察と分析を重ねて、ひとつずつ集めていきます。

そう。前向き前向き。

 



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SengokD.1565/022.hmos

トマスが、シモから戻ってきた。

ミヤコでは僅か4箇月の間に驚くべき事件が重なったが、シモでも、烈しい変化があったことを知る。

 

3年前、私はオオムラ領アジュダの港へ上陸した。

その夏のうちに、反乱が起こる。教会と村は焼かれ、交易港としての生命は終わった。

トルレスはアリマへ移り、私はタク島でフェルナンデスと1年間過ごした。

 

翌年の定航船は、2隻がアリマへ行き、1隻はフィラドに碇泊した。

私がフィラド領主フィッシュと交渉し、交易を許可する代わりに教会設立と布教を認めさせた。新しく来日した3人のパードレのうち、誰だったかに、あとを託した。

すべてが慌ただしすぎたせいで、もう何十年も前の出来事のようだ。

 

その年の暮れに、私はミヤコ派遣を命じられた。アルメイダと一緒に、内海を横断した。

来て早々、何度も殺されかけた。ミヤコではヴィレラという悪魔にいじめられ抜いた。

無慈悲なダイリサマが追放令を発した。私は安住の地を求め、サカイへとやって来た。

ヴィレラが後からやってきて、大王気取りでふんぞりかえっていやがる。

これが、今日までの、あらすじだ。

 

 

今年の定航船は、ファクンダという港へ投錨した。

知らない地名だ。オオムラ領だという。

ドン・バルトロメウが復帰したらしい。それはうれしい。

アジュダほど恵まれた環境ではないが、今後、私たちの拠点として大いに栄えることだろう。

反対派を刺激しないよう、土地の名前を変えることはしないそうだ。

ファクンダか。3年前の私なら、発音しにくいと感じたはずだが、今は、なめらかに言えるよ。

ファ、クン、ダ。

 

「その福田で、死人が出た話は、伝わっているかな?パードレ・フロイス」

 

いや、まったく聞いてない。いったい、誰が?

 

「定航船は、昨年の情報を頼りに、口ノ津と平戸へ、分散して向かった。

平戸沖に隠れていた一隻へ、新港・福田へ向かわれたしとの連絡が遣わされた。

出帆する際、平戸の舟に発見された。平戸衆は、商船から個人の漁船まで、なんとか一隻だけでも平戸へ碇泊して商売をしてくださいと懇願するつもりで、大勢でそのナウを追いかけた。

福田まで来たところで、港にいた水兵どもは、仲間が海賊の集団に追いかけられていると早合点したようだ。大炮をぶっぱなして、撃退した。

肥州松浦公は、領民の前で、自らの不甲斐なさを詫び、切腹までしようとしたそうだ」

 

ふうん。結局、フィラドには入港しなかったんだよね?

いいことじゃないか。

 

「パードレ・フロイス。平戸には、君が交渉して新築させている教会が、今年中には完成しようとしているところであり、駐在のパードレ・コスタがなんとか取りなしをして、やっと落ち着いた次第なのだ。

誤解があったとはいえ、戦争にならなかったことが不思議なほどの禍根を残す事件だったのだぞ」

 

ミヤコでも僕は何度も日本人に殺されかけた。僕たちにとって、マルチリヨは覚悟のうえのことなんだ。

落ち着いたのなら、もういいじゃないか。

ナウ一隻ぶんの収益って大きいんだぞ。

みすみす、フィラドにくれてやることはない。

 

そして今年は、3人のパードレが来日した。

その詳細は、トマスが託されてきたぶ厚い書翰の束に書かれているそうだ。

あとで、じっくり読もう。

それより今は、トマスからの、生の報告を聞きたい。

 

「生の声だ?

ならば、言わせてもらおうか。

フロイスよ。君とヴィレラの仲の悪さを、パードレ・トルレス以下、シモの全員が嘆いている。なんとかならんのか」

 

ええっ。それは、心外だな。

僕とヴィレラは別々にシモへ報告を送っているが、奴もどうせ僕の悪口しか書いてないだろうことは、わかりきっている。

判断はトルレスたちに一任するが、私は正々堂々と、そうなるに至った根拠を説明している。

ヴィレラの報告なんて、以前と同じ調子なら、狂人の愚痴以外の何物でもないだろう。

アルメイダは連れて帰るほどひどくはないと判断したが、そんな審査にかけられるような奴だったんだよ。前からね。

仲良くしろだって?僕にも狂えというのかい。

すべての活動費をヴィレラに握られている時点で、僕にできることにも限度がある。

そこにも配慮を願いたいね。

ちなみにこれも、文書で何度も何度も訴えてきたことだ。なのにシモからは、便り一つ来やしなかった。

今回、やっと来たようだから、読ませてもらうけど。

 

「活動費については、今年は特例として私が預かってきた。私の判断で適切な額を君たちにそれぞれ、手渡すことになっている。

詳細はその書翰にも書いてあるから、同意したら署名をくれ。ヴィレラにも、私から、同じようにする。

君たち同士が話し合いを設けるなら、それは好きにしてもらって構わない。

以上のことを、諒解してもらえるかな」

 

承知した。

トマス、君にはほんと、迷惑をかける。

デウスの御加護を、私からも祈ろう。

 

 

その夜、あばら家で、蝋燭の灯りの下で、じっくり読んだ。

僕は書くのも速いが、読むのだって速いんだ。

さて、対策を考えよう。

 

皆の心配のほどは、わかる。

全員が、腫れ物に触るような、あたりさわりのない、優しすぎる言葉だけを使って、僕の半年間の苦労に精一杯の同情を寄せてくれている。

 

いらつくんだよな、こういうの。

 

ますます、肚が立ってくる。

同情するなら、私の怒りに同調してくれよ。

おまえら、拒絶しかしてないじゃないか。

しっかり距離をとって、ヴィレラにだって、同じ調子で同情してるんだろ。

お見通しだよ。

そんな白々しさに縋ってたら、狂っちゃうよ。

ヴィレラみたいに、なっちまうよ。

 

今年の新パードレ3人は、イタリヤ人と、カタロニヤ人と、グラナダ人だった。

ポルトガル人は、いないのか。

ゴアでも、ほとんど話したことのない人ばかり。顔もよく覚えてない。

 

せつないなあ。おやすみ。

 



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SengokD.1565/023.hmos

トマスは、日本語が読める。

 

日本人だから当然だろう、と思うなかれ。

日本語の文書は、約40字ずつからなる2種類のアルファベットに加え、数千個に及ぶ漢字を組み合わせて、記述される。

領主や貴人同士が使う文体と、庶民向けに布告される文体が、全く異なる。

男性名詞・女性名詞のような格変化は無い。しかし、まったく語感の異なる男性語・女性語とでもいうべき単語や述語が別々に存在する。

同じ物体が何種類もの呼び名を持つことは珍しくない。

副詞や形容詞には、エウロパ言語のどれにも置換できない概念を複雑に含有するものが多い。

 

だから、日本語を正確に理解できる日本人は多くない。

ものすごく逆説的な話なのだが。トマスも同意しているから、その通りなのだろう。

私に説明できるのは、今はここまでが限界だ。

 

今日はこれに、新たな驚きが加わった。

上述の理由から、庶民には読み書き能力が浸透していない。読み書きを学びたければ、坊主に弟子入りをするというのが一般的で、必然的に悪の道へ染まる。

純真なる無教養者と、悪魔に教育された言語能力を有する者に、二極化する理屈だ。

さて、シャカ教には20だの40だの近い宗派があるというが、それぞれが独自の教典と正史を持ち、我こそが真理と互いに主張して争っている。

そのまま全滅するまで争ってくれるのが一番の理想だけど、

ところでトマスはどこの宗派だったんだっけ?

と尋ねたのが発端だった。

 

「最初は天台宗だったか。

次は真言宗。

浄土宗を少しかじって、禅宗へ入った。

曹洞はすぐ飽きたので、臨済で楽しく暮らした。

で今、デウス教へ入ってきたばかりのところだ」

 

……なんなんだ君はいったい。さまよえるジュデヨ人か。

 

「共通の祖先はお釈迦様だからな。分家はしても血はつながっとる。広く世間を知るには、いろんな教えを身につけねばならん。

改宗は、別に咎められることではない。

その寺の門跡とか、宮司になるつもりなら、別だがのう」

 

……呆然とした。

日本人はいろんなところがゆるいが、ここまでゆるいとは。

こんな奴らの一宗派だと、今も一部では思われている。

ゆるしがたい。耐えられない。

 

「デウス教は、一つしかないのかのう?エウロパでは、どうなっておるのかな」

 

ひとつしか、あるわけがない。絶対真理なのだから、答えが2つも3つもあること自体がおかしい。

国はいくつもあるし、民族も、多く分かれているよ。世俗の国家権力は、地上にひしめきあって、時々戦争したりもするけれど、ラウマを本拠地とするカウトリカは唯一普遍だ。

世俗の王が間違った行いをすれば、教皇は破門する権限も持つ。これによって、平和が保たれている。

 

「コンパニヤとカウトリカは、どう違うものなのか?」

 

日本には、同様の概念は、無いね。

カウトリカは、私たちの最高機関だ。イエズスの弟子としてもっともふさわしい人物がデウスの導きによって選出されて教皇となり、私たちに道を指し示す。

その下に、実務を担当する諸団体があって、世界各地の教会で、人々の生活を見守り、支える。

私の所属する組織はイエズスのコンパニヤ。正式名称はIHS、略称はSJ。

適切な日本語訳がないから、そのままコンパニヤで通している。

 

「ポルトガルというのは、君の祖国の名前なのだね。他には、どんな国があるのか?」

 

エウロパの西端で、世界への最前線となる運命を担っているのが、我らのポルトガル王国。

その東には広大なエスパニヤ連合王国が広がっているが、広すぎて戦乱が絶えない。もっとも、つい70年前まで、何百年にもわたるモーロ人との戦争に明け暮れていたから、好戦的な気質になるのも、やむを得なかったのだろう。

ラウマは、ずっと東だ。イタリヤという半島に幾つもの都市国家が散らばっていて、その中心にある。

ゼルザレンは、更に更に、その先だ。御子イエズスが昇天された聖地だけれど、そこは、もうエウロパではない。

周辺にはまだモーロ人の脅威があるから、僕は行ったことがない。

 

「モーロ人というのは、何者だ?」

 

野蛮な連中。かれら独自の偶像を崇拝するばかりでなく、イエズスの教えに耳をかさない。

従わない者は即、殺すという。極端なまでに血に飢えた、かわいそうな連中だ。

日本にあいつらがいなくて、ほんと、たすかってる。

 

「坊主のほうがましかね」

 

モーロ人と違って、まだ対話の余地はあるからね。こうして、君のように相談を聞いてくれる人だっている。

ああそうだ、話を戻していいかな。

トマスは、いろんな宗派を渡り歩いてきたと言った。

それぞれは、どう違うものなんだ?

 

「そう……さのう。

まず、共通の祖である、お釈迦様が、天竺に生まれ、悟りを開き、法華経八巻を遺された。

これが震旦まで伝わり、海を越えて、日本へやってきた」

 

1000年前のダイリサマが、わざわざ招いたと聞いている。国家事業だったのだよね?

 

「その頃の都は、奈良だった。多くの寺院や仏像がつくられた。

人の上に立つ者は、仏教を学んで国に奉仕すべし、というのがこの時代の考え方だったと、いえるかのう」

 

ひとつ、質問させてほしい。

フォトケが来る前、日本にはカミがいたという。そこに争いは起きなかったのだろうか。

今は相当、混じり合っているとも聞いた記憶があるが。

 

「争いか。起きた起きた。仏教を招くにおいて、推進派と反対派が戦争をして、推進派が圧勝した。

当時は震旦の方がなにもかも上だったからのう。武器も、建築技術も。漢字だって震旦から輸入した。

今も奈良は神と仏が共存する街だが、実は日本古来の神は天竺の仏が仮の姿で遣わされていたのだ、みたいな説明がされているはずだぞ」

 

そうか。いずれフォトケは全滅させてやるが、カミを見逃してやるかどうかは、微妙な問題になるな。

それとも、区別しなくて、いいか?

 

「世代を重ねるうち、震旦からは新しい流行がもたらされた。

従前は貴族にも民衆にも広く伝えられるべき、わかりやすくあるべしというのが仏教の正道であったが。

それでは飽き足らなくなった者を惹きつける、深化した学問が人気を集めるようになった。

この世代の代表格が、天台宗だな」

 

トマスが最初に学んだのが、その、テンダイだっけ。何歳くらいで始めたんだい?

 

「ヴィセンテくらいの年頃か。その当時の親から逃げ出して、比叡山へ飛びこんだ。

しかし、天台宗というのは、きびしすぎるのだ。何ごとにも。

嫌になって、次は高野山へ登った。

真言宗は、実によかったぞ。空海さんは、快楽を肯定するのだ。いろんなことを、ここで覚えた。

さすがにやりすぎて、追い出されたが」

 

あまり世俗的すぎる話は、聞きたくないな。もっと仏教史的な観点で説明してくれ。

 

「その時代には都が、いまの山城国へ移ってきていた。

内裏様と貴族が繁栄を謳歌していたが、あまりに民衆を愚弄するものだから、反乱が起きて武将が頂点を奪った。

その時から百五十年ほどの間、都は東国へ移る。

新天地では仏教もまた、いろんな宗派が増えた。

軍事政権下だから、民衆の処世術も、即物的かつ現実的になる。

釈迦の教えを学び道徳的に生きよう、よりも、阿弥陀の待つ浄土へ向かって行進しよう、と方向性が変化した。

重ねて、戦火と死が身近につきまとう社会となったため、強く守ってくれる神仏が求められるようにもなった。

フロイス殿が卒倒した、明王たちのような像が多数生まれたのも、この時代以降だな」

 

ああ……そんなことも、あったかな。

吐きそうになるから、思い出さないようにしていたよ。

 

「貧しい者が、とことん貧しくなる社会でもあった。

そんな者らを救うため、ただ一度念仏を唱えれば極楽浄土へ行けると説く僧も現れる。

怒り、憤り、政府へ積極的に噛みつく和尚も登場した。

いろんな宗派が生まれ消え、都がふたたび京へ戻ってきたときに、有力な寺院が信者を抱えて一斉集合することとなった。

これが、二百年ほど前かな」

 

あのう。まだゼンシュウが登場してないけど、この話、あとどのくらい続くんだい?

そろそろ僕は疲れてきちゃったよ。

 

「すまんの。

禅宗は、そんな八家九宗の最終形態といってよいのではないかのう。

中でも臨済宗は、相手をどれだけ口でねじ伏せるかを競い合うことで、語彙に知識、集中力と持久力、肝っ玉の太さまで養える。

しかし、暴力は振るわん。ここが、他の宗派と異なる点だな。

いろいろな経験を積むことは楽しいと思うぞ。

さて、デウスの教えは儂をどれだけ強くしてくれるかな、ということを期待しておるところだが、今日はここまでにしよう。

しまいじゃ」

 



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SengokD.1565/024.hmos

我々の最大の敵、ソウダイ。

トマスは彼を、ダンジョウドノと呼ぶ。

 

日本人は、名前も面倒くさい。

エスパニヤ国王カルロス1世は神聖ラウマ帝国皇帝カール5世でもある、くらいがエウロパではせいぜいだが、これでも混乱する人には、ここから先は拷問のような授業になるだろう。

では、順を追って説明する。

 

日本人は、至極簡単に子供を棄てるが、同じくらい簡単に、養子縁組を取り結ぶ。

子供ができない家には多い家庭から分けてあげるし、婚姻ほどの手続きも踏まなくてよい。

この時点でも名前が変わる。

貴人になればなるほど、日本人は出世したり環境がかわるごとに、名前を変えていくことを名誉だと考える。

 

「公方様に取り立てられると、義という字を頂戴する。

以前から義の字がついていても改名して、この義は公方様よりの偏諱であるぞと宣言できる。

そんなわけで有力者は義の字だらけになる。

これでは紛らわしいので、官途名などで呼ぶことも多くなる」

 

紛らわしくなるのがわかっているなら、そんな風習、やめればいいのに。

それで官途名とか受領名とか職名とかいった副名が追加されていくのだが。

これもまた、デタラメに過ぎる。

 

たとえば大ミヨシドノは副名として、シュリタイフとか、チクゼンノカミなどを持つ。

公式の書状や、儀式の際にはこれらを全部つけて呼ぶのだそうだ。

チクゼンといえば、シモの領国に同じ名前があるよね、と言ったら、そのチクゼンだとトマスは言う。

 

「三好筑前守修理大夫長慶殿の受領名は、筑前守。

本来の意味であれば、

シモの筑前国を守護する領主様である。

と、いうことになる」

 

へえ。そうなんだ。

でもキナイを離れるわけにいかない大ミヨシドノが、シモの領主なんて、できないよね。

部下に任せてるのかな?

 

「受領名だから、筑前国とは縁もゆかりもない。

三好家の者は、誰も行ったことなどなかろう」

 

……意味がわからなさすぎる。

私にも理解できるように、教えてくれ。

 

「そうさ、のう。

家臣の戦闘団が、手柄を立てたとするわな。

なにか、褒美を呉れにゃならん。

そこで、ゆくゆく六十六箇国を制覇したら、お前にはこの国をやる、と受領名をつけてやる。

下手な宝物より価値のある勲章だ。

長慶殿に筑前守を与えたのが誰かは知らんが、本人も気に入っておるのだろう。昔から筑前守で通っておるぞな」

 

ええと。

その理屈だと、王国全土にチクゼンノカミがひしめいてたりしないか。

ブンゴノカミも同じくらい、いるんじゃないか。

 

「その通りだが?

領内で被っていなければ特に問題ないし、誰も本物の筑前国領主に告げに行ったりなどはせんからな。告げたところで、ああそうかで終わるだろう。お互い様だし。本物が死んでも、跡目争いには加われんから、それまでだ。

理解できたかな?」

 

日本人が果てしなくデタラメであることは、理解した。

トマスはこれを、おかしいとは感じないのか?

 

「儂も、そんな名誉な称号を、誰かからもらってみたいと思うぞ。

実務を伴わないからこそ、夢があっていいのではないか。

生半可な金銀財宝より、よほど心を満たされようぞ。

おぬしは、なにが不満なのだ」

 

僕だったらそんなもので満足しやしないよ。と言いたかったが、虚しくなってきたので、やめた。

ところで、ソウダイだ。我々の最大の敵。

ヴィレラを除けば。

 

トマスはシモから戻って以来、ミヤコでの政変と、ダイリサマによる追放令について、彼なりに調べて回った。

その結果、ソウダイが黒幕ではないようだぞ、というのが新たな注目材料だ。

まずは、トマスの話を聞こう。

 

「日本の暦で、永禄乙丑五月十九日。京で公方様とその近親者が、皆殺しにされた。

この日、弾正殿は多聞城にいた。奈良のすぐ近くだ。

政変の報せを聞くや、ただちに奈良興福寺へ兵を差し向け、一乗院覚慶殿の身辺を警護させた。

覚慶殿とは、十三代公方・義輝将軍の実弟だ」

 

へえ。弟がいたのか。

その人も殺そうと考えるのは、自然な発想だろうね。

ソウダイは、彼を、守った?

 

「弾正殿が京の襲撃を事前に知っていたとすると、奈良での動揺ぶりは、いささか不自然が過ぎると思うな。

弾正殿は知らなかった、と儂は判断しよう。

京で事件を起こした連中の内には、弾正殿の息子がいた。

姓は同じ松永だ。つまり、どうやら、コイツがクサい」

 

ソウダイの息子は、クボウサマから義の字をもらっていたらしい。

これを事件後すぐ、以前の名へ戻したという。

堂々とクボウサマへの反意を表明しているわけだが、父親はその動きに同調していない。

これほどの計画を知らされてなかったことも考えると、親子の仲は相当、悪いようだ。

 

「三好新政権の樹立に、内裏様も諸寺院も抵抗を示したが、これには弾正殿の意見書が大きく影響したとも聞く。

人道に反する弑逆で天下を治めようとする者を称讃してはならぬと。

弾正殿は何事にも筋を通されるお方だからの。実の息子だからとて、容赦はせんのだ」

 

ふうん。

そんな人がなぜデウスの教えに逆らうのかも、謎だけどねえ。

 

「ひとつ聞きたいのだが。

フロイス殿もヴィレラ殿も、なぜそこまで弾正殿を憎むのだ?」

 

え。

なぜって。当然じゃないか。

追放令を出させたのはソウダイだし、それ以前からミヤコでの布教を事あるごとに妨害してたのはソウダイだって、皆言ってる。

 

「ほう。皆、とは安易な言葉だな。

ちなみに追放令に関して弾正殿は完全に潔白だ。

公方様に勅令を出させた人物は、特定した。

三好家内の一派だが、そいつらと弾正殿は、とても仲が悪い」

 

そうなんだ。

ふう。まったく次から次へと、悪党がいるものだね。

 

そういえば、政変の日から教会によく来て情報をくれていた、コスメというミヨシドノの秘書も、やたらとソウダイの悪口を言っていた。

コスメは、ソウダイと敵対する派閥だったわけか。

もしかして、追放令を出した一味とつながっている?

ありえるけれど、今更、たしかめようもない。

ミヤコを出て以来、コスメの姿、見てないしな。

 

まあいいや。人を疑いだしては、キリがない。

対象をむやみに多くしてはいけない。敵はソウダイとヴィレラだけで、ひとまず、じゅうぶんだ。

考えすぎるな自分。

 

「ついでに、これも言っておこう。

殺された十三代将軍の、弟君。彼は幼き頃に継承権を奪われている。

それからずっと、仏門に入って過ごしてきた。

だから公方様との関係は断ち切っていると見做されて、後日、暗殺対象から外された。

安全が確認されてから、弾正殿の派遣した護衛兵も、引き揚げた。

しかし、安心できなかったのだろうな。

またいつ、自分を狙う者が襲撃してくるやもしれぬ。

それを恐れたからか、突然、行方をくらませた。

これが今、弾正殿の立場を悪くさせている。

あの時すみやかに殺しておけばよかったのに、ということだ。

よって近々また、三好の荒くれどもが、どこかで何かをやらかすやも知れん」

 

ソウダイまでが、仲間から命を狙われてるってこと?

まったく、次から次へと、物騒な連中だよねえ。

サカイが戦場にならなければいいよ。

むしろ、私たちを憎む者、私たちが憎むべき相手が、一人でも減ってくれるなら、それを歓迎すべきだよ。

 



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SengokD.1565/025.hmos

ソウダイは、サカイへよく遊びに来てるらしい。

 

ものものしく武装した兵に囲まれて行進し、庶民がうろつくような界隈には近寄らない。

……で、いてくれればまだしも。

軽装のまま、お伴数人と徘徊し、馴染みの店や新しい店にも次々立ち寄り、茶器や骨董品の値踏みを店主と楽しむ。

その姿は、サカイでは昔から知られた風物詩なのだとか。

 

繁華街の一角には、ソウダイの年老いた母親が住む邸もある。

息子が立派な城を持ってんだから、そっちで一緒に暮らせばいいのに。

私は一庶民ですからとか言って、サカイでのつつましやかな生活を変える気は、毛頭あらず。

その様子見を兼ねて、ソウダイとその息子は、サカイ訪問を繰り返す。

お互い決して鉢合わせしないよう、調整して。

 

命を狙われている重要人物が、いったい何をやっておるのですか。

市民が巻き添えになったら一体どうしてくれちゃったりするものですか。

サカイの住民たちも、もっと命を大切にしようよ。デウスの教えを学んでよ。

ねえ。お願いだから。

 

「多聞城には、一個で何万クルザードもする芸術品が沢山集められていてな。

弾正殿は毎日それらに囲まれて寝起きしておる。うらやましいの。

文化を愛で、その価値に投資できる者に悪人はおらん。

堺の衆はよくそれを知っておる。

どうだ。フロイス殿も、そろそろ弾正殿の悪口言うのを、やめてみてはどうか」

 

何を言いたいんだトマス。

まるで悪魔の囁きだ。君はいつから私にそんな説教をする立場になったのかね。

真面目に聖書を読み返したまえ。何度でも。

 

「アルメイダも言ってなかったか?

手紙には、なにか書いてなかったか?」

 

ああ。シモへ戻る前にソウダイと対決するとか言ってたっけね。

手紙には、私への白々しい励ましの言葉しか並んでなかったよ。

アルメイダは、トマスの前ではなんて言ってたんだい?

 

「多聞城を訪問する際、通訳にパウロを連れていったが、我慢できなくなって弾正殿と直接、対話を始めたそうだ。

すっかり茶の湯の奥深さに目覚め、手土産にひとつ貰って帰ったのを、毎日大切に使っておったぞ。

儂は多聞城を直接見たことはないが、守りは堅く、それでいて美しく、アルメイダの話を聞くだけでも、日本で最高の贅をこらした傑作と断言できよう。

仕官するなら、弾正殿にすべきかのう。

そして官途名をいただけたら、至極よのう」

 

トマスなら用心棒として最適な気もするが、そういう話ではないよな。

まったく、いいなあ。みんな楽しくお気楽で。

 

私は、唯一の気散じだったシモへの報告書執筆が、誰からも迷惑がられてると言われて、書くのをやめた。

夜、やることがなくなって、ほんとうに暇だ。

もうすぐ待降節、そして降誕祭、割礼祭と続く季節に入るが。

まったく気持が昂ぶらない。

なぜ昂ぶらないのだろう。

最近、ヂシピリナをやってないからかな。

 

降誕祭でも、ヂシピリナはしないのか?

モニカが来れば、やらないよな。

絶対来るから、やらせないよな。

厳かに聖歌を合唱して、子供たちの劇を楽しんで、贈り物を交換して、寄付を募って、聖書を朗読して、静かに解散する。

そんな降誕祭をするのか。

いいのか。

信徒は、それで満足してくれるのだろうか?

 

違うことを考えよう。

 

 

日本人は、独特の結婚観を持つ。

貴人の、特に上位の層は妻を何人も持つと最近知って、裏切られた思いをしたものだが。

一般的には、一夫一婦制を遵法する。

漁村や農村など、男も女も同じように働く土地では、それ以上とくに述べることはないが、ミヤコやサカイなど大都市になると、結婚した女は家の中へこもり、滅多に外へ出なくなる。

そして、歯を酢鉄で黒く染めたり、眉をすべて剃ってしまったりなど、奇態な風習を始めたりする。

 

だから教会に来る女性は、高確率で未婚だという法則が成立する。

必然的に、いろんな男どもが、若い女性と出会うことを目的として集まってくるという状況を生む。

これ自体は、批難されるべきではない。

むしろ最初の出会いが教会だったというのは、いい話だ。

 

問題は、日本人にとって、夫ある女性を奪うことは罪であるが、未婚の女性なら襲っても構わないという、不道徳きわまる常識が染み渡っていることである。

これだから日本の娘はどんなに幼くても処女ではなく、子供をすぐ棄てる習慣が根付いていたことにも合点がいくわけであるが。

それに気付かせてくれたのは、やはりモニカのおかげだった。

 

聖書全編を読破し、その真髄にまで辿りついたモニカは、言い寄る男をことごとく論破し、デウスの教えを叩きこむ。

純潔の大切さと、イエズスに倣うべき生き方を、すべての隣人に対して説き、どんなケダモノをも服従させ、人間の姿に変えさせる。

フィラドでも、ミヤコでも、若い娘が教会へ来るときは、必ず大人の男性が一緒だった。

そうでなくては危険すぎるからだ。

この光景が、サカイでは、変わりつつある。

私はモニカと御主とに、最大の感謝を捧げたい。

 

 

道がひらけてみると、今まで坊主どもは何をやっていたのだろうという素朴な疑問が湧いてくる。

こんな非常識をつくりだしたのは坊主であるから、今すぐ、おまえたち自身のインヘルノへ帰りたまえ。

二度と地上へ出てくるな。

 

坊主のテラへは、一般に、女性は足を踏み入れることすら、許されない。

ただし、数は少ないが、尼寺というものがあって、ここでは女性だけを受け入れる。

建前上は、そうなっている。

しかしカウトリカの修道院と同じだと思ったら大間違いだ。

ボンズとボンゾは互いに行き来して、密に接触をしているらしい。

それでも尼寺の方が少ないため、坊主どもは、女体の代替になるものを求める。

表向きは禁欲と清浄を掲げ、一般の女性を入口から招くことのできない坊主どもは、何を企むか。

 

私の口からは、とてもこれ以上は語れない。

悪魔より、もっと下劣な存在が、日本には棲息していた。

報告はしないから、結論もまとめない。

そろそろ、おやすみなさい。

 



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SengokD.1565/026.hmos

ミヤコの信徒たちが、日々、坊主の嫌がらせに苦しんでいる。

なんとかパードレ戻ってきて救ってください、との切実な嘆願が寄せられる。

ヴィレラが私に、お前行ってこい、と命令する。

 

断る。

 

ヴィレラの手下が一人、ミヤコへ旅立つ。

戻ってきて言うには。

どうやら罠です。追放令に背いたテンジク坊主を捕まえて、処罰する作戦のようです。

なんだやっぱりフロイスを行かせればよかった。なんて言ってましたよヴィレラが。という声が、あちこちから聞こえてくる。

 

私は、デウスへ祈る。

正しき者は、正しき道へ導かれるものなのです。

 

 

町から子供が姿を消す。

テンジク坊主が家へ連れこんで、悲鳴がして、それきり……といった噂が広まる。

私のあばら家へ、そのたびに役人がやってくる。

またですか大変ですねと言ってタタミの下まで全部見てもらう。

そのうち子供は腹を空かせて家へ戻ってくる。

親たちも、噂の拡散者も、誰ひとり謝りに来ないから、そんな噂もなんとなく聞いて、そうかい無事でよかったねとつぶやく。

 

私は、デウスへ祈る。

私は常に潔白です。だから堂々としていられるのです。

 

 

私は決して子供を食べませんと日本のカミに宣誓せよ、と求められたことがある。

誓うまでもないことだし、あなた方のカミってのは坊主どもの手下でしょう。

ふざけてます。

まずはあなた方が、御主の前に跪きなさい。

そのときには、私をカミの前で弁明させようと考えていたこと自体が、愚かしい躓きであったことを、あなた方は理解されていることでしょう。

一日も早く、迷いと訣別されることを勧めます。

 

あいつらカミに誓えないって拒否しましたぜ、やっぱり喰ってやがるんだ、と遠吠えが聞こえてくる。

私は、デウスへ祈る。

愚か者は、賢くなろうとしないから、愚か者なんですね。

 

 

処女懐妊しました、とコンヒサンする少女が、後を絶たない。

これまでは、生んで育てるか、生んで人にあげるか、生まれる前に殺すか、生んだ後で殺すか。

家族ぐるみでコソコソやっていたところが、

絶好の抜け道を見つけた!

と言わんばかりの勢いで、皆、親を引き連れて、教会へ駆けこんでくる。

私がマリヤ様となったことを認めてください!と。

 

その必死さには脱帽するが、私は、冷徹に諭す。

聖母マリヤを騙るなど、おこがましい行為です。

真の処女懐妊であれば、町じゅうの信徒にそれとわかる、大天使ガブリエルからのお告げがあったはずです。

虚偽と姦淫は十戒に違反する大罪であることを、あなたは認めなくてはなりません。

なおかつ、すでにあなたの胎内に宿ったいのちを、あなたは殺してはなりません。

その子の父なる者との結婚が、唯一の解答です。

そのためになら、私は助力を拒みません。

 

ほぼ必ず、泣かれる。泣きじゃくられる。

コンヒサンを終え、部屋を出ると、これもほぼ必ず、父親から殴られる。

容赦ない殺意が、私だけに向けられる。

かれらが教会へ戻ってくることは、稀である。

 

私は、デウスへ祈る。

間違ってないですよね?

私は、正しいことを言ってるだけですよね?

 

 

ブンゴには、孤児院があった。

始めてから数日で、受け入れを中止したという。

日本では、子供を欲しがる親も多いが、それ以上に望まれぬ出生も多いことを実感している。

大都市サカイでは、人々はより強く外聞を重視するため、もし孤児院など開設すれば、何百人もの子供が持ち寄られるだろうことを、容易に想像できる。

実際、現状として、この街のあちこちで、今も子供たちはひっそりと殺されているのだろうか?と気になった。

 

こういう、口にしづらい質問は、私の腹心の部下、トマスへ訊くに限る。

 

トマスによれば、一番無難なのはテラに提供することだそうだ。

サカイ周辺ならば、オーザカのイコ宗が子供の受け入れに積極的らしい。

ただし、我々の活動とは主旨が正反対。乳幼児は敬遠される。

そろそろ生意気ざかりで手のつけられなくなってきた男の子が邪魔になってくると、イコ宗へ放り込む。というのが一般的な処分方法だ。

 

「儂は本願寺に入ったことはないが、あそこは修練の厳しさでは群を抜いとるからの。

どんな悪ガキでも、一年過ごせば、たくましい極道者に変わりおるぞ。ケツの穴を広げてな」

 

ホンガンジというのが、イコ宗の本拠地であるテラの名だ。

放りこまれた子供が、もとの家に、戻ってくることはあるのかい?

 

「本人と、親と、寺と、全員がそう望めば、そういうことも、あるんじゃないか。知らんがの。

まあ縁切りされて送られることがほとんどじゃろうから、たいていは、足軽になるか、他で仕事を見つけるか、坊主になるか、していくと思うがのう」

 

アシガルとは、雑兵のことだ。

最前線で敵を襲い、奪い、焼く。

着の身着のままとびこんで、隊長に取り立ててもらう。

最も下層の戦闘員だが、昨今の需要は著しいという。

戦争がかれらを生むのか、かれらが多いから戦争になりやすいのか。

坊主どももこれに分かちがたく結びついているという現実には、暗澹たる未来しか感じない。

 

 

サンティアゴ殿が、挨拶にやって来た。

急遽、サンガ城へ戻ることになったという。

ミヨシ家の内部抗争が、ついに、火を噴いた。

イイモリ城では、二派が激突。大ミヨシドノとその息子が、追い出されたという。

 

この息子の方から、サンティアゴ殿は棄教を迫られ、拒んで、隠居したわけであるが、その元凶がいなくなったので、戻ってきて兵を率い共に戦ってほしい、と反乱側から請われたので、復帰するのだ、という次第である。

 

「ヴィレラ殿、フロイス殿。

三箇城の聖堂は、無惨にも破壊されたと聞いておりますが、私が戻るからには、再建させてみせます。

来年の四旬節には、ぜひ、おいでいただきたい。

デウスの御加護を、ふたたび三箇へもたらすために、お力を貸していただきたい。

それでは、御免」

 

ヴィレラは、複雑な表情だった。

そりゃそうだろう。

大ミヨシドノとサンティアゴ殿は、敵同士となった。

君は今後、どっちへ就くつもりかな?

サカイのことは私にまかせて、サンガの再建に、全力を尽くしてきてくれたまえ。

 

私は、デウスへ祈る。

来年こそは、しあわせになりたいです。

 



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SengokD.1566/001.hmos

インヘルノは、地底の、最中心に存在する。

 

私たちはポルトガルから日本まで、地球を半周してきた。

だから、この球体がどれだけの大きさかを知っている。

エウロパの幾何学を使って、地上からインヘルノまでの距離を求めよう。おおよそ2000レグワだ。

そこには空気も光も無いし、ものすごく熱い。

ルシヘル以下、ありとあらゆる悪魔と堕天使に加え、もとは人間だったはずの何者か等が、延々と殺し合いを続けている。

たとえまっすぐ通じている穴が開いてたとしても、覗きこむことすら危険だね。

 

悪魔は時々地上へ狩りをしに出てくるが、この穴のひとつが、ナラという街に開いている。

私は無益で非力な下僕にすぎないから、一生近寄りたくないし近寄らないつもりだが、サカイからは10レグワほどだから一日歩けば着けちゃうんだよね。

おそろしい。

 

私たちの最大の敵のひとり、ソウダイは、このナラを拠点としている。

いま、彼はミヨシ一族の内乱において劣勢の状況下にあり、徐々に追い詰められている。

清く正しく戦争協力を拒む私たちコンパニヤの全員が、どちらを応援するかなんて、考えるまでもないことだ。

この点はヴィレラにも異存ないらしく、サンティアゴ殿を通じて、ソウダイを倒すためにいろいろと援助しているらしい。

カネもずいぶん、つぎこんでいるようだが?

まさか予算を使い果たしてからトンズラしようなんて、たくらんじゃあ、いないだろうね?

 

私には会計を徹底的に精査し、報告する義務と責任が生まれるのだから。

前任者がどれだけ不正と濫用をしていたかも、しっかりと、調べなくちゃならない。

だから今は、泳がせておいてあげるよ。

 

 

灰の日を迎えました。あらためまして、フロイスです。

ブンゴから連絡がありました。

復活祭が終わったら、ヴィレラはシモへ戻されます。

なので、あと40日の辛抱です。

断食とコンヒサンが楽しく思える四旬節なんて、生まれて初めてですよ。

 

笑っちゃいけませんが、でも一番喜んでるのはヴィレラかもしれませんね。

長く苦しい8年間。よくぞ独りで耐え抜いた。

私をいじめてたことも、赦してあげよう。

美しく清らかなお別れをしようではないか。

最後まで、変な気起こすんじゃないぞ?

 

 

私はまっさきに、ディオゴ殿へ、知らせました。

ヴィレラが、モニカを連れていくなんてことになったら一大事ですから。

ヴィセンテはシモで1年暮らしていたので、結託する可能性、大いにあります。

そこで、モニカ監視隊が、強化されました。

ディオゴ殿の店で働く信徒たちが必ず教会に来て、常に2人以上がモニカから目を離しません。

 

モニカのコンヒサンはあいかわらず続いてますが、それ以上に監視人たちもヴィレラを指名して、コンヒサンでヘトヘトにさせます。

ヴィレラ。無駄な抵抗はやめて、きっぱりと別れ話をしちゃいな。

それが、みんなのためだ。

まちがっても、変な気起こしたりすんじゃねえぞ。

 

そんなわけで復活祭後は私が、キナイ専従になります。

増援が来てくれればありがたいけど、何も書かれてなかったから、当面、ひとりで全部やります。

ミヤコの情勢も知っておく必要があるので、独自に、調査員を派遣しました。

頼りになる、トマスです。

商売のついでに、有力な信徒の家を訪問して、信仰を守っているかどうか確認して回るよう、お願いしました。

 

 

戻ってきたとき、男の子をひとり連れてました。

あれ、見覚えがある。

ミヤコ教会のお隣さんだった家の、息子さんじゃないか。

 

教会跡は、屋根など修復されたのち、ミヨシ系列の兵の宿舎となっているそうです。

トマスは近所の何軒かに、行商のふりをして、テンジク人が去ってからのことを尋ねました。

そのとき、この子と仲良くなり、パードレたちの居場所なら知っているよと、教えました。

連れていってほしいと言われました。

で、連れ去った。

 

親御さんには?

 

「言わないでくれと、この子から頼まれた」

 

それって誘拐では?

 

「そういう見方も、できるかのう」

 

いいのかそれで。

ひとまず、今日はここへ泊まりなさい。

 

 

その他、トマスが調べて回った範疇では、おおむね信徒は隠れてデウスへ祈っている。

大っぴらに信徒だと言えていた頃は坊主どもへの拠出金を拒むことができたが、私たちがいなくなってから、あらゆる宗派の坊主どもが押しかける。次はうちと契約せよと、しつこいそうだ。

ネを上げて、改宗している人も多いそうだ。

なんとも、非道い話なのである。

 

家出してきた少年は、ずっと私たちのことを見てきて、いつかデウスの教えを聴いてみたいと切望していたらしい。

しかしフォッケ宗の家族が絶対に許さない。

ああ。君のお父さんお母さんは、厳しいからねえ。私も毎日、謝っていたが、顔が腫れあがるまで、ゆるしてはもらえなかった。

わかった。とりあえず、しばらくここで、住み込みしながら説教を聴きなさい。

最初は、お掃除からやってもらおうか。

おお、筋がいいな。

 

 

少年は、3日ほどいた。

私、ロレンソ、ヴィレラのうち、ヴィレラから洗礼を受けたいという。

少し負けた気もしたが、彼はヴィレラの方をずっと長く見てきたわけだし、もうすぐ遠いところへ行ってしまうと聞けばなおさら、感傷的にもなるのだろう。

今もモニカが傍にいるから、なんて理由も小さくなかった風にも思う。

まあいいや。負けを認めよう。

ヴィレラの授洗で、霊名はコスモと決まった。

こっそり、トマスが連れ帰す。

 

「子供は、よく神隠しに遭うものだ。二、三日程度ならば役人は動かん。生きて帰ったんだと喜ばれて、しまいじゃ」

 

そういうものなのか。

ゆるいな。

 



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SengokD.1566/002.hmos

サカイは、非武装中立地帯です。

 

濠で囲まれています。

すべての橋に関所が設けられていて、通行税を取られます。

もちろん、武器持ち込みも、戦闘行為も禁止です。

兵士たちがゾロゾロと、飯を食いに市門から入ってきます。

ミヤコで洗礼を受けた懐かしい顔ぶれが、教会へ寄り、祈りを捧げます。

四旬節なので、コンヒサンもしていきます。

戦局を、断片的にですが聞き出します。

 

ミヨシ家の内乱は、現在のところ、大ミヨシドノ勢と、その反対勢力とに二分されています。

大ミヨシドノ勢はイイモリ城から出てきて、東のナラへ集結。

悪魔の如き智将ソウダイの建設したタモン城を、包囲しています。

タモン城は、非常に、攻めにくいらしい。

城まで近づくと、くねくね曲がった細い通路の両側から、テッポウの銃眼が覗いていて、一斉に火を噴く。

相当の犠牲を払わねば侵入できないという、近代戦に特化した造りとなっているそうです。

 

どうしてこんなことまで聞き出せるかというと、教会へは両軍の中下級兵が集まってくるからですね。

もとは、同じ一族です。

我も彼もが、不倶戴天の敵同士ではありません。

むしろ、うるさい上長に見られてる時でなければ、本気で戦ったりするもんか。

いつでも仲良しに戻れるよう、個人的に怨まれるような態度を極力控える。

とりわけ信徒であれば、旗や軍装に必ず、それとわかる印をつけてますから。

戦場で出会ったら威勢よく近寄って、派手に斬り合う仕草をしてみせ、名勝負にて引き分けて別れる。

そんな擬態が、けっこう演じられているみたいですよ。

 

隊長も信徒であれば、話が早いそうです。

その代わり、邪宗徒相手であれば、多少は真面目にやれと。

緩急をつけてるんだってさ。

 

 

しかしこの度、サカイのすぐ傍のウエノシバというところで起きた戦闘は、かなり本気のぶつかり合いだったみたいです。

なんでもミヨシ家ではない別の領主の軍隊が出てきて、どちらかに味方したのだか。便乗して暴れまくったとか?

よくわからないのですが、ともあれミヨシが勝ちました。

どっちのミヨシですか?

大派なのか反派なのかも、よくわかりません。

 

サカイの自警団も防衛のため出動し、その戦闘に関わったみたいですね。

これが原因で、なんだかサカイはミヨシ勢との連携を宣言するという、更によくわからない方向へ政局が揺れ動いています。

信徒ジョウチンもこの自警団の戦闘員ですが、彼に聞いてもよくわからない。

ぐちゃぐちゃです。

まったく、困ったものです。

 

 

ついでに、昨今の戦術理論と世代間乖離問題についても、新たな知識を得ました。

 

以前キショウモン問題について考えましたが、日本では戦争という行為はカミに捧げる儀式なのです。

殺し合いだけれども、一種の競技でもあるから、オオキミという審判官に宣言して始め、終えるものである。

このオオキミとは、ダイリサマのことを指すらしいです。

1000年前、フォトケを招く招かない戦争のときから、そうなったみたいです。

ところがカミはフォトケに乗っ取られてしまった。傀儡になり果ててしまった。

カミに捧げる儀式という手順だけは残っていますが、形骸化甚だしく、現在の日本では戦争を仲裁する共通の審判がいません。

お互いが、自分にだけ都合のいい審判を準備し、勝手に始めて勝手に終わらせます。

これでは何もかもグダグダになるのは当然ですよね。

 

古典体育であった時代の名残で、日本の戦争では

雑兵が大将の首をとってはならぬとか

敵将を追い詰めたあと、自分自身の腹を小刀で抉らせ死なせることが礼儀であるとか

意味不明で残酷で要領を得ない約束事が、多々あります。

ある程度の階級以上の、名のある武士が戦うときは一対一の騎馬戦を基本とし、各々の配下の兵は円陣を組んで、手出しをしてはならんとか。

たしかに、戦争というより競技ですね。

殺し合うんですけど。

 

日本人がエスピンガルダを知ったのは、つい最近。まだ20年にもなりません。

この革新的兵器を、日本人はたちまち複製し、テッポウと呼んで大量生産し、その習熟にも類い稀な才能を発揮しています。

エウロパであれば、戦争の勝敗は、エスピンガルダの配備数で決まります。戦争ですから。

ところが馬の乗り方ひとつにもいちいち拘泥りたがる旧世代の日本武士には、この道具が実に面白くないわけだ。

エスピンガルダは単独兵器ではない。

集団で撃って、弾幕を張るのが戦法です。

決闘にすべてを賭ける上級の将ほど、自分に見せ場が回ってこない戦い方には嫌悪感を抱き、興味すら示さない。

そんなのは雑兵にやらせとけ、と最下級の兵だけでテッポウ隊を編成させます。

 

最下級の兵といえば、アシガルですね。

飯さえ食わせてもらえるなら、何だってやる。

坊主どもにさんざん慰みものにされた、少年たちの、成れの果て。

エスピンガルダの力を本当にわかっていたら、こんな物騒なもの預けさせないと思うのですが、つまり、わかってないのでしょう。

 

秩序を失った王国で、最も貧しい者たちが、最も強力な武器を持っている。

その両方を、坊主どもが、今もせっせと、量産している。

 

これに、私ひとりで立ち向かえというわけですよね。

デウスよ、難度が高すぎます。あまりにも。

 



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SengokD.1566/003.hmos

復活祭は、つつがなく終わりました。

いっぱいお客さんが来ました。ミヤコからも。ナラからも。

ヲアリっていう東の方の領国から、8日かけて到着したっていうおじいちゃんまで。

さすがのヴィレラも、悪魔の表情を覗かせることなく、送別会の主役らしい態度で毎日泣いて感謝を捧げてましたよ。

私も、君と別れるなんて嬉しくてたまらないから泣いちゃうじゃないか。

ばーか。

 

モニカは朝から夜までずっと教会にいて、来客への接待をしています。

ヴィレラと、きっぱり別れるのか。送り出せるのか。

それとも、同時に姿をくらませるつもりじゃないだろうか。

来客を含めた全員がその真意を探ろうと懸命になってますが、彼女と彼の表情からは読み取れません。

 

イルマン・ロレンソはもともとアマングチの出身だし、本人の希望もあって、一緒にシモへ戻ることとなりました。

戦力減としては甚だ心痛ですが、やむを得ません。

今までたすけてくれて、ありがとう。

 

ロレンソは、ナラへ何度も行っています。

いまソウダイがタモン城に追い詰められていますが、そこから8レグワほど先に、サワという城があります。

ここの城主一家は、サンガ城のサンティアゴ殿並みに敬虔な信徒なので、いつか行ってみるといい。大いなる力となってもらえるだろう。と助言をもらいました。

家長の霊名は、ダリオ。

いまは戦争中でなかなか出てこれなさそうですが、去年ミヤコの教会へ何人かの貴人と一緒に訪れたことがあり、その時私とも会っているはず、だそうです。

覚えてないなあ。

ミヤコでなら、私は従僕の仕事をしてたんじゃないかな?

変にそこだけ記憶されてなければいいですけどね。でも、私は覚えておこう。

サワ城の、ダリオ殿だね。

 

ここで初めて、ロレンソがソウダイへも説教を試みたことがあるという話を聞いた。

順を追って説明すると、こうだ。

 

ヴィレラがミヤコへ来て数年は、想像を絶する困窮生活が続いた。

物価はおそろしく高く、人々は冷たく、坊主どもは容赦なく喧嘩をふっかけてきた。

それでも当初は手当たり次第に出かけていって、宗論を戦わせた。

 

ある年、大ミヨシドノからの招待状が届いた。

説教を聴きたいから、城へ来いという。

本格的に身の危険を感じたヴィレラは、ブンゴから助っ人として派遣されてきていたロレンソを、代理に立てた。

このときの宗論は、実のところソウダイの根回しで何人もの学者を揃え、たしかに公開処刑の如きものだったようだ。

しかしロレンソは力強く、デウスの教えを奏でた。

10日ほど、語り続けたという。

学者の何人かが洗礼を希望した。

ソウダイの目論見は砕け散った。

 

頂点に立つ大ミヨシドノは戦びとの長であるゆえ信徒にはならなかったが、家臣たちの説得が効いた。コンパニヤの庇護を引き受けようと約束してくれた。

大ミヨシドノの口添えあって、ヴィレラはクボウサマへの謁見も叶い、正式に布教許可が発給された。

シモキョウの片隅にではあったけれど、公認の教会も設立できた。

アンリケ、ジョルジ、そして今は亡きアントニオらの兵が通ってくることで、坊主どもの嫌がらせもおさまった。

まさにミヤコの布教史は、ロレンソの大手柄に拠って立つという次第である。

 

面目を潰されたソウダイは、その後再びロレンソを呼び出し、説教を求めた。

ロレンソは万全の準備をして赴き、語ったが、ソウダイの心を開かせることはできなかった。

それでも謝礼に、値打ち物の茶器をくれた。

大事にするつもりだったが教会では価値の判る者が一人もおらず、いつの間にやら盗まれてしまったという。

 

トマスもソウダイには心酔してる風だし、ロレンソでも改心させられなかったと聞けば、どれほど手強い悪魔なんだと気が気じゃなくなるね。

 

「拙者の感じるところ、ではありますが。弾正殿は、デウス様の教えをきちんと理解されたと思いますよ。とくに物語の部分は、楽しまれたと思います。

しかし洗礼するとなれば、一切の偶像と訣別せねばならない。それは弾正殿にとって絶対にできないことでしょうから、結末はわかっておりました。

弾正殿は二千年も続く、この王国で生まれたすべての文物を愛してやまないお方です。

可能であればなんとか折り合いをつける道がないものかと、拙者は今も考え続けております」

 

正しいものも、間違ったものも平等に愛するなんて、おかしな話だ。

僕にはソウダイが教えを理解したとは到底思えないよ。

でもロレンソの話は、とても役に立った。

これからはトルレスとフェルナンデスをたすけてあげてほしい。

本当に、ありがとう。

 

ばたばたついでに、もうひとつ。

おかしなことが、おきてるよ。

 

クボウサマが殺された日。ソウダイはナラで、クボウサマの弟を保護した。

その後、弟は逃げ出し、ソウダイはミヨシ一族から狙われる立場となった。

この弟が、ミヤコ東隣国の領主を味方につける。

我こそは新クボウサマであり、兄と家族を殺したミヨシ一族は反逆者であるぞ、と宣言した。

すでにダイリサマから14代クボウサマの内定をとりつけた、という噂も流れている。

本人が流しているようだ。

 

あくまで内定であり、正式ではないことが重要だ。

14代クボウサマ、もう一人いましたよね?

イヨだかアワだか。

そう。ミヨシ一族に育てられてきた、アシカンガ家の遠縁だっていう候補者がいたんですね。

ミヨシ家内紛ですっかり忘れていましたが、この状況でミヨシ家が担ぎ直さないわけがない。

自分たちを逆賊と呼ばわる弟の登場は、ミヨシ同士の内紛をひとまず止めさせるほどの脅威を孕んでいる。

 

ミヤコへ戻れる日が、また遠くなったかな。

いや当分サカイでいいけど。

 



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SengokD.1566/004.hmos

恋愛事には疎い、というより興味が無い、僕だけれども。

ヴィレラが去ってからのモニカの変化を、注意して見ていた。

 

ひとりのとき、どうしているかはわからないけれど、教会にいる間はつとめて冷静にふるまっている。

報告を求められたならば「何ひとつ変わったところはありませんけどねえ」とでも答えるべきだろう。

しかし時折、空間を見つめて考えこんでいたり

おかしな言い間違いをしたり

同じ話を聞き返したりなどは、かつてのモニカにはなかったことで。

察するところ、必死で自分を抑えこんでいるのだ、という見解も可能である。

 

ヴィレラ、手紙でも書いてやれよ。

いや、書くな。

きっぱりと別れたんだから、モニカの新しい人生にてめえは干渉するべきではない。

モニカは気丈な娘だ。そっとしておけば、必ず自分自身の力で正しい道へと帆を向ける。

一時の気の病なんて、笑い話のひとつに過ぎなくなるさ。

大丈夫、大丈夫。

 

 

私がキナイ上長となってから、サカイ教会では、少なからぬ変化があった。

 

住み込み従僕は、60歳から8歳まで10人以上、入れ替わり立ち替わりしていたのだけれど。

半分くらいが、ヴィレラと共にいなくなった。

今までさんざん、ヴィレラとつるんで僕をバカにしていた奴らだ。

僕の下では働きたくないという。

僕だって、持て余してしまう。

 

きちんと挨拶して出て行く奴には、多少のカネを持たせてやった。

私を嫌いでも、デウスの教えは絶対かつ永遠だ。

そのことだけは生涯忘れるなと説諭して、円満なお別れをした。

勝手にいなくなった奴らは知らん。

いろいろ盗んでいくしな。

 

パウロはアルメイダと、ロレンソはヴィレラと一緒に出て行ったから、いま僕が頼れる人材としては、トマスと、その次はダミヤンという日本人青年かな。

ああ、僕と一緒に来てた大小ジョアンがいたね。かれらは、今はシモにいる。

連絡員をさせていたのだが、物資を持って戻ってくるときは別の信徒が来た。

僕とヴィレラの諍いは、いろんな人に迷惑をかけていたのかもしれないなと、しんみり思う。

しかしその元凶は消えてくれたわけだから、これからは明るい未来を築こうよ。

いつでも、戻ってきてほしいな。

 

 

人手不足をなんとか乗り越えて、昇天祭と、ペンテコステを迎えた。

ペンテコステを過ぎると、トマスはシモへ向かう準備を始める。

本業は商売人だからね。トルレスたちからの信頼も厚いし。

誠実なパードレをひとり回してもらうよう、強い要望を託して送り出した。

それからしばらくは、平穏な日々が続いていた。

 

 

聖ベネディクトの週。

新たな軍事行動が大規模に開始された。

アワ島より、14代クボウサマ候補者ヨシチカ殿が、ツノ国へ上陸開始。

護衛するのはミヨシ一族。

大挙して乗りこんできているらしい。

 

今春、もうひとりの候補者ヨシアキ殿が名乗りを上げていた。

彼はミヨシ一族を兄の仇と断罪し、ロカクという領主に守られて、ミヤコの東に接するオーミ国に陣取っている。

ミヤコに入れば、ミヨシ一族との全面戦争となるため、にらみ合いが続いていた。

その向こうから、アワのミヨシ勢が大上陸。

ヨシチカ殿が先にミヤコへ入り、戴冠式をすれば、勝負はついてしまうだろうね。

 

地理的に見ても、決戦場はミヤコ以外にありえまい。

人々は100年前の戦乱が再来すると恐怖し、大勢逃げ出してきている。

十数年にわたり道は壕と穴ボコだらけになり、建物という建物は焼かれ、死体と追い剥ぎと浮浪者と坊主ばかりが溢れかえった。

そんな日々がまたしても、と。

 

キナイじゅうに散らばるミヨシ軍は、内紛をピタリと停止。協議を始めた。

翌日、びっくり仰天の大発表。

大ミヨシドノは3年前に亡くなられていた。

その葬儀を、これから盛大に執り行うという。

 

え??

私がミヤコへ来た日には、もう、死んでいた?

ヴィレラは、知っていたのか?

ロレンソは?サンティアゴ殿は?

アンタン殿や、ジョルジ殿は?

私は、すっかり騙されていたぞ。

 

ミヨシ家が前クボウサマを殺したときから、まったくまとまらず内紛に明け暮れていた理由が、なんとなくだがわかる。

どうすればいいかわからなくなった幹部たちが、誰にも相談できず、右往左往を繰り返していたのだろうなあ、と。

 

 

葬儀の場で、フィウンガ殿と、サキョウ殿が、共闘を誓ったという。

フィウンガ殿は、最大派閥のまとめ役。イイモリ城から大ミヨシドノを追い払ったと噂されていたが、実は最も中心にいた人物ということになる。

サキョウ殿は、大ミヨシドノの息子。最大勢力から追い払われたと言われていた。規模では第二党だ。

この2人が結んだことで、ミヤコ南方の戦乱は、ぴたりと収まった。

再編が整い次第、全力を北へ向けることになりそうだ。

ミヤコ人は、蜘蛛の子を散らす如く、逃げ場を探している。

 

ソウダイは、包囲から解放された。

これからどうする?

タモン城はあいかわらず難攻不落のようだし、背中を向けた大軍に挑む余裕もなさそうだから、当分は動かないかな。

オーミ国の戦力がどれほどの規模か。これが不明だけど、今日までミヤコを攻めあぐねていたことから考えても、更に戦力増加したミヨシ大軍勢に勝てるとは思えない。

もしかするとミヤコを通過して戦場はオーミになるかも。

となると、ヨシアキ殿がどう足掻いても、14代クボウサマの座はヨシチカ殿で決まりかな。

 

戦争するならするで、早く終わらせてもらいたい。

十数年は、やりすぎです。

 



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SengokD.1566/005.hmos

モニカは、どんな男に言い寄られても理性で叩き返す、無敵の弁舌家だった。

しかしその力は、一時的だったはずなのだけど、失われていた。

気丈に見せていたが、非常に不安定な精神状態だったのだ。

 

以前からモニカにしつこくつきまとっていた、ソウサという青年がいた。

それまで教会へ来たことはなかったと思う。

町の不良の番長格で、素行は甚だ悪かった。

 

ある日、教会から帰る途中のモニカに、ソウサがからんできた。

普段なら小蝿を払うごとくに対処するモニカが、このときはしどろもどろに言い返した。

やがて感情が決壊して、大泣きし始めてしまったらしい。

 

ソウサは、あわてた。

ひとまず、彼の家へ連れこんだ。

悪友たちがついてきた。

ヴィセンテは、大慌てで自宅まで知らせに戻った。

 

ディオゴの店から数人やってきて、モニカを連れて帰ろうとしたが、モニカは帰りたくないという。

お嬢様がそんなことを言うわけがない、と口論から殴り合いに発展し、収拾がつかなくなった。

役人も呼ばれてきたが、モニカ自身の口から帰りたくないとあらためて説明されたことで、ひとまず、その日は外泊となった。

 

とはいえ。

町で評判の娘である。

美貌の処女である。

それが、名うての不良宅へ泊まる。

いくらソウサの両親が一緒とはいえ、これは大問題である。

 

教会で何があったのかと、ディオゴ殿からも役人からも、野次馬根性丸出しの信徒や求道者からも、さんざん訊かれたが、私にだってわけがわからない。

 

数日経つうち、これは絶対におかしい、モニカは薬かなにか飲まされていて、本心でないことを言わされており、すでにソウサのいいように弄ばれているのではないか、という疑いが膨れあがって止められなくなった。

 

ソウサの父親が、ディオゴ邸へ説明にやってきた。

伝聞の伝聞によるものであるが。

モニカとソウサは毎日語り合っているらしい。

ただひたすら、語り合っているだけだという。

床を共になどしていないし、ソウサの母が常に一緒だから、間違いはない。

 

ディオゴですらそんな話は真に受けない。

娘を早く返してくれと言う。

いえ帰りたくないと言っているのはモニカなのです。

そんな馬鹿な話があるか。

ここでも、殴り合いが始まる。

 

私には、デウスのお考えが、さっぱりわからなかった。

ただ祈るしかなかった。

一所懸命、祈り続けた。

最大級の断食に撤した。

視界が虚ろになってきた。

 

モニカの母上が、教会へやって来た。

あなたも御主へ祈りに来られたのですか、と言おうとしたら、頬をひっぱたかれた。

今すぐこの街から出て行きなさい!あなたたちが来てからです、何もかもおかしくなったのは!子供たちを、夫を、皆を、もとに戻してください!この恥知らず!

そんな言葉を、浴びせられた。

お母様、それは誤解です。

私にもわけがわからないのです。

悪いのは、ソウサじゃないかと思います。

さすがに凹んだので、この日は、お粥を食べた。

 

モニカから、自宅へ手紙がよこされた。

これも、私は直接見ていないが、こんな内容だったという。

 

「お父様、お母様、お祖父様、お祖母様、妹弟たち、家族同様の皆さん、そして、信徒の仲間たち、ご近所の皆々様へも、ご迷惑をお掛けしていること、大変申し訳なく思っております。

私は、甚だ罪深く、愚かで、本来ならば生きる価値さえ無い女です。今も、無力感に苛まれ、何をどうすればいいのか、わからなくて、もがいております。

家へ帰るべきだとは思うのですが、未解決のまま一つの受難から逃げれば、また新たなる受難が覆い被さってくるものと、私たちの聖書は教えています。私は、いま、立ち向かっているこの問題に答えを出してから、必ず、笑顔で戻ってくることを誓いますので、どうか、それまで、お待ちください。

ソウサ殿も、彼のお父様、お母様、それからお友達からも、決して乱暴などされておらず、むしろ、大変良くしていただいてますので、ご心配なさらぬよう。

御主のお導きのままに。アーメン」

 

私の名前は、入ってなかったという。そうですか。

それはともかく、この手紙がまた、憶測を拡げる。

まちがいなくモニカの筆跡だったそうだが、絶対無理矢理書かされたに相違ない、と。

 

ソウサの家には、投石や落書き、罵詈雑言が絶えず、ソウサの悪友たちはそれを見張るために夜中まで周囲をうろついている。

決して彼らからは攻撃をしてこないのが救いだが、そんな物騒な状況が一週間ほど続いて。

突如、結末が訪れた。

 

 

モニカは、ソウサと、その仲間たちを、教会へ連れてきた。

顔や手足のおびただしい傷跡から、相当の不良だったことが察せられるものの、全員、躾けられた子犬のように従順で、瞳は澄みきっていた。

説教を聴き、洗礼を受けたいという。

私はさっそく、ミサを始めた。

その後でやっと、モニカは自宅へ戻り、ソウサと結婚したいと家族に告げた。

 

ソウサは次の日から、日の出とともに教会へ来るようになり、従僕たちにも、他の信徒にも礼儀正しく挨拶をし、モニカが来れば貴婦人に対する廷臣のようにこれを迎え、誰に冷やかされても笑って受け流し、すぐにルカスという霊名を授かった。授けたのは、私であるが。

町じゅうの誰もが、二人の結婚を祝福するようになるのに、時間もかからなかった。

モニカの母上だけはあいかわらずだが、あのソウサをここまで変えさせたモニカと、デウスの力を、人々は認めざるを得なかったのだ。

 

教会には、求道者が押し寄せている。

ここまでの忙しさは、私がキナイへ来て以来、なかったほどだ。

やはり、増援を求む。とはいえ、そのためには、報告書を送らねばならない。

ヴィレラは悔しがらせたいが、アルメイダは傷つけたくない。

 

さあ、どんな風に書けばよいやら。

 



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SengokD.1566/006.hmos

トマスが戻ってきた。うれしくないお土産を、たくさん抱えて。

 

まず。キナイへの増援は当面、無い。

今年は、宣教師の上陸がなかった。定航船の一隻が海賊に襲われ、奮戦むなしく沈没した。

その船に乗っていたパードレ3人も天に召された。

それにしたって昨年、一昨年、やって来たパードレたちがいるだろう。

じゅうぶん日本にも慣れている頃だ。

一人くらい、なぜ、よこせない。

 

「深刻な、日本病という精神汚染が、広まっておっての」

 

現在、シモには9人のパードレがいる。

その全員が、多かれ少なかれ、鬱を発症しているという。

ミヤコから戻ってきたヴィレラはこれに感染しておらず、冷静に8人の症状を診て回った。

結果下した診断が、日本病。

とくに来日間もない者ほど、耐性がついてないため重症化しているとのこと。

ヴィレラに医療の心得なんてないだろう。

アルメイダの判断は?

 

「アルメイダ自身は大丈夫そうだが、この春五島へ布教に行って、さっぱり信徒を獲得できなかったそうだ。あのアルメイダがだぞ。

気のせいばかりとは、言っておられんように思うがの」

 

トマスの目から見て、僕は罹っているように見えるかい?

 

「変わってなさすぎだ。否、ひとりになってから、ずいぶん楽しそうにしておるようで安心した。

フロイス殿はもともと鬱になんぞ罹るような精神は持ち合わせておるまいからの。

ヴィレラは常日頃から悩みやすい人物だから、この先も大丈夫かどうかは、わからぬがのう」

 

聞かなかったことにしてやろう。このやろう。

それでもむしろ、何人か回してほしいものだ。

環境が変われば、気分転換にもならないか?

 

「心の病を抱えている者を、こんなところに連れてきたら、おぬしにいじめられて、完全に破壊されてしまうだろう。

だいたい、志願者がおらん。

冬になったら、重症者から何人かアマカウへ戻される見込みだ。人員減になるのだぞ」

 

トマスよ。

私は意外と繊細なんだぞ。君の言葉に、けっこう傷ついている。

いくら人員減だからって、この広いキナイを私一人で担当するなんて、無茶なことくらい、わかるだろう。

そのうち僕だってヴィレラみたいになってしまう。

そうなる前に、なんとか考えてもらいたかったねえ。

 

「増員については、今期はひとまず、あきらめろ。むしろ、こちらで、授洗資格を持つ日本人を育て上げろ。

それから、あまりにも長すぎる報告書は誰も読みたがらん。

要点を絞って、簡潔に書くことを心掛けよ。

以上、ちゃんと伝えたからの。よろしいか?」

 

へいへい。

ああ、うれしくないお叱言だった。

 

次いで、話題は、キナイの情勢へ移る。

大ミヨシドノが死んでいた件は、トマスにとっても驚きだったそうだ。

もっとも、その情報はすぐにシモへも伝わっていたので、私からトマスへ説明することは特になかった。

 

「筑前守長慶殿さえ生きていれば、ここまでこじれず、三好一族が新たな幕府となって丸くおさまっとったろうにのう。

今となっては、まだまだ先が読めんの」

 

それでもトマスなら、今後の展開を、いくらか予測できるかい?

 

「そうさ、のう。

義秋殿は、近江から更に奥地へ逃げるだろうな。

美濃は戦争中だから、若狭か越前を選ぶか。

越前まで入ると、一向宗がどう出てくるか次第にもなるな。

下手をすると、数十年ではおさまらなくなるな」

 

私が理解できた範囲でまとめる。

 

ヨシアキ殿の今いるオーミ国に隣接し、かつミヤコから離れる方角に領国が3つ。

ミノ、ワカサ、エチゼン。

この3国は領主に統治されており、まがりなりにも秩序がある。

ヨシアキ殿は領主の庇護を受ければよい。

しかしそれより先の、カンガと呼ばれる土地が、坊主どもに占領されている。

何十年も周辺諸国との小競り合いを繰り広げていて、超危険地帯なのだという。

 

エチゼン国には、南北二正面作戦をとるほどの兵力は無い。

ヨシアキ殿がここへ逃げ込めば、エチゼン王はミヤコへ向けて防衛線を張らなければならない。

反対側のカンガから、坊主がここぞとばかり、攻め入るだろう。

 

トマスが憂慮しているのは、この先の展開だ。

もし坊主どもが、ヨシアキ殿へ手を差しのべ、自分たちがクボウサマ政権を樹立することを欲せば?

 

カンガを何十年も占拠している坊主集団は、イコ宗である。

オーザカに本部を持つ、あいつらだ。

軍事教練にことのほか厳しいと定評があり、どんどん子供たちを仕入れては、傭兵に育てて送りだす。

その最大の出荷先こそが、北の坊主領国、カンガだったというわけだ。

見事にすべての辻褄があう。

そしてカンガ・エチゼン間で戦端が開かれれば、オーザカも呼応する。

広域大戦争の勃発となるわけである。

 

……それは、もちろん、最悪の場合を想定しての、仮説だよね?

 

「もちろんだ。これより悪い状況は、思いつけんな。

そこまでの覚悟を、今のうちから、しておこうぞ」

 



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SengokD.1566/007.hmos

日本の緯度は、ポルトガルと5度も違わない。日本の方が、少し南だ。

 

ところが気候条件は、かなり異なる。

雪は湿気を含んで重くなるし、盆地のミヤコでは特にそれが著しい。

夏は暑く、これも湿度が高い。

コンパニヤの祭服はもちろん、エウロパ式の、寸法を合わせて作るぴったりした服を日本で着続けることは、耐えがたい苦行となる。

 

日本人は肌をさらすことに抵抗がない。これに私は驚いていた。

だが4年も暮らすと、ゆるい木綿のキモノをだらりと身にまとっているこの姿が、いちばんくつろげることを実感せざるを得ない。

これは、やむを得ぬ順応なのだ。

 

太陽の運行はエウロパと変わらないから、春分・夏至・秋分・冬至を基準とした四季は、日本にだってある。

しかしこの他に、並々ならぬ対策を強いられる、危険な季節も存在する。

まず春と夏の間に、長雨が降り続く時期がある。

シモではナガシ、キナイではツユという。

じめじめした、気の滅入る日々が2週間あまり続く。

 

夏と秋の間にも、西から東へ向いて何度も襲いかかってくる暴風雨の季節がある。ツフォンなどと呼ばれる。

この風のおかげでアマカウからシモへの定航船がやってこれるわけだが、ツフォンに直撃されると大型のナウでさえ粉微塵に砕け散る。

日本を去るときは、冬季到来する北風を待つことになるが、これがまた凍てつき肌を刺す。

さすが世界の最涯てにデウスが創りたもうた、最終決戦にふさわしい舞台といえよう。

日本が1500年も人跡未踏の地であったことも納得である。

人間の来るような島ではない。悪魔しか、ここにはいない。

だがしかし、私たちは訪れた。

来て、見た。あとは、勝つだけだ。

良き結末は、すぐそこだ。

戦い抜こう。アーメン。

 

 

ミヤコより、1週間くらい北東へ進む方角に、オーミと、ワカサ。

その先に、エチゼン、カンガ、ノトという領国が連なって、海へ出る。

ノトの先に広がる海は、荒く、そして、冷たい。

外界に開かれており、魚も大きくて脂がのっている。よって古くから海産物が塩蔵されて、ミヤコへ運ばれてきた。

豪雪地帯であるため果物の甘味が強いなど、とにかく食の豊かさで知られる。

全体としてはクヌカとかホッコクと呼ばれるこの地域は、戦略的観点からも決して無視できない存在感を秘めていたわけだ。

この中央に、カンガ国が腰を据えている。

昔はここも、ダイリサマより任命された領主が治めていた。しかし数十年前、坊主に乗っ取られた。

今では東隣のエチュウ国までが坊主の支配下にあり、海産物の収益から得た経済力を武器に換え、周辺諸国を脅かしている。

宗派は、イコ宗。

こいつらの本拠地は、ツノ国のオーザカ。

ミヤコを中心に、これだけの広い範囲が、やつらの勢力圏だ。

 

 

十字架発見の日。

オーミ国から、東将ヨシアキが逃亡した。

迫り来るミヨシ大軍勢におそれをなしたオーミ領主ロカクに、裏切られたかららしい。

ヨシアキは数名の従者を連れて、これから雪が降ろうというのに、北へ、北へと向かった。

 

現在はエチゼン国領主のもとに匿われているという、もっぱらの噂。

ここでカンガ国より手を差し延べられたら、ひょいっと駆け込んじゃうよね。

というのが目下の情勢です。

トマスぅ。

一番やばい方向に進んじゃってないかね。なんでこうなっちゃうんだ。

実情を探るべくトマスは行商人を装って、カンガへと出立した。あ、行商は本業か。

近頃は国境や領内の門衛にも、テッポウで武装している者があると聞く。

くれぐれもと無事を祈りつつ、気が気でならない。

 

この状況では、14代クボウサマは西将ヨシチカ殿に決まりだな。

しかし誰しもが納得する形で迎え入れられそうには、ない。

 

まず本来クボウサマとは、ダイリサマおよびミヤコの防衛を主任務として、受け継がれてきた要職のはずだ。

そのための実力が、まったく伴っていない。

この点では、13代目だってミヤコを離れて何年も逃げ隠れていた時期があるらしく、ミヤコ市民からも、ダイリサマからさえ、すっかり愛想を尽かされていた。

 

政変で13代目が殺されたあと、ミヨシ家が新クボウサマになろうとした。

実力でいえば、これほどの適任者はいない。

しかし大ミヨシドノの死が秘匿されたまま、内紛がこじれにこじれた。

政権はアシカンガ家の末裔、アワ島のヨシチカ殿が引き継ぐことになった。

ヨシチカ殿はミヨシ家との縁も深かったから、これはギリギリの妥協点ではあったはずなのだ。

 

しかし今、大ミヨシドノの死は公表され、新たにミヨシ家をまとめるのは誰かという議論が可能な状況になっている。

大ミヨシドノの息子はいまいち存在感薄いが、フィウンガ殿と共闘宣言を行ったから、このまま進めばかれらが中心勢力となるだろう。

こうなると、やはり新クボウサマは、ミヨシ家へ移管させるべきではないのか。

大王となる素養も心構えもなかったヨシチカ殿を持ち上げる理由など、どこにあるのか。

という話になっていくわけである。

 

ミヨシの兵に頼りきっているだけのヨシチカ殿。

その命を獲ることは、容易い。

問題はむしろ、東将ヨシアキがまだ生きていることにある。

ヨシアキがカンガのイコ宗と結びつく前に、その命を奪うこと。

これがミヨシ家の最優先課題である。

そのあとヨシチカを退場させ、ミヨシ家が覇権を掌中におさめる。

エチゼン領主が、匿うフリをしてヨシアキの首をとり、ミヤコへ持ってくれば、今年のうちに問題は片付くし、戦火も上がらないだろう。

これは私の考える、最良の筋書きである。

トマスは最悪を想定するが、僕は明るい未来を思い描きたいものだ。

その方が、ご飯だって、おいしいもの。

 

 

しかし状況は動かないまま、トマスも帰ってこないまま、降誕祭を迎えた。

サカイ周辺はひとまず戦の心配から遠ざかっているが、オーザカの蜂起、あるいはソウダイが動き出すことを警戒して、まだ幾分の兵が市外に陣を張っている。

その兵士たちから、是非にと呼び出された。

私は教会をダミヤンとモニカたちに任せて、出かけていった。

 

陣場に使っているテラへ案内されると、そこには色とりどりの飾り付けがされ、ミヨシ家の各部隊ならびに近隣領主の兵まで70人ほどが集まっていた。

旗は様々なれど、全員がデウスの信徒である。

降誕祭を祝うべくこっそりと酒食を持って集まり、今夜だけは一晩心ゆくまで笑って過ごそうと、誰かが言い出したらしい。

そして、パードレも呼んでこい、という話になったのだそうだ。

私は、兵士たちに一番人気である士師サムソンの物語を、一人芝居で演じてみせた。

 

こんなこともあろうかと、鞭も持ってきておいた。

久しぶりだ。いい音がする。

私も四つん這いになった。

脱ぎやすい服を着ていて、よかった。

 



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SengokD.1567/001.hmos

サンティアゴ殿より招かれ、サンガ城へ行ってきた。

 

サカイの教会は当面、ダミヤンに任せる。彼はイルマンになることを志望しており、統率力も悪くない。

しばらく一人きりにさせてみて、何一つ悪い気を起こさないようだったら、信用しよう。申請は出しておこう。

 

サンガ城の聖堂施設は3年前、サンティアゴ殿が棄教を迫られ、隠居したときに破壊された。

だが復帰したので、あらためて、もっと立派なものに再建しようとしているところだ。

ひとまず新聖堂が完成したので、それを見せたかったという。

会堂、香部屋、住院などは建築中だが、意見があれば直してゆくので、城内に滞在しながら見て回られたしと。

ここまで手厚くしてくれる領主は、ドン・バルトロメウ以来ではないか。

サンティアゴ殿と、続けて息子のマンショ殿が、ゆくゆくカワチの王となり、キナイを制する人物となることを、デウスはお決めになっているはずだ。

私にはそれがはっきりとわかる。

トルレスに、物資とくにサリートリをサンティアゴ殿へ贈られたし。そう要請しておこう。

 

 

サンガ城の兵はこの1年間でかなり入れ替わりがあった。私は連日、説教と講義に明け暮れた。

従僕を2人連れてきていたが、もう数人、欲しかったな。

ここへ、トマスがやって来た。

エチゼン国へ偵察に行ったまま消息を絶ったので心配していたが、食事が美味すぎてなかなか立ち去りがたかったのだという。

サカイの茶器が思いのほか高く売れ、そのカネが無くなるまで遊んでいたそうだ。

バカタレめ。

 

最近、兵士の間では、腕に刺青をするのが流行っている。

3本の釘やクルスなどの図形だったり、INRIなどの文字だったり。

一生消えない。これこそが永遠にデウスの信徒であることの証である。

ちょうど城に彫師が来ていたから、トマスもやってもらったらどうかと勧めた。

彼はコンパニヤの紋章を刻んでもらってから、サカイへ戻っていった。

私はもう少しここにいるからとの伝言を託した。

 

 

長居していたのは、政治工作のためでもある。

かつてヴィレラが、西将ヨシチカ殿への謁見を試みたが感触はいまひとつで、それきりになっていた。

ダイリサマによる追放令は出されっぱなしで未だ有効だが、この取り消しをいかに進めていくべきか。

サンティアゴ殿も必死で考えてくれている。

 

私は、西将も東将も退場させてミヨシ一族がクボウサマになればよい、という案を披露した。

一笑に付された。

ミヨシ家の内部は未だに紛糾を続けており、その見通しは絶望的だという。

13代クボウサマを暗殺した三人衆。

大ミヨシドノの継嗣サキョウ殿および、智将のフィウンガ殿。

西将と共にツノ国へ上陸した、アワのミヨシ一族。

大きなところだけでも、この3派が互いに譲り合わず。

東将ヨシアキをエチゼンへ追い詰める作戦すら、まとまらなくて動き出せないでいるのだそうだ。

 

ミヨシ大軍勢をひとつに束ねるには、強力な家長が必要。

大ミヨシドノ亡き今、仮にその役を務められるとしたら、皮肉にも

「弾正殿をおいて他にいない」

という驚きの答えが返ってきた。

 

サンティアゴ殿もまた、ダンジョウドノすなわちソウダイを尊敬する一人である。

彼の実力を認め、その恐ろしさを知り抜いている、とでも言った方がよいかもだが。

ソウダイを家臣にしていなければ大ミヨシドノがここまで強大な権力を有することはなかっただろう、とまで言う。

兵の扱い。決断力。情報分析と交渉の巧みさ。

そしてダイリサマや坊主各宗派へも影響力を持つ政治家として

「弾正殿ならば天下を治められる」

とサンティアゴ殿は語る。

 

だがしかし。

一代で城を築くまでに出世したソウダイには、ミヨシ家のような一族を構成するほどの身内がいない。

一方でミヨシ家には同じ一族でなければ対等に認めない風潮も強く、大ミヨシドノはソウダイによって殺されたのだぞ、と復讐心に燃える者も少なくないという。

「本当に弾正殿が殺したのなら、後々のことまで全部段取りしてから、もっとうまく殺ってますよ」とサンティアゴ殿は嘆息する。

たしかに、そうかもしれないな。

 

サンティアゴ殿は、3派のうちいずれかの将との交渉に、私を連れてゆくつもりでいた。それに合わせて準備だけして待っていた。

しかし、どうも調整がうまくいかなかったようで。

いずれとの謁見も、しばらくできなさそうな流れになった。

私は、サカイへ戻ることにした。

 

 

戻る前日、こっそり、ナラを観光した。

城の家臣数名に案内され、脅えながら訪れたナラは

雪のせいか、とても静かで

インヘルノらしからぬ趣だった。

 

鹿の姿をした悪魔が、いっぱいいた。

野山以上に、夥しい鹿が、街のいたるところを我が物顔で歩き回っている。

家臣たちは、餌をあげていた。

脅えて逃げ回る私を嗤いやがった。

なぜ君たちは平気なのかね。まだまだ、信仰が足りないぞ。

 

石風呂という興行をやっていた。

蒸気で満たされた室内に半時間ほど座り、垢を落とす。

ふらふらになって出てきたあとで、熱い茶を飲む。

とても気持ちよくなる。いい体験だった。

男女皆丸裸で入り、性器を見せ合う作法は道徳的にけしからんと思うが、収容人数と回転数の都合もあるのだろう。

苦言を呈すのは控えた。

 

教会関係者には、くれぐれも内緒ですよ。

だから従僕も連れていきませんでした。

こんなの口止めできるわけがない。

 

こわかったけど、また行きたい。

 



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SengokD.1567/002.hmos

日本には、泥棒はいません。

皆無とは言いませんが、鍵の掛かってない家へ忍び込んで他人の所有物を盗んでいく行為は、稀です。

 

鍵という道具そのものが普及してませんし、家の中だって部屋の仕切りは簡単に開け閉めできる木と紙でできた扉だけです。

音も漏れまくり。

人々は何の隠し立てもせず、身も心も裸同然で触れ合うことに慣れています。

それでいて、けっこう高度な文明も持つ。

ふしぎな王国です、ニッポン。

 

この謎が、滞在5年目にして、徐々に、理解できてきました。

 

まず、家の中でもおしゃべりが筒抜けのことから。

日本人は、これに慣れてます。

しかし、秘密を持たない人間なんてありえない。

アダンとヱワの子孫である私たちすべてが背負っている原罪は、日本人にも課せられているのです。

経験を積み重ね、責任やしがらみを多く抱えていくほど、人は他者の前で口に出せない秘密を増やしてゆくものです。

日本人はこの問題を、奇妙な形で解決しました。

 

かれらは常日頃から、本心を口に出さない。

 

これなら聞かれてもなんの支障も無いという理屈です。

日本人は位が高くなればなるほど人前に出なくなり、語らなくなり、一切を部下に任せて、ますます素顔を見えにくくさせるという傾向があるようです。

思うままに言葉を紡ぐよりも、熟慮した語句を選んでなるべく少ない字数で文章を著す習慣なども、これと通じる気がします。

 

他人には常に愛想よく接する。

納得いってなくても「わかりました」と答えて、先生を困らせるような質問はしない。

わかるまで何度でも訊きなさい、と教えるエウロパの流儀とは正反対です。

ハキハキと、理解できましたと答え、完璧に暗誦してみせる。すごい、すばらしいとエウロパ人は感動します。

この誤解に気付くまで、5年もかかりました。

 

泥棒がいない話に戻ります。

日本人は、泥棒するという行為をきわめて重大な犯罪と見做します。

現場を見つけられれば、裁判など不要。即刻殺されても当然である。

実際、役人はその場で盗人を斬り殺す権限を与えられており、一般の町人ですら、泥棒だと叫ばれながら逃げる男が現れればよってたかって取り押さえ、殴り殺して構わないとされます。

実際に、何度か見ています。

悪党をやっつけた民衆たちの爽快な笑顔に、素直に感動を覚えていました。

真相は、犯人が殺されているので、わかりません。

事件が解決したあと、遺族は町から追い出されるのが普通です。

泥棒など、存在しなくなるわけです。

 

しかし、貧乏は世の常。

支出は必ず収入を上回る。

さて、どうするか。

余裕のある時に買ってあった着物や、装具などを売る。コメに換えてもらうわけですね。

損な取引になりますけど、背に腹は替えられません。

子供を売るという選択肢も常態化しています。

男の子なら5歳児まで、女の子なら10歳前後が人気あります。

乳幼児は引き取り手がいないので、適齢期までは育てなくてはなりません。

専門の商人がほうぼうの町を渡り歩いて「そろそろこの子売り時ですよ」と声を掛けて回ったりなどもしているようです。

教会へもたまに、品定めをしに来ますよ。

すぐ追い払いますけど。

 

単純に、借金をする道もあります。

町の酒蔵商はほぼ金融業も兼ねており、当座のカネを用立ててくれます。

利息は、3割から5割といったところでしょうかねえ。

返せなくなると、着物や子供を取られていきます。

それもなくなると、残された道としては、夜逃げ、あるいは、領主への陳情。

 

陳情もまた、日本ではごくありふれた習慣です。

定式があります。

余裕があるうちに、行動します。

直前まで借りられるだけ借りておき、そのカネで貢ぎ物を揃え、代書屋に頼んで領主への嘆願書を作成してもらいます。

これらを持って、申請に赴きます。

役人は貢ぎ物を受け取り、当の酒蔵商へ、借金の全額取り消しを命じます。

よほどのことがない限り、三方丸くおさまります。

 

町人は、借金も利息も払わなくてよい。

役人は、善を施したと御満悦。

酒蔵商は、普段さんざん儲けてますから懐が痛むわけでもなく、貧乏人の所帯を破壊し再換金する手間から解放される。

よくできたものです。

 

さて、ここからは、私が直面している苦労話になります。

追放令にも、どころか、布教許可状にも絡むのですが。

為政者へ何かしてもらうには、手順があるのですね。

 

まずは、貢ぎ物を用立てます。

為政者は、陳情者がどれほど困っているか、不遇に耐えているか、そうなった原因は法に照らして正当なものだったのか否か、といった問題に基本、まったく関心がありません。

まずは貢ぎ物を見る。

その量と価値を計算する。

それから、おもむろに、お前は何をしてほしいのだ?と話を聞いてくれる。

陳情者は要望を伝える。

為政者は、貢ぎ物に応じた書類を作ってくれる。

以上です。

よほどのことがない限り、それまでです。

 

追放令は、ダイリサマによって出されました。

それを望んだ者が、それなりの貢ぎ物をして、出してもらったということです。

これを取り消させるには、かれら以上の貢ぎ物を持って行かなくてはならない。

どれほどでしょう。

これを調べるのにも、おカネがかかります。縁故も必要です。

日本人は表情を見せません。ダイリサマともなれば、なおさらです。

なんの成果も無いまま、支出はかさむ一方です。

シモから届く活動費と、貴重な献上品の数々。

これらが、見る見る、無くなっていきます。

底知れぬインヘルノへ堕ちていく気分を味わっています。

 

認めたくないものだが、認めざるを得ないでしょう。

ヴィレラは、こういった交渉を、クボウサマと、何年もやってきた。

何はなくとも年始には必ず訪問し、貢ぎ物をして、食事さえふるまわれ、今年もよろしくお願いしますと、存在感を示しておく。

カネと献上品は自分だけで管理し、私には見せもしなかった。

 

クボウサマが斃れ、ダイリサマに追放令を出されたことは、ヴィレラがこれまで築いてきた全てをぶち壊しにするものだった。

どうすればいいのか、奴なりに必死で考えたことと思います。

もしかすると、ロレンソや、ディオゴ殿や、モニカにさえ、泣きながら相談をしていたのかもしれない。知りませんけど。

 

ああそうさ。私は何も知らなかったよ。

やっと5年もかかって、ここまでわかったことだよチクショウ。

そしてヴィレラは、私への引き継ぎも、有力者への紹介も特にせず、あとは勝手にやれという態度でそそくさとシモへ旅立ってしまい、今は悩める同朋たちに日本病などという名前をつけて、さぞや羽をのばしていやがるのだろうなあクソッタレめ。

 

 

聖週へ入った途端、またサンティアゴ殿に呼ばれて、サンガへ来ました。

ありったけの貢ぎ物を用意するよう言われて、持ってきました。

西将ヨシチカ殿の側近だとか、ダイリサマの筆頭家臣団だとか、いろんな人と対面しました。

皆さん、熱烈に私を応援してくださるのですが、結局またもや、謁見の日取りが組めないまま、私は一文無しになりました。

 

復活祭まではここにいますが、もう、来たくない。

貢げる物、残ってないもの。

なんなんだよてめえら。身ぐるみ剥ぐために私を呼びつけたのか。

 

日本には、泥棒はいません。

そんな生やさしい者はいない。

 



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SengokD.1567/003.hmos

イイモリおよびサンガ城は、サカイ・ミヤコ・アマンガサキ・ナラの4点を結ぶ中間点付近に位置する。

信徒が集まるのにも、地理的にちょうどいい。

 

もちろん軍事施設だし、市街地からは離れているので、普段は近寄ることさえ許されない。

だが城主サンティアゴ殿が各地より貴人を招き、招かれた貴人が近所の信徒を何人も連れてくる。

大いに復活祭を祝いましょう。パードレもいます。と宣伝する。

サカイではできないヂシピリナも、盛大にやれる。

こうなると人が集まってこないわけがない。

この流れは止められない。

まるで、戦場だった。

 

主日までの辛抱だ。それが終わったら帰るんだ。もう二度と来てやるものかと歯を食いしばって、説教を振るい、鞭を読み上げる。

断食していては体力が続かないので、出されるものはすべて食べる。

私は心と体を蝕まれている。

サンガ病だ。

御主も、お赦しになるだろう。

 

そんなところへ、仰天の知らせ。

 

 

確認しよう。

ミヨシ家は3派に分かれていたが、ひとまず休戦した。

東将ヨシアキを成敗するべく、共同戦線を張った。

ナラに追い詰めたソウダイとの決戦はひとまず先へ延ばした。

サンティアゴ殿は押さえ役として、サンガ城で四方に睨みをきかせている。

さて、このあと。

ミヨシの家が、また、割れた。

 

昨年、フィウンガ殿とサキョウ殿が同盟を結んだ。

サキョウ殿は大ミヨシドノの世子だが、一家をまとめるほどの器量は、残念ながら無いらしい。

この男が、あろうことか、ソウダイと手を組んだ。

は?

ナニシテクレチャットンノヤオンドレ。

 

こんな宣言をしたらしい。

「弾正殿は、三好家をここまで大きくした父に仕えた、忠臣である。

これからの三好家にとっても、なくてはならない存在である。

前・公方様を卑怯な騙し討ちで惨殺し、京を混乱と恐怖に陥れ、今なお弾正殿まで亡き者にしようと欲す三人衆こそ、悪逆非道の大罪人なり。

私は三好家を正しく立ち直らせるべく、ここに立ち上がったことを、神に対し誓う」

 

サンティアゴ殿はすぐ会議を始めて、戻ってきません。

どこまで知っていたのだろう。

次はどっちに就くつもりかしら。

サキョウ殿の統率力がいかに低くとも、ソウダイが知恵を貸すとなると、案外、粘りそうですよね。

三人衆側に愛想を就かしていた軍勢からは、サキョウ側に寝返る輩も出てきそうです。

ソウダイほどの老獪なら、あくまでサキョウ殿を表に立てつつ、裏ですべての実権を握るかも。

それくらいのことは、たくらんでいるでしょう。

東将ヨシアキがどう動くかも、計算づくではないかしら。

 

信徒たちは、私以上にどうしていいかわからず、途方に暮れている。

私はモーゼの苦難を例にとり、御主を信じて、道を踏み外すことなく、まっすぐに歩み続けていましょうと教える。

具体的には?と訊かれると困ってしまう。

とりあえず、ご飯を食べましょう。

疲れたら、睡眠をとりましょう。

汗を流すのも、良いことです。

ヂシピリナは、悩みすぎた頭をほぐすのにも、効果があると思います。

 

 

翌日。

情勢が落ち着くまでサンガ城に留まるべしとサンティアゴ殿から言われ、承知する。

宿泊費は払えませんよ。もう、すっからかんなので。

かまわないそうです。

なら、居座れるだけ居座ってやれ。

食事も、もりもり食べてやる。

 

サンティアゴ殿の表情から、何か探れないかなと注意してましたが、読めませんね。

さっぱり、このおじいちゃんが何を考えてるのかなんて、わかりません。

表情は豊かだし、気前は良さげなんですよ。

いつも私は、彼の優しさに騙されます。

でも肚の底で何たくらんでるかわかりゃしない。

悩み始めるときりがないので、今日も体を動かしましょう。

 

家臣の兵たちは、来客の一般人も城内にいるというのに、訓練に余念がありません。

大声が聞こえます。

銃声も止みません。

河に向けて射つので、魚が獲れます。

アシガルたちからも時々コンヒサンを求められます。

人を殺せる自信が無い、など素朴な悩みが多いです。

業務だと割り切りなさい。猪か猿だと思って斬りなさい。それでも夢に出てくるようなら、また来なさい。

私は赦すのが仕事です。そう言って、送り出します。

 

昨日の友が、今日の敵に。

つらいことです。殺していいのか悪いのか。

その場で考えてる余裕なんて、ないんだからね。

だからイエズスのしるしを、大きく身につけておくべし。

あ、味方だ!と気付いたら、すかさず自分のしるしも見せる。

大いに、戦って見せましょう。

オヌシナカナカヤルナ!!と讃え合って、別れましょう。

 

みんなが信徒だと、戦争なんて、起こらないのですけどねえ。

どんな敵とも、明日には友になれるかも。

素敵だと思いませんか。

残念ながら、戦場へ行ってからでは、説教する余裕、無いですけどね。

 

 

錯乱する情報の中、こんな噂も。

ナラで戦っていた兵士が、鹿を撃ち、陣へ持ち込んで、鍋で煮て食べたそうです。

ナラの市街地を自由気ままに歩いている鹿はカミの化身とされており、「いくらヨソから来て知らなかったとはいえ厳罰に処すべきだ」と坊主どもが怒っているのだとか。

その兵士はイエズスのしるしを付けていた。

パードレ、どうしましょう?

という相談事として、この話を聞きました。

 

捕まれば、重罪でしょう。

私の前まで来て、コンヒサンをするなら、赦してあげましょう。

助かりたければ、逃げてきなさい。

でも私だって、ただでは赦しませんよ。

 

悪魔の肉を食らうなど!!

二度とやってはいけません!!!

 



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SengokD.1567/004.hmos

白衣の主日を迎えてから、サンガを去りました。

 

サカイへ戻ると、心配されていて、いろいろ聞かれましたけど。

正直、私が戻らなくても、特別困ることは何もなかったようです。

 

信徒や従僕にとっても、私より、日本人のダミヤンの方が相談しやすいみたいだね。

復活祭はとても楽しかったよ、なんて空気を感じました。

悲観主義に過ぎますかね。ひねくれてますかね。

 

おカネがない。

次の仕送りまで、どうやって食いつなごう。

この不安が、どんよりと私の心に覆い被さっています。

そのせいか。このせいですね。

貧乏が悪いんだ。

私を貧乏にさせたのは誰だ。サンガへ来てた連中だ。

ああ思い出すと肚が立ってしようがない。むしりとりまくりやがって。

もうビタ一文残ってないぞ。

とれるもんならとってみろ。

 

私は考えました。皆に、こう提案しました。

私たちは恵まれすぎていないか。

街の外には戦火が拡がっている。家を焼かれ、親や子とも離ればなれになり、日々の糧にもありつけず、あちこちに転がる死体の中をさまよい歩き、それでも悪いことを一切せず、懸命に生きている人々が大勢いる。

清貧とは、かくあるべしだ。

私たちも、倣わねばならない。

徹底した倹約を厳命しました。ぜいたくは敵です。

削れるものは削るべし。可能な限り削り抜け。不可能を可能にせよ。

おお美しい。

清き貧しさとは、どんな無理をしてでも、手に入れるべき尊きものであると知れ。

 

 

ペンテコステに、またサンガから呼び出しを受けました。手ぶらで行きました。

堂々たる態度で臨みました。

失うものが無いって、こんなにも、強くなれるんですね。

今年の初めに戻れるならば、戻って私に教えてやりたい。

あの日の私からすべてを奪い、目を覚まさせてやりたい。

奪ったぶんは、今の私が大切に保管します。

日本人どもにくれてなんかやるもんか。

 

ナントカいうおエライさんが、サンガ城で待っていました。

宗論をしました。

ナントカ殿はデウスのことを全く知らず、初歩的な質問しかしてきません。

しかも、偏見による先入観で頭がガチガチです。

人肉なんて食べるわけがねえっつってんだろーがよ。

 

他にも、テンジク人は草木に触れるだけでそれを枯らす、なんて噂が流れてるみたいですね。

おもしろい。この国は雑草だらけですから、私たちにそんな力があるなら庭師として雇ってはいかがですか。

残念ながら、そんな奇術はできません。

坊主どもの方がよっぽどこの国の何もかもを腐らせる大破壊者ですよ。

あいつらを酒蔵で煮詰めれば、さぞや強力な除草剤がつくれるでしょう。原料も豊富ですから、ぜひ事業化してください。

 

聖書に示されている奇蹟を起こしてみよ、とも言われました。

奇蹟は、見世物ではありません。

聖人と、信徒たちのヴィルトゥスがその場に満たされて、初めてデウスがそれを顕現なしたまう。

これが奇蹟です。

あなた本当に何もわかっちゃいないですよ。

 

腹だけはなんとか満たして、サカイへ戻りました。

従僕は今や2人しか残っていません。

かれらの筵をかけ直してやり、洗い残しを片付けて、私も筵へくるまります。

サンガではずっとこらえていたのに、涙が、涙があふれてきてしまう。

 

 

さいきん夢によく現れる、謎の物体があります。

 

最初は、また天使かと思いました。

話しかけると、応えました。

私は、救済を請いました。

 

しかし、どうも、天使ではない。

そのうち、もしかして、堕天使が私を誘惑しに訪れたのではないかという疑いも湧いてきました。

でも、それにしたって、謎なのです。

 

((( フロイスよ。

私は君に、これだけしか求めない。

よく食べ、よく眠り、よく考えよ。

あとは好きにしていいから。)))

 

物体よ。私は食べたい。

しかし、カネが無い。

私は眠りたい。

しかし、寝つけない。

よく考えている。人並み以上に考え抜いているつもりだ。

それでも足りないと言われるのか。

 

((( 生命維持に必要な量と質を満たしていない。

特に人間の脳は、酸素と水分の供給を一瞬も休ませられない上、その消費量は肉体全活動分の1/5に相当する。

これに加えて、私は君からエネルギーをもらっているのだ。

今のままでは私が困る。

だから、お願いをしている。)))

 

物体よ。よくわからない言葉がいくつも出てきた。もう一度たのむ。

 

((( 簡単に言い直そう。

食費をケチるな。

そのために考えろ。

考えて実行しろ。)))

 

物体よ。

君は私に命令をしているのか?

いったい何の権限で?

 

((( 私は君の体内にいる。

君はすでに死んだ。

私がその崩壊を食い止めている。現在もだ。

だから私は君に命令する権限を持つ。

納得するか? )))

 

……ひとつずつ、確認をしたい。

君は私の体内にいる?

どこにいる?

 

((( 首の後ろ側だね。延髄と脊髄の境目あたりに潜り込んでいる。

私の本体はマイクロ・ベータカプセルといって、君の中指くらいの大きさだ。

理解しなくていいから、納得してくれ。)))

 

……ますます、わからなくなった。

マイクロ?

いつ、私の体に入ったんだ?

 

((( 君たちの暦でいうなら、1563年11月3日ということになるかね。

ところで、この流れだと君は質問をし続け、私は延々と答え続けなくてはならなくなる。

君の理解は求めていない。要点だけを伝える。

私は、いつでも、君の脳を制御できる。

同時に、肉体すべてもだ。

思考の一部だけを切除することも可能だ。

君は、これに逆らえない。よって、君は私に絶対服従をするしかない。

しかし、私はそれを望まない。

私の活動維持、およびその意思を邪魔しない限り、君は君の好きなように生きたらよい。

だから最低限の要求だけを行う。

食って寝ろ。

以上だ。)))

 

ま、ま、待ってくれ、物体。

 

((( その一般名詞は混乱を生じる。私を呼ぶなら、今後は、ウルトラと呼べ。)))

 



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SengokD.1567/005.hmos

ミヤコに住んでたコスモくん。

ある日、神隠しに遭いました。昨年の春先でしたかね。

なんだかすっかり大人びての再会に、びっくりしましたよ。

 

自宅へ戻ってからのコスモくんは、急に頭が良くなり、礼儀正しくなっていました。

末は博士か大臣かと、ご近所からも注目をあつめ、美しいお嫁さんをもらって、職人への弟子入りも決まって。

信徒であることは隠しつつ。いつか皆の目を覚まさせようと虎視眈々、時期を窺っていたわけです。

 

ある日、肌身離さず大事にしていたコンタスを、父親に発見されます。

大騒ぎになり、家族はコスモくんを、ツノ国のテラへ送りこみました。

コスモくんは1年間幽閉され、フォッケ宗坊主どもの洗脳を受けます。

 

しかし、デウスの教えをたったの3日で修得したコスモくんです。

幼少期からフォッケ衆の手口は見てきました。いまさら、そんなものに惑わされるわけもない。

意気揚々と実家へ戻ってきて、自分を導くものはイエズス・クリスト以外にいないことがますますよくわかったと言って、妻と家族に宗論を挑みます。

ああ。私も援護したかった。

追放令さえなかったら。一も二も無く、駆けつけたのに。

 

しかしフォッケ宗の呪縛から抜け出せぬ憐れな家族を説伏することは、針の穴に駱駝を通すよりも難しいことでした。

自己の力不足を嘆くコスモくん。弟に相続権を譲ることを言い遺し、家を出ます。

そしてサカイの教会へと、着の身着のまま、やって来たわけです。

どんなことでもするので置いてください、と頭を下げるので

どんなことでもしてくれるのだね?と念を押した上で

従僕になってもらいました。

 

ちょうど最後のひとりも逃げ出して私とダミヤンだけになっていたところなので、これで負担が減ります。

3人で、交代だからね。

私だって同じ雑用をするんだからねと誓い合い、新体制で臨みます。

もうすぐトマスが、シモから戻ってくる。

いまは補充要員はいいから、とにかくおカネがほしい。

ディオゴ殿への借金も返したいし、原則無料の結婚式や葬儀だって、それなりの寄付をしてくれる信徒にしか、してあげられないのを、改善していきたい。

そんなトマスを待ちわびつつの、結成式でした。

 

 

トマスが戻ってきました。

 

一番悲しい報せが、もたらされました。

イルマン・フェルナンデスが、天へ帰りました。

昨年から、病気が重かったそうです。血も、吐いていたとか。

パードレたちが日本病で苦しむ中、彼へのしかかる重圧も、相当のものがあったでしょう。

宿願だった日本語辞典は、完成していただろうか。

トマスは、苦笑します。

寝そべって字を書くことすらもできなくなっていたあの体で、そんな仕事に取り組めていたとは到底、考えられないと。

 

ああ。

何もかもが。奪われていく。失われていく。

私たちの目の前から消えてゆく。

あとかたもなく、壊されてゆく。

いったい何がお望みなのですかデウスよ。私たちに、いったいどれほどの苦難を与えられるおつもりなのですか。

せめて初級編から進めさせてくださいよう。

あんまりです。

あんまりにも、ほどがあります。

 

 

今日のお粥は箸が立つよ、と

それでもデウスへ感謝しつつの

よもやま話。

 

本年、海難はなかったものの、新規パードレは来航せず。

船は、コチノスへ入港した。

ファクンダは、実は西風に無防備で、決して良港ではないのだそうだ。

コチノスも、水深が浅くて干潮時に船が傾くという。

船員からは、フィラドへ戻せないのかと、年々不満が強まっている。

僕にはもう、どっちでもいいけどねえ。

フィラド、そんなに、悪くなかったと思うよ。

そもそもなんでフィラドを嫌ってたんだっけ?

 

ああ、領主が我々を毛嫌いして追い出したことがあったんだっけ。

へえ。今もヴィレラはフィラドへ出入禁止なの?

うん。聞いたことある気もする。

僕が来日するより前、ヴィレラがフィラドで、信徒の家にあった仏像や仏具を全部持ってこさせて、海岸で盛大に焚火して肉を焼いて、お祭り騒ぎをしたとか。

それで怒られて、反対運動に発展して、教会が一度、壊されたって。

 

そんな古い話にいつまでもこだわってないでさ。

ヴィレラ一人が悪いんだから10年くらい牢に入れるとか強制労働させるとか適当な罰を与えてさ。

それで仲直りすればいいじゃないか。

そんな風に、みんなが幸せになる解決法を、考えようよ。

 

一方、アリマ領・オオムラ領では信徒が増加中。

村ぐるみ、町ぐるみで全住民が受洗した地区も少なくないという。

日本病に耐えながら、シモのパードレたちは一日も休まず、巡回して説教にいそしんでいる。

だからキナイへは人を送れない?

最近、成績が急激に低下しているじゃないかだって?

それトマスがチクったろ。

それともダミヤンが報告したか?

パードレが足りないから信徒も減るんだよ。因果関係が逆だよ。

カネ、それからヒト。

これなくして収穫はありえないよ?

表面的な数字だけを見て語ってほしくないものだね。

僕が担当じゃなければ、もっと悪くなっているだろうよ。

 

昨年アルメイダが手こずったゴトウでも、今年は信徒が急増中。

シモ島より40レグワ南に浮かぶ島々。それほど大きな町も港もないが、日本とチイナの国交が盛んだった時代には、重要な中継地だった。

住民は、商売と異国人の扱いに慣れている。

アルメイダは、領主も家臣も交易の利益ばかり話題にして不愉快なので洗礼をしなかったというが、これは彼なりの負け惜しみだったみたいだ。

担当替えした途端に、島民が続々信徒になった。

今ではゴトウ担当を希望する者同士が、足の引っ張り合いさえしているとか。

よほど、旨味が大きいのだろうな。

 

「そうだな。たとえば、五島なら肉が食い放題という理由も大きい。島には鹿が沢山おって、住民はよく狩って食っておる。ここで三箇月も暮らせば、日本病も治る。治ったら交代、というところだ」

 

へえ。ナラの鹿は食えないけど、ゴトウでなら、食べていいんだ。

ねえ。明日は久しぶりに、お肉を食べないかい?

トマスぅ、調達してきておくれよ。

 



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SengokD.1567/006.hmos

刮目せよ、諸君。

とうとう世界終末戦争が始まったぞ。

 

新約聖書の最後を締めくくる、使徒聖ヨハネによる黙示録。

ここには、来たるべき未来の歴史が克明に描写されている。

書かれたのは1世紀目の終わり頃。

時は間近い。そう言われてから1400年以上経過しているが、御主にとってはこの程度、一瞬にも等しかろうというものだ。

文章も難解で、暗喩を含む描写に満ちている。

それでも私たちは、目を反らしてはならない。

答え合わせの時間に立ち会える幸運を、尊ぶべしだ。

 

パトモス島で余生を過ごしていた、聖ヨハネ。

その眼前に天使が現れ、地上の王国が全滅する一部始終を見せつける。

あまりにも壮大で残虐で、正視に耐えぬ光景だったが、聖ヨハネは最後まで見届け、預言の書として記述した。

矛盾する表現や、一見すると数え間違いと思われるような箇所も散見される。

しかしあまりにも貴重な記録であり、一字でも加えたり省く者があれば、御主による救済は望むべくもない。

聖書の中でも特別に厳格な扱いが求められる一篇なのだ。

 

それでは、要約します。

 

御父デウスは、地上の邪悪なるすべてを破壊するため、7つの仕掛けを準備していました。

御子イエズスが、その封印を解く役目を引き受けます。

第1から第4までは、馬に乗った兵士が現れ、各々の得意とする武器を手にして、地上へ降下してゆきました。

第5の封印を解くと、かつて迫害によって地上での生を奪われた霊たちへの連絡員が登場し、かれらに今しばらく忍耐せよと告げます。

第6、第7で地上は最大級の天変地異に見舞われ、完全に破壊されました。

天使は喇叭を吹き鳴らし、勝利を宣言します。

 

前もって、144千人の信徒が選抜されていました。イスラエルの12部族から選りすぐられた童貞少年たちです。

神殿に身を潜めていました。平和が訪れたものと判断して、出てきました。

地上には、まだ、666匹の獣が残っていました。

接触篇はここまでです。

 

休憩を挟んで、発動篇。

僅かに残る地上の穀物を刈り取り、怒りの酒舟で熟成し、この葡萄酒を飲んで童貞少年たちは戦い抜きます。

天使も加勢し、ふたたび天変地異攻撃。海は血となり、大地は溶ける。

反社会勢力と獣の残党を、メギド山へ追い詰めました。

ここへ、超大激震と巨雹の嵐を御見舞いする、史上最大の作戦を敢行。

ついに、ようやく、世界中の悪を、根こそぎ退治したのです。

 

清き者のみで構成された生き残りの民は、ハレルヤを大合唱。

最後の1匹だけ生かされた蛇は、深淵へと幽閉されます。

1000年に1度だけ、ちょっとの間、解放されるそうです。

せんでええのに。

 

でも、これもまた、御主の慈しみなのでしょう。

あるいは、人間が今後も油断しないようにとの、お気遣いなのかもしれませんね。

かんべんしてくれ。

 

 

最終戦争では、当然、日本も戦場になります。もっと準備をしておくべきでした。

日本はエウロパの真裏に位置し、邪宗徒に満ちあふれている。

悪魔たちの通用門も開いている。だから最大級の激戦区となることも、わかっていた。

避けられぬ運命です。

 

聖マルチノの祝日。

ナラじゅうのテラが、焼けたとのことです。

あの、おぞましきフォトケの街が、壊滅!!

こんな嬉しいことはない。

 

イイモリ城が一時、ソウダイの兵に奪われたりなど、決して戦況は明るくなかったのですが。

いつの間にやら、ナラまで押し返していたみたいなんですよ。

私たちの信徒が最初の火をつけたのだろうか。

名乗り出てくれたら、列聖の申請も検討したいです。

 

血湧き肉躍る、圧倒的な見せ場が、このあと息もつかせず続いてゆきます。

預言書の記述通りなら

川の水が苦くなり、飲んだ人から死んでいくとか

星が落ちてきて太陽の光を遮るほどの黒煙が立ちこめるとか

イナゴの大群が何箇月も飛び回るとか

そんな災厄が、これから数限りなく、重なり合うのです。

 

雷鳴、稲妻、地震が止まず、人の叫び声も途切れない。

しかも、まだまだ、この程度、序の口。

あらすじを知っている者の強みですね。

さあ邪宗徒どもよ。悔い改めよ。

今からでも遅くないぞ。跪いて、赦しを請え。

赦してもらえるか否かは、御主の思し召し次第だがな。

ハーッハッハッハッ。

 

さて私は教会へ冬ごもりします。当分、出て行きません。

コメとツケモノの備蓄で、なんとか春まで凌ぎましょう。

144千人の選抜者には含まれてないけど、大丈夫。

いい子にしてたから、御主は私を助けてくれます。自信があります。

 

今日まで耐えてきたんだもの。絶対です。



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SengokD.1568/001.hmos

日本戦なんて、第1の喇叭が鳴り始める前に勝負がつくだろう。そう考えていた。

ナラだけは、壊滅した。

だがその後、戦火は拡がらず、雪が溶けて、春がきた。

 

春といえば、復活祭。

私は今年もサンガへ来ている。

とりあえず、ここへ来れば、肉にありつけるからだ。

サンティアゴ殿は私の到着に合わせて、獲れたての猪肉を用意してくれた。

それに見合うぶん程度の貢ぎ物は、持ってきた。

おいしい。

涙が止まらなくなるほど、おいしい。

生きてるって、すばらしい。

 

 

灰の日を過ぎた頃、西将ヨシチカ殿が正式に14代クボウサマへ就任。

名前が、また変わった。

ヨシヒデ殿になったんだっけ。

どうでもいいや。本当にめんどくさいよ、ニッポンジン。

 

東将ヨシアキはまだ生きている。エチゼン国に居座って、ミヤコを怨めしそうに睨んでいる。

トマスの予想した、カンガ国の貧乏坊主どもと結託する危険は、ひとまず無さげだ。

理由は、エチゼン国の方が住みやすいから、だろうって。

なるほど。単純明快。

 

 

サンガで、ワタ殿という貴人と知り合った。

私は、日本人を正しく評価する方法を磨いている。

その基準で、この男を採点する。

 

日本人は、すぐ、オベンチャラをつかう。

相手をほめちぎり、自分のことは卑下し、勉強になりましたとか目が醒めましたとか、お愛想を重ねる。

こんな私ですが精一杯頑張りますと、ひれ伏してまで活動資金をせがむ。

感極まった芝居で哀れを誘い、信頼させるのが定石だ。

そういうゴクツブシを撥ねのけるには、質問を積極的にしてみるべし。

私の説明を、あなたがちゃんと聞いていたのなら、ついさっき語ったばかりの話をまったく覚えていないなんて、ありえない。

わざと途中で登場人物を入れ替えてみるのも効果的です。

全然気付かれずに相槌を打たれる。

虚しくなりますよ。

 

こんな連中には、シャカの教えでも食わせておけば、じゅうぶんだ。

むしろ、シャカしか食ってないから、こんな育ち方をするのだろう。

7文字の呪文をただ一度唱えれば合格、すぐに免許皆伝という宗派もあるそうですよ。

一夜漬けすら必要ない。

あほらしくて、涙が出る。

 

さて、ワタ殿だ。

彼には、理解力がある。

デウスの教えをじっと聴き、論理的な質問さえしてきた。

日本人にしては、きわめて稀なこと。

その上で、彼は毅然と、洗礼を拒む。

 

「私は軍人であり、城主であり、様々な責任を持つし、時には嘘もつかねばならん。

なので、入信する資格を持てないと思う。

だが、はるばる天竺よりも遠くからこの国へ遣わされた客人が艱難辛苦を嘗めておられることには、甚だ心を痛める。

あなた方がこの王国で不自由なく暮らすことができ、そして、あなた方がこの国を好ましく思われるよう、また、この国の民もあなた方を尊敬できるよう、自分にできることを考えたい。

方法がわかったら、共に努力していただこうと思う」

 

驚いたね。こんな日本人もいるんだって、ことに。

 

ワタ殿は、オーミ国のコガという領地を治めている。

政治力も高い。近隣諸国との様々な揉め事を、調整によって解決してきた実績が窺える。

いちばん驚いたのは、次の逸話。

東将ヨシアキが、ナラのテラから逃げ出して、最初に頼ったのが、ワタ殿だった。

世間知らずの若い坊主がオーミ国の軍隊を味方につけ、ミヨシ一族を敵に回して次王への名乗りを上げるなど、考えたら確かに、普通じゃできない。

ワタ殿には、それだけの力がある。クボウサマも、ダイリサマさえ、動かせるということだ。

私が求めているのは、まさしく、このような人物だった。

 

 

だが西将ヨシ…ヒデ殿が勝利した今の情勢では、東将の味方はしにくい。

ここで急に東将ヨシアキを裏切ったりすれば、ワタ殿の信用も失われよう。

多少の時間をおいて新クボウサマの体制が整うのを待ち、ヨシアキ殿にも面子の立つ形で退場いただくという調整が必要である。

それと併せて私たちのミヤコ復帰も実現させよう。ワタ殿から、そう提案された。

 

ひとまずの支度金すら求めてこないどころか、困っているなら当座の資金を利息無しで貸し与えよう、返せるときまで預けておくから。とまで言われるワタ殿。

信徒となる資格がないどころか、聖人に列される資格にさえ、充ち満ちておられるのに。

何という謙虚さ。懐の深さ。

それなのに、洗礼は拒まれました。

もったいない。でも、無理強いはできません。

私は待つことにします。

むしろ、時間をかけるべきでしょう。

 

ワタ殿からは、心強い同志も紹介された。

ナラの南にサワという城がある。ここを守るタカヤマ殿が、すでに家族ぐるみの信徒なのだそうだ。

サンガ城の聖堂を模して、サワ城にも聖堂が作られている。受洗した家臣も求道中の家臣も、毎朝必ずミサを捧げているのだとか。

サワ城?

たしか、ロレンソがサカイを離れる前にも、ここを訪うべしと、私に言った。

タカヤマ殿の霊名は忘れたが、相当な実力者なのだな。

行ってみたいが、ナラの先だと、ミヨシの争乱が終結してくれないと難しいか。

 

 

サカイへ帰る途中、寄り道をした。

ツノ国の、アマンガサキ。大きな町だった。

ここにはミヤコやサカイで受洗した信徒たちの集落があって、大歓迎された。

老人や、足を悪くしていて出歩くことのできない人たちが、何十人も洗礼を希望していた。

とても疲れたが、来てよかったと思う。

 

アマンガサキではフォッケ宗とイコ宗が、いがみ合って暮らしている。

オーザカとの隣接地域にはイコ宗徒しか住んでおらず、強い殺気を伴う喧騒に満ちていた。

遠ざかるにつれフォッケ宗徒が増えていき、鬱蒼とした静けさに支配される。

コスモくんが1年間放りこまれたテラは、ここのどれかだ。

いっぱいありすぎて、わからない。

 

フォッケ宗は歴史も古く、内部で更に多くの派閥に割れている。中でもニチレン派というのが、イコ宗より過激な武装集団だったのだそうだ。

30年ほど前、宗内で抗争があり、このニチレンが大暴れした。やりすぎて他の派閥全てから攻撃され、今では絶滅寸前の状態にあるという。

すばらしい。いいぞ。もっとやれ。

 

ミヤコのシモキョウも、このとき戦場になり、私たちが住んでいた一帯もその時に全部焼けて、再建されたのだと聞いた。

驚くことでもないですね。これが日本の普通です。

ワタ殿は、ハキダメノツルです。

 



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SengokD.1568/002.hmos

ダミヤンを、イルマンに昇格させた。

 

彼は、教会の全管理を任せられる、優秀な人材だ。

本人はブンゴでの盛式誓願を希望していたが、戻ってこなくなるだろうなと思って、サカイで私が授けた。

彼にいなくなられると、私は本気で身動きがとれなくなるのだ。

待っているだけでは、カネは集まらない。こちらから出向いて、初めて、めぐんでもらえる。

私が始終出かけてばかりいるのも、そのためなのだ。察してくれ。

 

増員したことになるから、年間予算も、上げてもらえるはずだ。

ヴィレラが去ってから、減額されてたのだ。ひどいだろう。

信徒が減っていくのも当然だ。

現状維持すらままならなくなることくらい、わかれ。

 

ダミヤンよ。君にはこれから、より一層の献身と責任とが求められる。

パードレへの道は、もっとずっと険しいのだぞ。

気を緩めることなく励みたまえ。

私は大いに期待している。

ともかく、おめでとう。

 

 

ペンテコステを過ぎると、トマスがシモへ出稼ぎに行く季節だ。

ダミヤンが、ついていくことになった。

トマスが、余計なこと言うから。

 

「ダミヤンは優秀な人材だ。だからこそ、堺で留守番役に縛りつけておくことは、長期的に見てよろしくない。

豊後や、大村、有馬、平戸まで見て回り、もっと多くのパードレから刺激を受け、経験を積んでくるべきだよ。

生まれは筑前なのか。なら、ひと夏くらい里帰りもさせてやれ」

とかなんとか。

困るじゃないか。

反論して、私が負けた。

金策に駆け回らなくてすむようにと当座のカネを目の前に積まれると、弱い。

早く帰ってきてくれることを祈りつつ、見送った。

 

今年は、ディオゴ殿も、シモへ出かける。

モニカも結婚したし、ほっと一安心。羽も伸ばしたいのだろう。

ヴィセンテと、店の若い衆を引き連れて、数年ぶりの陣頭指揮だ。

楽しんできてください。儲かったら、教会への寄付もお願いします。

ブンゴじゃなく、こっちへ。直接。

 

 

とりたてて大きな事件はないが、小さな揉め事は、毎日ぼちぼち。

近年は、未信徒である家族の説得に困っているという相談をよく受ける。

大黒柱の権力が強い家族だと、全員右へならえで楽なのだが。たいてい最初に信徒となる人物というのは、家庭に居場所の無い、お父さん。

家長ではあるけれども、妻に頭が上がらず、財布の紐も握られている。

家ではデウスの名前すら出せない。

そんな事例が多い。

 

冠婚葬祭の直前になって、打ち明ける場合が多いようだ。

儀式をするのに坊主を呼べば、謝礼が必要だし、酒食だって要求される。仏式だと、とにかくカネがかかるのだ。

デウスの信徒になれば無料だし、葬儀も1回しかしないよ、と。

これが一番効く。2人にひとりは落とせる。

ただ、前もってよく言いつけておかないと、坊主の前で、テンジク人に無理矢理勧誘されたのだとか、余計な火種をつくりだす不届き者も現れる。

だから誓約書を作らせておく。

坊主が来たら見せるからなと、ポルトガル語の文書に血判を押させる。

期待以上の抑止効果を得ているように感じている。

日本人が理解できないものを理解できないがゆえに畏れる習性の一例として、今後も活用していこう。

 

「デウスの信徒になれば先祖の墓参りに行けなくなるぞ」なんて悪口も囁かれているようだが。

これは、まったく事実に反する。

私たちの対応は、柔軟だ。

 

行ってあげて構いません。

親戚や上司の葬儀が仏式だとしても、行って、お線香を上げてください。

私たちは、咎めたりしません。

信徒の日常生活に支障をきたすことを、望んではいません。

私たちは寛容です。誤解していたあなたこそ、悔い改めなさい。

ただし仏式で弔われた方は、パライゾへは行けませんし、アニマが救済されることもありません。

救われるためにはデウスの教えを正しく理解し、洗礼を受け、寿命を御主の意に委ねた上でせいいっぱい、道を踏み外さずに歩いてゆくことが必要です。

 

実に簡単なことなのです。

それだけのことが、どうしてわからないのだろう。

 

「デウスの信徒はフォトケの偶像を破壊して回る」

言いがかりです。

たしかに、かつてヴィレラというド阿呆がいた頃は、宣教師が率先して焚きつけたという事実もあったようですが。

申し訳ありません。彼に代わって、私が詫びます。

どうか、お赦しください。

 

コンパニヤの規則は、決してそんなことを謳ってはいないのです。

この場ではっきりと、申し開きをします。

 

デウスの教えは、偶像の崇拝を禁じます。これは事実です。

ですがこれを、形から入って守らせたからって、所詮は付け焼き刃にすぎない。

デウスの教えに耳を傾け、その合理的精神を理解することによって人は無知蒙昧から解き放たれます。

そうすれば自然と、これまであなた方を捕らえてしがみつけていた迷信が、愚かしく見えてくるでしょう。

そうなってから初めて、平和的にお別れすればよい。かれらの国へ、お帰りいただければよい。

これは人間の自由意思によって行われるべきことです。

私たちは決して、強制などしません。おわかりいただけますでしょうか。

 

「デウスの信徒は、テラに火をつけて回る」

これも、流言飛語です。

自分たちが失火した結果であるくせに、誰かに罪をなすりつけたくなるのは、人の心が弱いせいでしょう。

もし、俺が火をつけたのだぞと自慢する信徒がいたなら、連れてきてください。

私は、叱ります。

他人の財産を奪う行為は犯罪に等しいと。

謝りなさいと。

厳しく言いつけてから、赦します。

そんなことをしなくとも、いずれは皆、わかってくれる。

急ぐな。無茶は、するな。

これが私たちの方針です。

 

すべての過ちは、誤解と躓きのなせるわざです。

信徒である無しにかかわらず、教会へ連れてきてください。

言い分を聞きましょう。あなた方にも、聞いていただきましょう。

そして、みんなで考えましょう。

これが最も理想的な、平和への第一歩であるべきです。

 

 

トマスより先に、ディオゴ殿が帰ってきた。

ヴィセンテは、まっくろに日灼けしていた。

 

今年の定航船は、ファクンダへ入港。

数年ぶりの、新パードレが1名上陸。

ワラレジオです。あいつか。

陽気で、いささか血の気の多いロンバルディア人です。

にぎやかに、なりそうだな。

 

トルレスは、シキという町にいる。ここで全パードレを集めて行われた総員会議の報告書を渡された。

トルレス、ワラレジオ、コスタ、フィゲイレド、ヴィレラ。

え?これだけ?

10人くらい、いなかったっけ?

 

昨年までに全員離日した?日本病に冒されて?

え、モンテまで消えている。

嘘だろ。信じられない。

 

イルマンは2名。アルメイダと、ミゲル・ヴァス。

ミゲルは、私が来日したときは水兵だった若者だ。

アジュダで私が炎の中から何人もの日本人を救出した姿に感動して、コンパニヤ入会を志願した。

従僕として修練中とは聞いていたが、とうとうイルマンになったか。

ミゲルなら、サカイへ来て僕をたすけてくれないかな。予算増額もオマケにつけて。

 

肝腎の議事録は、ついてなかった。速記できる者がいなかったようだ。

僕なら得意なんだがなあ。

しかし要約を読む限り、愚痴り合いの域を出なかったようだ。

かっこつけてるだけで内容の伴わない方針演説しか並んでいない。

 

どうなってしまうんだ、こんな調子で。

私たちの布教活動と、生活は。

 



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SengokD.1568/003.hmos

トマスが帰ってきた。

モンテはまだ日本にいるはずだという。

ほっとした。

 

「儂も会ってはいないがな。彼なら、五島担当は終わっているはずだから、志岐に行ってなかったということは、豊後を離れられなかったのかもしれんなあ。

あと、イルマンはほとんど会議には行ってないはずだぞ。どこも忙しくて、とてもそんな余裕は無いのだ。下ではな」

 

ぜんぜん総員参加じゃないじゃないか。

誰だよ、この報告書いたの。デタラメにも限度があるぞ。

ラウマへの報告用にしても中途半端だ。ああ、僕ならもっと立派な議事録にしてみせてやるってのに。

 

それはさておき。

ダミヤンは、帰ってこなかった。

代わりに、ロレンソが戻ってきた。

これはうれしい。力強い助っ人だ。

僕とヴィレラの衝突の一部始終を耳で見てきたから、自分ならばフロイスという暴れ馬をうまく操れるだろうと言って、延々終わらない「キナイへ誰を派遣するか」議題に結着をつけてくれたのだそうだ。

本人を前に、よくそこまで言う。

覚えていやがれ。

 

シモが忙しいなんて、甘ったれていやがる。

僕は堂々と、そう主張するぞ。

ミヤコを中心としたキナイ全域では、激震が走っている。

東の方角より、恐怖の大王が、ミヤコへ向かってきているのだ。

 

エチゼン国でホゾを噛んでいた、東将ヨシアキ。

彼はワタ殿を頼り、オーミ国、ワカサ国、そしてエチゼン国へと逃げながら、自分に味方してくれる領主を必死に探し求めていた。

 

ヨシアキはずっと坊主だったから、政治界へのしがらみがない。

一方、14代クボウサマとなった西将ヨシヒデ殿は、アワのミヨシ一族とがっちり結託している。

ミヨシ軍は全体としては大きいが、内部で果てしのない抗争に明け暮れている。

内紛に乗じてミヨシを倒すなら今か、とオーミの小領主たちは策を巡らせる。

だが、かれらもまた小競り合いに明け暮れており、背後には坊主に支配された領国の脅威が控えていて、なかなか勝負に出る者が現れなかった。

一番に動くと、隙を突かれる。

強者同士が潰し合い、疲弊し尽くしたところへ、最少の犠牲で乗り込んでいけないものか。

こう考える者ばかりだったために、危ういながらも、これまでは均衡が保たれていた。

 

オーミの東隣に、ミノという国がある。

その南に、ヲアリ国が隣接する。

このヲアリの軍が、実はとんでもなく強いらしい。

最近、急にそんな噂が人々の口にのぼりはじめていた。

 

ヲアリは、ミノと何年も衝突を繰り返していたが、昨年、結着がついた。

ヲアリ王は、覇権欲の強い男のようだ。次の獲物を狙って、ミノの兵を鍛えなおしはじめた。

オーミの領主たちがミヤコへ注意を向けている間、その背後で着々と爪を研いでいたというわけだ。

 

 

聖ヴァーツラフの祝日。

ミノから突如、大軍勢がオーミへなだれこむ。

私が第一報を聞いたときには、すでにオーミの東半分がヲアリ軍に制圧されていた。

錯綜する情報を集めているうちにも、どんどん戦火は拡大していく。

オーミ国の中でも最大勢力とされるロカク軍が、壊滅。寝ているうちに砦を焼かれ、気付いたときには首を刎ねられ、戦う前に逃げ惑い、鉛の弾を撃ちこまれまくって、巨大な湖を深紅に染めた。

 

エチゼン国まで逃げていたはずのヨシアキだが、なんと、このヲアリ王に庇護され、鎧に身を包んで一緒に進軍しているという。

ありえなくはない。ヨシアキとヲアリ王は過去の確執など存在しない間柄だし、ヲアリ王にとって、アシカンガ家の後継者に力を貸しているということは、このあとミヨシ一族と戦う上で格好の大義名分になる。

成算云々は問題ではない。蛮族はそんな計算をしないものだ。

私たちが考えなくてはならないのは、どこまでが戦場になり、そして、いつまで続くだろうかということである。

つまり、サカイにいていいのか?

ここは安全か?

 

オーミから、ひと山越えれば、すぐミヤコ。

かれらは態勢を整え次第、突撃してくるに違いない。

ミヤコの民は、着の身着のまま、逃げ出している。

サカイへも、大勢、駆けこんできたが、収容しきれなくて今は全ての門が閉ざされている。

市外には、難民が溢れている。ここでは、泥棒と追い剥ぎと人さらいが、何をしても許される。

 

 

ワタ殿からの使者が、教会を訪れた。

 

「堺は、安全地帯ではない。堺は三好主流派との同盟を宣言しており、その経済力基盤ともなっているところから、尾張軍の攻撃対象に含まれていることは間違いがない。

尾張軍は、明日にも京へ入るが、そのあとで三好軍を可能な限り殲滅することが確実視されている。

義昭殿を将軍にさせることが大義名分であるから、そのためには義栄殿を殺さねばならない。

同時に、今こそ三好家の権勢を破壊し尽くす好機であることも理解していよう。脅威は早いうちに潰しておくことが肝腎ですからな。

承知されたならば、フロイス殿らも、避難された方がよろしいぞ」

 

サンガ城は、もちろん危険地帯ですよね?うわあ、どうしよう。

悩む時間も惜しいので、ひとまずアマンガサキの信徒を頼ることにして、コスモくんに祭具を担げるだけ担がせて、出発する。

トマスや、ディオゴ殿たちは、自分の家邸を全力で守ってください。

いのち、だいじに。

 

生きていたら、また会おう。

あるいは、パライゾで!



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SengokD.1568/004.hmos

アマンガサキでも、てんやわんやの大混乱。

 

サカイからの船便は、割増料金を取られた。

コスモくんがへたばり、荷役人をその場で雇ったりしたので、予想外の出費も嵩んだ。

さんざんだ。

 

ジュリヤンという裕福な信徒の家を訪ねる。

意外なほど、歓待された。

ちょうど娘さんが出産のため戻ってきていて、うなりながら、たたかっていたのだ。

祭具は全部持ってきていたので、盛大に祈りを捧げた。

元気な女の子が誕生し、母親はデウスのお膝元へ帰られた。

洗礼と葬儀を連続して行う。

ここまでいっぺんに、しかも完璧に出来ることは、なかなかない。ジュリヤンよ、君は御主に愛されているぞ。

 

 

私がアマンガサキへ来て2週間も経たないうちに、ミヤコは完全制圧され、ヲアリ軍はツノ国まで侵入した。

ヲアリ兵は闇夜の岩山でも全速力で馬を走らせるとか、敵兵が降伏してもその場で地面に埋め生きたまま鋸で首を切断するとか、様々な噂がつきまとうが、どうやらほとんど事実のようだ。

布陣していたミヨシ兵は一目散に逃げ出した。蛮族の蹂躙を妨げる者は誰もいない。

14代将軍ヨシヒデ殿も、靴を履く暇も無く逃げ隠れたとか。

状況の変化が烈しすぎて、ついていけないよ。

 

アマンガサキじゅうの信徒が入れ替わり立ち替わり私たちを訪ねて、救いを求める。切実だ。

サカイへもヲアリ兵がやってきて、ミヨシ一族との同盟破棄ならびに多額の用心棒代を要求しているという噂も聞く。

私たちの帰る場所は、またも、なくなってしまうのだろうか。

どうすればいいのか。

聖ヨハネは、ここまで預言してくれてはいなかった。

 

そんなところへ。物々しい使者の到来。

装備に、しるしをつけていた。

しかもロレンソの姿を見て、驚いている。

ロレンソも、兵士の声を聞いて、かつて自分が授洗した信徒だと気付いたようだ。

 

私たちは、かれらに連れられミヤコ方面へ向けて歩き始めた。

兵隊が一緒だと、盗賊から襲われる心配が無いので、却って安心できた。

5レグワほど先のテラへ、ひとまず匿われる。

ここは、つい先日までミヨシ軍の拠点だったという。

ヲアリ軍が来たときには、もぬけの殻だった。

そんな城や砦があちこちにあり、今も次々とヲアリ兵によって接収されている。

ミヨシ兵にはまったく戦意が無い。逃げ足だけは異様に早い。

海岸沿いの舟という舟は、かれらを乗せてアワへ逃げ去り、一艘も残っていないとか。

憂鬱にさせられる情報ばかりだ。

 

あまり詳しくは教えてもらえなかったが、この兵たちは、ワタ殿の指令で来た。

私たちの保護を命じられ、次の指示を待つようにと言われている。

ワタ殿はいま、ヲアリ王の家臣のような立場となって、ミヨシ掃討戦の指揮を執っている。

東将ヨシアキとヲアリ王が手を組んでいる以上、必然的な流れかな。

ワタ殿は軍人としてより政治家として、各方面との調整役に利用されているのだろう。私たちのことも忘れてはいないでくれた。再会できる日が、楽しみでならない。

 

ワタ殿の下で、サワ城主のダリオ殿も、ヲアリ軍に協力をしている模様だ。

やたらと噂だけは聞く、敬虔なる信徒と名高い人物。

ロレンソによると、ダリオ殿の指揮下にある兵は、全員が信徒のはずだという。

かれらの情報網により、私たちがアマンガサキへ避難していることを突き止め、手近な拠点へ匿ってくれたようだ。

なんとも、おそれいります。

 

 

数日後、私たちはサカイ教会へ戻ってこられた。

まだ交渉中ではあるけれども、サカイが戦場になることは絶対にない。

なぜなら、担当しているのがワタ殿だから。

たしかに、それなら間違いないだろう。

落ち着いたら教会を訪ねるので、それまで大切な信徒たちを安心させていてください。そんな伝言をいただいて、帰ってきました。

いの一番に逃げ出したことがとても恥ずかしく思えてくる気もしたのだが、しっかり前を向くことが大切だ。今日からまた、せいいっぱい聖務に励もう。

トマス、ただいま。

 

ドタバタしている最中に、東将ヨシアキ……殿が、15代クボウサマに正式就任していた。

名前は、替えてないようだ。

日本人でも、この状況にはめんくらっている。

ついていけなくて、当然だ。

 

14代ヨシヒデ殿は、逃亡中に死んだらしい。

自ら毒を飲んだとか、盗賊に襲われたとか、持病がとどめをさしたとか、判然としないが、死んだという一点だけは異論が出てこない。

今年の灰の日頃じゃあなかったっけ、クボウサマになったの。

1年ももたず。あらまあ。

 

ヲアリ王は、殺しに殺して満足したのか、新クボウサマをミヤコに置いて、すぐミノへ帰っていった。

台風一過のような静寂の中で、私は降誕祭の準備にとりかかる。

 



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SengokD.1569/001.hmos

オニの噂で、もちきりだ。

 

オニとは、日本各地の山奥に棲みついている怪物である。

凶暴化した坊主のナレノハテで、戦乱のたびに数が増える。

赤や青に塗りたくられた上半身は裸のまま。

獣の皮を腰にまとい、勃起したイチモツを頭から生やす。

群れからはぐれた子供を、長い爪でつかまえて、むさぼり喰う。

エウロパ人が日本を発見するよりずっと古くから存在していた。

テンジク人恐怖伝説に酷似するが、出どころは日本であり、その正体は日本人なのだ。

私たちはオニだと、濡れ衣を着せられていたわけである。

まったくもって、けしからん。

 

蛇足になるが、オニの親類にテングというのがいて、こちらは少しだけ知恵が残っている。

服を着ており、底上げした靴を履く。

頭にイチモツは生やさず、その代わりに鼻が長い。

人語を解し、子供だけでなく大人や学者まで巧みにかどわかす。

ヴィレラのことをテングサマと呼ぶ信徒は、未だにいる。

エウロパ人の顔は、日本人よりも起伏に富む。私はそれほどでもないが、アルメイダやヴィレラの顔は彫りが深く、陰影がくっきり浮かぶ。

ことにヴィレラの鷲鼻は特徴的で、これがゆえに奴はテングと同一視された。

テングはオニほど恐れられてはいないが、それでも坊主をこじらせた反社会勢力の一類であるし、妖術を使って災いも撒き散らす。

さすがのヴィレラでも、そんな真似はできない。仮にもパードレだ。

もちろん、私にはもっとできない。

 

ヲアリ国からやってきた、オニの話に戻ろう。

この領国から、復活祭や降誕祭のたびに片道1週間かけて教会を訪ねてくる、敬虔な信徒がいる。

霊名はコンスタンチノ。

ヴィレラから洗礼を受けたときは、ミヤコで高貴な身分だった。老いたので故郷へ隠居した。ケレドとメダイを託され、デウスの教えをヲアリでも広めるよう命じられた。

ヴィレラが去ってからも、コンスタンチノは定期的に、ミヤコやサカイへやって来ていた。

毎回、若者や子供たちを連れてくるが、教義をしっかり根付かせていて頼もしい。

ヲアリにもパードレを、といつも懇請されるのだが、コンスタンチノがいてくれる限りは大丈夫だろうから、優先順位は低くしていた。

 

オニの大進撃が終わってすぐの降誕祭。

誰もが、コンスタンチノは来るだろうかと気を揉んだ。

来たら是非、ヲアリの話を聞きまくろうと、そんな期待が燃えさかっていた。

ヲアリ軍とは全然異なる街道を通ってきた彼と子供たちは、熱狂的な出迎えに面食らう。

我々こそ、君たちの呑気さに困惑したよ。

 

「上総介殿が周囲を驚かせるのはいつものことですし、美濃に住まわれるようになってからは、尾張は静かなものですよ」

 

なあんだ。と一同笑い合ったのだが、そのあとで語られたオニの素性は、あまりにも血塗られていて、全員の心胆を寒からしめた。

 

 

オニは、先祖代々ヲアリ領主だった家に、嫡男として生まれた。

年齢は私と同じくらいのようだが、若い頃はいつも野山を駆け回り、狩りをしていたらしい。

この時分にオニやテングたちと仲良くなって、何らかの妖術を身につけたかもしれないが、定かではない。

 

一族や家臣からは、疎んじられていたようだ。

父親が死んだとき、山から戻ってきたままの姿で葬儀会場へ現れ、線香の灰をぶち撒いて、すぐに退出したとか。

礼儀知らずで野生児か。きっと教養も低いだろう。こう言うと、コンスタンチノは否定しなかった。

国をまとめる器じゃないから、弟が王位を継ぐことになるだろうと、すっかり見放されて成長したようだ。

それにしても、葬儀での態度は物議を醸した。オニは、親族一同と領国内外の有力者から、軽蔑と憎悪を一身に引き受ける対象となった。

 

この頃、オニに反省を促したり、邪険にしたり、遠慮して近寄ってこなくなった者たちは、ひとりひとり姿を消してゆく。

反面、現在オニの率いる軍団で幹部の座に就いている者共は、ほぼ全員が、当時からオニと一緒に野山で遊んでいた仲間たちだという。

 

そのうちオニの、真の実力に気付く者が現れる。

オニへ娘を嫁がせたミノ国の王がなにかとオニに味方するようになり、オニとの個人的な友好関係を基にして、陰に陽にと力を貸す。

ある兄弟は、オニが病気だと聞いて見舞いへ駆けつけたところ、就寝中のオニを殺そうとしたぞという疑いで、処刑された。

オニは冷酷だった。

血族を、いや血族だからこそ、優先的に駆逐した。

野望を達しても、兵を休ませなかった。

自分たちを憎む者は、まだまだ大勢いる。すぐ傍にいる。そのことを忘れず、忘れさせなかった。

やがてオニは、ヲアリを統一する。

それで大団円。ではなかった。

究極の狙いは、まだまだ道遠き先にあった。

 

数年後、ミノの王は、内紛で斃される。

オニは、義父の仇という名目で、ミノへの侵攻を開始した。

だが、互いに手の内を知る同士である。なかなか結着がつかなかった。

ここへ東将ヨシアキが、誰か力になってほしいと、方々へ呼びかけをして回る。

オニは、新たな大義名分を掴んだ。

ミノを片付け次第、ミヤコへお伴しましょうぞ、と。

 

ヨシアキにとっては、ヲアリとミノの争いなど、心底どうでもいい。

間に立って和睦もすすめた。一旦は停戦する。

これをオニが裏切った形になるわけだが。無理もない。

ヨシアキを上京させるには、ミノを通過してオーミで戦争してから、ミヤコでも更に大軍勢と戦わねばならない。

全兵力を動員すれば、ヲアリが、がら空きになる。

ミノが黙って見ていてくれるわけがない。

ミノがヨシアキの要請を断り、守りに入っている状況下で、オニが動き出せるはずもないのだ。

 

キナイの争乱。オーミの暗闘。ヲアリとミノの鍔迫り合い。これらがそれぞれ同時進行しながら、数年が経過した。

ヨシアキは、オーミから北のエチゼンへと逃げた。

ミノが、ヲアリに制圧された。

オニはミノの領都へ移り住み、新たな視野で、計画を練り直す。

1年ほどかけてミノの兵を鍛え直してからヨシアキを呼びつけ、そろそろ行くかと、鎧を着させた。

そこからは、破竹の勢いだった。

気がついたら終わっていた。

 

コンスタンチノ、もういいよ。

この辺はみんな知ってるから。ありがとう。休憩してくれ。

 

 

ミノ出身の逃亡兵が一人、奥で従僕をやっている。

彼から聞いた話を、こっそり付け加えよう。

 

ミノが滅ぼされたあと、ヲアリ軍に編入されて、1年間厳しい訓練に耐えた。

いよいよオーミを攻めると聞かされ、自分たちはこれから最前線で陽動をさせられ肉の壁となって死ぬのだなと、覚悟したそうだ。

完全装備で前線まで出て、整列してその場へ座るよう命じられた。

これからヲアリ軍が攻撃するので戦いぶりをとくと見ておけ、と言われた。

瞬く間に城が焼かれ、最後の一兵が首を斬られるところまでを、じっくり研修した。

翌日は、実習だった。

自信をつける兵と、失う兵の、2種類に、ここで別れた。

彼は後者だったので、逃げ出した。

 

貴重な証言だ。

ヲアリ軍が強い理由は、この徹底した教育体制にあるのかもしれない。

幹部にも、オニやテングが、いるのだろう。

よほどの知恵者がついてなければ、こんなこと考えもつくまい。

 

しかもだ。これでおしまいとも思えない。

オニは、どこまで先を見据えているのだろうか。



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SengokD.1569/002.hmos

戦争は数で決まる。そう教えられてきた。

 

ブリタニヤ王は、秘剣を与えられた。この力をもって、たった12人で巨大なロムルス帝国と戦い、撃退した。

お伽話なら、それでめでたしだ。しかし子供たちはやがて正しい知識を学んで大人となり、戦地へと羽ばたく。

 

奇蹟は、奇蹟的にはやって来ない。

モーロ人の襲来に備えるには、まず兵力を整えよ。

相手よりも多い戦闘員を常備せよ。

これが、原則だ。

もちろん平時は農業漁業工業その他に従事していてもらう。しかし、いざ戦争となれば武器をとり、統帥に従って、勇敢に闘う。

そんな国民を、普段からしっかりと養成しておかねばならない。

これが国家を安定させる基盤であると。

少なくとも私はそう教えられてきた。

 

キナイに君臨したミヨシ一族とその兵士たち。

昨年まで、かれらは日本最強の精鋭だと恐れられていた。

こんなお侍さんになりたいと、あこがれの眼差しを注いでいた少年たちも、数多くいただろう。

 

しかし化けの皮は剥がれた。

軟弱者の群れは、オニの噂を聞いただけで逃げ出した。

難民たちは冷ややかに、かれらへの期待を棄て去る。

クボウサマも実はとっくにその程度のモノ扱いしかされていないが、ミヨシだって、これに代わる器ではなかったということだ。

替わったところで、変わらない。

さて。では今、少年たちがあこがれの眼差しを注ぐ対象は、いったい誰になったのか。

 

 

日本の暦で新年を迎えた直後。

ミヨシの残党が数百名、ミヤコで、15代目クボウサマを襲撃した。

13代目が殺された王宮は、廃墟同然と化している。15代目は、軍事拠点化されたテラのひとつを政務室にしていた。

襲撃者は、ここを突き止めた。

護衛は、オニの手下が十数名、待機していただけだった。

 

ここでも、ミヨシ兵は惨敗する。

オニの手下は、飛びこんできた獲物を次々と斬り殺し、逃げる者は追い回して容赦なく弓を引いた。

オニはミノの領都ギフへ還っていたが、報せを聞いて駆けつけた。

通常、馬で片道3日かかる距離を、4日で戻ってきたという。

 

よく考えてみてほしい。

ミヤコから伝令が走る。ギフへ到着する。オニに知らせる。オニが兵に出撃命令を下す。ミヤコまで進軍する。この、大雪の中をだ。

往復4日で?どうやって?

理解できない。オニの馬には、翼でもついているのか。

途中いくつもの山もあるし、オーミ国には巨大な湖があって、今の季節は凍っているから舟も使えないはずだ。

一体全体、どうやって?

 

そんなオニは、キナイ中の各都市へ上納金を要求している。

治安を保障する代償としての、ではない。断るならば焼き払うぞと脅しつけて巻き上げるのだ。

逆らうことなど、誰もできない。

ただ、これでは高すぎますと交渉する余地は認められる。

サカイに関していえば、長老たちが市の人口や構成比、生産力や財務事情などを説明して、なんとかこのくらいの額で、と弁明することによって手加減してもらえたという。

意外と理性的だな。

今のところ、戦場以外では実際に焼き討ちされた例があるとは聞かない。

手っ取り早く町の規模を調べて回るのが目的のようにも思えるのだが、さすがに考えすぎか。蛮族に、そんな知恵など、あるわけがない。

 

ワタ殿からの使者が時折教会へ訪れて、安心せよと言ってくれる。

困り事はないかとも聞いてくれて、種々の便宜をはかってくれる。

方々への借金がたちまち、帳消しとなった。

こんなことになるんだったら、もっと借りておけばよかった。

 

 

しばらくは平穏な日々が続いた。

四旬節を迎える直前、ワタ殿が教会を訪れた。

私たちの生活ぶりを見て、信徒たちからも話を聞いて、いろいろと考えてくださっている。

ロレンソに説教させようと準備していたら、ディオゴ邸へ挨拶に行きたいと言われた。

私も同行を求められた。

 

ディオゴ殿は商談で市外へ出かけていたため、奥方が対応された。

ワタ殿は、我々がテンジク人と呼ばれ、信徒もごく少なかった時代から、ディオゴ殿が誠意を尽くして援助してくれたことを、この上なく感謝すると述べた。

自分たちよりずっと高度な技術と学識を持つ、ポルトガルという、はるか遠くの国から命の危険も顧みず到来した私たちを、日本王国は正しく遇することができなかった。

ディオゴ殿がいなかったら、日本は野蛮なだけの、礼儀も知らぬ、世界を語る資格も世界に語られる資格も無い、ならず者ばかりの島だと思われたままでいたことだろう。

あなた方が、それを防いでくれた。

現クボウサマに代わって御礼申し上げる。

そんな風に、説明してくれた。

 

奥方は、時折私の顔を見て、信じられないという表情をする。

私は、笑いそうになるのをこらえるので精一杯だったが、モニカとルカスの騒動以来だったし、奥方の誤解がとけるならそれに越したことはない。

勝ち誇った気分を顔に出すのは、やめておいた。

 

奥方は退席され、代わりにヴィセンテがよこされた。

彼がワタ殿を特に感動させた話を、付け加えておこう。

 

ヴィセンテは、ポルトガル船の大きさや革新的な造船技術を、その場で紙に描いてみせながら、ワタ殿に説明した。

私の耳では理解できない専門用語も散りばめられていたが、三角帆は逆風でも前に向かって進めるのだとか解説していたようだ。

なぜ君はそんなことまで知っているのかね……と問い質したい気もしたが、これも、やめておいた。

ワタ殿が夢中になって聴いていたし、そんな熱狂のさなかに私が水を差すのも、よくない。

 

夕暮れも迫る頃になって、私たちはディオゴ邸を退出した。

ワタ殿は興奮冷めやらぬ調子で、鼻息荒く、ぜひ近いうちに私たちのミヤコ復帰を実現させてみせよう、その自信がついた、と申された。

私は、礼を言って、教会へ戻った。

 

好い方角から、風が吹いてきているのを感じる。

船出は、間近い。たのしみだな。



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SengokD.1569/003.hmos

ミヤコへ戻れると知らされた。突然だった。

 

ラザロの主日を迎える準備をしていたところに数名の武士が現れ、ただちに同行するよう言われる。

ワタ殿の家臣であるところの、ダリオ・タカヤマ殿が、アークタンガワで待っているとのこと。

サカイからミヤコまでの途中にある城ですね。

 

なんの準備もしてなかったので、大慌てで支度する。

サカイの教会はコスモに留守番をしてもらうことにして、私は、用意されていた馬に乗った。

ロレンソも同行させることにしたが、彼は盲目なので馬は危ない。ディオゴ殿に輿を用立ててもらって、あとから追いかけてもらうことにする。

それから、献上品や当座のカネも必要だって。

厭な予感がぷんぷん臭うが、抵抗できる雰囲気ではない。

従僕2人に担がせて、これも、同行させる。

 

テンジンという馬場で、ダリオ殿を囲む大勢の信徒に出迎えられた。

ダリオ殿は私を知っていた。

初めて見たとき、ミヤコ教会の裏手で、しゃがんで洗濯をしていたそうだ。

そんな昔のことは、忘れてください。

はじめまして、フロイスです。あなたにお会いできて、とてもうれしい。

 

雨が降ってきた。大急ぎで城へ向かう。

今日は、ここで一泊する。

至れり尽くせりの歓迎ぶりに、ほっぺたが落ちそうです。

え、受難節がどうしましたか?

今日は特別な日ですよ。むしゃむしゃ。

デウスよ、ともに祝いましょう。

 

現在のアークタンガワ城主はワタ殿である。しかし政務に忙殺されており、ミヤコを離れられない。ダリオ殿は留守居役に命じられ、サワから移ってきたのだ。

ダリオ殿の家族とも交流を深めた。全員が普段から霊名で呼び合っていた。

日本では、城主ほどの貴人になると妻を何人も持つ。しかも配置転換で城を移るときは離縁して新地の女性を妻に迎えなおす。そんな嘆かわしい悪習が根付いているものだったが、ダリオ家では、絶対にありえない。

エウロパでも通用する理想的な家族の姿が、ここにあった。驚いたね。

 

長男のジュストくんは、ヴィセンテと同じくらいの年齢だ。きわめて聡明で、いつ父の身分を継いでもいいほどの貫禄を備えている。

日本の子供は、坊主と接することさえなければ優秀なのだ。エウロパ人の倍の速さで学習し、道理を弁え、たくましく成長する。

久々に、そんなことを思い出させられた。

 

 

翌日、ロレンソが到着。

彼もダリオ殿との再会を懐かしんでいた。

私もここから先は、輿に乗ってミヤコへと向かう。

途中ミヤコから駆けつけてきてくれた信徒たちが、どんどん合流していった。

到着する頃には250名ほどの大行列になっていた。

 

シモキョウの教会へ辿りつく。

ミツノという部将が、どさくさまぎれに兵舎として使っていた。ヲアリ王に加勢するためやって来た、スルカ国の軍勢だ。

ワタ殿からは、指揮系統上、直接命令ができない。適当な代替地が見つかるまでは、追い出せないと言われる。

私たちはそれまでの間、ミヤコの裕福な信徒アンタンの邸へ、住まわせてもらうことにした。

 

綺麗なタタミの室へ案内され、つい涙ぐむ。

アマンガサキでは、ジュリヤンの邸以外では、土間より上を歩かせてもらえなかったからなあ。

日本人は家へ入るとき靴を脱ぐ。

藁でつくったタタミという床を、常に清掃することを、きわめて重視する。

下賤な者を家に招かない。敷居をまたがせない。

この点が、異様に厳しい。

それが当り前だったので、今回はまさしく祝福された帰還なのだという実感があった。

私はパードレだ。愛され、尊敬されているのだ。

最高の自信が漲ってくる。来日して以来、ここまで強いヴィルトゥスを味わったのは初めてかも。

帰ってきたぞ。帰ってきたぞ。

ああ、生きていてよかった。

 

 

翌日、ワタ殿がやってきた。

ただちにクボウサマとの謁見を調整しようとの言葉をいただく。

他にも幾人かの貴人や武士の訪問を受けたが、ひとり、珍しい人物が。

アンリケ殿。

私は彼を忘れていたが、ロレンソが声で言い当てた。

大ミヨシドノの家臣だった人だ。あれ?

こんなところにいて大丈夫ですか。

へえ、今はヲアリ王の下でミヤコの警護をしてるんですか。

うまく転職されたのですね。元気そうで、とてもうれしい。

これからも、世の中を良くしていきましょうね。

 

 

さっそく、復活祭の準備に取りかからねばだ。

サカイはサカイ組に任せよう。サンガも、また破壊されていなければ、現地の皆でやってくれるだろう。

ミヤコでは、私が、復活させる使命を負う。

 

信徒の皆さん。今年はここで精一杯、盛大な復活祭を祝いますよ。

持ち寄れるものは何でも持ってきてください。何もないので。お願いします。

あ、ヂシピリナはどうしよう。

アンタン邸の、この綺麗なタタミの上では、さすがに怒られちゃうよな。



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SengokD.1569/004.hmos

カヅサ殿との面会が決まった。

 

発音しにくい。正式な名前は、オタ・カンヅカンスケ・ノブナンガ。

カヅサドノと呼ぶよう、指導された。

間違えたら即その場で相手の首を刎ねるような人物らしいので、必死に練習した。

 

ヲアリ王である。すなわち、オニである。

日本最強の名を恣にしていたミヨシ一族をひと月足らずでキナイから追い払い、ミヤコを制圧した戦闘集団の、最高指揮官である。

肉親を全員殺してのし上がった、血も涙も通ってない、ルシヘルだって裸足で逃げ出すような悪魔である。

 

なぜそんな人と会わねばならないのだろうか。

私は、追放令の取り消しと、布教許可の再確認さえできれば、それでじゅうぶんなのです。

クボウサマかダイリサマへの謁見が叶うなら、生魚を口に押し込まれることだって、耐えましょう。

しかし、どうしてここに、ヲアリ王が出てきてしまうのでありましょうか。

 

ベゾアールが擦り切れて無くなってしまうくらい嘗めてから、ロレンソと共に、指定のテラへ赴いた。

結論からいうと、この日は会えなかった。

政務で急用が入り、お忙しかったらしい。

ほっとした。

 

ワタ殿が終日一緒にいてくれたが、主に対応してくれたのはサクマ殿という、カヅサ殿の家臣だった。

よく笑う、人の好さそうな、おじさんであったが。

戦場ではじっとしておられなくて、部下よりも前に出て敵を斬りまくる性分が抑えられないのだそうである。

ニコニコとほほえみながら、言ってることは陰惨だ。

かんべんしてください。

 

サクマ殿はじめ、ヲアリから来ている人々は、デウスの教えをまったく知らない。

いろいろ質問され、これにロレンソが答えた。

ヴィオラを爪弾きながら、ケレドを何節か朗誦もした。

おおむね好評だったと、信じたい。

 

献上品を5点ほど持ってきていたが、そのうち4点を、返された。

こんなことは初めてだ。

1点だけは、気に入ってもらえたらしい。

なんだっけ。あ、帽子だ。

他は、お気に召さなかったということか。

どう解釈すればいいのだろう。献上品がまずくて逆鱗に触れるといった場合もあるのだろうか。

もう、どうしていいかわからない。

 

 

復活祭を挟んで、次は、クボウサマとの謁見の場が設けられた。

しかしここでも、本人には会えなかった。

乳母だったという方に対応されたが、実のある話にはつながらなかった。

ほか数名、家臣の方々へも説明と陳情をしてきたが、熱気の無い、興味も無さげな態度が一貫していた。

以前よりずっと、クボウサマの権威は落ちているのだなあと痛感せざるを得ない。

献上品は、すべて、受け取られた。

 

ここまできて、ワタ殿もさすがに反省をしたのだろう。

これでは、甲斐が、無いと。

そこで、再交渉をしてくれたみたいである。

数日して、もう一度、カヅサ殿への面会が、叶った。

 

私もこのときには、クボウサマよりもヲアリ王の方が頼もしいかなという気になっていたので、望むところだった。

献上品をどうするか迷ったが、今日は手ぶらでいいという。

その代わり、今すぐニジョウ地区へ来いとのこと。

使者のよこしてくれた輿に乗って、ロレンソと共に馳せ参じた。

 

ニジョウには現在、クボウサマの新たな王宮を建築中である。

大勢の人夫が働いており、ここに、カヅサ殿が来ていた。

視察というより、陣頭指揮をしている雰囲気だった。

ワタ殿、サクマ殿も一緒にいて、私たちを紹介してくれる。

私は、初めて、オニの姿を、目の当たりにした。

 

小柄な男性だった。

日本人は概して小柄であるが、その平均よりも低身長だった。

華奢に見えた。

髯は薄かった。

だが、眼光の鋭さが、この外見をまったく塗り替えてしまっていた。

うまく説明することは困難である。ただ、彼を囲んでいた数十人の屈強な男たちがもし一斉にこの人物を殺そうとしても、たった一人で全員を返り討ちにできそうな。そう感じさせる気迫があった。

もちろん、私も生き残れまい。

これが、カヅサ殿の第一印象である。

 

カヅサ殿は、部下に命じた。

たちまち、濠の上に架けられた橋の真ん中に、床几が置かれ、日除けがつくられ、茶が用意された。

いつも練習してるのかしらと思うほど、無駄のない、素早い動きで、私たちの会見場が完成した。

家臣たちは立ったままこれを囲んだ。

濠の上を、やわらかな春風が通りゆく。その道だけを、遮らぬように。

何から何まで、完璧だった。

 

 

カヅサ殿、お会いできて、光栄です。私は、ルイス・フロイスと申します。

 

「日本の言葉が達者だな。ロレンソ、通訳はいい。予は、フロイスと直接話したい。困ったときだけ、補助するがよい」

 

張りのある、透明感のある声質だった。

 

「何歳になる」

 

1532年生まれで、今年は1569年ですから、38歳になります。

 

「それは、そちの国での暦か」

 

はい。エウロパでは今年が1569年になります。

 

「一千五百六十九年前に、エウロパができたのか」

 

いえ。これは、私たちの御主であるイエズスが誕生した年を起源としています。エウロパとは大陸全体です。その中に様々の……

 

「質問にのみ答えればよい。エウロパからここまで、どうやって来た」

 

大きな船で、地球を半周してきました。

 

「距離は、どのくらいだ。日数でもよい」

 

エウロパの突端リジボーアから、インディア、日本でいうテンジクまでが、半年。

そこからは海流が複雑なため小さな島を幾つも経由しますが、チイナ、日本でいうシンダンまで半年ほど。

最後に、チイナからシモまで、夏の風に乗って半月。

実際には、途中で待機する時間も必要なため、最短でも2年余りかかります。

 

「下からここまでは、どのくらいだ」

 

 

……え。シモ、から?

それは、日本の地理でしょう。わざわざ、私に質問することですか?

この人、もしかして、ミヤコより西へは行ったことがないのかしら。

 

((( フロイス! )))

 

うわ。な、なんだ今のは。お、おまえ……

 

((( 気を抜くな。彼は、きわめて重要なことを訊いている。正確に答えよ。)))

 

え……せ、正確に?

 

シモからミヤコまでは……私は、小舟を乗り継いで来ました。ひと月くらい、かかりました……



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SengokD.1569/005.hmos

カヅサ殿と、対談中です。

 

「下から京まで、ひと月とは、ずいぶんと寄り道をしたな」

 

いえ……。あれは、5年前の冬でしたが、海賊の危険が大きかったことと、私たちを乗せてくれる舟がなかなか見つけられなくて、あちこちで足止めされたからです。まっすぐ行けていたならば、1週間程度のはずです。

 

「イッシュウカン、とは何か」

 

あ……私たちの暦では、8日間を一区切りとして、これを週と呼びます。一直線に来られるなら、シモからサカイまでは、そのくらいです。

 

「さっき、ひと月と言ったが、ここだけ日本の数え方か」

 

え……月?

そう、ですね。ああ、1年365日を、12の月に分けて呼ぶのは、エウロパでも日本でも、同じなのです。約30日ということです。

 

ここで、ロレンソが挙手。補足してくれた。

日本では、ひと月は30日もしくは29日。4年に一度、閏月が挿入される。これに対し、エウロパではひと月が28日から31日までで、閏月は無い。

さらにロレンソは、数え方の違いにも言及した。

エウロパでは1週間を8日とするが、日本流に数えるならば、7日である。さきほど、フロイスが5年前にシモからミヤコへ来たと言ったが、これも、日本式にいえば4年前、永禄七年末から八年正月までの冬の話であると。

 

カヅサ殿は、納得された。ロレンソが適確な註釈をしてみせたことを褒め、私へも、よい部下に恵まれているなという意味のことを言った。

質問は続く。私は、祖国ポルトガルのことを、いろいろ話した。これまで、日本語で説明しようと考えたこともない単語が沢山あって、難儀した。

 

「両親は健在か。手紙はやりとりしているのか」

 

リジボーアにいる私の家族は、そろそろ隠居して、年金で生活している頃でしょう。

手紙は、日本へ来てからは、ほとんど書いていません。

 

「故郷へ帰るつもりは、ないのか」

 

それは、ありません。親兄弟、親族、友人たちへは、出国時に別れを告げてきました。

大航海は常に危険がつきまといますから、今日まで生きてこられたこと自体、奇蹟のようなものです。

日本を去るつもりも、ありません。

 

「中継地のインディアまで戻るつもりも、ないというのか」

 

はい。日本国内に信徒がいる限り、私は留まり、かれらの支えとなって生きます。どんなことがあろうと、逃げ出しません。それが、コンパニヤのパードレに求められる、絶対の使命です。

 

「内裏の追放令ごときで、京から逃げ出したではないか」

 

……カヅサ殿には、ごときでしょうが、あれは私たちにとっては痛切な打撃でありました。ミヤコの教会は見るも無惨なほどに荒らされ、信徒たちの身にも危険が迫るに及んで、私たちはひとまずサンガ城へ退却をしたのです。これは当時サンガ城主で私たちの味方をしてくれていたサンティアゴ殿という武士の尽力でもありました。それは、すべてをあきらめて逃げたということとは、異なります。

 

「京へ、留まりたいか」

 

はい。5……4年ぶりにミヤコの地を踏みましたが、信徒たちがずっと私たちを待っていてくれたことに、感謝と、申し訳無さでいっぱいです。なんとか、ダイリサマに追放令を撤回していただき、私たちの布教をあらためて認めていただけるよう、私は手を尽くしたいのです。これが、今の最優先課題です。

 

「数日待て。許可してやる」

 

え?

 

「その程度のことなら、造作もない。内裏も公方も、気にするな。予が許可すれば、それで済む。信徒にも伝えてやれ」

 

ぽかーん。

思考が、跳びました。何が起きたのか、理解不能に陥りました。

ロレンソも、同じだったようです。帰ってもお互いの記憶は一致するのですが、信徒に伝えるかどうかは、ひとまず保留にしました。

 

 

コンパニヤへの報告は、カヅサ殿がほんとに許可証を出してくれるかどうか、それを見定めてから書くつもりですが、ひとまず自分の頭を整理するための備忘録を綴っています。

いわゆる、日記です。今日あったことを、忘れないうちに、なるべく細かく。

 

そういえば。

夢に出てくる、あの物体。

銀色で、丸くて、黄色い目のようなものが光ってる、アイツが、とつぜん話しかけてきたぞ。何て言ったっけ?

日中、出てきたのは、初めてだな。

物体?お~い、物体?でてこーい。

 

((( うるさいな。)))

 

うわっ。で、出てきた。やあ物体。君の名前は、何だっけ。

 

((( こんな呼ばれ方をするとは思わなかった。質問は、それだけかね? )))

 

あ……いや。起きているなら、いろいろ話したいこともあるんだが。今、おヒマかい?

 

((( 失礼にもほどがあるな。まあいい、つきあってやる。なんだね、ルイス・フロイス。)))

 

や、やあ物体くん。きみは、いったい、なにものなんだい?いつも夢の中だから、僕、何度か聞いてると思うんだけど、よく覚えてなくてさ。

 

((( 起きてても寝てても同じだろう君は。私の名は、ウルトラだ。)))

 

そうだった。ウルトラよ。今日、君は、僕に話しかけてきたかい?覚えているかな。

 

((( 君が忘れているなら、なかったことにしておこう。おやすみ。)))

 

おいおい。君は今日、カヅサ殿の質問にちゃんと答えろって、僕にどなったじゃないか。あれは、どういう意味だったのか、教えてくれよ。いや、教えてください。

 

((( 君の思考には無駄が多すぎる。カヅサ殿と同じように私にも接してもらえたら喜ばしいのだがね。で、何だって? )))

 

うーん。今日、カヅサ殿と会見していると、君が、割りこんできた。どうでもいいことをいろいろ訊いてくる人だなと思っていたけど、重要な質問をしているぞとか。どこで、そんな風に思ったんだい?ウルトラは。

 

((( 真面目に答えてやるか。

カヅサ殿は、君がポルトガルから日本まで来た道程を聞いた。

彼の頭の中では、大まかな地図が描かれていた。

最後に、シモからミヤコまでの距離を確認した。

ここで全体の大きさが決定される。

あの一連の質問は、そういう意図を含んでいたのだ。)))

 

……あ、は、ははは。まさか、そんな。

会ったばかりの外国人に対して、そんな。

面白いけど、考えすぎじゃないかな。

 

((( カヅサ殿は、ミノを平定し、それから僅か1年でキナイ全域までその勢力圏を拡げた。

君もこの過程を見てきただろう。そこまでできる男だ。

彼の目は、今日、エウロパへ向けられたぞ。

君はその瞬間に立ち会ったのだ。)))

 

アハハハハ。愉快だね。

でもね、日本人が総出で挑んだとしても、エウロパには手が届かない。

ナウはおろか、ジャンクやフスタさえ造れない連中だよ。

この王国から出ていくことさえ、不可能だ。

いくらカヅサ殿が戦争の天才でも、日本66領国を蹂躙するまでが、せいぜいだね。

考えすぎ、考えすぎ。

 

((( それが君の結論なら、それでいい。

さあ、もう寝てくれ。エネルギーは有効に使うべしだ。)))

 

一つだけ、確認させてくれ。

君は、ちゃんと答えろと僕に言った。

僕はちゃんと答えてしまったが、そのために地球の大きさをカヅサ殿がかなり正確に捉えてしまったのだとすると、君はエウロパを危険にさらすことに手を貸したことになるぞ。

何のために、あんな忠告をした?

 

((( 君の説明に一貫性が無く、情報源として利用できない対象だと思われてしまえば、カヅサ殿は二度と君に会わないだろうし、便宜も図ってくれない。

私は、君にも最大の利益がもたらされるよう、協力したつもりだよ。

さあ、安心して眠りたまえ。

おやすみ。)))



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SengokD.1569/006.hmos

カヅサ殿が、日本におけるカエサルであることを、思い知らされている。

 

まず、会談した翌日にはもう、教会が明け渡された。

スルカ国の兵は、すべてを綺麗に片付けて出て行った。

私たちは大勢の信徒と共に、引越をして、祭壇を飾りつけた。

 

とはいえ、アンタンの家は居心地がよすぎたので、もうしばらく使わせてもらうことにしてある。

放置期間が長すぎたせいで、ミヤコの信徒の祈り方には、仏式がいろいろ混じってしまっていた。頭を抱えながら、教えなおす。

そうしているうちにカヅサ殿より、許可状が届いた。

 

「世界の真理を布教するデウスの使徒パードレへ伝える。

パードレはミヤコへ居住することを許され、自由を与えられ、日本人が義務として行うべき一切を免除される。また、我の領国内において、その欲するところへ滞在することも許し、これを妨害したり、パードレを不当に苦しめる者があれば断乎処罰する。

永禄十二年四月八日認 織田上総介信長 (朱印)」

 

私たちは、それを何度も読み上げた。

ワタ殿の使者が板材を準備していてくれた。その場でこれを筆写し、教会の入口へ立てかけた。

明日、カヅサ殿へ感謝の意を伝えるべく、訪問しましょう。そう言われた。

信徒たちからの寄付がどっと集まり、とくに富裕者たちが、銀の延べ棒を3本も提供してくれた。

 

 

しかし、カヅサ殿は、これを受け取らなかった。

 

「日本で手に入るものは、いらん。くれるなら、この前の、頭にかぶるようなものが見てみたい。

この素材は水をはじくが、油でも塗ってあるのか?」

 

それは、ビロード製の帽子だった。

私も製法はよく知らないが、動物の毛皮じゃなかったかな。

 

ふと思い出して、ポケットに入れていた砂時計を出してみた。

珍しがられ、所望されたので、差し上げた。

ポケット自体も、日本のキモノには無い仕掛けなので、それについての話が弾んだ。

 

 

さらに数日して、クボウサマからも、ほぼ同じ内容の許可状が届いた。

あまりにもそっくりなので、カヅサ殿に命じられたことがひと目でわかる。

こちらへも、お礼訪問をした。

今回は、本人が会ってくれた。

 

カヅサ殿と比べてはかわいそうだが、15代目は、人ひとり斬れなさそうな、鈍く虚ろな眼差しの人物だった。

銀の延べ棒は、この人に全部持っていかれた。

 

 

トマスが、様子を見に来てくれた。

これまでも、サカイからミヤコ、サンガ、エチゼンなど、方々を巡回してもらっていたが、これからも頻繁に運び屋をやってもらうことになるだろう。

ペンテコステが明けたら、またシモへ行ってもらう。カヅサ殿が喜びそうな珍しいものを選りすぐって持ってきてもらいたいと、希望を伝えた。

 

さて、順調なことばかりでもない。

板書した許可状だが、数日後には、二つに割られて地面に叩きつけられていた。

信徒に対する坊主の嫌がらせも以前より気合いが入っているみたいで、実にわかりやすいことだ。

ミヤコは坊主どもの吹き溜まりであり、私たちはここで暮らす以上、常在戦場の心構えでいなければならない。

 

ワタ殿の邸にお礼訪問をした際、この問題について相談をしてみた。

 

後日、ワタ殿は検分を兼ねてミヤコの教会を訪ねてこられた。

祭壇にある機械時計に目を留められ、これはカヅサ殿に大いに気に入っていただけよう、と力説される。

それは日々の政務に必要不可欠なものなので、献上品にはできませんと何度も断ったのだが。

断り切れずに運び出した。

その足で、すぐにこれからカヅサ殿へ会いに行こうとおっしゃられる。

 

初めてカヅサ殿とお会いした、ニジョウに建築中の王宮。

美しい庭に面した茶室へ案内される。

カヅサ殿、ワタ殿、私、ほか数名の家臣がいるだけの、小規模な茶会が催された。

 

カヅサ殿は機械時計をじっくりと眺め回したあと、私に操作をしてみせるよう命じた。

1日1回、発条を巻き、正午に針を6時に合わせる。

これで1日24回、正確に等間隔で鐘が鳴る。

非常に面白がられたが、これも、返された。

 

「予には、扱いきれぬ。これは、そちが大切に使え」

 

私は、ほっとした。

 

さて、ここから本題へと入る。

ワタ殿は調整力に長けており、広い情報網を持っている。

私が今後直面することになるであろう重要な問題について、皆の前で提議をされた。

 

ミヤコの坊主集団は、デウスを、イエズス・クリストを、パードレを、教会を、とにかく憎んでいる。

信徒なら改宗すれば赦してくれるが、パードレは赦さない。

連中にとっては、5年前のダイリサマによる追放令が未だに有効である。

カヅサ殿の権威をもってしても、この震動は容易には鎮められないらしい。

 

目下、坊主の中核で特に気炎を上げているのが、ニチジョウという男。

フォッケ宗の中でも戦闘的なニチレン派の一員で、ダイリサマとのつながりが深い。

その王宮へ自由に出入りできるほどの特権を持っているため、カヅサ殿は彼をダイリサマとの交渉役に使っている。

立場としてはカヅサ殿が上とはいえ、手駒としてのニチジョウを失うのは痛手である。だから一方的にパードレの味方をするわけにはいかぬ、という事情がある。

政治ですねえ。

わかりますけど、どうしよう。

 

「宗論をせよ。予が判定を下す」

 

カヅサ殿の前で、一騎打ちですか。

途中から、そんな予感はしてました。

コソコソ噂を流されたり、夜中に悪戯をされるよりは、ずっといいですね。

正々堂々、戦いましょう。承知しました。

 

ロレンソを連れてきてもいいですか?

認められました。

明日、なんとかいうテラで。お迎えがくるそうです。完全装備で、臨みます。

 

ロレンソよ、君が頼りだ。よろしくな。

 



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SengokD.1569/007.hmos

何を着ていくか、迷った。

 

最高級の装束で臨むべきか、最も貧しい身なりで行くべきか。

どっちも、アリなのである。時と場合による。相手次第でもある。

結局、多数派の意見に従って、盛式誓願用の祭服を着た。

重いんだよな、これ。

思考能力が落ちるんだよ。夏なんか最悪。

本日は曇天なり。午後から雨が降りそうです。気分が乗りません。

 

決闘場は、テラの大広間でした。

坊主に、貴人に。何百人も詰めかけてます。

信徒の顔も大勢見えますが、圧倒的に、坊主だらけ。

 

カヅサ殿に一礼し、私とロレンソは並びます。

正面にはニチジョウひとり。

いかつい野人です。

トマスから、理性と愛嬌を奪いさったらこうなるだろう的なツラ。

 

「パードレ・フロイス殿は和語を理解できますが、仏教の深い知識には通じておりませぬ。よって、私がお相手つとめさせていただきます。イルマン・ロレンソと申します。目が見えていた頃は、比叡山にて学んでおりました」

 

「仏教を知らずして和語を弄ぶとは、奇妙奇天烈なり。よい。まずはそなたを論破せむ」

 

「日乗上人。あなたは、どちらの宗派で学ばれたのですかな?」

 

「すべての兼学を修めた。その果てに立ち、仏の教えは日本人に合わぬと結論しておる。

いまは、神道に立ち返った。

内裏様が万世一系たゆまず歩んでこられた日の本たる我国の精神を、復権させたいと念じておる。

南蛮の毛唐どもの出る幕など、無い」

 

「仏教もこの国から追い払うべき、とお考えですか?

さきほど、仏教を知らずして和語を理解するなど、と言われましたが、和語から仏教由来のものを排せば、ひとりごとすらつぶやけなくなりますぞ。

文字をどうやって書き遺されるおつもりですか?」

 

「わし一人で、わし一代で、どうにかしようというのではない。永い時間はかかろう。

ただ、この国には仏法など要らぬ。以前は、今より豊かで、国民は皆、純朴であった。

そんな歴史があったことを正しく知り、内裏様の御心に沿ってこの国で生きてゆくべしだと言っておるのだ。

わからぬか?」

 

「仏教が根付いた一千年間もまた、我国の歴史であると、私は考えますが。

実は我々も、いまの歪んだ世界から人々を救済したい、正しい道へ振り向きなおさせたいと念じている点では、上人と同じ情熱を持っているのです。

この点は、どう思われますか?」

 

「ふざけないでいただこう。天竺より遠くから来たというが、わざわざそんな旅をしてまでこの国へちょっかいを出しにくる意味が理解できぬ。

とっとと祖国へ帰られたし。命までとろうとは思わぬ」

 

「ひとつ申し上げます。

デウスの教えは、武器をもって相手を従わせるものではありません。

私たちは、言葉を第一に、慈しみと赦しをもって教えを説き、それに目覚めた者が救済される道を示すことが信条です。

命をとるとか、とらぬとか、そういう話をしている限り、人と人とはわかり合えませぬ。

これをまず、ご理解いただきたい」

 

 

ここで、カヅサ殿が、発言を加えられた。

 

「ロレンソ。確認したいことがある。

ここにはデウス信者の侍も大勢来ているが、毎日、人の命を奪うことに明け暮れておる者ばかりだ。

いいのか?納得させてみよ」

 

「は。デウスの教えは殺人を禁じております。自分の意思で、都合で、人を殺めることは絶対に許されません。

ただ、軍人という身分で、上官の命によって殺人を行わねばならない場合は、あくまで仕事として、認められます。

それでも良心の呵責に苛まれる場合は、パードレへコンヒサンを求めることができます」

 

「フロイスは、どうか。意見を聞かせよ」

 

私は、答えた。ロレンソの言った通りですと。

 

「フン。納得はいかんが、よい。続けよ」

 

 

ロレンソはこの後、巧みに論点を誘導した。

坊主の教えでも、殺生や奢侈、虚言に淫行などは禁止されているが、実際にはそれがまったく守られていない。

むしろ坊主とは、これらの不道徳を積極的に教え学び実践する人種なのだ。

ニチジョウは坊主も快く思っていないようだから、意外と共感されたりもした。

その都度、観衆の坊主たちが顔をひきつらせるのが、おかしかった。

 

やがてロレンソの消耗が激しくなってきて、私と交代する。

論点は、デウスの教えについて、に絞られた。

すなわちニチジョウが質問し、私が回答する構えだ。

 

「天地を創造し、管理し、今もこの宗論に隈なく目を向けられているという、デウスなる存在が、見えも触ることもできず、呼んでも応えないとは、滑稽なり。

そんなものに、いったいどうして仕えようなどと、思えるのか」

 

あなたは、見て、触れるものしか、対象と認識できないのか。

空気は透明だが、間違いなくここにある。空気のおかげで人は呼吸をし、生きていられる。

光も、熱も、そればかりか太陽や月が毎日規則正しく運行し、動植物の育成をたすけるのも、無形だが存在するものだ。

デウスはその頂点に立っておられるのである。

四大元素によってつくられている私たちにその姿は認識できない。しかし、理解することはできよう。

理解すれば、デウスを讃えずにはおられまい。どうか。

 

「おぬしの理屈は、禅問答に似ておる。なんの証明にもなっておらん。

デウスが無理ならアニマはどうか。そなたが死ねば、アニマは肉体を離れ天界へ向かうのであろう。

それは見えるか」

 

あなたには、見えないだろう。残念ながら。

信心なき者には、目の前の何物も、気付くことすら不可能だ。

答えはすぐそこにあるのに。

気付こうともしないままでは。

 

「ほう。ならば、ロレンソになら、見えるであろうな。

この場でどちらかを斬ってやるか。

何百人もの証言者がいるぞ。見えた者から、どんな形だったかを、聞かせてもらおう」

 

ニチジョウは、脇に置いていた刀に手をかけた。

いつから、そこにあった?持参してたのか?

おい。君はいったい坊主なのか武士なのか、役人なのか。何なんだ。

つい、考えこんでしまっていた。

祭服が重かったせいもある。正座で、足もしびれていた。

動こうとか、逃げようとか、思いつきもしなかった。

 

カヅサ殿の声が、りんと響いた。

 

「そこまで!日乗、貴様の敗けだ」

 

え?

 

「ここの畳を血で穢すつもりか。

フロイスを見よ。微動だにしておらん。この性根の座りように比べて、貴様は何だ。

知恵で勝てぬと悟って刀を抜くか。

情けなや。これにて、閉廷とする」

 

 

信徒たちに、かわるがわる、抱きしめられた。

勝った……んだよね?

緊張がほどけたら、急に疲れが、どっときた。

あとのことは、よくわからない。

 

外は、大雨だった。

少し休んで、輿で教会へ戻った。



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SengokD.1569/008.hmos

坊主どもは、粘着が甚だしい。

 

ニチジョウ殿。あなたは負けたのだ。

大勢の面前で、大王カヅサ殿より叱責され、敗北を宣告されたのだ。

まず、それを認めたまえ。

 

くやしいのはわかる。

おのれの不甲斐なさに肚が立つのもわかる。

さぞや、みじめな気持であろう。

しかしすべては、そなたの無知蒙昧と、驕り高ぶった軽挙妄動の結果であったこと。

はっきりわかって、よかったじゃないか。

これからは過去を振り切り、デウスの教えを一から学びなさい。

あなたほど聡明な方なら、いずれはイルマンにだってなれるかもしれないよ。

ロレンソだって転向者なのだ。

さあ。私たちは、いつでも君を迎えよう。

 

っつってんのによう。

ニチジョウは粘着質においても、並の坊主の何倍もねちっこい。

あちこちで勝負は無効だったと言いふらし、パードレが銀の延べ棒10本でカヅサ殿を懐柔したとか噂を流している。

尾ヒレがつきすぎだ。

果ては、ダイリサマより5年前の追放令を再度、発給し直してもらったりなど。

あんた、それ書いてもらうのにいくらカネを積んだのよ。

と言ってやりたいところなのだけど、それを調べるのにも莫大なカネがかかるのだよね。

あほらし。

だから、しない。

 

とはいうものの、ダイリの追放令が今でも有効と確認されたことは、看過してよい状況ではない。

役人と兵がいつ教会へ押しかけて、財産を没収する事態になってもおかしくない。

そこでワタ殿が、護衛の兵をよこしてくれた。

なんとアンリケ殿が来られた。

治安維持、よろしくお頼み申します。

 

アンリケ殿、ロレンソ、トマス。その他ミヤコ情勢に詳しい信徒たちを加えて、会議をする。

ダイリサマの追放令に対し、こちらにはカヅサ殿とクボウサマからいただいた最新の許可状がある。

数では、1対2だ。勝てる。

勢力図でいえば、カヅサ殿が圧倒的に最強。

次いで、ダイリサマ。

クボウサマは兵力をすべてカヅサ殿に依存しており、加えて何より、市民からの蔑まれようが痛々しいことこの上ない。

数に含める意味すらないという人さえいる。

 

ふと思った。

カヅサ殿が、新クボウサマになる可能性は、ないんだろうか?

いまのクボウサマを放逐することは、いともたやすいはずだから。

 

何人かが、苦笑する。すでに答えは出ているらしい。

 

昨年カヅサ殿がヨシアキをミヤコへ連れてきて、15代目クボウサマに就任させた。

このとき、カヅサ殿に相応の褒美を、という話が持ち上がったそうだ。当然だよな。

しかしカヅサ殿は、きっぱりと辞退する。

まだまだ、しなければならないことがあるからと。

官位をつけクボウサマの筆頭家臣となれる、という栄誉についても、頑なに拒絶した。ミヤコへ住む気はないという。

これは、わかる。あの15代目から命令される立場なんて、カヅサ殿には耐えられなさすぎだろう。守る戦いを好む人物でもない。

自らがクボウサマになる選択は?

本来、クボウサマとは、ダイリサマへ尽くしミヤコをお守りするという役職。

同様に却下だ。

クボウはヨシアキが勤めておれ。

そう言ってカヅサ殿はミノへ戻り、次の獲物へ標的を定める。

 

すごいなあ。クボウサマになろうとしてあれほど内輪揉めをし続けたミヨシ家が、ますます矮小に思えてくる。

 

高価な機械時計でも、自分には無用だから要らないときっぱり断る、この潔さ。強さ。

そう、強さだ。

カヅサ殿は、あらゆる意味で強すぎる。

 

 

イソプの寓話ではないが、威勢だけはよいキツネのようなニチジョウを、さて、どうするか。

 

数日すると、ニチジョウはクボウサマへの訪問も繰り返しているという噂が流れてきた。

ダイリサマよりも簡単にカネでなびきそうな連中だが、カヅサ殿が再びミノへ帰ってしまった今、ミヤコでこの2政庁とも敵に回すことは、甚だ不利となる。

そんな心配が信徒たちを動揺させ、なんとかしなければならない状況に陥っている。

なんとかって。どうしよう。

 

ワタ殿に、相談をした。

ワタ殿はダイリサマへの影響力を、ニチジョウほどは持っていない。

だがクボウサマへなら、強く出られる。

それを、行使しよう。

ニチジョウが何を言ってきても、クボウサマの出した許可状を取り下げたり、変更を加えたりすることがないよう、あらためてヨシアキに確約させよう。

 

「あの機械時計を、公方様へ献上することは、可能であるか?」

 

え。

いやそれは。勘弁してほしいです。

カヅサ殿は返してくれましたが、クボウサマは、取ってしまわれます。

しかも、どうせ、使いこなせません。

壊されたら、私には直すことができません。

大切なものなんです。私たちにとって。

日々の聖務を正しく執り行うための、大事な羅針盤なのです。

どうかそれだけは、ご容赦ください。

 

 

とられた。

クボウサマは政庁の下男下女まで呼びつけ、針をいじくり回して鐘を鳴らさせては、下品な嗤いを全員へ強要した。

手下のひとりに、ブンゴでこれより大きな時計を見てきたことがありますと生半可な知識をひけらかす男もいて、癪に障った。

喜んではもらえた。

ニチジョウはとるに足りぬ男だから気にすることはない、布教は安心して行ってよいと、軽薄なお墨付きをもらった。

 

精神を手放してしまった思いにかられながら、とぼとぼと、教会へ戻る。

もう鐘は鳴らない。

私たちを文明人の側にいさせる象徴のひとつを、こんな形で失うことになるなんて。

くやしくて、たまらなかった。

 

私も、強さが欲しい。

カヅサ殿のように、断れる、強さが。

 



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SengokD.1569/009.hmos

ワタ殿が、新しい城を与えられてミヤコを離れることになった。

 

これまでの感謝を伝えるべく邸へ挨拶に出向いたとき、そろそろギフへ行ってみるがよいと、紹介状を何枚か書いてくれた。

カヅサ殿はミノ国の領都ギフを拠点にして、キナイ全域に指令を出している。

ワタ殿の配置換えも、その一環による。

さらに行政や通商にまで改革を加えているのだが、とんでもなく画期的な変化が、いくつか見え始めてきた。

 

たとえば、通行税がなくなった。

これまで街道にはいくつもの関所があり、通過するたびに荷を調べられ、カネを払う必要があった。

公的・私的、無数にあって、大概、いいかげんなものだった。

これをカヅサ殿は、原則廃止にした。

 

小領主や宿駅が勝手に関を設けることも、禁止となる。

並行してミヤコからギフへの街道全線整備も命じられた。

安全性が向上して、今年は商人のみならず一般旅行者が大勢、行き交い始めているそうだ。

私が行けばカヅサ殿も喜ぶだろうとワタ殿に言われ、遠出をしたい気分がむらむらと湧き起こってきた。

 

 

ペンテコステが終わってから、教会の諸事をアンタン殿らにお願いして、ロレンソと荷物運びの従僕を連れて、行ってきた。

ミヤコから、オーミを通過して、ミノへ入る。

途中、いくつかの公的な関所はあったものの、簡単に通してくれた。旅の無事まで気遣ってくれる。

こうなると旅人同士も仲良くなって、おしゃべりが弾む。

カヅサ殿の評判は、すこぶるよろしい。

役人が聞いているかもしれない場所で領主の悪口を堂々と言う人はいないものだが、そんなへつらいも感じられない。心のこもった賞讃が満ちあふれている。

澄みきった高揚感を味わう旅ができた。

 

ギフは、大きな街だった。

バビロンとはこのような都市だったのではないか、という想像をする。

広大な平地の中心に山があり、その小高い頂に、カヅサ殿の城がそびえている。

 

ここへ着いてからが、艱難の連続だった。

街の人々は、5年前の追放令だけを知っており、我々がテンジク人だとわかるや否や、対応を拒絶する。

最初の夜は、野宿した。

政庁の受付へ赴きサクマ殿への紹介状を見せると、戦場から戻られるまで待て、と突き返される。

直接カヅサ殿へ取り次いでもらうことも考えたが、言い出せなかった。かれらは役人というより近衛兵そのものであったからだ。すごすごと引き下がるしかなかったが、この場ではそれが正解だったかも、と今も思う。

 

数日を、無為に過ごした。

サクマ殿が現れてから、状況が一転する。

大歓迎され、すぐ城へ入れてもらえた。

カヅサ殿からは、笑われた。

 

オーツ殿という家臣が私たちの担当を命じられ、この日以降は城下にある彼の邸へ泊めてもらう。

今後もギフへ来たらオーツを頼れ、予約は不要だとカヅサ殿に言われた。

え、そんな何度もギフへ……来ていいんですか?

私は、どんどんギフが好きになってきていた。慣れると、何もかもが機能的に進むのだ。

首都をミヤコからギフへ移すのはどうでしょう。くらいまで考えた。

 

カヅサ殿は、ミヤコで何度かお会いした時よりずっと、穏和な表情を見せる。

 

「インディアやエウロパには、これよりずっと見事な建築が、いくらでもあるのだろうな」

 

そう言って、はにかみながら、城の中を案内してくれた。

 

ギフ城も、木と紙のみで造られていることは日本のすべての建築と変わらない。だが木を削って組み合わせるだけでここまで複雑かつ巨大な高層建築物が構成できることに、私は驚きを隠せなかった。

さらに衝撃なのは、その清潔さである。

長く広い廊下の隅々にまで、一片の塵さえ見当たらない。

便所でも深呼吸ができる。悪臭を感じない。

清潔とは日本を象徴する形容のひとつではあるのだが……

ギフ城にくらべればサカイの街は臭い。

ミヤコは、もっと臭い。

インディアやエウロパは……

もはや、思い出すのがつらい。

 

最上階の茶室で、もてなされる。

チャノユといって、日本の貴人がたしなむ最高の接待とされる。タタミ数枚ほどの小部屋で、若草色の飲み物をふるまわれ、閑談するのだ。

過去に幾度か経験しているが、ギフではこれも格別だった。

カヅサ殿の手さばきは優雅で、茶も、ほどよい苦味を芳醇に感じた。

これを、地元の名産だという乾しイチジクが引き立てる。

ほっぺたが、落ちるほどの、衝撃だった。

こんなおいしいものを食べたのは、生まれて初めてだ。

 

「フロイスは、甘味が好きだのう。初めて見たときも、そんな顔をしていた」

 

ほよ?

そんなこと、ありましたっけ。

 

「二条の御所で会うより前だ。妙覚寺で。帽子を呉れたであろう。

佐久間が接待したが、予は隣室で様子を見ていた。

パードレは妖術を使うと聞いておったから、正体を見極めるまでは近寄らせたくなくての」

 

がーん。あの時から、見られていたのですか。

いろいろくやしいですが、さすがはカヅサ殿。

かないません。

ほんっとーに、何から何まで、かないません。

 

「日乗は、困った奴だな。

そろそろ用済みか。手を打とう。

そ知らぬ顔をして見ておれ」

 

私たちの目的が、こうして何もかも順調に、達せられていった。

街を観光したら帰るつもりでいたが、その後もカヅサ殿から呼び出されて、城で何度か茶会をする。

とりとめもない話を、いっぱいした。

エウロパのこと、インディアのこと、船、商売、戦争、歴史、天体、文学、芸術。そしてもちろん、デウスの教え。

 

カヅサ殿もまた、ワタ殿と同じ理由で、入信を拒絶された。

 

「まだまだ、殺さねばならん奴が、多いものでな」

 

その候補に、坊主たちも並んでいる。坊主たちは私利私欲に溺れすぎ、民衆を救うつもりなどない。やつらが行動を改めぬつもりなら、滅ぼすべきだろう。滅ぼさねばならぬ。

そうカヅサ殿は考えておられる。

なんとありがたいことであろう。

 

時は満ちた。

デウスのお導きは、まちがいなく、私たちの目の前を照らしている。

 



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SengokD.1569/010.hmos

悪い知らせが一つあります。

それ以外は、いい知らせばかりです。

 

悪い知らせから。

トマスが、いつになく早く帰ってきた。

定航船が、今年は来日しなかったのだ。

商人たちが手分けしてゴトウやサツマまで回ったが、1隻も目撃されていない。

全艦が海の藻屑と消えたのか。それとも何らかの事情で出港しなかったのか。判明せず。

ともかく、現れなかったのだ。

 

商人たち、オオムラやアリマの町民たちには、大打撃だ。1年間の収入をここへ賭けている人も大勢いるのだから。

私だってそうだ。仕送りが途絶えてしまう。キツい。

レアンがいなければ、日に一杯の粥を塩もかけずに啜る生活に戻っていたところだよ。

 

アマカウから来たジャンクが1隻だけ、ファクンダへ入港した。

ただし、定航船ではない。密貿易船ということになる。

船長も船員もチイナ人ばかりで、ポルトガル船団についての情報は持っていなかった。

積んできた商品も、質の低いガラクタばかりで、日本商人たちを余計にガッカリさせた。

ジャンクとは、インディアでつくられた、ナウの模造船をいう。

帆が三角でないこと、竜骨を持たないから嵐の直撃に耐えられないことなど技術的に劣るものの、近年は定航船の僚艦としても普通になってきているらしい。

単独で日本まで来るというのは珍しいし無謀に過ぎるが、ひとまず、往復ができるほどの技術がついてきたと考えるべきかもしれない。

チイナ人は安い賃金で猛烈に働くため、定航船の船員としても昨今その比率が高まっているそうだ。もしかしてそれのせいで全艦遭難しているなんて可能性はないか。

そんな想像をしてみたが、現時点では確かめる術がない。

 

 

シモにおける布教状況は、たいへん好調のようである。

とくにアルメイダが、アマクサという地へ派遣され、領主に洗礼を授けてからは家臣から領民までどんどん教えが広まり、町では子供たちの歌声が途切れる暇もないという。

アマクサにはサシノウラという良港があり、今後の定航船拠点にしたいところだが、オオムラ領やアリマ領が妨害を仕掛けてくる。誘致合戦の勃発だ。

こうなるとアルメイダの交渉術が炸裂する。

サシノウラは迎撃にも向いている地形なので、丘の上に火炮設置を薦め、すでに2門売りつけたとのこと。

コチノスやファクンダへも、この脅威をちらつかせて営業中だそうだ。

なんとも頼もしい話である。

 

 

次の話題。

コスモくんが、ミヤコへ来た。

教会は前と同じ場所にあるから、すぐ隣はコスモくんの実家である。

いいのかい?と確認した。

コスモくんは、サカイの教会を任せている信徒と激突してきたので、ミヤコの方がマシだという。

そんな理由か。わかるなあ。

私もヴィレラと一緒にいた頃は、苦痛の連続だったからねえ。

 

コスモくんの引っ越しは、お隣にすぐバレた。

久々に彼の父親から殴られた。

信徒たちが総出で説得をしてくれ、なんとかおさまる。

こっちには武装兵もいますからね。お父様、手を出させないでください。

平和。平和が一番です。

 

コスモくんの強情さは筋金入りだ。

庭越しに、もと家族と目が合うと

「まだ邪宗にとらわれているのか!」

と強い語調で先制する。

フォッケ教への憎悪もすさまじいものがあり、坊主を悪罵するときには彼の背後から輝きが伴う。スピリツサントスが全力で応援してくれているようだ。

コスモくんは受洗後にフォッケ宗の妻を娶らされたが、その奥方がまだこの家に住んでいる。夫の両親や弟夫婦と一緒に。

彼女も時々庭越しに顔を見せ、そのたびコスモくんから罵られる。

いつも、泣いている。

この光景だけは、私も心を痛める。せつない。

コスモくん。もう少し優しく言ってあげないと、かれらは、こっちへ来てくれないよ。

君の家族だった人たちが、心からクルスの前に跪き、デウスの教えをそのアニマに染み渡らせるようになるためには、攻撃一辺倒では、よくないとも思うんだけどな。どうだろう。

そういう機微もこれからは学んでいってほしいものだなあと思ったりは、する。

 

 

攻撃といえば、カヅサ殿。

今年も絶好調だ。

ヤマト国の東で、オーミ国の南。イセイという国がある。

カヅサ殿の故郷ヲアリとも、海を挟んで向かい合っている。

秋風が吹き始める頃、ここが戦場となった。

 

秋といえばコメの収穫期。

カヅサ殿の軍勢は、刈り入れの直前に襲いかかり、黄金色の稲畑を悉く焼き払った。

同時に、イセイ領主の立てこもる城を包囲。

わずか2週間で降伏させ、領民にはただちに、オーミから輸送した食糧を配給した。

 

ギフの城で、私はカヅサ殿の子供たちとも遊んでいる。

次男のチャセンくんが、これからイセイの領主となるみたいだ。

まだ少年なので、もちろんお飾りだが。日本では珍しくないことである。

実際の政務は、屈強の家臣団が執り行う。

領内の城や砦は、防衛に欠かせないものを除いて解体され、オーミやミノと同じく関所も廃止される。

すでに効果も実証された政策だから、迅速に導入された。

イセイは広域商業圏に加わることで、これからは人流も物流も盛んになって、より豊かとなる。

民衆は歓喜して、解放者カヅサ殿を讃える。

 

これに対して、ダイリ陣営が不満を漏らしているらしい。

イセイはヤマト国にも接しているが、同じくカミの聖地なんだそうだ。領内にダイリの直轄地が多数存在し、複雑な利権も絡み合っていた。

ヤマト国の領都ナラは数年前に焼滅したが、今回イセイ国を奪われたことで、ダイリの財源はほぼ枯渇することになる。

すでに無用の長物となり果てている王朝だが、いよいよ存亡の際に立たされたというわけだ。

 

愚か者にカネを積まれて追放令なんか出した罰だよ。

インヘルノで永遠に反省してください。

ニチジョウも、まだ生きていたら、反省しているだろうかね。

とっくに興味もないけれど。

 

 

最後に、レアンの話です。

彼は高利貸しだった。個人で小口の取引を、ミヤコ中心に何十年もやってきた。

返せなければ、娘を連れていく。

たっぷり遊んだあと、キモノで飾りつけて売り払う。

どれだけ豪遊しても使い切れないほどのカネが、いつもレアンの手許にあった。

だが彼は、デウスを知った。

これまでの乱れきった生活を、虚しく恐ろしいものだと気付くようになった。

 

彼は跪き、心から反省し、すべての財産を教会に寄付したいと、洗礼を希望する。

私は、二度と悪行に手を染めないことを誓わせて、霊名を授けた。

 

ただ嘆かわしいことに、中毒者の社会復帰は、そう簡単にはいかない。

彼には並はずれた才能があり、全財産を寄付しても、わずかな生活費を元手にいつの間にかまた大金を手にして、コンヒサンを求めてくるのだ。

私は彼の涙に何度も赦しを与えた。

彼はそのたびに、全財産を教会に預けていく。不幸な人々への施しに使ってもらいたいと言って。

その純真な、切なる思いに、私は応える義務がある。

 

彼はいつも叫んでいる。死にたい、自分なんて生きていてはいけない存在だと。

それは間違っている。

レアンよ。君は、生きなければならない。

一日でも長く生き続けて、デウスの教えを学び続けなくてはならない。

いつでも、ここへ来ていいから。

そう言って今日も、送り出した。

 

デウスは常に君を見ているからね。アーメン。

 



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SengokD.1570/001.hmos

降誕祭。

具合が悪くて、ずっと寝ていました。面目ございません。

 

その前の週に、東の空で、異変が起きました。

空が虹色に燦めき、流れ星のようなものが光って飛んでいきました。

いったい何事だろう、と皆で見つめていると、急に頭が痛くなって、私は倒れたらしいんです。

そのときは、それきりだったんですが、いよいよ降誕祭というある日。

また突然、烈しい頭痛と耳鳴りで、倒れました。

過労かしらん。大事をとって、安静を心掛けるようにします。

教会の聖務一切は、コスモくんやロレンソたちにお願いしました。

 

私はいつも書翰では、具合が悪い悪いと言っておくのが常ですけど、いえ皆がやっていることですけど、今度のこれは、本気で、洒落にならなかったです。

 

ミヤコで、キナイで、たった一人のパードレですもの。無理が祟ってたんでしょう。

それにしても、楽しい楽しい降誕祭を、信徒たちと過ごせなかったのは、残念でした。しょぼん。

 

1570年。あけましておめでとうございます。

 

今年の復活祭は、聖母御受胎の日と重なるのですが、40日さかのぼる灰の日は聖アガタ記念日の近くになります。この日は日本の暦で1月4日にあたるため、少々、困った状況が発生します。

敬虔な信徒は、思い詰めた顔で問うてきます。

お正月なのに、断食せねばなりませんかと。

私は答えます。しなくてよいよ。

祝いの席では、食いたまえ。飲みたまえ。

過度に騒ぐことはよろしくないが、人間関係を気まずくさせることは、コンパニヤも望まない。普段会えない客人とも語り合える機会だろう。安心して、お正月を過ごしなさい。

 

難しいのは、信徒の中でも、原理を貫きたい人たちですね。

日本のお正月にまつわる様々な出費を今年は一切払わないぞと心に決めて、灰の日前から邪宗徒との交際を拒絶する。

皆が楽しくおせち料理を食べているのを隅から睨みつけて過ごすお父さんが、いるわけです。

様々な苦情が寄せられます。

さすがにこれは従僕にまかせておさまる業務ではないので、私が出動します。

ほんともう普通に過ごしてくれよ、みんな。お願いだから。

 

 

そんなある日。

物体ことウルトラから、話しかけられました。

珍しいというか、あんな対話は初めてですかね。

私から呼びかけても、返事してくれるのは5回に1回か、それ以下。

基本的にぶっきらぼうで無愛想で、冷たいヤツです。

こんなヤツにも友達がいるなんて。

驚きました。

 

((( フロイス。表に出てもらえないか。

私の友人が、近くまで来ているようだ。)))

 

今日は晴天で、陽射しがあたたかそうです。

年末の大雪が積もっていて照り返しが強いですが、人影は見えません。

白い犬が、一匹、こちらを見ています。

私の方へ、近寄ってきます。

ゆっくりと。

 

((( 彼のようだな。

どこかで、腰をおろしてくれ。語り合いたい。)))

 

犬というより、狼に見えます。

近づくと、意外に大きい。

目が怖いです。牙が鋭いです。

私は硬直しましたが、ウルトラは、心配無用だと言います。

人に慣れているようには感じますが……

それにしても、こええ。

 

裏手の石段の上で、日向ぼっこしながら、犬の毛を撫でてました。

もふもふして、あたたかいです。オスですね。

時々私の股間の匂いを嗅いでます。

たしかに吠えませんし、危険はなさそうです。

 

はて。語り合うと言いながら、何も喋りません。

かれらなりの伝達手段があるのでしょうか。

静かな、ふしぎなひとときが、過ぎていきました。

 

半時間ほどでしたか。逢瀬は、終わったようです。

犬は、立ち上がりました。

去っていきます。

用事は、すんだのかな?

 

((( ありがとう。また、時々、来ると思う。

今日のように、撫でてやってくれ。)))

 

ウルトラよ。訊きたいことは色々あるが、いったい彼とはどういう関係なのだい?

 

((( パードレの先輩と後輩、みたいなものかな。私が先輩だ。

異国の地で、同郷に会えるというのは、いいものだな。)))

 

ほう。

君がそんな、人間味のある言葉をつぶやくなんて、驚くね。

 

((( ははは。君に影響されてきたのかもしれない。

ところで、彼は、君たちの分類でいうと、犬なのかな?狼なのかな? )))

 

え?……さあ、どうだろう。

飼い犬ではなさそうだった。

狼だったら、あんなに大人しいわけがない。

ちょっと、わからないな。

 

((( 判別する必要は、無しかな。

まあ、犬だとして、どんなものが好物か、わかるかね。)))

 

好物か。

なんでも食べるんじゃないか?

エウロパでは肉を骨ごとくれてやるが、日本では、残飯を適当に与えてるようだね。

野菜は、あまり好きではないようだが。

 

((( 私は、君の目を通して、野良犬がよく棄てられた子供を食べている姿を見ているが、あれが、かれらにとってのごちそうだと思っておいてよいかね。)))

 

な。おい、物体。それ以上言うのをよせ。

不道徳きわまりない。

 

((( フム。斟酌する。

話題をかえるが、彼は人間よりもずっと嗅覚がすぐれているらしいよ。

その代わり、視力は弱いようだ。)))

 

……まあ、犬だからな。視力は知らんが、鼻はきく。

賢い犬は、落とし物の匂いを嗅いで、持ち主の家まで突き止めることができるよ。

しかし、届ける前に、噛んでぼろぼろにしちゃうけどね。

 

((( それは傑作だ。

犬に、歩行用とは別の肢がついていれば、もっといろんなことができるだろうにね。)))

 

なんだそりゃ。6本肢ってことかい?

デウスがそんな動物を創られてない以上、必要の無いものだよ。

それより、お客さんだ。

 

また、ひと悶着あったのかい。

やれやれ。普通に過ごしててくれよ。たのむから。

ちょっと、出かけてくる。

 



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SengokD.1570/002.hmos

<<< ハヤタ師、ですか? >>>

 

((( 君は? )))

 

<<< エースといいます。

C期C番に所属。隊はTAC。

構成子はミナミ&ホクト。

製造者はシン・イチカワ博士です。>>>

 

((( 後発だな。

私のパイロット・コードはベムラー。

B期C番の戦隊で出征した。)))

 

<<< お会いできて光栄です。

先輩は、俺たちの世代からはファースト・マンと呼ばれています。最高の英雄です。>>>

 

((( そうなのかね。

この星には、君と私以外に、隊員はいるかな? )))

 

<<< シグナルは、ここしか捕捉していません。航跡を辿って来たら、先輩でした。>>>

 

((( そうか。

ちなみに、私の乗物はきわめて脆弱なので、何発もシグナルを打てない。

もし他にいたら、君が連絡をとってくれ。)))

 

<<< こいつが……ですか。

確かに弱そうですが、そんなにひどいですか? >>>

 

((( 地表の重力場に対し、このタッパで、双脚歩行だよ。ひとめで欠陥設計だとわかるだろう。股関節に負担がかかりすぎている。

数え上げればきりがないほど、ひどいのだ。この、ヒトという生物は。)))

 

<<< 別のに乗り移っちゃえば? >>>

 

((( 幾度も迷った。

だが、この建物群を見てくれたまえ。すべてヒトの所産なのだが。

私はこれに興味があってね。設計理念や技術情報に触れるためには、ヒトでいる方が好都合だろう。

そう割り切ることにして、とりあえずこいつの肉体が動く間は、乗り続けることにした。)))

 

<<< せめて、制御系だけでも完全に奪うとか。>>>

 

((( それも考えた。

しかしそれは、この個体になりすまし、この星の一員として行動することを意味する。

しばらく観察していたんだが、あまりに複雑で面倒だと感じた。

私の調査範囲は制限されるが、こいつの生活を邪魔はしないでおくつもりだ。)))

 

<<< なんでまた、こんな乗物を選んじゃったんですか。>>>

 

((( 初めて見たとき、この個体は自らの命も顧みず、他者を救っていた。悠然とな。

その姿に感動したのだ。

もっとよく調べてからにしておけばよかったんだが。不時着したばかりで急いでもいたから、しかたがない。

じゅうぶんに反省しているので、この話はやめてくれ。)))

 

<<< 先輩でもそんな失敗をするものなんだって、俺も気が楽になりますよ。

俺の乗物は、どうやらバランスが非常にすぐれた個体のようなので、先輩のぶんまで、働いてみせましょう。>>>

 

((( たのもしいな。

その生物は、イヌ、もしくはオオカミと呼ばれているもののようだ。

実際どんな感じかね? )))

 

<<< D脚駆動。移動方向は前進のみ。水平面上の旋回が可能。

全身に高密度のワイヤーが張り巡らされており、その中は水と鉄を主成分とするオイルで満たされています。

大気中の酸素を混合炉で鉄と化合させ、発動機の圧力で循環させます。

これにより体内の温度が一定に保たれ、高度な制御系を安定させています。

水と酸素の他には、動力源として同種生物の体組織片を摂取する必要があり、そのための捕獲能力を備えています。

ひとまず、こんなスペックですかね。>>>

 

((( 基本構造は、ほぼ、ヒトと一緒かな。

エース、君の本体はどんな形状なのか? )))

 

<<< 円環型です。

大きさは、そうですね。今、俺の体を撫でている脚の先端に触手があるでしょう。

それの直径くらいのサイズです。>>>

 

((( 指輪のような感じかな。

ずいぶんと小さいんだな。)))

 

<<< 先輩は、世代でいうとベータカプセルでしたっけ。

あのサイズだと、乗物も大きくないと潜れませんよね。>>>

 

((( 今の私は、初期型より小さいボディに改造されているのだが、それでも君より随分大きい。

小さなのは良いことだ。

乗物を選択できる幅が広がる。)))

 

<<< 先輩。さっきから違和感があったんですが……もしかして、そのヒトという乗物の主たる認識センサーは、空間幾何学体系ですか? >>>

 

((( そうだよ?

イヌにもヒトにも同じ器官があるね。これだ。

目という。)))

 

<<< やっぱり。

イヌの主要センサーは、それの前方に突き出している、この器官なんです。

大気中の微粒子を判別して周辺環境を認識します。

目は、これの補助をする役割しか持ちません。>>>

 

((( ほう。イヌは、目よりも鼻で世界を知るわけか。面白い。

ヒトにも嗅覚が備わっているが、貧弱だ。

表現するための語彙も少ないね。)))

 

<<< 嗅覚の次にウエイトが高いのは、大気の振動波に共鳴する器官です。

ここです。>>>

 

((( 耳か。聴覚という。

ちなみに目で認知する刺激は視覚と呼ぶ。

ヒトが受容する外界認識のウエイトは、視覚>聴覚>触覚>味覚>嗅覚……といった順になるかな。)))

 

<<< はあ。

イヌとヒトは、ずいぶん違う種に属するみたいですな。

コミュニケーションは難しそうです。>>>

 

((( たしかに。

ところで私は今、イヌの視覚が弱い理由のひとつに気付いたよ。

ヒトの場合、C個の目が水平に配置されていて、その視野角は大部分重なっている。

C個の目で同時に見ることにより、対象物への距離を判断しやすいのだ。

イヌの場合、突き出た鼻が邪魔をして、視野が遮られてしまう。

ム?おかしいね。

君はさっきイヌには捕獲能力が備わっていると言ったが、相手を襲うときに距離が曖昧であることは、不利になる要素だね。)))

 

<<< 言われてみれば。

確かにその通りなのですが、不便と感じたことはありませんねえ。

嗅覚だけで距離をほぼ正確に捕捉できますので。>>>

 

((( なんだって。匂いで位置関係を特定できるのか。

それは、ヒトには想像もつかない能力だ。

だったら視覚なんて不要かな。)))

 

<<< ちなみに俺は今、先輩の乗物の匂いを記憶しました。

おそらくですが、かなり遠くまで離れても、ここへ戻ってこられる自信がありますよ。>>>

 

((( 随分と高度なスペックを備えているみたいだね。

それは個体特性かな?

イヌ全般にあてはまる能力なのだろうか? )))

 

<<< 俺もまだ、この乗物には慣れていないので、少し時間をください。

他のイヌも観察することで、そのあたりも分析できると思います。>>>

 

((( よろしく頼む。私も楽しみができた。礼を言う。)))

 

<<< また来ます。

先輩の乗物、体温が下がってきているようです。そろそろ、建物の中に戻してあげてください。>>>

 

((( ありがとう。

この欠陥生物は本当に、不便だらけで困る。

じゃあ、気をつけて。

グッド・ラック! )))

 



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SengokD.1570/003.hmos

ワタ殿と、1年ほどぶりにお会いした。

 

ペンテコステを過ぎて、ほどなくだった。

頭髪をすべて無くしていて、驚いた。

詳しくは聞かなかったが、業務上の過失でカヅサ殿からお叱りを受けたとか。

禿になることは日本において罪を認め、反省を顕示する習わしである。ただ、坊主も好んでこれをするので、何かしら区別をつけてほしいところ大である。

 

ワタ殿は家臣団を連れて、教会を訪れた。

しばし語らう。

心労が嵩んでいるのか、うつむきがちで声にも元気がなかった。

訪問の目的は明らかだ。カヅサ殿が今、ミヤコへ来ているので、御挨拶するとのこと。

私も誘われた。

いいですね、お伴しましょう。献上品は、何がいいかな。

 

昨年完成した、ダイリサマの新しい政庁。

ここで祝宴が催されている。

その前後の日取りで、謁見希望者が殺到。

キナイ中の有力者が、カヅサ殿とクボウサマに、いろんな要望を持ち込んでいるようだ。

王様って、大変だなあ。

 

私たちの番が来て、カヅサ殿、サクマ殿、その他の皆さんと久しぶりに語らった。

日本の宴会ではやたらとサケを飲まされるのが常だが、カヅサ殿は飲酒をしないので、私にも勧めない。

他人が飲むのは全然かまわないという。むしろ大いに飲んで笑え、楽しい話を聞かせよ。そう命じられる。

自分だけは常に臨戦態勢で、より多く相手に語らせるのが狙いなのかも。と、この日はちょっと思った。

勘繰りすぎかな。

 

ワタ殿は、時々しどろもどろになりながら、いろいろ喋らされている。

失敗を赦されるかわりに、次の戦で兵を率いて参加するようにとの約束をさせられている。

どの程度の兵力を出せるか。馬は何頭、弓手は何人、鉄炮は何挺あるか。など具体的に要求されている。

隣室で書記官のセキアン殿が、聴き耳を立て、書き留めていたりしてるんだろうな。気配は、感じられないですが。

私も最初の日に、サクマ殿からいろんな質問をされて、無防備に答えちゃっていたなあ。

とくに隠すことは今も無いけど。

恥ずかしい振る舞いはしないように、気をつけたい。

 

「フロイス殿、もっと食べなされ。断食期間は終わったのであろう。教会では、貧しい者への施しをいつもやっておると聞く。立派なことじゃ。坊主どもに、見習わせたいものじゃ」

 

サクマ殿が、私を気遣ってくれます。ありがたいことです。

遠慮なく、いただきましょう。

 

「フロイス。いま、そちの下には、どれほどの信徒がいる?」

 

お。カヅサ殿が、こちらへ興味を向けられたようです。

信徒の数ですか……

ミヤコでは約150人。サカイ、アマンガサキ、サンガ、などを合わせると、2000人くらいでしょう。

シモでは、信徒ばかりになった町や村などもあるそうですが、キナイでは、なかなか厳しいです。

 

「ゆくゆくは、日本人をすべてデウスの信徒にしたいと思うか」

 

む。ここは、気をつけて回答した方がいいかもしれませんね。

ひと呼吸おいて、ゆっくりと、答えます。

 

はい。その通りです。ゆくゆくは。

ただし、無理強いをしてはなりません。

私たちは、人々に気付いてもらえるまで、語り続けます。

その流れに沿った上で、日本の老若男女すべてに、敬虔かつ謙虚で清貧を貫く生き方に目覚めてもらうことを、願います。

 

「それでは、時間がかかろう。今いるパードレだけでも足りるまい。

まだまだ、送りこんでくるつもりか」

 

おっしゃる通りですが、私たちは1500年もかかって、やっとここまで来たのです。

まだこの先、1000年、2000年かかるかもしれませんが、一歩一歩、積み重ねるだけです。

パードレは、多くても1年に3人くらいまでしか、来日しません。

人手は欲しいですが、こればかりは、なかなかつらいところです。

 

「悠長なことよ。それまでには儂らが、日本を平定してしまうぞ」

 

家臣のアケチ殿が、絶妙な発言をしてくれました。

私はすかさず応えます。

 

今はまだ、皆様への貢献が出来ないでいること、忸怩たる思いです。

然れども私には、カヅサ殿があと10年、20年のうちには、日本66領国を平定している姿しか想像ができません。

そのとき王国全土から争乱は消え去り、住民は自由に移動ができ、商売は盛んとなり、子供たちの笑顔も絶える暇がない。日本がそんな楽園になっていることは、疑いがありません。

私たちが、そのお手伝いをできるとしたら、こんな形でです。

 

人々に夢を与え、生きる目的を示しましょう。

デウスの教えを理解した者は、職務に迷いを持ちません。

このことは、皆様方も、兵士たちの活躍によって実感されていると思います。

そして私たちは、まずは大船を造る技術を皆様にお伝えしたい。

これによって日本人自ら、大海原に出ることが可能になります。

シンダン、テンジクを遙かに越え、いずれはエウロパまでご案内したい。

一日も早くそんな未来が訪れることを、私は願ってやみません。

全信徒の思いが、同じはずです。私たちは、ひとつになれます。

そのための平定を、カヅサ殿に託したい。

 

皆の息づかいが聞こえてきた。

全員の時が止まり、瞳に輝きが増した。

大成功だったと言ってよいのでは、ないかしらん。

ワタ殿も、もっと元気を出してください。

今日は、とにかく、明るくて威勢のいい話だけをしましょうよ。

さあ、食べて、飲んで。

 



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SengokD.1570/004.hmos

無敵すぎる英雄。

それでいいじゃないですか。

 

ハラハラ、ドキドキなんて要らない。

地上には坊主が、これだけ蔓延っているんです。まず駆逐。

さくさく進めましょう。さくさく。

こんな序盤で手こずっていては先が思いやられます。行けるところまで、なるべくとっとと行きましょう。

 

ところがデウスは、私に、余計な試練を与えたがる。

なまけちゃいないってのに、甘えるな怠けるなと、休む暇をくれたがらない。

困ったことだが、期待されている私としては、これにあまんじなければならないのだ。

そんなわけで。

カヅサ殿が、逆境に立たされている。

 

発端は、先月の祝宴にあった。

クボウサマの新政庁落成1周年記念の盛大なる祭典。

挨拶しに来なかった大名が、若干いた。

 

正当な理由、たとえば領内で坊主が大暴れしていて、などの弁解があればまだしも。

国王の権威を認めていないのではないか、叛意を抱いているのではないかと、クボウサマは疑いを持つ。

そして最も頼りにしているカヅサ殿へ、ちょっと様子をみてきてくれと、出動を要請する。

 

高飛車な命令であれば、カヅサ殿は従わないだろう。

クボウサマがメソメソと泣き言を述べる形で相談して、なら私がちょいと挨拶がてら様子を見てきてあげましょうかと、カヅサ殿が腰を上げる。

実際には、そんなやりとりだったのではと想像する。

それぞれの性格から、推察するに。

 

そしてカヅサ殿がひとたびミヤコで号令をかければ、たちまち数万人規模の軍勢が、お伴しますと馳せ参じる。

弱い者ほど勝ち馬に乗りたがる。

戦場に転がる放出品を狙う者。火事場泥棒に生活を賭けている者。

戦場で必要な、ありとあらゆる武具の製造販売に携わる商人たち。

さまざまな群衆が、カヅサ殿のうしろについてゆく。

あさましいものよのう。

そんな有象無象を引き連れた出陣を、見送った。

 

 

オーミ国の北半分には、カヅサ殿と戦ったことのない小領主が何人かいる。

その一人、ムトーという王が、最初の訪問先となった。

見たこともない大軍勢を前にして、必死に言い訳をしたそうだ。

彼を脅しつけているうち、どうやらすぐ北隣のエチゼン国王にそそのかされたらしいとわかる。

 

エチゼンといえば、トマスが行くたびに太って帰ってくる土地だ。

現在のクボウサマがまだ坊主だった時期、ここへ逃げ延びた。

すぐ北にはイコ宗の坊主領国が接しているため、エチゼン兵の大部分は、ミヤコと反対側の北部方面へ張りついている。

そんなエチゼンへ、カヅサ殿、乗りこみます。

 

エチゼン軍は、抵抗した。カヅサ軍と一戦を交えた。

意外にも粘り強く、カヅサ殿、ひとまず退却。

城のひとつを奪取した。そこに屈強な兵団を配置した。

態勢を立て直し、準備が整い次第、ここを拠点に再出撃する手筈だ。

 

カヅサ陣営の中から、裏切者が出たらしい。

オーミ北部の小領主で、アサイという男。この男がユダだった。

まだ若く、カヅサ殿の妹を嫁にしていた。だから格別に信頼されていたというのに、エチゼン側へ寝返った。けしからん。

その問責と、処罰と。そして再編制をするための一時的な撤退であった。

 

カヅサ殿は小部隊でミヤコ入りし、クボウサマへ報告をすませた。その後すぐ、一旦ミノへ戻った。

ミヤコでは、カヅサ殿がすぐにエチゼン王の首を提げて戻ってくるだろうと凱旋式の準備をしていたのだが、ひとまずは、お預け。

 

カヅサ殿は慎重に後退したことで、危機を免れた。

ミノへ向かう道中、山の中で、鉄炮による狙撃を受けたのだ。

鉄炮。日本製エスピンガルダ。

頬をかすめたとか、際どい噂も流れているが、さいわい無事だった。

よかった。

 

この一件は、きわめて重要な示唆をいくつか含む。

カヅサ殿が整備した街道での事件だ。敵地での襲撃ではない。

旅の利便性は、犯罪者も利する結果につながっていたのだ。

噂が、たちどころにミヤコ中を駆け抜けたことも懸念事項。

カヅサ殿が自ら公にする必要はないし、普通にありえない。

情報を広めた奴がいる。

襲撃者とつながりを持つ組織が、すでにミヤコでも暗躍している可能性は高い。

 

カヅサ殿の身辺警護は今後、強化されざるを得ない。

勿論、してもらわなければ困る。

カヅサ殿の身にもしものことがあれば、コンパニヤの庇護だって一瞬で無に帰すのだから。

デウスがそんなことを望まれているはずあるわけないのだが、でも、デウスのことだからなあ。

私を苦しめるためなら、どんなことでもするのが、デウスなので。

まったく。わけがわからないよ!

 

どのくらいの距離で撃たれたのか判らないが、射手の腕前は驚異的な水準だろう。

まさか、馬で走っている最中ではあるまいけれど。

休憩中だったにしても、カヅサ殿を見分け、正確に狙っている。

そんな敵を、みすみす、このままにしてはおけない。

 

狙撃犯に告げる。

あなたにも、愛する者があろう。守りたいものが、あるにちがいない。

話を聞こう。きかせてくれ。

あなたが償いを求めているなら、私はそれを赦すことができる。

心を開いて向き合えば、必ず、道は拓けるはずだ。

どうか取り返しのつかないことをしでかす前に、私を頼ってほしい。

私にできる、せいいっぱいのつとめを、果たそうじゃないか。

 

この声が届いていれば、お願いだ。来てほしい。

私はあなたの心から、悪魔を祓おう。

あなたの力はもっと有意義なことに活かすべきで、私はその道を示すことができると思う。

エチゼンより、カヅサ軍に入りたまえよ。私が紹介するから。

それが最善じゃないかな。アーメン。

 



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SengokD.1570/005.hmos

北部戦線、やや異常。

 

カヅサ殿はミノのギフ城で1箇月、策を練った。

準備を整え、まず裏切者のアサイを討伐するため、北オーミへ出陣する。

 

アサイは妻である、カヅサ殿の妹を人質にしたまま、和睦を訴えてきていた。

いったい、どういう了見なのか。停戦交渉なら、仲介者を立てるのが筋であろう。

聖職者である私なら適任だ。いつでも引き受けるよ。

それをしないばかりか、もしカヅサ殿が再度エチゼンを攻めるならば、自分たちが背後から妨害します、と条件をつけてきた。

世迷い言じみていないか。

 

カヅサ殿は、アサイを領地もろとも壊滅させることにした。当然のなりゆきだ。

ただその前に、妹君と子供たちの救出が必要。もしものことが、あってはならない。

得意の駿足は封印して、相手に脅威を与えながら、ゆっくりと進軍する。

途中、新たな敵が現れた。

3年前、カヅサ殿の進撃にひとたまりもなく駆逐された、南オーミのロカク軍。なんと、生きていたのだ。

アサイから頼まれたのか、自発的に蜂起したのかは、謎である。

速攻、カヅサ軍に叩きのめされ、消えた。

新兵の予行演習にもならなかったようだ。

いったい、何を考えていたのだろう。

 

駄目元で、陽動するだけの役回りだったのか。

アサイとエチゼンに準備をする時間を与えるつもりだったのか。

アサイだって、本命エチゼンへ勝負を託して、ただカヅサ軍を消耗させるためだけに、粘り抜くつもりかも。

これを周囲からじっと窺い、大国同士の疲弊を待ってから乗りこもうとする小国も、沢山ある。

小領主たちは参入する時機を狙いつつ、競いあってアシガルを募集し、訓練するのに余念が無い。

ミヤコからは、浮浪者の数が急速に減っている。

ひとまずは、よいことだ。

 

 

北オーミで、戦端が開かれた。

カヅサ軍は、手こずっている。

本気でかかれば雑作もないはずだが、本陣へは向かわず、周辺の城砦を叩くことに終始する。

エチゼン国から、かなりの援軍が北オーミへ差し出されているとも聞く。

エチゼンからすれば、アサイが滅ぼされればカヅサ軍がすぐ北進してくることは判っているので、その前に可能な限り戦力を削らせておきたいと考えるのは自然なこと。

自国を戦場にするよりは、出来る限り北オーミ領内で暴れさせておく方が、賢明だろう。

そんな打算も見てとれる。

 

エチゼンの北に接する、カンガの坊主どもは、何をしているのだ?

坊主どもよ。いま、エチゼンの防御は薄いぞ。狙いどきだぞ。

攪乱だけでもいい。動けよ。いま動かなくてどうするんだ。腰抜けめ。

エチゼンの海の幸が、欲しくないのか。普段あれだけ強欲なくせして。

最終的にはカヅサ殿が総取りするんだが、その後では、食べられないんだぞ。

 

余談だが、このカンガ国。

ミヤコから承認された領主を坊主どもが倒して政権を奪ったのは、80年ほど前らしい。

それ以来、完全に無法地帯となっているかといえば、そうでもないようだ。

占拠してる坊主はイコ宗で、イコ宗といえばオーザカが本拠地。

カンガ国の領主は、カンガにいない。オーザカの最上位坊主が、カンガ領主を名乗っている。

これを任命したのは9代目あたりのクボウサマ。その後、ダイリも承認したらしい。

よっぽど貢いだんだろうな。

実態は私には依然、よくわからないのだが。ひとまず、66領国の一角であるという体裁は保たれているようなのだ。

もしかすると、エチゼン攻めにはオーザカの許可が必要なのかもしれない。能率が悪すぎだな。さすが坊主だ。

 

 

カヅサ殿は、2週間ほどで、北オーミより撤収した。

作戦の練り直しであろうか。予想外の事態がいろいろあったので、やむを得ないことかもしれない。

それにしても見極めが早い。埒が明かぬと思ったらいつまでも留まらないのだ。

想定以上の損耗が生じたからではないか、という風聞も無くはないが、それならそれで、撤収は正解だろう。

カヅサ殿は適確な計算をもとに動くのだ。それもまた、カヅサ軍の強さである。

 

それにつけても、発端となったオーミ膺懲を依頼した張本人であるクボウサマは、何をやっているのか。

今度の北オーミ戦には、クボウサマも参戦する予定だったらしい。

自分から大々的に告知しておきながら、兵が集められなかったので、不出馬となった。

いったい、何を考えているのだろう。この人は。

情報もだらだらと漏らしまくっているしさあ。

 

カヅサ殿は、秘匿戦術でも抜きん出ている。ことに過日の狙撃事件以来、ますます神出鬼没になった。

それでいいのです。そうあるべきです。

学ぶべき姿ですよ。迷える小羊たちに教えてあげたい。

あんたにもな、クボウサマ。

 

 

((( ちょっと、いいかな。フロイス。)))

 

ん?ウルトラか?

なんだい。今、考え事をしていたところだ。

 

((( 友人が、また、来たようだ。

少し時間をもらえないかね。)))

 

冬に一度来た、あの犬かい?

いいよ。僕も少し、散歩でもしたい。

 

((( 戸棚に、梨があるだろう。一つもらえれば、嬉しいね。)))

 

え?ああ、いいけど、犬にやるのかい?

 

((( そうだ。四つに切って、口に入れてやってくれ。たぶん、彼にはご馳走だ。)))

 

 

犬は、前に来たときより、野性味が増していた。

手を噛まれるどころか、食いちぎられるんじゃないかと怖かったけど、ウルトラが、絶対に大丈夫だと請け合う。

事実、犬は礼儀正しく梨を食べ、満足げに喉を鳴らした。

今日も半時間ほど、寄り添っていたが、一度も吠えず、大人しく去っていった。

 

……なあ、ウルトラ。

君たちは一体、どうやって、どんな会話をしているんだい?

 

((( 共振現象により思考波を共鳴させて対話している。

残念ながら、君にも、他の犬にも、それは感じ取れない。

内容は、取るに足りない世間話さ。

彼はあちこち歩くからね。海を見てきたと言っていた。)))

 

へえ。のどかなもんだな。

いいなあ動物は悩みがなくて。

君にも、悩みなんて、あるのかい。

僕の体に居候してるって言うけど、死ぬまでそのつもりかい?

 

((( 君のような悩み方とは、おそらく無縁だろうね。

死ぬまでか。

私たちも、いずれは死ぬが、パライゾへもインヘルノへも行かない。

そのときが来れば、消滅するだけだ。)))

 

フウン……じゃあ、パライゾの門前で、お別れかな。

 

 

暑い陽射しを浴びてたら、喉が渇いた。

僕も梨を一つ、いただこう。こっそり。

 



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SengokD.1570/006.hmos

<<< ただいま、戻りました。>>>

 

((( おかえり。随分長かったな。

何をしていた? )))

 

<<< この島の海岸線を一周。

日数と距離のカウントは、途中でやめました。

計測器とレコーダーが欲しいところですね。>>>

 

((( 半年と少し、というところかな。

楽しかったかね。)))

 

<<< この乗物の動かし方を習熟しました。

戻ってこられたことも大成果ですね。

嗅覚マッピングと記憶力は、驚異的です。>>>

 

((( 匂いだけで、どれほど細かく判別できる? )))

 

<<< パラメータが多すぎて、これも計測器がないと数値化できませんが……Q個程度の種類は、識別できるんじゃないでしょうか。>>>

 

((( おそるべき能力だな。

弱点はあるのかね。)))

 

<<< 大量の水の動きが匂いを攪乱させる環境では、嗅覚による判断が著しく制限されます。

また、酸素の摂取を止められないため水中移動ができず、水上移動もきわめて非効率なので。

自力でこの島を出ることは、不可能といってよいですね。>>>

 

((( その点では、道具を組み立てられるヒトの方が、可能性を持つか。)))

 

<<< イヌからすれば、ヒトこそ驚異的な生物と思いますよ。

道具をつくり、建築もできる。

イヌとヒトは、喧嘩ならイヌにも勝機がありますが、戦争になるとイヌが勝つ可能性は低いでしょうね。>>>

 

((( 集団組織力が一定レベルで発揮できるならば、ヒトが勝てる場合もあるかもだがね。

でも、期待しすぎだよ。ヒトに、戦争なんて無理だ。

せいぜい、喧嘩しかできないね。)))

 

<<< そうですかねえ。

俺は、ヒト同士の集団戦闘に遭遇したんですが、あれは戦争をやっていたと評価していいものでしたよ。>>>

 

((( ン?

その話、詳しく聞かせてくれないか。)))

 

<<< はい。武装集団CとGとの殺し合いでした。

個体数はどちらもO以上。不意遭遇により戦闘開始。

多彩な武器が使用されました。

最も遠距離仕様なのが、ライフルの原始的な形態。

濃厚な硫化水素が強烈に撒布されます。>>>

 

((( 鉄炮、だな。)))

 

<<< 次が、ボウですね。

これも、シンプルな手動式です。>>>

 

((( 弓と呼ばれている。

アロウは、矢という。)))

 

<<< 投擲系は、主に地面の石を拾って投げていたようです。

グレネードやテレキネシス、ウルトラスラッシュの類いは確認できませんでした。

接近戦になると、まず、スピアー。

ヒトの身長より長いもので突きます。>>>

 

((( スピアーは、槍だね。)))

 

<<< 最接近してからは、ソード、ナイフの出番ですが、持っているのは上級兵。

下級兵はバットを振り回すか、その場で拾った武器を使っていました。>>>

 

((( 太刀、短刀、棍棒。

意外と本格的だな。

地形は? )))

 

<<< C軍とG軍を隔てる自然水路がE→A方向に流れていました。

戦場となったエリアは大部分平地でしたが、多量の水分を含み粘性が高く、移動困難。

中盤戦以降はヒトの死体が積み上がり、安定した足場となります。

双方、一定数の犠牲が出たところで退却。

丘陵地ではもう少し継続していたようですが。>>>

 

((( 川を挟んだ泥濘地。

ちなみに時間帯は……昼かな?夜かな? )))

 

<<< 夜面から昼面へ転移する頃に始まり、恒星が天頂に達するまでには終わっていました。

自転周期の単位を日として、F日よりも最近のことです。

ここからの方位は、DDE……かな? >>>

 

((( カヅサがそこにいた可能性は高いな。

他に、その場で気付いたことはあるかね。)))

 

<<< そうですねえ……

ヒトは固有の匂いを放散しますが、C軍はほぼ近郊出身。

G軍はかなり広域から集められていたようです。

すなわち、GがCのテリトリーに攻め入ってきたと推定できます。

カヅサというのは、ヒトの個体ですか? >>>

 

((( いたとすれば、G軍のジェネラルだ。

総指揮官なので、まさか最前線には出てこないと思うが。)))

 

<<< 先輩が注目するほどの逸材なんですか? >>>

 

((( この星の生物個体で興味を抱かせる、今のところ唯一の対象かな。

飼ってみたい、程度の関心だが。)))

 

<<< 隊員にスカウトするレベルではないんですね。>>>

 

((( それは冗談にもほどがある。

せいぜい、私の退屈を紛らせてくれればいいんだよ。)))

 

<<< カヅサ、特定してみたいものですね。

ああ、気付きといえば、もうひとつ。

イヌに比べて、ヒトの反応速度というのは、随分と遅いみたいですよ。>>>

 

((( 遅いだろうね。

ヒトがどんなに訓練しても、平均的なイヌの速度で走れるようになるとは思わない。)))

 

<<< 身体能力もそうですが、反応速度も相当な差があります。

泥濘地の戦場では、ヒトがあまりにも石やバットをよけないのを奇妙に感じたんですが。

あれ、検知できてないのだなと、途中から気付きました。>>>

 

((( 失敬。感知と反応のことか。

つまり……イヌから見て、ヒトはずいぶんノロマな動きしかできない生物だ、というニュアンスで合っているかね。)))

 

<<< まあ、そんな感じです。

イヌが、狩猟に最適化しているせいかも知れませんが。>>>

 

((( 生物種としての完成度が低すぎるんだよ、ヒトは。

やれやれ。君にとってはこいつを殺すことくらい、ほんとうにチョロい仕事だろうね。)))

 

<<< その気になればいつでも、先輩を次の乗物のところまで咥えて運びますよ。

命令してください。>>>

 

((( ありがとう。そのときは、お願いする。)))

 

<<< じゃあ、そろそろ、行きます。

フルーツ、ごちそうさまでした! >>>

 



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SengokD.1570/007.hmos

物価が、おそろしく高い。

とくに、塩。

 

春のエチゼン攻めが始まった頃から、じわりじわりと上がっていった。

北からの物流が制限されているという。

ミヤコ中心部には耕作地がほとんどないため、キナイ各地からコメ・魚・野菜などが毎日、輸送されてくる。

鮮度を保つために、塩が必要。

エウロパでも肉料理には香辛料が欠かせないが、それと同じだ。

 

従来、オーミ商人によって、北国から魚と共に塩が日々、ミヤコへもたらされていた。

これが戦争開始とともに、手に入らなくなる。

ミヤコには、ツノ国やイズミ国など西方内海からの塩も輸入されているから、影響が出てくるまでにはそれでも少し余裕があった。

しかし、ついに、決壊した。

 

労働者が体力維持のために舐める塩はもちろん、サケや漬物をつくるための原料や、工具・武器の精製、着物や紙をつくるのにも必要な塩が、連鎖的に不足し、市民生活に影を落としている。

教会では裕福な信徒たちから分けてもらってなんとか凌いでいるが、先行きの見通しは暗澹たるもの。

 

カヅサ殿はエチゼンへ入ることすらできなかったぞ、と軽薄な反対派が囃し始めた。

カワチ国やツノ国でも、けしからん声が確認されている。

坊主だけなら言わせておけだが、一般町民の間にまで不穏な風聞が広がっていることは、看過できない。

 

そんな中、アワのミヨシ軍がこっそり再上陸して、オーザカのあたりで陣を構築中と聞いた。

 

ああもう。あんたらの出番はもう、終わってるんだよ。

オーザカで、イコ宗とミヨシが芋洗いか。二度と行きたくない土地だが。

そういえば。あのおじいちゃんは元気かな。

私がキナイへ来た最初の年、火事と大雪から逃げ回ってたとき何日か匿ってくれた、あの信徒。

その後、消息を聞いてないね。まだ、生きてるかしら。

 

 

聖マテウ記念日の前後。

カヅサ殿が、オーザカへ、ミヨシ征伐に赴いた。

ミヤコで再び数万規模の兵員を集め、進撃を開始。

図に乗る身の程知らずに、早めに鉄槌をお見舞いしておくのだ。

背後に憂いを抱えたままでは、エチゼン攻めに全力を投入できませんからね。

 

カヅサ殿より遅れて、15代目クボウも、駆けつけた。

今回は手勢を1000人くらい集めたようだが、内訳をきくと、筆頭が占い師。以下、陣地の土台を積み上げたり、武具その他を運んだり、その場で手入れしたりなどの大工や人夫たち。

まあ必要だとは思いますけど。

カヅサ軍にだって、専属の後詰めはいるよ。しかし普通、兵力には含めまい。

しかも。ここでもやはり、クボウ側の職人は仕事が遅い上、気位ばかり高くて協働がままならないと。

そんな話を聞くたびに、思う。

カヅサ殿、クボウサマを奪っちゃいなよ。早いとこ。

 

そんなニギヤカシはおいといて。

川を挟んで、カヅサ軍と、ミヨシの残り滓とが、向かい合う。

勢力比は、10倍以上。

とっとと勝負をつけましょう。

 

雨がちの天候が続いていたが、晴れた日にはカヅサ軍の方からのみ、鉄炮の威嚇射撃が始まる。

敵は対抗手段を持たない。一気に攻めこめば、結着はすぐついたろうにと思う。

私の想像だが、和睦交渉をしていたのじゃないだろうか。

無益に全滅するよりも、ミヨシにも華を持たせてやるから予の軍門に降れと。

有能な兵はカヅサ軍へ編入させて鍛えてやるから、エチゼン攻めに加われと。

合理的に考えれば、これが正解。

逆らえば、駆逐するだけのこと。どうせ死ぬなら、北で死ね。いいじゃない。

その調整に、少し、時間がかかっていたのじゃないかな。

前線は、しばらく動かなかった。

 

ところが。

 

昨日の朝から、大事が発生したとの噂が飛びこみ始めた。

正午頃にはミヤコへ通じる街道が、すべて封鎖された。

南も、東も、北も、西も。

我々は呆然となりつつ、情報蒐集に全力を挙げた。

 

避難者が、関所の外側で大勢溢れかえっている。

軍属や、裕福な者、その一族たちは、カネを払って関所をくぐる。

そして噂を徐々に、ミヤコへもたらす。これを信徒たちが集めてくる。

私はそれを分析し、可能な限り正確に構成する。

 

一昨夜。

真夜中に、鐘が鳴り響いた。

直後、カヅサ軍は炮撃の雨にさらされた。

最初はミヨシだと思われたが、規模が違う。かれらの兵力を上回る数の群衆が、炮撃のあと、襲いかかってきた。

新たな戦闘集団が突如、あらわれたのだ。敵として。

 

驚くことに、同様の攻撃が、北オーミでもほぼ同時刻に、始められていた。

各地の軍が対応に追われ、大挙出陣しているらしい。現時点では、どことどこが戦っているのか、滅茶苦茶でわからない。

 

 

立て続けに、今、新たな情報を入手した。

エチゼン軍が北オーミへ向かって、南進を始めたそうだ。

兵士ばかりでなく、着の身着のままの群衆が、鍬や鉈を持って従軍しているらしい。

血まみれの農具を握りしめた老若男女が口々に、イコ宗の念仏を唱えて歩き続けている、だと?

 

いったい、それは、何の冗談だ。

 

いや、冗談であってほしい。

塩どころか、何もかもが手に入らなくなり、私たちは明日食べる食糧にさえ窮しているところなのに。

悪夢以外のなにものでも無い。早く醒めてくれ。

 

デウスよ、あなたは、いったい、何をたくらんでおられるのですか!?

 



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SengokD.1570/008.hmos

いつもなら、食欲の秋。

なのにミヤコは受難節。

 

この季節外れの断食は、いったい何週間続くのか。

教会ではそれでも、あるだけの食糧を貧しい信徒たちに分け与えている。

苦しいときこそ扶け合うべき。それが私たちのつとめだから。

この美学を貫くからこそ、信頼も寄付も集まってくる。

困っている同朋を締め出せば、自らも締め出されるのが当然だ。

イエズスの教えは、かくも真理を衝いている。逆境のときほど、正義を示す絶好の機会は無いのである。

それにしても、おなかがすいた。

早く戦争、終わらないかな。

 

カヅサ殿一行が、ミヤコへ入ってきた。

カミキョウ、シモキョウ、各所に分散して防衛拠点を構築している。

厳戒態勢で、不用意に近づく者は追い払われるという。

それでいいと思います。狙撃者だって、うろついていますから。

逃げきってください、カヅサ殿。

 

逃げる?

 

いま私は、カヅサ殿に似つかわしくない言葉を、つぶやいたかな。

カヅサ殿は、オーザカから退却してきた。

北でも手こずり、南でも敗北したぞ。そんな、ごろつきどもの声が脳裏をよぎる。

どうしたことだ。おかしな流れになってないか。

 

デウスよ。

私を苦しめるのは構いませんが、カヅサ殿や一般市民まで困らせることは、ないんじゃありませんか。

ゼンチョの群衆まで操って。いったい何がしたいんですか。

人の心をもてあそぶのは、やめてください。いじめるなら私だけにしてください。

お願いします。お願いですから。

もう、耐えきれないんですよ。

教会に来て、ただひたすら御主に祈りを捧げている子供たちに、握り飯ひとつ、食べさせてあげられない。つらすぎます。こんなの、おかしいです。

今すぐ、悪夢よ、醒めろ。消え去れ!

 

 

ジョルジ殿がやってきて、一緒に祈ってくれました。

食糧は、自分たちにも余裕はないが、なんとか手に入れて届けよう、と言ってくれます。

戦況については当然、詳細を教えてはもらえず。

心配ない、カヅサ軍の力を信じろ、と言われるばかりでしたが。

深刻な局面にあることは明らかです。

彼に、コンヒサンしろと強要したいところではありましたが、露骨すぎるのでやめておきます。

 

辛うじて、これだけ、聞き出しました。

ミヤコからギフへ向かうには、ヒエノヤマという峠を越えなくてはならない。

現在ここがエチゼン兵によって幾重にも包囲されており、カヅサ軍を足止めさせている。

ヒエノヤマには、フォッケ宗のテラが何百と点在している。かれらもエチゼンと結託して、カヅサ兵を見つけ次第殺すべしと、武器を手に徘徊している。

ミヤコ市内にイコ宗はほとんどいないが、最大勢力のフォッケ宗までが反カヅサ殿の側についたとなると、周囲敵だらけといっても全然過言ではない状況ということになる。

 

いったいぜんたい、何がどうして、こうなった?

 

反対意見もある。フォッケ宗を学ばされていたことのあるコスモ君によると。

ヒエノヤマ派はフォッケ宗の一部に過ぎず、戦力的には大した敵ではないはずだ。

農具や調理道具を振り回すくらいはできるが、元来、腕力より政治力で解決を図る集団だし。

エチゼン兵の方が先に来たから、保身のために提携しただけという可能性もある、と。

 

ニチレン派ならフォッケ衆の中でも武力闘争主義だが、現在ヒエノヤマに拠点は持っていない。

ミヤコ市内の坊主どもの動きを見ている限りでは、そこまで警戒はしなくてよさそうだ。

それよりも注目すべきは突如、戦闘集団として登場した、イコ宗。

 

イコ宗は、確かにもともと教義を軍隊的統帥と織り交ぜて教えこむのが特色だった。

日本には掃いて捨てるほどの坊主組織があるが、自分たちで堂々と国を領有し、自治権を掌握しているのは、かれらくらいだ。

これまでにも日本各地で、領主に対し武装蜂起で反抗し、租税減免や兵役拒否などの要求を呑ませてきた実績を持つ。だからどこの領国でもイコ宗は反社会集団と認識され、要警戒監視対象にされるのが常だった。

 

オーザカは、地勢的にはツノ国の一部だが、実態は独立国。サカイと同じだが、孤立化しているところは真逆ともいえる。80年前にカンガ国領主という地位まで手に入れ、その正統性に自信をつけてしまった。

ミヨシ残党勢は、よりにもよってこんな土地に上陸し、砦を築いた。

カヅサ軍までやってきた。連日、小競り合いが繰り広げられた。

イコ宗も我慢が限界を超えたのではないか。

以上が、コスモ君による推理。

 

イコ宗の脅威は、オーザカだけではない。

オーミ国でも同時刻に蜂起が発生した。完全にオーザカと呼応している。この連帯は、高度な軍隊の挙動だ。

すかさずエチゼン軍がイコ宗を引き連れてオーミ国へ入ったことも、きわめて重要な意味を持つ。

カンガ国とエチゼンは、永年、敵対していたはずだ。それが、いつの間に和解した?

オーミ国内部でもイコ宗の手引きがあったとすれば、ヒエノヤマまで到達したエチゼン軍に、イコ宗もついてきているはずだが、これは確認されていない。

ミヤコへ入るとフォッケ宗を刺激するから、イコ宗だけ、オーミ国内まででとどまったのか。

だとすれば、相当に高度な戦略を立てて全体の指揮を執っている参謀がいると考えてよい。

いったい誰が、最終的に何を目論んで、カヅサ殿を追い詰めているというのだ?

既存勢力で、そんなことをできる人間など、思い当たらない。

 

可能性をいうなら、たったひとつだけ、これを為し給うことのできる存在が、あられるのだけれども。

まさかそればかりは。いや。口に出すのもはばかられる。

しかし、いやしかし、やめておく。

 

 

暖房が必要な季節を迎えます。

今年は薪も手に入りません。

あちこちで、塀や納屋が壊され、板が燃料と化していきます。

木枯らしを遮るものが、失われていきます。

 

最後には、家までも焼くしかなくなるのだろうか。

春まで生き延びることができたとして、その後は、何を支えに暮らしていけばよいのだろうか。

 

受難節は、一年に一度だけで、じゅうぶんです。

もう、耐えきれません。

 



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SengokD.1570/009.hmos

((( おつかれ。

今日は、何も食べさせてあげられないが、大丈夫か? )))

 

<<< 食事には不自由してません。ここのヒトの方が、よっぽど心配だ。>>>

 

((( 肥大化しすぎた都市につきものの脆弱性だね。

私もセービングモードで動いている。

ヒトはカロリー変換効率もきわめて劣悪なのだ。まったく、どんな適応をしたらこんな生物種ができあがるのだろう。)))

 

<<< 俺なりの仮説があるんですが、余裕があるときにでも。

まず、報告です。

カヅサって大将、ほぼ特定できました。>>>

 

((( 大したものだ。匂いかね? )))

 

<<< はい。護衛に囲まれながらウマで街道を移動するところを、複数箇所で追跡、および接近して識別しました。

E日前の夜に、この都市へ入ってきたはずです。>>>

 

((( 多分、それじゃないかな。

カヅサは多くの敵に狙われている。この都市では現在も最重点標的だ。

だからヒトのネットワーク内にいる方が、むしろ情報を入手できないでいる。)))

 

<<< 犬を協力させれば、簡単なんですけどねえ。

ヒトには道具がつくれるんだから、犬を喜ばせるために何かしてくれれば、良い相棒になれると思うんですが。

そこまで考えが回らないのかな。>>>

 

((( 犬は、ヒトなんかいなくても生きていけるが、ヒトはあまりにも多くの生存必要物を外部に依存しすぎている。

一方的におねだりするだけでは、愛想を尽かされ、孤立する。コスモスの法則だ。

相棒という関係性を築くのは、無理だと思う。)))

 

<<< もっともですね。

さて、俺はカヅサを見届けたあと、方位Eの偵察に向かいました。>>>

 

((( よく気がつく。これも、匂いかね? )))

 

<<< カヅサたちが、E方面に強い注意を向けてました。

その方向へ進むにつれ、広範囲な燃焼反応を感知しました。

関連性は大いにあると読んだまでです。>>>

 

((( 燃焼か。人為的な、放火かな?

カヅサたちが知っていたということは、逃げてくる前に敵対勢力の拠点を焼き払っておけと、別働隊へ指示を出したのだろうか。 )))

 

<<< いえ。おそらく、逆です。

場所は淡水海の岸辺。ヒトの町がひとつ、計画的に焼かれていました。

火をつけた側が周辺の街道や陣地で哨戒をしていましたが、かれらからは、以前の泥濘地遭遇戦のC軍と同じ匂いがしました。

カヅサ=G軍の、敵ということになりませんか。>>>

 

((( ふむ……もう少し、複雑な過程を辿っているようだね。)))

 

<<< 単純な二極間抗争ではないのでしょう。

ただ、兵器種も戦術思考も、陣営ごとの有意差が見出しにくいのですね。

各勢力を色分けする基準は何なのか。

レイシズム?

イデオロギー?

ヒエラルキー?

それとも、資源の奪い合い?

これが、さっぱりわかりません。 >>>

 

((( 答えられるよ。

ただのマウンティングだ。

概算でH個ほどのプレイヤーが、頂点を争っている。

カヅサはその中でも有望な選手というだけだ。)))

 

<<< へ?

……ええと。はあ。まさか。

え、ただのマウンティングですか。

それだけのために、これだけ破壊をして回っている?

効率が悪すぎじゃありませんか。>>>

 

((( だって、ヒトのやることだよ。

おや、私の乗物は睡り始めたようだ。君の体温を、非常に心地好く感じているらしい。

もうしばらく一緒にいてもらっていいかな。)))

 

<<< いいですけど。……ヒトって、体毛が薄すぎますよね。

この気温ではすぐに血流が維持できなくなりませんか? >>>

 

((( 欠陥だらけの肉体に、欠陥だらけの思考回路。ユニークだろう。

まったく、どんな適応をしたらこんな生物種ができあがるのだろう。

そういえば、仮説を立てたとか言っていたかい? )))

 

<<< あ……はい。ただの思いつきではありますが。

ヒトって、この星の進化系統樹上から生まれた生物では、ないんじゃありませんかね? >>>

 

((( おや。そうくるか。

しかし、外来種にしてはこの星の環境に適合しすぎているよ。

構造上、犬との共通項もきわめて多い。

矛盾せず説明することは、かなり難しいと思うんだがね。)))

 

<<< たとえば……モノリスどもが介在した。>>>

 

((( ほう。それは思いつかなかった。

まさかな。いや、まさか。

あいつらが、この宙域にまでテリトリーを広げていたというのか? )))

 

<<< 可能性はあるでしょう。

もし来ていたら、ヒトの起源を説明しやすくなります。>>>

 

((( モノリスか。ユニヴァースの秩序を乱すことしかしない奴らめ。)))

 

<<< 成功した例もありますが、この星では、失敗したんでしょう。奇形を生んだだけだ。

まったく、なんてことを。>>>

 

((( ちなみに、ヒトは自分たちの創造主をデウスと呼んで尊敬しているよ。

デウスは、自身の姿に似せてヒトをつくったのだそうだ。)))

 

<<< デウス。そいつが、この星へ来た、モノリスというわけですね。

今も、この星のどこかにいるんでしょうか。>>>

 

((( デウスは、箱庭を手に入れた。

箱庭の中に、自分より優秀な者はいらない。

自身よりも愚かな者だけに囲まれて、私だけを敬えと、教えつけた。

……それが、この星か。

なるほど。説明はつく。見事にな。)))

 

<<< 通報します。これは犯罪だ。>>>

 

((( しかし、デウスは、たったひとつ、希望も残したようだよ。)))

 

<<< え?それは……何でしょう? >>>

 

((( この星には、犬がいる。

私たちがヒトだけを根絶させれば、この星は、犬たちによって、理想的な世界に生まれ変わる。

それだけならば、難しい仕事ではないよ。)))



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SengokD.1571/001.hmos

年末年始、いろんなことが起きすぎた。

 

カヅサ殿はミヤコに立て籠もってすぐ、それを囲む各方面軍と個別に交渉を始めた。

 

おそらくだが。

一斉に牙を剥いて襲いかかってきた敵どもが、各々どの程度連携しているのか。

最後の一兵まで戦うつもりなのか。

条件さえ整えば撤退してくれるものなのか。

そんな勢力図を確かめながらの時間稼ぎだったと思われる。

それができる、優秀な家臣たちが、カヅサ軍の中には大勢いるのだ。

 

半月ほどで、包囲網の一角が崩れた。

それを見て徐々に、有利な条件で和睦を結ぶところが増えていった。

安全になった街道から物資が運びこまれ、カヅサ軍も監視する中で、ミヤコ市民への配給が開始された。

そのおかげで降誕祭が可能になった。

 

配給にもありつけなかった者、今日だけでも暖をとれる場所で過ごしたい者は、教会へ来たれ。

余裕のある信徒は、備蓄の材料を持ち寄ってくれた。

劇も、ヂシピリナもない降誕祭だったが、信徒も、求道者も、皆が支え合い、慈しみ合う行為の素晴らしさを、感じとってくれたと思う。

日本へ来て以来、これほどまでにヴィルトゥスが高められた聖夜は初めてだったのではなかろうか。

 

ヲアリからは、コンスタンチノが12人の弟子を連れて来てくれた。

イセイからイガの方を回ってきて、ミヤコへ入れるようになるまで待つつもりだったという。

イコ宗の反乱は、なんと、ヲアリでも勃発していた。

暴徒は領内の城へ押し寄せて兵を殴り殺し、門を叩き割り、あらん限りの掠奪と破壊に精を出した。

城主である、カヅサ殿の弟君も、殺されたという。

 

カヅサ殿は自分の家族を皆殺しにしたと聞いていたが、服従を宣誓した兄弟は家臣に加えていたらしい。

別な弟が、オーミ国の一角で城主を任されているはずだ、とも聞く。

そちらの消息も気になるが、まだヒエノヤマに陣取っているエチゼン軍とは和睦が成立していないため、オーミの情報はわからない。

 

 

そんな降誕祭が終わって、割礼祭を迎えた日。

ロレンソとトマスが戻ってきた。

ロレンソは秋の初め、サカイへ行ってきた。むかし授洗した信徒が、亡くなる前にもう一度ロレンソに会いたいと切々たる便りをくれたので、従僕を連れて出かけたのだ。

その信徒は、安らかに息を引き取ったという。丁度、オーザカで早鐘が打ち鳴らされた頃だった。

ミヤコへの交通が遮断され、ロレンソはそのままサカイへ留まっていた。

 

トマスもまた、1人のパードレを連れてシモから帰ってきたものの、ミヤコへ入って来れないでいた。

サカイでも、オーザカのイコ宗が掠奪目的で襲いかかってくるのではと、市門を閉ざして厳戒態勢が敷かれていたのだ。

そういえば、ディオゴ殿の奥方もイコ宗ではなかったかしらん?

訊いてみた。案の定、彼女は、自分もオーザカへ駆けつけて共に戦わねばならぬ、この世に災いをもたらす邪宗は成敗してやらねばならぬといきり立って、一時は手のつけられない有様だったという。

デウスへの中傷も、その頃は特別、烈しかったそうだ。

なるほど。各地のイコ宗徒は、こんな暗示にかけられているのかと、納得する部分はあった。

かわいそうな人たちだ。

お日様の下へ、二度と出してはいけないだろう。そう思った。

 

 

シモからの報告も、こってりと分量がある。

69年に定航船は来日しなかったのだが、70年の夏に、その詳細が判明する。

アマカウからは3隻、出港した。2隻が難破した。1隻は引き返し、再出発しなかった。それで完全な空白が生じたのだ。

大きな被害だった。二度と起きぬよう、しっかりと対策を施してもらいたい。

そして、今回は3隻のジャンクで3人のパードレが、無事来日した。

 

フランシスコ・カブラルが、来た。

 

ジョアンじゃない方のカブラル?

四誓願立誓修道士の、あいつだよね?

大物だよ。

笑わないことで有名な。鋼の男だ。

とにかく厳しい。なにごとにつけ、融通がきかない。冗談が通じない。

ゴアのコレジオでは、倫理神学の教官だった。

単位?とれなかったよ。当然だろ。

よりにもよって、あいつが、来ちゃったのか。

 

しかも。

病床にあり、死期間近いパードレ・トルレスの、代わりとしてだ。

新しい日本布教長になるべくして、送りこまれたということだ。

なぜ69年に難破した船に乗ってなかったんだろう。

いや、デウスがさせるわけがない。

私を、みんなを、苦しめるためにだ。決まってやがら。

 

 

カブラルは上陸後すぐ、会議を召集した。

シモの全宣教師が集められ、現況報告を提出し、今後の方針が決められていった。

教会設備がすべて日本式家屋で、ミサを正座して行っていること。

宣教師が普段は日本の着物を身にまとって生活していること。

修道服を日本で仕立てる際は、絹衣で作らせることを基本としていること。

などが、次々と槍玉に挙げられた。

 

やがて、ヂシピリナの実態もばれ、カブラルの怒りは爆発する。

トルレスまでもが痛罵を浴びせられ、20年余に及ぶ日本布教の一切が全否定されるまでに至った。

カブラルは全員に、パードレにも、信徒にまで、告解と反省を強いた。

お前たちこそが、デウスとイエズスの教えを歪めまくっている、禍の元凶なのであると、責めまくった。

 

早ければ今年、カブラルはミヤコへ巡察に訪れる。

覚悟しておくようにな、と今、私の目の前にいるパードレが嗤う。

 

おかしな対話だ。彼はイタリヤ語とラテン語で話す。

私とトマスとロレンソは、日本語とポルトガル語で話す。

得意分野がそれぞれ違う。

一節ごとに翻訳して、確かめ合いながら、理解を共有させていく。

手間のかかる作業だ。しかし、必要なことだ。

敵が、まもなく、ここへ、やって来る。

 

パードレ・ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ。

ようこそ、日本へ。

戦場へ。

 



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SengokD.1571/002.hmos

パードレ・ニエッキは、カブラルを、私以上に嫌っている。

 

語弊があるな。

カブラルを好きな人間なんて、いないだろう。

でも、デウスから見るとどうなのだろう。

これは神学論争として大いに気になるところだ。

人間味のある愚かさをまったく持たない人間とは、デウスの眼鏡にかなうものだろうか?

イエズスをお手本にしていると、言ってよいものなのかどうか?

 

ところでニエッキはポルトガル語が苦手だ。

 

イエズスのコンパニヤは、パリで設立され、ラウマに本部を置く、国際色豊かな組織である。

その活動資金の大部は、大航海時代の先鞭をつけいち早く外洋に躍り出たポルトガル王国から、全面的に提供してもらっている。

リジボーアの北にある、コインブラという名門大学を傘下に加え、そこで学ぶ者が多いこともあって、主要な会士はほとんどポルトガル人で構成される。

一方で、本部のあるラウマから入会してくる流れもある。

ポルトガル人は慎ましく堅実なのが特徴だが、イタリヤ系は陽気で冗談を好む。

さて、カブラルはポルトガル人で、ニエッキはイタリヤ人だ。

アマカウで待機している間、この2人は決定的に関係をこじらせた。

 

定航船で働く船員はほとんどがポルトガル系であり、コンヒサンでもカブラルの方に集まるのは当然だ。

カブラルはこれを人徳による差だと解釈し、ニエッキをぶらぶら遊んでばかりいる奴と批難する。

一方でニエッキは、ポルトガル人はカブラルに任せて主にチイナ人のコンヒサンを聴いた。

漢字もどんどん覚えたし、労苦に明け暮れている貧しいチイナ人に寄り添って希望を与える話術も、身につけた。

いろんな分野で、差は拡がった。

 

やがて夏が訪れ、定航船に乗り、出帆。

2人は、3週間ほど同じ船にいたが、最後の頃には挨拶すら交わさなかったという。

そして日本へ上陸した。

 

ちなみにもう1人、バルタザールというパードレが来ているが、彼はポルトガル人なのでニエッキとの会話には時間がかかるし、カブラルの前で、より気を遣う。

結局、ニエッキとは、あまり仲良くならなかった。

私もバルタザールなんて男、知らない。比較的最近、エウロパから来た人物のようである。

 

そういえばイタリヤ系の陽気男、もう1人、いたじゃないか。

ワラレジオだ。

数年前に来日している。会ったかい?

会ったそうだが、残念な知らせだ。

おそらくワラレジオは、今冬の便で日本を去るだろう。

ヴィレラは療養を理由にゴアへ戻ることが決定したが、ワラレジオも本人の希望で、離日するという。

なんだ。僕とは会えないまま、お別れか。

 

「ワラレジオは、カブラルが来たのなら俺は出て行く、と言っていた。

シキでの会議の合間にワラレジオから、日本で暮らす48の苦しみ、なんて詩を聞かせてもらったが。

むしろカブラルに聞かせて、日本人への期待を打ち砕いてやり、意気消沈させて帰りたくさせる手もあったかな、と今頃になって思っているよ」

 

イロニアってやつかい?

そういう発想は、ポルトガル人にはないねえ。

聞いてみたいね。

 

「日本人は胃を鍛えるためになんでも腐らせて食べるなり。

足腰を強くしたくてしゃがむ便所を発明したなり。

家でも道端でもどこでも勢いよく放屁して自分だけはすっきりするなり。

ああ我も日に日に、日本色へ染まってゆく。憂鬱なり。悲愴なり。哀愁なり。

こんな調子で続く。全部は覚えられなかったがな」

 

よく観察してるものだね。ぜひ本にしてコインブラへ送ってもらいたいね。

いや、それをすると、もう誰も日本へなんか来たがらなくなっちゃうかな。

 

 

日本人の残虐嗜好と、その性癖に基づく戦乱の夥しさは、カブラルはともかく、ニエッキを意気消沈させた。

シモでも、ほんの半年いた間に警報と避難勧告を10回以上体験したという。

現在、オオムラ領を中心とした西海岸の一帯がコンパニヤの主要都市圏となっているが、軍事的・政治的にここを手に入れたがっている周辺諸国は多い。

邪宗徒は、戦力が整えばすぐに侵攻を開始する。

これに対し、我々も力頼みの防衛を強いられる。

定航船がいない季節でも、信徒たちの安全を保障できなくてはならない。

そのための拠点づくりが、常に求められている。

教会用地の選定と開拓もこの基本戦略に則って進められる。余裕などまったく無いというわけだ。

 

それにくらべたら、ミヤコは随分と静かだねと言われた。

何を言ってやがる。今はたまたまだ。

戦乱の多さはシモの比ではないんだぞ。

君がここまで来るのに3箇月かかった事実が示すように、決して安穏ではない。

一寸先に死が待ち構えている。その切迫ぶりを、すぐに君も知るだろう。

パードレはずっと僕ひとりだったし、従僕にも裏切られてばかりきた。

覚悟しておけ。笑顔を見せていられるのは、今のうちだ。

 

メステレ・フランシスコ・シャヴィエルの読みが甘かったなどと、言うべきではない。

カブラルは、わかっちゃいないのさ。トルレスは、必死でやってきた。

日本で生きていくためにずっと耐え忍び、つらい苦しみを幾度も乗り越えてきた。

今の私たちは、彼のおかげで、立っていられるんだ。その基礎を築いてくれたんだぞ。

日本布教には、まだまだ力が足りない。

もっともっと時間もかかることを、意識せねばならない。

鋼の意志と不断の努力が、必要だ。

カブラルが新布教長ならそれでもいいが、どれほどの実力を発揮できるか、とくと見せてもらおうじゃないか。

 

 

最後に、私から残念な知らせがある。

カヅサ殿は、敗北した。

 

公現祭後の月曜日。

ついにエチゼン軍が撤兵した。ミヤコでの戦争は、回避された。

これ自体は喜ばしい。

だが、そのために結ばれた条約というのが、カヅサ王にとっては、甚だ屈辱的なものだった。

 

エチゼン王アサクラ殿に、ミヤコの支配権を委ねる。

北オーミ王アサイ殿に、ダイリサマおよび仏教各宗との調整を一任する。

我、オタ・カンヅカンスケ・ノブナンガは、二度とキナイへの野心を持たない。

 

あくまでも、伝聞にすぎない。

反対派の捏造による、大嘘であってほしい。

この後すぐカヅサ殿はミノへ引き揚げていったが、一時的な退却にすぎないと信じたい。

 

戦えば、勝てたはず。

しかし味方の損害を拡げぬため、ミヤコの住民たちをこれ以上苦しませないために、涙を呑んで、敵に華を持たせたのだと、そんな判断をしたのだと、私は考えたい。

 

時間が少し、延びただけなのだ。

これで終わりで、なるものか。

 



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