流刑貴族の追放記-極獄と呼ばれた果ての地にて- (Anacletus)
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流刑者達の上陸編
プロローグ「流刑」+第1話「流刑者達の上陸Ⅰ」


 

―――エル大陸外界東部辺境【鬼難島】

 

「面舵ぃいいいいいいいいいいいい!!!」

 

「畳んだ帆がぁああ!!? マストが折れるぞぉおお!!!」

 

「退避ぃいいい!!」

 

「助けてくれぇえええええええええ!!? う、ぅあ゛あぁぁあ゛あ!!!?」

 

「神よ!! 我を助け給え!!」

 

「大いなるイゼクスよ!! 我ら子羊に大いなる御加護を、おぉぉぉおをぉをぉおお!!?」

 

 小さな船が川面の揺れで転覆するように。

 

 今、大陸の東の果ての海にて一隻の帆船が海の藻屑に消えようとしていた。

 

 船員達が畳んだ帆が大荒れの強風にて開き。

 

 マストがあまりの嵐の強さに折れ飛んで甲板の男達が逃げ惑う中で倒壊。

 

 しかし、運には見放されていなかったか。

 

 その柱が岩礁の方へと折れて逆方向へと逃げられた船体は座礁をギリギリで免れ。

 

 砕けた木片と共に海の中へと消えていく水夫達と引き換えに難所を通過。

 

 黒雲の最中にも見える陸地からの僅かな光に船は中程から罅割れを晒しながらも進み。

 

 勢いのままに砂浜へと突入していく。

 

 船の舵は途中の岩礁でもはや砕け。

 

 残っている船員は船内に待避していた。

 

 後は神の導きがあるまま。

 

 全ては天の采配と誰もが知っていた。

 

「船長ぉおおおおおおおお!!? 早く戻れぇえええええ!!」

 

 しかし、そうは思わないだろう誰かが1人甲板に残っている。

 

 厳つい襤褸を纏った男達が船内に続く扉から呼び戻そうと叫ぶ。

 

 船底では浸水した水を汲み出して、三つある入り口の一つから乗組員と彼らが運んでいる“荷物”達が必死にバケツを汲み上げて外に海水を投げていた。

 

 しかし、総舵輪を掴んだ黒い制帽を被った50代程だろう白いあご髭の男が目を爛々と陸に向けて口元が裂けたような愉快そうな貌で叫ぶ。

 

 精悍な顔付きは狂人染みて瞳は嵐の海にも光を零す程に煌めいていた。

 

「オイ!! お前らぁ!! 見えたぞ!! 火だ!! 島の火だ!! 嘘じゃ無かった!! 嘘じゃ無かったんだなぁ!! あははははははははははは!!!」

 

 男は総舵輪にしがみ付くようにして嵐の最中にも大笑いを張り上げる。

 

「せぇええんちょぉおおおおお!!? 今はいいから入ってくれぇええええ!? 死にてぇえのかぁあああ!?」

 

 男はそんな部下達の必死の叫びも空しく。

 

 突入する浜辺付近に僅かに一つの岩礁が顔を覗かせているのを見て。

 

 呼ばれた男は未だ船の甲板に引っ掛かっていた錨を目敏く見付けると走り出し、猛烈な勢いで甲板から引き剥がすかのように掴んだ。

 

 身の丈もある鉄の錆びた錨をそのままに引き抜いて船首から―――跳んだ。

 

「まだ何も終わっちゃいねぇんだよぉおおおおおおおおお!!!」

 

 その叫びに船員達が悲鳴染みた絶叫を上げる。

 

 そして、次の刹那にはもう怖ろしい事に海の最中と海上の境界に巨大な激音が響き。

 

 男達は絶叫しながら船体が砕けたのかと思った。

 

 もうお終いだと思った。

 

 だが、船底を引っ掻くような不快な音と共に船は進み続け。

 

 ドガンッと。

 

 砂浜に突っ込んだ衝撃で船首から中程までが割れて砕け……止まったのだった。

 

「島だ!!? 島に付いたぞぉ!!? 荷物をありったけ持ち出せぇええ!!」

 

 その言葉に奇跡が起きたのかと海水を組み上げ続けていた者達が一斉に叫び声を上げて、誰もが逸早く波に攫われる前に脱出せねばと階段を駆け上がっていく。

 

 その船内からは10名程の黒い外套を纏った者達が現れ、砂浜に未だ辛うじて埋まっている船体の先……島の奥まった山の最中に灯りを見ていた。

 

「父上!! お早く!!」

 

 歳若い焦った少女の声に横の手を引かれた相手が僅かに逡巡した様子となった。

 

「フィーゼ……もしもの時は解っているな」

 

 男の声は何処か重く厳めしいながらも、憔悴している様子であった。

 

「っ……はい」

 

「ならば、よい。良いとも……」

 

 皺枯れた手の男は共の者達と共に何とか砂浜に転げ落ちるように上陸し、嵐の最中に船が攫われる前に上陸を果たした。

 

「………」

 

「オイ!! お前ぇ!! お前も来るんだよ!! この無言野郎!!」

 

 最後に船を後にしたのは大量の物資を持った船員達と先に出た外套達と同じものを着込んでいながら、船員達に担がれるようにして荷物扱いで浜に投げ出された一人だった。

 

『どうか………………御祈りが少なく済みますように……』

 

 フードの下で口の中の砂を吐き出して口元を拭いながら、気弱そうな瞳は茫洋とした全てが雨風に融けるような島の最中に映る光を見据えたのだった。

 

 

―――イゼクス暦153年4月1日上陸1日目朝雨天。

 

 

 今日から新しい日誌を付ける事とする。

 

 わたくしが持っていた昨日までの冊子は全て持ち出せなかった。

 

 幸いにして持ち出した物資の中に新しいものがあった事は幸いだった。

 

 暦が春を迎え、帝都では本来なら春の園遊会が催されている頃だ。

 

 ……此処は地の果て……いや、海の果て……。

 

 もうわたくしもどうかしているのかもしれない。

 

 戻れない故郷に思いを馳せている暇があれば、今日明日の食事と水の心配をするべきだろう。

 

 これからは必要な事や後から冷静に振り返る為の重要な情報のみ記していく事にしよう。

 

―――浜辺、簡易野営地。

 

「よろしいですか?」

 

「ッ、あ、は、はい!! 何でしょうか」

 

 嵐が過ぎ去った後の浜辺。

 

 男達が大の字になって寝そべりたそうな疲労を何とか耐えて、浜辺の境界に持ち出せた荷物を集積していた。

 

 凡そ30人。

 

 残りは全て海に落ちて消えたが、彼らは未だ生き残っている。

 

 “荷物”達は各々何とか生き永らえた事に天を見上げながら安堵し、浜辺から再び海へと引き寄せられて消えていく船を見やった。

 

 船の後ろ半分は並みに消えて残っているのは前部の甲板のみだ。

 

 積まれていた荷の3割は持ち出せたが、水の樽は無く。

 

 食料は樽で干し肉と干した果実が9個。

 

 30人以上の大所帯が喰えば、数日も持たない。

 

「フィーゼ様。水と食料を手に入れる必要があります」

 

 帝都の牧師は髪を刈らない。

 

 撫で付けた香油の匂いは塩水によって流され、今だ20代の若き信仰者は金髪褐色の好青年にも見える。

 

 だが、そんな彼は船員達に分からぬようにヒソヒソと自分が護るべき相手。

 

 高貴なる出の彼女にそう呟いた。

 

 暗い金髪の少女。

 

 普通ならば、長い髪をしていて当然の彼女は男のように短い髪で顔を俯け、あどけない眉目を歪める。

 

 今年で14ともなれば、貴族として婚約していて然るべき頃合いだったが、今の彼女にはそんな普通は遥か果て。

 

 周囲には荒くれ者が30人で載せられた荷物が10人。

 

 どうにかしなければ、彼らはすぐに30人の理性が抜け落ちた野蛮人達の手で処分される事だろう。

 

 もう船は無いのだ。

 

 食料を独り占めならぬ30人が得ようとするのはまったく分かり切った事である。

 

「島の捜索隊を編成しましょう。誰もが納得出来る方法で最低3人になるよう割り振って10隊に分けて、食料も半分渡して下さい」

 

「解りました。そのように……」

 

 黒い修道服姿の青年が頷く。

 

 彼女は外套の下は革製の旅装ではあったが、軽装であり、殆ど装備らしい装備を身に付けてはいない。

 

 一応、護身用の短剣だけは身に付けていたが、それだけであった。

 

「オーダム船長殿の捜索は如何しましょうか」

 

「あの海で生きているとも思えません。残念ですが……」

 

「解りました。では、野営地を敷く半を3隊残して、残りは捜索へ」

 

「そのように……出来るだけ互いに連絡が取れないよう広く捜索隊を出して下さい。危険を感じたら警笛を鳴らして、その場所には近付かないようにと」

 

 青年が頷き。

 

 蒸し暑さに外套を脱ぎ始めていた荷物達に注意しつつ、船員達に島で食料と水を見付けて来て欲しいとさっそく部隊を編成していく。

 

「フィーゼ様。マルクス様にお任せしているようですが、それがよろしいかと。落ち付いてきたら、知恵者に任せましょう。お耳に入れたい事がございます」

 

 “荷物”達の中から一人やってくる。

 

 40代から50代の家に仕えている騎士達の一人。

 

 いや、最後の一人。

 

 赤毛の痩せぎすの男は髭も無く。

 

 出航前に買った麦藁帽を被って表情を周囲から隠している。

 

 外套は着込んでいたが、下は半裸で腰に曲剣を佩いていた。

 

「ウリヤノフ。どうしましたか?」

 

「……父君の容体が芳しくありません」

 

「っ」

 

「……薬は持ち出せましたが、体調を崩された場合、1月持ちません。我らも含めた“荷物”の中に医者がおりまして、訊ねてみたのですが……この極東の地で取れる薬草も辛うじて必要なものがあれば、効力は弱くても同じような薬が処方出来るとの事です」

 

「そうですか……薬草が生えているかどうかは……」

 

「さすがに調べてみないと分からないと。付きましてはインクと羽ペンをお貸し頂きたい。必要な姿は知っているとの事で書き写させ、水夫達に探させます」

 

「解りました」

 

 フィーゼと呼ばれた少女は頷いて、自身の持ち出した紙とインクと羽ペンを手渡す。

 

「父の世話は今誰が?」

 

「修道女のヨハンナが。今、樹木の木陰で休ませています」

 

 軽く視線を向けた先を彼女が見れば、樹木に腰掛けた父が外套を着込んだままに20代の黒髪の女性に付き添われていた。

 

「この島はかなり蒸し暑い。恐らく蟲も出るでしょう。決して手袋とズボンと外套はお外しになりませんように。蟲が大量にいる道は迂回。迂回出来ねば、戻って別の経路を使うのが前提となります」

 

「蟲が病を運んでくる。でしたか?」

 

「はい。浜辺で野営地を敷いた後は生木を焚いて煙を吸い込まぬように長く何度か当たって下さい。それで短時間の虫よけになります」

 

「解りました。では、野営地を調える際に水夫達に頼みましょう」

 

「そちらも既にやらせています。水と食料はとにかく身に付けておく事。特に水は貴重だと思って下さい」

 

「解りました」

 

「今はツボなどが無いので樽に雨水を溜めて、持ち出した鍋で煮てから飲む事になります。濁っていない川や池を見付けても同じようにして下さい」

 

「……ウリヤノフ。貴方は本当に何でも知っているのですね」

 

「これでも遠征隊にいましたから。西の蛮族共と戦う時は現地で何でも調達していましたので。産まれの事もあります」

 

「父や“荷物”達の警護は任せます」

 

「は、給わりました。それと……」

 

「?」

 

「例の船長が海から引き上げた子供ですが、言葉が通じません」

 

「言葉が? 東部の言葉は確か……」

 

「はい。習得しています。ですが、他の知る限りの言語で話し掛けて見ましたが、身振り手振り以外では何とも……」

 

「海で溺れて頭が?」

 

「恐らくは……ただ、悪い気配はしません。自分の境遇を考え込んでいるようなので混乱しているのかと」

 

「そうですか……痛ましい事です」

 

「では、これにて。数時間後に食事を一斉に致します。食べた量を計算する為に残っている食料も報告させます。しばらくは飢えるかもしれませんが、どうかご容赦を……」

 

 頷いた彼女は去っていく帽子姿を見送る。

 

「そのぅ……よろしいかな?」

 

 彼女が振り返ると今度は老人がやって来ていた。

 

 外套は着込んでいるが、上着は開けており、やせ細った体は正しく貧相と言うべきかもしれない。

 

 だが、矍鑠とした足取りは未だ高齢にして意気軒高。

 

 髭面の小麦色の肌をした白髪の小男は襤褸に小動物の骨を繋いだネックレスやブレスレット姿で繁々と彼女を見やった。

 

「ワシはリケイと申すもの」

 

「リケイ様ですか。貴方はどうして“荷物”に? 船中ではお見掛けしませんでしたが……」

 

「はは、いやぁ、御嬢さんの国の大臣に流されましてなぁ」

 

「大臣? 何方でしょうか」

 

「ええと、何だったか? 国庫大臣だったかな?」

 

「エヴェレフォール伯爵ですね」

 

「そう、それ。いやはや、旅の芸妓の師でしてな。それで宴に呼ばれて舞を披露したのだが、若いおなごを連れてこーいと怒り出して牢屋にブチ込まれまして」

 

「それは……申し訳ありません。あの方は酒癖が悪いと評判で……」

 

「その後、翌日には自分がやった事もない罪でこの有様ですじゃ」

 

「恨まれても仕方ないですね。我々は……」

 

「いやいや、何の何の!! そのような恨み言を言いたいのではないのです」

 

「?」

 

「老い先短い身ですので。別に流された事は何とも思っとりません。ですが、芸妓というのは中々に苦労性でしてな」

 

「苦労性?」

 

「御身。魔の技が使える北の血筋ではありませんかな?」

 

 思わず彼女が驚いて固まる。

 

「―――それを何処で……」

 

「見た事がありますじゃ。その人によく似ておる。あの国では兵の一部が持っていたようじゃが、貴方様はどのような力があるのかと」

 

「それをお知りになりたいと?」

 

「実は芸妓には魔の技を強めるものがあるのですじゃ。我らのようなものは彼の技を短く呪紋と呼んでおりますが」

 

「呪紋……」

 

 彼女がさすがに驚く。

 

「御身が良ければ、呪いを施し、強める事も出来る。此処は未知の島。つまり、貴方がこの遭難者達の中で最も強く。同時に生き残る可能性が高い」

 

 老人の瞳は真剣だった。

 

「……解りました。わたくしの技は妖精や精霊を見るものです」

 

「ほう? 魔眼の類じゃったか」

 

 老爺が顎に片手を当ててシゲシゲと彼女の瞳を覗き込む。

 

「見えたものにはお願いが出来ます。まだ、この島では何も見ていませんが、自然がある場所ならば、大抵は何処かにいるので小さな助けにはなってくれるでしょう」

 

「よろしい。では、今日の夜ですな。満月に掛けるのが最も効率が高い。準備をしておきます故。気構えが出来たら、夜に教えて下され」

 

「解りました。貴重な技……しかと受け取れるよう心構えを」

 

「ああ、それと」

 

「?」

 

「あの拾った子供。アレも何か持っとりますぞ。御身と同じとは限りませんが、何かしら……」

 

「そう、ですか。教えて下さり、ありがとうございます」

 

「では、また夜に……」

 

 老爺が離れていく。

 

 そして、彼女は息を吐いた。

 

 自分にはやはり父の真似事なんて向いていないのだろうと。

 

「流刑、かぁ……」

 

 立派に務めを果たす。

 

 それは少なからず思い立って出来る程に甘くは無いものであった。



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第2話「流刑者達の上陸Ⅱ」

 

 フィーゼ・アルフリーデ・ルクセル。

 

 ルクセル子爵の三女。

 

 任された当地においては三姉妹と呼ばれた末の妹。

 

 彼女にとって一族郎党が斬首されるよりは幾分かマシな現状。

 

 それこそが極東への流刑であった。

 

 流刑地は極東の果て。

 

 役人は船に乗る前までは見守っていたが、後は見送るのみ。

 

 そして、先に嫁いでいた2人の姉達は其々の家の力で護られ、残された彼女と父親だけが他の流刑者と共に“果て”へと送られた。

 

 唯一の流刑地の海路を征く船。

 

 イノス号は流刑役が初めてのものであったが、高額の契約金に目が眩んだ海賊紛いの水夫達と浮沈と称される船長が乗るままに地図に示された航路を行き。

 

 最後には海の藻屑と消えた。

 

(でも、此処に我々は辿り着いた。辿り着いてしまった……)

 

 しかし、此処に上陸した数十名。

 

 島は確かに存在し、極めて広く。

 

 その上で食料も水も殆ど無い。

 

 父は病の薬も残り僅か。

 

 水夫達は船長不在でいつ反乱が起きてもおかしくない。

 

 何なら彼ら“荷物”を餓死させても生き残ろうとするだろう。

 

(わたくしが何とかしなければ……)

 

 幸いにして流刑者には彼女の御付きの者が2名。

 

 牧師と騎士がいる。

 

 修道女や医者や芸妓の旅の老人もいる。

 

 頼れる者達を取り纏めて、父の命を何とか繋ぐ算段もある。

 

 後は水と食料さえ見つかったなら、最初に言う事はまるで無い。

 

 だが、それこそが最も難事だと彼女は気付いていた。

 

 島は鬱蒼とした森が砂浜との境界から続いており、全景は見渡せず。

 

 少なからず数日で回れるような大きさではない事が解っている。

 

 山奥には高い山岳が存在していて、火は少なからず登山をしなければ、確かめようもない果てだ。

 

 そこまで向かうにも食料と水は必要であり、どう考えても食べ物が見付からなければ、どうにもならない状況であった。

 

 空は嵐の後にもまだ雲が残り、薄暗がりの下で風は吹いているが、温い風は決して爽やかとも言えない。

 

(早く動けるようにしておかないと……)

 

 そう内心で焦りながらも彼女は水夫達に切り倒させた生木を燃やして衣服を乾かしながら、言われた通りに煙に当たっていた。

 

 外套に顔を引っ込めるようにしながら。

 

『あの姫さん。煙くないんか?』

 

『いやぁ、何でわざわざ窒息しそうな煙に当たりに行くんだかなぁ』

 

『案外、速く死にてぇのかもな。はは』

 

 下品な水夫達の声を聞きながら、彼女は薪割や野営地の設営の為に樹木を何とか伐採した一帯に立つ天幕を見やる。

 

 斧も無い状況。

 

 だが、彼女の御付きは優秀だった。

 

 ウリヤノフ・イステンバータ。

 

 赤毛の騎士はとにかく役に立つ男と父に評される程の逸材だ。

 

 剣を一つ潰して、ハンマーで叩く個所を拵えた彼は複数人であっと言う間にガンガンと木槌で背を叩いた剣で斧の如く樹木を切った。

 

 周辺は大樹が少なく。

 

 数刻もせずに切り出された樹木は全て薪にされて、残った切り株は椅子。

 

 野営地の平たい場所にはさっそく煙で燻された革が敷かれて、何とか寝床までは作ってくれたのだ。

 

(父が言っていた通り、ウリヤノフがきっと助けてくれる……)

 

 何度目かの煙を浴びた彼女は滴る汗を布で拭いながらも煙臭さにも我慢して、此処数時間で周辺を偵察してきた水夫達の話を聞く。

 

 その為に相談用の幕屋の内部へと向かっていた。

 

 しかし、そこでは既にまた問題が起こっている最中であった。

 

『なんだってんだよ!? もういっぺん言ってみろや?」

 

「だから、君に処方する薬は無いんだ」

 

「こっちは怪我してるんだぞ?! しかも、アンタが持って行くと言ったお荷物を抱えたせいでな!!」

 

 天幕の内部で怒鳴っていたのは歳若い20代の男だった。

 

 それに対応しているのは船に乗っていた“荷物”の一人。

 

 先程彼女にも挨拶をしてくれた相手にして現在この島で最も知性の高いだろう40代の医者エッセーラ・エルガムだ。

 

 灰色の髪の毛をやや長くし、何処か疲れにやつれた無精ひげが生え始めた彼。

 

 少し煙で燻されて煤けた男の手には医療器具を束ねた革袋が持たれていた。

 

 その背後には薬品の入った樽が幾つかある。

 

「どうしたのですか? エルガム様」

 

「おお、済みませんな。姫様」

 

「いえ、わたしは姫等と呼ばれるような立場ではありませんので。フィーゼと呼んで下さい。それでそちらの方は?」

 

「あん? アンタか。あの没落貴族の流刑者ってのは」

 

 歯に衣着せぬ男は栗毛で上半身は裸で胸に長い刃傷が横一線。

 

 その上、素足で靴も履いていない。

 

 何なら下履きの白いズボンは濡れて完全に透けている有様であった。

 

 青毛の男がガシガシと頭を掻く。

 

「っ……お名前は?」

 

「オレか? オレはガシンだ。ガシン・タラテント」

 

「タラテント様。どうして怒鳴っていたのですか? エルガム様はこの場で唯一のお医者様です。それに詰め寄る程に怒っていたようですが」

 

「そりゃアンタ。この藪医者が薬を処方しねぇからさ。見ろ!!」

 

 男が脚を少し上げて横に広げる。

 

 すると踵の辺りからふくらはぎに掛けて幾らか縫った様子が見て取れた。

 

「此処にある薬は全部体に塗るものではないんだ。その傷は外傷で薬を飲んだから大丈夫とはならない。そもそも、この薬は内臓を悪くした人の薬で君が呑んでも意味が無い」

 

「という事ですが?」

 

「だから、薬は薬だろ!! 痛み止めくらいねぇのかよ!?」

 

「薬は痛み止めだけじゃない。それとその樽は船の後部に積まれていた」

 

 イライラした様子のガシンと名乗る男は樽に無理やり近付こうとする。

 

 それをそっと彼女は圧し留めた。

 

「アンタもオレの邪魔をする気か?」

 

「痛みで気が立っているのは御察しします。無論、不安もある事でしょう。でも、此処で薬を無用に失えば、我らは全滅です」

 

「……ガシン君と言ったな。君に対する治療は先程ので全て終わりだが、安静にしているなら、遠征に出た部隊が持って来る薬草に痛み止めがあれば、一番先に使うと約束しよう」

 

 その言葉にガシンが目を細める。

 

「本当だな?」

 

「君に殺されたくはないし、君は患者だ。死なせるのは医者の義務に反する」

 

「義務ってなんだよ」

 

「一度見た患者は死ぬまで見捨てない。死んだら葬儀屋の領分だからな」

 

「はッ!! 此処にゃ葬儀屋もいねぇだろ。チッ……解った!! 解ったよ!!? そこで寝かせて貰うぜ!!」

 

「ああ、君に樽を運んで貰った恩は返すとも」

 

 そうして、誂えられた小さな毛皮を敷いた地面の上に彼が横に為って彼らに背を向けた。

 

「申し訳ありません。今は大変な時だと言うのにもめごとを起こしてしまい」

 

「いえ、お互いに無事なら問題はありません。それで医薬品についてなのですが……足りますか?」

 

「敢て言います。父君の薬以外は大半が化膿止めばかりで外傷に関してはある程度どうにかなりますが、それだけです」

 

「包帯は?」

 

「持って来れませんでした。一応、糸と針。簡単な外科用の刃物はありますが、それも使うとして10人程度が限界です。何より麻酔がありません」

 

「痺れ薬ですか?」

 

「はい。痛みを和らげる薬です。東部でもありふれたものなので幾らかは積んでいたのですが、探索部隊が戻って来るまではどうにも……」

 

「その……よくガシン様は耐えられましたね」

 

「ええ、我慢強い若者です。とにかく、まずは衣食住の確保が優先でしょう」

 

「はい。ですが、食料は取れるでしょうか……」

 

「他の者達には魚を釣らせていますので、長持ちするように干物にして何とか。密林であれば、食料になる果実も恐らくあるでしょう。水を貯め込む植物があれば、尚良いが……まずは纏まった食料源が必要です」

 

「そう言えば、釣り竿はあったのですか?」

 

「ええ、針も含めて40本程、あの時に持ち出させました。針は最悪無くしても木製で賄えます。剣を潰せば、簡易の炉でも針は作れます。ハンマーも揃っていますので」

 

「解りました。では、今度は海側に行って見ます」

 

「くれぐれも岸壁や海辺から落ちないよう注意して下さい。まだ荒れておりますので。救出は不可能に近いと覚えて置いくだされば」

 

「はい。では、行って参ります」

 

 頷いた彼女が頭を下げて、現場を後にする。

 

「健気なお人だ」

 

「はっ、ただの没落貴族の娘だろ」

 

 横に為って目を閉じたガシンが呟く。

 

「しばらく眠りたまえ。化膿止めは毎日朝に塗る。傷口を拭く布は水が確保出来れば、鍋で煮た漂着した連中の衣服を使う。普通ならば3ヵ月は安静にしていないとならない」

 

「生憎と丈夫なんでな。3日で治るさ」

 

「それなら化膿止めが減らずに嬉しいがね。人間、やせ我慢では死ぬぞ?」

 

「……オレは3日だ。他のヤツらと一緒にすんな……」

 

 医療現場はそうして静まり返り、たった一人の医者は遠方から戻って来る水夫達を外に見ては歩き出すのだった。

 

 *

 

 さっそくの揉め事から遠ざかるようにして彼女が海に面した岩場に来ると数名の外套を着込んだ“荷物”達が一緒になって魚を釣っていた。

 

 しかし、漂着して使っている桶には未だ魚は3匹程しかおらず。

 

 大きなものは一匹のみ。

 

 桶は他にも幾らか置かれていたが、其々に数匹入っていても、まったく数十人分の腹を満たすには足りないというのが解るだけであった。

 

「釣れていますか?」

 

「おや、お姫様かい」

 

 外套姿の男女が4人。

 

 声を上げたのは妙齢の女だった。

 

 頬に碧い入れ墨が掘られていて、それが東部の現地部族のものであると薄っすら知識で知っていた彼女は頭を下げる。

 

「ご苦労様です。お魚も順調に連れているようで安心しました」

 

「はっ!! ご苦労なこった」

 

 フードを脱いだ女はくすんだ赤毛を短く刈り込んだ鋭い目付きの猛獣。

 

 あるいは生き様そのものから野生というものが感じられる気配であった。

 

 小柄ながらも俊敏な身のこなしは明らかでフィーゼが少し気圧されて後ろに引き気味になる。

 

「ええと、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

「あたしはミランザ。ミランザ・ベルギウ。見ての通りだよ。こっちはレーズ、そっちはナーズ。あたしの弟達さ」

 

 フードを脱いだ少年達が彼女に頭を下げる。

 

 大人しそうな黒毛で少し怯えたような視線のレーズは背丈も低く。

 

 逆に何処か姉に似ている赤毛のナーズは何処かおずおずと彼女を見定めるような視線で警戒していた。

 

「ええと……」

 

 そこで彼女が1人未だ釣り糸を垂れている相手を見やる。

 

「ああ、そこの喋れねぇのは船長が拾ったのだよ。何かさせておこうと思ってねぇ」

 

「彼が……」

 

「弟達と歳も一緒くらいだし、10から12、3くらいかい?」

 

 キロリと彼女をミランザが見やる。

 

「で? 没落貴族の姫様が何の用だい?」

 

「日没までどれくらい釣れるもなのだろうかと。捜索隊が持ち帰る食料と合わせても別ける程にあればよいのですが……」

 

「見ての通りだよ。数時間でそこそこだ。ここら辺は漁場もいいんだろうさ。でも、そこそこでしかない。まだ温かい内は釣れるけど、これがもしも冬になったりしたら、どうなるかは分からないね」

 

「解りました。では、捜索隊が返って来てから、食料の取り分は決めましょう。それまでに釣った小魚などは焼いて食べても問題ありません。子供達にどうか食べさせてやって下さい。もしも、文句を言う者がいれば、わたくしに」

 

「……すぐに寄越せと言って来ないのは評価してやってもいい。だが、アンタみたいな小娘。こいつらと同じような年齢のアンタにあの連中が取り纏められるかい?」

 

「……努力致します」

 

「それでどうにかなればいいけどねぇ」

 

 肩を竦めたミランザが再び背中を向けて糸を垂らし始める。

 

 それに倣って弟達も頭を下げてから続いた。

 

「………あの」

 

 少し迷ってから、彼女が今まで反応しなかった拾われた少年に声を掛ける。

 

 それに気付いた少年が振り返り、岩場から立ち上がった。

 

 衣服は船長が与えたものなので水夫達のおさがりでボロボロだ。

 

 外套も余っていた自分のものを船長が与えた為、少し背丈は足りていない。

 

「こ、こんにちわ」

 

「………」

 

 頭を下げた彼女に向けてフードの内側から少年が視線を向けて、ペコリと頭を下げ返す。

 

「大丈夫ですか? 苦しくありませんか?」

 

 だが、尋ねられても言葉が解らないのだったと彼女が少し考えてから自分の胸を摩るようにしてから、少年の胸を摩るような仕草をした。

 

「っ……」

 

 そこでようやく大丈夫かと聞かれているのを察したのか。

 

 少年が頷く。

 

 ようやく通じ合ったと彼女が安堵した。

 

「ああ、その子の事だけど、頭は良いよ。魚を数えてたからね」

 

「そうなのですか?」

 

 ミランザが続ける。

 

「それとその子が此処を教えてくれたんだ」

 

「教えてくれた?」

 

「釣り場だよ。何処で釣ろうかと思ってたら、その子が此処を見付けて来たのさ。目端は利く。後、生っ白い肌と黒い瞳をしてんだ。外套外してみな」

 

「は、はい。ちょっと外しますね」

 

 外套のフードを剥がせば、確かに彼女の目にも白い肌に黒い瞳が見えた。

 

 黒髪は少し長く。

 

 跳ね乱れている。

 

 だが、顔立ちは何処か子供っぽいのに美しいと言える程度には整っている。

 

 少年のようには見えるが、少女のようでもあり、体付きは何処か平坦だ。

 

「どっかの貴族の子か。あるいは海神様に捧げられた生贄かって感じだろ?」

 

「そんな……失礼ですよ」

 

「解りゃしないよ。完全に言葉は解らないようだったからね。喋りはするんだ。名前を教えりゃね」

 

「そうなのですか? ええと、では……わたしはフィーゼ、フィーゼです」

 

 身振り手振りで自分を指差して彼女が教え、人差し指で今度は少年を指す。

 

「名前は何? 名前。わたしはフィーゼ……あなたは?」

 

「―――Sosyあ」

 

「え?」

 

「そーしゃ。あーるてぃーえー・そーしゃ」

 

「アルティエ? アルティエ・ソーシャ?」

 

「あら? 名前なんて喋れるのね。名前って聞いても何も言わなかったのに……気に入られたんじゃないかい? お姫様」

 

 揶揄うミランザに構わず。

 

 少女は自分よりも背丈の低い少年に視線を合わせる。

 

「フィーゼで構いません。アルティエが貴方の名前なら、ちゃんと呼んであげるべきですね。これからよろしくお願いしますね。アルティエ」

 

「………」

 

 少年は彼女の笑顔に頷いた後。

 

 再び、釣り糸を垂れに戻る。

 

 そして、彼女が去った後。

 

 しばらく、空を見上て。

 

「アンタ……さっきから何数えてるんだい? アルティエ」

 

「………きた。これは……」

 

 ヒットした釣り竿が跳ねた瞬間。

 

 少年は何も言わず。

 

 ただ、海辺で拾っていたダガーを腰から取り出して。

 

「は!? ちょ、アンタ!!? 一体、何や―――」

 

 そのまま海へと飛び込むのだった。

 

 *

 

 少年は海の最中、残り20秒間の行動で出来る最善の事をした。

 

 釣れた得物はすぐに深海へと逃げ込もうとしているが、その煌びやかな鱗は七色に輝いており、逃げようにも釣り竿は岸壁に固定化されていた。

 

 その僅かな糸が切れる瞬間より先に彼の手に握られたダガーが2mはある魚影のエラに突き刺さり、そのまま頭部の骨を切断するように切り裂く。

 

 同時にすぐ魚影を掲げて、顔が赤くなったままに少年が必死にバタ足で岸壁に向かって進み。

 

 失神する寸前。

 

 ザパッと海の得物を掴んだままに海中に伸びた細腕で外套を引き寄せられた。

 

 知らぬ合間に釣り糸が外套に引っ掛かっていて、それをベルギウの弟達が引っ張っていた。

 

「何やってんの!? 死にたいの!?」

 

 引き上げた細腕が少年を岸壁に放り出す。

 

 だが、しっかりと頭を落した魚体は腕の中だった。

 

「おねーちゃん!! おっきいよ!!? コレ!!」

 

「ホントだ!! すげー!! お前これ一人で仕留めたのか!?」

 

 弟達がはしゃぐ最中。

 

 ミランザが思わず片手で相手の頬を叩こうとしたが、巨大な魚体を見て、仕方なさそうに溜息を吐いた。

 

「心配、掛けんじゃないよ。すぐに医者先生のところに行って、見て貰いな」

 

「………」

 

 しかし、その言葉も耳に入っていない様子で片手にしていたダガーが振りかぶられ、腹が掻っ捌かれると内部からキラキラした小石のようなものが出て来た。

 

「何だそれ!?」

 

「ねーちゃん!! キラキラしてるぜ!?」

 

「……アンタ、それが欲しかったのかい?」

 

「あげる」

 

「え?」

 

 七色の魚体が岩場に置かれたまま放置され、釣り竿をミランザに渡した少年は手に持った石を以てトテトテと医者のいる幕屋へと向かっていく。

 

「……解んない子だね。ありゃ」

 

「おねーちゃん!! これ美味そうだよ!!」

 

「だよなー。これ美味そう!! 自慢しようぜ。大人連中にさ」

 

 弟達がはしゃぐ様子を横目に彼女は良く分からない少年の背中を視線で追うのだった。

 

 そんな姉弟達を背後にして少年が歩く途中に魚の内臓から取り出した光る石のようなものを頬張って嚥下する。

 

 すると、僅かに腹部が輝いて、その輝きが血管に乗ったかのように全身に瞬間的にブワリと広がってすぐに消える。

 

 その瞬間を見ていた者は誰もいなかった。

 

「―――賢者の石(寄食)。知能キャップ開放。基礎レベル向上。最低値64固定……基礎知能型ステータスの向上ポイント乗算変更完了」

 

 ブツブツと呟きながら少年がその脚で向かったのは森だった。

 

 早足にあるきながら幕屋の横を通り過ぎた少年は濡れた外套もそのままに周囲を見回して、進行方向をすぐに定めて歩き出した。

 

 歩きながら、横合の草や樹木の一部を刈り取りつつ、口に放り込んでいく。

 

「アルメイカ草。攻撃力1%上昇(再上昇不可)。ボレント果樹皮。防御力1%上昇(再上昇不可)。クラーブ小蟲(生食)。赤血球増殖率1%上昇(再上昇不可)―――」

 

 ブツブツと呟きながら、少年は手当たり次第に樹木や草やそれに付いていた小さな蟲を噛み潰しながら、森の奥へと早足で進んで行く。

 

 その方角は少なからず山岳ではなく。

 

 より深い森の奥へと向かう道であった。



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第3話「流刑者達の上陸Ⅲ」

第3話「流刑者達の上陸Ⅲ」

 

「遺伝変異確率12%まで上昇。幾らかの薬物による即死系機序の破壊を引くまで……試行回数を……ゴフ?!」

 

 吐血。

 

 少年はボタボタと口から血を零しながらも、途中で拾っていた様々なものを捕食し続けていた。

 

「バズネルの樹根。水平遺伝確率21%上昇(再上昇不可)。内臓変異効率2.2%上昇。血球変異状態100%上昇(再上昇不可)。血中赤血球代謝率12.22%。意識変容率1.1%上昇(再上昇可)。バズネルの千樹根(生食)。ゴホゴホゴホッッ?!!」

 

 少年はブツブツ呟き、軽く吐血しながら、口元を拭いつつ、片手の血だらけで幾らか持っている樹木の根のようなものを齧り続けていた。

 

「血球濃度5.32%上昇(再取得可)。免疫キャップ開放。耐ウィルス、対真菌耐性2%を獲得。これで最低限……後は御祈り」

 

 少年が根をその辺に捨ててやって来た前に広がる地帯を見やる。

 

 そこには沼地があった。

 

 深くは無さそうだったが、明らかに体に悪そうな黒く緑で赤く、蕩けるような沼地の内部には樹木や動物の死骸が骨となって残っており、びっしりと様々なキノコやコケのようなものが生えている。

 

 それを意に介せず。

 

 そのまま進み続けた少年の脚が踝くるぶしまで浸った。

 

 途端、少年の視界が歪んで、熱が籠ったように体が発熱し始めた。

 

「真菌侵食率1%毎秒。免疫獲得まで43秒弱……安定を取って……」

 

 その合間にも少年がズボンの後ろに差していた水仙のような野花の茎を齧る。

 

「ガロンベータ水仙(生食)。免疫カスケード開始。毎秒2%……ガ、ア、グゥ?!!」

 

 途端、今度は脚から犯されていた少年の体の全身が発火したかのような熱を持ちながら、粘膜という粘膜から僅かに出血を開始した。

 

 瞳の端から、唇から、鼻から、爪の内部から尻から性器からダラダラと血が垂れていく。

 

「後20秒……14……12……」

 

 震えながら沼地に入ったまま。

 

 目を閉じて耐える少年が呪文のようにブツブツ呟く。

 

 そして、20秒後。

 

「真菌43種への侵食免疫を獲得。過剰免疫の是正処理を開始」

 

 今度は少年がナイフを持つ手に一緒に握り込んでいた砂を口に放り込む。

 

「ゼブの花粉(生食)。免疫抑制率3%上昇(再取得可)」

 

 呟きながら少年はズンズンと今度こそ確かな足取りで沼地の中を歩いて行く。

 

 だが、動物が全て朽ちるはずの沼地の深部へと向かう彼の脚に乱れはない。

 

 だが、その足元から這っていた黒い真菌の根のようなものは肌に染み付くにして下半身から上半身を染め上げるような薄暗い膜となって皮膚に張り付いた。

 

 白かった肌は今や普通の人程の色合いに落ち着いている。

 

「真菌被膜を獲得。共存成立……」

 

 少年が向かった沼地の先には一件の廃墟があった。

 

 何処かの教会にも見える小さな石積みの建物が崩れており、その内部。

 

 中央の祭壇のような場所の壁には破壊された白い女神の像があった。

 

 しかし、今は黒く菌類に汚染されており、光の当たっている一部以外はくすんでしまっていた。

 

 その像の胸元に小さな柄の刺突用のねっとりとした漆黒の刃を持つ片刃の歪んだダガーが刺さっている。

 

 少年が迷わず引き抜いた。

 

「……観測能力不足。能力鑑定不能……」

 

 少年が再び沼地を渡って元来た道を戻りながら、途中で蟲や樹木にソレを使って切り付けてみるとすぐに効果が現れた。

 

「黒化現象を確認。侵食開始」

 

 ダガーを腰の後ろに差して、やってくる途中で見つけた小川に入った少年はそこでジャブジャブと体を洗う。

 

 本来、血で汚れた衣服は簡単には汚れが落ちないものだが、少年の衣服はすぐに元の状態へと戻っていく。

 

 理由は単純だ。

 

 彼の肌から滲んだ黒い被膜が衣服までも侵食してから血潮を吸い尽して血液成分は残っていなかったからである。

 

 少し肌が黒くなって短剣を一本携えた少年は周囲にまだ人の痕跡があるのを確認しながら、イソイソと浜辺へと歩いて戻っていく。

 

 その手にはもう船乗り達が使うダガーは無く。

 

 体はずぶ濡れであるという事実だけが残った。

 

 そして、戻って来るなり、何食わぬ顔で医者の下まで向かうと。

 

「………」

 

 横になっている男の横を指差して。

 

「え? あ、勝手に……ってずぶ濡れじゃないか? 海に落ちたのかい?」

 

 勝手に体を横たえて、患者を拭く為の布で衣服の水分を取られながら、眠り始めるのだった。

 

 凡そ3時間内での出来事であった。

 

 *

 

「医者のエルガムだ。取り敢えず、食料に関しては一応の心得がある。探索隊が持って来た食料に関してはこちらで食べられるものかどうかを確認させて貰った。結果を発表させて頂く」

 

 夜。

 

 戻って来た探索隊の成果が検分される事になっていた。

 

「森の中で湧き水の出る小川を発見した。飲料に適している。煮沸すれば、問題無く飲めるだろう」

 

 その言葉で水夫達の間には安堵が広がっていた。

 

「また、大陸東部由来の果樹が幾つか発見された。これらの果実に関してはまず食べる者を分けたい」

 

 どういう事かと質問が飛ぶ。

 

「理由は毒があってもすぐに分かるものが多くない為、先に食べたい者が食べて、問題無ければ後の者も食べればいい。無論、先に食べるものは危険が伴うし、後に食べるものは腹が空くのを覚悟せねばならない。どちらも一長一短だ」

 

 野営地の焚火の前でエルガムが次々に持って来られたキノコや果樹、その他の食糧に対して考察を述べていく。

 

「特にキノコに関してはかなり危険だ。食べて数日後に死亡するものすらある。キノコをすぐ口にするのは死ぬかもしれないと覚悟してからお願いしたい」

 

 水夫達が在る程度の量採られたキノコを見て溜息を吐く。

 

「食べられる動物は発見出来なかった。だが、魚は食べられるものが多数見つかっていて、果樹も先に食べる者達が先に危険を犯せば、後は問題無いだろう。ただ」

 

 エルガムが周囲に周知するように声を高める。

 

「必ず食べ物にはしっかりと火を通す事をお勧めする。生焼けは死ぬと思っておいて欲しい」

 

 という事で数十人分にはなりそうな唯一の得物が焚火の周囲に持って来られる。

 

 その魚体は2m近くあり、かなり大きかった。

 

「見た事のある魚で宝石を呑み込む事で有名な魔の技を扱う大魚ギュレラルだ。これは船長が拾って来た子。名前をアルティエと言うそうだ。彼が海で仕留めた得物だ。他にも多数の魚を釣ってくれた子供達に感謝して頂こう」

 

 こうして初めての夜。

 

 難破船の乗組員達は子供が釣り上げたという魚をしっかりと焚火で焼いた切り身に塩を掛けて頬張る事になった。

 

 果樹から持って来た果実に付いては水夫達の一部が先に食べる事で同意した。

 

 取り敢えず1週間。

 

 食べても問題無さそうならば、他の人間も食べるという事で同意し、果実を食べたものは観察時機が終わるまで吊られた食用魚を食べず。

 

 互いに安全を確認し合う事となった。

 

(エルガム様に任せてしましました……本来、わたしの役目だったのに……ですが、今の水夫達を纏めるにはこの方が……)

 

「フィーゼ……」

 

「はい。何でしょうか。父上」

 

 床から出て来た父に向かい合い。

 

 彼女が視線を合わせる。

 

「まずは共に暮らす者達を知れ。全てはそれからだ。食料は何とか調達出来ている。その合間にお前は知るところから始めなさい。ごほ……」

 

「は、はい!! だ、大丈夫ですか!? 父上」

 

「っ、すぐに樹木に御背中を……」

 

 修道女姿のヨハンナ。

 

 まだ10代後半と言う銀髪に右の頬から下が爛れた少女が慌てて彼女の前で老体を支えて、木陰へと休ませに行く。

 

「済みません。父上は本来わたしが見るべきなのですが」

 

「いえ、ウート様はあのような状況でも、このような身に感謝して下さって、本当にお優しく慈悲深いお方です。お世話はお任せ下さい」

 

「どうか、よろしくお願いします」

 

「はい。では、幕屋の方にそろそろ」

 

 頭を下げた少女は病気が治ってすら忌避され、流刑とされた修道女はイソイソと彼女の父を伴って天幕へと消えて行った。

 

 水夫達が魚を食べながら明日の予定を話し合う最中。

 

 老人の事を思い出した彼女が周囲を見回すと。

 

 暮れた浜辺が続く少し離れた海岸線沿いに火を見付ける。

 

 そちらに向かった彼女はすぐに相手が昼の老人だと分かった。

 

「おう。来たか来たか」

 

「リケイ様。呪いという事でしたが、リケイ様も魔の技をお持ちなのですか?」

 

 横の砂浜の流木に座った彼女に老人が首を横に振る。

 

「呪いは呪いでしかありませんな。元は南部。ゼンカントの古い古い者達に伝わるものだったと聞き及びます。だが、古代の王朝が滅びる際に散逸したとか」

 

「それがリケイ様の呪いですか」

 

「芸妓の技として今残るものでして。お? もう一人も来たようだ」

 

 リケイの視線が向く先。

 

 魚の切り身を焼いたものを枝に差した状態で食べる少年がやってくる。

 

 その手には二本の串焼きが握られていた。

 

「おお、忝い」

 

「アルティエ。ありがとう」

 

 2人に串焼きを渡した少年が少女の隣の流木に座った。

 

「それで具体的にはどのようなものになるのでしょうか?」

 

「いや、簡単ですじゃ。ワシが躍る。その合間に文字を手の甲に書いて月に翳しましてな。それでイエアド神の加護が乗るのです」

 

「イエアド。それは確か……」

 

「今の教会の主神イゼクスが追い落としたとされる邪神の一柱ですじゃ。だが、元々は教会でも信仰されとった。教会の内紛で消えただけで実際には主神と同等の神ななのです。嫌かな?」

 

「いえ、この状況ではどんな神であろうともお力は借りたいものです」

 

「ふむ。では、そっちも良いだろうか?」

 

「いい」

 

「ほほ♪ お前さん喋れたのか。ならば、話が早い」

 

 老人が砂浜に枝で文字を書いた。

 

 それは一文字だけであったが、何処か象形文字というよりは角張った小さな方陣にも見える。

 

「文字を書くのは炭で構わんので。さっき冷やしておいたのを少量の水で溶いたものをこれで……」

 

 小さな椀に黒い液体が入れられていた。

 

 老人がすぐに踊り始める。

 

 その合間に少年と少女は顔を見合わせながらも砂浜に書かれた文字を自分の利き手に指で描き始める。

 

 そうして、すぐに手が満月に翳された。

 

「ほほほ♪ 月は宵に招かれたり、何と姦しき空の踊り子よ。我ら騒がしき夜に願い奉らん!!」

 

 老人が愉し気に鹿の如く跳ねながら月に向かって祝詞を唱えつつ、手を翳す2人の背後でクルクルと踊って賑やかす。

 

「哀れなる人にどうか加護を!! おお、偉大なる教神イエアドよ!! マーカライズ!!」

 

 老爺の声が終わると同時に月に翳した手の甲が明るく輝き。

 

 紋章らしきものが2人の手に焼き付く。

 

 だが、その印は自分達で描いたものではなく。

 

 同じカッチリとした書体ものが書き込まれていた。

 

 それは七角形の中央に灯を持つ黒い炎にも見える。

 

 文字のように見える部分以外は後から浮かび上がって来て、それは2人の手にジンジンと熱く……しかし、痛みは伴わない衝撃を僅かに伝えていた。

 

「これでよし、じゃな」

 

 老人がニヤリとした。

 

 そして、少女が頭を下げて感謝を捧げてから、少年を連れて、やはり父が心配なのでと戻っていく。

 

 その背中を老人は串焼きを齧りつつ掌を振って見送るのだった。

 

「(教神イエアドの紋章の一つ。【祈祷呪紋】シャニドの印を獲得。物理細胞強度12%増加。各種、呪紋属性増幅率2.3%増加(再上昇可)。呪紋詠唱速度9.3%上昇(再上昇不可)。他呪紋からの抵抗値43.32%上昇(再上昇不可)。ダメージ抵抗式を除法計算に変更。完了)」

 

「何か言いましたか? アルティエ?」

 

 首を横に振った少年はイソイソと自分に割り振られた天幕に戻っていく。

 

 今日失った血液と大量を取り戻すには眠るしかなかったからだ。

 

(肌はもう少し白かったと思ってましたけど、光の加減なのでしょうか? どことなく表情も豊かなような? ミランザ様達と良く話したからなのかもしれません)

 

 こうして夜は恙なく過ぎていくのだった。



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第4話「流刑者達の上陸Ⅳ」

 

 

「はっはー!! 爽快だぜ~!!」

 

 外套姿の男が一人。

 

 明け方の風を受けながら、鼻息も荒く晴れ上がった夜明け時に腕組みしていた。

 

「カラコム様。昨日は船内からずっと臥せっておいででしたが、どうやら回復為さったようで何よりです」

 

「おう。姫様。おはようさん」

 

「おはようございます。大丈夫ですか?」

 

「ああ、この通りよ」

 

 腕で力こぶを創った30代の何処か太い眉に厳つい顔の男はニヤリとした。

 

 黒毛を短髪に刈り込んだ彼は流刑者の一人。

 

 カラコム・ウィルセン。

 

 南方の由緒ある家に仕える騎士だった彼は本人曰く。

 

 罠に嵌められた。

 

 という事で流刑地に移送され、一緒に共同で流された一人であった。

 

 各国が流刑者を渡す船が確保出来ずに一緒に渡すのはよくある事なのだと説明されてみても、浅黒い肌に血気盛んなカラコムは正しく騎士という体として見るならば、純粋に明るく朗らかで問題を起こすようには見えない。

 

 である為、殆どの水夫達にすら、どうやったらあの兄ちゃんは流れて来るんだという顔をされ、説明されれば、さもありなんと納得される快活さだ。

 

 前髪を書き上げた優男とは程遠いカラコムは太い顔の線も如実に出る笑顔でウィンク一つ。

 

「今日からさっそく探索隊に行かせて貰いますよ。いやぁ~~船はもう二度と載らなくていいな♪ ははは」

 

 そう言って、昨日の会議で向かう事が決定した地域への捜索隊として出る為に足早に天幕へと消えていく。

 

 昨日の夜に周知された事は3つ。

 

 果樹が生い茂る地域を発見。

 

 小川を発見。

 

 建物らしき廃墟を発見。

 

 発見した廃墟から更に先には道らしきものが続いており、錆びた剣や槍が転がっていた事から、人は確実にいた。

 

 今も山間にいるに違いないとの事で食料調達と同時に奥地まで続く道を確保する為の探索隊が出される事になった。

 

 探索隊には果樹を食べた者達が当たり、途中でまだ沢山ある果樹をある程度収穫してから山間に向かう。

 

 更に探索出来る広範囲に獣が見えないとの事から複数の部隊が当たる事になったが、水夫達の多くは拠点として浜辺に半数は残って大工仕事である。

 

 例え生木だとしても皮を剥ぐなり、燻すなりして木材は作れる。

 

 それで問題はあっても住居をという事になったのだ。

 

 辛うじて船に積まれていた大工道具は持ち出せていた為、最初に整地せずに使っていた一帯の奥で切り株を破壊する事も決まっていた。

 

「アルティエ?」

 

 少女がミランザと弟達と共にいるはずの天幕を覗く。

 

 だが、そこにはまだ眠っている弟達を前にして優しく頭を撫でる姉だけが起きていた。

 

「ミランザ様。アルティエはどうしたのでしょうか?」

 

「それが朝からいないんだよ。何処ほっつき歩いてるんだか……でも、不思議と心配にならないのはあの子が何か突拍子もないからなのかもねぇ……」

 

「そんな……わ、わたくし、あの子を探して来ます。また海に入っていたりしたら……」

 

 昨日の話は夜にアマンザから彼女もちゃんと聞いていた。

 

「大丈夫だよ。たぶんね。もう海に用は無いって言ってたから」

 

「え? そんなに喋って?」

 

「いや、短く山に行きたいって言ってたよ」

 

「ッ、ちょ、ちょっと捜索隊にお話しをして来ます!!」

 

 彼女は大慌てで探索隊に入っているウリヤノフに話を持って行くのだった。

 

 *

 

 早足に昨日入った沼地を抜けるようにして進んだ少年は山間に向かう道無き道を歩くが、誰にも出会う事は無かった。

 

 凡そ、獣や人の気配が無い。

 

 朝から漂う靄や霧は何処か薄っすらと黒い。

 

 今日は捻じれた黒いダガーを片手にして、進む傍ら、採取された沼地の産品が齧られていた。

 

「ベルメックの泥(生食)。神経伝達物質の作用機序崩壊率2%上昇(再上昇可)。ウィルス生成物質による細胞破壊率2.1%上昇(再取得可)。完全減衰まで2時間23分。抗体獲得率毎秒0.2%。細胞内の酸素供給率23%低下……はぁはぁはぁ」

 

 フラフラしながらも少年はそのまま早歩きのままに酸欠になりながら歩く。

 

 その手にはあの沼地の泥や華が僅かに握られている。

 

「カルナマスの緋華(生食)。細胞代謝率増3.3%上昇。作用機序代替開始……受容体の変質率毎時8.2%上昇」

 

 綺麗な緋色の華をモシャりながら少年が沼地の奥で細道を見付けた。

 

 壊れた石畳が続く山へと昇る線が朝日の中にも見えている。

 

 そのお腹がグゥとなった。

 

 周囲をチラリと散見した少年が道なりに落ちていた樹木の瘤のようなものを取り上げると、その内側がワシャワシャと猛烈な勢いで動く。

 

 それは例に挙げるなら巨大な団子蟲であった。

 

「………」

 

 タスッと蠢くソレの脚の関節の柔らかい部分に黒いねじれた剣身が捻じ込まれ、瞬時に黒化し、数秒でズルンッと外殻らしいものが全て溶け落ちるようにして掴んでいない部分から滑り落ちて、内部では僅かに黒く脈動する肉の塊のようなものだけが残った。

 

 モクモクとソレを齧りながら少年が山を登り始める。

 

「ガルゾクの他脚蟲(黒化加工)。胃痙攣2時間32分開始。白血球増加率22.3%上昇(再上昇可)。新ホルモン導入開始。心停止(短縮)を真菌共生で打ち消し。ミトコンドリア崩壊率毎秒5%……ガフッ?!」

 

 少年がまた吐血しながらも口を拭う。

 

 すぐに肌に付いた地は何か黒いものによって肌の内部に消え去っていく。

 

「ゴホゴホッ!!? 真菌による水平遺伝導入完成。細胞エネルギー効率キャップ開放……真菌共生によるマトリクス編成完了。TACサイクル代替完了」

 

 今まで酸素不足でフラフラしていたのが嘘のように少年はしっかりした足取りで山道を登っていく。

 

 その途中には鉱山植物の野花が広がる草原があり、その最中を抜けるようにして少年は一掬いで華を何本か摘んでいた。

 

「メレウスの赤華、蒼華、黄華(同時生食)。水平遺伝導入開始。細胞エネルギー効率2.4%上昇。筋繊維溶解開始……停止……細胞増殖率毎秒3.9%上昇」

 

 少年が何処かうっすらと少年らしい体付きが薄れて細ったように見えたが、それから数秒でボフンッと膨れるかのように一瞬だけ大きくなり元に戻る。

 

「ネクローシス完了。真菌共生による蛋白老廃物捕食開始。再筋繊維化」

 

 ミチミチと少年の肉体の内部のあちこちから音がしていた。

 

 その合間にも山の中腹まで速度を落とさずに早足で歩いていた少年の前に山肌に挟まれた渓谷が開けた中腹の平たい土地として姿を現す。

 

 ゴツゴツとした岩肌を晒す中央には何か青黒く蹲る蕩けた何かがいた。

 

 ソレがゆっくりと首を擡げる。

 

 まるで巨大な殻の無いカタツムリのような姿。

 

 しかし、内部から発光しているソレが鳥類が無くかのような甲高い音を口元から発すると地表内部から湧き出すように小型のソレが姿を現す。

 

 その周囲には岩肌の中に隠されるようにして置かれていた多数の人骨らしきものの一部が突き出しており、まるで亡者が地の底から這い出してくるかのようだ。

 

「戦闘開始」

 

 瞬時に前へと出た彼のいた場所に向けて、小型のソレらが何かを吐き掛ける。

 

 ジュッと音がして地面が溶けた。

 

 それが強力な強酸もしくはアルカリ液である事に疑いはなく。

 

 しかし、それよりも一歩速かった少年がねじくれた刃を大きなカタツムリのようなソレの2m手前で振りかぶり、振り下ろした。

 

 その瞬間、スルンと黒い残影にも似た黒い線が放たれ、カタツムリの親玉の胸部分に当たった。

 

―――!!!!!

 

 途端に猛烈な勢いでカタツムリが周辺に肉体の一部を射出してまるで剣山のように尖った。

 

 それが当たった少年の衣服の一部は全て周囲を焼かれたように溶かして。

 

「―――黒跳斬(こくちょうざん)

 

 少年が頭部をギリギリで剣山から逸らしながら、刃そのものを投擲した。

 

 ソレが頭部に突き刺さった途端。

 

 剣山と化していた体が瞬時に溶解し、刃が突き刺さった頭部そのものから溢れ出すように黒い侵食する血管らしきものが体を覆い尽していく。

 

 そして、ビチャビチャと音を立てて水分が抜けていくカタツムリの体液が黒く染まりながら広がると小型が触れた途端に黒く染まって溶けて消えて行った。

 

「………」

 

 少年が貫通された左脇腹と両腕の解けた穴にも関わらず。

 

 そのまま歩き出して黒いダガーを拾う。

 

 すると、そのダガー目掛けて今まで周囲を汚染しながら広がってカタツムリ達を侵食していたソレが集まって来たかと思うと吸収された。

 

 剣身が数十倍まで膨張し、同時に柄も巨大となる。

 

 まるで鉄塊。

 

 いや、その漆黒はもはや光沢すら帯びて流動する為、動く暗闇が凝集したようにも思える。

 

 それを少年が背中に背負うような仕草をすると剣身が解けて少年の肌に浸透するように消えて行った。

 

「………」

 

 手を開いて閉じる動作をした少年がチラリと今までカタツムリ達がいた場所を一瞥してから、前方の山肌に掘られた入り口のような場所を見やる。

 

 しかし、すぐ踵を返した。

 

 そこから見える浜辺に向けて。

 

「……帰ろう」

 

 再び早足に山を下りていくのだった。

 

 *

 

「山砕きの果実(生食)。細胞分裂速度3.3%上昇。完全減衰まで30分。治癒効率0.1%上昇(再上昇不可)」

 

 少年が返って来た昼時。

 

 目敏く見付けたフィーゼはこってりとお説教をしながら、何も聞いている様子も無く知らない果実を齧る少年をジト目で見ながら、食事ならちゃんと出すから、無暗に知らない食材を食べてはいけませんと溜息を吐いた。

 

 それを見ていた牧師のマルクスが頭が残念になっているのだから仕方ないと少年を引きずって肉体労働の単純作業をさせ始めたが、それに文句がある者はおらず。

 

 当人もイソイソと身振り手振りで言われた通りに整地に尽力する事にした。

 

「(肉体労働(実役)。筋繊維断裂率0.000002%。再生。反復……反復…反復)」

 

 木製のスコップで地面を掘り、鉄製の棒と岩を用いたテコの原理。

 

 樹木の根を全体的に掘り出し、一気に片方に乗せた全体重でもう片方の先にある根を跳ね上げるようにして引き抜く。

 

 ブチブチと音がして7人分の水夫と少年の体重が乗った樹木の根はあっさりと引き抜けて、その後には土が埋め戻され、半日掛かって夕方くらいには4分の1の天幕が切り株の無い場所に革を敷けるようになっていた。

 

 本日も魚ばかりだ。

 

 しかし、果実組はまた大量の果実を取って来て、美味そうに齧り始め、夕暮れ時に宴会とまでは行かないが、僅かにホッとしたような様子で誰もが食事にありつけていた。

 

 今日はミランザと兄弟達だけではなく。

 

 普通に水夫達も釣り竿を垂らした為、人数分は飢えずに済んでいた。

 

「君か。フィーゼ様を困らせたという子供は」

 

「?」

 

 焼き魚をチマチマと口に運んでいた少年が顔を上げるとウリヤノフ。

 

 彼女の騎士たる男が傍に寄って来ていた。

 

「何でも朝から行方不明になって帰って来たら木の実を食べていたとか?」

 

「……食べてた」

 

「そうか。腹が空いていたのだな。こんな時だ。仕方は無い。だが、勝手にいなくなるとあの方が困るのだ。だから、これからは何処かに行く時は一声掛けてやってくれないか」

 

「解った……」

 

「そうか。それならいい。こんな場所だ。生きるも死ぬも自分次第だからな。君がハライタで死ぬ事が無いように祈っている」

 

 パンパンと肩を叩いた男はまた水夫達へ話し掛けに向かう為、気の良い笑みで遠ざかっていった。

 

「……今日、いなくなったと聞きましたよ。アルティエさん」

 

「?」

 

 少年の背後に近付いて来ていたのは牧師のマルクスであった。

 

 今日一日肉体労働に従事していた男は自分の服を脱いで水夫達と共に肉体労働して、小川で体を洗って戻って来たばかり。

 

 まだ水気が頭部には残っており、しっとりしている。

 

「マルクスです。覚えて頂ければ」

 

「はい」

 

「それで新しい果実を持っていたとか?」

 

 頷いた少年に何処にあったのか訊ねたマルクスはすぐに手製の探索隊が集めた情報を書き込んだ地図を見て、その情報を書き加える。

 

「という事で君は君でその果実をしばらく食べて下さい。大丈夫そうなら、我々もご相伴に与れますので」

 

 頷いた少年にお願いしますと微笑んだ彼はイソイソと明日の事を医者で纏め役に成りつつあるエルガムへと相談しに行った。

 

「なぁなぁ、何処まで冒険して来たの?!」

 

「なぁなぁ、教えろよー」

 

 そこでようやく大人達が掃けた為、レーズとナーズがやってくる。

 

『アンタ達、悪い見本は見習っちゃダメだからねぇ!!』

 

「「はーい」」

 

 2人が返事もそこそこに大人達に手渡されていた手書きの地図を出して聞く。

 

 それに少年は怖ろしい沼地には動物はいないが、大量の蟲の死骸がいただとか。

 

 沼地そのものが毒かもしれないとか。

 

 適当な真実を織り交ぜつつ、それよりも果実のある場所の方が重要だと地図に近場の森の端の部分を教えておく。

 

 それを遠目に見ながら、魚を串から齧っていたフィーゼがああしていれば、年頃らしいと少し微笑ましくなって笑みを浮かべる。

 

 だが、その目に薄らと何かが映った。

 

「―――」

 

 それは小さな精霊のようなもの。

 

 赤黒い燐光を零す光る球体。

 

 ソレがフヨフヨと少年達のいる周辺をウロウロしていた。

 

(アレは……危険……かどうかはまだ解らないけれど、どうしていきなり……それに力を感じる……)

 

 視線で赤黒い球体を目で追っているとバツンといきなり視界が切り替わる。

 

「ぅ……」

 

 思わず少しだけ口元を抑えた彼女が被りを振って、もう一度少年達の周囲を見やるが、今度は精霊は見えない。

 

「不安定になって来てる、のかな……」

 

 力が強まったという話は聞いていたが、それにしてもリケイの呪いの後。

 

 そう実感する事はまだ無かった。

 

 だが、それがもしも新しい精霊を見られるような、見る力が強まっているという事ならば、その新しい精霊というのは何が出来るものか。

 

 あるいはお願いを聞いてくれるのか。

 

 彼女にはまだ解らない事だらけであった。

 

「どうした? フィーゼ」

 

 魚を食べに天幕からやって来た父に何でもないと笑って、彼女は魚をゆっくりと平らげ始める。

 

 その脳裏にはもう精霊ではなく。

 

 冒険に出て服や外套に穴を開けて戻って来た少年の衣服をどうにかしなければという思考しか残されてはいなかった。

 

(それにしても、どうやったら傷一つ無く服をあんな風に破けるのでしょうか。怪我が無いのは良かったのですが……)

 

 こうして流刑地における遭難2日目は何事もなく過ぎていくのだった。



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第5話「流刑者達の上陸Ⅴ」

 

「それでですが、探索隊が見付けた奥地への道は途中で落石と思われる大岩や険しい山道の為に途切れていました。ただし、周辺に地表へ鉱物が露出していて、炉さえ出来れば、幾らか精錬が可能かもしれません」

 

 マルクスが紙を貼り合わせた大きな地図を簡易の集会所として作った屋根のある場所で壁に貼り付けつつ、水夫達に告げていた。

 

「此処にどのくらいの間いる事になるかは分かりませんが、金属製の槍や剣、道具は木製の製品を作るのに必須です」

 

 それはそうだ。

 

 今いる集会所もまた数日掛かりで彼らが作り上げたものであり、鉄製の道具がなければ、まったくやっていられなかっただろう。

 

 皮を剥いだ丸太を彫り込んでから煙で燻して組み合わせる。

 

 滅茶苦茶煙臭いことを覗けば、蟲が近寄って来ないという点で非常に有用なものだったが、それにしても水夫達はこの場所は苦手だとばかりに今も鼻を摘まんでいる者も多い。

 

「煙臭いのは解りますが、しばらくすれば落ち着くそうなので我慢して下さい。エルガムさんが言うには東部で一般的に虫よけに使われる花も何処かに自生しているだろうという事で今度は薬草のみならず。こういった住居で使う用の薬草も出来れば見掛けたら取って来て下さい」

 

 此処でも紙に書いた絵が使われていた。

 

「東部ではキクと言うそうです。この流刑地であるだろう鬼難島はかなり広いという事が一般的には知られていて、小さな小国ならすっぽり数個は入ってしまうものだとか。とにかく、まずは食料と居住地を優先しましょう」

 

 地図では海岸線沿いから広がった幾らかの場所が地図として描き込まれているが、集まった様々な情報から東部の一部に広がる沼地は危険な毒草や病の汚染が非常に心配な為に近付かない事。

 

 同時に西から北に向かう周辺は比較的安全で果樹だけではなく。

 

 燃料用の薪にも出来そうな樹木が多い事が描き込まれていた。

 

「更に北部に向かう道は探していますが、安定して居住可能な野営地を作ってから、捜索を本格的にしようという事になりました。実際、今の不安定な状況では船を創るにしても、脱出しようにも何もかも情報が足りません。海岸線沿いには未だ通れる岸壁地帯もあり、その先の探索は一端後回しにするという事で」

 

 誰にも否は無かった。

 

 何よりもまずは食料と住む場所と命が最優先である。

 

 水夫達もまた医者から言われて毎日体を小川で清めるようになった為、小ざっぱりとしており、幾分か快適性が上がったせいか。

 

 顔付きも穏やかになっていた。

 

「この周囲の砂浜には未だ船の残骸が時折、流れて来ているので樽や他のものも朝方には確認をお願いします。犠牲者も何人か葬りましたが、まだ流れ着くでしょうから」

 

 マルクスの言う事に頷いた水夫は多かった。

 

「それと沖合には出れませんが、周辺で魚が取れなくなった時の為に小舟を拵える事にしました。簡易のものですが、これで周辺の岸壁に当たらないように島の全形を見て回る事も考えています。幸いにも此処の樹木は乾かせないにしても硬い為、多少ぶつけても何とかなるでしょう」

 

 男達は集会所横に置いてある小舟というよりは小さなカヌーのようなソレを見やって、解散する事になったのだった。

 

 そんな大人達を横目にしながら、天幕の一つでは今日も少年が何処からか摘んで来た薬草を干していた。

 

「ね~臭いよ~その花~」

 

「でも、ねーちゃんが虫避けだって言ってたよ」

 

 アマンザの弟達が微妙な顔で干された花や野草を医者から借りた乳鉢でゴリゴリと擦っている少年を見やる。

 

「医者みたいだね。アルティエってさ」

 

「だなー。そんなゴリゴリが愉しいのかよ?」

 

「薬が必要だから」

 

「「は~~何の薬?」」

 

「……薬」

 

 ごっこかよとツッコミを入れた兄弟がやれやれと肩を竦めて、お医者さんごっこというよりは薬屋さんごっこという感じだろう少年に肩を竦めていた。

 

「お偉いお医者様の言う話じゃ、もっとあれば良かったんだが、アンタが見付けて来たのはソレで全部だって言う話だからね。子供が使うのが良いって事で此処に干しっぱなしわけだけど、あんまり他のは増やさないでよ?」

 

 匂いが何かキツくなってきた気がするから、と。

 

 ボソリ付け加えたアマンザは今日も男達の衣服を洗濯する為にイソイソと小川の方へと男達の一部を連れて出ていくのだった。

 

 誰もいなくなった天幕の中。

 

 乳鉢にはごっこというには物騒な薬の材料が投下され、ガリガリゴリゴリとスリコギで粉々にされていく。

 

 中には勿論のように蟲が大量に存在し、勿論のように明らかに毒にしか見えない色合いの野草も加えられた。

 

「調合成功確率0.1%上昇(再上昇可)。涅槃薬……失敗。次」

 

 呟きながら調合した薬を袋に入れた少年は再び材料を入れて調合を開始し、同じように失敗しては再び再チャレンジし、一時間程で腰から下げられるような革袋が三つは満杯になってしまった。

 

「……調合成功率29.2%。ふぅ……」

 

 確率の壁をまた一つ突破し、気疲れした少年が袋を腰に下げて外に出る。

 

 そして、浜辺に向かって砂浜から少し遠くの岸壁付近へとやって来た。

 

 誰もいない事を確認後。

 

 それをザラザラと海に投棄する。

 

 すると、周囲の海からプカァッと幾らか魚が浮かび上がって来て、ビチビチと跳ねる事すら無く波間を漂う。

 

 それを釣り竿の針に引っ掛けて回収した少年はイソイソと魚を近場に先日から造っていた焚火跡に持って行くと手早く薪を入れて、片手を翳す。

 

 すると、内部から煌々と燃え出した炎が薪を焦がしていく。

 

 熾った火にいつもの黒いダガーで内蔵を処理した魚を枝に刺したものを遠当てしながら、焼き上がるまで釣り竿が垂らされた。

 

 こんがりと匂いがして来た頃合いに少年が焼き魚の串を全て手に持って海に投げ入れる。

 

 すると、今度は20秒程でビチビチと大量に集まって来た魚が音を立てて群れており、少年は適当に釣り竿の針を投げ入れて、大きな魚を引っ掻け、それを何匹かダガーで穴を開けた口に紐に通して持ち帰るのだった。

 

 *

 

「今日も大量ですね。アルティエ」

 

「うん。ありがとう」

 

「ッ―――ア、アルティエが感謝を?」

 

 衝撃を受けた様子のフィーゼが固まる。

 

 天幕横の水を入れた大きな革袋は共同で使う事になっていた。

 

 内臓処理した魚の残りが土に埋められている横ではマルクスが開いた魚を紐に通して天日に干していた。

 

「それじゃ……」

 

 イソイソと少年が遠ざかっていく。

 

 その背中にまた赤黒い精霊。

 

 本来は森や平野で何匹か見付けるようなものが数も数十ばかり見えた彼女は被りを振って視界を元に戻す。

 

(どうして、アルティエの傍にだけ、あの精霊が見えるのでしょうか。普通のものならば、此処の周囲に何体か見える事もあるのに……)

 

 彼女が気にしている間にも少年は今日も森へと入る。

 

 必要な材料を取りに行く為に。

 

 そのルートは決まっており、既にルーチン化された行き交えりはきっかり40分でズレもない。

 

 プラスマイナス0.4秒で必ず辿り着く辺り、周囲はもう庭と呼んで差し支えない状況と言えた。

 

「………ハルカルの森北西、北北東、迂回」

 

 島の植生は大きく分けて普通の地域とおかしな地域が混在する。

 

 それは森の中の沼地のような形で出現し、幾つかの地点では獣こそいないが病気になりそうだという点で立ち入りが禁止されていた。

 

 森の中の危険地帯には蒼い泉や白い硫黄の匂いが立ち込める区画もある。

 

 その周囲には複雑に斑模様な植生で様々な植物が混在していて、野草や花が大量に存在している。

 

「アムルの蟲苗、アズカルの白リン、メイゼの食蟲華、採取、反復、反復」

 

 だが、知識層であるマルクスや医者のエルガム、ウリヤノフは殆どの特徴を見て危険地帯だと判断していた。

 

 特に硫黄が出る地域はガスのせいで即死する危険性はもう社会の一部の知識層では知られており、区画に入るのも危険と認知されている。

 

 また蒼い湖は同じような場所で多くの鳥類が死滅している事から毒の水が出ているのだろうと彼らは知っていた。

 

 硫黄やその他の鉱物もそれなりに資源として国家では活用されてこそいたが、今の彼らにとって死人を出してまで欲しいものは野草にも多くは無く。

 

 今のところ必要とされた薬にするものの大半は安全地帯でも集まる事から多くの水夫達に死なない為だときつく接近は禁止されていた。

 

「………ストック満杯。重量制限800kg超過。脚部負荷19%上昇……筋繊維増加率0.02%上昇(再上昇可)」

 

 しかし、今日もその危険地帯を歩く少年が1人。

 

 物凄く奇妙な動き。

 

 体を前傾姿勢にしながら右と左にユラユラさせて前方に吸い込まれるように移動しながら、ジグザグに目的地へと向かっていた

 

 その背中の背負い籠の中には大量の白い鉱石が詰め込まれており、左腕には大量の野草や蟲が大量に集った苗のようなものがあった。

 

 もう片方の手にはいつもの黒いダガーが握られている。

 

 早足になる事も出来ない状況であるが、その分の負担が脚部に掛かり、疲労は蓄積していた。

 

(エルガムが決心するまでに必要な量の確保。薬物耐性の制御薬を致死量までは摂取せずに行けるところまで……)

 

 こうして森の中、水夫達に出会わないように余計に遠回りのルートで歩く事数十分で森の中に少年が造った拠点が見えてくる。

 

 基本的には樹木で軽く偽装されて少し開けた場所が周囲から隠れているというだけの場所である。

 

 しかし、そこにあるのは周囲の土を掘り返した穴に大量にストックされた干した薬草や鉱石であり、上に繁茂する草花を網のように描けている為、パッと見は草が茂っているとしか分からない。

 

「倉庫貯蔵量超過。現地生産開始……」

 

 掘った穴の中には大量の白い鉱石が敷き詰められていたが、少年は穴に入り切らなくなったのを見て、水袋から大量に蒼い水をジャバジャバとその穴に注ぎ入れた。

 

 それと同時にシュウシュウと反応し始めた。

 

 最初は青白く発光していた鉱石が次第に紫色になり、最後には変色して緑色となってドロドロの液体状になる。

 

 それに片手に持っていた蟲の集った苗がポイッと放り込まれる。

 

 同時に猛烈な腐臭が当たりに漂い。

 

 蟲の断末魔のような高周波が響いてすぐに消えた。

 

 液体内部に沈み込んでいる様子もない苗からは蟲が集っていた苗は蟲が死滅したらしく。

 

「寄生虫を除去」

 

 引き上げると微妙に艶々としたものとなっていて、それを適当にダガーで掘った傍の地面にペシペシと少年が土を被せて植える。

 

 すると、その苗の下から伸び出した根がすぐ横の緑色のドロリとした液体で満杯の穴に浸かり、猛烈な速度で根を増殖して伸ばし続け、最後には穴を覆い尽した。

 

 それを確認後、あちこちの穴に保存していた干薬草を大量に抱えた少年が苗の上にソレを運び積んで、片手を翳す。

 

 炎が上がったがすぐに灰となった。

 

「育成温度の適温を確認」

 

 周囲にはスパイスを焼いたような刺激的な香りが立ち込め初め、灰の山となった地面からニョッキリと何かが芽を出した。

 

 ソレが目玉だと気付けば、女性陣ならば腰を抜かすだろう。

 

 人の拳程もあるだろう目玉がギョロリと地表に這い出して、茎の部分を折り曲げてすぐに大きく成長。

 

 最後にはまるで石のようにカチコチに固まってガゴンッと茎が砕ける程の自重で地面に転がった。

 

「アムルの神眼実(生食)」

 

 ガリッとニンニクのような刺激臭のするカチコチの目玉が手に取られて、モクモクと齧られ始めた。

 

「前頭葉肥大。前頭骨中央開口。開眼開始」

 

 少年の額の皮膚が僅か縦に割れて、内部の頭蓋が歪んだかと思うと内部からキョロリと瞳が内部の暗闇から湧き出した。

 

 それがキョロキョロと周囲を見回した後。

 

 再び皮膚が閉じられて跡形も無く消え去る。

 

「第三神眼定着。五感機能3.2%上昇。知覚型ステータス上昇率1%向上。魔眼開眼による知覚キャップ開放。観測開始」

 

 少年の瞳には今まで見えなかったものが見えるようになっていた。

 

 最も簡単に見える普通ではないものは自分の周囲をフヨフヨと飛ぶ赤黒い精霊のようなものだろう。

 

「【祈祷呪紋】ウィシダの炎瓶を獲得」

 

 ボウッと少年の両瞳に甕のような象形が浮かび上がる。

 

「精霊観測成功により、【精霊詠唱代替】を獲得。シャニドの印により、各種値の向上を確認。魔力量40%を精霊に充填」

 

 少年が呟くと周囲にいた赤黒い精霊の光玉が紅蓮に染まった。

 

「充填完了。踏破開始」

 

 少年はイソイソと繕われた服のままに沼地を再び超えて山の中腹へと向かうルートを取ったのだった。

 

 *

 

「フィーゼ様」

 

「ウリヤノフ。どうしたのですか?」

 

「探索隊の一部が西部の海岸線沿いの洞窟で一部消息を絶ちました」

 

「ッ、直ちに救出を」

 

「いえ、まずは原因の究明が先です。前後の状況から洞窟の先に抜ける道付近で消えており、帰って来た探索隊は無傷で何も見ていません」

 

「それでは皆さんが何処に消えたのかは?」

 

「未だ分かっておりません。安易に部隊を送れば、全滅する可能性もあります。水夫達も怖がっているようで問題が解決するまでは向かう事もないでしょう」

 

「それでは……どうしたら」

 

「一部の腕の立つ者を選抜して障害となる何かを排除するというのが良いかと思われます」

 

「一部の?」

 

「はい。私を筆頭にカラコム殿、更に腕が立つと自負しているガシン殿で行ってこようかと」

 

「大丈夫なのですか? 相手が何かも分からないのに……」

 

「備えはしていきます。行方不明になった者には悪いですが、1日は準備に費やすべきです。もしもの為の浮袋や薬草を煎じて飲み、事前にある程度の海の生物の毒への耐性も必要です。洞窟という事で靴も滑らないように細工をしていきます」

 

「そうですか。解りました。すぐに野営地の皆に手伝って貰いましょう」

 

「はい。得物が剣だけでは不安ですので長槍と銛も。外傷用に塗り薬も必要になるでしょう。今からやれば、明日の朝には全て人数分揃えられるかと」

 

 すぐにウリヤノフの言葉へ頷いた彼女は野営地の人々に現状を報告しつつ、救出隊にもしもがあった時の為に後方から支援する態勢と人員と調える事を進言。

 

 エルガムが音頭を取って、さっそく備え始めたのだった。



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第6話「流刑者達の上陸Ⅵ」

 

 少年が先日倒した殻の無いカタツムリのいた場所を抜けて山肌の内部に向かう洞窟へと入った。

 

 その額には三つ目の瞳が輝いており、ペッカーと光を発するわけではないのだが、周囲はまったく明るさを維持したままに確認が可能となっている。

 

 これならば夜であろうと昼間と同じように進めるだろう。

 

 ランタンなどの光源に頼らなくても良い関係上、相手からも視認が困難なままで闘えるのはアドバンテージでしかない。

 

 洞窟は人が通るには支障が無い程度のものであり、歩いて数十秒もすると大きな空洞のある場所に出た。

 

 その内部からは蟻らしい大型の昆虫が1m近い体躯を窮屈そうに屈めて、天井から尻の先から出ている糸でぶら下がっている。

 

 その周囲には大量の繭が存在し、周囲にはキノコが大量に映えていて、一部の蟻がそのキノコをモシャモシャしながら、巨大な洞窟の最奥へと運んでいく。

 

 少年が手を洞窟の入り口で払うような仕草をした。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 途端に少年の手を払った軌道に沿うようにして連動した形で人の腕程もありそうな中型の瓶が光で形成されて、内部から猛烈な勢いで炎を吐き出した。

 

―――?!!

 

 それが地面を這いながら嘗め尽すようにして洞窟内に広がり、蟻と繭に燃え移り、断末魔を上げてのたうちながら焼け焦げていく。

 

 その灯りに照らされて、洞窟の最奥が見えた。

 

 大きな壁際の繭の上には12m程の蟻。

 

 恐らくは女王蟻が見えており、眼光も赤く少年を確認すると羽音を響かせて猛烈な速度で襲い掛かって来る。

 

 その尻が降られると同時に液体が入り口を直撃し、岩を焼き溶かし、虚空に跳躍していた少年が横薙ぎの胴体に直撃される。

 

 その衝撃で吐血した少年であるが、その手のダガーは既に相手の内部に突き刺されており、内部から黒い粘菌のような血管が脳髄へと駆け上がろうと侵食を開始していた。

 

 だが、それを察したのか。

 

 蠢く数本の脚が自分の胴体を半ばから真っ二つに切り裂き、背中から上の翅だけで飛び上がり、遂には内部からズルリと黒い粘菌の血管を引き抜きながら、蟻酸を少年に浴びせ掛けようと周囲に拡散させた。

 

 ジュオッと少年の皮膚や髪の上が煙を上げ始める。

 

「強酸による継続ダメージ。真菌共生による軽減率77%。身体能力3%低下」

 

 言っている傍から、強酸の霧を突き抜けた少年がステップを踏んで天井近くまで飛び上がっていた相手に目掛けて目を閉じたまま何も持っていない腕を振り払う。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 その軌道にそって上空が炎に巻かれ、半死半生な巨大な女王蟻が燃えながらも焼け落ちる翅を使って突撃。

 

 それに対して少年は咄嗟に鉱物を運んでいた時の奇妙な動きを再現して、高速でジグザクに軌道しながら、最後には炎に巻かれた女王蟻の横を炎に焼かれつつも擦り抜けて、同時にダガーで相手の胴体を半身に捌いた。

 

 上がる血飛沫というには黒い液体が炎に巻かれていく。

 

 しかし、少年もまた炎によって焼けており、すぐに腰の袋から水を被って、ゴロゴロと周囲を転がる。

 

 炎が消えたのを見計らって立ち上がった少年は辺りがもう炎も無く薄暗がりとなり、同時に酸素も途絶えつつあるのを理解して、女王蟻が護っていた卵に近付き。

 

 ドスリとダガーを突き立てた。

 

 途端、卵が罅割れて、内部からドジュルルルッと卵の内容物の一部。

 

 既に甲殻が出来ていた蟻の破片が溶けながら溢れ出し、少年の目前には割れた卵の心臓部にも見える薄桜色の肉塊が見えていた。

 

 それをゆっくりと片手で取り出して、齧った少年はビターンと倒れる。

 

「高濃度抗原体(生食)。生体機能秒間1%で停止中……抗体獲得確率97%上昇。獲得まで残り12秒……ガフッ?!!」

 

 また吐血芸を虚空に披露しつつ、ブツブツと呟きながら霞む目のままに立ち上がり、ヨレヨレと洞窟の外へと向かった。

 

「外部抗原獲得。重複交差反応抗体の取得終了。抗体反応正常。共生真菌外部増殖効率93%上昇。毒性抗体適合抗原数839種類に増加。極限外環境適応力63%上昇(再上昇可)。サイトカインストームを併発。共生真菌による抗体制御開始……ゴホゴホゴホゴホゴホゴホッッ?!」

 

 ビチャビチャと口から吐血しつつ、充血し、全身が赤黒く変色しながらも、黒い血管が肉体内部から次々に体を侵食していくと最後には変異が嘘のように元へと戻っていった。

 

「抗体制御完了。残存体力7.4%。酸欠による窒息死を真菌共生により無効(22分)。補給と休息を要す」

 

 少年がフラッと倒れ込んで途中の壁に寄り掛かった時。

 

 ゴシャッとその壁が脆く崩れ去り、同時に蟻酸で滑っていた通路の一つを滑り落ちるように少年は猛烈な速度で上半身を下にして下っていく。

 

「隠し通路発見。注意力低下中。頭部防御」

 

 滑り落ちる途中に両腕で頭部を護ったまま。

 

 何処までも坂道を滑っていく彼は最後に行き止まりが目の前に迫って来るに当たり、頚椎を折らないように気を付けようと固く決心して、衝突したのだった。

 

 *

 

「何だぁ!? こいつらはぁ!?」

 

 ガシンが叫びつつ、襲い掛かって来る蟻を拳で吹き飛ばし、回し蹴りで蹴り飛ばしていた。

 

「ま、まさか?! 南部のヤツが出て来るとは!?」

 

 カラコムも叫びながら巨大蟻を剣で切り払い。

 

 持って来ていた小さなスパイク付きの靴で相手を踏み潰していた。

 

「騎士ウリヤノフ!!? 少々マズイですよぉ!!?」

 

「知っているのか!! カラコム殿!!?」

 

「こいつら南部の魔獣の類です!! 蟻の化け物【ニグロキア】!! 同じ種類かは分かりませんが、似てます!!」

 

「魔獣か!! さすが極獄と呼ばれているだけあるな!! この島も!!」

 

 叫びながらウリヤノフが槍で的確に蟻の頭部を突いて、近付いて来る個体や死んだ個体が動き出さない内にと弾き飛ばして距離を取る。

 

「女王が何処かにいて、島中に通路を伸ばしてるはずです!! 消えた連中は諦めて下さい!! もう腹の中だ!!」

 

「だが、此処が開かねば後が問題だ!! 幸いにしてこの三人ならば、死ぬ事は無いだろう!! ガシン殿!! ガントレットはどうか!!」

 

「ああ、脚甲だっていいとも!! クソ騎士さんよぉ!!? 何でオレがこんなところで蟲の相手なんぞしなきゃならねぇんだよ!?」

 

「はは!! 若い内は苦労をしてみるものだぞ!! 何も無い人生ではつまらんだろう?」

 

 言ってる傍から襲い掛かって来る蟻が槍と剣と拳によって退けられ、互いに背中を預けた三人がもう40匹は切り伏せた敵の遺体が未だウゾウゾと動く様子に火も持って来るだったと溜息を一つ。

 

「一端帰って油か燃えるもん持って来るしかないんじゃねぇか!!」

 

「白リンが出る地域は有毒なガスが出ている。息を止めて大量の石を持って来られるなら、それでいいぞ!!」

 

「クソが!?」

 

 最終的に男達は限界まで蟻を駆除し、最後には全ての敵の頭を切り飛ばし、蠢く脚や動体も砕き切り裂いて回る事になった。

 

「フゥ。ようやく終わったぜ」

 

「灯りを持って来て正解だった。全て駆除したのを確認した。明け方に出発したが、今は何時だろうな」

 

 男達が一息吐いた時。

 

 ゴガァンと彼らの背後から音がして、蟻達が土で偽装していた巣穴に続く通路が開通し、その内部を滑って来る相手を見て驚愕する。

 

「はぁ!? 坊主だぁ!?」

 

「君は―――何故、こんなところに?!」

 

「オイオイ。まさか、逃げ出して来たのか!?」

 

 ガシンもウリヤノフもカラコムも目を大きく見開く。

 

 外套のあちこちが酸で溶けて明らかに衰弱している少年を慌てて三人が洞窟から引っ張り出し、外で介抱する。

 

「大丈夫か!? カラコム殿!! 水を!! 肌が溶ける前にだ!!」

 

「は、はい!!」

 

 すぐにバシャバシャと水で蟻酸が洗い流され、少年が瞳を開ける。

 

「どうやら冒険心が過ぎたようだな。少年」

 

 ウリヤノフが苦笑していた。

 

 生き残っているのは奇跡でしかないと悟っているからだ。

 

「あの蟻共から逃げて来たのか?」

 

 ガシンに少年が頷いてカクンと意識が落ちた。

 

「あ、オイ!?」

 

「大丈夫だ。触った時に骨は逝っていなかった。肌も蟻酸でしばらくは爛れるだろうが、治るだろう。それにしても問題はあの通路が何処にどう伸びているかだな」

 

 三人が洞窟の奥にある巣と繋がる洞窟を見ていた。

 

「白リンは最悪、こちらで採取してくる。備えは必要だ」

 

「その坊主はこっちで背負う。おっさん共は装備が重いだろ」

 

「済まぬ。そうさせてくれ。一端戻ろう!! この子の意識が戻って話を聞いてからだ。諸々は……」

 

 こうして少年は無事に野営地へと戻る事が出来たのだった。

 

 *

 

『騎士達が返って来たぞぉ』

 

 野営地に返る頃には昼過ぎになっていた。

 

 全員が戻って来た三人を労いつつも、すぐに背後へ少年を抱えている様子なのを見て、エルガムの下へと運んだ。

 

「どうやら外傷は無いようだ。服はかなり溶けているが、幸いにして蟻酸を落すのが早かったおかげだろう。荒れてはいるが焦げてはいないな。殆ど奇跡的な事だ。神に感謝しておくべきだな。君は……」

 

「………」

 

 意識の戻った少年は病院代わりの天幕の革を敷いた寝床で横になりつつ、診察を受けていた。

 

「先生!! アルティエは大丈夫なんですか!?」

 

「ああ、フィーゼ様。大丈夫ですよ。昨日の夜の捜索が無駄になった事以外は」

 

「そ、そうですか。良かったです。アルティエ……昨日どれだけ探したか」

 

「昨日?」

 

「ええ!! そうよ!! 夜になっても戻ってこないから、近くを捜索隊が探していたのよ!!」

 

「夜……?」

 

 首を傾げた少年が内心で思案する。

 

「洞窟内は暗く。同時に時間の感覚が麻痺します。恐らくは迷い込んだ場所で延々と彷徨っていたのではないかと」

 

 エルガムがフィーゼに常識的に説明する。

 

「そうなの?」

 

 コクコクと少年は頷いておく事にした。

 

 それからしばらくの聴取の後。

 

 少年が沼地を迂回して山の中腹にある洞窟の事を話すと救出隊として出ていた三人が再度出向く事になり、そこで大きな洞窟内部で大量の蟻の死骸がキノコの山となっているのを発見。

 

 持ち替えられたキノコがまさかの食用である事をエルガムが告げた事で彼らは一つ食料源を確保する事になった。

 

「それにしてもどうしてそんなところまで行ってたのですか?」

 

「……冒険してた」

 

 その言葉にジト目になったフィーゼが「どうして男の子というのは……」という顔で溜息を吐く。

 

 そして、少年にしばらくは遠くまで出歩かないようにとお説教するのだった。

 

 *

 

 夜、お説教で絞られた少年はモクモクと焼き魚と果実を食べつつ、夜の海を見ていた。

 

「おお? 小さな冒険者殿♪」

 

「リケイさん」

 

「左様。リケイでございます♪」

 

 おどけた老爺が少年の横の流木に座る。

 

「どうやら大冒険だったようで?」

 

「冒険してたら、今日だった」

 

「はっはっはっ、結構結構!! 生きて戻る運もあれば、全ては良し……とはいえ、お姫様は随分とお冠のようだ」

 

「フィーゼ?」

 

「ええ、昨日は眠れぬ様子でしたよ」

 

「………」

 

「ですが、それよりも……使いましたな?」

 

「呪紋……」

 

「おお、知っておいででしたか。才能はあるのですな。力を強まると発現する者は多い」

 

「どうして、敬語?」

 

「一人前の男の前には一人前の態度というものがあるからですじゃ♪」

 

 そんなものらしいと少年が一応納得する。

 

「魔の技は中々に散逸しておるものが多い。故にこうして芸妓の技を使いながら、実は増やしておるのです」

 

「増やす?」

 

 此処は聞いておくのがいいと少年は知っている。

 

 常に必要なのは初心のように全てを行う事だ。

 

「我らは小さき種。あまり、減り過ぎると人の波に飲まれて消えてしまう。だから、こうして数日で使えるようになる者がいるのは我らにしてみれば、何とも寿ぎたい気分となる」

 

「………」

 

「属性は炎。とても幅広い呪紋が使えそうだ。それに普通の“タダビト”達には無い冒険心を持ち、運もある。もし、これからも呪紋が欲しく為れば、是非に頼りとして頂ければ……」

 

「……何者?」

 

「ふふ、ただの芸妓の老いぼれにしてただの流刑者。お姫様には秘密にして下され……あのお説教を喰らったら、寿命が縮んでしまいますからな♪」

 

 そう言って、肩を竦めたリケイはニヤリとして少年の横から立ち去っていくのだった。



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第7話「流刑者達の上陸Ⅶ」

 

 元蟻塚のキノコ養殖場が発見されて数日。

 

 大量の空洞があちこちに通じており、換気口のようになっていた為、大量の炎が上がった洞窟内は再び人が立ち入れる状態に戻っていた。

 

 結局、蟻達は何らかの要因で死んでキノコになったという話が通説であり、内部が熱かったことから、間欠泉のような熱源のせいで死んだのだろうと結論付けられた。

 

 内部では酸素が薄かったものの。

 

 キノコの育成現場としては有用。

 

 通路を通るにしても長く留まらなければ、左程に問題はないだろうとエルガムが太鼓判をした。

 

 問題は西部の海岸洞窟を通るルートが開通し、島の西部まで進出出来るようになった事に加えて、彼らが見ていた火は山のずっと奥の高い山脈の内部にある事が明らかになった事だろう。

 

 島が大き過ぎて小高い数百mの山は単なる前座。

 

 それですら崖がきつく。

 

 昇れないという事が解り、元蟻塚から伸びたルートを現在は調査中であった。

 

『こっちの通路の行き止まりはどうだぁ!!』

 

『ダメだぁ!! ビクともしねぇ!! 繋がってるのは西と北みたいだな!!』

 

『よし、空気が悪くなる前に帰るぞぉ!!』

 

『うへぇ……あの蟻の墓場をもう一回かぁ。ぞっとしねぇなぁ』

 

『死んで美味しいキノコに生まれ変われてあいつらも幸せだろうさ』

 

『がははは!! ちげぇねぇちげぇねぇ♪』

 

 数名の者達が蟻塚付近の開けた中腹に第二野営地を立てて、蟻の体液で育ったキノコを食べられるかどうか。

 

 火を通して確認する事となり、大丈夫そうならば、浜辺の野営地にも2週間後にはキノコが輸送される事になっていた。

 

 きつい坂道が続く山際の道を第二野営地の人間と共に在る程度舗装して維持する事が決まった為、エルガムの指導の下。

 

 大型昆虫を用いてガスが出ているかを確認する手法が考案されて採掘が開始。

 

 白リンは持ち運び可能な可燃物として利用され、周囲の草原や道になる場所を焼き払う事となった。

 

 地面に埋め込んだリンを燃やして道を創った後。

 

 簡単な木製の柵と緊急時に使うリンを使った松明を貯蔵する倉庫があちこちに儲けられる事が決まった。

 

『こんな道が必要なのかねぇ』

 

『仕方ねぇだろぉ。あんな馬鹿デカイ蟻がいたんだ。他にどんな魔獣がいやがるか分かったもんじゃねぇ』

 

『夜に出くわして暗くて逃げられませんでした。腹の中です!! なんて御免だぜ? オレはな』

 

『仕方ねぇ。やるかぁ……』

 

 これで夜にも緊急時には迅速に移動する事が出来る。

 

 馬はいないが、生木でも車輪自体は創れた為、浜辺から少し奥にある野営地では集会所に続いて公共で使う病床のある診療所と高床式の食糧倉庫が設営中だった。

 

 誰かしらが水夫でも大工の息子という者もいた為、最終的にはしばらくすれば、煙臭い寝床が出来るだろうと野営地の誰もが安堵している。

 

「なぁなぁ、どんな冒険だったんだ?」

 

「教えてよー。アルティエ」

 

「暗くてガサガサして逃げてた」

 

「蟻の化け物からよく逃げられたよなー」

 

「本当にさ。運が良いよ。アルティエは」

 

「そう?」

 

「おねーちゃんが神様に感謝してたもん。戻って来た夜に」

 

「そうそう。良かったって泣いてたんだぜ?」

 

『聞こえてるよぉ!! レーズ!! ナーズ!!』

 

「「げ!?」」

 

『あんだってー!!?』

 

「「な、何でもありませーん(棒)」」

 

 天幕でレーズ、ナーズの兄弟から話をせがまれつつも、少年は順調に回復した体力を確認して、2日ぶりに外へ出る事にしていた。

 

 回復するまでは大人しくしている事と約束していた為、回復したので約束は守ったという事で解釈される。

 

 だが、そうは問屋が卸さない。

 

「?」

 

 よく見たら、少年をフィーゼが野営地のど真ん中で人の相談と指示出しをしながらジト目で見ていたからだ。

 

 内陸に向かえば、止められるのはまったくあり得る話。

 

 で、あるならば、目標は海になるのが自然である。

 

 回復中も薬屋さんごっこをしていた少年は今日も再び失敗作の薬を袋で持って行って、海辺で釣りをする事にしていた。

 

 秘密の穴場にはちゃんと傍に木材を置いておく為の場所が完備されているので薪を調達してくる必要もない。

 

 浜辺から数百m離れた地続きの岸壁。

 

 だが、先日の蟻塚戦において秘密の通路に落ちてしまった少年にしてみれば、今は違うものが見えていた。

 

 誰もいない場所で少年の第三の瞳が額に開眼する。

 

 すると、呆れる程簡単に反響音が違う岸壁の一部が存在し、少年がその壁をカツカツといつものダガーで叩くついでに侵食すると。

 

 ビキビキと音を立てて岸壁の一部が崩落する。

 

 内部を覗くと蟻の顔がヌッと現れ。

 

 それがツルーンと滑って海にボチャンと落ちて、魚達が群がり始めた。

 

 どうやら掘り切ったところで死亡していたらしい。

 

 蟻塚内部から伸びたのだろう穴は傾斜こそがあるが、恐らくは蟻塚の一部に一直線に通じているはずで、少年はイソイソと周囲を確認してから、内部へと入っていくのだった。

 

―――30分後。

 

 蟻塚の通路は基本的に一定の湿度に一定の温度だ。

 

 地面は蟻酸で未だ滑っているが、地面に脚を付けねばいいだけである。

 

 少年は蟻酸が掛かっていない壁に張り付くようにして早足で壁走りしていた。

 

 簡単な理屈である。

 

 少年の体表に共生している真菌の粘度を上げて、足の裏から木製の靴に浸透させ、そのまま接着しているのだ。

 

 早足で抜けた通路の先には幾つかの分かれ道もあったが、方向から察して、未知の道へと向かう事にした少年である。

 

 その脚で更に1時間。東に抜ける道を歩くと。

 

 夜目でも解る程度に通路先が明るかった。

 

 その内部に飛び出した少年がダガーを構えつつ周囲を確認する。

 

 しかし、人気は無く。

 

 その代りにそこは壁に埋め込まれた教会のような廃墟だった。

 

 壁際の蟻の穴は丁度祭壇横に繋がっていたらしい。

 

 出ていくと崩落した石製の屋根の上から陽射しが降り注ぎ。

 

 苔生した教会内部を照らし出している。

 

「――――――まさか、これ……」

 

 しばらく、少年は黙って、その光景を見つめていた。

 

 どれ程経ったか。

 

 ハッとした様子で被りを振った少年は僅かに片手で目元を拭ってから再びいつもの無感動そうな顔に戻って周囲の探索を始める。

 

 キョロキョロと周囲を見回せば、教会跡という事で祭壇の後ろには何やら神の像らしき手に本を持った部分だけ残っている破壊された石像がある。

 

 その本と手の間にキラリと光るものを見付けて、少年が手に取った。

 

「鑑定不能。知能系ステータス不足……」

 

 いつものように呟きつつ、ソレを太陽に空かした少年は指輪の類だが、石製である事に気付く。

 

 何故に輝いているのか。

 

 それは石製の指輪に嵌っているもののせいだ。

 

 小さな虹色に輝く甲虫の甲殻であった。

 

 だが、その甲殻そのものが蠢き光を受けると震えている。

 

 生きているわけではないらしく。

 

 精気のようなものは精霊も見えるようになった視界には捕らえられない。

 

 光を浴びると震える甲虫の指輪は女性の手にも生えそうな程に細い。

 

 だが、石製と見えるのに強度はまったく違いそうだと掴んだ瞬間には理解していた少年は一応戦利品である為、そっと懐から取り出した薬草などを束ねる為の紐に通して、首に掛けておく。

 

 今まで散々服をダメにして来た為、服に入れて無くすのを防ぐ為だ。

 

「………」

 

 更に詳しく見て回った少年はそれ以上のものは何も無い事を確認し、教会を後にしたが、外に向かう出入り口の先で驚く。

 

 すぐ傍が崖だったからだ。

 

 そして、振り返れば、そこには岸壁がある。

 

 岸壁の教会。

 

 それが蟻塚が続いていた場所であった。

 

「……地表への経路を確認。行動開始」

 

 細いながらも未だに苔生した道は罅割れて剥がれた石畳が点々と続き。

 

 地表に降りる経路を示してくれている。

 

 そのまま下っていく事はまったく問題にならなそうであった。

 

 *

 

「メンヴィの苔(生食)。骨芽細胞増加率21%向上(再上昇不可)。新神経作用機序により、精神錯乱回避。体内から汗腺で薬効排出まで32分。12日以上の進行度を20分で……此処が東部……」

 

 道の途中に生えていた苔をモシャりながら、少年が岸壁を降りていた。

 

 それから想起されるのは東部と中央部を隔てている山岳の絶壁だ。

 

 未だ通るルートは確認されておらず。

 

 岸壁の鋭さは劔のようであり、水夫達は昇るのは無理だと諦めており、西部のなだらかな道を行く事は騎士達の助言もあって納得されていた。

 

 岸壁を降りる道の先。

 

 開けた東部は平原が果てまで続いている。

 

 恐らくかなり巨大な島である為、海辺が数百m程度の上空からでは見えないのだ。

 

 こうして先の先まで見ても草原ばかりであり、樹木が生えている地域もあるが、基本的には起伏の無い土地。

 

 その平原に向けて早足に辿り着いたままの速度で向かう少年は次々に周辺に生えている単なる雑草に見える薬草を取り、あちこちにまた謎のジグザグ走行をしながら目についたものを片っ端から止まらずに毟り取っていく。

 

「ゼゼネブの薄荷(生食)。神経細胞増殖率2.3%上昇(再上昇不可)。亢進開ッ―――?!! 共生、真菌により、感覚常、時鈍……化。神経節圧迫。痛覚抑圧開始……はぁ……」

 

 激烈に背筋を伸ばした後、何とか脱力した少年が立ち止まる事なく両手を何度か水気を切るように振って握って開いてを繰り返して息を吐く。

 

 その合間にも足を延ばした先には樹木で出来た家らしきものが見えて来ていた。

 

 かなりボロく。

 

 だが、その小屋の前では薄っすらと湯気を上げる鍋。

 

 そして、火を起こした当人と思われる人物が一人。

 

 赤黒い鎧に覆われた何者かは顎が出る仮面を付けており、その隙間に覗く人間とは思えない程に乱杭歯が飛び出していた。

 

「―――」

 

 ダラダラと涎と共に戦慄く口内。

 

 その大穴には小さな牙の群れを覗かせていて、更にはビッシリと口内の至るところに生え揃う歯が喉の奥までも続いている様子が伺える。

 

 その相手がキロリと少年を見た途端。

 

 横の地面に降ろしていた旗にも見えてしまう長い長い柄と長方形の形をしたノコギリのような刃を引き抜く。

 

 その刃は鈍い錆び色の全身鎧と同化したような光沢があり、刃の部分は仮面から覗く口内の乱杭歯と同じ形のものがビッシリと付けられていた。

 

 その人間には見えない何かが仮面の下から怪しく赤光を放つ。

 

 同時にブンッと振られた刃を握る腕が伸びた。

 

 まるでゴムのように伸縮し、鎧の間から覗く地肌が猛烈な腐臭を放ちながら、蛭染みた滑りのある斑色を見せる。

 

(動きは予測から外れない)

 

 それを咄嗟に前に出て回避しながら、切り払ったねじれた黒い刃が相手の伸び切った腕を中程から切り裂き。

 

 同時に侵食された部位から黒い血管が動体に向けて伸びていく。

 

 だが、相手は慌てた様子もなく。

 

 腰に刺していた普通の錆びたダガーらしきものを取り出して、肩程までをバッサリと自分で寸断。

 

 自分に向かって来ている少年を見据えて口から液体を吐き出した。

 

 前面に噴射する噴霧攻撃は蟻で見たものだ。

 

 その空間に突入する寸前。

 

 少年が身を屈めて高く跳んだ。

 

 相手を飛び越える程に高い跳躍で体を捩じりながら、ダガーが振られる。

 

「―――黒跳斬」

 

 刃の先から漆黒に流動する刃の軌道を擦った真菌の群れが液体のように相手の頭部と首の合間の隙間に到達し、スルンッと相手の内部に浸透。

 

 数秒もせず。

 

 鎧内部の肉体が当たった部位から刃に切り裂かれたかのようにドパッと血肉を弾けさせながら黒い一線によって分かたれた。

 

 しかし、上半身を首から斜めに切断された相手の口元が開き伸びる。

 

 それは正しく蛭のように伸びて少年の着地する背後を狙う。

 

 しかし、もう片方の何も持っていない手は後ろに向けられており。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 正しく魔力で出来た硝子のようにも見える半透明の瓶が相手を真正面から捕らえ、炎の中に喰らい尽して口元どころか。

 

 その全身を包み込んで焼き尽くした。

 

 すると、鎧内部の肉体がドロリと溶けてブスブスと炎の中で蠢きながら最後には消し炭となって動きを止める。

 

 少年がソレが死んだのを確認してから、完全に黒く侵食された伸びる腕の先。

 

 握られていた武器を掴んで確認した。

 

 その合間にも黒い血管はスルンと刃へと戻っていく。

 

「鑑定完了。【ウェルキドの大剣】。抗魔特剣の一つ。呪紋を詠唱された際に刃の部分が伸びて、自動で詠唱者を襲う。刃には装備者の魔力を用いて、詠唱者を麻痺させる神経毒が刃そのものから生成される」

 

 装備者と腕を切り離した為、呪紋を使っても襲われなかった。

 

 逆を言えば、装備者であっても呪紋を使えば、襲われる。

 

 そういう事である。

 

「………」

 

 鍋の中身を覗いた少年がそこに人の脚らしきものを見付ける。

 

 そこで興味を失くして伸びをした。

 

 あの鎧の化け物の乱杭歯が根本から蛭のような触手で伸びるのを想像しつつ、何処か安全な場所に置いておく事を決めて、背中に背負い。

 

 再び早歩きで東の大地の奥へと向かう事にしたのだった。

 

 それは少年が初めて得る新たな力に違いなかった。

 

 *

 

「あれ? またいない!! もう!!」

 

 膨れていた彼女は溜息一つ。

 

 ジッとしていられない男の子という生き物の罪深さを思って不覚憂慮した。

 

「はは、男の子は冒険心が強いくらいで丁度いいんですよ」

 

「マルカス様?!」

 

「そう怒らないで。彼は希少な薬効のある花なども見付けて来てくれますし、きっと好奇心が強いのでしょう」

 

「そういうものでしょうか?」

 

「ええ、年頃の男の子というのはそういうものです。それこそ……後、気になるのはカワイイ女の子との接し方くらいですよ」

 

「まぁ?!」

 

「はは、これでも昔はやんちゃ坊主と言われていました。すぐ信仰の道に入ったので、そういうのとはそれ以来お別れしましたが、誰もがそうなわけでもない」

 

 マルカスと共に水夫達の衣服を洗濯していた彼女達は木製の板一枚を股間にぶら下げた男達が早くしてくれと言わんばかりに自分達を見ているのでイソイソと洗った洗濯物を焚火の傍にある樹木の間のロープに掛け始めた。

 

「まずは待ってみようじゃありませんか。どうせ、帰って来るのは此処しかないのです。帰って来られる場所があるというのは生死はともかく嬉しいものですよ」

 

「男の方は……そういう言い方をするのですね」

 

 ちょっと視線を俯けてフィーゼが何処か耐えるように呟く。

 

「我々は流刑者です。それでも生きている。死んでいない。それ以外を気に掛けていられる程にまだ余裕がある。それは現実はともかくとして幸せな事なのですよ」

 

「言いたい事は解りますけど……」

 

「信頼と信用は違います。彼を貴女は信頼はしているようですが、まだ信用は出来ていない。現実がどうあろうと。後悔だけは無いように生きるのが神の御心に叶うものなのだと私は思いますよ。フィーゼ様」

 

「まるで、牧師様みたいですね。マルカス様……」

 

「ええ、物言いが即物的だとか。物言いが俗物的だとか。そう言われ続けて、教会から此処までやって来た男からの説教ですので」

 

「……信用。少し考えてみます」

 

「そうするといい。我々に時間が残ってるのかどうか。それは正しく神のみぞ知る事なのですから……」

 

 そう言って、荒くれ共の下履きを洗う彼はにこやかに微笑むのだった。



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第8話「流刑者達の上陸Ⅷ」

 

 少年は我が道を進んでいた。

 

「水分補給開始。快適性2%上昇(再上昇3度400mlまで)」

 

 島の東部に出て1時間。

 

 途中、ボロ屋や人間ではなさそうな敵を倒して、武器を手にしたりはしたが、周囲の平原は広く。

 

 森のような場所の周囲には木製の柵や家の跡、廃墟が広がるばかりでロクに何かがあるという事の方が少なかった。

 

 しかし、平原にも道らしきものが存在しているのは見て取れた為、その道の成れの果てに沿って早歩きしていると今度は遠目にはまだ見えなかったものが見えるようになっていた。

 

 山岳から離れた平原の南。

 

 霧が掛かっている。

 

 恐らく海が近いはずなのだが、それが見えないというのは歩いた時間や感覚から言って在り得ない話。

 

 最初から少年には周辺が普通の地形ではない事が理解出来ていた。

 

 つまり、山岳から見えた平原の他に海が見えないのならば、それには何かしらのカラクリというものがると踏んだのである。

 

「森林内部に集落を発見」

 

 イソイソと少年が村の正面ではなく脇から内部を覗き込む。

 

 すると、そこには2mはありそうな焚火の上に死体らしきものが入った鉄製の巨大な籠が巨大な木製の支柱で吊り下げられていた。

 

 籠の内部からは樹木を擦り合わせたような音が響き。

 

 黒く燻された死体の内部からムカデやネズミのような斑模様の肌を持つ小動物達がウゾウゾと這い出していた。

 

「住人を確認」

 

 死体の入った籠の周囲には大陸でも標準的な農民が着るような襤褸を纏った男女が集まっており、死人のようなカサ付いた黒く変色した肌で煌々と燃える焚火を見やっている。

 

 その瞳には精気が無く。

 

 しかし、青白い輝きが零れている。

 

 少年が身を屈めてコソコソと20人近くいる住人達の建物の角から見やりながら、何かないかと探索を開始する。

 

 周囲の建造物は多くが外から板によって窓や戸口を打ち付けられており、その表面には鋲が撃ち込まれて補強されていた。

 

 しかし、それでも外側からの攻撃を受けたような刃物や大型獣の爪で傷付けられたような場所が多数在り、内部からしか建物は開けられないだろう。

 

 幾つかのあばら家と襤褸屋が内部を晒していたが、あるのは空の酒瓶らしき陶器製の食器や朽ちた木製の家具ばかり。

 

(………このルートがもしも更に可能性と確率を広げるなら……)

 

 内部を覗きながら、裏をグルリと回っていた少年はようやくまだ空いているドアを見付けて、そっと内部を覗いた。

 

 天蓋の窓が開いているらしく。

 

 1階から2階の吹き抜けの先から明かりが射し込んでいる。

 

 その最中に入り込むと竈で鍋が煮込まれていた。

 

 内部を覗けばまだ煮え立つ前の頭蓋が瞳も無く虚ろに覗く者を覗き返している。

 

 ゆっくりと足音を立てないようにして動くとネズミが一匹。

 

 少年の足元を通り抜けて外に出ていく。

 

 そこでようやく少年はふと奥の机の上にモノらしいモノを見付けた。

 

 置かれているのはふっくらとした銀色のプヨプヨした蝶のような何か。

 

 蝶のように翅があるのにまるで水でも含んだかのように全身が銀色で玩具のようにも見えるが、僅かに生暖かい。

 

 ソレを手に取って少年が目を細める。

 

「鑑定。知能型ステータス不足。保存」

 

 袋の中にソレを入れて、明らかに人間には優しくなさそうな人間型の何か達の住居を後にしようとした時だった。

 

 外から異音がして騒がしくなる。

 

 こっそりと建物の外に出て影から覗く。

 

 すると、鉄の籠に載せられていた死体が次々に起き上がると内部からボチャボチャと明らかに在り得ない程の青白い液体を零して内部で水死体のようにパンパンに膨れ上がっていった。

 

 その汁が焚火を消火して煙が上がる。

 

 悲鳴のようなものを上げながら、人型達が恐れ戦くが、すぐに籠の外に溢れ出したものが形を取って、彼らを取り込み始めた。

 

 出て来たのは長く長く長い腕だ。

 

 20m以上ありそうな長い腕が無数に焚火を中心にして煙の中から溢れ出し、人々を捉えては煙の最中へ引き込んで肉を磨り潰すような音を響かせる。

 

 やがて、逃げ果せる事も出来ず。

 

 全ての住民が腕に捕まって内部へと引き込まれ、煙が晴れた。

 

 青白い眼光が無数にソレからは溢れ出している。

 

 肉体はブヨブヨとした青白いモチのようなスライムのようなふくよかさ。

 

 その表面には捕らえられた人型達が叫ぶ口もなく。

 

 瞳だけを露出させ、ギョロギョロとさせていた。

 

 その瞳と瞳の間から溢れ出している腕は長く。

 

 人間の腕と目玉だけをこねくり回したような怪物であった。

 

―――!!!

 

 ソレの瞳の一つが少年を見付けた途端。

 

 腕が伸びる。

 

 咄嗟に建物から離れると狙いを逸れた濁流のような腕の河が建物に押し寄せ、最初こそ砕けて支流の如く流れを割ったものの、それすら最後には更なる腕の河の濁流によって押し流され、砕けて呑み込まれていく。

 

 その合間にも距離を取った少年がダガーで近付いて来る腕を切り払いながら闘争を選択する。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 使った途端、その炎に巻かれながら悲鳴を上げようも無い腕がのたうちながらも濁流と化して少年を追う。

 

 確実にダメージは入っているが、逃げながら炎を撒いている少年はすぐに建物が無くなる事を察して、巨大な腕の本流が周囲に炎と共に突撃してくるのを横目に次々と跳びながら回避と同時に腕を黒い菌糸の斬撃で汚染していく。

 

 だが、内部から吐き出される腕は無限染みてまったく途絶えず。

 

 押し流された腕は一定距離になると次々に萎れて炎に巻かれて灰となるという使い捨ての代物としてまったく敵本隊に攻撃は届いていなかった。

 

 浸食も炎もダメとなれば、逃げるのも良いかと思う少年であったが、すぐに化け物の中央部分がブブブブッと震えているのを確認した。

 

 それが体内で何かを振動させていると考えた少年が背後の剣を握った途端。

 

―――シィィュゥゥゥゥゥゥッッッ!!!

 

 まるで人の声を限界まで笛にしたような高周波染みた高温と共にウェルキドの大剣内部からグジャァッとあの蛭のような化け物に似た質感の触手が伸びて、その先にある刃……乱杭歯が次々に30mは間がある相手に向けて高速で襲い掛かった。

 

 その速さは目で追うのもやっとであり、次々に突き刺さった目の部分へ潜り込むようにして相手を解体していく。

 

 乱杭歯の隙間から人間の絶叫にも似た節の付いた音楽のようなものが流れ出す。

 

 それが体内に無数に発生していた口と喉によるものであるというのは刃が抉り出した相手の本体の一部がボトリと周囲に落ちれば解るだろう。

 

 青白い血液が本体から吹き上がると同時に次々と少年を追っていた腕の量が減っていく。

 

 それが呪紋による産物であった事は間違いなかった。

 

 口から喉までが大量に抉り出された本体は正しくスカスカの状態であり、腕が萎んで灰になっていく。

 

 炎に巻かれた家々は既に内部から青白い瞳の人型によるタップダンス状態で焼け落ちながら筋肉の収縮で踊るパーティー会場と化した。

 

 相手の攻め手が落ち着いたと同時に詠唱先が無くなった刃が戻って来る。

 

 それとは逆に前に出た少年がようやく乱杭歯が元に戻った大剣を振りかぶり、跳躍して体を捩じるようにして横に振りかぶり化け物の頂点から振り下ろす。

 

 体を横にして回転した少年の斬撃は狙い違わず。

 

 相手を真っ二つにして、スカスカとなった体の内部までも完全に両断した。

 

 大量の青白い血飛沫が少年を染め上げ、周囲に飛び散って血煙のように飛散する。

 

 すると、まるで炎が血煙を避けるかのように鎮火していった。

 

 少年が顔を拭う。

 

「ウルクトルの呪血(付着)。呪霊属性の呪紋魔力効率7.8%上昇(再上昇不可)。呪霊召喚【燻り贄のウルクトル】を獲得。呪霊属性攻撃に対し、防御力3.3%低下(再下降可)。呪霊との遭遇確率283%上昇(再取得可)。呪紋【呪霊との交信】を獲得。常時意思疎通可能化。第三神眼に霊視属性を追加。常時全呪霊可視化状態(状態解除不可)」

 

 少年が血潮を外套から振るい落として数秒後。

 

 少年の瞳には廃墟と化した村の内部から解放されたらしい霊魂が次々に上空へと消えるようにして飛翔していくのが見えた。

 

 それを見やると。

 

 更に南にある山岳。

 

 存在しないはずの山岳部の頂点に集ってから更に空の上に柱のように昇っていく様子が見て取れた。

 

「……残存体力64%。帰還行動を開始」

 

 いつの間にか昼は過ぎていた。

 

 ゆっくりと暮れ始める空を見上て、少年は元来た道を戻り、夜までに浜辺の洞窟から野営地に帰る事としたのだった。

 

 *

 

『あ、いますね』

 

『でしょう?』

 

 少年が夕暮れ時に帰って来るとジト目の少女が天幕を張った一帯で食事を作りながら、牧師と共に戻って来た水夫達に手渡していた。

 

 焼き魚は飽きたという事で蒸し魚にされた魚料理であったが、どっちにしても塩が無いので困りものという話が水夫達の間では囁かれている。

 

 塩の出る山を探すか。

 

 もしくは海辺で塩田でも作ろうかという話をする医者のエルガムと騎士ウリヤノフの周囲にはそれなら自分がという塩田で働いていた事のある男が手を上げていた。

 

「ほう? 昨日の今日でまたお強く為られましたな。魔の技にも色々ありますが、まさか呪霊を従えるとは……それは召喚というのですじゃ」

 

 リケイがいつの間にか蒸し魚を包んだ樹木の葉を抱えて少年の横にやってくる。

 

「呪紋が増えた」

 

 少年がリケイに印を刻まれた片手を見せる。

 

 すると、印の端に米粒程の小さな一文字が二つ刻まれていた。

 

「ほほう? これは東の霊媒の技の一つ。交信ですな」

 

「話せる?」

 

「左様。本来、話せぬ異界の者と話せるのです。死人から情報が得られるなら、さぞかし有用でしょうとも。死んだ人間から犯人を聞き出せもすれば、死んだ者の怨嗟に毎夜毎夜魘される事もあるという具合ですじゃ」

 

「………」

 

「おぉ、済みませんな。案外、多いですかな?」

 

「多い……」

 

 少年がジト目になる程には老人の背後には恨み辛みを吐く騎士風の亡霊のような者達が連なって行列になっていた。

 

 その大半は全身鎧を身に纏い。

 

 亡者らしい枯れた体と腕で擦り切れた布地と砕けて煤けた鎧姿ではあったが、それでも元々は大国の者だったのだろうと分かるくらいには立派な装いだった。

 

「嘗て西の大国の砦を落した事があるのですじゃ。無論、一人ではなく。仲間達と共にでしたが、その騎士達でしょう。戦いは熾烈を極めており、生き残りは無し。仲間を大勢失った。恨まれても仕方ありませんな。ははは」

 

 老人はケロリとして肩を竦める。

 

 霊というのは案外身近にいるらしく。

 

 水夫達の後ろにも恨めしそうな者もいれば、見守っているような者もいて、亡者達の誰もが人を恨んでいるわけでもないらしい。

 

 だが、一番目に付くのは少女の背後に立ち。

 

 今も微笑んでいる女性だ。

 

 美しく。

 

 同時に少女と似ている。

 

(この霊……初めて見る……いつも何処かのタイミングで消えてる?)

 

 相手が少年に気付き。

 

 少しだけ頭を下げると虚空に融けて消える。

 

 その優しい眼差しは正しく言わずとも誰かは解った。

 

「では、これで。亡者達との付き合いは程々にしておかれるといい。あまり深入りするとあちらに引き込もうとする者もあるでしょうからな。呪紋の構成、譜律(ふりつ)を少し書き直しておきましょう」

 

 リケイが忠告してから僅かに指を弾く。

 

 そして、少年の腕が僅かに光った後、水夫達に呼ばれて、踊りを披露しに行った。

 

 近頃は何とか食べられている為、芸が出来るリケイは食事時には何処にでも引っ張りだこで人気が出ていた。

 

 踊りもすれば、話も上手い。

 

 語る物語もまた千差万別で芸妓の師という肩書に偽りは無かった。

 

「何してんだい!! 飯だよ。さ、アンタも食べな。って、また服がボロボロじゃないかい? 今度は何処で何して来たんだい? あーあー、煤けちゃって」

 

 ミランザが食事を少年に持って来て、少年の炎で煤けた衣服を見てジト目になる。

 

「さっき、焚火にちょっと当たり過ぎた」

 

「どんだけ近くにいたのよ?! というか、海に落ちたの?」

 

「………」

 

 少年が視線を逸らしてだんまりを決め込む。

 

「はぁ、また落ちたのね。ナーズ、レーズ。後で脱がせたのを持って来て」

 

「「はーい」」

 

 兄弟達に左右を取られ、逃げられなくなった少年は大人しく夕食を取って天幕で全裸にされた後、衣服はアマンザへと持って行かれる事になったのだった。

 

 明るい焚火の傍で少年の服はチクチクと縫われ、外套の背中に大剣の乱杭歯による細かい傷が付いていたり、焦げた部分があったりと繕いは結局二時間程掛る事になったのである。

 

―――翌日早朝。

 

「今日くらい手伝……いない。ホント、朝早過ぎじゃないかい? ウチのアルティエは……」

 

「おねーちゃん。いつからアルティエがウチのになったの?」

 

「そーだそーだ。ウチにはオレ達がいるだろ?」

 

「はは、海から拾われるくらいだ。あたし達より嫌な過去が多いはずさ。どうせ、いつ死ぬか分からないんだ。ちょっとは構ってやりたくなる。アンタらがあんな風に一人になって海から拾われてたりしたら、アタシは……」

 

「おねーちゃん」

 

「ま、まぁ、悪いヤツじゃないけどさ」

 

「仲良くしてやんな。でも、準備は無駄にならなかったね」

 

「準備って?」

 

「昨日の残りの魚。葉包みが無い。あいつの朝飯はアレだね」

 

「ボク達はちゃんと朝蒸した魚食べよーっと」

 

「腐ってなきゃいいんじゃね?」

 

「さ、姫様がまたアルティエは何処だーって騒ぐ前に教えておかなきゃねぇ。出来えば、お土産も期待したいところだ」

 

 こうして今日も少年は冒険に出て心配されるのだった。

 

 *

 

「フィーゼ」

 

「はい。此処におります。父上」

 

「食事は済ませたか?」

 

「先程、頂きました」

 

「そうか。では、集まって来たら話そうか」

 

「誰かお呼びしたのですか?」

 

「ああ、来たな」

 

「主よ。今日もご壮健で何よりです」

 

「世辞は良い」

 

 作り掛けの煙臭い丸太で建てられた診療所内。

 

 未だ屋根を張る作業が残る一室。

 

 ウート・アルフリーデ・ルクセル。

 

 現在のルクセル家の当主を筆頭とした三人が集まっていた。

 

 簡易の枯れ草を敷いた寝台の上に革を敷いた寝台の上で今日はお世話の修道女も遠ざけた彼は娘と騎士を前にして背筋を聊か伸ばしていた。

 

「ウリヤノフ。西部岸壁の先はどうだ?」

 

「はい。西部はどうやら人がいた気配があり、島の中心部奥に見える巨大な山岳こそがあの船から見えた灯りの正体であるかと」

 

「具体的には?」

 

「人のいた痕跡。家屋の跡や崩れた石製の廃墟がありました。まだ未探索の地域が多いのですが、早朝に向かって夕方に戻るとなると中々に進まず」

 

「……第二野営地を造ったならば、西部に第三野営地を広げてはどうだ?」

 

「まだ、時期尚早かと。何より魔獣の気配があります」

 

「ッ、魔獣の?」

 

 思わずフィーゼが呟く。

 

「はい。蟲のようなものか。獣のようなものかは分かりませんが、気配はするのです。問題は相手が見付からない事……私の目を以てしても見つからず。水夫達の多くは不安を抱えており、あまり奥まで行かせられません」

 

「先日、蟻に3人食われたのが痛いな」

 

 ウートの言葉に頷きが返される。

 

「あれで水夫達の多くが探索に及び腰になっています。何とか集落まで立てれば、後は逃げ出す為の船を造れさえすれば、それでいいと」

 

「だが、生憎と船大工は居らん」

 

「はい。ですので、精々が小舟。後は難破船でも待つしかありません」

 

「フィーゼ」

 

「何でしょうか? 父上」

 

「お前はどうしたい?」

 

「え?」

 

「我が身が朽ちるのは早晩避けられん。エルガム医師からも薬の量の限界が近いと言われている。薬効のある草などは見付かっているが、足りないそうだ」

 

「ッ―――そんな、父上はまだ」

 

「今はいい。今はだ。だが、次のこの流刑者達を纏めるのはお前の世代だ。水夫は何とかなる。荒くれはウリヤノフがどうにかするだろう。だが、子供達や若い女達もいる」

 

「……はい」

 

「エルガム医師とお前に流刑者達を次なる長として取りまとめて貰いたいのだ。今は位としてお飾りに取りまとめ役に名を貸しているに過ぎんが、その後はお前次第という事になる」

 

「だから、どうしたいか。なのですか?」

 

「探索には死人が出る。避けられん障害だろう。だが、連中が今従っているのは衣食住を何とか確保しているからに過ぎん」

 

「此処で探索を止めろと?」

 

「そういう道もあるという事だ。今、食料の備蓄も勧めさせている。素焼きの壺や竈で硝子や鉄が精錬出来るのも数か月もすれば冬前に可能だろう」

 

「冬越えをお考えなのですか? 父上は」

 

「ああ、故に現状を維持する以上の探索はせずともいいのではないかと思っている。幸いにして冬の暖を取れるだけの薪は豊富にある。リンは畑にも使える」

 

「それは……数日前から行わせている? 野営地の周囲の?」

 

「馬がいない以上は人力だ。だが、幸いにして木材で道具は作れる。畑に植える作物としてはまだ挽いていない麦もある」

 

「それを植えると?」

 

「この島は温暖だ。一応、来る前に出来るだけ情報を集めさせたが常世の春であるとされていて、実際に帰って来た流刑船の船員が冬に人間を降ろしたにも関わらず、この島だけは春のようだったという記述もある。それも数回以上数百年間同じことが確認されていた」

 

「もしかして、父上は最初からこの場所に……」

 

「そういう事だ。必要な資材は最低限持ち出せた。だが、半数は沈んで厳しいのは変わらん。だが、幸いにして食料も在る程度存在したし、今のところは破綻しないと見ていい。水も最低限はある。水路を引ければ、暮らしも楽になるはずだ」

 

 父の深謀遠慮を見ても尚、少女は、フィーゼは苦悩を孕みながらも告げる。

 

「探索は……続けるべきだと思います」

 

「理由は? 我が身の薬をという以外でだ」

 

「もしも、魔獣がいるならば、最低限の備えが必要です。それにウリヤノフもいつまでも生きているわけではない。本当に此処へ長く住まうのならば、避けられない敵を今の内に倒してしまわなければ、安心して暮らせはしません」

 

「一理ある。だが、戦力は無いぞ?」

 

「……あります。リケイ様に力を強めて頂きました」

 

「あの旅の芸妓の者か。魔の技に通じる者であったとはな。それで? お前が精霊を操って何が出来ると? 敵も倒せんぞ?」

 

「いえ、敵を知る事は出来ます。どういうものかを遠い場所でも離れて精霊の視界から見て聞く事が出来るようになりました」

 

「何と!?」

 

 ウリヤノフが驚く。

 

 それは正しく彼が今一番欲しい能力に違いなかった。

 

「精霊を使った遠見か。アレも出来たな。そう言えば……」

 

 ウートが優し気に目を細める。

 

「よく観察し、弱点を探り、準備を行えば、どのような怪物だろうと倒せない事は無いでしょう。どうしても手に負えないような相手ならば、道を封鎖するなり、堀や壁を作るなりすればいい」

 

「それ程の人出があればな」

 

「……精霊でモノを動かせると言ってもですか?」

 

「―――そうか。お前の母はそこまで出来なんだが、お前は出来るのか。さすが我が子だ……ならば、まずは身近なところでソレを使うべきだな?」

 

「はい。今日はそれを進言しようと思っておりました」

 

「良い。許す。お前の力は母の力。そして、お前を生かす為のものだ。好きに使え。だが、死ぬ事だけは許さん。良いな?」

 

「ッ、はい!!」

 

 ウートがウリヤノフを見やる。

 

「済まないが、この子が大人になるまではお前が後見となって欲しい」

 

「心得てございます。我が主」

 

 騎士が片膝を追って畏まる。

 

「女子供の中にも魔の技が出来る者が無いか確認せねばな」

 

「ああ、その……」

 

「?」

 

 言い淀みながらも少女が父の耳元にヒソヒソと囁く。

 

「……あの子か。船長が拾った。魔の技を開眼する事で冒険に出ていると」

 

「は、はい。恐らくですが……」

 

「では、今日帰って来たら、ウリヤノフ。お前がその子を見て、良いと思えば、連れて行け。それと鍛えられるもの、教えられる事、出来る限りを叩き込め」

 

「は、了解しました」

 

「お前の後釜に据えられる程であればいいが」

 

「ち、父上!? あの子は騎士ではありませんよ!?」

 

「はは、そう慌てるな。国の騎士のように辛い幼少期を過ごさせて何になる。此処は帝都ではないのだ。生きる為、共に戦え……お前もまたその強さを持つ事が必要だ……」

 

「良いのですな?」

 

 ウリヤノフの言葉にウートが頷く。

 

「アレに誓ったのだ。お前を必ず生きていけるようにすると。この島は苦難の塊だろうが、アレが死んだ日より辛い事など無いと信じさせてくれ。フィーゼ」

 

「―――父上。畏まり、ました」

 

 潤んだ瞳で少女は頷く。

 

 そうして少年の知らない内に探索隊の一員として組み込まれる事が勝手に決められるのだった。



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第9話「流刑者達の上陸Ⅸ」

 

『お嬢様ぁ!! 外は危のうございます!! お早く船内にぃ!!』

 

「まぁ、失礼しちゃうわ。こんな甲板の中央からどうやったら外に落ちるって言うのかしら?」

 

 鬼難島は東の海の果てにある。

 

 だが、そこを船が一隻も通らない。

 

 という事も実際には無い。

 

 近場の航路が幾つかの外界の部族がいる島と繋がっており、特に香辛料の買い付けに東部と北部、南部の商人達はよく脚を運ぶと言われる。

 

 金や文明の道具と引き換えの取引は物々交換が多く。

 

 結果として莫大な富を上げた者達はその怪しげな海図に掛かれる海の中の島を遥か遠巻きにして眺めるのはよくある事であった。

 

 何なら捨てられる流刑者達の紡ぐ火でも見ながら一杯やってという悪趣味な者すらいる程だ。

 

 故にか。

 

 新興の香辛料成金という類の船は船主達の戒めも知らない場合が多い。

 

 近付き過ぎれば、引き込まれるぞ。

 

 追うは易し、離れは難し。

 

 鬼すら難する島。

 

 つまり、それは生半可な船や船員では脱出出来ない島である事を意味する。

 

 また、船が流刑者を置いて戻る際にも現地の古老の船乗りなどを使う事から殆どの者達はその離れる事も難しさから莫大な金額を船主に要求するのが常であった。

 

「もう……」

 

 そんな事は露知らず。

 

 香辛料貿易で財を成した船主の一人娘は木造帆船の甲板で舶来の長物。

 

 大陸中央付近にある帝国で造られた手持ちの望遠鏡で島を見やっていた。

 

 何か面白いものが見られないかと思って。

 

 その後ろ姿を従者達はハラハラしながら見ており、外は怖いとばかりに彼女の我儘に溜息を吐いている。

 

「そんなにあの島が怖いのかしら?」

 

 彼女が呟きながら、何てことの無い大きさにしか見えない島を望遠鏡で捕らえ、浜辺には誰もいない事を確認してガッカリしていた。

 

 浜辺に助けてとでも文字があれば、彼女の友達に喜々として話のネタにする気だったのだが、事はそう上手くはイカナイ。

 

 褐色の肌に紅い天鵞絨のような豪奢なフリル付きのドレスタイプのワンピース。

 

 帽子は東部伝統の麦わら帽を緻密に編んで模様を付けた代物。

 

 ドレス内部は極めて薄い熱が籠らないスケスケなシルク製であり、蒸れる事も無い特注品で涼し気に肌を出した肩から吊るハシタナイと言われるだろう大胆な衣装はまったく価格も価格なら、過激さも強い代物。

 

 東部ならば破廉恥。

 

 帝国ならば悪趣味。

 

 南部だろうが北部だろうが、他の国の商船から見られたら、娼婦でも載せているのかと疑われても仕方ない装いだが、生憎とそれを着込むのは少女である。

 

 年頃は14くらいだろう。

 

 背丈は小さく。

 

 歳よりも何歳か若く見えるかもしれない。

 

 だが、その勝気な瞳と金色の少し縒れて太い髪が肩でフワフワしている様子は愛らしさの方が勝るかもしれなかった。

 

「もっと横から見えればいいのに」

 

 だが、そんな少女は気付かない。

 

 自分が見ている方角とは反対側から雲があっと言う間に押し寄せて来る事に。

 

 そして、少しずつ吹き始めた風がズズズと船を押し流し始めた事に。

 

 何故なら彼女は望遠鏡に夢中であった。

 

 そうして、何か雨が降って来たなぁと目を離した時には―――。

 

「え?」

 

 横合から喰らった波で甲板が大きく傾き。

 

 彼女の体はあっと言う間に海へ投げ出され。

 

 船は舵が壊れた様子で島へと向かって流されていくのだった。

 

 *

 

 ツンツン。

 

 ツンツン。

 

『もう誰よ。まだ眠いですわ』

 

 ツンツン。

 

 ツンツン。

 

『いい加減怒りますわよぉ。ジョゼフィーヌ』

 

 家の飼い犬。

 

 白いフワフワ毛玉に呟いて彼女は眼を開ける。

 

 すると、そこは砂浜であった。

 

『え?』

 

 そして、見知らぬ黒髪の少年の顔があった。

 

『だ、だだだ、誰ですの!? 貴方誰なんですのぉおおおおお!!?』

 

 のぉーのぉーのぉーと木霊した気もする少女の叫びが海岸線沿いに響き。

 

 同時に少女は最後の光景を思い出す。

 

 そう、そうだ。

 

 島に流れ着いたのだ。

 

 蒼褪めた彼女は極悪非道な事をした犯罪者達がいると噂の流刑地に飛び込んだ自分の不運を呪い。

 

 同時に少年を極悪な低年齢層な犯罪者に違いないと確信する。

 

 だって、少年の手には黒いねじくれた禍々しいダガーが握られていて、その背後には何か物凄く禍々しい大剣が背負われていたからだ。

 

『わ、わたくしを食べてもおいしくありませんの事よ!? そもそも、我が屋は莫大な身代金は出してくれても、わたくしは何の技能も無い無害で無垢な普通のお姫様ですのよ!!? 不潔!? 破廉恥!! わたくしに酷いことする気でしょう!? 大人向け吟遊詩人の謳ってた恋物語みたいに!!?』

 

 いや、止めて、放して、わたくしは美味しくないと主張する少女であったが、少年がジト目になってアレ、アレと指差す。

 

 すると、そこには彼女には見覚えのある服が一着。

 

 そして、その金髪の縮れ髪がワカメのように濡れて萎れているのが見えた。

 

『え? あ、うん?』

 

「名前何? 亡霊の人」

 

『ぼう、れい?』

 

 少女が思わずもう一度見た自分の肌は斑色で同時に彼女は自分の姿が衣服も込みでスケスケなアダルト仕様になっている事に気付いて、サァアアッと顔を今世紀最大に蒼褪めさせた。

 

『う―――』

 

「う?」

 

『う゛ぞ゛でずわ゛~~~びぇえええええええええええええええええ!!?』

 

 今世紀最大に叫んだ亡霊の少女は若い美空で可哀そうな事で水死体となって少年と出会う事になったのだった。

 

 *

 

「船だぁ!! 船だぞぉ!!?」

 

 その日の明け方。

 

 見張りの男達が船から持ち出した小さな手持ち式の鐘をガンガン叩いて起こしたのは間違いなく大事件の知らせからであった。

 

 前日の深夜から降り始めた雨は上がりつつあったが、彼らのいる浜辺より奥の森林地帯にある野営地からも浜辺から先の海は見える。

 

 そこに船が漂着したのだ。

 

 それもかなり罅割れてこそいたが、船体が何とか修理出来そうなくらいの状態での事であった。

 

 いきなりの天の助けに水夫達は沸き立ち。

 

 漂着した船に声を掛けて船員を救出。

 

 ついでに中のものを運び出していたら、明け方の食事時となっていた。

 

『ひっぐ!? お、お嬢様がぁ!? おお、おぉぉぉぉぉ―――』

 

 船員の半数程が泣き崩れているのは船が遭難したからではなく。

 

 彼らの主である大富豪の娘さんが海に投げ出されて行方不明だからだった。

 

 野営地の長としてウートが船員に事情を聴いている間に水夫達はかなり喜んでいたが、ウリヤノフの一睨みで今は静かにしておこうと漂着した船を砂浜に引き上げ、錨を投げ落とすのに懸命な様子となっていた。

 

「左様ですか。何と言う悲劇か……』

 

 ウートが不憫そうに船員達の話を聞きながら、彼らが船長もおらず。

 

 この島に近い航路で次の島に娘さんを届けに向かうだけの遊覧船に近い事を知ったが、水夫達の半数は正規の者であり、まだ海賊紛いな水夫達の様子を見て、警戒を解いてはいなかった。

 

 野営地の簡易的な事情を説明するのに小一時間。

 

 今は水夫達を取り纏めているウートと交渉するのが良いと踏んだ船側の者達が彼を窓口にする一方。

 

 朝から大事件が起こった野営地では水夫達の噂話が引っ切り無しに飛び交っており、島から脱出出来る道が少なからず出来たと喜びに沸いていた。

 

『女の子が岸壁の方で見つかったって話だぞぉ!!』

 

 そんな時、慌ててやってきたのは少年が話しを持って行った歩哨達であった。

 

 それにすぐ船員の半分程が連れ立って走り出し、その光景を見て絶望し、滂沱の涙で崩れ落ちたのは言うまでもない。

 

 それを後から追って来た者達が後味が悪そうな顔で見ていれば、水夫達もさすがに水を差す事も無かった。

 

 だが、その横ではシレッと少年が泣き崩れる船員達へ必死に叫んでいる少女を見ており、遂には泣き出した彼女の傍でしゃがみ込む。

 

『どぉじででずのぉ~~にゃんでぇ~~わだぐじぃ~~しんでなひぃ~~!!?』

 

 鼻水と涙に濡れた少女の亡霊は幾ら叫んでも船員達に自分の声が聞こえない上に自分が完全に死人扱いされている事に泣きまくっている。

 

 それにハンカチならぬ汗拭き用の麻布を渡した少年である。

 

 それをひったくるようにして鼻水を拭いた彼女が『絹じゃなきゃやだぁ~』と我儘を言い始めた辺りで亡霊も困ったもんだという顔の少年がイソイソと退散する姿勢となった。

 

 剣を再び隠して少女の死体の場所を教えたのは勿論少年である。

 

 これから色々と聞かれたり、浮ついた野営地の空気での話し合いがあるのは確実。

 

 そんな面倒な事に巻き込まれるわけには行かない少年なのであって、こっそりと消えようとしたのも無理からぬ話であった。

 

『ちょぉっとまったぁ!?』

 

「………」

 

 謗らぬ顔で少女の亡霊を無視した少年が天幕に戻る。

 

 すると、付いて来た彼女は断固として話して貰うという顔で少年の前に立ち、少年が横を向くとまたその前に立ちという事を繰り返す。

 

「何やってるの? アルティエ」

 

「何でグルグル回ってんだ?」

 

「ただの運動……」

 

 少年の苦しい言い訳にナーズ、レーズの兄弟が相変わらず変な奴だなぁという顔になって、肩を竦めた。

 

「……そんな運動あるんだ。あ、おねーちゃんに洗濯物干すよう言われてるんだった。ついでに陸に戻れるのか聞いてこよー」

 

「だな。どうせ、オレ達には何も出来ねぇし」

 

 こうして兄弟達が消えた天幕内。

 

 絶対に話して貰うという気概に満ちた少女の亡霊に折れた少年が視線を合わせる。

 

「えっと、死んでる」

 

『じんでないもん!!?』

 

「さっき、確認してたような」

 

『じんでな゛い゛のぉぉぉぉ!!?』

 

 癇癪を起す少女が地団駄を踏んだ。

 

 面倒くさくなった少年が頷く。

 

「死んでない死んでない」

 

『そ、そうですわ!? わたくしはちょっと眠っているだけですの!? だ、か、ら!!』

 

 ズイッと少女が少年に迫るようにして顔を近付ける。

 

『貴方!! 貴方!! アルティエとか言うんですわよね!? 貴方がわたくしを生き返らせて!?』

 

「え、無理……」

 

 普通の常識を語る少年であった。

 

『イ゛ギがえら゛ぜるの゛ぉぉぉぉおぉぉぉぉおおおおぉ!!?』

 

 思いっ切り癇癪が爆発する少女が今度は地面でゴロゴロと転がりながら、泣きべそを掻きつつ騒ぎ始めた。

 

 さすがに能力を切れない少年が体力無限だろう相手の騒音に辟易した顔になる。

 

「今、死んでないって言ってなかった?」

 

『揚げ足取るにゃぁああああああ!!?』

 

 バコーンと少年の頭が少女の平手を喰らう。

 

 無論、擦り抜けた。

 

 が、途端に少年がフラッとして膝を着く。

 

「魔力4%消失。呪霊属性攻撃:吸収の着弾を確認。頭部からの被吸収効率81%上昇(再上昇可)……っ」

 

『やるのぉおぉぉ!! やらなかったら呪い殺しますわよぉお!!?』

 

 必死に叫ぶ少女の声が直撃した瞬間。

 

 更に少年の肉体から力が抜ける。

 

「精神耐久度3%減少。呪霊属性攻撃:衝撃の着弾を確認。頭部への精神ダメージ43%上昇(再上昇不可)……」

 

『いい!!? わたくしはこんなところで死んでる暇は無いのですわ!? 将来、カッコイイお婿さんを貰って!! 七つの海を制覇した後に世界一の富豪として世に名前を轟かせ!! 自分の国を建てるんですから!!?』

 

 無茶苦茶言い出した少女を少年が倒れながらジト目で見やる。

 

『ふぐぅぅぅ!!? どうして美貌と若さとお金と天才的な経営手腕と聖人も裸足で逃げ出す優しさを持つわたくしがこんなところでぇ……わたくしの死は世界の損失!? 絶対、生き返らせて!!? いい!!? 解った!?」

 

「……ハイ(*´Д`)」

 

 取り敢えず仕方なく頷く少年が気付く。

 

「―――呪霊との契約を確認」

 

 少年の脳裏には結ばれた契約情報がサラサラ流れて来た。

 

「死者蘇生が果されるまでの期間、呪霊召喚【ファルターレの貴霊】を獲得。呪霊属性攻撃に対し、防御力9.8%低下(再下降可)。召喚可能呪霊との契約成立率84%上昇(再上昇不可)」

 

『霊とか呼ばないで!? わたくしにはちゃんと!! ちゃ!! ん!! と!! エルミレーゼ・ファルターレという名前があるのですわ!!?』

 

「エルミレーゼ……」

 

『わたくしを生き返らせるまではエルミと呼ぶ事を許しましょう。罪人アルティエ!! あ、ちゃんと三食わたくしに食べさせて、毎晩ちゃんとお話しを読んで寝かせて頂戴ね!! いい? 解った!?』

 

「……(―ω―)はい」

 

 無の境地に達した少年は霊は食べられないし、何しなくても寝てそうという言葉は飲み込んで、仕方なく頷くのだった。



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第10話「流刑者達の上陸Ⅹ」

 

 特大の災厄に見舞われた前日の亡霊お嬢様契約事件が一端横に置かれたのは少年がさっくりと野営地の実質的な探索部隊のトップに収まっているウリヤノフによって招集されたからであった。

 

 本来ならば、走者として東部を早歩きで踏破する予定だったのが、西部での探索部隊に回される事になったのである。

 

「オイ。坊主。魔の技だか何だか知らねぇが、デカイ顔すんじゃねぇぞ? あの旦那が連れてくって言うから連れてくだけだ。いいな?」

 

「はは!! あの魔獣から生き残った精鋭だ。よろしくな? 坊主」

 

「アルティエ!! 勝手な行動はしない!! いいですね!!」

 

「……ハイ(・ω・)」

 

 明け方から集められた野営地の精鋭は4名。

 

 ガシン。

 

 カラコム。

 

 フィーゼ。

 

 アルティエ。

 

 四名が実質的な探索隊としてウリヤノフの下で任務に当たる事になっていた。

 

 他の水夫達は現在浮足立っており、漂着した船の修理や数十名の帆船の船員達の受け入れ準備に大わらわであり、探索なんて聞いちゃいない状態。

 

 野営地は医師であるエルガムと貴族の当主であるウートが取り仕切り、主を失った船員達との交渉に当たる事になっていた。

 

 船員達は脱出の事はまだ考えられない様子であり、まずは少女の遺体をせめて腐る前にと墓碑を野営地側に要求。

 

 その後、しばらくの衣食住の確保と船体修復の為に働くという事で一応の合意へと至っていた。

 

『早く生き返らせてくれないとまた叫びますからね!! しっかり、お勤めを果たして、わたくしの敷く道となるように!!』

 

「……ハイ(´Д`)」

 

「さすがに二回言わなくてもいいですけど……」

 

 横には他の霊視能力の無い人間には見えない亡霊お嬢様エルミが浮かんでおり、少年の肩辺りをキープしていた。

 

 結局、あの後もお腹が空いたとか言われなかった少年である。

 

 夜もいつの間にか天幕で寝ている様子であり、朝も起きたら起きているという具合で基本的には手間は掛かっていなかった。

 

 ただ、姦しい。

 

 何かある度に少年へあれやこれや質問し、その度に少年はひそひそ声でブツブツ呟いていた為、レーズ、ナーズの兄弟達からは「何ブツブツしてるんだ?」という顔でまた変人と思われているに違いない。

 

 そんな状況で夜にウリヤノフに呼び出され、明日の探索に参加しろと言われ、承諾したのだ。

 

 明け方、少しずつ騒がしくなっていく野営地内。

 

 大きめの一夜干しの干し魚を大量に入れた大荷物をガシンが担ぎ。

 

 他の三人はウリヤノフを先頭にして西部に続く岸壁洞窟へと出発した。

 

 それから2時間程で洞窟を抜けて草原が広がる一帯へと出れば、今までより良いも穏やかな気候にも思える一帯にフィーゼがこちらに野営地を移した方が良いのではという感想を抱いて周囲を見回していた。

 

「ウリヤノフ。この一帯に気配が?」

 

「はい。西部はまだまだ探索していない場所が多いのですが、山林に入れば、更に気配が強くなります。何らかの魔獣が姿を隠しているのかと」

 

「それを見付けて討伐出来れば、あの野営地より住み易いところに集落を築けるかもしれませんね」

 

「ええ……可能であれば、ですがね」

 

 ウリヤノフは今も気配がすると言いたげに周囲に目を凝らしている。

 

 ガシンとカラコムは「気配か……」と確かに何か居そうな感じは受けつつも、ハッキリとしないようで首を傾げていた。

 

 だが、少年は沈黙を保ちながらも、西部の気配の正体をハッキリと認識する事になっていた。

 

『うわぁ……大きいですわね。アレ何かしら?』

 

 エルミが興味深げに見ているのは西部の空一面に張られた蜘蛛の巣状の人面らしい青白い透明な幕であった。

 

 その中央には巨大な塔が天空に聳えており、少なからず10階建てくらいはありそうに見える。

 

(……いる)

 

 ソレの入り口はどうやら西部の山岳の岸壁から伝っていくしかなさそうなのだが、それを触れるのかどうかすら少年には分からない。

 

 少年に分かるのは今まではこの時点で相手が降りてくるのを待っているしかなかったという事だけだ。

 

 少なからず、この時点で突撃出来る要素は集め切れていない。

 

 後で昇ってみる事には決めておき。

 

 少年はウリヤノフの先導で数kmはありそうな草原の先にある山林へと向かう事にしたのだった。

 

「花畑ねぇ。此処にも薬になる草や花は少ねぇんだろ? ウリヤノフの旦那」

 

「ああ、そうだ。エルガム医師からも知らない花や草には極力触らないようにと言われている。が、見知らぬ花がかなり多い……植生的には温暖で薬草の育成は可能そうだ……」

 

 モシャモシャとその列の最後尾。

 

 少年はいつも通りに草やら花を齧っている。

 

「(ヴァンジーの爆華(生食)。1本138万kcal。血糖値903%上昇(再上昇可)。致死量30g……真菌増殖開始。即死無効。栄養源化完了。真菌増殖率432%まで上昇可能。グリコーゲン化によって体内にエネルギー確保を開始)」

 

 齧る先からフィーゼが後ろを向く度に何事も無いかのように装っている為、表向きは何も起こっていない。

 

「?」

 

「(果糖の代替品として活用可能。衝撃で爆発。花一本で凡そ大樽一つ分の果糖と同等……取扱い要注意)」

 

 ブツブツ呟きながら、少年がクソ激甘過ぎる花をモシャリ切る。

 

 その際にも歯で潰さずに舌で押し潰しながら唾液で呑み込んでいく。

 

「何か甘い匂いがしませんか? ウリヤノフ」

 

「そう言えば……花の中には甘いものもあるとの話は聞いた事があります。蟲がいるのならば、蜂などが蜂蜜を巣に貯め込んでいる可能性も……」

 

「み、見付けたら、確保しましょう!!」

 

「生木で燻して取り出すのに1日掛かりですよ。フィーゼ様」

 

「う……この一帯を安全にしてから!!」

 

「そうしましょう」

 

 ウリヤノフが肩を竦め、ガシンは女ってのはという顔で溜息を吐いた。

 

「甘味か。もしも本当に甘いものがあれば、酒も造れる。その時は是非に蜂蜜酒を作りましょう。果実も後数日で他の人間も食べられるようになるでしょうし」

 

 カラコムがそう提案し、それに男達が大いに同意と述べて、和気藹々とは行かなくても空気は幾分か軽くなりつつ、探索は進んで行く。

 

「それにしてもあの船の女の子の事、残念でしたね……」

 

「ええ、はい。発見された時にはもう死んでいた為、運が無かったとしか」

 

『わたくしは生き返るのぉおおおおおお!!?』

 

 少年が喚く少女に華を渡す。

 

 すると、エルミが少年がしていたように華を齧って『あまーい!!』と喜びにふにゃけて黙々とそれを食み始めた。

 

 花そのものは少年の手にあるが、捧げられたものは亡霊にも食べられるらしい。

 

 つまり、捧げれば、食事は減らす事なくエルミが食べられるという事であった。

 

「……総員停止。此処から先の山林はまだ探索が済んでいません。此処から東一帯は特に森が深い為、あの遠方に見える山岳部の岸壁まで届く事を目標に周囲がどうなっているのか調べましょうか」

 

「解りました!! アルティエ!! 付いて来ていますか?」

 

「はは、迷子になっちゃ困るからな♪」

 

「ガシン殿。彼も一人前にダガーを扱えるのだから、そう揶揄うのはよくありませんな」

 

「はッ、どっから見付けて来たんだよ? 黒く錆びてるし、歪んでるし」

 

 ガシンが少年が片手に持っている得物を見て、苦笑していた。

 

 傍目からは完全に黒く錆びた歪んだダガーにしか見えない。

 

 本人も名前が解らないので黒いダガーとしか名前も無いのだ。

 

「その得物は?」

 

 ウリヤノフの鋭い視線に少年が拾ったと頷く。

 

「この島には毎年のように流刑の者が送られているはずで、人のいた形跡もある。まだ見掛けていないだけで奥地には集落があるのかもしれないな」

 

 そう言いつつも本格的に剣を抜いた彼はそのまま歩みを進め。

 

 カラコムも得物を抜いて共に森の中へと入っていく。

 

 ガシンは手甲に脚甲の為、そのまま。

 

 彼女は瞳をいつもよりも見開いて、周囲を見つめていた。

 

「どうですか? 周囲に精霊は?」

 

「はい。どうやら少しだけいるみたいです。今、お願いしてみますね」

 

 そう言ったフィーゼが少年にも見えている森の精霊。

 

 薄緑色の球体に手を伸ばし、指先に集まって来るソレらに瞳を閉じて行動を念じる。

 

 すると、周囲に精霊が散っていった。

 

 他の人間には見えない為、フィーゼが腕を虚空に上げているとしか分からないだろう。

 

「魔の技ねぇ。精霊とか。幽霊とか。オレらにゃ分からん世界だ」

 

「魔獣の一種だ。感じられないものにはいないも同じと南部では言われているが、実際に存在はしている。そちらとて感じられるようになれば、案外そういうのと相性は良いかもしれんぞ」

 

「どうだかな。存在って言われてもなぁ……」

 

 ガシンが本当にんなもんいるのかと首を傾げる。

 

「呪紋というのを聞いた事はあるか? ガシン殿」

 

「ジュモン?」

 

「ああ、特別な形を刻んだ物や人が使うものでな。様々な効能があるのだ。目に見えるものならば、炎すら出せるし、氷だって作れる。傷だって癒える」

 

「はは、ああ、アレか。東部でもいたぜぇ。城代って連中が持ってんだ」

 

「ジョーダイ?」

 

「ああ、城や城のすぐ傍に住んでるお偉いさんの一族だ。クソみてぇな重税を掛ける割に左程役立たねぇってのがお約束だな」

 

「東部は平和だからだろう。南部は群雄割拠が続く土地柄。魔の技を使う者達の多くは尊敬や憧れたの対象だ。かなり希少だがな」

 

「はっ、戦乱に使われる兵器と変わりねぇな」

 

「そういうものだ。地位ある者は武力ある者達の子孫。それは何処も変わらない。中央や北部の貴族もな」

 

「さぁ、初めてのお客さんのようだぞ。貴君ら」

 

 ウリヤノフが言ってる傍から、森の奥から何かが走って来る。

 

 ソレが少なからず人型ではない事にフィーゼは安堵していた。

 

 だが、獣というには異質な質感のソレが数匹。

 

 彼らを遠回りして囲い込むように森に溶けるよう輪を縮めてくる。

 

「あ、あれって……」

 

「クマ、にしては大き過ぎる上にガリガリに細っている。尋常の生き物ではない。フィーゼ様。済みませんが円陣の中央に……」

 

「は、はい」

 

 彼らに迫るのは背丈だけは大きな細ったアバラが浮くクマのような存在だった。

 

 半ば、四足よりも二足で歩くような仕草も見せていた為、本当にクマなのかはまったく怪しい。

 

「オイ!! そこの姫様の力で近付いて来るのは解るんじゃなかったのか!?」

 

「す、済みません!! 精霊が見落とすはずはないと思うのですが、いきなり精霊が見て通り過ぎたはずの場所からやって来たような感じで……」

 

「いきなり現れたとでも言うのかよ?」

 

 それにウリヤノフが僅かに目を細める。

 

「全員、樹木を盾にしながら移動しつつ迎撃する。フィーゼ様は私に付いて来て下さい。坊主!!」

 

「大丈夫です」

 

 少年が言いながら突撃してくるクマに向けて片手を払う。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

「「「「!!?」」」」

 

 他の全員が驚く間にも炎を吐き出す半透明の瓶がクマに見える怪物を焼いて怯ませ、3匹が距離を取って跳躍する。

 

「呪紋です。リケイさんがくれた」

 

「炎か!! これは僥倖だ!! 相手の包囲が崩れた!! 走るぞ!!」

 

 ウリヤノフが怯んだクマ達の壁の一部を突破するべく。

 

 突撃したままに巨大な図体のソレの頭部に肉薄。

 

 ギョルンッと肉を金属が絶つ独特の音がした。

 

 カラコムには神業とも思えた。

 

 瞬間的に手前で剣を回転させるように振り切って頭部を落したのである。

 

「さ、さすが、ウリヤノフ殿!?」

 

 全員が驚く合間にも倒れた図体を避けるようにして、その場を離脱する。

 

 すると追撃しようとしたクマ達が走って来る。

 

 しかし、再び炎瓶による炎で経路を遮られ、迂回を余儀なくされて、そのまま全員が数分も走ると遠方から追って来る気配は無くなっていた。

 

「全員、一端沿岸部に抜ける。森が危険だと分かっただけで収穫だ。あのクマ達が追撃を掛けて来る前に開けた場所で対策を練らなければ」

 

「次は発見出来ても森程上手く逃げれねぇんじゃねぇか?」

 

「精霊の探索を擦り抜ける相手なら何処にいても同じだ。発見されるのが早いならば、こちらからも発見出来た方が不利を失くせる」

 

 ウリヤノフがそう言って一路、反対側の沿岸部へと足を向ける。

 

 そうして、彼らは疲れた脚で森から離脱したのだった。

 

 殺した獣がどうなっているのかも知らず。

 

 *

 

『………zzz』

 

 少年がチラリと見やれば、エルミは華を食べてからはスヤスヤ寝ている。

 

 寝ていても少年の方の後ろからは外れない仕組みらしく。

 

 はぐれる心配は無さそうであった。

 

「で、どうするんだ? 旦那」

 

 ガシンが訊ねる。

 

 クマの体格も良く。

 

 更に数もいる。

 

 となれば、退散しかないわけだが、ウリヤノフは考え込んでいる様子だった。

 

 場所は海岸線沿いの周囲一帯がよく見える小高い丘だ。

 

 誰が接近してきてもすぐに分かるのは間違いない。

 

 息が切れたフィーゼは彼らの傍で一息吐いている。

 

「恐らくだが、アレは斥候だ」

 

「斥候?」

 

「あのクマモドキは誰かが意図的にフィーゼ様の警戒を潜り抜け、送り付けられてきたと考えられる」

 

「ウリヤノフ殿。その根拠は?」

 

「状況があちらに良過ぎる。探していたのではなく。突撃して来た。この点で相手は我々よりも高い知性もしくは能力を持つ可能性がある」

 

「確かにそれで道理は通る……」

 

「だが、あのクマはあくまで細って団体行動をするクマに過ぎなかった。多少、膂力が違っていても首を落せば死ぬのも確認している」

 

「ですが、それだけで水夫達には十分脅威では?」

 

「故に狩り尽くす必要がある。だが、送りつけて来た相手の姿が見えない」

 

「見えない敵。気配のヤツか……」

 

 ガシンが西部に入ってから感じられる奇妙な感覚に空を見上げていた。

 

「我らにはどうにも出来ない隠蔽ならば、呪紋のような魔の技が必要になる」

 

 男達の視線が彼女と少年に向く。

 

「す、すみません。ウリヤノフ。わたくしにはまだそういったものは見えなくて……」

 

 どうしようかと迷っていた少年であるが、相手を楽に攻略出来るなら、それでもいいかと塔のある上空を指差す。

 

「「「?」」」

 

 見えない男達には何を指差しているのかは分からないようだったが、途中でウリヤノフが僅かに目を細めた。

 

「気配が強い?」

 

「クマに襲われた前後から、上空に蜘蛛の巣みたいな場所が此処に向けて少し広がってる。中央に塔が見える」

 

「―――見えざるものを見る力か。その塔まで行く道は?」

 

「蜘蛛の巣が東の岸壁の一部と繋がってる」

 

「……この装備ではダメだな。ソレが昇れるものである確証もない。一旦持ち帰ろう」

 

 ウリヤノフがその言葉に撤退を指示し、今の状況ではどうしようもないかと他の2人も頷いた。

 

 あっさり彼らが少年の言葉を信用するのに驚きつつも、自分も見えないものが見えるようになっている少年をフィーゼがマジマジと見やる。

 

「?」

 

「あ、あの、アルティエ。そういうものが見えるようになったのですか?」

 

「うん」

 

「そ、そう……」

 

 少女の何とも言えない顔は見えないものが見えてしまう人間がどういう扱いを受けるものかを知っているからだった。

 

 少年はそう知っている。

 

 こうして初めての西部への遠征は夕暮れ時になる前に全員が野営地へ戻る事になったのだった。

 

 *

 

「クマ、ですか……」

 

「はい。凡そ数匹。ですが、敵の拠点らしき魔の技で隠されていると思しき場所が上空にあり、手が出せません」

 

 夕方過ぎの夕食時。

 

 西部まで行って戻って来ていたウリヤノフが食事をしつつ、実務を取り仕切るエルガムに報告していた。

 

「見えない相手。魔の技の一部を持つ者だけに見える敵。上空……もしも西部からこちらに進出してくれば?」

 

「全滅は避けられないでしょう。とにかくまず以ていきなりクマが出没しては食い殺されかねない。一端、第二野営地も撤退し、この野営地を防衛する為の方策と住民の訓練が必要です」

 

「帰るより先に猛獣の腹の中というのは御免被りたいところだ」

 

「堀を掘って、壁を立てます。水は水路を引くよりは地上に水道を引く方が良い。井戸も掘りましょう。野営地内にクマから身を護れる建物も必要だ」

 

「この人数を収容するとなれば、全員で働いても数か月掛りとなりそうだが……」

 

「それに付いては姫様が精霊の力を使うと言われております」

 

「精霊の力?」

 

「重いものも運べるらしく」

 

「魔の技の事は知っていますが、便利なものですね」

 

「ええ、まぁ……力仕事がかなり減るはずだとの事でまずは一端、西部との道を一度封鎖して、警戒を強めるのが得策かと」

 

「解りました。明日からさっそく説明して取り掛かりましょう。船の修繕にまだ目途は付いていませんし、哀しみに沈む彼らも納得はしてくれるでしょう」

 

 もう噂が流れている野営地では数軒の丸太を積んだ草葺の家が幾つか立っていたが、その軒先ではテーブルで魚や果実、キノコと其々の食事をしている男達が今度はクマかと話題にしていた。

 

「ねぇ!! 今度はクマと戦ったの!!」

 

「教えてくれよぉ~アルティエ~」

 

「こーら。アルティエだって怖い思いしたんだから、ダメでしょ? アンタら」

 

「「はーい」」

 

 レーズ、ナーズの兄弟達に土産話をせがまれながら、少年は戻って来ていた道の先……西部の方角を見ていた。

 

 その夜、今朝と同じような装備に身を固めた少年はようやく眠りから目覚めたエルミを引き連れて、フィーゼの精霊が見回る巡回ルートを避けるようにしながら野営地の外に出て、くすねておいた蒸し魚の包みを袋に下げつつ、陰る夜空の下を歩き出した。

 

『何処行くのよ? お父様は夜に出歩くと怖いお化けが出るって言ってたわ!!』

 

 こういう時はまず自分を寝かしつけてくれるものではないのかという顔になるエルミであったが、少年が向かう方角を見て、あそこかーという顔になる。

 

『貴方、知ってるの? アレ、相当危ないですわよ』

 

「危ない?」

 

 ジグザグ走りで移動しながら、少年が訊ねる。

 

『分かりますの。恐らく、怖いのがいるって』

 

「あ、そう……」

 

『あ、そう……って!? 話聞いていますの!?』

 

「聞いてる……(イレギュラーの話は重要)」

 

『何ボソボソ言ってますの!? もう!! どうなっても知りませんわよ!?』

 

 怒ったエルミが仕方なさそうに背後で浮かびながら、少年に同行した。

 

 さすがに走った為、西部に抜ける洞窟まではすぐだった。

 

 しかし、ウリヤノフが懸念していた通り、クマが洞窟内部から出て来るのを発見して、少年が加速する。

 

『あ、ちょ、見える貴方が死んだら困るんですのよ!?』

 

 言ってる傍から少年が黒いダガーを引き抜きながら、その剣身を太く肥大化させて大剣を形成していく。

 

『へ?』

 

 跳躍した少年が斬り掛かったクマが正面から頭部を割られて絶命し、刃はヌルリと傷口から抜けて、続いて来るクマの肩や腕を両断し、上がる血飛沫もそのままに黒く侵食して動きを止め、後続が他のクマの図体で身動きが取れずに渋滞しているところを背中を走り抜けるようにして少年が通り過ぎた。

 

 閃いた剣がクマ達の背中を次々に捌き。

 

 背後に出たところで。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 炎が洞窟内から入り口に向けて噴射され、辛うじて背後を振り返ろうとしていたクマ達が燃え盛る炎に焼かれながら悲鳴を上げつつ酸素を周囲から奪われてドウッと倒れ込んだ。

 

 口内から肺までもやられた動物達の以外が積み上がり、パチパチと音を立てて燃え上がっていくと、その体が急激に膨らんで萎んでいく。

 

「?」

 

 萎んだクマ達の遺骸を見やれば、そのクマのような形をしたソレらは木製の木彫りに化けていた。

 

『え? え? あ、貴方の強さもアレですけれど、木彫りに? どういう事なんですの!?』

 

 エルミが混乱しているところに何処か愉快そうなしゃがれた声が響く。

 

「はっはっはっ♪ これは何とも参りましたな。おやおや、我が木彫り達が破壊されたかと思えば、魔の技に通じる者がいたとは……」

 

 少年が油断なく大剣を構え、洞窟の奥を見やる。

 

 すると、一人の褐色のローブを着込んだ小柄な男がいた。

 

 歳は60代くらいであったが、頭部に髪の毛が無く。

 

 代りに王冠のようなものを額に付けており、顔は骨と皮を切り貼りしたような貧相さで瞳には青白い輝きが宿っている。

 

「まさか、今回の流刑者達はこんなになっているとは」

 

「………」

 

「ああ、申し遅れました。ワタシはセベクの子、ヤハギン。嘗て流刑者として流された者です。まぁ、何とか西部に根付いただけの三流ですよ」

 

「流刑者?」

 

 少年は一応聞いておく。

 

 常に情報は必要だ。

 

 もう知っていると思っていても、ポロッと新しい情報を喋ってくれる可能性もある。

 

「左様。この鬼難島には大昔から大量の流刑者が流されている。その中にはこうしてワタシのように生き抜く者もいるのです。私は下から数えた方が早いですがね……」

 

「……クマで野営地を襲う気だった?」

 

「然り。大抵は流刑者など極刑を受ける犯罪者。門番たるワタシはいつもさっさと始末していますが、今回はどうやら毛色が違うらしい。北部の連中と外が繋がっているというのは近頃の噂らしいですが、このような呪紋を使う者もいる」

 

「………」

 

「その亡霊然り。呪紋然り。どうやら貴方は持っているようだ」

 

 ギョロリと男の瞳が零れそうなくらいに少年を凝視する。

 

「だが、この地域に進出してしまった以上、戦うしかない。この島の法は曲げられない。でなければ、滅びるのは我らだ。呪紋は後でその腕と共に回収しておきましょう。では、我が子供達……罪人の血を存分に」

 

 男が両手を広げた途端。

 

 ボトボトと大量の木彫りが周囲に落ちた。

 

 ソレがシュウシュウと青白い煙を上げながら、暗闇の洞窟内部で次々に巨大化しながら、本物さながらの質感を得ていく。

 

「ワタシは大昔、北部でこう呼ばれておりました。【竜骨の人形師ヤハギン】とね!!」

 

 男の周囲から無数に立ち上がる獣や竜の如き爬虫類。

 

 更には腹や顔から触手を溢れさせる人外。

 

 空を飛ぶ魔物らしき人型。

 

 どれもこれも明らかに人間の軍隊でも手に余りそうな面々。

 

 しかし、少年は背後に背負って来ていた大剣を掴んで引き抜き。

 

 黒い刃と共に二刀流とする。

 

「ほう? 抗魔特剣ですか。だが、この数を前にしては!!」

 

 男の喜悦の籠った殺意が向けられた途端、獣たちが殺到。

 

 だが、それよりも早くウェルキドの大剣が遠方に投擲されて、獣達の背後に抜けた。

 

「自棄になったか!?」

 

 嘲りの声をヤハギンが上げる。

 

「呪霊召喚【燻り贄のウルクトル】」

 

『「―――?!!」』

 

 ヤハギンとエルミが驚く魔も無く。少年の背後に顕現した巨大な青白い呪霊がブブブブと振動し始める。

 

 途端、ウェルキドの大剣が猛烈な勢いで背後から剣の乱杭歯を乱舞させて、ウルクトルに向けて他には目もくれず、直線状のものを貫いて目指す。

 

「な?!!」

 

 しかし、ウルクトルからも大量の手が次々に伸びて襲ってくる前方の化け物達を押し流していた。

 

 原理は簡単だ。

 

 ウェルキドの大剣を少年は今も黒い菌糸で握っている状態として判定されている。

 

 つまり、起動可能な状態でウルクトルが召喚され、その呪紋による腕の顕現を以て詠唱者を破壊しようと動き出したのだ。

 

 少年は呪紋を使う際に剣を握っていなかったので大丈夫であったが、この状況下で相手が呪紋を使えば、大剣の餌食となる。

 

「術者を始末しろ!!」

 

 ヤハギンの叫びに反応した獣達だったが、次々に大量の腕が押し寄せ、背後からは乱杭歯が自分達を抉って前に殺到するという両側から攻められた状態ではまともに敵へ向かう事も出来なかった。

 

 どこかしらを貫かれたり、腕で引っ張られたり、押し戻されたりと混乱の最中にも少年は黒い大剣のままに真っすぐヤハギンに跳躍。

 

「消えろぉ!! 罪人がぁ!!?」

 

 ヤハギンが懐からネズミの木彫りを落してホンモノの濁流のように放つものの、ソレを斬り分けるようにして大剣が相手を正面から両断した。

 

 その瞬間、彼の腕から出ていた黒い菌糸が大剣の柄から離れる。

 

 すると急速にウルクトルから乱杭歯と触手が離れ、ガチンと音を立てて剣の元の位置へと戻った。

 

 それと同時に木彫りへと戻っていく化け物達が破壊された状態で青白い炎を上げて燃え散る。

 

 その断末魔は何処か儚げで一瞬前の情景が幻にも見えた。

 

 ウルクトルもまた少年が振り向くとサァァッと霧のように溶けて消えて行った。

 

『あ、あ、貴方強いじゃない!? わたくしの騎士にしてあげてもよくってよ!?』

 

 ちょっと興奮して、目をキラキラさせたエルミが少年の周囲で騎士になれコールを上げ始める。

 

 それを横目に少年は両断したヤハギンの死体がベキベキと罅を入れながら灰となっていくのを確認した。

 

 そして、青白い炎が上がったかと思えば、カランッと粗末にも見える木製の王冠と小さな木彫りの人形らしきものが残っている事を確認する。

 

 木彫りはお世辞にも人型ではあったが、精巧なものでもなく。

 

 子供のごっこ遊び用のものに見えた。

 

 それを拾い上げた途端、ザァザァと音を立てて、人形もまた灰となって消え、後にはヤハギンの冠だけが遺される。

 

 ヒョイとそれが摘まみ上げられた。

 

「鑑定完了。【人形師の呪冠】を獲得。装備時、精神属性変異呪紋【生命付与】を獲得。装備者の持った物は疑似的な生命を得て動き出す。行動時間は込められた魔力量に比例する。装備者の生命が尽きた時、その者は器物となって魂魄は失われ、二度と転生出来ない」

 

『呪具じゃないソレぇ!? 捨ててよぉ!?』

 

 思わず魂が消えるのワードに反応したエルミが騒ぎ出すので少年が仕方なく王冠を両手でバキリと破壊すると、胸元が震えた。

 

 ソレが甲虫の指輪だと気付いた少年が胸元を見やると。

 

 破壊された冠が輝きを零す粒子のようなものとなって胸元の指輪に吸い込まれていくのが見えた。

 

「【エンデの指輪】を獲得。呪具、呪紋を破壊した際、吸収する事で装備者に能力を還元する。ただし、装備者を害する効果が失われる代わりに能力の効果は全て半減する」

 

『何でもいいですから、疲れましたわぁ。もう帰るぅ~~~』

 

 本来は塔まで行くはずだった少年であるが、やる気の無い疲れたを連呼する亡霊少女を連れていても精神的に疲れるし、体力も魔力も消耗したので仕方なく元来た道を戻る事にしたのだった。

 

 *

 

 南部野営地を偶然に少年が護る事になった翌日。

 

 あちこちでは今まで人力でやっていた木材の移動が見えない精霊の力によって行われ、水夫達は魔の技とやらに感謝しながら、フィーゼを崇める勢いでお願い攻勢に出ていた。

 

 何処の現場も人出が足りず。

 

 細かい作業は結局人間が行うしかなかったが、それにしても木材の運搬だけでも仕事が無くなれば、大助かりなのは間違いない。

 

『フィーゼ様ぁ!! こちらをお願いしますー!!』

 

『はーい。ただいまー』

 

『姫様ぁ!! こっちもお願い出来ねぇでしょうかぁ!!』

 

『はーい。少しお待ちをー』

 

『フィーゼ様!!』

 

 どこもかしこもそんな調子でここ数日で一番住居用の木材が移動された。

 

 丸太を加工し、数人が寝られる高床式の寝床が造られ、乾かした樹木の葉や草によって屋根が出来ていく様子は素早く。

 

 後数日で何処も基礎は出来てしまうだろう。

 

「姫さんも大変だ。ありゃ……」

 

 アマンザが肩を竦めて、今日も釣りに向かう。

 

 未だ船の部屋に住まう者達も一部いる最中。

 

 何とかあちこちで諍いが起こらないようにと調停しているエルガムの功績もあって、野営地は出来てから初めて活気というものに溢れていた。

 

 そんな中、少年がまた東部に出掛けようとした頃。

 

 砂浜でリケイと出会っていた。

 

「おや? またお強くなられているようで」

 

「呪紋が増えた」

 

 少年が腕を出す。

 

 そして、印に再び文字が一文字刻まれているのを確認したリケイが驚く。

 

「おぉ、少し見ない間にまた呪紋が……これは精神を操るものですな。東部では昔ならば、よく見た戦用の代物じゃ」

 

「戦?」

 

「左様。数百年前には東部も戦乱が頻発していましてな。呪紋を用いる者達の中でも人形師と呼ばれる者達が活躍していたのですじゃ」

 

「人形師……」

 

「彼奴等の呪文は中々に独特。仮初の生命を与え、物体を動かす。強者となれば、鳥の彫刻を怪鳥と化して空を飛び。竜すら操って雷を降らせたとか」

 

「……空が飛べる?」

 

「然り。呪紋の力が続く限りは。ただ、それは元となる形が必要。此処で揃えるのならば、木彫りが良いかもしれんですな」

 

「木彫り……」

 

 自分にそんなものを作れる才能があるものか。

 

 考え込む少年であったが、リケイがニヤリとする。

 

「ふふ、実はこれでも芸妓の嗜みとして色々自作するのですが、何か欲しいものがあれば、材料と道具さえ頂けるなら、お造りますぞ?」

 

「後で頼む」

 

「任されましてございます」

 

 こうして少年は一時、中断していた西部の上空の塔を攻略するべく道具が欲しいとウリヤノフにお願いしに行くのだった。

 

 どうやら朝は弱い亡霊少女は少年の肩の後方で今日もスヤスヤしている。

 

『もう食べられましぇんふぁ~ぐひゅ、ぐひゅひゅ……』

 

 枕まで抱き締めて寝言を呟いている辺り、亡霊にも眠りは必要らしかった。



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第11話「流刑者達の上陸ⅩⅠ」

 

「反復、反復……」

 

 人形師を撃破して数日。

 

 少年に告げられた事実は残酷であった。

 

 ウリヤノフ曰く。

 

 済まないが、今は鉄製の道具は全て建築に当てたい。

 

 芸妓の御老人による娯楽はまたもう少し後でにして欲しい。

 

 もしも、どうしても道具が必要ならば、炉が完成するまで鉄鉱石が表出している付近で材料を集めておいてくれれば、真っ先に造った道具を渡そう。

 

「反復、反復(このパターンは最初期ルート七系統の上から三番目……ついてない……)」

 

 現在、少年は鉄鉱石が大量に表出する硫黄臭い場所で少し大きめな蟲を木製の籠に入れて、カナリヤのように使いつつ、ツルハシで周囲をザクザクしていた。

 

 ガンガンと響く音は空に高く。

 

 しかし、周囲には少年以外の者は殆どいない。

 

 全ての人力が住居の確保に当てられている弊害で現在、他に採掘者はいなかったのである。

 

 周辺の樹木の木陰には蒸し魚の葉包みが枝にぶら下げられており、掘り出した鉱石を集積しておく場所には大量の黒い宝石が山となって入れられている。

 

 少年が大量に掘り出せている理由は単純だ。

 

 普通よりも膂力が強く。

 

 同時に疲れ知らずなくらいには耐久力もある。

 

 その上でツルハシの先には黒い菌類がウヨウヨと集まっており、つるはしが当たった場所に侵食して、脆く崩していた。

 

 こうして炭鉱夫し続けている少年は誰もいない場所を全体的に2mは露天掘りするまでに掘り切っており、周囲に山となっているわけだ。

 

 一人で運べている理由もまた単純だ。

 

「生命付与」

 

 少年の言葉と共に鉱石が僅かに輝いてコロコロと一人手に転がって鉱石の山へと突入し止まる。

 

 人形師の呪紋は此処で初めて有効活用されていた。

 

『ツマラナイですわ~~これで本当にわたくし蘇れるのかしら?』

 

 数日、ずっと鉱夫をしている少年をジト目で見るのは亡霊少女エルミのみ。

 

 フィーゼもまた精霊による物を運ぶ仕事で忙しく。

 

 最近は話してもいなかった。

 

 カァン。

 

「?」

 

 そんな最中、少年がツルハシに今までとは違う感触を得て、掘っていた場所を手で払う。

 

 すると明らかに鉱石ではない。

 

 大きな金属の塊らしいものが出て来た。

 

「………」

 

 ツルハシで周囲がすぐに掘られて、全体像が露わになる。

 

「弓?」

 

 それは半月を思わせる薄く輝く金属製の弓らしきものであった。

 

 それも普通のものではなく。

 

 大弓の類と分かる。

 

 金属の種類は解らない。

 

 月光染みて淡く輝く蒼褪めたソレは弦が張られていなかったが、少年が手に持って引き抜くとすんなり持ち上がった。

 

「【月化粧の窮弓(ルナリアル)】を獲得。月齢に沿って夜の飛距離が伸びる(月齢補正最大1253%)。月明かりの下での命中補正が月齢に応じて最大245%上昇」

 

『キレイな弓ですわね~。わたくしに献上してもよくってよ?』

 

「……はい(・ω・)」

 

 少年が渡す素振りをすると弓そのものが少女と同じく半透明になってエルミの手に収まる。

 

 霊体に対して捧げものをする場合、存在の本質(クオリア)が霊的な世界に向けて放たれ、物質そのものが崩壊する為、元々の弓は残らないのだ。

 

『おぉ~~~コレですわ~~これこれ!! 月の光に愛されたわたくしのような子にこそ、こういう雅やかな物が似合うんですのよ?』

 

 今までの不機嫌でつまらなそうな顔が一気にご機嫌となった亡霊少女が弓を持って打つ仕草をすると弦が光で構成されて、矢まで現れた。

 

『おぉぉ~~~♪ これで狙った獲物はしっかり撃ち殺しますわ!! 手が必要になったら、呼んでくれても良くてよ?』

 

 先日、人形師と戦っていた際には少年の背後からしっかり離れて観戦していたエルミである。

 

「ふぅ……」

 

 少年が溜息一つ。

 

 再びツルハシを握ろうとした時だった。

 

『おぉ~~い』

 

 遠方からの声に少年がツルハシを降ろして、先っぽの黒い真菌を体に引き戻す。

 

 その合間にも走って来ていた水夫がハァハァしながら少年の見える場所までやって来ていた。

 

「どうかした?」

 

「坊主ぅ!! ウリヤノフの旦那が呼んでるぞぉ!! 至急って事だぁ」

 

「はーい」

 

 少年がその言葉に速足に野営地へと向かった。

 

 昨日よりも更に数棟の家屋が出来ている野営地はとうとう村くらいの規模まで拡大している。

 

 その煙臭い村の奥。

 

 粘土が取れる場所の付近に少年がやってくる。

 

 というのも、ウリヤノフは近頃、そこに詰めていたからだ。

 

 金属を精錬する炉というのはかなり作るのが難しい。

 

 その為、様々な資材を集める必要があるのだが、知識のあるウリヤノフと精霊で家屋造りをしているフィーゼがそこを主に担当していた。

 

 砂、粘土、石。

 

 原始的なものを組み合わせながら作られる炉は本格的な帝都程のものが無くても精錬だけなら可能なものが多い。

 

 特にるつぼと呼ばれる精錬用の器の知識はウリヤノフにしかなく。

 

 少年が鉄鉱石を何種類か持って行ったら、さっそく小さいものを作っている云々と言っていた為、そこに向かうのは確定していた。

 

「来たな。坊主。いや、今後はアルティエと呼ぼうか」

 

「出来ましたか?」

 

「ああ、幾つかの鉱石を小規模に精錬して、高温に耐えられる器を作り、精錬を繰り返してようやくな……」

 

 ウリヤノフが鉄製の太い挟みのようなものを掴んでいた。

 

 その挟みに掴まれているのは金属が溶かされた赤々と熱された壺型の器。

 

 ソレがすぐに砂で出来た傍の型に注ぎ込まれる。

 

「これで最後だ。二日後には新しい鉄製の道具が出来る。磨き上げたら、お前に渡そう。ご苦労だった。鉱石掘りは今日で終了して構わない」

 

「ありがとうございます」

 

「そう畏まるな。敬語はもう要らん」

 

「……分かった」

 

 ウリヤノフはまだ作業が残っているからと少年と別れ、現場で竈やら鉱石を仕分ける作業に入って、鎧も無い作業用のズボンに上半身裸のままにニヤリと少年に手を振った。

 

「おっと、アルティエ」

 

「エルガムさん」

 

「少しいいかね。相談があるんだ」

 

「あ、はい」

 

 一端、幕屋に戻ろうとした少年がエルガムに捕まって診療所の方に連れて来られた。

 

 未だ蟲避けのせいで煙臭い室内。

 

 家具が搬入され、寝台が整備された場所では木製の寝台に干し草を敷いて、布地を被せ、木戸を全開にして風通しを良くしつつ臭いを逃がしている。

 

「済まないが西部で緊急に薬草を取って来て欲しい」

 

「薬草を?」

 

「ああ、クマの件で西部の探索は中断していたのだが、そうも言っていられなくなった。本来ならば、ウリヤノフ殿を筆頭に探索隊を再び行かせたかったのだが、水夫達が怖がってね。それで水夫達の一部に良くもう一度薬草の絵を見せたら、群生個所を遠巻きに確認していた事が解った」

 

 地図が見せられる。

 

「君は炎の呪紋を使えるという事だし、逃げる事は出来るはずだとウリヤノフ殿に進言されて、単独で採取に言って来て欲しいんだ」

 

 少年の手に薬草が数種類書かれた紙が渡される。

 

「危険は百も承知だ。だが、あまり時間が無い。出来れば、全ての種類を30本ずつ、採取を頼みたい」

 

「急患ですか?」

 

「ああ、フィーゼの父君の薬が後数回分しかない。だが、環境の変化で体調を崩したらしく。昨日の夜から症状が悪化してね。今は安定しているが、薬が無ければ、命が危ない。発作が起きる時に使用量を増やす必要もあって、どれだけ持つか分からなくなった」

 

「解りました」

 

「ああ、西部の群生地の場所もちゃんと書き込んである。この事はフィーゼ様には内密にとご本人からの頼みでまだ教えていない。どうか悟られないようにお願い出来るだろうか?」

 

「解りました」

 

 少年が頷くとエルガムが心苦しそうに唇を噛む。

 

「本来、このような事は我々大人がするべき事だ。だが、君達には魔の技がある。不甲斐ない大人を許してくれとは言わないが……どうか、無事に帰って来て欲しい」

 

「ガシンやカラコムさんは?」

 

「今、警備を行っている。クマが大量に出てきたら、彼らとウリヤノフ殿以外には対処出来ない。野営地を護る為にも三人は外せないという事になった。本当に済まない……」

 

 エルガムが深く頭を下げる。

 

 そもそも少年がそのクマを産み出していた相手を倒した事を報告していないので依頼はある意味で自業自得と言えた。

 

「すぐに採って来ます」

 

「……ああ、それでだが、お詫びというわけではないが、装備は整えておいた。横の部屋にある。衣服は修道女のヨハンナさんにあの船に積まれていた布地を使って設えて貰った。薄い鎖帷子と軽装の鎧もある。どちらも船に積まれていたものだ。簡易で動き易いように軽いものを選んでみた。後は頼む」

 

「解りました。必ず」

 

 少年が部屋を出て、横の薬が保管されている一室に入る。

 

 すると、テーブルの上に確かに帷子や軽装の鎧。

 

 更には新しい外套が用意されていた。

 

『あ!! これウチの家紋ですわよ。ファルターレの文様は香辛料の華のブーケなの。紺のマントに紅い刺繍。う~ん。これで貴方もわたくしの立派な騎士ですわよ~~』

 

 ニコニコしながら上機嫌のエルミが上空をスイスイと回る。

 

 そして、少年がイソイソと着替え始めたのを見て、ハッとしつつ、背中を向け……しかし、誘惑には抗えず。

 

 最後には顔を隠しながらバッチリ指の隙間から少年の着替えシーンをじっくりとゴクリ(;゜д゜)しながら覗くのだった。

 

「これでよし……」

 

 衣服は革を用いて少し厚く。

 

 しかし、関節部に付ける装甲部分は稼働域を確保しつつ防護するシンプルなものであり、胸元の鎧も逆三角状で肺と胸を覆う以外は脇腹は守らず。

 

 動きを重視しつつ、全体的に軽さが際立つ。

 

 そこは鎖帷子で代用するという事なのだろう。

 

 肩にはラウンドシールドを少し中央から湾曲させたような丸みのある装甲が薄く採用されており、背後の背中は背骨を護るようにして背筋から沿って尾てい骨辺りまで革製の布地に縫い込んだ鉄片が背骨と肋骨に沿って防御力を高めていた。

 

 だが、どれも薄い為、鉄のフルプレート。

 

 全身鎧よりは随分と軽いだろう。

 

 少年はこうして新しい衣服を手に入れ、その脚で西部へと向かうのだった。

 

「よし……」

 

 人形師を倒した洞窟を抜けて西部に出た少年は沿岸部から北上した先。

 

 見晴らしの良い丘を目指して速足にジグザグ走行を続けていた。

 

 ここ最近、ツルハシを振って筋力を高め、持久力も少しずつ上がっていた少年である為、多少重量のある装備を持っていてもランニング程度の疲労で移動は可能であった。

 

 野営地から向かって3時間弱。

 

 広い西部の未探査な領域。

 

 北部海岸線沿いの丘は思っていたよりも何もない場所であった。

 

 エルガムに言われた野草はあっさり見付かって、30本ずつという要望にも応えられるだけの量が自生していて、すぐに刈り取って袋に詰め込んだ。

 

「………」

 

 未だ空には蜘蛛の巣のようなものとその上に聳える塔がある。

 

 今日は大人しく帰ろうとイソイソ少年が元来た道を戻ろうとすると急激に周囲が暗くなったかと思えば、蜘蛛の巣の一部の厚みが光を遮る程に周辺で増量され、空を消していた。

 

 いつもの黒いダガーを取り出しつつ、その場を抜けようと走り出した途端。

 

 蜘蛛の巣の部分より何かが降って来る。

 

 咄嗟に転がりながら避けた少年が立ち上がると落下して来たソレらが濛々と煙を上げながらも内部から巨体を露わにしていた。

 

 5m程もあるだろうか。

 

 巨人の人型と見える。

 

 石造りであちこち体内から罅割れを通して紅い光を溢れており、その周囲から高温の為か。

 

 火の粉が散ってベールのように巨人達を覆っていた。

 

 それが3体。

 

 明らかに敵と呼べる何かからの攻撃なのは間違いなく。

 

「呪霊召喚【ファルターレの貴霊】」

 

『へ? あ、ちょ、ま』

 

 スゥッといつもは我関せずなエルミが周囲に少年の背後に現れる。

 

「遠くから罅割れを撃つのが仕事」

 

「いや、そんな唐突に!? この弓、月が出てないとダメって自分で言ってたじゃないの!?」

 

「月は昼間にも出てる」

 

「そ、そうなの?」

 

 渋々と少女が空を見上てから飛んで少年の背後の森へと消えていく。

 

 鈍く動き出した巨人達の手には身の丈に近い斧が握られており、鈍重な割に大きい歩幅ですぐに少年へ近付いて来た。

 

 此処は逃げるべきかどうかで言えば、逃げても追われる可能性があり、あんなのを連れて来れば、洞窟の部分で崩落が起きてしまう可能性すらある。

 

 故に選択肢は一つだった。

 

 少年が駆け出すとその姿に合わせて先頭の巨人が斧を振り下ろす。

 

 それを懐に潜り込むように回避しながら、肌の上の真菌が焼ける程の熱量を巨人が纏っている事を理解し、少年が股下でダガーを大剣へと変貌させ、大振りに振り上げた。

 

 ズガンッと剣先が伸びて股関節の左に食い込ませて止まる。

 

 内部が高温の為にすぐにいつもならばスルリと抜ける刃が焼け落ちたが、体勢を崩した巨人の額ど真ん中の罅に青白い矢が突き刺さる。

 

 途端、内部から亀裂が猛烈に奔った巨人が上半身から爆発し始め、すぐに少年は自分に向けて振り下ろされる斧を避けながら擦り抜けた。

 

 斧の叩き付けで爆発した地面の威力を受けつつ、上空に跳躍、斧を振り下ろした手を駆け上がりながら、ダガー状態に戻した刃で二体目の巨人の額の罅を貫いた。

 

 ゴガンッと小爆発で体を吹き飛ばされた少年が転がりながら受け身を取りつつ、すぐに勢いのままに背後へ下がるように立ち上がり、腕が半ば拉げて焼け焦げているのを確認しながらもダガーの剣身がかなりボロボロになっているのを見て、しばらくは使えないだろうと腰に戻す。

 

 その合間にも2射目の弓矢が少年を追っていた巨人の額を貫いて爆発させ、体を崩壊させた。

 

 攻撃が終了して20秒程息を整えた少年の背後にスゥッと滲むようにしてエルミが現れ、胸を張る。

 

『これでも弓術には明かるいんですのよ? 狩りも得意だったし』

 

 その手には例の大弓が握られていた。

 

「残存体力21%。帰還後、野営地で休息」

 

 次の敵が出て来ない内にといつの間にか元に戻っている蜘蛛の巣の下から少年はイソイソと南部に向かう。

 

「………」

 

 その様子を遠間の山岳部の一角から見ていた者が一人。

 

 外套に身を包んだ脚を南部に向けるのだった。

 

 *

 

「何? 襲撃を受けた?」

 

 帰還後、少年がそのままエルガムの治療を受けて臥せっているという事を聞いたウリヤノフが診療所を訪れた際にはもうフィーゼが眠っている少年の横で容体を見守っていた。

 

「フィーゼ様」

 

「ウリヤノフ。これはどういう事ですか?」

 

「……御身に隠し事をしていたのは謝ります。ですが、主の願いだった為」

 

「―――幸いにして全身打撲程度で済んでいるとエルガム様にお聞きしました」

 

「そうですか。では、話さないわけにも行きますまい。父君の薬の材料をアルティエに依頼しました」

 

「どうして、付いて行かなかったのですか!?」

 

 少女が思わず振り返って声を荒げた。

 

「野営地をクマに襲われたら全滅します」

 

「ッ」

 

「お解りでしょう。我々はあくまで流刑者。ロクな装備も訓練も受けていない者が大半の集団なのです。水夫達にしても、ようやく生活が何とか出来るかどうかの瀬戸際です。訓練はその後の話であり、今すぐにやってどうこうという話ではない。そして、その子には戦う才能があった。恐らくは騎士となってもやっていける程の……」

 

「だからって、一人で……解ってます。解っていますよ。父の為だった。でも……話を聞きましたか?」

 

「ええ」

 

「今度は巨人が出たそうです。それも数体。倒すと衝撃を撒き散らして倒した相手を吹き飛ばして殺すものだとか」

 

「彼の持ち帰ってくれた情報だと聞きました」

 

「大型のバリスタが必要になるとの言葉に野営地では急いで攻城兵器や大型の弩の生産をという話になりました」

 

「そうですか。堀も御身の力で出来上がりつつある今だからこそ、それは多くの者達に意識されたでしょうな」

 

「……ウリヤノフ」

 

「はい」

 

「お願いです。次は教えて……これは次期当主としての命令です」

 

「畏まりました。本日の事は我が主もまた少し後悔した事でしょう。致し方得ないとはいえ、子供を死なせるような場所に送るのは本意ではなかったし、我らがその子に頼むとも思っていなかった事は先に御教えしておきます」

 

「解っています……」

 

「敵の襲来に備え、野営地の防備を固め切ったら、西部海岸線の洞窟に砦を築く事を進言します。また、道の舗装と人の配置も合わせて各地を知らない敵から護る事は今後必須となるでしょう」

 

「設計と訓練は任せます。工事は出来る限り早く行いましょう」

 

「それが良いかと。幸いにして此処へ来るまでに確認した袋の内部の材料は数か月分は在り、しばらくは問題無いでしょう。父君も何とか安定しています」

 

「下がっていいです」

 

「は……今回の事、誠に申し訳なく」

 

「いえ、全て力の足りないわたくしの責任です。精霊が見えるだけ、使えるだけでは何も出来ない。一通りの仕事に区切りが付いたら、わたくしにも最低限以上に武術と逃げ方を教えて下さい」

 

「解りました。何れとは思っていましたが、それは今なのでしょうな。お父上もきっと反対なさらないでしょう」

 

 彼らは静かに眠る少年を見やる。

 

 横のサイドチェストに置かれた新しい衣服や外套は爆発のせいか。

 

 既に煤けるところもあれば、凹んでいる場所もあった。

 

(アルティエ。貴方の頑張り、無駄にはしません。絶対に……)

 

 本格的な防衛戦は、流刑者達の生き残る為の戦いは既に始まっている。

 

 それを彼らはようやく肌身を以て理解するに至ったのだった。



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TipsⅠ

 

 

【エル大陸】

 

 -世界で最大の大陸。多くの種族が住まい。人類種と呼ばれる人型。五体を持つ種族が大陸の覇者として世を制した。古き時代より戦乱が耐えず。未だに大国各国は世界を切り分け、覇を争う永い永い大陸統一戦争、通称グレートゲームに興じている-

 

【鬼難島】

 

 -東の果て、極獄と呼ばれる大陸に幾つかある各国が共同して使う共同流刑地と呼ばれる場所の一つ。旧き時代より数多くの人間が送り込まれ、そして返って来なかった。内部の事はまるで分らず。各国は周辺航路を特別封鎖していないが、島の周囲の海流が複雑で座礁の危険が極めて高い事から多くの船は遠巻きにしか島を見る事が無い。流刑者がどうなっているのか確認される事は無く。今も時折、各国の厄介者や極刑の犯罪者達が船で移送され、その船毎消えていたりする事も確認されている-

 

【流刑者】

 

 -極刑の流刑者の多くはその国家においては基本的に国家転覆罪のような治世を揺るがす大罪の結果として移送される事が多い。ただし、そういう人物程に位が高い事が儘ある為、死刑ではなく極刑。その中でも流刑という形で辺境に流すのである。故に彼らはただの罪人ではなく。特権階級の罪人として様々なものを持って行く事を許可されている。例え結果が死であろうとも彼らは恵まれているのである-

 

【帝国】

 

 -大陸の中央に位置する帝国はグレートゲームに参加するプレイヤーとして極めて重要な立ち位置にいる。それは何処の援軍にも成れるし、何処からも攻められるという事であり、多くの国々は帝国との関係を重要視し、各国の大使館は必ず帝都と呼ばれる帝国の中枢である都市に置かれ、日夜暗躍暗闘を続けている。帝国が倒れる時、世界は破滅に向かうだろうという予言者の言葉は正しく単なる予言では済まない真実味を帯びるものであり、帝国の破滅は誰も望んではいないというのが、各大国の本音である-

 

【呪紋】

 

 -人が魔力を用いた呪紋を用い始めたのは神世の時代であり、彼らの多くは肌に特別な文様を刻んで、言葉を通じて力を発し、神の加護や様々な奇跡を従えたという。しかし、時が移ろう中で大陸の治世が鉄と血によって築かれるようになると一部適正のある人間にしか使えない呪紋は“魔の技”と呼ばれるようになり、軍事力を一部支える技術と成り下がり、数多くの術者は世に蔓延る“タダビト”に駆逐されていったという-

 

【呪霊】

 

 -人が死んだから霊になり、数多くの者達が天に還り、再び人の治世に降りて来る。こう説くのが教会と呼ばれる人々であり、呪霊と呼ばれる人の魂魄が現世が留まる現象は多くの場合、誰かを害する為であった事から、教会はコレを悪霊と呼んで神聖騎士と呼ばれる神の使徒……教会の騎士達によって討伐している。だが、嘗て古の時代には呪霊もまた人として奉られており、もう一つの現実を生きる存在として認知されていた-

 

【教会】

 

 -イゼクスと呼ばれる主神を奉る大陸に大勢力を誇る宗教組織。巨大な組織であり、各地のグレートゲームに参加する大国の王族などは殆どがこの組織と繋がりを持ち、熱心な信者もいる。多くは道徳や教育を司り、信仰と共に人々の生活扶助や地域の顔役として利害調整を行うのが各地の司教達の役割とされ、概ね人々に支持されているが、実利主義や合理主義を警戒しており、一部の信徒達は異端として組織内から排斥される事が多いとされる-

 

【タダビト】

 

 -魔の技を用いる者達の中でも先祖伝来に技を受け継ぐ一族の者達は呪紋を使える者と使えない者、魔の技に属する技能が無い者をそう呼んでいる。それは一部侮蔑的な表現である事もあれば、単に技能が無い人間であるという事実を言うだけの場合もある-

 

【賢者の石】

 

 -教会が禁じた魔の技には錬金術と呼ばれるものが存在している。そして、その錬金術においては賢者の石は終局であり、破滅であり、再生と始原の象徴でもある。ただし、教会に破壊された魔の技は多く。体系が残っていない技能はかなりの数に上る。しかし、それでも口伝や口外されない一族伝来の秘密の一つとして呼び習わされる賢者の石は万能であると言われ、大陸に残された技能を持つ者達にとっては極めて重要なものとなっていて、現物を探して見つけ出し研究する、現物を自らの手で造り出すというのは彼らの悲願でもある-

 

【真菌共生】

 

 -菌類というのは人類にとって多くの場合は良き隣人であり、悪しき隣人でもある。病原体であり、あるいは体内に巣食う共生者でもあるが、生物との共生を選ぶ菌類は少ない。しかし、同時に新たな菌類が人と共生する事で大きな力を得る事は間違いない。正しく、それはミトコンドリアのように人体内部で細胞の仕組みに組み込まれた時、多くの恩恵を齎し、生存の為に宿主を生かして強化するのである。例え、それが化け物のように宿主を変異させてしまうものだとしても……-

 

【祈祷呪紋】

 

 -呪紋には幾つもの種類がある。特に属性と系統は複数種類存在しており、祈祷呪文は正しく神への祈りによって発動させるものが多い。だが、実際に戦闘前に掛けるという事はあっても戦闘中に掛けるものの多くは祈祷を用いないのは精神を戦闘に向けている最中に祈るというのは危険な行為だからである。その為、呪紋を用いる者達は祈りや様々な詠唱をどうにかして省略出来ないものだろうかと悩み、幾つかの答えを得る事になった-

 

【精霊詠唱代替】

 

 -呪文を用いる者達の多くが詠唱を最小限度に抑える為に行った事の一つは同じ大陸に存在する別の誰かに肩代わりさせるというものであった。特に空間に偏在する精霊は殆どの場所において存在していた為、ソレら精霊に詠唱を肩代わりさせる事は合理的であり、その為に精霊と契約し、自らの魔力を分け与える事を従属契約と呼んだ。ただし、精霊詠唱代替は精霊が見えている事、周辺精霊を味方に付けている事。周辺精霊と契約するという3段階の準備が必要であり、結局それを実践出来る術者は殆どいなかった為、手法は知られていても廃れていったとされる。また、精霊のいない場所も例外的に存在しており、その場合は更に特定の精霊を連れ歩く必要があった為、運用難易度が上がった。この為、術者が1000人いてもそこまでやれるのは1人か2人というのが現実であった-

 

【シャニドの印】

 

 -教神イエアドの祈祷呪紋の一つ。あらゆる呪文を修めた賢者シャニドが開発したものであり、本来は神や自然の中で魔力に属する存在と結びつく事で発現する呪紋を得易くなり、呪紋自体も強化する秘術の印である。これを持つ者の多くは英雄になったと伝わるが、力を持つ故に悲劇的な最後を遂げるという。今では失われているとされ、文献にしか残っていない-

 

【ウィシダの炎瓶】

 

 -祈祷呪紋に属する炎属性呪紋。本来、十秒近い祈りを捧げる事で発動する。教神イエアドの加護に属しており、旧い時代の聖人ウィシダが神に炎を捧げた時にその炎を貯めて置く為の瓶が神より下賜された。以来、炎瓶が失われて以降も神に祈りを捧げる事で炎瓶を給わる事が可能となった。炎に関する触媒を神に関連して捧げる事で発現する事が多く。本来は鍛冶師の聖人であるウィシダが剣を打つ為に使用していた-

 

【第三神眼】

 

 -嘗て、賢者シャニドは自らの目が盲いた時、三つ目の瞳を得た事で人を超えた世界を見る事が可能となり、更に叡智は飛躍したと伝わっている。第三の目は呪紋を用いる者達にとって多くの場合、結果的に得る事が多いものであり、彼らの目の大半は特化して、人が本来知らない領域を観測し、その領域に即した呪紋を強化し、その領域に住まう生物達と交わる事が可能となった。しかし、それは同時に人間から離れていくという事であり、生きたままに霊魂となる者、怪物となる者、神となる者、あるいは人以下の化け物となる者。結果は様々であった。第三神眼は取り分けシャニドが用いた第三の目とされており、その叡智に比例するように複数の領域を観測する事が出来るとされる-

 

【ウェルキドの大剣】

 

 -抗魔特剣と呼ばれる対呪紋用、術者用の剣の一つ。神話に出て来る蛭の怪物ウェルキドが呪紋を用いる英雄を殺した事に準え、ウェルキドの眷属と呼ばれる人外の異形達が自らの乱杭歯と自らの筋繊維を剣に織り込んで鍛えた代物。呪紋の詠唱に反応して、その呪紋の術者の喉を狙って抉り出して殺す為だけに特化されており、その際には他の領域に生きる者が詠唱していようと領域を超えて相手の喉を潰す。詠唱者に向けて強靭な蛭の再生能力と柔軟性を維持する触手が乱杭歯を誘導するが、装備者であろうとも襲う為、運用は慎重に行われる。一種の安全装置として装備されていなければ、発動しないという縛りが付いている。これは眷属が呪紋を使う事が後の歴史においても儘ある事だったからとされる-

 

【抗魔特剣】

 

 -タダビトと呼ばれる人々の多くが呪紋を畏れていた旧き時代。それに対抗する為に造られた剣の多くがこの抗魔特剣に属していた。効果は様々であるが、一様に呪紋の使用者。つまり、魔の技を使う術者に対して効果を発揮するものとして鍛造されており、中には通常の武器として使っても極めて高い能力を持つものもあった。現代に残る英雄譚の英雄達、その武器の大半、聖剣、魔剣と呼ばれるモノがコレである。魔の技を使う者達の減少と共に使用される事が無くなり、鍛造技術も失われ、今では伝説の武器と化しているが、一部ではこの鍛造技術を発展させた国家や今も伝える者達が残っており、創る事は可能とされる。ただし、神世の時代の剣は殆ど情報から現物から全て消え去っており、それは伝説を超えて抗魔特剣の中でも【神世剣】という名で呼ばれる神の武器とされる-

 

【呪霊召喚】

 

 -呪霊を現世に再び生命として呼び出す限定的な輪廻転生の呪紋の一つ。生命属性と呼ばれる希少な系統の呪紋であり、特殊な霊体の媒質となる物質や存在の力を魔力で増幅して使用する。ただし、極めて使用者が少なかった上、呪霊は大半の場合、未練よりも怒りや憎しみで現世に留まる事が多かった為、使用者も呪霊に殺される事が多く。殆どの術者は現代に生き残る事が出来なかった。ただし、呪霊との契約や圧倒的な実力があれば、呪霊は感情よりも畏怖の対象として使用者に付き従う。殆どの場合、呪霊そのものが高濃度の呪いであり、憎悪であり、憤怒の感情の塊である為、攻撃を受けたり、その血潮を浴びると様々な弊害、霊障を受ける-

 

【燻り贄のウルクトル】

 

 -呪霊の中でも大量の生贄を捧げるような儀式において発生する事がある集合呪霊の一種。大半は呪いと憎悪の塊である為、生命のある者を憎んで襲う。その血潮は霊を呼び寄せる贄の効果を保持しており、霊の影響力を強く受けるようになる為、戦えば戦う程に霊が集まって来て死に取り込まれる可能性が高まる。その上、顕現して尚、霊の領域の存在である為、大半の物理攻撃は半減以下のダメージしか与える事が出来ない。ある意味で最も呪霊らしい呪霊と言えるが、集合体である為に自我が殆どなく。本能的な畏怖や恐怖を覚える相手には従属する。ウルクトルは地名である-

 

【ファルターレの貴霊】

 

 -呪霊でも個人の自我を保った者は極めて有用な技能を持つ者であれば、嘗ての旧き時代は英雄の共、友人として帯同する事はよくある事であった。貴霊とは呼んで字の如く。尊き霊であり、こう称される者の大半は死んで尚、誰かの為に何かをしようとする希少な人材であり、魔の技が廃れる前は尊ばれる対象であった。殆どの場合、個人名を持つ者はおらず。家の名で呼ばれる事が多かった。その名が個人名となった時、その霊はもはや霊というよりは一存在として神格にすらも抗する霊的自我であり、神格化されれば、神とすら戦えたとされる。彼らは正しく信仰されたり、盛んに語り継がれる事で神のように力を強められたからである-

 

【ヴァンジーの爆華】

 

 -奇妙な事に二つの概念は一つの摂理で一致する。甘いものは危ない、のだ。極めて巨大で不安定な分子構造を持つ成分が甘いとすれば、それこそが神の摂理であろう。それは取り過ぎれば甘き毒であり、叩けば全てを吹き飛ばす爆薬である-

 

【人形師の呪冠】

 

 -嘗て大陸の東部においては人形師なる呪紋の術者達がいた。特異な精神属性の呪紋【生命付与】は生命無き者に精神を限定的に与えるという力であり、同時に好きなものを生命として生きさせる事が出来た為、人形師、人形使いなる術者達の多くはより強大な姿形を生み出す造形師でもあった。彼らは木彫りや彫刻、絵、表現可能なものなら何でも一時だけホンモノに出来た事から重宝されたが、その最たる伝説は一つである。妻を失った夫が妻を造った悲劇は今も語り継がれる。彼は人形師ではあったが、良き夫ではなく。良き人形師ではあったからこそ、妻は彼を殺す程に愛して、共に消えたのだ。呪紋を入れ込まれた冠は正しく呪いでもあり、反動で生命をモノにしてしまう怖ろしき呪具であった-

 

【エンデの指輪】

 

 -呪紋の多くは象形の形で残されるが、象形そのものの解消で消え去る。だが、本来あったモノが消滅する事は無く。実際には呪紋の概念が集積していた力は世界に拡散して消えている。エンデの指輪は正しくその霧散する力を収集する為のものであり、旧き時代のタダビト達が敵から呪紋を得る際に破壊して消してしまう問題を解決する為に生み出した。旧き時代の教会の守護者達はこの力を持って、強大な術者達を打ち倒して、その力を己のものとし、世界最大の宗教組織へと育て上げていった。指輪は神聖騎士に今も継がれているとされるが、術者が殆ど消えてしまった現代では単なる甲虫の指輪に過ぎない。指輪の甲虫は教会の主神イゼクスが遣わす“神蟲”の名を冠する聖なる虫の遺骸から造られ、この世に現存数は30個無いとされている-



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ニアステラの悠久編
間章「貴方の事Ⅰ」+ 第12話「ニアステラの悠久Ⅰ」


―――イゼクス暦153年―――上陸――日目朝晴天。

 

 野営地の生活は酷く忙しない。

 

 あらゆるものを今日一日限界までやって、明日一日の生存が保障されるかどうかというのだから、昔に父と共に生きていた世界とはまったく違う。

 

 多くの水夫達やウリヤノフの様子はそれでも何処か慣れがある。

 

 きっと、それは雅やかな帝都などとは比べ物にならない生活をちゃんと知っているからなのだろう。

 

 だからこそ、この環境へ必死に適応しようとして、何とかなっている。

 

 今日から日付を付けるのを已めようと思う。

 

 もうソレは必要ないと理解出来たから。

 

 今日一日、明日一日を必死になって生きる限り、この日誌すらもいつか必要なくなる日が来るのかもしれない。

 

 彼がしてくれた事を噛み締めて、今日も生きよう。

 

 出来る限りの事はせねばならない。

 

 それが島での生活に違いないのだから。

 

 

 *

 

 

 むくりと少年が起き上がったのは体力が全快した直後の事であった。

 

 全身打撲どころか。

 

 内臓破裂で幾つかの臓器がダメージを受けていたのを回復したのも束の間。

 

 一晩で治した体を押して明け方に喧騒が響く野営地にもう繕われ、補修された新しい服と外套を纏って外へ。

 

『本当にオレら以外のヤツらがいたってのか?』

 

『あ、ああ、今、ウリヤノフ殿と医者のエルガムが対応してる』

 

『そいつも流刑者なんか?』

 

『分からん。だが、スゲー美人の女騎士みたいな風貌だったぜ』

 

『うお、本当に美人だな』

 

 水夫達が遠巻きにする最中。野営地の端でテーブルと椅子が持ち込まれ、野営地で主要な人物達が一同に会していた。

 

 その中にはフィーゼの父親も混じっており、何やら話し込んでいる。

 

 彼らが見ている相手は椅子に座っている相手であった。

 

 白い髪と一部剥げ上がった火傷の跡を頭部に持ち年齢不詳。

 

 しかし、眉目は秀麗。

 

 ただ、剣呑な瞳と笑顔がチグハグな印象があるだろう。

 

 それを理解してか。

 

 ウリヤノフやカラコムは何も言わずに背後で直立不動になっている。

 

 いつでも抜けるという状況である。

 

「つまり、貴女はこの島の北部の出であると?」

 

 エルガムの言葉に女が頷く。

 

「はい。まさか、このニアステラの地にまた流刑者が流れ着いているとは……」

 

「ニアステラ?」

 

「この地域の名前です。昔はこの地域にも幾つか流刑者達の集落があったのですが、幾らかの戦乱の後に人が消えてしまったと伝わっています」

 

「そうだったのですか。それでは貴女はこの島のお生まれで?」

 

「はい。北部の魔眼、奇眼を持つ邦の出です」

 

「……魔眼……」

 

「此処から北上した西部一帯はフェクラール。東部の下半分はグリモッド。東部の上半分はバラジモール。中央山岳地帯一帯はモナスの聖域と呼ばれています」

 

「モナスの聖域?」

 

「始りの者達が築いた都があるとか。伝説では流刑者達が最初に火を熾した事から、何処の海域からでも島の一定範囲からは灯が見えるのです。実際に船を出してみなければ分からない伝承ですので見た事はありませんが……」

 

 女の言葉にガヤガヤと周囲がざわめく。

 

 ならば、最初に流刑者達が見たのはその光の可能性があった。

 

「聖域には王国があり、昔は栄えていたものの、内乱で多くの国民達は各地域に逃れた。同時に島の各地を行き来する道が閉ざされた事で各地域が孤立し、我が故郷もまた古から続く動乱で北部に幾つかある大国と隣接、外交努力を行っています」

 

「島ではそんな事が……」

 

「各地を結ぶ経路は難所ばかりで容易には向かえません。故に各地域とはほぼ断絶。滅びた地域に異変が無いかどうかをこうして定期的に状況を見て回る【巡回者】が往来し確認しています」

 

 ガヤガヤと騒がしいそちらから離れるようにして少年が今日こそは東部に向かおうと一度天幕に寄ろうとした時だった。

 

「アマンザ?」

 

「アルティエ!! ちょっとこっち」

 

 少年の手を引いてアマンザが天幕内に引っ張って来る。

 

「?」

 

「弟達がいなくなったの!!」

 

 その顔がクシャクシャに歪む。

 

「海?」

 

「違うの。これ……」

 

 残されていたのは貴重品であるはずの紙を少しだけ切って一文を書いたものだった。

 

 拙い字で冒険に行ってきますと書かれている。

 

「冒険……」

 

「朝早くに足音が北部に向かったって……水夫の男達に聞いたの。お願い……弟達を連れ戻して来て……アルティエ」

 

「ウリヤノフさん達には?」

 

「裏面、見て見て」

 

「『大人が来たら隠れちゃうからな』」

 

「それに今、とても大事な話をしてるのは解るわよ。今は危険な状況でもある。あの子達の為に誰かが死んだら……何も責任なんて取れないのも解ってる……」

 

 ギュッとアマンザが唇を歪めて俯き、拳を握る。

 

 気丈な性格に振舞っていても、彼女達は流刑者だ。

 

 それがどんな理由であれ、水夫達もまた一枚岩でも無ければ、彼女達に同情的なわけでもないのは野営地で何とか働く事で今の状況を保っている彼女には分かり切った事なのだ。

 

 此処で死人を出せば、どんな扱いを受けるかは明白に違いなかった。

 

「今日の分の貢献はしておかなくちゃならない。此処に置いて貰えるように。だから、お願い……」

 

 頭を下げられて、少年が頷く。

 

「これ……持って行って」

 

 アマンザが小さな手のひらサイズの厚手の布で造られた袋を少年に渡す。

 

「故郷の護符よ。女から海に出る男に渡す……こんな事しか出来ないけれど」

 

 少年が頷き。

 

 その脚で野営地を出ていく。

 

 後ろ姿を見ていたアマンザはギュっと胸元を掴むようにして不安を押し殺し、頭を下げたのだった。

 

 *

 

『やりますわね……さすが、わたくしの騎士ですわ』

 

「?」

 

『子供を探すなんて簡単簡単。ふふ、ここはわたくしが上空から見て差し上げますわ』

 

 幽霊もまた便利な体という事か。

 

 ニヤリとして上空に昇って行った亡霊少女がすぐに戻って来る。

 

『見付けたわ。西部との境付近の森の中をウロウロしてますわね。早めに連れて帰りましょう。案内しますわ』

 

「……親切になった?」

 

『失礼ね!? わたくしみたいに心が清くて美しいといつだって親切ですわよ!?』

 

 膨れるエルミを追い掛けて少年が走る。

 

 兄弟達のいる森まで一直線。

 

 ニアステラと言うらしい区画の殆どはもう水夫達によって探索がほぼ終わっており、現在は資源地帯との通路を整備している途中だ。

 

 危なそうな場所の殆どは立ち入り禁止である為、立て看板や柵で教えている事から、聡い兄弟ならば近づかない。

 

 つまり、さっさと2人を連れて帰る簡単なお仕事……のはずであった。

 

『レーズ!!? おいったら!?』

 

 少年が駆け付けた時。

 

 兄弟の片方。

 

 ナーズが倒れ込む相方を揺さぶっていた。

 

「どうしたの?」

 

「あ!? アルティエ!? レーズが!?」

 

 倒れ込んでいるレーズを直接傍で見やる。

 

 苦し気に倒れて気を失っている額には薄らと青い刺し傷があった。

 

「蜂に刺された?」

 

「ッ、う、うん!? さ、さっき、見た事も無い蒼い蜂に刺されたんだ。そいつ、少し大きくて小鳥くらいあった!!」

 

 少年がそっとレーズの傷口に触れる。

 

「鑑定。遺伝変異確率33%まで上昇。遺伝的整合性の崩壊による各部位の壊死を確認。変異覚醒率12%上昇(再上昇可)」

 

「ど、どうなんだ!? 何か分かったのか!?」

 

「その蜂の毒が必要。何処に向かったか分かる?」

 

「え、あ、う……」

 

「解らないとレーズは化け物になるか。体が崩れて死ぬ」

 

「ッ―――み、水場。水場だった!! あの蜂、水の上を飛んで山の方に向かってた」

 

「………(住処は固定……今回は変わってない……)」

 

 少年が乾燥させておいたヴァンジーの爆華……現物を紙に挟んで栞にしたものをナーズに渡す。

 

「レーズの傍において、もし化け物になって襲ってきたら、石をこれに投げて当てれば助かる」

 

「え!?」

 

 思わずナーズが固まる。

 

「化け物になったら意識は無い。意識があっても戻れない。崩れる体で絶叫しながら襲われたら、死ぬ」

 

「―――」

 

「戻るまでにもしも化け物になったら、迷わず石をコレに当てて。2人とも死なせられない」

 

「そんな……そんなぁ?! な、何でも、何でもするから!? だから!? そんな、そんなの!?」

 

「自分のせい。勝手に野営地を出て冒険した。覚悟もなく」

 

「ッ」

 

「今から毒を取って来る」

 

 少年はへたり込むナーズを置いて少し歩いた場所で背後の亡霊少女を見やる。

 

「呪霊召喚【ファルターレの貴霊】」

 

 スゥッと亡霊が現実に形を成して世界に顕現する。

 

『……仕方ないですわね。あの子が打てない場合はわたくしがやりましょう。勿論、あの子の護衛も……』

 

「ありがとう。エルミ」

 

『フ、フン。名前を呼んだからって!! 絆されたわけじゃありませんわ。わたくしの騎士として生き返らせる使命を果たす前に死なれたら困るから助けるだけです』

 

「行って来る」

 

『う……ズルイ、ですわ……』

 

「?」

 

『何でもありませんわ!! さぁ、行きなさい。時間が無いのでしょう?』

 

 頷いて少年が近場の川と川縁へと向かって走り出した。

 

 左程、時間は残されていない。

 

 問題は間に合うかどうかであった。

 

 *

 

 20分。

 

 ノンストップで体力をすり減らしながら走った少年は付近の川縁を何一つ見逃さぬように疾走していた。

 

 そして、確かに一匹の蜂を確認する。

 

 それは小鳥程もあり、蒼く。

 

 同時に群れている様子が無かった。

 

 それを追い掛けていくと今まで気に為らない程であった川のせせらぎを掻き消す程に騒音が近付いて来る。

 

 それは大きな岩を呑み込むようにして森の深部に立つ大樹。

 

 周囲の樹木も大きいが、それに覆われて外からは解らないドーム状の領域。

 

 川の源流らしき小さな湖に隣接するソレの周囲には蒼い蜂が大量にウヨウヨしており、更には大量の骨があちこちにあった。

 

 だが、どれも古く。

 

 人骨もあれば、獣や見知らぬオカシな形の骨も多数混じっている。

 

 その大樹の根本から覗く奥には巣の内部に蠢く多数の音。

 

 少年は臆する事無く。

 

 歩き出す。

 

「真菌被膜を解除。ゼブの煎じ薬(加工済み)。免疫向上83%上昇(再取得可) 効果消滅まで393分」

 

 少年がそのまま目を閉じて巣に近付いてく。

 

 途端、周囲の蜂達が次々に少年に群がって、針を打ち込んでいく。

 

 それは顔から腕、脚と怖ろしく細い針によって行われ、薄い布地はほんの僅かな穴しか開かない為、パッと見は刺された事すら分からない。

 

 だが、少年は次々に刺され、刺され、刺され、最後には巣の前で群がられながらポツリと呟いた。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 ボファッと自身に向けて炎瓶の炎を吐き出した途端。

 

 金切声のような絶命の断末魔を上げながら蒼い蜂達が次々に燃えながら墜落していくが、それでも蜂達は自らの巣を護る為に突撃し、最後には燃えながらも少年の全身を覆うようにして炎を封じ込め、樹木の巣を護ろうとした。

 

 だが、その中で少年が瓶を今度は大樹の巣の中に差し入れた。

 

 猛烈な勢いで炎が大樹を内部から焼き尽くし、巣から逃げた蜂達が一匹残らず炎に巻かれ、更には大樹の周囲にまで大樹を伝って炎が伝播し、森を焼き始めた。

 

 轟々と逆巻く火炎の最中。

 

 少年が巣を駆除すると同時に跳躍して川に入水し、強い流れに身を任せつつ、まだ動く脚で水を蹴り、仰向けになりつつ真菌共生による被膜を復活させる。

 

「ハリヤの奇壊毒を摂取。全ステータス1%下降(再下降不可)。分解まで28分。免疫暴走進行……免疫カスケードを真菌共生によって緩和。被膜による熱傷再生を開始。抗体生成確率98%を維持、抗体生成完了まで12分32秒。熱傷深度3……神経再生まで83時間。神経毒による麻痺を新型機序で無力化。アナフィラキシーショック343回目……心臓麻痺を真菌共生で無効化」

 

 腕を上げるのもあまりの火傷と神経毒による腫れで一苦労な少年がそれでも懐から取り出した薬を齧りながら耐え、水面から晴れ上がった手と体と顔をそのままに最優先している抗体の生成を早めていく。

 

「ゼブの華丸薬。心肺能力上昇2%(再上昇不可)―――」

 

 呟き続けながら、体がまともに動くようになるまでに近くへ向かわねばと少年は現在地を脳裏で計算しながら、ジッと仰向けに泳ぎながら再生と抗体の生成を待つのだった。

 

―――1時間12分後。

 

「レーズ!?」

 

 森の樹木に背中を預けた兄弟の片割れの息が遂に明らかに走った後のようになっているのを数m先からナーズが叫びながら見ていた。

 

 震えるその手には小さな石が一つ。

 

 だが、それをどうして投げられるものか。

 

「頑張れ!! アルティエが今、薬を取って来てくれるって!!」

 

「う、あ、あぐぅ?! は、は、は、はぁ、ぁああぁあ!!?」

 

「レーズ!!?」

 

 体の一部。

 

 股間が異様に膨らんでいた。

 

 いや、それが股間ではなく尾てい骨から伸びた何かだとナーズには理解しようもなかったが、よく見れば、ソレは蜂の尾に似ていたかもしれない。

 

 しかし、その少女が何かに為る前にソレは彼らの前に現れる。

 

 何の音沙汰も無く。

 

 現れたソレに思わず石を投げそうになったナーズは理解する。

 

 ソレが見覚えのある形であると。

 

 焼け焦げた衣服と鎧。

 

 更には膨れ上がった肌や頭皮。

 

「―――」

 

 思わず口元を抑えたのも無理はない。

 

 もはやソレは人間の形をしているだけだった。

 

 涙が溢れそうになったまま。

 

 ガタガタと震えながらナーズは見る。

 

 黒いダガーが取り出され、ソレが自分の片腕をスパリと切って、溢れ出す血が滴るまま……指が今にも膨れ上がって弾けそうな股間から迫出した尾に突き刺さる。

 

 血を注いでいると分かったのはその血だらけの股間の腫れがゆっくりと縮まっていくような気がしたからだ。

 

 そうして数分後。

 

 血に染まったズボンに穴が開いた状態でレーズの息が正常に戻っていた。

 

「抗体輸血……完了」

 

 指先から黒い管とした真菌の血管を引き抜き。

 

 少年が横に倒れ込む前に傍にあった栞を回収し、口に入れて呑み込む。

 

「アルティエ!?」

 

 近寄って来るナーズを片手が制した。

 

「治るかどうかはまだ分からない」

 

「……っ」

 

「しばらく、此処で夕方まで休んでから野営地に向かう」

 

「う、うん……うん……ぅん……」

 

 涙を零しながらナーズが見なくてはいけないと言いたげに少年を見やる。

 

「……オレ達、褒められたかったんだ。アルティエみたいに……」

 

 ポツリと呟きが零された。

 

「オレ達ってさ。何で流刑になったかって言えば、偶然なんだ」

 

「偶然?」

 

「ねーちゃんがオレ達を育ててくれた。父さん母さんは昔、ねーちゃんの前で死んだ。理由はエライやつの前を偶然横切ったから。そして、今度は東部の城のお姫様の前を偶然横切った。汚い穢れた一族って、オレ達は呼ばれてる。前の戦で裏切り者だったんだって。オレらのじーちゃんすら赤ん坊の頃の話だって……ねーちゃんは言ってた」

 

「………」

 

「だから、護らなきゃいけなかったんだ。ねーちゃんもレーズも……オレが、たった一人残った男のオレが……なのに……」

 

 呟く端からその瞳には涙が滲む。

 

「昔から誰かの前を横切らないように。誰かに出会わないようにこっそり、ひっそり生きろって言われてた。いつも息を殺してさ。でも、此処ではそんな事必要無くって……だから……勘違いしてたんだ。自由になった。なんて……」

 

 その小さな手が自らの首をなぞる。

 

「……馬鹿だよなぁ。クソぅ……」

 

 それから夕暮れ時になるまで誰も一言も発さなかった。

 

 亡霊少女ですら、何やら事情を知っていたからか。

 

 何処か不憫そうな顔になり、少年の傍でどうしたものかという顔でフヨフヨ浮かびながら、諦観し切った小さな兄弟の片割れを見ていた。

 

 そうして、時間が経った後。

 

 少年が幾分か腫れも退いて来た手でレーズの胸に手をやって瞳を閉じる。

 

「変異率32%で停止。水平遺伝による導入7.2%で停止。内臓器官の不規則生成は認められず。アポトーシス励起による増殖細胞の死滅を確認。現行覚醒率32.3%。真菌制御による多重抗体及び真菌による低分子核酸標的化誘導により処置完了。当該変異RNAを除去。遺伝残渣を体内から輩出」

 

 少年が呟いている間にもレーズのズボンの股間がジワリと今度は黄色く染まる

 

 そのままというのも困るので少年がズボンを脱がせた。

 

「―――」

 

 そこには股間の後ろ。

 

 尾てい骨から伸びる尻尾のようなものがあり、蟲の尾にも似ていた。

 

 器官は肌色のままに存在していて、甲殻こそ纏っていなかったが、先からは針のようなものが飛び出している。

 

「レーズ……こんな……」

 

「まだ変異する」

 

「え?」

 

 言っている傍から肌色だった尾がゆっくりと黒い甲殻が滲むようにして肌の内部から溢れ、ソレが背筋を通ってうなじまで到達。

 

 また、脇腹から脚の一部、関節部と柔らかい太ももや腕にも装甲のように甲殻が滲んでいった。

 

「ッッッ!!?」

 

「変異完了を確認」

 

 少年が持っていた袋の一部を破いて股間を覆うように巻き付ける。

 

「帰る」

 

「………レーズ、元に戻るかなぁ……」

 

 涙を溢れさせながら呟く相手に少年は事も無げに肩を竦めた。

 

「戻らない」

 

「ッ」

 

「でも、生きてる。あそこに住めなくなったら、他を探せばいい」

 

「他?」

 

「生きてる限り、お腹は空く。何処でだろうと」

 

「……そっか。生きて、行かなきゃ、ダメ……なんだよな」

 

「まだ一緒に生きたい?」

 

 そのもう何者かである少年の問いにまだ何者でもない少年は頷く。

 

「―――生きたい!! ねーちゃんとレーズと一緒にッッ!!」

 

「なら、そうすればいい。応援しておく」

 

 そう言って、ナーズとレーズを両腕に抱えて、大分膨れた顔や手も元に戻って来た少年は走り出した。

 

 喜ばれる事も畏れられる事もあっていい。

 

 だが、死なせようとするならば、戦えばいい。

 

 そんなシンプルな気持ちを胸に。

 

 こうして、野営地は再び混沌に沈む事となる。

 

 人が化け物になるという現実を前にして。

 

 しかし、意外なところから助け船は出るというのも奇妙な現実である。

 

 外からの来訪者はその帰って来た子供達の片割れを見て、祝福したのだ。

 

『―――素晴らしい。貴女は島に愛されているのですね』と。

 

 今までの瞳が嘘のように穏やかで優しい顔になりながら。



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第13話「ニアステラの悠久Ⅱ」

 

 子供が蟲に刺されて、半分化け物のような姿で戻って来た。

 

 水夫達が恐怖しなかったと言えば、嘘になる。

 

 だが、そこで来訪者は言った。

 

『覚醒者はこの島の恩恵です。化け物でもなく。人間でもない。しかし、旧き時代には人として大陸でも多くが存在していた。旧き教会の伝承で人が倒した化け物とは多くの場合、彼ら……つまり、我らの祖先であったのです』

 

 こうして、蜂の甲殻らしいものを背中から尻尾に掛けてと柔らかい内臓や筋肉を護る装甲のように滲ませた少女は今のところ水夫達に殺されてはいなかった。

 

 客人の前でそんな事をしようと思う度胸がある水夫はいなかったし、助けて来た少年のあまりの姿に男達はもはや何も言えなくなったのだ。

 

 化け物のように晴れ上がった皮膚。

 

 穴だらけで焼け焦げた衣服に装甲。

 

 最初、化け物に焼き殺された動く死体だと思われた少年はいつも通り。

 

 思わず卒倒したフィーゼはともかく。

 

『男だな。アルティエ』

 

 そうウリヤノフによって激励されつつ、エルガムの診療を受けて、寝台に寝かされる事になった。

 

 少年の意識が眠りで虚ろになった頃。

 

『ごめんなさい!! ごめんなさい!!? うぅ……でも、ありがとう……』

 

 嗚咽を堪えて自分に謝るアマンザの声が聞こえていた。

 

 そうして翌日。

 

 起き上がって見れば、横ではバクバクと魚を食べている兄弟の片割れ。

 

 いや、姉弟の片割れがケロリとした表情で少年を見ていた。

 

「食べる?」

 

「食べる……」

 

 蒸し魚を2人でモクモクしていると部屋に外から桶を持って来るアマンザが2人の顔を見て号泣。

 

 すぐにエルガムが呼ばれた。

 

「君には本当に驚かされてばかりだな」

 

 一人ずつ診療しながら、男は溜息を吐く。

 

「?」

 

「昨日の時点で火傷、刺し傷、蟲毒による腫れで虫の息……それが一夜で大分よくなっている」

 

「薬になりそうなもの食べてる」

 

「ッ、薬だと?」

 

「コレ……」

 

 少年が一般人が食っても殆ど副作用の無い薬草の干したモノを横に畳まれた袋の一つから取り出した。

 

「その効能を何処で知ったんだ?」

 

「呪紋で分かるようになった。少しだけ」

 

「―-―」

 

 思わず何とも言い難い顔でエルガムが更に深い息を吐く。

 

「後で教えてくれ」

 

「解った」

 

「それで……その薬でその子も?」

 

「蟲の毒は同じ毒に掛かって治った人間の血で治ると聞いた」

 

「西部の民間療法の一つだな。だが、血が合わないと死ぬと聞いた事もあるが……まさか、その為に自分で試したのか?!」

 

「昔、何処かで誰にでも血を分けられると医者に聞いた」

 

「記憶が?」

 

「ちょっとだけ」

 

「はぁぁ……とにかく、島の加護だか何だか知らんが、化け物の毒の力で一部の肉体が変質……今の医学では治しようも無い。本人に問題が無ければ、水夫達とは隔離する形でどうにか済ませてやりたいが……」

 

 エルガムが押し黙るものの、外からは水夫達の不安の声が一々薄い壁の先から聞こえて来ていた。

 

「相談が……」

 

 少年から話題を振られ、エルガムが表情を引き締めた。

 

「聞こう。あの子達と最も親しい君の話だ」

 

 頷いた少年はそうして自分の考えを話始めるのだった。

 

 *

 

 昼時。

 

 水夫達も含めて、全ての人間が野営地の広場に集められていた。

 

「集まって貰ったのは他でもない。半分、怪物となった子の事に付いてだ」

 

 あまりにも直接的な物言いであったが、当人達は別の場所にいる為、誰もが困惑こそあれ、話しを聞く姿勢となっている。

 

 食事時という事もあり、話しを聞いている者達は誰もが魚の葉包みを持参して、食べながら聞いている者も多い。

 

「今のところ、あの子に付いては意識も人間だと確認出来た。心が化け物になっている様子もない。また、昨日の客人の話を詳しく聞くと北部ではそういった者達が住まう場所ばかりらしい」

 

 そこで北部へと向かわせるのだろうかと思う者達が多数。

 

「ただ、色々と話を聞いたのだが、どうやら島の蟲や怪物、特定の生物から毒や血を受けると同じように我々も変異する可能性がある」

 

 そこでようやく男達が食べるのを止めた。

 

「此処で重要なのは化け物に為る確率の方が実際には高いらしい、という事だ。人間の心を保ったまま、姿までも人型を保った場合は変異覚醒と呼ばれる新たな力を得た人という扱いになるそうだ」

 

 ガヤガヤと水夫達が思わず騒ぎ。

 

「聞いてくれ!! これは医者としての見解だが、あの子の体は今後もしも毒や血によって怪物に成り掛けた時、もしかするとソレを止める薬を造るのに使えるかもしれない」

 

 そこでようやく水夫達はエルガムが言いたい事を朧げに理解していた。

 

「だが、君達の不安も分かる。なので、あの子には新しい肉体と化け物の力の使い方を学んで貰い。この野営地の為に働く遠征隊として活動して貰おうと思う」

 

 その言葉に水夫達が先日ウリヤノフを筆頭にして西部に向かった者達の部隊の事を想像したのは想像に難くない。

 

「また、あの子の兄弟達の住まう家を優先して整備し、そこに変異覚醒した者が今後出た場合に住まう場所として運用したい。もしそうなっても生きられるなら、君達もそうしたいだろう?」

 

 自分達も化け物に為る可能性がある。

 

 という事実を前に水夫達のみならず難破船の者達の背筋も泡立つ。

 

「無論、心が人間であるのならば、我らは寛容であるべきだ。でなければ、いつ君達が化け物になっても殺してしまえと仲間達に言われるか。昨日まで笑っていた仲間に殺されるか。分かったモノではない」

 

 そうしてエルガムは蜂の一刺しで化け物になったという証言や蟲の恐ろしさを解きながら、水夫達に自分達の為に今の内に準備をしておけと暗に伝えた。

 

 これに対して明確に反対意見を出せた者はいない。

 

 事実、次々に蟲に刺されただとか。

 

 そういった心配でエルガムに縋るように殺到する者達が出たからだ。

 

「大丈夫だ!! 診察は後でするが、普通の蟲ではああはならないらしい。だが、特別な外見や見た目のモノには十分に気を付けて欲しい。また、あの子達の心無い噂や追い出そうという意見がある者はそれは翻って未来の自分の姿であるという事を胸に刻んで欲しい」

 

 こうして大人達の話が纏まると話をしていたエルガムはそのお膳立てと話の組み立てを事前にした当人の事を思い浮かべて、やはりもう子ども扱いは止めようと少年の扱いを改めるのだった。

 

「やってるねぇ……医者先生……」

 

 ミランザが少年のまだ腫れぼったい額に水を絞った手拭を置く。

 

「あ、おねーちゃん。それボクにも……」

 

「はいはい。いいよ。ちょっと待ってな」

 

 蜂のような変異をしたまま。

 

 寝台へ横になっていたレーズ。

 

 性別も偽っていた彼女は何処か嬉しそうに頷く。

 

「まったく、甘えん坊なんだから……」

 

 そう言いながらも水を絞った手拭を妹の額にアマンザがそっと乗せる。

 

「だって、こんな風にしてもらうの……久しぶりだし……」

 

「そうだったっけね……」

 

「ナーズは?」

 

「ああ、今はあのウリヤノフの旦那のとこだよ。剣を教えて欲しいと頼み込んでるみたいだ」

 

「剣を? あのナーズが?」

 

「ああ、よっぽど堪えたんだろうさ。アンタの事が……」

 

「そっか……」

 

 レーズが自分の股間の後ろから伸びている尻尾を見やる。

 

 白布からはみ出ているソレの先端には針があった。

 

「ボク、殺されちゃうのかな……」

 

「滅多な事は言うんじゃないよ。アンタは死なないさ。私が護る。それに医者先生も約束してくれたよ。出来る限りの事はするってね」

 

「うん……」

 

 僅かに震えたレーズが縮こまるようにして自分の両肩を抱く。

 

「アンタの命は拾った命じゃない。拾われた命だ。だから、簡単に死ぬんじゃないよ……そこの今は膨れたパンみたいな顔の英雄様にも悪いんだから」

 

「ッ―――ぅん」

 

 ポロポロと涙を何とか両手で拭って、ようやく実感が出て来た少女は横で自分をチラリと見ている変な奴。

 

 いや、変な英雄様を見やる。

 

「ぁりがとぅ……アルティエ。ぅぅん。アルティエ様」

 

「別に様はいい。それにこれから大変な事になる」

 

「大変な事?」

 

「一緒に冒険する」

 

「―――それって」

 

「死ぬよりも辛い目に合うかもしれない。死ぬより痛い事があるかもしれない。でも、たぶんコレが一番いい。みんなで一緒に生きる為に……」

 

「一緒に生きる……」

 

 アマンザがそこでレーズにエルガムと話し合っていた事を伝えた。

 

「つまり、ボク……アルティエと一緒に?」

 

「ああ、そうだ。アンタも強くなれ。レーズ……花よ蝶よと育ててはいないが、何処でも生きられるように心構えだけはさせてたはずだ。ちゃんと帰る場所はアタシが用意しておく」

 

「……うん」

 

 そこでアマンザが少年に向き直った。

 

「妹と弟の事。感謝してる。もうアンタには返し切れない程の恩が出来ちまったね。アルティエ……」

 

 少年の前でアマンザが正座した。

 

「この子の事……どうか、よろしくお頼み申します。我らの英雄様」

 

 土下座であった。

 

「ちゃんと戻って来る。必ず」

 

「……はぃ」

 

 顔を上げ、少しだけ涙を拭って、アマンザの顔にようやく安堵の笑みが浮かんだ。

 

『……わたくしを蘇らせるのが最優先ですわよ?』

 

 その横でジト目のエルミが少年を見やり、少年はしばらくの間は大人しく寝ていようと干し草の枕に頭を埋め。

 

 横顔で照れ臭そうににひひとレーズに微笑み掛けられるのだった。

 

「そう言えば、まだ教えて無かったね。この子達の本当の名前を……」

 

「本当の名前?」

 

「ウチの家系は昔から色々とあって真名を隠して生きてるんだよ。アタシはアマリア……レーズはレザリア、ナーズはナジムって名前なんだ。本当は……」

 

「あ~~後で教えようと思ってたのに!!?」

 

 レーズ、レザリアがそう膨れる。

 

「ふふ、恩人にもったいぶるようなもんじゃないさ。それと先生がアタシ達の家を先に立てて、今回の一件での野営地の人間の救出への褒章としてアンタに与えるって話だ。いつでも戻って来れるようちゃんと待ってるよ。アタシもナーズも……」

 

「ひゅーひゅー♪ おねーちゃんやるー♪」

 

「な、何言ってるのさ?! この子は!? もう!!」

 

「?」

 

 少年は取り敢えず家を手に入れた事を確認しつつ、目を閉じる。

 

 横ではジト目のエルミが『わたくしの騎士なんですからね!!』とブツブツと呟きながら部屋をクルクルと回遊するのだった。

 

 *

 

 その夜、少年はレザリアが寝入ったのを確認してから、まだ男達が騒めきながらも床に着いた頃合いを見計らい。

 

 外に出ていた。

 

 海岸沿いの砂浜。

 

 まるで待ち構えていたかのようにリケイが焚火に当たっていた。

 

 だが、今日はその横に珍しい客が一人。

 

「そうか。貴殿がリケイ殿の言っていた……」

 

「外の人……」

 

 少年が内心で目を細める。

 

(北部の間諜……平均2万回に1回しか辿り着かないレアな人……まだ回収出来てないフラグの可能性……)」

 

「左様。我が名はモルニア・クリタリス。巡回者をしている」

 

 瞳が縦に割れた麗人。

 

 少なからず高位の貴族特有の所作のようなものを少年にも感じ取れた。

 

 薄い縮れた赤毛の下。

 

 眼差しは強く。

 

 女性にしては高い背は少年よりも20cmは上だろう。

 

 しかし、ガタイが良いというのとは違う。

 

 スラリとした長身ではあったが、引き締められた肉体は何処か人形のように余計な物が無い体形であった。

 

 美人というよりは何処か厳しさが滲み出るせいか。

 

 剣呑な戦人の瞳に口元の張り付いた笑みが何処か違和感を醸し出している。

 

「初めまして」

 

「アルティエ殿か。よろしくお願いする。リケイ殿、ではこれで」

 

「うむうむ。ではな」

 

 リケイの傍から立ち上がったモリタニアが頭を下げてから、その場から遠方の浜辺の方へと歩き去っていった。

 

「今日は珍しいお客人が来ましてな。さて、お話を聞きましょう」

 

 少年が座って老爺に視線を向ける。

 

「同行者を護る呪紋が欲しい」

 

「同行者……ああ、あの子ですな。変異覚醒が進んで怪物にならぬとは運の良い子でしたな。それで護る呪紋……成程成程」

 

 リケイが納得してあ様子で頷く。

 

「では、眷属化の呪紋などは如何かな?」

 

「眷属化?」

 

 少年は一応、そう訊ねておく。

 

「左様。本来は主の傷を眷属に移して戦うような外法でしてな。旧い呪紋の使い手。特に王族が好んで使った代物。しかし、従属と違って当人の力を眷属は分け与えられる事から強くもなれる」

 

「それで?」

 

「本来は傷を請け負う我慢強い者が眷属には良いとされていますが、これを反対にとなれば、眷属に力を与え、更に傷までも負う事になる。危険が大きいですぞ? 勿論、魔力を分け与える関係から、戦闘時以外は魔力量も低減してしまいますしな。それでもよろしいと?」

 

「構わない」

 

「ふむ。解りました。では、明日以降、その子を連れて来れば、という事で。それまでに準備しておきましょうか」

 

「お願いする」

 

「任された!! ふふ、面白いですなぁ……いやはや」

 

 リケイがニヤリとする。

 

 少年は頭を下げてから、その場を後にして、まだ痺れの残る肉体を圧して、野営地の外に向かうのだった。

 

 翌日、少年は素知らぬ顔で寝台の上で天幕から持って来た乳鉢でゴリゴリと薬を磨り潰していた。

 

 周囲には袋が大量に積まれており、その様々な匂いにレザリアが『薬の臭いだーおえー』という顔になっていたが、こんな時にも天幕と同じように変わらない少年を見て何処となく嬉しそうでもあった。

 

 だが、それで話は終わらない。

 

「はい」

 

「はい?」

 

 少年が乳鉢に入った薬の粉末にドボドボと粘土の高い琥珀色の液体を入れてレザリアに差し出す。

 

「飲んで」

 

「え゛!?」

 

「薬。体良くなるから」

 

「そ、そのぉ……苦いのは……」

 

「苦くない。蜂蜜入れた」

 

「蜂蜜?」

 

「あの蜂の巣を焼いた後から取って来た」

 

「?!!」

 

「体に良い」

 

「いや!? 体に良くても飲むのはちょっと遠慮しま―――」

 

 ズイッと少年がレザリアに詰め寄る。

 

「飲まないと連れて行けない。毒や蟲のせいでまた死に掛ける事になる」

 

「う、ぁ……ふぐぅ……」

 

 観念した様子でレザリアが琥珀色に混じった大量の粉状のソレの臭いが伝わって来る薬液を乳鉢内部から震えながらもゴクリと一気に呑み込んだ。

 

「……あれ? 美味しい?」

 

「蜂蜜だから」

 

「臭いはアレだけど、これなら飲め―――」

 

 パタリと意識が瞬時に途切れたレザリアを少年が再度寝台に寝かし付けて、上に布を被せておく。

 

「朝食持って来たわよ~2人とも~」

 

 少年はやってくる少女の姉に昨日の今日でまだ疲れているから、寝かせてやって欲しいと嘘八百を並べ立て、朝食は後で自分が食べさせると言って、朝から忙しいアマンザを仕事に行かせたのだった。

 

『うわぁ……何飲ませましたの?』

 

「ちょっと死に難くなる薬草全部」

 

 上で全てを見ていたエルミがおえーという顔で口元を覆いつつ、訊ねる。

 

『それ大丈夫?』

 

「死なない。ちょっと遺伝子が変異して、体が硬くなるだけ」

 

『硬く?』

 

「動きに支障が出るから使わなかった薬草。危ない敵が出て来た時に少しだけ飲む用……天幕にあったの全部」

 

『それ大丈夫じゃないような気がしますわ……』

 

「たった62時間死ぬほど苦い思いをするだけで刃も矢も通らなくなる。敏捷性がかなり落ちるけど」

 

『蜂なんですから、眷属にするなら、軽やかに舞うみたいな感じで良いんじゃないんですの?』

 

「それ大抵途中で死ぬ」

 

 そう、その育て方は途中で死ぬのは確定なのだ……散々に見てきたのだから。

 

『あ、ハイですわ』

 

 少年が過保護過ぎるくらいに過保護な様子で朝食に蒸し魚の切り身を少しだけいつもの黒いダガーで開いて、新しい乳鉢で粉にした粉末を山盛り入れて閉じるのを見ながら、案外誰かの事を考えているのだなとエルミは自分の騎士の優しさにちょっと嬉しくなるのだった。

 

 そして、1時間程で起き上がった少女は舌の上の苦みが取れず。

 

 思わず渡された朝食を確認もしないで味を紛らわす為に大口で喉に詰め込んだのだが、ゴクリと嚥下して、更に少年から渡された水をとにかく飲んで再びバタンと倒れた。

 

 無論、どちらにも少年特性の薬が大量に仕込まれていたからだ。

 

 あまりの苦さと体内の変異から来る激烈な気持ち悪さに気を失うのも無理は無かった。

 

 *

 

「………」

 

『あらあら、もう口は聞いてくれそうにありませんわね♪』

 

 夜、おかしそうに愉しそうにコロコロと笑うエルミは膨れっ面のレザリアを連れて浜辺にやって来た少年を見てニヤニヤしていた。

 

 ちなみに昼飯と夕飯も同じことをされた少女は完全にもう絶対少年に渡されたものは食べない魔人と化して、自分で食べるものを選ぶ人間として覚醒。

 

 しかし、必要量を全て一日で摂取させた少年は後は問題無いとイソイソ彼女を連れてリケイのところにやって来ていた。

 

 ちなみにあまりの苦さに慣れ過ぎた少女の舌はもはや何を食べても今のところは苦いとしか判断しなくなっている為、水を飲んでも激烈に渋い顔になるという状況に陥っている。

 

 ただ、それも数日で治るからと宥めた少年が不機嫌度MAXな少女を連れている様子は夜のデートにも見えない。

 

「お待ち申し上げておりました。施術は首に施しますので」

 

「せじゅつ?」

 

 レザリアが首を傾げる。

 

「体を強くする」

 

「それって、えっと……ボクを連れて行く為に?」

 

「そう」

 

「ぅ……痛くない?」

 

 少年がリケイを見やる。

 

「はは、痛いのは傷を引き受ける方ですな。本来、眷属の傷を主に移すなど、この外法をそのように使おうとするのは古今東西見ても貴方しかおらんでしょうとも。ええ、間違いなく」

 

「え? 傷?」

 

「お嬢さん。このお方は貴女の傷をご自分が背負う呪紋を刻みに来たのですぞ」

 

「え、そ、そんな!? それじゃ、アルティエが危ないの!?」

 

「左様です。ですが、それも仕方ないのでしょうな。危険な場所に連れて行くという事はそういう事。人の命を背負う覚悟。本来、その危険を背負うべき者が不甲斐ないのならば、それは主が背負うものとなる」

 

 ジロリとリケイを少年がジト目で見やる。

 

 だが、まぁまぁとリケイがレザリアの前に出た。

 

「しかし、貴女には力が無い。覚悟があっても、それはまだ単なる覚悟でしかない。その不足を……どうやって補うか。此処に普通に暮らせるようになるまで、貴女を死なせない為にこそ、このお人は此処に来た。貴女はその代価を働きで返すしかないでしょうな」

 

「働きで……」

 

「眷属とは心を主に差し出した者の事。貴女はこのお人に心を差し出せますかな? その覚悟が。もしも、そうであるならば、眷属となった時、貴女は―――」

 

「ある!!」

 

 そう少女は断言する。

 

「覚えてるもん。ボクを、ボク達を抱き締めて野営地まで連れて来てくれた。あんな姿になっても離さないでいてくれた。だから……」

 

 レザリアの眼差しは少年に横顔に向いていた。

 

「よろしい。子供だろうと覚悟は覚悟。では、互いに横になって寝そべり、首筋を出して下され。呪紋をお刻み致しましょう」

 

 リケイがあっぱれとでも言いたげに笑い。

 

 2人を砂浜で横にして、両手をそのうなじの部分に当てた。

 

「【良き同胞よ。共に征く者よ。等しく命を分けし、兄妹よ。我ら、導きの果て、嘆願によりて、世界に分てぬ絆を刻む者。教神イエアドの名において、この者達を等しく嘆きと喜びを纏う分てぬ楔と為さしめたまえ。マーカライズ】」

 

 リケイの声は何処か遠く。

 

 しかし、脳裏に響く文言となって2人の奥底に刻まれていく。

 

 そして、その象形が2人の首筋に現れた。

 

 主である少年の首筋には七角の金色。

 

 眷属である少女の首筋には六角の銀色。

 

 小さな文様は髪に隠れてしまえば、見えないものだろう。

 

「呪霊とは違い。眷属はある程度自立しながら、遠距離でも主の意志や声を理解出来る。また、一部の知覚は主に近付く為、同じものを見られるようになるのですじゃ」

 

 少年が取り敢えず覚えながら立ち上がる。

 

「魔力は与えられているばかりではなく。逆に必要となれば、吸い上げる事も可能。眷属の見て感じたものは主も意識すれば感じられるものでり、逆は主が許せば可能となる。傷や状態を移し替えるのは常に固定化されておる為、即死だろうとも受け切れますが、分け合う形にするか押し付けるかは主次第。という事で」

 

 リケイが説明を終えて流木に座り直す。

 

 そして、少年はいきなり襲ってくる舌からの苦みに思わず口を押え、悪戯っぽくベーと舌を出したレザリアの様子に仕方ないと苦みを受け入れるのだった。

 

 こうして翌日、渋い顔で食事をする2人はさっそく遠征に向かう為に必要なものを集め、訓練を開始する。

 

 彼らの旅の準備は少しずつ、進んで行く事になる。

 

 未知を踏破し、生き残る為に……。



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第14話「ニアステラの悠久Ⅲ」

 

「戻って来たか。アルティエ」

 

 少年が急造ながらも何とか形を整えた鍛冶場にやって来ていた。

 

 道具を受け取る為である。

 

 ウリヤノフは騎士の装いを解きながらも帯剣したまま。

 

 上半身を裸で肌に熱を防ぐ泥化粧を上半身にして、現場に望んでいた。

 

 あまりの熱さにその化粧もパラパラと乾いて落ち始めている。

 

「道具は今朝言った通り、誂えておいた。そこの棚の革に全て入っている。小物を造る為のノミと槌だ。持って行ってくれ」

 

「ありがとう」

 

「それと聞いたぞ。その子を眷属にしたとな。リケイ殿にしてもらったとか」

 

 少年が頷く。

 

 その背後には少し頬を赤らめて、コクリと頷くレザリアが付き従っている。

 

「呪紋にそのようなものがあるのは知っていたが、まさか施せる者がいるとはな。遠征隊の事だが、基本的には北に直通路がある西部をまずは安全にしたいと考えている。最初の出発予定までは時間がある。エルガム殿も準備している故、そちらも抜かり無きように」

 

 頷いた少年が道具の入った皮巻を受け取って頭を下げて鍛冶場を去る。

 

 それにすぐに追随したレザリアも頭を下げて、共にリケイの下へと向かう。

 

 その背中には大きなカバン。

 

 背負い籠のようなものに大量の野草が入っているのが見えた。

 

「……順調なようだ。子供を死地に向かわせる我らは決してイゼクスの門は潜れぬだろうな……東部なら地獄の門の守護者が亡者の手で阻むと言うが……我らならば阻むでは済まんな……」

 

 ウリヤノフはそう苦笑し、自らの罪深さを独白。

 

 再び鍛冶場の方へと戻っていく。

 

 今、少年が大量に掘り出した鉱石を精錬し、必要な金属を単離している最中。

 

 まだ、小さな道具程度しか作れていなかったが、しばらくすれば、数十人分の武器くらいは賄えるようになる。

 

 それまでに住居と住民の訓練。

 

 どれも一人では手に余るものを任せる相手がいるのは良い事だと彼は遠目にカラコムが初めて募った守備隊達の訓練を見やる。

 

 荒くれ者の水夫達ならば、兵には向いているだろう。

 

 問題はいつ何処から何が襲ってくるかであり、護るにしろ逃げるにしろ。

 

 周辺の調査と散策は継続するしかなかった。

 

 正しく、野営地の命運は少年と少女に任されていたのである。

 

 *

 

 リケイに木彫りの元となる乾いた流木やら道具を渡した足で2人と1霊は天幕に戻って来ていた。

 

 アマンザは仕事。

 

 ナーズは剣の稽古を忙しいウリヤノフから引き継いだカラコムに付けて貰いながら、大人に混じって守備隊の訓練に参加している。

 

 さすがに焼け焦げた衣服を新調した少年は煤けた鎧と鎖帷子はそのままに近頃増えた干した野草の袋を横に粗末なテーブルの上で乳鉢をゴリゴリしていた。

 

「本当に好き過ぎない? それ」

 

 レザリアが半ば諦めたように呟く。

 

 此処数日、少年に貰った薬を飲み続けた結果。

 

 何か体が丈夫になったとは感じられるくらいに少女の肉体……特に普通の肌は刃物一つ通さなくなったし、背筋を護る甲殻が青白く変色して来ていた。

 

 最初は何処か黒かったのだが、今や少女を刺した蜂の色そっくりである。

 

「……?」

 

 少年が大量に造った薬草の粉を貰って来た小瓶に詰て、その中に油らしきものを入れているのを見て、レザリアが気付く。

 

「ね、ねぇ。アルティエ」

 

「?」

 

「その油、どうしたの?」

 

「造った」

 

「え?」

 

「精油は大変だから、香油にした」

 

「???」

 

 何かヤケに高度そうな事を言われたような気がしたレザリアである。

 

「ええと、油って島で作れるんだっけ?」

 

「山砕きの果実の種を擦って蒸して袋に入れて重しを載せれば取れる」

 

「………」

 

「普通に美味しい」

 

「いや、そうじゃなくて。それって新しい食材として食べられるんじゃない?」

 

「……作るのが面倒」

 

「いや、作ってるじゃん!?」

 

「必要数のみ」

 

「お願いだから、エルガムさんに教えてあげて」

 

 しょうがなく後で教える事にして薬の粉末に油を入れたソレに木製の蓋をして棒状の蜜蝋が呪紋の僅かな熱で溶かされ、蓋に封がされる。

 

「ちょっと待って!?」

 

「?」

 

「ええと、それって蜜蝋だよね?」

 

「そうだけど」

 

「この島で蜜蝋って作れるんだっけ?」

 

「この間の蜂の巣から取って来た」

 

「お願いだから、エルガムさんにソレも教えてあげて」

 

 しょうがなく少年が頷いた。

 

 棒状に形成するだけでも面倒だったのだ。

 

 必要数以外は自分でどうぞというのが少年の基本スタンスだ。

 

 というか、そんな事をしている時間が惜しいというのは野営地全体で同じであり、出来れば、必要な事をとにかく前倒しで進めさせたいところというのが本音だ。

 

「………」

 

 今度は今日の獲れたての泥を外で乾燥させて来たものが丸く泥団子状に固められて、そのピカピカな泥団子に華の粉末らしきものがそっと布地の上で漫勉なく付けられ、最後に朝餉の時に作ったお湯を使って溶かした蜜蝋の中に入れられた。

 

 引き上げられ、棒に刺された状態でクルクルと回されながら蝋が垂れなくなるまで乾燥させられて、袋にそっと仕舞われる。

 

「その……泥団子だよね?」

 

「泥団子。危険」

 

「危険? そもそもおままごととかするの?」

 

「?」

 

 少年がよく分からないという顔で首を傾げる。

 

「??」

 

 レザリアもまた首を傾げられるような事を言ったかと首を傾げる。

 

「投げて相手にぶつけて使う」

 

「投げるの?」

 

「危険。割れると爆発する。後、泥に侵食される」

 

「え? え?」

 

「危険な泥を吸い込むと病気になる。こっちには効かない」

 

「―――そ、それって……」

 

「危ないから、持って行くのは1人3つだけ」

 

 そうして少年は自分の腰の裏に付けられるくらいの小さな袋に泥団子の蜜蝋封じを入れるのだった。

 

「準備してるんだ。アルティエって……」

 

 自分には分からないようなところで分からないような準備がされていてもよく分からないレザリアであった。

 

 こうしてイソイソと拠点での準備を続ける少年は午後になるとニアステラのあちこちにレザリアを率いて向かい。

 

 探索のイロハを叩き込んでいく。

 

「動きは最小限。回避出来ない時は事前に薬や準備。移動ルートは出来る限り、最短……死なないように安定するまで反復」

 

 少年がわざと通り抜け難い道を歩きながら、どんな道無き道でも工夫と反復して覚え込んだ動きで在り得ない程にスイスイと進んで行く様子はまったく異常だった。

 

「落ちている周囲のものを確認。薬草や毒草の群生地を把握。植生を確認。周辺地形を全て暗記。一番良いのは見なくても歩けるようになる事」

 

 と、言っている間にも少年は布で目隠しをして、川や小さな亀裂、多少の断崖、細い掛け際、高度のある場所での曲芸染みた綱渡りな踏破を風に吹かれながらやってのけるのを見て、レザリアはもうただ己もやるしかないという顔になっていた。

 

 出来る出来ないではない。

 

 やるしかないのだ。

 

 やれない事を出来る限りやれるようにしながら、生き残れるように只管そういった技能を反復し、練習する。

 

『呆れてモノも言えませんわね』

 

 エルミは非常識に道を行く少年とそれに付いて行こうと必死なレザリアを見つめながら、思っていた以上に言葉にされると複雑な事をしているのに驚いていた。

 

 道無き道を行く少年は本当に広大なニアステラの領域の隅から隅まで目隠しで速足で踏破してみせたし、それを追う少女は目隠しすら無いのに付いて行く事すらままならない自分の未熟を思った。

 

(こんな事、普通なら教えられたって出来ないのかもしれない。でも、もう普通じゃないなら、ボクがアルティエの眷属なら、きっと……)

 

 こうして、ほぼ安全地帯に近しい場所での未知の領域を歩く基礎講習はざっくりと始められ、その合間にも冒険への準備が周囲でも進んで行くのだった。

 

 *

 

 道を外れて湖や沼や川、数mの高さがある場所から落ち、水や泥や蟲の巣に塗れ、悲鳴を上げ、毎日のように少年の五感を感じながら訓練し続けたレザリアが辛うじて少年に付いて行く事が出来るようになったのは7日後の事であった。

 

 只管に地味な反復、訓練、暗記と地形や天候の勉強。

 

 天気や季節で危険度が変化する領域での活動方法。

 

 領域が変化すれば、踏破方法も変化する。

 

 千差万別の様相を見せる大自然の最中には合理的な理屈と踏破する人間の叡智が必要だった。

 

 だが、そう知って尚、学び切れない。

 

 実践し切れない事があるのをレザリアは実感していた。

 

 少年が手に持った薬草や物品を即座に鑑定し、様々な組み合わせで運用する事で強さを、肉体や精神を効率的に強化していく様子を横で見ていれば納得も行く。

 

 少年は特別なのだ。

 

 少なからず自分よりは。

 

 その脳裏に飛び交う情報や予想までも彼女には全て感じられている。

 

 だからこそ、彼女は理解を深めていた。

 

 分からない知識や高度過ぎるようにも感じる叡智の類を持つ少年に追い付く事は出来ないが、それを学び取ろうとする意欲は確かにまだ単なる化け物の力を少し使えるだけの少女を変革し、肉体と知性を強くしていた。

 

 落ちる度に自分がどれだけ恵まれた体にされ、少年の薬で強くなっていたのかを実感し、それでも怪我をする度に怪我の分だけ少年から受ける治療や医療の知識を必死に学んだ。

 

 怪我をする事もまた準備だったのだ。

 

 自分で傷を引き受けられるのにそうしないのは傷の治療法やケガをしながらも逃げたり戦うという緊急時の方法を教える為……全ては彼女の探索が可能なように鍛える為のカリキュラムだった。

 

 原野で生きていく為にどれほどの知恵が必要なものか。

 

 体で理解した少女は本来なら自分が重症でもおかしくないような状況でも軽いケガで済む現実を前にして感謝し、愚直に全てを吸収し続けたのである。

 

 夜は少年のもしもの時の為にと希少な紙を使って作られたマニュアルならぬ未知の領域の歩き方ガイドを熟読し、実戦する時の想定を何度も変更しながら、脳裏で未知の危険や敵とどうやって相対するかを悩みながら解答し、意識を夜の眠りに委ねるようになった。

 

「………ふふ」

 

 そうして全力で疲れ果てて眠ってしまった妹をアマンザはよく助け、掛け布をしてはおやすみと呟くのが日課になっている。

 

 こうして過ぎ去る時間の最中。

 

 巡回者と自らを名乗るモルニアもまた野営地を離れる事になったとの話で水夫達の話題は持ち切りであった。

 

『どうやら北部とやらに帰るんだと』

 

『道は教えて貰ったのか?』

 

『ああ、ウリヤノフ殿が食料や諸々の物資と引き換えに簡易の地図を貰ったのだとか。さっき、鍛冶場の連中が言ってたぞ』

 

 そろそろ深夜になろうという時間帯。

 

 危険があると分かってからは野営地の周囲では実力者を含めた複数人の者達が焚火をしている。

 

 築き上げられつつある掘りと丸太の壁の内部での話しではあったが、巡回も出来る限りやっており、暗い場所が出来ないよう複数個所で火を焚く事で死角を減らし、野営地の夜は少しだけ明るくなっていた。

 

「アルティエ殿。全て整いましてございます」

 

 いつもの浜辺で少年の前にはリケイが彫り上げた掌程の木彫りと装備が幾つか砂の上に並べられていた。

 

「それにしてもクナイ、でしたか? このような形を何故、木彫りで?」

 

「後で爆発する薬を塗って蝋で固める」

 

「ああ、それで重い樹木で造らせたと。面白い事を考えますな」

 

 リケイが少年の説明に納得した様子になる。

 

「明日にはあの姉弟達の家も出来るとか?」

 

「フィーゼに造って貰った」

 

「聞いておりますよ。何でも愛の巣だとか?」

 

「?」

 

 少年が首を傾げるのに苦笑して、リケイが話題を変える。

 

「変異覚醒者の住処の他にも酒場をすると聞きましたが?」

 

「エルガムがお酒作るって言うから」

 

「果実と魚、茸。全て食べられるものだと分かりましたからな。当然でしょう。第二野営地が再び再会されるまでには畑も更に増やすとの話も聞きましたな」

 

「フィーゼが畑の外にまた堀と壁を作ってる」

 

「見ましたぞ。アレは鬼気迫るという表情でしたな」

 

 リケイが見た限り、少年が黒焦げのパンになって運び込まれた翌日から、フィーゼは本当に限界ギリギリまで外で作業し、誰よりも後に仕事を終えて、ウリヤノフに注意されながらもそれを止める様子は無くなっていた。

 

 そのおかげで30棟の家屋と野営地を囲む堀と跳ね橋と壁が完成。

 

 更には現在野営地の外で開墾と同時に麦が植えられている畑にも灌漑設備と堀と壁が共に備えられようとしていた。

 

 それと比例してフィーゼの目の下にクマが出来ている事をエルガムは心配していたが、少年が齎した新しい薬草の知識で倒れないようにと薬を処方している。

 

「それにしても甘いものがこの数日で飲めるとは思いませなんだ。いやぁ、長く生きているが、まさか爆薬を呑む事になろうとは世の中はまったく分からないものですなぁ」

 

 リケイが笑うのは今日の昼過ぎの事。

 

 少年と念入りに色々と情報を交換していたエルガムが遂にとても便利なものを実用化するに至った。

 

 ソレはとある花だ。

 

 とても甘く栄養があり、同時に乾燥させて叩くと弾ける怖ろしい花。

 

 群生地から少年が採取してきたソレは鍛冶場で鉄が製造されるようになって初めて作った樽の金輪と大樽、そして清らかな水で共に運用された。

 

 煮沸して濾した飲料水を果汁のように甘く変質させ、同時に酒の原料になり、切り株の芯に濃度の高い原液をしみ込ませて火を付ける事で発火。

 

 簡単に切り株を灰にして処理出来るようになったのである。

 

 これで一気に畑が広がった。

 

 馬こそいないが精霊によって荷車が引かれ、周辺を焼き畑する事も出来るようになったのはかなり大きいと言える。

 

「水夫達も船の者達も甘いものが得られて随分と機嫌が良くなったのは間違いない」

 

「そう」

 

 他にも少年が油の製法を教え、蒼い蜂の残存した蜜蝋を全て熱処理して持って来た事で生活がかなり豊かになったのは間違いない。

 

 何せ今までの蒸し魚に揚げ魚が加わった上に石鹸なども作られるようになった。

 

 そして、船に積まれていた鉄鍋のおかげで塩も少量ずつだが出回り始めている。

 

 塩田はまだ造られていないが、海水を濾して蒸発させ、塩の精錬が始まっていた。

 

 木材は今のところは豊富だ。

 

「塩味にこの島の香辛料が使えるようになったのも大きい」

 

 森を切り倒し、燃料として焼き払う事で視界を確保し、農地を確保し、家も立てたとなれば、島の外の生活に追い付いて来ている。

 

 急激に開発が進んだ野営地はもう村と言ってもいい規模となっていた。

 

「後は船がどうなるかと言ったところでしょう」

 

 問題は脱出用の船の修理だ。

 

 船そのものを直す事は可能だが、応急処置は素人大工であり、本格的な大工仕事が出来る船大工が必要になった。

 

 それに付いてはモルニアが北部には船大工がいるという話をしていた為、西部を何とか安全にする事が出来れば、連れてくる事も出来るかもしれない。

 

 つまり、遠征隊の次の目的地として北部が加わった。

 

「西部フェクラールの制圧がまずは第一歩。となれば、強力な敵の出所や情報が必須……戦うにしても封鎖するにしても、後はお二人……いえ、4人次第ですな」

 

「4人?」

 

 今のところエルガムからは2人で遠征に行ってこいとしか少年は聞いていない。

 

 今回まだ遠征隊の仲間は増えないのだろうと少年は今の状況を識別していた。

 

「まぁ、明後日には分かる事ですじゃ。木彫りに予め魔力を込めて置かれるといい。自然回復には時間が掛かる以上は必要な分は事前に込めておくのがお得でしょう」

 

 リケイに頷いて、少年は修道女のヨハンナに造って貰った革製のポーチ。

 

 腰の後ろに付けるソレに木彫りを入れて、木製のクナイを数十本弾帯のようにベルトに差し込んで丸めた。

 

「では、遠征隊の成功を祈って」

 

 リケイが木製のジョッキに入っている甘い液体を飲み干してニヤリとする。

 

 準備は完了した。

 

 後は西部に向かうのみ。

 

 問題は何処まで少年と少女の力が通用するかに違いなかった。

 

 *

 

 モルニアが野営地を後にした今朝方。

 

 少年は一応は踏破能力がそこそこ上がったレザリアを連れて、最後の仕上げとして東部へと向かう蟻塚の道を抜けていた。

 

 少女の脚には少年の真菌が付着して、同じように歩く事が出来るようになり、壁歩きという何とも奇妙な経験を何とか潜り抜けた少女は教会の横穴の外に出て、広大な領域を見やると目を真ん丸に見開いていた。

 

「未踏破領域が沢山残ってる」

 

「こ、これ、エルガムさんは知ってるの?」

 

「知らない。それと人間に見えるけど、もう人間じゃないのが沢山いる。話せても襲ってくるのがいたら、容赦なく倒す事」

 

 いきなり過ぎる少年の話であった。

 

 しかし。

 

「呪霊召喚【燻り贄のウルクトル】」

 

「!!?」

 

 彼女の前で巨大な目が付いた青白い化け物が溢れて。

 

「もし倒すのを躊躇するとこうなる」

 

 その言葉にゴクリと唾を呑み込んだレザリアは少年の底無しに現実しか言わないという生態をようやく思い知った気がした。

 

 そして、おもむろに3mはありそうなソレの上に乗った少年に手を差し出されて引っ張り上げられ、上に乗る。

 

 ひんやりしている表面は何故かブブブブと震えており、シャカシャカと音がしたかと思うとソレが進み出した。

 

「出発、南部方面」

 

 どうやって進んでるんだと見てみれば、体の下に大量の腕が蟲のように生えていて、ゾワリとした背筋を震わせながら、彼女は乗っているコレが怒り出しませんようにと尻尾を縮めてプルプルする。

 

 本日は抗魔特剣を持っていない少年である。

 

 本来、全ての存在を容赦なく襲うはずのソレは完全に乗物とされており、平原を抜けて南部に向かう。

 

 1時間程の道中。

 

 何度か少年が道端に降りて薬草やら他の取得物を以て戻るとバリボリと生食しながらブツブツ呟いており、内容が何か極めて危なそうな内容だった事から、まだまだ少年の眷属は知らない事ばかりだと自分の知識不足、力不足を痛感する事になる。

 

「これって何処に向かってるの? アルティエ」

 

「東部の南東。魂が回収されて天に還されてた地点」

 

 言っている傍から少年の額に瞳が開き。

 

 ギョッとしたレザリアであるが、視界が共有されると空の上空に青白い彗星のようなものが次々に南部大きな山岳部の頂点に向かっていき、とある山岳部の上で天に昇って行っているのが解った。

 

『確かに魂に関連した情報とかありそうですわよね』

 

「?!! だ、誰!!?」

 

 ようやく声や姿が見えるようになった相手にエルミが肩を竦める。

 

『貴女の事をずっと面倒見させられていた者ですわ。本当にわたくしの騎士の癖に主使いが荒いんだから』

 

「え? え?」

 

 エルミが真下で動く亡霊と同じような半透明なのを確認して、レザリアの顔が蒼褪めていく。

 

「ゆ、幽霊!?」

 

『失礼ですわね!! 貴方が死に掛ける度にわたくしが教えて助けさせていたんですのよ?!』

 

「え!?」

 

「エルミ。ファルターレの貴霊。生き返りたいって言ってる」

 

「え? え?」

 

『よろしくね? お嬢さん。ま、わたくしのように美しく生きられるよう努力する事ね。ふふん』

 

 田舎娘に負けるわけないと胸を張るエルミはそうニヤリとするのだった。

 

 こうして山岳部近くまでやってきた一行はウルクトルが自然と消えた事で降りざるを得なくなっていた。

 

『どうやら、此処から先は霊的なものは顕現出来なさそうですわね。何か強い力でそちらの世界から押し戻されてるような感じがしますわ』

 

 エルミが解説しながら山岳部の岸壁の真下。

 

 大穴が開いているのを確認する。

 

 内部は真っ暗であるが、石畳の道が敷かれている為、人工物なのは間違いなく。

 

「夜目は大丈夫?」

 

「う、うん」

 

「人工物は罠が満載。歩く場所や壁の穴には気を付けるように」

 

「は、はい……」

 

 ゴクリとしながら、少年が速足に歩き出した。

 

 それに付いて行く少女は半分、少年の視界を借りながら、その洞窟というよりは人口的に掘られたのだろうトンネルが螺旋階段のように上に上に昇っていく事を確認して、崩落しないかドキドキしつつ、観察を重ねる。

 

 そうして、数十秒も歩いていると巨大な横に伸びた長方形状の空洞に出る事になっていた。

 

『大きいですわね。それに壁に文様や絵が沢山……』

 

「ほ、本当だ……天蓋が……」

 

 空洞の頭上からは陽光が射し込んでおり、それが中心部に置かれた複雑な象形の鏡らしきもので反射して壁のあちこちを照らし出し、全体的に明るく保っていた。

 

『300年前くらいの装飾様式ですわね。前期アルロッサ王朝時代の茨と蛇の文様。随分と旧いようです』

 

 少年が思わずエルミを見やる。

 

「解るの?」

 

『フフン。これでも東部1の教養のある美少女ですから』

 

 偉そうに胸を張る少女はフワフワしながら周囲の絵を呼んで解説を入れていく。

 

『始りは此処ですわね。船で辿り着いた者達が……一緒に建物を立てて、教会を立てた。やがて、大きな蟲や人外……怪物……旧き怪物の眷属と争い……勝利した。しかし……勝利の代償に大勢が亡くなり、山の頂上に教会? いえ、ですが、怪物のものらしき紋章もありますわね。これは共同墓地のようなものかしら? とにかく、魂を慰める場所を立てた……ええと、最後に銀色の蝶? ええとええとこの綴りは……』

 

「【ファルメクの環元蝶】」

 

『そうそう。そんな感じですわって、知っていますの?』

 

「現物持ってる」

 

 少年がいつも持っている袋の中から、その仄かに温かい膨れた蝶っぽい何かを出した瞬間だった。

 

 カタカタと空洞内部にあった壊れた椅子やテーブルの残骸。

 

 更には金属製らしい燭台の残骸。

 

 そういったものがガタツキながら下からスゥッと青白い人型が姿を現す。

 

 その手には明らかに武器が握られており、殺到し始めた。

 

『きゃ、ちょ、何ですの!?』

 

 その数は10や20はいるだろう。

 

 少年が奥の通路の入り口へ先にレザリアを向かわせ、通路の入り口付近まで走って、集まって来る相手を振り祓うように腕を翳した。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 ゴヴァッと炎が周囲に拡散され、燃え上がりながら霊魂達が悲鳴を上げる間もなく焼け朽ちて消えていく。

 

 その姿の多くは一般人が武装したようなものであったが、幾人かは帷子に鎧を着込んだ兵士のようにも見えた。

 

 炎に巻かれて大半が消えた後。

 

 まだ残っている兵型の亡霊に向けて、少年が木製のクナイを投げる。

 

 連続して一人一本ずつ投げ放つと。

 

 霊に当たった瞬間。

 

 ピキッと封蝋が割れて、ボンッという音と共に弾けたクナイの先端の爆発で兵達もまた吹き飛んでいく。

 

 相手を殲滅した後。

 

 すぐにレザリアを追った。

 

 すると、次の階段を上った先。

 

 既に戦闘状況になっており、レザリアが入り口で敵を食い止めていた。

 

 その手には木製で中型の正方形な盾。

 

 そして、片手にはクナイが握られていて、相手を盾で思い切り吹き飛ばし、距離を取ったら、クナイを投げて爆破していた。

 

 弾かれて吹き飛ばされた亡霊達の多くが爆発に巻き込まれて、数体ずつ融け消えてはいたが、やはり兵隊は耐久力も高く。

 

 クナイを密集状態で避ける事が難しくても回避を試みていた。

 

 少年が前に出て密集してくる者達に向けて腕を払う。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 燃え上がる炎によって兵達もまた次々に燃え散り、何とか耐えた者達もまた少年が前に出てダガーで切り刃うとすぐに消えた。

 

 部屋は一部山岳部の岸壁を刳り貫いているらしく。

 

 手すりも何も無い。

 

 壁の先は虚空で昇って来た50m程下の岸壁が見えた。

 

「危ないよ!! アルティエ!!」

 

 少年が少し覗き込んで、下の突起らしい岸壁の一部に死体らしき白骨が垂れ下がっているのを見付ける。

 

 その内部にキラリと光る何か。

 

 ダガーがヒュンと振られると伸びた菌糸の黒い糸がソレへ一直線に伸びて吸い付き、引き戻されると手の中に納まる。

 

「それ何?」

 

 少年が手にしたのは教会が使う御守り。

 

 聖印にも似た代物だった。

 

「あ、イゼクス様の聖印? でも、何か違うような?」

 

『ん~~あ、これイゼクスの聖印じゃない?』

 

 エルミがすぐに看破した。

 

『ええと、彫り込まれてるのが似てるけど違う。これは教え導く神? とにかく、何か教えてくれる神様らしいわね』

 

 少年が聖印を持っているとスゥッと鑑定が発動する。

 

「教神イエアドの聖印。知能、知識、12%上昇(固定再上昇可)。呪紋の魔力効率32%上昇。呪紋取得確率4.3%上昇(固定再上昇可)」

 

 そこで少年の第三の瞳が開く。

 

「ひぇ!? い、いきなりは驚くから止めてよぉ?! ボクの心臓壊れちゃう!?」

 

 さすがに瞳が増えるのはビビったレザリアが涙目になる。

 

「精神属性呪紋【眷属儀礼】を獲得。眷属に獲得済みの呪紋を一時的、永続的に取得させる。呪紋の威力は眷属と主の知能型ステータスと魔力の平均値となる。簡易儀式を用いる永続契約は威力が固定で上昇する」

 

「え?」

 

「ちょっとこっち」

 

 少年がレザリア壁際に引っ張っていくと。

 

 自らの手をレザリアの手に重ね合わせて握る。

 

「ひゃ?! な、何するの? ボクの手に!?」

 

 すると、ボンヤリと少年の手に有るシャニドの印と同じモノがレザリアの手にも浮かび上がる。

 

「これって?」

 

「さっきの炎の呪紋が使える」

 

「え?」

 

「他のも使える。剣が使えなくても大丈夫」

 

「あ、う、うん」

 

 唐突過ぎて何が何やらよく分からないが自分も炎とか出せるらしいと理解した少女は……いつまで手を握っているのかと慌てて体毎少年から離れた。

 

「次の階層に行く」

 

 こうして少年を先頭にしてイソイソと少年少女は部屋と通路を行き交いながら昇っていくのだった。

 

『……何、人の前でイチャイチャしてるのよ。まったく』

 

 ちょっと膨れたエルミを連れ立ちながら。

 

 *

 

 二時間後、ようやく数百m先の頂上へと三人はやって来ていた。

 

 各地の空洞には大量の亡霊達が犇めいていて、あちこちで出入り口付近でウィシダの炎瓶による炎とクナイと少年のダガーが猛威を振るった結果。

 

 亡霊達は全滅。

 

 また幾つかの部屋では白骨化した者達の懐に少年が拾ったのと同じイエアドの聖印と呼ばれる品があって、拾い集める事になった。

 

 少年も含めて合計で6つ。

 

 レザリアも装備しているし、ちゃっかり少年に手渡して貰ったエルミも霊的に変質した聖印を装備して少し賢くなったかもしれない。

 

 後の三つは適当に必要な人間に配ろうと決めて、最後の階段を昇って来た彼らが見たのは階段の先の荒れた頂上であった。

 

 焼け焦げてから長い年月を掛けて風化したような朽ちた剣の群れの墓標。

 

 そして、その下には宝箱らしき銀色の木箱が僅かに錆びた状態で置かれていた。

 

 だが、問題はそこではなく。

 

 宝箱の前に形を保つ骸骨がいる事か。

 

 それがカタカタと震えて、害意も無さそうに少年達へ顔を向けた。

 

『まさか、人絶えたグリモッドの霊殿に再び聖印を継ぐ者が来るとは……これもイエアドのお導きかもしれぬ』

 

「しゃ、喋った!?」

 

 レザリアが少年の背後に思わず隠れる。

 

『下の階の者達が失礼した。彼らは彷徨う者。何れ、この霊殿が崩れ去る時に開放される哀れなる亡者だ』

 

「貴方は?」

 

 初めて見る相手。

 

 少年は警戒は解かずにそう訊ねる。

 

『東部大霊殿の守護者イブラヒル。嘗て栄えたグリモッド最後の生者だった男の成れの果てだ』

 

「此処は魂を集めて空に還してる。何故?」

 

『此処が島の魂の管理をしているからだ。島で産まれるモノは何であれ島の霊殿より転生の輪に入った存在だ。島で死ぬ者もまた同じ。だが、我々は滅びた』

 

「何故?」

 

『貴殿が持っているソレ……【ファルメクの環元蝶】のせいだ』

 

「?」

 

『この地に一時的に入植した我ら教会の一部は大地に根ざし、グリモッドで嘗ては大勢力を誇った。我らは霊を操る呪紋に長け、この島にしか生息しない蟲を用いて、多くの儀式を行った』

 

「儀式?」

 

『この島は輪廻の輪を独自に持つ場であり、本来は世界に還元されるはずの魂を内部で循環させる。そして、その蝶は島の内部の魂を呼び寄せる輪廻の鍵であり、あらゆる生物に転生する触媒として使う事が出来た』

 

「あらゆる生物……」

 

『それこそ人の魂が、どんな生物にも成れるとすれば、人は高みを目指す』

 

「………」

 

『だが、その結果……力無き人々の魂の多くは無理な転生で劣化し、本来の転生の輪に戻れず。呪霊と化して自我を失っていった』

 

 少年がウルクトルを脳裏に思い浮かべた。

 

『また、多くの者がより良い地位の家に生まれたがり、蝶を得る為に争って死者が増え、その死者が呪霊と化して人を襲い、その呪霊から逃れる為に生者はこの地を後にした。残された者は生まれた先から劣化した魂の為に生ける亡者となり、その状況はやがて島全体に広がって多くを破滅させたのだ』

 

「この地域にもう生きている人間はいない?」

 

『そうだ。生きているように見える人型の殆どは肉体があるだけの亡霊。そして、奴らの多くは蝶を集めても転生出来ず。生きるモノ全てを憎んで燻り殺し、呪霊となって彷徨う悪霊と化している』

 

 それそのものを少年は既に従えている。

 

「………」

 

『全ては終わった事だ。盛者必衰。何れはこの霊殿も朽ちるだろう。だが、それまでは役割を果たさねばならん』

 

 フワリと骸骨から40代くらいだろう白い肌に黒い瞳のスキンヘッドな男の亡霊が立ち上がる。

 

『此処は死者と生者の転生を司る地。幸いにしてお前達には資質がある』

 

「資質?」

 

『強き魂。劣化せぬ魂は蝶の加護を受ける最低限の資質であり、蝶さえあるならば、新たなる生命として生まれ変わらせよう。蝶一つで同じ種族。蝶二つで別の種族。蝶三つで人を超えた種族。蝶半分で人より劣った種族』

 

『ハイハイハイハイ!!』

 

『何だ? 娘子よ』

 

『亡霊は!! 亡霊は転生出来ますの!?』

 

 エルミが物凄い勢いで喰い付いた。

 

『体が無ければ、産まれ直す元が無い。輪廻の輪に入り、新たな生物になる事を覚悟する必要がある。意識を保ったままに輪廻したいならば、魂の無い生きた体を持って来るといい。転生させよう』

 

『~~~聞きまして!? 遂に方法が見つかりましたわ~~』

 

 目をキラキラさせて神に祈りを捧げまくる現金なエルミを見て、少年に『どうしたの幽霊の子?』と訊ねたレザリアはエルミの事情を聴いて成程と頷く。

 

『この場を用いる最後の者として契約の証を取るといい』

 

 イブラヒルが宝箱の前から退く。

 

 少年が横合いから開くと。

 

 内部には二つの品が入っていた。

 

 片方は小さな掌に収まるような金属製の廟らしきもの。

 

 もう一つは薄い金属製の札のようなものだった。

 

『【臥私(ふし)祖廟(そびょう)】と【環支(かんし)符札(ふさつ)】。元々は旧き英雄達が死した際に用いていたものだ。廟はこの地と繋がり、何処でも転生を行える。もう死んだ肉体であろうとも不滅なる魂を用いて再度転生させる。そうなれば、どのような傷も毒も病も治るだろう。蝶が必要ではあるがな。符札は島の各地に立てられた霊殿を行き来する為のものだ』

 

「行き来?」

 

『【大霊殿】は此処を含めて各地方に存在する。今はどうなっているかも知らぬが、そうだった場所ならば、破壊されていようと行き来が可能だ。そして小さなものは人が入れない廟のような形で各地に置かれている。符札を掲げれば、掲げた者が行った事のある霊殿まで即座に戻る事が出来る』

 

「霊殿は作れる?」

 

『霊殿を設置出来る場は限られる。信仰の対象となる象徴の近く。後は集落などだ。造り方は其々でも構わぬ。ただし、教神イエアドの呪紋を用いる事が可能な者が符札を掲げて祝詞を唱えねばならん』

 

 少年がイブラヒルから祝詞を聞き取る。

 

『貴殿らが人として島に生きるならば、留意せよ。島の王達は決して人を許さぬ』

 

「王って何?」

 

 レザリアが首を傾げた。

 

『この島の本来の持ち主達だ。古き者達よりも前から此処に住まっている』

 

「ふるきもの?」

 

『しかし、此処にやってきた亜人の強さはその王達すらも滅ぼし、今も戦いは続いている。聖域が開かれぬ限り、人にも亜人にも王達にも未来は無いだろう』

 

 どういう事かと訊ねるより先にイブラヒルがスウッと骸骨に戻って気配が消える。

 

『何かスゴイ事を聞いた気がしますわね。さっさと帰りましょうか。疲れましたわ。わたくし……これから体探し!! 頑張りますわよ~!!』

 

 やる気を出してホコホコした亡霊という何だかよく分からないものになったエルミを横目に少年がそっと2人を両腕に腰を抱いた。

 

「ひゃわ!? な、ななな、何してるの!? ボクの腰に何か用なの!? アルティエ!?」

 

『しゅ、淑女の腰は高く付くんですのよぉ!? 何で抱き締めてますの!?』

 

「もしもの時の為」

 

 言っている傍から少年がこの島で見た霊殿らしきもの。

 

 もしくは霊殿の跡地かもしれない場所を思い浮かべる。

 

 すると、その場から瞬時に三人が消えた。

 

 僅かに骸骨の瞳に青白い光が灯る。

 

『……最後の流刑者達か。蝸牛の王、蟻の王、蜂の王は倒れた。だが、種子は残され、命は巡る。蛭の大眷属が滅した今、他の眷属達の攻勢は必至か』

 

 呟きは誰もいない山頂で風に融けて消え、集まる魂達は天へと上り続けていた。

 

―――ニアステラ山岳部。

 

「こ、ここは?」

 

 少年が目を開いた時にはもう目の前に茸が映っていた。

 

「大霊殿だった場所。たぶん」

 

「たぶん?」

 

「第二野営地の茸農場」

 

「え? それ大人達がもうちょっとしたら再開しようって言ってた場所じゃ……」

 

「そう。この場所以外に大霊殿っぽい場所知らなかった」

 

『いつまで掴んでるんですか!? まったく』

 

 エルミの声で少年が2人を離し、大量の巨大茸が生えている蟻の墓標の中を歩いて外に出る。

 

 すると、まだ日は落ち切っておらず。

 

 昼過ぎくらいだろう事が2人にも分かった。

 

「蜂の巣のところに行って、廟を造ってから戻る」

 

「あ、ちょ、アルティエ!?」

 

『やれやれですわね。休む暇も無いとは……』

 

 こうして彼らは翌日に備えた後、夕方頃には野営地へと返ったのだった。



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第15話「ニアステラの悠久Ⅳ」

 

 グリモッドの大霊殿を踏破した翌日。

 

 少年は西部遠征に向けての準備を終えた旨をウリヤノフとエルガムに伝えていた。

 

 レザリアの背筋や大腿部、関節を覆う甲殻が翌日、薄くなり……まるで何かのスーツや衣服のように変異した事もまた新たな呪紋のせいであると適当に誤魔化したが、一目見たリケイは変異覚醒の次の段階に入った云々と説明。

 

 恐らくは眷属化と同時に呪紋が使えるようになったせいであったが、左程に問題視はされなかった。

 

 イエアドの聖印は残り3つが野営地の実力者であるウリヤノフ、ガシン、カラコムに渡される事が昨日の内に決まり、後は大霊殿での冒険結果の報告で現状の整理が一応された形となっていた。

 

 勿論、輪廻という話は水夫達に隠される事となった。

 

 人間が死んでも生き返れるなんて言うのは明らかに危な過ぎる上に一部の人間しか使えない事が明言されていたので、出来る限り人間が化物になる可能性は排除したいとウリヤノフとエルガム、ウートの三者の意見は一致。

 

 話しを自分達と一部の人間だけに留める事になった。

 

 エルガムの診療所内部。

 

 ウリヤノフとカラコム。

 

 更にガシンがいる談話室は多少狭い。

 

 ウリヤノフが少年に向き合って切り出す。

 

「遠征隊としてガシン殿。更にもう一人を付けたい」

 

「もう一人?」

 

「フィーゼ様」

 

「は、はい!!」

 

 少年が振り返ると布地で仕切った扉の無い診察室の出入り口からフィーゼが緊張した面持ちで入って来る。

 

「大丈夫?」

 

 その言葉にカラコムが頷く。

 

「そこはハイとは言い難い。だが、レーズさんに手渡していた歩き方の内容は暗記し、実戦も多少は様になっているとお聞きしました。ウリヤノフ殿」

 

「脚を挫いて歩けないと泣きべそを掻かない事だけは確約しよう。それと自分の仕事はしっかりと果された。責務とは自由と共に自分で課するもの。そして」

 

 ウリヤノフが剣を抜き様にフィーゼに振り下ろす。

 

 それは確かに相手の胸を切り裂く一撃。

 

 しかし、少年には見えていた。

 

 フィーゼの胸元から現れた小さな光玉が僅かに発光し、ガインッと剣を撥ね退けて横に逸らした。

 

「護りは手堅く鍛えさせて頂いた。一定距離での精霊での探索。更には精霊による護り。戦闘時は精霊を操り、周囲の重量のある物を相手に投げ付けて攻撃する」

 

 言っている傍からウリヤノフの剣が浮いてフィーゼの手が指示した通りに振られたり、護ったりというような動作をこなしている。

 

「元々、巨大な丸太や石を動かしていた力だ。剣を振り回せば、正しく巨人の一撃にも等しい。ただ、反射的な部分では常人。あまり近距離での戦闘は得意ではないと思って欲しい」

 

 少年が頷く。

 

「あ……い、いいでしょうか? アルティエ」

 

「問題無い。後ろから遠い敵に何か投げてくれるだけでも随分助かる」

 

「は、はい!!」

 

「よろしく」

 

「解りました!!」

 

 フィーゼがパッと顔を綻ばせた。

 

 今までダメだったらどうしようかという顔だったのがようやく緊張が解れたようで安堵の息が零される。

 

「でも、取り敢えず、2日延期で」

 

「え?」

 

「あん?」

 

 新しく遠征隊に加わる事になったフィーゼとガシンに少年がゴソゴソと薬草の袋を取り出す。

 

「歩き方は問題無い。でも、毒やその他の体の丈夫さを上げておく」

 

「え?」

 

「オイ。何だよ。その袋……」

 

 少年がウリヤノフを見やる。

 

「こちらが無茶と道理を通すのだ。本来ならば、護るべき主の子女を探索に行かせるなど、命を懸けてお止めするべきところだ。文句はない」

 

 ウリヤノフが肩を竦めた。

 

「遠征隊の長は実質君だ。君の判断に従おう」

 

「じゃあ、そういう事で」

 

 少年が2人を連れて診療所を出ていく。

 

 すると、フィーゼが来た部屋から杖を突いたウートがやってきた。

 

「主。お体はよろしいのですか?」

 

「ああ、ヨハンナさんに世話してもらったおかげで多少はな。まさか、主の娘を斬り殺そうという騎士を見る事になろうとは……だが、それがあの子の覚悟なのだろう。この老いぼれが何かを言う事でもない。今後も頼む」

 

「ッ―――お任せを」

 

 ウリヤノフが主の信任にまた決意を新たにした。

 

 そして、少年は外に出て自分の家となる家屋にやってくる。

 

 平屋であるが、広く板張り。

 

 生木ではあるものの、煙臭くないのは家屋が村の中心部だからだ。

 

 裏の玄関口から入るとアマンザが内部に色々な家具やら樽やら大量の薬草やら果実やらを整理しているところであった。

 

「おや? もう来たのかい? これから出発かしら?」

 

「二日後になった。奥の部屋使える?」

 

「ああ、全部運び入れておいたよ。好きにしな。今、酒用の樽を地下に入れるのに男出が欲しかったんだ。後で頼むよ」

 

「……はい(´Д`)」

 

 文句は言えない。

 

 少年がいない間、家屋内を取り仕切るのはアマンザだ。

 

 家屋と言っても外には酒場式のカウンターが迫出しており、屋根付きの席や外のテーブルで酒も出す予定になっている。

 

 更に料理もとなれば、アマンザは今や一国一城の主、村初めての酒場の店主である為、文句を言う人間は大幅に消えていくだろう。

 

 いつの時代も酒を握るのは強い。

 

 エルガムの知恵であった。

 

「じゃ、後でね」

 

 アマンザを後ろにして少年が自分の部屋。

 

 というよりは工房に近いだろう。

 

 大量の薬草やら果実の干したものやら鉱石やら泥やらが袋や棚や壺に入れられ、寝台がポツンと横に置かれて、後は机と椅子しかない場所である。

 

「此処がアルティエのお部屋なんですね」

 

 フィーゼが造っていた時には分からなかった内部構造に繁々を周囲を見やる。

 

 その合間にも少年がドンドンドンドンと天井から吊り下げられた袋をテーブルの上へ大量に降ろす。

 

「何だよ。その袋?」

 

 ガシンが不審そうな顔になる。

 

「薬」

 

「薬?」

 

「遠征隊は飲む決まり」

 

「いつそんな決まり出来たんだ? あん?」

 

「今」

 

 少年が乳鉢に最初から擦られた粉末を大量に入れて壺から蜂蜜を流し込んで混ぜたものを二つ用意した。

 

 それを見たレザリアが((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルしながら背後に下がる。

 

「飲んで。全部飲んだら出発」

 

「は、はい。お薬……」

 

「大丈夫なんだろうな?」

 

「大丈夫。苦いだけ」

 

 死ぬほどの形容を少年はしなかった。

 

「一気に呑む」

 

 仕方なくフィーゼとガシンが言われた通りにグイッと乳鉢を煽った。

 

「あ、案外甘くて飲みや―――」

 

「薬っぽい甘さは苦手な―――」

 

 バタンと2人が目を見開いたまま失神するのを慌ててレザリアが後ろから支えた。

 

「此処に寝かせておいて」

 

「う、うん。だ、大丈夫かなぁ……ボクでもアレだったのに」

 

「大丈夫。改良を加えておいたから」

 

「か、改良?」

 

「防御力重視じゃなくて、機動力と瞬発力と反応力重視」

 

「それって……」

 

「本当は苦くない。ちょっと酸っぱいだけ」

 

「ちょっと?」

 

「……酸っぱいだけ」

 

 言い直した少年がシレッと目を逸らした。

 

 そういう事である。

 

 そして、目が覚めた2人がトイレに駆け込んで吐くより先に少年は自分の真菌の黒い管を口元から喉を通して胃に直接入れて、逆さにした新しい瓶をゴポゴポさせて全ての薬品を流し込むという鬼畜な所業を行ったのだった。

 

 4時間後、起きた男女は床で目覚め。

 

 グゥとお腹が成るのを聞いてから、自分の声が出ないという現実に気付く前に……あまりの酸味に絶叫して気を失う。

 

 夜に起き出してぼーっとトイレに入った彼らが出て来て屋内で昏倒し、再び目覚めたのは明け方の事。

 

 少年はあまりの衝撃に一部記憶が欠落した2人に忍び寄り、普通の朝食を食べた方が良いと誘導し、自分が造った燻製魚揚げを食べさせて更にボーッとさせた後、ジョッキ一杯の蜂蜜薬を飲ませ、昏倒させて記憶を消し……それを夜までに三度行ってから二日後の朝に何食わぬ顔で彼らに水浴びさせて、記憶が無いままに西部へと向かう事にした。

 

『本当にマズイんだろうね。コレ……』

 

 一部始終を見ていたアマンザは何やってんだかと溜息一つ。

 

 少年が使った後のジョッキを少し舐めて悶絶した後。

 

 そりゃぁ、記憶くらい消さなきゃ無理だろうと理解した。

 

 普通の人間が連続して飲むには少年の薬はあまりにもあんまりな味に違いなかったのである。

 

 *

 

「何だかお肌が艶々してる気がします!! お薬スゴイですね!! アルティエ」

 

「確かにすげー体がよく動くな。味は覚えてねぇけど」

 

 記憶を消された2人が実際快調な様子にレザリアだけが目を横に逸らせた。

 

『ま、何回も記憶消されてればね。というか、本当にあの薬効果以外は最悪なんじゃないかしら?』

 

 エルミは飲む必要が無い自分の体にホッと安堵しつつ、少年をジト目で見やるが、2人の手前知らないフリである。

 

 西部に入る前。

 

 洞窟手前まで来ていた一向は此処からが本番と少年に言われ、野営も視野に入れての探索に向かった。

 

 海岸線沿いの洞窟を抜けて外を見やった少年が確認する限り、まだ蜘蛛の巣で周辺が陰っている様子は無く。

 

 一気に本丸を攻めてしまう事を決めて、腰の後ろのベルトに付いた革製のカバーを外すと木彫りが一つ出て来る。

 

 それは鷲の姿をしていた。

 

「【生命付与】」

 

 少年が呪紋を行使した途端。

 

 逆巻くような炎が木彫りを包んで散った。

 

 次の瞬間にはもう巨大な10m程もあるだろう鷲が出て来ており、西部に入るまでに教えられていた流れ通りとはいえ、それでもガシンもフィーゼも目を丸くしていた。

 

「じゅ、呪紋てこういう事すら出来るんですね」

 

「魔の技も此処までくりゃ大道芸だな」

 

 少年が僅かに浮かび上がるタカの脚に捕まる。

 

「こ、こうかな?」

 

 それを真似てレザリア。

 

 そして、ガシンもフィーゼも続き。

 

 四人が二つの脚に掴まって少し爪先立ちになる。

 

「飛んで。塔の近くで蜘蛛の巣の上を滑空」

 

 少年の言葉を受けて、タカというよりは怪鳥が勢いよく空に舞い上がる。

 

「ひゃわぁあああああああ!!?」

 

「うぉ!? 本当に飛ぶのかよ!?」

 

「スゴイ!! 本当に飛んでるよ!! アルティエ」

 

 全員が驚きながらもまだ掴んだ手を離せば、死ねるという事実を理解せず。

 

 上空へと一気に舞い上がったタカが猛スピードで蜘蛛の巣の穴を突破し、蜘蛛の巣ギリギリの高度で塔に一直線に向かうのに何処か心を弾ませる。

 

「飛び降りて」

 

 少年がそう言ったのは蜘蛛の巣が終わる塔の直前。

 

 手を放して塔の門前に転がり込んだ彼らが起き上がると塔を垂直に昇っていたタカが姿を消して落ちて来た木彫りが少年の手にキャッチされた。

 

「うわ!? 高いよ!?」

 

「す、すげー。本当に塔がありやがる。さっきまで見えなかったモンが全部見えてやがる。本当に蜘蛛の巣の上に塔があんのか!?」

 

「これが西部の塔……ッ」

 

 ガシンもフィーゼも驚いていた。

 

 幽霊を見られるような技能が無ければ、看破出来ない偽装は恐らく呪紋の類に違いない。

 

「で、扉の前だが、こいつは石製か?」

 

 ガシンがコンコンと扉を叩くがビクともしない。

 

「あのアルティエ。この塔を昇る前に入れるんでしょうか? わたくし達……」

 

 それに少年が肩を竦める。

 

 そして、イソイソと扉を押して動かないのを確認し、扉の合わせ目にペタペタと甘すぎる軟膏を塗った。

 

「この匂い……」

 

 甘い香りの軟膏である。

 

「下がって、塔の壁面に張り付いて」

 

 言われた通りに動いた全員を確認後、少し離れた玄関口の先から少年が片手でクナイを投げた。

 

 それが扉の軟膏を塗った合わせ目に接触し、カシャッと蝋が崩れた瞬間。

 

 ドガァアアアアアアッと轟音と共に石製らしい扉が猛烈に振動し、その硬いはずの合わせ目を開かせながら猛烈な炎を吹き上げた。

 

 思わずビックリして蜘蛛の巣の穴に落ちそうになった彼らが見たのは内部で次々に奇声というよりは断末魔が上がっているという事実。

 

 それは少なからず人間のものではなかった。

 

「やっぱり……」

 

 少年が僅かに開いた赤熱する扉の内部にヌッと手を差し入れる。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 炎が塔の内部に振り撒かれた。

 

 猛烈な断末魔が耳を劈き続ける。

 

 しかし、それが一分もせずに途切れた後。

 

 少年は扉を蹴って開けた。

 

 内部からはブスブスと焦げ臭い臭いが立ち込め、カリカリに焦げた蜘蛛の死骸が大量に周囲を埋め尽くす勢いで降り積もっている。

 

 内部を覗いた少年以外の誰もがゾワッとした事だろう。

 

 もしも一歩でも何もせず内部へ入れば、蜘蛛によって自分達は食い殺されていたに違いないのだから。

 

 まだブスブスと燻ぶっている塔内部は石製の螺旋階段が塔の内部の壁面に付いており、階層の先には未だ気配があるのを少年は理解していた。

 

 故に取り得る最善手は―――。

 

「燻し焼きにする」

 

「え?」

 

「は?」

 

「うん?」

 

 フィーゼ、ガシン、レザリアが首を傾げる間にも少年が袋から幾つかの薬草と泥団子を取り出した。

 

「どうすんだ?」

 

「煙は高いところが好き」

 

 ガシンの言葉に少年がその全てを片手で練り混ぜて蜘蛛の死骸を払った中央付近にベッタリと張り付けて再び扉の背後まで戻ると。

 

 クナイを再び投げた。

 

 ソレが爆発した途端。

 

 泥と草の混合物がブスブスと燃え、煙を吐き出し始めた。

 

 そして、少年は石製の扉を押して閉める。

 

 そうして数分もせずに今度は塔の内部が騒がしくなり、ガンゴンガンゴンと何かが落ちて来る音と共に断末魔が次々に上がった。

 

 その音が落ち着いた数分後。

 

 再び少年が扉をゆっくりと引いて中を確認すると数匹の人よりも大きそうな蜘蛛が完全に脚をヒクヒクさせながら緑色の血を吐いて倒れていた。

 

 それを少年が遠方からダガーによる飛ぶ斬撃。

 

 黒跳斬で撫で斬りにすると蜘蛛の一部はガバッと起き上がって扉の方に突進してくるも、炎瓶によって燃え上がり、全ての蜘蛛が倒されるまで十数分程であった。

 

「オイオイ。何だよ。こりゃぁ……一方的じゃねぇか」

 

 ガシンも驚くが、何一つ無駄なく片付けた少年がようやく蜘蛛が焦げた塔内に全員を招き入れる。

 

「ど、どうして、まだ生きてると分かったのですか? アルティエ」

 

「蟲は頭がもげても体が動く。大きさから言って、多少死んだくらいじゃ死なない。たぶん」

 

『おぇぇ……しばらく、脚の細いのは食べられなさそうですわね』

 

 エルミの言葉に「いや、お前はそもそも食べられないだろ」というツッコミもせずに少年が先頭でレザリア、フィーゼ、ガシンが最後尾の順で進む。

 

 元々、蜘蛛がいたと思われる場所は今は空になっており、煙が収まっている周囲は多少煙い程度であった。

 

「そういや、オレ達はこの煙大丈夫なのかよ?」

 

「薬飲んでいるから大丈夫」

 

 シレッと死ぬより酸っぱいものを喰わせた少年が答える。

 

「お? 宝箱? 蟲が?」

 

 ガシンが驚くのも無理はない。

 

 蜘蛛が護っていた二階には宝箱。

 

 それも銀色のソレが置かれていた。

 

「……外れ」

 

 少年がクナイで宝箱を攻撃する。

 

 途端、内部から衝撃で弾け飛んだらしい子蜘蛛……と言っても、手のひらサイズのソレが飛び出して来て、少年のダガーがサクッと両断し、断面から黒い侵食が相手を喰らい尽した。

 

「な、何で分かったの? アルティエ」

 

 レザリアに少年が肩を竦める。

 

「恐らく、大蜘蛛の位置が宝箱の上。汚れが一番少ない。あからさま過ぎ」

 

「な、なるほど!! アルティエは賢いですね!!」

 

 フィーゼがそう納得した様子になる。

 

 しかし、少年が蜘蛛を排除した宝箱内部を見やり、手を伸ばす。

 

 そして、横に振るとゴトゴトと音がした。

 

「お?」

 

「二重底。ありがち……」

 

 少年がダガーで箱の下の板を剥がして内部のものを取り出した。

 

「これって……蜘蛛のレリーフが掘られた腕輪、ですか?」

 

 少年が手に取る。

 

「鑑定【飽殖神】の慈輪。装備時、昆虫型変異覚醒者の精力増強。体力611%上昇(再上昇可)。魔力93%上昇(再上昇不可)。霊力432%上昇(再上昇可)。知識32%下降(上昇不可)。精神力32%上昇(再上昇不可)。生殖細胞の増殖キャップ開放。排卵数無制限化。装備解除時、蜘蛛化」

 

 少年がチラリとレザリアを見てから、自分の懐からエンデの指輪のネックレスを取って相手に装備させ、その手に腕輪を握らせた後、その輪を握った手に手を重ねて捻った。

 

 金属製のはずだったが、あっさり破壊音がする。

 

 腕輪が壊れた途端、レザリアの胸元の指輪が崩れていく腕輪から輝きのようなものを吸い込んだ。

 

 すると、当人の体の調子が自分でも分かる程に良くなる。

 

「これでよし」

 

「え!? え!? 何が良しなの!?」

 

 思わずレザリアがツッコむ。

 

「これで強くなった。問題無い」

 

「さっき、何か怖い事言って無かった!?」

 

「この指輪が怖い効果を全部破壊してくれる。ただし、呪紋の効果は半減」

 

 少年がさっさと指輪のネックレスを引き上げて再び自分が掛ける。

 

「そ、そうなの?」

 

「そうそう」

 

「本当かなぁ……」

 

 ジト目でレザリアが少年を見やるが、少年は我関せず。

 

 すぐに次の階層へと進んで行く。

 

「何かやる事ねぇな」

 

「もっと、こう……何かあるべきな気も……」

 

 自分達の命を懸けてやって来たフィーゼとガシンだが、感想は一致していた。

 

 もうコイツ一人でいいんじゃないかな?

 

 だが、そうもイカナイというのが塔の踏破であった。

 

 少年が的確に階層を見て、罠がありそうな場所をスルーしたり、適当に罠を発動させて落下トラップを回避したり、適当に壁を殴って、壁と壁の間の細いルートを見付けたりしつつ進んだ彼らは遂に一匹も蜘蛛と出会わずに塔の最上階まで到達していた。

 

 塔の最上階は吹き曝しで壁も無く。

 

 宝箱が一つ切り。

 

 それも木製で少し黒かった。

 

 少年が予め決めていたハンドサインで戦闘態勢を指示し、同時に上にいると告げてから、一気に攻撃を開始する。

 

 クナイが抜き打ちで箱の上空。

 

 20m程の部分を通過する寸前、何かに当たって爆発し、その何かが一瞬だけ彼らにも見えた。

 

「デ、デケェ!?」

 

 ガシンが言うのも仕方ない。

 

 煌めく糸一本によって釣り下がっていたのは少なからず9m近い大きさの蜘蛛であったのだ。

 

 それもすぐに消えてしまう。

 

「見えなくなるのかよ!?」

 

「後方八時。剣で切り裂いて」

 

 少年の言葉にすぐ反応したフィーゼが持って来ていた剣を蜘蛛の巣で見付けて連れて来ていた精霊で動かして切り払う。

 

 途端、ヴァギンッと悲鳴を上げて剣が拉げて折れ、蜘蛛の鋭い鎌のような脚の一本が折り畳み式のナイフのように展開しているのが見えた。

 

 すぐに蜘蛛が透明化して消えるが、剣は使い物に為らず。

 

 フィーゼが周囲に盾の一つとして浮かべておく。

 

「十二時方向。盾投げ」

 

 少年の言葉と同時にレザリアが飛び出して盾を投げた。

 

 ソレが今度は何か途中で衝突するも絡まるようにして落下し、蜘蛛の巣の下で止まった為、糸が掛けられていたのだと誰もが理解した。

 

「見えない糸を出すのか!? クソ!? どうすんだ!? さぅきみたいに焼き払うか!?」

 

 ガシンが言っている傍から、少年がダガーでその顔面スレスレを切り払う。

 

「うお!?」

 

「目玉取られるところだった」

 

「は!? 物騒過ぎるだろ!? 何だその攻撃!!?」

 

「見えない糸で切る、裂く、絡め捕る、内部のものを引き抜いて剥がす。全部やってくる」

 

 思わずフィーゼが口元を抑えた。

 

 正しく、見えざる恐怖。

 

 化け物は怖ろしく狡猾。

 

 だが、それよりも疑問なのは―――。

 

「ど、どうして分かるのですか!?」

 

「見えてる」

 

「え?」

 

「霊を見られる存在には見える糸。だから、糸に絡めとられた塔も巣も見える」

 

 少年の言う通り。

 

 レザリアにもちゃんと蜘蛛の動きが見えていた。

 

「や、やたら早いよ!? どうするの!? この足場じゃ……」

 

「呪霊召喚【ファルターレの貴霊】」

 

『おっと、わたくしの出番ですわね♪』

 

 ニヤリとしていきなり出て来た大弓を番えた青白い少女にフィーゼとガシンは思う。

 

「誰ですか!?」

 

「誰だよ!?」

 

『わたくし? わたくしの事が聞きたいんですの!? 勿論ですわ~~ちゃんと、後で教えて差し上げますわよ。ふふふ~~』

 

 蘇れる可能性を得てから基本的にルンルン気分で機嫌が良いエルミである。

 

『あ、そーれ♪』

 

 エルミの弓が一発。

 

 蜘蛛の胴体に当たった。

 

 途端、蜘蛛が緑色の血飛沫を上げて、すぐに普通の視界しか有さない2人にも姿の一部が見えるようになる。

 

『まだまだ!!』

 

 第二、第三の矢が突き刺さった動体からの血飛沫で姿が露わになると。

 

 大蜘蛛がグギョンッと上半身の形を変えた。

 

 上半身と下半身の間に折り畳んでいたらしい大量の脚が蛇腹状に展開されて、その最中にある大量の凶器染みた手足の先が刃物のように伸びて近付いて来る。

 

 少年の炎では攻撃が到達するより先に焼き切れはしないだろう。

 

 だが、少年が軟膏の入った瓶を投げ付け、クナイで足に当たる寸前で爆破した。

 

 猛烈な閃光と共に迫って来ていた脚の大半が吹き飛ぶ。

 

 それでも上半身と下半身で半分程の脚が無事であり、もはや蜘蛛というよりはムカデと蜘蛛を足したような姿は完全に化け物としか見えない。

 

「クナイを胴体部に全て投擲」

 

 弓が次々に刺さる動体とクナイを何とか直撃を防ごうとして脚に喰らって吹き飛ぶ大蜘蛛という図である。

 

 その合間にも破壊されて千切れた脚が跳ねながら彼らを狙い。

 

 ソレをガシンが投げ返し、蹴り返し、拳で弾き返しながら、何とか身を護る。

 

『どうするんですの? もう腕が生え掛けてますわよ。アレ』

 

 おえーという顔になるエルミが少年に報告する。

 

「フィーゼ、あの上まで飛ばして」

 

 少年が指差したのは蜘蛛のいる背後より更に上だった。

 

「わ、解りました!! お願い!!」

 

 少年がフワリと浮かぶと急加速して大蜘蛛の頭上を通り過ぎる。

 

 そこで慌てた様子で振り返ろうとした体に弓が突き刺さり、最後のクナイが爆破して動体の一部を拉げさせた。

 

 動きが遅れた大蜘蛛は自分の生命線である見えざる糸で編んだ綱。

 

 自分を吊るし、移動させ、動かす人形の操り糸にも近しいソレらが少年の黒い跳ぶ斬撃によって浸食されて、断ち切られていくと同時に悲鳴を上げる。

 

 次々に斬られた糸を繋げるより先に炎が天空へと吠え猛る。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 猛烈な炎が天を舐め尽くし、今まで大蜘蛛の図体を高速で移動させていた糸という糸を焼き尽くして、塔を維持している巣までも焼き始めた。

 

 塔が一気に斜めに傾ぐ。

 

 そうして、身動きが鈍くなり、手足の再生より先に少年が落下速を稼ぎつつ、焼けつつある糸の一部に黒い菌糸を伸ばして接着し、巻き戻して腰から加速。

 

 中腰で身を屈めるようにして大蜘蛛の胴体部へと跳び込んだ。

 

 そのダガーが急激に大きくなり、大剣のように相手を切り開き、その内部に少年が突入する。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

―――?!!!

 

 ゴヴァッと蜘蛛の体内から奔る猛烈な炎が蜘蛛の胃に突っ込まれた少年の手の先から気道を抜けて口から吹き上がり、頭部を焼き尽くしていく。

 

 そして、もう片方の手が握る大剣は体内から菌糸を伸ばして、再生しつつある体を内部からベキベキと破壊しながら侵食し、胴体を左右で黒と赤に塗り分けた。

 

 内部から焼かれ侵食されて崩壊していく動体はもはや墓標のようにも見えて。

 

「ッ」

 

 少年がその状態で身を捩じって抜ける。

 

 背後の甲殻を突き抜けて緑色の血に濡れながら、その毒液に焼かれながら、剣をダガーに戻して振り返り様に再び炎を撒く。

 

 すると今まで動いていた数多くの蜘蛛の脚が次々に落ちて行った。

 

 それを動かしていた糸が焼き切れたのだ。

 

 同時に数m以上の高度を塔が落下する。

 

「こ、これはもう持たねぇんじゃねぇか!?」

 

「そ、そうですね。アルティエ!!」

 

 少年がタカを顕現させ、全員のいる方へと突っ込んだ。

 

 それに向かって飛んだエルミ以外の全員が何とかタカの脚を掴んで炎に巻かれ始めて崩れ落ちる塔を背後に地表へと降りていく。

 

「倒したのか?」

 

「大蜘蛛は……でも、子蜘蛛はまだ何処かにいるかも……」

 

「ま、まぁ、いいさ。倒せたんならな」

 

 言ってる傍から背後で塔が完全に蜘蛛の糸からの支配を卒業し、猛烈な勢いで西部中央地点に落ちて猛烈な勢いで破砕し、大量の瓦礫を飛び散らせて土煙を上げる。

 

 そして、上空にある蜘蛛の糸は焼かれ落ちて行った。

 

 地表に降りる寸前。

 

 ズルリと少年の手から力が抜けてベシャリと地面に叩き付けられた。

 

「アルティエ!!?」

 

 すぐにタカから飛び降りた彼らは見る。

 

 少年の片腕は半ばから焦げており、もう片方の手は半ば胃の消化液で溶けている。

 

 毒液は肌を焼き溶かし、炎は焦がしていた。

 

「ああ、こ、こんな!?」

 

「大丈夫……治るから……」

 

「そんなわけ!?」

 

 思わず涙を零したフィーゼ。

 

 更に泣きそうな顔ですぐ傍で応急処置用の医薬品を背後のポーチから取り出したイゼリアが薬を少年の手に掛けていく。

 

 すると、ブクブクと黒い菌糸が増えたかと思えば、茸のように胞子で少年の両腕を包み込んでいた。

 

「こ、これって!?」

 

「もしもの時に使う用ってアルティエが言ってたの。ボクに使う用って持たせてくれてて」

 

「マズイぞ。お前ら!!」

 

「「!?」」

 

 ガシンが構えを取っていた。

 

 彼らのいる平原の果てからズシンズシンとソレがやって来る。

 

『嘘でしょ!? しぶと過ぎじゃない!? もう魔力ないから打てないわよ!?』

 

 エルミが召喚が溶けて、少年の頭上で喚く。

 

 全員が驚くの無理はない。

 

 頭部と胴体の半分以上を失った大蜘蛛。

 

 その下半身が焼かれ朽ちながらもまだ再生しつつある脚の一部を使って、彼らの方へと向かって来ていた。

 

 しかも、その下半身の一部には蜘蛛の顔らしきものが僅かに内部から浮かび上がっており、どれだけの傷なら相手を完全に倒せるものか。

 

 少年以外の誰にも分からない状況だった。

 

「レザリア。三番の薬」

 

「あ、え、う、うん!!」

 

 少年の言葉にすぐポーチに入っている蝋で封をされた小瓶が取られ、空けられて少年の口に流し込まれる。

 

「サイリスの疫滅薬(生薬)。真菌増殖速度1231%上昇(再上昇可)。増殖サイクル389%上昇(再上昇可)。過剰増殖による偽遺伝子化進行。毎秒2.2%上昇」

 

 少年が立ち上がる。

 

 それと同時に僅かに肌が黒くなり、少年の両腕もまた膨れ上がった菌糸が黒く染まって膨れ上がった。

 

 周囲の草花が水分を吸収されて枯れていく。

 

 猛烈な勢いで周囲が菌の胞子による水分吸収で乾き。

 

 同時に少年の両腕が膨れて、まるでヌイグルミの獣のようになる。

 

 少年が走った。

 

 誰もが置き去りにされる世界の最中。

 

 燃え上がり、黒く侵食されながらも命の灯火を燃やして吠え猛る蟲に無慈悲なほどに冷静な少年の瞳が両腕で死を届ける。

 

 無数の凶器の脚VS黒いヌイグルミの腕。

 

 勝者は少年であり、その腕は脚を弾くどころか取り込みながら急速に毒液も含めて内部に取り込んで関節部から引き千切った。

 

 そして、内部から飛び出て来た菌糸と繋がりながら、相手の細胞を犯し、喰らい、崩壊させていく。

 

 だが、命が燃え尽きる前に蟲の腕はまだ数本直撃を免れ。

 

 それが少年の頭部を殴り飛ばそうとして、ガチリと少年の歯に噛み潰されて阻まれ、喉がのけぞると同時に食い千切られる。

 

「大蜘蛛ウルガンダ(生食)。人モザイク・ウィルスDD103型を確認。変異進行中。毎秒1.2%。体細胞枯死率毎秒2.1%進行。抗体生成開始……病原臓器を特定―――」

 

 少年が、焼け焦げた敵の内臓。

 

 まだ少年の菌糸でも犯し切れていない部位。

 

 心臓部とでも言うべきだろう部位に首を突っ込んで齧り付く。

 

 その顔は猛烈な勢いで爛れ始めていたが、構わず。

 

「病原体臓器生殖腺(寄食)。変異進行度毎分7.2%に鈍化。抗体生成まで残り28秒」

 

 少年が菌糸の糸で自分のポーチから薬品を一つ取って、中身を喉に流し込む。

 

「アルメスの華薬(生薬)。ウィルスの偽遺伝子化を進行。真菌共生による枯死細胞のオートファジーと再生を開始……」

 

 腕が更に肥大した少年が両腕で相手の脚を掴み潰していく。

 

 萎れていく顔から次々に皮膚が剥がれ落ちて筋肉を剥き出しにしつつも、それが高速で内部から再生していくという様子はもはや人間を超越していた。

 

 だが、遂にソレすらも少年は通過する。

 

「抗体生成完了。全ウィルスを駆逐開始―――22%―――44%―――98%、完了」

 

 少年が両腕を乱舞させた。

 

 炎と黒い侵食で限界を超えていた相手が断末魔すら上げられずにバラバラになりながら燃え上がり、その燃え上がったものが黒く侵食され、地表で蠢く少年の腕から落ちた真菌に吸収されていく。

 

 そうして、少年が全てを終えた時。

 

 その両腕は真っ新になり、シャニドの印が浮かび上がっていた。

 

「全感染細胞のサイクルを完了。新規細胞による臓器再形成まで38時間」

 

 少年がバッタリと倒れる。

 

 慌てて掛けて来る仲間達が来る前に静かに目が閉じられる。

 

「呪霊属性加護呪紋【飽殖神の礼賛】を獲得。生命属性生成呪紋【不可糸】を獲得。残存体力2.3%。残存魔力0.94%。残存精神力62.2%……」

 

 もはや言う事など彼らには尽きていた。

 

 だが、その怖ろしき戦いを見た誰もが、少年の疲れ切ったような、遣り遂げたような寝顔に思う。

 

―――ああ、この寝顔になら命くらい掛けられる。

 

 少なからず。

 

 少年はまだ彼らの中では人間であった。



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第16話「ニアステラの悠久Ⅴ」

 

 遠征隊が西部に向かった翌日。

 

 帰って来た者達が報告したのは信じられないような冒険の情報ばかりだった。

 

 しかし、巨大な塔とソレを維持していた大蜘蛛の死亡によって西部が危険から解放されたという情報を確認する為、ウリヤノフが単独で西部を一通り見て回ったものの、先日までの気配は消失。

 

 同時に少年達が倒した大蜘蛛の拠点であった塔の残骸も発見され、焼け落ちた蜘蛛の巣も幾らか残って森や平野に残存していた為、全てが事実であると認定された。

 

 少年はガシンとレザリアに連れられて野営地に戻るとすぐに診療所へ入院。

 

 それから二日は安静にしていたものの。

 

 すぐに起き上がって第二次西部遠征の準備を始めていた。

 

 あの時の戦いの詳しいところを遠征隊の誰もがウリヤノフやエルガムには話していない。

 

 だが、それでも一つだけは彼らにも確かだ。

 

 少年はきっと止まらない。

 

 同時にまた自分達もそうだろう、と。

 

「ほっほっほっ、いやぁ……また増えましたな」

 

 夕暮れ時。

 

 まだ焚火の集れていない浜辺で少年は老爺に肩を竦められていた。

 

 リケイがシャニドの印に付け加えられた印を確認し、目を細める。

 

「呪紋の内容が知りたい。知識不足」

 

 それは一部本当の事であった。

 

 幾度となく繰り返していたとしても、大蜘蛛相手で呪紋を獲得したのは初めての事だったのだ。

 

「霊属性呪紋の多くは呪霊の強化や弱体化。霊力の増強や運用。他にも呪霊に強い攻撃などもあるのですが、これはそのどれとも違うようだ」

 

「知らない?」

 

「ええ、まず間違いなく魔の技と呼ばれるものでしょうな」

 

「?」

 

「ああ、知らなかったですか。タダビトが魔の技と呪紋を呼ぶようになったのは呪紋の中に人を滅ぼすものを確認するようになってからなのですよ」

 

「人を滅ぼす?」

 

「そう、たった一つの呪紋。たった一人で国すら滅ぼす呪紋があった。これは見た事もありませんが、そういったモノが認知された頃から、呪紋の多くは教会によって忌避されるものとして、魔の技として術者が狩られたのです」

 

「コレは?」

 

「少しお手を……」

 

 リケイがそのシャニドの印に加えられた文字を繁々と間直に見やる。

 

「大蜘蛛から得た。飽殖神……この象形……礼賛、礼賛ですか。ははは……」

 

 何処か呆れたように肩が竦められる。

 

「飽殖神とは恐らく大地母神ウェラクリアですな」

 

「ウェラクリア?」

 

 少年は未だ知らない神の名に目を細める。

 

「女神でして。教神イエアドとは同格になります。そして、その本質は増やす事、増える事ですじゃ」

 

「増やす……」

 

「左様。その蜘蛛の祖先は恐らく神によって褒め称えられたのでしょうな。そのせいで報告されたような異常な身体能力や再生能力を持ち、子孫も増えていた」

 

「そんな感じ」

 

「既存の呪紋などの効果などを参考とするに肉体の賦活。あらゆる能力の増強。同時に子宝にも恵まれるという具合かと」

 

「子宝……」

 

「要は子供が出来易くなるのではないかと。まぁ、どれだけ強力な呪紋でも発動せねば問題はありますまい。まぁ、時折持っているだけで効果がある呪紋というのもありますがな。そのシャニドの印のように」

 

「………」

 

「そういうのは大抵、祈祷呪紋が多いので左程心配は無用かと。それとそちらの【不可糸】ですが、もうお分かりのように見えざる糸を出して使うものでしょう。物を移動させたり、操ったり、攻撃に転用すれば、剥ぐ事や引き寄せる事にも使える。ただ……」

 

「?」

 

「生命属性というところが気になりますな。そちらの属性の呪紋は大抵、生命に干渉するものが多い。つまり、糸自体にも何らかの効果があるのでしょう」

 

「………」

 

「適当にそこらの蠅でも捕まえて見ては?」

 

 少年が手を虚空に翳して、黄昏時に飛ぶ蠅を手の甲から出る見えない何かで絡め取って引き寄せる。

 

 そうして数秒後。

 

 身動き一つ出来ない蟲がシワッと水分を失ったかのように枯死した。

 

「……生命活動が失われた、感じ?」

 

「生命を低減? いや、吸収しているような?」

 

(……体力0.000002%増加……これは……)

 

「まぁ、敵を糧にするとなれば、蜘蛛らしいですな。しかも、霊属性の視覚が無いと見えないと来た。霊の見えない相手に付けるだけでジワジワ生命力を奪って殺せるとは面白い暗殺術で」

 

 冗談なのかどうか。

 

 リケイに色々と聞いた後。

 

 少年は暮れ掛けている空の下。

 

 浜辺を後にする。

 

「……どうやら本当に思わぬ拾い物なようだ。まさか、教会の討伐隊よりも先に探し物の方が見付かるとは……本隊に連絡せねばなりますまいな」

 

 リケイが手に紋章を浮かび上がらせる。

 

 シャニドの印。

 

 それには少年とは比べ物にならない程の象形が刻まれており、老爺の呪紋の多様さが伺えた。

 

「まずは何から話すべきか。あの異様な速度……英雄か。はたまた、何処かの血族か。もしくは……本当にいるのかもしれませんな。旧き人々というのが」

 

 老爺が天を仰ぐ。

 

 星々がさざめく夜の最中。

 

 黒光りする蒼ざめた星が月の横にチラリと見えていた。

 

 *

 

 少年が住まう事になった家屋の一室。

 

 内部にあるテーブルには野営地の実力者だけが集まる。

 

 飲む為ではなく。

 

 会合場所として使われているのだ。

 

「これで西部への進出の目途が立った。とはいえ、西部はまだ未探索の場所が多く。現生する植物や蟲の生息域も分かってはおらん」

 

 ウートが全員の意見を代弁するように語る。

 

 周囲にはウリヤノフ、エルガム、カラコム、ガシンが揃っており、少年もそこに座っていた。

 

「遠征隊の活躍と疲弊は聞いている。二度目の遠征に向かうには野営地を出て西部に拠点を設けるのが良いだろうとウリヤノフとも相談していた」

 

 その言葉に騎士が頷く。

 

「はい。現行でかなりの危険が減ったニアステラの内部は危険地帯に近付かなければ安定しています。新しい蟲の目撃報告も無く。新種らしいものの発見もない」

 

 エルガムがそれを裏付けるように木製の薄板に書いた報告書を各員に並べる。

 

 字は金属の焼印を圧して作られており、全てここ最近出来た鍛冶場によって造られたものだ。

 

 野営地の完成と共に水夫達に再び始めさせた詳細な調査の内容が載っている。

 

「今のところ異変は起こっていません。西部の安定化までは唯一の陸路である海岸の洞窟を第三野営地として整備し、漁業を行いながら、ニアステラ北部の整備を行うのが良いかと思われます」

 

 食料供給は今のところは安定しているが、冬が来ないとも限らない為、畑の増設に合わせて、食料の加工と備蓄が進んでいた。

 

「アルティエ。君が何度も重症を負いながらも薬などを用いて戦った事は聞いている。君のおかげで今後の野営地の安全は更に確保される見通しだ」

 

 ウートが軽く頭を下げた。

 

 それに驚いたウリヤノフだったが、主の顔にある決意を前にしばし黙る事にした。

 

「本来ならば、休んで欲しいところではあるが、北部との事もある。西部への遠征を早めに終え、外からの客人が言っていた巡回者の使う通路へと向かって欲しい」

 

「北部に向かう?」

 

「ああ、西部北端の何処かに通路があるとは教えてくれたが、そこまでだったからな。そこから先は自分達でという事だろう」

 

「……フェクラールにどれくらい時間を掛けられる?」

 

 そこで少しウートが考え込んだ。

 

「3ヵ月。3ヵ月だ。理由は我らが此処に来たのは春であった事。この一月程で野営地を築いたとはいえ、冬の到来が有るのか無いのかも分からず。それがいつになるかも予測出来ない。基本的に10月の収穫終わりまでに水夫達の不安を解消する為にも船大工もしくはその知識が必要だ」

 

「どうして10月?」

 

「砂浜の船が冬の嵐で持って行かれる可能性がある。だが、無用に船を移動させようとすれば、船が壊れかねない」

 

「つまり、修理して沖に出せないとダメ?」

 

「ああ、水夫達自身が言っていた事だが、この島から出るには海域の複雑な海流を読み解いて乗らねばならない。また、船を停泊させておける港を岸壁に設営する必要もある。荷物を運び込むにも修理するにも砂浜から移動させねばならないが、今のままでは不可能だ」

 

「………」

 

「港の設営は?」

 

「桟橋を含めて10月までに終わらせる。木材の乾燥と備蓄も始まっている。冬が本格的に来る前までに冬越しの用意を済ませるとなれば、野営地の殆どの人員は食料生産に回さねばならない」

 

 少年がウートの背後に立っているフィーゼを見やる。

 

「娘の事は気にするな。木材も今は今年必要な分は全て切り倒して、寝かせている最中だ。冬用の薪も備蓄が進んでいる。大仕事の大半はもう終わっているからな。好きにさせたい」

 

「解った」

 

「では、野営地の現場指揮は引き続きウリヤノフとエルガム殿に。カラコム殿には水夫達の訓練と化け物と戦える部隊の整備をお願いする」

 

「任されましたよ。ウート殿」

 

 カラコムが胸を叩いてニカリと笑う。

 

「遠征隊は怪我が無いよう。引き続き西部での探索を続行。一月後までには洞窟の拠点が出来ると聞いている。それまでは日帰りとするか。もしくは訓練や野営して力を蓄えて欲しい」

 

 こうして野営地の方針会議は終わり、アマンザが難しい話は終わりだとまだ発酵が左程進んでいない蜂蜜酒モドキと揚げた小魚を振舞うのだった。

 

 *

 

「あ、レーズ!! アルティエ」

 

「久しぶり。ナーズ」

 

 少年が難しいお話はお終いとばかりに宴会ムードな場所を抜けて外に出ると男達に混じって戻って来たナーズとばったり会っていた。

 

 その顔には擦り傷が多く。

 

 腕や脚には包帯が巻かれた場所もある。

 

「だ、大丈夫!? ナーズ!!?」

 

 思わずレザリアが心配そうな顔になった。

 

 殆ど遠征と訓練で帰るのは夜に疲れて眠る時だけだった為、殆ど顔を合わせていなかったのだ。

 

「大丈夫だって!! オレこれでも筋が良いってカラコムのにーちゃんに言われてんだぜ? ねーちゃんの事も心配だしさ。ねーちゃんとウチの事はオレに任せとけよ」

 

「ナーズ……」

 

「一番辛いのはお前じゃん。オレなんか健康そのものだし、大冒険に出ても今の俺じゃあっさり死んじまう。だからさ。オレの分まで色んなところに行って、戻って来たら教えてくれよ? な?」

 

「……ッ、うん、ぅん……っ」

 

「何泣いてんだよ。馬鹿♪」

 

 笑いながら、涙を堪えるレザリアの頭をガシガシとレーズが撫でた。

 

「これから何処行くんだ?」

 

「あ、うん。呪紋を試すの」

 

「あ~魔の技ってやつ? オレも何か目覚めねぇかなぁ。炎よ出ろ!! みたいなさ」

 

 ナーズの言葉にそれじゃあ出ないよと笑いながら、別れた2人が人気のない浜辺の方まで来ると元々用意していた木製の十字架。

 

 人想定の目標を何本か浜に打ち立てる。

 

 レザリアは慣れたもので木製の木槌をガンガン打ち終えてもケロリとしていた。

 

「いいよー」

 

 少年がシャニドの印を一度見つめてから、水平線に沈み始める夕焼けを横にして目を閉じる。

 

「【飽殖神の礼賛】」

 

 少年が呟くと同時だった。

 

 その体の穴という穴から血が大量に溢れ始め、思わず蒼い顔で慌てたレザリアを少年が押し留める。

 

 溢れ出した血がすぐに周囲で黒く真菌によって浸食され、少年の内臓がボコボコと肉体内部で蠢きながらも数秒で収まる。

 

「だ、大丈夫!!?」

 

 今にも泣き出しそうなレザリアに頷いて、少年がこれは扱うのが難しいと実際の呪紋の効能を確認していた。

 

「質量補填、血液の増殖、内臓の増加、細胞の増強……あの数の脚や変形した肉体の理由……ふぅ……」

 

 いつもは口に出して確認している具体的な効果も追い付かない程に大量の情報が少年の脳裏には流れていた。

 

(質量保存の法則を無視して細胞が増殖。しかも、完全に同じものが増える。内臓の個数や血管の強化。バランスが崩壊したら、自滅……取り敢えず……)

 

 真菌による無駄な臓器を全て分解して菌類の栄養分にしつつ、残った臓器の位置を調えつつ、それに適した血管を敷いて、増えた心臓や他の臓器の整合性が取れるように接続していく。

 

「増殖臓器を統合。心臓を三つ、方肺を6葉で固定。腎臓を四つ、肝臓を二つ。血管強度を6倍で固定。大腸小腸を二つずつ。胃を多重分割して容量を削減。胆嚢を四つ。精巣を四つ。全臓器のサイズを一回り小さく再構築」

 

 ブツブツ呟きながら菌類による臓器の形成と統合を纏めて行い続ける少年の肉体は内部で蠢くような音が続いており、その度に少年の顔は渋くなる。

 

「過剰臓器と分泌物、脳細胞の新規分をアポトーシス……っ……真菌で消化。ダガ-に充填……充填……過剰生産分を備蓄し切れず。備蓄先を……」

 

 チラリと少年が心配そうにプルプルしながら見守っているレザリアを見た。

 

「……備蓄先」

 

「へ?」

 

 少年が自分の尻尾を見ているのを見て、思わず少女は何の事かと聞くより先に少年の手がガシッと少女の蜂っぽい尾を掴んだ。

 

「ひゃぁ!? な、なな、何するの!? アルティエ!!?」

 

「真菌備蓄」

 

「あ、あ、あ、何コレぇ!? 熱いよぉ!?」

 

 思わず顔を真っ赤にしたレザリアが尻尾が燃えるように熱くなりながらも、悪い感じもしないままに自分の尻尾がパンパンに膨れ上がっていくのを涙目で見た。

 

 ついでに彼女のスーツ染みた甲殻の色が蒼から青黒いものになっていく。

 

「また色が変わっちゃう~~?!!」

 

 そうして数秒後。

 

 クテッと倒れた少女の肌が血管に流し込まれた真菌で全体的に少し浅黒くなった。

 

「備蓄完了……これでしばらく大丈夫……最初期対応能力を獲得完了……今後の取得予定能力の発見と選定、取得経路開発を開始」

 

 少年がそう呟くものの。

 

 バタンと少女の胸元に覆い被さるように倒れ込んだ。

 

「ちょ、アルティエ~~!!?」

 

 思わずまた顔を赤らめるレザリアである。

 

 ミチミチと肉体が形を留めながらも変化していく音がする少年を抱いて、レザリアは誰にも見られないように家の裏口へと向かうのだった。

 

 部屋の中は薬草の匂いに満たされている少年の部屋は殺風景だ。

 

 とにかく材料くらいしか置かれていない。

 

 寝台の上の干し草は数日おきに変えられているが、倒れ込んでいる時か疲れた時しか使われておらず。

 

 未だフカフカであった。

 

 それに少年を横たえたレザリアがフゥと息を吐く。

 

「もぅ……死んじゃうのか。破廉恥なのか。どっちかにしてよ。どうすればいいか分からないんだから。ボクだって……」

 

 恥ずかしそうにパンパンに膨れた尾が見やる瞳はちょっと潤んでいた。

 

 夜の灯りは貴重なのだが、一応は油が取れるようになったので少量がランタンという形で野営地の守備隊や一部の夜も仕事がある書き物系の人材に宛がわれており、木戸が閉まった部屋の内部が煌々と仄かな灯りに照らされていく。

 

 少女は寝台に頬杖を付いて少年を見やる。

 

「また、無茶な事して……前はもっと男の子っぽく出来てたのに……何か、近頃おねーちゃんにカワイイって言われるし……」

 

 ジッと少年の顔を見やれば、少年のあどけない横顔は戦っている時とはまるで違うものに見えて。

 

「全部、アルティエのせいなんだから……責任取ってよね」

 

 そう呟いて、少年と同じく眠気に誘われた少女はそのまま少年の横に顔を埋めるようにして眠りに墜ちていく。

 

『あらあら、まぁまぁ、んふふ♪ 人の恋路程面白いものもないですわぁ。それに何かまた体が変わってますのね?』

 

 ニヤニヤしたエルミが少年の体に耳を当てて確認する。

 

『これは……増えているというより密度や質を上げているのかしら? 増えるのに見た目が変わらないのならば、そういう事ですわよね。あら?』

 

 少年の股間が大きく膨れている事を確認し、イソイソと内部をちょっと首を突っ込んで確認した亡霊少女はちょっと頬も赤くクスクスと怪しげな笑みを浮かべた。

 

『転生するなら、貴方の子供でもよろしくってよ? わたくしの騎士が強くて好みなら、その子供もきっとそうでしょうから♪』

 

 今度、転生とやらをする時はあの骸骨聖人に聞いて見ようと決めて、エルミがレザリアとは反対側の場所に陣取って瞳を閉じる。

 

 こうして彼女達が自分のポジションを確保して数秒後。

 

 布でしか遮られていない通路を伝ってフラフラした人影が入って来ていた。

 

「(みゃったく!! わたくしだって、えんしぇーたいなのですから!! 連れて行ってくれてもいいじゃありませんか)」

 

 ブツブツと呟いているのは顔の赤いフィーゼだった。

 

 屋内でフラフラしていた彼女が灯りの付いた室内でアルティエを見付ける。

 

「むぅ~~おっきしてますのね」

 

 じぃ~~っと少年の股間を見やった彼女はジト目で横のレザリアを見た。

 

「(しょ、しょみーんはこ、こんじぇーんこーしょーも早いって聞きまふわ。けしからんのですわ……まったく)」

 

 そう言いながらも少年の寝台に近付いた少女はパサッと上着の外套を脱ぎ捨てて、そのまま少年の上に被さるようにして倒れ込む。

 

「(あ、当たってまひゅわ……こ、こんな……でも、とっても熱いのですね)」

 

 少量のアルコールに脳をやられていた少女はそれ以上の思考を放棄して、そのまま眠る事にしたのだった。

 

 翌日の朝。

 

 少年は寝起きで自分の股間が何か冷たい事に気付いて、顔を固まらせ。

 

 誰もが寝ている事を確認して、疾風のようにその場から逃走し、ササッと川で衣服毎水浴びしつつ洗った後、身嗜みを調え、プルプルしつつ、ちょっと落ち込むのだった。



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フェクラールの探索編
間章「貴方の事Ⅱ」+第17話「フェクラールの探索Ⅰ」


 

 

―――イゼクス暦153年朝晴天。

 

 近頃、野営地に仲間が増えたのは喜ぶべき事だと思う。

 

 本来せねばならない事は変わったのは自分の意志。

 

 しかし、それが為すべき本質は変わらない。

 

 生き残る事。

 

 その為に自らの手で道を切り開く事。

 

 精霊達の力を借りて、ウリヤノフに戦いの基礎を習って、彼と共に島の内部にある多くの資源を開放し、自らの手で役立てる事。

 

 レザリアさん、ガシンさん、エルミさん。

 

 そして、人間だろうと人外だろうと呪霊だろうと気にしない彼。

 

 アルティエ……いつの間にか誰よりも強くなっていた彼。

 

 そんな彼に追い付けるように戦える自分になろうと思う。

 

 それはきっと悪い事ではないと。

 

 そう、近頃は思う。

 

 嘗て、帝都で幸せに暮らしていた頃。

 

 母上がまだいて下さった頃。

 

 それを思って辛くなる事はあるかもしれない。

 

 でも、今此処で彼の背中を追えなくなったら、後悔する気がする。

 

 だから、心地良い今の居場所を、護り切れるように……戦う心だけは、並び立つ意志だけは失わないよう決意を何度でもする。

 

 いつか、想い出として遠征隊の全員と笑い合えるよう。

 

 

 

 

―――2938764567日前。

 

『フィーゼ様ぁ!? この化け物がぁあ!!?』

 

―――9423223224日前。

 

『ごめん。じゃあね。ボク……もうダメみたい』

 

―――4778884353日前。

 

『泣くんじゃないよ。男の子だろ?』

 

 少年が起きた時、何もかもが過ぎ去っていた。

 

「ふぅ……(*´Д`)」

 

 イソイソと無駄な着替えをしつつ、いつもの鎧を纏った背中が本日に限っては少しだけ緊張していたかもしれない。

 

「到達完了」

 

 少年はイソイソと野営地を後にし、少し周囲で必要な薬草を速足に集め始めた。

 

 30分程の散歩は全力疾走しながらのものだ。

 

 目的のものがあれば、ジグザグ走行で体を傾けた際の手のスイングで集め切り、背後のポーチ下に垂れ下がる袋に即座収納。

 

 それを凡そ800回。

 

 秒間3つ程の早さで回収する様子はもはや何をしているものか傍目には分からないが、朝番をしている水夫達の一部がご苦労様と言いたげに見ていた。

 

「出来てるよ。朝食」

 

「ありがとう」

 

 家に帰るとアマンザが笑顔で魚と茸のソテーを出し、起き出して来たレザリアとナーズがイソイソと欠伸を噛み殺しながら、食卓を囲んでいる。

 

 モソモソと薬草や果実の中でも香辛料になるものが塗されて焼かれたソレは香ばしくも爽やかで此処数日で一番の出来に作った本人もニッコリ。

 

 逸早く朝食を終えた少年は再び出て来ると伝えて、海の方へと向かう。

 

 今日に限っては遠征隊の仕事もお休みである。

 

 理由は単純。

 

 ウートを筆頭にして張り詰めていた水夫や船員達が住まう全ての家屋が出来た事を祝しての簡単な席があるのだ。

 

 第一次西部遠征から戻って来て数日。

 

 次の遠征までに肉体を万全にしつつ、足りなくなった野草やら薬やら諸々の物資の供給の為に時間が取られ、その合間に少年はフィーゼとガシンを鍛え込んでいた。

 

「おはよう」

 

「おはようございます。アルティエ」

 

「あーねみー」

 

「走り込み。野営地の壁際50周」

 

「はい!!」

 

「だりー」

 

 フィーゼとガシンを只管に走らせながら、アマンザに朝一番に頼んでいた蜂蜜薬酒の第一弾を革袋で家の前の手すりに下げて置く。

 

 その合間にもエルガムの診療所へと向かった。

 

「おぉ、来たかな」

 

「おはよう」

 

「ああ、おはよう。さ、入ってくれ」

 

 内部の診療室。

 

 そこにはズラリと幾つかの薬が並べられていた。

 

「君の言った通りの調合で幾らか作ってみた。従来の外の薬では考えられないような効能ばかり……君の過去に疑問は尽きないが、今は正直有難い」

 

「精力剤は?」

 

「ああ、総員に配れる数で10日分は備蓄が完了した」

 

「頼んでたものは?」

 

「ああ、全部調合しておいたが、本当に使うのかね?」

 

「使う」

 

「即答か。新薬と言っていたが、君もまだ効能を確かめていない調合とやらを30種類……正直、あの材料で作っただけで摂取はお勧め出来ないんだがな」

 

「時々、当たりがある」

 

「当たり?」

 

「効果が飛躍的に伸びる」

 

「成程。次の遠征を長期計画にした以上は此処で今以上の力をという事か」

 

「そういう事」

 

「解った。一つずつ試してくれ。全て飲み終わったら呼んでくれればいい。呼ばれなくても朝食を食べたら来るよ」

 

「了解」

 

 エルガムが出ていくのを見送ってから、少年は一包ずつ紙に包まれて並べられた番号付きの薬を手早く口に放り込み。

 

 横手に置かれた樽から水をカップに汲んで呑み込む。

 

「番号1番。溶血作用確認。溶血率毎秒0.0031%。分析開始。内臓出血、肺胞破壊を確認。真菌共生による成分隔離処理開始。完了抗体生成まで32分」

 

 ダラッと血が滴りそうな唇を拭って2番の薬が煽られる。

 

「強心作用を確認。強心作用増大。ガッ―――」

 

 唇を抑えながら猛烈な勢いで早鐘を打つ心臓を強制的に薬効成分を真菌による分解で消し去りながらゼェゼェと少年が息を吐く。

 

 こうして、次々に明らかに毒物というだけの強力な効果を及ぼす薬が試され、その度に少年は苦しみながらも効能をサラサラと書きながら、使い道に付いての案を書き殴っていく。

 

 それが終わるまで約20分。

 

 エルガムが朝食を終えて戻って来たのは30分後の事であった。

 

 今日も新薬の結果だけを受け取って、本人がいない現場に彼は何処か暗い顔をしていた。

 

「………はぁ、まったく彼には頭が上がらないな」

 

 もし、紙に書かれた薬の効能が本当ならば、それを煽った人間は死んでなければオカシイのだ。

 

 だが、少年は何事も無かったかのように毎日毎日新しい調合の為に薬草や鉱石、蟲などの現物で持って来ては頼んで来る。

 

 そして、実際に効能の高い薬が出揃い。

 

 貯蔵と同時に野営地の疲れている者達に投与されていた。

 

 殆どは疲労回復と睡眠の補助と肉体を強くするものだけだが、それの肉体を強化する薬は薬酒という形で振舞う事が既にウリヤノフやウート、カラコム達との話し合いで決まっていた。

 

 全ては少年が呪紋の効果で死に難くなり、この地方の薬草や様々な物資を使えば、強い薬が造れると言い始めた事に始まる。

 

 西部を攻略しようというタイミングでの事であり、蟲の怖ろしい敵との戦いを報告した娘からの情報もあって、ウートは未知のものでも効能が分かり、安全だと分かれば、何でも使って生き延びる事を選択したのだ。

 

「人体実験か。それを進んでやる本人が一番乗り気だって言うんだから、世の中は分からんもんだ。本当に……」

 

 その献身を無駄にせぬ為に彼は今日も持ち込まれた殆どの紙を用いて、薬の調合記録を取り、新薬の為に危険物の調合を開始する。

 

 その瞳は覚悟と狂気というには聊か熱い情熱と激情が宿っているのだった。

 

 *

 

 少年が戻って来ると予想以上の早さで遠征隊の2人は野営地の内部を走り切り、革袋から栄養補給していた。

 

 その全身は汗に塗れていないところは無い。

 

「はぁはぁはぁ、お、終わりました。アルティエ」

 

「おぇ~~しぬぅ~~~」

 

 フィーゼはまだ大丈夫そうであったが、ガシンはクタクタな様子。

 

 その2人の違いは走り方にある事は少年にも解っていた。

 

 ガシンは力み過ぎて無駄に体力を使う走り方をしているのだ。

 

 少年がエルガムと共に作り上げつつある幾つもの秘薬。

 

 それを毎日飲みながら、体力作りともしもの時の為の逃げ足を鍛えているわけだが、もはや常人には真似出来ないだろう。

 

 全力疾走で50周。

 

 そこまで大きくないとはいえ、それでも常人の疾走で1周1分掛かりそうな距離を20分弱で50周……それは殆ど超人と呼べる走りに違いない。

 

「水浴び。服を洗ったらアマンザに渡して休憩。その後は投擲訓練とウリヤノフの弓術訓練。それが終わったら休憩して昼食。昼食が終わったら回避訓練」

 

 少年には無駄が無い。

 

 教える順位は明確だ。

 

 逃げる事。

 

 攻撃を回避する事。

 

 生存に特化する為に戦闘でも特に受ける事を意識させない2人への訓練は2人が未だ人間である事を理解させるものだ。

 

 レザリアと違って耐久力に不安のある2人を徹底的に後方要員として鍛えつつ、前衛になる自分とレザリアの支援が出来る位置に置く。

 

 ついでに逃げる際の逃げ方、支援の方法。

 

 初めて出会う敵への対処法。

 

 それらを教えて、盤上遊戯のコマでごっこ遊びだってする。

 

 考えられる蟲という蟲への対処法が分かる限り、死に難くなる事は間違いないからだ。

 

「きょ、今日も一日疲れそうです。はふ……」

 

「ぁ゛~~こんな坊主に扱かれる日が来るなんてな。奴隷拳闘の名が泣くぜ」

 

 王と呼ばれている蟲の強者達との戦いの際のセオリーなどが徹底的に仕込まれており、それらの情報は貴重な紙資源を使って野営地の守備隊の訓練にも応用されていた。

 

 ここ数日で大型の弩が数機。

 

 壁の上から撃つものに限って作られ、矢も少年が矢じりに関してウリヤノフに何やら吹き込んで新しいものが工作され、今は木箱で大量に備蓄されていた。

 

 また、二段構えの壁の周囲には堀に水が流し込まれたのみならず。

 

 少年が採取してきた沼地の泥が流し込まれて内部で色々増殖しており、定期的に薬を飲まない生物が落ちたら大変な事になると教えている。

 

 偶然で落ちないように柵や看板を設置しているが蟲に危険の文字が読めるものではないし、読める相手が疑心暗鬼で本当に危ない掘りに入って来たら儲けものであるのは間違いない。

 

「行ってきます」

 

「服のまま入っちまおう……そうしよう」

 

「お、横着はダメですよ。ガシンさん……」

 

 更に村の門内部は木製ながらも厚く造られ、城のように頭上から様々なものを流す為の穴まである。

 

 野営地の共同トイレからは人糞や尿は採取されて、少し遠い場所に掘られた大穴に流し込まれて堀と同じように少年の黒い真菌のコロニーと化している。

 

 真菌を体内で使って消費している状態である少年にとっては外部にそういったものを置いておけるのは便利極まりない話だった。

 

「着替えを持っていく事。ちゃんと洗ってくるように」

 

「はーい」

 

「へーい」

 

 野営地内部。

 

 木製の取水設備が川から水を引いていた。

 

 今は木製で済ませているが、その内に川そのものを野営地の畑付近に移して灌漑を推し進めるという事になっている。

 

 そのおかげで細い水を還流させる形で迂回させた野営地の一部では既に水道でこそ無いが、体を洗う水場は男女別で設けられている。

 

 女性用は野営地の中心に近く。

 

 男性用は野営地の壁に近い。

 

 勿論、もしもの時に戦う男達の傷口を洗ったり、喉を潤す為に使われる事が決まっていた。

 

「アルティエ~~」

 

 2人を見送った少年が振り向くとレザリアが食事と談笑を終えてやって来ていた。

 

「今日はどうするの? また薬草集め?」

 

「朝終わった」

 

「そ、そうなんだ。ボクに一言も無く……」

 

「今日は海……」

 

「海?」

 

「2人の訓練に付き合って来て、夜になったら、浜辺に来る事」

 

「海に行って魚釣るの?」

 

「そんな感じ」

 

「本当かな~怪しい」

 

「ファルターレの貴霊」

 

『はへ!? ひ、人が気持ちよく朝の新鮮な空気で二度寝をしていましたのに!? いきなり、こっちに引っ張り出されたら驚くじゃない!?』

 

「訓練に付き合うように」

 

『唐突ですわね。まぁ、しょうがなく付き合いますけれども』

 

 仕方なさげに亡霊少女がハァと溜息を吐いた。

 

「エルミって貴族だよね……」

 

『何を今更、当たり前の事を!! ちなみにちゃんと貴族の称号はお父様が買ってましたわ!!』

 

「うん。貴族だ……」

 

 納得した様子でレザリアが近頃はよく呼び出されて訓練相手をしているエルミをズルズルと引き摺って訓練場へと向かう。

 

『どうして引き摺るんですの~~!!?』

 

 それを見送った後。

 

 少年が海辺へと向かい。

 

 浜辺岸壁で一部の岩を動かして下に貯蔵してある土で埋めた柄を引き抜く。

 

 ウェルキドの大剣を背中に背負い。

 

 少年はイソイソと数日後には工事が開始される予定の岸壁付近から海に飛び込んでおもむろに潜り始めた。

 

 周辺は桟橋にされる事が決められるだけあって深く。

 

 底は12m程もあった。

 

 しかし、少年の行く場所はそこではない。

 

 海辺から少し離れた海底の一角。

 

 洞穴のような場所が存在しており、砂に埋まっているソレには人工物。

 

 石製の紋章があった。

 

 少年が現在も装備しているイエアドの聖印と同じマークだ。

 

 本来ならもっと海の生物が付着しても良さそうな穴の入り口を潜る。

 

 内部は貝などが自生している様子もなければ、魚もいない。

 

 ただ崩れかけた石製の通路だけがあった。

 

 内部を進んで1分弱。

 

 通路が途切れて水上に昇っていくと。

 

 其処には薄らと光る苔らしきものが張り付いた遺跡とでも言うべきだろう石製の空間が置かれていた。

 

「ようやく……久しぶりに……」

 

 本来は地表にあったものなのかどうか。

 

 列柱があり、神殿のような場所は奥に続く階段が見えており、内部に向かうと階段の先に広い円形の舞台がある。

 

 其処に入る前に少年が大剣を構えた。

 

 そして、突入後、舞台の反対側に何かが現れる寸前には踏み込んだ少年の突撃で剣が振りかぶられ、一刀両断に相手を切り伏せ、同時に戦慄いた大剣の乱杭歯が猛烈な勢いで上空に伸び上がって下に急降下。

 

 その人型の何かを喰らい尽すかのように乱杭歯を突き立て、バラバラにして喉を抉り出そうとした時にはソレが消えている。

 

 それと同時にカランッと暗い舞台内部に小さな鈍い金色で一部が欠けた指輪のようなものが落ちた。

 

「鑑定。【ビシウスの畜輪】……装備時、装備者を装備させた者に従属させ、家畜として全ての者に認めさせる。ただし、装備者は装備し続ける事で人型に近付き。変異覚醒生物として進化、知能を高め、人型化の進行と共に装備者の利用可能な“有用部位”が増えていく。装備が外された場合、家畜は………はぁ(*´Д`)……別名は人魚の輪?」

 

 少年がジト目になった。

 

「こういう……知らなかった……」

 

 少年は何かを倒した後。

 

 舞台に泥のように真菌を広げて何かないかを探る。

 

「………」

 

 少年が舞台の中央。

 

 石畳の上で大剣を一回突く。

 

 すると、その場所が崩れ、内部のくぼみに何かあるのを確認する。

 

 取り上げられたソレは薄らと発光する小さな多頭の甲虫が入った琥珀だった。

 

 甲殻ではありそうであったが、もう死んでいるのだろうソレは今まで見たどんな甲虫とも違って、禍々しい頭部は蟲というよりは獣に近い骨格に乱杭歯を持っていて、瞳は無かったが、鼻などは獣のように見えた。

 

「鑑定。これも使用まで名前が分からない……」

 

 仕方なくソレを真菌で包んで袋に入れた少年がイソイソと現場を後にしようとした時だった。

 

「?」

 

 振り返った頭にメイスが複数叩き込まれる。

 

 地面に3つの猛烈なクレーターと亀裂が入り、砕けた舞台の最中に黒光する人型の肉体を持った何かが頭部付近に小瓶を見て―――起爆した。

 

 爆風によって、二体がダメージを受けながらも後方に跳躍して倒れ込む。

 

 少年は爆発物とクナイの二段投擲で一体の人型を仕留めながらも、残る二体に向けて跳躍した。

 

「黒跳斬」

 

 一体の頭部より胸元より少し上を狙った一撃。

 

 黒い斬撃がヌルリと虚空を滑って一体の体へ突き刺さり、浸食しながら二秒もせずに背後へと突き抜けて、全ての動脈と骨格と肺と心臓を破壊しながら侵食した。

 

 最後の一体が起き上がり様に黒い頭巾を被った口元から何かを吐き出した。

 

 ソレに突っ込むより先に背後の大剣が投げられて軌道が変更され、指先を掠るだけでその噴霧された液体を回避。

 

「ッ―――」

 

 少年が指先をダガーで削ぎ落した。

 

 途端、その指先が猛烈にブクブクと膨れ上がって、弾け飛ぶ―――より先に腕が振られた。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 咄嗟の機転で相手の攻撃を避けた少年が風船のように増殖してスカスカな肉塊を全て焼き尽くす。

 

 見て見れば、大剣もまた肉塊となって膨れており、そちらにも炎を向けて、液体を吐き出し続けているソレを焼いた。

 

 それが苦悶しながらも酸素を奪われて倒れ伏し、炎に焼かれていく。

 

 肉塊となった大剣もまた炎の内部で朽ちており、乱杭歯の刃部分と周辺の触手を跳び出させる部分が完全に炎の中で焼け落ちていた。

 

「危なかった……」

 

 少年が零す。

 

(細胞増殖率2万%オーバー。超高速の細胞増殖による枯死……後ちょっとで腕を全部持って行かれた)

 

 少年が黒い真菌の一部が灰色になってサラサラと肌の上から崩れ落ちるのを確認しつつ、今の能力では扱い切れないだろう相手の能力を鑑み。

 

 周囲を警戒しながら、残った死体を真菌で包んで舞台の端に持って来る。

 

 そして、肌から出した真菌の黒い腕でもしもの時の為に持って来た普通のダガーで敵の死体を開いて行く。

 

「頭蓋構造は犬? 蟲? この乱杭歯、さっきの琥珀の―――」

 

 少年が嫌な予感にさっき見付けたばかりの“人魚の輪”とやらを見やる。

 

「有用部位? 細胞の増殖。でも、内部から出した液体は頭蓋を増殖させない。という事は……」

 

 少年が死んだばかりの相手の喉の内側の粘膜。

 

 つまり、増殖しない粘膜を首筋から入れた刃で内側から削ぐように剥ぎ取って、ダガーの先を手術用の鉗子のように引き上げる。

 

 空中で繁々と見やり、溜息を吐いて嫌々口に入れた。

 

「ビシウスの粘膜(寄食)。壊喰性細胞? 遺伝導入開始……経口毒性蛋白とウィルス、自然毒を9割以上選択して破壊しつつ摂取可能……つまり、寄食で死ななくなる?」

 

 少年が驚きながら、目をキラキラさせる。

 

「神!!」

 

 その合間にも食われた粘膜の効能が少年にも現れる。

 

「……こういう」

 

 少年が脳裏で知識を調べるもさすがに皮膚吸収、体内への直接投与には無力という情報が出て来た。

 

「頭部周囲は全て粘膜……」

 

 少年が解体した頭部を見やる。

 

「他には……」

 

 少年のダガーが振るわれ、人型に近い化け物の内臓やらが次々に腑分けされて、少し味見されてから、必要無いものは全て舞台の上で焼かれた。

 

 残されたのは袋が4つと怖ろしい程に敵細胞に侵入して、過剰増殖を促す遺伝子と蛋白質の混合液の入った袋が一つ。

 

 それらを真菌で造った袋に入れて、舞台を振り返った少年は静かに両手を合わせて一礼した後、イソイソと野営地に戻るのだった。

 

 剣身の半分しか残っていない焼け焦げた大剣を背負いながら。



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第18話「フェクラールの探索Ⅱ」

 

「打ち直し?」

 

「そう」

 

 午後。

 

 少年が巨大な大剣を以てやって来た鍛冶場ではウリヤノフが陣頭指揮を執って、様々な工具やら、必要な武具やら生活に使う諸々の鉄製品を検品していた。

 

 特に夜に明かりを確保する手持ち式のランタンは油の確保と共に夜の安全性を上げる代物として数は少ないものの量産が進んでいる物の一つだ。

 

 ランタンを複数置いた机の上。

 

 少年が焼け焦げたウェルキドの大剣を置く。

 

「これも拾って来たのか?」

 

「そう」

 

「焦げてはいるが、まだ、剣身部分は使えそうか?」

 

 繁々と剣を検分するウリヤノフが頷く。

 

「どう打ち直す?」

 

「これ」

 

 少年が持って来たのは蜘蛛の巨大な脚の一部だった。

 

「これは―――」

 

「大蜘蛛の一部。昨日、取って来た。これしか見付かってない」

 

「これを使って?」

 

「加工方法なら在る」

 

 少年が手書きの作成方法を渡した。

 

「一度溶かし、再鍛造してから、この脚を溶かした薬液に付けて、一滴薬品を添加……これが剣の作り方?」

 

「そう……」

 

「見た事も聞いた事も無い薬品の取扱い方法に武器の作製方法か。全部、劇薬にしか見えない効能だな」

 

 詳細な情報が書かれた紙にはまるで嘘のような情報ばかりが乗っていた。

 

「この知識は何処で?」

 

「呪紋が教えてくれる」

 

「確かに知識を得る呪紋というのはあるが……どんなものになるのかは分からないのか?」

 

「御祈り」

 

「ははは!! 御祈りか!! いやはや、確かに……イゼクスの門は潜れずとも祈り程度はしておくべきかもしれん」

 

 大笑いしてから苦笑するウリヤノフが溜息を吐いて頷いた。

 

「だが、一発勝負は頂けんな。そもそも成功するかどうかも分からん。君の体格を考えても振り回し難い大剣よりは腰に佩くものか。短剣がいいだろう」

 

「分割する?」

 

「ああ、剣身の金属も既存の鉄では無いようだし、1本でやるには惜しい。鍛造方法が解っているなら、3つに分けよう。帯剣、刺突用短剣、後はソードブレイカー当たりでいいか?」

 

「お願いする」

 

「心得た!! 戦利品で造る初めての得物だ。しばらく掛かるだろうが4日程は欲しい。この方法だとそれくらいは掛かるだろう」

 

 ウリヤノフが任せておけと笑って承諾する。

 

「……昔は鍛冶師だった?」

 

「ああ、そう思われても仕方ないくらいには此処に詰めていたな。だが、半分だけ正解だ」

 

「半分?」

 

「実家が鍛冶師だった。騎士に取り立てられたのは30代になってからだったな」

 

 懐かしむように瞳が細められる。

 

「まぁ、昔の話だ。親父殿の背中を思い出して色々と助かった事も多い。我らは流刑者だが、人を止められるものでもない。あの子のように……それはどんな者の心もまた同じなのだろう」

 

「………」

 

「感傷的だったな。後はこちらでやっておく」

 

 少年が小さな小瓶をウリヤノフに渡して、今も熱い鍛冶場を後にした。

 

 火の入った釜には造られたばかりの炭が使われているが、近場で石炭も出たという事でソレも使われている。

 

 元々はウリヤノフが燃える石の話を知っていた為であったが、その鉱脈が案外近場の露天掘りで大量に出て来た事は僥倖だっただろう。

 

 夕暮れ時にはまだ少しある。

 

 今日も浜辺に向かった少年はいつも近頃はそこで少年が頼んだ作業を続けてくれているリケイを見付けた。

 

「おや? どうしましたかな?」

 

 流木の上に座る老爺の横に腰掛けて、袋から多頭の蟲の琥珀を取り出した少年がソレを木製の板に載せて渡す。

 

「ッ―――これは何処で?」

 

 リケイが呆然とした様子で震えながら、それを見やる。

 

「知ってる? 拾った」

 

「拾った? 拾った……何処で、ですかな?」

 

「海の方の遺跡」

 

「はは……まさか、そういう……ああ、そうですな。陸に無ければ、海なわけか」

 

 リケイがまるで盲点だったとばかりに天を仰いだ。

 

「?」

 

「いや、申し訳ない。こんな唐突に色々出て来るものかと」

 

 リケイが僅かに息を吐き出して、今までにない真剣な瞳になる。

 

「この蟲の名はビシウスと言いますじゃ」

 

「ビシウス……」

 

「左様」

 

 頷いたリケイが琥珀を前に瞳を細める。

 

「嘗て、この“神蟲”一つの為に大国が争い。互いが滅んだ事もある代物です」

 

「価値が高い?」

 

「価値というか何というか。言い伝えでは不老不死の妙薬だとか」

 

「不老不死?」

 

「……実際に嘗て教会の一部の者達はコレを服用し、高位司祭や最上位の神聖騎士は今も生きているとも言われております」

 

「神聖騎士……」

 

「最も恐ろしきタダビト。術者の天敵。呪紋を狩り、呪紋を用いる者達ですじゃ」

 

「………」

 

「まぁ、一般には伝説ですが、その伝説と何度か相見えた事がある身からすると……」

 

「強い?」

 

 世間話でポロッと知らない情報が出てくる事もあると知る少年はちゃんと尋ねた。

 

「怖ろしく。限界はあるのです。だが、その限界まで戦えば、大国を滅ぼす事は不可能ではない。そのような者達でしてな」

 

 リケイが溜息を吐く。

 

「……コレどんな能力?」

 

「では、失礼して……」

 

 リケイが自分の手を板の上に翳した。

 

 その手の甲にはシャニドの印が輝く。

 

「……人の世に出すべきではありませんな」

 

「理由は?」

 

「これを砕いて湖に入れれば、百万の人の病と怪我を癒す霊薬となり、これを溶いた液体を一滴垂らせば、死人すらも甦りましょう。ただし、何も覚えていない赤子ですがな」

 

「………」

 

「濃度と量を調節すれば、病のみならず。年齢すらも全盛期まで若返る。ただ」

 

「ただ?」

 

「これを呑めばタダビトでは無くなる」

 

「術者に?」

 

「成り易いではなく。成ってしまうでしょうな」

 

「………」

 

 少年が琥珀を板の上から取って、天に翳す。

 

「誰が作った?」

 

「神か。あるいは神の名を騙る悪魔か。解りもせぬ神世の琥珀。取扱いは慎重にと言いたいところだが……」

 

「無しの方向で」

 

「?!」

 

 少年がダガーで一閃した。

 

 琥珀が砂浜に砕け散って風に乗って消えていく。

 

 その時、微かに太陽光の中で輝きが零され、少年の胸元に吸収された。

 

「―――く、くく、ん、んふ、んふふふ、くふふふふふッ!!?」

 

 リケイがまるで本当に唯々愉快そうに口元を抑える。

 

「ふ、ふく、くくくく!!!? ああ、そうですな。それがいい。それがいいのでしょうな。いや……いや、まったく!! 良いですじゃ。うむ……」

 

 涙すら浮かべて指で拭った老爺が何処か晴れ晴れとした顔で少年を見た。

 

 それはいつもの顔でもなく。

 

 何も他意の無い本心にも見えて。

 

「このリケイ。貴方様に出会えた事。心の底より神に感謝致しましょう。教神イエアドの子として……貴方の前途にお力添えすると誓いますぞ。アルティエ殿」

 

「そう?」

 

「はい。これほどの意趣返し。古今東西、何れの教会も絶望に咽び泣く事でありましょう」

 

「?」

 

「こちらの話ですじゃ。ああ、それと2か月から3ヵ月後、恐らくですが、教会の船団がこの島に来る。完全武装の神聖騎士と教皇領近衛軍の一部ですが、一隻でも此処に来れば、今の野営地。いや、村では全滅は必至でしょう」

 

「………」

 

「それまでに態勢を整えるとよろしい。勿論、秘密ですぞ? お互いに」

 

 シィ……と人差し指を口の前で立てて、いたずら小僧のようにウィンクをする老爺のお茶目な微笑みはきっと今生で最も輝いた顔に違いなかった。

 

 *

 

「……何かフラグ立った? 今回、アレを破壊したのが良かった? 3ヵ月をようやく超えられる?」

 

 ブツブツ呟きながら、少年は先日の呪紋実験で人型の目標を打ち立てた浜辺に来ていた。

 

 もう夕暮れ時であり、野営地側を見るとヘロヘロになったフィーゼ、ガシン、レザリアともう常人には見えなくなったエルミがいた。

 

「アルティエ~~」

 

 レザリアが一番先にやって来て、傍の砂浜で大の字になる。

 

「どうして疲れてる?」

 

「簡単だよ~~ウリヤノフさんが一緒にやってけって。ボクは前衛ですって言ったら、盾になってアルティエを護る役だーって」

 

 フィーゼとガシンもやって来たが、もう体力は0です本当ですと言わんばかりの状態で髪は解れているし、体のあちこちが打撲痕だらけだった。

 

 まぁ、明日には治る怪我である。

 

「うぅ~~エルミさんの弓が痛いです……どうして、8割避けられないのでしょうか。手加減されてなければ、今頃は穴だらけ。自信が無くなって来ました」

 

 フィーゼがレザリアの横で大の字になる。

 

『当たり前でしょう。わたくしの華麗なる弓術は世界一ですわ。フフン♪』

 

「(呪具使ってるから……)」

 

 ボソッと少年は月の力を使うらしい弓の命中率を月齢で換算してみる。

 

 それでもやはりレザリアの弓術は相当らしいと分かって思わず貴族の子女の嗜みは侮れないという顔になった。

 

 初めての少年にとってのイレギュラーは只者ではないのだ。

 

「で~~最後に何させるつもりだ? ウチの隊の隊長様は~」

 

 ガシンもフィーゼの横で大の字になる。

 

「もう蜂蜜薬の味には慣れたが、変なの喰わせるなよ~」

 

 ガシンの言葉はフィーゼにとっても切実だ。

 

 蜂蜜で誤魔化した一番味がマシな薬から少しずつ彼らに飲ませている少年であるが、それでもやはり味は酷いらしい。

 

「訓練。こっちの」

 

「あん? お前の?」

 

 ガシンが立ち上がる。

 

 フィーゼも何とか柔らかな砂の誘惑を断ち切って立ち上がる。

 

「どういう事ですか? アルティエ」

 

「蜘蛛の見えない糸の呪紋」

 

「アレの呪紋が手に入ったんだっけか? それオレらの命無くなるだろ……」

 

 ガシンがジト目になる。

 

「体力を霊力にして吸収するのを止める」

 

 言っている傍から少年が人型の目標の背後に立って振り返る。

 

「【不可糸】」

 

 少年の言葉と共に思わずレザリアとエルミが滅茶苦茶後ろに慌てて下がった。

 

「え? え?」

 

「な、何でそんな下がるんだよ……」

 

 思わず何も見えていない2人が困惑する。

 

 しかし、見えている2人にしてみれば、少年の糸の使い方はまったく想定外のものでしかなかった。

 

『わ、わたくし、そう言えば、夜の二度寝の仕事があるんでしたわ~』

 

 脱落者となったエルミが家に逃げ帰る。

 

「ボ、ボク、そう言えば、おねーちゃんに早く来るように言われてた!! じゃ、じゃあね」

 

 イソイソとレザリアも逃げ出す。

 

「え、え~と……アルティエ。何がどうなってるのですか?」

 

「大丈夫」

 

「そ、そうですか」

 

「そこで立ってくれてるだけでいい」

 

「はぁ? 立ってるだけでいいのかよ……分け分からん」

 

 2人が何で2人はあんなに逃げたのだろう。

 

 と、思っている彼らの鼻先では見えざる糸で編まれた大量の蜘蛛や先日倒した大蜘蛛を模した糸の人形が大量に後から後から湧き出しており、それが村落全体を覆う程に溢れていた。

 

「【生命付与】」

 

 それが次々に命を吹き込まれたようにワシャワシャと一人手に動き出して、見えないままに村の警備任務中の守備隊員の頭や胸、肩、背中に鎧のようにへばり付いた。

 

 誰もが少し違和感を覚えたようだが、見えない糸の怪物である。

 

 ついでに言えば、あまりにも軽いせいで誰も違和感以上のものは感じ取れていなかった。

 

「………」

 

「あのぉ。アルティエ? 本当に一体何を?」

 

「もしもの時の備え」

 

「備え?」

 

 少年が鍛冶場から貰って来た帯剣を空にポイッと投げた。

 

 それが少年自身の手に突き刺さったかに思えたが、肌の少し上でスルリと滑ったように落ちた。

 

「?」

 

「動いてみて」

 

「あ、は……ぃ?」

 

「んお?!」

 

 2人が何も無いようにしか見えない体が動かせない事を悟る。

 

「い、糸なんだろ!? どうして動けねぇんだ。ビクともしねぇ」

 

 何故か?

 

 2人の体を見えざる糸が鎧のように包み込み、その四肢を完全に縫い留めていたからである。

 

 糸の先は周囲の岩や地面に接着されている。

 

「全力で動ける?」

 

「う、む、無理そうです」

 

「う、ぎぎぎぎぎ!!? ぐぇ……ピクリともしねぇ。糸の癖に」

 

 少年が蜘蛛の鎧にした部分以外を全て消し去る。

 

 蜘蛛達は大人しく少年の命に従っており、言わば生きた装甲のようにも見えた。

 

「使えそう……」

 

「あの……これで終わりですか?」

 

「今日の訓練は終了。明日から西部日帰り」

 

 2人がようやく物事が前に進むのかという顔になる。

 

「が、頑張りますね!! アルティエ」

 

「で? どこに行くんだ?」

 

「西部の山岳部付近の森林地帯。まだ、誰も行ってない」

 

 2人の脳裏には近頃暗記させられた地図が思い浮かんでいた。

 

 確かにまだ誰一人として西部の奥地の森林までは探索出来ていない。

 

 先日の塔落下事件が凡そ西部の中央平原辺りの出来事であり、そこから先の岸壁に囲まれている北部への道のりは未だ謎なのだ。

 

 よく休むように言って、少年も自分の部屋へと戻る事にした。

 

『あ~~酒が飲めるとはなぁ』

 

『甘ぇのは趣味じゃねぇが、酔えれりゃ何でもいいさ』

 

『それにしても甘ぇなぁ……いや、苦ぇだけでもアレだがよぉ』

 

『酒のアテに魚も茸も飽きたしなぁ』

 

『麦が出来るまでは何も出来んだろ』

 

『せめて、野菜がありゃ違うんだろうが……』

 

『塩もまだあんま取れないし、味気ねぇなぁ』

 

 帰って来れば、店舗となっている部分で一時的に発酵の進んだ蜂蜜酒という名の爆薬を薄めて普通の麦酒と同じくらいに燃える程度までに希釈したソレが一人1杯という括りで肉体労働を終えた水夫や船員達に振舞われていた。

 

 テーブルの上で出来立ての木製のジョッキから飲み干しつつ、魚やキノコを齧る彼らだが、大本の食材が悔い飽きるレベルなのは生きていく為には仕方ない。

 

 だが、現在塩を海水から煮詰めて造っている以上、薪は不足気味。

 

 塩田もしくは岩塩が取れる場所がとにかく望まれていた。

 

『野菜と言えば、自生してる植物は食えるのが幾らか見付かってるんだとよ』

 

『医者先生も大変だ。だが、真面目にナスでも芋でもいいからウメェのを頼みたいところだな』

 

『ちげぇねぇちげぇねぇ……』

 

 酒もあまり量が用意出来ないという理由から1週間1度という事になっているが、実際には極めて余りまくっている危険な花を樽に一本入れる簡単な仕事であり、樽が足りないというのが事実だったりする。

 

 樽そのものが生木で造られている為、何とか工夫して焼き焦がしたり、蒸して蒸気を飛ばしつつ短期間で乾燥させたりと苦心して一応は形になった。

 

 が、そのおかげで生産個数は日用品や防衛用の装備を造る片手間では知れており、飲料水や生活用水、鍛冶場に使うだけでまだ村全体では足りていなかった。

 

『はいよ。ニアステラの蜂蜜酒』

 

 愛想の良い看板娘としてアマンザが酒をジョッキに柄杓で注いで渡し続けている。

 

 蒸し魚の葉包みを玄関先から食卓のテーブルに見付けた少年はもう疲れ切って食事を終えて寝てしまっているのだろうナーズの寝息のする寝室を通り過ぎながら、部屋に戻って袋を黒い真菌の糸で目の前に天井から吊るし、作業机の上のランタンを付けた。

 

 その灯りの最中に鉄製の盆のような作業台を置いた彼が袋から一つずつ取り出したのは例の人型達の臓器の一部だった。

 

 それがそっとダガーで解剖されて、丁寧に膜を剥がれた後、近頃は大量にストックしてある乳鉢の中に放り込まれてゴリゴリ、グチュグチュと磨り潰され、次々に棚に入れられた薬品や粉末が菌糸の糸で持って来られて、中身を入れられて、使用済みのトレイに移されていく。

 

 そうして、乳鉢内部では最初こそ血の色だった何かが、今は何故か青白い色に変貌し、沈殿した赤い部分を移さないように液体だけが小瓶に移されて、木製の栓と封蝋で密封された。

 

「ふぅ……(*´Д`)」

 

 注意を払い終わった少年が唯一調合に使って残しておいた瓶を持って、イソイソと外に出ていく。

 

 誰にも見付からないように引き込まれている水場で小瓶に上から菌糸で水を入れて、それを軽く木製の蓋をして振った後。

 

 壁の外の麦畑に向かう。

 

 そうして、麦の一部を確認後、それを一株だけ根っこ毎、土まで持って、畑から少し離れた場所……林の内部まで来ると月明かりの下でダガーで掘り返した地面に植え替えて、小瓶の中身を根本に一滴だけ注いだ。

 

「………っ」

 

 すると、反応は劇的であった。

 

 ブワリと麦が震えながら猛烈な勢いで姿を大きくしていく。

 

 そして、5m程まで背丈が高くなった後、その房がまるで拳程まであろうかという大きさになって穂を垂れるまで数秒。

 

 周囲の樹木が急激に枯れたのを確認した少年が静かにダガーで木材を切り倒して、不可糸によって周囲に積み上げ。

 

 月明かりの下で穂を垂れる5mの麦を刈り取った。

 

 空中で不可糸で解体された茎の部分はそのまま少年の背中に何分割かされてから縛って結び付けられ、残った30個程の麦?と疑問符が付くソレの実は菌糸で造った黒い大袋に入れられて、そのまま少年は帰っていった。

 

 *

 

―――西部、中央地帯。

 

 翌日、少年は仲間達を連れて中央平原の端。

 

 西部を囲うように広がる岸壁から中央地帯まで続いている山林の入り口までやって来ていた。

 

「案外早かったですね。やっぱり、その不思議な霊殿というのの移動が便利過ぎますね」

 

「案外、な」

 

 最も遠い場所にある元ハチの巣の焼け焦げた湖一帯。

 

 焦げた大木を彫り込むようにして廟が作られ、内部には黒い真菌の繭が入れ込まれていた。

 

 ソレを霊殿としたのは少年が見ていない時にも蟲を寄せ付けない為だ。

 

 真菌への命令は蟲を捕食せよである。

 

 その為、未だ蜂は戻って来ておらず。

 

 同時に他の蟲も周囲からは消え失せていた。

 

 そこから西部に向かう洞窟へと1時間程歩き。

 

 そこから中央地帯まで2時間程度歩き。

 

 そこから更に2時間歩いてようやく辿り着いたのが山林への入り口。

 

 と、行っても道らしいものはなく。

 

 少年を先頭にして彼らは深い森に入り込んでいた。

 

 フィーゼとガシンの装いは既に革製の衣服に簡易の急所だけを覆う装甲を付けた簡易なものとなっている。

 

「レザリア」

 

「うん……音は聞こえないみたい。大きな蟲はいないんじゃないかな」

 

 レザリアはウリヤノフ特性の鎧を着込んでいる為、ガッチガチである。

 

 ついでに言えば、先日は木製の盾だったが、現在は鉄製の肩と腕を護る盾を腕にベルトで装備しており、同時に背中には人がすっぽり入りそうな長方形の盾が背負われており、完全武装状態である。

 

 それでも常人以上に走れるし、逃げれるし、回避も出来て、フィーゼ達と殆ど同じように動けるのだから、後から入った2人にはレザリアの超人ぶりが身に染みているだろう。

 

「本当にレザリアさん……スゴイです」

 

「え?! ボ、ボクはスゴくないよ。持って行く装具とか荷物とか、諸々の訓練何かも全部アルティエに考えて貰ってるし……」

 

 フィーゼがレザリアを褒める。

 

 重要な薬は各隊員に配布されているが、最も重要なものを保管するのはレザリアの仕事になった。

 

 その為、盾の下には常人でも背負い歩くのは一苦労だろう成人男性よりは軽い50kg程のカバンがある。

 

 野営資材と食料と薬。

 

 全てレザリアが持っている形であった。

 

「はは、男が荷物も持てねぇとはオレも焼きが回ったな」

 

 ガシンが溜息を吐く。

 

 身体強度と筋力がまるで違うレザリアを前にしては同じ荷物を背負って、ガシンは走る事も出来なかったのだ。

 

「前方に廃墟らしきものを視認。全員、警戒態勢」

 

 少年の一言で静かになった仲間達は少年が進んで行くのに合わせて周囲に目を配りながら、足音を殺して歩いて行く。

 

 彼らが見付けたのは20軒程の廃墟の列だった。

 

 道らしきものが廃墟の中央を通り抜けており、その端は東の山岳部の壁に向かう道と北部に向かう道に分かれている。

 

「異常無し、霊視でも何も見えない」

 

「エルミ」

 

『はへ? もう着いたの? ふぁ~~~』

 

「上空から何か見える?」

 

『はいはい。わたくしが見てあげないと道も決められない騎士様を助けなきゃね』

 

 今まで少年の背後の虚空でスヤスヤ寝ていたエルミが上空へと飛び出していき。

 

『ん~~~? 東部の方の森の中に開けた場所がありますわね。石で造られた遺跡? みたいな感じかしら?』

 

「東で。エルミが遺跡みたいなの見付けた」

 

 少年が一応、廃墟を全員で固まって捜索する。

 

「アルティエ。これ見て下さい」

 

 そこでフィーゼが廃墟の崩れた壁の一角に紋章が彫り込まれた部分を見付けた。

 

「イエアドの印?」

 

「はい。そうみたいです」

 

「もしかしたら、術者の村、だったのかも……」

 

 それ以外には取り立てて目ぼしいものが無さそうという事で東の遺跡に向かおうとした彼らがすぐ傍の曲がり角にる樹木の根本に骸骨が凭れているのを見付けた。

 

 少年が近付いて死んでいるのを確認し、懐を漁る。

 

「あ……」

 

「?」

 

 少年が手にしたものを取る。

 

『あ!? ファルなんたらの蝶じゃない!? おぉぉお!!? 二つ目ぇ!!?』

 

 小躍りしそうなエルミがやったやったと喜んでいるのを見たレザリアが苦笑し、他の2人に首を傾げられていた。

 

「【ファルメクの環元蝶】……生まれ変わりの秘術に使うヤツ」

 

「それが例の……」

 

 フィーゼが驚いた様子になる。

 

 銀色の仄かに温かい太った蝶みたいな何か。

 

 それに纏わる悲劇は此処だけの話として隊員全員に知らされている。

 

「素質が無いヤツが使うと呪霊とか言う幽霊モドキになるんだったな。そこまでして生まれ変わりたいもんか?」

 

「病気も怪我も治るなら使いたい人は一杯いたはずです……」

 

 フィーゼが僅かに目を細めて呟き。

 

 ガシンが分からんという顔になる。

 

 少女が父の事を思い出しているのは間違いなかった。

 

 取り敢えず、レザリアに渡して袋に確保して貰い。

 

 そのままご機嫌なエルミの誘導で数分後には全員が石造の遺跡とやらの前まで辿り着いた。

 

「これが遺跡? 石の列が幾つか立ってるけど……」

 

 レザリアがキョロキョロする。

 

 開けた場所を円形に取り囲むのは巨大な石で造られた列柱。

 

 しかし、半分程は破壊されたような感じで罅割れて砕かれていた。

 

「破壊されてるのですか? コレ……」

 

 フィーゼが列柱に僅か手袋越しに触れる。

 

「全周警戒。投擲準備」

 

 少年の言葉にすぐ全員が密集して列柱の中央に集まり、少年が列柱の奥にある祭壇付近でブワリッと風が揺らぐような熱気に目を見張る。

 

 祭壇の虚空に現れたのは巨大な擦り切れたような毒々しい黄色い華だった。

 

 全長3m程のソレは花びらの一つ一つ。

 

 花弁の先から何かを蔦のようなもので人型の首を吊るしている。

 

 だが、霊ではない。

 

 実態がある上に人型というのが全て鎧を着込んでいた。

 

「植物?!! しかも、あの鎧―――きょ、教会の騎士様のじゃありませんか?」

 

 フィーゼが思わず動揺する。

 

 屍なのかどうか。

 

 首を蔦で括られた全身鎧の騎士達が7人。

 

 しかも、その鎧自体はまるでまだ真新しいようにも見えて輝いており、薄い黄金のメッキが施された真鍮製の意匠が胸元に施されている。

 

 教会のシンボルマークは広いブイ字状の翼の上に球体というものである。

 

「首が枯れてる。昔の死体。いきなり現れたから、何処かから呼び出されてる」

 

「オイオイ。あの騎士様、今動かなかったか?」

 

 ガシンの額から汗が一筋伝う。

 

 ギギギッ。

 

 そんな音をさせて、鋼の鎧の騎士達が次々に首の蔦を開放されて落下し、ゴシャンッと地面に鎧を打ち付けながら、落着。

 

 落下ではない。

 

 落着し、脚を踏ん張って、鎧の頭部を上げた。

 

「投擲開始。隙間に捻じ込めば問題無い」

 

 ゴクリと唾を呑み込んで一手遅れたフィーゼとガシンより先にレザリアが動き出す直前の相手の首筋へ正確にクナイを打ち込んだ。

 

 それで4体が一気に首を弾けさせ、同時にガランッと体が崩れ落ちる。

 

 少年が突進し、残った敵の首元に飛び上がりながら、自分を捕捉しようと上向いた1体の騎士の首元へと斬撃を放つ。

 

「黒跳斬」

 

 それで首が落とされて騎士が更に一人行動不能となった。

 

 だが、残り2人が構わず接敵。

 

 帯剣を引き抜き様に少年へ叩き込んで来る。

 

 空中で少年が身を捻って一本回避する。

 

 同時に捻った間隙。

 

 少年の体の隙間からレザリアの投げたクナイが相手の手元に当たって、もう一本の直撃コースだった剣を手毎吹き跳ばした。

 

 それによろめいた最後の一人を下から救い上げるようにしてダガーで首元を飛ばし、その勢いで伸び上がった少年の片手が華に向けられる。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 ゴッと一点に打ち出された炎が猛烈に茎を燃やし、炎が全体に回っていく。

 

 それだけで花弁の根本が吠えた。

 

 それは殆ど高周波だが、怨嗟の声にも似ていた。

 

 燃える巨大な華。

 

 その花びらの

 

 根本が花弁が燃えると同時に露わとなる。

 

「植物なわけあるか!?」

 

 ガシンが思わず恐怖に顔を引き攣らせる。

 

 そこには大量の人の口が並んでいた。

 

 ソレが何かをブツブツと呟いているの確認し、少年が追撃にいつもの爆薬を充填した小瓶を投擲―――。

 

「不可糸」

 

 背後のレザリアに背中側から飛ばした糸で引っ張って貰う。

 

 そして―――ドゴンッと猛烈な勢いで燃える華の中央部分で割れた小瓶が炸裂し、めしべの膨らんだ中央の子房部分までもが消し飛んだ。

 

 口が諸共消え去って、華が倒壊していく。

 

 だが、呪紋らしきものはもはや詠唱されたらしく。

 

 干乾びた肉体内部。

 

 騎士達の遺体内部から次々に蔦が生え、結合するように引き寄せ合っていく。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 少年が炎でその新しい怪物になろうとする騎士達を燃やした。

 

 すると、一部の騎士鎧が炎を引き受けて犠牲になった。

 

 その背後で集まった4つの蔦が四肢のように騎士達の鎧を着込んで、中央部分は剥き出しのままに肥大化。

 

 まるで藁人形のように騎士一人分の鎧の重量で少年を殴り付ける。

 

 炎はまだ使い潰されている一騎士達が盾となり、背後に跳躍して下がった彼に向けてシールド・バッシュのように追突。

 

 それを手足を縮めて弾かれた少年がゴロゴロと地面を吹っ飛ばされながら転がり、それでもすぐに勢いのまま立ち上がる。

 

 その合間にも炎に燃えていた騎士の鎧がブンブンと樹木のような蔦に振られて消え去り、ブスブスと煙を上げながらも再生を始めていた。

 

「レザリア!! 七番の薬!! 相手の頭上に向けて投げて」

 

「うん!!」

 

 少年の言葉を即座に実行したレザリアが小瓶を化け物の頭上に投げる。

 

 それが不可糸で両断された途端。

 

 バシャッと黒い液体が蔦に沁み込むように掛かった。

 

 ―――?!!!!!

 

 蔦が猛烈な勢いでくねりながら、周囲の自分が操れる部分全てを振り回し荒れ狂う。

 

 その一部はガシン達も射程に入れていたが、レザリアが大盾でソレを弾き、背後からは向かってくる蔦にクナイが突き刺さって吹き飛ばす。

 

 そうして、数秒後には蔦そのものが中心部から次々に黒く染まっていった。

 

 そうして、蔦そのものから大量の水分が滲み出て、細胞が破壊され尽したのか。

 

 20秒もせずに蔦だったものが溶けて黒い泥に吸収されていく。

 

「こ、これって……」

 

 少年が使ったのは真菌を糞尿で培養した場所で採取してきた真菌泥と名付けられたモノであった。

 

 いつものダガーが泥に触れさせられるとズザアアアアアッと大量の黒い菌類の塊が少年のダガー目掛けて密集し、大剣となった後、余った部分が黒い円筒形状の棒となって屹立する。

 

 周囲では黒く汚染されて消えた植物が複数。

 

 残っているのは枯れ草の残る土くらいであった。

 

 地面下まで侵食して、根まで枯らして喰らい尽した真菌の食欲は凄まじく。

 

 周囲には鎧が落ちているのみで他には祭壇しかない。

 

「全員、その黒い棒のところで待機。警戒は解かないように」

 

 少年がイソイソと祭壇に向かう。

 

 祭壇にはイエアドの聖印が今も尚、消える事無く描き込まれており、印の一部には1文字が描き込まれていた。

 

 恐らくは先程の華を呼び出す為のものだ。

 

 少年が大剣の剣先で印を突き刺して破壊する。

 

 すると、僅かに輝きが零れて、胸元のエンデの指輪に吸い込まれた。

 

「操獣召喚【騎士縊りのメルランサス】を獲得。拠点防衛用?」

 

 少年が巨大な華は本体が移動出来ないものだったのを理解した後。

 

 祭壇を少し見て、文言らしき消え掛かった一文を見付ける。

 

「次は必ず……教会を……」

 

 石か何かで祭壇に書き込まれたものらしい。

 

 少年は周囲には他に何も無いのを確認。

 

 手を仲間達の方に翳して、素早く移動してくる黒い円柱を誘導し、祭壇の上に安置して、周囲から不可糸で土を掘り起こし、祭壇毎山のように埋める。

 

「あの~~何してるのですか? アルティエ~~」

 

「廟作りー」

 

 遠間からの声におう返し、少年が小山となった場所に掘り返した際に出て来た石ころを複数打ち込んで円環と無し、同時にイエアドの聖印っぽく象形を造って真菌で覆って崩れないように固定化した。

 

「これで良し」

 

 最後に口内で教えて貰っていた祝詞を符札を掲げて唱える。

 

 すると、周囲がいきなり空気を変調させて、少しだけ気温が下がったように誰もが感じるようになった。

 

「っくしゅ。風邪でも引いたかな。こりゃ……」

 

 ガシンが戦闘で殆ど戦っていない事を鑑みても、自分達はまだまだなようだと内心の溜息を隠した。

 

 仲間達の元へ戻って来た少年が霊殿を設置した旨を報告。

 

 いつでも、此処に来られる事を告げる。

 

「なぁ、どうしてオレ達がすぐに移動出来るってウリヤノフの旦那達に教えないんだ?」

 

 最もな疑問をガシンが訊ねる。

 

「秘密を知ってる人間は少ない方がいい。符札の事を知らなければ、誰も悪用したり出来ない」

 

「オレ達が悪用したら?」

 

 フィーゼを横にしてガシンがニヤリとする。

 

「誰がやったか分かってれば、捕まえるのも楽」

 

「はは、良い判断だ。ま、知られたら教えるのでいいだろ。しばらくはな」

 

 肩を竦めて、ガシンがその通りだと笑った。

 

「一端、帰る。続きは明日此処から」

 

「まだ問題ねぇぞ? 装備も殆どあるし」

 

「そうですね。まだ、行けると思いますが」

 

 ガシンとフィーゼに少年が布を渡した。

 

 それに首を傾げた2人だが、少年が拭うようにとのジェスチャーをして、そうしてみると思っていたよりも大量の汗を掻いている事に驚いた様子になる。

 

「精神的消耗は見えない」

 

 肩が竦められて、2人が顔を見合わせてから、少年に頷くのだった。

 

 我慢しても良い事は何も無い。

 

 集中力を削られた状態では小さな異変も見落としがちというのが人間だ。

 

 相手と一番離れていた彼らですら、その汗を大量に掻いていた。

 

 ならば、汗すら掻かずに敵と命のやり取りをしている少年は怪物よりも怪物的な精神力をしている事になる。

 

『今日は帰ったら、お祝いしますわ。わたくしの復活が近付きましたもの♪』

 

 空をクルクルと回りながら、人間より賢く美しくなれそうと喜ぶ亡霊少女はその日、ジョッキ一杯の蜂蜜酒で早々に酔い潰れたのだった。



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第19話「フェクラールの探索Ⅲ」

 

 西部に直接移動出来るようになった翌日。

 

 遠征隊の面々は遺跡からスタートして、北部に向かう道へと足を踏み入れていた。

 

 周囲には小さな蟲はいても動物はいない。

 

 そう思っていたのだが、最初に見つけたのはエルミであった。

 

『あら? 鷲が飛んでますわね』

 

 少年が上空を見上げれば、確かに鳥の姿があった。

 

「………鳥……」

 

 少し考え込む少年が鬱蒼とした道無き道の周囲を観察しながら歩き続け、立ち止まった。

 

「どうしたのですか? アルティエ」

 

「蜘蛛が消えたから?」

 

「どういう事だ?」

 

 ガシンが何のこっちゃと首を傾げる。

 

 少年は今までの経験から此処まで早く大蜘蛛を討伐した事が無かった。

 

 故にこの段階で討伐する事によって起こる変化を見逃さないよう注意していた。

 

「今まで周辺は全部蟲の領域だった。でも、大物が倒れて狩られる心配が無くなったら、一番先に進出してくるのは空を飛べる鳥のはず」

 

「牛とか来ないかな?」

 

「そ、それはさすがに……でも、食用になる動物が来てくれれば、家畜化出来るかもしれません」

 

 フィーゼがレザリアの言葉に苦笑する。

 

「あのデッカイ蟲を何匹退治すればいいんだか……他にも馬鹿デカイ花とかもいやがるしなぁ……」

 

 道のりは千里を超えそうだとガシンが脳裏の化け物達を思浮かべてゲッソリした。

 

『どうやら、山の岩壁は登れそうな場所も無いようですわね』

 

 周囲をウロウロしながら、目に付く場所に寄り道をしながら歩いていた一行であったが、殆どは薬草の群生地や薬効のある樹木や薬用の果実が纏まって生える果樹がある場所というのが殆どであった。

 

 地図を手書きで埋めながら、30分程の休憩を挟みつつ、30km近い距離をウロウロしている彼らが戻って来るのは北部に続く道だ。

 

 街道と呼んでもいいだろう廃墟から伸びる道は何処に寄り道しても上から探せばすぐに見つかる為、広大な山林内部を探索する目印としては丁度良かったのである。

 

 こうして、彼らが近付いた西部と北部を隔てる岩山はエルミが数えてみても標高だけで1000mを超えており、ほぼ垂直の切り立った山肌は登れなさそうというのが常人の見解であった。

 

「周囲に森以外で何かあればいいのですが……」

 

 取り敢えずは壁際まで向かった彼らは傾斜60度の勾配を見て一目で昇れない事を悟った。

 

 勿論、彼らとはフィーゼとガシンだ。

 

「壁伝いは基本」

 

 少年が誘導する形で壁際と上空を監視しながら歩き出した彼らは北部までの道も見付けねばならないわけで北部側の壁を歩き続け、途中で少し高い丘を見付ける。

 

『あら? 廃墟ね。これは教会かしら……』

 

 森の内部に隠されるようにひっそりと丘の上の岩壁と同化するように教会の成れの果てが置かれていた。

 

 外部からは何も分からない為、少年が先行し、他は現場で全周警戒。

 

 もしもの時の為に退路を確保する形で武器を構えて待つ。

 

「………(この段階で来た事が無い。本来なら終盤でいつも“どちらか”の勢力に荒らされた後、今なら此処も何か……)」

 

 建物は左程大きくなく。

 

 作りも石造りであったが、雑な仕事が崩れた壁にも隙間がある事で見えていた。

 

 壁際には演台らしき石造の小さな舞台が置かれていたが、周囲に転がるのは石ころばかり。

 

 少年が歩きながら周囲に目を配る。

 

 すると、一際強く霊視出来る第三の瞳がニュッと額から迫出して何かを発見した。

 

「これは……」

 

 演台の中央に転がる石ころが存在しない事を少年が悟る。

 

「幻影?」

 

 ダガーの先っちょが延ばされてコツンと演台中央部の床を叩くとスゥッとその舞台の一部が消失し、内部に続く階段が現れる。

 

『こういう所にこそアレがあるかもしれませんわ。わたくしの復活の為にも頑張ってあの何たら蝶を集めるのよ♪』

 

 先日の思わぬ拾い物に味を占めたエルミがイソイソと少年の背後に付く。

 

 光の無い暗闇に脚を踏み入れた少年は第三の目を開いたままに内部で8m四方の広い空間が広がっている事に驚いた。

 

 石造りの小さな神殿のようにも見えるのは列柱があるからか。

 

 だが、侵入と同時に柱が光り出した。

 

『何か来ますわね』

 

「―――ヴァルハイルを犯す者に啓示の捌きを」

 

 50代程の男だろう。

 

 ガッシリとした輪郭の顔は強面だが、太い眉の下の瞳には理知の光が宿っている。

 

 ソレがいきなり広い空間の最奥にある扉の前、地面に凝った青白い光の中から浮かび上がって来る。

 

 だが、それを待っていられる程、少年は温くない。

 

 相手が出て来る寸前に身動きの取れない上半身を黒跳斬が襲い。

 

 続けて、三連撃のクナイ。

 

 その上からウィシダの炎瓶がコンボ染みて放たれた。

 

「ッ」

 

 上半身しかまだ出ていなかった相手。

 

 角らしきものが鎧の表面という表面に誂えられた角だらけの騎士鎧の男が身動きすらし辛そうなものを着込んでいるのに巨大な喰らい金色色の角のような槍で黒い粘菌の刃を叩き落とし、クナイを細かく動かして防ぎ、爆発には微動だにせず。

 

 全身が現れて目の前に迫る炎に目を見開き。

 

「カァアアアアアアアアアアアアアアアアア―――」

 

 空間内部の列柱が震える程の大喝が炎を吹き払った。

 

 だが、その動作をしている合間にも少年が相手との間合いを詰め切っており、ダガーの刃が変則的なうねり方をして、鎧の隙間に差し込み。

 

 内部から刃を爆発させた。

 

 爆発と言っても軽く弾けるだけのものだ。

 

 浸食が内部を犯し切る前に男の瞳がギョロリと少年を見やる。

 

「見事……次の輪廻で会おう。小さき刃よ」

 

 よく見れば、男は目が潰れており、白濁して額から花の上辺りまで猛烈な火傷の跡があった。

 

 ならば、少年が見た眼光というのは気配で錯覚しただけなのかもしれず。

 

 手練れである相手の強さが少年には理解出来た。

 

 男が事切れると出て来た時と同じ光に呑み込まれて消えていく。

 

 その先を真菌の糸で覗こうとしたものの。

 

 糸が通らず。

 

 特定のものが一方通行なのだと理解した時には全てが消えていた。

 

『アルティエー!!』

 

 レザリアがそんな中、階段に突入してくる。

 

 どうやら巨大な声に驚いてやってきたらしく。

 

 背後には仲間達が何事かと戦闘態勢で駈け込んで来た。

 

「ど、どど、どうしたの!?」

 

「大喝おじさんに鼓膜破られた」

 

「ええぇ!? だ、だだ、大丈夫なの!? ボクの持って来る薬で治る!?」

 

「もう治った」

 

「治ったの!? 早くないかな!? そ、それと大喝おじさんて何なの!?」

 

「……何なんだろう?」

 

 だが、そうとしか言えないのも事実だった。

 

 初めて、その男を少年は見たのだ……本当に今までで初めて……所属勢力は知っていたが、それでも個人と確かめられる者は多くない。

 

 先程の相手の様子が話される。

 

「ヴァルハイル。啓示。教会……角だらけの鎧……ぅ~ん?」

 

 フィーゼが首を傾げる。

 

「オレにはさっぱりな事だけは確かだ。何か知ってんのか? お嬢様」

 

「ええと、確か教会の御伽噺の中に角の騎士って話があって……伝説の一つなんですけど、教会の黎明期に角ばかり付けた鎧を着る騎士がいて。竜を殺して角を槍にしましたとか。何とか?」

 

「名前は?」

 

「正式名称は【歩き角の騎士レメトロ】だったような気がします。角騎士とかの方が有名かもしれません。神聖騎士とか言われてた昔の教会騎士、その英雄譚の一つですね」

 

「それより、まずは中身を確認した方がいいんんじゃねぇか?」

 

 ガシンがクイクイと親指で奥の扉を指す。

 

 扉はどうやら鋼鉄製らしく。

 

 しかし、錆びた様子も無かった。

 

 少年が周囲から仲間達を離して、扉を下から持ち上げるとガチンという音がして下がらなくなる。

 

「おぉ、お宝か!!?」

 

 ガシンがニヤニヤしながら小さな小部屋の中にある木箱を確認する。

 

 少年が警戒しながら、ダガーの先っちょを変形させて、少し引き気味にしながら、開く。

 

 内部から出て来たのは……何かが掘られた石だった。

 

「は? しょぼ……」

 

 ガシンが一気に関心が薄れた様子で死に掛けたにしてはちゃちな宝だと少年に頑張れ的な笑みを浮かべる。

 

 しかし、少年はソレを手に持った途端、瞳を僅かに細めた。

 

「どうしたのですか? アルティエ」

 

「どうかした? やっぱり、お薬使う?」

 

 心配そうなレザリアに大丈夫と言って、全員で外に出た少年はそろそろ暮れ掛けている西部の夕景の最中。

 

 その何かが彫り込まれた石をよく確認する。

 

「あ、竜が掘られてる。これそうだよね? アルティエ。東部だとロンとか言うんだよ。お面がお祭りであって……」

 

「うん」

 

「……大丈夫?」

 

「大丈夫」

 

 少年はそう言いながらもその竜の掘られた明らかに尋常ではない硬さを秘める石に瞳を細めていた。

 

―――1778884353日前。

 

『何だ!? 何故、竜が!? どうして、この野営地を!!? クソォ!!? この化け物がぁあああああああああああああああ!!!?』

 

 フラッシュバックした記憶を振り切って、少年が被りを振った後。

 

 静かにソレを確認した。

 

「【ヴァルハイルの竜眼】……装備時、竜属性呪紋の干渉、威力、効果を半減。竜属性呪紋を刻印している相手への攻撃力補正が843%上昇(再上昇可)。防御力補正が74.3%上昇(再上昇不可)」

 

「何か強いの? 竜何とかって」

 

「竜と戦ったら、たぶん勝てる」

 

「もうアルティエったら♪ 竜は大昔に教会が大陸で狩り尽くしたって、御伽噺にあるんだから」

 

 実は博学なんですと胸を張るレザリアである。

 

「だから、ハクブツカンとか言う場所じゃないと見れないんだよ。ボク、一回だけ教会でお披露目されてた骨見た事あるんだ。大っきかったけど、それでも小さい子竜だって言われてたよ」

 

 少年を物を知らない子扱いしたレザリアがクスクスと笑っていた。

 

 男の子はロマンの塊だよ、と。

 

 脳裏ではアマンザが教えているに違いない。

 

 大陸では竜が絶滅したというのは通説だったりする。

 

 歴史的に人が滅ぼした種族の一つであった。

 

「きっと、何百年も前は竜も此処にいたのかもね。今は蟲ばっかりだし」

 

 廃墟になった教会という事は何百年も前のものに違いなく。

 

 もういない竜とは戦えないので見付かったモノは意味の無いものに違いない。

 

 と、レザリアは自己解決しているが、その横で少年がその石を握り締めて、腰のポーチの内部に収納した。

 

「(今回なら……きっと……必ず)」

 

 呟きは誰にも届く事無く。

 

 教会そのものにイエアドの聖印の形を刻んだ石を置いた少年が祝詞を唱え、現場と行き来出来るようにし、その日は切り上げる事となったのだった。

 

 *

 

「何と!! ヴァルハイルとは……これは面倒事になりましたな」

 

「面倒事?」

 

 夜、少年はリケイに今日出会った男の事を話していた。

 

 少年は知っている……リケイは常に狸なのだ。

 

 最初から知っていても驚くフリくらいはしてくれる。

 

「数百年前。正確には638年前になりますか。教会の神聖騎士達は一大決戦に勝ち、大陸に覇を唱える第一歩を踏んだのです」

 

「一大決戦?」

 

「ヴァルハイルは当時の竜を用いていた大国の一つ。竜そのものが兵器として全盛を極めていた頃、呪紋も用いた術師でもあった彼の国の民は壮健を誇り、軍は他国に死竜の騎士団と言われて畏れられていたのですじゃ」

 

「それで?」

 

「ヴァルハイルは当時の神聖騎士達に敗れ滅亡。多くの国民は奴隷として売られ、血筋も今は殆ど残っていないと聞きます。ですが、当時の資料にはヴァルハイルの一部の皇族。竜皇と呼ばれた存在の帝位継承権を持つ者達が捕らえられたと」

 

「もしかして流刑にされた?」

 

「可能性はありますな。それと歩き角の騎士もその頃に死んだとされているはず。教会の神聖騎士達は当時から死ねば、大きく英雄譚として語り継がれていた。であれば、年代は符号する。しかし、何故にヴァルハイルに仕えているものか」

 

 リケイが思わず首を傾げる。

 

「そもそも数百年も生きてる……って事?」

 

「まぁ、現在の神聖騎士の中にも数百年前の面子が未だいるとの話は嘘ではありませんからな。神蟲の力は一部の者に与えられていたはず。それに聞けば、この島では生まれ変わりの秘儀がある。とすれば……」

 

「死んでも生き返る?」

 

「体を回収されたのはその為かもしれませぬ」

 

 そこで初めてリケイが真面目に内心の感情を動かしたのを少年が確認し、溜息を吐く。

 

「……面倒」

 

 二度と同じ手が使えない強者が無限に蘇ってきたら、さすがに困るのは間違いないだろう。

 

 リケイが難しい顔になる。

 

「竜。竜ですか。竜属性呪紋の多くはヴァルハイルの廃国で失われ、多くは残っておらんのです。力の源たる竜が大陸から消え去ったのが最も痛く。同時に竜がいない為に使用する意味が無い呪紋も消えて行った。ただし、その武威だけは伝わっておりましてな」

 

「どんな?」

 

「竜を用いた呪紋は魔の技の筆頭。国を滅ぼせたのですよ」

 

「………」

 

「とにかく、個人で威力が出過ぎる程に出る。一人の騎士が呪紋一つで砦一つを落す程の威力……集団で使えば、正しく山すら吹き飛び、一部の者は1国程度なら領土全てを一瞬で焼き滅ぼす事も出来た」

 

「強い……」

 

「ええ、まぁ、強いですな。故に対策を練られに練られて敗北したのも必然だった。持ち帰って来たものを見ても?」

 

 ヴァルハイルの竜眼が手渡される。

 

「ほう? やはり……当時の教会が造ったものに相違ないでしょう。竜眼というのは瞳ではなく。竜の死骸。特に化石の心臓を用いて造られるものなのです」

 

「心臓の化石?」

 

「言わば、竜の本体。竜の力の源を用いて、他竜の脅威から身を護る為に造られたものですな」

 

「竜で竜を殺すって事?」

 

「ええ、そうです。恐らく教会にも後1個2個残っているかどうか……コレ自体が竜と関わり、竜から力を得ている者には破壊出来ぬのです。故に封印されていたのやもしれませぬ」

 

「ありがとう。大体解った」

 

「お役に立てれば何より……」

 

 リケイが肩を竦めた。

 

 竜眼を再び仕舞い込んだ少年はさっそく部屋に戻って、対策を練る事にした。

 

 次もまた勝てるとは限らない。

 

 だからこそ、その手はきつく握られていた。

 

 全てを乗り越える為にこそ、少年の研鑽はあるのだ。



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第20話「フェクラールの探索Ⅳ」

 

 西部の探索が始まって5日。

 

 少年達は殆どの岩壁を調査し終えていた。

 

 西部一帯を封じ込めるかのように高い山々の岩肌には蜘蛛の子1匹も入る隙間は無かったが、野営地の人々が喜びそうなくらいには様々な植物や地下資源があった。

 

 特に喜ばれたのは東部を隔てる壁の一部が完全に白くなっている一帯と極限に塩辛い湖の発見。

 

 塩湖が東部岩壁付近にあった事だ。

 

 塩の壁は削っても層がかなりぶ厚い事が確認されると同時に塩湖は雨水で出来てこそいたが、その透明度は無類な上に少年が舐めても変なものは検出されず。

 

 西部のマッピングが完了したら、さっそく一部の者が採掘して岩塩を野営地に持ち運ぶ手筈になっていた。

 

『う~ん。愉しみだなぁ』

 

『だな!! 早く食いてぇ』

 

『塩味かぁ。いや、此処は甘じょっぱく煮るのもいいな』

 

『種の確保が最優先だから、最初の収穫でも、殆どのものは食えんぞー』

 

『『『え!!?』』』

 

 そして、西部で最も喜ばれた発見は野生化していた野菜の発見。

 

 芋類と葉野菜を数種類得た事だ。

 

 丁度、種になっていた野菜と天然の芋が少年の味覚で確認されて、持ち帰られ、早々に畑へ植えられることになった。

 

 特に葉野菜は食べねば壊血病で死ぬ事は前々から言われていた事であり、果実ばかりだった野営地の住人達には喜ばれた。

 

 塩漬けにして漬物。

 

 炒めて甘くして塩で頂く。

 

 他にも揚げたり、蒸したり、直火で焼いたりという妄想を膨らませた男達は少し多めに野菜の用地と芋の用地を畑に広げた。

 

 元々、麦を畑一面で収穫出来る程の種は無かった上に1シーズンに全てを掛けられない為に半量が種として残されていたのだ。

 

 こうして麦畑の横では葉野菜と種イモが数十kgは植えられた。

 

 全て少年達のお手柄である。

 

「やはり、前の流刑者達が持ち込んでいたものでしょうか?」

 

「たぶん」

 

 畑を賑やかにした野菜と芋の植え付け終わった場所を眺めながら、エルガムが少年を横に見やる。

 

「塩は先日持って帰ってくれた岩塩だけでも随分と助かりました。塩水で煮るよりはマシでしょうしね」

 

「野菜の方は食べられる?」

 

「問題ありません。多少、交雑で苦みが出ているでしょうが、塩や香辛料で食べれば、左程気に為らない程度でした」

 

「もっと探す?」

 

「いえ、予定分の畑は全て埋まりました。今年は一応全て使いますが、来年から整備と他の野菜や家畜用の資料であるクローバーなどで輪作しようかと。来年まで生きていれば、畑も今の三倍まで増やす計画です」

 

「家畜……」

 

「今のままでも凌げてはいますが、やはり体調を崩す者も多くなってきました。貴方の提案してくれた薬品で何とかなっていますが、魚だけでは限界もある。肉とは言いません。せめて、卵……鳥の卵があればと」

 

「卵……」

 

 鳥類の卵は今も昔も貴重な蛋白源として扱われている。

 

「鷲がいるならば、他の卵を多く生む鳥類も野生化して残っている可能性はある。もし見つけたらでいいのでお願いしたい」

 

「解った」

 

「それとウリヤノフ殿のおかげで簡易ながらも軽装用の帷子と盾を20個程用意出来ました。ただ、鉱石は全て使い切り、今は数名でやって貰っている状態だと」

 

「今度、掘っておく」

 

 エルガムが診療所方面から呼ばれて腰を上げ、少年が一人残されるものの。

 

 その瞳はずっと上空を見ていた。

 

 鷲だ。

 

 今も鷲が飛び続けている。

 

 ずっとずっと、ここ数日ずっと飛び続けている。

 

 夜も昼も朝も無く。

 

 そこでようやく少年はソレが鷲ではないと気付き。

 

 気付かれぬようひっそりと様子を眺めつつ、西部から出来るだけ早めに野営地へ戻るという毎日を過ごしていた。

 

 いつもならば夕暮れ時に帰るところを今は西部探索を切り上げるのは3時頃。

 

 西部の地図は順調に埋まりつつあり、策源地になりそうな植物や鉱物の場所以外ではもう目ぼしいところは西部海岸線沿いくらいしか残っていない。

 

 各地には廃墟があったものの。

 

 大半は有用なものもなく。

 

 イエアドの印が建物や家具の成れ果てに刻まれているのを確認するばかりだった。

 

「やぁ、アルティエ殿」

 

「マルクスさん……」

 

 少年の下にやってきたのは牧師のマルクスであった。

 

 横には修道女のヨハンナ。

 

 いつもはウートを世話している彼女が外に出ているのは珍しい。

 

 青年の顔は何処か前見た時より黒くなっていた。

 

「お仕事?」

 

「ああ、近頃は知識のあるエルガム殿ばかりに押し付けて、水夫達と一緒に荷仕事や説教ばかりだったから、日に焼けてしまってね。別人みたいだろう?」

 

「逞しくなったような?」

 

「今は水夫達に神の道を説きながら、一緒に労働している。やはり、頭を使うのは田舎牧師の性には合わないらしい」

 

 男が頭を掻く。

 

 最初の最も忙しく人出が欲しい頃は馬車馬のように働いていたマルクスであるが、状況が落ち着いて来て、暫定的にウートを筆頭とした者達が野営地を治めるようになると仕事を変わって貰い。

 

 その代りに水夫達に神の道を説いて精神的に安定させる任に就いていた。

 

 今のところ、水夫達は現状に不満こそあれ。

 

 それでも最初期のような気の立った様子ではなくなっている。

 

 それも全てはマルクスが彼らと粘り強く対話して心の平穏を保つ術を教えているからだろう。

 

 知恵者であるエルガムとウリヤノフが野営地を安定化させた表の立役者ならば、影の立役者は間違いなくマルクスであった。

 

「野営地の為に色々してくれているのは聞いている。魔の技、異なる神、本来の教会の信仰者であれば、眉を顰めるものだろう。だが」

 

「?」

 

「それは此処の流儀じゃないだろう。君達、遠征隊の冒険を少しでも聞くと水夫達も船の船員達も心配そうな顔になる。君と彼女達と彼が此処では一番若い部類だ。それが魔の技が使えるだけで化け物と戦って使える土地を広げてくれている」

 

 マルクスが僅かに瞳を俯ける。

 

「みんな、正直後ろめたいのさ。でも、だからこそ、君達の活躍は好意的に見られているし、野営地は何とか運営されている」

 

「マルクスさん……」

 

「忘れないでくれ。我らは流刑者。彼らは荒くれ者。信じる神も流儀も生き方すらまるで違う。それでも、多くが君達に勇気を貰ったんだ」

 

「勇気……」

 

 そんなものを今の少年は持ち合わせていない。

 

 合理を突き詰めた彼に勇気とは一番似付かわしくない言葉だろう。

 

「君達遠征隊が戦っている事を知るようになってから、水夫達の守備隊に入る者は増えた。彼らの言葉にすれば『ガキに護られちゃ死んでも家族に合せる顔がねぇ』だそうだ」

 

「………」

 

「頑張れとは言わない。必ず生きて帰って来てくれ。君達なら出来るさ」

 

「―――はい」

 

 しっかりと頷く。

 

「失礼した。これから井戸掘りがあってね。では、また次の機会に」

 

 こうして背中が見送られた。

 

『ねぇ、アレどうするの? いっそ撃ち落とさない?』

 

 エルミが空で浮かびながら、鷲のような鳥を忌々しそうな瞳で見ていた。

 

 毎日、監視されていたら、それはご機嫌くらい損ねるだろう。

 

「準備が出来たら。後、ちょっとで最初の襲撃がある」

 

『へ? 襲撃?』

 

「それまでに準備する。アレは直前に落す」

 

 少年が珍しく静かな瞳でいる事を察して、エルミは少年の本気を感じ取っていた。

 

『襲撃ねぇ。本当に謎だらけですわね。わたくしの騎士は……』

 

 亡霊少女にも分かる程に少年の気配は静かに研ぎ澄まされた刃のように激情を内包して冷たくなっていた。

 

 *

 

「出来たぞ。1本失敗。2本成功だ」

 

 少年が鍛冶場でそう言われた時、布に来るまれて出て来た刃は短剣二本と変質した帯剣であった。

 

「どっちが失敗?」

 

「その長剣の方だ。最後に溶かした蜘蛛の薬液に入れて薬を添加した時から色々と危なそうでな」

 

 少年が布を剥ぐ。

 

 すると、其処にあるのは明らかに尋常ではない刃が三本であった。

 

 一本目の刺突用短剣は蜘蛛の脚先のようにギザギザとした甲殻類のように剣身が変質しており、突き刺して戦うというよりは突き刺した後にノコギリのように引いた時の動作で相手の傷口を広げるようなものに見える。

 

 もう一本の刃を折る為の鍵のような剣身を持つ刃は鍵となる出っ張りの部分が甲殻類の関節ように変質していて、鍵のような刃そのものが脚のように分厚く。

 

 剣を折るというよりは暴力的に砕くというような用途に見えた。

 

 だが、最後の帯剣はそれよりも異様であった。

 

「蜘蛛の瞳……」

 

「あぁ、さすがに鍛冶場の連中もビクビクしていた。仕方ない」

 

 帯剣の柄の部分が蜘蛛の多眼を大きくして寄り集めたような象形となっており、同時に剣身が脈打っていた。

 

 本来ならば、単なる鋼であるはずの帯剣の剣身は血管が硬質な刃の内部に浮かんでおり、それが緑色の血液らしきものを寄せては返す波のように柄の部分と循環させながら色合いを変化させている。

 

 問題はそれだけではない。

 

 剣身の片刃の切っ先から続く刃がまるで蜘蛛の口を何個も横に並べたかのような鋭い角錐状のパーツで構成されており、シャリシャリと少し音がしている。

 

 蠢いているのだ。

 

 ついでに言えば、その片刃は斬るというよりは喰い付いて切り潰すノコギリのようなギザギザが特徴的であり、青黒い甲殻類のような口先の刃はもはや剣とは呼べぬような何かに変貌している。

 

 少年がソレを片手にした。

 

「……抗魔特剣になってる」

 

「何? 確か伝説の剣の類だったか?」

 

「抗魔特剣【ウルガンダの蜘蛛脚】」

 

「呪紋で名前が分かるのか?」

 

「そう……装備時、敏捷性キャップを一時開放。脚力秒速830m上昇(再上昇不可)。攻撃した対象が蟲以外であるなら、傷を負わせた対象を強制的に蜘蛛へ生まれ変わらせる……これ……強制的な変異覚醒? この剣の最初の装備者にソレが隷属化される……従属機能……」

 

「―――まるで意味が分からん程の力だな。だが、もしそれが本当なら……その剣の大本である大蜘蛛はその能力を持っていた、という事か?」

 

「最後まで攻撃は喰らわなかったから分からなかった」

 

 嘘であるが、幾度となく蜘蛛にされた事がある少年にしてみれば、その力は自分で使うならば、かなり有用なのは間違いなかった。

 

 相手の力を奪うような剣になったのは初めての事。

 

 これもまたイレギュラーというものに違いなく。

 

「ははは……はぁぁぁ(*´Д`)。貴殿というヤツは……」

 

 ウリヤノフは最も心配しなければならない相手を思い浮かべて、少年が彼女の傍にいてくれた事を切に神へ感謝した。

 

「あの大量の蜘蛛……本当は流刑者だった可能性がある……」

 

「だとしても、もはや知る術は無い。気にするなというのも無理かもしれないが……それにいても失敗作にしては惜しい力だ」

 

「使う。もしも野営地を集団で襲うモノが来たら、戦力を増やして戦える」

 

「……戦力、か。蜘蛛塗れの野営地はぞっとせんな」

 

「蜘蛛になっても元に戻せるかもしれない。ある程度」

 

「何?」

 

「そういう呪具を見付けてる」

 

「話して欲しいところだが……」

 

「秘密。凄く危ない」

 

「信じよう……フィーゼ様を今も守り切り、育む者の言葉だ。手に取ってみるがいい。たぶん、死んでもこちらは使わないだろうからな」

 

 少年が帯剣というよりは生まれ変わった蜘蛛じゃないかと思えるソレを掴んだ途端だった。

 

 ギョロリと瞳が一斉に少年を見る。

 

 さすがにウリヤノフが剣に手を掛けた。

 

「負けたヤツは黙って従え。お前の眷属を増やしてやる。死ぬまでは使われていろ。それが嫌ならもう一度殺す」

 

――――――。

 

 その流暢な少年の言葉で更に驚いたウリヤノフであった。

 

 蜘蛛の瞳が一瞬だけ動揺したように震え。

 

(震えている? 畏れているのか!! それ程の力を持ちながら、この少年を!!)

 

 ウリヤノフが内心で怖ろしき化け蜘蛛よりも尚畏れるべき相手の姿を見やる。

 

 その合間にもゆっくりと瞳が元の位置に戻り、ピクリとも動かなくなった。

 

 その代りと言う事なのか。

 

 蜘蛛脚を握っていた手に浮かんでいるシャニドの印に小さな文字が一つ増えた。

 

「操獣召喚【不死喰らいのウルガンダ】を獲得……」

 

「蜘蛛なら蜘蛛らしく天井から下がって蟲でも喰らっていてくれればいいものだが、此処ではそうもいかんのだろうな。というか、生きているのか? 焼き滅ぼされ、肉体の殆どを失って尚……何処かに体が? 怖ろしい話だ……」

 

 ウリヤノフはもう何も言う事も無さそうに肩を竦めて、ウートへ報告しに行く事にしたのだった。

 

 *

 

「いやはや、もう何と言えばいいやら……不死喰らいの名称を持つ獣がいるとは聞き及んでいましたが、まさかこの島で見つかるとは……」

 

「知ってる?」

 

 夕暮れ時。

 

 少年はいつもの場所でリケイに呆れられていた。

 

「不死喰らいの名称を持つ獣。まぁ、今回は蟲ですが……ソレらは基本的には大陸でも特大の災厄と呼ばれている者達に付けられていました」

 

「特大の災厄?」

 

「教会が今も語り継ぐ五大災厄。【沈まずの華バークローズ】【国堕としの昏獣ヴォートセーム】【迫虐の狂鳥グルッド】【歩まぬ王躯ゼーダス】【神朽ちる沼ヴェラ】」

 

「色々大変そう……」

 

「ええ、教会が3体までは討伐しましたが、結局はそれも時間稼ぎ。何処かで何かが目覚めれば、ほぼ大陸の2割が持って行かれると言われる存在達です」

 

「持って行かれる?」

 

「滅びるでも形容は間違っていませんな。一説では神世の時代の生物。もしくは原種とも言われていますが、正体は教会の枢機卿の中でも一部が知るのみとか」

 

「コレがソレ?」

 

 少年がシャニドの印を見せる。

 

 初めての事……初めてただ滅ぼすだけではない……蜘蛛の力を手に入れた。

 

 

 それは間違いなく今回に限っては明らかに特大の収穫に違いない。

 

「操獣召喚は呪紋の中でも実在する存在を契約もしくは服従、従属させる事で可能になるものです。呪霊と違うのはこの世界の何処かで普通に存在していて、呼び出す時だけ、こちらに現れる。ただし、二つ名を持つ者は呪霊よりも厄介ですぞ」

 

「厄介?」

 

「従属している者に対して反逆の可能性があるのですじゃ」

 

「………」

 

 少なからず前から同じようなものを扱っていた少年にしてみれば、ウルガンダが再び反逆してくる事は考え難いものであった。

 

 理由は単純に弱肉強食の掟の下。

 

 実力を理解出来る知性がある相手だからだ。

 

 そして、今後も同じ事があれば、同じように相手を滅ぼす事は間違いなく今の少年にならば可能だ。

 

「ちなみに“不死喰らい”の名称が着くのは不死人と呼ばれるような超越者達……この場合は神聖騎士の中でも最上位格を殺せるような、という意味ですが、もっと詳しく言えば、例え死なない相手でも倒せる力を持つモノだとか」

 

「死ななくても倒せる?」

 

「左様。故に特殊な能力を持つ者に限られる。剣の話を聞いている限り、さもありなん……要は1撃でも相手に傷を負わせれば、それで変異が完了するまで逃げ続けてもいい。蜘蛛になった相手の能力も血統に取り込んで更に血筋を強化するのでしょうな。本来は……」

 

 少年がウリヤノフに付けて貰った鞘の内部に入った剣をジト目で見やる。

 

「ですが、状況的にはマズイやもしれません」

 

「マズイ?」

 

「その大蜘蛛が西部に隔離されていた。もしくは西部だけしか取れていなかった。この場合、その蜘蛛よりも強い存在がいるか。隔離する程の力がある存在がいるという事になる」

 

「………」

 

 少年は脳裏に思い浮かべたソレらを今は忘れておく。

 

 今の一瞬一瞬を丁寧に熟さなければ、未来に辿り着く事なんて出来ない。

 

「本体の召喚が可能という事は剣になった部位以外にも生き残っている部分がある可能性が高い。ウリヤノフ殿の言う通り、人のいる領域で使うのはお勧めしませんな」

 

 少年が頷く。

 

「まずは使い慣れる事が寛容。蠅でも切って、数匹使えるかどうか確認しては如何ですかな?」

 

「蟲には効果が無い」

 

「ふむ。ならば、コレよりも強い蟲がいたか。蟲ではない何かがいたか。どの道、蟲共とは付き合わねばならんでしょうな」

 

「貝か魚にしてみる」

 

 少年が黒いダガーをスナップを聞かせて横に振ると黒い糸のように菌糸が伸びて砂の中に潜って貝を一つ取って来る。

 

 器用な事をすると言いたげなリケイの前で帯剣が引き抜かれ、砂浜の貝の中に刃が少し押し込まれて、再び鞘に戻される。

 

 すると、効果は劇的であった。

 

「!!?」

 

 リケイも驚くのは変形の仕方だ。

 

 甲斐の殻そのものがベキベキと音を立てながら変質して、中身の生態を無視するように腕や頭が形成されていく。

 

 その合間にも内部から僅かに血飛沫が上がったのは変異が滅茶苦茶な速度で行われたからだろう。

 

 その白い貝が蜘蛛型になるまで凡そ10秒。

 

 完全に変異が完了した後。

 

 ブルブルと体を震わせたソレが幾つもある脚の内、片手を少年に上げた。

 

 『やぁ!!』とでも言っているようなユーモラスさであったが、貝であった時とは知能すらも違う事を示している。

 

「泳げる?」

 

 蜘蛛が少年の言葉に手前の脚で〇を描いた。

 

「何と……言葉まで介するのか」

 

 リケイが感心した様子になる。

 

「海に潜れる?」

 

 また〇が再度作られる。

 

「高いところに昇れる?」

 

 〇。

 

「食事は海で一人で食べられる?」

 

 〇。

 

「毒はある?」

 

 〇。

 

「魚は取って来れる? 後、食べられる?」

 

 〇。

 

「海に浮かべる?」

 

 〇。

 

「糸は出せる?」

 

 そこで初めて×が示された。

 

「……海側の活動に使えそう」

 

「元々の生物の特性を一部引き継いでいるのやも……」

 

 少年が更に貝を9個程ダガーな釣り竿で集めて、再び刃で少しついて、全ての貝を蜘蛛にする。

 

「毒を使わずに魚を取って来る事。死にそうになったら戻って来るように」

 

 こうして蜘蛛達が一斉に了解したと片手を上げて、一列で次々に砂浜から海の内部へと入り込んで消えていく。

 

「小魚を取って来る蜘蛛か。御伽噺ですな」

 

 リケイはもう驚くのも疲れた様子で肩を竦めた。

 

 それから数分後。

 

 砂浜から白い貝蜘蛛達が横一列でぞろぞろと上がって来る。

 

「さすがに魚は無理じゃったか?」

 

 リケイが呟いている間にも蜘蛛達が彼らの前でクルリと海へと振り返り、脚の半分で何かを巻き取るような仕草をした。

 

「これは―――」

 

 リケイが目を細める。

 

「霊視で見えてる。この蜘蛛達、魂を引いてる」

 

「まさか? いや、在り得ますか。そもそも大蜘蛛がウェラクリアの加護を受けた生物の眷属ならば、霊的な能力がそもそも備わっているというのは……」

 

 少年の瞳には青白い糸のようなものをクルクルと手前で回して蜘蛛達が糸を巻き取っているように見えていた。

 

 それに釣られてか。

 

 ズンズンと砂浜に何かが引き上げられ始める。

 

「魚?」

 

 少年とリケイの目にも夜の焚火に照らされて、ソレが見えた。

 

 白い人程もありそうな薄らと青白く光る袋のようなものだった。

 

「……夜に海の中でものが見える?」

 

 引き上げ切った蜘蛛達が汗を掻くような仕草の後、一斉に×を造る。

 

「海で見えないのに持って来た? 霊的なものが見える?」

 

 〇が返される。

 

「どうやら、海の夜警には不向きそうですな」

 

 リケイが苦笑していた。

 

「魂が見えるなら、何とか使えそう……」

 

「その前にその人程もありそうな魂を引かれた何か。本当に何なのか知りたいところですが……」

 

 少年がダガーを取り出して、ダガーの刃で白い袋のようなソレにスッと切り裂いて中身を確認しようと開いた時だった。

 

「ブッファ!? ゲホッゴホッグゲェエエエエ!?」

 

 ビクッと思わず2人が後ろに跳躍した。

 

 しかし、すぐ内部から現れたのが人型の生命体だと気付いて、2人の額にジットリとした汗が浮かぶ。

 

「はぁはぁはぁ(*´Д`) 何だこりゃぁ。オレは死んだんじゃねぇのか?」

 

「はて、何処かで聞いたような声ですな」

 

「(自力で上がって来る確率が2万回に1回……でも、この方法なら必ず引き上げられる)」

 

「おん? お前らぁ。船に乗ってた奴らか!? いやぁ、助かった!! 引き上げてくれたのか!! お? 坊主!! おめぇ、坊主じゃねぇか。喋れるようになったんだなぁ!!」

 

 一々声がデカイ男がヌッと立ち上がる。

 

 そして、2人が驚きに目を見開いた。

 

「んあ? どうしたんだ? そんな鯨に食われそうな顔なんぞして……ん?」

 

「船長……魚人?」

 

 男は全裸な上に立派なものをお持ちで筋肉質。

 

 だが、それよりも驚くべきなのは男の体の上には鱗が付いており、腕や背中には背びれのようなが薄く僅かに見えていて、首元にはエラが浮かんでいた。

 

「おうおう? いってーどうしたんだこの体? 海の神さんに感謝だな!! ははははははは!!!」

 

 男があっけらかんと大笑いする。

 

 その声を聞き付けてか。

 

 夜警をしている水夫達の一部が次々に集まって来た。

 

「どうしたんだ!! 何があった!!」

 

「お前らぁ!! 元気だなぁ!! それと何だその鎧!? 蜘蛛かぁ?」

 

「はぁ!? 何だ化け物か!? あ、いや、その顔……せ、船長ぉ!!?」

 

 男達が半魚人を見やって驚きに固まる。

 

 その合間にも少年は船長の耳元に蜘蛛の幽霊が護ってくれてるけど、他の人には見えない云々と船長に吹き込む。

 

「おっと、秘密ね。秘密……まぁ、何でもいい!! オイ!! 事情を全部知ってる連中を呼んで来い!! あるいはそいつのとこまで連れてけ!! それとオレの船はどうなった!!」

 

「あ」

 

 半魚人が全裸でズンズン進んで行く。

 

 その合間にも「船長!! 今服をぉぉ!!?」と水夫達が次々に男に付き従って消えていくが、その喧騒は次第に野営地の内部へと近付き。

 

 最後には水夫達の歓声が上がったのだった。

 

「大丈夫そう」

 

「ですな」

 

 少年がチラリと蜘蛛達を見やる。

 

「【不可糸】の利用を許可する」

 

「「「「「「「「「「!!!」」」」」」」」」」

 

 蜘蛛達が一斉に驚いた様子に為りながらも、すぐに平伏した様子で砂浜に頭を垂れた。

 

「朝まで寝てていい。朝に為ったら人の見えない場所に巣を作って、半分は海を監視、海から来る船や生きてる人間、怪物を見掛けたら報告。これを睡眠を挟んで交替しながら行う事」

 

 蜘蛛達が頷いた。

 

「眠り終わった半分は残りの時間で糸での移動と戦闘の訓練。素早く野営地を回れるようにしておく事」

 

 知能が高いのは複雑な命令を受諾している様子からも明らかであり、リケイはほとほと感心した様子で貝蜘蛛達を眺めていた。

 

「1日1回自分達の食事を海から釣って食べるように。何か海に沈んでるキラキラしたものや霊的なものがあったら回収して浜辺に埋めておくように」

 

 ビシッと十匹の蜘蛛達が敬礼した。

 

「「「「「「「「「「(`・ω・´)ゞ」」」」」」」」」」

 

「よく思い付きますな。いや、そもそも知能が高過ぎる気も……」

 

「使えるものは使う。何でも」

 

「アレもですかな?」

 

 リケイが苦笑気味に野営地の喧騒を遠くに見やる。

 

「船長、良い人だから、問題無い」

 

「それは同意しましょう。豪放磊落。もしもの時には頼りになる海の男ですからな。あの時、あの方が岩を砕かなければ、船は沈んでいた。命を救われた以上は何らかの方法で返すのも人の流儀でしょう」

 

 こうして新しく加わった野営地の愉快な仲間を遠目にして、彼らは思う。

 

 あの場で面倒事に巻き込まれなくて良かった、と。

 

『はっはぁー!! すげーな!! お前ら!? こんなのを一日で立てちまったのか!? ん? 声がデケェ?! 普通に話してんだろ!! ま、夜だ。後で寝床に案内しろ!! どうやら騎士様が来たようだしな』

 

 その夜、野営地の喧騒は一向に静まる様子は無かったのだった。



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第21話「フェクラールの探索Ⅴ」

 

「あふ……もう朝か」

 

 大欠伸をした半魚人の男がムクリと起き出して、その野営地の水夫達が使っている守備隊の寝所から朝の水浴びに向かった。

 

 野営地は昨日のお祭り騒ぎが嘘のように静まり返っている。

 

 船長が半分魚の姿で戻って来てビビった水夫達であったが、中身がまったく変わっていない事を理解してからは泣くやら感動するやらして忙しく。

 

 最後にはアマンザに酒を出させて宴会となった。

 

 その最中で船長とウリヤノフは必要な事を全て話合い。

 

 折り合いが付いた後は飲み明かしたのだ。

 

「ん~~半魚人ねぇ。此処が化け物の宝庫ってんなら、人間は一番の化け物じゃないかと思うんだが……」

 

 男が自分の手に見えるシャニドの印を見やる。

 

「ま、いいか。とにかく船が無きゃどうにもならねぇし、こいつらを仕切るのもオレの仕事と……後は港の整備に……遠征隊、か」

 

 バシャバシャと川を引き込んだ水場で全身を洗った男が酒気を吹き飛ばすように布で肩に張り付けて蒼空を見上げる。

 

「愉しくなりそうじゃねぇか♪」

 

 男はそうニヤリとして、眩しそうに朝焼けの見える海岸線に目を細めたのだった。

 

―――野営地東部鍛冶場。

 

「了解した。つまり、蜘蛛で足りない仕事の人手を補い。人の行けない場所を回って来ようという事だな」

 

「鳥を蜘蛛に出来れば、空飛ぶ蜘蛛になるかもしれない」

 

「……呪紋で更にその景色を覗ければ、島の全体像が見えるかもしれんな。良い案だが、あまり使い過ぎないように忠告はしておこう」

 

「解ってる」

 

「海側の蜘蛛の事は通達しておく。海の見張りは今おざなりになっているから有難い話だ。船長の話も聞いたが、やはり呪紋を得たせいで生き延びたと考えるべきだな。もしも、北部に人がいるなら、呪紋は案外多くが持っているのかもしれん」

 

 ウリヤノフとの情報交換を終えて、少年が今日も西部に向かうからと集めて置いた遠征隊の下に戻る。

 

 手を振ったフィーゼを横に彼らが全員で向かったのは浜辺だった。

 

「おぉ、これが貝蜘蛛」

 

 レザリアがツンツンと一匹の手のひらサイズの蜘蛛を突く。

 

 蜘蛛はすぐに少女の手から昇って頭の上に乗った。

 

「あの蜘蛛の眷属とか考えるアレですけど、小さければ……カワイイ? う~~ん。どうでしょうか?」

 

 フィーゼがじっくりと蜘蛛を見つめて目を細める。

 

「オレ達にとって害じゃなけりゃいいさ。後、その蜘蛛脚とか言う物騒な剣の取扱いだけは慎重にして欲しいもんだが……」

 

「でも、ソレ蟲には効果が無いのですよね?」

 

 フィーゼの言葉に少年が頷く。

 

「蜘蛛以外の敵。人型の敵、ですか……」

 

「その大喝オジサンとか言うのもそうだけど、こっちを殺そうとしてくる人って北部じゃ気を付けないダメそう」

 

 レザリアがそう結論した。

 

「人間の敵は所詮人間だ。元奴隷拳闘出のオレから言わせればな」

 

「ガシンさんはそう言えば、拳闘をしていたのでしたか?」

 

「まぁな。興行主をぶっ飛ばして流刑だ」

 

「どうして殴ったのですか?」

 

「オレが贔屓にしてた女を無理やり泣かそうとしてたから、もう二度とモノが使えないようにしてやっただけだ」

 

「「うわぁ……」」

 

 レザリアとフィーゼがその言葉に思わず同じ言葉を呟く。

 

 その時だった。

 

 貝蜘蛛の一つから視界が送られてくるのを少年が即座に受けて、海側の空に黒い塊がやってくるのを確認する。

 

「敵が来た」

 

 全員が顔を引き締める。

 

「何ですか? 蟲ですか?」

 

「これは……鳥類に見える。でも、鳥じゃない」

 

 少年が目を細める。

 

 それは彼が知る最初の襲撃者では無かった。

 

「鳥じゃない?」

 

 少年が貝蜘蛛の一部でウリヤノフに敵が来た事を文字を書いて知らせる。

 

「数百匹くらいる。飛ぶ蛭みたいなの」

 

「飛ぶ、蛭?」

 

 言っている傍から浜辺の空に黒いものが見えるようになっていた。

 

 今まで塊で移動していた為、分からなかったが40m程の空間に密集した何かが甲高い奇声のようなものを上げながら上から相手を狙って急降下してくる。

 

 それを少年が蜘蛛脚を鞘から引き抜いて切った。

 

 すると、すぐにビチビチと跳ねた一部のソレが黒い翼を持った蜘蛛のようなものに変貌していく。

 

「蟲じゃない。これなら行ける。クナイ投擲!!」

 

 少年が言っている傍からガンガンと鐘楼が鳴らされた。

 

 鍛冶場で造られていた緊急を知らせるものだ。

 

「こ、この黒いの口が丸くてギザギザしてる!!?」

 

「オラァ!!」

 

 次々に飛来する翼持つ黒い蛭を軽く傷付けるようにして切りながら、少年がその最たる怖ろしい能力を一部遠方に見た。

 

 水夫の一人が噛み付かれた瞬間に麻痺したように動けなくなり、それに群がろうとした化け物の群れが猛烈な横殴りのこん棒で薄黄色の血飛沫になった。

 

「オイ!! 立てるか!! 立てねぇなら下がってろ!! 食われるぞ!!」

 

 半魚人。

 

 船長が襲い掛かって来る鷲程の大きさの翼持つ蛭を次々にこん棒で薙ぎ払う。

 

 こん棒というよりは削り出す前の丸太と言えばいいだろうか。

 

 少し細い木は撓りながら振り回した船長の周囲から敵を吹き飛ばし、ソレが血飛沫を上げてグチャッとした肉塊として落ちていく。

 

「す、すげぇ……あの人、本当に規格外だな。船の中でも思ってたが」

 

「感心してる場合じゃないですよ!!」

 

 次々に襲い掛かる蛭達をクナイで爆破して落としながら、フィーゼが叫ぶ。

 

「【不可糸】」

 

 少年の言葉と同時に周囲から大量の糸が野営地各地で貝蜘蛛達の手によっても吐き出されて、見えない糸に引っ掛かった蛭達がバタバタと数秒羽ばたいて逃げようとしてクテッと生命力を吸われてボタボタと地面に落ちていく。

 

 蜘蛛糸は使った後から蜘蛛達が手足を器用に使って回収し、球のようにして背中にくっ付け、次々に蛭達を迎撃していた。

 

 その頃には少年達の周囲には大量の蛭の死骸と同時に羽搏き始めた翼持つ蜘蛛が十匹近く対空する。

 

 ソレは蛭だったとは思えぬ程に黒い甲殻と甲殻で出来た翼を持っていた。

 

 だが、脚の付け根がグチャァッと開くと内部には蛭の口らしきものが存在しており、乱杭歯が凶悪そうだ。

 

「……やっぱり可愛くない」

 

 レザリアがボソッと呟く。

 

「【不可糸】の使用を許可。全ての飛び蛭を糸で狩るように」

 

 少年の言葉を受けて、飛び立った蜘蛛達が、虚空で糸を吐き出しながら、今さっきまで同族だった敵を糸に絡めて生命力を窮して駆除しながら、それをクルクルと脚で撒いて回収するという地道な作業に入る。

 

 野営地のあちこちで上がっていた悲鳴はその合間にも少なくなり、数分もせずに人の声だけが上がるようになっていた。

 

「大丈夫かぁ!!」

 

 水夫達の一人が野営地の中心部からやってくると少年達に状況を説明する。

 

「何人か噛み付かれたが、命に別状はないって医者先生が今は怪我人を見てる!! 全部倒したかどうか守備隊が見て回ってる!! あいつら次々にボトボト落ちてたのが確認されてる!!」

 

 水夫が再び野営地のあちこちに連絡する為に走り去っていく。

 

「おう!! 坊主。どうやら無事みてぇだなぁ!!」

 

「船長。怪我無い?」

 

「ははは、この程度で怪我なんぞするかよ。見た事ねぇ鳥だったなぁ」

 

 半魚人が大笑いする。

 

「オーダム船長。恐らく、野営地の上に立つ人達が集められます。診療所の方に行きましょう」

 

 その部下達の言葉に頷いて巨体が会議の現場へと向かっていった。

 

「あんま、そういうのは興味ねぇが、仕方ねぇ。ウチの連中も被害受けてっからな」

 

 それを見ていた遠征隊も共に診療所に向かう。

 

 すると、エルガムが忙しそうに修道女のヨハンナと怪我をした水夫の守備隊の傷口へ薬を塗るやら包帯を巻くやらしていた。

 

「済まんが、まだ行けそうにない。奥でウート殿やウリヤノフ殿が待っている。そちらで話して来てくれ」

 

 奥の部屋にあるテーブルの周囲には全員が集まっていた。

 

「おお、来たか。フィーゼ。ケガはないな?」

 

「はい。父上」

 

「それと船長。活躍していたと聞いている。ご苦労だった」

 

「そりゃあいいがよぉ。何でこのバケモンをテーブルの上に?」

 

「ああ、ウリヤノフの旦那が気に為る事があると言っててな」

 

 カラコムが襲って来たソレを難しい目で見やる。

 

 空を飛ぶ黒い蛭の死骸がテーブルの上のトレイには載せられていた。

 

「今、守備隊に生き残りがいないか確認させて、死骸を浜辺に集めさせていますが、戦った時に妙な事に気付いたのでこうして」

 

 ウリヤノフが外科用のナイフを握って蛭に突き立てて、内部を露出させるように開いていく。

 

「あん? 何だこりゃぁ……」

 

「何もねぇ」

 

「内臓が無い?」

 

 オーダムにガシンが驚いた様子になる。

 

「ええ、生物なのに内臓が無いのは不自然。その上、痺れ薬のような効果のある口なのに攻撃力は左程ではなく。一度噛み付かれた程度では致命傷にも程遠い。それから、翼を見て下さい」

 

 ウリヤノフが翼をナイフで開く。

 

「こりゃ金属か?」

 

「ええ、翼を両断した時の感触から見て鉄の類でしょう」

 

 ズルリとウリヤノフの手が手袋越しに翼の骨格を引き抜く。

 

「こんな事が出来る力を今のところ我々は呪紋以外に知らない」

 

 すると、内部からは金属の細い針金のようなものが出て来た。

 

「何らかの呪紋で生物を変質させ、空飛ぶ戦力に仕立てる。正しく、彼が持つ蜘蛛脚のような事をしている者が存在すると考えます」

 

 少年が鞘に収まった剣を見やる。

 

「つまり、人為的なものであると言う事ですか?」

 

 フィーゼにウリヤノフが頷く。

 

「解った。つまり、これは自然に動物が飛来したのではなく。何者かが野営地を狙ったと考えていいのだな? ウリヤノフ」

 

「はい。主の仰る通りです」

 

 ウートの言葉に肯定が返った。

 

「そうか。流刑者を襲うのが化け物だけではなく人間もとは……いや、在る意味では自然かもしれんな」

 

 ウートがそう息を吐いた。

 

「解った。この事実は皆に知らせておこう。幸いにして北部には人がいるという事も分かっている。ニアステラや西部フェクラールにも人気は無いとなれば、何処かの地方の何者かが野営地を狙っている。と、言えば説明は付くな?」

 

「はい。それが一番良いかと。まだ余計な事は考えさせるべき時ではありませんが、危機は周知しておくべきでしょう」

 

 その言葉に2人の内心では犯人がもう解っていそうだと感じて、少年が蛭の構造を見つめつつ目を細めた。

 

「呪紋持ってる身内を疑ったら結束が崩れる。それでいいんじゃないかとオレも思いますよ。ウリヤノフ殿」

 

 カラコムの言葉にレザリアが何を相談しているのか分からないという顔であった。

 

「レザリア。呪紋を使う人ではなく。他の地方の人が狙っていると言わないと、わたくし達が疑われたり、疑惑の目で見られてしまいます」

 

 フィーゼの言葉になるほどーという顔になる少女である。

 

「ああ、そういう……ボクそういうのは詳しく無いから……」

 

 こうして外部からの人為的な悪意ある襲撃という事で今回の件は片付けられ、死骸は集められた先から希少である金属を抜かれて浜辺の深い穴に埋められる事になるのだった。

 

 *

 

 色々と片付いた夕暮れ時。

 

 穴を掘るのを手伝ったり、襲われた人間に薬を投与したり、少し壊された一部の施設の補修や修繕、死体処理後の掃除に野営地の全ての人員が駆り出され、一日でほぼ全てが終了していた。

 

 今日は疲れたと言わんばかりの水夫達は半魚人な船長オーダムに労われて、今日は程々にしておけと言われつつ、酒を煽っている最中。

 

 他の者達も疲れた者はもう家屋内部に入って、いつもならば散歩している者もいる浜辺には夕暮れ時とうのに人気は無かった。

 

「で、どうするの? アルティエ」

 

 バッサバッサと羽搏いて、彼らの前に着陸したのは10匹の空飛ぶ蜘蛛である。

 

 甲殻は黒く。

 

 翼も硬く。

 

 ついでに浮かんでいる様子なのに羽搏きは見合わない程に小さく。

 

「空飛べる?」

 

 〇。

 

「自分で魚とかの食糧捕まえられる?」

 

 〇。

 

「海に潜れる?」

 

 ×。

 

「何か特技ある?」

 

 空飛ぶ黒い蛭蜘蛛達が顔を見合わせるようにしてから、地面に降り立ち。

 

 岩に向けてフシュッと軽い霧吹きのように液体を噴霧する。

 

 すると、その岩に張り付いていた小さな蟲がポテッと岩肌から落ちた。

 

「麻痺させられると」

 

 〇。

 

「じゃあ、半分は此処の貝蜘蛛と一緒に三交替制で野営地周囲の監視と同時に今日みたいな事があったら、みんなで護るように」

 

 半分が傍にいた貝蜘蛛達に合流して何やらコミュニケーションを取り始め、もう半分が少年の前にやってくる。

 

「後の半分は遠征隊と一緒に遠出で。集まるまでは貝蜘蛛達と一緒に休んでいい」

 

「「「「「(`・ω・´)ゞ」」」」」

 

 蜘蛛達は律儀に敬礼して貝蜘蛛達に混ざっていく。

 

 そして、イソイソと遠征隊の前から消えていくのだった。

 

 それを遠くの浜辺で見ていたリケイが埋められた化け物達の大穴を足元に見やる。

 

(外界から来たにしてはあまりにも一直線に此処を目指していた。それにこの島の風もまた島を封鎖しているはず……ならば、これを用いたのは島の外部からの来訪予定者。先遣隊が傍まで近付いて来ているかもしれませんな)

 

 彼が茫洋とした空の先を見る。

 

 まだ見えぬ何者かを見据えるように。

 

 そして、その先の先の先。

 

 未だ島に辿り着かない一隻の船があった。

 

 その異様な巨船には教会の紋章が描き込まれている。

 

 木造だと言うのならば200mを超える船体には山一つ分の樹木を使っても足りないだろう事は間違いない。

 

 しかし、何処か潮風に色褪せた船体には風格があり、海賊が消えて久しい海には国家同士の大海戦でも無ければ、不釣り合いな代物であった。

 

「サヴァン司教。ご報告が」

 

 白い制服に薄い灰色の外套を着込んだ男達の最中。

 

 甲板で訓練に励んで木剣を振るう教会騎士見習い達を眺めていた男が背を預けていた壁から離れて、小さな伝達用の紙片を確認する。

 

 男の顔は剥がれており、鼻が無いし、肌も無い。

 

 ただ、カサブタのように薄い被膜の張ったノッペリとした顔は夜ならば、虚空を思わせて赤黒いだろう。

 

「………呪紋の効力消失。つまり、操獣が破壊されたと?」

 

「恐らくは……今回の遠征におきましては大司教閣下から入念に物資を受け取りましたので通常の一個中隊程度ならば全滅させる量を送ったのですが……」

 

「秘匿されていた流刑者処刑用の獣では足りないわけですか……」

 

「はい。帝国の司教連からは念入りに全滅させるようにと伺っており、周辺海域にも通達を出して、余計な船が物資を持って難破というのも考え難く」

 

「消えたのは海岸線沿いという事ですが」

 

「間違いありません。我々も島の内部に立ち行った事はない為、多くは解りませんが、南部一帯のニアステラで流刑者が生き残って力を付けているとすれば……」

 

「呪紋を用いる術者が欠かせない?」

 

「左様です」

 

 連絡役の男が頭を下げる。

 

「次を送る時は上陸直前にしましょう。我らの使命は教会に徒名す流刑者達の殲滅だけではない。教皇猊下からの秘達もあり、上陸を失敗出来ない。最初期の排除は……」

 

 サヴァンと呼ばれたスキンヘッドの色白な男は白い制服姿のまま甲板の端を指差した。

 

「彼らに任せましょう」

 

「ッ―――神聖騎士様のいる部隊をですか!? い、聊か過剰では?」

 

「過剰であればいいと祈るばかりだ。後6日で到達する位置……船を沖に停泊させた後、島への上陸は慎重に行って下さい。周辺の浅い場所にある岩礁などはこちらで対処します」

 

「了解致しました」

 

「我ら先遣隊がもしもしくじれば、合流しつつある後方本隊の揚陸にも支障が出る。出来る限りの事はせねば……」

 

 頷いた伝令役がすぐに甲板の方へと去っていく。

 

「さて、情報では彼の御仁が流刑者に紛れているとの報告もありますが、本当にいるのかもしれませんね」

 

 男が神聖騎士達の間で出回る手配書を確認する。

 

 そこには老爺の顔が掛かれていた。

 

「前科5493犯。術師を増やす無法の徒【魔の布教者リケイ】……次は逃がしませんよ。この貌の貸しもありますしね」

 

 男が手配書を折り畳んで懐に入れる。

 

 そして、自分も鈍らないようにと横に置いていた木剣を握って甲板の新米である教会騎士達の間に混ざっていく。

 

『サ、サヴァン司教がお越しになられたぞ!? け、稽古をお願い致します!!』

 

「ああ、硬くならないで。どの道、稽古という程のものは付けてあげられません。君達のような新人を使い潰したい任務でもあるまいし、君達は取り敢えず―――」

 

 木剣が振られて3分後。

 

 221人程の新米騎士達は倒れ伏して血反吐を吐いて、急いでやってきた術師達の呪紋による治療を受けながら船内の病床へと運ばれていった。

 

「これで一応、死ぬ恐ろしさくらいは解って頂けたでしょうかね。ルラン君」

 

 顔の無い男が汗を手拭で拭きながらニコヤカに微笑む。

 

 それが分かるのは昔からの馴染みくらいだろう。

 

 甲板の縁で新米達を眺めていた部隊の中から20代程の青年がやってくる。

 

 金髪碧眼。

 

 ついでに言えば、美形が僻むような絵に描いた王子様のような男であった。

 

「サヴァン司教。無暗に戦力を傷付けないで頂きたい」

 

「これから死ねと言われる可哀そうな新米教会騎士の卵を護って上げたつもりなのですがね。ルラン・フレイズ隊長」

 

「はぁぁ、鬼難島。それほどですか?」

 

 男ルランが溜息を吐いた。

 

「こっそり行った部隊の最後の呪紋での連絡では『此処は地獄だ。蟲の地獄……アレはなんだ!? 蜥蜴、いや、アレは!!?』みたいな会話があったそうで」

 

 サヴァンの肩が竦められる。

 

「蜥蜴? まさか、竜ですか? あの頃の生き残りが? 当時の事は未だ知らされていませんが……」

 

「可能性はあります。あの島へ数百年前に流刑された竜皇の一族の顛末は未だに分っていません。当時の上が何一つ残さず逝きましたからね。一緒に送られた角の騎士の事も不明です……」

 

「なるほど。紅の元大司教が派遣されるわけだ。【大移住】の頃の事もこちらは知りませんが、またロクでもない秘密ばかりなのでしょうね」

 

 ルランが胡散臭げな顔になる。

 

「まぁ、よくある事です。それに今は私も一から出直している最中。ああ、大司教の時の特権は良かった。毎晩、美女と美酒に酔いしれて、適当な権力者を懐柔してればいい日々だったというのに♪」

 

 呆れた視線がサヴァンを見やる。

 

「生臭坊主と本国の司教連で噂にされる程度には俗物なのも貴方の良いところだと思いますよ。ええ、昔のように切った張っただけでは大陸も回せないのも分かりますから……」

 

「それ褒めてます?」

 

「勿論」

 

 その返しにサヴァンがクツクツと笑う。

 

「この数百年で神蟲の加護を受けた者も大陸連中との戦いで50人を切っている。この人の世が進む時代にあの頃のような暗さはもう要らないというのに……それが分からない連中が多過ぎる」

 

「ならば、我らもソレに手を出すべきではない。とは考えないのが教会の性ですか?」

 

「まぁ、五大災厄を幾つかを討伐したとはいえ。結局は時間稼ぎ。我ら人の技術が奴らを駆逐するのが先か。それとも我らがあの暗黒の時代そのものである呪紋や奴らに駆逐されるのが先か。そういう盤上遊戯なのですよ。世界は……」

 

「相変わらず教皇猊下に睨まれそうな事を……」

 

「まぁ、あの位を押し付けた手前。我々に何かを言う資格はありません。本隊到着前にニアステラを確保。それが不可能と判断したならば、別の揚陸地点を選定せねばなりません」

 

「……失敗すると?」

 

「勘のようなものです」

 

「解りました。現場は預かりましょう。独自の判断で後退や撤退指示は出させて貰います」

 

「では、失礼。今日も修道女達との教書の朗読会がありまして」

 

「羨ましい程の精力、是非とも加護に与りたいものだ」

 

 甲板で二人切りで話す男達。

 

 その親密さは正しく堅き友誼の徒と見える。

 

『あの2人が出来てるって噂知ってる?』

 

『こら、聞こえるぞ。あのお二方は昔からの馴染みだそうだ』

 

『おぉ、肉欲に溺れた大司教と美しい少年の物語。というのはよくよく近頃聞かれる噂なんだがな』

 

 こうして静かに物事は進んで行く。

 

 船はゆらりゆらりと揺れながら進む。

 

 ニアステラに鉄血の雨が降るのは左程遠い日の事では無いに違いなかった。



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第22話「フェクラールの探索Ⅵ」

 

 野営地の襲撃から2日後。

 

 遂に西部フェクラールの地図の輪郭が定まろうとしていた。

 

 海岸線沿いに南部から北上して崖際や一部小さな入り江になっている場所が選定。

 

 野営地の設置と隠匿に良さそうな場所として現場が確保された事も大きい。

 

 周辺海域も蜘蛛に探らせて危なそうな蟲や海産物が無い事を少年が潜って確認した為、安息の入り江と適当にフィーゼが地図には書き込んでいる。

 

 海岸線沿いの多くは岸壁で登れない場所と昇れるものの船の接岸や沖合での停泊が不可能そうな地形ばかりなのは誰もが見れば解った。

 

 彼ら遠征隊が確保した入江は砂浜で小舟での上陸は可能であり、逆に小舟で少し先の100m程沖合までは穏やかな局所的な場所であった。

 

 岸壁に開いた穴から外に船で出れば、魚も釣れる事は蜘蛛達に確認して貰っていた為、其処に西部唯一の海の出入りが出来る拠点を構える事が野営地ではすぐに決定しており、入り口も幾らか自然の要害で隠す事が出来ている為、悪意ある襲撃者にも見付かり難いだろう。

 

 岸壁の入り口にイエアドの印を刻んで行き来出来るようにした少年が砂浜から少し奥まった場所に家屋を立てれば、嵐でも安全そうだと進出予定地の建造可能エリアを記していく紙を懐に戻した。

 

「ひゃっほぅ♪」

 

 その手前の砂浜ではガシンが遠浅になっている砂浜から入江の先までの地点をバシャバシャと泳いでいた。

 

 唯一の懸念点は近くに川が無い事であったが、砂浜を外部から秘匿するように覆う岸壁の一部からは水が湧き出しており、少年が呑んでも大丈夫な事を確認していた為、飲み水に困る事もないだろう。

 

「アルティエ~気持ち良いよ~~」

 

 鎧を脱いだレザリアが服が透けるのも構わず温かく浅い砂浜の手足をパチャパチャさせて寛いでいた。

 

「もう、レザリアったら……」

 

 その様子を何処か姉染みて見守るフィーゼが苦笑しながら、周囲の地形を細かく文字で書き込んでいく。

 

「これで西部の輪郭は分かりましたね。中身も大まかには埋まったでしょうか?」

 

「うん」

 

「……本当にあの蜘蛛が此処を仕切っていたみたいで大型の蟲が見えなかったのは幸いです。でも、これから北部や東部から移動してくるかも……」

 

「たぶん、しばらくは大丈夫」

 

「どうしてですか?」

 

「ここ数日でまた西部の動物で蜘蛛を増やして岩壁付近で監視してる。

 

「え!? い、いつの間に……そもそも蟲以外の動物っていましたか?」

 

「ミミズは蟲じゃない」

 

「みみずってアレですか? あの畑でウネウネしてる?」

 

「そう……案外、土の中に一杯いた」

 

「そ、そうですか……」

 

「でも、モグラがいないから、たぶん蟲以外の動物は陸地だと南部や西部には殆どいない気がする」

 

「蜘蛛や蜂のせいですか?」

 

「そのせいで逃げるか食べられたかも……」

 

「でも、そういう生き物達が逃げた西部から北部への道……一体、何処にあるのでしょうか」

 

「何処かの岩壁。高いところにあると思う」

 

「どうして、そう考えるのですか?」

 

「蜘蛛が地方を覆うくらい高いところに塔を立てていたのか。考えれば、自明……」

 

「ああ、つまり高いところから侵入される可能性があるから、空にそういうのが置かれていたという事ですか?」

 

「塔を蜘蛛が造ったとは思えない。昔は蜘蛛側に付く人型の生物や人そのものがいたか。もしくは西部に置かれていたのを巣に引っ掛けて浮かばせてた可能性が高い」

 

 思ってもみなかった言葉にフィーゼが納得した様子となる。

 

「た、確かにそうかも……」

 

「それと不可糸は空中に糸を張れない。何処かに始点と終点が必ずいる。でも、沿岸部まで広がってた糸は海側にまで突き出てた」

 

「すいません。ええと、どういう事ですか?」

 

 未だの呪紋の事をあまり知らない少女にはチンプンカンプンであった。

 

「何処かに見えない蜘蛛の糸を張る為の何かが置かれてる」

 

「何か?」

 

「そう……今日はそこの調査……(4000回に一回しか来れない場所もこの能力と装備ならこの時期に突破出来そう)」

 

「?」

 

 少年がブツブツと口内で呟き。

 

 2人を呼んで湧き水で体を洗わせた後、乾いていない服の上に装備を付けさせ、ビショビショなところを呪紋の僅かな効果で服から水気を飛ばした。

 

「おぉ!? 便利!!?」

 

「炎の呪紋が使えるなら、出来る。練習しないと服が焦げるからやらない方がいい」

 

「こ、今度練習するから!! それまではアルティエにボク頼む!!」

 

 グッとレザリアが拳を握ってちょっと頬を染めた。

 

 その目は少しだけキラキラしている。

 

「で、これから何処に行くんだ?」

 

「浜辺の外。遠浅の限界点」

 

「何でだ?」

 

「不自然な地形には理由がある。たぶん」

 

 こうして五人が靴が濡れるのも構わずに砂浜を海へと歩いていき。

 

 岸壁のゲートを潜り抜けて、島の外に続く砂浜を歩く。

 

「離れないように。離れたら落ちる」

 

 付いて来ている全員が首を傾げる。

 

 普通、海というのはいきなり深くなったりしない。

 

 少しずつ下がっていくものだというのが共通の認識であった。

 

「20人分くらいの幅あるけど、何処かが崩落しててもおかしくない」

 

 少年がそう言いつつ、足元の砂浜が途切れた場所まで来ると。

 

「………」

 

 足元の砂を救って振り撒くように前方へと投げた。

 

「「「!!?」」」

 

 すると、空中へと向かった砂が途中で留まる。

 

 その砂が描き出すのは階段だった。

 

「み、見えない階段!?」

 

「お願い」

 

 少年の言葉と同時に上空で対空していた蜘蛛が5匹飛来して、脚に付けていた袋に砂を大量に付けて加速し、バシャバシャと階段の上に向けて大量に勢いを付けて砂の雨をブチ撒ける。

 

 すると、次々に砂が掛かって引っ付いた場所が露わとなった。

 

 所々崩れ掛けている場所もあるが、確かにソレは塔だった。

 

 しかも、半径だけで20m近いソレが延々と円柱状に空へと伸び上がっている。

 

 塔内部への入り口が門として露わになり、少年が階段を上って、その門に耳を近付けて少し。

 

「大丈夫。音はしない。体はもしもの時の為に不可糸で結んでおく。レザリア、フィーゼ、ガシンの順で」

 

 遠征隊への指示は迅速。

 

 その隊列を組んだ事を確認した少年が扉を押した。

 

 僅かに押し開けた塔内部には暗闇と外部からの陽光の入り混じる比較的明るい塔内部が露わになり、少年が進んでいくと。

 

 塔内部には石造と思われる家具らしきものが複数置かれていた。

 

「これが見えない塔!!」

 

 フィーゼがさすがに驚愕しながらも、見た事の無い象形が彫り込まれている壁面や階段、更には家具が自分達とは随分と違う時代のものだと理解する。

 

「クローゼット?」

 

 レザリアが石製のそれっぽいものをゆっくりと引いて開ける。

 

 すると、内部には一式揃った衣装らしきものが入っていた。

 

「おぉ!? アルティエ!! アルティエ!! 宝物だよ!!」

 

 レザリアが衣装を取り出して上から入って来る陽光の下へ嬉しそうに翳す。

 

 それはキラキラと輝いており、銀鱗。

 

 少なくとも金属のような鱗で造られたケープやドレスのように見受けられた。

 

「あ、裁縫道具……でしょうか?」

 

 更に内部を確認したフィーゼが針が入った小さな木箱を持って来る。

 

 内部には金色の針や銀色の針、七色の針と言ったようなやたらカラフルな針があり、全て糸を通す場所もある事から裁縫道具で間違いなさそうだった。

 

「糸はないみたいですけど、針があれば、裁縫が出来ますね。お針子仕事が捗りそうです!! 船には殆ど裁縫道具が無かったみたいですし、貰っていきましょう」

 

「他にはねぇか?」

 

 ガシンが周囲を調べる。

 

 寝台の下を見やった青年が『お?』という声を上げる。

 

 長い腕がゴソゴソと下を漁る。

 

 すると、下から出て来たのは一冊の古びれた書物だった。

 

 それも分厚い。

 

 金字で箔押し。

 

 その上、装丁がやたらと頑丈そうな蒼い石のようなもので造られており、本が擦り切れている様子も無い。

 

 そもそもどれだけの年月置かれていたのか分からないというのに本自体がまったく新品のように黴臭い様子では無かった。

 

「やたら高そうな本。オレ向きじゃねぇな。手で扱える武具だの鎧だの出てきたら教えてくれ」

 

 ガシンが少年に本を渡す。

 

 それを掴んだ少年がジッと本を見やり、目を細めた。

 

「どうしたのですか? アルティエ」

 

「この本、蜘蛛の事が書いてある」

 

 少年は暗記している本の内容を思い浮かべながら手に取る。

 

「ええ!? 読んでないのに分かるの!?」

 

「呪紋のおかげ」

 

「ボク分からないよ!?」

 

「強く為ったら分かる」

 

「が、がんばります……」

 

 まだまだ未熟な己という事実にグッと手前で拳を握って頷くレザリアが他には無いかとフィーゼと家探しを続行する。

 

(【ナクアの書】……異なる世界からの操獣召喚の手引書……蜘蛛以外にもあの蜂もある。この島の蟲は別の世界から召喚されたものが野生化したもの……その可能性……)

 

 少年がこの時期に所持出来るとは思っていなかった本を開いてパラパラとめくる。

 

 まだ見た事の無い蟲から今まで戦って来た蟲まで色々載っているが、戦ったモノの中でも乗っていない敵もいて、あくまで一部の事しか分からない事が分かるだけであった。

 

(ッ、ページが増えてる? 白紙だった場所にも……知能系の能力や各種の知覚能力の差で内部の見られる内容が増える? これだけでも十分過ぎる。この情報があれば、今後の作戦や踏破の予定が立て易くなる。対処訓練も……良いもの拾った……)

 

 呼び出す存在の事がある程度書かれてある為、この島で探索を続けていくには有用過ぎる事は間違いなかった。

 

(でも、この最後の頁……鑑定で見られない。また使わないと分からない……)

 

 少年が塔の内壁に違和感を覚えて、目を細めながら情報を整理する。

 

「【ナクアの書】……知識キャップ開放。知識93%上昇(固定値:再上昇可)。異形生物への鑑定可能数2392種類増加。知能型ステータス上昇による情報詳細化。魔力充填時の能力? シャニドの印により、呪紋創生開始―――34%―――84%―――100%」

 

 少年がブツブツ言っているのは宝探しに夢中な仲間達には聞こえていなかった。

 

 だが、少年は更に驚く。

 

 今まで自分が本を手にしてきても一度も発動しなかった呪紋の創生が起こったからだ。

 

 それを見ていた唯一の例外は背後で昼寝していて、今は片目だけ開けている亡霊少女のみである。

 

「異形属性変異呪紋【異種交胚】を獲得。異なる系統の異形の血統を引いた胚情報を元となる生物の遺伝情報2種類以上より作成。成功率は異形の系統が離れている程に下降し、近ければ近い程に上昇する。生成された交胚情報を用いて、その異形生物の遺伝情報及びタンパク質によって、その生物の器官を生体へ導入可能。交胚そのものを作成した場合、育成は母体に着床可能な場合に限り可能」

 

 少年が蜘蛛脚を入れた鞘を見やる。

 

「……もしかして、これの関連呪紋を関係者が使ってた?」

 

――――――。

 

 剣は何も語らない。

 

 蠢きもしなければ、震えもしない。

 

 しかし、蜘蛛の目が心なしか逸らされているような気がした少年はジト目になった後、その大量の化け物が載っている図鑑を背中のカバンに入れた。

 

「よっしゃぁ!! お宝!!」

 

 ガシンの声と共に再び全員が集まる。

 

 家具以外にも色々と置かれていた場所である。

 

 何があってもおかしくはない。

 

 ホクホク顔で戻って来たガシンの手には左足用らしき脚甲があった。

 

 脛当てというには刺々しくどす黒い紫色で鈍い鋼と混じり合う独特の文様は明らかに攻撃相手を毒状態にしますと言わんばかりだった。

 

 少年が手渡されたソレを鑑定する。

 

「【ウズリクの脚甲】……蟲用」

 

「は!? 蟲用!!?」

 

「蟲用……人間が使っても効果無い」

 

「そんなのアリかよ!?」

 

「アリ」

 

「く、もう何もねぇ……」

 

 ガクリとガシンが膝を着いた。

 

 広い塔内には他に目ぼしいものは見た感じまったく無い。

 

「……装備者の用いる毒性物質の強化。膜孔形成細胞溶解素を強化。敵対者への免疫抑制機能……装備者の抗体はこれらに対応し、眷属及び服従先の存在にも同様の抗体を形成する。装備者の生成する毒性物質の解毒作用特定抗体以外93%低下(再低下可)。装備時、体格最大6段階下降(再上昇可)。物質凝集による体格下降段階によって体力、魔力、霊力、精神力、最大600%上昇(1段階100%毎。再上昇可)……」

 

 少年が脳裏に貝蜘蛛や蛭蜘蛛達を思い浮かべる。

 

 しかし、脚が細過ぎてすっぽり抜ける未来が見えた。

 

 しかし、ウルガンダのような大蜘蛛に付けても強過ぎて反逆されそうというのが実際のところに違いなく。

 

「もう何も無さそうだぞ。アルティエ」

 

 ガシン他の全員が塔の中身を漁り終えていた。

 

 全員が集まって来ると少年が壁際に腰に性ていた袋の一つから花粉を掴んで少しずつ上空に撒いて行く。

 

「見えない階段!! 此処も同じか!!?」

 

 少年は何も言わず。

 

 階段を踏みながら前方の上空に花粉を散布し、螺旋状の階段を上がっていく。そうして凡そ50m程上空で花粉が途切れて地表に落ち。

 

 小さな踊り場の壁際を少年がダガーで叩くと幻が消えて塔外部から吹き込んで来る潮風が花粉を拭き散らしていく。

 

 外に出た少年が何も無い虚空に一歩踏み出し、花粉の跡を付けながら、両手を合わせて目を閉じる。

 

「不可糸。魔力を充填」

 

 すると、いきなり塔の上部からメッシュ状に糸が絡まりながら、建造物を覆ってぼんやりと白く輝いて行く。

 

 そうすると糸で編まれた端のようなものが出現し、その端の先の先の先の先。

 

 次々に塔と箸が沿岸部の海面から突き出しているのが彼らにも分かった。

 

 数十kmはあるだろう巨大な橋上の構造物。

 

 橋と塔の間は凡そ2kmはありそうだったが、その端そのものは荷馬車が通れる程度の広さしかなく。

 

 手すりこそ付いているが、明らかに強風でも吹いたら海へ真っ逆さまに違いなく。

 

「怖いよ!? こ、ここ通らなきゃダメ!? アルティエ!?」

 

「ダメ。お宝も一杯。たぶん」

 

「うぅぅ~~~理不尽~~」

 

 レザリアがさすがに通るのは遠慮したい様子であったが、少年は肩を竦めて、見えるようになった糸の橋に歩みを進めた。

 

 少年以外の全員が恐々としながらも海風に吹かれながら橋を渡る。

 

 橋に崩れているところは見えなかったが、塔の一部は破壊されている場所も見えており、少年の糸の範囲が思っていた以上に広い事を確認したフィーゼは「やっぱり、アルティエは凄いのですね」と感心し切りであった。

 

「………」

 

 だが、少年は順調な探索とは行かないようだと頬を掻く。

 

 彼らから20m程先に青白い光が立ち昇ったかと思えば、騎士甲冑を身に付けたらしい敵が現れたからだ。

 

「(不死系は厄介……)

 

 鎧には蜘蛛の脚をクロスさせたような意匠が肩部に見受けられ、呪霊である事がすぐに推測出来た。

 

 その両手には剣が握られており、僅かに剣そのものから何かが滴っている。

 

「クナイ投擲3連」

 

 少年の言葉と共に背後から全員がクナイを投擲。

 

 それが剣で切り払われる寸前。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 突撃中の相手に真正面から炎が炸裂するが、相手は跳躍して回避。

 

 それに対して少年もまた跳躍し。

 

「黒跳斬」

 

 ダガーから跳んだ菌糸の斬撃が男の首筋を捉えて、そのまま通り過ぎると同時に首と動体を分かった。

 

 が、それでも男の胴体が着地。

 

 思わず顔を引き釣らせた三人が背後へと下がる。

 

 少年が首をダガーで切り捨てて橋の外に押し出して唱えた。

 

「ファルターレの貴霊」

 

『はいはい。やりますわよ。あふ』

 

 体のみで突進を続ける相手に上空から高速3連射された矢が胴体内部まで深々と突き刺さり、心臓を破壊した。

 

 倒れた鎧の剣はガシンの脚甲に当たる寸前で消滅する。

 

 少年が戻って来ると安堵した三人が息を吐いていた。

 

「吃驚しました。まさか、首を取られて尚動くなんて……」

 

「どうなってんだよ。幽霊でもアレは反則だろ」

 

「それに何か剣も危なそうだった!!」

 

 三人の言う事は最もだ。

 

 しかし、少年がシャニドの印に幽霊騎士を獲得した事を知らせる象形が出て内心で驚く

 

「呪霊召喚【蜘蛛の騎士レーゼンハーク】を獲得。毒剣の二刀流。蜘蛛との契約で体をどれだけ傷付けられても、バラバラにされても死なない。ただし、心臓は別みたい」

 

 少年がチラリと蜘蛛脚を見やる。

 

 (これも……今までこんな事は無かった。今回は……今回なら……)

 

 微動だにしていないようにも見えて、瞳は少年から逸らされている、ような気がした。

 

「やべぇじゃねぇか!? も、もし、あのエルミの矢が貫いてなかったら……」

 

「全滅してたかも……」

 

「サラッと言うな!?」

 

 ガシンが脱力した。

 

「今日は二つ目の塔を見たら帰る」

 

「ウチの遠征隊の隊長は本当にタフだな。はぁぁ(―Д―)」

 

 もはや諦観に近い息を吐き出したガシンの後ろでもう疲れたよという顔の少女達がいて、その上ではまたエルミがスヤスヤと三度寝を決め込んでいた。

 

 結局、夕方までに二つ目の塔を探索した遠征隊は騎士の鎧と手持ち式の大型弩。

 

 どちらも蜘蛛の騎士の鎧と同じ意匠が着いたものを発見し、野営地に持ち帰ったのだった。

 

 *

 

「あの鎧はカラコム殿に使って貰う事になった。それと弩に付いてだが……」

 

 翌日、少年は鍛冶場で装備と日用品、道具の増産を続けるウリヤノフの下で説明を受けていた。

 

「どうやら増産は無理そうだ。内部の機構が金属製な上に複雑で一つ造るのに人数4人を当てて7日で1つ出来るかどうか。そもそも金属資源も足りない」

 

「蛭の金属は?」

 

「柔軟な代物だったので製造中の鎧の内側に使った」

 

「そう……」

 

「取り敢えずは遠征隊が使うので良いだろう。超射程を生かすならば、大きな装備も使えるフィーゼ様が持つのが妥当かもしれん」

 

「考えてみる」

 

 少年が回収した大の男でも引くのに苦労しそうな弩を受け取って背中に紐で背負っておく。

 

「ちなみにあの鎧の力は聞いているが、蟲からの毒を半減以下にまで抑える。で、いいのだな?」

 

 少年が頷く。

 

「もしも、蟲が攻めて来れば、カラコム殿が活躍される事もあるだろう。それとあのドレスだが、やはり鱗は普通のものではないな。端の一枚を錐で削れるか試してみたが、ダメだった。極めて硬いが蟲のものでもない。何らかの生物。蜥蜴のようなものの鱗ではないかと思う」

 

「……竜かも」

 

「伝説の? いや、此処でならば在り得るか。取り敢えず、縫製は可能だし、女性ならば、フィーゼ様かレザリアに着せるのがいいだろう。ある程度は大きさも変えられるはずだ。熱に強い事は確認してある。炎や爆発でヤケはしないだろう」

 

「解った」

 

 少年がウリヤノフに頷いて、ドレスも革袋に入れて貰って鍛冶場を後にする。

 

 昨日は帰ってから疲れた為、休息を優先した。

 

 なので、朝方に訪れた浜辺では今か今かと手ぐすねを引いて待っている老爺が一人……今度はどんなものを見付けたのかと目を輝かせていた。

 

「ほほう? 鑑定出来ないドレスですか」

 

 リケイが取り出した鱗のドレスを見やる。

 

「この見事な銀鱗……確かに竜のものですな。鱗の年輪から言って、凡そ300歳程度の若い竜。系統は【銀痕】でしょうか」

 

「ぎんこん?」

 

 初めて知る知識に少年が内心で目を細める。

 

「一匹の大竜を祖とした系統でして。竜の一血統としては上位にある。人との戦いに敗れたりとはいえ、それでも竜の勢力が強大であった当時、討伐された竜達との戦いの中でも100万の軍勢と引き換えにした戦いが幾つかあった」

 

「百万……」

 

「ええ、銀痕の一族は攻撃後の跡が銀色の鱗から剥離した粉末で彩られる事から名付けられましてな。その銀の粉末は炎の熱を通さず、剣や弓を弾き。高速で渦巻いていれば、敵を切り裂いたとか」

 

 少年の中では竜のキグルミ的なドレスを着たフィーゼが騎士人形をバッタバッタと薙ぎ倒す様子が思い浮かべられていた。

 

「まぁ、その粉末を逆手に取られて、集められた粉末で大結界を築かれ、戦力を分断されて倒された事から、強過ぎる力の象徴としても語られています」

 

 少年がドレスを受け取る。

 

「フィーゼ嬢にお譲りするのが良いでしょう。この重さでは並みの乙女は着られないのは確定。かと言って、レザリア嬢は今も十分に硬いですからな」

 

「そうする……」

 

 普段から大荷物を背負うレザリアよりも筋力が劣るとはいえ、それでも今のフィーゼは並みの男よりも体力も筋力もある。

 

 それでも大型の荷物を背負わせていないのは一番硬いレザリアに一番重要なものを全て引き受けてもらっているからだ。

 

 ならば、重要性よりも重量と能力の高い装備を日常的に精霊で持ち運べるフィーゼに大型装備を渡すのは理に適っている。

 

 リケイに礼を言って浜辺を後にした少年は今日も訓練をさせている2人が走り終わりの蜂蜜薬を飲んでいるところにやって来た。

 

「あ、アルティエ。今日の分の走り込みは終わりました」

 

「おぇ~~味には慣れた。慣れたけどなぁ……もうちょっと何とかならんのか。コレ……」

 

 フィーゼは爽やかに挨拶し、ガシンは口元を拭いながら渋い顔になっていた。

 

「体を洗って来たら、ウチに集合」

 

 少年の号令に頷いた2人が戻って来るまでに準備を整えておこうと少年が家の中にはいるとアマンザがお針子用の糸と針を確認していた。

 

「大丈夫そう?」

 

「ああ、来たかい?」

 

「もう少ししたら」

 

「解った。この糸で試し縫いしてみたけど、良さそうだよ」

 

 少年が見る先では革製の布地に不可糸に魔力を流して固定化したソレが巻かれたボビンがあった。

 

 艶々とした白い糸は元々が大蜘蛛のものだけあって、伸縮性と耐火性、優れた衝撃吸収能力を持っており、衣服に使えるようになって時点でかなり革新的な性能になる事は解っていた。

 

 昨日、塔を探索する為に形を露わにする為の糸を残せないか格闘して数時間。

 

 その成果は今日には衣服を繕う事に使われている。

 

「あ、アルティエ。おはよう」

 

 部屋のある通路側から出て来たレザリアが欠伸をしながら、少し遅い朝食をテーブルで取り始める。

 

「まったく、この子は……疲れているのならそれでもいいけれど、ちょっとは身嗜みを調えてから来るべきだろうに」

 

「おねーちゃん。前はボクにそんな事言った事無かったような?」

 

「前はね。でも、アンタ今は女の子なんだよ? ちょっとは気を使えってのさ」

 

「?」

 

「はぁ、そんなとこだけガキなんだから……」

 

 アマンザが溜息を一つ。

 

 すぐにレザリアの髪を櫛で梳き始めた。

 

 こうして姉妹がガヤガヤしているとフィーゼとガシンがやってくる。

 

「おはようございます。アマンザさん」

 

「はいはい。姫様はこっちね」

 

「あ、ちょ、何を? それと姫様じゃなくて~~」

 

「解った解った」

 

 そう言いつつ、アマンザがフィーゼを奥の部屋へと連れて行く。

 

 その横には一抱えもある重いドレスの袋が抱えられていた。

 

「それで? ウリヤノフの旦那は何だって?」

 

「弩はフィーゼに持たせるのがいいだろうって」

 

「ま、だよな。オレも持てるが、咄嗟の動きが出来ないアレはオレ向きじゃないとは思ってた」

 

「精霊に運ばせて打つ時も手伝って貰えれば、かなり強い」

 

「そういや、あの弩はどんな能力なんだ?」

 

「飛距離が長い。それと魔力を込めれば、どんな矢も毒矢になる呪紋付き」

 

「でも、そこまでフィーゼに見える目が無いと思うんだが……」

 

「精霊に当てて貰えばいい」

 

「ああ、そういう使い方になるのか。納得だ……」

 

 フィーゼの使う精霊は重いものを持ったり、指示した場所にそれを置く事が出来るのである。

 

 つまり、精霊を使えば、矢そのものを誘導する事は可能であった。

 

「見えなけりゃ、人を撃つ事になっても大丈夫そうだな」

 

「………」

 

 少年は無言だが、ガシンが肩を竦めた。

 

「オレだって気付かないわけじゃねぇ。あの蛭は外から跳んで来た。それも人を襲った。それが誰かの仕業だって言うなら、一番先に考えられるのは野営地を襲ったじゃなくて、流刑者を襲ったって考えるのが普通だ」

 

「………」

 

「だが、旦那も他の連中も外からの攻撃としか言わねぇ。まぁ、流刑者じゃねぇ連中に今ここで抜けられたら困るし、そもそもの話。あいつらも恐らくは流刑者扱いされるのは間違いない。ってのは言わずにいたいんだろ?」

 

「そういう事」

 

『お姫様が出来上がったよ~男共~』

 

 何処かご機嫌な様子でアマンザがズルズルとフィーゼを引っ張って来る。

 

「こ、この服スッゴイ重いんですけどぉ~~!?」

 

「おぉ~~フィーゼ、お姫様みたい」

 

 パチパチと拍手したのは朝食を食べ終えたレザリアであった。

 

 確かに銀色のドレスはフィーゼに良く似合っていた。

 

 そもそも戦闘用の簡素な代物だが、ケープだの他のパーツも合わせると基本的には顔以外の全身を覆う様子であり、靴も揃っていたので問題無く少女は着こなして過不足は無くなっている。

 

「うぅ~~物凄く重いのですが~~」

 

「精霊精霊」

 

「!!?」

 

 少年の言葉にハッとしたフィーゼが精霊にお願いをして数秒後。

 

 ようやく一息吐いて椅子に座る。

 

「うぅ~全身重くて潰れるかと思いました」

 

「服の丈も戦えるように短くしといたからね。服になったら、伸ばしてやるから。それとケープは肩から腰まであるけど、これも伸ばせるからね」

 

 アマンザはそう言いおくと朝の仕事として釣りに出掛けて行った。

 

「それにしても今のお嬢様どんだけ重いんだ? このドレスやらケープやら……」

 

「フルプレートくらい」

 

 少年がシレッと答える。

 

「オイオイ。この薄さで全身鎧並みなのか……」

 

 思わずガシンが汗を浮かべる。

 

「そういや、さっきアマンザが片手で持ってたような……」

 

「アマンザも薬は飲んでる」

 

「そうか。此処に普通の乙女は不在って事か……」

 

「アルティエ。今日はどうす―――」

 

 そう言い掛けた時だった。

 

 ズズンッと周囲を震わせる程の衝撃が野営地を震わせる。

 

「アルティエ!? 今の何!?」

 

「今、確認中……教会騎士の乗った小型船を確認。数12隻。恐らく1隻10人くらい乗ってる。海の方から―――」

 

 ズズンッとまた衝撃が野営地を吹き抜ける。

 

「海の上から火の球が飛んで来てる。野営地の東部岸壁付近に着弾」

 

「え? え!?」

 

「教会。やっぱり、教会か!!」

 

 ガシンが想定内と言うように息を吐いた。

 

「ど、どうして教会の人が……」

 

「流刑者の殲滅が目的だから」

 

「「―――」」

 

 フィーゼとレザリアがその言葉に内心では納得しつつも衝撃を受けていた。

 

 教会というのは基本的に生活に根ざした組織で何処の国でも親しまれるような場所なのだ。

 

「此処には蟲の他にも沢山の宝物や薬になるものが自生してる。流刑者を殺して掃除すれば、後は自分達で使ってもいい」

 

「……戦うしかないのですね?」

 

 フィーゼが今の自分達は流刑者であるという事実を前にして苦いものを全て呑み込んで少年へ真剣に訊ねた。

 

「戦わないと死ぬ。今、ウリヤノフに蜘蛛で連絡した。海の上で迎撃する。フィーゼはこの弩で船そのものを狙撃。精霊に狙って貰って。レザリアは防御。火球は野営地や狙撃時点に飛んでくれば、クナイやいつもの瓶で相殺」

 

「う、うん!!」

 

「ガシンは2人の護衛。三人はすぐに上陸されない場所から狙撃してればいい。七番の岸壁の高台からで問題無い。野営地は最悪燃やされても構わない。人命と食料が優先。守備隊はカラコムとウリヤノフが率いて後方の畑の壁のよりも後ろで待機の予定になってる」

 

「アルティエはどうするの!?」

 

「前線。船を叩いて来る。上陸されても問題無い。ちゃんと野営地の護衛は置いていく」

 

 少年が言って飛び出していく。

 

「(この装備と能力なら……あの新聖騎士をこの時点で……ッ)」

 

 その背中を彼らは見送るしか無かった。

 

 *

 

『で? どうするんですの?』

 

 エルミが少年の背後で伸びをしつつ、弓をもう片手にしていた。

 

「海を渡って海上で迎撃する。エルミはまだ待機」

 

 少年が言っている合間にも浜辺に残っていたリケイに野営地の畑の方を指差すと頭を下げた老爺が逃げ出していく。

 

『どうせ、揚陸を阻止出来ませんわよ。数が違うでしょうし……』

 

「問題無い。操獣召喚【騎士縊りのメルランサス】」

 

 少年が浜辺に手を翳した。

 

 野営地の真正面に巨大な黄色い花が現れる。

 

 ソレが騎士鎧を花弁にぶら下げて、ユラユラし始める。

 

「呪霊召喚【蜘蛛の騎士レーゼンハーク】」

 

 少年の言葉に反応して、目の前に青白い全身鎧の騎士が現れた。

 

「華を倒せそうな者に奇襲と後退を繰り返すように。華には攻撃されないよう近付き過ぎない事。半日持てばいい。野営地の内部に侵入されたら襲撃戦に移行。ただし、傷を負わせた相手は深追いしない事」

 

 コクリと頷いた倒したばかりの騎士はユラリと姿を虚空に滲ませるように消えて行った。

 

『ふ~~ん? でも、海上でって小舟しかありませんわよ?』

 

「問題無い」

 

 少年が浜辺から海に跳躍すると同時に貝蜘蛛達が浮上して、四匹が一斉に不可糸で編んだ筏の上に少年が着地する。

 

 すると、スイスイと魚くらいの速度で筏が進み始めた。

 

『べ、便利ですわね……さすが、わたくしの騎士』

 

「今、蛭蜘蛛に高いところから術者を割り出させてる」

 

 少年の瞳には既に敵船の後方で呪紋を詠唱している者達が複数見えていた。

 

「不可糸で術者を捕捉。そのまま海に投げ込めばいい」

 

 言ってる傍から蛭蜘蛛達が遥か上空から糸の網を海上に降らせ、ゆっくりと誘導しながら釣りでもするかのようにヒットした目的の得物を海上に落していく。

 

 海上の船は混乱し始めていた。

 

『な、何だぁ!? ひ、引き上げろ!!? 大丈夫かぁ!!?』

 

『だ、ダメです!? この海域の波は特殊で!? ああ!?』

 

『クソ!? いきなり術者が落ちるだと!? 船内に希少な呪紋持ちは戻せぇ!!』

 

 騎士達が慌てふためいている様子を確認しながら、蛭蜘蛛達は自分達よりも遥か下を飛んでいる嘗ての同胞にも次々に網を被せて霊力を吸い上げて落下させ、戦力を削っていく。

 

『どうなっている!? いきなり操獣が落ちているぞ!? 何が起きた!?』

 

『わ、分かりません!? いきなり落水しました!?』

 

『攻撃だとでも言うのか!?』

 

『監視役からの報告です!! 我、攻撃を見ず!! 我、攻撃を見ず!! ただし、目標とした沿岸部の浜辺に巨大な華を目視せり!! 上陸には火球による援護が必要と具申す!!』

 

『クソ!? 遠距離用の呪紋を持っている者は何名残っているかぁ!!』

 

『先程、落ちた者達以外は中距離用のものが多く!! 此処からでは敵野営地と思われる拠点を攻撃出来ません!!』

 

『船を慎重に陸へ―――』

 

 そこまで各船内で命令が飛ぼうとして。

 

「各船に通達。全速だ!! ただし、付近の岩礁手前で反転せよ。騎士隊で揚陸を決行する」

 

『ル、ルラン卿!? ですが、敵の攻撃らしきものは未だ見えないとはいえ、此処で急速に近付くのは危険では?』

 

「もう遅い。我らには進む以外の道はない。どの道、相手は防戦……つまり、我らが上陸すれば、船への攻撃よりも上陸した者を狙うはずだ。それに沖で“あんなもの”が見えるようになった。此処は危険でも立ち止まらない方がいい」

 

 金髪碧眼の青年の言葉に船が全速で沿岸部に突っ込む中。

 

 キュドッと一本の矢が一隻の船の船首の船底に当たり、バゴンッと破裂して、船の船首が爆砕して荒い海の中で全速で進んでいた船体が態勢を崩して海に沈む。

 

『こ、攻撃されているぞぉおおお!! 各船回避行動を取れぇえええ!!』

 

 だが、そんな簡単に船の進路が変えられるものではなかった。

 

 再び、爆発が船首を襲う。

 

 それが二発、三発。

 

 次々に船が沈まないまでも破壊された部位から浸水し、他の船が救援に向かい。

 

 同時にその船も破壊されるという状況で混乱が加速した。

 

「撃たれた船は構うな!! 上陸を優先せよ!!」

 

 船首に出ていた青年が剣を虚空で横薙ぎした。

 

 途端、30m程手前で何かが爆発する。

 

 剣の威力が空を切り、膂力のみで風圧を生み出して直線上に打たれていた何かを爆発させたと多くの教会騎士は理解しなかった。

 

「陸地までかなりある。この精度で狙撃出来るのか。それにあの光……まさか、精霊を?」

 

 青年が目を細めている間にも何度か剣を振るって、周囲の船に着弾しそうだった爆撃を防いでいく。

 

 彼の目には精霊の輝きが数秒毎に急速に船へ近付いているのが見えていた。

 

 その光の最中には何か瓶のようなものを括り付けた弓矢がある。

 

 虚空の爆発を抜けるようにして船団の3分の2が上陸しようとした時だった。

 

 ルランが咄嗟に剣を横に振る。

 

 だが、その剣が折れこそしないが押し込まれ、異様な剣を振るう少年の瞳が男の小手先の返し技を有無を言わせず封殺しながら力技で海へ共に跳んだ。

 

「ぬぅぅ?!!」

 

 波間に騎士達は凝視する。

 

 神聖騎士ルラン。

 

 最も若い神聖騎士。

 

 教会騎士最上位たる称号を手にした美貌の剣士が額に汗を浮かべて、異様な大剣を押し込んでいる少年を見ていた。

 

「貴様は一体―――!!!」

 

 青年の足場は聖なる光の呪紋の一つで造られている。

 

 だが、その足場が一段ズンッと沈み込んだ。

 

「この膂力!!? 変異覚醒者か!!?」

 

「お前は消え失せろ」

 

 少年がいつもの様子とも違い。

 

 無表情に剣をノコギリのように引き切った。

 

 辛うじて耐え切ったルランが距離を取る前にその手の指が一本。

 

 剣の刃先に呑まれて削り取られる。

 

「ッ」

 

『ルラン卿ぉおおおおおお!!?』

 

「問題無い!! 上陸を決行せよ!!」

 

『教会騎士の意地を見せてやれ!!』

 

『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 一気に士気を上げた。

 

 遂に岩礁の一部が無いルートを読み切った船が一部上陸し、後方で海にダイブした騎士達が脚が付くところまで泳ぎ切ると走って異様な黄色い花に向けて呪紋による攻撃を仕掛けようと詠唱し始めた。

 

 だが、それは既に読まれている。

 

「ウルクトル」

 

 少年が海上で呟く。

 

 ここ数日予め海中に潜ませておいた上陸する者達を背後から狙う呪霊。

 

 怨嗟と憎悪の集合体が奇声を海の中で上げながら猛烈な勢いで手を量産して、背後から騎士達に襲い掛かる。

 

 現場は足場の悪い海中。

 

 しかも砂浜でふんばりもきかず。

 

 次々に脚を海中に引きずり込まれていく騎士達は詠唱していては危険だと速足に浜辺に上がる事を決断した。

 

『溺死させる呪霊に騎士を殺す華だと!? ふざけるなぁ!!』

 

 教会騎士達が剣を振り上げて襲い掛かって来るのを黙って巨大華が見逃すはずもなかった。

 

 今まで単なるオブジェのように見られていた騎士鎧達が次々に騎士達を不意打ちして、同時に華の蔓から解き放たれ、華を護るように教会騎士達を押し返していく。

 

「く、クソ!? この化け物共強い!!?」

 

 教会騎士の剣技が同じ剣技で返される。

 

 その上、相手には弱点など無いとばかりに膂力も大きく。

 

 数では圧している騎士達は相手を倒すのに手間取っていた。

 

 そんな隙を化け物が見逃すはずも無い。

 

 メルランサス本体の一部。

 

 樹根が猛烈な勢いで槍衾となって地表から動かない騎士達を襲った。

 

『ぐぁあああああああああああああ!!?』

 

 避けられた者は半数。

 

 しかし、避けられなかった者達は自分の脚を貫いた根がシュルシュルと鎧内部から上に昇って来るのを何とか切り落とそうとしたものの。

 

 一斉に首へ巻き付く根の力強さに抵抗空しく。

 

 ゴギリッと首が捻じられ、頚椎を完全に粉砕される。

 

『う、うわぁああああああああああ!?』

 

 そのあまりにも悍ましい骨と肉の破砕音。

 

 化け物に構っている暇は無いと残った兵の大半が野営地内部に走り込んでいく。

 

 しかし、そこではまた別の地獄が待っていた。

 

『ぐぁ?! な、何だコイツは!?』

 

『じゅ、呪霊か!? このぉお!!? 数で押せぇええ!!』

 

 襲撃してきた全身鎧の騎士に対して次々に集団戦術を取った教会騎士達であったが、掠り傷を追いながらも何とか相手に致命傷となるような手足や首などの関節部を狙った攻撃で重症を与えていた。

 

『呪霊と言えど、此処まで傷付けば!!? 滅びろ亡者がぁ!!』

 

 首を落された蜘蛛の騎士がすぐに胴体と傷だらけの体を引きずって野営地の奥へと逃げ込んでいく。

 

『深追いはするな!! 襲撃をとにかく凌ぐんだ!!』

 

 騎士達には数の暴力がある。

 

 相手は深手。

 

 ならば、深追いする理由は無かった。

 

『よし!! 行くぞ!!』

 

 男達が慎重に進もうとして、ズダァンと傷を受けた男の一人が倒れ込んだ。

 

『オイ。大丈夫か!!? 何をさ―――』

 

 今まで叫ぼうとしていた男が瞬時に事切れて同じ末路を辿る。

 

『ま、まさか!? 毒か!? 呪紋で解毒せよ!! 解毒だぁ!!?』

 

 男達が何とか呪紋による解毒を行っている間隙。

 

 ホッとしている間も無く。

 

 蜘蛛の騎士が野営地の建造物上からまだ治り切ってない首無しのままに襲撃を掛けて、相手方のど真ん中に音も無く降り立つ。

 

『?!!』

 

 そして、明らかに前回よりも強く次々に騎士達を二刀流であるというのに一切鎧すら意に介さぬ剛剣で切り伏せ、吹き飛ばした。

 

『グゾォオオオオオオオオオ!!?』

 

 騎士達は決死と必死の力を持って蜘蛛の騎士に何度も腕や脚に致命傷を負わせたが、その度に蟲の如く軽い身のこなしで撤退する相手を捉え切れず。

 

 同時に回復しようとする度、回復した瞬間を狙うようにして騎士は現れる度に元の姿で騎士を翻弄して切り伏せていく。

 

 それには理由があった。

 

 野営地の全体を見張るように蜘蛛達が監視網を敷いていたのである。

 

 そして、少年が逐一、蜘蛛の騎士に襲う場所を指示し、敵を連続で襲撃し、摩耗させ、自分は回復してという事を繰り返し続けていたのだ。

 

「………あ、が……う……」

 

 少年は今や無人と化した船団の上。

 

 無数の蜘蛛が徘徊する様子を見ていた。

 

 少年は逐一敵の上陸部隊への対応を指示しながら、高速で船団内部を走り周り、騎士達の手や足に軽傷を負わせ、猛烈な敏捷性で攻撃を回避しながら回っていたのである。

 

(結局、問題は最大戦力を如何に早く、如何に損害なく削れるか)

 

 呪紋持ちも他も関係無く。

 

 船外で迎撃に当たっていた者達は異形の剣を忌避していたが、あまりの速度に攻撃を捉え切れず、防ぎ切れないままに戦うしか無かった。

 

 そして、その合間も苦しみ続ける最大戦力は無力化されており、少年の前には立ち塞がる敵は皆無。

 

 もしも、これが最初にルランを沈めていなければ、負けていたのは少年であっただろう。

 

 彼らは次々に変貌していく仲間達に絶望しながら、襲われて海に投げ出されて重い鎧のままに沈んで行ったのである。

 

「う……ぁ……あ―――」

 

 少年は自分の指を切られた方の腕を半ばまでも切り落としながらも抗えず。

 

 ビクビクと震えながら、人間の形が崩れていく男を見やっていた。

 

「93万3253回目……ようやく届いた……」

 

 船団の周囲には見えざる糸で張られた蜘蛛の巣が張り巡らされている。

 

 そして、その巣は紅い水にヒタヒタと浸っている。

 

「ぅ……」

 

 ルラン。

 

 嘗て、美貌の貴公子とも持て囃された男の腹からは大量の蜘蛛脚が飛び出し始めており、頭皮はズル剥けて、頭蓋ではなく金色の色合いの外殻を晒し、両腕は片方が無いにも関わらず内部からズリュリと再生しながら人の手を脱皮。

 

 その鎧と帷子が内部から弾けるようにしてソレが姿を現す。

 

「ルラン・フレイズ」

 

 人を捨てた肉体は金色の蟲と化し、異様は嘗ての彼すらも息を呑む程に美しく。

 

 しかし、その瞳にはもはや感情すら見えない。

 

「神聖騎士第33位。お前の呪紋を貰い受ける」

 

 少年が剣を鞘に納めた。

 

 そうして

 

 黄金の蟲は一匹。

 

 自らの王に深く頭を垂れるのだった。

 

「シャニドの印により、眷属の呪紋譲渡を開始―――99%―――100%……21種。最も重要なのは……たぶんこれ。神聖属性祈祷呪紋【啓示】を獲得……」

 

 ニュッと少年の第三神眼が開く。

 

「神の力を見られる。これなら……3ヵ月後も見逃さない……」

 

 少年が脳裏で駆け抜けていく情報を見つめながら、第三神眼が額に現れるのを確認し、自分の瞳に映る情報がまた一つ増えたのに拳を握る。

 

 身に付けているイエアドの聖印や他にも神と関連していると思われる場所や物が僅かに黄金に輝いて見える。

 

 それは霊殿までも同じであり、幻想のように海側まで迫出した西部の大霊殿が瞳は現実に被るよう見えていた。

 

(空間を操る存在。島一つの世界を創る神の力……)

 

 少年は貝蜘蛛数匹にゆっくり沖合から船を砂浜に引いてくるように伝えて、蜘蛛を載せた船を置き去りに帯剣を構えて海へ脚を踏み出した。

 

「ッ」

 

 猛烈な速度で少年の姿が掻き消える。

 

 海の上に白波を立てて、猛烈な速度で少年が機動していた。

 

 元々、蜘蛛脚の最大の能力は相手の強制的な蜘蛛への変異覚醒と従属化にあったが、それを差し引いても大蜘蛛の敏捷性は軽く音速の2倍を超えている。

 

 広い場所でなければ、中々に使い処は無いが、それでも広い場所ならば、その速度はもはや常人に追えるものでは無かった。

 

 浜辺で爆発するように砂煙が上がり、少年が数秒で辿り着いた足場で片手を振ると水死体を増やしていたウルクトルが消え去り、随分と花弁の騎士を増やした華が光る地面の中に奇声を上げながら嬉しそうに帰っていく。

 

 そうして、最後に退路を確保して残っていた傷だらけの騎士達が野営地に突入していった者達の断末魔が聞こえなくなっている事に気付いて、自分達の背後から現れた者の表情にカランと剣を落した。

 

 それはまるで無感情だった。

 

 異形過ぎる片刃の大剣を肩に背負い。

 

 自分達を見やるソレは少なからず少年の姿でありながら、他の何かに見えた。

 

 今まで彼らは化け物を倒し、大勢の人々を救って来た。

 

 今回は単なる流刑者を叩き潰し、教会の直轄地として島を占領する。

 

 それだけの任務だった。

 

 だが、ソレを前にしてもそんなお題目の為に何かを殺せる程、彼らは聖人では無かった。

 

 そもそも此処に海側から敵が戻って来たという事は……そういう事なのだ。

 

 自分達以外が全滅している事を実戦経験の豊富な教会騎士に分からない訳も無い。

 

「―――」

 

 瞳に見やられ、彼らの背筋に冷や汗が流れる。

 

 憎悪ではない。

 

 冷徹でもない。

 

 ただ、興味が無いのだ。

 

 もしも、彼らが邪魔ならば、ただ斬って捨てる。

 

 それだけの無感動な瞳。

 

 魚でも表情くらいもう少しあると思えるだろう。

 

 自分達を無価値と断ずる瞳。

 

 異形の大剣はお飾りに過ぎない。

 

 少年の瞳、少年の表情、そのあまりにもキロリと自分達を見やる光の無い相手の乾いた視線を前にして死を覚悟した彼らは潔く負けを認めるしかなかった。

 

 神聖騎士が此処にいないのに敵が戻って来る。

 

 それはどうしようもなく彼らには重い事実だった。

 

「投降を」

 

「―――受け入れ、よう」

 

 残った男達の一人が剣の他にも装備していた諸々を落す。

 

 それに男達は続くしかなかった。

 

 理解せざるを得なかった以上、それは必然。

 

 一度でも素振りを見せれば、死ぬのみ。

 

 教会は大陸において異形と戦争を遂行してきた。

 

 だが、人と戦って来なかったわけではない。

 

 相手が言葉の通じる相手であった事のみが、彼らにとって幸いな事実であった。

 

 そうして上陸先遣隊が全滅したという報が彼らが出航した巨大船に齎された夕方頃……その船の行先はまだ見ぬ南部ニアステラの大地ではなく。

 

 その領域と隔てられていると思われる東部海岸線沿いとなったのである。

 

 *

 

『まったく、わたくしにこんな事させるなんて、仕方ない騎士ですわね。ふふんふふ~ん♪』

 

 亡霊少女がちょっと頼れた事を嬉し気にしながらイソイソと今日も自分の騎士の為に働いていた。

 

 途中から、船上の騎士達からの情報収集を行っていた彼女は少年の言い付けで小旅行に出ていたのだ。

 

 それはほんの1時間程で見付かった為、彼女は帰るまでの時間を気にしながら、夕暮れ時になった海の最中に目を細める。

 

『それにしても本当に大きいんですのね? 教会の戦船というのは……わたくしも音に聞いた事はありましたが、こんなのは初めて……』

 

 彼女はイソイソと準備を完了させて船体から離れる。

 

『でも、仕方ありませんわよね。教会は亡霊も討伐対象にしていますし、此処であの場所が消えてしまったら困るもの……』

 

 エルミが最後の仕掛けを終えた後、島を東部方面から見て……これなら岸壁を登れるかもしれないと船の大きさを実感した。

 

『では、皆様。御機嫌よう……来世ではわたくしの伝説が残っている時代に産まれて下さいまし。では』

 

 船の中に入る事もせず。

 

 少年から貸与されている呪紋が遠方から放たれた。

 

『不可糸』

 

 クイッと起爆する為の簡単な仕掛けの取っ手を引く。

 

 亡霊少女の手の先。

 

 糸は船底に仕掛けた3つの大樽を縄で繋げたものに伸びていた。

 

 海側に用意していたのはとっても甘い爆薬に10本程危ない華を突っ込んだヤバイ液体の入った大樽だ。

 

 少年が船団を上手く処理出来なかった場合に爆破する予定で造っていたソレは使われる事も無く。

 

 敵が来た大きな船を狙うという目的で使用されたのである。

 

『ふふ~~ん♪』

 

 乾燥した華が取手内部の空間に付けられていた火打ち石で磨り潰されるようにカチンと軽く打たれた途端。

 

 彼女は脇目も振らずに現場から遠ざかる。

 

 その背後、爆発音は閃光の一瞬後。

 

 船底で起爆した極大カロリーの燃焼が猛烈な衝撃を伴って分厚い木材を船首付近のキール毎吹き飛ばし、船はそれでも傾きながら東部へと向かっていく。

 

 さすが教会の船か。

 

 呪紋による防護が効いていたらしく。

 

 半ばから折れる事すら無く船底の一部が完全に吹き飛んでいながら、船体は内部で猛烈な衝撃によって3割程の人員が死傷して尚、原型を留めて接岸を果たしたのだった。

 

 船底が家畜小屋で占められ、騎士達の多くが御婦人は船上に近い部屋を取るべきという紳士的な理由から部屋を船底付近にしていた事から、教会のシスター達に一人も死人が出なかった事だけが不幸中の幸いであった。

 

『消化急げ!! 船首への扉を全て閉めろ!!』

 

『で、ですが、まだ』

 

『あの爆発で生きているわけがない!! 早くしろ!!』

 

『う、うぅぅぅぅぅ!!?』

 

『敵は思っていた以上、か。またあの頃の同僚が消えるとは……』

 

 船上で指示を出しながら、速やかに船首に近かった区画から生存者を確保し、浸水部位を閉じるよう命令した元大司教は島を燃えるような瞳で見つめていた。

 

『不死殺しもいるとすれば、一筋縄では行かない島か。鬼難島……いいでしょう。この紅の大司教が相手をしましょう。掛かって来い……化け物共め……ッッッ』

 

 血が滴る拳を握り締め。

 

 男は犠牲者を出来る限り抑えながら、戻って来ない同僚の事を頭の中から強制的に横へと押しやり、状況を逐一報告させ、次々に脱出用の小型船を後部甲板から降ろさせる。

 

 そして、彼らは東部を知る事になる。

 

 まだ少年も踏破していない未知の領域の事を。

 

 今日の敗北を明日の勝利と変える為に。



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滅び切れぬグリモッド編
間章『貴方の事Ⅲ』+第23話「滅び切れぬグリモッドⅠ」


 

―――イゼクス暦153年曇り後雨。

 

 遂に教会と戦ってしまった。

 

 嘗てなら、きっと神罰を怖がり、祈っていたかもしれない。

 

 でも、今は違う。

 

 例え、神の敵を倒す為だと言われても、今を生きる野営地の人々を殺そうとするならば、決して容赦は出来ない。

 

 此処にいる誰もが必死に今日の糧と明日の生存を願うからこそ、身を削って仕事に励んでいる。

 

 エルガム先生の診療所はいつも夕暮れ時には些細な怪我や疲労して倒れた人が少なからずいる。

 

 そんな此処で生きて行く為に戦う自分達を殺すのが教会騎士の仕事なら、何処までも抗う事が例え神の逆鱗に触れるとしても……きっと遠征隊は抗うだろう。

 

 此処には護りたい人達がいる。

 

 お母様……いつか、旅立つ時が来ても、わたくしは誇れる自分であるように生きたいと思っています。

 

 共に戦う戦友と多くの同胞達が力を与えてくれた事に感謝しながら。

 

 彼が認めてくれる限り、自分にはそれが出来ると思えるから。

 

 それがきっと貴族の娘ではない。

 

 遠征隊の射手フィーゼの生き方なのだと……そう思えるのです。

 

 

 *

 

 

 東部に巨船が漂着し、教会の先遣隊が右往左往している頃。

 

 武装解除された教会騎士達は野営地の長という事で仮に顔役を務めているウートと面会していた。

 

「つまり、貴殿らは流刑者の討伐と島の占拠を目的にして此処に来襲したと?」

 

「……そうだ」

 

 ウートは溜息を吐いていた。

 

 いっその事、全員死なせていれば、問題は起きなかった。

 

 しかしながら、野営地の者達に1人も死人を出さずに騎士を全滅させた少年は疲労で寝込んでいるとエルガムに面会謝絶を言い渡されており、明日の朝まではどうにもならない。

 

 面倒事だけ押し付けられた彼であるが、逆に言えば、それくらいしか出来る事が無いのも承知していた。

 

 彼は気を引き締めて半裸の騎士達と向かい合う。

 

「諸君らは教会の為なら罪人を殺すか?」

 

「……ああ」

 

「では、罪人ではなくても流刑者と共に生きている一般人もか?」

 

「何? どういう事だ」

 

 騎士達の代表者が思わず訊ね。

 

 ウートが野営地の経緯を語る。

 

「つ、つまり、此処には難破船の船員もいて、流刑者を運んだ船の船員もいて、流刑者は一握りだと?」

 

「そうだ。流刑者は10名だ。そして、罪状の殆どは祖国で言うところの政争や陰謀、権力の理不尽に敗れた末に取って付けただけの代物だ」

 

「ッ―――」

 

 教会騎士達の顔色が軒並み悪くなる。

 

「政争に敗れた当人たる私はともかく。歳若い娘まで流刑にされた。他にも此処には理不尽な理由で送られた者ばかりと聞いている」

 

 ウートが周囲に集まった者達を見やる。

 

「我が命の嘆願の為に家族を殺され、それでも死罪より共に流される事を選んだ我が騎士」

 

「………」

 

「多くの民を救いながらも御殿医の妬みによって罪をでっち上げられた医者」

 

「………」

 

「歳若い娘の貞操を護る為に主を殴り飛ばした正義感の強い奴隷拳闘士」

 

「………」

 

「国ぐるみで背徳者として迫害されていた一族もいるぞ? 何もしていないのに権力者の前を偶然横切っただけで殴り殺されそうになり、犯され、打ち捨てられていた姉と妹弟達……医者と我らが共に船へ乗っていなければ死んでいただろうな」

 

「わ、我らは―――」

 

 言わせずウートは事実を述べる。

 

「教会の内部で正義を貫こうとして煙たがられ、ありもしない罪で流刑にされた修道士に道連れとして送られた修道女とている」

 

「「………」」

 

「旅の芸妓の師が大国の大臣の酒癖の悪さで此処に送られたという話もある。ああ、陰謀に巻き込まれた南部の国の騎士などもいる。教会の悪行を声高に叫んだら此処に送られたとか?」

 

「もういい……」

 

 代表の男は沈鬱に吐き捨てていた。

 

「まぁ、聞け。だが、お前達を倒したのはその誰でもない。少年だ。海から引き上げられた少年。誰とも知れず。記憶も無く。口も最初は聞けなかった。ただ、呪紋と天賦の才故に島の中で自らを鍛え上げた猛者だ……」

 

「―――アレか」

 

 僅かに男達の手に汗が滲む。

 

「教会騎士達よ。お前達が何の大義で人を殺そうと殺した者は殺された者に何ら言い訳をするものではない。殺そうとしたならば、殺される事を覚悟する。それだけの事だからだ」

 

 ウートが長く息を吐く。

 

「お前達が攻めて来た時、あの子はまったく躊躇なく殺しに来たと断言したそうだ。それは私でもそう思う。炎の球が直撃していれば、野営地は焼き崩れていただろう。それも何とか生き延びようと整備し続けた多くの者達の努力を全て無為としてな……」

 

「………」

 

「教会はそう思われている。記憶が無くなって尚、あの子の中には教会の記憶が沁み付いていたのではないか? 奇しくもお前達自身がそれを証明している」

 

「ッ」

 

「だが、その判断に我々は救われた。だから、お前達の事を恨みはしないが、同時に同情もせん」

 

「そう、だろうな……」

 

「このままお前達を解き放つのは無しだ。そうすれば、教会の追加の部隊が送られて来れば、お前達に復讐される可能性がある。分かるな?」

 

「……ああ」

 

「だが、我々はまだお前達に付いて殺す以外の余地がある」

 

「何?」

 

「神を捨てて背教者となれ」

 

「ッッ―――それは、それだけは!!?」

 

 だが、ウートが代表者の男を前にしてギョロリと相手を覗き込む。

 

 その瞳は少なからず貴族。

 

 それも兵を率いる将の器を持つ者の鋭い眼光であった。

 

「教会を抜けられぬのならば、待っている道は暗い。お前達の身柄はあの子が救ったものだ。最終的にはあの子がどうするか決めるだろう。だが、断らぬ方が良いぞ?」

 

「何だと!? 経典の中身も知らぬ流刑貴族が我らの信仰の何を知っていると言うのだ!!?」

 

「ほう? 貴様らにはまだ恐怖が足らんと見える。私もあまりこんな事はしたくないのだがな……」

 

 男達の前にカサカサと一匹の蜘蛛。

 

 いや、数十匹の蜘蛛がやってくる。

 

「ば、化け物を飼っているのか!? や、やはり貴様らは邪きょ―――」

 

 ウートが男の耳にボソボソと何かを呟く。

 

 そして、男が目を見開き。

 

 まだ蜘蛛のあちこちに付いている肉片と衣服の残骸と首筋にまだギチギチと嵌ったような状態の十字架の通った紐を確認した。

 

「―――」

 

 男の目が零れてしまいそうな程に見開かれる。

 

「ぇ、ぁ、あの、十字架……ウレフ……の……や、つ、の?……っっっ?!!」

 

 半裸の男達の一人が呟きながら何かに気付いてガクガクと体を震わせながら、ギョロリとした蜘蛛が自分の首から紐を引き千切って、震えながら自分の手に落したのを見て。

 

「ぁ、ぁあ゛……ぁああ゛あぁ……」

 

 ジョロジョロと男の股間から理解と共に狂気が溢れ出し、琥珀色に地面を染めていくが、男は首を横に振りながらも受け取ってしまった十字架を落す事も出来ず。

 

 震えながら、その蜘蛛の幾つもある瞳に自分の顔を……。

 

 ドサリとその男が気絶して倒れ伏した。

 

 男が何を理解したのか。

 

 それを次々に理解していく聡明な男達が周囲の流刑者達を見やる。

 

 だが、その顔は夕日の逆光に隠れて見えない。

 

「良いかね? 教会の善良なる騎士達。君達は流刑者を殺そうと此処へやって来た。だが、逆を考えてみたまえ」

 

「ぎゃ、ぎゃ、く……?」

 

「世の理不尽、権力者や陰謀によって人の世から取り除かれ。それでも何とか生きようとした場所に自分達を悪と断じる者達がやってきた。さて、君達はそれを悪ではないからと“タダで”生かしておくと思うのかね?」

 

 ウートの瞳だけがギラギラと輝いて男達には見えていた。

 

 とても悲しそうな、何もかもを決めてしまっている瞳。

 

「悪と自分を断じるものを我らは敵とみなすだろう。それは自分を悪と思うからではない。此処は大陸ではないのだよ。人の世の辛酸を舐めた我ら流刑者は……此処ではどんな残酷にも無感動でいられるからだ」

 

 男達にはウートの瞳の色だけが映った。

 

 自分達を囲む流刑者の影の中。

 

 瞳だけは輝いている。

 

 自分達を見やる瞳を前にして男達は悟るしか無かった。

 

「自分の全てを壊した世の中とやらが送って来た刺客。さて、我らは君達を本当に可哀そうだと思えるだろうか? 君達を助けてやれればと考えられるだろうか? 聖人染みて許して、復讐されるのを許容しようと思うだろうか? もし、そうなるとすれば……それは我らと同じ、同胞となった時だけだ」

 

「―――ッ」

 

 代表者の男は冷たい汗に塗れ。

 

 今もまた天秤に掛けられた自らと仲間達の状況に全身を瘧のように震わせていた。

 

「明日の日没まで待とう。殉教するか。それとも自分達でケリを付けるか。あるいは……それは彼に聞くといい。それと」

 

 流刑者達の視線が一斉に数十匹の蜘蛛達に向いた。

 

「“彼ら”は彼の眷属だそうだ。君達の行動で彼らの処遇も決まるという事を十分に理解して貰いたい」

 

「………彼らに意識は、あるのか?」

 

「さて、それは彼に聞くといい。明日の朝、君達の下へ来るだろう」

 

 こうしてシャカシャカと数十匹の蜘蛛達はその野営地の一角に設けられた小さな柵の内部から出て、まだ周辺に散らばる元同胞達の遺体を他の野営地の住民達と共に丁寧な仕事で運び。

 

 衣服と貴金属類を回収後に森の一角に並べ始めるのだった。

 

 その日の夜、数匹の蜘蛛達が彼らの下にやってきて、柵の外からボタボタと涙を零しているのを見て、彼らの心は決まったのである。

 

 無論、全て少年の仕込みであった。

 

『夜になったら、捕虜の前で涙零して来て』

 

 そう数匹の蜘蛛に命令してあったのだ。

 

 生憎と蜘蛛は記憶を引き継がない。

 

 生物の脱皮前に肉体の全てはグズグズに溶けて内部で芋虫が蝶になるように脳も含めて全て再編されるからだ。

 

 今の彼らは別に十字架とか何とも思わない生物であり、脚が震えていたのは単に生まれ変わったばかりで肉体がまだ不安定だからに過ぎなかった。

 

 一応、ウートの言う事をある程度は聞いておくように言われていて、彼らが“空気を読んだ”というだけで人間並みの知性であったが、人間らしい発音器官を持たない蜘蛛は喋りようが無い時点で記憶不保持がバレる要素は0だった。

 

「神を捨てよう。だが、我らは同胞を見捨てず……此処に置いて貰いたい」

 

 そう朝にウートの前で言った騎士達の纏め役。

 

 40代の黒髪で強靭な肉体の騎士。

 

 ベスティン、ベスティン・コームは頭を下げ。

 

 野営地にて異教の神である教神イエアドの紋章を背中にリケイの手によって刻まれる事になる騎士達は蜘蛛達と共に生きる事を決めたのである。

 

 その紋章を彫り込むリケイの顔は仕事中は誰に見られるものでは無かったが、敵たる男達を失意の底に落し恍惚としてニヤリとしていた事だけは確かであった。

 

 *

 

『それにしても大所帯になったわね。あふ』

 

 少年の横で欠伸をしながらそう呟いたエルミは昨日の夜は一晩中捕虜の見張りをしていた為、寝不足と言いたげに少年の頭の上でだるーんとふやけて載っていた。

 

 黒い蜘蛛が数十匹。

 

 金色の蜘蛛が一匹。

 

 死体は見分後に薪をくべた場所を呪紋で燃やして、高温で瞬時に灰とし、それを置いていた場所に簡易の石碑を立てて灰を埋めるという埋葬方法で騎士達とは合意に至っていた。

 

『これだけいたら、色々出来そうよね。色々……』

 

 現在、騎士達の多くは野営地の者達に怖がられながらも、しばらくは野営地の一部で食料生産に従事する事。

 

 また、防衛の為に守備隊の訓練に参加して、持っている技術や剣術、知識を守備隊に教える事を以て野営地での居住許可が下りている。

 

 リケイの手によってシャニドの印を持つ少年に従属するよう背中に印が彫られている為、反乱は起こしようが無いと言う。

 

「まぁ、仕方なかったとはいえ。やっぱ、その剣はやべぇな」

 

「そ、そうですね。野営地の人達を護る為でも……やっぱり怖いです」

 

 墓地に埋葬を終えた水夫達が立ち去る中。

 

 今後の方針を決める為に遠征隊のメンバーで墓の前の森に集まって、蜘蛛達を整列させているところであった。

 

「ねぇ。アルティエ。この人達ってこれからどうするの?」

 

「野営地の防衛に騎士隊が付く事になったから、一緒に食料生産と見張りや他の雑務をして貰う予定」

 

「ふ~~ん。それで気に為ってたんだけど、あの子はどうして金色なの?」

 

 レザリアが聞きたい事を聞いてくれた為、空気を少しでも明るくしようとしたフィーゼもまた聞きたいという顔になって少年に視線を向けた。

 

「神聖騎士だった人。今は黒い蜘蛛の5、60倍くらい強いだけ」

 

「いや、数十倍って何?」

 

「神聖騎士が蜘蛛になるとそれくらい強い」

 

 思わずレザリアが聞き間違いかという顔になる。

 

「あの、つまり教会騎士の偉い人、ですか? 伝説や御伽噺の騎士ですよね?」

 

 フィーゼに少年が頷く。

 

「物凄く強い。普通に戦ったら100万回負けそうなくらい」

 

「さ、さすがにアルティエなら数回に1回くらい勝てるどころか。勝ち越しになるんじゃありませんか?」

 

 今回の一件で本当に少年の強さが身に染みた彼らである。

 

 だが、今回のようにはならなかった嘗てのルートでは幾度と無き敗北は少年にとって日常であった。

 

「今回は運が良かった。敵が上陸前に叩けて、不意打ちも出来て、連携もさせずに蜘蛛脚で一撃入れられたから……そうでなかったら今の能力じゃ勝てなかった」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「そうなの? アルティエ」

 

 少年が大きく頷く。

 

 金色個体以外が全て野営地の騎士隊と一緒にお仕事を言い付けられて解散された後、一匹だけがイソイソと少年達の下にやって来る。

 

「この子? おっきいね。昨日はもっと小さかったような?」

 

 その金色蜘蛛はやたらじっくりと全員を見た後、両手という名の前脚を使って深々と胴体を折り曲げるようにしてお辞儀する。

 

 その体躯は人程もある蜘蛛達の数倍倍近かった。

 

 一晩で膨れ上がったのだ。

 

 少年の見立ててではあまりにも強過ぎる能力のせいで蜘蛛という器に入り切らなそうな能力がパンパンの風船状態。

 

 突いても弾けてしまわないのが更に厄介だろう。

 

 ソレはもう今まで戦った最大級の蜘蛛よりもヤバイ何かとなっている。

 

「お、おう。礼儀正しいじゃねぇか。つーか、蜘蛛共はどいつもこいつも本当に何か知能高いんだな……」

 

「能力値も高い。膂力でこっちの3倍、魔力で2倍、霊力で1.2倍、体力で32倍、蜘蛛化してかなり失ってるけど、回復出来る生命属性呪紋に神聖属性の祈祷呪紋が合計で21個とか。人間じゃなくなってるせいで今は使えるのが3つとかでも十分……」

 

「は? 体力で32倍ってお前のか? それに持ってる呪紋多過ぎだろ……」

 

 思わずガシンが変な笑いが起きそうなくらいに顔を引き攣らせる。

 

「蜘蛛化のせいで体力と膂力だけ増えてる。今話したのは人間形態の時。現在は……全部話した3倍くらいになってる」

 

「勝てない化け物がお前の下に付くのか。怖過ぎるだろ……」

 

「眷属化は剣の能力だから、保険は掛けておく」

 

「保険?」

 

「これを使う」

 

「あ、蟲用の装甲だっけ?」

 

 レザリアに少年が頷く。

 

「これでまず大きさを元に戻す。そして、コレ」

 

 少年が掛けた指輪のようなリングを全員に見せた。

 

「コレ何?」

 

「ビ……人魚の輪」

 

「人魚の輪?」

 

「この間、拾った。生物を人間に近付ける。付けた人間に絶対服従する感じの契約を結ぶ」

 

 大体、合ってる程度の情報でさっそく少年がソレを金蜘蛛の目の下。

 

 顔の中心辺りにグリグリして突起に取り付ける。

 

「ねぇ、それって指輪じゃないの?」

 

「無くされても困る」

 

「そ、そう。確かにこれなら無くさなそう」

 

 蜘蛛の顔の中央に輪があるというのもおかしな話であるが、今は殆ど気に為らない程度のアクセサリーに違いなく。

 

「こっちも付ける。はい」

 

 少年が【ウズリクの脚甲】を脚の一つに嵌めた。

 

 すると、脚甲がガシュンッという音と共に脚に食い込んだかと思うと金蜘蛛が首を傾げている合間にも効果が出たらしく。

 

 体がゆっくりと縮んでいく。

 

「おぉ!? 小さくなってる!!?」

 

「大きいと問題だから」

 

「ま、まぁ、こんなに大きいとさすがに食料も大変そうですし……」

 

 そう言っている合間にも脚甲の色合いと形が変貌していく。

 

 最初の色合いが緑や赤、黄色と変色しながら、最後には白い紋章のようになって脚に同化して焼き付いたかのように消え失せた。

 

 しかし、内部から取り出せそうなのは少年にも分かった。

 

 脚を切れば、恐らくは元の脚甲として戻って来るだろう。

 

 急激に小さくなった金蜘蛛が自分の姿を見て、ヒョイッとジャンプ……したように見えたが、途端に周囲が爆散した。

 

 別に攻撃されていないが、いきなりクレーターが出来た後に蜘蛛が上空から戻って来る。

 

 周囲では少年が思わず大剣で衝撃を殺して、仲間達の盾になっていた。

 

「だ、だだ、大丈夫!? アルティエ」

 

「大丈夫」

 

 少年の下にサササッと戻って来た金蜘蛛は現在は子供の大きさ程までに小さくなっていたが、何処か済まなそうな気配で再び頭を下げる。

 

「オイオイ。大丈夫か? いきなり跳んだだけでコレとか……」

 

 ガシンの言う通りであったが、少年はしばらく体の使い方も慣れるはずだと言い置いて、自分の傍で監視する意味も含めて、金蜘蛛を遠征隊のマスコット枠兼荷物持ちで連れて行くのを決定したのだった。

 

「ねぇ、この場合……荷物任せてもいいのかな?」

 

「大丈夫。たぶん、家が乗ってもへっちゃら」

 

「家が乗ってもなんだ……」

 

 小さくなった蜘蛛に荷物を背負わせるのは何か心が痛む気がしたレザリアであったが、荷物のカバンを載せて、脚に革製の部分を括り付け、最後に紐で荷物をキュッと絞るとピッタリと言いたげに蜘蛛が荷物を左右に振って確認し出した。

 

「全然余裕そうですね」

 

「すごい身軽そう」

 

「だな」

 

 金蜘蛛がシャドーボクシングし始めた辺りで全員が納得する。

 

 荷物持ちはして貰おう、と。

 

「後、輪の効果でその内、人型の話せる相手になる」

 

「は?」

 

「へ?」

 

「ん?」

 

 シレッと重大な効果を告げつつ、西部最後の秘境である見えざる塔(魔力を通せば、糸で丸分かりになる)に全員が出発するのだった。

 

 勿論、少年の目には東部に向けて飛ばした蛭蜘蛛さんの視界が幾つか共有されており、そちらで起こる教会と現地生物達との激闘などもしっかり情報で映っていた。

 

 爆破しても生き残った船が東部の海岸線に漂着した後。

 

 どうなったのかは西部の塔が攻略された後に報告される手筈であった。

 

 *

 

 見えない塔の攻略2日目。

 

 もう踏破した塔内部は基本的に速足で駆け抜けて、三つ目、四つ目と橋が続く限り、全員が攻略していく事になっていた。

 

 塔内部には何処でも生活スペースのような場所があり、色々と拾い物はあったのだが、最初の鎧や魔導書とでも呼ぶべき本、脚甲、ドレスよりも価値がありそうなものはまるで無く。

 

 あるのは大抵が壊れた矢や粗末な武具の破片。

 

 他には内部を焼かれたような跡。

 

 そして、北部に向かえば向かうだけ破損が目立ち始める崩れつつある塔の全容くらいのものであった。

 

「ねぇ。アルティエ。塔がこっち側に向けて何かボロボロなのって北部側から攻められたからなのかな?」

 

「たぶん」

 

「って事はもしかして……」

 

「恐らく、そう」

 

 少年が巨大な山の岩壁が近付いて来た最後の塔の先に不可糸で構造を露わにしていくと……ようやく壁に橋が掛かった。

 

 しかし、橋の先には壁だけがあるように見える。

 

 転がっていた石を投擲すると壁の幻影が途切れて、岩壁の中に続く通路が現れ、全員の目の前に北部の道が開通する。

 

「やった!! これ北部地域への道だよね!? ね!?」

 

 レザリアがウキウキしている間にも少年が撤収準備と同時に塔の橋に何やらペタペタとテープ状のものを張っていく。

 

「何してるの?」

 

「罠」

 

「罠?!!」

 

 思わず驚くレザリアである。

 

「あん? 突入しないのか?」

 

「しない。というか、絶対ロクな事にならない」

 

「どういう事ですか? アルティエ」

 

 ガシンに応えた少年がフィーゼに向き直る。

 

「巡回者が使ってる可能性がある。でも、難所という事は普通に入っても普通に死ぬ」

 

「う……そういうのは知恵とか機転でどうにかするものじゃ?」

 

 正論を言うフィーゼだが、少年は肩を竦めた。

 

「大抵、山に掘られてるから、人口物と違って罠が発見し辛い。他にも内部に化け物がいたら、逃げる際に連れて来る可能性まである」

 

「な、なるほど……」

 

 フィーゼが想像したのは橋で化け物が爆発する光景であった。

 

「じゃ、どうするんだ?」

 

 ガシンがそんな罠で大丈夫かと薄いテープ状の紙にもっこりとした球らしいものが包まれて地面や手すりにベタベタ張られている様子を見やる。

 

「周囲に罠を張って北部から怪物の侵入を発見し易いようにする」

 

「具体的には?」

 

 ガシンに少年が橋のあちこちにベタベタ張ってあるものを分解して見せる。

 

「何だコレ? 球に紙?」

 

「蟲を磨り潰して粉末にして衝撃が加わると弾ける球。紙は樹の皮をなめしたヤツに粘着する蟲で取ったノリを使った。粉末は体内に入り込むと粘着質の液体になって臭いと光を発する。3週間は取れない。臭いは1か月取れない蟲が集まるのになってる」

 

「つ、つまり、此処を歩いて通ったら蟲塗れで光る怪物の出来上がり?」

 

 レザリアに頷く。

 

「これで数日毎に蜘蛛の視界で確認しにくれば、何かが入って来てもすぐに分かる」

 

「此処にすぐは来れないんじゃ。あ、もしかして最後の塔でしていたのって」

 

「霊殿にしておいた。内側からしか開けないように扉にも細工した」

 

「じゅ、準備周到ですね……でも、だったら北部にはこれからどうやって?」

 

「壁越えをする。いつも使う手」

 

「壁越え? いつも?」

 

「……何でもない。一番薄い壁を昇って抜ける。取り敢えず、壁越えは後回しにして東部に向かった方がいい」

 

「どうしてですか?」

 

「ファルターレの貴霊」

 

『あ~はいはい。わたくしの華麗なる裏工作に付いて話しておけばいいんでしょ?』

 

 少年以外が首を傾げた後。

 

 すぐに少年がどうして西部に向かうべきだと主張するのかを理解したのだった。

 

「つ、つまり、あの騎士の人達の本当の船を破壊したけれど、沈められなかったので西部に偵察しに行くのですか? アルティエ」

 

「必要なものは全部先に取っておきたい」

 

「必要な物?」

 

「たぶん、神聖騎士があの船には沢山乗ってる」

 

「………」

 

 元神殿騎士の金蜘蛛が視線を横に逸らした。

 

「次に襲われても勝てるように必要な道具になりそうな資源やクスリになる薬草は採取しておきたい」

 

「そういう事ですか。解りました。つまり、あちらの態勢が整う前にこっちに優位な状況を作って交渉、もしくは時間を稼ぐと」

 

 コクリと少年が頷く。

 

『もちろん、わたくしの生まれ変わり用の何たら蝶もですわ!!』

 

「エルミって本当に貴族だよね……」

 

『勿論ですわ!!』

 

 良い笑顔でジト目のレザリアにエルミがウィンクした。

 

「後、大霊殿の入り口も崩しておく必要がある。あの大霊殿の頂上には直接行けるのを確認してる」

 

「そ、それはあの屋上の聖人さんにちゃんと許可取ろう?」

 

 レザリアに頷いて、少年は【環支(かんし)符札(ふさつ)】を掲げて、自分の室内横の廟に全員で戻るのだった。

 

 その数秒後、幻の壁が消えた洞窟内部から幾つかの影が橋の上に移動してくる。

 

 それらがキョロキョロと周囲を見回した後。

 

 脚に粘着質の紙で包まれて張り付けられていた球を踏んで弾けさせ。

 

 その粉末によって雄叫びを上げると橋の上から落下していった。

 

 しかし、僅かな光は傍にある森の中でゴソゴソと蠢き。

 

 イソイソと移動し始めた。

 

 *

 

「という事なのですが、イブラヒルさん」

 

 骸骨の上で筋骨隆々の男が頷いていた。

 

『構わぬ。イゼクスの信徒共に殿内を荒らされるのも好かぬ故』

 

 東部の大霊殿。

 

 山の頂上にある聖地で守護者となった男は少年達の話に頷いていた。

 

 フィーゼが良かったと安堵する。

 

「その……一つお聞きしてもよろしいですか?」

 

『何だ? 娘よ』

 

「この場所は本当に東部なのですか。南にある地域からはこんなに広い山岳は見えなかったのですが……」

 

『そうか。お前達はまだこの島の事を知らぬのだな』

 

「?」

 

 フィーゼが首を傾げる。

 

「どういうこった? おっさん」

 

「ガシンさん!?」

 

『ははは、構わぬ。もはや朽ちた身よ」

 

 イブラヒルが笑いながらもすぐ真面目な顔となる。

 

『この島はイゼクスに追いやられた旧き神の由緒ある最後に残った場所なのだ。その加護もまた強く。だが、それ故に多くの滅びもある』

 

「滅び?」

 

『旧き時代。神世の残渣。それらは人の身には余るのよ。この南東部が崩壊したのも、その一つ……北部に人が逃げた後の事は知らぬが、もはや無人の野となって久しい此処に再び大規模な人の波が来るとすれば……嘗て、大規模に揚陸し権勢を誇った事のある教会だけだろう」

 

 少年をイブラヒルが見やる。

 

『お主は次なる時代の先触れなのだろうな。少年』

 

「……先触れ?」

 

 それには答えず。

 

『イゼクスの信徒共の事は了解した。大霊殿はこれより姿も消す事にしよう。入口は崩しても構わぬ。では、また会おう』

 

 骸骨に霊魂が戻っていき。

 

 少年達は入り口に野営地からそのまま持って来た大樽を仕掛けた後、不可糸の仕掛けで発破を掛けて崩した。

 

 そうして遠方から見やると山脈の岩壁が次々に周囲の霊殿の痕跡を消し去って土砂崩れで崩落した場所のみが遠方から見えるようになった。

 

『おっと一つ言い忘れていたな』

 

 少年の脳裏にイブラヒルの声が響く。

 

『このグリモッドに人は居らぬ。だが、人外の集落は存在する。人を已めた者達の数は多いのだ。人間の数よりもずっとな』

 

「………」

 

『人を相成れぬ者達もいれば、人に資する者達もいるだろう。ただ、留意せよ。グリモッドは霊殿の力によって守護された為に多くの一族が霊魂として大地に取り込まれている』

 

 イブラヒルは何処か自嘲気味に溜息を吐いた。

 

『その結果、霊魂の力を用いて新たな波を起こそうとする者達もまたいるのだ。その力は決してお主達に劣るものではない。神聖騎士共よりも先にグリモッドを踏破すると言うのならば、覚えておくといい』

 

「その相手の名前は?」

 

『緋隷王レイフェット……島の御伽噺になるような王でな。嘗て、このグリモッドで教会と戦い封印されてやったお人よしだ。他にも冥領という場所にも王が一人いる。蟲ではない王がな』

 

 脳裏への直接の言葉が終わると気配も同時に失せた。

 

「アルティエ? どうかしたのですか?」

 

「霊が多い土地柄だから、見えないと色々と危険だって言われた」

 

「そうですか。困りましたね。レザリアさんは良いとしても、ガシンさんや私ではあまり力になれないかもしれません」

 

「そこは考えてある」

 

「何か方法があるのですか? アルティエ」

 

「金蜘蛛の呪紋」

 

 少年が蜘蛛を見やるとシャカシャカと全員の前に進み出て来る。

 

「アルティエ。そう言えば、この蜘蛛さんの名前それでいいの? 一応、これから一緒に見て回るんだから、蜘蛛じゃ呼び難いと思う」

 

 レザリアの最もな話に少年が蜘蛛を見やる。

 

「……フレイで」

 

「アルティエが決めたなら、それでいいんじゃない? よろしくね。フレイ」

 

「(・ω・)|」

 

 フレイと名付けられた金色蜘蛛は片手を上げて、応答するのだった。

 

「「「!!!?」」」

 

 だが、その瞬間に少年以外の全員がギョッとする。

 

 何故か?

 

 蜘蛛の上げた脚が人間の腕になっていたからだ。

 

 しかも、白くてフニフニとした質感の子供染みたものだ。

 

「こ、これって……人間になるとか言う例の効果ですか!?」

 

「オイオイ。いきなり驚かせるなっつーの」

 

 フィーゼとガシンがさすがに蜘蛛の脚が人間の腕に摩り替っている様子に顔が引き攣る。

 

「ほ、本当に人間になっちゃうんだ。蜘蛛人間? 人間蜘蛛? でも、さすがにボクもこれはちょっと……蜘蛛脚だけならまだカワイイのに」

 

「(>_<)」

 

 ショックを受けた金蜘蛛……フレイがガクリと項垂れる。

 

「変化する時は夜にしておいて貰えば解決」

 

 いや、そんな機能無いのですがと言いたげな蜘蛛だったが、しばらくは彼らの後ろで視界に入らないようにしておこうと決意するのだった。

 

「さて、で? 何処に向かう?」

 

「この領域の端を西部と同じように全部確認する。話はそれから」

 

「地図の作製ですね」

 

 ガシンの言葉に応えた少年にフィーゼがイソイソと新しい地図用の紙と片手に持てる程度の大きさの板を広げ始めた。

 

「この霊殿が基点で一番端の一部だと思う。此処から山の岩肌に沿ってある程度形を測定して、大まかに何が何処にあるのかを書き込んでいく」

 

 という事でまずは少年を先頭にして全員が速足で岩壁に囲まれた外周を見て回る事になるのだった。

 

―――数時間後。

 

 凡そ6時間半で40km程も移動した彼らは予想害に西部の下半分であるグリモッドが広い事を確認していた。

 

 壁際をマッピングしながら、自生する植物や薬の原料になりそうなものは少年が片っ端から採取して、一部をモシャッていたが、左程効能のあるものはなく。

 

「霊力が増えるのは希少かも……」

 

 そう言って、効力が小さいながらもグリモッド独自の薬草を収集しては袋を蜘蛛に持たせるという形で今や後ろを付いて来るフレイの背中の荷物には幾つも大きな革袋が横からぶら下がっている。

 

「そう言えば、アルティエ。前から気に為っていたのですが、体力や魔力は分かるのですが、霊力とは何なのですか? 幽霊の力というくらいには思っているのですけど……」

 

 フィーゼがそう前からの疑問を口にする。

 

 少年が何かを得たり、食べたりする旅にブツブツ呟くのは仲間内では周知の事実であるが、言っている事が半分以上分からない事の方が多い。

 

 その上で霊力というのは彼らにも何となく呪霊関連の力という事しか分かっていなかった。

 

「霊力は霊体の総量。霊体は魂。だから、使い過ぎると危険。血と同じであんまり使うと死ぬから使わないに越した事ない」

 

「そ、そうなのですか?」

 

「魔力は体から空っぽになるまで抜いても死なない。でも、霊力は血と同じで失い過ぎたら死ぬ。呪紋の対価に霊力を使うものは魔力で代替出来る内は代替するべき。ちなみに使用する場合の致死量の目安は8割以下7割以上」

 

『こ、怖い事言わないでくださいまし!?』

 

 思わずエルミが反応していた。

 

「どうして、エルミが怖がるの?」

 

 レザリアが首を傾げる。

 

『当たり前でしょう!? わたくしの体は魂ですわ。魂を使われたら、死ぬのですから、霊力使用は自分以外のを見ても気分が良いものではないのですわ!?』

 

「成程……」

 

「エルミさんが何か怖がってる事だけはレザリアさんを見てて解りました」

 

 まだ霊が呪霊召喚されないと見えないフィーゼとガシンである。

 

「こっち」

 

 少年が蜘蛛を呼び寄せてそろそろ夕暮れ時となる空の下でフィーゼとガシンを前に立たせる。

 

「神聖属性祈祷呪紋【啓示】」

 

「(>_<)」

 

 少年とフレイが同時に呪紋を用いて2人に手を翳した。

 

 フレイの手が地味に二本目も人間の腕になっている事は全員が完全スルーであった。

 

 が、呪紋の効果は劇的であった。

 

「「?」」

 

 2人が思わず周囲をキョロキョロして、自分達の後ろに浮かんでいるエルミを見やって目をパチクリさせた。

 

「おお、霊が見えるのか?」

 

「エルミさんが召喚されて無くても見えますね」

 

『声も聞こえるはずですわ』

 

「アルティエ。この呪紋は霊が見えて聞こえるものなのですか?」

 

「単なる副作用」

 

「副作用?」

 

「この【啓示】は神の力を見る呪紋。霊殿の方や聖印が黄金に薄く輝いてるのが分かるはず」

 

「あ、確かに薄らイエアドの聖印が……」

 

「霊殿の方も何か上に伸びてるな。魂ってヤツを空に還してるような感じに見えるぞ。霊殿も微妙に輝いてるみてーだな」

 

「だから、霊の危ないのも見える」

 

 少年がダガーを片手にして数m先から何かがゆっくりと近付いて来るのを確認。

 

 全員が戦闘態勢に入った。

 

「何だコイツら!? 亡霊か」

 

 彼らが見たのは10体程もいるだろう首無しの襤褸を着込んだ骸骨だった。

 

 青白い彼らの手には同じ質感の草刈り釜や手斧が握られている。

 

「魂が劣化して、意識のある場所が無くなったまま亡霊になったヤツ。このまま攻撃しても問題無い」

 

 少年の言葉通り、全員が一斉に攻撃を仕掛ける。

 

 フィーゼは先日、船を射った弩に普通の矢を用いて、精霊に頼んで引いて貰って狙って打ち込み。

 

 レザリアは持っていたシールドで突撃して相手を粉砕。

 

 ガシンは脚甲で敵を蹴り付けて薙ぎ倒し、少年はダガーでサクッと相手を切り付けていく。

 

「効いてる? もっと、幽霊とかは攻撃が効かない相手だと思ってました」

 

 フィーゼが横に浮かばせた弩に精霊を用いて矢を装填し、撃ちながら少年へと視線を向ける。

 

「本来は威力が半減以下になる。でも、【啓示】を使っている間は存在が異なっていても認識する領域への威力減衰が0になる。神聖騎士の基本性能」

 

「よく分かりませんけど、倒せるって事ですね!!」

 

『団体客が遠方からわんさか来てるわよ~頑張りなさいね~貴方達~』

 

 一応、敵側の増援を教えてくれる優しい亡霊少女が指差した西側の森からは青白い人型の群れがやって来ていた。

 

『数は~~そうですわね~~40体くらいかしら?』

 

「多い多い!? アルティエ!? 大丈夫!!?」

 

「そのくらいの数なら、途中林が途切れた場所があるから、そこで迎撃」

 

 少年が最後の一体を切り伏せて散逸させた後。

 

 そのまま走り出して山林と山林の切れ間のような場所に出る。

 

 すると、横一列に大量の青白い輝きが向かってくるのが見えた。

 

「集合!! クナイ投擲。弩を使用。最前列を倒したら、瓶を後方中間地点に投擲」

 

 出来る限り、相手を近付かせずに倒す。

 

 その為の戦術であり、戦闘技術である。

 

 近付いて来る亡霊達が次々に攻撃態勢に入る直前には森の出口でクナイの爆発に巻き込まれ、バタバタと倒れ伏し、走って来る敵の多くの中央に横一列に投擲された爆発物な小瓶が炸裂。

 

 周囲を吹き飛ばして30人近くが一斉に溶け崩れた。

 

 それに更にクナイで追い打ちを掛けた少年達が相手を駆逐するまで20秒。

 

 淀みなくフレイの大荷物から消費した物資を装備用の場所に入れ込んでいく彼らは軍隊染みて隙無く補給を終えた。

 

「周囲偵察」

 

『はいはい。まったく、主使いが荒いのですから……』

 

 上空に飛んだエルミが周囲をグルリと見渡す。

 

『八時方向に村らしきものを確認しましたわ。どうやら、あの一般人の方々はあちらから来たようですわね』

 

「蛭蜘蛛。偵察を」

 

 少年がフレイの荷物に紛れ込んで今まで眠っていた蜘蛛に呼び掛ける。

 

 すると、すぐに荷物の隙間から這い出て来た蜘蛛が敬礼して、少年の指示通りに飛行し、村らしき場所をそっと上空から覗き見た。

 

「……何かおかしなのがいる」

 

「おかしなの?」

 

 レザリアが少年に眷属同士の視界共有で映像を回された。

 

 村の廃墟らしき場所では頭の無い亡霊達が200体以上、大量にウロウロしていたのだが、その村の中心地点には鉄製の籠が並んでおり、その中心点に2m程の体躯の青白い亡霊達と同じ質感の何者かが佇んでいた。

 

「他の人と違って全体が布地で覆われた服着てるね。アルティエ」

 

「武器も大鎌を握ってる上に死神みたいな恰好……」

 

「死神?」

 

「危なさそうだから、遠距離から排除する」

 

 少年が村から最も近い岩壁に吸い付くようにして真菌で真上に歩き出し、ロープを垂らしてフィーゼを引き上げる。

 

「こ、此処から狙うのですか?」

 

 フィーゼが見るに廃墟までは500m以上の距離があった。

 

「大丈夫。精霊でちゃんと狙える距離」

 

「その~どうして知ってるのですか?」

 

「この間、海で戦ってる最中に命中精度は図った」

 

 一度見れば、少年には射程距離くらい筒抜けという事に改めて少女は少年の戦闘勘の凄まじさを知った思いになるのだった。

 

「弩の方向はコレで固定」

 

 少年がフィーゼが手前で精霊に浮かばせた弩の向きを誘導する。

 

「後は一番強そうなのを射貫けと命令すればいい」

 

「は、はい。お願い!!」

 

 弩が発射された。

 

 精霊の加護と誘導で空を奔る矢が精霊の光を宿して飛ぶ。

 

 それは狙い違わず。

 

 亡霊達の中心存在らしいものの頭部を射貫いた。

 

「第2射」

 

「はい」

 

 油断せずに最速で装填。

 

 精霊への指示を出して、フィーゼが二射目を放つ。

 

 相手はまだ頭部に攻撃を受けても起き上がろうとしていたが、再びその顔面のど真ん中に弩の矢が突き刺さり、霧散した。

 

「か、勝ちました!!」

 

 相手が何処から攻撃していたのか分からず。

 

 亡霊達がキョロキョロと周囲を見回していた。

 

「爆発筒を装填」

 

 少年の言うがままに今度はいつもの爆発物入りの小瓶が着いた矢……ほぼ摘弾に近い代物が装填されて、何事かと中心域に集まって来る亡霊達の中心に撃ち込まれた。

 

 ―――!!!?

 

 一瞬で20体、30体単位で爆発と共に吹き飛び。

 

 更にその喧騒に集まって来る亡霊の群衆へ第2射、第3射と爆撃が続き。

 

 5分もせずに廃墟となっていた村は炎がパチパチと燻ぶる程度の更なる瓦礫の廃墟となって消滅したのだった。

 

―――10分後。

 

 500m程先の岩壁からの爆撃を完了させた一向は瓦礫となった廃墟にやって来ていた。

 

 さすがに全て吹き飛んでいたが、鉄製の籠だけはそのまま拉げてはいたが、形を保っており、一番恐ろしそうだった敵のいた地点には大鎌らしきものが落ちていたので少年が拾い上げる。

 

「これも……抗魔特剣?」

 

「え? それって蜘蛛脚と同じヤツ?」

 

 レザリアに少年が頷く。

 

「抗魔特剣【神曳きの大鎌】」

 

「カミビキ?」

 

「神の死体を運んだ鎌。専用効果呪紋【霊曳きしもの】付き」

 

「神の死体を運ぶ……それって大昔の武器って事でしょうか?」

 

 フィーゼが首を傾げる。

 

「たぶん、元々のものを真似て造られたものだと思う」

 

「へ~~で、どんな効果なの?」

 

 レザリアが興味津々な様子で訊ねる。

 

「生物の死体に刃を使うと散逸前の霊力を吸収して回復出来る。吸収効率は死後の時間に比例して減少。死んでない生物には効かない。対亡霊特化の常時発動型、呪霊に対して使ってもスゴク強い。呪霊や亡霊は霊力の塊で死んでるから即死効果。完全に現世から消滅させられる……でも、霊力を引き出して装備したら、死霊が集まって来るみたい。ちなみにたぶん普通に戦ってたら、他の亡霊を鎌で切られて延々と回復されながら戦わなきゃいけなかった」

 

『そ、それ近付けないで下さいまし!? わたくしが蘇れなくなっちゃいますわ~~!!?』

 

 最後まで聞き終えてから悲鳴を上げたエルミがフレイの荷物の後ろに隠れる。

 

「ああ、そのせいであんな大量の亡霊さん達が此処に……」

 

 フィーゼがもしまともに戦っていたら無限の亡霊の壁の前に敗北していたのだろうと溜息を吐いた。

 

「どうすんだ?」

 

「……はい」

 

「はい?」

 

 ガシンに少年が鎌を渡した後。

 

 首元のエンデの指輪のネックレスが掛けさせられ、背後から少年が腕を持って武器を折るような仕草をした。

 

 途端、ガギャァンッと猛烈な勢いで大鎌が破壊され、光を発して、散逸する前にソレがガシンの中に吸い込まれる。

 

「な、何だ!? 何しやがった!?」

 

「亡霊に触れば、霊力を吸収して消滅させられるようになった。本来、武器も無しだと攻撃しても殆ど一撃でどうにかならない。けど、これで問題無くなる」

 

「ま、まぁ、これで此処でも戦える、と」

 

 ガシンが自分が強くなったという事が体感で理解出来たので拳を開いたり閉じたりしながら目を細めて、構えを取ってシャドーボクシングし始める。

 

「幽霊には素手で。相手の武器も霊力だから、問題無く吸収出来る。半減しても2回触れば全部解決する。自分の霊力も増えてお得」

 

「はいはい。後で確認だなこりゃ……」

 

 少年が指輪のネックレスを回収する。

 

『そこの人!! わたくしには二度と近付かないでくださいましね!?』

 

 エルミがフレイの影からそう噛み付きそうな勢いで叫ぶ。

 

「自分から近付かねぇよ。はぁぁ……」

 

 これからも煩く言われそうだと溜息一つ。

 

「今日は此処に霊殿を築いてから帰る」

 

 こうして少年が広場の鉄籠の中心地にダガーでイエアドの聖印を書き込んで地面に定着させ、符札を掲げて全員を集めて帰投するのだった。



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第24話「滅び切れぬグリモッドⅡ」

 

「祭司会議を始めようか。諸君」

 

 紅の大司教。

 

 いや、元大司教。

 

 今は無貌の司教と呼ばれて久しい彼。

 

 サヴァン・ラブゼル。

 

 彼を頂点とした巨船【オベイル】の最高会議は彼を含めて6人の神聖騎士から成っている。

 

 船の船首が大破したオベイルは岸壁に追突しながらも形を保ったままに多くの騎士や修道士、修道女達を大地に降ろす役割を終え、今は運び出されつつある荷が無くなるに連れて静かになりつつあった。

 

「先生。フレイズの件はアンタの手落ちだぜ」

 

「左様。フレイズが破れるとなれば、敵は連中の中でも上位。聞けば、今回はあの魔の布教者がいた可能性もあると聞き及ぶ」

 

「となれば、サヴァン司教。貴方が責任を御取になるべきだと愚行しますが」

 

 三人の男達がサヴァンに向けて冷ややかな視線を送っていた。

 

 先生と呼んだ男はまだ歳若い赤毛の男。

 

 軽装の鎧に灰色の外套を着込み。

 

 片腕に腕章らしきものを付けている。

 

 それには黄金の炎が描かれ、背には槍を背負っている。

 

「先生。アンタは今回焦ったんだ。自分の顔を持って行った相手がいるかもしれない。だから、高々単なる流刑者相手にフレイズの野郎まで出したわけで……あっさり死ぬとは思ってなかった」

 

 赤毛の男は鼻が高く。

 

 何処か鷲を思わせる眼光と相貌。

 

 しかし、辛辣であった。

 

 円卓にある蝋燭一本の灯りの中、瞳には煌々と男を糾弾する光がある。

 

「まったくの道理。サヴァン司教。祭司会議の議長は降りられるが良かろう」

 

 そう目を細めたのは40代程の筋骨隆々の男だった。

 

 厳つい顔は何処か獅子染みて、白髪が混じり始めている金髪がオールバックに撫で付けられた彼は何処か貴族の当主にも見える風格で褐色の肌に血管を浮かせて、全身の怒りを露わにしていた。

 

 ケロイド状の両手……鋲らしきもので金属のパーツを打ち止めしたようなソレがダンッと円卓を叩き、罅割れさせる。

 

「では、決を採ってはどうか? 無論、今は野営地の守護をしているルクサエル様にも後に結果を出して頂いてからで構わない」

 

 そう男の解任を推す男は痩せぎすで高身長の男だった。

 

 蒼褪めた白い肌が氷のように硬い印象。

 

 その死人よりも冷たそうな蒼い瞳のスキンヘッドの彼が錫杖を片手にガンガンと床を叩いた。

 

「フォルク・メシエ。ウラス・カラエラ。エルタ・オル。君達はどうやら事態の深刻さよりもこんな僻地で勢力争いをしたいようだ」

 

 サヴァンが溜息を吐く。

 

「アンタが元々始めた事だろ!? オレらの勢力を削ってたのを知らないとは言わせないぜ!? 先生!?」

 

「まぁ、その通りだな」

 

「今更、知らないと言い始めるかもしれないが……」

 

 男達は其々に不満を口にする。

 

「永い付き合いだ。率直に語ろう。フレイズが死んだ事は誠に遺憾だ。だから、というわけではないが、本気でこの島を潰そうと思う」

 

「「「?!!」」」

 

 三人の男が同時に僅か鼻白む。

 

「勢力争いもあの方がやれと言っていた健全なる世界の為の一貫。それを教会内部でも疑似的にやっておけというだけの事に過ぎない。だが、まぁ……此処の空気は君達にも分かるでしょう?」

 

「「「………」」」

 

 男達が押し黙る。

 

「此処は過去の空気に満ち満ちている。あの暗黒の日々。世界の全てが闇に覆われた頃のものだ」

 

 サヴァンが三人に視線を向ける。

 

「此処を制圧した後なら幾らでも諸君らの愚痴は聞こう。だが、此処では私に任せて貰おうか」

 

「先生……アンタ、本気なんだな?」

 

「ああ」

 

「この数百年間、アンタの本気なんて“災厄潰し”の時しか見た事無かったが、そうか……ならいいぜ。ただし、此処が終わるまでだ」

 

 フォルク・メシエ。

 

 サヴァンを先生と呼ぶ青年が仕方なく頷く。

 

「そちらが本気ならいいだろう。此処は治めよう。だが、後の事をしらばっくれたならば、覚えておけ」

 

 ウラス・カラエラ。

 

 獅子のような男が不満そうながらもどっかりと背もたれに寄り掛かる。

 

「あの紅の大司教が30番台の青二才が死んだ程度でみっともない。昔の貴方は正しく人を人とも思わぬ方だったはずだがな……その口調も含めて今風だと言われるか?」

 

 エルタ・オル。

 

 スキンヘッドの蒼褪めた長身の彼が皮肉交じりに男を睨んだ。

 

「時間の効用だよ。エルタ……人は変わる。我ら不死者とてな」

 

「それで? これよりどうすると?」

 

 エルタの問いにサヴァンが地図を広げる。

 

 それは島の形を描き込んでいたが、内部は殆ど白紙だった。

 

「定石として周辺地域の確保。修道士と修道女達に生産を任せ、探索隊を4隊に分けて近隣を制圧。諸君らにも解っているだろうが、この地域はどうやら霊の力が強い為、恐らくは呪霊共の巣窟だろう。持ち込んだ対呪霊、対呪具の装備で固めて、後追いは無しで着実に進める」

 

 男達がサヴァンがインクで予定をカリカリと書きながら、絵心を発揮して船と難破した周辺地域の情報を書き込むのを傍に寄って覗き込む。

 

「周辺海域にはオベイルの後部甲板から船を出して回収は可能だ。岸壁への船体係留と固定も1週間後には終わる。食料は100日分。それまでに海産物と周辺での食料確保、食料生産は必須」

 

「兵站は?」

 

 エルタにサヴァンがすぐ答えを導き出して見せる。

 

「この地域で家畜を安易に遠方で使うのは頂けない。荷車を手押しだ。好きだろう? 我らの青春だぞ」

 

「御冗談を……」

 

「野営地を制圧と共に3里毎に増やしていく。周囲に耕作地帯を構築。小規模な策源地さえあれば、最初期の入植は完了。制圧地域には呪具を一定距離で埋設処理し、霊の移動と接近を制限する」

 

「先生。アンタの話は解った。それでも残った2500人の話だ。騎士隊が合わせて600いるとはいえ、どう分ける?」

 

 ファルクの言葉にサヴァンが各位の名前の下に役職を書き連ねていく。

 

「策源地及び野営地本拠点の護りに300。残り300を3隊で分けて貰う」

 

「さっきは四隊って言ってただろ?」

 

「彼女を少数精鋭で行かせる」

 

「「「………」」」

 

 三人が思わず黙り込む。

 

 その沈黙は何処か考え込んでいる様子であった。

 

「彼女とて神聖騎士だ。そして何よりもこの状況に憤ってもいる。護りに向かない性質なのは君達も知るところだろう。此処の護りは私と直轄部隊で弱卒共を統率して行う」

 

「先生……あの女を自由にさせるのか?」

 

「君らが謎の敵を前にして死体で帰るよりはマシだろう? フレイズは死体すら戻って来ていない」

 

「不死殺しとなれば、リケイがいるのはほぼ確定か……」

 

 ウラスが目を細める。

 

「また、オベイルの外殻を破砕する程の威力を持つ兵器が相手側にあるとすれば、不用意な接触や挑発は厳禁だ。君達には是非とも自重して事に当たって貰いたいものだな」

 

「いいでしょう。サヴァン司教。それではさっそく行って来ましょうか。それで我々を何処に振り分けるつもりで?」

 

 エルタが訊ねる。

 

「取り敢えずは東部から西部……いや、この狂った地では西部も東部も無いだろうな……新しい地図の作製も我らの仕事に加えておこう」

 

「どういう?」

 

「この領域がもはや地図としての整合性が取れない程に広い。また、恐らくだが……空間が歪んでいる為に何処かの地域が何処か本来の地域とは別の場所に繋がるような部分もあると考えていい」

 

「何と……」

 

「とにかく周辺地域だ。まずは中核地帯を制圧するのが先決。先走って死にたい者がいないならば、予定進出線をよく見ておく事だ。一月で現状を安定化させる。出来る限り、情報は集めて欲しい。意志のある存在もしくは南部ニアステラの野営地の者を発見しても不用意に接触するな」

 

 こうして彼ら今後の予定を詰めていく。

 

 グリモッドの北。バラジモールの岸壁の一角。

 

 教会の野営地は広がり始めたのだった。

 

 *

 

「ほうほうほう?」

 

 グリモッドでガシンが奇妙な鎌の力を使えるようになった翌日。

 

 リケイに青年はじっくり見られていた。

 

「ふむ。では、シャニドの印ではなく。レキドの印にしますかな」

 

「お、おい。じいさん!? オレの体に何しようとして」

 

「大丈夫大丈夫。このリケイ、失敗は人生でこの方3回しかしておりませぬ」

 

「失敗って何だ!? 失敗するとどうなんだよ!?」

 

「大丈夫大丈夫。霊力を喰えるようになった存在というのは“霊食い”と言いましてな。魔力が強いものや身体能力が強いものと同等に呪紋に目覚めやすくなるのですじゃ」

 

 リケイが上半身裸のガシンの背中をバシンッと叩く。

 

「痛ってぇ!? 何しやがんだよ!!?」

 

「ほい。お終い」

 

「は?」

 

「背中に入れておきましたぞ。レキドの印は正方形なのですじゃ。面とは即ち、魂の様々な面を顕しており、六面には一つずつ、生物の本能が刻まれておるのですじゃ。主には食欲、色欲、我欲、財欲、名欲、権欲ですな」

 

「あっそ。で?」

 

「レキドの印は円という自己の内部に六つの欲を満たした魂を顕すもの。吸収する霊力の質や性質によって呪紋を得られるようになりますじゃ」

 

 ガシンの背中には確かに今言われたような円環と賽子のようなものが書き込まれており、全てにおいて色が違う様子であり、その刻印の一部には一文字が既に彫り込まれていた。

 

「ぁ~~痛ってぇ……」

 

 朝っぱらからげっそりして戻って来たガシンを仲間達が出迎える。

 

「強くなった」

 

「ぁあ、そーかい。はぁぁ、素手で亡霊共を殴って殴って殴り倒せって事でいいか?」

 

 少年が頷く。

 

「これでガシンもちゃんと戦えるね」

 

 ケロッとレザリアが呟き。

 

 フィーゼが慌ててレザリアの口を塞ぎ。

 

 ガシンの顔が引き攣る。

 

『ま、クナイ投げるだけでしたし、いいんじゃない? 霊相手なら武器も吸収出来るのですから、霊力で他の現象を起こしていないなら、傷付きもしないでしょうし』

 

 エルミが肩を竦める。

 

「お、おまえらぁ~~~これでもなぁ!? 奴隷拳闘じゃちったぁ名前が知れてたんだぞ!? 華のガシンと言えばなぁ」

 

「今日もグリモッドの踏破頑張ろう」

 

「「おー」」

 

「(>_<)/」

 

 ざっくりフレイにすら無視されたガシンがガクリと項垂れる。

 

 敵があまりにも理不尽過ぎて、今まで殆どクナイで戦っていた手前、自分の強さを誇示出来る接近戦が殆ど無かったのだ。

 

「遠征隊最強の座はいつかオレが取るからな!! アルティエ」

 

「うん」

 

 決意したガシンの修行というよりは少年の寄食に近い自己鍛錬はようやく始まったばかりであった。

 

―――昼時。

 

 グリモッドの廃墟から再び出発する事になった遠征隊は南部に近付けば近づく程に多くなっていく亡霊達との接触に疲弊……する事は無かった。

 

 理由は新しい力を手に入れたガシンに大抵の敵を任せたからだ。

 

 朝からの決意に亡霊達に突撃し、次々に両手両足の指を接触させる形で相手を瞬間的に二撃で即死させていく姿は今までクナイ投げマシーンと化していたのが嘘のように生き生きしており、ある意味で弱い者虐めであった。

 

「ふぅ……これで83体目。お、助かる」

 

「(・ω・)/」

 

 フレイに手拭を渡されて汗を拭く姿はもはや拳闘後の時と左程変わらないかもしれないくらいに生き生きしている。

 

「ねぇ。アルティエ。アレって霊力どれくらい吸収してるの?」

 

「変換効率1%から現在1.2%くらい。危ない霊力から不必要な情報が取り除かれてるから、そんな感じ」

 

「不必要な情報って?」

 

 レザリアが切り株に腰掛けながら訊ねる。

 

「憎悪とか負の感情とか死の間際の断末魔とか」

 

「た、確かに魂そのものを吸収してるんだから、そういうのを排除しないとすぐに廃人になっちゃいそう……」

 

「そういう事。吸収効率は吸収した霊力に比例して上がる。効率が上がるって事は魂が強靭になって、そういう感情や記憶をものともしなくなるって理解でいい」

 

「へ~~」

 

『断固近付くのは厳禁ですわ』

 

 エルミが相変わらずガシンから離れて少年の背後に隠れていた。

 

『皆さ~ん。あっちの森の中の断崖に何かありますよ~』

 

 フィーゼが近くの方向で呼ぶ声がして、全員が其処まで行くと20m程地表との落差がある小さな凹んだクレーターのような場所があった。

 

 樹木が茂る内部には泉のようなものが存在しており、周囲には遺跡のような朽ちかけて苔生した石柱が倒れたり、折れたりしていた。

 

「あれ、遺跡じゃないでしょうか?」

 

「だが、降りる場所無くねぇか?」

 

 ガシンが当たりを見回しても断崖を降りる為の場所が見当たらない事を確認したが、少年がすぐに遺跡とは反対方向に向かうので一緒に付いて行く。

 

 全員が辿り着いたのは遺跡から最も遠い崖の傍であった。

 

 少年がその辺にある土を握ってばら撒く。

 

「「!!?」」

 

「こ、此処も見えない階段がある!!?」

 

 フィーゼとガシンはそう来たかという顔になっていた。

 

 その見えない階段を少年がコンコンと脚で叩く。

 

「大丈夫そう。先に土を落しながら行く」

 

 少年が両手に土を山盛りにしてばら撒きながら地表への階段を探していく。

 

 すると案外くねった階段が螺旋状になっているのが確認出来た為、全員が少年の少し後ろを付いて行く。

 

 しかし、地面に降りようとした少年が再び土を撒く。

 

 すると、地面があるはずの場所を素通りして、土が消えた。

 

「悪質……」

 

 少年がジト目になり、不可糸を発動する。

 

 すると、あまりにも怖ろしい事に階段以外の20m程下の地面は全て幻影である事が判明し、更には底無しに見える最下層にまで辿り着いた糸がジュッと音を立てて毒沼っぽい場所で焼き切れた。

 

「オイオイオイ!? ヤバ過ぎんだろ!?」

 

 フィーゼとレザリアは自分達なら何の躊躇もなく踏み抜いて100m近い落下で拉げて沼の中に落着しただろうとガクガクブルブルしている。

 

 しかし、不可糸が絡みついて行く周囲の構造物の一部には見えない階段が引き続き続いており、それが湖の淵にまで到達した。

 

 湖そのものは存在しているようだが、どうやら湖以外は全てフェイク。

 

 少年が歩いた場所を辿って全員が階段の先の通路へと歩みを進める。

 

「アルティエ。こ、此処怖いよ!?」

 

 レザリアの言う事は最もであった。

 

 二重の罠は正しく悪意の塊である。

 

「後で沼の毒は貰っていく」

 

 シレッと抗体を得る為に毒を頂く宣言をした少年は数分歩いて辿り着いた湖に菌糸の黒い糸で掴んだ小瓶を入れて水を注ぎ。

 

 目の前まで持って来て、菌糸の塊を手前に落して、其処に垂らした。

 

「………?」

 

 少年が目を凝らす。

 

 すると、黒い菌溜まりがウヨウヨと蠢いて、少年に引っ付く。

 

「アルティエ!!? 大丈夫ですか!?」

 

「大丈夫……これ、初期化されてる?」

 

「ショキカ?」

 

 少年が菌糸を自分の菌糸で取り込んで何が起こったのかを理解した。

 

「生命体の遺伝情報を若返らせてる……生命の原初への立ち返り……これって……遺伝創薬系の復元……若返りの泉?」

 

「はぁ!? マジかよ!?」

 

「しかも、この菌類……今使ってるのよりも凄く単純化されてる。個体そのものの内部にある偽遺伝子を活性化して生物そのものの系統を遡らせるとか……逆進化薬? みたいな感じ」

 

 少年が非常にヤバイ湖を見付けて思わずジト目になる。

 

「あの~~アルティエ。それってお薬になりますか?」

 

「物凄く危ない。もし、用量を間違えると人間が粘液になる」

 

「に、人間が粘液ってどういう事ですか?」

 

「行った通り。人間の昔の昔の昔の昔の昔のご先祖様くらいの生物になって意識も消えて魂も溶けて、単なる生きてるだけの生物になる」

 

「うわぁ……」

 

 レザリアが危ない液体を前にドン引き状態で後ろに下がる。

 

『ふぅむ。わたくしがお祖母ちゃんになった頃に100倍希釈したものを頂きますわね。残しておいて頂戴。アルティエ」

 

 エルミの言葉にレザリアのみならず少年もジト目だ。

 

「……必要になったら取りに来る」

 

 少年が湖の周囲を不可糸の糸で形成した大地を生み出し、そちらに乗ってからフィーゼに爆瓶……いつもの爆薬を載せた矢で今まで来た一本道を全て破壊させた後、地面の下に湧き出した水を落し続けている湖の淵にイエアドの印を刻んで、黒い菌糸で周辺に蓋をした後、その菌糸を遥か底の毒沼に浸して抗体を得つつ体積を増やして湖の周囲を完全に菌類の楽園というよりはドーム状にした。

 

「不可糸」

 

 更にその後、菌糸の蓋の上に不可視のドームを形成し、一緒にイエアドの印がある一帯を部屋のように形成。

 

 いきなり建物染みたものを作り出した少年の技を固まっている全員を置き去りに汗を浮かべながら、少年は周囲の崖を崩してドームを埋めてしまう。

 

 普通の人間が下りるには高過ぎるようにしつつ、ドームは土砂で埋まり、菌糸のコロニーそのものが隠されて少なくとも数m以上掘らねば、発見しようもないという状況で固定化したのだ。

 

 ドーム内部の空気は外部の菌糸が入れ替えるように設定しつつ、息を吐いて地面に座り込む。

 

「あ、あの、大丈夫ですか? アルティエ」

 

「大丈夫……」

 

「お前、時々本当に人間に出来なさそうな事するよな。一人でこんなもん作っちまうなんてよ」

 

 暗いドーム内でも明かりが見えるのはランタン代わりに神の力が見える【啓示】の効果で全員のイエアドの印が光り輝いているからだ。

 

「ちょっと実験するから、しばらく休憩」

 

 言っている合間にも少年が黒い菌糸で造った杯に革袋から水を注いで、もう一方の湖から水を入れた小瓶を持って来て、小さな木製の器に少しずつ入れて、菌糸の塊に垂らして色々と確認し始めた。

 

 長くなりそうな上に周囲は黒い壁しかないので全員が休憩タイムに入る。

 

「それにしても本当に何かスゴイものが見付かりますよね。この島……」

 

「だな。若返りの泉とか。権力者が欲しいもんの一番に来るヤツだろ」

 

「で、でも、スゴク危険そうだよ」

 

「(>_<)/」

 

 そう思いますと言いたげなフレイが手を上げる。

 

『毒も薬も使いようですわよ。ふふふ、これを輸出品にして各国の富裕層を味方に付けたら、莫大な富と名声と世界が手に入っちゃいますわ~~』

 

 バラ色な夢を見るエルミにやっぱりコイツは貴族という顔のレザリアであった。

 

 そうして数分後。

 

「大体分かった。100倍希釈で5年若返る。だけど、用量そのものが問題」

 

「用量?」

 

「若返れるけど、用量を間違えて若返り過ぎると死ぬ。傷薬には出来そう。でも、塗る量とか考えると面倒だから、飲料にするのがたぶん一番いい……」

 

「スゴク使うのが難しいお薬って事ですか?」

 

 少年が頷く。

 

「取り敢えず、500倍に薄めたのを呑めば、大抵の病が治って寿命が3ヵ月くらい伸びる計算。でも、次の服用まで4ヵ月間が開かないと次の服用で毛むくじゃらの猿になりそう」

 

「うわぁ……物凄くアレなんだね。その水……」

 

 レザリアが寿命は多少伸びても猿にはなりたくないという顔になった。

 

「1000倍希釈で怪我を治す霊薬みたいに掛けたり飲んだりで使える。ただし、短期間で連続使用すると危ない。1日1本以上は非推奨。飲めば恐らく腕くらいなら生やせるけど、1日くらい必要」

 

 フィーゼがそれでも父の病の薬が見付かった事にグッと拳を握る。

 

「遺伝子の初期化と細胞増殖……でも、体積自体は変わらない。あくまで生殖細胞系列の遺伝子初期化プロセスを用いたもの……出来れば、重症患者に飲ませる用で用意しておくのがいいと思う」

 

 少年が大きめの革袋を壁際に付ける。

 

 すると不可糸で包まれた管がその黒い壁内部を通って革袋にすぐ水を注ぎ入れてしっかりと途切れた。

 

「手足が存在しないと体積が足りなくて、あちこちの細胞が借りられてガリガリになる。水と食料を大量に食べた状態で飲ませないとダメ」

 

「何か色々、難しいんだ。そういう薬って……」

 

「後で調整したのウートさんに渡しておく」

 

「あ、はい!!」

 

 思わずフィーゼが眼がしらを抑えた。

 

「良かったな。あの人、結構悪いって聞いてたし、親孝行してやれよ」

 

「良かったね。フィーゼ」

 

『ま、わたくしの蘇りに使っても良いですわよ』

 

 周囲が喧しいまま。

 

 少年が取り敢えず小瓶に入れた分は持って来た蜜蝋で封をして、懐に入れる。

 

 その時だった。

 

 遥か地下から猛烈な咆哮がドーム全体を震わせた。

 

「な、何だぁ!!?」

 

 少年が菌糸の壁の内部を移動させていた蛭蜘蛛の目で地下を見やる。

 

 すると、本来暗いはず場所が発光していた。

 

「……竜の骸骨が暴れてる」

 

「はぁ?!」

 

「え!?」

 

「な、何ぃ!?」

 

 菌糸の壁を開いて、少年が幻に包まれた窪地の地下の様子を全員に見せる。

 

 毒沼の内部。

 

 巨大な骨がカタカタと動いていた。

 

 20m程もあるだろう巨躯。

 

 しかし、問題なのはソレが亡霊ではない事だ。

 

 ソレが光ながらやってくる。

 

「ま、まさか、生きてやがんのか!? この泉のせいか!?」

 

 少年が目を細める。

 

「菌糸が接触……捕食開始。解析………これはもう竜というよりも……」

 

 少年が脳裏の情報を精査する。

 

「どうやって動いてるの?! あの竜!?」

 

「骨芽細胞の異常増殖……アレは骨の怪物。頭部も魂も擦り切れて尚、この泉のせいで骨が過剰に再生。毒の沼地に適応したまま死ねずに彷徨ってる……」

 

「あ、あれがこっちに来てる」

 

 レザリアが言う通り、骨の竜はカクカクしながらもヨタヨタと泉方面へと歩き始めていた。

 

「今の攻撃手段に倒す方法が無い。此処の泉の水が沼地に流れ込んでる限り……動き出したのは恐らく異変を察知して。でも、相手には感覚が無くて、骨に伝わる振動へ反射的に動いてるだけ。それも単純に振動が増幅して反復した結果」

 

「え? え? つまり?」

 

「毒が効かない。壊しても限界なく再生される。そもそも暴れてるというよりはさっきの土砂の音を感じ取った骨が勝手にその振動を増幅して骨が動いてるだけ。意志があるわけじゃない」

 

「ど、どうするの?」

 

 レザリアのおずおずとした声。

 

「沼地に埋めるしかない。泉に到達する前に周囲の土砂を流し込んで身動き出来ないようにする」

 

 少年が全員を見て、誰一人逃げようとする者がいない様子に頷いた。

 

「行動開始……」

 

 *

 

 その骨の竜が動き出して数分。

 

 少年達は黒い菌糸の橋を用いて周辺の進路予定地付近の崖に次々に爆薬の入った瓶を置いていた。

 

 設置した場所は合計で12か所。

 

 本来は黒い真菌の糸が何でも出来るはずであったが。

 

 先程、極めて大量の真菌を増殖と同時に制御した反動で少年はしばらく精密制御に難が出ているという事で隊員達に設置は任される事になった。

 

 一匹の蛭蜘蛛が竜を地面の幻の下ギリギリから観測し、全員が安全距離まで下がり、その時を待ってタイミングを計って順次起爆。

 

 合図は少年が虚空に投げた爆薬の小瓶でする事になっていた。

 

「3、2、1」

 

 少年が爆薬の入った小瓶を思いっ切り投擲。

 

 地面の幻の境界より上でウィシダの炎瓶が放たれ、虚空で熱された瓶が爆ぜる。

 

「「「「!!!」」」」

 

 三人が山林の中を奔りながら、自分の設置した崖際の小瓶に向けてクナイを順次投擲し、爆発した個所が猛烈な衝撃で破砕され、土石流となって崩れていく。

 

 竜の骨を尾てい骨から埋めるように次々と爆発が始まり、内部に降り注ぐ落石と土の暴力が骨の竜を埋めていく。

 

 そうして、沼地を埋め立てるようにして竜が完全に上からの圧力で潰れ拉げて土煙の中に消える。

 

 それを確認した少年の下に仲間達が真菌の黒い橋を渡って戻って来る。

 

「上手くいったか!!」

 

「ちゃんと埋まりましたか!? アルティエ」

 

「大丈夫だった!!? スゴイ勢いで土とか石とか落ちてたけど!?」

 

「(・ω・)/」

 

 ちゃっかりと一緒に作戦へ参加したフレイも戻って来た。

 

 その脚が2本、人間の腕になっている事は見逃される。

 

「胴体部分は全部埋まった。でも……」

 

 少年が橋を崩して仰ぐうちわのように土煙を吹き飛ばす。

 

 すると、ブルブルと頭蓋骨が半ばまで埋まって尚震えていた。

 

「もう一回崩しますか?」

 

 フィーゼに少年が首を横に振る。

 

「これ以上崩すと泉も崩れそう。これは壊して切り取るのがいいと思う」

 

「切り取る?」

 

「骨に栄養さえ与えなければ、再生不可能。首から上だけ破壊して回収する」

 

「そうですね。こんなのがいたら、この泉もすぐ教会に見付かっちゃうかもしれませんし……」

 

「ちょっと可哀そうだけど、うん」

 

「また爆破するのか?」

 

「もう持って来た分は使い切ってる。切り離すのと破壊するのはこっちでやる。後で拾い集める時に」

 

「何か危ないのをお前にばっか任せるのもアレなんだがな」

 

 ガシンの偽らざる本音であった。

 

「強くなって。そうしたら、一緒に戦える」

 

「はは、そうだな……それまでちょっと待っててくれよ」

 

 肩を竦めるガシンに頷いて、少年がその場から黒い橋が地下へと降りていくのを追うようにして走り出した。

 

「フィーゼ。一緒に……戦えるようになりたいね」

 

「……はい」

 

 仲間達を残して蜘蛛脚を振りかぶり、少年は音速を超える加速で瞬時に未だ暴れる竜の図骨。

 

 その関節部へ捩じり込むようにして片刃を叩き込んだ。

 

 ベキリッと蜘蛛脚の嘴のような刃に罅が入る。

 

(想像以上に堅い。でも!!)

 

 少年が食い込んだを大きなノコギリでも引くかのように横へ引いて圧してを繰り返すとビキビキと刃と首の骨が同時に罅割れ、その破片が肉体の布地のあちこちに突き刺さった。

 

 それは増殖しながら傷口を広げようとするが、すぐに真菌の膜によって排除されて周囲に転がる。

 

「そろそろ寝てもいい。おやすみ」

 

 少年が満身の力を込めて最後に横に力を込めた途端、4m程もある頭骨が罅割れながら、再生する暇もなく横に吹っ飛んだ。

 

 それがガランガランと土砂の坂を落ちていくが、すぐに不可糸によって絡め取られて、フレイによって糸が巻き上げられていく。

 

 残った頸椎が蠢きながら再生しようとするのを周囲の土砂と少年が放った黒い真菌が阻止して、骨を削りながら取り込んでいく。

 

「お終い……」

 

 少年が息を吐く。

 

 すると、少年の肉体に食い込んでから増殖していた複数の脊椎の一部がガタガタと動き出した。

 

「?」

 

 少年が見ていると光る骨が次々に蜘蛛の形になっていく。

 

「……生きてれば、本当に蟲以外何でも蜘蛛に出来る?」

 

――――――。

 

 蜘蛛脚は何も答えない。

 

 しかし、今回は罅が入ったからか。

 

 逸らされているようにも感じる目は何処か恨めしそうにも見えた。

 

(後でどうするか考えないと……)

 

 少年が今日一番の重労働に剣を鞘に戻して座り込む。

 

 大量の魔力、更に魔力の限界を超えて霊力まで少し使い込んだ少年の疲労は思っていたよりも深く。

 

 体力も傷を治癒させるのに使った為、満遍なく疲労状態であった。

 

 その合間にも白い竜骨から生まれた蜘蛛達が少年の前に整列し、その特徴的な真白の甲殻を煌めかせつつ、自分一応竜なんでとでも言いたいのか。

 

 背中に浮かぶ竜の頭蓋のような形を見せて、振り返って白い牙を見せるような決めポーズを取る。

 

「糸吐ける?」

 

 ×。

 

「毒使える?」

 

 ×。

 

「空飛べる?」

 

 ×。

 

「炎吐ける?」

 

 ×。

 

「……竜に為れたりする?」

 

 ×。

 

 少年の問いに全て×で返した蜘蛛達に最後の問いが投げ掛けられる。

 

「何か得意な事は?」

 

 彼ら白い竜骨蜘蛛達の一匹がヒョイと自分の数十倍以上くらいある大岩を両手の先を突き刺して軽々と持ち上げた。

 

 30cm程の蜘蛛が人間にも不可能だろう10m以上の岩塊を持ち上げるとすれば、その能力は明らかにおかしな膂力という事になるだろう。

 

 そして、その岩が適当にポイッと捨てられた後。

 

 全ての蜘蛛達の甲殻に竜頭にも似た紋章が薄く発光して浮かび上がる。

 

 それは竜骨の発光と同じ現象であった。

 

「魔力の……もしかして……竜属性呪紋が使える?」

 

 〇。

 

 自分でもまだ持っていないものを蜘蛛が持っている事に苦笑して、少年の手が近付いて来た蜘蛛達の頭を一回ずつ撫でていく。

 

「これからよろしく」

 

『(`・ω・´)ゞ』

 

 ビシッと敬礼した蜘蛛達は自分の主を自分達の上に載せて、真菌の橋をシャカシャカと昇っていくのだった。

 

 その様子にフレイが「((´Д`))」と何やら自分の立ち位置に危機感を覚えたらしく……自分の両手……いつの間にか人間の子供の手になっている前脚を震わせ。

 

「(/・ω・)/」

 

 早く人間になーれとでも言わんばかりに踊り始めた。

 

「「「(お、踊ってる……)」」」

 

 蜘蛛社会の序列を争うハイスペック蜘蛛達のあれこれを一部垣間見た仲間達は蜘蛛も大変なんだなと思いつつ、ドーム内に引き上げられた竜頭骨を見やりつつ、残りの骨の回収へと少年とは逆に降りていくのだった。



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第25話「滅び切れぬグリモッドⅢ」

 

「は、はは……案外、もう慣れたと思っておったんですがなぁ」

 

 頭痛が痛い張りに頭を押さえた老爺が溜息を吐いて少年と仲間達を見やる。

 

 その背後には「お前ら一体何者だ!!?」という顔の蛭蜘蛛と貝蜘蛛達が白いニューカマーである竜骨蜘蛛達を周囲から観察している。

 

「【若返りの泉】に【死ねずの竜骨】……そして、蜘蛛脚による蜘蛛化で竜骨から生まれた竜属性呪紋が使える蜘蛛に【竜頭蓋】……と」

 

 野営地もざわついていた。

 

 少年達がニアステラの奥地から帰って来ると巨大な竜の頭部の骨を持って帰って来たからだ。

 

 しかも、それを運んでいるのは近頃野営地を手伝ってくれている蜘蛛達の親戚みたいなので巨大な骨を軽々運搬して来たのである。

 

 もはや驚くなという方が無理だろう。

 

「まぁ、いいでしょう。全て、このリケイが預かりましょう。で? 此処に竜の神殿でも立てれば良いのですかな?」

 

 少年が首を傾げる。

 

「ああ、知らずに持って来たと。竜というのは全身ソレそのものが力を秘めておるのですじゃ。故に竜は神の如く力を他者に貸し与える。竜属性呪紋の多くがその原理で動いているのですが、竜が絶滅した為に殆どは失われた。ですが」

 

 少年が背後の竜骨を見やる。

 

「本物が出て来た。竜の骨は化石になってすら力を産む。ですが、この骨は生きている……しかも、若返りの泉の効果とやらで無限に再生するとすれば……」

 

 砂浜にリケイが絵を描いた。

 

「野営地の守り神として意志無き枯れぬ力の源として、神殿を築いてはどうですかな? 何ならこのリケイの一世一代の儀式でいっそヴァルハイル第三帝国とか作ってもよいですぞ?」

 

 もはや、冗談なのかどうなのか。

 

 諦めた苦笑顔のリケイに少年はよろしくお願いしますと頭を下げた。

 

 こうして、食料生産に勤しんでいたはずの水夫達は野営地の守り神とやらを安置する為の神殿作りまでする嵌めになったのだった。

 

―――帰還から1日後。

 

「フィーゼ。あまり、父を困らせんでくれ……」

 

 さすがにウートも今回の一件では度肝以外も全て抜かれたように溜息を吐かざるを得なくなっていた。

 

「すみません。色々ありまして……」

 

「まぁ、責めるものではないが、頭が追い付かん」

 

 診療所の最中。

 

 エルガムに治療されながら、ウートが娘の頭を仕方なさそうに撫でる。

 

 その苦笑顔はもはや娘が自分の手を離れた事に対する寂寥に染まっていて……それでも喜びの方が大きいのかもしれず。

 

「では、ウート殿。一応お聞きしますが……」

 

「ああ、飲もう。薬があって尚、寿命が縮んでいたのは実感していた。病さえ治れば、この子に隠居してくれと言われるくらいの働きはしたい」

 

「解りました。彼の処方の後、現物を舐めて貰って、確認もしました。患者のケガにも使って見ましたが、本当に怪我を数十秒で完治させた事も事実です」

 

「もし死んでも恨まないと断言出来る。何せ娘の今後の相手からの贈り物だ。潔く飲み干そう」

 

「な!? 父上!?」

 

「ははは、では」

 

 ウートが木製の杯を煽る。

 

 その中身は少年がウート用に希釈した蘇りの泉の水を適量入れたものだった。

 

 一気に飲み干した男がすぐには効果が出ないだろうと自分の衰えた腕を見やる。

 

「……?」

 

 しかし、効果が現れたのかどうか。

 

 確認するより先に男の心臓が鳴った。

 

「ッ―――」

 

「父上!?」

 

「……また、しばらくはお前の自慢の父でいられそうだ。出来れば、ちゃんと結納と婚礼の儀は見てから死のう」

 

「ッ、ば、馬鹿ですか!? もう!!?」

 

 顔を真っ赤にした娘を見て、顔に活力が戻ったのを確認したエルガムが頷く。

 

 フィーゼは久方ぶりに感じる力強い腕で抱き締められ、ポロポロと涙を零した。

 

「ふ……毒を受けるまで……そう言えば、これくらいの事は言えていたのだったな。彼には何と言えばいいのか……」

 

 少年は持って来た霊薬の事を仲間達に口止めした。

 

 エルガムのみには話していたが、それもあくまで希釈しなければ、毒薬にも為るというだけでリケイ以外には本来の効能は話していない。

 

 それでも十分だったと。

 

 彼女は思う。

 

 無用な力は争いを呼ぶ。

 

 しかし、ほんの奇跡ならば、人はきっと間違えない。

 

「この不出来な父を許してくれ。この身が再び朽ちるまで……私が此処を護ろう。お前を護るのはもうお前自身であり、お前の傍にいる者達なのだろうからな」

 

 そんな父の優しい言葉に少女は恥も外聞もなく。

 

 母が亡くなってから初めて、本気で泣いたのだった。

 

―――野営地鍛冶場内部ウリヤノフ私室。

 

「今度は竜骨か。ははは、伝説の素材じゃないかと親父ならきっと嬉し過ぎて踊り出しているところだな」

 

 少年が蜘蛛脚の修理に持って来た鍛冶場でウリヤノフに事情を話していた。

 

「竜骨を切るのに使ったのか。無茶をする。だが、修復は可能だろう。そちらからの鍛造方法やら生成方法やらを見る限りは」

 

 ウリヤノフが蜘蛛脚の状態を確認してから鞘に戻す。

 

「良かった」

 

「それで竜骨を使って武具をという話でいいんだな?」

 

「そう……この竜骨は削っても水と薬液に付ければ元に戻る」

 

 少年が持って来たのは仲間達が拾い集めた骨の欠片だった。

 

「ふむ。霊薬の泉の効果で水と養分があれば、植物のように再生……骨を用いれば、竜骨の剣鎧盾。全部出来そうだな。しかも、使い減りしないと来たか」

 

 白い骨が虚空に翳されて覗き込まれる。

 

「骨の再生を止める方法は?」

 

「養分が無ければ再生しないし増えない」

 

「……色々と考えられるが、お前の鎧も衣服もそろそろ限界だな。いいだろう。まずは後から色々出来るように余裕を持った創りでやろう。ガシン殿もな」

 

「い、いいのか? ウリヤノフの旦那」

 

「君達の戦果だ。存分に使わせてもらうし、君達にも協力して貰おう。まずは今の背丈や腕脚回りの大きさを図るところから」

 

 ウリヤノフが定規を取り出した。

 

「竜骨は固いが軽いと聞く。それも真実のようだ。これならば、今の鋼よりも良いものが出来るはずだ」

 

 頷いたウリヤノフは請け負って、竜骨の武具と防具の作製に取り掛かるのだった。

 

 2人が鍛冶場から出て来るとフィーゼがレザリアに慰められており、その顔から問題無く薬が効いた事が2人にも分かった。

 

「アルティエ……あ、ありがとう、ございました……父の元気な姿をまた……私……っ……」

 

「あ~よしよし。もう泣かせちゃダメだよ? アルティエ」

 

 レザリアに言われて理不尽なものを感じたものの。

 

 それでも少年は新しい可能性を前にして手応えを感じていた。

 

 永遠にも等しく求め彷徨った二つの地方から先が見えたのだから。

 

(三か月目。これをどうにかする芽が見えて来た……)

 

「で、グリモッドの探索はまだ続けるとして、一回地図何かを見て整理しねぇか? これから何処に行くべきかとか」

 

 ガシンの言葉に全員で少年の家に向かった一向は大きなテーブルに今まで歩んで来た道を描き込んだ地図を広げる。

 

「ええと、大霊殿から南に向かって岩壁をなぞるように進んで……」

 

「廃墟が多くて、亡霊が南に近付く程多くなる」

 

 フィーゼとレザリアが今までの経験を地図の上の文字でなぞる。

 

「神と関連する武具が落ちてたな」

 

 ガシンは肉体に取り込まれた呪紋の効果を確認するように手を握り締めた。

 

「竜の骨が生きてる沼に若返りの泉」

 

 少年が位置を示して情報を整理する。

 

「元々、グリモッドは蝶のせいで生まれ変わりが盛んだった。でも、そのせいで弱い魂は擦り切れて呪霊化。戦ったような亡霊になった」

 

「てー事はだ。呪霊そのものが蝶を使った犠牲者。もしくは呪霊に取り殺された連中って事だよな?」

 

 ガシンに少年が頷く。

 

「あれ? 待って……じゃや、南部に近い程に亡霊が増えたのって」

 

「蝶が沢山使用されて生まれ変わりが行われた。なら、何処かに蝶が沢山いる。もしくは獲れる場所や貯蔵場所があるかも」

 

 少年がレザリアに前々から考えていた事を口にする。

 

「じゃあ、あの竜骨と泉は何なんでしょうか?」

 

「考えられる事は二つ」

 

 フィーゼの言葉に少年が目を細めて俯く。

 

「泉は若返り、つまり元に戻す作用の薬だった」

 

「あれ? 元に戻すって……もしかして……」

 

「魂が擦り切れる前に戻せる……可能性を誰かが見付けた」

 

「で、でも、そうなると普通の人が生きてないとおかしいんじゃない?」

 

 レザリアが尤もな話を告げる。

 

「たぶん、失敗した。竜骨を見てるから分かる」

 

「え?」

 

「竜骨は生きてた。でも、魂そのものは擦り切れて消滅。薬に適応出来た部分は恐らく最も竜の中で硬い部分だと思う」

 

「固い部分が残ったの?」

 

「若返りの薬は生物を大昔の生物に変異させる。つまり、変異覚醒を逆転させたような効能。血肉に関しては恐らく効能が一番先に出る。でも、硬過ぎる骨はその効果の恩恵を受けるまでに時間が掛かった気がする」

 

「そうするとどうなるの?」

 

「皮と血と肉が溶けて原初の生命に帰る。そして、残された骨は再生し続ける効果が何らかの影響で永続、変異よりも強く再生が働けば……」

 

「あんな風になっちゃう?」

 

「たぶん……」

 

「なら、蝶をまずは集めるのが先決、なのかな?」

 

 レザリアの言葉は少年の中で最初の指針の一つではあった。

 

「生まれ変わりをまだ誰も経験してない。でも、探索隊が全員可能かは昨日聞いたら、大丈夫だった」

 

 いつの間にという顔のレザリアである。

 

「もしもの時に備えて蝶は絶対に集めておいた方が良い。敵がもしも神聖騎士数人なら、今の状況と人員装備だと全滅必至。ヴァルハイルの事もある」

 

「そっか……今のアルティエでも敵わない人達もいるし、その人達が兵隊さんを沢山連れてきたら……」

 

「今、騎士達に聞きとりをして貰った報告書がある」

 

 少年が予め用意していた紙束を開いた。

 

「大きな船に乗っていた神聖騎士と思われる人員は6人。フレイを覗くと5人」

 

「(・ω・)/」

 

 フレイが横で手を上げる。

 

 その脚にはまた人間の手が増えていた。

 

「【紅の大司教サヴァン】【震える聖槍フォルク】【鉄公爵ウラス】【蒼褪めたエルタ】【叶えのルクサエル】」

 

「何か仰々しい連中だな」

 

 サクッとガシンがそう評価を下した。

 

 少年は嘗てを思い起こし、仰々しいでは済まない相手方の戦力に今の状態ですら勝つ方法が殆ど無い事を自覚する。

 

 一応、戦法は考えてあるが、新たな地域へ進出出来た今回だからこそのものであり、失敗出来ない方法を試す時期はきっと迫っていると直観は言っていた。

 

「大司教は顔を敵対者に剥がれたのが特徴。剣が物凄く強くて教会騎士数百人でも敵わない。聖槍の人は聖なる槍に唯一選ばれた神聖騎士って言われてて、武器が強い。どんな防御も貫けるって聞いた」

 

「頭の痛い話だな」

 

 ガシンが呆れた顔になる。

 

「公爵の人は肉弾戦で絶対死なないと言われてるっぽい。蒼褪めた人は珍しい呪紋の術者で色々出来る。対即死用、毒や他の効果を受けないように今以上に体を鍛えて、薬を飲む必要がありそう」

 

「もうお薬はやだよ~」

 

 レザリアがゲッソリした顔になる。

 

「最後の一人は?」

 

「叶えとか言う人は凄く美人で祈れば、何でも出来るらしい」

 

「何でも?」

 

「ある程度の制約は付く。でも、呪紋や剣技、武器、他の人間の特性や資質、何でも使えるって聞いた」

 

「ああ、だから、叶え……願いを叶えるって言われてるわけですか」

 

「そう。取り敢えず絶対に2人以上とは戦わないで撤退が望ましい。一人なら何とかなる……全員で掛かれば。たぶん」

 

 そこで少年が金属製水筒。

 

 円筒形の細長い試験管のようなものを人数分取り出した。

 

「これは?」

 

 フィーゼに少年が泉の水と伝える。

 

「希釈済みのものですか?」

 

「1日に使用出来る量がこれ一瓶。希釈濃度1230倍。四肢欠損じゃない限りは一口ずつ飲んで傷が治るか10秒くらい間を置いて確認する。これで致命傷じゃなければ、どんな傷も再生可能。ただし、一日にこれ以上呑むとマズイ」

 

「お猿さんになっちゃう?」

 

 レザリアに少年が頷く。

 

「これ一瓶を最後に飲んでから1日、24時間は絶対呑まないように。飲んだ日は眠る前にこっちで体内の状況を確認する」

 

「どんな傷も治る霊薬か。もう何でもアリに為って来たな……」

 

 ガシンの言う通りではあった。

 

「生まれ変わり、若返り、蘇り……この島は本当に一体何なのでしょうね」

 

 フィーゼが今まで関わって来た信じられないような話を振り返って考え込む。

 

「霊薬の希釈済みの大樽は此処に寝かせてある大樽の一番隅に黒く焦がした失敗作に見える樽内部に入れておいた。もしもの時には野営地に配布する用」

 

「話は解った。解ったが、どうせしばらくは竜骨の装備が出来るまでニアステラから動かないんだろ? その間に何かしておく事はあるか?」

 

「フィーゼはリケイさんと一緒に竜骨を納める神殿作り」

 

「ま、任されました!!」

 

 やる気に満ちた少女が大きく頷く。

 

 後顧の憂いであった父の病が治った今。

 

 彼女の意欲は全て仕事に向けられるに違いない。

 

「ガシンは教会騎士の剣術に対応する訓練と戦術や戦略を学んでくる事」

 

「あ? オレがかよ……」

 

「適任。一番多い敵と戦う術が解ってる人間が一人いるだけで全然違う」

 

「はいはい。了解だ」

 

「ボクは!?」

 

 自分にも何かあるに違いないという顔のレザリアが目をキラキラさせて少年の言葉を待つ。

 

「レザリアは……一緒に竜属性呪紋の習熟とか。蜘蛛達の纏め役として色々して貰う」

 

「蜘蛛さん達の?」

 

「そう。今、フレイが蜘蛛達を統括してる。けど、一緒に蜘蛛達を緊急時に動かせるようにしておけば、避難させたり、一緒に戦う時も安心」

 

「う、うん!! 任せてといて!! ボク頑張るね♪」

 

 破顔した少女はようやく自分にも盾持ち以外の事が出来るという顔になる。

 

「(・ω・)」

 

「……フレイはレザリアの補佐で」

 

「(>_<)/」

 

 いつの間にかまた人間の手が増えた金色の蜘蛛は親指を立てたのだった。

 

「ちなみにアルティエは何するの?」

 

「薬作り」

 

 またマズイものを摂らされるのかという顔になったフレイ以外の仲間達であった。

 

―――西部北端地域。

 

 仲間達を野営地に置いて久しぶりに一人で薬の材料集めにやって来た少年は橋の上で何かが北部からやって来たのを確認後、すぐに北端地域へと向かっていた。

 

 今日の装備はボロボロになりつつある鎧や帷子を付けたままに短剣三本と基本セットのみであった。

 

 北部から蟲や怪物の類の侵入を想定していた少年は自分の敷いた罠がしっかりと効果を発揮しているのを確認し、森の中で数匹の巨大なクマらしい生物が互いに狂乱しながら、集まって来る小さな蟲達に群がられて、体力を奪われ、ジワジワと衰弱しながら泉で体をゴロゴロと転がせているのを樹木の上から見ていた。

 

(……見た事無い。このクマ……家畜化出来るようにも見えない……)

 

 凶暴な見た目のソレらを上空から黒跳斬が襲い数秒後。

 

 事切れたクマ達の死体の横に少年が降り立つ。

 

 それと同時に周囲に小瓶から薬を撒くと今まで集まっていた蟲が一斉に離れて消えていった。

 

 間違いなくクマが死んでいるのを確認後。

 

 少年が一匹を泉の端に寄せていつもの黒いダガーで腑分けしていく。

 

「………?」

 

 少年が思わず小首を傾げた。

 

 理由は単純だ。

 

 クマ達の内臓が人間のものに近しかったからだ。

 

「これは……もしかして変異覚醒者? 蟲じゃない変異の……」

 

 思わず少年がクマ達を見やる。

 

 真菌を片手から体内に侵食させるように吐き出して、内部を隅々まで確認していく少年はすぐにクマ達が狂乱している理由を見付けた。

 

「蟲や罠のせいじゃない? これは……」

 

 少年が相手の頭蓋骨の内側。

 

 つまり、額の裏側に刻まれたものを確認する。

 

「赤黒い魔力らしい蜥蜴の刻印を確認。この魔力……竜属性呪紋?」

 

 少年がその部位を切り出して額から引き抜き。

 

 後の死体を真菌の膜で繭のように包んでから樹木の上から吊るし、額内部の呪紋が刻まれた部分を繁々と見やる。

 

「鑑定。竜属性変異呪紋【緋狂い】……赤いものを見ると狂乱する……変異覚醒を強制亢進させる? 今まで此処に陣取って来たアルマーニアじゃない。ヴァルハイルの……」

 

 少年がチラリと黒い繭達を見やる。

 

 人の意識は恐らく変異覚醒の急激な進みのせいで吹き飛び。

 

 魂すらも変質して獣と大差が無かった相手とはいえ、元は人間だったのだろう。

 

 適当に菌糸をスコップ状にして大量生産し、周囲の樹木の無い開けた場所にザクザクと穴を掘った少年は黒い繭を其処に降ろして埋葬。

 

 碑として近くに落ちていた大岩を置いて、そこに霊殿としてイエアドの印を刻む事にしたのだった。

 

 作業を終えて少し水で顔を洗おうとした少年が、変哲も無い水の内部。

 

 クマ達が狂乱して、蟲の死骸が落ちている水底にキラリとしたものを見付ける。

 

 ダガーから伸びた黒い菌糸でヒョイと釣り上げた少年がソレを手に取った。

 

「聖印? でも、イゼクスでもイエアドでもない? 女神みたいな象形……今までは、今までで一度も見てない……これって……」

 

 その時、少年の瞳に黄金色の光が湖に降り注ぐのを確認した。

 

 光の中から何かが、少なからず、その手だけで今の少年には届かないようなステータスの何かがヌッと出て来て、小さな聖印に一滴。

 

 指先から血の雫を落し―――。

 

「ッ」

 

 ハッとした時には何もかもが消え失せていた。

 

 少年が思わず被りを振ってから自分の握り締めている聖印を見やる。

 

「………聖印じゃない?」

 

 少年が握っているのは小さな指輪であった。

 

 全体が紅のような硬質の宝石で出来ているような真っ赤な指輪。

 

 その表面には文字が書き込まれている。

 

「愛しき蜂の子へ?」

 

 読めたのは必然か偶然か。

 

 少なくとも野営地で使われている言語では無かったが、少年には読めた。

 

 そして、手握って鑑定した途端。

 

 その顔は渋くなる。

 

「……【飽殖神の契約輪】……装備時、体力1332%上昇(再上昇可)。霊力1383%上昇(再上昇可)。霊力1392%上昇(再上昇可)。大地母神ウェラクリアの寵愛を受けた種族であれば、ウェラクリアの祈祷呪紋を使用出来るようになる。蟲型変異覚醒者限定?」

 

 少年はあからさま過ぎる話に溜息を吐いた。

 

 だが、あからさまにそれを隠しても、同じような事が今度は知らない内に起っても困るというのは確定的であり、イソイソと符札を掲げて野営地に戻る。

 

 浜辺に向かうと本日は哨戒警備活動をしている蜘蛛達以外が集まり、何やら少女と一緒に何やら話し込んでいたり、一緒に運動しているような様子が見られ、何故かフレイがピッピッピーと木製の笛を吹いて音頭を取っていた。

 

「あ、アルティエだ。お~い」

 

 レザリアが走ってやってくる。

 

 その後ろには貝蜘蛛も蛭蜘蛛も竜骨蜘蛛も一緒であった。

 

「あのね!! アルティエ」

 

「何?」

 

「この子達、種族で名前が欲しいみたい」

 

「名前?」

 

「うん。名付けて欲しいって頼まれた」

 

「……解った」

 

 少年が首元からもしもの時の事を考えてエンデの指輪をレザリアに掛けさせる。

 

「?」

 

「はい」

 

「何これ? 赤い指輪?」

 

「持って」

 

「う、うん」

 

 バキッと少年が少女の上から手を添えて、かなり強く指先の指輪を砕いた。

 

 それに思わず顔を赤くしたレザリアがパッと指輪を離すと光になって消えていく指輪が胸元に吸い込まれた。

 

「あれ? もしかして、強くなるやつ?」

 

「そう。これで新しい呪紋が使えるようになる。たぶん」

 

 指輪が回収される。

 

「そうなんだ? ん? んぅ? あ、ホントだ!! ボク、何だか呪紋覚えたみたい。ええと神聖属性の祈祷呪紋【見い出せしもの】だって」

 

「どんなの?」

 

「ええと……」

 

 呪紋の内容が頭に流れ込んで来たレザリアが読み上げていく。

 

「まだ名前の無い種族に名前を付けると……その種族はウェラクリアさん?の眷属にされるんだって。それでウェラクリアさんの加護を受けられる、とか?」

 

「加護? 具体的には?」

 

「ええと、タタイセイ可能化?」

 

「……多胎生……子供が多く産める?」

 

「そ、そう。何かそんな感じ!!」

 

「他には?」

 

「ええと、体力と霊力の成長率が三百二十八ぱーせんと上昇? 他には……しゆーいたいの区別なく。相手によって体が変化する? とか」

 

「雌雄異体……男女の別なく。相手によって性別が変わる?」

 

「な、何かそう!!」

 

「後は?」

 

「ええと、う~んと……ていぶんしゆうきかごうぶつ?を自由に出せる?」

 

「……フェロモンの分泌自在化……蟲の招集や統制用……」

 

 少年が思っていた以上にウェラクリアとやらが蟲と深く関わっているのを確認して、今までの状況から嫌な予感を感じていた。

 

(もしかして、イエアドの信者である人間が自滅して、蟲推しのウェラクリアやヴァルハイルの神が争ってる? 今までは倒すばかりだった、背後関係の情報を集めないと……内情も殆ど分かってないのはマズい……)

 

 グリモッドは霊魂を操り損ねて島の人間を衰滅させ、その間隙に蟲が入り込んで人間を駆逐したとも考えられる。

 

 とすれば、島は正しく神々の縄張り争いに利用されている可能性が大きかった。

 

 竜もまた神の如きものという認識で良いのならば、様々な勢力が島では犇めいている事になる。

 

「イゼクスが教会勢力。イエアドや北部神が島の亞人勢力。ウェラクリアが蟲勢力。ヴァルハイルが竜勢力……最低4つ?」

 

「アルティエ?」

 

 諸々を教えてから、蜘蛛達を振り返り、どんな名前にしようかと考えていた少女が振り返る。

 

「何でもない。決まった?」

 

「う、うん。何かこうパッと思い付いたよ」

 

「発表どうぞ」

 

「ええと、貝蜘蛛さん達はアルメハニア。蛭蜘蛛さん達はヒルドニア。黒蜘蛛さん達はペカトゥミア。竜骨蜘蛛さんはドラコーニア。これでどう!!?」

 

 少年がいいんじゃないと頷こうとした時だった。

 

『(・ω・)?』

 

 蜘蛛達が何やら自分達の体がおかしい事に気付いて首を傾げる。

 

 すると、一匹が一匹を見て、ビクッとしていた。

 

「(/・ω・)/」

 

 それーそれーという前脚ジェスチャーをされた蜘蛛が自分の前脚……否、腕を見やってビクリとする。

 

 他にもお前もかーとか。

 

 お前もじゃねー?とか。

 

 蜘蛛達が混乱している合間にもグムグムと彼らの体が歪に変化していった。

 

「こ、こここ、これってボクのせい!?」

 

「………(眷属化? 種族毎に取り込みが掛かった?)」

 

 肉体が内部から脱皮するように変質しているのか。

 

 体積を無視して彼らの甲殻が罅割れ、その内部から現れた肌に装着されるようにグチュグチュと音をさせながら粘液を溢れさせていき。

 

 グニュンッと彼ら蜘蛛の頭部が完全に人の頭蓋を模した時、彼らの目が額に小さく飾りのように移動し、後は人間と同じような顔となる。

 

 その背後には蜘蛛脚が大量に競り出しており、中には蜘蛛脚の肩側のモノが人の手になっている者もあった。

 

「人型化……ビシウスの輪でしか出来ない事をこの短時間で……これが……」

 

 神の力という事なのか。

 

 今まで蜘蛛達が働いていたあちこちで思わず悲鳴が上がる。

 

「招集して」

 

「う、うん。た、大変な事になっちゃった……」

 

 そうして、蜘蛛が人間になっちゃう事件はまた一波乱を野営地に齎したのだった。

 

―――30分後。

 

「そ、それで?」

 

 ウートが頭を痛めた様子で片手で覆っていた。

 

「え~っと名前付けたら人型に……」

 

「解った。で? 彼らは人なのかね? 蜘蛛なのかね?」

 

 それに付いてはこちらから。

 

 エルガムが診療所内からやってくる。

 

 ウートの横にはまた面倒事をという顔のウリヤノフがさすがにジト目で少年と少女を見ていた。

 

「彼らの肉体は表向きは人間ですが、色々と分かる範囲で確認して見ましたが、生殖器は人間で中身は人間と蟲の中間のような感じかと思われます。ただし、肛門が無く。呪霊などと一緒で食事は出来ても排泄はしないという事かと。前に彼が呪霊のエルミ殿に食事を与えているところを見ましたが、要は肉体を維持するものの本質が違うのではないでしょうか?」

 

「本質?」

 

「彼らは受肉した呪霊のようなもので霊的なものを摂って生きており、食事はその霊的なものを食物から取る為の方法でしかないのではないか? という事です」

 

「……それで知性は?」

 

「蜘蛛達と変わりませんが、言葉は分かるようですな。それと蜘蛛にされた騎士達はまるで違う姿だそうです。そもそも全員子供で性別も性器がどちらもある事から不明ですが……」

 

「今、衣服の在庫は?」

 

「はい。難破船に積まれていたものがあったのでそれを」

 

「……はぁぁ、アルティエ。君の意見は?」

 

「蜘蛛みたいに使えなくなった。でも、蜘蛛の仕事は必要」

 

「だろうな。今の野営地では哨戒活動を蜘蛛頼みしている。他にも連絡役や細々とした雑用も彼らの力を頼っていた」

 

「野営地広げる。出来れば、今の状態から3割くらい増やしてくれれば」

 

「考慮しよう。娘に仕事を押し付ける事になるが、彼らを蜘蛛のような能力を身に付けた人として扱うならば、問題無いな?」

 

「問題無い。統制はレザリアがする」

 

「え!?」

 

 少年の言葉に本人が一番驚いていたが、蜘蛛を人化した張本人なのでそれも已む無しである。

 

「野営地に全員分の住居を作って貰えれば、後の食糧確保は自前で大丈夫」

 

「解った。水夫や船員達、騎士達にもそう伝えよう。それでだが……」

 

 少年がウートに耳打ちされて、その脚で診療所の外に出る。

 

 そこには騎士隊を統括する黒髪の男。

 

 ベスティン・コームがいた。

 

「……話が済んだならば、聞きたい」

 

「どうぞ」

 

「我らの同士はどうなった?」

 

「別の種族になった」

 

「別の、種族?」

 

「蜘蛛化は呪具である抗魔特剣の効果。でも、蜘蛛から人になったのは神の加護。異教の神ウェラクリアが蟲を人にした」

 

「―――では、同士達にはもう過去の記憶は……」

 

「魂は同じ。転生したと考えていい」

 

「転生……」

 

「異教の神が自分の眷属として転生させた。今回、呪紋が使われたのは単純に名前を付けるだけの事でしかない。本来、それだけでこんな効果が出るはずない。本来なら……」

 

「つまり、異教の神がそれを望んだと?」

 

「そう……もう教会の異端じゃ済まない。異なる神の祝福を受けた以上、教会は絶対に人外となった彼らを殺そうとする。それは一番良く知ってるはず」

 

「―――ッ、ああ、そうだとも……大陸から人外達を駆逐しているのは我ら教会騎士だ……クソ……ッ」

 

「もう教会騎士じゃない。でも、記憶が無くても魂が同じなら本人には違いない。見捨てて教会に戻る?」

 

「馬鹿な!! もはや異教の神の印を背負った事は誤魔化しようもない。そして、我らの同胞が……例え、異教の神の配下になろうとも……我らの決意は……揺らがぬさ!!」

 

 苦し気ながらもそう言い切った男の瞳には決意が浮いていた。

 

「なら、問題無い。例え、別人だとしても、今は仲間……蜘蛛達も貴方達を信頼してるから、ああしてる」

 

 ベスティンが俯けていた顔を上げると。

 

 蜘蛛脚を背中に背負った子供達が騎士達に甘えるようにして身振り手振りで意志疎通しながら、いつものユーモラスな様子で和気藹々とした空気を醸し出していた。

 

「(/・ω・)/」

 

「オイオイ!? オレはお前の父親じゃねぇってのに甘えん坊だなぁ……」

 

「こら!? 喧嘩するな!? え!? どっちが長いか? どこ見てんだお前ら!?」

 

 騎士達は嘗ての同胞が転生した姿に涙を浮かべればいいのか。

 

 それとも悔しがればいいのか。

 

 複雑極まる顔をしていたが、それでも人懐っこく自分達の傍にいる蜘蛛達を前に涙を堪えて、何とか笑っている。

 

「……いいだろう。もはや神を捨てた我らだ。子供となっても、転生しても、同胞の面倒くらいは見るさ……やってみせるさ」

 

「ちなみに新種族は全部蜘蛛の形質を引いてる。調べてみたけど、雄を食べたり、子供が母親を食べる事は無さそう。だけど、妊娠すると一気に7人近く産むと思う。食料も大量に必要になる。子供を作る時は計画的に……」

 

「な―――我らはそんな事は!!?」

 

「蜘蛛の新種族。子供に見えるけど違う。ああいう種族。瞳も最初から四つから六つあるし、飾りみたいに額にあるのも瞳。よく見れば、瞳の中には複眼もある。それもたぶん魔眼……」

 

「なッ―――あの悪名高い魔の技か!?」

 

「取り敢えず、慎重に。もし命に係わるような問題が起きたらすぐ知らせるように……」

 

「解った。留意する。この話は?」

 

「勿論、騎士全員にしていい。野営地には野営地用の話をする」

 

 少年が言うべき事は言ったとスタスタ騎士達の横を通り過ぎ。

 

 黒蜘蛛の一族で一番数の多いペカトゥミアを騎士達に任せ。

 

 野営地の砂浜。

 

 ウートによって野営地を護る神殿建築の任を受けて、動き始めようとしていた途端にまたおかしな事に巻き込まれたリケイを横に待っている蜘蛛人間達の下へと向かった。

 

「(>_<)」

 

 少年が来ると今まで身振り手振りで蜘蛛みたいにシャカシャカしながら意思疎通していた蜘蛛達が一斉に浜辺中から集まって来る。

 

 誰も彼も新品ながらも粗末な麻布で造られた平民用の衣服姿だった。

 

 子供用ではない為、ブカブカであり、ようやく全員に着せたレザリアがお母さん染みてヨシ!!という顔で汗を拭っている。

 

「あ、アルティエ。ペカトゥミアさん達の事、騎士さん達に納得してもらえた?」

 

「大丈夫みたい」

 

「そっか。良かった~」

 

 一族毎に集まっている蜘蛛達には特徴があるようだ。

 

 貝蜘蛛のアルメハニア達は甲殻型のスーツのような部分で覆われた部分が多い。

 

 脊椎から尾てい骨辺りまで帷子状の少し厚いスーツ染みた七色の装甲を背負っていて、手足の指関節や脚先が薄く柔らかそうながらも人間には無い甲殻類のような装甲で護られている。

 

 蛭蜘蛛達のヒルドニアは更にゴツいようで背中から飛び出している赤黒い甲殻の脚はアルメハニア達よりも太く短い。

 

 肩部から腕や膝から下が甲殻の装甲に覆われているが一体化していて、胴体部は人間ながらも細く。

 

 何処かアンバランスであった。

 

 最大の特徴は翼だろう。

 

 肩部の脚が背後に逆向きに付いているような恰好であり、衣服を飛び出ている部分は逆関節のような形で折り畳まれているが、広げれば、甲殻の翼のように展開されるのが想像出来た。

 

 翼そのものは空力的に飛ぶ為の手段ではないらしく。

 

 スマートに折り畳まれていても肩から後ろが少し膨れる程度の細さのようらしいと気付けば、案外スリムと言えるかもしれない。

 

 だが、最大の問題は残ったドラコーニア達だろうか。

 

 今までの蜘蛛の一族は髪の色や肌の色が色々違っており、様々な色合いで統一性が無かったのだが、ドラコーニア達だけは明るい褐色の肌に白い髪で統一。

 

 しかも、全員が子供ながらも何処か凛々しさを秘めて美しい横顔からボーイッシュな感じの少年にも少女にも見える。

 

 ただ、全員が同じ顔であった。

 

 それ以外の部分ではまるで本当に人間のようにも見えて、手足には一切の甲殻が付いていない上に背中の蜘蛛脚もお行儀よく折り畳まれていて、自由人に見える蜘蛛達の中では一際統制が取れたような印象があった。

 

「あ、あのね。アルティエ。ドラコーニア達の背中に蜥蜴さんみたいな紋章があってね。ちょっと見せて」

 

「(>_<)/」

 

 一人のドラコーニアが衣服を脱いで背中を見せる。

 

「これ……リケイさんに見て貰ったら、大地母神ウェラクリアの紋章。【変異呪紋】ゴルドの印て言うんだって」

 

「ゴルドの印?」

 

 そこでリケイが蜘蛛の子達を何やら触診していたのを止めて、少年達の傍までやってくる。

 

「ゴルドの印はシャニドの印などと同じく。様々な呪紋の能力を上げる力なのですが、見たのはこちらも初めてでしてな。恐らくはシャニドの印と同じように当人に呪紋を覚えさせる効果があるだろうと見ていますじゃ」

 

「変異呪紋て何?」

 

 レザリアが首を傾げる。

 

「祈祷呪紋は神の力を直接的に用いるモノ。変異呪紋は生物の力を用いるもの。ただし、これも神から最初期に受け取った力を己の中で変化させながら、力を獲得していくという感じですな」

 

「そういう……」

 

「ちなみに大抵コレは生命属性の呪紋であり、何かしらの行為や儀式で力を産む祈祷呪紋と違って能力が上下する事で呪紋などは増減するものかと」

 

「解った。つまり、能力を上げるものを沢山食べさせればいいの?」

 

「根本的に後は鍛えるとかでしょうな」

 

「(/・ω・)/」

 

 鍛えますという顔で出ない力瘤を作るドラコーニア達が戦隊もののように全員でポーズを取った。

 

「ちなみに持ってる竜属性呪紋は?」

 

 少年が訊ねる。

 

「この子達が持っているのは竜属性変異呪紋【再生色】かと」

 

「さいせいしき?」

 

 レザリアが首を傾げる。

 

「変異呪紋の多くは肉体に起因するのですが、これは竜の回復用の呪紋です。竜の回復能力の多くは血統の力というだけではなく。魔力、霊力、体力などのどれを使っても発動する呪紋でしてな」

 

 リケイが持っていた小さなナイフで背中を見せていたドラコーニアの手に突き立てるようにして刃を落したが、バキィンという音と共にそちらが折れた。

 

「この通り。この強靭な硬さと共に怖ろしく死に辛い」

 

 思わずレザリアがダメぇとそのドラコーニアを抱き締めるように後ろに下がる。

 

「この子達の体全体の強度と回復力はあの骨と同等。胴体を両断されようが、頭部を粉々に砕かれようが、焼かれようが、磨り潰されようが、基本的には再生するものであり、そこに竜の呪紋による回復が加わるので……」

 

 プルプルとレザリアがその言葉の恐ろしさに震えつつ、蜘蛛達も自分達の能力による不死身ぶりに「((((;゜Д゜))))」身を震わせていた。

 

「まぁ、今の状況でも竜殺し系の呪紋や呪具、抗魔特剣を持って来られても死に切れずに地獄を見る程度には不死身かと。殺すには完全に体を灰にするしかないでしょうが、それ程の火力を延々と戦場で使うのは不可能」

 

「事実上死なない?」

 

「死に難いの間違いですが、そのようなところですな」

 

 悪い悪いとリケイが刃を突き立てようとしたドラコーニアに頭を下げる。

 

「無論、眷属であれば、主に呪紋を共有する事が出来る。更にそこから他の蜘蛛達にも呪紋を与えておけば、もしもの時も安心かと」

 

「後でやっておく。それで……今回の事はどう考えてる?」

 

「……ウェラクリア当人らしき存在がいきなり呪具を与えて来るとなれば、それはかなりの大異変でしょう。そもそもの話、神や神の使徒達の多くはこの世には介入せず。基本的には肉体も現世では仮初のようなもの」

 

「それが出て来るって事は……」

 

「此処から先は気を引き締めねば、それこそ竜でも神の使徒でも神聖騎士でも巨大蟲でもロクな相手はいないと心得た方が良い……」

 

「気を付けておく」

 

「ふふ、それが良いでしょう。亞神くらいの覚悟は必要でしょうが」

 

「あじん。亞神?」

 

 少年にリケイが頷く。

 

「この世には神の“落とし子”というモノが居りまして。神が現世で産むか産ませた子の多くがそう呼ばれます」

 

「それって……異形?」

 

「ええ、今は亞神の子孫達を人外、亞人そう呼びますな。神世の時代にはかなり多かったと聞きますが、今の人の時代では殆ど見ない者達です」

 

「教会が狩ってるから?」

 

「その通り。ただ、元を正せば、竜もヴァルハイルなどで崇められていた【竜神カルトレルム】の落とし子と言われております。亞神の血を引く個体は今でも個人的には健在であり、巨大な力を持つ個体は眷属を用いて人の世に干渉しているとか」

 

「……リケイもそういうのだったりする?」

 

「直球で聞きますな。いえ、精々が敬虔なる神の信徒止まりですじゃ。この老いぼれも老い先長いわけでもなく。普通に寿命で死ねます」

 

 少年は本当に寿命でこの老爺が死ぬようなタマだろうかと思いつつも、聞きたい事は聞けたので蜘蛛達を前にして役割分担を決める。

 

「アルメハニアとヒルドニアはペカトゥミアと一緒に今まで通りの役割に食料生産と鍛錬を追加。ドラコーニアは全部で7人……4人は野営地。3人は遠征隊に同行して、荷物持ちと一緒に探索しつつ、鍛錬で」

 

 此処にいないペカトゥミア以外の蜘蛛達が一族毎に整列して王に対してそうするように臣下の礼で片膝を着いて頭を下げた。

 

「ほほほ。まさか、イエアドの神官たる身がウェラクリアの兵を見る立場になるとは……やはり、面白いですな。アルティエ殿は……」

 

 リケイが蜘蛛達の様子を見て苦笑しつつ、今後の蜘蛛達の育成方針やらを少年と一緒に話合い始める。

 

 夕暮れ時の浜辺は穏やかで。

 

 取り敢えず、いきなり増えた仲間達の分の食糧を確保する為、全員で漁をする事になったのだった。



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第26話「滅び切れぬグリモッドⅢ」

 

 遂に野営地の人口が100名を超えた翌日。

 

 主にフィーゼが主導して、新しい木材を大斧や鋸を精霊によって使い、木材を運び、備蓄分の木材を移動させて追加の壁と堀を作り、家屋の土台基礎を築くという具合で何でもかんでも精霊を操りながらの仕事となった。

 

 その百面六臂の大活躍は腕が人より多い蜘蛛達すらも及ばない。

 

 だが、同時に地蔵のように野営地のすぐ外でブツブツと精霊達に呟きを零し続ける姿は傍目からは完全に不安定な女扱いされても仕方ない様子であった。

 

 しかも、早口である為、かなり傍で聞いていてもアレだ。

 

「予定地区の土砂と岩を第三畑予定地の進出予定地の先で防塁にして、第七畑の傍から水を流す堀を延伸して、あの子達が使う井戸も川の傍に掘って、疲れた精霊は3交代制にして24時間休ませて、精霊を連れて来る精霊を増員し―――」

 

 あちこちでは普通の人間には見えない精霊の恩恵で勝手にモノが浮いて移動し、勝手に土が掘られ、勝手に石垣が出来る様子が見られた。

 

 水夫達も船員達も蜘蛛達もそのあまりにも壮大な一人工作の様子を最初はポカーンとして見ていたが、フィーゼは遠征隊の活動の中で着実に実力を付け、今では精霊を数十体操る事が可能なまでに成長していたのだった。

 

「フィーゼさん一人で村が出来ちゃいそう」

 

「(>_<)」

 

「(´▽`)」

 

「( 一一)」

 

 一纏めに蜘蛛の一族として呼称するように言われた少年であり少女達もウンウンと太鼓判を押すような光景である。

 

 レザリアが人になった蜘蛛達に人の生活様式を護ったり、人との関わり方とか礼儀作法をアマンザに口酸っぱくして言われていたのを真似るよう教え込んでいた。

 

 一番最初にレザリア先生の授業が終わるのはドラコーニア達だ。

 

 彼らは少年が最初に面倒を見る事が決まっており、他の者達からはすぐにお話が終わって「いいなー(´・ω・`)」という顔をしたが、少年が持って来た革袋の中身を察して、すぐに「いや、やっぱこっちでいいや(/ω\)」と同胞達の未来に気付いて、見て見ぬフリをした。

 

 彼らとて知っている。

 

 暇な時は遠征隊のフィーゼとガシンが走り込みをさせられ、大量の薬品を混ぜ込んだ蜂蜜薬……秘薬を飲まされていた事を。

 

 その味があまりにも酷いものなのは臭いを嗅いだだけで分かるのだ。

 

 臭くはないのだが、異様に酸っぱかったり、異様に苦かったりする様子なのは解っていたので自分達は出来れば呑まない方向で行きたいと思うのも当たり前だった。

 

「(・ω・)?」

 

 一番新入りのドラコーニア達が仲間達の微妙な表情に首を傾げながらも少年に言われて、蜂蜜薬の入った袋を一気飲みする。

 

「………(´Д`)?」

 

 何でも無さそうだと安心しようとした時。

 

 一気に襲い掛かって来る味に彼らの意識が消し飛んだ。

 

「―――」

 

 バターンと倒れた彼らは正しく殺虫剤でイチコロにされたようなものだ。

 

 不憫そうに見やるレザリアであるが、自分も通った道なので「頑張れ(´;ω;`)」と内心で応援する事しか出来ない。

 

 七人のドラコーニア達が少年の不可糸でグルグル巻きにされて、ズルズルと引き摺られ、少年の家の軒先へと持って行かれる。

 

 これから彼らがどんな末路を辿るのか。

 

 思わず蜘蛛脚で拝んでしまう蜘蛛の一族達なのだった。

 

 *

 

 そんな情景を見ている騎士達は野営地の守備隊の訓練にカラコムの下で携わっていた。

 

 元々は海賊紛いの水夫達もリーダーである船長オーダムと共に教会騎士達の流儀を聞きつつ、死んだ騎士達の遺品を回収して、使えそうなものを得てからは守衛くらいの仕事はまともに出来るようになっていた。

 

「おうおうおーう。あのお嬢ちゃんスゲーな」

 

 オーダムは豪放磊落に笑いながら、騎士達の教える文字だの、戦術だのを座学や実技で学びながら、騎士達も驚くような速度で学習しており、さすが船長と水夫達からは持て囃されている。

 

「船長。感心するのは言いが、手がお留守だぞ?」

 

「おっとイケねぇ。いや、スマンスマン。ついな。マルクスの旦那」

 

 半魚人な船長は一応、呪紋を取得して変異覚醒した為、分類的にはレザリアと同じであるが、水夫達の統率の為に事実上は守備隊の現場責任者としてカラコムと同等の立ち位置にいる。

 

 デカイ、大きい、大雑把という割には文武両道で神の道を説く以外にも文字や色々な事を教えていたマルクスに私事してからはインテリな側面も見せていた。

 

「カラコムの旦那ぁ。ウチの連中はどうですかーい!!?」

 

 少し離れた場所で教会騎士と訓練していたカラコムに訊ねる男の声は野営地の反対側まで響きそうだ。

 

 汗を布で拭ったカラコムが青空授業で座学している一団の下までやってくる。

 

「ああ、根性があり過ぎて、騎士連中の方がへばりそうだ。ま、君程の逸材はさすがにいないがな。船長」

 

「ははは、そりゃどうもお騒がせを……」

 

「そう言えば、船長。君用の武器をウリヤノフ殿が用意していると聞いている」

 

「ほう? こっちには何の音沙汰もねぇが、そうですかい」

 

「君の腕力、膂力は人並み以上だ。守備隊は君とオレの二大看板。いや、あの教会騎士のベスティン殿を加えて3隊になるだろう。これだけあれば、恐らくは……」

 

「教会連中の部隊を退けられると?」

 

「いや、それは無理だ。数の問題もある」

 

「でしょうな。オレは昔、あいつらの船を見た事あるが、あの船の中にいるような数はさすがに相手出来ん事くらいは分かる」

 

「だが、迎撃するのではなく。防衛戦ならば、話は別だ」

 

「ほう? どう違うんです。何せ海しか知らんもんで」

 

「堀と壁だけじゃない。弩や門。城壁。フィーゼ様のお力を借りれば、防衛設備はかなり作れる。内部に畑を大量に抱えながら、護り切れるだけの領土さえあれば、引き籠って耐えるのは恐らく可能だ」

 

「ふぅむ……例の神聖騎士とか言うのはどうするんです? あのアルティエが蜘蛛にしたって言うヤツは見ましたが、ありゃぁ勝てませんぜ?」

 

 オーダムが思い出すのは金色の蜘蛛だ。

 

 遠目から見ただけであったが、それでも今の彼では勝てないのが分かる程度には恐ろしい何かだった。

 

「それは遠征隊次第だ。どちらにしても、教会騎士そのものが我々の敵であって、我々はそちらから野営地。いや、村を護るのが主任務になる」

 

「……任せっ切りですかい」

 

「仕方ない。呪紋が使えるモノは限られる。彼らが強敵を倒し、我々は彼らの道を塞ぐ雑魚を狩るのが一番効率が良い」

 

「なるほどねぇ……」

 

 オーダムが無精ひげの顎を撫でた。

 

「今は蜘蛛達もいるし、教会騎士達の乗って来た小型船も何艘か使える。交替で海側の港の整備も進んでいる。あの大型帆船の修復が済めば、外洋までは出られるだろうが、全員では無理だ」

 

「ふむ……」

 

「であるならば、だ」

 

 カラコムがオーダムに視線を合わせる。

 

「いっそ、此処を我らの国にすればいい」

 

「ッ―――はははは、面白い事を考え為さる」

 

「いや、そもそも流刑者は本土に戻れんし、お前達も帆船があってすら、脱出は難しいだろう。此処にいた事が知られれば……」

 

「教会に追われる事にもなる、ですかい?」

 

「そうだ。ウリヤノフ殿は此処から船員達が脱出するのは構わんと言われているが、元々海賊紛いだったオーダム一家はどうかな?」

 

「はぁぁ……ま、酒も飲めて、面倒な役人連中もいないなら、海の何処でも一緒とはいえ……相手は教会騎士に蟲の化け物。他色々って話だ」

 

 チラリとオーダムが水夫達を見やる。

 

「こいつらも家族がいるもんはいないが、故郷もある。そう焦って答えを出せるもんでもないでしょう」

 

「それはそうだな。実際、此処が落ちた時には外界に逃げ出す準備もせねばならんし……まぁ、時間はまだある。考えるといい」

 

「カラコムの旦那は?」

 

「はは、南部には家族も故郷も無いんでな。もう」

 

「そうですかい。そりゃぁ、オレ達と同じだ」

 

「光栄だよ。大嵐に船を出しても必ず戻って来る伝説の船長と同じならな」

 

「そいつは買い被りだ。精々、海の神さんの御加護があるってくらいでしょう。こんなナリだし」

 

 オーダムが首元のエラで呼吸した。

 

「カラコム殿。私語もいいですが、出来れば、こちらの講義が終わってからにして貰えると有難いのですが……」

 

「おお、済まない。マルクス殿。いや、失敬」

 

 カラコムが謝りつつ、その場を離れた。

 

 野営地では刻々と変わっていく状況に晒されながらも運営は軌道に乗り始めていたのだった。

 

 *

 

―――数日後。

 

 野営地が7割くらい余計に拡張されたのはフィーゼの頑張りが精霊達によって過大に反映されたからと言うべきだろう。

 

 ほぼ一日中働き詰めで指示を出し続けていたフィーゼが精霊達に寝ている間も仕事を頼んでいた事で何か思っていたよりも広く壁や堀が張り巡らされてしまったというのが実態であった。

 

「ウート殿。どうします?」

 

「エルガム殿か。いや、どうしようと言われても家屋の建造は1週間後には終わるそうだが、畑に植えるものが無い」

 

「薬品用の畑が欲しいと思っていたのですが、それにしても広過ぎる感はある。そもそも種の採取もアルティエにして貰っているとはいえ」

 

「石を取り除くような整備は?」

 

「既にご息女が精霊に終えて貰っていると」

 

「牧草地とするにしても、家畜もないのがやはり痛いか……」

 

「いっそ、教会の野営地から盗んできますか?」

 

「生憎とまだ長生きはしたい方で」

 

「ですか。となると……」

 

 2人が新しい木製の丸太の壁の内部。

 

 広い敷地内で本日の仲間達の教練を終えた少年が一人で何やらし始めるのを興味深げに見やる。

 

「……【ビシウスの麦】……成長速度2304%上昇(固定)。土中の肥培を確認。チッソ、リン酸、カリウムを確認。栄養素の補給を開始」

 

 少年がブツブツ言いながら、壁とか堀を作り終えて、手が空いたフィーゼがいる遠方に手を上げる。

 

 すると、フィーゼのいる場所の背後。

 

 大量の農業資材が入った小山が精霊達によって動いた。

 

 ソレは黒く黒く黒く。

 

 真菌の巣であった。

 

 そう……少年が野営地から回収して捨てさせていた場所で増殖していたソレらが少年の誘導で新しい野営地の端までやって来ていたのだ。

 

 森の中で大量の栄養素を吸い上げながらコロニーを形成していたソレらが精霊の手に寄って大地に撒かれていく。

 

 黒い液体にも見えるソレが蠢きながら土中に侵食していく様子はもはや邪悪な儀式にしか見えない。

 

 ズブズブとソレが土の上から消えていく様子を興味深そうに見やる者達は多かった。

 

 そうして、少年が近付いて来た精霊に頼んで横に置いた袋から取り出した巨大な麦の粒にも見えるものを一定間隔で植えさせていく。

 

 それがドスンドスンドスンと広大な畑の一角で落とされて数秒後。

 

 グググッと実が持ち上がり、芽が出て、若葉が芽吹き……次々に数mはあるだろう巨大な穂を実らせて頭を垂れさせていく。

 

 それと同時に畑からは正しく何もかもを吸い上げたかのようにカサカサと水分が絞られたように土が痩せていった。

 

 最後に少年が走り出して、次々に穂をダガーで狩り取って、穂と麦藁に分類し、穂がバラバラにされて精霊達によって近くの荷車に山積みとされた。

 

 完全に土が痩せた場所で少年がチラリと地面を見やって手を突く。

 

 すると、山のように投下した真菌達が下からゆっくりと湧き出して地表を覆っていく。

 

「土中追肥開始。微生物分布を周辺土壌から再投入。真菌組織化開始。排泄物処理を土中より開始。移送……ウィルス及び寄生虫を分解」

 

 少年がブツブツ言いながら手を地面から引き上げて、再びフィーゼに合図すると今度は海岸線沿いで大量に集めて炎瓶で燃やしていた貝殻製の石灰が大量に黒くなっていた土に精霊達の力で振り掛けられていく。

 

「土壌成分の復帰まで84時間」

 

 少年が収穫を終えた巨大な麦穂の入った荷車の列に指示を出す。

 

 すると、蜘蛛の子達がイソイソと荷車を高床式の倉庫の方へと運んでいく。

 

 そこにエルガムとウートがやってきた。

 

「何を収穫したのか聞いても?

 

 ウートの言葉に頷いた少年が一つだけ残していた巨大な麦穂の一部を見せる。

 

「これは大きな小麦? いや、自分で言っておかしな話だが……」

 

「薬品で大きくしてみた。周辺の土壌から養分と水分を根こそぎ吸い上げて実にする小麦」

 

「ああ、それで土がいきなり痩せたわけか」

 

「興味深い……ですが、あの黒いのは……例の糞尿を運び入れる森の奥にあるとは聞いてましたが」

 

「糞尿を分解して養分にして貯め込んでたのを持って来た。これで痩せた土も数日で元に戻る」

 

「収穫したコレは食料に?」

 

 エルガムに頷きが返される。

 

「普通の小麦と同じように使える」

 

「ほう? あれだけの量となれば、麦芽の飴や小麦酒も行けるな」

 

 ウートが肩を竦めた。

 

「嗜好品は後で。基本は食事」

 

「解っているとも。だが、問題は酒精だ」

 

「消毒?」

 

「そうだ。薬品で良くなって来ているが、やはり肉が魚肉だけではマズイ。豆類は栽培中。食い物の偏りでやはり多少の風邪などに掛かる者も出て来ている」

 

 ウートが難しい顔になった。

 

 エルガムが医療用の酒精が無ければ、治療と看護はかなり困難という話は少年とウートにしかしていない。

 

 それが分かる知的な人材が他にいなかったからだ。

 

「……一応、当てがある」

 

「本当か?」

 

「物凄く神に感謝しなくていい」

 

「「?」」

 

「それと一応……変異覚醒者には感謝していい」

 

「「??」」

 

「こっち」

 

 少年がイソイソと2人を伴って森の奥に向かう。

 

 その先にあるのは今まで糞尿を捨てていた場所だ。

 

 今は黒い真菌のコロニーが消え失せて何も無くなっている。

 

 これからは地下に張り巡らされた大量の真菌が野営地の糞尿を便所からそのまま取り込んで地下で発酵させ、そのまま畑に追肥する形に為る為、不必要になった場所は別の目的で使用されていた。

 

「何だ? あの黒いのが地面に張り付いていて、何かが生えている?」

 

 ウートが目を細める。

 

 そして、エルガムが嫌な予感に僅か汗を浮かべた。

 

 地表から黒い何かが生えていた。

 

 それは塔のように人の背丈ほどもあって、20m程の窪地に数十本生えている。

 

 少年がイソイソと内部に入り込み。

 

 いつもの黒いダガーで黒い真菌膜をバリッ剥がして内部からソレを斬り出した。

 

「肉、だと!?」

 

 さすがにウートの顔もエルガムの顔も引き攣る。

 

 戻って来た少年が不可糸の糸で吊るして2人の前に肉を見せた。

 

「あの黒いのは肉すら生み出すのか?」

 

 少年が首を横に振る。

 

「……これは何の肉ですか?」

 

 エルガムの言葉に少年が短く。

 

「クマ」

 

「クマの肉?」

 

「そう……先日、北部に向かう洞窟を発見して罠を張ってた。何かが西部に進出して来ないか心配だったから。北部から来たのがクマだった」

 

「クマが北部から? つまり、やはり、動物は北部にいると?」

 

「たぶん。でも、これは普通の動物の肉じゃない」

 

 少年が息を吐いた。

 

 別に自分だけが食べるのならば気にしない。

 

 気にしないのだが……野営地に供給するには問題が大ありであった。

 

「クマに変異覚醒した元亞人の肉、だと思う。それを培養……増やしてみた」

 

「「ッ」」

 

 さすがにウートが顔を引き攣らせる。

 

「人の肉、か」

 

「元、亞人。変異覚醒が進み過ぎたものはソレそのものになる。人間の部分が残ってない部位。完全にクマと同じ。レザリアや船長は人間と別の生物の中間。でも、これは違う」

 

「……肉を培養。どのように?」

 

「あの黒いのは血肉や骨を増やせる。血肉の元となる栄養と時間さえあれば、どんな類の生き物でも同じ」

 

「さすがに俄かには信じられないが……」

 

 ウートが困った顔になった。

 

「北部には普通の家畜がいる可能性もある。普通に食べる分には問題無い。何の肉か知らなければ、普通のクマ肉」

 

「「………」」

 

「非常食にしてもいい」

 

 その言葉にポリポリとエルガムが頬を掻いた。

 

「出来れば、最後の手段にしておきたいな。やはり……」

 

「襲撃で畑や食糧庫が破壊された場合の備えの一つくらいでいいと思う」

 

 ウートの言葉に少年が頷く。

 

「ま、まぁ、しばらくお世話になる事は無いと祈りましょう。ちなみに食べるんですか? その肉」

 

 エルガムの言葉に少年が肉を乾燥させた樹木の皮で包んで不可糸で縛り上げた。

 

「蜘蛛の一族用。加工して栄養食にする」

 

「あの蜘蛛達も不憫と思えばいいのか。悩むな……」

 

 ウートの言葉は最もであった。

 

 人に近くなったとはいえ。

 

 それでも元人の肉を食べさせるのはどうかという顔にはなる。

 

「蜘蛛の一族は基本的に雑食。その気になれば、何でも食べられる。蟲、獣、人、魚、何でも……種族が違うというのはそういう事」

 

「はは、我らにはそんな日が来ないよう祈りたいものだ」

 

 ウートが肩を竦めた。

 

「そろそろグリモッドの遠征を進める。それが終わったら、教会の偵察。それが終わって状況が落ち着いてそうなら北部に向かう」

 

「見付かった道からか?」

 

「山岳部の洞窟内部からは行かない。出来れば、山越えする」

 

 そうせざるを得ないというのが事実だが、少年は黙っておく。

 

 これから西部の北端からは大量の亜人が流れ込んでくる。

 

 そう少年は知っていた。

 

「出来るのか? 人間には不可能だと。いや、お前達ならば出来るか」

 

 少年がウートに頷いた。

 

「解った。教会が上陸してまだ一月経っていない。まだ、左程に支配領域は広がっていないだろう。危険な任だが、任せよう」

 

「任された」

 

 少年が頷き。

 

 三人はイソイソとその場を離れるのだった。

 

 秘密の肉畑はこうして日の目を見る事なく。

 

 ひっそり、蜘蛛の子達を育てる為の栄養食として栽培されていく事となる。

 

 *

 

「遠征に出発」

 

 巨大な小麦という何というか表現に困るものを収穫した翌日。

 

 まだ造り掛けの蜘蛛達の住居を野営地の人間に任せ。

 

 少年達は再び出発しようとしていた。

 

 だが、その様子は明らかに野営地の人間達からドン引きされている。

 

 理由は単純だ。

 

 新しく3人のドラコーニアが荷物持ちとして入ったのだが、彼らの先輩に当たるフレイの姿が明らかにアレだからだ。

 

 じゃーん。

 

 という擬音でも響きそうなくらいに胸を張るフレイの蜘蛛脚は全て人間の手に置き換わっており、傍目には蜘蛛よりも化け物。

 

 ついでに人間化した蜘蛛達にも「えぇぇ……(|Д|)」という引き気味の顔で見られていた。

 

 先日、名前を付けられた蜘蛛達はあくまで種族名を付けられたせいでああなった。

 

 しかし、個体名を少年に付けられたフレイは神の加護とやらの恩恵は受けている様子も無く。

 

 顔の中央に嵌った鼻輪の恩恵で少しずつ人に近付いていた。

 

「さ、さすがにちょっとアレですね」

 

 フィーゼが額に汗を浮かべる。

 

 子供くらいの腕が蜘蛛の胴体からワシャワシャ出ているのは悪夢に見そうな姿なのは間違いない。

 

「う、うん。さすがに可愛くない……」

 

 これにはさすがにレザリアも擁護不能であった。

 

「(/ω\)」

 

 メソメソし始めるフレイを少年がヨシヨシと頭を撫でる。

 

「取り敢えず出発で」

 

「はぁ、確かにアレだけども、そんな問題じゃねぇだろ」

 

 前途多難な新たな門出にガシンが肩を竦めた。

 

 おーと腕を上げたドラコーニア達はこの数日で若干能力が上がっており、ガシンなどに拳闘士仕込みの近接格闘術も学んでいたので荷物持ちならば、問題無いという状態まで仕上がっていた。

 

「「「(/・ω・)/」」」

 

 遠征隊の装備はフィーゼ以外は新調されたものが使われている。

 

 竜骨を用いた軽装の鎧である。

 

 体型に合わせて造られたソレは竜骨と金属を重ねた仕様であり、重装甲で盾持ちのレザリア以外は全員がサイズ以外は同じようなものであった。

 

 胸元を護る三角錐状に僅か突き出た胴体部と背骨を護る帷子状パーツを何層にも薄く重ねた装甲。

 

 骨と金属の合わせ技で軽量化と装甲の強さを両立したソレは関節部を護りつつも攻撃を受ける事を想定された部分は竜骨の強度で護りも増やされていて、全員が四肢を装甲で護ったような状態となっている。

 

 唯一ガシンのみ両手両足を露出させているが、それは能力の仕様上仕方ない話であり、グリモッドでの活躍を見込んでのものであった。

 

 こうして4名と数匹は符札を掲げたと同時に若返りの泉へ到着。

 

 その内部から菌糸の壁を抜けて造られた地下通路を抜けて出入り口の坂を上って出発し、グリモッドの亡霊達が彷徨う森へと分け入っていく。

 

 こうして遠征が再開されて数十分後。

 

 彼らは数十体の亡霊を殴り殺し、切り裂き、クナイで爆破し、爆発物は控えめに消費しながら、大量の敵の波を掻き分けながら進んでいた。

 

「そっち行ったぞ!!」

 

「(>_<)」

 

 ゴシャッとドラコーニア達が俄か仕込みの格闘術と尋常ならざる腕力を発揮して亡霊達をオーバーキル気味に殴り殺す。

 

 二撃必殺で次々に敵を消滅させていく師匠であるガシンの後ろから大量の敵の防波堤となって後方のフィーゼと更に後ろのフレイを護っていた。

 

「お願いします」

 

 フィーゼの腰から離れた剣が周囲を回遊して初め、近付いて来た亡霊はその剣が切り払って対処している。

 

 最前線では少年がダガーを片手に一度の斬撃では倒せないソレらを切り裂きながら攻撃を回避しつつ体術も用いて蹴り飛ばし、その背後では群がる亡霊達が竜骨と鉄の混合された新しい盾を振り回すレザリアに吹き飛ばされ、一撃で周囲の樹木を折るような衝撃に砕かれて消えていた。

 

 戦闘状況に入って数分。

 

 最前衛の化け物ぶりに二撃で敵を消し去っていたガシンは顔を引き攣らせる。

 

 どれだけ倒しても、それは2人の攻撃に晒されずに流されて来たお零ればかりであって、巨大な亡霊の津波を消滅させる切っ先となっている少年とレザリアはガシンのような能力が無くてもまるで問題無く。

 

 敵を疲れ知らずに葬り続けている様子は完全に人の枠を超えているだろう。

 

(精進が足りねぇな。オレも……)

 

 前ならば、真正面から亡霊の波と戦うなんて事はしていなかった。

 

 だが、少年も仲間達も強くなる。

 

 進歩する。

 

 殆ど土木作業を精霊でしていたフィーゼですら、新たな防衛用の武装として精霊を使って剣を用いるようになった。

 

 自分もまた教会騎士達に習っていたとはいえ。

 

 それでもガシンは上には上がいるという事の意味を肌身を以て感じざるを得なかったのである。

 

 数分もせずに合計84体もの敵を無傷で駆逐した遠征隊は疲労も殆どない事もあり、南部の森林地帯を縦断していく。

 

 途中、既存の薬草の群生地に出くわして、全員で薬草採取したり、普通の水が湧く小さな泉で小休憩したりという事はあったが、それ以外は200m進む毎に数十体という規模で彷徨っている亡霊の群れを薙ぎ払い続ける事になっていた。

 

 それが凡そ16回続いた後の事。

 

「傷は無し。でも、体力が半分くらい……そろそろ一端大休憩を―――」

 

 そう少年が言い終える前にダガーが上空に飛んだ。

 

 そして、不可糸を括り付けられた黒いダガーが上空で飛んでいた何かを貫く。

 

 ソレがヒュルヒュルと落ちて来た。

 

「何だ? どうした?」

 

 仲間達がすぐ傍まで集まって来ると少年がダガーで狩った得物を見せる。

 

「これ……鳥?」

 

「教会騎士が攻めて来た時に狩ろうと思ってたけど、見付からなかったヤツ」

 

 少年が先日の騎士達の襲撃時に狩ろうと思って空を見上てもいなかったソレが攻撃可能範囲まで近付いていた事に気付いてダガーを投げたのだと説明する。

 

「でも、この鳥……何の鳥でしょうか?」

 

 フィーゼが言うのも最もであった。

 

 その鷲のようにも見える鳥はしかし……鷲どころか他のどんな日常的に見る鳥にも似ておらず。

 

 茶色い翼とヤケに大きな嘴。

 

 そして、どうにも鳥と言うには重く。

 

 少年が鳥をその場で腑分けしようとした途端。

 

 グシャッと内部に折り畳まれるようにして急激に体積を減らし、最後には玉のようになって燃え尽きていく。

 

「何だ!?」

 

 咄嗟に背後に下がった仲間達の前で少年が燃えるソレを切り裂いた。

 

 すると、跡形も無く焼失していく。

 

「……呪紋。それも生命属性の呪紋に近い何か、だと思う」

 

 少年がそう言いつつ、周囲の気配を探って見るものの。

 

 他には気配も無く。

 

「たぶん、戦闘の能力を見られてた。鳥の主に」

 

『でしょうね。わたくしには気付かなかったようですけれど』

 

 上空からエルミが戻って来る。

 

「このまま進むか? 一端戻るか?」

 

 ガシンの言う事は最もだ。

 

 もしも、少年達がいないと気付かれて、その誰かが野営地に攻め込んで来れば、被害も在り得る。

 

「このまま続行。出来る限り進んでおいた方がいい。いつ教会や他の勢力が周囲を制圧しないとも限らない」

 

「全員、もう一息行くよー」

 

「「「(>_<)/」」」

 

 ドラコーニア達がレザリアが盾を掲げると一緒になって「おー」と手を上げた。

 

「皆さん。体力が4割を切ったら、迷わず霊薬を」

 

 フィーゼがそう促しつつ、また遠征隊は進み始めた。

 

 しかし、すぐに彼らは異変に気付く事になる。

 

「ちょ、ちょっと亡霊が何かオカシなのが混じってるよ!? アルティエ」

 

 今までは一般人的な首無しの亡霊や首有りでも殆ど日常で使うような鉄製の道具、鎌や斧や短剣が主流だった。

 

 しかし、数名の弓を扱う者が出始めて、同時に軽装の鎧を着込んだ亡霊が混ざり始めていた。

 

 それらは勿論のように耐久力が高く。

 

 少年とレザリアの攻撃にも2撃以上耐え、ガシンによってトドメを刺されるという事が多くなっていく。

 

「ッ―――何だ。こいつら……オレの体も!?」

 

 ガシンが驚いたのはそういった計鎧の亡霊を殴り消している最中に己の体から青白い炎にも似た霊力が溢れたかのように見え始めた事であった。

 

「オイ!! 何か分かるか!!」

 

 戦闘の最中。

 

 ガシンが相手の攻撃を逐一手で受け止めて消し去りながら、ハイテンポに激しく位置を入れ替え、立ち回りつつ訊ねる。

 

「霊力の吸収効率の上り幅以上に流入量が多くて溢れてる。たぶん」

 

「簡単に言ってくれ!!」

 

「水瓶から水が溢れてる状態」

 

「そういう事か」

 

「オラァ!!」

 

 ガシンが体内が熱くなるのに合わせて、燃え河る闘志のままに拳を振るう。

 

 その時、溢れ出した霊力がまるでゴムのように伸びて遠方の計鎧の霊を呑み込んで一撃で消し去る。

 

「これは―――」

 

「呪紋」

 

 少年がそう断じる。

 

 ガシンの脳裏に情報がレキドの印によって流れ込んでいく。

 

「呪霊属性変異呪紋【融霊肢】を獲得。自身と繋がる霊力を伸ばして他者の霊力に接触させて融かす? 獲得時、霊力吸収効率7.4%上昇(再上昇可)……」

 

 少年のように呟きながら、ガシンが次々に自らの四肢から飛ばす打撃を霊体で伸ばして、周囲の樹木なども関係無く相手を纏めて取り込んでいく。

 

「そうか。接触状態だから、一撃どころか連撃扱いなのか……」

 

 理解すると少年達よりも早い速度で敵の先鋒を喰い破って、その長い霊力の腕と脚が20m程遠方の弓持ちを消して戻って来た。

 

 そうして一気に50体近い霊力を吸収したガシンが自分から溢れていく霊力が青白さを超えて僅かに赤いような色が混ざっていくのを確認する。

 

「変異覚醒率33%上昇(再上昇可)。霊体変異率71%上昇(固定:低下不可)。オレの魂が変化する……って事か?」

 

 ガシンの青白かった霊力の色が薄っすらと桜色くらいに為って止まる。

 

「ガシンさん。何だかスゴかったですね」

 

 後方からフィーゼがやって来て、霊力が一人違う色になった青年を見て思わず拍手する。

 

 ドラコーニア達も同じであった。

 

「これでレザリアと違う方向で同じように強くなった」

 

 少年がガシンの後ろに付いて、レザリアも同じように後ろへと回る。

 

「これからはそっちが前」

 

「はは……オレには厳しそうだな」

 

「今の内に霊力を蓄えておくといい。霊属性の呪紋は霊力を使う事が多い。もし問題無く使える量まで増えたら、霊属性呪紋使い放題」

 

「どうだかな。だが、悪く無い未来像だ!!」

 

 ガシンが僅かに遠方の樹木に隠れていた弓持ちの一体に拳を放ち、霊力の腕で殴るようにして融かして吸収する。

 

 今度はガシンを最前衛に切り替えた少年達は殆どその能力に頼る形で霊達の軍勢と言ってもいいだろう軽鎧と長剣、弓持ちの敵を食い破りながら、先程と変わらぬ速度で進み続け、夕方の撤退時まで止まる事は無かった。

 

 彼らが辿り着いたのは廃屋。

 

 森の中にある小さな其処にイエアドの印を刻んだ彼らはそのまま野営地へと戻っていく。

 

 そして、それを遠方から見ていた弓持ちの亡霊がイソイソと廃墟から先の壁際にある砦……ニアステラとグリモッドを隔てる山脈の壁に建てられた崩れている小さな要塞へと消えていくのだった。



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第27話「滅び切れぬグリモッドⅣ」

 

「……これは」

 

 順調にグリモッドの果てを回り続けていた少年達は翌日も順調に進んでいたが、遂に山脈の岩壁に突き当たる場所付近までやって来ていた。

 

 やたらと周囲に亡霊が多く。

 

 同時に戦っているとワラワラと集まってくる為、追い詰められないようにランダムな軌道を描いて周辺の森をウロウロしつつ、亡霊達を駆逐していた彼らだが、その一角で少年は新しい薬草らしきものを数種類見付けていた。

 

 大きな大樹の根本に生えていた茸とソレから生える小さな水仙にも見える華。

 

 取り敢えず少年がモシャる。

 

「……【ヴァンヴァニルの霊奇茸】(生食)。肝細胞及び腎細胞の破壊率毎秒0.00021%(再上昇可)。抗体獲得まで8秒………完了。破壊された細胞を再生。完了。霊力3.23%上昇(固定:再上昇限定)。【ヴァンヴァニルの死樹水仙】(生食)。筋細胞壊死率毎秒1.2%上昇(再上昇可)。真菌共生による変異細胞の新作用機序により部分無効化。霊体水準12.2%上昇(再上昇可)。霊格変異率2.3%上昇(再上昇不可)」

 

 また拾い食いしながら危ない事を呟いている少年を呆れた視線で見ている仲間達であるが、少年が途中でまだ残っていた材料を持って来たらしい乳鉢に入れてゴリゴリ磨りながら、自分の手から出した黒い菌糸の管から垂れる透明な液体を混ぜ合わせていくのに嫌な予感を感じた。

 

「さ、そろそろ行―――」

 

 ガシッとガシンの肩が掴まれ。

 

 何かを言う前に背中のツボらしい場所が押されて、思わず大口を開けた瞬間。

 

 乳鉢が半ばまで加えさせられて、ゴッゴッと喉の奥にソレが流し込まれた。

 

「ホガアアアアアアアアア!??」

 

 それを見ていたレザリアとフィーゼはガクガクプルプルしている。

 

 アレ、自分達も飲まなきゃダメなの?!という顔である。

 

 仮にも少年の体内から出た液体と合わせて飲まされるのだ。

 

 普通に考えて明らかにヤヴァイ。

 

 乳鉢がガシンの口から取り去られ、革袋の水で洗われた後、少年がまた無言で同じ薬を作り始めた。

 

「テメェ!? 殺す気か!? ああん!!?」

 

 思わず怒鳴るのも無理はない話である。

 

「問題無い。これで強くなる。筋繊維溶解と再生で量より質が上がる。全員にもう真菌の強制感染は終了してる。心臓麻痺や横隔膜のショック症状で死なずに体型を維持したまま筋力32%上昇……美味しい」

 

「あのなぁ?!」

 

 ガシンが怒る横で少年が同じ薬に今度は蜂蜜を入れて混ぜた。

 

「はい」

 

「「………」」

 

「はい」

 

「「………ハイ(´Д`)」」

 

 少年の圧力に屈して少女達もその液体を各々渡された乳鉢から煽る。

 

「変な味だよぅ。ボクこういうの苦手」

 

「う……匂いの強い華を一気に口へ含まされたような。うっぷ」

 

「何でこいつらだけ蜂蜜!?」

 

「女性には優しく」

 

「く、オレにも優しくしたらどうだ?」

 

「男に優しくされたい……?」

 

 思わずガシンから離れる少年がジト目で見やる。

 

「そういう意味じゃねぇ!? く、胃が気持ち悪りぃ……」

 

 仲間達があまりの味にダウンしている間も少年はグリモッドの固有種らしいものが自生している周囲は正しくグリモッドの霊と結びつきが強いという影響を受ける場所なのだろうと見回す。

 

 亡霊達は確かに森の中では雲霞のように襲ってくるのだが、時折山林内部の清浄な空気を漂わせるような場所。

 

 泉や大木の周囲には近付いて来ない。

 

 そこもそういった安全地帯の一角であった。

 

 周囲にあった茸と水仙を全て収穫した少年はチラリとドラコ―ニア達を見やり、ビクッとした彼らの顔が引き攣るのを確認後。

 

 後で蜘蛛達に振舞う薬の材料をその場で出来る限り、採集するのだった。

 

「それにしても、山脈側の岩壁方面は足の踏み場も無さそうなくらい居やがる」

 

 ガシンの目には周囲一帯から少し離れた地点で百体や二百体では利かない亡霊達の群れがウヨウヨしている様子が見えていた。

 

 あまりにも多過ぎて今も取り込んだ亡霊達から頂いた霊力がガシンの体からは大量に溢れている状態だったりする。

 

「アルティエ。実際、どうしますか? ガシンさんがいるからまだ何とかなってますけど、あんな量の敵絶対数日じゃどうにもなりませんよ?」

 

 フィーゼが事実を告げる。

 

 百人や千人ならまだしも万人単位である。

 

 ついでに言えば、亡霊に混じる兵士らしき者達の姿が2割以上。

 

 遠距離からの攻撃も今や雨のように降って来るのだ。

 

「盾を貫通したりしないからいいけど、盾足りないよ? 絶対」

 

 レザリアの言う事は最もであった。

 

 ドラコ―ニア達も攻撃が貫通する事は無いが、あまりの矢の物量や剣の量に押し戻され気味に敵を薙ぎ払い続けていたのだ。

 

 体力はまだあるとはいえ、それでも数時間ぶっ続けで二千人近い亡霊を駆除したはずなのに彼らの目には亡霊達が減っているという様子は見えなかった。

 

「大丈夫。符札で逃げられない場合の退路作ってただけ」

 

「退路だと?」

 

 全員の前で地図が広げられた。

 

「今いる場所は此処。岩壁付近の建造物らしきものがあるのが此処。凡そ3里くらい。今までウロウロして数を減らしたのは此処」

 

 少年が指差した領域は今ならば、亡霊達もかなり減っているはずの場所だった。

 

「もしかして、一気に行っても戻れない可能性があるから、ここらで数を減らしてやがったのか?」

 

 ガシンが頷きが返される。

 

「此処からはコレ」

 

 少年が腰の後ろのポーチから木彫りを取り出した。

 

「あ、それって……」

 

「木彫り」

 

 少年が言ってる傍から【生命付与】の呪紋で巨大な先日の西部で使ったよりも遥かに大きな鳥のような蜥蜴のような何かが8m程の威容を彼らの前に晒す。

 

「これ何でしょうか?」

 

 思い当たる生物が分からずフィーゼが首を傾げる。

 

「鳥竜種の木彫り。空飛ぶ蜥蜴。竜の親戚」

 

 少なくともそれは巨大な被膜の翼を持ち、鳥のような嘴と大きな鉤爪を持ち、トサカのような頭部を持つ……プテラノドンのようにも見えた。

 

 全員が少年に促されて乗った途端。

 

 ゴッとソレが跳躍するように飛び上がり、猛烈な速度で建造物。

 

 山際の小要塞へと突撃を決行。

 

「鷲よりは、はやーい!!?」

 

 レザリアが思わず嬉しそうに心地良い風に笑顔となる。

 

「ほ、本当ですね。凄く速いです。でも、こんな速度で壁に激突したりしたら……」

 

 フィーゼが最もな事実を指摘した。

 

「オイ!? つーか!? あの砦みたいなのの屋上しか降りるとこねぇぞ!? 大丈夫なのか!?」

 

 少年が肩を竦める。

 

「大抵、大物は高いところか深いところにいる。中の探索は危なそうなのを倒してからでいい」

 

「大雑把過ぎるだろ!?」

 

 ガシンが喚いている間にも急激に加速したプテラが減速する様子もなく近付いて来る要塞の上空へと接近。

 

「どうやって降りる!?」

 

「屋上に飛び降りる。フィーゼ」

 

「あ、はい。精霊さんは沢山連れて来てるので大丈夫です!!」

 

 フィーゼが精霊を入れた袋を取り出した。

 

 実はグリモッドには精霊が数多く棲息しているようでしばらく戦う度に彼女は精霊を採取しては袋に入れて連れ歩いていた。

 

「3、2、1。ファルターレの貴霊」

 

 少年がいきなりカウントダウンをしても慌てるものはおらず。

 

 ただ、ゴクリと唾を呑み込んで言われた通りのタイミングで飛んだ。

 

「フィーゼ!!」

 

「お願い!!」

 

 精霊が次々に飛び出して少年達の足元に近付くと小さな要塞の塔最上階。

 

 10m程の円形の中央に彼らが減速しながら近付いて、降り立つ事が出来た。

 

「(/・ω・)/」

 

 途中、先に降りたフレイが仲間達を次々に伸ばした手で降り立たせ、遠征隊の面々の落ちる場所に振り分け、同じように着地の手助けをさせる。

 

「ありがとう」

 

「はい。助かりました」

 

「お、おう。助かった」

 

 少年が一人スタイリッシュに片手にダガーを持ちつつ、着地を決めて周囲を見やる。

 

 すると、最上階に降り立ったはずの彼らの周囲に壁が薄っすらと見え始めた。

 

「―――(これはマズい)」

 

 少年が咄嗟にハンドサインで防御陣形をレザリアとドラコ―ニア達に指示した途端に周囲から大量の青白い霊力の矢が彼らに降り注ぎ。

 

 猛烈な速射に対してレザリアの盾とドラコ―ニア達の蜘蛛脚や腕、更にガシンが正面で体を広げて矢の的となる事で他の者達へ降る量を減らした。

 

「ぐ、クッソ!? この矢、霊力だけじゃねぇ!? 普通の威力もありやがる!?」

 

 ガシンが大量の矢を受けた全身の一部、特に装甲が無い布地の部分に僅かな傷を受けながら血を流しつつ構えを取る。

 

「ガシンさん!?」

 

「大丈夫だ!! 普通の矢よりも威力は無ぇ!! だが、オレに対しての事だ!! お前らが当たったらマズイ!!」

 

 的確に戦況を分析しながら、少年がガシンの後ろから周辺を見ていた。

 

 今までの軽装鎧の霊体ではない。

 

 完全武装の全身鎧に大弓を装備した騎士達が今まで隠されていた最上階の塔を挟むようにして伸びている石製の長細い城壁の上から彼らを狙っていた。

 

 状況はあまり良くない。

 

 ドラコ―ニア達の皮膚にも薄く矢じりによって紅い部分が出来ている。

 

 だが、この不意打ちがまともに要塞に突入してから消耗した後だったならば、事態は更に悪化していただろう。

 

『ここにか。そうか……』

 

 隠されていた塔の端から石製の階段が現れて、細長い城壁の内部を上がっていくように真っすぐ伸びた本当の要塞の最上階。

 

 そこにいる相手の元へ彼らの視線が誘導される。

 

『まさか、この【反歌の砦】に今更に生者が入り込むとは……』

 

 全身鎧の騎士達とは違う。

 

 喋っているのは騎士鎧を纏いながらも悪鬼のような牙のある紅い面を付けた男であった。

 

 通常の霊とは違う。

 

 完全に色合いが普通の人間と変わらない男が面を取って彼らを見下ろした。

 

 その顔は60代だろうか。

 

 皺の刻まれた瞳は片目が潰れており、何処か泥で化粧したかにも思える浅黒い肌と矍鑠とした立ち姿、瞳の薄い赤光は彼らを捉えて離さない。

 

『何処の者だ? 北部のヴァルハイルか? ニアステラの生き残りか? あるいは異形共の成りそこないか?』

 

 皺枯れた声がそう訊ねる。

 

「流刑者」

 

 少年は素直に答えた。

 

『流刑者……流刑者だと? まさか、まだこの地にそんなものを寄越しているのか。何と浅ましい話だ……外はどうやらまだ諦めていないようだな。教会も業が深い……』

 

「浅ましい?」

 

『語る事は無い。何も知らず。思いも遂げられず。死んでいけ』

 

 老将。

 

 そう言うのが似合うだろう縮れた白い髪の男が手を上げる。

 

 周囲の城壁に展開している騎士達が大弓を構えた。

 

 その手が振り下ろされるよりも先に少年が親指を立てて、男に対して指を真っ逆さまにする仕草をした。

 

 男がその挑発に対しててを振り下ろすより先に猛烈な爆発が城壁の片面で起きて、足元を揺さぶられた騎士達が弓から手を離した。

 

「今!!」

 

 少年の声と共にドラコーニア達が不可糸で城壁の上に跳ぶ。

 

 更にレザリアが突撃するようにして階段を登っていく。

 

『ほーほっほっほっほ♪ わたくしの華麗なる弓術に感謝しなさいね。貴方達♪』

 

 鼻高々な声が周囲に響き渡る。

 

 混乱していた騎士達の一人が遥か上空から弓を射る少女を確認し、迎撃しようとするが、それよりも早く爆薬を込めた瓶を使うフィーゼ用の弩の矢が城壁の上のあちこちを爆破して倒せないまでも大混乱に陥れる。

 

「お爺ちゃん。悪いけど!!」

 

 レザリアが加速したままに猛烈な勢いで盾の突撃で老将を吹き飛ばした課に思えたが、それは相手が背後に飛び退いたからだった。

 

 すぐに敵を砕く衝撃が無い事にレザリアが横に飛ぶ。

 

 背後に引いた男の手から放たれた呪紋らしき現象が今までレザリアのいた地点を直撃し、衝撃によって石床が砕けて周囲に吹き飛び。

 

 ガツガツと破片がレザリアの全身を打った。

 

 だが、普通なら即死であろう礫のショットガン染みた威力にも今のレザリアは生身ですら耐える。

 

 竜骨の装甲すらある今、当たってもちょっと痛いで済むレベルの話であった。

 

「おらぁ!!」

 

 そんな少女の背後を辿っていたガシンが相手の攻撃前に跳躍した勢いのまま、男へ殴り掛かる。

 

 片手を突き出していた男がもう片方の手で引き抜いた剣で迎え討った。

 

「ッ―――」

 

 ブシュリと剣の刃と生身の手が重なった場所で血飛沫が上がる。

 

『ほう? 指が落ちない? 貴様、霊食いか?』

 

「だったらどうした!?」

 

 僅かに顔を歪めたガシンが半分程まで断ち割れた片腕の指を庇う事もせず。

 

 もう片方の手で構えを取って僅かな距離を取る。

 

 一足飛びの間合い。

 

 爆発と城壁の上での戦いは続いているが、騎士達は態勢を立て直しつつあり、それを少年が壁を走り上がって、狩るという戦術で何とか数を減らしつつあった。

 

「ガシンさん!!?」

 

「大丈夫だ!!」

 

『今更……今更遅いのだ。何もかも……このグリモッドに生者など……全ては悪い夢であった……眠れぬ亡霊共が朽ちるのを待つばかりだと……』

 

 老将の瞳が痛ましそうに砦の最上階から砦の異常に群れて来る亡者達を見やる。

 

『だが、最後の戦いか。悪く無い。悪く無いぞ……くく』

 

 老将の顔が笑みに歪んだ。

 

 それが元人間だったモノの顔なのか。

 

 あまりにも激情と愉悦に塗れたソレは明らかに悪霊の如き形相。

 

「何だってんだ!? このクソジジイ!?』

 

『此処を切り抜けられれば、貴様らは更なる地獄を見る事になる。グリモッドの滅びを味わいながら生きてみろ。では、名乗りくらいは上げようか』

 

 老将が持っていた剣を背後の城壁の一部に叩き付けた途端。

 

 要塞が揺れた。

 

 そして、崩壊していく城塞の一部が爆砕し、男の背後の砦が完全に吹き飛んだ様子で騎士達がビクリと反応するとすぐに攻撃を受けているというのに直立不動で整列し、反応を示さなくなる。

 

「コイツ?!! どんだけ―――」

 

『我が名は【反歌の砦】領主イクセンバール。またの名を【氷室の将イクセンバール】だ!!』

 

 男が動いた。

 

 その速度は尋常ではなく。

 

 剣を捌こうとしたガシンが、いつの間にか間合いに入られて、顔を舐められそうな程に接近した敵の腕が霞んだのを確認し―――。

 

 猛烈な横殴りの盾によって吹き飛んだ。

 

 だが、その甲斐あって、ガシンの右手が半ばから切り上げられた剣で断たれたのみで完全に肩までは両断されず。

 

 レザリアが振り上げられた剣が振り下ろされるのを瞬間的に盾でガードしながら背後に飛ぶ。

 

 猛烈な衝撃がその体を揺さぶりながら弾き飛ばし、最初に着地した塔の内部まで直進した後、塔の上層が破砕されて吹き飛んだ。

 

「クソが!?」

 

『温いな。外の戦力も高が知れているという事か』

 

 老将が起き上がって自分の背中に回り込むようにして走り出すガシンを見やる。

 

 クナイが次々に片手で投擲された。

 

 二の腕辺りで斜めに断ち切れた個所の血はもう止まっていたが、それにしてもダメージは火を見るより明らかでガシンの顔には滲む汗が流れ落ちていた。

 

『我が剣の毒にも耐える。歴戦の猛者というには聊か物足りぬが、若芽ならばこんなものか?』

 

 回り込むガシンにイクセンバールの手が薙ぎ払うような仕草をした。

 

 直感的に跳躍した青年が自分の跳んだ場所のみならず。

 

 屋上全体が何か見えない衝撃で吹き飛ぶのを目撃する。

 

『勘は良い。だが、それだけではなぁ!!』

 

 老体とは思えない機敏さで跳躍した男の剣がガシンの胸元を袈裟切りにしようと剣を振り下ろす。

 

 しかし、避けられない瞬間の攻撃が黒い刃によって受けられていた。

 

 ガシンの真後ろに付けた少年が脇腹の下から掬い上げるようにしていつものダガーで迎撃したのである。

 

 少年の背後には無数の不可糸が張り巡らされ、破壊された要塞全体に纏わり付いており、魔力を流されたソレが少年の受けた衝撃を伝達しながら拡散。

 

 威力を減衰し切った。

 

 しかし、その威力そのものが伝導した肉体から多量の血飛沫が上がる。

 

 関節部が吹き飛ばないにしても体の繋がりが弱い部位が大量の衝撃で毛細血管を破裂させていた。

 

 すぐに修復された傷に構わず。

 

 軽く少年が虚空の相手を刃で推した。

 

 反対側へと互いに着地したガシンと老将が睨み合う最中にもフレイとドラコ―ニア達が城壁状の無防備な騎士達を倒し終えて合流し、その背後……フィーゼの周囲には大量の破壊された城壁の巨大な瓦礫。

 

 いや、一部が浮遊しながら上昇していく。

 

『倒せるものなら倒してみろ!! 反歌の砦は不落の砦!! おお、民衆よ!! 何も心配する事はない!! 蝶は此処に!! 我らを救うべきものは此処にある!!』

 

 イクセンバールの叫びに反応したか。

 

 今まで砦に群がっていた多数の亡者達が形を崩して、老将の頭上へと集まっていく様子は魚が回遊し、一匹のように振舞うかの如く。

 

 男がニヤリとして懐から取り出した【ファルメクの還元蝶】を齧った。

 

 それを阻止しようとした少年のダガーが黒跳斬を放つも霊体の幾つかが壁となって防ぎ切る。

 

『―――』

 

 ゴクリ。

 

 全てを嚥下した後。

 

 ゴボンッと男の左半分の頭蓋骨が内部から一気に風船のように膨らんで弾け。

 

 同時に内部から人間の脳髄以外の別の何かが見え隠れする。

 

 巨大な霊体の群れがその内部に入り込んでいった。

 

 すると、次々に体のあちこちが巨大に膨れて弾け、最後には鎧までも完全に弾け切って、ソレが少年達の前に露わとなる。

 

「悪鬼……」

 

 フィーゼがそう呟いていた。

 

 大陸の旧い御伽噺。

 

 悪魔とも称される悪鬼の逸話。

 

 角と赤黒い肌と黒い鎧。

 

 人型でありながら、人ではない何か。

 

 悪い事をしていると悪鬼が来るぞと子供達は言われて育つ。

 

「総員行動開始」

 

 少年の言葉で全員が我に返り、その4m程までも膨れた人型の怪物に向けて構えた。

 

「フィーゼ!!」

 

 少年の声によってフィーゼ以外の全員が背後へと下がる。

 

 その隙間を縫うようにして巨大な瓦礫が次々に悪鬼へと突撃し、ブチ当たり、打ち据えて、ダメージは無いにしても動きに制限を掛けた。

 

「レザリア!!」

 

 少年の傍で頷いた少女が共に片手を伸ばす。

 

「「ウィシダの炎瓶」」

 

 呪紋の詠唱は無い。

 

 魔力は2人持ちだが、少年の眷属である少女もまた少年の詠唱せずに使う呪紋を傍にいれば使う事が出来た。

 

 二つの炎瓶が吐き出す炎が絡み合いながら集束し、高速で悪鬼を焼き朽ちさせていく。

 

「フレイ!!」

 

 炎瓶の炎が尽きたのと同時。

 

 既に悪鬼の上へ跳躍していた手が人間のものに置き換わった金色蜘蛛がガヴァッと口を開けて、内部から光線らしきものを放つ。

 

 それは少なからず彼らには神の力の一部である事が解った。

 

 呪紋による神の力を叩き付ける一撃。

 

 それに今まで焼かれても苦鳴を上げなかった悪鬼が苦し気に絶叫した。

 

「三人とも!!」

 

 ドラコ―ニア達が騎士達との戦いで体のあちこちを切り裂かれた様子ながらも、まるで問題無く走り、悪鬼の頭部へ一斉に蹴りを放った。

 

 それが悪鬼の手によって防がれ、弾かれて城壁に弾き飛ばされる。

 

 しかし―――。

 

「ガシン!!」

 

 ガシンが一直線に悪鬼へ跳んだ。

 

 そんな速度では当たりもしないと悪鬼が逆に殴り付けようとした時。

 

 背後のフィーゼが精霊によってガシンを瞬時に数倍以上の速度で打ち出して加速。

 

「オラァ!!」

 

 ガシンの残っていた片腕が突きの形で悪鬼の胸に打ち立てられ、同時に拉げて折れ曲がりながらも半ばまでも埋まった。

 

 ズグンッと悪鬼の心臓が鳴る。

 

 理由は単純明快であった。

 

 猛烈な速度でガシンの全身から赤い霊力が噴出し、それが色味を少しずつ濃くして完全に紅と化していく。

 

『よく分かったな。民達の居場所が……』

 

「亡霊をまだ民と呼ぶアンタがあんな量の魂を護る場所は一番重要な場所に違いねぇと思ってな」

 

 悪鬼の顔がクシャクシャに歪んで笑みが零される。

 

『ふ、ふふ、ふくく……これでようやく……紅か……あの王と同じ……』

 

「?」

 

『この滅び切れぬグリモッドを手中としたければ、赤の王を倒す事だ……』

 

「赤の王?」

 

『……ふ、緋霊の王と言った方が外の者には分かるか。まぁ、冥領のヤツが動き出せば、ご破算だろうがな……』

 

 最後に僅か笑みを浮かべた悪鬼の体が瞬時に分解されていく。

 

 全ては霊力。

 

 そして、どれだけの数であろうとも一つなった霊体に触れ続けたガシンの力は全ての霊体を呑み込んだ。

 

 ドシャリと前のめりに倒れ込む彼の周囲で蝶が舞う。

 

 それは青白く羽搏いて、天に伸びて、大霊殿の方面へと消えていく。

 

 その河を見送ったガシンはフレイに抱き起されていた。

 

「済まんな」

 

 力無く倒れる青年の体から溢れていた紅の霊力がゆっくりと漂いながら集束し、今度は体の内部へと吸収されていく。

 

「あん? 体が熱い? 変異覚醒率100%を突破? 霊力貯蔵率8284%上昇(再上昇可)。霊格変異完了。【緋霊】化率100%……何だよ。はは、人間止めちまったか……」

 

 だが、自分の価値を、自分の戦いを示せた満足感からか。

 

 青年は目を閉じて、自分が変質していくのを受け入れる。

 

 これからどうなっていくのか。

 

 それは分からなかったが、新しい自分というのもまた見てみたくはあった。

 

 出来るなら、それは周囲の者達と対等に歩めるものであればと願うのは自分の傲慢なのだろうとは思いつつも……。

 

「あ、寝ちゃってる」

 

 やってきたレザリアがフレイの腕の中で完全に眠っているガシンにお疲れ様と告げて、後方から戻って来たフィーゼと共に戦闘終了後の周囲の予備探索を始める。

 

「アルティエ。どうやら、この砦……この塔の地下がたぶん一番深い場所だと思います。破壊された構造から察するにですけど」

 

 フィーゼが近頃はずっと土木工事や建設業に従事し、大工仕事の男達と付き合っていたせいで自然と身に付いた技能でそう判断する。

 

「フレイ。三人と一緒にガシンを保護」

 

「「「(>_<)」」」

 

 言っている合間にもガシンの腰の後ろから抜き出した霊薬の入った試験管的な水筒が開けられ、ガシンの口に中身が流し込まれる。

 

 数秒で傷だらけの体が内部から僅かに膨らみながら傷口を塞ぎ。

 

 同時に、破壊された指がゆっくりと元の位置に戻り、失った片腕の傷口が蠢きながら塞がってズグンズグンと脈動し始めた。

 

「あ、塔内部に降りる梯子がある」

 

「ちょっと待って」

 

 少年がレザリアを圧し留めて、その鉄製の錆びた梯子に這わせるようにして菌糸を伸ばして地下を探る。

 

 すると、その塔の最下層。半地下と呼べるくらいは広い空間内には木箱が一つ。

 

 黒い糸が蓋を開けて、中身を取り出して戻って来る。

 

 少年の手に収まったのは金色の蝶。

 

【ファルメクの還元蝶】と色合い以外は同じ造形で質感の何かだった。

 

「これは……鑑定【ノクロシアの還元蝶】?」

 

 少年が首を傾げる。

 

 そして、情報を鑑定で読み取った。

 

「……普通の銀色のヤツ5匹分の効果がある、みたい」

 

 その声に釣られて上空で今も警戒していたエルミが少年を押し退けるようにして顔をその黄金の蝶に近付ける。

 

『イイ……イイですわ。この輝き!! よ、蘇る時はわたくしがちゃんとコレを使いますからね!? ね!?』

 

「あ、はい……(|ω|)」

 

 少年が一応少女との契約なので生まれ変わり系のアイテムは全部自分のもの主張する亡霊少女に頷いておく。

 

「もう。エルミったら……」

 

「あはは、仕方ありませんよ」

 

 女性陣2人が今もどんな姿に生まれ変わろうかなーという妄想を膨らませて想像の世界に旅立った少女に肩を竦めるやら苦笑するやらしていると。

 

 破壊された城壁のあちこちに何かが落ちている事に気付いた。

 

「これって……」

 

「あ、これさっきの騎士の人達の鎧とか?」

 

 少女達の目にはようやく破壊の土煙が晴れた場所に転がるモノが騎士達の遺品の類だと分かっていた。

 

「あ、この蝶の銀色のヤツも落ちてる」

 

「本当ですね……全員、持ってたんでしょうか?」

 

「取り敢えず集める方針で」

 

「「はーい」」

 

 まだ妄想の世界に旅立っているエルミを放っておいて、フィーゼとレザリアが鎧一式と蝶7匹、大弓と矢筒、大振りの大剣数本を拾い集める。

 

「これで誰かが死んでも安心?」

 

「ど、どうでしょう。そもそも生まれ変わりがどういうものなのか全然分かってませんし、さっきのは生まれ変わりだったのかどうかも分かりませんが……アレはさすがに遠慮したいです」

 

 フィーゼがそうレザリアに告げる。

 

「アルティエ。これからどうする? 要塞の内部まで探索しちゃう?」

 

「数分待ってていい。もうこの砦に大きい気配は感じない。すぐ行って来る」

 

「あ、ちょ」

 

 少年がすぐに破壊されながらもまだ下に続く階段が残っている最初に降りた塔に走り出し、内部に消えていく。

 

「行っちゃいましたね」

 

「うん。でも……勝てて良かった……凄い力持ちだったね。あのお爺ちゃん」

 

「はい。霊の中でも強く為れば、ああいう力が出せるのなら、ガシンさんもきっとそんな風になれるのかもしれません」

 

「う~ん? あ、そう言えば」

 

 レザリアが今もガシンを抱いて介抱しているフレイを見やる。

 

「さっき、口から光を吐いてたよね? フレイ」

 

「(´・ω・`)」

 

 勿論ですとフレイが自分は強いと手を幾つか上げてアピールする。

 

「アレも呪紋?」

 

 ウンウンと頷かれた。

 

 そして、フレイがレザリアに触れる。

 

「へ? あ、呪紋……使えるようになってる!? え、ええと!? せいせき呪紋? セイセキ? ええと……」

 

「聖蹟。聖なる奇跡という意味ですね」

 

「聖蹟呪紋【イゼクスの息吹】……ええと、ええと……消費魔力に比例して威力を12%上昇……聖なる遺跡に入り、偉業を成した者にしか伝えられない?」

 

「聖なる遺跡、ですか?」

 

「う、うん。何か頭の中でそんな感じに……」

 

 言っている合間にもフレイが今度はレザリアにも触れる。

 

「へ? あ、お、同じ呪紋が使える、みたいですね? え? もしかして、この遺跡が聖なる遺跡? それと偉業って……あのお爺ちゃんを倒した事なんでしょうか?」

 

 2人が同時に分からんという顔になりながらも呪紋が増えたので内容を確認。

 

「あ、どうやら、イゼクスの信仰者だと威力が2倍になるみたいです。更にイゼクスの加護を受けていると更にそこから2倍。イゼクスの祈祷呪紋で強化すると強化倍率が更に全て3倍になるって……こ、こんなの滅茶苦茶じゃないですか!?」

 

 フィーゼが思わず額に汗を浮かべた。

 

「……教会の上の人が、この呪紋使って来たら……」

 

「はい。まず間違いなく。私達とは比較に為らない威力だと思います」

 

「フレイって今、どれくらいの威力で使ってたんだろう?」

 

「さ、さぁ? でも、あのお爺ちゃんが苦しむくらいですから、相当なものだったんじゃないでしょうか……」

 

 2人が話していると少年が走って元来た道を戻って来た。

 

 その手には大量の袋が握られている。

 

「「「(>_<)/」」」

 

 お帰り主様と出迎えたドラコ―ニア達に荷物を纏めるように指示した少年が全員で固まるよう言って少女達に身を寄せる。

 

「どうしたの?」

 

「もう亡霊が戻って来てる。今日はもう早く帰って休息」

 

「へ? あ、本当だ。一杯ワラワラしてる」

 

「漁り終えてから、霊殿も作っておいたから大丈夫。野営地に帰投」

 

 気付けばもう砦は先程数万近い霊達が消えたのが嘘のように大量の亡霊達に囲まれていた。

 

 少年が素早く符札を掲げると、全員の姿が掻き消える。

 

 残された砦には大量の亡者達が入り込みウロウロし始めた。

 

 もう誰もいないと思われた砦であったが、砦の傍の壁には鳥が一匹。

 

 少年に狩られたのと同じソレは瞳を砦から逸らすと羽搏きながらグリモッドの中心域へと消えていくのだった。



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第28話「滅び切れぬグリモッドⅤ」

 

 ニアステラと最も近い壁際の要塞を攻略した翌日。

 

 消耗して帰って来た少年達はまだ話せるフィーゼに色々と頼んでから、霊薬を呑んで眠りにつく事になった。

 

 その日の内にウートやウリヤノフ、エルガムに報告したフィーゼもダメージこそ受けていなかったものの、精霊を大量に扱ったせいで魔力が枯渇。

 

 諸々は翌日にやろうとお休みした。

 

『どうかご自愛下さい』

 

 エルガムの下、ウートの看病や身の回りの世話をしているヨハンナがあまり心配させないようにと嗜め、少女達が小さくなって頷いたりした朝。

 

 彼らの話を家屋の外の壁の前で聞いていたリケイが僅かに目を細めたのはグリモッドに王がいるという下りを聞いた時。

 

 竜骨の神殿造営を請け負っている彼は逸早く野営地の防御を固めるべく。

 

 イソイソと自分の仕事に戻ったのである。

 

 そうして翌日。

 

「ふむ。肉体は人間のように見えるが……」

 

 エルガムの診療所でガシンはしっかりと治った肉体を検査して貰っていたが、腕の分の血肉がガシンの肉体の他の部位から絞られたという程度の事しか分からず。

 

 ダイエットに成功した腹ペコの青年は少年が先日収穫した巨大な小麦から造られたパンをバクバクと齧っていた。

 

「医者先生にもさすがに分かんねぇか?」

 

「ああ、魂の事はさすがにな。リケイ殿やアルティエ殿に訊ねるのがいいだろう」

 

「これ食ったら行くわ」

 

「ああ、水と果実と魚も一緒に後で取ってくれ」

 

「うーい」

 

 ガシンが診療所を出てアマンザが取り仕切る家に入ると今日に限ってはお休みという事になっている遠征隊の面々が寝ぼけ眼でモシャモシャと揚げ魚とパンと果実を齧っていた。

 

「あ、ガシンだーおはよー」

 

 まだ寝ぼけている様子のレザリアがパンを齧りつつ挨拶する。

 

「昨日の今日で気が抜け過ぎじゃねぇか?」

 

「え~今日はお休みってアルティエが言ってたよ。それに戦える人間はいつでも戦えるように戦った後はお休みするものなんだって」

 

「(・ω・)」

 

 その通りとでも言いたげに現在、少年の留守中、アマンザ達の警護をしているドラコ―ニアが一人ウンウン頷いていた。

 

「フレイとアイツは?」

 

「アルティエは朝からリケイさんのところに出向いてるよ」

 

「そうなのか?」

 

「うん。昨日の反省から新しい戦い方を試すんだってフィーゼと一緒にフレイも連れてった。ボクはこれ食べたら行く」

 

「解った。ナーズはもう出てんのか?」

 

「うん。騎士の人達に剣を教えて貰いながら鍛えてるんだって」

 

「じゃあ、後でな」

 

「はーい」

 

 ガシンが少年の家を出て浜辺に向かう。

 

 リケイがいる場所は大抵浜辺だ。

 

 近頃は芸妓の技を披露するよりも呪紋の関連の専門家として知恵者の一人という扱いになり、今は竜骨を納める場所作りをしている。

 

 それが浜辺と村の内部の境界に立てられる事が決まっており、大まかにはフィーゼが地面を掘り返した場所に周辺地域で発見してきた巨大な自然石を打ち込んでいく事で基礎を作り、その地下に竜骨を納めて聖櫃として扱う事になっていた。

 

 予定地点付近は周辺の岸壁の一部から切り出して来た巨大な一枚の石板が幾つも積まれていて、イエアドの印が刻まれて他の石材と一緒に纏められていた。

 

 難破船の船員達の中に石工の出がいた事は不幸中の幸いであった。

 

「出来そう?」

 

「ふぅむ。本来、精霊というのは本人が用いる前提で簡易契約をするような場合に限って現場調達しているわけで……」

 

 浜辺の方では石板を積んだ一角で石板に腰掛けたリケイが悩むような素振りをしていた。

 

 少年の言葉は彼にとっては難しいというのが本当の処であったが、チラリと隣のフィーゼに視線が向けられる。

 

「あ、あの、何でしょうか?」

 

「その精霊の量……フィーゼ様。今どれだけの精霊と簡易契約を?」

 

「契約というか。精霊の子に同じ精霊を連れて来て貰って、働いて貰ってる感じなんですけど」

 

「ほうほう? ほ?」

 

 リケイが僅かに固まってから、フィーゼの手を掴んでシャニドの印を確認する。

 

「……ご自覚が無かったか」

 

「ご自覚?」

 

 リケイが頷く。

 

「生命属性の戒律呪紋が発現しておりますよ」

 

「カイリツ呪紋?」

 

「左様。戒律呪紋【精霊憲章】……精霊を従属させる呪紋ですな。しかも、本契約を行わずに連れ歩く事が出来る」

 

「そ、そうだったんですか……」

 

「無自覚に発動なされていたようで」

 

「精霊の子達にお願いしてたら色々出来るようになっただけなので……」

 

「ですが、魔力の増強と共に今は……総計で32体ですか」

 

「そ、そんなにいましたか?」

 

「はい。そもそも精霊に魔力を餌にしてとはいえ、延々と命令を聞かせ続けるのはかなりの難度なのですが、それが出来るという事は相性が良いのでしょうな」

 

 少年にリケイが視線を向ける。

 

「遠征隊の者達の呪紋を精霊詠唱代替で使うというのは可能かもしれません」

 

「すぐに試せる?」

 

「ええ」

 

 少年は自分の眷属となっている蜘蛛の一族やレザリア達に不可糸を使えるようにしているが、それもそもそもはあまりにも汎用性が高い呪紋で詠唱が必要無いからだったりする。

 

 リケイが2人を見やる。

 

「お二人は特別だ。フィーゼ様が特に精霊に好かれ易い上に練度も上がり、精霊を従属化させている今ならば、その精霊を遠征隊の個人に貸し出して、詠唱のみを肩代わりさせ、発動に必要な魔力や霊力や体力は本人から頂くという形で呪紋を使用するのは恐らく出来ます」

 

 リケイが頷く。

 

「ただし、制約が一点」

 

「制約、ですか?」

 

「精霊というのは魔力を与え過ぎると高度化して自我を強め、最後には人格を有して一人手に行動し始める。殆どはそれ程に魔力を得られずに野生の獣程度の知能しか無いものではありますが、常に魔力を与えてくれる人間がいれば、話は別だ」

 

 リケイがフィーゼの傍にいる精霊達を見やる。

 

「本契約しなければ、高度化した精霊は妖精となって暴走してしまう可能性が高い。故に貸し出す精霊は全て本契約で従属させる必要がある」

 

「本契約、ですか?」

 

「ええ、精霊の数を減らして詠唱特化の精霊として契約するのです。精霊は今の状態ならば、数体に分けて凝集させ、力を強める事で詠唱に耐えるように強化する事も可能ですじゃ」

 

「そんな事が……」

 

「本契約の為には色々と条件がありましてな」

 

「どのような?」

 

「まずは女性の場合は4つの条件が満たせていなければなりません」

 

「四つの条件?」

 

「処女である事。初産前である事。魔力が一定量以上である事。最後に精霊に好かれている事」

 

「あ、え、う、っ~~~!?」

 

 フィーゼの頬が染まる。

 

「昔からの習いですじゃ。精霊は純粋なものであり、同じ純粋さを好む。まぁ、契約の時の条件だけならば、子供の時に行うのも術者の里ではよくある事でしたな」

 

 リケイが落ちていた枝でフィーゼの周囲の砂浜を囲うようにして円を描き。

 

 内部にイエアドの聖印を刻む。

 

「では、さっそく……32体ですから8体。まぁ、余ったものは野営地で誰かに付けて使うでもいいでしょう。では」

 

 軽くリケイが手を砂浜の象形に付けた。

 

 途端、フィーゼの周囲に浮いていた精霊達が次々に八つの塊となって少女を周回しつつ、色を変えていく。

 

「おや? 属性が自然付与? フィーゼ様は本当に精霊から愛されておりますな」

 

「ど、どういう事でしょうか?」

 

「ええと、水、炎、大地、風、光、闇、獣、躯? ははは、この地にも愛されているわけか。まったく、世の術者達が見たら、滂沱の涙を流しながら悔しがりますな。間違いない」

 

 次々に八つの光が形成されて、少女の前でふわっとした人型となった。

 

 殆どの色合いは想像されたようなものばかりであったが、獣と躯と呼ばれた属性の精霊は褐色と灰色のの斑模様と混沌とした薄紫色であった。

 

「ガシン殿には火、レザリア殿には大地、フレイ殿には光、フィーゼ殿には水と風と闇で良いでしょう。残る二つは……」

 

 その時、砂浜にやって来ていた水夫達の中に船長オーダムを見て、リケイが走っていき連れて来る。

 

「オーダム殿に獣を。躯は今のところ波長の合いそうな者はおりませんので、野営地のドラコ―ニア達に付けて、土木工事をオーダム殿の精霊と共にして貰うのがよろしいでしょう」

 

「あん? 何? どゆ事? リケイの爺さん説明してくれんか?」

 

 オーダムにリケイが説明する。

 

「ほうほう? 増やした精霊を野営地に置いて働かせるのに魔力が必要でオレが宿主なわけか。いいぜ? ま、体力だけは有り余ってるからな。ははははは♪」

 

 オーダムが大笑いしながら快諾してくれて、フィーゼが安堵する。

 

「後は仮契約の精霊を増やして、長時間野営地を開けても働いてくれるようにすれば完璧ですな。それはこのリケイの仕事となる」

 

 リケイがポンポンと座った石板を叩く。

 

「竜骨を置くと魔力が?」

 

 フィーゼに頷きが返される。

 

「ええ、そもそもこの竜骨を使って竜属性呪紋を使うのです。無論、魔力を生み出して貰わねば困る。この骨の一部を使った飾りを付けた人間に魔力を野営地内で誘導し、精霊に使わせて働かせるという仕組みですな」

 

「オレもう行っていいか? 仕事の方は了解した。あいつらとこれから食事なんだ」

 

「これは失敬。後で詳しい説明はしますじゃ」

 

「おう!! じゃあな。頑張れよ!! 遠征隊!!」

 

 バンバンと少年の背が叩かれ、内臓が飛び出そうな衝撃にガクガクと頷く人形と化した少年はオーダムが水夫達に方へと戻っていくとちょっとだけポーチから取り出した霊薬を呷るのだった。

 

 *

 

 こうして新しい精霊達が遠征隊の各員に貸し出される事になり、リケイからどの属性がどんな呪紋の詠唱が得意なのかが講義された午前中。

 

 やってきた傍から病み上がりのガシンは頭を使わされてグッタリしつつ、自身の事を聞けたのは昼近くになってからの事だった。

 

「で? じいさん。オレの詳細分かるか? 自分だと名前がどうこうとしか分からなくてな」

 

「ああ、それならばもう脳裏で纏めております」

 

 フィーゼの横にはもうレザリアがやって来ていて、一緒に精霊に何をして貰うのかを考えつつ、実戦でモノを動かす練習などをしていた。

 

「仕事早いな」

 

「昨日の時点で気付いておりました故。ガシン殿……霊体が紅になったとお聞きしましたが相違ないですな?」

 

「ああ」

 

 少年がガシンの横で治った腕を見やりながら、すぐに神経が馴染むようベタベタと薬草を練り込んだ白い香油を塗り込んでいる。

 

「ガシン殿が辿り着いた境地は【緋霊】という状態でしてな。霊格変異。つまり、霊的な変異覚醒で一段階人より上の存在となった証ですじゃ」

 

「人より上の存在?」

 

「教会などでは神学論の中で教えられるものなのですが、人間の魂は段階を踏む事で強化されて、やがては神に近い存在となるのです」

 

「神?」

 

「はい。その第一段階が【緋霊】。更に第二段階が【黒霊】。第三段階が【昏霊】。第四段階が【蒼霊】となります」

 

「つまり、ちょっと神さんに近付いた状態か?」

 

「そんなものですが、とても希少な状態です。何故なら、現行の人類で蒼霊になれた者は恐らくこの数百年で3人ないし1人いるかどうか。そして【昏霊】に為れた者すら数十人ですじゃ」

 

「本当に少ないんだな」

 

「ええ、まぁ……この上に神の格である【黄金霊】がいまして……普通の人間はどんなに徳を積もうが、善行を為そうが呪紋を極めようが、資質的には緋霊になる事すらありません」

 

「は? 呪紋でもダメなのか?」

 

「ええ、ソレ自体がとても才覚。いえ、資質がいる事なのです。2500万人に1人の資質が緋霊……段階を踏んで蒼霊になると10億人に1人程度となりますじゃ」

 

「何か気が遠くなってきたんだが……」

 

「緋霊化した人物の事は聞き及びますが、凡そ霊的な水準では最上位の格であり、呪霊関連や霊力を用いる呪紋においては大術者となりましょうな」

 

「オレ、拳が武器なんだがな……」

 

「そう言わず。レキドの印を見せて下され」

 

「あ、ああ」

 

 背中を出してリケイにガシンが確認を頼む。

 

「やはり……レキドの印の中核である六面体の枠が紅くなっている。どれどれ」

 

 リケイがその印に手を付いて目を閉じた。

 

「ははははは!? 馬鹿馬鹿しい……初めて見ましたが、そうなるわけですか」

 

「何が馬鹿馬鹿しいんだ?」

 

 思わずリケイが大笑いし始める。

 

「霊力が常人の数百人分以上。その上、霊力そのものが変質し、呪紋で用いる時にも効率が上がっている。通常100必要なところが3くらいですか?」

 

「霊力の質が違うって事か?」

 

「ええ、そういう事ですな。霊力を用いる呪紋の威力や範囲は凡そ12倍、霊力の制御に関しては常人が1ならガシン殿は1000を超えている。しかも、向上の余地が図れない程に大きい」

 

「え?」

 

「近頃、呪霊属性の呪紋。それも詠唱を必要としないものを繰り返し使っていたのでは? 恐らく緋霊化した際にそういう性質を帯びたのでしょうな」

 

「あ~~ずっと亡霊共を殴ったり蹴ったりして倒してたからか……」

 

「さすが奴隷拳闘の雄」

 

 リケイが背中から離れて再び青年の前に座る。

 

「今後もガシン殿は呪霊属性の呪紋、霊力を使う呪紋を手に入れたら、積極的に使っていく事で能力が向上してゆく事でしょう」

 

「そうなのか……」

 

「ですが、一つ忠告を」

 

「忠告?」

 

「絶対に死んではなりませぬ」

 

「は? どういう事だ?」

 

「出来れば、何らかの方法で不死に為られるのがよろしい」

 

「いや、だから!? ど、どういう事だよ!?」

 

「人間を超える霊格を有する者がもしも呪霊になった場合……それは大国が一気に亡ぶような世界の災厄と化す事が報告されております」

 

「オレが亡霊になったらあぶねぇって事か?」

 

「ええ、ちなみに教会の経典にも載っている【沈まずの華バークローズ】という五大災厄の一つは元緋霊の女が怨霊となって、呪霊化した姿とされます」

 

「あ、ええと、何か昔に教会の説教で聞いたような?」

 

「民には“帰らずの女”の説教で有名ですな」

 

「ああ、何だっけ? 好きな男に嫁げなくて、嫌いな貴族の男に嫁いだ女が家を破滅させて、戻っても男はもうとっくの昔に死んでた、とかだったか?」

 

「ええ、概ねその通り。事実はこうです。緋霊化した女が今言った通りの事にあったところまでは同じ。その後、貴族が女を戯れに殺し、怨霊と化した女が国を呪って破滅させ、好きだった男も一緒に消えたという事です」

 

「国一つ亡ぶのか……」

 

「ちなみにその時に出動した教会は組織の7分の1が消し飛んで危うく崩壊するところだったそうです」

 

「オイオイ……洒落にならねぇ……」

 

「もしも死んだら、恨み辛みは捨てて頂ければ。野営地が滅ぶので切にお願いしたいですな」

 

「はぁぁ……死に方まで気を付けなきゃならないのかオレ」

 

「それが力を得る代償ですじゃ」

 

 リケイがそう肩を竦めた。

 

「解ったよ。ぜってぇ死なねぇ……」

 

「よろしい。ちなみに呪紋で霊力を消費する時は絶対に僅かずつ使って下され。効率が良過ぎて、呪紋に大量の霊力を流し込んだ場合、蟲一匹殺すのに山一つ崩す事にもなりかねません」

 

「もう呪紋使うのが怖く為って来たんだが?」

 

 こうしてリケイにあれこれと呪紋に付いて教授されながら、ガシンは着実に強くなっていく自分に溺れぬよう自らを鍛え続け得る事を内心で誓うのだった。

 

 *

 

 ガシンの腕に薬を塗り終えた少年は一路、いつもの鍛冶場へとやって来ていた。

 

「来たな。準備は出来ている」

 

 応対したのは勿論のようにウリヤノフだった。

 

「今回の戦いの事は聞いている。強大な膂力を持つ霊の将に完全武装の騎士達。大弓で射られたそうだな」

 

 コクリと少年が頷く。

 

「今、女衆に繕って貰っている鎧や服だが、そちらの言った通り、あの大麦の藁を加工した糸を使ったら良さげだと聞いている」

 

「良かった……」

 

「まずは全員の補修を終えてから一着ずつ糸を変えるつもりだ。それで今回の竜骨の鎧に関しての意見は?」

 

「防御力は問題無い。攻撃も防ぎ切れてた」

 

「なら、しばらくはソレ以上の素材が来るまでは使ってくれ。それで持ち帰って来た鎧一式と大弓と大剣だが、鎧一式はこちらで装備する事にした。ただ、大弓と大剣に関しては今のところ、唯一使えそうなのはオーダム殿だけだ」

 

「船長だけ?」

 

「ああ、なので、オーダム殿が使うものと予備と保管用以外は潰して小さなものに作り替える予定だ。幸いにして大弓も金属製だったからな」

 

「解った」

 

「いよいよ敵は人を超えた力を持つようになって来たようだが、呪紋も使い始めたと聞く。何か対抗策としてこちらに用意出来るものはあるか?」

 

「頑丈な服が欲しい」

 

「そうなるのは必然か。鎧部分だけなら今のままでいいが、これから先はそうもいかんかもしれんとは思っていた」

 

「何か無い?」

 

「………無い事も無い」

 

 少年がウリヤノフの言葉を待つ。

 

「実はウチの家系は昔から衣服に使う金属の加工を請け負っていてな。教会に上級の教会騎士達が使うような品も卸していた」

 

 ウリヤノフが懐から幾つか鉱石の破片を出して並べる。

 

「金属糸の加工技術はウチの得意分野だった。教会の術者が教会の品を作る時だけは強力してくれていたとも聞いている」

 

「金属の糸?」

 

 嘗て、幾度と無く繰り返した時もまた話される事が無かったウリヤノフの家の話。

 

 これもまた新しい可能性なのだと少年は内心で目を細める。

 

「そうだ。織り上げれて布地にすれば、通常よりも圧倒的に燃え難く薄い鎧のように刃も弾く布となる」

 

「必要なものを集めて来ればいい?」

 

「ああ、フィーゼ様に精霊の力で採掘して頂こうかと思っていてな。ニアステラ内で必要な金属が出るのは致死毒の瓦斯が充満する一帯で人間の採掘は不可能だ」

 

「後で頼んでおく」

 

「ああ、お願いする。だが、問題はそれよりも炎だ」

 

「炎?」

 

「呪紋の炎がいる」

 

 少年が自分を指差す。

 

「そうだ。まさか、炎の呪紋を使える者がいるとは行幸なわけだ。造る時は手伝ってくれるな?」

 

 ウリヤノフがニヤリとした。

 

「勿論」

 

「では、後は鋼の折機だけだな。後、数日で完成する」

 

「もしかして前から?」

 

「ああ、教会と戦う事になった頃からだ」

 

「……感謝」

 

 こうして少年達は装備の補修が終わるまで再び地道な採取活動に勤しむ事となったのだった。



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第29話「滅び切れぬグリモッドⅥ」

 

「精霊さん。お願いします」

 

 フィーゼの言葉と同時に硫黄の匂いが立ち込める一帯でガンゴンガンゴン普通の人間には見えない精霊達が周囲の岩を砕いて次々に荷車に入れていた。

 

「ねぇ。アルティエ」

 

「?」

 

「ボク達が手伝っちゃダメなの?」

 

 一緒に採掘へやって来ていた遠征隊はあちこちの危険地帯を精霊の視点を借りて探索しながら、地表に出ている鉱脈を幾つも発見。

 

 ニアステラ内の鉱物資源の分布図が一気に更新される事となっていた。

 

「ここら辺は普通の人は即死の煙しか漂ってない」

 

「え、此処ってそんなに危なかったんだ……」

 

 レザリアが周囲を見渡して確かに薄く煙が漂っているのを確認する。

 

「遠征隊は全員これじゃ死なない。体も悪くしない。でも、お勧めしない。精霊の扱いに慣れて貰うのが目的」

 

「ああ、だから、精霊さんが見えるように【啓示】掛け直してくれてたんだ」

 

 周囲ではガシンが精霊だけ採掘させんのもアレだなぁという顔で指示を出しつつも荷車に積まれた鉱石の仕分けなどをしていたりした。

 

 鉱石の良し悪しは分からずとも、同じような色合いのものを仕分けておくだけでも随分違うだろうという細かな配慮は顔に似合わないが、繊細な拳闘の駆け引きをする青年の性分なのかもしれず。

 

「【啓示】で色々見えるようになるから」

 

 レザリアがなら自分も精霊さんとお話してみようと色々話し掛けると自分に付けられた一番鉱石を掘り出すのが早い大地の精霊の元へと走っていく。

 

 少年は人型ではないまだ球体状の自分の周囲にいる赤黒い精霊達が仕事をしているのを確認してから、啓示の力で上がった認識力をそのままに周囲を歩く事にした。

 

 すると、フレイが地表に露出した鉱脈の一部の上。

 

 煙が一際濃い場所にいるのを確認する。

 

「(・ω・)/」

 

 あれ、あれ、とフレイがそこから更に少し先の間欠泉らしきものがある場所の奥を全力で指差していた。

 

 その先には薄らと間欠泉傍の岩肌の奥が窪んでいるように見える。

 

 そして、その中心には何やら神の力を宿している何かが黄金の輝きを発していた。

 

 しかもm認識不能になるような呪紋らしきものが掛けられているのが気配だけでも少年には理解出来た。

 

「……ふむ」

 

 いつもの黒いダガーの菌糸を間欠泉から迂回させるように伸ばして、ソレをキャッチし、吹き上がる熱い雨から離脱するように下がってソレをパシリと手に取った。

 

「玉?」

 

 少年が“初めて手に入れた可能性”を前にして目を細めた。

 

「鑑定……【ニアステラの竜玉】……装備者が竜玉に魔力を貯め切った場合に“ニアステラの封印を解く”……ニアステラの封印?」

 

 少年が物凄く重要層なキーアイテム的な玉。

 

 虹色に輝く手のひらサイズのソレを確認する。

 

 取り敢えず、ポーチ内部の空きスペースに入れて、フレイにこれ何か知ってると訊ねようとした時だった。

 

 間欠泉が噴出した途端にその勢いに乗ってフレイが飛び上がる。

 

 超高圧で高熱の間欠泉である。

 

 普通なら火傷では済まないはずであるが、フレイは愉しそうに上空に飛び上がった後、着地した勢いで間欠泉周囲の岩を砕き、その巨大な4m以上はあるだろう破片というよりは岩盤に近いものをヒョイッと幾つかの手で持ち上げるとイソイソと荷車の方へと運んでいき。

 

『何だぁ!?』

 

 驚いているガシンの横でガガガガッと岩盤を割って鉱石や硫黄の類をセコセコ仕分けながら二台へと積んでいく。

 

「まぁ、いっか」

 

 少年の視線の先では悪い遊びを覚えたフレイの飛び上がって着地という瞬間の衝撃でゴウンゴウンと地面が揺れ、最終的には周辺一面が巨大な岩の破片が散乱する場所となるのだった。

 

「ふぅ……こんなものでしょうか?」

 

「つーか、掘り出し過ぎだろ」

 

「うん。確かに……これは多過ぎるかも……」

 

 フィーゼ、ガシン、レザリアが荷車に入り切らない程に大量の鉱石が積まれた横を見やる。

 

 いい仕事したぜと言いたげなフレイは鉱石の山の上でご満悦であった。

 

「なぁ、アルティエ。この荷車。運べんのか?」

 

 ガシンの言う事は最もであった。

 

 30台近い荷車が満杯で置かれていたのだ。

 

 殆どは水夫達に途中まで引いて貰い。

 

 後は簡易契約の精霊達に持って来て貰った代物である。

 

「大丈夫」

 

 少年が符札を見せる。

 

「ああ、それでやるわけか。でも、霊殿はお前の家の中なんだが……」

 

「竜骨に指定し直して来た。今は浜辺の神殿造営地に出る」

 

 少年が符札を掲げると瞬時に彼らと荷車が掻き消えた。

 

 そうして、戻って来た彼らは浜辺傍の開けた場所に大量の荷車と一緒に戻って来ると驚いている水夫達に鍛冶場までの運搬を頼んで、昨日の今日でかなり出来ている神殿という名の更地を見やる。

 

 その予定地には昨日の時点でフィーゼが精霊に運んで貰った巨大な自然石が何本も土中に埋められて基礎を打った後。

 

 その中心の地下10m程の地点には梯子が降ろされており、巨大な石板が着地させられて、その上に今正に頭蓋が安置されようとしていた。

 

 自然石には一晩で掘られたと思われる大量の呪紋らしき象形がビッシリと壁面に書き込まれていて、欠伸をしているリケイが覗き込む少年達に手を上げて応える。

 

「リケイさん。スゴイ」

 

 思わずレザリアが呟く。

 

「大丈夫そうですね。荷車の方を手伝いましょう」

 

 こうして少年達はイソイソと荷車を引いて、鍛冶場の者達に嬉しい悲鳴を上げさせるのだった。

 

「悪い。石炭の方も頼む」

 

 炉に使う燃料である石炭までも頼まれ、一日彼らは炭鉱夫をする事となったのであった。

 

 *

 

―――数日後。

 

「ほうほう? ニアステラの封印ですか。ようやく神殿造営を終えたかと思えば、また大概なものをお持ちのようで」

 

 ここ数日、ずっと鉱石と石炭を掘る精霊と共に危険地帯を闊歩していた遠征隊は微妙に汚れていた。

 

 石炭の煤塵が原因である。

 

「どれどれ」

 

 竜玉とやらを確認したリケイが目を細める。

 

「……関係あるかどうかは解りませぬが、この島の成り立ちを御存じかな?」

 

「成り立ち?」

 

「ええ、この島は神世の島と呼ばれる事もある旧い島でしてな。東部の各地にはホウライ、つまり天国の類が沖合いにはあると言われていたのですじゃ」

 

「ホウライ?」

 

「左様。一部の術者達が歴史を遡ると島には人が入り込む以前にも亞神達がいたとされる文献が残っており、此処は旧き人々や神の逗留場所だったのではないかとも言われております」

 

「旧き人々……」

 

 少年は知っている。

 

 亜神とも違う古の民は正しく巨大な力を持っていた。

 

 それそのものではなくても、その残滓に近い関係者とも3か月目の終盤には戦っていた。

 

「大昔の人の祖先に当たる者達の総称ですな。亞神というのも大抵はその時代の人々との混血で生まれたとされており、島の各地域の名前で事前に解っていたものがニアステラ……それ故に一部のこの島を知る旧い船乗り達は南部の名前だけは知っていた。という話です」

 

「ニアステラの意味や名付けられた理由は誰も知らない?」

 

「ええ、ですので。このニアステラが人や存在の名前なのか。単なる地名なのは分かりませぬ。封印というからには大地に掛けられた封印。あるいはニアステラという何かの封印という線もある」

 

 そう考えたからこそ少年は忙しそうなリケイの仕事が終わるまで待っていたわけだが、聞いてよかったと言うべきだろう。

 

「まぁ、この時期に見付かる。神の力が宿る。というのならば、何を封印していてもおかしくはないですな。ですが、封印が解けてどうなるかは分からずとも、何らかの意図を感じます」

 

「神々の?」

 

「左様。神は時間と空間と次元と運命すらも紡ぐ者達。ならば、我らはこれの封印を解けと暗に言われている可能性すらある」

 

「……解いてみる?」

 

「ウート殿には?」

 

「何が起こるか分からないよりも、何が起こるか知った上で使うのが望ましいが、神の力が関わっている以上、時期が重要かもしれないって」

 

「同じ意見ですか。ならば、丁度良かった。竜属性呪紋【再生色】は本日を以て、竜骨を持つ者と蜘蛛の子が詠唱すれば、最低限度の魔力のみで使う事が可能です。ちなみに施す事も可能ですじゃ」

 

「そうなの?」

 

「ええ、一度でも竜属性呪紋を受ければ、攻撃用の呪紋に対する耐性も上がり、親和性があれば、再生の効果も上がる。蜘蛛達は今、アルティエ殿を介して眷属間で呪紋を共有。さすがに教会騎士が100人攻めて来ても死者はほぼ出ない程度には耐久力も上がっております」

 

「じゃあ、ウートさんに野営地の人を集めて貰ってから」

 

「それがよろしいかと」

 

 頷いた少年が話していた場所。

 

 小さな東屋のように偽装された神殿。

 

 石製の椅子と壁と屋根が立てられ、テーブルが置かれた場所で頷く。

 

 その下に竜骨が納められているのである。

 

 今後、竜属性の呪紋を誰かが手に入れれば、それを用いる事が出来るようになった事は間違いなく進歩であった。

 

 こうして何が起こっても良いようにとウートが野営地の人間を遠方の場所からも全員集めた翌日の朝。

 

 少年は満を持して、ニアステラの竜玉というソレに魔力を込め切ったのだった。

 

 それがどんな事になるのかも知らずに……。

 

 *

 

「……何も起こりませんな」

 

「?」

 

 野営地の人間が今日は神殿の落成式だという体で集められた翌朝。

 

 多くの住民達に酒とツマミが振舞われている少年の家の前ではウートが音頭を取って、野営地の今後の祭司に付いてを野営地の実力者達と共に決めている。

 

 そんな最中、上品な東屋にしか見えない場所で遠征隊はリケイと共に完全に戦闘準備が出来た状態で虹色の竜玉に魔力を込めたわけだが、まったく周囲には封印とやらが解かれたと思われる異変が起こっていなかった。

 

「魔力は完全に貯まっているのですな?」

 

 少年が間違いないと玉を見て頷く。

 

「となると、遅れているのか。すぐに効果が分かるようなものでもな―――」

 

 グラリと野営地を地震が襲った。

 

 集められていた者達がさすがに悲鳴を上げるやらその場で蹲る最中。

 

 地震が終わったかと思うと野営地の砂浜から遠方の海域を見ていた少年がその光景に驚きを隠せなくなる。

 

 巨大な何かが海の中からせり上がり始めていた。

 

「各自、砂浜に横列展開!!」

 

『(/・ω・)/』

 

 海中から出て来る見覚えのある遺跡らしきものの一部。

 

 それの出現からすぐ少年が蜘蛛の子達を横一列に配置して、津波に備えさせる。

 

(これは一度も無かった……これが封印を解いた効果? 遺跡の出現……)

 

 不可糸の呪文でいつでも浜辺と沿岸部を封鎖出来るように備えていたのだ。

 

「おぉ!! 遺跡ですか!! ニアステラの封印? いや、そもそも此処がニアステラの一部でしかないとすれば……」

 

「あ、あの柱、水平線の先から、滅茶苦茶大きくないですか!!?」

 

「遠いがデケェ!? 山くらい高けぇぞ!?」

 

 海中からせり出した巨大な柱が幾つも幾つも眠りから覚めた様子で天を突き。

 

 今まで彼らが見ていた砂浜の先の海中がまるで全て嘘だったとでも言うように遠方まで何かせり上がって来たものによって海底を破砕されていた。

 

 そして、見渡す限りの海の最中にポツポツと海中から建造物の屋根らしいものが浮かび上がっていく。

 

「海の中に街がある?!」

 

「―――」

 

 レザリアは目を丸くして、フィーゼは言葉も無く。

 

 凡そ海から浮き上がって来た建造物の群れは西部方面の海域までも延々と正しく海の果てまでも続いていく。

 

 その街並みは未だ海水に漬かっていたが、海の生物のサンゴやフジツボなどが生息している様子もなく。

 

 大量の土砂らしきものが水が掃けていくのと同時に押し流されて不自然な程に綺麗な黒曜石にも見える通路が姿を露わにしていった。

 

 幸いだったのは巨大な延々と続く街がせり上がって来たにも関わらず、10km以上離れた地平線の先から見える巨大な柱の方からは津波が襲ってくる事も無く。

 

 同時に周囲の海は東部に向かうと普通の海が広がっており、今は海が多少濁っているだけで済んだという事実だろう。

 

「まさか……これは亞神の都市かもしませぬ……」

 

 リケイが我に返った様子でもう一度、黒曜石で出来たような突如として海に現れた場所を巨大過ぎる都市を見やる。

 

「亞神の都市?」

 

「大陸には幾つも旧き神世の時代の都市伝説があり、文献では黒曜石の都。不滅の都市。黒鉄の世界。海の果てにある場所とされています。名を【ノクロシア】」

 

 少年が先日拾った蝶の事を思い出した。

 

「とはいえ。今は一大事。状況を伝えて来ますじゃ。蜘蛛達には厳戒態勢を敷かせ、都市部から何か脅威が来ないか見張らせましょう。遠征隊はいつでも出られる準備を……精霊達に空を飛んで何か無いか偵察も」

 

「了解」

 

 リケイがまた仕事が増えたと言わんばかりに村の中央へと走っていく。

 

 こうして、遠征隊の出番は早々に回って来たのだった。

 

 *

 

「ふぅむ」

 

 ノクロシアと仮に名付けられた海底から浮上して来た都市が現れて数時間。

 

 住民達の不安を抑えながら、精霊による偵察の結果が報告されていた。

 

「見えない壁、ですか」

 

 関係者が集まっているのは少年の家のリビングだ。

 

 大きなテーブルには地図が広げられ、関係者が立って会議を続けていた。

 

 リケイが夕暮れ時となった遠方に続く遠浅となった海の先を見やる。

 

 浜辺から数百m程歩いた先にはノクロシアの一部に上陸する階段やら街並みの一部が接続されていたが、まだ誰も入り込んではいなかった。

 

「はい。精霊さん達だけかと思ったのですが、ヒルドニアさん達も入れそうな入り口にはみんな見えない壁が備えられてて外から入れないみたいで……かなり遠方の方の反対側から見ると……」

 

 フィーゼが精霊や他の空を飛べる者達の情報を総合して、既存のニアステラの外洋部分に紙を置いてサラサラとインクで地形を書き加えていく。

 

「楕円形の海辺に基礎がある領域が三つ。それも西部に至る地域にまで広がっているわけか……」

 

 ウートが目を細める。

 

「はい。沖合の外縁部には巨大な柱ではなく塔が立っているみたいで、塔の様式は先日の西部で見た“見えない塔”とほぼ同じでした」

 

「つまり、見えない塔はそもそも海底都市の一部だったと?」

 

「同じ人達が造ったのではないでしょうか。それで入れる場所を探しましたが、今日一日では見つけられず。都市の入り口らしい場所もやはり見えない壁で封鎖されていました。私達も直接入れないかと試してみたんですが……」

 

 全員がポリポリと頬を掻く。

 

「ダメだった、と」

 

「はい。なので、しばらくは内部から何かしらが出て来ないのであれば、一端対応は保留にして、沿岸部の警戒を強化。造成中の桟橋や港から出る船には必ず飛べる精霊かヒルドニアさんを一人常駐させて、もしもの時に対応するのが良いと思います」

 

「的確な判断だ。こちらでもそうする。だが、それにしてもニアステラの封印……封印されていたのがあの都市なのだとすれば、これは……」

 

 難しい顔でウートが地図の北部と東部を見やる。

 

「?」

 

「教会騎士達や東部に存在すると言われている王。亜人の勢力である北部。更に竜を祭るヴァルハイル。何処の者達も西部や南部に進出を開始するかもしれん」

 

「ッ」

 

 思ってもいなかった話にフィーゼが固まる。

 

「ウリヤノフ。どう思う?」

 

「旧い遺跡ですが、何らかの意図を持って遺跡に入ろうとする者達が押し寄せて来るのは理解出来る範疇。そもそも人はいないとはいえ、亡霊はいる東部には大量の兵として動員出来そうなのがウロウロしているわけで……呪紋を用いれば、運用は可能とリケイ殿も認めていた。教会騎士達も黙って見ていてくれるなら良いですが……」

 

「こちらへの道を見付けたら、どうなるか分からんな」

 

「今はまだ良いでしょう。東部から南部に至る道はアルティエが見付けた後に封鎖したとの事ですし、東部からの進行はまだ無いと仮定していい。ただし」

 

「問題は北部か」

 

「ええ、西部の見えざる塔の入り口から入り込めるという事は恐らく北部勢力は干渉してくるはず。その前に西部を我らの手で固めてしまう必要性があります」

 

 エルガムが手を上げる。

 

「軍事的にはそうかもしれないが、物理的には無理だ。幾ら住人が増えたとはいえ、それでも我々は百と数十名。水夫達もようやく守備隊らしく形にはなってきたが、彼らとてあくまで野営地を護る為に戦っている」

 

「………」

 

 チラリとウリヤノフが少年を見やる。

 

「前々から考えていた方法があります」

 

「方法?」

 

「住人を増やす方法です。いや、住人というのは語弊があるものの……もし可能であれば、一気にニアステラと西部を固められるでしょう」

 

 ウリヤノフの言葉に少年が微妙な表情となる。

 

「どういう事だ? ウリヤノフ殿」

 

 カラコムがそんな方法あるのかという顔になる。

 

「アルティエの抗魔特剣で蜘蛛を増やすというのは前々から考えていた事です。ですが、海産物を蜘蛛にしても、陸地で兵隊のように使うのは難があると思っていました。それに蜘蛛そのものも完全に信用出来るものではない」

 

 少年がチラリと少年の背中に背負われている蜘蛛脚を見やる。

 

 その柄の瞳はやはり何処か逸らされているような気がした。

 

「ですが、蜘蛛が人化した事で状況は変わっています」

 

「どうしようと言うのだ?」

 

 ウートの言葉にウリヤノフが説明を続ける。

 

「完全な蜘蛛ならば、その剣がもしも離反した場合、我らの野営地は簡単に落ちる事となるでしょう。ですが、意志疎通が可能な上に高度な知性を備えた蜘蛛人……新しい種族となった者達ならば、恐らくその蜘蛛脚の力だけで制御出来るものではないのではないかと。リケイ殿」

 

 ウリヤノフが呼んでいた老爺を呼ぶ。

 

「現在、新しい蜘蛛の子の種族達は三つの契約を背負っている状態となります」

 

「三つ?」

 

「一つ目は蜘蛛脚の契約。これは蜘蛛への強制的な変異覚醒時に結ばれる従属契約ですじゃ。存在の根幹に干渉する代物です」

 

 リケイが指を折る。

 

「二つ目はアルティエ殿との従属契約。これは蜘蛛脚の所有者であるアルティエ殿が全ての蜘蛛の子達に呪紋を貸し与える事で発生しているものですじゃ」

 

 少年が蜘蛛脚を背中から降ろしてゴトリとテーブルに置く。

 

「三つ目はレザリア殿との神従契約」

 

「シンジュウ?」

 

「神に従うと書きます」

 

 当のレザリアが首を傾げ、リケイが補足する。

 

「色々と調べてみたのですが、名前を付ける呪紋というのは本当にそれが世界に対して刻まれる名となる。つまり、名付けた事で存在を確定させる代物なのです。ですが、その名前を与えたのがレザリア殿であった事で彼らは人となった」

 

「ボ、ボクの?」

 

「ええ、レザリア殿が先日吸収したという呪具ですが、恐らく大地母神ウェラクリア本人もしくは使徒のような関係者が与えた代物。今のレザリア殿はつまり神の眷属という類になるかと」

 

「え? え?」

 

「話は聞いていたが、そんなに大事だったとは……」

 

 ウートが驚いた様子になる。

 

「神の契約者が名前を与える事で間接的に神と契約する形となる種族がこれから始祖の一族としてこの世に住まう事になる。故に人化している。恐らくですが、これから蜘蛛脚によって斬る対象が同じ種族の者達ならば、名を与える限りは全て人化する事が考えられます。それで先程一度だけ試してみました」

 

 リケイが横に1人のドラコ―ニアを連れて来る。

 

「(/ω\)」

 

 恥ずかしいと顔を思わず覆っているドラコ―ニアはホッとする程、蜘蛛達らしくお茶目な様子に見える。

 

「新しい子もやはり竜骨を蜘蛛脚で斬る事で骨から蜘蛛人のように形を変えました。この事から……」

 

 チラリとウートがテーブルに置かれた蜘蛛脚を見やる。

 

「既に従属契約よりも優先して人化。神従契約が行われている可能性が極めて高い……」

 

「となると」

 

 ウートの視線が今度は少年に向いた。

 

「蟲以外の生きている存在を蜘蛛化し、レザリア殿が名付けた種族となれば、人化する。種族単位での神従契約が上書き状態であると考えられる。住人は増やせましょう。ただし、全てウェラクリア神の眷属の支配下。今は良いですが、ウェラクリア神の勢力と事を構える事があれば……解りませんな」

 

 リケイが後ろに下がる。

 

「無論、色々と問題はある。だが、出来る限りの事をせねば、我らが滅びるのは確定的だろう。何かが起こる前に準備をしておくのは必要なはずだ」

 

 そのウリヤノフの言葉は少年に向けられていた。

 

「で、でも、それでドラコ―ニアの子達を大量に増やすつもりなんですか!? そんな余裕、私達には……」

 

 フィーゼが最もな話をする。

 

「衣食住を提供出来ない場所に子供を増やしても意味は無い。その通りです。フィーゼ様。ですが、一つだけ試してみたい事がある」

 

「どういう事ですか? ウリヤノフ……」

 

「要は我々が養えないわけで、養う必要が無ければいいわけです。そして、それは……彼らにとっても悪い話ではないはずだ。恐らく」

 

「???」

 

 フィーゼが何を言っているのか分からず首を傾げ。

 

「アルティエ……レザリア……君達に確認して貰いたい事がある。もし、これが上手く行けば、東部で滅んだ者達もまた転生の輪に戻れずとも新たな道を見付ける事になるだろう。どうか、協力して貰いたい」

 

 ウリヤノフの真摯な様子に2人は取り敢えず話を聞く事にしたのだった。



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第30話「滅び切れぬグリモッドⅦ」

 

 ウリヤノフが驚くべき発案をした翌日。

 

 遠征隊一向の姿はグリモッドの反歌の砦内にあった。

 

 破壊された城壁内部。

 

 次々に亡霊達が消されて、一人だけになった個体を前に少年が蜘蛛脚を振るう。

 

 それに切り付けられ、薄く裂かれた亡霊が動きを止めるとグムグムと内部から蠢きながら弾け、内部から人の半分程度はありそうな大きさの蜘蛛が立ち上がる。

 

「成功、ですね」

 

「うん。じゃ、じゃあ……ええと、君の種族の名前は……スピィリアね?」

 

「(・ω・)?」

 

 突然名前を与えられた蜘蛛が自分の脚を見た時だった。

 

 他の蜘蛛の子達がそうであったように瞬く間に変貌していく。

 

 そして、少年の前で立ち上がった蜘蛛の子は全裸でやはり男女の別が分からないような見た目の子供的な外見で男女の特徴を同時に持つ姿態となっていた。

 

「せ、成功ですか?」

 

「うん」

 

 少年が自分の手を見て首を傾げている相手の手に手を重ねて呪紋を使えるようにすると驚いた様子に為りながら、すぐに理解したらしく。

 

 少年に頭が下げられる。

 

 青白い姿は霊体である事を示していたが、その姿にはすぐ衣服のように蜘蛛の鎧染みたものが着込まれていく。

 

 どうやら姿は変えられるようだった。

 

 レザリアの全身スーツのような甲殻に近いかもしれない。

 

 それで胸と股間は覆えているので衣服は必須でないだろう。

 

「ええと、自分だけで糸出せる?」

 

 ×。

 

 少年お決まりのチェックが始まる。

 

「海や川を泳げる?」

 

 〇。

 

「ご飯て何か食べる?」

 

 少年が聞くとスピィリアと名付けられた種族の第一号は少年に手を差し出し、手が手に重ねられるとちょっとだけ食事が摂られた。

 

「魔力がごはん。ふむふむ」

 

 少年が理解して、これならどうにかなるだろうと内心で算段を立てる。

 

「何か得意な事ってある?」

 

 その言葉に第一号君がクルッと回る。

 

 すると、その姿が瞬時に蜘蛛となった。

 

「え!? 元に戻っちゃいましたか!?」

 

「いや、これって……」

 

 驚くフィーゼの前でその蜘蛛がまたクルッと回るとバッサバッサと鳥になっており、虚空でまた旋回すると今度は少年の姿になり、また回ると―――。

 

「うぉ!?」

 

 思わずガシンも驚く程、先日砦で戦った全身鎧の騎士達になっていた。

 

 最後にまたクルッと回った一号の姿が子供のものに戻る。

 

「「おぉ~~」」

 

 少年とレザリアが思わずパチパチと拍手すると照れた様子となった。

 

「も、元々、幽霊だから、色々な姿になれるという事なのでしょうか?」

 

 亡霊は元々が輪廻に縛られない魂。

 

 呪霊のように転生せずに感情の渦に呑まれる事なく。

 

 意志の部分を摩滅させて、残った部分が目的もなく彷徨う存在。

 

 ならば、蜘蛛の力や神の力とやらで変質する先が自身の不安定さを逆に武器にするというのなら、納得の能力だろう。

 

「取り敢えず、連れて帰りましょう。それと魔力が必要って事は……どうしましょうか?」

 

「すぐに解決。リケイとウリヤノフに頼む」

 

「え? お二人は魔力がそんなにありましたか?」

 

 フィーゼに少年が首を横に振り。

 

「言い出した人間に責任を取らせる。フィーゼも必要」

 

 そう言って、少年はイソイソと野営地に符札で戻るのだった。

 

―――数日後。

 

「( ´Д`)……人使いが荒いですなぁ」

 

「まったく。まぁ、言い出したからには責任を取りはしますが……」

 

 リケイとウリヤノフの姿がニアステラの山岳部にある第二野営地。

 

 茸の養殖場である元蟻の巣穴の傍の広場にあった。

 

 周囲には野営地らしく生活の為の施設が諸々フィーゼの精霊達の手で基礎を立てられており、その周囲からは壁の壁面に沿って降りる階段が壁を削る形で整備され、沼地の近くに続いていた。

 

 彼らがいる場所は野営地の中心部だ。

 

 そこには今、岩を砕いて掘られた10mの縦穴の底が見えており、巨大な骨の塊が降ろされようとしていた。

 

 機材を操っているのは精霊である。

 

 そして、ロープに吊るされたソレが下に落着すると。

 

 周囲の岩壁に彫り込まれた呪紋が僅かに光った。

 

「ふぅ。此処で三つ目。次は蜂の湖、その次が硫黄が出る採掘現場付近ですな」

 

「アルティエ!! お願い出来るか!!」

 

 少年がイソイソと仕事を終えた2人の傍まで来ると野営地にいる十数人の水夫達に後は任せて、元蜂の巣があった水場に飛ぶ。

 

 すると、霊殿付近では先程の場所と同じように地面に大穴が開けられており、その周囲に巨大な石が壁として敷き詰められ、一枚の石板が地下に置かれていた。

 

 周囲には木製の滑車が置かれ、水夫達が巨大な骨の塊をロープで降ろしているところであった。

 

「3時間下され」

 

「解った。此処はリケイ殿に任せて、一端野営地に」

 

 リケイが生身で大穴に降りていくのを確認した少年はウリヤノフを連れて野営地に飛んだ。

 

 すると、野営地では次々に大きな骨の塊が荷車にデンと一個乗せられて、準備されており、合計で3つ。

 

 鍛冶場から運び出されて神殿の横の駐車スペースに整列させられていく様子はまったく奇妙なものに違いなかった。

 

「鍛冶場で確認してくる。問題が無ければ、後数日で再び4個は……」

 

 ウリヤノフが鍛冶場の方へと走っていく。

 

 その様子を見届けて、少年は新しく霊殿を築いたニアステラ中部の街道沿い。

 

 薬草が生い茂る草原へと向かった。

 

「……これで」

 

 何をしているのかと言えば、スピィリア達を迎え入れる準備であった。

 

 ニアステラの各地には策源地となる重要な鉱物や薬草が自生する場所が数多く存在しており、そのあちこちに霊殿を築いて行き来出来るようになった少年はその移動力を用いて、各地に人材を運び続けていた。

 

 やっている事は単純である。

 

 神殿の造成だ。

 

 再生する竜骨を大規模に養殖し、最初の頭蓋骨を埋めたのと同じような神殿を各地のスピィリア達の入植予定地に作っているのだ。

 

 竜骨は魔力を生み出し、その欠片を持っているものに分け与える。

 

 ウリヤノフの計画は神殿が造られ、増産が効く事で軌道に乗り、野営地を広げる計画として進められていた。

 

 現在、40人程連れて来た第一次入植隊。

 

 スピィリア達の一団が大勢の技能者達に色々と学んでいる最中。

 

 元々、やけに賢かった彼らは大人達に自分達の野営地を造る事を目的にして今後の為の知識を実地で取り込んでいた。

 

『いいかぁ、お前ら。樹木の切り方、扱い方と石の切り出し方や組み方を覚えれば、何でも造れる!! ちゃんと覚えて行けよぉ』

 

『(・ω・)/』

 

 ハイ先生とでも言いたげにスピィリア達が手を上げて応える。

 

『植物の植生をちゃんと理解し、適切な管理が出来れば、土壌が悪く無けりゃ、大体の場所では何でも育つ。今回は華だけだが、安定してきたら、作物の方もやるから覚えて行けよぉー!!』

 

『(・ω・)/』

 

『井戸掘りの方法が無けりゃ水が使えないんだから、ちゃんと覚えろ!! そして、オレ達に楽させてくれや。がはははは♪』

 

『(・ω・)/』

 

 いや、それは自分でやってね先生という顔のスピィリア達が手を上げる。

 

 彼らの食事は魔力。

 

 なので最低限、いつでも魔力が食べられる環境を造っている最中なのだ。

 

 竜骨を中心に造成する技術が彼らには施され、自身で造れるようになれば、劇的に住人を増やす事が可能になる。

 

 竜骨の再生力の維持には爆華を浸した液体が利用されており、竜骨の養殖も同じ液体が使われている。

 

 それを神殿の液体の投入口から注ぐ事で魔力が枯渇した竜骨が再生して蘇り、再び魔力を発するようになるのである。

 

 呪紋は少年が習得していれば、それが使えるようになるし、リケイに今後、竜骨を納める聖櫃の作り方も学ぶ予定が立てられていた。

 

 野営地で呑まれている酒。

 

 その発酵させていない原液版の作り方を筆頭に樽を作る為の技能も鍛冶場の造成も全て蜘蛛達は学ぶ事になったのだ。

 

『ホント、お前らカワイイなぁ。しかも物覚えもいい♪』

 

『(>_<)』

 

 勿論ですと得意げなスピィリア達は蜘蛛脚で器用にものを掴んで細工をするので大工仕事も石工の仕事も順調に学んでいた。

 

『これで火さえ怖がらなければと思わんでもないが、蜘蛛の本能ってヤツなのかもしれん。まぁ、訓練次第で使えるらしいから、追々でいいさ』

 

 魔力を生成する竜骨を大量の華の養分で維持する関係から、各地の野営地の外には爆華の栽培場が一緒に造成される事になっている。

 

 野営地では酒飲みたさに懸命な住人達が人工栽培を成功させていた。

 

 水と肥料の具合から日照時間や諸々の生育記録まで熱心に取る水夫達の中には嘗て実家が農家だった者達が多い。

 

 彼らにしてみれば、陸は陸で高い税金と徴兵で地獄であり、海の地獄の方がマシだから半分海賊みたいな稼業をしていたという者が多いのだ。

 

 彼らのおかげで華の栽培は上々な仕上がり。

 

 記録から最適な栽培方法が確立されていて、今は畑の隅で増産が続いている。

 

 スピィリア達は竜骨の発する魔力の恩恵を受ける為に働きつつ、野営地を広げる手伝いをするという形で亡霊を脱却。

 

 新しい種族としてニアステラの住人となるわけだ。

 

「順調みたいです。みんな」

 

「あの子達もちゃんとやってるみたい」

 

「だな。ウチの隊長はあちこち飛び回って大変そうだが」

 

「あ、そろそろ次の場所で荷運びの時間なのでコレで」

 

「「いってらっしゃい」」

 

 そんな野営地のスピィリアを大量に移住させちゃうプロジェクトを見つめつつ、これでいいのだろうかと思わなくもないフィーゼであった。

 

 が、亡霊のままに朽ちるよりはいいだろうとウリヤノフの言葉に反論も出来なかった事から今はとにかく各地で神殿用の石の運搬を大量の精霊を現地で調達して行っている。

 

 こうして出来た神殿への第一陣が出発するのは3日後。

 

 第二野営地でキノコ栽培に従事する。

 

 その3日後には西部との間にある沿岸部洞窟の小砦の造成と拡大の為に第二陣が出て、第三陣は人が近付けない瓦斯の出る硫黄の臭いが立ち込める鉱石産出地帯、第四陣はニアステラの中部の街道で大規模に食料と華の増産を行う草原地帯ともう次々に神殿の造成は進んでいた。

 

「アルティエが今日は確か後40人連れて来るって言ってたよ」

 

「亡霊から知能がある存在に戻っても仕事かぁ……」

 

 レザリアの言葉にガシンが何とも言えない表情になっていた。

 

「ガシンに吸収されて消えちゃうよりはいいかも?」

 

「はは、コイツ。本当にそうかもしれねぇ。ある意味、オレは自分の為に倒す相手が減るんだから、止めるべきなのかもな」

 

 ガシンが今も熱心に男達に色々と習う蜘蛛の子達を見やる。

 

「でも、何万人とか相手に出来ないよね?」

 

「まぁ、な。それくらいやったら、普通に疲労で死んでそうだし」

 

「ニアステラ中にスピィリア達の野営地が出来たら、すぐに増やすんだって。1日に必要な魔力量で換算すると竜骨の神殿は最大で一日1000人くらいまでなら大丈夫みたいだから」

 

「そうなのか。じゃあ、神殿を増やせば、1000人連れて来られると」

 

「実際には住居の関係でもう少し少なくなるみたいだけど、他の蜘蛛の種族も神殿を護る為に増やすのがいいだろうって。ウートさんが言ってた」

 

「ああ、そういや、ドラコ―ニア連中は竜骨そのものだから、大きい竜骨の近くなら魔力はそのまま受け取れるんだったか」

 

「うん。攻撃用の呪紋をアルティエから習ってたから、今ならガシンの方が負けちゃうかも?」

 

「そりゃいい。訓練で戦う相手が増えるのは歓迎だぜ?」

 

「あ、蜘蛛の方の脚とか折ったら怒るからね? あの子達だって痛いんだから」

 

「解ってるよ。本気で格闘戦出来る連中はまだあいつらの中にもいないだろうしな。気長に強者ってヤツが出て来るまで待つさ」

 

「………」

 

 そこでレザリアが黙り込む。

 

「どうした?」

 

「時間……あるといいね。うん……不安なんだ。みんなだってきっと同じ。野営地の人達だって……」

 

 ガシンが砂浜から遠くにも思える場所。

 

 実際には手の届く場所にある黒曜石の都を見やる。

 

「戦うさ。何が来ようと……オレ達が生きてる限り。それが流刑者魂だ」

 

「もう……でも、うん。ボクも戦う。おねーちゃんやナーズや遠征隊のみんな、野営地の人達と一緒に……」

 

「ああ、そうしろ。一番前を張れるのはお前やアルティエだけじゃねぇって事を教えてやる!! 年上にぐらい頼れ。まだ子供なんだから」

 

 ガシガシと少女の頭が撫でられる。

 

「も、もぉ……子供扱いして!? ボクだって、もう大人なんだから!!」

 

「どこら辺が?」

 

「う……そ、それは……あれが、その、来てる、とか……ええと」

 

 赤くなって言い淀む少女にまだまだ子供と再びワシワシ頭を撫でて、ガシンは膨れる少女を置いて歩き出した。

 

 やれる事を全てやろう。

 

 そう戦い続ける男達の背中に自分もまた遠征に出られなくてもやるべき事があるはずだと胸に秘めて。

 

 *

 

―――グリモッド深夜。

 

 少年は再び蜘蛛脚で40人のスピィリアを生み出した後、彼らを送り届けたその脚で再びグリモッドに来訪していた。

 

 夜中という事もあり、亡霊達は活発だ。

 

 しかし、少年を捕捉出来るような者達は殆ど居らず。

 

 空を鷲の木彫りを生命付与でホンモノとした少年はまだ仲間達とは未探索のグリモッド中央部を塗り潰すようなルートで上空から偵察していた。

 

「沼地、草原、高原、隆起した岩盤が多い地形……起伏に富んでる割に樹木が少ない……」

 

 グリモッドの中心部の領域は中々に踏破のし甲斐がある地形だった。

 

 しかし、見晴らしが基本的に良い為、よっぽどの事が無ければ、全滅しそうな場所は見えず。

 

 少年は地形を後で書き出しておこうと考えながら数百m上空からの遊覧飛行というにはあまりにも危険な状態で周囲をキョロキョロしていた。

 

「?」

 

 少年がグリモッド北部に目をやると一部明るい場所が見えた。

 

 それが魔力の光だと気付いて、高度を上げた少年が現場へと近付く。

 

(これは―――もう教会騎士の部隊が来てる……)

 

 少年が見たのは呪紋を用いて巨大な人型というよりは天使のような翼と獣のような獣面を持つ人型の戦いだった。その巨大な獣人のような何かは熾火のように燃える黄色い炎のようなもので体表を揺らされており、教会騎士達が放つ呪紋による攻撃を受けながらも猛烈なこん棒の一打で騎士達を薙ぎ払い。

 

 同時に追撃を掛けて押し潰そうと跳躍し―――片腕を切り裂かれて後方へと空中で器用にこん棒を投げ捨て退避する。

 

 その機敏さは巨人とは思えない程であった。

 

「―――神聖騎士。アレは……」

 

 少年が見たのは女だった。

 

 陽光のような輝きを帯びる全身が呪紋の効果で強化されているのが見える。

 

 その速度は上から見ていれば、何とか追えるくらいに早く。

 

 蜘蛛脚を装備した時の最大加速には及ばないが、その半分程度は確実にあった。

 

『知能のある化け物はこれだから……まったく、あの堅物な老害共も余計な仕事を増やしてくれて。どうして、あんなに古臭いのかしら、ね!!』

 

 愚痴った彼女の言葉を吹き飛ばされた男達が物凄い複雑そうな顔で見ていたが、それにしても上司に平然と立て付くような言動は教会騎士には珍しい。

 

 赤み掛かった金髪は燃えるように陽光を帯びて輝き。

 

 肩までしかないというのに彼女を喰らうかのように波打っている。

 

 軽装の鎧しか身に付けていない彼女が一気に間合いを詰め、獣の巨人の足元で剣を一突きした途端。

 

 相手の態勢が崩れた。

 

 その片脚の太ももには大穴が開いている。

 

 咄嗟に上空へと逃れたが、少女の方が早い。

 

 上空へと跳躍した彼女がヒラリと化け物よりも上で背後を取って宙返りし、下降しながら、その重刺突用だろう身の丈に合っていない剣を振るった。

 

 高速で連射された突きが残像を産む。

 

 背後から心臓も内臓も全て的確に串刺しにされた化け物が絶叫を上げて落ちていくが、肝心の逃げる為の翼は既に彼女の剣によって穿たれて崩壊していた。

 

 爆弾のような土煙が落下地点から上がる。

 

 その化け物の上から落下している彼女のもう片方の手には光が満ちていた。

 

『【イゼクスの息吹】』

 

 ゴッと光の線が地表に走り、直撃地点から数m先までを広がりながら焼き尽くす。

 

 最後に残っていたのは燃え散った敵の残骸らしき骨の欠片くらい。

 

 片腕で剣を振った彼女によって周囲の土煙が完全に吹き飛ぶと。

 

 そこにはもう敵の残滓は微量にしか残っていなかった。

 

 最初の一撃で死んでいなかった教会騎士達が次々に仲間達に呪紋を向けて、傷を回復させている。

 

 その様子を見ていた彼女がキロリと遠方の上空にいる少年を見やった。

 

『……貴方、流刑者共の仲間ね?』

 

 少年が旋回しながら相手を確認する。

 

 声は聞こえていたが、密やかなものだ。

 

 しかし、少年に聞こえていると確信するように彼女は獰猛に微笑む。

 

『我が名は神聖騎士“見習い”……【叶えのルクサエル】。まずはお礼を言っておくわ。貴方達があのフレイズをやってくれたおかげで老害共がようやくワタシを認める気になったみたいだから』

 

 その唇の端が歪んだ。

 

『それとしばらくしたら、貴方達の野営地を鏖しに行くからよろしくね? あいつみたいにお優しい手心は加えないから、そのつもりで』

 

 少年が目を細める。

 

「………………」

 

 彼女はニヤリとして自身の剣を猛烈に背後へと引いて振り抜く。

 

 途端、ゴッと少年が捕まっている鷲の翼を天を貫く光の柱が掠めた。

 

 少年はその“挨拶”に今日は引き上げようと南方へと戻っていく。

 

 それを見届けていたルクサエルと自ら名乗った彼女はまだ十代後半程度だろう美貌を歪めて髪を掻き揚げ、動じも回避もしなかった“得物”の登場に嗜虐的な笑みを浮かべるのだった。

 

「さ、アンタら、帰るわよ」

 

「さ、最初からそう言っていましたよ!? 我々は!? ルクサエル卿!?」

 

「化け物の報告書は任せるわ。夜駆けよ!!」

 

 彼女は何処か溌剌と気後れしている教会騎士達を引き連れて、退避させていた馬で北西部の野営地へと戻っていくのだった。

 

 *

 

―――数日後。

 

 ドッドッドッドッと南西部一帯を猛烈な勢いで爆走する土煙が上がっていた。

 

 その中心にいるのは少年である。

 

 大量の亡者達が軒並み区画単位で猛烈な速度で変貌し続けている。

 

 それを砦の上から見ていた仲間達は予定分のスピィリア達が産まれたら帰るという作業を繰り返して二日目の今日。

 

 ようやく5000人程の人材を確保するに至っていた。

 

 上空にウィシダの炎瓶による炎が猛烈に吹き上がり、少年が一区画を終えて、変貌しつつある亡霊達が変異し終わるとすぐ移動するよう促した。

 

 ゾロゾロと砦にやってくる元亡霊なスピィリア達はドラコ―ニア達とは違って、其々に個性というか特徴が多い。

 

「(^_-)-☆」

 

 お茶目に仲間をナンパする者。

 

「(^^)/」

 

 のほほんと仲間達と談笑する者。

 

「( 一一)」

 

 一人仲間から外れて周囲をウロウロする者。

 

「ドラコ―ニアの奴ら以外はやっぱり、個性が出るな」

 

 ガシンが呟きながら、聞き分けの良いスピィリア達を砦前で並ばせて、少年が戻って来るのを待っていた。

 

 符札によって移動出来る人数は相手と手を繋いでいれば、無制限なので一括して何処にでも連れて行ける。

 

 ただし、移動する本人の魔力を用いるらしく。

 

 基本的には少年単体でコストを支払っているわけではない。

 

 移動した先にはお腹が空くスピィリア達の為に竜骨の御守りが用意されており、小さな破片のペンダントが野営地の女性陣の手で仕上げられている最中だ。

 

「そうでもないよ。ドラコ―ニアの子達だって、顔と体は同じだけど、興味のある事は違うらしいし。あ、戻って来た」

 

 少年が戻って来るとすぐに1500人程のスピィリア達に手を繋がせて、瞬時にその場から掻き消える。

 

 残されたのは500人程。

 

 そのスピィリア達を砦の傍に迎えて、今後どうすればいいのかを空き時間を使って教育し始めたフィーゼが体育座りの相手に諸々喋っている様子は先生と生徒にも見えるだろう。

 

「案外、ああいうの向いてるよな。アイツ」

 

「将来は先生になってるかも?」

 

 ガシンとレザリアが言ってる傍からすぐに少年が砦内部から戻って来る。

 

「これで最後。今ある野営地で受け入れれる人数は限界。また数日後に竜骨を埋める地点を増やせたら来る」

 

「おう。ご苦労さん。いや、フィーゼはこれから更にニアステラのあちこちへ神殿作りに出るんだったか」

 

「しばらくは1万人を目標にニアステラを固めていく」

 

「もう入植は始まったんだったっけ?」

 

「第二野営地の茸養殖場付近と沼地に近い場所での家屋の建造が始まってる。動物の皮が無いから木造の家屋を一から作る事になってる」

 

「そりゃぁ人出がいるか」

 

「これから数日は木を切り倒して家屋造り。石切り場も第二野営地に出来たから、運搬用の道も整備する」

 

 その言葉を聞いてレザリアがその重労働を想像する。

 

「うわぁ……物凄く大変そう」

 

「精霊がいるからそんなに……問題は木材」

 

「木材? 密林が余ってるんだから、そんなに気にする事か?」

 

 ガシンが首を傾げる。

 

「スピィリアは家屋以外で木材を消費しない。でも、人は消費する。主に暖を取る為の燃料とか、鍛冶場の炉の燃料とか、新しい木工道具とか」

 

「それはアレだろ? 燃える石。石炭だったか? アレ使うって言ってなかったか?」

 

「採掘量の大きい場所が無い。だから、山間部の第二野営地は鉱脈を探す意味でも重要。精霊とスピィリア達に一番危ない仕事をしてもらう事になる」

 

「そっか。鉱山て危ないんだもんね」

 

 少しだけ心苦しそうにレザリアが顔を俯ける。

 

 その頭がポンポンされた。

 

「幽霊だから潰されても死なないし、精霊だからいきなり坑道が崩れても大丈夫。ついでに汚れないし、肺病にも掛からない」

 

「お、おぅ……そう考えるとあいつらにピッタリな職場って事か……」

 

 ガシンが確かにという顔になる。

 

「あんまり一度に大量の木材を森から切り出さないよう、間伐材みたいに密集地帯から間引いて使う。その道の整備も必要」

 

「何かお前そういうの何故か詳しいよな?」

 

 ガシンが少年の知識に呆れた様子になる。

 

「3ヵ月目までにやる事一杯」

 

「あん?」

 

「何でもない。そろそろ終わる」

 

 三人が見れば、スピィリアを前に何事かを教えていたフィーゼの言葉が終わるとパチパチと大きな拍手が起きていた。

 

 こうして砦からは綺麗さっぱり誰一人として残らず消えて。

 

 しばらく、そこに誰かが来る様子は無く。

 

 南西部は亡霊が多少減った事で静かな状態を取り戻すのだった。



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第31話「滅び切れぬグリモッドⅧ」

 

 次々に野営地にやってきたスピィリア達が竜骨から魔力を得られるペンダントを使い回しながら現地で技術や知識を学んで数日後。

 

 組織化された彼らは砂浜や野営地の地面で眠ったのも良い想い出とばかりに元気よくニアステラの各地に旅立って行った。

 

 鍛冶場は鉄製や木工の道具を大量に生産する為にスピィリア達を100人程弟子として取り、彼らに教えつつ、各種の道具を増産するという離れ業をやってのけ。

 

 責任者であるウリヤノフはげっそりと痩せそうなところを無理やり少年のクソマズ薬液の力で乗り切って、遠征隊が毎日飲んでいるソレの恐ろしさに戦慄いたりしたのだった。

 

「これで第一次入植は完了。今は各地で指導を続けつつ、家屋の建造に取り掛かっています。やはり、問題は道具の量と木材の調達先でして。各野営地には慢性的に木材が不足しています」

 

「仕事の方は?」

 

「はい。多くの者達が其々に見合った仕事を選んだようで華の栽培が終わるまではこの野営地で貯め込んでいたのを各地に供給してどうにか」

 

「はは、酒が飲めずに野営地で反乱が起きそうだ」

 

「まぁ、しばらくの間です」

 

「苦労を掛ける。数日したら竜骨がまた出来るとの事だが、野営地を増やすのではなく。神殿を野営地に増やす事で対応してはどうだろうか?」

 

「……最初期の目標であるニアステラ全土を固めるというのは支配領域が伸び悩めば、遅れる事になりますが……まずは衣食住の確保というのはスピィリア達も同じ事です」

 

「彼らにそっぽを向かれぬようにはしたいな」

 

「ええ、ならば……薄く広くではなく。厚く上質にという具合にしましょう。これならば、方針としてはよろしいかと思います。互いの神殿の魔力を得られる領域を重ねて、造成する野営地を肥大化させる形にすれば、受け入れる人数は増やせて、遅れても支配領域は増える形となりますので」

 

「……解った。では、ウリヤノフ。各野営地への神殿の増設を命じる。しばらくはスピィリア達にも家屋無しで頑張って貰うが、飢えさせないように頼む。ちなみに不満は出ているか?」

 

「いえ、元々蜘蛛だった上に蜘蛛に戻れる性質のおかげか。山林で樹木にぶら下がって寝ている者達や造られた家屋の軒先にぶら下がる者もいるとかで左程気にしていないようです」

 

「そうか。なら、彼らにぶら下がれる上質な軒先を提供する為にも道具の充足と森の間伐、石材の切り出しを急げ。石炭の採掘に関しては鍛冶場で使う以外は後回しにしていい。どうせまだ何処の野営地も鍛冶場までは作れていないだろう?」

 

「はい。では、そのように……」

 

 ウートが診療所の軒先のテーブルでウリヤノフに指示を出しながら、野営地内で闊歩するスピィリア達を見やる。

 

 他の蜘蛛の一族よりも随分と多い彼らは現在、他の野営地に送り出された以外にも既存の野営地での仕事に就く者も多く。

 

 内政に興味の無い個体は守備隊や騎士達、他の肉体を持つ蜘蛛の一族と一緒に戦闘訓練や警戒任務に当たっている。

 

「……また領地を治める事になるとはな。いや、此処はもう彼らの国か。私は御雇領主かもしれん」

 

 苦笑するウートが野営地を見渡しながら呟く。

 

 もう大陸で再起する事も叶わない彼にとって、此処こそが最後の安住の地。

 

 ならば、娘に受け渡すべきは地位ではなく。

 

 未来なのだと彼は一人まだ青い空を見上げる。

 

 何れ、暗雲が立ち込めた時。

 

 彼らが次の空を見られるように。

 

 そう備え戦う事こそが己の役割に違いないと笑って……。

 

 *

 

 本来ならば、別の場所に野営地を造って支配域を広げる計画がスピィリア達の食糧事情第一に変更されて数日。

 

 最終的に8か所の野営地に増設する形で神殿が築かれ、7500人程まで幽霊蜘蛛達のコミュニティーは大きくなっていた。

 

 まだ殆どの彼らは野外暮らしであるが、出来た建造物に喜ぶやら入居で一波乱あるやらと騒動を遠征隊が解消し、連れて来られた彼らが造成する街は思っていたよりも早く出来上がりつつある。

 

 基本的に眠る事は娯楽の範疇というスピィリアの中でも職人気質な者達の手により、街の建造は精霊達の手伝いもあって昼夜なく推し進められた。

 

 各地の野営地には少なからず10軒以上の建物が立ち。

 

 二階建てで家具無しながらも、彼らの寝所……というよりは宿泊施設のように寝泊まりする者以外は定住しないという形に落ち着いている。

 

 そもそも彼らは幽霊の性か。

 

 基本的に夜型であった。

 

 真夜中に夜目も効く彼らが木造建築をカンコンカンコン大工道具で立てているのが基本的なところであり、朝方や昼型の者達は昼に寝ている彼らからすれば少数派だったりする。

 

「こんにちわ~道具お届けに来ましたよ~」

 

「(*~ω~*)」

 

 助かる~と言いたげな人型形態なスピィリア達にまだ彼らには作れない道具を届け、同時に必要な人材を第一野営地から出して送り届けるという事もやり始めた遠征隊は少年がほぼ昼夜なく飛び回る事になっていた。

 

 最初期の立ち上げが肝心であると少年はウリヤノフを通してスピィリア達の街の造成計画には意見を出しており、時間の掛かる掘りや壁よりも先に爆華の生産地帯に灌漑設備を導入する事を先んじてさせつつ、内政に興味が出ない者達には各地に少年がいなくても必要な物資が届くよう。

 

 簡易の道を舗装させ、各地の地形を歩かせて把握させつつ物資を運ぶ運送業兼戦闘もこなす輸送部隊を設立。

 

 この商隊のような組織、実際に商隊と呼ばれる彼らを各地で守備隊のように巡回させる事により、ニアステラを庭のように動けるよう訓練し、実質的に遠征能力を養っていた。

 

「(/・ω・)/」

 

 お届け物ですと第一野営地から出発した旅人的な旅装姿の数十人が第一野営地からの乾燥爆華を持ってやって来れば、昼に起きている者達は大歓迎だ。

 

 最速で立てられた建造物。

 

 竜骨再生用の薬液増産設備。

 

 要は酒場兼宿である二階建ての立派な建造物には大量の木箱が毎日降ろされる。

 

 普通の人間や食事が必要な蜘蛛達が逗留する為の設備も置かれていて、乾燥した食材が樽に詰められて各地には供給され、技術指導している者達もまた快適に暮らせるように図られているのだ。

 

「(`・ω・´)ゞ」

 

 そういった補給物資である樽や木箱を受け取った者達が慎重な手付きで地下の倉庫に輸送しながら、煙臭い皮を剥がれて燻された丸太で出来た室内でイソイソと商隊を労いつつ、二階の部屋の鍵を渡して休んでもらう。

 

「( ´Д`)=3」

 

「(´ω`*)」

 

 故に何処の酒場もスピィリア達の休憩所として繁盛していた。

 

 人の街のような光景が見られるようになった彼ら蜘蛛の一族。

 

 その社会は急速に形作られており、殆ど人間と変わらないくらいの様子となっているのである。

 

 第一野営地への食糧や木材、他にも加工用の鉱物などを運ぶ者達がいるかと思えば、そちらから技術を携えてやってきて、一気に現場で鍛冶場仕込みの新技術で人気者になる者もいる。

 

 どころか。

 

 リケイに弟子入りした呪紋を会得した者達まで現れていて、やがては竜骨を置く神殿すらも自分達で立てられるようにと図られている。

 

 気に入った野営地で自分達で呪紋を活用して、街を作り始めたり、生活を豊かにする為の加工業まで始める有様はもう人間にも劣らないだろう。

 

「これで会話も無しに全部成り立つってんだから、驚きしかねぇな」

 

「そう? 私達も何となく解るから、普通じゃない?」

 

 人間が思っていたよりもずっと賢かった蜘蛛の一族達である。

 

 ちなみに現在ドラコ―ニア達が野営地の守備隊の隊長職を務める為にまた数十人単位で生み出され、元いたドラコ―ニア達からの訓練を受けている最中だ。

 

 彼らが各地に赴任すれば、竜骨の御守りを持たなくても野営地で呪紋が使える守り人として活躍する事になっていた。

 

 これを鍛えるのはリケイとカラコムと元教会騎士達だ。

 

 野営地の守備業務以外にもスピィリア達の商隊に同行して、隊長職をしたり、隊長職に付けるように訓練を移動中に施す彼らは嘗て教会で戦っていた時よりも生き生きとして見えるかもしれない。

 

『よし、お前ら!! ちゃんと行軍出来たな。偉いぞ!!」

 

『(´ω`*)』

 

 勿論ですと胸を張るスピィリア達は褒められると嬉しそうにしており、まんざらでもない様子。

 

 急速に野営地は村を通り過ぎて小規模領地のような様相を呈しつつある。

 

 それは食料事情から始まり、生活に必要なインフラの整備、更には軍備に至るまで住人が増える事で姿を現し始めていた。

 

「アルティエ。納入終わりました」

 

「ご苦労様。精霊の方は?」

 

「はい。リケイさんが人と契約しなくても、竜骨そのものと契約する事で各地に精霊さんを固定化出来るようになったので。かなり管理も楽になりました」

 

「来週までには何処の野営地も300人くらいは住居に入れるようになるんだっけ?」

 

「ええ、ウリヤノフが全体の進捗を教えてくれてて、このまま行けば、3分の1いくらいは一月以内にお家が出来るそうです」

 

 少年は一先ず安心だろうと頷き。

 

 他の仲間達も連れて街道沿いの第五野営地。

 

 ニアステラの全ての野営地と繋がる道を整備しつつある中央部で一番重要な土地に造成されつつある街並みを見やった。

 

 まだ20軒にも満たない二階建ての建造物。

 

 生木を用いてるせいで防虫加工で煙臭いそこが今はスピィリア達の住処である。

 

 昼間には蜘蛛形態になった者達がズラリと不可糸で軒先の屋根の端から垂れ下がって眠り、起きているのは変わり者が多い。

 

 昼夜なく働く勤勉な彼らが道を敷き続け、周辺の石切り場から切り出した石や石畳や道の造成を行う様子は蟻の行列にも見える。

 

 蜘蛛型で石材を運ぶ者。

 

 人型で地面を器具で押し固める者。

 

 壊れた荷車を修理する者。

 

 日中に華の水やりや肥料をやる者。

 

 鶏に餌をやっている者。

 

 色々であ―――。

 

「   」

 

 ギョッとしたと言うべきだろうか。

 

 少年が少しだけ目を擦ってから、もう一度目を凝らす。

 

 すると、一匹の蜘蛛形態のスピィリアが2匹の鶏に餌をやっていた。

 

 蜘蛛脚を抜くまでもなく高速で移動した少年がその蜘蛛に鶏を指差して訊ねる。

 

 すると、地面に枝でカリカリと絵が書き込まれ始めた。

 

「ええと……東の山脈の岩肌辺りで見掛けたから飼ってみようと連れて来た?」

 

「(>_<)」

 

 ウンウンと頷きが返される。

 

 少年がそのスピィリアに何事かをボソボソと高速で囁いてから、見付けた場所を教えて貰い。

 

「予定変更。このまま出発」

 

 思わず仲間達が驚く間にも少年は微妙に深刻な顔で溜息を吐く。

 

「東部との新しい通路がたぶんある。急いで塞がないと教会に抑えられるかも。今の子に連絡は頼んだから、即時出発」

 

「だ、大丈夫? アルティエ。一度戻った方がいいんじゃ。爆破系の装備殆ど持ってないよ?」

 

 今の遠征隊はニアステラ内という事もあり、投擲用のクナイは最低限。

 

 更に危ないのでいつもの爆発する瓶も一式持っていない。

 

「大丈夫。武装があれば、後は呪紋で。最悪、道そのものを完全に崩すのは出来る。さっき運んで来た爆華そのものを半分持って行けば問題無い」

 

「う、うん。すぐに伝えて貰ってくるね」

 

 レザリアが近くの酒場へと走っていく。

 

「それにしても鶏? 教会から逃げて来たのか?」

 

 ガシンが去っていく蜘蛛が不可糸で首輪を付けるようにして連れて行く食用なたまごを産んでくれる御馴染みの家禽に首を傾げる。

 

「可能性は高い。北部に繋がってても問題は変わらない。とにかく調査して封鎖するのが先決」

 

「ですね。今から教会騎士の部隊と戦う事になったら、スピィリア達がせっかく作った街が壊されちゃいます!!」

 

 フィーゼがグッと拳を握ってソレは許せないと決意を示す。

 

『貰って来たよぉ~~』

 

 箱で背負って来たレザリアが戻って来た。

 

 そこには近頃完全に脚が人の腕に置き換わったフレイが帯同しており、背中には大量の荷物が持たれていた。

 

 どうやら、商隊に同行して色々とスピィリア達に教えていたらしい。

 

 実際、彼らのフレイに対する態度は『ご苦労様です!! 教官!!』みたいな敬礼しか彼らは見ていなかった。

 

「あ、フレイもいたんですね。それにしても完全に手が人間のものだけで固定化されちゃいましたね。いつになったら人間になるんでしょうか?」

 

 フィーゼの言う事は最もだが、こればかりは顔の中心に付けられている人魚の輪にしか分からない事である。

 

 少年は全員が揃ったのを確認して、最も近い第四野営地に飛んだ。

 

 人の住めない硫黄臭い場所。

 

 ニアステラの竜玉があった地点である。

 

 神殿の前に転移した彼らを待っていたのはいきなりの戦闘であった。

 

 *

 

 建造物が焼け落ちているという事こそ無かったが、少年達がやってきた時、既に周囲では教会騎士とスピィリア達との戦闘状態に突入していた。

 

 幸いなのは彼らが街を放棄しつつ、人間には有毒なガスが漂う地域に隠れるように応戦した事で被害が出ていなかった事か。

 

 そもそもスピィリア達も少年から不可糸などの呪紋を一時的に使用出来るようにして貰った際に眷属としてカウントされており、その視界などは少なからず指定すれば見える。

 

 ただ、常時千単位の視界を共有なんてしたら危ない事になる為、大半は脳裏で必要な部分を定点カメラを覗くような調子で定時観測で見るのみだ。

 

 なので、対応が出遅れたものの。

 

 すぐに視界を繋げて情報を確保した少年はスピィリア達の動きを把握して、迅速に展開、相手の動向を見つつ動く事が出来ていた。

 

 いきなり街中に現れた少年達に驚いた教会騎士達が制圧した場所を物色しており、唐突な襲撃と思った遠征隊の登場に剣と盾を構える。

 

「こいつら何処から!!?」

 

「増援を呼んで来い!!」

 

 少年が瞬時にダガーを抜き放ち。

 

 教会の大物が出て来るより先に手足となる者を潰すべく。

 

 黒跳斬で周囲を円形に切り払う。

 

 その黒い跳ぶ斬撃は瞬時に相手の鎧を侵食し、布地に入り込み、肌から内部に浸透し、背後に抜ける頃にはもう敵の内臓を犯し、次々に男達から酸素を奪って、昏倒させていった。

 

「三人はスピィリア達の保護を。フレイと一緒に周辺部隊を片付けて来る」

 

「わ、解りました!!?」

 

「ああ、こっちは任せとけ」

 

「大丈夫? 2人だけで」

 

「問題無い」

 

 少年はスピィリア達に街を作る段階から教会騎士が来たら、出来る限り被害を出さずに撤退したり、逃げる事を教えていた。

 

 その為、彼らが何処にいるのかもちゃんと分かったし、もしもの時の撤退ルートも覚えさせていた為、彼らが犠牲に為る事は無かったのである。

 

「教会騎士を無力化した後、敵の大物を探して2人同時に仕掛ける。もし、坑道が見付かれば、その破壊を優先。増援が来ないように」

 

「(>_<)/」

 

 了解とフレイが頷いた。

 

 そうして2人が左右に分かれて街並みの中にいる騎士達を次々に黒いダガーで切り倒すやら、見えない糸で精魂尽き果てるまで体力や魔力や霊力を吸収するやらして無力化していく。

 

 その人数は50人近くにもなり、浸透していた部隊の殆どが数分後には消えていた。

 

 しかし、これが一時的なものに違いないと理解していた少年は背後でいつもの如く寝ていたエルミを起こして上空偵察をさせ、近辺にある塩湖に程近い場所に教会騎士達の野営地らしきものを確認。

 

 数km先の其処へとフレイを連れ立って走り出した。

 

『どうするんですの? 相手は40人くらいはいそうですけれど』

 

「無力化する。一番問題なのは教会騎士じゃなくて神聖騎士。此処で仕掛けて無力化出来れば、教会側も安易にニアステラへ踏み込めなくなる」

 

『あ……あれかしら?』

 

 上空のエルミの視線が少年に共有され、幽霊には見えるらしい幻の壁のような穴が塩の湖の岸壁横に開いているのを確認する。

 

 それは先日、岩塩を採取した場所であった。

 

「塩の坑道は潰してもいい。殲滅を優先」

 

『じゃ、上から危なく為ったら援護しますわ』

 

「よろしく」

 

 少年が速度を上げて、エルミが上空に昇っていく。

 

 そして、少年の背後に追従していたフレイが部隊へと襲い掛かるべく跳躍した少年が虚空にいる間にカパッと口を開いた。

 

 ゴッと野営地を築こうとしていた教会騎士達がその光に焼かれて悲鳴を上げながらもんどりうって倒れ伏し、更に襲撃者の化け物に目を奪われている相手の上空から黒跳斬が連撃で放たれた。

 

 数秒もせずに到達した黒い刃に侵食され、数十名の者達が半ば何も出来ずに倒れ伏し、同時に僅か斬撃にも光にも焼かれなかった者達が逃走を図ろうと塩の洞窟へと向かって走り出していく。

 

 それを追って少年が着地した瞬間に洞窟内部へ突入しようとした時だった。

 

「あら? また会ったわね」

 

「フレイ」

 

 少年が神聖騎士を前にしてダガーを大剣にしつつ構え、洞窟の横を音速を超えた速度でフレイが横をすり抜けて消えていく。

 

「あの化け物と2人掛かりなら倒せたかもしれないのに」

 

「問題無い。必ず誰かを救おうとする者を邪魔するお前は……許さない」

 

「何の話? でも、いいわ。此処で貴方を倒せば、恐らく最大戦力が消える。そうなれば、後は老人だけ。どうとでもなるでしょう。あの蜘蛛の化け物もね」

 

 重刺突用の剣が少年に向けて構えられる。

 

「叶えのルクサエル。行くわよ」

 

 凄絶に笑う彼女が真正面から突進する。

 

 その刃は狙い違わず。

 

 少年の心臓を穿ち、貫いた。

 

「あら? もう終わり? せっかく、どうして避けられないのか。死ぬ間際に教えてあげようと思っていたのに……」

 

 少年が蹴り付けられて、背後の樹木にぶち当たって止まる。

 

 その胸元は完全に大穴が開いてダクダクと黒い血潮が溢れている。

 

「その黒い粘液で手品のように大剣を振り回す。その程度だったのかしら? 小指の先が切れただけで残念♪」

 

 嗜虐的にルクサエルが嗤った。

 

 彼女の背後から振るわれたのは蜘蛛脚であった。

 

 相手の剣をダガーで受け止めて、背後の大剣を菌糸で掴んで戦う。

 

 まったく、彼女にはどうしようもなく間抜けな戦い方にしか見えなかった。

 

「……叶えの条件は三つ。同じ行動を二つ叶えられない。現実的に無理な事はどうやっても叶えられない。一つの願いを叶えている間は他の願いを叶えられない」

 

「あら? もう解ったの? 惜しいわ。その頭脳……後で死体でも有効活よ―――」

 

 カランと彼女の掌から剣が落ちた。

 

「?」

 

「呪紋の中でも特別に強力な代物。でも、逆に言うとソレ以外は殆ど使えない。呪紋の模倣も魔力の効率が良くない」

 

「―――どうしてソレを!?」

 

「だから、戦闘中は肉体の動きを補助するのに使う。一動作を常に最適化して、必ず一撃で倒せる状況や回避出来るように余裕を保つ限りはほぼ負けない」

 

「!??」

 

「神聖属性祈祷呪紋【見えざる権能】」

 

 ルクサエルの目が驚きに見開かれる。

 

「う、げ、が―――?! ご、こ、れ゛は?」

 

 喉が潰れたかのように声が濁り、ゴボゴボと肉体が波打ち。

 

 ゴシャッとルクサエルの片腕が鈍い肉が落ちる音と共に地面へ転がった。

 

 同時にその内部からは骨のように大きな前脚が飛び出ている。

 

「ひっ!? な、な゛ん゛なの!? か、か゛らだ、うごが、な、な゛にじだぁ!?」

 

 叫ぶ彼女だったが、体が動かず。

 

「お前のせいで600万回再走した。これから2ヵ月以内にお前達神聖騎士数人じゃどうにもならないモノが来る。東部の仲間は全て取り込ませて貰う」

 

「き、ぎぇて? わ、だ、ぎ……い……け゛ずな゛ぁああ゛あぁ゛あぁ」

 

 発声器官が変質し、最後には蟲の嘶きが周囲に響く。

 

 ボトボトと彼女の肉体から人間に必要な肉体の部位が落下していく。

 

 その内部から現れる甲殻は紅蓮だった。

 

「ぎ、ぎぃ……ギィィィィィィ!!!?」

 

 彼女の顔が半分内部から剥がれ落ちた部分を蟲のものとしていく。

 

 だが、その言葉は途中で止まった。

 

 少年の胸に開いた穴から零れていた黒い粘液がゆっくりと巻き戻るように胸の中へと戻っていく途中だったからだ。

 

 最後に一滴残らず内部に戻った黒いソレが胸を埋めて傷口が塞がった。

 

「必ず相手の心臓を潰す初撃。そして、必ず当たる状況。これを前にしてお前は絶対に他の部位は攻撃しない。僅かな傷なら回避しない」

 

「―――」

 

 最初から仕組まれていた事を彼女は知る。

 

 薄らと魂から自分という記憶が、人格が抜け落ちていくのを理解しながら。

 

「心臓一つ再生まで89時間……お前一人には十分過ぎる」

 

 少年が蜘蛛脚を背負い。

 

 ダガーを腰に戻してすぐ。

 

 奥の方からフレイが戻って来た。

 

 その手には不可糸が握られている。

 

 よっこいしょとでも言いたげにフレイのが握った大量の糸を引いた途端、坑道の奥が猛烈な振動に見舞われ始めた。

 

 少年が完全に蜘蛛と化したルクサエルの脚を掴んで抱えるようにして持ち上げ、そのまま外に脱出すると。

 

 それから数秒でゴヴァンッという音と共に崩落した坑道が完全に塞がった。

 

「ふぅ……」

 

 人間のパーツが背負われている最中に全てボチャボチャと落ちていた紅蓮の蜘蛛が降ろされると……体に纏わり付く血肉をプルプルと子犬のように振るい落として立ち上がり、揺れながら両手を上げてアピールする。

 

「こんにちわ」

 

「(≧▽≦)」

 

 新しい蜘蛛は何処か陽気だ。

 

 それに対してコイツが新しい同僚かという顔になったフレイが少年を見て、自分の使っている鼻輪や片脚を指差した。

 

「いいの?」

 

「(*-ω-)」

 

 少年が訊ねるとフレイがコクコクと頷く。

 

「解った」

 

 少年が片手の手刀でフレイの脚に嵌って文様化していた呪具。

 

 それを脚毎切り落とす。

 

 途端、脚甲が脚から滲み出るようにして形を取り戻した。

 

 また、顔の中央に付けていたビシウスの輪が取り外され、紅蓮の蜘蛛に付けられる。

 

「これでいい……」

 

 少年はそう言いながらポーチから取り出した霊薬をフレイに飲ませる。

 

 すると、今度はフレイ自身が何事か蜘蛛の声、シャーみたいな詠唱を上げた。

 

 途端、斬られた脚が内部からググググッと生えて来て、最後にはボンッと粘液塗れで元に戻る。

 

「再生?」

 

 少年に頷いたフレイはこれで完全復活です的な力瘤を作るようなポーズをした後。

 

「?」

 

 首を傾げていると、内部から甲殻が罅割れて体積が増殖していく。

 

「―――」

 

 少年の見ている前で蜘蛛の内部から肌色のものが粘液に塗れながらズルリと体の体表を押し広げるようにして伸びて、甲殻のパーツがその両手両足に装着されるスーツ染みて変異しながら固着していく。

 

 脚、胴体と来て頭部もまた変異し、蜘蛛の頭がまるで被り物のように変異しながら口から下を額に被せるような形で定まり、最後に顔を上げた相手は蜘蛛頭の被り物をした少年とも少女とも見分けの付かない存在と化した。

 

 勿論、全裸であるが、性器はどうやら女性らしい。

 

 瞳が金色で蜘蛛頭の被り物の瞳部分はまだ生きているらしく。

 

 キョロキョロしていた。

 

 どうやらメインとなる視界に人体の目が更に追加された形になるようだ。

 

 それもまた人化が進めば、消えていくだろう。

 

 背後の蜘蛛脚は逆向きになって折り畳まれ、背中を護る装甲のようになった。

 

「……大丈夫?」

 

 少年が一応、自分の外套をフレイに掛ける。

 

「大丈夫であります!! 主様」

 

「―――」

 

 少年が驚くのも無理はない。

 

 完全にフレイは人語を介していた。

 

「これより輩の教導の任に就き。必ずや蟲畜として、この不出来な妹を調教してご覧に入れます!!」

 

 敬礼したフレイが軍人染みてそう告げると紅蓮の蜘蛛を前に人間には出せなさそうなシャーッという高周波を上げる。

 

 すると、すぐにビシッと紅蓮の蜘蛛が背筋を伸ばした。

 

「主様に敬礼!!」

 

「(≧▽≦)ゞ」

 

「主様に蟲畜の証を頂く事に感謝」

 

 バッと紅蓮の蜘蛛が頭を下げる。

 

 何か思ってたのと違う……。

 

 という感想は横に置いて、少年がイソイソとビシウスの畜輪を紅蓮の蜘蛛の顔の中央に付けて、フレイから切り離した【ウズリクの脚甲】に魔力を込めて、以上が無いかを確認する。

 

「体大きくなったら付けるって事で」

 

 少年に紅蓮の蜘蛛がコクコク頷いて少年を前足で起用に持ち上げ、自分の上にヒョイと乗せた。

 

「主様を運ばせて頂く事に感謝しつつ、仲間の方々と合流!! ちゃんと挨拶するように!! いいか!!」

 

「(≧▽≦)ゞ」

 

「よろしい!! 貴様が蛆虫を卒業するまでしっかりと指導する!! 立派な蟲畜として主様に体の一欠けらまで捧げられるよう鋭意努力するように!! 出発!!」

 

「………」

 

 やっぱり、何か思ってたのと違う。

 

 という感想を抱きつつ、自分より年下そうに見えるフレイの軍人染みた言葉に顔を微妙なものとしつつ、少年は紅蓮の蜘蛛の名前を決めなきゃなと脳裏で考えていたのだった。

 

 *

 

―――第一野営地【浜辺】。

 

「えぇええええええ!!? こ、この子が!?」

 

 浜辺では今世紀最大に大声が上がっていた。

 

 ついでに仲間達と集合後、すぐに転移でスピィリア達を周辺の別の野営地に避難させていた少年なんやかんや忙しく。

 

 事後処理をウリヤノフとリケイ、元教会騎士、ドラコ―ニア達に任せて、ようやく一息吐いたところである。

 

 浜辺でちょっと休憩している間に「こいつら誰?」という顔の仲間達にようやく新しい野営地の愉快な住人予定者を紹介する事になっていた。

 

「主様に忠実なる第一の蟲畜フレイであります!!」

 

 ビシッと少年から貰った外套をカッチリ着込んだ金髪に金色の瞳の少女がビシッと敬礼した。

 

「ほ、本当にフレイなんだ……」

 

「人間になるとは聞いてましたが、こ、こんな感じなのですね」

 

 何か思ってたのと違う。

 

 という少年の感想と同じ気持ちを抱いたらしいフィーゼが「う~ん?」という顔になる。

 

「ま、吃驚だが、問題ねぇ。つーか、今の問題はとうとう教会の手がニアステラまで及んだ事だ」

 

「先程、ウリヤノフ殿にご報告しましたが、再度ご報告させて頂きます。塩の湖に開いていた坑道はどうやら前にいた蟻の生き残りが迷走して掘った穴らしく。東部に続くと思われる道が延々と奥まで伸びておりました」

 

 フレイがキッチリとガシンへ律儀に告げる。

 

「途中に死体があった為、これが事実だと思われます。また、野営地より拝借していた爆華を体内に蓄えていた為、それを一定距離で天井に塗布して粘着、それを呪紋【不可糸】によって引っ張った際に過度な熱量が加わるよう細工し、凡そ8里先の地点から全て爆破致しました」

 

「お、おう……ご苦労だったな」

 

「有難きお言葉痛み入ります。ですが、坑道全体を崩したとは思えず。恐らくは東部の入り口より1里程は坑道も続いている為、もし発見されて、呪紋などで再び掘られた場合はまた貫通する事も在り得るかと」

 

「そ、そうなのか?」

 

「はい。ですので、塩の岩盤と離れた場所は全てこの蟲畜の毒で汚染し、もしも再度掘り出せば、有毒物質が蔓延する状況にしておきました。これを浄化するのは教会でも困難であると思われ、採掘するにしてもかなりの遅延を余儀なくされるでしょう。以上であります」

 

「お、おぅ……(何かオレらより優秀そうなんだが?!!)」

 

 思わずレザリアに愚痴るガシンである。

 

「というわけで。フレイはこれから遠征隊でこの子の上司になる」

 

「この子って、この赤い蜘蛛の子?」

 

「(≧▽≦)/」

 

 ハイと手を上げた蜘蛛はすっかりご機嫌だ。

 

 あっちにうろうろ、こっちでちょろちょろ。

 

 見るものが珍しそうに興味を惹かれていた。

 

「元、叶えのルクサエル。何とか倒した」

 

 シレッと倒したというよりは傲慢な呪紋の能力を使う戦闘に浸け込んだ事は黙っておきつつ、少年が紹介する。

 

「神聖騎士の人だよね?」

 

「そう。取り敢えず、名前は……」

 

「あ、女の子なんだから、ちゃんと考えてあげないと」

 

「(´Д\)」

 

 レザリアの言葉に紅蓮の蜘蛛がお涙頂戴と言わんばかりに感動した様子になる。

 

「ありがたい事であります。この不出来な妹にどうかお名前を頂ければと」

 

「名前ねぇ。適当に頭文字のルーと中央に多い最後の文字のエルでルーエルとかでいいんじゃねぇか」

 

「有難いご提案です。では、それでいいか?」

 

「\(≧▽≦)/」

 

 勿論ですとも。

 

 と、紅蓮の蜘蛛が両手を上げてユラユラとその場で嬉しそうに踊り出した。

 

「え!? いや、これはその、ほ、本当にい―――」

 

「あ~~付けちゃったからには責任取るよね? ガシン」

 

「ですね。ちゃんと、面倒見てあげて下さいね? ガシンさん」

 

 さっそく女性陣がジト目でガシンに押し付ける。

 

「な、オレはちょっ―――」

 

「ガシンが面倒を見るって事で」

 

「お、おまえらぁ……はぁぁぁ……解った!! 解ったよ!! じゃあ、ルーエル。お前は今日から遠征隊で荷物持ちだ。何か困った事があったら、真っ先にオレへ言え。いいか?」

 

「(≧▽≦)/」

 

 ハイと手を上げたルーエルがピョンピョン跳ねた後。

 

 ガシンの周囲をウロウロし始める。

 

 その様子にレザリアとフィーゼは苦笑して、まだそう言えば、問題が残っているんだったと少年を見やった。

 

「無力化した教会騎士達の人はどうなったのですか?」

 

「野営地付近を見られないように森の中に封鎖した一角を作って、今はベスティン隊長が面倒見てる」

 

「大丈夫なのでしょうか? さすがに辛いのでは……」

 

「同じ教会騎士だからいい。裏切らない限りは大丈夫」

 

「そんなシレッと言う事なの? アルティエ」

 

「裏切れないし、教会騎士がどういうものか一番知ってる人間が問題を取り扱ってれば安全」

 

 レザリアに肩が竦められる。

 

「今回、野営地のスピィリア達に被害は出なかった。街の方の施設にも。柵が一部壊されただけ」

 

「でも、普通に返せない。よね……」

 

「それはそう。でも、蜘蛛脚を使う以外にも方法はある」

 

「方法?」

 

「そろそろ交渉が終わる頃。ダメだったら、まぁ……死なないし、大丈夫」

 

 仲間達が首を傾げる中。

 

 少年は教会騎士達がそろそろ折れるだろうかと北方の空を見上げる。

 

 そんな風に思われているとは露知らず。

 

 教会騎士達は下着一枚で武装解除され、周囲にはリケイとベスティンと元教会騎士達が囲う形で集められていた。

 

「う、裏切り者め!? 貴様!? ベスティン!!? この教会騎士の恥じ知らずがぁ!! 絶対に我らは貴様ら罪人共には屈せぬぞぉおおお」

 

「そうだぁあああああああああ!!!」

 

「恥を知れぇええええ!!」

 

「この裏切り者ぉおおおおお!!!」

 

 吠える者達は多い。

 

 だが、彼らの周囲の元教会騎士達は生命付与された蜘蛛の鎧を身に付けたまま。

 

 ソレが見える者達にもはや人間ではないという顔で睨まれている。

 

「その言葉は甘んじて受けよう。だが、後悔はしていない。神は捨てたが、仲間を拾った。どうとでも言え。交渉は決裂だ」

 

「く!?」

 

 ベスティンがそう冷めた瞳で教会騎士達を見やる。

 

「ほほほ、威勢の良い者達なようで」

 

「リケイ殿……出来れば……」

 

「解っておりますとも。では」

 

「な、何だ!? じいさん!? オレ達に何をする気だ!?」

 

「待て、リケイだと!? ま、まさか、魔の布教者か!!?」

 

「ふぅむ。良い肉体に良い精神。中々に……」

 

 ギョロリとリケイが男達を品定めする。

 

「それで? 適合は?」

 

「しておるでしょうな。間違いなく。何せ、健康である事が条件ですので」

 

「そうか……」

 

「な、何の話をしている!?」

 

 その怯えの表情が見える男達を前にリケイが肩を竦めた。

 

「野営地では色々とベスティン殿達を受け入れてから教会騎士を生きて捕らえた時にどうしようかと知恵を絞っておったのですじゃ」

 

 トコトコと老爺が隊長格の男の前に立つ。

 

「どうすれば、教会騎士は我々に害を為さないようになるだろうかと」

 

「例え、八つ裂きにされようとも決して仲間は売らん!!」

 

「左様。では、仲間から裏切られるようにすればいいのですよ」

 

「何を言っている!? く、来るなぁ!?」

 

 リケイが男を野営地の守備隊に仰向けとさせるよう指示し、拘束したままに持っていた杖で胸元をトンッと付いた。

 

 途端、ブワリと男の胸元に呪紋の象形らしきものが広がる。

 

 八角系が描き出される円。

 

 その内部には奇妙な文字が一文字描かれている。

 

「オ、オレに何をしている!? や、やめろぉ!?」

 

 武装解除された男達が剣を向けられて動けないまま。

 

 その隊長格の肉体に象形の外延部の円から吹き伸びるようにして赤黒い色の血管らしきものが奔っていく。

 

「あ、そーれ♪」

 

 リケイがもう一度男の胸を突く。

 

 その後、バクンッと男の胸が跳ねた。

 

「あ、あぁああぁぁあぁあぁああぁあ!!?」

 

 ビキビキと男の体が変質していく。

 

 怪し気な呪紋によって。

 

 化け物にされるのか。

 

 そう男がガクガクと震えながら漏らした次の刹那。

 

 光が男の肌を覆い尽し、光の繭の如く包んだ。

 

「いやぁ、良いものを持ち帰ってくれましたな。アルティエ殿も……これなら、しっかり無力化出来る上に人格も記憶もそのまま。ついでに我らの良心も痛まないというだから……出来過ぎじゃの」

 

 老爺が元教会騎士達が引いて来た荷車から降ろされていた大樽から柄杓で水を一掬いして、繭にじゃーっと掛ける。

 

「本来は太極の神【ハウエス】の呪紋なのですが、一つ問題があって、これを使われた人間の多くが呪紋を受けてから時間差で死に至るのですじゃ。まぁ、寿命が1年くらいな上に子供を産む時間さえあればいいとの話で」

 

「これが……」

 

 ベスティンが何処か自分達の罪に震えながら唇を紡ぐ。

 

「ですが、アルティエ殿の持ち帰った霊薬。これは素晴らしい。肉体の変性で細胞に掛かる負荷の類を全て無効化し、傷付いた肉体を修復し、寿命は普通の人間と同じく据え置き。更にはこの呪紋の効果を完全なものにしてくれる」

 

「―――」

 

「最も重要なのは存在の逆行。元々、人間というのは血統そのものが女が基本であり、男というのは新しい血統を用いる為に分岐した存在。まぁ、つまり、生物としての過去へと立ち返る霊薬と呪紋の効用を用いれば……」

 

 光の繭の中からズルリと幼い手が引き上げられた。

 

「ばけものになるのはやらぁ~~~」

 

「この通りですじゃ」

 

 4歳くらいの幼女がビェエエエエと泣き始めた。

 

 それを見ていた男達が猛烈に嫌な予感から目を剥く。

 

 だが、そんな幼女に布を掛ける存在が一匹。

 

 スピィリアが魔力を流して見えるようにした不可糸で編んだ布地で中から出て来た何処か繭の中に入れられた男の面影がある相手を包み。

 

 自分の上に載せて、カサカサと蜘蛛形態で別の野営地へと運んでいく。

 

「本来は若い女くらいの年齢にするのですが、まぁ……霊薬の効果もあって、年齢の幅が予想通りかなり広くなりましたな」

 

 キロリと老爺が男達を見やる。

 

 その時、確かに男達の股間は縮み上がった。

 

「ハウエスは太極。つまり、この世にある全て、その区切られ、隔てられ、対立したものを弄る神であり、自在とする。元々は信者達が教会に女を狩られて全滅しそうな時に生み出した代物。まぁ、教会に使われるには自業自得の呪紋です」

 

「………そうか」

 

「やめろぉおおおおおおおおお!!? い、いやだぁああああああああああ!!?」

 

 暴れ出した男達が次々に地面に仰向けにされていく。

 

「ハウエスの信者が生み出した呪紋の多くは【境界呪紋】と呼ばれます。区別する事。分かたれた世界。領域の齟齬。左か右か。男か女か。光か闇か。そういった相対する真逆の境界を弄る呪紋。その一つこそがコレですじゃ」

 

 もう一度。

 

 哀れな男が胸を杖で二度突かれて光の繭となる。

 

「境界呪紋【雌雄境廃】。究極の闇は究極の光。逞しき男はか弱き女。人の性を弄る我が呪紋をご賞味あれ。ほほほほ♪」

 

 次々に男達の胸が杖で叩かれ、光の繭に霊薬が柄杓で注がれていった。

 

 そうして、次々に変貌したカワイイ幼女達が絶望に咽び泣くのを「おーよちよち(/・ω・)/」とでも言いたげに布で包んで優し気に抱き上げたスピィリア達は元気な彼女達をお世話するべく。

 

 生存に適した第一野営地へと運び始めるのだった。

 

「彼ら。いや、あの子達は……これからどうなる?」

 

「4歳くらいですからな。まぁ、後は教育次第と言ったところでしょう。我らがこれからの年月で彼らを教育出来ずに反乱されれば、我々の負け」

 

「………だろうな」

 

「彼らが仲間になると言えば、我らの勝ち。さて、また面倒を見る者達が増えてしまいましたな? お父さん方」

 

「ッ」

 

 教会騎士達の命を嘆願した元教会騎士達が彼女達の面倒を見る事が決まっていた。

 

「人の親、か……我らにはとことん向いていなさそうだ。だが、やってみせるさ。まだ、命と未来が繋がるのならば……我らの同胞と共に……」

 

「なぁに……子供の記憶というのは案外薄れるものですじゃ。今は我儘な子供くらいに思ってどっしりと彼らに愛を注いでやると良い。もう体も心もカワイイ乙女ですからな。くくくく♪」

 

 こうして百人近い協会騎士達は一人残らず無力な幼女にされて実は背中にリケイが刻んだイエアドの刻印も貰いつつ、野営地で養育される事になったのだった。

 

 彼女達が究極的に野営地の教育者達を困らせる事になるのは確定的に明らかであったが、蜘蛛の一族達の手もあり、少なからず面倒は見られる。

 

 後には彼らだったモノの一部。

 

 大量の垢だけが地面に残っているのみであったが、それすらもすぐに纏めて焼かれ、後には少し焼け焦げた場所が残ったのだった。

 

 *

 

「ああ、しゅよ!! わたくちたちのくきょーをどうかおすくいくらしゃい」

 

『くらさい!!』

 

 野営地に教会系幼女派もとい元教会騎士派という派閥みたいなものが出来た事で事態は急変していると言っていい。

 

 多くの野営地の者達が大の男をカワイイ幼女に変えて、完全無欠に無力化する呪紋とやらの威力に慄き。

 

 それはそれとして野営地の女性陣が孤児院の創設をウートに願い出たのはまず間違いない初手であった。

 

「けむりくしゃい!? おぇぇ……」

 

「ひぎぃぃぃぃ!? くもぉ!? やぁ!?」

 

「わりぇはおとこおとこおとこおとこおとこ」

 

「おれはおとこだぞ!? や、やめろぉ!? おんなにからだをふかれるなんて!? く、くつじょく!?」

 

 教会系幼女達のお世話で人も蜘蛛もてんてこ舞いである。

 

 野営地の人間と蜘蛛は別に慣れた防蟲用の燻した木材で組んだ建物の臭いはもはや幼女達には犯罪的な悪臭である。

 

 巨大な人程もありそうな蜘蛛や蜘蛛の人型の人外達がウヨウヨしている為、彼らはいつ食べられてしまうのかと幼くなった心と体で((((;゜Д゜))))ガクブルするしかなかった。

 

「もぉやらぁ~~」

 

「あきらめるな。どうほーよ!!」

 

 精一杯の反抗として神に祈ってみたり、数時間程ごはんを食べないストライキをしてみたりするが、如何せん……全ての能力が幼女である彼らにまともな抵抗は不可能であった。

 

「だいじょうぶだ。かみがみすてようとわたしはみすてぬ」

 

 幼女達の世話は現在、野営地全員で見るという形になっていたが、基本的には女性陣がやっており、住む場所に関しては留守にしている教会騎士達が共同で済む住居群を使うという事になっていた。

 

「ここがおうち……じゃなかった。おれのうちだと!? ばかにしゅるにゃ!!」

 

「そうだそうだー。こんなけむりくさいのはやーなのー!!」

 

 親身な家での世話は子供好きらしいスピィリア達が請け負ってくれており、4歳にして反抗期な彼らにあっちこっち引っ張り回されながら、数匹で食事、お風呂、遊び、就寝、ついでに監視までしてくれるというのがかなり大きかった。

 

「(>_<)/」

 

「あ、あそぼうだと!? た、たのしそ、いやいや!? これはばけもののわな!?」

 

「わーい。ぼうたおしー♪」

 

「は!? おまえ、だまされているぞ!?」

 

「ッ―――あ、あぶないところだった。こころからよーじょにされるところだったじぇ」

 

 昼間は普通の人間の大人達も混ざって世話をするが、居住区画では蜘蛛達の世話が主であり、アワアワと蜘蛛達も忙しく子育てしている。

 

「スピィリア達には感謝してもし切れませんね。私達……」

 

「というか、大の男の人を女の子にしちゃうとか。一体、誰が考えたの? 確かに命を取らずに面倒見て問題はあんまり出なさそうだけど……」

 

「(≧▽≦)/」

 

 まったくお二人の言う通りですよ。

 

 と言いたげにルーエルがウンウンとフィーゼとレザリアに頷く。

 

 野営地が子供の声に溢れた事で更に賑やかになった野営地は流刑地というのが嘘のように活気が溢れていた。

 

 整備された街道を商隊の蜘蛛や人間達が行き交い。

 

 道具と爆華を周辺領域の資源と引き換えて移動するだけで疑似的に商売をしているような雰囲気が出ている。

 

『あれが例の教会騎士達か。ああなっちゃ、さすがに形無しだな』

 

『ちげぇねぇちげぇねぇ。これ鉱石だから鍛冶場にな』

 

『うっす。でも、あの人らも大変だな。これから自分達を裏切り者とか言ってる元同僚の幼女の父親になるんだぜ?』

 

『字面だけでもすげーとこだよな。此処ホントに……』

 

『間違いねぇ。オレらも悪い事をしたら幼女にされちまうかもな。がはははは!!』

 

『笑えねぇなぁ……』

 

『ね、ねぇ、よな?』

 

『『『『……無いと信じたい(´・ω・`)』』』』

 

 この地において貨幣は無いが、働いた者には定期的に紙の代りに樹木の皮で出来た木簡に炭を溶いたインクで仕事量が記録され、働きに応じて当人が望む物を交換するという疑似的なポイント制度のようなものが採用された。

 

 これにより、蜘蛛達は疲れたら余暇を取って、好きな事をして遊ぶなり、仲間達とまったり過ごすなり、自分の好きな仕事の個人的な技能を上げるのに時間を使ったりと各々が自由に過ごしている。

 

 しかし、そんな状況に応じるかのように教会側も上陸後の野営地を次の段階へと進めつつあった。

 

―――バラジモール上陸地点野営地第一宿舎。

 

「諸君。悪い知らせだ」

 

 その場に集まっていたのは神聖騎士達だった。

 

 呪紋を用いて現地の木材で簡素に立てた野営地の屯所の奥。

 

 中規模の協会程はありそうな裏手の執務室には円卓が置かれている。

 

 その手前で簡素な椅子に腰掛け、テーブルの書類を片付けているサヴァンは集まった者達に視線を向けた。

 

「で、どうしたんだ? 先生」

 

【震える聖槍フォルク】

 

 無貌のサヴァンをそう呼ぶ青年が首を傾げた。

 

「またルクサエルか?」

 

「然り。それ以外には考えられない。少なからず上陸してから彼女以外の行動はほぼ予定通りだった」

 

【鉄公爵ウラス】と【蒼褪めたエルタ】。

 

 2人の神聖騎士も少なからず同じ感想を持ったようだった。

 

「そう言えば、野営地の防備が薄いように思いますが、兵は何処に?」

 

 そのエルタの声にサヴァンが息を吐く。

 

「ルクサエル。彼女が持って行きました。南部に続く山脈に坑道を見付けたからと……そして、彼女へ監視に付けていた者達からの報告です」

 

 サヴァンが羽ペンを止める。

 

「坑道から大規模な土煙を確認。坑道がどうやら崩壊したようだ、と」

 

「「「―――」」」

 

「百人近い人員が失われました。また、ルクサエルがまともに情報を寄越す前に連絡が途絶えた為、ニアステラの情報は無し。それを確認した手練れに内部を探索させたところ……解毒困難と思われる毒が撒かれた領域が崩れた坑道内部の最奥に存在しており、掘るのは困難だろうと……」

 

「先生。アンタ、今まで何してたんだ?」

 

 そうフォルクが白い目で見やる。

 

「そう言わないで欲しいですね。生憎とじゃじゃ馬とは相性が良くない。よく知っているでしょう。貴方は……」

 

「それで? その失態を、2人目の神聖騎士の喪失を受け入れろと?」

 

 エルタが腕組みをしてサヴァンを見やる。

 

「野営地側にまさかルクサエルまで倒す戦力があるとは思っていなかったというのが実際のところです。少なからず、彼女はリケイのような相手にならば、ほぼ詰みの状態で倒す事が出来る」

 

「あいつの呪紋を突破するヤツがいるのか。その上、リケイって言えば……盗られているのは確実だな」

 

 フォルクが面倒そうな顔となる。

 

「ええ、でしょうね。つまり……我らはより苦しい立場に為っている。東部で本隊を受け入れる準備をしている最中に起きた不慮の事故……としては大き過ぎる」

 

 サヴァンが苦々しい内心は表に出さず。

 

 溜息を一つ。

 

「どうする?」

 

 そこでようやくウラスがサヴァンを正面から見やる。

 

「今後、ニアステラへの捜索は中止。道は見つけ次第、厳重に封鎖。また、各地の探索は此処より南は一旦停止。北部に限っては2人以上の神聖騎士が共同で行う以外は禁止。残る1隊は広い支配領域を回遊し、各地の遊撃に付く。これが今は最善かと思います」

 

「良い手とは言えないのは解っているが、敢てだな?」

 

「これ以上、人材を失うのはごめんですね。我々はあくまで先遣隊でしかない事を忘れてはいけない」

 

 サヴァンが肩を竦める。

 

「その間にニアステラ側が勢力を拡大すれば?」

 

「どうやって? 一応、海側からニアステラ方面へと調査船を向かわせましたが、人材を積んでいなくて良かったというのが解っただけで、他は何も情報が無い」

 

「報告書は読みました」

 

 エルタが肩を竦める。

 

「この海域は島の周囲の各地域の移動を妨げるような海流が存在し、小舟では渦に石を投げ入れるようなもの。かと言って、遠征用に持たされた飛行型の操獣は山脈を超えられず、迂回するには距離が長過ぎる」

 

「使い捨てにしても届かないと?」

 

「この領域の広さは外部から観測していた島とは比べ物にならない。凡そ東部海岸線沿いだけでも40里以上の広さがあり、其処からニアステラまだ更に230里以上とくれば……」

 

 男達がサヴァンの前で押し黙る。

 

「時には耐える事も必要でしょう。明日勝利出来るとは限らないが、今我らに風が向いていないのは確かだ」

 

 そうして紅の大司教は決定を下す。

 

「これに異議が無ければ、今の方針を野営地全体のものとして発布します。よろしいか? 各々方」

 

 異を唱える者は無かった。

 

 ただ。

 

「奴らの弔いは?」

 

「何れ……何れですよ。我らの後方から遥か船団が来た時、我らが解き放たれた時、その時こそ……向かいましょう」

 

「先日の地震に彼女が言っていた南西部中央地帯の霧に呑まれた城。やるべき事は積み上がるばかりか……」

 

 エルタが目を細める。

 

「評価試験もロクにしないうちから教会秘跡部門のお偉方が造った呪紋の精粋とやらが呆気なく連中に敗れた事の方を気にした方がいい」

 

 ウラスの言葉にエルタを視線を向ける。

 

「我らも時代遅れになりつつあるかと思えば、そうでもない。というのも困った話だ……」

 

 そう肩を竦めて皮肉げに嗤うエルタはその場に背を向けるのだった。

 

 その日、教会勢力は勢力の拡大を一端南部へは停止し、本格的に北部への道を模索し始める事になった。

 

 それは一つの転換点であり、少年の勝利であった事をまだ誰も知らない。



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第32話「滅び切れぬグリモッドⅨ」

 

 ニアステラに幼女達が増えて数日後。

 

 遠征隊は一端の野営地と支配領域の拡大が一段落し、第二次入植用の装備や知見、必要な資材が溜まるまでは再び本来の任に戻る事となっていた。

 

 フレイが人化し、新しい紅蓮の蜘蛛ルーエルが加わった遠征隊はドラコ―ニア達を3人連れて人数を増し、再びグリモッドの地へと脚を運んでいる。

 

「一旦小休憩ですね」

 

「ああ、レザリア!! 哨戒は終了だ」

 

『あ、は~い』

 

 亡霊達は何れスピィリアとして生まれ変わり、ニアステラやフェクラールの住人になる事が決まっていた為、出来る限り戦闘を避けての探索である。

 

 反歌の砦から出た一向は少年が先日事前偵察していた通り、基本的には平たい土地を進む事となっていた。

 

 起伏のある地形もあるが、見晴らしの良い場所が多く。

 

 亡霊達は基本的に薄暗い地域や山林を好む事から中央部に向かう道では殆ど見掛ける事なく。

 

 出会っても数名の普通の亡霊ばかりだった為、彼らの道中は順調であった。

 

「沼地。色々有りそう」

 

 先頭を征くのは少年であり、最後尾を歩くのはフレイだった。

 

 実質的にこの2人が隊の先鋒と殿を務める為、遠征隊の戦いはもはや楽を通り越して気が抜けそうな程に陽気溢れる南西部での遠足に近い。

 

「案外……ある」

 

 少年は休憩中も先行。

 

 いつものジグザグ走りをしながら、両手を高速で動かし、大量の沼地での薬草や根、泥、華、樹木の若芽など何でも採取し、一部を口に入れていた。

 

「ウチの隊長は本当に拾い食いの玄人だな」

 

 ガシンが呆れている視線の先では小休止している彼らを横にまるで全ての領域を踏破するべきと言いたげに中背で前傾姿勢の背中が行ったり来たりしている。

 

 その背後の袋はパンパンに膨れており、モシャりながら採取する姿は明らかに変人であった。

 

「アルティエ。ごはんは何でも食べるから……」

 

「う~ん。でも、ああして薬草の効能を確かめているようですし……」

 

「今は人が食べられないモノも食べられるんだって。これも遠征隊のお仕事って事じゃないかな」

 

 レザリアとフィーゼが何とか苦しい擁護を展開する。

 

「あ、何か見付けたみたい」

 

 少年が沼地の中程から戻って来る。

 

 その脚は泥だらけかと思いきや。

 

 黒く染まっていて、泥には漬かっていない。

 

「遺跡見付けた。かなり大きい」

 

「お? 出番か?」

 

 ガシンが腰を上げる。

 

「西部で見付けた教会なんかよりもずっと大きい。たぶん、沼地一帯の下にある」

 

「(≧▽≦)/」

 

「愚妹と共にお役に立ちたく思います!!」

 

 蜘蛛の兄と妹のような関係となっているフレイとルーエルが大荷物のカバンを抱えて立ち上がる。

 

「「「(・ω・)」」」

 

 一緒に休んでいたドラコ―ニア達が少年から採取した荷物の袋を受け取った。

 

「じゃ、みんなで安全にね?」

 

「ええ、油断せずに行きましょう」

 

 すっかり遠征隊器質になったレザリアとフィーゼも立ち上がる。

 

 少年は頷いて、沼地の中央に見付けた岩傍の階段へと彼らを誘う。

 

 沼地には水気があるにも関わらず。

 

 石製の階段は何処も濡れておらず。

 

 自然石を組み合わせただけにして苔にも塗れていない。

 

 数人は余裕で潜れそうな階段の其処には鉄製の門。

 

 それを開くと内部には暗闇が広がっていた。

 

「夜目が効くフレイは殿。ランタンはドラコ―ニア達で掲げて」

 

 少年はそう言って、そのまま進み始めた。

 

 扉の奥の通路は地下へと続く広間の大きな階段に繋がっており、全員がその下へと潜っていくのだった。

 

 *

 

「そっち行った」

 

「うっひゃぁ!?」

 

「ひゅい?!! ひぃいぃぃぃ!!?」

 

 沼地の巨大な地下へと入って数分後。

 

 レザリアとフィーゼは涙目になっていた。

 

 理由は単純だ。

 

 敵が嫌過ぎる。

 

 明らかに1mはありそうなゴキブリが大量にワシャワシャと蠢いている大部屋にブチ当たっていた。

 

 少年が入る前にウィシダの炎瓶で内部を蒸し焼きにしたのだが、それでは不十分だったのか。

 

 彼らが厚く焦げた内部に踏み入ると。

 

 まだ数匹が生きていた様子で次々に狂乱して部屋を乱舞し、ドラコ―ニア達が掲げたランタンに突撃してくるのをフィーゼの持っている浮遊する大剣が切り払い。

 

 レザリアの盾が弾き飛ばして、猛烈に嫌な音が周囲に響き。

 

 女性陣の背筋を凍らせている。

 

「も、戻りたい~~ぅ~~~。アルティエ~~~」

 

「が、我慢です。レザリアさん。わ、私達は遠征隊なのですから!!?」

 

 言っている事は正反対だが、一緒に後ろへ帰りたそうな2人であった。

 

「お前らなぁ。単なる蟲だ。しかも、焼けてこんがりだ。問題ねぇだろ?」

 

 呆れたガシンである。

 

 周囲に散らばる焼きゴキブリ達はシュウシュウと音を上げて、中までカリカリ。

 

 数匹が仲間達の壁で辛うじて生きていたに過ぎない。

 

「……ッ」

 

 しかし、少年が通り過ぎようとして、咄嗟にハンドサインで全員を部屋の後ろへと下がらせ、思わず無言になる彼らを前にして跳躍し、黒跳斬が数発。

 

 先程死んだゴキブリ達へと放たれた。

 

 そして、ソレが内部に浸透した途端。

 

 ドパッと内部から白い紐状のものが大量に溢れ出し、すぐに少年が炎瓶で内部から何かが出て来たゴキブリ達を再度焼き払う。

 

「ひぇ!!? アレ何!??」

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょっとアレはさすがにぃぃぃ!!?」

 

 涙目な女性陣はガクブルしながら思わず半歩と言わず4歩くらいは後ろに下がった。

 

「(≧▽≦)?」

 

 ルーエルがコンガリ二度焼きされたゴキブリ達を見やってから、繁々と周囲を確認し、カパッと口を開いた。

 

 ゴバッとそこから黄金の光線が放たれ、部屋内部の全てのゴキブリを完全に粉になるまで焼き潰す。

 

 すると、周囲には何とも言えない熱気が籠った。

 

「イゼクスの息吹? ルーエルも使えるの?」

 

「(≧▽≦)/」

 

 レザリアの言葉に使えますと手を上げる紅蓮の蜘蛛は大きく頷いた。

 

「あ、ありがとね。ボク達が渡れるようにしてくれて」

 

「そ、そうですね。本当にルーエルさん気配り出来る子で助かります。それに比べてウチの男達は……」

 

 ジト目の女性陣が少年とガシンを見やる。

 

「……たぶん、寄生虫。ただし、こっちには効かない。全員真菌による被膜使ってるから。探索続行」

 

「何か今オレ達が知らない事がサラッと説明された気もするが、まぁいいか」

 

 ガシンが肩を竦めて歩き出し、ジト目な女性陣と共に彼ら一行はイソイソとより深くへと潜っていく。

 

 すると、大部屋の先の階段の先には三方向に続く通路が見えていた。

 

 綺麗に前と左右に続く道であるが、少年が脚から伸ばした黒い真菌の根が猛烈な速度で増殖しながら進んで行き。

 

 内部を脳裏でマッピングしていく。

 

「……罠を複数発見。飛び出す矢に……串刺しの落とし穴。迫る壁に炎を吐く壁。全部、呪紋みたい」

 

 言っている合間にも真菌が罠のある地点の内部へと浸透しながら、呪紋の掘られた部分へと侵食し、ガリガリと象形を石から削って呪紋を機能不全に追い込む。

 

「なぁ、本当にその黒いの便利だな」

 

 ガシンが少年の足元から伸びる黒い真菌の根を見やる。

 

「不便な事の方が多い。でも、これで限りなく死に難くなる」

 

「で、罠は?」

 

「今、潰した。作動させてみてもウンともスンとも言わない」

 

「ははは、お前一人でこの遺跡踏破出来そうだな」

 

「恐らく無理。今広げてる根の先に幾つか仕掛けがある。一人が入らないと動かない移動用の仕組みとかある」

 

「で? それを今どうしてる?」

 

「解体中。呪紋を削って、動かすのを今この根でやってる」

 

「はいはい(´・ω・`)」

 

 ガシンが本当にこいつ一人でいいんじゃねぇかなという顔になった。

 

 少年の足元から伸びた真菌の根が次々に伸びながら罠を潰し、呪紋を削り、様々な仕掛けを内部まで侵食して動かし―――。

 

 ゴウンと通路の奥から音がする。

 

「罠は消えたか?」

 

「今、仕掛けを破壊して動かしておいた。真っすぐ行った通路の先に橋が出来て、大きな断崖の先に行けるようになった」

 

「仕掛けねぇ」

 

 全員が歩き出した少年の後ろを付いて行く。

 

「かなり悪辣。仲間を2人入れた部屋を圧し潰すと開く仕組み」

 

「どうなってんだよ。この遺跡……」

 

 石製の通路に石製の壁。

 

 その壁の文様は西部の見えない塔やノクロシアの建造物と同じものだった。

 

「たぶん、お墓」

 

「墓?」

 

「ただし、高位の人のものじゃない」

 

「どうして分かる?」

 

 少年がゴキブリの脚をヒラヒラさせる。

 

「墓守を蟲にやらせてる。本当に高位の人間なら、同じ人が一緒に葬られてるはず。ついでに亡霊や呪霊が一緒に埋葬されて大量にいてもおかしくない」

 

「そういう事か……」

 

 ボッと蟲の脚が燃やされて消し炭になって落ちる。

 

「でも、それにては大き過ぎるし、仕掛けも凝ってる」

 

「それは分かるな。今の罠の豊富さを聞く限り……」

 

「もしかしたら、共同墓地かもしれない」

 

「共同墓地?」

 

「そう、沢山の人を眠らせておく為の……」

 

 言っている間にも遺跡内部の大きな橋を渡り、断崖を超えた先の通路に重そうな鉄製の扉があった。

 

 少年が全員に少し下がるように言って、持ち上げる方式の扉を開く。

 

「(おい。どうなってんだ?)」

 

 ガシンがヒソヒソと後ろから訊ねた。

 

「………そういう」

 

「?」

 

 少年が唇の前で静かにするようジェスチャーしてから一人ずつレザリア、フィーゼ、ガシンを呼んで後ろに戻してを繰り返す。

 

「「「―――」」」

 

 そうして、彼らは扉の後ろへと戻って来ると思わず口元を覆って殺していた息を吐いていた。

 

 少年が戻って来ると鉄の扉のあった場所を黒い真菌の膜で覆って封鎖し、背後の通路も同じようにして通路を簡易の休憩所のように構築する。

 

「あ、あれ……あんな広さ……一体……本当に一体どれだけの人が……」

 

 フィーゼが呆然としつつも、先程見た光景を思い出す。

 

 あまりにも広い世界だった。

 

 地下の天井はあれど……地下の奥底が見通せない程にも見える広大な領域。

 

 頭上に広がるのは光る苔がちらほらと星空のように瞬き。

 

 同時に1kmでは足りないだろう何処までも続いていそうな数百mはあるだろう深さの世界の其処には青白い光を発する亡霊達が犇めていた。

 

 いや、あれはもはやギュウギュウに詰められたと言うべきか。

 

 上半身だけがまるでボウフラのように見える彷徨う事すら出来ずに棒立ちで蠢く亡霊達は床を本当に1mmも見せる事なく敷き詰められて遥か遠方までその墓というよりはゴミ捨て場に近いかもしれないソレが永遠にも思える程に広がっていた。

 

「何万……いや、そんな数じゃねぇな。何百万か?」

 

 ガシンが深く息を吐く。

 

「ね、ねぇ。アルティエ……お墓、何だよね?」

 

「そう。でも、これで分かった。此処はたぶんお墓で隔離施設」

 

「隔離?」

 

 蒼い顔のフィーゼが訊ねる。

 

「亡霊化しそうな人間をたぶん投げ込み続けてた。死体も亡霊そのものすら……扉の前の断崖から伸ばした根で測ったら深い渓谷くらいの高さがある。でも、それでも見える程に遠方の地点に山があった」

 

「あ、あったね。そう言えば、光る山……あれって亡者の……」

 

「この広い地下にあんな山を作る理由はない。山になるとしたら……」

 

「死体の山……って事?」

 

 レザリアに頷きが返される。

 

「生まれた子供が亡者や亡霊になるなら、産まれてすぐにダメそうなら捨ててた可能性も高い。生まれ変わりを捨て続けてたなら、いつか亡霊以外いなくなる」

 

「「「………」」」

 

 三人の間に重い空気が流れた。

 

「で、どうすんだ? さすがのオレもあの量を吸収し続けられるもんなのかどうか。そもそも吸収して大丈夫なのかすら分からんのだが。蜘蛛脚もあんな量じゃ、スピィリアにし切れないだろ」

 

「戻る?」

 

 その不安そうなレザリアの声に少年が首を横に振る。

 

「グリモッドの謎も解かないとならない。亡霊の数も減らさないとならない。そもそも、ずっとあの状態の亡霊の放置は危険過ぎる」

 

「じゃ、どうすんだ?」

 

 少年がチラリとガシンを見やる。

 

「……策が無いわけじゃない。でも、危険……それでもやる?」

 

「そうしなけりゃならない一番の理由は?」

 

「たぶん、この状況で呪霊化してない、亡霊止まりなのには理由があるはず。もしかしたら、何かしらの呪紋や呪具があるかもしれない」

 

「本当ならさっさと回れ右して帰りたいとこだが」

 

「……」

 

「ま、あの何処を彷徨ってるのかすら分からずにいる連中をそのままにしておくのもアレだろ。いいぜ? 乗ってやる」

 

 少年が頷いてガシンに話し始めた。

 

 どうすればいいのかを。

 

―――10分後。

 

「解った。オレはお前を信じて、心を強く持って、ついでにどんな事があっても自分を見失わず、耐え続けりゃいいわけだな?」

 

「それだけでいい。他は全てこっちがやる……」

 

「了解。行くぜ? 相棒」

 

「それはレザリア」

 

「ははは、そのウチな。そのウチそう呼ばせてやる」

 

 ガシンが獰猛に笑いながら粘膜の外に出る。

 

 そして、ドカリと巨大な領域の壁の上。

 

 断崖の前で胡坐を掻く。

 

 女性陣はいつでも動けるように臨戦態勢で洞窟内に待機。

 

 ドラコ―ニア達はガシンの背後にいる少年を警護。

 

 そして、ガシンの左右はフレイとルーエルが固めた。

 

「2人はダメだった場合に退路確保」

 

「「了解」」

 

「エルミは近付いて来れるような敵がいた場合に撃ち落として欲しい」

 

『はいはい。主使いの荒い騎士の頼みに頷くわたくしって律儀で儚くて献身的ですわね。本当に……』

 

「ファルターレの貴霊」

 

 フワリとエルミが少年の背後から崖の天井へと昇っていく。

 

「フレイとルーエルは周辺に近付くものは全部薙ぎ払うように」

 

「「(`・ω・´)ゞ」」

 

「作戦を開始する。準備は?」

 

「いいとも。やるぜ? 何せオレが遠征隊の隊長になる日も近いなこりゃ」

 

 そうニッと笑う青年に頷いて上半身の鎧と服を脱いだ。

 

 少年は一つの呪紋を両肩に付いた両手から発する。

 

「呪霊属性加護呪紋【飽殖神の礼賛】」

 

 呪紋が発動した瞬間。

 

「ッ」

 

 グチャァッとガシンの両肩の内部から腕が粘液を垂らしながら現れ、ソレが猛烈な勢いで伸び上がると崖を降りていくようにして系統樹のように増えながら崖そのものを覆い尽していく。

 

 亡霊達が気付いた時にはその腕と腕が繋がった網目状のソレが大量に地面から津波のように押し寄せ、触れる霊達を吸収しながら猛烈な勢いで亡霊の絨毯を消し去り始めた。

 

 その光景にすぐに反応した亡霊達が次々に何も考えず。

 

 ただただ突撃を開始し、腕に吸収されていく。

 

 だが、あまりの量に吸収が追い付いていないのか。

 

 その腕の波対亡霊の波は拮抗しているようであった。

 

「ぐ、う、ぅぐが、ぎ、ぃぎ!?!」

 

 目を閉じて必死に耐えるガシンの体から紅の霊力がまるで爆発するかのように溢れていく。

 

 過剰な霊力の供給で自我そのものを形成する魂の情報。

 

 つまり、存在の情報そのものが希釈され始めていた。

 

 しかし、それでも何とか耐えながら、両腕から流れ込んで来る大自然の大河の如き霊力の流れを青年は歯を食い縛って耐える。

 

「……一時、集束……フレイ、ルーエル」

 

 少年の言葉と同時に広がり続けていた腕が今度は今までとは逆に収縮し始めた。

 

 自らを折り畳むかのように引いて行く腕の波に対して亡霊達が一斉に雪崩れ込もうとしていたが、崖の上から黄金の光が広角で2本。

 

 扇形の照射で腕に群がろうとしていた群れを焼き尽くしていく。

 

「ガシン。ガシン・タラテント」

 

「ぅ……オレは、ガ・シン、だ、ぜ?」

 

 脂汗を浮かべながら青年がニヤリと笑う。

 

「後20秒休める。その後もう一回津波を受けて貰う。今度は凡そ12万」

 

「く、くく、今まで1日でやってたのの何倍だよ。クソ……やってやらぁッ」

 

 脂汗を浮かべながら、緋色の霊力を今も溢れ出させた青年。

 

 その色に引かれてか。

 

 後方の巨大な群れが動き出していた。

 

 青年は自分の名前を内心で呟きながらガチリと歯を噛み締めて、少年の両手を背中に感じながら、再び活性化した腕の津波が猛烈な勢いで亡霊の波とぶつかった瞬間。

 

 プツリと意識を落したのだった。

 

 *

 

 ガシン・タラテントは奴隷の産まれでは無かった。

 

 何なら東部でも裕福な方の産まれだったかもしれない。

 

 一族が拳を用いる拳術の流派の傍流。

 

 一軒家に道場があれば、口が裂けても貧しいとは言えまい。

 

 だが、その幼い日々はとある日を以て終わりを告げる事になる。

 

『流派道場は本日を以て取り潰す。沙汰を待て』

 

 父親が貧しい者を庇って、城代と呼ばれる東部の上流階級。

 

 その子弟を拳によって打ち倒し、これに対する報復で道場は御取潰し。

 

 結果、無一文になった母は娼婦として働き。

 

 父は斬首されて死亡。

 

 だが、娼婦として働いた母すらも死ねば、待っているのは奴隷として売られるという道しかなく。

 

 自然と彼が拳で食べる為に奴隷拳闘の道を歩んだのは必然だった。

 

 生活が安定するまで2年以上。

 

 当時、まだ13にも満たなかった少年は奴隷拳闘の興行主に飼われ、他の奴隷拳闘に希望を見た子供と共に各地で転戦した。

 

 やがて、勝てる少年は評判となり、興行主の子飼いとして、一般人と左程変わらぬ生活をする程にまで成長する事となる。

 

 だが、それはそれなりの年月の後、あっと言う間に消え去った。

 

 興行主が変わって、自らの主が変わって、売り買いされ続けた青年が最後に辿り着いた場所は東部でも最大の興行を行う商会。

 

 その男は傲慢で不遜。

 

 そして、下種だったのである。

 

 そうして買われて数週間後。

 

 自分の奴隷が立て付くものとも思っていなかった男は一人の少女を手籠めにしようとして襲い掛かり、あっさりと青年の拳で完全にソコを潰されて半死半生。

 

 青年がシレッと事実を暴露したせいで東部の司法は彼を単なる斬首にするには困った様子で国民の手前、穏便に消える事を望んだ。

 

「………親父。母さん……」

 

 青年は真っすぐに自分の過去を見つめる。

 

「ま、死んだら仕方ねぇ。その時は誰も恨まず。だったな」

 

 ガシンは思うのだ。

 

 例え、どんな過去も今に続いている。

 

 父は言っていた。

 

 何も本当の事など無い。

 

 だが、同時に嘘も無い。

 

 拳に込めたモノだけが自分を物語る。

 

 母は言っていた。

 

 何も恨む必要は無い。

 

 いつも助けてくれてありがとう。

 

 でも、誇りと自由を忘れずにね。

 

「―――人を殴って殺して褒められて、流刑にされても治らない」

 

 まったく、と。

 

 彼は思う。

 

「オレもあいつらの間で普通ですって顔してるが、大概だな」

 

 ニッと唇の端を……曲げた。

 

―――17分後。

 

「ッ」

 

 青年が正気を取り戻した時、その猛烈な霊力の濁流は今も彼の中に流れ込み続けていた。

 

 だが、目覚めた彼は今までよりもハッキリと自分というのを意識出来るようになっていた。

 

 今まで霊力というのがよく分かっていなかった彼は呪紋も祈りや詠唱をする事なんて無かった。

 

 だが、少しだけ分かった気がするのだ。

 

 霊力とは霊体。

 

 つまり、自分の刻み付けて来た人生。

 

 それが他人に食われて、嬉しいヤツはいない。

 

 だから、呪紋は戦う度に彼に流し込む霊力の多くから記憶を、他者への憎悪を、終わりの断末魔を消し去るが、そうではない……そうではないのだ。

 

 本質は誰かと自分。

 

 その区切りの曖昧さ。

 

 精神の消耗よりも精神の混濁を失くす為の安全装置が呪紋にはある。

 

 それは明確な区別だ。

 

 見送る者と見送られる者が同じではイケナイ。

 

 その差を呪紋は彼に教えてくれた。

 

「お前らは終わる事も出来ずにいる。この遠征隊のオレが見送ってやる。ほら、来いよ!! ただし、オレのは―――痛いぜ?」

 

「!?」

 

 少年が数分ぶりに喋った青年がまともに過ぎる声を発したのに驚き。

 

 同時に拮抗していた物量と腕の波濤。

 

 その均衡が崩れたのを知る。

 

 少年が呪紋を施し、制御して無限に腕を増やして相手を消し去る領域を広げるという作戦はこの物量に対して明確に最も効率が高い駆逐方法だった。

 

「―――ッ」

 

 しかし、青年の瞳の決意が燃え上がる。

 

 緋色の今まで腕の中に通っていた、ずっと霊力を吸収し、流し続ける事しかしていなかった巨大な腕の群れがまるで鳥肌が立った時の毛のように腕の河の内部から次々に拳を伸ばして、霊達を殴り飛ばして消し去っていく。

 

 緋色の腕が物理的な腕の河から無尽に飛び出し、得物を喰らう猟犬のように亡霊の大河を侵食していく。

 

 それに比例して溢れ出す緋色の霊力が今まで霧散していたのが嘘のようにズムズム一回り、二回り、いや……無限にも思えて纏まって肥大化していく。

 

「主様。敵主力らしき者達を確認。飛行する上に素早く。同時にこちらの補足を避けるような動きをしていて、手には長槍です」

 

「此処の番人……優先的に撃ち落とす」

 

「了解致しました。いくぞ!! 愚妹!!」

 

「(≧▽≦)/」

 

 まるで羽虫の大群。

 

 ガシンの腕に掛からない上空を飛んで来るのは軽装の騎士鎧姿に甲虫のような翅を持つ人外の人型だった。

 

 顔は兜に隠れて見えない。

 

 しかし、その片手に持つ槍と盾は明らかに今までの亡霊とは違い。

 

 明確に一点―――ガシンに狙いを定めていた。

 

「遅い!!」

 

「\(≧◇≦)/」

 

 口を開いた兄と妹が同時に光線を放ち。

 

 まだ相当の距離があるはずの空間を薙ぎ払う。

 

 そのイゼクスの息吹によって焼き尽くされた空間を高速で突っ切って来るのは仲間を盾にした個体達だ。

 

 照射され続ける攻撃を次々に味方の盾を用いて突破した彼らが射程30mを切った時。

 

 猛烈な弓の速射がその漸減された空飛ぶ蟲の騎士の首を貫いていく。

 

 しかし、更に背後から弓持ちらしき者達が前衛の者達がやられている壁を利用して曲射を開始し、次々にガシンのいる崖そのものを破壊し始めた。

 

 爆砕する弓矢によって岩壁が周辺で次々に崩落し、足場こそ崩されなかったものの、岩の数々が少年達目掛けて落ちていく。

 

 それを内部から飛び出したレザリアとフィーゼが対処し。

 

「大丈夫!!」

 

「はい!! ガシンさんはそのまま!!」

 

 片方は精霊による岩そのものの誘導。

 

 片方は盾によって周辺へ弾き散らして流れを変える。

 

「済まねぇ!! もういっちょッ!! オラァアアアアアアアア!!!」

 

 ガシンがあまり長い時間は持たなそうな仲間達の連携を前にして広がり続ける自らの緋色の霊体を更に膨らませた。

 

 地表から遠方へと伸びて敵本隊とも思われる莫大な亡霊が落ちて来る山に腕を伸ばし、緋色の腕を思い切り地面に振り落とした。

 

「うお!?」

 

 自身でも驚く程の威力。

 

 爆砕。

 

 山体の一部がガシンの一撃で崩落し、その内部の青白い亡霊の塊が見える。

 

 無数の屍―――否、無数の亡者が今もまだ生きている様子で青白い瞳から零れる光をギョロリと侵入者へ向けていた。

 

「い、生きてるのかよ!? ずっと此処に―――ならッ!!」

 

 ガシンが腕を引くような動作をして、同時にいつもの調子で横ぶりで裏拳気味に殴った

 

 ドッッッガァアアアアア。

 

 そんな音と共に亡者達の山が3分の1程も吹き飛ぶ。

 

 巨大に過ぎる山はもはや亡者の塊であると同時に半分亡霊。

 

 その集合体は緋色の巨大過ぎる腕で吹き飛ぶと青白い輝きを吸収されて失っていく。

 

 だが、その時、遠方の亡者の山の中心から猛烈な赤光が奔った。

 

 途端、無限にも思える亡霊の群れが一時的に止まり、同時に胎動しながら、ズルズルと解けていく。

 

 今まで互いの体を歯と爪で繋いでいた者達がその連結を解いた。

 

 その意味はすぐに彼らの目にも分かるようになる。

 

 内部から無数の亡者が細い塔のようにせり上がり、その頂点にガシンと同じく胡坐を掻いて瞑想する擦り切れた一枚布の男が一人。

 

 もはや亡者と同じ肌。

 

 しかし、赤い輝きは男の周囲から滴り落ちる血液らしきものが齎していた。

 

『……?』

 

 開眼した男がギョロリと紅の瞳孔に黒い眼光を彼らに向ける。

 

『よもやよもや。“緋王”の小倅が攻めて来よったかと思えば、まさか外の者達だとは……それに同じ緋霊……その上、為り掛かりか』

 

 頭部には髪の代りにビッシリと呪紋らしきものが9角形の紋章と共に書き込まれており、男の肉体からは輝く液体が今も滴り落ちていた。

 

『我が名はエンシャク。【亡王エンシャク】……貴様らと同じ流刑者だった者だ』

 

 その声は口を動かさずとも数kmという距離にも関わらず。

 

 相手の声がその場の遠征隊の面々の脳裏に流れ込んで来る。

 

『ほう? ほう? ほう? ははははははは!!? 今更か!? 今更なのか!!? そうか、そうか……旧き者達め……いいだろう。貴様らを殺すには十分な理由だ』

 

 何かを確認した男が顔も動かさず。

 

 しかし、立ち上がった。

 

 それだけでドッと男が座っていた亡者の塔が崩れた。

 

『さぁ、征くぞ。耐えてみせよ。でなければ、我が力にて滅さん!!』

 

 虚空に片手を前に出し、拝むような仕草にも見える構えを取って、片脚の先を膝裏に付けながら、彼は少年を見やる。

 

『破壊せよ!! 破戒せよ!! 我らを亡者と堕とした全てを恨み、憎悪し、この世の全てを破界せよ!! 神樹の加護あらば、救世神すら我ら退けん!!』

 

 男の言葉と同時に今まで青白かった亡霊と亡者達の光が男の光と輝きと同期して強まっていく。

 

『行くぞ。小童共!!!』

 

 少年が咄嗟にいつものダガーを黒い大剣へと変貌させ、同時に引き抜いた蜘蛛脚を瞬時にガシンの目の前で切り払う。

 

 その途端、怖ろしい事に猛烈な勢いで投げられた超音速を超える亡者が少年の剣で吹き飛んで腐肉と大差ない血飛沫が肉と共に壁に当たって砕け散る。

 

 少年が虚空に跳ぶ。

 

 同時に剣で次々に真正面に来る亡者を二剣で斬り払った。

 

 虚空で対空。

 

 否、不可糸を周辺の天井と壁に張り巡らせて、巣を維持しているのだ。

 

『賢しらな技を!! それにその剣!! あの化け蜘蛛を堕としたか!! ならば、北部も黙ってはいまい!!』

 

 亡者は男の手で投げられていた。

 

 男の周囲に赤い輝きを零す亡者が次々に浮かんで来てはソレを男が目にも止まらぬ速さで投げ付けて来ているのだ。

 

 同時に再度進行を開始した亡者達が緋色の腕に殴られながらも半分以上崩されながらも、今までよりもずっとしぶとく。

 

 巨大な腕の波に群がり始めている。

 

 騎士達の動きもまた復活し、次々に壁面を崩して、少年達のいる出入り口を破壊しようと攻撃を加速させていた。

 

「フィーゼ!!」

 

「今、準備が出来ました」

 

 少年の言葉に両手が自由な少女はドラコ―ニア達と一緒に荷物から組み立てていたものをすぐに構える。

 

 それは大型の弩だった。

 

 だが、ただの弩ではない。

 

 全てが骨製の弩だ。

 

 竜骨の弩。

 

 それに霊薬を入れた試験管のような水筒が上から封をしたまま逆向きに直結されて、回された途端に封蝋が捩じ切れて弩内部から竜骨が活性化。

 

 弩が猛烈な速度で太っていく。

 

 ゴッゴッゴッと4倍程までも巨大化したソレが浮かんだままにフィーゼに寄って少年より少し上に上向けられ、同時にドラコ―ニア達が持って来た矢が装填される。

 

 その矢は白く細長い竜骨製で錨のような形をしていた。

 

「竜骨弩【灼撃矢】―――ッ」

 

 フィーゼが今まで大量の振って来る岩石を支えていた精霊達をそのままに自分の直掩の武器を振り回していた三体の精霊に其々の役割を与える。

 

 一体は照準して誘導する。

 

 一体は矢を護る。

 

 一体は矢を飛ばす。

 

 その三体の高位の精霊達が魔力を注がれて色を露わにしていく。

 

 水は矢を護り、風は矢を飛ばし、闇は光を見つめる。

 

 精霊達の輝きが周囲を照らした瞬間。

 

『奥の手か!! 我が“世界”が相手をしよう!!』

 

 すぐに異変を察知した相手が周囲の亡霊達を猛烈な勢いで巨大な地下世界を隔てる壁として生成していく。

 

 攻撃は騎士達に任せて、自分は壁の先。

 

 これではどうにもならないというわけだが、フィーゼは構わずに矢を放つ。

 

「撃て。目標は中央部!!」

 

 壁そのものから猛烈な速度で亡霊と亡者の弾が少年達に向けて放たれた。

 

 それが勢いよく迫ってすら来る。

 

 さすがのイゼクスの息吹も周囲を薙ぎ払い続けるだけで精一杯の最中。

 

 少女の頭上で三体の精霊が三つの輪を天使の輪の如く形成する。

 

―――矢が飛んだ。

 

 風の精霊が飛ばす矢は翠色。

 

 ソレは瞬時に秒速1500mを超えて早く。

 

 しかし、闇色の尾を率いて、矢じりは多少の障害物を吹き飛ばしながら青く。

 

 竜骨の矢じりが数km先の壁に着弾した途端。

 

 光が溢れた。

 

 その鳴動する爆圧が猛烈な勢いで巨大な亡者の壁に大穴を開けて吹き飛ばし、その真空へと周囲の亡者と亡霊を引き込んでいく。

 

『?!!』

 

 さすがに驚く相手に続けて二射目が放たれる。

 

 瞬時に大穴を塞いだ亡者達の穴を更に激しい激発する爆発で焼滅させ、吸い取り、穴を拡大する。

 

 一体、一発でどれほどの亡者を葬っているのか。

 

 精霊達は少女の上で精霊達の能力が行使され続け、虚空の弩に次々装填される矢は連射される。

 

『こんな!? こんな戦い方があるのか!? この威力は!? 爆華ですら―――』

 

 その動揺するエンシャクを護る亡者の壁はもはや今まで迫って来ていた程の圧力すら感じられぬほどにペラペラになり始めていた。

 

「1発爆華400本……」

 

『何!?』

 

 少年の呟きに男が反応する。

 

「普通なら、この量の亡者を倒せない。威力があっても数が多過ぎて威力圏内に入る亡者の数は左程でもない。でも、お前は自分を護る為に亡者を使った。護らざるを得ないから。逃げても無駄なのが分かる限り、亡者を凝集して防ぐしかない」

 

『くッ』

 

「フィーゼ」

 

「―――解りました!!」

 

 灼撃矢。

 

 そう呼ばれた小さな砦くらいなら吹き飛ばしてしまえそうな爆発と光を齎すソレが最後の一本を投射した時、少年もまた精霊達の力で無理やりに加速させられて。

 

『小賢しいわ!!?』

 

 矢はともかく。

 

 少年なら虚空で落とせる。

 

 薄くなった壁。

 

 と言っても、数万体では利かない亡者と亡霊の壁から次々にソレそのものが弾体となって少年を襲うように弾幕として降り注ぐ。

 

 だが、それは少年を見縊り過ぎたと言うべきだろう。

 

 少年が“普通の人体”では在り得ない加速度で弾幕そのものを擦り抜ける。

 

 それはもはや人間には超え得ぬ速度。

 

 しかし、超人ならば……肉体を延々と強化し続けて来た少年ならば、ソレは明らかに可能な程度の荒業だった。

 

「ッ」

 

 血の涙と全身の毛細血管の破裂から来る血の散逸する尾を引きながら、猛烈な速度で肉体は銃弾の如き慣性の力を受けても尚進む。

 

 潰れてしまうようなGによって血飛沫になって消えるはずの少年は形を保ったままに矢とほぼ同等の速度―――否、矢よりも更に早く飛ぶ。

 

 理由は単純。

 

 不可糸が亡者の壁にいつの間にか貼り付けられ、ソレが彼の肉体を引っ張っているのだ。

 

『だが、それでは足りんな!! 我が亡者と亡霊達を討ち払えるか!!』

 

「可能」

 

『?!』

 

 中央部分に二振りの斬撃がクロスする。

 

 その威力は少年の加速度と質量と糸で引っ張られた際の力も加えて、ついでのように呪紋の力も最大限まで使われた。

 

 ボッと少年が直撃した地点がまるでX字のような形で壁を割る。

 

 威力のあまりにも吹き飛んだ亡霊と亡者の間隙を、下に落下した少年の頭上を、錨の如き矢が突き抜ける。

 

『ッッッ』

 

 そして、反応する間も無く。

 

 更なる加速で竜骨が赤熱し、秒速4kmを突破した時。

 

 エンシャクを名乗る男の胸元に狙い違わず直撃していた。

 

 内部の超濃度の爆薬は竜骨そのものを再生する為の力でもある。

 

 つまり、竜骨は限界を超えて断熱圧縮に焼き付いて尚、その原型を留める程に内部から再生を続ける。

 

 水の精霊による微細な内部の液化爆薬の制御。

 

 それが今までのように内部に満たされた液体を直撃時に限界まで圧縮した。

 

 光が壁の先に爆圧と同時に弾け。

 

 半径300m圏内を爆圧で全て吹き飛ばす。

 

 こうして光の玉は相手を蒸発させたのだった。

 

(神聖属性祈祷呪紋【見えざる権能】……可能性が認識出来ている限り、必ず行動を遂げる。疑似因果律情報、超高密度情報塊による行動の再現……呪紋の作動原理すら模倣するコレと灼撃矢があれば、アレと戦うにも確度を上げられる……)

 

 今まで操られていた赤光だった亡者達の零す光がサァアッと元の青白いものに戻っていく。

 

 それと同時に壁が崩れた。

 

 しかし、少年は遥かな天井に糸を張り付けて、高速で前進し、爆圧によって完全に吹き飛んだ山のあった場所に滑るように降り立つ。

 

 焼け焦げた地面にはエンシャクだったものが転がっていた。

 

 いや、まだソレではあるかもしれない。

 

 だが、蒸発して尚元に戻ろうと動く肉体。

 

 いや、魂によって物質すらも従えようとする男は少年に骸骨だけとなった姿で血肉も再生し切らぬ内に発見され、カタカタと笑う。

 

『旧き者達の人形か。今更だ……この地に根付いて長いが、多くの流刑者を見て来た。だが、お前は……その誰よりも流刑者らしいな』

 

「………」

 

『くくく、それとも追放でもされたのか? この極獄に……何れ迎えが来るとでも? 馬鹿馬鹿しい……此処は貴様らに取っても変わら―――』

 

 ドスリとその血肉を再生しつつある骸骨に蜘蛛脚が突き立てられた。

 

 途端、エンシャクだったモノが急激に変質し、ビキビキと膨れながら、卵のようになり、最後にはボゴンッと人程の大きさまで肥大化。

 

 その表面に蜘蛛脚や胴体が輪郭を浮かばせ、カリカリと動き出して、クルンッと丸まったエビのような状態から蜘蛛形態に移行した。

 

「(。-`ω-)」

 

 蜘蛛にも表情があると思う少年であるが、その蜘蛛はムスッとした様子に見えた。

 

「こんにちわ」

 

「……(。-`ω-)/」

 

 前脚が差し出されたので少年が握手をする。

 

「一緒に戦ってくれる?」

 

「(-`ω-)」

 

 コクリと頷いた蜘蛛は……スピィリアでも無ければ、ドラコ―ニアにも見えないが、普通の蜘蛛というには聊かムキムキであった。

 

 とにかく甲殻、スタイリッシュ、素早く動けます的な蜘蛛的造形が一般的であるとすれば、その蜘蛛は色合いは黒くて普通なのに甲殻そのものに筋肉が浮き出ており、何処も彼処も深い筋肉の彫りが浮かんでいて、とにかく無骨。

 

 3m程の体躯も相まって完全に異質。

 

 蜘蛛脚の先がまるで人の手のように鉤爪化していたり、背中に般若染みた筋肉の背筋が見えたりと普通には程遠い。

 

 そもそも背筋のようなものが在り得るとすれば、構造的に下に付いているはずなのだが、何を動かす筋肉だと言うのか。

 

 甲殻に浮かぶ筋繊維は人間のようにも見えた。

 

 少年の首元をヒョイと片手の爪で引っ掛け、自分の上に乗せたムキムキ蜘蛛が合流しようと仲間達の元へと跳んだ。

 

「ッッ―――」

 

 その速度のあまりに少年が思わず顔を引き攣らせる。

 

 ドッと数秒後には数kmはあったはずの壁際の岩壁に到着しており、蜘蛛脚が着地した壁そのものがクレーターと化していた。

 

「……これは」

 

 その上、上空で未だに遠征隊を襲っていた空飛ぶ蟲の騎士達がグシャッと数十人以上同時に肉体の何処かを凹ませ、虚空で散逸していく。

 

 それにようやく残存者達が逃げるようにして領域の奥地へと戻っていった。

 

(空気弾? 他の脚を使って空気を弾いて打ち込んだだけでこの威力……)

 

 未だに大量の手の川が張り付いていない部分から器用に壁が昇られていく。

 

 ガンガンと脚の鉤爪を打ち込んでムキムキ蜘蛛が断崖を登り切るまで十数秒。

 

 遠征隊の仲間達の元に戻ると誰もが思った。

 

 ムキムキだ、と。

 

「お、おぅ……」

 

 ガシンも引き攣るムキムキさである。

 

「勝った。名前は後で」

 

「え、え~っと、これからどうすんだ?」

 

「さっき見て来たけど、恐らくこの領域にいる3分の1くらいは爆発とガシンの吸収で消えてると思う。一端、帰って利用するか見当」

 

「解った。つーか、オレの両肩から出たコレ……どうにかしえ、くれ、ん、か?」

 

「ガシン!?」

 

「ガシンさん?!」

 

 ガシンが緊張が切れた途端に呂律が回らずにガクリと項垂れ、慌てたレザリアとフィーゼによって介抱される。

 

 少年がムキムキ蜘蛛から降りてフレイに後を頼み。

 

 ガシンの肩に触れて呪紋を行使する。

 

 途端、今まで広がりまくっていた腕の河が逆向きに引いて来て纏まり、ガシンの肩から侵食した黒い真菌によって覆われていく。

 

 そうして、肩から1m先が分離され、殆どの部分が断崖の下に落ちる。

 

 すると今まで激戦を繰り広げていた亡者達は崖に突入してくるも、次々に黒い塊から広がる真菌の沼地に沈んで藻掻き。

 

 身動きも取れずに消えて行った。

 

「しばらく、此処は封鎖で」

 

 少年がガシンを2人に任せて背後の領域への入り口にダガーでイエアドの印を彫り込んでいく。

 

 地獄の入り口と書いても問題無いだろう場所。

 

 そこに霊殿を置いた少年は全員で野営地へ戻る事になるのだった。



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第33話「滅び切れぬグリモッドⅩ」

 

―――遠征隊帰還1日後、領主の家(仮称)。

 

「はは……今度は地獄を見付けて来たか。我らの遠征隊は……」

 

 もはや頭に手を当てるウートは半信半疑にすらなれぬ自分も随分と野営地の色に染まったなという顔で溜息を吐く。

 

「我が主。ですが、そこの支配者を打ち倒した以上は領域の探索と利用を考えるべき状況です」

 

「それも蜘蛛脚で味方にして連れて来た、と」

 

「はい。あまりにも大量の霊力を吸収したガシン殿はどうやらしばらく動けないだろうとリケイ殿から言伝が。それとエンシャクと名乗った相手ですが、東部出の歴史に詳しい者が伝承を……」

 

「伝承?」

 

「地獄の門番。よく東部では亡者の手の伝承として地獄に征く者を阻む門の守護者を指して、“エンシャクさん”と呼び。悪い事をしたら地獄に連れて行かれると言われていたとか」

 

「……その伝承から相手が名前を取って名乗っていたか」

 

「もしくはソレそのものかですが、恐らく前者ではありません」

 

「そう思う理由は?」

 

「伝承を知っていた者がエンシャクの伝承はそもそもが大昔に地獄から戻って来たと言われる人間が広めたものだと」

 

「戻って来た、か。此処から? ふむ……少しは希望が見えて来たか。まぁ、あくまで此処を放棄する前提ならばだが……」

 

「もしもの時の為に手は色々あるに越した事は無いでしょう。また、あの強力過ぎる灼撃矢ですが……実際に使用されました。が、やはりトンデモナイ威力だったようで……全8本が消費されて、亡霊が百万で足りるか分からぬ程には消えたと」

 

「一発でも野営地の近くには置いておきたくないな……」

 

「はい。ですので、作成はアルティエに一任。保管は野営地が爆破範囲に入らず。同時に開発されていない。被害が出ない場所に保管、という事になりました」

 

「遠征隊が持っているモノ以外はもしもの時の御守りか」

 

「ええ、全てドラコ―ニア達が人気の無い場所に置いて、もしもの時にだけ使うものにしました」

 

「自然に爆発したりはしないのか?」

 

「フィーゼ様によって精霊が宿らされ、爆発しないように防ぐ仕様です。竜骨の神殿の魔力供給範囲ですので自然に爆発もしません」

 

「そうか……あの子もまた強くなったようだ。お前のおかげだな」

 

「いえ、竜骨弩も灼撃矢も元々がアルティエの発案でした。それに弩は一度使用すると大き過ぎて持ち運びに不便な為、解体してこれから増えるスピィリア達の食事用の御守りにする予定です」

 

「竜骨で造る武器の量産は?」

 

「順調にまずは蜘蛛の子達、騎士隊、ドラコ―ニア、守備隊分を。それが終わり次第、商隊分を作成に掛かります。かなり堅いですが、今精霊による鍛冶場での運用技術の革新もあり、各段に生産力は上がっています」

 

「まずは戦う者達の分を予備も含めて備蓄するのが先決だ」

 

「スピィリア達の分も頼まれていて、その後はそちらに回す事になるでしょう」

 

「彼らは普通の攻撃では傷付かないのではなかったか?」

 

「ああ、それは傷付き難いが正解です。亡霊達と同じように剣や槍でも威力さえあれば傷付きますが、自然物は透過するとか」

 

「ふむ。良く分からんのだが?」

 

「簡単に言えば、魔力や霊的な部位を持つ者達や物、生物相手だとその影響によって触れられる為、傷付く。それ以外では大丈夫だそうです」

 

「害意ある相手からの攻撃には防御する必要があるわけか」

 

「はい。単なる自然現象でも魔力、霊的なものが影響していれば、干渉は受ける。基本的には相手が使う形ある武器や呪紋から身を護る必要があり、鉱山で事故に会うというのとは根本的に違います」

 

「鍛冶場はまだまだ大変そうだな。ウリヤノフ」

 

「はい。今は灼撃矢程ではないにしても、爆華の生産で攻撃用の爆発する矢も増産しており、配備も少しずつ進んでいます。教会騎士や化け物が攻めて来た時に対応出来るだけの威力はある。呪紋が無くても何とかなるでしょう。まだ」

 

「まだ、か?」

 

「はい。今回の報告を聞いて、よりそう思うようになりました」

 

「亡霊、人外、蟲、竜、地獄の門番、御伽噺の世界だな。本物が来たら、我らなどイチコロかもしれん……」

 

「そうならぬ為の準備です。我が主」

 

「解っている。解っているとも……だが、あの子の、遠征隊が戦っている島の者達の話を聞けば聞く程に我らに出来る事は少ないと思えてな」

 

「であればこそ、我らは遠征隊にまた力を託すべきなのでしょう」

 

 ウリヤノフにウートが頷いた。

 

「……少し気弱だったな。先日までの癖が抜けないらしい。お前の言う通りだ。野営地拡張用の資材が整い次第。地獄とやらからスピィリア達を招待しよう」

 

「はい。現在、精霊達の手によって昼夜なく竜骨の生産は進んでおり、12個の竜骨塊が出来ております。全てを使えば、今の倍は人口を増やせるかと」

 

「1万人をようやく超えるか。小規模な国家並みだな……」

 

「遠隔地の田舎。地方の国々であれば、そうでしょう」

 

 彼らが来たのは大陸中央の帝国。

 

 地方の寒村ですら4000人程が基準という地域だ。

 

「それとも此処に大国でも築くか? ウリヤノフ」

 

「であれば、是非とも大公くらいにはして欲しいところです」

 

「考えておこう」

 

 その気も無い部下の言葉が何よりも彼にとっては息抜きかもしれず。

 

「嵐が来る前に我らの家を大きくしよう。それだけが解決策だ」

 

「はい……御心のままに……」

 

 こうして、男達の仕事はまた増える事が決定したのだった。

 

 *

 

 デデドン。

 

「……(´;ω;`)」

 

 ドラコ―ニア達がシクシクしながら全員ノシッと少年が連れて来たばかりの筋肉ムキムキ蜘蛛(仮称)の前で山と積まれていた。

 

 砂浜での勝負に負けた形である。

 

「はい。終わり終わり~~もうあんまり揉め事はダメだよ?」

 

「(。-`ω-)/」

 

 分かりましたとムキムキ蜘蛛が片手を上げて了解の意を伝える。

 

「それにしてもどうして素手で戦う事になったの?」

 

「ええと、どうやらあのムキムキさんがドラコ―ニア達を見て、手合わせを申し込んだようです」

 

「手合わせ?」

 

「訓練中だったドラコ―ニア達を野営地で一番の実力者と見たらしくて。それで呪紋無し、相手を打撃だけで打ち倒す的な勝負をしたようなのですが……」

 

 シクシク状態から持ち直したドラコ―ニア達が整列してムキムキ蜘蛛に頭を下げ、再び訓練の為に砂浜の奥に駆けていく。

 

 それを見やりながらフィーゼがレザリアに状況を伝える。

 

「う~ん? あの子? あの人? ええと、とにかくコーセンテキなのかな?」

 

「ああ、いえ。物凄く礼儀正しい感じがします。ただ、強者と立ち会う的な事が好きなのかも……」

 

「それにしてもウチの子達、全員やられるのはやられ過ぎじゃない?」

 

 その時、遠方にいたドラコ―ニア達の胸にグサッと言葉の刃が刺さる。

 

「あの子がとにかく強いだけですよ。実際、見た目からして強そうなのに偽りなく強いし、しばらくしてルーエルが人化したら、今度はこの子に人魚の輪を付ける予定らしいですし」

 

「へぇ~~~ん?」

 

 レザリアがドラコ―ニアに勝ってからそのまま浜辺から海を見ていたムキムキ蜘蛛を見やる。

 

「どうかしたのですか?」

 

「ねぇ、あの子大きくなってない?」

 

「いや、そんなさすがにそれは勝利から来る感じの威厳的な―――」

 

 フィーゼがそちらを見て、ちょっと首を上向ける。

 

「確かに大きいですね……」

 

「というか。まだ大きくなってない?」

 

「あ、はい……そのぉ……大き過ぎ、じゃないですか?」

 

 野営地の方から何やらザワザワし始めて、少年がやってくる。

 

 数百mはあるだろう浜辺の端。

 

 チョコンと行儀よく座っていたムキムキ蜘蛛がいつの間にか昨日の10倍くらいのデカさになっていた。

 

「いや、大き過ぎ……」

 

 少年も思わず呟くデカさ。

 

 此処まで来ると完全に怪獣に近く。

 

 少年が片手を上げるとそこから伸びた不可糸が少年の家の部屋に置かれていた【ウズリクの脚甲】が物凄い速度で加速、すぐ手の中にやってくる。

 

「ちょっといい?」

 

 少年がいきなりデカくなったムキムキ蜘蛛に脚甲を見せる。

 

「大き過ぎるから小さくしていい?」

 

「(。-`ω-)」

 

 コクリと頷いた大蜘蛛が、脚先を出すと脚甲がハマりそうなのは足先の鉤爪の付け根くらいのところくらいであった。

 

 脚甲が何とか黒い菌糸の糸で差し出された足先に嵌められる。

 

 すると、シュウシュウと体中から煙らしいものを噴き上げて、肉体が縮んでいく。

 

 そうして、ガチンッとちゃんと脚に脚甲がハマった直後。

 

 パキンッと脚甲自体が割れて光となって消滅した。

 

「あ、壊れた」

 

「こ、壊れましたね……」

 

 思わず女性陣が吃驚する最中。

 

 少年が12m程まで縮んだムキムキ蜘蛛に「これなら乗れる?」と首を傾げる。

 

 今までは遠距離を移動する際は呪霊のウルクトルを使っていたが、此処からは背中に全員を載せて貰えば、問題無さそうであった。

 

「小さく為れない?」

 

「(。-`ω-)……」

 

 ちょっと考え込んだ大蜘蛛がチラリと浜辺の傍で流木に座り、本日の昼食を食べているリケイを見やる。

 

「おお、出番ですかな」

 

 男を幼女にした事で野営地の人間から大いに畏れられる事になった老爺がイソイソと少年と大蜘蛛の傍にやって来た。

 

「ふぅむ……蜘蛛脚の能力で変質した力が肉体を肥大化させているようですが、本人の力の総量によって体格が変わるのではないかと」

 

 リケイが蜘蛛の脚に触ってどうしようかと首を傾げる。

 

「先程のような呪具の効果は凝集であって、小さくするのは副次的なものなのですが……凝集限界。という事は……質量を軽くするのではなく。体積を凝集以外の方法で減らせば良いという事になる」

 

 ブツブツ呟いていたリケイがチラリと浜辺の奥の方を見やる。

 

 そこでは人間化したフレイが愚妹と呼ぶルーエルに何やら攻撃方法やら回避方法やらを指導していた。

 

「人化の法というのはかなり高度ではありますが、基本的には要らない部分を肉体内部で体積以外のモノにするのが殆どなのです。この場合は魔力や霊力の類の密度に変化させるという事ですが……」

 

 見られていたフレイがルーエルと共にリケイの元にやってくる。

 

「何用でしょうか? リケイ殿」

 

「人化の際、更に魔力や霊力が体力以上に上がったか聞きたく」

 

「はい。そのような効果は確かにありました」

 

「ふむ。では、ウズリクの脚甲で限界まで上げた密度はそのままに要らない部位を霊力と魔力に還元して、更に小さくすればよいと」

 

 リケイが自らの手を下に向ける。

 

 すると、ドサッと10cm程の金属の棒らしきものが落ちる。

 

 それは薄い灰色の推奨のようにも見えるが、メッキで加工されたかのようにキラキラともしており、明らかに普通の色合いではなかった。

 

「それは?」

 

「ああ、昔に教会と戦った際、苦労した敵がいましてな。そのせいで必要になった代物ですじゃ」

 

「敵?」

 

「とにかく大きい相手だった為、現実的に戦えるくらいの大きさに縮める時に用いまして……まぁ、その分強くなるのが玉に傷。教神イエアドの秘儀を詰めたものです」

 

「小さくなって強く……ウズリクの脚甲と同じ?」

 

「はい。ですが、多くのその類の呪具は副作用やら能力の上昇そのものに肉体が追い付かずに自滅するのです」

 

「自滅……」

 

「ただし、それを超える強者であれば、副作用と言える自滅そのものを回避してしまう為、相手の大きさと強さ次第では使えず。埃を被っておりました」

 

「名前は?」

 

「呪具【イエアドの賢柱】……何故に賢いのかと言えば、能力が上がった結果として賢くなります。死ぬ者は死ぬと分かるし、死なない者は死なないと分かる」

 

「それって途中で止められない?」

 

「はい。それを狙った副作用が本体の攻撃用呪具ですからな。ただ、死ぬ相手も縮んでいる最中は強くなりはする上、その死体そのものが呪具のような扱いで材料になってしまいまして……使う相手も場所も選ぶという……」

 

 たぶんは使って面倒事になった事があるのだろうと少年はリケイが思い出して溜息を吐く様子を見て、大蜘蛛に視線を向ける。

 

「使う?」

 

「(。-`ω-)」

 

 コクリと頷かれた。

 

 このまま乗物として手伝って貰う案が破綻したのでリケイに使い方を聞いた少年が大蜘蛛の脚にそれを付けて数秒祈った。

 

 途端、脚の中にソレが滑り込むように入って消える。

 

「今、霊体として入り込んだ柱が体内を編成しているはずですじゃ」

 

 少年が大蜘蛛を見ているとズンズンッといきなりサイズが1mくらいずつ小さくなっていくが、同時に普通の蜘蛛っぽい見た目だった大蜘蛛の甲殻が灰色に染まった。

 

「……“成功”(。-`ω-)」

 

「え?」

 

「おぉ、喋れぬはずの構造でも喋れる程に賢くなったという事かと」

 

 リケイの前で3m程まで縮まった大蜘蛛は灰色になり、同時に喋っていた。

 

 何処か薄い膜越しに喋っているような声が特徴的なエンシャクとも違う渋い声。

 

 これが人間の男ならば、夢中になる女性もいるかもしれないというくらいに。

 

「普通に喋れる?」

 

「“我が主よ。我が名を決めて従属の誓いを”」

 

「あ、うん」

 

 蜘蛛に促されて思わず頷いた少年が少し考える。

 

「ゴライアスで」

 

「“了解した。我が主”……“我が名はゴライアス。【 大霊蜘(だいれいく)ゴライアス】である”」

 

 その声でゴライアスを名乗る大蜘蛛は3mの巨体でカサカサ動き。

 

 同時に少年のシャニドの印には眷属の数が増えた事を顕す文様が追加された。

 

「こ、こんにちわ」

 

「ええと、ゴライアス、さん?」

 

「“御機嫌よう。遠征隊の方々”」

 

 事の成り行きを見守っていた女性陣に頭を下げる。

 

 それに頭を下げ返したゴライアスはイソイソと野営地の中に入っていき……頭を下げつつ、名前を聞かれたと思ったらいきなり喋り出し、挨拶をする。

 

 そうして野営地をザワザワさせつつ、最終的には幼女に喋る蜘として大泣きされたのだった。

 

『ななな!? く、くもがシャベッタァァアアアアアアアアアア!!?」

 

『ひぃぃぃぃぁああぁぁあぁ!!?』

 

『これはわるいユメなんらから。しゃべるくもなんていないのいないのいないの』

 

『“お嬢さん。我が名は喋る蜘蛛ゴライア―――”』

 

『プクプクプクプク( ^ω^ )』

 

『“大丈夫だろうか。お嬢さん”……“今、家に連れていってやろう”』

 

 こうして喋る蜘蛛は一気に野営地に知れ渡ったが、言葉を理解する蜘蛛と蜘蛛系人外が蔓延る野営地においては何か今更という感じもしたらしく。

 

 すぐに騒ぎは収まるのだった。

 

 ただ、幼女達が喋る蜘蛛の悪夢に数日魘される事だけは間違いなかった。

 

 *

 

 新たな仲間。

 

 自分を霊の蜘蛛と自称するゴライアスが加わって1日後。

 

 ハッと目覚めたガシンは頭を掻きながら、自分が寝込んでいたのを自覚して、寝台から掛布を剥ぎつつ起き上がり、煙臭いのにも慣れた家屋内から出て水浴びでもしようと手に一つずつ擦り切れた布と手桶とコップと着替えを持った。

 

「あ~~~何か頭がぼーっとしやがる」

 

 そして、ヨタヨタしながら水辺に向かい。

 

 誰もいない早朝であることを確認後、川の手前で道具一式を置いて、衣服のままにジャバジャバとフィーゼ辺りからジト目で見そうな行為を平然と行い。

 

 顔を洗って水面に移る自分の顔に首を傾げ。

 

 片手で顔を吹き、コップで水を飲み、手桶に水を汲んで、もう片方の手で着替え……と言っても上半身に羽織るチョッキ型で前が開いた服を―――。

 

「あん?」

 

 よ~~~く自分を水面に見たガシンが気付く。

 

 手がいつの間にか4本になっていた。

 

「ゴッフッッ!!?」

 

 思わず吹き出した彼が左右の肩の後ろから出た手を見やる。

 

 すると、ワナワナとその手はガシンの動揺を露わにして震えていた。

 

「ア、ア、ア、アルティエェエエエエエエエエエ!!!?」

 

 こうして朝っぱらから守備隊が驚くような声を出して、青年は少年がいるはずの家に駆け込むのだった。

 

―――3分後。

 

「もぉ、朝から煩いよ? ガシン」

 

 レザリアが寝間着姿で目をショボショボさせながら擦っていた。

 

「うっせぇ!? オレの手が増えたんだぞ!?」

 

「別にいいでしょ? 寝てる時も邪魔には為って無さそうだったし」

 

「つーか、少しは動揺しろよ!?」

 

「はいはい。もうちょっとボクは寝るから」

 

 レザリアが部屋の奥に引っ込んでいく。

 

 対応したアマンザがガシンに朝食を作っている最中。

 

 部屋からやってきた少年はガシンを見やって親指を立てた。

 

「良かったな!! みたいな顔してんじゃねぇ!? 元に戻せよ!?」

 

「戻せるけど、そうしたら死ぬかも」

 

「はぁぁ!?」

 

 少年がガシンに色々と説明し始める。

 

「……何だ? つまり、オレの霊体が増え過ぎて腕を増やしておかないと霊体そのものが破裂するってのか?」

 

「そう、過剰過ぎる程に放出してたけど、最後は貯め込める量がまた数百倍規模で上がった。たぶん、霊力を人体に留めて置く為にはある程度の遊びの部分が無いと簡単に弾ける」

 

「は、弾けるってお前……どうなんだ?」

 

「死ぬ」

 

「ああ、そう!? クソが!?」

 

 ガクリとガシンがテーブルに手を突く。

 

「今はパンパンに水が入った皮袋状態。後で霊力を適度に抜かないとたぶん危ないからしばらくはお休み」

 

「どうすんだよ? 遠征は……」

 

「リケイがくれた。コレ」

 

 少年がガシンに小さな指輪を差し出す。

 

「コレは?」

 

「霊力を魔力に置換して使う指輪。今、精霊が大量に必要な工事ばっかりだから、フェクラールから精霊を連れて来たら、しばらくガシンに付けて運用する」

 

「つまり、精霊共の餌になれと?」

 

「共生関係。本来の霊力は普通回復するのに時間が掛かる。でも、緋霊になってから霊力の回復速度が早過ぎる程に早くなってる。回復が肉体に貯まる上限以上に回復し続ける状態」

 

「あん? それって……」

 

「革袋の口を閉めたままにしたら、弾けて死ぬ」

 

「オイオイ。洒落にならねぇ……」

 

「だから、適度に減らす必要がある。でも、霊力を使う攻撃以外で有用そうな呪紋をリケイが持ってなかった」

 

「つまり、戦闘で使わない限りは魔力にして消費しろと?」

 

「そういう事。公正神マーナムの【等価交換の指輪】」

 

 少年が渡した指輪をガシンが付けた途端。

 

 その体の周囲から魔力が僅かに立ち昇り始める。

 

 すると、ガシンの目にも分かる程に周囲に漂っていた精霊が集まり始めていた。

 

「何か蟲が集まって来るような感じに思えてアレ何だが?」

 

「野鳥に餌をやる感じ」

 

 今まで青年に見えないよう背後をウロウロしていたフィーゼに貸し出されている火の精霊が僅かに姿を露わにして、光の玉状態に戻ると頭の上に昇った。

 

「ん?」

 

「魔力を吸い上げてる。精霊の力が増すから、何か大きなものを動かす時、かなりの規模でも使える」

 

「はぁぁ、分かった。納得しとくしかないわけだな」

 

「そう」

 

 少年が頷く。

 

「あ~はいはい。アンタらも難しい話してないで朝飯食べて行きなよ。ほら」

 

「あ~どうもっす」

 

 ガシンがアマンザが奥の竈から取って来たスープと焼き魚とパンを焼いたソレを木製の皿の上に見て頭を下げる。

 

「アルティエ。今日はどうするんだい?」

 

「今日は野営地を回って歯医者する」

 

「は?」

 

「歯?」

 

 2人が首を傾げている合間にも少年は食べ始め。

 

「歯医者する」

 

 そう告げるのだった。

 

 *

 

 朝食を取った少年がイソイソと出掛けて2日。

 

 各地の野営地で次々に少年による人間と肉体を持つ住人達に対して口内検査、触診が行われ、翌日から何か調子の良くなった人々が驚きつつも仕事に邁進。

 

 効率がちょっと上がったのを横目にエルガムに報告がされていた。

 

「ほう? つまり、いつも君が使っている黒いダガーなどにいる小さな生物が体の不調を治してくれると」

 

「霊薬は出来る限り温存しておきたい」

 

「最もな話だ。これだけ野営地があってもまだ医者は私一人だからな」

 

 エルガムが溜息を吐く。

 

 人間の体を見る彼が専門である為、人以外の種族には野営地で医者というのが必要にはされていない。

 

 半ば、リケイが増えた蜘蛛の子達の医者という事になるだろうか。

 

「それで歯医者とは?」

 

「口内の衛生管理する医者。色々黒いので掃除して口の中に住まわせてる。胃腸も全部面倒見る」

 

「君の触診を受けていた者達が体調が良さそうにしているのはそれが理由か」

 

「そう」

 

「確かに口臭が消えたやら下痢が治ったやらと色々と回復する患者が多かったな。血圧が下がるやら、今までの不調が嘘のようだとか」

 

「でも、外科は出来ない」

 

「外科、か……」

 

「……教えられる? 野戦医療」

 

 少年の背後、診療室の外にはスピィリア達が布の隙間から内部を覗いている。

 

「君の霊薬ではダメなのか?」

 

「霊薬が無くなった場合、霊薬が必要無い場合、すぐ治療する場合、絶対必要……」

 

 エルガムが天井を仰ぐ。

 

「此処に流された理由は内臓を結紮(けっさつ)し、繋げる外科の術式開発そのものだ。だが、君はそれを使えと言う。必要なのは分かる。だが、厳然と失敗はある。技術や知識不足で簡単に人は死ぬ……」

 

 そのエルガムの瞳に移るのは救えなかった者ばかりだ。

 

 手足の手術は何とか出来た。

 

 しかし、彼の提唱した外科手術は難度が高いものばかり。

 

 様々な道具一つ薬品一つを全て一から造らねばならない。

 

 要は手探りなのだ。

 

 それですら、不治の病と呼ばれた者達の7割は死に、残りの生き残った者達もまた不自由な生活を強いられながら生きている。

 

 それは正しく悪魔の技だと責められた彼に反論の余地は無く。

 

「簡単に君の仲間を死なせたくはないな。私の技術知識はまだまったく乏しく稚拙だ。それでもか?」

 

「この島には幾らでも実験台がいる」

 

「何だって?」

 

「亡者……魂が擦り切れた存在は肉体が生きてるだけで実際には死んだようなもの。すぐに死ねば亡霊になるか霊体も霧散する」

 

「―――君はまさか」

 

「どうすれば人が死ぬのか。どうすれば、亡者を殺せるのか。それは同時にどうすれば人を生かせるのかを理解出来るという事」

 

 エルガムが顔を歪める。

 

「例え、彼らが元人だとしても……君はそれを良しとするのか?」

 

「今日、笑顔で生きてる誰かが死ぬより、もう死んでる誰かを犠牲にする。命を頂く。次に生かすのはその人次第」

 

「………正直に言おう」

 

 エルガムの顔が俯けられて歪む。

 

「私は、自分が怖い。患者達を死なせた時、私は何処がどう失敗だったのかを知りたいと思った。死ぬ患者の事よりも先に……自分の知識欲の為に誰かを殺しているのではないかと……」

 

 エルガムが手を握り締める。

 

 その葛藤は少年の眩さを前にしての独白だったかもしれない。

 

「全てが無駄ではないなら、今を生きる人の為にソレが使われるなら、例えそうだったとしてもいい」

 

 その言葉にエルガムが苦渋ながらも、顔を上げる。

 

「此処にいるのは……医者ではなくて、悪魔かもしれんぞ?」

 

「……技能も知識も広めなければ朽ちるだけ。もしダメそうなら霊薬を使ったっていい。使えるものは何でも使う。今を生きる者の為に……貴方が例え悪魔だとしても、助けて欲しい」

 

 その言葉にエルガムが諦観の笑みとも自嘲とも付かない顔で少年を見やった。

 

「君は……強いな。アルティエ」

 

「弱い。百億回でも死ねるくらい」

 

「その謙遜は受け取っておこう。君に限界があるように私にも限界はある。だが、君はそれでも前に進もうとしている。私にもそれを手伝わせてくれ。一人の人間として、君の主治医として、野営地唯一の医者として……」

 

「その気持ちがある限り大丈夫。それに一人じゃなくなる」

 

 スピィリア達が蜘蛛形態で入って来て、片手を上げる。

 

「(/・ω・)/」

 

「一人じゃない、か。頼もしいのか。仕事が増えたと嘆くべきか」

 

「まずは助手から。基本的な知識を学ばせて欲しい。その後、亡者を使って知識の探求を。この島の生物達の事が少しでも解れば死なずに済む誰かが一杯いる」

 

「解った……承諾しよう。これから数日置きに亡者を数名頼めるか?」

 

「了解。診療所の改築もウリヤノフに頼む」

 

「そうしてくれ。例え泥に塗れても今まで死なせて来た者達の命を無駄にはしない。無駄には……したくない……何れ、スピィリアや蜘蛛の子の事も見られるように人外や蟲の知識も深めよう」

 

「よろしく」

 

 そうして少年は医療従事者を野営地で増やす事に成功するのだった。

 

 *

 

 少年が野営地医療に革新を齎し、新たな境地へと唯一の医者を導いていた頃。

 

 西部フェクラールの見えざる塔の北端では壁際の入り口から数名の者達が本来は見えないはずの橋が見えるように何らかの魔力を帯びた糸のようなものでグルグル巻きにされているのを見付けていた。

 

「……これは」

 

「蜘蛛の塔がお出迎え。内部のゴーレム共が出て来るかと考えていたわけだが、どうやら本当に消えている。偵察が必要だ」

 

「しかも、この塔まで……一体何が起こったのやら……怖いわ~」

 

「あ、あれ見て下さい!! 皆さん!!?」

 

 四名の影が西部の南方の海域を見やる。

 

「嘘だ……あの方向に薄く見えてるのは……ノクロシア? 伝説の? ニアステラが復活したのか!? あ、有り得ん……」

 

「そんな訳はない。アレはもはや御伽噺だ。旧き者達の都……彼らが帰って来たならば、今すぐにでもこの島は彼らのモノとして使われているはずだ」

 

「おねーさん怖いわ~。前に来た時は西部中に張り巡らされていた蜘蛛の巣がまったく見えないなんて……しかも、霊視しても何処にも無い」

 

「そ、その……皆さん。地表の方を……」

 

「ッ―――あの泉? 何だ!? あの神の力の痕跡は!? 馬鹿な!? 高位神格の使徒でも現れたと言うのか!?」

 

「あら? 何かお墓? みたいなのも見えるわね。行ってみましょう」

 

「あ、ああ」

 

「どうなる事やら」

 

「皆さん。気を引き締めていきましょう!!」

 

 四名の影が、橋の上から身を跳躍させる。

 

 すると、その高度にも関わらず。

 

 スタッと軽やかに地面へ降り立った。

 

「大丈夫かしら? お姫様」

 

「は、はい。ありがとうございます」

 

「あまりウチのを甘やかさないで貰いたい。もしもの時に1人で何でも出来て貰わねば困るのでな」

 

「はいはい。かたっ苦しいお兄様ね」

 

「喋ってないで行くぞ」

 

「は、はい!!」

 

 四名が泉の傍。

 

 石らしきものが置かれた場所を見やる。

 

「……少し検分する」

 

 一人が僅かに土を掘って内部を確認し、埋め戻す。

 

「ど、どうでしたか?」

 

「ああ、どうやらヴァルハイルの犠牲者だな」

 

「ふ~ん? つまり、此処にはこの哀れな犠牲者さん達を丁寧に埋葬してくれる誰かがいたって事になるのかしら?」

 

「だが、人も人外もこの危険地帯に脚を踏み入れる理由が無い」

 

「理由……理由ならあるだろう」

 

「?」

 

「ええ、確かに理由ならあるわね」

 

「何を言っている?」

 

「この西部そのものをもしも自らの手に出来れば、その者が滅びた以南地域を再び得る事は容易い」

 

「馬鹿を言え。此処にいて蜘蛛の餌食にな―――」

 

「だから、蜘蛛を誰かが倒した。あの伝説の魔蟲ウルガンダを……」

 

「飽殖神の加護を受けし一族を? ちょっと現実味が無いわね。御当主」

 

「解っているさ。自分で言っていてもおかしい事くらい……」

 

「この塔の群れだって終点がレーゼンハークに抑えられていなければ、色々探索出来るのに今まで殺せた人間は一人もいない」

 

「あ、あの、皆さん」

 

「どうした? 何か感じたか?」

 

「お兄様。その……それが……レーゼンハークの気配がありません」

 

「何だと!? あの西部の入り口を守護する呪霊が消えた?」

 

「これはいよいよマズイわね。そのウルガンダやレーゼンハークを消した何かが西部にいたら、あたし達なんかイチコロよ?」

 

「く、此処で諦められるか!! もう時間が無い!!」

 

「皆、分かっているさ。だが、現実的にどうする?」

 

「~~~レーゼンハークがいないなら、塔内部の探索に入れる。最低でも【ナクアの書】さえあればいい。一族に伝わる伝承が本当なら、兵を強くする事も出来るはずだ。すぐに向かうぞ!!」

 

「あたし持ってかれてるに一票」

 

「蜘蛛にとにかく気を付けろ。いいな?」

 

「だから、過保護は止めろと」

 

「あう。は、はい。お兄様達の脚を引っ張らないよう頑張ります!!」

 

 四人の影はそうして西部の大地へ脚を踏み入れるのだった。

 

 その陰を土の中から見やる者達がいるとも知らず。

 

 巨大な山の岩壁の下。

 

 小さな小さな蜘蛛がニュルリと土の中から上半身を露わにする。

 

 それはまるで細長い蛇のようであり、同時に柔らかい甲殻のようなものを持つ。

 

 だが、頭部は間違いなく蜘蛛に見えた。

 

 体よりも遥かに小さな脚がチョコチョコと木の上に昇り、疾風のように遠ざかっていく者達を見送る。

 

 こうして、西部への侵入者達は蚯蚓蜘蛛達に監視される運びになったのだった。

 

 *

 

―――第一野営地浜辺。

 

「異形属性変異呪紋【異種交胚】」

 

 野営地の医療の発展を見込んだ少年がフィーゼと鍛冶場の人々、多くのスピィリア達に頼んだ事からエルガムの診療所は大幅に短期間で増設される事になっていた。

 

 具体的には診療用の寝台が30以上まで拡大。

 

 更に医薬品の保管庫を中枢として周囲を建物で囲みつつ、地下も掘られた。

 

 リケイが地下そのものに呪紋を施し、ガシンがしばらく必要な魔力を注入して内部の掘削と地盤固めに精霊を紐付け。

 

 こうして、4日で各野営地を広げるのと並行して行われた工事は成功。

 

 最も大きな施設群として診療所ではなく。

 

 エルガム病院という名前で木造建築は落成式まで行われた。

 

 こうして野営地の誰もが呑めや歌えやと浮かれて夕暮れ時に野営地の中央部で談笑に興じている最中。

 

 少年は一人、ここ数日で一番重要な仕事に掛かっていた。

 

 その手には【ナクアの書】が握られている。

 

「【ナクアの書】……魔力充填。活動開始」

 

 少年の言葉と共に魔導書という見た目のソレがドクリと脈打つ。

 

「全能力を開放」

 

 少年の言葉と共に書物が一人手に開いた。

 

 そして、その頁の後ろ数体の異形のデータが上書きされていく。

 

 それは蜘蛛の子達や蜘蛛脚で変異した者達だ。

 

 貝蜘蛛アルメハニア。

 

 蛭蜘蛛ヒルドニア。

 

 黒蜘蛛ペカトゥミア。

 

 竜骨蜘蛛ドラコーニア。

 

 蚯蚓蜘蛛。

 

 フレイ。

 

 ルーエル。

 

 ゴライアス。

 

 情報の書き込みが終了すると同時に本の上に小さな球体が魔力の半透明な3Dの映像として現れる。

 

「遺伝導入開始……胚芽基礎をペカトゥミアとする」

 

 少年の言葉と同時にナクアの書が先程書き込んだ頁を参照した。

 

「アルメハニアの水中活動能力」

 

 映像の横に二重螺旋の情報が出され、その一部が抜き出されて、胚芽と呼ばれた情報の球体に送り込まれた。

 

「ヒルドニアの飛行能力」

 

 同じ手順で次々に螺旋の情報が玉に取り込まれていく。

 

「ドラコ―ニアの細胞強度と骨芽細胞、魔力共有能力」

 

 少年が目を細めた。

 

 現在の成功率は93%。

 

 しかし、此処からが問題だろうと腕を組む。

 

「フレイの知能と生成毒」

 

 参照された情報が埋め込まれた途端、73%まで一気に成功率が下がる。

 

「ルーエルの模倣能力」

 

 今度は45%まで下がった。

 

「ゴライアスの霊力による物質掌握能力」

 

 17%が最終的な数値となった。

 

「………」

 

 少年が息を吐く。

 

 実は前々から様々な呪紋や能力を集めていた少年であるが、ここ最近壁にぶち当たっていた。

 

 それはルーエルとゴライアス。

 

 この二匹に出会ったからだ。

 

 ルーエルは辛うじて人間だった頃に一番多用していた呪紋を持っていたが、その能力はかなり下がっていた。

 

 元々からの資質か。

 

 それとも呪紋の効果か。

 

 能力そのものが他者の動きや技術、能力を模倣する事に長けており、エンシャクとの戦いではフレイと連携する事で緻密な迎撃を可能にしていた。

 

 またゴライアスなどは完全に呪紋は無く。

 

 血肉そのものに呪紋が取り込まれたような状況であり、シャニドの印によって呪紋を受け取る事が出来なかったのである。

 

 これらの理由は単純明快であり、フレイの知能と性質が呪紋に偏って優秀であった事に起因する。

 

 要は人間と同じように呪紋が使える程、賢く同時に適正が高かった為、簡単に呪紋を得られたのである。

 

 どんな呪紋でも別の人間が使えば、同じ呪紋ではない。

 

 そして、シャニドの印を通して収集出来る呪紋というのはその個人の呪文を写し取るものであり、特定の状況下で創造するものと合わせて運用者に新しい呪紋を齎してくれる。

 

 だが、前者は同じ呪紋を使う人間が2人いたとしても、シャニドの印が写し取る呪紋は2人から取れば、同じものではなく。

 

 多少、中身に差がある。

 

 魔力の消費効率やら威力や効果範囲もそうだ。

 

 叶えのルクサエルはそもそもが呪紋に振り回されていたようなところがある為か。

 

 変異体であるルーエルは呪紋そのものこそ保持していたが、その能力はかなり劣化して蜘蛛となった彼女から受け取れた呪紋の魔力効率は劣悪。

 

 エンシャクの変異したゴライアスに至っては呪紋そのものが血肉へと完全に取り込まれたような状態であり、呪紋として受け取れなかった。

 

(必要な呪紋が手に入らないなら、呪紋を別の形で取得すればいい)

 

 幸いにして蜘蛛脚で変異した者達は全員がウルガンダの血統に近しい。

 

 この為、ナクアの書と呪紋を用いて遺伝情報を打ち込んだ胚芽を作成し、成功すれば、その情報を登録して、肉体を強化出来る。

 

 実質的には呪紋の効果を得られるのと同じような状態となれるはず、であった。

 

 無論、成功すればという但し書き付きで。

 

「オイ。何でお前はそう祝い事の度に別の事してんだ?」

 

 少年が合成を開始した直後。

 

 背後から気配と音を消した青年ガシンの手が掛かり、ドゴッと胚芽情報の塊が空中で脈動した。

 

「あ、成功した」

 

「は?」

 

 ガシンが首を傾げる間にもソレが急激に色を変えて黄昏色になる。

 

「……やっぱり、魔力と霊力が全てを解決しそうな勢い」

 

 少年が思わず32回目のチャレンジが成功した事に溜息を吐く。

 

 自分では上手くいかない事も“持っている人間”ならば出来るというのが悲しい事実であった。

 

「何の話だ? それより、本なんぞ持ってないで、あっちで飲み食いくらいしろ。パンは甘いのがあるぜ?」

 

「……今日は此処まで」

 

 少年がナクアの書を閉じると同時に全ての情報がその場から消えた。

 

『アルティエ~このパン美味しいよ~』

 

『甘いです!! こ、これは野営地の名物ですよもう!! あまーい♪』

 

『はは、御嬢さん達には大好評のようですね。アマンザさん』

 

『マルクスさんもお一つどうぞ』

 

『いえ、先程食べましたから。これから教書の読書会をヨハンナと一緒にやりますのでまた夜食にでも貰う事にします』

 

『わはははっ!! このパン甘ぇな!? オイ、何辛気臭い顔してんだ!! カラコムの旦那!! 何? 飲み過ぎ? いやいや、まだ10杯目だぜ?』

 

『船長の最高記録は80杯だからな!! なぁ、お前ら!!』

 

 野営地の宴は騒がしい。

 

 月明かりが乏しくても焚火やランタンは灯されて、さざなみの音が人と共に揺れていく。

 

 少年はこんな日があってもいいと遠征隊の面々の輪に入る事にした。

 

『(≧▽≦)/凹』

 

『愚妹よ。嵌めを外し過ぎないように』

 

『“我が名はゴライアス。祝杯を傾けられる大蜘蛛”(。-`ω-)凹』

 

『滅茶苦茶飲んでますね……ゴライアスさん』

 

『ルーエルも……蜘蛛ってお酒に強いのかなぁ?』

 

 これが来る日にまた力になると信じて。

 

(二か月目に来るはずの連中がもう来てる。こっちで何かのフラグを踏んだ?)

 

 急がば回れ。

 

 それは彼がこの島に来て最も実感した言葉であった。



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鳴動せしフェクラール編
間章『貴方の事Ⅳ』+ 第34話「鳴動せしフェクラールⅠ」


 

 

―――色々な事が変わった。

 

 毎日、毎日、沢山の事が目まぐるしくニアステラでは変わっていく。

 

 蜘蛛脚の力によって出来た仲間の蜘蛛達。

 

 遠征隊と共に行ってくれる彼らが人とは違いながらも、一緒に生活してくれる事で命の危険は少しずつ遠ざかっている。

 

 住居や食料だけではない。

 

 どれだけの人数がいても、何処か寂しく感じていた。

 

 それは敵ばかりを見ていたから。

 

 でも、今は違う。

 

 大勢増えた人々は元敵だった者も亡霊だった誰かも関係無く。

 

 この野営地に暮らしている。

 

 それはきっと外から見れば、罪深い事。

 

 けれど、確かにそれを受け入れ始めた自分達がいる。

 

 彼がエルガム先生と共に作っているという薬やウリヤノフと共に造った武器。

 

 そして、この小さな貴族の小娘に過ぎなかったはずの自分と作る切り札。

 

 何か一つ無ければ、全て何処かで壊れてしまっていたのではないかと思う。

 

 父の事もそう。

 

 全ては天恵ではない。

 

 誰かが積み上げて、誰かが願ったから、此処に全てあるのだ。

 

 誰もが毎日に少しずつではあるけれど、野営地には笑い声が響くようになった。

 

 お酒を片手に陽気な歌声が響けば、蜘蛛の子達が躍ってもくれる。

 

 ウリヤノフが造った野営地の為の楽器を大勢で奏でる様子は楽しくすら思えるようになった。

 

 それが単なる辛い事が来る前の小さな幸せなのだとしても……思うのだ。

 

 この一瞬を忘れずにいようと。

 

 彼が一緒に横で杯を傾けてくれた夜を覚えていようと。

 

 精霊達の声がいつも夢に響くから。

 

 また、来るよ。

 

 もうすぐ来るよ。

 

 そう、ずっと誰かに教えているから。

 

 その日が来るまで出来る事をしようと思う。

 

 いつも前を歩いてくれる彼の背中を仲間達と共に護る為に。

 

 明日を共に迎え続ける為に。

 

 それが……いつの間にか……。

 

 フィーゼ・アルフリーデ・ルクセルの生き方になったのだ。

 

 

 *

 

 

 グリモッドの探索を一度切り上げ、野営地の人員を増強すると共に地下世界探索の為に大量の亡霊達をスピィリアにして輸送し始めて数日。

 

 各野営地は広がり続けていた。

 

 スピィリア達の働きにより、昼夜無く続いた街道整備は各野営地をもう少しで結べるところまで来ており、木造の家屋の数は各野営地で40軒を超えて増加中。

 

 ついでに商隊による物流があちこちの野営地を結んだ事で各野営地の造営に必要な資材が次々に行き渡り、何処も活況であった。

 

「それで見付けて来たのがコレ、と」

 

「そう。【オーポスの白華】」

 

 少年は野営地で引き続きエルガムの病院の診察室に白く細い花を持って来ていた。

 

 それは菊のようにも見えたが、それだけではない。

 

「これが大量に地下の領域に育っていたと」

 

「物凄く強力な匂いを消す成分が入ってる。たぶん、亡霊や亡者達を養分にして育ったせい。臭いそのもので枯れないように」

 

「消臭成分か?」

 

「どちらかと言うと霊力が物質に作用する」

 

「霊力が?」

 

「原理が霊力を持つ花粉が微細な空気中の物質を周囲から吸収する感じ……それも物凄く強力に吸引する。花そのものを空気中の物質から護る為に」

 

 少年が花を少し強めに振った途端。

 

「―――」

 

 エルガムが驚いた様子になる。

 

「……臭いが消えた? 煙の臭いが……これは……」

 

「大量に自生してる。植え替えて畑でも栽培可能」

 

「ま、まぁ、臭いが無くなるのはかなり助かるな。解った。植え替えの準備をしておこう。あまり臭いを消し過ぎると蟲に効かんだろうから、室内に限定してになるだろうが……」

 

「それとコレ」

 

「これは石?」

 

「そう。【パラルの水石】……素手で触らないように」

 

「何かノドが乾いたな。失礼」

 

 エルガムが横に水差しから木のカップに注いで飲む。

 

「もう効果出てる」

 

「何?」

 

「この石、脱水効果がある」

 

「脱水?」

 

「空気中の水分を物凄い勢いで吸う。水を吸い切ると今度は逆に水気を吐き出す効果がある」

 

「ほう?」

 

「霊力をずっと浴びて来て変質したヤツ。地下世界は殆どコレで出来てる。それで空気の対流が無くても風や水が循環してるっぽい」

 

「ほうほう? 摩訶不思議な石か」

 

「石の上に木材を置いておけば、たぶん1日で殆ど乾燥が終了するはず……」

 

「何? そうか。となれば……地下世界とやらで切り出して……可能か?」

 

 少年がコクリと頷く。

 

「分かった。各地の木材加工現場に降ろしてくれ。後でウリヤノフ殿に報告しておく。ちなみに素手で触るとどうなるのか聞いても?」

 

「物凄く肌が乾燥して、水分を奪われる。あの花と同じように特定の物質を吸収する……20秒くらいで干乾びて死ぬ可能性が高い」

 

「―――取扱いには細心の注意が必要なわけだな」

 

「これが取扱い用の手順」

 

 少年がサラサラとエルガムが机の上に置いていた白紙に書き込んだ。

 

「よろしい。すぐに掛かろう。今日中は?」

 

「可能。もうウリヤノフと考えた1万人分の人員は連れて来た。切り出し作業は現地でもうフレイ達がやってる」

 

「有難い話だ。では、霊薬と混ぜた新規調合分を渡しておく」

 

 少年の前に赤く塗られた金属製の試験管らしきものが渡される。

 

 アンプルは封蝋で封入済みのものだ。

 

「そう言えば、蝋は足りてる?」

 

「もうそろそろ在庫が尽きるようだが、普通の蜂がいないのでは代替品が必要だと思われるな」

 

「一応、量産出来る」

 

「何? どうやって?」

 

「肉の畑に蜂蜜と一緒に取ってた蜂の死骸も植えてある。今は畑を再生中……例のゴミの捨て場所」

 

「ああ、それか……」

 

「蜂蜜は取れない。でも、蜜蝋は採れる」

 

「解った。後でお願いする」

 

 頷いた少年は病院を後にする。

 

 今日中にしてしまわねばならない事がまだ数多く残っていたからだ。

 

 その背中を見送ったエルガムは恐らく昼夜無く必要ならば、働き続けているだろう少年の背中に新たな未来を視る。

 

 せめて、それが少年自身にとって良いものであれと願うしかなかった。

 

 生き急ぐように各地を飛び回る姿はあまり感情こそ出ていないが、それでも焦っているように見えたからだ。

 

 *

 

―――フェクラール中部。

 

「……まさか、我らが塔の残骸の上で野営とはな」

 

『はーい。川でお魚取って来たわよ~~』

 

「蜘蛛が一匹もいない上に塔の始点となる場所には大量の木材。どう考えても人がいる……」

 

「人がまさかウルガンダを打ち倒すとは……」

 

 巨大な蜘蛛の塔が地上に落下して破壊された直撃地点。

 

 大量の瓦礫が散らばるそこで四人の人影は野営していた。

 

 森からも少し遠く。

 

 野生の獣がいないフェクラールだが、蜘蛛が消えて尚、彼ら北部からの侵入者達は警戒の為に見晴らしの良い場所に陣取っている。

 

「ねぇ、あの2人。いっつも深刻な顔してない? 怖いわ~~おねーさん怖いわ~本当にアレが同輩の運命を握ってるとか~」

 

「あはは……仕方ありません。フェクラールのウルガンダやレーゼンハークが消えて、塔に残されているはずの品も無く。人の痕跡がある時点で……」

 

「まだニアステラに向かう洞窟には行ってないんでしょ?」

 

「ええ、まずは北の調査が先決。何処にも少し前に人が分け入ったような跡がありました。その上、例のヴァルハイルの守護領域が荒らされていた」

 

「何かを封印してたんだっけ?」

 

「ええ、ですが、それも持ち去られた後。ヴァルハイルに対抗出来る何かがあるかと踏んでいたのですが……」

 

「仕方ないわね。それでニアステラへの接触は?」

 

「お兄様が明日中にはと」

 

「そう……」

 

「いつでも霊殿へ戻れるように準備だけはしておけと言われました」

 

 話し込む2人に向けて2人が近寄って来る。

 

「明日は一端塔の始点まで向かいそこから二手に分かれる。洞窟にはオレとこいつで行く。お前達は引き続き周辺の地形と資源調査を頼む」

 

「っ、お兄様達だけで行くおつもりなのですか!?」

 

「ああ、そうだ。逃げ足の遅いお前を背負って逃げなくていいのは楽だからな」

 

「そんな言い方無いんじゃありません? 御当主」

 

 女の声が妹への言葉に呆れた様子になる。

 

「余計な口を挟むな。我らには最善と信じた行動を行わねばならない。でなければ、我らの同胞は須らく亡ぶのだからな」

 

「兄妹仲睦まじいのは良いが、明日はお前も後方だ。最前衛の偵察はこちらの仕事。1里は離れていて貰う」

 

「む……」

 

「言われてますね。御当主」

 

「煩い!! そんな事は言われずとも解っている!!?」

 

 四人がガヤガヤしている時、彼らは一斉に黙った。

 

「見られていますね……」

 

「悟られるな。気配は?」

 

「霊視で薄く糸が一本辛うじて山林に」

 

「……お兄様」

 

「何があっても逃げろと言ったら、必ず洞窟まで逃げろ。いいな?」

 

「はい……」

 

「それで? 御当主。どうします?」

 

「今、眷属化した精霊と繋がった。上空から見てみる……何だ? 蜘蛛……のはずだが、生物の気配が無い?」

 

 呟きと共に御当主と呼ばれた相手がブツブツと口内で呟き。

 

「生命属性変異呪紋【共視】」

 

 自分の見ているものを共有する呪紋が全員に同じ光景を見せた。

 

 そこには山林の少し遠い位置の大木にぶら下がり、尻から出した糸を遠方に伸ばしている幽霊のような蜘蛛が一匹。

 

「これは……何だ?」

 

「蜘蛛にしては……霊力だけで編まれたような? 解ります?」

 

「これは……生命属性の呪紋で生きているように動かしているのではないでしょうか。意志が感じられません。呪紋そのもので造った蜘蛛の形を別の呪紋で動かすような感じです……」

 

「つまり、人形か?」

 

「は、はい。お兄様にも分かり易く言えば……ですが、命のように振舞う呪紋を西部で持っているのは確か……随分昔に出奔した北部からの逃亡者のはず……」

 

「ふむ……尻から出ている糸は操り糸の類なのかもしれん」

 

「で、どうします? あたしはちょっかい掛ける前に身を隠しますが」

 

「一端、北に少し戻ろう。それで付いて来るようなら身を隠す。もし、そのままならば、沿岸部を迂回して南に向かう」

 

 四人が御当主と呼ばれた相手からの指示に頷いて野営地の道具をすぐに撤収し、迅速にその場から離れて行く。

 

 しかし、その蜘蛛は相手を地平線の先まで見送ってから、また周囲を観察し始めるのだった。

 

―――第一野営地浜辺。

 

「で? どうして、忙しいオレが呼ばれてんだ?」

 

「魔力一杯ある人の性」

 

 少年がイソイソと西部まで伸ばした一本の不可糸の先で蜘蛛を解いて生命付与の呪紋を解除する。

 

「お疲れ」

 

 今までガシンの背中に手を付いて、延々と糸を西部まで伸ばしていた少年は糸から魔力を抜いてまた見えなくした後。

 

 イソイソと作業に戻る。

 

「何してんだ?」

 

「新しい呪紋試してる」

 

 少年は野営地に頼まれていた仕事を全て終えた午後。

 

 また浜辺でナクアの書を片手に呪紋を行使していた。

 

「第一段階……」

 

 その言葉と共に魔導書が僅かに暗く輝く。

 

 すると、少年の片腕が灰色に染まった。

 

 同時に黒い鉤爪が伸びて、明らかに筋肉質な腕の内部で繊維が蠢く。

 

「―――形成パターンを部分記録。固定」

 

「この色……眷属化したゴライアスの力か?」

 

「そう。一部、ゴライアスの力が使える」

 

「つーか、あいつの力ってあの筋力じゃねぇのか?」

 

「アレは能力の表層」

 

「ヒョウソウ?」

 

「表向き」

 

「裏向きは?」

 

「コレ」

 

 少年が変異した片手で砂を掴んでから開く。

 

 すると、砂が硝子のように手の上で透明度を増して、ガラスそのものへと変質していく。

 

「何だ? 砂がキラッキラになりやがった? この輝き何処かで……」

 

「霊力による物質の変質。霊力がこの世界の物質を変異させる」

 

「……エンシャクから滴り落ちてたキラキラした血みたいなやつか?」

 

 本能的にガシンが能力の表出現象を言い当てる。

 

「アレはたぶん、自分の血を霊力で変質させて、周辺の亡者や亡霊に浸透させて操ってた。本来、亡霊も亡者も誰かに従う事は無い」

 

「幽霊を契約以外で操るって事か?」

 

「そういう事。だから」

 

 少年が変異した手の中の透明化した砂に念じた。

 

 すると、一瞬でソレが組み上がって小さなゴライアスを組み上げる。

 

「お? 上手いな」

 

「ゴライアスの筋肉、要はコレ」

 

「霊力で自分の体を変質させてるって事か?」

 

「普通の物質には凝集する限界。密度の限界がある。構造そのものの限界でもある。でも、この霊力による物質の変質は物質を霊力に半分同化させる」

 

「つまり?」

 

「どんなに鍛えた筋肉よりもゴライアスの筋肉の方が絶対に強い。密度の桁、凝集量が全然違う。その上、半分霊力だから重さも殆ど無い」

 

「……体鍛えるのが基本な奴隷拳闘にゃ羨ましい話だな」

 

「たぶん、ガシンも出来るようになる。いつか」

 

「オレはまだまだ鍛え方が足りねぇわけか?」

 

「呪紋掛ければ、すぐに使える」

 

 少年が変異した腕を見やる。

 

「身も蓋もねぇなぁ」

 

「使う?」

 

「その内な」

 

 肩を竦めたガシンが手をヒラヒラさせながら、その場を後にする。

 

 少年はそれを見送って、続けて呪紋の効用を試す事にするのだった。

 

「第二段階。開始」

 

 翌日、少年はさっそくその力を用いなければならない状況に陥る事となる。

 

 それは西部での事であった。

 

 *

 

「あ」

 

「「「「あ」」」」

 

 偶然であった。

 

 西部にやってきた北部の四人。

 

 彼らは遂にニアステラに続く海岸線沿いの洞窟へ偵察に出ようとして最も近い見えない塔に続く浜辺を拠点にしたのだ。

 

 今は誰もいない為、外部に監視の目を付ければ、問題無いだろうという算段であったが、同時にそれは内部に直接転移してくる相手の事を想定していなかった。

 

「く!!? いきなりだと!? まさか、霊殿か!?」

 

「お兄様!?」

 

「はぁ~~ここで一戦? あたしは逃げるに一票」

 

『どうした!?』

 

 入り口から奔り込んで来る相手もすぐに少年を見付けて、構えを取る。

 

 四人は人型であった。

 

 しかし、人では無かった。

 

 角持つ人型の獣鬼。

 

 そう呼ぶべきだろう。

 

 人の顔と獣のような四肢。

 

 瞳は縦に割れていて、其々に表す獣は違うのだろうが、それにしても右か左か中央に這えた捻じれながら伸び上がる角は灰色と擦り切れた金色を練り合わせたような代物で頭部に対して大き過ぎるのか。

 

 角の根本から顔や額を隠すかのように成長して仮面か顔の輪郭に合せて付けるアクセサリーのようにも見える。

 

 端正な顔立ちながらも獣染みた鋭い切れ長の視線と尾てい骨辺りから生える尻尾は明らかに別々の獣であった。

 

(いつもと面子が違う? いきなり、この長と周辺がやってくるのはパターンが観測されてない。やっぱり、何処かでフラグが立った? イレギュラーは歓迎してもいい。でも……)

 

 少年の前で悪魔のようにも獣のようにも見える彼らの体毛は褐色を黒く染めたようなもので統一されており、人間らしい肉体と獣毛の生えた部分の落差が激しい。

 

 レザリアの獣版に毛を大増量した感じと言えば、問題無いかもしれない。

 

「貴様!! 名を名乗れ!!」

 

 真っ先に少年へ話し掛けて来たのは青年であった。

 

 十代後半から二十代前半だろう。

 

 左に悪魔の如き禍々しい大角は他のモノとも違って赤黒い。

 

 顔の左半分に斑模様の骨の面が生えており、下の肌や瞳を晒している。

 

 誰もが装備はしっかりとしたもののようで衣服は野戦用の革製で軽装。

 

 だが、明らかに縫製能力が高いのか。

 

 攻撃を受ける外側と肉体の内側では薄さも違うようであちこちに鉄片が仕込まれており、肉体を容易には斬れないように軽さと頑丈さの両立が為されていた。

 

「お兄様!! お、お、落ち着いて下さい!?」

 

 そんな兄らしい相手を止めているのは少女だ。

 

 十代前半。

 

 少年と同年か少し下だろう。

 

(………久しぶりに会った……今回なら……必ず……)

 

 小さな体と大きな盾が不釣り合いな彼女は背中に背負っていた引き延ばした六角形状の盾で自分を隠すようにしながら、その陰から兄を諫めている。

 

 巨大な盾の背後に見える体は青年に比べたらかなり細く。

 

 スカート状のワンピースタイプな衣服は野外活動用ながらも何処か女性らしさを強調しているようにも見える。

 

 中央にそそり立つ角は深い純白。

 

 同時にティアラのように冠の形に角の下から生えた部分が少女を王族のように飾っていた。

 

「姫様~もう少し盾の影に隠れて~あたし、この目の前のに勝てないの分かるから、逃げる準備しかしてないのよ~」

 

 お茶らけているように見えて額に汗を浮かべて少女を庇う位置にいる女性は二十代程だろう。

 

 右から生えた角が逆向きに捻じ曲がっていて、その色は青白い。

 

 顔の輪郭に沿って頬を滑るように飾る角から下の部位には幾つもの呪紋らしき刻印が彫られていた。

 

 彼らの中で最も薄着な彼女は腰から大腿部から脇腹まで剥き出しの意匠であり腰辺りの紐で衣装が膨らむのを縛り上げている。

 

 セクシーを通り越して痴女っぽいのだが、その様子は気の良いおねーさんという感じであった。

 

 そして、その腰には物騒な事に大量の金属製の筒が下がっており、それが一目で爆発物やら大量の薬品だと少年には分かる。

 

 同じようなものを使う人間だからこそ少年には分かる。

 

 それは間違いなく危険物の束だった。

 

「答えねば、貴様を斬らねばならない。答えろ」

 

 少年に一番近い相手は片腕を異形化した二十代後半青年だった。

 

 最もこの場で強く。

 

 同時に優れた戦士である事が分かるのは完全に頭部以外の体毛を剃り上げて、あちこちに呪紋の刻印を入れている事からも明らかであった。

 

(今の能力なら戦うのに問題ない。この時期でも恐らく切り札は必要ない……)

 

 軽装の鎧は上半身裸で着込んでおり、肌に吸い付くような薄い装甲ながらも青年の細くも締まった肉体をしっかりと防護している。

 

 片手に短剣。

 

 片手に腕に付けるバックラータイプの金属製の盾。

 

 両手両足の関節部には呪紋を書き込まれた鎧の呪具。

 

 しかし、彼の頭部の角は二つありそうな左右が切り落とされた跡があり、そこから伸びる仮面のような部分もすぐに罅割れて消えていた。

 

 熟練の軽装戦士といういで立ちである。

 

「ニアステラの野営地の者」

 

「やはりか……やはり、ニアステラには今、流刑者が……」

 

 軽装戦士が思わず渋い顔になる。

 

「貴様!! この西部の蜘蛛共はどうした!?」

 

 リーダーであるらしい青年が吠える。

 

「倒した」

 

「な、何ぃ!? 嘘を吐くな!? あんな化け物をどうやって倒すと言うのだ!?」

 

「お、落ち着いて下さい!? お兄様」

 

 興奮する兄を立ての内側から少女が諫める。

 

「普通に」

 

「ふ、普通に……?」

 

 思わず間の抜けた顔でリーダーの青年が名状し難い顔と感情で固まる。

 

「普通……ね。あたし、やっぱ帰りますね? 御当主……まだ死にたくないので……」

 

「後にしろ!! どちらにしても見られた以上は拘束させてもらう!!」

 

「いやぁ、止めた方がいいと思うなぁ。あたしは……」

 

「お兄様!? ら、乱暴にしては後で交渉に響きますよ!?」

 

「此処でこのような手練れを逃せば、一日で何処まで西部に進出されると思う? 我らの同胞は待てぬのだぞ!!」

 

「そ、それは……」

 

「悪いが実力で足止めさせて貰う」

 

 軽装鎧の戦士がゆっくりと主なのだろう相手の前に出た。

 

「お前!? 一人でやるつもりか!?」

 

「此処はお任せを。御三方は即座に戻って同胞達に出立の号令を。先に陣に出来る場所さえ取っておけば、交渉も優位に進むでしょう」

 

「……ッ、済まぬ!!」

 

 すぐに決断したのは良いリーダーの資質だっただろう。

 

「ヒオネ!!」

 

「は、はい!! 廃神ウルテスよ。我らを霊殿に導き給え!!」

 

 少女が詠唱した時だった。

 

 少女の周囲の空間が湾曲し、ゴッと少女の肉体が吹き飛んだ。

 

「姫様!!?」

 

「何だ!? 貴様、一体何をしたぁぁあああ!!?」

 

 怒髪天を突く形相でリーダー各の青年が目を怒らせる。

 

「……異なる神の霊殿から直接自分の主神の霊殿に跳ぼうとしたから、反動で吹き飛んだ? 今度から気を付けないと……」

 

 思わず状況を理解した少年が初めて知る事実に溜息を吐く。

 

「霊殿への復帰が不可能だと言うのならば、此処は切り抜けるしかない。御当主」

 

「解っている!! 悪いが二人掛かりだ!!? ヒオネをやってくれた礼はしないとなぁああああああああああ!!!!」

 

 青年の肉体から魔力が僅かに漏れ出した。

 

「塔に待避しますよ!! お二人とも!!」

 

「任せるッッ!!」

 

 見えない塔へと吹き飛んだ少女を背負って女性が速足に待避していく。

 

 それを見送った少年は不意打ち気味に計戦士の短剣が自分の心臓を狙うのを見て、食い止めるという割には殺しに来る相手の容赦の無さに理不尽なものを感じる。

 

「!?」

 

 ガギンッと黒いダガーがソレを受け止め、同時にもう片方から腰の得物を抜いて切り掛かって来る青年に無詠唱で光が奔った。

 

「イゼクスの息吹だと!!? 貴様は教会の手の者か!?」

 

 咄嗟に回避して距離を取った青年の横へ跳躍した軽戦士が並ぶ。

 

「呪紋は貰った」

 

「ッ」

 

 その言葉に反応した軽戦士が益々顔を厳しいものにした。

 

「呪紋の収奪はかなり高位。確実に神官長の位です」

 

「クソ。最低でも2人以上とはどうなってるんだ!? 流刑者だろ!?」

 

「言葉遣いが汚い。小手調べでは死ぬでしょう。済みませんが、戦う限り絶対はない……後ろへ」

 

「―――分かった!! 後は任せろ!! 存分にやれ!!」

 

 少年の前で計戦士の男が両腕をクロスさせて力んだ。

 

 途端、その背後から青白い光が溢れる。

 

「廃神ウルテスよ。どうか、我らに勝利の加護を……神聖変異呪紋【狂獣】!!」

 

 少年が棒立ちなのを良い事にサクッと発動された呪紋が軽戦士の肉体を無理やりに肥大化させていく。

 

 そして、何故上半身裸に鎧を着込むのか。

 

 少年が理解する。

 

 鎧そのものが肉体の変質で取り込まれるからだ。

 

 獣毛が生えながら男を完全な獣へと変貌させていく。

 

 人型でありながら前屈みの4m程の巨大なソレはワーウルフを褐色にしたような感じにも見える。

 

 ゴッと無防備に見える少年に向けて猛烈な鋭い鉤爪の一撃が襲い掛かり、横薙ぎのソレを黒い大剣にした刃で受けて、同じ方向に跳びつつ吹き飛ばされた少年は傍に背後の岸壁に全身のバネを使って着地。

 

 しかし、降り立った瞬間にはもう目の前に高速で機動した獣の腕が迫り、面倒になって呪紋を精霊に詠唱させて、即時自分も変異呪紋を起動した。

 

『―――?!!』

 

 巨大な黒い鉤爪を持つ灰色の片腕。それは蜘蛛のような甲殻を筋肉のように脈動させ、獣の爪を受け止め、逆に掴んで地表に投げ落とした。

 

 ドッッッと下の砂が爆発し、クレーターと化す。

 

「馬鹿な?!! 無詠唱で変異呪紋だと!? クソ!?」

 

 後方では走って来ているリーダー格の青年がブツブツと呟きながら少年に向けて手を翳していた。

 

 発動したのはどうやら空気を操るものらしく。

 

 複数の渦巻く風が槍のように目視し難い状態で少年の追撃を防ぐべく放たれ。

 

 しかし、壁に不可糸で張り付いていた少年は4mの獣が即座に起き上がって反撃するのを潰すべく。

 

 瞬時に砂浜の起き上がる獣の横に着地して呪紋を回避し、クルリと一回転して、片脚で脇腹に蹴りを入れた。

 

『が―――!?』

 

 メキメキと音を立てて吹き飛んだ巨体が今度は近くの岸壁に激突。

 

 少年の脚は一撃で粉砕骨折していたが、真菌共生による効果と変異中の他の蜘蛛達の効果で治っていく。

 

 主に竜骨に置換された少年の脚は今後はかなり折れる確率が低くなるだろう。

 

「アルクリッド!!? 貴様!? よくもアルクリッドを!!?」

 

『御当主!? 来るな!?』

 

「もう容赦せん!! 死んでも恨むなよ!?」

 

 青年がアルクリッドと言うのだろう軽戦士の言葉を無視して、

 

 剣に何かを振り掛ける。

 

 途端だった。

 

 剣が腐食し始め、同時に剣そのものの内部から別の刃が露出する。

 

(抗魔特剣? しかも、通常刀身に入れ込まれた何か……コレは……今まで抜く前に終わらせてたヤツ? あの時期には反射速度で負ける要素が無かったから、一度も見てない……)

 

 少年が瞬時に利き手を元に戻し、同時にダガーを大剣状態にして構えを取る。

 

「喰らえ!!」

 

 青年が掻き消えて、その瞬間を見越した少年が上空に跳躍しながら、苦無を直線状に3連射した。

 

 1本が何かに当たって爆発し、その衝撃に割れた他が誘爆。

 

 亡霊すら一撃で屠れる威力は通常の生物にはかなりの痛手のはずであるが、青年が吹き飛んで岸壁に叩き付けられるも即座に起き上がって再び少年へ向けて剣の切っ先を―――。

 

「遅い」

 

「?!」

 

 その背後にいた少年のダガーが背後の布地の一部を透過するように刺し込まれ、ダメージを負った内臓に浸透した真菌が侵食と同時に体内の血管を掌握し、酸素を運ぶ血液を一瞬だけフィルタリングする。

 

 瞬間的な酸欠にカハッと息を吐いて倒れた青年の手から今まで見えなかった呪紋が彫り込まれている様子の捻じれたフランベルジュのような剣、混濁した褐色と薄紫色の斑模様のソレが蹴り飛ばされる。

 

「何故、だ。上空に」

 

 上空にいたソレが解けていく。

 

 不可糸で編んだ己の人形を生命付与で動かしていたのだが、ソレが解除されれば、瞬く間に溶けて消える。

 

 当人は瞬時に相手の後方にある霊殿に符札の転移で回り込んで上空に打ち上げた偽物に苦無を投げさせる動作をして高速で忍び寄ったのだ。

 

「く、そ………」

 

 倒れ伏した青年から蹴り飛ばした剣は少年の足元から伸びた黒い真菌の糸に回収されて遠方の岸壁に投げられてガスッと突き刺さった。

 

 何とか起き上がって元軽戦士が構えを取るが、少年がダガーを仕舞い込んでその場から離れる。

 

『何故、トドメを刺さない』

 

「西部への進出は認めてもいい。ただし、後の戦争でニアステラに加勢してくれるなら」

 

『加勢?』

 

「もう少しでアレらが来る」

 

『アレとは何だ?』

 

「北部から機械竜の軍勢が来る。東部から教会の本隊も……」

 

『?!!』

 

「ニアステラは西部まで拡大する予定になってる。北部からの移住者がこちらの列に加わるなら、西部の一部を自治的に治めて貰って構わない」

 

『貴様は……一体……』

 

「それと顔に傷のある獣の男。アレは許さない」

 

『ッ―――』

 

「見つけ次第必ず殺す。庇えば、次は無い」

 

『………必ず御当主に伝えよう』

 

 変異したまま。

 

 少年の横をすり抜けた軽戦士が青年を持ち上げて、そのまま跳躍し、今は糸で編みこまれて見える塔と化した橋の上で見下ろしていた仲間達の元へと戻る。

 

 それを見終わった後。

 

 少年は不可糸で抗魔特剣らしき禍々しい色合いのフランベルジュをグルグル巻きにして、符札を掲げて野営地に戻るのだった。

 

 *

 

「ハッ?!」

 

 思わず飛び起きようとした青年が脇腹の痛みに思わず体を強張らせる。

 

「こ、此処は!? ヤツは!?」

 

「お兄様!? 落ち着いて下さい!? 動かないで!?」

 

「うぐ、ヒオネ。無事か?」

 

 青年が背後から内臓に掛けての痛みに顔を顰めて動きを止める。

 

「は、はい……此処は見えざる塔の4塔目の詰め所です」

 

「そう、か。負けたか……アルクリッド。お前か?」

 

 もう人型に戻っている軽戦士アルクリッドが傷口を見せてから壁に背中を預ける。

 

「感謝してよね~~我らの同輩の為なんだから。おねーさん、逃げ出さないとか褒めてもいいわよ~」

 

「ミーチェ……はぁぁ、感謝する」

 

「はいはい。そういうのは傷口が治ってからね」

 

「あの時、確かに脇腹から内臓まで達したはずだが?」

 

「綺麗なものよ? 打撃痕しか無かったし……」

 

「イーレイお兄様は一時、意識が完全に無かったんですよ? ミーチェさんが手当をしてようやく落ち着いて……」

 

「………全員、生きているな」

 

 その言葉に周囲で空気が弛緩する。

 

「見逃された上に手加減されていた事を忘れるな。御当主」

 

「フン」

 

「その、アルクリッドの狂獣を使っても手加減されていたのですか?」

 

「ああ、背後の剣を結局抜かせられなかった。恐らく、抗魔特剣……その上、あの禍々しい気配。抜けば一瞬でカタは付いていたはず」

 

「うわぁ……おねーさん戦わなくて良かったわ~~」

 

「煩いぞ。ミーチェ……それであいつは何と?」

 

「西部の一部をくれてやると。その代りに後に攻めて来るヴァルハイルや教会との戦いに参列せよ。そういう話だった」

 

「傲慢な……そもそも流刑者なのに我らの事情を知っていた?」

 

「そのような口ぶりだった事に間違いはない。また、我らの列に加われとも」

 

「下に付け、か。ヴァルハイルの連中とどちらがマシかな?」

 

「だが、これで西部への活路は見出せた。少なからず」

 

「……オレのエーテは?」

 

「持って行かれた」

 

「散々だ!? クソ……」

 

「ま、まぁ、お兄様の命の代償だと思えば、惜しくは……」

 

「惜しいに決まっているだろう!? アレはなぁ!?」

 

「はいはい。動かない動かない」

 

「うぐ、ぐぅ……」

 

 ようやく大人しくなったイーレイと呼ばれた青年が溜息を吐いて切り替える。

 

「とにかく、まずは無事を喜ぼう。それとヒオネ。先に帰って移住団の移動を開始させろ」

 

「だ、大丈夫ですか? お兄様」

 

「とにかく、全ての情報を持ち帰れ。話はそれからだ」

 

「は、はい!!」

 

 そうして少女は今度こそ、何事かを呟くとその場から消える。

 

「で? 御当主。何を彼に聞きたいのかしら?」

 

「アルクリッド。他には?」

 

「隠し事は出来ない、か」

 

「どれほどの付き合いだと思っている?」

 

「……条件が更に一つ」

 

「何だ?」

 

「顔に傷のある男を必ず殺すと言われた。それも庇えば、次は無いと」

 

「――――――」

 

「それって……もしかして……」

 

 ミーチェが僅かに目を細める。

 

「今回の事前調査は本来あいつがやるはずだった。流刑者から怨みを買っている? どういう事だ?」

 

「分からない。だが、アレは嘘偽りの無い言葉だった。しかし、それならば……我らにも資するかもしれない」

 

「今はそう考えておこう。あいつなら、あの男すら確かに倒すかもしれん」

 

「横合から利益だけ掠め取ろうなんて、やるじゃない。御当主」

 

「言葉が悪い。ただでは起きんと言え。ぅ……」

 

「それにしてもあの子強過ぎじゃない?」

 

「フン。ヴァルハイルの連中と戦える能力だな。だが……助力を頼む程度には連中の上の強さも分かっていると見ていい」

 

「どう? 一緒に戦ってみる?」

 

「……考えておこう」

 

 塔の中。

 

 ひっそりとまた小さな選択が為された。

 

 そして、新たな波は起こされる。

 

 誰も知らない明日に向けて今は小さな波紋にしか過ぎなくても。

 

 *

 

―――第一野営地ウートの執務室。

 

「謎の集団に襲われた、か」

 

「アルティエ……だから、どうして帰って来る度に……いや、いい。お前が悪いわけでもないのは解っている。解っているが……」

 

 ウートとウリヤノフに少年は一応報告する事になっていた。

 

「人型の異形。喋る角ある獣型の人外か」

 

「恐らく北部の人間。一部の声は盗み聞きした。西部の北端に集団で押し寄せて来る。たぶん」

 

「それで?」

 

「会話の内容からして、何かから逃げてた可能性が高い」

 

「……北部の勢力争いか?」

 

「恐らく。竜の勢力だと思う。あれほどに強いのに逃げるなら、一番強い相手との勢力争いのはず」

 

 ウートが額を手で揉み解す。

 

「西部が安全になった為、負けそうな勢力が西部にやってくる、と」

 

「話は出来そうだった。ただし、交渉が上手く行くかは……」

 

「そして、即座に殴られたから、相手を殴り返して、生きたまま返したわけだな?」「顔は繋いだ。確認は取れる。強さは申し分ない」

 

「……彼らを我らの傘下に加えようと言うのか?」

 

「これから教会が攻めて来た場合、絶対に戦力が足りない。呪紋を使う教会騎士が広域に展開したら、幾ら倒しても被害が出る。神聖騎士が来れば、遠征隊以外じゃ絶対に護り切れない」

 

「だろうな……神聖騎士の話はよくよく帝国でも聞いていた。だが、彼らが我らに協力すると思える理由は?」

 

「勢力争いに負けても、勢力を養わないといけない」

 

「……ははは、なるほど。身に染みて痛い話だ」

 

 ウートが納得する。

 

「確かにスピィリア達の協力もあって、ニアステラの生産力は上がっている。爆華以外の食糧も今は畑を各地に作って整備中。自生する果物も確実に保存食として在庫は増加に転じている。

 

「西部の食糧化出来る植物の自生地域は南に偏ってる」

 

 少年が広げられた地図を指す。

 

「西部には定住してもいい。だが、食料が欲しければ、こちらに付けと?」

 

「あちらに技術や能力があれば、それと引き換えに生産力で必要なものを対価に譲歩を引き出せばいい」

 

 その言葉にウートが肩を竦めた。

 

「十年後も生きていたら、村長にはウリヤノフを、お前には次の村長をして貰う事にしよう」

 

「主……」

 

「いや、見事な話だ。ちゃんと考えてあるならそれでいい。で、お前が見て最も重要だと思った事柄は?」

 

「ヴァルハイルに追い立てられてた場合、ヴァルハイルが敵になる」

 

「ヴァルハイル……北部の竜の勢力。必ず敵になると? 交渉は無理か? どうしてそう思う?」

 

「あの亜人達は仮にも神様を祭ってた」

 

「先程言っていた廃神だったか?」

 

「そう。廃神ウルテスって言ってた。でも、その神すら負かす連中が高が人間の罪人崩れの流刑者相手に交渉なんてしてくれるとは思えない」

 

 少年がそう言った時、扉が開いて老爺が一人やってくる。

 

「リケイ殿。せめて、声くらいは掛けて頂きたい」

 

 呆れた目でウリヤノフが溜息を吐く。

 

「おお、我が知識の出番かと思いましてな? それでウルテスと言っていたのですか?」

 

「話はしていって欲しいが、次からは最初から加わって欲しいものだ」

 

 ウートが横に置かれた小さな樽の栓を少し開けて酒を注いだ杯をリケイに渡す。

 

「おっと、これは頂いておきましょう。では、ウルテス神に付いてでしたな」

 

 リケイが一枚の地図を懐から取り出した。

 

 それは大陸の地図である。

 

「エル大陸には凡そ別大陸から来た者達の信仰する神が何柱かいますが、その一柱ですな。廃神というのはまぁ言ってみれば、大陸での主要宗教に負けた負け犬の神という事です」

 

「ざっくりとしていて、的確な話をして頂き感謝する。だが、教会に負けた宗教が此処に?」

 

「ヴァルハイルと同じでしょう。各国のゴミ捨て場のような扱いをされていた島ならば、大陸から追い出されたモノが吹き溜まっていてもおかしくはない」

 

「それでその神の教義は?」

 

「ウルテスは元々が牧畜の神でしてな。特に魔の技の呪紋では変異呪紋に長けており、その信奉者達は獣の姿を取る極めて優秀な狩人で戦士だった」

 

「アルティエの話とも一致するな……」

 

「神が説くは唯一つ。命を無駄にするな。だったかと。ただし、彼の神には一つ悪い癖がありまして」

 

「悪い癖?」

 

「神の癖に死にます」

 

「何?」

 

「神とは本来、我々よりも高い次元に身を置く存在。しかし、外来の神であるウルテスは人の世に墜ちた受肉の神でもある」

 

「受肉神? 教会の伝承では確か……」

 

「ええ、災厄を振りまく神と言われていますが、それは当たらずとも遠からず。ウルテス神は人々に多くの恵みを与え、人を獣や鳥の能力で大いに栄えさせた。しかし、血肉ある者は滅びるが定め」

 

「だから、死ぬ、と?」

 

「左様。死ねば今まで与えた恩寵は全て消える。確か古文書の類に拠れば、最後に転生したウルテス神が死んだのは252年前。教会との勢力争いに敗れた時だったかと……」

 

「ああ、神殺しの逸話にある獣の神か。ふむ」

 

 ウートが教会の故事を思い出す。

 

「それですそれです。ならば、関係者が流刑にされていてもおかしくはない。ヴァルハイルはそれよりも以前に来ていた。とすれば、あちらが新参者。勢力争いに負けて行き場を失っている最中に西部が蜘蛛から解放されたとの情報で勇み足でやって来ていたのでは?」

 

「詳しい事は解った。何か対策や必要になる知識は?」

 

「では、一番マズイところから。神と人の混血。亞神が未だに量産されている可能性がありますじゃ」

 

「神との混血者……それは……」

 

 ウートが難しい顔になる。

 

「また、神の血統からしか転生者は出ない上に転生者が出る血統は定期的に蘇った神と交わり、血の濃度を高めている。結果として亞神の血が入るウルテスの信徒の多くは魔の技と身体的な能力に長けます」

 

「……人間ではどうにもならなそうだ」

 

「ええ、間違いなく。当時の教会騎士達の4分の1が決戦で死んだ上、神聖騎士も凡そ20人程が道連れにされたとか。不死殺しの力を持っていたとも言われており、出来れば、仲良くする事をお勧めしますじゃ」

 

「……そんな彼らが追われるとすれば、北部は魔窟か。あるいはヴァルハイルや他の勢力が強過ぎるのかもしれん」

 

「さて、自分達より強い負け犬を受け入れるならば、策を練るのも一興かと」

 

「どのような?」

 

「要は彼らを二度負かせばよいのですよ。そして、それは半ば達成されている。お手柄ですな。アルティエ殿」

 

 少年を全員が見やる。

 

「………」

 

「では、三度負かして彼らを我らの元へ取り込みましょう。それでこそ安心して隣人になれるというもの……」

 

 こうして、西部からのお客様をお出迎えする為、遠征隊が駆り出される事になったのだった。



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第35話「鳴動せしフェクラールⅡ」

 

『わたくしの体探しが何だか近頃おざなりにされているような気がしますわ』

 

 ブツブツと言いながら近頃はフレイ達と一緒にドラコ―ニアや他の蜘蛛達を教練しつつ、自分も鍛えているエルミが不満を述べる。

 

 その手にはカードが握られていた。

 

「まぁまぁ、とにかく今日はお休みという事ですし」

 

 それを宥めたフィーゼがカードを出して一歩リードする。

 

「む、むぅ……こういうの初めてしたけど、あ、案外面白い……あ、ボクもこれ」

 

 それに続いたレザリアがカードを幾つかまとめて出した。

 

 周囲から呻きが上がる。

 

「く、つ、強過ぎだろ。クソ……また負けた」

 

 ガシンが降参とばかりにカードを全て放棄して立ち上がる。

 

「ガシンさん?」

 

「ああ、ちょっとあっち見て来る」

 

「解りました。気を付けて下さいね?」

 

「ああ」

 

―――西部北端域遠見の丘。

 

 幕屋が一つ見晴らしの良い高台となった丘に置かれていた。

 

 山林と丘陵を見下ろせる絶好の位置。

 

 此処からならば、西部の中央部の少し上くらいまでは見渡せるくらいに広く視界が通っており、何処からでも敵を発見する事が出来るだろう。

 

『………』

 

 その上、景色は素晴らしく。

 

 此処で星降る夜に野営すれば、自然の壮大さに感動し切りのはずである。

 

 まぁ、敵になりそうな野戦部隊が歯軋りしそうな渋い顔で天幕を遠方から見ていなければ、だが。

 

「おう。やってるか?」

 

「うん。角持ちはあんまりいないけど」

 

「ほうほう? 角があるヤツが強いんだっけ?」

 

「そう。絶対に強い。でも、角無しが一杯部隊に混ざってる」

 

「理由はさっきの話で想像は付くな」

 

「もうたぶんあんまり数が残ってない。もしくはまだ後方で戦ってる」

 

 だろうな、と。

 

 ガシンは忌々しそうに物資を満載した荷車を馬で引いている者達を見た。

 

 一番見晴らしの良い西部北端の要所が何者かに抑えられているのだ。

 

 これでは軍事的にもかなり厳しい。

 

 相手は少数。

 

 と、思って仕掛けて来た部隊が霊視の力も無いので不可糸の網に絡めとられて戦闘不能にされた後、生命付与の呪紋で造られた蜘蛛達に体力をちゅーちゅーされて生きたままペッとそこら辺に転がされていれば、一般の部隊にはもはや成す術もないという具合である。

 

『な、何だ!? どうしたお前達!?』

 

『こ、こんな!? いきなり倒れるなんて毒か!?』

 

『クソォ!? 後退しろ!? こうた―――』

 

『戦わずに敗れるだと!? 我々、バルオクの氏族が!!?』

 

 何よりも滅茶苦茶手加減されているのが武人なら分かるわけで増援を呼んで来ても見えない糸と見えない蜘蛛達が相手ではどうにもならない。

 

 結果、歯軋りしながら部隊は遠巻きに丘の上の彼らの天幕を見ているわけである。

 

『はっはー!! こりゃダメね。あははは』

 

 ガシンが少年の座る高台の椅子の横で部隊を見下ろしていると山林の後方から声がして、ノソノソと人影が出て来る。

 

「あん? 本当にアレ同じ種族かよ」

 

 ガシンが呆れるのも無理はなかった。

 

 角獣人と呼べるような者達。

 

 その中から出て来たのは全身がキメラのような相手だった。

 

 角持ちの獣人の特徴に加えて、体毛が頭部以外には無く。

 

 肌のあちこちに呪紋らしきものが彫り込まれている。

 

 体毛さえなければ人間に近いのかと思いきや。

 

 その背中には翼らしい硬い獣毛に覆われた翼。

 

 胴体部の肌のあちこちには鱗らしいものが見られ、鎧のようになっている。

 

 また、最も驚くのは額にある二つの扇の骨のように斜め配置にある目だろう。

 

 合計四つの目が美しい女の美貌を更に異彩を放たせている。

 

 白と黒が混じり合う二つある角から伸びた骨の仮面のような部分が額から鼻筋までを飾っていた。

 

「普通に戦ったら、普通に強い。戦士級」

 

「普通に強いのかよ。今のオレじゃ勝てなくね? アレ」

 

「勝てない。たぶん、呪紋沢山に空も飛ぶ上に近接戦も強いし、見える領域が神の力まで届いてる」

 

「はい。終わった~~オレの出番無しじゃねぇか」

 

「そうでもない?」

 

「あん?」

 

「魔力補充役」

 

「ああ、そう!? クソ、何か近頃オレを魔力が幾らでも出て来る樽みたいに思ってねぇかお前!!?」

 

 思わず涙目で喚くガシンである。

 

「何か言ってるけど、あんたら!! そこ退きな!! ウルテス神の加護在る戦士アラミヤの名において!! そこを退くなら殺しゃしない」

 

 長い髪の女が嗜虐的な顔で本能的なのかどうか。

 

 闘争を求めてますという顔になる。

 

「そこのおっぱいのでけーねーちゃん!! オレ達が先だ!! 後から来たなら!! それ相応の話があって然るべきだろ!!」

 

 ガシンが一応話が出来るかどうかと挑発してみる。

 

「はははは!! そうかい? なら、あたしと一発しけこむかい? あたしはそれでもいいんだが……」

 

 ガシンがいやそういう趣味はねぇんだが、という顔になる。

 

「おや、ダメそうだ。じゃあ、戦うしかないね」

 

「クソ。どう答えても襲ってくるヤツじゃねぇかアレ」

 

「そういうもの。戦士だし」

 

「どうする?」

 

「普通にゴリ押し」

 

「ゴリオシ?」

 

「魔力使う」

 

「あ~はいはい。好きにしろ」

 

 一瞬で猛烈な跳躍で襲ってくるアラミヤと言う女戦士は背中から抜き放った大剣を片手で振り回し、周辺に展開されている蜘蛛の糸を切り払いながら滑空。

 

 蜘蛛達を次々に斬って糸に戻しながらすぐに少年達の傍までやって来た。

 

「ほらほら、早くしないと斬っちゃうよ?」

 

「………顔に傷のある男を知ってる?」

 

「あ? 顔に傷……アンタ、ヴェーゲル様を知ってるのかい?」

 

「後で殺す」

 

「はははは!! そりゃぁいい!! そうなれば、次期当主争いもすぐに終わっちまいそうだね!!」

 

 そう言いながら女の手に力が入る。

 

「アンタらがあたしを切り抜けられたらそうするといいさ」

 

 無詠唱でアラミヤの背中の翼から低速で薄紫色の獣のようなものが大量に上空へとばら撒かれた。

 

 しかも、延々とソレが上空に溜まり続けて行く。

 

「ほらよ!! 贈り物だ!!」

 

 大量に出て来る蜘蛛を糸毎切り払い続けているアラミヤの号令で一斉に獣達が速度を変えて地表に高速で落着し、猛烈な爆発を引き起こす。

 

 威力を集約された少年の座る地点はあまりの爆風に周辺の地面が抉れて幾つもクレーターが出来て土埃に呑まれた。

 

「解ってるんだよ!!? 死んだフリはヨシな!!」

 

 土煙がブワリと晴れる。

 

 途端、後方の部隊の者達が目を剥いた。

 

 土煙の中から悠々と巨人が歩いて来る。

 

 それは生命付与によって命を与えられた糸の巨人。

 

 西部で少年が襲われたゴーレムを模したものだった。

 

「はは!? こんなもんまで出せるのかい!? 相手にとって不足無―――」

 

 敏捷性というものをゴーレムから予測出来ていなかった時点で女戦士アラミヤは負けていたと言うべきだろう。

 

 彼女の最大加速とほぼ同じだろう速度で拳が振り下ろされ。

 

「ガッッッ?!!」

 

 彼女の肉体が耐えられる程度の衝撃でクレーターの中心となった彼女は両腕を粉砕骨折しつつ、僅かに心停止するも呪紋の効果なのかどうか。

 

 白い魔力の光に包まれて意識を復帰させ、ニヤリと笑って押し潰してくる白いゴーレムの腕の先で気絶した。

 

 理由は単純である。

 

 小さな蜘蛛がゴーレムの拳から湧き出して、彼女の体力を吸い尽したからだ。

 

 魔力も限界まで吸収されてしまえば、呪紋も発動出来ない。

 

 ゴーレムが融けて糸に戻り、周辺の地域を覆うようにして領域を広げていく。

 

『戦士アラミヤがやられたぞおおおお!! 本隊に報告せよ!!? 退却!! 退却ぅううう!!?』

 

 こうして、糸でアラミヤの武装を解除した少年は仕込まれている武器が無い事を確認した後。

 

 膨れ上がった両腕と砕かれた肋骨の痛みで未だ白目を剥いてピクピクしている戦士をじ~~っと見やり、腰から引き抜いた革袋の水を一口飲ませて蜘蛛達に彼女を天幕の中まで運ばせていく。

 

「え!? 誰!? この人!? いや、人!?」

 

「いや、それはレザリアが言うとアレなんですが……」

 

『まったく、女性を浚ってくるなんて嘆かわしいですわ。それはそれとしてわたくしに戦利品は?』

 

 女性陣の三者三葉の様子にガシンは女の肝の太さを思い溜息を吐くのだった。

 

 こいつらもう立派に戦士並みのクソ度胸と風格だよなぁ、と。

 

 *

 

「アラミヤ殿がやられたと先遣部隊から報告がありました。例の高台に御当主が言っておられた人物らしき者と数名を確認。恐らくニアステラの者達で間違いないかと」

 

 西部の北端沿岸部。

 

 橋の上から大量の糸が垂れて、荷車や人が巨大な籠に載せられて降ろされている横では臨時の軍司令部が置かれていた。

 

 獣人の女子供ばかりが降ろされる籠には他にも大量の樽と家畜の姿。

 

 一息吐いた彼らは仮の宿として天幕を張り始めており、周囲の山林が一部切り拓かれ、疑似的な野営地として機能し始めていた。

 

「……そうか。後方の者達からの報告は?」

 

「現在、撤退中との事です。辛うじて追撃部隊は退けたと。死者は出ておりません。やはり、本隊に殆どの戦士を投入した事は良かったかと」

 

 司令部の最中。

 

 複数の老齢から初老の男達があちこちに派遣した部隊からの報告を受けながら、状況を整理していた。

 

「マズイ……あの高台を抑えられると戦となれば、かなりの出血を覚悟せねばなりません」

 

「今はまだ少数なのだろう!! 此処は多少の犠牲は覚悟で数で押し潰しては? 我らには時間が無いのは諸兄らも知っての通りだ」

 

「いや、ですが、ニアステラ側が蜘蛛を倒し、領有していると宣言した以上、我らは後追い。二アステラ側を刺激して、後々の交渉になれば、かなりの―――」

 

「静まれ!!」

 

 その場にいたイーレイが男達に号令する。

 

「例のヤツはアルクリッドすらも負けた相手だ。生半可な数や質では逆に押し潰される。そもそも大多数と戦う事に長けたアラミヤが負けたと言うなら、問題は戦力の量ではなく質だ」

 

「アラミヤ殿はそれなりだったかと思いますが……」

 

「ユレンハーバの氏族から我らの最強を出そう。もし、負ければ、ニアステラ側に譲歩する。どの道……ヴェーゲル殿が負ければ、我らに勝てる戦力は無い」

 

 その場の男達が思わず沈黙する。

 

 それを後ろから見ていたアルクリッドは内心で上手いと主を褒めていた。

 

「よろしいのですかな? ヴェーゲル殿が武功を上げるという事は氏族会議において御当主は地位を失う事になりますが……」

 

「構うものか。諸氏族全ての命の事である。命を無駄にせぬ事を第一とするならば、敵との力関係を明確にし、その上で交渉に臨むが定石。自らの氏族一世代の為に多世代に渡る諸氏族の歴史を終わらせる方が罪深いのは明白だ」

 

 そのイーレイの言葉に老人達が納得した表情となる。

 

「解りました。では、すぐ様にでも……ですが、ヴェーゲル殿が納得するかどうかは……」

 

「納得するしかないだろう。アルクリッドを倒す程の猛者だ。その上、彼の弟達が戻らない限り、勝ち目はそもそも無い。ニアステラはあのウルガンダを倒している……その一戦士すら倒せぬならば、我らには無駄に散る戦力しか残っていない事になるのだからな……」

 

(御当主。弁が立つようになったな……)

 

 背後で聞いていたアルクリッドは誰にも見られぬよう唇を僅か釣り上げた。

 

 彼らの中でもう解答は出ていた。

 

 あの時、あの戦士が本気だったならば、自分達は死んでいる。

 

 そして、自分達の諸氏族最強の戦士。

 

 ヴェーゲル・ユレンハーバでは恐らく相手に勝てない。

 

 これが彼らの最適解に違いなかった。

 

『おぉ、ヴェーゲル殿!! ヴェーゲル殿が来られたぞ!!』

 

 一部の兵士達が何処か賞賛を含んだような顔で天幕にやってくる大男を見ていた。

 

「何事か。オレの話をしていたようだな。イーレイ」

 

 やって来た大男の顔の額には大きな切り傷の跡があった。

 

 その額の中央では縦に割れた瞳がギョロリと白濁した瞳で周囲を見ている。

 

 全体的に見て獣の風貌が強い男だった。

 

 何よりも肉体の殆どが硬質な灰色の獣毛に覆われており、顔に呪紋が幾つか刻まれている以外では体躯の強靭さが際立つ。

 

 装甲らしい装甲は殆ど付けておらず。

 

 腰から下も動きを阻害しない最低限の装備が剣一本あるのみだ。

 

「ヴェーゲル殿。ニアステラの話は聞いていると思うが、彼らに占領された一帯を護る戦士を倒して来て欲しい」

 

「ほう? オレが高ぶるような戦士がいると?」

 

 50代程だろう男が唇の端を曲げる。

 

「恐らく、ニアステラ側の上位の戦士だ。アルクリッドを退ける程の……」

 

「ははは、坊主が負けるとは面白い相手のようだ。いいだろう。その任引き受けた。だが、武功を積めば、次の氏族会議では危ういかもしれんぞ?」

 

「問題無い。同じだけ武功を上げればいいだけの事だ」

 

「よく言った。まぁ、ニアステラの女がどれくらいの味か見る前に一人倒してこようか」

 

「諸氏族の未来の為。どうかお頼みする」

 

「任せておくがいいさ。次の当主の座は頂くがな」

 

 男が大笑いしながら去っていく。

 

 それを僅かに忌々し気に見ていたアルクリッドはその場を離れ。

 

 女子供が集められた一角の天幕。

 

 最も大きい場所に入る。

 

「ヒオネ」

 

「あ、アルクリッド様!? 何を勝手に入って来ているのですか!? 先程までまたあの大男が来ていて、皆怯えているのですよ!?」

 

「そうですそうです!! また、あのユレンハーバのヤツが来て、姫様に卑猥な事を……くぅ!? 腹が立ちます」

 

「ああ、済まない。では、呼び出してくれるか?」

 

 アルクリッドが侍女達にペコペコと頭を下げる。

 

 そうして数十秒後。

 

 天幕の最奥からヒオネが侍女達を連れて出て来る。

 

「アルクリッド。会議はどうでしたか?」

 

「ユレンハーバの最強を高台に差し向ける事に決まった」

 

「そうですか……お兄様は?」

 

「立派に働いている為、問題無く」

 

「……皆、不安になっています。父兄弟達が背後で奮戦しているとはいえ。それでもやはり……」

 

「西部の大山岳は超えられない。である以上、問題は如何に早く【悪滅の庵】を崩して封鎖するかとなる」

 

「もしもの時は……お兄様がその決断をするのですよね……」

 

「生き残る為ならば、同胞も理解する」

 

「解っています。ですが、ニアステラ側は……流刑者達はあのユレンハーバの最強に……」

 

「さて、どうなるかは推して知るべし。我らは答えを待つべきだ」

 

「解りました。待ちましょう。今は……」

 

 こうして角獣人の野営地からは十数名の部隊が出立し、数時間せずにその高台へと赴く事になる。

 

 それは彼ら最強の戦士の部隊。

 

 唯一残された希望。

 

 そう多くに思われる者達に違いなかった。

 

 *

 

「なぁ、ずっと座ってて痛くならないか?」

 

「これが一番いい。後、得物が掛かった。此処を放棄する」

 

「へ?」

 

「全員一時撤収。一人でいい」

 

「オイオイ。お前、一緒に戦えばいいだろうが」

 

「手加減出来ない人間は現場に不用。相手を圧倒したと思わせないと相手が攻めて来る。でも、相手を殺さないように手加減出来ないと反感を買う」

 

「政治かよ!? 此処まで来て」

 

 思わず苦労している少年の頭をガシンがポンポンする。

 

「今後の事を考えても一人で圧倒して、一人で手加減するのが一番楽」

 

「解った……でも符札で帰るのか?」

 

「霊殿は置いた。一刻後にもう一度来てくれればいい」

 

「解った。じゃあ、先に一旦帰る……無茶するなよ?」

 

「解ってる」

 

 少年の頭をまたポンポンしてガシンが笑い。

 

 そのまま少年から符札を受け取って、その場にいる女性陣に説明しつつ、天幕の中から第一野営地に跳んだ。

 

「来た……これでようやく……」

 

―――44386528372日前『ほら!? ほら!? オレの女になれ!! なれよ!!?』

 

 いつか見たフラッシュバックを首を振って打ち消した少年がいつもよりは細まった目でダガーを抜いて、その場から消える。

 

「此処が高台か。良い位置だ」

 

 ヴェーゲル。

 

 角獣人達の野営地一の戦士は夕暮れ時の高台にポツンと置かれた天幕を見やり、周囲の男達に合図をして包囲させつつ、いつでも呪紋を使えるように準備し、ゆっくりと近付くと一斉に秒速100mを超える跳躍で天幕を破壊する為に斬り掛かった。

 

 内部の相手毎の斬殺。

 

 合理的な手順を踏んだ彼は一瞬後。

 

「?」

 

 自分の視界がクルクルと回っている事に気付き。

 

 トサッと自分と同じ顔をした同氏族の戦士達が呆然としたまま命を途絶えさせているのに驚きながら、自分の命が後数秒だと知って、最後に相手の顔を見やろうとしたものの、その事を最期に後悔した。

 

 自分の首を持ち上げるソレの顔を見てしまった事を彼は呪霊や怨霊になる事すら出来ない程に後悔した。

 

「―――」

 

 それがもしも人の顔ならば、人とは何と悍ましく怖ろしいのだろうかと。

 

 人形にすら魂があると信じられる程に冷たい憤怒。

 

 世界を壊してしまいそうな硝子玉のような瞳は彼を覗き込んでいた。



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第36話「鳴動せしフェクラールⅢ」

 

「御当主!! 御当主!!? 緊急!! 緊急!!」

 

 遂に来たかと。

 

 彼イーレイが腰を上げてすぐに伝令兵からの話を聞いた後。

 

 野営地の外まで走り出せば、多くの者達が追従した。

 

 そして、彼が見たのは想像を絶する出来事であった。

 

 戦士達が歩いている。

 

 だが、戦士達は死んでいる。

 

 その証拠に首から血潮が溢れている。

 

 横一列の戦士達の前を歩いている黄昏に黒い影を落とす少年を彼は正直見縊っていた事を知る。

 

 傷一つ無く。

 

 疲れてすらいない。

 

 ただ、その冷たい瞳だけが、自分達と戦った時よりも尚怖ろしく。

 

「たのもう」

 

 そう一言を告げた少年が黒いダガーを剣に納めて指を弾く。

 

 すると、戦士達がバタバタと倒れ伏し、まるで眠っているかのように仰向けで彼らの前で浮かんで野営地の守護者達の前に差し出される。

 

 何故、浮かんでいるのか。

 

 それを知れるのは霊を見れる者達だけだった。

 

 蜘蛛だ。

 

 小さな蜘蛛達が運んでいるのだ。

 

 その体格差からすれば巨大に過ぎるだろう体を。

 

 そして、野営地の前に並べられたユレンハーバの戦士達は無言で帰宅。

 

「我が方の陣地を名乗りも無く襲われ、仕方なく応戦し、打ち倒したものである。これによってニアステラはそちらの方に何か譲歩を迫るものではない。我らはあくまで名乗りもなく、いきなり剣を振り下ろしてきた卑怯者へ相応の対処をしたのみ。今後もこのような事が続くのならば、そちらへの対処を改めなければならないが、そうでないのならば、今回の事は単なる統制を離れた兵が野盗化し、理性なく襲い掛かって来た事故であると処理しておく」

 

「ま、待たれよ!?」

 

 少年が背を向けて帰ろうとするにハッとしてイーレイが声を上げる。

 

「ニアステラの戦士とお見受けする!! 今回の件の首謀者は代表者であるこのイーレイ。イーレイ・スタルジナに責があると覚えておいて貰いたい!! もしも、本当に我が方の戦士がそのような蛮行を働いたのならば、お詫び申し上げる!!」

 

 イーレイ。

 

 青年が内心で自分の思っていた以上の状況に忸怩たる思いで頭を下げた。

 

 本当ならば、相打ち。

 

 出来れば、重症。

 

 そう思っていたのだ。

 

 だが、彼やアルクリッドの思惑は外れ。

 

 まさか、野営地最強の戦士が他の同氏族の戦士達と共に蛮行を働いた、なんて宣伝されて士気を落とされた挙句。

 

 首を一太刀で落とされている、なんて言うのは明らかに譲歩以上に現在の諸氏族を不安定化させる妙手。

 

 此処で統制が取れなくなったりしたら、彼らに生きる道は無いわけで、それが理解出来る彼は形だけでも周囲の者達を安心させる為に頭を下げざるを得なかった。

 

 少なくとも何であれ相手を怒らせて謝罪したという形であれば、これ以上の惨劇は起こらないだろうと事実とは異なるとしても多くの者達は安心する。

 

「丁寧な謝罪。これを受け取らねば恥じとなりましょう。受け取っておきます。また、今後あの地点に来る場合は非武装とは言わずともせめて声を発し、対話を求める者を寄越して頂きたい。この要請が護られる限りにおいて、我らニアステラはそちらを敵だとは思わないとお約束しましょう」

 

「わ、分かった!! 今後、ニアステラ側への来訪を予定している!! 後日、交渉の使者を立てる為、しばし待って頂きたい!! 我らは廃神ウルテスの子!! アルマーニアと言う!! 覚えていかれよ!!」

 

 少年は頷いて野営地の残骸がある高台へと戻っていった。

 

「アルクリッド」

 

「此処に」

 

「しばらく、疲れそうだ。夜になるかもしれんが、飲み食いと寝床の準備をしておいてくれ。それと妹に今後は夜も安心して眠れと」

 

「解った」

 

 側近であるアルクリッドがすぐに野営地の奥に戻ると次々に戻った戦士の遺体に悲鳴を上げて縋りつく氏族の者達やら、当主に駆け寄って来る重臣達やら、彼らの野営地は最大級の混乱に見舞われる事になるのだった。

 

(有言実行か。名前を聞いておくのだったな……)

 

 こうして彼らアルマーニアは西部の洗礼というよりは怖ろしきニアステラの威力を存分に見る事になったのである。

 

 その夜。

 

『強くて手加減出来なかった』

 

 そう、アルマーニア側に死者を十数名出した事を正直に報告した少年を前にウートは魂が抜かれたように疲れ果て、後で少し譲歩しようと固く誓うのだった。

 

 *

 

―――2日後。

 

「こ、此処がニアステラ!? く、蜘蛛の人型!? ま、まさか、ウルガンダの!!?」

 

「ひぃ!? く、蜘蛛がぁ!? 蜘蛛がぁ!? あ、あれは大丈夫なのですか!? アレはぁあ!?」

 

「あ、あの黒曜石の都市は!? ま、まさか、伝説のノクロシア?!」

 

 ニアステラの第一野営地の浜辺。

 

 さっそく到着したアルマーニアの交渉団はニアステラの各地を通って来た時も驚いたものだったが、それ以上に活気のある煙臭い野営地に顔を顰めるより先に大量の蜘蛛に出迎えられて、魂を抜かれそうになっていた。

 

 スピィリア達は蜘蛛型に戻れて、そちらの方が色々と作業が捗る事から、お仕事中は人の手が必要でない限りは蜘蛛形態でいる事が多い。

 

 そして、交渉団にいた女性達が顔を引き攣らせる程度には蜘蛛型の人種族がウロウロしている上、何か色違いの一際強そうな蜘蛛が諸々いる事も確認して、ガクガクブルブルしているわけだ。

 

「あ、でも、案外この子達……人懐っこい?」

 

 交渉団にいた少女。

 

 ヒオネがアルマーニア御一行様歓迎の横断幕を持ってピョンピョン跳ねたり、歓迎の文字を入れた旗を振っている蜘蛛達を見て首を傾げる。

 

「騙されてはいけません!? ウルガンダの蜘蛛と言えば!! 伝承にもある通り!! 人を毒で犯して生きたまま食い殺し。また、卵を産み付けて、内部から……うっぷ……っ」

 

 叫んだ侍女達が次々に伝承を思い出して口元を抑える。

 

 すると、それを見た蜘蛛達がすぐにサササッとやって来て、ウェルカムドリンクならぬ野営地名物の甘い爆薬酒の入ったお椀をおぼんに載せて勧める。

 

「あ、甘くて美味しい」

 

「姫様!? 毒味してからになさいませ!!?」

 

「こ、此処は侍従のわたくしめがぁああ!!?」

 

 ゴクリと一口飲んだ後。

 

 侍従達が目を丸くする。

 

「あら、甘くて美味しい……」

 

 侍女達が次々に蜘蛛達に木製のジョッキを渡されてゴクリと飲み干した後。

 

 この蜘蛛達は危なくないのだろうかと首を傾げる。

 

「お前達、何をしている……行くぞ」

 

 そんな光景に物珍し気だった交渉団を連れて代表者であるイーレイが他の戦士達に護衛されながら、野営地の広場に設置された長椅子とテーブルを前にして、ようやくニアステラの代表者に会う事になるのだった。

 

 *

 

 こうして、代表者達がツマラナイ未来の話を詰めている最中。

 

 やって来ていたヒオネは浜辺で模擬戦をしている遠征隊の面々を見付けた。

 

「ガシン!!? それ一人で出来るようになったの!?」

 

「ん? ああ、コイツか? 何か一人で出来るように覚えておけっつってな。アイツがリケイさんに呪紋の部分転写? とか何とかして貰って」

 

「!!?」

 

 彼女達が見たのは巨大な人の数十倍はあるだろう腕を背中に背負うようにして金色の蜘蛛や紅蓮の蜘蛛や灰色の蜘蛛と素手?で殴り合う青年やら。

 

「あれはさすがに真似出来ないよね」

 

「そうですね。ガシンさんも何だかアルティエがいなくても滅茶苦茶格上相手に戦えそうな感じです」

 

『わたくしの体、いつになったら見付かるのぉ~~~もぉ~~早く遠征に出掛けたいですわ~~~』

 

 蜂のような尻尾や甲殻を持つ少女と竜鱗の装備を身に付けた少女と空飛ぶ幽霊っぽい少女が全員で数百m先の的にバシバシと矢を命中させている姿だった。

 

「こ、これがニアステラの実力」

 

 ゴクリと唾を呑み込んだヒオネにしてみれば、全員何かしらがオカシイ。

 

 腕が大量に背中から生える青年は明らかに巨大過ぎる霊力を持っているのが解ったし、それと戦っている蜘蛛達は一匹一匹が怖ろしく底が見えない。

 

 少女達も明らかに自分達の倍以上はありそうな弩や弓を軽々と扱っており、装備も普通には見えなかった。

 

「というか。いつの間にフレイはまた蜘蛛になったのですか?」

 

「あ、それね。アルティエが蜘蛛にも人にも為れる方が便利だよねって言ったら、フレイが何か自分で蜘蛛形態になる方法、呪紋を考えたんだって」

 

「へ!? じ、自分で?!」

 

「うん。ええと、魂の変形? とか言うのを身に付けたとか言ってたよ。何でもゴライアスを参考にしたとか何とか」

 

「へ、へぇ……さすが一番頭脳派なフレイですね」

 

 フィーゼとレザリアが会話している間にもまったく見ていない的にはバシバシと矢の山が横に積み上がっていた。

 

「ニアステラの女は凄いのですね……」

 

「は、はい。さすがに戦士達の中にもあのように見ずに遠当て出来る弓術師はおりませんので」

 

 彼女達がニアステラ恐るべしという顔になっていた時だった。

 

「あ~~ガシンいるじゃない。ほ~ら、アンタの好きなおっぱいよ~~」

 

「ブゥウウウウウウウウウ!!?」

 

 思わず侍女達が噴出した。

 

 それもそのはず。

 

 先日、死んだと言われていた女性の戦士の中でも特に大多数相手に無類と言われていた空も飛べる逸材が何か薄い布地で胸を覆っただけの服を身に纏い。

 

 大量の腕を呪紋で生やした青年に言い寄っていたからだ。

 

「ちょ、止め、止めろって!? 負ける!? 負けるからぁ!!?」

 

 言ってる傍から蜘蛛達の拳?によって手足が弾かれて接近を許したガシンの腹にズドムッとフレイの手加減した脚の関節が突き刺さった。

 

「げっほぉ!?」

 

「ん~~~まだまだね? あなた?」

 

「だ、れ、が、くふ!?」

 

 ガクリと青年が意識を失うと同時に背後の腕が黒いものに瞬時に覆われて朽ちて、その黒いものが地面の中に消えて行く。

 

 残された背後の二本の腕もくったりしており、それをニマニマと見ていたアルマーニアの女戦士アラミヤが青年をヒョイと持ち上げて、砂浜の横に置かれた屋根付きの休憩所に持って行き。

 

 気を失った青年を寝かせつつ、悪い顔をして体をなぞるように撫で回していた。

 

「アラミア殿!?」

 

 そこにダダダダッと走って来た侍従達が迫る。

 

「い、生きていたのですか!?」

 

「あ? 姫様のとこの人達かい。何だい? アタシが生きてちゃイケナイ?」

 

「そ、そういう事ではありません!? 一体、此処で何をしているのですか!?」

 

「え~~? 負けたから捕虜生活を満喫してるだ・け・さ♪」

 

 ウィンク一つ。

 

 彼女の翼がパタパタする。

 

「そ、それに男性に対してそのような!? 此処は敵のほ―――ゴホン!? 交渉相手なのですよ!?」

 

「だからよ~? アタシを負かすような男がいるんだから、取り入って子種も貰って、より強い子が欲しいじゃない? ん?」

 

「そ、それは……って、そういう事ではありません!? 風紀の問題です!? それと女性として!?」

 

「姫様もこんな固っ苦しいのに育てられて大変ね。アタシは戦と強い男がいれば、それでいいのさ。別に此処じゃウルテスへの信仰を捨てろとか言われないし、情報源として滅茶苦茶大切にしてくれるしねぇ」

 

「は!? ま、まさか!?」

 

「喋っちゃったわ♪ ごめんね? でも、ほら、男達に拷問されたら、喋るしかないって。ね?」

 

「とても、拷問されているようには見えないのですが……」

 

 侍女達が思わずジト目になる。

 

「何よ? アタシの口を滑らせる為に甘くて危ない酒を飲ませたり、アタシの体と相性の良さそうな雄に世話させたり、アタシを滅茶苦茶喜ばせてくれそうな旦那様候補がその雄だったりするってだけ? 何てごほう―――ゴホン。拷問なの!?」

 

 わざとらしく悲壮な表情が作られる。

 

「~~~」

 

 思わず破廉恥な物言いに侍女達の顔が真っ赤になる。

 

「そ、それにしても生きていて良かった。お兄様達も喜ばれるでしょう。今日返して頂けるように進言し―――」

 

「あ~~それは無理?」

 

「え?」

 

「ほら? この旦那様候補がとぉおおおっても美味しそうに強くなる様子見てたでしょ? アタシね。戦うなら、ああいう化け物がいいのよ。それとああいうのと自分の血が混じったら、何か次はあの蜥蜴共にも勝てそうな子が生まれるような気がするの」

 

 ニンマリと戦闘狂染みた。

 

 否、そのものだろう笑みが零される。

 

「は、え、う、えぇぇぇ……」

 

 思わず目を白黒させたヒオネが思わず「こ、この人……物好き過ぎない?」という顔で固まった。

 

「どうせ、交流するなら、此処に戦士一人置いておくのは合理的じゃないかしら?」

 

「う、うぅぅん……言葉遣いまで変わっているような?」

 

「男なんて女らしく振舞ってイチャイチャしておけばいい。そういうものよ?」

 

 胸元を寄せるようにしてアラミヤが演技はお手の物と言いたげに微笑む。

 

 思わずヒオネが額に汗を浮かべた。

 

 そんな様子を遠目から見ていた女性陣はジト目であった。

 

「ガシンさんにも春が来ましたね……」

 

「うん。ガシンてああいうのが良かったんだね」

 

『まぁ、殿方は大きいのは良い事だとよく仰いますけれど』

 

 遠征隊の三人娘達は魘されるように巨大な柔らかいものを顔の横に当てられて、気を失ってるのに微妙にちょっと嬉しそうにも見えるガシンに肩を竦める。

 

「(・ω・)……」

 

「(≧▽≦)/」

 

「“春も過行く野営地に華を咲かすは遠征隊”……“我こそは詩も読める大蜘蛛ゴライアス”(。-`ω-)」

 

 三匹は遠征隊の春が過ぎて雨の次期に移り変わる島の天候を見上げつつ、各自のお仕事に戻る事にしたのだった。

 

 *

 

「どうぞ。おちゃです」

 

「おぉ、可愛らしい子だ。こんなに小さいのにお手伝いとは……」

 

「は? じんがいがなめるなよ? われらきょうかいきし!!? すがたかたちはうしなえども!! かならずやいてきをくちくせ―――」

 

「(・ω・)/」

 

 ゴスッと教育係のスピィリアにゲンコツを喰らった幼女騎士がズルズルと引き摺られて、唖然とする交渉団から引き離されていく。

 

「ああ、彼女達。いえ、彼らは元々教会の騎士でして。我が野営地に手を出した最に捕縛されて、あの姿にして再教育している最中なのです」

 

 ウートが自分で言っていてもやべぇと思う話に内心で溜息を吐く。

 

 中身が思想の凝り固まった教会騎士のおっさんである為、今は幼女の肉体に即して様々な釣られやすい飴となる褒美を用意しつつ、人外差別はイケナイよ~だとか、蜘蛛は敵じゃないよ~とか、色々と再教育をしている最中である。

 

「は、はは、何かの冗談ですか?」

 

「いえ、東部に教会の先遣隊が来ており、何度か襲われました」

 

「―――」

 

 その言葉に彼らアルマーニア側の交渉団の顔が青くなる。

 

「ま、まさか、噂は本当だと?」

 

「噂?」

 

「北部でヴァルハイルがいきなり周辺地域に進攻を開始したのです。そのせいで我らは……」

 

「故郷を追われた?」

 

「ええ」

 

 交渉団の一人が沈鬱な表情になる。

 

「つまり、ヴァルハイルは教会に反応して、そのような行動を起こしたと噂が広まっていた?」

 

 ウートに頷きが返される。

 

「それにしてもあの物語にも出て来る教会騎士を捕縛し、呪紋であのような姿に……余程に優れた術師がいるのですかな」

 

「ええ、まぁ。彼らも元教会騎士ですよ」

 

 荷運びをしていた少年とも少女とも付かない姿のペカトゥミア達が頭を下げてからイソイソと荷物を宿に運んで行った。

 

 その様子に何よりも教会騎士の扱いがやべぇと肝を冷やした者達が、あそこまで別の何かされてこき使われているのかと内心で震え上がる。

 

「ウート殿。教会の事は後で良いとして、西部に我らが定住するのは認めて下さるという事で良いのでしょうか?」

 

 イーレイがさっそく本題へと入る。

 

「無論です。我ら野営地の者とも上手くやっていこうという気持ちさえ持って頂けたならば……」

 

「左様ですか。ならば、可能です。我らアルマーニアはウルテスの子。無駄に命を散らせる事はせぬのが信条」

 

「それは良かった。まぁ、無法者という事ならば、我らの中からもそれは出て来るかもしれない。しかし、それでそちらが怒っても我らは納得するでしょう。ただし……」

 

「互いの事をよく知っておく必要がある、ですか?」

 

「ええ、それでこそ隊伍を組んで、轡を並べる事が出来る」

 

「……最もな話だ。では、互いに情報交換をするという事で?」

 

「ええ、構いません。最前線に立つ者達からは優秀な戦士を数多く揃えると聞いております。共に戦えるならば、これ程に頼もしい事は無い。(教会との戦いで)」

 

「ええ、間違いありませんな。(ヴァルハイルとの戦いで)」

 

「「ははははははは」」

 

 こうして彼らは食い違っている事も知らず。

 

 ガッシリと手と手を取って敵と戦う同志となる為、情報を交換し、互いに持ち寄れるモノの数をカードとして交渉に持ち込む事となるのだった。

 

 *

 

「ふぅ……はぁぁ……(*´Д`)」

 

「お兄様。お顔がもうダラケています」

 

「お前も全て聞けばこうなるとも」

 

「そんなに交渉が難航しているのですか?」

 

 第一野営地の宿屋の一角。

 

 交渉団が泊まる事になったのは二階建ての商隊が止まる為の場所であった。

 

 第一野営地に居を置いている元教会騎士達は各地から戻っても使用しないので案外空きがある為、内部に止まっていたスピィリア達が全員蜘蛛形態で宿屋の軒先にぶら下がって寝ていれば、中は空っぽにしておけるという寸法である。

 

「ここの者達の恐ろしさが酷過ぎる」

 

「恐ろしさが酷い? お兄様にしては随分とお困りのようで」

 

「いいか? ヒオネ? 此処の連中は呪紋を用いるようになってまだ一月と少しだそうだ」

 

「え……? 幾ら何でもそれはかなり無理があるような?」

 

「どうやら、リケイという知恵者が術師の最高権威らしい。その者が未来ある若者を仕立て上げて戦士にしたとか」

 

「一月と少しでアルマーニア最高の戦士が殺されたと?」

 

「悪いがそういう事になる」

 

「……担がれていませんか?」

 

「問題は連中がこのたった一月と少しでやった事だ」

 

「何か問題が?」

 

「問題しかない。どうやらニアステラを封鎖していた大蟻の王と共生関係にあったはずの何かしらの王達が全て消えている」

 

「まさか?」

 

「それを皮切りにして東部への道を見付け、伝説に聞く大霊殿を発掘したとか」

 

「あのぉ……それって随分と昔に失われたと言われている。あの伝承の?」

 

「ああ、蘇りの為に滅んだ地域の話だ」

 

「………」

 

 思わずヒオネが口を噤む。

 

「更に言うと遠征隊と呼ばれる者達が編成され、西部に派遣してすぐにウルガンダが討伐され、その力を取り込む事で敵の蜘蛛化の能力を得たとも」

 

「ウルガンダの能力を呪紋が使えるだけの人間が?」

 

「そうだ。問題はソレを用いて大量の敵を従属支配しているところだろう。最も増えたのは東部へと侵入する道を見付けた後に亡霊達を蜘蛛化したスピィリアとか言う種族だとか」

 

「あの子達ですか」

 

 ヒオネが今日一日気を使ってドリンクだの道案内だの喋れないのにやたら世話してくれた蜘蛛達の事を思い出す。

 

 普通に人間形態にも為れる様子に驚いたのも少し前の話だ。

 

「話を聞けば、神従契約で人間化しているらしい」

 

「それは……もしかして最初に泉で見付けた痕跡の……」

 

「ああ、どうやら野営地には彼の大地母神に見初められた者がいるようだ。だが、それはいい。この野営地は神の事は気にしない。あくまで必要だから、力を使っているという事のようだしな」

 

「そんな……外の者達は信仰が薄いのでしょうか?」

 

「分からん。だが、一番大きいのは地獄の守護者が倒されたらしいという事だ。分かるか? エンシャクが討伐されている」

 

「―――亡王エンシャク。グリモッドを滅ぼした張本人達の1人を?」

 

「他にも教会の神聖騎士を2人殺っているそうだ」

 

「……俄かには……伝承では神聖騎士は我らの祖先。全盛期の勢力を打ち倒す程の者達……不死者の上に不老。その上、強力な呪紋と固有の能力を持つと伝わっています。それを2人も……」

 

「そして、これらを成し得たのは遠征隊の隊長の功績との話だ」

 

「ッ、それがもしや?」

 

「ああ、そうだ。アルティエ・ソーシャ。あの少年だ」

 

「彼が……」

 

「しかも、見たか? あの三匹の蜘蛛達を」

 

「は、はい。底知れぬ力を感じました。三匹とも神の使徒達どころか。受肉神そのものに匹敵しそうな程の力を秘めていた事は解ります」

 

「アレが神聖騎士とエンシャクの成れの果てだそうだ」

 

「―――」

 

 ヒオネがゴクリと唾を呑み込む。

 

「最も恐れるべきは味方が殺される事じゃない。連中が相手を変質させ、その者が寝返る事だ」

 

「小さな子達があんなに沢山いるのは驚いたのですが、侍女達が自分は騎士だと胸を張っている可愛らしい子達と言っていました。それもまさか?」

 

「アレは教会騎士の成れの果てだと後で教えてやれ。もしも我らが此処の者達を敵とすれば、我らは次から次へと蜘蛛型となっていく味方や幼女にされて延々戦う必要に駆られるだろう」

 

「……交渉は上手くいきそうですか?」

 

「ああ、幸いにもな。あちらの要求は二つ。呪紋などを筆頭にしたこちらの持っている情報、技術や知識の習得。そして、互いに攻められた場合、共同でどんな敵にだろうと戦線を張る軍事同盟だ」

 

「我らへの見返りは?」

 

「食料と家屋、スピィリアの労働力を提供しようという事だ。現在、増やされたスピィリアという種族はかなりの数になり、様々な仕事に従事し、食料生産や木材の伐採加工建築まで手掛けているとか」

 

「あの蜘蛛達が事実上はこの野営地で最大の力を持っていて、彼らを従えているのがアルティエ・ソーシャ。彼なのですね」

 

「そうなるな。一緒に住まうので良ければ、新しい技術や生産方法も教えるし、こちらの技術や知識も習う。全てはスピィリア達だそうだ」

 

「蜘蛛人、とでも呼べばいいのでしょうか?」

 

「喋れぬだけで人より賢いのは見れば分かる。また、元が亡霊の為に亡霊達と同じく単なる刃は威力を半減以下。更に相手はどうやらアルティエと契約して大量の呪紋が使えるようだ」

 

「……諦めましょうか。大人しく」

 

 半笑いでヒオネが溜息を吐く。

 

「それでいい。余計な事を考える者がいないか。後で教えてくれ」

 

「はい」

 

 兄妹の夜の会話はこうして閉じる。

 

 世の中には突かなくていい藪というものがある。

 

 彼らは少なくとも相手を怒らせたらどうなるかくらいは賢明にも分かってしまう為、人の上に立つ地位にいたりするのだ。

 

 決して、勝てない相手に勇壮な決戦を挑む為にいたりするわけではない。

 

 こうして、戦う事を諦めた彼らアルマーニア達は翌日には交渉を終えて、イソイソと西部北端の野営地へと戻る事にしたのだった。

 

 *

 

「ヒオネ様!? 御当主!! お二人ともおられるかぁ!?」

 

「「ッ」」

 

 朝から叩き起こされた兄妹がすぐに身嗜みを調えて、扉を開ける。

 

「どうした? 何があった?」

 

「そ、それが二つ程マズイ事態に」

 

 やって来たのは現在の交渉団にはいないはずの軍の高官だった。

 

「どうして此処まで来た?」

 

「そ、それが、反乱です!?」

 

「ッ―――ユレンハーバの連中か?」

 

「はい!! 現在、交渉は不要であるとして、ニアステラの入り口である海岸洞窟へと進行中!! 総勢93名!!」

 

「どうして誰も止めなかった!?」

 

「そ、それが、残されていた一部の幕僚が寝返り、同族同士で戦うのは不毛であると言って、その場を収めたのは良かったのですが、戦士達の中にも先日の戦いを良く知らず悪滅の庵を抜けて来た者達がおり……」

 

「諸氏族最強を謳われた男の死に衝撃を受けて、衝動的に反乱へ加わったと?」

 

「は、はい……角有の戦士達が凡そ12名混じっており、凡そ一個小隊規模なのですが、何分角有同士の戦闘となると野営地に被害が……」

 

「~~~ッ、分かった。すぐに対処する。それでもう一つは?」

 

「―――後方より本隊が予定よりも早く引き上げて来ます」

 

「ッ、それはつまり……」

 

「主力の2割が撃滅されました。ヴァルハイルの【鉄鋼騎士団】率いるブラドヘイム辺境伯の大隊です」

 

「大物だぞ!? 子爵級ばかりでは無かったのか!?」

 

「それが2日前に前線に現れ、撤退中の我が軍を強襲。これを迎え討った事で相手にも損害を与えたのですが、ユレンハーバの戦士達はそこで討ち死に。戻って来た者達の先鋒はそのせいでユレンハーバ最強の戦士が打ち倒されたとの報に激怒し、そのままニアステラへ雪崩れ込もうとしているのです」

 

「解った。即時、野営地を固めて、戻って来る戦士達全てを洞窟から続く野営地ではなく見えざる塔に誘導して占領させておけ。これは当主の命令だ」

 

「解りました。洞窟へと向かった者達はどう致しますか?」

 

「はぁぁ……こちらで何とかする。同胞を無駄に死なせる事になったな。こちらの手落ちだ。今後、ニアステラとの交渉は厳しいものになるだろう」

 

「ッ―――では、先に戻ります」

 

「ああ、気を付けろ。出来れば、何とか部隊を躱して塔から野営地に迎え」

 

「は!!」

 

 そうして扉を閉めた後。

 

 後ろを振り返ったイーレイがヒオネの不安そうな顔に肩を竦める。

 

「どうやら、我らの受難は終わらぬらしい。ヒオネ。着替えたら共にウート殿の所へ行く。いいな?」

 

「解りました」

 

 何か決意を固めた様子で少女が頷く。

 

「アルクリッド」

 

「先に鳩を出した」

 

「早いな。で、どう思う? 此処の者達の心証は?」

 

「今は問題無い。だが、死人が出れば、確実に厳しい」

 

「では、我が体一つで治まるわけもない、か」

 

「死人が出る前にあちら側に対策を共に講じるよう打診するべきだ」

 

「同意見だ。後、出来る事は?」

 

「……彼に頼む。だが、それは同時に我らが本当に隣人として付き合えるかどうかの瀬戸際になるだろう。あちらが蜘蛛にする力を使い出せば、こちらも恐怖で硬直する。仲良くとはいかん」

 

「だろうな。無理を承知で頼んでこよう。何か贈り物をせねばな……頭の痛い問題だ。ヒオネ……」

 

「解っています。あの鋼の蜥蜴共に供されるよりはマシでしょう。お兄様の道を敷くのはこの妹の役目。口出しは無用です」

 

「頼もし過ぎて泣ける。お前には一生頭が上がらなそうだ」

 

 話が決まった一行はすぐにウートへと一部の部隊が反乱を起こした事を素直に伝え、その脚で少年のいる酒場へと脚を運ぶ事になるのだった。

 

 *

 

「えっと、つまり、出来れば蜘蛛脚を使わずにって事でいいのかな?」

 

 レザリアが寝起きの目をショボショボさせながら急いでアマンザが作ってくれた朝食を齧りつつ、いつもの遠征隊スタイルでそう訊ねる。

 

「そう」

 

 話を受けた少年はすぐに遠征隊を招集したが、早朝の事で誰も彼も寝ぼけ眼であった。

 

「で? オレ達の出番と」

 

「一番良いのは何もさせずに鎮圧。重症くらいなら霊薬で治せる」

 

「出来るのか? 呪紋持ちが大量にいるんだろ?」

 

「可能。海岸洞窟の野営地化と第一次要塞化は完了してる」

 

「いつの間に……」

 

 思わずガシンが仕事が早いスピィリア達の事を思い浮かべる。

 

「今回の前衛はこの三人で」

 

 少年が手を蜘蛛達に向ける。

 

「(≧▽≦)/」

 

「了解しました。我ら蟲畜の威力。愚妹と共にお見せしましょう」

 

『“主を通して見た戦士程度なら問題無い”(。-`ω-)』

 

 その場にいた三匹。

 

 一匹だけ入り切らないので木戸の先からであったが、全員が頷いた。

 

「三人だけで大丈夫?」

 

「そうですね。ちょっと不安です」

 

「ま、オレらより確実に強いから問題ねぇ。オレ達は遠距離から弩でも打ってればいいのか?」

 

「そういう事」

 

 少年が頷いてすぐに気付く。

 

「かなり早く到着してる。今、洞窟要塞の遠方に馬の土埃が見えた。途中で降りてる。要塞が見えて、移動用の脚を退避させてるみたい」

 

「便利だよな。眷属の視界共有とか」

 

「さっき、ヒルドニア達に色々持たせて上空から向かわせてる。後、数分で到着。現地にいるドラコ―ニアは他のスピィリアの指揮で忙しい」

 

「私達は?」

 

「すぐに出る。全員で要塞内部の霊殿に行って、そこから行動開始」

 

「よっしゃ。此処で全面戦争ってのも締まらねぇ。サクッとぶっ潰すか」

 

「ちなみに今のガシンの近接戦闘じゃ勝てない。アレを使えば、一人でも勝てるのが一杯」

 

「……呪紋様々で涙が出るぜ」

 

 自分の努力よりも呪紋一つの方が強いという事実に哀しいものを覚えながらもガシンがそれを握り潰すように笑う。

 

「あ、アタシも行くわよ? ね?」

 

 彼らの背後にいたのはアラミヤであった。

 

「何でだよ!?」

 

「ほら、男ってのは戦うとイライラしちまうもんだろ? このおっぱいで慰めてやるよ。んふ♪」

 

「「「………」」」

 

「男ってのはこれだから」

 

「止めろ!? オレは被害者だ!? どうして、コイツの世話はオレなんだよ!? つーか、家くらい他も開いてるだろ!!?」

 

 ジト目の女性陣+アマンザの視線にガシンが喚く。

 

「許可。すぐに行く」

 

 少年が全員で外に出て、ゴライアスの傍に全員いるのを確認し、そのまま符札で霊殿に跳んだ。

 

 前に来ていた頃とは見違えるように洞窟は改装されていて、石畳の敷設や壁を削り込んだ通路。

 

 更には洞窟内部に各種の部屋が作られ、通路は迷路のようになっているが、堅い扉が何処にも置かれていて、開いていれば、直通で通れるという仕様になっていた。

 

 最も大きな物資集積用の洞窟内の踊り場には大量の木箱が置かれており、その中央ではドラコ―ニアの指揮官がスピィリア達を前にして次々に指差した方向に向かわせていた。

 

「(`・ω・´)ゞ」

 

 気付いたドラコ―ニアがスピィリア達と敬礼しながら遠征隊を出迎えて、すぐに要塞の屋上へと向かう。

 

 要塞は現在削り出した岩壁の中から正門の上に出られるようになっており、大型の弩を仕込めるように造られている。

 

 天然の岩壁を用いた射撃用の穴は大きく射角が取れるように造られて、遠距離攻撃用の弩はちゃんと訓練されていたらしく使い込まれていて、少年達が来るとスピィリア達に取り外されて遠征隊の武装が取り付けられるように図られた。

 

「三人は制圧。こっちは援護で」

 

 そう言ってフレイ達が三者三様に頷いてカサカサと正門の前から出て行く。

 

 それと同時に急いで要塞に上がった遠征隊は持ち込んだ竜骨弩を成長させずに上下左右に動く土台へと接続し、矢を補充して銃眼から外を覗いた。

 

 こうして彼らはさっそく初めての防衛戦を始める事となる。

 

 それは正しく教会騎士達相手の防衛戦の予行演習に違いなかった。

 

 *

 

「さすがに要所は要塞化されているか」

 

「洞窟となれば、押し入るにはかなりの戦力が必要となります。近付いて呪紋で押しますか?」

 

「門を打ち壊すまで護る呪紋が使える者を選抜しろ」

 

「は!!」

 

 ニアステラに続く海岸洞窟のその4m程の大きな入り口は今や完全に切り出された岩で補強されており、更には大きな木製の門によって遮られていた。

 

 要塞の上部には弩の出る隙間がズラリと洞窟内部から並べられており、掘り抜かれた洞窟そのものがもはや死地。

 

 激怒してやって来た戦士達とはいえ。

 

 それでも自分達の力を考慮しても落とすのは容易ではないという事実を前に冷静に状況を見る事は出来るようになっていた。

 

「本当に連中は流刑者なのか?」

 

「西部のウルガンダが討伐されたというのも眉唾物だと思っていたが、実際にあの塔が崩落している場所も見た……」

 

「奴らは一体……単なる流刑者と侮れば死ぬぞ!!」

 

「現当主を追放するにはニアステラを仕切る連中に我らの武威を示し、今の敵に媚びを売るのが間違いであると民に示さねばならぬ」

 

「同志達よ!! 臆するな!! 正義は我らに有り!!」

 

「ユレンハーバの武名を貶め!! 自らの権威の為に罪人共に英雄を殺されて尚頭を下げるなど!!? 誇り高きアルマーニアのする事ではない!!」

 

「そうだ!! 現当主を追い落とせ!! 我らの武威を示すのだ!!」

 

『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 士気も高く。

 

 全体的に合理性を失っていない戦士達であったが、その目は曇っていたと言える。

 

 少なからず要塞を建築するような相手を前にして反乱軍程度の小さな勢力でどうこうなると思う事そのものが侮りに他ならなかった。

 

「隊長!! 要塞方面より敵が接近中!! 蜘蛛です!! 要塞から出て来たのは巨大蜘蛛です!! ウルガンダの系譜と思われます!!」

 

「やはり、やつらも蜘蛛の手先なのかもしれん!! 術師は後衛より敵目標に向けて斉射!! 予備部隊を投入し、横翼陣を敷くぞ!! 火力を集中させれば、如何なウルガンダの系譜と言えども―――」

 

「た、隊長!! 敵増速!! 凡そ1秒で距離を40以上詰められています!!」

 

「な、何ぃ!?」

 

 彼らが大慌ててで陣を展開し切るより先に超高速で突っ込んだゴライアスによる最強突撃アタックが陣地のまだ中央にいる男達の前に着弾した。

 

 ドッガアアアアアアアアアアアア!!!!

 

 そんな爆弾が爆発したかのような土煙と共に咄嗟に跳躍して後方へと回避した者達は良かったが、直撃した場所から逃げられなかった者達が襤褸屑のように地面の土や岩と共に吹き飛んで倒れ伏していく。

 

「う、うぁああああああああああああ!!!?」

 

「まだ味方がいるぞ!? 打つなぁ!!?」

 

 呪紋を持っている者達が次々に恐慌を来して土煙内部に大量に炎の塊だの水の塊だの岩の破片だの氷の槍だの何でもかんでも打ち込んでいく。

 

 だが、次々に撃ち込まれた呪紋の雨が止んで土煙が晴れた時。

 

 その全てが当たったはずの相手。

 

 いや、蜘蛛達は周囲にいる者達を囲むようにトライアングル状に展開しており、全ての呪紋を表皮で受け切っていた。

 

 多少焦げていたり、多少凍り付いていたりする場所はあったのだが、プルプルと三匹が体を揺するとその部分が剥げるようにして薄く剥離して内部から無傷の箇所が出て来る。

 

 まるで生まれたててですと言わんばかりに。

 

「だ、脱皮したぁ!?」

 

「き、効いてない!? 亡霊共に効く程の力だぞ!?」

 

「う、打て!? 打てぇ!?」

 

 遠距離用の呪紋が再度詠唱されるよりも先にカパッと黄金と紅蓮の蜘蛛が同時に口を開いた。

 

「?!」

 

 ゴハァアアッと黄金色の輝き【イゼクスの息吹】が無詠唱の広角で放たれ、周囲を一掃するように薙ぎ払う。

 

 呪紋の手順省略を周囲にいた精霊に自然と代替させているような生物たるフレイとそれを真似るルーエルは二匹だけでも怖ろしく呪紋を乱打する脅威だ。

 

 しかし、火力控えめにされたソレらに触れた者達は表皮が燃え盛る程度で済んだ。

 

「ひぃあああああああああああああああ!!!?」

 

「おあああぁああぁ!!?」

 

「誰が、誰かオレの火を消してくれぇええええ!!?」

 

 黄金の炎で急激に体表の80%を焼かれただけなのは幸いだろう。

 

 それが真に最大火力だったならば、直火焼きでは済まない蒸発の憂き目に会っていたはずなのだから。

 

 炎に包まれた者達が悲鳴を上げて倒れ込むが、実際には火傷そのものは浅く。

 

 激痛で気絶したというのが正しかった。

 

「イゼクスの呪紋だとぉ!? こ、こいつら教―――」

 

 だが、言い終わるよりも先に猛烈な速度で直進した大蜘蛛。

 

 ゴライアスが暴走する車両みたいに棒立ちの男達を吹き飛ばしながら地表を高速で走破していく。

 

 押し潰された者達は体のあちこちを骨折させて血反吐を吐いて倒れ伏し、残った回避を成功した犠牲者は空中でゴライアスの超筋力の蜘蛛脚が生み出した高圧の空気弾で肉体を拉げさせて撃墜。

 

 呪紋を連打し、呪具で切り付ける者達もいたが、何とか当たる攻撃の殆どが筋肉やら甲殻に致命的なダメージを与える事も無く。

 

 逆に群がる戦士達は千切っては投げられ、千切っては投げられ、強靭な肉体程度ではどうにもならない衝撃とダメージで次々に戦闘不能となっていく。

 

「クソォ!? 喰らえ!!?」

 

 戦士達の数人が何とか連携して三匹の甲殻の関節部に僅か刃を少しだけ押し込む事に成功した。

 

「へ、へへ、この刃の毒はなぁ!! 数滴で竜の眷属くらいなら殺せるんだよ!!?」

 

 そう吠えた者達が勝利を確信したが。

 

「(・ω・)?」

 

「(≧▽≦)?」

 

「(。-`ω-)?」

 

 三人がそんな大そうな毒か?という顔で首を傾げ、彼らの体内にいる主の能力である真菌が持っている免疫が次々に毒性物質を分解しているのを確認し。

 

「あ」

 

 ゴシャッと蜘蛛脚で男達の胴体を吹き飛ばした。

 

 鎧なんてものはこの蜘蛛達を前にしては豆腐以下の柔らかさであった。

 

「こ゛い゛づら毒がぎがねぇえええ!!?」

 

 顎や歯を折った者が絶叫する最中。

 

 次々に戦士達が理不尽な暴力。

 

 そう、理不尽と呼んでいいだろう力量差と能力差がある蜘蛛達の蜘蛛脚打撃だけで肉体を死滅寸前まで追い詰められていく。

 

『オイ。仕事ねぇぞ』

 

『強い!! やっぱり、三人だけで良かったみたい」

 

『あはは、はは……私達要らないんじゃないですか?』

 

『まだ仕事が残ってる』

 

 その光景は……後方からの援護射撃とかまったく要らないままに約1分12秒で終わりを告げるのだった。

 

 *

 

「はい。こっちに並んで下さいねぇ」

 

 フィーゼがまだ動ける縄で縛り上げられた戦士達のボロボロな口に霊薬を流し込み、そのまま縄を解いて開放し座るように指示する。

 

 横では蜘蛛達がズゥウゥウンと戦士達を威圧するように睨みを効かせていた。

 

 ヒルドニア達が運んで来た箱が彼らの横には積まれていて、内容物が現在は倒れ伏している男達に使われている。

 

「はい。ちゃんと飲んでね。おじさん達。ボクらおじさん達にずっと構ってられる程、暇じゃないんだから」

 

『………(;´Д`)』

 

 動けない戦士達の口にはレザリアとガシンが霊薬を流し込んでいる。

 

 外の人間に使う用の鉄製の試験管が木箱で三つ藁と板に包まれて百数十本。

 

 本来は先に元騎士達や守備隊に回す予定の装備であった。

 

『うぐ……こ、これは、体が?』

 

『敵に治される、とは……う、うぅぅ……』

 

『くそぉ……くそぉ……ころせぇ……』

 

 薬を飲まされた男達はすぐに肉体が回復していくのを目の当たりにして、敵が自分達を癒しているのだと知り、初めて絶望的な顔を浮かべる。

 

 そう……敵は重症で死んでもおかしくない彼らを気遣う程に強大であるとようやく気付いたのだ。

 

 事実、蜘蛛達を前にして恐怖を完全に刷り込まれた彼らは再び剣を持つ気力も呪紋を使う意欲も根こそぎ奪われていた。

 

 それを要塞の入り口で見ていたイーレイが一方的な戦闘だった上に戦士達の心を圧し折っても生かしておいたニアステラ側に深い感謝の念を示すと少年に宣言して、男達の元へとやってくる。

 

「ご、御当主……」

 

 男達が顔を上げて、ようやく自分達を見つめている若き指導者を見る。

 

「お前達……自分のやった事は解っているな? そして、どうして早急に彼らと交渉団が交渉しているのかも知ったはずだ」

 

『………っ』

 

 男達が押し黙る。

 

 下を向いた彼らが視線を逸らし、唇を噛む様子はもはや大人に説教される子供のそれにも似ていた。

 

「いいか? お前達は多くの者達の顔に泥を塗った。まずユレンハーバの氏族。彼らが奮戦し、諸氏族が救われたというのにお前達はその理由を盾にして残っている女子供達の地位を危うくした」

 

「っ」

 

「また、ニアステラ側はあくまで戦士としてユレンハーバの氏族の遺体を野営地に持ち帰ってくれた。名乗りも無しに天幕を襲った彼らの死体は辱められる事無く。丁重に返された。だが、お前達はその戦士の誇りを護った彼らに対し、怒りに任せて、野営地の方針を無視し、この蛮行に及んだ」

 

「ッ!?」

 

 そんなのは嘘だと言うのは簡単だ。

 

 だが、その死体が綺麗なものであり、一太刀で首を落とされてから繋がれていた事を彼らは見てしまっている。

 

 その力量は彼らが見ても凄まじいの一言であり、たった一人が十数人を相手に首だけを落とすというのは神業の類に違いはなく。

 

「彼らの力を見て、平和的に交渉の席で西部の北端を譲り受けようとした交渉団は本当にただ諸氏族の為に命を懸けて交渉に臨んでいる。その者達の顔にも泥を塗った。そして……」

 

 フゥと彼が溜息を吐く。

 

「本来、妹はウルテス神様の蘇りに身を捧げるはずだったが、今回の事でこれを無しにせざるを得なくなった」

 

「な―――!?」

 

「お前達の事があり、今回の交渉では我が方が譲歩する事となった」

 

「どういう事だ!?」

 

「1世紀に1人産まれる生まれ変わりの素養がある者が儀式を用いて我らの上に立つわけだが、先代のウルテス神がお隠れになって10年……我が妹は今回の責を全面的に我が名で負う代償としてニアステラ側へと嫁ぐ事になった」

 

「ど、どうしてそうなる!?」

 

「本来はそんな事をせずとも良かった。だが、情報交換が終わった後にお前達は攻めてしまった。その事実を彼らが知った後にだ。もし、ウルテス神が蘇れば、我らが再びその力で攻めて来ると思われても仕方ない事だ。これは妹が我らの野営地にいても同じ事……」

 

「ま、まさか!? 貴様、それでも当主か!!?」

 

 思わず絶望的な顔で男達が吠える。

 

「黙れ!! 貴様らが交渉中に行った蛮行のせいで、我が一族はウルテス神の加護をまたしばらく失うだろう!! だが、此処でニアステラとの関係が悪化すれば、我らには滅びる道しかない!!」

 

 自分達が護って見せるという言葉は彼らの口からは出ない。

 

 北部でヴァルハイルから結局故郷を護れなかった彼らには痛感する程に力が無かった。

 

「そんな!? そんな事は―――」

 

 単なる呪紋と身体能力が高いだけではどうにもならない事があると最初から身を以て彼らは知っていた。

 

「あの子の顔に泥を塗った貴様らが吠えられた事か!? 恥を知れ!!」

 

 イーレイの怒声に男達が思わず泣き崩れた。

 

 こんな時こそ、新たなる神を迎えて、一族を復興する。

 

 というのが彼らの望みだった事は間違いない。

 

 だが、それは現実問題として今微妙な均衡にある勢力との関係を悪化させてまでする事かと言われれば、意見は別れる上に分裂状態になってしまうのは明白。

 

「今回の一件はこれで手打ちにして欲しいと二アステラ側との交渉は終わっている。お前達は野営地に戻り、公正な裁判の後、刑を受けるだろう。来たな」

 

 言っている傍から北端方面からやってきた騎馬隊の者達がイーレイに敬礼する。

 

「この者達を連れて帰り、しばらく留置せよ。拾った命だ。家族には合わせ、しっかりと食事も取らせるように。また、我が妹は今回の責任を我が名において取る為にニアステラ側に長期逗留という名目で送る事になる。野営地の者達には流言飛語を慎み、我が妹の決意とニアステラ側の慈悲をこの者達の姿によって伝えよ」

 

「ハッ!! 引っ立てろ!! 御当主に敬礼!!」

 

 騎馬隊に連れられて、男達は縛られてもいないが、全てに絶望した様子でトボトボと歩き出したのだった。

 

「何かスゴイ事になっちゃったね。それにしても嫁ぐってウートさんに?」

 

「あの~~それはかなり娘としてアレなんですが……自分より若そうな後妻はちょっと……」

 

 そのレザリアとフィーゼの会話にイーレイが肩を竦める。

 

「最初はそう言ったのだが、断られた。だが、それならば、嫁が今すぐ必要な者がいると言うのでな。我が方としてもニアステラ側の重要人物に嫁ぐ事となれば、問題は無かった故、承諾した」

 

「誰でしょう? あ、ウリヤノフは前に奥さんがいたのでたぶんダメですね」

 

「えっと、カラコムさんかな? それともマルクスさん? う~~ん? 大穴で船長、とか?」

 

 女性陣が妄想を膨らませていると。

 

「あん? コイツだろ?」

 

 シレッとガシンが真実を言い当てる。

 

「は? 何言ってるの? ガシン」

 

「そうですよ。まったく、冗談が上手いのですか―――」

 

「遠征隊のガシン殿だったな。その通りだ。ウート殿を除けば、最も重要な位置にいる遠征隊の隊長である彼の妻として我が妹は嫁ぐ事になった。アラミヤの事は妹や侍女達から聞いている。アレは良い女だ。もし良ければ、娶ってやってくれ」

 

「は?」

 

「え?」

 

 女性陣が凍り付く。

 

「お~い。出番の無かった旦那様~~」

 

「ガハ?! クソ!? あの女!? オレを褒めたいのか貶めたいのかどっちなんだよ!? つーか、今度は旦那様だぁ!? あの戦闘狂!? 鍛錬中に襲ってくる癖にどうしてあんな笑顔なんだ!? 頭おかしいのか!?」

 

 ガシンが思わずアラミヤがやってくるのにそう喚く。

 

 横で女性陣が少年をギギギと首を回して真顔で見つめる。

 

「~~~!!?」

 

 ブルブルと何も知らないと首を横に振る少年を見ていた蜘蛛達はイソイソと要塞内部に戻り、すぐにスピィリア達を通して、おめでたい話を蜘蛛のネットワークに乗せるのだった。



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第37話「鳴動せしフェクラールⅣ」

 

 世の中、金と権力。

 

 とはよく言ったものだが、金よりも権力よりも暴力がモノをいう島において、特大の暴力を持つ相手が敵である事が露呈したアルマーニア側の動きは迅速。

 

 取り敢えず、しばらく人質として、信頼の証という事でヒオネが預けられる事になった。

 

「これから、よろしくお願い致します。アルティエ様」

 

「……はい(;´Д`)」

 

「あ、アタシはミーチェ。このお姫様の御守役兼連絡役。よろしくね~おねーさんの事は呼び捨てでいいわよ?」

 

「2人と侍従達総員。これからこの野営地でよろしくお願い致します」

 

「……はい(*´Д`)」

 

 少年が諦観を浮かべているのも仕方ない話。

 

 少年の横ではジロリとフィーゼとレザリアが少年を睨みつつ、少年の家の中で少年と少女の生活を見張らんとしていた。

 

「これからよろしくね。あたしはアマンザってんだ」

 

「あ、はい。アマンザ様」

 

 ヒオネが主に会話するらしく。

 

 ミーチェはイソイソと部屋を調えに向かった。

 

「いや、様はいらないよ。これからウチの子になるんだから」

 

「あ、はい。アマンザさん」

 

「出入りする男共!! あんまり変な事教えんじゃないよ!! いいね!!?」

 

 酒場も兼業しているアマンザの家は今や改装もされていて、先日持ち込まれた消臭剤の華のおかげで煙臭さも解消されて、更に住み心地が良くなっていた。

 

『うぇ~い。アマンザの姉御~~』

 

『りょーかいです~~』

 

 夜勤明けの守備隊やら他の男達が適当な返事をする。

 

 今までは布製の扉だったが、スピィリア達がこの際だと半日程で木製の扉を付けて、ついでに増築された二階の一角にヒオネと侍従の者達の居住スペースが確保される事になっていた。

 

 先日は増築されて家人の部屋と繋がらない位置の部屋にアルマーニア側を止めていたが、その通路の壁を取っ払い。

 

 家人しか入れないようにさっそく改築が為されている。

 

「(>_<)/」

 

「(/・ω・)/」

 

「(´・ω・`)?」

 

 イソイソと働くスピィリア達は無言だが、その仕事は確かだ。

 

 ずっと建築技術を磨いて来た為、動きは迅速であり、不可糸の糸でどんな重い建材も軽々と持ち上げて、あらゆる木材を脚先の鋭いところでサクサク削ったり、道具でトンカントンカンしたりしていたら、アッという間であった。

 

 なので、これからはもう一軒酒場を作ろうかという話にもなっている。

 

「アルティエ。嬉しそうだね?」

 

「そうですね。お嫁さんを貰って嬉しくない人はいません。ええ」

 

「はは、そう言ってやるなって。ま、これでアルティエも一人前だね。まだ婚約発表前だが、そういうのはまず生活やら何やらが安定してからの話さ」

 

 アマンザが焼き餅焼きの少女達に苦笑する。

 

「それまではアンタも程々に遊びな。ま、あのガシンにも嫁が出来たんだ。婚約者くらいいてもいいさ。ははは」

 

 少年はもうアマンザに喋らないでくれという顔である。

 

「おねーちゃんてそういうの大らかだよね」

 

「ナーズ!!」

 

「あ、はい。何? ねーちゃん」

 

「これからアンタがアルティエのいない時はウチの守り人だ。この子が居れば、護ってやんな!! いいね!!」

 

「う、うん!! オレだってカラコム先生に習ってちょっとは剣も使えるようになったんだ。任せとけって」

 

「死なない程度に頼んだよ?」

 

「うん」

 

 こうして少年の家に長期逗留する事になったヒオネはペコリと頭を下げたのだった。

 

 *

 

「何とかアルマーニア達との交渉は纏まったが、これからどうする? 今現在、ニアステラの直接支配領域は凡そ2割弱。間接的に生活圏に出来た領域が更に3割。だが、それでも各地の野営地と野営地の間にかなりの空白がある」

 

 鍛冶場でウリヤノフがそう少年に訊ねていた。

 

「竜骨塊は?」

 

「先日仕上がった12個は全て各野営地の造営に使われた。今、更に28個を作っていて、その内の9つは出来ていて、霊殿建設他諸々の為に各地へ搬送中だ」

 

「効率上がった?」

 

「ああ、各地から爆華がかなり納品されて、鍛冶場の外に作ってある槽でな。清流の水と爆華の液体を交互に入れ替えながらやっているが、此処は目一杯に広げてある。もうさすがに広くするには管理が行き届かなくなりそうだ」

 

「……更に連れて来て、西部よりもニアステラを固めた方がいいと思う」

 

「各地を更に造営するのか?」

 

 少年がテーブルの上の地図。

 

 ニアステラの全形に〇を付けて行く。

 

「各地の策源地と資源地帯の中で用途別に居住と建造、採取、採掘は出来ても作物があまり育たない地域がある。此処に野営地を更に増やすといい」

 

「確かに魔力さえあればいい関係上スピィリア達を居住させるのは無理な事ではない、か。各地の道の街道沿いが殆どならば、問題は無さそうに見えるが……」

 

「各地域で石材の輸送が活発になってる。小砦や駐屯地。各地を回る商隊の休憩地点として整備すれば、更に盤石」

 

「確かに……だが、一つ問題があるな」

 

「問題?」

 

「スピィリア達の一部がそろそろ部屋が欲しいとの事だ」

 

「居住環境がひっ迫してる? でも、数は増えてないのに……」

 

「それがどうやら商隊を見ていたら、泊まって見たくなるらしい」

 

「欲?」

 

「そうだな。そういう見方もある。どうにかせねば、今の速度で造営しても、不満は貯まる一方かもしれん」

 

「………解った。各地で必要な施設を直接こっちで整備する」

 

「どうするつもりだ?」

 

「ウチには魔力が沢山の人がいて、色々と条件は整ってる」

 

「?」

 

「つまり、スピィリア達が休めるところがあればいい」

 

 そうして、少年はイソイソと野営地の外にある元クマ肉の畑に向かうのだった。

 

 *

 

「えっと……」

 

「やっぱり、お嫁さんならアルティエのお仕事を知っておくべきだと思ったので連れて来ました」

 

「うん。アルティエの仕事をしっかり見て貰うのがいいよね。やっぱり」

 

「……はい(*´Д`)」

 

『ま、英雄色を好むという言葉もありますわ。しっかり、その子達に教えてあげたら? フン』

 

 近頃、まったく遠征に出ていないのでご機嫌斜めなエルミが欠伸をしながら、少年の上でスヤスヤ眠り始めた。

 

「ええと、そちらの方が?」

 

 それにヒオネがオズオズと訊ねる。

 

「はい。呪霊のエルミさんです」

 

 フィーゼが遠征隊に関して必要な事は教える事になっていたのだが、近頃は野営地でウロウロしているエルミを見るのは初めてだった。

 

「で、オレも必要なのか?」

 

「各地でスピィリア達の寝床が足りてない。取り敢えず、全員分と今後分も含めて40個所くらい整備する必要がある」

 

「は? どうすんだ? オレ達に家とか作れ……いや、殆ど精霊に重いもん持たせてるから、フィーゼ頼みだけどよ」

 

「簡単に沢山作る方法ならある。本当は戦争の時に使おうと思ってた方法」

 

「どうすんだ?」

 

 少年が元肉の畑の中央部。

 

 近頃は蜂の蜜蝋を取る為に漬かっていた黒い真菌の小山に手を当てる。

 

 そして、ソレが瞬時に一塊程少年の掌に株分けされた。

 

「取り敢えず、現在の生物資源で未だ見付かってないのは蜂くらい。此処はこのままにして寝床を作る」

 

「結局、どうすんだ?」

 

「こうする」

 

 少年がガシンの手を掴んで片腕を前に突き出した。

 

「【飽殖神の礼賛】」

 

 少年の言葉と同時に大量の腕らしきものが次々に現場に吐き出されていく。

 

「は? こんなところで使ってどうするんだ?」

 

 ダバダバと腕から腕が大量に伸びて周囲を埋め尽くす勢いで増えて行く。

 

 それを見て、少年が片手でポーチから複数の小瓶を取って、一つずつ飲み干しながら目を閉じる。

 

(【爆華の濃縮液(原液)】を摂取。血糖値94万%上昇、全血糖、全グリコーゲンを再増産中の腕に注入。【ビシウスの根環濃縮液】(寄食)……っ、骨芽細胞に充填……ガシンの腕の全細胞を真菌共生で捕食……増殖開始)

 

 少年の前でガシンの腕の先の掌から飛び出る腕の河が瞬時に大河と化して津波のように溢れ出し、本人が驚く間にも猛烈な速度で黒い真菌によって浸食され、ゆっくりと黒いソレが立ち昇っていく。

 

『「「「………」」」』

 

 レザリア、フィーゼ、エルミ、ヒオネが何かもう声もなくソレを見上げる。

 

 ビキビキと音をさせながら、その黒い巨大な柱の内部に大量の骨が蠢くのを見た彼女達の顔は大いに引き攣っている。

 

 そして、少年が全ての薬の効果が枯渇するまでの20秒を超えた先。

 

 ガシンがドッと倒れた。

 

「ガシン!? どど、どうしたの!?」

 

「ちょっと、血糖値が上がったのを戻してる。体に負担は掛かってない。慣れれば、気絶しなくなる」

 

「え、ええと、つまり、その、これが?」

 

 少年が自分達の前で聳える塔。

 

 いや、巨大な円筒形の中央部が白く。

 

 それを黒い真菌が覆っていく。

 

 枝のように周辺へ伸びる巨大な幹のあちこちには部屋らしきものが吊り下がっていた。

 

 それは黒い外壁と白い内部で塗り分けられているように見られるが、要は竜骨と真菌で造られた6畳程のワンルームだった。

 

 物凄くザックリと言えば、巨大過ぎるクリスマスツリーに部屋が大量にぶら下がっているという表現が最も近いかもしれない。

 

「ど、どれだけ大きな……」

 

 ヒオネが全長で300m近くありそうな巨大な漆黒の大樹を見てさすがに顔を引き攣らせる。

 

 入り口を見ていると野営地が特大に騒がしくなり。

 

『アルティエぇえええええええええ!!!?』

 

 そうウリヤノフの叫び木霊したのだった。

 

―――10分後。

 

「人を驚かせるのも大概にして欲しいのだがな。はぁぁ」

 

 そうして騎士が溜息を吐いていた。

 

「ウ、ウリヤノフ。あまり怒らないで?」

 

「解っています。ですが、いきなり、こんなものが出てきたら、さすがに怒鳴りたくもなるでしょう……」

 

「ええ、それは、はい」

 

 フィーゼが擁護出来ず半笑いになる。

 

 彼らが会話している合間にも巨大な漆黒の大樹は成長を続けており、野営地を覆うかのように枝の先端から伸びた糸らしきものが次々に周囲の地表へと向けて放たれ、興味を引かれたスピィリア達がワラワラと集まって来ていた。

 

「それで? 光はどうする? このままでは作物に光が当たらんぞ?」

 

「こうする」

 

 少年が指を弾く。

 

 すると、漆黒の塔が一気にクリアカラーですと言わんばかりに無色透明になって、内部の竜骨が思っていたよりも細かったせいか。

 

 空中に白い箱が大量に浮かんだような光景となり、周囲の光を竜骨が透過しているのか……地表には光が燦燦と降り注ぎ始める。

 

「どういう仕組みなのだ?」

 

「あの黒いのは真菌の色素。色素そのものを日中は分解して、夜に為ったら生成する。ただし、黒い色素が抜けると光で真菌が脆くなる。だから、そこに不可糸を合わせて張力を保ってる」

 

「ほ、ほう?」

 

 ウリヤノフの額に汗が浮かぶ。

 

「竜骨の中に光を吸収して通すような空洞を大量に作って内部で乱反射させながら外に放ってる。後、竜骨から魔力を少し抜いて灯りを灯す事も出来る。冷暖房にも使える。勿論、爆華で竜骨を再生させ続ける限りはずっとやれる」

 

「よく分からんが分かった。で? これは全て勝手にそうなるのか?」

 

「生命付与で樹木にしてる。最初の魔力はガシン持ち。維持の魔力そのものは竜骨塊1つ分で10日持つ計算。構造物の柱や梁が全部竜骨だから魔力を使い尽さない限りは破壊されても元に戻る」

 

「はぁぁぁ……我が主に報告してくる」

 

「竜骨塊一つで4000個くらいの部屋が維持出来る。早い者勝ち」

 

 少年がそう言っている間にも周囲のスピィリア達はピョンピョンと喜びながら塔から伸びる部屋までの通路の導線に向かっている。

 

 蜘蛛以外は使えないだろう不可糸と真菌の糸こそがソレだ。

 

 正しく蜘蛛の巣のように野営地を覆っていくソレらから登れば、何処の部屋にでも辿り着けるだろう。

 

 三次元的に空中に浮かべられている部屋はまったく以て個室ばかりだが、今のところ2人部屋を希望するラブラブな蜘蛛達とやらは種族全体でも出ていない。

 

「(/・ω・)/」

 

 ノリコメーとばかりに蜘蛛達は退去して糸の先の自分が気に入りそうな部屋へと移動し、さっそく部屋の何も無い入り口の横に自分のマークらしき顔を入れて占有している。

 

『一人一部屋までー』

 

「(^ω^)/」

 

 少年の声に誰もがハーイと片手を上げて返事をした。

 

 地表や塔内部から辿って質素ながらも竜骨製の寝台とそれなりにモノが置けそうな場所まで行けば、誰もが何か置いてみようと考えるのか。

 

 理想的な寝床の為にすぐ不可糸で編み物をし始める蜘蛛達が多数。

 

 そうしてハタと自分達が仕事中だったと気付いて、すぐ地表で仕事をしなくてはと戻っていく背中は何処かウキウキしているように見受けられた。

 

「な、何か、みんな満足してるみたい」

 

「アレは自分の好きにしていい場所が出来て喜んでる。これからは野営地で働いて、自分の好きなものを集めて暮らせばいい」

 

 レザリアがそういう問題なのかなぁという顔になりつつも、喜んでいるスピィリア達を見て、まぁいっかと肩を竦めた。

 

「オイ。今のアレを後40回やれとか言い出―――」

 

「正確には後39回」

 

「オレが死ぬわ!?」

 

 ガシンが思わず喚く。

 

 いきなり、視界がブラックアウトして意識を失ったのだ。

 

「ちょっと魔力を抜いただけ。今のガシンなら20分で元に戻る」

 

「どれくらい魔力を抜いたのですか? いや、霊力ですけど」

 

「……フィーゼ2100人分くらい」

 

「私換算にしないで下さい!? もぅ!?」

 

 そんな風にいつもの遠征隊の様子を少し一歩引いたところから見ていたヒオネはもう脂汗を流すしかなかった。

 

 今見た事をきっと誰も信じないだろう。

 

 複数の呪紋。

 

 複数の能力。

 

 そして、巨大な霊力を魔力に変換し、大量の肉と骨の生成までも操り、巨大な漆黒の巨木に蜘蛛の巣を張る。

 

(敵わないわけです。お兄様……願わくば、共に生きられますように……)

 

 ワイワイガヤガヤしている遠征隊がやっている事の壮大さにそう一人ヒオネは平和な毎日が来るよう祈る事にした。

 

 彼女には実際それくらいしかやれる事は無かったのである。

 

 *

 

―――3日後。

 

 第一野営地が巨大な漆黒の巨木と蜘蛛の巣によって変貌してからの数日。

 

 ガシンは寝ているのか起きているのか分からないレベルで霊力を使って使って使い倒された。

 

 正確には魔力をであるが、自分の霊体を引き抜かれて大量に魔力として使用されつつ、肉体にも幾らか少年に薬を流し込まれて、気絶する事30回。

 

 最後にはもう気絶すら出来ずに気分の悪さやら具合の悪さやらを押し殺して、無理やりに健康とされた肉体と急速回復していく魂を感じながら、自分の力の出し方、使い方を会得していた。

 

 ついでに大量の放出と回復のおかげか。

 

 何故か回復した霊力が更に上がった事が脳裏で確認され、もう笑うしかないという状況でもあった。

 

「これで終了。オイ……立て過ぎだろ。4000×40って16万だぞ? 16万……」

 

「問題無い」

 

 最後に立てた第二野営地付近の巨木の住宅地の天辺で男二人という状態。

 

 景色が良い以外はもう完全に魔境と化したニアステラのあちこちには大量の漆黒の巨木が夕暮れ時に黒さを取り戻し始めている。

 

「問題あるだろ。そんなにどこからって……ああ、あそこか」

 

「そう。エンシャクのいた地下領域はかなり広い。亡霊16万体くらいなら二昼夜掛からない」

 

「おまえなぁ……モノには限度ってもんが、いや、今更か」

 

「今更」

 

「……お前に言うのは何だけどな。何でも一人でやり過ぎだろ? あの領域の石や華を一人で採取して来て驚いてたんだぜ?」

 

「全員にちゃんと仕事がある。仕事を全うすれば、最良の結果が得られる」

 

「オレらはお前の仕事に行かなくていいのか?」

 

「出来る人間がすればいい。そして、出来るからする」

 

「はは、お前らしい。でも、体には気を付けろよ。後、身の安全もな」

 

「勿論、必ずフレイが付いてる」

 

「そうか。お前がいない時、チョクチョク見掛けなかったのもそういう事だったのか……今からか?」

 

「そう」

 

 少年の言葉が終わるより先に大樹の天辺にフレイが下からやってくる。

 

「このまま跳ぶ。後は任せた」

 

「はいよ。お前が居ない間は……オレが……いや、オレ達が何とかするさ」

 

「(≧▽≦)/」

 

「“これぞ蜘蛛冥利に尽きる仕事”……“我こそは仕事の出来る大蜘蛛ゴライアス”(。-`ω-)」

 

「おうおう。そうだな。お前らもニアステラ中の蜘蛛の統率でよく消えてるもんな」

 

 ガシンが苦笑する。

 

 何もしていないようで実際には蜘蛛達を統率し、様々な調整をしているのはフレイを筆頭にした三匹だったりする。

 

 蜘蛛達が安心して暮らせるようにと様々な働きをしてくれる彼らは今やウリヤノフと同様に野営地には無くてはならない者達となっていた。

 

「行って来る」

 

 少年がフレイと共に符札を掲げて瞬時に消える。

 

「乗せてくれ」

 

「“喜んで”(。-`ω-)」

 

 ゴライアスに跨ったガシンはそうして大樹の地表に降りると蜘蛛達が暮れて行く最中に闇を押し込めたような巣の中で不可糸に魔力を通して僅かに光らせ、幻想的にも見える野営地での仕事が本格的に再開されるのを見守る事になるのだった。



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第38話「鳴動せしフェクラールⅤ」

 

―――西部フェクラール北端アルマーニア野営地。

 

 北部からの本格的な移民団が到着し始めたアルマーニアの野営地は今や肥大化の一途を辿っていた。

 

 次々に北部から持ち込んだ家畜、食料、設備建築用の資材、道具が用いられ、野営地を広げている最中ではあったが、民の多さは如何ともし難く。

 

 それなりに寒い西部の野営地では夜に革を一枚敷いて上に寝る野宿の者達が大量に出る程に住宅居事情は切羽詰まっていた。

 

「……明日到着するので約半分。32万……更に10後には後続が10日掛けて……何もかもが足りんな」

 

 彼らの歳若き当主イーレイは不安要素であった大量の食糧が届き始めた西部野営地でとにかく飯だと小麦やら干した果物、魚の干物を配給所で受け取っている者達を見やりながら、切実に安堵していた。

 

(もしも、これが争いとなっていれば、どれだけの民が飢えて死んだか)

 

 そう思えば、交渉は最良とは言えずとも最悪を回避した事は間違いない。

 

 今も南部ニアステラからやってくる大量の荷車を蜘蛛達が引いて来ており、200匹程のスピィリア達がアルマーニア側との協定に則り、礼儀正しく頭を下げて、言葉は発せないがしっかり理知的な瞳でアルマーニア側の建築技術やら知識やらを実地で学んでいた。

 

(実際、物覚えも良く。魔力さえ与えれば、不眠不休で夜の間も働き続けてくれる彼らのおかげで天幕も簡易の住宅も驚くような速度で立てられている)

 

 それでも足りないが、絶対的に足りないとは言えない。

 

 何よりも診療施設と寝床が有るだけでも有難い事には違いないのだ。

 

 大量の住民達が女子供から次々に入居して、何処か安堵している様子はイーレイにとっては交渉団の成果として誇れるものであった。

 

(北部の現状。この島の冬に付いて。ヴァルハイルと幾つかの勢力の関係。情報交換は確かにあちらにとっても重要だったはず……後は……)

 

「伝令!! 伝令!!」

 

 彼が大量の決裁書類を書いて、各現場への指示書を書いている最中。

 

 天幕に飛び込んで来た兵の顔は青かった。

 

「どうした!! 何があった!!」

 

「報告!! 中央域を捜索中の部隊より応援要請!! 敵は―――ヴァルハイルの小隊と思われるとの事です!!」

 

「何ぃ!!? どういう事だ!? ヴァルハイルがフェクラールに現れるだと!!?」

 

「そ、それが、報告した中隊の話に拠れば、上空から滲むように現れたとの事であります!! 規模は120前後!! 人形の姿は無く。全て最下級操獣だと!!」

 

「直ちに野営地の防備を固めろ!! 守備隊以外は屋内退避だ!!」

 

 その言葉を聞いていたアルクリッドがすぐに外に出て行く。

 

「現在、デステリカの氏族の中隊がこれに応戦しており、抑え込んでいますが、数が多く。応援を求めています!!」

 

「遠征中の部隊に伝令小隊の呪紋で即時連絡!! 周囲から部隊を掻き集めて対応させ―――」

 

「伝令!!」

 

「今度は何だ!?」

 

「そ、それが、各地の部隊より、ヴァルハイルの下級操獣の群れに襲われていると!! 何処も対処で手一杯で応援を求めています!?」

 

『あ、あれは何だ!? まさか!? ヴァ、ヴァルハイルだぁああああ!!? 屋内に待避ぃぃいい!! 退避ぃいいいいい!!』

 

「ちぃッ!? 遅かったか!? 野営地に残っている者達を集めて、居住区を護れ!! 重篤な怪我の者は後方に―――」

 

 イーレイがそう言って、天幕の外に走り出した時だった。

 

 彼は野営地を覆い尽す程の巨大な炎の柱が上空へと吹き上がるのを確認し、それがヴァルハイルの使う獣達の力ではない事をすぐに理解した。

 

「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」

 

「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」

 

「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」

 

 音も立てずに野営地の建造物の上や天幕の上に昇ったスピィリア達が炎を吐いていたからだ。

 

 その口の中には半透明な瓶のようなものが詰まっている。

 

 炎が上空から落下して来ていた大量のヴァルハイルの獣。

 

 鋭い刃のような尻尾と金属質の鱗を持つ悪臭を放つ蜥蜴を焼き焦がしていく。

 

(呪紋を使うとは聞いていたが、これほどに!? 連中の呪霊機や人形が来ていないとはいえ……)

 

 蜥蜴と言っても1mを超える上に耐久力は折り紙付き。

 

 醜悪な牙と爬虫類というよりは竜染みた瞳。

 

 これらを合わせ持つソレは戦士一人と戦っても時間を稼ぐだけの力があり、集団となれば、最下級の戦士なら殺してしまう脅威そのものであった。

 

「く、蜘蛛達が迎撃に出てるぞぉおお!! まだ動くヤツを討ち取れぇええ!!」

 

 次々に男達が剣や斧でまだ動く焦げた蜥蜴達の首や胴体を両断していく。

 

 本来、強靭な耐久力を持つはずの鱗は焼かれて脆くなり、同時に体中の筋肉の動きが急激な高温で鈍くなった操獣達はすぐ数を減らしていった。

 

 数分もせずに大量の蜥蜴が駆逐された野営地ではすぐに部隊が編成され、最低限度の護りを残して、野営地の外に向かっている部隊の掩護へと馬で走り出していく。

 

「次が無いとも限らん!! 男達は女子供の傍や天幕を護れ!!」

 

 そう伝えている合間にも数匹の蜘蛛達がイーレイの前に集まってくる。

 

「手助け感謝する。何か必要な事があれば、言って欲しい」

 

 蜘蛛の一匹が不可糸で傍にあった枝を拾って地面に魔力が必要と書き記す。

 

「そういう事か。腹が減るような事をさせたという認識でいいのか。解った。女子供に手伝って貰おう。すぐに手配する。オイ!! 誰かぁ!!」

 

 こうして大量の炎を吐いた蜘蛛達はイーレイの手配で魔力に長けた女子供達から少し魔力を分けて貰いつつ、その半数を荷車を引いて来た者達と共に西部各地へと散らせて、襲われている部隊の掩護へと向かうのだった。

 

―――西部中央域。

 

「こ、こいつら!? 何だ!? この戦い方は!? 何処に向かって―――」

 

 西部各地に起きた大襲撃中。

 

 多くのアルマーニア達が戦う最中。

 

 次々に戦士達を抑え込んだ操獣達は残った戦力を南方へと移動させつつあった。

 

「|^|^|^(・Д・)^|^|^|」

 

 しかし、その殆どが南方の中央付近へと向かった後にニアステラからやって来ていた荷車を引く商隊と接敵。

 

 次々に炎によって焼かれ、不可糸によって魔力霊力体力を吸われ、蜘蛛脚によってトドメを刺されていた。

 

 何よりも違うのは連携だ。

 

 バランスの良い攻守と支援に優れた呪紋構成がまず何よりも違う。

 

 同時に彼らは教会騎士や第一野営地で教練されたドラコ―ニア達に鍛えられた精鋭であり、建築だけしている蜘蛛達とも違って戦闘のプロであった。

 

 一人が攻撃、一人が敵の移動を遅滞、一人が陽動、と言った具合に其々が有機的に役割をこなして迅速に獣を狩る姿は単なる蜘蛛とは言えまい。

 

 人の手が必要になる武器を扱うスピィリアは竜骨の鏃を用いた矢で遠距離から牽制したり、傷付いた仲間を荷車に載せて護ったり、拠点となる荷車を移動させながら仲間達との合流へと動いた。

 

 こうして、長く西部北端まで伸びていた蜘蛛達の荷車の部隊は次々に移動しながらニアステラへと退避しつつ、相手を駆逐し、大量の蜥蜴達を6割方殲滅する事に成功していた。

 

「ニアステラの蜘蛛達が応戦しているぞ!! 後背から奇襲を掛ける。我に続けぇ!!」

 

『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 各地の部隊は何とか自分達で傷を負いながらも蜥蜴達を撃退し、その脚で蜘蛛達に感けて自分達に背を向ける敵を背後から逆撃。

 

 挟み撃ちにされた中央から南部に向けて移動していた多くの蜥蜴達はこうして数時間程で数を減らして、ほぼ消滅したのだった。

 

『………』

 

 しかし、その様子を遠目から確認する操獣の一団が西部の山林地帯にはひっそりと侵入していた。

 

『やはり、西部のウルガンダは滅びていなかったか。何らかの形で姿を変えて何処かに存在する……だが、アレは何だ』

 

 獣が僅かにブツブツと呟く。

 

『蜘蛛が荷車? だとすれば、何かしらの変化が……蜘蛛が人のように社会を作ると言うのか? あの戦い方……何者かに手解きを受けているとしか思えない』

 

 その獣の一団の中。

 

 一際大きな個体が怪しく黄色い瞳を瞬かせる。

 

『一当て、してみるか。あの忌々しい男が敵将か実力者の暗殺で武功を立てるのならば、こちらにも機会くらいは有っていい』

 

 こうしてヴァルハイルの襲撃に終日アルマーニア側は振り回され、すぐに異変を聞き付けて駆け付けて来たガシンと高速移動可能なゴライアスに事情が共有され、一時的に西部では厳戒態勢のまま終日を過ごす事になったのだった。

 

 *

 

 ゴライアスによる移動でニアステラの南端までは凡そ1時間。

 

 その脚力を存分に発揮した大蜘蛛はすぐ各地にフェクラールへのヴァルハイル襲撃の報を伝え、ニアステラ側は各地で警戒態勢が取られる事になった。

 

 敵が虚空から出現との報は各地に作られた巨大な漆黒の巨木的マンション。

 

【黒蜘蛛の巣】と呼ばれるようになった其処にも衝撃を齎し、基本戦闘とかしない系蟲材であるスピィリア達はワラワラと不可糸で自分の巣ならぬ部屋を補強するやら、木造建築物に近頃少年が持って来た薬品の中でも耐火塗料になるとか言っていた薬品を塗るやら大忙しである。

 

「(/・ω・)/」

 

「\(・ω・\)」

 

「(/・ω・)/」

 

「\(・ω・\)」

 

「(/・ω・)/\(・ω・\)」

 

 あっちにこっちにと蜘蛛形態のまま戦闘準備で大忙しのスピィリア達は建造中の街並みを補強するやら、遅れていた要塞化の為に急遽、堀を掘ったり、泥壁を街の周囲に展開したり、街道沿いに検問所を作ったり、精霊達と一緒にもしもの時の為に漆黒の樹木に立て籠ったり、逃げ出したりする為に竜骨塊の移動準備をしたりともはや産まれてから一番忙しい日を体験していた。

 

『これが流刑者? 馬鹿いえ。これはもうバケモンの住処だろ』

 

 大量の蜥蜴の群れに混じって奇妙な者達が複数紛れている事を殆どの者は知らない。

 

 第一野営地に程近い山林の中。

 

 瞳を動かした影は足音も立てず、魔力も霊力も感じられない程に常人ながら、それでも一人で巨大な漆黒の巨木が溢れるニアステラを縦断し、流刑者達の本拠地と目される浜辺傍まで接敵していた。

 

 その手にはナイフ一つ。

 

 しかし、まだ血には汚れていない。

 

(術師の暗殺主体のオレが来たって事は単純に―――)

 

 彼が身一つ。

 

 数多くの蜘蛛達の視線の位置が外れるのに合わせて野営地の第一の結界。

 

 蜘蛛の糸の見えざる糸だらけな道以外には実質的に封鎖されている場所を踊るように糸だけを見て潜り抜けて行く。

 

 それは正しく踊っていると評するに足るだろう。左右下上左右下上上みたいな体を捻り、捩じり、蜘蛛達の視界が切れた僅かな状況で高速で肉体をくねらせて抜けた先で躊躇なく最外縁部の掘りの中に音も無く着水して内部に潜り、すぐに頭も出さずに外縁部へと泳ぎながら、自分の肉体が持つ時間を正確に図って、限界が来る前に壁の端まで泳ぎ切って壁に張り付き。

 

 そのまま第一の壁を抜けて内部に降り立ち。

 

 まだ、実り切っていない麦畑をほぼ地面スレスレまで背を低くして走り抜け、最後には居住区画を格納する第二の壁に到達。

 

 塗られたコールタールのような耐火塗料。

 

 少年が持ち込んだ西部地下世界の泥の一部が塗られた其処も難なく跳躍のみで通過し、建物の影に入るようにして移動しながら中心部にあるエルガムの病院付近にある最も大きな邸宅へと入り込む。

 

(野営地の主の暗殺。もしくは……最も強い術師を使い物にならなくしろ、か。事実上、ナイフ一本で此処も落ちるわけか。シシロウの野郎も大変だな。こんな無理難題でオレがいなかったらどうするつもりだったんだ?)

 

 ドスンと彼は思考を分割しながら、、内部にいた壮年の男に背後から忍び寄り、二階にいたウートの首筋に捻じ込んだ刺突剣を瞬時に引き抜き。

 

 血が噴き出るより先に刃に血が付着していない時点で自分の過失を悟った。

 

「………は、まるでオレの事を知ってるみてぇだな。このわ―――」

 

 グシャッと彼がいるウートの執務室を含めて全ての建造物が内部に圧縮され、全てが球体状に圧し潰された後、内部から拉げた腕が一本、怖ろしい生命力を持って、外に脱出するべく掻き分けようとしたが、腕そのものが血の一滴すら落ちる事を許されずにゴッゴッゴッと球体の圧縮によって全て内部へと押し込められ、最後には猛烈に回転しながら、玉ソレそのものが内部の物質を高速で撹拌し、撹拌し、撹拌し、撹拌し、それでもまだ砕けないらしい人体らしき何かが何かをする前に。

 

「ウィシダの炎瓶」

 

 少年が片腕を例のゴライアスのものに変貌させたまま。

 

 全方位から猛烈な火線が迫り、全ての物質を撹拌しながら焼き始める。

 

 その炎瓶の数は実に20本。

 

 全てが最大火力で炎の玉に注がれており、その最中から人影のようなものが未だ出て来ようとするのを見た少年はもう片方の手の中にある秘薬を三本。

 

 自らの変異した腕に掛けた。

 

「【過滅薬】細胞増殖速度2140%上昇(再上昇可)。【千薬】体力、霊力、魔力、1000%上昇(再上昇可1分)。【ビシウスの根環希釈液】(寄食)……ゴホ?!」

 

 それが滴り落ちる事無く腕に吸収されながら、腕が肥大化した。

 

 薬の効能を制御し切れずに僅か吐血した少年が腕を見やる。

 

 今までの腕が3倍程もあったかと思えば、ソレは10倍までも膨れ上がり、しかし、同時に締め付けられるかのように次々とギチギチ音を立てて腕のサイズが元の大きさまで戻っていく。

 

「呪霊属性変異呪紋【魂の変容】……体積を832%低下。重量を32%削減。半中性子物質形成……原子番号零ニュートロニウム・テトラ……右腕物質の置換終了まで4、3、2、1……置換終了。全能力9338%上昇(再上昇不可)。変容規格固定化。記録完了。全魔力を投射。霊力置換による物性制御。毎秒魔力の3%を消費。物理障壁を凝集、凝集、凝集―――」

 

 少年の言葉と共に空中の巨大な玉はワンサイズずつ小さくなっていき。

 

 やがて、手のひら大になって、内部の人体らしき姿すらも見えず。

 

「昇華」

 

 少年が手の中に掴んで握り締めた途端、シュウシュウと音を立てて煙を出しながら全てゆっくりと溶けるように消えて行った。

 

「昇華完了。全霊力霧散、全霊体昇華完了」

 

 少年が全ての行動を終えた後。

 

 バタンッと倒れ込んだ。

 

 その変異していた片腕がビキビキと崩壊すると内部からいつもの少年の腕が出て来て、リケイが近寄って来る。

 

「お見事お見事。何をしているかと思えば、面白い考え付きですな。フレイがやっていた魂の変質による肉体の物質制御。アレを通常の外部物質でやりつつ、半霊力にしながら変容させて、自身の支配下において球体状の障壁にしたわけですな?」

 

「………霊薬」

 

「おお、そうでしたそうでした」

 

 少年の口にリケイが後ろのポーチから取り出した試験管を取り出して、すぐに内部の霊薬を呑ませる。

 

「制御能力が足りなければ、更に呪紋を用いて肉体を変質。増やした血肉を強制的に半霊体にして凝集し、肉体の霊力の制御許容量を増やして、呪紋を続行。あの哀れな何者かは霊力すら残らず昇華されたと」

 

「……そういう事」

 

「で? 誰だったのです? あのやたら頑丈だった相手は?」

 

「たぶん、ヴァルハイルの刺客。一番霊力と魔力が無くて、同時に体の頑丈さだけが極度に高い。暗殺と天賦の才がありそうだった」

 

「それは命拾いしましたな。そういう相手に何もさせずに倒すのは大そう骨が折れる。そういうのには丸きり弱いもので。何らかの呪具を用いていたならば、防御を貫通される事も儘あります」

 

―――3837263264日前『何だよ? そんな怒るなよ~高が仲間を数人殺されただけだろぉがよぉ。 な? ははは』

 

「―――」

 

 少年がフラッシュバックを振り切るように首を横に振った。

 

「どうやらお疲れのご様子。幸いでしたな。アルティエ殿がいて助かったと言うべきだ。で、ウート殿は?」

 

「フィーゼ達と一緒に第四野営地の視察中だった。誰かしらがいない場合、近頃は偽物を呪紋で部屋に置いてた」

 

「ああ、あのやたら精巧に出来てたアレですか。例の肉畑の応用だとか。本人達に気味が悪いとか言われていた……」

 

「心外。もしもの備え」

 

「髪の毛から造ったと聞きますが、ここまでのものが必要かと首を傾げていたのは事実。どうやら必要だったようで」

 

 リケイの手を掴んだ少年が何とか起き上がる。

 

「たぶん、アレが一番面倒。後は―――」

 

 そう言い掛けた時、少年の胸元に光の鱗粉のようなものが吸い込まれる。

 

「おや? やはり、呪具を使っていたようで」

 

「神聖属性祝福呪紋【エヘルダインの契体】……自分の全魔力を永続的に0にしている間、身体能力を生物の限界以上に引き上げる呪紋。能力交換比率は魔力量10に対して身体能力が1……」

 

「ふぅむ? エヘルダイン。確か北部の土着神でしたか。魔力が殆ど無いような民族の守護神でしてな。貧しい土地の者達に加護を与えるのだとか。これはレザリア嬢向きですな。大抵、魔力を使いませんし、攻撃時には盾というのもある」

 

 少年がまぁ、そうなるだろうかと考える。

 

「いっそ、魔力を全て頑丈さとして享受させ、魔力と霊力の供給はガシン殿、重量のある威力偏重の武器運用はフィーゼ嬢。攻撃時の中衛として武器戦闘を主体としてレザリア嬢が良いのでは?」

 

「今使ってる武器でフィーゼ以上の火力のものはない。呪紋はたぶんガシンとこっちでどうにかなる。レザリアの防御はもしもの時の意味合いが大きい。けど、無いと不安」

 

「ですが、盾を持たせて人員を余らせているのもよろしくないかと」

 

「……中長距離で細かい戦闘支援が出来る武器が無い」

 

「今の竜骨弩よりも威力は劣っていていいから、使い勝手の良い遠距離武器が欲しいという事ですな。上空にはエルミ嬢がいる以上……差別化するなら、質よりも量、相手に出来る数が重要かもしれませぬ」

 

「何かある?」

 

「木彫りや苦無を作って、使われる度に直し、供給しているのは何処の誰だとお思いで? 1月程あれば出来ますぞ」

 

 リケイがまだ騒めいている周囲でスピィリア達が後片付けしているのを横目にニヤリとした。

 

『おぉ~い。大丈夫か~』

 

『アルティエ殿~~』

 

『アルティエー!!』

 

 船長オーダムとカラコム、ナーズが遠方から走って来る。

 

 3人とも漆黒の巨木である黒蜘蛛の巣を幼女騎士や守備隊の一部と一緒に見学していたのだ。

 

 今後、この巣も防衛拠点として使う事になるからと一度見て来て欲しいと守備隊は外縁部の護りの他は全て塔に集められていた。

 

「……過保護ですなぁ」

 

「後は頼む」

 

 見破られている少年は肩を竦めて、レザリア用の武器を頼んで再び符札で地下世界の入り口へと跳んだのだった。

 

 説明を押し付けられたリケイは仕方ないと観念し、暗殺者を倒す為にウートの家が消えたと事実を教えつつ、遠巻きに少年を見守っていた眷属達が現場から離れて行くのを見て内心、コワイコワイと苦笑する。

 

(既にこちらの思惑を超えて、管理の範疇は完全に逸脱している。やはり、逸材でしたな……ふふふ……)

 

 少年はあらゆる自身の眷属と視界を共有する。

 

 そして、その共有は人や超人、人外すらも分からぬ程に広い範囲や遠くまでも見つめる目となって、今も少年にニアステラやフェクラールの異常を教えているのであり、彼の目をもはや誰かが逃れる事は事実上不可能。

 

 それこそ神でもない限り、見張られているのか見守られているのか……少年の視線を切る事は出来ないと老爺は理解したのだった。

 

 *

 

「ガシン・タラテント殿」

 

「あん? アンタ、確かアルクリッド、だったか?」

 

「そうだ。貴方に頼みがあって来た」

 

 ヴァルハイルに襲撃された深夜。

 

 西部の残敵掃討をゴライアスに任せた彼は一人で野営地のまだ十分とは言えない壁の外で背中を預けて周囲を監視していた。

 

 本来ならば、野営地で持て成される手筈だったのだが、此処には援軍に来たという事で押し通して、周囲の哨戒ではなく。

 

 拠点防衛の為に詰めている最中である。

 

「何だ? 当主からの要請か?」

 

「スピィリア達のおかげで被害は最小限だった事をまずは感謝させて欲しい。ただ、野営地がざわ付いているのは分かると思うが、どうやら……」

 

 アルクリッドが事情をガシンに説明する。

 

「つまり、その【悪滅の庵】ってあの洞窟内がゴタ付いてると」

 

「そうだ。後方からの引き上げに手間取っているのみならず。こちらの状況に動揺が広がっていて、一部の者達が不穏な動きを見せている」

 

「当主がそれを抑えに回る間、戦力を一部持って行かなきゃならない、と」

 

「数時間で戻るが、野営地の護衛をその合間、薄くしなければならない」

 

「政治か……解った。オレが死なない限りは最善を尽くそう」

 

「……頼む」

 

 アルクリッドが頭を下げる。

 

「アンタみたいな男に頼まれて、断れはしねぇさ」

 

「旦那様~~」

 

「あっちの頼みは断りたい気分で一杯だがな」

 

「好きにさせておけばいい。あいつは女戦士達の中でも変わり者だ。だが、人を見る目はある……嫁が嫌なら女にしてやるだけでもいい」

 

「生憎とまだ妻子持ちになる気はねぇ」

 

「互いに苦労が多そうだ」

 

「どうだかな。話は解った」

 

 アルクリッドがガシンに再び頭を下げてからすぐにその場から消えて、入れ替わりにやって来たアラミヤがニヤリとしながら、またその豊満な胸を押し付ける。

 

「何喋ってたのさ? 話してみな?」

 

「男と男の会話だ。女が聞いて愉しいかよ」

 

「くくく、最もさ。で? あの朴念仁は何だって?」

 

「数時間、戦力が一部抜ける。洞窟側の混乱を収めて来るのに連れてくってな」

 

「そういう事かい。まぁ、いいさ。さすがに昼間の夜に攻めて来るんじゃ、警戒が強過ぎる。普通はそう考える」

 

 そうだといいがとガシンが闇夜に空を見上げる。

 

 野営地の光は今は乏しい。

 

 特に夜は目標にされてしまうという事から大量の戦士達の大半は哨戒活動して防衛ラインを構築する役と灯りの無い居住区を夜目を使って警護する者に別れる。

 

 ガシンは幾つもの戦いを経て、現在は神の力まで見えるようになった頃から、夜も目は冴えるようになった。

 

 昼間程ではないが、月夜の晩くらいには何処も見えていた。

 

「一つ聞きたい事が有ってさ。いいか?」

 

「いつもみたいに女口調じゃなくていいのか?」

 

「気分だよ。気分」

 

 アラミヤの唇が薄く笑む。

 

「で? 何だ?」

 

「アンタ、緋霊だろ?」

 

「………近頃は分からないようにってウチの隊長と訓練して、霊力が見えないように動いてたんだが、どうして分かる?」

 

「この瞳には見えるのさ。アンタ、すごく珍しい体質なんだよ?」

 

「知ってる」

 

「本当かい? ウチの一族にも霊力が強いヤツはいる。でも、緋霊はこの十年で1人しかいない」

 

「いるのか?」

 

「姫様さ」

 

「姫って、ヒオネちゃんか?」

 

「ちゃん?」

 

「呼ぶ時に様は嫌なんだとさ」

 

「はは、そういう事言うんだ。あの姫様」

 

「で?」

 

「気を付けろって話。緋霊はウチの一族でも1世紀に1人しか生まれない。神の再臨の贄となる者しか」

 

「……神とやらが強大無比ならお前らそもそも流刑になってないんじゃないか?」

 

「く、くく、他の連中の前では言うんじゃないよ? ぶっ殺されちゃうって」

 

 思わずゲラゲラ笑いそうな口をアラミヤが片手で塞ぐ。

 

「ああ、その通りさ。10年前にウルテス神様が死んで大勢が悲しんだが、同時に産まれたのがあの子……生贄にされるってのにニコニコしてまぁ……アタシは好きじゃなかった。逃げればいいのにお兄様お兄様って……」

 

「そういう生き方だって有りだろ」

 

「でも、アンタらがいて、アンタらのおかげですぐにでもって話が消えたんだ。間違いなくね」

 

「………」

 

「だから、感謝くらいしてる……だから、死ぬな」

 

「そういうのはお前の将来の伴侶に言ってやれ」

 

「あら? そう?」

 

「そうそう」

 

 アラミヤがニヤリとした。

 

「なら、また今度言わせて貰おうかい。次は結婚した後にでも」

 

「はぁぁ……(;´Д`)」

 

 ガシンが溜息を吐いた。

 

 既に喋っている合間にも走の上に数十名の者達が上がって、今も民を吐き出し続けている洞窟の入り口へと消えて行ったのだ。

 

 まだ、夜は長いだろう。

 

 そう思えば、隣の女は正しく毒薬かもしれず。

 

「っと、丁度いい時に来たな」

 

「?」

 

「オレの目は霊力がかなり先まで見える。ははは、何でだよ!? 数百とか。すぐに鐘を鳴らせ。野営地に南東部から奇襲。数300から700くらい。何処に隠れてたんだ? あんなの」

 

「―――行って来る!!」

 

 アラミヤが野営地に駆け込んでいく。

 

 すぐに大きな鐘の音が響いた。

 

 野営地が俄かに慌しくなる中。

 

 霊力を感知したガシンが敵が防御を食い破ろうとやってくる真正面を見やる。

 

「アンタらは後方で呪紋を!! 此処はオレが支える!!」

 

 守備隊の一部をそう下がらせて、ガシンが目を凝らしながら、精霊達に呪紋を詠唱させながら、詠唱済みの呪紋を溜めに溜める。

 

「…………ウィシダの炎瓶……焼き払え」

 

 青年の小さな声と同時だった。青年から3m程離れた地点に1つ目の炎瓶が現れ、それと同時に横一列に炎瓶が増え続け、総勢で80程までも増強された。

 

 一斉に放たれた炎瓶がその大火力を一斉に放出した刹那。

 

 直線状の地形の起伏に乏しい平地が炎というよりも巨大な閃光に巻かれて呑み込まれていく。

 

 その光景は正しく一面の炎獄。

 

『―――!!!』

 

 駆け付けて来た守備隊は自分達の援護が必要無い程に熱量の巨大な本流に押し流されて、焼き尽くされていく蜥蜴達を前にして呆然としていた。

 

「クソ……まだ甘いのかよ。制御……0.0001を0.0000001にしなきゃなんねぇとか。制御が面倒過ぎる……出力調整をどうにかしねぇとこれじゃロクに遺跡じゃ使えねぇな」

 

 ガシンは自分の出した炎が過去最高火力で本日暗殺者を焼いた少年の炎瓶よりも更に高火力だった事にも気付かず。

 

 燃え散っていく炎の最中に人型の何かを見た気がした。

 

「燃えてねぇのは強敵とか、あいつの言っている事って大体本当なんだよなぁ」

 

 炎瓶が消えて、灼熱地獄となった焼け野原の最中。

 

 ガシンは自分の肌が焦げ付くのも構わずに走り出し、未だ消えていない霊力の主を潰すべく。

 

 一足の距離で跳躍。

 

「【飽殖神の礼賛】」

 

 少年から貰った簡易版の呪紋で背後の腕を一時的に8本まで増やして、蜘蛛脚の如く敵に上空から長過ぎる腕の如く振り下ろした。

 

 乱打だ。

 

 近頃、ずっと蜘蛛達と増やした腕で組み手やら打撃戦をしていたのはこういう時の為であり、彼は今にも消えそうな霊力の主。

 

 炭に為り掛けた何かを全力で潰した。

 

 敵に情けを掛けて死ぬよりは敵を理解せずに殺す方が良い。

 

 あまりにも自然の摂理である。

 

 しかし―――。

 

「!?」

 

 死んだと思った刹那。

 

 その場所に魔力を感じた彼が乱打の反動で飛び退く。

 

 霊力が消滅した瞬間、魔力がその消し炭に為った何かから溢れ出し、ソレが呪紋となって周囲に焼き付いた。

 

 それは少なからず竜の刻印だと分かる。

 

「ヴァルハイルの呪紋か!? 死んでから発動とかコレは―――」

 

 青年が全ての手を自分の全面に固めた時だった。

 

 閃光は一瞬。

 

 ゴッと光が溢れ出した呪紋が猛烈な光と衝撃と共に弾けた。

 

「!!!!」

 

 正しく爆発。

 

 それがガシンの無数の腕を血肉まで吹き飛ばしながら拉げさせていく。

 

 だが、それでも呪紋を起動し続け、無限にも思える再生と再生産が繰り返された腕の本流が爆発を受け止めるかのようにガシンの肉体を中心として巨大な壁となって野営地の手前まで押し戻されながらも数十m近い半球状の肉の結界を形成し―――。

 

「………ッッッ」

 

 ドンッという青年の背中が壁にブチ当たるところでようやく受け止め切った。

 

 あまりの衝撃で背骨が一部砕け、更に大量の腕の壁が衝撃で砕けた際の激痛が常人ならば発狂して死んでいるだろう程に脳へとブチ込まれたのだ。

 

「――――――」

 

 青年が前後不覚になりながら、グッタリと倒れ伏す。

 

 口から僅かに泡を吹きながらもその瞳だけはまだ光を失わず。

 

 腕が次々に自切されて痛みが腕の切断だけに切り替わる。

 

「ぐ……」

 

「(>_<)」

 

 そこに慌てた様子でやって来たスピィリアの蜘蛛形態達がガシンの腰のポーチから霊薬の試験管を引き抜いて口に突っ込んだ。

 

「むぐ?!」

 

「(・ω・)?」

 

 どうだと首を傾げる彼らの前で青年は口の泡を拭いた。

 

「助かった。死ぬかと思ったぜ」

 

 いや、衝撃で廃人寸前だった気もという顔のスピィリア達の甲殻に座らされた青年が息を吐いていると、次々に守備隊の者達もやってくる。

 

 腕で造られた巨大な壁は青年の中に待機している少年の真菌が腕の内部から溢れるとすぐに捕食され、ドロドロに溶けて地面に沼地のように広がりながら浸透して消えて行った。

 

「旦那様!?」

 

「それは止めろ。ガシンでいい。ガシンで」

 

 アラミヤが飛んで来て、すぐに青年を見付けて抱き着く。

 

「だ、大丈夫!? さすがに今のは」

 

「もう治ってる。それより、今のは本番じゃねぇ。どっかに本隊が隠れててもおかしくない。守備隊連中に持ち場を離れず、互いの安否を確認させろ。それと何かあったら、運んでくれ」

 

「え?」

 

「人一人くらい運べるだろ? お前」

 

「あ、え、いや、その、む、むぅ……解った。運ぶわよ」

 

 何やら面食らったアラミヤが困惑しながらも頬を赤くして頷く。

 

「今夜は夜通し寝れなそうだな……」

 

 青年は思う。これで終わってくれればと。

 

 まだ、彼も猿に為りたくなかったのは言うまでも無い。

 

 *

 

 ガシンがアルマーニア達の野営地を防衛していた頃。

 

 ニアステラに続く海岸洞窟の要塞でも襲撃が起こっていた。

 

 大量の蜥蜴達の襲撃である。

 

 夜目の利く蜘蛛達による多重の防衛網は遠距離からの不可糸による移動阻止、人型形態での小さな竜骨弩による狙撃、中距離での炎瓶による広範囲攻撃という具合に呪紋や武器で段階的に一方的な消耗を相手に強いる事で多くの敵を相手にする事に主眼が置かれている。

 

「(・ω・)/」

 

 掛かれーとスピィリア達が要塞に張り付いてかなり遠方まで届く不可糸であちこちに糸溜まり……つまりは動けなくする罠を楕円形に撒いて蜥蜴達の動きを阻害していると後方の弩弓部隊が次々に竜骨製の矢で相手を仕留めていく。

 

「(´・ω・`)||」

 

 完全に術中に嵌る蜥蜴達を見て、一部の蜘蛛達は大成功とばかりに片手を上げて、おー等とやり始めており、かなり緊張感が無い。

 

「(・ω・)?」

 

 しかし、それもすぐに雰囲気が変わる。

 

 理由は単純である。

 

 大量の蜥蜴達を始末したのは良いのだが、彼らスピィリアの目には駆除した蜥蜴達の霊力が消えておらず。

 

 一気に肥大化する様子が見えたからだ。

 

 最も近くにいる蜘蛛達が速攻で後方の部隊に不可糸を撒いて貰いながら高速で交替した時だった。

 

 次々に猛烈な爆発が蜥蜴達の動けない地点で起きる。

 

 その肉体が爆弾になっていると気付いた彼らはヤバイ事されてるとばかりに監視網を即座に強化して、何処からか蜥蜴が侵入していないかと目を皿のようにして多重の瞳をあちこちに向けた。

 

「(/・ω・)/」

 

 はけーんと即座に地中のこんもりした部分が近付いて来るのを見付けた蜘蛛達は竜骨矢に爆華の薬液を沁み込ませた小さな迫撃矢と呼ばれる爆破用の矢を打ち込み。

 

 ボボボボボンッという音を響かせながら大量の蜥蜴を地中で爆破。

 

 迎撃網を擦り抜ける直前には誘爆させた。

 

 その先頭は要塞付近の平地をクレーターだらけにしていく。

 

 さすがに地中はやべぇという事に気付いた彼らは次波が来ないとも限らないと夜通し見張る事にして、その情報を即座に各地の仲間達に共有するべく。

 

「(>_<)/」

 

「(・ω・)?」

 

 個体間でも可能な眷属の視界共有で事態を把握させたのだった。

 

『何だ? こいつらの対応能力は……こちらの戦術が効かない?』

 

 その様子を遥か遠方の空に飛ばした空飛ぶ小さな蜥蜴で見ていた人影が周囲にいる蜥蜴達を見やりながら、目を細める。

 

『このロイモッド・ヘクロダイの、【知石のヘクロダイ】の戦術を……クソ!! 北部で数万の戦功を上げたんだぞ!? この情報、シシロウ公爵閣下か巡回者に持ち帰らね―――』

 

 一際大きな蜥蜴が動こうとした時だった。

 

 その背中をドスリと何かが貫く。

 

『ガッ、ハッ!? ゴボプ?!!』

 

 巨大な3m程もある蜥蜴型の人外。

 

 その背には一本の灰色の脚が突き立っており、脚先の鉤爪が猛烈な振動と共に全ての臓器を筋肉の震えという名の超振動破砕機能で崩壊させ、相手を完全に血肉と骨のミックスジュースにして吹き飛ばした。

 

 正しく、パーンと弾け散った人外の血は毒であったらしく。

 

 それを大量に浴びた大蜘蛛の甲殻はシュウシュウと煙を噴き上げていたが、それもすぐに収まる。

 

『貴様らに資格無し。我が主は忙しいのでな(。-`ω-)』

 

 いつもの妙に聞き取り辛いものとは違う声が呟く。

 

 ギョルン。

 

『(。◎`ω◎)』

 

 そんな音がしそうなゴライアスの瞳が上空を向いたと同時に不可糸に引っ掛かったものが手繰り寄せられる。

 

 それは鳥というよりは鳥というものを模した何かだった。

 

 黒い体と鳥の形をしているだけの何かがゴライアスの手の腕でグチャッとミンチになってサラサラと消えて行く。

 

「呪霊? ふむ……」

 

 ガパァッとゴライアスの常に閉じられている口が開く。

 

 それは通常の蜘蛛の口よりも更に大きく開き、頭部の下半分全てが展開する程の大口であった。

 

 いつもは普通の蜘蛛へ擬態している為、構造の大半が口とは分からない。

 

 口内には乱杭歯と整然と並んだ擂鉢状の歯が交互に並んでおり、上顎と下顎の互い違いの歯は全てを挽き潰せるようガッチリと噛み合うようになっている。

 

 そのあまりにも悍ましい全形を見た者は無い。

 

 いや、死ぬ者ならば見るだろうか。

 

 その肉体の複数の地点が同じように内部に全てを引き込む口らしき部分を開口し、甲殻部の一部がガリガリと引き裂けるかのように内部に閉じ込めていた乱杭歯で出来たような歪で長い蜘蛛脚を複数本開放。

 

 従来の蜘蛛のような甲殻が半分程までも細って多脚の蜘蛛の本性が露わとなる。

 

「(。◎`≧▽△▽△▽≦◎)」

 

 ゴライアスの口内からは吐き出された不可糸が次々に1000m以上の上空までも届き、網目状に編まれながら地表に落下する合間にも大量の黒い鳥を……呪紋で隠されていた鳥の呪霊を捕獲し、猛烈な速度で引き込んでいく。

 

 そして、鳥が次々に大量に口内へと引きずり込まれて糸毎磨り潰され始めた。

 

「マズイな。使い捨ての最下級……先行偵察用か。だが、術者はどうかな?」

 

 次々に糸を上空に放ち、捕食されていく鳥は数百匹にもなった。

 

 ゴライアスの噛み潰して呑み込んでいく様子は完全に化け物の捕食シーンだ。

 

 そして、その口に磨り潰された鳥は西部から絶滅。

 

 同時に異変は北部の中で起きていた。

 

『ヒィアアアアアアアアアアアアアアア!!!!?』

 

『アアアァアアァアアァアア!?!!』

 

『や、や゛め゛デェエエエエエエエエエエエッッッ!!?』

 

『あ、カペペペキピプ、ぁ―――』

 

 それはとある部屋の最中。

 

 石製の台座の上に眠っていた数人の男女がブチャッと全身の穴という穴から血を噴出しながら倒れた。

 

 その血が周囲の床を浸していく。

 

 それを見ていた幾人かがあまりの状態に放心しながら、死んだ者達の体が次々に何かに磨り潰されたかのように細かく細かく血肉と骨のミンチになっていくのを心魂の朽ちる絶望と共に凝視する。

 

「―――呪詛?! いや、呪霊そのものの契約から侵入された?! どんな霊力だ!? 直ちに契約を解け!! 汚染されて全て食い潰されるぞ!!?」

 

 その声と共に次々に金と白の法衣らしいものを身に纏っていた術師達が鳥達との契約を切ろうとしたが、契約が解除された時には既に胴体や四肢、顔の半分までも磨り潰された者達が猛烈な速度で干乾びて行く。

 

『そ、ぞん、な………―――』

 

 多くが自分の姿に絶望しながら息絶えた。

 

 今まで周囲を浸していた血潮すらも乾き。

 

 最期にはもうただ人型だったものを潰し切って乾燥させた灰色の何かだけがその部屋には降り積もっていく。

 

「馬鹿な?!! こんな!? こんな!!? 契約が解除出来なかった!? 相手の契約を呪霊側から上書きして食ったのか!? そもそも同調した術者を食い殺すだと!? アレは、アレは―――呪霊なのか!? それともウルガンダの!!?」

 

 誰もいなくなった部屋で声を発してた者がすぐに情報を上に届けなければと走り出そうとした時だった。

 

 彼が思わずこける。

 

 そして、立ち上がろうとして、自分の両手両足が白い何かで雁字搦めになっているのを確認して喉を干上がらせる。

 

「ひ?!! こ、これは!!? あ―――」

 

 彼は自分の最後をちゃんと理解出来なかった。

 

 何故ならば、彼がいた部屋の内部。

 

 灰の血肉の残りの中から小さな灰色蜘蛛達が次々に起き上がり、ピギィッと声を上げて得物に食らい付いたからだ。

 

 それはゴライアスの口を閉じた姿をミニサイズにしたようなものだったが、その口元の乱杭歯は極めて獰猛だとソレらの凶暴性を示す。

 

 その小さな蜘蛛達は身動き出来ない様子の得物の頭部へ真っ先に群がり、喰らい尽し、意志のある生き物の如く。

 

 部屋のドアノブをその残った腕で回させ、内部から外に拡散し―――。

 

 その夜、ヴァルハイルが統治する荒野のとある直轄領地。

 

 諜報機関本部が置かれた場所において、住民が全滅する悲劇が発生した。

 

 ヴァルハイルはその地域そのものを翌日大量の火竜達で焼き尽くす事になる。

 

 作戦に従事した者達は後に被害者の遺族にこう伝えた。

 

 灰色の雲霞を滅ぼしたのだ。

 

 自分達は住民を殺してはいない、と。

 

「(。-`ω-)……“帰るか”」

 

 全てを喰らい終えた彼はまた何食わぬ顔で久しぶりの大口を閉じて、脚を格納し、いつもの“澄ました顔”になると、まだざわつくフェクラールを後にする。

 

 その夜、西部に再びの襲撃は無かったのだった。



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第39話「鳴動せしフェクラールⅥ」

 

 ヴァルハイルからの襲撃があった翌日。

 

 再び食糧輸送が再開された西部では何食わぬ顔で蜘蛛達が『自分達は無害な蜘蛛です間違いありません!!』という澄ました顔で荷車を運び。

 

 大量の食糧を野営地に降ろしていた。

 

「こうすれば、蟲除けになるんだ。解ったか?」

 

「(・ω・)/」

 

 スピィリア達は北部の建築技術者達に学びながら、現地で働きつつ、時間が経ったら魔力を補給しに海岸洞窟に戻り、またやってくるというサイクルで技術を学び取り、かなり現地では活躍している。

 

 ついでに前日の炎を吐いて野営地を護った姿や深夜のガシンの活躍もあって、多くのアルマーニア達から警戒を解かれていた。

 

『あ、あの、蜘蛛さん。こ、これ』

 

『(・ω・)?』

 

 すると、現地の子供達から小さな頭に付ける飾りを貰ったり、あるいは小さな料理済みの果実を貰ったりという事もあり、その度に愛想よく応対していた彼らはすっかり現地に馴染んだと言えるだろう。

 

 基本的に知的でのほほんとした性格の蜘蛛達はこうして大半の守備隊や住民達に受け入れられ、畏れていた者達の多くは少なからず彼らが味方である事に安堵した。

 

 無論、襲われた事は事実である為、守備隊はピリピリしていたが、深夜の襲撃を凌いだガシンの実力も認められ、ニアステラの遠征隊の力は轟いたと言える。

 

「あ痛っ?!!」

 

 しかし、それにも拘らず。

 

 ガシンの頭部には石が投げられていた。

 

 思わず振り返った彼の背後。

 

 少し遠くには何人かの子供達がいて、ガシンを親の仇のように睨んでから泣きそうな顔で逃げて行く。

 

「どうしたんだい?」

 

「石を投げられたんだが……」

 

「は? この状況下で? ぁ~~~ん~~~あいつらかぁ?」

 

 横を一緒に歩いて歩哨のようにウロウロしていたアラミヤが首を傾げる。

 

「あいつら?」

 

「ほら、アンタらが殺したユレンハーバの氏族ってのがいるじゃないか。男共が前線とこっちで全滅したから、その子供じゃない?」

 

「そっちか。殺したのあいつだろ……オレ関係無い」

 

 自分を指差すガシンである。

 

「同じエンセータイとやらだろ?」

 

「そうだが、そういうのは本人に言えよ」

 

「それが出来ないからさ。昨日の今日で蜘蛛連中への警戒も解けたし、ニアステラ側への評価も上がった。ユレンハーバの氏族は今微妙な地位にいるんだよ」

 

「微妙ねぇ……」

 

「でも、ニアステラ側が受け入れられたら、確実にあっちへの風当たりが強くなる。戦士にあるまじき行為とか、あの小さな隊長さんに言われて、それを受け入れたもんだから、今までの諸氏族最強の戦士がいる氏族って肩書も消えたし」

 

「で、オレが石を投げられると」

 

「でも、実際。あのユレンハーバの最強様を一太刀で首狩りなんてのはどんな技量があれば出来るんだか分からないんだよ」

 

「あん? そんなに強いのか?」

 

「そりゃね。変異呪紋の中でも最強の部類のものが使えた上に元の資質から、戦士の中じゃ最大の体躯も誇る。それこそ巨人共とほぼ変わらないんだから、術師も匙を投げるような耐久力と威力さ」

 

「ま、何もさせずに終わらせたんだろ。それなら」

 

「何もさせずに?」

 

「ウチの隊長はやたら合理的なんでな。敵と見たら、最も単純で直接的な手段を取る」

 

「怒りっぽいの?」

 

「いいや、違う。容赦がないってだけだ。お前の時もそうだっただろ。相手に時間を与えず、力を出させず、必ず殺すか無力化する一撃で安全に戦闘を終える」

 

「……戦士の戦い方じゃぁないね」

 

「あいつは戦士じゃない。だが、暗殺者って柄でもない。単純な目的と手段に感情を挟まない感じだ。もし、感情マシマシに戦ったら……」

 

「戦ったら?」

 

「国一つ亡ぶんじゃねぇか? いや、何の躊躇も無くそうするだろうな。あいつなら……」

 

 思わずアラミヤが口を噤む。

 

「どうした?」

 

「……アンタらが敵じゃなくて、心底良かったと思っただけさ」

 

「オレもだよ」

 

 こうして男女がイチャイチャと歩く姿はあちこちから見られており、またニアステラ側との融和が進むだろうと多くの野営地の大人達は遠目にカップルの様子を眺めているのだった。

 

 *

 

 こうして西部がザワザワしている頃。

 

 ニアステラの各野営地には符札を掲げた少年が次々に大量のスピィリア達を連れて来ていた。

 

「(/・ω・)/」

 

「(>_<)」

 

 歓迎しますという元の住人とありがとうと返す新規達が一緒になって仲間が増えたと喜びの踊りを舞いつつ、すぐに現地でのルールを教える為にあこちへ連れて行く様子は完全にコントのようでもある。

 

『新規居住蜘蛛大歓迎!!!』の横断幕まで作成されている辺り、愉しみにしていたのかもしれないと少年は蜘蛛達のマメさに感心した。

 

 そうして昼前に各地のスピィリア達のいる地域を満たした少年は一人で第一野営地のノクロシアが見える場所へと戻って来ていた。

 

「あ、帰って来た」

 

「お帰りなさい。アルティエ」

 

 レザリアとフィーゼが狙撃訓練中に駆け寄って来る。

 

「(≧▽≦)/」

 

 その横では近頃忙しくてガシンに世話して貰っているというよりはガシンの家を維持しつつ、蜘蛛達の取りまとめ役をやっているルーエルがいた。

 

「ただいま」

 

「「おかえりなさい」」

 

「(≧▽≦)/」

 

 2人と1匹に労われた少年が昨日の今日で再建されつつあるウートとフィーゼの家を見て、何処か罰が悪そうな顔になる。

 

「あ、気にしないでください。アルティエのおかげで2人とも無事だったのですから。ね?」

 

「うん」

 

「スピィリア達を一杯連れて来たんだよね? どうだった?」

 

「問題無さそう。今は元居た住民に色々教わってる最中」

 

「ふ~ん。じゃあ、ニアステラはこれで大体の場所は全部スピィリア達のお家になったかな?」

 

「これでようやく遠征に出られる」

 

「次は何処に行くの?」

 

「北部からの大規模な侵攻がある前にグリモッドの地下世界を探索」

 

「あ、そう言えば、あそこって今どうなってるの?」

 

「亡者と亡霊が一杯」

 

「沢山スピィリアにしても?」

 

「今、あの亡者の山のあった地点まで亡霊達を追いやった。これからガシンを迎えに行く。代りに西部はフレイに任せる。野営地にはゴライアス」

 

「じゃあ、ルーエルを今回は連れて行くの?」

 

「そう。後、もう一人」

 

「え?」

 

 誰かいただろうかと首を傾げるレザリアだったが、少年の家の方から少し早足で来る近頃加わった仲間の姿を見付ける。

 

「あ、ヒオネだ」

 

「アルティエ様」

 

 少年の傍にやってきたアルマーニアの少女がすぐに頭を下げた。

 

「お仕事。ご苦労様でした」

 

「準備は?」

 

「はい。整ってございます」

 

「それじゃいい。薬は?」

 

「はい。ええと、その……何とか侍女達にも手伝って貰い。ここ数日で全て飲みました。ええ……」

 

 ヒオネの顔が聊か青くなる。

 

 大変だったのは2人の少女にも時折、アルマーニア側の住まう二階から物凄い悲鳴が響いていた事から周知であった。

 

「レザリア達に報告」

 

 少年が連れて行くからには隊員であると命令し、すぐにヒオネが2人に向かい直る。

 

「は、はい!! 当主イーレイ・スタルジナの妹。ヒオネ・スタルジナ!! これから皆様の支援役として遠征隊に同行させて頂きます。よろしくお願い致します!!」

 

 大声でヒオネが頭を下げる。

 

 それに唖然としていた女性陣2人であった。

 

「え、ええと、はい。ヒオネさん付いて来るのですか? そのぉ……戦闘技能とかは?」

 

「は、はい!! 実は霊視などを含めて遠方の気配を感じ取る力には長けていまして。見えない遠方からでも何かしらの異変があれば、感じ取れます!!」

 

「そ、そうなのですか。なるほど……つまり、遠征隊の目として?」

 

「そういう事。ルーエルに運んで貰う」

 

「(≧▽≦)/」

 

「こ、今後ともよろしくお願い致します。ルーエル様!!」

 

 ペコペコとヒオネがルーエルに頭を下げる。

 

 別にいいよ~と言いたげなルーエルはピョンピョン跳ねた後。

 

 ガシンの家から新しい荷運び用の装備を大急ぎで持って来る。

 

 自分の背負う大荷物の前。

 

 つまり、自分の背中に跨る鞍のような装備が増えたのを確認させたいのか。

 

 器用に自分で装着して女性陣に見せびらかしていた。

 

「こ、此処に座るんだ。おぉ~~もしもの時は他の人もこれで?」

 

「そう」

 

 レザリアに少年が頷く。

 

「戦闘中は鞍から降りて護りを固めます。ただ、戦闘用の呪紋は強くありませんが心得ておりますので。本格的に攻め込まれた場合に使うのみかと思いますが、戦闘が出来ないという事はありません」

 

「うん。じゃあ、これから改めてよろしくね? ヒオネ」

 

「はい。レザリア様」

 

「レザリアでいいよ? ボクも呼び捨てにするし」

 

「わ、解りました。では、レザリアさんと」

 

「私もよろしくお願いしますね。ヒオネさん」

 

「はい。フィーゼさん」

 

 こうして女性陣3人+1匹がガッチリと円陣を組んで互いに頷き合う姿は今後の遠征隊内の女性陣の強さを象徴するかのようであった。

 

「(……おねーさんこわいわ~姫様に同行は確定だわ~)」

 

 そんな少女達の青春を建物の影から見ていたミーチェはイソイソと自分の準備を始めるのだった。

 

 *

 

 デン、ドン、ドドーン。

 

 そんな様子で遠征隊が集まった時。

 

 男女比率は圧倒的に女性優位に傾いていた。

 

 少年とガシンはまだいい。

 

 だが、遠征隊に本来いなはずのアラミヤとミーチェが一緒になって付いて来ると言い出して、現場は混乱こそしなかったが、また大所帯となっていた。

 

「「「(>_<)」」」

 

 野営地の守備隊に組み込まれて、遠征隊仕込みの戦闘術を後輩に指導していたドラコ―ニア三名も荷物持ちとして再び参加。

 

 こうして彼らは野営地の砂浜では出発前に簡単な隊列と各自の連携方法を取り決めて、出発する運びになっていた。

 

 それを見ていたナーズがやって来て、ウートからの手紙を少年に渡し、レザリアに「頑張れよ?」とニヤニヤして頬を赤くさせ、そのまま悪戯っぽい笑みでカラコムの守備隊へと戻っていく。

 

「父から何か?」

 

「……今朝、巡回者。前に来ていた女の人から手紙が届いたって」

 

「手紙?」

 

「リケイ宛で。北部に動乱有り。気を付けられたし。だって」

 

「北部で動乱。それって……」

 

 フィーゼに少年が一番可能性がある状況を伝える事にする。

 

「ヴァルハイルの事なのか。あるいはそれを含めて沢山の勢力間で大規模な戦闘になってる可能性がある」

 

「一応、気に留めておきましょう」

 

 フィーゼに少年が頷いて互いにコミュニケーションを図っていた者達を纏めて、出発の号令を出す。

 

「行く!!」

 

 符札が掲げられ、全員がその場から消えた後。

 

 浜辺にはリケイが一人やって来ていた。

 

「……ふむふむ。何度見ても……という事はあちらの準備も大詰めですかな? さて、この島を取りに来る勢力がまた増えるというのも中々物好きな……王家連中も懲りませんなぁ」

 

 手紙を何度か確認していた老爺は海の先。

 

 ノクロシアよりも先の海域を見据えるようにして水平線の先に視線をやる。

 

 島に教会の本隊が近付く中。

 

 急激に情勢は移り変わろうとしていた。

 

 *

 

―――北部ヴァルハイル直轄領首都ハイラ。

 

 ヴァルハイル。

 

 竜の子孫とも呼ばれる者達。

 

 空飛ぶ竜を相棒とし、数多くの竜騎士を要し、古竜と呼ばれるような古い古い竜達の力を借り、鋼鉄の鎧を身に纏う彼らは北部最大の勢力として君臨する。

 

 というのが前世紀までの彼らだった。

 

 しかし、今は大きく異なっている。

 

 その技術力は大陸と比べても数世代以上は優越すると本人達が声高に叫ぶ程であり、今や兵隊は鋼の大鎧を身に纏い。

 

 巨大な巨人族達とすらも対等に殴り合って屠れるだけの体躯には魔力と雷の力が満ち、己の肉体そのものとして動かしている。

 

 竜と共に繁栄を謳歌していた彼らはもはや他の種族を圧倒する程の怪物として北部では認知され久しい。

 

 正しくそれは機械の四肢と肉体を持つ竜すら殆ど不用とした戦力としてだ。

 

 今や空飛ぶ竜すら二戦級の戦力として扱う程度のものなのだ。

 

「………」

 

 その首都は北部の最も中央域に近い山岳を背にした王城を中心とした巨大都市群である。

 

 四つの都を要する外縁部防衛線と首都の中心域。

 

 更に周囲にある幾つかの小都市と周辺の食糧生産地帯である村落群。

 

 これらの土地がヴァルハイルと称される。

 

 都には蒸気と魔力、雷の力が満ち溢れ、小型の鋼で出来た機械の体を持つ呪霊が悠々と空を飛びながら、蒸気の霧が雷や魔力で浮かび上がる幻想的な各地の街区で運搬や雑用を行いながら、監視もしている。

 

 聳え立つ塔が乱立する首都は“高都”と各地の者達が呼ぶ程に高く。

 

 その合間を巨大な浮遊する回廊が刻々と時計の秒針のように通路を移動交差させて人々を運んでいた。

 

 格式高いと呼ばれる石材建築は基本の白壁に優美な彫金の技法を用いた自然を描き、帝都のあらゆる場所が石と鋼の都である事を忘れさせる程に様々な塗料による自然が描き出されて華やかだ。

 

「………」

 

 20mにもなる最大級の巨人族を思わせる鋼の門番が並ぶ中央区前の巨大門。

 

 そこの左右にある通りは王城に続く唯一のものであり、嘗て島を統括していた中央域【モナスの聖域】の都から移設された建築群と言われる。

 

 その門自体も極めて荘厳だ。

 

 上には大鐘楼を持つ塔が聳え、城そのものを外部の者達から隠していた。

 

「………」

 

 街に溢れる蒸気と魔力と雷。

 

 そして、鋼に照り返すコレらが生み出す光が高都を幻想的に映し出し、他の種族達の多くが、その情景をいつか一目見ようと話す。

 

 それは何も特別な事ではない。

 

 北部最大の都は同時に北部最大の巡礼地でもある。

 

 最初の流刑者達が作り上げた【モナスの聖域】を信仰対象とするモナス教と呼ばれる宗教の最終巡礼地点は大鐘楼の諸神集合の像達が置かれた教会であった。

 

「………」

 

 今や生身のヴァルハイルはいないとも言われる程に機械化された民しかいないであろう高都。

 

 その内部に蔓延るのは鋼の装甲……いや、もはや肉体の一部をそのように置換した動く人形に等しい者達。

 

 元々のヴァルハイルは竜骨を備え、肉体は頑強で四肢に鱗を持ち、竜頭もしくは竜角を持って、瞳孔は縦に割れて細く、尻尾などを持つ。

 

 これを竜人と人外達は定義していた。

 

「………」

 

 しかし、北部での勢力争いの最中にも彼らは進歩を続けた先。

 

 竜属性変異呪紋の進展と鋼を雷で動かす機械文明までも到達した事により、姿は竜人型の機械のように変貌してしまった。

 

 今や高位の職に就く者で生身を晒す者は殆どおらず。

 

 そもそも生身を持っている者は子を成す女性と貧困層の全身機械化が不可能な層や家の直径男子を持っていない若い男達のみ。

 

 高都で40代にもなると多くの者は四肢を完全に機械化済み。

 

 50代になれば、高都で尉官、将官クラスの者達は脳と脊椎以外を殆ど機械化しているという者が大半だ。

 

「シシロウの直轄地が落ちたと聞いた」

 

「ハイ」

 

 そんな左程多くない殆ど全て生身の竜人が一人。

 

 竜頭こそ持っていないが、蒼い尻尾と鱗と竜角を柔らかい絹製の衣装に包んで、蒸気に煙る都市を鐘楼の最上階から見下ろしていた。

 

 まだ幼いだろう彼女の肉体を着飾る宝飾品は見る者が見れば、目を見開かんばかりの白い黄金製であり、足輪や腕輪、衣装を止める白金の無垢さは彼女の存在そのものを顕しているようであった。

 

「攻められているわけではないと言われたよ。父上に」

 

「左様です。何らかの呪紋による汚染が何処かの勢力によって行われ、直轄地の諜報部門が壊滅致しました」

 

「3000人の住民と共に?」

 

「ハイ。巣穴の者達が現在している仕事は機密となっておりますが、近頃は陛下がニアステラ方面へ送り込んだとか」

 

「我が騎士は耳が良いようだ」

 

「何れも子爵級の者達でしたが、帝国では名手だったかと。ただ未帰還のまま部門そのものが壊滅。定時連絡も無かったらしく、恐らくはもう……」

 

 彼女の背後。

 

 鐘楼の出入り口に佇む竜人の機械人形。

 

 生身がほぼ残っていないようにも見える竜頭の兵士は蒼の外套に赤黒い金属製の片刃を佩き、片膝を折って頭を垂れていた。

 

「アルマーニアとの戦乱も終わると聞いている。でも、戦いは……我らの歴史は終わらないのだな」

 

「左様です。聖姫殿下」

 

「父上はニアステラ海岸線にノクロシアの浮上という話に酷く動揺しておられた。それ程までに御伽噺の都の事を畏れるのは何故だ?」

 

「ハイ。イイエ。聖姫殿下……聖王閣下はノクロシアを畏れているのではありません……」

 

「どういう事だ?」

 

 振り返った彼女がその小さな体で自分の二倍以上は有るだろう騎士の前に立つ。

 

「畏れながら……ノクロシアは単なる旧き者達の都に過ぎません。問題は中身であるかと思われます」

 

「中身? 旧き者達が眠っているとでも?」

 

「イイエ。ハイ。その可能性はありますが、それよりも問題なのは……神々が心変わりする事なのです」

 

「神々が心変わり?」

 

「我ら北部の民の祖は東部の滅亡や西部でウルガンダに敗北した後に合流した者達が大半であり、残るのは外界からの移民。多くの神々の信奉者がこの北部に追いやられた。しかし、ノクロシアには旧き者達以外にも神々の心を動かすモノが眠っているとされています」

 

「……一体それは?」

 

「解答致しかねます。それが何かを誰も神々以外には知りようもないのです。ただ、聖王閣下がもしも本当に必要と考えるならば、閣下自らが御出陣なさる事でしょう。救世神眠るモナスの聖域を超えて……」

 

 竜人の少女は溜息を吐く。

 

「左様か」

 

「ハイ。あるいは王太子殿下達の誰かを赴かせるかもしれません」

 

「……我が騎士【正統なるヴェルギート】よ。お前に二つの任務を与える」

 

「ハイ」

 

「一つは西部と東部、南部の現状を調査し持って参れ。もう一つはノクロシアの状況を確認せよ。父上には内密でだ」

 

「―――委細承知」

 

 ヴェルギートと呼ばれた機械の竜頭の騎士が立ち上がり、一礼の後にその鐘楼から身を虚空に躍らせた。

 

 そして、鋼であるとは思えぬ程の速度で巨大な塔の壁面を次々に蹴り付けながら、都の遠方へと跳びながら消えて行く。

 

「頼んだぞ。ヴェルギート……ヴァルハイルの命運はそなたに託す」

 

 少女が自らの騎士を世に放ち。

 

 遠目に消えて行くのを見ていると背後の階段から数名の女官達が現れる。

 

 まだ四肢以外は生身の彼女達が一礼して通路に整列した。

 

「聖姫殿下。巨人族との交戦が始まったと南東区地方軍から連絡が来ております。アルマーニアの敗北の後、各地で各種族達の糾合が続発しており、最前線の第一皇太子殿下より、首都戦力の一部出動が要請されました」

 

「父上は?」

 

「聖王閣下は現在、【神々の信託地】に赴かれており、連絡出来ておりません。他の第二から第四皇太子殿下まで全て各地方軍に出払っておられます」

 

「つまり、首都の戦力を動かすには我が名でしか決済出来ぬと?」

 

「はい。首都の神聖近衛師団は完全充足しており、いつでも出られます」

 

「解った。近衛師団第二大隊を掌握する【器廃卿】に出撃命令を出せ。フィーキス兄様への助力を頼みたいと」

 

「ヴェルゴルドゥナ様にですか? 緊急時での動きとなると対応が遅くなり、聊か過激な事になるかと存じますが……」

 

「構わん。巨人族相手に戦う者が援軍を求めている。つまりは最も畏れるべき者が必要という事だ。さすがに数日で軍が敗北するという事はあるまい」

 

「了解致しました」

 

 少女は入り口から鐘楼を降りて行く。

 

 その背中には表には出さない焦りが確かに滲んでいた。

 

(もはや、流れは止められぬ。どうして父上はこの時期にアルマーニア侵攻を……これも“聖域”の活動が活発化している影響なのか?)

 

 少女は目を細める。

 

(角のヤツに話を聞かねばならぬな。また……還元蝶を使ったと言うし……お二人とも無事に目的を遂げられれば良いが……)

 

 そうして、首都は闇夜に沈む。

 

 その日、ヴァルハイルの各地方軍は深夜、唐突の奇襲を受け、各種族の連合軍との戦争状態に突入したのだった。



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エルシエラゴの崩壊編
間章『貴方の事Ⅴ』+第40話「エルシエラゴの崩壊Ⅰ」


 

―――ずっと思っていた事がある。

 

 どうして彼はいつも視線を遠くに向けるのか。

 

 いつもいつもそうしているのか。

 

 まるで過去を振り返るかのように。

 

 もしかしたら記憶が戻ったのか。

 

 そう訊ねる事が出来ないのは自分の弱さだと思う。

 

 強敵を打ち倒し、世界が拓けても尚、何処か遠くを見る瞳。

 

 それに不安となるのもきっと自分の弱さなのだ。

 

 彼が何処かに行ってしまうような気がして。

 

 いつもいつも夢に見る。

 

 先に向かう背中に置いて行かれるような気がして。

 

 あるいは何かに立ち向かう為に自分達を背にしている彼に手を伸ばせない自分が苦しくて。

 

 もしこの気持ちに名前が付いているのならば、酷いものに違いない。

 

 姉様達と過ごした時分、よく姉達の言葉に目を輝かせていたような気もするのに……やっぱり、彼には何も聞けない。

 

 彼の傍にはもう全てを捧げた子がいて、自分にはもうちゃんと道があったから、だから……これは酷い感情に違いないのだ。

 

 精霊の声が今日も聞こえる。

 

 それはいつも溶けている仲間達の心の声。

 

 あの子の聞いているだけで恥ずかしくなってしまうような声。

 

 でも、それが羨ましくて、何処か苦しくて、思うのだ。

 

 ああ、自分もこんなに素直になれたらいいのに、と。

 

 きっと、父上はもう全てを背負う必要なんて無いと言ってくれるのかもしれない……けれど、それを背負えなくなったら、自分は自分では無くなるのだ。

 

 お母様と会えなくなった日。

 

 ただの娘であった自分が出来る事は何も無かった。

 

 今、貴族の娘として彼と共にある事は決して悪く無い道だと思える。

 

 だから、今日も思う事は胸の奥に仕舞い込んで。

 

 共に進む事だけを考えていようと思う。

 

 すぐに何処かへ消えてしまう彼の背中を見失わないように。

 

 

 

 

―――東部地下世界【エルシエラゴの冥領】

 

「えっと、これって……石碑ですか?」

 

 少年が巨大な地下領域に転移した後。

 

 遠征隊はその巨大な断崖の下に降りる九十九折りの細い道を使って地表に降り、大量の黒い沼地が周辺領域を埋め尽くす勢いで展開されているのを確認していた。

 

 その崖下の道の終わり。

 

 壁際の苔生した場所が不意に崩れたのはルーエルが満載の積載物で壁を擦ったからであった。

 

 剥がれた壁の苔の内部から石碑のようなものが出て来て、其処には領域の名前らしいものが書かれていた。

 

「エルシエラゴの冥領って書かれてるね」

 

 レザリアが自分はちゃんと難しい文字も読めると胸を張る。

 

「そもそもよぉ。あの黒い沼地。広がり過ぎだろ? どうやってあんな広げた?」

 

「動物や植物以外は全て吸収するように命令してたら、亡霊を取り込んで肥大化してた」

 

 ガシンの言葉に少年がシレッと説明する。

 

「あのなぁ? 十万以上の亡霊を2日でスピィリアにして持って来るとかもアレだが、お前のその黒いドロドロも大概だからな? よく分からんけど、スゴイってのが何かなぁ……」

 

 ジト目のガシンが本当にどうなってるんだという顔で沼地を見やる。

 

「全員渡れる。同族は食べない」

 

「オレらの体にもいるもんなアレ」

 

「え!?」

 

 蠢く漆黒の沼地を見やったヒオネである。

 

 その横ではミーチェがアレわたしヤバイ?みたいな顔になり、顔を蒼褪めさせ、アラミヤはずっと飛んでくのかぁ……という顔になる。

 

「大丈夫。野営地にいた時、全員感染済み」

 

「「「え?」」」

 

「ま、まぁ、気にしない。気にしないのが一番ですよ。皆さん!!」

 

 ちょっと慌てつつもそう新参の女性陣にフィーゼが取り繕った。

 

 そうして、全員で歩きで進む事になると。

 

 沼地がまるで道を描き出すように割れて行く。

 

 そのまま歩き始めると先日の戦闘では分からなかったが、あちこちに山林や川。

 

 他にも動物はいないものの、野草や花は自生しているのが解った。

 

 少年が切り出したと思われる石切り場らしい場所もすぐ近くにあって、かなり開拓が進んでいる事が判明する。

 

 それもそのはず。

 

 簡易なのだが、小屋のようなものや資材用の倉庫みたいなものまでかなり大きく立てられていた。

 

「あの小屋や倉庫って……」

 

「スピィリア達に立てて貰った。色々な物資を保管しておく用」

 

「拠点か」

 

 レザリアの言葉に少年が告げ、ガシンに頷きが返される。

 

「で、色々野営地に持って来てたが、他には何か見付けたのか?」

 

「この領域の生物に蟲はいない。でも、この領域の岩や花はかなり特殊で霊力や霊体に影響するものが大量に眠ってる」

 

「ほう? 水を吸収する石に臭いを消す華。他には?」

 

「霊力を分解、吸収する金属とか」

 

「分解する金属?」

 

「コレ」

 

 少年がゴソゴソと衣服の中から小さな欠片を取り出した。

 

 ソレは薄く白い金属のようにも見える。

 

「コイツは?」

 

「【白霊石】……これで造った武具なら普通の呪紋が使えない人間も霊力で造られたものや霊力主体の呪紋そのものを破壊出来る」

 

「本当か? いや、オレには無用の長物っぽいけども」

 

「危ない!! スピィリア達に危険なのはダメだよ!!?」

 

 思わずスピィリア贔屓なレザリアが腕でバッテンにする。

 

「でも、エンシャクみたいなのがまたいても困るから、ウリヤノフに竜骨弩用の弓は数本作って貰った。荷物に入ってる」

 

 プクッと膨れたレザリアをまぁまぁとフィーゼが宥める。

 

「分解するだけじゃなくて。分解して接触面から吸収する。ガシンの呪紋と同じ。でも、吸収量には限界があって、吸収し過ぎると霊力の塊みたいになる」

 

 少年がガシンにその小さな金属塊を渡した。

 

 途端だった。

 

 ボウッとその金属が緋色になる。

 

「あん? 何か、今脱力したぞ?」

 

「霊力吸収限界まで達した。これを手にしたまま霊力を使えば、霊力が補充出来る。実質、魔力が更に一杯使える」

 

 少年が親指を立てて目をキラリと光らせる。

 

「だから!? オレを魔力の樽扱いすんのは止めろ!? また能力の運用に磨きが掛かっちまったじゃねぇか!? オレは拳闘士なんだっつーの!?」

 

「あ、あはは……でも、助かりますよね?」

 

 フィーゼがそう呟く。

 

「ぐ、ぐぅ……そもそもオレの霊力が実質的に減る程に魔力使うとなったら、それもう敵が軍団とかの状況だろ?」

 

「取り敢えず、亡霊達を減らす。何かありそうな地域から極力亡霊を減らして探索が終わったら、撤収」

 

「そして、オレがそれをすると」

 

「そういう事」

 

 少年が頷きつつ、全員が数km以上先に有った地点。

 

 元々は亡者と亡霊の山が築かれていた場所にすんなり到達する。

 

 何処も漆黒の沼地が広がっているが、亡霊達や亡者達の群れはそこから数百m先からは攻めて来ないらしく。

 

 今は遠方に見えるのみとなっていた。

 

「この間やった事をやってって言っても、何処までだ?」

 

「此処はグリモッドの中央域。此処がこの領域の中央で東西南北に領域が広がってる。あの霊殿のある入り口は西にある。

 

「つまり、東南北にはまだ行けてないと」

 

「観測結果から言えば、楕円形に北と南に長くて東が最短で行けるルート。取り敢えず、道中の領域を道になりそうな場所は全て掃除」

 

「はいはい。行くぜ―――【飽殖神の礼賛】!!!」

 

 ガシンがドカリと座り込んで両手と背後の二つの腕を同時に広げた。

 

 ソレが左右上下に展開したかと思われた次の瞬間には猛烈な速度で中心域を輪のように取り囲み。

 

 その黒い沼地の上どころか。

 

 橋の如く陸橋のような者となって汲み上がり、延々と遠方まで伸ばされ始めた。

 

「―――これが遠征隊の」

 

「はは、此処まで出来るなんてねぇ」

 

「おねーさん。やっぱり帰りたくなってきたわ」

 

 アルマーニアの三人娘が目を見張る。

 

 ガシンを中心として広がり続ける腕はもはや河ではなく構造物。

 

 それが何処までも何処までも蠢きながら東西南北へと向かって伸び、その構造物へと走り出した亡者と亡霊達が群がる。

 

 正しく、ソレは黒蜘蛛の巣が可愛く思える程に広く広く広く……十字状に冥領エルシエラゴを縦断していった。

 

 亡霊達は次々に僅かに滲む緋色の霊体に触れて吸収されながら消え去り、亡霊達は伸び続ける腕の構造に引き摺られながら擦り切れて崩壊。

 

 数が集まり続けてはいたが、無限にいるわけではない住人達は領域の中心から伸びる構造体のある一帯に限って殆どが数分もせずに消し飛んでいた。

 

「―――ぁあ、限界だ!!」

 

 ガシンが脂汗を流しながら、立ち上がると、基点となった背中の腕が構造物から引き抜かれるようにして絶ち切れた。

 

「後は頼む……おぇ」

 

 傾いだ青年を慌てて支えようとしたフィーゼ達だったが、それを空かさずアラミヤがキャッチしてイソイソと引き摺って、ルーエルの傍で介抱し始める。

 

「任された」

 

 少年がガシンが腕を引き抜いた部分に触れると同時に目を閉じた。

 

 その地点から無数に増殖する黒い沼地が構造物に群がり始める。

 

「……異形属性変異呪紋【異種交胚】。【ナクアの書】に魔力充填完了……」

 

「「!?」」

 

 その言葉にヒオネとミーチェが驚く。

 

 少年が背後に背負っているカバンの内部から青白い光が漏れてようやく彼らは自分達が探してたものが少年の背中へ大抵詰められていたのだと知った。

 

 少年の手が二本の試験管から秘薬をゴクリと飲み干す。

 

「骨芽細胞をモザイク遺伝子化開始……水平導入効率最大化。【ビシウスの根環濃縮液】(寄食)……細胞増殖率32万%上昇(再上昇可)。偽遺伝子化進行中……抑制剤投与」

 

 少年がまた新しい試験管の中身を呑み込む。

 

「……毎秒0.03%まで低下(再下降不可)」

 

 ブツブツと呟きながら彼らのいた周囲から大量の沼地が腕の陸橋を張って猛烈な速度で終端まで引き伸ばされていく。

 

 少年の肌が薄っすらと灰色になった様子を彼らは見た。

 

 その肌には内部から筋肉が浮かんでおり、かなり肉体が変質している事が誰の目にも分かるだろう。

 

「サイクル効率を最大……」

 

 沼地そのものが無くなっていった場所のあちこちでは地面が露出し、亡者達が詰め込まれていた頃の光景を露わにしていた。

 

 しかし、それよりも巨大な肉の塊がゆっくりと膨れながら色を変えていく。

 

 内部から白いものが露出し、黒い真菌と斑模様を作っていく。

 

「骨の橋? まさか、この色合い……何処で竜骨を手に入れていたのかと思っていましたが……貴方達は―――」

 

 ヒオネが事実を知る。

 

 そうだ。

 

 竜骨で固められた装備一式や竜骨そのものが使われているという漆黒の塔。

 

 どうやって作ったのかと遠征隊の少年以外に聞いて、お茶を濁されていた彼女は事実を知る。

 

「貴方が大本を作っていたのですね。アルティエ様」

 

 肉の陸橋が次々に内部から剥き出しになる白い骨によって形作られていく。

 

 その構造材の表面には最初に形を作っていた腕の骨が僅かに隆起して装飾のように見せている。

 

「作業構築完了。竜骨の再生産終了まで10分……」

 

 ベシャッと少年もまた倒れた。

 

 それを慌ててレザリアが支える。

 

「だ、大丈夫?」

 

「……霊薬3分の1」

 

「う、うん!!」

 

 すぐに少年のポーチからいつもの霊薬が取り出されて、少年の唇に流し込まれ、数秒で少年が立ち上がる。

 

「……偽遺伝子の通常化復帰まで13時間……霊薬が便利過ぎる……」

 

「………ぅ」

 

 少年がまだ霊力の回復というよりは取り込んだ霊力を編纂して自分の内部に溶かし込む作業中の目を閉じたガシンに見やりながら、周囲の気配を確認する。

 

「大丈夫。今、亡者と亡霊の気配は7里以内にありません」

 

 そこでヒオネがそう空かさず伝えてニコリとする。

 

「そこまで分かる?」

 

「はい。これくらいしか出来る事はありませんが……あれ?」

 

「?」

 

 首を傾げたヒオネが東を見やる。

 

「東部ですが、どうやら一両日で戻れるくらい先の壁で何かオカシな反応が……霊力が無い? いえ、この空間内では常に霊力が溢れているようにも感じますが、それの薄い場所が……」

 

「っ、お手柄」

 

 少年が自分の探していたモノの場所が解って東部に伸びた陸橋を見やる。

 

「アルティエ?」

 

「今日は東に向かう。北と南はまた今度。これでフェクラールの探索が進む」

 

「(≧▽≦)/」

 

 やったね主様というルーエルの顔をよそに少年の言葉がまたよく分からないという顔の仲間達なのだった。

 

―――4時間後。

 

「これは此処に来た時に話していた白霊石とか言う?」

 

 巨大な陸橋が端まで到達したエルシエラゴ東区画。

 

 まだグッタリしつつ回復中のガシンを連れて、彼らはエルシエラゴの端までやって来ていた。

 

 大量の亡者の死骸が黒い沼地の中にある陸橋付近で消化されている其処こそ、彼らの目的地であった。

 

 全員が見たのは陸橋が打ち崩したと思われる岩壁に見える白霊石の壁だった。

 

 少年がイソイソと陸橋の上で残った壁を剣の柄で叩くと罅割れ剥離していく壁の一部が崩落し、内部から巨大な一枚岩のようにも見える白霊石が現れる。

 

 それをコンコンと叩いた少年が頷く。

 

「間違いなく鉱脈」

 

「えっと、どうしてコレを探してたの? アルティエ」

 

 延々と陸橋の上を燻り贄のウルクトルで走破してきた仲間達に少年が振り返る。

 

「グリモッドだけじゃない。ニアステラやフェクラールの地下にも同じような空間がある」

 

「え!?」

 

 思わずフィーゼが目を丸くした。

 

「どうしてそう思うのですか?」

 

「アルメハニア達が沿岸部の海中で見付けた異物」

 

 少年がポーチの一部の部分から小さな霊廟。

 

 (がん)と呼ばれるだろう構造物。

 

 つまりは手のひらサイズの霊殿や廟である。

 

「ニアステラにもフェクラールにも海の内部から地表の下に続く洞窟がある事が解ってる。報告では洞窟の奥には霊力の反応がある。しかも一杯」

 

「それって、此処みたいに沢山亡霊や亡者がいる地下があるって事でいいの? アルティエ」

 

 レザリアに頷きが返された。

 

「今は海側からの道しか発見されて無い。でも、何かいる場所が必ずある。その領域に守護者みたいなのがいれば、今度は安全に戦いたい」

 

「ああ、だから、ウリヤノフさんに色々と頼んでたって事?」

 

「そう……恐らくノクロシアは海底でそういう場所とも繋がってる可能性がある。入口が完全に封鎖されてる都市が地下にあったと考えるより―――」

 

「あ~そういう事ね。おねーさん分かっちゃったわ~。つまり、隠された出入り口が地下にあると考えた方が無難なのね?」

 

「そういう事」

 

 ミーチェが自分の考えを肯定されてフフンと得意げな顔になった。

 

「つまり、この領域で色々とするというのは……」

 

「ノクロシアに入れる場所の探索も兼ねてる」

 

 フィーゼに少年が現在の目的を告げた。

 

「この鉱脈から掘り出した白霊石で装備を作って今度は海の中、空気とか持つのでしょうか?」

 

「問題無い。色々とウリヤノフに頼んでる。アルマーニア側の技術や呪紋で竜骨装備も更新する」

 

「そうなの? アルティエ」

 

「ようやく金属製の布が出来た。これからはフィーゼの装備並みの防御力が出るようになる」

 

「え? そのぉ……この装備ってそんなに良いものなのですか?」

 

「「「え!?」」」

 

 フィーゼの言葉に思わずアルマーニアの三人が反応する。

 

「ま、まさか、知らずに?」

 

「えぇ……それはさすがに想定外だわ~」

 

「竜鱗の装備は今じゃ貴重品。そもそもヴァルハイルの連中はもう大半男は生身じゃないからねぇ。揃えるのは殆ど不可能なはずだよ。竜そのものすら連中金属にしちまってるから」

 

「えっと、その、何か分かりませんが、スゴイのは解りました」

 

 フィーゼが自分達が知らずに使っていた装備の優秀さを理解して半笑いになる。

 

 きっと、少年くらいしか、その優秀性は知らなかったのだろうとも。

 

「取り敢えず、採掘して今日は帰る」

 

 少年は蜘蛛脚を引き抜いて、全員に下がるように言った後、猛烈な一撃で壁を一閃した。

 

 その威力が激音となって周囲に響くと同時に壁が数mに渡って崩落。

 

 巨大な1000kg単位はありそうな巨大な一枚岩が陸橋の上にドガッと転がった。

 

「これで良し」

 

「あ、どうやらそうは行かないようです」

 

 ヒオネが視線を周囲の森に向ける。

 

 すると、急激に周囲の地面で呪紋らしき魔力によって生み出された象形が浮かび上がり、内部から翼を持った全身鎧の者達が溢れ出て来る。

 

「総員戦闘配置!!」

 

 少年の言葉で瞬時に今はダウン中のガシンを載せたルーエルを中核として円陣が組まれた。

 

「さっきのでしばらく沼地は使えない。連携させずに各個撃破」

 

「「了解!!」」

 

 フィーゼとレザリアが同時に自分達の得物を持つ。

 

「あいよ。旦那様は護らなきゃね♪」

 

「おねーさん的にはもう帰りたいわ……」

 

 アラミヤとミーチェも同様であった。

 

「み、皆さん頑張って下さい」

 

 一人、防御用の体表を固くする呪紋で毛皮の高度を上げて少し毛の艶が増したヒオネがルーエルの傍で拳を握る。

 

「戦闘開始」

 

 こうして再びエルシエラゴでの戦闘が勃発したのだった。

 

 翼を持つ騎士達は前回の戦闘時と同様の戦術。

 

 つまり、高度を保っての遠距離戦から入っていた。

 

 次々に霊力の矢が降り注ぐ最中。

 

 それを回避しつつ応戦する者と防御しながら攻撃する者に別れる。

 

「炎属性変異呪紋【炎礫】」

 

 ミーチェは地表で回避しつつ、ブツブツと呟いては手元から魔力で出来た焼けた礫を放っているし。

 

「風属性変異呪紋【風計】」

 

 アラミヤは呪紋を唱えた途端に翼を僅かに肥大化させて、高速で敵に接近し、羽を銃弾のように射出して相手を穿ちながら、流れるような仕草で引っ掛かりを感じさせる事も無く得物の剣で相手の首を一動作で刈り取っていた。

 

「へ、変異呪紋て結構スゴイんだね。肉体だけじゃないんだ。変化させられるの……」

 

 と、言いながらレザリアが猛烈な矢の降り注ぐ速射を盾で受けながら、フィーゼのカバーに入る。

 

 フィーゼの周囲では肥大化させていない竜骨弩が次々にルーエルの荷物に積まれていた木箱から吐き出され、虚空で複数の精霊によって速射が開始されていた。

 

「「「(´・ω・`)」」」

 

 ドラコ―ニア達も竜骨弩を二挺持ちで次々に精霊に装填して貰いながら、弓矢を体で受けつつ、応射する。

 

 しかし、少年が最も敵を撃墜していただろう。

 

 苦無を正確無比に相手の頭部に連射し、結果も見ずに高速で駆け抜けながら両手で二挺持ちの竜骨弩で相手の頭部をやはり全て一発で消し飛ばす。

 

 矢が無くなれば、弩を投げ捨てて、跳躍して不可糸で空中に浮かぶ周囲の相手を全て引き寄せて巻き取り。

 

 地面に墜落させ、その剛力で左右へデタラメな軌道で相手を振り回す。

 

 それに巻き込まれた呪紋で呼び出されている騎士達が地表で壊滅的な被害を受けて体を霧散させていくのだ。

 

「もうやりたい放題ですね。あはは……」

 

 フィーゼが少年の向かう場所の敵が物凄い気負いで消え失せて行くのを見て、さすが遠征隊の隊長は伊達じゃないと少しだけ仕方なさそうな、あるいは諦めているような顔で誇らしげに苦笑する。

 

「そ、それにしてもアレは……呪紋のようですが、遠くから呼び出されているような……」

 

「エンシャクがいなくなったって地獄は地獄って事かね」

 

 ヒオネの言葉に戻って来たアラミヤが剣を収めて、周囲の観測を密にする。

 

「現在、12個所に出現位置を確認した。でも、あ、最後の一か所があいつに破壊されたね」

 

「あ~~おねーさんは帰るわ~~もう今日は帰って一杯やらなきゃ死にそうよ~」

 

 アラミヤと共にヒオネを護るように立ち回っていたミーチェが疲れにげっそりとしていた。

 

「それにしても遠征隊ってのは本当に魔力とか体力とか。どうなってるんだか。旦那様もそうだけど」

 

 今もヒオネの傍でルーエルの蜘蛛脚によって抱かれて護られているガシンがぼ~っとした様子で戦闘が終わるのを見ていた。

 

「あ……戻って来ましたね。アルティエ様達が……」

 

「達?」

 

 ミーチェが遠方まで走って消えていた少年が今度は歩いて戻って来るのを遠目に見て、横に知らないのがいるのに気付く。

 

「霊体の……蜘蛛? しかも、翼付いてる……」

 

「先程の霊体騎士の蜘蛛のようです。あの大剣を使ったのでしょう」

 

「アレが……他の存在を蜘蛛化するウルガンダの……」

 

 ミーチェが思わず目を細める。

 

 蜘蛛達は生まれたばかりだと言うのにパタパタと霊体の翼をはためかせ、蟲顔から体から甲冑のようなものを身に付けていた。

 

 それも体なのだろうが、それにしても蜘蛛の騎士と呼ぶにふさわしいだろう様子は何処か所作まで洗練されているようにも見える。

 

「あの子達にも何か名前付けてあげなきゃね」

 

「ええ、そうですね。それはレザリアさんのお仕事ですから」

 

 そう笑い合う2人を前にして、また三人は内心で驚き。

 

 蜂のような尻尾を持つ少女が飽殖神に気に入られた使徒候補のような存在である事を初めて知るのだった。

 

 こうして始りの2人の種族は【ミリシェナ】と名付けられ、騎士甲冑をデフォルトで肉体に持つ蜘蛛の騎士として超レアな少数民族っぽく第一野営地の蜘蛛の一族に出迎えられ、ドラコ―ニア達にさっそく鍛えられるのだった。

 

 彼ら2人が今まで見た事の無い美形だった事もあり、多くの蜘蛛達に2人はしっかりと記憶されたのである。

 

 *

 

「……ふむ。左様ですか」

 

 冥領から戻って数時間。

 

 夜の浜辺で少年の前にしてリケイが頷いていた。

 

「エンシャクがそもそも操っていただけで、蟲の騎士達は元々がその領域に住まう者達であり、呪紋を用いる程の知能を有し、何処かにいたという事ならば……」

 

 カリカリと浜辺に少年が描いた小さな冥領のアバウトな全形図をリケイが付け足すようにして補足する書き込みをする。

 

「恐らく北ですな。それも集団規模の墓地もしくは遺跡にウロウロしているのではないかと」

 

「理由は?」

 

「二つ。一つは人型の亡霊の大半。つまり、通常の亡霊達の殆どが南部と地下にいたとした場合、南部には難民が押し寄せていた可能性が高い。これまでの報告や反歌の砦とやらで倒した相手の言動からするに一般人です」

 

「何かから逃げて来た?」

 

「左様。もう一つは人型の蟲。人外の亡霊という事。実はアルマーニア側からは蟲型の人外というのは北部の主要種族にいない事が確認されております」

 

「つまり?」

 

「蟲型の人外が亡霊になったのではありません」

 

「……亡霊が蟲の特徴を持つ人外型になった?」

 

「正解ですじゃ。この場合の儀式もしくは契約というのはああしてポンポンと新種族を作れるレザリア嬢とは違って、かなり大規模かつ複雑で時間が掛かる」

 

 少女が大地母神ウェラクリアに愛されているというか利用されているのは彼らの間では知られた事実だ。

 

「北部で何かが起きて、地下に潜ったか。あるいは南部に向かった。この場合、最前線となるのはやはり北部。つまり、戦力や諸々の危ないものは北部に集められる事になる」

 

「確かに……」

 

「また、知能が高いという事は亡霊のような魂が擦り減った状態から幾分か回復していると見ていい。グリモッドが還元蝶による滅びの最中。竜骨だけになっても復活しようとする化け物を生み出し、種族的な血を遡り、元に戻ろうとする霊薬を産む泉にまで到達していたという事は……」

 

「亡霊から元に戻そうとした誰かがいる?」

 

「あるいは勢力でしょうな。北部での戦に使われた可能性が高い。もう滅んでいてもおかしくはありませんが、冥領の莫大な亡霊達の数から鑑みるに被験者には事欠かない」

 

「誰かがまだ冥領にいて、こっちを狙った?」

 

「左様。もしくはエンシャクが行っていて、仕組みだけ残ったか。それも白霊石でしたか。あの石もかなり希少な代物です。その周囲に仕掛けをしていたとすれば、罠の理由は明白でしょう」

 

「採石場?」

 

「ええ、希少な資源を確保し、護衛を置いていたと考えるのが妥当ですな」

 

「……陸橋作ったの失敗だった?」

 

「それは何とも。ですが、あちらもまだ存在していれば調査するはず。明日以降は更に周辺の状況を確認されるのが良いかと」

 

「解った」

 

「それとその蟲の騎士。いえ、今は蜘蛛の騎士達が持っていたという呪紋ですが」

 

「生命属性変異呪紋【ミートスの知借】効果は大雑把に言うと知能が上がる」

 

 知能型ステータスの恒常変異呪紋は貴重である為、少年はしっかりと拝借していたのだが、まだ使ってはいなかった。

 

「ミートスというのは邪神でしてな。しかも、教会が邪神認定したのではなく。大昔から邪神と呼ばれていた神ですじゃ」

 

「邪神?」

 

「……ミートスは旧さだけならば、ウェラクリアやイエアド神よりも更に古い。最古の神々の一角ですじゃ」

 

「最古の?」

 

 リケイが頷く。

 

「邪神と呼ばれる所以は神そのものが悪事を働くというよりも、その能力にありましてな」

 

「能力?」

 

「そう……旧き神の中でも一際、彼の男神は女を誘惑する力に長け、数々の神を女神達に産ませたのだとか」

 

「女誑し?」

 

「左様です。まるでアルティエ殿のようですな。ははは」

 

「………」

 

「おっと、口が滑ったようで。別名は色男の神。ですが、本質が良くない」

 

「本質?」

 

「誘惑というのは一つの側面に過ぎません。最も重要なのは善悪に関わらず、その欲望を増大させるというものにある」

 

「欲望……」

 

「知恵、知識、そういうのは基本的に欲の末にあるもの。正しき欲望であれば、人は大いに世界を変革し、多くの同胞を救うものとなる」

 

「悪しき欲望なら?」

 

「言わずとも知れているでしょう。戦争、飢餓、犯罪……あらゆる悪事が発生する。ですが、亡霊だった者がソレを持っているとするなら、それは……」

 

「欲望の増大で人としての意識を再び得られるように実験してた?」

 

「正解。まぁ、アルティエ殿ならば、使っても問題は有りますまい。ですが、他の者達に貸し与えるのはかなり慎重にせねば」

 

「解った。今日はこれで」

 

「ええ、彼の神の力あらば、恐らくは欲望を知った蟲すらも、人格を得る事になるでしょう。故に努々忘れますな……人の欲望こそが人である証であり、同時に人が愚かで醜いという事実を産む元凶なのだと」

 

 少年はそんなリケイの忠告に頷いてイソイソと砂浜を後にする。

 

 そして、家に帰る道中。

 

(生命属性変異呪紋【ミートスの知借】……知能321%上昇(再上昇不可)。知識82%(再上昇不可)。使用時、知能キャップ開放……【系神属性呪紋】の習得が可能になる……)

 

 手に入れた呪紋の効果に目を細めていた。

 

 その脳裏には。

 

―――38620043022日前『ははは、どんな呪紋ならアレに効くものですかな?』

 

 そんなリケイの声が残響していた。

 

(神と名の付く呪紋。系は系譜? 系譜の神の呪紋……これがもしもアレの呪紋の正体なら、初めて……初めてアレの力に届くかもしれない……そうすれば……)

 

 少年は多くの記憶を脳裏に過らせて、空を見上げる。

 

 ニアステラの夜は月さえ出ていなければ、また冴える星が明るい夜でもある。

 

「………もう再走はしない」

 

 そう小さく呟くように拳を握るのだった。

 

 *

 

「どう?」

 

「出来そうだ。というか、もう出来た」

 

「早い……」

 

 翌日の早朝。

 

 少年は鍛冶場のウリヤノフに呼び出されていた。

 

「これが……」

 

 少年が鍛冶場のいつもの部屋でウリヤノフが用意した装備を見やる。

 

 そこには薄い金属質の光沢を持つ布地が居り込まれた竜骨装備があった。

 

 しかし、微妙に違うと思われるのは急所や関節を覆うプレート部分に白霊石が幾つも層になって重ねられたような多重構造が見て取れ、その繋ぎ目が文様にように浮かび上がり、竜骨内部から見えている事だろう。

 

「元々、殆どの装備の部品は作り終えていた。後はお前が持って来たコレを成型して入れ込むだけだったわけだ」

 

「重さは?」

 

「前より1割程重くなったが、その程度だ。問題は素材を重ねた為に純粋な攻撃には脆くなったところにある。だが、脆くなるという事は攻撃を受けても内部を破壊され難いという事だ」

 

「後は金属布で防御を上げる?」

 

「そういう事だな。特に首筋から顎や側頭部の耳元まで服の一部が続くようにしてある。これで耳元までは単なる剣の斬撃では切れない。また、それを固定化する鼻から背後の首筋までを覆うマスクを造った」

 

 首に掛けて、鼻の上からうなじまでを護る薄い装甲部分が少年の手に渡される。

 

「口元にはお前が言う毒を無力化する例の黒いシンキンとやらを乾燥させて仕込んである。うなじから背骨を護る後背の部品と繋がって一つの鎧だ」

 

「かなり仕上がってる……」

 

「頭部に付いてもお前の意見を取り入れて、兜も金属布を重ねて張り合わせ、軽さと隙間を造って、薄く水を吸収する石を入れて蒸れを防止した。汗は全て吸い取る仕様だが……体温を下げられない事には留意してくれ」 

 

「問題無い。高速で動けば、空気が直接体と鎧を冷やしてくれる」

 

「空でも飛ぶ勢いだな」

 

 思わずウリヤノフが苦笑する。

 

「手袋部分と各種関節は?」

 

「白霊石で塗布済みだ。無論、アイツのは特別製で一部、手甲や脚甲内部の固定位置に薄く短い針状の部位を内部に仕込んである」

 

「これで外部から吸収した霊力はそのまま使用可能になる」

 

「アルマーニア側のはもう少し時間が欲しい。いきなりの注文だったからな」

 

「解った。武器の方は?」

 

「注文通り仕上がった。スピィリア達と夜通し作っていたおかげでな。もしもの時の為の装備だ。必要になったら迷わず使え」

 

 部屋の内部を今の今まで覗いていた鍛冶場勤めのスピィリア達が蜘蛛形態で戸の前を複数ウロウロしていた。

 

「今回の装備の更新で最も大きいのは竜骨を現地で武器の生産に使える事だろう。お前が言っていた長時間戦闘で遠距離武器が枯渇する問題はこれでどうにかなる」

 

 ウリヤノフが鉄製らしい横に長いトランクをテーブルの上に上げる。

 

「金属布を複数重ねた特別製だ。竜骨の核となる部位に対して外部からいつもの細瓶を突き刺して使う」

 

 トランクの手元にある穴に鉄製の試験管が突っ込まれる。

 

 すると、僅かに内部がカタカタというよりはミシミシと揺れる。

 

 そうして、ガパッとトランクが開かれると内部には大量の竜骨だけで出来た矢が詰まったモールド……鉄製らしい溝がビッシリと入った板が何枚も薄く織り込まれており、その中核部位らしい場所がトランクの手元の下に組み込まれていた。

 

 丸い竜骨の塊である。

 

 蛇腹折に収納されていて、矢を取り出す際にはこの中央部分をウリヤノフがハンマーでその部分をぶっ叩いた瞬間。

 

 竜骨塊周囲から溢れていた細い細い溝内部の骨が破砕されて、一気に蛇腹がバネ仕掛けで広がる。

 

 すると、蛇腹内部から飛び出した勢いで竜骨の矢が外れて地面に多数落ちた。

 

 矢の中央部分には僅かに折れた竜骨の突起がある。

 

 矢を拾うと竜骨の細い細い破砕した破片が多数散らばっていた。

 

「今はこれが限界だ。持ち歩ける濃度の霊薬による成長速度に耐えらえるモールドの細かさには限界がある」

 

「十分」

 

「コイツ一つで凡そ60発。魔の技程ではないが、魔力とやらが宿っているなら、普通の亡霊にも効くだろう」

 

 少年はウリヤノフに感謝しつつ、外のスピィリア達を招き入れて、すぐに木箱を浜辺まで運び出した。

 

 すると、もう待っていた遠征隊の面々が走り込みで汗を流していたが、リケイが呪紋で砂の四方を覆う壁を二つ立てて、すぐに着替えられるように場を調える。

 

 運び込まれた木箱からいつもの面々が壁の内側で着替える事数分。

 

 アルマーニア側の女性陣は少しだけ驚いていた。

 

 それは何処か洗練され、機械的にも見える程精緻な装甲。

 

 洗練された竜骨と白霊石と鋼鉄の三重奏の鎧は何処かヴァルハイルに通じるものがあったのだ。

 

「ちょっと重いけど、動き易いですね」

 

「うん!! 良い感じ!! 汗も吸ってくれて蒸れないみたいだし」

 

「オレのは特別製か……」

 

 ガシンの装備だけが白霊石の部分を緋色にしたり、白くしたりと何処か蠢く生物のように脈動しているような錯覚を覚えさせた。

 

「それは霊力の押し引きしてるから。全部白く為ったら、ガシンの方が石よりも強い」

 

「今度は石相手に鍛えられんのかオレ……はぁ……」

 

 ガシンが溜息を吐く。

 

「新しい装いも恰好良いよ。旦那様♪」

 

「それは止めろ……」

 

「そ、それにしても昨日の今日で……」

 

「ええ、こちらでは何もかもが早過ぎる気が……」

 

 ヒオネとミーチェの感想は一致していた。

 

「今までの装備は予備になる。それと対亡霊用」

 

 少年が白霊石を削り出したと思われる短剣をフィーゼ達に手渡していく。

 

「一応、近接された時に使う用途」

 

 ちょっとレザリアはう~んという顔になったが、これからやる事を考えてか。

 

 ちゃんと腰に佩いた。

 

「ゴライアス」

 

「“此処に”(。-`ω-)」

 

 少年の言葉に砂の中からゴライアスがカシャカシャと蜘蛛脚を動かして現れる。

 

 どうやら砂風呂っぽく温まっていたらしく。

 

 砂から上がると全体的にホカホカしている。

 

「野営地の防衛は任せる」

 

「“我が名はゴライアス”……“防衛も出来る大蜘蛛”(。-`ω-)/」

 

 腕を上げて答えた相手に頷いて、少年が全員を集めた。

 

「\(≧▽≦)/」

 

 ルーエルがまたヒオネを背中に載せて、嬉しそうに腕を上げる。

 

「今日の目的地は冥領北部。蟲の騎士達のいる場所を探す。ガシンの大規模攻勢は基本無し。連戦で各地を探索する」

 

 少年が端的に告げて、符札を掲げる。

 

 そうして瞬時に彼らは掻き消え。

 

 冥領を東西南北に縦断する巨大陸橋の中央。

 

 少年が築いた霊殿となるイエアドの印が彫られた四方に続く端の交差地点に到着するのだった。

 

 凡そ40m四方の円形の領域は人の骨で造られていると言われてもまるで違和感が無いくらいには腕の骨が僅かに浮き上がっていて、かなり不気味だ。

 

 全てが竜骨に変貌していると言われても早々見慣れる事は無いだろう。

 

「ねぇねぇ、アルティエ」

 

「?」

 

 レザリアが少年の袖を引いた。

 

「これも竜骨なんだったら、此処にもスピィリア達住めるんじゃない?」

 

「………それはそう。安全になったら」

 

「じゃ、じゃあ、ガシンに吸収してもらうんじゃなくて、みんなスピィリアにして此処に住んで貰ったら?」

 

 レザリアの提案に少年が僅か考えて黙考する。

 

「此処だと爆華が育たない。でも、色々と使える資源が一杯ある」

 

「つまり?」

 

「外のスピィリア達に一部移住して貰って、此処に建物を立てて交易する街を造れるならアリ……」

 

「(≧▽≦)?」

 

 ルーエルが此処が街になるのか~と周囲を見渡す。

 

 夜空の星のような天蓋と暗い場所で育った樹木はかなり色白で白い。

 

 蜘蛛が寝泊まり出来る樹木はそれなりにあるが、一番良さそうな寝床がもう出来ている為、問題無いです主様と蜘蛛脚が立てられた。

 

「蜘蛛本人から大丈夫って言われたから、採用で」

 

「やった!!」

 

「「「(*´Д`)」」」

 

 アルマーニアの三人は何かサラッと重大な事が遠征隊ではすぐに進んで行く様子にやっぱり自分達とは根本的に生きてる速度が違うなぁという感想を抱いた。

 

「取り敢えず、爆華には余裕がある。陸橋全体じゃなくて、中央だけで魔力が生産出来るなら問題無い。問題は移動経路」

 

「そ、そうですね。さすがにこの地下の移動経路が外と繋がってるとも思えませんし……」

 

 フィーゼがそう冷静に呟く。

 

「この領域を制圧したら、取り敢えず酒場を立てて、符札で交易してもいい。陸路が発見出来なかった場合は地下を掘って貰う事にする」

 

「地下……隧道ですか?」

 

 フィーゼに頷きが返される。

 

「蟻達と同じ。それよりもまずは北部の制圧」

 

 こうして彼らはイソイソと北部の探索へと向かう事になった。

 

 街造営予定の巨大陸橋中央部。

 

 そこが白い樹木の家で一杯になるのを夢見ながら、上機嫌でレザリアは少年の横を進むのだった。

 

―――8時間後。

 

 ようやく遠征隊は冥領北部に到着する事になっていた。

 

 道中、陸橋から見える範囲の亡霊達を片っ端からスピィリアにする作業を少年が休みなく行って、休憩地点には霊殿を置いて、一端野営地に戻ってドラコ―ニアを何人かと竜骨のアクセサリが大量に入った木箱を陸橋中央に積み上げという作業を一人でこなしていた為である。

 

 レザリアに頑張れ頑張れと応援されながら作業する事数時間。

 

 亡霊のみならず。

 

 亡者達も一緒に蜘蛛脚で切っていたら、いつの間にか新種族になれそうな半分霊体半分肉体の蜘蛛達になり、途中でレザリアによって【ディミドィア】と名付けられたりもした。

 

 亡霊たる能力なのか。

 

 自分の肉体を動かすという事に特化された彼らは肉体の精密制御と身体機能に優れており、様々な肉体の使い方が出来るようで色々とレザリアに大道芸的な技を見せては拍手させたりもした。

 

「「「(´・ω・`)……」」」

 

 もう何も驚かないよという進展の早さ。

 

 アルマーニア側の女性陣はニアステラでは物事は迅速に進むんだなーと少年だけが蜘蛛脚で猛烈な速度で北部までの道を延々と爆走する姿を見て、呆けている。

 

 彼是数時間以上ぶっ通しで無限にも思える亡霊と亡者達が新種族にされており、それをドラコ―ニア達が次々に編成して陸橋中央部に連れて行っている。

 

 急激に増えて行く住人達は今度は何万……何十万になるものか。

 

 少年が音速を遥かに超える速度で延々と動いている様子も驚きには値しない。

 

「(/・ω・)/」

 

 その背後からは次々に新生した者達が彼らに『団体旅行客かな?』という状況でドナドナされている途中、手を振っており、中央地域へと大移動を敢行中。

 

「何だかなぁ……」

 

 ガシンがあいつ一人でいいんじゃねぇかなという顔で周辺地域から全ての亡霊と亡者達が掃けるまでやる事なんぞ無いとばかりに持ち込んだ果実を齧っていた。

 

 ドドドドドドドッと。

 

 少年が移動した跡には大量の土埃が舞う為、今も何処にいるのかは誰にも分かっている。

 

「亡者と亡霊を狩る玄人にも程があるな」

 

「というか、此処に住むスピィリアさん達の統制どうするのでしょうか?」

 

「ドラコ―ニア連中に投げるんだろ。危ないのが消えたらだろうが。三日分の食料は持って来てる。これは長期戦だな」

 

 フィーゼの疑問にガシンが答える。

 

「それにしても体力が持つのか心配になりますね」

 

「あいつにとっては慣らしみたいなもんだろ。ああやって新装備の性能を確かめてるのもある。あらゆる動きで蜘蛛脚を振り回しつつ、自分の肉体の今の限界やら他の負荷やらを考えてるんだろ」

 

「……何だかガシンさんもすっかりアルティエの事に詳しいですよね」

 

「まぁな。未だにフレイ達と模擬戦するより、あいつと戦う方が苦戦するし」

 

 少年の姿は遠方の煙でしか確認出来ない。

 

 しかし、それをしっかりと把握する者もいた。

 

「(これは……勝てないわけです)」

 

「姫様?」

 

「……本当にアルティエ様は凄い御方なのですね」

 

 ミーチェが自分の護衛対象が遠方の相手に意識を集中しているのを感じてか。

 

 傍でヒソヒソと話す。

 

「どういう事でしょうか?」

 

「アルティエ様の動きはもはや我らには真似出来ない技能と練度です」

 

「そこまでの?」

 

「あらゆる能力を全て使いこなしている。膂力、脚力、肉体の柔軟性、持続力、反射速度、五感による知覚範囲。何もかもが我らとは桁が違う」

 

「桁が?」

 

「ええ、高速戦闘では恐らく誰も叶わぬでしょう。剣捌き一つ見ても全て我が身の知る誰よりも鋭い。体幹が怖ろしく良く、一切の迷いのない判断……先代の神の使徒達を彷彿とさせますが、実際は……」

 

 その言葉にミーチェがゴクリと唾を呑み込んだ。

 

「まぁ、止めておきましょう。我らは味方です……それでいい。あの小さな体には過剰な能力が詰め込まれているにも関わらず。それに振り回されていない時点で……ヴァルハイルの公爵級ですら敵うものかどうか」

 

「―――彼がどういうモノなのかはよく分かりました。御身がそう言うなら、事実なのでしょう」

 

 思わず少し丁寧になって地が出たミーチェが溜息を吐く。

 

 そうアルマーニア側に評価されているとも知らず。

 

 少年は蜘蛛脚による全力疾走を続けながら、体力の減りを勘案しつつ、林をえぐり取るかの如き機動で駆け回り、目に付く全てを蜘蛛脚で僅かに切り裂いて吹き飛ばし続けていた。

 

 無駄にも思える疾走中の回転や多種多様な動きには我流剣技が織り込まれていたが、それらは全て新装備が動きに堪え得るかのテストであった。

 

「装備摩耗率2.3%……これならまだまだ行ける」

 

 少年の肉体は【飽殖神の礼賛】を己に最初に用いて以降、何度も同じ呪紋で強化されている。

 

 その度に必要な臓器の数を変え、呪紋の制御によって増やす血肉や骨の量を変えて、事実上は魔力が枯渇するまで肉体の体力と疲れを帳消しにする技術が身に付いていた。

 

 それは真菌共生と共に少年の肉体を常に最高の状態に保つ事で可能な力だ。

 

 極端な話、魔力=命の長さである。

 

 肉体を変質させる薬や細胞の増殖を行わなければ、霊薬を使う必要すらないというのが何よりも怖ろしいだろう。

 

 此処で更に秘薬を各種使う事で能力は飛躍的に上がっていくのだ。

 

(ようやく……遠方の壁が見えて来た……)

 

 地球は丸い。

 

 地平の先にようやく少年が壁を見やった時、薄らと何かが彼方で輝いたのを見た。

 

 ボッと少年がウィシダの炎瓶で上空に炎を上げる。

 

 即時、防御態勢になったフィーゼ達の気配を後方で感じながら、少年は遠方から高速で接近してくる何かを捉えるようにしてダガーの短剣で受けに回った。

 

 上空を高速で駆け抜けていた少年の質量と加速力が生み出す運動エネルギーが遠方から跳んで来た何かを接触した瞬間。

 

 ゴバッと周囲に何かが舞い散る。

 

(何かを丸めた玉? 皮膚接触から侵入されてる……蛋白質じゃない。強酸?)

 

 少年が瞬時に周囲の生物が融けそうな強酸を受けるべく。

 

 肌の上に張り付く真菌の被膜にアルカリ性の粘液を分泌させつつ、今まで変異していたスピィリア達に無言のままに大号令を掛ける。

 

 すぐに眷属としての命令を受諾した彼らが一斉にピョンピョン跳ねて全速力で運河の如く中央域に逃げていくのを確認しつつ、ルーエルにも指示を出した。

 

「(≧◇≦)/」

 

 了解とばかりにルーエルが体内で少年と同じく真菌によってアルカリ性の粘液を増産しつつ、ゴヴァッと周囲に振り撒いた。

 

「は!?」

 

「えぇえ!? ルーエル!? それはさすがに汚いよ!!?」

 

「い、いえ、違います。たぶん、何かの薬です!!?」

 

 フィーゼとレザリアが驚いている合間にもすぐに察知したヒオネがそう告げる。

 

「アレを見て下さい!!」

 

「オイオイオイ!?」

 

「……今度は溶けるのね」

 

 ヒオネが指差した周辺では次々に樹木が溶けていた。

 

 ガシンもさすがに顔が引き攣る。

 

「しょうがねぇ。お前のゲロは我慢しとく」

 

「Σ((≧ロ≦)」

 

 ガーンとルーエルが薬をゲロ扱いされて固まっている合間にも次々に陸橋側にも何か大きな玉が高速で近付いて来ていた。

 

 すぐに反応したルーエルが今度はイゼクスの息吹で迎撃し、数百m手前の地点で数発が燃え散って消えて行く。

 

 玉そのものはそんなに固くないらしく。

 

 液体に触れると濃硫酸染みた何かになるというのが本来の力のようで燃えると変質したせいか。

 

 相手を溶かす事も出来ない様子であった。

 

「仕方ねぇな。総員前進だ!! ルーエルに掴まれ!!」

 

 ルーエルは現在大荷物を抱えてヒオネに跨られているが、まったく問題無いかのように頷き。

 

 全員が荷物を縛る縄などにしがみ付くとギュドッと鈍い竜骨が削れるような音と共に時速数十kmで前方に跳躍し、彼ら全員が思わず風圧で顔を変形させた。

 

 彼らの遥か先には少年が先行しており、大量に降り注ぐ直径1m程の玉を次々に虚空で切り裂いては進み続けている。

 

 その何か粉状のものが舞い散る空間をルーエルがイゼクスの息吹で焼き払いながら突破する。

 

 一蹴り数百mの移動が続く内に北端の壁際が彼らの目にも見えて来る。

 

「ありゃ、なんだ? 城攻めの時に使うヤツか?」

 

 彼らが見たのは壁際に多数ある攻城兵器の類であった。

 

 テコの原理でモノを遠方まで投げる投石器(ソレ)だが、明らかに飛距離がおかしな事になっているのは間違いない。

 

 しかし、それもそうだろうと彼らが納得する。

 

 巨大な攻城兵器を動かしているのはどう見ても巨人だった。

 

 ついでに言えば、攻城兵器そのものも魔力が宿っているのか。

 

 薄ボンヤリと光っており、錆びた鋼鉄が輝く様子はもはや普通とは程遠い。

 

 攻城兵器が無数の漆黒の巨人によって魔力を用いて敵に遠距離から攻撃を行う。

 

 このあまりにもあんまりな光景に彼らはようやく自分達が軍隊のような何かに喧嘩を売られているのだと理解した。

 

『(こ、此処は逃げた方が良いのではないでしょうか!!?)』

 

 そうヒオネが告げる。

 

 だが、あまりの風圧に変形している顔で声を張り上げても誰の耳にも聞こえず。

 

「\(≧▽≦)/」

 

 わーい得物だーとばかりにルーエルは加速。

 

 アルマーニアの女性陣がかなり顔を引き攣らせている合間にも遠征隊は準備万端の様子で備えた。

 

 数百m先に近付く寸前で急制動を掛けたルーエルが最大火力のイゼクスの息吹で相手の巨大な攻城兵器群を横に薙ぎ払う。

 

 瞬時に一閃した光線が過ぎ去った後。

 

 猛烈な熱量に攻城兵器の群れの上部が赤熱化して、次々に装填されていた近接用の石の散弾が弾けるやら溶けるやらして周囲に降り注ぎ。

 

 体表を焼かれた20m程の巨人達が絶叫を響かせる。

 

 その合間にも壁際に横一列に並ぶ巨人達の端。

 

 左手の端にいる個体の肩に少年が現れた。

 

 その手には巨大な蜘蛛脚と巨大な黒い大剣が握られており、その脚が肩から掻き消える。

 

「―――!!?」

 

 一線。

 

 猛烈な横薙ぎの暴風を喰らったかのように余波による衝撃で巨人達が横倒しになって倒れて行く。

 

「【双連閃】」

 

 だが、その首はもはや空を舞っていた少年の二剣が怖ろしい脚力で繰り出される斬撃で強靭な筋肉の束を両断していた。

 

 だが、それでも巨人達は未だ死なず。

 

 また、蜘蛛になるにも時間が掛かるのか。

 

 巨大な腕と脚が地団駄を踏んで周囲に激震を奔らせる。

 

 倒れながらも首の瞳は少年を決して見逃してはいなかった。

 

 怖ろしい事に首を飛ばされて尚、彼らは諦めていなかった。

 

 凡そ40体の巨人達が伸ばした手の一つが少年を最期の一人の首を切り落としたところで掴む事に成功し、猛烈な速度で地表に叩き付ける。

 

「アルティエ!!?」

 

 だが、少年を掴んだ腕そのものが内部から焼け焦げて吹き上がる炎によって焼滅し、瞬時にクレーターの中心から多少拉げて煤けた鎧のままに少年が再度倒れ込んで暴れる巨体を軽々と躱して、その上へと跳躍した。

 

「【飽殖神の礼賛】【異種交胚】【不可糸】」

 

 少年の片腕が突き出されたた時、虚空で自らの頭をキャッチしようとしていた巨人達の腕が猛烈な一撃で一直線に貫き通された。

 

『―――!!?』

 

 少年の腕が灰色と化した刹那。

 

 巨大な甲殻のように伸びて、怖ろしく長く巨大な筋肉質の蜘蛛の脚として顕現したのだ。

 

 貫き通された手がその蜘蛛脚の鋭い横一線で切り飛ばされ、地面に落ちようとしている頭部が次々に蜘蛛脚から射出される不可糸によって吸い付くようにその鋭い脚の刃に向かって引き付けられ、両断された。

 

 途端、グリンッと巨人達の瞳が白く剥かれた。

 

 それとほぼ同時に彼らの肉体の内部から巨大な純白の蜘蛛脚が次々に突き出して、内部からヌラリとした甲殻を露わにしていく。

 

 20mは無いが、少なからず15m級の蜘蛛達がひょっこりと巨人の腹の中から血飛沫を上げて顔を出し、グイーッと背筋を伸ばす犬や猫のように足を前に出して伸びをした後、ブルブルと犬のように体を震わせて、ビチャビチャと周囲に巨人達の血潮の雨を降らせて抜け出していく。

 

 それはもはや喜劇か悲劇か惨劇か。

 

 アルマーニア側は思わぬホラーでスプラッターな状況に気を遠くする。

 

「おお!! おっきぃ!! あの巨人さん達は黒かったけど、この子達は白いんだね」

 

「咄嗟に防壁張る為に色々準備してたの無駄になったな」

 

「そ、それよりアルティエです!!? アルティエェエエエエ!!!」

 

 レザリアとガシンが気の抜けた言葉を吐く横で慌ててフィーゼが蜘蛛脚を黒くして地表に落し、腕を内部から引き抜いて壁際に倒れ込んでいる少年に向けて駆け寄っていく。

 

「「「(´Д`)………」」」

 

 明らかに何か間違っているようにも思える遠征隊の弛緩した空気を前にしてもうアルマーニアの女性陣に声は無かった。

 

『((((|ω|))))ノ』

 

 何か呑気そうに巨体でレザリアの元に歩いて来る蜘蛛達が悠々と敵意も無くやってくる光景だけでお腹一杯になったからである。

 

「姫様……あの巨人……」

 

「は、はい。恐らく、御伽噺に出て来る“冥界の巨人”……旧き神の眷属……北部で始祖と呼ばれている王族種ではないかと思います」

 

「アタシも戦いたかった!!」

 

 アラミヤの声に彼女達がゲッソリした顔になる。

 

「死にますよ? 普通」

 

「いや、死んでないじゃない?」

 

「それは……それはそうかもしれません。彼らが強いのか。あるいは我々が弱いのか……」

 

 ヒオネ達は何はともあれ命はあると再確認しながら、巨人の臓物の湯気によって血煙が上がる地獄のような光景に此処はそう言えば、冥領と呼ばれる程度には地獄だったなと再確認するのだった。

 

―――1時間後。

 

「ふぅ……」

 

 少年はようやく起き上がれる程度まで回復していた。

 

 咄嗟に無茶な制御で呪紋を複合して使って魔力が完全に枯渇した為、一時意識を失っていたのだ。

 

 周囲では巨大な漆黒の巨人達の残骸が黒い真菌によって捕食されており、壁際の血や真菌達がいない一角で彼らは小休止を取っていた。

 

「大丈夫ですか? アルティエ」

 

「ドラコ―ニア達の看病で大分良くなった」

 

「「「(>_<)/」」」

 

 勿論ですプロですからとドラコ―ニア達が胸を張る。

 

 ついでにレザリアのいる少し遠方の一角で巨大蜘蛛の群れが大人しく犬のように座って中心のレザリアから色々とルールやら話を聞いている様子に「さすが姉御」みたいな顔で頷く。

 

「で、あの黒い巨人はアルマーニア側が言うには冥界の巨人とか言うらしいが、何か分かったか?」

 

「呪紋を一つ手に入れた」

 

「お? どんなのだ?」

 

「系神属性加護呪紋【劫滅】……」

 

「あん? 何か聞いた事無い属性だな。それどんなんだ?」

 

「確かに聞いた事無い属性ですね。リケイさんには色々教わってるはずなんですが……」

 

「不死殺しの呪紋。再生、復元、肉体を元に戻す呪紋や魔力、霊力で造られた再生する構造体に対して加護を受けた対象が攻撃すると相手は再生や復元を阻害されて死に易くなる」

 

「殺すじゃなくて死に易くなるって何だ?」

 

 ガシンが最もな話をする。

 

「……傷が治らなくなるじゃなくて、傷が治り難くなる」

 

「そういう事か」

 

「不死って、ええと神聖騎士の人とかがそう言われてるのでしたけっけ?」

 

 少年がフィーゼに頷く。

 

「つまり、その呪紋を掛けた相手なら神聖騎士を?」

 

「この加護は対象にした人間が行う全ての攻撃そのものに乗る。矢でも遠距離攻撃でも離れてから10分くらいは効果がある」

 

「それって……」

 

「神聖騎士を数で行動不能に出来る可能性が出て来た。殺す事は出来なくても死んだも同然に出来れば同じ事」

 

「す、スゴイじゃないですか!?」

 

「でも、これは敵味方関係無い」

 

「え? あ、もしかして……」

 

「霊薬や秘薬を使っても再生が遅かったり、回復が遅れる。同士討ちも困る」

 

「……じゃあ、やっぱり、遠距離からじゃなくて近距離で戦える人が使うべきって事でしょうか?」

 

 フィーゼに頷きが返った。

 

「皆さ~ん」

 

 遠方で巨人の死体を漁っていたアルマーニア側の女性陣が戻って来る。

 

「どうだった? 巨人」

 

 レザリアの問いに戻って来たヒオネが首を横に振る。

 

「詳しい事は何も……ただ、黒かった理由と間違いなく巨人族である事は確認出来ました」

 

「?」

 

「巨人族である事? 見た目を見れば、分かるような?」

 

「ああ、いえ、そうですね。皆さんは知らないんでした。巨人族の特徴に性器などが無いというのがあるのです」

 

「ええと……どういう事?」

 

「簡単に言えば、巨人族は巨人として生まれる際に子作りはしません。何故なら、自らの血肉を分けて創造するからと言われています」

 

「血肉を?」

 

「はい。そういう呪紋で前の個体から新しい個体を何人も産むのだとか。その性質のせいで基本的に女というものが居らず。男型の巨人しか北部にはいません」

 

「へぇ~~」

 

「ちなみに黒い理由ですが、コレです」

 

 ヒオネが皮膚の一部を切り出したものを持って来る。

 

 その表皮にはビッシリと黒い蟲のようなものが群がっていた。

 

「ひぇ!!?」

 

「っ」

 

 思わずレザリアが後ろに下がり、フィーゼも顔を強張らせて固まる。

 

「ああ、もうどうやら死ぬらしく。他のモノを襲うようにも見えません。触る時も気を付けたので問題無いかと。ミーチェさん」

 

「おねーさんもこれはちょっとアレなんだけどなぁ……」

 

 と言いながらもミーチェが指を弾くと呪紋の極弱い炎が蟲の付いた皮膚を焼いた。

 

 その下からは僅かに純白の状態が見えたが、それもすぐに燃え尽きて行く。

 

「蟲……あの全ての巨人に大量に集っていたって考えると……」

 

 思わずフィーゼの言葉にレザリアが鳥肌を立てる。

 

「で、お前は何喰ってんだ? アルティエ」

 

「今の蟲」

 

 少年が何やら口にいつの間にかモシャッているのを発見したガシンがジト目で訊ね、その言葉にアルマーニアの女性達が顔を引き攣らせる。

 

「美味いのか?」

 

「……苦い」

 

「ああ、そう。で? お前の見立ては? 拾い食い大好きな我らの隊長殿」

 

「【カリウスの契蟲】(生食)……霊力変質率毎秒0.8%上昇(再上昇可)。効果時間7秒後も残存効能0.01%上昇。食べると霊力に属性付与が働くみたい」

 

「あん? 属性付与?」

 

「個人の呪紋に対応する資質に合せて霊力形質が変質する。霊体と肉体が生み出す魔力もそれによって特定の相性の良い呪紋に限って効率が上がったり、強化されると思う。恐らく、さっきの巨人を食べてたせい」

 

「食べてた? 蟲に食われてたのか? あの巨人共」

 

「共生関係。蟲は巨人の霊力を食べて生存。巨人は蟲の霊力の変質効果で恐らく長寿になってた。ほら」

 

 少年が指差した先。蟲達が離れた大量の巨人の亡骸がまさか嘘のようにサラサラと砂のように崩れていた。

 

「……霊薬の次は長寿になるやら呪紋が強くなる蟲か」

 

 言っている合間にも蟲達が次々にその場から飛散し、中部の方に向かって飛び立っていく。

 

「採らなくていいのか?」

 

「もう沼地に墜ちたのを取ってる。必要な分以外はたぶん、中部に移動したスピィリアやディミドィアを追い掛けてる。寄生不能で対象が居なくなれば絶滅。その前に捕食するように言っておいた。必要なら真菌の能力で血肉まで増やす」

 

「捕食?」

 

「これであっちの蜘蛛達も何かしらの属性の呪紋に目覚める」

 

 言ってる傍から少年の周囲に黒い沼地のようなものが移動して来て、首を擡げるように少年の前で伸び上がって華のように頭を垂れる。

 

 その内部から何か黒いドロドロした液体がドラコ―ニア達が持っているジョッキに入れられていった。

 

「「「………」」」

 

 フィーゼ、レザリア、ガシンが嫌な予感に身を震わせる。

 

「オイ。まさか……」

 

「大丈夫。いつものに混ぜてもちゃんと飲める」

 

「「「!!?」」」

 

 アルマーニアの女性陣が何をジョッキに入れているのか理解して、プルプルし始めた。

 

「死なない。能力も上がる。副作用は……ちょっと苦い」

 

「嘘付け!? ちょっとで済むか!? お前の薬が!!?」

 

 ガシンの言葉にその場の薬を飲んだ事のある全員が同意するしかなかった。

 

「……でも、飲まないと能力上がらない。此処から先。恐らく、またアレみたいに強いのが出て来る」

 

「ああ、クッソ!? 本当にお前は正論しか言わねぇな!! いいぜ!!? こうなりゃヤケだ!? あの薬三昧を耐え切ったオレらに飲めねぇもんなぞねぇ!!?」

 

 ガシンがヤケクソでドラコ―ニアからジョッキを受取り、額に汗を浮かべながらもその黒いドロドロを一気に胃の中に流し込んだ。

 

「っっ、ふぅ……はは、確かに苦いが、別に大した事な―――」

 

 ガシンの意識が吹き飛んだ時。

 

 その下には名状し難い味というよりは衝撃だけが残っており、彼は記憶を数分失う事になる。

 

「ガシィイイィィン!!?」

 

「ガシンさぁああぁあん!!?」

 

 レザリアとフィーゼが思わずガシンを抱き起そうとするが、その前にドラコ―ニア達がガシッと2人を後ろから羽交い絞めにした。

 

「え、は、離して!?」

 

「ま、まさか!? いえ!? それよりガシンさんは」

 

「大丈夫。ちょっと意識が無いだけ。数分で目が覚める」

 

 少年がまるで即死したように動かない青年を自分の横に寝かせて、適当にグイッとジョッキを呷って、別に何とも無さそうな顔で手を握って開いてを繰り返す。

 

 そうして、2人の前にはドラコ―ニアが一人。

 

 二つのジョッキを持っていた。

 

「あ、ちょ、だ、ダメだって!? ガシンに耐えられないものなんか耐えられるわけな―――」

 

「眷属契約。薬はちゃんと飲みましょう」

 

「あ……はい。飲みます!? ふぐぅ!? こんな時だけ眷属扱いして言う事聞かせるとかアルティエの馬鹿ぁ!?」

 

「良薬は口に苦い」

 

 涙目のレザリアが少年のシャニドの印が光った瞬間、眷属として命令を強制受諾した為、ドラコ―ニアの羽交い絞めから解き放たれ、渡されたジョッキを恨めしそうにしながらも一気飲みした。

 

「レザリアさぁああん!?」

 

「うぅ……苦さはそんなでもないけど、これってな―――」

 

 グリンと白目を剥いたレザリアが背後のドラコ―ニアにズルズルと引かれてガシンの横に並べられる。

 

「だ、ダメですって!? こ、此処は仮にも遠征中の危険地帯なんですから!? こういうのは家に帰ってからでも問題な―――」

 

「大丈夫。問題無い。あーん」

 

 喋っている間に少年の指が弾かれ、喉の奥までしっかり不可糸で開かれて固定、胃に直通の状態でジョッキが傾けられてドロドロが流し込まれた。

 

「が、ぐ、ご、あほへほーかいひま―――」

 

 少年に涙目で怒ろうとしたフィーゼがカクンと白目を剥いて落ちた。

 

 フィーゼもドラコ―ニアに運ばれてレザリアの横に並べられる。

 

「「「………(/ω\)」」」

 

 それを見ていたアルマーニア側の女性陣があまりの恐ろしさにガクブルしているが、少年はそんなのはお構いなしにヒオネに近付く。

 

「遠征隊に入ったら、薬はちゃんと飲む事。最初に約束した」

 

「ぅ……は、はい!!」

 

 ヒオネが仕方なく頷いた。

 

「姫様!? 本当にいいんですか!?」

 

「いや、止めといた方が……」

 

「い、いえ!! どんな事があっても自己責任!! 必要ならば、どんなものでも食べるし、飲むと付いて来た以上!! アルマーニアの名に懸けて!! 約束は守ります!!」

 

「あのねぇ。それって時と場合によるんじゃない?」

 

「飲ませて頂きます!!」

 

「……はぁぁ、おねーさんも何もせずに黙ってたら、御守の意味は無いし、姫様より弱くなっても困るし、いいわよ。飲むわ」

 

「うぅ~~ん。ま、旦那様より弱い嫁も無しだろう。呑むか」

 

 三人が三者三様の状況でジョッキを持ち。

 

 互いに顔を見合わせてから頷き。

 

 背後のドラコ―ニア達にスタンバイされながら、ソレを呑んだ。

 

 そして、数秒後にやはり白目を剥いて気を失うのだった。

 

 全員が並べられた地面の前。

 

 全員が起きるまでの数分を護る少年はドラコ―ニア達にも適当にソレを呑むように指示して、彼らも座ってジョッキを呷った。

 

 最後に残ったルーエルだけが例外でイソイソと少年の横にやってくる。

 

「ご主人様良かったの?」

 

 幼気な少女の声が響いた。

 

「問題無い」

 

「あ、それとそろそろ人間になれそうだよ?」

 

「服はちゃんと予備まで持って来たから大丈夫」

 

「さっすがぁ♪ ご主人様はエライ!! カシコイ!! キマエもイイ!! (≧▽≦)」

 

 ルーエルは蜘蛛のままでそう喜びの踊りを踊る。

 

「それで本題は?」

 

「………いるよ」

 

「何が?」

 

「カミサマ」

 

「じゃあ、味方になれなそうなら殺す」

 

「うん。それがいいと思う。あのね? 気配がすっごく強いの。これ使徒とか神の加護を受けたとかじゃないと思う」

 

「今の遠征隊で勝てる?」

 

「うん……たぶん。誰か犠牲になれば」

 

「じゃあ、死んだ後、お願いするって事で」

 

「最初からそのつもりで持って来てたんだよね? あの蝶」

 

「………」

 

「知ってるよ? フレイお兄様は言わないけど、この輪を付けた存在はご主人様の記憶見られるから」

 

「そう……」

 

「此処でご主人様が死んでも大丈夫なのか試すんでしょ?」

 

「……そう。この先に続けられるか試さないと前には進めない。再走はしないと誓った。でも、現実はいつもそう上手くはいかないから……」

 

「やり直しの条件に蘇りの方法が発見されてる場合が含まれないのかどうか考えてるんだよね?」

 

「そう」

 

「……此処までの状況を全部再現出来るから?」

 

「カルマンフィルタのモデル改変は観測値によって調整してる。蘇りが可能な状態なら……恐らく……」

 

「次、もしも別の自分に産まれるなら、何がいい?」

 

「この世界の神以外で最も資質が高い種族」

 

「うん。解った。あの骸骨のおじさんにそう言っておくね」

 

「よろしく」

 

 少年はそうしてしばらく「う~ん」と気絶して魘されている彼らを前にして僅かに頬を緩めた。

 

 そして、北端の岩壁を見上げる。

 

 衛兵達が護っていた壁の中央。

 

 木製の扉が置かれていた。

 

 それは岩壁の前に置かれていたが、倒れる様子も無く。

 

 しかし、先程の戦闘の余波を受けているようにも見えない。

 

 そして、そこから先がどうなっているのか。

 

 いや、誰が待ち構えているものか。

 

 少年は……ウリヤノフに持たされた新兵器ルーエルが降ろしていた木箱の一つから取り出して、腰に佩くのだった。



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第41話「エルシエラゴの崩壊Ⅱ」

 

 目覚めた遠征隊の面々が恨みがましそうな顔になる横で呪紋を少し試すと自分と相性が良い呪紋の効果が倍以上に引き上げられている事に驚く場面もあったが、すぐに彼らは木製の門を潜れるように準備を開始していた。

 

 門の傍の岩壁には霊殿となるイエアドの印が刻み込まれ。

 

 同時に全員が手に武器を持ったまま。

 

 少年を先頭にして隊列を組む。

 

「内部がどうなってるかは分からない。でも、即時戦闘の場合、もしくは相手が攻撃準備や予備動作をしていた場合、相手が何であろうと攻撃を開始する。相手が大物の場合は迷わず最大火力で殲滅。距離がある場合はフィーゼを中心にして攻撃陣を組む事」

 

 少年は戦闘方針を明確にして、全員を見渡す。

 

 頷いた遠征隊を率いて扉が開かれた。

 

 開いた扉の先は暗闇だけが広がっている。

 

 通路ですらない。

 

 しかし、少年は迷わず飛び込み。

 

 それに迷わず彼らは続いて走った。

 

 そして、彼らは―――暗闇を抜けた先。

 

 瞬時に別の領域にいる事を感じずには居られなかった。

 

 何処までも広い空間。

 

 何も無い星空を思わせる世界の只中。

 

 湖面にも見える星空を移し込む湖面のような地面。

 

 しかし、彼らの見据えた先。

 

 何かがいる。

 

 その世界の中心で何かが蠢いている。

 

 少年がソレを見た時、彼らから距離がある位置に大量の呪紋が地面に浮かび始め、それが蟲の騎士を召喚するものだと理解する。

 

「周囲の呪紋を砕く者と出て来る相手を迎撃する者に別れる。アレはこっちでやる。常に移動するように」

 

 少年が言った傍から蜘蛛脚の速度で遠方にいる蠢く何かへと突き進んだ。

 

 それと同時に次々に呪紋へ向けてまだ蟲の騎士が出てくる前だと彼らの竜骨弩が呪紋破砕用の迫撃矢で呪紋そのものを攻撃し、打ち砕いて行く。

 

 奔りながら少年を追うようにして彼らの戦闘が始まった。

 

「……これが神」

 

 少年が見ている前で地平線のほぼギリギリの地点にいたソレは100mを軽く超えて鎮座していた。

 

 猛烈な瘴気らしきものを周囲に放ちながら脈動しているのは肉塊。

 

 巨大な血管を寄り集め、表皮に無数の複眼を備えた代物であった。

 

 しかし、地表との接着面には根を張っている。

 

 問題なのは血管に浮かぶ無数の呪霊らしき顔だ。

 

 亡霊や亡者達の顔が大量に浮かび上がっている。

 

(体内に取り込んだ亡霊や亡者を作り直してる?)

 

 だが、敵意があるのは間違いなく。

 

 少年は攻撃範囲に入った刹那。

 

 一切の躊躇なく黒跳斬を放ちながら、表皮の亡霊や亡者達の顔を表皮を切り裂くかのように周回し切り裂いていく。

 

―――!!!

 

 鳴動した血管が動き出すより先にその胴回りだけで周回するにも苦労するだろう敵肉塊を数十周した少年の速度はもはや神速。

 

 音速の二倍で機動する少年の回転が相手の表皮という表皮を蜘蛛脚と黒い大剣でリンゴの皮でも剥くかのように斬り付けた成果か。

 

 次々に亡霊や亡者達の内部から蜘蛛の顔が湧き出して、内部から這い出し、動き出した直後には全て外に出て一目散に少年の命令によって後方から追い掛けて来るはずの遠征隊を護るべく走り出した。

 

 表皮から変質中だった中身を刳り貫かれ、血潮を垂れ流しながらも、少年が容赦なく仕掛ける追撃の炎瓶に焼かれながら、蜘蛛になる事も無い何かがギョロリと複眼で少年を見やる。

 

「ッ」

 

 瞬時に瞳から逃れるように機動して動いた少年だったが、肉体の一部が消し飛んでいる事に気付いて、相手の攻撃が少なからず自分には防ぐ事が無理である事を理解し、次は複眼の攻略に移る。

 

 不可糸が周囲に蜘蛛の巣のように展開されながら、次々に魔力を流し込まれて白くなり、相手の複眼の視認範囲を制限していく。

 

 少年は脇腹をゴッソリと刳り貫かれていたが、黒い真菌によって傷口は覆われており、同時に使用される飽殖神の礼賛の効果で足りない臓器を増やして傷口は数秒で塞がっていた。

 

(攻撃動作は見える。攻撃本体が察知出来ない。神の力や魔力や霊力の類じゃなくて、本質的に知覚出来ない攻撃。今の肉体強度を瞬時に消滅させて塵も残さない? 変質じゃなくて物質の置換の類でもない。空間毎切り取られた?)

 

 次々にあちこちの複眼に巻き付けられていた不可糸が弾ける。

 

 しかし、弾けたところから次々に増殖して撒き付けられ、少年は人類には真似出来ないだろう移動速度を維持しつつ、不可糸で相手を周回するように撒き続けながら、その複眼が無い地点に向けて付き込んだ蜘蛛脚と大剣の同時攻撃で根のようになっている血管を切り裂き続ける。

 

(【見えざる権能】による確実な斬撃。再行動の攻撃成功確度を補正)

 

 吹き上がる血飛沫に糸が濡れていく。

 

 しかし、本格的に動き出した敵本体が不可糸を引き千切りながら巨大なタコ足にも見える無数の血管を樹木のように上へと伸ばしていく。

 

 途端、だった。

 

 その樹木の枝に相当する血管から分岐して膨れ上がった玉のようなものが地表に落下し、何かする前に少年の剣が切り裂いた。

 

 しかし、両断された内部のソレが人体らしき構造と内臓をブチ撒けながらも未だ蠢いている事に少年は戦慄と共に蜘蛛脚が効かない事を悟る。

 

(神の一部? 蜘蛛脚が効かないという事は能力値だけで面倒になる)

 

 少年が呟く。

 

「呪霊召喚【蜘蛛の騎士レーゼンハーク】【燻り贄のウルクトル】。操獣召喚【騎士縊りのメルランサス】………【不死喰らいのウルガンダ】!!」

 

 少年が連続で自らの操る者達を次々に召喚していく。

 

 ウルクトルが猛烈な勢いで呪紋を行使しながら地表に腕の絨毯を広げて、大量に落ちて来る神の一部の卵を捕捉して束縛。

 

 同時にレーゼンハークが猛烈な速度で相手の卵を斬り裂き、動き出す前に潰して、メルランサスが次々に自分の蔦で括った騎士達を用いて、周辺の卵を狩り……最後に虚空から出て来た巨大な蜘蛛が少年をギロリと睨んだ後。

 

 人に辛うじて見える程度の速度でウルクトルの広げた地面を奔り、糸でその卵を回収しつつ、無数の腕で斬り裂いて対処していく。

 

 その合間にも少年が大樹本体の一部を木こりのように根本に一撃入れて斬り飛ばし、不可糸で複眼を封じ込め続けている合間にもその血飛沫が上がる傷口に両手を突っ込んだ。

 

「ウィシダの炎―――」

 

 ドスリと少年の背後から呪霊と操獣達の迎撃を擦り抜けて羽化したらしい敵の一撃が射し込まれる。

 

 ご丁寧にも一番薄い金属布の脇腹からである。

 

 しかし、それで少年は止まらない。

 

「!!!」

 

 背後にいるのは蟲の騎士にも似ていたが、実際にはそれよりも遥か上位の何か。

 

 人型の体を甲虫の鎧で覆った男型らしい何か。

 

 金色と虹色が混じり合うような甲殻の鎧。

 

 そして、頭部に口も無く複眼だけで占められた無貌。

 

 腕が蟷螂のようになっており、襤褸切れのような髪の毛ではないのだろう金色のうねる触覚のようなものが大量に生えた頭部。

 

 どれを取っても普通には殺されてくれなさそうなソレが一瞬後にはウルガンダの糸で背後へと引っ張られ、無防備な背中を両断される。

 

 ゴッと。

 

 炎が傷口内部から両手で吐き出され、焼き崩されて出来た空間にやたらと炎瓶が詰め込まれて更に炎を噴出し―――。

 

「   」

 

 少年の背後に更なる個体達の猛攻が掛かった。

 

 呼び出した者達は辛うじて相手を狩り続けているが、それでも零れ落ちた何体かが次々に少年へと殺到しているのだ。

 

 しかし、それらがウルガンダの糸で雁字搦めにされて動きを止められる。

 

 合間にも内部から猛烈な勢いで焼かれている悍ましき神樹が根本から灼熱し、少年の最大火力を叩き込まれ続けて尚、苦悶するのみで表皮に赤熱化した罅割れを浮かべながらも自分の分身毎巨大な血管で明確な敵として少年を叩き潰した。

 

(ッッッ、呪紋による耐久と攻撃への魔力配分を崩せない。真菌共生による耐久度の向上、再生機能を最短サイクルで維持……)

 

 直撃した衝撃。

 

 しかし、少年は霊薬を大量に喉へ糸で直接開けた穴に試験管を突っ込んで補給するという荒業で体内に流し込みながら、傷が治り難い状況でも肉体を持たせ、その乱打で砕かれる全身を何度も復元しながら、口にも袋入りの白霊石の粉の入った袋を放り込む。

 

 それは緋色をしていた。

 

(霊力充填、魔力変換、まだ行ける)

 

 予め、ガシンから例の霊力を魔力にする指輪を借りており、霊力を充填しながら、魔力へと変換。

 

 瞬時に叩き出した最大火力を更に倍増させる。

 

 だが、それでもカミの打撃は止まらず。

 

(不可糸による真菌被膜補正。内臓を破壊されたものから順次新臓器の養分として分解)

 

 全身の鎧の中から血飛沫が上がり、少年が肉体を不可糸で強制的に縛り上げて肉体の再生が遅くても原型を留めるようにと補強する。

 

(【劫滅】のせいで再生が追い付かない? 呪紋以外の再生可能な細胞そのものへの干渉まである……これが神……でも、アレよりはまだ理不尽じゃない……)

 

 その時だった。

 

 巨大な樹木の頭上。

 

 いきなり、巨大な爆圧が血管の樹木を拉げさせて焼き尽くす。

 

 それは未だに不可糸で防がれていた複眼を滅ぼし、初めて……本当に初めて敵に苦悶の声を上げさせた。

 

 鳴動する大樹。

 

『アルティエエエエエエエエエエエエエエ!!!』

 

 涙を零しそうになりながらも背後のヒオネの指示でフィーゼが頭上に王冠か天使の輪の如く精霊達を回転させながら、灼撃矢で迎撃不能の敵を上空から更に二度、三度打ち据える。

 

「―――これなら!!」

 

 少年が不可糸に割いていた魔力を全て炎瓶に注ぎ込んだ。

 

「滅びろ……」

 

 その時、確かに大樹の最中。

 

 頭上へと向けた炎瓶が焼き滅ぼした領域で大量に並べられ、まるでコンロのように光の柱を頭上へと照射した。

 

 猛烈な火力が大樹を内部から焼き滅ぼしながら表皮から溢れる炎によってソレが完全に光の柱に同化していく。

 

 だが、それだけでは終わらない。

 

 少年が剣と両腕を失いながらもウルガンダの糸で焼け焦げたままに救出された刹那、滅んだ肉体から抜け出すように巨大な呪霊が立ち上がる。

 

(呪霊化? いや、強制的に霊体化した? 肉体を捨てて活動限界を引き延ばした?)

 

 ソレはさっさと少年を連れて逃げ出そうとしたウルガンダ御一行様を追撃。

 

 巨大な人型でありながら、先程現れた神の分体と同じく。

 

 巨複眼を顔面に持ち、霊体の髪の毛のようなものを振り乱した。

 

 猛烈な音波というよりは衝撃が、絶叫が上がる。

 

 ソレが最初から逃げられないメルランサスをプチッと潰して走り出す。

 

(後30秒で捕捉される。それまでは御祈り……)

 

 猛烈な勢いのウルガンダが張り付いたウルクトルとレーゼンハークと共にグルグル巻きにした少年を背中に引っ付け、100m以上はあるだろう巨人から逃げるが、他に何も出来る事は無い。

 

 上空から降り注ぐ拳が彼らに当たりそうになった時。

 

 その脚が滑った。

 

 理由は単純明快である。

 

 ウルガンダの糸がまるで罠のように足を引っ掻けるように無数、あちこちに不可糸で張り巡らされていたからだ。

 

(各員に【劫滅】を付与……ルーエル、後は任せる)

 

「(≧▽≦)/」

 

 滑った巨体が彼ら目掛けて落ちて来るが、それよりもウルガンダの方が早く。

 

 彼らと入れ替わりにルーエルに掴まったフィーゼ、レザリア、ガシンが交差する。

 

 瞬間、ガシンが少年の指に弾かれた輪を受け取る。

 

「呪霊なら任せとけ!!」

 

「早くアルティエを後方に!!」

 

「護ってみせる!!」

 

「蟲畜の維持を見せるよ~~♪(≧▽≦)」

 

「「「え? 誰?」」」

 

 見えない声の主の事は置き去りにウルガンダはその複眼で見る。

 

 無数の蜘蛛達が今も切った張ったの戦争中であった。

 

「(/・ω・)/」

 

 多数の蟲の騎士を相手にして不可糸で誘導して拘束。

 

「(≧◇≦)」

 

 炎瓶で焼き。

 

「(。-∀-)」

 

 同時に攻撃を受けても不可糸で敵の霊力やら体力やら魔力やらが敵からチューチューされて、次々にソレらが現れる根源地である呪紋を蜘蛛脚が破壊していた。

 

「飛ばせ!! フィーゼ」

 

「はい!!」

 

 ガシンが弾丸の如く精霊の力で一直線に巨大な倒れた相手の頭部へと打ち出される。

 

 それと同時にルーエルが到達した場所から起き上がろうとする相手の片手に対してレザリアが盾を持って突進し、背後を精霊に押されて加速。

 

「【エヘルダインの契体】―――せーのッッッ!!!!」

 

 レザリアが全力で両手でのシールドバッシュを繰り出す。

 

 ソレは地面に付いた片手に対してだ。

 

 手首の横に竜骨と共に白霊石が仕込まれた新しい盾が少女のあまりの高速での突撃とインパクト時の加速で断熱圧縮に表面を赤熱化させる。

 

「行っけぇええええええええええええええええええええええ!!!!」

 

 ブボンッという音と共に霊体であるはずの呪霊巨人の手首が横に吹き飛んだ。

 

 内部の血肉は消し飛ぶが、その骨は未だ罅割れを起こしながらも健在。

 

 手の踏ん張りが効かなくなった巨体が再び上半身をベシャリと落としそうになり、体勢を崩される。

 

 その隙の合間にもガシンが頭上を取っていた。

 

「攻撃を喰らってやれねぇんでな」

 

 跳んでいたガシンが今度は頭部の真下に向けて加速し、回転しながら踵落としが炸裂する。

 

 呪霊属性変異呪紋【融霊肢】。

 

 緋色の霊体が浮かぶ青年の脚が真下の神の頭部を溶かし崩しながら落下速のままに掘り進み。

 

 その背後から翼の如く巨大な緋色の霊力噴出が起こる。

 

 それはガシンの背面の腕だ。

 

 ソレが引き込んだ大量の霊力を外部に加速用のエネルギーとして放出しているのである。

 

 それは正しく翼のようでもあった。

 

「オラァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

 

 ガシンの腕が横ぶりに振られる。

 

 途端、緋色の霊体が周囲の巨大霊体内部をプリンのように掘削しながら、頭部の三分の一近くを消し去る。

 

「まだまだぁあああああああああああああ!!!」

 

 ガシンが片腕の霊体を肥大化させた。

 

 それは腕から離れて新たな腕のように振舞いながら吸収した莫大な霊体を取り込みつつ相手の上半身を突き抜けるように膨れ上がり、バリッという音と共に内部から突き破る。

 

「容赦は出来ねぇんだよ!!!」

 

 しかし、それでは飽き足らず。

 

 巨大な霊体が巨大な緋色の腕で乱暴に掴まれ、溶かし消されながらガンガンと拳で叩き潰され薙ぎ払われた。

 

「もういっちょ!!」

 

 腕による乱打。

 

 その度にガシンの全身から緋色の霊体が溢れ出し、最後には翼から放出し切れない緋色の巨人の如く肉体を逆に霊体で取り込んだ。

 

「―――魔力昇華」

 

 ガシンの指に付けていた指輪が罅割れ。

 

 猛烈な霊力の魔力転化でカミの残骸頭上に光の玉として出現する。

 

「離れろぉおおおお!!!」

 

 その合図にすぐルーエルのところまで戻って来ていたレザリアがフィーゼの腕に掴まった刹那。

 

 ガッと口を開いた蜘蛛の口から黄金の光が最大火力で射出され、まるで噴射口のように光を溢れさせて、周囲の肉体の残骸を吹き飛ばしながら高速で現場から退避していく。

 

「どっせいッッッ!!!」

 

 ガシンの巨大化した腕が魔力を残骸に叩き付けるようにして炸裂させた。

 

 その瞬間、彼らのいる空間の全てが閃光に融け―――。

 

(―――呪紋『  』を獲得………)

 

 誰もが気を失ったのだった。

 

 *

 

「ふむ……見事に死んでいるな」

 

「主様が神の次に強い生物にしといてくれって言ってた」

 

「良いだろう。この少年には資格がある。あの青年は死んでいないから対象外だ」

 

「資格?」

 

「本来、生まれ変わりにも幾らかの階梯がある。その階梯に無い存在は生まれ変わる際には生まれ変わる種族にも縛りがある」

 

「ふ~ん?」

 

「神の血肉を喰らい。冥界の蟲神メフィナスをまさか打倒するとは……幾ら造られた人造の若神とはいえ……あのエンシャクすらも討ち取った功績も含め、グリモッドの最後の生き残りとして賞賛を送り、評価させてもらう」

 

「主様、強く為れる?」

 

「生まれ変わるといい。亞神……人外達の祖は人の世を変革せしめる者達だった。今なら、どの神を始祖としても可能だ。神の寝床たる領域が崩壊する前に呼ばれた事も幸いだった」

 

「………」

 

「どうした?」

 

「主様は何処の神にも付かないと思う」

 

「ほう?」

 

「神様以外に亞神になる方法は無い?」

 

「……そう来たか。いいだろう。グリモッド最後の秘儀だが、君達には良いものを見せて貰った。大霊殿の主として、使わせて貰おう」

 

「?」

 

「嘗て、滅びたグリモッドでは最後の最後に……還元蝶の研究が終了していてな。攻めて来ていた教会騎士共や北部勢に全て滅ぼされていなければ、まだ芽はあった……だが……」

 

 霊体の男がチラリと少年やその仲間達を見やる。

 

「時代は進んだのだな。故に今こそ果そう」

 

「果す?」

 

「約束だ。どんな形であれ。グリモッドの民を救い生かそうとしたお前達に……礼をさせてくれ」

 

 男が星満ちる世界の只中。

 

 今も崩落が続く世界の僅かばかり残った地表の上で静かに眠ったように横たえられた全ての者達に向けて微笑む。

 

「幸いにも此処にはノクロシアの還元蝶もある」

 

 男が虚空に何か掴む動作をした時。

 

 杖が現れた。

 

「大いなるイエアドよ。我が請願に答え。新たなる命に我ら滅びし者達の祝福を!! この世に真なるを打ち立てる為!! 永久に終わらぬ円環に新たなる色を加えん!!」

 

 男の手に不可糸でグルグル巻きにされた誰かさんのポーチから透過するように引き抜かれた黄金色の蝶のようなものが浮かんで吸い寄せられ、握られると同時に砕けて金色の輝きとなる。

 

「人の王、神足らず。世の王、神足らず。されど、還元蝶の導きに拠りて……霊なる王として、神雄尊と存ずる者を推挙せん!!」

 

 燐光を零すソレが上空に円環を生み出した。

 

 ソレは蝶の刻印に似る。

 

「新たなる種が台頭せし世を平らげる真なる王は……これより神の段を上りし、煉獄の超越者とならん。我が世は終われど、我が意志を継ぎゆけ……その命の限りに……」

 

 男の手が白い繭に手を置いた。

 

「大霊殿の守護者イブラヒル。我が名において執行する」

 

 繭の内部が黄金に輝きながら砂のように零して脈動する。

 

「呪霊属性神環呪紋【グリモッドの胡蝶録】」

 

 星空に肥大化していく円環内部。

 

 蝶の形を象る象形が羽搏いた。

 

 その燐光が降り注ぐ最中。

 

 円環そのものに何事かが刻まれていく。

 

 その度に蝶は崩落しながら消えていき。

 

 最後にはただ円環内部の呪紋染みた人の世の者には読めない文字だけが書き連ねられていた。

 

「ふふ、人造神を造るより、よっぽど楽だな。エンシャク……貴様の野望も願いも北部の希望もこれで全て打ち砕かれた。後はあの小倅とこれからの時代の者達に任せよう」

 

 イブラヒルが自分の持っていた杖を放って少年の入った繭に立て掛ける。

 

「蘇りはその杖を持つ者が執り行えるようにしておいた。では、しばらくの暇を頂こう」

 

 男が微笑んで消える。

 

 そして、残された一人意識のある蜘蛛は自分の姿がいつの間にか蜘蛛ではない事に気付いて、ニンマリとしつつ、少年の入った繭に寄り添って眠る事にしたのだった。

 

 *

 

 霞んだ瞳の像が結んだ時。

 

―――其処に在るのは廃墟だった。

 

 小さな診療所にはもはや骨すら跡形も無く。

 

 仲間達だった残骸は消し炭になって周囲に散乱している。

 

 煙臭い家も多くの水夫達も硝子のように蒸発した野営地の外に消し炭として転がっている。

 

 集めていた薬草の燃えた家の最中。

 

 最後まで家事をしていたのだろう誰かの手の形をした炭がまだ煌々と灯りを讃えていた。

 

 爆心地となった場所で今も焼き崩れながら、少年は上を見やる。

 

 今も濁り、ゆで上がり、もう少しで全てが停止する最中にも見える。

 

 ソレは竜のような何かだった。

 

 だが、あまりにも大き過ぎた。

 

 そう、あまりにも……島を覆い尽し、星すら喰らいそうな程に。

 

―――瞬きをすると今度は野営地の外だった。

 

 串刺しにされた野営地の水夫達。

 

 最後まで反抗したのだろう剣で刺殺された死体の山。

 

 首を晒された者達の中には御馴染みの者達がいる。

 

 それを不憫そうに見やる金髪の若者が少年を見て背を向けて、背後からの一撃で砕かれた肉体はそのままに少年は自分をスゴイ人だと言ってくれた少女の首を最期に見た。

 

―――悪寒に身を震わせると今度は巨大な蜘蛛の前だった。

 

 蜘蛛になっていく男達。

 

 戦った者達が次々に変異していく。

 

 そして、当然のように少年もまたソレに為ろうとしていた。

 

 誰もが変異していく最中。

 

 最後まで戦う少女が串刺しにされて、盾を持った勇敢な少女が自分を護ろうとしてくれているのだと理解して……ああと少年は思う。

 

 今度こそは自分が護ろうと。

 

 少女もまた己を護れるように鍛えよう。

 

 そう思ったのだ。

 

―――彼が目を覚ましたら、何もかもが血に塗れていた。

 

 男を一人、半死半生でようやく殺した時。

 

 彼の周囲には巻き込まれた野営地の人々と自分を見やる畏れの視線だけがあった。

 

 これから死のうという時。

 

 彼の目には首を斬り裂かれた仲間達の死体だけが見えた。

 

 何もかもが遅かった事を知る時、少年にはもう絶望すらも残っていない。

 

 ただ、己が無力だった。

 

 それが真実に違いなかったのだから。

 

―――少年が海辺で釣りをしていた時、それは掛かった。

 

 掌に乗るようなスベスベとした板のようなものだった。

 

 食料が足りないからと駆り出された少年が得たソレに触れた時。

 

 その板は光り出す。

 

 そして、映し出されたモノを見た少年は興味を惹かれて。

 

『アンタ!! 魚だよ!! 魚を釣るんだよ!!」

 

 そう年上の女性に言われて、ゴミを釣ったのだと思われた少年はソレを懐に入れた。

 

「………あーる……てぃー……えー……」

 

 光が零れた板の言葉が読めた少年はソレを夜にはまた見てみようとそう懐のソレを握り締める。

 

 それが全ての始りだった。

 

 本当に全ての………。



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第42話「エルシエラゴの崩壊Ⅲ」

 

「アルティエ!!」

 

「ッ」

 

 思わず目を見開いた少年の前には自分を覗き込む少女や青年の顔があった。

 

「此処は……」

 

 少年は夢を忘れるのも技能の内だと過去を忘却の彼方に置いておく。

 

 それが決して誰にも触られぬように。

 

「エルシエラゴの北端。帰って来たんだよ。あそこからみんな」

 

 少年がレザリアに起こして貰い。

 

 周囲を見渡すと木製の扉があったはずの場所にはもう何も無くなっていた。

 

 ただ、周囲には純白の巨大蜘蛛達が数十匹。

 

 陸橋の傍で身を縮めており、その周囲には大量のスピィリア達とディミドィア達が群がっていて「でっけー(>_<)」だの「大き過ぎだろ(´・ω・`)」だのと驚きながら、プラプラとその体に群がってぶら下がるやら、歩くやらして遊んでいる。

 

「あ、主様だー(≧▽≦)」

 

 トテトテと走って来る相手。

 

 少年の両腕が焦げて消えた外套を羽織っている裸の少女が一人。

 

 紅蓮の短いショート髪に癖っ毛らしいものがピョインと蜘蛛脚みたいに何本も全方位に跳ねているツルぺったんな彼女が抱き着く。

 

「ちょ!? ダメですよ!? ルーエルちゃん!?」

 

「え~~~(≧▽≦)?」

 

 何も分かって無さそうな笑みである。

 

「あ、あのね。アレを倒した後、みんな気を失っちゃって、ヒオネも他の2人も光が爆発した後は何も覚えてないんだって。ただ、一番最初に起きたらルーエルが人になってて……」

 

 レザリアがそう言って、ルーエルを見やる。

 

 まるで子供ではなく。

 

 完全に無邪気な幼女である。

 

 ついでに言えば、幼女騎士達よりは年上そうだ。

 

「骸骨の人がしばらくお暇下さいだって。主様。あ、これ」

 

 少年がルーエルが何処から取り出したのか。

 

 白い杖を受け取る。

 

「これで適当に何かすれば、蘇りとか生まれ変わり出来るっぽい」

 

「……解った。ご苦労様」

 

「うん♪」

 

 ピトーっと抱き着いたルーエルはフィーゼにダメですと引き剥がされると今度はガシンの首の後ろからブラーンとぶら下がり始めた。

 

「みんな、無事?」

 

「は、はい」

 

 フィーゼが頷く。

 

 ヒオネは少し離れた場所で実質御付きである2人に介抱されているが、ヒラヒラと手を振って大丈夫とアピールしていた。

 

「ガシン」

 

「オレは……アレだ。無事だが、無事じゃない」

 

「どういう?」

 

「ガシンはねールーエル達ともう少しで同じになるんだよー(≧▽≦)」

 

「腕の数だけな」

 

 少年に青年が外套を脱いで装甲の無い部分。

 

 肩の下からまた腕が二本生えて合計六本腕になった様子を見せる

 

「大量の霊体を取り込んだから、更に変異が進んだっぽい?」

 

「なんだろうな。前みたいに自分が薄まる感覚はねぇのにやたら感覚が鋭敏でな。あの連中を見なくても気配だけで位置が正確に分かるようになった」

 

「霊体の感知能力が上がった?」

 

「脳裏にゴチャゴチャ流れて来たけど、そういう事なんだろうな」

 

「わ、私は大丈夫です。レザリアも」

 

「うん。ボクの体、あの呪紋効果が解けて元に戻っただけで怪我も無いから。大丈夫大丈夫」

 

「それならいい。剣は?」

 

 そう訊ねるとルーエルがガシンの背中から降りて前に立つ。

 

「二本とも無くなっちゃった。あ、でも、これ」

 

 ヒョイッとまた何処からだしたのか。

 

 大きな蜘蛛脚が少女が背後をゴソゴソすると出て来る。

 

 其処には一本の蜘蛛脚の一部らしいものがあった。

 

「……ウルガンダの?」

 

「そうそう。おかーさんが脚だけ置いてったよ」

 

「おかーさん扱いなんだ……」

 

 レザリアが微妙な顔になる。

 

 そちらの方が驚きだが、少年が回復しつつある魔力で不可糸を出してグルグル巻きにして魔力を注いで白くしながら確保し、横に置く。

 

「他には?」

 

「あ、主様ね。新しい種族になったみたい」

 

「ど、どういう事ですか!?」

 

 思わずフィーゼが目を見張って訊ねる。

 

「ええと、生まれ変わりで? あの人が亞神は何処かの神の系譜になるけど、何処の神にも付かないなら、別に自分で神になれる種族にすればいいって作ってくれた」

 

「種族を造るってなんだ?」

 

 ガシンも思わず汗を浮かべる。

 

「とういうか!? 死んだの!? アルティエ!!?」

 

 レザリアがサラッと流された事を慌てて訊ねる。

 

「たぶん。再生が間に合わなかったっぽい」

 

「そ、そんなぁ……ちゃんと守れたって思ってたのにぃ!?」

 

「巨人が持ってた呪紋はどっちも使ってたからお互い様」

 

 愕然としてレザリアが地面に両手を付く。

 

「それと生き返ったから問題無い」

 

「そういう問題じゃないよぉ~~アルティエ~~!!?」

 

 何処か納得いかなそうに泣けばいいのかどうすればいいのかと動揺する少女の頭が撫でられる。

 

「で、どうなったんだ?」

 

「そ、そうですね!! どうやら五体満足みたいですけど、それは確認しておかないと」

 

「……到達者【エルコード】……呪紋の創生と熟達に継続で補正の上昇が掛かり続ける。他の種族と違って全てのあらゆる技能に対して習得、取得、奪取、熟練が可能。資質の点でどんなものも継続していれば、いつかは出来る……みたいな感じ?」

 

「短く!!」

 

 レザリアの言葉に少年が僅かに考え。

 

「何でもずっと続けてれば、どんな技術もどんな呪紋も絶対使えるようになる。使えない呪紋や技能は無い」

 

「スゴイスゴイ!!」

 

 それはスゴイと持て囃すレザリアである。

 

「やっぱ、お前一人でいいんじゃねぇかな?」

 

 ガシンが呆れたように溜息を吐く。

 

「資質が無いと出来ない呪紋みたいなのが全部出来るのは有り難いかも……」

 

「で? 人間と何か違うのか?」

 

「………大体同じ」

 

「大体じゃない部分は?」

 

「男にも女にも為れる。後……」

 

「今サラッとトンデモナイ事言わなかったか?」

 

「呪紋は詠唱しなくても脳裏で思い浮かべるだけで良くなった」

 

「今と何か変わらん気がするな」

 

 ガシンの言葉に『いや!!? 滅茶苦茶変わるでしょ!!?』という顔になるアルマーニア側である。

 

「精霊さんに詠唱の仕事は投げっぱなしだもんね。ボク達」

 

 レザリアがそんな普通ではない事実であんまり変わらないと言いたげな様子で肩を竦めた。

 

「後は?」

 

「……神に為れる」

 

「そう言えば、どういう意味で神になるんだ? ソレ」

 

「実力が上がったら、神様相手に戦える一個人一種族の神になる。みたいな?」

 

「今一分からんぞ?」

 

「神の最低限度の能力が全部備わる」

 

「それで神相手に戦えるようになるのか?」

 

「そう。今まで殆ど神が殺される事が無かった理由は単純に普通の生物じゃ神の能力に太刀打ち出来ないから。でも、神そのものは無限でも万能でもないから倒せる。つまり、最低限度の神様の能力があれば、今までより簡単に神を倒せる。教会とかではなくても」

 

「なるほど。滅茶苦茶強くなるって事でいいのか?」

 

「それでいい。でも、子供とかは神じゃなくて単なるエルコードとして生まれる。そして、神になったら、親の神とは別の性質を備えた神様になる」

 

「神の力を引き継がない神の卵ってところか?」

 

「そんな感じ」

 

「ちなみにお前は神様になれそうなのか?」

 

「……さっきみたいに強いのを後3回くらい倒せたら……なれる、かもしれない」

 

「ダメじゃねぇか……ま、いいわ。とにかく帰ろうぜ? 疲れ方が半端じゃない。オレも気分は悪く無いが、精神的に疲れた……」

 

「そ、そうですね。色々あり過ぎて疲れちゃいました。わたくしも……」

 

「ボクも疲れたー」

 

 それにヒオネ達も頷いた。

 

「あ、あの子達はねぇ。ええと、ええと……」

 

 レザリアが巨大な純白蜘蛛に【アルヴィア】と名付ける。

 

 しかし、蜘蛛のままだった為、そういう種族なのかもしれないとレザリアが全員に良くドラコ―ニア達にお世話してもらうようにと言って、ガシンに魔力を不可糸で流し込ませてお腹一杯にしてから野営地へと戻る事になった。

 

 ゲッソリしたガシンを横にバイバイと手を振るレザリアが消えた後。

 

 中央域から走ってやって来たドラコ―ニア達が白い巨体と大量の同胞達に思わずビックリしたが、すぐにアルヴィア達の上に載って中央域へと橋梁の横を通って出発した。

 

「………(*´▽`*)」

 

 産まれて来たばかりのアルヴィア達が良いご主人様達だったなぁとホワンとした空気に包まれていると、彼らの背後の岩壁がいきなり爆砕する。

 

『こちら深部探査隊。第十七小隊……予定到達地点に到着。直ちに―――?!!』

 

 アルヴィア達がカシャカシャしながら振り向くと背後には10m程の人型の竜頭を持つ巨大な鋼人形……いや、大鎧にも見える何かを着込んだ何者かが十数体。

 

 爆砕した壁の内側から出て来ていた。

 

 思わず小さな蜘蛛達が後方やあちこちの森に隠れたが、そんなのを彼ら北部ヴァルハイルの部隊は見ていなかった。

 

 自分達より巨大な白蜘蛛が数十体動いていたからだ。

 

『何だ!? 白い巨大蜘蛛だと!? まさか、ウルガンダの勢力が此処に―――』

 

『攻撃開始!! 攻撃開始!! ウルガンダの眷属ならば、傷付けられた瞬間に蜘蛛にされるかもしれんぞ!!? 発射!! 矢数に構うな!!』

 

 彼らが次々に腰にセッティングされていた投擲用の手榴弾を投げ込もうと腕を上げ、腰に下げた巨大なボウガンらしきものを射って、背中から引き出した火炎放射器らしきものが火を噴いてアルヴィア達が猛烈な火力の雨に晒される。

 

『撃てぇええええ!! 相手は高が蟲だ!! 接近させなければ、連中など怖いものではな―――』

 

 そのあまりの火力に周囲に森が延焼する最中。

 

 爆弾による土煙が晴れて行く。

 

 そして、同時に壁を爆破して撃って来た巨大な竜頭の人型達。

 

 正しく機械の大鎧達は自分達の機体にして肉体と言うべきものが両腕を両断され、首を半ばまで切断され、脚まで無くして倒れ込むという状況に何一つ何も理解出来ずに呆然とする。

 

 蜘蛛達は何かをした様子は見受けられれなかった。

 

 彼らの高精度な機械式の知覚にすらも何かをしている様子は見られなかった。

 

 ただ、蜘蛛達が肉体を砕かれた彼ら十数名。

 

 いや、十数体を見て、互いに何かを話し合うかのようにギィギィと少し太い声で鳴いている事だけは確かであり、その瞳がギョロリと自分達を一斉に見た時、背筋が凍った。

 

『(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪』

 

 何かを納得したアルヴィア達がギィと鳴くと蜘蛛形態のスピィリア達がアルヴィア達の影から出て来て、カシャカシャと何も出来ない様子で藻掻く機影に群がっていく。

 

『な、何をする気だ!? やめろぉ!!?』

 

 次々に蜘蛛脚が金属の切断面や一部のハッチ。

 

 更には緊急脱出用の外部から使える手動操作用のメンテハッチなどを開き。

 

 次々にポチポチとボタンを押すやらハンドルを回していく。

 

 そうして、数秒もせずに一体のスピィリアが回したハッチの内部でガチンと音がした。

 

『あ!? あぁあ!?』

 

 ゆっくりと最も厚い胸部装甲が開かれていく。

 

 そして、その内部にいる竜頭の機械人形。

 

 いや、今はもはやソレこそがヴァルハイルの兵隊と呼べるだろう鋼の塊が四肢を接続していた機体内部。

 

 スピィリア達の鋭い蜘蛛脚で関節部が落とされそうになったが、ガギィィンと接続部の硬さに弾かれる。

 

『は、はは!? オレの体をそう簡単にバラせると思うなよ!? このクソ蟲共がぁ!!?』

 

 そう粋がった彼であるが、それが彼の最後の亜人らしい言葉だった。

 

 ディミドィア達が変われとスピィリア達を退けて蜘蛛脚を同じ関節部に突き立てる。

 

 それに無駄だと言おうとした竜頭の機械化歩兵がその蜘蛛脚の先が猛烈に震え始めた様子に顔を引き攣らせた。

 

 チュィィィィィィィィィイイイイイイイイイイ―――。

 

 関節部が猛烈な蜘蛛脚の振動によって罅割れると同時に内部の神経を裂断。

 

 同時にグズグズに分解した際の衝撃によって激痛と言うには恐ろしいものが男の脳を襲って気絶させた。

 

 次々に最初にハッチを開けた蜘蛛のレクチャーによって他の蜘蛛にハッチを開かれた兵達が四肢をディミドィア達の超振動する蜘蛛脚で破壊されて、不可糸でグルグル巻き状態となり、内部から引きずり出される。

 

『わ、我々をどうする気だぁ!!?』

 

 背後で次々に兵士達の巨大な強化パーツ的な機械の人型竜のようなソレらが一部の蜘蛛達によってバラされ、内部構造で生きている部分を壊さぬように取り除かれ、外部との通信用と思われる霊力や魔力が使われた一部分の基盤を貫かれ、残った部分がそのままアルヴィアの一部の脚に括り付けられていく。

 

『ば、馬鹿な!? 蜘蛛如きにこんな知能があるはずは!!?』

 

 口元から泡を拭きながらも軍人魂で彼らの一部は何とかそう強がりを言っていたが、彼らが一体のアルヴィアの前に並べられる。

 

 食べられるのかという顔になった彼らだったが、覚悟は決まっていた。

 

 しかし、それよりも尚深き絶望が口を開く。

 

 そのアルヴィアは何かモゴモゴと口を動かしていたが、すぐに男達に向けて“話し始めた”。

 

「―――『キ・サ・マラのはなしは解った』」

 

 すぐ流暢になっていく声は本当に蜘蛛の口から発せられているのかと疑う程に明瞭で。

 

「『我らの母の復活と我らの父への祝いの日。我らは汝らヴァルハイルを侵略者と見なすものである』」

 

 蜘蛛が喋るという怖ろしき事実。

 

 そして、あまりにも知能が高い様子に彼らの鋼の顔が蒼褪め切った。

 

「『お前達は手土産にしよう』」

 

「ムグゥウウウ!!?」

 

 彼らが次々に子蜘蛛にしか見えないスピィリア達の糸で巻かれて、自身の機体の胸元に括り付けられて、中央域へとアルヴィアによって運ばれ始めた。

 

 だが、先程喋っていた一体と数匹の蜘蛛達だけが現場に残り。

 

 その一体がカパッと口を開くと大量の蜘蛛のような不可糸で造られた糸の蜘蛛が落下し、落ち切る前に停止。

 

「【生命付与】」

 

 少年の呪紋の中でも一部の蜘蛛達にフリー素材並みに自由に使ってよいと言われていたものが使用され、数百匹にも及ぶ仮初の命を持った蜘蛛達が岩壁に開いた穴の奥へと糸を引きながら消えて行った。

 

 そして、その日……岩壁の遥か奥。

 

 ヴァルハイルによる地下掘削による他地域の領土への進出という画期的な塹壕戦術、隧道戦術と呼ばれるトンネルを用いた襲撃能力を持った進出部隊はいきなり全滅する事になる。

 

 全ての地下部隊がいきなり音信不通で行方不明になり、同時に北部側の入り口付近が何者かの攻撃で爆破されたからだ。

 

 同じ部隊を造られるまで内部へと立ち入る事の出来なくなったヴァルハイルは地下からの攻撃というアドバンテージを失い。

 

 地表での優位が一つ潰された事で他種族連合との争いの趨勢はゆっくりと傾き始めたのである。

 

 *

 

「あ、アルティエ~~どうだった~~アルシエラゴのほう……は?」

 

 遠征隊が戻った翌日。

 

 浜辺では口を開けて驚きを表現するしかない少女達やら青年やら水夫達が増産された。

 

 前日に今度は何か造られた神様っぽい化け物を倒したとの報告に叫び疲れたウリヤノフがグッタリしつつお休みを取って寝込んでいた為、その現場を見ていなかったのが幸いだろう。

 

 巨大な神を倒した際に死亡した後、蘇って新しい種族になりましたとか。

 

 巨大な巨人を大量に蜘蛛にしましたとか。

 

 もはや、ウートと一緒に仕事の話をする為にいた船長すらも大笑いする一大スペクタクルに笑わない者はいない。

 

 もはや自棄気味にウートが全部「そうか」で済ませた様子は娘的にも仕方ない話だと思われた。

 

「はははははは。今度は鋼の巨大な蜥蜴頭ちゃんとか!! お前ら最高かよ!?」

 

 船長オーダムの嬉しそうな顔は飽きないなぁという未知への探求心と浪漫に溢れている。

 

「ふむふむ。霊体と魔力、雷を用いて仕組みを動かすものですか。アルマーニアの言っていたというヴァルハイルの大鎧、人形。見るのは初めてですな。大陸の機械式な弩よりも余程に洗練されている様子。これは弄り甲斐がありそうな……」

 

 浜辺に数体の破壊された機影が横たわり、その機体には未だに『ムグゥー!?』と口に糸を噛ませられて自害すらさせて貰えない様子の機械蜥蜴達が四肢欠損状態でくっ付いている。

 

「……アルティエ!! 説明しろ!!?」

 

 思わず走って来たウートがそう叫ぶと。

 

 少年が自分のせいじゃないという顔でイソイソやって来て、その耳に前日あったらしい事を語る。

 

「つ、つまり……エルシエラゴに隧道を通したヴァルハイルの部隊を現地に残していた蜘蛛達が撃退して、初めての獲物としてくれたと?」

 

「まだ120体ある。同じだけ人数もいる」

 

「(/ω\)」

 

 どうすればいいのと思わず顔を覆って頭を抱えるウートであった。

 

「とにかく、此処はダメだ。何処か、この者達を収容出来る場所とこの巨大な人型を入れる場所が必要だな」

 

「………」

 

 チラリと少年がアルマーニア側の女性陣を見やる。

 

 昨日の今日で大冒険を終えた彼女達はまだ何か現実に思考が追い付いていない勢であり、何かボンヤリしていたわけだが、少年の瞳にサササッとヒオネが機敏に反応して傍まで寄って来る。

 

「え、え~っと、その~~」

 

「アルマーニア側の野営地の横に置いていい?」

 

「そのぉ……」

 

「あの人形とかしばらくの間、置いておく場所がいる」

 

「……お兄様に掛け合ってみます」

 

「よろしく」

 

「解りました」

 

 そうして、アルティエの言葉に頷いたヒオネが三人揃って何やら呪紋を使う。

 

 数分後。

 

「お兄様から許諾が下りました。大人形を今後も鹵獲する機会があって必要になった時、使わせてくれるなら、野営地の横に置いていいと」

 

「解った」

 

 リケイをチラリと見た少年にニヤリと返す老爺が一緒に行きましょうと傍に寄ってくる。

 

「こちらでこの者達は面倒を見ましょう。無力化したら連れて来ます故、それまでに120人分の宿舎もしくは家を建てて下されば……」

 

 ウートが溜息を吐きながらもリケイに頷いた。

 

「では、アルティエ殿。例の場所に120人と霊薬を集めて下され」

 

「解った」

 

 こうして、涙目で未だに反抗的な機械の肉体を持つ兵士達はリケイの玩具にされる事が確定したのだった。

 

―――3時間後。

 

 各地の商隊に付いていた元教会騎士の部隊の一部。

 

 筆頭であるベスティンと数名の騎士達が糸で巻かれた人型の機械蜥蜴を前にして何とも言えない顔になっていた。

 

「リケイ殿。これらの者達は本当に生物、なのか?」

 

「ええ、間違いありませんな。外骨格的な外側はともかく。中身は生身。ついでに言えば、神経と内臓以外の四肢は全て作り物。面白い発展の仕方だ」

 

「面白い発展?」

 

「教会というのは呪紋を狩り、魔の技を狩った者達でありながら、それに依存しているという事実があります。しかし、彼らヴァルハイルは魔の技をそのままに教会のように技術を発展させて、鋼の肉体を造る事で呪紋を更に技術として高めたように見える」

 

「……いつか、我らもコレらと同じようになると?」

 

「さて、技術の道筋によっては違うのかもしれませんが、何れは似通るかもしれませんな。まぁ、今回呼んだのは前にやった事を彼らで試せるかどうか確認する為に手伝って貰いたいからなのですが……」

 

「解った……今後も何かあれば呼んで欲しい」

 

『ムグゥウゥゥ!!?』

 

 彼らが何事かを相談している2人の様子にこれから何をされるのだとジタバタしょうと藻掻くが、魔力を込めた不可糸を何十にも束ねてあるソレは容易に切れない。

 

「では、さっそく」

 

 老爺はニヤリとして杖を何処からか持ち出し、男達の近くに置かれた樽をベスティンが持って来て、内部から柄杓で霊薬を掬う。

 

「始めようか。リケイ殿」

 

『?!!』

 

 こうして鋼の鎧に覆われた蜥蜴達は繭に包まれたまま別の何かへと変貌していく事になるのだった。

 

 *

 

 近頃、幼女騎士……元教会騎士にして今は幼女な彼らは仕方なく働く事に同意していた。

 

 理由は純粋に子供として養育されてなるものか。

 

 我らは誇り高い教会騎士である!!

 

 という、明らかにもう立場的に達成される事の無い感情論で生きるならば、自分達で生計を立てると息巻いた結果である。

 

 こうして、野営地の女性陣達がイソイソと作ったフリル付きの麻布のワンピースを着て、彼女達は毎日毎日、小さな体で出来る仕事をして、対価を寄越せと食事を要求する事になったのだ。

 

「くぅ……うらぎりもののベスティンめ!!」

 

「わ、われらがもとにもどったときにはぜったい!! いたんしんもんにかけてやるのら!!」

 

「そーだそーだ!!」

 

「しょくん!! われらきょうかいきし!! たとえかたちはうしなえど、こころざしはうしなわずにいきるのだ!!」

 

 やんややんやと幼女達の士気は高い。

 

 毎日、野営地の女性達がやる仕事を手伝うやら、農作業をしている水夫達に厳めしい顔で食事や荷物を届けるやら、幼い割に肉体を鍛える事だけは欠かさないせいか……微妙に幼女達の体には筋肉が付き始めている。

 

 畏れるべきは魂の腐敗である。

 

 とは、彼ら教会騎士の習いであり、一番最初に言われる事だ。

 

 初心忘れるべからずというのに近い。

 

「たいちょー!!?」

 

「はまべに!! はまべに!!」

 

「なんだ!? どうした!?」

 

 そんな幼女達が生活する野営地の浜辺に何かが来た。

 

 近頃、たいちょーと呼ばれている黒髪の幼女がとてとて走って仲間達が遠巻きにしている浜辺へとたどり着き。

 

「な、なんだこれはー!?」

 

 10m程もある巨大な機械の塊に驚いた。

 

「どうやら、ほくぶ“のう゛ぁるはいる”の“おおよろい”というらしいです」

 

「こ、こんなものをほくぶのとかげはうごかしているのか?!! なんということだ!? ああ、やえいちがしんぱいだ。あそこにはひせんとういんのぼくしやしすたーたちがいるというのに……」

 

「たいちょー!! かんけいしゃがいまはふざい!! しかも、どうやらわれらのげんごとおなじものがなかにかきこまれているとのはなしです」

 

「よろしい!! しょくん、ひそかにけんきゅーするのだ!! もしものとき、われらがたたかうためにも!!」

 

「おー!!」

 

「そうらー!! てきをけんきゅーせよー!!」

 

「きょうかいきしはなにものをもおそれぬ!!」

 

「くっきょーなるこころにて、たかがはがねのかたまりくらい!!」

 

 こうしてちょっと男心にワクワクした幼女達はちょっと頬を上気させて、楽し気にヴァルハイルの戦闘用の装備を弄繰り回し始める。

 

「そ、そうか。わかったぞ!!」

 

「たいちょー?」

 

「ふふふ、とかげどもめ。まりょくでかぎをつくったな? だが、われらきょうかいきし!! まりょくとじゅもんはおてのもの!! まりょくのせいぎょにたけたものをせんばつせよ。ないぶのかぎとなるじゅもんさえしょうあくすれば、これはうごかせるぞ!!」

 

「おぉーさすがたいちょー!!」

 

「やはり、たいちょーしかいませんな!! われらのたいちょーは!!」

 

「はは、これでやえいちのものたちもわれらをみとめ、さらなるきょうりょくをあおぐにちがいない。そのときこそ!!」

 

 カッと目を見開いた黒髪の幼女は告げる。

 

「そのときこそ!! われらのおやつをひとりこむぎがし7まいにさせるのだ!!」

 

『ッ―――!!?』

 

 思っても見なかったと言わんばかりに幼女達が衝撃を受ける。

 

『な、なんて!?』

 

『なんて!?』

 

『なんてスゴイことをかんがえるんだー!? あんたってひとはー!!?』

 

『ふふふ、われらのろうどうりょくをさくしゅするやえいちのものたちにわれらふっかつのため、いしずえとなってもらう……』

 

『そ、そんなわる、ごほん。スゴイことをー!?』

 

 幼女になってから元教会騎士達には衣食住と共に教育する以外では普通の子供のように養育する方針が示されており、小麦が手に入ってからは野営地内でも小麦菓子が出回るようになっている。

 

 主にアマンザと女性陣が創るクッキーは嗜好品として供されており、幼女達にも毎日御菓子2枚が配給されていたが、幼女になってから思考が単純化し始め、ついでに肉体と幼い思考に引っ張られた彼らの基準は何処かおかしな事になっている。

 

「さぁ、あのくそぼけじじいがかえってくるまえにこっそりおえるのだ!! われりゃはきょうかいきしなのだからぁ!!」

 

『おぉぉぉおっ!!!』

 

 幼女達の掛け声は浜辺に響き。

 

 周囲で作業していたスピィリアを筆頭にした蜘蛛達にも大人達にも大き過ぎる玩具で遊ぶ幼女にしか見えていなかった。

 

 そして、実際彼らが大鎧の内部構造を教会騎士としての知識と技能で把握して、ウートに動かし方を教えるから毎日七枚小麦菓子を寄越せと直談判する事になる。

 

 そんな“たいちょー”の様子は幼女達の目には正しく英雄のように映っていたのである。

 

 彼らはこうしてまた一つ今の自分に自信を付けるのだった。

 

 その日、北部ヴァルハイルの機密は幼女騎士達の手によって一部解き明かされ、ソレを動かす方法まで含めて野営地に技術が漏洩した。

 

「(>_<)」

 

 それを見ていた監視役兼教育役のスピィリア達は幼女達がちゃんと再教育されている様子にウンウンと頷きながら、イソイソと熱くなっている浜辺で作業する彼らに甘い爆薬ジュース、爆華の希釈液を差し入れする事にしたのだった。

 

 *

 

―――エルシエラゴ北端部【北部洞窟】。

 

 遠征隊として実際には動けない状況の現在。

 

 エルシエラゴ関連の雑務を片付ける仲間達を横目に少年は一部のスピィリアやディミドィア達と共に部隊が現れた掘削されたらしい洞窟内部に足を踏み入れていた。

 

 前日、アルヴィアが内部の部隊を生命付与した大量の糸蜘蛛によって攻略。

 

 外部から内部のハッチを開けて、瞬時に無力化したというのも機体本来の能力を狭い洞窟内で生かし切れなかった事が大きい。

 

 色々と蜘蛛達から報告を受けた後、人間化したルーエルからビシウスの畜輪をゴライアスに付け直した後、蜘蛛達の背中に乗って移動した少年は拠点化された空洞を発見。

 

 内部の状況を初めて確認していた。

 

 周囲には鋼製の箱が大量に置かれており、内部には機体のパーツらしきものが一式入っていたり、武装の消耗品らしい矢が大量にあったりと数多い。

 

 しかし、最も驚くのは食料が極めて少ない事だろう。

 

 それよりも多いのは魔力らしき力が込められたオーブのようなものだ。

 

 白濁した玉石はツルリとした金属のような質感であったが、あまり重くなく。

 

 それでいて大量に箱へ収められている。

 

 基本的には機体の整備しかしないらしく。

 

 乗りっ放しの兵士達は糞尿の処理すら必要無かったのか。

 

 トイレも無ければ、仮眠施設すら無かった。

 

 辛うじて医療設備はあったものの。

 

 少年も初めて見るものばかりですぐに蜘蛛達に頼んで纏めて野営地に転移で持っていく事にする。

 

 そんな最中、最も少年が注目したのは相手の近接武器だ。

 

「………」

 

 少年の二倍の身長でも足りないだろう巨大な剣。

 

 ソレが一本だけ置かれている。

 

 部隊の長らしき相手が使っていたらしいのは得物の中に一際13メートル程まで大きな個体が居た事からも確定的だろう。

 

 しかし、その刃は使われる事は無かった。

 

 巨大な肉体のままに活動するヴァルハイルの兵達がいたのは普通の人間なら巨大と思えるだろう壕のような場所であったが、彼らからすれば、最小限度のものらしく。

 

 殆ど掘った土で周囲を固める呪紋を用いていた為に拡張性に乏しいらしい。

 

 結果として人間にならば十分なスペースも彼らにとっては窮屈な場所。

 

 ロクに近接戦闘も出来ずに糸蜘蛛に弱点となるハッチを解除されて内部を開放、四肢を無力化されて一気に内部から引きずり出されたとの事。

 

 無傷で残っていた刃はヴァルハイルの呪紋が幾つか彫り込まれているようだったが、3mの大刀のような姿は馬上で使ってすら余りそうであった。

 

「【異種交胚】……」

 

 少年の腕が灰色になり、ゴライアスのように筋肉質となって膨れ上がる。

 

 先日の戦闘で新しい装備が完全に破損したので今は予備に作って貰っていたものが大急ぎでウリヤノフの手で仕立てられている為、本日は竜骨製の前の装備を身に付けている少年である。

 

 両腕をよく破損するという事で今度は腕の装備は内部から膨れてもすぐに弾けてしまわぬよう、最初から解放出来る仕掛けが採用されるとの話。

 

 腕まくりした灰色の剛腕が巨大な片刃を握った。

 

「―――霊力浸透。物質変質率毎秒0.2%上昇」

 

 少年が触れて握り切れない柄が数秒後にキラキラとしながら変質していく。

 

 それと同時に柄から血管の如く奔った輝きの本流が脈動しながら刃を包み、ズグンズグンと拍動しながら、少年の手に収まるようにか。

 

 ゆっくりと縮小し始める。

 

「………これでよし」

 

 少年の腕が元に戻った時。

 

 すっかり、その手に収まるような大きさの柄と刃になっていた。

 

「重量95.2%低下(再低下可)。体積54%低下(再低下可)」

 

 それでも通常の背中に背負う大剣程はあるだろう。

 

 1m以上ある剣身は少年の手には余りそうにも見える

 

 二本目の蜘蛛脚が来るまではこれでいいだろうと少年が背中に不可糸で剣を括り付ける。

 

「(・ω・)?」

 

 乗ると聞かれたのでスピィリア達に乗せて貰い。

 

 少年が更に先のトンネルへと向かう。

 

 糸蜘蛛で一通り探索したとの話であったが、あまりにも長い距離で魔力の制御が届かなくなりそうな場所からは蜘蛛を引いた為、完全にアルヴィアも内部の情報が解っているわけでは無かった。

 

 ならばと一人で探索に来た少年であるが、魔力は回復している途中だし、一度死んだせいで未だに肉体の状態は万全とは言えない。

 

 新種族になったせいか。

 

 生まれ変わったせいか。

 

 呪紋の使用も万全とは言えず。

 

 制御にも甘いところが出ている為、現在は呪霊を筆頭にした全ての召喚は禁止しているのだ。

 

『つーん』

 

 自分で言って膨れている少女が少年の背後にはいる。

 

 エルミであった。

 

 エルシエラゴでは霊力を吸収する石が見付かったと言った途端に付いて来ないと言い張った彼女は北部でフレイと一緒になって警備をしていたのである。

 

 しかし、エルシエラゴで自分が使おうと思っていた還元蝶が使われて拗ねているのである。

 

『まったく、灯りの一つも欲しいものですわね。このエルなんたらにも』

 

 少年が仕方なく暗視でも問題無い少女の為にランタンを灯す。

 

 トンネルをカサカサと時速80km程で奔る蜘蛛の一団に載せられた少年が移動距離と方角からすぐに自分達が向かっている場所が何処かを理解した。

 

(……フェクラールの真下?)

 

 地表にいきなり現れたヴァルハイルによる大襲撃であったが、それが可能だった理由がようやく少年にも分かり掛けて来た。

 

 そうして彼らが2時間程、トンネルの1本道を抜けた時。

 

 彼らは部隊が駐留していた壕よりも遥かに巨大な空間に突き当たっていた。

 

『な、なんですの!? 此処!!』

 

 思わずエルミが驚くのも無理はない。

 

 煌々と輝く青白い雷が僅かに周囲の壁を焦がしながらも放電されていた。

 

 彼らの前にあるのは四方500m近い空間を閉める巨大な街のようなものだった。

 

 その上空の岩壁。

 

 天井に近い位置に出た彼らの横手には壁から九十九折になって下へ降りる道が続いており、街のようなものの中心。

 

 巨大な神殿のような建造物の周囲には大量の電力らしきものを放つ機械が複数神殿周囲に設置され、その周囲の敷地内には大規模な呪紋が地面で固定化されていた。

 

 周辺建造物の頭上には大量の檻が置かれており、内部には何も入っていないが、まるで神殿そのものが監獄にされているかのようだ。

 

「街の様式は見えない塔とかノクロシアと一緒なのにあの青白いのはヴァルハイルのに見える」

 

『ふむ? つまり、最初からあった遺跡を彼らが見付けて自分達の為に利用していたと?』

 

「襲撃がもしも地下から行われていて、此処に大量の戦力を保管してたとしたら?」

 

『もう全部吐き出された後なのを祈りたいところですわね。というか、あのビカビカしてるのどうにかなりませんの?』

 

 言ってる傍からエルミが戯れに機械を打つ。

 

 止める暇もない早業。

 

 しかし、召喚されていない霊体は殆ど現実の物体に威力をブツけられない。

 

 呪霊や亡霊の違いは常に力を霧散させながら顕現している知能の無い亡霊に対して、通常は“あちら側”と呼ばれている重ね合わせの場所で殆ど霊力を温存する呪霊という対比だったりする。

 

 常の呪霊召喚というのは魔力を用いて霊に“こちら側”で行動する際に自分を消耗させないで戦わせるという手法なのだ。

 

『大丈夫ですわよ。今のわたくしでは、あの程度の鋼の塊にも何ら傷一つ付かないですわ』

 

 確かに矢は雷を周囲に放つ機械を何ら傷付けられてはいなかった。

 

 しかし、打たれた機械がいきなりバツンッと作動を停止する。

 

『へ?』

 

 その停止に伴って次々に連鎖的に機械が止まり始めた。

 

『わ、わたくしのせいですの!?』

 

 最後には完全に稼働を停止した箱型の機械が“ゥゥゥゥン……”と駆動音を完全に落とし切ると残るのは神殿付近の複数の呪紋の書かれて未だ輝く大地のみ。

 

 少年がジト目で下手な口笛を吹いてそっぽを向くエルミに溜息一つ。

 

 蜘蛛達と一緒に下に降りて行く。

 

 街には人気も無く。

 

 少し蜘蛛達によって周辺が探索されたが、目ぼしいものは全てもうヴァルハイルによって取られてしまった後らしく。

 

 何かを移動させたような痕跡はあるが、物品はそれこそ壺一つすら見付からなかった。

 

『わ、わたくしやっぱり帰ろうかしら?』

 

 罰の悪さにそう言い出したエルミだったが、神殿付近までやってきた時。

 

 近頃、生命付与による分身として糸蜘蛛を使い出したスピィリア達が還元蝶を一匹見付けて持ってくる。

 

『あ、蝶ですわ!? これこれ!? これよ!! あの金色のは無くなってしまったのはまぁしょうがないとしても、なら数!! 数ですわぁ~~♪』

 

 スピィリア達にもっと探してと目をキラキラさせながら、エルミが少年の上で上機嫌になる。

 

 岩壁の中にある街。

 

 その様子は何処か暗い。

 

 元々暗視能力が無ければ、見られない程に内部は薄暗いものの。

 

 元々持っている能力からして蜘蛛達が迷う事は無く。

 

 少年の視界には殆どの領域をマッピング可能な視覚情報が送られており、街の中心街となるのだろう神殿付近で立ち止まり、地下の地図に炭片で情報を書き込んでいた少年はこの場所が居住区画の一つであると推定していた。

 

 理由は真っ当だ。

 

 何処にも軍事区画らしいものが無い。

 

 ついでに言えば、神殿内部にはスピィリア達の糸蜘蛛が先行していたが、罠も無し。

 

 ただ、やたらと呪紋だらけで堅そうな地下に続くのだろう階段付近の扉が猛烈な火力を叩き込まれて尚そこにあるという事実のみがヴァルハイル達の苦戦を教えている。

 

 周囲には大量の爆薬を爆破した跡らしき痕跡で煤けており、巨大なハンマーやら剣が折れた様子で神殿内部の巨大な広間には複数本転がっていた。

 

 その大量の武器で破壊されていない場所。

 

 中央に位置している階段付近は今も薄緑色の魔力を帯びた呪紋。

 

 翅の生えた人間のような形の象形に護られている。

 

(ええと、確かこういうのは……)

 

―――938217164日前『精霊というのは妖精に為る前の状態だと御伽噺では言われていて、ウチの家系の祖先は御伽噺で妖精を助けた騎士だったってお母様が言っていました』

 

「妖精……翅の生えた人……」

 

『ヨウセイ? 知らない名前ですわね』

 

 少年が問題無さそうだと蜘蛛達に地面の呪紋に触らないように言って、神殿周囲を警戒して貰いながら、内部に入り込む。

 

『あら? これは翅の生えた……確かに人にも。でも、蝶みたいにも見えるような?』

 

 そんな事は思ってもいなかった少年がエルミの言葉に階段周囲の呪紋を眺めて成程という感想を抱く。

 

 少年が呪紋で封じられた階段の扉に手を触れて解析しようとした時だった。

 

 フッと薄緑色の翅の生えた人型が笑う。

 

『い、今、この呪紋笑いましたわよ!?』

 

 上から監視させていたエルミが驚く間にも呪紋の象形であるはずの妖精が瞬時に杖を構えてゴンゴンッと何やら地表を叩く仕草をする。

 

 同時に少年の前の扉がノックでもされるかのように響いた。

 

『……もし、もし』

 

「?」

 

声が扉の奥から聞こえて来た。

 

『もし……もし……』

 

「誰かいる?」

 

『ッ―――ああ、本当に誰かが来たのでしょうか? 何処の方かは存じませぬが、外はどうなっておりますか?』

 

「廃墟になってる」

 

『……そう、ですか。ありがとうございます。本当の事を仰って頂けて嬉しく思います。父と母に隠れているように言われて、永い時が過ぎました。こうして目覚めたのは初めてですが……どうやら、何もかもが時の精霊に置き去られているようです』

 

「時の精霊?」

 

『貴方様が何処の何方かは知りません。ですが、時の精霊の加護を受けていない者にこの呪紋は決して解けぬのです。それが神であろうと旧き者達であろうと』

 

「―――」

 

『良ければ……一つお願いを聞いて下さりませぬか? 旅の御方』

 

「出来る事であれば……」

 

『この“支楽の園”は旧き者達が生み出した都市の一つ。お願いを聞いて下さるならば、此処から更に果てにあるノクロシアまでの地図をお渡し致します』

 

「此処からノクロシアまでの道があるの?」

 

『はい。嘗て栄華を極めた都市は世の中心であったと言われています。きっと、様々な財宝や多くの叡智が眠っている事でしょう』

 

「……お願いは何?」

 

『―――心臓を。知性ある者の心臓を頂きたいのです』

 

「何に使うか聞いていい?」

 

『まだ死ねませぬ。故に体を造る為の心臓が欲しいのです』

 

「……この島に生きている命を犠牲にしても?」

 

『―――父と母との約束を果たす為、体がいるのです』

 

「このアルティエ・ソーシャが護りたいと思う誰かを害さないと誓えるなら」

 

『そう、ですか。貴方様はアルティエと仰るのですね』

 

 少年が咄嗟に背後に跳んだ。

 

 途端、今まで笑っていた精霊の象形が歪な笑みを浮かべて、矢を射る仕草をする。

 

『時間が動き出した以上、もはや猶予はありません。我が命尽きる前に貴方の心臓……頂きます……ごめんなさい』

 

 少年が他者を犠牲にはしないと理解した声の主が謡い始める。

 

【幾年の静寂の果てに成り果てる】

 

 その声に応じてか。

 

 呪紋の象形が虚空に形を持って出現し始めた。

 

【小さき者の物語】

 

 それは戯画から抜け出したような小さな人に翅が生えた美しき小さな存在。

 

 七色の翅を羽搏かせ。

 

【恋した少女は冠り巫女の百合墜とし】

 

 顔を残酷に歪めて傲慢にも命を狙う狩人。

 

 薄衣の衣装を身に纏い。

 

 黄金と銀の輪を体中にして、自分の背の数倍以上も長い金色の髪を靡かせ。

 

【浅き夢見じ狂える刃と成り果てる】

 

 少年の刃が辛うじて受けた矢が、番えるところも発射した瞬間も見えなかった矢が、ジリジリと刃を圧しながら吹き飛ばし、着地地点にもまたいつの間にかソレが迫り。

 

【永久の陰りに謳いませ】

 

 少年の竜骨の鎧に何本か命中しながらも貫通せずに罅を入れるのみで止まり。

 

 心臓を狙ったソレらがすぐに消え去って再び矢が少年の周囲から無数に現れる。

 

【罪の陰りに謳いませ】

 

 踊る精霊は矢を射っていない。

 

 だが、矢は存在する。

 

【恋は老烙の恋、恋は盲目の恋】

 

 そして、少年はすぐにソレが見せ掛けであり、同時に自分には対処可能な事であると理解した。

 

 時間でも操っているのだろうと分かれば、答えは簡単だ。

 

 その刃が直前に見える矢を強引に弾きながら、数秒の仕込みが終わる。

 

【ならば、恋する乙女は狩人となって】

 

 少年が剣を捨てて両手で横の何も無い虚空を握った。

 

 ボッと神殿内部が一気に一斉に燃え上がった時。

 

 悲鳴を上げた妖精の呪文が自分の燃え盛る体を見ながら狂笑を叫び。

 

 瞬時に燃え尽きる。

 

 要は全ての空間を同時に燃やせば解決である。

 

 大量の不可糸を見えないように張って、相手が油断した瞬間に絶対に逃げられない状況で焼くだけの簡単なお仕事であった。

 

【永久に貴方を射るでしょう】

 

 燃え尽きえた妖精が崩れ落ちる時。

 

 その瞳の先。

 

【いつか、貴方を照らす星になって】

 

 少年は扉の先へと歩いて行く。

 

 刃はすんなりと扉を両断した。

 

【己を燃やし尽くした後に想い出となって】

 

 その内部にいる小さな存在。

 

 老いて今にも枯れ落ちそうな羽虫にも見える何かが、その錆びれた体と翅をはためかせ……逃げる事も戦う事も出来ず。

 

 しかし、瞳にだけは紅い光を宿して。

 

【貴方を愛す最後の一人となる為に……】

 

 謳が途絶えるより先に少年の手が―――。

 

 その虚空に張り付けにされたような相手に伸びる事もなく。

 

『?』

 

 壊れた鎧を半ばから剥ぐようにして、片手が胸に埋まる。

 

『!!?』

 

 ソレが捩じるように肋骨の横からソレを抜き出し、黒いものが溢れるソレを羽虫の前に差し出した。

 

「これは契約。約束は守って欲しい」

 

『ふ、ふふ、はい。不死者の貴方様……』

 

 その皺枯れた手が黒いソレに手を付いて、口がそれを齧った時。

 

 見る見る内にその枯れていた肉体が瑞々しさを取り戻す。

 

 褐色に今にも崩れそうだった肌が、萎びた獣の毛ようだった髪が……瞳を中心にして取り戻されていく。

 

 そうして、ソレが齧った心臓がまるで逆に最初からそうだったかのように皺枯れて、崩壊しながら塵となって消えて行く。

 

 七色の翅が元に戻った時。

 

 金色の髪の毛が振り乱され、束ねられ、薄く微笑みが浮かべられた。

 

 それは幼いように見える妖艶。

 

 しかし、紅の瞳には何処か滲むものが溢れているようにも見えて。

 

 フッとソレは……妖精としか見えない彼女は虚空から崩れ落ちるようにして落下し、少年の手の中に納まった。

 

 周囲を見渡せば、呪紋らしきものが大量に彫られており、その上には暗視持ちでなければ分からないだろう黒ずんだ指の跡が、何度も引っ掻いたのだろう跡が、大量にビッシリと満遍なく付いている。

 

「……今日はこれで終了」

 

 そう言って、手の上に不可糸で小さな玉状の寝床を造り、内部に妖精を格納した少年はイソイソと現場を後にする。

 

 扉の外では何やってるんだかという顔のエルミが白い玉に妖精が捕獲されているのを見て、物好きねぇという顔になり、肩を竦める。

 

 そうして神殿の外に出た少年は神殿内部に霊殿用のイエアドの印を剣で彫り込んで野営地に戻る事になったのだった。



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第43話「エルシエラゴの崩壊Ⅳ」

 

―――ヴァルハイル南西軍管区【最前線】。

 

 血肉と泥が耕す耕作地。

 

 数多くの兵が埋もれる戦場の土は血に満たされ、新たな年を迎えても容易に実りを齎さないだろう事は多くが理解する事実だろう。

 

 巨大な死骸の壁を用いて多くの種族が今も降るヴァルハイルの弩から射出された弾体と呪紋の雨を凌いでいた。

 

 彼らの背後には投石器が幾台も破壊された陣地。

 

 しかし、敵軍からは未だ攻撃が降り注ぐ。

 

 持っているのは一重に彼らを護る死骸の頑丈さが要塞の壁より、敵の残骸よりも勝っているという事実があるからだ。

 

「もうダメです!!? 後退しましょう!!?」

 

 犬顔の男が醜い角持ちの男にそう叫ぶ。

 

「逃げても死ぬさ。せめて、戦って死ぬ方がいい」

 

「ですが!? もう矢も罠も剣もありません!? 巨人族の壁の後ろから打ってりゃいいなんて嘘だったじゃないですか!?」

 

 そうだそうだと声は上がらない。

 

 彼ら巨人の壁を使う兵隊達の半数は既に事切れていた。

 

 魚顔、獣顔、悪魔顔、他にも浮かぶ鉄の塊に翼持つ人に一人手に動く甲冑。

 

 何なら居ないのか? 

 

 仮装パーティーに招待されたのかと思う程度には種類が多い。

 

 他にも名状し難い化け物のようにしか見えない者達が数体。

 

 巨大な図体で半死半生のまま横たわっていたりもする。

 

「【器廃卿】の部隊さえ来なけりゃな」

 

「クソぅ!? 第一皇子を討ち取ったってのにこのままじゃ!?」

 

 その時、遂に巨人の屍の一部が吹き飛んだ。

 

 それと同時に絶叫が響き。

 

 運悪くその背後にいた者達が土くれに混ざる。

 

「き、【器廃卿】の近衛軍だぁあああ!!?」

 

「巨人の後ろから離れろぉおおおおおおお!!」

 

 次々に逃げ出していく者達は遠方から撃ち込まれる巨大な矢によって次々に貫かれ、巨人の背後で逃げ遅れた者達も同時に何かの爆発で吹き飛ばされ、辛うじて胸元の背後にいた者達だけが生き残る。

 

「ひ、ひぃいぃぃ!!? もうお終いだぁ!? ヴェルゴルドゥナなんてバケモンに勝てるはずねぇ!?」

 

「応射だ!! 応射しろぉお!!」

 

 数名が何とか腕だけ出して弩でデタラメに打ち返す。

 

 しかし、爆発が最も厚い胸部装甲がある部位を全面から吹き飛ばし、2発までは耐えたが、三発目の爆発で遂に背後の者達が血肉に塗れ、丸見えとなった。

 

「あ、あれが……アレがヴァルハイルの【四卿】の一人!?」

 

「ヴェルゴルドゥナ・アーレント・ヴァルハイル……」

 

 彼らが見たのは絶望だった。

 

 巨大な寸胴。

 

 もしくは巨大な円筒形のタンク。

 

 そのようにも見える鋼の巨大な何かが戦場の背後。

 

 そう、戦場より数km先に見えていた。

 

 凡そ100m以上はあるだろう巨大な城か壁か。

 

 そのようなものがゆっくりと進んでいる。

 

 もう彼らのいる地域でヴァルハイルの兵士達はいなかった。

 

 死んだ者はそのままに生きている兵士は全て引き上げた後。

 

 ただ、その巨大な何かの頭上から大量の遠距離攻撃用の弩らしきものが見えて、次々に射程が届く戦域に攻撃を仕掛けているのだ。

 

 本来ならば届かないはずだが、ヴァルハイルの呪紋の威力は彼らの数世代先を行くものであり、特定用途では能力が軽く数倍以上という事もザラにある。

 

 誘導した巨大な矢くらいは余裕で届くのだ。

 

「ち、地域毎踏み潰す気だ!? オ、オレの故郷はあいつに!? あの大樽野郎に潰されたんだ!?」

 

 憎しみを語る獣型の人外が涙を零しながら豆鉄砲にも劣る弩を撃ち返すが、勿論のように射程がまったく足りず遠方にボトリと落ちた。

 

 巨大な樽と称される鋼のソレの一部。

 

 右腕部と思われるモノが数十mに渡って壁の一部から迫出し、一緒に埋まっていた何かを彼らのいる地点に向けた。

 

 ソレがあまりにも巨大過ぎる弩であると理解した者は風の噂に聞いた話を思い出す。

 

「【グラングラの大槍】……戦略呪紋兵器……クソゥ!? 何もかも蒸発させる気かぁ!?」

 

 叫ぶ者達に狙いが定められ、面倒な残敵掃討を一発の戦略呪紋で済まそうとしているのだ。

 

 その弩らしきもの内部から魔力の輝きらしきものが幾何学状に橋のような大きさの武器そのものに奔った時。

 

 僅かに戦場の空気が止まる。

 

「……なん、だ? オレ達が怖がるのを見て笑ってんのか?」

 

 だが、そんな事をする様子もなく。

 

 弩が腕と共に元の位置に戻され、再び壁と一体化したかと思えば、壁そのものが後方へとゆっくり後退していく。

 

「何故だ!? どうして、攻撃しない!? どうして下がる!!?」

 

 思わず叫ぶ者を嗜める者はない。

 

 どう考えても今、トドメを刺すべき相手を放置するという悪手。

 

「……一体、何が起こってやがるんだ……ヴァルハイルに何かあったのか?」

 

 理由は分からずともほぼ全滅した現地の兵達はヨロヨロと立ち上がり、呆然としながらもすぐにまだ息のある者達に応急処置を施し、後方地域へと傷付いた体で下がっていく。

 

 その日、首都から派遣された部隊の一部が引き返し、劣勢に立たされていた他種族連合はどうにか戦線の崩壊で済んだ事を己の神に感謝した。

 

 致命傷状態ながらも、再び足並みを揃えて部隊の再編する時間が捻出出来たのだから。

 

 彼らは知らない。

 

 しかし、何かがあった事は確かに感じ取っていた。

 

 *

 

「で? 今度は妖精のいる地下都市を見付けた、と」

 

「そう」

 

 ウリヤノフはお前は遠征隊をしてなくてもそうなのだなという顔であった。

 

 竜骨装備がボロボロなので予備すらなくなった少年はしばらく戦闘禁止を言い渡され、同時に外では女性陣が騒ぐ声。

 

『か、可愛い!!』

 

『は、はい!! 御伽噺の妖精をこの目で見れるなんて!?』

 

『―――アレはまさか? ほ、本当に妖精? だ、だとしたら、ああマズイです!? お兄様に早く連絡を!? ヴァルハイルが血眼になって探し始める前に!?』

 

『あん? 何でお前らそんなに慌ててるんだ?』

 

『ああ、旦那様達は知らないのか。ま、簡単な話さ。妖精ってーのは北部じゃ絶滅した種族でね? 随分昔から探されてるのよ。秘儀の保持者として』

 

『秘儀?』

 

『……美味しそう(≧▽≦)/』

 

『だ、ダメだよ!? ルーエル!? この子はアルティエのなんだから!?』

 

『はーい(≧ω≦)』

 

『“さすが我らが主”(。-`ω-)』

 

「………取り敢えず報告は了解した。お前の好きにしていいが、問題は起こさないでくれ。今、野営地の事務処理がひっ迫している。読み書き出来る者がそういう分野に向いているスピィリア達を集めて仕事を覚えさせているが、まだ途上。軍事の方はドラコ―ニア達が仕切ってくれているが、彼らもまだまだだからな」

 

「解った。装備が出来たら、引き続き地下の探索に移る」

 

 少年がウリヤノフにそう告げて、外の騒ぎの起こっている場所に速足に向かう。

 

「……妖精、か。まさか、本当にいるとは……我が主も驚きの事実だ。フィーゼ様に御母上が祖先伝来の御伽噺を読み聞かせていたのが懐かしいな……」

 

 フィーゼの家系の事を思い出したウリヤノフはあの物語の妖精は最後どうなったのだったかと木戸から外を見上げる。

 

 今日もニアステラは良い天気に違いなかった。

 

―――3分後。

 

「来ましたか。我が契約者……」

 

 今まで不可糸の白い玉の中で愚かな人間達を見ていた妖精が初めて喋る。

 

「あ、喋れるのですね」

 

 フィーゼの言葉にジロリと金髪に虹色の翅を畳んだ彼女が睨む。

 

「へ!?」

 

「……さすが、妖精使いは言う事が違うようで」

 

「え? え?」

 

「流されて来たという事はもはや絶滅して……気に入った者達の子孫に加護だけ残し続けるなど……」

 

「あのぉ~~」

 

 何処か諦観を含んだ瞳がフィーゼから外される。

 

 翅が僅かに開いて、スゥッと寝床から飛び上がった彼女が報告を終えて浜辺に戻って来る契約者を見やる。

 

「もし……もし……」

 

 そう何処か緊張した様子で少年を見やる。

 

「名前、聞いてなかった」

 

「ぁ……はぃ。我が契約者……我が名はありません……」

 

 先程までジロリとフィーゼを睨んでいたとも思えぬ程にしおらしく。

 

 借りてきた猫のように彼女が少年の方を伺う。

 

「名前が無い?」

 

「種族名で呼ばれていて……その……人が名乗るようなものは……」

 

 伏せて憂いを帯びた瞳はまるでこれから捨てられないかどうか不安になっている小動物みたいで、今まで彫刻みたいに無反応か、フィーゼを冷たく睨んでいたのと同じ相手とは思えないような態度に周囲の遠征隊の面々は唖然としていた。

 

「何か名付けるなら、大切な事は?」

 

「その……花の名前に……」

 

「解った。じゃあ、フェムラクの華からフェムで」

 

「フェムラクというのはどういう華なのですか? 我が契約者……」

 

「紅の実を鳴らせる樹木に付く金色の花粉と白い花弁の華。実は薬や毒になる。花は甘い香りの香料」

 

「……解りました。では、フェムとお呼び下さい。我が契約者」

 

『―――』

 

 周囲の者達がもはやすぐに理解するくらいに何処か嬉しそうな綻ぶ笑顔。

 

 どう見ても妖精は恋する乙女であった。

 

『貴方、さっきまでアルティエの事。殺そうとしていたのに現金ねぇ』

 

 シレッと暴露するエルミがジト目で金髪の妖精フェムに呆れた視線を向ける。

 

「だ、黙りなさい!! 呪霊の分際で格式あるアルシャンの血族たる我が血に失礼でしょう!!?」

 

 思わず赤くなったフェムがそう反論する。

 

「やはり、アルシャンの……これはお兄様との協議が必要ですね」

 

 やり取りを見ていたアルマーニア側の三人が本当にどうしようかという顔になる。

 

「ねぇ、ヒオネ。このフェムちゃんがさっきからどうかしたの?」

 

「フェ、フェム、ちゃん?」

 

 思わず妖精の顔も引き攣るフレンドリーさでレザリアが訊ねる。

 

「ああ、そうですね。皆さんは北部での妖精の扱いを知らないのでした。お話します……そこの方には少し悪いとは思いますが、これは他の北部の種族にも関わって来る話なので」

 

「………」

 

 フェムがその言葉に押し黙った。

 

「どういう事?」

 

 その少年の問いにヒオネがフェムを何処か不憫そうに見やる。

 

「北部において妖精は昔に滅んだ種族なのです。ですが、その地位はとても高く。同時に多くの種族が世話になってもいた」

 

「世話?」

 

「彼らは……旧き人々。ノクロシアを作り上げた者達の遠縁に当たり、西部や東部、南部を追い出された者達にとっては親代わりのようなものだったのです」

 

「親代わり?」

 

「はい。妖精達は自らの血族をアルシャンと名乗っていた。その力は大地を揺るがし、その技は天地を変える程のものと言われていましたが、同時に肉体は脆く。性格にも難があった」

 

「性格?」

 

「残酷と慈愛。傲慢と献身。相反する性質を持つ妖精は多く。結果として彼らは多くの種族との間に不興を買って滅んだ」

 

 少年がフェムを見やる。

 

「ぇぇと、その……見つめないでくださいまし……」

 

 それだけでフェムがオロオロしながら借りて来た猫のように少年が創った球状の寝台の中に隠れる。

 

「分からんな。なら、単なる滅ぼされた種族ってだけじゃねぇのか?」

 

「ちょ、ガシンさん」

 

 感想を述べたガシンにフィーゼが肘で脇腹を突く。

 

「いえ、問題は山積みでした。何故なら北部の種族に呪紋を教え、肉体の維持、寿命の維持をしていたのは妖精達でしたから」

 

「肉体や寿命の維持?」

 

 少年にヒオネが頷く。

 

「旧き時代……まだ、妖精達がいた頃。北部は戦乱には巻き込まれていませんでした。理由は単純です。その必要が無かったから……妖精達はあらゆるものを操り、我らの祖先に加護を与え、寿命を無限に伸ばし、食事を取らずとも飢える事無く生きられるようにしていた」

 

「………」

 

 フェムが寝床の中で布団を被るようにして隙間から少年を覗く。

 

「同時に呪紋の力によって文明を支えていた彼らは傲慢な面が強く出ていた。高圧的だったり、残酷に命を弄んだり……結果、多くの者達は呪紋を学び取った後、彼らを殺し、自分達で文明を築く事を決意したのです」

 

「寿命や食事を気にする生活になるとしても?」

 

「はい。ですが、彼らは気付いていなかった」

 

「何に?」

 

「ノクロシアの子孫である妖精族、アルシャンは旧き遺跡の管理者でもあった。彼らが消えるという事はそれに手を出せなくなる。旧き者達の遺跡は当時の文明の中心的な役割を果たしており、様々な面で種族達の生活や肉体に関わっていた」

 

「寿命や食事だけの事じゃなくなった?」

 

「はい。結果として何十という種族が壊滅的な被害を受けて、衰滅もしくは極めて少数になるまで減り続け。同時に遺跡の力に頼らない者達が今の主要種族として北部では力を持ったのです」

 

「……ヴァルハイルも?」

 

「はい。最も遺跡の力に長じて、その技術を学び取り、研究し、我が物とした種族こそがヴァルハイルであり、彼らの技術と呪紋は我ら他種族の何十世代も先を行っている」

 

 ヒオネがフェムを見やる。

 

「我らアルマーニアは北部では新参者ですが、今の主要な血族達が揃う最後の時代にはこの島にやって来ていた。当時、この島は楽園と呼ばれていたと言われています」

 

「楽園……」

 

「既に我らと合流した同種族の者達がアルマーニアとして他地域から北部に追われてはいましたが、それでも共に最良の時代を過ごしたと記録にはあり……その後の妖精達の絶滅における時代には外から最後にやってきた主要種族として旧き文明に寄らない大陸式の文明を広げ、多くの者達を生活出来るようにした事で大きな邦を持つまでになったのです」

 

 アルマーニアの語る島の歴史は本当に御伽噺のようであった。

 

「あん? つまり、北部に追いやられた連中はそれなりに良い生活してたのか?」

 

 ガシンの言葉に頷きが返される。

 

「今とは比べ物にならない水準の生活をしていたと言われています。モナスの聖域が閉ざされて以降では最良の時代。各地の文明や人々が滅んだのはもっと旧い時代の話ですが、復興という点でならば、妖精達が消えるまでの時期が島の最も良い時代だったでしょう」

 

 少年がガシンから球体を受け取って自分の顔を近付ける。

 

「取り敢えず地図」

 

「は、はぃ」

 

 フェムが少しビクッとしてから頷く。

 

「それと遺跡の事は必要なもの以外はそこに行ったら教えてくれれば、それでいい。必要無い限り話さなくても怒ったりしない……」

 

「え?」

 

 思わず布団の隙間から声がして、フェムが頭を出す。

 

「今の野営地に必要なのは遺跡の力じゃなくて、此処で生き抜く為に必要な力や技術。それが遺跡の力なら借りる事もある。でも、大抵その類は本当に強くないと使い物にならない」

 

「使い物にならない?」

 

 フェムに少年が頷く。

 

「どんなに戦っても勝てない相手。そんなのが来た時、出来る事は逃げたり隠れたり……それが最善。遺跡にどんな相手も倒せる力でも眠ってない限りは無用の長物」

 

「そぅ?」

 

「そう。神を殺せる力がある遺跡が残ってるなら、後で教えて欲しい。それとヴァルハイルや教会の神聖騎士達を倒せる武器とかある場所も」

 

「たぶん、殆ど残っていないです……」

 

「なら、残ってるところだけでいい。それとノクロシアに入れる程に力を付けたら、そこまでの道案内を頼みたい」

 

「わ、解りました!!」

 

 布団から出て来たフェムが頷く。

 

 そこはかとなく嬉しそうな妖精はイソイソと虚空に指で何かをなぞる。

 

 すると、彼らに見ている虚空に光の地図が浮かび上がる。

 

「コイツは……地下の地図か?」

 

 島の内部にある大量の地下に眠る遺跡らしいものがビッシリと刻み込まれた地図は何一つ説明こそ入っていなかったが、それでも島の地下が少年が思っていた通り、ノクロシアに繋がるような遺跡だらけなのが見て分かる。

 

「これは……アルマーニアに伝わるものとも比べ物に為らない量です。遺跡の性質にも寄りますが、呪具や遺物、呪紋を発掘する事が出来れば、大きな力となるでしょう」

 

 ヒオネが地図の精密さとあまりの遺跡の多さにそう感心した様子になった。

 

 少年が地図を不可糸で模写して普通の地図に張り付ける。

 

「装備が充足するまで遠征隊は各地のお手伝い。遠征計画はこっちで立てておく」

 

 少年が自分の外套の脇にフェムが再び入った寝台を突っ込む。

 

「しばらく、遺跡や昔の事を教えて欲しい」

 

「は、はぃ。我が契約者……」

 

 コクコクと嬉しそうの朗らかに頷く妖精はどう見ても乙女であった。

 

 *

 

 妖精が遠征隊に加わっていた頃。

 

 農作業中の水夫達と弁当を配布していた幼女騎士達はゾロゾロとまた新人が増えた事にジト目に成らざるを得なかった。

 

「なぁぜだぁああぁあ!?」

 

「どーして我々がヒト如きにぃぃぃぃぃぃぃ!!!?」

 

「もうダメだぁ!? お終いだぁ!?」

 

「クソクソクソクソ!!?」

 

「ふぐぅぅぅぅぅぅううぅぅぅぅうぅうぅ!!?」

 

「クモコワイクモコワイクモコウイクモコワイ―――」

 

 地面を叩く者。

 

 崩れ落ちてメソメソする者。

 

 絶望して廃人同然に空を見上げる者。

 

 蜘蛛の恐ろしさにガクブルしている者。

 

 だが、等しく幼女騎士達と同じく。

 

 彼らも幼女であった。

 

 無力化された新しい種族がやってくるとのお達しはあった。

 

 あったのだが……それがまさか人間ではなく。

 

 小さな蜥蜴系メタリック幼女だとは誰も思うまい。

 

「面白いですなぁ……」

 

 幼女騎士達から“くそぼけじじい”扱いされているリケイはそう言いながら彼らの横で新しく連れて来た労働力を眺めていた。

 

「いや、実はですな? 肉体そのものと認識される鋼まで呪紋で変化するのかどうか分からなかったのですが、どうやら神の加護としての呪紋である為か。出来ました」

 

 蜥蜴系幼女達の姿はザックリと言えば、半分機械な有機系アンドロイドっぽい容姿であった。

 

 蜘蛛達の人間形態にも近いのか。

 

 肉体のあちこちが装甲型のスーツにも似た形状となり、アルマーニア達のように毛の代りに薄い鋼のパーツが生身に付いているような状態なのだ。

 

「力を限界まで削いでみたのですが、それでも普通の人間よりは強いくらいになりましてな。しょうがないのでそちらと同じようにイエアド神の刻印を用いて竜属性呪紋を封印ついでに色々と弱くする事になりました」

 

「………」

 

 どうやら肉体の中心である胴体部は人間とほぼ変わらないらしいのだが、背筋からは尾てい骨回りから太い尻尾が揺れており、頭部まで続く背部パーツは機械的な翼竜の翼にも似ている部位がくっ付いていたりする。

 

 頭部は人のように見える者も竜頭系の者もいるが、等しく肉体に奔る幾何学模様が僅かに頬や額などに刻印のように残っており、内部から自分の魔力の色に染まって微妙に発光し、カラフルに感情を表現していた。

 

「それで? われわれにどうしてそんなことをいう。くそぼけじじい」

 

 たいちょーと呼ばれている幼女がジロリとリケイを見やる。

 

「彼らの先達であるところの貴殿らに教育をお任せしますじゃ」

 

「は?」

 

 イエアドの紋章を尻尾の付け根に彫り込まれた蜥蜴系幼女達がビエェエエエと泣き喚く横で思わずたいちょーの顔がポカンとしたものになる。

 

「どうやら彼らの脳裏には兵士が裏切った際の保険として忘却用の呪紋が入っていたようでヴァルハイルの戦略や戦術、諸々の情報が取れず。ガッカリしていたところでして」

 

「ど、どうして、それでわれわれにあずけるということになるのだ!?」

 

「いえ、このまま使い道の無い泣き喚くだけの幼女を生かしておく理由は無いので此処で労働力として働かせて頂ければと」

 

「く、じ、じんがいのせわなどおことわりだ!? ベスティンめ!? なにがたいせつなはなしがあるだ!?」

 

「ほほう? よいのですかな? 野営地の要請を断ると?」

 

「うぐ……」

 

「それに彼らは人外、貴方達の最も嫌う者達です。好きにすればいいではないですか。監督者の肩書があるなら、今後このように連れて来られる者達の上に立つ事も出来る」

 

「む、むぅ……」

 

 たいちょーが思わずリケイの言葉にピクリと反応する。

 

「もし彼らを立派に教導する事が出来たならば、あの話……少しは考えても良いですぞ?」

 

「―――?!!」

 

 あの話という単語にたいちょーがビクッと震えた。

 

「どうしますかな?」

 

「……わ、わかった。いいだろう!! だ、だが、かならず!! いちさいいじょうだぞ!!」

 

「はい。心得ましてございます。では、彼らをちゃんと働かせられるように服従の呪紋で―――」

 

「ばかにするな!?」

 

「?」

 

 リケイが首を傾げる。

 

「こんなよわそうなじんがいどもにわれらがひきょうなてをつかえるものか!! われらはほこりたかき!! きょうかいきし!! たとえ、すがたかたちはかわれども!! むがいとなってなくだけのばけものへひきょうなてはつかわない!!」

 

「………ふふ、それでこそ、理不尽を絵に描いた教会騎士。解りました。では、そちらの手腕に期待致しましょう。では、これで……」

 

 リケイがニンマリと顔を歪めて、たいちょーの決意を前に肩を竦め、何処かに去っていく。

 

「……よかったのですか? たいちょー」

 

「あのくそぼけじじいめ。われらをためしていたのだ」

 

「ためす?」

 

「きいたことがある。きょうかいのてき……まのふきょうしゃリケイ……やつはきょうかいきしがだらくし、ぜつぼうするすがたにゆえつするおそろしきかいぶつだ」

 

「ま、まさか、われらがじんがいどもにひきょうなことをするようすをみようと?」

 

「そうだ。だが、われらはせいせいどうどうとたたかわねばならない。でなければ、われらはやつのおもいどおりのくさったにんげんにされてしまうだろう」

 

「なんということだ!?」

 

「や、やつはわれらがじゃくしゃをいたぶるようすをみてわらうつもりだったのか?!」

 

「さ、さすがたいちょー!!? みぬいておられたのですね!?」

 

「しゅごーい!!?」

 

「ふふふ、とにかく。まずはあのむりょくなとかげどもをわれらのさんかにおさめるのだ。きそくただしいせいかつとさんしょくひるねおやつつきのろうむけいかくがいかにおそろしいものであるか。このみであじわったきょうふをおしえてやれ!!」

 

「「「はい!! たいちょー」」」

 

 こうして幼女達が機械系蜥蜴幼女に接触し。

 

「こわくないよ~こわくないよ~さ~いっしょにはたらこーねー」

 

「ごはんのためだ。おまえたちもたべられたくはないだろう?」

 

「じんがいどもにようしゃせん!! ちゃんと、おかーさ―――じゃなかった。やえいちのおんなどもにあいさつをするのだ!! とかげよ」

 

 どーにかこーにか動かそうと言葉を掛け始める。

 

「こいつら、何なんだよぉ!?」

 

 いきなりやってきた人間の幼女に元々兵隊だった者達は「何で命令されてるの!?」という顔で逃げ出そうとしたが、教神イエアドの紋章は逃亡を許さず。

 

「オレたちは“う゛ぁるはいる”なんだぞー!! つよいんだぞー!!?」

 

「人間にこきつかわれるにゃんてぇー!?」

 

「たしゅけて、ヴェルゴルドゥナしゃまぁ~~~!!?」

 

「クモコワイクモコワイクモコワイクモコワイ―――」

 

 メソメソしながら、人間の幼女達にやはり兵士の矜持で手も出せず。

 

 しかし、言う事を訊くというのも出来ず。

 

「いいからこい!! これからはいたつのしごとだ!! めしをくわないとしぬんだからな!! おかーさ―――じゃなかった。やえいちのおんなどもにふくをもらいにいくぞ!!」

 

『うわぁああああん!!? 人間に命令されるなんてぇぇぇえぇえぇぇ(/ω\)』

 

 筋肉が近頃付いて来た幼女達に彼らはズルズルと引き摺られていくのだった。

 

 こうして大きな広葉樹の葉で着飾ったミノムシみたいな蜥蜴幼女達は最初の関門……野営地の女性陣に挨拶し、服を貰うというミッションへ向かう事になる。

 

 人にこき使われるくらいなら死んでやるーと叫ぶ彼らをなだめすかし、食事で釣り、何とか全員に服を着せて配達までした幼女達は疲れに疲れる事となった。

 

 駄々をこねる妹分みたいな人外蜥蜴幼女。

 

 初めて出来た後輩のせいで今後しばらく毎日グッタリする事をまだ彼らは知らない。

 

 *

 

 東部地下世界エルシエラゴ。

 

 その領域をほぼ完全に掌握した遠征隊であるが、実際には南部の状態をアルヴィア達が確認しただけでもう遠征隊に対抗出来るモノはいない事が発覚した。

 

 南部では大型の呪霊が数体確認されていたが、40体からなるアルヴィア達の脚に潰されて霧散。

 

 周辺の亡霊と亡者達はあまりにも巨大なアルヴィアに対抗出来る様子でもなく。

 

 騒ぎが起きなければ静かなものでアルヴィア達が放った糸蜘蛛による調査にも殆ど無関心であった。

 

 結果としてエルシエラゴは幾らかの特徴的な野草と木材、鉱石の採掘地としてニアステラ側との交易が開始される事になっている。

 

「('|◇|)ゞ」

 

「(-""-)/」

 

「(*^▽^)/」

 

 まずは何よりもアルヴィア達の住処が必要とされた事から、安全を確保されたという状況下で中央領域に40棟の黒蜘蛛の巣が張り巡らされた。

 

 『またかよ!!?』という顔のガシンと少年の傑作は巨大な体のアルヴィア達個人用の家である。

 

 天井まで届くソレが四方に10器ずつ配置された中央域は百万を超えるスピィリアとディミドィア達が外部から来た大工系蜘蛛達と共に今は街の工作に集っている。

 

 ニアステラでは殆どの蜘蛛が家を得た事で建造物の生産効率は爆上がりしており、大量の大工化した蜘蛛達が各地を要塞化、市街地化を完了させたところから逐一陸橋へと連れて来られ、陸橋にぶら下がる蜘蛛達に技術が投下され、街が築かれ始めたのだ。

 

「(・`д・´)」

 

「(∩´∀`)∩」

 

「(´Д`)」

 

 アルヴィア達は燃費が左程良くない為、大規模な工事以外では寝て過ごす事になっていて、彼らを養う為にニアステラで量産され余り始めていた爆華が大量に少年の手で降ろされ、大醸造所みたいな酒場がデンと陸橋の中央には神殿のように建てられた。

 

 自分達の住処を造ろうとする者達以外はニアステラに特産品を降ろす為に大量の採掘や樹木の伐採、特産品となる野草の採取や栽培まで多くの仕事があり、マンパワーを導入する事で殆どの仕事の成果物が1週間ほどで今必要とされるだけの需要を満たすだろうと言われていた。

 

 だが、問題なのはそういう仕事にも溢れた者達だ。

 

 ただ賑やかしをやっているわけにも行かない彼らはニアステラへの移住組、フェクラールへの移住組の他にも一つの大事業に携わる事が計画された。

 

「もし……もし……」

 

「?」

 

「この地の岩盤は脆い為、右に迂回するのをお勧めします」

 

「解った」

 

 エルシエラゴからニアステラまでの直通となるトンネルを掘る事。

 

 これをウートとウリヤノフに提案した少年はフェムが地下の事に詳しいという話をしてから、すぐにこの計画を立ち上げ、圧倒的な速度でエルシエラゴ西端からトンネルを掘り始めた。

 

 その発端はヴァルハイルの掘削部隊だ。

 

 彼らの知識や技術の一部は回収しており、ついでとばかりに残っていた大鎧は巨大な掘削機械らしきものを使う為に動かされていた。

 

 ならば、自分達でもやってみようという事である。

 

 幸いにも掘った土砂をトンネルの壁面に押し固めるという呪紋が収集された為、機械と同時に掘削作業を行うスピィリア達には呪紋と魔力が大量に与えられた。

 

 【異種交胚】によるゴライアスの能力が特に重宝され、蜘蛛脚で物質を変質させながら掘るという作業が数十万匹の蜘蛛達の交代制で行われたのだ。

 

「……オレは樽。オレは樽……(/ω\)」

 

 ガシンは完全に魔力供給役として現場監督。

 

 ブツブツ呟きながらノイローゼ気味に魔力を発散する呪紋が刻まれた椅子に座って項垂れている。

 

 少年はあちこちから物資を持って来たり、持って行ったりという事を繰り返して寝る暇もない程に忙しくしており、こうして数日過ぎる事となっていた。

 

 巨大な岩山を越えてフェクラールとニアステラを繋ぐ大隧道。

 

 ソレは本来ならば、途中で岩盤や地盤への無理解や無智によって頓挫するはずであったが、一人の妖精さんの情報によって完全に回避された。

 

 本来ならば、怖ろしく時間の掛かるはずの掘削作業は出水する度に水を吸ってくれる石の巨大なリングを回し、ガスが出る度に臭いを消し去る華によってガスそのものを吸収させ、莫大な量の土砂を半霊力化した物質として変質させながら外側に押し固めて何もかもを解決。

 

「(;・∀・)・\・\・\」

 

 途中、鉱毒を含まない熱水が出てきたりする場所には出水が続いた場所から引いた簡易の水圧を逃がす水道を敷設。

 

 その水と混ぜて温水にし蜘蛛達の脚を休める足湯的な休憩施設を作成。

 

 更に長大な岩石を変質させてゴライアスの能力で造ったパイプラインを引いて、エルシエラゴに温水を貯める遊水地を造ったりもした。

 

 もはや、暗い常闇の星空しかなかった世界はプールで遊ぶ蜘蛛達のナイトクラブかワンダーランドと化しており、毎日労働しながら遊ぶ彼らは何ら人間達と変わらない営みに近付いている。

 

 その上、今後は水さえあれば育つ諸々の作物の栽培に使われる事が決まった為、肉体を持つ者達も食料を生産して住み着く事が可能となるだろう。

 

「足湯に浸かる蜘蛛とか。何なんだ一体……いや、今更か……」

 

 もはや諦観の境地に達したガシンは驚く事を已めた為、それにすら驚く者は無い。

 

 キラキラと輝く隧道内壁は僅かな光でも乱反射する事で明度が保てる為、陸橋の一部を延長して魔力の光を発するだけの機能を付けた竜骨の長い灯りが天井に添えられ、蜘蛛達も明るいと微妙な喜びを表現してユラユラ揺れた。

 

「\(>_<)/」

 

 もはやトンネル工事は蜘蛛達には一大スペクタクル染みてライフワーク。

 

 その時を迎えた時。

 

 彼らは『ヽ(|▽|)丿(/・ω・)/\(>_<)/\(◎Д◎)/』完全に一体となって、踊り狂って、遣り遂げたぜと言いたげに良い汗を描いたと思われる額を脚で拭った。

 

 ニアステラの第一野営地も近い岩壁までの貫通はこうして果されたのだった。

 

「Σ(・□・;)」

 

 その場所にいたのは爆華の栽培をしていた蜘蛛達であったが、誰も彼もが驚いた後、すぐに野営地へ報告に向かい。

 

 慌ててやって来たウリヤノフとウートは信じられない程に長く地下へと続く坂道を確認し、もう何も驚けないよと肩を竦めて笑いながら頷いた。

 

「(/・ω・)\(・ω・)」

 

 だが、それだけで話は終わらない。

 

 この数日間の事がスピィリアやディミドィア達は忘れられないらしく。

 

「(・ω・)……(もっと掘りたいな、という顔)」

 

 隧道掘削に関わった数十万の蜘蛛達は新たなやりがいを得たとばかりに少年の持っていた地図にフェクラールとの直通路やフェクラールとニアステラの地下隧道を提案したりした。

 

 まだ、色々立て込んでるから、しばらく後ならという承諾を得た後、地続きとなったニアステラにおいて種族は関係無く“穴掘り専門系蜘蛛”として妖精の齎した地図を元に彼らは遺跡発掘と道を造る専門業者と化す事になる。

 

 そして、同時に暇な時間を使って各地に造られた家の地下を掘って地下室を造ったり、まだ完全に張り巡らされていない掘りを造ったり、巨大蟻が元々作っていたトンネルの保守管理点検をしたり、上下水道の水路を掘ったりするようになるのだった。

 

 まぁ、一部の幼女達にはまた変な行動をする蜘蛛が増えたと畏れられる事になるが、それはまた別の話……。



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フェクラールの豪傑編
間章『貴方の事Ⅵ』+第44話「フェクラールの豪傑Ⅰ」


 

―――晴れ。

 

 遂に遠征隊に死者が出た。

 

 彼が死んだ瞬間を見る事も出来なかった。

 

 蘇ったのだからと笑う事は出来ない

 

 神すら倒してみせる彼が死んだ。

 

 もしも大霊殿に彼が行っていなければ、そのままお別れとなっていたのだ。

 

 それを思うと身が凍えてしまう。

 

 誰も死からは逃れられない。

 

 此処が特別なだけで、それすら本当の意味で死を逃れるものではない。

 

 そんな事は解っていたはずだった。

 

 はずだったのに……何処か油断していたのだ。

 

 こんなにも強く為った自分達に自信を持つあまり目を逸らした。

 

 誰も本当に特別ではない。

 

 神すら死ぬのに自分達が死なないわけが無い。

 

 そんなありふれた常識を見ずにいた自分を許してはいけない。

 

 だから、もっと強くなろう。

 

 彼が神を滅ぼすならば、自分とてそう出来てしまえるように。

 

 彼が向かうのが地獄なら、それすら踏破出来てしまえるように。

 

 彼女がいつもそうあろうと胸に刻んで進むように。

 

 仲間達の誰もに命を預けられ、預けて生還出来るように。

 

 命有る限り、前に進む限り、そこにはいつも彼がいる。

 

 その背中を護る射手として、全ての敵を打ち倒そう。

 

 父が戦場で、騎士達が戦の只中で自分の為に戦ってくれた。

 

 あの日のように……今度は自分がそうするのだ。

 

 もしも、次に生まれ変わる者がいるとすれば、それは自分であれと願う。

 

 もう仲間の……彼の死なんて見たくないのだから。

 

 

 *

 

 

 巡回者。

 

 それは各地を確認する北部に拠を置く者達の使いだ。

 

 邦に雇われている事もあれば、地域勢力の将校である事もある。

 

 そんな彼らであったが、東部バラジモールに外部から教会が侵入した事は既に界隈で情報が出回っており、ヴァルハイルの突如の侵攻劇と合わせて、各地の種族の頭の痛い問題となっていた。

 

「このままでは……東部への道を閉ざさねばならないが、何処の邦がやるかという問題だ。南東部が辛うじて落ちていない今ならば、奴らの侵入を防ぐ事は可能なはず。【ウシラの祠】を破壊する者は誰かないか!! 誰か!!」

 

 巨大な円卓。

 

 数十名のノッペリとした影が参列する種族連合の遠隔会議。

 

 影の色と形は其々だが、何処の勢力かは分かるようになっている。

 

 そんな場所で叫びが上がっていた。

 

 円卓を囲む議長は獣型の亞人。

 

 人外に見えたが、影を纏わずにいる。

 

 何の獣かは分からないが、その場での議事進行役である事は間違いない。

 

 あまりにも長い白い毛で隠れた姿は辛うじて鼻と瞳が分かる程度だ。

 

「……ああ、そうか。そうだったな。この危機的状況にあって、兵一人すら派遣するのは嫌なわけか。会議が聞いて呆れる!!」

 

 ガンッと議長職をしていた白い毛むくじゃらが円卓を叩く。

 

「実際問題、どうなのだ? 南東部は持つのか?」

 

「持たぬならば、いっそ……いっそ教会勢力とヴァルハイルを戦わせた方がまだ可能性が……」

 

「それが良いように思えるが……」

 

 ざわつく会議の参列者が勝ち目の薄い戦域を教会に渡してヴァルハイルと食い合わせてはどうかというまったく順当な案を出す。

 

「ならぬ!!」

 

 だが、白い毛むくじゃらがまた円卓を叩いた。

 

「貴君らは忘れたのか!! 我らが祖先達の辛酸を!!」

 

 影の多くが沈黙する。

 

「では、どうせよと? 長老……貴方の邦があの最前線に程近い祠を破壊する任の為に1000名以上の兵を失ってくれるのか?」

 

「馬鹿者が!? まだ、我らには巡回者がおる!! 連中、もはや仕事は左程無いだろう!! 各邦の熟練者ならば、あの祠に殺される事なく破壊する事は可能だろう!! その為なら残り少ない爆華は全て我が邦から出してもいい!!」

 

 その言葉に影達の半数程は納得した様子になる。

 

「巡回者を出さぬのならば、爆華で支払え!! 命と資源を天秤に掛けよ!! 【器廃卿】が何故か戦列を離れた今しか我らの軍の再編は不可能!! 連中の第一皇子と第三皇子は何とか退けて破壊した!! だが、その為に総軍の3割が消滅!!? もはや、次は無いのだ!!」

 

 そう次は無い。

 

 その言葉に影達は重く重く沈黙する。

 

 もはや彼らに大勢力である教会と戦うだけの術は無い。

 

 ヴァルハイルの戦力を何とか削いだとはいえ、近衛師団という虎の子が全て投入されれば、軍を再編してすら彼らは滅びるかもしれず。

 

 この後に及んで教会まで相手に出来ない。

 

「このまま滅びたければ何もせずに待てばいい!! そうでないならば、持てる限りを尽くして―――」

 

「質問」

 

 その時、黄土色の影が手を上げて議長である白い毛むくじゃらを遮る。

 

「アルマーニア達のように逃げる事を考えてはならないのか?」

 

「馬鹿な!? アレは地理的な要因に過ぎん!! 領地を捨て、己の背後にあった遺跡より蜘蛛の巣へ逃げ出したアルマーニア共が何をしてくれた!?」

 

「時間は稼いでくれたでしょう? 密約を知らぬ者が此処にいるとでも?」

 

「ぐ、むぅ……」

 

 白い毛むくじゃらが黙り込む。

 

「それに我が巡回者がニアステラの異常を報告したはず」

 

「高が流刑者だろう!! 伝説のノクロシアが浮上したとて、向かう為の手段が無ければどうにもならん!!」

 

「だが、西部のウルガンダが討伐されたという話は?」

 

「例え、それが真実であろうと我らに出来る事はない!! 今やアルマーニアの都は失われた」

 

 白い毛むくじゃらは言う。

 

「全てのアルマーニアが【悪滅の庵】を潜ったとなれば、もはや誰も名前も地理も思い出せんだろう。名を失った都を今一度掘り起こしても、道を全て破壊するとアルマーニア側は言っていた。つまり、逃れる場所はもはや無い」

 

 黄土色の影が僅かに身動ぎした時。

 

 多くの影達は反論は無いのだろうと思っていた。

 

 だが、それが僅かな笑いだった事を後々にして彼らは知る事となる。

 

「西部に抜ける道がある。と言ったら?」

 

「何?」

 

「実は我が配下の巡回者殿が新しい遺跡を見付けまして。西部の山岳部へと続く事を確認しました」

 

「―――き、貴様!? まさか、今まで!?」

 

 白い毛むくじゃらが言葉を続けるよりも先に黄土色の影が大仰に肩を竦める。

 

「実はかなり広い遺跡でして。探索に人数を割いていて手間取りました」

 

「ぐ―――」

 

「そもそも大勢が通り抜けられるものなのかという話もあります。それで皆様にはしばし在りもしない希望をチラ付かせるのもどうかと思い黙っていた次第」

 

「ッ―――影を脱げ!! 【六眼王ヘクトラス】!!」

 

 黄土色の影が手を横に払う。

 

 すると、内部からは薄暗い紫色の礼服に身を包んだ40代程だろう男が一人。

 

 その顔は六つの瞳を持ち。

 

 両目、額、頬で合計5つ見えていた。

 

 男の顔は喜悦に歪んでおり、欺くのは愉しいなぁとばかりに苦笑が零れている。

 

「長老閣下。我が都エンブラスより南東三里半の場所に遺跡があります。どうやらノクロシア関連の遺跡らしく。遠方に存在を飛ばす呪紋が未だ残っているとの事ですが、凡そ毎日100名が限界と報告を受けました」

 

「―――100名。100名か……」

 

「アルマーニア側も我らをそう邪険にはせぬでしょう。頭を下げてみませんか?」

 

「ッ、本当、なのだな?」

 

「我が祖先の名に誓って……」

 

 白い毛むくじゃらが本当に困ったような、苦虫を噛み潰した顔で僅かに思考する。

 

「……いいだろう。貴様の優秀な巡回者殿に感謝するのだな。ヘクトラス」

 

「我が巡回者殿。モルニア・クリタリスの名はきっと多くの者達に感謝される事でしょう。では、交渉に入りましょうか……」

 

 複数の影が『コイツ……』という険悪な気配を表に出す。

 

「おやおや~~? おかしいですな~~? 今は我ら【オクロシア】と円卓の皆様の交渉であるはずだが、どうやら交渉は好かぬという気配もちらほら」

 

 その言葉にすぐ影達の気配も沈黙する。

 

「では、何もかもを捨てて、新たなる新天地を目指すか否か。まずはそれを議論しましょう」

 

 円卓内部の空気が凍り付いていく。

 

「無論、方々は最後の最後まで戦う所存でしょうが、このカヨワイ身は実に病弱!! いやぁ、先に行かせて頂きます」

 

 真っ先に北部から逃げ出す宣言も今となっては非難する事は出来ず。

 

 誰もがグッと言いたい事を呑み込んだ。

 

「ただ、最初に自らが門を潜る事で皆様の大切な子女達が生き残れると証明しようという気概は買って頂きたい!!」

 

 ギリッと歯を噛んだ者多数。

 

「各国の王族の方々もどうぞご安心を……あちらで待っていますよ。ええ、我が血族をまず4割……後の6割はお好きにどうぞ」

 

 一応、譲歩している。

 

 という姿勢を彼が貫くと渋々ながらも会議に前向きな者の気配が増え始める。

 

「席の分配は……そうですな。戦功順で如何かな? そちらの方が戦う事に自信のある種族には良いでしょう」

 

 その言葉で壮絶に背筋を泡立てた影が複数出た。

 

「ああ、大丈夫です。我らの4割の中から後方支援向きの種族にも席を用意致します。無論、我らとの交渉次第ですが、此処は指導者も民も平等に参りましょう」

 

 影の後ろで平等?という顔になる者が多数。

 

「ただ、王族だけ逃げ出すのは恥じという者もいるでしょう。その場合は優秀な家の赤子や子供を先にというのでも構わない」

 

 それでようやくもう選別が始まっているのだと誰もが気付いた。

 

 それがかなり恣意的に運用されるのだろうとも。

 

「おっと、最後に巨人族に付いてですが、無条件で残った者達は我が名において西部へ届けると約束しましょう。なぁに、大きさは心配要りません。小さくする術などそれこそ五万と呪紋にはある。我が領民を護って頂いた恩は返させて頂く」

 

 初めてヘクトラスと言われた男が目を閉じた。

 

「そもそももう左程の数が残っていないのは承知しております。我が邦の枠を使っても数日で全員、移住出来るでしょう」

 

 その言葉に薄暗い鋼色の影が脱げる。

 

「戦士達のやった事だ。戦場にいる時にこそ、本当の価値を巨人は示す。だが、その言葉は有り難く受け取ろう」

 

 鋼色の60代の男が頷く。

 

 その全身には鋲で幾多も鋼の装甲が打ち付けられており、今もあちこちに血が滲んでいた。

 

 最前線で今も戦う巨人族の主が痛みもあるだろうに何一つおくびにも出さず。

 

 僅かに頭を傾ける。

 

「それと巨人族の王ヴェルハウよ。貴方の“娘さん”に付いては真っ先に席をご用意しておきます」

 

「―――」

 

 僅かに巨人族の主ヴェルハウと呼ばれた男の顔が硬くなる。

 

「何、問題ありません。将来、巨人族が復興される時の手伝いを我々は望んでいる。そう……それだけですから。何れ北部を再び取り返す時、それはきっと巨人族達によってだと私は考えているのです」

 

 こうして会議は進んだ。

 

 毎日100名の移住者を出す為、各種族が選りすぐった移住者達は次々に【オクロシア】首都エンブラスへと集結し、最初に向かうアルマーニア側との交渉団の状況を見守る事になるのだった。

 

 *

 

「クソ!? あのクズ野郎!?」

 

 ダンッとテーブルを叩いて手紙を破り捨てたアルマーニアの歳若き代表者。

 

 イーレイはあまりの内容にブルブルと拳を震わせていた。

 

「……アルクリッド」

 

「此処にいる」

 

「直ちに第一野営地へ向かう。ヒオネに連絡を取れ。すぐアルティエ殿に迎えを頼んで欲しい」

 

「解った。それで内容は?」

 

「……ヘクトラスのクズ野郎が西部への道を見付けた」

 

「ッ―――あいつか」

 

「どうやらヤツの巡回者が既に見付けて探索していたらしい。奴らが押し寄せて来るぞ。それも円卓の連中を焚き付けてな」

 

「……他には?」

 

「最大級の問題を持ち込んで来た」

 

「問題?」

 

「1日100人の受け入れを要請された。その代価は各種族の呪紋の全てと円卓の再構築時の議長の地位だ」

 

「それで?」

 

「だが、問題なのはそこじゃない。ヤツがあの子を娶らせろと言って来た」

 

「……断れるだろう」

 

 天幕の中。

 

 アルクリッドが怪訝な顔になる。

 

「ヤツはもう神降ろしの儀が終わった前提で手紙を書いているわけだ」

 

「ッ―――そういう事か」

 

「このままだとまた氏族同士の争いになる。最悪内紛だ」

 

「……どうする? まだ、ウルテス神の復活を諦め切れない者は多いぞ?」

 

「このままではニアステラとの同盟にも罅が入る。だが、ヤツに事情を説明すれば、内部から切り崩される可能性が極めて高い」

 

「ヤツを暗殺するか?」

 

「それが出来ればな。そうしてもいいが、そうしたらそうしたでまた問題だらけだ。此処は……」

 

「ウルテス神の信奉者を戦場に送り返すか? 最後の引き上げが途中だが、敵が来ると言って送り込み、悪滅の庵を爆破する事は可能だろう」

 

「ダメだ。信奉者の殆どが上級戦士の氏族ばかり。このままやつらを失えば、アルマーニアの戦力はもしもの時に殆ど役に立たない」

 

「……そもそも、先日の連中も嘆願という名の脅しで御咎め無しで収めたばかりだ。これ以上好きにさせておけば、後々禍根が残るぞ?」

 

「せめて、連中が諦める要素があれば……」

 

「諦めると言っても、連中に強さを示せるのはオレくらいな……そうだ。そうだったな……」

 

「どうした? アルクリッド? 何か策が?」

 

「連中が諦めればいいわけだ。この手紙は読んだか?」

 

 テーブルに積み上がっている報告書とは別の見知らぬ封蝋で剣の印が押されたソレがイーレイに手渡された。

 

「いや、まだだ」

 

「口外されていないが、また遠征隊がやらかしたらしい」

 

「何?」

 

「神殺しだ」

 

「ッ―――本当か?」

 

「ああ、それもエンシャクのいた領域にいたとされるモノらしい。御伽噺の【地獄の神樹】を葬ったと姫様からだ」

 

「は、はは、まさか、まさかな? グリモッドを滅ぼしたエンシャクが手中にしていたのか? 神殺しが我らの世代に起きるとは……」

 

「そして、こうも書かれていた。新たな亞神が誕生したとも」

 

「生まれ変わりか?」

 

「ああ、もう分かるな? あいつだ」

 

「ふ、ふふ、くくくく、こんなに畏怖すればいいのか。笑って寿げばいいのか。分からん気持ちは初めてだ!!」

 

「一端、策を練ろう。交渉団の到着は?」

 

「3日後だ」

 

「解った。催しにしよう。ヤツの強さを見せつける為に出来れば、飛び切りの舞台が必要だな」

 

「ならば、闘技会はどうだ? ようやく落ち着いて来たところだ。今一度、団結を深めるという建前で交渉団を招いて強さを見せつけるという話にすれば……」

 

「神の使徒を出していた氏族達もそれなら恐らく……それでいこう」

 

 頷き合った2人の若者はこうして3日後に向けて動き出した。

 

 *

 

「フレイ」

 

「此処におります。我が主」

 

「何かあった?」

 

 夜半の事。

 

「実は……」

 

 フェクラールでヴァルハイルからの襲撃に備えていたフレイが第一野営地に戻って来ていた。

 

 砂浜に降り立ったのを見計らったように蜘蛛形態で駆け付けたフレイはその黄金の体を隠すように黒いフードを体に被せている。

 

 すぐに事情を聴いた少年が北部の動乱が激しくなっている事を確認した。

 

「北部からの追加の移民?」

 

「はい。呪紋で知らせるのも憚られた為、此処に直接」

 

「時間が無いから、ニアステラだけを要塞化しようと思ってた。けど、それだと」

 

 エルシエラゴから開通した蜘蛛の道と早くも呼ばれ始めた隧道を通って、大量の物資がニアステラには流入していた。

 

 その殆どが地域全土の防衛と要塞機能の構築に当てられている。

 

 ついでのように生活が便利になるので生身を持つ種族がいる野営地の一部には歓迎されている。

 

「恐らくですが、どの面から見ても北部勢力が勝手な事をし出す可能性が非常に高いかと思われ、排除を進言致します」

 

 野営地が黒蜘蛛の巣で満たされる事で大量のスピィリアやディミドィア達を抱えられるようになった為、各地では巣の下に街を建て増しする事が行われるようになり、資材として水を吸う石や臭いを吸う華、霊力を吸収する石とやたら便利な資源が湯水のように投入されている。

 

 全て爆華との交換で運び込まれ、何処の街も活気に溢れているが、争いがあれば、要塞化が止められる可能性すらある。

 

「このままでは恐らくフェクラールにも新たな戦火が及ぶのは避けられない情勢かと思います。北部勢力の謀略を働こうという者達を全て排除してくるのはアルマーニア側の戦力やヴァルハイルの人形を見るに可能かと」

 

 サラリと北部勢力の戦力を襲って来ようかとの進言である。

 

 精鋭なる蟲畜を標榜するフレイは基本的に合理的で軍事的な物事に対して割り切った案を出す将兵の類に近い。

 

「道は解る?」

 

「警護の傍ら、何処かに新しい道が隠されていないか探索していた為、見当は付いています。また、フェクラールの進出予定地付近にはいつでも使える罠を伏せてあり、戦力が出てくれば、それを破壊し、進出用の道を確保する事も可能です」

 

「……それは最後の手段で」

 

「了解致しました」

 

「3日で相手が来る?」

 

「はい。確かにそう聞き及んでおります」

 

「……フェクラールを3日以内に移住組で賄えるようにする。ニアステラの勢力が強大だと理解出来れば、アルマーニア側の交渉の役に立つはず」

 

「では、今から?」

 

「ガシンを起こしてくる。移住組の逗留先に号令を掛ける。沿岸洞窟の門を全て開門。まだ、閉ざされていない悪滅の庵に行って、殿になってる部隊を助けて来るように」

 

「解りました。我らの威力を神格復位派閥に見せ付けるという事で?」

 

「持てる呪紋は全て使っていい。ただし、神が出て来ない限りは系神呪紋は禁止」

 

 頷いたフレイが瞬時に上空へと跳躍し、各地の黒蜘蛛の巣のあちこちに糸を引っ掛けて、猛烈な速度で引っ張って跳躍。

 

 音速を超えて急激な加速で北部の空へと消えて行く。

 

(知らない事件が多い。何処かでまたフラグが立った? 最悪を想定して、現状での装備を再確認。全記録を参照……全薬品14種類を12単位。それから剣の方も……あのダガーが無いのが痛い……この強さになってもまだ鑑定出来てない……此処から先の得物次第で勝敗が別れる)

 

 少年が神様相手に使って消耗してしまった黒いダガーの代りは無い事を痛感する。

 

(二本目の蜘蛛脚が出来るまで2日。代用品もしくは……)

 

「もし……もし……」

 

「?」

 

「あの、お困りですか? 我が契約者……」

 

「使い勝手の良い得物が無くて困ってる」

 

 フェムが少年の外套の懐から顔を出す。

 

「それでしたら、妖精の刃は如何ですか?」

 

「妖精の刃?」

 

「はい。あの小娘の力を借りるのは癪ですが……あの力と加護……恐らく作る事は可能なはずです」

 

「ちょっと詳しく聞かせて欲しい」

 

「はぃ。耳を近く……」

 

 恋する乙女の囁きを聞く少年を見下ろしながら、エルミが欠伸をした。

 

『(本当にウチの騎士はもう少しわたくしに構うべきですわね。まったく、浮気性なんだから)』

 

 こうして世が開ける前に叩き起こされた寝ぼけ眼のガシンは何も言わずに諦めた様子で少年に付き合い。

 

 フェクラールを爆走する事が決まったのである。

 

 *

 

―――数日後。

 

 フェクラール北端に広がり続けていた野営地は今や街区と呼べる程までに広くなっていた。

 

 派遣されてくる蜘蛛達と同時に大量の建材がニアステラから陸路で輸送され、ソレらが次々にアルマーニアの生活を改善する目的で家屋の建造に当てられたのだ。

 

「大きい。アレが黒蜘蛛の巣……」

 

 だが、それを嘲笑うかのように彼らの広がり続ける野営地の先には最初から予定されていた通り、取り決められていた通り、ニアステラの巨大な蜘蛛達が住まう黒き大樹の塔が聳えていた。

 

 昼間は透明で竜骨の塔と虚空に浮かぶ無数の部屋が半透明の糸で見えるが、夕方頃には黒く変色して黒い巣が露わになる。

 

 その有機的でりながらも円錐形状に張り巡らされた糸の全体構造は地表の蜘蛛が住まう街区を覆う程に広いものであり、内部に畑や川などまでも内包出来る為、アルマーニア側から区域を隠すように覆う要塞のように見えていた。

 

「アレが噂になっていたニアステラにあるとされる」

 

「や、奴らは我らアルマーニアに力を見せつけているのか?」

 

「一夜で起つには大き過ぎる……」

 

「ニアステラの力はもしやヴァルハイルにすら届くのか?」

 

 第一野営地に一度少年の手で跳んだイーレイはすぐにウートと協議し、今後の調整に入って半日後には状況の対処を詰め切ってフェクラールに戻って来た。

 

 そして、その光景を見たのである。

 

 多くのアルマーニア達はその威容に圧倒されながらも蜘蛛達が定住する為の場所が近くに出来たのでそこから出勤する事になったという話に一応は納得していた。

 

 また、大量の仲間達がフェクラールにやって来て、すぐに自分達が住まう街区を拡充していく様子には思わず圧倒されていたが、後からやってきた蜘蛛達もやはり礼儀正しく。

 

 人間形態がディミドィア達も含めて子供くらいにしか見えない為、威圧感を受けるという事も無かった。

 

「アルクリッド」

 

「交渉団第一陣到着。続いて第四陣まで来るそうだ」

 

 明け方。

 

 アルマーニア達の街区の中央域付近には巨大な舞台と木製の観客席が作られていた。

 

 その造られた真新しい場所を見下ろす観覧席。

 

 イーレイが遠方という程でもない数km先にある巨大な黒蜘蛛の巣を見やる。

 

「ヤツは?」

 

「最後の第四陣で到着すると報告が来た。どうやらおっとり来るらしい」

 

「そうか。悪滅の庵の方はどうだ?」

 

「殿の部隊にニアステラ側からの増援が向かっている。フレイ殿だ」

 

「……遠征隊のフレイ。元神聖騎士……お前はどう見た?」

 

「勝てない。途中で引き上げてくる部隊の治療を願った為、2日程は内部で納得させる為の工作に動いてくれる手筈になっているが、殆どの連中は同じ感想を持つだろう」

 

「単純な力量の差か?」

 

「手数は元より肉体の質でも負けている。何より呪紋を大量に用いる前提で見ても魔力量が我らとはまったく違う」

 

「あの子も言っていたな。遠征隊は毎日気絶するような秘薬を飲まされた上で鍛えられると。元々の能力が更に引き上げられているのだろうな」

 

「それだけではないだろう。眷属というのが何より厄介だ。最も強い相手の呪紋を下賜されている限り、対応能力が呪紋の上では殆ど主と変わらない」

 

「まぁ、祈ろう。我らが生き残れるようにな。やる事はやった。後の瑣事もこちらで全て終わる」

 

「……神前武闘会。交渉団を歓迎するという建前で何とか漕ぎ着けたな」

 

「ああ、後はニアステラ側の力次第だ。集めた戦手達は?」

 

「総計12人。ニアステラ側との親善試合として謳っているからな。各使徒の家系の氏族の最も強い連中を集めておいた。ニアステラとの力関係に影響するとも言ってある」

 

「これで相手がどれだけのものか。解ってくれればいいが……」

 

「あの氏族最強の男が倒れたというのも直接見た者は少なかったからな……此処でニアステラの本当の力を実感させられればいいが……」

 

 2人の青年が日が昇るのに目を細めた。

 

 新たな戦いの場がもう少年達遠征隊には待っていたのだった。

 

 *

 

―――名も無き都深奥【悪滅の庵】

 

 アルマーニア達の首都の名は現在、消え去っている。

 

 理由は単純であり、逃げる為に用いられた首都最奥の遺跡の能力故である。

 

 この悪滅の庵と称される遺跡は西部に続く道であり、同時に首都の王城内部にある唯一の脱出経路であった。

 

 元々が西部から離脱して北部に移住した際にアルマーニアの祖先が受肉したウルテス神と共に造った代物であり、その効能はアルマーニア達から特定の過去の記憶を奪うというものだ。

 

 それは故郷の記憶。

 

 西部がウルガンダに侵食され、脱出する時、彼らは故郷への気持ちを断ち切る事で北部において邁進する事が出来た。

 

 結果として、今は逆に北部から脱出するに当たって自らの故郷の記憶を消去された者達が通り抜けるという事になっている。

 

 長年使われていなかった為、様々な地表部位から入れる場所が増えてしまう程に崩落している通路も多く。

 

 そのせいで首都が襲われてからは外部から入り込む何かが巣食っていたりしたが、その類は既に掃除されている。

 

『クソ!? 蜥蜴共め!? もうこんなところまで!!?』

 

 王城の深淵部に至る道は広く造り込まれており、様々な物資を運ぶ為の道は大きい。

 

 その為、部隊を展開する事も出来るわけだが、それは相手側も同じだ。

 

 220m四方の巨大な縦穴。

 

 悪滅の庵に入る木製の大扉がある底の浅い泉が岸壁にある領域。

 

 王城内部に入り込んでいた大人形。

 

 ヴァルハイルの兵達が動かす人型竜の機械兵器は【ドラク】と呼ばれる。

 

 10m程の体躯は野戦においては的になりがちだが、その瞬発力と機動力は無類であり、大きさの癖に機敏な兵士として戦う事が可能な為、呪紋や先進的な武装も相まって種族連合の兵力は大いに苦戦を強いられた。

 

『く!? 爆発が来るぞ!!? 一時後退!!』

 

 昔ながらの戦争だけをしていれば良いと思って参加した多くの者達はヴァルハイルの先駆的な軍事力に敗れたが、残った者達はそれを真似る事で何とか撤退まで漕ぎ付けていた。

 

 最後の民間人を載せた荷馬車が出る。

 

 木製の扉の先に消えて行くのを確認した殿部隊は今や満身創痍であった。

 

 縦穴の入り口には大挙して押し寄せた機械人形達の姿。

 

 仕掛けられた地面の呪紋で爆破され、脚部を損傷し、詰まった状態で呪紋による巨大な投石などで拉げ、破壊され、山と積まれている。

 

 が、それを吹き飛ばすように背後からやって来た盾持ちの機影が彼らを囲い込むように展開していた。

 

『まだ生きているのを後送せよ!! 良くやった!!』

 

 もはや、目の前で救助しても問題ないとヴァルハイル側の兵が次々に破壊された仲間達を担いで後方へと大きく跳躍して消えていく。

 

 だが、相対するアルマーニア側はもはや満身創痍だ。

 

 手足が一部吹き飛んでいる者。

 

 あるいは全身傷だらけで包帯を巻いた傷病兵。

 

 他にも数十名以上の重病人が呪紋を体に奔らせて、何とか立っているような状態で得物を構えて、巨大な弩と盾を装備した機械人形達を相手に変異呪紋で体を肥大化させて門を護る。

 

『【鉄鋼騎士団】―――遂に此処まで来るか』

 

 男達の一人が呟いた時だった。

 

「良く戦った戦士達よ。だが、終わりだ。降伏するなら最後まで戦った貴様らを無駄に殺そうとは思わん。我らが軍門に降るなら見逃してやってもいい」

 

 頭上をハッと見上げた男達が上空から泉の中央に降りて来る者を見やる。

 

 13mの威容。

 

 巨大な翼持つ竜頭の大人形。

 

 竜を模倣した兵士達とは違う。

 

 人型の竜を一切妥協無く造り込んだ鈍色の鋼竜が四肢の関節部から突き出る棒状のパーツを展開し、周囲に猛烈な雷を放散しながら地表の獣達を見やる。

 

『ブラドヘイムの【ゴーム】か!!? 怨敵がノコノコと!!? だが、幸いだ!!? これで貴様を討ち取れば、我らの勝利ではないか!?』

 

 指揮官が前線に出て来るというのは前線将校ですら殆ど無い。

 

『貴様らに1割も我が同胞を砕かれたせいでな。こちらにも余力が無い。率直に言わせて貰うなら、あっぱれと言うべきだろう』

 

 角獣達の強がりを傲然と見下ろしながら地表付近で滞空するソレが片腕を振った途端だった。

 

 猛烈な雷撃が束となって巨大化した獣達を薙ぎ払う。

 

『うぁああああああああああああああああああああ?!!』

 

『まさか、アルマーニアにここまで粘られるとは……各管区では皇太子の幾人かが倒れたとも聞く。やはり、姫様の言う通りだったな』

 

 一撃で数十名が薙ぎ倒され、感電しながらもビクビクと震えるのみで命までは取られていない事が分かる。

 

『西部への道か。この負け犬共を後方に移送して、情報を吐かせろ。捕らえた女子供を使え。だが、殺すな。同胞が失われた分の戦力が必要だ。各軍管区に再びの出撃命令が出るまでに軍の再建もせねばならん』

 

 一斉に敬礼した一般兵達が次々に完全に痺れて動けない者達を運び出していく。

 

 残った兵達が大扉の前まで集まって来た。

 

『貴様らには教えておこう。西部では伝説の魔蟲ウルガンダが討伐されたと情報部から報告があった。つまり、この先には無傷のアルマーニアの軍が我らを待っていると思われる』

 

 ゴクリと唾を呑み込む兵達が多数。

 

『此処を連中が崩すのは確定的だ。危険だと判断すれば、すぐに引き返し、限界地点までの地図情報を転送し戻れ。先行偵察用の操獣を用いよ。これを以て、アルマーニア追撃戦も事実上の終幕だ。まだ最後に出た民間人は確保出来るだろう。直―――』

 

 ボッと銀龍の片腕が猛烈な負荷に襲われて、雷の放電が停止した。

 

『攻撃されているぞ!! 一端下がれ!! 最前列は単横陣だ!! 跳躍せよ!!』

 

 一斉に彼らがブラドヘイムの指示で下がる。

 

 その途端だった。

 

 巨大な縦穴の中央。

 

 泉の底が割れて縦穴そのものすらも中央部から亀裂が入る。

 

『何だ!? 我が超電導壁を停止させる?! 周辺の磁力密度正常。左腕の出力が上がらん。何故だ?!』

 

 彼らがざわめきながらも敵の襲来に備えていた時。

 

 コツコツと木戸の先から黄金の髪の何者かが歩いて来る。

 

 その黒い外套に竜骨装備を纏った小さな人間にも見える相手。

 

 それを視認した時にはもう盾を合わせた隙間から弩の切っ先が出され、精鋭達が照準している。

 

『何者だ!! アルマーニアの戦士か!!』

 

 その誰何に対してソレは何も答えず。

 

 しかし、明確に腰から剣を抜いた。

 

 竜骨で造られた剣。

 

 それがすぐに分かったのはブラドヘイムのみだったが、竜を倒す程のモノという事であれば、彼には最近のアルマーニアにそんな相手がいるとは覚えが無く。

 

(一体、ヤツは?)

 

 そう内心で首を傾げざるを得なかった。

 

『我が防御を抜けて来るぞ!! 各機接近されたら距離を取れ!! 一撃でも貰った時点で離脱を許可する。殿は我が機体が行う。全隊行動開始せよ!! 一斉射!!』

 

 ブラドヘイムによる的確な指示によって弩による猛烈な射撃が木戸の周囲に集中し、威力のあまりに水飛沫で白く壁面を覆い尽くした。

 

 しかし、その矢よりも早く。

 

 金色の戦士は疾駆する。

 

 直線状で放たれる矢に対して明確に突っ込んだ相手がその攻撃の僅かな間隙を縫うかのように機動し、向かってくるのを思考を加速したブラドヘイムが驚きながらも認識し、停止していない片腕を盾の隙間から出して雷撃を前方に集束させた。

 

 猛烈な雷が高速機動中の敵に当たるのを確認し、彼は一時安堵したが、その機動がまったく変わらない速度で続行されている事に気付いて、大きさを考慮しても本来的に相手の機能が違う事をすぐに理解した。

 

『ッ―――』

 

『ブラド様!?』

 

 咄嗟に前に出た彼がまだ雷を放つ片手で相手の竜骨剣を受ける。

 

『グッッ、構うな!! 直ちに引け!! 我が軍に後退命令!! アルマーニアの首都から一時退却!! 後にこの地点にグラングラの大槍を射出せよ!!』

 

『な!? くッッ!!? 後退!!? 後退だ!!?』

 

 動揺しながらもすぐに兵達が命令に従って、最高指揮官を置いて下がるという軍にあるまじき状況にも対応して見せた。

 

 莫大な電流を流されているはずの小さな人型の敵。

 

 だが、ブラドヘイムの片腕のパーツには既に罅が入っている。

 

「良い判断だ。敵ながら、良将に恵まれた兵達も申し分ない練度。名前を聞こう」

 

『くくく、この歳になって、名前を聞かれる事になるとは……何処の戦士かは知らぬが、このブラドヘイムの名を刻め。貴様のような使徒染みたのがまだいるとはな』

 

『……その雷は我が装甲を通らず』

 

 騒めきながらも後退していく部隊の音を聞きながら、怖ろしき敵の能力をまともに感じたブラドヘイムが押し返された膂力。

 

 いや、今の自分の巨大さすらもものともしない膂力に目を見張る。

 

 ガッと人が使う程度の長さしかない竜骨剣がブラドヘイムの腕を押し切って、後方の壁へと弾き飛ばした。

 

『雷が通らずともやり用はあるとも!!』

 

 鋼の竜が咆哮する。

 

 その巨大な振動兵器による超振動波が水を完全に蒸発させ、同時に雷撃が停止した機体が赤熱化していく。

 

『これならどうだ?』

 

 速攻。

 

 猛烈な蒸気の最中。

 

 赤熱化した機体が肉弾戦を仕掛ける。

 

 そこでようやく彼は何かが機体の周囲で焼けるのを目にした。

 

(糸? 糸だと!? コイツは!!?)

 

「最適解だ。素晴らしい。我が蟲畜の生にて初めての強敵。我が主の壁となるだろう貴様は此処で落とす事にしよう」

 

 ブラドヘイムの拳と脚を織り交ぜたラッシュが蒸気の先にも見える相手を捉えた。

 

 しかし、その拳を人間大の拳と脚が相殺する。

 

 威力すらもだ。

 

 だが、相手の衣服すら焦がせない事に驚くよりも先にブラドヘイムが気付く。

 

(直接殴っていない!? 何を纏っている!? そうか!? やはり―――)

 

 瞬時に自分と押し負けない出力を可能にする人間大の生物というものに彼が相手を人外とすら認めない事を決める。

 

 相手が蒸気の中に何かを放った途端。

 

 蒸気がザアッとソレに吸い込まれるように晴れて行く。

 

 赤熱化した機体を後方に下げた彼の前で虚空に立つのはもう人では無かった。

 

「やはりか!? ウルガンダは滅んでいないのだな!? この化け物めが!? アルマーニアを取り込んだか!?」

 

『我が母は不滅。我が父は無双。我が故郷は黒き森……』

 

 虚空に佇む金色の蜘蛛が目を怪しく赤光に煌めかせる。

 

『燃やし尽くす!! 我が力にて糸など無力と知れ!!』

 

 ブラドヘイムの全身から巨大な熱量が放射され、瞬時に周囲から水分を奪い取り、蒸発させ、何もかもを発火させていく。

 

『それしかないだろう。だが―――』

 

 焼け始めた黄金の蜘蛛は口を開くと同時に全身から猛烈な熱量で全てを燃やし尽くそうとする相手に向けて半透明な瓶を相手に向けて次々360℃展開していく。

 

『これは?!!』

 

『蟲が火を使えぬとでも?』

 

『―――!!?』

 

『【ウィシダの炎瓶】【イゼクスの息吹】……魔力全投入。放射開始』

 

 ゴッと黄金の光が口から吐き出され、巨大な紅蓮が猛烈な速度で相手に注がれる。

 

『ぐぁああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?』

 

 自分から熱量を放っていたとはいえ。

 

 それにも限度がある。

 

 装甲は赤熱化し始めていたが、それよりも先に燃え尽きるのは―――。

 

『ッッッ』

 

 ドッと跳躍して、熱量の檻から逃げた鋼竜が内部から熱量を排出しながらも歪んだ全身で咆哮する。

 

『ぐ、ぐぅ……緊急冷却』

 

 呪紋が装甲内部から奔り、急激に温度が下がった装甲が幾つか罅割れて崩落しながらも、ブラドヘイムが何とか死の危険から離脱した。

 

『それを待っていた』

 

『ッ、糸で絡め取られる程甘くは無いぞ!?』

 

 瞬時に上空へと逃れたブラドヘイム。

 

 敵は追撃の翼を持たない。

 

 と、考えたのならば、それは正しくなかった。

 

 しかし、常識に照らせば、それは実際問題として最適解ではあっただろう。

 

『糸は雷を流し、機構を弄り、威力を流した。だが、使い道はそれだけではないとも』

 

 未だ普通の人間ならば、燃え上がるだろう熱量がある縦穴の上空へと壁を登った黄金の蜘蛛が糸を口から吐き出した途端、巣が瞬時に縦穴を覆う程に形成される。

 

『呪霊属性変異呪紋【魂の変容】……霊力置換による物性制御開始』

 

『ッッ』

 

 黄金の蜘蛛が煌めいたかと思われた刹那。

 

 巣が撓んだ。

 

 同時に黄金の弾丸と化して、蜘蛛が一直線に上空へと飛翔する。

 

 その装甲は煌めきを宿していた。

 

『当たるかぁあ!!?』

 

 瞬時に虚空で回避した鋼竜が横薙ぎの尻尾で相手を殴打しようとするも擦り抜けて、瞬時に上を見上げた時には竜骨の剣を持った外套姿の相手が自分の頭部に頭上から剣を振り下ろしていた。

 

 その剣の刃先は煌めきを宿しており、単なる竜骨でもなく。

 

 魔力で輝いているわけでもない事が分かる。

 

 ガリガリガリガリッ。

 

 そんな歪な音を立てて刃毀れしながらも竜頭から胸元までが刃で両断された。

 

 相手が辛うじて胴体部を横に逸らして、内部に乗る者への直撃を避ける。

 

『この装甲……やはり、一般兵と同じものではない。これほどに劣化して尚、竜骨を折る』

 

『ガフッ?!!』

 

 胴体内部で左側の鎖骨から下腹部まで割られ、吐血した人の姿に竜角を持つ白髪の老人が四肢を接続部から焼け爛れさせながらも呪紋を連続で稼働し、肉体の修復に努め。

 

 相手を薙ぎ払うように片手で押し退け、墜落する。

 

 まだ熱が残る穴底。

 

 共に落ちて来た少年とも少女とも付かない容姿の金髪の相手を見やりながら、瞬時に蜘蛛と人の姿を行き来させた事を確認し、目が細められる。

 

「魂魄の変質。霊力による物質の従属化……それは、その技法は失われたグリモッドのものだぞ……ぐ……」

 

 胴体部の隙間から見える相手を老人が睨み付ける。

 

「お前には価値がある。もはや自死も出来ぬはずだ。連れて行かせて貰う。その人形と共に……」

 

「くくく、先程のを聞いていなかったのか? 此処はもうすぐ消滅する。貴様諸共な!!」

 

 その時、アルマーニアの都の後方から猛烈な魔力の気配を感じたフレイは瞬時に鋼竜を糸を束ねたモノで関節部から解体し、一部を木製の大扉内部に高速で投げ込み始めた。

 

「無駄だ。この都市の6分の1が消し飛ぶ威力。今から逃げたところで巻き込まれて崩落する」

 

「……良き将だった。貴様の事は記録しておく事にしよう」

 

 巨大だった敵を解体し、死に掛けの老人の四肢を切断して糸でグルグル巻きにしたフレイがすぐに木戸の内部に押し込めた残骸に手を触れて、溶かすかのように輝かせてドロドロの流体にしていく。

 

「行くぞ……」

 

 蜘蛛はその流体に包まれながら、最速で洞窟内部を進み。荷物と共に移動していた途中の馬車から馬とアルマーニア達を一緒に取り込んで相手が窒息するギリギリまで高速で流体を操作し、洞窟の奥へと逃げ込んでいく。

 

 だが、いきなり猛烈な熱量が襲い掛かり、次々に壁そのものすらも蒸発していく領域が背後に迫る。

 

(魔力量が心許ない。霊力の魔力化も限界か)

 

 フレイは熱量が伝導せぬように流体の後方を真空の空洞化させた物質で覆いながら肉体を酷使して、光に呑み込まれたのだった。



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第44話「フェクラールの豪傑Ⅱ」

 

―――フェクラール北端アルマーニアの野営地。

 

「馬鹿な!!? アレはヴァルハイルの大人形ではないか!?」

 

「あの大鎧が何故此処に!? まさか、此処にも奴らの手が!?」

 

 朝から北部の者達が山岳部から降りて来たアルマーニアの街区では驚愕の声が上がっていた。

 

 大量の大鎧が破損していたり、無傷で転がされている光景が見えれば、北部の者ならば、そうもなるだろう。

 

「これはまた。此処に来てもどうやら我らに安息の日は来ないらしい。いや、新たな神と使徒がいれば、それも可能か? 問題は……」

 

 複数人の護衛の中心にいるフードを被った男が少し遠方に見える薄らと白い竜骨と透明な糸で編まれた黒蜘蛛の巣を見やる。

 

「ウルガンダが死んだと聞いていたが、どうなっているやら」

 

「ヘクトラス!!」

 

「おぉ、我が親友殿。どうやら生きていたようだな」

 

 フードを剥いだ多眼の男が角獣の青年が道の先からやってくるのを確認して、近寄っていく。

 

「アルクリッド殿も存命か。どうやら、貴殿らにはまだ運があるようだ。あの乱暴者はどうした? まだ戦っているのではないのか? それともウルガンダとの戦争で死んだか?」

 

 イーレイが目を細めて、自分に友好的な笑みを浮かべる男に渋い顔を造る。

 

「お前はいつもそうなのだな。だが、生憎と我らが倒したわけでもない。まずは一端落ち着ける場所に行こうか」

 

 イーレイの後ろではアルクリッドが一礼し、先導する。

 

「それにしても……この短期間で此処まで街を造るか。どうやら、我らが知らない事が多そうだな。あの氏族達と働く蜘蛛達やその化身のような連中も含めて」

 

 街区で今も働くスピィリア達を見て、ヘクトラスが僅かに瞳を細めた。

 

 そうして、彼らがやって来たのは酒場だった。

 

 食料と共にスピィリア達が魔力を得る為の竜骨の再生薬となる原液を薄めて発酵させたソレは現在、アルマーニア達に火力が殆ど出ない調整で酒のように振舞われ、発酵していないものは女子供のおやつの一つとして供されている。

 

 すぐに酒場を預かる者達が一番奥の席を開けて、料理と酒を持って来る。

 

「あむ。この味……アルマーニアの食事にしては質素だが、まだ良いものが食えているようだ」

 

「酒も飲むといい。生憎とアルマーニアのものではないがな」

 

「ほう?」

 

 ヘクトラスが酒へ僅かに口を付けた。

 

 周囲の者は一瞬止めようとしたが、当人は意に介さず。

 

 僅か口に含んでから少し以外そうな顔になってから飲み干した。

 

「美味い。味は知っていたが、意外だな。此処では爆華が取れるのか?」

 

 僅かにヘクトラスの周囲の者達がざわめき。

 

 出された杯を軽く呷る。

 

「此処では採れない」

 

「ほうほう? で、いつもお前の後ろを付いて歩いている可愛らしい未来の我が妻は何処かな?」

 

「此処にはいない」

 

「ふむ? あの乱暴者に当主の座と引き換えに渡しでもしたのか?」

 

 その言葉でさすがにアルクリッドが僅か眉を寄せた。

 

「アルクリッド」

 

「………」

 

「おっと済まない。これは失礼な物言いだったな。で、本当に何処にいる? 神となったのだろう?」

 

「ヘクトラス。お前は自分の考える道筋が必ずその通りだと考える気がある。それは今後戒めておけ。それと我が妹は嫁に行った。此処にはいない」

 

「ははは、結局何処の氏族にやったんだ?」

 

「ニアステラだ」

 

 そこでようやくヘクトラスの笑みが消える。

 

「ニアステラ? まさか、流刑者にでもやったと言うのか?」

 

「お前はまだ知らない。彼らの恐ろしさを……そして、お前にも教えておこうか」

 

 イーレイが何の感情や打算もなく。

 

 目の前の軽薄を装う男に最初で最後の忠告をした。

 

「ニアステラの英雄殿を怒らせるなよ。もし、そうなれば、我らはお前を敵に回しても戦うだろう」

 

「ニアステラの、英雄?」

 

 僅かにヘクトラスの眉が上がる。

 

「話はお終いだ。詳しいところはお前の影共に訊くといい。お前達交渉団の歓迎を兼ねて神前武闘会を開く手筈に為っている。参加枠だけは用意してやる。必ず見ておけ……行くぞ。アルクリッド」

 

「ハッ」

 

 2人の青年が嘗て自分が知っている者達とは何か違う事にこの時点で彼ヘクトラスは気付いていたが、ソレが何故なのか分からず。

 

 言われた通り、彼の元へと集まってくる部下の話を誰もいなくなっている酒場で聞く事にした。

 

 それはあまりにも思っていたのとは違う。

 

 アルマーニア側の事情に違いなかった。

 

 *

 

「ふむ……」

 

 交渉団に用意された宿屋の最中。

 

 数名の護衛を横にヘクトラスは街並みを見ながら思案に耽っていた。

 

(アルマーニアと急速に力を付けた流刑者達がいるニアステラの出会い。進出予定地へのあの乱暴者の進撃と死亡。反乱に対して交渉中のアルマーニアに譲歩する形で神を降ろさぬと決めて、あの子を嫁に……)

 

 宿屋の先には造営中の街区のあちこちに急速な整備が施されている様子が見て取れていた。

 

 殆どの作業員はスピィリアと呼ばれる蜘蛛達であり、彼ら【奇眼族ヴァロリア】からすれば、呪霊の一種に見える。

 

(ウルガンダを倒したアルマーニアの英雄。遠征隊の隊長はあの乱暴者やヤツの配下の首を一太刀で落とすツワモノ。神としない契約として嫁がせたのも策としては悪く無い。が、ヤツが畏れたのはそれだけか?)

 

 あらゆる存在を蜘蛛にするウルガンダの能力は有名だ。

 

 ウルガンダを退けた者がソレを得たというのも納得は出来る。

 

 それを用いて、膨大な亡霊を蜘蛛にして使役するというのも納得は可能だ。

 

 しかし、ヘクトラスにはそれだけでイーレイがあんな忠告をするとは思えなかった。

 

「考えても分からんか。取り敢えず、フェクラールを少し訪ね歩くとしよう。その前に我らの為の催しでも見ようか」

 

 部下達が彼が立ち上がったのを見て付いて行く。

 

 時間は交渉が始まる夕方までまだあった。

 

『オイ!! どうやら今日はニアステラの遠征隊が出るらしいぞ!?』

 

『お、本当か? オレは見た事無いんだが、本当にあの操獣の蜥蜴共を数百匹一人で焼いたり、ユレンハーバの英雄を一太刀とか、当主が盛ってるんじゃねぇか?』

 

『はは、見りゃ分かる。分かるさ。オレはあの時、あの炎の後ろにいたんだ。あの人らの凄さは見なきゃ分からねぇよ』

 

『知ってるか。おめぇら!? 遠征隊に付いて行った姫様と御付きの連中も戻って来てるってよ!!』

 

『お、本当か?』

 

『あ、ああ、今、引き上げて来る殿共に見せられないのが残念だな。ウチからは神の使徒の氏族が出るらしい』

 

『おい。大丈夫か? 未だに神降ろしをしろってやつらだろ? 問題起こさなきゃいいが……』

 

 ざわめく聴衆の後ろから歩き出したヘクトラスはそんな声を聴きながら、何が出て来るのかと笑みを深め。

 

 この数日で急造されたという特設の舞台を見る観覧席の最上段へと向かう。

 

 複数の種族からなる交渉団はまだこの時何を見せられるものか知らなかった。

 

 そして、少なからずこの舞台が今後の交渉と政治の為に仕組まれたものであると途中に気付くのは一人の王だけであった。

 

 *

 

「我はオーゴの氏族!! 嘗て神の使徒に選ばれし、英雄の子孫!! ギュレト・オーゴである!! いざ、尋常に勝負!!?」

 

 神前武闘。

 

 元々は神に奉納する為のものを交渉団に見せるという意気込みで嘗て神の傍に使えた使徒達を輩出した氏族の戦士達が次々に出て来ていた。

 

 本来はトーナメント方式であるが、今後にニアステラとの友好を踏まえてという建前で呼ばれた遠征隊の面々は神の復活を目論む氏族派閥と相対する事になり、それを理解していたヒオネだけがジト目で観覧席の兄を見ていた。

 

「お兄様ったら、まったく」

 

 そう戦手の控えの席に座っていた彼女が零すとまぁまぁ御当主も大変なんですよ。おねーさん的にもこれはしょうがないと思えますみたいな顔のミーチェが宥めて、座るガシンの横にはベッタリと張り付くようにしてアラミヤが胸元を押し付けながら、酒のジョッキを呷っていた。

 

「あのなぁ? お前、仮にも故郷の連中見てる前でソレなのか?」

 

「イイじゃない。見せ付けてやれば、ほ~ら、旦那様~~」

 

 胸元で思い切り顔を横から押されたガシンを『あ、あいつ、何て羨ましい!?』という顔で見ている男は三割以上いるだろう。

 

「まったく、ガシンさんはもう……」

 

 近頃は見慣れたとはいえ。

 

 それでもやっぱり奔放なアラミヤの様子に溜息を吐いた先鋒をくじで引いてしまったフィーゼがジト目になる。

 

「女子供とて容赦せん!! 泣きを見る前に参ったと言うのだなぁ!!」

 

 一足で巨大な円形の石舞台を跳んだ角持ちの戦士が剣でいつもの装備を来ているフィーゼに打ち掛かる。

 

 だが、フィーゼにそんな剣を受け止める技術は無く。

 

(殺った!!)

 

 死なない程度に手加減してやろうと考えていた戦士は猛烈な横薙ぎで剣を叩き折られる寸前まで威力を受けて弾き飛ばされ、舞台の上から真っすぐ背後の3重になっていた木製の壁に激突して気を失った。

 

「精霊さんも何か近頃、扱うのが難しくなってるような気がするんですよね。これが精霊が強くなって暴走するって事なんでしょうか?」

 

 首を傾げて、自分を自動で護ってくれた精霊が扱う巨大な剣を嫋やかな手がよしよしと撫でると、再び剣が一人手に鞘へと収まる。

 

『け、決着ぅぅうううう!!! 勝者!! 遠征隊の射手フィーゼ!!』

 

 思わず盛り上がるアルマーニア達。

 

 だが、その半数はあまりの事に呆然としていた。

 

 彼らの半数……つまり、神の復活を支持する者達からすれば、あんな重武装で鈍重そうな得物や装備を着込む少女が神の使徒を輩出した家系に勝てるわけが無かったのである。

 

『えぇ~~審判者のメオウです』

 

 レフェリー的な立ち位置の50代のボサボサ髪なアルマーニアが戦闘がよく分からなかった層に向けて風属性の呪紋で声を届けて解説を始める。

 

『フィーゼ殿はアルマーニアでも希少である精霊使いであり、多数の精霊を使役する熟練の術師でもあります。精霊達は知る通り、様々な事を手伝ってくれますが、フィーゼ殿の装備は精霊達が保持し、同時に彼女を護る為に万全の状態で待ち構えていたわけです』

 

 その言葉に精霊の力だったのかと頷く者が多数。

 

 アルマーニアは殆どの者が術師になれる素養がある、

 

 その為、呪紋で戦う者を卑怯者と呼ぶ事は無いが、それにしても精霊が見える者は多くないし、一瞬の事で何が起こったのか分からない者もまた多かった。

 

『では、続きまして第二試合を始めます。両者前へ!!』

 

「どうやらオーゴの氏族は不覚を取ったようだが、我らハルマスは違う!! オレはハルマスの氏族の子!! 戦士ルイカラ!! 名を刻むがいい!!」

 

 次に出て来たのはレザリアであった。

 

 いつもの装備は盾を二つであるが、今回は一つで臨んでいる。

 

 理由は単純に相手を過剰に殴らない為であった。

 

「では、初め!!」

 

 舞台の中央に立った時、メオウが開始を告げる。

 

「くくく、女子供でも油断などせぬ!! 盾一つに軽装の鎧である事を後悔するがいい!! 我が呪紋!! 我が能力!! おぉ、雷属性攻囲呪紋【離雷刺】」

 

 無詠唱で瞬時に呪紋を構築した男が剣を天に掲げた途端、レザリアの上空から雷撃が直撃した。

 

『き、決まったかぁ!!?』

 

 メオウが叫ぶがすぐにレザリアが盾を頭上に構えていた事を確認する。

 

『おっとぉ!? 呪紋が防がれている!? ルイカラはどうする!!?』

 

「ふ、呪紋一つを防いだくらいで良い気になるなよ!? オレの呪紋はまだ3つある!! 全ての呪紋に耐え切れる者などアルマーニアにもいない!!?」

 

 こうして呪紋をまた無詠唱で瞬時に唱えて連撃にした彼は……その全ての呪紋が盾で受け切られたのを確認して驚愕に固まり、『もういいのかな?』という顔になったレザリアが一足で間合いを詰めた。

 

『こ、このぉ!!?』

 

 剣で迎撃した相手が盾のシールドバッシュに刃を折られ、軽く突かれた途端。

 

 全ての木製の柵を叩き折って数百m程場外を転がって気絶した。

 

 彼女が全部呪紋を受けていた理由は単純であった。

 

 おめでたい席で盛り上げる為、友好の為と銘打たれていたので勝てそうな相手にもちょっと苦戦してみせる的な事が必要かと思ったからだ。

 

「あ、もうちょっと弱い方が良かったかな……」

 

 勿論、そんな器用な事が出来ないレザリアは単に受けて殴り返すだけになったわけだが、それでも蟲系人外という北部には表向き存在しないカテゴリの少女があまりの膂力を出している事に度肝を抜かれた観客は再び盛り上がり、その半数は神の使徒を輩出した氏族達の不甲斐なさにプルプルと震え始めたのだった。

 

(決して最初の男も術師の男も悪く無かった。北部の戦場なら、幾らでも欲しい人材だ。だが、何だ? この強さは……精霊使いは幾らも知っている。だが、アレは……)

 

 観覧席からずっと見ていたヘクトラスはフィーゼの周囲に見える三体の精霊に尋常ならざるものを感じて目を逸らす。

 

 少なからず、その階梯の精霊を直視しては目に良くない事を彼は知っていた。

 

 精霊というのは言わば、妖精になる前段階。

 

 天然自然の中にいる暴威の欠片なのだ。

 

 それが属性を備えている事も稀有なのにソレを数体も従えて、しかも……恐らくは貸し出しているというのが彼にも分かった。

 

 他の者達にも貸し出されている精霊らしき存在が何もせずに主の体内に融けて消えているのを見れば、精霊が馴染んでいる事も確定的。

 

 少なからず呪紋も無詠唱で使えるだろう。

 

(それにあの少女。蟲の人外……王群の関係か? あの膂力もそうだが、膂力に耐えられる装備も……異常だ。全て今は手に入らないはずの竜骨となれば、何処から手に入れた?)

 

 ヘクトラスが考え込んでいる間にも次の試合がやってくる。

 

「オーゴ、ハルマスの名を継いで不甲斐ない!! フン……油断しているからそうなる。我は使徒ウルグの子、リーオン!! 使徒たる父から継いだ我が戦技!! 叩き込んでやろう!! ニアステラの小僧!!」

 

 次の相手は60代の男。

 

 相対するのはガシンだった。

 

「おうおう。叩き込んでくれ。これでも近頃負け越しなんだ。勝たせてもらうぜ? じいさん」

 

「はは、良く言った!! 死ぬなよ!!」

 

 男が戦闘前に変異呪紋を唱えたか。

 

 肉体が三倍近く膨れ上がり、同時に鎧の類が消えた上半身で構えを取る。

 

「お? 知ってるぜ!! ソレ!! アレだろアレ!! 半歩の構えってヤツだ!!」

 

「知っているのか? 腕の多い小僧」

 

「昔、クソみたいなジジイ共が使ってたぜ? 相手の目測を誤らせて、打撃を打ち込む歩き拳法の初歩とか言うヤツだ。でもよぉ」

 

 まだ構えを取らない若輩へ先達たる男が先制で腹部へと打撃を打ち込む。

 

 本来ならば、肉体が瞬時に内部から弾け散る威力。

 

 しかし、それは紙一重で回避されており。

 

「ッ」

 

 伸び切った腕を取ったガシンが振り解こうとする腕を自らの腕の力で折った。

 

 メギョッという音と共に腕が破壊される。

 

「ちぃ!?」

 

「貰ったぜ?」

 

 同時に振り解かれたガシンが中に放られた。

 

「トドメだ!!」

 

 上空では回避しようがない。

 

 そちらに片腕を真っすぐに突き出したリーオン老が青年の顔面を殴り抜く寸前、ガッと踵で拳を受けられ、同時に更に高みへと舞い上がったガシンが腰を捩じるようにして回転。

 

 威力を自信の体全体のバネで受け流し、虚空で拳を繰り出した。

 

「!!?」

 

 ゴッと音がする。

 

 それは青年の手から伸びた霊体の腕。

 

 緋色のソレが男の顎を撃ち抜いた途端。

 

 そのまま振り抜かれた拳に頭を揺らされ、脳震盪を受けた相手の体がそのまま背後に倒れ込む。

 

「悪りぃな。じいさん。腕が多くってよ。でも、呪紋有りなんだろ?」

 

 ガシンが着地して何でも無さそうに手を払って、レザリア達の方に拳を上げて勝ちをアピールした。

 

「戦技は大事だよな。アンタの拳の威力、当たってたら死ぬわ。だが、命掛けてまで戦技や基本だけじゃ負けるぜ?」

 

「忠実たる基礎あってこその威力だ」

 

「基礎の次は応用と型を崩すって習わなかったか?」

 

「………フン。若造が、死を恐れる精神修養がなっとらんわ。いや、若者に型ばかりさせて、本来の生き残る為なら何でもすべきという心を教えて来なかった我が身の不覚か」

 

 『ご老人の腕を折るとか』というジト目のレザリアとフィーゼ。

 

 それ以外の女性陣はパチパチと拍手していた。

 

『き、決まったぁああ!!? おっと、リーオン老が自らふら付きながらも退場していきます!! あの一撃で敗北を認めたという事でしょうか!?』

 

 体がすっかり縮んだ男が舞台から降りて行く。

 

『弟子達の手も払った!!? 女性には護身術、戦士達に最も初めに習わせる格闘の練達者である方が遠征隊の切込み役、ガシン・タラテントを認めたという事でしょう!!』

 

 続けて三人が敗北。

 

 その状況に神格復権を掲げる派閥の者達が大きく揺らいでいた。

 

 話には聞いていたのだ。

 

 遠征隊は強いと。

 

『今のは地の利を完全にリーオン殿から奪い。上空という距離からの一方的な一撃をガシン殿は行いました。彼は霊体を使う拳闘士であり、その拳は見えるだけの腕よりも多いのです!!』

 

 メオウが説明に入る。

 

 実際、それは正しい。

 

 老人が熟練とすぐに気付いたガシンは自分と同じタイプの相手にまともに戦う事を避けて、相手が迎撃するには遠過ぎる距離から一方的に殴るという選択をした事で距離を制したのだ。

 

『ほ、本当にあのリーオン殿に勝っちまいやがった!?』

 

『あのリーオン老が敗北を自ら認めるとは……』

 

 ざわめく観衆達は蜘蛛達の働きの影に隠れた遠征隊の威力というものをちゃんと理解している者は少数だった事でやはり驚きに包まれている。

 

 一部の者しか知らないガシンや少年の強さは噂の域を出なかったが、伝えられた情報が事実であるという認識が次々に伝播していた。

 

 野外で操獣の瞳を用いて覗いたり、現場の視覚を共有する呪紋で多くが彼ら遠征隊の真実を知ったのである。

 

 この情報が白日の元に晒されると同時に当主のやって来たに不満があった層も……今までの決断は英断だったのではという空気が流れ始める。

 

『おっと、此処で一つお知らせがあります。当主より、遠征隊の他の者達は元アルマーニアである事や種族が違う為に親善試合には相応しくないという理由で残る全ての参加者を隊長自らが一人で相手したいとの話をされていて、これを承認したそうです』

 

 それがもしも三人が戦う前の話ならば、ふざけるなと暴動が起きていたかもしれない。

 

 しかし、何処からかやってきた少年が舞台の上に上がって、残っているアルマーニア達に手をクイクイと挑発的にこっちに来い的なジェスチャーをすると他の参加者が切れた様子で次々に数名が舞台に上がっていく。

 

『アルマーニアを舐めるなぁ!! 遠征隊だか何だか知らぬが、ユレンハーバの無念!! 此処で晴らしてくれるわ!!?』

 

『貴様の如き若造が姫様を娶るだと!? 此処で刃の錆びとなれば、目も覚めるだろう!? あの馬鹿当主も!!?』

 

 頭に血が上った残りの参加者達が罵詈雑言を吐く。

 

 この様子に観覧席の当主は苦笑するしかなく。

 

「言われているぞ? いいのか?」

 

「事実だからな。だから、連中も事実でしか目を覚まさない」

 

 アルクリッドにイーレイはそう言って、事の成り行きを見守るのだった。

 

『お、おぉっと!? 開始の宣言をするまでは下がって!?』

 

 メオウが言う合間にも残りの十把一絡げ達が舞台に上がった。

 

 彼らの目には殺気が漲っており、ハンマーやら鎖やら鞭やら射撃用の弩を持ち出す者もいて、一斉に今にも攻撃し始めそうな勢い。

 

 すぐメオウが現場から逃げるようにして開始の宣言をする。

 

 少年が構えも取らず。

 

 立ったまま待っている様子にブチ切れた戦士達が弩と呪紋で攻撃を仕掛ける。

 

 ある者は先程と同じような雷。

 

 ある者は氷の礫。

 

 ある者は風の槍。

 

 どれも殺傷能力はしっかりあるものばかりだ。

 

 少年にバカスカと火力が撃ち込まれ爆砕した石畳の削れた煙の中に消えて行く。

 

 そうして、一通り10秒程も打ち込んだ後。

 

 男達の一人が呪紋で風を起こした。

 

「………」

 

 少年は平然とやはり構えも取らずに黙って攻撃を受けており、鼻や目、耳を穿とうと迫った矢にもまるで防御していない。

 

 しかし、呪紋や矢が当たる瞬間を優秀なアルマーニアの身体機能の一つである視力はちゃんと映していた。

 

「魔力量が違い過ぎる……」

 

 観覧席でヘクトラスが呟く。

 

 少年は特別な防御方法を使っているのではない。

 

 単純に自分の肉体の内側から溢れ出す魔力を肉体に留めているだけだ。

 

 ソレが物理事象として出力された攻撃に際し、被膜のように威力を減殺していた。

 

 まるで氷に石を落とすが如く。

 

 その魔力の圧力だけで物理的な攻撃が弾かれているのだ。

 

 初めてそんな事象を見たアルマーニア達が呆然として少年の一挙手一投足を見る。

 

「終わり?」

 

 少年の言葉に激怒していた者達が一瞬我を忘れながらも、長年の戦闘経験からすぐに近接戦へ切り替えた。

 

 幾ら魔力の圧が高いと言っても呪紋の相殺は呪紋そのものの魔力が相手の圧に負けて、相手に直撃する寸前まで魔力が威力に変換されている事から威力が半減しているというのが解ったからだ。

 

 弩にしても単なる魔力の層を貫けないのは純粋に遠距離用の攻撃の威力が足りないからであり、近距離用の刃に呪紋を載せれば、相手の防御は削れるという瞬時の判断はまったく間違っていない。

 

『突撃ぃ!! 全員による総攻撃だぁ!!? これをニアステラの英雄は凌げるかぁ!?』

 

 突撃していく彼らがどうなるのか。

 

 見なくても分かるのはアルマーニアだけではなく。

 

 全ての者達が同じだった。

 

 期待を裏切らない裏打ちされた強さが少年と男達の結末を如実に表す。

 

(まぁ、そうなるだろうな。あの階梯相手に近距離戦自体無謀だ。自らの威力に奢る程度の強者では……)

 

 ヘクトラスが退屈な時間だと言わんばかりにアルマーニアの男達を見やる。

 

 最初に剣で斬り掛かった男が呪紋で刃を強化して袈裟斬りにした。

 

 しかし、その横にいつの間にか立っている少年の裏拳が胸元をノックした途端、吹き飛んでいく。

 

 先程のレザリアよりも飛距離が出て野営地の端まで地面に削られて止まる。

 

「な!? か、掛かれぇ!! この人数なら幾ら速くと―――ガフッ?!!」

 

 他の者達も同様に少年が更に軽く裏拳や指先で弾いて手加減した攻撃を行うと血反吐を吐いて倒れ伏した。

 

「こ、こいつ!? 何故こうも早―――ゲウゥゥ?!!」

 

 そもそもの戦闘速度が違う。

 

 敏捷性がアルマーニアの目にも辛うじて見える程度に早い。

 

 ついでのように防具が殆ど意味を為さない。

 

 打撃というにはあまりにも高威力なソレを見て、席に戻っていたリーオンが面白いものを見たと言わんばかりの顔になる。

 

 その片腕はもうすっかり自己治癒用の呪紋が掛かっている為か。

 

 翠色の魔力に染まって治っていた。

 

「打撃の遠当てや浸潤と同じ理屈か? 魔力を衝撃に転化するだけの呪紋ですらない技術でコレか。道理で触れていないわけだ」

 

 逃げ出していたメオウがすぐにその傍に寄って来る。

 

『ど、どういう事でしょうか!? リーオン殿』

 

「あやつは戦ってすらいない。アレらは護身術の類だ。我らはあやつに戦いを挑む階梯に無い。相手の急所を外して戦闘不能にする為だけに魔力を少し衝撃にして、相手の武具や肉体に流し込んでいる……あしらわれているという事だ」

 

『あ、あしらう? あの猛者達をですか!?』

 

 周囲がその解説の声にどよめく。

 

「技というよりは魔力があれば誰でも出来る事をやっているに過ぎない」

 

『いやいやいや!? 出来ませんよ!?』

 

 さすがに同じツッコミは何処のアルマーニアの内心でも起こる。

 

「何故出来ない?」

 

『そ、それは、難しいでしょう? 魔力を衝撃に転化する事はよくある事でしょうが、それを相手にどうやって触れずに流し込んでいるのですか!?』

 

「簡単だ。相手の纏う空気を衝撃で振動させ、相手の肉体を共振させ、震わせている。まぁ、我らとて60年修行すれば、指先でも出来るだろう」

 

『ろく、えぇぇ……』

 

『まぁ、相手の形、血肉や骨を崩す振動の幅を知らねば出来ぬ事だろうがな。いや、それ以前にその魔力の衝撃転化を指先だけでやる事が難事か……』

 

 思わずメオウが『そんなの……』という顔になる。

 

 多くのアルマーニア達も同じだった。

 

 そんなの出来る訳がない。

 

『ちなみに我が肉体でも恐らく死ぬまでには出来る程度の話だ。殆ど訓練する意味は無いがな』

 

 六十年訓練するより、呪紋一つで出来る事をさせようというのが普通だ。

 

『どうやったら、有限の肉体と命であのような手品を極限まで極められるものか……才能だけではまったく足りんぞ』

 

「そ、そうなのですか?」

 

『あの階梯に達するのは……魔力の質や量、圧も関係する以上、不死者くらいだろう。使おうとして使えるようになる者というのは……それでも何百年掛かるか。普通、あのような仔細な制御というのは魔力を持たぬ者にしか出来ぬのだ。最初から強大な力のある者には必要の無い技能でもある』

 

―――3973628232日前『魔力が殆ど無くても足しになる技をお教えしましょう』

 

 少年の脳裏でリケイの笑みがフラッシュバックした。

 

 それを振り払うようにして最後の相手を無力化し、吐血した相手の顔にポーチから取り出した霊薬が垂らされる。

 

 すると、すぐ男達は目を覚ました様子となった。

 

 しかし、其処で会場全体に声が掛かる。

 

『全ての氏族に告げる。これがニアステラの力だ。我らの今の生活を支え、ヴァルハイルを打ち払い、あの大鎧すらも鹵獲した。あの天に聳える黒蜘蛛の巣とて、ニアステラには無数にあるという。当主として彼らと交渉し、協力関係を築き、友誼を結んだ事は正しかったと今でも思っている』

 

 いつの間にか舞台端にいたイーレイが声を伝播させる呪紋で野営地中に大規模な演説を打っていた。

 

『我が妹からも遠征隊の隊長であるアルティエ殿には良く鍛えられ、同時に多くの事を学んだと。尊敬出来る人間だと聞いている』

 

 今まで見ていたヒオネが立ち上がり、観客達に頷くように一礼する。

 

『今必要なのは不確かな力や伝承、誰かを犠牲にして力を得た気になる事ではない。ウルテス神は我らよりもヒトは下と言ったか? 蜘蛛は下であると言っていたか?』

 

 多くのアルマーニア達がその声に何処か苦い気持ちを抱いた。

 

 蜘蛛達を下に見てはいなかったか。

 

 単なる労働力として便利に使っていなかったか。

 

 それこそ化け物だと未だに揶揄している者達とている。

 

 だが、実際には彼らは養われている方であり、感謝こそすれ、ニアステラへ対抗する理由など合理的に考えれば何一つありはしない。

 

『導きは我らの心の中にある。教えは命を決して無駄にせず。生き抜く為のもの……それは共に在るという事だ』

 

 イーレイがそう事実を告げる。

 

『このフェクラールの地を治めているのは我らではない。共に歩むというのは己が常に上になるという事でもない。この事を我が同胞達には心へ刻んで貰いたい』

 

 厳然としたアルマーニアの厳しい現実を前にして、彼らはようやく夢から覚めるかのように自らが拘っていた多くのモノが現実にそぐわない事を自覚していた。

 

『真なる友誼とは上下の関係を超えて、共に在れるという事なのだ。我らは差し出された手に唾を吐く卑怯者ではないと。そう当主として信ずる』

 

 その演説に僅かな沈黙。

 

 しかし、拍手が鳴らされる。

 

 それは観覧席にいたヘクトラスのものだった。

 

 その拍手に続いて次々に拍手の波が会場に広がっていく。

 

 負けた者達を筆頭に神の力で復権を思い描いていた者達の多くが拍手せざるを得ない同調圧力に屈し、最後には仕方なく渋々ながらも当主への拍手だと割り切って手を叩き始める。

 

「良い演説でしたよ」

 

 アルクリッドがこれでしばらくは神を蘇らせようという輩も大人しくなるかと思った時だった。

 

 不意に空が陰り、少年が魔力で周囲を薙ぎ払って舞台から全員を落としながら、背後のヴァルハイルの大人形用のものを改造した刃を手に何かを受け止め―――舞台が直後にクレーターと化して30m以上沈み込んだ。

 

 その激震に舞台が煙となる程に爆砕され、周囲の観客席が倒壊するが、周辺で治安維持兼安全確保をしていたスピィリア達が不可糸でそれを止め、落ちそうな観客やケガをした観客達を次々に糸で巻いて現地から離すように一匹数名の単位で背中に積んで遠ざけて行く。

 

『何だぁああああ!!?』

 

『舞台が沈み込んだ!?』

 

『何が起こったぁ!?』

 

 混乱する者達の最中。

 

 ヘクトラスと御付きの数名のみが虚空に立ち。

 

 フードの者達が主を庇うように身を壁とする。

 

「おやおや、やはり此処も安全ではない、か」

 

『ヘクトラス様。此処は危険です。一端、遺跡に引かれては如何でしょう?』

 

「いや、此処で良い。侵入者は高都の晩餐会で見た記憶がある」

 

『何方です?』

 

「【四卿】に為り損ねた男だ」

 

『ッ、益々此処から逃げ出すべき状況ですが』

 

「お前達も後少し目を養えば分かる。あのニアステラの英雄殿と言われるヒトだが、劣るものではないぞ? 見ろ」

 

 ヘクトラスが見下ろす最中。

 

 誰かが風の呪紋を用いて周囲の粉塵を晴らした。

 

『お初に御目に掛かる』

 

 竜頭の全身鎧。

 

 いや、肉体を持つヴァルハイルの兵。

 

 しかし、兵と呼ぶにはあまりにも洗練された意匠を装甲に施され、蒼い外套を纏う姿。

 

 まさしく、機械の装甲を用いていながら、ソレは確かに騎士と呼ばれるような装飾であった。

 

 金糸の枝が絡まる紅い剣が胸に刻印されている。

 

『我が名は【正統なるヴェルギート】」

 

 赤黒い金属製の片刃が少年の刃を押し込むようにして切り払い。

 

 後方へと弾き飛ばされた少年よりも早く追撃が真横から少年の刃による防御を受けながらも更に弾き飛ばし、次々に相手の手を封じるように音速を遥かに超える斬撃による多方向からの連撃が少年の肉体を拘束する。

 

『ヴァルハイルより来る者』

 

 虚空で少年が頭上から来るヴェルギートの大振りの一撃を受けずに拳で受けた際の反動で別方向へと跳び。

 

 片腕が消し飛んだものの肘までで何とか止めた少年が周囲から民間人が殆ど消え失せて尚その場に残るヘクトラスの事は置いておく事にした。

 

『見事だ。あの一撃を回避するか。そして、場も整ったと』

 

「………」

 

 ヴェルギートが瞬時に少年への攻撃を断念し、上空へと退避する。

 

 舞台周囲にはもう配置に付いた遠征隊が慌てる事なく佇んでいた。

 

 その瞳に宿る光は冷静。

 

 少なからず少年が常に鍛え続けた遠征隊たる姿。

 

『此処では死ねぬ。御仲間達には遊んでいて貰おう』

 

 決して奢らない彼が指を弾く。

 

 すると、野営地周辺で巨大な魔力が引き出され、呪紋の光が大地を染め上げた。

 

 すぐに状況に気付いた遠征隊に対して少年がハンドサインで呪紋で現れる敵の殲滅を指示する。

 

 それに逡巡する者はいない。

 

 動きは迅速だった。

 

『素晴らしい。ニアステラの力とは此処までか……脅威に値する』

 

 ヴェルギートが再び指を弾いた時。

 

 彼の背後に巨大な蒼い人型の機械竜がノイズ混じりに顕現していく。

 

 ザリザリと何かがその装甲から剥がれて蒼い燐光を散らし、消費型の偽装用の装備なのだろうモノ。

 

 首元から幾つか不格好に突き出ていた突起がパージされた。

 

『排除せねばならない。貴様は危険だ。ニアステラの英雄』

 

 機械竜の胸元に沈み込むようにしてヴェルギートが入り込み。

 

 四肢を張り付けるかのような十字型の箱に格納する。

 

 両手両足がまるで機械に食いつかれるかのように火花を上げて重い金属の噛み合う音と共に接続された途端、薄暗かった内部に蒼い幾何学模様が奔り始めた。

 

「………お前を」

 

『?』

 

「お前を“大量に使うヤツ”に用がある。アレは何処だ?」

 

『―――』

 

 少年の言葉を拾ったヴェルギートに初めて動揺が奔る。

 

(馬鹿な……この目の前の存在は我が秘密を知っているのか? 何故だ? それも大量に……大量にだと……一体、コイツは……)

 

 少年が片腕を振った途端。

 

【飽殖神の礼賛】によって腕が生える。

 

(呪紋の効果による再生? しかも、無詠唱。その上、質量が増えている。通常の呪紋ではないな。致命傷の意味が無い場合、全てを消し飛ばさねば、逆襲の憂き目か)

 

 すぐに相手を解析した男がそれだけで能力を類推し、僅かに思考時間を延ばす。

 

『……どうやら、不確定要素が多過ぎる。お前を最優先で排除する考えに変わりないが、場を改めよう。次に会う事があれば、ヴァルハイルの軍団がお前達と戦う事になるだろう』

 

 瞬時に不確定要素を嫌って、退避を判断したヴェルギートが呪紋を装甲に浮かべて消える。

 

 巨大な15m以上ある機体が気配毎消失したので、周囲のアルマーニア側の戦士達もホッとした様子になっている。

 

(今後の事を考えると……アレもどうにかするか。収集しないとダメっぽい。符札と同じ効果なら、確実に妨害する手札が必要……)

 

 相手の転移現象を理解した少年は野営地のあちこちで出て来た敵と戦う戦士達やスピィリア達に加勢するべく。

 

 そのまま走り出すのだった。

 

 *

 

 大量の操獣をアルマーニアの野営地が駆逐し切って二時間。

 

 警戒は続いていたが、破壊された舞台と観客席の撤去、破壊された施設の復興などがスピィリア達によって迅速に行われたおかげで被害も少なく、人死にも出ていなかった。

 

 しかし、北部交渉団との会議は一端棚上げとなり、一緒に対策会議を同時並行で行う事が決定。

 

 少年の手で第一野営地に交渉団を運んでアルマーニア側と共にヴァルハイルの襲撃を想定して会議は行われる事になっていた。

 

「この野営地を預かるウートです」

 

「ヘクトラスだ。北部で邦の王の一人をしている」

 

 交渉団の団長であるヘクトラスとイーレイ、ウート。

 

 この三者で決められた事は以下の6つ。

 

 アルマーニア側の北部勢力の受け入れに関して基本的にニアステラはアルマーニアと同じ基準、同じ条件、同じ原則を相手が呑まなければ、これを受け入れない。

 

 北部勢力は西部に入植する際、スピィリア達の造った街に入植しても構わないが、蜘蛛達に敬意を払って共に過ごせる者に限る。

 

 認められない場合は資産は持って行っていいが、追放処分を受ける。

 

 食料生産などは本来必要無いスピィリア達であり、畑などで食料を生産するのは構わないし、独自に採掘や採取をしてもいいが、継続的な採掘採取の為にニアステラからの許可と規制、不定期の監査は受け入れる。

 

 北部勢力の入植時、防衛協力は成人男性には義務化し、もしもの時の徴兵はニアステラとアルマーニアの協議で決定する。

 

 北部勢力が入植後、速やかにアルマーニア、ニアステラと共に情勢を鑑みて、一体的に動く為に統合した議会を造る。

 

 議会で重要な軍事、経済、法規に関する決定をする際、先住者であるアルマーニアとニアステラには北部勢力と同じ1票の権利を保障し、この票の増減と議会での扱いは今後の議会で決める。

 

 これらを踏まえた上でアルマーニアと北部勢力の交渉は自由に行ってよい。

 

 このような取り決めがほぼ数時間で決まったのである。

 

「何か父上がスゴク仕事をしてる気がします……」

 

 いつもの浜辺でフィーゼが交渉団と久しぶりに政治をしている父を思い。

 

 体は大丈夫だろうかという顔で野営地の中央方面を見ていた。

 

 隣にはレザリアを含めてアルマーニアの女性陣の姿もある。

 

 本来は北部に残りたいと希望していたのだが、次の襲撃があっても困るからとイーレイが一緒に第一野営地への帰還を促したのだ。

 

 現在、当主代行のアルクリッドが野営地の能力の回復を仕切っていた。

 

「それにしても良かったのか? 西部から引き上げて?」

 

 ガシンが横で爆華のジュースをジョッキで飲んでいる少年に訊ねる。

 

「今はゴライアスが指揮して、現場の再建とフェクラールの街の造営に注力してる。ニアステラの方から出た入植組が急いで要塞も造成中」

 

「つってもなぁ。結局、また40基も作らされた上に何か強そうなのが襲来とか。オレら本気で仕事に追われてねぇか?」

 

「その割には元気」

 

「お前のせいだよ!? 近頃、何しても疲れなくなってきたのどうなってんだ?」

 

「霊力が肉体を優越し始めてる。神格位の霊体を取り込んだせい」

 

「あん? それってアレか? キラキラすんのか? オレも?」

 

「ゴライアスと一緒。強敵と戦って、霊力を大量に受け入れて来たから、変質が進んでる」

 

「はぁぁ……ま、あの蒼い竜には何も出来なかったけどな。空飛ぶの反則だろ」

 

「考えはある。試すまで我慢」

 

「はいはい」

 

 少年とガシンが喋っていると機械蜥蜴っぽいコスプレ系幼女と普通の幼女が浜辺に弁当の配達をしに来て、ペコリと頭を下げてから女性陣が詰める事も多い共同の炊事場に消えて行く。

 

「で? 実際問題としてヴァルハイルの連中から何も情報出なかったが、どうすんだ?」

 

「今、リケイが大鎧を分析してる」

 

「アレ、使えるようになんのか?」

 

「たぶん」

 

「たぶんねぇ……だが、敵は待っちゃくれなさそうだ」

 

「北部からの受け入れと同時にフェクラール全体の防衛施設建造に掛かる。エルシエラゴの蜘蛛達に今、避難用通路の建造計画も任せてる」

 

「……間に合うのか?」

 

「ヴァルハイルの出方次第」

 

「だよなぁ。少なくとも雑魚の操獣で攻めて来るのはねぇだろうし」

 

「北部への道が別口で見付かった以上、北部でヴァルハイルを牽制して、ニアステラとフェクラールへの進軍を遅らせる必要がある」

 

「空飛んで来たり、いきなり現れるんじゃねぇのか?」

 

「軍団を持って来るなら、それは無い。小規模な部隊じゃ競り負けるのはあっちが感じてるはず」

 

「そして、地下を大量に掘るはずだった部隊はオレらが抑えてる、と」

 

「あっちが大鎧を破壊していかなかったって事は……」

 

「その余裕が無かったか。時間は掛かっても同じような部隊を造るのか?」

 

「もしくは部隊が山を越えられる程に高く飛行出来る能力を備える事になる」

 

「それはかなり時間掛かりそうだな」

 

 北部の状況は少年達にも入って来ているが、殆どは陸上での戦力のぶつかり合いという話だったのだ。

 

「それを遅らせる為に北部でヴァルハイルを攻める」

 

「遂に北部へ進出、か」

 

 少年が頷いた時だった。

 

 その顔が僅かに空を見上げる。

 

「どうした?」

 

「フレイが戻って来る。それと悪滅の庵が予定通り使えなくなった。お土産も一緒……」

 

「お土産?」

 

「大きいのと小さいの」

 

 少年は休憩を終えて、すぐ悪滅の庵から戻って来るフレイを迎えに行くのだった。

 

 *

 

「只今戻りました。不甲斐なくも辛勝。蟲畜として情けなく。今後は更に自らを鍛え直す所存」

 

 人間形態になったフレイが頭を下げる最中。

 

 その背後には金属の流体らしきものがキラキラしながらスライム状の一塊で置かれており、内部の引き上げていた最後の人々はすぐに出されて気を失ったまま診療所へと運ばれていった。

 

 だが、残る一人が首から先を外に出されて、轡のようなものを噛ませられ、自殺防止用なのか。

 

 ガッチリと四肢を不可糸に魔力を流した糸で拘束されている。

 

 橋の下。

 

 集まって来ていた野営地の氏族の長達は顔を引き攣らせ、眼光だけで自分達を睨む怨敵の一人が四肢欠損した状態で捉えられている事に驚きを隠せず。

 

「【鉄鋼騎士団】の長をまさか捕らえられるとは……」

 

「さ、さすがニアステラの……」

 

「ブラドヘイム辺境伯が此処にいる事自体、マ、マズイのでは?」

 

 誰かの言葉に多くの者達が内心で『確かに……』という顔になった。

 

「有名人?」

 

 少年の言葉に傍で機械式になって尚眼光鋭い老蜥蜴を見ていたアルクリッドが頷いて説明し始める。

 

「ブラドヘイム辺境伯。正式名称は確かルートレット・ブラドヘイム。ヴァルハイルの軍管区が再編される前、辺境の国境地帯を纏めていた者達の長だ。辺境伯と名は付いているが、事実上は辺境伯達の纏め役。故に【古参のブラドヘイム】もしくは【鋼鉄騎士】【老ブラド翁】と呼ばれている」

 

「有名なお爺ちゃん?」

 

「はは、それで済めばいいが、コイツのせいでアルマーニアの軍の何割が死んだものやら……殺せば、ヴァルハイルに心底恨まれ、生かせば……奪還の大義となる。ヴァルハイル軍の重鎮だ。どう転んでもマズイな」

 

 乾いた笑いが出たアルクリッドがそう溜息を吐く。

 

『フン。貴様ら如きに言われては虫唾が奔る』

 

「こ、こいつ口を封じられているのに喋ったぞ!?」

 

 周囲の男達が騒めく。

 

『さすがに内臓された音声装置まではどうにもならんだろう? 本来ならさっさと呪紋で貴様らを吹き飛ばしているところだが……』

 

 ジロリと老蜥蜴の視線がフレイに向いた。

 

『この糸……魔力、霊力、体力を吸い尽すものだな。辛うじて雷は吸われていないのも温情か? まったく、涙が出るわ』

 

「こ、この!? 太々しいにも程がある!? 自分の立場を分かっているのか!?」

 

 ふんぞり返ったような声にさすがに男達からも剣呑な視線が跳んだ。

 

『まさか、グラングラの大槍から逃げ果せるとは思わなかったが、我が死を以て、我が鋼鉄騎士団は何れ貴様らを踏み潰すだろう』

 

 思わず手が出掛けた者達をアルクリッドが制した。

 

「コイツはフレイ殿の獲物だ。そして、フレイ殿の主であるアルティエ殿に身柄を自由にする権利がある」

 

「………」

 

 少年がしゃがみ込んで地面の上で顔を上向ける老蜥蜴の瞳を覗き込む。

 

(―――コイツ。聖王閣下のような瞳をしおる。これがヤツの主か。ウルガンダと関連がありそうだが、危険だな……)

 

「どうする? アルティエ殿」

 

「使い道が幾つかある……」

 

「どのような?」

 

「相手を殺したり、脅したりするだけが戦争じゃない。相手の意欲や目的に対して直接的に攻撃すれば、それ以上の効果が上がる」

 

 内心でソレを嘗て教えてくれた目の前の相手との過去は水に流した少年である。

 

「具体的にはよく分からないが……」

 

「リケイに頼む。それと服従系の呪紋持ってる人いる?」

 

「ああ、一応はいる。殆どは当主の息が掛かった親族などにな。現在持っているのはヒオネ様の侍従の方々などだ」

 

「後でリケイと一緒に教えて貰う。それと映像を映し出す呪紋はある?」

 

「そちらはこちらの配下が所持している」

 

「それらを記憶して別のところで映し出したりは?」

 

「可能だ。それで逐一軍を動かしていた」

 

「北部勢力の遺跡を使って映像を移送する。それと北部全体、特にヴァルハイルの勢力圏内に映像をばら撒きたい」

 

「面白そうだ。一枚噛ませて貰おう。当主にはこちらから」

 

「よろしく。フレイ」

 

「了解致しました」

 

 ブラドヘイムがフレイによって背負われる。

 

「そっちのブニョブニョは?」

 

「この男の機体だったものです。霊力による物質変異で脆化していたものを取り込みました。ご要望に合わせて形を元に戻せます」

 

「一緒に持っていく」

 

「承知」

 

 こうして少年とブラドヘイムとフレイが一緒に金属スライム的な何かと共に消えて、現地には男達だけが取り残された。

 

「良かったのか? アルクリッド当主代行」

 

「……怨恨で殺すより、余程に我らの命を救ってくれそうだと思っただけだ」

 

「確かに……」

 

『あ、あの!!? 金色の蜘蛛さんは居られますか!? 救って頂いた者なのですが!? 一言お礼を!!?』

 

 封鎖していた周囲の林の先からそんな声が聞こえて来て、アルクリッドはすぐに対応へ向かうのだった。

 

 *

 

 第一野営地にブラドヘイム辺境伯がやってきた。

 

 ついでに交渉団とイーレイに太々しさ全開で受け答えする老蜥蜴に多くの北部勢力の者達は血管が切れる寸前。

 

 しかし、やらせる事があると少年がフレイと共に連れて行ってしまって、怒りのやり場にも困った彼らは……大人しく怒りは呑み込む事にしていた。

 

「アレをどうするものか。ヴァルハイルの中でも軍の御意見番だぞ?」

 

 ヘクトラスが『本当にこいつら規格外だな』という顔で少年に付き従う金色の蜘蛛を見ていた目元を指で揉んだ。

 

 横のイーレイが肩を竦める。

 

「意見が言えなくなったな……」

 

「……あの難物をどう調理したものか。お手並み拝見と行こう」

 

「明日には帰る手筈だったろう?」

 

「我が身以外はな。北部のお歴々達とは違って一番良い席が欲しいのだ。生憎と観劇に付いては一家言ある。もし何かあれば戻るが、今回の件が終わってからだ」

 

 浜辺で並ぶ彼らは北部では伝説となっている黒曜石の都。

 

 ノクロシアを前にして遠方を見ていた。

 

「何を隠している?」

 

「くく、隠し事が無い関係だった事があるか?」

 

 最もな話をする一角の王はニヤリと口元を歪める。

 

「……一つだけ忠告しておく。此処に来た以上、お前はもう蜘蛛の巣に飛び込んだ蝶も同然だ。自分をいつまでも鳥だと思っていると足元を掬われるぞ」

 

「どんな風に?」

 

「例えば、先程のフレイ殿から報告が上がって来た。例の北部との移動を行う遺跡内部の呪紋を見たところ。どうやら完全に機能させれば、1日に一括で“1万人は運べそうだ”とかな?」

 

「―――」

 

 ようやくヘクトラスの顔が僅かに渋いものになる。

 

「日々、値段の上がる相場を冷やして欲しくはないのだが?」

 

「お前のようなクズ野郎にオレが譲歩してやると思うか?」

 

「……何が望みだ。此処で全てを御破算にする気か?」

 

「貴様のような奴に貸しや借りなどという概念を解く程、オレは不用心ではない。即決即金現物が条件だ」

 

「話を聞こう」

 

「貴様が北部から運ぼうとしていた連中のリストの即時提出。その質的に上から数えて1割の人材をこちらに寄越せ」

 

「………いいだろう」

 

 沈黙は短かった。

 

「それと吹っ掛けるのならもっと控えめにしておけ。今の西部が受け入れられる限界は日で5000だ。言い訳は何とでも……これが呑め―――」

 

「呑めるとも。自分の能力不足に言い訳をする程、落ちぶれてはいない。少なからず王である内はな……」

 

 被せるように苦い顔でヘクトラスが応じた。

 

 そうして2人の長は顔も合わせず。

 

 雄大なノクロシアを見て、野営地からやってくる部下達に夕食だと呼ばれ、其々の道を歩いて行くのだった。

 

 *

 

―――2日後。

 

「く、こんな姿にしおって!? 貴様らぁ!? 我が辺境伯と知っての辱めかぁ!?」

 

 先日まで太々しい態度だった元辺境伯が幼女達の中に混じって喚いていた。

 

 現在地はアルマーニアの野営地横。

 

 大鎧もしくは大人形。

 

 そう呼ばれるドラクが大量に置かれた物置き場である。

 

 現在、リケイが現場には詰めており、巨大な機構を逐一確かめては呪紋を用いて調査解析しており、浜辺で安穏としていた時より確実に忙しく働いていた。

 

『オイ。何だ? あの童共?』

 

『オメェ、知らないのか? ありゃぁ、ニアステラに囚われてるヴァルハイルの兵共だよ』

 

『え!?』

 

『いや、オメェはそういや知らないんだったな。ちょっとオレはニアステラにお偉方の用事で行った事があるんだがよ』

 

『ああ、この間の?』

 

『そうだ。何でもあの二日前から此処根城にしてるジジイが、ヴァルハイルの兵を童にして扱い易いように姿まであんなんにしたらしい』

 

『ふ、ふかしじゃねぇのか?』

 

『んなわけあるめぇ。あのジジイはな。リケイ殿と言って、ニアステラの英雄殿や遠征隊に呪紋を授けた御方なんだと。大物中の大物よ』

 

『おいおい……じゃあ、あの滅茶苦茶怒鳴ってた幼子って……』

 

『ま、知らぬがいいさ。オレ達は何も見なかった。いいな?』

 

『お、おぅ……』

 

 大きな樹木の壁で隔てられた者置き場には老爺が住まう小屋が一件。

 

 そこに少年の符札で次々やって来た機械蜥蜴な人型幼女達は目をウルウルさせて、これでオレ達もこの世とはオサラバかという顔で互いにオイオイと泣いていた。

 

 理由は単純明快に新しい何かヤバそうな呪紋を野営地で入れられたからだ。

 

 ついでに自分は辺境伯だとか喚く歯がギザギザで武闘派そうな全体的に尖った感じの自分達よりちょっと年上の幼女がもう頭までおかしくなってしまったのか。

 

『ヴァルハイルの兵が情けないぞ!!? 自害する気迫くらいみせんか馬鹿者め!?』

 

 とか怒鳴り散らしていた当たりで『こ、こいつも辛い目にあったんだな……』と生暖かい視線で彼らは新入りを出迎えた。

 

 そもそも自分を辺境伯なんて宣うような相手だ。

 

 そんな大物が此処にいるわけが無いし、一人で連れて来られたので、仲間達は全滅したのだろうと察しが着いた彼らが優しくしない理由もない。

 

「かぁ~~なっとらん!? なっとらんぞ!? 何で敵の為に労働しとるのだ!? 此処は反抗してだなぁ!? こっそりと夜に刃物を奪って、そこらの家に押し入り、必要なものを奪って逃走し、森に潜伏するというのが―――」

 

 未だに喚いている蜥蜴系幼女が他の幼女達からまぁまぁと諫められ、最後くらいは静かな心でいようとか言われてまた怒り出す。

 

 自称“へんきょーはく”は教会騎士系幼女達にすら劣る非力さな上に傲岸不遜だった為、やって来てから毎日毎日“たいちょー”によってやれ『じんがいごときがでかいかおするな』だとか、やれ『ちょっとはしたがうふりくらいしろ』だとか、やれ『めしをくったのにろうどうしないのはほかのやつにしつれい』だとか……正論なんだか、労働力搾取された兵隊の悲哀なんだか分からない説教を喰らっていた。

 

 そんな彼女は他の機械蜥蜴系幼女と違ってかなり特異な点が見受けられる。

 

 特にその硬質な装甲部分が他の者達よりも薄く。

 

 本当に肌に張り付くスーツのような薄さであり、その色合いも鋼色で統一されていて、装甲には紋章らしき盾や剣らしき象形がヴァルハイルでは貴族風と言われる蔦の絡まった様子で写し出され、他の者達よりもより人間っぽかったのだ。

 

 無駄な刺々しい部分や厚い部分が排除された上で人間と同じ胴体部。

 

 頭部も竜頭ではないが、芸術は爆発だと言わんばかりにザンバラ髪が乱れて後方に垂れているような感じであり、ギザ歯で喚く度にコロコロと変わる表情はもはや『コイツ弄ったらおもしれぇ』くらいの域で天真爛漫に見えた。

 

「おっと、来ましたな?」

 

「来た」

 

 イソイソとやってきた少年がリケイの周囲に今回の作戦に従事する蜘蛛達を確認した。

 

「フレイ」

 

『予定通り、方々に師事し、全ての呪紋は覚えました』

 

 金色の昆虫形態なフレイが頷く。

 

「ゴライアス」

 

『“ガシン殿に白霊石を山程満たして頂いた”……“水夫達に最もクル台本も貰っている”(。-`ω-)』

 

 緋色の大量の白霊石のインゴットを背負い籠から降ろしたのを背景にゴライアスが頷く。

 

「ルーエル」

 

「カワイイ衣装を野営地の女の人達に作って貰ったよ♪ 夜用なんだって(≧▽≦)/」

 

 三匹の蜘蛛達が喋る様子にガクガクブルブルしている機械蜥蜴系幼女達がギョロリと自分達を見やる蜘蛛達にヒィッと震え上がる。

 

 だが、それでも太々しさを失わない“へんきょーはく”だけが彼ら兵を護るように両手を広げて前に出ていた。

 

「き、貴様ら!! やるなら我からにするがいい!! く、例え姿形は変われども!! 我が心は屈さず!!」

 

『“へんきょーはく”ッ、お、おまえ、そこまでおれたちのことを……』

 

 後ろの幼女達が(´;ω;`)ブワッと一斉に涙する。

 

 ここ数日で何だか言葉もヘナヘナと幼女っぽく舌っ足らずになった彼らはしっかりリケイの掌の上であった。

 

 その様子に溜息を吐いた少年が前に出る。

 

「教会騎士も同じ事言ってた」

 

「あの、偉そうなヒト共が?」

 

「人も人外も同じように心を持ってる」

 

「……それが、どうした!! 我らは互いに殺し合い相反するが定めだ!! 人外同士とてご覧の有様だろうに!!」

 

 そうアルマーニアの内部にいる自分達を揶揄してみせる彼女の反論に少年が頷く。

 

「だから、心まで屈して貰う。ニアステラとフェクラールにいる全ての命の為に……」

 

「な、何ぃ!?」

 

 少年の片手が幼女達に向けられる。

 

 そこには服従の呪紋の象形がしっかり刻まれており、幼女達の額にはリケイが入れた同じ呪紋が浮かび上がっていた。

 

「速やかにその場で着替えて配置に付く事。これから撮影を始める」

 

「さ、さつ、えい?」

 

 少年のシャニドの印が眩く光を放ち。

 

 モノ置き場となった場所に運び込まれた木箱が次々にスピィリア達によって開けられ、幼女達の意識は光の渦に融けて行ったのだった。

 

「さて、年齢も上げますか。どうなる事やら……」

 

 愉しそうな老爺の声だけが最後に彼らの脳裏には届いたのだった。

 

 *

 

―――数日後北部ヴァルハイル辺境伯領。

 

「うぉぉぉぉぉおぉぉぉ、まさか、まさか!? 辺境伯様がぁあぁあ!!?」

 

「ああ、何て、何てことなの!?」

 

 機械式装甲の農夫や生身の女達が知らせを持って来た軍の官吏の話を聞いて次々に涙を流していた。

 

 理由は発表があったからだ。

 

 彼らの愛する辺境伯が、時に農地を視察にくれば、多くの子供達ににこやかな笑顔を向ける辺境伯が、アルマーニアの最前線において最後の最後に兵達をアルマーニアの強敵から護る為に後退を指示し、自らと共に葬った。

 

 そう軍部が大々的に発表した。

 

 鋼鉄騎士団内に縁者を持つ者達は噂に知っていたが、公にはまだ出ていなかった情報。

 

 それが多くのヴァルハイルの国民に知られた事で軍の想定通り、士気は上がるだろうと目算を立てていた広報部門は自らの仕事に満足していた。

 

 美談にしようかという者もあったが、既に必要ない事実が美談そのものであった為、事実は事実として尾ひれも付けられずに伝えられたのである。

 

『く、オレ軍に……』

 

『だ、ダメよ!? 私の可愛い息子殿!? そ、それだけは―――』

 

『止めないでくれ!? 母さん!!』

 

 このように常備軍に対しての入隊希望者が爆増する事を軍の広報部は見越して、その効果にシメシメとニンマリしていたのだ。

 

 しかし、その瞬間的な軍への入隊希望者達の列はすぐに途切れる事になる。

 

 理由は彼らの酒場に呪紋を刻んだオーブらしきものが転がり込んだ事に始まる。

 

 よく首都からの軍令などで使われる代物が何かの荷物に紛れてやってくるというのは中々に無い事であったが、ソレが一人手に起動するというのは更に本来は無い事だった。

 

 だが、多くの農家が外に出ている日中。

 

 更にはオーブが何かいつも見ていたモノとは違って緋色をしていた事に興味を惹かれて、内容を見ようとしてしまった連中は多数に上り。

 

 玉に刻まれていた霊力を魔力に転換する呪紋が大量の魔力を瞬間的に生成して消滅。

 

 空に巨大な映像が映し出された時、誰もが釘付けになってしまったのも無理はない。

 

『や~ん♪ ご主人様ぁ~~我々のような卑しいヴァルハイルの蜥蜴を御寵愛頂きありがとうございますぅ~~♪』

 

 思わず栄養補給にジョッキの麦酒を呑んでいた農民は吹き出し、都市部で延々と労働に勤しんでいた工場労働者も噴出し、洗濯物を干していた女達も噴出し、遊んでいた子供達も噴き出す。

 

 何だ何だと空に響く大声に誰もが屋内から窓の外を見やる。

 

 すると、大量の映像が空に映し出され、同じ画面を延々と広げていた。

 

『私達ぃ~あんなゴミクズみたいなぁ~~民を使い捨てにするヴァルハイル軍なんて止めてぇ~~今は愉しく暮らしてまぁ~す♪ きゃはは♪』

 

 年頃の少女と思われる見知らぬ種族が、何処か蜥蜴っぽいという肉体と装甲を纏ってキャッキャと笑いながらはしたないと言われるだろうくらいに際どくて襤褸い麻布の下着みたいな姿で彼らに笑い掛けて怪しい笑みを浮かべていたのだ。

 

『あ~ん。ご主人様ぁ~~~私達ぃ~【第一工兵師団所属隧道掘削部隊レガト】は身も心も全てお捧げしますぅ~♪』

 

『もぉ~ダメだよ~ちゃんと私達がソレだったって分かって貰う為にはドラクに乗らなきゃ~』

 

 怪しい笑みで色気を振りまく少女達が何者かの脚にベッタリと張り付いていたが、すぐに場面が切り替わって破壊されたドラクの胸部に少女が一人入って生身にも見える手足を接続する。

 

 すると、本来当事者でなければ動かせないドラクが急激に光の幾何学模様を奔らせて、起動するのが誰の目にも分かった。

 

『は~い。私達は本物でぇ~す♪ みんなぁ~~』

 

 すると、今度は大量の破壊されたり、破壊されていなくても横たわったドラクが置かれた場所が広く映し出され、その中で少女達が次々にドラクを一斉起動する。

 

『これから私達はニアステラのご主人様の命令の下でフェクラールにいるアルマーニアさん達の為に戦ったり、隧道を掘ってヴァルハイルの首都を地下から爆破したりしたいと思いま~す♪ えへ?』

 

 過激な事を言った少女達が何処かに座る何者かの脚の下に駆け寄ると縋るように侍って、次々にその革製の靴に口付けしていく。

 

『あ、私達のおねーさまもご紹介しますねぇ~』

 

 年頃の少女達が怪しい笑みになる。

 

 すると、彼女達の背後で何者かの脇腹に寄り添うようにしているまだ十代前半くらいだろう少女が、ギザ歯でちょっと恥ずかしそうに笑みを浮かべて、スリスリと体を摺り寄せる。

 

『もぉ~おねーさま~出番ですよ~』

 

『嫌だ!? 我はご主人様にこうして御寵愛を頂く以外の事なんてしとうない!? 毎晩毎晩ご主人様に御寵愛を貰ってずっとずっと生きるのだぁ~♪」

 

 嬉しそうに脇腹にスリスリしながら、ドアップになった少女が妖しい笑みで画面を見つめる。

 

『もぉ~~じゃあ、自己紹介して下さい。ご主人様に怒られちゃいますよぉ~』

 

『はぅ!? そんなぁ!? ああ、怒らないで!? 怒らないでくらしゃい!? ごしゅじんしゃまぁ、ルートレットはごしゅじんしゃまの忠実なる夜の御供でしゅぅ~~』

 

 泣きそうに媚びた少女がすぐに慌てて自分の機体の前に向かう。

 

 ソレはバチバチと雷撃を周囲に放ちながら空に浮かんでいた。

 

 すぐにその巨大な竜に跳躍して乗り込んだつるぺったんな少女が叫ぶ。

 

『はひぃ!? きょ、今日も御寵愛くらしゃいぃぃぃ!? しゅぐにじこしょーかいしましゅからぁ!?』

 

 画面外から怒られているという様子の少女が情けなく媚びたおねだりをした後、画面に向けて自己紹介し始める。

 

『わ、我はルートレット。ルートレット・ブラドヘイムであるぅ!!? あまりにも情けなくて間抜けにも民の命を搾取するヴァルハイルの軍に嫌気が差していたのだぁ!!』

 

 軍関係者が嫌な予感の後に来た現実に思わず硬直した。

 

『だからぁ、ご主人様に誘われてからずっとずっと機会を伺っていたのだぁ♪ お前らヴァルハイルを滅ぼす為に本当の部下達と一緒に逃げ出す時をなぁ』

 

 ニンマリとギザ歯な口を歪めて少女は嗤う。

 

『どうせ軍のクソ広報共は美談にしたのだろうがなぁ。残念♪ 我は自分からあの場に残って、ご主人様の使いに土下座して、ご主人様のものとなるべく自分からヴァルハイルを捨てた証として体を素晴らしいものに変えて貰ったのだぁ♪』

 

 邪悪で妖しげな濡れた人みの少女がクシシと嗤う。

 

『はぁはぁはぁ、今では毎日毎日ご主人様の御寵愛を受けて、毎日毎日幸せで満たされていて、あのクソなヴァルハイルで軍なんてクズばっかりの職場にいたのが嘘のようだぞ♪ 早くヴァルハイルの者達を鏖にして、都を炎の海にしたくてうずうずしている!! それを夢見て毎日濡れてしまうのだぁ♪』

 

 邪悪に微笑む少女は機体を地面に着地させると機体を蹴り付けた。

 

『このポンコツはヴァルハイルを滅ぼすのに使ってやるから、見掛けたら幾らでも攻撃していいぞ? こんなクソみたいな力よりご主人様の素晴らしい力の方が絶対強いからな? きゃはは♪』

 

 再び、何者かの脇腹まで戻って来た少女がスリスリと頬を摺り寄せて目を閉じる。

 

『以上で~~ヴァルハイルを脱出して~ご主人様のモノにして貰った幸せな私達の近況報告でした~~あ、皆さんもぉ、ヴァルハイルから逃げ出したくなったら、フェクラールに来てねぇ~ご主人様がみんなを幸せにしてくれるよぉ~~』

 

 地面に侍る少女達がクスクスと悪意全開の笑みで画面の先の者達を見やる。

 

 そうして、画面がいきなり巨大になった。

 

 画面が引くと少女達の前方が映し出され―――。

 

「―――!!!!?」

 

 空撮されているのか。

 

 地の果てまでも続く大量の青白い亡霊の蜘蛛達が映し出されたからだ。

 

 キシャァアアアアと声を上げる筋肉がムキムキな灰色蜘蛛達は誰も彼もが最初からこんな容姿ですという顔で、怖ろしい程に魔力に溢れており、軍隊のように統制されて行進し、巨大な黒い巨木と巣に向かって歩く姿は一糸乱れず統率されていた。

 

 そして、その蜘蛛達の住まうのだろう巣の屋上にはドラクより巨大な蜘蛛達がギョロリと彼らを見ていた。

 

 だが、その蜘蛛達の上には三匹の蜘蛛が乗っている。

 

 圧倒的な魔力を立ち昇らせて、ゲタゲタと嗤うように啼く蜘蛛達の上には更にウルガンダが虚空に浮かんでおり、画面に向かって糸を拭き付け……全てが蜘蛛の暗闇に消えた。

 

「………母さん。オレ、フェクラールに行くよ!!」

 

「息子殿ぉおおぉぉぉぉぉぉぉおぉ?!!!」

 

 刺激的なPVを見た多くの者達が絶望し、一部の者達は精神的に錯乱し、ヴァルハイルはいきなり空前絶後の大混乱に陥った事で彼らが苦心している戦線が僅かに押し戻されたのだった。



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第45話「フェクラールの豪傑Ⅲ」

 

―――ヴァルハイル首都皇帝城。

 

 ヴァルハイルには王城がある。

 

 正確には皇帝城であるが、彼らの君主である男は聖王と呼ばれている為に王城と人々は俗称している。

 

 また、王家は皇家とも呼ばれるが、その事実の大半は彼らが滅んだヴァルハイルの元皇族を祖とする者達だからであって、実際には新しい島の北部にあるヴァルハイルは王国、その君主の一族は王族という事になっている。

 

 そんな城の正面。

 

 巨大な塔で城塞でもある城本体は隠されていた。

 

 背後には山脈によって守られた天然の要害があり、同時に関として山岳部と平野部へと続く道を隔てる場所ともされている。

 

 その内部は神殿のような創りになっている事はよく知られた話だ。

 

 そんな城の一室。

 

「何という事だ……」

 

 そう聖姫殿下と呼ばれる少女は沈鬱な表情を浮かべていた。

 

 周囲には5人の重鎮である男達がいる。

 

『“エレオール聖姫殿下”』

 

 五人の男達の一人。

 

 丸い円筒形箱型に中年の姿を浮かべている恰幅の良い50代の男が慰めるように声を掛けて、すぐにそれ以上は何も言えなくなる。

 

「済まぬ。ヴェルゴルドゥナよ。貴殿の戦を邪魔したな」

 

 エレオールの言葉に樽が首を横に振る。

 

「“問題はありませぬ。それよりも我が配下からこのような裏切り者が出ようとは”」

 

「裏切ったのか。裏切らされたのか」

 

 そう呟いたのは黒い装甲と全身を持つ竜頭を男だった。

 

 機械化されていない片腕が口元にお茶を流し込むと首元から蒸気が僅かに漏れる。

 

「どちらでもいい。問題は軍の士気が下がった事だ」

 

 そう平然と言ったのは竜角を頭部に持つ機械化されたところが見受けられない男だった。

 

 白い竜鱗が浅黒い肌の体表には幾らか見えている。

 

『エーベンヌ卿、ラグス卿、少しは深刻そうな顔をしては?』

 

 エーベンヌと呼ばれた黒い装甲の男とラグスと呼ばれた白い鱗の男はどちらも年齢不詳ながらも何処か抑揚のない枯れた声。

 

 新参者である蒼き装甲の騎士ヴェルギートの方を見やる。

 

「十中八九、服従の呪紋だろう。問題はウルガンダだ。そして、貴殿が報告したニアステラの英雄とやらもどうやら見過ごせぬな。最も問題なのはそれがアルマーニアや北部の連中と手を組む場合だ」

 

 巨大な浮かぶ剣が呟く。

 

 その剣身の表面には白髪の50代程だろうナイスミドルの竜角の壮年が映っている。

 

『ガーハイル卿。貴殿の見識は讃えるが、何か策は?』

 

 そのヴェルギートの問いに彼が目を細める。

 

「これは戦略的に明らかな陽動だ。だが、軍全体で見れば、陽動だろうとも納得が得られない限り、不合理な動きに成らざるを得ない」

 

『各軍管区が疑心暗鬼になっていると聞く』

 

「それはそうだろう。ルートレットは地方軍管区、辺境伯達の纏め役だった。主力をそちらに頼っている以上、何処が再び裏切るかという話になる」

 

『統制が効かぬと?』

 

「そもそも今回の件で軍の権威が失墜した。軍広報部の連中は色々と反論しているし、多くの国民に先日の事は敵国の作り話だと言い聞かせてはいるが、ドラクは一人一機、絶対に他の者には乗れないと喧伝していたせいで信憑性は増すばかりだ」

 

 ガーハイル。

 

 剣の男がそう肩を竦める。

 

「戦域全体で見れば、今回押された面は全体の1割にも満たない。しかし、兵達の動揺はそれ以上のものがある。士気の低下は戦域の敵反抗作戦の実施をより楽にするだろう」

 

 黒い装甲のエーベンヌがそう現在の問題を指摘する。

 

「隧道掘削の為の部隊には新鋭の者達と技術が使われていたと聞く。ヴェルゴルドゥナ卿の肝入りだったな」

 

 白い竜鱗のラグスがそうチラリと樽の男を見た。

 

「“心配せずとも情報部に内部監査は頼んである”……“我が身の不徳を疑われても仕方ない”」

 

 そこで空気が更に重くなった。

 

「疑い合うのは止めましょう。どの道、お兄様達を討たれた時点でヴァルハイルの損失は過大です。生き残った方々の事も含めて……。ヴェルギート。彼らが北部に来る可能性は?」

 

『ハイ。大いにあるとだけ』

 

 エレオールの言葉に頷きが返る。

 

 そして、僅かな沈黙の後。

 

「……近衛を全て各地方に派遣。【四卿】は直ちに出陣し、敵野戦軍の撃滅及び、早期の併合を」

 

『お待ち下さい。御身の危険が大き過ぎます』

 

「その為の貴方です。また、同時にお兄様達を高都に呼び戻します。これならば、民や軍も納得するでしょう。それに十分継承権争いはしたはず。生き残った者にもまた休養が必要です」

 

『……ですが、【四卿】全員での出撃は……高都の防衛力を著しく落とします。敵の隠密部隊や諜報軍の侵入を許した場合、聖王閣下の身にも危険が……』

 

「閣下は……未だにあの場所から出て来ておりません。心配は無用です。呼び掛けても応答が無く。今は世俗の事にも無感心のようでもある」

 

『………』

 

「期限を区切りましょう。兵站の限界から見ても後3ヶ月。この状況が打破出来ず、併合出来なかった場所に付いては早期講和もしくは停戦の用意を。無論、その戦域に派遣された者も直ちに帰参させます。これに異議のある者は?」

 

 沈黙を以て誰もが答えた。

 

「よろしい。エレオール・ヴァルハイルの名で各軍管区への指針として明日までに命令書を届けさせましょう。後は各自の裁量で行って下さい。フェクラール及びニアステラの一件はこちらで情報部と共に処理しておきます」

 

 少女の声に誰もが頭を下げてから席を立ち。

 

 そのまま四方の扉へと消えて行った。

 

『……御身のご命令を果たせず。不甲斐なく……お許しを……』

 

「我が騎士【正統なるヴェルギート】……多くの情報を持ち帰り、敵の首魁と思われる者達の戦力を図って来た働き見事だった。よく無事で……」

 

 先程までの姫としての姿とも違う様子となったエレオールが頷く。

 

『イイエ。ハイ。ですが、敵の水準は極めて高く。お渡しした情報通り、ニアステラに至っては完全に変貌を遂げており、我が軍団でも恐らく容易には落とせぬかと』

 

「まずは相手を知るのが先だ。角の騎士の言葉に偽りが無ければ、相手は西部に廃棄した例の護符すら持っている」

 

『―――アレですか?』

 

 僅かに蒼き騎士が固まる。

 

「元々、聖王閣下が角の騎士に封じるよう命じたものだと聞いている。アレそのものは旧い護符に過ぎぬが、聖域への道を封じた鍵でもある」

 

『……すぐに首都の防備を固めます。また、強行偵察部隊を編成し、相手方の能力調査も共に……』

 

「頼む……それと……」

 

『ハイ』

 

「……あ、あの者達は本当にあのような事をしているのだろうか?」

 

 思わず目を逸らして少し頬の赤い少女の問いに何とも言えない間が流れる。

 

「敵の情報戦に惑わされてはなりません。そのような事をされているとしても、あの者達に関しての話はデタラメな可能性も捨て切れません」

 

「そ、そうだな!! うむ……あ、あんな、男達を我が歳と変わらぬくらいの少女と変えて侍らせるなど、あ、悪魔の所業だ。そんな鬼畜の技を平然とするならば、お前の見たニアステラの英雄とやらの格も知れるというもの」

 

『ハイ。必ずや打ち破る策を以て討伐してご覧に入れましょう』

 

「ああ、我が騎士ヴェルギート……お前も気を付けるのだ。あの【鋼鉄騎士】を打ち負かし、篭絡した手際。お前が心配だ……」

 

『勿体なきお言葉。痛み入ります』

 

 こうしてヴァルハイルは新たな局面に入り、フェクラールとニアステラ。

 

 二つの地域に対しての備えをする為に多くの資源を戦線に供給出来ず。

 

 ゆっくりと動きを鈍らせ始める事になる。

 

 それと引き換えに前線へと赴く【四卿】の出陣は取り沙汰され、遂にヴァルハイルの奥の手が出て来ると各種族達は戦々恐々とする他無いのだった。

 

 *

 

「「ア~ル~ティ~エ~!!?」」

 

「……コレ(*´Д`)」

 

 フィーゼとレザリアが物凄いジト目で少年を見ていた。

 

 しかし、少年はコレ、コレと台本を2人に差し出す。

 

 凶悪な元海賊的な水夫達がニヤニヤしてしまうような台本を書き上げたのであり、色々と少年から注文は付けたが、自分で考えたんじゃないと全否定である。

 

 しかし、水夫達も『おっかしいなぁ? こんなの書いたっけ?』という具合に記憶が曖昧であり、少年の傍を近頃ウロウロいている妖精はニンマリ見ていた。

 

『(ああ、我が契約者……素敵でしたよ……♪)』

 

 悪戯好きな妖精は性悪というのは旧い御伽噺に記されるくらい事実だった。

 

 こうして相手を現地に釘付けとして士気を落とす為の広報映像を見て、ようやく帰って来た幼女達の様子がおかしい事に納得のいった少女達であった。

 

 まだ睨まれている少年から離れた浜辺では元のサイズに戻された幼女達……ヴァルハイルの兵が廃人の如く浜辺に手を付いて今日も泣きに泣いていた。

 

『も、もうころしてくれぇ……』

 

『かえれない!? もうこきょーにかえれないじゃないかぁ!?』

 

『あぁああぁあぁあ!!? オレはちょーあいとかうけけてないんだぁあ!!』

 

『ひっぐ、ふぐぅ……ですぅってなんだぁ!? オレはおとこだぞぉ!?』

 

 男としてもヴァルハイル人としても絶望的な状況下に置かれた彼らにはもう故郷に帰って言い訳するという選択肢すら無いのである。

 

「おまえらぁ~~ないてるひまがあったら、ちゃんとしごとしろぉー」

 

 それに比べて元教会騎士達は仕事まで投げやりになりつつある機械蜥蜴系幼女達を次々に今日の糧の為だと働かせており、肝の座った様子は年期が入っている。

 

 勿論、背中に汗を浮かべて、同じ事されたらやだなぁという顔にはなったが、例え何であろうとも自分達は教会騎士だとやたら強固な自我を持つ彼らは微妙に変質しながらも人外とはいえ、今は同胞のようなものである彼女達をとにかく励ますやら宥めすかすやらしていた。

 

「お前達!? 何を泣いている!! 泣く暇があったら、体でも鍛えんかぁ!!?」

 

 しかし、一人だけヤケクソ気味に走り込みをするやら、樹木相手に格闘戦をする幼女がいた。

 

「わ、我々が例えどのような末路を辿ろうとも!! ヴァルハイル魂を失えば、それはもはや我らではないのだ!! わ、我とてなぁ!? おねーさまとかぁ!? 寵愛とかぁ!? クソゥ!? あのご主人様めぇ!!?」

 

『え?』

 

 恥ずかしさに顔を真っ赤にして怒った“へんきょーはく”が他の同胞達の視線と声に口を押えて、思わず蒼褪める。

 

「あ、あの、ご主人様めぇ!? ッッッ?!!」

 

 もう一度、息を吸って何かの間違いに違いないと叫んでまた口が覆われた。

 

 そこでようやく服従の呪紋の効果が単純に操られる事だけではないのに気付いたらしく。

 

 誰も彼もが口汚く少年を罵ってやろうと口をパクパクさせたが、口から出掛かる『ご主人様』の文言を止められず、慌てて両手で塞ぐのだった。

 

「ふぐむごもぉ!!?」

 

『ふぐむごもぉ!!?』

 

 幼女達はそうして両手で抑えながら、遠くで少女達ときゃっきゃしている(他者視点)少年を涙目でプルプル見つめる。

 

「まったく、しばらくだめそうだな。あいつらのぶんはわれわれがするぞ。きもちがわからないでもないからな」

 

「たいちょー。いいのか?」

 

「たとえ、じんがいだろうとわれらはいまおなじくなんをともにするもの。ひとのいたみをわからぬようになったら、われらはけものとかわらぬではないか!!」

 

『い、いっしょうついていくぜ!! たいちょー』

 

『あんたのいうとおりだよ!? たいちょー』

 

『あんたこそがほんとうのえいゆうだ!!』

 

 幼女達の中でこうしてまた“たいちょー”の株は鰻登りに青天井で上がっていくのだった。

 

 *

 

「………(-_-)」

 

「………(=_=)」

 

「………(T_T)」

 

「………(・ω・)」

 

 北部勢力。

 

 種族連合のお歴々は殆ど諦めたような域の顔で自分達の死山血河の防衛線で出来なかった事を達成してしまったニアステラの策を前に映像や紙の資料の内容を精査していた。

 

 影の状態のまま。

 

 数名の者達が他の者にどう報告しようかという顔になっているのは気配だけで分かろうというものだ。

 

 何せ彼らが出回らせたソレは北部全土に広がっており、その映像を見てしまったヴァルハイルの兵達の士気はガタ落ち。

 

 だが、逆に彼ら脱出を試みる者達の中にも西部への移住に懐疑的な者が出た。

 

 それはそうだろう。

 

 ヴァルハイルの重鎮である鋼鉄騎士が何の因果か。

 

 アルマーニアの撤退戦で死亡したと思っていたら、機体と一緒にニアステラに鹵獲されて、肉体を変質する呪紋と服従の呪紋を使われた挙句に……あんな映像に出て邪悪に笑うのである。

 

 ついでとばかりに巨大な力を持つ蜘蛛達の軍隊とその巣の威容。

 

 最後に滅ぼされたウルガンダが生きていたというのも彼らにしてみれば、まったく驚愕を何度重ねればいいのか困る映像であった。

 

「それで? ニアステラからは?」

 

「アレは敗北したウルガンダが何処かに自らの肉片を置いて本体が消滅した後に自らを復元した個体だとの話。一度ニアステラの英雄に敗れ、現在は従属契約を結んでおり、彼が死なない限りはウルガンダそのものが暴走する危険性は低いそうです」

 

「さすが伝説の魔蟲……肉片が何処かにあるだけで再生するのか……」

 

「また、ニアステラの英雄が用いる蜘蛛脚によって東部の亡霊達を蜘蛛化した後、神格が干渉する契約で人型化しているそうで、蜘蛛の姿が嫌なら人型で過ごしてもいいと」

 

「ヘクトラスからは?」

 

「少なからずニアステラを敵に回すような謀は全て破棄したと」

 

「それで? 代わりのように遺跡の解析の成果が出たと?」

 

「日で5000……これならば、十分な数を逃がせよう」

 

「フン。アルマーニアとニアステラ側へ頭を下げてな」

 

「今はそう不満を言っていられる状況ではない」

 

「解っている!! 高都に潜らせている草から【四卿】の出撃が確認されたのだからな」

 

「……10日で5万……逃がせても、各種族合わせて100万は超えない……兵士達以外の技能と女子供の上から能力が高い順番というのも……不満しか出ていない」

 

「それでも全て滅びるよりはマシだろう」

 

「それで……あの大量の蜘蛛達が蔓延る場所に定住せよと?」

 

「少なからずアルマーニア側からは人よりも賢く。同時に能力があり、昼夜無く働いてくれている上に彼らの身の安全も護ってくれると信頼されている」

 

「神聖騎士と伝説の亡王を蜘蛛化したとなれば、一軍にも匹敵するだろうな……その上、全てニアステラの英雄とやらの眷属であるとすれば、もう軍と左程変わらんだろう」

 

「故に慎重とならざるを得ない」

 

「我らが機嫌を損ねて蜘蛛にされる方が襲われるより、よっぽどにありそうだ」

 

 各員の肩が竦められる。

 

「しかも、相手はノクロシアを含めて、島の地下の地図を押さえているらしい。妖精すら匿っているとの話まである」

 

「―――妖精、か」

 

「事が事だ。ヘクトラスからはこの情報だけはヴァルハイルに渡すなと言われている」

 

「だろうな。“聖域の鍵”がウロウロしていては西部への進出も時間の問題だろう」

 

「……それで何故最初に特定の種族を送り出す事にした?」

 

「長老に最初から頼まれていた事だ」

 

「だとしても、三種族のみというのは他の連中からの不満が大きい」

 

「なら、最初にひ弱な種族が西部に行って安全かどうか確認してくれるのかと言ってやれ」

 

「まぁ……奴らなら大丈夫だろうが……」

 

「巨人族【タイタニア】……吸血種【ブラッディア】……希竜人【ドラコーニア】……どいつもこいつも旧き者達から与えられた名付き。数が少なくて助かるとも……ああ、連中がもっと兵を出してくれれば、何も言う事は無かった」

 

「止めろ。どの道、連中が大量に出てたらヴァルハイルが早期に【四卿】を投入していた。巨人族に至っては今や総数は1000以下……戦士はその内の5分の1以下だ」

 

「第一と第四皇太子を討ち取っただけで大戦果。アレ以上を望めば、そもそも逃げられていた可能性もある。種族連合の限界だ。希少な同輩を戦場に送った以上は今後も人材を出す交換条件は必須。ヘクトラスが言うまでも無く。裏から話は付いていたと見るべきだ」

 

 彼らが押し黙る。

 

「………(-_-)」

 

「………(=_=)」

 

「………(T_T)」

 

「………(・ω・)」

 

 こうして、新たな北部からの風が西部へと流れ込み始めたのだった。

 

 *

 

―――西部フェクラール北端アルマーニア自治区【オートレル】。

 

 西部の最新PVが撮影された後、

 

 次々に西部に流入する難民の為にアルマーニアは街区を拡充し、今や昔の神の使徒達の長から名前を取ってオートレルと街区は呼ばれていた。

 

 広がり続ける街区の大半は石製であり、巨大な山岳の岩壁をスピィリアとディミドィア達が共同で石切り場で昼夜無く切り出す事で石製の道と壁を使った家屋が一日数百件規模で造営されており、何処も彼処も土建作業中。

 

 蟲形態な蜘蛛達で一杯であった。

 

 そんな最中、一際目を引く新しい場所が壁際の東部域に立てられた一角にある。

 

 それは巨大なドーム状の神殿にも見える。

 

 元石切り場を掘り抜いて造られた構造物だ。

 

 凡そ10m以上の存在が使う事を想定して建てられた構造物は神殿のようではあったが、とにかく広く造られており、蜘蛛達が不可糸と竜骨も用いて建造。

 

 2日で立てたにしては巨大な全長1km近い広さはあった。

 

 半ば、山岳に埋もれるようにして作られており、創りが頑丈な為、もしもの時の避難先としても運用される事が決まっている。

 

「くーも、くーも、ふふ……」

 

 巨大な少女が一人、パタパタと歩きながら、今も天蓋を完成させる為に天井で作業をしているスピィリア達の下。

 

 大きな椅子に座って脚をブラブラとさせていた。

 

 全長で5m程の彼女は巨人達が衣服を送ります。殆ど着ないというのとは対照的に全身にモコモコとした着ぐるみ染みた白い上下とフード付きの外套を着込んでいる。

 

 その肌は白く。

 

 巨人達の肌がゴツゴツとした装甲のようなものに覆われているのとは対照的に人間の肌に近いのが分かるだろう。

 

 まだ10代前半くらいだろう少女は男しかいないと言われている巨人達からすれば、半分程も細く。

 

 体型もガッシリとした巨人の成人男性からすれば、まるで違う種族のようにほっそりとしている。

 

 大きさだけではなく。

 

 種族的な特徴も持ち合わせない少女は周囲の巨人族の大人達が巨大なドーム内のあちこちで自分達の住まう為の家具の立て付けやら造られた寝台やら部屋を区切る為の石製のパーテーションを内部に運び込む様子に微笑んでいる。

 

 唯一、彼女が巨人族の中でも王族などに見られる特徴である白い髪や肌、黒々とした瞳をしている事だけが彼女の出自を証明していた。

 

 クルクルと丸まった羊毛にも見えるくせっ毛が緩やかに背中で揺れる。

 

「う~ん。おねーさまが言ってた通り、貴女って見れば見る程に巨人族って柄じゃないよね~」

 

 巨大な少女の前にあるテーブルの上。

 

 ティーカップらしいモノの柄に腰を下ろしている少女が肩を竦めていた。

 

 銀髪のショートカット。

 

 フリルの付いた紅の上下は半袖に短いスカート姿。

 

 やたら金糸が使われて北部では貴族風である武具などに蔦が着いた意匠が各所に入れられており、その武具は牙の象形。

 

 両手両足の装具は格闘の為のものなのか。

 

 幼い拳を保護する指の出たグローブに厚いゴム製らしき靴まで履いている。

 

 だが、拳よりも怖ろしく見えるのはその鋭い両手だろう。

 

 形は人間と同じでなのだが、指先は金属質の装甲が連なったかのようで爪は短いものの、その切っ先は鋭利だった。

 

 顔は何処か高貴なのだが、妖しい少女は長い犬歯を見せて、何処か悪戯っ子ようなに笑みを浮かべる。

 

「そーう?」

 

「そうそう……わたしもまだ13だけど、長命な巨人族で10歳って言うのもスゴイ珍しいし」

 

「ん~?」

 

「貴女なーんにも知らないの? 巨人族って言うのはねぇ。長命で子供を男女で造らないから、一人親の戦士が儀式で子供を増やすのよ? だから、他の種族と違って大昔からあんまり世代交代してないんだって、おねーさまが言ってたわ」

 

 得意げに話す活動的そうな少女に羊毛っぽい巨人少女が首を傾げる。

 

 よく分からないという顔であった。

 

「こらぁ~何を純粋なメルさんへまた吹き込もうとしてるんですか!! エネミネさん!!?」

 

「あれ? メルってメイって読みじゃなかったっけ?」

 

「巨人語は略称や一部の母音が曖昧でもいいんですよ。戦場言葉が主流だったので。って、そうじゃなくて!?」

 

 遠方からバッサバッサと羽搏いて来る人型が一人。

 

 大きな竜の尻尾をぶらんと垂らして懸命に三対有る翅で飛んでティーカップの淵に立った。

 

 機械化された蜥蜴人間っぽいヴァルハイルの殆どの民には翼が無い。

 

 竜頭もしくは竜角と時折、優秀な血筋の者に1対の翼が生えるかどうかというのが彼らの姿であり、竜の鱗も多くは受け継がない。

 

 しかし、2人の少女のところに跳んで来た彼女は違った。

 

 竜頭と竜角は無く。

 

 三対の透明な翅らしき細く半透明な明るい黄色の翼はソレが物体ではなく魔力だと見る者が見れば、理解するだろう。

 

 ついでに巨大な尻尾はあるが、鱗が無く。

 

 これもまた半透明で翼と同じ色合いをしていた。

 

 どちらもまるで工芸品のような文様が浮き出ており、竜というよりは妖精に近いようにも見える。

 

「はぁ~~小煩い行き遅れがまた来たよ~~」

 

 やれやれと首を横に振るエネミネと呼ばれた少女が肩を竦める。

 

「いき―――こ、これでも私はまだ18歳です!?」

 

 思わず憤慨した彼女が顔を引き攣らせる。

 

 透明感のある黒みのある金髪を背中まで伸ばした彼女は父さな丸メガネの下で目を怒らせた。

 

「やーい。クーラのイキオクレー」

 

「イキオクレー?」

 

「な、何を教えてるんですか!? メイさん!? 私はイキオクレーではなく。先生!! 先生ですから」

 

「せんせー?」

 

 白い巨人族の少女がやって来た彼女クーラに首を傾げる。

 

「ええ、そうです。私はこう見えて、お二人の保護者の方からしっかりと教育係を請け負っている立派な教師役なのです。うんうん」

 

 胸を叩いて逸らすエッヘンと言いたげな彼女の胸は実際豊満だ。

 

 ついでに腰まで細いし、臀部もしっかり安産型だ。

 

 ワンピースタイプのドレスは仕事用なのか。

 

 暖色系の暗いベージュ色だ。

 

 しかし、薄い布地でピッチリしており、下着の線までしっかり浮いていたりする。

 

 クーラと呼ばれた彼女は自覚が無いように肉体美をしっかり周囲へ見せ付けていた。

 

「………はぁ、出会って2日のせんせー、ね?」

 

 その体系の良さと自分を見比べたエネミネと呼ばれた全体的に貴族っぽい少女が溜息を吐く。

 

「エネミネさんとメイさんにはこの【ドラコーニア】の賢者。クーラル・ドラコ―ニアがしっかりきっちり手取り足取り女性としての基礎をお教えしますからね?」

 

 フフンとメガネをキラリ輝かせたクーラが学習させてやる学習させてやると呪い染みて今日のお仕事を開始しようとした。

 

 彼女の仕事は正しく女性教育であり、年頃の少女達に色々と教える為に雇われたのだ。

 

「せんせー。がくしゅーよーのお部屋がありませーん」

 

 投げ槍にそうエネミネが真実で彼女を攻撃する。

 

「うぐ?! こ、個室は後回しなんですから、仕方ないでしょう!?」

 

「じゃあ、お外に行くのがいいとオモイマース」

 

「昨日、喋っていたら、いつの間にか逃げてたじゃないですか!?」

 

「それはせんせーが話し出すと回りが見えなくなるせいだとオモイマース」

 

「くぅ……痛いところを!!? で、でも、今日はしっかり聞いて貰いますからね!!」

 

「えぇ~~クーラの話つまんない。ね~メイ~」

 

「う~?」

 

 巨人族の少女メイは首を傾げる。

 

「はぁぁぁ……もぅ、どういう話なら聞いてくれるの? エネミネさん」

 

 仕方なく少女達に最初に興味を持ってもらうのが先かとクーラが訊ねる。

 

「え? う~~ん。あ、そうだ。ニアステラの英雄の話してよ。大人達が言ってたヤツ」

 

「単なる噂話じゃないですかソレ……仕方ありません。じゃあ、今日は外で授業します。付いて来て下さい。昨日みたいに途中でいなくならないで下さいね?」

 

「「はーい」」

 

 こうして巨大なドーム内部からイソイソと彼女達は出掛ける。

 

 目指すのは街区の端がそろそろ届きそうな最も近い黒蜘蛛の巣であった。

 

 *

 

「ニアステラの英雄と呼ばれている存在はどうやら流刑者だったようです」

 

 三人はメイの肩にエネミネが乗り、クーラは地表を浮遊しながらという形になった。

 

「知ってるよ~アレでしょ? スゴイ素質があって、すぐに呪紋を覚えて強くなった挙句にウルガンダ倒しちゃったんでしょ?」

 

「いや、もう詳しく知ってるじゃないですか!? エネミネさん!?」

 

「え~、大人達が言ってるようなのじゃなくて、もっと深いところが知りたいなー。物知りなクーラ先生は知ってるよね~? まさか、知らずに説明したりしないよねぇ~?」

 

 ニヤリとしたエネミネを見て、クーラがようやく自分が何をどれだけ知っているのか試されているのだと理解した。

 

「ふ……そうですね。ええ、ニアステラの英雄は確かに流刑者でスゴイ素質の持ち主。あの伝説の魔蟲ウルガンダを討伐し、従えたとなれば、戦士としても最高峰という事になります」

 

 メガネを抑えて、先生をする彼女は情報を脳裏から引っ張り出す。

 

「それでそれで?」

 

 クーラの瞳がキラリと煌めく。

 

「ニアステラの英雄にはお嫁さんがいます!!」

 

「そーなの?」

 

「そう~?」

 

 2人が感心を寄せた様子で訊ねるのに内心でシメシメという顔になるクーラであった。

 

「ええ、それもアルマーニアの当主。その妹さんです」

 

「え? こっちに来てすぐ結婚したって事? 手ぇ早過ぎぃ……」

 

「そういう事ではないのですが……」

 

「じゃあ、どーいう事なの?」

 

「アルマーニア側は当時、西部へと来た時、ニアステラ側が陣取っていた場所に攻撃を仕掛けて返り討ちにあったそうです」

 

「へぇ~~あのワンちゃん達がね~」

 

「アルマーニアはこの時、最も強い氏族最強の男とその郎党を送り込みました。ですが、彼らが一人残らず死体で返され、同時に不意打ちで相手を襲ったと言われたとか」

 

「それでどうして当主の妹がお嫁に行ったの?」

 

「簡単です。彼らの強さが尋常ではない事を感じ取った当主がニアステラとの戦争を回避する為に頭を下げて、彼らとの交渉団を逸早くに送った事からそうなったと聞きました」

 

「要は想定してたより強くて人質を出したの?」

 

「いえ、交渉中に反乱があったそうで、互いの情報交換をしていて、神降ろしの情報を教えてしまった後にニアステラへ攻め入る一団があり、それを鎮圧後に譲歩する形で輿入れしたとか」

 

「つまり、運が無かったの? そう言えば、おねーさまがアルマーニアの今の当主は若輩って言ってた」

 

「ですが、結論として最良の選択をしたと言えるでしょう」

 

「ま~あの蜘蛛全部眷属とか。明らかにオカシイもんね」

 

「ん~?」

 

 彼女達が歩く道の周囲には街区の造営中である蜘蛛達があちこちの石切り場から運び込まれて来た巨大な岩の塊を加工し、次々に組み合わせて家の土台や道を敷く作業をしており、彼女達が通り掛かって歩き去る間にも道端は舗装され、大量の土砂や岩はが精霊が選別して寄り分けられ、必要な現場に運び込まれていた。

 

「また、ウルガンダの能力によって強者を取り込む事で怖ろしい蜘蛛を量産出来るとも言われていて、噂では御伽噺の亡王エンシャクすらも打ち倒して、蜘蛛として自らの戦力にしているとか」

 

「え? あの御伽噺の? グリモッド滅ぼしたヤツの事でしょ?」

 

「エンシャクさんは~まもってる~エンシャクさんにつかまるな~むしのおばけにされちゃうぞ~♪ たいじゅのおばけにくわれちゃう~よるにねないこつれてかれ~♪」

 

 メイが北部の童謡を謳う。

 

「メイさんの言う通り。グリモッドにおいて我らの祖先と争った彼の王は地表から姿を消し、当時の人々を地の底に引きずり込んだと言われています。ですが、それは真実だったとか」

 

「へ~~じゃあ、冥領もあるって事?」

 

「ええ、仕入れた話では今や冥領とニアステラが繋がっていて、蜘蛛達の道があるんだそうです。北部では多くの種族が御伽噺と言っていましたが、旧い種族程にいつかエンシャクの軍と戦う時の為に多くの備えがされていたのです」

 

「おもしろーい♪」

 

「そっかな? う~ん……そもそもエンシャクさんがどれくらい強いか分からないし、単なる昔話としか他の種族の子みんなが思って無かったけどなー」

 

「今も存在し、霊達を誘っていると言われる“緋王”ことエルガドナ・レイフェット王は実在の人物であり、恐らく未だグリモッドの自らの城にいるとされています。彼の御伽噺で出て来る亡者の王はエンシャクの事なのです」

 

「グリモッドを継ぐ者。この島で最後に死ななきゃ行けない存在、だっけ?」

 

「ええ、この島で緋霊として生まれる者は殆どいませんが、いないわけではありません。ですが、その殆どが緋王の血筋や何かしらの縁を持った種族に彼の魂の一部が転生して出現しているというのが術師達の間では専らの噂です」

 

「死んでないのに魂が転生するの?」

 

「彼は自らの魂をこの島の輪廻の輪に分けて投げ入れていると言われています。いつか、自分と同等の存在が産まれて来るようにと……」

 

「ひおーさまはひとりきり~♪ ろうにゃくなんにょをいっしょくた~♪ こいしたひともゆうじんも~おやもはいかもいっしょくた~ともにうたかたあわせうた~♪ いつかもどりてうまれこん~♪」

 

 メイがまた童謡を謳う。

 

「そうそう。それです。上手ですね。メイさんは」

 

 パチパチと拍手されて上機嫌なメイはルンルンと揺れる。

 

「ちょ、危ない、危ないってぇ~~」

 

 エネミネが思わず揺れて少女の首にしがみ付く。

 

「ふ、ふぅ、それで話が逸れてるんだけど」

 

「おっと、これは失礼しました。今現在、緋霊として北部で知られているのは【謀略のヘクトラス】。【奇眼族ヴァロリア】の現在の長。そして、今嫁いだとされているアルマーニアのヒオネ姫だけです。故に最初に教えておこうと思いまして」

 

「あのロクガンオー様がねぇ。知らなかった」

 

「ふふふ、公言してませんからね。あのお方は……」

 

「何でクーラは知ってるの?」

 

「秘密です」

 

 そう先生役の彼女はウィンクするのだった。

 

 こうして彼女達が黒蜘蛛の巣へと歩いている最中。

 

 その向かう先の巣の頂上には灰色のムキムキ蜘蛛が一匹。

 

「………“北部からの風が変わったか”(。-`ω-)」

 

 北から南東部へ流れていく霊の流れを見やりながら、巨体をムニムニと自分の脚の関節を自在に動かしつつ、足先で揉んでいた。

 

「“この輪の効果は絶大”……“後しばしの辛抱”……“我が前世の願い程度は訊いてやろう”……“我が主の戦いに資する限りにおいてな”―――【亡王エンシャク】」

 

 彼は一人呟きながら。

 

「(。◎`ω◎)」

 

 ギョロリと瞳だけ、本来のモノにしていつもよりも遠方まで見やる。

 

「――――――それが心残り、か。いいだろう……道は開かれた……“正しく死ねる世界”……それが貴様にとって最後の戦いか。狙う神は……救世神? ならば、征くがいい」

 

 蜘蛛の前に不可糸によって肉体が形作られていく。

 

 それは嘗て冥領にて少年達が打ち破ったはずの強大な存在に見える。

 

 ソレが魔力を封入され、呪紋を付与された瞬間、瞬時にその場から消え失せた。

 

 だが、一本の糸だけがムキムキ蜘蛛の前には虚空に融けながらも張っている。

 

 蜘蛛は沈黙する。

 

 そして、目を閉じてしばし北部で起きる騒乱を聞く事にしたのだった。

 

 *

 

―――北部中央域オクロシア首都エンブラス【黒二重城】正門。

 

「ヘクトラス様。御戻りで?」

 

「此処でまだやる事が出来たのでな」

 

 北部に大小ある邦々の中でもオクロシアは中堅国程の領土を持つ邦。

 

 主に眼球を発達させた人外。

 

【奇眼族ヴァロリア】達の住処である。

 

 ただし、彼らの姿は多種多様だ。

 

 あちこちの種族の者達が寄り集まったような節操の無さがある。

 

 理由は明快に彼らが多数の奇異の瞳を持つ者達で構成され、肉体の本来の種族的扱いは別にカテゴリされるからだ。

 

 だから、アルマーニアの【奇眼族ヴァロリア】もいれば、巨人族もいる。

 

 他にも多数の種族から魔眼、奇眼、多眼と呼ばれる者が此処には集まっている。

 

 元々は北部で吉兆や強者となれる素質がある存在が争いを呼ぶ事から、各種族の教導隔離地域としてオクロシアが設定されていた。

 

 それが邦となったのは数十年前の事。

 

 左程多くなかったオクロシアの住民達は同じような存在と交わる事で増え、一国程もある共同体を形成し、他種族に対して国家としての独立を叫んだ。

 

 結果、何度か鎮圧しに来た敵を撃退した事で他種族は済し崩しで彼らの国家としての地位を認め、今後も異常な瞳がある者を受け入れる事を条件に独立を容認。

 

 現在に至っている。

 

 若い邦という事で城もまたそう大きくない。

 

 中央地域の荒れ地に広がる中堅国となれば、食料生産が少しでも損なわれれば、飢餓待った無しである為、裕福でも無い。

 

 だが、それ故に最も強く。

 

 同時に謀略に長けた者が王として選抜され、今日も彼らは生存していた。

 

 精々が巨大な要塞一つ程度の王城は黒い壁で立てられており、その殆どの地表施設は防衛設備しかない。

 

 彼らの居住区他の殆ど、生活に必要な設備は地下にある。

 

 故にオクロシア……伝説のノクロシアのようになれと付けられた国家唯一の城は【黒二重城】と呼ばれて地表と地下でどちらも異様とされている。

 

「灯りはお持ちしますか?」

 

「いや、いい。城の者達の様子は?」

 

「王の言を疑う者はおりませんよ」

 

「そうか……西部はこれから地獄になるが、此処よりはマシだと思いたいものだ」

 

「無論、付いて行きますとも」

 

「苦労を掛ける」

 

 城の中は全てが黒い。

 

 あらゆるものが黒く塗られ、あらゆる生活用品に黒以外の色は無い。

 

 例外は水だけという有様なのは全て敵に全容を見せぬ為だ。

 

 彼らの大半は瞳を発達させ、殆どが夜目どころか真なる暗闇ですら赤く光らせた瞳で何もかもを見渡す事が出来る。

 

 この為、敵を幻惑し、全てを闇に沈める城は今も難攻不落として名高い。

 

 地下への階段に入ったヘクトラスは全ての予定が狂ったのも気にせず。

 

 いや、気にしても仕方ないと自らの玉座に帰還する。

 

 現在、オクロシア周囲にある西部への道にはヴァルハイルに分からぬように軍の荷車に偽装した移民の群れが入り込んでおり、ひっそりと1日五千人単位で西部へと送られていた。

 

【奇眼族ヴァロリア】の半数は元からそう多くなかった事で既に脱出しており、北部に残る殆どの者は成人男子もしくは軍人だ。

 

「我らの王のご帰還だ」

 

「王よ。西部はどのようなところでしたか?」

 

「王よ。新たな命令でしょうか」

 

 城を護っていたツワモノ達が背後に付き添って彼に尋ねて来る。

 

 いつの間にか彼の背後は隊列を組む者達で溢れていた。

 

「鬱陶しい。貴様らにさせる事など命掛けの戦以外には何も無いとも」

 

 それにそう答えた王の後ろ姿を見て、黒いフードに黒い鎧、肌を黒く染めた男達は笑う。

 

「では、戦ですな」

 

「ヴァルハイルの強行偵察師団が先日、首都に引き上げて行きました。恐らく、別の場所で使われるものと思われますが……」

 

「まぁ、十中八九西部だ。何かしらの呪紋か技術でドラクを送るのだろう」

 

 その言葉に後ろの者達がざわめく。

 

「本来、貴様らには此処でヴァルハイルの主力軍に対して消耗戦を仕掛け、最後の一兵になるまで死守、陽動させる事に為っていたわけだが、話が変わった」

 

「どのように?」

 

「まさか、生かして我らを運用するおつもりで?」

 

「そのまさかだ」

 

 男がようやく長い通路を歩き切り、自らの黒い玉座に座る。

 

 同時に周囲には要請による灯が点された。

 

 黒い外套に全身鎧を纏う者達は光に照らし出されて尚、闇に何処か滲んでいる。

 

「西部から客が来る」

 

「ほう? この難攻不落の城にまさか外部の者が?」

 

「街の公会堂で会うばかりの王がまさか誰かを連れて来ると?」

 

 彼らの言葉は最もだ。

 

 この黒き城は正しく敵を引き込んで殺す為だけのものであり、誰か外部の者を入れる事は想定されて造られていなかった。

 

「そうだ。連中に此処を貸し出す事になった。代金は爆華40万本」

 

 そこでようやく今まで騒がしく陽気だった全身鎧達が静かになった。

 

「貴様らにも分かり易く言おう。反抗作戦だ」

 

「……ヴァルハイルを引き込んでの消耗戦。女子供を逃がしての籠城戦。敵の起こした爆発に体を粉々にされるのが仕事と思っていましたが、まさか?」

 

「西部を護る為にヴァルハイルの野戦軍を一部撃滅して釘付けにする。敵主力の漸減及び破壊。更に戦略目標は【四卿】だ」

 

 その言葉で周囲がどよめく。

 

「ははは、まさかまさか。あの謀略しか出来ないはずの我が王が戦に打って出るのですか? その御客人達と共に?」

 

「馬鹿馬鹿しいと前なら一刀両断するところですが、どうやら本気のようだ」

 

 兵達が今度こそ苦笑を零していた。

 

「ニアステラの英雄と彼が率いる遠征隊による大遠征の拠点として、我が城を貸し出す事になった。期限は 西部が攻められるまでだ」

 

「各種族の連合軍が押し戻されつつあるこの時期にですか?」

 

「ああ、そうだ。貴様らには四卿の襲来もしくは四卿を引き込んでの殲滅時に死んでもらう可能性がある。連中ならば、恐らく四卿が1人までなら確実に殺せる実力だ」

 

 そこで男達は本当にそんな存在がいるのだろうかという互いに顔を見合わせる。

 

「現在、我が邦が接する戦線は20里先にある。種族連合が一時的に押し返した場所でもある。此処に四卿が来るという情報を得た。奴らが来る前に敵野戦軍への襲撃で数を減らし、同時に相手を我が方の陣地に引き込んで消耗させる」

 

 男が指を弾くと彼の背後に巨大な地図が呪紋で浮かび上がる。

 

「戦力が足りるとは思いませんが?」

 

「戦力は兵器の数で補う。西部から爆華と同時に幾らかの装備と薬が降ろされる事になった」

 

「薬?」

 

「死に掛け、四肢の無い寝た切りを叩き起こして戦わせる薬だ。失ったはずの四肢付きでな」

 

「―――ッ」

 

 その言葉に多くの者がどよめく。

 

「現在、オクロシア内にいる12万の傷病兵を全て再び野戦に向かわせる。戦うのが怖くて今更逃げ出すも何も無い以上、戦って貰う」

 

「食料は? ちなみに兵糧は城全体、オクロシア全体で30日分を切っていますが」

 

「全て西部から輸送されてくる。半分以上は食料ではなくて酒だがな」

 

「酒?」

 

「呑めば2日動ける酒だ。食料の方も合計で我が国が2ヵ月以上食えるだけのものが明日、明後日までに運ばれてくる。その為の用地を城の横に用意する。直ちに掛かるぞ」

 

 男達が何も言わずに敬礼し、王の号令ですぐに城の外へと向かう。

 

 空前絶後の作戦になる。

 

 彼らの脳裏には確かに新たな戦場が、少なくとも籠城して有象無象の虫けらのように焼き殺されるよりは良さそうな死に様が脳裏に焼き付いていた。

 

 もはや、傷病兵と看護する兵隊でパンクしていたオクロシアには再び業火がくべられ……戦場は過熱を待つかのように静かに燻ぶり始めていた。



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第46話「フェクラールの豪傑Ⅳ」

 

―――西部フェクラール北東域【転移の遺跡】。

 

 今現在、西部において最も混雑しているのは間違いなく山岳部の岩壁の上にある遺跡であった。

 

『降りるぞぉ!! 全員中央に集まれぇ!!』

 

『クモコワイクモコワイクモコワ―――』

 

『だ、大丈夫よ!? 蜘蛛に食べられる時も一緒よ!!』

 

 高さ120m程の断崖の内部にある遺跡からは巨大な呪紋式の浮遊する昇降機が10台以上設置されており、急遽掘られた出入り口付近には大量の移民達が200人くらいで一杯になる巨大昇降機の石板に乗って西部へと降り立っている。

 

『本日の分は終了だぁ!! 昼飯にするぞぉ!!』

 

『はーい。皆さん。こちらへどうぞ!!』

 

『その旗を持った蜘蛛さん達に付いて行って下さいねぇ』

 

『ちゃんと3日分の食糧は持ちましたかぁ!!』

 

『途中ではぐれないように子供達には悪いけれど、縄で腰を大人の人と繋いでねぇ!!』

 

 多種多様な種族達が第一陣の後に続けて毎日やって来ているフェクラールは現在、異様な程の速度で山岳部の岩肌が削られ、大量の石材が消費され、莫大な木材がすぐに消費され、燃料には竜骨の魔力による炎の呪紋が多用された。

 

 結果として西部に合計40基造られた黒蜘蛛の巣の下に造営された街では通常よりも竜骨の魔力の消費速度が速くなり、人口の増加に伴って消費される大量の食糧も含めて、各地で巨大な生産地帯が昼夜無く稼働している。

 

『(。-∀-)?』

 

『\\\( ´A`)』

 

『(;´∀`)///』

 

『\\\(´艸`*)』

 

 種まきから収穫までリケイが専門に組んだ呪紋による育成促進方法で、爆華に関しては安定して一つの畑でも安全に1000本単位で収穫が可能になっている。

 

 しかし、それとは違って通常の食料がそう簡単に作り出せるわけではない。

 

 幾ら育成を早くしても時間が掛かるのだ。

 

 基本的に蜘蛛達の居場所に必要なのは魔力を引き出せる竜骨である。

 

 爆華の液体で再生させる事でずっと使い続けられるわけだが、爆華とは違って食料用の産品の多くは自然由来のものが殆どであり、ニアステラにおいても巨大な生産地帯では爆華が呪紋や土地改良で大量生産されている以外は殆ど食料が住民の数に反比例して必要無かったのだ。

 

『フゥ。種をパラパラしてるだけで良かったのになぁ。前まで』

 

『愚痴るな。あの麦以外にも種を取ったらしい例の野菜類だが、どうやらヤバイ代物らしいぞ』

 

『そんなにか?』

 

『何でも植えると麦と一緒で畑を枯らすらしい。でも、それもすぐにあの黒いドロドロを使うと数日で回復するとか』

 

 大規模な食糧生産を迫られた事でニアステラもフェクラールも食糧事情はひっ迫していた。

 

 とにかく生産が通常の状況では間に合わない。

 

 爆華の畑を広げるついでに食料用の畑も広げたが、昼夜無く整備したとしても畑に使う肥料なども考えると、とてもではないが時間が足りない。

 

 餓死者がザックリ万単位で出る……と当初は思われていた。

 

 それが覆ったのは黒蜘蛛の巣が想像以上にヤバイ機能を備えていたからである。

 

 アルマーニア達に供給されている食料の大半は現在、ニアステラからではなく。

 

 近くにある黒蜘蛛の巣の下にある畑から供給されていた。

 

『それにしてもこの小麦もこの野菜もデカ過ぎ……畑も養分吸われ過ぎだな』

 

『育ち切ると畑に雑草一つ生えて無くなるもんな……』

 

『カラッカラだし……』

 

『ちげぇねぇちげぇねぇ。つーか、本当に大地を枯らして恵みを得るってもんだよなぁ……』

 

『なのに、2日で元に戻るからな……あの黒いドロドロ危ねぇよなぁ』

 

 原理はこうだ。

 

 超巨大作物の成る種が少年から各地に配布される。

 

 配布された種で即日収穫出来るデカ作物が実る。

 

 一部を種にして一部を収穫する。

 

 畑の養分が枯渇する。

 

 数日で黒い真菌による働きで養分が元に戻る。

 

 この繰り返しによって5000人ずつ増える北部勢力の移民達は養われていた。

 

 勿論、持ち込んだ牛馬のような家畜を喰うわけには行かないわけだが、肉が食いたいという要望にも応えるのが少年である。

 

『つーか、一番やべぇのはあの畑だろ?』

 

 黒蜘蛛の巣の中でも特に奥まった場所に儲けられた黒い沼地。

 

 そこには巨大な黒い繭が大量に生えており、蜘蛛達がその内部から切り出すものは明らかに正気が削れそうなものだ。

 

『何で肉が畑から取れるんだろうなぁ……』

 

 持ち込まれた牛馬豚鶏などの一部が少年に提供された後。

 

 すぐに出回るようになった肉類は完全にアウトな生産方法で畑から取れるのだ。

 

 真菌による細胞増殖能力、更に栄養を与えられて、少年が小麦に使っていた危ない薬で無限に再生する肉片となり、無限に収穫されている。

 

 骨から剥ぎ取った肉はすぐに不可糸で梱包されて新鮮な内に各地の移住者達の食卓へ送られるのである。

 

『いや、でも、本当の本当にやべぇのはあの便所じゃねぇか?』

 

 だが、最もニアステラの者達がやべぇと思ったのは便所だ。

 

 増えた大量の移住者達の糞尿は何故かまったく貯まらない便所と言う名の綺麗な“黒い便器”のある場所に集積されている。

 

 はずだが、臭いどころか一切の細菌やウィルスが感知されない綺麗好きには堪らないスポットになった。

 

 ソレが地下で真菌の巣を張っており、大量の糞尿を分解しながら吸収し、必要な栄養素を地下茎のような管を通して畑に直接還元し、同時に肉の畑への栄養として供給しているとは誰も思わないだろう。

 

 しかも、足りなくなりそうな栄養素そのものが最初に地下へ少年とガシンによる【飽殖神の礼賛】による“自身の肉体”という形で埋蔵されている。

 

 それが消費され切る前に糞尿の形で回収される栄養素もあり、現在のフェクラールは完全に需要に対して供給が過剰なレベルで食料の在庫は大幅にプラスへ転じていたのだった。

 

『あ~やめだやめだ。気が滅入るぜ。とにかく、肉と野菜とパンが食えりゃなんでもいい!! 考えるな!! 感じるな!! 美味いってだけで十分だ!!』

 

『その内、兵隊まで採れそうだな』

 

『ははは、違いねぇ……違いねぇが、もう何も言うな』

 

『う……ま、まぁ、無いと信じようや。呪紋なんぞ手を出すべきじゃねぇってのはアレ見た後だと身に染みるぜ』

 

 こうして西部への移民は破綻する事なく進んでいた。

 

 しかし、多くの者達がその事実に気付くのは少し後の事であり、彼らの正気は幾分か削れる事になる。

 

「昨日、見学を申し込んでいたクーラルと申します」

 

「(>_<)/」

 

「本日はよろしくお願いします。スピィリアさん」

 

「(/・ω・)/」

 

「よろしくねー」

 

「よろしくー」

 

 黒蜘蛛のの巣で見学しようとしたら、人出が足りなくて案内出来ないから、明日と言われた彼女達が翌日に黒蜘蛛の巣の内部に続く小さな検問所に入っていた。

 

 話を聞いていたスピィリアの一人が蜘蛛形態で頭を下げ、見学者という腕章を彼女達に渡し、付けたのを確認すると頷いて歩き出す。

 

 今日は社会見学という体でニアステラ側の拠点を見てみようという話しになっており、座学よりもそっちが良いという2人の生徒達も乗り気。

 

 こうして彼女達は現在住居が急ピッチで造営されている西部の中央の離れた場所まで遠足気分でやって来ていた。

 

 造営されているアルマーニアの街区は広がり続けているが、西部の自分達が住みたい場所に住めばいいという話を聞いて、やって来た種族達はあちこちにある黒蜘蛛の巣を見学し、入居予定まではアルマーニアのいる街区で暮らすという事になっている。

 

 その為、すぐに居住可能ではない場所はまだ無人の街ばかりだ。

 

「おぉ~~畑があるわ」

 

「ほんとだー」

 

 何も無い畑。

 

 そこにやってきたクーラ達が歩いていると何やら大きな種のようなものを体の上に載せてやってくる蜘蛛達を見付けた。

 

「あれって何?」

 

「なーに?」

 

「(/・ω・)/」

 

 おーいと手を振る案内役のスピィリアに手を振って返した蜘蛛達が畑を少し広い等間隔で整列し、畑の中央に向かって歩き、その種を植える。

 

 そして、何事か呪紋をキシャーっと詠唱すると土に接した場所から種が根を張って、瞬時に大きくなり始め、フワフワそうに見えた土がゆっくりと色を変えていくのが彼女達にも分かった。

 

 巨大なソレは根を瞬時に畑のあちこちに蔓延らせ、最後には根すら枯れた様子になると巨大な穂が垂れて実の集合体が頭を垂れる。

 

「「「―――」」」

 

 その穂が出来た時点でシャキンと前脚で根本を刈り取ったスピィリア達は巨大な数百kgでは利かなそうな小麦(巨大)、正式名称【ビシウスの麦】をすぐに手分けして解体し、次々に集まって来る他のスピィリア達と一緒に荷車に載せて、精霊がそれを倉庫へと運んで行った。

 

 残された明らかに荒れ果てたような畑。

 

 しかし、蜘蛛達が農地から畦道に出ると農業後の植物の残渣が残る場所が瞬時に地下から湧き上がって来る黒いドロドロによってヒタヒタになり、ゴポリと動いたソレが消えると根や刈り取った後に出たゴミは一欠けらも無く。

 

 また、土が少しずつ肥えたような色合いを取り戻し始めていた。

 

「……クーラ。呪紋でこんなに小麦って成長するものだっけ?」

 

「い、いえ、そんな事ありませんよ!? ふ、普通は……というか、あの小麦も大き過ぎますし、アレも呪紋の能力で肥大化させたものなのかすら分かりません」

 

「すごーい!!」

 

「(>_<)/」

 

 次に参りまーすと案内役のスピィリアが看板片手に彼女達を率いて今度は肉畑の方面へと向かっていく。

 

 そこでも彼女達は驚きに目を見張り、この場所がどういうところなのかが本能的に分かり始めていた。

 

 途中、彼女達も自分達が居住する街区で使われている黒い便器を見て、ようやく何か黒いものが彼女達の生活を支えているのだと気付いた後。

 

 酒場で昼食となった。

 

「「………」」

 

「うまーい♪」

 

 彼女達は料理が得意なスピィリア達による牛肉の香草焼きとパン、蒸し野菜、爆華ジュースを無料で振舞われ。

 

「美味しい。美味しいけどさぁ……」

 

「うまーい♪」

 

「ま、まぁ、アレを見た後だと。ええ、言いたい事は解りますよ。エネミネさん」

 

 純真なメル以外、エネミネとクーラは複雑な表情になっていた。

 

 巨人族らしい大食いを発揮したメルの居場所は外のテラス席だ。

 

 巨人用の椅子とテーブルが置かれており、スピィリアに聞いて見れば、不可糸を使って文字を書き起こす看板に何処に巨人族が来ても良いように少なからず用意してあるとの答えが返って来た。

 

 それだけでもスピィリア達の賢さが分かる。

 

 昼間は不可糸は遮光せず。

 

 同時に真菌が色素を落としているので大樹は竜骨が外部からの光を増幅しているせいもあって、極めて明るい。

 

 造営されている街区だけではなく。

 

 黒蜘蛛の巣の外延部では見えない精霊達が専用の道具を動かして土砂を掘り起こしていたり、巨大な岩を運んでいたりと忙しない為、街には活気があった。

 

 昼間に眠っている蜘蛛達が上空の見えない巣の天井や街の出来上がった建造物の軒先から不可糸でぶら下がって寝ている様子を見れば、此処が本格的に動くのは夜なのだろう事も理解しただろう。

 

「あの~今日はこれで終わりでしょうか?」

 

 そのクーラの問いに看板を持った誘導役のスピィリアがもう一か所回る場所があると文字に起こして、食事を終えた彼女達は共に黒蜘蛛の巣の中心に向かう。

 

 巨大な竜骨の塔は半透明な真菌の細胞に包まれていて、何処か幻想的だ。

 

 竜骨製の構造体、多数の空洞を繋ぐ空中回廊と螺旋階段で繋がれている内部は一番下の階層が最も広く。

 

 広大な場所には現在、大量のドラクが寝かされていた。

 

 その周囲では複数のスピィリア、ドラコ―ニアが二匹の蜘蛛達を中心に集まっており、その最中ではリケイが何やら蜘蛛達に不可糸で虚空に文字を書き連ねて講義している。

 

「つまるところですじゃ。このドラクは呪紋をやたらと連動させて、一つの事をする集合呪紋とでも言うべきもので成り立っており、その鍵となるのが個人を認証する呪紋。この呪紋の魔力の流れさえ理解出来れば、鍵と接続していない部分はすぐに動かせる。このように」

 

 言っている傍からリケイが片手を横に伸ばすとすぐ傍に置かれていたドラクの片腕が人間の腕のように関節を折り曲げる。

 

「まぁ、四肢の動きを真似る呪紋ですな。操り人形というよりは義肢を動かす呪紋のようなものを複数の呪紋の結合で可能にしている」

 

 魔力の糸らしきものがリケイの手から伸びて、切断された腕の内部の断面に触れると幾何学模様が奔った腕が更に指を折り曲げたり様々なジェスチャーをし始める。

 

「結果として霊力による物質変異で鍵の部分を破壊すれば、このまま運用するまで時間は掛からないが、これでは芸が無い」

 

 リケイが横のフレイとゴライアスを見やる。

 

「なのでもう一工夫し、我らだけのドラクというコレを造ってみようという事になったわけですじゃ」

 

 フレイとゴライアスが無傷のドラクの上に乗る。

 

 互いに自分の真下の機体に黄金と灰色の魔力らしきものを流し込みならがら、キシャーッと普通の蜘蛛達がするような声で詠唱した。

 

 すると、ドロリとドラクの全身が溶けて広がり、瞬時に彼らの肉体を覆うようにして復元されていく。

 

 だが、復元されていく装甲はキラキラと煌めいており、ついでに彼らを模倣するかのように蜘蛛型となっていた。

 

 基本的には二匹と同じ形で同じ色合いであるが、大きさが14mを超えていた。

 

「(/・ω・)/」

 

 おぉ~~と感心した蜘蛛達がパチパチと前脚や手で拍手する。

 

「これへ更に爆華を主体とした攻撃用の灼撃矢に類する装備を大量に積んで相手に遠距離から投射。ドラクに積まれていた呪紋を圧縮して、任意の形で機材から噴出する事で特定用途に使う。という理屈を真似て、呪紋の変形強化用の兵器を装着しまして」

 

 二匹が傍に置いてあった大型の箱を背負う。

 

 その内部からは何かを放射状に放つ為のものらしく。

 

 前方に向けてパカッと開いていた。

 

「例えば、このように爆華の爆発を相手に降らせるのではなく。相手に不可糸で狙いを定めて接着。箱内部のソレを相手に誘導して当てるという芸当も出来る」

 

 二匹が箱の内部から大きな円盤状の物体をラックから引き出した。

 

 フリスビーのようにも見えるソレには横手に糸を結んでおく為の丸い輪のような突起が付いていた。

 

「相手が近付いて来れば、糸が切れぬ限りは誘導して跳んでいくわけですからな。必ず当たる。他にも炎属性の呪紋の出入り口を絞って、火力を増す装備やら、ガシン殿にまた作った指輪の呪紋を用いて、霊力や魔力を回復させる装備もありますじゃ」

 

 蜘蛛達はもはや口を開きっぱなしで手を叩きっぱなしだ。

 

「というわけで、ゴライアス殿の基礎能力にフレイ殿の呪紋を用いて、相手のドラクを再利用出来そうな素質のある者達を纏めたわけです」

 

「(・ω・)?」

 

 そうなの?という顔の蜘蛛が多数。

 

「丁度、100名程。残りは直掩のドラコ―ニア達に回して、白霊石の備蓄も持っていく手筈」

 

 リケイがニコリとした。

 

「明日には北部へ出発し、まずは実戦で試しましょう。ちなみに冥領のアルヴィア達は現在、ゴライアス殿の特訓を受けて、小さくなれるまで強くなる途中……彼らが小さくなれたら、こちらに合流する手筈ですじゃ」

 

 二匹の灰色と黄金の巨大化した機械蜘蛛がバコッと脱皮でもするかのように手足を機械蜘蛛の内部から引き抜いて、下に落ちて来る。

 

「内部構造は全てドラクの流用である為、基礎的な部分は変わらず。そこに我らの性質と霊力による物質従属による威力が加わりますじゃ」

 

 虚空にドラクに自分を足して更に強くという文字が躍る。

 

「肉体を防護する装甲と機構を内部で編成し、呪紋で肉体に合うように変化させるのは難事でしょうが、一人で出来ぬならば全員ですれば良い。取り敢えず10人で試し、調整を。選抜した為、能力的には可能なはず」

 

「(>_<)/」

 

 ハーイと片手を上げた人型蜘蛛型の彼らが一緒になって灰色のムキムキな肉体を得ると次々にドラクに取り付いて部位毎に変質させて流動化する程に溶かした後、それを仲間の体に纏わせて再構成していく。

 

 これは正しくフレイとゴライアスが一人でやっている事を分担した形であった。

 

 次々に蜘蛛達が巨大化した機械蜘蛛として変化を終え、ババーンと大きな前脚を上げてアピールする程度には自在な動きを見せる。

 

「「「………(´・ω・`)」」」

 

 そうして20分もせずに蜘蛛達は全員が機械化装甲を身に纏い。

 

 全身に魔力の幾何学模様の光を奔らせて整列。

 

「やはり、呪紋と親和性の高い金属ならば、こうも簡単に……是非ともヴァルハイルの首都の技術と金属資源、頂きたいものだ」

 

 リケイの左右でフレイとゴライアスと満足した様子でウンウンと頷きながら、部下達の装甲に触れて、更に何か禍々しい感じに変質させているのを見ながら、三人の少女達はトボトボと帰途に着く事にした。

 

 彼女達は悟ったのだ。

 

 西部コワイトコ、と。

 

 何故に長年多種族が解明し切れないドラクの秘密が何か物凄く簡単な原理で動いてますみたいなザックリした説明で解明され、呪紋やら能力やらで変質して乗っ取られ、まったく新しい装甲になるのか。

 

「訳が分かりません!!?」

 

 そう最後の良心として遅れてツッコミを入れたクーラに対し、『いや、遅いわよ』という顔のエネミネが溜息を吐くのだった。

 

「それにしてもあの蜘蛛……特にあの二匹……とんでもない魔力量してたわね。あれ、ロクガンオー並でしょ」

 

「あれーイゼクスのけはいー」

 

「そ、そうですね。何故か、黄金色の蜘蛛さんからはイゼクス神の気配もしてましたし、そもそもあの呪紋……ほぼ失われた魂や霊力を扱う系統な気が……」

 

「そう言えば、冥領って言って無かった?」

 

 エネミネの言葉にクーラが額に汗を浮かべる。

 

「御伽噺の地獄というのは冥領エルシエラゴのはずですが、もしかしたら彼らは地獄すらも踏破しているのかもしれません。ニアステラの遠征隊……一体、どんな化け物なのか。疑問は付きませんね……」

 

 クーラが眉根を寄せて、本当に西部に移住して良かったのか?という顔にりはしたが、すぐに思い直して今日の授業を終える旨を告げる。

 

「いつもより早いけど、何かしにいくの?」

 

「いくのー?」

 

「ああ、実は昨日夕方にアルマーニアの街区でお店を見付けまして」

 

「お店?」

 

「おみせー?」

 

「ええ、物凄く面白いものを買う予定なんです」

 

「物凄く?」

 

「ものすごくー?」

 

「ふふ、行ってみますか?」

 

「いくー!!」

 

「そうね。そういうのは喜んで行くものよね。せっかくのお誘いなんだし」

 

 彼女達はイソイソとアルマーニアの街区へと向かっていく。

 

 ちなみにアルマーニアの街区にある店は繁盛していた。

 

 主に未婚の成人男性達で。

 

『な、何なんですかコレぇえええぇえ!?』

 

 クーラが見付けたのはスピィリア達がやっている店だったのだが、不可糸を編んだ布に魔力で色付けして様々な質感の光沢を再現し、様々な情景を騙されてしまう程に再現するというものであった。

 

『へ、へへ、まさか、こんなもんがか、買えるとはな!!?』

 

『う、いい……いいぜ。こいつぁ……震えて来やがった!?』

 

 蜘蛛達の中でも芸術に目覚めた数匹が始めた店はまだ殆どの者に知られておらず。

 

 基本的には絵画のような景色を写し取って額縁に飾ったり、壁に掛けて楽しむ事を想定していたのだが、一人の恋する男が想い人の女人を蜘蛛達に描かせた事で人気が爆発。

 

『おお、愛しき人の毛並みまで完全再現!?』

 

『乗るしかない!!? この波に!!?』

 

 再度クーラが行った時には肌色の健康的な女人達が水浴びしている絵が飛ぶように売れていた。

 

 ちなみに貨幣の無いニアステラとフェクラールでは通貨の代りに物々交換もしくは特定の仕事によって価値が交換されている。

 

『働くよ!!? 働くから!? だから、これを後1枚くれ!? 1枚でいい!?』

 

『うぉぉおぉぉお、我らのアラミヤの姿態が今此処にぃい!!?』

 

 だが、一部のアルマーニアの男性達はその“絵画店”からの依頼で自分達の就いている職種の技能をスピィリア達に教える先生として夜間などに働く事で商品を買う事になる。

 

 肌色な女性達が乱舞するアルマーニアの成人男性御用達のムフフな絵画ばかりが並ぶようになった店にクーラは明るい内に来られなくなり、後で時折時間を見付けてはこっそり通う事になるが、それはまた別の話。

 

「すごーい!! ほんとうにいるみたーい♪」

 

「……アルマーニアでも男って変わらないのね。ホント」

 

「どうしてこうなるのぉー!? 社会見学なのにぃ~~!?」

 

 社会の見学はしっかりと果された次の日。

 

 フェクラールに集結していた戦闘職向きのスピィリアとドラコ―ニア達は山岳部の遺跡の内部にある巨大な呪紋のある場所に大量のブニョブニョした金属流体の塊を連れて来訪。

 

 そのまま北部へと向かったのだった。

 

 彼らの主が来るまでに自分達の仕事を終えておく為に……。

 



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オクロシアの崩壊編
間章「日々の覚書」+第47話「オクロシアの崩壊Ⅰ」


 

 

 近頃、夢を見る。

 

 今までずっと生き残る為に戦って来たはずなのに……いざ、安定し始めて命の危険が薄れてしまったからか。

 

 今までは夢なんて見る暇もなく。

 

 毎日疲れて泥のように眠っていたのも嘘のように疲れなくなったのが大きいのかもしれない。

 

 見知らぬ少女達がある日、馬車でやってきて遠征隊に加わる夢とか。

 

 大きな黒い船が何隻もニアステラの浜辺に浮かんでいる夢とか。

 

 その黒い船が大陸の艦隊と激戦を繰り広げ始める夢とか。

 

 彼が怖ろしい気配のする馬のような下半身の神と戦う夢とか。

 

 でも、一つだけ怖い夢があった。

 

 それは私に夢の中の相手が話し掛けて来る夢だ。

 

―――薄ら寒い極寒の夜の最中。

 

 巨大な星空を見上げる黒い何かの夢。

 

 天蓋無き場所に座す何かが永遠の星空を見上ながら、時折吠えては天に向けて星の如き煌めきを吐き出して、遥か天の先を穿つ夢。

 

 銀に煌めく瞳。

 

 紅の星を吐く口。

 

 蒼き燐光を零す爪。

 

 白き骨の翅が見える翼。

 

 黒い全身を覆う鱗。

 

 周囲に噴き出す紫雲。

 

 黄金に輝く肉体。

 

 そして、全てが混沌とした時、透明となったソレは嘶き、嘆き、吐息を零すのだ。

 

『稀人か。妖精共め……番の力無くしては育たたぬように謀ったか』

 

 ソレがこちらを見て薄らと瞳を細めると。

 

 まるで身動きが出来なくなるような、息苦しくなるような重圧に体が凍えて。

 

『だが、解せぬ……祖たる者無くして両瞳覚醒するものでは……いや、いや、孤独ではない? 対となるは……そうか、人の身では揃う事無き隻瞳は世代を継いで双つの星となるか』

 

 ソレが大きく口を開いて私の方に向けて。

 

『そして、参つの星が輝くならば、確かに妖精共の謀り事は悪戯とは呼べぬ』

 

 ソレはこちらを何処か図る兼ねるような仕草で口内を……地獄のような輝く底を露出させて。

 

『監獄に育つは星の華か。されど、まだ間に合う。まだ……ヤツが目覚める前に貴様を滅すならば、再び妖しき女神は砕け散る』

 

 大きな口から自分を滅ぼす何かが来る。

 

 なのに夢は目覚めない。

 

 そして、誰が此処に来る事も無い。

 

 だから、死んで目覚めてしまうのだと。

 

 そう怖くて怖くて目を閉じて。

 

 ふと誰かの声を聴いた。

 

『見付けたのでしょう? 永久の騎士様を……ならば、お仕え為さい。幼い貴女が望んでいた時のように……貴女はいつだって、こう言っていたでしょう?』

 

 懐かしい声が、手が頭に優しく触れて。

 

―――御伽噺の騎士様がいたら、今度はわたくしが助けてあげたいんです。

 

 それはずっと昔々、大好きだった家に伝わる絵本の話。

 

 妖精騎士様の話。

 

 永久の騎士様の話。

 

 妖精の剣を手に入れて多くの人達を護った騎士様が最後に向かった戦いの話。

 

 妖精の女王に人々の安寧を願った騎士様は永遠を護る仕事に就いた。

 

 この世の全てが今も明日も過去も全ての世界が安寧でありますように。

 

 そう願った騎士様は一人……ずっと一人でこの世界を見守る星となった。

 

 だから、一族には約束がある。

 

 いつか、妖精の騎士様を、永遠の騎士様を見掛ける事があったら、その時は御勤めは果たされたのだと教えてあげる事。

 

 それが一族の者達の悲願なのだと御伽噺は語るのだ。

 

『馬鹿な……祖にも満たぬはずの力が、我らが階梯を揺るがすというのか。これが……』

 

 自分の後ろに立つ人に振り向こうとして出来ず。

 

 でも、声だけは届いた。

 

―――いと高きに座します御方に願い奉る。

 

―――どうか、その御力で幼き芽に新たな道啓く力を。

 

 私がその人の名前を呼ぶ前に何もかもが白く染まって。

 

………お母さん。

 

 これは夢の話。

 

 でも、私にとってはまた戦うべき理由が増えた話。

 

 いつか、母に会う日に誇れるように。

 

 また一つ生きる理由が増えたというだけの話。

 

 夢の先で今日も彼の背中しか見えない。

 

 そんな未熟な私にとっての小さな決意と覚書。

 

 いつか見返す日が来る事があると信じて、今日も前に進もう。

 

 

 

 

―――2日後、オクロシア南端。

 

 その日もオクロシア国境線を攻めているヴァルハイルの部隊は前線で種族連合の部隊と激戦を繰り広げていた。

 

『右翼から迂回して来ているぞ!! 第二大隊、大弩弓効力射!!』

 

『敵兵より距離を取れ!! 呪紋の効果範囲に来るとやられるぞ!!』

 

『さ、左翼の一部部隊が壊乱しています!!? 巨人族の部隊です!!』

 

『クソ!? 隣の戦線じゃなかったのか!?』

 

 現地では次々に戦う者達が入れ替わり立ち代わり、あちこちで互いの戦力を削り合いながら一歩も引かぬ戦いを強いられている。

 

 本来ならば、戦線はもう押し戻していなければならないはずであった。

 

 しかし、ヴァルハイルの士気低下は思ったよりも深刻であり、多くの兵達が裏切りや他の疑問に目を向け始めた事で軍事行動の効率は大きく下がり、全体的に苦しい戦いを強いられていた。

 

『想定上に相手さん粘り強いですよ。隊長ぉ!!』

 

『分かってる!! 合同呪紋が来る前にとっとと仕事終わらせるぞ!!』

 

『うぇーい!!』

 

 それは攻められている者達も同じであった。

 

 死者よりも多いのは大量の怪我人である。

 

 彼らが後送されて、各戦線では軍の兵の損耗率がヴァルハイルとは比較に為らぬ程に高くなっている。

 

 装甲に護られていない彼らは次々に相手の攻撃や呪紋で負傷し、呪紋ですら治せないような傷の者は後方に下げられて、傷病者用の病院や現地の野戦傷病者用の天幕に放り込まれ、その数はもはや都市を形成出来る程になっている。

 

 何とか呪紋や諸々の人出を掻き集めて介護していたが、それでも手は廻り切らずに糞尿を垂れ流して死んでいく者もいた。

 

 そんな彼らの悲惨な戦場の後方地域。

 

 此処に何かが起きる事はまだ多くの者が知らない。

 

 しかし、オクロシアから運び出される移住者達の列が途絶えて、今日の分の人数が消化された地に先日起きて以来、二度目の異変が起きていた。

 

『時間だ。ヘクトラス様の言う通りなら……あの蜘蛛共の本隊が到着するぞ』

 

 複数の目を持つ獣型の人外達が遺跡の中央。

 

 広大な領域を持つ体育館程の暗い地下領域の壁面全てに呪紋の灯りが浮かび上がるのを見て、時間通りの到着を確認した時。

 

 光が溢れて彼らが思わず目を庇う。

 

 その後、何とか同じ景色を目を細めながら見た瞬間。

 

 ドズンッという音と共に何かが落着し、彼らは言葉を失った。

 

 次々にその領域の天井に大量の光る精霊が展開され、内部の光景が露わになる。

 

『―――ッッッ』

 

 彼らが見たのは山であった。

 

 本当に地下領域の全てを埋めてしまうのではないかという程に山となった木箱と樽の山であった。

 

『ひ、人を集めろ!!? 思っていた以上だ!? だが、これならば!!?』

 

 ヘクトラスの部下達が喜びに沸く。

 

 その彼らは山の内部に道が出来て、精霊達に動かされた大量の荷物の内部より誰かが出て来るのを確認する。

 

『ッ、お待ちしておりました!! ニアステラ遠征隊の方々ですね!!』

 

「そう。この荷台にある樽だけ一緒に運ばせて欲しい」

 

『了解致しました!!』

 

 荷馬車の列であった。

 

 しかし、馬車というのは聊か違うだろう。

 

 何故ならソレを引いているのは蜘蛛と精霊達だったからだ。

 

 先頭車の御者台に乗っている少年が手を上げて合図するとガラガラと20台程の馬車が一列で進み始め、地下からの坂道を上がっていく。

 

『一体、あの樽は……』

 

『余計な詮索は無しだ。ヘクトラス様からも厳命されている』

 

『は、はい。それにしても本当にこの山のような食料と酒が……』

 

『酒ではない。栄養補給用の爆華の発酵させていない希釈液だそうだ』

 

『え……爆発物なのですか!?』

 

『違う。ギリギリ爆発しない程度まで薄めているそうだ。ただし、火気厳禁。飢えている者達に食料の代りに各地の配給所で配るそうだ』

 

『そういう事か。それにしても……貴重な爆華を使った液体がこれだけ……』

 

『どうやら、ニアステラは爆華の栽培に適していて、呪紋を用いて栽培を早めているとか』

 

 兵達が荷物を運び出す為の増援が来るのを待っていると荷馬車の最後尾から蟲系人外という北部では見ないような種族の少女が紙を一枚兵達に手渡すとペコリと頭を下げてから荷馬車に戻っていく。

 

『ええと、何々? 第一陣……オイ、人を集めろ!? 5時間後に第二陣、更に5時間後に第三陣、合計で第14陣まで来るぞ!?』

 

『は、はぁああぁ!? この山が後十四回ぃ!?』

 

 大騒ぎになる兵達は次々に人が来るのを見て、貴重な食料の入った木箱を突貫で次々に運び出し、それでも次の到着までに手が足りないとまだ残っている傷病者の看護者達にも食料と引き換えに出動を要請。

 

 次々に運び出されていく木箱には大量の乾物にした肉、果実と小麦が山のように入れられており、多くの者達がゴクリと唾を呑み込んでこれ幸いにと一番初めに運び出す仕事をしている者達がそのご相伴に与る事になったのだった。

 

 *

 

 そろそろ滅びそうな程に疲弊しているオクロシアの首都が次々に入って来る大量の食糧に嬉しい悲鳴を上げている頃。

 

 黒い城の横には天幕が大量に立てられ、運び込まれた大樽の中身がスピィリア達によって慎重に現地で集められた大量の水で希釈され詰め直され、市街の後送されてきた者達がいる地域に運び出されていた。

 

 城の黒い兵達と共に樽が次々に運び出される様子はこれから配給でも行うのかという様子に見える。

 

「……霊薬、か。御伽噺にもそう言えばあったな。放棄された何処かに眠る死なぬ竜が護りし“命の泉”を用いれば、忽ち腕が生えるとか」

 

 ヘクトラスがそんな風に呟いている間にも次々に現地で供給される大量の食事をしてから飲ませるようにと蜘蛛達が看板で兵達に処方の仕方を教えていた。

 

「オイ。アンタがヘクトラスだな」

 

 ガシンが仲間達を引き連れてやってくる。

 

 少年は一人やる事があるからとゴライアスとフレイのところで何やら話し込んでいた。

 

「ガシン・タラテント。遠征隊の切込み役か。ようこそ我らが都オクロシアへ」

 

 恭しく男が頭を下げて見せる。

 

 オクロシアの都や今や呻きと汚物、大量の生きているだけの人外に溢れた夢の島であり、巨大な傷病兵の人口を養えずに全ての資源が枯渇しつつある魔境だ。

 

 家々の多くが無人となって、代わりのように大量の寝た切りがその時を待っているせいでゴーストタウンと言うには生々しく生き地獄が其処にはある。

 

「……王様ってのも大変だな。生憎と礼をされる覚えはねぇな。どの道、自分達の為にやってる事だ」

 

「ほう? 戦略的に見てもおかしな量の支援を無理やりこちらに押し付けて来る者達が言うには面白い台詞だ」

 

「あいつの提言だ。誰も文句は無かった。それだけだ」

 

「隊長。アルティエ殿か……」

 

「ヴァルハイルが壁超えをして来る前に戦力を削って、山越え出来ないように諸々の仕込みをするんだと」

 

「その為に秘蔵だろう霊薬まで持ち出すのか」

 

「そっちに渡した霊薬の他にも秘薬だの何だのは持って来てる。全て、傷病者用だ……ウチの医者先生のお墨付きだが、人間にしか試してない」

 

「それならもうウチの兵で試した。随分と高価な薬ばかりだ……」

 

「あいつが畑で量産させてる分だ。誰からも文句は出ねぇ。で、オレ達の仕事の為に戦況なんかを報告してくれると助かる」

 

「解った。こちらに」

 

 城横の天幕の内部。

 

 数名の黒い鎧の男達が詰めていた。

 

 その前にあるテーブルの地図には北部の台形の地形に大量のコマが並べられており、ヴァルハイル軍と種族連合、更にオクロシアの位置もしっかりと書き込まれていた。

 

 地図の中央では赤がヴァルハイル、蒼が種族連合の駒とされているようだが、概況は歪でどちらも押し込んでいる部位があり、どちらも押し込まれている場所があるという状況になっている。

 

「ヴァルハイル軍は精強だ。いや、精強だった。だが、今は混乱の最中にあり、一部押し戻したが、またその分を押し戻されている最中だ」

 

「北部の半分くらいがもうヴァルハイルの影響下なんですね」

 

「ホントだ……殆ど赤の駒で取られちゃってる」

 

 フィーゼとレザリアが北部の地図の大半がヴァルハイルに抑えられている様子に本当に今はギリギリの戦いになっているのだろうと理解する。

 

「我が国からヴァルハイルまでは邦二つ分の距離がある。ただし、それも戦況を見れば分かる通り気休めだ。ヴァルハイルの厄介なところは兵が殆ど兵器以外の消耗品を必要としないところにある。距離的な兵站の負荷が驚くほどに少ないのだ」

 

「どういう事ですか?」

 

 フィーゼとレザリアが首を傾げる。

 

「ヴァルハイルの兵は例外なくドラクに乗っている。アレは魔力と雷の力で動くのだが、それさえあれば、兵そのものが食事や排泄もする必要なく戦い続けられる。壊れた四肢は取り換えればいいし、兵器や消耗した装甲も全て交換すればいいわけだ。生身の兵士に無い利点だ」

 

「そういう理由か。で、傷病兵ばっかりのこっちは戦力が足りねぇと」

 

「相手の戦略はこちらの消耗を狙っている。その為に大量の田畑が焼かれた。さすがに塩を撒くような事はされていないが、我らが滅びるまで焼き続けても別にあちらは構わないわけだ」

 

「で? 傷病者を再訓練するのにどれだけ掛かる?」

 

「大雑把に使うのならば、元の部隊に補充する形になる」

 

「それでいい。ただ、こっちの要求は?」

 

「最精鋭に関しては調べてもう勧誘しておいた」

 

「話が早ぇ。こっちとしては明後日には攻撃に移りたいんだが、可能か?」

 

「種族連合の部隊には増援と共に作戦の指揮系統をオクロシアに変更する旨は伝わっている。戦況に合せてこちらから先に命令を出せる状態だ」

 

「解った。じゃあ、明日までにして欲しい事がある」

 

「何だ? 可能な事ならば伺おう」

 

「今すぐ軍を下げさせて、後退させてくれ」

 

「……被害が出るのだが」

 

「出ないさ。あいつらに出撃命令が下った。ウチの隊長のお墨付きだ」

 

「つまり、殿軍をそちらがすると?」

 

「いや? 攻撃命令だ」

 

「………詳しく訊こう」

 

「一番敵が薄い地点は?」

 

「此処だ」

 

 ヘクトラスが戦場のど真ん中を指す。

 

「どうして此処なんだ? 普通端だろ……」

 

「ヴァルハイルの軍の戦略は常に戦域での部隊の制圧している地域の厚みを均一に保つ事で消耗する兵隊が後退する退路を確保している。消耗したら、消耗した分だけ後ろから戦力が出て来て後退。相手を撃破する事が非常に難しい」

 

「厚みが均一なら何処狙っても一緒って事か?」

 

「そうだ。戦線が押されている場所は同じ厚みでも迫り出している事になる。つまり、削った分だけ薄くなる」

 

「あ~~つまり、押されてる途中に逆撃すれば、削れたところが薄くなると」

 

「そうだ」

 

「なら、いい。あいつらがどうにかする」

 

「あいつらとはあの蜘蛛達の事か?」

 

「正確には二匹。いや、2人だ」

 

「……フレイとゴライアスと呼ばれている個体か?」

 

「少なからず、そこらの兵隊10万集めて来るよりはマシなはずだ」

 

「……了解した。では、後退させた部隊に起き上がった傷病兵を吸収させて、すぐに編成を開始する。何か支援は?」

 

「必要無い。オレ達はこれからあいつらの後方から戦域を見る仕事があるんでな。これでお暇させて貰うぜ」

 

「了解した。一つ聞いても?」

 

「ん?」

 

「アルマーニアの隊員は? ヒオネ姫と御付きがいたはずだが……」

 

「あっちは兄貴に止められて、西部でこっちの仕事に行ってる」

 

「そうか。なら、いい」

 

 すぐにガシンが背中を向けて引き上げていく。

 

 そのぶっきらぼうな様子に慌てて女性陣がヘクトラスに頭を下げると外で何やら青年を詰り始め、遠ざかっていった

 

「……ヘクトラス様。随分と軽くお流しになりましたな」

 

 部下達の一人がそう呟く。

 

「あの二匹が出るなら下げる程度は問題無い。問題なのは……」

 

 ヘクトラスの瞳が天幕越しに今も遠くで蜘蛛達に何か話している少年を見やる。

 

「遠征隊の隊長、ですか?」

 

 周囲の者達に頷きもせず。

 

「……動きだけは見張っておけ」

 

「了解致しました。それにしても……都の惨状を見ても顔色一つ変わらない連中ですな。奴ら……」

 

「顔色が変わらないのではない。割り切っているだけだろう。いや、そもそもの話、どいつもこいつも人の悲惨には慣れているようだ。年齢や姿通りと思わん方がいいぞ? ヒトというのは我らよりも余程に変化を来しやすいからな」

 

「変化、でございますか?」

 

「今日の赤子が明日の強敵になっても何ら不思議ではない。奴らを味方に付け続ける事が今の我らにとって重要である事を忘れるな」

 

 頭を下げた者達が次々に各方面への指示を出しに天幕の外へと向かっていく。

 

 そして、戦域を挟んで睨み合うオクロシアの攻略部隊と守備隊の戦いは突如として動きを加速させる事になるのだった。

 

 *

 

「はーい。こっちですよ~。お腹一杯食事をした方は薬を飲んで横に為って下さい。手足が治った方はすぐに見知った命が危険な方を連れて来て下さいねぇ~」

 

「おじさん達並んでよ~。食べ物なら死ぬほど食べさせてあげるから並んで~」

 

「オレらはいつから配給係になったんだろうな。あ!? そこのおっさん!!? 喰うなら全部喰ってからまた並べ!! 喰った後だ!! いいな!!?」

 

 ヘクトラスと別れた遠征隊の面々は戦域への出発前の時間を使って、霊薬の配布と食料の供給に尽力していた。

 

 薄暗い街並みは大陸と左程に代わる事もないが、時折巨人用の施設が建造物に混じっているのが少し違うだろう。

 

 大量の他種族の傷病兵が道端にすら並べられている一角は兵達が彼らの世話を纏めてする為に都市のあちこちに置かれている。

 

 天幕が足りず。

 

 かと言って1件1件回っていたのでは一都市程もある傷病兵の人口を世話する事など不可能である為の苦肉の策であったが、密集した彼らの放つ異臭は凄まじく。

 

 疫病を何とか防除する為に排泄だけはさせて、食事は自分で取らせるというのが後詰の兵達の世話の限界であった。

 

 片腕や片脚が無い者だけならばまだしも……下半身を失くしてもまだ生きているしぶとい種族やら、脇腹が半分なくなってまだ生きている種族やら……人外の生命力で生き延びて尚地獄というような者達が市街地には大量にいた為、もはや此処が地獄だとしても何ら疑いは無いだろう。

 

 しかし、そんな薄ら汚れた場所に大量の食糧と同時に霊薬とやらが供給されつつあり、傷病兵達は半信半疑ながらも蜘蛛といつも見掛ける兵とヒトの女のような存在によって蘇ろうとしていた。

 

『お……おぉ……なん、だ? か、体が……おぉおっ!!?』

 

『オレの、オレの脚が、う、蠢いて、は、生えて、きて、る、のか?』

 

『オレの指が!? 指が!? 何で、クソ!? うぉぉぉぉ』

 

 泣く者、叫ぶ者、驚きに固まる者。

 

 喜びよりも先に彼らは食事に泣き、体の異変に喚き、異臭の中にある自分の惨めな姿が少しずつ元に戻るという奇跡を前に震えて天を仰いだ。

 

 だが、オクロシアの街区全域でそんな事が起こっている最中。

 

 最も小さな異変は見えないままに進行していた。

 

 そろそろ夕暮れ時となる頃合い。

 

 街区に溢れた傷病兵の膿や糞尿や現れていない肉体の異臭が少しずつ失せていたのである。

 

 それが何故なのか。

 

 彼らは知らない。

 

『―――?』

 

 ただ、何かが肉体の上を通り過ぎたように思って目を開けたら、そうなっているというものが大半であった。

 

 彼らの膿も糞尿も垢も何故かその日、綺麗にこそげ落とされたかのように何処かへと消えてしまっていた。

 

 肉体に集るウジも蠅も消え去り、彼らの肉体に付着していた泥も黴も衣服に染み付いていた臭いも……何もかもが目を閉じいていた者達の周囲から消え去り、彼らは自分の上を何かが通り過ぎた事と、何かが街の影に蠢いて消えて行くのを確認していたのである。

 

 街区を一望出来る黒き城の塔の真上。

 

 少年が一人目を閉じて立っている。

 

 その姿は風に髪を靡かせて、一枚の絵画のようでもあった。

 

「何をしておいでかな? アルティエ殿」

 

 ヘクトラス。

 

 城の主が尖塔の上に昇って来ていた。

 

「食料の確保」

 

「………あの街区全土に蠢く黒いものは?」

 

「こっちの血肉みたいなもの」

 

「ふむ。蠢く黒……黴のようにも見えるな」

 

「見えてる?」

 

「此処を何処だと思っている。奇しくも瞳に問題を抱えた者達の邦だ」

 

「アレは人間の排泄物や代謝した垢、他にも動物の死骸や小さな蟲も栄養に出来る。普通の生物には毒になるようなものも分解して取り込める」

 

「オクロシアの不浄を糧に増えると聞こえるのだが?」

 

 背後に立つ男の声に頷きが返る。

 

「戦う前に自らの血肉を増やし、同時に多くの者達の衛生環境を改善しているのか。随分と便利な力だ」

 

「此処以外に傷病兵の受け入れ先は?」

 

「各地から全て此処に持って来させた。人の消える地域に置いておくのも不憫だからな……」

 

「兵隊は揃う。後は戦域に大穴を開けて、一時的に相手へ後退を促せば第一段階は完了」

 

「大穴か。確かにそちらの力ならば可能だろう。だが、【四卿】はそうもゆくまい。奴らは旧きヴァルハイルにあって真の強者だ。能力による相性を考えても、威力、精度、敏捷性、防御力、どれ一つとして種族連合には敵う戦力が無い」

 

「イーレイから聴いてる」

 

「どのように倒す気だ?」

 

「真の強者を殺すなら、絶対勝てない戦いに引き込めばいい」

 

「絶対に勝てない?」

 

「有名人の不利なところは手品の種が割れてる事」

 

「だが、対処……いや、対処出来るから、此処なのか?」

 

「そう……此処の地形や設備が必要」

 

「―――怖ろしいヤツだな。貴殿は……どんな手札を持っているものか」

 

「100万回負け戦を全力ですれば、誰にでも勝てるようになる」

 

「はははは!! なら、我らはまだ負けが足りないか。度し難い話だ」

 

 オクロシアの王は嗤う。

 

 それはまったく冗談にもならない程に負けを忌避した邦の王には出来ない相談に違いなかった。

 

「話は解った。兵には気にせぬように言っておこう。それでフレイ殿とゴライアス殿が出撃するようだが、広大な戦域をどうやって部隊も無く押し返すつもりなのか。ご教授願えるか?」

 

 少年が振り返って不可糸でいつもの糸蜘蛛を造って生命付与で動かす。

 

「これ」

 

「……呪紋で造ったモノを呪紋で動かすのか。ドラクを原始的にしたようにも見えるな。だが、この程度の品で連中を倒せるとは思えん」

 

「前にドラクを得た時と同じようにすれば可能。攻撃用の呪紋すら必要無い」

 

「何?」

 

「要は相手が攻撃をしても無駄な存在が相手を無力化可能ならそれでいい。まだ戦いすら起こってない。此処には狩りに来た」

 

「狩りだと?」

 

「【四卿】とやらが来る前にこの地域にいるドラクを全て持ち帰る。あの2人にはドラクを狩り尽くして貰う」

 

「―――お手並み拝見しよう」

 

 こうして2人の男が遥か彼方を見やる。

 

 地平線の果ての果て。

 

 今も戦いが続く戦域に向けて、黄金と灰色の蜘蛛は先行し、事を起こす為の準備の時間へと入った。

 

 それを数時間後に遠征隊が追い掛けて行く事となるが、それはまだ少し先の話。

 

 *

 

「こんにちわ。ヒオネと申します」

 

「ア、アルマーニアのヒオネ姫でいらっしゃいますか!?」

 

「は? いきなり過ぎない?」

 

「おひめさま~?」

 

 夕暮れ時、今日もドタバタと講義を終えた少女達がクーラの解散の声で自分の居住地に戻ろうとしていた時であった。

 

 彼らの前には巨人族達の一人が案内してきた少女が背後に2人の御供を連れてやって来ていた。

 

「いきなりの訪問。申し訳ありません。ただ、皆さんのご両親や保護者の方と話しを詰めていたら遅くなってしまって」

 

 その言葉に三人の顔色が変わる。

 

「お、お姉様にッ」

 

 エネミネは思わず蒼褪め。

 

「おとーさまに?」

 

 メルは小首を傾げ。

 

「お、お爺ちゃんと!?」

 

 クーラは緊張にプルプルしている。

 

「方々にはヘクトラス様よりお話が行っていたのですが、快く承諾して頂くのに調整が難航していたもので」

 

 ヒオネがニコリとする。

 

 その背後の頭上にはフワフワと呪霊少女エルミが浮かんでいた。

 

『何でわたくしが貴女の御守なんですか~わたくしそろそろ生き返りたいのよぉ~もぉ~~あのわたくしの騎士は戦争なんかに現を抜かしてぇ~~あ~~帰って来たら十本くらい矢を打ち込んでやりますわぁ~~』

 

「「「………(*´Д`)」」」

 

 三人の少女達には呪霊のエルミの姿がしっかり見えていた。

 

 ついでに悪態を着く少女が虚空でゴロゴロ転がってジタバタしている様子に『何連れてんだこの姫様……』みたいな顔にもなった。

 

「ああ、済みません。この方はエルミ様です。遠征隊の隊長であるアルティエ様の呪霊なのですが、今は置いて行かれてご機嫌斜めなのです」

 

 そんな説明が訊きたいわけでは無かった三人であるが、すぐにクーラが2人の前に立って先生らしくキリッとした表情で応対する。

 

「ヒ、ヒオネ姫である事は間違いないようです。緋霊である事も確認しました。それで我らに何の御用でしょうか?」

 

「そう警戒しないで下さい。実は皆さんには遠征隊の予備部隊として引き抜きが掛かっていたのです」

 

「「?」」

 

 思わずクーラの後ろで2人が首を傾げる。

 

「どーゆーこと?」

 

 巨人少女にニコリとしてヒオネがテーブルの上に跳び上がって腰掛ける。

 

「実は……」

 

 こうしてヒオネが話し始めたのはアルマーニアと北部勢力におけるニアステラとの関係や影響力についての調整が上層部で行われたという話だった。

 

 遠征隊に北部勢力の人材を入れて諸々の現状を直接的に伝える役割を持つ者を配置しようという事で若く才気があり、同時に重要な人物をニアステラの遠征隊に出向させるという事になったの言葉は少女達にも何となく想像が着いた。

 

「つ、つまり、北部勢力代表として遠征隊に関わる人材兼人質みたいな話でしょうか?」

 

「人質にはしませんが、要はわたくしと同じような立ち位置ですね。わたくしは実質的には遠征隊の隊員でしかありませんが、アルティエ様と婚約しているという形で参加しています」

 

「な、なるほど……事実上の地位と肩書は違うと」

 

「ええ、我々は今回、北部大遠征に連れて行って頂けませんでしたが、その代りに本隊であるアルティエ様がいない間の留守を預かる部隊を造るという目的で動いているのです」

 

「それで我々の保護者……三種族の長達に話を付けて来たと」

 

「元々はヘクトラス様が貴方達を引き受ける予定でしたが、大遠征に向かうアルティエ様達と仕事がある為、このヒオネがその任を引き継ぎました。今後はニアステラとフェクラールを往復しながら、訓練を積んで遠征隊としての活動の為に強く為って貰えれば幸いです」

 

「解りました。それで準備に関しては?」

 

「荷物はもう方々のおかげで纏めてあります。明日になったら二アステラの第一野営地へ向かって出発し、精霊の乗合馬車で1日掛けてフェクラールとニアステラを横断して貰います」

 

 まだ上手く状況を呑み込めていない三人であったが、ヒオネから未だ他種族との調整で忙しい彼らの保護者達からの手紙を渡されて、読み込んだ後に三者三様の顔となる。

 

「……お姉様の命令じゃ仕方ないかー。はぁ……」

 

「う~~? しばらく、おせわーになるよーにってぇ~♪」

 

「おじいちゃん。また、こんな勝手に……もぅ」

 

 三人が困るやら友達の家に遊びに行くようなノリになるやら、呆れるやらしているのを見て、背後の2人。

 

 ミーチェとアラミヤがニコリとした。

 

 余所行きの新人歓迎用の顔である。

 

「では、先生役のクーラさんにお二人の引率を引き続きお願い致します。荷物は精霊の引く荷車に置いてあるので、今日はウチに帰って明日此処から」

 

「解りました。お二人とも!! ちゃんと明日は来て下さいね」

 

「「は~い」」

 

「よろしい。それにしても……遠征隊……一体、どんなお仕事や訓練を……」

 

 クーラの疑問は最もだ。

 

「なぁに。簡単だよ。ちょっと薬を毎日飲んで山や崖を走って、呪紋をヒトのジジイに習うだけさね」

 

 アラミヤがそう肩を竦める。

 

「まぁ、嘘は言ってないわね。おねーさんは歳若い少女がするには過酷だと思うけれど……」

 

 ミーチェが目を逸らした。

 

「どうやら、気合を入れ直さないとダメそうです。お二人とも!! 北部の者として此処は訓練なんかに負けられませんよ!!」

 

 気合の入ったクーラの瞳が燃える。

 

 ヒオネは「素直な方なのですね……」と虚ろな瞳で少女達があの薬の餌食になる未来にちょっと同じ犠牲者が増えるのを喜ぶような笑みを浮かべた。

 

 みんなで落ちれば、地獄だって怖くない。

 

 いや、もう二度と飲みたくないと思っても飲まざるを得ない薬は毎日彼女達の朝には欠かせないものになっているのだ。

 

 特に最初の薬程の劇薬ではないにしても……日常的に飲まされる秘薬もまた大概な味をしている。

 

 日々能力が上がるのは良いとしても絶対に慣れない味は人生で最大のトラウマに違いなかったのである。

 

 *

 

―――オクロシア国境地帯【最前線】。

 

『物資の搬入を急げぇ!!』

 

『こっちの機構を三単位!! 何処にある!!』

 

『崩壊した脚部の霊力接続端子何処だぁ!!』

 

 ヴァルハイル軍というのは極めて少数精鋭である事を多くの者は知っている。

 

 とにかくデカイ、大きい、鋼の巨人。

 

 人型竜を模したドラクは彼らの肉体の延長線上であり、その機械化率は胴体部にまで及ぶ者も少なくない。

 

 ただし、それは極めて複雑な呪紋による残存生体部分の念入りな保護と維持が可能な者達だけに与えられた特権だ。

 

 殆どの兵は四肢と関節部までが殆どであり、その上にある装甲というのは生身を保護する意味合いが大きく。

 

 機体を動かすには雷と魔力。

 

 胴体部を動かすには尻尾の接続部位にある背筋に埋め込んだ供給機構からの魔力供給が欠かせない。

 

 言わば、ドラクは巨大な生命維持装置であり、破壊されても即座に死んだりはしないが、破壊されれば、長距離行軍での生体の無補給行動は不可能になる。

 

 食事排泄は元より代謝機能そのものを殆ど停止し、魔力によって肉体のエネルギーを食事などの物質的なものから代替し、僅かに出る老廃物は呪紋で全て処理し、半ば魔力で構成された肉体に近しいというのが彼らだ。

 

 ヴァルハイルの兵は生命としては著しく歪だ。

 

 行軍中の物質的代謝をほぼ止め、魔力で肉体を維持する生体兵器。

 

 故に彼らはどんな時も戦場においてドラクを降りる事は無かった。

 

『魔玉が足りないぞぉ!! 魔力供給停止で死にたいのかぁ!!』

 

『玉ぁ!! 玉ぁとっとと取って来い!! 第七倉庫だぁ!!』

 

『隊長ぉ~~逆関節用の一体成型機構が全然足りません!! 120人分以上有った【モルド】予備も使い切りました!! 補修用の資材も枯渇寸前です!? 幾ら我らの肉体たる【モルド】が耐摩耗性能が高いと言っても限界はあります。来週分の補給が今すぐに必要です!!』

 

『螺子と発条があるだけ良いと思え!! とにかく上からは【四卿】閣下の来援までに戦場の縦深と時間を稼げとのお達しだ!!』

 

『無理ですよぉ~~末端のオレらがどうこうしたって、他の戦線同様ですってぇ~~【モルド】で四肢置換して体を覆ってるって言っても全身モルドな上級将校じゃないんですよぉ~~!?』

 

『そうですよぉ~ドラクは衝撃や熱量は大半防いでくれるけど、接続部の神経機関や衝撃によるモルドの摩耗はどうにもなりませんしぃ~~』

 

『黙って口を動かせ!! 此処に来るのはヴェルゴルドゥナ様だ。半端な仕事をして処分されたいのか!?』

 

『ッ―――【器廃卿】とか最悪だぁ~~もう田舎に帰るぅぅぅ~~!!?』

 

『隊長!! オレ達、これから田舎に帰るんで!! じゃ!!』

 

『軍法会議で死刑になるのと今すぐにオレの弩で粉々になるの。どっちがいい?』

 

『まだ死にたくないですぅ~~!!?』

 

『“最古の四卿”とか~~ぁ~~オレらもあの方の“ドラグリア”の補修資材にされちまうんだぁ~~!!?』

 

『馬鹿な噂で愚痴ってる暇があったら、とっとと仕事をせんかぁ!!』

 

 ガヤガヤと喧しい戦場を睨んだ最前線から少し後方に置かれた小さな補給基地。

 

 基地と言っても倉庫と幾つかの整備用のハンガーしかない場所は雨ざらしであったが、次々に運び込まれてくる戦線帰りのヴァルハイル兵達が自らハンガーに倒れ込むようにしてメンテナンスを受けていた。

 

 彼らのいるところが基地であり、司令部である。

 

 前線を纏める司令部は各地域に置かれているが、それが補給基地を兼ねるのはよくある事であった。

 

『第七小隊半数がやられました!!』

 

『こちら第四小隊を引き継いだサエンテ少尉であります。敵軍の強固な防衛は著しく。相手も損耗していると思われますが、我が方の前線の兵が不足しており、数で戦力を拮抗されていて……押上げは不可能かと、う……』

 

『コイツ生身までイカレてるぞ!!? 衛生班!! 直ちに後送準備だ!! 緊急用の治療施設を開放し、応急処置後に高都方面の病院へ移送する!!』 

 

 次々に運ばれてくるヴァルハイルの兵達は満身創痍だ。

 

 相手を次々の兵を数倍の規模で消耗させているとはいえ、それでも呪紋による一斉攻撃や罠を張っての誘い込んだ包囲殲滅。

 

 更には単純に突撃中の地域に落とし穴が大量に掘られていたりと少ないヴァルハイルの兵は確実に葬られ、塵も積もればという具合で戦死者はゆっくりと積み上がっていた。

 

(クソ……上がテキパキと仕事を押し付けて来る時は大抵良い事が無い。このままでは戦線が膠着して動かすのも不可能になる。幾ら消耗戦はこちらが有利とはいえ限界だな……)

 

 大量の怪我人を見ていた基地の隊長。

 

 15mの機械竜が鎮座したままにあちこちへ指示を出しながら、周囲のセンサーを最大にして警戒を強める。

 

 押し返しているという事は流動した戦場で押し返される可能性がある事を意味しているのであり、その“もしも”は決して侮れない。

 

『………嫌な予感がする』

 

『嫌な予感なら毎日してるでしょぉ!!? あ~もう!? 隊長!? さっきの緊急搬送者のせいで生体補修用の医療携帯機構が切れました!!』

 

『それもか……何もかもが足りん。クソ』

 

『これ以上はこっちに持って来られても死なせるしかありません!! 生体破損時は此処以外の他の基地に頼んでくれるように前線の方へ言って下さい!!』

 

『あ~ごめんよ~我が愛しい子~~せっかく高都の第一聖鱗学校に入れたのにお父ちゃんお前の晴れ姿見れないみたいだ。ふぐぅ~~~』

 

『鬱陶しい!? 業務中に私的画像情報を閲覧しとる場合か!?』

 

 兵とて家族があり、生活がある。

 

 勿論、彼らの家族は後方地帯であるが、生活が破綻していないだけ、まだ種族連合の後方地帯よりはマシだろう。

 

『お前に最新の生身に付けるモルドまで買ってやったのに~~それも拝めないとかぁ~~お父ちゃん、保険金になってもお前の事は養うかんなぁ~~ふぐぅ』

 

『そろそろ止めんとオレがお前を保険金にしてやる……』

 

『何の事でありましょうか? 隊長殿!! それより、第四補給基地に事情を説明されては如何でしょう』

 

『クソが?! 勿論だとも!? 直ちに第四補給基地に事情を伝える!! しばし、待て。後、お前もう一度愚痴ったら降格処分だからな!? はぁぁ……オレも息子殿の心配くらいしたいものだ』

 

『そう言えば、隊長は娘さんもいましたよね。息子さんは良い伴侶も得たとか?』

 

『古参謀の出でな。良縁には恵まれるが、盾の一族に嫁がせるのには躊躇いもある。娘は気性が激しくていかんところもあって、しばらく顔も見ていない。父親としては失格だな……』

 

『何処の家も苦労してるんですねぇ』 

 

 こうして彼らが遂に新しい負傷兵を受け入れられない状況

になった時だった。

 

 ザリッとノイズ混じりに隊長と呼ばれた機械竜の耳に呪紋による通信が入った。

 

『―――こ……ら!!――第さ――しょ―――』

 

『(何だ? この通信不調は? 呪紋による通信の妨害? 今までこんな事は無かった。新しい種族連合側の呪紋か?)』

 

『た――ちに―――ぞ―――ふせ―――』

 

『何だ? どうした!? 何処の隊だ!!?』

 

 隊長が怒鳴ると僅かに通信が回復した。

 

『助けて、蜘蛛が、くもが!? あぁ゛!? オレの傍に、近寄るなぁあ―――』

 

 ブツンッと通信が切れる。

 

 呪紋の発信源が破壊された事を確認した彼が直ちに自身の部隊の一部を最前線が望める地域へ偵察に出す。

 

 操獣による先行偵察部隊が次々に猟犬。

 

 否、猟爬虫類的な蜥蜴達を放って、その視線を共有し、最前線地帯の異変を見る為に猛烈な速度で進めさせる。

 

(蜘蛛? 蜘蛛だと? まさか、アルマーニアを追い詰めていた時にフェクラール側から来たらしき蜘蛛というヤツか? あの鋼鉄騎士と戦ったとかいう?)

 

 此処は北部の中央ど真ん中である。

 

 アルマーニアの首都は占領されているし、もはや行き来も出来ない程に遺跡は破壊されたとも聞いている。

 

 であれば、何処から蜘蛛なんてものが来るのか。

 

 隊長の額に冷却液が流れる。

 

『悪い予感がする。直ちに現地の部隊に通達。即時後退!! 即時後退だ!! 現時点を以て!! この基地を放棄する!!』

 

『はぁぁぁあぁあ!!?』

 

 思わず彼の部下達が次々に動きを止めて驚いた様子で彼の方を向いた。

 

『な、何言ってるんです!? 隊長!!?』

 

 部下達の声が彼の下には次々飛び込んで来た。

 

『今、此処を抜かれたら、命令に逆らったって軍法会議ものですよ!?』

 

『構わん!! 前線で何かが起こっている!! 周囲の戦線の部隊にも一時後退命令!! 殿を残しながら急速離脱だ!!』

 

『知りませんよぉ!? 上から死刑宣告されても!!?』

 

『知った事か。上層部の失態は上層部が取ればいい!!』

 

 彼がすぐに現在の作業を中止させて、すぐに動けない者は他の直っている兵に任せて後方に下げようとした。

 

 だが、その時だった。

 

『何でだ!? どういう事だ!? 司令部!! 司令―――』

 

『馬鹿な!? 此処で無為に味方を失えと言―――』

 

 彼が発した命令に反発しようと声が次々に途切れて行く。

 

『隊長!!? 通信が次々に前線で途切れてます!!?』

 

『部隊の予想地点を出せ!!』

 

 巨大な竜の前に巨大な魔力で造った光の地図が現れる。

 

 その内部では彼らの間正面にある戦線の部隊の位置で次々に広範囲に渡って通信が途絶している事が解った。

 

『前線に何かあったぞ!! まだか!?』

 

 彼の声に偵察部隊が操獣の視線を共有した。

 

『―――な、に?』

 

 彼が通信先の偵察部隊と同じように固まったのも無理からぬことであった。

 

 最前線の一帯が白く蠢く何かに埋まっていた。

 

 本当に埋まっていると形容するのが正しい程に白い何かに埋もれて、彼らの前線部隊の機影がその内部に沈み込んでいた。

 

『こ、こちら第十七偵察小隊!! 謎の白いものに最前線が覆われている!! また、それが拡散して横に伸びているように見える!!』

 

『―――ッ、偵察小隊!! 直ちに後退しろ!! 味方には構うな!! 周囲の部隊にも後退を指示するんだ!!』

 

『りょ、りょうか―――』

 

『どうした!?』

 

 隊長が声が途切れて慌てて問う。

 

『何だコイツら!? 一体何処から!?』

 

『小隊長!? た、助け!? こいつらオレ達の搭乗口を開けてきますぅううう!!!?』

 

『閉めろぉ!? な、何で締まらないんだよぉ!? このっ、閉まれ閉まれよぉ!!?』

 

 バツンッと通信が途絶して、隊長が最後に見えた操獣の視線から白い小さな小さな蜘蛛達が大量に機体へ群がられた事を理解していた。

 

『蜘蛛が……搭乗口を開ける? 意志ある蟲……ウルガンダの眷属か!?』

 

 大量の冷却水を額に浮かべた隊長が即座に後退を始めている味方を護るように周囲に向けるセンサーを最大にする。

 

『感知機構に掛からない? いや、いや!! 違う。違うぞ。あちらでは見えていた。だが、最初は見えなかった。そう考えるなら、相手は―――』

 

 彼が正解に辿り着こうとした時。

 

 ガゴンッという音と共に彼の胸元の搭乗口が一人手にロック解除され。

 

―――。

 

 彼は機体に必ず備えられている非常時の外部からの手動開閉機構がある首元に白い脚のようなものを確認し、即座に叩いた。

 

 瞬間、ベシャッと彼の指先が首元で何かを潰すが、ソレがハラハラと解けて白く細いものに変化していく。

 

(糸!?)

 

 シュルッと彼がハッチを自身の意志で占めるより先にハッチが白い何かによって強制的に全開とされてギギギギッと自動開閉機構が軋む程の圧力を受ける。

 

 シャカシャカと何かが彼の下まで走って来る音。

 

 そして、彼は自分の頭部に何かが乗った瞬間全てを理解した。

 

『クソ……見えない霊体化した操獣だと? しかも、これそのものすら呪も―――』

 

 彼はそのまま意識を落とされた。

 

 頸部の魔力を全身に供給するコネクターが一刺しで破損し、魔力供給の停止で瞬時に意識がブラックアウトしたからだ。

 

 スゥッと姿を露わにした仮初の命を与えられた糸蜘蛛達が次々に群がり、ドラクの巨大なシステムに繋がった兵達の四肢を糸を太くしながらギリギリと締め上げて切断し、次々に中身を担いで最前線へと戻っていく。

 

 そして、搭乗者を失った機体が次々と糸で番号らしきものを額に張り付けられ、糸蜘蛛達の海の中でゆっくりと最前線からオクロシアの方へと流されていった。

 

 彼らは勤勉だ。

 

 倉庫の資材から倉庫そのもの、機体整備用のハンガー、大量の機体整備用部品、ソレらを根こそぎ糸で両断し、解体し、あるいは木箱のまま自分達の海に流して運び去っていく。

 

 襲撃は極短時間の事であった。

 

 その夜が明けるまでの7時間でオクロシアの最前線から全てのドラクとヴァルハイル軍の基地、人材が消え失せ……全て国境内に運び込まれている様子は想像を絶して喜劇的に見えるだろう。

 

「………………」

 

 ヘクトラス達が明け方に其処を見た時、ドラクの総数は総勢で3000体弱にも上り、捕らえた将官は12人、下士官が400人、更に末端の兵が2000人以上という有様であった。

 

 軍そのものの強奪。

 

 とでも言うべき状況をヴァルハイルの総司令部に報告する者は無かった。

 

 たった7時間でそれらを報告するはずの戦域に溢れていた軍がそもそも消え去ったからだ。

 

「………………」

 

 フレイとゴライアス。

 

 2人の部下である蜘蛛達は出撃するどころか。

 

 とにかく大量に運び込まれた機体を選別し、西部へ送り込む為に大量に糸で包んで梱包するのに忙しく。

 

 殆ど西部と変わらぬ雑用に追われており、その立ち働く姿はまったく勤勉。

 

「………………」

 

 北部の者達は何一つ言うべき事は無かった。

 

 彼らの前には彼らの邦を滅ぼそうと進軍して来た兵士達が四肢もなく糸に今も体力魔力霊力をチューチューと吸われてゲッソリしながら気を失っていたからだ。

 

 機械式の装甲の中身の事は分からずとも、彼らが敗北者である事は間違いなく。

 

「この連中を引き渡して貰え―――」

 

「ない」

 

「……解った。そちらに任せよう。このドラクは?」

 

「あっちにいる蜘蛛達にやる用」

 

「そっちの部品は?」

 

「半分研究用。後は要らない」

 

「そっちの建造物の資材は?」

 

「これは問題無い。適当に使っていい」

 

「武器類は?」

 

「転用出来る分ならいい。他は持っていく」

 

「……新しく再編した部隊はどうする?」

 

「囮に使う。この軍隊がこのヴァルハイルの兵を下した。そういう事」

 

「我らは隠れ蓑か。いいだろう……」

 

 ヘクトラスは朝日の最中。

 

 部下達を背後に天を仰いだ。

 

「大穴……穴というには広過ぎるな。我が国の国境は……」

 

 彼は最前線から少し後ろの地域にいる蜘蛛達が立ち働く姿を横目に今後の立ち位置と新しい戦略を練り直す必要に駆られたのである。

 

 *

 

―――ヴァルハイル高都【総司令部】参謀総局会議室。

 

「全滅ぅぅぅぅぅぅぅううぅぅ!!?」

 

 思わず悲鳴を上げたヴァルハイル軍の高官はその第一報を前に泡を吹きそうになり、グラリと傾いだ体を即座に立て直し、口元と耳元にあるヘッドセット染みた魔力の輝きで造られた通信用のデバイスに叫んだ。

 

「どういう事なんだぁあああああああああ!!!?」

 

 そんな事があった当日。

 

 オクロシアの最前線部隊及び周辺の司令部が一夜にして消失した事を報告された将兵達はその大穴というよりは無人地帯へ次々にオクロシアの部隊が殺到し、大規模な領域を占領された挙句に両隣の戦域の裏側に回られた部隊が端から包囲殲滅されているという悪夢に呆けるしかなかった。

 

「げ、現在、移動中と思われる裏に回った部隊が大量に西部戦域と東部戦域に展開し、撤退中の部隊が次々に撃滅されていると報告がありました」

 

 その報告をしている武官が思わず顔を蒼褪めさせるのも無理は無い。

 

 高都の総司令部の会議室にはもはや沈黙して青筋を立てる将校しかいなかった。

 

 無論、それが分かるような機械化していない者はいなかったが、気配というのはどうしても漏れるものだ。

 

 機械蜥蜴と揶揄される彼らにもまだ生身らしい感情が残っていたのかと思う部下は多かった。

 

「た、ただ、幸いな事に敵軍が奪取した領地は左程広がっておらず。恐らくですが、【四卿】閣下達との接触を警戒しているものかと」

 

 報告者の声が少し小さくなる。

 

「当たり前だ……オクロシアはヴェルゴルドゥナ殿の持ち場だったな」

 

「そ、それが、閣下からは到着までまだ6日程掛かる見通しとの話が来ており、すぐに戦線へ到着する事は事実上不可能かと」

 

「急がせろ。魔力の補給はこちらでやると言ってな。他の者達は?」

 

「各戦線において戦闘を開始する直前だった事もあり、聖姫殿下から一端待機を命じられました。今ならば、先にオクロシアへと向かわせる事も出来ますが」

 

「……それは無しだ。今、各戦線は膠着して来ている。時間が区切られた以上、戦域の押上は至上命題。既存戦力のみでは敵わぬ以上は【四卿】殿達の協力は必須となる」

 

「ですな。6日……6日ですか」

 

「近衛を出してしまった以上、戦力は枯渇しているに等しい。他は治安維持用の部隊しか高都には無い。緊急で招集しても6日で編成して送り込むのは不可能」

 

「解っている!! そんな事は……この間にオクロシア側が完全に戦域の端を削りに掛かる。幾らヴァルハイル軍が精強とはいえ、正面側面裏手を取られては……」

 

「それだけではない。四卿がいない今、諜報軍及び敵の間諜による攻撃が予想される。だが、それを護り切るには……」

 

 そう彼らがどうにかして戦力を捻出せねばという会議の肝を話し合っている時、ドガッと会議室の扉が蹴り開けられる。

 

「待たれよ!! 諸君!!」

 

「馬鹿共め。何故、我らに声を掛けぬ!!」

 

 彼らがあまりの危機的な状況に顔を蒼褪めさせていたところにやって来たのは2m程もあるギラギラとした人型機械竜だった。

 

 黄金の竜と翡翠色の竜が内部の者達を睥睨する。

 

「こ、皇太子方!?」

 

「こ、此処は軍総司令部ですぞ!?」

 

「警備は何をしていた!?」

 

 黄金の竜と緑の竜の背後から数名の黒い竜頭の者達が警備の武器らしいものを捨てる。

 

「何を考えておいでか!? 今は重大な―――」

 

 一人の将軍が叫ぼうとした。

 

「諸君!! 君達は我々を忘れているだろう?」

 

「まったく、我らに声を掛けぬとは……軍も戦力が欲しいならば、頼むくらいすればいいものを……父が好きにさせているからと勝手にしおって」

 

 理性的な黄金の竜は肩をキザったらしく竦めて、翡翠色の竜は何故に我らへ声を掛けぬのかという顔で不満そうにそう漏らす。

 

「話はもう草の連中に聞いている。我らがこの高都を護ろうではないか。手勢もそれなりにいる。我ら2人と我らの子飼いが居れば、如何に広い高都とて護り切れよう」

 

「ヴァメル殿下……それは……」

 

 黄金の竜ヴァメルと呼ばれた青年らしき男が王者の風格というよりはキザ男が恰好付けているかのようにニヤリとして見せた。

 

「フィーキスとベゼールが死んだ以上、次の聖王となるのは我らのどちらか。丁度良い余興だ。その代り、高都の治安維持戦力を全て吐き出せ。高が目の良いだけの連中。そうすれば、奴ら如きにこれ以上の遅れは取るまい?」

 

「ザンネス殿下。そうは言われましても治安維持用の戦力が無ければ、高都の防衛は……」

 

 軍幹部達が難渋していると言いたげに顔を歪める。

 

「戦力を小出しにしても意味は無い。オクロシアがそれ程に強大であるならば、残った全戦力で穴埋めをするしかない。違うか?」

 

 ヴァメルの言った事は最もではあった。

 

 最もではあったが、それだけでしかなかった。

 

「そもそも治安維持用の部隊とはいえ、殆どは野戦用の武装をしておらんのです。武装は余っている為、装着すれば戦う事自体は可能です。ですが、実戦を経ていない上に使い慣れていない武装を用いて戦線の大穴を防ぐ事は恐らく……」

 

「四卿の後ろから打つだけでも十分だろう。問題は時間なのだろう? ならば、四の五の言っている暇は無いと思えるが」

 

「ぅ……」

 

 ヴァメルにズボシを突かれて、反論した軍高官が黙り込む。

 

「そもそもだ。貴様ら軍の怠慢ではないのか? 全滅とは何だ? 軍の2割3割の話ではなく完全に消え失せるというのはどれほどに無能ならば、可能な消耗率なのだ?」

 

 翡翠の竜ザンネスの言葉に将校の多くが忸怩たる思いで口を噤んだが、さすがに黙っていられない者も出た。

 

「そ、それは!? オクロシアによる何らかの新しい兵器か戦じゅ―――」

 

「馬鹿者が!! ヴァルハイルの兵を無為に散らしておいて敵を褒めるだと? そんな事をしている暇があったら、我らに背後を任せて、とっとと貴様ら総出で穴を塞いで来い!!」

 

「ぐ……」

 

「それとも何か? 我ら2人では高が間諜如きも撃退出来ないと? それはさすがに我らも矜持が傷付くな。なぁ、兄様よ」

 

 ザンネスがヴァメルの肩を掴む。

 

「まぁ、我らの今の意見は一致している。父があの場所から出て来ぬ以上は我らで何とかするしかない。であるならば、聖姫と持ち上げられている妹の手伝いくらいはしようではないか。弟殿」

 

 2人が軍高官を前にしてどうするのだと圧力を掛ける。

 

「ぐ、軍の事案は我ら参謀総局の優―――」

 

「「………」」

 

 あくまで軍で処理しようとした男が2人の皇太子によって手打ちにされようとした時だった。

 

「お兄様達。いつ御戻りになったのですか?」

 

 ハッと軍の頭脳役達が2人の背後からやって来た相手を見やる。

 

 その顔には聊かの安堵が浮かんでいた。

 

「おお、我が妹エレオールよ。留守を任せて悪かったな。これからは高都を我らで護ろうと頭の高いこの男共に提案していたのだ」

 

 ヴァメルが背後からやってきた少女にそうニコヤカに微笑み。

 

 その背後にいるヴェルギートを僅かに睨む。

 

「エレオールか。女が口を出す事ではない。とっとと帰れ」

 

「そう言わずにいて下さい。ザンネスお兄様」

 

 ぶっきらぼうに答えたザンネスが胡散臭そうな顔で笑みを浮かべるエレオールを邪魔だとばかりに睨む。

 

「ザンネス!! 我が妹殿に無礼は許さんぞ!? どうしてお前は昔からそうなのだ!! エレオールこそは今後のヴァルハイルの未来を担う者なのだぞ!?」

 

「……それで? 何用なんだ? エレオール」

 

 ザンネスが煩そうに兄を見やってから少女に視線を向ける。

 

「お兄様達がようやく帰って来たと聞いて参じました。それでお二人が高都を護ろうという高いお志でいる事は解っていたので、お兄様達の為に護るべき場所を分けてはどうかと提案しに来たのです」

 

「おお、妹殿よ。話を聞こう」

 

「はい。ヴァメルお兄様。お兄様達はあの映像をもう見ましたか?」

 

「あ、ああ、あまりにも悪辣なる裏切り者が我が軍の内側にいたと考えるとハラワタが煮えくり返るようだった」

 

「そう。そうですよね? 正義感の強いヴァメルお兄様ならそう言われると思っていました!!」

 

「ははは、当たり前じゃぁないか!! 第二皇太子たる我が正義には聊かも揺るぎは無いとも!!」

 

「ザンネスお兄様はどうでしょうか?」

 

「見た。だが、俄かには信じられんな。あの鋼鉄騎士が裏切るなど……」

 

「ザンネス!! どうやら、お前にはまだ正義の話は早かったようだな?」

 

「フン……」

 

 男達が意見の食い違いに互いを睨む。

 

「お兄様達。そう怒らないで下さいまし。お二人が共に戦う事になれば、その強力さから高都は瓦礫となってしまうでしょう。ですので、お二人には空と地下を護って頂きたいのです」

 

「空と」

 

「地下?」

 

「はい。お互いに戦う場所を限定するのです」

 

 にこやかにエレオールが告げる。

 

「敵は地下より来ると告げました。何もせずにいるのは無為無策でしょう。ですので、地表において最も早きお方たるザンネスお兄様には地下霊廟と周辺の守護をお任せしたいのです」

 

「オレに地下へ潜れと?」

 

「敵の主力が地下より来たならば、真っ先に戦い武功を得るのはザンネスお兄様という事です」

 

「………まぁ、悪くは無いか」

 

 ザンネスが僅かに考えて頷く。

 

「妹殿?! で、では、空というのは!?」

 

 ヴァメルが慌ててエレオールに訊ねる。

 

「ヴァメルお兄様は空においてこそ最強。それはこの高都ですら疑われぬ事実でございましょう。故に高都が襲われれば、真っ先に民の下へ駆け付け、多くの民がお兄様に護られる事になる。これは民からの信頼を得ている雄々しく気高いお兄様にだからこそ頼める事なのです」

 

「そ、そうだな!? そうだな!!? うむ!! うむ!! エレオールが言うのならば、確かにそうだ!! 我が姿を拝む者達に我が力を見せたならば、民からの信頼は天に届くだろうとも!! 次なる王としてな!!」

 

 エレオールがそうですと笑みで受ける。

 

『………(;´Д`)』

 

 この厄介な皇太子達を手玉に取ってくれる少女に軍の上層部が心底に感謝しつつ、顔色には出さぬように沈黙を続ける。

 

「お二人には其々に違う場所で自らの目的の為に戦って頂き。地表はわたくしがヴェルギートと共に護りに入ろうかと思います」

 

「妹殿!? 危ないぞ!? それは危険だ!? そんなのはヴェルギートに任せておけばいい!!」

 

「はい。ですから、ヴェルギートの後ろにいます」

 

「そ、そうか。焦ってしまったぞ? はは、悪戯な妹殿だ」

 

「ふふ、ヴェルギートも一角の戦士。お二人には敵いませんが、地表の軍が倒した後の兵ならば、どうとでもなりましょう」

 

「解った!! では、地表の事はお前に任せよう。エレオール。我が妹殿」

 

「いいだろう。先に武功を上げるのはオレだ」

 

 2人が満足して軍装司令部を後にし、黒い部隊を引き連れて消えて行き。

 

 完全に視認出来なくなるまで見送った少女が破壊された扉を指先を少し弾いただけで元に戻して、無詠唱で会議室内を防音する。

 

「もう結構だ」

 

「……はぁぁぁ(;´Д`)」

 

「ふぅ……」

 

 参謀将校達が溜息を吐く。

 

「次の聖王閣下には聖姫殿下を推しますよ。我々は……」

 

 その一人の将校の言葉に誰も同意はしなかったが、誰一人として先程の男達を王と頂きたいと思っている者が無いのは明らかだった。

 

「済まなかったな。ヴェルギート」

 

『いえ、御身の演じる舞台の役者ならば、存分に……』

 

「ふふ、そんな事も言えるようになったか。さて……まずは謝らせて頂きたい。諸兄等の手間を増やした事を皇室として謝罪させて頂く」

 

 頭を下げる少女にすぐお顔をお上げ下さいと多くの者達がアワアワとした空気になった。

 

 それだけで彼らの心がどうあるのかは分かったようなものだった。

 

「我が愚兄達には今後も諸兄等の仕事に口は出させない。幸いにも言うだけはある力が2人にはある。空と地下の護りは考えずとも良い。問題は……」

 

 テーブル状の地図の一点を少女が指差す。

 

「此処だ」

 

 その少女の鋭い指摘に彼らも僅かに唸る。

 

 其処は現在、【四卿】の一人であるヴェルゴルドゥナの現在地とオクロシアの領域の中間地点だった。

 

「さすが、聖姫殿下。ご慧眼でいらっしゃる」

 

「そうです。此処には……聖王閣下の守秘命令を下された地点があります」

 

 参謀職達が頷く。

 

「此処の者は全て知っているのだな?」

 

「はい。上級参謀職で此処に詰める者は全て」

 

「ならば、話は簡単だ。此処を吹き飛ばす以外にない」

 

 その言葉に多くの者達が驚く。

 

「ですが、それは……」

 

「状況判断が迅速でなければ、事態は最悪の展開に向かうであろう」

 

「よろしいのですか? せめて、聖王閣下には伝えておくべきでは?」

 

「こちらから行って来たが、伝言も伝わっているのかどうか分からぬ。だが、少なからず、この地点が敵に渡るのは避けたい」

 

「では、ヴェルゴルドゥナ様に対処して頂く事に?」

 

「ああ、だが、それだけではダメだ。恐らくグラングラの大槍で吹き飛ばす事は出来る。しかし、理由もなく吹き飛ばせば、敵の要らぬ勘繰りを受ける」

 

「それは確かに……で、あれば、どう致すのが良いでしょうか?」

 

「敵を曳き付け、敵軍の襲来時にこの地点で戦うのが望ましい。幸いにしてオクロシアの軍の動きは緩慢だと聞いている。ならば、ヴェルゴルドゥナ卿をこの地点で待機させ陣地を構築させれば……」

 

「敵は近付いてきますか?」

 

「来る。この位置は後輩に回る敵軍を殲滅可能な距離だ。グラングラの大槍がある限り、射程では我が方に分がある。包囲殲滅可能な地点は限られているが、裏手に回られなければ、まだ両翼の戦域では再度の戦線形成が可能なはずだ」

 

「た、確かに……この地点からならば、大規模に軍を展開すれば、更に背後からの攻撃が可能。敵軍は射程を考えても戦線裏に踏み込んで来ないか」

 

「もしくは踏み込んでヴェルゴルドゥナ卿の撃破に向かう?」

 

 参謀達にエレオールが頷く。

 

「左様だ。一軍を消し去る兵器もしくは戦術。となれば、気が大きくなる。もしくは過大な戦果を望むはず」

 

「本当に……聖姫殿下は戦巧者でいらっしゃる。敵軍への圧迫と選択の強要。そして、機密保持……よく考えられましたな」

 

「諸兄等に頭脳だけは鍛えられたからな。これに異議が無ければ、これを以てオクロシアへの方策とする。また、オクロシア両端の戦域で今も死闘を繰り広げている者達には辛いだろうが戦域を緩やかにヴェルゴルドゥナ卿のいる陣地方面へと傾斜させ、凹んだ状態で殲滅領域を形成して貰いたい」

 

「よろしいかと。他戦線の後背からはまだ幾分か兵を割く余力はあります。即座に取り掛かれば、3日で形にはなるかと」

 

 参謀達が頷いた。

 

「“聖域への道”の一つ。相手に知られるわけにはいかぬ。聖域が活性化している今、どのような結果になるのか想像も付かぬ以上、此処で敵軍を食い止めるのが最良と判断した。諸兄等の奮闘とこれより犠牲となるだろう多くの兵達に期待しか出来ぬ我が身の不甲斐なさを苦しく思う」

 

 その言葉に多くの者達が敬礼しながら、僅かに涙ぐんだ。

 

 そして、そんな様子を見て、僅かにヴェルギートの口元が緩んだが、それは誰にも……主にさえも知られぬ事であった。



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第48話「オクロシアの崩壊Ⅱ」

 

―――ヴァルハイル戦線崩壊から3日目。

 

 大量の食糧が届き続けるオクロシア首都で多数の傷病兵達が復帰後、すぐに装備を受取りながら各地の戦線もしくは現地部隊に吸収されていた。

 

 凡そ十数万の兵達が殆ど治療を終えた後、逆に各戦線後方からは巨大な傷病者の列がこっそりとオクロシアの後方へ続くようになっている。

 

 噂を聞いた傷病兵達が霊薬を求めてやって来ているのだ。

 

 オクロシア側はニアステラの霊薬をオクロシアの外部に持ち出す事を提案していたが、少年はこれを拒否。

 

 その代りに傷病兵の受け入れと戦線への復帰を行うオクロシアという邦を印象付け、同時に食料を大量に供給する事で各戦域と後方地帯の欠乏していた血糖値を上げる事を確約した。

 

 ついでのように爆華が大量供給されたオクロシアはすぐに軍備を増強。

 

 他の種族連合の戦線にも供給を開始した事で各地では早く食料と爆華を届けて欲しいと大量の注文が殺到し、傷病兵の半数はこれを運ぶ補給部隊として各地域に後方から加わる事になっていた。

 

「くく、あの悔しそうな諸王達の顔を貴殿にも見せてやりたいところだ」

 

 黒い城内部でご機嫌の男はすぐに顔を改めて、灯が久しぶりに付けられた玉座の間で相対していた。

 

「報告は?」

 

「操獣による偵察で分かった事だが、戦線が凹んだ形になっていた理由がすぐに分かった。どうやら連中、ようやく四卿が来たらしい。しかも、一番のデカブツがだ」

 

「デカブツ……【器廃卿】ヴェルゴルドゥナ」

 

「その通りだ。見よ」

 

 玉座の周囲に複数の映像が映し出される。

 

 呪紋を用いている黒い兵達が見て来たと思われる巨大な壁。

 

 動く城塞。

 

 100mは超えているだろう巨大な金属製の樽が鎮座していた。

 

「昨晩にグラングラの大槍と思われる攻撃で裏手に回っていた部隊の一部が消し飛んだ」

 

 巨大な爆光が遠方で上がるのが見えた。

 

 その前段階で閃光のようなものが遠方から瞬時に飛んでいる事も確認出来る。

 

「【グラングラの大槍】……連中が使う地平の果てから打てる大規模な戦略兵器。呪紋の大規模集束装置だ」

 

「呪紋集束……ドラクのみたいな?」

 

「それの超大型だ。巨大な橋程もある代物でな。一発撃つだけで1万から3万程度の兵が消し飛ぶ」

 

「……使用条件が厳しい?」

 

「勘が良いな。そういう事だ。詳しい事は解っていないが、恐らくは呪紋そのものを紡ぎ上げるのにかなりの労力と魔力が使われる。もしくは儀式、生贄当たりの線もあるな。ただ、連射は最低でも3時間は無い」

 

 少年が映像に移る閃光を見やる。

 

「威力は基本的に当たれば半径で1里は蒸発、2里圏内で重度の火傷、3里圏内で服が燃える程度だ」

 

 凡そ12kmが怖ろしい状況になるというのは確かに戦略兵器の名に値する。

 

「ただし、無理をすれば、恐らくは撃てると試算されている。破壊されるのか。もしくは自爆するかは知らんがな」

 

「……何本も使われる可能性は?」

 

 少年が脳裏のフラッシュバックに目を細める。

 

 無数の光の雨を少年は確かに過去、幾度と無く目撃していた。

 

 ニアステラやフェクラールの大地での事だ。

 

 正しく死の雨はあらゆるものを蒸発させた。

 

 そして、ソレを撃った者と幾度と無く少年は―――。

 

「………」

 

 少年に対してヘクトラスが何を考えているのだかと読めない内心を推察するのも止めて、肩を竦めるに留める。

 

「無いと信じたいところだ。ヴェルゴルドゥナは確認されてから、あの大樽の如き体から片腕しか使った記録が無い」

 

「複数本腕があった場合は?」

 

「祈れと言いたくは無いがな」

 

「………」

 

「待て!? 今、何を考えた!?」

 

 思わずヘクトラスが少年に待ったを掛ける。

 

「撃つのはかなりの条件がいるはず。内部に突入して、相手のものを奪うか。もしくは自爆させる」

 

「―――言うは易しの典型だぞ?」

 

 ヘクトラスが呆れた表情になる。

 

「あそこで止まったのも気になる」

 

 少年が映像に出された地図を指差す。

 

「それはこちらも思っていた。もっと、突出してもいいはずだ。だが、裏手に回られるのを嫌って射程限界まで引っ込んで陣地を再構築。相手の殲滅出来る領域は全て敵陣地に等しいわけで、我らが踏み込めねば前ががら空きでも意味が無いわけだ」

 

「少数なら?」

 

「………可能性はある。だが、敵軍は数を出せるぞ? 遠距離からの攻撃も強力だ。相手側の最大級の弩は上空から敵軍を遠方まで殲滅出来る威力を備えているし、その精度も正確無比だ」

 

「放置は?」

 

「出来ぬ。他の四卿が集まって来れば、勝てる見込みが無い」

 

「じゃあ、行って来る」

 

「ちょっと待て!? 話を聞いていたのか!?」

 

 少年がそこらを散歩してくるような気軽さで出ようとしているのを止めた男が思わず叫んで止めた。

 

「敵が気付けなければいい」

 

「それが出来ないから困っているのだが?」

 

「出来る」

 

「何だと?」

 

「気付かれずに相手に接近して、相手に乗り込む方法がある」

 

「……本当にか?」

 

 少年はそれを思い出そうとして僅かに被りを振った。

 

 必要無い情報を一々思い出しては心の擦り減り具合に響くのだ。

 

「敵内部に乗り込めれば、楽に勝てる。たぶん」

 

「はは、話せ。そして、せめて理解出来る範疇の作戦で教えてくれないか? アルティエ殿……」

 

「空も地表もダメなら……」

 

 少年が床を指差した。

 

「……ほう? そうか? そういう事か? そう言えば、連中の新鋭部隊を鹵獲していたのだったな。何だ。本当にお前達はヴァルハイルの天敵ではないか……」

 

 呆れながら王は笑う。

 

「少し食料の供給を減らしても?」

 

「構わぬとも。その分で運び込むモノはちゃんとあるのだろうな?」

 

「残してるモノが複数ある。勿論、呪紋の習得と装備の複製も終わってる。全部問題無い」

 

「解った。作戦は許可する。ただし、オレも行かせろ」

 

「………理由は?」

 

 初めて少年が僅かに思考した。

 

「誰か囮が必要なのだろう? 為ってやろう。お前達ニアステラの囮に、な?」

 

 何か突如として訳が分からない話で敵の中枢に行きたいとか言い出す王様。

 

 そんなものを祭り上げてしまっている黒い兵士達は何も言わず。

 

 ただ、自分達の王が段々と来客に毒されているのではないか?

 

 という顔を兜に隠して職務を全うするのだった。

 

 *

 

「(≧▽≦)/」

 

 やぁ、諸君!!

 

 と、言いたげないつも元気な美少女蜘蛛。

 

 ルーエルは本日、本当に蜘蛛形態で第一野営地をウロウロしていた。

 

 理由は既に彼女の前にある。

 

 精霊が引く乗合馬車でやってきた遠征隊の予備部隊志願者(強制)が三人もやって来たのだ。

 

 喜びにピョンピョンしていても仕方ない。

 

 彼女の傍には蜘蛛形態のスピィリア達が【遠征隊志願者大歓迎】の横断幕を以て、歓待の二文字を背中に漲らせている。

 

 そして、見る者が見れば、何もいないのに進んでいる馬車が止まって、内部からバタンッと扉が開くと。

 

「ぁ~~」

 

「う~~」

 

「うっぷ。馬車って揺れるのですね」

 

 そう言いながらゾンビのようにエネミネ、メル、クーラが出て来たのだった。

 

 数分後。

 

 巨人族を小さくしてくれるという呪具の華飾りを付けたメルが飾りを取って砂浜で巨大化しつつダウンし、その横に2人が並んで背中を預けていた。

 

 三人にせっせと甘い爆華のジュースを運んでいた蜘蛛達が酔い止めを混ぜていた為、すぐに三人は回復。

 

 親切な蜘蛛達に恐る恐るながらも握手して感謝を示す。

 

「案外、優しいのね。此処の蜘蛛達」

 

「そ、そうですね」

 

「そーだね~♪」

 

 その背後からはヒオネがイソイソと忍び寄っている。

 

 これから彼女達がどんな事になるのか。

 

 それを知っている蜘蛛達は逃げられないように歓迎しなければ、という気持ちに燃えたらしく。

 

 バイバイと手を振ってから自分の仕事に戻っていった。

 

「……新しい風だな」

 

「だなぁ……」

 

 そんな様子を見ていたカラコムと船長オーダムは遠征隊にオレも入りたいなーという顔で互いに発酵させた爆華の酒を昼間から乾杯し、魚の燻製を齧っている。

 

「アレが例の……巨人ですか」

 

 マルクスが珍しい種族が多いようだと読み書きの授業内容を彼女達用に考え、近くの蜘蛛達と相談し始めた。

 

 近頃、やたらと戦力増強に拍車が掛かったニアステラであるが、野営地の中核人材達は例に漏れず……遠征隊と同じカリキュラムや秘薬の一部を使用している。

 

 元教会騎士のベスティンとその仲間達も商隊のノウハウを蜘蛛達と構築した後は隊長職を退いて野営地の防備の為に職務へ付いており、まだ慣れなそうな幼女達を教導し、教育し、ペカトゥミアや他の人間形態を手に入れた蜘蛛の種族達と一緒に毎日『おえー』という顔で秘薬を呑んで訓練している。

 

 少年達がいつも使っているものの廉価版ではあったが、それでもかなり常人とはかけ離れた力を得ているのは間違いない。

 

 これに当て嵌まらないのは水夫と難破船の者達だけであったが、彼らは彼らで疲れを取ったり、病を治したりする為に薬を飲むし、前に海で船に乗っていた時よりも調子が良くなった様子はもう定住しようかと考えるレベルであった。

 

「く、敵が強くなるのを手伝うなど!! 屈辱!!?」

 

 そんな事を宣っているのは機械蜥蜴系幼女の長となった彼女。

 

 “へんきょーはく”であった。

 

 一度は10代まで戻された年齢も今やまた一桁になった彼女と仲間達は明らかに祖国に喧嘩を売ったヤバイヤツとして認定されているのは確実であり、今も時折『うぉおおぉぉぉ!? アレはッ、アレは呪紋のせいなんだぁ!?』とか叫び出すくらいにはトラウマになっているが、今は比較的落ち着いていて、元教会騎士である“たいちょー”を筆頭にした幼女達の下、イソイソと運送業をしていた。

 

 そのせいか。

 

 微妙に前よりも筋肉が付いているかもしれない。

 

「また、やっているのか? へんきょーはく」

 

「で、出たな!? 教会騎士め!? 我らは貴様らに従っているのではない!! 我らが生き残る為に仕方なく苦渋の決断をしているのだ!?」

 

「はいはい。からだはしょうじきしょうじき」

 

「な、何ぃ!? 何が正直だと言うのだ!?」

 

 ジト目のたいちょーがジトーッとへんきょーはく達を見やる。

 

 彼女達の頭には夏にはピッタリの麦わらの帽子がお揃いで誂えられ、麻布の服も少し涼し気なフリル付きになり、野営地の女性陣に可愛い可愛いと褒めそやされたせいか。

 

 何処かおしとやかさが身に付いている。

 

 配達員の腕章やら小さな木剣が腰には下げられているが、それすら何か子供のお遊びというよりはそういう衣装に見えた。

 

「ぅ……こ、こんな粗末な装備で誤魔化されているわけではない!? 我らは決して心は屈さぬ!?」

 

『みんな~~お茶の時間ですよ~~』

 

「あ、はーい。今行くぞ~~我らの分はちゃんとあるのだろうなぁ~♪」

 

「………( ̄ー ̄)」

 

「何だ!? その顔はぁ!? こ、これは現地で生存する為に敵側であろうと女達と交流し、少しでも情報をだなぁ!?」

 

「へんきょーはく!? はやくしないときょうかいきしたちにたべられてしまうぞ!!」

 

「ハッ!? こんな事をしている場合では無かった。急がねば!! そこのオヤツに手を掛けるんじゃない!! それは我々のだぞぉ!!?」

 

 へんきょーはく一派は慌ててドドドドッと女性陣がおやつを用意している一角へと雪崩れ込んでいった。

 

「ちょろい。しょせんじんがいか」

 

 たいちょーが悪い顔になる。

 

「ですな。たいちょー」

 

「ものでつられるとは。われらのようにしんぼうえんりょはないのだろうさ。はははは」

 

 ニヤリとした彼らは今日もイソイソと牙を研ぐ。

 

 毎日欠かさず木剣で剣技を磨き。

 

 毎日欠かさず仕事の合間に走り込みをし。

 

 毎日欠かさず食事をしながら元に戻る為の呪紋を研究する。

 

 人外共に我らの真似が出来るものかと高笑いする彼らは正しく野営地で一番規則正しく規律を重んじて自らを鍛える者達となっている。

 

 だが、だからこそか。

 

『お、たいちょー。今日は動きが良いじゃないか』

 

『そ、そうか? そうか? ほ、ほんとうにそうおもうか?』

 

『ああ、勿論だとも!! たいちょーはスゴイな』

 

 そうカラコムに褒められて、頭をナデナデされて嬉しそうにしていたり。

 

『ははは、たいちょぉー!! 朝から精が出るなぁ♪』

 

『き、きさまはおーだむ!! わ、われらはなにもわるいことなどしていないぞ!?』

 

『そんな無碍にすんなって♪ お前らの事は前から見てたが、本当に教会騎士ってヤツは鍛える事だけは一人前だと思ってな? オレの部下共にも見習わせたいくらいだ。がははは』

 

『ふ、ふん。そんなおべっかをつかってもなにもでんぞ? きょ、きょうはおまえへさいしょにべんとうをとどけてやろう』

 

 オーダムに褒められて、誰よりも早く弁当を届けてやったり。

 

『(/・ω・)/』

 

『な、なにぃ!? なかまたちがすこしおくれる!? りょうかいした!! あいつらのぶんのおやつをちゃんととっておかねば。すまないな!!』

 

『(・ω・)|』

 

 蜘蛛達と会話も無いのにコミュニケーションが取れて、言いたい事が何故か分かったりと野営地の生活に馴染みまくっていた。

 

 このように第一野営地はやたら変化した生活をしていながら安定しており、今日も日がな一日安心安全な日常を送っていたのである。

 

 それが誰かさんの苦労の上にあるのだと多くの者達が胸に刻みながら……。

 

 *

 

『まさか、我らのドラクが全滅するとは……どんな兵器を敵側は使い出したものか。面白過ぎて困る……本当に……早く見たいものだ』

 

 鋼鉄の箱が大量に並べられた部屋の最中。

 

 その中央に巨大な樽が一つ床に繋がっていた。

 

『ヴェルゴルドゥナ様。ドラクからの遠隔送信で送られて来た最後の情報の解析が終了致しました』

 

 部屋の内部、発言したのは鋼の箱だった。

 

『それで? 内容は?』

 

 映像が映し出される。

 

『………手動で開けられる外部搭乗口の開閉機構を操作されたのか。暗号鍵が4桁では足りなかったか?』

 

 ヴェルゴルドゥナ。

 

 鋼の大樽が溜息を吐く。

 

『本来、戦闘中に開けられる事は想定されておりません。その為に全軍で共有できる簡単なもので週替わりにしていたのがアダになったかと』

 

『だが、今の軍の機体を引き抜けもしなければ、改修も難しい。そもそも、それ専用の一体化機構の量産はどう見ても3ヵ月では足りんな』

 

 樽の言葉は最もだと周囲の箱達も同意するような声を上げる。

 

『問題は他にもあります。敵との交戦記録を回収しておりますが、全て白い小蜘蛛によって行われており、全て呪紋で構成された呪霊寄りの操獣かと』

 

『呪霊寄りか。見えない者には見えないのが困った話だ。脳を安易に弄るには将兵の数が多過ぎる。かと言って霊を見えるように改良しても霊がそのまま認識で強化されて襲ってくる可能性が高過ぎる』

 

『敵は増やしたくありませんな』

 

『その為に傷病者にして後方に送らせ、現地で死んでもらっていたわけだが、それも限界に近い』

 

『どう致しますか?』

 

『一部の観測官の視覚を強化する。精神強度を上げる呪紋を多用させろ。敵が小型ならば、気密隔壁と外部と内部の隙間という隙間を埋める必要があるな』

 

『その為には一度、本機【ドラグリア】を完全に変形させる必要がありますが?』

 

『部分的な変形を裏面で行いながら対処せよ。幼き赤子をあやすよう静かにやれ』

 

『直ちに改修予定を組み。本日中には提出を』

 

 樽がゆっくりと接続部から薄い冷気を伴った煙を溢れ出させながらゆっくりと回転して抜けて、その正面が割れると小さな樽が出て来た。

 

「貴様らには三年後の改修を施す予定だったが、どうやら敵は我らが想定しているよりも高度な戦術や戦略を取るようだ……」

 

 樽の内部から声がして、他の鋼鉄の箱達が黙り込む。

 

「作成していた24代目への代替わりを行う。用済みだ」

 

『今までお世話になりました』

 

「二日後を以て、任を解く。高都でも田舎でも好きな場所に行くといい。貴様らの体の用意はしておいた。後は好きに生きろ」

 

 樽の言葉に鋼鉄の箱達は沈黙を以て肯定を返した。

 

「まさか、このご時世に生身の竜を使う事になるとは……冷凍保管庫の扉を開け。全兵士に解凍作業を急がせろ」

 

『了解致しました』

 

「生身の竜をまだ使っている間抜けが、まさか我らに成ろうとは……確か30年前に造った竜の揚力増加用の装備が封鎖倉庫にあるはずだ。あるだけ出して解凍した個体に付けてやれ。火竜特化で相手を燃やしつつ、爆撃で吹き飛ばす」

 

 ヴェルゴルドゥナの言葉に全ての箱達は次々に他ブロックで働く者達への通信を開始した。

 

 鋼の樽はイソイソと回りながら外部へ続くハッチを開けて通路を通り抜け、樽専用に見える昇降機に乗ると降りて行く。

 

「ウルガンダか。あるいはその眷属か。西部……シシロウの諜報部門が消えたのも痛いな。連中が使っていた“あの個体”を量産出来ていれば、そこらのドラクより優秀なものが創れたというのに……200年以上生きても儘ならんか」

 

 ブツクサと呟いた樽が止まった階層で外に転がると左程大きくは無いがそれでも家一軒程はあるだろう室内に出た。

 

 壁際にはビッシリと半透明のポットらしきものが埋まっており、内部から内臓されているモノの生育用の光が溢れている。

 

「【ドラグリア】。起きろ」

 

『―――我が主人。何用か?』

 

「貴様を本格的に使う事となった」

 

『ほう? 遂にヴァルハイルも滅亡か。かかか!! これは僥倖僥倖♪」

 

 ノイズ混じりの合成音がバツンッという音と共に室内へ響き始める。

 

 明らかに合成でありながら感情を感じられるのはその物言い故か。

 

「相変わらず減らず口を。ヴァルハイルが滅びたのは貴様のせいだと言う事を忘れるな……教会が攻めて来ている。また、新しい戦だ」

 

『神聖騎士か!! 良いぞ!! この数百年で培った教会騎士を破る不死破り!! 全力で使ってやろう』

 

「それは後の話だ。今の敵は蜘蛛だ」

 

『蜘蛛? 西部のウルガンダが遂に北部へ攻め込んで来たか?』

 

「その可能性もあるが、恐らく眷属の可能性が高い。本体は確認出来ん。だが、恐らく貴様と釣り合うだけの獲物だ」

 

『……我をこのような姿にした貴様が我に許しを請うならまだしも、力を貸せとあからさま……どうやら、窮地のようだな。屑鉄』

 

「この200年の研鑽が破壊された。新たな革新の時が迫っている。【銀痕】の末裔最後の一匹……その力を見せてみろ」

 

 ガンッと大樽の表面から腕が迫出して浮き上がり、近くのポットを叩いた。

 

 ブゥンと明滅したポット内部。

 

 白濁していた液体の内部で魔力の輝きが沸き上がると次々にその内部の物体浮かび上がっていく。

 

 それは……内臓の数々だった。

 

 小腸、大腸、胃、心臓、肝臓、腎臓、肺、多くの臓器が管を繋げられており、大量の臓器が少なくとも人間のものではない事だけは巨大さからも分かるだろう。

 

 ゆっくりと大樽が樽のパーツを表面から迫出させて変形させながら人の形を取っていくと、彼を見やる最奥のポットには竜瞳が一つ。

 

 ギョロリと完全な人型形態を見ていた。

 

 ソレが樽だったとは思えない程に人体を模倣した肉体は鋼で出来ていながら、理想的な男性を象るかのように筋骨隆々としている。

 

『また姿を変えたのか? 元の貴様の肉体とは似ても似つかんな』

 

「何年前の話をしている。これは五年前のものだ。貴様に増設した設備で造った銀痕竜の因子を用いて培養した」

 

『他者を使う事だけは上手い主人だ』

 

「フン。まぁ、いい。貴様が絶望するだけの情報は与えてやろう。遂に聖王閣下が壊れたようだ。外部との意思疎通を完全に断っている」

 

『………労しい事だ』

 

 ギョロリとしていた瞳が僅かに俯いた、ようにも男には見えた。

 

「【ドラグリア】……貴様の情報と血統は全て保存済みだ。そして、もう貴様の維持も生体部分からして限界に来ている。貴様の後釜は造れるようになった。最後の働きをして貰おうか。我ら“最弱のヴァルハイル”が頂点に立った日のように……」

 

『いいだろう。永遠の虜囚よりは余程に愉しい戦場を期待しよう』

 

「何も残さず逝け。貴様の代替は少なからず貴様のようなモノにはしない。こんな化け物を使うのはもうウンザリなのでな」

 

『くくく、ふふふふ、ヴェルゴルドゥナ・アーレント・ヴァルハイル。貴様との腐れ縁も此処までのようだ。次に合う時は地獄。いや、魂すら摩滅した无の先やもしれぬな』

 

「生憎とまだ試さねばならぬ、理解せねばならない事が山程ある。あの忌々しい種族共を完全に我らへ服従させるまで死ぬ気は無い」

 

『怨みは晴れぬか。だが、未だ命令を護る貴様の気高さも変わらぬと……もう何百年経ったと思っている……そんなにまだ死んだ女の言葉が重要か?』

 

「まだ、“彼女”が死んで274年と123日12時間24分32秒だ」

 

『………そんなだから、貴様はいつまでも負け犬なのだ。ヴェルゴ……』

 

「その呼び名も今日までの事。数日後には独りで消えてゆけ。それと―――」

 

 男が再び身を屈めるようにして樽の形態に戻ると部屋の灯りが消えて行く。

 

「―――我は【器廃卿】ヴェルゴルドゥナ……自らの器を廃した最強の戦士だ」

 

 そして、完全に灯が途絶えた後。

 

 誰もいなくなった部屋で一人。

 

 暗闇の中に赤光を零す瞳が薄く縦に割れた瞳孔を細めた。

 

『だから、貴様はあの熱情を燃やした頃より弱くなったのだろう? ヴェルゴ……』

 

 その日、ヴェルゴルドゥナと多くの種族に畏れられている巨大な動く要塞。

 

 極大の鋼の大樽がゆっくりと回転するのを幾つかの軍の偵察部隊に目撃され、オクロシア側の新たな作戦の発動が早められる事になる。

 

『いや、我を含めて、全ては滅び続ける我らの泡沫に過ぎんのか……これが死の先、終わりの果てに見る悪夢ならば、貴様は後何回死ねば開放されるのだろうな……』

 

 敵は【四卿】最大最悪の戦略兵器を肉体とする男。

 

 その男と戦う為、ひっそりとオクロシアに集った部隊の蜘蛛達の一部は招聘した冥領の穴掘り蜘蛛達に敬礼し、その様子を奇妙なものを見る瞳となったオクロシア側の兵に目撃されるのだった。

 

 *

 

【黒二重城】

 

 首都エンブラスはこの城を中心として造営されており、実は地下設備が充実している。

 

 特に謀略に使う為と言われる程に広がった巨大な地下通路はいつでも国民と兵が逃げられる退路として機能している。

 

 というのはとても有名な話であり、その出入り口は呪紋で封印され、封鎖が解かれれば、すぐに王城に伝わる仕組みとなっていた。

 

「此処?」

 

「ああ、此処が動いていない相手の中心に届く経路だ」

 

 直径30m程ある巨大な試掘坑は街の南部にある外延部付近で止まっていた。

 

 そこには現在、数機のドラクを霊力で変質して造られた機械蜘蛛。

 

 レザリアによって【ウル】と呼ばれるようになったソレが鎮座している。

 

 その周囲には数百匹程もいる灰色の筋肉ムキムキっぽい呪紋で変貌したスピィリア達が構えており、ウルの前には巨大な回転する岩盤採掘用らしき大量の採掘用ドリルが着いた機材がデンッと置かれていた。

 

「此処からどれだけの時間で掘れるかが問題だが……」

 

 ヘクトラスが蜘蛛達の前で少年を横に腕組みする。

 

「(・ω・)/」

 

「ん?」

 

「あ、この子が現場責任者だから」

 

「……蜘蛛が工事するのか。いや、分かってはいた事だが……」

 

 一匹の工事用の麻布を黄色く塗ったベストを着込んだスピィリアがビシッと2人に敬礼する。

 

『我が契約者。戻って参りました』

 

「大丈夫だった?」

 

『はい。ルーエルが護衛してくれていました』

 

「そう。さっそく頼んでいい?」

 

『無論です』

 

 フワフワと後方から浮かんでやって来た妖精に現場監督蜘蛛が何やらシャーッと話しかけ始める。

 

 それにちょっと嫌そうな顔になったフェムだったが、契約者の手前はあまり地が出ないようにしてなのか。

 

 多少引き攣ってはいてもニコリとして周囲の地質について地図を出して蜘蛛達へ教え始めた。

 

「妖精か。本来、この情報だけでも随分と問題なのだがな」

 

 ヘクトラスが呟く。

 

「あげない」

 

「解っている。そんな事は言い出さない。そちら相手に奪うのも明らかに悪手なのも知っている。だが、妖精の話だけはヴァルハイルに漏れぬよう気を付けておけ」

 

「そんなに探されてる?」

 

「連中の悲願は妖精によって封印されたノクロシアは元より旧き者達の技術や知識だ。妖精達の知識があれば、嘗てのように寿命や生命の維持を魔力のみで行えるようにもなるのだから、当然だな。何を隠そうあのドラクもその力の再現を目指して造られたと言われている」

 

「へぇ……」

 

 2人が話し込んでいる間にも機材が動き出し、その巨大な機材の外周に蜘蛛達が配置に着いてまるで隙間を埋めるように詰まっていく。

 

 機材が魔力を供給されて始動した時。

 

「……!?」

 

 一瞬、何が起こったか分からなかったヘクトラスは驚く。

 

「音が、しない?」

 

「呪紋と能力で振動を外部に漏らさない」

 

 ゆっくりと話している数秒で1m近く掘り進んだ隧道の壁面がキラキラと輝きを零している様子に彼はようやく自分達が誰に何を頼んでいるのか。

 

 分かったような気がした。

 

「敵の力を我が身に宿し戦う、か。冥領の主の能力……もはや北部では途絶えた霊力系列の呪紋の多くがお前達の手にある……怖ろしい話だ」

 

 クルリと背中を向けた王は地表へと向かう出口へと戻っていく。

 

「吉報を期待する」

 

 こうして始まった採掘は迅速を超えた疾風怒濤の突貫工事によって進められ、オクロシア国境地帯へと猛烈な勢いで掘り進められる事になる。

 

 その作業は終わるのは凡そ3日後の事。

 

 奇しくもそれはヴェルゴルドゥナ率いる近衛軍が態勢を整えたのとほぼ同時刻の事であった。



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第49話「オクロシアの崩壊Ⅲ」

 

―――オクロシア国境域隣接部、明け方。

 

「巨人族の王。ヴェルハウ……」

 

『………』

 

「貴殿の息子の命が後4日に迫る最中。まだ、我らの言う事を聞けぬと?」

 

『………』

 

「子供のように黙っていられるつもりか?」

 

『【器廃卿】……貴様との縁も随分と永くなった』

 

「近衛師団第二大隊は既に攻撃へ移る事が可能だ。時間稼ぎなら4日待たず殺す事としよう」

 

『聞け。旧き者となりし、若者よ』

 

 表向きはヴェルゴルドゥナと呼ばれる巨大要塞。

 

 ソレは本来の名を秘匿されてはいたが、たった一匹の竜を改造し続け、増設し続けた男の芸術作品であり、数百年もの間存在している古めかしい古城でもある。

 

 それは不滅と同義と呼ばれる程に一度足りとも、城を落とされた事が無い。

 

 そんな城の名を本当に知る者はこの時代一握り。

 

 その一人に数えられるだろう男は……巨人族の王は呪紋の通信越しに見る大樽を前にして静かな瞳だった。

 

『嘗て……嘗ての我らならば、お主の要請に対して即座に返答する事が出来ただろう』

 

「今更、何を言い出すのかと思えば……」

 

『あの頃、お主の主人がいた頃。我らがやっていた事を今更になって夢に見る』

 

「懺悔でもするつもりか? だとしたら、遅過ぎる。だとすれば、傲慢過ぎる。それは息子の命を磨り潰しても語らうべきものだと言うのか?」

 

 多数の鋼鉄の箱が床に埋まる最中。

 

 城の最上階。

 

 中央に座る巨大な樽は映像に見える巨人族の王をセンサーで睨み付ける。

 

『あの頃、我らは奢っていたのだろう。だが、同時に我らは知ってもいたのだ。こうして、多くの同胞を失い。妖精の加護なく生きる世界に疲れて……初めて思うのだよ』

 

「何をだ? デカブツ」

 

『失い滅びゆく時に生存を願ったお前達の顔が、どうしてあれほどまでに眩く瞳に映ったのか。それが分かるのだ』

 

「……貴様ッ」

 

 僅かに大樽の装甲が熱を帯びる。

 

『旧き若者よ。我らは滅びる定めに在りし者。だが、お前達もまた新しき者を前に挑まれ、超えられていく定めだ』

 

「どうやら息子の命は要らぬようだ」

 

『挑まれてみるがいい。新たなる時代に。新たなる者達に。嘗ての我らのように奢り戦うがいい。その時にこそ、お前もまた試されるのだ。嘗ての我らがそうだったように……息子の命は要らぬ。今度は我らが挑む番だ。【器廃卿】』

 

 ブツリと虚空に浮かんでいた映像が途切れる。

 

 周囲には鋼鉄の箱達の沈黙だけが降りていた。

 

「……最初からそのつもりは無かったとはいえ、どうやら我らはとことんツキが無いようだ。全隊に進撃開始を通達。これよりオクロシア方面に向けて敵を釣り出しに向かう」

 

「作戦開始を通達。これより進軍開始。グラングラの大槍は如何しますか?」

 

「忌々しい事に全ての戦域が連中の方から遠ざかった。射程圏内に敵影が無い以上は無駄に撃つ必要は無い」

 

 鋼鉄の箱達がすぐに戦域の管制を開始する。

 

「第1中隊から第32中隊までの鶴翼陣にての進軍を開始」

 

「観測官による戦域観測概況を集計。正面地図に出します」

 

 巨大な要塞内部。

 

 詰めている多くの軍人達が機械と一繋がりとなり、巨大なリソースを用いる機器を使って軍の後方支援へと動く。

 

 その最重要の施設は観測設備。

 

 光学観測機器は元より、魔力、霊力、音、振動、どんなものも見逃さない観測者達は巨大なレンズと耳代わりのマイクで光と音を集積。

 

 更には地表に撃ち込んだ巨大な杭に集まる振動を用いて、空中以外で地表を迷彩して抜けて来るような相手すらも感知する。

 

 呪紋を用いる事で全ての機材があまりにも高精度な上に観測距離も長い。

 

 音ならば、音響観測データを集積し、余計なノイズを拾い集めて、音の差異から敵を見付ける。

 

 光ならば、遠方で程度屈折させて取得可能な事から地平の果てまでも観測可能。

 

 軍用で済ますにはあまりにも精緻なソレが装甲の全周に付いていれば、部隊が遥か遠方にいても何ら問題無く現状を観測し、的確に指揮が可能なのである。

 

 正しく、それこそがヴァルハイルの器廃卿が率いる部隊が常勝無敗の神話を打ち立てて来た礎であった。

 

「グラングラの大槍の射程圏内に敵影無し。繰り返す。敵影無し」

 

「妙だな。あの口ぶり……何か仕掛けて来ると思ったが」

 

 僅かにヴェルゴルドゥナがセンサーの目を細める。

 

「……威力圏外の外縁に感有り。操獣に付けた遠透鏡による光学観測情報を呪紋で補正……映像、正面出ます」

 

 地図上の地点がマーキングされ、その地点の映像が出る。

 

 補正された映像には黄金の蜘蛛が一匹。

 

 まだ軍の進み始めた部隊とは遥か遠い場所。

 

 大槍の威力圏内の淵の外に陣取っていた。

 

「こちらの情報は筒抜けか? 予測だけにしては正確ではないか」

 

「如何しますか? 全ての遠距離兵装が届かない位置ですが」

 

「構うな。聖姫殿下からの命令もある。此処より動く事は罷りならん。部隊を大幅に迂回させろ。出来る限りの距離を離しながら引き回せるか確認する」

 

「了解しました。第2から第4までの部隊で試行開始。各部隊の目標地点を更新。直ちに指定個所へ迎え」

 

「直掩部隊の展開を開始」

 

 巨大な城。

 

 その壁面が次々に開き。

 

 直掩のドラク部隊が次々に出撃、周囲に落着して陣取っていく。

 

「事前展開完了。観測室よりの情報に変化な―――熱源を感知!!」

 

 すぐに熱量が発生したと思われる場所にレンズが向けられる。

 

「これが熱源だと?」

 

 ヴェルゴルドゥナの装甲が僅かに軋む。

 

 そこには火を焚いたヴァロリアが1人。

 

 自分を見る相手に不遜な態度で腕組みをして、床几の上にふんぞり返ってニヤリとしていた。

 

「ヘクトラス……オクロシアの首魁が護衛も付けずに焚火? 欺瞞だろうが、問題無い。部隊から分隊を抽出し、遠巻きに観測させろ」

 

 すぐに鋼鉄の箱達がその命令を実行に移す。

 

「それにしてもヤツは何を……あの不敵な笑み。我らに喧嘩を売る以外には何も無いように見えるが……観測精度を上げろ。異常を探せ」

 

 しかし、正面の虚空に出る映像はまるで何も無い穏やかな明け方としか見えず。

 

「………異常見付かりません」

 

「ッ、此処まであからさまなのに仕掛けて来ない? それともこちらから仕掛けて来るのを待っているのか? もどかしい」

 

 ヴェルゴルドゥナが上からの命令さえなければ、そのまま動いているところを仕方なく我慢する。

 

 城を動かすのは極めて動力を喰うのだ。巨大な円筒形の図体を動かす際には希少な呪紋を用い、巨大な重量を浮かせる為、大量の魔力を用いる。

 

 戦略機動としての運動は良いが、戦術機動のような速さを求められるとその魔力量の桁が跳ね上がる為、決して安易に動かせない。

 

「まだ敵操獣の蜘蛛は観測出来ていないな?」

 

「はい。火竜達の準備は終えていますが……」

 

「全館に通達。屋内点検を行え」

 

「は!!」

 

「既に敵が我が方に侵入しているとお考えですか?」

 

 鋼鉄の箱が訊ねる。

 

「こういう時に無策である程、危険性が高まる。何も無い事を確認する程に作戦の確度は上がる」

 

「失礼しました」

 

 鋼鉄の箱達の疑問に次々答えてやりながら、ヴェルゴルドゥナは自分を焦らす為の作戦なのだろうかと冷静に思考していた。

 

(何だ? この違和感は……これ見よがしに蜘蛛と首魁が一緒になって反対方向の遠方でこちらへ此処にいると伝えて来る。どう見ても、何かから視線を逸らさせる目的……一体、何からこちらの視線を……)

 

「部隊が大槍の射程距離の2分の1まで到達しました」

 

 彼が考えている時だった。

 

「オクロシア方面から高速で飛翔、接近する物体を探知!!」

 

「凡そドラクの半分程の大きさと思われます!!」

 

「そこまで大きいのに飛翔する何かだと?」

 

 光学観測中の気障に頭部を繋がれた機械蜥蜴達の報告が瞬時に映像としてヴェルゴルドゥナの前に現れる。

 

 ソレは明らかに竜骨製の鏃に見えた。

 

 巨大な彼の城に比べれば、単なる芥子粒程にしか見えない玩具だが、すぐに彼はソレが相手の戦略攻撃だと見た。

 

「部隊の観測を連動させろ!! 迎撃用意!! 弩弓隊!! 照準を呪紋にて連動しろ!! 連続射撃を開始!! 即時、軌道進路上を攻撃で塞げ!!」

 

 ヴェルゴルドゥナが本命が来たとばかりに鋼鉄の箱達と共に迎撃網を組み上げていく。

 

(これが相手の奥の手か? 一撃で敵を滅ぼす兵器。グラングラの大槍のようなものだとすれば、これを連射もしくは当てる為の陽動か?)

 

 考えている間にも音速の数倍で地平の彼方から飛んで来た曲射されたソレ。

 

 遠征隊の用いる竜骨弩による灼撃矢。

 

 巨大な錨を矢の鏃にしたようにしか見えないものが飛ぶ。

 

 だが、遠距離攻撃の弾幕による迎撃を鈍重そうなソレが瞬時に擦り抜けた。

 

「ダメです!? 相手の攻撃用物体が進路を小刻みに変更中!!」

 

「小癪な!? 攻撃を避けるのか?! 攻撃密度を増やせ!!」

 

「敵物体増速!! 迎撃網擦り抜けられます!!?」

 

「迎撃網7割を擦り抜けました。着弾まで後10、9、8、7―――」

 

「敵物体に着弾!!」

 

「よし!! 攻撃を当て―――」

 

「ッ―――ダメです!? 効いていません!?」

 

「我が軍の遠距離呪紋や弩に耐えるだと!? 馬鹿な!?」

 

 さすがに驚いたヴェルゴルドゥナが咄嗟に全観測室のシャッターを強制的に降ろして、呪紋による防御を決行する。

 

「竜属性加護呪紋【竜骨層】!!!」

 

 巨大な100mある物体が表面装甲の上に滲み出した魔力で生み出された竜骨の被膜を何層にも重ねられて3割程も太った。

 

―――その時だった。

 

 直撃した灼撃矢が真正面の装甲付近で起爆する。

 

 1秒程の静けさ。

 

 そして―――猛烈な振動が要塞を襲う。

 

『うぁあああ!!?』

 

『な、何だこの揺れはぁああ!?』

 

『ぐ、が、何かに掴まれぇええ!!?』

 

 内部で兵達の叫びが大量に連鎖した。

 

「くぅぅぅ!!? この威力!? 貴重な爆華をどれだけ使った!? ヘクトラス!!」

 

『(………)』

 

 深度5以上の高速振動が艦内のドラクに乗らない兵達を転ばせ、通路で薙ぎ倒す。

 

 そんな城の様子にニィッと遠方のヘクトラスが嗤う様子を彼は幻視した。

 

『命中を確認……後はアルティエ達次第です。頑張って下さい。皆さん』

 

「クッ!!?」

 

 無論のように振動だけでは済まなかった。

 

 屋内が大量の逆流、漏電した雷によって破壊され、箱達が煙を上げる。

 

「安全装置3番から184番まで全て焼き切れました!! 現在、呪紋経路を再接続中……」

 

 箱達が城内部を走る呪紋の破損を次々に修復するべく。

 

 あちこちで自身と繋がる呪紋に再起動を掛けた。

 

「譜律を描き直せ!! 18番から321番までの予備呪具を接続開始!! 呪紋伝達の経路を再起動!!」

 

「再起動中、再起動中、再起動中……再起動完了!!」 

 

 振動に揺さぶられている中央部装甲内部。

 

 丁度、部隊の搬出口内部がシャッターが赤熱した瞬間に内部へと吹き飛び。

 

 吹き込んだ衝撃と熱量によって下部格納庫内が破壊の衝撃に呑まれた。

 

 予備兵力として残っていた者達がドラクを砕けさせ、内部で火災が発生する。

 

 あまりの攻撃に内部が更に揺れた。

 

「ぐ、じょ、状況報告!!」

 

「か、下部出撃用搬出口の装甲が破壊されました。前方表面装甲12%溶解!!」

 

「格納庫内に火災発生!! 消火設備が動いていません!!?」

 

「直ちに修復部隊を向かわせろ!!」

 

「了解!!」

 

 ヴェルゴルドゥナが先程の攻撃の威力を脳裏で試算する。

 

(―――ッ、ば、爆華1万本?!! 馬鹿な!? 何処にそんな―――いや、まさか!? 無いなら持って来ればいい。シシロウが消えたせいで情報を取り逃したか!?)

 

 彼がようやく相手の背後に別の地域がいる事に気付いた瞬間だった。

 

「凄まじい衝撃で外殻保持用の支持体が内部へ抉るような形で歪んでいます!!」

 

「このままでは前部外殻の脱落が在り得る事態です!!」

 

「館内修復部隊稼働開始しました。正面の観測室から応答無し!!」

 

「生命反応と信号は受信していますが、大量の衝撃を建材が熱量に転化した結果、内部構造が膨張、歪んでいると推測され、現在接続通路の殆どが高温状態で―――」

 

「正面観測室の8割が沈黙!! 何処からも未だ応答ありません!!?」

 

「直掩部隊の3割が蒸発した模様!! 残りは生きていますが、高熱と破損により行動不能!!」

 

「ッ、威力の残余圏内を出てからドラクを捨てて離脱させろ!! 全情報を兵に送信!! 高都に届けさせろ!!」

 

「了解!!」

 

 次々に状況が鮮明になるに連れて、彼は戦略的な敗北を受け入れざるを得なくなっていた。

 

「艦内貯蔵庫は無事です!! 劇物、可燃物他全ての資材は万全の状態と確認!!」

 

「中央構造体に負荷が掛かっています!! このままの状態を維持した場合、約30時間で支持体の歪曲率が限界に達するとの試算が【思紋演算器】群より出されました』

 

「やってくれた……やってくれたなぁ!!」

 

 ヴェルゴルドゥナが防御不能の戦略兵器を受けて尚、何とか今も生きている館内の者達を救おうと指示を出そうとした時だった。

 

 猛烈な激震が彼らを再び震わせる。

 

「く、次撃か!!?」

 

「違います!? これは―――高度計が反応?! 地盤が沈下しています」

 

「何ぃ!!?」

 

 彼らは気付いていなかった。

 

 そして、同時に巨大な構造体がゆっくりと地下に沈み込んでいく事を見る事も出来ていなかった。

 

 土煙を上げながら、大量の土砂を巻き込みながら、沈下した地盤に城が呑み込まれていく。

 

 しかし、ソレはあまりにも不自然。

 

 垂直に落ちて行く。

 

 ズリズリとまるで穴に少し細い棒を入れて、空気がゆっくりと噴き出すような……そんな様子で城が沈下に巻き込まれ、破壊された胴体部正面が半ばまで隠れる。

 

「ッッ―――状況は!!?」

 

「構造体5割以上沈下に呑み込まれました!!」

 

「腕を用いて脱出は!!」

 

「無理です!? 完全に垂直落下し、構造状横に動かす隙間がありません!!?」

 

「落着の衝撃で下部構造体が破損!!」

 

「賭けに勝っての逆落とし。となれば、次は―――」

 

 ヴェルゴルドゥナが指示を出すより速く。

 

「下部搬入口より何者かが侵入!! 修復部隊が襲われています!?」

 

「……くくく、だよなぁ。我が方だとてそうする。こんなデカブツを真正面から破壊する気は無いと。内部から落とすのは落城の常套手段だったな」

 

「修復部隊の信号継続。しかし、移動出来ていません!!」

 

「下部の格納庫周囲の隔壁を全て降ろせ!! 周辺から全兵を退去!! 構造体上部に集めて、非常甲板より脱出せよ!!」

 

 あまりの状況に男は笑うしか出来ず。

 

「ヴェルゴルドゥナ様!?」

 

「残った者達は全て我が操獣で送り届ける。貴様らは最後だ。今、体は操獣に持って来させている。ギリギリまで付き合え」

 

「ッ―――了解」

 

 次々に館内の兵が主の手によって救い出され、敵が進出したブロックから遠ざかり、上部に昇っていく。

 

「下部閉鎖隔壁が突破されていきます!! 何だこの速度は!? 本当に我々と同じ生命体なのか!?」

 

「ッ―――移動経路上の配管を破壊しろ!! 呪霊型の操獣だ!! 蜘蛛共が先行してくるぞ!!?」

 

 相手が此処で使う手札を的確に見抜いた男がそう指示する。

 

 すぐに破壊された隔壁周辺の配管に圧力が集中され、爆発して火災が発生する。

 

「どうだ?!」

 

「と、止まりました!! 隔壁の破壊活動が一時的に停滞中!!」

 

「よし……この合間に生存者の救出と脱出を急がせろ」

 

 大樽が引き抜かれるかのように接続部から出て人型形態を取る。

 

 その背後には紅の外套。

 

 更には接続部からせり上がって来たプレートから複数の装甲が装着されていく。

 

「まさか!? 今すぐ護衛部隊を!?」

 

「要らん!! 我が名は【器廃卿】ヴェルゴルドゥナ!! 侵入者程度、叩き返してくれるわ!!」

 

「ヴェルゴルドゥナ様……ッ」

 

「構造体中央部が無事なら構わん。こちらの合図で中央区画外の全立体稼働部位の爆削鋲に点火しろ。その後、脱出したら、高都へ向かえ」

 

「―――はい」

 

 何かを堪えるように箱達が了解の意を返す。

 

 鋼の騎士はそのまま部屋を後にした。

 

 最短最速で現地へと向かう為に。

 

 残された者達は主の力となる為、自らの任を全うするのだった。

 

 *

 

「“糸蜘蛛毎爆破されました。主”(。-`ω-)」

 

「問題無い。自爆されないだけマシ」

 

「オイオイ。こっからどうすんだ? まだオレ達はこの灼熱地獄にいなきゃなんねぇのか?」

 

 広い格納庫内。

 

 未だに残る熱を体表で受けながら、数百度のオーブン状態の場所で遠征隊は少年の呪紋による水の膜を何層にも纏って熱さを凌いでいた。

 

「水属性加護呪紋【ハルマの水演】」

 

「やれやれ、ようやく入ったかと思えば、上に向かう道が無いと来たか」

 

「おじさん!? 弱いんだから、ちゃんと外套に包まってて!!」

 

「お、おじさん?! よ、弱い……」

 

 ヴェルゴルドゥナの城内部。

 

 侵入者達は未だ隔壁が一部破壊されただけでまだ炎が消えただけの格納庫にいるわけで、言わば腹の中。

 

 少年を筆頭にしてゴライアス、ガシン、レザリア、更に地表で焚火している映像を呪紋で垂れ流しているヘクトラスという面子である。

 

 フィーゼは【黒二重城】の尖塔の上で最大規模までデカくした竜骨弩で敵を地平の果てから狙撃していた。

 

 その様子は正に精霊の王冠を被ったような姿。

 

 多くの兵達がその凛々しい姿に感銘を受けていたりする。

 

 そんな彼女の攻撃が正確に相手へ命中し、途中の攻撃を避けたのは全てフレイの観測情報を呪紋で送られている事が大きい。

 

 スピィリア達や見えない糸蜘蛛を使いながら情報をフレイが集め、それを呪紋で精霊側に転送。

 

 それを少女が操る事で超遠隔狙撃を可能にしていた。

 

 途中の弾幕を回避したり、攻撃が当たる際の防御もしっかり可能だったのだ。

 

 もはや、グラングラの大槍と呼ばれる兵器にすら劣らない程に巨大化させた竜骨弩は橋の如く。

 

 城まで運び込まれた爆華から少年が慎重に造った灼撃矢は通常よりも怖ろしく巨大な特製品だった。

 

 それはもはや杭。

 

 灼撃杭と呼んでいいだろう。

 

 巨大竜骨製の弾体は巨大な錨にも似ていた。

 

 大量の爆薬を大量の真菌によって成分を濃縮し、ゴライアスの能力で限界まで重量と体積を減らして光に当てないように詰め込んだものを精霊で安定化させて使ったのだが、それにしても怖ろしい威力だったのは間違いなく。

 

 直撃した巨大な要塞そのものは元より、周辺1km四方の自然物は完全に衝撃によって更地と化していた。

 

「上の登れる道は?」

 

「……ふむ。道はないが、敵が来るぞ……上から最短で親玉がな」

 

 少年が背中からドラクの変質させた剣と蜘蛛脚を引き抜く。

 

 ガシンもまた構えを取った。

 

 レザリアがヘクトラスを背後に庇って両手持ちの盾を2人の背後で構える。

 

「……来る」

 

 高熱に晒された格納庫内。

 

 彼らが打ち倒した兵達が倒れているが、まだ息はある。

 

 他のドラクに乗っていた者達もまだ意識があるようで呻き声がノイズ混じりに内部では響いている。

 

『貴様らか!! 我が城を落とさんとする者は!!』

 

 ヘクトラスが予め来る方向を見定めていた為、全員がその襲撃を回避する事が出来ていた。

 

 上から隔壁をぶち破ってソレを盾にするように落ちて来た相手が1人も墜とせていない事を確認する間もなく少年とガシンに左右から攻撃を仕掛けられる。

 

「ッ」

 

 しかし、片方の腕が装備した巨大な剣が少年の大剣二本を受け止め、ガシンの霊体の拳もまた男の腕から発された魔力の壁にぶつかって受けられていた。

 

「コイツ!?」

 

 ガシンが霊体の腕が受けられた瞬間にすぐ距離を取る。

 

 少年は距離こそ取らないものの。

 

 両腕で剣を押し込んで拮抗させていた。

 

「この膂力……巨人40人分程か? 生身でどうやって此処まで」

 

 驚いているのはヴェルゴルドゥナも一緒であった。

 

 自らの近年でも最高傑作に違いない鋼の肉体。

 

 それも特定の竜の血肉を用いて生み出した人型でありながら、通常の竜を遥かに超える力を手に入れているのだ。

 

 膂力で生身の相手に拮抗されるという事が本来在ってはならない話だった。

 

 ギシリと巨大な膂力同士のぶつかり合いにソレを支える脚が床を踏み抜きそうになる。

 

 床の悲鳴は上げり続けていた。

 

 僅かな鍔迫り合いの余波が衝撃となって区画内部に罅を入れる程に軋ませて、崩落が始まる。

 

「久方ぶりだな。器廃卿」

 

「ヘクトラス。どうやら貴様は見知らぬ存在から力を借りているようだ」

 

「だと言ったら?」

 

「此処で消滅させる。この者達と一緒にな!!」

 

 片手で大剣二本を相手に押し合いに負けない男が口を開いた。

 

 ゴッと男の胴体を捉えるように緋色の巨大な拳が相手を捉える。

 

「ッ―――緋霊か!?」

 

 ヴェルゴルドゥナが僅かに顔を歪めた。

 

 肉体的に幾ら膂力や頑丈さがあっても魂への攻撃そのものは受け切れないのだ。

 

 魔力での障壁は瞬時に発する事は可能だが、強敵と戦う上では呪紋を用いる事が最も効果的なのは間違いなく。

 

 濫用出来ない。

 

 ついでに言えば、少年の膂力ならば、自分の肉体を両断可能と判断した彼は呪紋による防御を複数行おうとしていた。

 

 斬撃にも霊体に対する攻撃にも対処するにはそれしかない。

 

 無論、霊体にダメージを与える人間が敵側に1人なわけもないと踏んでの話である。

 

 だが、それよりも早く。

 

 単なる魔力では到底防ぎ切れない緋霊の拳が彼の魂を直撃していた。

 

「チッ」

 

 舌打ちしながらも初めて背後にヴェルゴルドゥナが飛ぶ。

 

 人型の2m程の肉体は装甲に覆われているが、肉体そのものが装甲に等しい彼にとって、自分のパーツは全て管理と制御が可能なもので構成されている。

 

 今までドラクのような鋼の装甲だったが、その色合いが僅か翠色に変化した。

 

(霊体復元……クソ、何度も使えんぞ!?)

 

 魂からの痛みを耐えながら自動で彼の内部で呪紋が組み上がり、発動する。

 

「こいつ!? そんなのもアリなのか? さすが、器を捨てた男」

 

「あん? どうした?」

 

 思わずヘクトラスが見え過ぎる故に顔を引き攣らせた。

 

「こいつは今のダメージの復元に詠唱をしていない。誰かに詠唱を肩代わりさせてもいない。こいつの肉体そのものが全て呪紋の譜律を書き込んだ呪具そのもの。どんな呪紋も必要なら体内で描き上げられる化け物だ」

 

「さすが六眼王と呼ばれるだけはある。こちらの肉体の能力を見抜くか。だが、対処出来なければ、どうという事は―――」

 

「ある」

 

「ッ」

 

 少年が瞬時に距離を詰めて彼を真正面から二剣を打ち下ろす。

 

 その合間にもガシンが瞬時にその脇腹を狙い澄まして近付いていた。

 

「舐めるな!!?」

 

 吠えた彼の全身から魔力の光が立ち昇り、体内で生成された呪紋が複数連続して継続的に発動する。

 

 ゴッと呪紋で増強された膂力で剣を押し返した男が瞬時にガシンの拳を両断し、肩までも切り裂いた。

 

 半ばから割れた肩からキラキラとした血が噴き出し、男が『この男……』と危険を察知して咄嗟に多重に呪紋による防御を纏う。

 

 竜骨、雷撃、外部への魔力転化による全周衝撃波。

 

 一斉に血飛沫がその防御に当たった瞬間、弾け飛んだ空気が起爆する。

 

 瞬時に剣で自身を護ったヴェルゴルドゥナが猛烈な爆裂にすらもキラキラとした粉塵が混じっているのを見て、一切躊躇なく後ろの壁に跳んだ。

 

(霊力による物質の変異、変質、変換、従属化!! 我が手に出来なかったアレがこいつらにはある!? まったく、今更過ぎるだろう!?)

 

 壁が背中でブチ破られると同時に衝撃が彼を襲う。

 

 だが、そんな事は問題ではない。

 

 追撃してくる少年とガシン。

 

 しかし、切り裂いたはずの腕は既に復元されていた。

 

(あの現象はグリモッドが滅んだ際に一度見たッ)

 

 彼の脳裏には古い記憶が蘇る。

 

 この数百年生きて来た彼にはどんな敵をも分類し、適応可能なだけの莫大な知識があるが、その彼にしても此処数百年で見る事の無かった事象だ。

 

 ガシンがおもむろに攻撃されて斬られましたという何とも演技臭い吹き飛び方からして猜疑心しか沸いて来ない彼は決して油断せず距離を取った。

 

 巨大な彼の肉体内部。

 

 多くは通路と部屋で占められているが、隙間は巨大な空洞があちこちにブロックの形で封ぜられており、そこには多くの資材や建材……補修点検用の素材が転がっている。

 

 ブチ破った背中でダイブした隣室は大量の鋼鉄の支柱資材が積まれた一角であった。

 

(エルガドナ・レイフェット……【緋隷王】の能力にコイツが最も近しい!! くらうわけにはッ)

 

 彼は背中から接触した大量の資材に呪紋を流し込む。

 

 瞬時に主の命へ従った鉄骨達が追撃してくる敵に向けて矢のように飛んでいく。

 

 しかし、ソレらが瞬時に方向をズラされ、紙一重の回避で速度を落とす事無く2人が距離を詰めた。

 

(糸か。だが、全方位からでは意味もあるまい!!)

 

 部屋そのものが内部に向けて圧縮される。

 

 呪紋によって室内そのものが凶器と化した。

 

(呪霊属性侵食呪紋【呪鋼】!!!)

 

 しかし、ガシンが途中で速度を殺すように背中の腕の指を地面に着いて血飛沫を床に擦り付けるようにブレーキを掛けた。

 

 途端、迫って来る室内そのものが血で描いた川の字の周囲からキラキラと輝き出してギギギギッと内部への圧縮を留められる。

 

(我が呪紋の効果を相殺する程の強制力!!? 肉体に一滴でも付着すれば、済し崩しだな。だが、コレならば!!)

 

 ヴェルゴルドゥナが遂に追い付かれた少年と斬り合う。

 

 鍔迫り合いに持ち込もうとした少年の意図を看破し、高速で駆け抜けながら壁をブチ破り、今度は上へと昇る。

 

(距離さえ取ってしまえば―――)

 

 だが、彼は甘かったとも言える。

 

 彼がブチ破った階層の先。

 

 階層そのものが崩落して彼を逆側に押し返そうと迫る。

 

 その建材という建材の多くに糸が付いているのを確認した彼は瞬時にまだ攻撃に参加していなかった灰色の筋肉蜘蛛を思い出した。

 

(戦闘環境整備役か!? だが、此処は我が城!! その程度の小細工!!)

 

 壁の内部に仕込まれていた呪紋が起動する。

 

 爆破された壁が崩壊し、その内部へと突入しながら、彼は少年の剣を受け続けつつ、上層へと昇っていく。

 

 次々に壁が爆破され、進路上の上階層までの大穴が開いていく。

 

(重要区画以外には我が肉体と同じ構造の部位を仕込んであるとはいえ、このままでは内部構造全域が崩壊する!? あの蜘蛛も敵の質も!! 四卿が束にならねばどうにも分が悪いとはな!!)

 

 遂に最上階付近まで到達した男が指を弾き、大穴の周囲を次々に崩落させて、敵が来るまでの時間を稼ぎつつ、少年と対峙した。

 

 相手の二剣が休む事なく彼の片腕の剣を捉え、軋ませる。

 

「これほどの技量!! 貴様!? どれだけ生きている!?」

 

 少年の太刀筋だけではない。

 

 足運びから移動方法、肉体の速度の増減の妙は幻惑や錯視、更には相手の思い込みを織り交ぜて欺瞞する。

 

 幾つかの方向に受ける剣が実際には肉体全体から発される兆し。

 

 つまり、予備動作の時点で全て欺瞞と考えて行動せねば、受け切れないのだ。

 

 右と思えば左、左と思えば上、兆しと実際の攻撃の差異が瞬時に相手へ強制的な選択を迫り、選択を間違えれば剣が当たり、選択を迫られている時間で他のやるべき事への対処が狭められる。

 

「く……」

 

 二剣の連撃はもはや音速を遥かに超えている。

 

 相手に息継ぎの様子すら無い事は彼と同等以上の肉体である事を示唆する。

 

 どんな存在も本来は全力で永続的に攻められない。

 

 そんな事をすれば、肉体が摩耗し、精神も疲弊するからだ。

 

 しかし、肉体を完全に自らの理想として組み上げたヴェルゴルドゥナが同じような能力を有していながら、一方的に攻撃を受けざるを得ない状況に持ち込まれている事に驚愕を通り越して唇を歪める。

 

「黒征のヤツに近しいだと!? 肉体内部の疲労を帳消しにし、消耗消費される全てを何らかの呪紋で補給するとは……精神修養も万全か? はは、戦士というにはあまりにも歪!!」

 

 文字通りの強敵。

 

 久方ぶりのソレを前にして男は震え立つ。

 

「お前を12基見た」

 

「ッ―――それは!!?」

 

 少年の初めて自分へ発する言葉に彼の思考が僅か白くなった。

 

「此処でお前を落とす。他のは起動させない」

 

「小僧!? それを何処で知ったぁ!?」

 

 ヴェルゴルドゥナが猛烈な勢いで反転攻勢に出る。

 

 目の前の相手を消さねばならない事が彼には解っていた。

 

 それは瞬時に確定事項となる。

 

「何故だ!? この【器廃卿】の秘密を何故知っている!!」

 

「―――器を捨てた男。恐らくは本体そのものがもう存在しない」

 

「ッ」

 

「自分を含めた全てを呪紋と資材で複製する。此処にいるお前すらも―――」

 

「我が名は【器廃卿】ヴェルゴルドゥナ・アーレント・ヴァルハイル!!」

 

「違う。お前は恐らく本体が自らを犠牲にして生み出した呪霊。その一部を分けた存在。倒した先から何処かでお前が起動する。それも情報とこの城と乗員付きで」

 

「何だ!? 貴様は一体何なんだ!?」

 

 的確に自分の秘密を分析する相手に彼が恐怖に顔を引き攣らせる。

 

「お前を十二基倒した時、お前は産まれなくなった。お前を複製する資材は残っていた。でも、そうはならない。つまり、呪霊の分割限界。分割後の再生もしくは復元に制限がある。それを限界以上に使う為の城。そう……ソレが正体。だから、お前は今日此処で死ぬ」

 

「―――」

 

 彼があまりの衝撃の言動に僅か動揺した時だった。

 

 ゴッと彼の背後から緋霊の拳が、何故か黒い煌めくものを零しながら……壁からヌッと破壊する事もなくブチ当たった。

 

「ガァアアアアアアアアアア!!?」

 

 瞬時に背中側から自身の肉体をパージした男が少年を剣で弾いて上を向いて壁を破壊して最上階に突入した。

 

 少年が追い付いて来たガシンが揃う前に相手を追う。

 

「何だ!? 何だ!? 一体、貴様は!!?」

 

 彼がもう箱達もいない場所で本来自分が収まっていた場所の内部に立て籠る。

 

 その周囲は半透明な結界らしきものが円筒形に覆っていた。

 

「おう。来たぞ。気配おかしい時に撃ち込んだが、今の当たってたか?」

 

 ガシンが結界の前で剣を構えている少年の背後の穴から飛び上がって来た。

 

「当たった。霊体侵食……例え、どんなに分けてもソレそのものが本体である以上、絶対に避けられない。距離のある場所にいても、全呪霊が同時に侵食される」

 

「お前もエグイ事考えるよな。お前の黒いドロドロをゴライアスの能力やフレイの呪紋で霊体に利くようにするとかよ」

 

 その言葉にヴェルゴルドゥナが本気で今の自分が追い詰められている事を知る。

 

(マズイッ。これは、この攻撃は一種の強制契約……変質がッ、グッ?! 対抗呪紋の殆どが魔力毎、浸食してくる霊体に食い尽される?!!)

 

「何でも物は試し」

 

「つーか、攻撃せずに溜めてるって事は割れるのか? あの結界」

 

「割れる」

 

(―――存在に掛かる契約は神の下ならば、何処にいても必ず、自分を分けてすら履行されるのと同じ理屈かッ。あの緋霊の若造?! こちらの存在を侵食するものと強制契約を!? そんな事が可能なのはあの緋王くらいだろうが!?)

 

 霊体への攻撃手段が北部では殆どない事から、魔力による防御が基本的には鉄板だったのだ。

 

 しかし、不意打ちの準備に必要な呪紋を紡ぐ暇も少年の攻撃に潰された彼である。

 

 全ての能力を相手の斬撃防御に当てなければ、彼は両断されていた。

 

 つまり、戦闘中の猛烈な連続攻撃は全てをたった一撃当てる為だけに用意されていたお膳立てだったのだ。

 

 喰らったものが自分には致死性の毒に等しいと気付いた彼は治せる呪紋が無いか結界内部で試行錯誤する。

 

「ダメか……この土壇場で……くく、いいだろう。ならば、我が全力を以てお相手しよう。オクロシア及び一帯全てを破壊する!!」

 

 結界毎、男が上空へと射出される。

 

 彼らが更に上に向かった穴を登ろうとした時。

 

 城が鳴動した。

 

『“我が主”(。-`ω-)』

 

 少年の耳元に白い糸がいつの間にか付いていた。

 

「報告」

 

 ゴライアスの糸電話。

 

 魔力を通した糸を通して声が通じるのだ。

 

 呪紋ですらないので簡単に使えるが、この状況でされる報告が良いものとは思えなかった少年は天井を剣で斬り裂きながら訊ねる。

 

『“残念ながら主の言っていた中枢が()()()上空へと消えました”(。-`ω-)』

 

「それで?」

 

『“中央部位の一帯が下半身から引き抜かれるような形で持ち上がっています”一部の構造を爆砕し、上部構造を逃がした形……“まるで蜘蛛脚の如き例の兵器8本と共に飛び上がりました”(。-`ω-)』

 

 サラッと2人の間で戦略兵器の本数が流され、さすがのガシンの顔も蒼くなる。

 

「破壊出来そう?」

 

『“構造体内部で未だレザリア様が資材確保に動いています”……“全力を出すと下半身が潰れてしまうかと”(。-`ω-)』

 

「解った。こっちでどうにかする」

 

 剣が最後の隔壁を斬り裂いて屋上に出る。

 

 すると、2人の前にはあまりにも壮絶な光景が広がっていた。

 

「んだ!? ありゃぁ!?」

 

 ガシンが驚くのも無理は無かった。

 

 周囲から逃げ出していく乗員達は命令を必死に護って逃げている。

 

 だが、その上空では30m近い長さの全長を持つ何かがガチャガチャと内部の機構らしきものを城から引き上げ、次々に肉体へと取り込んでいた。

 

「でけぇ!? ドラクとかの何倍だよ!?」

 

 巨大な六枚の翼と二本の腕と化したグラングラの大槍を接続し終えて、その頭部に半透明の結界で護られたヴェルゴルドゥナを頂いていた。

 

「最終形態。強い」

 

「お、お前なぁ? あんなん聞いてねぇぞ? つーか、空飛んでるのどうすんだよ!? さすがに届かねぇんだが!?」

 

 少年のサラッとどうでもいいと流した様子にガシンが喚く。

 

「問題無い」

 

「問題しかねぇ。つーか、何か黒い魔力溢れてねぇか?」

 

「さっき打ち込んで貰った霊体化真菌で強制契約した。ガシンのおかげ」

 

「契約? 何の話だ?」

 

 少年は単純に必要な事以外は全てまったく説明しない。

 

 その悪癖のせいでぶっつけ本番のガシンは殆ど自分が何をしていたのか知らなかったのである。

 

「相手を数倍強化する代わりに魂を菌に食わせる。短時間で魂が摩滅する契約。リケイに作って貰った強制強化による呪霊属性加護呪紋【黒霊菌】」

 

 言ってる傍から苦しみ出したようにのたうつ竜が黒い魔力によって全身が染まっていく。

 

「御気の毒様だな……強くなるのを除けば」

 

「それは耐性在りの共生済みじゃない魂が使った場合。条件が合致すると強化中は普通に強くなって魂の致死量2割以上消耗前に効果が切れる」

 

「あん? まさか、オレ達にも使えるとか言――」

 

「言う。強制だから、相手から能力を落とされる心配も無い。魂の消耗で少し廃人になるだけ」

 

「だけってオイ。オレはともかく魂とかやたら回復しねぇんだぞ?」

 

 少年が白霊石の欠片をガシンに見せる。

 

「……ああ、はい。オレは樽、オレは樽ね!!?」

 

 ヤケクソでこれからも樽役よろしくされた青年が涙目になった。

 

 今後は白霊石によって摩耗分を回復する事が確定事項になった瞬間である。

 

『アルティエ!! 倉庫にアルティエの言ってた通り、何か竜さんがやたら詰め込まれてるよ!! 今、出すね』

 

 レザリアの声が耳元に糸で届き少年が頷いた。

 

「よろしく」

 

 少年が言った傍から格納庫に通じる倉庫内から数匹の竜が何かから慌てた様子で逃げようとして引き抜かれた区画の跡に残った大穴から飛び上がって来る。

 

 それを少年が片っ端から不可糸で柄を繋いだ二代目蜘蛛脚で切り付けて行く。

 

 空に必死に登ろうとする竜が次々に変質し、内部から蜘蛛化して竜の背中に蜘蛛脚が生えた甲殻系な竜蜘蛛と呼べるような何かとなって少年達の下に集い始めた。

 

「そういう事か!! 確かに無きゃオカシイわけだ」

 

 中央部分が球体状に刳り貫かれたような城の端。

 

 屋上の崩れ掛けた一部から少年が空の未だ肉体を編成中の相手を見上げた。

 

「倒す算段は?」

 

「ある。ゴライアス」

 

『“ヘクトラス様に訊きましたが、どうやら胸の背中側のようです”(。-`ω-)』

 

「注意事項は?」

 

『“移動可能だと。恐らくは……”(。-`ω-)』

 

「了解」

 

 少年がガシンと一緒に跳び上がる。

 

「そういや、例の兵器大量に付いてんぞ!! ちゃんと防げるんだろうなぁ!?」

 

「問題無い。相手より上の高度で戦えば、上にしか向けて来ない。高度限界もある。威力も城本体が無ければ40分の1程度」

 

「どういうこった!? つーか、40分の1が数倍なんだろ!?」

 

「当たらなければ問題無い。着弾地点から半径50m圏内くらいがたぶん即死圏内なだけ」

 

「もういい!! とにかく大避けしながら、攻撃をこっちに向けさせりゃいいんだろ!! やってやんよ!!」

 

 3m程の全長がある竜蜘蛛。

 

 少年の個体が上空に向かうと追従するようにしてガシンの乗った竜蜘蛛も飛び上がり、他の竜蜘蛛達が次々に逃げて行く部隊を追撃するように低空からアプローチし、ドラクというドラクを多勢に無勢で鹵獲し始めた。



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第50話「オクロシアの崩壊Ⅳ」

 

 

「羅針盤の導きが変質した?」

 

 グリモッド中央域。

 

 霧に包まれた城が一つある。

 

 その最中、玉座に腰掛けた緋色の髪の青年が目の前の虚空に浮かぶ全てが白く針だけが金色の巨大な羅針盤……明らかに普通ではないソレが揺らぎながら北部の一点を指すのを眺めていた。

 

「……太極は変わらない。はずが、はずではない。というのもおかしな話だ」

 

 彼は独り言を呟いていたが、周囲にはそれを聞く者達が侍っている。

 

 多くの呪霊達が揺らぎながら、揺蕩う様子で目覚めてすらいないだろう。

 

 しかし、浮遊し、体を水の中のようにふわふわと虚空において流されている彼らの一体がゆっくりと起き上がり、ペリペリと青白い輝きが花弁のように肉体から剥がれるとドチャッと地面に倒れ込む。

 

 人間にしか見えない彼女はいきなり霊的存在から体に肉を得て、頭を掻いていた。

 

「イタタ……緋王陛下。どうなされたのですか? まだ、約束の時には時間があるように思われますが……」

 

 緋色の髪の20代の女。

 

 妖艶とも無縁そうな体躯はスラリとしているが、頭をボリボリと掻きながら、全裸で起き上がった彼女は快活そうな笑みを浮かべて指を弾く。

 

 すると、玉座周囲の無骨な石の柱が次々にキラキラと緋色に輝いて彼女の周囲に流れ込むように液状化し、肉体を覆って快活な彼女に似合うだろう紅い短めのワンピースなドレスと軽装の手甲、脚甲となった。

 

「ハウエス様に頂いた羅針盤が揺らいでいる」

 

「え!? 【太極神の羅針盤】ですよ!? それって世界が終わる程度じゃ何も変化無しとか言ってませんでした?」

 

「はずはない。はずはないが、はずはある」

 

「また、言葉遊びしてぇ……アタシに分かるように言って下さい」

 

 玉座に座る青年が顔を一撫でする。

 

 すると、厳めしい40代の男の顔に変貌する。

 

「羅針盤が揺らぐ時、世界ではなく、大宇が揺らぐ。それが事実だ」

 

「大宇? 空って事です?」

 

「お前にはまだ300年は分からないままかもしれん」

 

「今、馬鹿にされました!? されました!? この緋王陛下の為に時々起こされては世話係を任されているアタシを!?」

 

「馬鹿にはしていない。単なる事実だ」

 

「なぁんだ。それならいいんです。で? 理由でも排除してくればいいんです?」

 

「それでもいいのだが、今面白いところだ」

 

「面白い?」

 

「久方ぶりに戦をしてみたくなった」

 

 緋色の髪の女性がジト目になる。

 

「はい? あのですねぇ。我々が此処に封印されたままを選んで何年経ったと思ってるんですか?」

 

「さて? 100年だったか1000年だったか……」

 

「もう昔の臣下達の子孫なんて我らの事を御伽噺としか思ってないでしょう」

 

「お前らが居れば、遊ぶのは可能だろう?」

 

「あのですねぇ。やたら未来の進んだ呪紋とか相手にしたくないんですが?」

 

「それがな? 驚く事に今日初めて進歩した呪紋が発動した」

 

「え?」

 

 何処か可笑しそうに王は笑う。

 

「あれだけの年月が経って尚、呪紋というものが殆ど発達していない。この時代にあってもだ。一番先頭を走っていた者が今、真なる“新しき”に敗れる」

 

「……新しい物好きですもんね。陛下」

 

「それと冥領が落ちた」

 

「はぇ!? ちょ、そっちの方が大事件じゃ!?」

 

「いや、ヤツの魂はある。だが、初期化されたな」

 

「初期化? 輪廻に入ったんじゃなくて?」

 

「初期化だ。西部の母蜘蛛の力でな。くく、時間を掛けたが全て台無しだ」

 

「うわぁ~~遂に西部が東部を制したとか。ヤツの救世神撲滅計画も頓挫かぁ」

 

「ははは、それがなぁ。それが……制したのは南部だ」

 

「―――ヒトが?」

 

「ヤツが必死になって育てていた神樹も消えた。跡形もなく」

 

「………ッ」

 

 初めて女性が目を見開く。

 

「西部を制し、グリモッドの大霊殿を制し、冥領を制したヒト達がいる」

 

 王が見守る中。

 

 巨大な鋼の機械竜が黒い瘴気らしきものを零しながら吠え。

 

 それを飛び上がる竜蜘蛛に乗った者達が翻弄していた。

 

「………玩具と戦うくらいならこっちにも出来ますけど?」

 

「旧き希望は消え去り、新たな破滅と進歩の萌芽が世界を席巻する。到達したぞ……此処こそが恐らく約束の時に至る分岐点の一つだ」

 

「では、遂に始めるので?」

 

「まずは我が神をお迎えせねばな。その後、バラジモールに揚陸している神聖騎士共を叩く。本隊が乗り込んで来る前に」

 

「また性懲りもなくヤツらが? 戦争かぁ……」

 

「あの我らを封じ込め死滅して尚揺るがなかった連中が乗り込んで来るぞ? あの冷酷無比な神狂い共が……どうだ? 心躍らぬか?」

 

 王の笑みに臣下は答える。

 

「それは面白そう♪」

 

「ならば、手伝え。戦争の醍醐味と言えば、陰謀、同盟、裏切り、他諸々だ」

 

「ハイハイ。では、緋王陛下の槍があちらを慣らして参りましょう。必要な数を仰って下さいな」

 

「そう数はいない。まぁ、本隊が来るまでは1000もあれば十分だ」

 

「解りました。では、1000から始めましょう。陛下? お手伝い下さい」

 

「良い。許す」

 

 男が自分の人差し指を手刀で切り落として、血も出ない様子で放る。

 

 それを受け取った女の手が何かを回すような仕草をした時。

 

 その手には緋色の金属質の槍が握られていた。

 

 ヒュンヒュンと回して何度か突きと振り回しの動作を確認した彼女はニコリ。

 

「では、行って参ります。今回の神聖騎士共が面白い事に期待しましょう」

 

「我らを封じ込めてくれた連中くらいには頑張って欲しいものだ。本隊にはどうせ主神がいる。それが来るまでは存分に遊ばせて貰おう」

 

 王の玉座の前から女が姿を消す。

 

 そうして、新しい時代の映像を眺めていた王はふと周囲の消えた柱の位置を見て。

 

「……城が崩れぬか心配だ。石工を手配せねばな」

 

 そう自分の城の心配をし始めるのだった。

 

 *

 

 遥か巨大な機械竜が黒く染まりながら魂の擦り減る衝撃に嘶く。

 

 そんな様子を呪紋の遠見で見ながら、巨人族の王ヴァルハウは失った息子の事を思いつつも、オクロシアに突撃してくる大隊を丘の上で見下ろしていた。

 

「王よ。どうやら始まったようです」

 

 簡素な外套を纏った精々が12人の有志達が彼の背後にはいる。

 

 その巨人族達の背後には更に多くの者達が付き従っていた。

 

「敵にもはや後方はない!! 我が軍の目標は敵近衛軍の包囲撃滅である!! 無用な消耗は避け、防御に徹せよ!!」

 

 彼の言葉と同時に巨人族達が次々に背後から巨人がスッポリ入る竜骨製の盾を持ち上げ、もう片方の手で竜骨弩を掲げる。

 

「射撃戦用意!! 射程に入り次第一斉射!! 攻撃を絶やすな!!」

 

 爆華を用いた爆撃兵器が次々に兵達の手に持たれる。

 

「撃てぇええ!!!」

 

 こうしてまだ距離がある部隊との壮絶な射撃戦が始まった。

 

 巨人族達の背後には大量の竜骨弩に入れる迫撃矢の箱が山と積み上げられており、精霊使い達がその巨大な弩に矢を装填していく。

 

 相手側からの迎撃と攻撃もまた爆発物であり、その応酬は次々に戦域の大盾を持つ巨人達を襲ったが、それは敵側のドラクも同じ。

 

 特にフル装備とはいえ、相手を強襲する事に特化した彼らは防御用の兵装を重視しておらず、半数は盾すら持っていなかった。

 

『た、隊長!? 司令部からの応答ありません!!』

 

『構うな!! 数が想定よりも多過ぎる!! 包囲の穴から脱出しろ!!』

 

『こちら、第三小隊!! 敵軍の包囲が意図的に開かれている可能性がある!!』

 

『……罠毎打ち崩せ!! 損耗した者に構うな!!』

 

 攻撃を面制圧で互いに遠距離から打ち込み続ける場合、その消耗はどちらが早く相手を殲滅するかに掛かっているが、オクロシア守備隊と巨人族の莫大な爆華を背景にした爆撃は次々に突撃してくるドラクを戦域全土で打ち倒し、防御用の呪紋に特化して、射撃は全て兵器で行うという単純な戦術はオクロシア側の被害を最小限度に留めて耐久を可能にしていた。

 

『な、何だ!? 何だあの巨大な蜘蛛は!?』

 

『ドラク、ではない!? 蜘蛛!? 蜘蛛だと!!?』

 

『うぁああああああああ!!? 搭乗口を護れぇえええ!!?』

 

『白い蜘蛛が!? 白い蜘蛛の大群がぁ!!?』

 

『搭乗口の手動開閉は機構毎潰したはずだろぉ!?』

 

『こ、こいつら潰した機構部位から呪紋で侵食して、無理やりにぃぃぃ!!?』

 

 単純な手数の多さで数人が負傷しながらも巨人族との連携を主軸としたオクロシア軍は敵と接敵するよりも早く相手を減らしていた。

 

 だが、ヴァルハイル軍は後方に回り込んだ者達を相手にして包囲を受けながら、明らかに自分達が今まで倒して来た敵よりも数が多いという物量戦術を前に消耗を余儀なくされて擦り切れていく。

 

 白い小さな蜘蛛達は主の呪紋を伝導する手の役割も果たす。

 

 となれば、呪紋の延長用コードみたいなものでもあった為、様々な呪紋による支援が軍を下支えしていた。

 

『機械の蜘蛛……ウルガンダの……これが西部のち、から、か……』

 

 四肢を両断され、蜘蛛達によって次々にグルグル巻きにされて運び出された兵士達と破壊されたドラクは後から後から白い糸蜘蛛達によって戦場の後方へと運び込まれて、全滅した部隊の横へと並べられていく事になる。

 

 結局、最後の最後まで抵抗したドラク達が全滅するも、射撃と防御に徹したオクロシア側の被害も少なくはなく。

 

 だが、それでも前よりはマシな事を彼らは実感する。

 

『た、助かった!! 西部の蜘蛛達!!』

 

『(・ω・)///』

 

『蜘蛛糸で相手の攻撃を空中で絡め取ってくれていなければ、我らは大きな打撃を受けていただろう!! 貴君らの働きに感謝する!!』

 

 死傷者はどちらも左程出なかったが、嘗ての部隊が全滅を繰り返すような地獄よりはマシな地獄が出来たというだけでオクロシアの士気は上がっていた。

 

 それは絶対的な敵が相対的な勝てる敵になったという事に帰結しており、戦力としてやってきた蜘蛛達を彼らは初めての勝利の立役者として大いに労う事になる。

 

 彼らの多くが敵部隊の撃滅よりも相手の攻撃を抑止し、防御する事に徹したおかげで助かった者達が数多くいた事は今後の北部での蜘蛛達の活動に大きく資する事になるが、それはまだ先の話。

 

 たった100匹ながらも機械の力を得て飛躍したニアステラ戦力の働きは数千体にも及ぶドラクとの戦闘で存分に西部の威力として北部の者達の間で記憶されたのだ。

 

 *

 

『―――コロスコロスコロス』

 

「おいおい。完全にイッちまってるぞ!? あいつ!?」

 

「単なる偽装。魂が磨滅するまで理性は消滅しない」

 

「アルティエ!! この子達の速度だとギリギリだよ」

 

 空に竜蜘蛛で飛び上がった少年とガシンは途中から飛び上がって来たレザリアと共に進み始めた巨大機械竜ドラグリアを追っていた。

 

 ソレは黒く変色した後、猛烈な速度で瞬時に飛び出して、まっすぐにオクロシアを目指したのだ。

 

 しかし、途中から追いすがる相手を確認すると、巨大な戦略兵器の翅を短くするようにパージし、砲身を少年達に向けながら速度を落として迎撃を開始。

 

 その射線から逃げるようにして竜蜘蛛達で近付こうといていた三人は相手の射撃精度と巨大なのに敏捷性を損なわない相手を前にして距離を詰められずにいた。

 

「おっとぉおおおおおおおおおお!?!!」

 

 ガシンが翅から吹き伸びる光線を避ける。

 

 散弾化されたソレは空を埋め尽くすように上空の彼らを襲うが、竜蜘蛛の機動力と少年が神聖属性祈祷呪紋【見えざる権能】を行使した為、必ず避けられる限りは避けるという明らかに長くは持たない回避能力で今のところは光線の雨に当たらず済んでいた。

 

「白霊石の残りが少ない。竜蜘蛛もあまり長くコレで飛べない。早めに決着を付けないと射程距離に地表の部隊が入る」

 

 ボリボリと緋色の白霊石を呑気に齧りながら少年がまだ魔力が尽きない相手に不可糸を絡み付ける。

 

 しかし、黒い魔力が糸を弾き、巨大な魔力の噴出は本人を急速に摩耗させながらもまったく衰えていなかった。

 

「どうするの!? アルティエ!!」

 

 周囲を飛んでいるレザリアの声に少年が僅かに瞳を細めた。

 

「至近距離に入れば、確実に落とせる。ガシン」

 

「どうしろってぇえ!? 今、あの光が掠ったぞ!?」

 

 ガシンがすぐ1m脇を上空に消えて行った散弾化した光線にゲッソリする。

 

「問題無い。アレの威力は直接接触か、威力に転化する際、纏まった質量に当たらないと発動しない」

 

「で、どうすんだ!?」

 

「方法は―――」

 

 少年がすぐに作戦を伝えた。

 

「分の悪い賭けは好きじゃねぇ。好きじゃねぇが、出来るんだろ?」

 

「出来る」

 

「ならいいさ!! 頼んだぜ!! レザリア」

 

「うん!!」

 

 三人が背中を向けて翅をこちらに向けて未だに途切れぬ弾幕を張り続けているドラグリアの上空で頷き合う。

 

 三人が同時に同じ呪紋を発動させた。

 

「「「竜属性呪紋【再生色】」」」

 

 ガシンを中心にして三人が片手をドラグリアに向けた。

 

「「【飽殖神の礼賛】!!」」

 

 ガシンと少年の片腕から更に猛烈な量の腕が噴出し、同時にソレが再生色の影響で次々に光線の弾幕に穴を開けられながらも瞬時に再生しつつ、敵を覆う網のように広がった。

 

『ッ――』

 

 相手が弾幕の量を減らして加速、内部から逃れようとする。

 

 しかし、それよりも先に次々に高速で広がった腕の網が内部から竜骨を迫出させ、破壊されながらも同じような竜骨の弾幕を形成。

 

 ドラグリア本体へと次々に骨の槍を打ち込んでいく。

 

 さすがに貫通はしないが、貫通しないだけで威力を受け体勢を崩した相手の動きが鈍る。

 

 逃げるには加速する必要があるが、加速するには魔力がいる。

 

 魔力を攻撃に転用していては加速出来ない。

 

 しかし、攻撃を止めて加速しようとすれば、相手の攻撃の集中砲火で機体を釘付けにされて接近を許してしまう。

 

 弾幕と弾幕で攻撃合戦をしていては時間切れで先に沈むのは自分。

 

 という、あまりにも理不尽な選択を前にしてドラグリアが怒りの咆哮を上げ。

 

 飛ぶのを諦めながら巨大な機影が自由落下を始めた。

 

「あ、本当に落ちてる!?」

 

「魔力の充填作業。恐らく1分無い。追撃」

 

「おっしゃ!! ここでケリ付けるぜ!!」

 

 弾幕を張り続けて応戦を続行。

 

 しかし、ドラグリアは飛行に割いていた魔力の充填を開始。

 

 それが終わった時こそが、彼らを引き離して戦域を横断し、全ての敵軍と重要拠点を吹き飛ばし、オクロシア全土を灰燼にする時である。

 

 と、ばかりに落下しながら彼らに今までよりも更に濃密な弾幕を浴びせる。

 

 それはそうだろう。相手との相対距離こそ離れているが、位置はそのままなのだ。

 

 敵は自分を追い掛けねば、魔力の充填を許してしまう。

 

 しかし、相手が追い掛けて来れば、進路を弾幕で埋め尽くす事は可能。

 

 これによって敵を駆逐出来れば良し。

 

 相手が迂回しながらやってくれば、時間が稼げて美味しい。

 

 そういう算段なのだ。

 

 しかし、その目論見は甘かったと言える。

 

「レザリア!!」

 

「うん!! 霊薬を充填!! 行くよ。竜骨盾【無限再生】!!」

 

 少女が掛け続けていた竜骨の盾への呪紋を更に強化した。

 

 ギチギチ蠢いていた竜骨がガバリと肋骨の如く花びらの如く、傘のように開いて、肥大化していく。

 

「今!!」

 

 竜蜘蛛から飛び降りたレザリアが傘を下向きにして広げ続けた。

 

 取っ手の根本に付けられた霊薬装填用の試験管内部から注入された霊薬は単なる霊薬ではない混合薬だ。

 

 通常の傷を治す霊薬。

 

 少年が細胞増殖を行う最に使うビシウスの根環濃縮液。

 

 そして、膨大なカロリーの凝縮液である爆華の濃縮原液。

 

 巨大な大樽状態のドラグリアを崩壊させた例の一撃に使われた余りものが現地で調合されて入っている。

 

 それらが呪紋の効果と共に盾を肥大化させた時、起こる事は単純だ。

 

『―――ッ』

 

 グラングラの大槍。

 

 その圧倒的な威力のソレ。

 

 威力が40分の1に落ちて魔力で強化されてという威力上下を繰り返したソレの光の弾幕が貫通出来ずに防がれていた。

 

 猛烈な威力による蒸発させて消し飛ばす一撃が消し飛ばした先からの莫大な増殖速度による復元によって穴が開く前に再生されているのだ。

 

 質量は補填出来ないという事実は飽殖神の礼賛の効果で克服されている。

 

 盾がベコベコに凹みながらもすぐに復元され、また光の雨を受ける。

 

 その繰り返しの背後。

 

 落下以上の加速力を少年が魔力転化による運動エネルギーで得ていた。

 

 少年とガシンがレザリアが持つ大楯に乘って竜蜘蛛を降り立たせ。

 

 猛烈な勢いで腕の網を左右から周囲の一帯に降り注がせる。

 

「………ッ、行って!!」

 

 レザリアの合図でガシンが魔力を背後の腕から翼のように噴出させて更に盾を加速。

 

 その片手を取っている少年が盾に開けられた隙間から光の弾幕を擦り抜け、ガシンに投げられて加速。

 

 両腕で迎撃したドラグリアの身体から銀の粉のようなものが噴き出すのも構わず。

 

 無理やりに間合いの内側へと入り込み。

 

 腕を擦り抜けて胸元に霊力でキラキラにした方の大剣を打ち立て、迫る腕を二代目蜘蛛脚で切り払い。

 

 肉体を銀の噴流によって削られながらも再生色によって復元し、蜘蛛脚による加速で巨大な敵の胴体を斬り裂くかのように奔った。

 

「!!!」

 

 少年が瞬時に斬り裂いた装甲は亀裂が入っただけだ。

 

 しかも、何度斬り付けようともそもそもの質量が違う。

 

 内部機構を斬り裂く前に魔力の充填が終わるのは確定的。

 

 現在、黒い魔力の殆どが内部で充填に回されている為、今は問題無いが、ソレが復活すれば弾き飛ばされてしまうのは間違いない。

 

 そう、それが本当に斬り割いていただけならば。

 

「刻印完了【ウィシダの大高炉】!!」

 

 刻印されていたのは呪紋だった。

 

『ッッッ』

 

 譜律を描き込まれたのは数秒の話。

 

 それが呪紋として組み上がる。

 

 蜘蛛脚による高速移動が可能な少年は落下中もまったく緻密に全てを描き込み。

 

 その装甲内部へ向けて呪紋を起動した。

 

 ボッと()()()()()()()()()巨大熱量が内部から装甲を焼き溶かし、今までの数十倍にもなろうかという程に内部から膨れ上がらせていく。

 

「ガシン!!」

 

「応とも!!」

 

 炉の底が呪紋を描いた胸部装甲ならば、底より上と定義される内部は灼熱地獄。

 

 しかし、溶けない。

 

 膨れ上がってすら溶けない。

 

 その理由が少年には解っていた。

 

 大量の銀の噴流が熱量を推し留めるように蒸発しながらも無限にも等しく体内で荒れ狂って中核である背筋から頭部までのコア・ユニットを護り切ろうと接続部から体内に全てを封じ込めているのだ。

 

「行くぜ? これがオレのッ、一撃だッッ!!」

 

 ガシンが弾幕の止んだ後方から加速して接近し、片腕を振り上げる。

 

 すると、巨人何人分かというだけの緋霊の腕が吹き上がり、巨大化し、打ち下ろされる。

 

 熱量の壁を擦り抜けて魂を直接殴る男の拳が相手の中枢。

 

 今や巨大化した心臓と竜の瞳だけになったドラグリアの中核に宿る魂を撃ち抜いた。

 

 そこへ少年がトドメとばかりに炎瓶の呪紋を追撃で撃ち放って完全に中枢が溶け落ちる。

 

「―――2人とも!!」

 

 途端に装甲毎膨れ上がっていた竜が巨大な熱量の塊に呑み込まれるように焼滅していく。

 

 その光に呑み込まれるより先に追い付いてた背後の盾が2人分の隙間を開けて背後に少年とガシンを庇うとすぐに閉じた。

 

 大量の燐光が蒸発していく地表の機械竜から吹き上がり、少年の胸元へと吸収されていった。

 

(―――呪紋『   』を獲得。呪紋が開放されない? こっちの能力不足?)

 

 ジュワッと竜骨の巨大盾全体が表面から蒸発していく。

 

 しかし、それを受け止めながら竜骨が更に伸びて爆発を地表へと激突する前に抑え込むドームのように開いて、周囲へ大量に散らばっていた2人の腕を突き刺しては真菌を通じて栄養素として吸収し、巨大な丸い壁を作っていく。

 

 そうして28秒後。

 

 完全に600m四方を覆い切った竜骨の盾は球状のドーム化し、地表に墜ちた熱量とドラグリアの爆発の瞬間、猛烈に内部から発光し、振動し、爆音と衝撃を周囲に噴出させながらも、その威力の殆どを内部に留め切った。

 

 炸裂の封じ込めに成功した三人の顔が僅かに安堵する。

 

 その圧倒的な衝撃はオクロシアの戦域全土からも感じられる程のものとなり、戦いが終結しつつある戦場で勝敗が着いた事を全軍に教えたのである。

 

 *

 

『……破れたか』

 

 僅かにノイズが混ざる声。

 

 溶け掛けた頭部だけになった男はそれでも黒い靄を放出しながら、自分を倒して見せた相手のいる方向を見上げていた。

 

 未だ灼熱地獄にあるドーム内。

 

 少年だけが熱に焼かれながらも内部に突入し、1人彼の下にいた。

 

 炎に融けた全てが融解する中。

 

 辛うじて原型を留めていた竜頭部分から背骨の傾いだ部位に載っている頭部はもう数分持たないだろう。

 

「【器廃卿】……お前は知ってる。あの島より巨大なアレが何か……」

 

「……ようやく分かった。そうか、旧き者達の悪戯か。あるいは捨てられたか? 貴様は本当の意味での流刑者なのだな」

 

「………」

 

「ノクロシアが世の中心であった時、この世界は常に正しい方向に進んでいたと文献にはあった。今なら分かる……棄てられたエルの末裔たる我々のように……貴様もまた……この時代に……」

 

「答えろ」

 

 少年が蜘蛛脚を男の頭部に向ける。

 

 その剣は既にボロボロで紙切れ一枚斬るのにも苦労しそうな程に罅割れていた。

 

 あまりの酷使で柄にある瞳の集合体は明らかに使用者を『コイツ……』みたいなジト目で睨んでいる。

 

「貴様、何度繰り返した?」

 

「―――」

 

 少年の瞳が細められる。

 

「賞賛しよう。お前はどうやら打ち勝ったらしい」

 

「何が言いたい?」

 

「聖王閣下が壊れてしまってな。はは、どうしてかと思えば……何度だ? 何度、あの哀れな閣下に強要した?」

 

「強要?」

 

「ふ、ふふ、あはははは」

 

 ゆっくりと頭部から一人の男の呪霊が立ち上がる。

 

 その体は既に黒い靄に侵食されており、余命幾何もないのが分かった。

 

「まぁ、いいか。どうせ、全ては泡沫の夢に過ぎん。だが、神々の遊びに付き合う程、こちらは神の信奉者というヤツでもない」

 

 男が蜘蛛脚に自ら貫かれるように倒れ込む。

 

「いいだろう。貴様に何度でも付き合ってやろう。此処まで何度でも到達してみせるがいい」

 

「何故、到達出来ると思う?」

 

「ふ……貴様が何処で挫折し、あの哀れな王と同じになるか。見守っているぞ。救世神を滅ぼす力無き今、我らヴァルハイルに残るのは貴様らのような敵が齎す可能性だけなのかもしれん」

 

「救世神?」

 

 ヴェルゴルドゥナ。

 

 ヴァルハイルの文明を遥か高見へと進めた男はガリガリと内部から蜘蛛に変貌しながら、その複眼を少年に向ける。

 

「お前の言うソレは島を造りし者達。神々が造り出した一柱……名を【救世神ヴァナドゥ】」

 

(ヴァナドゥ? 初めて聞く。本当に初めて、これが……この名前がアレのものなら……辿り着いた? 遂に此処まで―――)

 

「癪だが、教えてやる」

 

 男の頭部が遂に崩れ始めた。

 

「聖域に祀られしもの。神々に呪われし神。モナスの聖域とはヤツの寝床だ」

 

「ッ」

 

「絶望する時間くらいはくれてやる……あの聖王が無し得なかったのだ。貴様が何処の誰かは知らんが、我が身が倒れれば封印は強まる。一年……それが限界だ」

 

 男が貫かれたままに目を閉じる。

 

(奇特な事だ。このオレが……だが、我が主の望み。叶えられるとすれば、それは幾度となく戦うべき時を迎える者以外に無いのやもしれぬ……)

 

 呪霊が変質していく。

 

 だが、スピィリアではない。

 

 ソレが暗い瞳と蒼い脚のソレがカサカサと少年から距離を取る。

 

『覚悟、せよ……貴様の逝く道に退路は無い……我らが神の力を簒奪した時、本当の意味で戦いは始まるのだ』

 

 蜘蛛から未だ聞こえる男の声が途絶えた時。

 

 不意に気配が消えた。

 

『( ̄д ̄)?』

 

 蜘蛛がいきなり自我を得ましたと言わんばかりに周囲をキョロキョロする。

 

 暗い瞳に蒼い体。

 

 その2m程の大きさのが少年の傍に寄って来る。

 

「これからよろしく」

 

『( ̄д ̄)/』

 

 何処かやる気無さげに腕を上げた蜘蛛が欠伸をして、球体のように体を丸めてシューシューと呼気を零しながら白く変質すると寝始めた。

 

「名前は後で」

 

 少年が蜘蛛脚を鞘に戻して、新しく加わった蜘蛛を不可糸の糸を高熱から護るように魔力で多重に強化して、ドームの上へ一緒に釣り上げて消えて行く。

 

 ドラグリアの爆心地周囲には大量の銀の噴流で用いられた鱗が散らばり、一面白銀世界の墓標の如くなっていたが、竜骨のドームの外は夜に向けて冷えて行く外気すら温められたように蒸し暑く。

 

 その頂点で待っていたレザリアとガシンはようやく決着が着いたと安堵した。

 

 すると、ドームの端から外側の壁を登って来たらしき黄金色がすぐにやってくる。

 

「あ、フレイだ」

 

 黄金の蜘蛛がレザリアの横にやってくる。

 

『全行程終了。戦域のドラクの殲滅を完了しました』

 

「ご苦労様」

 

『勿体なきお言葉。蟲畜として嬉しく思います』

 

 フレイが人型に変化する。

 

 衣服まで自分の外殻の一部を変貌させて生み出す呪紋は今や少年も使う事になっている。

 

 霊力による肉体表面の変質で大抵の物理攻撃は防げてしまうからだ。

 

 言わば、亡霊のように物理攻撃に耐性が高い状態になれるのである。

 

 それも装備込みのものである為、かなり便利であり、ドーム内に降りられたのもそのおかげだったりするが、フレイはあくまで謙虚に少年へ尽くす様子であり、自分の呪紋が使われている事に誇らしげになる事すらない。

 

「ねぇねぇ、その子は?」

 

 レザリアが引き上げられた白い蜘蛛を見やる。

 

「ヴェルゴルドゥナ。呪霊型の蜘蛛になった」

 

「蜘蛛脚が便利過ぎるのはアレだが、そいつ大丈夫なのか? 強さ的に」

 

「問題無い。やる気が無いだけでたぶん一番汎用性と破壊力が高い能力してる」

 

「いや、そういう事じゃなくてよ。強力過ぎて反逆されないか?」

 

「やる気が無いから大丈夫」

 

「大丈夫なんだ。それで……」

 

 ガシンとレザリアがやる気が無いと連呼されて寝ている蜘蛛をしげしげと見やる。

 

「つーか、汎用性と破壊力ってどういう事だ?」

 

「肉体が呪紋を造る譜律の塊で、尚且つ竜系統で一番硬い血統」

 

「は? 譜律? 竜? 呪霊、なんだよな?」

 

「肉体と本体が別々で一つ。魔力量や呪紋の創造性はフレイに劣って、肉体の総合的な能力はゴライアスに劣る。模倣能力みたいなのはルーエルに敵わない。でも、呪霊属性以外の呪紋の殆どを生成したり、真似たり出来る。後、単なる物理強度だけならゴライアスより上」

 

「……強いのか弱いのか。よく分からんヤツって事か」

 

「う~~ん。でも、本当に寝てる……」

 

 ツンツンとレザリアが突いてみるが、寝息を立てる蜘蛛はうんともすんとも言わない。

 

「後、グラングラの大槍とか、戦略系の呪紋を多数持ってるみたい」

 

 思わず最後にシレッと一番重要な事を述べた少年に2人がまた危ない仲間が増えたらしいと溜息吐いたのだった。

 

「こちらフレイ。ゴライアスより呪紋にて伝令。ヴェルゴルドゥナの城の下部の確保を終了。また、糸蜘蛛で逃げ出したドラクをほぼ全て確保。兵の確保も試みたそうなのですが、半数以上に逃走を図られたようで、内部の物資の搬出や嵌った部位の移動には数日掛かる見込みだと」

 

「解った。しばらく、ゴライアスにオクロシアを任せる」

 

「この竜骨の檻は如何しましょう?」

 

「たぶん、年単位で閉じたままの方がいい」

 

 その少年の言葉にフレイが地下構造内部を少し脚先で穴を開けて覗く。

 

「……残骸が輝いている? この発される粒子は……」

 

「危険。再生色と秘薬を使ってないと数分で死ぬ」

 

「解りました。では、封鎖という事で。二日ほど頂ければ」

 

 フレイが不可糸で巨大なドーム周囲を覆う事にして頷く。

 

「よろしく。遠征隊はこのまま帰投。一度オクロシアに戻ってから他の四卿が来る前に西部へ撤退。必要なものは全て得たから、一度ニアステラに戻る」

 

「りょーかい!!」

 

「あいよ。は~~終わったぁ~~」

 

「かえろー」

 

 レザリアがフニャッと少年に寄り掛かって疲れたよと言わんばかりの顔になる。

 

「……何か忘れてる気がする」

 

 そうは言ってみたが、何を忘れているのかも分からず。

 

 こうして三人はその場をフレイに任せて再び自分の周囲に遠方からやってきた竜蜘蛛達を見て、それに乗って帰る事を決めたのだった。

 

―――ヴェルゴルドゥナ下部構造体内部。

 

「……あちらの片は付いたか」

 

 格納庫内部で未だに外套を被ったままのオクロシアの王は横で糸蜘蛛を口から吐き出して操り始めたゴライアスを見やる。

 

「遠征隊。いや、アルティエ殿は何を探していた?」

 

『“竜だが”(。-`ω-)』

 

「一応は味方だ。事実は話してくれると助かるが……」

 

『“………ヴェルゴルドゥナは持っている可能性が高かった”(。-`ω-)』

 

「何を?」

 

 ゴライアスが口から吐き出している糸の一部を横合から変化させ、それが糸蜘蛛となって格納庫の更に厳重な区画内部、奥の崩壊した壁を抜けて何かを持って来る。

 

『“これだ”(。-`ω-)』

 

 糸蜘蛛が掌くらいの石ころに見えるものをヘクトラスの手に渡す。

 

「ッ―――心臓。他にも利用価値のある竜の遺骸か」

 

『“ヴァルハイルが敵に回った場合、最悪の想定として出て来るモノ。それを打ち倒す為に必要な資材が此処にはあると踏んだ”(。-`ω-)』

 

「護符とすれば、確かに連中へ対しての攻撃を劇的に強く出来るな。竜は竜と相反する。是非とも分けて欲しいものだ。これから【四卿】と相対する地域の軍などに……」

 

『“生憎と全て利用が想定されている”……“恐らく余りは出ない”(。-`ω-)』

 

「……どういう事だ?」

 

『“敵の最悪として想定されているモノに使う為だ”(。-`ω-)』

 

「はは、奥にどれだけあるか知らんが、神でも殺―――」

 

 ヘクトラスが思わず沈黙し、澄まし顔の蜘蛛を見やる。

 

「……貴殿らが倒してくれるのを祈っておこう」

 

『“敵将は新たな生を受けた”……“我らが母の力と我らが父の剣を前に新たな可能性が拓かれる”(。◎`ω◎)』

 

 そう言い置いたゴライアスが口を半開きまで広げて、地下に埋まったヴェルゴルドゥナの下半身を掘り出し、利用する為に糸蜘蛛で移動準備を開始する。

 

(この蜘蛛共が反旗を翻せば、我が国など一晩持たぬだろうな。また増えたとすれば、どう対処したものか……世は儘ならぬという事なのかもしれん)

 

 オクロシアの王は怖ろしき怪物達を従え、先の先まで見据えた少年の深謀遠慮に触れて、次なる一手を脳裏で思い描く。

 

 対等という関係に持ち込むのに北部一狡賢いと評判の男も一苦労しそうであった。



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第51話「オクロシアの崩壊Ⅴ」

 

「アルティエ。今日か明日辺りに帰るんですよね?」

 

「そう」

 

「その前にオクロシア側の人達が宴会を開いてくれるそうですよ」

 

「宴会?」

 

「はい。わたくし達が去る前に四卿の撃破とオクロシア侵攻軍の撃退を祝して」

 

「……解った」

 

 頷いた少年の手をフィーゼが引く。

 

 オクロシアに遠征隊が来て数日。

 

 遂に撃滅された巨大要塞とオクロシア侵攻軍は壊滅的被害を受けて壊走。

 

 奪取された大量のドラクと城の下半身は蜘蛛達が頑張ってオクロシアの国境線まで糸蜘蛛も使って運搬し、巨大な竜骨と糸で出来たドームの後方に聳えていた。

 

『でっけぇえ!? これが四卿の城かぁ』

 

『貴様らぁ!! 内部の物資の運搬はどうしたぁ!!』

 

『あ、はーい。すぐ行きますです。上官殿~』

 

『まだ閉鎖区画の資材が残ってるんだぞぉ!!』

 

『デカ過ぎて終わらねぇだろ。こんなの』

 

『ま、仕事だからな……』

 

 崩壊した内部は現在、竜骨で補強して構造を保っており、内部の資材の類はドラクや他の人的資源と一緒にフェクラールへ輸送、次々にリケイの餌食になっている。

 

 そんな大規模な超規模の輸送が延々と続くオクロシアの遺跡周囲は完全に物産展染みてニアステラから流入する大量の食糧と薬と竜骨製の武器で溢れ返っていた。

 

『こっちの荷は西部戦線だぁ!!』

 

『南東域に竜骨製の武器3000!! 間違えるなぁ!!』

 

『食料は全て均等に出す事になってるんだから、原隊に送ってちょろまかすんじゃねぇぞぉ!!』

 

 輸送部隊によって各地の戦域に供給されたソレらは大量の兵隊の待遇が改善。

 

 負傷兵の完全な回復が可能な霊薬による復帰や後方への帰還で次々に不足していた生産力もゆっくりとではあるが、回復しつつあった。

 

「オクロシアって案外、帝国の地方都市に似てます」

 

「そう?」

 

「はい。わたくしは小さい頃は体が弱くて外に出なかったのですが、父上が良く地方の巡業視察を行う時に付いて行く事が多かったので……」

 

 フィーゼが少年と共に歩きながら、開いた市の中を歩く。

 

 最前線への食糧供給が第一とはいえ、殆ど生産者が消えた邦の中央で食料以外の日用雑貨が売られているのはかなり都市が回復しているという事を示していた。

 

 兵隊達が主な客層とはいえ、それでも香料を用いた石鹸や送られてくる以外の食料品が僅かながらも並んでいる様子はまだ完全に都市の火が消えていない事を意味する。

 

 女子供の声はせずとも、酒を呷るお祭り気分の兵達が陽気に騒いでいる様子は何処も祝日のようにも見える。

 

 それが単なる次の戦いまでの憂さ晴らしだとしても、兵達の顔には笑顔があった。

 

「………」

 

「アルティエは……記憶、どれくらい戻りましたか?」

 

「あんまり」

 

「そうですか。ご家族や故郷の事は?」

 

「全然。でも、誰かと暮らしてた気はする」

 

「……いつか、記憶が全部戻るといいですね」

 

「別にいい。今は……ニアステラの野営地が家」

 

「ふふ、確かにもう第一野営地はみんなのお家かもしれません」

 

 フィーゼが微笑んで頷く。

 

 空は晴れ上がり、陽射しは登り続けていた。

 

 今日は暑い日になるかもしれない。

 

 そう、酒場の方へと向かえば、配給されている爆華の希釈液をジョッキに次ぐ人々の前に長蛇の列が出来ていて、何処もまだ完全には食料が足りない事が伺えた。

 

「今は爆華の栄養で皆さん生き永らえてるような状態なんですよね。そう言えば」

 

「あっちへずっと移民が増え続けてる。こっちにも食料を供給し続けてる。ニアステラとフェクラールの生産地帯の殆どで食料の増産を続けてるけど、まだ足りてない」

 

「そうですよね。本来、食料を生産している人達もみんな戦争に駆り出されて、飢えない方が不思議、なんですよね……」

 

「問題無い。どんな種族にも分け隔てなく食料を配布する事は北部勢力との約束。戦場に多く送る以外は何処も同じ」

 

「そう言えば、いつの間にかお肉まで食べられるようになっちゃいましたね」

 

「エルガムも喜んでた」

 

「ふふ、そうですね。確かにエルガム先生はこれで健康になるとか言ってましたし」

 

 2人が歩きながら宴会の会場となる場所へと向かっていると少し騒がしい声が聞こえた。

 

 周囲を見回して2人が声のした方に向かう。

 

 すると、赤茶けた斑模様の長髪が一瞬、彼らの視界を覆う。

 

『馬鹿が!! おめぇらにやるもんなんぞねぇ!?』

 

 配給を代行していた男達の1人が路地で怒鳴っていた。

 

 爆華の希釈液の入った樽の周囲には冷たい視線の男達が数名ウロウロしており、樽はそろそろ空になる時間帯であったが、それにしても誰にでも等しく飲ませるという話がいきなり覆って少年が振り乱した髪の相手がジョッキを持って逃げて行く様子を横にジョッキを奪おうと走り出そうとした配給係の男の1人の前に立った。

 

 アルマーニア系の男だ。

 

 両目の内部に瞳孔が3つ並んでいた。

 

「おう!! どけぇ!? そこのにーちゃん!?」

 

「何かあった?」

 

「あん?! あんた他のとこの奴か?! あいつは【ドラグレ】だ!! 竜角見なかったのか!?」

 

「混血者?」

 

「そうだよ!! ヴァルハイルの連中と他種族のな!! 解ったら退け!! 酒杯を回収せにゃならん」

 

「問題無い」

 

「あん?」

 

「問題、無い」

 

 少年が僅かに声を低くした。

 

 途端、目の前の兵隊なのだろう男が訳も分からず尻もちを着く。

 

「え、あ?」

 

「問題、無い。いい?」

 

「―――お、おまえ……」

 

 思わず震えそうになる声で少年を見上げた瞳が額にある男がすぐに気付く。

 

 横合の遠間から同僚達が顔を真っ青にしているのを見て、何処かで見覚えがあると気付き。

 

 すぐに相手の事を思い出してゴクリと唾を呑み込んだ。

 

「あ、あんた、まさか、えんせ―――」

 

「杯はまた配給される。問題は、無い」

 

「あ、あぁ、そ、そうだな。いえ、そう、ですね……」

 

「ならいい」

 

 言い直した男に背を向けて、少年がフィーゼを連れて歩き去る。

 

『だ、大丈夫か? お前?』

 

『あ、ああ、ありゃ、遠征隊の……』

 

『隊長だ。あの蜘蛛達の親玉だぞ。死ななくて良かったな』

 

『あ、ああ、それにしてもあの迫力……何だってんだよ……ヒトだろ? オレ達よりも弱いはずなのに……手が、震えて……っ』

 

 少年に言い含められた男がブルブルと震えている自分の手を何とか腕に抱き抱えて沈める。

 

『馬鹿……フェクラールとの契約でどんな種族にも等しく配給をする事って言われてただろ?』

 

『で、でもよぉ……』

 

『別にあのドラグレの両親が戦争仕掛けて来てるわけじゃねぇ。それに此処は瞳多き者の都だぞ? 他の邦ならまだしも……』

 

『わりぃ……あの戦いで友達が死んじまって……気が立ってた』

 

『とにかく怒らせるなよ? こっちに来てるフェクラールの重鎮だ。もしも、食料供給が止まったら、オレ達が干上がるんだ』

 

『あ、あぁ……気を付ける……』

 

 そんな会話を後方に聞きながら、少年は走り続けている赤茶けた長髪の何者かを追うように狭い路地裏を迷路のように進んでいた。

 

「アルティエ。その……そんなにあの子の事が気になりますか?」

 

「………」

 

「アルティエ?」

 

 少年は無言で歩き続け。

 

 都市計画のせいで余ってしまったのだろう余剰の土地にあるボロイ廃材で出来た家というよりは小屋のようなものがポツンとある小さな広場らしき場所に辿り着いた。

 

―――『お前!! 一人ではないぞ!! 死ぬ時は一緒に!! このニアステラで一緒に死んでやるからな!!』

 

 脳裏のフラッシュバックに被りを振った少年が再び小屋に視線を向けると薄暗い内部から木製のジョッキが投げ付けられて、額に当たる。

 

「杯なら返してやったぞ!! 帰れ帰れ!! 此処は我と姉妹達の家じゃ」

 

 そう幼い声がして少年が僅かに目を見開く。

 

 少年の額に当たったように見えた杯がフィーゼの精霊の力でフヨフヨと浮かんで元合った場所へと消えて行く。

 

「な?! 精霊使い!? クソゥ!? 今度は殺す気かや!? 皆の者!! とっととズラかるのじゃ!?」

 

「あ、いえ、そんなつもりはな―――」

 

 言っている傍から2人に小屋の内部から次々に錆びた刃物だの、木製の小さなカップだのが飛んでくるが、全て当たる直前にフィーゼが周囲で浮かばせている精霊達によって止められ、元有った場所へと戻されていく。

 

「く、姉妹達にら、乱暴はさせぬ!? させぬぞ!?」

 

 険しい顔で涙目になって出て来たのは赤茶けた足元までありそうな長髪を振り乱した竜角の少女だった。

 

 紅蓮のような色合いと黄金が混じり合う瞳孔は縦に割れており、その背後の暗闇にはまだ幼児程だろう子供達が数人。

 

 誰も彼も竜頭か竜角であり、ヴァルハイルの血筋と分かった。

 

 等しく襤褸を着込んでいる様子であるが、その襤褸が元々は良い生地のものだったのだろう事が伺えるのは襤褸にフリルだの細かい刺繍が施されている事から知れる。

 

 出て来た少女は10歳を超えるか超えないかくらいに見えた。

 

 しかし、体は痩せていて、何処も彼処も黒く、頬もコケている。

 

 ついでにグゥと腹まで鳴っていた。

 

(……失われた大切なものが……まだ、失われてない……ニアステラに来る前なら、この時期までに此処へ到達すれば、こういう……)

 

 少年が僅かに片腕を折って一礼する。

 

「ぬ?」

 

「非礼をお詫びします。尊き方」

 

「「ッ―――?!!」」

 

 少年の言葉に傍らのフィーゼと斑色の髪の少女が同時に目を白黒させる。

 

 フィーゼにしてみれば、いきなり流暢に話し始めた少年に驚き過ぎて。

 

 少女にしてみれば、自分の秘密を知っている相手がいきなり現れて。

 

「どうか激をお収め下さい。害を為そうとは考えておりません」

 

「お、お、お主……も、もしかして、我の事を知っておるのか?」

 

「尊き紅鱗の始祖の末、魔眼征伯の御方を老子父に持つと存じます」

 

「―――ほ、本当に、本当の本当に!? 知っておるのか!?」

 

「どうやらお困りの様子。もし、貴女様が良ければ、衣食住に付いて不安の無い地域にご案内する事も出来ます」

 

「ッッ~~~~!!?」

 

 少女が驚きに驚きを重ねた後。

 

 ダバァーッと大粒の涙を滝のように流し始めた。

 

「う、うぅうぅうううぅぅ!!? おどうしゃまうそじゃなかっだぁあぁああぁ。ひぐぅぅぅぅうぅうぅぅ!!?」

 

「えぇぇえぇ!? ボロ泣きですよ!? アルティエ!? 一体、どうしちゃったんですか!?」

 

「(取り敢えず合わせて。後、城でちょっとして欲しい事がある)」

 

「(わ、解りました)」

 

 少年がヒソヒソと耳打ちしてから近付いていき。

 

 泣いている少女に不可糸の糸で編んだハンカチを渡す。

 

 それに思わず鼻をかんだ少女が顔をゴシゴシと擦った。

 

「う、う゛む゛。許す!! 許すぞ!! だ、だから、ワシの姉妹達を一緒に―――」

 

「勿論です。この者がお運びします」

 

 少年がフィーゼを手で示す。

 

「え、えぇと、と、尊き方。どうぞ、お運び致しますのでご姉妹を運ぶ許可を、願えれば」

 

「ゆ゛るずぅぅぅ!? ゆ゛るずがら早くずるのじゃぁ゛~~」

 

 涙と鼻水でベショベショの顔でブンブンと頷く少女と背後の姉妹達3人が同時に精霊で浮かばせられ、日の下に出て来る。

 

「ッ」

 

 それだけでフィーゼの顔色が悪くなる。

 

 その姉妹達の角には人為的なものだろう罅が至る所に奔っていた。

 

 そして、まだ数歳だろう少女達の誰もが僅かに目が虚ろで感情の色が抜け落ちている様子はヴァルハイルにとっても重要な器官が壊れかけている故なのだろうと彼女は理解する。

 

 少なからずヴァルハイルの者達の多くは角の周囲から魔力を用いる事が彼女の目には精霊を通して分かっていた。

 

「(これって……)」

 

 フィーゼは何も言わず。

 

 しかし、少年が何でも無さそうに霊薬をその角に振り掛けているのを見て、僅かに安堵し、不思議そうな顔になったまだ一言も喋らぬ数歳の子達を前にしても変わらぬ少年を正直にスゴイと……そう思った。

 

「ぁ……」

 

 今まで感情豊かな様子だった少女が何やら色々と感情が振り切れた様子で気を失う。

 

 それを少年が片手で抱いた。

 

「城横の天幕に運ぶ」

 

「あ、戻りましたね。口調」

 

「明日までに全員洗って食事を取らせて欲しい」

 

「あ、は、はい!!」

 

 こうして2人は幼女3名と少女1名を保護して、イソイソと当事者不在で始まる宴会を背に城横の天幕へと戻るのだった。

 

 *

 

「でな!? でな!? んぐんぐ!? 本当に酷いんじゃ?! ここのやつらぁ!? んぐんぐ!?」

 

 気絶した少女やら幼女やらを少年達が拉致誘拐して数時間後。

 

 目を覚ます前にフィーゼが精霊の力を借り、温水で彼女達の汚れを洗い流し、呪紋の温風で乾かしてしっかり洗い終えてから寝かせていたのも束の間。

 

 すぐに目を覚ました少女はフィーゼから貰った爆華の希釈液に肉体を賦活する秘薬を混ぜたものを渡されるとゴキュゴキュと勢いよく飲み干していた。

 

 コケていた頬が少しふっくらしたかもしれない。

 

 髪や肌を途中で少年が持ってきた細胞を再生させる秘薬で洗ったりしたせいか。

 

 長髪は斑模様が消えて、明るさを取り戻して、僅かに赤みを帯びていた。

 

「そうなんですか?」

 

「そうなんじゃ!? 姉妹達にも酷い事をして!! そのせいでみんな色々と忘れてしもうて……ぐず」

 

「あぁ、泣かないで下さい。どうぞ」

 

 またハンカチを渡された少女が涙を拭う。

 

「うぅ、せめて、あの子らの角さえ治ったら、うぅぅ……」

 

「治りましたよ?」

 

「え?」

 

「その、先程、治療をさせて頂きました」

 

 少年が霊薬を使っていたから嘘ではない。

 

「えぇええええええええええ!!?」

 

 思わず驚いた少女が見えていなかった姉妹達の額や頭部の竜角を見て、驚きに固まる。

 

「もう大丈夫ですよ。ね?」

 

「う、うむ……ぅむ……す、スゴイのだな。お前達は……」

 

 天幕の中、表情をコロコロと変えながら国家批判全開だった少女が落ち着いた様子になる。

 

 その時、天幕にカサカサとスピィリアが入って来た。

 

「(・ω・)ゞ」

 

「ひぃ!?」

 

 お荷物お持ちしましたと片手を上げた蜘蛛が少女に怖がられるのも構わず。

 

 持って来た木箱を降ろして、再び(`・ω・´)ゞして去っていく。

 

「な、何だかやたら礼儀正しい蜘蛛だったのじゃ……」

 

「あ、衣装ですね。ちゃんとした服は確かまだ流通してないはずなので、ヘクトラスさんに頼んだんでしょうか?」

 

 言ってる傍から精霊達が衣服を木箱から取り出して、スルスルとフィーゼの指示通りに着せていく。

 

「うぅ……他人の優しさが身に染みるのじゃぁ」

 

「皆さんはどうしてあそこに?」

 

「ぐす……元々、我らはこのオクロシアの住人じゃった。ヴァルハイル人とて他の邦にいる者は多かったのじゃ。だが、本国の宣戦布告で一気に立場が悪化して……」

 

「あの場所に?」

 

「……うむ。父も母も皆死んだ。此処に来るまでに多くの怒り狂う民に殴り殺された。だが、我らは幼かった故に暴力を受けても体にではなく。角を叩かれた」

 

 その言葉にフィーゼが何とも言えない沈んだ顔になる。

 

「その時に出会ったのじゃ。姉妹達はな。泣き叫んでおったよ。だが、罅を入れられて打ち捨てられて、あのように虚ろになってしもうた……名前も分からん」

 

「え? それって実の姉妹では……」

 

「姉妹じゃ。血は繋がらなくとも、我らは同じ境遇にある。親も庇護者も無くした者を我が導いて何とか此処まで来た。じゃが、食うものにも困ってのう」

 

 少女がフィーゼへ苦し気に笑う。

 

「幼き者を護れるのは同じ境遇の我だけじゃった。まったく、高貴な者程に務めを果たせと言っていた父を恨めばいいのか。誇ればいいのか」

 

「………そうですか。お話は解りました。でも、安心して下さい。此処が生き辛いなら、一緒に南部へ行きましょう」

 

「南部?」

 

「はい。わたくし達の家があるのです」

 

「そ、そうか。お前達は街で噂になっていた別の地域から来た者達なのだな」

 

「ええ」

 

 フィーゼがニコニコしながら未だに眠っている幼児達の頭を優しく撫でて少女に微笑む。

 

「―――お主、母上みたいじゃ……もしかして、あの騎士様と夫婦なのかや?」

 

「めっ?! めおととか!? い、いえ、部隊の隊長と隊員ですから」

 

「隊長?」

 

「はい。アルティエはニアステラの英雄って今は呼ばれているので」

 

「ッ、き、聞いたぞ!! 路地裏で聞いた!! 表通りの連中が言っていた!! あの真なる絶望と呼ばれた【器廃卿】を倒した勇者!! 山の如き敵を打ち果たした最強の男であると!!」

 

「あ、あはは……色々と言いたい事はありますけど、そんなに間違ってませんね」

 

「う、うむ!! うむ♪ そうか!! それだけスゴイおのこならば、我の事を知っていてもおかしくないのじゃ!! うぅ、こ、こんなところで我の騎士様が見付かるなんて!? 運命なのじゃ!! サダメなのじゃ!!」

 

 喜んだ少女が舞い上がった様子で頬を上気させる。

 

 そんな様子を呪霊のエルミが聞けば、『アレはわたくしの騎士ですのよぉ!?』と反論したかもしれないが、生憎と此処にはいなかった。

 

「ハッ?! そう言えば、まだ名乗って無かったのじゃ!? 早うあやつに名乗らねば!? 我の名はリテリウム!! リテリウム・バウツじゃ!! スゴイ祖先の子孫なのじゃ!!」

 

 そう言って、動き出そうとした少女がフラッと体から力が抜けて倒れ伏す。

 

 それを慌ててフィーゼが受け止めた。

 

「だ、大丈夫ですか?! まだ、あまり回復してないみたいですから、少し休んでからにしましょう。ね?」

 

「う……うむ……何だか急に力が抜けたのじゃ。悪いが、少しだけ寝かせ……」

 

 意識を落として少女が寝息を立てる。

 

 それにずっと寝ていなかったのだろうかとフィーゼはまた痛ましそうな顔になった。

 

 そこに少年が天幕の外からやってくる。

 

「どう?」

 

「あ、アルティエ。はい。今はこの通り……この子、戦争で家族を亡くして、それで同じ境遇の子を護ってたんだと思います」

 

「そう……」

 

「その、この子達の事どうやって?」

 

「黒いドロドロで」

 

「ああ、そう言えば、この周辺に広げていましたよね」

 

「そう」

 

 実際には違うがシレッと少年はそういう事にしておく。

 

「取り敢えず、第一野営地まで連れてく」

 

「解りました。それで、その……相談なんですが……」

 

「?」

 

 フィーゼが少年に耳打ちする。

 

 それに少年はすぐ頷いて、行動を起こす事にするのだった。

 

 *

 

―――翌日。

 

 遂に遠征隊がオクロシアを離れる事になっていた。

 

 オクロシア国境域にある巨大なヴェルゴルドゥナの城の残骸は内部の資材を殆ど全てを周辺に造営する基地の建材として当て、他の物資は西部へと持ち帰られる事となり、最後の仕事とばかりに機械化した蜘蛛達は西部でやっていたように最低限の建築を昼夜無く行った。

 

 結果として残されたのは竜骨ドームを用いた周辺地域を観測する高高度観測所。

 

 そして、ヴェルゴルドゥナの残骸を用いて造られた要塞線。

 

 夜、精霊達の力を大規模に行使したフィーゼが徹夜したおかげで数十kmに渡る地域が掘りと塹壕と壁を複数備える基礎工事を完了させ、その一夜城ならぬ一夜塹壕の作り方を見ていた者達の多くは唯々口を半開きにしていた。

 

 目の良い者が多いオクロシアである。

 

 精霊達が狂喜乱舞するかのように白霊石による魔力供給を受けながら輝く少女の手の動きに合わせ、次々に塹壕を掘り、土塁を設え、多重の壁を造る様子はもう明らかに人智を超えた光景であった。

 

 十分に自分も超人である事を自覚しない本人は澄ました顔で蜘蛛達の後ろで集められた竜頭や竜角を持つ少年少女達に微笑んで、大丈夫大丈夫と笑みを浮かべている。

 

「………」

 

 前日、少年に同じような類の子供達がいれば、全員お持ち帰りしようと言い出した彼女の言葉を誰も止める者は無かった。

 

 実際、託児所になりつつある第一野営地である。

 

 女達は元より、元教会騎士に元ヴァルハイル軍人が仲良く幼女をしているのだから、本当の幼女や子供達が混じっても問題など無いだろうとの算段だった。

 

「この子達、第一野営地で全員面倒見られるかなぁ?」

 

 レザリアが幼い子供達を撫でるやらあやすやらしながら、男の子達がガシンにちょっかいを掛けている様子を見て苦笑する。

 

「いてぇ!? オイ!? 誰だ!? 今、オレの股間蹴ったヤツ!?」

 

 男児に群がられ、遊ばれているガシンの腕は全て誰かにぶら下がられるやら、幼い子を抱いているやらとオーバーワーク気味だ。

 

「( ̄ー ̄)………」

 

 まだ名も無きヴェルゴルドゥナの蜘蛛は眠ったまま子供達の玩具にされてコロコロ転がっているし。

 

「“子守も出来る大蜘蛛”……“我が名はゴライアス”(。-`ω-)」

 

 ムキムキな灰色蜘蛛は座った状態で子供達の滑り台やらアスレチックにされている。

 

「良いか!! お前達は蟲畜ではないが、我が主が預かった命!! 故に我らが主の為に今後とも働くのだ!! お前達が主を裏切らぬ限り、我らもお前達を裏切らないだろう。返事!!」

 

「はい。ちゅうちくのふれいさま!!」

 

「ふれー」

 

「ふれいー。おしっこー」

 

 テキパキと任務をこなすフレイはヴァルハイルとの混血種の子供達を教練もとい立派な主の下僕とするべく丁寧に教育していたりする。

 

 子供達は総勢で100人近い。

 

 その殆どを精霊の力で見守るフィーゼが全員に声を届けながら、精霊と連携して子守をしつつ、全員を荷馬車に載せていく。

 

 子供達が不安にならぬよう一部の護衛兼子守にスピィリア達も機械化形態を解きつつ、金属のスライム流体を馬車の横に付けて内部に入っている。

 

「次の【四卿】……いや、もはや三卿か。奴らが来る前に此処を放棄する事が決まった。城は罠と幻影を仕掛けて封鎖する。後は種族連合部隊に任せる形になるだろう。まぁ、行先は下だがな」

 

 オクロシアの主であるヘクトラスが少年を前に握手を求めて互いに握り合う。

 

「戦線がどうなるとしても、此処から供給される物資は遺跡が破壊されぬ限りは止まらない。移民も引き続き行わせる」

 

「問題無い」

 

「それでそちらはあの子供達をどうするつもりだ? 火種にしかならんぞ?」

 

「ウチの野営地には火種しかない」

 

 少年が事実を伝える。

 

「くくく、そうか。そうだったな。人外を駆逐する教会騎士にヴァルハイルの辺境伯と正規軍。そこにどちらの勢力からも疎まれるドラグレの子供達、か」

 

「流刑者に難破船の船員、アルマーニアに蜘蛛達もいる」

 

「まったく、展覧会も程々にしろと言いたくなる品揃えだ。そこにヴァロリアの席はあるか?」

 

「勿論」

 

「ならば、また行くとしようか。助かった。感謝する」

 

 ヘクトラスが敬礼した。

 

「じゃ、また」

 

「ああ」

 

 そうして、北部への大遠征は一端の終了を見る事になる。

 

 大量の移民達は見るだろう。

 

 機械蜘蛛に護衛された百鬼夜行のような馬車の群れ。

 

 竜角のある子供達が荷馬車の内部に見られれば、子供までも遠征の代価として連れられて行くのだと勘違いした者達の顔は何処か複雑そうですらあった。

 

 虐げて来た子供とはいえ。

 

 それでもこれからその子供がどうなるのかを考えれば、彼らの常識に照らす限り、暗雲しか立ち込めていなかったのだ。

 

 こうして西部フェクラール。

 

 そして、その背後にいるニアステラの威力は示された。

 

 北部勢力。

 

 種族連合の会議の重鎮達は嘘としか思えぬような大戦果と共に全ての戦線でヴァルハイル正規軍が防衛線を敷いて、陣地防衛をし始めるに至り、その自らには不可能だった事をやってのける存在の出現に度肝を抜かれたのである。

 

 *

 

―――数日前、高都大鐘楼内部。

 

「では、本当に……本当に……【器廃卿】は敗れたのだな?」

 

『ハイ。帰還した兵から全情報の吸出しはもう完了しております。【器廃卿】ヴェルゴルドゥナ様は恐らくですが、敵主力となった城内部への侵入者達との交戦によって戦死したものと推定されます』

 

「………そう、か」

 

『器となって変形した銀鱗、ドラグリアによる空中戦において敗北し、墜落。城は何らかの手段によって運び出され、オクロシアの国境域において残存部分が要塞化され、大規模な防衛陣地が複数確認されました』

 

「………」

 

『また、送られて来た情報から敵にはグラングラの大槍に相当する戦略兵器が存在し、その迎撃は現時点では不可能と断定され、総司令部は参謀本部と共に首都防衛、重要拠点防衛の為に対空防御用の強力な迎撃呪紋開発及び防空圏の抜本的な強化を進言しています』

 

「………」

 

『現在、オクロシアに展開している守備隊には動きが無く。例の地点には巨大な竜骨と白い糸と思われる建材で巨大な半球状の構造物を確認。ヴェルゴルドゥナ卿の最終信号発信地点と合致。卿は最後まで聖姫殿下の御言葉を護って討ち死したと思われます』

 

「………」

 

『情報にはオクロシアの最大戦力であるヘクトラスが侵入した者達を率いていたというものがあり、恐らくですが、戦略兵器による陽動と地下を使った隧道戦術、更に強力な戦力を用いた内部破壊工作によって迎撃機能を破壊され、十全な力を発揮出来ずにドラグリアも力を奪われ……敗北したようです』

 

「……報告ご苦労だった。ヴェルギート」

 

『心中お察しします。辛うじて幸いと言えるのはオクロシアが進軍ではなく。防備を固めている事。また、軍の動揺は筆舌に尽くし難いものがありますが、少なからず防衛に移行した事で戦闘が起こっていない限りは時間が稼げると思ってよい事、でしょうか』

 

「……オクロシア平定部隊は壊滅。ヴェルゴルドゥナ卿も討ち死に……どれだけの兵が捕虜となり、ドラクを喪失したものか。考えただけで眩暈がしてくる」

 

『心苦しいのですが、更に報告しなければならない緊急案件が……』

 

「何だ?」

 

『敵軍の増派が前線で40万規模で確認されました』

 

「ッ―――馬鹿な。徴兵可能人数を大幅に超過しているぞ!? どういう事なのだ!? ヴェルギート!?」

 

「各戦線においての増加数を合算しましたが、事実です。また、各地の後方地帯の多くで人が少なくなっている事を確認。恐らくは……」

 

「滅びても構わぬと言うのか!?」

 

『……また、不可解な事に食料がひっ迫していたはずの敵軍に大量の物資がオクロシア側から届けられているという話があり、シシロウの間諜が言うには全てオクロシアが出しているようだと』

 

「ッ、つ、つまり、オクロシアの企てで何処からか食料が湧いて出ている上に増派で敵軍は今まで殲滅した分以上に増員されて、グラングラの大槍もまた使えない?」

 

『ハイ。使えば、報復で我が軍の損耗が更に増すでしょう。情報には敵軍の戦略兵器はグラングラの大槍の射程外より放たれている事が推測されており、射程距離ではこちらが不利です』

 

「ッ、そんな……アレ以上の呪紋兵器はヴァルハイルには無いのだぞ?」

 

『同時に四卿最大の防御力を誇ったヴェルゴルドゥナ卿の城が耐え切れなかった以上、どの四卿が喰らっても蒸発します』

 

「撃たれれば終わり、か」

 

『ハイ。更に敵軍には復員兵が大量に復帰しているとの噂も……傷病者の多くがオクロシアで治療を受けて、四肢すらも回復させて戦線へ復帰しているとの流言まで飛び交っており、全ての面で我が軍の現状は芳しくありません……』

 

「……オクロシアに向けられる戦力は?」

 

『ありません』

 

「左様か。つまり、3ヵ月を待たずして我らは負け戦をしていると」

 

『残った四卿が打って出れば、敵軍を駆逐する事は可能でしょう。ですが、戦略兵器による犠牲覚悟での相打ちで失えば、ヴァルハイル正規軍は……』

 

「持たぬか?」

 

『ハイ』

 

「何か好転材料は?」

 

『ヴェルゴルドゥナ卿が遺した情報。そして、卿が遺した新機軸の設計図を元にした新型モルド及びドラクがかなりの高性能化に成功しました。ソレによる帰還した部隊の再編制は1月後までには恐らく。更に高都の学校より一定年齢からの徴兵が可能になった事。後は西部への強行偵察準備が整いました』

 

「……もはや西部に力を割いている余力は無いな」

 

『ハイ。口惜しいですが、改修した部隊を各戦線の戦略兵器への監視任務に付かせ、同時に敵軍の情報を綿密に収集する方策が良いかと』

 

「講和もしくは停戦の準備を急がせろ。参謀本部にはこちらから話しておく」

 

『……お勧めは致しません。講和条件は極めて不利になる事が予測されます。最悪の場合、聖王閣下及び聖姫殿下、皇太子の方々のお命を……』

 

「解っておる。それでもだ」

 

『は……』

 

「高都の学徒動員は最終手段だ。ただし、止むを得ぬ場合は……その新型とやらを使わせたい。出来るか?」

 

『ハイ。可能です……シシロウの直轄地さえ残っていれば、もう少し詳しい敵軍の内情が解ったはずなのですが、此処に来て全てが後手に回っています。諜報部隊を臨時に編成し、送り込むべきかと』

 

「それは参謀本部の方でシシロウに急がせている。半月以内には可能だそうだ」

 

『了解致しました。では、こちらでも情報を集めつつ、軍の再編に尽力致します』

 

「……済まぬ。お前にばかり苦労を掛ける事になる」

 

『それは誰もが今、分ちあっているモノ。この鋼の肉体には苦労など、それよりもご自愛を……昨日から寝ていないと侍女達から報告を受けています』

 

「そうだったか。そうだったかもしれぬ。解った。下がってよい。お前もまた休むのだ。我が騎士」

 

『ハイ。イイエ。必ず』

 

「嘘が付けないな。お互い……」

 

『では、これで』

 

 蒼い外套の騎士は虚空に身を躍らせて消えて行く。

 

 会話を終えた彼女は自らに出来る事を全て行い終えるまで寝ない決意でまず一端の仮眠に入る為、階段で控えていた侍女達に合流すると城へと向かうのだった。



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ヴァルハイルの鋼塊編
間章「近頃の事」+ 第52話「ヴァルハイルの鋼塊」


 

 近頃、また夢を見た。

 

 今度は大きな蜘蛛の夢。

 

 小さな小さな蜘蛛だったあの子達がいつの間にか海に浮かぶ島のような大きさになって、船を運んでいる夢。

 

 他にもマルクスさんにカワイイ亞人の恋人さんが出来たり、ウリヤノフとエルガムさんが物凄く困った顔で大きな大きな糸玉を前にして腕組みしている夢。

 

 他にも……彼が可愛い女の子をお姫様のように抱っこして何処かの館にお持ち帰りする夢。

 

―――浮気者!!!

 

 でも、その子が侍従姿で彼に従う様子はちょっと笑ってしまうくらいにおかしくて笑みが零れてしまう。

 

 竜蜘蛛達に囲われて、見知らぬのは当人ばかり。

 

 そして、竜のような人達の中で彼が友人のように振舞う相手を見付ける夢。

 

 どれもこれも笑ってしまうくらいに在り得そうだ。

 

 勿論、夢なのだから、問題は何も無い。

 

 夢に膨れてしまうなんて子供過ぎて恥ずかしい。

 

 けれど、夢を見る度に人魚の女性とお近づきになったり、人馬の女性騎士とお近づきになったり。

 

―――浮気者!!!

 

 やっぱり、浮気者は浮気者だと思うのだけれど、誰も彼も少年の列に加わる人ばかりだ。

 

 後、レザリアと私が毎日毎日訓練に明け暮れている合間に勝手に物事が進んでいくような気がするし、ついでのように何故か妖精さんが彼の傍で熱い視線を送っていたりする。

 

『『『『それが妖精の瞳さ』』』』

 

 誰かの声が何処かでした。

 

『『『『君は選ばれたんだよ』』』』

 

 誰に?

 

『『『『君は幸運だ』』』』

 

 どうして?

 

『『『『分からなくてもいいのさ♪』』』』

 

 そうなのだろうか?

 

『『『『君は君ともう一人と共に人を超えた』』』』

 

 もう一人?

 

『『『『そして、参つの瞳によって我ら妖精の真意は果される』』』』

 

―――妖精さん?

 

『『『『我らは滅びしもの』』』』

 

『『『『されど、奪いしもの』』』』

 

『『『『悪であり』』』』

 

『『『『善である』』』』

 

『『『『中庸とは無縁なる表裏』』』』

 

 声が反響して上手く聞き取れない。

 

『『『『だが、だからこそ、我らは常に運命から外れたる者なのさ』』』』

 

「運命……」

 

『『『『さぁ、双つの星は参つの星を得て』』』』

 

『『『『新たなる飛躍へと赴かん』』』』

 

「飛躍……」

 

『『『『我ら、善悪功罪の徒なり』』』』

 

『『『『希望と絶望を携え』』』』

 

『『『『悲劇と喜劇に踊る』』』』

 

『『『『さぁ、手を取って?』』』』

 

 でも、その誰かの差し出された手が串刺しになる。

 

『『『『あぁあああああ!!?』』』』

 

 声が次々に悲鳴と変わって。

 

 私が剣を持った誰かに向き合う。

 

 その姿は何故か。

 

「おかあ、さん?」

 

 母に似ていた。

 

 けれど、年齢も違う少女は麻布で設えたドレス姿でニコリとして。

 

「あたしの“お母さん”に手ぇ出すな!! このワルモノ!! たいちょーちゃんやへんきょーはくちゃん仕込みの剣でやっつけてやるんだから!!」

 

 私よりもずっと小さな手が私の手を取って、一緒に走り出していく。

 

 その小さな背中には妖精の翅が生えていた。

 

 七色の翅。

 

 でも、何処か違う。

 

 絵本とは違う。

 

 それは何処か蜘蛛達の脚にも似た黒い甲殻と透き通る虹で出来たような螺旋の翼にも見えて。

 

「大丈夫だからね!! お父さんがいない間はあたしが護ったげるから!!」

 

 そう彼女は笑って、子供なんて出来た覚えもないのに何処か頼もしくて苦笑出来てしまって「ああ」と思うのだ。

 

 もしも、もしも、自分達にまだ見ぬ未来があるのならば、彼と自分に未来があったならば、こんな娘が欲しいと……思うのだ。

 

 今日も私は日誌を振り返らない。

 

 でも、この追放記は誰も読まなくてもいいとも思う。

 

 それはきっと要らない余白だから。

 

 此処に私の未来は続いているのだから……。

 

 

 

 

「はひぃ!? な、何じゃコレはぁ!?」

 

「「「?」」」

 

 第一野営地ではさっそく、多くの街区がやって来た新参者達に開放されていた。

 

 巨大な黒蜘蛛の巣の下。

 

 野営地から広がる畑と隣接する街区は今も広がっており、ほぼ黒蜘蛛の巣がカバーする広大な領域を使い切るまでに成長していた。

 

 数千匹にもなるスピィリア達がここ最近、冥領から更に増員されて、家無しだが、家の軒先からぶら下がっている者も多くなった影響で何処を見てもスピィリアかディミドィア達がいるし、少数派になったペカトゥミアを筆頭に人化した蜘蛛達の多くが野営地で様々な高級職に就いている。

 

 結果、かなり人社会に近い状況で野営地は都市化に成功していた。

 

「こ、こんなバカな!? これが、これがニアステラだと言うのか!?」

 

「ウソだ!? く、蜘蛛如きがこのような!? 人と化けるだと!?」

 

 ヴァルハイル軍の新規組。

 

 戦地で死ぬ事も出来ず。

 

 西部の黒蜘蛛の巣に持ち込まれて、リケイとベスティンによって幼女化された機械蜥蜴達は絶望の表情で街並みに見入っていた。

 

 数千人規模の彼らは本日ようやく西部からニアステラへと入り、各地の商隊によって連れて来られたのだが、もはやその顔に希望の二文字は無い。

 

 だが、そんな彼らとは裏腹にドラグレの子供達は目をキラキラさせて、自分達へ親切にしてくれた蜘蛛達の巣の壮大さを見て、ワイワイと愉し気に見学する事になっていた。

 

 何処も見ても幼女しかいないが、教育系人材と化した蜘蛛達はマンモス校染みた幼女達の数に圧倒される事なく。

 

 コミュニケーションを取りつつ、面倒を見てくれる蜘蛛の一族達が住まう家屋に全員を導き。

 

 此処で生活するようにと看板で語って彼らを開放。

 

 そんな様子を2人の幼女が互いにバチバチと視線で火花を散らしながら、エルガムの病院の屋上から腕組みして見ていた。

 

「くくく、じんがいどもめ。これからわがせんれいをうけさせてやるぞ」

 

 悪い笑みを浮かべるのは“たいちょー”であった。

 

「させぬぞ!! 我ら誇り高きヴァルハイル!! 例え、虜囚に落ちようとも!! 同胞を見捨てるわけにはいかぬ!!」

 

 “へんきょーはく”が同じような年齢の癖に自分より上に立つ幼女をジロリと見やる。

 

「ふん!! きいているぞ。“どらぐれ”とかいうものたちをこどもにもかかわらず、さべつしているとな」

 

「ッ、それは!? 我らの敵、奴らが始めた事だ!!」

 

「せんそうをはじめたのはきさまらなのだろう? くくく」

 

「ぐ……っ」

 

「きさまらのせいでりょーしんをうしない。どうほうにすらさげすまれ。かたおやのしゅぞくからなぐられる。じんがいというのはどうしようもないようだ。くくく」

 

 “たいちょー”の皮肉に“へんきょーはく”が悔しそうな顔になる。

 

「ッ、ヒトがそれを言うのか!? 元はと言えば、大陸から我らを追い出したのは貴様らだと言うのに!!」

 

「ならば、きさまらはひとよりもまっとうだったとでも?」

 

「な、何ぃ!?」

 

「“へんきょーはく”……われらはいまもしっているぞ。きさまらはひととかわらぬ。だが、ひととかわらぬからこそ、そのおろかしさもまたおなじなのだ」

 

「―――」

 

「あのうらぎりものどもやベスティンがきょうかいをうらぎるのはじじょうをしれば、しかたない。りかいもしよう。だが、みうちであるはずのいたんしゃをりゆうもなくなぐっているのはきさまらだ」

 

「人とて人外だからと我らを殴ったはずだ!?」

 

「そうかな? われらにはたいぎがあった。はるかいにしえより、じんがいがひとにしてきたことをしらぬわけではあるまい?」

 

「それは……」

 

「ひとをあじんはさべつした。ふるきものたちとのあいだにうまれたわれらこそがせかいのあるじだとゆうしゅうだとじふするてでひとをしはいしようとした」

 

「……旧き時代の事だ。それは人が多くなるにつれて逆になっていっただろう……」

 

「われらとていたんしゃにはさいばんくらいするぞ。こどもだろうとな?」

 

 つまりは法すらなく差別する亞人の方が劣っているという言葉に“へんきょーはく”が唇を噛み締める。

 

「ッ」

 

「まぁ、いい。せんれいだ!! じんがいのものどもめ。きょうからわれらはこむぎがし5まいで、きさまらは2まいのけいにしてくれる」

 

「な、何て事を!? 鬼!! 悪魔!! 教会騎士!!?」

 

 “へんきょーはく”が衝撃を受けた様子で叫ぶ。

 

「くくく、そしてきさまらのてきになるだろう“どらぐれ”は3まいだ」

 

「そ、そんな不平等が通ると思っているのか!?」

 

「とおるとも!! おかー、ごほん。やえいちのおんなたちはかわいそうなほうにみかたするからな」

 

「ひ、卑怯だぞ!? おかー、ごほん。野営地の女共を使うとは!?」

 

 2人の幼女達がバチバチと火花を飛ばしてオヤツの配分を決めるのに揉めている頃、ドラグレと呼ばれた少年少女達はいきなり拉致られて少年の符札で連れて来られた場所でキョロキョロしながらも、大歓迎の横断幕と一緒に踊ったり、爆華のジュースを持って来て愉し気に揺れる蜘蛛達に恐々としながらも触れ、安全と分かると笑顔を浮かべていた。

 

「大丈夫ですからね?」

 

 子供達の面倒を見る子守役の女達を纏めているのはヨハンナだ。

 

 近頃はエルガムの病院とウートの身の回りの世話と幼女達の取り纏め役としてあちこちに引っ張りだこな修道女は現在、忙しそうに今度は普通の子供達の世話へと駆り出されており、女達と一緒に奔走していた。

 

 オクロシアで敵軍の子供として普通に差別されて殴られ、今にも死に絶えるはずだった彼らにとってみれば、相手が怖そうな蜘蛛でも意思疎通が出来る上にちゃんと表情のようなものがあって愛嬌がある彼らの方がよっぽどに親しみ易く。

 

 優しい女性達が自分達を抱き締めたり、撫でたり、ニコニコしているだけで安心するのも無理は無い話であった。

 

 蜘蛛達と女性達が自分を害するどころか。

 

 ようこそと歓迎していると知ったら、涙が止まらなくなる者も大勢である。

 

「ヾ(・ω・`)」

 

 よしよしとそんな幼い少年少女達を撫でる蜘蛛達と女性陣。

 

 上は13歳程までもいる彼らの多くが最初の猜疑心に塗れた瞳とも違い。

 

 巨大な野営地内部の街並みに驚き。

 

 一緒になって酒場に連れられて行き。

 

 腹一杯の食事で持て成された。

 

 その様子は元大人な幼女達にも何処か気まずく。

 

 教会騎士にしてもヴァルハイルにしても自分達の戦うべき相手や犠牲者の一部だと知るからこそ、後ろめたさに何か文句を言う者は誰もいなかった。

 

「おや? 御帰りですな」

 

「あ、只今。リケイじーちゃん」

 

 レザリアが近頃はそう呼んでいる老爺に手を上げて答える。

 

 いつもの砂浜は前から何も変わらず。

 

 大仕事を終えたリケイは現在、ニアステラに戻っていた。

 

「リケイさん。フェクラールのドラクはどうしたんですか?」

 

「フィーゼ嬢もお帰りですか。いえ、実は帰って来た蜘蛛達が中心になって、ドラクの変質を行う事になりましてな。大丈夫そうだったので、しばらくは楽が出来そうですじゃ」

 

「ああ、遂にリケイさんの仕事を代替出来るまでになったんですね。蜘蛛の子達」

 

「ええ、今は運び込まれた大量のドラクを各地の呪紋と戦闘能力に秀でた個体に割り当てて、ウルに変貌させている最中でしてな。合計で約6200体程になります」

 

「そんなに……」

 

「戦場で破壊され、予備の部品が見付からないものは研究用や小型の機体にする事が決定されましてな。今は他にも精霊にあの機械を着せられないかとか。そういう研究を蜘蛛達がしておる最中です」

 

「な、何かいきなり高度な事し始めてません? あの子達……」

 

「ははは、呪紋の魅力に取りつかれたのでしょうな。ちなみに此処にいるのは例のヴァルハイル達の幼女化が終わったので約束を果たしに来まして」

 

「約束?」

 

「ええ、今、全体的にヴァルハイルの者達を統制する大人が足りず。全てスピィリア達に任せられるものでもない為、管理者を増やそうかと」

 

「?」

 

 2人がリケイと話していると何やら喚きながら2人の幼女がやってくる。

 

 一人は黒髪の“たいちょー”であり、もう一人は機械蜥蜴系幼女な“へんきょーはく”であった。

 

「おお、来たようですな」

 

 2人の後ろには元教会騎士と少年に服従の呪紋を掛けられた元ヴァルハイル軍の隧道掘削部隊の面々がいた。

 

 ゾロゾロやってきた彼らがリケイをジロリと睨む。

 

「きてやったぞ!! くそぼけじじい!!」

 

「フン!! 貴様にヴァルハイルとの約束が如何に重いか思い知らせてやる!!」

 

 互いに顔も見もしない2人はしかしまるで姉妹のように息がピッタリだった。

 

「では、浜辺に整列を」

 

 言ってる傍から大慌ててでどちらの勢力も浜辺に正方形状にならんだ。

 

「では、契約通り。今までの働きに免じ、仕事としましょうか」

 

「「?」」

 

 フィーゼとレザリアが見ている前で浜辺に彼ら全員を巻き込む程に大きな呪紋が浮かび上がる。

 

「では、爆華の希釈液をこれから酒杯で15杯飲んで頂きます」

 

 その言葉に幼女達がゴクリと唾を呑み込む。

 

 そんな彼らの傍に次々と不可糸で引き摺られ、浜辺の横に置かれていた大量の樽が降ろされる。

 

「時間経過毎に飲んで下され。足りなければ、餓死する為、ちゃんと飲まれるように。良いですな?」

 

「「お、おう……」」

 

 “たいちょー”と“へんきょーはく”がちょっとビビった様子になりながらも一緒に運ばれて来たジョッキに浜辺に置かれた木製の台上に置かれた樽から液体を注いでいく。

 

 次々に樽へ並ぶ彼らが再び数分で整列する。

 

「では、第1工程開始。全員呑み終わったと確認後、始めますじゃ」

 

 その言葉に幼女達が俄然やる気になった。

 

「う、うぉおおおおおおおおお!!? ついに!! ついにだぁ!?」

 

「われりゃ!! これでようやくぅ~~」

 

「オレは絶対に元の姿に戻るんだぁああああああ!!?」

 

「クモコワクモコワクモコワ」

 

 教会騎士もヴァルハイルも等しく盛り上がり。

 

 ゴッキュゴッキュとジョッキを呷る。

 

 そして、飲み終わった者が全員手を上げるのを確認したリケイが手を一度叩く。

 

 すると、少女達の肉体が僅か目に見えてフィーゼとレザリアにも何処か変化して見えた。

 

「ちょ、ちょっとだけ背が伸びた気がする!!」

 

「や、やったぁ!? こ、これは5歳!? 5歳くらいには絶対なってるぞ!?」

 

「ひぐぅぅぅぅ、ようやくおれたちぃぃいぃぃ」

 

「たいちょー!? ね、ねんれいもどっでるのらぁあ~~~」

 

 そこまで見てようやく遠征隊の2人は彼らが自分達の年齢を上げる為に此処まで来たのを理解したのだった。

 

 それから30分程で彼らの年齢が一気に6歳くらいまで上がった。

 

 小さかった服はパツパツになっていたが、それも気にしない程に少女達はブワッと涙を溢れさせ、ヴァルハイルも教会騎士も無く肩を叩いて喜び合っている。

 

「さて、全工程終了ですな。では、たいちょーとへんきょーはく殿には連れて来られたヴァルハイル軍の兵士達の長姉、次姉として彼女達の世話を命じさせて頂きましょうか。ちなみに呪紋は完全に彫り込み済み。服従の呪紋は遠征隊隊長であるアルティエ殿に帰属する形で入れてあります」

 

「りょ、りょーかいした。いいだろう。くそぼけじじい。これからもきさまらにてをかしてやろう」

 

「フン。調子に乗るなよ。ヒトの大老……我らの同胞を護る為に従ってやっているのだ!!」

 

 2人が其々にリケイをジト目で睨む。

 

「ああ、それと」

 

『な、なんなんだ!? これわぁあああああああああああ』

 

 その時、集まっていた彼らの中から声が上がった。

 

 いつの間にか大量の木箱を抱えたスピィリア達がやってきており、その木箱から何やら首に掛ける小さなペンダントが出されて、彼らに手渡されていた。

 

「「?」」

 

 2人が何なんだろうとペンダントを覗き込む。

 

 すると、どうやらペンダントは内部に小さな絵が入れられるようで金属のカバーがされいる。

 

 内部が見えるようにツマミを捻って開くと薄い布地……不可糸で造られたような下地が入っていて、握って開けると僅かに使用者の魔力を吸収。

 

 中身の画像が露わになる。

 

「へ?」

 

「え?」

 

 2人が驚くのも無理は無い。

 

 そこには正しく少年の僅かに微笑んで自分を向いている写実的に過ぎる絵があった……ちなみに表情がそもそも嘘であるのは遠征隊にとって明白だ。

 

 少年はこんな風に絶対笑わない事を彼らは知っている。

 

『く、くそう!? こ、こんなはれんちなものをもたせてどうするきだ!? くそぼけじじいめぇ!?』

 

「「え?」」

 

 思わずその声に遠征隊の女性陣2人が更に驚いてハモった。

 

『そうだ!? なんだコレは!? こんな!? こんなご“主人様”の絵で懐柔するつもりかぁ!?』

 

『あるじしゃまぁ~~はぁ~~~~♪』

 

 中には反抗的な態度の者達もいるが、彼らが次々にペンダントを見て、頬を赤らめ、中には恍惚としてソレを胸元に仕舞い込む者すらあった。

 

「「………」」

 

 思わず少女達がジロリとリケイを睨む。

 

 それに苦笑した老爺は肩を竦めた。

 

「これはほんの今までの貴方達の働きへの代価ですじゃ」

 

「こ、こんなものでわれらはつられんぞ!!」

 

「そうだ!! こ、こんな“ご主人様”の破廉恥な絵で釣れると思ったら大間違いだからな!?」

 

 “たいちょー”と“へんきょーはく”の言っている事のおかしさにその場の誰もツッコミなど入れない。

 

「「ヨハンナおかーさ、じゃなかった。ヨハンナ殿ぉ~~いいの貰った~~」」

 

 こうして、ハモッた大量の六歳児達は自分達の面倒を見てくれる修道女へキラキラ笑顔を向けて走っていくのだった。

 

 

 その様子はまったくプレゼントを貰って可愛くはしゃぐ幼女そのものである。

 

「……どういう事なの? おじーちゃん」

 

「どういう事なのですか? リケイ殿」

 

 思わずそうジト目で訊ねるレザリアとフィーゼである。

 

「確か前はご主人様とか呼びたくないとか言って無かった? あの子達」

 

「ええ、それにご主人様呼びとか絶対しないとか思ってたはずです。彼らは」

 

「はは、服従の呪紋には色々と効果がありましてな」

 

「効果?」

 

 フィーゼが首を傾げる。

 

「ええ、服従の呪紋の多くは戦後処理で使われる事が多く。相手を完全な奴隷に落して使う為のものとして開発されただけではなく。純粋に人買い達や王侯貴族が使っていた事もある曰く付きの代物なのですじゃ」

 

「それで? どうして、あんな感じに?」

 

「服従の呪紋にも色々と種類があるのですじゃ。我が神エニアドは教え導く者。その特性上、神聖属性変異呪紋【盲目者】には学び時を経る事で様々な効果が付随します」

 

 砂浜に枝で絵が描き込まれていく。

 

「この呪紋を直接彫り込まれた対象者は時間経過で呪紋の主である庇護者と設定している者に対して忌避感の薄れと同時に強い憧れ、憧憬を感じるようになり、都合の悪い記憶が薄れて行くという効果がありますじゃ」

 

「悪辣ですね。案外」

 

 フィーゼが呆れた視線でリケイを見やる。

 

「また、対象者の事を知れば知る程に効果が強まり、呪紋が書き込まれた時点から年齢が上がる毎に忠誠心や信仰心が芽生えていき。他の神以外が造ったような粗雑な服従呪紋とは違い。完全に精神状態を保ったまま。つまり、壊れる事なく主の為に尽くすようになる」

 

「それって他の呪紋だと」

 

「ええ、心が壊れて廃人ですな」

 

「うわぁ……」

 

 レザリアもドン引きであった。

 

「ちなみに他の呪紋と違って対象者が心の底から主との関係を希望するようになるので一切、元々持っていた技能と知識が失われません」

 

「つまり、働ける人として虜になるって事?」

 

「ええ、薄れて行く記憶は基本的には帰属意識に関する部分で対人関係や想い出そのものは失われず。内面における思考の変化で主を優先するようになるというだけなので人格の根本も左程変化しません」

 

「人格の変容が最低限度に収まる服従の呪紋……」

 

 フィーゼが自分達が使っている呪紋というものが実は思っているよりも怖いものなのだと再確認した様子になって溜息を吐く。

 

 だが、それでも使わないというのは不合理を超えて非合理であり、今の野営地には必須である事も理解していた。

 

「ついでに他の服従呪紋の効果を一度でもコレを使った母体は効果が切れても拒絶するので乗っ取りも防止します」

 

「それであんなにご主人様呼びを嫌っていたのにアルティエの事、ご主人様って呼んでたんだ」

 

「ちなみに効果は年齢が上がる毎に帰属する相手への感情を全て好意的にしますので、肉体関係もまったく問題ありませんな。年頃の年齢まで上がったら“出来上がっている”状態でしょう」

 

「な!?」

 

「ちょ!?」

 

「まぁ、英雄色を好むとも言いますし、重要な技能や知識、頭脳を持つ者達を流出させず、同時に相手を殺しもしない中では最上の捕虜政策と思って頂ければ」

 

「「~~~~!!?」」

 

 思わず2人が恨みがましい視線でリケイを睨む。

 

「ちなみに“出来上がってしまう”と呪紋の効果が消えてもしっかり元には戻らぬのでご安心下され♪」

 

 キラッと老爺が親指を立てて良い笑顔で確約する。

 

「「………」」

 

 しっかりリケイが女性陣に手形を二つ付けられた後。

 

 やれやれと肩を竦めた。

 

「いや、まったく理不尽ですな。かかか♪」

 

 全て少年が望んだ事なのだ。

 

 敵を無力化しても殺し続ければ、何処かで箍が外れて野営地で殺伐とした事件が起こるようになるとか言い出したのが教会騎士を捕虜とした後。

 

 それに対して蜘蛛にせず味方に出来ないか。

 

 という話をしたのが服従呪紋の切っ掛けになった。

 

 老爺にしてみれば、色々と使い勝手の良い生きた燃料庫にでもしようかと思っていたのだが、野営地の存続を願うのならば、人は人材として揃えておきたいという話は頷けたので実行したのだ。

 

 本来ならば一年限りの使い捨てのところを少年が握っていた手札によって、永続的に寿命まで自在に変化させられるようになった為、極めて効率も良い。

 

 人道的というよりは他者の良心を傷めない事が重要視されるのも難破船や流刑者という立場であるならば、納得出来た為、そうして今も泥を被っている。

 

(これならば、外からの来訪者を使うまでも無く。この野営地のみで島の統一まで出来てしまうかもしれませんな)

 

 今や蜘蛛達が進んでリケイの教えの下で大量の呪紋の知識を学び。

 

 少年から貸し与えられた呪紋の効能を存分に発揮。

 

 様々な業務に従事している。

 

 基礎となる不可糸を初めとして運搬などの単純労働が精霊に任せられる一方。

 

 肉体労働ではあるが、建築、採掘、採取、食料生産、雑貨生産、複数の鍛冶場での家事仕事から呪紋の開発までやり始めている蜘蛛達はもう立派な勢力だ。

 

 呪紋に秀でた者が芸術にまで目覚め、不可糸で織った布に色を流し込む呪紋を自ら生み出した時には驚いたものだ。

 

 それが今は些細な事とはいえ、洗脳の役に立っている。

 

(これで捕虜を人材活用する体勢は整いましたな。後はヴァルハイルを沈めて、北部勢力を取り込めば、教会本隊が到着するまでには……)

 

 野営地の浜辺は若者や蜘蛛達がいなければ、まるでさざなみの音だけが響く静寂の孤島にも思え、そこからすぐ先に人を見てようやく老爺は自分の生きる道の先にまだ此処でならば、見知らぬ何かがあるという事を感じ始めていた。

 

「さぁ、見せて貰いますぞ。最も新しき亞神……その威力を……アルティエ殿」

 

 老爺はしずかに夕暮れ時に向かうノクロシアを海岸線から見つめて、未だ閉ざされた黒曜石の都の輝きを眺め続けるのだった。

 

 *

 

「なんじゃお主達?」

 

 騎士鎧を着込んだような姿の人型の蜘蛛の子が2人。

 

 竜角の赤み掛かった褐色の長髪少女、リテリウムの傍にやって来ていた。

 

 少女と姉妹達の面倒を見る家。

 

 少年が住まう場所での事である。

 

 誰かいた方が安心。

 

 という話をした少年はそれならばとヒオネの侍従達が世話を約束してくれたので家のまだ空いている部屋に全員を住まわせる事にしたのだ。

 

「(´ω`*)/」

 

「\(*´ω`)」

 

「むむぅ……此処の蜘蛛達、種族の一つなのかや?」

 

 そのせいでまた元宿屋部分が建て増しされ、その奥行きは今までよりも更に広くなった。

 

 もはや建造物の増築に関してならば野営地のスピィリアは超特急で仕事に掛かり、半日で殆ど組み上げてしまうような早仕事をこなしてくれる。

 

 しかも、最初の頃とは違ってフェクラールでアルマーニアの大工に師事した彼らの仕事は最初の頃よりも更に洗練されており、屋内の仕上げや調度品や棚、他の立て付けの家具まで何一つとして抜かりはないという有様だ。

 

 いっそ、立て直した方が早いのでは?

 

 という話もあり、その内に立て直されるとの事。

 

「「「………」」」

 

「(´ω`*)」

 

「(*´ω`)」

 

 竜角が霊薬で治ったばかりの幼女達は外の元おっさんとは違って現在もまだ微妙にぼんやりしているが、それはまだ精神が治り切っていない為という話に少年の家にいる女性陣は全員が涙しつつ、幾らでもいていいよぉ~~と彼女達姉妹を少しでも優しく育てる事にしたのだ。

 

「ぬ?」

 

 青、白、黄色な髪を伸ばしっぱなしにしていた幼女達が何も言わないものの。

 

 やって来た騎士系蜘蛛、2人しか今のところいない【ミリシェナ】達が近付いても何も怯えた様子もなく。

 

 イソイソと屈んで抱き上げられるのを良しとして少し唇の端を歪めた。

 

「む、むぅ……どうやら認められたようじゃな」

 

「あ、いた」

 

「え、え~と、レザリア、じゃったな?」

 

「そうだよ。これから同じ家に住むんだから、よろしくね? リリムちゃん」

 

「り、りりむ?」

 

「呼び難いから縮めてリリムちゃんで」

 

 レザリアは悪意ゼロの笑顔。

 

 そのニッコリ顔に僅かリテリウム……リリムの顔が引き攣る。

 

「ま、まぁ、良い。それでワシの、我が騎士様は何処なのじゃ?」

 

「騎士様? あ、アルティエの事?」

 

「そう!! そうなのじゃ!! フィーゼとかいう恋人と一緒なのか?」

 

「こ、恋人?」

 

「そうなのじゃ!! 英雄というからにはもう婚約くらいしているのであろう?」

 

「さ、さぁ? どうかなぁ?」

 

 今度はレザリアの顔が引き攣る。

 

「今は確か鍛冶場の方に行ってるって聞いてるよ」

 

「そ、そうか。むぅ……礼を言いそびれていてのう。本来なら、ちゃんと礼をと……」

 

「大丈夫大丈夫。アルティエはそんなの気にしないから」

 

『ですわね。あのわたくしの騎士がそんなオママゴトな子の騎士になったりしませんわ』

 

「あ!? エルミ!? ちょ、ちょっと!?」

 

「な、何じゃ!? 亡霊か!? あ、あくりょーたいさーんなのじゃー!?」

 

 思わずリリムが妹達を背後に庇う。

 

『フフン。呪霊ですわ。亡霊なんてのと一緒にしないで頂戴』

 

 ニヤニヤしたエルミがズイッとリリムに迫る。

 

「く、来るなぁ!? 誰かぁ!?」

 

『アルティエはわたくしの騎士なんですからね? 何やら不穏な事を呟いていたから、しっかり覚えておいて頂戴な。わたくしの方がアルティエとは長いのですから。ほーほっほっほ♪』

 

「な、何ぃ!? ま、まさか、我が騎士はこの呪霊女に呪われて!? う、うぅぅ、不憫なのじゃぁ、こんな体付きが貧相で礼節の欠片も無さそうな女に四六時中付きまとわれるとかぁ」

 

 ガチで少年を不憫そうに語る少女の言葉にピキッと顔を引き攣らせたエルミがこいつどうしてやろうかという顔になる。

 

「あ、ここね……」

 

 そこにヒラヒラとまた新たな来客が飛んでくる。

 

 それはフェムであった。

 

 危ない大遠征では一部の地下掘削業務以外はニアステラに待機していた彼女は現在鍛冶場のウリヤノフのところにいる。

 

 そんな彼女が今日やってきたのは少年の家に同居人が増えたと聞いたからであった。

 

「どうしたの? 薄汚い呪霊女?」

 

『ほ、本当に口が悪いんですのね。妖精女』

 

 エルミの顔が更に引き攣る。

 

 それもそのはず。

 

 少年の前では猫を被った恋する乙女な妖精フェムは少年の前以外ではシレッと毒舌を吐く性悪系妖精だったからだ。

 

 悪意が有っても無くても失言するし、罵詈雑言以上に一言が多い。

 

 少年に近付く女性陣には悪意マシマシで喋る為、一緒にお留守番が多かったエルミとは犬猿の仲になっていた。

 

「ん? ああ、まだ子孫絶えて無かったのね。紅鱗の眷属だなんて、縁起悪過ぎるでしょうに」

 

「な、何ぃ!? 何じゃお前!? ワシに文句があるのか!? この妖精みたいな姿しおって!? どこの種族じゃ!? 名を名乗れ!?」

 

「フェムよ。我が契約者の愛らしい妖精よ?」

 

「よ、妖精?! 本当に!? こ、此処はどうなっておるのじゃぁ!? 最悪の種族がいるとは!? は!? まさか、我が騎士はこの縁起どころか完全に災厄の種なものにまで寄生されて!? ダメじゃダメじゃ!? 我が騎士に近付くでない!? 【妖精騎士】は破滅まっしぐらってお母様が本で読んでくれたのじゃ!?」

 

 思わずフェムから妹を更に庇ったリリムが妖精をガルルルルと睨む。

 

「おー怖いわ~我が契約者も拾ってくるなら犬にすれば良かったのに。紅鱗の破滅を呪紋に落とし込んだ同胞がいたけれど、まだ破滅を背負ってるのね」

 

「ッ―――」

 

 思わずリリムの顔が青くなる。

 

「ちょ、フェム!? ど、どういう事?」

 

「え? 知らないの? ああ、そうか。そう言えば、普通の生物の感覚だと昔の事なんだものね……簡単よ。紅鱗の竜達はね。その身に破滅を宿しているの」

 

「は、破滅?」

 

「そうそう。まだ亞神達が沢山いた頃にね。お父様が言うには紅鱗の竜達は救世神に喧嘩を売って呪いを受けたの」

 

「の、呪い?」

 

「ええ、破滅の呪い。ええと、今で言う運命とか言うのが捻じ曲がるのよ。だから、この子と一緒にいると高確率で普通の人間よりも過酷な事になっちゃうの」

 

 ニィッと破滅を語る妖精の唇が僅かに嗤う。

 

「な、何それ!? そ、それってずっと昔の事じゃないの!?」

 

「まぁ、昔の事らしいけれど、今も呪いは血統に受け継がれてるわよ。あのフィーゼになら見えるんじゃない? 精霊が見える瞳なら一番“妖精瞳”に近いし」

 

「も、もう分けが分からないよ!? 助けてアルティエ~~!!?」

 

 遂に頭脳の限界まで色々詰め込まれたレザリアが知恵熱寸前になる。

 

『まったく、わたくしの騎士はどうしてこういうものに好かれるのでしょうね。ああ、心配だわ。1抜ーけた!! アルティエにはわたくしから皆さんの事を伝えておきますわ~~ごめんあそばせ~』

 

 レザリアが面倒になって現場から逃亡する。

 

「あ!? 呪霊女!? 我が契約者にちょっかいなんて掛けさせません!!?」

 

 こうしてフェムもエルミを追い掛けて室内からすぐに外の窓からすっ飛んでいく。

 

「(´ω`*)?」

 

「(*´ω`)/」

 

 難しい話など聞いていないミリシェナ達は自分より年上が話し込んでいる間に寝てしまった幼女達を寝台に寝かし付けながら、ご主人様も大変だなぁと内心で同情するのだった。

 

「い、一体何だったんじゃ? そ、それにしても本当に我が騎士は……やはり、特別なのじゃな……妖精騎士、なのか? ああ、心配なのじゃぁ~」

 

 まだちょっと知恵熱気味のレザリアがフシュウ~とぼんやりする横でリリムは自分の騎士の無事を祈る事にする。

 

 ニアステラは魔窟。

 

 そんな言葉はアルマーニア達でなくても実感出来る単なる真実に過ぎなかった。

 

 *

 

「ウリヤノフ」

 

「ああ、来たか。こちらだ」

 

 いつもの鍛冶場にあるウリヤノフの私室。

 

 少年は久しぶりと思えるくらいには濃密な戦場から戻って来たせいか。

 

 数百日ぶりのような間隔で男のいる部屋に入った。

 

「全て揃えておいた」

 

 少年の前には遠征隊の為に造られた竜骨と白霊石の鎧があった。

 

 しかし、先日まで使ってボロボロにしたものとも違う。

 

「この使われてる鋼……」

 

「解るか? お前達が倒したというヴァルハイルの要塞に保管されていたものを使っている。資材として届いたものを霊力による物質変化を使えるスピィリア達と共に研究していてな」

 

 少年の前にある装備は真っ黒になっている。

 

 しかし、その内部から零れ出そうなキラキラな輝き。

 

 霊力による物質掌握で発生する輝きを低減する為だ。

 

 形は殆ど変わっていないが、より肌にフィットするようスリムな造りになっていて、総重量は減っているが、その分を新しい鋼と一体となった装甲を物質の霊力による変化で強度や剛性を上げているのが少年にも分かった。

 

「お前達の為に造っていた竜骨製の矢の簡易製造用の鞄だが、北部勢力に降ろしたら大量生産が始まるそうだ」

 

「そう……」

 

 少年が装甲に見入って何処かどうなっているのかを念入りに調べる。

 

「……ヴァルハイル兵の四肢に近い?」

 

「ああ、造形というよりは稼働部位などを参考にさせて貰っている。動きを造る為に必要な機構の多くは現物があったからな。通常の鍛造で不可能な部分は霊力掌握可能なスピィリア達と共に再現してみた」

 

 より高度な製造法が試されているのだろう鎧は既存の鎧というにはあまりにも世代を重ねたような代物と見える。

 

「スピィリア達が呪紋の譜律だったか? アレをリケイ殿から教わり、使えるようになっていると言うのでな。単純な能力で良ければ、装具を呪具として使えるように内部に呪紋を彫り込んで、装甲の内部に魔力を通せば使える」

 

「具体的には?」

 

「着地時の衝撃の軽減。高低差のある敵を前にした場合や踏破で飛び降りる場合などを考えてな。他には衝撃を受ける際に胴体部や腕部の各装具に魔力を流せば、衝撃を分散させる事も出来る」

 

「……スゴイ」

 

「全部、ドラクやモルドに刻まれた呪紋をリケイ殿が解き明かしてくれたおかげで作れたものだ。こういう単純な能力を積み重ねて、あの巨大な鎧は動いていたらしい」

 

「他の能力は前と同じ?」

 

「ああ、霊体相手も徒手空拳で戦える。後、各自の戦い方に特化した造りにもした」

 

「特化?」

 

「ガシンならば、白霊石を削り出した円筒形の細い棒を使って他の者に霊力を譲渡し、その棒を入れる場所に差し込む事で霊力を魔力に還元、直接握らなくても魔力を補充する、とかな」

 

「便利」

 

「他にもフィーゼ様の精霊に魔力を先程の言った棒で充填する機構。レザリア嬢にはリケイ殿が造った中距離戦で大多数と戦う際に使えるだろう連射の可能な呪紋式の機械弩を」

 

「呪紋式?」

 

「ああ、例の呪紋で肉体強度を上げていない時はガシン殿の棒を使って呪紋をばら撒く事が出来る優れものだ」

 

 少年が試作品であると渡されたソレは機械式の弩を放射状に複数広げた半円形を積み重ねて三段にしたような代物に見えた。

 

 ただ、機構そのものが細かいせいか。

 

 大きさは左程でもなく。

 

 握りとなる部位の上に矢を装填するような機構は搭載されていない。

 

「呪紋を打ち出す?」

 

「そうだ。ドラクが用いていた弩の構造を解析してな」

 

「どういう原理?」

 

「魔力を流して呪紋を発生させた後、親指で握り上の球体式の感圧版を押し込むと呪紋を留めておく呪紋の効果を魔力の切断で切る事が出来る」

 

「つまり、2つの呪紋が使われてる?」

 

「そうだ。呪紋を留めて置く呪紋をリケイ殿が知っていてな。それを止める事で発射する。魔力の供給具合で威力も変化させられる。そこは使い手次第だな」

 

「沢山呪紋が打てる?」

 

「呪具の構造を変えれば、攻撃用の呪紋も変わる。それが一度に9発。この握りの上の扇状の部位が重なっているところから出た呪紋はそれそのものが向けられた方角に対してばらけながら射出される。連射も可能だ」

 

「味方巻き込む?」

 

「だから、使う場合は相手との混戦にならない前提だ。威力はリケイ殿やスピィリア達で試したが、大岩を砕くなら3秒程魔力を込める必要がある」

 

「ドラクの装甲は?」

 

「10秒込めないと厳しい」

 

「あくまで人型の対人用?」

 

「そういう事だな。一発ずつ打てるのも作ったが、お前達の場合、爆華を用いた射撃武器の方が早い。ガシンは基本的に大物狩りで前線。フィーゼ様に使って頂く為のものとして短距離用を造ったが、呪紋を精霊の力では誘導するのが難しいという話でな」

 

「今までのものでいい?」

 

「ああ、呪紋ではなく。通常の矢のように誘導が効く兵器がいいなら、攻撃を受けた際に誘爆の危険がある爆華は使わない方が安全だ」

 

「どういう形になった?」

 

「呪紋を打ち出すのではなく。呪紋で鉄の塊を打ち出す方式も作った。これだ」

 

 少年に二つ目の弩“らしきもの”が渡される。

 

「矢は打ち出さない?」

 

「小さな鉄の玉を精霊達とスピィリアで大量に作ってな。規定の大きさのコイツが流れてコロコロと転がるような入り口と出口を造ってやる」

 

「ふむ?」

 

 握りの上に筒のようなものが着いたソレを少年が見やる。

 

 上に鋼鉄製らしい握り拳大の箱がある。

 

 それが接続された部分から内部に何やらコロコロと転がる音が微かにした。

 

「この上の部分から下の道に流れた玉は感圧版の機構と連動する出口を止める内部機構で止まっている状態だ。此処で物体を加速する呪紋が使われる」

 

「……この中で加速する?」

 

「いいや、同時に呪紋を止める呪紋が使われる。そして、ソレが感圧版で切られた瞬間に物体を加速する呪紋が待機状態から励起状態に移行する」

 

「連動してるから出口は開いてる?」

 

「ああ、そうだ。加速する呪紋を留めて置く呪紋は魔力で玉の位置を維持する。だから、どんな方向に打っても玉が零れ落ちたりはしない」

 

「連射は?」

 

 少年が繁々とソレを見やる。

 

「玉を詰めた上の箱には発条が仕掛けられてる。玉は一列に並んだものを縦に仕切りを付けて格納していて、感圧版が切られると同時に魔力が流れている仕切りの留め金が外れて、12個同時に通路へ上から縦列。一番下の玉だけに下方から加速の呪紋が掛かって打ち出される。上の縦列中の玉は魔力が込められている限りは呪紋を込められた玉が発する魔力の圧力で浮かぶ」

 

「つまり、魔力が消費されると下に落ちて来て加速の呪紋が掛かる?」

 

「そうだ。玉が落ちる。魔力を込めて浮かばせる。感圧版を推す。玉が吐き出される。魔力が空になって玉が落ちる。この繰り返しだ。慣れれば、連射は可能らしい。リケイ殿はほぼ一瞬で12連射していたが、ああは出来ぬだろうな」

 

「一応、貰っておく」

 

「ただし、照準が劣悪でな。精霊の補正が必要だ。ほぼフィーゼ様用だな」

 

「やっぱりいい。呪紋使う」

 

「はは、そうしろ。今の我らの技術ではこれが限界だ。お前の倒した器廃卿とかいう化け物が要塞を動かしていたのだ。ヴァルハイルの技術なら、もっと強いのが作れるのかもしれんな」

 

 そこまで会話していて、ようやく少年はウリヤノフに真に訊ねなければならない事を訊ねようとしたが、何も言わずウリヤノフが室内の机に置いてあった赤い鞘から短剣を抜き出して少年の前にそっと置いた。

 

「……妖精の刃。御伽噺の剣。いや、短剣……か」

 

 ウリヤノフが何処か難しい顔をしているので少年がそっと得を握って刃を見つめる。

 

 ソレは透き通るような剣身でありながら、薄らと夜の星空を思わせる輝きを宿している。

 

「フィーゼ様と我が主の家系ルクセルは大昔に妖精と交わったと伝わる家系だ。家に代々伝わる御伽噺は少し長くてな。数日で語り尽くせないだけの量がある」

 

「ちょっと聞いてる」

 

「そうか。ルクセルの家はその昔、初代様が【妖精騎士】と呼ばれていたらしい」

 

「妖精騎士?」

 

「ああ、そうだ。理由は単純。妖精の加護と刃を持っていたから、とされる」

 

「ソレは?」

 

「長い歴史の中で失われたそうだ。だが、その剣の話は伝わっている」

 

「どんな感じ?」

 

「天を写し取った刃。妖精剣。別名は【夜天の剣】……星空の如き輝きからそう呼ばれていたらしい」

 

「確かに綺麗」

 

「能力は伝わっている限りでは切れないものを切り、斬れるものを斬らないだとか」

 

「……試していい?」

 

「勿論だ」

 

 少年が部屋の内部に立て掛けてあった木製の柄の槍の切っ先に刃を当てた。

 

 スルンと妖精の刃が滑り落ちる。

 

 槍の鉄の部分であるはずの場所には傷一つ無かった。

 

「武器を素通りする?」

 

「ああ……あの妖精の彼女が言うには魔力を込めない限りは特定のものしか切れない」

 

「特定のもの?」

 

「魔力、呪紋、霊力、霊体、光、陽光、影、闇、そういう本来は斬れないものは斬れるらしい」

 

「………」

 

 少年が剣を握って魔力を込めずにテーブルを瞬時に短剣で割いて見せる。

 

 しかし、刃は沈み込みこそすれ、ソレを斬るどころか。

 

 跡すら付けない。

 

「咄嗟に使う時、緊急時は普通の刃の方が良さそう」

 

「だろうな。魔力や霊力の限界まで諸々を使い切った際には単なるなまくらだ。だが、お前の倒して来た相手から言って……」

 

「強い敵程、効果が高い?」

 

「恐らくな。ただし、あの黒い刃のように斬撃を跳ばせたりは出来ない。長さは意志で操作するという話で試してみたら、家より長くなって、そこで止めておいた。実質、この短剣の体積が引き延ばせる限界まで伸ばせるようだ。同じような戦技はあるが、魔の技に分類される多くは教会の騎士系列のものだ」

 

「……後で“たいちょー”に会って来る」

 

「ただ、もう一つ」

 

 少年の前にまた短剣が一本差し出された。

 

 それを抜いた少年が驚く。

 

「もしかして複製した?」

 

 少年が用いていた黒き刃。

 

 極めて真菌との相性が高いソレと見た目的には同じような短剣がそこには有ったが、少年が手に取ってすぐ別物である事を悟る。

 

「出来るだけ似せているが、お前の黒いドロドロ。シンキンとか言う黴の一種だと聞いているが、アレを使ってな。夜天の剣を造る時に使った手法を用いた」

 

「手法?」

 

「形無きものを刃にする時、妖精の呪紋を用いるのだそうだ。それで彼女に失った剣の復元が出来ないか相談し、コレを造った」

 

「……どういう感じ?」

 

「あの黒いドロドロはお前の肉体に宿って増える。これはあのドロドロを同じ形に封入した。凡そ沼地3つ分程な」

 

「何処から?」

 

「あの沼地の中心地帯に行った妖精の彼女が大量に持って来てな。ソレを共同で押し込めた」

 

「……危険」

 

「ああ、そう言った。言ったが、契約者の命には代えられない、だそうだ」

 

「………そう」

 

「使い切る事が無ければ、補充で増やせるらしい。周囲にアレを固めれば、巨大にも出来る。使い勝手は恐らくホンモノ程ではないかもしれないが、出来る事は殆ど同様だと思う。さすがに試すわけにも行かなくてな。使ったら感想を教えてくれ」

 

「解った」

 

 少年が二本の短剣を鞘事腰に装着する。

 

 ソレすらも従来の端に刺すようなものではなく。

 

 金具によって容易には外れないようになっている。

 

 細かい部分の工夫は極めて多く。

 

 少年は今後の戦いはこういう全体的な底上げが重要だろうと再認識した。

 

 ウリヤノフに礼を言って、鍛冶場を後にした少年は遠くからやってくるエルミとフェムを見やりながら、内心で黙考する。

 

(最初期に無理をしてでも一定以上の力を開放する事は妥当だった。本来、行けなかったはずの東部にも北部にも行けた。もし、ヴェルゴルドゥナの話が本当なら、時間すら引き延ばせた……あの子も助けられた……知らない呪紋、知らない武器……今まで一度も見た事のない仲間すら出来た……全部、失うわけにはいかない……)

 

 少年は決意を固める。

 

 ニアステラとフェクラールの事ならば、少年は何でも知っている。

 

 自分がどう死ぬか。

 

 自分がどう戦うか。

 

 自分がどう負けるか。

 

 全て知ってる。

 

 草の位置、重要な物資の場所。

 

 食料の確保方法や時期。

 

 樹木の一本一本の場所から水源地から何処にどんな草花が生えているのか。

 

 何もかもだ。

 

 しかし、もうその既知では通用しないものが目の前に現れ始めている。

 

(まずは時間が本当に稼げているのか。アレが本当に救世神とやらなのか。今まで分からなかったヴァルハイルの内情。どうして、アレに従っていたのか。どうして、他の勢力までこちらに攻め寄せていたのか。全てを知る必要がある……)

 

 少年はまだ見ぬヴァルハイルの都を幻視して、遠方の山岳部を見上げた。

 

「……待ってろ」

 

 呟きは風に溶けて。

 

 とある決断をした少年は単独遠征に出向く事を決めたのだった。



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第53話「ヴァルハイルの鋼塊Ⅱ」

 

「破滅の運命?」

 

「え、えぇ、我が契約者。ですので、あの子は早めに他にやってしまうのが良いです」

 

 少年がフェムに何やら助言を受けた後。

 

 家に戻るとすぐに夜天の剣を手にして、神の力らしきものが未だ確かに少女の中にあるのを確認し、普通に見ただけでは何も問題無さそうだったというのに限りなく悪意を感じたので肉体と霊体を傷付けないように薄い針のように剣を細めて、ソレを穿ち。

 

 同時に少女に感染させていた真菌で肉体に損傷があれば、瞬時に復元するよう再生の準備をする。

 

「は、え?」

 

 いきなり入り込んで来て、彼女にも見えない速さで剣が使われた事にも気付かず。

 

 思わず首を傾げたリリムだったが、すぐに自分の騎士にお礼を言おうとして、自分の髪が輝き始めた事に驚く。

 

「な、何じゃこれわー!?」

 

 リリムの赤み掛かった褐色の長髪が透き通った紅色に染まり、キラキラと魔力の燐光を僅かに零し始める。

 

「あ、あつ、か、体が熱いのじゃぁぁ……」

 

 ヘニャッと倒れ込む少女を少年が抱き抱えて室内の椅子に座らせ、背後で驚いているフェムやエルミ、レザリアを横に置いて額に手を当てた。

 

 竜角。

 

 ヴァルハイルの者達にとっては重要な器官の一つ。

 

 それが今までの白い色合いから鈍い紅の金属質に変化する。

 

 肉体から溢れ出る魔力を少年が片手を当てて自分に誘導した。

 

「ぁ……あついの終わったのじゃ?」

 

 少年がヨシヨシとリリムの頭を撫でる。

 

「これでいい」

 

「へ?」

 

「少し出て来る。しばらく、此処でゆっくりするといい」

 

「え、あの、その、わ、我が騎士よ。何か前とは違―――」

 

「問題無い」

 

 少年がやる事はやったと他の幼女達の頭も撫でてから、唖然とする者達に少女の面倒を見るのを頼んで、外に向かう。

 

 その言い付けを護ったのはレザリアだけであった。

 

『い、今のはどういう事ですの!? わたくしの騎士さん!?』

 

「ちょっと、神の力を消した。この夜天の剣で」

 

『神の力をって……そんな事出来るんですの?』

 

「出来なかったら、他の方法使う気だったから、結果は変わらない」

 

『はぁぁ……相変わらずですわね』

 

「もし……もし……我が契約者」

 

「?」

 

 フェムが少年に呼び掛ける。

 

「その……紅鱗の竜の呪いが解けては事かもしれません」

 

「どういう事?」

 

「紅鱗の竜達は火竜の始祖。もし、アレが敵の手に渡れば、魔力と攻撃のみなら受肉神どころか現世に無い本体である【真正神】に匹敵すると言われた者達に近しい強力な個体が大量に産まれるかもしれません……」

 

「問題無い。誰にも渡さない」

 

『「?!」』

 

「しばらく、此処で目を離さないでいて欲しいって他の所にも頼んで来る。あの子達が笑っていられるように……」

 

 少年がそう告げた後。

 

 空を見上げる。

 

―――『いつか、お主の旅にも終わりが来るといいの……永久の旅路を歩む者よ……約束、忘れるでないぞ………』

 

 フラッシュバックに被りを振って、少年は時間が惜しいとウートのいる新しい家に向かって歩いて行く。

 

(約束は果たす。必ず)

 

 次なる遠征地は決まっている。

 

 しかし、多くの仲間を連れて行く事は出来ない。

 

 それを認めさせる為、少年の内部では既に理論構築が出来ていたのだった。

 

 *

 

―――翌日。

 

 ムスッとした“たいちょー”以下最初期のニコニコする幼女達が見送る中。

 

 少年は遠征隊の面々に何だかなぁという顔をして見送られ、符札で北部へと出立する事になっていた。

 

 見送るレザリアとフィーゼは微妙に不満そうだ。

 

 ガシンはやれやれと肩を竦めている。

 

 ヒオネを筆頭にしたアルマーニアの女性陣と新しく入った遠征隊の面々は何か帰って来たはずの隊長がまた何処かに行くらしいという、あまりにも早い出立を見て、遠征隊はやっぱり早過ぎるという顔で見送りに来ていた。

 

「あれが隊長……他の子達と比べてもやっぱりアレじゃない?」

 

「あ、いっちゃった」

 

「少し緊張しました。あの階梯の存在が現実にいるなんて……各種族で受肉している神の使徒様よりもアレは……」

 

 メル、エネミネ、クーラの三人は帰って来た遠征隊を見て、その力が一目で自分達の域より遥かに上にあると理解していたが、更にその上を行く存在を前にして中々に複雑な顔になっていた。

 

「もしかしたら、受肉した神格の方々にも劣らないかもしれません」

 

「かもね……」

 

 クーラの言葉にエネミネが頷く。

 

 受肉した神の多くは神と呼ばれるだけの力を備えているが、それでもその殆どの能力は自分を受肉させた種族の保存の為に使われており、それにもある程度の限度があるのが普通だ。

 

 特に信仰対象として崇められれば強くなるという性質を持つ神々は肉体の制限とやらがあるらしく。

 

 受肉すると途端に能力が本来の神格位から落ちた状態で現世に顕現する。

 

 その力を分け与えた使徒達にしても、元々の資質が高い者を選んですら、受け入れられる力の量には限界があり、神には遠く及ばない。

 

 だが、肉体を持つ以上、不滅の存在ではない受肉神は老化もすれば、天寿で死ぬ事も普通に起こる。

 

 結果として、若い肉体を持たない受肉神を頂く種族達の多くは生産性と質を兼ね備えたヴァルハイルの軍を退ける程の力を持たない。

 

 数体なら倒せる。

 

 数十体なら撃退出来る。

 

 しかし、数百体は相手に出来ない。

 

 それが受肉神の現在の強さだ。

 

 しかし、それをも超える力の顕現を彼女達はその瞳で見たのだ。

 

 今まで見た誰よりも強い存在。

 

 それがハッキリと分かるのだから、相当に遠征隊の隊長はヤバイという結論で彼女達の内部では一致していた。

 

 他の遠征隊の者達も使徒クラスの能力を備えた上で何かしらが非凡なのは彼女達にも見れば分かる。

 

 毎日毎日、秘薬を飲まされ、気絶しそうになりながら、同じような訓練メニューを3倍近く朝からこなしている遠征隊。

 

 その様子を見てしまったのもその気持ちに拍車を掛けていた。

 

「あ、そう言えば、ヒオネさんからお話は聞いてます」

 

 フィーゼがそう言って人外三人娘のところにやってくる。

 

「あ、はい。こちらこそご丁寧に出迎えて貰って。私の事はクーラと」

 

「はーい。メルだよー」

 

「エネミネよ」

 

 フィーゼがにこやかに三人と握手する。

 

「皆さん。アルティエはまぁ……行っちゃったので帰って来てからという事で、遠征隊の他の子を紹介しますね」

 

「あ、フィーゼ。その子達がボクらのコーハイ?」

 

「そうですよ」

 

「ああ、ヒオネの嬢ちゃんが言ってたのか」

 

 レザリアとガシンが傍までやってくる。

 

 ヒオネは頭を下げてから、一度生身で報告する事があるからと精霊の引く荷馬車でフェクラール北端へと向かって行った。

 

 それから数分。

 

 互いに自己紹介を終えた全員が今後の話し合いを持つべきという意見で一致する。

 

「そのぉ~~フィーゼ様。それで隊長は御一人で何処に向かったのでしょうか? ただ1人で遠征に向かうとしかヒオネ姫からは聞いていなくて」

 

「あん? まだ、知らせて無かったかい? こりゃ悪い事したね」

 

 アラミヤがヒオネとミーチェを見送った後に彼らの傍までバッサバッサと翼をはためかせてやってくる。

 

「旦那様。それにしても今回の遠征。本当に良かったのかい? 一人で行かせて。いや、1人じゃないけども」

 

「いいんだよ。あいつが言うんだ。理由がある」

 

「あ……ガシン様とアラミヤさんは御婚約されているんでしたね」

 

「ちげぇよ!?」

 

 クーラがちょっと赤くなって微笑む。

 

「もぉ~~そろそろ諦めなよ~~既成事実って知ってるかい?」

 

「うるせぇ?! 修行中はとりあえずくっ付いてくんな!? 気が散るだろ!?」

 

「もぉ~~♪ またまたぁ~~アタシのおっぱいが恋しい癖に♪」

 

 デンッと豊満に過ぎる胸部をガシンに押し付けてニヤニヤするアラミヤにクーラは思わず他の2人の目を塞ごうとして、メルには届かないのでそこらにいた蜘蛛達の持っていた看板で隠すのだった。

 

「また朝っぱらからイチャイチャしないで下さい!! ガシンさん」

 

「そうだよ? 此処にはちっちゃい子達だっているんだからね?」

 

「お、オレが悪いのか!?」

 

 こうしてガシンが理不尽を噛み締めている頃。

 

 少年はまだ北部オクロシアで戦闘後の事後処理に当たっていたヘクトラスの城で本人に見付かる事になっていた。

 

「ぬ? 早過ぎるだろう。再会が……」

 

 王城内部の室内で決済していた男が周囲に明かりを付ける。

 

 すると、霊殿を置いた彼の私室内部に現れた少年は肩を竦める。

 

「進展があった」

 

「ッ、話してみろ。今度は何だ?」

 

 少年がヴェルゴルドゥナの話を精査した結果として今まで黙っていた事を告げる。

 

「聖域関連の話か? 救世神? 北部の多くではモナスの聖域の事は殆ど知られていない。最初期の流刑者達が何かを信仰していたという話は聞いた事もあるが、それ以外はさっぱりでな」

 

「神の名前も知らない?」

 

「ああ、聞いていない。だが、おかしいな。受肉した神もいる中、話を一切聞かないという事は……」

 

「受肉した神々が何か隠してる?」

 

「妥当な判断をすれば、そうなる。それにしても封印が強まる? まさか、モナスの聖域に異変が起こっているのか?」

 

「それを調べに来た」

 

「だが、どうやって調べる? 聖域は封印されている。各地にあるとされる入り口の多くは全てヴァルハイル領だ。ついでに言えば、昔の調査でも何も見つからなかった。平和な時代に合同で調査した事もあったがな」

 

「今も聖域に続く場所があると聞いてる」

 

「ッ―――まさか」

 

「ヴァルハイルに潜入する」

 

「……その妖精と呪霊を連れてか? 馬鹿馬鹿しい程に危険だぞ?」

 

『わたくしを単なる呪霊だと思っているのならば、甘いですわね。この我が騎士にどれだけ尽くして来たと思っているんですの♪ こんなの朝飯前ですわ~』

 

「我が契約者……この陰謀にしか興味の無さそうな奴は危ないですよ。遠ざかる事を進言します」

 

 少年の背後に浮かぶ2人の姿。

 

 エルミとフェムは互いこそ見ないが、其々に少年の背後で何やら働きで相手より優秀であろうと見えない火花を散らしていた。

 

「種族を変えれば問題無い」

 

「ッ―――ソレは、つまりお前は……」

 

「使える」

 

「やたらと見覚えの無い魔力。その袋に入っているのは還元蝶か?」

 

「そう」

 

 少年が僅かに蠢く大きな袋を腰に下げていた。

 

「それで何を知りたい? こちらに留まるという事は何か聞きたい事があったのだろう?」

 

「ヴァルハイルの内情と潜入する際の助けが欲しい」

 

「助け、か。高都に潜らせている草はいるが、連中護りを固めていて、中々に厳しいぞ?」

 

「同胞なら?」

 

「そういう事か……解った。何処の者にする?」

 

「ヴァロリアで」

 

「―――はぁ、怪しまれるぞ?」

 

「最初から怪しまれてる方がいい。情報を持ってる相手が寄って来れば、尚良い」

 

「真っ白な身元を用意するのは骨が折れるが、何とかしよう。そこの浮かんでいる者達は?」

 

「ヴァルハイルだと呪霊を機械に入れてるって聞いた。エルミは特別な名前を持ってる呪霊を機械化した者。フェムの実態は魔力と霊力で物質を形作ってる。一緒に呪霊と偽って機械に入れるのは可能」

 

『わたくし、何にされるの!?』

 

「わ、我が契約者!?」

 

「問題無い」

 

 背後の2人がそう言われて何処か仕方なそうに大人しくなるのを見て、こいつ本当にアレだなという感想を抱いたヘクトラスは頷く。

 

「良いだろう。半日待て。ヴァルハイルにももしもの時の為に特大の伝手はある。あちらも一枚岩ではないからな。物好きな連中もいるし、工程としては2日くれ。その間にそちらの御婦人達の肉体となる機械も用意させよう。その間に内情とヴァルハイルの常識を学ばせる。生まれ変わりはいつ?」

 

「今日中にでも」

 

「了解した。では、しばし待て」

 

 ヘクトラスがすぐに呪紋で他の者達を呼び寄せ、テキパキと手配をしていく。

 

 こうして三人は怖ろしき敵。

 

 ヴァルハイルの首都潜入の為に色々と学ぶ事になるのだった。

 

 それが新たな事件の始りになるとも知らずに……。

 

 *

 

―――3日後、ヴァルハイル高都国立第一聖鱗学校【ロクシャの園】。

 

「初めまして。エルの子、オータの子孫。アーカ家のアルと申します。よろしくお願い致します」

 

 少年はペコリと小さな竜角の生えた体と第三の目が開いた状態で頭を下げた。

 

 少年の後ろ、左には少女型の生身の女性とも見紛うような機体が呪霊を封じて浮かんでおり、右には妖精のような小さな体のこちらもやはり精緻な小さな少女型の機体が浮かんでいて一礼する。

 

 その日、ヴァルハイルに幾つかある大規模な学校の中でも最も格式高いとされるロクシャの園と呼ばれる学校へ入って来たのは忌避の塊のような存在であった。

 

 薄らと四肢に見える蒼い鱗と尻尾すら無い少年。

 

 辛うじて竜角がある為にヴァルハイルの民と分かるが、その額には第三の目。

 

 つまり、他種族との混血であるドラグレで異様に精緻な機械化呪霊を連れた少年は間違いなくヴァルハイルの基準に照らして見れば、ほぼ差別直球ど真ん中ストライクゾーンに違いない存在にしか見えなかったのである。

 

 まだ四肢を機械化していない少年少女達には立派な竜角や竜頭や尻尾のどれかがあるし、何なら全部持っている者もいる。

 

 角の大きさや見栄えは種族的なステータスであり、尻尾もそれに類する。

 

 顔とて竜頭の方がモテるという。

 

 だが、そのどれもが無いか。

 

 あるいは劣っている少年が突如として来襲したロクシャの園は半ば恐慌状態になった……精神的な側面だけで言えば、限りなく風紀は乱されまくりであった。

 

 教室というには大きな吹き抜けの庭。

 

 そこに座る者達は芝生の上で石製の椅子に腰掛けたまま。

 

 小さな竜角しか持たない同年代を前にして何故こうも堂々としていられるのかという疑問を抱いたが、何者かが呟く。

 

「アーカ家って確か呪霊機の名家だったような?」

 

 それで彼らは「ああ、つまり名家の誰かが生んだヴァロリアのドラグレなのね」という事で自分を納得させた。

 

 実際、普通の機械化された呪霊は殆どの場合、小さな空飛ぶ箱のようなタイプだ。一部の物好きや高級志向な者達がモルドの技術を用いる人型や小型の箱型ではないタイプを運用している。

 

 ならば、そういう事だろう。

 

 さすがに上流階級の子女達が揃っている学校だけあって、あからさまに差別の視線を投げ掛ける者はいなかった。

 

 少年が先生によって一番端の一番後ろの開いている席に座るよう言われて、腰を下ろしても誰一人として彼に話し掛ける者は無く。

 

 淡々と授業が開始された。

 

 理由は単純明快。

 

 最も彼を差別していたのは外ならぬ教師だったからだ。

 

 一応、名家として入って来た以上、差別的な言動や行動はしないが、その瞳の視線は限りなく冷たい。

 

 必要最低限の事を言った後は放置。

 

 これが教師陣にとって最善の接触方法だったのである。

 

 別に誰かへ何かを聞く様子もなく。

 

 淡々と機械の内部構造他、呪紋や呪霊の講義を聞き終えた少年は一番困る無視という状況に何か手を打つべきだろうかと首を傾げながらの昼時となった。

 

(ヴァルハイルの高都……確かに高い建物が多い……)

 

 ロクシャの園は高都でも指折りの教育設備を備えた広い敷地に複数の塔を立てて運営されている場所だ。

 

 棟の最上階の吹き抜けとなっている場所が教室となっており、全ての教室はこの最上階と塔の内部で天地の差がある。

 

 最上階の教室は最上流階級。

 

 つまり、皇族から列なる国家の重鎮の家の者が入る校内カースト的な最上級位置。

 

 そこから階が下がる毎に家の格が落ちて行くのだ。

 

 故にあからさまな差別が行われないというのも当たり前と言えば、当たり前の環境であった。

 

(もう少し情報が入って来そうな場所の方が良かった気も……)

 

 少年は四六時中、呪紋で話し掛けて来るエルミとフェムに応えたり、内部構造やら周辺の街並みやら、色々な部分の記録を取って貰いながら、学校の制服を見やる。

 

 珍しい完全に人型に竜角だけの少年の制服は法衣型のローブでゆったりとしたものだが、金糸の刺繍が施された家の家紋入りの特注品だ。

 

 校内は磨き上げられた乳白色の石材を掘り上げた荘厳な神殿にも見える。

 

 毎日機械呪霊達がフヨフヨ浮かんで夜に清掃していると言われる表面には埃の一つも付いていない。

 

(人材の機械化……仕事を精霊にさせるのと同じように呪霊で代替……これがヴァルハイルの足元を支えてる?)

 

 最下層には生徒全員が入れる大講堂が存在しており、実際に神殿として建てられていて、彼らのヴァルハイルの神が祭られている。

 

 校内の移動は複数ある昇降機で行われていて、食堂となる中層階の一層丸々使った広いスペースには上も下も無く最上階の生徒以外は殆どが使っていた。

 

(都を見た限り、食料は殆ど同じ。料理の質の世代が違うのと、戦時統制でモノの値段が高止まりしてる……)

 

 生徒達に紛れて食堂に入ると。

 

 今日のメニューらしきものが書き込まれており、三つの中から一つ注文する事が出来るらしい。

 

 さすが上流階級の人間が通うだけあって、食事は全て無料だ。

 

 食堂の椅子と机は移動出来ない備え付け式で横に長いテーブルがズラリと長椅子と共に並べられて、途中の区切りで数名ずつ入れるようになっている。

 

 注文した品は機械呪霊が配膳係として持って来る為、食堂内なら何処にいても問題無く届くというシステムが採用されていた。

 

「季節の香味揚げを」

 

 カウンターで注文すると竜頭のおばちゃんらしき40代くらいの女性がすぐに少し驚いたような顔になるものの、ササッと注文を取った。

 

 職業意識の塊。

 

 逆に言えば、融通が利かない。

 

 しかし、今に限って言えば、有難い話であった。

 

 少年が一番端の椅子に座る。

 

 外が見える席は光が入り込むせいか。

 

 熱いので敬遠されているようだったので少年が座るには丁度良く。

 

 少年の背後では表向き何も喋らない2人がフヨフヨ付き従い。

 

 食堂内部はざわついていた。

 

 あからさまにそんなものを連れて問題無いとされている以上、最上流階級。

 

 だが、その肉体は限りなく社会的には排除対象。

 

 この板挟みで誰も彼もが困惑し、どう接していいのか分からなくなっていた。

 

 しかし、そこに果敢に攻めて来る者が一人。

 

「うっわぁ~~薄汚いヴァロリアじゃない。何? どうして、この神聖な学び舎で大そうな呪霊機連れてるの?」

 

 少年の脳裏には話し掛けて来た相手の脳天を矢で早くブチ抜こうとか。

 

 どうやって失意のどん底にしてやりましょうか?とか。

 

 そういう思考が垂れ流されてくる。

 

「しかも、くっさぁ♪ 溝みたいな呪霊の臭いがプンプンする。薄汚いゴミみたいな呪霊を内部に入れて、毎晩愉しんでたりするの? ねぇ、このゴミクズ。ほら、何とか言って見なさいよ?」

 

『『………( ̄ω ̄)』』

 

 少年をいきなり罵倒してきたのはまだ12か13くらいの少女だった。

 

 大きな竜角は黒く染まっており、大きな尻尾には漆黒の鱗が黒曜石のように煌めき、尻尾や腕、脚には純金を呪具にしたような輪が着いている。

 

 僅かに浮いている少女は体躯こそ小さいが、小柄な体とは反比例して角やら尻尾が大きいのでまるでアンバランスであり、そのせいで浮かばないとロクに歩けないのではないかと少年は思考した。

 

 弱い者虐めが大好きですというサディスティックな顔付きは悪戯を心底楽しんでいる様子である。

 

「あんまりこの子達の事を罵倒しない方がいい」

 

「はぁぁ? 何勝手に汚物みたいな口開いてんのよ。この薄汚いヴァロリアが!! アンタみたいなオクロシアのスパイなんて、さっさと捕まっちゃえばいいのよ」

 

 少年の言っているのは単なる忠告である。

 

 今もピキピキ来ている彼の呪霊と妖精は良い笑顔で軽く相手を射殺したり、焼き殺したり出来そうな怒気を孕んでいる。

 

 黒角、黒鱗の少女は嗜虐的な笑みを浮かべて尚、高貴な血筋が分かるような小顔で鋭い視線の美貌ではあるが、言ってる事はかなりこのヴァルハイルの内部では真っ当だ。

 

 実際、この場にいる者達の多くの声を煮詰めたら、こんな感じだろう。

 

「何でドラグレがこんなとこにいるわけ? とっとと帰れ!! アンタの仲間のせいで沢山のオクロシアに行った兵隊の家族が泣いてんのよ!!」

 

「直接関係無い」

 

 シレッと少年は大ウソを着く。

 

 というか、偶然だとしても真実を突いた発言は逆にだからこそ少年のカモフラージュの素材としては物凄く有難いまである罵倒であった。

 

「ッ……このまま帰れば見逃してやっても良かったのにね。ほら、アンタ達!! 此処でこのクズを叩き出しなさい!! 風紀を乱す者には風紀委員の制裁が科されるって知っておく事ね。この恥さらしのドラグレが!!」

 

 少年が思わずコレが学校で言う風紀委員というヤツなのかとちょっと驚く。

 

 事前に色々とヘクトラスや部下から聞いていたのだが、風紀委員は品行方正で不道徳とかを正すのが仕事と聞いていたのだ。

 

 あからさまに少年へと向かってくるのはまだモルドを付けていない少年達。

 

 四肢が機械化されてはいないが、呪具を複数装着しているようであり、手甲や脚甲などの武装からして徒手空拳で相手を制圧する為のものだろう。

 

『『………( ̄ω ̄)?』』

 

 やる?

 

 やっちゃう?

 

 というワクワクした獰猛な子猫よりは危ない背後の2人に呪紋の通信で待てをした少年はイソイソと席を立ってからクイクイと手を掌を向けて風紀員達を手招きした。

 

『コイツ!? やるぞ!! 風紀委員を舐めるな!! このドラグレがぁ!?』

 

 少年達が次々に押し寄せて来る。

 

 それを少年は最小限の動きで回避しながら、適当に死なないよう首筋に手刀を当てて気絶させていく。

 

 従来は相手を殺す事も出来る制圧方法であるが、少年の経験的に単なる子供程度の相手に使い間違う事は無いので完全に数名が数秒でグッタリと倒れ込んで気を失った。

 

「な―――」

 

 それをエルミとフェムがぽいぽいと壁際に積んでその上に座ってみせる。

 

 すると、丁度の様子で呪霊機。

 

 そうヴァルハイルでは呼ばれているらしい箱型の呪霊がランチセットを持って来て、少年の席の前に前に置いた。

 

 それを何という事も無さそうに食器で食べ始める少年を前にして唖然とした生徒達はざわついていたが、風紀委員が一撃で倒された様子に相手が少なからず高貴な家の出である以上に強い事を理解する。

 

 ちょっかいは出さないでおこうと誓う者が多数……少年が普通に食事を取っているのを見て、視線を逸らして自分の食事に戻る者が殆どとなった。

 

 無視が一番という事である。

 

 しかし、仲間達をエルミ達の尻に敷かれた少女は怒りにプルプルと拳を震わせ。

 

「クソ!? 覚えて為さい!! 委員長に行って出席停止にしてやるんだから!?」

 

「正当防衛」

 

「ッ―――役に立たない部下共ね!? もぉ!!」

 

 喚いた黒角の少女はそうして逃げて行くのだった。

 

 少年が数分でランチを終えて、2人にまだ気絶している者達を目覚めさせてやって欲しいとお願いして教室に向かう。

 

 その背中を視線で追う者はもう多くなかった。

 

 家の格と強者を前にしては沈黙するのが吉。

 

 そんな上流階級の者達の暗黙の了解は少年を見なかった事にするという点で方針が一致したのである。

 

 *

 

―――放課後。

 

「という風紀委員会からの報告があったのだが、何か申し開きはあるだろうか?」

 

 学校の最年長。

 

 生徒会長という肩書の竜頭の相手に少年は放課後呼び出されていた。

 

 最上階下の階は生徒会という組織が運営している場所らしく。

 

 少年が入ると呪霊機は老いていけと言われたので少年は2人を置いて通路を渡って生徒会室の巨大な表札がある部屋にノックをして入り、青白い竜角と竜鱗を持つ竜頭の相手と数名の役員達を前にして尋問されていた。

 

「正当防衛です」

 

「正当の部分を詳しく」

 

 生徒会長。

 

 ナルハ・クラミルとプレートがある彼がそう少年に訊ねる。

 

「最も人がいない端の席で食事をしようと座りました。そこで明確な罵倒を突如として受け、その上で風紀委員による襲撃を受けました」

 

「ふむ。君は自分の容姿には自覚があるかな?」

 

「勿論」

 

「その上で襲撃を受けたと表現するのだね?」

 

「間違いありません」

 

「左様か……」

 

 法衣の襟元に白い星のマークが入れられた生徒会の制服。

 

 その周囲の者達は多くが他の邦では蜥蜴と称されるだろう竜頭に竜角と尻尾姿の三つ揃ったエリートだった。

 

「アーカ家には悪い事をしてしまったようだ。君個人への補償という程のものは出ないが、今後風紀委員による食堂での無法は無くなると断言しよう」

 

「ありがとうございます。生徒会長」

 

「いや、君は嘘を吐いていない。それに君がどういう存在であれ、正当な理由も無く席を奪う権利は私にも此処の教職員にも無い」

 

「………」

 

「ただ、風紀は乱していたのは事実だ。今後も風紀委員からの注意などはあるかもしれないが、そこはその時に君と彼らで解決してくれたまえ」

 

「生徒会としては関わらないと?」

 

「はは、生徒会も忙しいのだよ。こんな些細な事で誰かを呼んで話を聞いている暇はない。君も最上流の家なら知っていると思うが、オクロシア侵攻軍が壊滅してね。一般には後退したと流しているが、人の口に戸は立てられない」

 

「……【器廃卿】の死亡ですか」

 

「その通りだ。あの戦線の敗北で色々なところにシワ寄せが来ていてね。この学校の生徒達もいつまで戦線へ立たずにいられるか……」

 

 生徒会長ナルハが溜息を吐く。

 

「そういう事で我々は一個人への差別が力によって正当に叩き潰されたからと毎度毎度のように呼び出しなど出来る状態ではない」

 

「心中お察しします」

 

「なら、出来る限り穏便に済ませて欲しい。何、君に風紀委員に殴られろというのではない。必要無いところでは逃げてくれてもいいし、手練れの風紀委員を八人も山にした君なら、彼女を自分の手籠めにしてくれてもいい」

 

「彼女? 黒角の……」

 

「ああ、君は転校してきたばかりだから知らないのか。彼女は現参謀本部にいる古参謀のお孫さんでね。丁度、オクロシア侵攻軍に父親と兄が従軍していたのさ」

 

「ヴァロリアは憎むべき敵、と」

 

「奇眼のヴァロリアは何処の種族にも出る。一種の先天性の病みたいなものだ。我が国では他の種族とは違って内部で受け入れる。だが、それでも忌むべき者という話はある。しかし、君はアーカ家だ。生憎と彼女は格上の家の子を侮辱した上に自らの郎党で戦いまで挑んでしまった」

 

「つまり?」

 

「彼女の家には言っておく。まぁ、君次第だよ。彼女がどうなろうとも彼女の家からは文句も出ないだろう。彼女の不始末だ。家に迷惑を掛けるものでもない。さすがに殺されては我らも黙ってはいられないがね。大抵の事は目を瞑ろう」

 

「解りました」

 

「では、帰りたまえ。今日は災難だったな。優秀なる人」

 

「いえ、そんな事は……では、これで」

 

 少年は一礼してから生徒会室を後にした。

 

「……生徒会長」

 

「何だね? 副会長」

 

「あのヴァロリア。良かったのですか? 放っておいて」

 

「君はあの階梯の存在をどうこう出来ると思うのか?」

 

「え?」

 

「……あの第三の瞳は神眼。第三神眼だ」

 

「え、それって……」

 

「呪霊や霊体、他にも我らには見えない領域を見る瞳。精霊も見えるのではないかな。あるはそれよりも更に高次のものすら見えるかもしれない」

 

「あの瞳そこまでの……」

 

「アーカ家は様々な呪霊を呪霊機として開発した名家だ。今のヴァルハイルの生産力の実に4割、工業製品に至っては7割が彼の家の技術で成り立っている」

 

「し、知りませんでした。勉強不足で……」

 

「いいよ。表向きは【器廃卿】がそういうのを仕切っていて裏方だったから、あまり知られていないというだけだ」

 

「彼が最上階の教室にいるのはそういう事なのですね。ですが、風紀委員の彼女の事はあれで良かったので?」

 

「元々、風紀委員長からも問題行動が多いと報告されていた。彼女の兄はもう直系の男児を儲けているから彼女がいなくなっても何も問題無い」

 

「そういう事でしたか。それにしても問題行動、ですか?」

 

「ああ、やたらと攻撃的になっているようでね。まぁ、父親と兄を失って気が立っていたんだろう。だが、やり過ぎたよ。彼女は……」

 

「あの新入り……一体、どうしますかね?」

 

「それは我らには関係の無い事だ。それより全校生徒の徴兵を阻止する方が重大事である以上、放っておきたまえ。風紀委員長にはこちらから手出し無用を言い渡しておく」

 

「了解しました」

 

 少年は通路を歩きながら、不可糸で通した糸電話を生徒会室から引き剥がし、内部事情を浚った後、大人しく待っていた2人を連れて、ようやく帰宅する事にした。

 

 放課後はもう暮れ始めており、さっそく内情を探るには良さそうな取っ掛かりを見付けた少年は明日も彼女に突っ掛かられてみようと思いつつ、高都内部の協力者の家に戻るのだった。

 

 *

 

 少年が帰って来たのは高都の奥まった場所にある古びれた館だった。

 

 機械と石と鋼が織りなす高都にあって、館の殆どは高層建築に取って代わられている事が多い。

 

 しかし、今もそれなりの敷地を有する館を維持する家というのは家格的には相当に上と言われる事が大半だ。

 

 館の門扉の横にある小門が開く。

 

 すると、内部にはズラリともう箱型の呪霊機が浮かんだままに頭を下げて彼らを待っていた。

 

 その開けた道を更に進むと正面玄関ではなく裏口のルートに入る。

 

 裏口の内部では人型の呪霊機。

 

 それも殆ど裸に等しいような水着姿になった、かなり女性的に造り込まれた造形のソレが頭を下げて待っていた。

 

『下品ですわねぇ……』

 

「下品? 良い趣味じゃない? この水着、可愛いし」

 

 相反する少女達はコイツはやはり敵という顔で顔を背けつつ、少年の背後を浮かんで着いて行く。

 

 裏口から進んで二十秒程後。

 

 折れ曲がった通路を進んだ先の扉が半開きになっていた。

 

 少年がそれを開けると。

 

「やぁ、愛しき息子殿。どうだったかな? 初めての学校は。エル・レクスル・アーカの息子として楽しめたかい?」

 

 そう中背の少しやせ型の男が1人。

 

 何処か学者肌のようにも思えるメガネ姿は横顔からして細く。

 

 病的にも見える。

 

 40代程だろう男の口元には僅かに長く整えられた髭。

 

 そして、何処か柔和な笑みが浮かんでいる。

 

 エル・レクスル・アーカと自分を呼んだ男は冴えないおっさんに見える。

 

「生徒会長から風紀委員の問題児を手籠めにしていいって言われた」

 

「な、な、何だってぇえぇええぇえ!?」

 

 わざとらしいくらいに驚く彼が思わず目を見開き。

 

 数秒後。

 

「……その子、可愛いかい? もし君がお嫁さんにしたいなら、後でボクのお人形さんの容姿に使っていいか聞いてくれないかな?」

 

 そうシレッと柔和な笑みで言った。

 

『クズですわねぇ……』

 

「そう? あの気の強そうなのが泣き崩れて、自分の人形が量産されてるところを見たら、楽しそうでしょ。絶対」

 

 男はニコリとして。

 

「冗談だよ。あ、でも身体情報が欲しいのは本当だ。測る機会があったら是非ともよろしく頼むよ? 我が愛しき息子殿」

 

「……了解(*´Д`)」

 

 溜息がちに少年はそう頷くのだった。

 

―――15分後。

 

 アーカ家はヴァルハイルの名家だ。

 

 呪霊機。

 

 呪霊の肉体として機械を用い。

 

 制御する事で呪霊そのものを有効活用する。

 

 その思想は労働力の自動化というものに使われており、結果としてヴァルハイルは巨大な生産力を有する北部最大の雄となった。

 

 しかし、歴代の当主からして変人が多く。

 

 同時に世人には分からない拘りや性癖があった彼ら一族は数が名家の割に少なく。

 

 ついでに嫁ぐ者も多くなかったせいで今やたった一人の男以外にはもう誰もアーカの家に名を連ねる者はいなくなっていた。

 

「いやぁ、ヘクトラスのヤツから連絡が来て、ヴァルハイルの生産力でも潰せって脅されるかと思ったら、息子を寄越すとはねぇ」

 

 食堂のテーブルで男は干した果実をツマミに葡萄酒を呷っていた。

 

『貴方全然そんなの信じてないのではなくて? 色男さん』

 

 ジト目のエルミはこの手ののらりくらりしながら柔和な男というタイプを商人には何人か知っていたので呆れた表情になる。

 

 男はまったく本心を隠すのが上手い人種に違いなかった。

 

「ははは、まったく、君くらいの呪霊がヴァルハイルにもっと沢山仕えていてくれれば、ボクのお嫁さんにしてたのになぁ。ボクの理想の体付きで♪」

 

 中年のウィンクがエルミを貫く。

 

『ひぃ!? わたくしの騎士様!? この変態どうにかなりませんの!?』

 

「ならない」

 

 エルミが少年の背後にササッと隠れる。

 

「そんなに邪険にしなくても。僕はこれでもヴァルハイルにいる“卿”の中でも結構モテる方なんだ」

 

「……伴侶は?」

 

「ボクの伴侶は呪霊機だけさ♪ 何せ、僕の理想通りに造れる理想の女性だからね。これ以上は無いよ。哀しい事にね」

 

『……やはり、変態じゃないの……』

 

「いやぁ、話せる女性型でカワイイ呪霊ってかなり希少なんだよ? それこそ百年に1人か2人いるかどうかくらい」

 

 男が横の際どい水着姿の呪霊機。

 

 尻尾と角は完全再現されている豊満な女性型から葡萄酒を御酌されて、ゴクゴクと飲み干していた。

 

 実際、男の横にいるのは新型の全身モルドのヴァルハイルの女性と言われても何ら違和感が無い程に嫋で優美な曲線を描いており、金属質の肌でなければ、見分けは付かないだろう。

 

「君達の体だって、ボクの自信作さ。生憎と入れる呪霊がいないという事を除けば、という話はしたよね? だから、浮かれるのも仕方ないのさ。何せ、本当にヘクトラスのヤツが言った通りだったからね」

 

「……どうして入れる中身も無いのに体を造った?」

 

 少年が訊ねる。

 

「造れるからさ♪ ボクの技術はどちらかというと大量生産系に割り振られてた父や祖父達とも違って細かい芸術分野に近い」

 

「芸術……」

 

「ボクはね。呪霊機が箱型なのが許せなかったのさ。だって、もっと綺麗になる。格好よくなる。もっと強くなる。ああ、もっと良くなるのに生産性のせいで箱型……なら、ボクが常識を変えてしまえばいい」

 

 男は葡萄酒を注いだグラスを電灯に翳す。

 

 男の竜角は半ばから螺子くれて折れ曲がったかのように変則的なものであり、色はドブ色の斑模様だった。

 

 尻尾も無ければ、竜鱗も殆ど見られない。

 

 肌の色も人間に近しい。

 

「こんな容姿だったからね。子供の頃からそりゃぁ近所の悪ガキに虐められそうになっては家に逃げ込んだよ。今の君なんてまだカワイイ方さ。家の事を知った途端に青い顔の親が土下座で襤褸クズみたいに殴った息子を連れて来たりとか。しょっちゅうだった」

 

「それで?」

 

「ボクは誓ったね。ボクに自分の肉体を鍛える才能は無い。でも、頭脳はある。なら、自分の理想の肉体を造ればいいんだって」

 

「妥当」

 

「お? そうかい? そうかい? ふふ、そう言われるのは嬉しいなぁ♪」

 

 男がまた横から注がれた葡萄酒を呑み干す。

 

「もしも、君達がツマラナイヤツだったら、さっさと上に渡しているさ。でも、君達は面白いヤツだ。だから、この国を亡ぼすくらいは手伝おう」

 

「個人的な理由で?」

 

「ああ、個人的な理由で、さ♪」

 

 胡散臭い男は柔和な笑みのままウィンクし、干した果実を齧る。

 

「全身モルドのヴァルハイルが多くないのが何故か知ってるかい?」

 

「知らない」

 

「君達のように面白い連中がいないからさ」

 

『え……それって……』

 

「ボクとボクが所属する部署が殆ど調整してる。10年に1回の調整以外は緊急時の破損の交換だけだ。ちなみにこの高度技術に接する事が許された人材はヴァルハイル全体で1000人いるかいないか」

 

『つまり、貴方はその親玉なのですね……』

 

「親玉に近いが正解かな。ボクの上司もいるしね」

 

『生産性の問題と言っていましたが、そんな機械に交換するのは難しいんですの?』

 

「そりゃね。手術の成功率は9割を超えたが、それもヴァルハイルが戦乱の度に死亡しそうな高級将校を実験台に使ったからに過ぎない。鋼鉄騎士とか。あれくらいの古参は半ば生きた標本だ。父の代でようやく全身置換が可能になったからね」

 

「……器廃卿は肉体そのものを失って呪霊化してた」

 

「ッ―――ああ、そうか。君だったのか。彼を倒したのは……」

 

 男が驚きつつも僅かに目を細め、懐かしそうな顔になる。

 

「彼の技術は全て保管されている。一応、ボクが遺産として引き継ぐ事になっているけどね。よく倒せたな。彼、復活しただろう?」

 

「復活しないように倒した」

 

「あはははは!! そうか。なら、彼も本望だろうさ。ようやく死ねたんだ。それも君のような面白いヤツに打ち倒されるなら、長年の憂さも晴れるだろう」

 

「どういう事?」

 

「ヴェルゴルドゥナ卿はヴァルハイル最古の生き字引の1人だ。事実上、彼より歳を経た者はヴァルハイルに数名しかいない」

 

 少年は何となく歳は食ってそうだなと思っていたので納得する。

 

「ヴァルハイルが此処に来て500年以上。流刑者にされた皇族達が歩いた歴史は極めて過酷だった」

 

「北部最弱の勢力、そう聞いた。ヘクトラスに」

 

「そうだよ。それから数百年以上、ヴァルハイルは神を討ち滅ぼされたせいで弱体化したまま。受肉した神を奉る他種族に振り回されて生きていた。それが変わったのは凡そ200と90年近く前」

 

 エルが指を弾くと彼に御酌をしていた女の呪霊機の瞳が白壁に画像を映し出す。

 

 そこには一人の青年とドレス姿らしい女が並び立っている。

 

「当時の皇女と御付きの技官。彼らが技術革新を推し進めた。途中、西部や東部から種族が完全に追い出されるような波乱も起きたが、新天地である北部で彼らは一からモナスの聖域の研究をして、その遺跡の技術を取り込んで強くなり、過酷な一族の運命を変えた」

 

「……これがヴェルゴルドゥナの生前」

 

「横のが当時の皇女さ。ま、途中で彼女は敵との戦争で死んだ。だが、その意志を継いだ男はありとあらゆる技術を普及させ、進展させ、その威力を以て、少しずつ敵を削り、他の種族を、受肉神すらも退けていった」

 

 ヴェルゴルドゥナの喪失が実際にはヴァルハイルにとってかなり大きな損失となっているという事を少年がようやく実感出来た気がした。

 

「実際、当時の混乱から何が起こっていたのか詳しい事は分からない。大昔から各地域は戦争で荒廃し、ヴァルハイルが辿り着いた時には住まう者は7割方消えていたとも言う。だが、結局新天地で新たな世界を求めたヴァルハイルは勝ったのさ」

 

 男が葡萄酒を呷る。

 

「結果から言えば、何もかもを失って島にやってきた最弱の種族は最強の種族として君臨した。全ては竜のおかげとヴァルハイルでは言うのだが、まぁ……ほぼあの男と皇女のおかげだろう」

 

「……竜は何処に行った?」

 

「ん?」

 

「もっとヴァルハイルには竜がいるかと思ってた。でも、高都に来てから殆ど見掛けてない」

 

「ああ、君達は勘違いしているようだな」

 

「?」

 

「いつも飛び回ってるだろう? そこらをさ」

 

「……呪霊機の呪霊?」

 

『!!?』

 

「ッ」

 

 少年の言葉にエルミとフェムが目を見開く。

 

「そういう事だ。竜を信奉せし、竜の民。ヴァルハイル。だが、その竜達の多くは戦乱の度に死んでいった。竜は長命な種だが、同時にあまり増えない種でもある。だが、ヴァルハイルの地位を固めるのに戦うのは必須」

 

「……竜を保存する為にヴァルハイルは呪霊機を造った?」

 

「ま、そういう一面もある。呪霊化した竜達の多くは意識を持たない。だが、元々の魂の質は同じだ。空を飛ぶ事も出来るし、高度な命令も訊ける。それですら、戦乱の中で随分と摩耗して、今や呪霊の部分を竜以外に頼る始末だけどね」

 

「呪霊化した竜を生産力や物資の流通手段にした?」

 

「そういう事。物分かりも良いな。君は……生身の竜は今や貴重なのさ。いないわけでもないし、野生で増やす試みも行われているが、結局はヴェルゴルドゥナ……彼が竜を複製する手段を見付けて、今はその最終実験中だった」

 

「複製……」

 

「君が彼を倒したせいで計画が頓挫するのか。あるいは遅れても実施するのか。どちらにしても竜達は利用されるだろう」

 

「……子供の死亡率が関係してる?」

 

「お、鋭いな。そうさ。北部はまだマシだが、西部や東部ではあらゆる種族の子供が死産するか。もしくはすぐに呪霊や亡霊、亡者になる事案が当時から相次いでいた。故に西部グリモッドの伝説からして眉唾ではないし、それを何とかしようという者達も大勢いた」

 

「複製は亡者にならない?」

 

「御名答。理由は単純らしい。要はこの島の魂の循環に寄らない新しい生命だから、という話を彼は実験で言っていたな」

 

『………』

 

 僅かにエルミの瞳が鋭くなる。

 

「君達は好きに動くといい。今のところは問題無い。皇帝城に向かうのはまだ無理だが、どうにかなりそうな催しがあって。数日後に聖域へ最も近い場所へ案内しよう」

 

「了解」

 

「では、そろそろ切り上げるか。これから仕事でね」

 

『酒を飲んだまま行くんですの?』

 

「ふ……ボクの肉体は全身モルドだよ」

 

『ッ―――』

 

 男が舌を出して、お茶目にウィンクした瞳を片手の指で大きく開く。

 

 よく見れば、エルの瞳の内部には大量の細かい部品らしき筋が奔っていた。

 

『その技術があれば、そこの呪霊機も普通の個体に見せ掛けられるのではありませんの?』

 

「浪漫だよ。機械的な外見の方が燃えるだろ?」

 

『……やっぱり、変態じゃないの』

 

 ジト目のエルミが男を睨む。

 

「ははははは、君の体に付いてはそういう普通に見える感じのモルドも用意しておこうか。では、これで」

 

 エルがそのまま女性型呪霊機を連れて部屋を出て行く。

 

 こうして、少年達は初日の潜入を終え、自分達の部屋に帰るのだった。

 

 *

 

「聖姫殿下」

 

「何です?」

 

「呪装局より調整のお時間だと連絡がありました」

 

「明日に伸ばせますか?」

 

「いえ、それが……ヴェルゴルドゥナ様亡き今、その技術を使っているモルドは全て調査点検をしなければ、今後の運用に差し支える可能性があり、現時点では即時調整及び調査が必要である旨。局長から説明をするようにと……」

 

「解りました。では、あちら側に向かうと伝えて下さい」

 

「はい。承りました。また、ヴェルギート様にも同様のお話が来ております。出来れば、早めに来訪して貰いたいと」

 

「そちらは直接言っておきましょう」

 

 皇帝城の一角。

 

 聖姫と呼ばれる彼女エレオールの為の一室は広く。

 

 彫金の施された大理石で造られている。

 

 決済用の私室の執務机で書き物をしていた彼女はやって来た侍女が下がるのを待ってから机の一番端にある窪みに指を入れた。

 

 すると、彼女の指先を通して、雷の力と呪紋が起動し、遠方にいる彼女の騎士との間に直通の通信が繋がる。

 

『ヴェルギート』

 

『ハイ。こちらヴェルギート。応答問題ありません』

 

『ヴェルゴルドゥナ卿の技術が入ったモルドの総点検が実施される運びになった。お前が途中で戦えぬのでは問題だ。先に行って来る。明日までに呪装局に出頭し、調査点検を受けよ』

 

『了解しました。聖姫殿下』

 

『それと例の調査に進展は?』

 

『現在、シシロウの幾つかの部隊を借用し、情報収集を進めておりますが、オクロシアからの荷物はオクロシア全体で賄える量ではない事がハッキリしました』

 

『……つまり、オクロシアは経由地という事か?』

 

『ハイ。また、巧妙に偽装されておりますが、各地の種族の民間人がオクロシアに向かっている事も解りました』

 

『オクロシアに?』

 

『徴兵のみならず。女子供も消えている理由はオクロシアへ向かっているからなのではないかと。ですが、オクロシア全体で人が増えているのかと言えば、遠方からの監視に関しても首都が人で溢れ返っている様子は無いと』

 

『民が何処かに消えている?』

 

『恐らくは何処かへの転移用の遺跡が置かれているのではないかと』

 

『……北部にそのような場所があるとは聞いていないな』

 

『可能性は2つ。何処かの旧い地下遺跡に生産力を有したものがあり、其処が大規模な敵の生産拠点兼避難地となっていて、労働力として民が活用されている』

 

『もう一つは?』

 

『西部と南部。フェクラールとニアステラがオクロシアと遺跡で繋がっている』

 

『ッ―――その場合、どうするべきだ?』

 

『戦略兵器の監視にもう強行偵察部隊の多くは付いており、損耗させるわけにはいきません。ですが、無策に西部へと向かえば、今度は返り討ちにされる可能性があります。大規模な戦力でなければ、強行偵察は不可能でしょう』

 

『となれば、オクロシアへの潜入工作となるか?』

 

『ハイ。イイエ。我が身が単身で向かえば、正体の露見時点で戦略兵器の起動原因にもなりかねず。出来れば、秘密裡に破壊せねばなりません』

 

『……シシロウの部隊には不可能か?』

 

『不可能です。彼らは隠密性に優れますが、破壊工作には不向き。ソレを担っていたのがシシロウの直轄地である【ヴェールド】の人員でした』

 

『あそこが残ってないのがつくづく響いているな』

 

『ハイ。此処に至っては敵の流通を遮断する方策が良いかと』

 

『どうする?』

 

『最前線と言えど、大穴が開いているオクロシア方面は敵も守備隊を防衛陣地に詰めさせ、後方からの部隊と交代で守備に当たっております。また、オクロシアの国境地帯よりも更に端は先日の大攻勢で我が軍が削られ、同時にその端はオクロシアとの間に大きな穴となっている』

 

『オクロシアの端と削れた戦線の端の間にある穴を通って内部へ?』

 

『潜入工作だけならば可能でしょうが、相手へ即座に潰されては意味がない。また、今戦略兵器によって封じられている戦線にずっと四卿を張り付かせておくのは無策となる。故にこちらからは四卿を潜入破壊工作に付かせる事を提案致します』

 

『四卿を連中の陣地内にか』

 

『大胆と思われるでしょうが、戦略兵器を使うには確証が要ります』

 

『偽装するのか?』

 

『ハイ。正体が分からなければ、延々と補給路を途絶されて、連中の動きを阻害出来るはず。我らの領地に使うならまだしも、各地の未だ領民が残る領地に敵が戦略兵器を投射するとなれば、相応の時間と覚悟がいる』

 

『……確かにヴェルゴルドゥナ卿以外は大規模な設備を用いた戦い方はせぬ。だが、補給線を襲撃したとして、討伐隊を返り討ちにするとなれば、敵も膠着している戦線から兵を引き抜くのでは?』

 

『それならそれで良いのです。その兵と戦わねばよいわけで、警備に相手が兵隊を割いてくれるだけで十分な貢献になる。問題は敵の戦略兵器の数ですので』

 

『つまり、抵抗感のある自軍領地内での使用は数的にも躊躇うと?』

 

『十中八九。確証がない限りは……希少なものは使い難い。いざとなれば、グラングラの大槍そのもので互いに接している以上は敵軍も吹き飛ばせる。ならば、その安心感を買う方が相手にとって易いはず』

 

『分かった。参謀本部に掛けてみよう。数日中には結論が出るだろう』

 

『出来れば、お早く。この策は相手がこちらを叩き潰せる物資を充足させ、後方が完全に空になってからでは機能致しません』

 

『分かった。通信を終わる』

 

『ご壮健で』

 

 会話が途切れた後。

 

 侍女達が扉から入って来て、準備が出来た旨を伝える。

 

「今日の担当技官は何方ですか?」

 

「呪装局よりエル卿だとの事です」

 

「ああ、あの方ですか……」

 

「数日後に控えている合同葬と発表時の為にもお体を万全にしておくべきではと調査点検を主張していたとの事で……」

 

「最もです。では、数日後の喪服の方も出た時に頼みましょうか」

 

「既に高都の御贔屓の店に頼んでおります。明日には届きますので、その際に調整を……」

 

 城は忙しなく動き始めていた。

 

 まだ公式発表されていない四卿の1人、その死亡発表と同時にオクロシア侵攻軍の合同葬が行われる事になっていたからだ。

 

 この発表で国民の戦意高揚と同時に落ち切っている前線の兵士達の士気を上げる。

 

 それが今は後方にいる者達に出来る精一杯の前線への援護であった。



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第54話「ヴァルハイルの鋼塊Ⅲ」

 

―――ロクシャの園【空中庭園】。

 

 巨大な高い塔が大量に聳える高都。

 

 その最新の技術は複数の塔を空中に置いたプレートで繋ぐ事すら可能としており、その技術はまるで塔を華に見立てるかのように構造物を配置していく事からプレートの上は多くが自然環境を再現する庭園として活用されている。

 

 これらは高い位置にある事から空中庭園と称され、学校施設や研究施設では息抜きの為の場所として広く開放されていた。

 

 もしもとなれば、庭園そのものを切り離して浮かべる事も出来るし、逆に塔内部に仕舞い込む事も出来るとの話はどれだけヴァルハイルの技術が進んでいるかを教えてくれるだろう。

 

「ッ―――薄汚いヴァロリアめ!? 家に手を回したわね!?」

 

 ロクシャの園は基本的に午前中の講義と午後の実技に別れる。

 

 実技は基本的には戦闘技能を磨くのだが、カリキュラムの多くは所定の行動を終える事で上がりとなり、終了時点で用事が無ければ、帰宅可能であった。

 

 周囲の度肝を抜くだろう少年の実技評価は軒並み『最優』であり、剣技、呪紋、射撃術、どれ一つとして叶う者も無く。

 

 単純に一番早く終わった彼は唖然とする同級生や教師達を見る事もなく。

 

 淡々とノルマを終えて、空中庭園の構造を調べる為にしばし、その場のベンチで留まっていたのだ。

 

 彼の周囲からは不可糸が大量に塔内部へと透明化したままに侵入しており、知らず知らずに蜘蛛の巣のように塔の内部構造を理解する手助けとなり、機能そのものも掌握しつつあった。

 

 庭園内は大量の草花が置かれた草原や高原、他にも樹木を置いている樹林、花壇や温室を備える庭園と幅広いものがプレート一枚一枚に再現されており、呪霊機達が水やりをしていたり、呪紋で風を吹かせていたり、プレート外にある外部機器を操作して、循環用の機構で水を蒸気として噴出させたりと維持管理を行っている。

 

「どうして、アタシがお母様からあんな顔されなきゃいけないのよ!? 卑怯者!! 卑怯者!! お前みたいなドラグレがヴァルハイルを滅ぼすんだ!?」

 

 一々、少女の言葉が真っ当過ぎて少年は反論する気にもならない。

 

 実際、ヴァルハイルを滅ぼすのは少年であろうと自分で思うものだから、彼女の怒りは外側からは理不尽に見えても、全て正当な相手に向けられた真っ当な感情でしかないのだ。

 

「初めまして。アル・アーカです」

 

「ッ、名前なんてどうでもいいわ!? この、この、何でアタシだけ停学なのよ!? お前みたいな奴がどうして学校でデカイ顔してるの!? 昨日来たばかりの癖に!?」

 

 周囲には取り巻きもおらず。

 

 涙目な彼女は少年の頬をかよわい拳で殴る。

 

 言葉攻めにして来た前日とは打って変わって今は浮かぶ事も無く。

 

 いや、リングを没収されてヨタヨタと重そうな角や尻尾に振り回されるようにして彼女は何度も少年を殴る。

 

 やがて、殴り疲れた途端にベシャリとベンチの下の芝生に滑って転んだ。

 

「こ、このぉ……その呪霊機で殴り返せばいいじゃない。卑怯者ぉ」

 

 涙が滲む彼女の声は掠れている。

 

 昨日、散々に泣いたらしい目元は赤い。

 

 ついでに高そうな法衣も朝露と芝生に塗れていた。

 

『『………(≧ω≦)』』

 

 それに傑作ですなぁとニヤニヤした背後のエルミとフェムの思考が垂れ流されて来て、少年が起き上がろうとしてまたベシャッと滑って転んだ虐めっ子に手を差し伸べる。

 

「な、なに、よ……ソレ……何で、何でそんな何でも無さそうにッ、アンタが手を回したんでしょ!? 薄汚いヴァロリアの癖に!? ドラグレの癖に!?」

 

 手を払い除けた少女がようやく立ち上がる。

 

「興が削がれたわ。もう此処には来ないで……フン……」

 

 少女は自分の惨めさに悔しそうな顔をしながら、涙を振り切るようにその場から走り去っていく。

 

 それにニヤニヤした気配。

 

 爽快ですなぁと言いたげな背後の2人に溜息一つ。

 

 少年は逃げ去る少女の背中を眺めていた。

 

 数分後、トボトボと少女は高都の街区を歩く。

 

 高都は鋼の都、雷と魔力と蒸気の都。

 

 当然のように呪霊機が飛び回り、道を歩く人々の四肢の殆どは機械だ。

 

 これらに使われる魔力と雷の多くは地熱を用いた発電と島の地脈に流れる巨大な魔力に依存しているとされており、島の中心域である聖域に近い場所そのものが都市にとって生産力の源でもあった。

 

 故に何処か首都である高都の人々はカッチリしている。

 

 カジュアルな装いの者も居れば、正装である法衣姿の者もいるが、基本的に身綺麗だ。

 

 その最中を別の種族の者達が歩く様子もある。

 

 モナス教の信者。

 

 島の中央が聖域とされてから出来た習俗に近い教会のような祈りの場にヴァルハイル以外の者達が出向く様子もあれば、軍の衛兵が歩哨として軍用のモルドと全身装甲姿の機械竜として街角で銅像のように立ってもいる。

 

 彼らは少数派であるが、立派なヴァルハイルの一員であり、ある意味で種族連合からは裏切者と呼ばれる者達でもあった。

 

 だが、そういうのが歩いている街並みは上の方ばかりだ。

 

 基本的に坂が多い高都は何処も彼処も下がれば下がる程に薄汚れた廃液や汚染された場所があちこちに存在し、その清掃用に呪霊機が大量に出ており、道端を黒く塗るかの如く清掃している。

 

 あまりにも汚れが多くて戦時下で貴重な綺麗な水を利用出来ないという実情から、ここ最近は特に汚れているのだ。

 

 街並みは美しいが、坂を下り切った先にはダウンタウンに相当する工場群と工場を支える労働者達が集う猥雑な雰囲気の看板が乱立する地区も現前としてある。

 

 高都の繁栄は同時に環境汚染との戦いであった。

 

 それを改善して来たヴァルハイルの都は黒く汚れた下町ですらも嘗ては活気に溢れていたし、今もそれなりの喧騒がある。

 

 物の値段が高止まりしている以外は殆ど治安的には良い方だろう。

 

 若い男の中でも荒くれ者や犯罪者の類は大半が技術や技能に優れなければ、即刻徴兵されて最前線の盾として使い潰された。

 

 故に本来ならば危ないと言われるような高都の歓楽街も今は呑気に女が歩いていても問題にならない。

 

 いや、問題ではあるが、夜でなければ、特に危険な地域でなければ、襲われたりもしない。

 

 そもそも襲う者が根こそぎ消えたのだ。

 

 それでも経済的には廻っているとされていて、呪霊機による自動運搬船。

 

 空飛ぶ呪霊機を使った竜型の移動用の乗り物が今もあちこちを飛び交っている。

 

「……お父様。お兄様……」

 

 少女はいつの間にかフラフラ歩いている内にそんな場所までやって来ていた。

 

 日が暮れそうな頃合い。

 

 場の空気的には浮いている。

 

 だが、彼女に手出しをしようと思うような層がいない歓楽街は静かに彼女を受け入れて、誰も彼女を見ないし、見たとしても目を逸らす。

 

 雨がポツポツと振り出した夕暮れ時。

 

 少女は薄汚れたままに俯いて歩く。

 

 まだ生身の脚は呪紋で保護されていたが、彼女が前日に使っていた輪が無ければ、アンバランスな尻尾と角のせいで彼女は不自由だ。

 

 ヴァルハイルの美的センスは基本的に竜頭を美しいと感じるものであり、それ以外の人型の顔はブスとは言わないまでも美人の部類には入らない。

 

 ある意味この状況では襲われようもない為、誰も通報すらしないというのが何とも哀愁が漂う背中を後押ししていた。

 

「……っ」

 

 ジワリと少女の瞳は涙が浮かぶ。

 

 彼女の父親と兄はオクロシアの侵攻軍の部隊長だった。

 

 このまま何事もなく帰って来る。

 

 【器廃卿】が来れば、百人力どころか戦う必要もなくなってしまうかもしれない。

 

 なんて、呪紋による通信が送られて来ていたのだ。

 

 つい先日までは。

 

 しかし、いきなりオクロシア侵攻軍との通信が途絶。

 

 上流階級の従軍貴族、部隊長クラスの家には通達が来た。

 

 オクロシア侵攻軍壊滅。

 

 器廃卿の死亡。

 

 全ては悪い夢だった。

 

 戦争は彼女とて好きでは無かった。

 

 しかし、負けるとも思っていなかった。

 

 部隊の長ならば、最前線の兵士達よりは安全だとそう思っていた。

 

 でも、全ては幻想だった。

 

「許せない……優しかったお父様を……勇敢だったお兄様を……っ」

 

 彼女は何処にでもいる戦争の犠牲者の家族。

 

 でも、一つ違ったのは彼女にはそれなりに歪ながらも力があって、家柄も周囲に大勢の親類もいた。

 

 しかし、その多くが昨日の事があってから、もう付き合えないと彼女に連絡して学業に専念するからと一緒に活動していた彼女を突き放した。

 

 親から言われたのだろう。

 

 ならばと。

 

 彼女は公的な組織である自治の要である風紀委員長に直談判した。

 

 あんなヴァロリアは校内にいるべきではない。

 

 だが、その言葉に耳を貸す者は無く。

 

『アミアル君。君はどうやら御父上と兄君を失くして、我を失っているようだ。しばらく、休んだらどうかね? 御爺様の顔にそう泥を塗るものではないよ』

 

 そう諭された。

 

 アミアル・レンブラス。

 

 彼女は思う。

 

 これほどまで罵倒したのにあのヴァロリアはどうして何も言わないのだろうと。

 

 どんな言葉が返って来ても反論してやるだけの気概が彼女にはあった。

 

 だが、そんな彼女に何も言わず。

 

 差し伸べられた手。

 

 母に何もしないでと叫ばれ、多くの使用人達には協力を断られ、今や一人切りの彼女にとって……その手は許しがたい程、傲慢に映る。

 

 全ては家の力。

 

 なのに、罵倒し返される事もなく。

 

 転んだ自分に差し出された手。

 

 それはどんな手だったのか。

 

「………ッ」

 

 八つ当たりなんて分かっている。

 

 だが、元々気性の激しい彼女にそれを抑える事なんて出来ない。

 

 彼女が一方的に罵倒し、叫び、相手を打ち倒そうとしただけだ。

 

 けれど、その感情の向けるべき相手は遥か遠く。

 

 女である彼女にはどうしようもなく遠く。

 

「ぁ―――」

 

 彼女は坂道の一部。

 

 雨に濡れた滑る鋼の道に気付かず。

 

 転げ落ちた。

 

 その時、角が嫌な音を立てて道で削られる。

 

「あぎ?!!」

 

 滑った坂の先。

 

 誰もいない曲がり角。

 

 背中を強打して息を吐き出した彼女は当てもなく歩いていたせいで何処にいるのかも分からず。

 

 眩暈の最中に激痛と鈍痛が襲ってくるのに耐えながら、壁の鏡面にも似た鋼に映る自分を確認した。

 

 片方の角の根本に罅が入っている。

 

 尾てい骨辺りから血が流れている。

 

 彼女の涙が頬を伝い。

 

 彼女は思う。

 

 泣きべそを掻きながら。

 

 助けて、助けて、助けて、お父様、お兄様。

 

 だが、もういない相手は助けに来ず。

 

 泣きべそを掻きながら彼女は震える体でいつの間にかずぶ濡れになっていた法衣姿でゆっくりと歩き出そうとし、いつものようにバランスを崩して倒れ込―――。

 

「大丈夫?」

 

「へ?」

 

 回る世界の只中で静かな瞳を彼女は見た。

 

 滲む世界にも穏やかな瞳。

 

 その腕が自分を抱き止めた時。

 

「お父様……お兄様?」

 

 少女はそう呟いて意識を失った。

 

―――2時間後アーカ邸。

 

『いやぁ、君もやるじゃないか。昨日の今日でナンパかね?』

 

『道端で倒れてた』

 

『そうか。ああ、確かにあの体では雨の日に滑りまくる高都の下町ではそうもなるだろう。ああいう子にこそモルドは必要なのだがな』

 

『?』

 

『我らヴァルハイルが四肢を機械化するのは何も実用性だけの話ではない。貴重な産まれて来た次世代が歪だったからなのだ』

 

『歪?』

 

『北部で種として安定して出生数が回復しても、産まれて来る子は普通の子よりも何処かヒトの部分が多い事が多々あって、結果として肉体が酷くチグハグなのだ。それは大きな力を秘めた者ならば、更に酷くなる』

 

『それを解消するのに四肢を?』

 

『ああ、そうだ。頭部の形はどうにもならないとしても角と尻尾以外の部位を強化して、本来のヴァルハイルの種族に近くするわけだ。まぁ、人型に近い故に強くなるという“次世代”もいるにはいるがね』

 

『……ふむ』

 

『あの子は何処も怪我をしていないようだし、今日の夜はずっと雨だ。家には下町で倒れていたところを保護したと連絡しておいたから、明日の早朝に家へ届けてあげなさい』

 

『了解……』

 

 アーカ家の館には呪霊達が清めていても使われていない部屋が数多くある。

 

 その内の一室。

 

 フカフカな寝台の上で少女はボ~ッとしながら、遠く聞こえる会話を耳にしていた。

 

 何処も痛くない。

 

 快適ですらある。

 

「………フン」

 

 少女は何もかもが嫌になって頭から絹で仕立てられた掛布を被る。

 

 角と腰はもう痛くなかった。

 

 *

 

 明け方よりも前。

 

 まだ空が白み始めたばかりの都市は早朝に働く者以外は動く者も無い。

 

 しかし、こっそりと抜け出した少女はまるで追い掛けられてしまうと言わんばかりの速度でコケそうになりながらも自分の家の方へと一目散に逃げて行く。

 

『………早く襤褸クズになればいいのに(*´▽`)』

 

 笑顔で見送る機械妖精が爽やかな笑顔で不穏な事を呟く。

 

『まぁ、これで少しはわたくしの騎士のスゴさが解ったでしょう』

 

 横の機械系少女が浮かびながらそう欠伸をする。

 

 夜通し見張っていた彼女達は任務終了とばかりに今日も早朝から密かに高都の地図を描き上げている少年の隠形しながらの高速探索に同行する。

 

 家の前で待っていた少年は2人が背後の定位置に着くと同時に呪紋を無詠唱で起動させ、不可視の探索者となって走り始めた。

 

「今日は東部」

 

 毎日、夜4時間、朝2時間で高都を走り回っている彼を見咎める者は此処にいない。

 

 それが可能な存在の大半は戦場であり、高い確度の監視装置の類は全て呪霊機によって代替されている事から、その第一人者の力と消える呪紋があれば、殆ど問題無く高都を好き勝手に歩く事が出来たのである。

 

 建物の内部から建物の外から縦横無尽に音も立てずに風を切る。

 

 そのパルクール染みた動きは不可糸を用いる事で更に自由度を増しており、軍や官憲、他行政の役所にまで侵入する事を可能にしていた。

 

「法務局を確認」

 

 只管にマッピングする彼を捉え切れない未熟ながらも可能性がある者達はその朧な残像にしか見えない消えた何かの気配を感じ取り、“オクロシアの亡霊”なんて呼び始めているが、まだ一部界隈での事に過ぎない。

 

 だが、呪霊化した兵隊の魂が戻って来たのだという在り得る話を前にして、笑い飛ばせない実力者達の多くはそれが真実でない事を願う事しか出来なかった。

 

 いつだろうと基本的に悲劇は戦争の大敵。

 

 更に士気が下がるような噂は民間でこそ大きく報じられるが、軍警の人々には苦い話に違いないのだ。

 

「………」

 

 高速で走り続ける少年は高都の明け方を疾走する。

 

 生鮮食品を周囲から運び込んで来る呪霊機の配送船や小型のお使い系呪霊機が大量に空を飛び、人々に必要な物資を食料から部品から何でも各家庭、各場所に送り届けて行く様子は壮観だ。

 

「………」

 

 しかし、その中に混じって指示を出す運送業の人々や自分の脚で商品を並べる人々、同じように自分で買いに来る者達も確かにいる。

 

 下町の市場を通り掛れば、モノの値段は見事に高止まりしているが、それでも大声で値切り、値切られしている商売中の人々と民の駆け引きは過熱していた。

 

「……終了」

 

 しばらくモクモクと脳裏に地図を書き込んでいた少年は不可糸で手帳内部に地図のデータを編み上げて記述する。

 

 不可糸は基本的に魔力を流さなければ、単なる見えない糸である為、万一無くしても左程問題は無い。

 

 館に戻って来るとモクモクと朝食のトーストと目玉焼きとローストビーフを食べている胡散臭い柔和な笑みの男が1人。

 

「や、地図の作製は順調かな?」

 

「順調」

 

「それは良かった。君もどうだい?」

 

「頂く」

 

 少年が一緒になって食事を取り始めると水着の呪霊機達がやってきて、甲斐甲斐しく給仕を開始する。

 

「それで高都には慣れたかな?」

 

「やたら監視網が敷かれてる以外は良い街」

 

「だろうな。ヘクトラスも同じことを言っていたよ」

 

 肩が竦められる。

 

「ま、戦時下だからというのもあるが、それでもやたら監視の目があるのはヴァルハイルにとって高都が重要な都市だからだ」

 

「首都なら当たり前?」

 

「いや、そちらじゃない。重要なのはモナスの聖域と陸続きの場所が存在する。そう聖域の一部がある都市という事が重要なんだ。それに比べれば、皇帝城とか、大鐘楼とか、各行政区なんてどうでもいいね」

 

「そこまで?」

 

「ああ、そこまでだ。聖域は我らヴァルハイルの技術の根源だ。事実上、此処にある殆どの技術は聖域の技術の模倣、あるいは再開発、またはそれを使って発展させた代物でしかない」

 

「聖域は凄く進んでた?」

 

「そうだね。そういう事になる」

 

「おかしくない?」

 

「お、それに気付くのか」

 

 アル・アーカが笑みを深くする。

 

「流刑者が立てたなら、もっと粗末なものを想像するべき」

 

 男が頷いた。

 

「君の言う通りさ。だが、事実だけ言えば、聖域の技術は外の大陸の数百世代以上は先の技術の塊だ」

 

「………旧き人々の力?」

 

「ノクロシアとは技術が大分被るだろうけど、当たらずとも遠からずと言えるかな」

 

「?」

 

「つまりだ。この島にあるノクロシアと流刑者達が立てたモナスの聖域は別々に考える必要がある、という事なのさ」

 

「………」

 

「おっと、楽しいお喋りは此処までだ。そろそろ職場に行かないと。じゃ、今日も学業頑張って。我が愛しき息子殿」

 

 ウィンク一つ。

 

「そうだな。少しだけ疑問の気付きを与えよう。エルという言葉が名前によく使われる理由が関係している。結局、我らはエルであり、ノクロシアを造った古き者達とは違うのだ。聖域もノクロシアをエルらしく使った結果なのかもしれない」

 

「エル……エル大陸とか?」

 

「そうそう。では、また」

 

 男が水着な呪霊機に付き添われて職場に向かって消えて行く。

 

「解る?」

 

『エル大陸。わたくしはエルミレーゼ、他にもエルの名を冠する者は多いですわ。確か、御伽噺ではエル大陸と名付けたのは古の旧き人々だったはず』

 

「理由は?」

 

『大陸がエルだから、と言われていますわね』

 

「?」

 

『幾らわたくしが聡明だと言っても分からない事くらいありますわ』

 

 エルミが肩を竦める。

 

「解る?」

 

 機械の体の上に座っていたフェムが人差し指を顎に付けて首を傾げ。

 

「ノクロシアは旧き者達が作った都です。我が契約者。行った事は無いけれど、お父様達は旧き人々が築き上げた黒鉄の都と……」

 

「……黒鉄の都」

 

「でも、モナスの聖域に関してはあまり口を開きたくないようでした」

 

「話したくなかった?」

 

「はい。あそこには禁忌が眠っているからとか」

 

「禁忌……」

 

「モナスの聖域が閉ざされた理由と関係していると聞いた事はありますが、それ以外は何も……ただ、ノクロシアより後にモナスの聖域は出来たのだとか」

 

「色々と聞けた。学校行く」

 

「はい」

 

 スッと機械の妖精を象った肉体に入ったフェムが少年の背後に戻る。

 

 そして、少年は今日も虐めっ子は来るのだろうかと思いを馳せつつ、登校した。

 

―――登校開始10分後。

 

『はっ!! 何だよアレ?! だっせぇー』

 

 さっそく少年は学校近くの通学路で他校の生徒らしき相手に絡まれていた。

 

 恐らく額の瞳が見咎められたのだろう。

 

 ジロリと彼を見ている少年達は同年代くらいだったが、その顔には敵意がゴリゴリに浮かんでいた。

 

 無視して少年が学校の傍まで歩き出そうとしたら、回り込まれる。

 

 少年隊の制服は軍学校用のものだ。

 

 両手両足が強化済みのモルドであれば、すぐに相手の正体は分かろうというものだろうが、数人がわざわざ同じ軍学校の生徒でもない他校の相手にちょっかいを掛けるだろうかというのが少年の正直な感想だった。

 

「オイ。無視してんじゃねぇぞ? テメェ」

 

 少年の前に立ち塞がったのは2m程の背丈がありそうな相手だった。

 

 三日月型の竜角が左の額から一本生えていて。側頭部を飾っている。

 

 竜頭に尻尾と三つ揃ったエリートっぽい容姿である。

 

 制服は黒いジャケットにズボンだが、頑丈そうな金属製の金具や糸が使われており、実用品として耐久性に特化したゴツイ仕様なのが分かった。

 

「何か用?」

 

「テメェ、昨日シマに入り込んでたよな?」

 

「シマ?」

 

「繁華街だ」

 

「確かに行った」

 

「あそこの仕切りはオレ達がしてんだ。勝手に入ってもらっちゃぁ困るんだよ」

 

「そう。それで?」

 

「お前、あの時、誰か背負ってただろ。2人分だ」

 

「2人分?」

 

「金だよ金。その制服、金なら持ってんだろ?」

 

 少年が自称保護者から持たされた財布を相手に渡す。

 

「解ってんじゃねぇか……あん?! 何だ!? テメェ!? 喧嘩売ってんのか!?」

 

「そもそも使う必要が無い」

 

「何ぃ?」

 

「金を使うのは金が必要な者だけ。金のやり取り自体する必要が無いなら、持つ必要が無い」

 

「―――テメェ、最上流か」

 

「そう」

 

「はは、分かった。テメェみたいなのに金を寄越せと言ったところで無しの礫だろうぜ。だが、それじゃあ、体で払って貰うぜ?」

 

「体?」

 

「今夜、高都の殆どのシマを持ってる連中が一堂に会して取り分を決める。テメェが最上流だって言うなら聞いた事くらいあんだろ。【アバドーン】だ」

 

「知らない」

 

「ッ、いいから来い!! テメェの落とし前だ!! オレ達の呪霊機がテメェのガッコを見張ってる!! 逃げられねぇぜ?」

 

「何する?」

 

「惚けた事を……知らねぇって言うなら教えてやる。今夜の催しで各シマの頭が持ち寄った駒で集団拳闘が開かれる。数合わせの肉壁が足りねぇんだよ。まぁ、死なねぇが骨の一本や二本は折れるかもなぁ」

 

「……行く」

 

「そうしておけ。コレがテメェの生き残る道だ。繁華街で好き勝手したらどうなるか。知っておくといいぜ? まぁ、ガッコは一月以上休む事になるだろうがな」

 

 男が退いた。

 

「忘れるな。テメェは見張られてんだ」

 

 少年はチラリと軍学校の相手を見てから、イソイソと学校に向かう。

 

 治安の良さそうな高都であるが、それなりにやはり悪い人はいるらしい。

 

 あるいは人が消えた後の統制を取る為のお祭りなのかもしれない。

 

 というか、明らかに人材不足に違いないヴァルハイルは今や裏組織ですら低年齢化が避けられないくらいにカツカツだと教えてくれているようなものであった。

 

 そう思いながら、少年は今日のカリキュラムをキッチリ最速で終える事にしたのだった。

 

『……う~ん。55点ですわね』

 

『相変わらず。見る目が無いのね。アレ、結構純情よ? 65点』

 

『そうかしら?』

 

『だって、あの子、礼儀正しくて、こっちを見てもまったく堂々としてたじゃない』

 

『ああ、この体、この呪霊機を見ても何も言わずに律儀に自分達のシマの話しかしてませんものね。確かに仁義はあるのかもしれませんわね』

 

 背後の2人が少年を止めた相手の品定めをしている声に少年は採点基準を聞くのが怖いのでツッコミは入れず。

 

 イソイソと教室へと向かった。

 

 情報は思っていたよりも早く集まりそうであった。

 

 *

 

 少年が情報の方からやってきたのに安心してイソイソと高都最優の学校で最優の成績を適当に作った脚で学校の外に出ると三日月型の角のある箱型呪霊機が上空からフヨフヨと降りて来ていた。

 

 ソレが着いて来るようにという指示なのか。

 

 少し歩いた角に立ってクルリと振り返る。

 

 少年がソレに付いて行くと下町の方へと坂道を下っていく。

 

 通路の大半がまだ雨の後、乾き切っていないルートを通って平たい地面が多くなるような遠方までやってくると。

 

 高都に範囲に含まれるギリギリの範囲だろう外縁部。

 

 高い壁が敷かれている廃材の山に紛れた敷地内まで辿り着いた。

 

 廃材の山は左程大きくないが、周囲を囲うようにグラウンド一つ分程の内部の領域を開けて配置されていて、外部からでは容易には内部が覗けないだろう。

 

 その領域内部の外延には複数の幕屋が張り込まれており、そこから明らかにその筋の人らしき大人や若者達が荷物を運び出したり、運び入れたり、怒声も色々と聞こえて来ていた。

 

 廃材の山を掻き分けるようにして狭い通路を進んでいくとようやく目的地らしい場所が見えて来る。

 

 廃材に囲まれた小さな領域には幕屋が置かれていて、周囲には衛兵ならぬ不良らしい少年達が2人詰めていた。

 

「おん? こいつは兄貴の呪霊機じゃねぇか。ああ、朝に集めたって言う肉壁野郎連中の1人か。入んな。おっと、呪霊機は外だぜ?」

 

「……何もしない方がいい」

 

「はは、売っちまうのを心配してやがんのか? なら、連れてくるんじゃねぇよ」

 

 少年が忠告はしたので適当に内部へと入る。

 

 外ではエルミに2人の男が群がり、『おぉぉマジかよ。こんなんあるのか?!』『本当に最上流ってか? 本当は夜用なんじゃねぇの!? がはは』だのと盛り上がっていたが、本人達の自制心が切れる前には出ようと少年が思う。

 

 やたら学生の矢の串焼きや丸焼きが量産されて困るのは少年である。

 

「来たな? 学校は途中で抜けて来たのか? ご苦労な事だぜ」

 

 三日月形の角。

 

 朝の軍学校の生徒が廃材のテーブルに座って、何やら大量の紙を捲って確かめていた。

 

「それで何すればいい?」

 

「待機だ。テメェの使い処になったら、さっさと出てやられて貰うぜ?」

 

「解った。それと【アバドーン】て何する?」

 

「あん? テメェに関係ねぇだろ」

 

「詳しく訊きたい。死にたくない」

 

「フン。いいぜ。テメェみたいなお坊ちゃんでも不安は覚えるってか?」

 

「………」

 

 三日月の相手が話し始める。

 

「アバドーンは半年に一回開かれる高都の各地を治めてる組織の頭目がいつの頃からか始めた代物だ。組織の抗争が大きくなり過ぎねぇようにな」

 

「不満解消?」

 

「そうだ。相手を拳闘で負かす。ただし、殺すなってのが前提だ」

 

「………」

 

「集団拳闘は要は喧嘩祭りだ。武器は素手のみ。死にそうになった奴を攻撃したら失格。壁役は殴り倒されたら退場してもいい」

 

「それだけ?」

 

「ああ、それだけだとも。吹っ飛ばされて場外でもいい」

 

「お祭りなら、他に何かある?」

 

「周囲には各組織が持ち寄った品で屋台が出る。食い物、女、酒、薬、何でもあるぜ? ただし、金が無けりゃ何も買えんがな」

 

「そう……主催者はいない?」

 

「はん。バレるのが怖くて気にしてんのか?」

 

「そう」

 

「ははは、臆病なこった。生憎とシマの頭共の共催だ。全員が此処に来る。高都のワルというワルが全部此処に来る!! 奴隷だのを侍らして今戦争してる連中、軍部のクズが小遣い稼ぎに引き渡した占領地の女子供も売り買いされる」

 

「高都で何に使われる?」

 

「呪霊機があるだろって? そういうのじゃねぇのさ。拷問するやら手籠めにするやら、いない相手をどうこうしようと連中の勝手ってこった」

 

「ふむ……軍警は?」

 

「動くわきゃねぇだろ。存在しない相手がいたら、どうなる? 軍部の揉み消しなんぞ、連中はしたがらねぇ。殺して終わりさ」

 

「解った。じゃあ、全部ヤッテ来る」

 

「ははは、好きなだけヤッテくりゃいいさ。テメェに金があるんならな」

 

 少年が外に出ると上空をフワフワと2人が浮いていて、悔しそうな顔の門番達が恨めしそうな顔で少年を睨む。

 

 どうやらお触り出来ずに逃げられてご立腹らしいと少年にも分かったが別にどうという事もない。

 

 殺されないだけマシであろう。

 

「(エルミレーゼ。フェム)」

 

 少年が呪紋で話し掛けるとすぐに2人が少年の背後に呪霊機らしい無表情で着いた。

 

『どうしたのかしら? 我が騎士様』

 

『如何したのですか? 我が契約者』

 

「(取り敢えず、周辺を探索。奴隷の位置を確認。常に位置を捕捉出来るようにしておいて欲しい)」

 

『物好きですわねぇ。北部勢力が喜ぶだけじゃない?』

 

「(恩を売って影響力を落とす)」

 

『さすが、我が契約者。愚劣なる者を排除しに?』

 

「(あの子を持って来ていい)」

 

 少年は次々に暗い顔で集まって来る肉壁役の参加者達の中に混ざりながら、飛び去っていく2人を見送って、夜になるまで待つことにした。

 

 その夜、高都の各地を仕切る集団のトップが一堂に会した集団拳闘大会アバドーンは全ての者達が自分達の自慢の奴隷やら全ての組織幹部を連れて参加。

 

 多くの同業者がいなくなって覇権を競う初めての大会だからと力を入れて、自らの権威を示さんとして結集する。

 

 それがどんな結末になるのか。

 

 まだ、誰も知らなかった。

 

 *

 

 アバドーンの出店が開店し始めた夕暮れ時。

 

 雷の力で煌めく原色のネオン看板が暗闇に輝き。

 

 スクラップの山に囲まれた中央を囲うように展開される観覧席には試合が開始される前の時点で人は大入り。

 

 喧騒と怒号で屋台は廻り、ジャラジャラと違法な奴隷を連れた者達が集まりつつあった。

 

 様々な種族がいるが、その殆どが軍が持て余した本来存在しない捕虜である。

 

 巨人族から、アルマーニアから、多種多様な種族がいる予数は同時にそれだけ多くの種族とヴァルハイルが戦っている事を意味する。

 

 少年は待ち時間中に様々な者達の様子を観察していたが、一様に奴隷達は暗い表情をしていた。

 

 健康状態は左程悪く無さそうだが、傷を負った者達が多く。

 

 包帯が撒かれているだけ有情だろうが、回復したら、また暴力を向けられる事になるのは確定的。

 

 そもそもの話。

 

 現在、奴隷を高都に入れるのは軍警が厳しく取り締まっている。

 

 理由は単純に種族連合の影響で奴隷達が反乱を起こす事を抑止する為だ。

 

 彼らはブツブツと呟く者や諦観に心が折れて項垂れる者も多く。

 

 薬を打たれている者も多い。

 

 多数の看板の下。

 

 首輪を引いた主人達は愉しそうに祭りの相手を威嚇するやら喧嘩するやらしているが、奴隷達の多くは全て視線を逸らして関わり合いにならないよう図っている。

 

「……オイ。テメェ、何見てやがる」

 

「?」

 

 少年が振り返ると例の三日月角がいた。

 

「奴隷見てる」

 

「あん?」

 

「奴隷は違法だったはず」

 

「んなの守ってる連中が此処にいるかよ。ま、高都の奴隷は恐らく此処にいるのが全部だろうがな」

 

「どうして?」

 

「拳闘が終わったら売買すんのさ。新しいのはもう入って来ねぇからな。その分、希少になった奴隷を資金に変えておきたい連中が多いんだよ。昔はもっと大勢の連中がコイツに参加してたが、戦争で徴兵されちまった。残された連中はそれを引き継いだ奴らばかりで今は資金もカツカツなのさ」

 

 少年が周囲を見回すとあちこちの大物らしい相手の大半が40代以上が見当たらず。

 

 殆どの部下が若年層というのも珍しくないようだった。

 

「……やけに詳しい」

 

「オレがそこらの半端な頭に見えるか?」

 

「……頭?」

 

「そうだ。歓楽街はオレのシマだ。うぜぇ大人共が消えてからな。女を殴る連中も消えた。今は上納金も5分の1にした。後は他のシマを下せば、ようやくオレらの時代が来る……」

 

 少年が周囲に喧嘩祭りに向かうらしい者達を見やると少なからず男の奴隷達が使われていたが、周囲には奴隷が1人もいない事に気付く。

 

「……奴隷がいない?」

 

「歓楽街に戦える連中が残ってると思うか?」

 

「男性がいない?」

 

「娼婦と子供とガキだけだ。テメェみたいなナヨナヨでもいるだけマシだ。あそこで男娼してる奴らはそもそも戦えるような性質でもねぇ……」

 

「……もしかして良い奴?」

 

「テメェ、言葉には気を付けるんだな。次に言ったらアバラが逝くぜ?」

 

 少年は三日月も大変なんだなと思いつつ、喧嘩祭りに集まる奴隷売買に来ていた者達をチラリと見て、選別していく。

 

 だが、その最中……今日は絡んで来なかった虐めっ子の姿を入り口付近に見て、イソイソとそちらに歩いて行くのだった。

 

―――アバドーン会場入り口。

 

「クソ……どうしてアイツ、こんなところに……」

 

 アミアル・レンブラス。

 

 ちょっと可哀そうな虐めっ子。

 

 彼女は家にも居場所を失くしていたが、それでも気になる事には首を突っ込む事で気を紛らわせていた。

 

 正しく、多くの人々が彼女を見放す中。

 

 頑固な彼女は自分が没落する要因となった少年を監視していたのだ。

 

 都市には呪紋と雷で動く機械の監視網が張り巡らされている。

 

 そのレンズは極めて正確に人間の行動ルートを露わにしてくれるのだ。

 

 それなりに優秀な彼女は魔力でソレらの情報を窃取する事が出来た。

 

 自分専用の小さな手持ちの呪霊機。

 

 それが彼女に情報を提示してくれる。

 

 昼には何故か学校を出た少年をずっと監視していた少女は相手が呪霊機に連れられて何処かに向かうのを確認し、何か秘密を握ってやると付いて来たのだ。

 

 だが、そこは彼女も噂では知っていた高都の闇。

 

 各地区を治めるグループ達が集うアバドーン開催地。

 

 それだけで彼女の血の気は引いていたが、それよりも少年への執着が勝った彼女は停学中なのを良い事にすぐ変装して、娼婦崩れ的なギャル……少し化粧が濃くして呪紋で角や尻尾の色をピンク色にして、ついでにちょっと派手めのドレスに身を包んで会場前までやって来ていた。

 

「(とにかく、何か情報を掴んでやる)」

 

 そんな時、彼女の背中に手が迫る。

 

 しかし、その手は背中に遮られた。

 

「?」

 

 少女がキョロキョロしているところに肩を叩いたのは探されていた当人である。

 

「な!? 何でアンタがこ―――」

 

 口にベチンと粘着式の布地を張って、腹部の横隔膜に優しく肩で当身をして気を失わせた少年はヒョイッと担ぎ上げ、歓楽街チームの天幕までやってくると横に転がした。

 

「ああん!? 何してんだテメェ!?」

 

「あ、三日月。まだいた」

 

「誰が三日月だとコラぁ!? 何拉致ってんだ!? 何処の娼婦だ!?」

 

「ウチの学校の生徒。見掛けたから保護した」

 

「はぁ!?」

 

 少年が驚いている三日月(仮称)を横に置いて、少女の呪紋を適当に魔力で上書きして吹き飛ばすと角と尻尾の色が元に戻る。

 

「後で連れて帰る。それまで起きないから置いて欲しい」

 

「ッ、テメェ……分かってんだろうなぁ?」

 

「?」

 

「何で分かりませんてツラしてんだコラァ!? 此処はガキの遊び場じゃねぇんだぞ!?」

 

「これから家に捨ててきたら、間に合わない。此処に置いておかないと後で連れて帰れない」

 

「ッ、こ、こいつ、図々しいにも程があんだろ!? 金取るぞ!?」

 

「金以外で」

 

「クソ!? なら、お前戦え!! 一人でもいいから倒したら許してやる!! 一発で沈んだら次のアバドーンにも出す!? いいか!?」

 

「別にいい」

 

 勿論、そんな事は在り得ない事は少年には確定事項だ。

 

 何故ならば―――。

 

「そろそろ、頭の顔合わせだ。大人しくしてろ!!」

 

 天幕から三日月が出ていくのを横目に少年は頭上を見上げる。

 

「そろそろ出番」

 

 すると、そこにいきなり透明化していた白い球体が糸に吊り下げられた状態で現れる。

 

「( ̄д ̄)………」

 

 天幕の一番上から吊るされた2m程の純白の球体がグキョッと音をさせて、ゆっくりとエビのように丸まっていた体を解しながら、シュタッと地面に降り立った。

 

「おはよう」

 

「( ̄д ̄)………zzz」

 

「起きて」

 

 少年が頭をペチペチした。

 

「( ̄д ̄)?」

 

「取り敢えず、仕事は訊いてた通りに。後でご飯でも一緒にどう?」

 

「( ̄ω ̄)♪」

 

 純白だった体が蒼く染まり、眠そうな複眼が暗い色を宿して僅かに光を帯びる。

 

「じゃあ、後は頼んでいい? オネイロス」

 

 そのヴェルゴルドゥナの変異体。

 

 オネイロスと名付けられたソレは瞬時に体の色を透過させて消えると、ギィッと一声啼いてからカサカサと外に向かった。

 

 その夜、高都は悪夢を見る事になる。

 

 この世ならざる力を宿した呪霊機達すらも震える事になるだろう。

 

 今、彼らが直面するのは悪夢。

 

 そうとしか呼べないものになるのだから。



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第55話「ヴァルハイルの鋼塊Ⅳ」

 

―――アバドーン会場中央演台。

 

『第144回アバドーンにご来場の皆様、よくぞおいで下さいました』

 

 小型のマイク型な呪霊機に呪紋を走らせながら、会場全体に大きな声が響かせられていた。

 

『本日の開催は危ぶまれておりましたが、各地域の組織が新たに刷新された事から古株の方は一切見られないようです。では、アバドーンの開催と共に次の市場で出る品の品定めを皆さんにはよろしくお願い致します』

 

 会場の中央にある演台の周囲にはズラリと奴隷達が並べられている。

 

 その数は多くないが、それでも200人はいるだろう。

 

『現在、高都内に存在する全奴隷と思われます。今回は売りたい方が殆どであると思われる為、値切られる事は覚悟してご出品下さい』

 

 買いたい奴がいなければ、それはそうなるという自然の摂理である。

 

 需要が無いのに供給過多では値段も下がるのは致し方ないだろう。

 

『では、頭目の方々に登壇して頂きましょう。各地区の17名の代表者、御入場です』

 

 蝶ネクタイをしてたタキシード姿の進行役が言っている傍から次々に30代から40代程の頭目達が演台の上に並び始める。

 

 誰もがギラギラに決めた姿だ。

 

 まず衣服の生地が金属を用いてギラギラ。

 

 金持ってますと言いたげな大量の宝飾品でギラギラ。

 

 だが、その内の最年少は歓楽街のトップ。

 

 三日月(仮称)だけがソレとは違って学生服に金属を鏤めた戦闘服スタイルで、金は持ってませんと堂々主張中であった。

 

 まだ、ガキじゃねぇかと言わんばかりの大人達の嘲笑が彼に向けられる。

 

『坊主ぅぅ~~出るとこ間違えてんぞぉ~~!!』

 

 ヤジが飛ぶ中。

 

 それでも全員が上がり切った後。

 

『では、高都の裏社会を牛耳る17組織の連盟によってアバドーンの開催を承認頂きたく!! 全ての方は呪紋で契約を虚空に!!』

 

 彼らが自らの名を虚空に呪紋で刻印していく。

 

 それが全て出揃うと進行役が頷いた。

 

『それではこれよりアバドーンの開催を宣言致します』

 

 ドッと進行役の言葉と共に会場の上空に呪紋による光を用いた幻影。

 

 花火が上がる。

 

 そして、その光の最中、目を奪われて熱狂していた観客は僅か数瞬の後。

 

 壇上で自分達の頭目と自分達の首が同時にお別れしている事を確認し、息絶える前に小さな糸が血に煌めく巣のようなに映し出される光景を見たのだった。

 

『は?』

 

 進行役の男が目を見開く。

 

 だが、その合間にも異変は次々に起り続けていた。

 

 誰かが悲鳴を上げるより先に血に濡れた見えなかった糸の巣が彼らの周囲には現れ、脚、腕、首が呆気なく飛んだりしていたが、それよりも更に怖ろしいのは殺されたと思われた者達の首が変質している事であった。

 

 ゆっくりと内部から膨れ上がり、ガリガリと音をさせながら、頭蓋が内部から罅割れて急激に爆ぜ散ったかと思えば、小さな竜……背中の翼が蜘蛛脚になっている竜が次々に現れ、バッサバッサと羽搏きながら夜空に消えていく。

 

 ただ、呆然としていた彼らが絶叫を上げようとしたが、それよりも早く残された体の多くが内部から膨れ上がり、ズリョッと大量の蜘蛛の脚らしきものが引き抜かれて、虚空に浮かび、残された血肉をその脚先で吸い上げていく。

 

 やがて、ソレは剣になっていた。

 

 原始的な握りのようなものが着いた甲殻の剣。

 

 それは明らかに少年が使っていた蜘蛛脚のレプリカにしか見えないが、問題はソレが蒼い事だろうか。

 

 その剣が勝手に浮いて、未だ言葉も無く呆然としている奴隷達の手に次々と吸い付くように渡っていく。

 

『な、何だ!? 何だこの剣はぁあああああああ!!?』

 

 さすがに恐慌を来した奴隷達だったが、すぐに蜘蛛脚の剣身に映る文言を見て理解する事になった。

 

 ―――逃げろ。

 

 ―――助けに来た。

 

 ―――誘導する。

 

 たった三言。

 

 だが、彼らには天の助けにも等しい言葉。

 

 次々に奴隷達が叫びを上げて、自分達の前にいるアバドーンの選手達を次々に斬り割いた。

 

 無論、殆どは防がれたが、防いだ瞬間に彼らは後悔する事になる。

 

 まず犠牲者となったのは四肢をモルドで機械化していなかった者達だ。

 

 彼らが最初に内部から膨れ上がり、脱皮するように先程の竜蜘蛛の巨大化版となって、産声を上げる。

 

 泣き声はピギシャーという明らかに正気が削れそうなもので。

 

『ひぃああああああああああああああああ!!?』

 

 それは正しく狂気を周囲に伝染させていく。

 

 次の犠牲者はモルドで攻撃を防いだ者達だった。

 

 彼らは巣の中で次々に動いたせいで糸に両断されて、蜘蛛になっていった。

 

 だが、奴隷や娼婦達、店先で商売をしていた者達は巻き込まれていない。

 

 理由は単純である。

 

 蜘蛛の糸が彼らだけを斬らなかったからだ。

 

 周囲が絶叫を上げる者達の大混乱に陥る最中。

 

 剣身に矢印による方向が次々に示され、それに誘導された奴隷達が蜘蛛と化して自分達の周囲を護るように固めていく元加害者達に当たる暇もなく。

 

 スクラップの山と山の間の細道を通って高都外縁部の外。

 

 まだ荒涼としている地域に辿り着く。

 

『こ、此処からどうしろってんだよぉ!?』

 

『で、でも、助けがすぐに来るって!?』

 

『くそぉ!? 本当に逃げられるのかぁ!?』

 

 都市よりも先からは光が次々に押し寄せていた。

 

 軍警の隊である。

 

 が、逃げた奴隷達には剣身に映る互いに抱き合うか手を繋いで待ての指示を信じる事しか出来なかった。

 

 そうして、異変を察知してやってきた高都外縁部を周回する機動部隊によって彼らが捕捉される刹那―――彼らのいる場所の地面が蒼い光を上げる。

 

 それは巨大な呪紋。

 

 その光の跡が焼き付いた時。

 

 焦げた地面のみを残して瞬間的に彼らは消え去ったのだった。

 

 *

 

―――翌日。

 

「ッ」

 

 ガバッと跳び起きた彼女。

 

 アミアル・レンブラスはそこが自分の家の寝台の上だと気付いて、まるで前日の事が夢だったかのように何事も無く自分がネグリジェを来ている事に安堵した。

 

「夢か……」

 

 彼女がそう息を吐いて、横にある呪霊機を掴んで情報を表示する。

 

「―――ッ」

 

 だが、彼女の手にあったソレが表示したのは彼女が気絶させられる直前。

 

 少年の顔を写した画像だった。

 

「夢じゃない?!」

 

 思わず彼女がネグリジェを脱ぎ捨て、学校の制服である法衣を着込んで二階から一階に降りると家の従者達が頭を下げて対応する。

 

 台所では母親と彼女の兄嫁が何かを作っていると察した彼女は何かを言われる前にそのまま朝食も取らずに家を飛び出した。

 

 隠されていた彼女に肉体を補助する浮遊する呪具であるリングが何故か寝台横に置いてあったので今日はスムーズに家を飛び出す事が出来たアミアルである。

 

「どういう事?」

 

 呪霊機を操作しても、呪霊が最後に映した画像以外は何も出て来ない。

 

 すぐに浮遊して道端を行く彼女が街の監視情報にアクセスすると突如として呪霊機が停止した。

 

「ッ!?」

 

 そうしてすぐに再起動した呪霊機が画面に映し出すのは情報窃取は違法ですの文字。

 

「一体……何が起こってるの?」

 

 アミアルはよく分からないまま。

 

 しかし、何かが起こっている事を確信し、未だ停学処分が解けない学校へと向かっていくのだった。

 

 それを街の影から見ている瞳達があるとも知らず。

 

 *

 

―――ロクシャの園。

 

『マ、マジかよ……』

 

『ああ、どうやら今回の事件が報道されねぇのは軍の意向らしい』

 

『それで? 違法奴隷が組織の連中を斬って逃げたのか?』

 

『ああ、それもほぼ全ての選手と幹部、組織の頭が例の化け物……蜘蛛になったとか』

 

『嘘だろ……』

 

『いや、その場にいたって奴が話してる。呪霊機で撮った画像も出回ってる。もしかしたら、例の映像で言ってた西部の―――』

 

『シッ、講師連中だ。他のとこで話そうぜ』

 

『ああ』

 

 今や学校は前日の怖ろしき事件。

 

 アバドーンで起きた“西部からの襲撃”らしき話で持ち切りであった。

 

『でね~その子が言うには生き残ったのは演台の一番端にいて、一番力が無くて、選手も外縁に配置させられて無傷だった歓楽街の組織。えっと、【マートン】だけだったんだって』

 

『へぇ~~、怖いね~~歓楽街かぁ~頭ってどんな奴?』

 

『それがねぇ。何でも仁義の人、らしいよ』

 

『ジンギって何?』

 

『えっと、まだ学生なのに人望が厚いんだって。それでシノギ?をスゴク低くして歓楽街のインバイ連中にチヤホヤされてるとか』

 

 このような明らかに噂では済まない話が民間に矢の如く広まった事は高都の治安維持においては致命的な失態に違いなく。

 

 軍と警察は箝口令を敷いていたが、それでもジワジワと噂は尾ひれが付きながら人の口を渡り続けている。

 

「そんな……あの場所でそんな事があったなんて……お母様に……いえ、ダメ、ダメよ。そんな事したら……クソ、あのヴァロリア!!」

 

 他人の噂話を校内でひっそり聞いていた彼女は味方のいない校内をウロウロしつつ、少年を捜し歩き。

 

 朝から停学中なのに朝食を食堂で取って、最上階の教室に潜入するべく。

 

 決められた者しか乗ってはいけない昇降機へと搭乗。

 

 呪紋を用いて姿を隠し、こっそりと最上階の端に置かれている昇降機の搭乗口から降りて……その光景を目にした。

 

「―――」

 

 美しい。

 

 少なくとも少女にもアミアル・レンブラスという運動音痴にも分かる程に美しい。

 

 そう思える剣技であった。

 

 体の動きが洗練されている。

 

 だが、そこには愚直さと無骨さがある。

 

 自然体で戦う者は美しいと言うが、まさにそれを具現化したような剣。

 

 奇を衒う事なく。

 

 強さを誇る事なく。

 

 弱さを隠す事なく。

 

 何一つ隠さない剣。

 

 そして、何も隠さないからこそ、ソレは誰にも分かるだけの美しさがある。

 

 完璧というものを論じるなら、剣技は完璧に働いている。

 

 だが、愚直さが、相手の剣に対して最適解で答えるのではなく。

 

 ただ、受ける。

 

 何の技術も無く受ける。

 

 それが必要無いから負けない。

 

 基礎が違う。

 

「!?」

 

 ハッと我に返った彼女は少年の剣が教本通り染みたあまりにも単純な切り返しで相手の剣を弾いたのを見て、また引き込まれそうになる首を横に振った。

 

 少年はペコリと頭を下げると彼女と同じように未だ呆然とする者達に背を向けて、剣を所定の位置に返し、早退用の提出用紙を講師に届けて、イソイソと最上階のあちこちにある昇降機から降りて行った。

 

 それを追った少女は思う。

 

 あいつ、スゴイ奴なんじゃ、と。

 

 そして、そんな自分の内心に被りを振って追い掛ける事にした。

 

 *

 

 アバドーン開催即終了から1日。

 

 今日に限っては帰って来た少年が館の内部に戻ると水着呪霊機達に混じって大量の小さな竜蜘蛛と大きな竜蜘蛛が館の地下にある広大な研究設備の一角。

 

 資材倉庫内から館内部に出て来て、音もなく調理や繕い物をして、館内部の仕事を呪霊機達から奪っていた。

 

「ただいま」

 

「(-ω-)ノ」

 

 主を出迎えた竜蜘蛛達はイソイソと道を開けて、外にいる少女の姿を監視用の呪紋で少年に見せたが、見付からないようにして、後は放っておいていいという言葉に頷いて、館内部で好き放題に過ごし……いや、寛いでいた。

 

 ソファーに座ってお茶を呑むやら。

 

 フワフワの寝台の上でゴロゴロするやら。

 

 停止している呪霊機を工具で弄り回すやら。

 

「いやぁ~~家がこんなにお客様で騒がしくなるなんてね♪ はは、君達あんまりボクの研究機材弄らないでくれよぉ~」

 

 今日は休みらしいエルがホクホクした様子で愛嬌のある竜蜘蛛達の悪戯にニコニコしてお茶をし、新聞というらしい情報源を読んでいるのを少年が後ろから覗く。

 

「君達も派手にやったなぁ。今や高都は上に下にの大騒ぎだよ」

 

「そう?」

 

「ああ、間違いない。皇太子連中すら騒いでるらしいからね」

 

「皇太子?」

 

 新聞にそんな話は何一つ書かれてはいない。

 

「ああ、上からお達しがあってね。地下墓所と上空の偵察船に詰めていた皇太子達が何故潜入に気付かなかったんだって怒ってるらしいよ」

 

「強い?」

 

「ん~~今の君なら単独だとドラク込みなら苦戦するかな。負ける要素は無いだろうけど」

 

「それで何て載ってる?」

 

 新聞の字はビッシリと詰められており、見出しもそう大きくない。

 

「表向きは裏組織同士が抗争で壊滅という事になってる。唯一残った歓楽街の組織は頭が学生な事もあって、軍警はすぐに釈放したみたいだよ」

 

「無事?」

 

「いやぁ、まさか、最弱故に一番端にいたおかげで助かるとか幸運だね。何処かの誰かさんの采配というわけだ」

 

「そんなところ」

 

 エルが肩を竦める。

 

「で、いきなり長距離転移とか派手な事をしてたけど、いいのかい?」

 

「これで重要な場所に戦力が集中して動き易くなる」

 

「ほう? それは慧眼だ。君の言った通りの動きになってる。でも、これから向かう場所はその重要な場所なんだけどね」

 

「皇帝城?」

 

「ああ、ヴェルゴルドゥナ卿とオクロシア侵攻軍の合同葬だ。4日後の予定は変更されてない。軍にしてみれば、威信を掛けて護り切りたいところだろう」

 

「それまでに必要な場所に出られるようにする。そもそもこの都市を落とす為の計画はもう進行させてる。オネイロスが準備を終えれば、戦争は終わる」

 

「君の使う力も大概だが、まさか遺跡の転移用呪紋を解析して使える個体がいるとはね。そちらの方がボクにとっては驚きだ。戦争も終わろうってものだろうな」

 

 エルが自分の横で白く丸まった球体を見やる。

 

 ソレは天井から吊り下がっており、ピクリともしない。

 

「どうして?」

 

「転移の呪紋というのは一個体が使うと焼き切れるんだよ」

 

「焼き切れる?」

 

「簡単に言うとあまりにも使う魔力と呪紋の譜律の多さに脳が焼き切れる」

 

「そんなもの?」

 

「そう、そんなものな……はずなんだがね。君とこの子は例外なようだ」

 

 エルが苦笑する。

 

「だから、転移系の呪紋は個人用では存在しない。今は亡きノクロシアや聖域の技術が使われた遺跡すらも呪具。もしくは複数人で1人を運ぶみたいな一方通行になる」

 

 少年は改めて符札の便利さに助けられている事を再認識した。

 

「ま、興味は尽きないが、合同葬が聖域に近付く本番だ。後、この高都で近付くには軍が管理していた地下墓地からの道しかない。戦争が終わる前には始まるんじゃないかな。たぶん」

 

「管理していた?」

 

「ああ、今は軍ではなく。皇太子と近衛が占拠しているらしい。地下からの攻撃に備えて、墓所の奥にいるとか何とか」

 

「後で行ってみる」

 

「そうしたまえ。で、本題なんだが」

 

 エルが真面目な顔で少年に向かい合う。

 

「例の物資は?」

 

「コレ」

 

 少年がポンと紙を一枚出した。

 

 その内部には肉体の情報らしいものが数値で事細かに書き込まれている。

 

「おお、これこれ。いやぁ、君も隅におけないね。このこの……」

 

 男はニッコリ笑顔で少年の脇腹を肘で突く。

 

「これでいい?」

 

「勿論、年頃の女性の情報は手に入り難くてね。一応医療用としても作ってるんだが、機数が少な過ぎて汎用性に欠けるんだ」

 

 エルの手にある紙にはアミアル・レンブラスとある。

 

 その肉体の情報は明らかに人体のあらゆる部位に及ぶ全情報と言うに等しいだけのものがあった。

 

 肉体のパーツの一つ一つの長さ大きさ。

 

 内臓の腸の長さすら正確に書き込まれ、血液型は元より、血流の流れ方やら角の硬さやらどうやって調べたんだ?というような精密情報が山盛りだ。

 

 これを見たら本人は血の気が引くどころか。

 

 恐怖を覚えるだろう。

 

 肉体の見えない場所にある黒子の数なんてカワイイ方だ。

 

 心臓の形、肋骨の形、何処の骨にどんな以上があって、どんな臓器が影響を受けているか……もはやソレは個人情報というよりは個人の仕様書に近い。

 

「こんなのが必要?」

 

「ああ、必要だね。ボクの水着のカワイコちゃん達は娼婦の人にモルドを無償提供する際に図らせて貰ったものでね」

 

「ふむふむ」

 

「でも、年頃の少女にこんな事したら、変態だろ?」

 

 エルが悪びれもせずに肩を竦める。

 

「今でも変態」

 

「一本取られたな。ははは……で、少女型は中々作る機会が無いのさ」

 

「これから造る?」

 

「基礎データが少し足りなかったのを補填してもらっただけだよ。ほぼ2000人くらいは情報を取ったんだが、全身モルドが必要な個体はかなり少なくてね」

 

 エルが紙をキッチリと傍にあった箱に納める。

 

「ボク自身は大人な女性が良いわけだが、造形を司る者としては重要な仕事には万全を期して臨むのさ」

 

「重要な仕事って?」

 

『この変態の事ですから、きっとどうでもいい仕事に違いありませんわね』

 

 エルミが少年の背後で肩を竦める。

 

「ああ、些細な仕事さ。ボクがしたかった事は呪霊機の創造じゃない。呪霊機が今生きる種族以上の性能を生み出す事なんだ」

 

 エルの瞳を見た少年が沈黙し、後ろのエルミレーゼとフェムが男の本性を前にして度し難い男だとジト目になる。

 

「そして、彼を倒した君なら分かっているはずだ。君が倒したヴァルハイルにおいて恐らく最も重要な歯車の一つであった男……」

 

「ヴェルゴルドゥナ。あの体は……」

 

「半分、ボクの設計だ」

 

 少年は驚かなかった。

 

「10年くらい前かな。彼から打ち明けられたのさ。自分の正体をね。肉体を失って尚滅びない呪霊と化し、それでもヴァルハイルの為に生きる男……」

 

「それで?」

 

「ボクは善良なヴァルハイル国民だからね。彼にボクの技術を使って新型の躯体を造った。アレはね。通常のモルドではないんだ。また、呪霊機やドラクでもない」

 

「……譜律を自動で書き出す体が普通のはずない」

 

「ま、倒したんだから知っていて当然か。ああ、そうだ。アレは兵器でもない。呪紋を用いた機械。【思紋演算器】と呼ばれるものだ。呪霊機はその超絶劣化下位互換なご先祖様かな」

 

 少年の前に男が横に丸めて置かれていた設計図を広げる。

 

 そこには細胞単位の部品に譜律が書き込まれた人体のようなものがある。

 

 生体部品を用いて超密度の譜律そのものを生きた生物として組み上げる思想はもはや完全に通常の生物を逸脱していた。

 

「シモン、思考の呪紋?」

 

「本当に勘が良いな君は……その想像通りのものだよ」

 

『どういう事ですの?』

 

「呪霊は本来、通常の人間同様の思考を行えない」

 

『は? わたくしに喧嘩売ってますの?』

 

「だから、君は例外だ」

 

 エルがエルミを見て何処か残念そうな顔になる。

 

 出来れば、もっと早く出会いたかった、的な顔だった。

 

「彼ヴェルゴルドゥナの肉体は思考を譜律を用いて呪紋化する事で通常より遥かに高い思考能力と演算能力を発揮し、呪霊機が向かう未来、その数世代先の能力を手に入れた」

 

 少年は今思い出してみても過去最大に苦労したのを思い出す。

 

 下手な呪紋で対抗せず。

 

 基本的には能力と呪紋を限界まで拮抗させるような戦場を作り出さない事が第一とされたのだ。

 

 相手の対応力をとにかく削り、油断しているところで必殺の手札を切り、その合間の時間稼ぎに終始したと言ってもいい。

 

 ある意味で冥領の化け神樹を倒した時より付かれたのは間違いない。

 

「呪霊機は元々がドラクやモルドの技術と密接に関わっている。ドラクやモルドは存在の拡張と妖精の使っていた延命や魔力代謝の呪紋代替品。呪霊機はその技術の発展途上で機械で霊力を扱って肉体として拡張する技術の一部として生まれた」

 

「元々は我々の呪紋を目指していたわけね……」

 

 フェムが今まで高都に来て感じていた違和感の正体を理解した気がした。

 

 それは似ている、という事だったのだ。

 

 何処か昔の妖精達がいた頃と雰囲気が。

 

「彼に施した力は現行の呪霊機に使えば、一気に性能だけで30倍以上、大規模な魔力の利用が可能ならば、400倍以上の性能が発揮可能な代物だ」

 

 さすがにエルミもフェムも驚かざるを得ない。

 

「確かに……それくらい強かった」

 

「だが、それは同時に呪霊達を新たな種族に押し上げてしまうだろうな」

 

「新たな種族?」

 

「そうだ。ヴェルゴルドゥナはソレを嫌った。明らかに呪霊が上位になる世界を嫌った。だから、彼は自分を実験台にはしたが、それ以上の事はしなかった」

 

「それ以上の事?」

 

「普及や知識の開示はしなかった。もしも、呪霊がヴァルハイルに仇成したならば、反旗を翻したら……そんな傍らの可能性に取り憑かれてな……」

 

「もしかして、それが理由?」

 

 少年がヴァルハイルを男が裏切る条件を確認する。

 

「いいや? これは前提だ」

 

「前提?」

 

「奴は神を嫌った。そして、神に成り得る存在を封じようとした。呪霊が神となる世界。神が種族を導く世界。それを奴は嫌った」

 

「……呪霊が神になる程に強くなる?」

 

「君だって横に置いていれば分かるだろう? 妖精は神に成り得た存在だ。呪霊もまた緋霊が堕ちた姿ならば、神に匹敵する力を得られる」

 

 少年がリケイの言葉を思い出す。

 

 ガシンによく死ぬ時は絶対呪霊になるなと半ば軽口のように言うのは日常の一コマになって久しい。

 

「ボクはね。自分の技術で神すら作りたいと願った男だ」

 

「―――」

 

 真っすぐに男が少年を見やる。

 

「それで世界が滅んでも?」

 

「一向に構わないとも」

 

「……ヴェルゴルドゥナは……」

 

「そう。ボクと未来を見つめる同志として同じだけの階梯にありながら、その方向はまったくの逆を向いていたのさ」

 

 何処か哀し気に溜息一つ。

 

「前に言っただろ? ボクは自分の肉体を作る事にした。別に神に為りたいわけじゃない。ただ、自分の技術と叡智の全てを掛けて、一番上の到達点を踏み越えたいと願ったのさ」

 

「そして、潰された……」

 

「まぁ、今のヴァルハイルならボクの甘言に耳を貸して、ボクの理想を叶えてくれそうではあるけれどね。君達の方が早かった。君達は運が良いよ」

 

 少年は実際そうなのだろうと理解する。

 

「諸君。神に挑み、神を殺し、神に成り、神すら超えようという諸君。ボクは君達に与えよう。ボクの叡智を用いて、神すら超えた存在となった時、ボクは更にその高みの先を目指そう。それが己の滅びなのだとしてもね」

 

 男の瞳は綺麗なくらいに真っすぐだった。

 

 それを狂気と呼んでしまうならば、少年達の方がよっぽど狂気に近いだろう。

 

『度し難いですわね。業というものは……』

 

「まぁ、それが生命の進む道の一つでしょう。別に珍しくもない。昔、仲間達の何人かが神の真似事をしていたけれど、結局ダメだったのを思い出しました」

 

「ま、気楽に構えていてくれ。特にエルミ君」

 

『はい?』

 

「君は生まれ変わりたいのだろう?」

 

『ええ、まぁ……』

 

「彼に聞いたよ? 生命の無い肉体が欲しいとか。生まれ変わりたいとか」

 

『え、えぇ、そうよ……』

 

 ちょっとエルミが引き気味に下がる。

 

「今、ボクは神にすら勝るものを作ろうとして試作機を完成させたばかりだ。その知識と技術は彼に渡しておこう。君達が君達の為に命を造る時は是非使ってくれたまえ」

 

『ッ―――』

 

「呪霊機とモルド、ドラクの技術を応用した新型躯体の開発は終わっている。この数年は彼ヴェルゴルドゥナの思紋演算器から貰った情報を応用発展し、問題点を改善していたんだ」

 

『へ、へぇ……』

 

「君達から貰った資材。白霊石を筆頭にした様々な希少素材や緋霊の一部。他にも複数の呪紋などの提供も嬉しい誤算だった。これらは君の主人たる彼に技術的な試験機として現物で返そう」

 

 少年が男を見やる。

 

 初めて、真正面から男を見たかもしれない。

 

 男は柔和な笑みを横から見れば、笑みを浮かべているように見えるが、正面から見れば、不敵に挑戦者の顔をしているかもしれない。

 

「そして、何よりヴァルハイルでは今や失われていた純粋な【生命付与】の呪紋、その解析が成功した事は奇跡と呼んでいい」

 

『き、奇跡?』

 

「君達から貰った資源で造った新しい機体が完成した暁には君達にボクの今のところの最高傑作を提供しよう。生まれ変わり、西部の秘儀、還元蝶の秘密……いいねいいね。ワクワクしてきたよ」

 

『か、勝手にワクワクしないでくださいまし!?』

 

 思わずエルミが男の笑みに仰け反って少年の後ろに隠れる。

 

「それと一摘まみの香辛料として彼の血肉……新たなる亞神の力も取り入れさせて貰う事は確定事項。これくらいのは恩返しの内さ」

 

『ッ―――つ、つまり?』

 

「この世で最も神に近い肉体。もしくは神すら超えた肉体。それを生み出す為に必要な情報、君は欲しく無いかね?」

 

『ほ―――』

 

 少年がペチンと少女の霊体の口元を後ろ手で閉ざす。

 

「安全性」

 

「う」

 

 僅かにエルが胸元を抑える。

 

「信頼性」

 

「うぅ」

 

 更にエルが苦し気な顔になる。

 

 そうして少年が自分の片腕を差し出す。

 

「もっと情報。欲しくない?」

 

「欲しいでずぅうううううううう!!?」

 

 ガバッとエルが少年の腕に抱き着いた。

 

「片腕だけ。預けてもいい」

 

「ふぉおおおお!? 亞神の情報が取れるぞぉおおおおおお!? これでぇええ!? バッチリ、君のお嫁さんの体を更に改良したら神様だって殴れちゃうからさぁ!!?」

 

 ハフハフしながら、目の色を変えて実験体を手に入れた男の狂喜乱舞の様子に女性陣は本当に男というのはどうしようもない生き物だという顔になった。

 

 一皮剥けば、柔和な男も犬のようである。

 

 この姿を見てドン引きにならない者はいないに違いない。

 

「は!? 取り乱してしまった。すまんすまん」

 

 エルが我を取り戻してこほんと咳払いをしてから席に戻る。

 

「まぁ、何なら君が色々と情報を得た後に何か試作してからでもいいさ。ぶっつけ本番よりは安心だろう。片腕はその時しっかり借りさせて頂こう」

 

「調整は付き合う。生まれ変わり関連の技術に着いては一緒に技術開発する。それと……」

 

「分かっている。焦るな、だろう?」

 

「そう」

 

「今更何年待とうが問題無い。では、話も決まった事だし、さっそく取り掛かろう。情報の集積が終了して、実機の問題点やら何やらを克服したら、最終的な仕様を決定する。是非その時は心置きなく使ってくれ。エルミレーゼ君」

 

『はは……はぁぁ、期待して待ってますわ。ヴァルハイル一の変態さん』

 

 その溜息がちな言葉に男は満面の笑みを浮かべた。

 

「それを言うなら島。いや、世界一の変態と呼んでくれ。これでも名誉欲は人並みにあるからね♪」

 

 ウィンクする変態は少年を横に立ち上がり、その腕を怖ろしき何かにする為、一緒に地下へと降りていく。

 

「( ̄ー ̄)………」

 

 それを複眼だけで見ていた白いボール状物体は『昨日の肉団子美味しかったなぁ』とか考えながら、潜入中にまた神の如き力を手に入れてしまう事になるだろう主人のスゴさに感心しつつ、竜蜘蛛達に号令を掛ける。

 

 次なる戦場、次なる戦い。

 

 その先に向かう為の仕込みをイソイソと初めたのである。

 

 *

 

―――ニアステラ第一野営地。

 

「はふ。はふ。はふ」

 

 巨人族の少女が1人。

 

 朝から黒蜘蛛の巣の外周。

 

 掘りの周りを走りながら鍛え、正門から浜辺まで戻って来るとドシャッと尻もちを着いてハァハァしながら汗を拭っていた。

 

 他にも遠征隊で走っている者達は規定の周回を終えた最初期メンバーであるレザリア、ガシン、フィーゼが汗を不可糸製の自前で作ったタオルでフキフキ、何でも無さそうな顔で浜辺の小屋に用意していた秘薬の入った皮袋をゴクゴク飲み干してマズイなーという顔をしていた。

 

 だが、エネミネとクーラとヒオネはヘェヘェと犬のように舌を出しそうになりながら、何とかゴールしてクッタリ、冷たい浜辺に倒れ込んでいる。

 

「さ、皆さん。朝の一杯ですよ」

 

 フィーゼは昔こそ自分が一番遅かったという事実も横に笑顔で彼女達に秘薬の入った皮袋を渡していく。

 

 現在、秘薬の製造はエルガムに任されており、巨人族が加わったせいで彼は毎日秘薬づくりの量が増えて、スピィリア達と共に原材料と格闘しているとか。

 

 酒場兼少年の家も建て直されて、巨人族が入れるようになった事で建物はだだっ広くなり、現行3階建てになった。

 

 石材もガッツリ使われた家は今や巨大な神殿染みているが、誰も気にしていない様子で出入りしている。

 

「よくコレ、毎朝呑めますね。うぷ……」

 

 顔を蒼くしたり、赤くしたりしながら、クーラが鼻を摘まんで革袋の中身を呑み干していく。

 

「うぐぅ……おねーさまのため、おねーさまのため」

 

 その横では涙目のエネミネが喉に流し込んだ秘薬のマズさにプルプルしながらも何とか必死に飲み下した。

 

「ん~~きょーはあまいきがするー」

 

 メルは大量の革袋の中身をまったく意に介さずゴクゴクしており、顔も爽やかであるが、同じモノを呑んでいるとは思えないだろう。

 

「……ふ、ふへ……これも遠征隊の為です……」

 

「この味だけはねぇ……うぷ」

 

「おねーさん。毎朝気分悪くなる職場は嫌なんだけれど、ね。うぷ」

 

 ヒオネは飲んでいる最中、目が死んでおり、心を無にしているのが伺えるし、御付きのアラミヤとミーチェはこれさえなければなぁという顔でヒオネの半分程をおえーという顔で口にしていた。

 

「ま、慣れて来たな。新人共も」

 

「ですね」

 

 ガシンとフィーゼが最初は飲む度に浜辺で数分くらい気を失っていた面々の進歩にウンウンと年長者のように頷いた。

 

 よく見れば、全員が戦闘用の竜骨装備であり、実戦さながらに武装や防具を付けた絵ままに走っていた事が分かるだろう。

 

 新人達は背後に竜骨弩を背負っていたし、ヒオネ達は矢が大量に入った木箱を横に降ろして後方支援役に徹しているのが分かる。

 

「今頃、ヴァルハイルでアルティエ上手くやってるかな……」

 

 レザリアが北部の青空を見上げる。

 

 透明になりつつある黒蜘蛛の巣は明け方の光の中でゆっくりと白亜の塔へと変貌しつつあり、彼らの様子を蜘蛛達が遠巻きに眺めていた。

 

「大丈夫ですよ。いざとなれば、すぐに帰って来るでしょうし」

 

 フィーゼがそう頷く。

 

「ま、アルマーニア側にフレイ、ニアステラにゴライアス、オクロシアの調査や冥領、他諸々の雑用にルーエルが分散してるからな。不安にもなるだろ」

 

 ガシンが分散している蜘蛛達の事を思い浮かべる。

 

「あの子はアルティエが連れて行っちゃったもんね」

 

「ほら、昨日連絡が来ただろ? アルマーニアの野営地に奴隷として高都に囚われてた連中と大量の竜蜘蛛が来たって」

 

「うん。高都でアルティエが見付けたんだよね?」

 

「ああ、フレイが言うにはオネイロスは呪紋特化の能力なんだと。フェクラールを通ってオクロシアに行った時に長距離転移用の呪紋を写し取っていったんだろうって話だ」

 

「ああ、だから、符札で直接じゃないんだね」

 

「ま、取り敢えず、あっちは順調なようだから、オレらはオレらであいつに言われてた事はしないとな」

 

 少年が不在の最中。

 

 各地域の守りを蜘蛛達に任せた遠征隊は隊長不在での遠征準備を行っていた。

 

「ま、今はアンタが隊長代理だ。恰好良いところを見せておくれよ? 旦那様」

 

 アラミヤにベッタリ張り付かれたガシンが周囲の女性陣からの視線が痛いのは無視しつつ、全員に向き直る。

 

「あいつが戻って来るまではオレが代理だ。あいつの命令は地下遺跡の探索。ニアステラの遺跡の入り口は穴掘り蜘蛛連中が見付けてくれた。お膳立てはバッチリだ。今回の探索に同校するのはフレイになる。巨人族のメルは小さくなる呪紋が切れたら遺跡内で死ぬ可能性が高いから、別口で冥領に向かって貰う」

 

「めーりょー?」

 

「ああ、あっちでアルヴィア達が訓練を終えると知らせが来た。リケイのじいさんと一緒にあいつらを指揮してこっちに持って来てくれ」

 

 言われた当人が砂浜にいつの間にかやって来ていた。

 

「お呼びですかな?」

 

「ああ、メルを預ける。冥領で例の呪紋はよろしく頼むぜ?」

 

「任されましてございます。さて、では、メル殿にも小さく為って頂きましょうか。アルヴィア達の錬成が終了した以上はこれで遠征隊の戦力も整った。地下遺跡の本格探索前の肩慣らし。ガシン殿が彼の代りを務められると証明出来れば、問題無く今回の遺跡は踏破出来ましょう」

 

 リケイがそう太鼓判を押す。

 

「あの妖精娘からの情報だが、本当に今回の遺跡……事前情報通りのもんがあると思うか?」

 

「あるでしょうな。オクロシアは別名、黒鉄の都。その首都を護る為の戦力は外縁部に貯蔵されている。この遠征はガシン殿の能力が無ければ恐らく成功せぬでしょう。ヴァルハイルが如何に弱体化したとはいえ。敵は未知数」

 

「ついでに教会本隊が来るまで時間もない、と」

 

「左様。となれば……」

 

「解った。じゃあ、3日後には出発だ。今日は全員に装具、防具、武器の点検と連携の再確認をしてもらう。特に今回は相手によっては死傷者も在り得る。死んだらアイツがすぐに戻って来て生き返らせてくれるが、頭部を失くしたら死んだままだと思え。オレが死んだら撤退だ。いいな!!」

 

 全員が頷いた。

 

「じゃ、訓練始めるぞ~。アルメハニア、ヒルドニア、ペカトゥミアのお前らも参加だ!!」

 

『\(´ω`*)』

 

『(;・∀・)-//』

 

「(*|ω|)ゞ」

 

「アルメハニアは糸蜘蛛で参加か? 砂浜に罠を仕掛けてくれ。ヒルドニアは上から攻撃用のもんを落とす係だ。ペカトゥミアは糸で無限に再生する敵を再現。お前らにも色々と仕事はあるだろうが、お前らが一番分かってるからな。仕事に関してはこっちからも少し減らすように言っておく」

 

『(*・ω・)ゞ(*-ω-)ゞ(*・ω・)ゞ(*-ω-)ゞ』

 

 了解とばかりに周囲に蜘蛛形態でやってきた彼らがビシッと敬礼する。

 

「そう言えば、近頃蜘蛛さん達、フレイのおかげで人型形態と蜘蛛形態を自在に変化させられるんですよね。スピィリアさん達みたいに」

 

「それどころか普通に呪紋で訓練支援までしてくれるし、忙し過ぎて糸蜘蛛で来る子もいるし、大変だよね」

 

 フィーゼの言葉にレザリアが「蜘蛛達も強くなったよなー」という感想を漏らすが、そんな彼らの言葉を軽々と超えるかのように蜘蛛達が無限再生する敵を増産している様子に他の新人隊員達は唖然としていた。

 

「ド、ドラクまで作れるように……」

 

 ヒオネは何やらヴァルハイルの兵を今まで模倣していた彼らが不可糸で編んだ敵の表面にやたら写実的な色合いが与えられて、完全に見た目だけドラクな巨大ロボが再現されるのを見つめ、蜘蛛達の進歩速度に付いていけない様子で口を半開きにしていた。

 

『(´∀`)∩』

 

『(^-^)・/・/・/』

 

 ゴッゴッゴッと次々に砂浜の奥地に大量のドラクが秒単位で出来上がっていく。

 

『良い出来だぜ♪』と言いたげに蜘蛛達が汗を拭いながら、細かいディティールを調整していく。

 

 もはやホンモノと見紛う見た目である。

 

 北部組はもう何でもありな蜘蛛達の様子に諦めの極地に達した様子で「クモスゴイクモスゴイ」と脳裏で呟いて現実逃避するのだった。

 

「各個撃破されない為にも連携は必須だ。分断されても生き残れるように個人の能力で生存特化の技術も培う。攻撃力は二の次だ。そういうのは後からあいつが呪紋でどうにかして、ウチの何でも作ってくれる騎士殿が手渡してくれる」

 

 ウリヤノフが聞いたら、あまり期待されても困るのだがと苦笑しそうな事を言いながら、ガシンは指示を出して連携強化訓練を開始した。

 

 *

 

 高都へ遂に敵の部隊の侵入が確認された。

 

 由々しき事態である。

 

 というのは対策会議に集った軍警達の一致した意見であった。

 

 だが、だからどうしたと言われたら、行政区画の対策会議には今以上に何か出来る事も無い、というのが彼らの現状でもあった。

 

 敵の情報を分析しようにも逃げられてしまって情報は限定的。

 

 辛うじて相手の能力を捉えた画像や映像を現地の被害地域で押収したものの。

 

 それを見て絶望しかないのは他の者も頷ける事だろう。

 

 敵の能力や攻撃力が明らかにマズ過ぎるのだ。

 

「まず、何よりも生身を蜘蛛に変えられるのが痛過ぎる」

 

「近接されたらまず助からないのはどう考えても……」

 

「遠距離戦となれば、市街地に被害が出るでしょうな」

 

「それだけに留まらない。敵があの武器を相手側に出回らせて、領内で諜報員が使い出したら、一気に敵が溢れ返るぞ」

 

「問題はそれだけではない。潜入者の姿が見えない。糸の強度も恐らく自在。実際、現行でもかなり改良されていた組織幹部のモルドが両断された画像もある」

 

「通常の防御は敵側からすれば、武器を使わずとも突破可能。ドラクでも厳しいと?」

 

「生身に攻撃さえ受けなければ問題は無いだろう。だが、ドラクの生産は現状頭打ちで全て戦線への大規模補充に費やされており、二線級の徴兵組……それも訓練中の者達への充足に使われている」

 

「現在の高都の警戒度は最大です。現行戦力で出来る事は全てしている状態。これ以上は戦線から戦力を引き抜いて来るか。もしくは新たに徴兵せねばなりませんが、徴兵可能人口は成人から上はほぼ払底」

 

「つまり、残るは子供か。老人か」

 

 軍学校に現在進学している子供達。

 

 また、内政を司る呪紋を使える高学歴高練度の生徒達。

 

 彼らを前線に送らないにしても高都の防衛に付かせるというのがもはや彼らにとって最善の策であった。

 

「または自警団の軍警による組織化。もしくは子供達そのものを自警団化する方策か。どちらにしても我らは地獄に落ちるな」

 

 周囲に沈黙が下りる。

 

「それでなのですが……」

 

「何だね?」

 

 彼ら対策会議に集まった者達の1人が手を上げる。

 

「会議直前に聖姫殿下から会議が煮詰まったら議題に上げて欲しいと言われた案がありまして」

 

「ああ、そう言えば、君は聖姫殿下のお傍付き達に親族がいたな」

 

「は、はい。殿下が高都の学校を全て統合し、治安維持の補助組織として風紀委員を筆頭に学生へ武装させて学校の武装化と治安維持を両立。軍警とご自分の名の元に置く一元化案を……」

 

「聖姫殿下には全てお見通しか」

 

「はい。もしこの糾合に対して問題があれば、自分が長として対処し、軍警の負担を減らしつつ、学生の統率を行ってもよいとの事で……」

 

「つまり、ご自分が学校の長になられると?」

 

「御年齢の事もあり、ロクシャの園に入って生徒会長職を引き継ぎ、直接指揮を取れば、皇太子殿下達のお怒りも解けるだろうとの事であります」

 

「……解った。直ちに検討。問題点を洗い出して、すぐに詳細を詰めよう」

 

 こうして高都は学生を事実上の徴用という状況から遠ざけはしたものの、学業の範囲内で治安維持活動を行う巨大な学生閥と呼べるものが発足し、その上に聖姫エレオールが着くという前代未聞の事態へと進んでいく事になる予定が建てられたのだった。



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葬章「蟲・竜・人」

 

 遠征隊が大量の物資や技術、多くの蜘蛛達、新人達を受け入れながら、訓練をしているのは基本的に次なる遠征に出掛ける為であるが、比較的安全な地下遺跡というのはニアステラには存在しない。

 

 死ねば終わりな以上は限界無く鍛える事が彼らに貸された義務であり、隊長であるアルティエの指示である。

 

「ふはは~~我が呪紋でみーんなイチコロじゃ~♪」

 

「リリムさん!! あんまり威力出しちゃダメですからね!!」

 

「解っておるのじゃ~~♪ 近頃、ちゃんと手加減出来るようになったのでな!!」

 

 近頃は完全に魔窟と化した遠征隊は能力を上げる為には何でもやるべきという方針の下で近接格闘、中近距離戦闘、遠距離射撃戦、連携戦術、高速移動しながら高機動戦闘、高空で行う3次元戦闘までも含めて色々とやっていた。

 

 砂浜で連携訓練をしているのはその訓練の極一部でしかなく。

 

 ヴァルハイルから齎された輸送用呪霊機の現物を用いた落下訓練などは日の落ちた夜にやる事になっていた。

 

「それにしてもアルティエあんな大きい乗物持って来るなんてスゴイ。何処で買ったんだろ?」

 

「盗んで来たとは言いませんでしたが、関係者から貰ったとか言っていたような?」

 

「あ、後ね。生身のモルドとかあるって言ってたよ。リケイじーちゃんが」

 

「あっちで色々と集めてるんでしょうね。きっと……わたくし達が本来しなきゃならない事を一人で……ちょっと心苦しいですね」

 

「そう? アルティエが自分でやるべきって思ってるなら、そうさせてあげたらいいんじゃないかな。それで帰って来て疲れてるようだったら、一杯ボク達で癒してあげるの!! フィーゼはそういうのじゃダメ?」

 

「いえ、ダメじゃないですけど。言って止まるようにも思えませんし、いつの間にか色んな人をこっちに寄越してますし……アルティエには、アルティエの冒険や一人でやるべき事がきっと沢山あるんですよね」

 

 凡そ黒蜘蛛の巣から更に1000m以上高い場所から輸送用呪霊機に乗せた竜蜘蛛達が飛び立ち、それに乗った遠征隊の面々は重過ぎて竜蜘蛛に乗れない巨人の少女に支援用の竜骨弩を二挺持ちさせて、降下作戦を開始する。

 

 敵となるヴァルハイルの概要はあちこちから聞こえていたし、そのヴァルハイルの幼女達に鹵獲したドラクを使って戦場を再現させる為、かなり本格的だ。

 

「く、まさか、敵の訓練に使われるとは不覚!!」

 

 そう言いながら“へんきょーはく”が自身の銘有りのドラク【ゴーム】で浮かび上がりながら、次々に落ちて来る彼らに向けて電圧を下げた雷撃を回避不能なように広域へ放つ。

 

 夜に演習をするという事は予め言っておいた為、大人達や蜘蛛達は雷撃の音をそのまま受け取り、子供達は雨が降って来るのだろうかと考えて近頃蜘蛛達が力作した布団に潜り込む。

 

 今やリネンの類は不可糸や少年が次々にビシウスの力を付与した綿花、複数の作物によって大量に賄われており、特に綿の類は寝具に使われ、殆どの野営地に供給されて、あちこちで好評であった。

 

『ひぅ!? “へんきょーはく”めぇ……われらきょうかいきしをさしおいてあんなかっこいいのにのってぇ……』

 

『“たいちょー”……いずれ、われらもあれをもらってつよくなりましょう』

 

『ばりばりうるしゃいぞぉ……むにゃぁ……』

 

 夜にしっかり睡眠を取るタイプの元教会騎士な幼女達は布団に潜り込んで養育系なスピィリア達に傍にいて貰うやら、優しく撫でて貰うやらしながら寝かし付けられ、その合間にも空では呪紋による火球、防風、雹、雷で対空迎撃される遠征隊の面々がとにかく防御を固めながら地面までの落下速を稼ぎ。

 

「行くぞ。おらぁ!!」

 

「旦那様は元気だなぁ。やれやれ。昨日はあんなに激しかったのに」

 

「げっほ?! いいから黙って仕事しろ!?」

 

「ちょっとガシンさん!! 訓練中に不謹慎ですよ!?」

 

「もぉ~~男の人ってホントにそういう話題好きだよね?」

 

「お、オレが悪いのか!!?」

 

 滑空しながら降り立って即座に標的となるドラク達を次々に緋色の霊体の拳で打ち倒すやら、竜骨盾のシールドバッシュで拭き飛ばすやら、巨大な竜骨弩や剣を操って次々に相手を行動不能にしていくやらと淀みない。

 

「クーラせんせー。相手が普通にドラク並なんだけど~というか、ドラク乗ってるの普通に元ヴァルハイル兵って実戦と変わらなくない?」

 

「愚痴らないでさっさと片付けましょう。ああ、ちゃんと幼女の方達には傷付かないよう手加減して下いね? エネミネさん」

 

「はいはい」

 

「先日、顔が真っ二つになるかと思ったって“へんきょーはく”ちゃんが怒ってましたよ?」

 

「あっちが悪いよ~だって、御伽噺の人だよ? 山を割って、湖を蒸発させて、大軍を雷の雨で全滅させたとか言うから、本気出しても大丈夫かなって思うじゃん」

 

「はぁぁ……一応、今は仲間なんですから」

 

 クーラが溜息を吐きながら呟く。

 

「というか、あれが往年のお父様達が畏れた鋼鉄騎士の成れの果てとか。本当にウチの隊長【四卿】全員倒しちゃうんじゃ?」

 

「どうでしょうか。少なからず、個別になら可能でしょうが、分断出来なければ、簡単な話でもないでしょう」

 

 呪紋で伸ばした爪で引き裂くやら、呪紋で高速飛翔しながら弩の矢の雨の中を跳びながら飛び蹴りで吹き飛ばすやら……遠征隊の新入り達もまったく問題無くガシン達の部隊に続いている。

 

 そうして竜骨弩が輸送型呪霊機の後部ハッチからバシバシ打たれて援護しており、完全に迎撃部隊が制圧されるまで数分。

 

『おわったー!!』

 

「おつかれーメル」

 

「はい。お疲れ様でした。メルさん」

 

 上空から大ジャンプして、地表に降りる寸前に呪紋で減速した巨人の少女がトテトテと仲間達の下へと戻って来る。

 

 呪霊機を操縦している蜘蛛達はその長い胴体を持つ機体を黒蜘蛛の巣から少し離れた場所に新設された滑走路に着陸させに向かった。

 

「おう。お前らぁ~~集まれ~~“へんきょーはく”の部隊はもう上がっていいぞ~~」

 

『言われずともそうするとも!! 我らはもう寝る!!』

 

 ガシンの声に今まで戦ってボロボロにされていたドラク達から幼女達が這うように脱出。

 

 そのまま集まると現地解散して、集まって来た養育蜘蛛達に付き添われて消えていった。

 

 残されたドラクは蜘蛛達がやって来て触れると全て金属の流体の如く変化して野営地の端の倉庫街へと彼らを載せて消えていく。

 

 鋼鉄騎士と彼が束ねる元ヴァルハイルの一党の体力は幼女のままなのであまり長時間ドラクに乗ると気絶してしまうのだ。

 

 それ程にドラクというのは戦争中は過酷な使われ方をするものであり、機械部分が半ば生身と化してしまったヴァルハイルの幼女達は自分達の年齢から来る体力の無さは知っていて、昔の大人だった頃のように乗り回してヘロヘロになるという事がよく起こっていた。

 

「さてと、取り敢えず形にはなって来たが、今後はオレ達と同じくらいの階梯の使徒だの神様相手に戦う事も想定されてる。特にヴァルハイルの主神が出て来る可能性もあるって話だ。ダラダラ訓練してても問題だからな。こっからは各自の一番強い技能や能力を研いで基礎以外の得意分野を限界無く伸ばしていく事になる」

 

 ガシンが先生役をしている合間にもアルマーニアのヒオネを筆頭にした女性陣。

 

 侍従やらミーチェ、アラミヤ達が遠征隊に訓練後の一杯として秘薬を持ってくる。

 

 それを今では慣れたものでガシンの言葉を聞きつつ呑んでいる遠征隊の姿は前よりもかなり慣れて来たと言うべきだろう。

 

 肉体の能力を秘薬で常に底上げしつつ、それに見合った能力の使い方を熟知させ、基礎的な技能を揃え、その上で得意分野を伸ばしていく。

 

 少年が作ったカリキュラムは今や戦う者達の教科書みたいなものだ。

 

 主兵力となるスピィリアを筆頭にした蜘蛛達はまだ秘薬だの何だのは飲んでいなかったが、それもこれも秘薬に使われる物資が自然界以外では採取出来ない希少品が多い事に起因する。

 

 結果としてスピィリア達は遠征隊のような底上げしつつの訓練とは違って、技能と知識を詰め込んで呪紋と体術主体の完全な先兵性能を磨く事になっていた。

 

 遠征隊の隊員達は詳しくは知らないが、今もニアステラ、フェクラール、冥領エルシエラゴにある黒蜘蛛の巣や付近の街では夜間訓練が毎日大勢の蜘蛛達によって代わる代わる日常的な活動の横で行われており、その連携訓練は遠征隊を凌ぐ緻密な一糸乱れぬ群体行動を旨とする蟲の本能によってかなりの練度に仕上がっている。

 

 いざとなれば、彼らが瞬時に敵の撃滅の為に軍隊として動く事はこの時点で可能となっていたが、北部勢力も含めて、多くはそれを知らない。

 

 昼時は起きていない蜘蛛達が全体の規模からすれば少数働いているが、蜘蛛達の本来の本領を発揮する時間は夜である為、活動時間帯には殆どの蜘蛛以外の者達は寝ている。

 

 最も闇が深くなる時間。

 

 蜘蛛達が合戦形式で戦場と定めたフィールドに出張っていき。

 

 対モルド、対ドラク、対四卿、対神格想定の訓練でそれっぽい目標を自分達で作って実戦しているなんて光景は誰も見てなかったのである。

 

「(´・ω・`)(今日も四卿に3分の1も壊滅させられたなという顔)」

 

 彼ら戦う蜘蛛達の多くはこうして少年の教え通り、どんな相手にも完全勝利する為に与えられた手札で思考し、数によって強者を推し潰す戦術を磨きながらも、犠牲を出さずに相手を推し潰す完全勝利の為に日々技量を底上げするのだった。



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