時を超えた光学兵器 (モモンガ隊長)
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1話 プロローグ

この作品は二年前に書いたアイシールド21の二次創作です。
原作で明記されていない設定をいくつも捏造しています。
あくまでも原作に関係なくこの作品のみに適用した設定ですので、苦手な方はご遠慮下さい。
この作品の主人公は雪光学です。


 小さい頃から勉強だけは得意だった。教育ママの影響で小学校から塾に通い、僕は都内の医大に現役合格を果たした。大学を卒業してからは神奈川県にある医科学センターで研修医として働き始めた。それが今の僕だ。

 順風満帆に見える僕の人生だけど、実は中高と二度も受験に失敗している。だけどそれは学力的な問題じゃない。僕は昔からプレッシャーに弱くて、大事な試験や運動会の日なんかは決まってお腹の調子が悪くなるんだ。そんな僕がどうして第一志望の医大に現役合格できたかって?

 

 僕を変えたもの、それはアメフトとの出合いさ。

 

 アメフトって言うのはね、アメリカ合衆国ニュージャージー州で始まったとされるフットボールの一種なんだ。楕円形(だえんけい)のボールを使って二つのチームが得点を競うスポーツで、アメリカじゃ一番人気のスポーツと言っても過言じゃない。NFL(プロリーグ)のトップ選手にもなれば年俸も桁違いだし、将来なりたい職業にアメフト選手を挙げる子供は野球やバスケよりも多いんだよ。

 特に優勝決定戦(スーパーボウル)はアメリカ最大のスポーツイベントって言われている。テレビ中継の視聴率は二十年以上連続して40%を超えているし、テレビ局が支払う放映権なんて目が飛び出るような金額だよ。ハーフタイムに行われるショーもすごく豪華で、世界的に有名ミュージシャンが数多く出演している。

 

 知っているかい?

 アメリカじゃフットボールって言うとアメフトを指すんだよ。じゃあ欧州や南米で盛んなフットボールはなんて言うか……答えはサッカー、これは日本も同じだね。

 

 さてさて、そんなアメフトと僕が出合ったのは高二の春。校庭でやっていた試合をたまたま目撃したのが始まりかな。その試合で僕はある選手のプレーに目を奪われた。とんでもないスピードとキレで敵の守備陣を突破する彼の走りは、テレビや物語に出て来るヒーローのように思えたくらいだよ。

 

――彼に近付きたい。

――彼と同じ舞台(フィールド)に立ちたい。

 

 運動音痴で体力もなくて、本格的にスポーツをやった経験もない。がり勉だった僕はずっと運動から逃げて来た。そんな僕が一念発起したからって、すぐにどうにかワケじゃない。でも、そうせずにはいられなかったんだ。

 案の定、僕はレギュラーにはなれなかった。試合に出た回数も数える程だ。それでも僕のいたチームは関東大会を勝ち抜き、クリスマスボールであの帝黒学園を破った。つまり高校日本一という快挙を成し遂げたんだ。創部二年目の凸凹チームが優勝したんだ。これを奇跡と呼ばずに何と言うだろう。

 僕の高校は三年の夏で部活動が終わる。そこから本格的な受験勉強が始まるんだ。僕はもうプレッシャーに負けなくなっていた。優勝という形で終われた部活動には満足している。でも、心残りがないワケじゃない。

 

――どうして僕はもっと早くアメフトに出合わなかったんだろう。

 

 何度そう思った事だろう……アメリカでの地獄のような合宿をやり遂げ、チームの団結力と個人の能力を飛躍的に高めた僕に、それでも都大会の出場機会はなかった。現実は甘くない。

 

――どうして僕はフィールド(そこ)に立っていないんだろう。

 

 涙が溢れた……勝った試合でも僕は嬉しさと同時に、いつも悔しさと歯痒さを感じていた。試合後に泣いたのは一度や二度じゃない。

 

――どうして僕は小さな頃から運動をしてこなかったんだろう。

 

 何度後悔しても現実は変わらない。試合に出たくても、フル出場できるだけの体力が僕にはなかった。だから、代わりに僕はアメフトIQを高めた。幸いにも僕のチームには悪魔の司令塔と呼ばれた選手がいた。僕は彼から戦術を学び、盗み、そして彼を支えたという自負がある。世界大会(ワールドカップ)でも情報収集や戦術分析など僕に出来る限りの支援を試みた。まぁほぼ応援に終始していた気がするけど……。

 

――どうして僕はチャレンジすらしなかったんだろう。

 

 日本代表候補を決める選抜試験を僕は辞退した。自分の実力は解っているつもりだったし、不合格になるのは目に見えていた。でも、僕は自分を判っていなかった。

 セレクションの最終試験に落ちたはずの僕の後輩達がなぜか世界戦のフィールドに立ち、日の丸を背負ってプレーしていた。経緯はどうでも良かった。僕はただ羨ましかった。出来る権利があったのに、僕はそれを放棄した。

 

 医大生になってもアメフトを続けた。受験勉強で鈍った体を鍛え直し、もう一度彼らと戦うつもりだった。

 

『0.1秒縮めんのに、一年もかかったぜ……ッ!』

 

 凡才は辛いね。どんなに頑張っても練習した以上の力は出せない。それでも努力は嘘を付かない。スポーツ医学を専攻したのは正解だった。179㎝だった身長は186㎝まで伸びたし、足だってかなり速くなったよ。

 でも40ヤード走5秒の壁を切るのは想像以上に難しいね。4秒2なんて本当に超人の領域だよ。ベンチプレスだって似たようなものさ。成長したと言っても、凡人の領域を出ていない。

 ワイドレシーバーの僕が生き残る道はキャッチあるのみだ。こんな凡人の僕でも期待してくれる人がいた。一学年上の先輩で高校時代はライバルチームにいたクォーターバックだ。先輩も足の怪我というハンデ負った苦労人で、よくアメフト談義に花咲かせた。眼鏡をかけた知的な先輩はチームの司令塔だったし、僕はその作戦参謀であり相棒だ。

 高校時代に比べると、練習量は格段に減っていた。人の命や健康に関わる医療の勉学を疎かには出来ない。それでも先輩は時間の許す限り僕の個人練習に付き合ってくれた。講義が長引き遅れた事を謝ると――

 

『気にするな。待つのには慣れている』

 

 そう言って先輩は笑った。どうして笑うのか僕には解らなかったけど、あの時の先輩の笑顔を僕は一生忘れないだろう。先輩がいたから僕は頑張れた。

 

――もう一度彼らと同じフィールドに立ちたい。

 

 でも、その夢が叶う事はなかった。

 彼らの大学は関東1部リーグでも1,2を争う強豪チームでライスボールにも出場している。一方の僕がいる医大は関東2部リーグ、その2部でさえ優勝争いに絡めない。彼らが2部落ちする事はなく、僕らが1部に昇格する事もなかった。結局公式戦では只の一度も対戦できず、練習試合でも2軍相手に惨敗を喫した。

 他人の三倍練習して漸く人並みになれる凡才の僕が、他の大学に劣る練習量で勝てるはずもなかった。六年制の医学部と異なり、院に進まない限り大学は四年で卒業となる。彼らと先輩が卒業した年、僕のアメフト人生も終わった。

 

 研修医として働き始めて一年、朝も夜も関係なく働き詰めては泥のように眠る。そして寝不足のまま起きては馬車馬のようにまた働く。今日も明日もそんな生活が続く、そう思っていた。

 

 翌朝目覚めるまでは――

 

 

「――なさい」

 

 遠くの方で声がしてる。

 

「――起きなさい」

 

女の人の声だ。

 

「――もう朝よ。起きなさい」

 

 だんだんと近付いて来る。看護婦さんか婦長さんが起こしに来たのかもしれない。目覚まし鳴らなかったのかな?

 

「学ちゃん、起きないと学校に遅刻するわよ」

 

 あれ? 婦長じゃない……ママの声だ。学校って何の話を――ママッ!?

 

 僕は布団から飛び起きた。目の前には確かにママの姿が……。

 

「ど、どうしてママが此処にいるの!? てか、あれ? そんなに若くて肌も綺麗だったっけ?」

「あらあら、学ちゃんたら! どうしたの急にそんな……本当の事を、おほほほほほほほほほほほほほほ!」

「ハゲーンッ!?」

 

 かなり強烈な平手打ちを背中に喰らった。ワケが解らない。どうしてママが宿舎に……って、ここは宿舎がない!?

 辺りを見渡すと、見覚えのある懐かしい本棚や机が目に留まる。昔使っていたものだけど、とっくに処分したはずじゃ?

 この部屋は確かに都内にある僕の家だ。マンションの一室でここは僕の部屋……だけど、小学生の頃に買って貰った学習机が真新しいのはなぜ?

 

「早く着替えて朝ご飯を食べないと、学校に遅刻するわよ。内申書にも影響するから無遅刻無欠席を目指すのよ。いいわね、学ちゃん」

「……」

 

 ママは何を言ってるんだろう?

 

 それを問う言葉すら出てこない。何となくだけど、自分の置かれている状況は理解できた。でも、物理学的にも医科学的にも理論的な説明が出来ない。だって、そんな事は起こり得ないはずなんだもん。

 

 新聞やテレビのニュースを見て、今日が何年の何月何日何曜日なのか判明した。ランドセルに入っていた教科書を確認しても(にわ)かには信じられない。洗面所の鏡に映った自分を見て、僕は初めてこの現実を受け入れた。

 

 僕は今、約20年前の世界にいる。

 

 僕はママに言われるがまま小学校に行った。混乱してたせいか、朝ご飯に何を食べたかも覚えていない。小学校までの通学路や教室の位置は辛うじて覚えていたけど、自分の席はどこだか判らなかった。とりあえず目に付いた子に聞いて教えて貰ったけど、多分変な奴だと思われただろうなぁ。誰だか覚えてないけど……。

 

 その子だけじゃなくて、クラスの大半は顔と名前が一致しない。よく考えたら勉強ばかりやってて、友達らしい友達がいた記憶がない。誰かと放課後遊んだり、一緒に帰ったという思い出すら皆無だ。何だろう……自分の事なのに、ちょっと泣けてくる。

 

 僕は複雑な心境を押し殺して、授業中はせっせとノートを書いた。と言っても、今更ひらがなや漢字、足し算や引き算をメモする必要なんてない。僕が書いているのは覚えてる限りの歴史だ。今後起こるであろう事を出来るだけ詳細に書き連ね、僕の身に起こった事を検証していく。

 

 仮説ならすでにいくつか立てて見た。

 

 一つ目は僕がまだ夢を見ているという説だ。明晰夢という事も十分考えられる。つまり自分の夢だと自覚している夢の中にいるって事さ。とりあえず試しに何度か頬や腕を抓ってみたんだけど……すっごく痛い。非常に残念だけど、これは夢じゃない可能性が高いと言える。

 

 二つ目は僕に超能力や霊能力の才能があるって説だ。可能性は高くないけど、僕はとてもリアルな予知夢を体験したのかもしれない。二十年も続く夢なんてそうは見ないだろうけどね。でも可能性はゼロじゃない。

 

 最後は精神のみが時空間を超越したっていう眉唾説だ。正気の仮説じゃないけど、完全に否定できるだけの根拠もない。だからと言って誰かに話せるものでもない。与太話としてバカにされるか、見識を疑われるだけだろうからね。最悪の場合……精神鑑定を受けさせられて、病院送りなんて目に遭うかも。

 

 困った……困ったなぁ。

 病院で働くのは本望だったけど、お世話になるって言うのなら話は別だ。親にも先生にも相談は出来ないか。

 でも、考えようによっては千載一遇のチャンスかもしれない。もう一度やり直せるとしたら、また彼らと同じ舞台に立てるとしたら……この現実は、むしろ好都合じゃないか。今から準備を始めれば、僕はどこまで登れるんだろう?

 以前の僕、あれはあれで一つの人生として完成している。凡人として、凡才のまま高みを目指した。僕は僕なりにやれる事を精一杯やったと思う。それでも届かなかった。あれじゃあ、足りなかったんだ。

 

 でも今の僕なら……今から始めれば……届くかもしれない、あの高みに――。

 

 まずは僕の記憶がどこまで正しいかをしっかりと検証しよう。その上で今後の方向性を決めるプランを練るんだ。スポーツ医科学を修めた僕の知識は、体を鍛える上でこれ以上ない強みになる。培ったアメフトIQと経験値だってそうだ。情報っていうのは強力な武器になるからね。

 そうだなぁ、今度は体幹トレーニングを中心とした基礎体力強化で体そのものを作り変えよう。無論体幹トレーニングだけじゃ不十分なのも知っている。まずは怪我をしにくい柔軟な体を作って、本格的なアメフトのトレーニングはそこからだ。フフフ、なんだかワクワクしてきたなぁ。こんな気持ちは久しぶりだよ。

 

 待っててね、セナ君! ヒル魔君! そして、高見さん!!

 僕は必ずそこに戻って見せます、前以上の僕になって!

 

 僕の名前は雪光学、今日から小学一年生だ。

 凡才だって努力次第で天才に勝てるって事を、僕は証明して見せる!

 そして成るんだ、頂点に。やるぞ、やってやる!

 最高のレシーバーに、僕はなる!!

 

 

 でも、大きな力には大きな代償が付いてくると、この時の僕は知る由もなかった。




最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
ご意見ご感想などありましたら宜しくお願いします。

2014.9.28
タイトルを変更しました。


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2話 説得

独自解釈を多分に含みます。


 僕が小学生になってから一週間が経過した。また寝て起きたら研修医に戻っているかと思ったけど、そうはなっていない。でも、もうそれはどうでもいい。どうしてこうなったのかを考えるより、やらなくちゃいけない事ができたから。

 もしかしたら、いつかどこかのタイミングで元に戻るかもしれない。でも、関係ない。僕はこの世界でやれる限りの事を精一杯やるって決めたんだ!

 

 一度経験した小学生の授業は聞かなくても解る。大人な精神の僕が子供に交じって真面目に授業を受ける事は辱めに近い。だから担任の先生には申し訳ないけど、授業中は僕のプランを練る時間に充てさせて貰う。

 先週はちょっと先走り過ぎてしまったけど、僕はまだ小学一年生だ。負荷をかけたトレーニングなんかは必要ない。この年代は神経系の発達が著しい時期だから、今はアジリティー(俊敏性)とコーディネーション(協調性)を重点的に鍛えるつもりだ。

 簡単に言うと、運動神経や反射神経を養うって事さ。目や耳から得た刺激は神経を通って脳へと伝わり、そこから脳が出した指令をまた神経を通って筋肉を動かす。この神経伝達速度が速ければ速いほど、運動神経や反射神経がいいって言われるんだ。

 その所要時間が人類にとっては極限ともいえる0.11秒で反応出来る『神速のインパルス』を持つ阿含君はまさに天才だよね。きっと彼はイメージした通りに体が動かせるはずさ。

 じゃあ何をすればこの神経系が鍛えられるとか言うと……実はこれと言ったトレーニングはない。敢えて言うなら、色んな運動を実践する事かな。鬼ごっこ、キャッチボール、サッカーのジグザグドリブル、なわとびや鉄棒なんかも良いね。お風呂上りの柔軟も大事だ。

 

――アメフトはやらないのかって?

 

 勿論、アメフトもやるよ。でも今からアメフトだけをやってもそれなりの技術と経験は身につくだろうけど、本当の意味でアメフトを続けていく体は作れない。高校で終わりにするならそれでもいいだろう。

 でも、僕の夢はそこで終わりじゃない。大学時代に味わったあの悔しさ……5年も待たせた高見さんの期待に、とうとう応えられなかった歯痒さ。高校の時もそうだけど、僕はまた同じ思いをするつもりはない。

 

 今はアメフトを軸に多種多様なスポーツや運動を通して神経を発育させる大事な時期だ。そう言えば、以前の僕はこの時期から塾に通い始めたんだっけ?

 

――運動神経ないはずだよ……。

 

 まだ入学して日が浅かったおかげか、クラスメイトはすんなり僕を受け入れてくれた。人見知りで緊張していたという言い訳も、皆は素直に信じてくれて少し胸が痛む。でもこれで昼休みや放課後に体を動かす事が出来る。一人でも出来る事は家に帰ってからやればいい。せっかく学校にいるのなら、学校でしか出来ない事をやろうと思う。

 思えばあんなに無邪気に校庭を駆け回ったのは初めてだった。夢中になり過ぎて午後の授業に遅刻して先生に怒られるという貴重な経験も出来たし……以前の優等生な僕とは明らかに違って来ている。怒られておいて不謹慎かもしれないけど、それがとても楽しいと感じた。窓越しにしか見た事のなかった世界、僕は今確かにそこにいる。

 

――ごめんね、先生。反省はしているけど……どうしても口角が上がっちゃうんだ。

 

 もしかしたら僕はクラスの問題児に認定されたかもしれない。授業中話は聞いていないし、休み時間は外で走り回っている。なるほど、そう思われても仕方ないか。

 書き連ねたジャポニカ学習帳はすでに二冊目に突入している。書いている内容はアメフト関連ばかりじゃない。日本国内だけじゃなく世界中でテレビやネットを騒がせた事件や出来事を思い出せる限り正確に記しておく。オリンピックの結果や政権交代、超有名人のスキャンダルなどはよく覚えていた。これによって予知夢か未来体験か判らない記憶の信憑性を確かめるつもりだ。僕が違う行動を取っている時点で、全く同じになるとは思っていない。あくまでも目安と言うか、参考程度に考えている。

 

 小学生を始めて二週間、とうとうその日は訪れた。最初にして最大の難関と言っても過言ではない。そう、塾へ行けと言う母親の説得だ。以前の僕なら断ろうなんて考えもしなかっただろう。でも、今の僕は違う。

 

――だって、僕には夢がある!

 

「ごめん、ママ。僕は……塾には行かない。そう、決めたから」

「な、何を言っているの? 学ちゃん!?」

 

 ニコニコしていたママから笑みが消えた。僕が逆らうなんて思いもしなかっただろうからね。でも、ここは譲れない。

 

「僕の将来を考えて言ってくれているのは判るよ。それと僕が我が儘を言っている事も……だから、条件付きで免除じゃダメかな?」

「そんなの、ダメに決まってるじゃない! 受験勉強は一日でも早く始めた方が有利なのよ」

「僕は公立の中学と高校に通うつもりだよ」

「ど、どうしちゃったのよ!?」

「でも、大学は集英医大に行く。そして将来は医者になるよ」

 

 ママの顔は徐々に赤みを帯びて小刻みに震え出す。多分、怒ってるんだろうなァ。呆れられても仕方のない事を言っているのに、ママはちっとも変わらない。

 

「遊びじゃないのよ、学ちゃん! そんな簡単に行けるものなら誰も苦労はしません!」

「僕は真剣だよ。口じゃ何ともでも言えるから、行動で証明して見せる」

「証明って何を……?」

「僕はこれからテストで一番を取り続けます。もし一度でも二番以下になれば、その時は塾へでもどこでも行きます。それまでは……僕の好きにさせて下さい。お願いします!」

 

 そう言って僕は頭を下げた。ママの顔を直視するのが少し怖かったのもある。ママはしばらく黙って考えていたけど、やっぱり認めてくれない。

 

「いい加減にしてちょうだい。これは一生に関わる問題なのよ? 悪い事は言わないから塾に通いなさい」

 

 強い口調だった。以前もこんな感じで部活動を禁止されたっけ。だったら、やっぱり譲れない。

 

「行かないよ。無理矢理入塾させたって、僕は通わないからね」

「……はぁ、困ったわね。そこまでして一体何をやりたいと言うの、学ちゃん?」

 

 ママの声色がこれまでと違って聞こえた。なんて言うか、少し優しくなった感じ。僕は顔を上げてママを見た。笑顔じゃないけど、怒っているワケでもなさそうだ。

 

「アメフトって知ってる?」

「アメ……フト?」

 

 そこから僕はプレゼンテーションを始めた。

 

――僕がスポーツをやる事にどれだけの意味があるのか。

――大会に勝ち抜く事でどれだけの価値が生まれるのか。

――それらが就職に関してどれほど有益に働くのか。

 

 僕のプレゼンを聞き終えて、ママは口を開けたまま固まっている。小一の子供が大手企業でも通用しそうな内容を語ったのだから当然だろう。半分近くはヒル魔君の受け売りだけど……。

 

 最終的にママは僕の提示した条件で納得してくれた。かなり渋々だったけどね。でも、これで心置きなくアメフトに集中できる。お手本となるプレーは山ほど見て来た。ベンチ要員だった僕は誰よりも人のプレーを見てきたという自負がある。今の内から正しいフォームを真似た走り方や捕球の仕方を徹底すれば、僕はもっと速くもっと強くなるはず……いや、必ずそうなって見せる。

 ある程度体が大きくなるまでは焦らずゆっくりやろう。骨格が出来てない内に無理をして筋や関節を痛めたら元も子もない。今の僕に出来る事と出来ない事を見極める必要がある。

 以前の僕に出来た事、それはパスルートを使わずに瞬時の状況判断でクォーターバックの投げる場所を察知して走る速選(オプション)ルート走行だ。でもこれは必殺技と呼べる技術じゃない。アメフトをよく理解して観察力と判断力があれば誰にでも出来てしまう。これを対処困難な必殺技に進化させるには、僕の身体能力向上が不可欠だろう。

 レシーバーは多くを求められる。マークを振り切るスピード、確実なキャッチ力、空中戦を制するジャンプ力、他にも正確にパスルートを走る安定性や当たりに負けない柔軟性など挙げればキリがない。

 スピードならバック走の一休君、ジャンプ力なら鷹君や桜庭君、キャッチ力ならモンタ君、安定性なら鉄馬君、皆がずば抜けていた。どれ一つとして以前の僕に勝てる要素は無かった。それでも僕がレシーバーとして彼らと戦う為には、以前の僕にはなかった新たな武器が必要だ。

 オプションルートだけでは不十分。元々細身の僕は筋肉が太りにくく、体格で勝負をするのも難しい。やるとしたら速さと高さだ。身長が伸びる事は分かっている。それでもジャンプ力で彼らに勝てるとは思えない。ならば方法は一つしかない。

 

――スピードで勝つ!

 

 40ヤードでは勝てなくてもいい。僕は5ヤードで勝ちたい。5ヤードだけでいい。5ヤードだけ勝てる疾さが欲しい。絶対的な5ヤードの疾さとオプションルートがあれば、僕は彼らと戦える。その為なら、どんな犠牲も厭わない。僕は必ずその5ヤードを見つけ出す。

 

――さぁ、始めよう。凡才の、凡才による、凡才の為アメフトの開幕だ!

 

 そして早朝のラジオ体操に始まって、夜の柔軟体操に終わる生活がスタートしたのだった。

 

 




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3話 いきなりの脱線!?

「約束通り1番の成績を取ってる学ちゃんはとっても偉いわ。だからママ文句は言わないけれど、野蛮なスポーツで怪我でもしたら一生を台無しにするわよ。今からでも塾に通えば行きたい大学がより取り見取りなのに……はい、水筒とお弁当よ。車には気を付けてね。あと知らない人に付いていっちゃダメよ?」

「う、うん。気を付けるよ」

「暗くならない内に帰って来るのよ。帰ってきたら予習を忘れずにね。それから――」

「い、いってきまーす」

 

 僕はママの話が終わるのを待ち切れず家を飛び出した。クラスでトップの成績をキープする事で僕がスポーツする事に渋々納得してくれているけど……やっぱり快くは思ってくれてないのかな?

 

 僕の朝は早い。ラジオ体操と軽いジョギングで全身の筋肉をほぐすのが日課だ。平日は学校に通って夕方には家に帰る。そして夕飯前に適度なトレーニングをして、お風呂上りには入念なストレッチを行う。これには筋肉が伸びやすくなっているのと疲労回復の効果がある。

 

 僕の夜も早い。どんなに遅くても夜9時には寝るようにしている。テレビ番組はニュース以外興味が出ない。今更アニメっていう精神年齢じゃないしね……。

 大人にとってもそうだけど、子供にとって睡眠はとても大事なファクターだ。成長ホルモンの分泌と深い睡眠はアスリートの体作りに欠かせない。

 

 がり勉の僕は夜型人間だったのに……よくあれだけ身長が伸びたなぁ。

 

 僕は来年から小学四年生になる。この三年間は神経系トレーニングを中心にやりつつ、走り方のフォーム改善にも注力してきた。体はリセットされてても、記憶という経験則が自然と以前の僕の走りを再現しちゃうんだよね。この矯正にはかなり時間がかかったよ。まさか記憶に苦しめられるとはね……それでも走りのフォームは格段に良くなった。

 お手本は僕の知ってる人物の中で一番走法の技術に長けた陸君だ。西部ワイルドガンマンズのエースランナーにしてセナ君の兄貴分でもある彼のフォームは本当に綺麗で無駄が少ない。進君が教えを乞うのもよく理解出来る。セナ君だって彼の教えを受けたからこそ、あそこまで速く走れるようになったと言っても過言じゃない。

 面と向かっては言えないけど、僕も心の中では師匠と呼ばせて貰おう。彼が得意とするロデオドライブも走法テクニックの一つで、膝を曲げない大股ステップで上体をロデオのように揺らしてスピードに緩急とつけるチェンジオブペースだ。セナ君のストップ&ゴーとは違って、こっちはハイ&ローだね。セナ君のデビルバットゴーストもクロスオーバーステップを利用したカット技法で、どちらも練習次第で誰にでも身に付ける事が出来る。もちろん簡単じゃないけどね。

 

 だから僕でも練習すればきっと出来る……はず、多分。

 

 でもセナ君と同じ走法を身に付けたからと言って彼のような走りが出来るかと問われたら……答えは、否だ。煙のように消えてディフェンダーを抜き去るなんて、セナ君の超人的なスピードとカットがあって初めて為し得る絶技だからね。残念ながら僕はそのどちらも持ち合わせていない……今のところは、ね。

 

 そうは言っても走力自体は確実に上がってるよ。一年生の一学期はクラスでも下から数えた方が早かったけど、三年生の三学期には学年で6位になれた。小学校を卒業するまでに1位を取るのが当面の目標かな。走りのフォームが年々良くなってると体育の先生も褒めてくれた。この先生は陸上部の顧問で運動熱心な僕に何かと目をかけてくれる。なるべく多くの競技を経験したい僕には大歓迎さ。

 

 

 さて、そんな僕が休日の朝からどこに出掛けているかと言うと、市内で一番大きい泥門総合運動公園だよ。日曜日の午前中は欠かさずココに来て三時間は遊んでいく。運動公園の遊具って本当に考えて作られてるよね。遊んでいるだけで敏捷性やバランス感覚を養う事が出来るし、無料だし小言も聞かなくて済むから一石三鳥かな。

 最初は友達と一緒に通ってたんだけど、今じゃ僕一人だけになっちゃった。日曜の朝は見たいテレビがあるんだって……でも寂しくないよ。午後になれば学校のグラウンドで野球とかサッカーして遊ぶ約束だからね。

 それに健康オタクを自称するおじさんとも仲良くなったんだ。最初は知らない人だったけど、毎週会う常連さんだから顔見知りになったよ。40ヤード走のタイムだって計ってくれるし、キャッチの練習にも付き合ってくれる。自分でボールを投げて捕る事も出来るけど、投げて貰った方が何倍も練習になるからね。おじさんは野球の方が好きみたいだけど、少しくらいの我が儘は子供の特権だよ。

 

 子供の頃から遠慮してたら人生なんてずっと我慢で終わっちゃう。

 後悔なんてしたくない。だから僕はそういう生き方をするよ。

 

 

 そうそう、この前偶然姉崎さんと会ったんだ。小学生の姉崎さんは初めて見たけど、とても懐かしく思えたよ。僕の事は知らないみたいだった……当然か。セナ君を探してたけど、僕は見てないって答えた。セナ君って休みの日までパシリやってたの?

 気の毒だとは思うけど、パシリの経験があの超人的なカットを生む。そう考えると……迂闊な事は何も言えない。でも、セナ君ならきっと大丈夫さ。僕と違って天才だからね。

 

 それより姉崎さんの可愛さは半端じゃないね。御幣を恐れずに敢えて言おう、僕の学校には彼女ほど可愛い子はいない。そう言えば、あれからヒル魔君とはどうなったんだろう? 大学からは皆と本当に疎遠になっちゃったからなぁ。付き合ってたってのは都市伝説だよね?

 泥門ってヒル魔君とセナ君以外、女っ気なかったよね。僕なんか医大生で長身なのにモテた記憶がないぞ。

 

 くそっ、どうしてだ!?

 もう三高は時代遅れなの!?

 それとも僕が凡人だったからなのか!?

 凡才には彼女も出来ないと言うのか!? 

 

 確かに才能も欲しいけど、彼女が欲しくないと思った日はない。でも、今の僕にはアメフトが全てだ。アメフトしか見えないと言っても過言じゃない。でもまぁ……応援してくれる可愛らしい彼女くらい、いてもいいよね。悪いっていうなら論理的に証明してくれないと僕は納得出来ないよ。彼女がいた方が何かと励みにもなるだろうし、試合を見に来てくれたらテンションも上がるだろし、マネージャーになってくれたらいつも一緒にいれるよね。そしたら僕は三倍頑張れる気がする。

 

 よし、彼女を作ろう!

 

 幸い今の僕には大人の老練なテクがある。その手のハウツー本は何冊も読破して完全に暗記している。実践した経験はないけど、女性を喜ばせるトーク術も勉強済みだ。

 ギャップに萌える女性は少なくない。男性にも同じ事が言えるからね。でも僕にワイルドさは皆無だ。それならば僕の戦えるフィールドで勝負すればいい。褒められ喜ばない女性はそうはいないし、優しくマメな男性は好かれやすい。大事なのはそれを意中の女性に向けて実行する事だ。誰にでもやってしまえば只のチャラ男に成り下がる。

 

 大丈夫だ、僕はやれる!

 I can do it!!

 

 自己暗示は潜在意識や能力を引き出すのにとても便利だ。僕は鍛錬でも暗示の力も併用している。イメージトレーニングやメンタルコントロールはスポーツマンとして試合でより良いパフォーマンスを発揮するのに役立つ。

 恋愛だって似ていると思う。駆け引きも必要だけど、時には思いっきりぶつかる事も重要だ。臆病になっていたら一生勝負なんて出来ない。

 

 やるぞ。やってやるぞ!

 凡才だって彼女が出来るって事を証明してやるんだ!!

 




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4話 成長と試練

 光陰矢のごとし。

 小さい頃の時間間隔は長いって言うけど、僕にとってはあっという間だった。これは精神的なものが大きく影響しているのかもしれない。僕は同級生の中では大人びていて、先生からは達観していると言われた。当たり前と言えば当たり前だけど、社会人だった僕が子供相手に胸をときめかせたらある意味問題だ。誓って言うけど、僕はロリコンじゃない。

 もし万が一そんな事になれば僕はコンクリートに頭を打ち付けてでも正気を取り戻そうとするだろう。姉崎さんを可愛いと思ったのも多分自分の娘が一番的な感情に近い思う。今の僕はもう色恋沙汰に対する関心は失せた。少なくとも肉体的に未成熟なうちは考えない事にした。せっかく得たチャンスをふいにしたくないからね。

 

 Orandum est, ut sit mens sana in corpore sano.

 

 健全なる精神は健全な身体に宿ると訳される格言だけど、これは古代ローマの風刺詩人・ユウェナリスが綴った詩の一節でもある。でも厳密に言うと、この翻訳は間違っているんだ。この詩は多くの欲はいずれ身の破滅に繋がるという戒めを詠ったものなんだよ。極論すると「青年よ大志を抱くな」って言ってるわけさ。これを聞くと僕はキッド君を思い出す。

 ただし、ここで言う大志は富や地位、名声や栄達といった利己的野心を意味している。ちなみにクラーク博士の言葉で有名な「少年よ大志を抱け」は、そう言った野心じゃなくて人間としてあるべき全ての事を達成せんとする大志を持てと言っているんだよ。

 

 人生をやり直すっていう大きな幸運を得た僕が、あれもこれもなんて欲張るべきじゃない。それでも僕にとってアメフトは夢だ。その為だったらどんな対価も厭わない。そう思っていたんだけど……流石に、あの代償だけは想定外だったな。

 

 

 少し脱線したから、話を戻そう。

 僕は自分に才能がない事を知っている。でも、僕は自分が何をすれば良いかを知っていた。セナ君や阿含君のような超一流選手は試合中まるで己と外界を遮断したかの如き集中力を発揮する。その状態に入った時の彼らは常軌を逸したプレーを見せる。

 僕にあれを真似る事は出来ない。努力うんぬんの問題じゃなくて、彼らは本能型の極みなんだ。本能型は感覚的に直感でプレーする。僕は知略型だからスタイルが全然違う。まぁ阿含君は知略を併せ持った本能型だけどね。

 

 そんなワケで、僕が目指すのは知略型の極み。これ以外に僕の目標到達点はない。その為に必要な事はもう始めている。

 

 培ったスポーツ医科学の知識と経験は、予想以上に早く僕の基礎体力と運動神経を向上させてくれた。最良の結果を想像して強く意識する事はトレーニング効率を倍増させる。僕は常に考えて、実現させたい理想をイメージした。

 そこでいいと思った人間はそこで終わる。諦めて思考を停止したら、そこで試合も成長も終わってしまう。限界を決めるのはいつだって自分自身なんだ。凡才の僕が自分に妥協したら天才には一生勝てない。だから僕は僕に誓った――絶対に諦めないと。

 

 努力が報われれば自信になる。努力が報われなくても経験になる。

 

 小五の秋になって僕は初めて短距離走で1番を取った。学年だけじゃなくて六年生も含めた全校生徒の中で一番のタイムを出したんだ。これは小四から始めた坂道トレーニングのおかげだと思う。短距離を爆走するにはもも裏やふくらはぎの筋肉を意識して使う事がとても重要で、僕は陸君の走りを意識してこのトレーニングを続けた。僕の下半身はまだまだ細身だけど、以前に比べてかなり逞しくなったと思う。あっ、別に卑猥な意味じゃないよ。

 人間の筋肉繊維には大きく分けて二つある。速筋と遅筋だ。前者は瞬発力に優れ、後者は持久力に優れている。速筋の割合が多い人ほど足は速くなりやすい。残念ながら筋肉繊維の数は遺伝によって決まっている。速筋の割合が多いのは黒人であり、逆に日本人は遅筋の割合が多い。抗い切れない身体能力の差は遺伝子レベルで決定していると言えるかもしれない。

 でも僕はそれを知っている。パンサー君のようになれるなんて微塵も思っていない。セナ君や陸君を目指すのだって分不相応だと思う。そして僕は彼らを知っている。

 

 彼を知り己を知れば百戦危うからず。

 自分が弱いと知る事は恥じゃない。逆に強いと満足してしまえば成長は止まる。上には上がいて、僕が目指す頂きはそのさらに上だ。それを肝に銘じていれば、僕は十分戦える。

 

 僕は小五で初めて学校の代表に選出されて、都の陸上大会に出場した。大会当日は両親と姉の家族総出で応援に駆け付けてくれた。この頃タッチフットの試合もやっていたけど、ママが見に来た事は一度もない。この時ばかりは自分がやってきた事を認めて貰えた気がして少し涙が出た。後で聞いた話だけど、ママは僕が試合で怪我する場面を見たくなくて来なかったらしい。

 家族の応援もあって僕はいつも以上の走りが出来た。表彰台には立てなかったけど、自己ベストを更新して8位入賞という好成績を残した。六年生がひしめく中で快挙と言える。両親は手放しで喜んでくれたけど、僕は満足出来なかった。

 足が速くなればなる程、背が伸びれば伸びる程、僕はもっともっとって貪欲になっていく。僕の基礎体力は小学生としては『上』の部類にまで向上している。同級生でも阿含君や一休君は『特上』だ。阿含君がその気になれば、様々な競技の記録を塗り替えるだろう。今のところ彼にその気はないみたいだけど。

 

 でも、だからこそ僕はこんな所で満足してはいられない。

 これからは持久力が伸びて来る時期だ。体幹トレーニングと併用して特別なメニューを組む必要がある。勝つという意欲も大事だけど、それ以上に重要なのは勝つ為に準備を整えるって意欲だ。

 

『0.1秒縮めんのに1年かかったぜ……ッ!!』

 

 僕はヒル魔君を尊敬している。彼は知略型を極めた一人だ。彼のようになりたい。彼の横に立って共に戦いたい。そして……彼に勝ちたい。

 以前の僕は八年のアメフト人生の中でそれを為し得なかった。でも今度は負けない。模倣は憧れの表れでもあるけれど、上達への王道でもある。中途半端にやれば只の猿真似で終わるだろう。でも、とことんやればそれは誰にもマネ出来ないものに変わると信じている。

 

 その準備の第二段階として、僕はタッチフットを始めた。僕の学校や区内にはタッチフットのチームがなくて、見つけるのに苦労した。図書館のパソコンで検索して見たけど、ホームページを開設しているチームは少ない。せっかく見つけても遠方が多くて子供一人じゃ通えない。僕は大丈夫なんだけど、両親の許可が下りないと思う。結局学校の体育教師に隣町のチームを紹介して貰った。

 でもそのチームは地元意識が強くて、よそ者の僕を歓迎してはくれなかった。そのくせチームの成績は最悪で、これまで15戦やって1勝もしてないそうだ。

 僕は練習でも除け者にされた。アメフトをやる為に何年も鍛えてきた僕は、並の小学生じゃ相手にならない。特にこのチームにはエースと呼べる存在がおらず、監督にすれば僕の参入は頼もしく、選手達にすれば面白くなかったんだと思う。

 

 だから僕は、ある決断をした。

 

「試合には出ないじゃと?」

 

 監督は目を見開いて驚いている。即戦力として期待していたのだから当たり前か。

 

「はい」

「どうしてかな? 解るように理由を説明しなさい」

 

 監督は普段温厚なお爺さんだけど、この時の目は鋭かったなぁ。嘘は見破られるとなぜか思えた。

 

「僕はスカウティングがやりたいんです。敵チームの陣形や戦術、選手の特徴、シチュエーション毎のプレーを分析して、対策を講じる事でチームの勝利に貢献したいと思っています」

 

 だから僕は半分だけ本当の事を言った。老監督は少し困った顔をして、それからニコリと笑った。

 

「ほっほっほ、好きにやりなさい。ただし、チームの皆が君の出場を望んだら……その時は、応えてやってくれんかね」

「……判りました」

「うむ。頼んだよ、ほっほっほ」

 

 こうして僕のスカウティングとしての戦いがスタートした。監督に言った言葉に嘘はない。僕が目指すプレースタイルに分析能力と観察力は不可欠だ。ビデオではもう何百何千回とプロの試合を見て来たが、アマでも直に見る試合から得るものは大きい。特にエース不在のこのチームを勝たせるには、相当な戦略(タクティクス)が必要となる。試合に出ないと言うのは苦渋の決断だったけれども、僕は悔しさよりワクワクする楽しさを感じていた。

 一方の選手達は僕が試合に出ないと分かるや、ホッと胸をなで下ろしている。多分レギュラーを奪われずに済んだと思っているのかな。子供なんだから保身よりももっと向上心を持って欲しいけど……。

 

 

 僕が加入して一ヵ月、チームは相変わらず連敗記録を更新していた。これまでの試合を見て判った事がある。このチームの選手は悪い意味で負ける事に慣れていて、勝利に対する意欲や執念が感じられない。負けても平気で笑っているくせに、レギュラーの座だけは死守したいなんてとんだお笑い草だ。

 これじゃあ勝てる試合も勝てないよ。僕が出場すれば勝てる確率は上がる。でも、それじゃあ意味がない。チーム全体で勝ちたいって意志がなきゃ、格上相手に奇跡は起こせない。監督は置物のように座って、たまに笑っている。まるで好々爺だ。チームの現状を理解しているはずなのに、何も言わない。

 相手の不意をつく作戦が成功するのは一度までだ。あとは勝負どころで勝負しなきゃ、せっかくの仕込みや作戦も意味がない。

 

 僕は入るチームを間違えたのかな!?

 

 




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5話 挫折という過程

 泥門高校に入学するまでは、ココには来ないつもりだった。

 高校生になるまではあの人に会わないつもりだったのに……僕の心は大きく揺れる。

 

 ココは大学卒業後を見据えた中高大の連携した一貫教育を行っている学園都市・王城。

 僕は今、その街に来ている。目的は大学時代にお世話になった高見さんに会うためだ。もちろん高見さんは僕を覚えていない……と言うより、名前すら知らないだろうけどね。

 

 今の僕は負の連鎖、最低の悪循環に陥っている。

 原因は解ってる。チームが勝てないせいだ。小五になってから始めたタッチフット、だけど僕は試合には出ていない。試合中は敵チームを分析し、的確な作戦を提案するのが僕の役目だ。僕はこのスカウティングを買って出た。

 自惚れるワケじゃないけど、観察力と分析能力にはそれなりの自信があったんだ。その力をもっと磨いていくつもりだった。でも……僕がチームに入って三ヶ月、未だ1勝も出来ていない。能力的にも頭一つ抜け出している僕は、練習でも孤立してチームメイトとの溝は深まるばかり。

 彼らは勝利の喜びを知らない。一度でもその味を知れば、きっと虜になるはずなんだ。何とか勝たせてあげたいと思って色々戦術を練ったけど、僕の言葉は彼らの心に響かない。

 

 何が違う!?

 僕とヒル魔君で何が違うんだ!?

 

 ヒル魔君の言葉は胸の奥深くにまで浸透した。絶望的な状況にあっても魂が奮え、体が熱くなって心が勝利を渇望する。彼の言葉には、そんな魔法のような力があった。

 

 僕は塾には通っていないけど、この前一度だけ塾に行った。学校で一番の成績を取っている内は塾に行かなくても良い約束だったけど、ママがどうしても全国模試だけは受けておきなさいって。

 普通のテストと違って全国模試の難易度はかなり高くて、以前の僕はプレッシャーに負けてあまり良い点数を取った記憶がない。でも今の僕は以前とは違う。医大を卒業した学力をベースに、小中高の内容も毎日復習している。算数のケアレスミスで満点は取り損ねたけど、それでも500点満点中498点ならトップだと思ってた。郵送されてくる成績表を見るまでは……。

 

 結果は全国3位。

 

「偉いわ、学ちゃん! 今夜はお祝いよ!」

 

 ママは喜んでくれたけど、僕の心は複雑だった。僕より上が二人もいる。今回の試験は例年よりも難しく、各教科の平均点はどれも前回を下回っていた。現に4位の子は僕より20点も低い。そんな中で今回満点を取った子が二人もいるなんて……。

 

 ショックだった。

 確かに最近はチームを勝たせたい一心で勉強が疎かになっていたのは事実だ。作戦を練るのに時間を割いたけど、それは言い訳に過ぎない。それより何よりショックなのは……1位の二人が、阿含君とヒル魔君じゃないかと思えた事だ。

 

 唯一得意だった勉強で……さらに高めた学力なのに……僕は、小学生の彼らにも勝てないのか……。

 

 付属資料の解答解説を見た。僕の間違えた問題にはケアレスミスしやすいと書いてある。計算自体は苦手じゃないけど、高校時代に五教科の成績で数学だけが4だった。解ってたはずなのに……結局、僕は何も変わってない。

 

 僕とヒル魔君の違い……多過ぎて挙げ切れないよ。

 戦術面で僕にあって彼にないものなんてないんじゃないかな。逆に僕はないものだらけさ。

 解ってる。判ってたのに…………どうして涙が出るんだろう?

 

 いつの間にか溢れた涙で解説資料が濡れていた。言い表しようのない悔しさが胸を締め付ける。僕はママに聞こえないように、声を殺して泣いた。

 

 

 そして週末となり、僕は今ココにいる。

 情けない話だけど、一目高見さんの顔を見たくなったんだ。慰めて貰おう、何か助言を貰おうとか、そう言うのじゃない。うまく言えないけど……ただ会いたい、それだけだよ。あっ、言っておくけど僕にそっちのけはないから誤解しないでね。

 

 本当はもっと前からココに来たかった。高見さんが小学生からタッチフット一筋なのは知ってたし、一人で個人練習をやってた河川敷の高架下があるって話も聞いていた。でも来る事には少なからず躊躇いがあった。

 理由は高見さんの足だ。僕は高見さんが交通事故で怪我すると知ってた。高見さんは僕の恩人で、先輩だけど親友で、大切な相棒だ。僕は神様じゃないけれど、高見さんだけは救いたかった。でも事故がいつ起きるか、どうやって防ぐか見当もつかない。予知とか言っても信じて貰えないだろうし、頭のおかしい奴って思われても困る。

 必死にあれこれ考えたけど、考えてる間に事故が起きてしまえば意味が無い。考える時間が無駄だと思って僕はすぐに匿名で電話した。信じて貰えなくても注意は促せる。でも、本当に考えてる時間は無駄だった。だって、事故はもっと早く僕が戻る以前に起こっていたんだもん。それでも僕はココを避けるようになった。何も出来なかったという負い目があったのかもしれない。

 

 僕は無力だ。

 一人の恩人すら救えない。

 小学生にも勝てず、チームに何の貢献も出来ない。

 

 部屋に篭っていると頭がどうにかなりそうだった。

 土曜の夕刻は人通りも多い。僕は件の河川敷を道行く人に尋ねた。教えて貰った通りに川沿いを歩くと――。

 

「……あっ」

 

 自然と声が漏れた。

 

 手書きであろうコンクリートの的に目掛けてボールを投げる、小学生の高見さんがそこに居た。一心不乱に投げ続けているが、ボールは的を外す事の方が多い。足を気にする仕草が目に入ると、僕の目からまた涙が零れた。どうも最近は涙腺がバカになってるみたいだ。

 

 どれだけそうしていただろう。高見さんが僕の視線に気付き話かけてきた。

 

「あの……もしかして、アナタも投げてみたいんですか?」

 

 そんな顔をしていたのかもしれない。まだ小学生だから聞き慣れた声より少し高いけど、懐かしいなぁ。でも、どうして敬語?

 

「えっ、あっ、はい。は、はじめまして。あの、ぼ、ぼぼ僕の名前は雪光学、しょしょ小学五年生です」

 

 うわっ、緊張して口がうまく回らないよ。精神は大人なのに……恥ずかしい。

 

「えっ!? 五年生!? てっきり中学生かと……すまない。僕は高見伊知郎、六年生だよ」

 

 確かに僕は以前より背が伸びるのが早くて、小五ですでに162cmある。成長期のこれからもっと伸びるだろう。でも――。

 

「そう言う高見さんこそ170あるんじゃないですか?」

「ははは、まだ167cmだよ。雪光君の場合、身長だけじゃなくて雰囲気がどこか大人っぽくてね」

 

 そう言って高見さんは笑いながらボールを差し出てくる。 

 

 しまったな。顔が見れたら満足だったのに、勢いで「はい」って言っちゃったんだっけ。

 笑顔の高見さんに断りを入れるのも忍びないし……。

 

「よ、良かったら一緒にパス練習しませんか? 僕レシーバー志望なんです」

 

 高見さんは少し驚いた顔をして、その後自分はクォーターバックだから丁度良いって笑顔を返してくれる。まだ試合経験はないって正直に伝えたら、簡単な基礎からスタートした。この頃から高見さんは後輩想いで面倒見が良いのか。

 高見さんのパスを受けていると、大学時代を思い出す。僕のせいで負けた試合も少なくない。あのパスが通っていれば……。

 

「じゃあ少し離れて本格的にやろうか。捕れなくても無理しなくていいからね」

 

 やっぱり高見さんは優しい。でも……。

 

「あっ、ごめん。ちょっと高過ぎ――えっ!?」

 

 予定より高い軌道のパスを投げてしまい謝る高見さん。

 

 謝らなくていいです。謝るのはむしろ僕の方だ。

 さっき高見さんが言った事、僕は聞けません。

 

 僕はボールに向かって全力で駆ける。そして思い切り地面を蹴った。

 

 高見さんのパスは全部捕ります。

 捕って見せます。

 

 渾身のジャンプで飛び上がった僕は懸命に両手を伸ばす。

 

 届け……届け……届け。

 見てて下さい、高見さん。

 これがまだ日本一低いけど、初めての『超高層パス』です。

 

 少し回転にブレのあったボールを、これまで鍛えてきたホールド力で強引に掴む。そして、掴んだら絶対に放さない。すぐさま脇の下へと抱え込んで着地した。

 

 ……や、やった!

 やりましたよ、高見さん!

 

 高見さんは僕の一連の動きを見て放心している。我に返った後は大慌てで僕を褒めてくれた。質問攻めにもあった。本当に始めたばかりなのかとか、どんな練習をやってるのかとか、色々聞かれたけど、正直あまり覚えていない。ハッキリと覚えているのは、最後のやりとりだけだ。

 

「雪光君はどうしてタッチフットを始めたの?」

「えっ、どうしてって……それは……その……た、高見さんこそどうして続けてるの?」

 

 質問に質問で返すのは卑怯だと思ったけど、高見さんは気にしなかった。

 

「僕はタッチフットが大好きなんだ。だから足が遅くても、下手くそでもやめないよ。もっともっと練習して上手くなって、僕が投げてチームを勝たせるんだ!」

「高見さんはすごいね。チームの為にそこまで……」

「チームの為じゃないよ」

「えっ?」

「僕の為だよ。チームの為になんて思っても、僕はたぶん頑張れない。でも、僕の為なら僕は誰よりも頑張れる。そしたらさ、それがチームの為にもなるって思わないかい?」

 

 雷に打たれたような気がした。微笑む高見さんが輝いて見える。

 

 敵わないなぁ……この人には。

 

 ふと気付けば時計の針は夜6時を回っていた。

 

「それにしても凄かったね。あんなキャッチ初めて見たよ。雪光君はどこチームに所属してるの? 中学はもう決めたかい? 僕は王城大付属中に行くつもりだけど、君となら「アアアっ!?」……へっ?」

「ま、不味い……うわぁ、どうしよう!?」

「ど、どうしたんだい……?」

「高見さん、済みません! 僕もう帰らないと! じゃあ、また!」

「えっ、ああ。またね」

 

 僕は急ぎ帰路に付く。

 

 ヤバい、絶対怒ってるぞ……ママ。

 高見さん最後に何か言ってたけど、聞きそびれちゃったよ。だけど、おかげで僕の迷いも晴れた。

 

 勝たせてあげたい?

 チームのため?

 勝利の喜びを?

 ハっ……何様のつもりだよ、僕は!?

 

 ちょっと運動が出来るようになったからって調子に乗って……くそっ、チームが勝てなかったのは僕にも一因がある。

 本気にはなってたつもりだったけど、本当の意味で僕はまだそうじゃなかった。チームの一員でもなかったんだ。僕に他人を非難する権利なんてないじゃないか。

 

 ヒル魔君の言葉が胸に響いたのは、彼が本当に勝ちたがっていたからだ。他の誰の為でもない、いつも自分の為に本気だった。その為の準備を、やれる事を全部やっていた。そんな彼だから、僕は尊敬していたんじゃなかったのか。

 

 勉強は出来ても、僕は馬鹿だなぁ……。

 高見さん、貴方はやっぱり僕の恩人です。ありがとうございました。

 

 軋轢を恐れていては何も出来ない。衝突を避けていては人は動かせないんだ。僕は僕の非を認めて、明日チームの皆に頭を下げよう。そして、その上で皆にぶつかろう。

 

 今度こそ嘘じゃない。

 僕は本気だ。僕は僕の為にチームを勝利に導いて見せる!

 

 

 そうして僕は意気揚々と帰宅し、こってりとママに叱られた事は言うまでもない。

 

 

 




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6話 大きな代償

 物語にはすべからく始まりがある。

 しかし、誰もがその始まりに気付くとは限らない。僕の場合は――。

 

 

 努力は報われると信じている。

 ただし成功は二次曲線のような軌道を辿り、すぐに実を結ぶわけではない。しばらくの間は我慢の時が続く。その間も努力を怠らず、前に進み続けた者だけが成功を手にする。それまでに要する時間は人によって大きく異なるが、大事なのは決して諦めてはいけないという事だ。

 

 高見さんと会ってから僕は変わった。いや、変われたという方が正確かな。僕はチームへの接し方を変えた。それまでの僕はチームワークの意味を誤解していた。皆の輪を壊しちゃいけないと無意識に考えていたんだと思う。

 でも、そうじゃなかった。本当のチームプレーは個々人の勝ちたいって思いと勝たせてやるっていう意志によって初めて生まれるものなんだ。チームプレーごっこなんて必要ない。

 

 アメフトは軍事と深いつながりがある。フィールドは戦場で、求められるのは戦士なんだ。弱卒は生き残れない。だから僕は馴れ合いを止めた。チームメイトへの遠慮を捨てて自分を主張した。試合にも出たいと言って頭を下げたんだ。

 反発の声は多かった。突然手の平を返したんだから当然だよね。特に六年生は年下なのに偉そうな僕を嫌悪してたと思うし……。

 それでも意志は伝染する。僕の勝ちたいっていう強い意志は下級生を中心に少しずつ蔓延していき、同級生の半数にまで広まった。勝利への意志は彼らを変えた。練習でも試合でも積極的に僕の意見を聞いてくれるようになったんだ。それでもレギュラーの多くは六年生だから、すぐ試合に勝てたわけじゃない。

 結局、五年生の僕がフィールドに立つ事は一度もなかった。最後まで六年生が首を縦に振らなかったからね。まぁ自業自得の結果だと思う。最初から素直にしていれば……多分違ってたはず。

 でも後悔はない。自分が未熟だったと知れた事は、そこからまた成長出来るって事だもんね。試合に出れなくても、僕は僕の為にベストを尽くした。正直、試合には出たかったけどね。でも、口が裂けても言わないよ。僕だって男だ、約束は守る。

 それなのにチームが初めて試合に勝った日、僕は大泣きした。同級生や下級生のせいだ。彼らが口を揃えて僕のおかげだなんて言うから…………男なのに、僕は泣き虫だ。

 

 六年生になって漸く僕は試合に出る事が出来た。デビュー戦は手足が震えた。武者震いってやつだよ。相手はあの鬼兵さんがいたチームだったけど、僕らは32対6というスコアで圧勝した。鬼兵さんの抜けた穴は大きかったみたいだね。去年までは全く歯が立たなかったのに……。

 その後も連戦連勝して、とうとう地区大会で優勝したんだ。都大会のトーナメントじゃ二回戦であっさり負けちゃったけど、あの時勇気を出して本当に良かったと思う。他の子より頭半分以上大きかった僕は、地区のパス記録を塗り替えて最優秀選手に選ばれた。不覚にもまた泣きそうになったけど、そこは何とか我慢したよ。

 井の中の蛙だって言われるかもしれないけど、凡人の僕にとっては快挙だ。徒競走で表彰された時よりも全然嬉しかったし、これからも頑張ろうって気持ちになれた。確かなバックボーンがあるのに、小学生に負けてちゃ話にならないもんね。

 

 その頃にはチームメイトともフレンドリーになってて、親しみを込めて僕をあだ名で呼んでくれる――ハゲノッポ、と。

 

 そう、僕の『ハゲ』伝説はすでに始まっていた。

 

 現実は残酷だ。

 子供は正直なだけで何も悪くない……と思いたいけど、僕につけられたあだ名をいくつか紹介しよう。

 

 ハゲノッポ――これは見たままだね。

 デコ神――ご利益あるかな?

 なまはげ――意味が違うよ。

 ハーゲンダッツ――商品に失礼だよ。

 インテリハゲ野郎――悪口の境界線ってどこだろう?

 

 気にしたら負けだと思って来た。鏡の前に立つ度、何度思った事だろう。

 

 あれ……前よりおでこ広くない?

 ……いやいや、気のせいだ。きっと練習で疲れ目になってるせいだよ。

 

 僕は見て見ない振りをしてきた。でも僕は……ハッキリと自覚していた。

 努力すればする程、髪の毛が抜けるという事実を――。

 

『アリェナァアイ!!』

 

 幻聴まで聞こえる。それでも僕は努力する事を止めれなかった。凡才の僕が努力を止めれば、そこで成長が止まってしまう。今のままでも小学生や中学生相手ならばそうそう負ける事はないだろうけど、高校生や大学生になれば僕のアドバンテージは消える。あそこは超人達の溜まり場だ。

 だからこそ僕は死に物狂いだった。汗を流した分だけ髪が抜け、走った分だけまだ髪が抜ける。ならばと思い握力を鍛えてみても、どういうわけか髪は抜けた。お風呂場で、ベッドの上で、姿見の前で、抗え切れない現実を目にして、何度心が折れかかっただろうか。

 

 子供は無邪気だけど、中には悪意のある子もいる。一年生の頃から何かと僕に絡んできた。

 

「この前辞書で調べたんだけどさ……前髪って、額の上部にある頭髪を指すんだって。おかしいなぁ、雪光君にはそれが見当たらないね」

「……」

 

 学年で二番目に成績の良い黒縁眼鏡をかけた男子だ。

 クラスが違うのにまるで待ち伏せていたかのようによく遭う。

 

「知ってる? おでこの広い人って知的に見えるんだって。特に頭のいい君は……もうすぐ後頭部まで広がりそうだね、おでこが」

「……」

 

 僕は生まれてから一度も喧嘩をした事がない。どちらかと言えば、温厚な人間だと思う。

 でも……なんだろう、この感情は?

 チームメイトにハゲと言われた時には感じなかった気持ちだ。

 

「僕は何百メートル離れていても雪光君を見分ける自信があるよ。だって君は無駄に背が高いし、頭も……目立つよね。実にうらましいよ、あはははは」

 

 僕の中で何かが切れる音がした。

 僕の視線は20cmも低い子供に向けるものじゃなかったと思う。

 

「うらやましいの? だったら僕と同じに……いや、僕以上に知的にしてあげるよ」

「……え?」

「遠慮しなくイイよ。君にはきっと才能がある。だからそれを無理矢理伸ばして……いや、むしり取ってでも光らせてあげるから。クククククッ」

「ひぃぃ……あ……あ……」

 

 その子は腰を抜かして尻餅をつき、半泣きでおしっこを漏らしてしまった。

 先生が駆け付けてその場は収まったけど、後で僕は職員室に呼び出された。事情を説明して納得はして貰えたけど、もう少し大人になれと言われた。

 

 大人気ない事をしたとは思っていない。僕は今子供だし、これは教育的指導をしたまでだ。こういう子は一度痛い目に遭わないと反省しない。きっと同じ事を繰り返して誰かを傷付ける……ような気がする。

 でも少しやり過ぎたかもしれないから、僕も反省しよう。後悔はしていないけど、自分を省みるのも大事だ。

 

 とにもかくにも僕の生え際は恐ろしい勢いで後退している。僕の計算が正しければ、このペースだと中学を卒業する前に僕の前髪は尽きるだろう。前髪の定義は彼の言う通りで、頭頂部を過ぎたらもう前髪とは呼べないよね。

 

 恐ろしい……実に恐るべき事態だ。

 子供の僕にはこの惨劇を止める手立てがない。能力向上の代償がこれだとすれば、努力をやめれば抜け毛も止まるはずだ。しかし、そうではない可能性も高い。過剰なトレーニングでホルモンバランスが崩れた可能性もある。

 半生をアメフトに、残りの半生は医療に捧げると誓った。ここまで来て『ハゲ』のせいで後戻りは出来ない。でも一度ハゲたらもう一生ハゲっぱなしだ。ハゲ放題で元は取れない。僕は何日も悩んだ。そして、断腸の思いである決断をした。

 

 涙の断髪式だ。

 このまま後ろ髪だけを伸ばして落ち武者と呼ばれる事だけは避けねばならない。

 

 ママに頼んでバリカンを買って貰い、僕は頭を刈った。

 全く持って笑えない。丸めた頭を見ていると、なぜか雲水君が思い浮かんだ。

 

 彼も天才の弟に勝てないと知りつつも、もがく努力の人だったなぁ。

 あれ、キャラかぶる!? 僕も修行僧とか呼ばれるのかな?

 

 そもそも雲水君の坊主と僕の坊主では根本が違う。彼の毛根は生き生きしているのに対して、僕の前頭部は活動を停止して完全に沈黙している。再起動の可能性は専門店に託すしかない。

 しかし、現状では不可能だ。子供の僕にそんな予算はない。毎月のお小遣いは全てタッチフットの活動費に充てている。無料の体験コースは魅力的だけど、継続させないと意味ないだろうな。だから、今はこれでいい。

 

 クラスメイトやチームメイトには笑われたけど、笑われる事には慣れている。坊主にしたおかげで抜け落ちた毛が気にならなくなった。シャンプーの時、どれだけ自分が神経をすり減らしていたか……。

 大いなる力には大いなる代償が……こうして伝説の序章、僕の小学生時代は終わりを迎えようとしていた。それにしても、割に合わないと思うのは僕だけだろうか?

 

 

 中学受験は有名私立か公立でも名門進学校をママは希望した。でも、勉強ならどこでも出来る。僕にとって大事なのはアメフトや個人練習を続ける環境だ。進学校ではどうしても勉強のカリキュラムが他より厳しい。必要以上の時間を勉強に割きたくはないからね。

 

 そうそう都大会で二回戦止まりだった僕にも、実はスカウトが来た。あの鬼兵さんがいる古豪・柱谷中から一度練習を見に来ないかって誘われたんだ。柱谷は実力者揃いだけど、小柄な選手が多い。そこで僕に白羽の矢が立ったわけさ。

 僕は小学生最後の身体測定で168cmだったけど、今でも毎日伸び続けている。地区で出したパスの記録と長身を買われたんだと思う。足だってもう遅くないし、キャッチ力にもそれなりの自信がある。正直飛び上がるほど嬉しかった。

 

 それでも僕は丁重にお断りした。

 即答するとは思っていなかったのか、あるいは断るなんて思ってなかったのかは判らないけど、スカウトマンがとても驚いていたのを覚えている。

 僕だって都内の中学はある程度調べたよ。柱谷は決して悪いチームじゃないけど、僕のやりたいアメフトは出来ないと思う。これがもし王城だったら……僕はどうしてたかな?

 あの日から高見さんには会っていない。一生懸命やってたら、会う時間が作れなくなっちゃったよ。きっと王城に入って頑張ってるんだろうなぁ。

 

 計画では以前と同じ泥門三中に行くつもりだったけど、僕は大いに迷っている。

 どこの中学を受験するのか、まだ決めきれていないんだ。

 思い切ってヒル魔君達がいく麻黄中にすれば、クリスマスボールは四人の夢になるのかな。あの三人の絆はとても強くて、僕には眩しかった……羨ましかった。僕には友達がいなかったから……。

 タッチフットのチームメイトからは隣町の中学に来ないかって誘われているけど、あの先輩達とまた絡むのは疲れそうだし……中学の評判も良くない。素行が悪いワケじゃないけど、何て言うか放任主義? 自由過ぎる校風には付いていけそうにない。あの町にはそういう風習があるんだろうか?

 泥門二中にしてセナ君を待つのも悪くないけど、他人に構ってられる余裕が果たして僕にあるだろうか?

 

 色々考えている内にまた今日が終わっていく。

 願書の提出期限まであまり時間もない……どうする? どうしよう? どうすんの!?

 

 

 

 

 

 

 

 




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7話 麻黄デビルバッツ(栗田)

今回は栗田視点です。


 僕の名前は栗田良寛(くりたりょうかん)

 麻黄(まおう)中に通う14歳の中学二年生だよ。僕の夢は高校日本一を決めるクリスマスボールに出ること。

 その為に去年からアメフトを始めたんだ。僕には頼りになる仲間がいる。

 

SET(セット)! HUT(ハット)! HUT(ハット)! HUT(ハット)! HUT(ハット)! HUT(ハット)!」

 

 ヒル魔の声は甲高くてよく響く。

 

 蛭魔妖一(ひるまよういち)、僕と同じ14歳で一番最初の仲間だよ。ヒル魔は悪魔みたいに頭が良くてチームの司令塔なんだ。ビジネスホテルで一人暮らししてて万札の束を沢山持ってるけど……れっきとした中学生なんだよ。

 

 HUTはスタートの合図なんだ。作戦会議(ハドル)の時に何回目でボールをクォーターバックにスナップするか決めておくんだよ。これも駆け引きが大事で、僕はもう三回目の合図でヒル魔にボールを投げている。

 ボールを渡し終えた後に僕達前衛(ライン)の仕事は始まるんだ。ボールを奪おうと突進してくる敵を押しとどめる、まさしく壁としてね。

 

「ふんぬらばーッ!!」

 

 僕は全力で敵チームのラインマンを押し返す。

 巨漢の僕は体重が120kgもあって足は遅い。その分パワーには自信があって、ベンチプレスで120kgを上げるよ。でも……

 

「甘いぞ、栗田!」

「あわわっ」

「……チッ、何やってんだ!? (ファッキン)デブ!」

 

 この日の対戦相手は柱谷中。都内でも指折りの強豪校だよ。

 小学生からライン一筋でアメフトやってる業師・山本鬼兵さんがいて、僕は倒されたりひっくり返されたりばかりしている。

 

『試合終了ー! 80対0で柱谷中の勝利!!』

 

 今もあっさり懐に潜り込まれて、脇の下から腕をかち上げられた。リップっていうテクニックなんだよ。鬼兵さんはリップも他の技術も当たり前のように使ってるんだ。渋いよね、憧れるよねぇ。

 

 あっ、ヒル魔がサックされてボールを落として……あれ? 試合終わってるッッ!?

 

「この糞デブ! 何度も同じ手で抜かれてんじゃねェよ! 学習能力ねェのか!!」

「ひぇぇ、ご、ごごごめん」

 

 試合が終わると毎回ヒル魔がマシンガンで撃ってくる。ゴム弾だから痛くないけどビックリするから止めて欲しい。他にもショットガンとかライフル銃とかバズーカとか、ヒル魔は銃器をいっぱい持ってるんだ。すごいよねぇ。

 プレーでミスすると必ずキックか銃弾が飛んでくる。部員じゃない助っ人でもそれは一緒なんだ。大抵がBB弾かゴム弾だから誰も大怪我はしないよ。今のは自分のミスだって教えてくれてるわけだし、実弾だってたまにしか使わない。なんだかんだ言うけど、優しいよねぇ。

 

「テメェ、また頭沸いた事考えてんじゃねェだろうな!? 少しはプレーを省みやがれッ!!」

「か、考えてるよ…………ちょっとは」

 

 や、やっぱりもっとパワーが必要だよね。

 

「はっはっは、試合直後に反省会たぁ根性あるじゃねぇか」

「お、鬼兵さぁん!」

 

 あの鬼兵さんが僕を励ましに来てくれた。

 笑った顔がとってもいぶし銀だ。

 

「栗田よ。お前さんは確かにパワーがある。俺の対戦したラインマンの中じゃダントツかもしれねぇ」

「ホ、ホホホントですかッ!?」

 

 うわぁ、嬉しいなぁ。あの鬼兵さんに褒められるなんて。

 

「おう。だがな、ラインはパワーだけじゃやってけねぇ。体の入れ方、つっこみ方次第で自分より重い相手やパワーのある相手でもなぎ倒せる。それがアメフトってスポーツだ。お前も実感したろ?」

「……う、うん」

 

 体感する前に転ばされてたから正直あんまり……あっ、でも空が青かったのはよく覚えてるよ。あおてんって言ってね、仰向けにひっくり返されるなんだけど……ラインにとっては最大の屈辱でもあるんだ。

 

「敵チームに塩を送ってくれるのか?」

「あっ、ムサシ」

「チィ、余計な口挿むんじゃねーよ。糞ジジイ! コイツが勝手に喋ってくれてんだから黙って聞いときゃいいんだよ!」

 

 ヒル魔がどうして怒ってるのかは解らないけど、ムサシは三人目のアメフト部員だ。ムサシが入ってくれたから僕らは部として認められたんだ。

 

 本名は武蔵厳(たけくらげん)って言うんだけど、僕らはムサシって呼んでる。ムサシはキッカーですごい飛ばし屋なんだ。45ヤードのフィールドキックを決める中学生なんて聞いた事がないよ。面白がってヒル魔は『60ヤードマグナム』ってコードネームつけちゃったけど、日本人で60ヤードを記録した人は大学生にも社会人にもいない。NFL(プロ)でも63ヤードが最長の記録だけど、ムサシならいつかやってくれそうな気がする。

 

 年下の僕らが失礼な物言いをしたせいか、鬼兵さんは少し苦笑してた。

 鬼兵さん、ごめんなさい。ムサシに悪気はないんだ。ムサシには……。

 

「おう、すまねぇな。そんなつもりじゃねぇが、強いて言や……俺が栗田を気に入ったっつぅとこか。熱いラインマンは嫌いじゃねぇよ」

「あ、ありがとうござ「ただし!」い――え?」

「今のお前には技術うんぬんよりも肝心なモノが足りてねぇ。情熱は買うがな、心がおっついてねぇ」

「心……?」

 

 どういう意味だろう?

 鬼兵さんは僕を褒めてくれてたんじゃないの?

 

「おう。そいつが分からねぇ内は、いくらパワーがあってもラインとしては勝てねぇぞ」

「それって……?」

「はっはっは、俺もそこまでお人好しじゃない。まぁ、ヒル魔の方はよく判ってんじゃねぇか?」

「ケッ」

 

 技術より大事なモノって何だろう?

 ご、ご飯かな? そっかぁ……まだ足りてなかったんだ。

 

「しっかし、つくづく勿体ねぇチームだよな。あと一人、腕のあるランニングバックかワイドレシーバーがいりゃあな」

「んな判り切った事ァ言われるまでもねェ。心配しなくても俺らがクリスマスボール行くっつうのは決定事項なんだよ!」

 

 流石ヒル魔……だけど鬼兵さんにタメ口はダメだよぉ。

 

「おう、その意気がありゃあ都でベスト16くらいには食い込めるかもしれねぇぞ。はっはっは、まぁ頑張れよ!」

 

 鬼兵さんは笑いながら帰って行った。

 笑ってたけど、僕らの夢をバカにしてるんじゃない。きっと期待してくれてるんだ。

 

 その日もヒル魔にこってり叱られた。

 鬼兵さんは僕の心の弱さを指摘してたんだって。ご飯じゃなかったんだ……。

 僕はいつも「勝てたらいいな」「一回でも多くタッチダウン取れたらいいな」って思いながら試合に望んでる。でも、そこが根本的に間違ってるらしい。「勝てたらいいな」とか「勝ちたい」じゃ足りなくて、勝負事は「何が何でも勝つんだ」っていう意志がないと勝てないんだって。

 

 僕はみんなでアメフトが出来ればそれで良かった。

 試合でも練習でも一緒にアメフトやってる時間は楽しい。

 楽しければそれでいいと思ってた。

 だから……勝てなくても仕方ないって思ってた。

 

 でも違った。

 アメフトは勝った方がもっとずっと楽しいんだ。

 

 

・・

・・・

 

 

「だから僕は頑張ってるよ、鬼兵さん!」

「鬼兵さん……じゃねェんだよ! この糞デブ!! 卒業した奴の事なんざ、どうでもいいんだよ! それよりこの連敗をどうするか、ちったァ考えやがれ!」

「騒がずに練習出来ないのか、お前らは」

 

 トレーニングルームでバーベル上げながら僕に怒鳴るヒル魔。

 呆れて笑うムサシ。

 

 そう、僕が心を入れ替えてアメフトをやるようになってもう一年経った。

 鬼兵さんは卒業しちゃって僕らが最上級生なんだけど……未だ練習試合でも勝ち星がない。東東雲や久が原にもボロ負けしちゃって練習相手を探すのも一苦労なんだ。本当に苦労してるのはヒル魔だけなんだけどね。僕なんか練習試合の申し込み電話で学校名言っただけで切られちゃうもん。ヒル魔の脅迫手帳って何人分のネタがあるんだろう?

 

 このトレーニングルームもヒル魔が校長先生にお願いして作って貰ったんだ。運動部兼用って名目だったけど、なぜか僕らが独占してて他の部は使っていない。最初は野球部とかサッカー部も使ってたけど、ヒル魔が何か相談しに行った直後からパッタリ来なくなっちゃった。おかげで集中して鍛えられるよ。ホント、ヒル魔が敵じゃなくて良かった。

 

 あとこの一年で変わったと言えば、ヒル魔愛用のマシンガンの威力が上がった事かな。僕があまり痛がらないからって改造したみたいなんだ。今じゃ木造の壁は貫通するし、鉄板だって凹むくらいの威力があるよ。おかげで当たるとちょっと痛いんだ。銃の改造までしちゃうなんて、ヒル魔は本当にすごい。

 

 すごいと言えばアメフトの雑誌に載ってた彼――

 

「アイシールド21君って凄いね。一個下なのにノートルダム大付属中でエースランナーとして、本場アメリカで大活躍してるんだもん。こんなランナーがうちにもいてくれたらなぁ」

「ほう、それは大したものだな」

「ケケケッ、もし本当にそんなランナーが近くにいりゃあ、首根っこ引っ張って有無を言わせず入部させてやるのにな」

「そ、それは可哀想だよ。でも……鬼兵さんも言ってたよね。いいランナーかレシーバーが一人でもいれば変わるって。今はムサシのキック以外じゃ、ほとんど得点出来てないもんね」

「ないもんね――じゃねェよ! ラインのテメェがもっとしっかりしてれば、キックだけでも勝てた試合はあったんだよ!」

「ご、ごめん」

 

 ゲームプランと作戦はいつもヒル魔が考えてる。

 顧問のどぶろく先生はトレーナーだから練習メニューは考えてくれるけど、試合中はあまり口出ししない。今は酒瓶片手に酔っぱらってるけど、昔はすごいアメフト選手だったんだよ。

 

「でもヒル魔だってランナーはともかく、レシーバーは必要でしょ? せっかくアメリカ帰りの帰国子女がうちの学校にも来たのに……バスケ部志望だもんね」

「奴は元々充てにしてねェ。才能あってもアメフトやる気ねェ奴なんざお断りなんだよ」

「フフッ、お前が散々煽ってダメだったからな」

「バスケットボール一筋って感じだもんね、火神君は」

 

 ヒル魔ならそれでも強引に引っ張って来るかと思ったけど、何事にも一生懸命な人は尊重するんだよね。

 

「……レシーバーっつったら、その雑誌に面白ェ記事が載ってたぞ。135ページ見てみろ、糞デブ」

 

 えっ!?

 もしかして、この雑誌全ページ暗記してるとか……そんなワケないよね。たまたまページ数を覚えただけ……だよね?

 

 僕はヒル魔の言うページをめくって見る。

 

「AMGアカデミーではプロを目指す少年少女の――」

「そこじゃねェよ、左下の隅っこだ」

 

 ヒル魔に言われてムサシと一緒に記事を覗き込む。

 

「えっとマルコメ君奮闘記? 今季トライアウトで1軍昇格を狙う個人的には期待の15歳……へぇ、プロ育成機関かぁ。15歳なら僕と同――えええっ!? 同い年!? そ、それがプロ!?」

「落ち着け、栗田。あくまでもプロ養成機関であって、NFLとは別物だと書いてある。ただコーチとして引退した元プロが指導に来る事もあるらしいがな」

「そ、それでも凄いよ。元プロにコーチして貰えるなんて」

「ケケケケケ! クールな秀才様かと思ってたら野心グツグツだったってわけよ」

 

 笑ってる笑ってる。

 こういう無茶苦茶でも前に進もうする人は嫌いじゃないんだよね、ヒル魔も。

 

「誰だか知ってる口ぶりだな」

「えっ、知ってるの!?」

「泥門三中の生きる伝説だ」

「大仰な話だな」

「泥門三中? それって日本だよね? アメリカじゃないの? 伝説って何?」

 

 ムサシは平静にしてるけど、僕は続きが気になって仕方ない。

 ヒル魔、早く話して!

 

「中一にして全中統一模試で1位とった秀才で、小学生の頃も五年時以外は全国模試で常にトップを独占。ついでに言やぁ満点でな」

「ひやぁぁ、すっごく頭がいいんだね」

 

 僕とは大違いだ。

 勉強はどうも苦手で……あっ、運動もパワー系以外は苦手なんだけどね。

 

「小五からタッチフットを始めているが、試合にはあまり出てねェ」

「運動は得意じゃなかったとか? あっ、まだ始めたばかりの初心者だったからかな?」

「ちなみに40ヤード走は小学生で5秒フラット、都の陸上大会でも入賞してる。んで、試合に出た数少ない実績で地区のパス記録を塗り替えたっつう初心者だぞ」

「えええぇぇっ!? ど、どどどうして試合に出なかったんだろう!? すごい記録だよ!」

 

 そ、そんな子が近くにいたなんて……全然知らなかった。

 自分の事じゃないのに興奮して汗が止まらないよ。

 

「詳しい理由は分からねェ……が、コイツが『最凶のスカウティング』って事が関係してるかもな」

「スカウティングって相手チームを分析して戦略立てる補佐をする人だよね? でも最凶って……?」

「ケケケッ、ソイツはお利口なくせして骨ブチ折る無茶してまで戦力測るっつうイカれたドMヤローだぞ! 去年1軍に上がれなかったのはそのせいだからな」

「な、なんか色んな意味で、す、すごい人だね。て、天才って言うのかな?」

「――じゃねェよ」

 

 ホ、ホントに無茶苦茶な人だったなんて……。

 そんなとんでもエピソードがあるとは思ってもいなかったよ。ビックリし過ぎて汗まで引いちゃった。

 でも、ヒル魔は最後なんて言ったんだろう?

 

 




最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
ご意見ご感想などありましたら、宜しくお願いします。


-雑記-
アイシールド21の登場人物(日本人に限る)の中で一番プロに近いのは誰か?
個人的な見解を言わせて頂くと、私は「ムサシ」だと思っています。
次点は「ガオウ」かな。

ムサシのキック力はすでにプロ級ですし、コントロールも練習次第で良くなると思います。
キッカーはピンポイント起用出来ますし、体格的なハンデも他のポジションよりマシかと。

以上、たわいない呟きでした。


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8話 新天地と高き壁

 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ。

 太平洋岸にある海に囲まれた大都市で、年間を通して過ごし易い気候をしている。霧と坂の街としても有名で、アメリカ有数の観光名所でもある。

 

 そのサンフランシスコに僕はいる。もちろん観光が目的じゃない。

 この街にはAMGアカデミーというスポーツ選手育成機関があって、僕は今そこに通ってる。つまりスポーツ留学生って事になるのかな。だから中学卒業資格もこっちで取る予定だ。

 アメフトをやる環境として本場アメリカ以上の場所なんて考えられない。どんな厳しい練習にも耐えて見せると意気込んで来たけれど、ここでの練習は想像の遥か斜め上を行った。僕はこの三ヶ月、正規の練習でボールをまともに触っていない。試合形式の練習ではいつもスコアブックをつけさせられた。パスやタックルの練習になると、決まって僕は校外を走らされる。どれだけ速く走り終えても、練習には参加させて貰えずマラソンの周回数が増えるだけだった。キャッチの練習をやらせて欲しいとコーチに直談判した事もあるけど「余計な事はするな」って一蹴されたよ。僕はコーチに嫌われてるのかもしれない。コーチだけじゃない、たぶん皆に嫌われてると思う。

 

 

 少し愚痴っぽくなるけど、順を追って最初から話そうか。

 

 小学校を卒業して泥門三中に進学したまでは当初の計画通りだったけど、ここで計画に大きな狂いが生じたんだ。タッチフットのチームで監督をやってたお爺さんを覚えてるかな。本名は八咫重蔵(やたじゅうぞう)って言うんだけどね。この人が実は大手スポーツメーカー『八咫烏』の名誉会長さんで、AMGアカデミーの理事でもあったんだ。

 てっきり好々爺だとばかり思ってたら、とんだ昼行燈だったよ。いきなり訪ねて来たかと思えば、僕をAMGアカデミーの推薦枠にゴリ押ししたって言い出す始末。両親は困った顔をしてたけどね、僕にとっては渡りに船だった。元々は社会人チームに入れて貰おうと思ってたし、より高いレベルを経験出来るに越した事はない。

 全国中学統一模試で文句なしの1番を取って学力を証明したけど、ママは納得しなかった。結局はお父さんの援護もあって渋々折れてくれたけどね。

 一学期の間は帰宅部をして英会話教室に通った。夏休み前に転校手続きを済ましてクラスメイトにさよならを言ったけど、寂しさはなかったよ。だって、入学時から「ハゲ」「ハゲ」言われ続けたからね。

 

 ビザ申請の関係で渡航したのは八月末。海外の年度始めは九月からだからギリギリセーフだと思ったんだけど、どうやらそうじゃなかったらしい……。事前の試験やら説明会やら何やらあったらしいけど、推薦枠って事でゴリ押ししちゃったから印象の悪いスタートだよ。

 ちなみにアメリカのミドルスクールやハイスクールの部活動には人数制限がある。アメフトだとだいたい50人くらいが定員かな。学校によって倍の定員にして二軍もあるらしいけど、それでも入部試験(トライアウト)は必ずあるんだ。

 でもAMGアカデミーの場合は少し違う。ここでの合格基準は二つ存在する。一つは運動能力の優劣、そしてもう一つは経済力の有無だ。普通の学校と違ってここは定員枠をお金でも買える。

 

 皮肉にも推薦枠はその後者の最たる例と言っても過言じゃない。

 印象が悪いどころの騒ぎではなく、最悪だよ。皆が僕を侮蔑したような目で見てた気がする。

 

 トライアウト自体は僕も受けたよ。40ヤード走5秒03、ベンチプレス55kgという結果だった。自己ベスト更新とはいかなかったけど、悪くない数字だと思う。でもね――

 

「すげェ、ベンチプレス115kgだぜ」

「こっちは40ヤード4秒65だってよ」

「おいおい、アイツもやるぜ」

 

 目や耳を疑うような数値が次々と記録される。僕と同い年のはずなのに、大して身長も変わらないのに、彼らがとても大きく見えた。

 

 そして、コーチに初めて会ったのもこの時だ。

 無精髭を生やしサングラスをかけたいかにも怪しいこの男がコーチだなんて未だに信じられない。コーチの名前はロベルト、ファミリネームは教えてくれなかった。足が悪いみたいで杖を突いているけど、時々それを凶器にもする。

 コーチが初めて僕にかけた言葉は

 

「そこのジャパニーズ、来るグラウンドを間違えてるぞ。ベースボールは二つ隣だ」

 

 だった。僕は嘲笑の的となり、恥ずかしさと悔しさで震えた。これくらいに耐えれないでどうする?

 

「間違えていません。僕の名前は雪光学、アメフトをやる為に来ました!」

「なんだ、お前が雪光か。推薦枠と聞いていたからどんな奴かと思ったが……頭でっかちのモヤシじゃ、期待外れもいいとこだな」

「なっ!?」

 

 顔がすごく熱い。体も熱い。鏡を見なくても判るくらい、僕は赤くなってると思う。

 

 この人は本当にコーチなんだろうか?

 皆の前でわざわざ口にしなくてもいいだろう?

 

 サングラスのせいでコーチの目は見えないけど、絶対目の奥は笑ってるに違いない。僕を馬鹿にして楽しんでるんだ。ここの理事長たっての要請で今年赴任してきた人格者らしいけど、正直者っていうレベルを超えてるよ。悪意しか感じないんだけど……。

 

 僕の腸が煮えくり返ってる間に、コーチが一人ずつ名前を呼んでユニフォームを渡していた。

 

「デビッド・エルスマン。124番だ、頑張れよ」

「よっしゃ! 2軍スタートだぜ!」

「次――」

 

 ユニフォームには背番号が入っている。ここではその番号が大きな意味を持つ。

 

「次、トニー・シジマール。ほら58番だ、期待しているぞ」

「うおぉぉぉ、頑張りマッスル!」

「アイツ、ベンチプレスで115kg上げてたぜ」

「マジかよ!? 年齢詐称してんじゃね!?」

「くそったれ、俺だって」

 

 あちこちで感嘆の声が上がる。

 背番号二桁以下は1軍の証。二桁と三桁では大きな格差がある。公式戦に出れるのは1軍メンバーだけだし、個室や個人ロッカーが与えられるのも一部の例外を除いて1軍だけ。確か帝黒学園が同じ制度だったと思う。

 

 皆が呼ばれ終わって漸く僕の番が来た。

 

「学・雪光。ほらよ、お前のユニフォームだ」

「ありがとうござ……えっ、これは!?」

 

 いきなり1軍になれるなんて思っていない。日本の小学校じゃ抜け出ていても、ここじゃやっぱり凡人の域だったから。

 でも、だからって……

 

「おいおい、アイツ背番号が書いてないぜ」

「本当だ。そういや何人か見たぞ」

「言い忘れたがな、背番号のない奴は仮入部扱いだ。練習の邪魔だけはするなよ。辞めたくなったら、いつ辞めてくれても構わんぞ。帰りの航空券くらいは用意してやるからな」

 

 僕に向かって言ってる事は明らかだった。生憎だけど、辞める気なんてない。石にかじりついてでも残ってやるんだ。

 

 来る日も来る日も僕はアカデミーの外周ばかり走らされた。広大な敷地面積を誇るAMGアカデミーの外周は約5kmに及ぶ。デス・マーチで走破した2000kmはとっくに超えた。

 練習がしたい。キャッチがしたかった。でも僕にボールを投げてくれる人はいない。僕が嫌われてる最大の理由は、背番号もないのに個室に住んでる事だと思う。

 さっき言った例外ってのが僕だ。推薦枠には専用の個室が付いてるなんて全然知らなかったよ。どうして八咫監督は何も言ってくれなかったんだろう?

 

 いや……それより、どうして僕なんかを推薦したんだろう?

 

 アメフト漬けの生活を送れると思っていた僕の理想は音を立てて崩れていく。最高の環境という思いが一転し、僕にとって最低の環境に変わりつつあった。

 

 これだけ走り込んでいるにも関わらず、僕は未だ40ヤード走で5秒の壁を超えられない。小学生の間は順調に更新してきたのに、中学生になってからは0.01秒も縮まっていない。あとたった0.01秒で5秒の壁を壊せると言うのに、僕にはそれが出来なかった。

 

 息苦しい……真綿で首を絞められているような、そんな感覚に陥る。それに、最近はよく眠れない。

 どうせ眠れないなら……と、夜中に走る事が増えた。サンフランシスコの治安はアメリカ国内じゃ良い方だけど、それでも日本ほどじゃない。そうなると結局またアカデミー外周を走る事になる。

 

 もう何時間走っただろうか。空が白んできた。

 集中し過ぎると時間を忘れてオーバーワークしてしまう……僕の悪い癖。ずっと注意してきたはずなのに、久しぶりに出ちゃったなぁ。

 

 軽めのジョギングに切り替えると、突如後ろから声をかけられた。

 

「グッモーニン、Mr.サムライ。今日も早起きマッスルだな、ワハハハハ!」

「……トニー君、おはよう」

 

 豪快に笑う彼はトライアウトでいきなり1軍入りを果たしたトニー・シジマール君。1軍……と言うより、背番号持ちの中で唯一人僕に話しかけてくれる。Mr.サムライは僕のあだ名だけど、剣術が得意って意味じゃない。泣き言を言わずストイックに走り続ける僕を揶揄して、皆が陰でそう呼んでるんだってさ。

 ちなみにトニー君はよく解ってないみたい。悪意なくカッコイイからって呼んでくれるから反応に困っちゃうよね。あと彼は絶対パワフル語が使えるはずだよ。

 トニー君は黒人だけどスプリンターじゃなくて、筋骨隆々のラインマンなんだ。僕より15cm背が高くて、僕より30kg以上重い。ホントに同い年なのかな……?

 

「それより珍しいね。トニー君が筋トレじゃなくて走ってるなんて」

 

 トニー君も練習の虫だ。僕とは気が合う。頭まで同じフォルムをしている。

 日本じゃ散々バカにされたこの頭も、アメリカじゃ珍しくもない。スキンヘッドなんて街中を少し歩けば一人や二人必ずすれ違う。

 

「倒したい奴が出来た……でも、腕力だけじゃ絶対に勝てないって言われた」

「誰に言われたの?」

「ロベルトコーチだ。勝ちたければ、まずは走れって言われた」

 

 朝から気が重くなる名前を聞いてしまった……いやいや、顔に出しちゃダメだ。

 

「ゴホン……それで、誰を倒したいの?」

「今年AMGを破って全中も制した最強の男、ドナルド・オバーマンだ」

「ゲホッ、ゲホッ……あ、あのMr.ドンを?」

「Mr.ドンって誰だ?」

 

 トニー君が首を傾げている。そっか、まだMr.ドンってあだ名は定着してないのか。

 

「あっ、ごめん。あのオバーマン上院議員のご子息だよね?」

「それは知らん! ドナルド・オバーマンだ!」

「あ……うん、そ、そうだね。そのドナルド・オバーマンだね」

「おう。俺は奴と戦いたい。前の試合はずっとベンチだったからな」

 

 いきなり1軍入りしたとは言え、トニー君はまだそれほど試合に出ていない。二個上の先輩方は実力が違うし、一個上の先輩だって僕らより断然上手い。そんな中でトニー君はよくやってると思う。

 

 問題は僕の方だよ。

 僕を目の敵みたいにして、いつもいつも只「走れ」だもん。スタミナが大事なのは僕だって解るよ。泥門デビルバッツで一番体力のなかった僕がそれをどれほど痛感した事か。

 でも僕には僕のプランだってある。せっかくアメリカまで来て手ぶらで帰る気はないよ。僕はここでキャッチの技術を磨くって決めてたのに……くそっ。

 

 そんなに走れって言うのなら走ってやる。

 朝も、昼も、夜も、夜中だって……僕ならやれる。努力じゃ絶対に負けない。僕は才能になんて負けない。

 負けてやるもんか!

 

 

・・

・・・

 

 

 二週間後、僕は病院のベッドで寝ていた。

 

 今より上手くなりたい。今より強くなりたい。

 ただそれだけを願って来たアメリカなのに……体調管理もままならないなんて、情けない。

 点滴を打って一晩ゆっくり休めば、明日には退院できると言われた。でも、僕の心は晴れない。ずっと霧がかかったままなんだ。

 

 コツコツという音が近付いて来る。誰だかすぐ判る。僕が一番会いたくない人だ。

 

「邪魔するぞ」

 

 ノックと共にロベルトコーチが病室に入って来た。

 陣中見舞い……のはずがないよね。花も果物も何も持っていない。持ってるのは一通の封筒だけだ。

 

「……何のご用でしょうか?」

 

 コーチに対して随分横柄な態度だと思う。でも、自分を抑えられない程昂ぶっている。

 

「言ったはずだぞ。余計な事はするな、と」

「……余計な事って何ですか? 僕は言われた通り走っただけですよ」

 

 売り言葉に買い言葉だ。子供染みている事なんて百も承知で僕は言い返した。言い返さずにはいられない。こっちは四ヶ月近く我慢してきたんだ。

 

「俺が言った通りだと? 誰が夜中まで走れと言った?」

「……それは」

「お前は重蔵氏の思いを少しも理解していない」

 

 重蔵氏?

 八咫重蔵翁の事か。どうして理事を知っているんだろう?

 いや、理事なんだし知っていて当然か。それより思いって……何を言ってるんだ?

 

 サングラス越しでもコーチが真っ直ぐ僕を見ている事が判る。

 

「お前は何の為にアメフトをやっている?」

「えっ?」

 

 突然そんな事を聞かれるなんて思っていなかった。

 何の為? そんなの決まってる!

 

 僕はこれまで溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのように、ありったけの思いをコーチにぶつけた。

 僕がアメフトを始めたキッカケ、仲間と同じフィールドに立つ夢、果たせなかった約束を果たす為、何よりもアメフトが好きだという気持ちをさらけ出した。

 

「そうか。そういう思いでやっていたのか」

 

 コーチは最後まで黙って聞いてくれたし、話し終えた後頷いてもくれた。僕の一生懸命な思いが漸く伝わったのかもしれない。

 

「判って……頂けましたか?」

「ああ。よく判った」

「じゃ、じゃあ?」

 

 やっとパスの練習が出来る!

 キャッチの技術を教えて貰えるんだ!

 

「舐めるのもいい加減にしろよ、糞ガキ。約束通り航空券(チケット)は用意してやった。荷物まとめて明日日本へ帰れ」

「……えっ!?」

 

 ベッドに投げ出された一通の封筒。そこには『サンフランシスコ国際空港発、成田空港行』と書いてあった。

 

 

 

 




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9話 チケット

 ベッドに置かれた航空券を目にして、僕全身が寒気だった。

 真夜中に無断外出して倒れたんだから非は僕にあると思う。でも……だけど、そうさせたのはコーチじゃないか。何の助言もしてくれないままこの仕打ちはあんまりだよ。

 

「な、納得し兼ねます。僕のアメフトが上手くなりたいって気持ちは真剣です」

「だから、ココを出て行けと言っている」

「ワ、ワケが解りません! どうしてそうなるんですか!?」

 

 病室だというのに僕は取り乱し、ついつい声が大きくなってしまった。同室の患者さんが何事かと僕らを見てくる。でも、コーチはそんな視線を気にもしない。

 

「頭でっかちのくせに察しが悪いな。勉強は出来てもオツムは弱いみたいだな」

「くっ、貴方にそこまで言われる覚えはありませんよ!」

「なんだ……もうとっくに気付いていると思ったがな。やはり察しの悪さは筋金入りなのか?」

「だから、何なんですか!?」

「ふぅ、俺はお前が大嫌いなんだよ」

「なっ!? そ、そんな理由で……ッ?」

 

 一指導者が語るにあるまじき理由に僕は落胆した。 

 昔から好かれるタイプの人間でない事は判っている。カリスマ性なんてない。級友もテスト前や宿題のコピーでしか寄って来なかった。

 

 大人になっても仕事にまで私情を持ち込むなんて……。

 中南部と違ってカリフォルニア州は人種差別が少ないと聞いていたのに……。

 そんな理由でずっと僕を除け者扱いしてたなんて……酷いじゃないか。

 

 僕は悔しさで思い切りシーツを握り締めた。破けるくらいだったかもしれないけど、昂ぶる感情を堪えるので必死だったと思う。もしかしたら殴りかかったかもしれない、次のコーチの話を聞いていなければ――。

 

「誤解のないように言っておくが、俺は日本人が嫌いってワケじゃない」

「…………えっ?」

「俺が嫌いなのは日本人だからじゃなくて、お前だからだよ」

 

 ますます意味が判らなかった。完全な私怨だと思うけど、僕はその理由に見当がつかない。

 僕が何をしたって言うんだ!?

 

「お前はうちのアカデミーがどういうものか"ちゃんと"理解しているか?」

「……それくらい理解してます。若いスポーツ選手を育成する機関でしょ」

「ふむ、やはりな。愚かの極みだ」

「な、何なんですか! さっきから!」

 

 僕は頭に血が上っていた。この状況じゃ冷静でいられるはずもない。

 

「ただのスポーツ選手じゃない。うちは"プロ"を目指す連中を育てる機関であって、お前のような半端者が来る所じゃないんだよ!」

「半端者!? 確かに僕は才能も身体能力も欠けてるかもしれない……けど、僕だって真剣なんです! バカにしないで下さいッ!!」

「そうじゃない。お前に欠けているもの、それは"(こころざし)"だ」

「……志?」

「今よりただ上手くなりたいだけなら他所へ行け。アメフトは義務教育じゃない」

 

 上手くなる為にアメリカまで来たんだ。

 誘いのあった中学だって断ったんだ。今更後戻りなんて出来るワケないじゃないか!

 

「お前、両親には将来医者になると言ったそうだな。アメフトはそれまでの暇潰しか? 頭でっかちが立てそうなご立派な将来設計だな……反吐が出る」

 

 コーチは明らかに怒っていた。怒りたいのは僕なのに、なぜか僕以上の憤怒をコーチから感じる。

 

「バカにしているのはお前の方だよ。うちのアカデミーを舐めてるのか? プロ目指して必死になってる連中を舐めてるのか? 暇潰しでやってるお利口なお前の趣味に付き合う程、俺も連中も暇じゃないんだよ!」

 

 強く握り締めていたはずの手から力が抜けた。

 

「アメフトは甘くない。一生かけてもプロになれない奴なんて五万といる。うちに来たからと言って必ずプロになれるワケじゃない。なれない奴だって大勢いるんだよ。それでもプロを目指したいって死に物狂いで頑張る奴らの手助けがしたくて、俺はコーチを引き受けた。そんな俺にとって、お前の存在は邪魔者以外の何ものでもない。だから俺はお前が嫌いなんだよ。プロになる気もないくせに、推薦枠でのうのうとうちにいるお前がな」

 

 上っていた血の気が引いていく。

 

「プロを目指さないお前に何を教えろと言うんだ? キャッチの指導をして欲しいと言ってきた事があったな。だが、それをしてどうなる? プロを育成する者として、お前に時間を費やすのは正しい姿勢なのか? 俺は普通の教育者とは違う。医者になりたいという者の面倒なんて見れん」

 

 コーチの語気はさっきより穏やかになったけど、その言葉は今まで以上に僕の心を攻めた。

 

「医者を目指す事が悪いんじゃない。ただ、ココにいる必要はないと言ってるだけだ。見ての通り俺も不自由な身体(からだ)でね、医者には今でも世話になってる。だから医者が増えるのは喜ばしい……が、お前は医者も甘く見ていないか?」

 

 背筋が寒くなる。

 さっきから何も言葉が出ない。

 

「必死に勉強しても医師免許の取れない奴だっているだろ? 医者になるのは社会的地位(ステータス)が欲しいからか? まさか世の為、人の為とか言わないよな?」

 

 僕の立てた計画は盤石だと思っていた。それが音を立てて崩れていく。薄くて脆く儚い、まるでガラス細工のように。

 

「うちの授業料は安くない。お前は誰のおかげでココにいられる? 学力を盾に好き放題やってきたらしいが、親を何だと思っている? 医者になるってのは恩返しのつもりか? じゃあ何の為にココにいる? どうしてココでアメフトをやっている?」

 

 先ほどは答えられたはずの質問に、今は答える事が出来ない。

 

「俺にお前を帰国させる権限はない。だから、航空券(それ)は好きにしろ。使うも使わないもお前の自由は。逆に俺を追い出したければ理事にでも訴えろ。それも……お前の自由だ」

 

 そう言ってロベルトコーチは病室を出て行った。

 僕はコーチが去るのを見届ける事も出来ず、ベッドで俯く。ボタボタと零れる涙と鼻水でシーツが濡れた。声にならない声で謝罪の言葉を述べる。でも、自分でも何と言ってるか分からない。呂律が回らない。

 

 僕は精神的ショックと長時間の嗚咽で過呼吸となって倒れてしまった。同じ病室の人がナースコールしてくれたおかげで大事には至らなかったけど、目が覚めてからも僕は泣き続けた。

 

 

 結局、そのまま一睡もせずに朝を迎える。

 頭まで布団をかぶせて声も押し殺してたけど、隣のおばさんは気付いてたみたいで心配された。大丈夫だと言いたかったけど、目も顔も酷い事になっている。

 トイレを済ませて手を洗っていると、お腹が鳴った。こんな時でもお腹は減るんだね。朝食を残さず全部平らげた僕を見て、隣のおばさんは笑って「もう大丈夫そうだね」と言ってくれた。

 

 確かに気分は良くなったけど、気は重い。僕はこれから大切な人達に電話をかける。言葉にしなきゃ伝わらない事は多いし、ちゃんと言葉にしないとダメな事もあるからね。

 でも、いざ公衆電話の前に立つとなかなか受話器が持てない。僕はなんて愚かで小心者なんだろう。

 

 

『はい、八咫でございます』

 

 意を決して電話してみると、若い女性が出た。

 

「えっ、あっ、僕は雪光学と言います。八咫監督にお世話になった者でして、重蔵氏はご在宅でしょうか?」

 

 ちょっと予想外だったので僕の声は裏返ってたかもしれない。

 

『申し訳御座いませんが、旦那様はもうお休みになられています』

「もうって……あっ!?」

 

 しまった……サンフランシスコと日本じゃ17時間も時差があるんだった。こっちは朝でも向こうは真夜中じゃないか。すっかり忘れてたよ。

 

『お急ぎの用でしたら』

「――い、いえ、全然お急ぎじゃないです! 夜分遅くに電話してしまい申し訳ありませんでした。また日を改めてかけ直すとお伝え下さい」

『かしこまりました。そのようにお伝えしておきます』

「あ、ありがとうございます。では、失礼します」

 

 公衆電話に向かってお辞儀し、ゆっくりと丁寧に受話器を置く。

 

 焦ったぁ……家政婦さんかな?

 監督はあの八咫烏の会長でもあるし、若いお手伝いさんの一人や二人いるよね。

 

 僕が監督に電話したのはアカデミーに推薦してくれた理由を監督の口から聞きたかったからだ。両親に電話する前にそれだけは確認しておきたかった。

 

 ちょっと感傷的になり過ぎてテンパってるなぁ。失態の連続だよ……少し落ち着こう。

 

 浄水器から水を汲み、乾いた喉を潤す。緊張のせいもあるけど、昨夜から流した涙のせいで水分不足は否めない。

 

「ロベルトコーチ……」

 

 自然と名前を口にする。そこにコーチがいたわけじゃなく、昨日の出来事を思い出しただけだ。

 

「言葉を交わすっていうのも大事なんだね。嫌われる理由……僕にあったんだ」

 

 自嘲気味に呟く。誰に言うのでもなく、自分自身に言い聞かせる為に。

 

 

 過呼吸が原因で僕の退院は一日延びた。おかげでゆっくりと考える事が出来る。

 コーチの言葉はとても堪えた。正直耳が痛くて、僕はなんて愚かで間抜けなんだろうって思った。だけど、コーチはそんな僕を笑わない。嫌いだなんだと散々言われたけど、アメフトをやってる時に嘲笑された事は一度もない。

 僕はコーチの事を知りたくなった。このアカデミーの事、みんなの事をもっと知りたい。アメフトに関わってる人の事をもっともっと知りたくなった。

 

 看護師長の許可を取って僕はノートパソコンを起動させる。メールBOXを開くと新着メールが沢山あった。ほぼ全てママからだけどね。

 普段パソコンなんて使わないのに……僕の為に勉強したんだと思う。アメリカに来てから毎日のようにメールが届く。僕も返信するけど、毎日じゃない。それに、内容は嘘ばかりだ。

 勉強は順調だとか、友達が大勢できたとか、コーチもよくしてくれるとか、こっちの生活は楽しいとか……全部嘘っぱちだよ。勉強なんて課題しかやってないし、休日一緒に出掛ける相手もいない。コーチには嫌われてるし、ホームシックで帰りたくなった事もある。

 

 でも……そんな事書けない、書けなかった。

 

 僕は返信画面に文字を打ち込む。

 

「大切な話があるので今夜電話します。22時頃ならお父さんも帰ってるよね? とても大事な話だから二人に聞いて欲しいんだ。あと脱水症状で倒れちゃって入院中だから、コレクトコールでかけさせてね。明日には退院の予定だから心配しないで……って言っても無理だよね。ごめんなさい。詳しい話はまた夜に」

 

 形式的なあいさつ文の後に今の文章を追記した。内容を再確認してから送信ボタンをクリックする。ずっと誤魔化してきたけど、もう隠してはおけない。以前とは違う。状況も、環境も、僕自身もだ。何より僕を本気で心配してくれる人を欺くような真似はもうしたくない。

 

 昼食を済ませて僕は気晴らしに少し散歩に出た。冬なのにそこまで寒くはないし、街の景観も素晴らしい。改めてサンフランシスコは良い所だと感じた。これまでの僕はこの街を楽しむ余裕すら無かったんだと思う。

 病院の敷地内だけだったけど、僕にとっては良い気分転換になった。おかげで決意も固まったしね。でも答えが出たわけじゃない。それを探す為にもう少し残ってみる覚悟が出来たんだ。

 

 次の日の早朝、僕は約束通り両親に電話した。ちゃんと時差を考えてかけたから今度は大丈夫だったよ。

 でもママは僕がアメリカでヤンキーになったと嘆いて、こっちに来るとまで言い出す始末。それをお父さんが宥めてたけど、受話器の向こうは壮絶なカオスだったと思う。結局ママは号泣しちゃって、そこからはお父さんだけと話した。

 我がまま言った事や学費や渡米費に関して、素直な謝意の気持ちを伝えたよ。そしたら想像もしてなかった意外な返事がきた。

 

『ここだけの話、謝りたいのと礼を言いたいのはお父さんの方なんだよ。ママには内緒だぞ』

「え? なに?」

『実は……お父さん、学の部屋でノートを見付けてな。書かれてたiPS関連の株を買って大儲けしちゃったんだ、ハッハッハッハッハ』

「……ハゲーンッ!?」

 

 迂闊だった。

 こっちに持ってこれない分はママが絶対読まないだろう辞書の間に隠したのに……まさか、お父さんが見付けちゃうなんて。これってインサイダー取引になっちゃうのかな?

 ヤバいぞ……僕の事も怪しまれるんじゃ?

 

『凄いなぁ。学にあんな先見の明があったなんて……また良い投資先があったら教えてくれよ。勿論、ママには内緒でな』

 

 ……セーフだ。特に怪しまれた様子はない。

 多分お父さんの気遣いでママには内緒なんだと思う。でも――

 

「うん、分かったよ。でも……ありがとう、お父さん」

 

 お金があろうとなかろうと関係ないよ。僕の感謝の気持ちは変わらない。

 

 

 退院してアカデミーに戻った僕は、一番最初にコーチの部屋を訪ねた。チケットを返してもう少し居させて欲しいと頭を下げたら

 

「……好きにしろ」

 

 その一言だった。コーチはそれ以上の事は何も言わないし、聞いてこなかった。単に僕に興味がないだけかもしれない。

 

 それでも良いと思った……今は、ね。

 

 

 基礎体力トレーニング漬けの日々は相変わらず続いた。

 僕が新品の防具を使うのは勿体ないからと言って、とても古い物を使われている。最新の防具であればヘルメットから各種パッドまで合わせても5kgくらいの重さだ。だけど古い物はその倍の重量がある。どうせタックルとか受けないから壊れる心配はないけどね。それでも10kgは重いよ。

 

 

 そんな日々がしばらく続いたある日、僕にとっては転機となる日が訪れる。

 州チャンピオン同士の練習試合が組まれたんだ。AMGはカリフォルニア州の王者、相手はインディアナ州の王者にして全米を制したあのノートルダム中。ミドルスクールの絶対王者として君臨するノートルダム中にはトニーが目標とする『Mr.ドン』ことドナルド・オバーマンがいる。彼にはもう大学やNFLからスカウトが来ているという噂まである。

 ワールドカップ決勝の試合をテレビで見て、僕は戦慄した。あの峨王君と大和君の二人がかりを跳ね返した圧倒的なパワー、彼らの力を実際に体感した僕にとっては信じられない光景だった。今のMr.ドンにあの時のパワーがあるとは思わないけど、それでも脅威には違いない。

 

 試合には出れないのに足が震えた。腕も震える。そして、心も奮えた。

 体は怖いと感じているのに、僕の心は試合に出たがっている。その力の頂点に挑みたいと言っていた。

 

 そして、奇跡とも言える偶然が起こる。

 コーチや多くのレギュラー陣がいる上級生を乗せたバスが、ハイウェイの事故渋滞に巻き込まれて動けない状況だと言う。下級生は準備などもあり先発隊として早めに現地入りしていた。

 

 引率のマネージメント担当は相当テンパっている様子でノートルダム中関係者と話をしている。

 

「中止もあり得るのかな?」

「俺は嫌だぞ。オバーマンと戦いたい」

 

 僕の呟きにトニーが答えてくれた。彼はとても気もいい人だ。それに引き換え――

 

「おいおい、縁起でもない事言ってんじゃねーよ。このハゲ武者」

 

 悪態をつく彼の名はデビッド・エルスマン。覚えているだろうか?

 トライアウトで好成績を出した白人で4番手のクォーターバックをやっている。40ヤード走は4秒85、ベンチプレスも75kgという間違いなく逸材だ。二年後には司令塔としてチームを指揮しているかもしれない。少々口は悪いけどね。

 

「せっかくのチャンスじゃねーか! 上級生が遅れてるって事は、俺らが出れるって事だろ? 中止になんかされて堪るかよ!」

「おう。俺はオバーマンと戦えればそれでいい!」

 

 事故を喜ぶのは褒められた事じゃないけど、熱い気持ちは凄く伝わる。僕だって同じ思いだもん。試合に……出たい。

 

 プロを目指すだけあって彼らの向上心は強い。自分をアピール出来る機会を逃すまいとマネージャーを説得し、練習試合は予定通り行われる事となる。スタジアムの予約時間の都合もあり、ギリギリまで待っては見たが上級生を乗せたバスは間に合わなかった。

 

 試合は下級生や2軍を中心にオフェンスとディフェンスの陣が組まれたけど、その22人に僕は含まれていない。最初は背番号もなかった僕だけど、三ヶ月を過ぎた頃に仮の番号を与えられた。僕の背番号は316番、レギュラー入りは程遠いなぁ。

 

 こちらの事情を加味し、ノートルダム中も最初は2軍が出てきた。それでも州チャンピオンだけあって両者共にレベルが高い。トニー君の活躍でライン勝負はこちらに分がある。おかげでデビッドのパスもよく通っていた。

 第1クォーター(Q)が終わって14対7と1タッチダウン分うちがリードしている。士気も高い。互角の勝負が出来ていると言えた。

 でも第2Qに入って均衡は崩れた。

 

「哀しいなぁ。俺は哀しいぞ。ひとたび闘技場で剣を交えたならば、必ず全力で敵を殺さねばならない。それが頂きに立つ者の礼節というものだ。そう思わんか、カリフォルニアの超新星トニー・シジマールよ?」

「おう! 俺はお前を倒しに来た! 早く出て来い、オバーマン!」

 

 超人の中の超人、それは怪物と言っても過言ではない。

 ドナルド・オバーマンの参戦で戦況は一変した。先ほどまで無敵の強さを誇っていたトニー君が全く敵わない。全てを蹂躙するかのようにMr.ドンはラインを押し潰し、さらには後衛陣にまでその爪や牙の脅威は及んだ。負傷者が続出し、交代要員の数はどんどん減っていく。

 リードしていた点差もあっさり逆転され、逆に点差は広がった。前半戦が終わってみると、14対30とダブルスコアである。点差以上に厳しいのが退場者と疲労だった。ラインバッカーやセーフティの選手はもう替えがいない。前衛もトニー君以外は1プレイ毎にボロボロにされていく。

 あれだけ高かった士気もトニー君とデビッド以外は意気消沈している。これは拙い。僕は監督代行に直訴した。

 

「僕を、僕を試合に使って下さい。お願いします!」

「……お前の出場はコーチに禁止されている。私の裁量だけで出す事は出来んよ」

「コ、コーチに!?」

 

 知らなかった。先手を打たれてたなんて……。

 

 後半戦第3Qが始まっても状況は悪くなるばかりだった。二人がかりでもMr.ドンを止められない。せめてもう一人か二人1軍のラインがいれば対抗出来たかもしれないけど、彼のパワーは次元が違う。

 14対44となり、とうとう点差は30点にも達した。さきほどマネージャーに電話があって、最終Qにならバスが間に合うかもしれないと言っていた。

 1軍が来たら僕は絶対試合に出れない。今が最後のチャンスかもしれないんだ。ずっと試合を見て来た僕はある事に気付いている。それを実行出来れば……

 

「うわ、また一人倒されたぞ」

「なにっ、もう後衛は控えがいないんだぞ!?」

 

 来た。正真正銘、最後のチャンスだ。僕にはもう後がない。

 

「代行、出ます。僕しかいません。僕が勝手に出たと言っておいて下さい」

「お、おい、待て雪光。もうすぐ1軍が到着……くっ、私は責任持てんぞ」

 

 僕は代行を無視してフィールドに立った。無茶苦茶やってる事は自覚してる。謹慎や停学、下手すると退学だってあり得るかもしれない。でも、それでも僕はフィールドに立つ事を選んだ。

 

「マジかよ。もうハゲ武者しか残ってねーのか!?」

 

 デビッドは呆れている。でも、彼の目はまだ試合を諦めていない。

 

「サムラーイ、オバーマンは強いぞ」

 

 トニー君はMr.ドンに敵わないまでも、まだ潰されてはいない。手札は残った。これで僕も戦える。

 

作戦会議(ハドル)だ。みんな集まって欲しい」

 

 僕は皆を招集して考えた作戦を説明した。

 

「――という作戦だよ。賭けの要素が強いけど、今はこれしかない」

「……俺は、オバーマンに勝ちたい」

 

 トニー君は僕の作戦に少し不満があるみたいだった。

 

「アメフトは陣取り合戦だよ。アメフトで勝つって事は相手の陣地を奪う――つまりエンドラインにボールを運ぶ事じゃないの?」

「タッチダウン決めるっつう事か。まっ、当たり前っちゃ当たり前だな」

「……」

 

 デビッドもこれには賛同してくれたけど、トニー君はまだ複雑な心境みたいだ。

 

「トニー君、押し勝てないなら、引き摺り勝つんだ」

「おいおい、攻撃側だとそりゃあ反則だぜ。まぁプロでもバレないようにやってるがな」

「知ってるよ。何も本当に引っ張れと言うワケじゃない。相手の力を利用して引き倒すんだ」

自爆(ボム)か!?」

 

 何人かは気付いたみたいだね。

 

「そう。そして僕がオバーマンの上を抜く」

「無理だぜ。んな上手く倒せるワケねーよ。お前も潰されて終わるぞ?」

「そうかもね……でも、だからこそ行く!」

「ケッ、バカじゃねーの」

 

 みんな呆れてるけど、他に策もないから一応は乗ってくれる事になった。

 

「デビッド、話がある」

「んぁ?」

 

 僕はデビッドだけを呼び止めて耳打ちをする。

 

「……正気かよ、ハゲ武者?」

「いや、あんまり」

「さっきは抜くっつってたろ!?」

「言ったけど、多分抜けないだろうね。だから、抜かない!」

 

 僕は真剣だった。

 デビッドは僕の目を見てどうするか考えている。

 

「……好きにしな。俺は、俺の仕事をやるだけだぜ」

「うん、ありがとう」

「キモいんだよ。礼なんて言うな!」

「分かった。ありがとう」

 

 デビッドは怒ってたけど、僕は嬉しかった。

 アメリカに来て最初で最後になるかもしれない挑戦だから、僕はワクワクしていた。挑む事は楽しい。

 トニー君と僕で、Mr.ドンに挑む。

 

「哀しいなぁ~、シジマール。お前のその彼我戦力差も見抜けん無謀さが、俺は哀しい」

 

 Mr.ドンが何か嘆いている。でも、そんな事は関係ない。僕は僕のベストを尽くすだけだ。足の震えは……きっと武者震いだ。だって僕はハゲ武者だから。

 

「HUT! HUT! HUT!」

 

 デビッドがボールを受け取り、ライン同士がぶつかり合う。デビッドから僕にボールが移り、そのままトニー君目掛けて突っ込む。

 

「無駄だと言ったはずだぞ、シジマール」

「……俺は、勝つ!」

 

 Mr.ドンを全力で押し返すトニー君。僕に欠けていたモノを彼は持っている。僕は彼に教えられた。正確には思い出したんだ。

 

『アメフトに敢闘賞はなく、栄光はただ勝利のみ』

 

 頑張っても、努力しても、勝てなきゃ意味がない。

 負けたくないと勝ちたいは、似てるようでイコールじゃない。僕は今、勝ちたいんだ。勝利をこの手で掴み捕りたいんだ!

 

 今まで以上の気迫で押し返すトニー君に、Mr.ドンの表情も少し硬くなっている。

 

「今だ。点火(ファイア)!」

「おう!」

 

 トニー君はワザと重心をズラしてMr.ドンを引き倒す。これまで押し一辺倒だったトニー君に、流石のMr.ドンも意表を突かれた。

 

「むっ、小癪な……」

 

 トニー君は仰向けに倒れ込み、Mr.ドンも態勢を崩す。僕はその隙にMr.ドンを飛び越えるべくジャンプした。

 

「哀しいなぁ。お前の策も見抜けぬと思われているとは、俺は哀しいぞ」

 

 ゾッとするような声が聞こえる。予想以上に早い立て直しでMr.ドンは起き上がり、僕は吹き飛ばされた。

 

「よし、ファンブルしたぞ」

「奪え、奪え!」

 

 ノートルダム中の選手が何か言ってる。でも僕には聞こえない。

 空中で大きくボールを手放した僕は、そのまま意識を失った。

 

 

・・

・・・

 

 

 僕が意識を取り戻したのは、また病室のベッドだった。

 起き上がろうとするけど、体がうまく動かない。仕方なく目だけをキョロキョロさせた。

 

「麻酔が効いててしばらく動けんぞ。しかし、お前はよっぽど病院が好きらしいな」

 

 そう言って来たのはコーチだった。ベッドの横にあるイスに座って僕を見ている。ずっと待っていてくれたのか、テーブルには飲み物の紙コップがいくつも置いてあった。

 

「僕は一体……あっ、試合! 試合はどうなりました!?」

「負けたよ。惨敗だ。最後は1軍も出たがな、点差は変わらなかった」

「……そう、ですか」

「見てたぞ。無茶したものだ」

 

 見られてたのか……全然気づかなかったなぁ。点差は変わりなし……僕の作戦は失敗だったんだ。

 

「左腕が折れている。一ヵ月は安静にしていろ」

「お、折れて……!?」

 

 バカやった代償か。

 麻酔が切れたら痛みそうだなぁ。

 

「実に愚かしい作戦だった」

 

 そうだよね。そう思われても仕方ない。

 いけると思った僕が甘かった。

 

「……が、今のお前は嫌いじゃない」

「え……っ?」

 

 僕は耳を疑った。幻聴か!?

 コーチは今なんて!?

 

「作戦自体は褒められたものじゃないが、見事だった。あのノートルダム中を完全に出し抜いたんだからな」

 

 上手く……いってたんだ、僕の参戦。

 

「オバーマンにワザと飛ばさせるとはな。シジマールの仕込みも効いていて、連中はすっかり騙されていたよ」

「……第3Qまで、ずっと見ていて気付いたんです。オバーマンはチームメイトから絶大な信頼を得ているって。特に相手も2軍中心でしたから、その依存度は大きかった。だからこそ、ハメれると思いました」

「思惑通り、オバーマンがお前を潰したと思い込んで注意力が散漫になってたな。まさかファンブルを装ったパスだなんて、思いもしなかっただろう」

 

 そう、僕の考えた作戦は自爆に次ぐ自爆の特攻だ。決して褒められた策じゃないけど、オバーマンを出し抜く事で得られる報酬は大きい。尚且つタッチダウンを奪えれば士気も上がると思ったんだ。

 

「お前のパスは確かにエルスマンに届いた。奴も驚いていたぞ、半信半疑だったのだろう。懸命に走っていたが……あと1ヤード届かなかったよ。お前に会わす顔がないと言っていた」

「そうですか……あのデビッドがそんな事を」

 

 驚いた。彼だけには純粋に嫌われてると思ってたのに……僕って見る目ないな。

 

「それと、命令を無視した罰は重いぞ。怪我までしやがって……半年間、クラブでの活動を禁じる。スポーツ推薦枠のお前は必然的にクビってわけだ」

 

 こうなる事は、予想していた。それだけの覚悟で挑んだからね。

 

「後悔、しているか?」

「してません。僕は後悔しません」

「骨まで折っているのにか?」

「はい。僕はアメフトに関わる怪我では絶対に後悔しません」

 

 決めていた。

 コーチに航空券(チケット)を渡された日から覚悟を決めたんだ。

 

「……一生ものの怪我を負ってもか?」

「アナタのように……ですか? ロベルト"東郷"コーチ」

「……調べたのか?」

「はい。無粋な詮索をして済みません。知りたかったんです。22年前、アナタはプロだった。でも、デビュー戦で再起不能の大怪我を負い、未だに後遺症が残る。そのサングラスや杖は、その為の物でしょう」

 

 コーチの本名はロベルト・東郷。日系三世のアメリカ人で元プロ。何の記録も残せないまま引退し、ずっとリハビリを続けてきた。普通には自暴自棄になって腐りそうだけど、コーチは違った。歩けるようになったコーチは指導者としての道を歩み始める。

 

「例え二度とアメフトが出来なくなっても、僕は後悔しません」

「医者の道が途絶えてもか?」

「はい。僕は決めました。僕の一生をアメフトに捧げます。どんな形であろうと、一生アメフトに関わっていこうと思っています……だから、僕もプロを目指します。ココにいられなくなっても、日本に帰っても、どこにいても、死に物狂いで挑み続けようと思います」

 

 そう宣言したら、突然コーチが笑い始めた。僕は真面目に話したのに……

 

「クックック、己の全てを捧げるか……バカだな。22年前の俺とそっくりだ」

「……え!?」

「重蔵氏はお前の心が非常にアンバランスだと心配していた。達観した面も多いが、ひどく幼稚な面もある。とてもバランスが悪い。頭や体の成長具合に対して、心が置いてきぼりのようだと言っていた。どうしてもっと幼稚な面を前面に押し出さないのか。どうして距離を置き安寧を図ろうとするのか。ある点では貪欲なまでに渇望しているのに、ある点ではまるで己の限界を知っているかのように冷めている。このままでは、いつかお前が壊れるんじゃないか、重蔵氏はそれを危惧していた」

 

 し、知らなかった……監督のそんな思いがあったなんて。僕をそういう風に見てくれてたなんて。

 

「俺がお前を試合に使わないのも、タックルの練習をさせないのも、お前の体がまだ出来ていないからだ。日本じゃ飛び抜けていたかもしれんがな、お前の骨格や筋肉はまだまだ細い。体質もあるんだろうが、今のお前じゃアメリカ人と張り合うのはまだ早い。今はじっくりと基礎を固める方がお前の将来に役立つ」

 

 何も言えなかった。

 

「太りにくい筋肉を赤く変えるより、長所をもっと伸ばせ。お前の遅筋は持久力に長けた証だ。何を見限ってるか知らんが、磨きもせずに諦めるな」

 

 目頭がやけに熱い。

 

「もし、お前にその覚悟があるなら……半年我慢しろ。怪我が癒えたら俺の課すトレーニングだけを忠実にこなせ。そうすれば航空券の代わりに……来季トライアウトの機会(チケット)をくれてやる」

 

 涙が溢れて耳に入ってくるけど、僕は動けない。

 こんなにも僕を気にかけてくれる人達がいたなんて……それに、やっぱり僕は泣き虫だ。

 

「はい……はい、よろしくお願いします!」

 

 僕の名前は雪光学。

 これからプロを目指す。僕は絶対諦めない。僕が恩を返す相手は、アメフトだ。

 

 




あれこれ詰め込んだら長くなってしまいました。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。


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