SAOエクストラストーリー (ZHE)
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第一章 雷動の二ヶ月
第1話 序章~ソードアートオンライン~


 西暦2022年11月6日、浮遊城第1層。

 

 

「ヒャッハー!! これよコレェ!!」

 

 イノシシ型モンスターの鼻面に鉄塊を押し込みながら、世紀末的な叫びをあげた俺は、硝子のフレークを浴びると剣を払って満足げに空を仰いでいた。

 気持ちいい。生物の命を絶つという、ある種の背徳的な危うさと非現実感が一気に押し寄せる。

 

「(やべ、声出てた……)」

 

 ここがオンライン世界であることを思い出し、慌てて辺りを見渡す。

 ……よし、幸いフィールドには誰もいない。

 

「う〜し次だ……」

 

 今度は小さくつぶやく。

 最大級のVRMMO。ソードアート・オンラインこと《SAO》の世界へダイブしてから4時間半。

 正確には最大級ではなく『最大』であるSAOの造り出すバーチャル空間は、誇張ではなく本当に広かった。

 ゲーム業界が到達した新しい境地、完全仮想現実。

 VRMMOなんて、学のない俺からすると横文字の意味はさっぱりだが、つまりコントローラーではなく、実際に脳が発する電気的な信号をマシンが読み取り、疑似人体であるアバターを動かして攻略を進める次世代ゲームだそうだ。

 《ナーヴギア》なる流線型ヘッドギアを頭に被り、それが意識を遮断すると、自室のベッドの上にいようと広大な世界へ飛び出すことができてしまう。

 もちろん家具が壊れないよう、筋肉へ伝わる信号素子もすべて延髄部でキャンセルされヘッドギアが回収してくれる。『本体』は寝たまま、『プレイヤー』は暴れたい放題という寸法である。

 本日午後1時、正式サービス開始。

 その直後から1万人ものプレイヤーが同じフィールドで楽しんでいた。

 同時に、これが初経験でないプレイヤーもいる。

 諸事情からその1人に該当する俺も、すでにある程度操作に慣れ始め、早速自称プロゲーマーの名に恥じないレベル上げを繰り返しているところである。

 

「オラオラどうしたァっ!!」

 

 バシュウ! と、また音を立て、目の前にいたイノシシ型モンスター《クレイジー・ボア》が四散する。

 繰り返すが人はいない。ボリュームもちょっと抑えた。

 倒した相手は荒野を徘徊して草木や虫を探す食欲旺盛な個体だが、奴らとて主街区からいくばくも離れない位置に棲息する、いわゆる雑魚Mobである。

 もっとも、ドでかい円柱形フィールド100層からなる《浮遊城アインクラッド》の最初期の相手と言えど、これでもまだほとんどのプレイヤーが留まるアインクラッド第1層、《はじまりの街》周辺の非攻撃(ノンアクティブ)、《フレイジー・ボア》よりは好戦的と言えよう。こちらに攻撃意思がなくても、視界に入り次第突進してくるからである。

 そう、前述の通りゲーム内は広い。同じ第1層でも安全地域に設定された街は《はじまりの街》だけではなく、オプション兵装の売買が盛んな《トールバーナ》と呼ばれる街の周りでレベル上げをしているのだ。

 体躯も1.5倍ほどに膨れ上がり、原種に比べて角も長ければ得物を追う距離も長い獰猛(どうもう)さを併せ持つが、同骨格のモーション違いのせいか最終的に彼らの技は緩急をつけた突進に行きつく。俺が原種をスルーしてここで定点狩りしている理由である。

 特に欲しいアクセサリアイテムがあるわけではないが、SAOにおけるレベル5ぐらいまでは思考停止してここで狩りまくっていた方が効率もいい。

 

「(っと……思ったより体力ヤベーな)」

 

 先の戦闘で視界に赤みがかかってしまった。ふと自分のHPゲージに目をやると、その先端部分は早くも2割を切って危険域(レッドゾーン)にまで減っている。当たり所によってはもう1撃でゲームオーバーだろう。

 もっとも、このリアリティ、グラフィックを以てしても所詮はゲーム。死に戻り(デスルーラ)して《はじまりの街》の特定ポイントからやり直せばいいだけなのだ。

 が、ここまで歩いてくる時間だってバカにならない。さっさと回復するが吉か。

 

「(んん~……?)」

 

 慣れきった手つきで指を振り、メニュー画面である《メインメニュー・ウィンドウ》を開いていた俺だったが、目の前に同じモンスターが湧出(POP)するのが見えた。

 無論、今の俺のレベルは3であり、頑張れば1でも倒せる《クレイジー・ボア》は特段脅威ではない。こちらも1発KO状態ではあるが、ここSAOでは既存の2DスクロールRPGとは少々勝手が異なる。

 具体的には、『順番に攻撃してされて』の繰り返しではなく、(かわ)せるなら敵の攻撃をいくら躱してもいいのだ。

 従来なら物理的に勝てない敵でも、攻撃を100%(かわ)し、自分の攻撃を延々と当て続ければ相当なレベル差を埋めることもできてしまう。それが容易だとは言わないが、理屈の上では現段階であらゆるボスにも勝てる可能性を秘めているのである。

 察しもつくだろう。

 そう、この極限状態で俺は戦いたくなったのだ。

 何せ俺は『主人公』のようなものなのだから。絶対勝てる状態で一方的に敵を倒し続ける作業も飽きてきたところだし、世に溢れるいかなる物語の主要キャラクターとて、いつもピンチな状態で勝利を掴むもの。

 カッコつけて剣を納める姿も、セットアップステージで俺が綿密(めんみつ)にパラメータを設定したこの『超格好いいアバター』に限ってはよく似合っているし、ヒロイックなイメージキャラへの勝手な自己投影さえ済ませてしまえば、ユーザこそ主人公という没入感もあながちオツなものである。

 

「(やっべ、身震いしてきた……)」

 

 おそらく次の瞬間には颯爽(さっそう)と舞う騎士の様に敵を葬るだろう自分の姿を脳内で描き、愚かにも自身に陶酔(とうすい)する。

 みなが主役となれるこの世界に、どこか感謝を捧げたくもなる。

 再び剣を体の正中線に構えた。

 もちろん、自惚れは差し置いて、俺だってきちんと費用対効果の計算はしている。バカ高校所属の皮算用でも勝てる自信が湧いてくるのは、おそらく俺が元《βテスター》だからだろう。

 αテストをスタンドアローンな環境で終えた運営スタッフが、体験版的な意味でアインクラッド第10層まで解放した大規模通信テストのことである。

 『テスター』の名の通り、3ヶ月前に俺はこのゲームを手にして1ヶ月間に渡りプレイしている。今日もほんの10分ほどで勘を取り戻し、今では完全にアバターの動かし方を心得ている状態だ。

 好きではないが、元々リアル世界でスポーツもそれなりにできた。身長も後ろから数えた方がはるかに早かった俺は、今の高視点に違和感もない。

 まったく、スポーツマン兼プログラマー兼高身長の両親のDNAには感謝感激だ。強いて問題を挙げるとすれば、息子が骨と皮だけのもやし廃人になっていることぐらいだろうか。

 ――ま〜いい。ハナっからデキ損ないなんて見向きもされないし、奴らの期待は姉ちゃんが応えてくれる。

 

「(さってやるか……)」

 

 余計なことを思い出して若干冷めてしまったものの、気合いを入れ直して敵を見据える。

 リポップしたイノシシかぶれも、こちらの存在に気付く。2、3度前足を踏み鳴らすと、猪突猛進もかくやと言ったスピードで近づいてきたが、俺はまだ動かない。

 見極める。その間にもどんどん距離は縮まり、攻撃圏内(アグロレンジ)まであとほんの数メートル。

 そして、角が届こうと言うところまで近づき……、

 

「今ッ!」

 

 ブオゥッ! と、風邪を切る音だけが後ろに流れる。思うだけのつもりが、緊張していたのか声にでてしまった。とても恥ずかしい。

 でも誰も見てないし、と内心付け足し地面を転がると、とにかく回避はばっちり成功したようだ。

 

「(ウッヒョおおおお!!)」

 

 また興奮。起き上がりざまにダッシュで死角に入り、旋回しようとするその横っ腹にビンタの要領で剣を当てまくる。

 しかし、重心がメチャクチャだったためか全て弱ヒット判定。こういうシビアなところも本ソフトが手抜きを排し、徹底的にこだわった結果なのだろう。

 するとしばらくされるがままだったモンスターは、振り向き様に反撃モーションを加えて脚をブン回してきた。

 予備動作で既に反撃を予想していた俺はバックステップでその脚をギリギリ回避し、今度こそ重撃を叩きこまんと、右手に持つ剣を右肩に掛けてしっかりと構えた。

 剣が光を帯びる。

 ゴウッ!! と、発光した俺の剣が《クレイジー・ボア》の脳天を突き破ると、まだ半分以上もあったHPがレッドゾーンまでいき……そしてゼロになった。ついでにパシャアッ、とずいぶん間抜けな音と共にフレークの破片となってボアは消滅した。

 

「しゃあァオラー!! らっくしょォッ!!」

 

 孤独をいいことに思わず快哉(かいさい)を叫んでしまう。

 アバターの運動限界量はおろか、上位技ではゲームの重力までも一時的に無視できてしまう、独特のアタックアシストシステム。

 これが魔法の廃止されたこのゲームにおける必殺技、《ソードスキル》だ。

 ちなみに今のは《片手用武器》専用ソードスキル、初級単発垂直斬り《バーチカル》。多くの武器で共通使用されている技でもある。

 空間認識、運動神経、反射神経など個々のセンスが勝敗を左右する、つまりある意味では究極のアクションゲームでもある本作では、こうしたアシストシステムをいかに活かすかが肝要となる。

 そのまま破砕した敵を忘れ去り、「そろそろレベルアップしてもいいのになぁ」などと思いながら振り向くと……、

 

「うをぅっ!?」

 

 真後ろにもう1匹同じのが待ち構えていて、しかも既に攻撃モーションに入っていた。

 この時、アバターが寸分狂いなく反応したのは運も味方したのだろう。俺は反射的に手をかざすと、跳び箱の要領で窮地を掻い潜った……否、飛び越えた。

 

「(ッぶねーな、不意打ちかァ!? いいどきょーだ!!)」

 

 改まるとわざと大降りに剣を構え、キザッたらしくモンスターと対峙する俺。先ほどから完全にイタイ人間である。

 しかし、ヒーローたる俺に負のイメージは許されない。リアルでは底辺校と揶揄(やゆ)される負け組高校にしか入れなかった俺も、このSAOの世界ではもれなく勇者となった。

 であれば当然、優雅に凛々(りり)しく格好良く、この獣を……、

 

「殺ォすっ!!」

 

 すでに優雅さから欠如している俺がまたも叫ぶと、相手もブルルッと威嚇し突進してくる。

 しかし、集中力の増した俺もニヤけ顔を引っ込めるとその攻撃を軽々と避けきった。

 そして両肩を交互に突き出すように敵の腕を躱すと、たちまち相手の隙を見つけだしていた。

 短く息を吐いて力を込める。

 斬り上げでヒット&アウェイ、そのまま連続ステップでさらに距離を空ける。テンションも高まり、無意味に片手バック転を挟みながら高笑いまでしてみた。

 ……非常に快感である。

 ニアデス状態から始まった連戦。だが、高揚した脳からはアドレナリンか何かが分泌されているのだろう。相手の動きがゆっくりはっきり見える。視野が狭くなって《クレイジー・ボア》以外のものが背景を含め青く見えなくなっていくと、同時に音も遠ざかった。

 そう自覚した直後、俺は全力で疾駆(しっく)する。

 バーチャルリアリティが再現する猛烈な向かい風を浴び、同時にこのリニアな加速感と剣との一体感は何にも変えられないのだと思い知らされた。

 そのまま突進を続けると、とうとう相手さえ青いベールに包まれ、チカチカした光だけが視界に広がった。

 だが俺は確信している。俺の剣は奴に突き刺さる、と。

 なぜなら俺は……俺はっ!

 

「俺しゅじんこぉおおぉお、おぶぇッふぇ!?」

 

 ガッチィイイインっ!! と、壁に激突した。

 より正確に表現すると、イノシシが突如消滅し、破壊不能オブジェクトである壁に剣を突き立てて、派手なエフェクトを音といい光といいブチまけつつも1ミリも刺さらずに止まり、その(つか)の先が突進中だった俺の横腹を深々と(えぐ)ったのだ。

 ――はて、荒野の真ん中に壁なんてあっただろうか。

 

「ぐはっ」

 

 と、石畳に四つん這いになってからとりあえず血を吐く真似をしてみる。

 ベータ版では何度か体験したが、体を包み込んだ青白いライトエフェクトは転移の際のものだ。せっかく狩りを楽しんでいたのに、俺はG M(ゲームマスター)の手によって座標をイジられたようである。

 

「(ったく、いいところでよぉ〜……)」

 

 とはいえ、事前アナウンスなしの強制転移とはお行儀がなっていない。まさか正式リリース直後にサーバメンテナンスでもするのだろうか。

 しかし低姿勢のままふと頭を上げると、そこにはプレイヤーと思しき女の子が「ひっ」と息を詰まらせスカートを押さえながら飛び退いていた。

 推測するに、突然股下に接近してきた俺のことを『下着を覗こうとする不埒者』とでも認識したのだろう。

 思い思いに作成できるビジュアルチャットサービス、つまりキャラをカスタマイズ可能であることをいいことに異性アバターを満喫するユーザが多いとは聞いていたが、まこと他人事ながら俺はその自然な対応から、「ネカマじゃないな」と率直に感じた。

 そして誓って言おう、見えなかったと。

 

「(つーかこのゲーム、システム的に見えないんじゃなかったっけ。……あれ、見えたっけ)」

 

 なんてことをつらつら考えながら女(?)をスルーして周りを見渡すと、そこには信じられない人数のプレイヤーが集っていた。

 ざっと見渡しても端の景色が見えない。5千人はいるだろうか。場所もフィールドではなく、光沢を放つ尖塔(せんとう)と大規模な建築物がそこかしこに見える。

 確かここは主街区である《はじまりの街》の一角であった記憶がある。ついでに伝えておくと、先ほどから中央に備え付けられたでかい鐘がリーン、ゴーン、と繰り返し鳴っていてまことにウルサイ。

 しかも、この瞬間も青白い光が出現する度に、そこに新たなプレイヤーが立っているではないか。告知なしの強制転移は継続中というわけか。

 さらによ~く、よ~~く見渡すと、俺の周りにいた10人程のプレイヤーが奇行と奇声を重複(ちょうふく)発動させて登場した俺を、まるで変態を見るような目で見ていた。

 

『…………』

「(ん、ンだよ……こっち見んなよチクショウ共め! ……ちくしょう、どもめ……)」

 

 超恥ずかしい。

 心の中で弱々しく悪態をつきながらコソコソと隠れるように端っこを移動して逃げると、ようやく落ち着けて状況を整理する。

 まず理解できたことは、今この電子界に展開される新ジャンルゲームは、何らかのトラブルの末にログアウト不能状態にあるということ。

 そして2つ目は、ここがアインクラッド第1層《はじまりの街》にある、無駄にエリア面積を圧迫していた中央広場だということだ。

 ちなみに、まだゲームを楽しむ気でいた俺がなぜ1つ目に気づいたのかというと、集められたプレイヤーが口々に「ログアウトさせろ!」と叫んでいたからである。きちんと金を出した遊具のせいで現実世界に返られないなんて前代未聞もいいところなので、これは納得の怒声である。

 2つ目に気付くのが遅れた理由は、人があまりにも多すぎたからだ。プロなら鐘の音で気付いてもよかったはずだが迂闊(うかつ)だった。

 

「(にしてもなんだァ、これは。マジでログアウトできねぇし……)」

 

 念のために自分でもメインメニューから『Log Out』ボタンが消滅していることを確認すると、流石の俺も事態の異常性に頭を抱えざるを得なかった。

 親族の誰かが《ナーヴギア》の電源を切るか、何であればダイレクトにコンセントを抜くなりブレイカーを落とすなりすれば解決する話ではある。

 しかし、問題は自発的な解除ができない点だ。体の各筋肉への運動信号を頭蓋骨の後ろでカットしてしまうため、プレイヤー自身は現実へ干渉できないのである。

 つまり、俺達は今、自力脱出不能の牢に閉じ込められた状態に等しい。

 情報サイトのリンクページやCMで大体的に宣伝しておいて初日でこれでは、俺は間抜けにもβテスターに選ばれ優先購入権があったにも関わらず我慢しきれず徹夜し、高い金を払い、不良品を買わされてしまった廃人ではないか。

 ……極めて的を射た事実だが。

 

「(集中アクセスの不具合かなんかだわな。グラ良すぎるし、1万人いてもラグらないようサバの容量使いすぎたんだろ。ま、しゃあねぇ。こうなったら和義(カズ)でも探すか……あ、コッチじゃ『ルガトリオ』だっけ)」

 

 初回ロットがたった1万本という、生産数に難のあるゲームの中にもどうやら奇跡的に知り合いがいたようで、そいつの名前が『井上 和義(いのうえ かずよし)』こと『ルガトリオ』だ。

 ドヤ顔で達観した気になって騒ぎを眺めるのにも飽きてきた俺は、立ち上がってからフレンド登録すら後回しにしていた――何気に酷いことしている――旧友をしぶしぶ捜しだす。

 そして最初の1歩で捜索は終了した。

 何も記録的な速さで彼を見つけたのではない。ただ、事態が旧友の捜索どころではなくなっただけである。

 原因は空の色の変化。すでに夕暮れ時だったため、あと数十分もすれば仮想太陽の沈む闇が空を染めることは予想できたが、現在空を覆う色は紅。血も滴るようなダーククリムゾンだった。

 空が、血の色に染まっていた。

 

「(って、血ぃい……!?)」

 

 比喩ではない大量の血液の(したた)り。

 警戒心を掻き立てるけたたましいアラート音。

 きっちり格子状に並んだアルファベットのアナウンスメッセージパネルの隙間から、本当に血のような液体がドバドバ溢れ、その液体がやがて全長20メートルほどの巨人を作っていたのだ。

 しばらくするとグロテスクな液体が人型を形成されていき、顔にあたる部分が黒く塗り潰された魔法使いのような姿になった。

 巨人じみた大きさのそれは……不吉な光を放つ怪しいそれは……それでも、どこか神々しさすら醸し出していた。

 そして次第に色も着き始め、フェイスマスク効果のある真っ黒な顔以外は完全に巨大な魔術師となった。

 

「(うへ~、シュミの悪い演出だなあ……?)」

 

 演出……なのだろうか。気味の悪い光景に自然と小さく吐露(とろ)しつつ、俺はもっと違う可能性について頭を巡らせていた。

 デキの悪い俺ですら本能で異常事態を警戒しているのだ。

 きっと周りの奴らも同様だろう。強制テレポートに、一向に来ない音声によるアナウンス。空に無数に浮かぶパネルの《Warning》と《system announce》の文字と、明らかにあらかじめ用意されていたのだろうイベント。極めつけはログアウトできないこの現状。

 どうしようもなく、嫌な予感がする。

 

『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ』

 

 そしてとうとう空中に浮く巨人が口を開いた。しかしGMなのかどうかは知るよしもないが、こともあろうに『私の世界』ときたものだ。

 とんだイカレ野郎か何かだろうか。他の人間も呆れかえっているではないか。

 

『私の名前は茅場晶彦。今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 発言にゲーム製作者本人の名前を聞き、民衆の中にどよめきが走った。

 茅場晶彦(かやばあきひこ)。彼は大手ゲームメーカー《アーガス》の開発ディレクターに位置する天才学者であり、《ナーヴギア》の開発をはじめフルダイブ研究に大いに貢献した量子物理学者である。

 そして同時に、知らない日本人はいないとまで言わせた知名度を誇る有名人だ。

 脇に毛が生えているかも怪しい年頃から、当時ベタベタの中小企業だったアーガスに、自分がデザインしたオリジナルゲームを持ち込んでバカ売れ。高校在籍中に開発した仮想体験感度分散処理プログラムが世界的に評価され、この時点で年収が数億円に上る。日本有数の大学に進学すると共に本社アーガスでは開発部長に就任され、市場の最前線を独占するほど巨大化したアーガスの正社員としても、革新的な技術を生み出し続ける。

 専門家によれば、その相乗効果がなければVRMMOの実現は20年以上遅れていただろう、などなど。彼に関する耳を疑うような武勇伝は後を絶たず、この界隈(かいわい)では伝説の名をほしいままにしている人物である。

 

「(ケッ、クセー奴だ。作った人間が誰とかどうでもいいっつーの!)」

 

 しかし、俺はゲーム本体にしか興味がない。

 それに民衆の予想通りの動揺に少し笑ってしまっていた。

 ヘソの曲がった俺は、例えば静まった教室で先生が何かを見ろと指を指してもそちらを向かず、自分以外の生徒が一斉に振り向くのを見てクスクスしているひねくれ者なのだ。

 よって、のんきにも周りの反応を面白がっていたわけだが、しかしそれは大馬鹿行為であったとすぐに知らされる。

 この時、彼の……茅場晶彦の言葉を一言一句逃してはいけなかった。記憶すら曖昧にさせた、あの衝撃の内容を。

 後に続いた言葉はこうだ。

 

 曰く、『ログアウト不能』はバクではなく、SAOソフト本来の仕様。

 曰く、外部の人間による回線切断は死に直結。警告を無視したゲーマーの親族の行動が200人以上のプレイヤーの命を奪い、同時多発的に起こった重大な監禁が証明されたことで日本政府はこれをテロ行為と断定。あらゆるチャンネルが緊急速報へ切り替わり、マスコミが懸命に対処法を繰り返し報道している。

 その間、現実(リアル)の体はオンラインからの切断が許される猶予内に病院、あるいはそれに準ずる延命用保護施設へ搬送され、現在は生命維持装置を取り付けられている最中である。

 曰く、殺害方法は《ナーヴギア》の発する高出力マイクロウェーブ、つまり電子レンジなどの発熱と同じ原理による脳の焼却。《ナーヴギア》の破壊や解体などの試みはもちろん、内蔵された非常用バッテリーにより、電源を一定時間落とすことでも必ず自動で作動する。

 曰く、この仮想世界での脱落もリアルの死に直結。今後、攻略過程でHPゲージが0になりゲームオーバーになった者は、《蘇生者の間》には送られず、代わりに脳を焼かれてあの世に送られる。

 ただし、ゲームをクリアさえすればプレイヤーは全員解放。クリア条件はアインクラッドを構成するステージの第100層目制覇。すなわち、100体の《フロアボス》討伐。

 

「なんだよ……それ……」

 

 まだ俺の意識は麻痺していた。正常性バイアスというやつだろうか。間抜けにも、俺の頭は平日のバイトのシフトがどうとか、来週の日曜に不良仲間とハリウッド製の洋画を見に行く予定だとか、なんとも場違いな心配をしていたのだ。

 しかし、事態はそれほど浅膚(せんぷ)な様相を呈してはいなかった。

 

『それでは最後に……』

 

 聞きたくない。認めたくない。

 しかし巨大な魔法使い姿の茅場は続けた。

 

『このゲームが諸君にとって唯一の現実であるという証拠を見せよう……』

 

 あまりに現実味のない、しかし明確に本能的な死を意識させられるデスゲーム宣言。

 巨大な魔術師の説明中には、周囲の空中に同じぐらい巨大なモニターがいくつも投影されていた。

 リアル側の番組をリンクさせていただろう、衝撃的な映像。

 現実世界での遺族へのインタビュー、ヘルメット型ハード《ナーヴギア》を被ったまま顔面の穴という穴から血を流し、息を引き取った死体。立ち入り禁止の黄色いテープが張られたSAO開発メーカー本社。緊急ニュースへ切り替わりスーツを着た老人が当面の対策を国民に説明し続ける各番組。

 さらには、直前に失踪した茅場の捜索と同時進行でソフトのハッキングを試みているものの、データベースへの侵入は絶望的だという事実。

 茅場本人による、不退の決意表明。

 それらすべてが信じられないほどリアリティに溢れていて、いかに『向こう』が混迷しているかがダイレクトに伝わってきた。

 信じたくはないが自然に意識が認めている。鳥肌が立ち、歯がかみ合わず、呼吸が浅くなり、足が震える。頭が勝手に理解してしまう。

 

『諸君らのアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 

 奴はそう続けた。

 しかし俺を含め、茫然自失(ぼうぜんじしつ)で話を聞いていた他のプレイヤー達が操り人形のように全員アイテム欄を確認すると、そこには確かに手に入れた覚えの無いアイテムがあった。

 

「《手鏡》、って……うわぁっ!?」 

 

 タップして数秒たつと、俺の体が白い光に包まれた。ただでさえ何もかも理解できない状況で、視界が白で埋め尽くされることによって相当な恐怖と不安に駆られる。

 幸いにもこの現象は数秒で消えてなくなってくれた。

 いったい何がどうなったのか。

 

「(ハ、ハハ何だよ。今度は何なんだよ、オイ……)」

 

 近くにいた恰幅(かっぷく)のいいおっさんに「今のは?」と聞こうとして直前で手が止まる。そして稲妻に打たれたかのように思考が加速した。

 ――太ったおっさんだと?

 ――そんなバカな。仮想世界に来てまで太ったキャラ使う人間なんているのか?

 ――そもそもつい数十秒前に見渡した時、1人でもそんな人間はいたか。

 ――俺を含めどいつもこいつもモデル体型のような肉体に、イケメンか美女のアバターを操作していたはず……。

 

「……そういう……ことか」

 

 発音してみて初めて自分の声が過剰に(しわが)れていることに気付きながらも、手元に残る《手鏡》に自分の顔を映して俺は1人納得した。

 そこに映っていたのは『超格好いいアバター』でも何でもなく、『俺』そのものだったのだ。

 髪の色も藍色から黒に戻り、つい先ほどまでは逆立っていたはずなのに今は見受けられない。目元もほとんど隠れていて、常に人を睨み付けているような三白眼はお世辞にも穏やかとは言えなかった。細身でも充分にあった筋肉すらどこかへ失せている。

 あの天才学者、茅場晶彦のことだ。細かい技術なんて俺には想像も及ばないが、リアルの顔や体付きを再現する何らかの手段を持っているのだろう。脳とナーヴギアの通信に障害がないかを確かめる際に、退屈な接続テストやらのついでにキャリブレーションと呼ばれる身体検査も行ったのだが、もしかしたらそのデータを流用したのかもしれない。

 そして俺は考えた。

 驚き疲れて逆に冷静になっているのかもしれない俺は、今後混乱のさなかに起こるだろう現象を、脳みそを最大限活用させて考えた。

 このリソース有限のサバイバルゲームについて。

 

「(うちに帰れないってんならどうするっ? 助けを待つか……それが1番ケンメーだよな……くそっ! 《ナーヴギア》は取れるのか!? それまで何もしないで過ごす!? 1ヶ月だったらどうすんだッ!? 寝て待てってのかよッ!!)」

 

 混乱が極まる。

 皆がみな大人しくして、そしてまったく何も起こらないという考え方のほうが不自然である。

 なにせ俺達はしばらく、こんなふざけた閉鎖空間で過ごさなければならなくなっているのだ。最低限の生活水準を確保するのだって人任せにできない。

 つまり人が文明的な生活を送る、あるいは生理的な欲求を満たすためだけに、他の人間と競争しなければならないということになる。

 よもや1万人全てがじっとするはずもないので、狩りそのものは再開されるだろう。《はじまりの街》周辺の雑魚はまず間違いなく早い段階で狩りつくされて消滅する。

 特に俺と同じ元βテスターの行動は要チェック。のんびり暮らしていただけのプレイヤーもいたから『例外なく』とは言わない――そもそもβテストは抽選式であり、コアゲーマーだけが当選するわけではない――が、基本こいつらは第10層の迷宮区までを攻略したことがある、あるいはそれを目撃したことがあるライバル連中だ。

 最終的にリソースの奪い合いは彼らとすることになるだろう。現にこれまでも、それを仮定して効率的な強化を進めていた。

 

『諸君はいま、『なぜ』と思っているだろう。なぜ《ソードアート・オンライン》および《ナーヴギア》開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか、と』

 

 両手を広げ、諭すように茅場晶彦は続けた。この場にいる全プレイヤーが(いだ)いた疑問だろう。

 しかし、狂気の演説は信じられないほど簡単に終わった。

 

『私の目的はすでに達せられている。この世界を作り出し、鑑賞するためにのみ私は《ソードアート・オンライン》を作った。……そして今、すべては達成せしめられた。以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。……プレイヤー諸君の、健闘を祈る』

 

 この言葉を最後に、巨人の亡霊は激しいノイズと共に姿を消した。同時に世界が元に戻る。空は夕焼けへ、広場からも自由に出られるようになり、システム的な束縛は鳴りを潜める。

 こんなエゴイズムは初めて見た。

 なにが鑑賞だ。

 なにが達成だ。

 中指を立てて思いつく限りの怨声(えんせい)を浴びせてやりたい気分である。

 こんな形で今まで通り攻略に戻れるハズが……、

 いや……違うか。元になんて戻っていない。たった今から、これはロールプレイングゲームから文字通りの死闘劇に姿を変えたのだ。

 サバイバル……。先に動かなければ自分が飢えて死ぬだけの、サバイバルゲームへ。

 

「ッ……!!」

 

 そう理解した瞬間、俺は走り出していた。

 脇目も振らずプレイヤーの横を過ぎ去る。もしかしたらNPCだったかもしれない。続いて酒屋を、鍛冶屋を、裁縫屋を、飲食店を、何の目的かもわからないままやたらと攅立(さんりゅう)している施設を過ぎ去った。

 俺は馬鹿で廃人だ。しかしゲーマーとして、そしてβテスターとしてやれることがある。

 ならば可能な限り考えて考えて考えて……そして行動しなくてはならない。この瞬間も走り続けて効率のいい拠点に場所を移したらそこで必要なアイテムを最短で最大数購入してフィールドに出てから敵を倒して強くなって経験値を稼いでまた強くなってそれから……、

 

「うっ……オぇっ……ェ……」

 

 ふと脱力して倒れ込み、NPCショップの壁に手をつくとそのまま吐きそうになった。

 しかしSAOの世界にそんなコマンドやアクションはない。ここは現実世界では、ないのだ。

 

「く……そ。おいマジか!? ……マジかよ、ちくしょう。ざっけんじゃねェぞッ!!」

 

 視界は涙で(かす)み、はるか後方では約1万人(・・・・)の囚人達がノドを潰さんばかりに叫んでいた。

 メンタル崩壊を起こしている奴もいるだろう。かく言う俺もその寸前である。自分勝手にやりたい放題しやがって、いきなりこんなのありかよ、そう叫びたくもなる。

 それでも俺はヨロヨロと《はじまりの街》東ゲートに辿り着く。がしかし、そこで危ういところで重大なことに気づいた。

 

「……ハァ……ハァ……そ、うだ……体力、やべぇ……」

 

 視界の左端に33/454という数字が見える。安全エリアでは視界がレッドアウトしないのでわかり辛かったとは言え、俺はこんな状態でモンスターのいるフィールドに出そうだったのだ。

 何が冷静に、だ。気が動転しすぎて初歩的なことすらできなくなっているではないか。

 

「んぐ……」

 

 そのまま俺は《回復ポーション》で体力を全快させ、無造作に空の水瓶(すいびょう)を投げ捨てると再び走り出した。

 美味しいとは言えないが、喉を液体で潤したおかげで今度はもう少し足がまともに動いてくれた。

 そして頭も同時にはたらき出すと懸命に思考する。

 自己強化する理由。それは生活水準を満たすためだけではない。

 言うまでもなく、敵が『モンスターのみ』から『モンスターまたはプレイヤー』に変わるからである。

 絶対に変わる。これは断言できる。

 明日になったらナーヴギアが取り外せるようになりました……なんてことになってくれていたら、それはそれでいい。万々歳だ。

 では、そうならなかったとしたら?

 数日は問題ないかもしれない。数週間ほどからかなり危険だ。そして数ヶ月もすれば必ずプレイヤーはプレイヤーを攻撃しだす。大義や思想のない、むやみに暴れだすだけに終始する者だって現れるだろう。

 そしてそうなった場合、連中を『返り討ち』にする実力が無くてはならないのだ。

 楽観的な理想は結構。しかし赤の他人への信用なんて、命に比べればカスみたいなもの。

 誰もレベル上げをしない可能性……これはゼロだ。この状態が長引いた時、プレイヤー同士が争わない可能性……これもまたゼロだ。なら屁理屈をこねていないで強くなるしかない。そのために俺は走っている。

 さらにもう1つ、頭に浮かぶのはルガトリオこと和義のことだった。

 気付いていた。このままカズを見捨てて置き去りにしたらどんなことが起きるのかを。

 気付いていたのに、俺は醜悪(しゅうあく)にも中学以来の旧友を『費用対効果』の観点から見捨てた。テスターでないあいつを育てながら周りと競争するよりも、フライングに近い圧倒的な情報力を活かしてソロで活動する方が効率もいい、と。

 そして今では、オンラインサービスのリリース直後にフレンド登録をしなくて良かったとさえ思っている。

 最低だ。ゲス野郎だ。

 ――友を捨てた恥知らずの……、

 

「違う! ……あ、あいつだっ最低なのはかやばだッ! 俺じゃない!!」

 

 クスリでもしているのかと思わせるような独り言。やはり周りに人は見えなかったが、今回は体裁(ていさい)のことなんて考えていられなかった。

 もう、どうでもいいのだ。

 ヒョロイだけの、最早アバターとも言えない今の俺はヒーローでも勇者でもない。どこまでもリアルな『俺』そのもの。

 広場の男女もそうだ。初めは拮抗していた男女比もいざ正体を晒すと女性の割合は2割を切っていた。平均身長やスリムな体型、眉目秀麗な顔も当然崩壊。茅場のことだから、名前を含めて性別を偽っていたプレイヤーにも救済措置はあるのだろうが。

 

「ハっ、アハハハハハッ!! ちくしょうがっ。やってくれるぜ……くそッ!!」

 

 麻痺すらしてきた頭と体をなおも酷使し、狂ったような笑い声をあげていると、早くもモンスターとエンカウントした。

 Mobの名は《ウルフ》。時刻表示を見るといつの間にか18時半を回っていたため、夜行性の《ウルフ》が出現してもおかしくはない。

 しかし、俺はその本物と見紛うほどの目や牙の質量を今さらながらに意識し、βテストではおなじみだったはずのモンスターにさえ原始的な恐怖に見舞われていた。

 そして体が震え上がる最大の理由。

 

「(こいつに負けたら、死ぬ……死ぬのか……ッ!?)」

 

 心音が跳ね上がる。

 刻む回数のギアが上がる。

 ゲームオーバーと同時に本物の生命活動すら停止させられると言われても、現実味などすぐには湧いてこない。

 ソフトの仕様で『痛み』を感じないこの世界では、腕を噛まれようが顔を引っ掛かれようが、それらで発生する赤い受傷(じゅしょう)再現ポリゴンは、血液ではなく全てマシンが再現するただのエフェクト。コードに置換できるデジタルデータにすぎないからだ。

 それでも、いざ真偽を暴くためにそれと戦えと言われても……、

 

「いや、できるッ! 俺ならできる!!」

 

 不安を咆哮で吹き飛ばし、抜刀。そのまま下段から斬り上げると、飛びかかってきた《ウルフ》にとってカウンターとなる一撃がヒットした。

 

「あぁああぁァあああアああああッ!!」

 

 この機は逃さない。俺は横這いになった《ウルフ》めがけて、裏返った気合いと共に剣を叩きつけた。

 一撃、二撃、三撃……それからも延々と。戦闘に欠かせないソードスキルの存在など、脳内から綺麗さっぱり消し飛んでいた。

 

「あぁッ! アアっ! あぁあァアアアアアッ! 死ねぇ!! 死ねェええッ!!」

 

 とっくに《ウルフ》はその姿をドットの粗い光片に変え四散している。それでも俺は(かす)かに残るその残影を拭うように剣を振り続けた。

 何度も。何度も。何度も。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 荒い呼吸を繰り返して虚ろな目をするその時の俺に、生存本能以外のものはもう何も無かった。



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第2話 プレイヤーキラー

 西暦2022年11月22日、浮遊城第1層。

 

 β時代は鮮やかな葉をつけていた大樹も寂しく枯れ、日を隠す厚い雲と体温を奪う北風に震えながら、砂利だらけで舗装(ほそう)されていない馬車用の大きな通りを歩いていた。

 街への帰路、モンスターも出現する場所だったが、危機感というものはまったくない。1日3時間も同じステージで遊んでいたら筋金入りのゲーマーだって飽きるものだ。それを2週間もログインしっぱなしで過ごしたらどうなるか想像してみて欲しい。

 デスゲーム宣言から2週間と少し。悪夢にも出た瞬間に毎日怯えながらも、俺は麻痺した感覚になお生かされている。

 しかし悪いことばかりでもない。俺はさしあたって目標としていた《両手剣》スキルなるものを、すでに手にしていたからだ。

 万全だ。序盤でやれることは全てやった。没個性な片手剣ともおさらばし、それなりの性能を持つ両刃の大剣を《トールバーナ》の座標固定NPCから購入して装備している。ついでに非常に使いどころを選ぶものの、強力な両手剣用《ソードスキル》も1つ覚えた。

 《ソードスキル》。このゲームにおける生命線とも言えるシステム。

 このシステムアシストを使いこなせないがために命を落としたプレイヤーも多い。俺の単独行動が成立しているのは、β時代の恩恵があるからだろう。

 実際、現在の生存者は8709人しかいない。たった2週間で実に1300人ものプレイヤーが死んでいることになる。そして原因のほとんどが、今の《ソードスキル》についてと『自殺』だ。

 もっとも、これは当然の帰結だった。

 半分のプレイヤーは《はじまりの街》から1歩も出ず、国やこのゲームの発売メーカーが救助するのを待っているそうだが、そんな窮屈(きゅうくつ)な生活をしていたら頭がおかしくなる。

 家族も、友達も、恋人もいない。極論『向こう』のマシントラブルや機器の断線を考えると命の保証さえも無いのだから。

 さらにいえば、この世界には2つの生理的欲求が存在する。それは『睡眠欲』と『食欲』である。

 回りくどい言い方はこの際なしにしよう。存在するということは、満たさなければならない、ということになる。

 各種料理や食材には味覚エンジンが設定されており、それらを食べることで『腹が膨れる』のだ。詳しい作用の説明は専門家にでも聞くしかないが、元を辿ればバーチャル世界を通した新感覚ダイエット活用法だとかなんとか。

 しかし睡眠欲は寝れば済むが、食欲はこの世界の共通通貨『コル』を使って食べ物を買わなければならない。

 戦闘を放棄し街に残る……つまり、安全圏に(こも)って助けを待つと決めたプレイヤーは初期資金分しか食べ物を買えないのである。

 残念ながら我らが極東島国の人間は、食を絶つという文化のない民族。そのストレスは数日とて到底我慢できるものではなく、危険を避けたくとも何らかのアクションを起こさざるを得ないだろう。

 

「(そりゃ死にたくもなるさ……)」

 

 乾いた空気を吸って石段を踏みしめながら、視界に映ってきた(にび)色の積層構造群を眺め、独りでぼやきそうになった。

 呑気に散歩しているようだが、実のところ俺も初めの数日はどうにかなりそうだった。

 今後、国や外部の人間が状況を打開する何らかの対抗手段を開発、考案しなければ……もしくはこのゲームをクリアしなければ、俺達は普通の生活すら送れない。

 学校に行けるかどうかの問題ではない。もちろんそれも大問題だが、まともな人間であればこそ身投げをしだす者だって出るはずだ。なにせ嫌らしいことに、それが『脱出法として有効でない』という証拠もない。

 第一、俺がそうしなかったのは身投げによるゲーム脱出を確かめる勇気も、攻略を諦めて死ぬ勇気も無かったからに他ならない。小心者でずる賢く、しがみつこうと泥まみれになる奴がこの世界では長生きをする。

 

「(ってか、俺……死んでねぇんだな……)」

 

 ()いだ風の寒さに背を丸め、今さらながらに思う。

 勝手な概算だが、今生きている100人足らずのソロプレイヤー達もさぞかし他の追随を許さないステータスを手に入れているだろう。

 1000人を越えるプレイヤーが団結して作られた《ギルドMTD》なる組織も、テスターを中心とした中・小規模ギルドも、やはり俺達(ソロ)ほどのレベルアップ効率には届いていないはずだ。

 理論上、数値だけを見れば俺はピラミッドの頂点に立っていることになる。

 臆面(おくめん)もなくそんなことを考えた折りだった。

 

「(あ、アホやらかしてる奴がいる……)」

 

 俺が拠点にしている《トールバーナ》に到着する直前で、片手用戦槌(ワンハンド・ハンマー)を装備したプレイヤーが《ソニフィ・スクイド》の群れに囲まれている光景が目に入ったのだ。

 粘性が強く、紫の体色をした全長1メートルほどの直立イカのイメージだ。移動速度が遅い上に攻撃手段が乏しく、初心者でも十分戦える相手である。

 だが代わりに稀に大群で押し寄せ、死にかけると破裂しながら周囲のユニットに墨撒きならぬ自爆ダメージを与えることで有名でもある。

 大群相手のセオリーは、こちらも頭数を(そろ)えて各個リンチ。ソロでやるなら十分なレベルを保持するか、両手用の重装備などで一気に倒しきるしかない。それができないなら、運悪く集団に囲まれた瞬間からあのプレイヤーはすぐにでも逃げるべきだった。

 それを、バカ正直に相手取ろうとするとああ(・・)なる。

 

「(ありゃ死んだな……)」

 

 ただそう感じた。同情の念すらほとんど湧かなかった。

 逃走するなら決断は早く下さなければならないはずだが、奴はそれを渋りすぎたのだ。このゲームオーバーは必然である。どこのRPGでも同じ、欲張った奴が死ぬ当たり前の結果。

 

「お、おい……助けに行かねぇのか!?」

「あァ?」

「あんた両手剣だろ、あいつこのままじゃ死んじまうぜ!」

「…………」

 

 ちょっとビックリした。

 立ち止まって死にゆく人間を見続けていたら、隣まで近づいてきたプレイヤーに話しかけられたのだ。

 いつのまに接近したのかは知らないが、気弱そうなシワ寄りの顔面を見定めるように覗くと、俺は悟ったような……同時に相手をあざけ(わら)うような感情にとらわれた。

 なるほど。ようは責任転嫁だ。

 もし自分で行動を起こし失敗してしまった場合、少なからず責任や負い目というものが生まれる。男のオウム返しで「あんたが行けばいいだろう」とも返せたが、発言を引っ込めたのも装備を片手用短槍(ショートスピア)と確認してのこと。

 この男が行ったところで、結果はあまり変わらないだろう。

 そしてその事実を知るがゆえに、彼はまず俺を矢面に立たせた。他人を仲介することでコンスタントに偽善に浸ろうとしたのである。

 助けに行かないのか、だと?

 愚問もいいところだ。

 

「ハッ……バーカ。他の奴なんて知るかっての」

「なっ!? 知るかじゃないだろう、なんて薄情な奴だ! 俺にはできないが、あんたなら……っ」

「るっせぇな!! 軟体系に打撃(ブラント)でやり合ったあいつが悪いんだよ! だいたい、助けながらっつーのは俺にもリスクがある。押し付けこそハクジョーだろーがよォ!? ……けっ、やるならあいつが消えてから狩る……」

 

 偽善も結構だが、男は1つ重大な見落としをしているようだ。

 それは、俺の命だって1つしかない、という点である。お礼に財宝の山がたんまりいただけるというならまだしも、リスクに見合う見返りが保証されていない。

 それに後から参戦するつもりだったのは本当で、今となってはプレイヤーがキルされた際にその場にドロップするオプション兵装とメインアームをかすめ取れなくなってしまったことの方が残念である。

 意思のないイカモドキ共は、当然それらのアイテムには目もくれない。俺は嬉々として失敬(しっけい)していただろう。が、人の前で遺品漁りは心証が悪い。

 

「ッ……お前、人でなしだよ。ひっでぇこと言いやがる。だったら俺が……!!」

「はっ? お、おい待てっ!?」

 

 俺の制止も聞かずに、その男は緩やかな坂を駆け抜けた。

 その行動に、数瞬呆気にとられる。

 この男は俺を介して『人助けをした』つもりになりたかったのではないのか? 危険を伴わないままピンチを救い、心地のいい感謝を共有したかったのではないのか?

 そこまで考えると、寒さを押しのけて背中を汗が伝った。

 みじめな仮説を立てて正当化し、話しかけられた瞬間から言い訳をいくつも列挙した俺は……。

 だが答えが出る前に結果が出た。案の定、敵の全滅直前で最初にいた男は仮想世界で生涯を終える事実に涙を流しながら、そして人の声とは思えない雄叫びと共に消えていったのだ。

 助けるにも遅すぎたし、何より援軍男の装備も貫通(ピアース)系で打撃ほどではないが相性は悪い。

 

「は、ハハハッ……言わんこっちゃねえザコ共が。し、知るかってのあんな奴ら……俺はしらねぇぞ……」

 

 独り言をブツブツとつぶやきながら俺はその場を去った。

 しかし距離を置いたことでまた少し冷静になれた。まさか本当に飛び出すとは思っていなかっただけにインパクトは強かったが、結局あの男も援護に加わったのは先客の死の間際だ。

 だとしたら、バツの悪さからこうして俺が立ち去ることも計算に入れた上で加勢したのかもしれない。目撃者さえいなければ遺品を漁っても誰にも(とが)められないからだ。

 その策士ぶりには感心するが、今回は奴の機転に軍配が上がったということにしておいてやろう。

 とにかく俺は何も見ていない。遠回りして違う門から《トールバーナ》に行けばあの光景を見なかったと言い張れるし、俺が疑われることはまずないだろう。男の言葉を借りるわけではないが、そもそもこの薄情な世界にお節介をはたらく人間は滅多にいない。たったそれだけのことだ。

 『見殺し』も立派なプレイヤーキルだという幻聴も襲ってくるが、俺はあえて無視する。

 

「(関わってない。俺は関わってねぇんだ……あん?)」

 

 誰にも聞こえない弁解を心の中でしていると街へ侵入できる裏道、その脇に生える木々の後ろでプレイヤーが待ち伏せていることに俺は気付いた。

 穏やかな連中ではない。そいつらの正体を予測して、あらかじめ防具を初期装備(・・・・)に変えておく。

 

「止まれ、オラ……」

 

 狙った通り、安い装備のわりに威勢だけはいい3人組が、じりじりと脅すように話しかけてきた。全員男。目的もはっきりしている。

 思わず口角が上がりそうになった。

 それ見たことか。これが人間の本質だ。まるで俺の価値観を肯定してくれているようではないか。

 2人が海賊刀(カトラス)使いで、1人は棍棒(スタッフ)使い。身バレを恐れているのか例外なくスカーフらしきもので顔面の大半を覆っている。

 おそらく、こいつらは今1割ほどいる言わば『はぐれ者』だ。資金をあっという間に使い果たし、路頭に迷った奴らの末路。それがデスゲームを利用して脅しと盗みにすがる、唾棄(だき)すべき放浪者である。

 実際に攻撃したりするとプレイヤーの頭上に表示されるカーソルカラーがグリーンからオレンジに変わるのだが、この3人は見たところグリーンだった。証明手段はないが、《オレンジ》になった後にカルマ回復のクエストを受けたのか、もしくは『攻撃したことがない』か。

 

「やることわかってんだろ。あんま時間取らせんなよ」

「ハ、ハハ。あんたらグリーンじゃねえか。人斬ったことないだろ? ……つ、つまんねぇことしてないで帰れよ」

「ああ? ザケてっと殺すぞ」

「つかもう殺らねえか。なんか喋り方がうぜぇ」

 

 軽いノリで挑発すると、すかさず3人が武器を構えた。効果はあるようだ。

 少なくとも2人のカトラス使いに震えはなかった。

 

「わぁった。わかったよ……装備とか置いてきゃいいんだろ。くそ……わかったよ……」

 

 手をひらひら振って降参の意を表しながら、俺が右手で《メインメニュー・ウィンドウ》を開くと、わずかだが3人の顔が緩んだ。しかし俺はこの時、ウィンドウが他人に不可視であることをいいことに指で長々とある操作をしていたのだ。

 そして次の瞬間、防具変更のサウンドエフェクトと共に全身の装備が最前線のものに一新されると、明らかな戦意を感じ取った彼らは再び表情を固くする。

 

「何のつもりだ、テメェ……!!」

「カスに渡すモンなんざねェよ!」

 

 そう言うやいなや、俺は正面の奴の横をすり抜けようと走り出した。

 

「あっ! おまえッ!!」

 

 驚きながらもとっさに振った相手のカトラスは俺の右腕に(かす)り、次いで左奥にいた奴も剣を振ると俺はその剣を見切ってわざと左手もヒットさせた。

 申し訳程度に切創痕(せっそうこん)が発色すると、たちまち2人のプレイヤーを示す頭上のアイコン色が犯罪者を示す『オレンジ』になる。俺は強力な防具を纏ったためほとんどダメージらしいダメージを負っていないが、ソードアートの世界では立派な犯罪行為だ。

 そして俺はここにきてようやく背中の両手剣を抜刀した。

 短い気合と共にそのまま横に一閃。俺も緊張していて加減ができなかったが、攻撃してきた2人のHPを一気に7割ほど削った。

 踏ん張りすら利かなかったのか、彼らは一様にして吹っ飛ぶ。

 

「がはっ……う、うわぁあああッ!?」

 

 斬られたこと。そして死への階段を7割も登ったことで2人共立つことも忘れ這いずる様に後ずさり、ついでに俺を見て(いぶか)しんでいるようだった。

 おそらく俺のプレイヤーカーソルを見ているのだろう。そしてきっと、その色はグリーンのままのはずだ。

 『オレンジカラーのプレイヤーを攻撃してもカーソルの色は変化しない』というルールを知ったのも、やはりβテストの時だった。

 初めてこの手の輩に遭遇した時、反撃して追い返したことがある。そしてこの世界には、『プレイヤーを示すカーソルカラーがオレンジ色の時、その者は街や村に侵入できない』らしい。

 当然、俺もプレイヤーを攻撃した以上何らかのイベントをクリアするか、何日か待たないと街や村には入れないと思っていた。

 しかしその日、駄目元で街に寄ってみるとなんなく侵入できてしまったのだ。

 そこで俺はオレンジ連中に攻撃しても犯罪者扱いにはならないことを知った。

 ――これで俺は自由に街に入れる!

 それを知っていた俺は、つい先日、この《カウンター・プレイヤーキル》こと《CPK》を1度成功させ、デブなプレイヤーから金品を奪いつつもグリーンのまま過ごしている。と言いつつ、ここでの死が実際の死に繋がるSAOの世界では本気で殺したりはしないが。

 本題に戻ろう。ソロプレイヤーとして最初から重点的に上げている《索敵》スキルのおかげで、俺は大半の相手よりも早くプレイヤーを察知できる。にも関わらず、最弱装備でノコノコ現れたのは端からこれが狙いだったのだ。

 言うまでもなく、まだやることがある。

 

「持ちモン全部置いていけ」

 

 リーダーらしき人物の首もとに剣を突きつけつつも2人から目を逸らさない。

 メンバーはどうにか逆転の糸口がないか視線を這わせていたようだったが、ドスの効いた声でもう1度怒鳴り散らすと、やがて観念したように武器、防具、アイテムを落としていった。

 全員のウィンドウを可視状態にさせ、ストレージに何も残ってないのを確認するとようやく俺は剣をどける。

 

「ほらよ……1本のカトラスと3つのポーションだ。オレンジ2人はしばらく村にも街にも入れないからな。せーぜー頑張って生き残れよクズ共」

「ま、待ってくれ。これだけじゃ死んじまう……」

「し、知るかッ! なら野たれ死んでろ!!」

 

 そう吐き捨てて俺は早足に立ち去った。

 こういう時の相手の顔は嫌でも頭に焼き付いてくる。生々しい、あの憎悪と憤怒の混ざった形相が。

 だが単純に考えて、奴らも俺に同じことをしようとしたのだから、俺だけ悪党なんて呼ばれる理屈はおかしい。因果応報であり、自業自得の結末。

 そうだ、そのはずなのだ。だと言うのに心に(くすぶ)るわずかな善良の心が邪魔をする。

 誰かの声が聞こえてくるように。

 ――クズはお前じゃないのか。

 と。

 

「ッ……う……るっせぇ……」

 

 ――正当防衛を振りかざす哀れな子悪党。

 と。

 

「るっせえッつってんだよッ!」

 

 続く脳内の声を絶叫でかき消す。俺は単純に悪事をはたらく類の狂人ではない。身を守る術を多少豊富に蓄えていて、賊心(ぞくしん)なき生存本能にただ従っているだけだ。

 なのに。だというのに、なぜ。

 

「(なんで消えねぇ……)」

 

 横に広い体格をした俺の《CPK》最初のターゲットの顔ですら脳裏に深く刻まれている。彼が丸裸同然でフィールドに追いやられたあと、無事生還したのか否かは調べていない。いや、むしろなるべく知らないようにしていた。

 以来、一向に消えようとしない。まるで人外の者を見るような表情が。

 だが俺とて必死に生きているのだ。恐怖で直接殺害なんてできやしないが、トップクラスの他のプレイヤーがPKをしないなどという幻想じみた保証はない。

 ならば少しでも強くなる他ない。他人の身ぐるみを剥いででも、自分だけは生き残らなければならない。

 

『クギュルル』

「っ……!?」

 

 本物にしか見えない広野の一角で(うつむ)いたまま突っ立っていると、《ウルフ》3体とエンカウントする。まったく、負のフィーリングでも嗅ぎつけているのではないかと思うほど嫌なタイミングで出会(でくわ)すモンスターだ。

 俺は今、猛烈にいきり立っているというのに。

 「どけよ……」と、言いつつ同時に剣を抜くのは、やはり会話が意味をなさないことを知っているから。

 そして俺はこの2週間で成長した。この程度の雑魚3匹で臆することはない。

 

『クルギャァア!!』

 

 マニュアル通りの威嚇(いかく)が終わると、ついに目の前の2匹が飛びかかってきた。

 俺が冷静に《ソードスキル》による単発水平斬り《ホリゾンタル》を並んだ顔にお見舞いすると、バシュウッと音を立てて2匹が同時に四散する。と、そこに光の隙間を縫うように最後の1匹が左腕に飛びかかり、そのまま噛みついてきた。

 

「ッ!? ……クソがッ!」

 

 《ウルフ》の喉に膝蹴りをかますと、敵はギャウッ、と鳴きながら仰向けに倒れて隙をさらけ出した。

 すかさず俺は(あら)わになったその腹に容赦なく両手剣を叩き込む。

 

「うっ……ぜぇ……よっ……このッ……」

 

 何度も何度も剣を振る。2週間前のあの時のように……嫌なことを、苦しいことを、『何かをする』ことで少しでも忘れられるように。

 ウルフの顔が間近に見える。必死に噛みつく様は、まるで必死に生きようとする俺自身を連想させた。あるいは先ほどの3人だろうか。少ない装備とアイテムでフィールドを生き残らなければならない、痛ましい連中を思い浮かべたのかもしれない。

 ならいっそ、塗りつぶしてやろう。

 そう考えながら改めて柄を強く握りしめた。先刻の3人の顔すら記憶から潰さんがために。

 

「ハァ……ハァ……何ッ……が……」

 

 狩り終えてすぐ、虚しさに襲われる。

 何が成長した、だ。これではレベルが上がっただけだ。廃人生活をしていた時と同じ、システムの中で俺の操作する『キャラクター』が強くなっただけ。俺という個人は何も、あの《手鏡》を覗いた瞬間から何も成長していない。

 心の中で小さく(うな)ると、今度こそ帰途につく。

 《トールバーナ》に到着すると、俺はまずモンスタードロップと《CPK》で強奪した物品を洗いざらいコルに返還した。

 後のことはよく覚えていない。呆れるほど身に染み着いた『費用対効果』の原則から、コストパフォーマンスだけは高いマズい飯を食ったのだろうが、その内容までは思い出せない。

 

「…………」

 

 ただ1つ言えることは、《CPK》を行った日は決まって浅い眠りを繰り返すと言うことだけだ。

 冗談のように長い3時間がたつ。

 デスゲーム開始から17日目の深夜を、俺は覚醒し続ける意識の中で迎えていた。

 

 



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第3話 人を見下すば穴二つ

 西暦2022年12月2日、浮遊城第1層。

 

 ここは100もの階層からなる浮遊城、アインクラッドが第1層の迷宮区。

 この世界のルールでは、フロアボスを討伐して上層階を解放(アクティベート)するために、まずはフィールドにそびえ立つ円柱タワー型ダンジョンであるこの《迷宮区》を踏破しなくてはならない。

 今はその攻略帰路である。

 無論、次層直前の敵は強い。ここ1週間で例えどんな状況に陥っても苦戦することはなくなったが、正式サービス後にて初めて足を踏み入れた時は、元テスターとして情報をフラゲしていたにも関わらず久しぶりに緊張したものだ。

 初心者(ニュービー)はフィールドでの勝利を重ねる内に自信をつけ、安全マージンを大して取らずにいざ迷宮区へ、なんてことも珍しくない。

 

「(……さすがに死人は減ってきたか)」

 

 デスゲーム開始からもうすぐ1ヶ月。今でこそゲームオーバーになる者が減ってきているが、すでに2000人ものプレイヤーが死んだ。ある程度の死者を予想していたがこの数字は異常である。

 初期の動乱は減るにせよ、このせいで残り100層は事実上8000人でクリアしなくてはならなくなったわけだ。

 

「(情弱共が……バタバタ死にやがって)」

 

 意図的に情報を独占していたことを棚に上げ死者を冒涜していると、俺はようやく迷宮区を出た。

 だが愚痴の1つもつきたくなる。何せ明日は念願のフロアボスの攻略日だからだ。

 前々から『ディアベル』なるプレイヤーが攻略者を募っていて、その決行日が12月3日というわけである。

 ちなみに、個人でのボス攻略は不可能である。かといって己に大人数を纏める統率力やカリスマ性はない。となれば、俺のようなコミュ障がボスと戦いたければ、誰かがこのようにパーティを募り、それに『乗っかる』しかないわけだ。

 そういった経緯の元、俺は明日の攻略メンバー会議にいけしゃあしゃあと参加を表明した。そしてボス部屋までマップが更新されているにも関わらず迷宮区にこもっていた理由は、ボス戦前の最後のレベリングのためだ。

 

「(やれる……やれる。βテストん時はやれた。ハ、ハハッ……もしかしたら俺がラストアタック決めるかもな。そしたら俺……ヒーローじゃねぇか)」

 

 この1ヶ月で味わった無力感や絶望もだんだん薄れている。人とは恐ろしいもので、『慣れ』は多くのモノを頭から洗い流す。まだ懲りてないのかと自問するも、やはり高レベルを維持する俺は自負と自尊心を抑えきれない。

 そしてその先に見える自分の理想像は、ボス攻略に参加を表明した時からみるみるその姿を輝かせる。

 

「ヒーロー……なれる……俺なら……」

 

 高校のクラスメイトが、1人暮らしが長くなると独り言が多くなる、なんてほざいていたが、どうやらそれは本当らしい。しかもなまじ人と距離を置いていたせいで、自分だけ突出して強くなった気分になってしまう。

 ブツブツ言いながら歩いていると、ふと道端に見たことのない花を見かけた。

 花の種類はわからない。興味もない。しかし凝視するとシステムが認知し、ドットが鮮明になり、細部までよく見えるようになった。

 綺麗なものだ。信じられないことに、俺はまだ浮遊城(アインクラッド)第1層での生活しかしていない。

 朝の暖かい木漏れ日、四枚羽根の鳥、見渡す限りの草原、動物や虫を司ったモンスター、燦々(さんさん)と照りつける仮想太陽、肌身を裂く冷たい雨、幅が測れないほどの大きな滝、漆黒の夜空に輝く星々、リアリティのあるキャラクター、とうとう3Dと化した剣や各種アイテム。

 きめ細かに設定された世界がまだ上に99層も広がっているなんて、未だに実感が湧かない。

 だがモンスターやオブジェクトのグラフィックからして、とてつもなく広いフィールドの細部でこのクオリティを保っているわけではない。噛み砕いくと『人の注視する場所だけハイクオリティになる』といったシロモノである。

 システムの名を『ディテール・フォーカシングシステム』といって、メリットは確かシステムにかかる負荷の軽減……など。

 このゲームがまだ楽しいだけだった頃、強制転移中に最後まで《クレイジー・ボア》の姿を視認できていたのも、やはりこのシステムがはたらいたからである。

 

「(すげぇ……テクノロジーだ。この時代に生まれて良かった。なのに何で……血生臭いのはナシにしてくれよ、マジで……)」

 

 全てが今さらだが、そう思わずにはいられなかった。こんなことをしなければ、茅場晶彦は人生の成功者、誰もがうらやむ巨万の富を得た富豪になれたはずだ。

 俺には与えられなかった、その余りある才能を持って。

 まだ時間はあったが、今日はもう帰ろう、と戦闘中の意識をオフにした。

 『帰る』。こんな言葉が自然に思い浮かぶようになったのはいつからだろうか。知らず知らずのうちに、俺達は囚人から住人に変化してしまったのかもしれない。

 それに《攻略会議》に参加するにあたり、やはり時間ギリギリの到着というのも印象が悪いだろう。

 

 

 

 そして、会議当日。

 俺は時間通りに出席していたが、どことなく罪悪感が湧いた。『レア武器が欲しい』という、身勝手な理由がボス戦への参加理由だったからか。……いや、他の人間が俺より強くなってほしくない、と言った方が正確かもしれない。

 しかし、集会場には上層プレイヤーが続々集まってきていて、すでに喧騒に包まれていた。

 首は固定で目線のみ泳がす。思っていた以上に多い。わずか1ヵ月で2000人も死んでいるのに、存外脱出を諦めていない連中は多いようだ。半円状に広がる石段がそれなりに隠れてしまう密度である。

 そして規定人数が集まった頃を見計らうと、『ディアベル』とおぼしきプレイヤーが、円状に囲む俺達討伐隊メンバーを見上げながら演説を始めていた。

 髪色は青とアニメチックだが、精悍(せいかん)な顔立ち。

 まったく、ご苦労なことである。底辺人間の俺からすると、ここにプレイヤーを集めたことを含み、攻略会議やその説明を続けるディアベルなる男性は何もかもが凄いことをしているように見える。

 だだ俺は、意志を認めてなお彼を心底尊敬することはできなかった。

 それはゲーマーとして拭いきれない本性のようなものが、周囲を見下すことで得られる自尊心のようなものが、やはり彼からも発せられていたからだ。

 そういう意味では、ここにいる全員を、ここにいるがゆえに尊敬なんてできようもない。

 

「(俺を含めて、廃人だって言ってるようなもんだよな……)」

 

 あまり考えないよう努めることにした。

 だが討伐における心得やその方法について、つまり俺がテスター時代にすでに体験し、体得し終えたことのある内容についてディアベルが話すのをぼーと聞いていたら、「ではまず6人パーティを作ってくれ」なんて声が聞こえてきた。

 ――うむ、パーティとな。しかも6人?

 

「(ええぇええっ!? ……パーティ作んのっ?)」

 

 常識的に考えて作らないはずがなかった。

 内心焦るが、やはり俺に目を向ける物好きなどいない。

 それもそのはず。いくらメインがソロ狩りでも、普通なら知り合いの1人や2人はできるだろう。「わたくし人見知りなので」なんて言って努力する前から放棄しない限り、普通は。そしてそんなパンピーが合わさればパーティのでき上がりだ。

 ところがどっこい、ビギナー相手に優越感に浸るだけだった俺がわざわざ劣等感を味わう可能性のある元テスターや、最前線プレイヤーの近くに好んで寄るはずもない。

 しかし俺は幸運にも2人パーティを見つけた。片手剣のガキと、もう一方は……フードで顔が見えないがこちらもガキ。これは幸運すぎる。なぜなら、共にガキならいざとなったら脅してでも主導権を握れるからだ。彼らがド下手な成り上がりだったとしても、この際贅沢は言っていられない。

 

「(ハ、ハハハッ、やっぱ俺ついてらぁ……)……ねーキミらさ、俺もチームに入れてくんない? ダチはボスが怖くて来なかったんだよ」

「え? ああ……いいですよ。いい……よな?」

 

 ウソに気づいた様子もなく片手剣の男が言うと、レイピアを持つフード男もかすかに頷く。どうもこのよそよそしさを見たところ、彼らもそれほど深い知り合いではないようだ。なお良し。

 それにしても、まるで女のように線が細い。片方だけでなく2人とも細い。もっとも、もやし体型の俺も背が縮まればこんなものだろうが。

 そうして、そのまま鈴を鳴らしたような音と共に出現したウィンドウを操作し、パーティに加わる頃には体格がどうこうについても忘れていた。が、パーティの名前を見てビクリと反応してしまう。

 『キリト』はいい。どう考えても男だ。

 だがフードの方のHPバーの横に表示された名前は……、

 

「(『アスナ』だぁ? こいつ女かよッ!)」

 

 《手鏡》がアイテムストレージにダウンロードされた1ヶ月前のあの瞬間から、プレイヤーは例外なく性別はおろか事細かなプライベート情報までをさらけ出している。そしてこのゲームの創始者は性別を偽ってダイブしたプレイヤーに対し、救済処置を施していたのだ。

 それこそが、1アカウントにつき1回だけ受注する権利が与えられた《ネームチェンジ・クエスト》。誰でも受けられ、誰でも達成できるような簡単なクエストで、開始直後は殺到していたらしい。主にネカマになっていた男が。

 そしてもう1つ確かなことは、性別の真偽が晒されてなお改名しないネカマはいない、ということ。つまりこの『アスナ』とかいう奴は女だ。

 ――コントローラをピコッてりゃいいゲームじゃねぇんだぞ……ったくよォ。

 眉間にシワを寄せていると、黙り込むフードの女に替わってキリトが話しかけてきた。

 

「よろしく。えぇとジェイド……さん」

「かぁ~、やめようぜそういう呼び方。タメでいこう。こんなクソゲー、長い付き合いをする気はないし」

 

 突然態度のでかくなった俺に少し戸惑うも、さすがの適応力で「あ、ああそうだな」と順応している。伊達に前線プレイヤーをしていないようだ。

 俺がガキに感心していると、そこへ頭上から声がした。

 

「ちょお待ってんかぁっ」

 

 流暢(りゅうちょう)な関西弁(?)で話すトゲ頭のちびたあんちゃんは、まず名を「キバオウ」と名乗り、プレイヤー全員の注目を集めた。

 

「(うわ、すっげー頭。モーニングスターかっての)」

 

 思わず目を細めてしまった。髪型はともあれ、『これからボス戦!』とプレイヤーが気を高めているところへ、でかい声を張り上げて中央を陣取るなんて、よく出鼻をくじくような奇行に出られたものだ。

 しかし個性的な彼は、人の目線を特段意に介した風もないままさらに次のことを言った。

 曰く、βテスターは死んだ2000人を見殺しにしたも同然。

 曰く、βテスターに謝罪と賠償を要求する。今すぐ名乗り出ろ。

 曰く、受け入れられないなら命は預けられない。

 なんて、いつか出るとは思っていたがまさかこのタイミングで出てくるとは。クローズドβテストに当選できなかった鬱憤(うっぷん)もあるのだろう。

 そして何より、トップ集団に出遅れた原因の(なす)りつけとして、俺はとんとん拍子に『みんな仲良く』が通用しないと心では踏んでいた。

 無論、話がスムーズに進むに越したことはなかった。なぜ事態をいちいちややこしくするのか。まったく、こういう自分勝手な奴こそ……、

 

「…………」

 

 『人のことを言えるのか』と。誰かに言われたような錯覚に陥った。

 またあの声だ。あの声が俺に囁く。

 

「(く……そ、見殺した? 俺がルガトリオや、たくさんのプレイヤーを……いっ、いや! 違うぞ、俺は身を守るために仕方なく……)」

「ジェイド?」

 

 ハッ、と気づくと俺は手に汗を握り地面を睨んでいた。キリトの声で現実に引き戻されると、言葉繋ぎで適当にごまかす。

 いつの間にか最初にテスターに喧嘩を売ってきたキバオウを、『エギル』と名乗る肌の黒い大男が黙らせていた。

 道具屋で無料配布していた情報ブックの製作者が元テスター。生き残るチャンスは平等に与えられていたし、いま話すべきはそれを踏まえた上での生き残る方法、つまりボスの攻略手順についてだと。

 いいことを言う奴だ。早死にしそうなその正義感を見習いたいとはまったく思わないが。

 しかし先ほど生まれた罪悪感は消えない。

 確かに一部の信じられないほど善良なテスターは、無償で情報提供などをしていたのかもしれない。けれど、俺自身が何もしなかったことに、それこそ死にかけていた奴すら見捨てたことには変わりはない。

 そうだ。

 機会はいくらでもあった。罪の意識から逃れるように、カズから逃げ続けて1ヶ月。今さらどの面下げてと言い訳をし、頭を下げず、自身を正当化してきた恥知らず。俺の知る限り最悪のエゴイスト……それが俺だ。

 

「(でも明日で……明日で変わるかもしれない。そのためのボス攻略だ)」

 

 頭を振り、再び俺は会議に意識を戻す。ディアベルが最後に明日の10時に出発する旨を伝え、会議はお開きとなった。

 この夜がボス戦前の最後の休息だ。

 

「(ルガトリオ……いやカズ。……これが終わったら俺は変われるんだ。絶対に……そしたらさ、見捨てたことだって許してくれるよな……?)」

 

 思考を放棄し、都合のいい射幸心に身をゆだねる。

 気休めでも俺は、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 



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第4話 刹那の主役

 西暦2022年12月2日、浮遊城第1層。

 

 攻略会議の日の夜、攻略メンバーは開戦前夜を思い思い楽しんでいた。しかし俺達3人のパーティは集団から離れている。元々陰気なのかもしれない。

 それぞれのメンバーが飲んで騒いでをしているというのに、俺達一行だけはぶられているかのようだ。

 

「ジェイドは座らないのか? ……飯は?」

「ああ……メシもいい」

 

 俺が呆けて眺めていると、『キリト』と『アスナ』は会話を続ける。

 あれからしばらく話したが、アスナはともかく、バーチャル界にどっぷりと浸かるキリトの方とは何とか会話を続けることができた。

 ゲーマーの(さが)かもしれないが、オンラインゲームで共にボスに挑む身としてキリトにはかなり友情心の様なものが築かれている。そう思っているのは俺だけかもしれないが。

 気怠(けだる)さに任せ、「ふへぇ……」と白い息を吐く。

 ふと思い出すのは、俺のこの世界の名前『ジェイド』だ。

 初めてキリトにそう呼ばれた時からどうしようもない違和感を覚えていたが、考えてみれば当然で、何せ人とのコミュニケーションを絶っていた俺はこの世界に来てその名で呼ばれたことがない。俺すら半分忘れていたほどである。

 しかもスペルは《Jade》で、キリトもよく読めたものだ。俺が初めて発音する場合は間違いなく「ジャデ」と読んでいただろう。アルファベット恐怖症は伊達ではない。

 

「例え怪物に負けてもこの世界、このゲームには負けたくない」

「……パーティメンバーに死なれたくないんだ。せめて明日はやめてくれよ」

 

 疲れ切った顔のまま、長いこと続いていたアスナとキリトの会話がここで途切れる。

 しかしいくら情が沸いていたとは言え、意外なことに俺の喉はこの空白に震えた。

 

「あのさ……あんたら。今だから言うけどさ。俺にとって2人は……その、ただのパーティメンバーじゃない。……俺にとっては……数少ない話し相手なんだよ」

 

 ここで一旦言葉を切り、次の言葉を探す。沈黙のレベリング期間が長すぎたせいで、驚いたことに声の出し方を忘れていたのだ。落ち着いてこんなに喋ったのはいつ以来だろうか。

 

「あァつまり……貴重な奴だ。死な、ないでくれよ……」

 

 結局こんな言葉しか出てこなかった。

 2人が(いぶか)しむように俺を眺めるのも頷ける。初パーティで死なないでと来たものだ。普通、「言われなくてもそりゃな」と思うだろう。しかもコレ、先ほどキリトが言った言葉とほぼ同じではないか。ああ恥ずかしい。

 だが助かったことに真面目に受け取られたようで、キリトは「ああ、頑張ろうぜ」と言ってくれた。

 

「(くわ~このガキの方が余裕そうじゃねぇかちくしょうこんちくしょう)」

 

 なにか沽券(こけん)に関わる部分でいろいろと負けたような気がしてきて「ん、んじゃ明日な」とだけ言ってその日は別れた。

 正確には半分逃げた。どもるところまでテンプレである。

 俺は英気を養うためだと心に言い訳をしながら足を早めた。悶々としながら宿に着くと、扉を少し強めに閉めて武器と防具をはずし、その日もさっさと寝てしまった。

 

 

 

 翌日、現在10時35分。ようやく日が高い位置に昇り始めてきた快晴の空模様。

 第1層の迷宮区に来ている俺達は、森の中心にある道なき道を歩きながら3人でボス戦について話をしていた。

 

「先に俺が出るから、そこですかさず《スイッチ》して……」

「……スイッチ?」

 

 ざっと立ち回りの予習中、キリトの《スイッチ》という言葉に首を傾げるアスナだったが、その反応に俺とキリトは逆に驚愕する。

 というのも、《システム外スキル》の中で《スイッチ》は最もメジャーなものだからだ。他にもいくつかあるが、俺に至ってはレベル上げと同等か、それ以上の重要性を見出し日々訓練していた。

 《システム外スキル》。何もチート技だとかそういうモノではなく、ようは小技である。

 例えば銃撃戦がメインのオンライン対戦ゲームがあったとする。当たり判定(ヒットボックス)をごまかす戦闘服を着たり、銃の反動やリロードを武器チェンジすることでキャンセルしたり、緊急回避モーションを別の動作で上書きして隙を最小限にしたり、死んでなおチャットで「敵を発見、北に移動中」など味方チームを援護したり。つまりはこういう話で、もちろんそれが可能なゲームとそうでないゲームもある。

 ソードアートではその内の1つに《ミスリード》というものがある。モンスターが戦闘中にこちらの動きを学習することを利用して動きを誘導し、急変化した行動で敵のAIに負荷を与える技だ。これらは個々人で慣れていくしかない。まさに知識と経験の力であり、中でも《スイッチ》とはつまり、《ミスリード》を2人以上で行うものである。

 2人以上で行うメリットは複数ある。

 まずは圧倒的な時間短縮。武器だけでなく個性のある戦闘スタイルが急に切り替わるのだ。モンスターでなくても混乱時間をゼロにすることは不可能なはず。

 次にアタック中のプレイヤー以外は回復ができるということ。片方が《ミスリード》を行っている内は時間ができるので、回復なり武器への効果付与(エンチャント)なりしようというものだ。

 最後に技による硬直がデメリットになり得ないというもの。

 硬直時間を交代時間へ。よってファーストアタッカーは極論、敵の攻撃を防ぐ、弾くなどで役目を果たしているとさえ言える。

 カタログスペックには記載されないが、様々な利便性を秘めた技術である。過去に挑戦してうまく行かなかったならともかく、こんな初歩的なことを『知らない』とのたまうアスナさんとやらは、もっての他の戦力外だ。

 もっとも、俺とて《スイッチ》を実践したことはないが。

 

「(いや、でも俺できるしっ! やったことないけどできるし!)」

 

 見えない誰かに一頻(ひとしき)り叫んだ後は、キリトと2人でアスナに戦い方の基礎をレクチャーしながら歩く。

 そこで気づいたことは、彼女がガチで初心者過ぎて使いものにならないということだった。

 対するキリトはよく調べてあり、むしろ感触的には彼も俺と同種の人間……すなわち、βテスターなのだろう雰囲気がある。

 

「(実質2人……けどまァ、なるようになるだろ)」

 

 楽観こそ俺の美徳。

 そうこうしていると俺達攻略パーティはボス部屋の前に到着した。

 

「ここまで来たら俺から言うことはただ1つ。……勝とうぜ」

 

 暗い迷宮区で振り向いたディアベルが言うと全員が頷く。アスナのことはもう考えるだけ無駄だ。

 いよいよである。

 キギィ……と軋むように開きつつある扉の向こうにアイツがいる。アインクラッド第1層迷宮区フロアボス。4ヶ月以上も前だが、あの巨体は初のフロアボスだけあって、多くのβテスターの頭に焼き付いているはずだ。

 扉が開ききるとディアベルが歩き出し、それに続いて全員が歩き出す。それらの歩調に浮き足立った音を感じると、俺自身口の中が乾ききり、心臓が早鐘のようにバクバクしていることに気付いた。

 4ヶ月前と違うのは、命を懸けているかどうか。

 そして、俺達がテリトリーに侵入した途端。

 ドガァァアアアッ! と、その巨体に見合わない高さまで跳んだ『何か』が、着地時の爆音をフロア内に響かせる。

 ボス、《イルファング・ザ・コボルドロード》。

 頭はワニを彷彿とさせつつ口元はまさに狼で、肥え太っているように見える胴体見くびってはいけない。あれはぜい肉ではなく筋肉質だ。巨大な体躯(たいく)と、さらに2足歩行で戦斧(バトルアックス)円盾(バックラー)を構える姿からは、真っ赤にたぎるその肌も相俟(あいま)って鈍重さが微塵も感じられない。

 次に現れたのは《ルイン・コボルドセンチネル》。ボスに比べ一周りほど小さいこの3体だが、これでも立派な先鋭隊である。二足歩行でスピードも並外れていて、迷宮区に出現するどのモンスターよりも強い。

 

「戦闘開始!」

『うォォおおおおおぉぉおおッ!!』

 

 しかし2.5メートルを超える敵を前にしても攻略隊は臆さなかった。

 リーダーのかけ声。たったそれだけをトリガーに全員が咆哮を上げ、勇敢にも走り出す。

 

「おぉおぉぁああああッ!」

 

 俺もこの時ばかりは皆の叫びに背中を押された。

 自らも集約する声の渦に力を与え、全力で地を蹴り一直線にフィールドを駆ける。視界に映る全員の武器が光ると、多くの人間が1つの目的を成し遂げようという意思、それに伴う一体感が荒波の様に押し寄せる。

 負けない。負ける気がしない。(いさか)いもいがみ合いも踏み越え、男達の激情が物理的な攻撃力を伴って重なる。

 

『らァあああッ!!』

 

 力の壁がセンチネル全匹を押し戻すと、さらに続いて迫るコボルドロードの体にプレイヤー達の剣が次々と突き刺さった。

 

『グォオオオオオオオッ!!』

 

 しかしボスは絶叫を上げると、右手に持つ斧を人間3人を宙に浮かせる程の力で振り回す。

 被弾者多数。さらにプレイヤー側と比べるとあまりにも大きい武器が、各隊に追加で命中し2人、3人、と攻略メンバーの身体が地面を離れた。

 

「クッソ……っ!!」

壁戦士(タンク)を前へ! バーが注意域(イエロー)までいった奴は回復に専念しろ! A、C隊スイッチ準備! E、F、G隊は先鋭隊(センチネル)を近づけるな!』

『了解っ!!』

 

 大隊長ディアベルはマシンガンのように命令を飛ばしていく。すると、それに呼応してメンバーが命令通りの動きを見せる。

 俺達G隊はセンチネルの援護妨害。

 

「(負けてられっか! やってやる……)……やってやらァ!」

 

 震える体を叱咤(しった)してセンチネルの長柄斧(ポールアックス)を両手剣の武器防御(パリィ)スキルで受け止める。

 そこをキリトがソードスキルで斬り上げ、跳ね上がった両腕の中に今度はアスナが滑り込む様に敵の懐に入る。そのまま彼女がレイピアによる追撃のソードスキルを容赦なく喉元へ叩き込んだ。

 ……瞬間だった。

 

『グギャアアアアッ!?』

 

 視界を埋めたのは刹那の煌きだった。

 まさか突き攻撃を瞬時に行っただけなのだろうか。目を疑うような、散弾銃じみた光の筋がゴウゥッ!! とセンチネルに命中する。

 人外の断末魔を上げる敵がその姿を無数の光片に姿を変えると、同時にその姿を眺める俺の口があんぐりと開けられた。

 

「(は……えぇ。ってか、見えねェ……ッ!?)」

 

 レイピアの売りは剣速、なんて初心者用ガイドブックに載っているような長所の次元ではない。腕の引き、腰の捻り、足の踏み込み、それら全てが織りなす女性とは思えない『剣技』。

 戦力外なんてとんでもない。この女はわずかなレクチャーで、レイピアの利点を理解し、理屈についてこられる程イメージトレーニングを重ねたということになる。

 

「(へ、へえ……す、少しは記憶力いいみたいだな……)」

 

 心の中で女を小さく賞賛しつつしばらく戦闘を続けていると、プレイヤーの奥で野太い咆哮が上がった。

 何事かと見据えると、どうやらコボルトロードのHPバー最終段が赤く染まったようだ。さらに両手の武器まで投げ捨てている。これらの状況から、βテストの記憶通りならボスは《曲刀》カテゴリの湾刀(タルワール)に武器を変えるはずだ。

 だがここで、ディアベルが「俺が行く」などと言って突っ込んでいくのが見えた。

 

「(1人で……っ!?)」

 

 これはおかしい。彼がテスターでないと仮定すると、攻撃パターンを変えた敵に自由度を与えてはならないし、そんなことは奴も理解しているはずだ。

 なぜプレイヤー全員で囲わない? なぜ《循環スイッチ》というスタイルを変える? 作戦に問題があるなら改善すればいい。だが、いきなり単騎で?

 様々な疑問が浮かぶもしかし、周りのプレイヤーは信頼を置いていたからこそ行動を止められない。

 それがまずかった。

 なぜなら、俺達G隊の位置からは見えたのだ。持ち替えた武器がβテストの時と違い、野太刀(ノダチ)に変更されている光景が。

 

「おい、ヤバいぞ……武器がっ!!」

「ダメだッ、引け! 全力で後ろに跳ぶんだッ!」

 

 キリトの叫びも空しくディアベルが斬り込む。しかしボスは身の丈倍以上のジャンプ力でもって床と天井縦横無尽に跳ね回り、とうとう真上からディアベルに襲いかかった。

 しかも人間は眼球の構造上、上下からの攻撃に弱い。結果、ボスの剣は彼の盾をすり抜けてその体を斬り裂いた。

 

「がァあああアアアっ!?」

「ディ、ディアベルはん!」

 

 隊長の被弾にトゲ頭のキバオウが呼びかけるが、ディアベルは反動で宙を舞っているためどうするともできない。

 そして遂にコボルドロードが左の腰溜めに剣を白く光らせる。

 二足歩行ユニットがその手に武器を持つと例外なく発動できる技、《ソードスキル》だ。

 アレが直撃したら……、

 

「おい、おいッ……やべぇってッ!」

 

 俺は叫ぶが動けない。どうしようもないからだ。助ける方法が無い。両者の間にこの身を投げ出すか……いや有り得ない、俺が死んでしまう。それを解決方法とは言わない。

 ディアベルは、もう……、

 

「ぐァああああああッ!?」

 

 最後にはザンッ、という残酷な、それでいて淡々とした音が鳴り響いた。

 今度こそ決定的なクリティカルを受けたディアベルが力なく床を転がる。

 

「ウソだろ……おい……」

「ディアベル!」

 

 (さえぎ)るようにキリトが叫ぶと、そのまま彼の元へ走り出す。

 そんな彼らを俺は呆然と彼らを見続ける。しばらくすると、キリトの腕の中でディアベルが『割れる』のが見えた。

 

「あ、あぁあ……ああああっ……!!」

 

 人が割れた。死んだ……死んだっ。リーダーが、あのディアベルが。

 

『グォォアアアアアッ!!』

 

 怪物が吼えると、攻略隊の動きも目に見えて鈍くなっていた。原因は情報に無かった行動パターンと、おそらくはテスター以外にとっては初だろう《カタナ》専用ソードスキル。

 そして何より、頭領亡き『残党兵』として。

 

「うわっ、うわぁぁあっ!?」

「くっ……リーダーがいなくなっちまったら……ッ!!」

「ディアベルッ、そんな……ディアベル!」

 

 元より勝ち戦だったのだ。今さら、こんな終盤で、初見モーション相手にリスクを背負いたがる者もいないだろう。

 『誰かが生贄になってくれる』と。押し付けが始まる。

 しかしそう諦めかけたのもつかの間、信じられないことに暴れ出す怪物に挑む影が2つあった。そして俺はそれを見て「バカッ、アイツらっ!!」とつい吐き捨ててしまう。

 2人のプレイヤーはキリトとアスナだった。

 士気の瓦解という波に飲まれず、あまつさえ立て直そうとする彼らには素直に感心する。されど、これは目先の対応に追われた無茶だ。俺のプレイヤーレベルはレイド平均よりも高く14も確保されているが、あいつらは俺よりもいくばかレベルが低い。ボス単体との戦力差はいかんともし難いだろう。

 たった2人が楯突(たてつ)いたところで……、

 

「ハァアアアッ!」

 

 ガギィィ!! と、耳をつんざくような金属音。奇跡的に逸らさなかった目には、キリトの持つ剣がコボルドロードの持つ《ノダチ》の芯を捉える瞬間が映った。

 そして彼らは俺の期待を良い意味で裏切ってくれた。

 

「ぐっ……スイッチ!」

「セヤァァアアアッ!!」

 

 キリトに変わり、華奢なアスナが前に出ると、今度こそザシュウッ!! という斬撃音が聞こえる。技が確実にヒットした証拠だ。

 直後に『グオオオォォオオオ!!』と、ボスが大きくわなないた。

 キリトの剣が胴ほどもある野太刀を弾き、アスナの剣が膨れる腹を抉る。あれだけ威勢が良かったコボルドロードがたまらず怯む。

 凄まじい……凄まじいほど完璧な《スイッチ》だった。

 

「ス……ゲェ……」

 

 キリトが、アスナが、コボルトロードの剣を防ぎ、いなし、避け、そして斬る。

 心が震え上がる。攻略隊のメンバーからも『闘争心』が頭をもたげているのを感じる。

 さらにアスナの着用するフードのスレスレをコボルドロードの剣が通っていくと、裂けた布の隙間から目を疑うほどの美貌(びぼう)が姿を現すのが見えた。

 

「マジ……かよっ!?」

 

 一帯の野郎どもが全員同じ反応を見せた。

 初めは身バレ対策で導入されたのか、武装に付随する一部のフードには顔を認識されないよう隠す機能があるのだ。だからそれを覆う彼女の、つまり現実世界と同じであるはずのゲーマーもどきの彼女の素顔に対し、俺はいかなる期待もしていなかった。

 しかし実際はどうだろうか。

 その姿は眩しいほどの美少女だったのだ。

 彼女の着ている戦闘服だけ光り輝いて見えるほどの、そして姫騎士としてこの世に降臨した天使の使いのような儚さ。栗色の髪を腰まで伸ばし、整った鼻梁(びりょう)を持つ端整な顔は凛々しく、敵を見据えた眼球は悪魔をも射殺す真珠のようだ。こんな奴が攻略メンバーに、いやSAOの世界にいたとは。

 信じられない光景ではあったが、しかし見惚れている場合ではない。

 たった今、油断したキリトが吹っ飛ばされて、その身をアスナに激突させていたからだ。そこにコボルドロードが使い込まれた《ノダチ》を構える。

 ディアベルの時のように。

 

「キリト……や、やべぇぞっ!!」

 

 俺はいつも言うだけだ。叫ぶだけだ。ネットの世界では口だけ大きく、いざ現実では1歩も動こうとしない。傍観者効果に呑まれたモブの端くれ。

 こんな時になっても動けない足を、これほど憎んだことはないだろう。

 すると、付近に展開していたの4人が動いた。その巨漢は確かキバオウが揉め事を起こしそうになった時に割って入った『エギル』というプレイヤーで、その他の4人も一致団結したパーティとしてコボルドロードを押し返す。

 すぐには実感しなかったが攻略隊に士気が戻っている。

 あの2人が取り戻したのだ。

 しかしいかんせん、彼らは本当にテスターですらなったのだろう。即座に対応したコボルドロードによる下段斬り払い全周攻撃が、戦略的にボスを囲っていたメンバー全員を転倒(タンブル)させた。

 直後、コボルドロードは真上に何メートルも飛び上がりつつ《ノダチ》を振りかぶり、そのまま奴の剣が深い青のライトエフェクトを纏った。

 決まれば死人が追加されると、直感で理解した。

 

「(は……?)」

 

 その瞬間、俺は時が止まったような錯覚を覚え、間抜けにも気の飛んだ声を上げそうになっていた。

 背に《ノダチ》を構えるコボルドロードが何をするか、どう動くのか。単純な答えでは、当然斬るのだろう。右手を振り抜いて、《ノダチ》に死者の魂を閉じこめるのだろう。シンプルでわかりやすい結論である。

 だが俺にははっきりと『見えた』のだ。信じられないことに、コボルドロードの攻撃が明確な映像として視界に映っていた。

 足の震えが止まる。

 

「くっ……そ!!」

 

 ダンッ!! と、俺は気がつくとフロアを疾駆(しっく)していた。

 ゲームシステムの生み出すグラビティ・エンジンが今日の経験からボスをどう地面に導くのか、巨大な《ノダチ》を振る筋力こと《STR》がどれほどのものか、反らされた背筋が元に戻るときの捻転力がいかほどで、肩から腕の先までの力のモーメントと遠心力の計算、AIの定める行動のプライオリティとその反応範囲、速度。

 具体的な数字ではない。例えるなら磨き職人が肉眼で確認できないはずのバリを感覚だけで見つけだし、綺麗に磨きあげるがごとく。現場のプロが1キロ近い物体を両手に持ち、グラム単位でどちらが重いかを当てられるように。

 漠然とした体感の世界。だのに、それら全てが精密に加味された未来の動き。それが『見えた』。

 こういう時、動けないのが俺だった。

 本番になると、逆境に立たされると、いざとなると動けない。小さな注目すら畏れた俺が、チャンスを他の誰か……そう、『主人公』やそれに準ずるリア充共に譲ることをよしとした生き様。脇役としてその生涯を終えると諦めかけた主賓(しゅひん)の座だ。

 VRMMOがそのアバターをあまりにリアルな感覚で動かした《ソードアートオンライン・クローズド・βテスト》を体験するまでは、俺が何か生産的なことをする器の大きな人物になれるなど考えもしなかった。……いや、ゲームへの感情移入など悲しく虚しいだけだと、考えることすら拒否していた。

 それなのに俺は今、猛然と走っている。走ってこの手の剣を振り、リスクを省みず、人を助け称賛されようと。

 

「らァああアアアッ!!」

 

 時間にして数秒だった。ついに俺の足がフィールドを蹴った。

 溶解するほど染み付いた『費用対効果』の観念を捨て、脇役に徹するとした誓いを捨て、見えたビジョンから『必中』を確信した一撃を乗せ、俺の剣が赤く光る。

 人はチープだと、幼稚だと、厨二病だと笑うだろう。

 こんな感情は継続しないはずで、信念を曲げない創作世界のキャラクターとは違う。

 なれど、それでいい。

 一瞬もあれば十分だ。

 この時だけでも、俺は『主人公』でありたい!

 

「あァあアアアっ!!」

 

 すれ違いざま、空中でズバァァアッ!! と残響を生み、コボルドロードが錐揉むようにあらぬ方向へ派手に落下する。

 《両手剣》専用ソードスキル、空中回転斬り《レヴォルド・パクト》が巨体の腹を抉ったのだ。

 縦に回転するこの技を決めた俺は、斬ったと時の姿勢とほとんど変わらぬ姿勢のまま両足を地面に強く叩きつけて止まる。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……ハァ……」

 

 たった一撃で息が乱れ、膝が震えてもう立てそうにない。極度の緊張とストレスが神経を焼ききったのだろう。空中でソードスキルを命中させる難度は意外に高く、ヒット時のダメージ計算にボーナス判定が付くなんてメリットすら頭から飛んでいた。

 荒技に周りの奴らが少し驚いた様にこちら見ているが、今はそれが心地いい。だが俺の時間はもう終わりだ。

 キリトが勢いを殺すまいと続く。

 

「アスナ、ラストアタックだ! 頼むっ!!」

「ええ!」

 

 夢のような体験は終わった。

 あとはやってやれ……キリト、アスナ!

 

『ハァアアアアッ!!』

 

 シンクロする声の中、2人は立ち上がるコボルドロードに向けて疾走する。

 キリトの剣をボスは鈍い動きで防ぐが、たちまち弾かれて大きな……そして死と直結する隙を作る。

 

「セヤァアッ!」

 

 すかさず《スイッチ》で距離を詰めたアスナが腰下に刃を入れ、斬り傷を与える。

 連続交替(チェインスイッチ)

 今度はキリトがアスナの斬撃の上をなぞるように斬り捨てた。

 

『グォオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 叫ぶコボルドロードのHPバーラインが減っていき……しかし、あとほんの数ドットの位置で止まる。

 それでも往生際悪く反れた上体を起こそうとするボスの腹に今度こそキリトの剣がくい込んだ。

 さらに気合一閃。ザガァアアアア!! と、そのまま剣を持ち上げ、キリトはとうとうボスの顔を両断するように腕を振り抜く。

 

『ヴォカァ……ァァ……』

 

 ジジ……と掠れた音がすると、ボスはバリィィン、とガラスを割ったような音と共にその巨体を今度こそ散らした。

 しばらくの静寂。

 ついに全員がこれ以上のアクションがないことを確認すると、フロア内に割れんばかりの歓声が鳴り響いた。

 

「終わった……な……」

 

 張り付いたように右手から離れない両手剣を愛おしく感じた。

 

 

 この日、西暦2022年12月3日13時9分。

 アインクラッド第1層が完全制覇を果たされるのだった。

 



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第5話 奇跡の代償は勇者への渇望

 西暦2022年12月5日、浮遊城第2層。

 

 アインクラッド第2層主街区、テーブルマウンテンを丸ごとくりぬいた盆地のような場所に《ウルバス》はあった。

 プレイヤーが出入りできるようになって2日目。俺は本層から新たに出現しだす頭だけ牛系の直立モンスター《クレータ・ウロス》を尻目に、少しだけ勾配(こうばい)のある丘から見渡す限りの平原フィールドを睥睨(へいげい)していた。

 ちなみにこいつは夜行性設定である。人型である以上、手には立派な得物もあるし、1種類だけではあるがソードスキルも発動してくる。おそらく昼間に湧出させる敵を4足の野牛モンスターに固定させ、夜間と出現パターンの区別をしているのだろう。さすがにまだ2層ということもあって、目で見てすぐ判断できる仕様なのは初心者にはありがたいはずだ。元テスターで敵の出現するエリアや時間帯を熟知する俺には何のメリットにもならないが。

 

「(あれから2日……)」

 

 MMOプレイヤーとは得てして嫉妬深いもので、テスター以外の人にとって、急激に強くなっていく俺達の姿はさぞかし妬ましく映っているはずである。

 そんな彼らが元テスターを侮蔑用語で呼び出す日はそんなに遠くはない……なんて呑気に考えていた訳だが、その日はもっと早く来るだろう。

 そう、《ビーター》と呼ばれる日が。

 《ビーター》なる言葉がなぜ侮蔑用語足り得るのか、そして生まれたのかは第1層が攻略された日を思い出すしかない。

 あの時、ワニのような顔をしたフロアボスこと《イルファング・ザ・コボルドロード》を倒した直後、プレイヤー達の歓声を遮る声があった。

 発言者はキバオウ。彼はリーダーが死んだ理由を問うて、そして彼自身がその問いに叫ぶように答えた。すなわち「βテスターのせいだ」と。

 キリトがボスの使う武器が《ノダチ》だと気付き「下がれ」と叫んだ時、特攻中のディアベルの耳には届かなかったが、付近に展開していたキバオウにはその声が聞こえていたのだ。

 そして彼は、情報との違いに早々に気付いたキリトを元テスターだと看破すると、続いて彼があらかじめそれを伝えなかったことを責めた。

 キリトや俺、それに他のテスター達はしかし、その情報をわざと隠していた訳ではない。作戦会議で出ていた情報に間違いはないと確信していたのだ。

 そもそもβテストの時と正式サービスの時ではボスの装備が変更されていて、ボス攻略の情報ブックもほとんどをテスターが発行していたため、先入観からボスの装備を《タルワール》だと勘違いするのは必然だった。

 もちろん、事情をすべて説明する時間はなかったし、元より彼らとて理解するつもりもない。言うまでもないが、キバオウの言葉はリーダーを崇拝していた一部のプレイヤーを始め、他の多くのプレイヤーの不満を爆発させるには事足りた。

 彼らは口々にテスターを罵り、キリトや他の見えない誰かに向けて疑心暗鬼が生じていった。

 所詮は付け焼刃を無理やり圧着させたようなはりぼてのナマクラだ。リーダーが不在の時点であえなく崩壊するだろう。

 俺がそう確信した時、今度はキリトが口を開いた。

 「俺はβテストで何十層も攻略している。他の不出来なテスターと一緒にするな」という、それ明らかに自分を陥れるものだった。

 無論、非難の対象はキリトに向かうことになる。そこで数々のプレイヤーが罵倒を浴びせる中で、キバオウの発した《ビーター》なる言葉が生まれたのだ。

 意味は《βテスター》と《チート》の合わせ造語。しかしキリトはそんなこともお構いなしに彼らの負の感情を一身に受け止め、その場を去った。

 なぜそんなことをしたのか確信はないが、俺が思うにキリトはせっかく生まれた攻略パーティは失わせたくなかったのかもしれない。自分が完全にパーティと決別することになっても、必要悪になることを買って出たのだ。

 されど、残念ながらその時の彼は知らなかったのだろう。

 実は彼が部屋を後にしたその後、半分以上のプレイヤーがボス討伐パーティを抜けているということに。結局、最初のリーダーがいなくなる……つまり死んだ時点で、この結果は変えられなかったのかもしれない。これを予想していたディアベルは、だからこそ強いリーダーシップを継続させるために、無理にでもラストアタックを狙いに行ったと推測できる。

 責任が付くともれなく行動しなくなる群衆を前に、自分がそれを先導するリーダーであり続けるために。

 あのパーティが同じメンバーで、かつ再び協力し合って揃うことはもう無いはずだ。

 そして俺も再び独り。

 キリトがパーティを抜けた以上、やはり俺とアスナが仲良く2人でコンビ、なんてことは成り得ず、今に至るというわけだ。

 

「(人はそう簡単には変われねぇよな……)」

 

 かく言う俺も、1度覚えた甘い蜜を忘れられない。

 一瞬だけこれまでの振る舞いを反省し思い直した俺も、今では効率重視に再シフトして、弱小プレイヤーから金を巻き上げては新しい武器や防具を購入している。これも『慣れ』のなせる業なのかもしれない。

 ボス戦で見せたアレは所詮一時の気の迷いだと。

 あの時、空中で荒技を決めた俺はもういない。しかもあの瞬間でさえ、リスクを犯して人を救った人間だと思い込んでいたが、よく考えると実はそうではない。なぜなら俺には、攻撃が絶対に当たると確信していたからだ。

 一瞬とは言え、敵の動きを予測できた俺にあったのはどう行動するかの選択だけ。実際は心の奥に根付いた原則に従って行動しただけである。

 

「(にしても……)」

 

 あの感覚は何だったのか。

 それだけは未だに謎である。

 システム外スキルには種類がある。例えばデュエル――ここで言う《デュエル》とはプレイヤー同士のタイマンの戦いのことだ――で散見される、アバターの剣の位置から次の動きを予測する《先読み》。『目』を持つ者の視線から攻撃の軌道を推測する《見切り》。有名なものだと、最適なフォームを保つことで、ソードスキルの加速アシスト最大限に引き出す《ブースト》など。

 先にも述べたように、俺は彼らの有用性を重んじている。むしろ、戦闘中なら常に意識しながら戦っていると言ってもいい。

 しかし、俺が感じた『アレ』はもっと明確なものだった。

 

「くそっ」

 

 ブンブンと両手剣を振り回しながら俺は悪態つく。

 『アレ』の感覚が戻らないのだ。アレはまるで、一瞬先の未来が視覚野に投影されたような感覚で、もしあの現象を常に自分の物にできるとしたら、絶対的なアドバンテージになることは明白だった。

 そんな技法が無くなるなんて、それだけは絶対に嫌だ。俺は得られる戦力ならなんでも欲しい。あの力があれば俺は無敵だし、誰にだって勝てる。それなのに……、

 

「当たれよ、クソがッ!!」

 

 しかし剣は空振り。また攻撃が外れた。

 オランウータンのような頭に気味の悪い雄牛の面を取り付けたような、毛むくじゃらでフザけた外見を持つ類人猿共が、ステップを踏みながら嘲る様に俺の剣をすり抜けた。

 先が読めない。あのはっきりとした映像がやって来ない。一瞬だけ味をしめた英傑気取りの優越感を、一時の気の迷いにさせるつもりはない。

 1つの可能性が頭の中で膨らむのを感じる。人が意識的に引き起こすことのできない、神のような何かがこの世にもたらす存在、すなわち奇跡。運が良かっただけのラッキーマン。

 しかし、もしそうだったとしたら。そこに新たな《システム外スキル》なんてものすらなかったとしたら、俺はもう自分を誇ることなんてできない……、

 

「(嫌だ、いやだッ……イヤだッ!!)」

 

 またデタラメに剣を振る。もはや子供の駄々。

 しかしそんな思考は即座に中断された。モンスターの拳が鳩尾に入り、酸素が肺から吐き出されたからだ。

 せき込む俺は、同時にHPが《注意域(イエローゾーン)》にまで割り込んだ。

 

「ぐっ……い、いだろう……チョーシに乗ンなよ!」

 

 俺はそう言うと改めて柄を握り直す。

 もう見えない奇跡に頼るのはやめるしかない。このミノタウロスもどき共には早々に死んでもらうとしよう。

 俺は左足を大きく前進させ一気に距離を詰めた。

 両手用大剣が『突き』をイメージさせる位置で止まり、モンスター2匹が右に避けようとするのを確認すると剣身を起こし、両手が右肩の前に来るように構え直す。

 今までは攻撃範囲の狭い突き技を当てる練習をしていたのだ。その規則性を逆算し、敵のAIが勘違いを起こさせた。

 《ソードスキル》発動。俺の剣が紫に染まると肩の力を抜き、システムに乗っかる。

 すると両手剣は、俺の筋力値(STR)では出し得ないほどの速度で2匹に襲いかかった。

 

「らぁああッ!」

 

 剣身を後ろに倒し下から左上に向けての斬り上げ。

 続いて振り抜いた剣の速度を殺さず今度は左下から右上にかけて剣で斬り上げると、愛剣からザンザンッ、と気持ちのいい手応えが伝わってきた。

 《両手剣》専用ソードスキル、初級二連斬り上げ《ダブル・ラード》が2匹の《クレータ・ウロス》の残りのHPを余さずゼロにすると、直立の牛共はパリィンと音を立てて消えていく。《ミスリード》と《先読み》を併用した同時クリティカルだ。

 

「フッ……フッ……ふう……」

 

 サーチングのスキル圏内をチラ見して全滅を確認。

 剣を納めて時刻を見ると数字が22を回っていて、流石に拭いようのない疲労感を感じた。原因としては狩り疲れもあるが、1層で見た不思議な現象の再現という、明確な成果が出なかったことが1番大きいだろう。

 そのうち第2層のボス攻略が議論されるはずだが、今はそれすら眼中にない。このままでは単にレベルが15に上がっただけだ。

 

「(これじゃ意味ねぇんだよな……)」

 

 レベル1つ2つ程度のステータス強化なんて、今はどうでもよかった。

 だが、もう忘れよう。不安定なモノに頼るより2、3人βテスターらしき、もしくは最前線プレイヤーをつかまえて友達になるなり、フレンド登録なりして一緒に行動した方がはるかに安全だ。

 そう思う度に第1層ボス攻略の日、キリトが去り際にアスナに投げかけた言葉を思い出す。

 彼女が美人だったから声をかけたのかは知らないが、『君がギルドに誘われたら断らない方がいい。このゲーム、ソロでの攻略には絶対的な限界があるからな』と、確かキリトはこう言った。そして俺もこの意見には同意だった。

 ソロには限界があり、すでに多くのソロプレイヤーがこの事実を覚悟しているだろう。

 まだ大丈夫だ。がしかし、いつかは必ずその時が来る。8割地点か半分地点か、はたまた十数層でその時が来るかもしれない。それを思わせる良い例が今の二足牛系モンスターである。あいつ等のAIは基本高めの性能を備えているからだ。

 まだ拙速的な行動しかしてこない。たまに呼吸を合わせて同時攻撃をする程度である。だが階層が上がるにつれてより組織的な動きも見せるだろう。攻撃側と防御側を切り分けたり、連続攻撃をしてきたり、果ては《スイッチ》をしてくる可能性も無いとは言えない。

 攻撃力が高い、速度が速い、などの特徴より頭脳戦や毒、麻痺毒などの阻害効果(デバフ)攻撃を駆使するモンスターの方が、プレイヤーから警戒心を集めているのは気のせいではあるまい。

 

「(ああ……腹減った。少しで良いから食って寝よう……)」

 

 リアルで1日1〜2食の生活をしていただけに慣れたつもりだったが、仮想界では勝手が違うのか。

 この食欲不振は日に日にのしかかる危機感からだろう。

 もし俺が名を売るとしたら限界は10層まで、というチクチクとした焦燥。なぜなら、βテスターとしてのアドバンテージはそこまでしか利かないからだ。

 テスターにとってもそこから先は未知の世界であり、ならばそれまでに誰からも声をかけられなければ、この先ずっとソロでやっていく可能性が非常に高くなる。いくら何でも全てにおいて1人は無理だ。攻略も精神も……、

 

「(次のボス戦……ボス戦だ。そこでもう1度『アレ』をやれば周りの奴も俺の重要性に気付くだろう。……1回だけじゃ、みんなもわかり辛かっただろうしな)」

 

 こうして、最後まで未練の残る気持ちを抱えながら、俺はその日も狩りを終えた。

 

 

 



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第6話 不意の運命(アブラプト・フェイト)

 西暦2022年12月6日、浮遊城第2層。

 

 現在、時刻は午後1時ジャスト。

 重要な日ではない。誕生日でもない。ただ、なぜかセオリーに則らない行動をし、余計なことを繰り返した奇妙な1日だった。

 定期的に訪れる飽きの一種である。ゆえに俺はこの日、レベリング真最中であるはずの時間帯に第2層主街区《ウルバス》を訪れていた。

 のらりくらりと、あてもなく街を歩く。クエストの達成報告がてら寄ったはずが、そのまま貴重な時間を俺は2時間もこうして観光に費やしている。初めて高いレストランに入店し、パスタらしき紫の物体を食べたが、散財に対して発散できたストレスは少ない。意外にも味はイケたが。

 

「(なぁんかやる気でねーな……にしても、戦わねぇ奴も主街区には来んのか……)」

 

 そうして、ぼけーっと街の隅に座り込んでいると、想像以上の人の多さにふとそんな感想を抱いた。

 もっとも、予想できたことである。いくら《はじまりの街》がプレイヤーを内包しきるキャパシティを備えていようと、さすがにやることもなくなってくる。これ自体がゲームなのだから当然だが、娯楽施設というものは中々追加されないものだ。

 宿があまりにも格安なので寝泊まりは1層で済ますだろうが、実際モンスターが進入してこない主街区だけなら、戦うことを放棄したプレイヤーにとっては唯一の刺激と言える。

 各々第2層の解放を聞きつけたプレイヤー達は、どこから湧いてきたのだろうと思わせる人数で新しい街を闊歩(かっぽ)している。しかし、それらの多くは緊張感のない顔で、俺と同様にひたすら(いとま)をむさぼってばかりだった。

 明らかに『殺し合い』を知らない。平和の享受に甘んじ、それを当然のものだと認識している顔。

 

「けっ……ノンキなもんだ。俺らが汗水たらして攻略した街を……」

 

 遅れながらも攻略に乗り出したプレイヤー達はまだいい。

 しかし5割の人間はただ『住んでいるだけ』だ。そんな自分勝手でゴミ以下な行動力しか持たないプレイヤーも、各層の主街区を繋ぐ《転移門》さえあればこうして自由に上がって来られるのだから不平等である。税を徴収してもいいかもしれない。

 何もしない。そんな奴らに、上層に来る権利などあってたまるものか。

 

「あ~あ。ザコ共がわんさかと……やってらんねェ」

 

 わざと聞こえるように通行人に吐き捨てる。彼らは面倒ごとを避けるように目をそらし、それとなく離れていった。

 βテスターだったからこそ手に入れられた知力と経験。そんなことはわかっている。だがこの際、溜まってきた俺のフラストレーションを抑えるものがなけなしの理性だけでは足りず、こんな愚痴を次々に口から漏らしてしまった。

 そして俺はこの行為を後になって後悔することになる。

 なぜならこの一言が、この後の俺の生き方を大きく変える1歩に繋がったからだ。

 

「あたし、そういう言い方好きじゃないな」

 

 言いたい放題こぼし終えた数秒後に、いつの間に後ろに立っていたのか、見知らぬ黒髪の女が話しかけてきた。

 その美貌に一瞬……本当に一瞬だけ息を飲んでしまう。鼻までかかる前髪の奥に、唯一目視できる右目も澄んだように漆黒。身長は年々伸び続けると聞く日本平均のそれよりも確実に高いだろう。おまけに体の線の細さに似合わず健康的で、締まった肩とくびれに、コスプレ以上に戦士然とした風貌(ふうぼう)。あと俺得なのは、スラッと伸びた細い脚。

 こいつの容姿を正直に表現すると、『モデルにでも誘われてそうな奴』だろうか。

 しかし当時の俺は、この女が俺にもたらす未来の変化を予期できるはずもなく、この世界での女性が珍しいと思いながらも、自分の正義を信じたままつい言い返してしまった。

 

「ああ、んだてめェ?」

 

 と。

 息をするように紡がれた言葉は、初対面の人間にはいささか礼儀のないものだった。それでも俺は上から目線の声調にイラつきも増し、見た目15、6の女に強い口調で脅しをかけた。

 女は眉を少しだけピクリとさせ、特に臆した風もなくさらに言葉を続ける。

 

「さっきから聞いてるけど……アンタが下品だって言ってるの。攻略しているのは自分だけじゃないし、してないプレイヤーを罵る権利もない。アンタのその考え、いかにも《ビーター》らしいわ」

「…………」

 

 早速《ビーター》と来た。これは面白い。しかし逆に、肩の緊張が抜け呆れて溜め息が出そうになった。

 危惧(きぐ)していたことはまさにこれだ。今でこそ『キリト』が悪のビーターと言う考え方が主流だが、このように『悪のキリトと同じ考えを持つ人間』がビーターと呼ばれ出したらもうお終いだ。後はねずみ算のように《ビーター》イコール『自分勝手な元テスター』となっていくに違いない。

 噂とは往々にして誇張拡大されていくものだと古今決まっていて、これがプレイヤーの隅々にまで行き渡る頃には、その意味が示す真の由来など影も形もなくなっているだろう。

 

「ンだよ、正義厨か。メンドくせぇったらねェな。あんたってさァ、歩きスマホいちいち注意するタイプだろ?」

 

 しかし普段の俺ならここの時点でシカトを決め込んでいただろう。さっさと退散だ。だがなぜか、本当になぜかこの時だけは言い返したくて仕方がなかったのだ。この鼻持ちならない高飛車な説教女を黙らせたくて仕方がなくなった。

 だから俺はその本能に従った。

 

「……それともアレか。最近ハヤりのPKか、あァ? ケンカふっかけたりして、逆に触られたところを牢屋送りにするっていう。……いいよなァあれ、飛ばしたプレイヤーも設定によっちゃ武器をドロップしていくしよ。しかも《ビーター》ときたモンだ。ハッ、マナーわきまえてねーのはむしろォ?」

 

 ここで言葉を切って女をジロジロ見る。女はこの世のものとは思えない(さげす)みきった目を向けてくるが、あいにく俺にはチクリとも来ない。

 なぜなら、売り言葉に買い言葉といった風に言い返してしまったが、俺の言うこともあながち嘘ではないからだ。

 街や村は基本、犯罪防止規定が適用される《アンチクリミナルコード有効圏内》であり、これを通称《圏内》と呼ぶ。この《圏内》において誰もが知る1番有名な付随効果は『ダメージが一切通らない』というものだ。

 つまりこの保護コードがはたらいている限り、喧嘩に負けても死ぬことはない。わざわざ盗まれるような不注意はないが、所有物の保護や不正アクセスにも対応していると聞く。腰抜け共が《はじまりの街》から1歩も外に出てこない理由がこれである。

 そしてこのゲームにはもう1つ、《ハラスメントコード》なるものも存在する。

 上記のものとは似て非なるもので、ようはセクハラ対策を指す。

 これのおかげで、主に女性は男性に何かをされた、あるいはされそうになったとしても視界の左上に発生したボタンをフォーカスし、それをポチッと押してやれば、《はじまりの街》にある《黒鉄宮》の監獄エリアに飛ばせるという寸法だ。ちなみに同性には適応されないため、一部の特殊な人種を阻止しきれない欠点も付け加えておこう。

 さらにそれを利用して男を監獄エリアに飛ばす《擬似PK》のことを俺は指摘したというわけだ。

 腕を掴んで外へ、なんてことになればたちまち個室行きとなるのだから、《圏内》では女も強気になるはずである。

 

「最っ低……」

「こっちのセリフだ。1層ボス戦にはいなかったよな? リスク背負ってんのは前線組だっつの」

「だからって……っ!!」

「いるんだよなァ、あんたみたいなカン違い女。正直なんもしてねぇゴミッカスのために頑張ってる俺らをさァ、見さかいなしに《ビーター》とか言っちゃうあたりも」

 

 饒舌(じょうぜつ)に話す俺の言葉はしかし、バシッ! という音と衝撃に阻まれた。原因は目の前の女が俺の頬をひっぱたいたからだ。

 当然《圏内》にいる俺にダメージはないし、目の前の女を示すアイコンカラーも犯罪色(オレンジ)にはならない。しかし視界を覆うチカッとしたライトエフェクトと平手打ちを再現しようとするサウンドエフェクト、さらには少しだけ発生したノックバックが俺を黙らせた。

 女は怒りもあらわに口を開いた。

 

「あっ……あんたねぇ。攻略しようとしてることは凄いと思ってる。でも、あんたがソレ(・・)じゃ全然誉められないよ! ……前線にいない人だって必死に頑張っているッ……自分から助けたことはある? 手を差し伸べたことは!? もう少し周りの人のことも考えてあげて! 必死さは人それぞれなんだから!」

「あん……だ、と……?」

 

 驚いて生唾を飲む。剣幕に飲まれて俺は(うめ)くとしかできなかった。

 それだけではない。女の指摘が図星だからだ。

 

「全員が意識を変えれば攻略はもっと早く進む。言葉でマウントとって、その時ばかりの優越感に浸ったり……そんなのまったく意味ないでしょ。あたしも遅れた人の手助けを頑張るから、そういう考えはやめて」

「…………」

 

 普通、初対面でここまで説教する奴なんていない。弱肉強食のSAO界ではなおさらだ。

 しかも、目の前にいる奴は宗教にハマったような奴でも、自分に陶酔したナルシでもないように見えた。それどころか、比較的マジメなことを言っている。リアルなら相当なドン引きものの発言だったが、美人なら失言も許される例の現象を差し引いたとしても、2022年現在では珍しい部類だ。

 されど相手の言葉にはこうも言い返せる。

 ――それで俺にどうしろ? と。

 こいつには大事な前提が剥落(はくらく)している。俺1人がこの考えを改めたところで、同じ考えを持つ人間は何十、何百、果ては4桁を超える数がいるかもしれないのだ。彼らのことはどうするのか。それともまさか、全員に言って聞かせるつもりか? 1人1人順番に。それでいざこざもなくみんなで攻略?

 バカバカしい。

 ヘドがでる。

 こんな極限状態であれ、それができないから、人間はいつまでも醜く自己中な争いをするのだ。

 その証拠にデスゲーム開始直後からテスターの9割以上は仲間を捨て、ビギナーを捨て、テスター同士で徒党を組むなど利己的な行動をした。そこには右も左もわからない初心者に対する思いやりなどなかった。

 人類誕生からこの歴史上、争いや競争が途絶えた時代はない。

 女の意見は夢物語だ。常識的に考えて、歪なのはこの女自身なのだ。

 しかし、今思えばここが最後の分岐点だったのかもしれない。俺はなおも感情を吐露(とろ)するべき場所を間違え、目の前の女に語気を荒くして言い返してしまった。

 

「ハ、ハハハッ。何を言い出すかと思えば……聖人じゃねぇんだぜッ!? みんなで仲良く赤外線オンラインでもねェんだよ! ことMMOじゃアンタの意見はリソー論だ。ヘリクツも結構だけど、人は俺みたいな考えを持つもんさ! ……ハ、ハハ。そうだよ……だからさ、てめェの意見を俺に押しつけんな!!」

 

 ――どうだ、完全に論破だ。ざまぁみやがれ。これでこいつも……、

 

「意見の押し付け……ね。その狭い価値観しかないあなたの意見こそ、あたしにとっては一方的な押しつけよ」

「……ん、だと……?」

 

 あれだけ一気に()くし立てたというのに、まるでそう返されることが予想されていたかのごとく、自然な口調で女は続けた。

 

「事実を言っただけ。みんなが協力し合えば攻略は早くなる、って。あたしは人の協調性を信じてるし、今後も諦めないわ。それに、あたしは押しつけてない。いまの言葉に思うところがあれば、あなたも真剣に考えて欲しい、と言ったの。考えても結論が変わらないならまぁいいわ。それだけよ……」

「ンの善人面が……わっかんねぇのかッ……」

 

 ――自信の正当化しか頭にない。

 

「(……ああ、くっそ……。くそッたれ!!)」

 

 俺の声に周りの数人もこっち反応していた。突然言い淀んだせいか、目の前の女も首をかしげている。

 しかし、それを気にしていられないほど、うるさく響くあの声が俺を追いつめようと語りかける。

 その極論じみた意識が自身を、あるいは友を殺すと。

 正論だ。わずかに残留する善良心はいちいち正論しか言わない。そんなこと、誰も聞いていない!

 

「るっせえなああァッ!!」

 

 本気の咆哮に今度こそ付近のプレイヤーが全員俺を注視した。

 

「……ハァ……ハァ……くっそが……俺はやってねぇ……カズは死んでねぇッ!!」

 

 言った瞬間、女の方が驚いたような顔をした。

 しかし限界だった。理由なんて問いただす間も無く、俺は人垣を分けて走り出す。目の前の女から、周りにいたプレイヤーから、そして心の声から逃げるために。

 女のことはいい。周りの連中も知ったことではない。だが頭から離れないことがある。

 それは……、

 

「(ハァ……ハァ……違う! ……俺はカズを、ルガトリオを殺してねぇッ!!)」

 

 走りながらも念じ続けた。この世で最も醜く、最も手前勝手な願い事を。

 俺が速攻で見捨てた中学の時の友人よ、どうか今も都合よく生き延びていてください、と。

 心の声を聞かないために。肩や頭に何かをぶつけて終いには人のアイテムなどを蹴り飛ばしながら、そのまま2、3回曲がっただけで俺は脇目も振らずに主街区を走り抜けた。

 フィールドに出れば目的が生まれる。目的があれば前進できる。

 

「モンスターだ……ハァ……ハハッ、そうだ……レベル上げだ……サボった分を、今からやろう……ッ」

 

 この言葉を最後に後はうろ覚えだ。だがフィールドを駆け、モンスターとのエンカウントを繰り返し、持っていた回復アイテムの許す限りの狩りを続けたのだろう。

 次に最寄りの《圏内》に入る頃には日付が変わり、日が昇っていたことだけが今でも記憶に刻まれている。

 



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第7話 鍛冶屋騒動(前編)

 西暦2022年12月8日、浮遊城第2層。

 

「ん……」

 

 ――あ……れ。なんか体が重いな……。

 ――ベッドってこんな固かったっけ。

 ――あ~……てか、いつ寝たんだ俺……。

 

「ぅ……ん……」

 

 目を開けようとしたが、ダイレクトな朝日が非常に眩しかった。どんな宿でも寝る時は例外なく遮光カーテンを閉めるはずだが、はて。

 しかし、そこまで考えてから思い出した。街の隅っこの方で力尽きたのだ。眼球だけさ迷わせたが、やはり家具どころか屋根すら見当たらない。

 ただしワイルドに地面で寝ていたことは判明したが、回転数の上がらない思考のせいでそれまでの経緯が思い出せない。

 そして同時に、俺はハンパなくどうでもいい発見をしてしまった。

 地面に無数に存在する砂粒のようなデータ片についてだ。これが寝そべっていた口の中に侵入していたので試しにモグモグしてみたところ、まったく味がしなかったのである。旨くもなくまずくもない。どうやら味覚エンジンの搭載されていないオブジェクトは口に含んでも味覚野が反応しないらしい。

 うむ、本当にどうでもよかった。

 

「お、起きたカ?」

 

 ジャリジャリと硬すぎる床から頬が離れた時点でふと隣から声が聞こえた。

 ボンヤリとする頭でできる限りの情報を入手するため、横たわっている状態で首だけ動かすとそこにいきなりフードを被ったプレイヤーが姿を現した。

 

「あ〜? あんた誰だ……」

「誰とは失敬ナ。オレっちを忘れたのカ?」

 

 聞き覚えがある。この語尾に鼻のかかったような喋り方と、フードで顔を隠していること。合わせると、間違いなくあの情報屋だろう。

 ゴリッと首だけ動かして視線を合わせる。

 

「なんだ、アルゴか」

「ご名答だナ。ちっと遅いガ」

「人を責める前にもうちょい顔出せって」

「ニャッハッハ」

 

 楽しそうに笑う彼女は通称《鼠》。身長は目算150にも満たないだろうチビだが、性別は希少価値が高い。敏捷値極振りのステータスで各地を走り回っているソロの情報屋だ。

 フードを被ってコソコソと動き回っているのでじっくり顔を拝んだことはないが、髪色を金にカスタマイズした翠眼(すいがん)のプレイヤー……という情報そのものを、この女自身から買ったことがある。押し売られたともいうが、数秒だけ拝めた。

 しかしソロといっても、《鼠のアルゴ》と聞けば前線でその名を知らない者はいないほど有名になりつつある。少なくとも俺は何度か利用している。

 あとなぜ二つ名が齧歯類(げっしるい)なのかと言えば、彼女は両頬に3本ずつ『ヒゲ』のフェイスペイントをあしらっているからだ。もちろん、理由までは教えてくれない。正確には10万という法外のコルを積み込まなければ教えてくれない。

 基本的に金にがめつい女である。

 そんなプレイヤーが、なぜか身を隠しながら俺に話しかけてきた。イタズラだとしたら勘弁してほしいものだ。こちらも満身創痍で……満身創痍で、何をしていたのだろうか。

 

「……うっ……頭イテ」

「何があったかは知らんガ、いい加減起きたらどうダ。ただでさえアレなのにそれじゃあまるでボロ雑巾だゾ?」

「……どこ、だ? ここ……」

 

 言葉の端々に散らばるディスりを無視して状況を確認する。この世界に筋肉痛や寝違いがなくて本当によかった。

 そこでアルゴが「マロメだヨ」と教えてくれた。

 

「(ああ、そっか。《ウルバス》に帰りたくなくて、こんなところで……)」

 

 2層半ばにある行商村《マロメ》。その名の通り、どこからともなく現れる馬に台車を引かせる行商職のNPCがいる村だ。

 人によって売っているアイテムの種類や値段が変動するのは面白いのだが、しかしそんな商売法を確立してしまっただけに、村そのものに常設される道具屋の品揃えがイマイチになってしまうという本末転倒具合が悲しさを引き立てる。

 しかし、重要なことも思い出した。

 都合の悪いことを忘れるための不眠不休の狩り。その後のことだ。

 俺は深い眠りから覚め次第、《はじまりの街》の施設の1つである《黒鉄宮》にある《生命の碑》を確認してルガトリオが生きているかどうか確かめたのだ。

 結果、彼は生きていた。

 しかしそれだけは焦燥感まで消えず、再びストレージの許す限りの回復系アイテム《ポーション》を買い占めて、またフィールドで気が遠くなるまで狩りを続けたのである。

 狩って、休み、また狩って、装備のメンテ。このループ。思考は停止できたが、むしろよく《圏内》まで戻って来られたものだと自分を誉めたくなる自殺行為だ。

 しかし、おかげでいつの間にかあの忌まわしい声も消えた。

 

「……ってか、なに……見ててくれたの?」

「……まぁナ。感謝しろヨ! こっちも徹夜明けのクエスト帰りだったのに、入り口に人がぶっ倒れてるんだからナ。関係ないって言っても、ムシするのは寝覚め悪いシ」

「マジか、目の前のフード女が? 優しすぎでしょ。見直しちゃったよ」

「有料だゾ。5000コル」

「前言テッカイ」

 

 内心を悟られないように言葉を繋いだだけだったが色々助けてもらっていたことが判明した。砂の味を確かめている場合ではなかったようだ。

 苦し紛れに「ここ《圏内》だし、危険はないでしょ……」などとは言ってみたものの、コアゲーマーが相手だと何をされたかわかったものではない。

 それにその認識まで間違っていた。

 

「いんや、ギリ《圏内》じゃなかったヨ」

「へっ? ……どゆこと?」

「言葉通りの意味サ。街が視界に入るなり、張り詰めた糸ても切れたんだろうナ。《圏内》手前でばったり気を失ってたヨ」

「うげ、じゃあ運んでくれたのか? うわ〜マジか。……借りまで作っちまったの……」

 

 豊富な情報量、行動力。どう見てもβテスターだったとしか思えない彼女にとって、その危険性は人一倍身にしみているはずだ。

 そして彼女は、β出身を同胞とでも思っているのか、彼らの情報を売らない。

 しかしだからこそ、いつも単独行動している俺の事情をある程度察してくれた彼女が、見捨てるのをはばかったことぐらいは容易に想像がついた。

 無論、立場が逆なら俺は見捨てていた。

 男女逆転で一気に犯罪性が増すという意味ではなく、基本的に俺は薄情なのである。リターンのないボランティアなんてまっぴらごめんだ。

 さて、されど今回は俺が迷惑をかけた側。リターンにうるさい人間が感謝をしない道理はない。

 

「にしても悪いな、重かったろ? 俺……って言うか、意識のない人間はさ。よくここまで運べたな」

「いや、蹴ったり引きずったりしたナ」

「…………」

 

 ――なんてことしやがる。感謝半減。

 

「ナハハ、まぁいいサ。クエの情報記事にまとめる時間は必要だったシ、ついでに隠蔽(ハイディング)スキル鍛えてたからナ」

「ああ、だからいきなり現れたように見えたのか。でもあんま《圏内》でハイドすんなよ。バレるとノーマナー行為って周りがうるせーし」

「じゃあお詫びに何か情報買ってけヨ」

「金が欲しいならもう少しオブラートに包めって。……つってもな~」

 

 《鼠》と5分雑談すると100コルは取られる、という噂を体現するように金を要求してきた。あるいは100コル分のネタだったかもしれないが、この際同じようなものだろう。彼女は金のことしか考えていない。金の亡者だ。

 

「わあったよ、礼はするさ。う~ん……あ、そうだ。『キリト』って奴の情報買うよ。知ってる? ほら、1層で美人フェンサーと一緒にいた」

「…………」

 

 《フェンサー》とは細剣《レイピア》使いのことだ。片手剣なら《ソードマン》、槍なら《ランサー》、鎚使いなら《メイサー》といった具合の。

 しかしアルゴが止まっているなんて珍しい。

 

「……まさか知らぬ存ぜぬか?」

「いや、知ってるゾ。ただその美人チャンについて聞いてくるクライアントは山のようにいたガ、男の方を聞いてきたことが意外だっただけダ。詮索はしないけどネ」

「(友達少ないからとは言えねぇ……)……つか、女の情報まで売ってるのかよ」

「そこはギブ&テイクだヨ。オレっちも女性陣といろんな情報を交換してるってわけサ。ちなみに、女の子からお前サンについて良いウワサは聞いたことがないけどナ! ニャハハハハッ」

「…………」

 

 ――ヤメろ。それダメージデカいやつだからマジで。

 

「そ、それ別人じゃないのか。こちとら大半の人間に名乗ってすらいないぞ……」

「不良面の長身。大剣使いに地味な服。いつも1人ボッチ。おととい《ウルバス》で突然叫んで走り去った変なヒト」

 

 ――あっ、ヤメテ。それ俺だ。

 

「……ケッ! 叩かれんのが怖くてゲームがやれるか! ……んでもよ、じゃあいいのか? その悪いウワサ張本人と、朝っぱらからこんなに話して」

「これはビジネス。金が出せる客は皆平等サ。それはそうとキー坊……カ。ジェイドが女だったら彼に吉報ができたのだガ」

「吉報?」

「いやこっちの話しダ。だが奴は高いゾ? 3000コルはいるナ」

「……さ……ッかしいだろソレ……」

 

 コル自体ではなく情報そのものにとっての相対的なバカ高さに顔がひきつってしまった。

 ――にしても3k? 冗談じゃない。

 

「値段に悪意アリアリじゃねーか。いくら恩を着せた、つっても……あいつにホレでもしたか?」

「…………」

 

 唐突な質問に、ビクッと震えた彼女は黙りこくった。目も逸れる。

 「オレっちが金以外にホレるかヨ! ニャハハハ!」ぐらいなテンションで返ってくると思っていたのでこれは意外だ。

 

「ま、アレだろ? キリトの情報が回るとマズいとか? そのヘンテコな『ヒゲ』ペイントの経緯とか知ってたりしてな。ハハッ」

「…………」

 

 なぜ止まる。

 フリではなく本気で固まってしまったのなら相当に凄いことをしている。なにせ『ヒゲの理由』は10万コルなのである。

 キリトは見えないところでいったいどれだけの事をやってのけたのだろうか。全部確信のない推測ではあるが、彼女が停止してしまうのなら仕方がない。適当に違うことを聞くとしよう。

 

「こ、答える気ないなら他のこと聞いてやるって……あ~、そうだ。誰かプレイヤーで《鍛冶職人》の方行った奴知らないか? NPCとの差を見たかったんだよ」

「知ってるゾ、1000だ」

「おらよ、これでチャラな」

 

 空白の質問は華麗にスルーされたし、金額が少し高い気もするがここは我慢だ。

 そうして俺はウィンドウ操作で1000コル分をオブジェクト化して手渡すと《鍛冶屋プレイヤー》についての情報を買った。

 それが後に、少しの波紋を呼ぶとも知らずに。

 俺とアルゴはこの会話を最後にその日は別れた。

 

 

 

 それから12時間が経過し、今の時刻は19時10分。

 途中で投げ出していたイベントなどもすっかり消化し、日にちを8日だと知ってから《ウルバス》へ再訪した俺は、例のネズミから聞いた《鍛冶屋プレイヤー》の店を見つけた。

 そして、ここで朗報と悲報を同時に味わうことになる。

 まず朗報、これは『キリト』の発見だ。俺は彼に会いたかった。と字面に起こすと大変なことになるが、なんて事はない。俺は単に話し相手が欲しかったのだ。事実、それはアルゴと数分会話した時点で痛感していた。

 友達と話せば? ところがどっこい、俺にはその友達とやらがいない。

 唯一の旧友も初日に失っている。会えなくなったわけではないが……いや、状況を考えるに同義と言える。

 第1層攻略のあかつきには、彼に会って見捨てたことを謝罪しようとも思っていたが、いざその時が訪れると勇気が出ない。

 そんな情けなさすぎる理由のもと、結局俺は1人でいる。ゆえにこの世界で初めてまともな会話をしたキリトとの時間は、俺の心身の支えでもあるのだ。

 ではなぜ、彼に会えてなお悲報が存在するのか。

 答えは彼の隣を歩く女性プレイヤーにある。

 しかもとんでもない美少女。明らかにこの女だけまだアバターじゃね? と疑いたくなる美少女。そしてこの女がいる限り、彼の隣を独占する事はできないだろう。色んな意味でその女……アスナと一緒にいる時間を大切に、そしてかけがえのないものだの思っているはずだからだ。

 ならばその時間を奪う権利は俺にはない。

 それでも、1つだけ宣言したいことがある。彼らはコンビ組んでいたのか、という疑問はこの際置いておくとしよう。しかし、しがない男に生まれたからには声に出さねばならない。

 そう、これだけは言わねばならないのだ。

 

「(リア充爆発しろ!!)」

 

 ――もうキリトなんて友達じゃねーよ! 信じた俺がバカだったよ! 女にうつつなんてぬかしやがって! 男なら黙って強さだけを求めろよ! たぶん俺、キリトより弱いけど!

 

「……はぁ……」

 

 俺は盛大なため息をついた。

 せっかくのキリトではあったが、相手がアスナならその空間に割り込んで無粋な近況報告を開始するより、ここはおとなしく引き下がっておこう。それにいつの間にやら彼らもどこかへ行ってしまったことだし。

 ――さ~てメンテメンテ。

 

「すみませ」

「あの、強化お願いしていっスか?」

 

 アルゴに教えてもらった鍛冶屋で武器の耐久度回復こと《メンテナンス》に来た俺だが、横の男に割り込むように入り込まれてしまった。

 多少ムッ、として殺してやりたくなったが、心の広い――以前のいざこざを思い出したわけではない。決して。――俺は仕方なく順番を待つ。

 《離れの村(マロメ)》と違って《主街区(ウルバス)》なら今まで通りNPC鍛冶屋に行けばそれで済む話だったが、情報料がもったいない、などと貧乏性じみたことを考えていたのだ。とんだとばっちりである。

 

「強化種類はクイックネスで」

「……わかりました」

 

 そんなやりとりが聞こえた。

 割り込み男の出した武器は《ガーズレイピア》。細剣カテゴリの中ではそこそこの上武器だ。一応俺のモンスタードロップでのみ手に入る、通称《ドロップオンリー》の両手剣は準レア品で、レートもこの男の剣より高い。つまりこいつの武器は俺より格下というわけだ。

 こいつは俺より格下というわけだ。

 根に持っているわけではない。

 

「(にしても強化はクイックネスか……)」

 

 《レイピア》の売りは初めから備えているその剣速だが、それでもまだ速くしようというそいつの気持ちは、俺とて共感できないでもなかった。俺もただでさえ重い両手剣に、さらなる重量強化を施しているからだ。

 ちなみに5つの強化種類には鋭さ(Sharpness)速さ(Quickness)正確さ(Accuracy)重さ(Heaviness)丈夫さ(Durability)というものがある。イニシャルが全て異なることから、イニシャルのみで表すプレイヤーがほとんどだ。

 そしてプレイヤーはコルと強化素材を使って、これらの中から1つずつ1段階ごとに強化することができる。しかし同じ武器での無限強化を避けるため、武器には必ず《強化試行上限数》というものが存在する。

 読んで字のごとくだが『可能数』ではなく『試行数』なので強化に失敗しても平等に1カウント。しかも強化素材は過剰持ち込みで失敗の可能性を減らすこともできる。よってプレイヤーは、剣にかける時間と失敗の可能性を天秤に掛けながら強化するかを考えなければならないのだ。

 まったく、このゲームのデザイナーも(タチ)が悪い。

 

「へぇ、1S1Q2Aですか。凄いですね」

「(ほう……)」

 

 店主である少年のその言葉には俺も少し驚いた。

 つまり男の剣を正確に表現するなら《ガーズレイピア +4》となる。おそらく、全てのプロパティを全体的に上げたがるバランス重視のプレイヤーなのだろうが、次の強化が成功するとガーズレイピア最大の+5にまで成長する。

 自慢だが俺の両手剣こと《ツーハンド・ソード》カテゴリに位置する《ライノソード》のプロパティはすでに+5。強化試行を限界まで試した剣は、言わば《エンド品》であり価値も下がってしまうのだが、同時に3H2Dの業物でもあるのだ。

 そして目の前の男の剣は武器のレア度は差し置いて俺の剣に並ぶ強化が施されようとしている。俺の《ライノソード》が強化を7回試せる――2回失敗している計算になる――のに対し《ガーズレイピア》は5回。今までノーミスで強化が施されてきたのだろう。

 そうこうしていると、とうとう目の前の男の剣が素材と合わさり白く発光する。特におかしな現象というわけではなく、強化目的が《速さ》ならライトエフェクトは白を示すというだけだ。

 しばらくアンビルの上でカン、カン、と金属が叩かれる音がリズムよく聞こえる。そして規定回数の10回目でその音が止むと、男のレイピアが光り……、

 そして、ガラスを割ったような音と共に跡形もなく砕け散った。

 

「なっ!?」

 

 突拍子もなく、手品のように眩しく発光した細剣が消える瞬間を目の当たりにして、俺達はある種間抜けにすら思える声を上げてしまう。

 あり得ない現象に、しばらく誰もが動けなかった。

 



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第8話 鍛冶屋騒動(中編)

 西暦2022年12月8日、浮遊城第2層。

 

 目の前の武器が消滅する。この現象が起こるのは《メンテナンス》を怠り、戦闘中に武器の耐久値(デュラビリティ)がゼロになった時だけだと思っていた。

 少なくとも強化中に起きるはずがない。ゆえに、現場を目撃していた鍛冶屋と剣の持ち主、そして俺もまた同じようにフリーズを余儀なくされていた。

 面倒ごとに巻き込まれる前に目を逸らして退散すべきか。

 しかしそんな選択肢がよぎった時、ふと違和感が募った。

 

「(いや、違うぞ。……これどっかで見たことが……)」

 

 あれはβテストの時だっただろうか。今と同じように、俺の前に並ぶ男の剣が砕けていた。

 当時の男が呟いていたのを覚えている。確か「試行上限以上は不可能か」なるニュアンスだったか。少なくとも、壊れた割にはいやに落ち着いていた。

 まさか、実験していたのだろうか。

 《強化試行上限回数》という限界を越えて武器を強化したらどうなるのか。3種類の強化ミスにはない現象は引き起こせるのか、と。

 現にそのポンチョ姿の男は、顎に手をやりながら安価の剣が砕けるのを満足げに見下ろしていた。

 強化ミスは3つ、つまり強化素材を使用したにも関わらず素材のみが消滅して変化が起きない《素材ロスト》、ある種類の強化を試みたにも関わらず別の強化が施されてしまう《プロパティチェンジ》、そして強化が弱体化へと変わってしまい、最も手痛いミスとして知れ渡る《プロパティ減少》だけだと思っていた。

 本来なら目の前の男の最悪の結果は、その剣が《ガーズレイピア +3》になることのはずなのだ。

 だのに剣は消滅した。大前提として、これは男が故意にやらなければ起きない。

 なら可能性は……、

 

「あ、あのさ。その剣の強化、今ので何回目だった?」

 

 2人が言い合いになる数秒前に俺が割り込む。

 武器を失った男はイラだたしげに「5回だ」とだけ言うが、とすれば1回分の余裕があったはず。それでは辻褄は合わない。

 だが俺とてゴタゴタに巻き込まれるのはごめんだったので「そ、そうか。運がなかったな」とだけ言ってその場を離れた。

 後ろで再熱するように男の怒鳴り声が聞こえてくるが、俺にはもう無視する以外の方法がない。

 

「(あんなことも起こるのか……)」

 

 仲裁したかったのではない。あくまで後学のためだ。

 この知識は《クローズド・βテスト》の体験時に培ったもので、正式サービスから変わったと言われればそれまでである。

 しかし、ガーズレイピアが破砕した瞬間の違和感はいったい……。

 

「(鍛冶はβん時もハヤらなかったしな。……まさか、NPCじゃなきゃ安定しないとか……?)」

 

 序盤はあらゆるスキルの熟練度が低い。なくはないだろう。

 それでも長々と考えてしまうのは、きっと強化詐欺の可能性が(ぬぐ)えなかったからだ。

 読んで字のごとく、コルを貰いながら武器も素材もいただいてしまおうという汚い手法のことである。中盤以降は気にならないが、今はコルの入手量が限りなく鈍重なので、1000コル単位でも結構な値になる。

 だがテレビゲームではなくVRMMOでの詐欺は非常に困難なはず。鯖トレではない正式な手続き。ましてやチートカードは使えない。俺はレイピアが割れるまでの一部始終を見ていたし、見る限りでは彼の行動に不審な点は一切無かった。

 

「(俺の思い過ごしかぁ……)」

 

 メインストリートを歩きながら、一層深く自分に問う。

 過剰な詮索かもしれない。その可能性が1番高い。俺はゲームに関しては説明書を見てから始めるのではなく、プレイ中に覚えていく派なので答え合わせもヘッタクレもないが。

 そうこうしているうちに、俺はノロノロと食事を終えていた。

 惰性でプレイヤーが有志で出してみたと言われるお試し新聞の記事を読み、俺の欲しい両手剣の供給が少ないのか、相場を2万2千コルという異常な高さを誇っていることを確認し、やるせない気持ちでベンチにごろんと寝転がる。

 その頃には今日起きたいろんなことも忘れていた。

 

「(あ~あ、宿代ケチってここで寝たろかな……)」

 

 考えてみれば犯罪防止の《アンチクリミナルコード》が稼働しているのに、わざわざ宿に泊まるのは効率が悪い。

 定期的にチェンジするだけで服や体が汚れないし破れない、といったこの便利世界では、風呂も我慢すれば何とかなる。少なくとも不快な臭いをばらまくこともない。いくらか安い宿があったとして、今後ずっと宿に泊まらず野宿し続ければ相当額のコルが浮く計算にもなるだろう。

 無防備状態? 言われなくとも。だが、酔った未成年女が駅で意識を失っても性犯罪が起きないのが日本という国だ。野郎が街中で襲われる可能性が果たしてコンマ何パーセントだというのだ。目立つならせめて、屋根の上ぐらいまで移動すれば上出来だろう。

 などと考えていると、またしてもある人物が目に入った。

 黒いコート。キザッたい視線。あどけなさを残しつつも、自信に満ちた表情。

 

「(うわっキリトだ!)」

 

 一気に眠気が覚めた。

 暗いベンチに横たわっていたことで気づかれなかったのか、奥の小道から全身黒装備のワンハンドソードマンこと、ビーターのキリトが1人で歩いてきたのだ。

 だがせっかくのキリトとは言え、先ほど心の中で「友達じゃねーよ!」とまで言ってしまった俺に、果たして話しかける権利があるのだろうか。……いや、そんなことを悔いている場合ではない。見たところアスナは近くにいないため、今こそキリトの好感度をアップさせてアスナを出し抜くチャンスだ!

 ――アレ、なんかおかしいな。

 

「(まぁいいや……)……キリ……ん?」

 

 呼びかけて直前で止まる。

 なぜならキリトの姿が消えたからだ。

 どこかに脇道へ逸れていったのではなく、こうフッ、といきなり視界から消えた。

 

「(いや、いる……のか? もしかして隠蔽(ハイディング)スキル?)」

 

 しかしよ~く目を凝らすと《ハイディング》スキルを使って姿を消していることがわかった。

 いったいなぜ? 朝にはアルゴにも同じ忠告をしたが、街でのハイドはマナー違反という暗黙の了解がある。

 

「女湯の……ノゾキとか……?」

 

 なわけないだろう。険しい表情がそう語っている。

 理由があるに違いない。あまり注視していると隠れ率(ハイドレート)が下がって俺の存在もついでにバレてしまうため、わざと目を逸らしてあげながら気配を察してみることにした。

 そうしてしばらくすると、彼が動き出すのを感じ取った。

 さすがに何秒か注視され続ければ《ハイドレート》はみるみる減ってすぐに看破(リピール)されるだろうが、今はもう午後8時を過ぎている。季節も相まって夜も早い。これなら隠れていると知っていなければ探すのは困難だろう。

 

「(妄想訓練……中二病ならありうるな!)」

 

 冗談だが、状況は色々と説明がつかない。一時的な《ハイディング》スキルのボーナスは、1層ボスへのラストアタック品が、ハイドレートにボーナスを与えるレア物だとすれば辻褄(つじつま)は合う。

 問題は、キリトが無用な争いを好まないタイプなのに、《圏内》で《ハイディング》スキルを発動させているリスクを考えているかどうか、である。

 冗談でしたで済まさないプレイヤーもいる。街で透明化して、女性プレイヤーが宿の扉を開けた瞬間、一緒に部屋に入り込もうとする非紳士的な連中もいるからだ。俺だってリアルに透明人間になれたら真っ先に女風呂へ向かうだろう。

 とにかく、俺が朝アルゴに《圏内》のハイドについて注意したのは、決して大げさな話ではないというわけだ。

 たとえ1日といえど、彼と会話をした限りでは人をつけ回したりする奴だとは思えなかった。無論、それは猫を被っていただけであって本性は違うのかもしれないが、俺はもっと違う可能性があると感じた。

 『せざるを得ない』のかもしれないのだ。

 さらによく観察すると、後を追っているらしき人物は、先ほど利用しかけた鍛冶屋プレイヤーだということも判明した。

 確か店の名前は《Nezha's Smith Shop》。

 

「(俺のなけなしの記憶力が正しければ……)」

 

 各種スキルには派生機能(モディファイ)と言われるものがある。スキルの熟練度によって機能がアンロックされる仕組みだが、これらのアシストにより幅広いサポートを受けることができるのだ。

 その1つを使用するため、メインウィンドウを開いてスキルタブから《索敵》を、さらにサブメニューから《追跡》を押す。対象設定には一か八かで《Nezha》と入力すると、スキルがきちんと発動するのを確認した。

 

「(ふい~あってたか。ンだよ、捨てたもんじゃねーな俺の頭も)」

 

 機能をアクティブ化したこの瞬間の索敵範囲内にいて、しかも《Nezha》の名を持つプレイヤーがいるとすれば先ほど鍛冶屋にいた彼しか有り得ない。

 このネザだかネジャだかよくわからないプレイヤーは、たった今から2人のプレイヤーにストーキングされるのだ。恐れおののくがいい。

 

「…………」

 

 ――結局男のケツしか追ってないわけだが大丈夫か俺?

 

「って言ってる場合じゃねぇッ」

 

 この日、生まれて初めて行うストーカー行為10分のスリルを、俺は案外楽しんでいた。

 

 

 

 

 翌日。ストーカー男の詳しい心理描写を省いて翌日。

 人生初のストーキング行為(対象♂)は俺を悶々とさせた。行為そのものに悶えているわけでは当然なく、結果があまりにも俺に難解だったからだ。

 順番に起こったことを思い出す。

 1つ、俺すら『強化詐欺』の疑惑を持つに至った鍛冶屋プレイヤーを、実はキリトもマークしていて2人でストーキング。

 2つ、アジト(ただの飲食店とも言う)まで追いかけたキリトは、ドアを少しだけ開けてこっそり中の会話を盗聴。俺はそれを傍観。

 3つ、キリトがいきなり盗聴を中断して木に隠れ、《ハイディング》スキルを再発動。直後に鍛冶屋本人ではないプレイヤーが飛び出して周囲を険しい表情で見渡すも、誰もいないと判断したのか再び店へ。

 

「…………」

 

 これだけだ。

 どんなドラマが詰まっているのか判断できないが、少なくとも店から出てきたプレイヤーの表情を見るに、『何もない』ことはないと理解した。学校の校舎裏で、先輩OBとタバコの売買をしていたクラスのダチの表情がアレに近い。

 やはり何らかの手段を用いて、『強化詐欺』に準ずる行為はたらいていたことは確実だろう。

 なのだが、いくら考えても方法がわからないこともまた事実。と言うわけで俺は情報屋を訪ねていた。アルゴのことである。

 蜘蛛の巣状に巡る街の中心。お洒落なレストランの看板前に腕を組んで立っていると、時間ぴったりに後ろから声がした。

 

「最近よく会うナ!」

「……なぁ、ビビるからいちいち死角取るのヤメてくんない?」

「デートじゃないんダ。それに、脇道から現れた方がいかにも情報屋っぽいだロ?」

「……じゃあお好きに。てか、俺がインスタントメッセージ飛ばした時に奇跡的にメッチャ近いとこにいたのは認めるよ。でも、ここ最近で会ったのは昨日と今日の2回だろ」

 

 ちなみに《インスタントメッセージ》とは、簡易メール……いやさ、某緑色アイコンの連絡ツールようなものである。

 相手の名前さえ憶えていれば送れるもので、非常に便利ではある。しかし反面、迷惑メール防止のため同じ階層にいるプレイヤーのみ、かつ届いたかどうかを確かめられない致命的なデメリットを有するものだが、今回はきちんと役目を果たしてくれたと言えよう。

 

「まぁナ。んじゃさっそく依頼とやらを聞こうカ。ところで金はあるんだろうナ」

「あるっつの。貯めグセあるの知ってるだろ? ……この前言ってたネジャって奴の情報が欲しい」

「ネジャ……ああ例の鍛冶屋ノ。いいケド、それ正しくは『ネズハ』ナ。まぁギルド内での愛称を考えると『ネズオ』でもいいみたいだガ」

「うえっ、多いな。ま、まぁそれは置いといて……もっとこうアレだよ。ボロいもうけ方してたろう? 例えば詐欺の手口とか」

 

 「ほウ……」と唸るアルゴも俺が『強化詐欺』をしていると疑っていることまでは知らなかったようだ。それにしても今の暗喩(あんゆ)で意味が通るところがやはり凄い。

 しかし返ってきた答えは芳しくなかった。

 

「確かに、やけにモメゴトが多いって聞くヨ。ただ詐欺の所以についてはオレっちも知らんナ。少なくとも確信がなイ。確実性のない情報は売らなイ」

「冷た! 調べてくれたりとかは……?」

「ムゥ……ちょいと厳しいかナ。オレっちは攻略情報集めるのに忙しいんダ。逆に聞くが、お前サン昨日店に寄ったなら、そこで怪しい行動とか見なかったのカ?」

「俺が見た限り……むしろテイネイだったよ」

「じゃあなおさらオレっちにはわからんサ。だいたい、そういう人同士のいざこざ系は他の同業者に任せてるんだヨ」

「何でも屋とはいかないか……おけ、すまんな時間とって。俺もマジじゃないんだ。最近マンネリだったから首突っ込んだだけ」

「そりゃよかっタ。ま、今後とも贔屓にしてくれよナ」

 

 もちろん彼女とて手付かずジャンルではないだろう。ただ、品質を保証できない場合は動かないのもまた職種の道理。情報に対する相場のコルを手渡すと、それだけ言ってアルゴは早々に立ち去った。多忙なことだ。

 しかしこうなると八方塞がりである。これ以上オーバーヒートしそうな頭を放っておくわけにもいかないので、俺もこの辺で考えることはやめよう。予測できていたことだが、探偵には向かないようだ。

 そんなことより、今日は第2層迷宮区への道を塞ぐフィールドボスを討伐する話がでていた。実際に俺が戦列に加わるわけではないが、あの邪魔なボスさえ消えればリスクなく通過できる。

 あとは俺が迷宮区に1番乗りするだけだ。トレジャーボックスも問答無用で回収してやる。

 

「(あ〜久々にロスったわ。そんじゃま、レベリング&マッピング作業頑張るとすっかね)」

 

 今日も狩りが始まる。

 いつその立場を逆転されるともしれない、狩りが。

 

 



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第9話 鍛冶屋騒動(後編)

 西暦2022年12月14日、浮遊城第2層。

 

「やべぇ……やべぇよこれ、寝過ごしたこれ……」

 

 2層解放から11日目にしてボス攻略日当日だ。

 だが俺は寝坊した。起床アラームがあるというのに寝坊した。相も変わらず1層攻略の時の『あの感覚』欲しさに未練たらしく徹夜気味の修行を繰り返していたのが災いして、2度寝をしてしまったのだ。

 学校の授業に間に合わない時間に起床した時のような、独特の焦燥感を浴びながら急いで準備をしたが、今ではおそらく攻略パーティも迷宮区の中だろう。そしてその人数はレイド上限の48人に1人足りていないはずだ。

 ――俺が寝坊したからな。これで48人いたら同窓会に呼ばれもしなかったレベルでショックだけどな。

 

「(って、言ってる場合じゃねぇ!)」

 

 頭よりも足を動かす。ドタキャンした詫びとして、せめてもの誠意を見せるために全力でこのフィールドを駆け抜けなければならないからだ。

 とは言え、罰を課せられるのはゴメンである。

 1層に広く棲息したイノシシと同骨格、類似モーションの(カウ)系による攻撃を手序(てつい)でに躱しながら、俺は穏便な登場の仕方と言い訳を列挙していた。

 すると、考えている間にフィールドを越え、がむしゃらにゴールに向けて走っていると、やがて迷宮区(ゴール)の入り口にプレイヤーが立っているのを見つけた。

 

「(ん? あれは……)……あ、ネジャ……じゃない、ネズハじゃねーか」

「え? 僕を知ってるんですか?」

 

 振り向く身長の低い少年の顔を見る。自信のなさそうな目にボサボサのさえない茶髪、間違いなさそうだ。

 といっても、猫背な上にナヨい体をしているものの、鍛冶屋由来か手の皮は厚そうである。見たところ個人行動の目立つ人物だが、こいつも立派なギルド参加者であり、おそらく《索敵》スキルを取っていないのだろう。俺の足音にも気づかなかったネズハは、大きめの疑問の声をあげる。

 

「んあ〜、いや知ってるってほどじゃないけどさ……。あっ、そうそう覚えてねぇか? この前、せわしなかったプレイヤーの《ガーズレイピア》が割れてたろ。あの後ろに並んでたのが俺だよ」

「…………」

 

 曲がりなりにも職人である鍛冶屋に鍛刀ミスのこと思い出させるのは気が引けたが、むしろ俺は彼の反応に驚いていた。

 なぜなら、申し訳なさそうな表情と共に「どれのことだかわからない」といった顔をしたのだ。まさかいくら鍛冶屋を営んでいるとは言え、あの《アームロスト》現象を見慣れていると言うというのだろうか?

 だがもしそうだとしたら……いや、よそう。この件については手を引いたはずだ。そんなことはもう5日も前に結論は出ている。

 

「ま、まぁ覚えてないならいいや。俺はジェイドってんだ、とりまヨロ」

「すみません、よろしくお願いします」

 

 ペコリと頭を下げるこいつを前に俺は悟る。この男に敬語を使うなと言って聞かせるのは労力の無駄だろう、と。

 しかし相手を格下と見ると饒舌(じょうぜつ)になる俺の口にも呆れたものだ。ただ、なんの縁かせっかくこうして再会したので、ついでとばかりに彼のギルメンに『ネズハ』ではなく『ネズオ』と呼ばれている理由を聞いてみることにした。

 ぶっちゃけてしまうと、アルファベット恐怖症の俺は最初のうちはネザやらネジャやらテキトーに読んでいたのである。

 まあ、遅刻ついてだ。今さら彼のことをどう呼ぼうが関係ない上に、関心もない。もっとも、それを本人に伝えてあえて自分を陥れることはすまい。

 

「あ、いえネズハでいいですよ。ネズオは……ぎ、ギルドの人達がそう呼んでいるだけです」

「ふぅん、読み方たくさんあって大変だな。俺なんて名前決める時メンドーだったから、辞書を適当に引いてさ、そのページにあった単語そのままだよ。しかも意味忘れたし」

「そうなんですか……あ、でもこれ実は『ナタク』って読むんですよ。まあ、誰も最初はそう呼んでくれないんですけどね」

「へ、へぇ……奥が深いな。ってかメンドいな」

「あ、でも本当に正しくは『ナーザ』って言うらしいですよ。かの有名な書籍、『封神演義』に登場し……」

「どれだよッ!」

 

 ――もういいよ、面倒だよ。ネジャでいいよネジャで!

 

「……いやドナって悪かった。聞いたの俺だしな。でももうネズハでいくよ」

 

 一般人(パンピー)の体は成した。ロスも1分ぐらいだし、さっさと通過して先を急ごうとした時だった。

 

「……ん? てかさ、鍛冶屋はどうしたんだ? つい5日前までアンビルの上でスミスハンマー振ってたろ。つか、あんたの装備《チャクラム》ってマジでか。それ確か装備方がわからないってんで、サポーター志望すら目もくれなかったやつだろ? どうやって装備すんのさ。鍛冶屋はいいからそっち教えてくれよ」

「えっと……まずは《体術》スキルを……」

「《体術》スキル!? そんなスキルあんの? どうやって取った!?」

 

 一気に()くし立てた俺に、ネズハはおずおずと《体術》スキルについて、その度肝を抜く利便性と戦力への即効性を気前よく話してくれた。

 それにしてもたまげた。まさか第2層の時点でこれほど便利な隠しスキル、通称《エクストラスキル》が存在するとは思いもしなかったからだ。

 《瞑想(メディテート)》スキルがバッドステータス期間を短縮してくたり、最近では《咆哮(ハウル)》スキルが大声を出している間だけタゲを取りやすいだの、ストーリー序盤では地味な効力しか与えてくれないと勝手に思い込んでいた節もある。

 そういう意味では、鍛冶職人がよく知っていたものだ。あっさり教えてくれたものも、きっと情報の価値を理解していないからだろう。となれば鍛冶屋についても聞いてみるか。今なら流れに呑まれてしゃべってしまいそうだ。

 そしてガヤガヤ話しているうちに、俺達はすっかり友達気分で情報交換していた。

 

「やっぱ職人クラスの話は新鮮でいいな! あとネズハがよければさ……」

「おいソコの! お前サン達、迷宮区行くのカ!?」

 

 場の盛り上がりを読んで俺がここぞとばかりに初のフレンド登録でも吹っ掛けようと話題を変えたその瞬間、タイミングを計ったように女性の声がした。

 その発信源が鬼気迫る表情、かつとんでもないスピードで近づいてくる。

 また彼女だ。敏捷値極振りが速いことは知識では知っていたが、そのまま点だった影が瞬く間に距離を詰めてくると感嘆せざるを得ない。

 

「ハァ……ハァ……ボス部屋に……用があるんダ。一緒に連れてってくれないカ!?」

「お、おう……いいけどどうした?」

 

 「今日は正面から来たな!」とか、「ってか、たぶんそろそろボス戦始まるぞ?」といった言葉も発することができない勢いでアルゴは続ける。

 

「オレっちが教えたボス情報ミスっちまってたんダ! 真のボスは他にいタ!」

「えっ? 今さら!?」

 

 ミスもクソも、彼女とてβテスターのはず。情報はすでに持っているもので、あとはおさらいした内容を伝えただけだと思っていたのだが。

 当然、俺にとっても既知の存在のはず。

 

「マジかよ。今回はボスが《バラン・ザ・ジェネラルトーラス》で、その取り巻きが《ナト・ザ・カーネルトーラス》……だったよな。この情報すら違うのか?」

「違うんだなこれガ。……詳しいことは走って話すゾ!」

 

 少し置いてけぼりのネズハにも説明しながら、俺達3人は急ぎ足で迷宮区の頂上を目指した。

 そこで聞いたアルゴの「ボスが違う」という言葉が正しいとしたら大変なことになる。ここ数日間練っていた攻略隊の作戦も見直さなければならないだろう。

 もっとも、時すでに遅いが。

 

「クッソ、そういうのはもうちょい早く気づくもんだぜ!」

「だから急いでるだろウ! ほ、ホラ新しい敵だゾ! お前サンしかまともな戦力ないんだカラ!!」

「わあってるよ!! ネズハも後ろ下がれ!!」

 

 相変わらずな牛頭のムキムキ野蛮獣をザックリ斬り捨てる。

 「てか、こうなるのわかってたし誰か連れてこいよ!」という文句を飲み込み、一行は早足に迷宮区の踏破を開始した。

 しかし量産型といえど、さすがは次層への道を阻む最後の雑魚キャラだ。ノロマはありがたいが体力がやたら多い。こちらの頭数が少ないだけでなく、単発の高威力から2人を守らなければならない状況が進行の遅延を招いていた。

 悪い知らせはこれだけではない。

 

「なっ、なんかリポップ早くないですか!? 迷宮区っていつもこんな感じなんですかぁ!?」

「ちげーよ、ボス戦が始まってるんだ! するとこうなる! 部屋を出入りしてチマチマ削ろうっつー策を通さないためにな!!」

「なるほど……って感心してる場合じゃない〜!」

 

 粗悪な斧がネズハを掠めるが、間一髪で躱した彼とスイッチした俺がそのグリップごとモンスターを叩っ斬る。

 今のは少しヒヤリとした。異常な湧き方である。

 フロアボスはボス部屋を出ない。ゆえに、境界線を反復横跳びで完封される恐れがあった。

 その対策として出た答えがこれだ。ボス戦中は迷宮区内の湧出制限が緩和され、その場に留まるだけでも消耗するようになっている。

 単純な不利を強要されるだけではない。この対策は、先方の討伐隊が後から追いかけた集団による妨害を受けにくい効果もあるのだ。ましてや、妨害どころか横取りを画策する連中もいるので、逆になくすと平等性が失われる危険もある。

 いずれにしても、360度対応はできない。

 ネズハは戦い慣れていないようだったが、装備だけはしっかりしていたので俺は意を決した。

 

「うーし、ネズハ! 武器構えろ!」

「え……ええっ!? 僕も戦うんですか!?」

「いつかは守れなくなるんだ、練習だよ! 気ィそらすだけでいい!!」

「だからって、今じゃなくても……っ」

「ガタガタ抜かすなッ! だいたい、ここ上がったらボスと()ろうってンだろ!? タマ付いてんなら男見せろよ!!」

「う、うぅ〜……わかりました! とにかくっ、挟まれないようにはします!」

 

 返事を聞き、上出来だと返しておく。

 すでに目潰しと足止めにかかっているアルゴを補完する形だが、サポートが厚くなるだけでアタッカーはずいぶん動きやすい。

 現に行進がスムーズになった。ネズハは奥行きを感じ取りづらいハンデがあるらしいが、投擲武器なら直線上に的を置けば済む。時には俺のソードスキルに合わせて横槍を入れる余裕まで生まれたようである。

 態度こそぶっきらぼうでも、俺は内心高揚していた。ようやくエンジンがかかってきた感じだ。

 

「いい調子だ! なぁアルゴ、センスあるんじゃないかコイツ!」

「確かにナ! けど本番はここからだゾ! そろそろボスがいる最上階が近いんだカラ!」

「そういうワケだネズハ! 気張れよ!!」

「は、はい! 頑張ります!」

 

 叫びながらも手を動かす。

 モンスターをネズハの持つ《チャクラム》による遠距離攻撃。アルゴの《ハイディング》スキルと、オトリ作戦でのやり過ごし。

 俺自身ソロがメインだったからか、セリフ以上に集団戦の応用力には感嘆していた。

 そして見えてきた。迷宮区の最上階。

 道は二手に分かれているが、どちらから進んでも同じ場所にたどり着く。道の広さから、俺は右を選んだ。

 しかし、また計算外なことが連続して(・・・・)起きた。

 

「走れ走れェ! そこ曲がったらすぐボス部屋つくぜ!」

「や、やっと……って、うわぁああ!? 部屋の前が埋め尽くされてますよ!?」

「マズイぞジェイド! あの密度だと、オレっちでもさばき切れナイ! 逆走して左から回るヨ!!」

「クソ、時間ねェのに……っ!!」

 

 ワラワラと押し寄せる筋肉バカを前に、とうとうスルーできる状態ではなくなったのだ。

 部屋まで近いが道も狭い。第一、アルゴから情報を預かった俺さえ乗り込めば、当初の目的は果たされる。最上階からは2手に分かれて行動すべきだった。

 だが、アルゴに迂回を頼もうとした瞬間だった。

 反対側の通路にピンク色の水瓶(すいびょう)が転がっているのが見えたのだ。

 牛の角と耳をかたどったデザイン。取っ手が2つ。俺の記憶が正しければ、中身の牛系のオスモンスターのみを引き寄せる液体だったはず。

 モンスタードロップではない。とあるクエストの報酬でしか手に入らないからだ。誰かが落としたにしては不自然なタイミングだが、真実を確かめている時間もない。

 

「ちょい待て、通路の向こうにアイテムが捨てられてるの見えるか!?」

「アイテム……って、《雌牛のフェロモン剤》カ!? なんであんなところに落ちてるんダ!」

「何でもいいから割ってくれって! 飛びちりゃすぐ効果出るんだから!」

「オレっちだって《投剣》スキルは持ってないヨ!」

 

 「だぁもう使えねーなァ!!」と叫びそうになる直前……、

 

「割ります! 割ったら走って!」

 

 隣のちびっこが声を張り上げた。

 その音量に一瞬だけ目を見張る。聞き間違いかと疑ってしまった。おどおどするだけだった戦闘シロウトが、ここに来てようやく覚悟を据えたのだ。

 彼の唯一の武器、《チャクラム》が赤みの光を帯びてゆく。

 そして投擲。肩のひねりが乗った渾身の一閃は、牛頭の上を超え放物線を描くように横倒しの水瓶に向かった。

 

「当たれぇ!!」

 

 着弾。甲高いガラス音が響くと、その音ではなく、飛散した瓶の中身につられてモンスター集団が歩を止めた。

 《雌牛のフェロモン剤》。人には一切効果のないそれは、しかし道を開く切り札となった。

 

「ナイッス! 部屋に入ればこっちのもんよ!!」

 

 それは2人とも承知だったのだろう。ほとんど同時に床を駆ける。

 筋肉ダルマの障害物を超え、辿り着いたボス部屋の奥では……、

 

「げげぇっ! 何だアレ!?」

 

 まさに真ボスが暴れようとしていたのだ。

 βテストの時にエンカウントした2層のボス、《バラン・ザ・ジェネラルトーラス》より明らかにでかい。計り知れないほどの巨体がエリアを歩いていた。

 ミノタウロスの様なモンスターだ。頭のてっぺんは見えているのだが、もはやその図体は『7、8メートルぐらい』としか表現できない。

 俺の知識にすらないモンスター。

 その名も《アステリオス・ザ・トーラスキング》。この階層の真のフロアボス。

 討伐隊も戸惑っている。そしてその戸惑いが命取りだった。

 

『ヴォラァアアアアッ!!!!』

 

 落雷のような音とエフェクト。

 真ボスの咆哮……と同時に、その口から広範囲に渡り雷のようなブレスを吐いていた。

 ガガガガッ、と不可視の光線が炸裂。直撃を受けたプレイヤー達のHPが2割ほど削れる。

 減り方自体は緩やかだ。しかし、「今のブレスにそれほど大きなダメージはない」と判断したのもつかの間。討伐隊が次々とその場に崩れ落ちていた。

 何事かと目を凝らすと、あることが判明した。

 

「マジかよッ、ブレス1発で麻痺(パラライズ)だァ!?」

 

 ここのフロアのボス(だと思われていた)モンスター《バラン・ザ・ジェネラルトーラス》は、《ナミング》系の技を使うと思っていた。

 Numbingとは直訳で『麻痺する』という意味だが、実際1発目では行動不能(スタン)扱いで2~3秒動けなくなるだけである。それでも脅威ではあるが、本格的な《麻痺》は2発連続で受けた時だけだった。

 効果範囲の知れている攻撃で、冷静に対処していれば今さらプロ連中が《パラライズ》になることはないはず。

 という安全への下準備に関わらず、アステリオス王のブレス攻撃は広範囲に及ぶものであり、しかも即時麻痺。バランスブレイカーにもほどがある。

 視界の端に重なるように横たわるのはキリトとアスナだろうか。勘のいい彼らでさえ避けきれなかったのは、やはり混乱が波及していたからだろう。

 だが立ち惚ける俺と違い、アルゴはその俊敏さで他のプレイヤーの元へ、ネズハはチャクラムをボスが被る王冠めがけて投げつけていた。

 ネズハのそれは大した適応力で、投擲武器が吸い込まれるようにボスへ向かう。

 風を切る音。

 そして……、

 

「あ、たった……っ!!」

 

 バチンッ!! と、ネズハのチャクラムがアステリオス王のかぶる王冠に命中した。

 そしてアルゴの新情報「王冠への投剣が直撃すれば必ず行動遅延(ディレイ)する」というものがここで立証される。振り下ろす寸前だったハンマーが止まり、さらに中断されていたのだ。

 チャクラムは《投剣》スキルと《体術》スキルを獲得していないと装備できないが普通の投げ武器とは違う特徴を持つ。それが『投擲した武器が手元に戻ってくる』という無制限攻撃である。もっとも、階層が上がると同じ特徴を持つ《ブーメラン》なる武器を誰でも装備できてしまうが。

 

「にしてもチャンスだ。俺らがタゲを取る! 全員回復しろッ!」

 

 おそらくファーストアタックだったのだろう。ボスは攻撃対象をネズハに定めた。

 いい流れだ。体力ゲージが全快の俺とネズハでフィールドをいっぱいに使えばかなり稼げる。現に俺の声が聞こえたからか、討伐隊は回復に入っていた。

 遅れてきた俺にまで出番があるのなら、せめてそれだけでもきっちりとこなさなくては。

 

「ネズハ……俺らだけで2、3分は持たせるぞ」

「はい!」

 

 それから俺達は本当に2分以上を2人で耐えた。と言っても、本来序盤では趣味の範囲に位置する《投剣》スキルの熟練度を上げているプレイヤーは皆無なはずだった。

 しかしどうだろう。何の因果か、先ほど知り合ったシロウトがそのスキルを使いこなしている。

 投擲を活かし王冠への攻撃を延々とこなせたことで、遅延行為そのものはそれほど困難ではなかった。

 

「よくやった、2人とも! もう下がっていいぞ!」

 

 連中が回復すると、再び戦列が組み直され反撃が始まる。

 すでにアルゴがもたらした攻撃回避のタイミングは周知されており、攻略隊は攻撃を次々と躱していき、広範囲ブレスをネズハがディレイさせ、強攻撃をタイミングよく空振りさせる。終いには3パーティで一斉攻撃ときたものだ。

 ネズハの100%ディレイ攻撃で成り立つ必勝パターン。ただの繰り返しのように見えて、果てしなく緻密な動きである。

 あらゆる集中力を費やして、ついにアステリオス王はHPゲージを赤く染めた。

 

「E隊、後退準備! H隊、前進準備!」

 

 おそらくこれがラストアタックになるだろう。レイドに参加していない俺にもう出番はないが、キリト達H隊の勇姿を見届け、応援することはできる。

 

『ヴォラーーーーッ!!』

 

 一際大きく鳴くデカ物に臆さない2つの人影。

 ――まったく、目立ちたがりが。

 

「セイ……リャアアアアッ!」

「おおお……らあああああッ!」

 

 そしてキリトとアスナの剣がアステリオス王の王冠を完膚無きまでに打ち砕くのを俺ははっきり見た。

 ボスのHPバー最終段が、消える。

 第1層攻略から11日。第3層への道が開かれた瞬間だ。

 

 

 

 歓声はしばらく続いた。

 しかし、わずかの間に途絶えた。まるで1層踏破時を再現するかのように、フロアを重い空気が包み込む。

 しかもその理由は、俺が気散じて談笑にふけていたネズハにあった。

 彼は俺が睨んだ通り『強化詐欺』をはたらいていたのだ。鍛冶職人から一転、討伐隊へ参戦せんとするネズハは、その不自然な行動を突かれると隠そうともせず罪を打ち明け、頭を地面に擦るように土下座をしている。

 頭を下げるより他なかった。

 悪いのは詐欺に走った彼だが、俺は見ていられなかった。自分の犯した罪がそんなことで許されないことを、何より本人がよく理解しているからだ。

 そこへ追い打ちをかけるように、「こいつのせいで俺の友達は武器を失った! こいつが殺したんだッ!」と、討伐隊の誰かが悲痛な叫びをあげた。

 もしネズハに剣を騙し取られ、妥協した武器で戦わざるを得なくなり、それが原因でプレイヤーが命を落としたのであれば、やはりそれはネズハが人を殺したことになるのだろう。

 人が死んでいる。この罪を償う方法があるとすれば……、

 

「(だけど、それだけは……)」

 

 それが許されてしまっては、今後下される裁きの1つに『処刑』が追加されてしまうことになる。元を辿れば皆ゲーマー仲間。それだけはあって欲しくない……いや、あってはならないはずだ。

 少しの間だったとは言え、俺は彼と攻略を共にした。

 ボス戦会議やビジネスではない。あの日のキリトと同じ様に、俺はネズハと何でもない会話を楽しんだ。背中を預けあった。

 この世界で、いったい何人目だろうか。彼に最前線にずっといて欲しいわけではない。ただ生きて、また一緒に話して欲しいだけ。たったそれだけなのだ。

 だがキリトが、アスナが、エギルが、その他彼を直接罵倒しない人達が何も言えないということは、もう……。

 しかし頭でそう思ったその時、声が発せられた。

 

「つぐない続けるために、ここまで来たんだろう……!!」

 

 一瞬、誰の声かと思った。

 個人を指弾するための群衆のアーチから、自分だけ1歩乗り出していたことにさえ気づかなかった。

 

「死にに来たんじゃない。そうだろ?」

「ジェイド、さん……?」

「自分と……仲間に、反省させたいから……あんたは俺と戦った! 『今日で終わり』じゃないから、あんたは外周から飛び降りなかった!」

 

 2歩、3歩と近づく。やがて立ち止まり振り返ると、改めて討伐隊50人弱のプレッシャーを肌で感じた。

 全員が俺の発言に注目している。見定めるように傾聴している。少しだけ間が空くと、同じプレイヤーだろうか、「お前誰だよ!」「まさか、こいつの仲間じゃないのか!」といった野次も聞こえた。

 震え上がりそうだった。

 それでも、心の中で深呼吸をする。思いだけが募った。

 

「みんな聞いてくれ。剣の強化具合が死因のすべてか? 武器の強弱がわからなかったとでも? 仲間がいたなら、フォローもあったはず……」

「だからって無罪か、あァ!? だいたい、お前はそいつの何なんだよ!」

 

 今度は食いついてきた男の顔が見えた。

 あえて目を合わせ、続ける。

 

「……知り合って間もない仲だよ。つぐないはいると思う。……けど、俺聞いたんだ。こいつはもう《鍛冶》スキルを持ってない。『前の自分』を捨てたからだ。それでも責任を集中させるか!? 殺すことが最善か!?」

「くっ……」

「言い足りない奴がいるだろう! ……なぁ……いつまで俺に言わせるつもりだ」

 

 隣の人間に語りかけるような音量だった。それでも、ネズハを囲う集団の中に、伝えるべき本来の仲間達へは伝わった。

 5人の男性がゆっくりと歩み寄る。磨かれた高級そうな金属甲冑を擦り、うなだれたように。

 

「ごめんな……ごめんなネズオ……」

 

 そこにはネズハを囲むように5人のプレイヤーが立っていた。彼らもネズハのように装備を外し、全員が頭を下げる。

 彼らが誰であるかはもう言うまでもないだろう。

 

「ネズオ……ネズハは俺達の仲間です。ネズハに強化詐欺をやらせていたのは俺達です」

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 あれから1日。

 あの時、ギルド全員が謝ったからとはいえ、討伐隊全員の溜飲(りゅういん)が下がったわけではないのだろう。

 しかし彼らの自首は彼ら自身の命を繋ぐことになった。流石に攻略隊のメンバーも6人の人間が頭を下げる中で、なお誰かを殺したいわけでも、血に飢えているわけでもなかったからだ。

 その後、彼らの装備がコルに変換され、しばらく無償で攻略隊に労力を尽くす形で事件は片づいた。俺はあの後、件の『強化詐欺』についてその詳しい手口を《レジェンド・ブレイブス》のメンバーから直接聞くことになるが、それはここでは割愛しよう。

 アルゴにより発行された情報誌にも詳しい事情は省かれていた。

 被害に遭ったプレイヤーは前線の者達に留まり、それを流布することは手口の蔓延(まんえん)を招く恐れまであったからである。

 もっとも、記念すべき2層解放の号外に、そんな興の冷める情報を載せて気分の良くなる人間もいないだろう。

 だから、これだけは確かだ。

 彼らは……、

 

 

 

 

「おっ、ようネズハ! 今日時間あるか!?」

 

 街でクエスト進行作業の手伝いをするネズハを見つけた。

 

「あ、ジェイド! また面白い話を聞いたんだ!」

 

 ネズハは手を休めて俺に応えた。

 またいつでも話せる。

 彼らはまだ、生きている。

 



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第10話 友との別れ

 西暦2022年12月21日、浮遊城第3層。

 

 本格的に猿系モンスターが跋扈(ばっこ)しだした第3層へプレイヤーが出入りできるようになって、わずか1週間。なんと驚いたことに、たった1週間でプレイヤーはボス部屋までたどり着き、戦闘を行なっていた。

 隊列の前方では怒号と剣戟音が聞こえる。ローテの順番が回った小隊が声をかけあっているのだろう。

 とはいえ、危険なボス戦だというのに、俺は(いささ)か集中力を欠いた状態で討伐に加わっていた。

 

「(今度こそ……これが終わったら、カズんところ行こう……)」

 

 ふと、そんなよそ事を考えていたのだ。

 ルガトリオ。SAOアバターでのプレイヤーネーム。

 俺は現実世界の彼を知っている。同じ中学に通っていたのだから当然だが、だというのに俺は彼と行動を共にしていない。

 言い訳だけならいくつか浮かぶが、やはり見捨てたという事実は変わらない。

 相応の罪悪感は湧いている。だからこそ会って謝ろうとしているのだ。

 しかし、これは第1層ボス攻略の時から考えていたことだ。1層の攻略を終え、2層攻略を経て、さらに3層攻略間際にまで持ち越している。

 では4層までを無事攻略できたとして、この意志を維持できるだろうか。……とてもそうは思えない。むしろ、時間がたったことで彼と会う恐怖は募るばかりである。

 どうせまた明日やる、来週やる、いつかやる、と。そうなるに決まっている。

 

「だめだなぁ俺……」

「おいアンタ、ボサッとすんなッ!」

「ッ……!?」

 

 呆けているところに喝を入れられ、回想から目覚めた。

 しかしそれでは遅すぎた。

 目の前に3メートルにも及ぶ毛むくじゃらの、もはやビックフットのような「猿じゃねぇだろこれ……」なボスがゴウッ!! と着地する瞬間を見たのだ。

 

「うわっぅ、うわらァ!!」

 

 咄嗟(とっさ)の危機に叫び、ビビってはいけないと思い直し、両手剣を振りながらもう1度叫び直す。するとそこにはへっぴり腰で剣を空振りさせ、奇声を発するキモい物体が誕生した。

 しかもそのボス《モンキー・ザ・バーサークブレイン》は眼中にない、と言わんばかりに再びジャンプして遠くに行ってしまう。そのせいか、周りの連中から「何やってんの、アレ」とか「あいつホントに前線プレイヤーか?」といった嘲笑を浴びる羽目になってしまった。

 非常に恥ずかしい上に、正直言うとこれは非常にまずい。

 俺は純ソロ状態を脱するために、攻略中にいいところを見せて、声をかけて貰うなりオファーを貰うなりしなければならないのだ。今すぐ挽回せねば。

 そして俺は声のボリュームを上げてその前段階を始めるために、まずはその身に纏う空気を変えた。

 

「いいぜ、クソザル。上等だ。身の程ってもんを……」

 

 俺は真顔になると剣を、その先が地面にすれる直前まで右下で構えて腰を落とす。そしてダッシュ準備が整うと足をバネのように延ばし一喝。

 

「知りゃしぇ!」

 

 噛んだ。大事なところで噛んだ。

 ――うぅわ、う~わ恥ずかし。みんな見てるよ。でも俺もう走ってるよ。噛みながら走り出したよ。ギャグやってんじゃねぇんだぞコラ。

 

「~~ッ~!!」

 

 だがやってしまったものは仕方がない。そのまま顔を真っ赤にして歯を食いしばる俺は、それでも注意深く瞠目(どうもく)した。

 明らかに今のボス用に作られたのだろうゴチャゴチャしたフロアの中でも冷静に確認すると、今のボスと俺の位置は得意のソードスキルをブチ込むにはもってこいだということも確認する。

 距離があることから助走も十分得られた。そして俺はそのままダンッ! と左足で地を蹴ると、何かの配線に片手でぶら下がるバーサークブレインに向けて剣を大上段で構えた。

 さらに剣身はその色を赤へ。

 

「レヴォルドパクトォオオ!」

 

 1層でも使った例の空中回転隙だらけ斬撃を、わざわざ技名を叫びながら使用する。

 しかしボスは器用だった。回転する俺の足をむんずと掴み、ポーイと投げ捨てたのだ。

 投げられた俺は3秒後に落下。「ぐへっ」と出てから、四つん這いのまま何度か咳き込んでしまった。

 味方連中の中心に倒れる俺と、それを見下ろすプレイヤー。

 しばしそんなシュールな光景が広がるが、今回も同情でパーティに入れてくれたキリトやアスナも流石に俺の独断先行自滅ギャグについては援護をくれなかった。

 やがて、こいつだけはギルドに入れたくない、と。そんな声まで聞こえてきた。

 

「(ああ……しばらくソロだなこりゃ……)」

 

 悲しいほど独りの道のりを悟ってから、15分でボスは狩られることになる。

 行動解析に手間を取らせるのが強みだが、逆に言えば解析さえ済めば紙装甲の1層のフロアボス(コボルドロード)とも言える。取り巻きも湧出しなかったため、むしろフロアボスとしては歴代で1番戦いやすかったかもしれない。

 だが結果から見ると、俺はボス戦にあまり貢献(こうけん)してなかったと言わざるを得ない。少しはダメージを与えていたが、俺のなかでの『格好いい活躍』にはまったく達していないのだ。

 

「う……やべぇよ俺。10層までしか知らねぇんだぞ……」

 

 つい小声でそうぼやいてしまった。

 10層。βテスターがゲーム開始時から持つ情報アドバンテージ。俺が仲間を増やすことのできる限界地点はここだ。ここまでに友人1人や2人は作っておかないと本当に、冗談抜きにマズいことになる。

 ルガトリオを除いた『知り合い』と言えばキリトやネズハがいるが、どうも後者はすでに合流を諦めているきらいがある。黒剣士にも女が1人付きまとっているため、一緒に行動する未来予想図が浮かばない。

 しかし、1人で攻略は駄目だ。痛感した。精神的に辛いことを。

 

「(うぅ……俺クリアするまで友達増えねぇのかなぁ……)」

 

 往還階段を登り切った俺は、心の中でほんの少しだけ半泣きしながら、第4層のアクティベートが完了するのを見守る。これが済むと俺達は4層のフィールドを駆け巡れるわけだ。

 ちなみに、各層に備えられている《転移門》から次の層の《転移門》へ討伐隊以外のプレイヤーが出入りできるようになるのは、『ボス討伐から2時間後』ジャストである。

 と、そんなことを考えている間に作業も終わる。

 現在12月21日。14日に3層に到達したことを考えると、経過した時間はわずか1週間。

 

「(1ヶ月で1層を攻略したことを考えると相当なペースだ。……つってもまあ、たんまり経験値稼いだ後はそんなもんか)」

 

 俺は列なす討伐隊の後ろに金魚の糞のように続きながら、そんな考えを巡らせていた。

 クローズドβテストの時も初めての挑戦、かつ参加者千人しかいなかったにも関わらず、プレイヤーはテスト開始から1ヶ月で10層まで進めたのだ。

 もっとも、あの頃はボス攻略の際の壊滅(ワイプ)に死のリスクが無く、無謀な挑戦と盛んな渉猟(しょうりょう)が積極的に成されていたので、現状との比較にあまり意味はないが。

 しかし時間をかけた分、前線プレイヤーはしっかりとしたレベル上げをしてきたのも確かな事実。控え目に見て安全マージンをきちんと考えた上でも、やはり6、7層ぐらいまではあっという間に攻略されるかも知れない。

 

「(ま、とにもかくにもフロアボス倒した報酬だ。手に入れたこの2時間でさっさと主街区回るか……)」

 

 ここでも早速ベータの時の情報が役に立つわけだが、ある特定のクエストを受けてその報酬をいくつか揃えることで、この次の層で両手剣を強力な物にグレードアップすることができるのだ。

 次層の知識があるというのはやはり大きい。しかし、だからこそ他のライバルが集まる前にさっさとクエストを済ませなければならない。

 俺は周りに人がいないことを確認して、目的のNPCに早口で話しかけるのだった。

 

 

 

 しばらくクエストを淡々とこなしていった。無事に3回クエストを終えると、規定のアイテム量をゲットできたことで俺はホクホクしながら再び主街区転移門広場に来ていた。

 事件が起きたのはその時だ。

 いや、来るべき時が来た、と表現するべきかもしれない。

 いくら人数が多いとは言え、この最前線はたかだか4層。アクティベート直後に最新主街区見たさに転移門をくぐるプレイヤーは多いはず。誰しも真新しい街を見て回りたいに決まっているからだ。

 本能で人が集まる場所へ足を運んだ俺の思考回路からはそんなことも投げ出されていたが、しかし後悔してももう遅い。そもそも本来、『後悔』などしてはならないはずなのだ。

 そして、ついに俺達は出会った。

 

「あ……!」

「か、カズ……っ!?」

 

 自分の目を疑った。

 彼のアバターがあまりに似ていたから、ではない。心の準備の問題である。

 あいつが、和義(かずよし)が目の前にいる。俺より15センチほど背が低く、アバターのカスタマイズなのか、ほんの少し髪を茶に染めていたが、間違いなく本人だ。

 防具は地味な濃緑色の革製。軽装なのは技術系(たの)みではなく、腰の棍棒を見るに意外にもスピードアタッカーだろうか。だとしたら、確実に個人行動のビルドではない。

 いや、そんなことを分析している場合か。再び相見えたからには、俺は何をしないといけなかったか。

 そうだ、謝らなければならない。

 謝って許されることではないのかもしれないが、それでも俺は1ヶ月半も故意に逃げ続けていたのだ。薄情極まる俺が、リスクの果てに放逐(ほうちく)してしまった友人から。

 だか、こんなところで何と言って懺悔すればいいのか。

 終わりのない葛藤が頭の中でぐるぐると回っていると、耐えきれなくなったのか、考えが纏まる前に口が強制的に動いてしまった。

 

「ハ、ハハ。カズか……(なつ)いな。……ああ、その……ワリ。混乱してて、なんつったらいいか……」

 

 そこから先が出てこない。どころか、恐ろしいことに頭の中では言い訳に走ろうとさえしていた。

 セリフがぐちゃぐちゃに混ざっては言葉として紡ぐことを阻み、最終的には何も言えなくなる。直面した現実に覚悟がまるで追いついていないのだ。

 しかし俺が言い(よど)んでいると、そこに2人のプレイヤーが近づいてきた。

 

「ルガァ、どしたぁ? ……ん、誰ぇこの人ぉ?」

 

 間延びする特徴的な喋り方で近づいてきた頬にそばかすのある男は、カズとほとんど背の変わらないプレイヤーだった。腰に収まる短剣から想像するに《短剣(ダガー)》使いだろう。顔は幼く背も低いが、年のほどはおそらく16から17。カズにタメ口というとは17歳の線が強い。

 そしてもう1人はでかかった。俺と同じかそれ以上の身長だ。ただ、俺と違って体はがっちりとしていて、それに伴い背負う(ランス)も様になっている。しかし残念なことに顔がよろしくないほど濃い。本人にはそのつもりはないだろうが、こう、怖いのだ。デフォルトで人を威圧しているイメージだろうか。

 しかしそんな細かいところを確認する前に、俺はまず戸惑いと共に疑問を持った。

 カズの周りを彷徨(うろつ)くこいつらはいったい誰なのかと。

 

「え……と……?」

 

 俺が口ごもっていると今度はランサーの大男が口を開いた。

 しかし、「あの~。どちら様でしょうか?」と前置くその声調はギャップが酷かった。

 攻撃武器の他に盾を装備するこのランサーも俺と同じく筋力値を重点的に上げているはずだが、この声からはそんな力強さが微塵も感じられない。非常に音質の高いソプラノのような声が聞こえてきた。

 

「あ、ああこれはその……友達だよ。僕の!」

 

 そこへルガトリオことカズがフォローのために状況説明をする。

 

「えぇ~ルガのぉ? ルガ友達いたんだぁ」

「あっ、それ酷い!」

 

 こんなやりとりで笑い合う3人を俺は呆然と眺めていた。そしてある事実を悟らざるを得なかった。

 俺はゆっくりと3人の顔を見渡し、最後にルガトリオを見る。今は和義本人となっているその顔を。

 2年前と本当に変わらない。立ち方、話し方、雰囲気。それら全てが中学3年の時を彷彿とさせる。

 学年で屈指のゲーマーだったカズは当時から数々のゲームを(たしな)んでいて、小さな格闘ゲーム大会で見事優勝を果たしていたのも記憶に新しい。

 そんな彼がSAOを手に入れると、自分の知る限りの友人へ片っ端から電話をかけたらしい。俺にもその電話がやってきて、俺が入手したことを伝えた時はすごく喜んでいた。オンラインにログインした時はまた一緒に遊ぼう、とも言ってくれたのだ。

 高校に上がる際に大分から千葉へ引っ越してきた俺は、もう誰とも連絡を取っていなかったが、カズの声を聞いた時は久しぶりに胸が躍ったものだ。それは本心である。

 そして勉強を疎かにし、英語のスペルを読み慣れていない俺は決して『Lugatrio』という文字を見てこの男をカズだと思ったわけではない。

 だが、あの頃から比べ変わったことは1つある。

 

「ハハハ……ああ……。ジェイド? ほ、ほらここじゃリアルの話は御法度でしょう? だからさ、僕のこともルガって呼んでよ」

「そうそう。それにぃせっかくの縁なんだしぃ、僕達のギルドと合流するっていうのはぁ?」

「あっそれいいねっ。ジェイドもいいよね?」

「…………」

 

 変わったこと。それは『カズの隣を歩く者』だ。それはすでに……俺ではない。

 カズは無垢にも「ジェイド……?」と首をかしげていた。人を疑うことが嫌いなこいつのことだ。まさか俺が元テスターだとは考えていないのだろう。電話でもその事実を伏せていた。

 そしてその人懐っこさが、ひいては生きようと頑張った結果が、今のこの2人を引き寄せている。

 

「あの~。ちょっといいですか」

 

 大男が俺を訝しむ様に2人の声を遮る。声調に少しだけトゲトゲしいものが混じっていたことを考えると、きっと彼だけは気づいたのだろう。

 

「きみ、仲間は?」

 

 決定的な疑問が言葉となって投げかけられた。2人もそう言えば、というように辺りを見渡す。そしてカズも、今さらながら自分がデスゲーム開始直後から一言たりとも声をかけられなかったもう1つの理由について考えている。

 声の高い大男は少しだけ頭の巡りがいいのか、早々に疑問を持ったわけだ。友達を置いてこいつは何をやっていたのだ、と。

 もう隠し通せない。いや、隠そうと考えること自体が冒涜である。

 だとしたら、俺は……

 

「ジェイド……?」

「……す、まん。ルガ……俺は」

 

 わずかに言いよどみ。

 

「俺は、前線組で……ず、ずっとソロだった……」

 

 かろうじてそんな言葉だけが俺の喉を通った。次いで、カズの目が信じられないといった風に見開かれた。彼のことだ。「信じたくなかった」のだろう。

 4層まで前線を走り、羽振りのいい武器と防具を揃え、そして未だにソロ。これは最早そいつが『βテスター』だったと公言しているに等しい。

 《クローズド・βテスト》の知識がなければ、前線のソロプレイヤーというスタイルは成り立たないのだから。

 

「そ、それ……本当なの? じゃあ、僕はあの時……見捨てられた、っていうこと……?」

 

 本来は懐かしいはずの一人称。しかしその弱々しい顔と仕草からは、罪悪感しか襲ってこなかった。懐かしさなど、ない。

 俺はまたしても都合のいい言い訳を考えてしまった。それを言いたくなる。嫌われないためにも、その『1人でいる理由』をカズに提示したくなる。

 発言しかけた俺は1歩前に出るが、両脇の2人がその進路を阻むように俺達の間に入ってきた。

 そして彼らの目からはもう友好的なものは感じられない。

 

「あの~。わかってると思うけど、オレ達を見捨てたテスターを、ギルドに入れるわけにはいかないよ?」

「恨みはないけどぉ、わかってよねぇ」

「く……こんの……ッ」

 

 だが俺も、彼らのカズを一方的に庇うような行動に対し、頭に血が上るのを自覚せずにはいられなかった。

 こいつはカズの何を知っている? そう、何も知らないのだ。それこそ、こいつらはカズの名前すら知らない。だのに、知った被ったように友達面をして。何様のつもりだろうか。カズは俺の……、

 

 ――俺の、何だ?

 

「ッ……くっ……俺の……」

 

 そうだ、俺が見捨てた人間だ。見捨てた友達だ。何のことはない、俺がこの状況を作り出していた。

 

「……ルガぁ。もう行こう……」

「ッ! あっま、待ってくれッ。まだっ……」

 

 カズに向けて伸ばされた俺の手はしかし、間違いなく彼自身によって躱された。とうとうカズが俺の手を拒んだのだ。それでも彼は俺への攻撃を止めずに、なおも突き刺さる言葉を浴びせ続けた。

 

「よくわかったよ。ジェイドは……僕を置き去りにしたんだね? ……ずっと……パニックから立ち直るのが早くて……色んなプレイヤーと協力して生き延びようと必死だって思っていたのに。こんなの、ないよ……」

 

 それは恐怖する者の目だった。カズが、俺を恐怖の対象として捉えたのだ。

 立ちすくむ俺を横目で見ながら大男が話す。

 

「もういいですよね……? ……はぁ、まあルガの友達なら仕方ないです。オレはロムライルっていいます。こっちのダガー使いがジェミル」

「ちょっ、ロムゥ」

「最低限のマナーだ。……それでジェイドさん、でした? もう話すことはないかもしれませんが、どうぞよろしく。では、オレ達はこれで失礼します」

 

 似合わない高い声でそれだけ言うと、3人は4層主街区《ロービア》にいる人混みの中へ消えていった。

 後には俺だけが残された。

 

「う……あ、ぅ……」

 

 俺の心の中で幾度も反芻(はんすう)されるのは、最後に吐いた別れの言葉などではない。彼らのプレイヤーネームもどうだっていい。俺の中にあるのは、カズの声だ。

 ――違うんだカズ。

 ――他に手段がなかった。

 ――俺だって、必死だった!

 聞こえのいい、都合のいい言い訳ばかりが脳内で反響した。こんな浅ましい声は彼らには届かないだろう。

 俺には、あるいはビギナーを見捨てた全てのテスターには、もうソロでしか生きられないのかも知れない。

 

「……カズ……」

 

 俺は何時間もその場で立ちつくしていた。

 視線は空虚を漂う。行き交う人々は不審者を見るよう目線を遠慮もなく浴びせ続けた。

 俺に生まれた感情は、ただただ虚しい、そして悲しい喪失感だけだった。

 

 



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第11話 勝利と敗北(前編)

 西暦2023年1月1日、浮遊城第4層。

 

 とうとうゲーム内で年を明けた。防具の上に防御力の設定されていないファー付きコートを羽織り、いっときの思案に暮れる。

 しかし、年末年始の忙しさはゲームでも変わらない。約10日前の3層ボス攻略、先週25日にあった『クリスマスモンスター・エクセルイベント』に続き、今度は『ニューイヤー・イベントボス』、さらに第4層フロアボスなど大規模戦闘が控えているからである。

 ちなみに一口に『ボス』と言っても、その種類は4つに大別される。

 1つ目はクエストボス。

 主に街や村でNPCなどに話しかけると発生する。クエスト全てがボス戦をするわけではないが、どういうシステムなのか、クエスト自体は無数に増え続けている。よってこのカテゴリのボスも今後数を増やすだろう。

 2つ目はフィールドボス。

 各層に数体ずつ配置されているもので、迷宮区への入り口など、重要な通路を塞ぐ役目を負う。フィールドや迷宮区の各地を動き回る徘徊型も確認されている。これ自体がクエストのボスに設定されることもあり、種によっては再湧出(リポップ)する。

 3つ目はイベントボス。

 正月、ハロウィン、クリスマスなど、リアル世界のイベントになぞられて発生することが多い。

 その特徴から、イベントの起こるタイミングがプレイヤーのレベルと比較して適正でない場合もある。例えば来年の今頃、わざわざ4層にまで降りて旨みの薄まった『クリスマスモンスター・エクセルイベント』クエストを受注したりはしないだろう。

 各層で同時多発的に発生するが、プレイヤーは実力に合わないクエストは受けられない。ゆえに数は極端に少なく、単純な量で見ると最も貴重なボスと言える。

 4つ目はフロアボス。

 最も有名で最も高い戦闘能力を持ったボス。確定で100体存在し、100体目の討伐はすなわちこのゲームのクリアを意味する。プレイヤーの最終目標を、今さら事細かに明記する必要はないだろう。ある意味『デスゲーム』というイベントクリアのキーモンスターである。

 

「う~ん……」

 

 そして俺はいま、選択を迫られていた。貴重なイベントボスへ挑むか、強力なフロアボスへ挑むか。時間的に両方という選択肢はない。

 腐っても俺は攻略組であり、普通に考えればフロアボスのサポートに行くべきである。しかし強制されるものではない。低層フロアで何もしていない連中に参加を強制しなければ、平等とは言えないだろう。

 

「(よし、せっかくだ。イベントボスへ挑もう)」

 

 10日前、旧友だった奴からこの手を拒まれて以来、俺はもうソロの道を決めている。友達なんて足枷さ。

 それに4層ボスはすでにβテストの時に記憶しているが、未だ見たことのないイベントボスへの期待もある。かなりのハイペースで4層まで上がり、その迷宮区までほとんどをマッピングしている前線プレイヤーを見るに、おそらく4層ボスも難なく倒すだろう。

 現に第1層以来ボス戦での死者は出ていない。

 当時と比べるとボス討伐メンバーは各層数人ずつ入れ替わっているが、俺にもその順番が回ってきただけだ。今となっては皆勤賞なプレイヤーの方が珍しい。

 

「(にしても……マジで死人さえ出なきゃ、7層か8層ぐらいまではこのまま行くなこりゃ)」

 

 やはりスタートダッシュが遅すぎただけらしい。

 友達のいない俺は、気兼ねなく悲しく1人で延々とレベリングしてきたせいか、早くもレベルを18にまで上げている。フロアボス戦に参加することは訳なかったが、時代が俺に追いついてから手伝ってやることにした。

 

「(へんだっ、くやしかったら俺無しで階層上がってみろってんだ。……ん~しかし、例のイベントはこんなところでやるのか。案外サップーケーだな)」 

 

 てくてく薄氷(うすらい)を踏み抜くこと数分。ゴール地点とおぼしきエリアに到着した。

 薄く雪が積もる枯れた木々。段差と柵のないボクシングリングといったところか。そして同時に、吹き抜けの風がとことん冷たい。しかも、リングと言っても不自然に森林が切り開かれている円形広場で、ポストの替わりには申し訳程度に誘蛾灯(ゆうがとう)が薄く光っているだけ。

 そしてフィールドの一角には、ウワサを聞きつけたプレイヤーが数人の群れを為して点々とたむろしていた。その数、ざっと30人はくだらない。

 

「(お〜お〜、お早いこった)」

 

 今は午後7時45分。情報通りならあと15分だろうか。暇が後押ししたとはいえ、少々早く着きすぎてしまった。

 そうして近くの石段に腰を下ろすと、1月の寒さを再現した4層のフィールドを毒づきながらイベント開始の時を待つ。

 しかし意外なことに、俺はここで声をかけられた。

 

「あ~のさ、《ニューイヤー・イベントボス》ってのはここであってる?」

「あン……?」

 

 座ったまま見上げると、そこには趣味の悪い赤いバンダナをした、《海賊刀(カトラス)》使いと思しきおっさん顔の男が立っていた。安い装備にちびちびと生えた無精髭を見るに、どうも海賊が本業にも見えてしまうが。

 それにしても隣に座り込む勢いで接近してきたが距離が近い。馴れ馴れしい。人には『パーソナルスペース』というものがあることを知らないのか。トイレに立つ時に便器の間隔を空けるのも、それは理性ではなく本能がはたらいているからだ。男性諸君なら意味は通じるだろう。

 そもそも周囲を見渡せば一目瞭然。別に無視しても良かったが、俺は何の気なしに答えてやることにした。

 

「ああ……合ってる」

「そっか、今日はたまたま1人で狩りに来てるのか?」

「ん、あ~まァ……そう、だな……」

「へぇ~つってもまあ、一応正月だからな。それぞれ予定ぐらいあるか。とりあえずサンキュー」

 

 とっさにソロであることを隠してしまう。俺の嘘に気付いた様子もなく、それだけ言うとその男はギルドらしきメンバーのいるところへ小走りで戻っていった。

 それにしてもギルド持ちとは大層なことだ。あまりにも無縁だったことから忘れていたが、3層のとあるクエストをこなせばプレイヤーはギルドを持つことができる。つまり、あの男はそれでギルドを立ち上げたのだろう。そしてその数およそ7人……おそらくこれで攻略メンバーが40人を突破したことになる。

 

「(数が増えると、ドロップ品が貰いにくくなるってのに)」

 

 心の中で悪態をつきながら、その奥では実に10日ぶりとなる会話に喜んでいる自分を感じてしまう。これが無限にすら思えた心の空白を埋める何かだろうか。

 

「(え、えぇいっ。喜んでない、喜んでないぞ! さびしくなんて……でも、また話し方忘れちまいそうだな……)」

 

 卑下しながらそこまで考えていると、しばらくして俺の《索敵》スキルが反応するのを感じた。

 いよいよというわけだ。

 外の情報を意図的に遮断すると、俺も意識を戦闘用のそれに切り替える。

 最前線とイベントが重なるこのタイミングにおいて味方の質は少し落ちるが、40人もいるのだからイベントボスぐらいなら何とかなるだろう。

 だとしても俺は、ただ相手を倒すだけが目的でここに集まったわけではない。

 

「(ラストアタックだ。アレは俺が決める)」

 

 欲求丸出しの俺はイベントなど元々楽しむ気などなく、「イベントなんて……、リア充共の……」などとブツブツ言いながらボス出現予想ポイントで待機する。そしてプレイヤーがぞろぞろ集まる中、その中心地点が激しく発光し、そこにウサギを連想させるまったく可愛くない生き物がポップされるのを見た。

 その姿に俺は目を見張る。

 基本的なフォルムはウサギのものだが体長はゆうに3メートルを越えていて、白兎の赤い目は人のそれと近い高さに存在している。逞しい四肢は人の胴ほどあり、兎型にも関わらずその身に纏うオーラはすでに猛禽類(もうきんるい)のものだった。

 しかしこれらの見た目は、情報屋アルゴができる限り活字にして有料配布しているため、ある程度は予想できていたことでもある。

 ――アルゴいい仕事してるな。

 

「(そっか、そういや今年は兎年か……)」

 

 令和5年、卯年。などとどうでもいいことを考えていると、ギョロギョロと気持ち悪く動くボスの目に焦点が宿った。

 

『キエエエェェエエエエッ』

 

 耳をつんざくような声を上げると、ボスのHPバーが4段で表示され名前も判明する。

 ボス、《ザ・ヒートヘイズ・ラビット》。定冠詞があることからボスであることは確定なのだが、英語の意味はわからない。しかし、日本人であることと日本から出る気がないことを踏まえて、中学生レベルの英語すら話せないことについてはこの際無視する。

 そんなことよりも今はボス戦だ。

 

「(やる。俺ならやれる……)……うらァッ!!」

 

 存外チキンが多いのか、討伐集団の中で1番最初に動いたのが俺だった。

 あるいは他の人間は、おそらく初PoPで情報のないその行動パターンを、先駆者を利用して解析しようという腹だろう。それに気づいた俺の脳はしかし、勢いに任せて筋肉に運動を強要し、両手剣を抜刀するやいなや気合いと共に化け物兎に斬りかかる。

 愛剣《ライノソード》を薄水色に輝かせた。片手剣の頃から使えた初級単発斜め斬り《スラント》と同型技で、その名を《ヘビー・スラント》とする重量級武器のみが操る攻撃。

 しかし全長すら2メートルを超えるその白い体に、俺の剣は掠りもしなかった。ブオンッ、と風をまき散らしながらヘイズラビットが跳び上がったからだ。しかもどう見ても10メートル以上跳んで……いや、もはや『飛んで』いる。

 

「(うおっ、マジか。2層の真ボス飛び越えてっぞ……)」

 

 過剰回避しすぎだろう、と内心突っ込んでいたが、着地地点を見る限りだとその言葉は撤回しなければならなくなった。

 なぜなら盛大な土煙が晴れると、その4足にプレイヤーが下敷きになっていたからだ。

 自身の重量を利用した高所からの押し潰し。なるほど、間抜けな顔をして案外考えて動いているということか。ただの回避ではなく攻撃手段の一種というわけだ。

 

「上等だぁ!」

「こっちはギルドだ、数で押せぇ!」

 

 そこへ先ほどの赤バンダナの集団が斬りかかりに行った。

 しかし4足系モンスターは軒並み足が速い。相手はその特徴を遺憾なく発揮し、仮想戦闘フィールドを縦横無尽に駆け巡る。しかもちゃっかり攻撃はしてきているようで、今も右足で1人、後ろ足で1人が吹っ飛ばされている。

 そこで俺に、ある疑問が浮かんだ。

 

「(……後ろ足攻撃だと? 今見てたか!?)」

 

 視線を合わせないミスディレクション。そんなことが、モンスターに可能なのだろうか。

 本来『目』を持つ者が、視界に入らない敵を攻撃することはない。プレイヤーも同様の条件だが、敵も目を保有する構造上、その視野に映ったものしか位置を把握できないはずなのだ。

 

「(どうなってる……いや、あれか!?)」

 

 しかし見間違いを疑う前に答えを見つけた。ヘイズラビットの耳が動いていることに気づいたのだ。

 合点がいった。つまりこいつは、同時に耳でもプレイヤーの位置を把握していたというわけである。

 どでかい耳は戦闘の邪魔になるとばかり思っていたが、飾りではなかったようだ。少なくとも大まかな方角と距離なら掴めるらしい。種類までは判別できないだろうが、それは基本的に関係ないだろう。ボスにとって近づくものはすべて敵だ。

 だがそうなると厄介になる。

 不意打ちの成功率は大幅に下がるだろうし、何より俺が得意とするシステム外スキルの1つ、《見切り》が非常に機能し辛い。となれば、誰かに攻撃させて着地時のディレイを誘い、常に反撃を警戒しながら狙うしかない。

 そこまで考えると、いきなりそのチャンスが訪れた。

 赤バンダナ達とは別の4、5人集団が斬りかかり、それをジャンプで回避した兎の予測着地地点が俺の目の前だったのだ。

 ソードスキルには《クーリング》と呼ばれる言わば『冷却期間』が存在する。実際に剣や盾が熱を持つわけではないが、冷却中はそのソードスキルがロックされてしまうのだ。大技の無限使用を防止するためにもこれはシステム的に回避しようがない。しかし単発攻撃だった《ヘビー・スラント》のクーリングタイムは短く、すでにいつでも発動できる状態にある。

 やれる。そう確信した。

 集団からのボスへの攻撃は、未だに重さの乗らないへっぴり腰での剣が掠っているだけだ。最初に強ヒットを叩き込んでやる、と意気込んで腹に力を込める。

 そして訪れるヘイズラビットの着地と硬直時間による隙。

 

「れあァッ!」

 

 耳が小刻みに振動したことで、あらかじめ予想していた後ろ蹴りをスレスレで回避した俺は、再び《ヘビー・スラント》を発動。薄水色のライトエフェクトを纏った両手剣が間違いなくその胴に振り下ろされ……そして、ボスの体を手応えなく透過した。

 

「なにッ!?」

 

 驚愕に目を見開いていると、振り向いた化け兎が前脚で俺を蹴り飛ばす。

 段取りは踏まえたはずだがまだ足りないらしい。きりもむように飛ばされつつも、頭は自動的に原因を探っていた。

 何らかのバグ、なんて思考放棄に(ゆだ)ねるつもりはないが、ヒット直前にわずかに揺らぎのような現象は起きていた。テクスチャずれではなく、人の視野に介入する一種の技と見るべきか。

 

「ガッ……くっそ。どうなってんだ?」

「あなた! ちょっといい!?」

 

 そこへ、思考を邪魔するように横から女の声がかかってきた。

 苛立たしげに振り向いた俺は、そのスレンダーな黒髪女の姿を見て驚きを(あら)わにする。

 眼前にいたのはあの時、2層主街区で俺に説教した女だったのだ。汎用のバックラーシールド、真っすぐな(にび)色の片手剣を左手に持ち、男装をしているかのような軽甲冑の金属装備。かわい……じゃなくて、憎き偽善者。

 見間違えるはずがない。そもそもこのイベントに参加していたとは。視線が下がるのはクセのようなものだったが、せめて知人が混じっていないか確認しないのは迂闊(うかつ)だった。

 しかし怒気も強く「何の用だ」と言葉を発するより早く、女が話し出した。

 

「……なにか顔についてる?」

「ち、ちげーよ。そっちこそ、セッキョーの続きかァ!?」

「違うって。情報が欲しいの。あなた、後ろ足の攻撃をどうやって予測したの?」

「…………」

 

 どういった経緯(いきさつ)で俺に話しかけてきたのか、あるいは心境の変化があったのかは知らない。

 1つだけ浮かんだことは、せっかく手に入れた情報を安々と教えてやるもんか、という対抗意識だけだった。

 これはダメージをくらってでも掴み取ったものだ。タダで教えろ、なんてよく言えたものである。あの会話を経て、俺が親切に教えるとでも思っているのだろうか。美貌にもの言わせるにも程がある。

 なんて数瞬の思考を、彼女は打ち破るように制した。

 

「ボスの体を剣がすり抜けた理由、わかった気がしたの。タダじゃないわ……交換よ、どう?」

「な……に……?」

 

 これについてはしばしの黙考を余儀なくされる。されど、女1人に情報が渡るだけで透過能力の理由がわかるのなら儲けものだ。

 

「い……いだろう。けど、そっちが先だ」

 

 ガキのような返答になってしまったが、俺は条件を出してこれに応じた。

 前回のいざこざは今だけは忘れることにする。

 

「信じるわ。……まずボスの名前、『heat haze』。これ陽炎(かげろう)って意味なの。透過技を見るまで関係ないと思っていたけど、たぶん自身を実体のない状態にできるんだと思う。でも、やっぱり無敵じゃないわ。クーリングタイムはわからないけど……見たところ効果は約2秒。こんな低層でのソードスキルでは2秒もあれば終わっちゃうから、攻撃を通すなら2撃目以上じゃないとダメってことになるわね」

「…………」

 

 その情報に、知らず俺は歯がしみしていた。

 なぜなら、この女が手に入れた情報が俺よりはるかに細かく、かつ超重要だったことにプライドを傷つけられたからだ。

 そして決定的だったものは情報の後半部分。解釈に違いがなければ、この女は《スイッチ》が必要だと言っている。当然1人で《スイッチ》をする事はできない。しかもこれらの情報を照らし合わせると、ボスに纏まったダメージを通すなら以下の条件がいる。

 1つ、集団で囲い、回避をジャンプに限定させる。

 2つ、ジャンプ後、着地してディレイしたところを狙う。ただし全方位へ反撃される可能性を常に考慮して。

 3つ、初撃で透過技を使用させ、《スイッチ》で本命の2撃目以上を叩き出す。

 

 手順の質はともかく、量から考えてどうみてもソロでは無理だ。

 大集団で緻密な作戦を練り、統制された動きで攻撃していくしかない。そう、集団戦闘の代表である『フロアボス』を討伐するように。

 

「(くっそ。マジかよ……)」

「今度はあなたの番よ」

「……チッ、耳だよ。音聞いてんだあいつ。いくら背後をとっても、雪踏む音でこっちの位置はバレてるってことだ。非金属装備ならワンチャンあるが、まあ……俺とあんたの装備じゃ不意打ちは通用しないとタカをくくって戦うしかねェな。爆音で聴覚をかく乱するっていう手もあるけど……」

 

 催促されるがままに答えたが、女も同じ結論に至ったのか動揺しているのが見て取れた。

 すでに我欲のために個別で相手取れるレベルではない。討伐はやめるべきなのかもしれない。もちろん、バカ正直に伝えてもこの場にいるプレイヤーに勝手な主張は通じない。

 このまま無理に討伐しようとすると、間違いなく「死者が出る」と。女はここまで考えてしまったのだろう。

 そこへ両者の思考を遮るようにヘイズラビットが大きく鳴く。

 

『キエエエッキエエェェエエエッ!!』

 

 その声は、『狩る者達』を嘲笑(あわざら)っているかのように漆黒の夜空に響いた。

 

 

 



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第12話 勝利と敗北(後編)

 西暦2023年1月1日、浮遊城第4層。

 

『キエッキエエェエエエエッ!!』

 

 ボスが放つその音量に、辺りの広葉樹が微かにわなないた。

 イベントボスの出現時間は確かきっかり1時間。目の前にいる化け兎がシステム上のメタ目線まで考えているとは思えないが、まるで「お前達には負けない」とでも言わんばかりだった。

 

「……く、ンのヤロ……ッ」

「だ、ダメよ。1人じゃ……全員で行かないと……!!」

 

 俺と女は情報交換を終えているはずだったが、独断で動こうとするのを彼女が止めた。ただし、情報共有不足の解消でもないその『止めた理由』については、俺とはまったく見解の異なるものだった。

 俺は声を押さえて反論を浴びせる。

 

「全員でだァ? できるかボケッ! ここにいる40人はギルドでも何でもねぇ。みんな自分のために戦ってる!」

「っ……で、でも……助けあわないと!!」

 

 つい声を荒らげてしまったが、さすがに女の反論も単調になってきた。

 それは、認めざるを得ないからだろう。確かに今回のレアアイテムとやらは直接命を助けるものではないのかも知れない。だが、もしかしたら本当に助けるものかも知れない。

 理由はこれで十分である。

 極端に言えばこの際、レアアイテムをただコルに変換するだけでも間接的には自分の命を『死』から遠ざけていると言えるのだから。

 

「無理だ。理由まで聞くか? 『個人の生存率』を上げるためだ。くだらないコーセツを垂れたいなら場所を間違えたな。教会なら《はじまりの街》にもあったぜ」

 

 そう唾棄(だき)し、俺はすぐに立ち去ろうとした。

 こいつの所見(しょけん)もわかる。つまり、このリスクの高い狩りはどこかで見切りをつけるか、もしくは全員で協力しないと死人が出る可能性が高いと言いたいのだろう。だからこそ、いま冷静な人間が成すべきことをせねば、と。

 しかし、土台それは非現実的な話。

 口八丁での誤魔化しは利かない。自分だけは特別で死なない、大災害にあっても自分だけは助かる、何て言うように、窮地(きゅうち)に立たされた生き物の思考回路など大抵単純だ。おまけに人は集団にいると自分が強くなったと誤認する。チンピラが集団行動しているのもこの催眠効果が大きいだろう。

 正直ここにいるプレイヤーは、同じギルドの誰かでさえそのアイテムを手にすることをよしとしないはずだ。

 人は唯一、死者を悲しみ弔悼(ちょうとう)する生き物だが、ゆえに他のどの動物よりも死を遠ざけようとする。

 これは必然。だと言うのに、この女は現状を見ようとしない。いつまでたっても現実を受け入れようとしない。

 

「(甘ちゃんがッ、カンベンしてくれ……)」

 

 またこれだ。いつも見捨てきれない、甘ったれた自分。そのまま立ち去る簡単なことが実行できない。

 とっくに理解しているのに。

 俺の方こそ間抜けたことに、理屈を理解してくれない彼女にイライラしつつ、しつこいように振り向いていた。

 

「もっと人のそーいうトコ見ろよ! あんまユメばっか見てると、いつかそのキレイごとにぶっ殺されるぞ!?」

「……いいえできるわ。言ったでしょう、諦めないって」

「お、おいッ!?」

 

 その結果はあらゆる意味で予想外だった。

 (きびす)を返して逃げ去るならよし。しかしそれどころか、言うやいなや、彼女は制止も振り切って戦場のど真ん中へ走り出したではないか。

 俺はその背中を目で追いながら、一向にその行動原理を理解できなかった。

 なぜ、このゲームにおいて他人にそこまでできるのだろうか。

 目を見ればわかる。協力しあえるメンバーを集いに行くのだろう。何があの人間をここまで駆り立てるのだろうか。

 もしくは足元を(すく)われているだけで、俺には何かが見えていない? 見落としている?

 ……いいや、断じて違う。

 こんなことを繰り返せばあの女は間違いなく近い内に死ぬ。人を信じ、最善の理想にすがり、可能性に殺されるのだ。

 だが、それこそ俺には知ったことではないはずだ。俺のスタンスはいつだって自分の安全を最優先にした利率重視の近道。外野から難癖をつけるあの女は、俺にとってただ勘に(さわ)るムカつく奴でしかないのだから。

 

「ッ……!?」

 

 だというのに、しこりが消えない。気を散らすと(みじ)めな自分を自覚してしまいそうになる。

 俺の視線を釘付けにするモノ。おそらくそれは『強さ』。

 超人的な、という意味ではなく、とても曖昧(あいまい)でもっと芯の部分の話だ。

 だからだろう。目の前で揺れるセミロングの黒髪を、追いかけたいという欲求が湧くのは。凛とした意思を持つ者が(つい)えぬよう、可能な限りの手を尽くしたいと(たぎ)るのは。

 

「(わか……らない……!!)」

 

 意識せず下唇を()んでいた。

 女が消えゆく未来を拒絶する男の本能、あるいはシンプルに一目惚だろうれか。

 いや、それは否定できる。

 確かにポテンシャルは秘めている。目は大きく、体もスリムで無駄が無い。男を相手に媚びる様子も気負う様子も感じられず、少しだけ厳しいその目つきも、彼女の魅力を引き出しこそすれ損なうことはないはずだ。

 しかし、アスナやキリトに対してはこんな保護欲にも似た感情は湧いてこなかった。このゲームにおいて、彼らは強くてこの女は弱いからか。

 それも否。なぜならこの女がいつ何時も1人だからだ。

 1人。ソロ。

 そう、俺に《ビーター》と言ってのけたこの女こそ、元βテスターなのだ。この女は間違いなく強く、慣れるほどに剣を振っている。盾を右手に、剣を左手に持つ姿がこれほど似合う女もそうはいまい。

 そんな女戦士が、ソロプレイヤーかつβテスターであるはずの彼女が、他のビギナーのために声を張り上げている。なんの個人的利益も生み出さないというのに。

 

「聞いてッ! 聞こえる人はみんな聞いて! ボスは音でもこっちの位置を掴む! その時は耳が揺れてるのよ! あと着地後は一瞬だけ無敵時間があるわ! みんなで《スイッチ》をするしかない! 助けあわないと倒せないっ!!」

 

 戸惑う俺を置き去りに女が叫んでいる。自分が暴き、そして俺から得た情報を他のプレイヤーへ与えるという、無私無欲な行動を繰り返していた。

 普段の俺なら激怒したはずだ。「もっと手持ちの情報を大事にしろ」と。「もっと自分のメリットになることだけを選んで行動してくれ」と。これではまるで、俺が我執(がしゅう)に取りつかれた矮小(わいしょう)な亡者のようではないか。

 それなのに俺は今の、この決定的に差を突き付けられた現状を何とも思っていない。彼女の行動に怒りが湧いてこない。

 どころか、これで良いとさえ思っている。

 

「……くっそ、何だよッ、ちくしょう!」

 

 ツバを飛ばしながらも、俺は鬱陶(うっとう)しい雪を踏みつけ、ボスではなく女の元へ走っていた。

 だが、俺の行動はあの女を肯定したからではなく、ソロではどうしてもヒートヘイズラビットを狩ることができないから。

 ただそれだけだ。

 だから……、

 

「聞こえてんだろ! 理解した奴は手伝ってくれ!」

 

 だから、俺も叫ぶ。

 やって見せろ。ガラにもないことをやっているのだ、代わりに証明して見せろ。

 ただし上手くいかなかなければ俺はもうこの考えを止めない。他人を見下し、自分を慰撫(いぶ)し、人間らしく利己的にこの腐った世界を生き続けてみせる。

 これは俺の証明でもあり、主張でもあるのだ。

 

「っ!? ……あはっ! ありがと!!」

 

 あの女が初めて笑った。

 ――笑いやがった。卑怯だろこんな時に。

 だが悪い気はしない。むしろ例えようのない激しい高揚感が身を包んだ。だからこそ、俺はもっと大きな声で力を与えることができそうなのだ。

 

「話はわかった! 指示貰えるか?」

「く、クライン!?」

「おい、マジでこの人達を信じるのか!?」

 

 俺が再びボスに斬りかかっていると、目の端で『クライン』と呼ばれている例の赤バンダナと、そのギルド集団が女に話しかけているのが見えた。

 メンバーはまだ少し納得していない様子だったが、リーダーが一喝して黙らせ、さらにその5秒後に別の2人ペアも協力を申し出た。

 

「(他は……さすがにいねぇかッ)」

 

 しかし9人も、瞬く間に協力を申し出てきた。これで俺と女を入れて11人の暫定パーティができ上がったことになる。実際にこの目で見ても、そして望んでいた結果だとしても、すぐには目の前の光景が信じられなかった。

 なにせこれはイベント参加者の4分の1が、名も知らない一介の女の声に命を託すと言っているのだ。

 もちろん、いざとなったら逃げても誰にも文句は言われない立場だ。それに他人を利用しておいてLA(ラストアタック)だけを取りにいくなんてことをしたら、周りのプレイヤーから今後マークされるのも明らかである。ならばそれを避け、なおボスを倒す手段を合理的に導き出した結果、言わば『取引』をしている意味合いも強いのかも知れない。

 もっとも、理由が何であれ乗りかかった船である。

 そして共闘を宣言した9人が女との会話を終わらせると、こちらへ向かってくるのに合わせて俺も少しボスから離れる。タゲ取りを他の有象無象に任せると、改めて振り向いた。

 

「クラインってのか? 俺はジェイド、しばらく共闘頼む」

「おうよジェイド! 他の連中だって助け合ってるわけじゃない。早いとこオレ達で流れを作ろう」

 

 普段コミュ障の俺は相手が1人で、さらに弱者だと認めなければ饒舌(じょうぜつ)に話しかける何てことはできなかったはずだが、気分が昂っているこの時は狼狽(うろた)えずにそれをこなした。

 

「んで肝心の作戦なんだけど……」

「待て、だいたいわかってる。俺が着地直後だろ?」

「お、おうそうだ。つうわけで、先に風林火山で切り込むぜ!」

 

 敵の特徴から、上への回避に限定させるためにはある程度の人数で囲う必要がある。当然それを安全に担えるのは7人ギルドのこいつらだけ。

 次に着地したら発生する行動遅延(ディレイ)中の攻撃。ただこれは『透過能力』によって回避させる陽動用の手順であり、この攻撃役は1人でも2人でも関係ない。しかしダメージ量を考えるなら後続の人数を増やすのが最良の手段。

 すでに情報を共有している人なら風林火山、俺、最後に2人組という攻撃順番は誰でも予想できた。

 それと《風林火山》とは恐らくクラインとやらの持つギルドのことだろう。非常に悔しいことに、赤バンダナこそ趣味が悪いもののギルド名には感動するセンスがある。

 ――格好良い、よな?

 

「ジェイド準備はいいな!」

「ぅをっと……おういいぜ! そういや2人、名前は?」

「アギン、こっちがフリデリックだ」

「そうか、忘れるまで覚えとくわ。んじゃ《スイッチ》頼むぜ……しゃあッ!!」

 

 ヘイズラビットの長い滞空時間を利用し、イケメン2人組と手短に言葉を交わしてから敵に斬りかかる。

 未だに事情を把握しきれていない奴が首を捻るが、同じミスの繰り返しでないことを教えてやらなければならない。

 

「くお!? ……らァあああッ!!」

 

 着地直後の『不意打ち後ろ蹴り』を気合で回避し、そしてボスも透過の技で俺の剣を回避した。

 だがこれで終わりではない。

 

「今だっ、スイッチ!!」

『うおぉおおおッ!』

 

 2人の曲刀(シミター)円月輪(チャクラム)が光り、そして突き刺さる。

 透過能力の先をいく。

 『キエェエエッ!!』という絶叫に、今度こそ周りからもどよめきが聞こえた。

 半ば諦めかけていた奴もいたようだったが、ここにきて初めてヘイズラビットのHPが肉眼でわかる勢いで減ったのだ。それを見て意識が変わり始めているのがわかる。

 

「うっしゃあ! 決まったぜ!!」

「やれる……これなら勝てるぞッ!」

 

 『士気』こそ見えない真のシステム外スキルなのかも知れない。

 そして、女が作りだしたこの一瞬は間違いなく戦いの転機となった。

 動いては斬り、斬っては動く。そんな流動的な戦法を15分に渡り続けていると……、

 

「単発でいい! 躱させたら引け!」

「パターンが読めたぞ、さんざんナメてくれたじゃねぇか化け兎!」

「次の《ハイジャンプ》来るぞ!」

 

 信じられないことに、いつのまにかプレイヤー達の怒号がひっきりなしに飛び交っていた。

 俺達の見せた連携技を見て、ようやく周りの連中も多段攻撃を仕掛けなければイベントボス、ヘイズラビットに攻撃が届かないと悟り始めたのだ。

 1人、また1人、果ては4、5人のギルドと次々に参戦を申し出てきている。

 

「そこ、囲んで! 次のアタックは風林火山! 全方位を警戒して……スイッチ今!」

 

 あの女の命令も絶え間なく続いた。

 今や参加者のほとんどを巻き込んだ大人数パーティと化したプレイヤー達からは、戦闘開始時にあった戸惑いやぎこちなさも消えている。誰もが敵の能力を前に「撤退」の2文字を頭に浮かべたはずだが、果敢に斬りかかる戦士達の姿は今も迷宮区で奮闘を続けているだろう《ボス攻略隊》のそれだ。他人の利用や水面下の打算、または駆け引きといった無粋な真似をする連中もいない。

 

『らぁあぁあああッ!』

 

 四方八方から絶えることのない気合いと斬撃に晒され、ヘイズラビットのHPゲージ最終段がとうとう注意域(イエローゾーン)に突入した。

 囲まれ、跳び、着地直後にまた囲まれる。そしてヘイズラビットのプレイヤーへ与えるダメージ総量は明らかにこちらのポーションによる回復量を下回っている。

 しかも基本的には手順通りの攻撃パターンでダメージを与えているが、何もダメージソースはその3段攻撃だけではない。

 4足で走り回っている途中も乱戦中、しかも協力体制の元なら剣は十分その身を裂く。『透過能力』を使用する前も、実体を待たざるを得ない敵の攻撃中にカウンターとしてダメージを与えることができるからだ。

 最後に《ハイジャンプ》と名付けられた、囲まれた際の緊急脱出方法も奴の首を絞めている。

 当然、これも協力体制を維持して広範囲をカバーしなければならないわけだが、《ハイジャンプ》中の長い滞空時間は見た目が派手な分、やはり攻撃タイミングを俺達プレイヤーに与えてしまっているのだ。

 上昇中は無理にしても、加速度がいったんゼロになった後、つまり自由落下中は回避のしようがない。なぜならこの時に透過能力を使用してしまっては着地後のディレイを補うものが無くなり、本末転倒状態になってしまうからである。

 ということは、初見殺しの押し潰しを見破っている以上、落下中はむしろ攻撃のチャンスとなる。

 そう、例えば今のような時は。

 

「ふっ……ッ!!」

 

 息を止め、育て上げた筋力値にものを言わせ、俺は全力で踏み込むと空中に躍り出る。

 剣光は赤。構えは大上段。

 

「らァあああッ!」

 

 俺は一瞬ヘイズラビットの赤い目が見える。

 そしてザシュン!! と、モンスターに攻撃を命中させたサウンドエフェクトが鳴り響きボスの右耳を切り落とした。

 分断された耳はポリゴンデータとして散っていく。もしヘイズラビットがプレイヤーだったなら、そのHPゲージの下に《部位欠損アイコン》を明滅させていただろう。

 

『キエッキエェエエエッ』

 

 《両手剣》専用ソードスキル、空中回転斬り《レヴォルド・パクト》のクリティカルヒットにボスがまるで痛みを感じたかのように鳴く。さらにこの攻撃は図らずも架け橋を繋ぐことになった。

 目で見なければ敵の位置を探れないように、このゲームはどこまでもリアリティの溢れるゲームだ。そしてその原則はここでも例外なく機能し、ボスは耳を、ひいては音を失ったことで平衡感覚も同時に失う。結果、奴は着地時にバランスを大きく崩して転倒(タンブル)判定を受けていた。

 片側の視界外からの攻撃察知手段も失い、反撃と透過のタイミングすら失ったヘイズラビットはプレイヤーからの攻撃でとうとうそのHPバー最終段を真っ赤に染める。

 

『うおおぉおおおッ!!』

 

 ギルド《風林火山》のメンバーが、そしてその他大勢のプレイヤー達が無抵抗な巨大兎を攻撃する。

 だが何撃目かもわからないボスへの攻撃で次々と剣を突き立てていたプレイヤーの体がいきなり宙に浮き、後方に飛ばされているのが見えた。

 

「くっ……やっぱりかッ」

 

 アクロバットな動きを重視して設計されただろうこのボスは、今まで囲まれた時は《ハイジャンプ》を使用してきたはずだ。おそらくこの全方位同時攻撃は今まで敢えて使わなかったわけではないだろう。

 原因はボスの体力残量にある。モンスター、特にボスクラスとなるとHPが残り少なくなるにつれ攻撃や行動パターンを変えるケースが多いのである。

 俺が「やはり」と感じたのは、このまま素直に繰り返し攻撃に晒されるのを甘んじるとは思えなかったからである。

 

『キエェエエエッ!』

「くっ……まだこんな技を……」

「んの野郎! 往生際がわりぃぜ!」

「慌てないで! 包囲して攻撃を止めてくれれば次はラストアタックになる! タンカーはいったん前へ!」

 

 だがボスの新しい攻撃は、女の的確な指示も重なり、討伐隊の猛攻をほんの少し止めたにすぎなかった。

 いずれにせよ、回避や軽業を捨てて自暴自棄となったボスなど、やはり戦意の高いプレイヤーを前には脅威ではない。そして命令通りタンク隊が役目を果たすと、今度こそ全方位攻撃後のディレイ時間をあらん限りのプレイヤーが武器を手に埋めていく。

 

「ヤアァアアアッ!」

 

 部隊の先頭にはあの女の姿も見える。

 ほんの20分程前は、俺と意見の食い違いで反発していた憎たらしい女が。

 脳裏に焼き付き、剣士として密かに私淑(ししゅく)していたアスナの動きに、勝るとも劣らないその剣技が見える。これが女性に出せるソードスキルなのかと本気で目を疑ってしまう。

 そしてその剣がボスの眉間に突き刺さるとついにヘイズラビットは決定的な瞬間を迎えた。

 

『キエッ、キエェェ……キ……』

 

 ボスの体が停止し不自然にその全身が膨らんでいく。次いでパリィン、とガラスを割った様な音。ボスの姿が1秒前の原型を思い出せない程の光りの破片になる音だ。

 こうしてイベント発生から39分。《ニューイヤー》の名を冠するイベントボスは完全に討伐を果たされた。

 

「……ハァ……ハァ……」

「……終わった……ね」

 

 大歓声が夜半(よわ)の大空に響いた。

 数人のプレイヤーと共に、神経をすり減らして疲れたその身を地面に座らせていると、俺の元にあの女が近づいてきて話しかけてくる。

 またこいつか、とも思ったが、この時ばかりは追い返す気にはなれなかった。

 それに俺はこの女に色々言わなくてはならないことがある。何せあれだけ大見得切って唱えた人間性を真っ向から証拠付きで破られたのだ。負けを認めるのが男らしさというものである。

 ボス討伐の余韻(よいん)に浸りながら、俺はしぶしぶ顔を向けた。

 

「……負けだよ……完敗だ。ちったぁ俺も考え方変えるよ……」

「……ふふっ、それはどーも。あ、そうだお礼言わなきゃね。あの時は一緒に声を出してくれて助かったわ。ううん、嬉しかった……かな」

「…………」

 

 本日2度目の笑顔。美人は笑っていれば大抵の失言は許されるなんて冗談のような風潮も聞くが、残念ながらそれは事実なのかもしれない。

 しかし彼女の笑った回数を数えている自分に気づくと、かぶりを振って自分に言い訳をした。決して下心があってその笑顔を見ているのではないと。

 俺の勝手な自問自答などつゆ知らず、彼女は会話を続けている。とは言え、女はおろかそもそも人との会話に慣れていない俺は、ペラペラと話せる人間の対象をかなり縮めていた。そしてこの女は対象外だ。

 ――つまり、何をしゃべればいいか教えてくれ。

 

「あ、そうそうレアアイテムなんだけど、あたしのところにドロップしたみたいよ。発動条件が2人いることを前提にしてるっぽいし、使い道ないと思うからお礼にあげよっか?」

「なッ……!?」

 

 その申し出にはさすがに反応せざるを得なかった。

 こいつは本当に聖人か何かだろうかと。

 

「まあ惜しいとは思うけどね。アイテム名なんて面白いぐらいあたしっぽい名前だし。でもあの時一緒に叫んでくれなかったら、誰もあたしの言葉に振り向かなかったと思うからさ」

「……はっ……名実共にあんたのもんだよ」

 

 アイテム名のくだりは無視して、俺は辛うじて小さい声で答えた。

 この女に遠慮したわけでも、ましてや格好付けたわけでもないが、これだけは本心だ。今回、俺はこの女に何も勝てなかった。ソロプレイヤーとして、そして1人の人間として。

 よって、お情けのように譲渡(じょうと)されるアイテムを素直に受け取ることだけはできない。これは俺に残された最後の、そしてくだらないプライドだった。

 

「……1つだけ聞きたい。俺に対策を聞いたよな? でも、見てりゃ1分で気づくようなことだ。どうして話しかけた……?」

 

 聞かれた女はキョトンとした表情を見せたが、思い至ったのかうっすらと口角を上げて切り返してきた。

 

「ははーん、そういうこと。『最悪の初対面だったのに』って? ふふっ……そうね。あなたが……アルゴと一緒にいたから、かな」

「はぁ? なんでアルゴが出てくるんだ?」

 

 唐突に言われ、素っ頓狂な声がでてしまった。

 彼女は構わず続ける。

 

「初めて会った日を覚えてるでしょう? あの後にね、あたしはアルゴに、あなたの容姿と『警戒すべし』ってこと、その理由をあらかた伝えたのよ」

「うげっ、アルゴの言ってた『悪いウワサ』ってあんたがソースかよ! ……まぁ、何も言えねーけど……」

「ふふっ。……だから驚かされたものよ。彼女の結論は違ったのか、それから何度もあなたとコンタクトを取っていた。逆効果だったみたいにね。それに、極め付けはその1週間後。……あなたは彼女の情報ミスをカバーするために、助け合いながら3人で2層攻略に参戦。見事ボス討伐に貢献しながら、当時の詐欺グループの命まで救ったって」

「あ〜……それは、なりゆきでな……」

「ううん、感動した。あたしの印象が間違ってたんだと確信した。ずっと言おうと思っていたのよ」

 

 そこまで言われるとむず痒い。狙ってあの結果になったわけではないからなおさらである。

 

「(まさかそんなところを評価してくれてたとはな〜。……んん、いや……ちょっと待てよ……?)」

 

 『3人で参戦』? と言ったのか。しかし、なぜ彼女がそれを知っている? 混乱を防ぐため、アルゴの情報誌ではそうした仔細(しさい)は省かれていたはず。であれば、その場にいた討伐隊しか知り得ないはずだ。

 だのに彼女は知っていた。

 

「……はっ、なーるほど。2層ボス部屋前で、やけに都合のいいアイテムが落ちてた(・・・・)わけだ。いいシュミとは言えねーぜ?」

「うっ、あなたホントにへんなトコで鋭いわね」

 

 ぼかしたところをつかれたからか、ギクリと肩を震わせた女はまた前髪を耳に上げながらそっぽを向いた。

 

「……その通りよ。何度も悩んで、でも討伐隊に志願できなくて……人にモノを言える立場じゃなかったわ。……だからせめて謝らせてよ。あの時はひっぱたいてごめんね。それこそ、1層のボスに挑まなかったあたしは、図星を言われたのが悔しくて手を出しちゃったの……」

「ああ。つっても、モノ覚え悪いんだ。3歩歩いたら忘れたよ」

「あははっ、何その自虐。もっと自信持てばいいのに」

「まあ、俺も学んだことはあったさ。……そうだな、今後はもうちっと英語を勉強しとくよ」

 

 そこまで話したところで、今度は別の人物が歩み寄ってきた。

 

「おうおう、お2人さん仲がよろしいこってぇ。こりゃ俺の的が外れたかぁ?」

「クラインだっけか。なんだよ、マトが外れたって」

 

 おっさん顔がおっさんのような台詞と共に俺達の間に割って入ってくるが、正直女と2人で会話なんて心がすり減るだけなのでクラインの登場は無駄ではない。

 現に俺にとっては立派な助け船となっている。

 

「いや、何つうかよ……ボス戦前にジェイドの目見た時、昔のダチのこと思い出してな。そいつも同じなんだが、オレぁお前さんを絶対ソロだと思ったんだ」

「(バレてたのかよ……)」

「んでもよ、そんな奴が……コンビでもなさそうな子のために声張り上げてるじゃねぇか。オレぁお前さんを見て協力を決めたようなもんだぜ?」

 

 キザったらしいことを言っているが、実際クラインの発言に間違いはない。俺とこの女は行動を共にしていないし、初めから友好的な体制をとっていたわけでもないのだから。

 どころか、険悪に近い間柄だったと言える。

 

「なるほどな。ま、知り合いってワケじゃない」

「あ、あはは……あっそれよりクラインさん。最初に協力してくれた人ですよね? おかげで助かりました。ありがとうございます」

「あ、あぁ……」

 

 両手を握られて顔を赤くするクライン。男とはげに悲しきも(くみ)し易い生き物だ。周りの数人も2人の姿をキツい目で見ていらっしゃるが、「嫉妬です」と張り紙されるよりわかりやすい。

 おそらくこの美人ソードマンは今日を境に知名度を上げ、ギルドないし何人かの集団に声をかけられる運命だろう。あのアスナも今や同じような状態だと聞いたが、思えばボス攻略に参加していないとは言え、まだ有名になっていないことの方が不思議である。

 

「(つっても、まあ……)」

 

 一息つき、改めて俺もこの男に感謝していた。

 呼びかけからほんの10秒足らずで7人ギルドが協力を申し出た、というインパクトの強い事実がなければあそこまでの流れはなかったのかもしれなかった。

 それに戦闘中、俺はほんの2、3人とは言えプレイヤーが体力を危険域(レッドゾーン)にまで減らしているのを見ていたのだ。

 彼らは即座に戦闘を中断して回復に入っていたが、討伐結果から見ると『死者ゼロ』はこの女と共にクラインの成果でもあるのだろう。

 

「さっ、今日は帰るとすっかな。んで打ち上げだ。お、どうだジェイドも来ねぇか? こういうのは人数集めたほうが盛り上がるってもんだしな。ああ……もちろん、君もよければ」

 

 ちゃっかり女を誘っているところを見るとクラインも目ざとい。

 それは本人次第なので自由にすればいいのだが、残念ながら俺は飲み会やそれに準ずる集団騒ぎのノリがよくわからない人間だ。

 

「いや、やめとく……」

「参加させてもらうわ! 君も行こっ?」

 

 ――俺を見るな俺を。実はワクワクしていたなんて言えないだろう。

 と言うか、今日はやたら機嫌がいいように見える。

 俺があんなことしたからだろうか。不良がたまに良いことすると滅茶苦茶いい奴に見えるゲイン効果のような心理がはたらいているのだろうか。だとしたらそれは誤解というものである。

 

「ってマジで俺も行っていいのか!?」

「いいに決まってるじゃねぇかよ。ソロつっても正月休みぐらい取れ」

「そうそう。なんなら今日一緒に戦ってくれた人たちも……あっ」

 

 そこで女が思いだしたように声を上げた。

 それはある意味ここ1ヶ月近く俺が(いだ)いていた疑問の解答でもあった。

 

「忘れてたわ。あたしの名前はヒスイ、よろしくね!」

 

 この日、俺は初めて2人以上の夜を過ごし、喉が枯れるほど騒ぎ回り、打ち上げを称するバカ騒ぎを目一杯楽しむことになる。

 そして新年の初日は、アインクラッド第5層解放日としても大いに夜を盛り上げていくのだった。

 

 



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第二章 心の変化
第13話 相互の支え


 西暦2023年2月6日、浮遊城第9層。

 

 時刻は午後を回って半刻。つまり、あと30分であの忌まわしい日からちょうど3ヶ月がたつことになる。

 思えばあの日、今か今かと待ちわびた午後1時に「リンクスタート」なる言葉を発してしまったがために、俺はこうして迷宮区で命の削り合いをさせられている。普段の生活が刺激的だったわけではないが、俺ははっきりと現実世界に帰りたいと願っていた。

 学校の連中に会いたい、と……そう思えるほどには、知らず衰弱しているのかもしれない。

 俺を含む在学生は端的に言えばみなバカで、学校へ行くことすら苦痛と感じる日々だったが、それでも野郎と騒ぐのは楽しかった。たまにヤンキー連中の会話からプレイ中のゲームネタが飛び交う時はテンションが上がったものだ。もし帰られるのなら、苦手な勉強をしてやってもいいとさえ思えてくる。

 

「今じゃあいつらの方が勉強できんのか……」

 

 端から大差なかった気もするが、ふと感傷に浸るように声を出してしまう。誰もいないのだから大目に見て欲しいものだ。

 そして同時に、これは因果応報なのだろう。

 俺が不良とツルんでいたのにも理由がある。それは醜い自尊心だ。

 「こいつらよりはマシ」、「俺はいつでも抜け出せる」、「組織に属していれば、自分の力を大きく見せられる」。そんな程度である。

 もっとも奴らのことだ、勉強など忘れて遊び回っているだろう。正直同級生相手なら勉強など本気(マジ)でやれば2週間程度で追いつける自信がある。今すぐあの茅場晶彦(クソヤロウ)がくたばり、ここから出られればという条件付きだが。

 

「(一緒に卒業は……無理だろうな、やっぱ)」

 

 同じ勉強机に座ることも、ない。

 ヒマな時に電卓を使って計算してみたが、どんなに楽観的に見てもプレイヤーが100層へ辿り着くのは来年一杯を持ってしても不可能だということが判明した。卒業式には間に合いそうにない。

 されど、希望はあった。

 1ヶ月前のクラインとそのギルド、『ヒスイ』と名乗ったあの女や他の協力し合ったプレイヤー達とこの世界に来て初めて騒いだ夜。久し振りに、本当に久し振りに俺はたくさん笑った。心のどこかではもう帰れないと諦めた自分が。

 きっと、あの夜から俺の考えは少しずつ変わり始めたのだろう。

 《トールバーナ》の付近でプレイヤーが『死ぬ』所に遭遇したあの時か、もしくは茅場晶彦が決定的なルール変更をした時から、どこか自分の未来を散っていった者達と重ねていたのに。

 今ではそれがない。悪夢にも出ない。

 戦うに値する明確な意志もある。明日……いや、今日にもこの9層の迷宮区をマッピングしきって、そしてあの部屋を見つけたらそこの主の首を容赦なく跳ねてやる。

 フロアボスの首を、今度こそ俺が。

 

「(《索敵》に反応なし。ここらもほぼ狩り切った、か……)」

 

 洞窟の中で周囲を見回し、5時間以上張りつめていた警戒を解く。ソロの旨みは、こうしたこまめなスポットで柔軟にスローター作業に没頭できる点である。

 もちろんノーリスクとはいかない。途中、注意していたにも関わらずザコMobに《武器奪われ》、すなわち《スナッチアーム状態》にまで持っていかれた時はさすがに恐怖を感じたものだ。

 しかし替えの武器は用意してあったし、すでに構成され尽くした独り身なりの盤石(ばんじゃく)な態勢が揺らぐことはなった。

 そして気を抜いたことで、空っぽの腹がいい加減限界を告げてきた。

 

「(キリつけて安全地帯で何か食うか。……ん?)」

 

 マッピングされている《安全地帯》に近づくにつれ、そこに人の気配を感じた。おそらくは俺と同じで、最前線たるこの迷宮区を切り開いている途中に昼飯を取っているプレイヤーだろう。

 別に会話を強制されるわけではないが、先客がいると入りづらいのも確かである。飯も1人で食べたい。

 だが場所を変えよう、と決心する寸前。

 

「って、アレ、ヒスイじゃねーか」

 

 別の安全地帯まで距離があるので名残惜しくもチラチラ覗き込んでいると、そこには比較的スリムな防具を纏ったヒスイが1人でぱくぱくおにぎり――らしき丸い餅状の固形物――を食べていた。

 声で相手も俺に気付く。

 

「ジェイド……良かったぁ。またぞろおかしな人達に狙われているかと思ったわ」

「ああ……あの時のな。ん、ンでもあんなのメッタにねェから……」

 

 2ヶ月前のイベントボスでの奮闘から、一気に『最前線の女性プレイヤー』として時代の寵児(ちょうじ)になったヒスイは、それから頻繁に迷宮区へ顔を出すようになった。

 毛嫌いでもあるのか、組織への所属こそ避けているようだったが、人と触れ合い、誰それと戦場へ出る機会というのはかなり増えたらしい。

 ……のだが、それらが必ずしもいい結果を生んだとは限らなかった。

 原因、というより起きた事件は2つ。

 1つ目は彼女が勧誘されたギルド内の話で、俺は関与するところではなかったが、しかし2つ目は俺が直接事件に関わっていて記憶にも新しいことだ。

 なにせそれは、ほんの10日前のことである。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「(いったん安置で休むか。そういやメシ2日も食ってねぇし……つか、ここ最近まともに寝てねぇし……)」

 

 泥まみれになりながら、汗も拭かず迷宮区を歩いていたのを覚えている。当時胸を張って『なかなか強い方』だと自慢できる防具素材を集めるために、連日立てこもっていた狩り場でこんな言葉を内心呟いてから、やっとこさ《安全地帯》に足を踏み入れようとしていた時だ。

 俺はこのソロの女性プレイヤー、ヒスイと再会した。

 つまり、今のように安全地帯で彼女と出会したのだ。しかし状況は比べものにならないぐらい最悪のものだった。

 

「……や、やめッ……」

「おい口押さえろ」

 

 深夜に複数の声が聞こえる事実そのものに不振な影を見ながら、そんな声が聞こえてくる方へ歩を進める。俺は警戒しながら半自動的に《隠蔽(ハイディング)》スキルを発動しつつ中を覗き込んだ。

 するとそこには4人のプレイヤーがいて、そして3人が1人を囲っているのが見えたのだ。その1人は両手足を2人がかりで抑えつけられ、残る1人に乱暴されかけていた。

 その1人こそ当のヒスイ。

 

「(おいおい、何でされるがままなんだよッ)」

 

 俺がそう思ったのは、当然3人の行為が《ハラスメントコード》に抵触しているはずだと考えたからだ。

 《ハラスメントコード》は、主に仮想空間内での性犯罪を防止及び取り締まるために設けられた機能である。視界左上にアイコンが表示されれば、それを指でタップするだけで簡単に暴漢どもを排除できる。

 しかし後になってわかったのだが、彼女はこの時多人数で抑えつけられて手足とその指の先まで動かすことができず、《黒鉄宮》へ飛ばすアイコンを押せなかったそうだ。

 《ハラスメントコード》の初期動作として一瞬だけ暴漢どもを弾いたそうだが、仮眠を取っていたヒスイはその隙を活用できなかった。

 結果、数の力も合間って押さえつける2人を振り切れなかった。そしてそれは、ゲスの極みをはたらいていた3人の男達が前線プレイヤーだったからでもある。

 『前線プレイヤー』。覆ることのないパラメータ的に優位な存在。

 彼らがこのような下心を暴発させる、果ては殺人という狂気に手を出したとしたら、まずターゲットにされるのは当然ソロ。このゲームが開始された当時の俺でさえ、この結果は予想できていた。

 それを、とうとう行動に移す輩が現れたというわけだ。

 ヒスイはソロで美人というだけでも危ないのに、その上お人良しの甘チャンときている。

 たった2週間の時点で俺も襲われたが、あれは動乱に便乗していた――実際彼らにはその日の食いブチすらストックがなかったらしい――に過ぎないし、正確に言えば俺だって弱者相手に同じことをしている。

 

「(どうする、止めに入るか……いや、そんなことしたら今度は俺が狙われて……)」

 

 浚巡(しゅんじゅん)しただけ進歩だろう。

 自らの有り様を見つめ直す機会がなければ、きっと秒で(きびす)を返していた。

 それでも即行動、とはならなかった。人助けはいいものだ。心が洗われるようで、こんなクズのような俺でもひとときの善人面が堂々とできる。

 しかし、ここは現実世界よりも残酷だ。法律のない空間で、果たして人は人を斬らないと言えるのだろうか。俺が彼女を助ける義理は、諸々のリスクを負ってでもあるのか。全知全能の神でない限り、言いきることはできまい。

 考え抜いた直後に、甲高い悲鳴が上がった。

 

「く……アンタら何やってる!」

 

 だからこそ、大声を出していた。

 正直怖かった。言った直後にわずかに後悔もした。

 だが、見なかったことにはできない。キッパリ割りきることは、小悪党でも意外に難しいのだ。

 場所は最前線の1層下で、深夜3時を回っていたため、プレイヤーが姿を現すはずのないとタカをくくっていた3人は、俺の声に相当驚いていた。これはただの推測だが、3人は彼女が『小ギルドとのいざこざ』でソロに戻った(・・・・・・)ことを調べ上げ、誰にも遭遇しない場所とタイミングを見計らっていたのだろう。

 彼らは面倒ごとを避けるために俺を仲間に誘ったが、俺は頑なに抵抗して遂には3人に剣を抜いた。

 そして拘束の解けたヒスイと共に3人を蹴散らしたのだ。

 結果だけ見れば全てが『未遂』で無事に済んだように思えたが、やはり乱暴されかけた彼女にとってはかなりのトラウマになっていた。

 

「……ひぅ……ジェ、イド……ヒック……ありが……と……」

 

 彼女はHPを《レッドゾーン》にまで落とし、剣を置き、泣きながらこれだけを言った。

 安全地帯はモンスターこそ侵入しないが《犯罪防止規定(アンチクリミナルコード)》ははたらいていないのでプレイヤー間のダメージは通る。

 そして、オレンジ化覚悟で一線を超えた。だのに彼女を殺しかけてしまったことで、犯罪者3人の剣に迷いが生じて追い返せたのだから、世の中皮肉なものである。

 その後もしばらく嗚咽のみが安全地帯に響いた。

 俺は彼女にほとんど言葉もかけてやれなかったが、ヒスイが「もういいわ、ありがとう」と、再び感謝を寄越して翌朝には別れた。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「(やっぱ……思い出してんのかな……)」

 

 後で聞いた話だが、ヒスイはいちいち寄せられる男の視線に辟易(へきえき)して、一時は攻略行為を止めようとさえ思ったそうだ。

 それでも彼女は戻ってきた。そして過去の恐怖に抗い、今も8000人の解放のために心身を犠牲にしてプレイヤーを励まし、自分自身も攻略行為に勤しんでいる。

 

「(強ぇな、でも刺激すんのは止めよう……)……あ、ああっと……わ、悪いなジャマして。んじゃ俺はもう行くからよ」

「待って、ジェイド……」

 

 そういって立ち去ろうとした俺をしかし、彼女は目を伏せるようにして弱々しく呼び止める。

 

「…………」

「…………」

 

 どこか気のせいではすまされないもの凄く歯がゆい空白がそこにはあった。

 無言が続く。

 ――逃げたい。

 喉まで出かかったこれらの言葉が実際に喉を通らなかったのは精神の成長ゆえか、はたまた単純な意気地無しか。

 ともかく、数秒の思考を薙ぎ払い彼女が先に口を開いた。

 

「ちょっとだけ……お話ししない……?」

 

 わずかに赤く染めながら、そんなことを言い出した。

 こいつは想定外である。肯定の返事は死ぬほど情けなくなってしまったが、彼女の方からそう申し出た以上断る道理もないだろう。

 

「いいけど、攻略のこととか……? あ……となり座るぞ」

「ん、どーぞ」

 

 ちょこん、と岩場に腰掛ける。

 センチ単位で距離が気になる。現時点で恥ずかしい。さすがは根暗ゲーマーだ、会話の糸口すら掴めない。

 「ワリ、ハラ減ってるから」とだけ断ろうとすると、その直前に割り込まれた。

 

「もう3ヶ月だね」

「へっ? ……ああ~、ホントだ。こりゃ学校生活は終わりだな……ハ、ハハッ……」

 

 時間を見ると本当にジャストだった。

 あと5秒。3、2、1……0。

 西暦2022年11月6日の午後1時から今日で、いやさたった今で3ヶ月。

 このゲームが始まってからの時間だ。とは言っても俺は今、あの時からは想像もできないほど混沌(カオス)な状況にいるが。

 

「(こいつ、こんなにカラんでくるんだ……)」

 

 この黒髪の女にとって、俺の第一印象はメーターをマイナスに振り切った状態でスタートしていたはずだが、不思議なことも起きるものだ。

 なにせ3度目の遭遇(そうぐう)時には、彼女の貞操を守るお手伝いをしたほどである。むむ、この表現はドン引きか。

 甘い香りのする華奢で脚の長い女と2人きり、なんて言い方をすると失礼かつやましい気持ちでいっぱいだと思われるかもしれないが、少なくとも公園のベンチよりは景観の悪い狭い空間に、大して仲がいいわけでもない女プレイヤーとマンツーマンで座っているのである。

 初めてお邪魔する友達の部屋よりは居心地が悪いことは想像に難くないだろう。

 

「……ああ……何つーか、あっそうだメシ食おう!」

 

 危うく忘れるところだった。わけのわからない緊張感に筋肉を硬直させたまま座っていたら、食事に対する優先度が低い俺は昼飯を食べ損ねていてもおかしくはない。危ない危ない。

 やはり慣れないことばかりしていると目の前が真っ白になる。

 

「ぷ、くふふっ……ど、動揺しすぎ~あははは」

「なっ……なッ!?」

 

 我慢しきれないと言いたげに、座ったままのヒスイが足をばたつかせていきなり笑い出した。

 それにしてもなんて奴だ。『あの時』を思い出しかねない状態だというから気を使ってやっているというのに、俺のコミュ障を笑いやがった。薄情者だ。無神経だ。

 

「んのやろぅ……人の好意をッ」

「ありがとね……」

 

 俺の声を遮った次の言葉は感謝だった。

 よって俺はいいように操れている自覚を持ちながらも、怒ったり同情したりを繰り返しつつ、もやもやしたまま上げかけた腰を下ろした。恐ろしきは美少女の魔力といったとろだが、情けなさすぎて(あせ)が出る。

 

「……ったく。そう思ってるなら、からかうのナシな……」

「ふふっ……でもね? あんまり気にしないで昔みたいに話そうよ。気兼ねなんてなかった頃の……あたしもそうして欲しいわ」

 

 まったく、よくわからない女である。「昔のように」というと、俺が女だというだけで見下し切った態度をとり、どうせ戦力外だろうと決めつけ大暴れしていた時期を真っ先に思い出す。まさかあのような品性の欠片もない社会不適合者をご所望なのだろうか。だとしたら物好きもいたものだ。

 しかしここで俺の気遣いを指摘するとは、可愛くない女である。初めからそう言ってくれたら、ここまで緊張することはなかっただろう。

 

「わかったよ、なるべくそうする。でもメシ食いながらになっけどな……」

「あ、じゃあそれ見てよっと」

「……えっ……」

「ん? 食べてていいよ。それ見てるから」

 

 ――よし、食事中断。

 昼飯は夜まで先送りか。仕方あるまい、昼飯は置いといて一旦話題の切り替えといこうではないか。

 そして右手に持った、行き場のない固形物を前に、俺はふと疑問に思ったことを口にしていた。

 

「……にしてもさ、よく最前線に1人で戻ってこれたよな、あんた。ああ、イヤミじゃなくてな」

「うん、アスナは……最近ギルドに入っちゃったしね」

 

 用意してきた非常食用の固いパンをポーチに仕舞いつつ話しかけると、ヒスイは顔をそらしながらそう言った。

 ちなみにヒスイがアスナを知っているのはボス攻略の際に顔合わせをしたからで、当然キリトもエギルもキバオウもその他何人かの前線プレイヤーも知っている。認めたくはないが自分と同じ女性プレイヤーだからか、アスナは俺が同じパーティに初めて入った時の100倍は喜んでいた。

 いや、俺の時の喜びをゼロとしたら無限倍しても届かないか。

 

「まあその、フレンド登録ぐらいしたんだろ? ならいいじゃねーか、女同士気が合ってたみてぇだし。それよりヒスイもアスナんとこ入ったらどうだよ? ……ええっと確か、《血盟騎士団》だったか?」

「いいって。だいたい、あたしソロって決めてるから。あ、決めてると言うよりは、ここ最近のいざこざを踏まえて、改めて決意したって感じかな。そこデリケートなところだから深堀りするのはやめてね」

 

 髪を耳にあげながら言うが、自分から忌憚(きたん)なく話そう的なことを言い出したというのに。

 そもそもこのお方、絶対遊んでらっしゃる。怒っているそぶりを見せつつも顔が笑っているのがそれを物語る。

 

「(メンドーなやっちゃ……)……そう言うなって。相談するだけで気が晴れるっていうじゃん。あんたもテスターだろ? 例えば……スタートダッシュでビギナーとモメたとか? ま、答えたくなきゃいーけど」

「あなた見た目バカっぽいのに鋭いわね。まあ、だいたいそうよ」

「…………」

 

 肯定されたはずが、否定された気分である。見た目バカっぽいのか俺。遊びほうけていて教養がない事実は揺るぎないが、それは俺が口を開かなければバレないものだと思っていたのだ。まさか口を開く前からそう思われていたとは。

 ショックを受ける俺を見て、彼女は「あ、違うからね。バカっぽいって言っても不良に見えるって意味よ。ほら不良の人って頭悪そうじゃない?」と付け足しているが、残念ながら計ったように1ミリもフォローになっていない。後ひと声でふて寝してしまいそうだ。

 どうやら俺はまったく嬉しくない方向性で神に愛されているらしい。年始の負い目がなければ、可能な限りこの女に罵倒を浴びせたいものだ。

 

「って言っても、ソロで行こうって決めた原因作ったそいつは男だけどね。初日は別行動だったし、それで……ね。まぁ、結果だけ見るとあたしが見捨てたって言うか……。助けられたはずなのに、あたしは声をかけなかったの」

「…………」

 

 なるほど、こいつもソロに走った経緯はだいたい俺と同じ、というわけか。

 効率、利益、そして責任逃れと打算。これらを掛け合わせた答えが友を見捨てるというものだった。複雑な話は一切からまず、そこには男女もクソもなく。例え友人だったカズがタイプの女でも、命と引き換えとあれば同じように見捨てていただろう。

 彼女もそうだとしたら、ちょっぴり意外である。

 しかし俺が死ぬ寸前まで散々味わったものを思い出すだけで、こうして自責の念に駆られて自分を追い込んでいく彼女の姿も納得できる。

 俺自身、最初の数日間ですでに限界に近い呵責(かしゃく)に襲われ、何度もカズに会って弁明と謝罪をしようと思った。されど、俺はもっと時間がたってから……それこそ、見捨てた彼のほとぼりが冷めるまで待ってから声をかけよう、などと図々しく考えたのだ。

 当然その報いは倍返しで降り注いだが。

 

「あ~……まあ、いいんじゃねぇの! 生き残るためだろ、ようは。あんたもウジウジしてないで胸はってりゃいいんだよ。張る胸なさそうだけどな! ハハハッ」

「……殺すわよ……?」

「ちょ、や……ほらさっき気がねなくって……」

「今マジメな話してるの! む、胸当てが隠してるだけだし!」

「わ、わかったって。サーセン! ……でも考えてみろ。それでガタガタ抜かす連中こそ、自分カワイさで言ってんだぜ? 弱いから助けてください、ってな。気にすんなよ」

「……そう、かもだけど……」

 

 死にかけたが、それはさておき。

 これはなんとも恥ずべき説得である。なにせこの助言は、紛れもなく自身への言い聞かせでもあるのだから。

 自分が生き残るために、友人の生命線を切った。不可抗力で、そして情状酌量の余地が入る、人を傷つけないようにした絶妙な言い回し。同意された分だけ免罪符も加算。

 しかし、そんな事情はみなまで言うまい。ヒスイだって所々ぼかしている風に打ち明けているが、それは俺にも全てを話す気がないことを示しているからだろう。

 

「あ~あ……あの頃は楽しかったのになぁ」

 

 と、ふとヒスイがそんなことを言った。このゲームがまだロールプレイングゲームだった頃のことだろうか。

 たった数時間だけの安全なSAOのことを。

 

「そうだな。……俺もあん時ははしゃぎ回ってたもんだ。フィールドでさ、誰もいないことをいいことにモンスターに話しかけたりしてたんだぜ」

「ふふっ……くふふっ」

「……んだよ、2回目の笑いは」

「いえごめんね、つい思い出しちゃって。初日の強制転移で中央広場に送られたの、覚えてる?」

「ああ。忘れる方がムズいけどな……」

「あの時のことなんだけどね、何かすっご変な人がいたの。あんまり顔は見えなかったけどなんか印象的でね」

「へぇ……どんな奴だよ? あっ、《手鏡》のぞいた瞬間、美少女がブサイク男になったとか!」

「え~そんなのたくさんいたじゃん!」

 

 自然と会話が弾んでいた。

 それにしてもゲーマーがゲームの世界に入ると人が変わることは実は多いらしい。つまりそれは、その時見たプレイヤーがリアルでも面白いとは限らないことを意味するわけだが、しかも今となっては皆が必死になって作ったアバターもどこかへ消え失せている。

 ある意味ここは、厳密には仮想世界とは呼べないのだろう。

 だからこそ、別にこの女に特別な感情が生まれたわけではないが、数奇な縁と境遇を意識し、俺はせめて彼女の前では着飾らないようにしようと決めていた。

 

「うーんとね……何かこう、『おれしゅじんこおぉおッ』って言いながら壁に突進してる人がいてね」

「…………」

 

 ――おや。ナンか、どっかで聞いたことあるな。

 俺は無言かつ無表情で続きを催促した。

 

「し、しかもねっ、聞いたこともない声出しながら壁に激突しててね……あははっ。あ~ごめん、あたしだけ思い出して。でも本当に面白かったの。クラスの男子に似た人がいるのよ。そいつもたいがい考えナシで行動するタイプなんだけど……」

「…………」

 

 彼女は口に手を当てて必死にこらえながら続けようとしていたが、俺は途中から話など聞いてはいなかった。

 

「あっでも信じらんないことに、そいつその後あたしのパンツ覗いてきたの! ……あれは許せなかったなあ、普通に。今度見つけたらその顔ネットで晒して社会的に……あ、今は顔違うのか」

「いやアレ見えてなかったから! 見えそうだったけど見えてないから!」

「……え?」

「……あっ」

 

 あ……。

 

「ああいや、そういう話しをむかしどっかで誰かに聞いたような……ないような……」

「……ふぅん……なるほど」

 

 ヒスイの首をかしげてからのドヤ顔が酷かった。

 まさに『してやったり』顔だ。完全に弱みを握られた。頭が大変よろしくないことは自分でもコンプレックスだったが、真っ先に口からでた言い訳がさらに最悪だった。日本語すらおかしかった上になんの言い訳にもなっていない。

 

「あれ、あなただったの……」

「いや……でも……」

「でもぉ?」

「み、見てないのは……ホントだし……」

 

 ――おお体が熱い! いや熱いって言うかもう痛い! 全身バチバチする!

 よし決めた。恩を仇で返すようなこの女は泣かすとしよう。泣かぬなら、泣かすとしよう、俺の手で。

 

「あははっ、すっごい偶然もあるものね。……まあでもいいよパンツぐらい」

「……ったく、見えてねえっつうのに……」

 

 その後のことはあんまり覚えてない。正直人はその場のノリというかテンションというか、つまり1回笑い出すと話しの流れに関わらず笑ってしまうものだ。

 そうしてしばらく俺達の笑い声だけが、恐怖に包まれるはずの最前線迷宮区に響いていた。

 

「変わった……よね。ジェイド(・・・・)

「かもな……でもお互い様だぜ、ヒスイ(・・・)

 

 そして2人して落ち着くと、互いに顔を合わせないまま声のトーンを下げる。

 思い出すのはやはり生きてきた中でもこの3ヶ月だ。

 俺はヒスイに言葉で打ち負かされて以来、なんだかんだと人を見下した言い方や弱小プレイヤーからの金の巻き上げをやっていない。

 正義感に目覚めたのか……いや、それは少し違う。

 実際、前線プレイヤーが強力なモンスターに囲まれていて死にかけている場面に鉢合わせても、命の危険を冒してまで助けに行くかと聞かれればさすがに答えはノーだ。赤の他人にできることは、せいぜい自分がそこの戦闘で確実に死なないと判断できた時の手助け程度である。

 

「(ん~……でも、だとしたらこの女は俺にとって例外だってことか?)」

 

 頭の中でふと巡らせ、いやしかしと考え直す。

 なにせ、もはや彼女は他人ではないからだ。見てほしい、こいつのせいで狩りが遅れてしまっている。もし他人からこんなことされたとしたらコルを賠償金として要求していたはずだ。

 

「ジェイドもさ、ソロにこだわるのは何かあったの?」

「……ヒスイと似たようなもんさ。初日にエンを切った、それだけだ。んでそいつは……俺のこと、もう友達じゃないってさ……」

「そ……か……」

 

 あの時初めて友人に捨てられる悲しさを知った。

 だがルガは……カズは、それを1ヶ月以上長く味わっているのだ。なら俺に感傷に浸る権利などない。あるのは元テスターとして解放を目指す義務と、利己的な行動を繰り返す俺に課せられた罪の鎖だけだ。

 なし崩し的に完成されたとは言え、ヒエラルキーの頂点に立つ俺達は責任も付きまとう。

 

「でも……俺はあきらめてねェぜ。人間誰でもミスはする。けどそれが、全部帳消しできないことはないだろ? だから……なんつうか、どっかでケリ付けないと、って思うようになったんだよ」

「……そう、だよね……」

「ああ……ハハ、つまり……まあなんつうんだろ。言葉にしにくいな。ま、ヒスイも区切りつけたらさ、どっかギルドにでも入って、そのたっかい装備ジマンしてやれよ。……んで、この3ヶ月の分まで楽しんで過ごすんだ。悪くないだろ?」

「ジェイド……」

 

 わかっている。それは俺にもあてはまると言いたいのだろう。

 だが俺は弱いのだ。弱く、致命的なほど協調性に欠ける。それにヒスイと違ってたくさん悪さをしてきた。その事実は頭を(ひね)っても変わらないし、それらに引け目を感じないと言ったら嘘になる。

 

「あなた本当に変わったわね。……ふふっ、あたし少しだけ嬉しい」

「なんだそりゃ。俺が変わってうれしい?」

「ええもちろん。初めは自分でも、仲間を捨てておいてどの面下げて言っているのかと思ってたわ。でも、ブツクサと説教を垂れた意味があったのよ。それだけで嬉しい」

「…………」

 

 実はそれで変わった人間より、更生に期待して地道な説得をする方がよっぽどか凄いことである。正義感の強い彼女は、そんな些細なことより俺の矯正(きょうせい)に誇りを持っているのだろう。口には出さないが、俺はこいつのそんな(けが)れを知らない発想そのものが羨ましいかった。

 だから今だけは「あん時はその……どなって悪かったよ」と、ほんの少しだけ素直になって謝っておく。

 それにしても、時間を見ると1時間ぐらい話し込んでいた。

 我ながら驚きである。俺が女と2人で会話in60分なんて、普段では考えられない。

 とは言え予想以上におしゃべりが過ぎてしまったため、独占するにはもったいないようなアイドル女との会話を名残惜しいと思いつつ、俺はようやく重たい腰を上げて立て掛けておいた大剣を背負った。

 

「んじゃそろそろ攻略に戻るよ」

「あっ……ええ、そうね。ごめん時間とっちゃって」

「いや、正直人生レベルで貴重な体験だったよ。こっちこそサンキュな」

「あはは、何それぇ」

 

 しばらくはこれで会わないかもしれない。それでもこいつは前線に戻ってきたのだ。ならばここは「さようなら」ではないだろう。

 

「ヒスイ……その、すっげぇ楽しかった……またな!」

「え? ……ええそうね、また」

 

 ヒスイが何かを言う前にダッシュ。恥ずかし過ぎて顔向けなどできようはずもない。

 笑えよ、こんちくしょう。そう心の声で罵りながら俺はひたすら足を動かした。

 

「(ああもう知らんッ!)」

 

 この後は振り向きもしなかった。

 だからこの時のヒスイの表情は、今でもわからず終いだ。

 

 



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第14話 βの先へ(前編)

 西暦2023年2月13日、浮遊城第10層。

 

「撤退に入る。各隊に伝えろ」

「了解です……退却! 退却命令!」

「退けぇ! 各位戦闘中止! 退却命令出てるぞぉ!」

 

 ボスの部屋に響く野太い男達の声でプレイヤーが次々に撤退戦に入る。

 当然、ただ武器を仕舞って出口に走れば逃げられるわけではない。というのも、ボス部屋は例外なく広く、闇雲に背を向けると一網打尽にあうからである。

 各自細心の注意を払い、陣形を崩さずに統制された動きのままジリジリと後ずさる。2分ほどの時間をかけ、ようやく攻略隊全員が出口を通った。

 

「……ハァ……ハァ……」

「……ゼィ……くっそ……今回も……偵察……止まりか」

「……ハァ……だけど……ゼィ……無駄じゃなかった……」

 

 息も切れ切れに腰を落としながら、各々が悪態と状況整理を同時に吐いている。

 今日1日かけて行ったボス戦は1回目が偵察、2回目が完全攻略の予定だった。しかし、ボスの予想以上の強さに再び撤退を余儀なくされていた。

 

「(しゃあねえわな……なんせ前回が……)」

 

 俺達が討伐のために後一歩が踏み出せない理由。それは前層……つまり、9層ボス攻略の際に1層以来の『死者』を出してしまったからだ。

 記憶に新しい分、あるいは1層時と討伐メンバーがほとんど変わっているからか、ボス戦における死者への耐性の無さが災いして、今プレイヤー達は必要以上に慎重になっている。

 そこへ今回のレイド参加者である、相変わらず真っ黒な装備をしたキリトが俺に話しかけてきた。

 

「にしても、やるなあいつら。プレイヤーのモチベーションがどうとかの前に結構強いぞ」

「あ、ああ。色々あん時に比べて予定にない動きが混じってる……ま、わかっちゃいたけどな」

 

 キリトのぼやきには俺も同意するが、一口に強いと言っても苦戦の理由は多々ある。

 まず俺の言うところの『あん時』とは、周りに配慮して言葉を濁してあるがβテストの時のことだ。参加しなかった層もあったが、聞いた話だと第1層から第9層までのボスには、正式サービスと比べ攻撃モーションやスペックに100%何らかの変更点があった。

 今回も『ボスが2体』と言うところまではNPCがベータの時に言っていたことと同じだ。

 しかしそれからはかなり違っている。おそらく、ベータ時代に例え何層まで上がっていても変えていたのだろう。

 

「1段毎にパターン変えるのは厄介ね……」

 

 隣に座っていたヒスイがそう言った。寄せ集めパーティなので彼女もここに含まれる。

 そして彼女の言う通り、3メートル以上ある阿吽の銅像は、見た目の異形具合より(はる)かに恐ろしい能力を持っている。

 ボスは銅のような肉質を持つ、推定3.5メートルほどの仏像である。固い肉質を持つ割りになぜか甲冑を着込んでいて、弱点は打撃属性。彼らは阿吽像の顔をしていて、それぞれ右手と左手に持つ《オオダチ》から繰り出される攻撃は《カタナ》専用ソードスキル。つまりボスは人間の倍の大きさの侍のような奴らなのだ。

 ここで問題なのは、ヒスイの言った『HPゲージ1段毎に攻撃パターンを変える』と言うもの。阿吽像2体はHPゲージを3段で表示している。ボスのゲージが3段はアベレージでみると少なく思えるが、2体はそれぞれが普通のボス並のステータスを持っていた。

 そこへ先ほどの特徴である。

 正確に表現するなら1段毎に攻撃パターンを『増やす』こいつらは、総合的に今までのボスの中で1番強力と言っても過言ではないだろう。階層が上がれば強くなると言う意味ではなく、プレイヤーの平均レベルの上昇を加味した上で相対的に強い。

 話を戻すが、実は奴らのこの行動、βテストの時と比べて所々に変更点が設けられているのである。

 10層ボス直前で期限が来てしまっているのでテスターがボスを直接見たわけではないが、あの時のNPCがもたらした情報通りならβテストの時は最終段まで行動パターンは変えないものと思われていた。にも関わらず、奴らは1段毎に面倒な攻撃を増やしてきている。

 

「でも、今のでやっと最終段の動きも見えたな」

「ああ。今日はもう無理だろうけど、アスナとエギルはいないから結局明日もこのメンバーか」

「そうね……流石にパターン多いから実際に目で見ないと。このボス相手に手順を口頭説明しただけじゃ危険だわ」

 

 その意見には2人で頷く。

 ちなみに、なぜアスナやエギルがいないのか。正確にはディアベル残党とも言えるキバオウの率いるギルド、《アインクラッド解放隊》やリンドの率いるギルド、《ドラゴンナイツ》がフルメンバーでないのか、それはボス攻略の際のプレイヤーレイドの上限が48人と決まっているからである。

 もっとも1つのレイド上限というだけで、それ以上の人数で攻め込むことも不可能ではない。しかしその場合、システム的メリットの享受(きょうじゅ)が難しくなる。例えばパーティメンバーの残体力が視界に表示されない、など。

 司令塔を統一されていなければ、数にものを言わせて勝つことができても乱戦の中で死者を出す恐れがあるのだ。

 よって、時間がかかろうとも堅実にヒールとアタックのローテーションを繰り返して攻略していくのが今のSAOでの常識となっている。

 今回の参加表明は50人と少しだった。このように半端な数しか集まらなければ、必然的に誰かが攻略を諦めるしかないのだ。

 

「あ~あ、予備戦力とかあれば便利なのにねえ。……あ、でもその人達も手数の多さに対応できるわけじゃないから一緒なのかな」

「手数もそうだし、加えてあの連携が厄介だよな。負担でかくなるけど、やっぱどっちか集中した方がいいぞこりゃ」

「そうね、別行動ならまだしもあれだけ呼吸が合ってると大技出しにくいし……前言ってた一極集中の作戦を提案してみる?」

「俺はいいんだけど、今さら変えるとリンドとキバオウがモメそうだそうだよなあ……ん? どしたキリト?」

「…………」

 

 しばらくヒスイと2人での会話になっていてキリトが参加していないことに気付く。しかも彼は顎に手を当てて難しい顔をしていた。と思っていたら、そのままとんでもないことを口走る。

 

「いや、ボス攻略で顔合わす度にあんたら2人が仲良くなってる気がするんだけど」

「「そんなわけないだろ(でしょ)」」

「…………」

 

 ――ハモったよ。

 正直焦った。言っている場合でないのだが、なかなか綺麗なハモりをするとついテンションが上がってしまう。こういった現象は漫画やドラマでしか起きないと思っていたが。

 

「……なるほどな」

「……違うからな」

 

 その後、得心顔なキリトに釘を打ちつつ平行線を辿りそうな会話を打ち切っていると、リーダーが今日中の攻略を断念する旨を伝え、その日は迷宮区を無事に抜けた時点でお開きとなった。

 

「キリトはこれからどうする? まだ8時だけど」

「そうだなぁ。明日の攻略まで時間もあるし、もうひと狩りしていくか」

「いやあなた達ね、そこは『もう8時』でしょ? ボス戦あとだって言うのにどれだけ体動かせば気が済むのよ」

「こういうのは何だけど、男は敵に襲われない安全地帯さえあればそこで寝られるからな」

「(うわっ……キリト地雷だよそれ)」

 

 なに食わぬ態度でサラッと答えてしまったがこれはマズい。事情を知らないキリトに非がないのはわかっているが、まだトラウマが(いえ)えているとは思えない時期に、よりによってその話題を切り出してしまうとは。

 

「アハハッ、いいよね男の子は。あたしらはちょっと無理かな~」

「…………」

 

 ――おや、何ともないのか。

 神経質な俺は横目で恐る恐るヒスイを覗き込んだが、彼女はあくまで自然体だった。黙っているだけで表情は硬い、なんてオチも見受けられない。

 

「そうだジェイド、たまには競争しないか? 《オロチ・エリートガード》30分エンドレスのクエってこの辺で受けられたよな。経験値いいから無駄にはならないだろ」

「あ、ああいいけど……」

 

 生返事で答えつつ、俺は帰路についたヒスイの後ろ姿を見る。そこにあるのは、ヒスイを元テスターだと知らないリンドやキバオウなどが持つ有力ギルドのメンバーが相変わらず彼女を勧誘し、それを彼女が丁重に断るシーンだ。

 普段から繰り広げられる風景で、もちろん何の違和感もない。

 

「(やっぱ強えな……)」

 

 少なくとも彼女はその身に宿す負の遺産と何らかの決着を見るまでソロをやめないだろう。それが何なのかは推測するしかないが、少なくとも強ギルドのお誘いだからといってホイホイついて行けるような軽いものではないはずだ。

 彼女には強いメンタルがある。もうしばらく1人にしておいても問題ないだろう。

 

「よっし、キリト。《体術》スキルも相当上がってきてるからな、今度は負けねぇぜ」

「こっちこそ今度も勝つぜ!」

 

 はしゃぎ回る俺とキリトを、ヒスイがほんの少し眺めていたような気がした。

 

 

 

 翌日の午前、時刻は11時50分。正確な日付は2月14日だが、だからこそ押し寄せる寒波に負けてフィールドは凄まじいほど寒かった。あまりの寒さに、風が入り込まないはずの迷宮区の方がマシにすら思えてくるぐらい寒かった。ただただ寒い。本当に寒い日だった。うむ、他には何の変鉄もない。

 ――ん、バレンタイン? そんなイベントは知らないな。

 そうやって負け犬染みたことを考えながら歩いていると、俺達討伐隊はあっという間に再びボス部屋の目の前まで到達していた。

 ちなみに、やはりと前置きするべきか、昨日に比べ作戦が一極集中攻めに変わっている。隊を7分割し4隊を攻撃特化仕様、つまり《ダメージディーラー》で固めて一気に片翼を潰す作戦だ。

 残った3隊はひたすら時間を稼ぎ、2体の連携を阻むのが役割である。全てがきっちり分割できるはずもないので、バランス型は攻守のどちらかに少しでも偏っていたらそちらの隊へ、という分類法である。

 

「あたし特化ではないのよねぇ」

「俺もそうだよ。ま、意識すればそれなりになるさ。一応《武器防御(パリィ)》スキル上げてるからさ」

防御役(タンク)に回った奴らも皆が皆ってわけじゃない。ポーズだけでも役を演じればいいんだよ」

「そうね、なるべく頑張るわ」

「おい、開くぜ」

 

 俺の言葉で2人とも静まる。言葉通りの意味で、これは再三のボス戦である。今度こそ決めきらねば、レイド全体の士気の低下が無視できないレベルに陥る。それを、ここにいる誰もが理解していた。

 俺は愛刀を強く握りしめることで、最後に気合いを入れ直す。

 「リンド隊の3人もよろしくな」と、同じパーティメンバーとなった端数の3人に挨拶だけは済ませると、再び攻略隊は大きな門をくぐった。

 すると、暗闇に2つのシルエットが浮かんでくる。

 中央で仁王立ちしている。この2体が10層のフロアボスだ。

 

「(くるッ!)」

 

 周りの提灯(ちょうちん)のようなオブジェクトが光り出すとボスの姿がはっきりと見え始め、歩きだしながら剣を抜く。そして茶一色だったその体にもはっきりとした色が付き始め、名前も表示された。

 続いてフロアボス《ジェネラルスタチュー・ジ・アキョウビ》と《ジェネラルスタチュー・ジ・ウンジョウラン》2体が同時にHPゲージを3段で表示する。

 威圧が質量を持った壁のように迫り来る。その直後、リンドが隊へ合図を送った。

 

「戦闘開始! タンク隊はエルバートの指揮下へ! 左右に展開しろ!」

 

 俺達の攻撃隊の指揮下はリンドのまま。右側のプレイヤーだけが、重そうなミスリルアーマーをガチャガチャとならせて移動を開始する。

 

「A、B隊は右! C、D隊は左だ! なるべく刀を振らせるなよッ!!」

 

 俺達D隊は、右手にカタナを持つ『アキョウビ』がターゲットだ。命令に従って回り込むと、大型の《オオダチ》が眼前に迫る。

 相変わらずの図体に、思わず筋肉が委縮(いしゅく)する。

 しかし、1人ではない。体が動くのは仲間のためだ。

 

「(ったく、バカでけぇ筋肉ダルマがッ)」

 

 手始めに単発のソードスキルを入れてみたが、やはり硬さが尋常ではない。集中力との戦いである。リンドは「振らせるな」と言っていたが簡単に言ってくれる。何せその剣身はプレイヤー1人分以上もあるのだ。

 だが、討伐隊もさすがに見慣れたのか臆することはなく、その身を投げ出しては次々と自慢の高性能武器を振るっていた。

 ボスのHPの減少具合は、前回までのそれとは比べものにならないほど速かった。

 

「うおっ……ぶねぇ。これペースは速いけどさ……」

「ああ、紙一重だ。他に方法がないのが歯がゆいな」

 

 適当に振り回される冗談じみた太刀を慎重に見極めながらも、やはり気になるのはそのローテーションの長さ……というより、『短さ』だろう。

 現状避けられないが、こちらが消耗しきる前にどうにか1体だけでも倒しておかないと相当キツい。タンク隊から増援が来ない中で、こちらが受けるダメージ量をこのまま敵に維持されると最終的にはジリ貧になるから。

 ただし、これで駄目ならレベルを上げて出直すしかない。

 

「スイッチD隊! 2段目行ったぞ。気を付けろッ!」

『了解ッ!』

 

 反面、部隊の連携練度は目を見張るものがあった。

 達成までの過程は十人十色だろうが、こんな低層で引けない、という強い想いだけは共通しているからだろう。

 1日、1時間でも解放を早めるために。そして志気と攻略にかかる時間の均衡点から、今日ここで仕留めることには相応の意味がある。

 そこまで考えた時だった。

 

「(ん!? これ……《浮舟》かッ!)」

 

 戦闘の渦中で『アキョウビ』が《オオダチ》を、その剣が地面をすれる寸前まで左腰に落として構えているのが見えた。

 剣の位置から《先読み》でソードスキルの種類を見分けた俺は、右足に力を入れて回避行動がいつでも取れる状態を作る。目線は俺を向いている!

 

「おっらあァあッ!」

 

 体全体を屈ませながら右足の筋力だけを拡張させた。

 その一瞬あとにブオッ、と視界の右斜め上を《オオダチ》が掠めていった。

 鉄の塊の通過が想像以上にスレスレ過ぎて冷や汗が流れたが、回避そのものは成功。

 カタナ専用ソードスキル、スキルコンボ初動斬り上げ《ウキフネ》。一見単発攻撃に見えるあの技は、ヒットすると対象物を上空に飛ばし、重力を一時的に無視して空中で連撃ソードスキルを発動させるものである。当てさえすれば敵にとって追撃されない空中での連続攻撃だが、逆に躱せばチャンス到来。外した時の行動遅延時間(ディレイタイム)は比較的長いのだ。

 

「強攻撃3発はいけるッ!」

 

 俺が叫ぶとキリト、ヒスイ、リンド隊3人が一斉に剣を光らせる。

 そしてかく言う俺自身もジャンプ後に今の愛剣《フィランソル》をディープブルーに輝かせて、《両手剣》専用ソードスキル、初級垂直三連撃《ガントレット・ナイル》を敵の顔面に叩き込んだ。

 

「せあァああぁあああッ!!」

『…………』

 

 ガンガンガンッ、と硬質な肌に剣が直撃する光と音が鳴る。確実に効いているはずなのだが、一向に喋ることのないボスを相手にしているとダメージが入っているのか時々不安になるものだ。

 しかし今の攻撃は相当有効だったようで、敵のHPゲージは早くも2段目がイエローに入っているため、開始9分で1体目の体力を半分削った計算になる。

 

「(このままいける……)……れあァああッ!!」

 

 着地直後に剣を上段構えで右肩の前に持ってくる。今度は愛刀《フィランソル》を紫に染め上げ、《両手用大剣》専用ソードスキル、初級二連斬り上げ《ダブル・ラード》をボスの土手っ腹に決めてやった。

 

「これで……ッ」

「ジェイド!」

 

 しかし意識の反応圏外から迫った鉄塊のような太刀に、俺はほとんど真横に吹き飛ばされてしまった。

 重い攻撃が多段ヒットした結果から、『あと少しでディレイになる』という読みが外れたからだと頭では納得している。だが、やはり反撃を許してしまった以上、自分の行動が軽率だったことは認めなくてはならない。

 

「バカ! 無茶して……」

「ヒスイの言うとおりだ。ジェイドが自分で3発と言ってただろうに」

「ぐっ……くそ、ワリぃ……」

 

 ヒーロー願望と射幸心が邪魔をした。

 ここで言い訳しないところだけ少しは成長したのかもしれないが、やっていることは自分だけの問題ではなく、パーティ全体の弱点晒しである。

 無力加減に歯がしみしても、落ち込んではいられない。

 再びローテーションでA隊がタゲを取っている内に回復を済ませなければ。

 

「今度は本当に気を付けろよ。次にD隊が当たる時は、たぶん最終段になってる……」

「ああ、つまり敵の技が増えてるってわけだ。ここからは……いや、このボスからはすでに『βテスター』と言う肩書きは有利に機能しない」

「そうね……でもだからこそ、よ」

 

 ここにいる元『ベータ』3人で小さく頷きあった。互いにその正体を知り、ライバルであると共に頼もしい仲間でもある3人で。

 

 

 次の《スイッチ》が始まる。

 ここからが本番、正真正銘のデスゲームだ。

 

 



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第15話 βの先へ(後編)

 西暦2023年2月14日、浮遊城10第層。

 

 第10層フロアボス。直訳なら『将軍像』といったところか。勉強不足ゆえに英語は難解だが、敵の名前については昨日の攻略帰りに教えてもらっていた。

 その名も『阿驚琵』と『吽浄乱』。

 これが受験関係にまつわるカマかけ質問で、年齢が3つも下だと判明したキリトが俺に教えてくれたボスの正式名称だ。なかなか情報通である。

 そして今B、C隊がボスの内の1体、アキョウビと剣を交えている。幸いにも戦況は善戦の一言に尽き、集中力の上がってきた攻撃特化のプレイヤー達は、3度目になる敵の動きを慣れた体裁きで(かわ)していった。

 戦術が功を成して、敵は6割以上もその体力を減らしている状態だ。あと少し、あと少しで……、

 

「最終段いったッ!」

 

 攻略隊の誰かが叫んだ。

 ガチャン、と膝をつき一時的に無敵モーションに入る10層フロアボスの片割れ。阿像の顔を持つ3メートル半の仏像が甲冑を着込み、仏神よろしく大太刀を振るその姿は、どこか神々しくもあった。が、今はそれが仰ぎ奉る対象足り得ない。むしろその逆、ここにいる27人共通の破壊対象だ。

 

「来たな、甲冑を捨てるぞ……!!」

「速度は1.2倍だが頭で計算するな! 感覚で覚えるんだッ!」

「モーションも増やすッ! あと《ホウオウイン》だけは絶対にかわせ!!」

 

 口々に攻略隊が掛け声で互いを叱咤した。

 真の名を《鳳凰印(ホウオウイン)》とする技を受けてはならない理由は、この技が《ウキフネ》と同じスキルコンボの初動技だからである。しかも、ただ上空に上げてランダムにソードスキルを発動する《ウキフネ》とは危険度が比べものにならない。

 《ホウホウイン》はスキル立ち上げの溜めが長く、初動が『突き』なためヒット範囲が狭い。避けやすく、続くソードスキルを地上で行う特性上、付近に展開された仲間は敵に反撃もできる。のだが、その攻撃力は瀕死もかくや。10層のクリア可能適正レベルが14~16なのに対し、俺のレベルは23も確保されているが、このソードスキルをくらうと間違いなく8割以上のHPは持っていかれるだろう。

 昨日の戦いでは、スイッチ直後に体力全快状態のタンカーがこれを受け、一気に《レッドゾーン》にまでHPを減らしたのをきっかけに撤退の合図がでた。討伐失敗の元凶とも言える。

 βテストの時『まだ見ぬ《カタナ》スキルの即死技』としてプレイヤー間で噂に上っていた、ここのボス達の必殺技だ。これを最終段から使ってくることが昨日までで確定している。

 

「(最終段……ってことは、他にも……)」

 

 いよいよ後半戦。戦線維持すら紙一重とはいえ、もう1体のボス『ウンジョウラン』のHPゲージが1本目すら削られておらず、片割れの体力は3割間近に迫っているとうものだ。

 アキョウビは効果があったのか疑問な甲冑を捨て、その銅の硬質を秘めた全身を晒す。どこの仏像でも言えるようなイメージだが腰回りに布が巻かれているだけの、そして多くの男にとっては羨ましいほどの逞しい黄金(こがね)色の筋肉が露わになる。

 

「あの筋肉だけは欲しいな……」

「筋肉はいらねぇな~……」

「前から思ってたけどあの格好セクハラよね……」

 

 キリト、俺、ヒスイが三者三様の感想を述べたところでボスの無敵モーションが終了し、ゆっくりと立ち上がっているのが見える。

 その自信に溢れた佇まいは、『枷は外した……』とでも言いたげだ。しかし実際、今まで身に着けていた甲冑は敵にとっての『枷』だったのだろう。素の状態で銅に匹敵する肉質の硬さなら、鉄で作られた防具を着る意味がまったくない。

 

「けど、ここに来てペースが順調になっている」

「ああ。次は俺達だ」

 

 そこまでの会話でリンドによる「B隊後退! D隊前進!」と言う指示が響きわたり、俺を含むD隊が雄叫びと共に集団スイッチを敢行した。

 元々システム外スキル《スイッチ》の強みは『集団ミスリード』。その特性上、プレイヤーの武装が一気に総入れ替えされれば、敵もその対処までに少しの時間を要する。つまり今このタイミングこそ、疲弊(ひへい)した味方部隊を後退させるだけではなく、実は『攻撃のチャンス』でもあるのだ。

 大きく前進。俺は例に則り《両手用大剣》専用ソードスキル、初級二連斬り上げ《ダブル・ラード》をその左足に全段命中させた。

 さらに、まったく同じ場所にキリトが片手剣のソードスキル、《バーチカル・アーク》の二連撃を決めることで、被弾箇所が集中したアキョウビは一際大きくよろめいた。

 

「らァあああああッ!!」

「しゃあ! ざまみろってんだっ!!」

「ディレイよ! 持ってる最大技で一気に攻撃!」

 

 もはや男らしくもあるヒスイの号令で、攻撃できる奴から絶え間なく膝を地につける敵に剣を突き立てた。

 片膝をついた場合、ディレイタイムは4秒。そして俺もその波に逆らわず、再び初級垂直三連撃《ガントレット・ナイル》を弱点の首に連発する。頭を垂れている状態で、さらに垂直斬りだからこそ狙える部位である。

 いっさい声を発しない今回の銅像は、怖い顔を俺に向けてさらに恐怖を煽ってきたが、いちいち(おく)してやることはない。

 

「追撃を……!!」

 

 しかしここで、衝撃がセリフを遮った。真後ろからリンド隊、つまり《ドラゴンナイツ》のタンカー1人が上からふっ飛んできたのだ。

 

「ガッ、なにすん……ッ!?」

 

 「だよ」が口から出る前に転がるように押し寄せる巨大な剣を避けた。

 ゴバァッ!! と、地面をえぐるオオダチ。とっさに動けたから良かったものの、いつの間にかウンジョウランがすぐ近くまで迫ってきていたのだ。

 

「オイ、タンクの方は何やってる! ちゃんと止めろ!!」

 

 リンドが叫ぶ。俺もそう叫びたいぐらいだ。連携をさせないための面倒な作戦だったのではないのか。合流させてしまっては意味がない。

 

「ダメだッ。何をしても振り向かない!」

「なんだ……と……?」

 

 しかし、すぐにウンジョウランが接近してきた理由を理解した。

 今までタンク隊は『ボスによるもう1体のボスへの援護』という行動をひたすら妨害してきた。人の壁で物理的な道を塞ぎ、ただただ防御し、さらにその後ろで《投剣》スキルを持つプレイヤーが弱点である首にピンポイント攻撃。そして憎悪値上昇用の《威嚇(ハウル)》スキルでヘイトを溜め、常にきっちりとタゲをとり続けていたのだ。

 だがアキョウビの体力ゲージ最終段が《注意域(イエローゾーン)》に入った途端、全てのヘイトをリセットしてアキョウビへの援護を何よりも優先しだした。つまりタンク隊は、仕事をしていなかったのではなく、これまでのヘイト稼ぎが水泡に帰してどうしようもない状態になっていただけだった。

 ――まったく、呆れたゲームの作り込みだ。

 

「ジェイド! 他の奴も聞けッ! ここからは時間との戦いだ! 一気にアキョウビだけでも倒しきる!」

 

 変化した状況にキリトが叫んだ。

 一応パーティのリーダーであるリンドが何かを言いたそうにしていたが、今が緊急事態であることと、キリトの言っていることが正しいということで発言を控えていた。

 そしてC隊がスイッチで交代するのと同時にA、Dの2隊が今までの中で1番危険な特攻の賭けに出る。すると、そのリスクの代償としてA隊の名も知らぬ2人がその身を大きく後方へ飛ばされているが、四方八方からの攻撃もやはりボスのHPをガリガリと削っていた。

 ボスの体力はもう《危険域(レッドゾーン)》へ入っている。あとはとどめを刺すだけだ。

 

「あと少し……いっけぇええええええッ!」

 

 しかし攻撃隊の全員が玉砕覚悟の特攻を仕掛ける寸前、またしても足を止めきれなかったウンジョウランから横やりを入れられる。

 

「みんな伏せてぇっ!!」

 

 ヒスイが叫びながら俺の真後ろに立ち、右手の盾をさらに後ろにいる敵に向ける気配がした。

 

「おい、ヒス……ッ」

 

 しかし言葉と思考回路さえもが途切れた。音という音が耳鳴りに変わり、彼女が吹き飛んだ一瞬後に宙を舞う俺は、どこが天井でどこが床で重力がどこから発生しているのかもわからない状態になっていたからだ。

 五感が感じるのは平衡感覚の消失と浮遊感のみ。

 そして派手に背中から地面に落ちると、肺から酸素を全て吐き出してしまう。

 しかし俺が飛ばされた理由は言わば『二次災害』で、ダメージなど微々たるものだった。なぜならそれは仲介物としてヒスイを挟んでいたからだ。

 

「(くそっ、たれ。……そうだ……ヒスイは……!?)」

 

 なぜヒスイは俺などを庇ったのか。

 とにかく俺は立ち込める濃煙を振り払って起き上がると、ほとんどダメージを受けていないことを今1度確認しながら、周りを見て改めて絶句する。

 そこには10人以上のプレイヤーが横たわるシーンが広がっていたのだ。当然ヒスイが横たわる姿も。

 遅まきながらにも状況を理解した。これは《カタナ》専用ソードスキル、全方向重範囲水平斬撃《ツムジグルマ》だ。違って欲しかったが被弾したプレイヤー全員が《スタン》状態になっているためこれは明らか。

 そして俺は防御役の相手(ウンジョウラン)がもたらした隙を攻撃役の敵(アキョウビ)が連携して埋めていく様を、その絶望的なまでの構えを見てしまう。

 

「あ、あァああっ……!!」

 

 《ホウオウイン》だ。あの突きの構えと虹色のライトエフェクトは間違いない。

 しかも『見切り』で特定した攻撃対象は……、

 

「やめろぉおおおおあアッ!!」

 

 しかし俺の叫びも空しくスキルコンボへの最初の1発が、体力を半減させ剣を《ファンブル》しているヒスイの腹を抉った。

 そして始まる。

 死への13連撃が。

 

「おああぁぁああアぁあ!!」

 

 しかし、だからといって諦めることはできなかった。

 こうなったらソードスキルの中断条件を利用するしかない。

 システムが認めるソードスキルの中断条件は2つ。

 その1つは『発動者の意志』。だが結局は技後硬直(ポストモーション)と同じだけのディレイが課せられるから……いや、例えそうでなくともこのボスには攻撃を止める理由がない。

 しかし2つ目。『剣撃軌道の著しい妨害』。この方法が成立するなら《ホウオウイン》を止められるかもしれないのだ。

 なら俺がやるしかない!

 

「(させるかよッ!!)」

 

 無理矢理地上に立たされて束縛されているように動けないヒスイと、それを斬り刻もうとするボスの間にぎりぎり滑り込んだ。

 そして俺は自分の心臓の音すら聞こえかねない静寂を感じ、敵の振る《オオダチ》の軌道をはっきりとこの目に映す。さらに、極限の一瞬の中で敵の目まぐるしいまでの連撃を単発技の《ホリゾンタル》、連撃技の《ガントレット・ナイル》の計4連撃で数発までを弾き返した。

 ゴガガガガァアアッ!! と、凄まじいサウンドエフェクトと火花が散った。

 もちろん、全て弾き返せたわけではなく、漏れた攻撃は俺の体を、ひいてはヒスイの体を斬り裂いている。

 それでも、まさに奇跡の所業で命ある一瞬を作り出したのだ。

 

「(ああ……クッソ……ッ)」

 

 だが限界を迎える。引き延ばされる一瞬の中で俺は確かにその時を感じてしまった。

 背中に冷や汗が流れるのを感じる。即死技設定のやけくそのような連続攻撃を前に、数秒間の拮抗を作り出した俺は確かに記録的な結果を生んだのだろう。

 しかしそれでは足りない。圧倒的に足りないのだ。

 銅像型ボス《アキョウビ》の必殺技はまだ半分も終了していない。こんなちっぽけな俺の力では《オオダチ》の『ソードスキル中断』にはほど遠く、ヒスイも、そして俺自身も救い助けることなどできはしなかったのだ。

 

「(……なッ……!?)」

 

 だが変化が起きた。

 今まで意識の外にあったボス以外の光景が鮮明になり、そこに存在する者が見えてきた。

 確認されたのは討伐隊。しかもそれは、すでに有らん限りの力を振り絞り、その手に握る得物を振り回す姿だった。

 

「ンなろおぉおおおッ!」

「ヒスイちゃんに手ぇ出すなぁあ!」

「数で押せぇえええっ!!」

 

 ボスの体で見えなかったが敵の真後ろにも何人かいる。

 そしてそいつらが例外無くヒスイを守らんがためにその剣を振るって咆哮を上げていたのだ。

 ガッ!! ガッ!! と、連続して金属音が響いた。誰もが1つの命を繋ぎ止めようとしている。次から次へと押し寄せる討伐対の体を剣が貫通し、ボスの体にも針山のように剣が突き立てられる。そんな状態が数秒ほど続き……、

 

『…………』

 

 均衡が崩れた。

 俺が忘れていたソードスキル中断条件の3つ目、『発動者の絶命』が適用されたのだ。

 ギギギィ、とゆっくりアキョウビが傾き、そして青白いデータの欠片で爆散エフェクトだけをその場に残した。暴れまわったモンスターの壮絶な最期。しかし倒した……ボスの1体をとうとう倒しきったのだ。

 

「やっ……た……ッ!?」

 

 そうだ、ヒスイ……ヒスイは……、

 

「ヒスイ!」

 

 振り向くと、ヒスイがHPゲージを1ヶ月前のあの時のように赤く染めているのが辛うじて認識できた。だが間違いなく生きている。間違いなくヒスイは生きていた。

 

「生き……てるわよ。死ぬ……かと、思ったけど……」

「……ハァ……バカやろうが……ハァ……なんで……余計なこと、してんじゃねェよ……!!」

 

 こいつのやったことはソロプレイヤー失格の愚行だ。

 『周りの奴が死んでも自分だけは生き残れ』。これはソロの連中が鉄則としている最低条件のはずなのに。

 

「く……っそ野郎がッ! 何……してくれてんだ……」

 

 呻くようにしか、自分に向けてしか、言葉がでない。

 かく言う俺の体力もレッド寸前のイエローだ。だが、2人は奇跡的にも命を繋ぎ止めた。生きていてくれた。

 

「あんたら、早く回復しろ! 2体目との戦闘に入る!」

「……あ、ああ。わかった!」

 

 現実に引き戻されて催促されるまま俺達はそれに従う。

 そして互いの体力ゲージが再びマックス値にまで回復する頃には、残りの1体も最終段の攻撃モーションを行っていた。

 

「これで……勝ったかな」

「ええ、そうみたいね……」

 

 それからは早かった。

 今回のボスの最大の強みはやはり『連携プレー』にあったのだ。つまり片割れが消えたことで残りの1体はその力を十二分に発揮しているとは言えないことになる。

 それでもボスとしては強力だったが、レベル的余裕(安全マージン)を十分に取ったプレイヤーがほぼフルレイドの状態となった今では、ウンジョウラン1体を死者無しで倒しきることは容易だった。

 

「おらァあああッ!」

 

 バギンッ、と金属のひび割れる音が聞こえる。

 キリトがその手に持つ片手直剣をボスの脳天に叩き込んだ音だ。

 やがて『ウンジョウラン』が『アキョウビ』と同じ運命を辿り、その体を膨らませてついには爆散。しかし、大切な者を取りこぼしそうになったためか、第10層攻略の瞬間を俺は半ば放心状態で迎えることになる。

 

「助けてくれて……ありがとう……」

 

 響き渡る歓声の中、ヒスイの声は俺にだけ届いていた。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 緊張も切れて11層を有効化(アクティベート)しながらの報酬の分配中、結局あの時助けた全員のプレイヤーにお礼を言って回り、少しぐったりながらヒスイが再び戻って来た。

 ところで、なぜ俺のところに戻ってくるのか。

 

「律儀だよな、ヒスイ。ボス戦だぜ? その辺はお互い様だろうに」

 

 しかし助けられておいてシカトするわけにもいかず、渋々当たり障りのない話題をきりだす。

 

「それでも……ね、みんな命の恩人だから……」

「でもなんか、やつれてね?」

「え、ええ……たぶん緊張状態だったから勢いに任せちゃっただけなんでしょうけど……ちょっとあそこの黒髪フェンサーの人にまた告白されちゃってね。言葉を選んで断ってきたわ」

「…………」

 

 ――うわぁ、自慢かよ。

 と思わなくもない。しかしこれでも彼女にとっては嫌みでも自慢でもないのだ。

 俺はそんな風に思いながら考えが表情に出ないよう必死につとめた。少しばかり弱々しいところ見せると男はすぐコレだ。しかし納得もいく。何の納得かというと、前方20メートル付近にいる数人の男達がなぜ俺のことを睨んでいるのか、という納得のことだが。

 それにしてもヒスイですらこれなのだ。SAO界最高の美少女――との噂が高い――アスナの人気とはこれいかに。彼女は胸まででかいのだ。バーチャル界に来てまで女に飢えたくはないが、あのバストだとどんな食生活をしているのか気にはなる。もしかすると胸筋周りのストレッチを毎日欠かさず……いや、やめておこう。

 もっとも、俺の好みはどちらかというとアスナではなく……、

 

「これからはさ」

「んえあっ? あ、ああ何だネ」

「何今の謎言語。……まいいわ。なんか、次の層からはあたし達テスターすら知らない世界が広がってるんだなと思って……」

 

 危険な妄想に入る前にふとそんなことをヒスイが言った。

 しかし考えてみればこれほど普通に女と話せるようになっている時点で、俺のこの世界での進歩は今まで生きてきた17年間を越えているとも思う。

 その事実が、なぜか俺に無限の自信をくれた。

 

「どうってことねぇよそんなの。……まあ、危険は増えるかもしれんけどさ。だけど俺らは4ヶ月かけて死なない生き方を学んでたようなもんだろ? だから絶対に生き残れるさ」

「ええ、そうよね。……必ず生き残りましょう……」

 

 とうとうテスターにまで迫る未知の世界への旅立ち。しかし押し寄せる不安とは裏腹に、ヒスイと話す俺の覚悟は自然と揺らがなかった。

 

 

 そうして、第11層主街区《タフト》での新たなステージが切り開かれるのだった。

 

 

 



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アナザーロード1 忘れたい一生の思い出(前編)

 西暦2023年1月7日、浮遊城第5層。

 

 あれだけ怖かったというのに。

 

「変わったなぁ」

 

 つい口に出てしまったけれど、やはりこれも自分の成してきた成果が気になるからだろう。ソロでの活動が長いと、つい本音を晒したくもなるのだ。

 『ヒスイ』という第2の名前を持って、今日で2ヶ月がたった。

 あたしは今、ちょうど1ヶ月ほど前に初めて出会い、あたしをこの世界で初めて罵倒して、初めて反論して……そして、初めてボス戦で共闘した男の人のことを思いだしていた。

 しかし、あたしが声をかけた男の人の中でも、少し見ないうちに劇的に変化したのはやはり彼だけだ。

 

「(誰かに説教された……じゃないよね……)」

 

 あたしが2層で説教した時は、まったく意見を変えようとしなかった。彼のようなタイプは人からの強制で変わるものではない。きっと自発的に、彼自身が思い直すきっかけを見つけたのだろう。

 別に悪いことではないので深追いする義理はない。ただ、知らないままではストレスがたまる。のちの活動のためにも、機会があればぜひその理由を知っておきたい。

 今のあたしにできる、単純な攻略以外の人助けのために。

 

「(それにしても、ジェイド……か)」

 

 新年初日。あたしが「ヒスイ」と名乗ったにも関わらず、一向に自己紹介をしようとしない彼に名前を問いただしたところ、返ってきた答えがこの名前だ。

 とても印象的な名前だった。不覚にも運命的な何かを感じ、素っ頓狂な声をあげてしまったほどに。

 ただ最も大きな理由は、彼はあたしに初めて怒鳴ってきた男性でもあるからだろう。ガラの悪そうな人相に、射貫くようなキツい三白眼。≪圏内≫でなければ今にも人を襲いそうな攻撃的な性格。口を開けば次々と飛び交う、威圧的ではしたない言葉。

 どれをとっても、できればお近づきになりたくないタイプの人間だった。

 当時は気丈に振る舞ったものの、正直彼に対するあたしの圧倒的な第一印象は『怖い』である。よって、結果的に彼の存在はあたしの記憶に深く刻まれてしまったというわけだ。

 あれから6日。もう1週間もたつというのに、悔しいことにたまに脳裏を横切る。

 なぜだろう、という疑問は堂々巡りだ。記憶に留めるような男性は今まで『彼』しかいなかったのに。と、少しだけ昔のことを思い出してしまう。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 あたしが《βテスター》としてこの世界に初めて来た時から、この世界には驚かされることばかりだった。VRとは思えない広さと精密さ。モンスターや、装備する剣や防具の精緻(せいち)な作り込み。そして《ソードアートオンライン》というタイトルに顔負けしない、無数とも言える《ソードスキル》の数々。

 家族そろってβテストへ応募しただけのことはあった。最先端のゲーム開発会社の次長を務める父が太鼓判を押した名作に、自分の券だけが抽選で選ばれた時の優越感は、今でも鮮明に思い出せる。お姉ちゃんの悔しがる顔なんて傑作(けっさく)だったものだ。

 あの時、このゲームがロールプレイングの道を外さなければ、部活も勉強も投げ捨てて、一生ここで過ごしてもいいとさえ思ってしまった仮想世界。

 でも、それでも変わってしまった。

 

「最初の1週間でさ、ちょっと競争しない?」

 

 あたしの言う『彼』。同じ学年の長身痩躯(ちょうしんそうく)な男子で『体育会系の成績優秀な社交的インドア派ゲーマー』として、もはやキャッチフレーズに矛盾を抱えていそうなぐらいハイスペックな、この世界(SAO)で唯一の知人。

 地域で有名人ですらあった隣のクラスの男の子が、そんなことを言っていたのである。

 

「ベータ出身のあたしに勝てると思ってるのぉ?」

 

 しかし、あたしも大概負けず嫌いだったからか、持ちかけられた勝負を断れず、その人とは1週間情報のやり取りを遮断して『お互いに強くなってからデュエルしよう』と約束をした。

 あたしはその日を楽しみにしながら、早速自分の強化を始めたものだ。

 そして。

 その2時間後、このゲームの創始者「茅場晶彦」が世界のルールを大きく変えてしまった。

 あれが夢であれば、とは数えられないほど思い、願った。それでも、あたしは全プレイヤーから見たらかなり早い段階でこのルールに適応していたのだと思う。

 そしてあたしは、βテストの経験則から、自身が生き残るには何が最善かを考えてしまった。

 出た答えが『ソロ』の道。ある程度落ち着いてきてから、どこかしらの《ギルド》に入れてもらおう。という、誰の目にも明らかなずるい道だった。

 この時から、《圏内》を出てレベルアップをする事を視野に入れていたのだろう。

 ある意味、冷静だった。

 気が動転した人、あるいはその先の『自殺で脱出』なんて結論に至った人を、どこか唾棄するような自覚があった。

 もしかしたら、それは現実逃避にも似た生存本能だったのかもしれない。

 

「(でも、あたしは閉じこもって、何もしないのは嫌……)」

 

 自分の場合は、ビギナーが無知なまま勇者気取りでレベリングするのとは違う。圧倒的な知識量に(たの)んだ安全なルート。圧勝前提のモンスターとのみエンカウントをし、安全に他のプレイヤーから1歩先へ進むことができるのだ。

 そこまで考えたあたしの行動は早かった。

 

「(ホルンカに行かなきゃ……)」

 

 《ホルンカの村》には片手直剣使いには嬉しい、汎用性の高い武器を頂戴できるクエストがある。《森の秘薬》という名のクエストで、レア個体の植物型モンスターからドロップ品を集めるだけ。

 それを運良く30分ほどでクリアしてしまうと、あたしは報酬の《アニールブレード》を手にした。きっとあたしより早く手に入れた人なんて、片手で数えられる程度だっただろう。

 そのまま、すぐにもレベリングに邁進(まいしん)した。頭の中を空にして、辛い思考は遮断して、そして最近になってほんの少しだけ会話を交えるようになった同級生を見捨てて。

 

「で、でも、すぐに出られるよね……」

 

 大半のプレイヤーに先駆けての自己研鑽は『念のため』だと心に言い訳をし、もし後で会って独断行動の理由を問いただされたら「あんなの信じてなかった。連絡はしないのが約束でしょう?」と言えばいい。

 だから、彼からのインスタントメッセージ……件名だけで送られてきた「俺は向こうの世界に帰る」という言葉を、あたしは無情にも無視してしまった。

 そして……、

 

「あ、あぁ……あぁぁああ……ッ!!」

 

 フレンド登録をしていた彼のキャラクターネームがあたしの《メインメニュー・ウィンドウ》の中で灰色に染まる瞬間を見てしまう。

 彼は初日で死んだ。少なくとも、ゲームオーバーになった。

 この世界で最初に『死がログアウトへの近道』という考えに達し、それを実行したプレイヤー。それが彼。

 『浮遊城』の名を持つアインクラッドの最南端の壁から彼は飛び降りた。そしてゲームオーバーになったプレイヤーが復帰するための、《蘇生者の間》に新たに設置されていた《生命の碑》には、彼の名前の上に横線が2本。さらにその下には、死因が『高所落下』とだけ記されていた。

 そうと知ったあたしは、自分の行動を血が出るほど唇を噛んで悔やみ、枯れるほどの涙を流した。

 ――あたしが……止めなかったから。

 彼の死因は自分にある。今にして思うと、あの時の涙は自身のあまりに醜い感情への嫌悪だったのかもしれない。

 なぜなら。

 なぜなら、あたしはメッセージが送られてきた時から、彼がいかな行動をするのかを正確に理解していて、そして彼が無事にログアウトできるかどうかを確認しようとしたのだ。あたしがその後を追うか決定するのは彼の結果を見てからでも遅くない、と。……無意識に、そう判断していた。

 

「(あたしが彼を殺したんだ……)」

 

 覆い被さる自責の念。それでも、1ヶ月間生き延びることだけを主眼に置いた生活をしながら、第1層が攻略されたと聞かされた時。その時のあたしは……情報を秘匿(ひとく)して高レベルを獲得していたはずのあたしは、討伐に参加せず1人でうじうじと悩んでいるだけだった。

 またしても、自分の行動を恥じた。

 だから、なのかは今でもよくわからない。あたしは第2層がアクティベートしたその日から考え方を変えて、ソロプレイヤーから協調性を促す行動を繰り返すことになる。

 偽善も綺麗(きれい)ごとも理解している。だとしても、やめられなかった。

 そして、その活動を始めてわずか3回目の呼び掛けで、あたしは彼に出会ったのだ。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 正直その途方もない長き道のりを前に無意味さを悟りそうにもなっていた。孤独に押し潰されそうなあたしが、君は1人ではないよ、と。みんなと力を合わせて頑張ろう、と。そう言って聞かせようとしているのだから。

 しかし年初めの『あのボス戦』であたしの行動には意味があったと、少なくとも成果の片鱗(へんりん)を掴むことでほんの少しだけ自分を好きになれた。

 『彼』のことを忘れたわけではないけれど、あたしは心の中で次のステップに進もうとしている。

 

「彼に会わなければ、今のあたしは……」

「彼……カ」

「ひゃあああっ!?」

 

 いつの間に這い寄られたのか、真後ろにフードを深く被った背の低いプレイヤーが立っていた。

 まったく、独り言とは迂闊(うかつ)だった。

 

「もう! 驚かせないでよ!」

「ナハハ悪いことしたナ。で、彼ってのは誰サ?」

 

 セリフに反しまったく悪いと思っていなさそうなこの女性は、ネズミのフェイトペイントをあしらった名の知れた情報屋、俗称《鼠のアルゴ》。ちなみになぜこんなフェイスペイントをしているのかを最近になって知ることができた。

 通例通り10万コルを支払ったのではない。とある《エクストラスキル》の存在を突き止めたプレイヤーがいたからだ。

 そのエクストラスキルとは《体術》スキル。

 このスキルがあれば、剣を持たずして体一つでソードスキルを発動することができる。さらに予備動作(ポストモーション)行動遅延時間(ディレイタイム)を穴埋めできるとくれば、言うまでもなく大人気だ。

 話は戻って、なぜこれがアルゴの『ヒゲ』の理由を低価格で知るきっかけになったのか。

 そのワケは《体術》スキル獲得クエストを『受注するだけ』で知ることができる。

 クエストを受注すると、まず顔にアルゴと同じ『ヒゲ』が描かれるからで、しかも洗っても消えない。

 あたしが記憶する限りではβテストの時もアルゴは『ヒゲ』をしていたので、きっとこのクエストを受けたのだと思う。

 岩を素手で割ればクリアの単純な内容だが、岩が割れずに諦めた。であれば、それがβの時代に《鼠》と名付けられ、今さらそのペイントを止めるに止められなくなってしまった理由だと推測できる。

 ちなみにあたしは筋力値が相当上がっていたから半日とたたず割れたけれども、最初期に挑戦した人達は2泊3日のフルコースだったらしい。

 けれど、誰かがそのクエストについての情報を売り出した。『秘密にしてもどの道バレる』と悟ったアルゴは、急いでエクストラスキル《体術》の獲得条件を売りまくったというわけである。そこで『ヒゲの理由』も低価格で別売りしたというわけだ。

 ――アルゴったらあくどい。

 そんな彼女が、間違いなく隠蔽(ハイディング)スキルを使ってあたしの背後を取ってきた。

 

「な、何でもないわよ! それに、今度やったら本当に許さないから!」

「もう怖い顔すんなっテ。次からはしないからサ」

 

 本当かどうかは怪しいけれど、アルゴは謝りながらあたしの肩に頭をスリスリしてくる。

 

「も~、お調子者なんだから。……あと依頼の件はどう?」

「調査したギルドについては何も言うことはないゾ。平和で仲のいい普通の5人ギルドだったヨ。オレンジ歴も皆無ダ」

「そっか……ならあたし、彼らとしばらく狩りしてみる!」

「ほウ……」

 

 行動を共にするという、そのギルド。

 まるで犯罪者を想定した身元調査にはなったが、プレイヤーだろうとNPCだろうと、誰かと過ごすのは『彼』を殺してしまってからは初めての経験だ。少し警戒してしまうのも大目に見てもらうしかない。

 

「まぁ、どこに入ろうともヒスイの自由だガ、昔のアレは振りきったのカ?」

 

 おそらくこれは、アルゴにだけ話しているあたしの『ソロの理由』についてのこと。

 聞かれるとは思わなかったので、少し言い淀んだ。

 

「……んーん、全然。でもあたしこのままじゃいけない気がするの。単純にソロ、ってだけなら苦しくない。でも、あたしの言う理想の状況ってプレイヤー同士の協調でしょう? だからこのままじゃ矛盾するって思わない?」

「……まぁナ」

「彼らは『ギルドに加盟しなくてもいい』って言ってくれた。一緒に行動するだけでいい、って。なら少しでいいからそれに甘えるわ。それで、あたしの心が自分を許したら、その時は改めて一緒に戦うことを誓おうと思う」

 

 そこまで言うと、アルゴが目をきらきら輝かせていることに気づいた。

 

「か、格好いいなナ! オネーサンびっくりしたヨ。あのヒスイっちがこんなに成長して……」

「もう何言ってるのよ。あと『ヒスイっち』はやめて、違和感だらけだから。……さ、アルゴはアルゴの仕事があるのでしょう、行かなきゃ」

「そうだナ。それじゃあ、オレっちはこの辺でドロンとするカ」

 

 そう言いつつ、アルゴはまだこっちをちらちら見ながら未練たらしく去っていった。

 

「アルゴ……貴女は貴女の戦いを……」

 

 小さく誰にも聞こえないように呟くと、その30分後にはあたしは件のギルドと面会していた。

 男性5人の小ギルド。

 

「こんにちは、改めてヒスイです。メッセージで知らせた通り、しばらくは共に行動するだけですけど、よろしくお願いします」

「ああ、こちらこそよろしく。あとその気になったらいつでも教えてくれよ。その時はこちらも改めて君をギルドに歓迎するから」

 

 小さく頷くと、あたしを誘ってくれた5人全員が微笑み合う。

 あたしはこの中層プレイヤーの人達と証明していくのだ。『元テスターとビギナーの共存』の道を。

 

「じゃあまだ暫定だけど。ようこそ、ギルド《シルバーフラグス》へ」

 

 贖罪(しょくざい)のつもり、なのかもしれない。しかしだからと言って、怠惰の不変に甘んじる気はない。正しいと思う道を、自分を裏切らないよう実行するだけ。

 ――待っててね祐介君。あなたの行動を無駄にはしないから。

 そう固く誓い、新しい生き方を模索するのだった。

 



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アナザーロード2 忘れたい一生の思い出(中編)

 西暦2023年1月18日、浮遊城第5層(最前線7層)。

 

 5人ギルドの《シルバーフラグス》。通称《シルフラ》と行動を共にするようになってから11日が過ぎた。

 『誰かと行動する』という体験の無かったあたしには、相手に対する気遣いやら、戦闘スタイルの共存を意識し戦っているからか、やや疲れていた。実際の日数より1日が少しだけ長く感じる。

 それでも、接点のなかったギルドメンバーであれ、彼らと過ごす時間は楽しいと思えた。

 1番体がしっかりしていて受け答えにも覇気のある隊長さん、両手用大剣(ツーハンドソード)使いの『ロキヤ』。少し周りを気にしすぎる傾向がある、ふくよかな体型の両手用長柄槍(ツーハンドポールランス)使いの『フェスカ』。対して楽観思考に寄るきらいがある、痩せ型で唯一の茶髪でもある片手直剣(ワンハンドソード)使いの『アドルフ』。同じく片手直剣(ワンハンドソード)使いで標準体型だが、少し内気な長髪の『ヴィルヘルム』。最後に長柄棍棒(ポールスタッフ)使いの『エド』。

 寒さが身を裂く5層のフィールドだが、彼らといられるならなんてことはない。

 

「(初めて……心を休ませてる感じね……)」

 

 寒草がまばらに配置されるだけの荒地を歩きながら、そっと独りごちる。

 それに、着込めばそれだけでシステムが体温に補正をかけるこの世界では、手先が出ているからと言ってかじかんで剣も持てない、などということにはならない。

 よって、ただでさえギルドメンバーだけで狩りをすることができる5層のフィールドは、あたしが一時加入することで圧倒的な戦力を手に入れていた。

 

「慣れてきたなぁ。狩り場も移動しないと枯渇してきたみたいだし、もう1層上げられるんじゃない?」

「だな。ヒスイちゃん来てから余裕だし」

「そんなことないですよ。あたしがいなくてもこのギルドは十分強いと思います」

 

 ゆっくりと話す温和なフェスカにアドルフが同意し、続くようにあたしが答える。比較的慎重に階層を上がり、控えめな攻略行為に勤しむ彼らではあったけれど、あたしの参戦でちょっと強気に出ているようだ。男の子だな、とは思う。

 もちろん、それが暴走気味なら止めるつもりである。見栄だけで話しているのではなく、次層へ前進できるタイミングなのは間違いなさそう、という判断だ。

 

「リーダーはどう思うん?」

「そうだな……」

 

 ぽっちゃり体型のフェスカによる質問系になる言葉は誰かが答えないと会話が成立しない。けれど、やはり最後はリーダーの采配によるところ。あたしの口出しは厳禁だ。

 人を纏める能力もさることながら、長身の彼は戦闘面でも手練れで、あたしが来るまではシルフラ最強だった両手剣使いのプレイヤーでもある。

 しかし両手剣ときた。両手剣……。

 

「(いやいや……)」

「よし決めた、俺らは前線入りが目標だからな。今日を境に、5層の狩りは終わりだ。明日から6層で戦うぞ」

『おおぉ!』

 

 メンバーは歓声の次には「遂に6層かぁ!」「だな。ゴブリン系のMOBともこれでおさらばだ」と、本日をまだ7時間以上残しているのに明日のことを考えていることが伺える。

 しかし常に最前線を渡っていたからこそ、上階層への前進はRPGならではの胸高鳴る興奮があることをあたしはよく知っている。だからこそ、この雰囲気は大切にしなければ。

 

「この調子なら、あっという間に最前線行けちゃうんじゃないかしら?」

「あっハハハ、やっぱヒスイちゃんは強気だねぇ。βテスターだっただけのことはある。それに男だらけでむさくるしかったのに、今じゃ花があるよね!」

「つってもまぁ、最前線の奴らはもう7層の迷宮区を突破しかけてるんだし、まだまだ遠いぞお前ら」

 

 リーダーが冷静な判断を下す前、このやたらハイテンションな人がエド。エドは結構盛り上げ役なので彼がいるだけで結構笑いは絶えない。

 だが気になるのは最後の1人。今もアタシの方を見続けるこの人は……、

 

「…………」

「えっと、ヴィルヘルム? ……どうかしたの?」

「えっ、えぇっと……いや、何でもない……」

「おいおい辛気くさいぞ。ヴィルはスロット打つのが趣味とか言ってなかったか? 7層は賭け事に関する建物が充実してるっていうし、今こそメッチャ喜ぶところだろう」

「だよな。最近元気ねぇぞお前」

「……いや、スロットって言っても勝てそうな台しか座らないし。金が好きなんだ。賭けそのものが好きってわけじゃあ……」

「だとしてもだよ! テンション上げよーぜ」

 

 フェスカやアドルフの呼び掛けにもあまり反応がないヴィルヘルム。それに何だか彼は、あまり言いたくはないけど、あたしが来てからこんな調子が続いているように見える。

 これについてリーダーは何も言及しないので問題ないのか。少なくとも、あたしには解決方法がわからないので、深いところまで踏み込んで理由を問い正せない。

 

「明日は6層に行くけど、だからって今日サボっていいってわけじゃないぞ。さあ、もうひと狩りだ、ヒスイちゃんもいい?」

 

 既存のギルドメンバー全員が年上だけれど、だからこそなのか『ちゃん』や『さん』を付けてくるのが少しだけむず(がゆ)い。名前だけならあたしもタメだというのに。

 

「大丈夫です。これぐらいやらないと前線行けませんしね」

 

 でも「呼び捨てでいいです」とはもう断っておいたので、不満はおくびに出さず賛同の意を表明する。

 そしてその日は午後8時まで狩りを続けたのだった。

 

 

 翌日、あたし達は待ち合わせ場所に朝早く――5時半早すぎ! ――から集まると、早速転移門で懐かしの6層に来てフィールドへの北ゲートをくぐる。

 しかしフィールドに向かったその足は、ほんの数歩で止まってしまった。なんと、ゲートの付近で怪しげな行動をしているプレイヤーを見つけてしまったのだ。こんな冷え切った早朝からご苦労なことである。

 正義感の強いリーダーは物陰に潜む2人のプレイヤーを呼び止めていた。

 

「ん? ……おい、君ら何してる!」

「うげっ、マジかよ!?」

 

 声でこちらに気付くと、なにやらごそごそしている2人のプレイヤーは作業を止めて一目散に走り出した。よく見ると、どうやら寝ていたプレイヤーを物色していたようだ。

 寝ているプレイヤー……に、見覚えがある。眉間にシワを寄せてガンでも飛ばせば即ヤクザ。実は臆病なくせに、気に入らないとすぐに声を荒らげる困った脳筋。

 例の男である。

 例の男に、コソ泥が2人張り付いている。

 絵に描いたような小者具合に肩から力が抜けかけたが、しかしここまで露骨(ろこつ)だと、例え怪しい者でなくとも追いかけたくなってしまう。

 そして、リーダーは案の定だった。

 

「あ、待てこら! お前らも追うぞ!」

「え~ほっとこうよロキア」

「隊長がまぁ〜た厄介ごとに顔突っ込んでる……」

 

 逃げる2人となし崩し的に追う6人。しかし3倍の人数からかすぐに追い込んで、ふん掴まえてから怪しげな行動の詳細を聞き出した。

 それにグダグダ言っていたあたしも、この時は全力で追いかけていた。なぜならその『怪しげなこと』をされていたのがあのジェイドだったからだ。理由になっているかはわからないが。

 

「何をしていたんだ。寝ているプレイヤーのウィンドウ開いて勝手に物色か? 何にせよ、感心しないな」

「わ、悪かったって……ほんの出来心で……」

 

 リーダーも、このような利益の無い面倒ごとに片足どころか全身を突っ込むあたり、見た目通りな人だとは思う。しかし、そこが魅力でこれだけのギルドができ上がったのだ。貧乏なギルドでも、だから不満を漏らすメンバーがいないのだろう。素直に感心してしまう。

 それにしても、こんなフィールドの端で寒そうに丸まったままぐうすか寝ているジェイドはアホの子なのだろうか。しかも、こんな男のことが脳裏をよぎっては忘れられないあたしはいったい……。

 

「(い、いやいや!)」

 

 頭をぶんぶん振って余計な思考を吹き飛ばすと、まだ起きないおバカさんを蹴りで起こして上げる。

 

「ジェイド! 起きなって……もう」

「んぁ? ……あ、あ~寝てたのかぁ……?」

 

 うつろな両目をこすりながら、彼はあくび交じりにあたしに答えていた。しかも背負った大剣が邪魔をしてうまく起き上がれないようだ。

 ――寝ぼけているわね。

 うん、やはり。何度見てもアホ面としか思えないし何ともない。良かった。これで安心だ。

 

「ん……んん!? な、なんでここにヒスイが……ってか何だッ? 誰だあんたら!?」

 

 ようやく脳の隅々まで覚醒したのか、しっかりと目を覚ましたジェイドにシルフラのメンバーが今起きていた状況を説明する。ついでにあたしはなぜフィールドで寝ていたのか質問してみたけれど、返ってきた答えは意外なものだった。

 

「いや、俺《圏内》で寝てたぜ? ……しかも俺のアイテム無くなってるしッ!」

 

 これには流石に捕まえたプレイヤーを睨んでしまう。

 何をしていたのかははっきりしてきたけれど、少なくともどうやってアイテムを奪取していたのかは確認しておかないとあたしも不安になってくる。

 ロキヤが「話して貰うぞ」と言うと、2人は観念した風に自分達のしでかしたことを切れ切れに話し始めた。その『アイテム奪取』のトリックを。

 以下はその要約である。

 1つ、まず《圏内》だろうとなかろうと、同性間であれば《ハラスメントコード》は発動しない。もしくは、何らかの原因で発動してしまっても、コードボタンを押す意思がないので牢屋に飛ばされる前に逃走できるセーフティがつく。

 2つ、その特性を利用し、NPCから借りた人力馬車及び担架(ストレッチャー)に寝ているプレイヤーを乗せて《圏外》まで運び出す。

 3つ、意識のない人の手を勝手に操っても、決まったモーションをなぞれば《メインメニューウィンドウ》を開くことができるので、手を操作して本人にウィンドウを開かせる。

 4つ、そのまま手探りでウィンドウの可視状態ボタンを押し、《全アイテム完全オブジェクト化》の選択肢がある階層までタブを進める。

 あとは人力車に落ちたアイテムはそのままで、寝ているプレイヤーを地面に降ろしたらとんずらするのが作戦。

 だそうだ。

 

「(誉めれられたことじゃないけど、そーいうのよく考えるわね、この人達……)」

 

 正直、あたしが最初に(いだ)いた感想はそのようなものだった。

 ターゲットが起きないのであればそのまま逃げればいいし、万が一にも意識が覚醒する前にオレンジ覚悟で攻撃する。そして「死にたくなければ」と脅してその場で盗みをはたらく。戦う前から回避のしようがない。奪う側のリスクは、最低でも『オレンジ』になるだけである。

 

「テンメェら……ふざッけんなよ! 俺のアイテム返しやがれ!!」

「わ、わかった! 返すって! もうやらねぇから……」

 

 ジェイドはアイテムを返して貰ってようやく少し溜飲を下げたようだけれど、まだどこか納得していないようだった。

 それはあたしも感じている。

 何かがおかしい。彼らのやっていることは、プレイヤーの拉致と生命線ともいえるアイテムの強奪だ。こんな大胆な考えが思いつく人達にしては、肝が据わって無さすぎる。そもそもあたしなら考えようとすらしないと思うのだけれど……、

 

「……ジェイド、ちょっといいかな。……あなた達2人に聞きたいんだけど、これを考えたのは誰?」

 

 ジェイドを退けて座り込む2人の正面に立つと、相手のどちらか、とは聞かずに誰が考えたのかを問う。

 すると、読みは当たっていた。

 

「じ、実は教えて貰ったんだ。黒い雨ガッパみたいなのを着た優男に……なあ?」

「あ、ああ。報酬なんかは要求してこなかったんだ。ただやり方だけを教えてくれて、その男はどっか行ったよ」

「顔はよく見えなかったけど、何となく手慣れてる感じで声……とかも。あ、あとは知らねぇ。ホントだ、あいつのことはそれ以上知らない!」

 

 あたしも、そしてシルフラのメンバーも頭を抱える。

 報酬が目的でないのなら。なぜそんなことをするのか。非マナー行為を通り越して『犯罪』を促しているということを、この手順を教えた人はわかっているのだろうか。

 それに、前にも似たようなことが起きている。

 確かあれはジェイドの友人である『ネズハ』という鍛冶職プレイヤーの武器強化における詐欺。その方法を思いついたのは、ネズハはおろか彼のギルドメンバーですらなかった。

 報酬を求めない犯罪行為促進活動。今回のケースとかなり酷似している。同一犯である可能性は、十分にあり得る。

 

「(やらしいわね。自分でやりなさいってのよ……)」

 

 実行犯が本人なら、ひん捕まえて更正ないし説教をすることぐらいはできる。牢獄送りにすることも。

 しかし、火元を断たなければ目の前の2人を拘束しても根本的な解決にはならない。無論、それが真犯人の狙いなのだろうけれど、把握していて対処のしようがない時ほど歯痒(はがゆ)いことはない。

 

「事情はわかった。見つけたらその男も捕まえておくよ。でも今回はぎりぎり『未遂』だったけど、2人とも今度はないと思えよ」

「わかった、わかってるって……もうやらねぇよ……」

 

 それだけ言ってロキヤは2人を放してやっている。

 おそらく、あの人達も『リスクの少ない悪さができる』ということで、魔が差しただけなのだとは思う。

 だがこの方法が広がるのだとしたら、ジェイドのように宿代をケチって公共(パブリック)スペースなどで寝ているプレイヤー達に注意を喚起させないと、最終的な被害はさらに深刻なものになってしまうだろう。

 

「ジェイド、これからはきちんと宿で寝なさいよ」

「わ、わぁったって。俺も不用心だった。ん、んでよ……名前知らんけど、そこのギルドもサンキュな。助かった」

「ああ、君もこれからは気をつけてくれよ……えぇと、ジェイド君」

 

 それだけ言って、まだ目をこすっているジェイドとは別れた。ここまで来てようやく平穏が戻った。

 シルフラのメンバーはリーダーしかほとんど喋っていなかったが、やはり朝っぱらからのアレは精神的に堪えたようで、せっかくの新マップ更新日和が台無しである。

 

「ハイハイ、テンション上げよーぜ! 気持ち入れ直してモンス狩りだって!」

「だな。犯人のこと考えたって今はわかんないわけだし、今回ばかりはエドの言う通りだ」

「今回ばかりってどーいう意味だよ!」

「ハハハハッ」

 

 こんな感じでエドとアドルフがその場を仕切り、本日のモチベーションの維持をはかってくれた。この力はリーダーには若干不足しているところだ。

 

「(やっぱり、仲間を持つことは……ッ!?)」

 

 その時、あたしは安堵の直後に何か視線を感じた。

 鋭い視線だった。けれど、とっさに辺りを見渡すも、やはり一瞬浴びせられたピリピリとした気配は感じ取れなくなっている。

 

「(熟練度の高いあたしの《索敵(サーチング)》にもモンスター反応はない。気のせい、だったのかな……?)」

 

 あたしは釈然としないままギルドの行進に戻っていった。

 

 

 

 その日も、朝のいざこざを除けば無事に狩りを終えた。

 しかしその帰りアクシデントが起きた、と言うと失礼に当たってしまうか。ただ、珍しいことが起きた。

 

「あの……さ、ヒスイさん。今朝のジェイドって人、知り合い? ……何かさ……仲良さそうだったけど……」

 

 珍しくヴィルヘルムの方から話しかけてきたのだ。だけどその内容は心外なものだった。

 

「ち、違うわよ。あいつはちょっと前のボス戦で一緒にいたってだけ。しかも1ヵ月以上前のことだし、以来ほとんど話してないわ。でも一応共闘したわけだし、その時名前を聞いておいたのよ」

「そ、それならいいんだけど……」

 

 どうしたのだろう。あたしがジェイドと知り合いだと困ることがあるのだろうか。

 

「(でも、ヴィルも彼とは初対面のはずだし……)」

 

 そしてその時のあたしは気付けなかった。

 例え気づけたとしてもどうしようもなかったのかもしれないけれど、そのせいでシルフラとの行動はその日の夜に幕を閉じることになる。

 まるで神様か何かがあたしの罪を思い出させているかのように。あたしは、ソロプレイヤーとして縛られていった。

 

 



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アナザーロード3 忘れたい一生の思い出(後編)

 西暦2023年1月19日、浮遊城第5層(最前線8層)。

 

 コンコン。

 

「(ん……何のおとぉ……)」

 

 コン、コンコン。

 

「……あぁ、ノックね……」

 

 ベッドの上で寝返りを打つ。

 寝ぼけ(まなこ)で扉の方を見ると、そこには『人の気配』というものがあるように感じられる。これも女性の成せる業だろうか。

 ところで、宿に泊まってドアを閉めるとこの世界では内外の音を完全に遮断する設定になっているわけだが、その例から漏れる音が3つ程ある。

 1つ目は叫び声(シャウト)。話し声や物音はシャットアウトするのに、こういうのはなぜか聞こえてくる。

 2つ目はノック音で、3つ目は戦闘におけるサウンドエフェクト。

 つまり条件に当てはまる先ほどのノックはあたしのところまで聞こえてきたというわけだ。ちなみにノック後30秒間であれば普通の話し声も聞こえてくる。

 ――でも、こんな時間に誰だろう?

 

「(ここだと夜更かしが肌荒れに繋がらないだけマシかな……)……はぁい」

 

 返事をしながら扉を開けると、そこにはヴィルヘルムが立っていた。

 それにしても、彼は何日か悩んでいたみたいに目元は憔悴(しょうすい)して少しだけ顔も赤い。大丈夫だろうか。

 

「ど、どうしたの……?」

「遅くにごめん。少し……付き合って欲しいんだ。……じ、実は、新しいソードスキルを練習しててね。だいぶサマになってきたから、明日にでもみんなに披露したくて」

「へぇ〜、そうだったの。なんてスキル? ……あ、でも、サプライズなら何であたしに?」

「ほ、ほらっ、前線にいた人の意見が聞きたいんだよ。スタイルもだいぶ変わっちゃうから……も、もしかしたら浮かれてたのは自分だけで、実用性ないのかもしれないし」

「なるほど。……そういうことならいいけど、室内じゃダメなの?」

「剣を振り回すんだ。……できれば、宿の外で……」

「…………」

 

 そのたどたどしい申し出に少し警戒心を強めたけれど、「じゃあ着替えるね」とだけ言って了承の旨を伝えた。

 ただし、武装だけは整えて。

 

「(疑ってるわけじゃないけど……)」

 

 この世界では自分の身は自分で守らなければならない。現実世界で交通事故に注意するのとは比べものにならないほど、この世界には危険が満ちているからである。

 万が一すらあってはいけないのだ。こればかりは彼も承知してくれるはず。

 それに、何かと理由をつけててあたしだけを呼びだしたのだとしたら、ギルドに入らずに延々とついて回っているだけのこの状況を彼はよく思ってないのかもしれない。それは本当に有り得そうで少し怖い。

 

「お待たせ……リーダーにも見せないの?」

「……うん。てか、ロキヤを1番驚かせたい……」

「あはは。張り合ってるねぇ」

 

 またしても、声の片鱗によからぬものが混ざっているように感じてしまうけど、なんとか自意識過剰だと心に強く言いつける。

 それに突っ立っていても話は進まないから、しばらく一緒に行動して15分程で頃合いを見て「もう寝たい」と言えばいい。

 そうしてあたし達は宿の外まで歩いて、そのままなけなしの遊具がある一見公園のような、人気が皆無な広場にまでやってくる。

 ただし、ほとんど無言で。たった5分の進みが気の遠くなりそうな長さだ。

 

「(本当にどうしたんだろう……)」

 

 あたしは今年の冬が明ければ春から高校2年生になるけれど、目の前の男の人は二十歳を越えているように見える。背丈はあたしとそう変わりないが、大学生ぐらいの人だろうか。

 そんな人と深夜に公園で2人きりで。

 なんだかこれは……、

 

「ヒスイさんってさ……」

「えっ……は、はい」

 

 いきなり振り返ってきた彼に少しだけおずおずとしてしまったけれど、邪推を振り切って何とか返事をした。

 

「何でうちのギルドと一緒に行動したいと思ったの?」

「えぇと、理由は話した通りかな。……あたしはベータ上がり。でも、毛嫌いせずに歓迎してくれて。それに、しばらくはギルドとしてじゃなくともいいとも言われたし……」

「それだけ? 本当にそれだけ? ……このギルド……いや、メンバー全員にそれ以外に感情はないの?」

「…………」

 

 珍しく口数の多いヴィルヘルムに戸惑ってしまう。こんな感情的な彼は初めて見た。

 

「それは、まあ……」

「ヒスイさん、俺……俺!」

「え? ……やっ、ちょっとッ!?」

 

 接近され、全身に緊張が走った。つられて声のトーンも上がる。

 しかし、あたしにとって、こういう行為は恐怖でしかない。なぜこんなことを言うのか、周りに人がいないところまで来て話すことはこんな事なのか。

 いや、違う。彼は間違いなくあたしに惚れている。こんな場所だからこそ言ってくるのだ。

 

「ヒスイさん、シルフラの皆には悪いと思う。でも……ど、どうしても! どうしても好きなんだ……ダメならそれでも……いや、やっぱり誰の元にも行ってほしくない! 俺と、俺と一緒にッ!」

「い、いやっ!」

 

 目に見えないシールドが自動で彼の絡みつくような手をふりほどくと、あたしは真後ろに駆け出した。

 それでも恐怖で足がもつれると、その場に倒れ込んでしまった。

 

「そ、そうよハラスメントコード……」

 

 視界の左上にはアイコンが赤く点滅している。後はこれを押すだけで彼は……ヴィルヘルムは牢獄に……、

 

「(これで、彼を牢獄に飛ばして……?)」

 

 それで。

 それで、どうするの。

 彼を消してそれでお終い、なのだろうか? 残ったメンバーだけで明日から狩りをこなしていくとでも?

 それはあり得ない。牢獄へ転送したら、シルフラのメンバーもあたしのことを捨ててしまう。彼らを失ってしまう。それに、自分を受け入れてくれた人達に嫌われたくなかったあたしは、ギルドの人達に必要以上に優しく接し、そして自分を『魅せ』つけてきた。

 恵まれた容姿すら武器にし、ちやほやされる環境に心地よさを感じていた。

 これはもはや本能だ。結果、あたしは誰からも嫌われず、彼らは何日も何日もあたしがしたいがままに行動させてくれた。正式メンバーでないのに必需品も潤沢にいただいた。

 彼らとの生活は楽しかったのに、それが無くなるなんて、それだけは嫌だ。

 

「(あ……れ……?)」

 

 ――でも、それは意味がないことじゃないの?

 ――更生活動とやらはどうしたの?

 途中でそんなことも投げ出して『生活』の楽しさに甘んじていたあたしは、堂々とそんなことが言えるのだろうか。

 アルゴには「ソロに縛られるのは辛くない」なんて強気に言いつつ、あたしは一月(ひとつき)も誰とも話さずに過ごしてきたことに恐ろしいほど孤独感を感じていた。

 格好良くなんてない。惨めな言い訳で外面を隠しているだけで、あたしはやはり、隣に誰もいなかったことが怖くて怖くて仕方がなかったのだ。

 朝起きて挨拶もない。朝食ができても家族はいない。制服に着替えることもない。学校に登校することも、友達に会うことも、勉強することも、バスケ部に行くことも、塾に行くことも、一日が終わっても「おやすみ」すら言えない。

 友達に会いたい。塾仲間に会いたい。父さんに、母さんに、そしてシズに会いたい。何で誰もいないの? あたしのことなんてどうでもよくなっちゃったの? 誰か答えてよ。誰でもいいからそばに……、

 

「(神様……もう嫌だよ……ッ)」

「ヒスイさん、君のことを第一に考えるから。約束するよ! 絶対不幸にしないし……みんなには後で俺から言っておく、だからっ……!」

 

 座り込んだまま、涙で彼の顔はもう見えない。

 彼は狂乱めいた表情で抵抗しなくなったあたしの装備に手をかけているが、それすらもう遠い世界のことに感じる。だが、心底どうでもいいと思えた。

 あたしが我慢するだけで、またいつも通りに戻るなら。きっとヴィルヘルムも衝動で動いているだけ。彼だって、あたしがいなくなることを望んでなどいないはずである。あたしは今やギルドでの最高戦力なのだから。

 なら今夜だけ。今夜だけ、我慢すればまた……、

 

「ッ……!?」

 

 しかしそこで、ガンッ! という衝撃音が、広場に鈍く響いた。

 ヴィルヘルムが前のめりに倒れる。

 

「(な、に……?)」

「ってぇな! 誰だよ……ッ!?」

「テメェこそ何やってんだよッ!」

 

 再びヴィルヘルムが一方的に殴られる音が、深夜の公園に鳴り響た。

 

「ガッ!? ……ろ、ロキヤ!? ……な、なんでリーダーが……っ」

 

 声の先に目を向けると、そこにはシルバーフラグスのリーダーの姿があった。ヴィルヘルムを殴り飛ばしたのは、紛れもなく彼だったのだ。

 そして彼は、ヴィルヘルムに馬乗りになったまま言葉を繋ぐ。

 

「バッカ野郎! ……ヴィル! お前のせいで……お前のせいでッ!!」

 

 それでもヴィルヘルムは、ハッとしたようにロキヤを蹴り飛ばして立ち上がりながら言い返す。

 

「う、うっせぇよッ! ……リーダーだってヒスイさんのこと好きだったろ!? じゃなきゃこんな事しねぇ!」

「はァ!? 開き直んなバカ!!」

「ギルドには入ってない! でもアイテムクソほどあげてさぁ!! ……てか、俺のことつけてたんだ! ……あんたこそ最初からこうしたかったんだろうッ!」

「てんめェ……!!」

 

 普段から温厚だったはずの彼らは、見たことのない形相で掴みかかると再三に渡ってまた殴り合った。

 あたしも男性同士の本気の喧嘩にまったく動けなかった。

 

「……ハァ……ゼィ……ヴィル……ヒスイちゃんが、いなくなるのは……お前のせいだぞ……!!」

「……違う……ゼィ……ロキヤが……悪いんだ……ハァ……ハァ……」

「2人共……もうやめて……」

 

 あたしの声で彼らは殴り合うのを止める。それでも、あたしはすでに我慢ができなくなっていた。

 だから言ってしまう。あたしがその瞬間を迎えさせる。

 

「あたし……明日からもう、シルフラには……」

 

 その先からは、喉を通らなかった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 シルフラメンバーの3人にはまともに挨拶すらできず、結局あたしは逃げ出してしまった。

 フェスカも、アドルフも、エドも、きっとひどく落ち込んでいると思う。あたしもそう。それでも、また彼らの前に姿を現そうとは思えなかった。今ではせめて、彼らの仲が悪くならないでほしいと願うだけ。

 たった12日間だけの幻想だったのだ。

 そしてあたしは、またソロプレイヤーとして深夜まで狩りをする。

 

「(罪の鎖……か……)」

 

 自分ルールに縛られているだけなのかもしれない。しかし、思っても割り切れない。

 今にして思えば、全てが報いなのではないのかと感じてしまう。

 彼らと別れてから9日がたった。もしかしたら、シルフラがこの層まで来ているのかもしれないと、期待と不安をないまぜに辺りを見渡すこともあった。

 けれどここは7層の迷宮区。すでに8層が最前線となった今、そうなる前に比べてプレイヤーがここを通過する確率は相当低くなっている。

 ましてや彼らと再開する可能性は……、

 

「(いや、低いとかじゃなくて……たぶん、まだ来てないかな。あたしですらサボってた分、まだここが限界だし)」

 

 半ばリハビリのようにモンスターを狩りまくっているけれど、やはりシルフラのメンバーがここまで上ってこられるほど強くなっているとは到底思えない。彼らの成長速度にはまだまだ改善の余地もあった。リーダーの甘さもある。

 だが、例えここで会えても、昔のように笑い合える日は来ないだろう。

 

「また1人になっちゃった……」

 

 1人に戻ったことで、また性懲りもなくストーカーのようなことをするプレイヤーも現れた。嫌がるあたしを眺めるだけで興奮するらしく、どうやっても防ぎようがない。頭のおかしい人種だ。

 心労の重なったあたしはもう攻略を止めてしまおうかとも思ったけれど、それこそ自分が自分ではなくなってしまう。あたしが殺したも同然の『彼』との約束だって破ってしまう。だから前へ進むことだけは絶対に止めてはいけない。

 

「(それにしても、珍しく夜遅くまで狩りを続けちゃったな……)」

 

 攻略難度の高さからペースをコントロールできず、本日はこの安全地帯で夜を明かさなくてはならなくなってしまった。

 宿に戻ってから休まなければならないのに、抗いがたい睡魔が断続的に忍び寄ってくる。これではジェイドのことを強く言えないではないか。

 

「ん……ぅん……」

 

 体操座りをしたまま、体が言うことを聞かなくなってしまった。明日はもう8層に行けるだろうか。5層や6層のボス戦で会ったキリトやアスナと、そうしたらまた最前線組として、そしてβテスターとしてプレイヤー解放のためにこの身をやつして。

 それから……、

 

「オイ、マジでいるぜ」

「チャンスですってタイゾウさん、」

 

 ふと、そんな声が聞こえた。空耳ではない。

 ――あ、れ……人? なんで……こんなところに……?

 

「すげっ……」

「1人だな、周りに人いねぇか?」

 

 ――何で? ……ここ……それに……、

 突如、寝ぼけた頭が冷水を浴びたように覚醒した。

 

「えっ? ……な、ちょっと!?」

「うるせェよ、静かにしてろ」

 

 意識が覚醒すると、3人の男の人だけが見えた。両手足にも圧力を感じる。内2人が、寝ていたあたしの手足を無理矢理羽交い締めにしていているのだ。

 動けない。恐怖が一気に駆け巡る。

 状況は理解できてきたけれど、逃げなくてはという思考とは裏腹に、怖くて手足がうまく動かなかった。

 

「ちょっ……や、やめッ……」

「おい口押さえろ」

 

 ギラついた目に不健康な肌、肩にかかりそうなほどの長髪。『タイゾウ』と呼ばれていたリーダー格の男性が、脇に控えていた2人に命令していた。

 今度こそ目の前の男達を牢獄送りにしてやりたいと強く思った。

 結局はこれなのだ。ちょっと有名になったからと有頂天になっていたらこの有様である。男性だらけのこの世界において、ソロで活動する女性プレイヤーなんて、ケダモノ達から見れば都合のいい獲物なのだろう。

 もう嫌だ。もうたくさんだ。こんな理不尽には付き合いきれない。

 しかし、皮肉なことに決意を固めた時に限って、固縛された手が思うように動かなかった。

 

「(でも……これが罰だと言うなら……)」

 

 ふと考えてしまう。それを甘んじることが祐介君への罪滅ぼしになるというのなら、あたしは抵抗するべきではない。

 人殺しのあたしがひどい目に遭って、いったい誰が悲しむというのか。そんな人間はこの世界には……、

 

「アンタら何やってる!」

 

 捨てかけた意識が辛うじて現状へ向く。その声が響いた事実だけが、あたしを現実に引き留めた。

 それにあたしはこの声を知っている。けれど、なぜ彼なのだろう。曲がりなりにもトッププレイヤーの一員のはずで、迷宮区で泊まるにしても、レベリングが長引いて夜営するにしても、そこは最前線であるはずだ。

 そしてここは最前線層ではない。

 こんな所で出会うはずが、ない。

 それでもあたしが聞いたそれは幻聴ではなかった。

 

「お、おいおいマジかよ」

「あっ、いや……でもさ、ほらお前……仲間に入りてぇんだろ?」

「そうだよ、じゃなきゃこんな時間にここにいるはずねぇからな。……で、どうするよ? 混ざる?」

 

 あたしの幻聴に他の人が反応することなんてできるはずがない。つまり彼は、ジェイドはここにいる。

 しかし3人の言葉を聞いて、あたしは彼がここにいる理由を理解した。あたしが1人で行動していることをどこからか聞きつけた彼も、結局あたしをそういう(・・・・)目で見ていたというわけだ。

 なぜなら、今は深夜の3時。それに彼は、あたしの知る限り常に最前線でモンスター狩りに夢中になる狩り中毒者(ハントアディクト)であり、都合良くピンチに現れるはずがない。

 

「(ああ……やっぱり彼も……)」

 

 更正などできていなかったのだ。まるっきり、これっぽっちも。人の考えなんて、そう簡単には変えられるものではない。だのにあたしは舞い上がっていた。

 あたしのしたことに意味があった? 少しだけ自分を好きになれた?

 冗談ではない。単にあたしは盲目だった。人の負の部分を見て見ぬ振りをして……彼に何度も忠告されたはずである。これでは《はじまりの街》にいるプレイヤーと……『現実を見ない』プレイヤー達と、何も変わらない。

 

「(もう……いい……)」

 

 そう思った瞬間だった。

 

「ふざッけんな!」

 

 ジェイドの叫び声だけが狭い通路に反響した。声は震えているのに、それでも3人を睨んでいる。

 ジェイドも必死だったのだ。彼自身、自分の行動がリスクだらけであることを承知で戦慄(せんりつ)していた。

 1つだけわかったことがある。ジェイドが他の誰でもない、あたしのために来てくれていたとうこと。醜い欲望が充満するこの暗い洞窟(どうくつ)で、あたしのために声を張り上げてくれているのだということ。

 運よく最前線にいなかったのだろうか。しかし、あたしにとってそれは運ではなく、運命そのものだった。

 

「あァッ!? えっ、何……マジで正義気取りかコイツ?」

「あのさぁ……時代錯誤なことしてねーで、状況ワカってんなら面倒なことせずにこっち来いよ」

「うるせェ……!!」

 

 シャラン、と剣が抜かれる音が聞こえる。ジェイドが抜刀したことで流石に3人も身構えていた。

 そして感じる、手足の束縛の緩み。

 

「(拘束が緩んだ……っ!!)」

 

 腹筋と両足に有らん限りの力を入れる。四肢を弛緩させていた状況からいきなり力を入れられたからか、筋力値で勝るはずの相手は即座に対応できないでいた。

 両足の底で男達の顔面を蹴り飛ばす。反動を利用し、あたしは一気に立ち上がって逃げ切ると、隅に置かれていた剣と盾を握り直した。

 その変貌に3人は驚愕しているけれども、今はもう迷っていない。ジェイドを疑ったことを心の中で死ぬほど謝りつつ、あたしはもう2度と弱気にならないことを自分に誓って『敵』を見据えた。

 

「(あたしは何をやっていた!? ……こんな……こんな奴らにッ!!)」

 

 先ほどまでの、彼らに屈しかけた惨めな自分を殺してやりたい気分だった。

 そしてあたしの目を見て覚悟を決めたのか、敵のリーダーらしき男も剣を抜く。

 

「た、タイゾウさん、どうしますっ!?」

「くそっ……くっ、口封じだ! お前らもやるぞッ!」

 

 最前線プレイヤー同士の複数戦。

 おそらくは初だっただろうこの戦いは2分ほど続き、決着は付かずに幕を閉じた。

 自慢できたことではないのだけれど、少しだけ最前線から遠のいていたあたしは敵の《両手用大剣》の直撃を受けて、いち早く体力ゲージを赤く染め上げてしまったからだ。

 それでも幸か不幸か、相手はそれを見て動揺してくれた。

 「本当に人殺しになってしまう」。おそらくは、そう危惧(きぐ)してしまった彼らの動きが一瞬硬直し、そこへ動揺を感じ取ったジェイドが範囲ソードスキルを発動して3人全員にヒットさせると、形勢は一気に逆転。

 最後にはむしろ、部下と思しき2人がリスクありきの行為をしくじったリーダーに対して悪罵を浴びせながら、なりふり構わずにその場から逃げ出してしまった。

 

「……ハァ……ハァ……ハァ……」

「……ゼィ……消え……たか……ゲス共が……」

 

 後にはあたし達2人だけが深夜の『安全地帯』に残った。

 今となっては究極的な皮肉を秘めたその場所に。

 

「くっそ……疲れた……」

 

 その場にドカッ、と座りこんだジェイドはあたしと顔を合わせようとしなかったけれど、それでもあたしは、彼の横顔を見て抑えきれない無力感と安心感がお腹の底からせり上がってくるのを感じた。

 だからあたしは、張り積めていた緊張の糸を切らしてしまう。

 

「グ……グス……ヒック……」

 

 感覚が麻痺するほどの苦痛を味わい、言葉にしがたいほどの安堵の先で、気付くとあたしは滂沱(ぼうだ)の涙を流していた。

 息がつまる。こんなに嗚咽したのは久しい。

 ジェイドはそれを見ておろおろしているけれど、相手のことを思いやる余裕はなかった。

 

「……ひぅ……ジェ、イド……ヒック……ありが……と……」

 

 それでも時間をかけてお礼を言うことだけはできた。

 彼は死にかけているあたしに回復ポーションを無理矢理飲ませ、あたしはボロボロと泣きながらそれを飲み干した。

 その後、彼は無言で隣にいてくれた。9日前に「公共スペースで寝ないように」と忠告していたので、まさか彼もここで泊まろうとまでは思っていなかったはずだが、きっと他にすることもわからなかったのだろう。

 

「…………」

「…………」

 

 何か声をかけてくれたわけではなかったけれど、振り返るとそこにあたしを守ってくれる人がいるということの大事さを嫌というほど噛みしめた。

 今にして思えば、あたしが女性であるにも関わらず態度を変えずに接してくれたのは、彼が最初で最後だったのかもしれない。

 

「(ジェイド……)」

 

 それから3時間以上がたった。

 彼は朝までそうしていてくれて、本当にあたしを守ってくれるナイト様みたいに見えてしまった。

 

「(ふふっ、それにしてはちょっと線が細すぎるかな……)」

 

 少しだけ出てきた心の余裕の中で、ついそんなことを思ってしまう。

 でも、いつまでも甘えてはいられない。泣きやんだのなら前を向いて歩かなくてはならない。でないと、この巨大な牢獄からは出られないのだから。

 あたしを想う向こうの皆と会いたければ、この足を、この手を、この剣を、何もかも止めてはいけないのだ。

 だからあたしは立ち上がる。何度でも。

 

「お、おいヒスイ……」

「もういいわ、ありがとう」

 

 なるべく笑いながら優しく言うと、ジェイドもそれ以上は呼び止めようとしてこなかった。

 度重なるあくびと重そうなまぶたから、相当長い間寝てないように見える。だからきっと、彼はあの場で少しだけ仮眠をとりたかったのだろう。

 ――悪いことしちゃったかな。

 

「(でも感謝してるよ。……もう、いつものあたしだから)」

 

 心の中でもう1回だけ感謝を告げると、あたしも今度こそ歩き出す。

 この『夜明け』に2つ目の意味を乗せるために、今日も前を向いて生きようと決意した。

 



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第16話 狂気の余興(前編)

 西暦2023年4月2日、浮遊城第15層(最前線17層)。

 

「(15層主街区(ラインベール)か。久し振りだなぁ〜)」

 

 サクラの月に入って2日。俺は今、最前線から2層下の15層主街区、《ラインベール》を訪れている。

 15層と言えば皮肉屋でネガティブな住人、陽の光が届き辛いデザインミスに近い街並み、加えてボス攻略戦において1層、9層と続き3回目の死者を出す3重苦の汚点となった層なので、可能なら記憶から消したい街でもある。

 しかし、俺にも生活がある。この層には効率的なクエストも散見されるのだ。

 15層が最前線だった当時、そのクエストは主街区間近にいる序盤のNPCのくせに、迷宮区モンスターのドロップ品を要求してきて、しかも報酬が何の役に立つかもわからない苗だけという、誰の目にもくれないクエストだった。しかし、その硬い苗は現実の最前線でいくつかの武器の精製に幅広く顔を利かせている。いわば汎用素材だったのである。

 需要も高く、大通りに行けば高レートで取引されている。さらに値段以外にも、《両手用大剣》装備の強化成功率を90パーセント台後半まで引き上げてくれるこのド硬い苗は、俺にとってもメリットは多い。

 しかし仮にも植物の苗。花や実を咲かすことではなく、その殻が割れないほど堅いから需要が高いというのも悲しい話である。

 

「あっ……え……?」

 

 しかし、意気揚々とフィールドに出た俺が初めて会った人物は、件のNPCとは別の4人の男性プレイヤーだった。

 反射的に《ハイディング》スキルを発動してしまい、そのまま様子を見る。なぜなら、その4人の内3人の顔には覚えがあったからだ。

 

「(カズ……)」

 

 そこにいたのは、かつて友達だった『ルガトリオ』こと和義と、あの時3層で名乗られた記憶が正しければ、でかいのが『ロムライル』、小さいのが『ジェミル』だ。

 3人は俺を「ギルドには入れられない」と言った。独りよがりなテスターに背中は預けられないと。同時に判明したこともある。すなわち、あの3人は3層で俺に話しかけた時点ですでにギルドを立ち上げていたということになるのだ。

 しかも、ただでさえ疎外感は高まるばかりなのに、ここにはもう1人のプレイヤーがいた。

 この距離からでは顔ははっきりと見えないが、新参顔の彼もギルドに入っているなら、今やかのギルドは4人構成ということになる。

 

「(……カズはどんどん仲間を増やすんだな)」

 

 彼にとって3人目が俺でないことが俺の心を苦しめる。そして途轍(とてつ)もなく醜い感情が生まれて、濁流のように押し寄せてきた。

 

「(あいつ、グーゼンここにいただけだったりして。……クソッ……カズの仲間じゃなけれりゃいいな……)」

 

 友達を増やさないで欲しい。

 俺を忘れないで欲しい。

 この孤独感を少しでも共有して欲しい。

 自分だけ幸せにならないで欲しい。

 ……そんなドス黒い感情が湧き出てきたのだ。

 最低だ、自分に嫌気がさす。しかし、それを知る由もない彼らはクエストを受けると立ち去ってしまった。一瞬4人目がハイド中の俺を発見したような気がして、心臓が跳ね上がったが結局は何事もなかった。

 それでも彼らが移動したあとは、俺は気持ちの上では本来の目的より優先してその『名も知らぬ1人』の立ち位置を確かめてしまう。

 

「あの……いいっすか?」

 

 即席の小屋を自前で作ったようなボロい宿を訪ねて、そこにいた初老のNPCに話しかける。すると、その男の頭上のアイコンのさらに上に『!』のマークが浮かび上がった。

 これはつまりクエストが開始されるフラグであり、同時にこれを見ることで俺は大いに落胆する原因にもなった。

 

「(やっぱあいつも……)」

 

 なぜ、クエストが受けられることに落胆するのか。

 理由は簡単だ。このクエストは2人までしか同時進行で発生しない。が、実際はギルドが受ける場合はその限りではない。これをギルド単位で受注する場合、ギルド1つで『1人』として扱うのだ。

 先ほどの4人がクエストを受けていたことから、1つの枠は確実に押さえられている。ここでもし2つ目の枠も埋まっていたら、彼らがギルドではなく、たまたま同じクエストを受けるためにその場に居合わせただけという可能性があったのだ。

 フラグ2つ分が埋まっていれば、逆説でカズ達はあれから仲間を増やしてないことにもなる。

 もちろん、彼らがクエストを受ける前に誰かが枠を1つ埋めていたのだとすればそれまでだし、確かめようもなかったが、その心配は杞憂(きゆう)だった。

 

『……という苗を替わりにやろう。どうだね、やってくれるかね?』

「え? ……あ、ああ。やるよ……」

 

 NPCとのフラグ確立の会話はいつの間にか終わっていた。そして俺がクエストを受ける旨の返答をすると、自然と会話イベントも終了する。

 それから俺はひたすら無心で歩いた。少なくとも、無心であろうと心がけた。

 もはや本能と惰性で勝手に足は迷宮区へ向かうが、心はここに在らず。しかも受注したクエストが同じである以上、目的地も同じとなる。遭遇率も高くなるので気分はどうしても上がらない。

 

「(そういやカズ達、もうこんな層まで来れるんだな……)」

 

 ここまで来ると、もはや生活を楽しむだけの中層プレイヤーではない。《攻略組》を目指すプレイヤーだ。

 《攻略組》とは最近できた言葉だが、意味は『最前線プレイヤー』と同義。いわゆる先駆者。下層・中層プレイヤー達の命名で、やはり感謝がこもっているのか、その響は俺達の自尊心をくすぐる。そしてカズ達も、きっとそこを目指しているのだろう。

 

「(いや、それはいいことじゃないか。……シットしてどうするッ!)」

 

 圧倒的強者であり続けたいという、ちんけで陳腐(ちんぷ)なゲーマーの独占欲は、やはりどこかでカズ達を歓迎していなかった。その感情に気づいた俺はまたしても自己嫌悪してしまう。

 限られた物資と経験値の独占し、時には救いを求める者を置き去りに、錯乱(さくらん)した弱者から根こそぎ奪って正当防衛を(うた)い、満たされない承認欲求をイラ立ちに変えて罵声を飛ばす日々。そんな悪夢が2ヶ月も続いた。

 だとしたら、罪を重ねた俺には攻略……いや、自分勝手な我欲の清算をする義務ぐらいあるはずだ。

 しかしカズ、つまりルガトリオ達にはそれがない。スタート時に見捨てられてなお、仲間を増やして果敢に迷宮区で戦っている。ならせめて、その向上心を友人として誇らないでどうする。

 

「ハッ、今じゃ()友人だったか。……カズにはカズの道がある……」

 

 つい口に出して(つぶや)いていた。

 だが事実だ。俺にできることは、その意思を尊重し、自分の義務を果たすことだけ。今さら図々しく仲間に入れてくれと頼むなんて、そんな未来はあり得ない。俺自身が4ヶ月以上も前に捨てた未来である。

 だから俺は、()われるように課せられた宿命を、淡々とこなしていけばいい。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 早速、迷宮区で武装ドワーフ達を(ほふ)っていると、俺のレベル差からあっと言う間に規定の必要素材が集まり、40分程前に会った初老に再び会うべく道を引き返していた。

 しかし、ここで俺は異様な『声』を聞いた。

 《索敵》スキルや《聞き耳》スキルを発動していたわけではない。後者は獲得してすらいない。だが俺は、近くに何人かのプレイヤーがいるのをはっきりと悟った。

 単なる勘ではなく、これも立派な《システム外スキル》だ。

 システム外スキル、その名も《聴音》。

 フィールドを歩いていると環境音とは別のサウンドエフェクトが時々混じることがある。

 非常に微弱だが、モンスターの足音、呻き声、飛行系モンスターならその翼や羽のはばたき音、どころかプレイヤーの発する甲冑などのすれる音すら聞き取れる。聞き分けられるのは、ひとえにアインクラッドの精密な再現性によるところが大きい。

 しかしキャッチできれば応用できる。視界に移らないオブジェクトの有無や種類、はたまた戦力、方角、距離まで推測することができるからだ。

 繰り返すようだが、俺は常にこれらの小技を過剰に意識しながら日々を過ごしている。そんな生活を続けた俺が、やっと聞き分けられる程度のほんの少しのイレギュラーだった。

 

「(何だこれ……人の、叫びか……?)」

 

 音源が遠い。距離はかなりある。

 だが風が洞窟(どうくつ)を通りすぎるだけではまず発生し得ない、悲鳴にも似た音が鼓膜をよぎったのだ。

 シャウトの声調は声優だって誤魔化せない。そして、今の波長は聞き覚えがある。

 

「(いや……まさかな……)」

 

 そんなはずはない。

 ここには彼ら以外にもまだプレイヤーがいるはずだし、そもそも人の悲鳴だと確定したわけでもない。聞き間違いで結構。イヤなことばかり当たる予感なら、アテにならない方がマシだ。

 それでも、足だけは動いていた。

 

「……ハァ……ハァ……外れろよ、クソ……ッ!!」

 

 行ってどうなるかなどわかりはしない。ここまで俺なしで努力してきた人間に対して、救いの手を差しのべようとすることが大きなお世話なのもわかっている。会うだけ会って罵声を浴びせられるだけかも知れない。

 それに……それに奴らは……、

 

 ――奴らは俺を見捨てている。

 

「(……ち、ちげぇ……あれは俺がッ!!)」

 

 見捨てたのは俺だ。それに自問自答などしている場合ではない。俺は最悪のケースの想定している。

 肩で息をしながら、あらん限りの敏捷力で音源の方向へ足を動かす。

 嫌な予感がするのだ。拭いようのない不快感が。後戻りもリスタートもできない世界で、このまま帰っていいはずがない。

 

「カズ! ……いるかっ、カズッ!!」

 

 砂利や石が道の至る所に落ちているこのステージをこれほど憎んだのも初めてだ。走りにくいといったらない。

 そして狭い通路を抜けて視界が開けたところで俺が叫ぶと、返事はすぐに返ってきた。

 ただし、視界にはない場所から。

 

「ジェイド!? ……ジェイドなの!? ここだよ! ……助けて!!」

「カズ……?」

 

 音源は下。

 正確にはかなりの広さの半球ドームのようになっているこの迷宮区の一角で、さらにその地面が大きく、そして深く円形に沈んでいるのに気付いたのだ。

 そこに近付き覗き込むと、10メートルほどもある円柱の落とし穴のような場所には、ギルドメンバー3人が『落ちて』いた。ベタな落とし穴のようだ。

 

「ウソだろ、おい! どっか出らんねェのか!?」

「ジェイドッ……ダメだ、出られない!」

 

 泣きそうになっているカズ、つまりルガとそんなルガを守ろうとしている2人。

 彼らの周りに無数のモンスターが湧出(ポップ)していた。モンスター名は《ドワーフ・エリートアーミー》。全長は大きい個体でも1.5メートルほどしかないが、立派な甲冑を身に着けかなり上級のソードスキルまで駆使する、この迷宮区最強のモンスター軍団。

 そして四方を囲む歯車とチェーンの立体物はトラップ継続装置、つまり『破壊可能オブジェクト』だ。あれらの全損がこのトラップ解除の鍵だろう。しかし、上から見下ろす俺と違って、下の3人はモンスターで隠れて見えていない。

 

「……ルガ! あんたら2人もよく聞け! 周りにトラップ解除のためのボックスみたいなのがある! それを破壊すれば出られるかも……」

 

 ――いや待てよ、3人?

 おかしい、これはおかしい。俺は確かめたはずだ、彼らは全員ギルドのメンバーだったと。間違いなくこいつらは4人でここへ……、

 ゾクッ、と背中に殺意すら意識させるダイレクトな寒気が走り、とっさに真横に飛び込む。すると一瞬前まで俺がいた空間をゴガァアアアッ!! と大型ダガーがかすめた。

 

「ガッ……なっ、何だァ!?」

 

 地面を転がる俺は受け身を取りながら振り向く。そして粘り気のある唾が喉を通ると、改めてそこにいるプレイヤーを見張った。

 

「Wow……避けたよ。やるな。これが噂の超感覚(ハイパーセンス)ってやつか?」

 

 想像の(はる)か上をいく残虐なことをしでかした人物の声とは思えないその美声に、俺は背筋へさらなる冷たいものを感じていた。

 顔を隠す効果のあるフードに遮られ、目を合わせることすらできなかった。が、ほんの少しだけ覗く乱れた髪と、ニヤリと笑う余裕から漏れる殺気に、奴の言葉など何も頭に入ってこなかった。

 そして、俺を驚かせたのはそいつの姿。なぜなら細身で背の高いこの黒ポンチョの男を俺は知っているのだ。こいつはあの時、ほんの40分前のあのクエスト受注の時、カズ達と一緒にいた『4人目』だった。

 

「なんっ……なに、やって……!?」

「フ……クックック。さァてな。当ててみろよ」

「当てろってそりゃ……あ、はは……ナニさ、遊んでたのか? だ……だとしたら、ちょっとカゲキじゃね?」

「…………」

 

 苦笑いに、男は答えない。

 

「あ……ああほら、《圏内》でやれって、な? ……ここだとその、迷惑するプレイヤーも……」

「Oh、こんな奴でも前線組か。イマジネーションが足りない。……ただ、『遊び』か……クク、当たっているよ。強いて言えば余興さ」

 

 そう言う奴の声からは配慮の欠片も感じられなかった。

 あまりに冷たい平常心。緊張、罪悪感、戸惑い、動揺。それら何もかもがまったく感じられなかった。

 しかし、この際目的など何だっていい。こいつの言葉を反芻(はんすう)しろ。「こんな奴でも前線組か」だと? 俺のレベルに見当がつくのか? この腐った記憶力でも、目の前のサイコパスと自分が初対面だと言い切る自信ぐらいある。

 いったいなぜ、どこで……、

 

「あ……あぁっ!」

 

 だが直後に理解してしまった。

 やはり見えていたのだ。あの時、隠蔽(ハイド)中の俺と目が合ったのは錯覚ではない。実際に俺の《ハイディング》スキルを看破(リピール)して見えていたのだ。

 奴は《攻略組》の俺のハイドを破った。つまり奴の持つスキルやステータスは、少なくとも俺のそれと同等レベルのはずだ。ならこいつは、そして俺すらも、その時互いが前線プレイヤーだと知る機会を得ていたことになる。結果、奴は俺の力量を見破り、俺はそれを勘違いで済ました。その差だ。

 

「いいだろう、これ。寄り道のトラップで、トップ連中にも少数にしか認知されていない。その前に踏破されたからな」

 

 しばらくその場を不敵な笑い声だけが支配する。

 このイカれた男の供述したことが正しいのだとすれば、こいつはわざわざトラップが発動する場所へカズ達を誘い込んだことになる。同じギルドに入って油断を誘うことで、そして自分だけ範囲外へ移動し、たったいま目の前で笑っている。

 正気の沙汰ではない。

 

「ジェイドさん!! ……気をつけて! そいつら、まだ……うわあッ!?」

 

 ロムライルの高い声で俺はハッ、と意識を戻す。

 そうだ。現在進行形で危険な密度のモンスターと戦っている。しかも、おそらく彼らは攻略適正レベルに達していない。

 早く助けなければ。このままでは、本当に取り返しのつかないことになる。

 

「(いや……にしても、理解できない。恨みかなんかでフクシュウごっこか? でも、やり口が回りくどすぎる。なんでこいつは……)」

 

 3人を罠にかけることによって、この男が得られる利益がわからない。

 それに、危うく聞き逃しそうになった。カズの友人、ロムライルとやらはなんと言った。「そいつら」だと?

 

「プフーフッフ。アレアレ、ヘッドが外すなんて珍しくないっすか」

 

 その冷酷な声が後ろから聞こえると、全身が強ばり鮫肌が立つ。

 俺がゆっくり振り向くと、そこにはもう1人マントに近い丈の長い布製装備に、今度もまたフードで顔を隠して両手に投げナイフを持ったプレイヤーが、口元に笑みを浮かべて立っていた。

 さらに黒ポンチョの男が言葉を繋ぐ。

 

「よく言う。アクシデントはイコール、刺激だ。せっかく抵抗してくれたんだ、サプライズと受け取ろうぜ。さァてと」

 

 流暢(りゅうちょう)なヨコ文字の連発をそこで言葉を区切ると、男はおそらく言い慣れるほどに発声してきただろう滑らかさで、続く英語を発音した。

 

「イッツ、ショウタイム!」

 

 その言葉は本来の意味を超え、限りなく不吉にフィールドに響き渡った。

 

 



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第17話 狂気の余興(後編)

 西暦2023年4月2日、浮遊城第15層(最前線17層)。

 

 隠蔽(ハイディング)スキルを使用していたのだろうが、突如として背後から現れたフード姿の男も、やはり異常者だった。

 男はNPCショップでも市販されている《毒煙玉》をアイテムストレージからいくつか取り出すと、クズ箱に捨てるように円柱の底へ投げ入れていったのだ。

 ビスケットでも投げ渡すかのような気軽さ。

 劣勢のカズ達がさらに追い込まれ、悲鳴に近い絶叫が断続的に響いた。満遍(まんべん)なく広がった煙を吸い込み、トラップの底ではカズ達3人がせき込みながら《ポイズン》のバッドステータスを課せられている。視界にも制限がかかる。

 

「予定と違うけど、殺りますよねヘッド?」

「さァてな……こいつの返答次第だ」

「くっ、この……ッ!!」

 

 続く「気狂い共が」と言う言葉は、情けないことに喉を通らなかった。

 俺の生死など関係ない。意にも介さない。そんなニュアンス。こいつらの態度が、俺から自信を奪っていた。もちろん《犯罪色(オレンジ)》カーソルのデメリットは理解しているだろう。しかし、こいつらはオレンジになる程度のリスクをあまりにも軽く捉えていた。

 それを証拠に、殺人を平気で(ほのめ)かした。この行為が人の死に直結していると理解している。にわか脅しなどではなく、本当に目の前の人間が死ぬことをよしとしているのだ。

 なのに、いや、だからこそ……、

 

「Hey、ところでアンタ何しに来たんだ? 俺の見立てじゃ、下に落ちた3人に仲間はいなかった」

 

 このポンチョの男は、いけしゃあしゃあと俺に訪ねる。そこにはなんの後ろめたさも感じられない。

 ――ふざけやがって。

 怒りの丈をぶつけようかとも考えたが、俺は直前で考え直した。

 大剣は設定された1発毎の攻撃力こそ高めだが、それに比例して重い。現在常に背負っている相棒、片刃の名刀《ブリリアント・ベイダナ》も例外ではなく、長く分厚い刀身はグリップを抜いても1.1メートルを超え、構えるのにも振り回すのにも敵性ユニットの至近では弊害(へいがい)となる。

 おまけに奴らは臨戦態勢。きっと抜刀する前に決着はついてしまうだろう。

 反射で挑発に乗っては駄目だ。出入り口は1つ。そして今はその直線上に狂ったプレイヤーが2人もいる。

 奴らのハイドを見破れなかった……いや、そもそも看破(リピール)の努力すら意識外にあった俺の責任である。

 それよりも、奴らにプライドが少しでもあるのなら、ここは言葉に乗るべきだ。俺にとっても最終手段は戦うことだが、他の選択肢は今のところ限られている。

 

「落ちてる3人を助ける……つもりだった」

「ほう……?」

「でも、こいつらは俺を裏切ってる。俺を仲間外れにした。……あんた達も恨みがあってやってるんだろ?」

「えっ……そ、そんなっ……ジェイドッ!」

 

 剣戟音に混じり、広い落とし穴でも聞こえていたのだろうカズの返答が、明らかに普段よりも弱々しくダンジョン内にこだました。

 他の2人も、ある程度この結果を予想していたのか口にこそ出すことはなかったが、やはり絶望的な顔をして剣を振るい続けていた。

 

「恨み? 違うな。これは『遊び』だ。しかしさっきのお前の声は、まるで仲間を案ずるようだったな?」

「……昔のダチは1人。そいつ以外は、助けるギリすらねェよ」

「ふ、クックックッ……」

 

 笑っている。見抜かれたか?

 しかし彼らの警戒を取り除くために、ここで俺が『フリ』を止めたら全てが水の泡だ。幸い辺りを照らすオレンジのガラス管ランプは淡く灯るばかりで、距離を保ちつつ余裕ぶった態度でも取っていれば、びっしょりとかいた汗も悟られまい。

 だから俺はできる限り演技に(てっ)した。

 

「見たとこ対人厨だろ、あんたら。モブ専の俺じゃ勝てないっつの。なら後はコスパよ。命かけて友情とるか……あんたらとタメ張るか。……残念ながら俺の残機も1だ」

 

 肩をすくめて言う。納得するかは奴ら次第だが、理屈自体は通るはずだ。

 そして俺の祈りが通じたのか、果てしない緊張の数秒を経て、ポンチョの男はこう続けた。

 

「クク、センスあるじゃねぇか。とっさにしてはその根性にジョーク以上のユーモラスを感じたよ」

「……チッ、運いいな。んじゃあ久々に観戦でもさせます?」

「(観戦……?)」

「お前はそこで眺めていな。面白いモノを見せてやるよ。ただし、逃げ出そうもんなら、そうだな……改めて穴ん中で『元オトモダチ』を殺すとしよう」

 

 俺が勝手な行動に出ないよう釘を刺しながら、フードの男は会話を続けた。しかし、この会話の間にも刻一刻とカズ達に危険が迫っているのだ。

 彼らを見捨てることはまだ簡単だ。だが、それだけはできない。それをしたら、俺はもう2度と自分を許すことができなくなってしまう。俺が逃げ出すという事は、カズ達3人の命を見捨てるということだ。

 そして……、

 

「(ジャリ石拾って何しようってんだ……?)」

 

 固唾を呑んで見ていると、2人は足下の石を拾い上げて腕を肩に掛けるように構えた。

 これは《投剣》スキルの《シングルシュート》である。

 最も初歩技の予備動作(プレモーション)。攻撃用設定の《ピック》や《ブーメラン》、《投げナイフ》を使用しなくても、たとえば料理用ナイフでもソードスキルを発動できるということは知っている。石でも《シングルシュート》は撃てるのだろうが、しかし仲介物が何であれプレイヤーに攻撃してしまうとそれは等しく《犯罪行為》。

 だが彼らの動きに迷いはない。こんなくだらないことで、数多の行動に制限を課せられる犯罪色になるのか?

 回りくどいことをしているということは、《オレンジ》になることを可能な範囲で避けるためのはず。奴らにとってはこれが『遊び』の範疇(はんちゅう)でも、だからこそグリーンのままで楽しんでいたのだろう。 攻撃したいのなら最初からそうすればいい。

 しかし、そう思った矢先だった。

 

「なにッ!?」

 

 2人が投げた石は1度壁に命中してから跳ね返り、それぞれジェミルとカズの顔に命中したのだ。ダメージはほとんど皆無に見えたが、2人は一瞬視界を奪われてよろめき、さらにその身を危険に晒している。

 『間合い』が全ての剣の世界において、視野を奪うことの重要性を理解しているのだろう。

 だが俺が驚いたのはその曲芸ではなく、当然変化すると思われた奴ら2人のプレイヤーカーソルの色だった。

 

「(こいつらグリーンのままで……!?)」

 

 どうなっているのか。なぜプレイヤーカーソルの色が変わらないのか。

 そしてその疑問には最初に投げナイフを持って登場したフードの男が答えた。

 

「へへっどうよ、面白ぇだろ? この方法なら俺らは撃ちたい放題。いわゆる《ジャンプバレット》さ!」

 

 ヒャハハハ、と笑い続ける。が、ウケるセリフではない。

 《ジャンプバレット》だと。俺は長い間最前線を生きてきたが、そんなソードスキルなど古今聞いたことがない。

 

「Wow、いいね。全段命中じゃないか。ジョニーはこういう的当てになると適わねぇな……」

「て……めぇ、ら……」

 

 我慢しきれず、小さな声で呻くように声が出てしまう。

 しかし、まだだ。動くとしても、せめてこの疑問だけでも……、

 

「あァん?」

「あ、いや……ジャンプバレットって何だろなって思ってさ……ハ、ハハ」

「いい質問じゃねぇか、特別に教えてやるよ。……いいっすよねヘッド?」

「好きにしな」

 

 そう言うと、ポンチョの男は再び石を拾ってゲームを再開する。

 どれ1つ止める手立てのないまま、その間にフードの男が自分の功績を自慢する科学者のように上機嫌で話しだした。

 

「確かに武器で攻撃すれば一発《オレンジ》だ。ぶつけてベクトルを変化させても、プレイヤーの意志である限り関係ない。命中させた時点で《プレイヤーへの攻撃行為》として認定されちまう」

「そ、そりゃそうだ。……みんな知ってるさ」

 

 ここまでの知識は持っている。

 逆に無意識下では、乱戦中に剣が仲間を掠っても《オレンジ》になることはない。そして本人の手を離れたとしても、ピックやブーメランをわざと当てたのならそのプレイヤーは《オレンジ》になる。5ヶ月も過ぎればもはや常識である。

 

「だがよ、飛んでった投剣、抉られた地面、そこから石ころが流れ、崖から落下。下にいた人間に当たってダメージが発生……なァんてことになっても、オレンジにゃあならない。つまり、仲介物が増えることでどっかで『故意じゃない』と判断される境界線があるってわけだ」

「な、に……?」

「フヘヘ、《毒煙玉》も原理は同じ。結局バドステになる有効範囲に侵入したプレイヤーが悪いって話よ。だいたい煙じゃ故意かどうかの判断なんてつけようがねぇし、自爆の危険もある無差別攻撃のアイテムだからな! そして《フィールドオブジェクト》は1回だけのベクトル変更でその『境界線』を越える!」

 

 『バタフライ効果』なんて寓意(ぐうい)的な理論もある。詳しくは知らないが、蝶の羽ばたきが廻り回って巨大な突風災害にも繋がる1歩になりかねない、といった大層な理屈だそうだ。正しいかどうかを論ずるつもりはないものの、彼の言う初動の関連性のくだりはまさにこういう(・・・・)ことなのだろう。

 説明されて俺はようやく理解した。つまり奴らは、フィールドオブジェクトを投げつけても、一旦『フィールドに当たる』という経緯を持ちさえすれば、それは『運動エネルギーを持った敵意無き一撃』としてシステムに判断されると言っているのだ。

 貧弱な武器でさえその攻撃は敵に3桁数のダメージを与えるが、確か石や料理用ナイフだとシングルシュートを発動して直撃させたとしてもよくて1桁程度のダメージしか届かない。

 これらはファーストアタックでモンスターのヘイトを溜めてタゲを取るか、視線を別の方向へ誘導したい時にしか普通は使われていない。

 《毒煙玉》についてのトラブルも、β時代に聞いたことがある。

 このアイテムをフィールドの目につきやすい場所に放置したとする。そこで《所有者属性》が切れる5分の経過を待ち、そのあとアイテムを見つけて拾ったプレイヤーに泥棒だのなんだのと言って難癖をつける。するともみ合いの途中で破裂した《毒煙玉》の有効範囲にいると、なんとフィールドのアイテムを拾って所有者となったプレイヤーが優先的にオレンジカーソルになってしまうのだ。

 この嫌がらせにクレームが何件か寄せられたのか、運営スタッフはβテスト中の最後のメンテナンスで、《毒煙玉》による攻撃はいかなる場合であっても『故意ではない』と判断されるように設定変更していたのだ。

 そしてこの特性をこいつらは悪用した。『顔に物を投げつけられる』という心理面で回避のしようがない原始的恐怖と、顔の間近で炸裂するサウンドやライトエフェクトで人の動きを逐一阻害。プレイヤーを逃げ場のない場所に追いやった後は、モンスターと戦わせつつそれを使って文字通り遊んでいた。

 これがこいつらの遊びの答え。『余興』の意味。

 与えられた名が《跳弾(ジャンプバレット)》というわけだ。

 

「(くっだらねェ……こんなことッ!!)」

 

 しかし、これを聞いた俺の中には怒りが込み上がっていた。

 《システム外スキル》とは自然界の法則を可能な限り再現したこの《アインクラッド》だからこそ許された、プレイヤーの編み出す誇り高き戦闘技法だ。ゲームメーカーである『アーガス』に勤める製作陣が丹精(たんせい)した至高の芸術品。いわば彼らのゲーム愛の結晶である。

 脱出不能の牢と化した今でも、俺はその素晴らしい傑作(けっさく)性にだけは素直に称賛を送っていた。こんな奴らが『遊び』だしたせいで、存在そのものが汚されるなど許せない。

 オレンジ専用のお遊戯など……、

 

「……ッ……!!」

 

 カズ達は何とかキーオブジェクトを1つ破壊しているが、彼らはもう3人ともHPゲージを黄色に染めたまま戦っている。濃い煙が充満してしまったことで、今から残りのトラップ解除のキーオブジェクトに接近できる望みも低いだろう。

 これ以上迷ってはいられない。何度も何度も石を投げつけ、その『得点』を競い合い、出た結果に笑い合い、そして死にゆく様を楽しむようなクソみたいな奴らの好きにはさせない。

 

「ふッ……」

「ヒャはあ! させっかよォッ!!」

 

 ガチィッ!! と金属音が鳴った。

 態度と表情から、さすが途中で動き出すと勘付かれたらしい。もっとも、過剰な挑発の仕方から考えて、初めからそのつもりだったのかもしれない。

 フードの男、ジョニーと呼ばれたプレイヤーが進路を阻んできた。

 得物はリーチより取り回しを優先させたナイフ。

 俺は背負った両手剣を手に持つと、それをほぼ真上に投げつけて相手の視界から俺を外そうとする。

 「なっ……!?」と驚いて、彼は半歩身を引く。

 作戦は成功。行動の意味を理解できず、その剣を目で追ってしまう。そしてそれが、ジョニーとやらの横を通過するのを容易にした。

 

「あっ! テンメェふざけた真似をッ」

「おいおい……おっと、人のことは言えないか」

 

 俺は2人の会話を無視して円柱に(くぼ)んだ穴に飛び込む。

 さらに着地ざまに片手を主軸に両足を開き、逆立ちの状態かつ低姿勢で全周囲を蹴り飛ばす《体術》専用ソードスキル、全周囲回転蹴り《弧月(こげつ)》を発動してドワーフ共を《転倒(タンブル)》状態にさせた。

 

「(時間は稼いだッ!)」

 

 そして後から降ってきた今のメインアーム、片刃大剣《ブリリアント・ベイダナ》がザンッ、と地面に突き刺さると、その柄を改めて握り直し《ドワーフ・エリートアーミー》を次々と屠っていった。

 

「ルガッ……下がってろ! 俺が片付ける!」

「ジェイド!」

 

 俺が早速2つ目のトラップ解除の元を壊すと、3人はドワーフを倒して前へ進むという役目を捨てて守りに徹する。俺の邪魔をしないためだろう。

 

「Suck……余計な真似を……」

 

 『余興』を中断されてご立腹のようだが、知ったことではない。奴らはミスをした。これを止めたければ、オレンジになってでも俺を殺しておくべきだったのだ。

 

「《ジャンプバレット》? やってみろってんだ! そんなんじゃ俺は殺せねぇぞッ! ……こいつら助け出したら4人でリンチにしてやる! そこで待ってろッ!!」

 

 叫びながら3つ目のキーオブジェクトを破壊。

 正直、エリートアーミーが脅威だったのはここが最前線だった頃の話であり、今の俺にはこの数すら問題にもならない。もとより、俺は高効率パワーレベリングが可能なトップ集団のソロプレイヤーだ。

 そしてモンスターに倒されようのない俺の『動きの妨害』に、さすがに意味が無いことを悟っている彼らは追撃をやめた。

 妨害を続けたいのなら、《オレンジ》覚悟でその投げナイフをソードスキルで俺に命中させるか、ここまで降りて改めてあの大型ダガーを振るうしかないからだ。

 そして、それでは『グリーンのまま遊ぶ』という前提を崩すことになる。

 

「(こねぇ、のか……?)」

 

 とは言うものの、つい先ほど《オレンジ》覚悟で俺を不意打ちで攻撃してきた奴らだ。ミスの確率が少なく、かつリスクが伴わないとするなら襲ってきても不思議ではない。むしろその可能性は高かった。

 

「……ハァ……ハァ……ハァ……」

 

 しかし最後の装置を破壊する頃には、あいつらはどこへともなく姿を消していた。まるで、動くなと言われたら悪人は動かなければならないルールでもあるみたいだ。

 そこで気付く。俺の頭の中で冗談が言えるほど余裕が生まれ始めているということに。

 

「(今度はちゃんと《索敵》スキルも使ってる。……もういねぇな……)」

 

 トラップも予想通り解除され、円錐形に沈んでいた地面がゴゴゴゴッ、と頭に響くような低音と共に元の高さまで戻った。これで正真正銘の『安全』が一時的にも戻ったわけだ。

 そして俺は振り向くと3人を見る。

 

「ジェイド……」

「か……ルガ。ああ、なんつーか……悪かったな、さっきは。演技だったんだ」

 

 こういう時気の利いたことが言えないのは昔からだが、なんとか「カズ」というリアルネームで呼ぶことだけは踏み留まった。

 

「ジェイド! その……ありがとう……」

 

 すぐにでも立ち去ろうとしていた俺だったが、予想外にも涙目を浮かべてカズが飛びついてきた。ついでに感謝の言葉も寄せてくる。

 しかし、俺は抱き合いながら場違いにも彼らの装備を隅々まで確認してしまった。そして装備もレベルもおそらく、以前に会った時より相対的に差はなくなっている。

 さらに意外なことに、俺を門前払いしてきたいかついランサーの大男が、怖い顔をしたまま話しかけてきた。

 

「あの~、オレ達からも礼を言わせて下さい。……本当に助かりました。命の恩人です」

「えっとぉ……あ、りがとぅ……ごめんなさい。あの時はひどいことを言ってぇ……」

 

 続くように、背の低いそばかす付きの茶髪男まで礼を寄越した。でかい男の方は相変わらず体格からは信じられないほどのテノール声だったが、威嚇(いかく)しているかのような顔はわざとやっているわけではないようだ。

 過去の物言いから俺への引け目があるのか、あるいは仲間を守ることもできなかった無力感か、2人は合わせる顔がないとでも言いたそうに頭下げる。

 だがその姿こそ真にカズを友と思っている証拠であり、俺の心は荒んでいく。

 

「あ、ああ、いいってことよ。それよりあいつらは誰だったんだ? トモダチにしては仲悪そうだったけど」

 

 気まずい感謝は俺も辛い。それに今となってはむしろ気になるのはそちらの方だった。

 その質問にはカズが答えた。

 

「名前はP、o、Hで、プーって読むらしいんだ」

「うえ、なんか拍子抜けな名前だな……」

 

 (はた)から見ていきなり残酷な名前だと認識できるプレイヤーネームを付ける犯罪者もどうかと思うが、それにしてもだ。

 

「僕らもその適当な名前と、人当たりがよくて格好いい人だったから、つい『仲間に入れてくれ』って言われた時に断り切れなかったんだ……。なにも疑うことはなかったよ……」

「そうか。確かに声とか聞く限りじゃ、とてもあんな卑劣な奴だとは思えないしな」

「うん……それにとっても強かったし……」

「まあ、今回は誰も死ななかったけど次はたぶんねぇぞ。……だから仲間選びもシンチョーにな」

 

 『強さ』が組む理由ということは、やはりカズ達の最終的な目標は前線入りすることだろう。それ自体はいいことだが、今回は焦りすぎたといったところか。

 しかも仲間選びを慎重に、なんて偉そうに言ったが、これほど自虐染みた助言があるだろうか。俺には仲間がいないのである。

 だが言葉は止めなかった。それに、と俺は続ける。

 

「あいつらはさっきのを遊びだと言った。今回の……その、遊びとやらはあのフードの男が作ったっぽいけど、男はポンチョ野郎を『ヘッド』と呼んでいたんだ」

 

 その言葉にカズを含む3人が頷いた。誰も言葉にして表現しなかっただけで薄々は気付いていたのだろう。

 

「つまりぃ、今回ボクらと一緒にいた人はぁ、あのフードの人以上にスゴいことをぉ?」

「ああ、過去にしたんだろうな。あーいう連中は意外に体育会系で、自分を上回る人間見るとアガめたがるトクチョーがある。良くも悪くもな」

 

 これは本当の話で、リアルでも犯罪者集団はその長を病的なまでに崇拝しているケースが多々ある。

 あまり考えたくはないが、今後あいつらのような狂った連中が増えるのだとしたら、きっとジョニーとかいうフード男のように、組織のトップに対して絶対的な服従を誓っているだろう。

 

「とにかく、前線入りしたいのなら警戒心は常に持っておくことだ。あと敬語はいらんぞ」

「……ジェイドさんにはオレらの考えなんてお見通しってわけだね。今回はオレが焦りすぎていたんだ。この層もレベル的にはギリギリで……でも、だからってここで諦めるってわけにはいかない」

「うん、今の僕らはジェイドに届かないけど、いつか必ず前線で戦う。だから待ってて。そしてそこでまた会ったら、その時は……一緒に戦おうよ!」

「え……る、ルガ……?」

 

 他の2人も今度こそ強く頷いた。

 一緒に戦おうと言ったカズの言葉に。今の申し入れはつまり……、

 

「許して……くれるのか。……こんな、俺みたいな奴をだぞ? 初日、あんたを真っ先に見捨てたのに」

「う……うん。……うん! 僕だって謝らなきゃ。ごめんよジェイド……きみの事情も考えないで、酷いことをしちゃった……」

 

 その声の震えに喉の奥から何かがこみ上げてくるのを感じた。

 

「……るっせぇ……謝んなよ、ちくしょう……」

 

 悪いのは俺だというのに、泣くなんて卑怯だ。

 

「い、言ったからな! 忘れんじゃねぇぞ! 約束だ! ……俺はちょっと上で待ってるけど、必ず前線に上ってこいよ!」

「うん……行く! 必ず追いつく!」

 

 涙を拭き取るとカズもしっかりと俺を見据えた。

 その後は4人で近況を話し、意見を共有し、終いには会話も弾んで笑い合いながら帰った。そして迷宮区を出る頃にはつい数分前のことも乗り越えてその顔を戦士のそれに変える。

 

「ルガ……」

「ジェイド……」

 

 そして俺達はまた別れる。

 

「「また会おう!」」

 

 再び出会うことを心に誓って。

 

 



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間章 人物紹介
キャラクター


本作ヒロイン、ヒスイの最序盤のラフ絵です。

【挿絵表示】


ホントに最初のツンツンしてた頃のヒロインです。
絵の練習をし始めて数日……お目汚しはご勘弁を(>_<)
もっと精進していろんな表情、ポーズ、装備の彼女を書いていきたいです。中盤以降は顔の印象もだいぶ変わると思います。


 ここを読まなくても作中でなるべく紹介をしていきますので、紹介を飛ばしたからキャラがわからない、という状況は避けるように心がけます。

 配慮はしていますが、どうしてもネタバレの要素を微量に含みます。注意してお読みください。

 

 

 

 

 Character No.1

 ジェイド/Jade (本作主人公)

 

 

 身長:178センチ

 体重:56キロ

 SAO開始時は17歳

 使用武器:両手用大剣(ツーハンド・ソード)

 

 

 補助として《体術》、《投剣》スキルを使用。両手がよく塞がっているため、ソードスキルから体術スキルに繋げる場合は主に足技を使用している。投剣スキルでは貫通(ピアース)属性のピックを好んで使用する。

 戦闘スタイルは至ってスタンダードで、両手剣の大技の隙を体術や投剣で埋めしていく。

 バーチャルワールドならではの小技である《システム外スキル》を過剰に意識しながら戦う。

 

 

 ・容姿

 下肉上背(?)のモヤシ体型。

 髪の色は黒。前髪は目にかかっていて耳もほとんど隠れている。襟足は後ろから見て首が完全に隠れるぐらいの長さ。しかし後半では前髪は眉ほどまで切って上げ、邪魔だった襟足も短く切り落としている。

 よく黒、紺、藍など暗い色の防具を纏っている。

 目つきは比較的悪いが視力が悪いわけではない。総合的に端から見るととても不健康に見える。

 大剣は背中に背負っている。

 

 

 ・性格

 当初はβテスターであることをゲーマーとして誇りつつも、それ以外の人を見下す傾向があった。自分以外のプレイヤーは死んでも構わないと思っていて欲望に忠実。自分の命が最優先。

 教養がないためマナーが悪く、出会い頭に失礼な態度をとることも。また、いちいち邪推する癖がある。

 しかし罪悪感は人並み以上に持ち合わせていて、行動や発言とは裏腹に自己嫌悪する事が多々ある。その負い目に耐えられなくなるとパニック症状に陥ることもある。デスゲーム宣言直後に旧友を見捨てたことで、よりその傾向を強く示すように。

 人と話すことは苦手だが1度仲良くなると饒舌になれるタイプ。後半では隔てなく接し、自ら声や手を差し伸べられるように。

 ある理由から人に「お前」と言われることも言うことも嫌う。

 若干厨二病入ってる。

 

 

 ・生活

 暴力的な家庭で育ち、暴力的な人間となった。

 家族とはうまくいっておらず孤立することがよくある。唯一姉だけは親身に接してくれるが、姉が成績優秀で親から将来を期待されている手前、両親の目の前では会話をしないよう心がけている。

 学が年齢に伴っておらず底辺校とまで言われる高校に通う。中でもヤンキー集団とはあまり行動を共にせず、極少数のゲーマーと遊んでいる。ただし不良達とまったく会話がないわけではなく、休日にカラオケやラ◯ンド1へ遊びに行く程度には交流がある。

 運動は嫌いだができる。勉強は嫌いかつできない。

 

 

 

 

 Character No.2

 ヒスイ/Hisui (本作ヒロイン)

 

 身長:167センチ

 体重:~~

 SAO開始時は16歳

 使用武器:盾持ち片手用直剣(ワンハンドソード)

 

 

 初期段階から《体術》スキルを体得。遠距離攻撃は持ち合わせていない。それでも基本は体術無しで剣と盾を最大限に生かして戦う。左利きなので多くのプレイヤーとは予備動作(プレモーション)が反対向き。

 

 

 ・容姿

 体はスリム。脚の長さと胸のなさがそれを際立てる。勉強やスポーツでの苦手も少なくSAO界とリアル世界共に、そして男女共に非常にモテる。

 SAO界で変えられる髪や目の色などの設定は変えておらず、黒髪で黒眼。最初期は左目は髪に隠れほとんど見えなくなっていて、後ろ髪は肩胛骨(けんこうこつ)辺りまで伸びている。前髪付近に髪留めを2つしている以外は髪に手を加えておらずストレート。

 後半では顔全体が見えるように前髪を横に流し、ストレートだった髪は左サイドの先だけ三つ編みにして肩に垂らしている。

 元々黒色が好きなため、防具も黒かそれをイメージさせるダークカラーを好む。

 

 

 ・性格

 正義感は強いが、自分にできることとそうでないことを弁えていて、無謀な正義は振りかざさない。相手の道理が通っていれば自分の意見を改める客観性も持っている。

 男女を問わず人と話す上で距離の詰め方が早い。異性にも特別媚びる様なことはせず、攻略に関して言えば妥協なく強気な発言も繰り返している。もちろん、しばしば女性らしい一面も見せる。

 珍しい生き様や現象、職人気質なマイナーな道に興味津々。女性にとっては比較的興味の対象外になりやすい物にも関心を向ける。

 

 

 ・生活

 家族は4人構成で主人公と同じく姉を持つ。ただし家族ぐるみでゲーム好きなところは主人公のそれと異なる。

 家族全員でβテスターへの参加券を求めて応募し、彼女だけが当選。当時テスターとしてのアバターは家族で使い回していたが、当選者権限と称して「正式サービス初日だけは最初にSAOの世界に行きたい」と申し出てこの世界へ。

 学校ではバスケ部に所属していて、女性にしては高身長な体格も味方してか1年生にして先輩に期待される新星だった。

 家族、学校での勉強、部活、その他の生活に何の不憫もなかったが、それゆえに現実世界への復帰をより強く望む。

 

 

 

 

 Character No.3

 ルガトリオ/Lugatrio

 

 性別:男

 身長:166センチ

 体重:52キロ

 SAO開始時は17歳

 使用武器:両手用棍棒(ツーハンド・スタッフ)

 

 

 主人公の中学からの友達。

 フォアードとしての棍棒武器以外に、ソロプレイ時のリスク回避のため《投剣》でダガーを投げる。だが集団行動が多い関係上、飛び道具については練習機会が少なくあまり得意ではない。

 少数ギルドに所属。ダメージディーラー。

 

 

 ・容姿

 中肉中背で勉強も運動能力も中の中。

 一般的な同級生よりは顔が幼く見え、本人もそれを少しだけ気にしている。が、それだけの特筆するところがないよくいるゲーム好きな高校生。

 ただしリアル世界ではいっさい手をつけていないサラサラの黒髪だっだが、SAOでの設定変更では髪の色だけ少し茶色に染めている。

 

 

 ・性格

 誰にでも優しく、それに伴って甘い。アイテムの断捨離ができないどころか、赤の他人にさえ非情な決断ができない人格。決して全てが良い方向には向かわないが、周囲の人間には嫌われない。しかし将来損をするタイプ。

 生き物なら人間に限らず大事にする。若干恐がり。無闇に命は取らないが、特に昆虫類が苦手。その次にアンデッド、ゴースト系も苦手。これらの性格から運動能力いかんに関わらず、SAOでのサバイバルには向いていないと言わざるを得ない面が多い。

 

 

 ・生活

 一人っ子で不自由はなく、友達も多いことから毎日を楽しく過ごしていた。ゲームはもっぱらPvPではないオンラインものを好む。

 部活などには所属していない。

 

 

 

 

 Character No.4

 ジェミル/Jemill

 

 性別:男

 身長:161センチ

 体重:49キロ

 SAO開始時は17歳

 使用武器:短剣(ダガー)

 

 

 身軽な装備に敏捷(AGI)寄りのビルド、《投剣》も得意でダガーとブーメランを使い分ける。ステータスの面でもゲームセンスの面でも、戦闘においてはサポートに向いている。

 少数ギルドに所属。サポーター。

 

 

 ・容姿

 背が低く線も細いため童顔のルガトリオ以上に幼く見える。本人はまったく気にしていない。両頬にそばかすがあり、目は大きくルガトリオよりも明るい茶髪。そもそも好きな色が茶色。

 語尾が間延びする特徴的な話し方をする。しかし生活までのんびりしているわけではなく、小さな体の割りにはきびきびと元気に動く。

 

 

 ・性格

 楽観主義。初対面の人間には少し人見知りなところがあるシャイボーイ。

 戦闘に入ると普段の立ち振る舞いからは外れて好戦的になる。格闘ゲーム、アクションゲームを幅広く網羅し、単純にゲーマーとしては極めて優秀。ただし好戦的な性格とサポーターとしてしか発揮されない実力からか、戦闘スタイルが本人の望みとミスマッチすることもある。

 

 

 ・生活

 母子家庭。高校生ながらにバイトを掛け持ち、家計を支える手伝いをしている。家事もそれなりにこなす。自炊能力も多少備わっていて、それがSAOでいかんなく発揮されている。

 固定メンバーであるが友達も多い。学校での日々も大切にしているが、やはり部活には所属していない。

 

 

 

 

 Character No.5

 ロムライル/Romrayl

 

 性別:男

 身長:181センチ

 体重:70キロ

 SAO開始時は18歳

 使用武器:盾持ち片手用重槍(ビックランス)

 

 

 大型の盾を持ちで、ランスも巨大。筋力値(STR)にかなり偏ったステータスで、その武器と防具から壁戦士(タンク)として活躍。

 少数ギルドに所属し、そのリーダーを務める。フルアームタンカー。

 

 

 ・容姿

 髪色は黒、髪型はセミショートでさっぱりしている。

 がっちりとした体型で背も高く、高校生ならぬ威圧感がある。さらに顔はどちらかというとゴツく目元も怖い。もちろん、本人にそうしている自覚はまったくない。

 いかにも体育会系のいでだちだが、これは私生活の賜物であって特にスポーツに熱中しているわけではない。

 

 

 ・性格

 会話の前に「あの~」と言うのが口癖。

 言動は穏やかで低姿勢。しかし話しを纏めあげて進めたりするのは得意。高い判断力も持っている。ただ致命的なのは、ギルドマスターにも関わらず攻略過程におけるリーダーシップの欠落具合。

 困っている人を放っておけないタイプで、その結果前線を目指していながら攻略組との差が開いてしまうことも。

 博愛主義であるがゆえに、独善的で利己的な場合が多いβテスターのことを快く思っていない。

 

 

 ・生活

 生まれも育ちも北海道で、現在も大家族で生活。牛を家畜として数頭飼育していて、その面倒も大半を任されている。

 高校は私立で馬術部に所属。現在は引退。

 推薦で大学が決まってからゲームへの関心を高めたところでこの結果を招いた薄幸者。しかしその中でも生きることを諦めずに、そして戦うことを決意した勇敢さも持つ。

 

 

 

 

 Character No.6

 ミンストレル/Minstrel

 

 性別:男

 身長:175センチ

 体重:68キロ

 SAO開始時は22歳

 使用武器:短剣(ダガー)

 

 

 ソロプレイヤーで情報屋を営んでいる。

 敏捷値極振りのステータス。護身用に常にダガーを腰に携えているが、実際に抜刀することは高効率レベリング以外ではほとんどなく、対人戦闘についてはイロハも知らない。

 後にソロプレイヤーの中から『護衛役』を抜擢(ばってき)して、2人で行動することが多くなる。

 ソロプレイヤーかつ情報屋でもある《鼠のアルゴ》と比較すると、若干取り扱っている情報内容に差がある。

 アルゴと違ってクライアント情報などは売らず、対象の顧客層を変えることで差別化を計っている。情報を深追いするきらいがある。

 

 

 ・容姿

 背筋はよく伸びていて、丸眼鏡とコート系の装備を好んで使用する。好きな色は灰色で、装備中の靴とコートはほとんどその色で統一している。まるで昭和のマンガにゲストで登場する名もない探偵のような容姿。顔はややふっくらとしている。

 髪や雰囲気に至るまですべてが地味。職業柄、狙ってそうしている。

 

 

 ・性格

 紛れもなく男だが一人称は『私』。

 ゲーム開始から無愛想で無口だったが、徐々にソードアートの世界に適応し、今ではいっぱしの情報屋として饒舌な会話を楽しんでいる。

 取り扱う情報は『プレイヤー関連』の事が多い。丁寧な口調だが会話は長ったらしく、さらに回りくどい話し方をする。仕事の依頼を受けるととことん突き詰めるタイプ。

 

 

 

 

 Character No.7

 アギン/Agin

 

 性別:男

 身長:178センチ

 体重:65キロ

 SAO開始時は29歳

 使用武器:盾持ち片手用曲刀(ワンハンドシミター)

 

 

 ステータスビルドはバランスタイプ。盾を持っているので若干ストロング寄り。

 最初こそ2人しかいないギルド以下のペアだったが、後に4人を抱える攻略組ギルドとして、そのリーダーを務めるプレイヤーとなる。

 

 

 ・容姿

 平均身長よりも背が高く、ロン毛で顎髭を少し蓄えている。髪の各所に赤のメッシュを入れており、かなりのイケメン(残念イケメンとも言う)。部屋が汚い。顔は縦長。リアルではホストで働いていた。

 

 

 ・性格

 ソードアートがサバイバルゲームになった当初こそ、誰も信じることができないいわゆる人間不信に陥っていた。しかし部下に支えられ、今では攻略組小ギルドのリーダーとして日々の試練を乗り越えている。

 現在は精神も安定して部下も仲間も思いやれる気さくなプレイヤー。

 わざと女に飢えているアピールをしているから女性は寄り付かないが、しかし本人は仕事のことを忘れられてちょうどいいと思っている。

 

 

 

 

 Character No.8

 フリデリック/Friderick

 

 性別:男

 身長:176センチ

 体重:63キロ

 SAO開始時は25歳

 使用武器:円月輪(チャクラム)

 

 

 ソードアートと現実世界共にアギンの部下で、彼のことを深く尊敬している。

 遠・近距離戦を同時にこなし、ギルド内ではサポーターの位置に着いている。あえて得意分野を挙げるなら遠距離戦になるが、長柄槍に持ち変えてフォワードに立つことも可能。変則的なサポーター。

 

 

 ・容姿

 金髪で髪はショートカットかつ体格は細マッチョ。リアル世界には婚約者もいて、努力家でしっかり者。

 サバサバした感じという表現がぴったりで、鼻も高くハーフ顔の人物。男性モデル雑誌のトップに載るか載らないかを競えるレベルの美形。

 

 

 ・性格

 容姿に見合った、自信に満ちた行動と発言をする。この世界が豹変した中では珍しく、ブレない自我を保ったまま最初の1ヶ月を過ごす。その課程でアギンのことを励ますなど、自分にできることならできるだけ頑張る性格。

 結果的には彼との信頼関係も深まり、現在はリアル世界と大差ない生活をしながら攻略に励んでいる。何をやらせてもそつなくこなす天才肌のくせに八方美人で器用貧乏。

 アギンのことを兄のように思っている部分がある。

 

 

 

 

 Character No.10

 アリーシャ/Alisha

 

 性別:女

 身長:164センチ

 体重:~~

 SAO開始時は19歳

 使用武器:盾持ち片手用直剣(ワンハンドソード)

 

 

 長らく放浪の旅を続けることになる女性プレイヤー。ソードアートのソフトを手に入れたのはまったくの偶然で、彼女にセンスやゲーマーとしての誇りは備わっていない。話題作だからとログインしたものの、むしろそういったいわゆるガチゲーマーを見下す傾向もある。

 2割を下回る女性率と日本人としては豊満な体からか、比較的ゲームの初期段階から苦労が絶えない。

 数々のギルドを転々として自分自身を守っている。

 

 

 ・容姿

 髪の色は限りなく金に近い茶。髪型は一定ではなく、長さを活かしてその日の気分によってコロコロと変えている。中でも特別に好きなのはウェーブやカールをかけた外国人のような髪型で、自分の強みをよく理解している。

 胸部辺りの膨らみも大きく、主に同性からどういった食生活をしているのか聞かれることがある。

 

 

 ・性格

 少しナルシストが入っている。口に出すような失態はないがよく行動に現れるうえ、必要とあらば自分のグラマー体型を最大限に活かした色気作戦も辞さない。計算高く大胆な性格。

 元来は明るい。しかしアインクラッドという極限状態で生活するに連れ、その特性は揺らぎつつある。感受性が強く、意外なことに恋に恋する乙女な一面もある。

 

 

 

 

 Character No.11

 シーザー・オルダート/Caeser Altered

 

 性別:男

 身長:177センチ

 体重:61キロ

 SAO開始時は17歳

 使用武器:(カタナ)

 

 

 日本刀マニアで、かつ最前線のビーストテイマー。

 非情に身軽に間合いのイニシアチブを取り、しかるべき瞬間に攻撃を行う一撃ヒッター。それを成立させる存在が《使い魔》の黒竜であり、ゆえに集団戦よりは飼い慣らした相棒とのペア戦の方が得意。

 

 

 ・容姿

 日本人受けする優男。髪も瞳も藍色で物腰は柔らかい。細身だが本人の自信の表れなのか構えは堂々としている。

 無類の和服好きなので、装備もどこか侍然としている。防御力は下がるが甲冑よりも布系装備を好み、その代わりに機動性と隠密性に長ける。ステ振りもやはりこれを前提に行われている

 

 

 ・性格

 相手の考えていることや感じたことを読み解くのが得意なもの好き。話し方も穏やかで、その慇懃な態度につい引き込まれる者も多い。

 常習的に読心を心掛けてきたことは、この人物にとっても災いをもたらす。のちに大きな変革を生むきっかけとなった。

 

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 準レギュラー キャラクター

 

 

 Character No.12

 クロムオーラ/Chrome aura

 

 《軍》から少佐階級を与えられ、1層《黒鉄宮》にて番を任されるメンバーの長。短髪で無精ひげもあり、かなりジジくさい話し方をするが、まだ40の半ば。

 罪悪感を感じながらも途中からは攻略にほとんど参加せず、友人が戦場で散ったショックと恐怖からついに立ち直ることはなかった。

 主人公からは『クロムのおっさん』の愛称で通っている。

 若者の成り行きを見守りつつ、たまに思いついたような助言をくれてやるのが生きがいになりつつある。《黒鉄宮》に運ばれてくるプレイヤーの関係上、彼の存在はアインクラッドにおける一種の更生機関の指導員的な位置にあたる。

 

 

 

 

 Character No.13

 エルバート/Elburt

 

 DDA総隊長リンドの右腕。20代前半。

 ワックスとヘアピンで髪の左側をバックに流し、もみあげの部分は耳にかけている。右の髪も一房を三つ編みに束ね、キザッたらしく垂らしている。

 俗にいうナルシスト。実力主義の過激派。

 それを裏打ちする生粋の努力家で、ストイックな人間が好き。甘い男ではないが、厳しさ余って身内には優しく、ギルド内からは絶大な人気を誇る。自分を打ち負かしたリンドを絶対に裏切らない忠誠心を持ち、自分もDDAの繁栄の象徴であろうと日々奮戦する献身的な男。

 また、メタ的な目線で、本作には原作にいたリンドの取り巻き2名が不在。ゆえに彼がその立ち位置となる。

 

 

 

 

 Character No.14

 ベイパー/Vapor

 

 成り上がりでキバオウの腹心となる男。青髪で首の太い青年。

 鍛錬を怠ることはなかったのでレベルだけを見れば《軍》でもトップクラス。しかし最前線の惨状を知ってしまったために、逆にアインクラッド脱出への希望を失いかけている。

 また、ある事件からキバオウと秘密を共有する関係となり、両者ともにそれを武器に目的を達しようと協力し合う。

 決して自発的なリスクは負わないタチで、行動や衝動の根源はいつも消極的な理由から。

 

 

 



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第三章 ラストアタック
第18話 ちょっとだけ幸せな夜


 西暦2023年4月16日、浮遊城第19層。

 

 中学以来の旧友、現在の名を『ルガトリオ』とするカズや、その仲間達と共闘の誓いを立てて2週間。4月も半ばを越えたところで、プレイヤーは最前線の主街区を19層の《ラーベルグ》へと移していた。

 第1印象は『ゴーストタウン』といったところか。

 アクティベート直後に人がいるわけがないだろう、といった屁理屈をこねているのではない。本当にNPCの影すら感じないほど、俗に言う『廃墟都市』のような主街区だった。

 俺は高校に上がると同時に、自分でもびっくりするほど幽霊やその(たぐい)の怪奇現象にまったく恐怖心を抱かなくなっていたが、人によっては正直寝泊まりするだけでもキツいだろう。

 そんなフィールドや主街区とは裏腹に、俺の内心はカズ達との再会に待ち焦がれる、期待とも緊張とも言えないバラ色の感情で埋め尽くされている。意味がうろ覚えで自信はないが、一日千秋という言葉は確かこういう時のためにある言葉だろう。

 

「(……カズ……ま〜だっかな〜)」

 

 夜の(とばり)が降りてなおウキウキである。

 しかし、だからかも知れない。俺は1人で戦える、強くなれる。そう強く自分へ言い聞かせてきた、ある種の脅迫概念から少しだけ解き放たれた気がするのは。

 俺のした最低最悪の行いをあの3人が受け止め、許してくれただけで、背負った重圧が消えつつある。もちろん、これはスタート地点である。罪を忘れることだけはあってはならないからだ。

 それはそうと、彼らと別れるまでの迷宮区での会話で判明したことが色々ある。

 まずはあの3人が結成したギルドの名前だ。

 その名も《レジスト・クレスト》。命名の際に込められた意味は『抵抗の紋章』だと言う。聞いてすぐに意味が理解できなかった辺りに英語力の不足を感じる、何て話はもうさんざん語り尽くしたことであり、しかし少なからず『英語』、『勉強』といったワードから、リアル事情が頭をかすめて焦燥感は迫る。何はともあれ、将来的には俺も参加するギルドだ。意味ぐらいは知っておくべきだろう。

 閑話休題。

 次に判明したことは、ギルドリーダーがロムライルだったということである。

 俺にとっては友人のカズこそリーダーと思っていたが、考えてみればあの3人は初めて俺と会った時かそんな発言はなかった。特別カリスマ性を秘めた人間が不在だったかららしい。

 それなら納得もいく。というのも、改めて彼らの装備を確認すると、ロムライルは盾持ち片手用重槍、カズは両手用棍棒、最後にジェミルが短剣使いだからである。

 身体能力サポートスキル《軽業(アクロバット)》や疾走(ダッシュ)などを完全に排斥(はいせき)したロムライルはレンジの長いランスと、さらにリーチを稼いでくれるソードスキルでの後方支援型。最大火力を誇る棍棒(メイス)使いのダメージディーラーは意外にもカズで、援護や支援は《軽業》、《投剣》スキルを持つジェミルが請け負っている。

 つまり、選局を俯瞰(ふかん)できる後方支援のロムライルは、リーダーとしての素質に差がないのであれば、指揮権を持つことが妥当だと言えるのである。

 もっとも、前衛陣にダメージが重なると、回復までのタゲを重装備の防御力でカバーする、といった具合に前衛とスイッチすることも当然起こりうるが。

 こうしてみると、寄せ集めにしては蛇足のない戦術的構成(タクティクスビルド)と言えるだろう。

 

「(あの奥手なメンツでも、俺が参加すりゃ攻撃型の小隊になるわけか……ハッ、笑える。あいつらとの再会ん時、せめて笑われないように強くなっておかなきゃな)」

 

 少しずつ、だが着実に《攻略組》への参戦に近づいているあの3人を思うと、そう考えずにはいられなかった。

 しかし、私考が中断を余儀なくされる。

 

「きゃああああああっ!」

 

 と。女の悲鳴が最前線の、中でも攻略組なら歯牙(しが)にもかけないだろう、だだっ広いフィールドに響くのを聞き取ったからだ。

 夜も深い。強化された夜行性モンスターを狩る経験値効率というは、種によってはウマイものの、俺の情報力の限りでは19層に存在しない。なぜならどいつもこいつも夜行性だからだ。ここらの敵から得られる経験値は一定のはず。

 時間帯的にも、女の悲鳴などトラップの香りしかしない。

 とはいえ、まさに俺の認知しない現象が起きている。隠しクエだろうか? 声が重なっていたように聞こえたのと、SEに分類される特有の機械音ではなかったのが気になるが、はて……。

 そして、2度目の悲鳴。1度目よりも大きい。

 

「(ガチの悲鳴か……?)」

 

 万が一プレイヤーだとして、深夜の12時を過ぎてよもや女がこんなところを複数でさ迷うものだろうか。門限のないゲーム世界であるものの、そのリテラシーはいかがなものか。

 ――俺はその分、朝が遅いからいいのだ。

 

「(いや、こんな時間だからこそ2人以上でいんのか!)」

 

 違ったところで納得しつつ、モンスター専用ソードスキル《霊剣(レイケン)》スキルの解放によって、フィールドの危険度が増していることを思い出し、一応音源へ駆け足。

 敵なら敵でいい。狩って俺のエサにするまでだ。

 そうして走るうちに、周りが西洋の墓を模したオブジェなどで埋め尽くされたアート風味の空き地に着く。波のような葉と枯れた木々の先に、予想外にも本当に2人の女性プレイヤーが戦っていた。

 しかも敵は恐ろしい見た目だった。細部のグラフィックがきめ細かなこのSAOの世界では、精神衛生上あまりよろしくないぐらい怖い。レーティングがZ指定でないのが不思議な、ゾンビのような2メートル超えのモンスターである。

 初見の敵。ディティール・フォーカシングシステムがはっきりと表示したその名は《グラットン・ゾンビ》だった。

 

「(うおぉっ、俺も初めて見たな。さすがにありゃこえーよ、俺でも……)」

 

 怪奇現象、ポルターガイストといったパニック映像はサスペンス要素が強いだけだと思うのだが、対して奴の見た目は突き抜けてグロい。血塗られた鎌もいい演出。

 夜にあのモンスターを見て反応しないプレイヤーはいないだろう。一昔前にヒットしていた映画、バイオ何とかのワンシーンを再現しているかのようだ。

 

「(ってか、アスナとヒスイじゃん!?)」

 

 よく目を凝らすと、それぞれ白と黒の防具を身に纏うプレイヤーが既知の人物であることが判明した。

 なぜ既知の人物であるにも関わらず、発見後すぐを断定できなかったのか。その理由は珍しく俺のスカスカ頭でなく、彼女達の戦い方にあった。

 「あいつらあんなに弱かったっけ?」と、失礼ながらそんな感想を持ってしまうほど、2人からは舌を巻くほどの『剣技』が無くなっていたのである。

 タゲの押しつけ合いと、腰の引けた初心者(ニュービー)の様なでたらめな剣筋。加えて敵を直視すらしていない。しかも最悪なことに敵のHPはとんでもなく多いのか、きちんと命中してもほとんどドットが減っていないようにすら見える。

 

「おいおい、こりゃヤバいだろ……」

 

 狩っている最中のモンスターの横取りはマナー違反だが、傍目(はため)に見てもどちらかというと彼女達は『狩られて』いる。

 でしゃばった真似だと心のどこかが喚起しているが、気合いでそれを無視して俺は衝動のままに剣を抜いた。

 続いて敵の真後ろに回り込んで近づくと、現在の愛剣《ブリリアント・ベイダナ》を弱点と予想した首に向けて真横に振る。

 

「らあぁああああッ!」

 

 ガシュッ! と、右脳辺りを掠ったがどうやってか軌道を読まれてクリティカルにはならなかった。

 大型、およびノロいモンスターを狩りやすい大剣装備ゆえ、もう少しダメージは通るものだと思っていたが、しかし今はそれどころではない。

 

「おい、ほうけてる場合か! タゲはもらうから、2人はさっさと横から斬れ!」

 

 いきなりの援軍に驚くのも無理は無い。善意で手を貸した身としてはまことに遺憾(いかん)だが、あるいは美少女のケツを追うストーカーとでも思われたかもしれない。

 しかし、それにしても攻略組とは思えない反応の鈍さだ。割りと本気(マジ)で不安になる。あの鬼の攻略組達がいったい今日はどうしたのだろうか。

 先ほどから怯える小動物の様になっている2人を差し置いて、1人でガスガス斬りまくっているが、案の定一向に敵の体力が減らない。ソードスキルが必要なタイプか。

 この際タンクにでもなってやるが、ここは俺が淡々と頑張るより、協力して3人で斬ってかかるところだろう。

 

「ちょ、ちょっとちょっと! スルーすんなよっ!」

「だって怖いんだもん!」

 

 いい加減しびれを切らしてキレそうになった直前に、わざとやっているのかとか疑いたくなるぐらい可愛らしく、そして半泣き状態でアスナが言う。

 庇護欲の掻き立て具合だけならたいした技術だ。

 思わず「女かッ!!」と、(よこしま)な気持ちをかき消すようにノリツッコミをかましてしまったではないか。

 

「ああ、そういや女だったなアンタら……ッ!! じゃあ何でこんな夜中に戦ってたんだよ……ったく、ヒスイ! こいつを何とかしろッ!」

「無理! だって怖いんだもん!」

 

 ――うわぁ。

 と思わなくもない。可愛いなと思わなくもない。思わなくもなくはない。

 これはいけない。皮膚がただれ、眼球が飛び出し、ヘタなホラー映画よりリアリティのあるアンデッド系ゾンビと戦闘中なのに、不意打ちのような声を連発されると不覚にもクラッとくる。

 よもや彼女らにボケもツッコミもかますとは思っていなかったが、楽しんでいる場合ではない。天然なら許せるものの、狙ってやっているのだとしたらずいぶんと余裕だ。

 

「くお!? んにゃろ……おい! あんたらあとで説教だぁ!」

 

 滴る鎌を押しのけつつ、俺はそう叫ばずにはいられなかった。

 その後、目が潰れていて激しい動きにのみ反応する上、こちらの攻撃パターンをまるで学習せずに好き勝手暴れる難敵《グラットン・ゾンビ》と、『見切り』や『ミスリード』の利かない約10分間の辛い戦闘は、ほとんど俺1人でやらされたのであった。

 

 

 

 戦闘終了後。タバタ式トレーニングのような激しい運動を経たというのに、インターバルはほぼ皆無だった。

 

「間に合えばいいけど……」

 

 息を切らしながらヒスイがそんなことを口にする。

 なかなか死なないゾンビ君を倒してから、すでに5分が経過していた。

 予想通り、クエスト専用モンスターだったグラットン・ゾンビにラストアタックを決めた俺のストレージには、《大食らいの生首》というアイテムがドロップされた。

 グラは完全に生首。超いらない。

 しかし、それを頭を下げてまで欲しがった女2人に、若干軽蔑しながら仕方なく譲渡(じょうと)。さらに、怪しげな全身黒衣の邪神教集団のようなNPCの所までやって来て、それを手渡している状況だ。

 

「(クエスト報酬が狙いだったのか……)」

 

 もっとも、そうでもないと泣きながらアイテムを手に取っていた彼女達の行動原理が存在しなくなる。

 それにしても、報酬が生首とはとんでもないクエストを受けたものだ。

 実はこれ、受けてみないとドロップ品がわからないものだったらしい。何せ『対象者を倒した証』を持ってきてくれという、漠然とした依頼だったので、『何を持って対象者を倒した証明とするのか』は受注したプレイヤーが自分で考えなくてはならない仕様だったのだ。

 残念なことに蓋を開けてみると、考える余地もなく圧倒的なわかりやすさを誇る生首さんが答えだったわけだが。

 そしてこのクエスト、日付が変わって最初の1時間でクリアしなければならない鬼畜仕様なのである。クリティカルの連発で運良く倒せたものの、本来1人では時間制限内のクリアすらままならないトンデモクエストだった。

 

「ありがとうね。必ずいつかお礼するから」

 

 アスナがわざわざお礼を言いにやってきた。ようやく落ち着いたのか、一挙手一投足に優雅さを取り戻しつつある。

 それにしても、興奮状態でつい叫んでしまったが、何度見ても俺のような下々民にはお声をかけるのもはばかれる美人だ。隣にいるヒスイも然り、はぐれソロプレイヤーと一緒にいる方が違和感である。

 ふと、これだけ弱々しい姿がギャップ萌えするとわかると、ゾンビ系をトレインして恐怖に縮こまる彼女達をゆっくり観察してみたい、などというゲスを突破する最低極まりない欲求が頭をよぎったが、今回ばかりは実行に移さない方が吉だろう。

 現実世界の話になるが、小学校のクラスメイトに霊にまつわるあらゆる現象を怖がる女の子がいた。俺はそれを知った上で、彼女を心霊スポットまで騙して連れ出し、ネットで拾った恐怖画像を拡大印刷して壁に張ったり、破棄されたマネキンのパーツを回収して現場に散りばめたり、赤いスプレーで不吉な言葉を書きなぐったりと準備をした上で、彼女を死ぬほどビビらせたことがあるのだ。

 当時はあれでモテるとでも思ったのだろう。

 だが、現実はそう甘くなかった。

 周到な下準備を経て、泣きじゃくる女の子が帰りたいと懇願(こんがん)するのを無視し、姫を守るナイト気分を30分ほど味わったところで事件が起きた。

 普通に絶交されたのである。

 あれはショックだった。年齢にしては高額だった仕掛けにかけたお金や費やした時間よりも、あまりにもくだらない理由で初恋が散ったのが悲しかった。まさか女の子の嫌がることをしてもその子の気を引けないとは。

 ……まあ、いま考えればごく当然の結末だったが。

 むしろ相手の親が招喚(しょうかん)され、力の限りブン殴られても文句は言えなかったはずだ。

 そんな恥ずかしすぎる記憶が走馬灯のように巡った俺だったが、どうにかそれらを気合いで消し飛ばし、改めてアスナに意識を戻した。

 

「い、いやそれはいいんだけどアスナ、これ何がもらえるんだ?」

「何が……かはまだわからないわ。話は長いから省くけど、3種類の武器からランダムに貰えるらしいのよ。その内の2種類が《細身剣》と《片手用直剣》っていうわけ。しかもアルゴ……って言ったらわかるかしら?」

「ああ、アルゴは知ってる。情報は命みてーなもんだし。他にもソロなら何人か……おわ、脱線したな」

「まあ、彼女曰く、そのどれもがとっても強力みたいなの」

「いま強い剣ねぇの?」

「わたしもヒスイも前回更新してからしばらくたってて、丁度変え時でね。だから一緒にやろうって」

「なるほどねぇ……」

 

 そこはかなり際どい葛藤があったのだろう。

 恐がりな(ことが先ほど判明した)こやつらが冒険した理由。なにせ、モンスターは視覚的な恐怖を与えるに過ぎないが、強い武器がないという事実は最前線プレイヤーにとって『死』の恐怖そのものである。

 そこで、彼女達はどちらが出ても文句なしという条件で、一時的に協力し合っていたのだそうだ。アルゴも良かれと思って情報を売ったはずだが、誤算は戦闘時に2人がまったくの役立たずになってしまったということか。

 しかし、これでクエスト発案者の意図が読めた。

 つまり剣はランダムかつ1本しか貰えないのに、1人ではクリアを困難にさせることで、真の意味での信頼しあった仲でしか臨めない仕様にしたのだ。コミュ障殺しである。

 

『よくやってくれた、あやつがいなくなったおかげで商売が再開できる。どれ、代わりに我々の末裔から古より封印されていた剣を授けよう』

 

 ――てめぇらそのナリで商人かよ! 

 という言いがかりは声に出さず、NPCがそんなことを言っていることから、とうとう武器伝授のタイミングかと予想をつける。

 

「(よりによって棺桶から出すなよな……)」

 

 予想にはあったが取り出すのは十字の刺繍(ししゅう)が入った黒い箱のような棺桶の中からだった。

 果てしなく何もかもが悪趣味なイベントの中、2人掛かりで運ばれて来たその『強力』と噂の武器はしかし、《片手剣》と《細身剣》のカテゴリには無い武器だった。

 

「え……と、両手剣……?」

 

 予想外の展開に声を出してしまった。きっと運ばれてきたのは『3種類目』の武器だったのだろう。どう見ても片手では振り回せそうになく、それはそれは大きく禍々しい両手用大剣が姿をあらわす。

 エッジには頭蓋骨をイメージさせる骨格を持ち、剣そのものも血管の様な赤い筋が何本か見えるだけの骨塊だ。刀身は鋭く研がれているものの、果たして本当に切断能力があるのかと問いたくなるほどの、怪しげな儀式で使われる装飾用品にも見える片刃の刃物。

 「え~両手剣かぁ……」と、ヒスイも不満タラタラに口を尖らせているが、ランダム報酬だと事前に聞かされていたクエストである以上、後から文句を言っても詮無い。

 なんて冷静に分析しているが、俺からすれば正直ノドから手が出るほどこの武器が欲しい。手に入れ、プロパティを確認し、毎日手入れと研磨に励みながら共に戦いたい。強い武器なら舐め回したい。弱い武器なら目の前の商人を斬り殺したい。

 

「(おっとつい本音が……)……あ、あんたらさ、2人共両手剣スキル取ってないよな? ……売るの?」

「う~ん……いえ、そんなに欲しいならここはあなたに譲りましょう」

「マジでかぁ……え、マジかぁこりゃラッキーだったな。何か得した気分だ」

「反応が子供ね……」

 

 なるべく平常心を保って悟られぬようにしたというのに、心を見透かされてようで気分的には恥ずかしかったが、ここは話しが早く進んだと喜んでおくとしよう。

 それにアスナはそう言うが、このニヤニヤは止めようがない。

 考えてみれば戦っていたのはほとんど俺なので、報酬分配としては妥当とも言える状況だが、俺はクエストを受けていない。ゆえに『学校行こうとしたらその日は祝日だった』的な、棚からぼた餅的な何とも言えない幸福感は誤魔化しようがないのだ。

 

「さてさて早速、うをっ!? ……けっこー重いな」

 

 なまくらなんてとんでもない。受けとると体がグラつくほど重く、そして良い剣だった。

 柄の部分に浮かぶダイアログからタグを押してプロパティを確認すると、銘を《ファントム・バスター》とする信じられないぐらいのハイスペックな剣だった。

 剣のプライオリティに比例して、クエストのクリアが難関だったわけではない。しかしファントム・バスターを強力な武器にせしめる3つの理由の内1つがこの武器に該当したのだ。

 その3つとは『達成難関クエスト』、『指定時間要求クエスト』、『希少クエスト』である。

 順を追う。まず1つ目は、クリアそのものが非常に困難なクエストだ。《イベントボス》や《クエストボス》などの多くはこれに該当する。この場合、達成を困難にしているものがモンスターなら、その討伐によるドロップでもレア物が手に入るだろう。

 次はクリアにかかる時間が物理的に短縮不可能で、長時間を要求してくるクエスト。そのほとんどが誰でもクリアできるようになっているはずだが、なんと言ってもメンドクサい。クエストを見送ったプレイヤーも多々いるだろうが、やはり時間に比例したリワードが保証されている。

 最後は時間指定で発生するか、もしくはクエストの発見そのものが著しく困難なものだ。これらを発見できたら非常にラッキーで、可能ならこなすも良し、不可能なら情報料として売るも良しだ。

 先ほどの暗い場所でのクエストが今回のそれで、俺は奇しくも幸運者と言える。

 

「これホントにいいのか? 後で返せつっても返さねぇぞ?」

「そんなジェイドみたいなことは言いませんよー」

「うんうん。それに言うことはまずお礼でしょう」

「うう……む……」

 

 ――で、でもこれって俺1人で……。

 いや、これに限らず面倒な相手に言葉で言い負かそうと考えない方がいい。その勝利に価値はないと最近学んだ。

 

「わあったよ、ありがとさん。大事に使わせてもらいますよ」

 

 とは言っても、このまま装備などしたら俺が剣を振る前に俺が剣に振り回されてしまう。これをメインにするのは、もう少し後の話になるだろう。

 

「素直でよろしい……ふぁ、ぁ……」

 

 ヒスイが手で口元を隠しながら眠そうに欠伸をする。ついでに恥ずかしそうにも。

 それもそのはずで、時刻はもう1時を超えている。俺は夜更かしに慣れているが、規則正しい生活をしている人、つまり彼女達にとっては熟睡中の時間だ。アスナが眠そうにしていないのは……なぜだろうか。睡眠時間を聞いてみたくもなる。

 

「じゃあジェイド、宿までエスコートよろしく!」

「おうっ……お……おう?」

 

 獣か俺は。

 てっきりこれでおさらばかと思っていたが、逆に相手は送ってもらって当然という雰囲気である。逆らうだけ労力の無駄だと判断した俺は素直に任意同行するが。

 ま、まあ。釈然としないどころか、嬉しいハプニングというか、もはやリワードのリワードまである。

 

「(女という奴は……それにキリトはどうした。ゲーム始まって以来、こういうのはあんたの役目だろうに)」

 

 そう言えば、最近キリトは《月夜の黒猫団》などと言う中層ギルドに入ったのだった。

 ヒスイの過去にも同じような経験があったと記憶しているが、同レベルならまだしも、なぜ極限までストイックになれる前線プレイヤーが、あんなヌルい中層プレイヤー連中と徒党を組むのだろうか。今のところメリットらしいメリットが思い付かない。

 俺ですら、カズ達のいるレジクレとやらが前線に追い付くまでは入隊しないと決めているほどだ。

 

「(まぁいっか、俺関係ないし……)」

 

 そうこうしている内に静まり返ったメインストリートを横断し、今度こそ別れの時がやってくる。

 

「宿はこの辺か?」

「うん、ありがとう。明日もお互いに頑張ろうね」

 

 アスナは無断でギルドホームを空けていたらしく、そろりそろりと帰ってしまったので今はヒスイと2人きりだ。ちなみにヒスイは幽霊が怖いそうで、ごく当たり前のように19層では寝泊まりしていない。なので、今いるのは18層の主街区である。

 

「そうだな。……まあ、フロアは広いし、次会うのなんていつになるかわかったもんじゃねぇけどさ。会えるとしたらボス部屋とかか」

「え、何そんなにあたしに会いたいの?」

「…………」

 

 喉まで出かかったが、よし。見え透いた罠にはかからなかった。偉いぞ俺。

 

「ふふっ……図星かなぁ? 顔赤いよ~?」

「い、言ってろ! 次は泣いてすがっても助けねぇぞ!」

「なら別の人に助けてもらいます~。ま、こう見えてあたしはみんなのアイドルですから!」

「こんの野郎……」

 

 がしかし、我慢できずに言い返してしまった。

 わざとだとわかっていても好き勝手言ってくれる。

 駄目だ、完全にペースを作られている。こうなったら多少神風状態になってでも、何か状況を打開する逆転のカードがいる。何でもいい、バカにされたまま引き下がれはしないのだ。流れを崩す何かを。

 なんて、安いプライドとパニックが頂点に達した時……、

 

「じっ、じゃあ俺が助ける!! 何度で、も……ッ」

「…………」

 

 うっかり終焉の時を迎えた。

 

「(があぁぁあああッ!? あれっ? あれれっ!?!? やっちまったぁあああああ!?)」

 

 究極的にパニクって自虐風自爆特攻をかました俺は、自然な成り行きとして全身に火花が走ったような感覚と共にその場に立ち竦み、自殺を2割程本気で考えてから呆然とする。滝のような汗に加え、手先なんて麻痺しだしているのだ。

 そして、あまりに長すぎる空白ののち、彼女が先に反応した。

 

「……え……ぇえええっ!? 直球過ぎないっ!?」

「ちょっ……な、こっちは恥かいたんだ! もっとこう、気の利いたパスがあるだろ!」

「し、しし知らないわよ! ジェイドこそ何言ってるの、気持ち悪いからそれッ! ポエムとかハヤんないって!!」

 

 グッッッサリ、と刺さる相手からの言葉の暴力。を、一旦脇に置いておいて、とりあえず理解したことは、相手を多少なりとも道ずれにできたということだけだ。

 

「か、帰る! ……あたし今度こそ帰るから!!」

 

 そして駆け足で俺も過去に使用したことのある宿屋に向かっていく。

 まったく、今日のセルフ反省会は長引きそうだ。

 しかし俺がそんなことを考えている途中で、ヒスイはクルッと向きを変え、その黒髪をなびかせると元気よく手を振っていた。

 

「今日はありがとー! また今度ねー!」

 

 なんて、先ほどまでの殊勝(しゅしょう)な彼女はどこへやら、といった変わりようである。「じゃあなぁー!」と、左手を軽く挙げて仕方なく答えてやったが、今のボリュームは近所迷惑だっただろうか。

 いや、音は壁にシャットアウトされているのだったな。

 それにしても、時間にしたらほんの1時間程度のことだったと言うのに随分と長く感じるものだ。

 

「(女には勝てんわ……)」

 

 そう思う俺の頭にも、明日の狩りは(はかど)りそうだという浮ついた感情だけは、いつまでたっても消えなかったのだった。

 

 

 



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第19話 小さな成長(スモール・グロウフ)

 西暦2023年4月20日、浮遊城第20層。

 

 さて、サクラの月も始まってはや3週間。とうとうSAOの参加者はこのゲームの5分の1を踏破していたが、俺は少し困っていた。

 発端は俺のいる《圏外》、メインフィールドとなる《ひだまりの森》のこと。

 このエリア、広い上に虫が多いのである。しかも、迷宮区へ進みたければここを通過するしかない。

 もっとも、迷宮区のマッピングはすでに始まっていて、しかも極めて順調。明日か明後日にもボス攻略が始まるだろう。ではなぜ、最前線の手前で進みあぐねているかと問われれば、このステージには蜂型のmobが出現してしまうからだ。

 俺は幼少期に蜂の集団に刺されて死にかけたことがある。そのトラウマもあって、ほぼ全ての虫を可愛いと思える俺にも苦手なものが何種類か存在する。そしてその内1のつが『蜂』というわけだ。あとはGなど。

 しかしよりによって蜂だ。これだけは本気で勘弁してもらいたい。

 なんてことを考えながら首をひねっていると、付近を通過しかけた集団の1人が駆け寄って声をかけてきた。

 

「おいおい、どうしたジェイド。しょぼくれちゃってさ」

「あん……? って、クラインじゃねぇか! おっひさー!」

 

 《索敵》スキル全開でプレイヤー集団が近くにいたことはわかっていた。

 ただ、まさか話しかけてくるとまでは思っておらず、条件反射のように弱い部分を隠そうと強めの口調で切り返したわけだが、しかし顔を上げて目を開くとそこにいたのは俺の知る人物、および彼が統括する小規模ギルド《風林火山》のメンバーだった。

 

「おう、久しぶりだな! イベント戦で重なった時以来か?」

「おいおい、それよりもう最前線まで来れるようになったのか!? すっげぇスピードだな」

「いやぁまだまださ。これでも迷宮区モンスターはちょいと危険だからな」

 

 謙遜(けんそん)して言いつつ、それでもこのエリアを進んだ先にある迷宮区は紛れもなく今の最前線。口で言うほど簡単ではない『最前線入り』を、この者達はもう目前まで控えていることになる。

 

「いや、やっぱすげぇよクラインは。んで、なんか用か?」

「用ってわけじゃないけどよ、なんか調子悪いのかと思ってさ。……さっきの見てたぜ? 毒しか取り柄のない《エストック・ビースパイク》なんて、今さらビビるような相手でもねぇだろう。解毒ポーション持ってき忘れたとか?」

「いや、この層でそんなミスはしねーけど……」

「じゃあどうした? 似たようなの、2層辺りにもいたじゃねぇか」

「《ウインドワスプ》か、いたな〜そんなの。んでも俺、あいつも極力避けてたんだよ。ハチ系苦手でさ」

 

 他愛もない会話で8人揃って狩りを続けるが、やはりクラインに対して感じるのは『取っ付きやすい』という印象だ。

 この男は土足で懐に飛び込んでくるような図々しさがあるくせに不快感を相手に与えないような、本当に不思議な魅力を持つ男だ。いや、魅力といってもああいうアレではなく、もっとこう友情的なアレだが。

 

「……ってな感じだ。どうよ?」

「どうよってアンタらさぁ、そんだけ準備が整ってんなら今日にでも迷宮区入りしても何ら問題ねぇよ」

 

 信頼されているのかは知らないが、会話の途中で彼らのギルドの平均レベルや武器、防具をあらかた教えてもらったのだが、その内容は唖然とするものだった。

 理由は呆れるほど平均ステータスが高かったからだ。

 影の努力なんて推し量れるものではないが、少なくともこれだけは言える。「早く迷宮区来いよ」と。勇み足が過ぎると確かに危険を招くが、遠慮も過ぎるとまた前に進めなくもなるものだ。

 

「やっぱ過剰マージンだったか~。まぁでも、7人だからだと思うぜ? 個人じゃやっぱキツい時が……」

 

 そう言うクラインからは自嘲などの(たぐい)の後ろめたさは感じない。きっと真剣に考えた上で『万が一』の場合も死なないように考えているのだろう。

 毎朝早くから毎晩遅くまで狩りを続け、資金を切り詰めて助け合い、信じ合って成長しつつも生き残る。俺にはできなかった、そして俺より遙かに崇高な戦闘スタイルを、もう長いこと繰り返しているのだ。

 

「(クライン……やっぱあんたとその仲間には学ばされること多いよ……)」

 

 4層でこいつらと会った時から、その脆さをあざ笑っていた。ソロの方が効率もいいのに、弱者同士身を寄せ合って傷の舐め合いなんてみっともない。群れる連中には理解できないだろうが、仲間なんていなくても俺は独りで戦える力がある。

 そんな虚しい虚勢ばかりを考えていた。

 しかし、そうであってほしいと願っていただけで、実際には強烈な劣等感から彼らに嫉妬と羨望を抱いていたのだと、今になっては認めざるをえない。

 振り返ったら視線が交わせる、踏み外したら道を正す、怖じ気づいたら励まし合う、そんなことができる奴らが俺は欲しかった。だからこそ、仲間を求めて4層であの3人に話しかけたのではなかったのか。

 

「(キリト……あんたも、そういう奴らと旅をしてるんだろ……?)」

 

 あいつは今輝いている。初めて参加させてもらっている仲間達と幸せに過ごしている。

 アスナとヒスイを深夜に救助してからこの4日間、俺はずっと考えていた。例え格段にレベルの低い足手まといなプレイヤーであれ、仲間として守っていくことにメリットがあるのかと。それでは自分にだけ負担がのしかかってしまうのではないかと。

 しかし、それはとんだ勘違いだった。

 中層プレイヤーと組むメリットを最近になって少しだけ理解することができるようになった俺は、もうその行いを笑わない。いや、もはや『メリット』ではない。これはもっと人が人足る根本からの衝動と本能だ。

 俺はそれを手にすることができたはずだった。俺の取捨選択が今の結論を生んでいる。

 後悔は死ぬほどしたが、しかし失敗から学んだことはたくさんある。

 

「(なら、この恥ずかしいぐらいデキの悪い頭にも、多少は感謝しねぇとな……)」

「なあジェイドよ、今日だけでも一緒に狩りしねぇか?」

 

 そんな葛藤の中、ふとクラインがそんなことを言い出した。

 友達の申し出だ、断るはずがない。しかしメンバーに武器の自慢をしつつ、らしくもない感傷に浸っていると……、

 

「うわぁああア!!」

 

 と、ちょうどエリアの区切りとなる場所から女の叫び声が聞こえてきた。

 目を凝らすと彼女の顔がヒゲペイントをあしらったものと、群青色の馴染みのフードを被っている、つまり情報屋アルゴのそれだということに気づいた。

 しかし、この際そいつが誰だろうと関係ない。問題はその後ろにどでかい蜂、《ビースパイク》を大量に引き連れてこちらへ走ってきていることだ。その数、20匹はくだらないだろうか。

 隠してきたので俺の苦手属性などアルゴの知る由ではないはずが、これは大問題である。よりによって蜂である。無論、迫り来る異常な量も去ることながら精神的に助けたくはない。

 ――て言うか、

 

「きんめェええええ!? うわっ、こっち来んなって!!」

「何だあの数っ!? 何をどうしたらあんな釣れんだ!?」

「ぎゃあぁあああッ! に、逃げろぉおおお!」

 

 俺と一緒に《風林火山》のメンバーも絶叫しながらアルゴ……もとい、蜂から逃げ出す。

 このメンバーが本気でかかれば勝てるだろう。いくばか時間は取られるだろうが、レベルと人数的にはまず脱落者も発生しないはずだ。

 ゆえに彼女は助けを求めた。

 

「薄情ナ! 助けてくれヨ!」

「多すぎんだよッ! ……あと怖え!!」

 

 俺はともかく、クライン達まで木々を縫うように逃げ出している。つまり、それほどまでに壁のように迫る集団がうぞうぞと(うごめ)いていて気持ち悪いのだ。鳥肌が立ってきた。

 しかし「ラチがあかねぇ……オイお前ら、片付けるぞッ!」と。逃げ回るだけだったクラインが、振り返り様に格好良く海賊刀(カトラス)を抜くと、ギルドメンバーはまだ文句を言いつつも渋々攻撃態勢に入っていた。そして剣を握る頃にはおふざけ時の表情を消滅させ、流れるような連携の中で敵を屠っている。

 

「(うおっ、すげぇ。人数そろえた連携技見んのって、ボス戦以外じゃあんまねぇからかな……)」

 

 だがその変わり様に感心するのも束の間で、アルゴが「あウッ」と言いながら肩を押さえるのが見えた。

 どうやら敵の攻撃を受けたら確率で発生する毒、《ポイズン》状態になってしまったようだ。

 このSAOの世界には10種類のバッドステータスが存在する。アルゴはその内の1つ、つまり『毒』をくらってしまったのだ。毒の種類により減少具合や継続時間に差はあるが、例外なく数秒ごとに体力をどんどん削っていく。

 そして今アルゴのHPはイエローゾーンへ。解毒しないということは、手持ちの解毒ポーションが切れたのだろうか。

 

「くっ……おいッ、アルゴ!」

 

 ゾクッ、と嫌な予感がして、一瞬だけ恐怖を忘れてポーチを探りながらアルゴの元へ走る。そのまま俺は緑色の固形物を取り出すと投げつけて叫んだ。

 

「それ使え!」

「わ、悪イ……リカバリー!」

 

 それをアルゴは空中で掴むと、発動キーを発声してアイテムを使用した。パリンッ、と。片手サイズの結晶が割れる。すると、たちまちアルゴから毒が抜け、正常な状態に戻った。これで数分は何度毒系の阻害効果攻撃(デバフアタック)を受けても完全に回復してくれるだろう。

 そして危機が去ってからさらに数分。

 

「ふう、ようやく片づいたか」

「みてぇだな……」

 

 クラインに若干以上に疲れた返事をしてやる。俺の索敵に引っかからないことも含め、おそらくこれで全滅だろう。数の暴力があったとは言え、特段危険な敵が湧出(PoP)しないはずの現フィールドでは手こずった方だった。

 それにしても散々な目にあったものだ。

 

「おいアルゴ、何をどうしてああなった。悪質な押しつけ(トレイン)だったぞ」

「い、いヤ~」

 

 問いつめるとバツが悪そうに人差し指をクネクネと合わせつつ、照れ笑いを浮かべてアルゴは答えた。

 

「実は《クイーンビーの卵》の採取を目的としたクエストを受けててナ。でもついでだかラ、近くにあった巣から《コバルトの蜂蜜》にも手を出しちまったんだヨ。食べてヨシ、売ってヨシ、一部の敵には釣り餌として機能……そそるだろウ? そしたらネ……」

「ゴタクはいい、つまり欲張ったんだな」

 

 ――言い訳は聞きとうない。

 人差し指をちょんちょんするアルゴの言葉を遮って、俺は原因を断定した。

 リアル世界の蜂は怒ると黒色、つまり人間の死角部分にあたる『髪』に攻撃してくる特性持ちで、さらに最高速度は時速でおよそ30キロ。毒を持つ非常に危ない昆虫だ。過去にウィキで調べた。

 この世界での再現率がいかほどかは知らないが、今回俺は散々恐怖を与えられた上に現段階では滅茶苦茶貴重な《解毒結晶(リカバリング・クリスタル)》を使われたのだ。

 結晶(クリスタル)アイテム。極力魔法が排除されたこの世界において唯一の魔法アイテムとも言える品で、当然金額はその全てが目を疑う高さを誇っている。倹約精神の盛んな俺には買えたものではないほどだ。

 高騰(こうとう)の原因は言うまでもなく、初ドロップしたての珍しいアイテム、かつ決定的に絶対数が少ないからだ。

 そしてやはり恐怖。何よりも俺に与えた恐怖。理由を問い正した後は直ちにアルゴを説教して……、

 

「まあまあ、許してやれよ。クリスタル分のコルを受けとりゃ済む話だろ?」

「…………」

 

 なんて。この世界に来て2番目にフレンド登録をしてくれた奴からそう言われると、自然と許せる気分になるのだから不思議だ。

 

「しゃあねぇ、んじゃ適当に金だけ貰って後は不問にしとくよ」

「ニャハハハ。……お、オレっち今月装備をフルスペックにしていてナ……素材は時間なくて買い揃えたシ、ボーナスアクセサリも最新の高額商品デ……その……金欠なんだヨ、とっても。……ニャハ」

「…………」

 

 つまり払えないと。だから色々欲張ったと。

 ――だいたい、ニャハじゃないが。

 「許す!」と、響いた潔い免罪宣言は俺ではない。クラインだ。そしてクラインよ、たった今すこぶる重い刑罰を考えていたところなので、余計なことを言わないでほしい。女なら誰でもいいのか。

 俺は無表情になっていくのを自覚しながら、ため息混じりに口を開いた。

 

「ハァ~……まぁねぇもんはねぇしな。んじゃ、この層のボス情報やマッピング具合と、アルゴが受けたっつーそのクエストとやらを教えてくれよ。俺は絶対受けないから」

 

 俺は半ばやけくそになってそう嘆いた。この程度では全然割に合っていないがもうそれは言うまい。

 

 

 

 そんなこんなで、結局9人で行動することになり、そのまま夕飯までパーティ状態で済ますことになった。

 今はその宴会の途中で、俺達はクライン達がギルドのコル全額をはたいて買ったらしいギルドホームの大広間にいる。

 

「ジェイドのコレ、見て見ろよ! すんげー重さ!」

「なになに《ファントム・バスター》? 聞いたことねぇな……まだブリリアントベイダナを使ってるのは、やっぱ要求筋力値足りてないからか?」

「じ、ジェイド! 俺もメインは両手剣なんだ。この剣の入手方法教えてくれよぉ!」

 

 骨組みの片刃大剣、《ファントム・バスター》。

 どんな食生活をしたらこれほどの骨密度になるのか、俺は未だにその剣が重すぎるせいで装備できていない状況だが、一旦《ブリリアント・ベイダナ》を引っ込めてそれを見せると風林火山のメンバーが口々に俺の剣を評価した。

 内1人が耐えかねた風に入手方法を聞いてきたわけだ。

 

「ま、まぁ教えてやるのはやぶさかじゃ……」

「待っタ! 1200コルは堅いナ!」

 

 俺が答えようとするのをアルゴが止め、情報料をかっさらおうとしている。めざとい奴め、と言いたいところだが俺も剣のステータスを閲覧するだけで相当額のコルを要求しているわけだから人のことは言えない。

 もっとも、思わぬ出費がでてまった上に手の内を晒しているのだから当然か。

 それにしてもブーブー言いながらもコルを支払っているのだから男も律儀だ。《ファントム・バスター》入手のクエストを見つけたのはアルゴなのだから彼女の理屈も通る。ただし、彼女の説明の最後で『ランダム報酬』と聞かされて落胆している姿を見てしまうと、結果を知っていた俺には同情を禁じ得ないが。

 

「ハハッ、平和なもんだ。ソロは大変だな……」

 

 その微笑ましくも暖かい晩餐会を眺めながら、半ば以上に自嘲をはらんで呟くと、アルゴが返事をしてきた。

 

「オレっちは足の早さと柔軟性がウリだからナ。ケド、ほんの少しのきっかけで変わるもんだゾ? 今のキー坊がそうだっタ。あの時のヒスイもナ」

「…………」

 

 彼女はギルドに入れと言っているのだろう。いくらレベルに余裕を持たせていても、ソロで限界に近いレベリングをしていたら集中力が途切れることもある。さらに言えば、深く集中し油断していなかったとしても、運のないエンカウントを連続で発生させ脱出が困難なほどの大集団に囲まれることだってある。

 そんな時ピンチを打破する、あるいはそんなピンチを事前に回避するのに最も効率的な手段が仲間との連携だ。

 クラインが今日、狩りの帰り道で「うちのギルドに来い」と誘ってくれたことはすごく嬉しかった。しかし、それでも誘いを断ったのには理由があり、それを知らないアルゴは俺がまだ過去の罪から自分を許せていないのだと思っているはずだ。

 ――アルゴ、読みが外れたな。

 

「へへん、予約済みだよ……」

「んン……?」

 

 意味がわからないといった風に首を傾げるアルゴ。

 なにせ俺はソロをやっている理由をアルゴに話していないのだ。さしものネズミも、プレイヤー全員の人間事情を把握するのは不可能だし、金にならないのなら知ろうともしないはずである。

 

「ま、見てなって。その内仲間引き連れてくるからさ」

 

 決意と確信の言葉。

 俺が表情を緩めて流し目を送ると、しばらくして意味を理解したのかアルゴは自分のことのように喜んで、そして微笑んでくれた。

 

「飯代はいらねぇぞ! もっと食え!」

「……おう! 食ったるぜぇ!」

 

 と、クラインのノリに俺も合わせる。

 今の俺には仲間が、友がいる。この半年で育んだ頑丈な絆だ。優勢になると調子づく悪いクセではあるが、どこかでモニターしているだろう茅場晃彦に堂々見せてやりたい気分である。

 この、クソッタレ野郎が。俺達はまだ、諦めてなんかいないんだぜ、と。

 

 

 

 そして、この2日後のフロアボスとの戦いには、クライン達《風林火山》の姿もあったのだった。

 

 

 



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第20話 変わり始める意識

 西暦2023年4月30日、浮遊城第21層。

 

 ある意味、今日は記念日だった。

 春も進み、暖かくなってきた4月最後の1日。現層の主街区《ミヤミの古城》――おかしな名前だ――における、アマゾン森林の辺境にでもありそうな城内で、俺は腕を組んで考えごとをしていた。

 21層フロアボス討伐戦について、である。

 いざボスを討伐せんと意気揚々とメンバーに志願したはいいが、今回のメンバーにある偏りが見受けられたからだ。

 

「(やっべ、顔見知りすくねェ……)」

 

 そう、いきなり大ピンチだ。

 まともに会話した経験があるのは褐色スキンヘッドのエギルしかいない。おかげで、討伐をほったらかして帰ってしまいたい衝動に駆られてしまう。

 ボス攻略においてメンバーがその都度替わるのは周知の事実だが、誰の采配(さいはい)か今日はキリトも、ヒスイも、前回初参加のクライン達《風林火山》も参加していない。『カズ』ことルガトリオのギルドもまだ1〜2層下の階で狩りをしている。

 46人も集まっておいてこれでは運が無かったが、ソロプレイヤーの弊害(へいがい)でもある『周りの戦況、行動を把握し辛い』というツケがこんな形で具現化するとは。

 

「よ、ようエギル。おひさ。他の3人はいないのか?」

 

 彼はスキンヘッドの褐色肌で高身長。「もうあんた日本人じゃねーだろ」と、突っ込みたくなるのを押さえて、俺はその強面と筋肉質な体格にビビりながら話しかけた。なんといっても、知人というよりは客として数回会話した程度である。

 ちなみに『他の3人』とは、このエギルが1層攻略の際に暫定的なパーティを組んでいた時の他の3人だ。今となっては過去の話過ぎて顔も思い出せないが、詳しく聞くのは野暮というものだろう。考えたくはないが、もし彼らが死んでいたらその時点で会話は終了になってしまう。

 

「ああ今日は俺1人だ。以前に比べてソロ連中も参加してきているから、俺達もそいつらと組むことになるだろう」

「(でも日本語なんだよなぁ……)……ま、わかんねぇけどな。最近ソロオンリーよりソロは集団の穴埋めって構成多いし」

「それもそうか。俺らは別々になるかもな」

「あ~あぁ、他に知ってる奴もいねぇみたいだし」

「いやあそこにアスナいるぞ?」

「へっ……?」

 

 つられて彼の指さす方向へ首を傾けると、そこには確かに険しい顔をした栗色の髪を持つ女性が思いのほか派手な格好をしてせわしなく情報交換をしていた。

 ()しくも、みな1層攻略戦に参加したメンバーだ。

 

「あ、ああそういやギルド入ったんだったか。ここらのボス戦で顔見せてなかったのはゴタゴタがあったからだよな。すっかり忘れてたよ……」

 

 基本ソロ連中にしか前線で知り合いがいない俺は、1人かせいぜい2人で行動しているプレイヤーをじろじろ見ていたのだが、道理で見つからなかったわけだ。何人も同じような団服を纏っていただけに、埋もれていたようである。

 しかし今さらだが、あの棘のような女がよくもまあ立派なギルドに入れたものだと思う。

 

「(2週間前の夜も、確かギルドを抜け出したのなんだの言ってたなぁ……やべ、こっちきた!?)」

 

 小動物化して泣きベソをかくアスナのギャップ萌えシーンを思い出していたら、彼女がこちらを振り向いた。

 歳のほども大差ないだろうと推測できる整った顔が正面を向いて改めて思うのは、やはり彼女がおよそコアゲーマーには見えない美貌(びぼう)の持ち主だということだ。ただ歩いているだけで、こうフェロモン的というか、媚薬的というか。誘惑要素を持つ粒子を、なびく髪からばらまいている感じすらする。

 これではアスナがギルドに入れてもらったと言うより、アスナがギルドに『入ってやった』と表現した方が正しいかもしれない。

 事実、戦闘力と象徴性を兼ね備えた彼女の勧誘に失敗した他ギルドは、爪を()んで悔しがっている。神に愛された先天的パラメータのせいで誰もナンパできないとかなんとか。

 そんなお人が正面切って歩いてきている。アスナと会話などまさに2週間前以来だろうか。19層が最前線だった頃が遠い昔のように感じる。何を聞かれるか、何と答えればいいか。ああ、もう考える時間が……、

 

「そこのお2人さん」

「な、なな何だよ……」

 

 どもり過ぎだ、俺よ。

 

「何緊張してるの、もう半年よ? ……ヒスイとは普通に話してるくせに」

「……俺はデフォじゃこうなんだよ……」

「で、どうしたんだアスナ?」

「攻略に入るわ。こっちでパーティ構成決めといたから。えっと2人は……あ、ほらあそこ。円形に座ってる4人と組んで」

 

 アスナの示す先にはどこかで会ったような、しかし覚えもないような4人がだべっていた。

 

「わあった、俺らの方で言っとくよ」

「そ、じゃあよろしく」

 

 それだけ言ってアスナは今回の攻略隊のリーダーがいるギルド、《血盟騎士団》の集団の方へ背筋を伸ばしたまま戻っていく。

 ちなみに最近になってトップギルドの仲間入りを果たして大活躍しているのがあの《血盟騎士団》だ。

 略称は『KoB』。最前線入りから間もないというのに、こいつらの活躍ぶりは他の集団も舌を巻いている。団長&副団長の戦闘力、全体のレベルバランス、武器やステータスビルドもかなり完成されているからだ。結成後、しばらく表に出てこなかったのは、この周到な下準備が起因しているのだろう。

 俺には最初の数層でトップに躍り出ることよりもっと……そう、もっと(はる)か高みの攻略を視野に入れた先鋭集団のように思えて仕方がなかった。

 そういう意味では例え女でもアスナの選抜は決してミスではないはずだ。このギルドがまだ中堅クラスだった頃は、アスナもどこの馬の骨とも知れないギルドによくついていったものだと首をひねったが、今になっては彼女の慧眼(けいがん)に驚くばかりである。

 実力派攻略組のキリトはすでに他所(よそ)のギルドに入っているから放置のようだが、そんな事情がなければ彼も勧誘必至だっただろう。

 ――と言うか、

 

「(俺んとこにはオファー来ないんだな……)」

 

 悲しくはないが。別に俺1人でもやっていけるが。足手まといならこちらから願い下げだが。

 

「(でもなンかこう……悔しいっつうか……)」

「おい、なにを固まっている。こっちで言っとくんじゃないのか?」

「そ、そうだったな」

 

 言われて思い出し、渋々4人の方へ歩いていく。どのみち遅かれ早かれ誰とも話さず独りで攻略には限界があるのだから、これもコミュ障改善への第1歩だと思えばいいのだ。

 そもそもネガティブな方へ被害妄想しがちだが、それこそ普通に話していれば普通に会話ぐらい成立するものだ。自信を持とう。

 

「あのさ……」

「ん? どうした」

「あ、えぇと俺ら同じパーティになったらしいからさ、よろしく。……ここ座っていいか?」

「ああもちろん、んじゃ早めにパーティ登録しとくか」

 

 俺とエギルが同じパーティとして登録し終わる頃には、すでに俺達は溶け込んでいた。そうならない方が異常なのだが、思わず「おおっ、俺ワリと普通に話せてんじゃん!」とテンションも右肩上がりになってしまう。

 この世界にログインした半年前に比べると信じられないぐらいの進歩だが、今では相手にもちゃんと敬意を払って行動することができている。

 

「ん? ……っていうか、あんたジェイドか……?」

「えっ……?」

 

 4人の内の1人、ロン毛で赤みのかかった髪を伸ばして顎髭を少し蓄えた三十路に迫っている感じの曲刀(シミター)使いが俺の名前に覚えがあるような声を上げた。

 「え、なになに、俺を知ってるのか?」なんて自然体を装って聞いては見たが、彼らの反応に俺はつい喜びを覚えずにはいられなかった。この胸くそ悪いゲームが始まって以来俺はずっと、文字通りずっと最前線で戦っているのである。そろそろ俺の有名人化時代が到来してもいい頃合いだろう。

 

「いや、知ってるも何も正月ん時一緒に戦ったろう? 覚えてないのか……アギンだよ。ほれ、こっちのチャラいリックがフリデリック」

「先輩、その見た目で人に向かって『チャラい』はないでしょう。あと紹介の仕方まで限りなくおかしいので。……コホン、あの時は慌ただしくてまともに自己紹介もできなかったね。フリデリックだ、よろしくジェイドさん」

「…………」

 

 シミターのリーダー格の男、アギン。と、その隣にいた金髪の優男が改まった紹介を済ませる。

 正月といえば5ヶ月前。無論、当時の俺はウサギ型のボスにかかりっきりで記憶しようとも思っていなかっただけだが、耳にピアスを開けたこのイケメンの兄ちゃんは、律儀に俺のことを覚えていたのだろう。

 だからこそ、まず自分の鳥頭を晒したこと。次に俺が最前線で活躍していたことなどは別に知らなかったこと。最後にあの頃に比べて相手はさらに仲間が増えているということ。

 それら全てが俺をフリーズさせた。

 

「あ、ああ……よろしく……」

「おい何か涙目になってないか?」

「(けっ……外国人の男に慰められても嬉しくもなんともねぇよ。ちくしょう、どいつもこいつも……)」

 

 しかし、俺とてルガ達が全線プレイヤーのレベルまで追いついたら、その時は一緒にギルドとして頑張ろうと約束したばかりだ。仲間ができたことは唯一の救いである。

 ひがんだ考え方もこの辺にして、次のボスについて考えなければ。

 

「攻略に集まってくれたプレイヤー諸君、ご足労すまない。早速だが攻略会議を始めたい。私の声が聞こえるところまで集合してくれ」

 

 そう呼び掛けている声の先にはロングで銀髪のおっさんが見えた。

 ところどころに白いラインの入った赤を象徴する防具を(まと)っている。片手用直剣を装備したおっさんは丁寧な喋り方から連想される下っ端ではなく、未だに信じられないが、なんと件の《血盟騎士団》のトップオブトップなのだ。

 《アインクラッド解放隊》、《ドラゴンナイツ》を差し置いて今回の層は彼らのギルドと無名の中小ギルド、あるいはソロプレイヤーだけで狩りをすることになっている。そして、それはひとえにKoBないし、彼が手引きしたからに他ならない。

 実はこうして集まってボスと戦わずとも、ハイランクMoB が徘徊する迷宮区で休まずモンスター狩りをしていたのならレベルアップ効率に大差はない。それどころか、ボス戦において有力ギルドがタゲを取り続けようものなら、レベリングという意味ならむしろ迷宮区にこもっていた方がマシなほどだ。

 しかし、ボスへのラストアタックでドロップ率が上がる《ラストアタックボーナス》を狙うのなら、ボス攻略には参戦必須。だからこそ、強ギルドを抑えてこの状況を作り出した彼の手腕、影響力は計り知れないのだ。

 ただ、トップギルドがわざわざ個別にボスに挑む理由はあるのだろうか。他の大ギルドに対し「君達がいなくても攻略できる」と牽制(けんせい)しておきたいのだろうか。いや、そんな子供染みた発想はしないか。

 もっとも、確たる理由などないのかもしれない。単に有力ギルドが集まるとタゲ取り合戦になり、最悪足を引っ張り合いかねない、というのが妥当なところだろう。

 

「(ん、ああ。そういやもうこの呼び方は古いのか……)」

 

 ふと、最近のギルド事情を頭に浮かべる。

 確か《ドラゴンナイツ》は《聖龍連合》へと名前を変えていたし、《アインクラッド解放隊》はギルドネームこそ変えていないものの《ギルドMTD》と呼ばれる4桁数のプレイヤーを内包するギルドと合わさってもはや過去の面影を感じさせないものとなっている。

 最も広く使われている俗称は《軍》。そして今となっては内外共に、さらには名実共に《軍》と呼ばれるに相応しい、まったく新しいギルドだと思った方がいいだろう。攻略組トップギルドと言えば《血盟騎士団》、《聖龍連合》、《軍》の3つを指していると言っても過言ではない。

 

「……という立ち回りをして欲しい。取り巻きは倒し次第、順次ボス戦への参加という形にする」

 

 銀髪ロングのおっさん、その名も『ヒースクリフ』が作戦を攻略隊に伝える。

 今回のボスはスピードタイプ。取り巻きは4体で、1度倒し終えたら再湧出(リポップ)はしないという情報だ。俺もアルゴと――彼女を信用していないわけではないが――アルゴとは別の男の情報屋からもこれらの情報を買い取り、敵の数やステータス、さらには戦闘スタイルを戦う前からほぼ確信している状況にある。

 おそらくエギルを始め今回の暫定的な6人パーティの中でも、これだけ潤沢(じゅんたく)な情報を用意したのも俺だけだろう。俺の狙いもラストアタックなのである。

 ヒースクリフの言っていた攻略手順はほぼおさらいのようなものだったし、彼自身からも攻略隊の配置を伝えているだけといったニュアンスを感じ取れる。

 

「ま、勝てるだろ……」

 

 俺はふとそうこぼしていた。聖龍連合や軍がいないのは一見戦力ダウンに見えるが、前述の通り足の引っ張り合いになるのは明らかだ。そもそも血盟騎士団とて『最強』を目指す、そしてその実現が不可能ではないトップ級ギルドである。

 俺も1層、9層、15層で死者を出している攻略行為にこれ以上被害結果を追加しないため、せいぜい体を張って頑張らねばならない。

 

「そういう勝てないフラグ立てるのやめろよぉ」

「そだそだ、やる前から笑ったら負けちまうぜ?」

「えー? 気の持ちようだって。オリンピック選手だって戦う前は勝つイメージしかしないだろ!」

 

 ハハハ、と互いに笑い合う俺達F隊のメンツも、まさか本気で言っているわけではない。

 ボスの持つ瞬発火力の前には安全マージンなどあってないようなものであり、気を引き締めるという意味では冗談を言うべきでない場合もある。しかし人とは面白いもので、大事の前にほんの少しでも笑顔を作っておくと、体がスムーズに動いたりもするものだ。オリンピックにちなむわけではないが、アスリートが試合前に談笑にふけることだってある。

 

「では諸君! 22層への扉を共に開こう!」

『おぉおおおおッ!!』

 

 男達が集団で叫ぶと胸にジンジンしたものが響く。ファンタジーな容姿をしているからか、はたまたここがオンラインゲームであるという根強い意識が残っているから。

 とにかく、無限に勇気が湧いてくるようだ。現実では理解できなかった体育会系のむさ苦しい男達もこれを求めていたのだろう。

 しかしボス討伐の中では協力できるというのに、この攻略が終わるとまたバラバラに散っていくのだから不思議である。人の、そしてゲーマーの性だろうが、やはり《ソードアート・オンライン》といういちオンゲーに参加する以上、それとこれとは別なのかもしれない。

 ――まあ、俺だってレアアイテムは独占したい。

 

「そういやエギル、旅商人止めてきちんと雑貨屋開いたんだってな。商業の話はよーわからんけど繁盛してんの?」

「まぁボチボチだ」

「(生粋の日本人みたいな言い方だな……)……ま、客来てんなら良いけどさ。ってか店持ってて、いつレベリングしてんの?」

「そう言えば最近寝てねぇな……」

「遠回しの回答あざぁっす。バトル以外に趣味持つと大変だな。しゃあねぇ、ヒマだったら俺も店に顔出してやんよ」

「…………」

 

 そんなこんなで進むと、迷宮区もそろそろ突破する頃である。

 上から目線な客は神様精神に若干ご立腹なエギルのようだが、大戦前の言葉遊びだと思ってくれればそれでいい。それにしてもエギルの顔は凄むとさらに怖い。

 

「ここがボス部屋前のマッピング場所だ。ここまでに少しでもダメージを負ったプレイヤーは念のために回復しておいてくれ。……良いか? では諸君の健闘を祈る!」

 

 いよいよ到着した。

 薄暗い大理石のトンネルのような場所で、巨大なボス部屋の門を前に討伐対は今一度息を整えた。

 俺の中にも2桁回以上体験してきた馴染みの感覚がやってくる。強大な敵を前にした時の心身の震えだ。ここから先は文字通り死闘となる。

 

「(む、武者震いだし)」

 

 誰にも聞かれない言い訳をした直後、いよいよボス部屋の扉が開かれた。

 目の前では真っ暗だったボスの部屋に明かりが灯されていく。

 そしてその奥に気配があった。四方に1体ずつボス自身の縮小版のような取り巻きを控えさせている、あの『両手両足がそれぞれ片刃の大剣』になっている奴がボスだ。

 ボスの全長は3メートル弱で、人型だが全体が骨のような形状。足はブーツのような形をして、さらにその下にフィギュアスケートでもできそうな、もはや鋭利な刃物とも言えるほどの足裏を持っていた。

 全体的に胴より四肢が(たくま)しい印象――もっとも、骨だらけで筋肉は見受けられないが――で、『人間』として見るならアンバランスでもモンスターとして見れば、細部が滑らかで非常に格好いいフォルムをしていると言えよう。

 取り巻きも細部に違いが少しずつあるが、基本的にはボスの全長を1メートル程縮めたような姿をしている。

 

「戦闘開始!」

『うおおぉぉぉおおおッ!!』

 

 しかし敵が格好良かろうが、可愛いかろうが、結局は消し去らなければならない。奴らの共通点はそこだけだ。それが俺達の現実への帰還方法であり、まさに『人生』を取り戻す唯一の方法なのだから。

 

「くおぉおおおお!!」

 

 ヒースクリフ率いるA隊とアスナ率いるB隊、そして血盟騎士団とは別の元から6人構成だったギルドのC隊が、フロアボス《スカルモンス・ザ・バイオレンスダンサー》へ向かった。

 さらにD、E、F、G隊が散開してボスの取り巻き、《スカルモンス・ピースダンサー》を抹殺しにかかる。

 直後にゴウッ!! と、土煙が舞った。

 そこの日もまた、互いの命を賭けあった刃が幾度とも知れず交わっていくのだった。

 

 

 



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第21話 イレギュラーの温床

 西暦2023年4月30日、浮遊城第21層。

 

 俺達F隊を含む、アルファベットで言うところのD以降の隊はボスの取り巻き《スカルモンス・ピースダンサー》を圧倒していた。

 アーチ状のほこりくさい肋骨で組み上げたような計4体の各ピースダンサー。1体ずつが体の一部を異様に『武器を模した形』に変形させ、その異なる部分を使ってソードスキルを発動しているようだ。

 異様な形と言っても、それぞれ右腕、左腕、右足、左足が巨大化しているだけである。

 しかし、たったそれだけだった。

 『四肢のどこでも攻撃できる』という特徴以外は弱小モブと変わらない。阻害効果攻撃(デバフアタック)も持ち合わせていない。ボスの親衛隊とは言え、これなら6人体制でなくとも狩れそうというものだ。

 むしろ今となっては3隊しか向かっていないフロアボス、《スカルモンス・ザ・バイオレンスダンサー》との戦いの方が危ない。何とか戦線を保っているがこのままでは……、

 

「ジェイド、本隊を助けに行きたいなら集中しろ! あと少しだ!」

「あ、ああ悪い……っ!!」

 

 エギルに喝を入れられて意識をピースダンサーに戻す。

 ヒースクリフやアスナは強い。そして、強いがために自分の限界も見極めているはずだ。別に血盟騎士団の何を知っているというわけではないが、過去の戦績が彼らの力量を告げている。ここは奴らを信用して俺は俺の敵に集中しよう。

 

危険域(レッドゾーン)に入ったッ!」

 

 F隊の誰かが叫ぶ。あの声はアギンだったかもしれない。

 実際にピースダンサーのHPゲージ最終段――と言ってもたった2段だが――は危険域に入っている。取り巻きにモーション変更などもなく、あとは作業の繰り返しのようにモンスターを倒していくだけだった。

 

「いけるッ……これでラストアタックだ!」

「エギルは上頼むぜッ!」

 

 エギルと俺で、カウントするのも億劫(おっくう)になるほど発動してきたソードスキルを再び発動した。

 自慢の得物を光らせる。「おう!」と応答される声がほとんど重なるぐらいの短い時間。その中で俺達は互いをカバーするよう、下段攻撃と上段攻撃をさらに時間差で分けた。

 攻防は一瞬だった。

 俺の《両手用大剣》専用ソードスキル、中級単発下段斬り《トラップフォール》が(すね)のあたりにヒット。バギンッ、と骨が割れるような音がすると、ピースダンサーは両足を地面から浮かせながら前のめりに倒れ込んだ。

 

「うォおおおおっ!!」

 

 そこへエギルの《両手用斧槍》専用ソードスキル、中級上段旋回連撃《ワールバリアンス》が一発、そして半回転してからの二発目が2段とも顔面に炸裂。たまらずピースダンサーは吹き飛ばされ、ついには倒れた。

 仰向けに倒れるその取り巻きに動く気配はもうない。

 

「ハァ……ハァ……やったか……?」

「ああ……ゼィ……終わった……」

 

 しかし姿をポリゴンに変え四散すると思いきや、奴の姿は横たわったままその場に留まっていた。

 「おい、どうなっている?」とフリデリックが我慢しきれずに呻くが、それには珍しく俺が答えた。

 

「『再湧出(リポップ)しない』ってのが確定情報だろ? だからだよ、きっと」

「そんなものか……?」

 

 確かにゲージが消し飛んだ敵が破砕しない演出は、今にも動き出しそうで不気味ではある。だが敵が死んだフリをしている、なんて冗談みたいな事実は聞いたことがないし、過去にNPCが嘘をついたことも皆無だ。そんなところから疑っていては話が進まない。

 流石に無益な議論だと悟ったのか、俺の声を境にF隊は攻撃目標をフロアボスに変更する。

 

「取り巻きの死体はその場に残るッ! 終わったら、迷わずこっち来い!」

 

 アギン達がフロアボス専用のフィールドを走りながらなるべく各隊に情報を伝える。呼応するようにバラけていた各隊のリーダーは了解の意を返した。

 そして、ついには参戦だ。

 

「フロアボス!!」

 

 勝負を、決闘を自ら挑むように俺が叫ぶとF隊はA、B、C隊と合流。どうやら取り巻き組の中では1番乗りだったようだ。

 「早速で悪いが時間を稼いでほしい。我々の消耗具合が激しい」と、さしものトップタンカーたるヒースクリフでさえ、いたるところをダメージエフェクトに刻まれたまま、F隊隊長のアギンにそう求めるのが聞こえた。

 こちらとしても端からその気だ。

 

「っつーわけだ、行くぜお前ら! 連携攻撃! 最初はエギル!」

「おう! 行くぜぇええッ!」

 

 掛け声は単純でも連携は取れる。スイッチでの攻撃パターンの簡略化に近い。

 最初がエギルということは次の順番は俺だ。

 「うおらァあああッ!!」と、肺活量を測ってみたくなるほどの迫力でエギルがハルバードを振り回すと、バイオレンスダンサーの片腕が弾き飛ばされた。

 がしかし、奴らの四肢は全てが刃物。ソードスキルの発動は1本ずつなので、今の《ソードスキル》を止めた以上さらなる大技は来ないだろうが、残る腕がきしませるような音と共にエギルを容赦なく襲う。

 

『ギキキギキッ!!』

「(させっか……)……スイッチ!!」

 

 だが、それをさせないための複数回攻撃だ。

 今度は俺が初級垂直三連撃《ガントレット・ナイル》でボスの斬撃を二発まで止めた。

 

「ヤベッ」

 

 だが最後の1本。バック転しながらの左足斬り上げ攻撃はモロに食らってしまった。

 空気を吐いて後方へ吹っ飛ぶ。

 これだ。こいつらは筋力値こそたいしたことがないものの、図体に見合わない身軽さでとんでもない体勢で攻撃をしてくる。こちらの射程外から溜め無しで迫る奇襲攻撃と言ったところだろうか。

 

「(うっぜぇ、避けらンねェだろこんなの!)」

 

 内心悪態をつく。

 ある意味『バイオレンス』の名に恥じない戦法と言える。だからこそ、奴以外の取り巻き相手にも、俺達は幾度となく攻撃を頂戴してしまっていた。

 この手の小威力連続攻撃は攻略を諦める際の見極めがし易く、安全に撤退ができることから死……つまり、HP全損の危険は少ない。しかし安全ではあるものの、やはり回復ポーションの所持数に限りがある戦いでは、すぐに撤退を余儀(よぎ)なくされてしまう。

 

「んがあッ、くっそ! 当たり判定キツすぎだろ……!!」

「いや、よくやったジェイド!」

 

 敵の動きにとうとうぼやいてしまったが、それでも俺にばかり構っていたせいで他のプレイヤーから大技を食らいまくっている姿を眺められたのだからまだ溜飲は下げられる。

 しかし突如、「な、なんだぁ!?」と、攻略隊の誰かが訝しんだ声を上げた。

 なんと、ボスが後ろを振り向きそのまま『逃走』したのだ。技が効いたのか?

 間違いなく出口へ向かって、氷の上を滑っているような凄まじい加速度で俺達4つの隊から距離を空ける。なかなかに珍しい光景だ。

 

「ん……ッ!? ……まずいぞ!」

 

 しかしまたしても異変が起きた。奴は出口直前で軌道を変え、ピースダンサーと戦っているE隊の集団へ突撃したのだ。

 この思いつきで動いているのかと疑うような行動で、当然戦地は大混乱。まさかボスが取り巻きを援護するとは考えていなかった。

 「助けるぞ!」と、ようやく回復を済ました対ボス組、並びに俺達F隊は全力で地を駆け援護に向かう。

 すると何とか大事には至らず、一時はどうなるかと思った戦線も取り巻きが予想より弱かったおかげで何とか維持された。

 ついでに雪崩のように襲った攻略組の猛攻の前に、ピースダンサーがその場に崩れ落ちている。

 

「これで最終段っ!!」

 

 強豪プレイヤー達が取り巻きを倒して続々と参戦して来てからはやはり安定した討伐がなされた。

 少なくとも、目の前のボスのHPゲージ1本を削りきる前にプレイヤーの回復アイテムが底をつくなんて事態はまずもって起きないだろう。

 

「F隊後退! 我々が前に出る!」

 

 ヒースクリフがA隊前進と同義の号令をかけると、俺達F隊は素直に後退しA隊6人が余さず前に出た。

 レッドゾーンに突入していてなお攻撃モーションが変化していないところを見るに、おそらくこの『四肢による多種多様な攻撃』がすでにフロアボスとしてプレイヤーへ向けられる脅威の全てだったと推測できる。

 そして名も知れぬ血盟騎士団の団員がその手に持つダガーの5連撃ソードスキルをヒットさせ、ボスはとうとう体力をゼロにした。

 

『ギキキィ……』

 

 緊張の一瞬を通り過ぎ……、

 

『ギカカァ……ァ……』

 

 ボスはその特徴的な四肢を着脱式のブロックのように胴体から切り離しながらゆっくりと仰向けに倒れた。

 崩れ落ちた手足はサラサラと砂のように消滅していく。

 攻略完了。

 瞬間、わっと歓声が上がると、それぞれのプレイヤーがこの時ばかりはギルドの垣根(かきね)を越えて互いを賞賛し、戦果を讃えていた。

 緩んだ緊張がもたらす宴の前夜祭。それを味わえるのはフロアボス討伐に参加した俺達だけだ。念のため確認してしまったが、やはり死者も出ていない。これも血盟騎士団の優れた指揮の賜物(たまもの)か。

 

「ふぃ~、やっと終わったな」

「おうエギル、お疲れさん。すげー活躍だったじゃねえか」

 

 肘あたりを軽くぶつけ合いニッと笑うと、俺の体からもようやく緊張感が抜けていくのが実感できた。

 それにしても、今回はボスと取り巻きの行動が事細かに伝えられていたおかげで随分倒すのが楽だった。

 

「んじゃ今日は」

「お、おいッ!」

 

 ボスにとどめを刺した男が大声で叫び、俺の声を遮った。

 ストレージを覗き込んで眉をひそめている。レアアイテムが自分にドロップしなかったのだろうか? しかし『ラストアタックボーナス』では誤解を招きそうだが、実際にラストを決めた場合は、ドロップ時のアイテム『獲得率』に大幅なボーナスを与えられる、という仕様なのだ。ラストアタックを決めたからと言って、絶対にレアアイテムが貰えるわけではない。

 ――ったく、いちいちそんなことで大声出されちゃ……、

 

「……いや、待て」

 

 俺も異変に気づく。

 おかしいのだ。ボスドロップどころではなく、何も(・・)発生していないのだ。俺達は攻略完了のメッセージアイコンや経験値の獲得すらしていない。

 

「終わってねぇぞ……」

 

 誰かが言う。しかしそれはもうここにいるどのプレイヤーも理解していた。ほんの十数秒間の歓声は完全になりを潜め、全員がある一点を凝視している。

 俺も今はあの団員が言わんとしていたことを悟っていた。

 ズズズッ、と。

 そこには四肢をもがれながらなお、残った首と胴を宙に浮かせプレイヤーを呪いの瞳で睨み続けるボスの姿があったのだ。

 続いて変化が起きた。黒い煙のような靄をまき散らすボスの四肢に、一向に消えようとしなかったピースダンサーの死骸が、まるで強い磁石に吸い寄せられるように吸い寄せられていった。

 そう、まるで何かの手足(ピース)のように。

 

「あ……あぁあッ……!!」

 

 無理に骨を軋ませる、淀んだ軋轢音(あつれきおん)が響いた。

 取り巻き4体がボスと合体したのだ。ボスの見た目は再び元の(やいば)を模しつつ、しかしまったく新しく、おぞましいモノへと形状を変化させていた。

 

『キギッギキキキキキッ!!』

 

 全長5メートル。ボス、《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》がHPゲージを4段で再表示すると、死神の笑みを浮かべたような錯覚を覚えた。

 戦いはまだ、終わってなどいなかったのだ。

 

「全隊再戦準備! A、B隊は前進し混乱を抑える!」

 

 ヒースクリフが硬直からいち早く脱して指示を飛ばす。

 リーダーとして申し分ない判断力だがいかんせん、全員がその速度についていけるわけではない。結果、出遅れた隊員がスカルファントムの猛攻撃を受けてしまう。

 しかもボスは復活するだけに留まらず、明らかに総合ステータスを上げて俺達攻略隊に立ちはだかっていた。

 

「ぐあぁあああッ!?」

「な、何で生きてんだよ畜生! どうなってやがる!?」

「(くっそ……敵だけ蘇生はアリなのかよッ!!)」

 

 つい呻き声が出そうになってしまう。復活したボスは隣の一団へ飛び込んで暴れていたが、俺のところに来なくてよかった。奴は復活前の加速度を殺すことなく、今まで以上の強攻撃を連発している。

 

「落ち着きたまえ! 諸君なら勝てる! A隊は後退、C隊から戦線を維持する! なるべくボスに行動させまいよう、タンクは前面へ出て攻撃の阻害を!」

 

 混乱に乗じて暴れ回るボスを前に指示が追いついていない。しかし、やはり日ごろから難関を乗り越えて来た攻略組なだけはあって、各自が自分の身を守るための最低限の行動を取れていることが救いだ。

 そしてメンバーは次々と意識を切り替え、戦うべき敵に向けて剣を握り直していく。

 

「エギル! こっちでもなるべく援護しよう!」

「ああ、イエローいった奴を優先に庇うぞ!」

 

 F隊も即座に動いた。ヒースクリフの指示通りに動けないことはもどかしかったが、士気復活までのサポートはやれる奴がやればいい。それだけの話だ。

 

「がふっ……カハッ……!?」

『ギキキキッ』

 

 しかしエギルと一旦別れた直後、進化前のボスにラストアタックを仕掛けたダガー使いの腹を、そのドでかい刃物で突き刺して地面に釘付けにしているのが見えた。

 途端、言いようのない焦燥感が押し寄せてくる。

 男を知っているわけではない。仲間でもなければ、命を賭してまで助けてやる義理もない。助けられたこともなく、一緒に狩りをしたこともなく、どころか話したことすらない。

 ――でも、そうじゃないだろ!

 心の中でそう叫ぶと、反射的に動いていた。

 俺はそれを学んだはずだ。まだ1層も攻略されていなかった時、《トールバーナ》の付近でプレイヤーが死んでいく姿を遠目から眺めていた。ただ、傍観していたのだ。しかし、その際には感じなかった深い敵対心を、今はボスに向けることができる。

 生死の天秤を気まぐれな神の意志に捧げる中で、俺達は最前線を歩んできた。

 彼には彼の家族、友達、恋人がいるのだろう。責任を感じないのなら逃げたいはずだ。(とが)められないのなら隠れていたはずだ。

 だのにここにいる。助ける建て前はもういい。一般的なRPGにおける救助の成功率や、モンスター討伐の可能性を論ずる気はない。

 ならば、後はどうするか。

 

「あァあああああああッ!!」

『ギキキィッ!?』

 

 ザシュッ!! と、硬い何かが斬れる音がした。

 (やいば)の切っ先が食い込む。俺の愛刀《ブリリアント・ベイダナ》を、ボスが脇腹に受けた音だった。

 そして奴は被弾量から優先される規則性に則り、新たな攻撃対象としてヘイトの矛先を俺に向けた。

 ギリギリのタイミングだ。逃げ出したい衝動に駆られる。が、パーティを組むことによって詳細に確認できる『命のゲージ』を真っ赤に染めるプレイヤーが、手の届く範囲に倒れているのだ。それを見捨てられるほど、すでに俺は器用な男ではなくなっている。

 

「くうっ、ぐああああっ!?」

 

 思い衝撃。次いで、塊のような風圧がゴガッ!! と迫り、防具の一部が削られ破散した。

 耐えきれなかった。人に仲間意識を持つようになった、俺の皮肉な弱点なのかもしれない。繋がりを遮断していた頃は、どこの誰が野たれ死んでも動揺せず、腕も鈍らないだろうという自信はあった。しかし年始に考え方を改めると宣誓した時点で、せめぎ合う感性が俺を不安定にしているのだ。

 だが、おかげで俺は別ベクトルで強くなった。

 だから、今こそ見るのだ。

 あの現象を。誰も死なせてしまうことのない、未来を。

 

「(ッ……!!)」

 

 体制を直し、目を見開く。

 敵が新たに得た筋力値による、秒数毎の斬撃回数の微数変化。

 互いの身長差からの剣の構えとその位置。

 『目線』の先に映るものと、その攻撃箇所の逆算。

 敵の人工知能の学習速度とミスリードの進行具合。

 記憶に留めた行動のアルゴリズムや、図体の大きさによる長所と弊害。

 リーチ、速度、筋力、アグロレンジ、スキル補正、レスポンス速度、敵視点による客観的な動体視力まで。

 全てを一瞬で、寸分の違いなく。

 

「来るッ!!」

 

 左上、左手からの上段逆袈裟二連撃。続いて右足での下段斬り払い。

 そこまでを見た(・・)俺は、意識の中でゆっくりと進む剣撃の軌道上に対しまるで予知でもするように上体を逸らし、同時に二連撃目の斬り払い回避を低空ジャンプでなぞるように行った。

 回避の後には、鋭く風を斬る音だけが空しく俺の周りで鳴り響いた。

 「次ッ!」と、今度は心の中で声を上げると、説明不能の現象はなおも続いた。

 目に映るのは左足軸で反時計回りの回転後、左手の刃で上段水平なる攻撃方法。

 

「ふ……くッ!!」

 

 上半身を屈んで両手剣を後ろに構えると、『攻撃をされる前から』の体勢変更とソードスキルの予備動作(プレモーション)を同時にこなす。

 さらにスカルファントムの右足が地面につく直前、(うぐいす)色に輝く大剣が中級単発下段斬り《トラップフォール》を発動させ、軸足である左足を崩した。すると、直後にボスは自分が発生させた遠心力であらぬ方向へ吹き飛んでいった。

 そのままガシャンッ!! と、複数の金属音による爆音がフィールドを揺らす。

 

「ハッ……ハッ……ハッ……」

 

 技後動作(ポストモーション)による隙の穴埋めすら1人でやってのけた俺は、自分の荒い息だけが鼓膜を揺らすのを感じた。

 何をしたのか判断するより、何が起こったのか確認する行為が先にくるほど、俺は自身の成した結果が理解できなかった。隣でへたり込む男も我が目を疑うといった風にいつまでも俺を見つめ続けている。

 

「ほ……惚けてる……ハァ……場合じゃ……ねぇぜ……?」

「あ、ありがとう。あんた凄いな……」

 

 それだけを言うダガー使いも『何が』『どう』凄かったのか詳しく誉めることができていないようだ。俺とて説明できないのだから当然か。

 ここでようやく小隊規模の援護が入った。俺はそれに甘えつつ、定まりそうにない呼吸を何とか抑えようと、男を引き連れて一次的に戦線を外れる。

 だが1つの事実が俺に安心感をもたらした。

 

「(たす……けられた。来てくれた……)」

 

 この感覚が何なのかは俺もまだわからない。1層攻略、もしかしたらヒスイを助けた10層攻略の時にも来ていたかも知れない未知の感覚。一瞬先の世界が覗けたような違和感。

 少なくとも3回は、プレイヤー達を助けたことになる謎の救済者。

 これに名前はない。少なくとも、今の段階ではこれに名前を付けることより大事なことがある。

 

「エギル! そっちは!?」

「あらかた復帰してる! よく稼いだな、攻略は再開だッ!」

 

 怒鳴り合う中で、状況を把握すると少しだけ安堵する。もちろん、先ほどのお守りを過信したヒーロー気取りなのかもしれない。能動的に使うこともできない力を技術とは言わないのだろう。そこはきちんと理解しているつもりだ。

 しかし、おかげで部隊の指揮は高まった。この流れを利用しない手はない。

 だから俺は力の限り叫んだ。

 

「ヒースクリフ! F隊はもういけるッ!」

「了解した! では次のスイッチで前に出て貰う。各位準備をしておいてくれ!」

 

 アギンやフリデリックとも頷き合う。回復アイテムの残量が少し心許ないが、やはり取り巻きの弱さとモーション変更がなかったことが攻略継続を可能にしている。

 敵が復活したというならまた倒すだけだ。何度でも何度でも。

 ――蘇る度に殺してやる!

 

「前進だ! 全員A隊の前に出ろ!!」

 

 確信の元にF隊が前に出ると、皆が握る愛刀を光らせて1つの極彩色の一団となりスカルファントムに迫った。

 俺も渾身の一撃を振るう。《ブリリアント・ベイダナ》はボスの両手の刃をすり抜け、重い手応えと共に腰に直撃した。

 

『ギキキキキッ』

「このままいけるぞ! 攻撃の手を緩めるな!」

 

 小隊長であるアギンは命令するが、最初からF隊に手を止める気はなく、全員がひるんだボスに追撃を浴びせた。

 かく言う俺もアドレナリンを過剰分泌した脳から、必要以上に腕に運動を強要させ、両手に持つ剣の重さを忘れるほど目の前の白い部分に攻撃していた。

 しかし、ここでボスが鈍いグレーをまき散らした。

 光源は奴の四肢。とっさに「回避優先!!」と叫んだが、間に合わないことを直感していた。判断が遅すぎたのだ。

 直後に小隊を襲う、爆風のような衝撃。

 

『ぐあああぁぁああッ!?』

 

 ほとんど重なるようにF隊のメンバーが悲鳴を上げる。

 四肢を利用した、ボスの必殺ソードスキルだ。

 半回転しながらの両手右足水平三連撃、足を変えて逆回転の両手左足水平三連撃を斜角180度という広範囲に放ち、周りに張り付く人間を纏めて吹き飛ばしていた。

 

「ぐっ……マジ、かよ……」

 

 しかもそれだけではなかった。這いつくばったまま確認してしまうと俺は、リファレンスに新たに登録されるだろうその技名を見て絶句する。

 四刀。そんな言葉が使われていた。

 ボスネーム付近に表示されたその技名は《四刀流》専用ソードスキル、二段広範囲重六連撃《ツイスター・ラウンドトリップ》。灰色のライトエフェクトから始まる、モンスター専用ソードスキルだ。

 

「おい、退避だ! さっさと動け!!」

 

 唯一、直前で動いてダメージを受けなかった俺の絶叫と、ほぼ時を同じくして別の隊がインターセプトしてくれた。

 わずかな空白で、敵の使ったスキルについて頭を巡らせる。

 敵の技。四刀と言ったか。こうした、モンスターにのみ与えられたソードスキルについては、今までにも存在はしていた。1層ボスや10層道中で見られた《刀》専用ソードスキル、19層で見られた《霊剣》専用ソードスキルがそれらの例だ。

 しかし、だ。《エキストラスキル》という隠れたスキルが大量に用意されたこの世界において、それらをプレイヤーが使えるようになる可能性はまだあった。可能か否かの話である。

 しかしそれは破られた。《四刀流》など腕を2本しか持たないプレイヤーには絶対に発動不可能だ。これこそ真に『モンスター専用』と呼ぶべきユニークスキルである。

 

「(これはもう……撤退か……?)」

 

 俺はそれを危惧(きぐ)していた。ボスが復活する前に比べて遙かに強くなっているからだ。前哨戦では楽勝ムードだったが、今は戦線維持すら厳しい。マイナス思考は俺だけではないはず。

 けれど、意外にも弱音を吐くプレイヤーはいなかった。

 誰もが新たな脅威を前に臆することなく果敢に攻めている。勝利の美酒を(あお)るため、解放への道を進むため、その手を止める奴はいなかったのだ。

 

「もう一段いった!」

「しゃあ、次だぁ! ビビらなきゃローテで持つぞ!!」

「四刀がなんぼのもんだぁあッ!!」

 

 ――いける。

 強がりではなくそう感じた。

 ボスの敗因は、見た目の派手さで俺達の士気を落としきれなかったことだ。奴は他の誰でもない。この俺を、絶好のタイマンチャンスに殺しきれなかったから。プレイヤーの1人でも退場させていれば、この結果は違ったのかもしれない。

 しかし、奴はそれができなかった。

 

 

 だからこの際限のないバトルは未だ終わりを見ない。

 敵か、味方が倒れるまでは決して。

 

 



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第22話 強者足り得る条件

 西暦2023年4月30日、浮遊城第21層。

 

 温存されたプレイヤー側の回復アイテムと、やはり復活後も相当に低いボスの体力により、応戦自体は可能である。

 復活した《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》に与えられた体力は、他のボスと比べてもかなり見劣りするのだ。攻略隊にとってこれは僥倖(ぎょうこう)だった。

 

「やれないことはないさ。次は俺達だな」

「ああ、やってやるぜ」

 

 エギルが声に応えると、不思議と気合いが増していった。

 隣に背中を預けられる仲間がいる。この事実が、ゲームが始まった時には皆無だった仲間が、俺をもっと強くする。

 鍛え上げたステータス、買い占めた高額な武器や防具、あるいは視覚化されていない内在パラメータ。それももちろん重要だろう。しかし、自己の強化にのみ精力を尽くしていた当時の俺には、決して得られるべくもない安心感と一体感がこれだ。

 とそこへ、戦闘中の隊から「まずい! ボスがそっち行ったぞ!」という勧告が聞こえ、俺は改めて意識をボスに集中させた。

 ただ、不覚だった。

 ボスは俺達の目の前にまで迫っていた。

 

「は……っ!?」

 

 ――目の前。

 

「うをあぁあああッ!?」

 

 凄まじい勢いで距離を詰めてきた敵とその激しい攻撃を、俺は危ういところで回避する。

 風切りが耳元で鳴る。紙一重だった。

 だとしても、なぜだ。タンク隊は間違いなく、先ほどまで眼前に陣取り……、

 

「ヤバい! ボスが包囲網を!」

「ダメだ! 速すぎてこっちじゃ追いつけない!」

 

 しかし俺の疑問には当のタンク役達が答えていた。つまり、ボスを一旦取り逃がしてしまったら、プレイヤーがその速度についていけないからだ。

 足がブレードの様になっていて、地面との摩擦を極限まで抑えている。人間の移動方とは根本的に異なる構造のアーキテクチャ。一旦自由を得た奴は、広いフィールドを際限なく駆け巡るのだ。

 敵の移動域を制限させるため、必然的にボスに当たる隊の数は増やさざるを得ないだろう。

 

「F隊、そのまま参戦してくれ! C隊は左から囲んでボスの足止めを!」

「D隊はボスの先回りだ! 各隊を援護しろ!」

 

 限界以上に足を動かす。ヒースクリフのA隊とアスナのB隊がせっかく削ったゲージだ。その戦果を活かせなければ、朗報を待つ待機組に合わせる顔がない。

 作戦は捕鯨時のそれに近かった。指揮も行き渡り、ヒースクリフの予測通りに推移すると、ボスはジリジリと壁際まで追い込まれていった。

 

「いっけぇえええ!!」

「うおォおおおおおらァッ!!」

『ギキッギキキキキキ!?』

 

 全プレイヤーの一斉攻撃とその怒号。大技が同時多発的に決まった。そして間違いなく効いている。

 あまりの猛攻を前に、自慢の《四刀流》すら迎撃に間に合っていない。

 

「加速をさせるな! 動く前に抑えつけろ!」

 

 再び速度を得ようと奴は幕の薄い部分を突き抜けようとするが、させじとプレイヤーが押し込む。奴は回避をしないのではない。回避ができないのだ。

 ボスの自慢は『速度』ではなく『加速』。決定的に地面との接地面積が少ない奴は摩擦を生めず、初速はたいした速度を出せない。つまり、始動を(つぶ)せば十分ボスの特徴の一部を殺すことができるのだ。

 調子のいい連携に、思わずこぶしを握り締める。ゲージの2段目を飛ばした討伐隊は、それゆえに攻撃の手を止めたりはしない。このまま押し潰すように波状攻撃をかければ、あるいは最終ゲージまで。

 しかしそのような甘い考えは、微かに見えた薄紫の光にまったく通用しないものだと痛感させられた。

 

「がああぁぁあッ!?」

「やべェ! デバフアタックだこれ!」

「こ、こいつ……ッ!?」

 

 体力を半減させたボスが放つ薄紫のライトエフェクトは、やはりソードスキル発動の合図だった。

 両手を地面に突き刺して両足で斜めの十字斬り、着地ざまに両手を引き抜いてそのまま斜めの十字斬りというスカルファントムの新技《四刀流》専用ソードスキル、十時袈裟懸け二段攻撃《クロスモール》。

 その初段か次段、どちらか一方でも剣や盾で『防いで』しまったプレイヤーは軒並み動揺していた。

 

「くっ……ボス戦でこんなこと!?」

 

 阻害効果攻撃(デバフアタック)

 その内の1つ、《カラウド》の状態にするのがこのボスの新たな力だった。カラウドとはつまり《腐食》状態のことだが、こうなるとまず武器が危険に晒される。

 武器や防具、その他のアイテムには必ず《耐久値(デュラビリティ)》と言うものが設定されている。放置(リープ)状態や、武器による攻撃でも、装備はその数値を減らしていくのだ。

 数字が完全にゼロになると消滅してしまうが、それらは街や村で《メンテナンス》を行えば回復することはできる。言うまでもなく、鍛冶屋が在中しないボスフロアで回復などといったことはできない。

 《カラウド》にされると厄介と言われる理由は、回復ができない類のダメージだからだと言える。

 今のところ現地での耐久値の即時回復法はない。一応、1層主街区《はじまりの街》などに設置された――他の層にも点在する――協会から、剣に神聖属性を付与すれば腐食を遅らせられる。

 カラウド状態でボスクラスの重撃を受け止めればどうなるか。

 名実共に愛刀となり相棒なった、言わばユニークソードが危険に晒されるというのは、すなわち半身を危険に晒されると言っているに等しいのだ。

 だが……、

 

「(バッカ野郎、怖じ気づいてんじゃねェよッ!)」

 

 と、攻撃を受けたD隊に対し、内心ではつい侮蔑してしまう。

 俺の剣がまだ安全なのを良いことにそう思えるだけかもしれないが、その裏付けとしてボスは隙をつくように反撃にでてしまったのだ。このままだと、せっかくの包囲網を突破されてしまう。

 しかも、今度は奴の四肢が真っ白なライトエフェクトを(まと)っていた。

 

「う、うわぁああ!」

「スピード勝負だ!! 突撃するぞォっ!」

 

 誰が、とは言わない。

 それこそデバフ状態にされた連中全員が、愛刀を失いたくないがために「早く倒さなければ」と言う脅迫概念の元、カウンター攻撃をされる可能性を無視して全力で攻撃する。セオリーに沿わない滅茶苦茶な特攻だ。

 ガギンッ! ガギンッ! と、眩しいぐらいの光の爆発が暗めのフィールドを瞬間的に、そして断続的に照らしていくのが見えた。

 しかし俺に判断できたのは、スカルファントムが発動したソードスキルが、全周囲回転八連撃《イッチエム・パルフェ》というさらなる上位連撃であるということだけだった。

 直後、ゴバァアアアアアッ!! という破砕音と演出用のエフェクトと共に、重装備に身を固めたはずのタンカー達が冗談のように宙を舞った。

 

「お、おいどうなってる!?」

「やべぇぞ! フォワードが壊滅する!」

 

 乱戦による嵐の後はエギルが戦局を把握しようと声を上げる。がしかし、当の本人達は答えている余裕がない。彼らを後方から俯瞰(ふかん)すると、全員がかなりのダメージを蓄積していた。

 (うめ)き、よろめく彼らは、大幅なダメージをボスに与えつつも、やはり相応の攻撃をくらっていたのだ。

 

「アスナ君、行けるな! 数十秒でいい、我々で抑える!」

「はい団長!」

 

 すぐ隣でそんなやりとりが聞こえた。直後に最強のA、B隊がすかさず援護に走り、呆然としているD隊を辛うじて救った。

 何度見ても驚かされるが、銀髪ロングのヒースクリフと美人フェンサーアスナは誇張ではなく本気で強い。

 

「(さすがだ……でもッ)」

 

 襲われていたD隊の1人が明らかに怯えていた。回復アイテムが尽きたのか、ゲージを黄色く染めてなおウィンドウを開こうとしていない。

 ……いや、それどころか、その男は信じられない行動に出た。

 

「おい、アンタ!?」

 

 俺の呼び掛けにも反応せず男は止まらなかった。

 必死の形相で、誰にも何も言わずに出口へ走るそいつは、おそらく敗北の恐怖に負けたのだろう。そして自身の愛刀と、たった1つの心臓を失わない最後の選択肢を実行してしまう。

 すなわち、集団戦闘ではあってはならない敵前逃亡を。

 だがそれをボスは見逃さなかった。

 先ほど発動していた《四刀流》広範囲攻撃である《ツイスター・ラウンドトリップ》を再び発動し強引に道をあけると、フィールドの長い距離を1人で駆け抜けようとするプレイヤーの背中を追い始める。しかも先述の通り、速度の乗ったボスに追いつく手段は今のプレイヤーにはない。

 

「ひっ……」

 

 途中で自分がターゲットにされていると気付いた男の表情は、おそらく一生忘れることはないだろう。

 恐怖、ただそれだけを表現したその男は泣きそうな声で訴える。

 

「あぁああああ嫌だッイヤだよ、死にたくないッ! ……誰か! 誰かぁあああッ!!」

 

 しかし全てが遅かった。

 助けを求めるのも、俺達の出せる最高速度も、全てにおいてあのプレイヤーを助けられる材料がない。

 ボスが迫る。プレイヤーが駆け寄るよりも早く。

 もう距離はわずかだ。間に合わない。死ぬしか、ない。

 

「いやだああぁぁあああッ!!」

 

 最後まで男の振り回す剣はボスには当たらず、それを断末魔として男は『四刀』に斬り刻まれた。

 破片も残らないだろう小さな光片が残照としてその場に舞う。

 

「ハァ……ハァ……そんな……こんなこと……」

 

 鼓動がバクバクとうるさかった。

 ここにきて。ここにきてプレイヤーが先に殺された。何としても誰かが死ぬ前にあいつを倒さなければならなかったのに。

 しかもそれだけではない。スカルファントムは『逃亡するプレイヤー』を優先的に襲ったのだ。

 亡霊(ファントム)という名が与えられたモンスターの執拗な猛襲。今となっては撤退戦すらかなり難しい。ただでさえ厳しいはずのボスの討伐は、『全員が生き残る』のに最も有効な手段に成り下がっているということである。

 これ以上メンバーを減らさないためには……、

 

「(やるしかない……!!)」

 

 腐っても攻略組。メンバーは死者を前に恐慌状態に陥って次から次へと勝手な遁走(とんそう)、とまではならず、戦慄しながらもまだ武器を手に持っている。

 そうだ、いつまでも弱者ではいられない。ここにいる限り強者であらねばならないのだ。

 俺は強者の哲学的結論など答えられない。死者を出さない者なのか、それとも死者を踏み越えられる者なのか。しかしそれが何であれ、ここで立ち止まる者ではないことだけは確かだ。

 まだやれる。いや、死にたくなければやるしかない。

 

「やるしかねェんだよ! いちいちビビんなァッ!!」

 

 考える前に叫んでいた。

 全員が俺を振り向く。その視線を肌で直に感じながらも、失いたくないと、俺はそう思えるようになったことに誇りを持っていた。

 だからだろうか。

 自分にも向けられていたかもしれない声。普段の俺からは絶対に考えられないようなボリュームで喉からはじき出された声は、それこそ考えられないほど他者を叱咤し、励ます見えない力となってフィールドに響きわたった。

 

「彼の言う通りだ! 弔うには! 我々は必ず!! このボスを討伐しなければならない!!」

 

 ヒースクリフが後に続くと、そのカリスマ性からか戦いへの熱意が復活する高揚を感じた。俺だけではない、ここにいる誰からも。

 認めよう、このボスは強い。

 変えようのない事実だ。

 プレイヤーの平均レベルが低かったわけではない。意表を突く技と奇抜な行動で、俺達攻略隊から体力を奪っていったスカルファントムは間違いなくボスとして強力で、そして極めて賢い部類に入るだろう。連戦連勝の輝かしい戦歴を持つ血盟騎士団の顔に泥を塗ったこいつは、今後もプレイヤーの中でしばらく記憶から消えないモンスターとして語られるはずだ。

 ボスを挟んで遠くに見える『出口』を目指して走り出すようなプレイヤーはもういない。

 死にたくなければ殺すしかない。アインクラッド第21層真のフロアボス、《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》を。

 

「E、F隊は左右に回り込んで挟み撃ち! なるべく我々A、B隊の下へおびき寄せてくれ! 指示のない部隊は後方で待機! A、B隊は楔型陣形!」

「了解っ!!」

 

 それを経てなお戦意は十分。

 奴が今後プレイヤー間で語られるのは『討伐されたモンスター』としてだ。そのためにもF隊は手足、頭をフル回転させて戦士としてボスに肉薄する。

 

「俺がやる! アシスト頼んだぞ!」

「オッケー!」

「任せろ! 行けっ!!」

 

 エギルが言うと俺とアギンが応えた。

 俺とアギンはさらに左右に分かれると、ボスの左側に攻め込んで互いのメインアーム、片刃大剣《ブリリアント・ベイダナ》と賊式佩剣《タルワール・アイグライド》をそれぞれ光らせた。

 役割はボスの左手左足の抑え。

 《曲刀》系専用ソードスキル、中級垂直二連撃《レスポンスアグロ》と《両手用大剣》専用ソードスキル、初級垂直三連撃《ガントレット・ナイル》が動きの妨害と共にボスにダメージを与えると、そこへエギルの中級上段旋回連撃《ワールバリアンス》が背中から二段とも直撃して、たまらずボスは前進を強要された。

 アギンの相棒のフリデリックを始め、他のF隊も攻撃によるダメージより軌道誘導を優先して側面にソードスキルを発動し、遂にボスは作戦通りA、B隊の元へ滑るように走っていく。

 

「主力隊、行ったぞ!」

 

 ボスのルート上で、12人のプレイヤーは待ち構えていた。

 多人数ではじき出す大音響の協奏。迎撃の波は集中され、進化して、研ぎ澄まされた力となってボスの体に突き刺さる。

 

『ギキキッキギキキ……』

 

 無論、ボスも《カラウド》属性のソードスキルを連発してはその4本の刃でプレイヤーのアバターと剣を壊そうとしてくる。

 これは血戦だ。

 死ぬ前に、殺しきる。回復アイテムが許す限りの体力をもって、次から次へとスイッチしては回復と消耗を繰り返す。しかしその永遠ともとれる攻防の先には限界が存在した。

 

「もう無理だ! これ以上はこっちが死んじまうッ!!」

「まだだ! 最終ゲージ行ってんだよ、踏ん張れ!」

 

 そしてボスにも、プレイヤーにも、それは近づきつつあった。

 俺も最後のポーションをつい先ほど飲み干し、少しずつ回復していくゲージを待たずに再度攻撃をしていく。

 ボスもギリギリのはずだ。まるで死ぬことを怖がるように、必死に手足を動かしている。

 死への恐怖。これが敵のAIにも組み込まれているかは謎だが、その人工知能とやらが得た学習データはフロアボスが消滅した瞬間に運命を共にする。そこで発生したいかなる利害や収益も、やはり次のモンスターには蓄積されず、どころかなんら影響を与えない。フィードバックされないのだ。

 そういう意味では俺達とボス何も変わらない。殺し、殺されを繰り返す人間とは違うたった1つの生命の形だ。

 

「(でも、てめェが死なねぇと……)」

 

 俺達が生きられないのだ。

 俺達が帰られないのだ。

 例外はない。今後迫り来る全てのボスモンスターを狩り尽くさなければならない。こんなところで手を(こまね)いている時間はない。

 しかし、またしてもボスの《四刀流》ソードスキル、全方位回転八連撃《イッチエム・パルフェ》が、囲んで速度を殺していた全てのプレイヤーを襲った。何度目かもわからない包囲網の穴が生じる。

 

「ヤバいッ、包囲が崩れた! ボスが動くぞ!」

「ヒースクリフ団長!」

 

 B隊メンバーがヒースクリフに助けを請う。

 未だにHPゲージを安全圏(グリーン)以上で保っているヒースクリフはいよいよもってその実力が計り知れなくなっているが、やはり彼とて万能ではない。

 なぜなら、プレイヤーには出せる速度と出せない速度があるからだ。その限界を超えて奴に追いつくほど高速で動くには、このゲームのパラメータ管理そのものに介入するしかない。つまり、ここまで敵に高速で移動されると、もう追いつけるような人間はこの世界に存在しないのだ。

 この場合、再三の『加速』を得たスカルファントムを相手にするとしたら、奴が定めるプレイヤーとの接触ポイントこそ次の戦闘場所となる。コントロールしきれない。

 

「き、来たぁあッ! こっちに来っ……ぐあぁああッ!?」

 

 そして接触ポイントにいたプレイヤーが、言葉を発しきれずに暴力的な力で吹き飛ばされていた。

 加速によってダメージ量は上下する。リアル界に限りなく近づけたこの世界ではら斬撃に『速度』が加わるとその威力を増すということだ。

 その結果、正面に構えられ衝撃を殺して主を守った彼の両手剣はその半ばから完全にへし折られていた。つまり耐久値消滅(デュラビリティアウト)を起こしたのだ。《カラウド》の影響を最初に目に見える形で具現化してしまったらしい。

 

「くっ……まずいッ! 彼を守るんだ!」

「お前ら人の陰に隠れるな! 前に出ろ!!」

 

 飛び交う怒号。俺の剣も腐食属性を受けている。下手をするとあと数回も剣を交えることなく、こいつは俺の手から消えるかもしれない。

 しかし……、

 

「(これ以上は誰もやらせないッ!!)」

 

 そうと決めた俺の行動は早かった。

 F隊にも俺の作戦をある程度伝えて協力を要請する。と言うのも、見ようによっては自殺行為に映るからだ。だがだからこそ、時間がないことを理由に全てを伝えず「俺に策がある。おびき寄せろ」とだけ伝え戦闘準備を整えた。

 

「あと少しだ!」

「それはさっきも聞いたッ! いつ終わるんだよ!」

「知るか! やるしかねぇんだよ……っ」

「待て! あそこだッ。あいつにボスを引き寄せろ!」

 

 言い合いになりかけていたプレイヤーをなだめ、F隊メンバーが俺の要求通りの働きをしてくれた。

 現状、ボスは死にかけている。しかし討伐隊も相討ちを恐れて『命の危険』からラストの大技を放てない状況だ。

 それでも。ここまで来たら、誰かが一気に決めるしかない!

 

「来い……こっちに……!!」

 

 ――俺が、それをやってやる。

 全身を恐怖と緊張で震わせながら誰にも聞こえないように呟き、出口方面から迫り来るボスに向けて両手剣を中段で構えた。

 失敗すればここで終わる。生きると誓った俺の口だけの威勢は、こんなアインクラッドの5分の1地点で潰えてしまうのかもしれない。

 誰かが「死ぬ気か……?」と怯えた声で問うたが、その気は毛頭ない。ないがしかし、確かに心臓はうるさいほど跳ねているし、足は今にも崩れ落ちそうだ。

 

「(でも、でも! 誰かが死ぬのはもう……っ)」

 

 心が必死に叫んでいた。

 戦意がボスに向かうと、それ以外の情報が完全にカットされ、時間は一瞬から何十秒と引き延ばされた。

 その中で俺はつい考えてしまう。

 どこのどいつが死んでも、それは俺が『見殺した』のではなく茅場が殺したのだと言い聞かせていたことを。例えこの世界の誰を人質に取られても、リスクが伴うなら切り捨てると決めたことを。

 淡泊だった当時の俺にとって、この仮想世界では『費用対効果』が判断基準だった。自分の命は天秤にかけることすらしてこなかった。

 しかし、それだけが世の中の全てではない。それだけでは勝ち抜けない。じゃあ何が必要かはまだわからない。だからこそ、わからないまま知る努力をしないのは嫌だと思えるようになったのだ。

 

「だからっ!」

 

 救おう。救える奴は全て。

 ボスが迫る。俺は逃げるのではなく前へ、前へ。初めて重なる心の声と。

 命を天秤にかけて、《四刀流》の先をいく。

 絶叫とも、咆哮ともとれる声が吐き出された。

 ガギィインッ!! と、鋭い斬撃音が耳朶を叩く。

 右下から斬り上げられたボスの左足の攻撃ではない。真横から迫る右手の刃でもない。天井から押し寄せる左手の振り下ろしでもない。

 読めていた。そんなものは俺に掠りもしていない。

 この音は俺の命の一撃だ。

 

『ギギギッ!?』

 

 動きの全てを先読みされて、空中回転斬り《レヴォルト・パクト》を脳天に受けたボスはしかし、一瞬だけ怯むがゲージはまだ残る。

 つまりボスの真後ろで着地をした俺は、技後動作(ポストモーション)中に攻撃を受けそのまま……、

 

「(いや、まだだ!!)」

 

 全力跳躍で頭上を飛び越えられたボスは、俺を見失うことなく振り向きざまに再びその腕刀を振る。

 俺はそれを《ブリリアント・ベイダナ》で受け止め、さらに武器を手放し『捨てる』ことで衝撃のほとんどを逃がしながら何とかぎりぎりのところで耐えた。

 しかし大剣が遠くへ飛んでいってしまい、これではほとんどのプレイヤーにとって『アームロスト』の状況を自ら招いただけに見えるだろう。

 だが、ここで終わりではない。

 衝撃に逆らわず、腹から発する気合と同時に転がるように立ち上がった俺は、そのまま直線上に浮かび上がった出口に向けて全力で走り出す。他に表現のしようがない、いわゆる『敵前逃走』だ。

 ただし、メインメニュー・ウィンドウを開きながら。

 

『ギキキキィッ!!』

 

 逃亡者の優先順位。ボスはその特徴から、他のプレイヤーへの攻撃を断念して改めて出口を目指す俺を標的に定めた。

 だがこれでいい。スカルファントム、ここが墓場だ。

 俺が……、

 

「(殺すッ!)」

 

 右手が信じられないほどの高速でタイプされた。

 アムファン、メインメニュー。モディファイから《クイックチェンジ》をブートアップ、オブジェクタイズ、メインアーム《ファントム・バスター》、オン。

 

「こいッ! クソ野郎!!」

 

 両足を踏みしめて振り向くのと同時に、新たな相棒を両手に握っていた。

 重く、全身にのし掛かる骨材外装の遺骨大剣。

 凶器がその本懐を果たすために、刃渡りが敵を向く。

 

「うおあァあああああああッ!!」

 

 新たな武器、《ファントム・バスター》が紫を帯びた。ほぼ同時にスカルファントムの四肢も紫色に輝いている。

 奴にとって最期にする、すれ違いざまの攻防。

 《両手剣》専用ソードスキル、初級二連斬り上げ《ダブルラード》と《四刀流》ソードスキル、十時袈裟懸け二段攻撃《クロスモール》がソードスキルとして互いに紫の色を放ちながら一瞬だけ交わり、また離れる。

 爆音は数瞬遅れて轟いた。

 あとに残るのは背を向けあう俺とボスだけ。

 

「ハァ……ハァ……」

『ギキ……キィ……』

 

 それが俺に聞こえた終幕の声だった。

 バリィン、と。ガラスが割れるような音の発生。

 ボスが、その姿を今度こそ余すことなく消滅させた時の破裂音だ。

 

「……かっ……た……」

 

 次の瞬間には今度こそプレイヤー全員の祝福を浴びた。

 神業をやってのけた俺に、知っている奴からも知らない奴からも、次々と野次と称賛を浴びせられる。俺はその時になってようやく自分が戦いに勝ったのだと自覚し始めてきた。

 そして……、

 「……はふぅ……」と、もの凄くやる気の失せるような溜息だけが口から出てきた。

 実感だけは遅れてやってくる。

 

「(勝ったんだ……)」

「コングラチュレーション、見事だったぞジェイド! この勝利はアンタのものだ!」

「すげぇじゃねぇかオイ! 最後のどうやって全部避けたんだよ!?」

「あ、いや……ありゃたまたまで……」

 

 エギルやアギンがべた褒めしてくるが、そういった扱いに慣れていない俺はつい萎縮してまともに喋ることもできなくなっていた。

 ――エギル発音いいな。

 

「ば、馬鹿! 死ぬかと思ったんだから!」

 

 アスナもそう言ってくれるが、むしろ周りに野次馬がいるのにそれ言われる方が恥ずかしい。

 

「でも1人だけ……助けられなかった……」

「君がその責任を負う必要はない。むしろ、それは指揮者たる私にあるだろう」

 

 俺の呟きには、意外にも悠然(ゆうぜん)と振る舞うKoB団長、ヒースクリフが答えてくれた。

 

「皆がやれるすべてをやった。今は勝利を分かち合おう」

「あんた……」

 

 なぜだかその言葉に俺は救われた。

 俺のやったことに『全力だった』と言い訳を付け足すようで、この気遣いに納得したわけではないが、やはり重圧は和らいだ。現金な人間だと自分でも思うが。

 

「ヒースクリフ、であってんだよな? ……責任つっても、1発で勝てたのはアンタの統率のおかげさ。スゴかったよ」

 

 アルファベット表記だといちいち読み方が不安になるが、当然読みは正しかった。

 そしてそれを境に、あとのことは声の渦に飲み込まれて覚えていない。それでも感慨(かんがい)はやってきた。いま俺は1つの大きな仕事をやり遂げた気持ちだ。

 その2時間後、4月30日17時11分。22層の転移門はその束縛から解放され、全てのプレイヤーを包み込む。

 新たな主街区、《コラルの村》での旅立ちの日を迎えたのだった。

 

 

 



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第23話 陽気な午後(前編)

 西暦2023年5月3日、浮遊城第22層(最前線23層)。

 

 21層の、と言うより、そもそもソードアートオンラインの世界に来て、初めてフロアボスという存在にラストアタックを決めた日から3日。

 あの時、クイックチェンジ先に登録しておいた《ファントム・バスター +0》がギリギリ命を繋いでくれていなければ、当然俺はこんなところでのうのうとしていられなかっただろう。

 ともあれ、結果は勝利。レアアイテム《レザレクション・ボール》も、俺のストレージにドロップしている。

 深い緑が美しい透明な球状のアイテムだ。どれだけ危険な状態に陥ってからの使用を前提にしているのかは知らないが、全デバフステータスと被ダメージ、さらには装備中の武器と防具の減衰耐久値全てを一瞬でリセットしてくれる物らしい。

 フロアボスを倒せば、これぐらいの物は手に入っていてもおかしくはない。俺にとっては初めての品だが、今までに倒した奴もそれはそれは強力な何かを手に入れていたはずだ。

 しかし、それをさしおいて俺はとてつもなく落ち込んでいた。

 初めてのボス狩り。しかも低層に降りてフィールドボスやクエストボスをレベル差にものを言わせて狩ったのとは事情が違う。

 最前線で戦う者にのみ相対することを許された《フロアボス》の討伐。当然目撃者はその時レイドを組んでいたプレイヤー全員で、俺は『21層のボスを倒した男』として広く世に知れ渡り、一気に有名人になれると信じていた。

 しかしそうは問屋が卸されず、俺の栄光は恐らくは最速で忘れられる運命にある。

 

「ちくしょう! なんでいつもこんな扱いを!!」

「まぁまぁ……」

 

 昼下がり。22層の穏やかな森林フィールドの片隅で、怒る俺の隣にちょこんと座っているのはネズハ。彼は2層で知り合った俺の友人で、少数編成のギルド《レジェンド・ブレイブス》に所属するプレイヤーだ。

 最前線が2層だった当時はトッププレイヤー集団だったが、今はそうではない。彼らはこのゲームで詐欺をはたらき、それが衆目の元に晒されてから、信頼と名声を失ってかなり出遅れる羽目になっていたからだ。

 ちなみに、これはつい先ほど知ったことなのだが、彼らはすでに最前線を目指していないとのことらしい。しかし、モンスター狩りによるレベリング自体は継続中で、前線入りを目指す中層プレイヤーの手伝いをしているそうだ。

 次層解放の一報を聞きつけて仕事を休むと、本層の主街区である《コラルの村》付近まで足を運んでいる状況である。

 ここも立派なフィールドであるわけだが、それを含めて俺は気落ちしているのだった。

 

「きっとみんな忘れないよ、だってジェイドがいなかったら、この次の層まで行けなかったんだよ?」

 

 弱気な顔をした茶髪君が慰めてくれる。しかしそれはお世辞ですらなく、やはり本当に単なる慰めだ。

 そう、文字通り現在の最前線はここではない。1層上の23層なのだ。

 つまり3日前、4月最後の日の夕方に誉められすぎて調子に乗りまくった俺が「いやっほぉおーーう! 俺が解放したぜぇ!! 有り難いだろてめぇら!」などとのたまいながらここで跳ね回っていたあの夕暮れから、たったの3日でこの層は突破されたのである。

 3日で1層。この時間はおそらく……言い直そう、間違いなく踏破最速記録だ。

 俺の勇姿が語り継がれる時間が少しでも欲しいというのに、なぜよりによって3日なのだろうか。

 もっとも理由は単純明快だ。なぜなら、フィールドに脅威がまったく存在しないのである。

 前層に比べてモンスターが弱い、戦いやすい、なんて層は過去にもあった。しかし今回は次元が違う。なんと、モンスターがポップしないのだ。隠蔽スキルを駆使して隠れているのでも、擬態化してじっとしているのでもない。完全なるゼロ。まさに楽園のような解放感である。

 ただ、逆にここまで極端だと「もうちっと抵抗しろよ……」と思ってしまうから複雑だ。そのせいで俺は三日天下の英雄さんになってしまった。

 モンスター皆無というフィールド設定が初日で露見してしまい、さらに迷宮区モンスターすらあんまり出ないは強くないはで、2日目にしてプレイヤーはボス部屋を発見。そのまま次の日、つまり今日の午前には討伐完了である。ちなみに俺は参加しなかったが、ボスすらとても弱かったらしい。

 ここはまるで、21層のボス強くしてしまったからそのお詫び、とでも言いたげなふざけた層だったのだ。

 

「(はぁ……つっても、結局は一緒か……)」

 

 だが冷静になって考えてみれば、俺はこの層までの『ボスにラストアタックを決めたプレイヤー』なんてものは顔も名前もいちいち覚えていなかった。ただでさえ少ない脳のキャパシティを、わざわざこんなことで消費しようとも思わない。

 と言うことは、今のこの状況など、突破に何日かかろうとも同じだったかもしれない。

 

「で、でも僕もボス戦については聞いたよ! ええっと……確か最後の方で『すっごいこと』をしたんだよね?」

「…………」

 

 いや、彼のフォローに文句はない。動画配信できるレベルでスーパープレイをやってのけた自信はあるが、当の本人が現象を詳しく説明できないのだ。とはいえ、ラッキーだったとはいえ、これは酷い仕打ちである。

 もう少しどこかこう、言い方というものがあるだろうに。もっと『すごいこと』したというのに。

 ――ああ、俺の表現力も変わらないな。

 

「があぁあああッ! でももっと凄かったんだって! 俺一瞬メッチャ格好良かったんだって!」

「お、落ち着いてジェイド……」

 

 ネズハはおろおろと(なだ)めるが俺は止まらない。それに今回意識下で『あの感覚』を体験した俺は、その万能じみた現象の中に弱点がいくつか存在することに気が付いていた。

 まずはその持続性の低さだろうか。

 比喩(ひゆ)ではなく途方(とほう)もない集中力を要し、どうにも連発できない。少なくとも今の俺にはその後の戦闘に支障をきたすほどだ。

 次はやはり安定性に欠ける点だろう。

 スキルスロットに存在する技ではないので、使いたい時に使えるわけでも、ましてやいざという時のために溜めておくこともできない。戦闘において『武器』に求められる多くのウェイトが『信頼性』であることから、とてもではないが命を預けるに値する武器ではない。

 そんなことを考えつつ、ネズハに俺が(わめ)いていると、

 

「な、何してるのあなた達……」

 

 と、いつの間にか近づいてきた人物に声をかけられた。

 モンスターが存在しないことから《索敵》を切っていたとは言え、俺がこうも簡単に後ろを取られるとは。

 社会不適合者代表の俺は、つい反射的に「あァん?」と行儀の悪い声色で返しの言葉を与えてしまう。リアルでせっせと培った陋習(ろうしゅう)の現れだ。

 しかし意外にも、その人物はヒスイであった。

 今日の髪型は半端なサイドポニーで片側は耳にかかっている。普段より肌が白く透き通っているようにも見えるが、初めて彼女と会話した時に比べ、表情もろとも根暗っぽさがさらに払拭(ふっしょく)されているので、可愛さ補正がかかっているのだろう。

 普段着なのか、身を守る装備はカジュアルで動きやすそうだ。ファッションの話をするとダークな色彩と物騒な片手剣だけが惜しい。

 それにしても、既知の人間に安心こそしたが、彼女の声が若干うわずっていたから気づかなかった。

 1つ安堵した理由は、アンチクリミナルコードの保護がないこのフィールドで、《隠蔽(ハイディング)》スキルを使っての集団脅しでなかったからか。

 カズ達を襲った趣味の悪い奴らはまだ2人組だったが、ああいった危ない連中は最近増えているのも事実である。俺が言えたことではないが、慣れとは恐ろしいものだ。

 

「んだよ、男同士の熱い語り合いだよ。あのなぁ、俺だって名声ほしくてなぁ」

「ちょっジェイドッ!?」

 

 しかし、そこまで言うといきなりネズハが慌てたように俺の口を押さえようとしてくる。

 

「この人あの《反射剣》のヒスイさんだよ! 最前線唯一の女性ソロプレイヤーの!」

 

 《反射剣》というのはヒスイの通り名のようなものだ。今となっては使用者も増えてきているが、攻略組初の《反射剣》、つまり《リフレクション》という名のエクストラスキル体得者として、19層を境に周知と化した彼女の得意技。

 ずいぶんけったいな名前である。しかし、盾持ちの特権たるこのスキルを1番最初に手に入れた彼女はやはり偉大なのだろう。隙は大きいが『防御不可』の特性を持ち、回避を強制させられる《霊剣(レイケン)》ソードスキルを弾き返したことで、よりインパクトが強かったのかもしれない。おまけに女の子とくれば、その周知の速さに危うく嫉妬(しっと)してしまいそうだ。

 ――クソが、俺も盾持てばよかった。

 ちなみに、彼女とって通り名で噂される現状はかなり不服らしい。ダサいのだとか。欲張りな女である。

 

「いや、そんぐらい俺も知ってるけど」

「ッ……!?」

 

 とりあえず返事をくれてやると、それを聞いてさらにネズハが驚く。まるで「それを知っていて何でそんなに()が高いの?」とでも言いたげな表情だった。

 鈍い俺にも予想はつく。前線で名を()せるアスナも同様だ。ただでさえ絶対数の少ない女性様は、それだけで俺のハリボテ有名人とは格が違う知名度が付き纏う。

 ここのところアスナも有名になりすぎていて、『KoBの副団長』という肩書きを越えて《閃光》などと呼ばれだしている。

 格好いいとは思ってない。格好いいなどと。しかし彼女の神速とも言えるレイピア捌きを鑑みるに、スタイルにぴったりの二つ名だ。

 ――俺の二つ名? ねぇよ。欲しいよ。

 そこで、彼女達は当然のごとく多くの野郎から神聖視されているため、俺がヒスイにタメ口を聞いていることがネズハにとっては理解できなかったのだろう。

 見てほしい、彼に至っては声が震えている。

 

「ふ……」

「ふ?」

「……2人は知り合い?」

「おう、まあな」

「……仲良いの?」

「どうだろ、会った時よりは良いかもな」

 

 それだけを聞くと、ネズハは「うああぁぁああんっ」と、悔しがった声上げながら走り去ってしまった。

 ついでに見えなくなる寸前に「抜け駆けなんて男らしくない!」なんてデジャヴを起こすようなこと言ってきたが、それは心外というものだ。親密な仲というわけではない。

 どころか、この女については俺に好印象を持っているかどうかさえ怪しいところである。なにせ俺の言った「会った時よりは良い」なんてお茶を濁した部分を掘り下げると……、

 

「ねえ、あたし置いてけぼりなんだけど……」

 

 おっと、そうだった。

 

「俺もそうだよ。またネズハにちゃんと説明しねぇとな。……んで、ヒスイは何でこんなとこいんのさ? もう前線はいっこ上だぞ」

「え、えぇと……そう! お昼ご飯この層で食べたくなったのよ。そうそう、ここは景色が良いし空気も美味しいし、絶好の弁当日よりじゃない?」

「……ま、そうだな。雲も少ないし風はおだやか」

 

 適当に肯定しておいたが、ヒスイはどこか不自然なほど嬉しそうだった。

 

「そんでワザワザこんな森林に来たのか?」

「23層もさすがにまだ主街区調べの段階だから、別に遠くはなかったわ。さっき転移門の近くをたまたま通りかかったし、ついでと思ってね」

「はぁん」

 

 ――なるほどねぇ。

 そのせいで面倒が増えたようにも感じるが。先ほどからどこかヒスイがそわそわしているのは、俺が気にしすぎだろうか。

 

「さ~てご飯ご飯」

「んじゃ俺はぼちぼち攻略行くとすっか」

「え、えぇちょっと!?」

「ち、ちょっとなんだよ……?」

 

 ヒスイがいきなり慌てたように引き止めたことで、思わずどもってしまう。

 何の真似だろうか。ひょっとしたら、このお方は俺が女と話すことが苦手だとこという認識がないのだろうか。この半年で何度か念を押しておいたはすだが。

 俺があからさまに固まっていると、左右をきょろきょろと見渡しながら彼女は、なおもひきつったように言葉を探す。

 珍しく歯切れが悪い。4層で頭角を見せた、他を魅了するほどのリーダーシップはどこへ行ったのだろう。これほど厳粛(げんしゅく)でもじもじしている彼女を見るのなんて、8層で暴漢に遭った日以来かもしれない。

 「しゃーなねぇ冗談の1つぐらい残しておくか」、などと悪いクセを出しつつ口を開く。

 

「じゃどうしたんだよ、らしくねぇな。俺の弁当も用意したってか? ハハハッ、アイサイベントー! アハハハッ」

「…………」

 

 ほう。

 

「…………」

「…………」

 

 いや、どうしてそこで止まるのだろうか。何か突っ込みをいれてほしい。せめて蔑んでほしい。こういう時こそ発揮されるべきいつもの強気は仕事に怠慢か。期待してしまうだろう。まったく、男というものは無視にも弱いが上げて落とされることが1番堪えるものだ。特に俺のような経験の浅いピュアハートは、繊細に扱わないと後でどうなっても知らないぞ~~。

 

「ジェイド!」

「はいぃ!?」

「おっ……」

「……お?」

「お昼2人分作っちゃったから……一緒に、食べよ……」

「…………」

 

 答え方を間違えてはならない。

 どこか顔が赤いが、まだ夕日のせいにはできない時間帯だ。なぜ目をそらすのか。これでは相手の意図が読めないではないか。結果的に発生した無言が空気をより重くしてしまっている。気を付けよう、聞き間違いならファッキン妄想野郎になってしまう。

 「一緒に食べよ」???

 まさか、俺のためにというのが本当にまさかなのだろうか。いや、しかし今「作っちゃった」と言っていた。ということは、不可抗力的な最大公約数的な事態が発生しているのではなかろうか。思春期の過ちというのは時に恐ろしい結果を招くという。だが、その程度のことで、あくまで異性である俺に余った弁当などを分け与えるものだろうか。だとしたら女神の慈悲に近い。そもそもヒスイはソロ活動をしているのに、作りすぎちゃった、なんてことはあるのだろうか。

 この間1秒である。

 

「誰だッ! ヒスイに化けてるな、正体を言え!!」

「ひ、酷い! あたしはあたしよ!」

 

 しばらくギャアギャアと言い合ったが、2つだけ確信を持つには至った。

 1つ目は目の前の人物が本物のヒスイ(当たり前だが)だということ。

 2つ目はこの弁当が毒入りではない(当たり前だが)ということだ。

 不可解な点はまだあるが。

 

「……んじゃお言葉に甘えて……」

「うん……」

 

 こうして3ヶ月前のあの時のように、俺とヒスイはこの日の昼飯を共にするのであった。

 

 



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第24話 陽気な午後(後編)

 西暦2023年5月3日、浮遊城第22層(最前線23層)。

 

 彼女とお食事中、なんて日記に記せたらどれほど幸せだっただろうか。それとも彼氏とお食事中、なんてことにならないだけマシと思うべきか。

 しかしそんな俺が、確かに今、女性と手作り弁当の消費に励むというシチュエーションにいるのだ。正直、体がえらくホットなことになっている。経験が乏しすぎて、誰が作ってくれた弁当であれ、相手が異性なら無条件でドキドキしていそうだが。

 

「(にしても、俺に弁当ねぇ……)」

 

 上面では会話を進めながら、つい頭をよぎってしまう。

 例えば《耐久値》。アイテムや武器に関してはもういいと思うが、この数値は味覚エンジンが搭載されたこの『食べ物』に対しても設定されている。考えるだけ無粋だが、ゲームには相応の仕様がある。

 本気で食べ物に興味がない俺は、なま物がどうとか、食材によって日持ちがどうとは知らない。が、基本的にこれらの耐久値は低めに設定されていること、また朝に作ったら遅くともその日の晩には食べ終わらなければ『腐って』しまうことは心得ていた。例外は『飲み物』ぐらいだろう。さすがに俺も水ぐらいは飲む。

 何が言いたいかというと、彼女が弁当を持ってきた以上、これを作ったのは今日ということになるのだ。

 

「(……うむ。腐ってないし、今日だ……)」

 

 お口をモグモグさせながら、死ぬほど失礼なことを考えてみる。

 されど、こういうシチュにはメシがマズイ方の鉄板展開も存在するので注意である。

 そこで。

 相当なドジっこさんだとしたら、まだ『2つ作っちゃった』程度のことはあるかもしれない。あるある(?)だ。しかし、その日に運良く、しかもたまたま通りかかったら知り合いがいて、一緒にお昼ご飯を取ろうという気になる確率はいったいいかほどのものか。だいたい、タッパーではなく弁当箱ではないか。どう考えても作ってくれたようにしか見えない。

 だが妄想世界では脈ありで、現実世界では自意識過剰なんて話はよくあることだ。外国では初対面の人間に挨拶がわりに頬にキスをする、なんて話も聞く。ここは日本だが。

 ヒスイがこちらを見てそわそわしていることも問題である。

 

「(く、食い辛ぇ……)」

 

 咀嚼(そしゃく)でごまかし、感想を遅延。

 前にも同じようなこともあった気がする。依然として食に興味を持っていなかった俺が、安物の堅パンをかじろうとしていた時だったか。当時は昼食を放棄したが今回はそうもいかない。残さず食べなければ永遠に不幸になる、と。神が耳打ちするのだ。

 もっとも、本当に美味しいのだが。食べ盛りが残すはずもない。でも意地悪はしたい。

 

「んん〜〜〜」

「ね、ねぇもったいぶらないでよ! 感想待ってるんだから!」

「アハハ、ジョーダンだよ。すっげぇウマいじゃんこれ。練習してたん?」

「ふぅ~、良かったぁ」

 

 よっぽど緊張してたのか、ヒスイは自分の分の箸が進んでいないようだった。

 しかし、なぜこんな旨いのだろうか。ゲームの仕様上、普通に作っても一般人にはこんな味は出せないはずだ。

 まさか……、

 

「まさか……ヒスイって! んぐ!? ゲホッゲホッ……あ~、ヒスイって《料理》スキル取ってたっけ?」

「食べながら話さないでよ。取ってるわよ」

「えっ、マジ? 意外!」

「意外ってそんな、こっちも女子ですぅ……」

 

 ふくれるヒスイに対し、俺はと言うと「貴重なスキルスロットがもったいな!!」と言うところだった。危ない危ない。貴重な食料にありつきけなくなる。もう少しだけ追加で誉めちぎっておこうか。

 作ってくれた以上そんなことは有り得ないだろうが、お互いが美味しく食べるために称賛の言葉を送ってもバチはあたるまい。

 とは言え、ただでさえカツカツのソロプレイヤーが《料理》スキルに手を出していることについては、パフォーマンスではなく本当に驚いている。そして浮かぶ疑問は「なぜ俺なんかのために?」というものだ。無論、嬉しいサプライズだったが、恩を売るようなことをした記憶はない。

 

「にしてもどうした? コレ、作ってくれたんだろ」

「うぐ、さすがにそりゃバレるわよね。……ええそうよ。19層の時のお礼に」

「ああ、なるほど」

 

 頬を人差指でかきながら、ちょっと照れてるヒスイに見とれてしまった。それにようやく気づいたのだが、普段の彼女はヘアピンを前髪の右側に1つ止めていて、その部分以外に手を加えないはずだ。しかし、今日は左サイドの髪一房を三編みにしていたり、先ほど確認した通り珍しくテンプレ装備を解いて私服に近い格好で来ていた。

 多少なりとも、俺を異性と意識してくれている現れなのだろうか。

 という(よこしま)な感情と期待を一旦脇に置いておいて、アスナからも礼をされたことを思い出していた。ちなみに、彼女からはダブった指輪アイテムを貰っている。アイテム名は《膂力の欠片》で、内容は『筋力値+5』というレアと言えばレア物のアイテムだ。

 比べて本日のイベントは長い。アスナの時なんて「はいコレ前のお礼ね、それじゃ」で終わりだったというのに。

 

「なんか悪いな。恩着せのつもりじゃなかったけど、スロット1個取らせちまって」

「な~に自惚れてるのよ。あたしもアスナも、料理スキルはとっくに持ってるわ。あたしのできる範囲でお礼をしたっていうだけ」

「へぇ、アスナも取ってんのか。あの攻略組の鬼がね~」

「それ本人の前で言ってみたら? たぶん斬られちゃうだろうけど」

「そんな恐ろしいことできるかっての。ま、ギャップがあって野郎連中にはかえって可愛くに見えるんじゃねぇの? アスナもなんか作ってくれりゃいい思い出になったんだけどなぁ」

「…………」

 

 なぜかヒスイの表情が固まってしまった。地雷を踏んだのだろうか。

 もっとも、そのスキルのチョイスが自分のためだというのなら、セルフケアという意味でまだ理解できないこともない。しかし、誰かのために料理を学んでいるとしたらそれは大変だ。なにせ天下のアスナである。対象者はきっと嫉妬という嵐に呑み込まれて社会的に殺されるだろう。

 かくいう俺もかなり危険な状態にあるので、念のために《索敵》スキルを発動させておくとしよう。ゲーマーの嫉妬は世界で1番闇が深いのだ。

 

「戦闘以外で、それも攻略に何ら関係ないスキルでスロットを埋めるとか物好きなもんだよな。どうせなら《鍛冶》スキルとかだろ」

「いえ、むしろあなたの方がいびつよ? せっかくお金に困ってないのに、食事を疎かにするなんて。……ほら、この世界での娯楽を捨ててるようなものじゃない」

「い、いいんだよ。俺ァその分将来のために貯めてっから。メシつったって、唯一の娯楽ってわけじゃねぇだろ? 店のモンも当たり外れだって両極端だし」

「まあそうだけど。でも、貯めてるコル回してもう少しまともなご飯食べなさいな。経済が回らないよ~」

 

 母上のようなことを言ってくる。

 そんなに貯めてどうするのか。この世界ではデフレやインフレ、またアイテムが季節によって騰貴(とうき)することもないのだから、貯めてもあんまり意味ないだろう。というお節介な助言がどこからともかく聞こえてきそうだったが、貯金すると落ち着くのは人間の性のようなものだろう。

 日本人には特にそう考える人が多いらしいし、だからいいのだ。金の使い方だけは放っておいてほしい。

 

「ま、とにかくサンキューな。でも何で最初よそよそしかったんだ」

「ほら、ジェイドにお礼って何か気が引けるじゃない?」

 

 ――なんでっ!?

 

「それに、食事をお粗末にしてるジェイドには、ん〜……ご褒美が過ぎるかなぁって」

「……あのさ、ヒドいこと言ってる自覚ある?」

「ふふっ冗談よ。でも一生懸命作ったのは本当だから。……その、味わって食べてね……」

「ん……わかった」

 

 これであらかたの疑問は解消されたというわけだ。つまり、ヒスイにとって(女性にとってかもしれないが)本気で作った弁当というのは、相手が誰であれ渡す行為そのものが緊張ものなのだろう。

 いや、それにしてもよかった。もう少しで変な期待を寄せてしまうところだった。俺は傷ついていない。心へのダメージも皆無だ。皆無ったら皆無だ。

 言い訳じみてきたのはなぜだろうか。

 

「(しっかしなぁ〜……)

 

 俺達の初めての会話が最悪極まりないものだったというだけに、正直あれからもう一言たりとも口を利くことはないだろうと思っていた。リカバリーにも限界というものがある。それが何の因果か、今では2人で昼を共にしているではないか。

 数奇な世の中、何が起こるかわかったものではない。

 そこへ、ヒスイが俺の思考をトレースしているかのような話題を切り出した。

 

「不思議よね、こんな風にのんびり会話ができる日が来るなんて。あたし達の出会い方から考えると余計に」

「それはどーかん。むしろ、よく4層で俺に声かけたよなヒスイ。キモかっただろうに……」

「そんなことないわ。率先して前線にいるのは立派なことなんだし、もっと自分に自信持ちなさい。自信を持て、って。それこそ4層で忠告したはずよ」

「ま、まぁそりゃそうだけどよ」

「それにほら、戦闘中は細かい欠点とか輪郭ボケるし」

「それ毎度フォローになってねーからなちなみに」

 

 とは言っても、自分の評価を上げるという行為は、何か劇的な変化がなければ俺には無理だ。21層のボス戦ではめまぐるしい戦果をあげたが、あれはただの奇跡というやつである。強さのデフォと思われるのはやや後ろめたい。

 さて、ボリューム満点だった弁当の中身もようやく余すことなく平らげた。

 そして互いに動かしていた右手を休めながらしばらく他愛のない会話を続けていると、ふとヒスイが殊勝な表情のまま「ジェイドはあれから変われた?」なんてことを言いだした。

 そこにどういった心境の変化があったかは知らないが、ずいぶんと声のトーンを下げている。

 彼女の言う『あれから』、というのが正確にはいつからかは予測するしかないが、しかし俺は何となくその問いには答えられる気がした。そしてこの答えはきっと間違っていないのだろう。

 

「ああ、そりゃ変わったさ。前の昼飯ん時は友達捨てたって言ったろう? でもさ、あれから許して貰ったんだよ。今度こそ一緒に頑張ろう、ってな。へへっ……俺としたとこがそん時はケッコー嬉しかったよ。ガキみたいにはしゃいでさ」

「そう……なんだ……」

 

 ヒスイの返事にはあまり元気がなく、嬉しそうにはしなかった。

 彼女が過去に「見捨てた」と言っていたプレイヤーは、まだ過去の仕打ちに耐えかね彼女を許していないのだろうか。美人を放るとはみみっちい男である。

 

「ヒスイはさ、まだそいつとうまくいってねぇの? ちゃんと謝ったのか?」

「…………」

 

 辛抱強く待っていると、今にも消え入りそうな音量でヒスイが声を(つむ)ぐ。

 

「あたしのね……その、見捨てたって人はね……もういないの……」

 

 それを聞いて、俺は絶句してしまった。全身に嫌な汗が浮かぶ。

 ヒスイは「もういない」と言った。ソードアートオンラインの世界から退場しているということはつまり、死んでいるということに他ならない。

 俺の友達が運良く生き延びたことを、当たり前の幸運と勘違いしていた大馬鹿野郎の不用意な一言が、知らず彼女を傷つけていたのだと痛感した。

 

「そ、うだったのか……悪い。余計なことを……」

「ううん。悪いのはジェイドじゃない。謝って欲しくてこのことを話したんじゃないの。……ねぇジェイド。あたしは、やっぱり……その人のことは忘れられない。あなたは生きることが罪滅ぼしって言ってくれた。……でもね、あたしおかしくなりそうなの。……これを一生背負ってなんて、生きられない……」

「ヒスイ……」

 

 言いつつ、ある種の妖艶さを(にじ)ませながらうつむいた。

 俺もよく考える。あるいは、(つぐな)う方法なんてないのだろうか。その重圧から逃れる方法など。少なくとも、俺はその解を持ち合わせてはいない。

 それでも彼女が俺に打ち明けたということは、哲学的な理屈や気の利いた正論が欲しいからではないのかもしれない。

 きっと、彼女はもう限界なのだ。だから……、

 

「全部を忘れろとは言わない。でもさヒスイ、俺は9層で『ケリを付けなきゃ』って言ったろ? あれだけはウソじゃない。……あんたにも、いつかそんな日が来る……」

「……うん」

 

 ここで言葉を止めるわけにはいかない。いま重要なのは、ヒスイが罪悪感の波に(さら)われていくのを防ぐことだ。

 彼女はこのゲームが始まって以来独りで生きてきた。幾度かパーティに参加はしただろうが、自らが背負うシンボルを意識して孤独に攻略してきた。性差別かもしれないが、こいつは女のくせに1人で背負い込みすぎている。

 頭が悪くてもそれぐらいはわかる。

 理由は単純で、俺がまだ誰とも一緒に行動していないからだ。

 独りで迎える夜が凍えるほど寂しいことを知っている。たまに人と会って話すという他愛のないことが、死ぬほど暖かいと感じてしまう環境を知っている。

 

「やーあの、ほら。今はその、攻略組にはキリトやアスナだっているだろう? それに、さ……お、俺も……な? だからさ、時間かけてもいいんだよヒスイ。ほらっ、その……死んじまった彼もよ、泣いてるヒスイ見て償いだなんて言うか? 暗く生きてくれなんて思う奴か?」

「……ううん……」

「ハハ、ほらな。だから前向けって。……いいことだけ考えよう。ここを生きて出る、とかさ……」

「うん……そう、だよね……」

「よし、それだよ。この世界じゃ生きてることは死者への最大の敬意だ。だろう? それだけは間違いない。その男もきっとそう思ってるだろうぜ」

「ジェイド……」

 

 らしくないことをたくさん喋った。それでも俺は、嘘から出た真ではないが、自分の言ったことを脳内で繰り返していた。

 そして、自信が持てた。

 ここだけの話ではなく、現実世界でも同じことが言える。

 人が過ちから更正する時、過去の罪を永劫背負い続けることはない。そうあるべきだが、事実上は無理だ。もちろん、ここで理屈をつらつらと並べる気はないが、俺の言いたいことはつまりはそういうこと。一介(いっかい)の子供は、こんな世界に飛ばされたからと言って、課せられた罪をそのまま背負うことなんてできやしないのだ。

 だからこそ、ヒスイも時には背負うのをやめればいい。時には考えることを休めばいい。

 

「辛くなったらさ、俺んとこ来てそれ言えよ。あ、いや俺じゃなくてもいいけど、やっぱそういうことぶちまけるのはいいことだと思うぜ。言える奴がいるってこと含めてな」

「うん、それはホントに」

「へへっ、ほら俺なんてチャランポランだけどよ……んでも、だからこそ話しやすいってもんだろ。だからさ、俺も頼るかもしんねェけど、そんときゃお互い様っつうワケよ」

「……うん……」

 

 そろそろ苦しくなってきた。ボキャブラリーがない。

 だが、どうやらヒスイも立ち直ってくれたようだ。やっといつもの笑顔が戻ってきていた。

 

「そうね、ありがとう。……月並みのことしか言えないけど、あたしもほんの少し心が軽くなった気がするわ。相談って大事ね。お礼のつもりだったけど、今日あなたに会えてよかった」

 

 それが無理矢理であっても十分だ。とは言え、俺を頼れと言った手前、可能な範囲で俺もサポートしていかねばならない。恩返しすべきことだ。

 一応はこれで一段落。

 

「どうしたんだろうね。今ではあたしの方が……こんなこと言ってもらってるなんて」

「たぶん俺の方が年上だけどな。寝ても覚めても失礼なやっちゃ」

「あの時、2層であなたに話しかけたあたしに感謝しなくちゃ」

「何でだよ、俺に感謝しろよ! ……ったく」

 

 そう突っ込むと、今度こそヒスイがクスクス笑いだした。そして一泊だけ置くとこんなことを言う。

 

「今にして思えばすべてが運命的ね」

「あん? ……そりゃどういう意味だ」

 

 とりあえず女という生き物は運命という言葉が好きなのだろうか。オンラインチャットで喧嘩したことがきっかけで、のちに酒を飲み合う仲になるなんて話は巷に(あふ)れている。

 その真偽は定かではないが、ヒスイは構わず続けた。

 

「あたし神様の悪戯かなって思っちゃったもん。ジェイドの名前を初めて聞いた時」

「だから何でだよ、まったく意味がわからんぞ?」

「う~ん、ジェイドは自分の名前のスペルってわかる?」

「わかるわ。バカにしすぎだ、こんちくしょう」

 

 とりあえず即答で突っ込みを入れつつも、間違えると恥ずかしいので念のために左端のネーム欄をチラチラ見ながらアルファベットを口に出していく。

 

「……J、a、d、eだよ。それがどうした?」

「ふふっ、翡翠さん……」

「……はぁ?」

「これ以上は教えてあ~げない!」

 

 そういうヒスイは、食い下がる俺を無視して実に楽しそうに笑っていた。

 それから、なんと。なし崩し的にフレンド登録をしてくれたおかげで、この日は俺のフレンド登録者リストに初の女性プレイヤーの名が追加された日になったわけだから、この件については大目に見ておこう。

 

「(はてさてアルゴに意味を聞いたらいくら取られるんだろうか。いや、誰でもいいから誰か答えわかる奴……)」

 

 そんな平和なことを思いながら、また仮想現実の1日は過ぎていくのだった。

 

 



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アナザーロード4 不思議で出逢いな1日

お気に入り件数が200件を越えておりました!
読者のいつも皆様ありがとうございます。



 西暦2023年4月16日、浮遊城第2層(最前線20層)。

 

 昨日の、というより、今日の午前0時から始まった『クエストボスの生首集め』といったセンス最悪のイベントから約21時間後。こうして1日を振り返ると、時間の巡りは速いものである。

 今日は彼に会っていない。あたしが手渡した剣にお礼を寄越したあと、「また今度」なんて挨拶(あいさつ)はしたものの、そう都合よく立て続けに会うことはなかったわけだ。

 ふむふむ、といった具合に妄想をした時点でハッ、と気付く。

 

「(い、いや別に会いたかったってわけじゃ……)」

 

 誰かに弁解しているようでどこか悔しい。

 しかしこれもジェイドが悪い。女の子2人のピンチに駆けつけるという、まったく普段の彼らしからぬことをするのだから。そんなシチュエーションは、住人がピンチになるまで付近で待機している戦隊ヒーローものでしか見たことがない。だから、彼の珍事件がチラつくのは仕方がないことなのだ。

 だが、感謝をするのはやぶさかでない。19層はゴースト系のMoBだらけで怖かったけれど、彼の乱入で良くも悪くもそれは薄まった。同行していたアスナにも悪い印象は与えていないと思う。

 そして何より、今回のサプライズが慢性的な攻略に刺激を与え、危険極まる深夜の冒険すら楽しいと感じられたのだから結果的にはイーブンなのだ。

 

「ん……ぅん……」

 

 ふと、隣で寝ている女の子の口から小さな声が漏れた。同じベッドで他のプレイヤーと寝ている、という字面を目で追うと大変な誤解を与えそうになるけれど、決してやましいことをしていたのではない。そもそも寝息をたてている人はあたしと同性の子で、それも年端もいかない女の子である。

 仮想世界ながらに現実より厳しい生活を突きつけられ、知り合いがいないことから憔悴(しょうすい)しきった顔を見せたのは、つい数時間前のこと。

 悲哀に近いその表情を思い出し、いたわるように頭を()でると、彼女も安心したのかもぞもぞと布団にもぐって再び深い寝息をたてた。

 

「(今日は本当にいろんなことがあったなぁ)」

 

 つい感慨深げになってしまう。

 無防備にも隣で可愛いらしく寝ている小さな女の子と、ここがいつも使っていた18層の宿屋でないことも含めて。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 今日が始まってすぐ――本当にすぐの0時――のこと。

 びくびくしながらアスナと手を繋いで全身黒衣のNPCにクエスト受注を言い告げると、あたし達は周りが西洋の墓で形作ったとしか思えない、不気味で悪趣味なフィールドの一角まで走って到着していた。

 脇道のモブキャラさえも精緻(せいち)なモデリングが施され、自然な生物反応をする。その凝った雰囲気というか、レイアウトなどを徹底した19層のフィールド自体には、あたしも感心していた。

 結局、あたしとアスナはきゃあきゃあと悲鳴を上げながらしまいにはお互い顔すらひっつくほど抱き合って、悲鳴を聞きつけて援護に来てくれたジェイドをただ見守るだけという愚行を犯してしまったのだが。

 今回のことで得られた報酬は、あたしよりアスナの胸が大きいという悲しい事実ぐらいだろう。

 ――いや、この情報は不要だったか。

 そのまま無事にイベントが終了して6時間。朝7時に起きたあたしは、許容オーバーな恐怖体験をしたのにも関わらず、なかなか気分のいい目覚め方をした。朝日を浴びる時間を過ぎて準備を整えると、すぐさま迷宮区で狩りを再開する。

 武器は更新できなかったが、ルーティン以外にも楽しみはある。

 

「(ん〜〜、やっぱり新スキルはいい調子!)」

 

 最近体得した《反射(リフレクション)》スキル。

 これが存外、体に馴染むのである。

 これは18層最奥部でのみ、伝授の可能性を秘めた難関クエストの成功報酬で、《霊剣》スキルすら塞き止める性能を持つ。もちろん、『盾』を装備するプレイヤーしか扱うことは許されない。

 初の《シールドスキル》とも通称される本エクストラスキルは、スキル発動中に盾に命中した攻撃力と衝撃を最大1.5倍にして弾き返すという、一風変わった攻守両立の技なのだ。

 これは魔法・物理の両攻撃に有効で、クリティカルなら敵にダメージが入ることもある。筋力値が大きく劣る場合は反動でこちらが飛ばされてしまうけれど、正式サービスとは違って今のSAOでは常に《安全マージン》を踏まえた上での戦闘が主流である。すなわち、ボス戦を除いてあらゆる局面において助力となった。

 ただし、入手難度が高い。鋭い反射神経が必要なことから、一般的に言われている『レベルが上がれば誰でも手に入るスキル』にはカテゴライズされない。できない人は何度トライしてもできないだろうし、習得に丸1日かかることも所有者が増えない原因の1つになっているはずだ。

 

「(たぶん、あたしが最初の体得者なのよねぇ……)」

 

 19層では敵が《霊剣》なるソードスキルを繰り出してきた。

 ガードをすり抜けるタンカー殺しの技であるが、《リフレクション》による『攻撃力の方向反転』は例外に当たる。となれば、18層終了間際で手に入る《リフレクション》は《霊剣》の対策だったのだと思う。

 けれど、19層前に発見できたのはあたしだけで、意外なことにその後もクリアを果たすプレイヤーがしばらく現れず、結局はあたし特有のスキルとして有名になってしまっていた。

 運が良かったとしか思えない隠しクエストの発見。かつ、先述の理由から知名度だけが見る見る上がっているようだけれど、そのせいで2人目以降の使用者が『2番煎じ』と揶揄(やゆ)されているのだから少し可哀想でもある。

 

「(……やだなぁ、有名人)」

 

 しかし、あたしにとって《反射》スキルはリスキーである。

 なにせ、おかげで《反射剣》のヒスイ、などというダサすぎる名称で呼ぶ輩が生まれてしまったからだ。広まらないでください、と当時は空の星に願ったものである。

 そう言えばアスナにも二つ名があった気がする。

 ――確か《閃光》だったか。可哀想に。

 さしずめキラキラニックネームといったところか。しかしそこは人間の強み。きっと時間の経過がこの恥じる感情すらも洗い流してくれると信じよう。

 なんて感傷にふけっていると、付近にホバリング飛行をする動物を見つけた。

 

「(コウモリ……? ああ、迷宮区内で連絡が取れるやつか)」

 

 リポップの波がやんだタイミングで、攻撃の手を休める。

 このコウモリはモンスターではなく、言わば『ゴーレムもどき』だ。歴としたアイテムで、同ダンジョンにいる対象プレイヤーを見つけだしてメッセージを送るという、その名も《メッセンジャー・バット》である。

 同層にいるプレイヤーに対する《インスタントメッセージ》を含め、あらゆるメールをシャットアウトしてしまう迷宮区において、結構重宝されていたりもするアイテムである。迷宮区専用にして、唯一の連絡手段だからだ。

 弾き返せるようになったとは言え、危険極まりない《霊剣》を持つモンスターが周りにいないか確認すると、滞空するコウモリに近づく。

 どうやら差出人はアスナのようだった。

 

「(なになに……『ボスフロア発見。今日の夕方に攻略開始』? はっや~、最近の《血盟騎士団》は本当に凄いわね)」

 

 本来迷宮区では開くことが滅多にないはずのメッセージタブを押して中身を確認すると、彼女からの文はこのような内容であった。

 「参戦してちょうだい、お願い」という切ない思いがありありと伝わってくる。情報をタダであたしに渡したのもそのためだろう。けれど、アスナには謝らなくてはならない。あたしもこの時点ですでに限界なのだ。

 ――だって怖いんだもん。

 

「(アスナには悪いけど、今回はパスして防具でも買いに行こっと。素材も十分集まったし)」

 

 もとより、個人的に非常に恐ろしいモンスターが溢れるここ19層の迷宮区で狩りをしていた理由は、普段通りのレベル上げやボス部屋の捜索以外にもあった。

 それは防具と御身具の素材集めだ。特にここら周辺の素材から手に入る防具は全身が真っ黒であたし好みの色であったし、ショップで自由に閲覧した完成品のステータス、スペックにも申し分がなかったことから是が非でも欲しかった。同じくダークカラー帯が好きな《黒の剣士》ことキリト君も、あれらの装備を見たら必ず欲しがると思う。

 まあ、見るからにレディースものだったけれど。なんとなく彼なら着こなせてしまいそうである。

 そんなこんなで、主街区である《ラーベルグ》まで戻ってきたあたしは、溜め込んでいた買い物を一気に済ませることになる。

 

「あっちゃあ、お金足りないや……」

 

 活気と音楽に満ちた(きら)びやかな外観、とまではいかないが、夜間でも人の往来が見受けられる珍しい街を観光しているとあることに気付いた。

 防具、各種消耗アイテム、新しい服や下着、ちょっと豪華な食材などなど、18層と19層を股に掛けた2時間半の買い物ですっかりコルを使い果たしてしまい、ショップ販売では最高性能の片手剣を買うのに少しだけお金が足りない状態に陥ってしまったのだ。

 深夜0時のアレ……つまり、アスナと受注した趣味の悪いクエストで、NPCが《ファントム・バスター》などという両手用大剣を報酬に持ってこなければ、あたしのこんな悩みはなかっただろう。

 しかし今夜再び《グラットン・ゾンビ》との戦い挑戦しようとしてもそうはいかない。なぜならあのクエストは、2日を待たなければ再発しないからだ。特にこのクエストが特別なわけではなく、再発まで一定期間を要求するクエストは多々ある。

 一瞬だけよぎった地味なコル集めの再開に絶望的な嫌気が差し、あたしは意を固めて転移門へ向かった。

 目標地点は7層。

 

「(現在時刻は4時50分か。もう蓄え使っちゃおっかな)」

 

 緊急用の備蓄(びちく)はいくらか準備してある。今からコルのドロップ率と、その金額の高い特殊モンスターの出る層の迷宮区に行って狩りをするのも面倒だったし、やはり蓄えを使ってしまうのは致し方なし。

 それに装備を一新したこともあったので、所持アイテムの整理やスキルセットの組み合わせ、新たに購入するだろう片手剣とそのプロパティアップの素材集め諸々(もろもろ)を纏めて今夜中にはやっつけてしまいたかったのだ。

 だからお金の工面にはなるべく時間をかけたくない。

 なんてよそ事を考えつつ、ついでに今晩の献立(こんだて)について金銭的な面で不安も抱きながら、バジル構造の上部にひっくり返したお椀でも乗せたような構造の石造り施設に立ち寄っていた。

 ここは7層のモンスター闘技場。目的はまごうことなきギャンブルだが、一気に荒稼ぎしたければ手っ取り早い。安易な気持ちで挑んだ博打で全財産をスってしまった、などというプレイヤーの話も聞いたことがあるけれど、ネガティブになっても得はしないだろう。今は耳を塞いで勝つことだけを信じよう。

 

「(あっ、珍しい。女の子だ……)」

 

 とそこで、あたしはセミロングでブロンズの髪をツインテールに結った小学生ぐらいの女の子を見つけた。小学6年生ぐらいだろうか。年齢的にギャンブル場に、というよりSAOというゲーム自体にいてはいけない雰囲気なのだが。

 (うつむ)いているので顔が見え辛いけれど、このゲームの対象年齢は確か15歳だったような覚えがある。

 

「きみ、ちょっといい?」

「ひっ!? う……えぇっと……は、はい何ですか?」

「ここは博打所よ。……お金ないの?」

「あ、あのえっと……」

 

 同性だからか、とっさに全力疾走で逃げられるようなことはなかった。しかし彼女は小さな体をビクッ、とさせながらも振り向かず、どうにかこうにかに前を向いたまま話そうとしていた。何かしら事情があるのだろうか。

 ちなみにしぐさはあどけなさも相まって、小動物のようで可愛らしさである。

 

「えぇっと、そうです。きんりょく値を上げる装備の……お金が欲しくて」

「(あ、なるほど。そういうことね)」

 

 そう言う彼女が顔を上げると、その両頬には3本ずつのヒゲのペイントがあしらってあった。たったこれだけで、異様に恥ずかしがっていた理由が判明した。

 本ソフトには体得できるスキルの1つに《体術》というものがある。貫禄のあるオジサンNPCに伝授を依頼し、顔に消えないヒゲのペイントをあしらったら、あとはひたすら与えられた岩を素手で割っていくクエストだ。

 柄の短い腰の装備を見るに、ダガー使いと推測できるこの子は身軽な軽装備。例のスキルのためにフラグを取得中なのだろうが、筋力値が足りなくて岩が割れなかったのだと思われる。そして、一時的にも筋力値を上げる防具ないし付属オプションを購入して、装備性能のゴリ押しで突破しようと踏んだのだろう。

 が、いかんせんお金はない。しかもへんてこりんなペイントのせいで恥ずかしさのあまり狩りにも行けない。災難とはこのことである。

 

「でもダメよ。お金が欲しくても子供がこんなことしちゃ」

「ぅぅ……でも、あの……お姉さんどうしてここにいるんですか?」

 

 ふむ、あたしも人のことを言える立場ではなかった。そんな隙を突くように目の前の女の子が痛いところを、そしてもっともな質問をしてきた。

 

「うっ……えぇっと……ほ、ほら! あたしはもう大人だからいいのよ?」

「…………」

 

 汚い大人である。大人と言っても16歳である。

 

「そ、それはそうと……あなたは《体術》スキルが貰えればいいんでしょう?」

「え? どうしてそれを……」

「お姉さんには何でもわかるんです。筋力値あげてなかったのよね? あれはコツを掴まないと厳しいわ。でもあたしが来たからにはもう大丈夫」

「でも、どうやって……?」

 

 《体術》スキル獲得者であれば誰でも予測はつくだろう。ひけらかす気はないが。

 つい『できるお姉さん』風なことをしてしまったものの、女性が陰で協力し合うのは本能のようなもの。あたしだってソロと言い張りながら要所で付き合いはある。

 それにしても、つくづく子供とは数値化できない不思議な摩力を持っているのだ。せめてクエストが終わるまで手伝ってあげよう。

 

「でも、いきなり上層の人からアイテムを恵んでもらうのは……い、いいんですか?」

「ええもちろんよ。あなた子供でしょう、もっと大人を頼りなさい。と言っても……まあ、あんまり歳の差はないかもだけどね。あたしはヒスイ、あなたは?」

「あ、あの、あたしはシリカって言うい……っ」

「……ぷふっ、いいのよシリカちゃん。じゃあ一緒にあの岩を割りに行きましょ?」

「……は、はい……」

 

 きっと名乗り慣れていないのだろう。シリカなんて、本名でもないはずだし。

 こうして真っ赤になったシリカちゃんと、あたしにとっても初めての経験となる、子供プレイヤーとのツーマンセルが始まるのであった。

 



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アナザーロード5 波乱で別れな1日

 西暦2023年4月16日、浮遊城第2層(最前線20層)。

 

「じゃあ今言ったことを頭に浮かべながらもう1回やってみて。大丈夫よ、痛みは感じないから」

「は、はい!」

 

 こんなことを言い合っているあたし達は今、アインクラッド第2層にいる。同行している女の子、シリカちゃんを連れて、アドバイスを元に岩石割りクエストの実践中というわけだ。

 「痛くない」というのは、何もあたしがシリカちゃんに何かひどいことをしているわけではなく、ゲームのシステムそのものの話である。

 ロールプレイング系統の登場こそSAOが初とは言え、今までもフルダイブVRというのは存在していた。そして、それらのソフトに必ず搭載されている機能の1つ、《ペイン・アブソーバ》のことを指している。これはつまり、ゲームにおける『痛み』を調節する機能のことで、この設定数字が大きければ痛みが和らぎ、ゼロになれば痛みがダイレクトに伝わることを意味している。

 ちなみにこの世界では痛みがなく、伝わる感覚は『違和感』として不快な麻痺を起こす程度である。実際に痛みを感じさせてショック死などされたら、そもそもゲームとして成り立たないからだ。だとしても斬られると悲鳴は出るが。

 そんなことを考えていると……、

 

「や、やった! 割れましたよ!」

 

 というわんぱくな声が返ってきた。見ると、確かに先ほどまでピクリともしなかった大きな岩石が見るも無残に砕けている。『岩を手で叩くと痛い』という、人がごく当たり前のように感じてしまう条件反射を取り除いて挑戦させてみたら、岩はあっという間に割れてしまったのだ。

 そして道着を着た初老によってシリカちゃんの頬からペイントが取り除かれるイベントが終了すると、彼女は元気一杯にあたしに駆け寄ってきた。

 

「ヒスイお姉さんが来てくれたおかげです!」

「ふふっ、それは良かったわ。クエスト成功おめでとう」

 

 「ヒスイ」でいいとは言ってみたものの、緊張からか頑なに「お姉さん」を付けるシリカちゃん。年下ながらに遠慮しているのかもしれない。

 もっとも、《体術》スキル獲得までに1時間以上もかけてしまったので、ここから今日1日の予定を挽回するのは難しいだろう。仕方がないので明日に繰り越しである。

 

「あ、あの」

「ん……どうしたの?」

「手伝ってくれてありがとうございます。あの、でもあたし……」

 

 両手を胸の前でもじもじと動かしながら、顔をほぼ真下に向けて申し訳無さそうに彼女が言う。年の割に礼儀正しい方だと思うけれど、こう遠慮(えんりょ)し続ける姿勢を見るに少し人見知り過ぎなきらいがある。

 こういう子は得てして人から褒められたりするともっと明るくなる傾向を見せる。しかし、情緒が未熟な少女が早い段階で持て(はや)されたり甘やかされたりすると、場合によっては舞い上がってしまうリスクもあるから人の感情とは難しいところだ。

 

「遠慮しなくてもいいわよ」

「あたし、女の人に話しかけられるの初めてで。その、すごく落ち着いたっていうか、嬉しかったんです! 迷惑じゃなければ……あたしと一緒にパーティを組んでくれませんか? ……あ、あのあたし、5層ぐらいのモンスターは倒せるようになったんです。だから……」

 

 助け船を出すとようやく意を決したのか、シリカちゃんは顔を上げてこう言った。なるほど、男性ならこんないい子をほったらかしたりはしないだろう。

 しかし彼女の立場を踏まえ、それでもおいそれと了解することはできない。

 レベル制RPGではその数値に差が付くと文字通り住む世界が違ってくるからである。おそらく5層程度のモンスターであるなら、大して腰を入れていない適当な一振りでも、下級モンスターを一撃で倒せてしまうだろう。

 総合的に見て、今すぐあたしが彼女と行動するのはとても難しいと判断せざるを得なかった。

 

「う~ん、ごめんねシリカちゃん。あたし《攻略組》なの。今は19層で戦ってる、最前線プレイヤーなのよ」

「え……ええっ!?」

 

 シリカちゃんは驚き半分落胆半分といった声をあげた。

 彼女の主戦場から遠い……どころか、アスナがメッセージで伝えてきた通り、今日中にボス攻略が完了すれば最前線は20層と移ることになる。やはりレベル差は誤魔化しきれない。ここで気を使っても、相方を集めている彼女に対して失礼である。

 それでも、次にあたしに向けた目には羨望(せんぼう)と尊敬が込められていた。

 

「そうだったんですか。でも、すごいです……女の人で攻略組だなんて初めて見ました」

「うん、まあ少ないよね。でも、前線にはあたし以外にもいるわ。皆ここから出るために頑張ってるの。シリカちゃんも攻略してるんだし、どこかで頑張ろうって決めたんでしょう?」

「はい。……でも、あたしあんまり戦いとか上手じゃなくて、ぜんぜん追い付けないんです。いつも上層がかいほうされるたびに、なにもしてない自分がもどかしくて……」

 

 前線に追いつく。という言葉の重みとその苦難の道は、きっとソードアートの世界にログインしたプレイヤーにしか理解できないだろう。凶悪なモンスターを次々と駆逐(くちく)する集団とて、一見すべてが格好良く見えて、その実ふとした油断や優越感に浸る快楽に殺されるのが現実だからだ。

 例え頭でそれを理解しても、このプレッシャーとストレスに打ち勝つのは並大抵の覚悟ではない。あたしですら、友人を死に追いやった負い目を感じていなければ、ここまで献身的に攻略に協力することもなかったと思う。

 そこまで考えたところで、あたしは立ち上がり、改めて彼女の前に立つとゆっくりと話し出した。

 

「シリカちゃん、それは恥ずかしいことじゃないわ。むしろ誇らしいことよ」

「え……?」

「この世界で本当に大事なのはね、戦闘センスとか、お金の稼ぎ方とかじゃないの。大事なのはもっと芯の部分よ」

「シン……?」

「ええ。頑張ろうとか生き残ろうって思う気持ちかな。シリカちゃんはそれを持っているでしょう?」

「はい……それは、あります!」

「ふふっ、なら大丈夫。これでシリカちゃんも立派な《攻略組》よ」

 

 今度ははっきりと返事をする。

 あたし自身それらについては揺らぐことがあるため、偉そうなことは言えないけれど、今シリカちゃんの前で弱音は吐かないと決めている。

 それに話していて感じたことは、彼女も()り所を強く求めているということ。だからこそ彼女は、親に誉められた子供のように笑ってくれたのだろう。

 

「(むしろ許せないのは、クリアを妨害する人達ね……)」

 

 最近、攻略に励むプレイヤーを容赦なく攻撃してくる輩が後を絶たない。

 あたしを含む家族全員は、父がゲーム会社のシステムデザイン部に所属していることから、もっぱらゲームが大好きで一様に(たしな)んでいた。姉に至ってはVチューバーとやらを満喫している。

 しかし同時に、あたし達はオンゲーでプレイヤー同士が攻撃しているシーンを何度も目にしてきた。仕事の憂さ晴らしか、仲間内でふざけあっているのか、何にせよどの国のどの年齢層にだって、ゲーム好きな人を集めれば、他のプレイヤーを攻撃する人は出てくる。そこは理解しているし、撲滅(ぼくめつ)しようとも思わない。

 でもこれはデスゲーム。

 だからあたしは、これらの行為が許せなかった。もちろん、相手をキルしても責められるべきはゲーム開発責任者の茅場晶彦であってプレイヤーではない。この世界にはそれを制限し、罰する法律もないことから、これがキル行動を誘発させるハードルを大幅に下げていることは理解している。些細なトラブルでもキルが発生しそうなほどに。

 しかしそれこそ、あたし達がまだこの世界に囚われていることから、これが本物のデスゲームであることは疑いようがないのだ。でなければ国が国民を解放しているはずである。PKがモチベーションであってはならないのだ。

 だとすれば、自制心の利かない幼稚なプレイヤー達に比べ、シリカちゃんのやっていることがどれほど誇らしいことであるかは、わざわざ口に出すまでもないだろう。

 

「別にね、強くなくたっていいの。自分に足りないことは誰かに頼ればいいのよ。あたしだってそうしてるし。……一緒にはいられないけど、あなたはあなたの友達を見つけて、一緒にがんばっていきましょう」

「そう、ですよね……わたしまた色んな人に声をかけて、いっぱい友達作って頑張ります!」

「ふふっ、ホントにいい子ね」

 

 この会話を境にあたし達は手を繋いで歩き出す。

 時刻は6時半。少し遅くなってしまったから、今日は彼女を送ってから帰ろう。

 

「シリカちゃんはこれから……」

「お、いたいた。こんなところにいたよ」

 

 ここで、セリフを遮るように男の人が声をかけてきた。

 サッ、と緊張が走る。振り向いた先で「いやぁKoBの連中が20層開けたっていうのに、こんなところで油を売っていたのか」などとのたまう長身の人は、正確にはそれ取り巻く数人の男性にも、少なからず見覚えがあった。

 わざと目立つようにしているのか髪はシルバーにカスタマイズされ、その左半分だけが手で掻き上げたように大胆にバックへ流れている。右側も鬱陶(うっとう)しいロン毛が一房垂れていて、しかも輪ゴムのようなもので先端を女々しく縛っていた。

 目つきは鋭く鼻は高い、装備は盾持ちの片手用直剣を含めどれも高級で剣の腕も立つ。まるでおとぎ話の世界に登場する中世の甲冑騎士のイメージ像をそのままインストールしたような人物で、かの有名なギルド《ドラゴンナイツ》のトップであるリンドさんの右腕でもある。

 

「あらエルバートさん、こんな下層で偶然ね。あたしに何か用かしら?」

 

 白々しく聞いてみたけれど、「いた」と言うからには探していたのだろう。やれやれといった感じだが、こうも居場所を特定されるのなら、あたしの位置を常にマークしいている情報屋でもいるのではないかと勘ぐってしまう。

 なんの自慢かと問われるかもしれないが、少なくともアスナには追っかけがいたし、今のあたしにも少なからずいるはずだ。そんな彼らがあたしの戦闘スタイルを伝承していったせいで不愉快な2つ名が付いたようなものだし。

 それと、まだ《血盟騎士団》というギルドが誕生して間もない頃は、その団員がアスナについて知っていること、生活などを逐一情報屋に売りつけてお金を稼いでいたプレイヤーが実際にいた。当然、すぐにバレてしょっぴかれたらしい。

 今の状況は、そう言ったあくどい情報屋があたしの場所を進んで知らせているとしか思えない。

 ――だってここ2層よ?

 

「あのさ、前の件なんだけどやっぱ考え直してくれないかな? ぶっちゃけあんたの……失礼、ヒスイさんの名声は高い。戦力としても士気向上としても破格だ。強制してるわけじゃないんだけど、やっぱり君がうちのギルドに入ることは双方の利益だと思うんだ」

「高い評価をどうも。でも他を当たってください」

「まあ聞けって。メンバーも更新されて、晴れてギルドネームを変えようと思っていたところなんだ。タイミングいいだろ? 加入してくれたら、色々と祝杯のパーティとか開けるしさ」

 

 彼の矛盾した要求などほとんど聞いてはいなかったが、ここまでの会話でシリカちゃんがかなり怯えてしまっている。おそらく成人男性に囲まれてギルドに勧誘されるなどといった経験をしてこなかったのだろう。

 それにしても迂闊(うかつ)であった。SAOには侵入不可能な建物もいくつか存在し、あらゆるRPGでも散見されるものだが、ここ《ウルバス》の街にもやたら背だけ高いみてくれの建造物が乱立していたのだ。その事実を失念し、侵入不能建築に挟まれて2人ほどしか通れないような狭い路地で、自ら逃げ場をなくしてしまった。

 しかも正面の数人が時間稼ぎをしてくれたせいで、道の両端が人で埋められてしまっている。ここを通るには彼らを退けなければいけないし、それをするには当然彼らに触れる必要がある。

 しかし、《ハラスメント・コード》の強制施行は触れた側ではなく触れられた側にしか発生しない。このことから、おそらくこの『通せん坊』――確かゲーム用語で《ブロック》――は、ただこちらから歩いていくだけでは決して破れない。相手側もそれが狙いなのだろう。

 

「目くじら立てて、いい大人がはしたない。……アスナもね、あたしを何度もKoBに誘ってくれたわ。でも、断ってもこんな方法は取らなかった! 子供もいるのに」

「……ハァ〜、こっちもおつかいじゃないんだ。手ぶらじゃ帰れん。損得勘定もできないのか?」

「何度も言わせないで、ギルドには入らないって。どいてくれる? あたし達通れないんだけど」

「あんたも強情だな。よもや前線が上がっても1人がいいとわがままを通すつもりか? 将来的にそのスタイルは通用しなくなる。今さら目をそらしても意味はないだろう。……だったら早いうちに対策するのが真の《攻略組》ってものだと思うがね。こっちも待遇は最高にすると言っている。あんまりさ、無駄な面倒かけさせないでくれよな」

 

 オーバーな演出でそう誘う彼らは、やはり退く気など毛頭無いようで、少し苛立たしげに用件を済ませようとしている。

 もう飽きるほどこの手の人達には出会ってきたけれど、毎度こうなる度に目付きの悪いあのおバカな両手剣使いができた人間に思えてしまうから不思議だ。

 

「(はぁ……必死なのは察するけど……)」

 

 認めるのは(しゃく)だけれど、気持ちはわかる。

 彼らは最前線で罪無き囚人の解放のために身を粉にして攻略行為に勤しんでいる。そのことについては尊敬にも値するし、彼らを見習うべき『誰かがやるだろう』精神が染みついた人任せ主義のプレイヤーはたくさんいる。《はじまりの街》で一向に動こうとしない彼らを強く責める気はないが、エルバートさん達の方が前向きに事実を捉えていることに違いはないのだ。

 そして、そんな衝動ともいえる行為には、やはり自尊心を満たす何かが根底にあることも同時に理解していた。

 あらゆるプレイヤーの頂点、トップギルドの座だ。あたしが彼らの《ドラゴンナイツ》に参加すれば、その輝かしい席を奪い返せる。ないし、奪い返すのに効率的になるだろう。血盟騎士団に踏みにじられた自尊心を取り返そうという発想もごく自然なものである。

 しかし、志の高さはそれと同じぐらい身勝手な行動も生んでいる。それがこの勧誘活動だ。

 と言っても、泣き出す寸前にまでなっているシリカちゃんをこのまま放置するわけにもいかないので、ここはあたしが何とかしなければ。

 

「じゃあこうしましょう。あと1分間あたしと会話をしてくれたら、あなた達のギルドに入ってあげる」

「は……なんだそれ?」

 

 唐突さに頭が付いてきていない。

 ――じゃあその隙に乗じて……、

 

「ゴメンねシリカちゃん」

「ふぇ? て……へぇええ!?」

 

 本日2度目の謝罪と共に右腕でシリカちゃんの腰を捕まえて屈んで肩まで引き上げると、そのまま荷物を背負うように彼女を肩で抱える。と同時に、あたしは自分に出しうる限界の速度で走りだした。

 そしてそのまま左手で佩剣(はいけん)された愛刀を抜き、助走による高速度が発動条件の片手剣基本突進技《レイジスパイク》をエルバートの隣に立つプレイヤーに叩き込む。

 ゴンッ!! と、男達をかき分ける気持ちいい音がした。システムの加速も心地いい。

 

「ぐわぁあッ!?」

「ひ、人を抱えたままっ、無茶苦茶な女だッ! おい、逃がすな!」

 

 今となっては『後方』となった場所でエルバートやその他の声が聞こえる。面白がっている場合でもないが、揺れているシリカちゃんの「あうあうあう」という声もエコーがかかっていて、疾走感溢れるおいかけっこに少しだけ胸が踊っていた。

 この1コマだけ見ると相当なノーマナー行為だけれど、先にそれをしてきたのは相手側であるし、『圏内戦闘』とも名付けられたこの行為は実は日常的に行われていたりもする。

 ダメージが発生しないことをいいことに、ノックバックや命中時のライトエフェクトで判定を行う、いわば超安全な戦闘訓練としてかなり有効な手段だからだ。

 プレイヤーとてモンスターと戦う際には剣技やバトルスタイル、また体の運び方や重心がどうなどといった細かい点より前に、まず精神面で恐怖に打ち勝たなければならない。19層でのあたしとアスナが良い例だけれど、そもそもこれをクリアしなければ戦いどころではなくなってしまう。

 なんて考えているうちに、追っ手の姿は見えなくなっていた。

 

「ハァ……ハァ……ふぅ……まいたかな……?」

「きゅ~」

 

 シリカちゃんは目を回していたが、何とか逃げ切れてたようだ。視界から消えた時点で彼らは間違いなく先回りして《転移門》を押さえに行ったはずだから、あえてそこには向かわず適当な宿を借りて部屋に籠もっている。

 ようやく肩から力を抜いたあたしは、シリカちゃんを降ろしてあげた。

 

「大丈夫だった? ……重ねて謝らせて。ごめんね、あんな思いさせちゃって」

「うぅ……い、いえ。でも良かったんですか?」

「ああアレ? いいのいいの。あいつらも慣れてるだろうし、むしろいつも通りの風景で安心しちゃうわ」

 

 そう言いながらもやはりいささか疲労感が溜まっているのか、あたしは我慢しきれずにベッドに座り込む。

 

「怖かったですけど、それと同じぐらいヒスイお姉さんが格好良かったです」

「ふふっ、ありがとう」

 

 そう言ってからあたし達はしばらく自分のことについて話したりしつつ時間を潰した。

 そして一緒に食事を取り、そのまま2人でお風呂に入り、さらにはあたしが今日中にやってしまおうと思っていたことをできる範囲で終わらせた頃……、

 

「スゥ……スゥ……」

 

 と、隣で静かな寝息が聞こえてきた。

 そして、今。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「(たまにはこういう日があっても良いかもね)」

 

 そんなことを思いながらシリカちゃんの隣で横になる。

 明日には離れ離れになってしまうけれど、今日の出来事は決して無駄にはならないだろう。

 今日この子は……シリカちゃんは、年相応かそれ以上にあたしに甘えてきた。一目見ただけでは天真爛漫な普通の女の子。だが傍目にはわかり辛かったかもしれないけれど、この世界に来てから今まで彼女に身内や友達がいなかったのなら、その苦痛は計り知れない。

 

「(辛いよね。でも一緒に頑張ろう……)」

 

 ――それに、たった半日だけの時間だったけど、とっても楽しかったよ。

 

 

 隣で寝ている子の頭を撫でていると、あたしもいつの間にか寝てしまっていた。

 それでも、この日の夜はとても気持ちよく眠れたことは今でもしっかりと覚えている。

 

 



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第四章 クォーターポイント
第25話 それぞれの戦況


 西暦2023年5月21日、浮遊城第25層。

 

「納得いかねぇ……」

 

 そんなことを言う俺は、25層の主街区《リャカムハイト》の南西地区大通り商店街を歩いている。

 舗装(ほそう)に飛び出した家屋の敷地。傾いた立地条件を押して無理に建てられた建造物。そして統一性のないカラフルな屋根。外国人が侍や忍者を間違えて認識するように、日本人が中世ヨーロッパを間違えて覚えて街を作ったら、このような感じになりそうだ。

 俺の不満は、ボチボチ繁盛しているエギルの店に寄った時のこと。ようは彼にぼったくられたのだ。

 会話中、いつどこで金が定価から移り変わったかは覚えていないが、巧みな話術と怖すぎる顔のせいでまともな思考回路すら構築されていなかったと思う。完璧に上から目線で来店して「お客様だぜ? あんたにとっちゃ神様だぜ?」的な気分で足を踏み込んでしまったらとんでもないことになったわけだ。これはいつかリベンジせねばならない。

 

「くっそぉ、あの黒人め……」

「やあやあジェイドじゃないカ」

 

 口に出してしまった愚痴を若干恥じながら振り向くと、そこには相も変わらず身長の低いアルゴが立っていた。

 

「オレっちに何か用がありそうな顔をしているじゃないか」

「いやそれ俺のセリフだよ。いま絶対待ち伏せてたよな」

「ナハハ、察しろよそこハ。オレっちの方からジェイドのところに出向くなんて気が引けるだろウ?」

 

 気が引ける、のだろうか。ヒスイにも言われたが、この世界では俺に善意をはたらいたり素直にお礼をしたりするとバチでも当たるのだろうか。だとしたらこの世界は残酷だ。神様とやらはいつも俺にだけ厳しい。

 もっとも、口からでまかせの絶えない彼女の言葉を端から真に受けていたら日が暮れてしまう。適当に受け流そう。

 こちらとしてもコルを先払いしている。早いところ情報を渡してもらわなければ困る。

 

「とまー冗談は置いといてダ。ホレ、これが前言っていたレベリングスポットの位置ナ。オレっちがコル受け取った時より相場上がってるが、ここで上乗せすると信用買いの意味がなくなるからナ。もう要求はしないサ」

「おうサンキュー」

「それはそうと、ここだけの話なんだがジェイドさんヤ。最近アーちゃんから指輪をもらうは、ヒスイから弁当作ってもらうはでウハウハなそうじゃないカ?」

「…………」

 

 さて、と。

 はてさて気を付けていたつもりだが、どこからの情報だろうか。どこからその事実が漏れたのだろうか。情報を横流しにした奴、俺は孫の代まで恨むぞ。

 

「くっ、てかどうすりゃもれるんだよ!? 誰かに見られてたのか!?」

「隠そうともオネーサンには筒抜けサ! にゃハハハッ」

 

 がしかし、アルゴの言うことに間違いはない。

 蓋を開けてみるとそれらにはムードもドラマもへったくれも無かったはず――たぶん――なのだが、確かにそんなイベントがあった。

 しかしだ。念のために索敵スキルで周りを確認していたのだ。まったく、いったいどうやったら情報の漏れる隙があるのだろうか。もしかしたらこの《鼠》という怖い小さな悪魔は、ここいらでどこかの魔宮にでも閉じ込めておいた方がいいのではなかろうか。

 そもそも、アスナとヒスイにあの深夜クエストの情報を渡したのがアルゴだと確定している今、いよいよもって目の前の女は策士なのかもしれない。危険だ。バトル以外に趣味を持つ連中はみんな危険だ。

 俺とて一般的な勉強はできなくても、ゲームにおける発想や応用力だけは柔軟だと思っていたのだが。

 

「んデ、早速ここで高速レベリングに行くわけカ」

「ああいや、こっちの作業が終わってからだ」

「こっちの作業とナ?」

 

 俺達は会話をしながらも、さらに南を目指して歩を進め続けている。願わくばビジネス感を出さずデート感覚で歩きたかったが。

 ただ、こんなに慌ただしくないアルゴの方が珍しい。クライアントからの依頼は俺ので一旦区切りがついたのだろうか。しかし、スケジュールを聞けばまた金を取られるだけなので、浮かんだ疑問は思うだけにしておこう。

 そうこうしている間に、街のほぼ最南端に到着した。

 

「ここクエストあったっケ?」

「『偉業の塗り替え』ってクエなんだけど、アレ知らなかったのか」

「ほウ?」

 

 そう言うアルゴが少しずつ興味を持ちだしたのか、キョロキョロしては色々聞いてくる。しかし、これを教えてくれた人物がアルゴ以外に利用しているソロの男性情報屋なんて事実を伝えたら、彼女も商売相手に燃え上がるのだろうか。

 

「なにをすれば終わりなんダ?」

「木の板を膝蹴りで割るっていう、ただそんだけだ。体術スキルに関するクエストだけどこの手のやつは頭使わなくて済むから助かるぜ」

「ジェイドは頭悪いからナ」

「…………」

 

 今のは俺のミスだ。目をつぶろう。

 

「んで具体的に割る枚数は1002枚なんだよ」

「せ、せン!?」

 

 やはりというか、いくら何でもこのでたらめな数字にはアルゴも驚いていた。

 このゲームにおいては時間のロスは極力避けるべき行為。ある程度使い勝手のいい単発スキルのためだけに、わけのわからない枚数の板を割っていくのだから「正気か?」と思われても致し方ないと言うものだ。当事者でなければ俺もそう思う。

 基本的にクエストとは、専用ボスを単騎で相手取ろうなどと考えなければ、どんなものも1時間もかからずにクリアすることはできる。むしろそんな時間があれば、大抵のボスですら単独で撃破できるかもしれない。

 もちろん、このクエスト報酬は分類上《ソードスキル》。たかだか1つのアイテムが貰えるだけのクエストより時間がかかるのは条理。

 ちなみにこれが《スキルスロット》に追加される、例えば2層で言う《体術》スキルの獲得のためとなれば、さらなる膨大な時間が要求されるだろう。だが『レベルが上がれば適当にやっていても手に入るスキル』でないのなら、今後の将来性のことを考えて挑戦することは決して愚かではない。

 その上で、先述の通りこの報酬は単なる《ソードスキル》の一種である。そして板を1枚割るのに4~5秒ほどかかるこのクエストは、集中していても1時間半ほど持っていかれる計算になるということだ。コスパの悪さは言うまでもない。

 途方もなく地味という点も辛い。

 

「ま、まぁジェイドの勝手だけどナ。だが最後の2枚はどこから来たんダ?」

「ああこれか。この『偉人』って奴が残した記録を超えていくクエストなんだけど、最初は適当なのか1000枚。んで誰か1人クエスト受けたんだろうぜ。今は1002枚を割れば晴れて『偉人の記録』として登録されて膝蹴りスキルが手に入るって寸法だ。ああ、ちなみに1003枚以上割ってもいいんだぜ。自分以外誰にもこれを使ってほしくないなんて意地汚い奴が現れれば2000ぐらい割ってくかもな」

「なるほどナ~」

 

 感心しつつもすでに関心はないようで、その態度には「もうやらないからいいっす」とありありと出ていた。

 

「まあ、メインがバトルじゃないアルゴにはわかんないかもなあ。んでもこれ便利でよ、体操でいう『伸脚』ってあるだろ? 下半身でそれ作ればプレモーション認定されるみたいだから、俺としてはぜひ持っときたいスキルなんだよ」

「両手が塞がる、しかも踏み込み体勢が自然と伸脚状態を作る重量級武器使いにとっては、穴埋めスキルとしてもってこいというわけカ」

「そそ、ごめーとう」

 

 ソードスキルの数が限りなく無限に近い有限数を誇る限り、それらの技の獲得条件や発動のための予備動作(プレモーション)もやはりこの世界には大量に用意されている。

 例えば件の《体術》スキルについて。最初期に貰える《閃打》というパンチ技は簡単に言うとただのジャブ。予備動作も単調で、左右どちらかの腕を折り畳んで拳を肩の前辺りで構えれば完成だ。威力もリーチも弱い単発技だし、極端な話『腕1本』があれば発動はできる。

 次なる例は俺が手に入れようとしているこの飛び膝蹴り。子供でも知っている伸脚体操の構えで技の発動ができて、上半身の形は動きに障害が出ない程度で限定されていない。

 そして俺の多用する大剣技である空中回転斬り《レヴォルド・パクト》や片手剣基本突進技《レイジスパイク》などは、ただ体の形を作るだけでなく、さらに技とは別のものも要求される。

 前者は武器と共にジャンプできる脚力、もしくは空中いること。はたまた後者は一定以上の助走を要求されたり本当に様々だ。手の込みようには真剣に感心する。

 予備動作(プレモーション)がダブる可能性もあるが、その場合は上位スキルが優先的に発動され、そのスキルの冷却中(クーリングタイム)に同じモーションを作った場合のみ、下位スキルが発動するといった具合である。

 ややこしいが、驚くほどの精密さと作り込みでこの作品ができ上がっている。認めるのは(しゃく)だが、このゲームを作った茅場と周りのスタッフが選ばれた天才だったことは疑いようもない。

 しかしここまで考えたところで、俺の鼓膜が小さい金属音を拾った。

 

「アルゴ、シッ……こっちだ」

「どうしたんダ?」

 

 手を握ってダッシュ、なんて大胆なことはせずに、先に身を潜めて手でジェスチャーを送るとすぐにアルゴも隠れる。

 しばらくして見えてきたのは……、

 

「あいつら軍の連中カ? よく気が付いたナ」

「軍が好んで着る鱗鎧(スケイルメイル)の集音がした。ま、《聴音》ってやつよ」

「……いや、気持ちはわかるけどサ。聴音って言ってもアレ耳を澄ましてるだけだゾ?」

 

 アルゴが呆れたように言うが、これには残念ながら強く反論せざるを得ない。

 

「違げーよ。《聴音》つーのは耳を澄まし、音を拾い、んでもって蓄えた知識で視野に入れることなくオブジェクトの有無とその種類を特定する技術のことだ。まるで違うっつーの」

「……好きだナ。システム外スキル……」

 

 しまった。力説しすぎてもっと呆れられてしまった。

 それは置いておいて、どうやら軍の集団も方向を変え始めてくれたようだ。

 

「はァ、なんだか軍に怯えて暮らすのもやだナ」

「しゃあねぇって。バカでかくなりすぎて最近大暴れだからな」

 

 《ギルドMTD》と融合することで参加人数が4桁にまで膨れ上がった《アインクラッド解放隊》、通称《軍》。

 『大暴れ』なんて表現を使ったものの別にプレイヤーへ暴力を振るうといったことではないが、顕著(けんちょ)なのはボス戦だろう。

 3日で通過した22層はともかく、なんと23層と24層を合わせて11日でクリアしてしまった俺達なのだが、その成果はかなり軍が作り上げていたのだ。

 特筆するまでもなく、この速度は驚異的の一言に尽きる。各層には広いフィールドと、前層に湧出するものも含むとは言え数十種のモンスター、さらには10階以上の迷宮区と平均30種類以上のサブクエストが用意されている。村や街だった1つではない。これらの網羅をたった11日で2度もやって退けたのだ。

 そうこうあって、おそらく今日にもマッピングされ尽くされるだろう迷宮区にも、この軍の連中が我が物顔でたくさん闊歩(かっぽ)しているはずだ。

 その強さの源は大集団による物量至上戦闘である。数にものを言わせて敵に何もさせることなく押し潰していくもので、作戦もへったくれもあったものではないが、それゆえに対処されようもない戦法と言える。

 しかしこれが中々どうして有効的だったわけで、ボス戦すらあっという間に終わった理由としては、やはり軍の波状攻撃が大きな理由になっていた。

 21層攻略の際に死者を出してしまった血盟騎士団だが、当然残りの2強ギルドはその隙を突いた。自分らは何も成果を上げていないのに、大きい顔をしてやりたい放題しているのだ。

 そして目に見えてわかりやすかったのは、軍が自分達の陣営のみからボス戦における『レイド』を立ち上げてしまったことだろう。

 そう、23層と24層は共に2レイドである96人で狩りに向かっていて、その半分が軍という一大組織の部隊なのだ。

 ここ最近《軍》というだけでかなりの幅を利かせている理由がこれである。俺達が隠れた理由は、この想像以上にウザい自慢と絡みを避けるためだった。

 

「もう行ったみたいだ。つっても、明日にも始まるボス戦はやっぱ2レイドで攻めるらしいな」

「そうだナ。でも味方勢力の体力絶対量が増えていることには違いないシ」

「ああ、協力し合えば攻略は早くなる。ヒスイの受け売りだけど、やっぱ軍に文句をつけるのは同じ攻略組としてお門違いだしな。だから残りのギルドも渋々協力してんだろうよ」

 

 奴らのでかい態度も今日限りなどといったことはない。少なくとも不測の事態が起こるまで続くはずである。だとすれば、今のうちにでも慣れておくのも世渡り処世術というやつだろう。

 

「じゃあオレっちはこの辺で失礼するヨ」

「ああ、俺もクエ終わらせて明日の準備したらさっさとオネンネだ。いつかの時みたいに寝坊したかねぇからな」

 

 それを最後に俺達は別れた。

 それにしても……、

 

「(4分の1地点か……)」

 

 発音が良すぎて不気味だったが、先ほどの店でエギルはここのことを『クォーター・ポイント』と言っていた。

 クォーター・ポイント。

 響きはいい。ただし、区切りではない。俺達プレイヤーにとって区切りがあるとすれば、そこは100層を指すのだから。

 

「(次も、その次の奴も、速攻で殺す……)」

 

 おそらく次層か、もしくはその次の層で俺達はあの日からちょうど7ヶ月を迎える。サバイバルゲームに変貌したこの世界において、今後もこの攻略速度を維持することはまず不可能だ。レベルアップ効率すら格段に落ちることも予測される。

 終いにはボス部屋へ行くまでに2週間、なんて事態にもなりかねない。

 

「(だけど俺は生き残る。時間がかかっても何が起こっても絶対、茅場にざまぁみろって言ってやる!)」

 

 翌日、予想違わずアインクラッド第25層ボス攻略会議が開かれた。

 

 

 残るプレイヤーは4分の3。残る階層も4分の3。

 だが血塗られた殺し合いは、2500人という死者を出そうとも止めるわけにはいかないのだった。

 

 

 

 



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第26話 総力戦

 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 『トラブルが立て続けに発生。攻略行為に約1週間のロスを生んでしまった。だからジェイド、もう少し待って』なるフレンド登録者用のメールを受け取ってから1時間。

 ちなみに差出人はルガトリオ達抵抗の紋章(レジスト・クレスト)。長々としたその内容には、特有のどんよりした雰囲気が(にじ)み出ていた。

 しかも大変なことに、ここ2週間で攻略組は猪突猛進で攻略しているのだ。この世界がデスゲームであることを失念しているのではと疑いたくなる。そのため、ここ数週間だけを計算すると、中層プレイヤーとは大きく差が開いたと思われる。

 

「(マジかぁ。遅れはしゃあないけど、追いつくのかこれ)」

 

 階層が上がるにつれ、モンスターも強くなる。不意の事故を危惧(きぐ)して慎重になるはずだ。そうなれば最前線の進行は遅れ、生き残る確率もレベリングのスピードも、中層ゾーンのプレイヤーはいずれ攻略組以上のペースになるだろう。

 もっとも、最近のボス戦ではプレイヤーが危険域(レッドゾーン)へ陥る瞬間を高頻度で目にしていた。この爆進っぷりはやはり危険なのである。どこまで続くかわかったものではない。

 ロードバイクのレースでは、晴れの日よりも雨の日のほうが事故の際の怪我が軽いと聞く。なぜかというと、転びやすい日は慎重になるからだ。

 そして攻略組にとって現在は『晴れ』だ。快進撃の最盛期である。つまりスピードを出し過ぎていて、逆にリスクが高まってしまっている。

 あまり悲観しすぎると友達が減りそうだが、そろそろ勇敢と無謀をはき違える奴が出てきてもおかしくない。慎重さを欠く行為は、当の本人だけでなく周りにいる連中も巻き込みかねないのだから。

 そこまで考えたところで、

 

「それにしても凄い数ね」

 

 と、黒染めの麗人が近づいて話しかけてきた。その存在に先に気付いた俺は目を逸らして隠れていたのに、よく見つけたなと感心する。

 ご存知、みんなのアイドル。有名なレイヤーが本気で騎士コスしてもこうも様になることはあるまい。

 俺だけでなく、独りで死んだ目をしているソロ連中にもよく話しかけているようだが、しかし「ヒスイって本当は寂しい?」とは訪ねない方がいいだろう。また逆手にとられるオチが見えているからだ。

 

「100人以上はこの中央広場に集まってるわけだから、そりゃまー多いだろうな」

「バックアップの人も大変よね。不備の責任は押し付けられてるし」

 

 個人的には自分のことで手いっぱいなので、他人の心配をしている余裕などなかったのだが、しかし最近ではヒスイに限らず、いかな話題を振られた際にも相手をシカトすることができなくなっている自分に気付く。

 完全なるソロ生活時に刻まれた孤独感が、深い心的外傷を引きずるようにフラッシュバックしてくることもある。

 無論、社交的であることに越したことはない。気の持ちようが変わったのなら、せめて良い変化だと信じよう。

 

「攻略組ギルド80人以上。情報屋のボス戦前のデータの確認。直前メンテのための鍛冶職人」

「それと、ヒスイみたいなソロプレイヤー達だな。……おっと、俺はもう違うぜ。ちゃんとギルド持ちだ」

「でも、ここにいるソロでほぼ全員みたいに錯覚しちゃうわ」

「んなワケないっしょ。職人クラスも結局、稼ぎ時だからって中層の奴らも多いし。何より人が多いつっても、ほとんど《軍》じゃね……?」

 

 軍は数こそ多いが、だからこそレベルもまちまちで、攻略組もいればそうでない連中も山のようにいる。そしてレベル差があると連携の手順も変わってくる。そして今回、『ボス戦に参戦できるレベル』と認定された仲間を、そうでない奴が見送っているのだろう。

 ちなみに軍の連中は、互いのためにスキルや戦闘スタイルを変えることはない。危険になったらスイッチ、そしてそのプレイヤーが危険になったらまた次のスイッチ、その繰り返しである。それをするだけで体力に余裕を持てるほど人数が多いからだ。

 

「そうね~、また彼らが倒しちゃうのかな」

「さぁな。でも他のギルドも警戒してるし、連中が邪魔しなきゃ俺だって取るつもりだ」

「いい心がけだこと。前層なんて集団リンチだったもんね」

「ハハッ、確かに。ま、眺めるだけならソーカンだし、こちとら負担減って楽になってるわけだから文句は言えねーよ」

 

 申し訳程度に2つだけ噴水が設けられ、本来であれば左右対称かつジオメトリックな模様の床のタイルを楽しめるこの広場は、完全に人で埋め尽くされている。

 つい10分前までここで開かれていた25層ボス攻略会議の名残とも言える人数だが、それにしても会議はまるで高校の授業を受けているようで眠かった。

 そしてそのままぼうっと呆けていたら、隣から声をかけられた。

 

「久しぶりやなヒスイはん。……ジェイドはんも」

 

 軍の隊長格、キバオウのおでましである。

 マズイ。会議中、半分寝てたのバレたか……?

 

「お、おうキバオウ。……んだよ、会議の話は聞いてたぜ? まだなんか用か」

 

 彼は鼻にかけたような声で俺をついでみたいな扱いをした。おおかた彼らにとって、名声高い女戦士の単品狙いのつもりだったのだろう。隣に邪魔なものがくっついているな、程度の認識か。

 このトゲ頭の男、やはり軍を引っ張っているギルドの中枢としての認識が強く、数人の部下と共に並んで俺達の正面に立った。

 最近の軍は元βテスターであることをまったく(いと)わずにギルド加入を認めている。実力と象徴的な人材欲しさかもしれないが、この政策はどうも大当たりで、数々のソロプレイヤーがボス戦でおいしい位置(ベストポジション)に立てることを理由に軍の仲間入りを果たしている。

 ごく最近だが、俺にも勧誘しにご足労してきた人物は他でもないこのキバオウだ。俺への態度が横暴なのは、「せっかく誘ってやったのに断るなんて身の程知らずが」といったニュアンスもあるだろう。彼も組織の重鎮(じゅうちん)として仕事に励んでいるのは察するが、俺にも事情があるのだから不可抗力だ。

 

「今日はヒスイはんに用がある。あんた、2週間前ぐらい前にエルバートはん達の誘いを、えろう派手に蹴ったそうやないか?」

「……ええそうよ、彼らも強引だったしね。ふふっ、あれじゃあレディへの誘い方がなってないわ。ただし、代わりにどこかに入りたいという意味じゃないけどね」

 

 キバオウの一言で言いたいことを理解したヒスイはすぐにきっぱりとくぎを刺す。

 俺のあずかり知らない話だったが、とりあえず彼女が暗に「軍には入りたくない」と意思表示していることだけは察した。

 

「……なおさら理解できへんな。ヒスイはんはそこにおるジェイドはんを含み、特定のプレイヤーとは普通にコンタクトを取るし、たまに行動を共にもしとる。ちゅうことは、なんも集団行動を毛嫌いしとるわけやないんやろう?」

 

 まるで俺が地蔵の置物か何かのような態度だったが、茶化した突っ込みは控えた方がいい空気だったのでここは華麗にスルーしておく。

 それに、ヒスイにわざわざ助け船を出すようなこともしない。彼女がなおもソロに徹する理由、それは俺が解決していいことではないからだ。

 正直なことを言うと、俺はヒスイにどこかギルドに加盟してほしいとさえ思っている。彼女が安全に攻略できることを願うなら、いつまでもソロでいてほしくない。

 

「そうね、でもあたしは縛られるのが嫌いなのかもしれないわ。対等でいたいの。だからお誘いは嬉しいけど、それは受けられない」

「……わあったわ、まあええやろ。うちらのギルドも大きゅうなりすぎて、正直まとめ上げるのも精一杯だったところや。今日はこれ以上の勧誘はせぇへん」

「そう。それはお気の毒」

「やけど勘違いすんな。これも仕事の一部やし、頃合い見てまた来るで。そん時までに考え直してくれることを祈っとるわ」

 

 意外にもすぐに引いたキバオウの表情からは、未練やその他の類のものはない。

 「ほんじゃあな」とだけ言ってキバオウ達は去り、人の多さが相まってその背中はすぐにでも見えなくなった。

 それにしても、キバオウの多忙さも心底痛み入る。部下の数が膨大になるにつれ、彼にかかるプレッシャーは加速度的に重くなっているはずで、いつか権力存亡と攻略目的の狭間で精神が爆発しないかが不安だ。

 しかし、入れ替わりのように走ってきた人物により会話は継続の一途を辿る。

 走りやすさを損なわない機能付きの厚底ブーツ、紙束がこぼれそうなポーチに全身を覆うフード付きハーフコート、おまけに顔にはヒゲのペイントまであしらっている。名の知れた情報屋――あと整った小顔がウワサ以上の美貌(びぼう)――だから許されているが、パッと見では明らかに不審者である。

 

「ハァ……ハァ……すまんナ……遅くなっちまったヨ……」

「おうアルゴか、今日は忙しい日だな。そんな死ぬほど走り回らんでもよかったろうに」

 

 敏捷値の強弱以前に走りっぱなしの話しっぱなしなアルゴはさすがに疲れてきたのか、息を切らしながら俺達の前で両膝に手をついていた。

 そしてすぐに復活するとこう言った。

 

「いヤ~サボるわけにはいかないサ。なにせ今度のボス戦はちとヤバイ」

 

 それだけ言ってまた少し息を整えているアルゴ。

 直前まで情報収集クエストを受け続けていたアルゴは、つい10分ぐらい前に広場に走り込んでいったのを俺は見ていた。つまり、その短い時間で大部隊のリーダーや有力ギルドの長に得た情報を渡していたのだろう。その速度は称賛に値するが、その内彼女が先にぶっ倒れそうでヒヤヒヤする。

 

「ちょっとこっち来てくれよナ!」

「お、おいアルゴ!?」

 

 ボス攻略への出発時間は刻一刻と迫ってきている。そのためできるだけ情報をメンバーに浸透させたいのだろう。あまり走りたくはなかったが、しかし聞かないわけにもいかないので俺とヒスイはうなずき合うと彼女の後を追う。

 そしてしばらくして止まるとそこに待っていたのはギルド《風林火山》のメンバーだった。

 

「おっ、ジェイドに……ヒスイさんじゃねぇか!? おいアルゴ、こりゃどういうこった?」

「悪いナ、時間がないからここにいる人に纏めて説明するゾ。オレっちの声が聞こえるとこまで来てくれないカ」

 

 ヒスイが「今日は目白押しね」なんて言っている。

 そのまま切羽詰まったままアルゴが(まく)くし立てると、新たに得た情報の全てを包み隠さず公開した。

 普段金にうるさいアルゴも、こういう時は金を取らずに惜しげもなくプレイヤーを手助けするのだから人間ができていると思う。信用命なら当然かもしれないが、やはり彼女の情報は信頼性も高く、こうした善行は感心されているようである。彼女の提示する情報料に口出ししている奴なんて滅多にお目にかかれない。俺が利用させてもらっているもう1人の男の情報屋は、信頼こそおけるもののこの辺りがシビアなのだ。

 代わりに彼はマイナークエストや隠しイベントまで網羅してくれることが強みで、しかも本筋は『プレイヤー』情報。普通は聞きにくい人間関係についての分野を専門にしているのである。

 閑話休題。

 ここからはアルゴから得た情報だ。

 曰く、ボスの様相は全長8メートルの双頭巨人型で使用する武器は右手に大剣、左手にハンマー。

 曰く、両の口からはブレスが吐かれる上にそれぞれ内容が異なり、右の頭が《炎》で左の頭が《毒》。効果範囲は不明で技のインターバルは50秒。

 曰く、踏み付け(ストンプ)とハンマーの叩きつけには2層ボス同様《ナミング》系統の阻害効果(デバフ)を含む場合あり。またその場合は武器か足が発光。

 曰く、HPゲージは5段で表示され、10層ボス同様1段毎に攻撃パターンを変更。取り巻きはゲージ1本消費につき6体再湧出(リポップ)する。

 ブレスと取り巻きについての手順はもう知りえていたこととは言え、ここまで聞いた俺は呆れてしまっていた。

 

「なんつーかよぉ……」

 

 と、やるせない気持ちでクラインが溜め息をついた。端から聞いていると他人事に思えてくるが、この手当たり次第詰め込んだような能力を与えられた双頭のボスは、あと数時間もすると俺達の前に現れて猛威を振るうという話なのだ。愚痴の1つもこぼしたくなる。

 もう1人の情報屋も、ここまでの内容は知らなかったようだ。

 そして重要なのは、直前でこれほどの情報が入ると言うことは、攻略行為における戦局すら左右するということである。

 

「多少被ってんのもあったけど、こりゃデカイぞ。説明のし直しは面倒だけど、攻略法を変えるようDDAとかに助言するか?」

 

 クラインはそんなことを提言した。会議が終了した今となってはプレイヤーを集め直すのも億劫(おっくう)だが、議論をし直さないのも危険である。

 だが、大ギルドはアルゴの新情報を得ても動かなかった。すなわち、攻略手順の変更はしない方針のようだ。

 

「オレっちがいくら説得しても、変えないという考えを変えないらしくてナ」

「撤退手段が豊富に出てきたのも要因よねえ」

「クリスタル系か。人権アイテムなんてレベルじゃねーからなぁ」

 

 便乗したヒスイにクラインが呟く。

 指摘は正しく、最近はその手のアイテムも増えてきていた。

 なかでも最も有名で高価値なものが《転 移 結 晶(テレポート・クリスタル)》。誇張ではなく、魔法じみた効果を有するバカ高いアイテムだが、その効果は魅力的である。

  初登場は20層。モンスタードロップでのみで、今のところ3種類が確認されている。順に《回 復 結 晶(ヒーリング・クリスタル)》、《解 毒 結 晶(リカバリング・クリスタル)》、《転移結晶》。今後ショップで売られるようになれば多少はマシな値段に落ち着くとは思うが、それでも高い水準でとどまるだろう。

 理由の1つは軽さである。所持限界量は筋力値とアイテムストレージ拡大スキル等で増やせるが、ポーションなどの液体類を詰め込むとすぐに上限に達してしまうのだ。

 それはストレージ容量を埋める基準が、『体積』ではなく『質量』によるためである。

 水の質量は一様に高い。だがクリスタル系は違う。『世の中に存在しない鉱物のアイテム』と噂されるこのアイテムは、そのどれもが尋常ではないほどに軽かった。もちろん、現段階では所持数を気にする前にまず1個2個持っていれば上々である。

 次はその回復速度だろう。ポーションでは回復効果が発揮されるまでに時間継続回復(ヒールオーバータイム)と呼ばれる、いわばタイムラグがある。

 プレイヤーの体力が2割以下の《危険域》からなら、バーの先端が端まで行くのに20から最大30秒ぐらいは時間を取られる。毒、麻痺毒についてもやはり同じである。毒の『濃度』にもよるが、解毒薬を飲み干してから完全回復まで時間がかかる。

 対してクリスタルなら、手にした状態で「ヒール!」だの「リカバリー!」だの発言すれば一瞬。

 

「特に《転移結晶》だよな。今までの撤退用フォーメーションとかなんだったんだつー話しよ」

 

 最後は俺がボヤいた《転移結晶》。

 まず、圧倒的に絶対数が少ない。家でも買えそうな金額の高さを誇るこれは、「テレポート!」という起動ワードの直後に、街か村の名を口にするとそのエリアへ一瞬で飛ぶ代物だ。ちなみに英語でなくても「転移!」と日本語で使用してもいい。

 ちなみに俺は持っていない。運良く今までに2つもの結晶系アイテムを手にしたが1つ目が解毒、もう1つが回復――今はこれのみを所持している――という内情で、遂にはこの《転移結晶》を手に入れることはできなかった。

 

「特にトップ連中は保身が手に入ってやる気満々だし、まあ今さらチンタラ変えねぇだろうな。ってか、撤退の可能性すら消えかけてるけど」

 

 続く俺の言葉に全員が頷いた。現状、今から攻略法の変更をしようものなら逆にプレイヤー側の気が削がれる。士気の高さを維持した方が理に叶うと反論されればそれまでだ。

 そうこうしている内に出発の号令がかかり、数人が声を張り上げて攻略隊を纏めていた。

 先頭に立つのは《聖龍連合》エリート集団最強のリンド、《軍》の戦闘部隊隊長のキバオウ、《血盟騎士団》総団長のヒースクリフ。

 そして25層攻略隊計96人が迷宮区の最深部を目指して前進を開始した。

 

「(この人数なら勝てるはずだ。物量戦はシンプルに強力……せめて今だけは、前を向こう……)」

 

 波状攻撃も見ようによっては立派な戦法。元より、モンスター相手に罪悪感などというのもおかしな話だ。それに初期の身勝手なβテスターの方が俺を含めてよっぽど残忍である。

 

「じゃあオレッちにできることはここまでだナ。みんな気をつけろヨ……」

「ウジウジ言っても仕方ないぜアルゴ。やることは変わらねぇんだ、この闘いも勝ちに行こう!」

「ええ、26層解放のために」

「しゃあっ、やるからには殺る! ギルド《風林火山》がラスト決めるぞ!」

『おおぉおおおッ!!』

 

 俺達だけでなく、周りの奴らも各々気合いを入れていた。フロアボス戦とはすなわち、単に危険いっぱいの敵と刃を交えるだけでなく、鍛え上げたプレイヤースキルを他の人間に遺憾(いかん)なく披露できる機会でもあるのだ。

 雄叫びを背に、俺も数秒だけ黙祷し、いま一度集中力をあげた。

 雑念は捨てろ。さあ、25層ボス攻略の幕開けだ。

 

 

 

 



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第27話 再生の王

 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 勢い勇んで主街区を出発したはいいが、当然迷宮区の総面積は広い。いやさ、そもそも迷宮区の入り口までが長い。広大なフィールドというのは過ぎた表現ではなく広大なのだ。

 踏みしめる大地や吸い込む空気、見上げると異種鳥や見慣れない天蓋(てんがい)付きの空が広がり、身長すら越える多様な植物が生え、図鑑にはない虫が飛び、数分も歩けばモンスターがあちこちで跋扈(ばっこ)している。まるで子供の頃から憧れていたファンタジー世界への参戦を果たしたかのような錯覚。

 しかし俺達は、剣を掲げて命を賭けた殺し合いをしなければならない。

 こんなことまでは望んでいなかった。生まれの環境を言い訳にしてなんの努力もしてこなかった俺が、少しだけ高望みな夢を願ったからどこかの神様が怒ったのだろうか。

 現実に死んでしまうロールプレイングゲーム。そう考えると、本当は錯覚ですらないのかもしれない。

 だが、共に危険極まる戦場を駆けるこのプレイヤー達は、そんな幻想をあらゆる意味で打ち壊すために集った。戦いにも慣れ、そこらのモンスターなんて会話混じりに倒すことができる。

 そんなフィールドを、これまた長い列で100人近くの人間がたらたらと歩くわけだから、当然雑談が混ざってしまうものである。喧々囂々(けんけんそうそう)とした中で若干声を大きくして俺達もだべっていた。

 

「今回のボスは強いって噂よね? NPCの会話イベントしか判断材料がないけど」

「ああそうだな、何つっても技が多彩過ぎる。思い出したかねぇだろうけど、10層ん時のあいつらは相当キツかったし。まあでも21層よりは弱いだろ。21層よりはな」

「ジェイド、自慢はいいって。強いのは10の倍数層だろ。にしても1段毎に新しい技の追加か、あんまし想像したかねぇな〜」

 

 クラインめ、余計なことを。

 なんて具合に、迷宮区にはさしかかったとは言え、まだ2、30分はこの緊張感のない歩行が続くだろう。

 それにしても歩き辛い。前層の攻略も100人近い人数だったが、これほど歩きにくくはなかった気がする。

 

「そういや今回の不参加もそうだけど、最近キリトに会ってねぇな。聞けばジェイドも知り合いだったみてぇじゃねぇか」

「ああ。つうか、クラインと初めて会った時からお互いキリトのことだけは知ってたんだな。あいつのセンスだけはこっそり認めてたりしてるんだけど、生意気なセリフが聞けないのが物足りなくてさ~」

「そいつぁわかるぜ。ツベコベ言えないのはわかってるけどよ、なんだが攻略にも参加しなくなると競争する機会もな。いや、あいつのことだ。もうオレのことは……」

「……恋バナ?」

『違うよ』

「そのわりには、ちょっとキケンな匂いがするんだけど……」

 

 ヒスイが口を挟むがそいつは大いに勘ぐり過ぎだ。男の友情魂。強敵手との再会。それを待ちわびた熱い語り合いなのだが、理解できないのだろうか。この際、相手が俺のことを好敵手と思っているかは別の話である。

 そこでクラインが「冗談はさておいてよ」と仕切り直したところで、ようやく攻略隊はその末端部分まで迷宮区へ進入する。

 そして一旦言葉が途切れたがまたクラインが話し出した。

 

「オレらここ来る前に『撤退の成功率』の話をしてたろ?」

「ええ。転移結晶が起動したら、1、2秒だけをノーダメで凌げばほぼ確実に安全圏へ飛べるわよね。他にもいろんなアイテムとか……」

「そこで思ったんだが、撤退戦のくだりってスキップしてたよな? 結局どうすんだっけ?」

「そりゃあ、どうもしねーよ」

「は……?」

「だから、する気ないんよ。撤退を」

 

 クラインの疑問に俺が即答する。

 

「しないって、そんな……」

「いいか? 言っちゃあなんだけど、2レイドっつうハンパじゃない数が集まってるんだ。討伐はヌルくなるわけで、逆に厳しくなるのがその撤退とやらだ。なぜかって言うと……」

「人数が多すぎて身動きが取れなくなるからか?」

「それも1つ。けど、そんだけじゃないぜ。96人集めておいて勝てなかったとしよう。その場合……以降は全部、『最低でも2レイドで攻めなくては』っつー発想が生まれちまうんだ」

「あ~確かに」

 

 クラインが顎に手を当てながら、少し納得したように首を縦に振る。

 しかし話はまだ終わっていない。

 

「もっち、それはレベルのアベレージ低下が原因だし、なにより集団サイミンみたいなもんだ。このゲームは1レイドでもマージンさえしっかり取っていれば被害なしで勝てる。時間がたてばそのうちみんな気付くだろうさ」

「けれど……バブルと同じってわけね。弾けるまでは下を見ずに突き進む」

「そそ。この超スーパー攻略ペースはいつか終わるだろうけど、たぶんギルマスすら抑えがつかなくなってんだよ。メンバーが自信満々だからこそ危険を承知で、ってワケ」

「真面目な話に悪いんだけど、超とスーパーって意味被ってない?」

『…………』

 

 コホン、と咳払いを1つ。

 

「ま、まぁ撤退もいつかはするだろうな。ただし、それはバブルとやらが弾ける時だ。少なくとも今は大見得切ってる手前、《軍》に撤退の二文字はない」

「珍しく筋が通ってるわね。あたしとしたことが感心しちゃったわ」

「ほめるなら素直に頼む。短いセリフに2回も余計な副詞がついてんぞ」

 

 ――それともなにか、この世界の女は余計な言葉で前置きしないと誉めることもできないのか。

 

「まあ何にせよ、オレ達下々民が危ねぇ橋渡らされてることには変わりないのか」

「残念ながらな。でも、俺らもヤバくやったらガッツリ軍を頼ればいいさ。喜んでタゲ取ってくれると思うぜ?」

 

 先頭の奴らがあらかたモンスターをお掃除してくれたおかげで、俺達はほとんど歩いているだけでボスの部屋へ到着してしまった。

 さて、いよいよ本番だ。

 一応レイド1のリーダーだからか、リンドが集団の前に立った。

 

「皆聞いてくれ! 俺達は今、あらゆる面で最高潮にいる! このまま偵察なしでボス部屋へ突入するが……結果は変わらない! 絶対に勝とうぜッ!!」

『おおぉおおおおおおおおッ!!』

 

 リンドの鼓舞に応えるように剣光帽影(けんこうぼうえい)とした声が響き渡り、それを聞きつけて襲ってくるモンスターを同情するほど大人数で串刺しにしながら、攻略隊はドでかい門を潜った。

 異常な広さだ。

 そして明かりの点灯と共に見えてくる。

 2層の真ボス以来とも言える巨躯を誇る巨人が、祭壇のようになっているボスフロア最奥部にいる。他に類を見ないほど広いボス部屋の奥には浅い階段が数段存在し、その最上部で椅子に座っている異形が姿を現す。

 (わに)彷彿(ほうふつ)とさせる顔と浅黒い肌を持ち、細部に装飾が施された金色の防具。1番特徴的なのは、胸に掛けられたツタンカーメンを思わせる大人1人分ほどの大きさの仮面だろう。

 首から先が分岐し双頭を持つそいつは、静かにプレイヤー達を睥睨(へいげい)していた。

 左右に3体ずつ控えるアポピスのような銅像達も、開戦と共に間違いなく動き出すはずだ。取り巻きすら並みのボスに迫る大きさで、手に持つ武器は両手用長槍(ツーハンドポールランス)。ピラミッドの地下に眠る王様でも護っていそうな姿形と、こちらも何らかの動物を象った頭部をしていた。

 

「来るぞッ!」

 

 攻略隊の誰かが叫んだ。直後にボスは脇に供えられた壁面装飾のような大剣の柄を右手で、長柄ハンマーの柄を左手で掴む。

 8メートル近い巨体もさることながら、奴が立ち上がるとまだ鞘に収まっているのではと疑うほど厚い大剣と、ハルバードじみたハンマーが目立つ。両の鉄槌よりその中央から長柄の延長線上に突き抜けている槍のような先端も特徴的だ。刺突攻撃との使い分けと推測するが、遠目に見ると十字架のような形をしている。それがハルバードに酷似する理由だろうか。

 

『『グオオオオオオオオオッッ!!』』

 

 2つの口から野太い咆哮を上げると、ボスがHPゲージを5段で表示しつつ名前が判明した。その名も《リヴァイヴァルファラオ・ザ・ペアギルティ》。脇に控える6体の取り巻き、《ラディカルガーディアン》もHPゲージを1段で表示している。

 しかし視覚的な恐怖など散々体験してきたのが攻略組と言うものだ。

 だから奴を見てもこう宣言できる。

 

「攻略開始! 全員突撃ぃッ!!」

 

 その言葉を境にガラスも割れそうな程の怒声が渦のように混ざり合い、フロア全体を震え上がらせた。

 俺はヒスイとは同じだがクラインとは別の隊にいる。しかし、この戦いに参加した時点でパーティメンバーが誰だろうと関係ない。背中を任され背中を任す、それだけだ。

 

「(つってもまだ待機だけどな……)」

 

 1度に相手する敵の数が比較的多いとは言え、いくら何でも100人同時に攻めるわけにはいかない。俺達レイド1のE隊はまだ待機だ。

 今回のレイド内容については、分割しやすかったのか珍しく6隊に分けられ、1隊につき8人構成。レイド1と2のアルファベット後半のD、E、F隊はボスと直接対決。前半のA、B、C隊は取り巻きを引き付け、ボスのHPゲージを2本削ったところで随時交代して今度は俺達が取り巻きを相手取るという寸法だ。

 レイド1のA、B隊は主に聖龍連合メンバーでC、D、E隊が小ギルドとソロ。F隊がアスナ、ヒースクリフを含む血盟騎士団で構成されている。

 レイド2は主に軍で構成されていてA、B隊は精鋭部隊。Cは勧誘で集めた有象無象だが、ここのスペックは高い遊撃隊。残りは本当に軍の『残り』。

 そして俺はレイド1のE隊隊員ポジションで、しばらくはボス担当だが人数の関係上まだ待機というわけだ。

 

「どんどん来てるぞ! 下がらず回り込め!」

「アホか、慌てんな! 連撃ならバクステだろうッ、すぐ距離を空けろ!」

「くそっ! ナミングがウザい!」

「カットできる奴いるか! 前に出て被弾者を庇え!」

「遠距離系はほとんど利いてねぇぞッ!?」

 

 待っているのももどかしいほど、前線の奴らがひっきりなしに叫んでいた。

 俺もただ突っ立っているわけにはいかない。今も戦闘中のボスの動きは逐一逃がさず視野に納め、その動きを脳内に焼き付けている。ただ、パターンが実に多彩で腹が立つ。

 

「(ストンプ……フレイムかポイズンブレス……ハンマーのナミングには黄色の、ストンプがナミングを使う時はオレンジ。ディレイを起こしたら3秒……大剣にデバフはないけどソードスキルが複数……顔が2つあるから視野は広いし、おまけに不意打ちやら壁伝いの立体起動やらも見切ってくる。死角を取っても振り返って斬り払い……ええっと、順番は……)」

 

 しかし悲しきかな、あいさつ程度の英単語すら覚えられないバカには限界が訪れる。しかし何もボスの行動パターンが覚えきれないのは俺だけではなく、ここにいる奴ほとんど全員に言えることだった。

 それを証明する苦悩が声となってフロアに響く。

 

「こいつ、デタラメだ! スクランブルでもかけてるのかよっ!?」

「全然読めないぞ! 似た構えから出る技が多すぎるんだッ! 安易な『先読み』を使うな!」

「技見てから動け! ああッ!? 無理でもやるんだよ!!」

 

 技を見てから回避か防御。これらの行為は初心者にありがちな『遅すぎる判断』だ。

 だがこのボスに関しては致し方なかった。《両手剣》スキルがざっと数えて遠距離用単発と四連撃の2つ、《鉄槌》スキルの叩きつけは2層のミノタウロスが使っていた《ナミング・インパクト》。1度目は《行動不能(スタン)》、2度連続ヒットで《麻痺(パラライズ)》のデバフを与える技だ。しかもこの技は踏み付け(ストンプ)でもたまに付随してくる。

 そして最も回避の難しい特殊攻撃が、右頭の《フレイムブレス》と左頭の《ポイズンブレス》だ。ブレス攻撃では共に有効範囲がトップ2に位置し、フレイムに至ってはブレス中最高攻撃力すら叩き出す。

 頭が2つもあるためか、プレイヤーの動きを見て『考えて』行動している。普通は正面、側面、背面の敵の数とその位置構成。ディレイタイム終了直後や俺達の体力残量、ワンパターン戦法をされないための特殊なループ脱却対策。こういった動きをある程度決まった流れの中で行うはずのボスが、まるで臨機応変で柔軟な思考を持つ人間の様な対応力を持っているのだ。

 HPゲージ1本に込められた体力量も相当多く、非常に堅い。それに引けを取らないアクティブな攻撃手段と質の高さ。

 

「くっ、もういいD隊は引け! E隊がスイッチで前にでる!」

 

 命令権もないのに咄嗟(とっさ)に叫んでしまったが、一応E隊のパーティリーダーに「いいよな」と念を押すと頷き返してくれた。

 予想外に敵のHPを削るより早く、プレイヤー側のそれが一刻を争うスピードで削られているのだ。俺達の方が利権争いをしている場合ではない。

 

「助かる! けどすまねぇ、オレらであんま削れんかった!」

「マジで気をつけろ! こいつ筋力値もハンパねぇぞッ!」

 

 そう助言をくれた背の低い少年は、厚い盾を装備した重武装タンカーだった。数値的な体力も攻撃重視のビルドに偏った俺よりはるかに獲得しているはずだというのに、すでにゲージが半減している。

 

「(相当キツいなこりゃ……)……行くぞヒスイ!」

「ええ!」

 

 だがここで文句を言っても始まらない。俺達E隊は号令通り前に出て、一足早くスイッチしていたレイド2側のプレイヤー達と共にタゲ取りを任された。

 間近で確認すると、俺の両手剣なんぞ投擲用ダガーに見えてくるほどぶ厚い大剣だ。当然それを振り回す奴の腕は人の胴ほど逞しい。

 俺もビビっているだけではない。首がそっぽを向いた一瞬の隙を見つけ出すと、そのまま懐に潜り込んで中級単発下段斬り《トラップ・フォール》を発動した。

 右肩にかけた自慢の得物が光芒(こうぼう)をまき散らし、確かな手ごたえと共に敵の左ひざへ食い込んだ。

 しかし、これが何の足崩しにもならない。そしてその情報料として、余計な大技を仕掛けたせいで、避けきれなくなった敵の大剣を自分の大剣で受け止めた。

 重圧が迫る。

 

「があぁああッ!? くっ、おっめぇ……!?」

 

 ゴッバァアアアア!! という、生身の人間が受けるにはあまりに重い衝撃と、眩しいぐらいのライトエフェクトで俺の脳が揺れるのを感じた。

 《武器防御(パリィ)》スキルの鍛錬を怠った記憶も事実もないはずなのに、俺の命は2割ほど削られている。これでは防御しているのか直撃しているのかわからない。

 やはり見ているのと実際に剣を交えるのとは違うというわけだ。しかし各プレイヤーとてただ尻込みするのではなく、戦前の勢いを多少なりとも引っ込めはしたが、それでも鬼気迫る勢いで次々と喉を震わせた。

 

「牽制以外はなるべく正面で受けるな! あと絶対に直撃は貰うなよ!」

「聖龍連合と軍のトップが取り巻き倒すまでもう少し……ッ!」

「キツいけどいける! 分担して何とか耐えろ!!」

「目を逸らしちゃダメよ! みんな相手の動きをちゃんと見て!」

 

 俺とヒスイ、そしてチームの仲間達が即席パーティとは思えない連携を見せ、攻撃の波にさらなる勢いを与えつつ足や胴に絶え間ない斬撃を与えた。

 すると目を疑う現象が起きた。

 

「色はオレンジ! 足踏みのナミングだ!」

「真下にいるやつは距離を取れ! ……いや待て!?」

「おっ、オイ!? どうなってんだ、2つ発動してるぞッ!?」

 

 初めて見る光景だった。

 奴は右脚と左手のハンマーをそれぞれ同時に輝かせ、ストンプによるナミングとハンマーによるナミングを『踏み込みながら振り下ろす』という形を作り、まったく同じタイミングでそれぞれを平行発動させていたのだ。その結果……、

 

『ぐわぁああああああッ!?』

「5人が一撃で麻痺だと!? いや、そもそも今同時に!?」

「た、助けてくれぇ! 《麻痺》で動けない!!」

「そんな……ぐ、軍の人が……!?」

「ダメだヒスイ、間に合わない! 攻撃に集中してヘイトを溜めるぞ!!」

 

 懇願(こんがん)するように助けを請う仲間達。信じられないことに、ナミングを重ねがけでくらってしまった5人のプレイヤーが一瞬で《パラライズ》状態にされてしまっていたのだ。

 俺たちはタンカーではない。レンジ外へ運ぶ時間もない。ならば、追加攻撃の対象を俺達に向けさせるのが先決。

 麻痺中は指をゆっくり動かして解毒ポーションをオブジェクト化し、さらにそれを口まで運んで飲まなければならない。飲み干してから回復まで約15秒あることを考えると、最低でも30秒間はこちらでボスの相手をすることになる。

 

『う、うわぁああああああ!?』

「くっそ、ちくしょう! 何なんだよこれッ」

「きゃああっ」

「オイとまんねぇ! 止まんねぇよこいつッ!!」

「(つえェ……マジで強ぇぞ……)」

 

 既存のボスとは、格も桁も違った。しかも俺を含むE隊も被害甚大で、援護に入っても力になれないだろう。

 背筋に冷たい何かが伝わるのを感じる。ソードスキルの連続、いや『同時』発動を目の当たりにして、討伐隊の動きはさらに悪くなっている。

 そして同時に思い出した。

 俺はこの現象(・・・・)を知っている。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 現実世界の再現度の高さ。この《ディティール・フォーカシングシステム》によって再現される超高画質とリニアな応対性を秘めた世界は、幻想と現実との隔たりを薄くし、他社の追随(ついずい)を許さない技術レベルを確立した。

 同時に、VR史上最高峰と称えられたSAOのそれは、同ジャンルの中で数々の発見と世界観を創り出してきた。

 連日購買欲をあおるよう部分的に報道するマスコミを通じ、それは爆発的な勢いで世界に知れ渡っていったのだ。

 例えばモンスターの質感。

 もっとも、精緻(せいち)すぎる作り込みは、当時の環境ではあまりにもリアルな体験を突き付けてしまい、戦闘を介しプレイヤーに原始的な恐怖を呼び起こすものであった。しかし裏を返せば、あらゆる刺激に対し緩慢になってしまったゲームアディクトにとって、フルダイブ環境下の興奮はビギナーそっちのけで多くの賞賛を得ていた。

 例えば『システム外スキル』。

 与えられる情報量を現実に近づけるほど、これは攻略過程で重要なものにもなっていく。現実でのみ通じるはずの細かいフェイントが、ゲームの相手に応用できてしまうように。

 断言できる。このゲームの完成度は世界一である。

 誉めちぎっておいて、改めて確認しよう。

 古今ゲームにはバグが存在するもので、ソードアートの世界も例外ではない。という風の噂を巷間(こうかん)で耳にした。

 初めてこの『23層迷宮区でバグが発生する』という話を聞いた時、俺より世界を熟知する情報屋に対して「それはあり得ない」と答えてしまったほどだ。

 その男の情報屋、プレイヤー名を『ミンストレル』と言って、俺が利用するアルゴとは別の情報を取り扱うソロプレイヤーでもある。

 身内贔屓(ひいき)になるが、彼もまた優秀な情報屋であった。ただ無愛想なだけで。

 別に、無愛想であることは問題ではない。低次元の話だが、むしろコミュ障が今より断然酷かった当時の俺にとって、それは非常に話しかけやすい相手とも言えた。

 そんな信用はお構いなしに、俺はその情報に反論した。このゲームを動かしているのが誰で、どういったシステムの元で運営、メンテナンスをされているのかは知らなかったし知る方法もなかったが、俺は俺の発言に自信を持っていた。認めたくはないが、あのクソ野郎……つまりゲーム制作者である茅場のプライドの高さが一流だからだ。

 そうでなければ根底が覆る。

 人の命を預かる上で、奴はまるで最低限のマナーを果たすようにこの世界を洗練させていたのだ。

 しかし最前線が24層へと移動して3日。俺はそこでもまた『23層のバグ』の話を小耳に挟んだ。

 何度も浮上する疑惑。だからといって構想を覆すわけではなかったが、拭いきれない胸騒ぎはした。なぜなら、ずっと後になってから、忘却していた過去の流言(りゅうげん)を思い出してしまったからだ。

 23層に入ってからではない。あれは確か前線がまだ5層の頃の話だった。5ヶ月以上も前に、俺はあるカップルが『鉱石が無限湧き』するバグを見つけ、それをバグ利用(グリッチ)して防具を作成したらしい話を聞いたことがあった。

 ぶっちゃけ、当時は鼻で笑い、これっぽっちも信じなかった。だが万が一ということもありうるし、ゆえに記憶の片隅にいた。そんな生産的なバグが発生するなら、ぜひ活用したいとも思った。

 そこで俺は再びミンストレルと面会すると、改めて相応のコルを払って詳しい情報を聞いたのだった。

 バグを起こすと言われる件のモンスター名は《ケルベロッサー》。2足歩行ユニットとしては、視野を得る利点より重心のふらつきによる欠点の方が目立つ、ひたすら毛深いだけの双頭獣人型モンスターだ。

 奴はたまにいる『プレイヤーと武器を共有するMoB』としても有名で、《武器奪い(スナッチアーム)》系の技も持っている。両腕に装備していた《リトル・ソルジャー》と言う片手用短槍も何層か前の主街区に売っていたものだ。

 2本の槍を持っているとは言っても、2本とも活用したソードスキルを発動できるわけではない。脳を2つ持っている《ケルベロッサー》は恐らく利き腕が両方に設定されているのだろうが、3種類のソードスキルは左右どちらか一方でしか発動できなかったし、発動する度にきちんとディレイタイムも存在していて、スキルを繋いで隙を減らすなんてマネもできなかった。

 がしかし。本当にごくたまにだが、奴は《槍》系と《細剣》の専用ソードスキル、初級単発突き《リニアー》を2本同時に発動してくるというのだ。

 《リニアー》程度なら脅威とも言えないが、問題はやはり『2本同時』の部分だろう。

 一応、《リニアー》の動きは左右で構えても、互いの攻撃モーションを阻害しない。けれど同時発動できる理由にはならない。

 反例として《体術》スキルのジャブ攻撃、初級単発拳《閃打》を思い出してみる。

 両手でモーションを組んで試してみたが、なんとこれは同時発動ができなかった。毎度、利き腕が優先して反応する。

 つまり、互いに動きに影響が出ない技でも『同時』に発動することは不可能。人の脳が「発動させたい」と信号を送信した方のスキルが発動してしまうのだ。

 ようするにナーヴギアは脳の信号パルスを余すことなく電気的なものに換え、データ上で区別し、ズルをきちんと防いでいるということが証明された。

 ではなぜ、《リニアー》は同時に発動されたのか。

 そこで浮上した原因は『2つ以上の思考回路』である。もとよりレアモンスターであり、目撃談すら少ない《ケルベロッサー》のさらなる小さな誤差。しかしそれを突き止めようとした酔狂(すいきょう)な小ギルドが、2度目のその現象を見た時確信に迫ったそうだ。

 さながら『脳』がリンクし、別々の信号を流せる循環機関を持つモンスター。

 そんな彼らにのみ許された専用技法。『脳を2つ以上有する』モンスターが『互いのスキルが邪魔をしない』という一定の条件を満たした場合にのみ与えられるシステム外スキル。そう結論づけられ、これを発見したギルドが命名していた。

 その名も《平行発動(パラレルオープン)》と。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 すなわち、これは『モンスター専用システム外スキル』が誕生した瞬間だった。そして俺は今、この現象を確信と絶望の眼差しで網膜に映している。

 

『『グオオォオオオオオオオオオオッ!!』』

 

 2頭の怪物の(たけ)りと、新たな戦闘技法。

 フロアボス攻略活動開始から7分。ボスはその圧倒的な膂力(りょりょく)でプレイヤーをねじ伏せていた。

 戦局の序章は、ペアギルティの独壇場と化した状態で進んでいくのだった。

 

 



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第28話 生と死の海峡

 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 《ナミング・インパクト》の同時発動は、それに伴って5人を一気に《麻痺(パラライズ)》にさせ、戦線を瓦解させた。

 本当に存在したのだ。物好きなプレイヤーが勝手に唱えているだけの眉唾(まゆつば)と思っていたが、あの現象は単純なバクではなく、実践可能な技であった。

 都市伝説として失念していた自分の頭に、俺は久し振りに嫌気がさした。

 

「(くっ……けど、今は対処をッ!!)」

 

 本層の双頭巨人型ボスは左右の攻撃スタンスが違う。《スタン》、《麻痺》、《毒》などデバフアタックを中心としたボスの左側に対し、右側は大剣と《炎》ブレスの高火力構成のようだった。

 さらに高く振りかぶられた右手が、横たわるレイド2の《軍》メンバーに向けられていた。

 

「ヤベェぞ、ヒスイ!」

「わかってるわよ!!」

 

 俺が叫ぶとコンマ数秒も空けずにヒスイが応えた。

 俺が《武器防御(パリィ)》スキルを、ヒスイは《反射(リフレクション)》スキルを発動して、振り下ろされた大剣を2人同時に受けることでぎりぎり防ぎきった。

 しかし真横から迫るハンマーは……、

 

「く……ッ!」

 

 ――避けきれない!

 そう悟り、俺は我慢しきれずに目をつぶる。

 ドガアアアッ!! という脳を揺らすほどの衝撃音はしかし、自身から1メートル以上離れた場所で響いた。

 

「よく耐えてくれた。感謝する」

「ヒースクリフ!?」

 

 シールドを掲げて端的に言うメチャクチャ格好良い紅白のおっさんタンカーは、なんと大手ギルド《血盟騎士団》の団長だった。

 E隊の代わりに前に出たレイド1のF隊、つまりKoB隊の小隊長である。周りに散開する団員にはアスナの姿もあった。

 

「ヒスイ達! 姿勢そのまま!!」

 

 1つの弾丸と化したアスナがボスの懐に飛び込むと、そのまま奴の膝を『足場』にして上空へ一気に飛翔。さらに彼女は尋常ではない《正確さ(アキュラシー)》で三連撃のソードスキルを目玉に全段直撃させていた。

 

『『ゴガアアァアアアアアッ!?』』

 

 その『閃光』のようなラッシュにたまらずボスは《フレイムブレス》を中断。さらに行動遅延(ディレイ)状態に陥った奴の大剣から力も抜けた。

 

「ッ……今よ!」

「やれる! 全員、フルアタックっ!!」

 

 ヒスイと俺の声で、追撃可能なプレイヤーは手に持つ剣に出せる最高攻撃力を咆哮も乗せて叩き出した。

 これによりボスのHPゲージ1本目は《注意域(イエロー)》へ突入。さらに《パラライズ》を起こした味方の復帰までの時間も稼いだ。

  実力至上主義のKoB。そんなF隊の参戦は、やはり攻略組にとって途轍(とてつ)もない心の支えになっていた。

 例えばスポーツ、テーブルゲーム、その他の駆け引き的な戦いで重要となるのがこの流れだ。多くの人にとって勝負とは力の差だけではなく、いかにして『実力を出し切れるか』、『自分の流れを作れるか』にかかっている。その具合によっては、多少の実力の差など埋まってしまうのだ。

 相性的な問題もさることながら、スポーツ界において世界ランクの順位通りの勝敗がつかないことがままあるのは、SAOというゲームにおける『筋力値』や『敏捷値』という数値だけが戦いの行方を決定づけるものではないことを証明している。

 

「しゃあッ、取り戻した! 血盟騎士団に続け!」

「軍の連中も取り巻き倒しかけてる! 持ち堪えろ!」

 

 思わず口元が緩んでしまうほど、血盟騎士団の参戦が流れを変えた。

 タイミングの良すぎる登場にヒースクリフとアスナには惜しみ無い称賛を送っておく。

 

「(やるなあいつら……)……しばらくは任せよう。あとヒスイ、パラレルオープンについて聞いたことあるか」

「新手の小技だよね? 裏付けもしてなかったし、まるで信じてなかったけど、一応」

「どう考えてもさっきのは……」

「ええ、見間違い……なはずないわよね。今の内にE隊の人に伝えておきましょう」

 

 俺達E隊も下がって体力回復に専念しているため、この時間ばかりは口を開く余裕はある。ボスから目を離すような愚行はおかさないが、情報交換をするならまさに今だ。

 

「そう言えばさ、よく《反射》がボス戦で使えたな。筋力値負けすると、こっちが弾かれるんじゃなかったっけか」

 

 パーティメンバーに一通り説明したあと俺はふと疑問に思ったことを聞いてみる。すると彼女は意外とすんなり答えてくれた。

 

派生能力(モディファイ)よ。初めに選べたのは『性能向上』、『受付時間延長』、『反動比重低減』とかだったけど、しばらくして選択肢に出たのが『衝撃吸収』なの。それで、あたしは優先的にこのモディファイを選んだってわけ」

「う……盾使う頻度凄いことになってるな」

「でも『冷却時間短縮』は取れてないわ。ボス戦のために無理矢理熟練度を上げたようなものだし、付け焼き刃なのは違いないはずよ。あまり今後に期待しないでね」

「よく言うぜ、俺が頼られる側だっつーの!」

 

 まあ、ボス戦では仲間に頼るし、頼られるものだ。しかし正面切って「助けて」と言うもシャクであり、格好がつかないのでそう答えておいた。

 それにしても一瞬見えたヒスイの技名は、俺のよく知る《リペルバリア》ではなく《リフレクション》専用ソードスキル、衝撃相殺吸収技《アブソート・エレメント》なる初見の技だった。これまたヒスイさんはずんずんと有名になっていくに違いない。

 

『『グルオォオオオオオオオオオッッ!!』』

 

 聖龍連合と軍が加勢に来て物量攻撃に晒されたボスは、たまらず1歩身を引きながら何かに憤慨(ふんがい)するように両の口から叫んだ。弱点部位に設定されている胸の仮面への波状攻撃も効いているのだろう。

 

『いっけえぇえええッ!』

「ぶった斬れッ! 流石だぜ聖龍連合!」

「軍も負けてねぇ! いいぞやっちまえ!」

 

 最も多くのプレイヤーに愛される《片手剣(ワンハンドソード)》が、直立する巨大な《直槍(ランス)》が、鋭利に光る《短剣(ダガー)》が、パワーを誇示する《両手用大剣(ツーハンドソード)》が、破壊を象徴する《戦鎚(ハンマー)》が、痛撃を彷彿させる《棍棒(スタッフ)》が、曲線を描く《湾刀(タルワール)》が、刺突攻撃用の《刺突剣(エストック)》が。ありとあらゆる武器が集約されて迫り、また交代しては脅威を与え続ける。

 そしてとうとうボスはその体力ゲージを……、

 

「よし、ようやく1段目を削った!」

「こっからだぞ、まだ気ぃ抜くな!」

 

 5本ある内の1本。ようやくここまで押し返したのだ。初めはボスが暴れるだけで翻弄(ほんろう)されていた戦場は、取り巻きを倒した強ギルド達の援護によって支えられた。

 やはり100人近いメンバーでの安定感は桁違いだ。

 

「取り巻きがリポップしました!」

「わかっている。DDAの者、聞こえたな! 取り巻きの相手に戻るぞ!」

「了解ッ!」

「がってんでさぁ!」

 

 ゲージを削ったことでボス戦における取り巻き、今回では《ラディカルガーディアン》が復活していた。これと共に軍も、聖龍連合も、次の1本を飛ばすまでは基本的には取り巻きを倒しに行かねばならない。

 よって後半は奴ら3強大ギルドの内2強ギルドがゲージの初めからボスの相手を取ることになっている。おそらく彼らはボスへのラストアタックを決めたいのだろう。

 そして軍とDDA、《ディバイン・ドラゴンズ・アライアンス》とも呼ばれる聖龍連合の各レイドA、B隊やその他のC隊が本来の敵に向かっていくのが見えると、またボスのタゲを取るために俺達が前に出た。

 

「パラレルオープンには気をつけろ! アレは噂じゃない!」

「マジかよ、オイ聞こえたか!? 同時発動はまだ来るかもしれない!」

「警戒を怠るな!」

 

 せわしない怒号が連綿(れんめん)と続いた。

 持ち直したとはいえ、戦いが終わったわけではない。むしろ争いはまだ始まったばかりだった。

 斬撃をかいくぐり懐へ深く食い込むと、俺の気合いと同時にザシュンッ! という斬撃音と、あまり愉快ではない肉切りの感覚が伝わってきた。ペアギルティの右腕を、俺の両手剣が通過したエフェクトとノックバックだ。

 なにせ頭を2つと8メートルに迫る図体を持つボスである。胸の弱点部位はともかく、大技をヒットさせることだってそう難しくはない。

 しかし命中した技は単発でも高威力のはずだったが、やはり奴が相手だと体力の絶対量が多過ぎて、ダメージが入っているのかさえ視覚から確認できなかった。

 

「ジェイド気づいてる? さっきより各隊の消耗ペースが速い」

「ああ、なるべく俺らで持たせるぞ。オイあんた! ペース抑えようぜ、このままじゃすぐにバテちまう!」

 

 俺がE隊隊長にそう進言すると、意を固めたのか時間稼ぎを優先させるよう隊員に告げていた。

 まだボス攻略が始まって18分。流れが傾いているからと、コトを()いては逆に足元を掬われる。もっとも、通常のボスならとっくに攻略の3分の1を終えていてもおかしくないペースだ。手練れの攻略組ではない新米が多く混在する、彼ら小隊の焦る気持ちは十分理解できた。

 しかしここで、ペアギルティが空間を震わすほどの大声をあげた。叫び声で動きを止める技である《バインドボイス》という単語が頭をよぎったほどだ。

 ペアギルティの『両腕の武器』が輝くのが見える。

 この現象から導き出される答えは。

 

平行発動(パラレルオープン)だ! ナミングと遠距離攻撃来るぞッ!」

 

 共に単発技であるはずのあれらは、武器を垂直に振り下ろすだけで互いの動きが干渉し合わない。まず間違いないだろう。

 しかしリーダーの叫び声と同時に各々はとっくに回避に移っていたのだが、慣れていないのか1人逃げ道を間違えた奴がいた。

 

「バッカ野郎、そっちじゃない!」

 

 俺は振り向き様に教えるがもう遅い。そいつは《両手剣》専用ソードスキル、長距離用単発斬撃、《マグノリア・ライン》を右肩に受けてしまった。

 ズッパアァアアア!! という衝撃波の後に遅れて宙を舞うプレイヤーの右腕。

 

「ぐぁああアアアアアアアアアアッ!?」

「はッ、マジかよ!?」

「うそ……っ!?」

 

 俺とヒスイだけでなく、討伐隊一同が同時に驚愕していた。

 俺達が目にしたのは《部位欠損》だった。行動遅延(ディレイ)部位欠損(レギオンディレクト)はデバフアタックによるバッドステータスとしては認識されない。なぜなら、これらの状況は例え敵がどんな装備の、どんな技であれ起こり得る現象だからだ。特殊効果のない剣でも再現でききてしまうのである。

 実際、俺自身ボスのハンマーやら大剣やらを受け止める度に、手が麻痺のような感覚に襲われながら一瞬身動きがとれなくなったりもしている。敵にさえ起こりうる一瞬の硬直、それがディレイだ。

 《部位欠損(レギオンディレクト)》も然り。このゲームでは敵味方を問わず特定部位に攻撃が重なると、そこが『切断』された状態になる。

 人間の首や胴に当たる部分でこれが起こることは『死ぬ場合』を除いて起こり得ない。しかし手首、肘、肩、大腿部、膝、足首、モンスターで言うなら耳、翼、尻尾などは《レギオンディレクト・ステータス》になりうる。そしてそうなったとしたら、8分20秒間はそこが『無い』状態で戦わなければならないのだ。

 ソードスキルによっては、発動したくてもプレモーションの条件を満たせない場合も出てくるだろう。ではどうすればいいのか。

 答えはシンプルだ。単純にそのソードスキルは発動できない、ということになる。失った部分を使わないソードスキルか、初めからシステムに頼らず何とかするしかない。

 そもそもこのゲームでは『欠損』はポーションや結晶系アイテムでは治らないため、切断そのものがされ辛い設定になっている。それこそ《部位欠損》を帳消しにするには特殊なレアアイテムか、《圏内》に戻って専用施設内で回復処置を施すしかないからだ。

 しかし、俺とヒスイが驚いたのは、何も現象そのものにではない。あまりにも『欠損』が早すぎるからだ。

 

「(まだ1段しか減ってねぇんだぞッ!?)」

 

 ボス戦、対人戦なら稀に見ることもあるが、それにしても早すぎる。

 右の『肩』から先を失ったレイド2の《軍》の奴は、今から500秒間ほぼ何もできない。なにせ飛ばされた腕の先に剣が握られていた以上、あれはその男の『利き手』だったはずだからだ。

 

「(ナミングを受けた奴はいない、でもっ……)……こっちだ!! 引け! 俺らの後ろにッづぅ!?」

 

 しかし、不自然に言葉が途切れる。

 走っていた俺をボスが蹴り飛ばし、横殴りの衝撃が肺から空気を全て追い出してしまったからだ。

 

「がァああああッ!?」

「ジェイド!」

 

 それを見ていたクラインと、今回攻略に参加している彼のギルドメンバー3人の顔が一瞬だけ視界に映った。俺を心配してくれているのだろうが、減ったHP自体は大したことは無かった。しかし、確かに俺が受けた衝撃はリアルなら首ぐらいもげそうなものだった。

 ――くそったれが……ッ。

 と、つい悪態をつきながら上体を起こすと、そこで目を見開いた。

 その時の俺には、ボスが片手鉄槌を赤褐色に染めていることだけが脳裏に焼き付いた。

 

「は……うそっ、だろッ!?」

 

 どこか「自分だけは助かる」という、何の根拠も確証もない楽観論に(すが)っていた俺は、ここに来てそのツケを払うことになる。

 標的は俺。立ち上がった直後だった。

 

『『グルオオオオオオッッ!』』

 

 ボゴォオオオッ!! と、(かわ)しきれなかった俺の腹を真下から鉄槌が殴ったのだ。

 自分の絶叫すら聞こえなかった。俺はそのまま空中に放り出されると、ゆっくりと回転する世界の中で今度は敵の大剣が焦げ茶色に染まっているのが辛うじて見えた。

 つまり……、

 

「(ハンマーは……スキルコンボか!?)」

 

 案の定、スキルコンボ初動叩き上げ技により、大剣の追撃を許すことになる。

 しかも地上から6メートルは飛ばされている俺は、ボスの正面にいながらまったく抵抗ができない。大剣の四連撃は間違いなく俺を斬り裂くのだ。

 「ひ、ッ……」という、短い悲鳴だけが俺の喉を通った。

 そして《両手用大剣》専用ソードスキル、超大型中級四連撃《トリエム・パルミエ》の発動を、最も敵に近い位置で見届けることになる。

 

「くっ、そがあァああああッ!!」

 

 スキルコンボは初見だったが、四連撃の《トリエム・パルミエ》はこの戦いの中でほかのプレイヤーへの攻撃の際に1度見ている。

 記憶が走馬灯のように巡った。俺は空中という不安定な中で、何とか行動できる範囲で大剣の場所を予測し、そこに自分の大剣を構えることができた。

 その結果。

 

「ぐあぁあああっ……かは……ッ」

 

 ガンッ!! ガンッ!! と甲高い音が4回響くと、10メートルはぶっ飛ばされたのだろう俺は、地面を転がりながらも体力をレッドゾーンで(とど)めることができた。

 しかし、生きた心地はしなかった。

 デスゲームが始まって以来初の危険域(レッドゾーン)。もう少しで、本当にもう少しで『ゲームオーバー』を迎えるところだったのだ。視界もレッドアウトしていて、『死にかけ』という臨場感をこれほど近くに感じたことはない。

 人が赤い。敵が赤い。景色が赤い。通念的にもシステム的にも、危険信号がバンバン放たれる。

 そして全段を直撃という形で受けていたら、俺は間違いなくこのアバターをデータの破片にして跡形もなく散らしていただろう。

 

「ゼィ……ゼィ……死ぬ……マジで死ぬ……おい、オイマジだって……!!」

 

 極度の緊張で喉が干上がり張り付きそうだったし、体は四つん()いになっているのに四肢の全てが痙攣(けいれん)していて、まともに立つことも話すこともできなかった。

 そんな俺は4足で走るようにして戦線を離脱すると、プレイヤーの壁に隠れてからようやくポーションを(あお)った。

 

「ハァ……死ぬ……死ぬ……かと……マジっで……」

 

 誇張表現ではなく1歩間違えれば俺は本当に死んでいた。死の輪郭を間近で捉えた俺からは、震えも一向に収まらない。未だに右手が遺骨大剣《ファントム・バスター》を握っていることが不思議なぐらいだった。

 だがそこへヒスイが走ってくると、怯えて縮こまる俺に激励を飛ばす。

 

「しっかりしてよジェイド! 回復は済んでるでしょう!? 隠れていたって変わらない!」

「ハァ……ゼィ……くっ……そ……」

 

 しかし、だからといって二つ返事で「わかったじゃあ頑張ろう」などと返せようはずもなかった。

 ヒスイは……この女は、レッドゾーンに落ちたことが最低2回はあるはずなのだ。少なくとも俺は目撃している。ということは、こんな状況に2度も陥っておきながら、未だに最前線に残留しているというわけだ。

 何とも思っていないのだろうか。何も感じなかったのだろうか。もしそうなら、この女は俺が思う以上にクレイジーだということだ。

 

「し、死ねるかよこんなとこで……あ、あいつは強すぎる。もう撤退しよう!」

「なに言ってるの。撤退戦は有り得ないって言ってたじゃない! やれることやるしかないのよ!」

 

 今度はヒスイの声に苛立ちの色が混ざりながら、怒鳴る応酬で時間のみが過ぎていく。

 

「やりたい奴にやらせればいい。そうだ、軍にやらせよう。これは危険すぎるんだ……!!」

「……ふん、やる気がないならそこで見てなさい。あたしはみんなを助けてくるわ」

 

 時間の無駄という視線を送り、それだけを言って彼女は俺に背を向けてプレイヤー集団に埋もれていった。

 その時になって俺は郷愁(きょうしゅう)にも似た、そしてそれとはまったく違う胸の奥を疼かせる不快な感覚に襲われた。目の前の女の行動原理が理解できなくて立ち竦み、その背中を静かに見送ることが、干渉しないことが最前の手だと思っていたあの頃の感覚だ。

 2023年、つまり今年の元旦に怒鳴り合った時の心の葛藤(かっとう)を。

 

「(でも、あの時とは違う……)」

 

 あの時は逃げるという選択肢、すなわちリスクを背負をない敵前逃亡ができた。

 雪の積もる夜の広場に集まったプレイヤーは、作戦を打ち合わせたわけでもない烏合の衆だったのだ。だからこそ、誰のせいにもされなかったし、誰のせいにもしなかった。

 されど、今はその前提がない。

 集団が逃げない道を取るならば、人数差を生かして実力の出し惜しみをしたって罰は当たらないはずだ。そもそも《軍》や《聖龍連合》の連中は、危険を承知で俺達をボスにあてている。

 まともにやっていられるか。

 しかしそう思った時……、

 

「嫌だ、イヤだあぁあああッ!!」

 

 右腕を失った軍の男の絶叫が、頭に届いてしまった。

 俺はこれを知っている。嫌でもビクリと反応してしまう。

 この声を3週間前にも聞いた。恐怖を体現したような顔は、深く刻み込まれた傷跡のように残っていた。

 《四刀流》によって死界へ(いざな)われた男の顔。

 しかし、当時の俺はどうしていたか。21層のボスと戦っていた時は、女に説教をくらってまで情けなく地面を這い回るような奴だったのか。そんな俺とは、もう去年の俺と共に消え去ったのではないのか。

 

「(くそ、情けねぇぞ……クソ野郎ッ!!)」

 

 人が死んでも攻略は続いた。1層のディアベルや、9層の名前も知らなかった2人組、戦いを実際に見たわけではないが15層でも1人、そして21層のあの男。

 皆があの世で見ていやがる。自分たちの死に意味はあったのかと。

 ここで新たな死者を出すわけにはいかない。ならば、どうするか。

 

「ちっくしょうがァッ!!」

 

 本日最大級の悪態をつきながら、俺は今度こそ前へ進むことができた。さらに、ぎりぎりのところで斬られそうだったF隊のメンバーへの凶器を俺のソードスキルで弾き返すと、今度こそヒスイと目が合う。

 その目は悟っているようで少しだけ悔しかった。

 ただし、もう目は逸らさない。

 

「しゃあッ!! 来いやデカブツ野郎ォ!!」

 

 無理矢理、自分への叱咤をかます。

 光と剣の世界で、その背景として溶け込んだ俺は、両隣りにいる攻略メンバーと呼吸をぴったり合わせて斬りかかることができた。示し合わせたわけでもないのに、驚くほどタイミングが合う。

 獲物を求めるように両腕が唸った。全身の筋肉が意思に反応して正しく駆動する。

 「今だ、スイッチ!!」と叫ぶと、彼らは即座に反応した。そしてレイド2のメンバーと俺達の隊が同時に後続とスイッチをすると、ボスの体力ゲージ2段目をイエローに。

 しかしボスも指をくわえて見ているわけではない。ここで激しい反撃がきた。

 

「ストンプのナミングだ! 真下から離れろ!」

「回避距離を間違えるなよ!」

 

 命令は的確だった。直後にゴバァアアアアアッ!! と爆音が響くが、事前に行動していた味方のパーティは敵のアグロレンジから脱出できているはずだった。

 しかし信じられないことに、一旦攻撃を止めてバックステップで距離を空けたほぼ全員のプレイヤーがナミング技を避けられないでいたのだ。

 動揺の波紋が広がる。

 

「があああぁぁあッ!?」

「やべぇ! くそ、やっべェぞくらっちまった!」

「オイどうなってんだ!? さっきと範囲が違うぞっ!」

 

 困惑の波に呑まれる。

 ゲージ1段を消費したボスの新技はスキルコンボだけではなかったのだ。その技、《ハイパーナミング・インパクト》は有効範囲とスタンタイムを1.5倍に広げたような凄まじい衝撃波を足下から広げ、多くのプレイヤーを縛り付けた。

 さらに左の頭が顎を天井へ向けて突き出している。大きく息を吸い込んでいる証拠だ。

 

「ヤバいッ、《ポイズンブレス》だ!」

「逃げて! なるべく遠くへ逃げて!」

 

 しかしそれができるのなら全員やっている。

 俺とヒスイの願望叶わず、ペアギルティは真下に向けて黒い塊を吐き出すように撒き散らす。それは何かの生き物のようにプレイヤーへ追いすがると、あますことなく彼らを呑み込んでいった。

 

「あがァあああああああッ!?」

「うわっ、うわああああッ!! ヤバいッて! 毒が!?」

「落ち着け! 全員落ち着け! 焦らずに解毒ポーションで回復するんだ!」

 

 いや、それでは遅い。

 

「ダメだ!! まずはその場を離れろッ!」

 

 混乱する命令系統の中で各々が勝手な対処を取る中、俺は目視してしまう。あの焦げ茶色に輝くソードスキルは、俺をニアデスに追い込んだ《トリエム・パルミエ》だ。

 ゾクリ、と背筋を冷たいものが這い上がってくる。

 俺を殺しかけたあの大剣の四連撃が、解毒ポーションを飲もうとする1人の男を確実に捕らえた。

 

「逃げろバッカやろォオオッ!!」

『『グオオオオオオオッ!!』』 

 

 しかしすべてが遅かった。

 ザンッ! ザンッ! ザンッ! と、赤いヒットライトが眩しく光る。その血色とは『クリティカルヒット』を意味するのだ。

 

「う、あ……ああァああああっ!!」

 

 隣で男の知り合いらしき男が生々しい声を上げる。

 斬り刻まれた方の男からは声は聞こえない。返事をしないのか、できないのか。戦闘中はみんな声を張り上げているのに。

 

「オイあんた!!」

 

 しかし、そこまでだった。その男が人型を保っていられたのは。装備の色、髪の色、肌の色。全ての、人である証明が打ち砕かれたのだ。

 破砕音は何秒も後になってフロアに響いた。

 

「ぁあああ……あぁあああッっ!?」

 

 目の前の光景を信じられない。いや、信じようとしない男は、右手の剣を滑らせるように地面に落としながら、『友だった』光の残照を両手で(すく)おうとしている。

 だが無慈悲にも、ゴンッ!! と、その男は真上からハンマーによって叩き潰された。

 鉄塊の中央部から突き出る槍のような刃に体を貫かれ、追い討ち状態で地面に縫いつけられる。「カッ……は……」と、武器の先端にぶら下がったまま、ほとんど声にもならない男の声がかすかに聞こえた。

 あまりに重い喪失感からか、あるいはそれを認めた上での戦闘放棄だったのか。本人の(うつ)ろな瞳は腹を貫かれた状態でなお、鉄槌に押し潰されていることすら認識できていなかった。

 

「嫌っ……いやよ……」

 

 となりで、かすかにそんな声が聞こえた。

 しかし、止まる事はない。ボスは突き刺した男をブォン、と空中に放り投げると、右側の口をガバッと開けて伸びる牙が上下からその男の体を貫通した。

 重力設定のプログラムミスのように、一種の現実離れした放物線を描いたすぐあと。バリィイインッ!! と、2度目の破砕音が耳に届いた。

 

「か……お、い……っ」

 

 何かを口にしようとして、乾いた空気だけがわずかにこぼれた。《攻略組》として、前線に生きた人間として、あまりにあっけない最期。唐突に訪れた2つの死。現実味はなくとも、最前線でそれを目にしたことのない奴はいないはずだ。

 つまり彼らは……、

 

「(死ん……だ……?)」

 

 間違いなく。

 疑いようもなく。

 

『『グルルル……ッ!!』』

 

 睨まれる俺達は()われたように怯え、震えて動くことすらできなかった。

 しかし、残酷な絶望は容赦なく獲物を逃がさんと確実に迫り来る。

 

 



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第29話 飽くなき絶望

遅れましたがお気に入り件数が250を越えておりました。あれもこれも皆様の励ましのおかげです。


 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 早すぎる死者。時間にして30分は戦い続けているが、討伐の進捗は3分の1程度だろう。

 止められなかった。こんなにも早く、2人のハイランカーの命を掠め取っていくとは思っていなかったからだ。

 いや、これは言い訳なのかもしれない。俺があの時、追い詰められた数秒間に恐怖でボスから背を向けなければ、もしかしたら防げていたかもしれない事態なのだ。

 

「(おい……オイでも、こりゃねェだろ……)」

 

 冷や汗と鳥肌。矛盾するような、場違いな臨場感。この石畳のフロアも、剣を握りしめ敵と対峙していることも、《リヴァイヴァルファラオ・ザ・ペアギルティ》が起こした目の前の悲劇も、何もかもがどこか遠くで起きた夢のような感覚だ。

 そうであってほしい。

 だが、これが現実だ。逃げても状況は好転しない。それに2人目のプレイヤーは、現実から目を背けたからこそ死んだようなもの。

 今もリンドやヒースクリフが戦線を立て直そうと必死に指示を飛ばしている。各プレイヤーも同様だ。怒りを力に変えることが最善の手だと理解している。ゆえに、彼らの死に対して悲嘆に暮れている場合ではない。

 ――呆けてる場合じゃない!

 

「クソッ、ヒスイ! 俺は軍の奴らと合流して一旦引かせてくる! 本隊がガーディアン倒すまで持ち堪えてくれ!」

「わ、わかったわ!」

 

 俺は走ってレイド2部隊のところに行くと、放心状態の奴らを首根っこ掴んででも強引に前線外へ引きずり出した。

 意図的に遮断されていたそいつの感情に、声による渇を無理矢理叩き込む。

 

「しっかりしろ! これ以上失う気か!!」

「おっ、お前に何が……ッ!! 友達だったんだ、あいつは!!」

「だったらなおさら剣を取れ! 考えて動けッ、今度は自分がそうなるぞッ!!」

 

 ボス戦は初参加なのかもしれない。いや、そうでなくとも、死者の目撃はきっと初めてだろう。

 彼らは人数差による圧倒的な勝利を信じてやまなかった。手順の途中でメンバーの誰かがミスをしても、適当にローテしていれば勝手に解決される。なんて、作戦と呼ぶにはあまりにも粗末な対処法だったが、事実それができていた。

 だからこそ俺は、それが愚の骨頂だと言っているのだ。討伐隊全体を危険にさらす行為だと。

 

「だ、だってよぉ、こんなことに……くっ……なる、なんて聞いてない……ッ!!」

 

 とそこで、泣きべそをかく男の小隊長らしき人物がようやく駆け寄ってきた。

 

「キミ、俺からもいいか。……よく聞いてくれ。気持ちはわかる。けど彼の言っていることは正しい。愚図をこねている暇はないぞ! まずはボスを倒す。動くことを止めたら君も終わりだッ!!」

「……わ、わかった。わかったよ……すまねぇ……」

 

 我らがE隊の小隊長も助け船を出すと、何とか絞り出された声からは少しだけ立ち向かう意志が感じられた。

 

「(上々だ。俺より立ち直んの早ぇよあんた……)……ヒスイ、そっちは!?」

「聖龍連合も援護に来てくれてる! 取り巻きと交代の準備しておいて!」

 

 取り巻きのタゲ取りに移ると言うことは、もうボスの《ポイズンブレス》に怯えて解毒ポーションを構えておく可能性がなくなったということだ。

 ボスは斬撃(スラッシュ)属性の大剣、打撃(ブラント)属性のハンマー、そしてハンマーの先端部は刺突(スラスト)属性を持っていて、デバフアタックも豊富。だが、取り巻きのガーディアンは貫通(ピアース)属性の槍しか武器がない。《ポイズンブレス》の毒、並びにデバフ攻撃による《バッドステータス》への脅威は薄まる。

 ヒスイはそのことを念頭に置けと言っているのだろう。

 

「あんたらレイド2だったよな。軍の本隊もそのうち来てくれる。それまで頑張れるな?」

「あ、ああ。……できる」

「よし、そのいきだ! ……やるぞクライン、聞こえたな! もうすぐ交代だ!」

「おう! オレらD隊にも指示は飛ばしてある!」

 

 すれ違い様に戦意の残るクライン達ともう1度だけ確認し合うと、俺はもうボスを注視していた。

 主戦力の参戦で後衛が主流となっているが、それでも俺はピックを《投剣》スキルの《アンダーシュート》で打ち出し、弱点部位に命中させた。

 下投げゆえに円弧を描くので速度は出ないが命中はさせやすい。もちろんダメージなど微々たるものだが。

 

「死んだ仲間のことは数えるな! 悔しかったらこいつを殺せッ!」

「我らが軍の力を見せてやれ!!」

『うおおぉおおおっ!』

 

 いくら技が多彩で強力なボスとは言え、物量攻撃に入ると体力の消費は目に見えて違いを感じた。

 ボスのHPゲージ2本目も瞬く間に赤く染まっている。

 

「待ってんかぁ! 取り巻き出す前にダメージ受けた奴は回復しとけや!」

「もうすぐ2段目を飛ばせる! 本隊はこれより連続でボス戦に入る! その前に各レイドのD、E、F隊はボスのタゲを取れ!」

 

 キバオウ、リンドもさすがに手慣れた猛者で、的確な指示を各パーティメンバーに飛ばしている。

 ボスの相手をしていた俺やクライン達の隊がしばらく時間稼ぎをして、頃合いを見てとうとうボスのHPゲージ2段目を消し去ることに成功した。

 

「守りを固めろ!」

「全パーティスイッチ!!」

「攻撃パターンの追加に気をつけろ!」

「ブレス同時にくるぞ! 回避が早すぎてもダメだッ、よく見ろ!」

「先に解毒飲んでる奴は構わず右に回り込め!!」

 

 怒号が飛び交う。

 双頭がそれぞれ息を吸い込む。ブレス攻撃は『ソードスキル』ではないため、頭が2つある以上、同時攻撃はたまにあることだ。それについては攻略隊も何の心配も動揺もない。

 しかし……、

 

『『ゴアアァァアアアアッッ!!』』

 

 全身がビリビリと振動すると、萎縮してしまうほどの電撃が走る。予想違わず吹き出された魔法攻撃は凄まじい音とエネルギーで有力ギルド達を襲った。

 視界が閃光で埋まる。

 そして攻略隊が目にしたものは、先ほどまでとまるで違う攻撃内容だった。

 

「バカなッ! どうなっている!?」

「フレイムじゃないッ! これは《サンダー》ブレスか!?」

「うわあぁあっ!? 何だッ、なンだよ!? 動けない!!」

「左もブレスが違うぞ!? く、クソッタレが! 何がどうなってんだよこりゃあッ」

「知るかよッ! く……っ!? 次の攻撃来るぞ!」

 

 信じられないことにボスは双頭のブレス内容を《フレイム》は《サンダー》へ、《ポイズン》は《アイス》へと攻撃方法を根本から変えてきたのだ。

 最も厄介な同モーションの攻撃変化。

 このせいで、解毒ポーションによるデバフ無効を前提に動いていた軍の連中は軒並みデバフ《氷結(フリーズ)》状態になり、回避タイミングがまるで違う最速スピードブレスの直撃を受けた聖龍連合の連中は《麻痺(パラライズ)》状態に陥っていた。

 細かい部分で違いはあるが、この2つの阻害効果に共通して言えることは、それぞれ身動きがとれなくなるデバフだと言うことだ。

 

「やべぇぞ、おいっ……ッ!!」

 

 ペアギルティが右手を左の腰にまで構え、背中に大剣を担いでいる。

 そのまま剣色を深緑色へ。次の瞬間、ボスが吠えた。

 咆哮はハウリングのように共鳴し鼓膜を振動させる。

 一喝と共に両手剣用二段斬り払い技《アークトラップ・フォール》を腰溜から一発、さらに俺が常習的に使用している《トラップ・フォール》のモーションを返しの刃で一発。これを目の前で固まるプレイヤー達に振り下ろしていた。

 ボスにとっては『下段斬り払い』でも身長差のあるプレイヤーにとっては違う。ズバァアアアアアアア!! という残響がうるさいほどの振動を携えて襲いかかると、攻略隊メンバーが宙を舞った。

 

「ぐあァあああああああっ!?」

「ふざっ、ふざッけんなや! なんやこれ!!」

「一時後退! 一旦引けぇ!!」

「駄目です! ガーディアンはもうリポップしています! 今我々が引いたら挟み撃ちに!」

 

 追撃は終焉を見ない。人々が震撼(しんかん)した。

 

『『グルアアァアアアアアアッ!!』』

 

 平行発動(パラレルオープン)で《アークトラップ・フォール》と同時に発動していたハンマーによる《ハイパーナミング・インパクト》が続けてプレイヤーを襲う。

 地震に近い包括的な揺れがフロアを襲った。

 背中を這う焦燥感。しかし、俺達は取り巻きの《ラディカルガーディアン》を相手にしているため援護にもいけない。いや、ガーディアン共を足止めすることが唯一の援護方法になっているのだ。

 だが隣で剣を振るう女には我慢しきれなかったのだろう。小隊編列から外れ、単騎で飛び出すのが見えた。

 

「く、見てられない!」

「おい待て!? ヒスイ!!」

 

 あろうことか、軍の本隊と聖龍連合を助けに行ったのだ。

 それを見た俺に浮かんだ感情は、はっきりとした怒りと憤りだった。

 彼女1人が助けに行ったところでたかがしれているし、この勝手な独断はE隊も巻き込む悪手となりかねない。彼女らしくもない。

 

「バッカやろっ……ぐあッ!?」

 

 ガーディアンから目を逸らした隙に、どてっ腹に《ラディカルガーディアン》の槍の直撃を受けてしまう。結果、俺は投げるようにして飛んできた細い槍に腹部を貫通されていた。

 しかも吹き飛ばされて仰向けに倒れた俺が見たのは、上下が逆転した世界でヒスイがボスに殴り飛ばされているシーンと、さらに軍の奴らがボスに斬られまくっている場面だった。

 

「くっそ……ちくしょう……ッ」

 

 (さや)に収まっているようにしか見えない分厚い大剣が、歴戦の戦士であるはずの討伐隊を羽虫のように追い払う。

 助けたいと思うものが、全て両手をすり抜けで零れていく。救えど、(すく)えど、溢れるものが液体のようにせき止められず、後から止め処なく床を血で濡らしていく。

 これ以上失いたくない。これ以上無くしたくない。無慈悲な神はこんなちっぽけな願いも叶えてくれないのだろうか。

 いや……、

 

「(いや違う……ッ!!)」

 

 怒りに身を任せたまま鬱血(うっけつ)するほど拳を握りしめてそう思う。

 そうだ。この世界に神がいるとすれば、それはSAOを運営するシステムであり茅場晶彦その人である。

 奴に頼っても何も成し遂げられない。俺は自分にできることを、決められたルールの中で、そして実力から(つむ)がなければならない。

 へばっている場合ではない。寝ている場合では……、

 

「ねぇぞ、クッソがァあああッ!!」

 

 恐怖を絶叫で吹き飛ばすと、腹に刺さったまま俺に貫通継続ダメージを負わせ続ける槍をズブリと抜き取る。

 左手でそれを投げ捨てた後は、新たな槍を構えているガーディアンめがけて全力で走った。

 靴底から返る圧力。俺の特攻に遅れて気付いたガーディアンはなけなしの反撃をするが、ほとんど点に見えた槍の切っ先は、首を少しだけ左に傾けてギリギリ躱す。

 ガシュッ!! と耳に鋭い痛みが走るが、神経を集中させて無視した。

 

「らあァあああああっ!!」

 

 ゼロ距離で体の重心を左に傾けると、動物を象った顔面に、殴りつけるような両手剣をお見舞いする。

 ゴガンッ!! という金属音をほとんど聞くことなく、返しで腰に一撃。顔をめがけて放たれた敵の薙払いは屈んで躱し、そこへ中級単発下段斬り《トラップ・フォール》を発動して足に命中させると、奴は上下をひっくり返されたように頭から地面に叩きつけられた。

 まだ終わらない。俺が敵を転倒(タンブル)状態にさせると、そいつの槍を蹴り飛ばして狂ったように大剣を振り降ろす。

 

「あぁあああああァアアッ!!」

 

 最後の方はほとんど裏返った声を上げながら獣のように弱点部位へ絶え間ない斬撃を浴びせた。

 ゆっくりと伸ばされた敵の腕が俺の足を捕まえる。

 だが、先行したヒスイを助けるためにも、ここで止まるわけにはいかない。

 

「死ねよ、クソがぁああああッ!」

 

 俺の足を掴み、なお立ち上がろうとするガーディアンの顎にスキル発動。《両手用大剣》専用ソードスキル、初級二連斬り上げ《ダブルラード》を二段とも命中。無理矢理俺から引き離しながら立たせる。

 そのまま下半身を『伸脚』の形にすると、後ろに構えた脚が臙脂(えんじ)色に輝き、《体術》専用ソードスキル、中級単発突進強撃《凱膝華(ガイシッカ)》を膝蹴りの要領で敵の鼻柱にめり込ませた。

 

『ギュクッ、ク……』

「(まだだッ、俺1人で消し飛ばす!!)」

 

 敵はまだ死なない。ならば、攻撃も終わらない。

 声にもならない音の塊を喉から絞り出しながら、反対側から一撃。捻転力を生かし、時計回りに今度は腕を斬り刻む。

 敵の反撃。左肩に噛みつこうにしてきた牙を、体全体を左に向けることで躱しながら腹を斬り、筋力値の許す限りの速さで刃のベクトルを逆向きにして(すね)に斬撃。

 さらに右目に左の肘打ちをくらわせて、敵左腕の掴み技の回避に成功した俺はその手首の『切断』にも成功し、よろめくガーディアンに重い両手剣で延々と首を斬り刻んだ。

 最後の気合が反響した。

 バキイィイイン! と、とうとう猛進撃に耐えかねたかのように、ガーディアンの首が部位欠損(レギオンディレクト)を起こした。

 『首』か『胴』は基本的には欠損しない。する時とはすなわち、『死ぬ』時だからだ。

 

『ギュククク……!?』

 

 体力残量をゼロにした取り巻きの爆散エフェクトすら無視して、俺は後ろを振り返り状況を確認した。

 そして、よりにもよって例の分厚すぎるボスの大剣がプレイヤーの『胴』を真っ二つにしているのを見た。

 

「うわああぁぁああああっ」

「ウソっ。だろッ!? ぐ……おい、タンカーは何やってる! また人が死んだぞッ!」

「ヤバいって! こいつマジでやべぇえよ!!」

 

 本隊の《パラライズ》と《フリーズ》はもう解けている。しかし動けないデバフステータス中に散々攻撃を受けた主戦力は、傷を(いや)しきる前に敵の斬撃を浴びたのだ。

 新たな死者を出してしまった。さすがに間近で『死』を見せつけられると、スムーズに対処できるはずもない。みな戦々恐々としていた。もうどうしようもない、仲間の死に。

 ――間に合わなかった……のか。

 そんな事実だけが眼前に迫った。

 脱力感が押し寄せ、焦点が合わなくなる。俺の原動力は人の死を避けること。だから自分の限界を出したというのに。

 

「(なんっで……なんでだよ……ッ……)」

 

 沸々と湧き上がる怒りは、8メートルもの全長を持つ双頭の巨人へと向けられた。

 こいつのせいで。こいつがいたから、何の罪もない人間が犠牲になった。人殺しが、……人殺しが、……人殺しが!

 

「人殺しがあぁああッ!!」

 

 1歩を踏み出しかけた瞬間だった。

 

「少しは落ち着け、お前も体力見ろ! ったく、死にかけてるじゃないか……」

 

 首元を捕まれて強引に引き寄せられると、そこで俺は初めて自分の命が7割程消滅していることに気付いた。ガーディアンとの戦闘中にも自分が見えていなかっただけで、それ相応に邀撃(ようげき)されていたというわけだ。

 

「くっ、でも……でもっ」

「おい聞け!」

 

 泣き出す寸前だった俺の襟首を掴み上げてE隊のリーダーは額がくっつきそうなぐらい顔を近づけて俺を叱る。

 その手には回復ポーションが握られていた。

 

「飲め。まずは体力を回復しろ! ……さっきのはナイスだったよ。よく1人で倒した。だからこそ、E隊全員で助けに行くんだ。わかるだろ!!」

「……ぅ、くっ……」

 

 俺は今度もしっかりとそいつの目を見た。その射貫くような視線は、同じように怒りに満ちている。

 全てにおいて彼の言う通りだった。いま俺が後先考えずにボスに手を出していたら、『4人目』の死者リストに立候補しただけだっただろう。ここに(のこ)る者達へ、他でもない俺自身が負の感情をまき散らしに行くだけだっただろう。今までがそうだったように。

 

「すま……ねぇ……」

 

 激しい羞恥心に耐えながらそれだけ答えると、未だに震える手で彼のそれをうけとり、一気に呷ってから頭をブンブンと振る。そして「もう大丈夫」とだけ言うと、戦列を立て直して改めてボスを見据えた。

 デバフから立ち直る前に死者を出してしまった攻略メンバーも、未だに勢いがついていない。それでも取り巻き対処組の中で最速でガーディアンを倒した俺達は、準備が整い次第すぐにでも援護に向かえる状態だ。

 もう自暴自棄にはならない。命は俺だけのものではないのだ。共に背を預け合う俺達は運命共同体であり、一蓮托生(いちれんたくしょう)であらねばならないはずだ。

 体力が8割以上回復した時点で「もう心配かけねぇよ」とだけ伝え、俺は改めて敵へ振り返った。

 そして、再戦の時がきた。

 

 



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第30 各個撃破任務(キリング・イーチ・オーダー)

 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 攻略開始から約45分。

 

「本隊のみんな、聞いてくれ! E隊が抑えるから今の内に体力を回復するんだ!」

 

 俺も所属するE隊のリーダーが声を張り上げると、それを聞いた聖龍連合や軍の奴らがすかさずスイッチを敢行。俺は《ラディカルガーディアン》から受けたダメージを回復していたが、その間に取り巻きを倒したレイド1のF隊、つまりKoBの小隊も増援に駆けつけてきた。

 よって俺達を含み、16人がレイド本隊の代わりに戦線を維持する。

 ヒスイも独断先行の末にプレイヤーを守ることができなかったためか憔悴(しょうすい)しきった目をしているが、闘志が消えて無くなったわけではない。

 リーダーだけはケジメとしてヒスイに注意をしたが、E隊に戻るやいなや「ごめんなさい」とだけ言う彼女を、それ以上責める人間はいなかった。それは、ここにいる誰もが彼女の気持ちを痛いほど理解しているからだ。

 だがこの話はもう終わりだ。後は意識を切り替えてボス、ペアギルティを倒すために一致団結するしかない。

 

「ここまで来たんだ、絶対倒すぞ!」

「やられた奴らのためにも!! このまま引き下がれるかよッ!」

「解放の日のために!!」

「全員、突撃ぃッ!!」

 

 男達の雄叫びが力として顕現すると、ボスの体力が減少することで目に見える形で数値化された。

 ここまで来てようやく大剣とハンマーの動きに慣れてきたプレイヤー達は、ソードスキルを警戒しつつも攻撃の手を休めることはなかった。ダメージ効率も順調に上がっている。

 そして、ついに本隊とのスイッチだ。

 

「さんざん好き勝手してくれたやないか!」

「倍返しにしてやれやァッ!!」

「これで決めきる! 3本目飛ばすぞッ!」

「モーションはありったけ変更するモンだと思ってかかれ!!」

 

 全プレイヤーが憤怒の形相で押し寄せるのを見てたじろいだかのようにボスが半歩、また半歩とじりじり壁に追い込まれていった。

 数の暴力が、ペアギルティの体力ゲージ《レッドゾーン》すら見えなくさせた時。

 

「しゃあ! 4段目だ!」

「手ぇ抜くなよッ、人数差を過信するな!」

「でもあと2本! いっけぇえええッ!!」

 

 体力ゲージラスト2本。ようやくここまで来た。

 しかし、このボスだけは3人もの死者を出しておいてなお、未だにゲージを2本残している。油断は禁物。どころか、本当の戦いはまだ先にある。

 

「本隊からも死者が出てる。こっからだぞ」

「ええ、しかもボスはこれでさらに攻撃パターンを増やすわ」

 

 正直、すでに攻撃パターンが多すぎる印象もあるが、彼女の言うように奴はこれからさらに攻撃パターンを増やすはずだ。

 NPCからの情報では何がどう増えるかまではわからなかった。ならば、ここからは俺達攻略隊が自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じるしかない。

 

『『グオォォオオオオオッ!!』』

 

 激怒の叫びを天井に吐き出すと、浅黒かったボスの肌が赤く染まっていき、人の幅ほどあった二の腕の筋肉はさらに盛り上がる。より脅迫的で毒々しい姿になった。

 さらに、武器までも変化した。右手に持つ大剣は(つば)の部分から抜け落ちていき、支えを失った大質量の抜け殻はゴトンッ、と地面に落下。すると中には、隠し武器のように片手用直剣が顔を覗かせる。左手の長柄鉄槌は金属の塊がごそっと削げ落ち、長柄の部分のみ、つまり片手用の長槍に変わったのだ。

 

「なんっ、だッ!?」

「攻撃内容がどうとかの話じゃねぇぞ!? ソードスキルも一新されるッ!」

「武器そのものが変わった!? やっと慣れてきたってのに……か、各隊気を抜くなッ!!」

 

 赤黒い体からドスの利いたオーラを纏うペアギルティが、胸の中央にある金の仮面をより一層際立てながら上体をグググッと屈めると、その反動を利用して凄まじい高さのジャンプをした。

 

「うそ……っ!?」

「なんっだ、この技は!?」

 

 《軽業(アクロバット)》専用ソードスキル、緊急脱出用跳躍技《アラート・エヴァキューション》。技自体は目撃したこともあるが、巨体でやると回避の距離もインパクトも次元が違う。

 一拍ののち、ドガァアアアアアッ!! という爆音と土煙を上げながら、ボスが俺達と本隊との間に着地。

 今度は本隊を壁際に追い込む形を作ったのだ。

 続いて左手で《短槍(スピア)》専用ソードスキル、刺突強撃八連撃《ドミニックバニッシュ》を発動し、その効果範囲にいるプレイヤーを文字通り八つ裂きにしていた。

 そして絶命の叫びと共に聞こえる、3つの破砕音。

 

「くっ……そが……!!」

 

 後退して回復に専念していた無防備な連中を狙われたのだ。

 この時点で死者6人。負のスパイラルは、想像以上に本隊にも迫っていた。

 

『がああぁぁあああッ!?』

「くるなぁアア! やめてくれええ!」

「もうイヤだ! 誰かぁああっ、楽勝じゃねえのかよ! 話が違うじゃねえか!!」

「逃げるなやァあ! 軍が逃げとってどうするんやッ!!」

「隊列を乱すなッ! 奴にあるのはリーチだけだ! 死にたくなければ殺るしかねぇんだよ!!」

 

 キバオウやリンドは果敢にも前に出てパーティメンバーを守ろうとするが、それだけでは足りない。その証拠に、指示の声は届いているはずなのに、行動の統制ができていない。ボスはあれだけ徹底されていた強ギルド達の戦列をいとも簡単に打ち崩していた。

 

「くっ、F隊が前に出る! 今は敵の後ろを取っている! 諸君は手順通りにやれることをするのだ!」

『り、了解!』

「団長! 私がやります!」

 

 ヒースクリフが有無を言わさぬ声を張り上げると、戸惑う隊員が条件反射のように動き出した。

 アスナだけは正気なのか、唇を噛みしめながらもコンビネーションアタックのラストを請け負っていた。明らかに1番危険な役割である。

 彼女はレイピアを命中させることだけに集中していた。

 怖いはずだ。実際にプレイヤーが死ぬ瞬間を突きつけられた。それでも『この場でたじろぐことが、部下を危険にする』と割り切れている。

 素直に戦慄した。正直、その人間味のない正義感は気味が悪い。

 ボスが化け物だというのなら、最強ギルドを先頭で引っ張る連中も同じく化け物だった。

 

「(でも今は何だっていい、誰か何とかしてくれ!)」

 

 フロア攻略前にあった余裕の表情や態度はもう消え失せている。ここにいる奴は、全員が喉も枯れそうなほど狂った声を上げ、殺人をはたらく怪物を殺しにかかっていた。

 そしてF隊が多段攻撃を加えると、アスナの放つ《細剣》専用ソードスキル、中級高速三連突き《ファイパル・リニート》が全段クリティカルで命中し、ヘイトの蓄積に成功する。

 反撃はまだ終わらない。俺達の方へ振り返るボスの背景で、頭上すら飛び越えられるほどの高度にいる2人のプレイヤーが『壁を走って』いたのだ。

 あれは確か《疾走(ダッシュ)》スキルの熟練度が350を越えたところで獲得条件を満たす派生機能(モディファイ)の1つ、『特定部位摩擦係数上昇』を取得して初めて使えるスキル《ウォールラン》。

 見ると、彼らはリンドとキバオウだった。2人はとうとう壁を蹴り飛ばし、片手直剣を上段で構えているのが見えた。

 両者の武器が薄水色に発光する。

 

「うおおぉぉおおおおッ!」

「せあぁぁあああ!!」

 

 そしてボスの『上空』から、位置エネルギーと重力加速度を最大限に活かすダメージ。さらに、壁から受けた反動による初速を利用した《片手直剣》専用ソードスキル、上段単発突撃技《ソニックリープ》が、最高攻撃力でもって2つの脳天を貫いた。

 

『『ガゴオォオオオオオオオオッ!!』』

 

 弱点部位への同時ヒットで絶叫するボスを背景に着地する2人。その顔はすでに猛者のそれだった。

 さすがに効いたのか、今までにない声を上げるペアギルティは行動遅延(ディレイ)にも陥ったようで、前後の攻略集団から凄まじいほどの挟撃に遭いダメージを与えられている。

 多くの死者を出したばかりだが、ほとんどのプレイヤーの脳はもう麻痺しているのだろう。仲間のことについての喪失感はおそらく後になってやってくる。

 しかし、俺達とクラインの隊がもう1つの弱点である胸の仮面に絶え間ない斬撃を与えた時、あと少しで4段目が《イエロー》まで届こうという時になって、再びボスが平行発動(パラレルオープン)を使用してきた。

 

「クッソ、またかよッ!!」

「両手の武器が光ってる! タンクを前面に!」

「もう間に合わねぇッて! 各自で備えろ!」

「おい来るぞッ!!」

 

 群青(ぐんじょう)色と(さび)色に輝く片手用直剣と片手用短槍。相互の武器が、二刀流さながらな斬撃を繰り出す。

 技の名は初級谷状二連撃《バーチカルアーク》と初級鋭角三連撃《トライアングルロスト》。技名は判明したが、俺には剣を振り回した後の光の跡しか見えなかった。それほどまでにボスにとってあれらの得物が軽すぎるのだ。

 

「ぐああぁあああああッ!?」

 

 俺自身その五連撃に巻き込まれ槍の一撃を受けてしまう。しかもヒスイもクラインも、アスナさえも1発以上はくらって後方に吹き飛ばされていたのだ。

 轟音と耳鳴り。

 この直撃を受けた俺の体力はイエローに差し掛かったが、奴はこれで本隊に背中を向けたことになる。

 

「ボスが背を向けている!」

「今がチャンスだ! 我々主力の力を見せてやれ!」

『うおおぉぉおおおッ!!』

 

 聖龍連合と、そのギルドではないが手練れの8人、さらには軍の主戦力の計44人は未だ健在だ。

 ボスが勢いを増したらしりぼみ、勢いを削がれたら攻撃的になれるのは大組織特有の長所であり短所でもある。そして目まぐるしく移り変わる戦局の傾きは今、攻勢の時を示している。

 無防備な背中に向けて数の暴力が本領を発揮した。

 

『『ゴガアァアアアッ!!』』

 

 しかしボスも本気で、ストンプによる《ハイパーナミング・インパクト》が、数の多さゆえに逃げようのなかった多くのプレイヤーを呑み込んだ。

 そしてデバフカットの装備を着ていない、あるいは《対阻害(アンチデバフ)》スキルの熟練度が心もとないプレイヤーは軒並み《パラライズ》に陥る。

 次から次へと流れ込むプレイヤーに、適当に振られれば必ず命中する人口密度。敵と味方が互いの命を削り合う地獄絵図。さらにボスは体力ゲージを《レッドゾーン》へと。

 プレイヤーもその多くが危険域への低下による『戦闘不能』になっていき、混戦をよそに状況だけが進んでいく。ブレーキの故障した欠陥車のようなスピードである。

 

「ハァ……ハァ……手が付けられない。物量攻撃が成り立つのは、それ相応のレベル差があってこそなのに……!!」

「ええ。でも、もう本隊のトップも事態を収拾しようとしていないわ。今まではこれで勝てたんだから……っ」

 

 ヒスイのおっしゃる通りだ。前層も、前々層もこれでボスを圧倒できた。しかし俺から見える範囲でもHPが危険域にまで陥ったプレイヤーがもう数えられないほどいる。しかも彼らは激情に流されていただけで、いざ自分が死にかけると子供のように慌てだしている。おそらく、視界に赤い(もや)がかかるレッドアウト状態になっているのだろう。

 これをいつまでも繰り返していると、取り返しのつかないことになるはずだ。

 そこで、戦域のどこかで絶叫が上がった。

 否、これは断末魔だった。

 声が途中で中断される。また1人、プレイヤーが割れた。これで死者7人。

 

「ひっ……死なねぇ……死なねぇよこいつッ!」

「もういやだ! まだ無理だったんだよ! 今からでも撤退戦を……!!」

「狼狽えるな!! 最終ゲージには突入している! ここまで来たらあと少しだッ!」

 

 総隊長のリンドはそう言うが、しかしそれは無謀というものだ。もうリンドやキバオウがいくら叫んでも、何を訴えても、戦線は維持できていない。

 死の恐怖を越える説得力がないのだ。

 それを証拠に、数人のプレイヤーが勝手な逃走劇を繰り広げていた。

 

『『グオォォオオオオオオオ!!』』

 

 当然のように、ペアギルティは隙だらけのプレイヤーを屠るために剣を振る。その絶対的なリーチでさらに2人の攻略隊がいくらかの呪詛(じゅそ)を遺しながら消え去った。

 

「くっ……あり得ねぇ! 死にすぎなんだよ!! お、おい止まれ!! ……背中を向けるなッ!」

 

 手足を動かしながら、焦燥だけが心を焼いた。

 切ないほどの、寂寥(せきりょう)感にも似た何かが声を出すことを強要してくる。

 しかし、激流の中では小さな水の流れなど無意味だった。ただ埋もれ、何事もなかったかのように物量で押し切ろうとしている。まるで急流に小石でも投石したような無力感。貴重な結晶(クリスタル)アイテムを使っているプレイヤーもかなりいるが、戦いとは自棄(ヤケ)になったら終わりなのだ。

 

「ジェイド! ヒスイさん! ガーディアンがリポップしてる! E隊はその撃退に移る!」

「本隊はもう任せるしかない! KoBの命令だって無視してんだぞ!?」

「くっ……わかった……」

 

 気づけばクラインの隊も取り巻き相手に移っている。冷静な人間がいるなら、その者だけでも本来の動きをしなくてはならないのだ。

 幸いボスの取り巻きである《ラディカルガーディアン》単体では弱い部類に入る。やれるなら俺達でさっさと倒してしまえばいい。

 

「行きましょうジェイド。今度も最速で助けに行けばいい……」

 

 ヒスイが言葉の後半を本隊のいる方へ向けながら小さく宣言すると、鬼人と化している主力メンバーをおいてガーディアンを捉えた。

 

「やるわよ! 先に仕掛けるから後ろについて来て!」

 

 その可愛らしくも男勝りな激励を聞いてなお、全力で応えない男はいなかった。

 彼女は特攻し、ガーディアンの正面に立ち、初撃から《リペルバリア》を発動してセンターヒットでガーディアンをよろめかせていた。

 最速で殺すなら最も早く斬撃を見抜き、最も効率よく対抗手段を実施し、最も『速く』カウンターを浴びせる。

 ――妥当な難度だ。やってやる!

 

「おっらァああッ!!」

 

 スイッチの要領でヒスイの脇を通って直進すると、槍を弾かれて大きく仰け反ったガーディアンの腹に、すれ違いざまに右側に振ったファントムバスターで横一文字の斬り込みを入れる。

 ガギィンッ! と、肉体を斬っただけでは本来発生し得ない金属音が響いた。が、それを無視すると右足を地面に擦らせて敵の真後ろで止まる。そして姿勢を低くしたまま、へし折る勢いで首に向けて両手剣を振り、それもクリティカルで命中。

 最後に、槍を左手に持ち替えて振り向きながら反撃をする取り巻きの攻撃を、俺は左手で受け止めた。

 

「ぐあぁあああああああッ!?」

 

 当然、防御にもなっていない行動で、俺の体力ゲージは相当減った。しかし、ようやく敵の得物を抑えられた。

 両側から介入者が現れる。

 F隊メンバーがシミターとランスをクロスさせるように挟み撃ちでガーディアンの両脇を抉った。

 すかさず追撃。俺は《体術》スキルの単発強撃突進技《凱膝華(ガイシッカ)》のプレモーションを作成。発動直前に敵の顎を片手剣でヒスイが真上に貫き、遅れて発動した《ガイシッカ》が再び顔の向きを元に戻そうとしていた敵の顎に直撃した。

 木板を割るような不快な音を立てつつも、そのまま1メートル近くジャンプしている俺は、着地間際に体の真上に掲げられた両手剣を筋力値の許す限りの速さで振り下ろした。

 

「ガあぁああああああああッ!!」

 

 ガギイイィンッ!! と、生々しい斬撃音が連続すると、そこへ追い打ちのように残りのメンバーがスイッチを実行しつつソードスキルを連発。

 ボスに伴って相当な量を誇っていたはずの取り巻きの体力は一気に半減し……いや、半減を通り越して《レッドゾーン》まで減り、何が起こったかもわかっていないような仕草すら見せていた。

 戦闘開始から20秒とたたずゲージの8割を消し飛ばした。小隊の息が合えばその爆発力は武器になる。

 

「もっとだ! これ以上好きにはさせねぇえ!!」

 

 次は俺とリーダーが先陣。休む暇などというものはない。どの隊よりも早くガーディアンを殺したら、次はペアギルティの相手である。

 混乱と激闘は、スパートをかけて加速する。

 

 



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第31話 攻略失敗

 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 2度目の取り巻き撃破。モデリングの安い、アポピス顔の銅像が砕け散った。

 ヒースクリフやアスナがいるF隊も出し惜しみをしなくなったのか、俺が《ラディカルガーディアン》にラストアタックを決めるより早い討伐速度で本隊とボスの援護へ向かっていた。

 そこには50人を越えるプレイヤーが乱立し、正確な人数など計りようもなかったが、やはり先刻の劣勢を見るに少しだけ数が減っているように思えてしまう。

 そしてそれは、まさしく事実だった。

 

「ハァ……クソ、主力隊は……ハァ……何人減った!?」

「ひ、ひいぃ……もう嫌だ……もうイヤだよ……」

「おいッ! 何人減ったか聞いてんだよ!!」

 

 俺は後ろの方で怯えて尻餅をついていた奴の正面を膝立ちで占拠すると、胸ぐらをふん捕まえて何人『死んだのか』を問いただした。

 もちろん「ゼロ」だと言ってくれることが1番望ましかったが、そいつは弱々しくも「4人だ」と答えた。

 4人。ボスのゲージはラスト1本なのに。これで、今日だけで13人ものプレイヤーがこの世界から退場したことになる。ボス戦における死者最多数などというレベルではない。今までフロアボスに殺られた『総数』すら軽く越えているのだ。

 

「ちくしょう、なんだよその数……」

 

 E隊全員の蓄積ダメージが回復しようという時に、とうとう視界に移るボスがその体力ゲージ最終段を黄色に染めた。

 あと少し。ここまできたら、本当にあと少しだ。

 

「(くっ……ここで引くわけには……)」

 

 もし撤退なんて話が出たとしよう。その場合、きっと討伐会議なんてものは2度と開かれなくなるだろう。

 事実上、それ以上の犠牲を払わなければ撤退など有り得なくなっているのだ。

 人数が増えることが、ここまでのリスクを負うことになるとは思わなかった。……いや、頭をよぎってはいたのだ。だからこそ、今までのボス討伐では高レベル1レイドで堅実な攻め方をしてきた。2レイド戦術が悪いわけではない。数を生かせぬ戦いをしたから……レイドを2つも立ち上げておいて、誰も統括できなかったからいけないのだ。

 

「(作戦はもっと緻密にテッテーさせるべきだった……)」

 

 俺は心の中で吐き捨てるが、これは結果論である。経験則から今まで通り瞬殺できると確信していたのは、他でもなくこの俺だ。そしてあの時、ボス攻略会議に参加していたプレイヤー全員の総意だった。

 しかし、俺が膝立ちのまま呆けていると、ヒスイがまたも叱咤してくる。

 

「ジェイド、止まらないで。これ以上犠牲を出さないためにも、立ち向かうのよ」

「ヒスイさんの言う通りだ。幸い、俺達の隊から死者は出ていない! しかも、ぶっつけなのにいい連携だ。なぁみんな!」

 

 リーダーが呼び掛けると「ああそうだぜ!」「オレらならやれる!」とみんなして声を揃えていた。

 恐怖を前に、彼らも必死に紡ぎ出しているはずなのに、不思議と気力が湧いてくる。

 さりとて、そうやって生まれた意志や戦意こそが重要なのである。精神的な恐怖の克服は寸分違わず実際の戦闘に影響する。

 

「よし……やれる! 俺達ならできる!」

「おうそうだ! ここまで来たら、俺らの方から軍の連中助けたろうぜ!」

「次のローテでラストアタック取るぞ! レイド1E隊! 戦闘用意!」

『おおぉぉおおおおッ!!』

 

 剣を地面にぶつけ叫ぶことで自分を鼓舞する者、切れ味を確かめるが如く盾と剣を擦り合わせて構え直す者、ただひたすら精神を研ぎ澄ませて目を瞑る者。それぞれの方法で精神の高みへと駆け上がる。

 同時にキバオウがE隊に前に出るように命令してきた。

 最後の参戦だ。

 

「全員、攻撃開始ぃッ!!」

 

 各位が自慢の愛剣を強く握り8メートルの巨人に向けて疾駆(しっく)する。

 すぐに直剣と槍の多彩な攻撃が凄まじい勢いで押し寄せるが、しかし俺達には当たらなかった。意識が恐怖に打ち勝ち、しっかりと剣筋を見切っていたからだ。

 これは非常に不思議な体験だった。このような、例えば本物の剣や槍を避けるスポーツがあったとしたら、生粋のスポーツマンでも委縮して避けられないだろう。筋肉バカな学校の奴らだって同様である。実際に攻撃が当たると『殺される』のだと知ってしまうと、普通はこんなにも体は頭の言うことを聞かないからだ。

 しかし、現にそれを成している。

 

「(スゲーよ、今なら殺せる気がするんだからなァッ!!)」

 

 「ぶっ殺す」。ただこれだけの感情で俺の中が埋まったことは今までになかった。ストレスが極限に達した時であれ、腹の立つ大人達に殺意を持とうとも、俺にも至らないところがあったと感じていたからだ。

 今回は例外である。迫る剣も槍も、しゃがみ、跳び、体を捻り、立ち位置を変え、剣で軌道をずらして回避する。そのまま反撃の一手を確実に決めていき、殺戮マシーン然とした動きで俺達E隊は武器を振る。

 さらにクライン達のD隊や軍の援軍も到着し、圧倒的な人数でとうとうボスを囲むように追いつめつつあった。

 慈悲はない。ひたすら殺意を行動に移すだけだ。

 

「これでようやく……な、なんだぁ!?」

 

 しかしペアギルティは進化を止めなかった。

 奴の周りで半球のような形で爆風が起こり、全周を囲っていた20名以上のプレイヤーが吹き飛ばされていたのだ。

 あざ笑うように。胸に掛けられていた金色の仮面の閉じられていた『目』と『口』がガバァ、と開いてその暗すぎる空洞から真っ黒で血の様なドロッとした液体が溢れ出している。

 

「ひっ……」

 

 そのあまりにグロテスクで不快な恐怖を与える現象に、ヒスイとアスナが強ばった悲鳴を少しだけ上げる。が、言うまでもなく無敵モーションに入っているボスが人を脅すためだけに仮面から液体をこぼしているのではない。

 その液は空気に触れるとすぐさま蒸発し、黒い霧状に気化したまま奴の周りで滞空しだしたのだ。

 これによってボスの体のほとんどがその黒い『霧』に覆われることになる。しかし、薄くぼやけているがボスの姿はギリギリ視認できるため、こんなことにいったい何の効果があるのかわからない。

 

「い、いや……なんだ? 目がかすむ……?」

 

 やがてゆらゆらと視界が揺れ、ペアギルティの姿をしっかりと視認できなくなった。まるで視力が一気に低下したような感覚が襲い、ただでさえ細い目をさらに細めるが、それでも視力は復活しなかった。

 だが、こんなことが許されるのか。

 こんな単純な事で奴と戦えなくなってしまった。

 剣での勝負とは『間合い』が重要。これを見切れるかどうかで、こちらがダメージを受けるか相手にダメージを与えるかが決まるからだ。これでは戦いにすらならない。

 討伐隊の誰かが「おい何だ、バグか?」などと言っている。しかし、聞いていて虚しいほど低い可能性だ。それにボス以外の場所はしっかりと見えているし、鮮明に見えないのは奴の立つ場所だけだった。

 このことから導き出される答えとは。

 

「(まさか、このままやれってのか……っ!?)」

 

 それしか有り得ない。攻略隊のメンバーもこの現象に戸惑っていたが、考えてみれば奴は体力ゲージが最終段になってから攻撃方法を増やしていなかった。

 1段毎に行動・攻撃パターンが『増える』という情報は得ていたが、確かにいつ増えるかは言われていない。つまり、最終ゲージで増える敵の攻撃手段は、《レッドゾーン》になってからということだったのだ。

 もはや攻撃方法が増えるとかそういった次元の話ではない。何もかも超越した現象だった。

 プレイヤーから魔法攻撃を奪っておいて、間合い不明の敵と戦えと言うことは、要するに『玉砕戦法』の強要に近い。

 そして、ボスが動き出した。

 

『『ガゴオォオオオオオオオオオオッ!!』』

 

 大気を震わす音量で絶叫すると固まるプレイヤーに向けて走り出し、たったの2歩で距離を詰めると、その手に持つ槍で主力メンバーではない軍の誰かを突き刺した。

 

「ごぼおぁああッ!?」

 

 くぐもった声が聞こえたと思ったら、そいつはそのまま壁に投げ捨てられている。まだボスの姿は元に戻らない。

 間違いない。間違いなくこのゲームの創始者は、このふざけた状態で攻略を続けろと言っているのだ。ボスに与えられた新たな力、『ディティールフォーカシング・システム無効化能力』に立ち向かえと。

 

「くっ、だけどあと少しだろう! ここまで来てんだよ!」

「じゃあお前が行けよ! こんな奴とやれるかぁッ!」

「落ち着けって! 仲間割れしてる場合じゃねぇだろッ」

 

 討伐間際まで来ているのも確かで、プレイヤー間では攻略と撤退の境界で葛藤が起きていた。

 

「何しとんねん! 避けろやぁッ!」

 

 しかし、戦闘中に見せた隙は致命的だった。

 それを証明するように、ペアギルティが両手の武器でラッシュをかけた。

 そしてやってくる最悪の《平行発動(パラレルオープン)》。あれらは共に水平単発斬りの《ホリゾンタル》と《スレイヤー》で、それらが同じ回転方向で攻撃範囲を180度から『全周囲』へと昇華させながら放たれた。

 

「しゃがめぇええッ!!」

 

 俺の声を聞いたのか、俺の近くにいたF隊とD隊、つまりアスナやクライン達はギリギリ躱せた。しかしボスを取り巻く多くの男達は反応しきれず、ズッバァアアアッ!! と轟音が鳴り響くと、その内の6つの首や胴が一斉に真上に吹き飛んだ。

 時間が停止する感覚。ある者は片足を失い、ある者は武器や盾を全壊させ、ある者は目をつぶったまま開こうともせず。しかも、間合いの読めなかった男達は一瞬の気の緩みの中でその生涯を終えた。

 

「ひっ……やぁ……ぁ……」

 

 その拮抗を破ったヒスイの泣きそうな声だけが鼓膜を揺らした。

 あと少しなのに、ようやく勝てるという時になって死者が重なってしまった。

 それも、6人だ。

 バラバラになって白く(きらめ)く光鱗のようになった6人のプレイヤーが、中心にある黒い靄とコントラストの関係を作り、皮肉なほど眩しく映る。それはまるで、広い樹帯に舞う無数の桜吹雪だった。

 そして、プレイヤーの限界が訪れた。

 

「うわぁあああ! うわぁああああああァアアッ」

「嫌だァアぁああああッ、助けてぇえ!」

「て、転移だ! 転移! リャカムハイト! 早くしろぉッ!」

「俺は死にたくないッ! もうごめんだぁ!!」

 

 《隠蔽(ハイディング)》スキルで姿を隠す者、特殊な鱗粉を自分に振り撒き一時的に対象へのヘイトを無効化する者、敏捷補正アイテムで一気に出口を目指す者、《転移結晶(テレポートクリスタル)》で安全な場所へ移動する者、それぞれの『命綱』で勝手にフロアからの脱出を試みる者が続発したのだ。

 その数はレイド全体の半分以上にも上った。

 しかも特別な脱出手段を持たないプレイヤーはただ闇雲に走るだけで、歩幅に差があるボスに追いつかれては巨大な武器に身を貫かれ、パリンッ、パリンッ、とその姿を無機質な光片に変えて散らしていた。もう死者の数など数えることもできない。

 

「逃げて下さいリンドさん! 転移中は我々がなんとしてでも……」

「逃げられるかッ!! こんな状態で撤退戦もないだろう!」

「それでもです! 隊長が……ディアベル隊長がいなくなってからどうなったかを思い出して下さい! ……リンドさん!!」

「くっ……」

 

 リンドも断腸の思いだったのだろう。しかし、部下にそうまで言われてから自分の命の危険がギルド存続の危険と直結することを悟り、悲痛の趣で転移結晶を取り出していた。

 部下の言うことにも一理あるからだ。リーダーなき組織ほど(もろ)いものはない。

 

「逃げてはならない! 敵に背を向けるな!」

「団長、もう無理です!」

「そうですよ! 総隊長のリンドさんも逃げているんです!」

 

 ヒースクリフは未だ応戦の構えを示し、必死に惨状に歯止めをかけようとしていたがまったく機能しておらず、どころか団員にさえ攻略を諦める傾向が強まっていた。

 それをしてしまったら、今後の攻略に無視できない遅れがでることなど、リンドは元より理屈では全員理解している。撤退は最終手段で、誰しも避けたい結果だった。

 それでも、総隊長がここを『引き時』と定めたのだ。

 

「(いや、でもここで引いたら……こんなところで引いたら攻略なんて……)」

 

 ひいては、脱出なんて夢のまた夢だ。

 2レイドなんて2度と集まらない。事実、それを確信している『撤退しないプレイヤー』が持つ剣の先は、まだしっかりとボスに向けられていた。ここで逃げるデメリットが、少なくとも危機感が、限界ギリギリで踏み留まらせる。

 意外にも俺自身、『逃げる』という選択肢を取らなかった。この偽りの世界から脱したいと強く渇望(かつぼう)しているからだ。

 ヒスイもクラインもキバオウも、まだ30人以上のプレイヤーも攻略を諦めていない。

 

「我々がここで引いたら、攻略そのものを諦めることになってしまう! なんとしても食い止めろ!」

 

 ヒースクリフも言っていて(らち)が明かないと悟ったのか、しかし諦めることはなく剣をしまうとウィンドウを開いて2種類のアイテムをオブジェクト化し、片方をアスナに持たせていた。

 そしてもう一方を手に持って掲げると改めて宣言し直す。

 

「ここに残る者だけで! 討伐隊を再編成する!」

 

 その一言だけで、彼の左手で発光するアイテムが『音声拡張』系のものであることがわかった。そして、音の渦に呑まれないほどの大音量のまま、彼は伝えるべきことと次の指示を簡潔に述べる。

 

「この攻略に撤退はない! それは100層への道を断つ行為と同義である! 我々血盟騎士団と共に戦える者は! フロア最奥部に集まってくれたまえ!」

 

 そこでアスナにアイテム使用の指示を出すと、2種類目のアイテムらしき2つのボールを投げ込んでいた。着弾点からはボフッ、と灰色の煙が立ち込めたので、おそらくは『煙玉』による視界錯乱を行ったのだろう。

 これでボスは一時的に攻撃対象を失っているが、俺達はきっと「今のうちに移動しろ」と言われているのだ。

 俺も初めの内は混乱したが、どうにか意を決してフロアの奥へ疾駆(しっく)する。

 彼は撤退とも言えない逃走中のプレイヤーと()い交ぜにならないように最奥部を指定したのだ。そして煙の中を部屋の奥に向かって走りながら、これに込められた複数の意味を知る。

 まずは時間。

 ボス、ペアギルティは出入り口付近でプレイヤーを殲滅(せんめつ)している。プレイヤーの逃走が終わる頃には当然出入り口にいることになるわけで、ここまでの距離を詰める間に少しばかりとは言え時間が得られるのだ。

 次は決意。

 出入り口から遠ざかることで、かの有名な『背水の陣』状態をこのフロアで作りあげたと推測できる。

 相当に広いフィールドだ。端から端まではかなり距離があるから、まずもって彼は撤退戦のことを視野に入れていない。『撤退』がこの浮遊城(アインクラッド)脱出を放棄する行為だと悟ったメンバーが集うのだから、失敗の許されない戦いに逃げ道などない。

 

「(……ってか、何でだろうな)」

 

 逃げる気が起きないのは。つい4、50分前までは率先して逃げようと思っていたというのに、今では逃げる奴らに軽蔑の眼差しを向けている。俺もつくづく現金な人間だ。

 しかし、現に俺は逃げないでいる。ご都合主義で、自分勝手で、自尊心だけは高くて負けず嫌い。誉められた性格でもなく、触れればすぐにでも割れるほど柔いメンタル。生まれも育ちも素行も行儀も悪く、何をやっても中途半端。負け犬の慣れ果てがここに残っている。

 

「(なんでもいい、格好悪くたって見栄張ってたって。……んでも、残ったんだ。ここにいる奴は逃げなかった!!)」

 

 手を握りしめる。それだけあれば十分だった。背中や顔を伝う大量の冷や汗を無視して、俺の口元には軽い笑みすらこぼれていた。

 獲物を探して遠くでこちらを振り向くボスを背に駆けつけてきたヒースクリフは、人数確認を終えたのか改めてプレイヤーを見渡すと手短に状況説明と今後の作戦を告げた。

 キバオウも、各隊の隊長も、新たなレイドリーダーとその作戦内容に異論を挟む奴はいなかった。

 ここにプレイヤーが残ったから、まだ戦える奴がいるから、だからこれは『攻略失敗』にはならない。

 

「(まだやれる。俺達なら……ッ)」

 

 そうして、残党を思う存分狩り尽くしたボスがゆっくりと歩を進める。

 これが正真正銘のラストバトルだ。

 

 

 



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第32話 リベンジ

お気に入り件数が300件を越えていました!
皆様いつもありがとうございますm(__)m


 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 人の脳とはデリケートなものである。

 俺は指先を動かすだけ、つまり携帯電話やゲーム機、パソコンなどを使っているだけなら、例え何時間だろうと継続させることができる自信がある。だが体全体ではどうだろか。

 答えはノー。

 極限まで鍛え抜かれたスポーツ選手・アスリートの話を持ち出すと例外が生まれるかもしれないが、少なくとも凡人には無理だろう。

 それが殺し合いともなれば、本来は数分も持たないはずなのだ。ストレス、プレッシャー、恐怖などは、人の体力をごっそりと削る。

 結果的に、筋や神経も「諸処が通っていない」と言われるソードアート・オンラインの世界でもそれは例外ではなかった。一定時間狩りをしていれば集中力は落ちるし、『疲労』して動くこともできなくなるのだ。

 それは先述の疲労を招く要因が重なるほど早く訪れる。その最たるボス攻略において、『1時間以上の戦闘』など視野に入れるべきではない。そうならないことを前提にした安全マージンの獲得が必要なのだ。

 そして今。

 攻略開始から既に1時間と15分がたち、人として戦闘時間の上限に迫っていた。

 1層攻略から数えて、この討伐時間は過去最長だろう。何せこれほど時間がかかるなら、今までは撤退していたからだ。

 されど、今だけはそれができない。あまりにも多すぎる死者を出してしまったこの25層戦では、下手に引けばまた1層の時のように長い潜伏を余儀なくされるかもしれない。人々の記憶から惨劇の闇が消え去るのは、相当な時間がかかるだろう。

 だからこそ、ヒースクリフは無理を押して共闘者を集った。

 

「……隊までは後方で控えていてくれ。C隊は私の命令があり次第、速度を生かして高速スイッチを。我々A隊は初めに切り込むが、その後は逐一諸君らの動きを把握しなければならない。しばらくはタゲを各隊に任せる可能性も高い。十分に留意してくれ給え」

 

 それだけ一気に()くしたてると、ヒースクリフはマントをはためかせながら体を反対側、《リヴァイヴァルファラオ・ザ・ペアギルティ》がいる方へと振り向いた。

 このヒースクリフは、ボスが煙の中で俺達を見失った1分間で、各自のステータスやスタイル、クセ、武器の特性を配慮して作戦を立てた。

 まさに、神業に近い天才的な記憶力と判断力。プレイヤーの全てのプライベート情報を、隅々まで把握しているかのごとく御業だった。

 

「(バカと天才は紙一重っつーけど……このおっさんは、いったどんな脳ミソ持ってやがんだ……)」

 

 そんな失礼なことを思惟(しい)する俺を差し置いて、今回新たに集まった……否、『逃げなかった』メンバーはジャスト30人。隊は5分割され、1隊につき6人構成だ。

 俺も元がE隊だったことを考慮され、できるだけ混乱を避けるためか今回もE隊。E隊からの逃走者は3人だったので、追加で1人増やしただけである。

 

「団長、ボスが来ます……!!」

「うむ。では手はず通りの配置についてくれ給え。まずは我々が切り込む! E隊はスイッチの準備を!」

『了解っ!!』

 

 統率された動きを見せ、声を掛け合う。心臓の音と速度が高まっているのは、ただボスが怖いからだけではなく、ここに命を任せられる仲間がいるからだ。

 こいつらの声が聞こえてくる。だから戦える。

 拳を作るように指に力を入れると俺の相棒、ファントムバスターも少しだけ光って俺に応えてくれたように感じた。

 

「再攻略開始! D、F隊は側面に回り込めッ!」

「おォおおおッ!!」

「仇は取る!」

「ぶっ殺す! ぶっ殺してやる! こいつだけは必ず殺すッ!!」

「しゃあァッ、やってやらぁ!」

 

 感情は激流となり、狩人に限界以上の行動力を与え、石畳を蹴るプレイヤーの力強さはむしろ攻略が始まってから数えて最も高いものだった。

 戦意は凶暴的に膨れ上がっている。そして再編された攻略メンバーの中で最前線、つまりA隊が『黒い塊』と重なった時、金属が破裂するような激しい音が数回鳴り響いた。

 

「すっげ……」

 

 衝突した瞬間、暴力的な音響が場を支配した。そのサウンドエフェクトの大きさと鋭さもさることながら、臆《おく》さない血盟騎士団のメンバーの勇気に感服してしまう。

 それに一口に不利といっても、少人数なりの利点はある。

 まず、今までのように『剣を振れば誰かに命中する』といった人口密度はなくなった。

 さらにプレイヤーが移動できる範囲が広がったということは、『絶えず動き続ける』ことができるようになったわけで、こちらが元から持つ『小さい攻撃対象』というアドバンテージを遺憾なく発揮できる。

 いくらペアギルティの攻撃に絶対的なリーチがあったとしても、動き続けることで命中率は下げることができるし、もし被弾してしまっても、フィールドを埋め尽くしていた人の壁が消えたことでスイッチで安全圏へ移動できる。

 肝要なのは攻守のメリハリ。深追いしないこと。これが、残りの攻略隊が出せる最善の戦闘スタイル。

 ヒースクリフは勝つための理論的な筋を示した。それはまさに、モチベーションを底上げする行為でもあるのだ。

 

「次は俺らだ! E隊前進!」

 

 攻略の前半戦からの小隊長が大声で伝えると、俺やヒスイ達がA隊とのスイッチ。左に回り込んだタンカー/D隊の援護を受けながら、感覚だけを頼りに動き回っては突撃をかます。

 そもそも間合いがわからない時点でタンクもヘッタクレもないが、うっすらと動いているのだけは判断できるため、それを頼りに大技を防いでくれる。

 そして壁役の有無で、やはりダメージ効率は大きく変わってくる。

 

「(厳しい、でもっ……!!)」

 

 逃げるわけにはいかない。そう決めたはずだ。

 体力は満タンだったが、俺とて手持ちの回復ポーションは飲み干しているし、おそらくここにいる半分以上のプレイヤーも十分な回復はままならないだろう。

 地を駆けるなか、経験と第六感が警鐘を鳴らす。

 「くるッ!!」と、確信に変わると同時に行動していた。

 爆走中にほとんど運任せで斜め左方向に転がると、真上を敵の片手剣がすれすれで通っていったのが辛うじて感じられた。冷や汗ものだったが『流れ弾』の要領で右にいた奴の左足首を切断(ディレクト)していたので楽観視はできない。

 重力もリアル界と同じ様に設定されているSAOで、足の『切断』をされるということは、戦力外通告とさして変わらない意味を持つ。その男も悔しそうに後退していた。

 嘆いても戻らない。俺は彼のことを振り切って咆哮を上げた。

 

「消えろォおおおおッ!」

 

 ほとんど黒い靄の中心地に向けて歩を進めると、発動可能なソードスキルを連続で使用し、いくつかに手応えを感じる。ダメージが通った。効いているはずだ。

 しかしうまくいくばかりではない。

 

「ごぁああっ!?」

 

 闇の中からズバッ! ズガァアア!! と2回に渡る重い衝撃が体全体を打つ感覚を味わうと、俺は見えない壁に押し出されるように吹き飛ばされていた。

 確信は持てないが、斬られた(あと)から逆算すると発動されたのは《片手剣》専用ソードスキル、初級谷状二連撃《バーチカル・アーク》だろう。だがこれは俺達が待ちに待った《ソードスキル》の発動だった。

 

「今だぁああッ!!」

「C隊、突撃ぃ!」

『うおぉおおおおおおお!!』

 

 俺が全力でペアギルティから距離を取りながら大声で合図を送ると、ヒースクリフの命令でC隊が黒塊の中央へ同時にダッシュした。

 彼らは現時点のレイドでは最速、かつ最高火力のソードスキルを温存させてある。

 さらに、それらの武器全てが爆発的な色彩に輝き出すと、まるでブラックホールに吸い込まれているように一点に収束された。

 そうして聞こえる剣戟(けんげき)と絶叫。

 

『『ガゴアァァアアァアアアアッ!!』』

 

 それは一際大きく、そして強烈な苦痛の叫びだった。

 レッドゾーンとはいえ莫大な体力を内包する1ゲージの内の2割だ。削りきるのは簡単ではなかったが、それでも再攻略に入って1番攻撃が『抜けた』はずだった。

 間合いが測れない中でヒースクリフはディレイを利用した短期接近、連続攻撃、高速退避を可能にした隊をあらかじめ作成しておいたのだ。

 そしてそれが功を成し、今ではペアギルティを怯ませている。

 

「よし、これで……!」

 

 しかし、ボスは両の口から発する音の暴力を止めることなく、悪足掻きのように左手に持つ槍を真後ろに振り回したのだ。傍から見るとやぶれかぶれの抵抗ではあったが、これにより4人が再起不能なほどのHPを失ってしまった。

 回復手段がないなら、この時点で彼らの戦いは終わりだ。

 案の定、神に見放された俺達の最高のアタッカー隊が「これ以上の突撃はできない!」とレイドリーダーに伝えている。せめて、あと1回でも今の攻撃を繰り返していれば随分討伐が近づくのに。

 俺もすでに残りの体力は5割を切っているし、ここまで消耗してしまうと、まともに戦えるのは新レイドの半分にも満たなくなった。

 

「わいらが何とかしてもっかい隙を作る! 騎士団はあんじょうラスト決めやぁッ!!」

 

 だが、それでも討伐隊は失望の目ではなく、殺意の目を向けた。それを証拠に、この期に及んで全力の出し惜しみをしていたキバオウ達B隊も、見たことのないアイテムを展開させている。

 円形に広がるバフエフェクト。そのエリアを利用し、左右に分かれてそれぞれ敵の片手剣と短槍を受け止める構えを示している。

 半ばヤケクソのような彼の行動はしかし、残り僅かな底力を絞り出してレイド全体を動かし、とうとうB隊がペアギルティとぶつかった。

 

「ぐああぁあああッ!?」

「ダメージが大きすぎます!! ここまでです、僕も一旦引きます!」

「キバオウさんッ! B隊も限界ですって!」

「これっきりなんや! こんだけでも耐えきる根性みしたれぇッ!」

「軍が抑えている! 私に続けぇ!!」

『うおぉおおおッ!』

 

 A、B隊とボスによる互いの体を引き裂く痛み分けにも近い斬り合い。

 しかし自暴自棄に近い戦闘法では体力の絶対量に分があるからか、徐々に討伐隊が押され始めた。

 プレイヤーによっては盾を放り捨てて玉砕覚悟での短期決着を目論む者もいたが、やはりペアギルティのゲージを飛ばしきるには遠い。

 

「くっ、A隊一時後退! E隊とC隊のグリーンゾーンの者は前面へ! なるべく時間を稼いでくれ!」

「アスナさん、今の内です! 残りのポーションは!?」

「無いわ! 残念だけどわたし達にできることは……」

「そ、そんな……!?」

「F隊ももうキツい! これで下がるぞッ!」

「もういい加減ヤバいぞ! ……これ以上は、こっちが死んじまうよ!」

 

 俺達はほとんど瓦解寸前だった。

 キバオウがボスドロップで手に入れたらしい《生命の泉》なるフィールド改変型アイテムを使用し、サークル状の場所に立つ全てのプレイヤーを回復させていたが、彼らB隊も回復しきる前にペアギルティに踏みにじられている。

 十分に距離を取っていたはずだったが、8メートル弱の巨体を持つボスにとって、そんな距離は無いも等しいのだ。魔法攻撃では最速を誇る《サンダーブレス》で、回復量を帳消しにするダメージとそれに伴うデバフを与えていた。

 

「ちっくしょう! ……俺が行くッ!!」

「駄目だクライン! F隊が回復するまで耐えろ!」

 

 俺の忠告を無視してクラインはパーティを、逃げなかった《風林火山》のメンバーを守るため単騎で前に出た。

 無謀なことは彼も理解しているはずだ。

 それでも、彼は誓いを捨てずに立ち向かった。ギルドの長にとはこういうことなのだ。「仲間を見捨てるぐらいなら」と、彼の表情はそう語っていた。

 死ぬ覚悟ができているのかもしれない。

 言い様のない寒気がした。

 衝動に逆らわずに叫ぶ。今すぐ止まるようその背中に全力で叫んだ。

 涙声で訴えるが彼は振り向かない。その背には決意以外のものを捨てて極限状態に晒された人間の姿があった。

 そして思い出してしまう。今年の初め、雪も降りそうな極寒の夜に初めて俺に話しかけてきてくれた時の彼の顔と、降りかかった安堵と温もり。あの日彼に声をかけられなかったら、ヒスイに手を貸さなかったら、ヘイズラビットを倒してみんなで楽しい夜を迎えなかったら、今の俺はいない。

 それだけではない。俺はあれからもずっと彼から教わってきた。彼は仲間といる時はずっと楽しそうにしていたし、痛みを分かち合う行為がどれほど支えになるのか、それを教えてくれた。果てしない苦悩と努力があったことも。

 知ったからこそ、数ヶ月で見違えるほど変われたのだ。

 だから、仲間意識というものを持ってしまった。

 

「クライィイインッ!!」

 

 俺は恐怖ゆえに、ボスと距離をとっていた。今さら慌てたところで間に合う距離ではない。それでも俺は走らずにはいられなかった。

 あの凶器が俺の大切な者を奪おうというのなら、そうさせないため全ての力を注ぐしかない。俺にはそれしかないのだ。

 なのに、だというのに、なぜこんなにも遅い。もっと速く動かなければ彼を助けられない。もっと速く。もっと速く。

 

『『ゴアアァアアアアッ!!』』

「ぐ……ッ」

 

 だがこの世界では自身がどれほど早く足を動かそうとしても『敏捷値』という名の制限がそれを阻む。

 そして俺の目の前でクラインはほとんど剣先しか見えない敵の攻撃を受けてがりがりと命を削られていくのが見えた。ポーションによる時間継続回復(ヒールオーバータイム)を遙かに越す勢いで。

 そして彼は……。

 

 

 



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第33話 敗者の前進

 西暦2023年5月22日、浮遊城第25層。

 

 俺が剣と戦闘の世界で知り合った、掛け替えのない友に向けられる凶器。

 しかし、絶望にも近いクラインへの視線を遮る黒い影があった。

 

「やぁあああッ!」

 

 女性が刃を煌めかせた。

 ズガアアアアッ! と鳴る爆発音。クラインは真横に降り立った女神に祝福の加護を受け、ボスの剣撃は寸でのところでその軌道を変えた。

 爆音と衝撃の嵐が収まると、そこに盾を構えていたのはあのヒスイだった。彼女の《リフレクション》スキルの1つである《アブソート・エレメント》が防ぎきったのだ。

 ギリギリだった。ボスがメインアームを片手剣に変えていたからよかったものの、両手用大剣のままだったら、彼女1人で逸らしきることはできなかっただろう。

 目をつぶって死を覚悟したクラインを、1人の命を彼女は救った。

 これなら間に合う。あとは俺がクラインを守る!

 

「らあァああああああッ!!」

 

 ポーチから取り出した固形物を左手に、俺は片手で剣を持ち上げて肩に掛けた。

 上空から迫る敵の短槍。それを、肩に掛けたままの両手剣でガギィインッ! と不快な音を伴いつつも受け止めた。『片刃』であるため、左肘も添えてある。

 刃渡りがこちらを向いていない以上俺にダメージはない。しかし俺は押し負けてじわじわと体力が減っていった。

 そして、それらすべてが想定内だった。

 

「このまま押しきる! 下がれクライン!! ヒール!」

 

 パリィンッ! と、左手に握っておいた固形物、《回復結晶(ヒーリングクリスタル)》が弾けると、残り3割近かった俺の体力ゲージの最端が一気に右端まで振り切る勢いで回復した。

 ポーションを使い切った時にだけ使用すると決めていた、取って置きの回復手段だ。

 同時にA、B隊のHPに余裕のある者が全方位から突撃して最大攻撃力のソードスキルを発動すると、中にはクリティカルで命中したものもあったようで、ボスのHPはもうほとんど見えないところまで来ていた。残量はほんの数ドット。

 

『『グオオォオォオオオオオッ!!』』

 

 しかしそこまでだった。辺りに充満した悲痛な叫び声が象徴するように、ペアギルティの振り回す二本の凶器が何かの自然災害のように手がつけられないほど暴れ回ったのだ。

 ゴッガァアアアアアアアアッ!! という残響で、衝撃に耐えきれず宙を舞う。これにより安全圏にいる者はほんの数人にまで落ちてしまった。その上倒れ込むプレイヤーに奴がさらなる追撃を浴びせている。

 

「(ぐっ……これじゃあ、もう……!!)」

 

 勝つか負けるかの境界位置は神のみぞ知るもの。しかしその(はかり)は今、敗北方向へ傾きつつある。

 同時に、俺はまっさきにヒスイのことを心配してしまっていた。

 こんな薄情な男がいるだろうか。戦っているのも、危険に晒されているのも、ヒスイだけではないというのに。されど、本能に逆らわず彼女のことを目で追ってしまった。

 

「(ヒスイ……ヒスイは……ッ)」

 

 なぜ他の誰かではないのか。ボス討伐の(かなめ)である、ヒースクリフやキバオウを気にかけるべきではないのか。討伐の主軸は間違いなく彼らだ。

 だが理屈は通じなかった。彼女に万が一のことが起きたら……、

 

「(いた!! ……)……ヒスイッ!!」

 

 混戦の中で倒れている彼女を見つけると、俺は脇目も振らずに疾走した。

 悪い予感が的中している。ボスのターゲティングが彼女に向いていたのだ。

 俺はボスとの間に自分の体を無理やり割り込ませた。

 続いて大剣を横向きに構える。すると直後にバギイィィイ! と左上から斬られる感覚。

 三半規管が壊死しそうなほどの爆音。だが、左の肩に少しだけヒットエフェクトが残るだけでまだ致命傷ではなかった。受け方が悪かったことから武器の《耐久値(デュラビリティ)》も相当減っただろうが、今は相棒に我慢してもらうしかない。

 一瞬の硬直。それは、懐まで飛び込んだ人間に行える最後の邀撃(ようげき)のチャンスだった。

 声にならない声を喉の奥から絞り出しながら、その場で垂直にジャンプした。《両手剣》専用ソードスキル、空中回転斬り《レヴォルド・パクト》を発動して巨大な敵に迫る。

 巨体は目の前にあった。

 

「(これで……ッ!!)」

 

 体力の残量的にも、プレイヤーの精神的にも、攻撃のチャンスも、何もかもがこれっきりだ。この一撃が通れば奴を殺せるし、この攻撃が通らなければ俺は殺される。

 いや、それだけではない。結果的に攻略が滞り、送る必要の無かった多数の生け贄を茅場の元に送らなければならないかもしれないのだ。

 ――いや、考えるな。確実に決めきる!

 

「消えッろォおおおおッ!!」

 

 視界の中で世界がぐるぐると回転する途中、とうとう俺の刃が敵の中央、つまり『胸』に当たる部分でズガァアアアアアアッ!! と、甲高い金属音をあげながら止まった。そこに下げられていた金色の仮面にぶつかったのだろう。

 命中した。しかしそう確信した瞬間、それが間違いだったと気付いた。

 

「(こいつ槍でッ!?)」

 

 俺の眼前で相棒が斬り込んでいたのがはっきりと目視できたが、その対象は決して弱点部位である金色の仮面ではなかった。

 奴は黒い靄の中で、自分の胸の前の位置で短槍を地面と平行になるように構えていたのだ。

 リアルに忠実なこの世界では、足場が無く運動エネルギーを与えようがない空中戦などにおいては、ユニットの筋力値いかんに関わらず質量が軽い方が吹き飛ばされる。

 そして当然、俺は巨人のペアギルティよりも軽い。

 結果、俺は為す術もなく奴の左手の得物に弾かれて無防備にも再び空を舞った。

 

「(ああ……)」

 

 まぶたを閉じながら現実を直視する。

 死亡宣告に近い。

 届かなかったのだと、悟ってしまった。俺の力も、意志も、決意も届かず、また足りていなかった。

 俺がこの世界に来てすぐのこと。まだSAOが平和だったあの時、片手剣を振りながら敵を倒していた時の自信と万能感はもう存在しない。この仮想空間も茅場の世界と化してから、ひたすらのしかかる罪悪感と、底が見えない深い劣等感。

 脳内のヒーロー像をなぞれない自分を、他でもない俺自身が1番信用していなかった。

 そんな自己不信な人間が、大層なことを成し遂げようというのが間違いだったのかもしれない。

 旧友を捨て、この世界に馴染めない多くの人間を捨てた俺への罰。それを『死』という形で償えと言われたのなら、俺に選択の余地など無い。

 元々、俺の人生に有意義なものはない。現実世界で培ったキャリアなど、聞かれるだけ空しくなる。今となっては、また会おう約束した1人の友達と……もう会えなくなることだけが心残りだった。

 

「(カズ……)」

 

 時間にして一瞬だったのか、1秒だったのか、それとももっと長かったのかはわからないが、俺は死ぬ間際に友のことを思い出した。

 

「……、……、……」

 

 しかし、耳元で何かを囁かれた気がして目を見開くと、そこには俺と位置を入れ替えるかのようにプレイヤーがボスに迫っているのが見えた。

 俺は未だ空中にいる。

 では、今すれ違った人物は……、

 

「(ヒ、スイ……!?)」

 

 スローモーションのように流れる。世界が止まったように思考が加速する。

 失敗した俺に代わって、ヒスイ自身がとどめを刺すために行ったラストスイッチ。

 もし神が存在するというなら、この際何を投げ出してもいい。代償が必要なら俺がすべて支払う。

 

「(頼むよ神様……こいつだけは……っ!!)」

 

 そう願った直後。

 

「セアァアァァアアアアアッ!!」

 

 ビキイイィイイイイン! と、鼓膜を揺らすひび割れた金属音が反響した。

 響く斬撃音に遅れてドサァ、と空中から倒れ込む彼女にダメージは見受けられなかった。

 

『『ガコォ……ァァ……』』

 

 一陣の風がどこからともなく舞い降りると、ボスを覆い尽くす視界攪乱の真っ黒な霧が晴れ、8メートルの巨人の胸の中央に掲げられていた金色の仮面は縦にひび割れていた。

 そして数瞬遅れてやってくる。

 全域を震わす、バリィイイイイイン! という決定的な爆発音。

 あまりに美しい光の雨を爆心地から広範囲にばら撒きながら、ペアギルティがその姿を完全に消し去った音だ。

 上半身だけ起こし、俺はそれを呆然と眺めていた。しかし間もなくして、ボスに与えたダメージとボスによって与えられた防御値の合計分が比率で計算され、『経験値』という形でプレイヤーに割り振られた。

 この時フロアにいないプレイヤー、つまり途中で逃げ出した参加者には与えられない。それらは消滅するのではなく、この場にいるプレイヤーに攻略に貢献した割合別で()てられる。

 ようするに、途轍(とてつ)もない量の経験値が30人という少ない攻略メンバーに凝縮されて与えられたのだ。数値化され、視覚化されたその結果には唖然としてしまう。俺達は果てしない量のドロップアイテムと共に大幅な強化を受けることになった。

 遅れてやってくる現状の理解と無限に近い安堵感。

 

「ゼィ……ゼィ……終わった……んだ……」

「やっと、死んだ……」

「……ハァ……ハァ……これで……やっと……ッ」

「やった、やったぁあッ!」

 

 うわァあああっ!! と、泣いているのか叫んでいるのか喜んでいるのかも判別できない声の応酬がフロア内を包み込んだ。

 中には号泣する者や、勝利を噛みしめながらも悲痛な趣の者、またヒースクリフのように達観した表情のまま立ち竦んでいる奴もいる。しかし片膝を立てて(うつむ)きながら座り込む俺は、この結果を見て手放しに喜ぶことはできなかった。

 

「(何人……死んだんだろうな……)」

 

 汗がひどい。もう頭をあげる元気もなかった。

 俺と同じことを考えている奴もいるようで、次第に空気は重くなっていった。ついには1分とたたずに大声で喜ぶプレイヤーはいなくなってしまい、しばらく数人の(すす)り泣く声だけがこの場を支配する。

 だが静寂を遮る声がした。

 

「討伐隊の諸君」

 

 変わらぬ声調に怖気すら走る。この声だけで発言者が誰か理解しながらも、俺を含む全員が(こうべ)を上げて彼を注視した。

 人間味のない声で、構わず彼は言葉を続ける。

 

「厳しい戦いだった。しかしよく生き延びてくれた。この勇姿は今後長きに渡り、多くのプレイヤーの中で称えられるだろう。今回、私に従ってくれた諸君らの奮闘に心から感謝する」

 

 それでも彼は「しかし」と言葉を繋いだ。

 

「そうであるためにも、諸君らはここで歩みを止めてはならないはずだ。攻略組として提示せねばならない。失った戦友を弔うこともするだろう。だが、今しばらく、そのことを忘れる義務がある」

 

 まくしたてたそれを傾聴していた男が、堪えきれずに片手を上げながら異論を表明した。

 

「悪いがいいかのう? ……あんたら血盟騎士団は異常や。……ワシはもうごめんだ。回りくどいのは無しじゃ……アクティベートはあんたらでやってくれ。正直……ワシはもう嫌だ……ボス戦もこれっきりにする。復讐はした……もう攻略にも、参加しない」

 

 甲冑のバイザーで顔は見えないが、初老の男性だったらしい。彼はそう言って締めくくると、再び(うつむ)いて喋るのを止めた。

 ヒースクリフはその後も激励を二、三言飛ばすが効果が薄いことを悟り、団員を集ってアクティベートに向かっていった。

 フロアは彼について行かなかった1人の騎士団員を含み、20人近くのプレイヤーがまだ座り込んだままの状況になる。俺もその1人で、『自分の命が最優先』であるはずのソロプレイヤーも――今回の再攻略時に逃げなかった3人のことだ――みんな動こうとはしなかった。

 ヒスイはともかく、フードをかぶりレイピアを持った根暗なソロの男は、俺と目が合う寸前に顔を背けてしまった。感じの悪い人間、とは思わない。彼も仲間を失ったかもしれないからだ。今は慰め合う気にもならないのだろう。

 しかし、またも意外なことに俺は形容しがたい飢餓感に襲われると、なわばりを徘徊する獣のように殺戮場所を求めて立ち上がった。

 座り込む奴らに向けて演説じみた感覚を味わいながら、声を無理やり絞り出す。

 

「俺は行くよ……まだ25層だ……」

 

 それだけを言う俺も、思い出したように立ち止まると、向きを変えてクラインの目の前に立って「無理はすんなよ」とだけ残した。

 そして今度こそ上層階への階段を目指す。

 部屋の奥には、ボスを倒すことで解放される扉が異彩を放っていた。そのまま扉をくぐると次層への往還階段を進む。踏みしめるように上っていたからか、はたまた俺の心境がそうさせたのかは定かではなかったが、螺旋状に巻かれる階段はいつもより格段に長く感じた。

 しかし虚ろな目のまま上っていると、いつの間に近づいていたのか真後ろから誰かに抱きつかれた。そのまま腰から手を回されて動けなくもなる。

 

「なっ……おい……!?」

 

 強引に意識を現実に引き戻された俺は、さすがに我が身に降りかかった突然の現象に対処すべく、少し苛立ちながらも歩くのを止めて振り向こうとする。

 しかし、そうする前に確信にも近い解を得た。

 

「ひ、ヒスイ……なのか?」

 

 俺にハラスメントをはたらくプレイヤーはヒスイだった。場違いではあるが背中に確かな柔らかい感触がある。

 しかし、彼女が攻略意識を取り戻したことは理解できるが、俺にだきつく理由はまるで不明だった。何もかもが突然すぎる。

 呼びかけにもしばらく答えようとしなかった彼女の体温を背中で感じると、悔しいほどに鼓動が速まるのを感じた。しかも俺の視界の端にハラスメントコードが出現していない。ということは、俺のバイタルは彼女のハグに対しまったく不快感を持っていないということだった。

 

「なあヒスイ……」

「なんで、いつもあなたなの……」

 

 しかし我慢できなくなったのか、ついには吐き捨てるように彼女から口を開いた。俺の頭は随分とお粗末だが、この時ばかりはボス戦における最後の一瞬の話だろう、と理解できた。

 だから俺はヒスイからゆっくりと離れると、改めて正面を向いて彼女に話しかける。

 

「理由なんて……ないだろ。俺は討伐隊のメンバーとして仕事をした。救われたとしても、それはお互い様だ」

 

 苦しい言い訳だった。

 彼女はそんな俺を見透かしたかのように、言葉を否定する。

 

「いいえ、違うわ。あなたはいつもそう……お互い様、お互い様って。でもあなた言ったじゃない。……ソロをしているなら絶対、『自分が死なない』選択をするべきだって。ソロをする理由があるなら、生き残ることを優先しなきゃダメだって。なのにあなたは……ジェイドはいつもあたしに限ってそれを破る。さっきもそうよ」

「……うっ……」

 

 俺は目の前が真っ黒に染まる錯覚を覚えた。

 いつもより魅惑的に響く彼女の言葉を1つ1つ反芻(はんすう)していくと、どうしても冗談やからかいで言っているのではなく、本気の声色だったからだ。

 同時に、卒倒しそうなほど目の前の女性を愛おしく、抱きしめたい欲求に駆られた。

 しかし幸か不幸か、俺は直前で正気に戻ることができた。

 踏み出しかけた足を引っ込め、彼女の潤んだ瞳を覗き込む。俺の思い過ごしで勝手な妄想かもしれないが、俺は何となくヒスイが言わんとする言葉をトレースすることができた。だが、こんな俺に思ったことを口に出す権利はなかった。

 まだ服の裾を引っ張るヒスイの手を握り返しながら離すと、1歩だけ後ろに下がって互いの顔が確認できる位置で止まる。俺は極度に緊張した中、できるだけ相手に悟られないように言葉を引っ張ってくる。

 

「ああ〜……ほら、たまたまだって。あん時は必死だったし、ヒスイだって……俺のこと、何度も助けてくれたじゃねぇか……」

 

 度胸なし。甲斐性なし。

 精神との戦いに敗れ、目をきょろきょろと忙しなく移動させながら情けなさすぎる逃避行を実行した。何とも無様であったが、その手のスキルを上げてこなかった俺には限界だ。もう無理である。

 もちろん、勘のいいヒスイは追い討ちをかけようとはせず、俺の意を汲み取って若干以上に軽蔑の目を向けつつ1歩引き下がる。

 

「……はあ、せっかく。……まぁいいわ、とにかくあの時はありがとう。それにしても、あたし結構助けられてるわね。そこはホントに反省しなくちゃ」

 

 ヒスイはそれだけを言うとくるりと向きを変え、今来た道を逆走しだした。

 

「意気地なし……」

「ん……なんて?」

 

 小さく呟いた彼女の言葉が聞き取れず聞き返してみたが、聞き取らせる気がなかったのか答えてはくれなかった。

 

「何でもないです~。それより、あたしはあの部屋に残るメンバーを叱ってくるわ。あたしの声聞けばやる気も出るでしょ、たぶん……」

「そういや、ヒスイは『そういうこと』も含めてソロやってるんだったな。まあ、止めないけど今回だけは厳しいと思うぜ」

 

 ヒスイは戦いで傷ついた人の心のケアもしている。いつしか芽生えた、彼女なりの責任感でやっているのだろう。

 しかし、この戦いばかりは死者を出しすぎている。普段はアスナやヒスイが最前線で激励を飛ばすと、攻略組集団はドーピングさながらな活気と熱意を見せるが、この瞬間に限ってそれはあり得ないはずだ。

 レイドが崩壊してから再攻略時にボスに牙を剥いたプレイヤーの中には、『復讐』を目的にペアギルティに対峙していた連中だっていた。そして彼らは、復讐を成し遂げた後の無気力感に襲われるか、あるいは深い喪失と絶望を味わっているだろう。

 俺がこの場でヒスイを突っぱねたのも、辿れば理由は同じである。

 そう。仲間を持つということは、同時に弱点を持つということにもなりえるのだ。

 

「(でもカズ達は絶対に守る……)」

 

 誰にでも分相応という境界がある。喫緊(きっきん)の目標はカズを守り切る力を得ることである。残念ながら彼女ではない。

 そして同時に、それを為すにはどうあるべきかを考える。身の丈を弁える。少なくとも、守りたい者を抱えているのなら、ここで後ろを向いてサジを投げるわけにはいかないだろう。

 俺はスーパーマンではない。救える人には限度がある。まだ実感は湧かないが、集団行動をするならいつかその覚悟を持たなければならない。

 

「(やってやるよ……)」

 

 この地獄を終わらせる、そのための攻略組だ。ヒスイだって、俺の前を進むヒースクリフ達だって、それを目標に自分に打ち勝った。今後の攻略に遅れが出たとしても、少しでもその時間を短くするべく、やれる奴がやれることをすればいい。

 だから俺は次層への螺旋階段を上る。

 新しい街での新たな戦いは、100層を迎えるか、俺が死ぬまで終わらないのだから。

 

 

 

 



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第五章 ギルド
第34話 嵐のあとの静寂(前編)


 西暦2023年6月10日、浮遊城第27層。

 

 壮絶なクォーターポイントのボス戦からしばらくたった。

 平日の真っ昼間。多くの中層プレイヤーを置き去りに、21層から4層も爆速で駆け上がった攻略組とて、今やそのなりを潜めているようだ。

 層の前半で強敵も少なく、強い日光のおかげで明かりを灯す必要もなければ、大概は広い草原を全力で疾駆すればMob集団に囲まれても()けるうってつけの地形。上を目指すなりきり騎士なら、本来であれば経験値のかき入れどきである。

 しかし、右を見ても左を見ても人の姿がない。見晴らしこそいいのに、この殺風景具合はとてもアインクラッドの最前線とは思えないほどだ。

 ゆえに豪運である。先ほど、俺がモンスターに追い詰められた際どいタイミングで、ある人物に窮地を救ってもらえたのは。

 そんな彼女が神妙に口を開いた。

 

「あんまり人……見かけないね」

「そうだな。てか、まったくいねーな……」

 

 片手剣を鞘に収めながら、ヒスイはキョロキョロと見渡した。

 ふと、彼女の装備を見る。深い紫のコートと薄手のアームカバーにハイソックス。佩剣(はいけん)される直剣と胸当てに純銀のプレートがなければ、つばの広いとんがり帽子の方が似合いそうだ。

 

「……みんな、攻略やめちゃったのかな……」

 

 その不安に、俺は曖昧に首を振ることしかできなかった。

 多数の死者。中にはその時点で攻略を中断するプレイヤーもいるようだが、やはり最前線で常に活躍したいという自尊心か、前線にも人は少なからずいる。かく言う俺もその1人だ。

 しかし2週間もかかってしまった。

 俺が中継所にしている拠点は27層の主街区だが、26層のボスを討伐する際に、これだけの長い時間をかけてしまったのだ。数えるまでもなく、これは1層以来の遅さであり、前線に立てこもる人間が減ったことでさらに拍車がかかっている。

 恐怖は伝播(でんぱ)する。例えそれが、討伐隊とは無関係な位置にいる人でさえも。

 

「(消えてはないけど……まぁ、ずいぶん減ったな……)」

 

 もっとも、視界に誰かいたらその時点でヒスイとの会話を打ち切る必要があるが。

 27層が最前線になってから5日。

 今日にも行われるフィールドボス討伐作戦に俺は参加しないが、ボス発見までのマッピングなどは、しぶといプレイヤーが消極的な姿勢ながらも行っている。

 しかし情報の少ないフィールドでの戦闘では、やはりソロ活動をしている以上回危険に見舞われてしまう。事実、先ほど《麻痺(パラライズ)》状態にされながらモンスター集団に囲まれた時は、久し振りに口の中が乾ききるほど焦ってしまった。

 偶然近くを通ったヒスイ様に助けられなければ、最悪死ぬことはなくても、未だに貴重すぎる《転移結晶(テレポートクリスタル)》を早速消費するところだった。

 

「にしてもサンキュな。正直さっきはヤバかった」

「気を付けなさいよね、人口減ってるんだから。たまたま通りかかったから助かったものの。……あなたにいなくなられたら……ほら、こっちも困るし」

「ああ。……ん? あ~、死んだら戦力的にな」

 

 危うく聞き流しそうになったが、とりあえず意識をヒスイとの会話の場所にまで引っ張ってくる。しかし失言だったのか、彼女は今さら異様に慌てだした。

 

「そ、そう戦力が減るから! 別に他の人でも助けたし! ヘンな気起こさないでよね、ホントに!」

「わぁってるって。念を押すな、念を」

「なんか……わかってない気がする。別の意味で」

 

 俺はヒスイのセリフ言葉通りに受け取ったつもりだが、彼女は頬を朱色に染めながら頬を膨らませていた。終いにはぷいっとそっぽを向いてしまう。もっと動揺してやればよかったのだろうか。どうやらおざなりな態度が余計に勘に障ってしまったらしいが、げに難解なのは女心である。

 それにしても、最近はおかしい。なんというか、彼女に対する感情がどうもおかしいのだ。俺の目に映る度に、その説明しきれない感情は膨れ上がっている。

 恋なんて我ながら単純な思考が一瞬よぎるが、これは非常に良くない。現実問題、あまりゲームの中で恋人を作らない方がいいのだ。彼女いない歴何とやらのゲーマーが言っても説得力に欠けるかもしれないが、女が1人混じっただけでギルドが揉めて解散、なんて話は山ほど聞いた。

 だからこそ、ヒスイと話しているだけで感じる、このモヤモヤとした気持ちが攻略の邪魔さえしてくる。彼女も色恋沙汰を完全に排斥したからこそ、そのストイックさが前線での力を保証しているのだというのに。

 

「……って、ねぇジェイド聞いてる?」

「えっ? あ、ああ聞いてる聞いてる。んで何だっけ?」

 

 言っていて恥ずかしくなるぐらい頭の悪い発言だった気もするが、気にしてはいけない。

 

「……はあ、ちょっと頭が痛いわ」

「そうか、体は大事にしろよ」

「誰のせいよ!」

 

 そんなこんなで一頻り怒鳴り合った後は、春の穏やかな暖かな空気を噛みしめながらしばらく壮大な景色を歩きながら楽しむ。

 サクサクと鳴る草原の若草が心地いい。

 

「だから、さっきの話だってば。アイテム量によっては受けてあげてもいいわ」

「えっ……えぇっ!? マジで? あんなに渋ってたのに!?」

「ちょっと、興奮し過ぎよ。あなたも悲しいほどゲーマーなのね……」

 

 最後のセリフは全力では無視。ちなみに、これは少し前に俺が持ちかけた商談である。

 ヒスイの発言、「25層のドロップ何でこんな使いにくいんだろう……」なる言葉を聞いた俺が、速攻で「なら物々交換してくれ!」と頼み込んだことに端を発する。

 もちろん、レアアイテムかつ強力なそれを簡単には手放すはずがない。どころか、素振りさえ見せようとしなかったことを、俺はケチ臭いとはまったく思わなかった。

 冗談抜きにボスドロップのアイテムにはそれほどの価値があるのだ。

 だがヒスイは、今になって「物によっては考えてもいい」と言っている。この隙を突かない手はない。

 

「いや~、デキる女ってのは違ぇなオイ。俺はずっとわかってたけどな! 社会人になってもバリバリやりそう」

「……また適当なことを。わざとらしいよ」

「そ、そんなことないって! これでも人を見る目はある方だ。俺なんて、ヒスイのイイトコ30個ぐらい言えるぜ!?」

「へぇ〜、そう。じゃ言って」

「…………へっ?」

「へっ? じゃなくて。ほら言ってよ。あたしの『イイトコ』30個。言えたら交換してあげる」

「ぐぬぬ……」

 

 しまった、そう来たか。

 たじろぐ俺を見た彼女は、フフン、といった顔をしている。ちくしょう。

 こうなればいつもの戦法だ。爆弾抱えて特攻。

 

「あ、ああもちろん。じゃあ……ほら、ええっと……そう! まずかわいい!!」

「え……えぇっ!?」

「髪がきれいだろ。脚が長い。姿勢がいい。声がすんでる! 野郎のアイドル! 露出増やせ! 脚がきれい!!」

「んあ〜もぅわかったから! 大きい声出さないでよ、バカ! 恥ずかしいとか思わないの!? ってか後半あんたの願望じゃん!! かぶってんのあるじゃん!!!!」

 

 内心火を吹きそうなほど照れながら、子供のようにギャアギャア言い合う俺達は、ハタから見たらただの馬鹿騒ぎ……なのか、はたまた恋人同士に見えるのか。

 ……いや、よそう。

 俺の魂胆には気づいていたのだろう。彼女もすぐに落ち着きを取り戻す。

 しかしひとしきり笑ったからか、その表情は柔らかだった。

 

「……ふふっ、相変わらずね。安心するわホント」

「ハハッ、たまには冗談言うもんだろ」

「たまにはぁ? まったく、あなたは存在が冗談だから」

「ひど!」

 

 前言撤回。やはりひどい女である、

 だいたいこの彼女、プレイヤーを励ますとかなんとか言っているだけに確かにそう言う場面はあるが、これほどぞんざいな扱いをしているところはついぞ見たことがない。俺にだけ厳しいのだ。

 なんて言いつつも、俺は異動先を変えた彼女に合わせて方向転換する。

 そのまま崖の近くにある、遠くまで景色を見渡せる草原に腰掛けると、つられて俺もその隣に座る。見慣れたはずなのに、見渡す限りの雲と森林が広がる幻想的な風景を目に飛び込む。ベタベタのファンタジー世界だが、同時にここは剣と戦闘の世界なのだと再認識もしてしまった。

 そして口には絶対に出さないが、ヒスイが壮麗な風景を背に座っているとずいぶんと絵になる。

 

「……じゃあ、サイソクするようでアレだけど、ちゃちゃっと交換するか。ヒスイ何か足りてないアイテムとかあるのか?」

「ん~とねぇ……」

 

 その後はお互い損得の関わる真面目な話をしたが、どうやら俺は交渉事に弱いらしい。最終的に『乗せられて』話が進んでいたように感じる。

 話し合いは「これで文句なしね、ハイ」というヒスイの一言によってあっけなく終了した。

 25層戦では取り巻きのラストアタックにもボーナスが発生し、俺は《回復結晶(ヒーリングクリスタル)》と《天眼通(てんげんつう)の鏡》、さらに《天耳通(てんにつう)の筒》なる3つを手に入れていたが、今回の交換で全て手放している。

 《鏡》の効果は視界に映る範囲下で指定した武器スキルの派生機能(モデイファイ)を100秒間閲覧できるというもので、《筒》の効果は筒を耳に当てれば視界に映るプレイヤーの会話を100秒間盗聴できるというものらしい。

 人様のプライベートに干渉する非常に嫌らしいアイテムだが、売れば高額になるのは間違いない上、市場から見れば需要も見込めるので彼女に渡した。

 《回復結晶》に限らず、結晶系アイテムついては26層の主街区からショップでの販売が始まって暴落じみた値下げがされていたが、それでもレアといえばレアだ。よって交換。さらに大量のコルも支払って俺はようやくこの防具を手に入れたのだった。

 

「(そう言えば……)」

 

 余談だが俺はソロの情報屋、ミンストレルに26層が解放された時点で逆依頼されていた仕事をこなしていた。その内容は『26層主街区のショップで結晶系アイテムが売られているか、また売られているのなら主街区の名前をメッセージで伝えること』だった。

 目的は単純。クリスタルの転売である。転売ヤーである。

 ミンストレルも人が悪い。遅れて26層に来た者……すなわちサメトレ(・・・・)の被害者達は気の毒だが、授業料だと思ってもらうしかない。

 俺もエギルからむしり取られた金はエギル自身に報復するのではなく、改めて商談の中で仕返そうと思っている。

 

「(ま、それはともかく。しばらくはメシ食うのはやめとくか……)」

 

 防具の性能については見た目も含めて問題ないが、レアアイテムのために大した赤字を出したものだ。

 しかし、今の出費でだいぶ安くなっているはずの結晶系アイテムの購入すらままならない状態になっているのだ。これからしばらく倹約(けんやく)した過ごし方を強いられる。

 

「んでも、よくそんなレア度しか取り柄のないアイテム欲しがったな」

「……まあ《筒》は趣味が悪いからすぐ売るとして、《鏡》はなにかと便利よ? これを使えば、今後自分にとってそのスキルがプラスにはたらくかどうかを見極められるんだから。あなたもあるでしょう? スキル取って、あとでいらなくなること」

「う……まあ、あるにはあるな」

 

 確かに言われてみれば、プレイヤーの損得に直結するアイテムだけが貴重というわけではない。

 『事前にスキル内容を把握する』というのは、時間ロス防止に役立つはず。それがわかってしまうと、途端に手放したアイテムが恋しくなる。

 時は金なり。なんて、先ほど俺が大切にしようとした言葉だ。《鏡》アイテムはやはり交換するべきではなかったか。

 

「ち、ちょっとヒスイ、さっきのなんだけど……」

「だぁめ。もう交換しちゃったもーん」

「あっ、こんの」

 

 しかし当然、返してくれるはずもなかった。

 俺も本気で取り返そうとしていたわけではないので、そのまま俺達は特に戦闘にも苦労することなく再び最前線、つまり27層の主街区《グルカコス》に到着する。

 これだけ戦闘が楽になると、カズ達との約束がなければペアを組まないか、などと口をついてしまいそうになる。

 もっとも、こちらが大いに分不相応だろうが。

 

「ん、と……そういや言ってなかったな。俺このあと依頼受けててさ、そこ行かないといけないんだよ。つーわけで今日はこの辺で……」

「知ってるよ、アルゴのところでしょ。あたしも彼女のいるところに用があるから。このまま一緒に行く?」

「あ、ああ。いいけど……」

 

 いいのだが、そもそもなぜ知っているのだろうか。

 

「あっ! アルゴ~!」

「おお! ヒスイじゃないカ!」

 

 なし崩し的に《転移門》がある広場まで一緒に歩き、さらに女2人のキャッキャウフフを見せられているわけだが、どうも()に落ちない。

 しかもそこには、俺の知らない女まで立っていたのだ。よもや無関係なプレイヤーではないだろうが、これでヒスイを入れて女が3人。なんだというのだ、この異様な女性率は。アインクラッドの乾いた女性事情を鑑みれば、普通は比率が逆のはずである。

 これはまた高度な心理戦が……、

 

「ジェイド!」

「ハイ何でしょう」

「ぼうっとしすぎよ。紹介し忘れてたけど、この子はリズベット。リズ、この人が前言ってた……」

 

 俺は三白眼をさらに吊り上げてまじまじと観察していた。

 見た目は高校生ぐらいだろうか。背はヒスイより若干低く、色のいい茶髪が特徴的。油汚れがいくつか目に入るが、不摂生を感じさせない、いかにも活発そうな女性だ。

 アバターがもはやアバターではなくなった初日のことを考えると、この彼女は元来壮齢(そうれい)なのも知れない。しかも両頬にそばかすがあるからか、髪の色を含めて全体的にカズのギルドにいた小柄なサポーター、『ジェミル』に酷似している印象がある。

 はじめましてになるのだろう――俺の記憶はいつだって怪しい――が、コイツはいったいどんな経緯でここにいるのだろうか。聞きたいことは山積みだった。

 

「あ、どうも。えぇとジャイロさんでしたっけ?」

「誰だよジャイロッ!」

 

 ――スコープか? コンパスか? 何にせよ人ですらねーよ。

 俺へのぞんざいな扱いが全国共通の規格なのかは知らないが、俺が納得した覚えは1度もない。

 

「もう怒鳴らないでよ。せっかくのハーレムなんだからもっと真摯に、ね?」

 

 ね、ではない。贅沢(ぜいたく)な悩みかもしれないが、俺とてこの状況は嬉しくもない。むしろ、数十分前まで女にまつわるいざこざから遠ざかろうと思案に暮れていた俺にとって、これは生き地獄である。ギャルゲーではないのだぞ。何の冗談で俺はこんな魔界の巣窟に入り込んでしまったのだろうか。依頼されたのならともかく、この手の経験の薄いコアな引きこもりゲーマーに、いきなり高女性率は逆効果なのだ。

 ……さて、ここらで素直になろう。

 正直ウキウキである。

 

「まーまーそう言うなヨ。ジェイドにはオレっちから正式に護衛依頼も出しているわけだしナ。それぞれ都合もいいしこのまま出発ダ」

「リズもそれでいいわよね?」

「ええ、まあ。相対的には護衛が増えたようなものだよね?」

「そそ。じゃあ出発進こーう!」

「オイ待て、よくねぇぞ……」

 

 ウキウキだが、なお不安は尽きないのだ。女3人寄ればかしましいともいうものの、もしこのような刺激的なシーンが知人に見られようものなら、その時点で限りなくアウトに近い。

 イマドキこの程度で慌てる俺もどうかと思うが、圧倒的女性率かつハラスメントコードがあるとは言え、こいつらもこいつらだ。男は皆ケダモノ。まさか、3人がかりなら何とかなるとタカをくくっているのだろうか。

 まあ、俺にそんな肉食性はないわけだが。

 しかし前述の通り、客観的にただこうして並んで歩くだけでもアインクラッドではリスキーな行動である。バレたらきっと集団無視が始まる。

 ぼっちは嫌だが、集団の中でのぼっちはもっと嫌だ。

 

「も~文句の多いことと言ったら。女の子に嫌われるわよ。黒一点なんだから、むしろ率先して前歩きなさいって」

「黒一点ってなんだ? ……わ、わかった、団体行動はまーいいさ。けど、もうちょっと俺に説明があってもいいんじゃねぇの?」

「しょうがないな。リズはね、これでも結構長いこと鍛冶屋やってるのよ。影で攻略を支える重要な職人さんで」

「ふむふむ」

「それでねで……ん~、面倒ねこれ。つまり、みんなでパーッと狩りに行こうよ、っていう話よ」

「ふ……ふむふむ」

 

 なるほどね、と。そう答えるとでも思っているのだろうか。

 

「だからジェイドも、その女性嫌いを直すチャンスだと思って一緒に行こう!」

「別にきらいってわけじゃ……」

「さあ情報屋は時間が命だゾ! 茶番が終わったらさっさと出発ダ!」

 

 抗議は風のごとく無視された。

 こうして4人で狩りに出発する羽目になったわけだ。俺の弱々しい突っ込みは、3時の転移門広場に空しく響いただけだった。

 

 

 



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第35話 嵐のあとの静寂(中編)

前話で言い忘れてました。お気に入り件数が350を越えていました!感謝感激感涙です!
今後とも是非よろしくですm(__)m


 西暦2023年6月10日、浮遊城第19層(最前線27層)。

 

 周りを女によって包囲され、俺は四面楚歌とはどういったものなのか、その具体的な心情について身を持って体験していた。

 

「(幸せ者か! ……なーんて言ってる場合じゃないぞ……人いねぇよな? 見られてねぇよな!?)」

 

 キョロキョロ見渡す不審者が1名。を含む、計4人で歩く19層のフィールド、その名も《アンデッド・ロード》。シンプルな名前に恥じない、とんでもなく見た目が恐ろしいモンスターが無尽蔵に放浪しているエリアだ。迷宮区に続く最短の抜け道でもある。

 俺が最近手に入れたアイテム、《ミラージュ・スフィア》は自分が1度通過したフィールドやダンジョンを3Dスクリーンで表示してくれる優れ物で、これを元に選出したルートである。ちなみにこのアイテム、非常に便利で久し振りの必須アイテム枠だ。

 もっとも、そんな細かいことはいい。最大の問題が1つある。

 先にも挙げた女性率と……、

 

「あのさ、ヒスイ……」

「な、何かな……」

「あとそこのリスのペットだっけ?」

「リズベットよ! 失礼ね!」

 

 今の発言者、ヒスイとリズベットの足がすくんでこのフィールドにおいて何の役にも立たなくなっていること。または、彼女を俺が纏めて面倒見なければならないという大変厄介な問題である。

 ――あ、2つだ。

 

「ニャハハハ、そう言えば2人は怖いの苦手だったナ」

 

 《鼠》の異名を持つ情報屋は人ごとのように笑ったいた。

 まずはこのゲームシステムの話から入ろう。

 普通、携帯ゲームや『今までの』RPGにおいて、戦闘職に就かなかったキャラクター、人種は基本的には戦闘をしない風習があった。彼らは職業を極めるだけで、金に困ることもなく生きていくことができたのだ。

 勇者なら戦いの道、鍛冶屋なら武器作りの道、賢者なら……何の道かは知らないが。

 とにかくそのような感じだ。

 しかし、ソードアートの世界ではその先入観は当てはまらない。情報、また質のいい鍛冶用品や素材を手にするには、情報屋、鍛冶屋および商人は自分からモンスターと戦って素材なり経験値なりを貯めないといけないからだ。

 ただし、攻略状況によって戦闘区域はどんどん新しい場に更新される。単騎ではついていけないだろう。

 置いてけぼりをくらいたくなければ、ある程度の戦闘経験などが積まれることになる。ぶっちゃけた話、攻略組との会話のネタもなくなる。

 長くなってしまったが、ここいらで原点に戻ろう。

 目下最大の問題について。

 結論から言うと、アルゴやリズベット……長いので勝手にリズと呼ぶが、彼女達は素材と情報集めをする際にボディガードを雇うようになったのだ。

 モンスターに限らず、これは対プレイヤー対策でもあり、戦闘能力の低い職人プレイヤーが、自らを危険にさらすことなく強化するための安全策である。

 持ちつ持たれつの関係を作ることにより、別段その状況を作り出すのは難しくない。トラブルは付き物だが、オレンジ紛いなプレイヤーからの強襲も、モンスター集団に囲まれる危機も、職人サマ方は相当な頻度で回避できるようになっていた。

 ちなみに、俺のよく知るもう1人の情報屋ミンストレルなる男が、最近ソロプレイヤーから専属の付き添いを見繕(みつくろ)って2人で行動しているらしいことからも、それらは容易に理解できる。俺が彼に同伴したことさえある。

 つまり今日の俺は、アルゴから情報集めの援助を依頼されていたわけだ。平等を謳うネズミさんは、ある程度信用における人物をリストアップして順繰りに回しているらしいが、ヒスイはリズから指名を受けて鉱石集めの援助依頼を受けていた。

 日にちと時間が被っているのなら、一緒に行動して纏めてやっつけてしまおうという魂胆らしい。

 しかし不可解なことがある。

 

「ちょっと聞いていいか? ゾンビ系が苦手なヒスイとリズが、別の誰かに同行してもらおうっつう発想はわかるんだけど」

「ねえ、今あたしのこと愛称で呼ばなかった?」

 

 ここでリズが反応。うむ、気付いたか。めざとい奴だが、話が進まないのでここは無視して強行突破しておこう。

 

「なげーからいいだろ。んでもよ、なんで俺とアルゴが今日一緒に行動することを知ってたんだ? アルゴだって不自然だろう。仕事以外じゃフラットな付き合いだったのに、今日になって突然、『コルは積むからボディーガードをしないか』なんてさ」

「ア~、まあ危ないギルドが増えてきたからナ。こっちは独り身なんだヨ?」

「だからって俺か? ヤクザの舎弟とか言われたことあるぞ」

「……ヤ、今ってホラ……前線に人がいないシ」

「…………」

 

 なんだ、その、いたらローテで回ってくることはなかったみたいな言い方。

 しかしなるほど。緊急時のピンチヒッター程度なら、情緒不安定なモヤシ男を誘うわけである。むしろ道理が通った気分だ。

 泣いてなどいないぞ。

 ただ、アルゴの欲しがっていた情報はこの19層迷宮区にはないので、この要件が終わったら27層……つまり最前線のフィールドに戻ることになる。リズもその辺は理解しているのだろうか。まさか今日が初対面とは思わないが、質問した通り色々繋がりが見えてこない。

 そこでヒスイが答えを教えくれた。

 

「ここってあたし達みたいな女子は少ないじゃない? だから、さほど努力しなくても自然とネットワーク持っちゃうものなのよ」

「おお、それはありそうな話だな」

「年頃の乙女は寂しいカラ、身を寄せ合ってるってことダ。オレっち達は存在そのものが貴重だしナ」

 

 ニャハハハと笑うアルゴには悪いが、今のでさらなる疑問が浮かぶ。しかし疑問を持つだけにしておけばよかったものを、俺はそれをバカ正直に聞いてしまった。

 

「年頃の乙女……? アルゴ歳いくつよ?」

『…………』

「……今のなしで」

 

 アルゴの方に顔を向けながら言ってはならないことを言ってしまったらしく、彼女から返ってきた視線の温度は体感でゼロケルビンぐらいだった。

 

「いや違うんだよ! ほらっ、その、どうしても知りたいわけじゃないけどつい口からさ……あ、あー! とっととクエスト終わらせたいな~! 《異端者の石碑》だっけ!? もうその辺の石を物色しちまおうぜ! ほら急いだ急いだ!」

 

 社会的な意味で生命の危険を察知すると、冷や汗を垂らしながら俺はそう言って会話を打ち切った。

 女性陣3人はまだ何か言いたそうにしていたが、ゾンビ系モンスターとのエンカウントで内2名が言及不可能に陥り、何とかうやむやにできた。

 今だけは魑魅魍魎(ちみもうりょう)としたモンスター群にほんのちょっぴりの感謝を捧げるのもやぶさかではない。その代わりかどうかは定かではないが、俺だけが延々と戦わされていることにもこの際寛大に目をつぶってやろう。経験値うまし。

 

「(損な性格なのか、それとも何だかんだで女に逆らえないのか……)」

 

 今は多勢に無勢だが、なるべく客観的に自己分析するとおそらく後者だろう。

 ヒスイと会った頃から、俺は女に言われっぱなしだ。普段強気なだけにこの性格は何とかせねばなるまい。

 

「あっ……あったぁ!」

 

 そうして歩いて斬ってを繰り返していると、いきなりリズが声をあげた。

 さらに彼女が指をさす方向に全員が一斉に振り向くと、そこは確かにステージ上にわざとらしく備えられた石碑が乱立していた。素人目にはどれも見分けがつかないが、鍛冶職人にとって特定鉱石が抽出できるここの石は光沢の反射具合で即座に判別できるらしい。それなりに貴重で、最近は品切れが多発しているのも一因だとか。

 リズはレベルだけ見れば1人でも19層に来られるらしいが、この層は当時最強とすら言われていた『すり抜ける剣』、《霊剣》スキルを使うモンスター達の巣窟(そうくつ)である。理屈ではわかっていても体が勝手に防御態勢を取ってしまう場合が多く、タンカーを中心に今でも犠牲者が続発している。

 それにしても本人がグロ系苦手なら、もっと俺に感謝があってもいいと思うのだが……。

 

「まぁでも、さすがに余裕だったな。ヒスイは役に立たなかったけど」

「わ、悪かったわね!」

 

 俺の方をキッと睨むが、アルゴの陰に隠れながら顔だけ出してそれをやられてもまったく怖くない。いや、むしろ微笑ましいぐらいだ。ニヤけてはいけない。

 

「んでもどうするよ。次の目的地は最前線の27層だぜ? アルゴはともかく、リズは同行するべきじゃないだろ」

 

 そんなこんなで目標の鉱石アイテムを可能な限り持ち帰ってきた俺達は、ダンジョンを脱出して主街区への帰路に就いていた。

 しかし彼女達も細かいことを考えていなかったのか、俺の事情確認ついでの提案を今さらながらに認識し、みんなして苦い顔をする。

 

「う~んそうねぇ……2人には悪いけど、リズは帰らせた方がいいわね。危険な目には遭わせられないし」

「えぇ~、大丈夫だよ。あたしだってちゃんとしたメイス使いよ? 熟練度だって相当あげたんだから……」

 

 ヒスイが俺達に悪いと言ったのは、自分らの用件には付き合わせておいて、他人の用件につき合えないからだろう。

 しかしヒスイの言う通りで、そんなくだらないことの前にまずレベルを安全圏にまで上げていないプレイヤーを随行(ずいこう)させることは、護衛役としても危なっかしくてお断りしたい。武器スキルの熟練度の前に、レベルが安全圏に達していないなら論外である。

 

「つってもだリズ、なんで1層で大量に死んだか覚えてるだろ? 最初の冒険じゃ、安全マージンを確保できなかったからだ」

「そう、だけど……」

「けど今は違う。だろ? 前線行くのはやることやってから。1人で行くならあんたの責任。俺がついてんなら俺の責任だ。守り切れる保証がない」

 

 それを聞くと、女3人が目をぱちくりさせて驚きの表情を俺に向けている。

 まさか、俺がまともなことを発言したから、という理由ではあるまいな。もしそうなら、そろそろ本気で怒っていいはずである。

 

「ち、調子狂うわね。まぁでも今回はそういうことにしとくわ。ヒスイやアルゴに迷惑かけられないし」

 

 うむ、その通りだ。

 

「って俺も入れろよ! 俺にも迷惑かかってるよ!」

 

 ――こいつ、リスのペットのくせに生意気な。

 だが、哀れな弱者はその言葉を呑み込むしかなかった。

 

「はいはいジェイドも。じゃあ集める物も集めたし、そろそろ帰ろっか……」

 

 たぶんこれ以上食い下がったら俺が完全に悪者になるのだろう、などと少しばかり悟りのような何かを開きながら無言で帰路に就くと、帰りは拍子抜けするほどモンスターとエンカウントせずに主街区(ラーベルグ)に到着した。

 しかし、ここでまたしても問題が発生してしまった。

 リズが「やっぱりあたしもついて行っちゃダメかな? お願い!」なんて言ってきたのだ。

 よもや未練たらしく最前線に行きたがるとは。この話はすでに片付いたものだとばかり。……もしかすると、攻略組に囲まれたこの状況を利用して一気に荒稼ぎする腹かもしれない。

 

「あのなぁ、強いフレンド並べて経験値稼ぎでもすんのか? 死ぬ気かよ。さっきも言ったけど……」

「でも!」

 

 俺がうんざりした口調で話し出すのを遮るように、リズは今日一緒に行動した中で1番大きな声を出した。

 

「でも……あたしだって役に立ちたい。あたしね、4層5層とかが前線の頃からここを追いかけてたの。最初に勇気だした人に続きたいって。縮こまってるぐらいならいっそ抗おうって! でも……徐々にだけど、差は開く一方だったわ。やっぱりあたし、攻略以外の雑念を捨てきれない。鍛冶と攻略の両立なんて、できるはずなかったのに……だから、いずれあたしは前線に行く機会も完全に失うと思うの……」

「リズ……」

「最後のチャンスなのよ。役に立てるかはわからないわ……ううん、役に立てないんだとしても、みんなが歩いている世界をあたしも見たいのよ。勝手なのはわかってる。けど、いつまでも怯えたまま過ごすのはイヤ! 少しでいいからあたしにも……あなた達の世界を見せて……」

 

 最後の方はほとんど消え入りそうな小さい声だったが、目の奥に宿る意志は爛々と輝き、俺に言わんとしていることは痛いほど伝わってきた。

 つまり、彼女もこの大きな牢獄の中でただ指をくわえている自分がやるせないのだろう。

 そんな人間はごまんといる。俺と同じ、どうしようもない負けず嫌いだ。初期のアスナさえこのような状態だったと聞くが、リズも1人の人間としてやれることを、体験できることをしたいのだ。

 それにこの世界に与えられた情報を、風景を、魅力を、刺激を、世界そのものを味わいたい気持ちは過ぎるほどに理解できる。死ぬことよりも、何もできず行動しないことの方が恐ろしい。過去にはそんな発言をした偉人だっている。

 だいたい、ここにいるプレイヤーはそれらを体感するためにソードアートの世界へダイブしたのだ。

 アルゴはソロの情報屋で、ヒスイもソロで活動する剣士。もしリズがギルドを立ち上げるないし、どこかの団体に加盟しているのであれば、わざわざ彼女達に護衛を頼むのは理にそぐわない。同じ仲間で助け合えばいいからだ。

 なるほど。

 あえて聞かなかったが、リズは間違いなくソロプレイヤーだ。そして俺もソロである。つまりアルゴやヒスイは、そんな俺達のとこも配慮してこんなにも回りくどく口裏を合わせたのだろう。ギルドにも満たないソロだらけの傷の()め合いである。

 だからこんなシチュエーションが完成した。そして、リズの湧き上がる衝動に答えてやることもできる。

 

「途中で足手まといだと思ったら引き返してもいい。自分のことは自分で守るわ。だからそれまで、どうかあたしも連れていって」

「リズ……」

 

 俯き続ける彼女にヒスイが肩を貸してやっている。幸い泣き出したりなどはしなかったが、彼女の人間らしすぎる要望をそのまま聞いてやることもまた難しい。

 しかしそれは不可能ではなかった。戦闘員は2名で保護対象も2名だと少々手間取るだろうが、リスクを承知ならその程度だ。

 と言うわけで、俺はヒスイを連れて少し離れると彼女に俺の考えを提案する。

 

「もうここは連れて行こう。ただしフィールド上での俺やヒスイの命令は絶対という条件付きな」

「ちょ、ジェイド! 説得に回るならともかく、連れて行くですって? そんな危険なこと……」

 

 よっぽどリズのことを心配しているのだろうが、この反発に、俺は珍しいことに是が非でも通そうとした。

 今回ばかりはそう易々と引き下がらない。

 

「……コホン。いいかヒスイ、保護欲だけが思いやりじゃないだぜ? 俺は25層戦が終わった直後に低層に降りてルガ達……て言うのはつまり、前から言ってた俺の昔の友達のことなんだけど、とにかくそいつらに『最前線にくるな』って言ってやったんだよ」

「…………」

「わかってることだろう? 前線は危ない。んなこたぁみんな知ってる。死人もたくさん出て、んで……危ないから上の層には来るなってな。……そしたらそいつら、なんて言ったと思う? 『君が守りたい人だって、誰かを守りたいんだよ』ってな、逆に怒られちまったよ。守られる奴は守られることだけを良しとしないらしい。そいつが望むなら、人らしいことをさせてやるのも俺らの役目なんじゃないのか?」

 

 えらくこっぱずかしいことを言っている気がするが、ここは雰囲気でカバーできるだろう。ことこの状況下ではいくら何でもヒスイも俺に茶々を入れないと思う。

 と思っていたら、予想外の反応が起きていた。

 ヒスイがぼけーっと俺の方を眺めるだけで思考が停止したような顔をしているのだ。それどころか、彼女の顔がどんどん赤くなっていっている。

 

「ひ……ヒスイ?」

「へっ? ……あ、あぁえっと……その、わ……わかったわ。ジェイドの言う通りにしましょう……」

「(ん……?)」

 

 やけに早口で慌てた様子だが大丈夫だろうか。もしかしたら俺のセリフに何かおかしなところが……いや、それなら同意しないだろう。

 

「あたしとしたことが……っちゃうなんて……」

「おーい、じゃあ2人にもそう伝えとくぞ?」

「え、えぇそうね、お願いするわ……」

 

 何やらぶつぶつ言っていてよく聞こえなないが、そんな奴はほっといて善は急げだ。善かどうかは知らないが、よく使われる引用にこんな言葉がある。そう、時は金なり。

 そんなこんなでリズにかくかくしかじか。

 

「それでもいいわ。……なんか悪いわね」

「いいってことよ。詳しくは話せないけど、こちとら今までの罪滅ぼしをしているようなもんだしな。まぁ、あんま気負わずについて来いって。せいぜい守ってやりますよ~」

 

 多くのプレイヤーを捨て、ビーター紛いなスタートダッシュをしてきたのに比べれば、今回のこれなどは罪滅ぼしにもなっていないちっぽけな恩返しだ。

 しかし、そこで場が少々静まりかえっていたことに気付く。

 スベったのか。それとも少しばかり声のトーン落としすぎただろうか。あまり感謝などはいらないのだが、それを誘うような物言いになってしまったのなら反省だ。

 

「お前さん案外女泣かせだヨ。見た目がワルだからゲイン効果があるのかもナ。……まア、オレっちも気を付けるカ」

「何じゃそりゃ……」

 

 わけのわからないことをぬかすアルゴを華麗に受け流して3人を集め直すと、今度は俺が先頭に立って(くだん)の情報収集クエストに向けて主街区《グルカコス》を出発した。

 こうして再三に渡る4人の旅は、その今1度幕を開けるのだった。

 

 

 



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第36話 嵐のあとの静寂(後編)

 西暦2023年6月10日、浮遊城第27層。

 

 モンスターの湧出(ポップ)、そのたびに会話中断、それでもって戦闘員2人が非戦闘員2人を守る。俺はこの繰り返しにさすがに辟易(へきえき)しながらも、意外に任務自体はすんなりと遂行されそうだった。

 たった今、ガーゴイル系の設置型銅像モンスターを切り伏せたところだ。

 

「(なんとかなるもんだな……)」

 

 ちなみに現在周りを複数の女に包囲され四面楚歌とはなんなのかを体験している。おや、この流れにデジャビュを感じるが、まだ続くらしい。

 加えるならここも、あるいはこの先にある迷宮区も、やたらトラップが多発する地帯だとNPCに噂されている。

 

「(ま、でもここまできたら2人も3人も変わらんか。ポジティブに……そう、ポジティブにいこう!)」

 

 そう考えることで、自分の判断は間違っていなかったと言い聞かせる。

 何だかんだ、人と普通に話せるようになった俺からすれば、たかが数人の女と一緒に歩くぐらいどうってことはない。

 そう、俺の後ろでへんてこりんな会話をされてもどうってことはないのだ。

 

「ね? リズ、なにも起こらないでしょう? 所詮こいつもゲームオタクなのよ」

「うぅん、それでも男子はなんかなぁ。……どこか信用がおけないって言うか……」

「だ~いじょうぶよ。こいつ紳士とかそーいうの通り越して単なるヘタレだから。ホンット絶食系。こいつと同じ部屋で寝たってへっちゃらよ。どうせ襲ったりなんてできないわ」

「ところでヒスイは何でそんなこと知ってるんダ? ……まさカっ!?」

「ち、違うわよアルゴ! あたしは別にこんな奴と……」

「オレっちはまだ何も言ってないぞ?」

「ぅくっ……あ、アルゴー!」

 

 ――ああ、ごめん。やっぱもう無理だ。

 

「あのっさぁ! さっきから聞いてりゃ好き放題言いやがって! 誰がヘタレだ誰が!」

「だってそうじゃない! あたしがあんなに……っ」

 

 しかし言っている途中で何かを思い出したのか、そこで言葉を切ると、しばらく俯き、さらにわなわなと震えながら顔を赤くして「もう知らない!」という捨て台詞と共にそっぽを向いてしまった。

 

「なぁなぁリズさんヤ、これっテ……」

「ええ、これはガチね……」

 

 意味のわからない比喩的なやりとりをする後ろの2人は放っておいて、俺は懸命に心を無心状態にしながらひたすら歩いた。

 正直、確信があるなら勝負に出てやってもいい。俺だって男だ。だが彼女達は俺を逐一からかっている。この戯れ言全てに反応していたら俺の身がいくらあっても持たないだろう。明鏡止水という言葉があるが、今の俺に必要なのはこれだ。

 ちなみに先ほどの会話だが、おそらく現在がほんの数メートル先までしか見渡せない暗闇のトンネルにいるからだと思われる。

 仮想世界だからと言ってしまえばそれまでだが、暗い空間ではやはり不自然なほど『見える範囲』と『見えない範囲』の差がはっきりとしている。確か各層にだいたい取り付けられている時計塔も、そのほとんどが立派な鐘を(こしら)えていて、その鐘が鳴っても聞こえる範囲と聞こえない範囲は一定の距離で区切られている。鐘の音が突然聞こえなくなるのだ。

 そういったシステム的な事情もあって一寸先は、とまではいかなくとも、ゴツゴツとした岩肌トンネルの数メートル先は闇だった。

 カンテラか松明、あるいはロウソクでもあれば話も変わってくるが、なんとも不運なことに俺しか持参してなかったうえに、使用後数分で耐久値(デュラビリティ)が消滅してしまったのだ。こんなことならもっと入念にプロパティをチェックしておくべきだった。

 しかしそんな長いトンネルもいつかは終わりをみる。

 そこに待っていたのは、これまた幻想的で神秘的な、ぼんやりと青白い光が漂う秘密基地のような場所だった。

 しかも細部までディテールに凝っていて、景色は絶世の一言に尽きる。そこには一切の手抜きは感じられず、俗にいう隠しステージであることが(うかが)えた。

 

「へぇ、すごくキレイね……」

「うわぁ、あたしのやってた鉱石探しがアホらしくなってくるぐらい素敵な場所よこれ」

「オレっちもこれには声がでないナ」

 

 三者三様、とも言えないほぼ同じような感想を女性陣3人が漏らしていたが、女が感性に浸るのをただ見守るだけでは話が進まないので次の行動を催促する。

 

「ほらとっととナンチャラの硬玉とやらを集めるぞ。ったく、よりによって採取クエストかよ。被ってんじゃん」

「風流のない男ね~、仕方ないじゃない。ここにいる皆がクエスト内容を知らなかったんだから」

 

 貴金属の採取クエストなる今回のこれは、先ほどまでの石碑の欠片集めとやっていることが大差ない。

 正直に内心を吐露すると『飽きた』のだ。こんな作業ゲーになるとは思わなかったが……いや、RPGのやり込み要素なぞほとんどが作業ゲーのようなものか。

 ただしレベリングは作業ではない。あれを作業感覚で続けていると、いつか『死ぬ』からだ。

 

「ん? おい、これじゃね?」

 

 どこから光が射し込んでいるのかはわからないが、うっすらと輝く洞窟内の色は蒼。……だったはずなのに、その一角が緑色に変色していたのだ。そしてNPCが求めていた貴金属の色は確か緑。つまり俺の目の前で美しい光を放つ鉱石物がそれに当たる。

 

「あ、ホントだ。綺麗だけど、ちょっと見つけるの早すぎだね~。超ちっちゃいとか、とにかくもっと苦戦するかと思ったわ」

「まぁトンネル抜けるまでが長かったってことだナ」

 

 なぜか第一発見者である俺への礼がない。護衛にさえ最も貢献したはずなのにこの仕打ちである。

 

「ま、まぁいいさ。んでそれが正解なのかを早いとこ確かめてくれよ。こっちはそろそろレベリングに戻らねぇといかんし」

「もう、せっかちね。じゃあリズ、お願いできる?」

「ん……ちょっと待ってね〜」

 

 武器や防具には《鑑定(ジャッジ)》スキルの熟練度に見合った見分け方が用意されているが、それはアイテムにも稀にある。レア度が高いほど、つまり人目に付く機会が少ないほどその傾向は強くなる。

 そして、今回の石っころのステータスは俺では価値を判断しかねるため、現在この簡易ギルドで唯一《鑑定(ジャッジ)》スキルを上げているリズに頼んだという次第である。

 ――ほう、確かに人に頼らざるを得んとなるとシャクだな。

 

「『翡翠緑のジュリアストーン』ね。うん、翡翠石のことは別名で『硬玉』だし、NPCは緑色の硬玉を拾えと言ってたから間違いなさそうね。これで任務は達成……んん? あ、あれっ?」

 

 会話の前半で安堵しかけたが、いきなりリズが言葉を途切らせる。そして、ヒスイの顔と手に持つ石っころを交互に確認していた。

 アニメみたいな動きである。いったいどうしたというのだろうか。まさかここまで来て見当違いだったという、壮絶に面倒くさいオチが……、

 

「ね、ねぇヒスイ……いま気付いたんだけどさ。確か翡翠緑って英語でジェイドグリー……」

「わぁあー! ちょっとストぉップ!」

 

 今度はヒスイが甲高い声でリズの言葉を遮る――手でも物理的に口を塞いでいる――と耳を塞いでいた俺は、二の轍を踏まないように音量に注意しながら声を荒らげた。

 

「おい! 洞窟だと響くだろうが! キンキンするわマジで」

 

 まだくわんくわんと脳内で鳴り響いている感覚が俺を襲うが、当のヒスイはそれどころではないといった具合にリズに何やら耳打ちしている。

 この状況で無視するとはいい度胸である。

 

「オイこら、聞いてんのかこいつ」

「き、聞いてるって。さっきは悪かったわ、謝るから」

 

 そう言うヒスイの声はどこか弱々しく、誰かに弱みを握られたような何とも言えない不安な表情を浮かべた。

 それにしても素直に謝るは、今度は押し黙って大人しくなるはで情緒の安定しない奴だ。ついでに不可解なことを言っていた後ろの人間にも聞いておくとしよう。

 

「ところでリズ、さっき言いかけた言葉って……」

「も、もういいじゃない! さあ皆で戻って、あたし達攻略組はレベルアップ目指しましょう!」

「……いいけどさ……挙動フシンだぞ?」

 

 どこか釈然としない。ヒスイ以外の2人は未だにニヤニヤしていて気味が悪いのだが、確かにレベルアップ効率の悪いフィールドに長居するのは避けたい。

 なので、ここは深追いせずに彼女に従っておいた。

 

「(にしても敵、湧かねぇなぁ……)」

 

 女だらけで遠慮しているのか、帰り道は敵との遭遇を避けられた。今は護衛対象が多いので願ったり叶ったりだが、仕事のしがいがないのもまた悲しい。俺は基本的に狩り中毒者(ハントアディクト)なのだ。居心地が悪い時はモンスターを斬り伏せるに限る。斬ることこそ快感。

 それにしても男女比の割合、取り分け女性の方が多い状態は19層の深夜以来である。

 

「(いち男子として、みょーりに尽きるのかね……)」

 

 メンタル疲労的にはしばらくお断り願いたいが、貴重な体験だったのも揺るぎない事実だ。俺がリアルの世界でただのうのうと暮らしていただけでは、決してあり得ない人生経験である。

 あと一月(ひとつき)もしない内に、俺はこうして4人で行動することが約束されている。カズ達と4人ギルドとして行動することができる。

 それもこれも、この小さな勇者が俺を変えてくれたからだ。

 

「な、なによぉ……?」

 

 しばらくヒスイの方を見ながら歩いていたせいか、アヒルみたいな口を作って彼女は抗議の表明をする。もちろん「何でもねぇよ」とだけ言ってまともに返事などしないが。

 ヒスイ、助かったよ。と、声に出して感謝するのはもう少し後でもいいだろう。

 そうこうしている内に、俺達は再三に渡る最前線主街区、《グルカコス》に到着した。途中、主街区とは別の《圏内》でも休憩を挟んでいたからかメンバーに疲労のあとはあまり見られない。

 と言うわけで、ここからはやけに懐かしく感じるソロ活動の再開だ。可及的速やかに再開したい。

 

「っとその前にアルゴ、ギャラくれよギャラ」

「こうしてみるといつもと立場逆だナ。ま、たまには新鮮でいいガ」

 

 そう言いつつコルを受け取ると俺はさっさと立ち去る、なんてことはできなかった。

 不気味すぎるのだ。先ほどから俺とヒスイの方をチラチラ見ながら「ムフフン」という感じの口元を見る度に、俺には相当な不安が襲ってくる。

 

「あの……さ、アルゴ。ちょっと聞いていいか?」

「何だネ? オネーサンに何でも聞いてみなさいナ」

 

 俺はチラッ、と横流しに目を向けた。ヒスイは今リズと会話している。

 聞けるチャンスは今しかない。

 

「アルゴはさ、きっとカン違いしてるんだよ。俺とヒスイはマジで何もねぇから。……あとリズが洞窟で言いかけたこと、アルゴは察してんだろ? 俺にも意味教えてくれよ」

「おやおやジェイドさんは自意識過剰だナ~。オレっちはそんなようなことは思ってないゾ?」

 

 こやつ、あれだけワケありな態度をとっておいて、まだシラを切るつもりか。ここまで除け者にされて意識しない人間のどこに自意識があるというのだろうか。

 ここまで強情ということは、彼女もまたヒスイによって口封じされているのかもしれない。となればその固い口を割るのは一苦労である。

 

「あの宝石になんか意味があるんだろ? う~ん……」

「フフン。お前サンもいつかわかるサ」

 

 またこれだ。アルゴは都合が悪くなるといつも人を煙に撒く。トンチのようで感心してしまうが、どうやら「聞いてやる」というのは本当に聞くだけで教えてくれはしないようだ。彼女らしいと言えば彼女らしい。

 あえて追撃しないが、おそらく多少のコルを払えばどうという問題でもないのだろう。ヒスイのプライベートに関するあれこれだとは到底思えないが、ゆえにサラッと教えてくれないのは謎だが。

 

「(まいっか、俺もこれ以上時間かけてらんねーし)」

 

 後日、質問の機会があった時は今よりは食い下がって聞いてみるとしよう。

 それより、残りの2人にも挨拶ぐらいはかけてやらなければならない。

 

「俺はこのまま狩りに行くけどヒスイはどうする? 何ならまた狩った数の競い合いとか」

「あ、あたしはこれから別のクエスト受けに行くから……っ」

「あれ、さっきはレベルアップのためがどうとか」

 

 しかし言い切る前に「話はまた今度ねえ!」とだけ残し、ヒスイはそのまま逃げるようにそそくさと退散してしまった。

 なんだというのだろう。知らない間に逃げられるほど嫌われていたのだろうか。

 

「行っちまった……」

「あんたこのタイミングでよく2人きりになろうとするわね。もしかして狙ってる?」

 

 残されたリズがため息混じりに俺に言うが、妄想と区別がつかなくなりそうで恥ずかしいので、理解不能なふりをして否定しておいた。

 

「俺に狙えるタマじゃねーよ。それより今日はサンキューなリズ」

「助けてもらったのはあたしじゃない。今回はヒスイより役に立ってたわよ? 認めるのはシャクだけど」

「その、なんだ……素直にホメらんねーのか? ここの女性団は」

「アッハハハハ」

 

 ――アハハではない。いい加減シバいたろか。

 まあ、俺の過去を知る者なら、この日がどれほど貴重な時間だったかが理解できるだろう。

 こうして平和にしていられるのは、周りの人間が俺を変えたからだ。最近活発になってきた各オレンジギルドの仲間入りを果たしていないのは、人生の分かれ道で本当に紙一重の正しい選択をしたからだ。

 

「それでもサンキューだよ。あと、リズは俺らといて楽しかったか?」

「ん、と……」

 

 さすがに正面切ってこう問われると即答しかねたようだが、次に顔を上げた時そこにあったのは笑顔だった。

 

「なんだろ、でもメッチャ楽しかったわ。あたし攻略が始まってからしばらく独りだったからかな。誰かと過ごすのってこんなに楽しいんだね……」

「だろうな、気持ちはよくわかる。正直俺もいい息抜きになったよ。リズのおかげで笑った回数増えたと思うぜ?」

「えーなんかそれバカにしてる!」

 

 こんな言葉の応酬で笑っている俺がいる。まるで小さなギルドに加盟したようだ。

 そして俺がルガ達と一緒に過ごせるようになったら、こんな日々がずっと続くのだろう。

 

「(楽しみだ。早く会おうぜカズ)」

 

 失った時間は修復できないのかもしれない。しかし取り戻すことはできるはずだ。

 今日1日を通して、誰1人として25層戦の悲劇を語ろうとはしなかった。

 それでいい。過去に失った物をいつまでも見続けていたら、俺達は一生前に進めないのだから。

 今日はまだソロプレイヤーが4人集まっただけのハリボテパーティだったが、俺は今度こそソロプレイヤーを脱却できる。欲望の赴くままに見捨ててしまったカズと、そして彼を1層の頃から支え続けた仲間達と、逃げずに正々堂々向き合っていくのだ。

 

「ぃよっしゃー! レベリング再開だ!」

 

 それまでにはせめて、背中を預けるに値する男になってみせよう。

 

 



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第37話 プレイスタイル

 西暦2023年6月14日、浮遊城第28層。

 

 つい20分ほど前に日にちが14日に移動して、6月も残すところ半分となった今日この頃。俺は28層のメインフィールドたる『狼ヶ丘』にいた。

 おかげで気分はブルーである。というのも、俺はどうしても1層でデスゲーム宣言があったあの日から、度々出会(でくわ)す狼系モンスターに若干ばかりのマイナスイメージを持っているため、バトル以外での貫通継続ダメージ的なものがチクチクと刺さるのだ。

 無論、戦闘で負けるということはなかったが、どうしてもやる気は削がれる。効率も落ちていることだろう。

 

「(あ~やだやだ……)」

 

 俺は狼系MoBから容赦の無い攻撃に晒されるが、容赦のない反撃を浴びせて無心に敵を真二つにしていた。

 すると、近くでよく知る人物の声がするのが聞こえたので、げんなりとしていた戦闘を一時中断し早歩きでその場に向かう。

 そこにいたのは予想違わずクライン達、ギルド《風林火山》のメンバーだった。相手もこちらに気が付くと、俺は軽く手を振りながら近くまで駆け寄る。

 

「よう、クライン! ギルドもまた人数増えたんじゃねぇか?」

「おおジェイドじゃねぇか。ちょっとお前ら、ザコ頼んだぜ」

 

 そういって彼は新たな武器、《刀》カテゴリのそれをパチンッ、と腰に仕舞いながら走ってきた。

 《カタナ》スキル。最近発見されたエクストラスキルである。

 1層フロアボスと10層でしか見られず、多くのプレイヤーにとって『モンスター専用ソードスキル』と信じ込まれていたスキルをプレイヤーが使用する。これはつまり、《霊剣》スキルを含む多くの『敵専用』がまだその限りではないという証明になったのだ。

 もっとも、それら日本刀の中には飾って楽しむだけの装飾品から《荒 波 紋(あらなみはもん) 紅 雀 飛 丸 (べにすずめとびまる)義 勇 ノ 鍔 逆 鮫 拵(ぎゆうのつばぎゃくさめこしらえ)》など、フルネームで覚えさせる気のないふざけた銘を持ったものも存在するが。ついでに腕が2本しかないプレイヤーには《四刀流》も無理だろう。

 それにしても、なんだかんだあの絶望的なボス戦を経て、また最前線フィールドでクライン達と再会できているのだから人間捨てたものではない。

 

「おうそれいいな、カタナ。結構サマになってんじゃん。俺も曲刀に手出しとくべきだったかな~」

「へへっ、だろう? まぁ黙ってただけで25層戦の時にも使えたんだがな。ただ、あん時はまだ熟練度が心許なくてよ。ソードスキルも最近になってようやくまともなの覚えられたぜ」

 

 言っていて思い出したのか、クラインの表情から笑顔が段々と薄れていった。無理もない。凄惨な討伐結果をただ聞かされただけでなく、彼ら《風林火山》はその場で全てを目撃してしまったのだから。

 あの日、討伐隊に降りかかった重圧は並のものではない。こんな話を続けようものなら、お通夜前の何とも言えない暗い雰囲気に呑まれてしまうだろう。

 こうなったら話題切り替えだ。

 

「そ、それより見てくれよコレ。……ほら、25層のLAドロップだぜ? すっげぇだろ!?」

 

 そう言ってハイテンションのまま俺が取り出したのは、《ミソロジィの四肢甲冑》なる、肘から先と膝から先のみに装備する特殊な甲冑だった。

 個人的にはコンプライアンス違反だが、わずかばかりの優越感と引き換えに目をつぶろう。

 付随効果は壮絶。筋力値+50に敏捷値+20、大幅な体力・防御力補正。装備中は防御可能な四肢が自動防御(オートガード)をしてくれるは、ソードスキルの正確さ(アキュラシー)に補正をかけてくれるはの、時間制限付きチート級防具なのだ。

 ついでに手足が部位欠損(レギオンディレクト)中でも問題なく装備できる。最早ここまでくると『甲冑』とは名ばかりで、四肢を退けて怪物のそれが生えてきたのではないかと思ってしまったほどだ。

 だが、手放しで喜べることばかりではない。

 それは耐久値(デュラビリティ)が1000しかないこと。またこの数字が、1秒につき1ずつ減っていくことだ。1番大きいのは、後付け感が否めないプロパティ説明欄の最後の1文、『メンテナンス不可』という部分だろう。防具の耐久値を元に戻せないということはつまり、装備可能な時間に決定的な上限が設けられるということでもある。

 俺が『時間制限付き』と表現したのもそのせいで、ただ突っ立っているだけでも16分40秒間しか装備できないコレは、勿体なすぎて装備できたものではなかった。

 デザインも文句なし。基本のベースを黒としつつ、所々に黄色いラインの入った黒雲と雷鳴をイメージさせる鋭利な防具は、やはり俺やその他のプレイヤーに眠る禁じられた何かを呼び起こすには十分だと言えよう。

 ――つまり厨二的なアレだ。

 

「うぉおッ!! こいつぁ凄ぇぞ、手足のみの鎧か? 見た目イカすし飛びっきりに強ぇじゃねぇか。……んでもよ、それ確かヒスイさんがゲットしてなかったっけ?」

 

 ごもっとも。あの時、《リヴァイヴァルファラオ・ザ・ペアギルティ》なる双頭型巨人へ最後に攻撃していたのはヒスイだ。俺のラストアタックは失敗しているし、ついでにLAボーナスも機能していたため、最初に手にしたのも彼女である。

 しかし、この籠手と臑当ての部分をワンセットにしたような黒い甲冑は、俺やクラインの言うところの格好良い、つまりヒスイで言うところの『ダサい』に当てはまったので、物々交換によって俺の手に渡ってきたのだ。

 

「交換したってわけよ。さすがに財布とストレージを涼しくするしかなかったけどな」

「ちぇ、羨ましい。オレが先に話しかけときゃよかったよ」

 

 クラインは《カタナ》の時とあべこべになるように愚痴るが、なかなか侮れない出費だったことを知らないからそんなことが言えるのだ。実際に俺の出した交換材料見ると仰天するに違いない。

 しかし「にしても25層かぁ……」と、付け焼き刃の話題切り替えは長くは持たず、再び沈鬱(ちんうつ)とした空気が場を支配した。

 26層攻略には2層攻略以上の遅さ、2週間という時間がかかっている。

 ただ、前には進んだのだ。

 事実、俺やクラインも2ヶ月前に20層で会って以来ずっと最前線で戦っているし、むしろクォーターポイント以前と同等の熱意を感じている。

 1つ気がかりがあるとすれば……、

 

「オレらは復帰できる状態だからまだマシだと思うぜ? 大量の離反者もあって、あの後の《軍》は相当ヤバかったらしい」

「それは俺も聞いたぜ。攻略行為は凍結だとかなんとか……」

 

 俺の危惧はまさにこれで、彼に同意するように頷いた。俺が特別詳しいわけでも、ましてや軍と仲が良いわけでもないが、彼らの事情を知らない攻略組は少ないだろう。組織そのものが大きいからか、大々的な発表などしなくても情報がすぐに行き渡るからだ。

 個人は変わり辛くても、組織というものは変貌(へんぼう)を遂げやすい。

 俺がオレンジさながらな行為を止めるには、相当な時間を要してからだった。

 しかし《軍》というギルドは違う。2層では数十人規模の《アインクラッド解放隊》。10層では下層プレイヤーの育成を題した勧誘により巨大化。20層では《ギルドMTD》と合併する事により、軍と呼ばれるようになる。22層からは文字通りやりたい放題で、ボス戦の半分をギルド内で(まかな)うほどに成長していた。

 ただし息継ぎのない疾走ゆえ、栄枯盛衰とはこのことだろう。ついに多数の死者を出したことで成長率は急速減退し、現在は逆に軍縮している。こうして振り返るだけでも軍のありようが激変したことを物語っている。

 彼らを束ねるシンカーなるプレイヤーやキバオウら重鎮連中であっても、やはり改変の全てをコントロールできたわけではないのだろう。

 最終的に軍は20名もの戦死者と、それに伴い波のように広がった消極姿勢により最前線から姿を消した。

 ボス戦で『良いポジションにつきたい』という理由で仲間入りを果たしたソロプレイヤーや小ギルド達の離反で、彼らが発言力をなくしたことが大きい。

 今までは死ににくいという理由から軍に所属していたのであって、無理を押してでも加盟し続けなければならない組織ではない。

 

「(あの《軍》ですらこのザマだ……)」

 

 自然とこぶしを握り締める。

 俺はよくギルドという存在について考えるようになった。

 もうすぐカズ達が俺に追い付く頃だからだろう。実をいうと、不安が尽きないのだ。俺は我慢強い方ではなく、知らない人間とうまくやっていける保証はない。カズ達と戦う時、彼らを守りきれる保証もない。そして考えたくはないが、『死なれた時』に果たして俺は前を向いて歩けるのか、という懸念もある。

 相互の絆が軽薄ならギルドなんてものはたちまち崩れ落ちるだろうし、逆に強ければ喪失感で再起不能になるかもしれない。それらの事態が重なった結果が今の軍であり、『戦わない大集団』でもあるのだ。

 

「クラインは知らねぇだろうけどさ。まぁキバオウとは……てか、幹部連中とは1層の時からの付き合いでよ。……ぶっちゃけ友達以外でもさ、そんな奴らでも……いなくなるとやっぱ悲しいよ」

「ああ、その気持ちは痛いほどわかるぜ。さっきメンバー増えたって言ったろ? あれな、元軍の奴なんだよ。より所を失ったと泣いててな。勝てるっ話しに騙されたって……友達も死んだと言ってやがった……」

 

 頭のどこかでは理解していたことだった。おそらく23層攻略から数えてボス戦初参加の者も、ボス戦による戦死を初めて目撃した者も、数多くいただろう。

 同情はするものの、今となっては同情しかできない。

 

「でもよ……新人に声かけて、救えて、いまじゃ仲間だ。全部がヤなことじゃねぇさ。人間そこは乗り越えなきゃな」

「どーりだな。攻略は続いてる……あれを理由に全部ほっぽりだしたら、死んだ奴らに合わせる顔がねぇ」

 

 クラインはたまにお調子者で、どこか抜けていて、バンダナの趣味が悪くて、それでいて立派なギルドリーダーだ。普段の容姿と言動からは想像もつかないが、こいつにはこいつの持論があって、仲間意識が強く、情に厚く、多くの勇敢な行動が仲間達の命を守っている。

 スタートダッシュに目が眩み、ビギナーを軒並み置き去りにしたこんな俺を、この男は会った時からいつまでも仲間だと思ってくれている。

 

「へっ、アンタらしいよ。ウジウジしてんのは似合わねぇな」

「おいおいオレにシリアスな雰囲気が似合わねぇってかぁ? こんにゃろめ」

「アハハッ、ならもうちょい大人なオーラださないと……あっ」

 

 しかし、クラインが小突き合っていると、俺は近くの丘の上で全身を黒い装備で覆った人物が、静かに俺達を見下ろしていたのに気付いた。辺りが暗く確定はできないが、シルエット、装備、ここが最前線であること、どれをとってもそれがキリトのものであることは明白だった。

 俺が小さく「キリトか……?」と呟くと、クラインは音がしそうなほどの速度で俺の目線の先へ振り返った。しかし、そこには鬼気迫る何かがあるだけだった。俺はもっと2人して喜び合うと思っていたので、この結果は少々意外である。

 

「おいクライン、どうしたんだ?」

 

 俺は聞いてみるが、クラインは答えないどころか俺の方を見ようともしなかった。

 そうこうしているうちに、キリトが少しずつこちらに近づいてきた。そのまま(ささや)くように話し出す。

 

「クライン……もうこんなところまで来られるようになったんだな……」

「お、おう! へへっ。どうだよキリト、オレも今じゃいっぱしの攻略組ギルドのリーダーだぜ?」

 

 どこか不穏な空気が漂うが、いったいどうしたのか。やはり、キリトがしばらくソロとして活動していた理由が絡んでいて、俺の預かり知らぬ場所で何か後ろめたいことでもあったのだろうか。

 重い空気に呑まれて話し辛くなってしまい、少々うわずった声で口開く。

 

「そ、そういやキリト最近見ないと思ったら、こんな深夜にレベリングしてたのか。ボス戦にも顔見せないもんから心配してたぜ。……ええっと、確か《月夜の黒猫団》だったか? 入ったギルドの名前は。あいつらとはどうよ」

「……ああ、今でも一緒にいるよ……」

 

 諸事情により俺はギルド、《月夜の黒猫団》についてはそれなりに詳しく知っているのだが、知っていることを知られると後々厄介なので知らない振りをしておく。ついでに若干テンションを上げるようなトーンで切り出してみたが、総合的にあまり効果は無かった。興味がないようだ。

 どころか、俺のこの発言を機に彼はまた歩き出し、会話そのものが終わりを告げようとしていた。

 

「悪いなジェイド、レベリングの時間が無いんだ。……じゃあまた……クラインも」

「おいキリト! キリトよ……お前ぇも無理すんなよ、オレぁもう気にしてねぇからな!」

 

 その言葉を最後まで聞いていたかはわからなかったが、キリトはほんの少しだけ頷いたように見えた。

 それにしてもやはり、この2人の過去にも何かがあったのだ。買い被りかもしれないが、クラインが人と話す際にギスギスした関係になるのは考え辛い。

 

「(やっぱ《はじまりの街》で何かあったんだろうな……)」

 

 人間関係の悪化が1番激しかったのはおそらく1層。いや、あの《はじまりの街》のデスゲーム宣言直後からだ。

 誰もが人を気遣う余裕がなく、必死だったがゆえに皆が我欲だけを通そうと力任せだった。必然的に、本来協力しなければならないはずのプレイヤー間での衝突は後を絶たなかったのだ。

 

「行っちまった。……何かあったんだな? キリトはまだ気にしてんのか」

「ああ、そうみてぇだ。けど当時は足引っ張るの見えてたし、オレの方から置いてけって言ったんだ。もう気にするなと何度も断ってんだけどな……」

 

 そうは言うが、元βテスターなら実体験として理解できる。ビギナーを捨てて、自分の強さだけを求めて、旨い狩り場を知り尽くして強化に邁進(まいしん)した日々は、その毎日に地獄のような呵責の重圧があったのだ。

 それは逃れようのない罪悪感の鎖。

 キリトが最初期からソロだったのなら、あいつにも例外なく『それ』があるはずである。

 

「オレよ、もう誰にも俺を初心者なんて言わせねぇようにする。いや、オレだけじゃねぇな。このギルド全員をだ。キリトにもう2度とあんな思いはさせねぇ。……だからもっと強くなんないとな」

 

 そこには決意の眼差しがあった。

 それだけ言うと、クラインは立ち上がって新たに手に入れた《刀》カテゴリの武器に手を添えた。

 

「ジェイドもよ、ソロやってる理由なんかあんだろ? それを無理矢理知ろうとは思わねぇが、おめぇもあんま無茶なことすんなよ。オレぁいつでも歓迎する。忘れるな……」

「ああ、サンキューな」

 

 この優しさは、毎度身に染みる。しかし俺とて、カズ達と一丸となってこの胸くそ悪いゲームに臨むと誓い合っている。

 言葉だけをありがたく受け取って、残り少ないソロプレイをせいぜい満喫することにしよう。

 

「ありがとよクライン! またどっかで会ったら、そん時は腕試しにデュエルぐらいしようぜ!」

「おうよ! 吠え面かくなよぉっ!」

 

 片手を振ると今度こそ彼は視界から姿を消した。

 その時の俺は、ほんの少しだけ心が軽くなっていた。

 

 

 



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第38話 悲しみを乗り越える時(前編)

 西暦2023年6月27日、浮遊城第30層。

 

 しばらくの間、ルーチンに沿った日々を過ごしていると、ついに意外なメンバーと鉢合わせした。

 それは晴天日の昼下がり、たまたま防具の新調のために俺が30層の主街区を歩いていた頃のことだ。そこにいたのは6人のメンバーで、その内1人だけが俺のフレンド登録リストに名を連ねていた。

 その人物とはキリト。そして彼の存在により、あの6人集団が《月夜の黒猫団》なる中層ギルドであることが推測できた。

 

「(ん? ……てかここ、最前線の主街区だぞ?)」

 

 ごく自然と歩いていたのでスルーしそうになったが、俺はふと思い出す。確かキリトは平均レベルの低い中層ギルドの集団に混ざったはずだ、と。

 まさかもう最前線入りを果たしたのだろうか。真偽は定かではないが、現に町の大通りを歩いている。

 何にせよめでたいことだと思ったので、俺はすれ違った時点でキリトに片手を上げて軽い挨拶をした。がしかし、彼は目を離して『これ以上構わないでくれ』オーラを全開にしていた。

 ――過去の俺じゃあるまいし。

 

「(どうしたってんだ? 無愛想なヤツだな、今さら俺のことさけてんのかな……)」

 

 だとしても、悲しみよりもまず疑問が浮かぶ。俺とキリトの遭遇率が下がっているのはお互い別々の事情であり、特段ケンカ別れをしたわけではないからだ。

 約2週間前に会ったあの日も、どこか余所余所しいというか、冷たい印象を受けた。が、彼にどんな心境の変化があったのだろうか。

 そこまで考え、ある事実がリマインドされる。

 

「(あ、思い出した。そういや自分のレベル隠してるんだっけ)」

 

 ずいぶん前に情報屋のミンストレルから聞いた気がする。とすれば攻略組に知り合いがいるのも矛盾する話で、構って欲しくないのならこれ以上の手出しは無用。

 しかし目線だけ寄せると、ある人物に目がいった。

 彼らのギルドでは紅一点の黒髪女だ。なにも綺麗な黒髪がストライクゾーンに命中して一目惚れをしたのではない。タイプな女であることは認めるのにやぶさかではないと言い切れなくもなかったが、ひとまずそれは置いておいて、そいつは多くのギルメンが笑い、騒ぎあっている中でひと際目立つように暗い表情を浮かべていたのだ。

 こんなことをしてもお節介だし、隔絶(かくぜつ)を望むキリトに嫌われてしまうだろうが、なんとなく原因を問いただしたくなってくる。なぜ周囲の連中と温度差があるのか、現状の何が不満なのか。ソロの立場としては、自然とそう思ってしまうわけだ。

 贅沢な奴だ。恵まれているじゃないか、と。

 しかし、俺1人が多人数のワイワイ集団に話しかけるなどという芸当はできるはずもなく、結局は彼らを遠くから見送るだけになってしまった。

 

「(また今度ヒマでも見つけて、キリトにメッセージ飛ばしてみようかな……)」

 

 インスタント・メッセージと違ってフレンド登録を済ました仲だと、迷宮区にでもいない限り、現実のメールと対して変わらない言葉のやりとりができる。

 たまには近況報告も兼ねて、軽口を言い合うぐらいの時間ぐらい設けてくれるだろう。

 

「(今日は疲れたからマッピングはいいか……)」

 

 そんなこんなで、その日は珍しく近場のフィールドでレベルアップに専念し、マップ更新への手助けをパスするのだった。

 

 

 

 翌日、これまた珍しく起床アラームなしで、あくまで俺にとって朝早く目を覚ますと、顔を洗って久々の朝日を拝みながら空気をたっぷり肺に吸い込む。想像以上に美味しい一杯だったため、これからは早起きもいいかもしれないと思ったほどだ。アインクラッド外周ギリギリからの眺めもいい。

 浮遊城アインクラッドはその名の通り空に浮かんでいるわけだが、「落ちたら本当に死ぬ」と言われると、こうして柵のギリギリに近づくことも避けた方がいいのかもしれない。ただ、目の前に広がる風光明媚(ふうこうめいび)な景色を堪能できることが引き換えなのだから悩ましい。

 それに、この高さなら落ちたら死ぬのは現実でも同じことであり、石段に登るなりわざと飛び越えなければ、転んだって落ちることはない。

 

「さ……て、とっとと買い物すませるかね」

 

 完全に独り言になってしまったが、幸い周りに人は存在せず、声を出す練習だったと割り切ることにした。

 そうして俺は意気揚々と武器販売店を転々し、そろそろ換え時となってきたメインアームの代替物を探し、昼飯として最安価のパンを買い、ついでに待ちに待った『明日』のために、新しい服を買って一息つく。

 その頃には午後を回っていて、午前中にレベリングをする時間も失われてしまっていたが、朝兼昼メシとなった小さいパンを取り出して柵の手前から朝の風景をもう1度楽しんだ。

 しばらく風景を眺めながらパンをかじっていると、何の気なしに後ろを振り向く。すると、昨日初めて顔を覚えた《月夜の黒猫団》の1人、先頭を闊歩(かっぽ)していた隊長格らしきプレイヤーの姿があった。

 

「……あっ!」

「えっ?」

 

 そしてとっさに声を出してしまい、その人物が俺の方に向き直り、改めて「何か用です?」と聞いてきてしまった。

 

「(しまった。しゃあねぇ、何か話題……)……え、えぇと。あ、そうそう昨日この辺歩いてたろ? 俺攻略組なんだけど、あんま見ない顔だったから」

「ああ、そういうことか」

 

 そう言ってニカッと笑う彼は、名を『ケイタ』と言うらしい。

 見た目からもっと軽々しい人間と勝手に想像していたが、そこはきちんとしたギルドリーダーだったようで、非常に話しやすく気さくな奴だった。

 そしてなし崩し的に2人で歩きながら会話を楽しんでいると、判明してきたことがいくつかあった。

 まず彼が1人しかいないのは、現在ギルド用のホームを(こしら)えようとしている最中で、その大役はリーダーたる彼に一任されていたから。

 次は彼やその他のメンバーもキリトや例の女性――名前はサチと言うらしい――の様子がおかしいことには、彼も気付き始めているということ。

 最後はどうでもいいが、購入しようとしているらしいギルドホームとやらが滅茶苦茶高額だということだ。確かクライン達もギルドホームを購入する、とハシャいでいた当初は死活問題になるレベルで所持金をはたいたらしいので、どこの物件もそんなものなのだろう。

 

「前線にホームを持つわけだからな。すっげぇじゃん」

「あ~、ははは……。でも実は、僕達そんなに実力付けているわけじゃないんだ……」

 

 かなりテンションの下がった声で彼は言う。自嘲で言っているわけではなさそうである。

 

「実際はさ、僕達はもっと下層ゾーンで狩りをしていたんだけど、将来を見越してギルドホームだけは最前線に作ろうってさ。アハハ……見栄張ってるのはわかってるつもりだけどね」

「恥ずいってか? 気にすんな、見栄なんて張ってなんぼだろ。最近は何かと理屈つきじゃなきゃ前線来るのを避ける連中もいるけど、景気がいいと気も晴れるってもんだ」

「あはは、そうかな……。メンバーには笑われちゃったけど」

「イーことだよそりゃあ。失敗談とかどこで話してもだいたいウケるし。……ただし! 笑って済めばの話だけどな!」

 

 ここで互いにクスクス笑ってしまったが、言いたいことは伝わっているだろう。

 身も蓋もないようなことだがゲーマーらしくて実にいい。『プレイヤー解放に向け、あくまで紳士的な攻略スタイル』を掲げる血盟騎士団と、『最強の称号を得るためにはどんな手段も取る』と主張する聖龍連合。加入に当たり、どちらが信用に足る組織かと聞かれたら、俺は間違いなく「聖龍連合だ」と回答するだろう。

 この世界だからこそ、綺麗事など所詮はそんなものだ。無料(ただ)より高いものはない。むしろ、泥臭く這い(つぐば)っていた方がプレイヤーから信頼を得る場合も多い。

 確かに血盟騎士団、特にそこの団長様は紳士にそれをこなしている。あの尋常ならざる統率力はもはや天才の域に達している。

 しかし、天下の美人フェンサーが所属していようが、俺はどうしても欲望に忠実な聖龍連合に肩入れをしてしまう。

 連合がある意味ストレスを発散しているのに対し、血盟騎士団は自分らを律し戒めているのだ。ストレスなんて常に最高ボルテージだろう。

 

「まーでも、今の段階で最前線で狩りとかすんなよ? バンユーは死んじまうって昔から決まってるからな。……その、キリトとやらがいくら強くても」

 

 攻略組であることを隠しているキリトについて、俺は人物像を知らない前提で話していたが、「キリトが団員の中で1番強い」というのはすでに会話の中で上がった話だ。ここまでは問題ないだろう。

 

「ああ、そんなことはしないさ。いくら彼が強くてもやっぱり安全が第一だからね。それにしても、初めはそこまで期待してなかったけど、ホントに彼は強いよ」

 

 確信している、とまでは言わなくとも、ケイタはほとんど気づいていた。

 キリトはレベルを詐称して中層ゾーンの連中と行動を共にしている。だが、それはいつかバレる行いだ。これだけ長い日数を共に過ごしていれば、いくら弱い装備でダメージ量を誤魔化しても、戦闘の節々でボロが出る。

 払拭しきれない違和感は、どこかで疑念を生む種となる。腹を割って話すことも場合によっては必要なのだと、キリトに忠告した方がいいだろうか。それこそお節介だと(とが)められるだろうか。

 いずれにしても、彼らから頼られるこの現状をどう受け取っているかによる。

 

「(……あ、そういうことか)」

 

 思い当たる節。

 その答えは単純で、彼が満たされているからである。

 この現状に不満がない、満足しているということになる。おそらく彼は、頼られ、認められることで承認欲求が満たされた。

 しかしそれは、破局すら喚びかねない。なぜなら彼は、そのために嘘をついているから。

 今まで人を欺いてきたのなら誠意を込めて謝ればいい。「ビーターと一緒には行動できない」といった言葉を浴びせられるのが怖いのかもしれない。それでも、逃げていては負債など積み重なるばかりだ。

 もしここで1歩を踏み出さなければ、結局いつかは彼らの前に虚偽を晒されるだろう。

 

「ええっと、ジェイド? あんま深く考えないでくれよ、僕達は別にキリトを疑っているわけじゃない。あいつはいい奴だよ、センスいいのにさ。ぶっちゃけ僕らを捨てて1人でやってた方が絶対早く成長してたはずなのに、今になっても僕らと一緒に戦ってくれているんだ」

「あ、ああそうだな……」

 

 だからこそ。その信用がキリトを、彼ら自身を追い込んでいる。

 しかし俺は事実を面と向かって言えない。言ってやる勇気がない。

 そう、見て見ぬ振りをすればいいのだ。何も自ら汚れ役を買って、進んでキリトに嫌われるようなことをしなくてもいい。それこそ誰もが望まない最悪の選択肢ではないか。

 しかし……、

 

「あのさ、ケイタ……」

「あ、ちょっとあそこのメシ屋行ってみようぜ。上層なんて来ないから、あんな食いもん初めて見たよ~。ジェイドは昼食べた?」

「ああ……い、いや……俺は高いのは食わねぇんだよ……」

 

 しかし俺はその機を逃してしまった。

 内心、時間稼ぎにどこかホッとしている。俺達はテイクアウトで安いものを注文すると、食べ歩きながら別の会話をした。

 

「僕らギルドホームの購入初めてでね。不動産仲介プレイヤーとの会話が、まさかこんな簡単に済むとは思っていなくて、待ち合わせの時間までまだあるんだよ。このゲームは事務的な手続きとか料理については簡略化しすぎだと思うね」

「……ま、まぁそれには同感だな。結婚システムとか知ってるか? プロポーズメッセージ送ってOKされれば終わりだってさ。アレはマジで拍子抜けするよ」

 

 なぜ俺が知っているのか、という疑問が湧くかもしれない。そんな人間にはこう言い返してやろう。「もしかしたら使う日来るかもしれないじゃん!」と。

 

「へぇ、今度調べてみるよ。あ、よかったら一緒に記念すべき30層を見て回らないか? この辺まだみんなと歩いてなくてね。攻略組のジェイドが教えてくれよ」

「あ……ああ。そうだな……」

 

 結局、これだ。ギルドを持つ人間の暖かさ。これに触れてしまうと、俺は途端にそこから脱せなくなる。吸い込まれるように、抗い難い願望が生まれてしまうのだ。

 もっと聞きたい、俺もその温度を共有したい、ギルドとして行動することの魅力を余すことなく教えて欲しい、俺が半年以上味わってこなかった気持ちを共感したい、と。

 

「(もう少しだけ……)」

 

 だから俺達は、しばらく主街区を歩きながら共に普段の生活のことを打ち明けあった。

 当然、自分が元βテスターであることまでは悟られないように注意していたが、そもそも今となっては虚しい称号である。すでにメリットなんてほとんどないのに、未だに目の敵にされることがあるからだ。

 ソロで活躍しても疑われることはなくなったがゆえ、自ら打ち明けない限り過剰な詮索はない。

 よってレベルやスキル、人数での判明が難しく、かつ過去の話題を切り出し辛い現在において、β上がり露見(ろけん)への心配はまったくの杞憂だった。

 さらにそんなことなど眼中にないほど、ケイタは楽しい日々のことを俺に語ってくれた。途中からはキリトが黒猫団に嘘をついているとか、そんな暗い話は頭の中から完全にすっぽ抜けていたほどだ。

 彼の目に浮かぶ光景は輝かしく、そして希望に満ち溢れるものに違いない。

 

「それでさ、落とし穴にかかったテツオがズボーッ! ってなってな」

「ブハハハッ、見てみたかったわ~それ! 楽しそうだなぁここのギルドは」

「お、そうだ! ジェイドもうちに来ないか? 他のメンバーにも聞いてみないアレだけど、きっといい仲間になれるよ!」

 

 クラインにも提示されたこともある、俺にとってはこれも1つの道なのだろう。しかし俺の中で答えはもう決まっていた。

 

「いや、悪いな。俺もう予約入ってるんだ。聞いてくれよ、ついに明日! 俺のダチが前線の仲間入りができるらしくてさ。く~、待ちきれないぜ」

「へえ、そうだったのか! 良かったじゃないか。前線か〜、僕らもいつかはそこが目標だからね」

 

 2人で時間も忘れて談笑していたが、ふと時計が俺の目に留まった。どうやら待ち合わせの時間を少しばかり超えていたのだ。

 

「ん……そういや話変わるけどみんな遅いな。そろそろ集合時間なんじゃなかったっけ?」

「あ、ホントだ。っかしいなぁ、時間は厳守って言っといたのに……」

 

 文句を言いつつ自分自身時間を忘れていたこともあるせいか、そこまで本気で怒っているようには見えない。

 そしてその後、ほんの5分ほどで俺はキリトがこちらに向かって歩いていることに気づいた。

 

「おいあれ、キリトじゃないか?」

「あ、やっと来たみたいだね。おーい! キリトー!」

「(ブッチョウ顔してんなぁ。まあ初めて会った時もあんなんだった、か……)……ん?」

 

 しかし、どこか様子がおかしかった。ケイタが手を振っているのにキリトは返事をするどころか、頭を上げようとすらしていないのだ。

 いや、集合時間を大きくオーバーしているのにも関わらず、向かってきている黒猫団メンバーがキリト1人というのも不可解である。

 

「ああ……その、キリト? やっほ〜? 部外者がここにいること怒ってんなら……」

 

 キリトが近づいてきて、普通の音量でも十分に会話ができる距離になってから俺は話しかけたが、そこでゾクッ、といいようのない悪寒に襲われて言葉が途切れた。

 彼の表情は不景気とか青ざめているとか、そういった類の表現方法では表せない、絶望に塗り固められた、空っぽの人形のようになっていたのだ。

 事実、彼は俺の声を聞いて初めて存在を確認していた。まるで外界の情報を全て遮断していたかのような反応だった。

 

「こいつはそんなこと気にしないよ。なあ、キリト……この人ことはまた紹介するけど、その前に皆がどこに行ったか知らないか? まったく薄情な奴らだよ、僕はしっかり任務を果たしたってのにさ……キリト……?」

「…………」

 

 ようやくキリトの顔に生気が帯びるのを感じた。

 しかしそれを温度で表現するなら欠片も暖かさを感じない、冷たく悲しいものだった。

 

「ごめ……ん、ケイタ。……みんな、みんなはもう……」

 

 声は震えて繋げることさえできていない。

 苦痛の吐露そのものは、見ているこちらが痛々しいほどに残酷だった。

 

「え、さっきからどうしたの? テツオやサチ達はどこ行ったんだ?」

「みんな……」

「(そん……な。そういうことなのか!? そんな、まさか……ッ)」

 

 キリトのような目を知っている。同じような目を見てきた。

 俺だけではない、攻略組なら誰だって嫌というほど体験してきたはずだ。この取り返しのつかない、取り戻しようのないものを失った目。守りたかった者を守れなかった目を。

 それこそ、25層のボスフロアで嫌というほど見たはずだ。

 

「ウソだろキリト……」

「ん? なぁジェイドはキリトのことを知ってるのか? さっきからやたら……」

 

 しかしケイタもことの重大さを、その全貌とまではいかなくとも、片鱗に触れたように押し黙った。このあまりにも重い空気に何かに感づいたのだろう。

 

「ごめんよケイタ……俺、守れなかった……」

「さ、さっきから何言ってんだよ。暗い顔なんかしちゃってさ。あははっ……ほら、みんなの所に行こうぜ? どこで待っているんだ?」

 

 痛々しいまでに空しくこだまするケイタの声。俺の中でも疑惑は確信へと変貌し、心臓をかき(むし)るような言葉にできない激情が、濁流となって押し寄せた。

 4人もいたはずだ。まさか全員? あってはならない。そう、あってはならないのだ。こんな、悲劇は……、

 俺は自然と手で口を押さえていた。1層で茅場がゲームのルールを変更した時、そして誰もいない主街区を走っていた時。あの時の吐き気が何倍にもなって降りかかったからだ。

 そしてとうとう、キリトは決定的なことを口にする。

 

「みんな……死んだ。……死んだんだよ……俺が、守れなかったから……ごめん……っ」

 

 時間の進みが停止したかのような感覚。

 最後に発せられた言葉の、なんと儚いことか。

 

 

 

 そして日常は音を立てて瓦解した。容赦のない爪は、今なお浮遊城に閉じ込められたら魂に深い、修復できないほど深い傷跡を残していった。

 

 



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第39話 悲しみを乗り越える時(中編)

お気に入り件数が400を超えました!
感謝しかありません。自分が作った文章を誰かが読んでくれているなんて今でも信じられません(汗


 西暦2023年6月27日、浮遊城第30層。

 

 ギルドメンバーが鏖殺(おうさつ)された。キリトの口から発せられた事実は、容赦ない絶望だった。

 静かすぎるがゆえに、痛々しい。その場にはしばらく、沈黙のみが居座った。

 

「は……え? いやだって、さっきまで……」

 

 しかし認識は遅れてやってくる。

 納得はできなくても、理解だけは脳内が勝手に進めたのだろう。それが抑えられていた感情を爆発させた。

 

「そんな……ことって……う、嘘だッ! ふざけているんだろ!? いや、こんなおふざけ僕は許さないぞっ!! キリト! 皆はどこかって聞いてるんだよッ!!」

 

 大股でキリトに近づき、その胸ぐらを掴みながら大声で怒鳴る。俺はその無意味さを察しながらも、動くどころか声すら発することはできなかった。

 そう、キリトは「ギルドメンバーは全員死んだ」と、こう言っているのだ。その短い一言だけが事実である。

 

「ごめん……」

「謝るな! そんなのいらないんだよッ! 僕が言っているのは……ぼくがいっているのは……あ、ぁ……っ」

 

 ウィンドウを開いてギルドメンバーの状態をスキャンしたのだろう。ケイタの声にはノイズが走り、涙声となっていった。最後の方は消え入ってしまい、なんと言ったのかもわからない。

 俺は情報屋ミンストレルから、彼らについての度の過ぎた情報……つまり、彼らが現実の世界でも同じ仲間であることを知らされていた。

 そう、リアル情報を知っていたのだ。

 彼は親しみ深い友人4人を同時に失ったことになる。慰めの言葉も浮かばなかった。

 

「嫌だ! ウソだって言ってくれよ、キリトぉ! なんでっ……そうだよ、じゃあ何でキリトは生きてるんだ!? みんな死んだのに! きみだけ生きてるなんておかしい! ……そうだ、だから皆生きてるんだ……っ!!」

 

 過酷な現実から目をそらすようにその場で膝をつくと、彼は独り言を漏らし続ける。

 だが俺はそうなって初めて、そのあまりに惨めな背中に声をかけざるを得ないのだと悟った。

 

「ケイタ……たぶん、キリトの言ってることは……」

「うるっせぇえッ!!」

 

 振り向きざまに叫ぶケイタ。しかし、遮るように舞い降りた心の叫びは、さっきまでとは似ても似つかない声調となって彼の喉を通った。

 

「なんで、死ななきゃいけないんだ!? なぁッ!! 僕らが何したって言うんだ! 答えろよ、答えてくれよぉッ!!」

 

 あらん限りの悪罵を吐き捨てるように、そして焦点の定まらない目で彼は俺とキリトを罵倒し続けた。

 通行人も何人か反応し、そして事態を理解し去ってゆく。

 ケイタ自身、こんな時誰にどんな反応をすればいいのかわからないのだろう。人目もはばからずひとしきり叫んだあと、終いには泣き出してうずくまると、彼は悔しい思いだけを吐露し続けた。

 ようやく彼は顔を上げると、石畳の壁に手を突きながらよろよろと立ち上がった。さらに目に光を灯さないまま、次の言葉を口にする。

 

「なぁキリト、どうなったのか……せめて、どうしてそうなったのかを、教えてくれ……」

「……ああ……」

 

 こうして、ようやくキリトがその経緯をあらまし語った。

 そしてそれらは至ってよくある、情報力の足りていない中層プレイヤーでは珍しくもない死に方だった。

 原因はアラートトラップを踏んでしまったというものだ。

 15層の迷宮区でカズ達が落ちていた落とし穴もその(たぐい)のものであり、十分すぎる安全マージンが無ければ、また《転移結晶》などの脱出手段がなければ、死亡宣告に近い状況に陥ってしまう。

 俺やキリトのような攻略組は、27層の迷宮区がトラップ多発地帯であることを留意して行動している。アルゴやリズ達と一時的に行動した時にも、《罠探査(インクイリィ)》スキルを所持していない俺は神経質なほど注意したものだ。

 しかし遭遇する可能性が低いとはいえ、いわんやキリトがモンスターを倒しきれなかったとして、よもや用心深い彼が何らかの対抗手段を用意させていないはずがないのだ。だから俺は彼が話す途中でも、ついそのことを聞いてしまった。

 

「キリト、逃げられなかったのか? 何か脱出するための……それこそ転移結晶の1つでも持たせておけばこんな」

「持たせたさ……ッ」

 

 しかし返ってきた言葉は信じられないほどしわがれた声だった。

 

「結晶アイテム無効化エリア。……その部屋の特徴だよ。みんなパニックに陥ったんだ。もうあの時は、俺にもどうしようも……」

「…………」

 

 もはや八方塞がりだった。これ以上言及しようのない、わかりやすく明解な最期。

 俺は未だにその無効化エリアとやらに足を踏み入れたことはないが、最近になってそんな仕掛けが施された部屋が存在することは記憶していた。

 29層から新たな種類の結晶系レアアイテムがドロップするということ事が判明する中、しかし結晶系アイテムが万能ではないという茅場からの通告なのだろう。これにより、中層プレイヤーですらそのほとんどが買えるようになったテレポートクリスタルでさえ、絶対的な命綱足り得ないことになった。

 これまでも、これからも。結局はこの世界で生き残ることにおいて最も重要なのは、戦闘センスでも強力なソードスキルでもない。必要充分な情報量だということである。

 それを持っているから俺は上層での死を免れ、ハイレベルをキープできている。

 

「でも……何でキリトは、お前は切り抜けられたんだ……」

「それは……」

 

 質問に対して今度ばかりはキリトもすぐには答えられない。そして答えを知っている俺も同じ立場に立ったとしたら、彼と同様の反応をするだろう。

 だが、やがて観念したようにキリトは声を紡ぐ。

 

「それは……俺が元ベータテスターで、攻略組で……ケイタ達とはレベルも場数も全然違うからだ……」

 

 今になって。

 今になってようやくキリトは騙していたこと全てを、余すことなくケイタに伝えた。偽ってきた本来あるべき本当の姿を。

 あまりに遅く、あまりに皮肉な告白は、再三に渡りケイタの頭の中をリセットしていった。

 意味を理解していくにつれ、やがてケイタは呂律が回らなくなっていき、だんだん言葉も意味をなさないものに変化していく。しかしそれでもケイタは、残りの理性を総動員した。

 そしてその成果を口に出して言う。

 

「じゃあ……キリトは、僕らに嘘をついていたんだ。……信じられない……僕らが一生懸命、体を張って……命を張って! それでギルドとして頑張ってきたのに……ッ。ナメやがって……フザっけんなよッ、お前ぇえ!! 何が僕たちと場数が違うだッ! じゃあ何でサチを! 仲間達を助けなかったんだよらこのクソやろうッ!! ……ハァ……ハァ……なんっで……ッ!!」

 

 だんだんと怒気をはらんできた言葉をそこで区切ると、ケイタは俺の隣で荒い呼吸を繰り返しながらも、何かに思い至ったように目を見開く。

 

「そうだ……初めて会った時、キリトは黒い装備だった。……黒い装備の盾無し……昔どこかで聞いたことがある。いや、そうか……お前が『ビーター』だったのか!?」

「ッ……!?」

 

 驚きの顔と喉を通らない声。

 その沈黙は、答えているのと同義だった。

 

「は、ハハハ……じゃあ何だ。僕らは同情で君につき合わされていたのか? ままごとみたいに、お情けかけて! それで、優越感に浸っていたわけだ。ハハ……僕達みたいな弱い奴に助けを求められて、さぞご満悦だったんだろうッ!? ウワサ通りだな、性懲りもなく好き勝手やってるみたいじゃないか!?」

「ち、違う。それは」

「どこが違うんだよッ、この……!!」

「おいケイタ、少し落ち着けって。こいつは……」

「ビーターがなんナンだよッ! ああァ!?」

 

 声は裏返り、憤怒の形相で今度は俺にも牙を向ける。その挙動からは今にも剣の柄に手をやり、誰彼構わず斬りかかってきそうなほどだった。

 そしてそのまま彼は大空を背景に、目元を赤くしたまま再び絶望に苛まれる。

 

「キリト、お前がいたから皆が死んだ。お前が役立たずだから……強い力を持っているのに、助けなかったから死んだ!! この人殺し野郎がッ! ……ビーターのお前が僕らに関わる資格なんて無かったんだ!!」

 

 重い、決定的な一言。

 また、決別の通告。

 そして彼は絶対に越えることのない、越えてはいけない一線に足をかける。

 それは本来人をこの世界から落下させないための壁。浮遊上最南端に位置するこの主街区での、最後のボーダーライン。

 意図しなければ決してその柵を乗り越えることはない。しかし、このデスゲームが始まると同時に、あり得ないほど多くの人間に使われた自殺方。

 

「ばっか――」

 

 後になって思い起こしても、この時俺の体が意志に響応(きょうおう)したのは奇跡だったのかもしれない。

 

「――やろぉぉおおおおッ!!」

 

 呼吸すら忘れて全力で駆け、ケイタに一息に接近するのと、彼の足が柵から離れるのはほぼ同時だった。

 右手を限界一杯まで伸ばすと、手先に彼の足の感覚を掴む。見渡す限り眼下に広がる、底の見えない大空に改めて恐怖すると、そのまま育て上げた筋力値にものを言わせ、全体重を乗せて引っ張り上げた。

 かくして無限の虚空に身を踊らせたケイタは再び地面にその身を投じ、今度は尻餅をつきながら俺を見る。

 

「ぐ……何で……助けたんだよ! もうほっといてくれよ。僕はこの先……え?」

 

 俺はケイタの言葉を無視して彼に近寄ると、その頭を力一杯掴み、思いっきり頬をぶん殴った。

 ガンッという、とても人の拳が発したものとは思えない音を周りに響かせながら、彼は3メートル以上吹き飛ばされた。

 

「ぐぁっ……なん……!?」

「ふざけたこと……抜かしてんじゃねぇぞッ!!」

 

 相手の目は俺に、自分のしたことに、この世界そのものに怯えきっている。

 しかしそれでも、顔がぶつかりそうなほど肉薄し、自分の中にある感情を抑えようともせずに伝えた。

 

「いいかオイ、あんたの辛さはわからない! まだ理解できない。俺の友達は、まだ生きてるからな……だけど! 自分から死ぬんじゃねェ!! ……頼むから……生きて、くれ……」

 

 目の前にいるケイタの姿が薄くぼやけていく。俺はその時になってようやく、自分の涙に視界を遮られていることに気づいた。

 ケイタの叫びと、それが我が身に降りかからなかった安心感。そしてこの世界そのものへの怒りを凝縮させた感情が、心の壁を決壊させて零れ落ちたのだ。

 

「く……何がわかるんだよ……今日知り合ったばかりのジェイドに、何が……」

「わかんねぇっつの。……でも、あんたに死なれることだけはダメだ。絶対……」

 

 そこまで聞いた彼は悟ったかのように目を見開き、そして悔しがるように(うつむ)くと、いつまでも嗚咽を漏らした。

 その場にいた3人の涙は、しばらく地面を濡らし続けるのだった。

 

 

 

 それから優に1時間を経て、俺達3人は宿屋の一角で席に腰を下ろしていた。

 少しだけ落ち着いた顔をして横並びに座っているが、やはりというべきかケイタはキリトのことを全部許しているわけではなかった。

 

「キリトは……またソロに戻るのか?」

「……ケイタが」

「やめてくれ」

 

 「ケイタが許してくれるのなら」と、そう言おうとしたのだろう。しかし発言し切る前に彼はキリトを黙らせる。そして引き返す気はないとばかりに悪辣(あくらつ)な言葉を浴びせた。

 

「もうキリトと行動を共にする気はないよ。僕もソロでやっていく。……《月夜の黒猫団》というギルドは、僕1人で受け継いでいくんだ……」

 

 その決心には揺るぎない強さが秘められ、同時に他者を寄せ付けない排他的な意思を感じた。

 しかしSAOの《ギルド》とは、複数人いなければシステム的に認証されない。彼が1人で黒猫団だと言い張っても、それは個人がうそぶく戯れ言に過ぎない。これではもう、ギルドの存続をしないと言っているようなもの。

 だが考えようによっては、組織壊滅の原因を作った張本人と今後も旅を続けるというのもおかしな話だ。詰まるところ、この結果は全てが暴露された時点でどうしようもなかったのかもしれない。

 

「……わかった。ケイタ、今までありがとう。……あと……すまなかった……」

 

 そんな言葉だけを残して、キリトは今度こそ店を出ていった。会計は済ませていないが、出入り口を出た時点でストレージからコルが天引きされるシステムである。

 問題はケイタだ。

 喪失感と、際限のない罪悪感の中で、今後の攻略に望むことになる。彼はもしかしたら、死に場所を求める亡者のように自暴自棄なことをしでかすかもしれない。

 

「……なあ、ケイタ」

「…………」

 

 横並びで会話をしているのに、いくら待っても返事はない。

 しかし、いつかのヒスイと同じだ。俺はここで会話を打ち切ってはならない。何度も繰り返し話しかけ、呼びかけなければ、彼はすぐにでも黄泉の世界へ誘われるだろう。

 

「俺らさ、今日知り合ったばっかだけど、あんたらの仲間は……その、すっげぇ暖かいと思ったんだよ。ぶっちゃけシットした。……ケイタがメッチャうらやましかった」

「…………」

「けど、ずっと続かない人もいる。……前に似た奴に会ったよ。近しい人間が死んだ、って。……俺はその死んだ人間に直接会ってない。感情移入もできない。けど……今のケイタ達と同じだ」

「…………」

「でもそいつは、ある日から前向きになれた。1人でも多く助けるために……今も、折れたプレイヤーを見つけちゃ声をかけてるらしい。『わたしも頑張る。頑張って乗り越える。だから、わたしと一緒にこの世界を出よう』ってな」

 

 話だけは聞いてくれているのだろう。ケイタは話の途中で先程の夕暮れ時を思い出したのか、感極まってまた目に涙を浮かべている。きっと朝まではいつもと同じように言葉を交わした親友達と、もう2度と会えないなんて、未だに信じることができないのだろう。

 夢であって欲しいと願ったはずだ。しかし神はいつ、どこでも、どこまでも無慈悲だった。

 

「俺さ……最初はこんなこと言う人間じゃなかったんだよ。誰が死んだって、消えたって、何とも思わねぇ。……どころか、人を蹴落としたこともあるクズ野郎だった。……でも、この世界で色んな奴に会って、色んな奴と会話して、戦って……それで気づいたんだ。テメェだけの命(・・・・・・・)じゃない。……粗末にしていい命は、1コもないんだって……」

「……ぐ……ヒック……グス……フッ……」

 

 聞こえてくる嗚咽は増々大きくなる。

 

「人が死ぬのを見るのは今じゃトラウマさ。だからってわけじゃないけど、どんなに苦しくても、生きなきゃダメだ。だってそうだろ? 俺らが死んだら誰かが悲しむ。黒猫団がなくなったからこそ……生きることは、あいつらへの最大の敬意だ。違うとは言わせないぞ」

 

 ここまでですでにケイタは号泣していた。俺自身、喉元までせり上がってきた悲しみは、会話に影響を与える一歩手前まで来ている。

 もうケイタは話せるような状況でもなかったし、俺はそれを強制しようとは思わなかったが、次に彼が口を開くのにはたっぷり10分の時間を要した。

 

「あり……がとうな。こんなに言ってくれるなんて。……ジェイドに会わなかったら、僕も今ごろ死んでたよ……」

 

 自殺志願者特有の悲観はもう感じられない。舌鋒(ぜっぽう)鋭く不特定の人間に八つ当たりする心配も払拭されただろう。

 

「そうだよな、僕が死んだってあいつらは喜ばない。……むしろこっぴどく叱られそうだ。……なにを知っているんだと聞いておきながら……ハハ、これじゃあ僕よりジェイドの方が詳しいみたいだ」

「そんなことないさ。ケイタは黒猫団のことを1番よく知っている。……だからさ、その意志を今後に残すために、やるべきことは他にたくさんあるだろ?」

「ああ……ああ、そうだよ! 生きなきゃなんない。これからもずっと生きなきゃ。……そして僕はこれから立派な攻略組になる。この世界をぶっ壊すんだ。それから、みんなと現実世界で会ってくる」

「おう、その意気だぜ!」

 

 無論、生きた彼らとはもう会えない。だがこの世界が解放されれば、きっとケイタは本当の意味で黒猫団のメンバーと再会を果たせる。それだけは確かだ。

 

「ソロはやめだ。攻略組の一員になれる最短のルートを探るよ。……ところでジェイド。確か君の古い友達が明日攻略組になれるレベルに達すると言っていたよね? アレはもう余裕で、ってことなのかな?」

「いや、かなり無理してると思うぜ。俺から言うのは恥ずかしいけど、たぶん一刻も早く俺に会いたいんだと思う」

「じ、じゃあさ! そこに僕を入れてもらうっていうのはできないかな!? 何とか付いていけるように僕も頑張るから!」

 

 身を乗り出してまで強く懇願(こんがん)してくるが、こればかりは俺の一存では決められない。しかし、できることなら最大限の努力をしたいとも思った。

 

「わかった。俺1人じゃ決められないけど、なるべくそこのリーダーに掛け合ってみるよ。もし承諾されたら……これから一緒に頑張ろうぜ」

「……ああ、もちろんだ」

 

 確定ではない。ではないがしかし、俺はリーダーであるロムライルが首を縦に振るまで交渉をやめる気はなかった。

 だから俺達は、その後もこれからの攻略活動について2人で長いこと話し合った。

 しかし俺も遊んでばかりではいられない。

 

「19時半か。夏至に近いつってもさすがに暗くなったな。……俺はこれからちょっとだけレベリングに行くんだけど、その前にフレンド登録だけしとくか?」

「ああ、そうだな。……これでよしっと。これからもよろしく頼むよジェイド」

「おう! んじゃこれでいつでも連絡できるな。何かあったらエンリョせずに言ってくれよ」

「うん。それじゃあまた明日」

 

 手短に登録を済ませると、店を出た俺は最前線フィールドに向けて歩を進める。道を分かれる際にチラッとだけ視線を送ってみたが、一時はなりふり構わない気持ちが先行していたケイタも、その足取りに迷いはないようだった。

 こうして多くの死者を前に、生存者は前を向いていくのだろう。

 

「(あんたにとっちゃ仕切り直しなのかもしれねぇけど、明日は俺にとっても再スタートの日だ。一緒に乗り切ろうぜケイタ……)」

 

 俺はもう振り向かなかった。明日から紡がれる新しい生活が、互いにとってかけがえのないものになると信じていたからだ。

 

 しかしこの時、緊張を解いていた俺の注意は散漫になっていた。俺達のことをずっと尾行していた輩に、欠片も気づくことはなかったのだから。

 

 



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第40話 悲しみを乗り越える時(後編)

 西暦2023年6月28日、浮遊城第30層。

 

「はぁ~狩った狩った。50匹はいったなこりゃ」

 

 (したた)る汗を拭きながら、俺は満足げに(つぶや)いてしまった。

 層の解放後間もないため、判明している中での話になってくるが、30層のフィールドで最高レベルのモンスター、《カウンター・パラキート》なる鳥類モンスターを休みなく狩っていると、再湧出(リポップ)の波が収まって一息つく。

 鳥の頭を頭部を持ち、さらに飛行能力まで有するこのモンスターは、ソロで相手をするにはやや手強い。安全マージンというのは実に大切である。

 

「(ま、キリもいいしそろそろ帰るか……)」

 

 ケイタと宿屋で別れてもう5時間がたっていた。日付も変わり、今日は記念すべきカズ達との再会の日だ。

 ケイタについての連絡事項は、メッセージに載せてすでに送ってある。ちなみにロムライルにはあっさりと受け入れられた。あとは(じか)に会わせてロムライル本人の了承を得れば、晴れて俺と一緒にギルド、《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》に加入することになるわけだ。

 

「(とうとう今日かぁ。最前線が17層だった頃に約束したから、ちょいと時間かかった方かな……)」

 

 打算的な俺はついそう考えてしまうが、むしろ彼ら3人の性格からすれば、よく前線に追いついたものだ。せっかくギルドに入れてもらうのに失礼な話だが、どう転んでもカズ達が攻略に向いているメンバーとは思えない。

 しかしそれも今日まで。夢にまで見た仲間との旅を迎える。夢にまで見るとはよく言うが、昨日のケイタにとってはそれこそ夢であって欲しかっただろう仲間を。

 だがやはり、ケイタのことを思い出すだけで自分のことのように不安に感じてしまう。

 彼の体験した悲劇が、今後は俺にも起こり得るからだ。

 今まで攻略組として前線を走ってきた俺が、何かの拍子に分不相応な助言したとしよう。その誤謬(ごびゅう)が原因でカズ達《レジスト・クレスト》の面々を守れなかった時、俺はケイタと同じ運命を辿ってしまう。

 

「(そうはさせない……もう誰もやらせない。そしてケイタ……それはあんたも同じだ)」

 

 何の気なしにメインメニュー・ウィンドウを開くと、俺のフレンド登録者リストの一欄を開示する。そこには、もう何人ともしれないフレンドが記されていた。

 システムの名称ではなく真の友人。そこについ数時間前、新たに「ケイタ」の名が追加されているのを認めると、少し感慨深い気持ちでそのタブを右手の人差し指で押した。

 

「(ケイタ……また誰かと笑い合えるようになるためにも、俺らがそばにいてやんねぇとな……んん?)」

 

 だがウィンドウを閉じる寸前、俺は奇妙な違和感を感じてそのままケイタの情報を映したそれを凝視した。

 すると彼の位置情報が主街区の端、それを大きく通り越し、はるか西に位置していることに気が付いた。記憶する限り、この地に《圏内》設定の村や街はないはずであり、それ以前に今の時間は午前0時を過ぎて50分。こんな時間にコードの効かない30層のフィールドに出向くなど、理由としてはパワーレベリングをするためとしか思えない。

 あれほど無茶な狩りは止めておけと言ったのにも関わらず、彼は忠告を無視してこんな時間にモンスターと戦おうとしている。いや、すでに戦闘に入っているかもしれないのだ。

 

「ばっかやろッ……!!」

 

 声に出して視界にいない友を軽く罵ると、俺は瞬間的に感じた悪寒に従って全力で彼の方向へと両足を動かした。

 いいようのない胸騒ぎ。

 そしてそれを示唆(しさ)するように、ウィンドウの中で少しずつ移動していたケイタのアイコンが突然消失した。

 まだ表記されるネームは灰色に変わっていない。ゆえに死んでいないのは明らかだが、マップ上で姿を消す方法は限られている。十中八九、彼は専用のローブないし、それに準ずる何か特殊なアイテムを身に纏っているはずだ。

 しかし、今さらメッセージで言って聞かせようという発想は生まれない。俺に黙ってこんなことをする時点で、彼も後ろめたさを感じているはずだからである。なら直接会って「2度とこんな無茶なレベリングをするな」ともう1度ぶん殴ってやるしかない。

 

「(くそっ、急ぐ気持ちはわかるけど……ッ!!)」

 

 ブーツのスパイクが地を抉るような加速をしながら、それでもなお疾駆する。

 広大なアインクラッドをこの目に焼き付けたいがために俺はSAOのソフトを購入したが、今となってはこの広さが憎たらしい。

 しかし、ふとウィンドウの中でメッセージタブが点滅していることに気づいた。これは俗にいうメールの着信光だ。

 

「ハァ……ハァ……ケイタじゃねぇ……こんな時間に誰だッ」

 

 鬱陶(うっとう)しく思いながらも走る途中でそのタブを押す。すると差出人の欄には、今や《吟遊詩人》という二つ名まで付けられたソロの男性情報屋、ミンストレルの名が刻まれていた。

 日も沈んで久しいこんな夜間帯にミンスがいったい何の用だろうか。

 走行中では文字が揺れて読めないので、俺は一端止まってその内容をじっくり読み上げる。

 そしてその中には信じられないほどタイムリーな情報が詰まっていて、それはケイタの居場所と彼が危険にさらされているというものだった。

 裏切りに見えるかもしれないが、トップを独走するキリトの高いゲームセンスを評価している俺は、彼の行動について定期的にミンスから情報を買っていた。当然ここしばらく《月夜の黒猫団》と共にいたことから、ギルドの情報についても流れている。まさかこんな時になって功を奏するとは思わなかったが。

 しかし、予想外だったがこの知らせはありがたい。彼の場所が判明すると、俺達は早速インスタントメッセージで情報交換を行った。

 

「(ミンス貸しにしとけ、ぜってぇ後で返すから!)」

 

 場所は近い。《索敵》スキルを全開にして走っているため、位置も問題なく掴めている。もうそろそろ視認できてもおかしくないところにまで来ているはずだ。

 あとは見つけるだけ。合流したらケイタが無茶なレベリングをしている場所を特定すればいい。

 と同時に、またもある疑問が浮かび上がった。

 彼は「私と合流するまで声を出すことを控えろ」と言ったのだ。視界が悪いのだから音に頼るのは道理のはず。彼にしては理由をはっきりさせず、非常に漠然(ばくぜん)としたものだった。

 暗闇で音に反応する強力なモンスターが出現するとでもいうのだろうか。しかし、その程度なら俺1人でも何とかなるはずだ。

 

「(あっ……いた!)」

 

 ともあれミンストレル本人を発見すると、俺は思わず心の中で叫んでいた。

 そのまま全力疾走を維持してあっという間に彼の隣に立つと、ことの経緯を詳細に聞こうと身を乗り出した。

 

「どこだ、ケイタ……あのバカは、どこに!」

「まあ落ち着け。焦らずとも、見れば状況はわかるだろう。ついてこい」

 

 背の丈は俺と同じほど、下側だけに(ふち)がある丸メガネに、灰色の髪の毛。いつも体格に合わないだぼだぼのコートで防具を隠す、一見すると怪しい不審者にも見えかねない風貌(ふうぼう)だ。男のくせに一人称が「私」なのも特徴である。

 しかし彼の言葉を悠長に聞いている暇はなかった。

 

「あのな、急いでんだ。先に場所教えてくれ。どうせ黒猫団の状況は知ってんだろ? あいつは……まだこのフィールドでは戦えない。もたもたしてられないんだ!」

「声を出すな。黙ってついて来い」

 

 相手につられてひそひそ声になったが、鬼気迫る勢いで()くし立てるとさすがに彼も歩幅を大きくして道を案内してくれた。

 そうして到着した場所は、広めの窪地(くぼち)を一望できる絶好のスポットで、逆に下の位置からはこちらが死角となる岩影だった。

 お互いに身を屈めて、限界まで身を乗り出しながら見下ろす。

 現実世界を模して作られた偽造品だが、星々が爛々(らんらん)と輝き月光もあるため、夜でもある程度の距離は見渡せるのだ。

 俺が目を細めて頼りない光源から窪地(くぼち)の底にケイタらしき人物を見つけだすと、同時に見知らぬ4人のプレイヤーが彼の周りを囲っていることにも気づいた。

 もちろん黒猫団ではない。キリトは確かに「死んだ」と断言した。

 ここにいるはずが、ない。

 

「(じゃあ……それなら、あいつらは誰なんだ……?)」

 

 何かを言い合っているように見える。穏やかな雰囲気でないことは一目瞭然だった。交渉か何かで揉めているのだろう。

 

「なぁミンス、まだわかんねぇよ。あいつら何してんだ……?」

「ふむ、察しが悪いな。では教えようか。……まあもっとも、私の理解はレアアイテムである《天人通(てんにつう)の筒》による盗聴で成り立つ。君が現段階で判断できないのも致し方ないか」

 

 やたら仰々しい言い回しをするメガネ男の遠回しな伝え方は、今の俺にとってストレスを増加させる促進剤でしかなかった。

 最初期にこいつと交渉をした時のあまりに無愛想な話し方から考えると、少しは成長したのかもしれない。そこについてはむしろ良い変化なのだろうが、代わりに面倒な喋り方になったものだ。

 少しだけあのむっつり顔が懐かしくもなったが、今はそんなことを言っている場合ではない。俺は一層詰め寄り催促(さいそく)した。

 

「いいから早よ言え」

「……ふむ、その前に全貌と言ったのは取り消させてもらおう。すまないね。しかし大方は理解しているつもりだ。計5人の集団……つまり、あそこに立っているケイタ君以外の4人の他に、『まだ1人』いる。彼らは、ある特ダネをケイタ君に流したのさ」

「ある特ダネ?」

 

 いちいち回りくどい話し方でイライラしてくるが、ここで口論をしても詮無いことなので、重要な部分だけを抜き取って会話を継続させる。

 

「ふむ、それも今の彼にとっては喉から手が出るほどのな。いや、そんな薄っぺらくないか。とても重要なアイテム情報を……ああわかったわかった、催促はやめてくれ。それでその情報というのは『プレイヤー用蘇生アイテム』だ」

「バカなッ!?」

 

 つい大声で叫び、すっくと立ち上がってしまったが、口元を抑えて再び身を隠す。

 それにしても目の前の黒メガネは何と抜かしたか。プレイヤーを生還させるアイテムだと?

 そんなバカなことがあってたまるか。それが成立してしまうのなら、今なおプレイヤーがこの浮遊城に捕らわれている理由がなくなる。なぜなら、ゲームオーバーになっても脳が焼かれずに放置されているのだとしたら、一向に死者が出ないことに疑問を持つ現実世界の誰かがナーヴギアを取り外しにかかるはずだからだ。

 ついでにナーヴギアの取り外しても死なないのなら、晴れてみんな解放である。

 だがそうではない。こちらで死ねば、向こう(・・・)でも死ぬ。だから茅場の計画は今も続行されているのだと、そんなことはもう何ヶ月も前に結論が出たことだった。

 

「何でケイタはそんな単純なこと……」

 

 言いかけて思い至る。言わば彼は、その詐欺に騙される『下準備』ができているのだ。

 比喩ではなく、このタイミングにおいて彼は盲目だ。そんなことを聞かされれば確かに必死になるだろう。周りが見えなくなり、見ようともせずに、(わら)にも(すが)る思いだったに違いない。

 例えば、今日から仲間になってくれると約束していたカズ達《レジスト・クレスト》の面々が目の前で全員死んでしまったとしよう。その直後の俺なら、気が動転して初歩的な詐欺すら見抜けなくなる可能性だってある。

 

「何でッ……何でこんな。……くそ、なんつータイミングであいつらデマ情報を……!!」

「なぜこのタイミングかは、君も予想がついているのだろう? その不届き者は突き止められなかったが、しかし相当なやり手だ。なぜなら、その詐欺師は……《月夜の黒猫団》が壊滅したのを計らって、心の隙をついたからさ。耳の広さ、行動の迅速さだけではない。非情さも兼ねる、とても厄介な連中だよ」

 

 これでは交渉どころではない。きっと祈る相手など、破滅の神でも救済の悪魔でも何でもよかったのだろう。

 そして彼はまともな思考すらできないまま、あのハイエナ共に持てる全てを吸い尽くされかねない。それにそれだけではない。ただでさえ、あいつらは傷ついたケイタの心を弄んでいる。

 

「くっ……許さねぇ。こうなったら俺が……!!」

「待ちたまえ」

 

 ガシッ、と腕を捕まれて俺は身を乗り出したまま足を止める。

 

「おい、まさかこのまま黙って見てろってのか!? ……ミンス、殺しは論外だけど、詐欺や強盗も立派な犯罪だ。ケイタの今の気持ち考えてもの言えよ、この……ッ」

「それでも待つのだ。……君こそ、冷静になって状況を見て貰いたいね」

「なんだ……と……?」

「しっかりと見給え。彼らの防具、武器。そして警戒の仕方。どう見ても前線ないし、それに準ずる場で狩りをしている者だ。あの男達がケイタ君に手渡したローブは、周囲にいる連中の《索敵》からを逃れ隠密行動をするためのもの。しかし、『索敵スキル遮断』はなにもメリットだけではない。我々のように敷地に侵入したネズミの位置すら、彼らは把握できなくなってしまうのだ。それでも目視で敵を発見するための配置なのだよ。手練れだということが推測できるだろう?」

「くっ……だけどよ……」

「三方を壁のような崖に囲まれた場所と一木一草(いちもくいっそう)のない荒野。……見事だね。私は心理学者ではないが、ここは場当たり的な不人気スポットではない。脅迫のために用意された舞台であると予測が立つ」

「まさかッ、交渉さえもする気ないのか!?」

「だろうな。目的を履き違えている。連中は先ほど武器さえ向けていた。……残念だが……彼らからは欠片も容赦が感じられない。非常に凶暴だ。もしここで君が伏兵じみたことをしてみろ、金ですむ損失が命までとられかねんぞ!」

「ぐ……くっ……」

 

 つまり、中途半端な増援は奴らがケイタを攻撃するトリガーになりかねないと、そう言いたいのだろう。回りくどい言い方しかできない奴だが主張は大概正しい。そんな彼が「ここは出ていってもいい結果は生まない」と、こう助言しているのだ。

 八方塞がり。こうなったらケイタの技量とその器に託すしかない。騙されなければ、盗みや強奪などシステム的にそうできないのだ。

 あとはケイタ自身が現実を直視し、「蘇生アイテムなど存在しない」と考え直してくれれば、彼らだってまさか殺しにいったりはしないだろう。

 冷静に、浮き足たたずに、相手を刺激しないようにゆっくりと交渉を終わらせればいい。お互いデリケートな状態に陥っているのはわかるが、それでもだ。

 

「(頼むぞオイ……)」

 

 しかし俺の祈りは通じず、ケイタはおそらく全財産とも言えるあの『鍵』をオブジェクト化してしまった。

 ここでの『鍵』とはつまり、最前線主街区で主の到着を待つギルドホームの鍵のことだ。使用者権限が切れるまで手放したままにしてしまうと、その時点で手にしているプレイヤーの物になってしまう。残ったホームは使うも売るも鍵を持つ人の自由だ。おそらく、金の代わりに要求されたのだろう。

 そしてそれを躊躇(ためら)いもなく正面に立つ黒ポンチョ姿の男に手渡している。まるで神か何かに貢ぎ物でも捧げているかのような光景だった。それで救われると。金と引き替えに、ギルドメンバーを生き返らせると(ささや)かれたかのような。

 

「(ケイタ……なんでッ)」

 

 悔しくて唇を噛みしめてしまう。彼があまりにも優しく、誰よりも仲間思いだから。だから奴らは、脆い部分を攻めたのだ。

 しかも努力と思い出の結集された遺品に近いアイテムを、まるで腫れ物でも触るように受け取っている。

 

「くそっ……くそッ!!」

「待て、待つんだ落ち着け!」

 

 これ以上音量を上げたらいくら距離があっても『叫び(シャウト)』として扱われ、彼らの耳に声が届いてしまう。

 しかし今になって思い返しても、もしここでミンスが体を張って止めなかったら、俺も殺されていたのだろう。少なくとも、間違いなく危険な立場に立たされていたはずだった。

 その証拠に。

 鍵を手渡された瞬間、黒ポンチョの男はその手を軽く振って合図を送ったのだった。

 

「えっ……おい……?」

 

 たったそれだけ。

 たったそれだけでケイタの周りを取り囲むプレイヤー4人が、一斉に得物をケイタに突き立てた。

 命乞いをしながらわき目も振らずに泣くケイタをよそに、とうとう2つの細身の凶器が、逃げ場を失った彼の体を貫通しているのが見えた。直接攻撃したプレイヤーを示す『カーソルカラー』が2つ同時にオレンジ色に変わった。

 目の前で広がる凄惨極まりない非道は、俺の網膜を失意の光景で埋め尽くした。

 ことの全てがスローモーションで流れていく。そしてケイタの体力ゲージの最端が左へ。

 もっと左へ。そして……、

 

「…………」

「…………」

 

 音は聞こえてこない。

 ただ光の粒をばら捲いて、弾けただけだった。

 

「……けい、た……?」

 

 心臓が不規則に鳴る音だけが耳朶を打った。

 リーダーを除いて団員全員がこの世界を去って、たったの1日。いや、たった数時間。

 彼らの死を乗り越えて、次の冒険を夢見て、翌の日が始まって……そして全ては(つい)えた。

 この日、《生命の碑》に新たな無慈悲が刻まれる。それはもしかすると、残り数千の役目を果たすまで刻まれ続けるのかもしれない。

 

 



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第41話 失敗者から学ぶこと

 西暦2023年6月28日、浮遊城第30層。

 

 人を1人殺しているのに、まるで意に介した様子はなかった。そして同時に、行動の節々にどこか常習性を匂わせる彼らにとって、その余裕は紛れもない事実なのだろう。

 プレイヤーを殺めることへの背徳感も、否応なく発生する罪悪感も、似た行動を何度も繰り返すことで骨の髄まで馴致(じゅんち)させてしまっているのだ。

 何事もなかったように、彼ら犯罪者共はその場から撤収していった。突然すぎて反応できなかった。ケイタを刺し殺しておいて、奴らは殺したことに何を感じることもなかったのだ。

 

「(ケイタ……)」

 

 今はミンストレルと共に崖のてっぺんから降りて、ケイタと犯罪者集団が口論をしていた場所に佇んでいる。

 遺品すらない。ケイタが使っていた……すなわち、ゲームオーバーになった者がその場にドロップさせる愛刀、《両手用棍棒(ツーハンド・スタッフ)》カテゴリの最大強化武器も、当然のように犯罪者共が奪っていったからだ。換金目的だろう。

 後に残るものは静寂だけ。形見の1つも拾ってやれなかった。

 

「今の君には殺意しかない……か。ふん、やめとておくがいい。復讐など詮無きことだ」

「ッ……うるせェ!!」

 

 全力でミンスの喉に手をやり、彼を黙らせる。

 自分のやっていることがいかに無意味で、いかに自己中かを自認しながら、俺は彼の首にかける手の握力を弱めることができなかった。

 しかしプレイヤーへの攻撃認定をされる、つまりオレンジプレイヤーになる直前で彼が無理矢理俺の手から逃れる。

 

「ゲホ……ケホ……酷いじゃないかジェイド。言っておくが私に不徳があったわけではないぞ。確かに、最初に彼らを発見した時は、まだ黒ポンチョの男1人だった。しかしあっと言う間に残りの3人が姿を現したのだ。主人に従う眷属のようにね。……それで? 戦闘職に就いていない私に対して、彼を救いに行かなかったと責めるのかね? しかしそれは自分勝手だ。君が彼のそばにいなかったのが原因とも返せるし、それにキリト君もそうだろう。ケイタ君を置いて、彼はどこへ行ったのだ? 友人であった君達こそ責任を問われるはずだ。結局彼は不可抗力の波に(さら)われただけのさ」

「……じゃあ何で……なんで……ッ!!」

 

 彼の言っていることは正しいのかもしれない。理にかなっているのかもしれない。だがそれを理由に、くだらないことをのべつまくなしに語る彼を野放しにはできなかった。

 俺が間違っているのだとしても、それを理解しているのだとしても。

 

「じゃあ何でミンスは……そうだよ……護衛役はどうした? あんたが最近雇いだした付き添いのプレイヤーは、確か攻略組だったろう! そいつがいれば、少しは抵抗できたんじゃないのか!? 少なくとも、見てるだけではなかったはずだッ。なのに……何で連れてこなかったんだよッ!?」

「じゃあ聞くがね、今は何時だい? 深夜も回って2時間以上がたっている。感情論もいいが、それで私に当たられても困るな。常識的に考えて、君みたいにいつも深夜まで狩りをしている人間は攻略組にだってそうはいない。むしろ君への連絡に最短でこぎ着けた私を評価して貰いたいね。……それに失礼な言い方だが、私は彼に命を賭けるほど感情を入れ込んではいない。私も、私の専属護衛も、そこまでする義理がないのだよ。どころか私は情報を営む身分ゆえ、誰にでも平等に接するつもりだ。無論、唯一呼び捨てにしているジェイドにも、ビジネスの上では対等に扱っているつもりだ」

「ぐっ……で、でも……ッ!!」

「……だから君は、目の前で死にかけてくれるなよ、絶対に。……私は助けに行かないからな」

 

 乱れた(えり)を正すと、ミンスはそう断言した。

 彼の方が正しい。と、心の中の俺が言い聞かせてくる。

 事実だろう。俺の意見は独り善がりであり、端から見ても一介の情報屋があの場で悲劇を回避させられたとは思えない。むしろ彼の助言通り、俺に知らせてくれたことはそれが例え子毫(しごう)の道でも彼を助けうる最後の可能性だったかもしれないのだ。

 だとしたら彼を称えこそすれ、悪罵(あくば)を浴びせるのは道理に背いている。

 しかしだ。なら俺のこの気持ちはどこに吐き捨てればいのか。そんな場所がないなら、一生背負うしかないのか。

 そんなことはできない。

 俺は最後にここにいた男達が立ち去る前に、リーダーらしきポンチョ姿の奴の顔が一瞬だけ見えた。ケイタを殺す直接的な合図を出した男の素顔。それはあろうことか、カズ達3人のギルドに自ら潜入して、それらを破壊しようとしたあの時の雨がっぱの男だったのだ。

 なぜ気付かなかったのか。どうしてもっと早く疑惑を持てなかったのか。あの場にはカズ達を殺そうとした2人目の男、当時投げナイフを構えていた奴もいたのだ。だのに、俺が現場にいながらその答えに辿り着けなかった。本物の役立たずは俺自身なのだ。

 奴らの正体に気付けていたのなら、俺は躊躇(ためら)いなくケイタを助けに走っていたはずだ。あいつが人を殺すような奴だとわかっていたら、ケイタが殺されるのだと判断できていたら、俺は死ぬリスクを背負ってでも物陰から飛び出していた。

 殺しを止めるチャンスを、永久に失ったのだ。

 俺が無能だから、俺が無能だから、俺が無能だから、俺が……、

 

「ジェイド!」

「……ッ!?」

 

 肩に乗せられた手を振り解くように、俺は勢い余って振り向く。しかしそこで、俺は初めて自責の念に自分の意識が取り込まれそうになっていることに気が付いた。

 

「私らしくもない慰めだが、君は悪くないよ。悪いのは……」

「言うなッ!」

 

 そんなことはわかっている。理屈ではないのだ。

 ミンスはついに表面上の慰め行為を断念すると俺に背を向けた。

 

「……そうか、ではもう行くよ。君もくれぐれも今後気をつけてくれ給え。金蔓(かねづる)だから忠告しているのではないぞ。攻略組の数が減少して現実への帰還が遅れる、なんて打算的な見解も眼中にはない。しかし君とはこれでも長い仲だ。意気消沈という言葉が私に当てはまるかはわからないが……そうだな、君を失うとそうなってしまう気がするよ。……また会おう。また会える日まで、互いに生き延びよう……」

 

 それだけを残して、彼は長めのコート系装備のポケットに手を入れたまま立ち去った。

 最後のセリフは、不器用なりに俺を心配しての発言だったのだろうか。しかし今となってはそれを贈られてもなお、やりきれない気持ちが膨れるだけだ。

 

「(ケイタ、何でここにいねぇんだよ……今日から俺らと組むんだろう? だったら何で……なんでだよ……)……ふざけんなよっ! けぃたァああッ!!」

 

 俺は叫びながら何度も壁を叩いた。

 苦しんでも喚いても返事が来ないことに腹を立てて。

 泣いても罵っても慰められないことに孤独を覚えて。

 祈っても願っても友が還ってこないことを理解して。

 

「あぁアあッ! あぁあああッガあぁアッ!! なんでこうなるっ!! クソったれがあぁああアアあああああッ!!」

 

 俺はいつまでもいつまでもその場で辺り一面を破壊し尽くした。

 喉が枯れても、腕の力が枯れても、俺も取り巻く空気が枯れても、零れ続ける涙が枯れても、俺を覆い尽くす闇が枯れない限り……いつまでも。いつまでも。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……くそ……ちく、しょう……」

 

 俺は破壊衝動を抑えない。いつまでも、それは続いた。

 とうとう力尽き、俺は生気を失ったままうなだれる。

 

 

 

 気付けば、朝日が俺を照らしていた。

 そしてザリッ、という砂を踏む音が聞こえると、ほんの手前で立ち止まった男は、顔を上げようとしない俺に頭上から声をかけてきた。

 

「……ジェイド。こんな所にいたんだ。待ち合わせ場所にもいなかったからみんな心配したよ?」

 

 …………。

 

「えへへ、ほら僕らってフレンド登録してたからね。そっちの設定もデフォルトみたいだったから、すぐ見つけちゃったよ。……さあ、座ってないでさ……」

 

 …………。

 

「……ねぇジェイド、僕も聞いてるんだよ。ケイタ君のことでしょ? 彼を守れたのに、その機会を逃してしまった。……そして君はそれで自分を責めているんだ」

 

 …………。

 

「つい数時間前のことなんだって、それも聞いたよ。昨日話してくれた人が僕達の仲間に入れなかったことは、僕も悔しいし悲しい。本人に会ったことはなくても、その気持ちは本当だよ」

 

 …………。

 

「でもねジェイド、それでも立たなきゃ。立って前を向かなきゃ。……そうしないと、いつまでたっても……」

「黙れよッ!!」

 

 俺の声を聞いて体を短く痙攣(けいれん)させた彼だったが、それでも言及を止めなかった。

 

「黙らないよジェイド。君は前に言ってくれたよね? 僕達3人が攻略そのものに閉鎖的な考え方をしちゃってた時、たまたま低層に降りてきて僕らを励ましてくれたじゃないか。あのおかげかもしれないんだよ? ジェイドとの誓いを破らずにここまでこれたのは。今こうして最前線のフィールドで会っているのは……」

 

 励ましの言葉や慰めの言葉がこれほど辛いとは思わなかった。ある意味、大切な友を失う絶望の予行演習でもした気分である。

 しかも、たった半日。会ったその日に気さくに話し合っただけの男が死に去っただけで、俺の精神はこれほど傷ついたのだ。もしこれから、ギルドに加盟して幾重にも思い出と経験を共有した仲間が同じ末路へ行きついたとしたら……。

 考えただけで怖気が走った。

 こんなに辛いのならやめてしまった方がいい。感じなくなった方がいい。聞きたくない。聞きたくないのだよ、カズ……。

 

「ミンスの奴が片っ端から吹き込んだんだろ? あいつ、見かけによらず余計なことを……だいたいな、ルガ。俺も頭ん中じゃ全部わかってんだよ。俺のこれが無意味で、時間の無駄で、労力の無駄で……全部アホらしいってことはな……」

「そんなこと……」

「いやそうなんだよ、ビタイチモンにもなりゃしねぇ。わかってる……わかってるさッ! でももうグチャグチャでわけわかんねェんだよ。過ぎたことでいつまでも言って……俺が今まで散々クソ食らえって思ってたことさ! けどっ、俺の身に降りかかると……もう立てない! ムリだ、こんな状態で今後の攻略なんて……俺にはムリだ……」

「ジェイド……ごめん……」

 

 それだけ言ってカズは拳を握りしめると、俺の胸ぐらを掴んで持ち上げた。

 

「なっ……!?」

 

 声を発する前にゲンコツが飛んできた。

 目元にスパークが走る。「ごぁッ!?」と、俺はたまらず両手で顔を押さえるが、殴った張本人はまっすぐと見据えるだけだった。

 

「ルガてめぇ! なにしやがる!?」

「そのバカっ面見ていると、頭にきて自然に手が出た」

「ん、だと……こらテメェ!!」

「今のは、僕の怒りをほんのちょっぴりぶつけただけさ。まだ僕は怒っているよジェイド」

 

 そう吐き捨てると、カズは腰から振り回すように両手用棍棒を引き抜いて、その先端をまっすぐ俺に向けてきた。

 額を右手で押さえたまま情けなく涙の跡を残す俺と、それを立ったまま見つめ続けるカズ。いつかの時とは逆の立場だ。

 

「ジェイドは言ったよね。守りたい者を、守れる範囲にあるものを、可能な限り救いたいって。もう僕を捨てた頃の自分じゃないって、前を向いて歩くと言ったよね?」

「……う……く……ッ!?」

 

 俺は迫力に圧されて呻くことしかできなかった。

 確かに過去において、俺はそう宣誓した。博愛的な行為に準じることはできなくても、目の前に転がっている善を全うするぐらいは実践できるのだと。自分を鼓舞(こぶ)するようにはっきりと口にした。

 

「じゃあ見せてよ。どれだけ強くなったのか! 守るって言ったからには、それ相応に強くなったんでしょう!? 僕に見せてみなよ! ジェイドが口だけの男じゃないのなら、僕にデュエルで勝って証明して見せてよッ!!」

「デュエルで、だと……?」

 

 『決闘(デュエル)』システム。それはこの世界に存在するプレイヤー同士の戦いが、合法の下に許可された戦闘方法。

 合法といっても当然これは比喩(ひゆ)であり、コードの庇護下なら前置きなしに街中で斬りかかってもいかなるシステム的ペナルティすら課せられない。無論、現実世界にて法律で裁かれるわけでもない。

 このシステムは、『オレンジカーソル』へ変化しないままプレイヤーへダメージを与えられる世界で唯一の方法である。

 互いの許可なく発生することはなく、いつでも降参(リザイン)する事で中断することはできるが、それでも先述の特性を悪用した輩もいる。それは意識のない人間の手を勝手に動かしてデュエルを成立させ、その上でプレイヤーをゲームオーバー……否、『殺害』する犯罪行為だ。

 これを最初に思いついた奴は知るよしもない。しかしケイタを殺したような、あのキチガイ連中と同類であることは明らかである。もしかしたら彼ら本人かもしれない。

 されど、使われ方はネガティブな方法だけではない。それこそ、日々世界のどこかで訓練に利用されている。

 中にはプレイヤー間での揉め事――各種依頼を後払いをした際、取引材料の価値が乱高下するとよくある――などでも活躍していると聞く。

 フロアボス以外のボス戦や、大掛かりなビッグクエストの成功報酬を巡って、最も採用率の高いのは『ドロップさせたプレイヤーのもの』というものだ。しかし、ラストアタックだけ掠めとるプレイヤーが多発したことから、それでは納得できないと主張する人がよく使うのが今回のこれ、《初撃決着》デュエルである。

 最終的に1番強いプレイヤーが手にするアイテム分配システム。大型ギルドでも毎日のように使用されていることから、この世界においてかなりメジャーなコマンドだと言えよう。

 それをカズは俺とやろうと言ってきたのだ。

 俺はアイテムの分配についてなどからも、このシステムのことを「くだらない」と割り切っている。早い話がデュエル自体、俺は嫌いだった。

 実は同意見のプレイヤーも一定数いる。所詮これは口約束であり、いつでも逃げ出せる。おまけに前述の通り、損得や理屈ではなくキャラクターのレベルで雌雄が決してしまう。

 利用されている回数の上昇に伴い、1回毎の『重み』の低下もそれらに拍車をかけているのだろう。

 結局、良心に訴えかけるだけではこの『デスゲーム』という特性を上塗りすることはできないということである。

 だのにカズは「僕と決闘しろ」と、こう言っているのだ。

 

「(本当に努力したなら、それを見せてみろってか? ……負けるようなら誓いがウソだったと。カズはそう言いたいんだろう。……なるほどな。それで俺が勝ったら『そんなに頑張っているのなら悔やむことはない、自信を持て』とでも言っときゃいい。結局はいいように事が運ばれるわけだ)」

 

 だが俺は、自分の言葉がまやかしだったとこの世の誰にも言わせないため、全力を尽くすしかない。いや、それどころか負けることすら許されないのだ。

 しかも勝ったら自分を許せてしまう。心の奥底ではそうでなくとも、体面上では成り立つだろう。カズにしては機転の利いたヘリクツだが、俺がここで断ったらきっとオレンジ化もお構いなしに直接斬りかかってきたに違いない。

 俺の怒りと衝動を、こいつは受け止める気なのだから。

 

「いいよ、やってやるよ。調子に乗りやがって……攻略組をナメんなよルガ……」

「そうこなくちゃ。でもやっぱり、今の君には勝てそうな気がするよ」

 

 どうやら前線歴最長クラスの人間を甘く見ているらしい。

 ここまでされたら1人の男としても、プライドに賭けて目の前の奴を叩っ斬るまでだ。

 

「僕は勝つよ。フヌけたジェイドになんて負けないさ」

「やってみろよカズ(・・)……」

 

 俺は決闘コマンド、《デュエル》システムの申し入れを受諾する。

 今日の深夜からエンカウントしたモンスターと絶え間なく戦って消耗していたため、体力回復用のポーションを取り出して一気に呷った。

 いつまでたっても好きになれない常温の薄いレモン水だったが、この時ばかりは嚥下(えんげ)した味を脳に伝達させる前に、バトル以外の全情報を遮断できた。

 

「俺は強くなって、どいつもこいつも守るとちかった……それだけはウソじゃない」

「言葉だけならなんとでも言えるよ。悔しいならぶつけて、それを剣で語ってよ」

 

 相手も本気。それは目を見ればすぐに確信できた。

 しかし俺とて本気だ。

 この試合がただの気遣いだということは理解している。カズが気を利かせて、俺を奈落の底から引き揚げようとしていることも全部伝わっている。その気持ちを汲み取った上で、受けて立つ。

 だがこの形骸化した決闘とやらが終わったとして、果たして俺は自分の至らなさを許容しているのだろうか。その答えだけは終わってみなければわからない。

 それに例え結末いかんによらず、確かなことが1つある。

 

「(今は暴れたい。誰でもいいからぶった斬ってやりたかったんだ……)」

 

 ここで体面を気にしても仕方がない。俺は誰かを斬りたかった。

 斬って斬って……そして、思う存分ウサ(・・)を晴らしたかった。

 

「行くぜカズ……!!」

「来なよ。僕が全部受け止める……っ」

 

 カウントが刻まれる。60から順に0へ向かって。

 体力も回復し、あとは限り斬るだけだ。

 そして親友との再会の朝、俺達は互いの全力を懸けた闘いを始めるのだった。

 

 

 

 



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第42話 打ち付けられた先へ(ビヨンド・ストライク)

 西暦2023年6月28日、浮遊城第30層。

 

 決闘(デュエル)システム。本来は3種あるものの、現在では1つのモードのみ使われている。

 《ノーマルモード》、《制限時間モード》、《初撃決着モード》。これらはゲーム開始時、さらに(さかのぼ)るなら『クローズド・βテスト』の時には前者2つの使用頻度が高く、同時に知名度も高い決闘様式だったのだ。

 しかし現在使われているものは唯一の形式、《初撃決着モード》が残るのみ。これが圏内で模擬実戦をするうえで効率的な手段だからである。

 まず《ノーマルモード》、これは別名で《完全決着モード》とも呼称される。つまり対戦者のHPを根こそぎ奪うことで勝者が確定するバトル形式だ。このタブが人々からまったくタップされなくなった理由は、もう踏まえるまでもないだろう。

 次は《制限時間モード》。戦闘時間をあらかじめ決めておき、制限内でどちらが相手の体力を削ったかを競うルールである。言うまでもないだろうが、相手の体力を完全に削りきるなどしても勝利は確定する。よってこれも、もはや使われることのない機能になっていった。

 最後が《初撃決着モード》。思い返してみると、こいつの存在は不思議だった。ゆえに誰からも注目されなかった。しかし、今となってデスゲーム後のために用意されたとしか思えない。

 ルールはやや複雑。勝利条件の1つは、開始後最初の一振りを命中させたプレイヤーの勝利だ。では両者共に命中しなかったらどうなるのか。それからは少し変則的で、先に相手の体力を半減させた方が勝者となる。

 多連撃ソードスキルの攻撃途中でも注意域、つまり体力残量が《半分以下(イエローゾーン)》に割り込んだら、その時点で以降のダメージを無効にしてしまうのだ。これにより、デスゲーム化しておいてもなお使用され続けているというわけである。

 そしてこれは、恐怖の払拭(ふっしょく)にも大いに役立っている。

 《圏内戦闘》ではライトエフェクトとノックバックのみしか再現されないが、デュエルを利用することによりダメージまで再現され、自分が被弾できる限界も見極められるので、さらに実戦に近い戦闘技法を学べるからだ。

 そして俺は今、かつての友人であるカズことルガトリオを《デュエル・ウィンドウ》に表示させ対峙(たいじ)していた。

 

「あん時は俺が勝った。今回も俺が勝つ」

「もうジェイドになんて負けるもんか……」

 

 開始まであと20秒。互いにとって有利な間合いを作ろうと、両足をじりじり動かす。剣撃しか扱えないこの世界では、この間合いこそ戦闘前からのアドバンテージになってくれるわけだ。

 しかし俺は間合いの判定を彼に譲り、代わりに自然な形で体の向きを変えることに成功。そのまま彼の視界に映らない場所、左の太股に取り付けられたホルダーからピックを1本引き抜いて、両手剣を握る時に手と柄との間に挟んでおく。

 そしてカウントはゼロへ。

 

「ふッ!」

 

 開始直後からカズが仕掛けてきた。

 姿勢を限界まで低くし、最初の1歩でカズは6メートル程の距離を詰めた。そして背中に回されていた棍棒(スタッフ)が、両腕の力を借りて真横に振り抜かれる。

 だが俺は1度自分に向けてその武器を掲げられた瞬間から、反射的にリーチを計っていた。

 それに実を言うと、彼の使うメインアームは俺が過去に与えたものである。そのため、迫り来る凶器のイメージ像に従って半歩身を引き、上体を逸らして完全に回避した。

 

「くぉおおッ!?」

 

 ブンッ!! と、髪の先を擦りながら焦げ茶色の木製武器が眼前を過ぎ去った。

 思っていたより紙一重。つまりこれは、彼の攻撃が俺の予想を遙かに上回る速度だったということになる。前に会った時はこんな速度では……、

 

「(いや、今はッ!)」

 

 集中する。目を見開いて相手の動きをはっきりと焼き付ける。

 システム外スキル《見切り》は、なにも目線から攻撃ポイントを予測するだけに留まらない。相手がNPCでもなければ、必ずその奥に感情の起伏があるからだ。

 だから俺はカズの目を見た時から、彼が様子見せずすぐに仕掛けてくると予想を立てた。そう、この初撃空振りはブラフ。

 

「終われぇええッ!!」

 

 首めがけて反撃の横一文字。

 しかしカズは、まるで予見していたかのように体全体を丸めて縮小させると、渾身の一撃を回避。

 小さな弾丸となったまま、俺の腹部に体当たりをしてきた。

 

「やぁああっ!」

「がぁッ!?」

 

 とっさに地を蹴り、自身を後方へ吹き飛ばすことによって何とか衝撃のほとんどを相殺。もつれ合うように転がった後は、お互い身を離して再び正面で構える。

 さらに一息入れる前に、すぐさまカズは攻撃を再開しだした。

 

「(くっ……俺のは本命だった。一発で決まらなかったのは痛ぇ……)」

 

 上下左右、ありとあらゆる場所から迫りくる打撃(ブラント)属性の攻撃を、何とかギリギリのところで凌ぎつつ心の中で悪態をつく。

 元々《両手用大剣》は対プレイヤー戦には向かない。初撃はともかく、一振りが重いためだ。

 重さの乗った一撃を繰り出すには、モンスターなどに設定された一定間隔で存在する行動遅延(ディレイ)など、『隙』のタイミングを見極める必要がある。

 命中すれば強力極まりないが、当然プレイヤーにそんな、いわゆる『一定の動き』なんてものは設定されていない。

 今にして思えば、俺はおそらく乗せられた可能性が高い。つまりカズは、1回振らせるためにわざと挑発的な目線を送ってきたのだ。

 狙いは二撃決着ではなく、『初撃で決着がつく状態を終わらせる』こと。思いつきで始まったケンカではなく、勝利への打算があったわけである。

 

「くっそ……ッ」

「ジェイドはもっと頭使わないと……ねっ!」

 

 発音を強くしたところでカズは左手を武器から離し、右腕の引きと同時に左の肘打ちを繰り出してきた。

 《体術》スキルの熟練度と、単純に高い筋力値が織りなす連続攻撃。

 カズと同じことをしても、剣速に優れる彼が相手ではジリ貧となり、このままでは結局ダメージレースで不利になる。《武器防御(パリィ)》スキルで防ぎきれなかった部分も(あわ)せて、俺はもう体力全体の3割ほどを少しずつ削り取られていたからだ。

 

「(チャンスはこれっきり……ッ)」

 

 俺は肘打ちに合わせてバックステップを踏み、左手を武器の柄から離すと命中箇所をいたわるように腹部に(かざ)した。

 

「ッ! ……今だ!!」

「甘ぇよッ!!」

 

 『隙あり』と判断したカズが不用意に一歩踏み出すのと、俺の左手の中でピックが赤く染まるのは同時だった。

 《投剣》専用ソードスキル、初級基本下手(したて)投げ《アンダーシュート》。

 野球のフォームで言うなら、アンダースローにも似た下段からの投擲(とうてき)だ。それをシステムに認定される境界部分ギリギリに近い予備動作(プレモーション)で完成させると、ほぼゼロ距離でスキルを解放。

 そしてゴシュンッ!! と、貫通(ピアース)属性のビックは予想(たが)わず首の中央に命中し、彼を仰け反らした。

 

「か、かは……っ!?」

「これでェええッ!!」

 

 ここに来てようやく俺の反撃が始まった。

 『気管支』がアバターに設定されていないこの世界では、首を押さえられても、剣で貫かれても、息ができなくて窒息することはない。

 だが俺がミンストレルの首を絞めた時、彼は実際に苦しそうにしていた。やはり人として喉元に攻撃されるということは『不快な麻痺』では済まない苦しさがある。

 現に喉の中で貫通継続ダメージを与え続けるピック1つを引き抜くのにも、彼は相当な精神力を要しているようだ。

 もちろん、この隙は逃さない。

 今度は俺が斬撃のラッシュを続けると、形勢は一気に逆転。次々と被ダメージ値が加算していき、体力ゲージもとうとうカズのそれを上回った。

 しかし、寸でのところで体勢を立て直す。

 

「いい加減くたばれってんだよォッ!!」

「そっちこそぉおおお!」

 

 早朝に響く乾いた斬撃音。

 俺が小学校に通っていた頃、姉とやっていたチャンバラごっことは次元が違う。9ヶ月間、死に物狂いでモンスターを殺しまくってきて、ようやく手に入れた剣捌きが今のこれだ。

 指導者がいたわけでもない。『型』に沿って練習したわけでも、剣道のように反復練習をしたわけでもない。きっと専門家が見たら失笑するような動きだったのだろう。

 それでも、俺は生き残るために最も効率がいい戦闘スタイルを日夜考え、そして実行に移してきた。倒すことだけに特化した自分なりの剣技を、1つしかない命を賭け金(ベット)に死ぬ気で修練してきたのである。

 俺が日本で過ごさなかった9ヶ月の賜物。

 それをぶつける。今この場において、やるべきことは俺の全力を出しきること!

 

「らぁァあアアああああッ!!」

「やアあああああッ!」

 

 ガチィンッ!! と大量の火花が舞う。当初の目的などとうの昔に忘れていた。そして俺達は加速する思考の中で互いに先を読み、ダミーを混ぜ、流れを作り、最後の一撃を叩き込もうとしていた。

 時間にして、ほんの数秒の世界。

 詰み将棋のようにルートを探し、とうとう見つけた。勝利への一本道を前に「いけるっ!」と、確かな手ごたえを得た。

 だがそう思った瞬間、間違いだったと理解する。バギギッ、と金属音が鼓膜を揺らすと、俺の縦斬りが半端な位置で中断されていることに気付いたからだ。

 

「なっ!?」

 

 大剣の(つば)の部分を、カズがの得物であるスタッフの(つか)で受け止めている。

 武器として脆い部分に攻撃を受けると、その武器が持つ《耐久値(デュラビリティ)》は一気に減衰する。場所によっては、ほんの1回か2回ほどで《武器消滅(アームロスト)》をしかねない。

 大切な武器を失うリスクは取るはずがない。そんな先入観があった。

 しかし冷静に考えてみれば、大剣の『鍔』の部分に攻撃力は設定されていない。

 剣を振りきる前に止めるという、口で言うほど簡単でない芸当を目の前に、俺は一瞬見入ってしまった。

 そしてそれが命取りになる。瞬間的に発生した硬直を利用して、カズが大剣の横腹を棍棒で殴り飛ばしたのだ。

 剣が手から放れることはなかったが、これにより俺は大きく体勢を崩してしまう。

 最後に迫るのは、勝利への確信か。

 

「僕だってぇええッ!!」

 

 咆哮が唸る。一瞬、俺は「避けきれない」と悟ってしまった。

 それこそ回避するには攻撃の軌道を、正確な位置情報まで把握していなければ……把握して……、

 

「(え……?)」

 

 ここにきて、およそ2ヶ月振りになる『あの感覚』が襲ってきたのだ。

 21層のボス戦以来の、未来の動きを視認する感覚。

 相手の筋力値が生み出す握力と腕力。

 それに伴い技が織りなす可能性の道。

 自分を倒すために、相手が選択するだろう有効的な攻撃箇所。

 それらが躱された場合、次なる一閃へ繋がれる攻撃と、その際の体の動きと各関節の駆動。

 それら全ての物理現象を加味した、予知にも似る圧倒的な全能感。

 その光景に対し、考えるより先に体が動いた。必中のはずだった武器は、首を軽く捻るだけで完璧に避けきり、顎の下から叩き上げようとした次段も完全に見切ってしまう。まるでドッヂボールでポジションを誘導された際、距離3メートルの位置から放たれた相手チームのボールを、2発連続で適当なジャンプで避けてしまったようなラッキー現象だった。

 

「なぁっ!?」

 

 不安定な姿勢で連撃を躱されて放心状態となっているカズに、俺はいち早く立ち直って両手の握りを強くした。

 

「おらあァああああああッ!!」

 

 しかし俺は容赦なく、回避ついでにカウンターを直撃させた。すると、対戦相手の体力が半減したことを知らせる鈴のような音が鳴り響いた。

 後に残るのは静かすぎる静寂と、互いの得物を振りきった状態で止まる2人のプレイヤー。

 

「ハァ……ハァ……勝った……のか……」

「ゼィ……負けた……僕が……」

 

 激闘は、あまりにも呆気ない結末で幕を下ろすことになった。

 

 

 

 それからたっぷり5分ほどがたち、それでもなお俺達は向かい合ったまま座り込んでいた。

 

「さすがだよジェイド、絶対取ったと思った。まさかあの状況からカウンターまで持っていかれるなんて……相当訓練したんだね」

「…………」

 

 だが俺は2つ返事では喜べなかった。

 俺は最後、どう考えても実力で勝利を掴み取ったとは言えないことをしたのだ。あんなズルみたいなことをしてまで、この戦いに勝ちたかったのかと自問してしまう。

 

「やっぱりさ……ジェイドは憧れだよ。僕だって必死でレベリングしてきたつもりだ。時間をかけてじっくりね。ステータスだけなら、もう引けを取らないはず。……けど、またあっさり負けちゃってさ。勝って君に渇を入れようと思っていたのに」

「違うんだルガ。これは……これは俺の実力じゃない。……俺はルガに負けたんだよ、あんなことしなきゃな……」

「あんなこと?」

 

 事態を飲み込めないカズはオウム返しで聞いてくる。

 そして俺が今までに体験したこと、1層、10層、21層の時、そして今回の戦いで味わった不思議な体験について、包み隠さず初めて他人に打ち明けた。

 カズは途中で何度か言いたいことがありそうな素振りを見せたが、結局は最後まで静かに俺の話を聞いていた。そして俺が全てを語り終えると、ゆっくりと話し出す。

 

「ちょっと、すぐには信じられないけど……僕はどうせいつものアレかと思ったよ。ほら昔よく言っていた厨二病的なアレ」

「オイ、いつも俺をそんな目で見ていたのか……」

「アハハ、冗談だよ。でもなんだろう……その話、僕どこかで聞いたような気がするよ。どこだったかな……」

「マジか。俺以外にもこれ体感した奴いたのか? ならぜひ話を聞きたいもんだ」

 

 だが答えのない答え探しに無意味さを感じ、この話題は一旦ここで打ち切ることにした。

 いつか原因を突き止められる奴に出会えるといいが。

 

「ところでさ、ジェイド。僕は1番重要なことの答えを聞いてないよ」

「…………」

「今度は黙ってたって駄目だからね。ほら、ちゃんとこっち向いて」

「わぁったよ……」

 

 お母さん気取りだろうか、こいつは。

 

「……やっぱ、ここで止まるわけにはいかねぇよな。攻略組はみんな乗り越えて……戦ってる。俺だけこれでリタイアなんて無責任っつーか」

「責任自体は誰にも問われないだろうけどね。今でも攻略に手を貸そうとしない人はいるし。……それでも、ジェイドにはいつも僕らの先を歩いていて欲しいよ。前会った時に言ったよね? 『生きることは死者に対する最大の敬意』って」

「ああ、そういや言ったな……」

 

 その言葉に偽りはない。ケイタにも同じことを言ってやった。

 いつからかは覚えていないが、死人の(あと)を追うことが、死んでいった者達への侮辱(ぶじょく)だと思えるようになったのだ。

 

「それでね、僕考えたんだ。じゃあ友達が死んじゃったからって、生きることだけに執着して、戦うことをやめる……ってことも敬意なのかなって。《はじまりの街》で何もせずに過ごすことが、本当にゲームオーバーになった人にできる最善の行動なのかなって」

「……それ、は……」

「うん、それは違うよね。もっと違う解釈をするべきだ。……何もかもやめるんじゃなくて、いなくなった人達からも何かを学び教訓にして、糧にして……その人の経験を役立てて、初めて『敬意』なんじゃないかって、そう思うんだ」

「ああ、ルガの言う通りだ……」

 

 カズの方がよっぽどか死んだ人達のことを考えていたのかもしれない。

 俺がその考えに至るまでに、いったいどれほどの時間を要し、どれほどの回り道をしてきたことか。

 

「だからさ、ジェイドがここで何もせずに座っていることが僕は許せないんだよ。あんな格好いいこと言った君が、ここで何もしないのは許せない……」

「そう、だな……」

「もっと見せてよ。君がレジスト・クレストの前で活躍する姿をさ。僕はもっと見たいよ」

「…………」

 

 そう言ってくれるだけで俺は救われた。

 俺は座ったままでも、少しだけ空を見上げながら言葉を紡いだ。

 

「ああクソ……ハハッ、そりゃそうだ。グダグダ言うより、やることやんねぇとな。これからもこのふざけたゲームを攻略して、さっさと解放してやんねぇと。今までの努力が水のアワだ」

「その意気だよジェイド。それに、そのための抵抗の紋章(レジスト・クレスト)なんだから!」

 

 カズが立ち上がって俺に手を差し伸べる。そして俺は、今度こそその手を握りしめて立ち上がった。

 俺にも挫折(ざせつ)した時、励ましてくれる仲間ができたことを噛みしめながら。

 

「行こう、ジェイド」

「おうよ、ルガ!」

 

 ケイタ、見ていろ。

 夢を夢で終わらせない。未達で終わったアンタの目標、代わりに俺がこの世界をぶち壊してやる。

 

 

 

 こうして激動の一夜は明け、俺とカズは朝日を背景に歩を進めた。

 俺もまた1歩前へ。この成長が、この世界全体の大きな躍進に繋がると信じて。

 

 

 

 



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第43話 すれ違い

 西暦2023年8月2日、浮遊城第35層。

 

「スイッチ今! オイおっせーよ! ダメージ溜まった奴を引かせんなって。そんなんじゃソードスキルもあたんねぇぞー!」

 

 もう何度目かもわからない苛立たしげな声を上げながら、俺はしぶしぶモンスターにトドメを刺して仲間のミスを穴埋めしてやる。

 斬りながら頻繁に怒鳴りまくっているため、リアルならそろそろガラガラ声になってもおかしくないほどだ。

 

「ジェイドもあんまり怒らないでよ。僕らだって新しい指揮にまだ慣れきってないんだから、簡単に理想の戦いなんてできないよ」

「あァっ? 俺のせいだってのかよ!?」

「ま、まぁまぁ2人ともぉ……」

 

 小さい陰が俺達を遮る。この高校生男子生徒の平均身長から、5センチ以上は低いだろう茶髪小僧はジェミルだ。主に飛び道具による支援を目的としていて、ギルド内でもサポートキャラに回っている。喧嘩仲介の意味でも有能である。

 それにしても、カズと俺との暴言寸前の言い合いは、彼が介入することで何とか事なきを得たが、どうもギスギスした雰囲気だけはどこかへ行く気配がない。と言うより、先ほどからこんなことばかりだ。

 《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》、通称『レジクレ』への加入を果たして1ヶ月以上がたっている。

 そんな俺達はあの日、カズと俺が決闘した数十分後には完全にギルド加入への手続きも終え、過去のことは忘れてすぐに打ち解け合った。もう俺がカズを見捨てたことも、ロムライルやジェミルが俺を仲間外れにしようとしたことも、今となっては気にも留めていない。

 ではなぜ、俺はカズと口喧嘩をしているのか。その理由は簡単なようで、そこに至るまでが少々ややこしい。

 

「あの~。オレがまたリーダーやれば済む話なんじゃ」

「そうだよ、やっぱりロムに任せようよ。そもそも、ジェイドにギルドを任せようとしたのが間違いだったんだ! どう考えてもリーダーに向いてないよ!」

「なっ……んの野郎、言わせておけば!」

 

 放っておくとこのように、『顔は怖くても低姿勢なロムライル』を無視して再び口論になってしまう。

 またこれだ。今カズが言ったように、俺は一時的にロムライルに代わってレジクレのギルドリーダーを任されている。その理由としては、俺がこのギルドに加盟してからこの1ヶ月間で各々(おのおの)のレベルアップ効率がかなり落ちていたからだ。

 ギルド結成初日から、ロムライルは残りの2人を引っ張り頑張ってきたのだろう。それは重々承知していたし、当初は彼の行動方針に文句を付けなかった。

 それに俺は、共に同じ道を歩く誰かがいるだけで感じたことのない安心感と、2度と手に入らないとまで思った楽しい時間を謳歌(おうか)できていた。

 ただし、それはずっと続くわけではない。

 

『なぁ、それムダじゃね〜?』

『絶対いらんってそのアイテム!』

『人が困ってるぅ!? 他人なんてほっとけよ!』

 

 なんて、事あるごとに文句を言い出したのだ。

 俺には攻略組として長年蓄積してきたノウハウがある。チュートリアルが始まってからずっとソロでプレイしてきた者と、ギルドで支え合ってきたミドルゾーンの者達の見解の相違。齟齬(そご)や弊害。

 摩擦は徐々に熱を持ち、とうとう限界が訪れてしまったのだ。

 「じゃあジェイドがやってみなよ。文句ばっかり言って。ギルマスだってメンバーのこと考えて必死にやってるんだよ?」と、カズに言い返されて感情任せに反論してしまった俺は、臨時でギルマスとして3人に指示を出し、改善されるようならしばらくそのままでいよう、という結論に達し今に至るのだ。

 そんなこんなで頭を張ること1週間。35層フィールド《迷いの森》で、俺指揮のもと行動していたわけである。

 これもまた、最初は順調だった。強引ではあったが攻略組との差も縮まった。

 しかし想像以上に、命令を飛ばしながら戦うことも、メンバーの状態を意識しながら行動することも難しく、たちまちボロが出てしまったのだ。

 メンバーはスパルタ式にバテてしまい、その度にカズが俺に注意してくる。そこへ売り言葉に買い言葉。いつまでたっても喧嘩が収まらないのが現状である。

 だが、俺もこの上なく焦っていた。

 詳しいことはメンバーにも伏せているが、俺は密かに数人のプレイヤーと結託し、ケイタを殺したギルドの一員を捕らえる準備をしているのだ。

 レジクレを個人的な復讐に巻き込みたくはないと思う一方で、だからこそ目標の達成には高いレベルや、優秀なプロパティを持つ武器が必要だった。

 そのため、自前の大剣をレア物に新調してしまったのだが、これも元を辿れば経緯は同じである。危険の回避をおもんぱかるあまり、それを本人達に説明できないことがもどかしい。

 つらつら考えるものの、今は隊のリーダー。効率が悪いなら改善案を考えねばならない。

 

「(んん〜てか、単体で強い大ザル相手にすんのは失敗だったな。思考停止したいレベリングじゃ足引っ張るだけだ。うかつだった……)」

 

 こういうところでも不慣れが顕著(けんちょ)に出る。

 戦っていた相手は《ドランクエイプ》で、35層フィールドでは最強クラスの猿系モンスターだ。単体では『最強クラス』でも、複数現れれば『最強』のモンスター集団でもある。

 個体が強ければ、それが集まった分だけ強くなるはず。ではなぜ、ドランクエイプに限り数の多さで強さの(はかり)が逆転するのか。それは奴らがかの有名な戦闘技法、システム外スキル《スイッチ》を初めて実戦投入したモンスターだからだ。

 事実、前衛が消耗すると後ろの奴が前に出て、その間に回復薬にも似た液体物を呷って体力を回復してきている。《スイッチ》の応用、『PoTローテーション』だ。

 よもや技術的に不可能な連携と思っていただけに、いよいよ狩りが惰性の延長ではできなくなってきている。

 

「んあ〜クソ。でもな、指示通りならこんな奴ら瞬殺できたんだよ。それがもたもたしてっからこーいうことに……」

「あのタイミングでスイッチは無理だよ! もっと早く言ってくれないと! ワンテンポずれるのは仕方ないでしょっ!?」

「あーハイハイまた俺のせいね。聞くだけは楽だよなぁ、俺のことなんて」

「お前らいい加減にしろッ!!」

 

 ロムライルの、いつもとはまるで違う口調と音声を聞き、俺とカズは体をビクッとさせて言い合いを止める。

 

「……ハァ……あの~。怒鳴ったのは謝るけど、オレらはチームだ。このまんまじゃ話にもならないから、リーダーはまたオレが引き受けるよ」

「……チッ。……んでも言っちゃあ何だけど、もうちょい攻撃的になんないとこの先辛いぞ? このギルドは大人しすぎるし、人がよすぎる。前線入りが、当初の予定より遅れた理由がよくわかったよ。この世界じゃ致命的だ」

 

 俺はそう吐き捨てると、ギルド用の一時的(テンポラリ)ストレージにドロップされた、モンスターからのアイテムを閲覧した。リーダー変更は《圏内》で少しばかり面倒な手続きが必要なので、この分配がそれまでの最後の仕事だ。

 しかし、大して期待せずに開いた俺だったが、そこには信じられないほど珍しいアイテムがあった。

 

「ん……えッ!? 《コリドー・クリスタル》って、マジでか!?」

 

 俺の驚き様を見て他の3人もストレージを確認する。そして超レアアイテム、《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》がいつの間にかドロップされていた。

 29層の時点で存在自体は認知されている。がしかし、安価な《記録結晶(メモリークリスタル)》と《録音結晶(レコーディングクリスタル)》を除き、他の結晶系アイテムが高額ながらも全てショップ販売され始めたのに対し、これだけはショップ販売されない、言わばドロップかトレジャーボックスからしか手に入らない幻のアイテムだ。

 その内容とは、あらかじめ指定しておいた場所と現在の場所を『繋げる』というもの。《転移結晶》にも似ているが、利点と欠点はきちんとある。

 上記は《圏内》に1人だけ飛ぶ効果。これはあらかじめセットした場所に、あらゆる場所から多人数が転移できるというものだ。

 オレンジ連中を投獄する場合、《特殊圏内》である《はじまりの街》の《黒鉄宮》奥の牢獄エリアに出口を設定しておけば、いつでも敵を飛ばすことができる。経費はかさむが効率面と確実性では軍配が上がる。

 しかも《転移結晶》は効果を発動しきるまでの1~2秒間に攻撃を受けると不発に終わってしまう。それに対し、コリドーが作るプレイヤー転移用の光の輪は、いかなる攻撃によっても消滅しないのである。

 だが欠点もある。急に使いたくなってもすぐには使えないという点で、やはり即効性に欠ける。

 とは言え、今のところ唯一の多人数転移手段となっているため、主に大規模ギルドが躍起になって手に入れようとしているのだ。

 当然、相場も相当に高い。売るなら売るで、レジクレの軍資金通帳に相当なプラス修正が入るほどに高い。

 けれど俺は、この濃紺色のクリスタルを手放すことが、どうしても惜しいように感じてしまった。

 

「うわぁ、これってぇみんなで一斉に移動できるレア物でしょぉ? でも使い勝手悪いからねぇ……」

「ち、ちょっと待った!」

 

 そばかす付きの茶髪っ子が余計なことを言う前に、手と声でそれを制す。

 もしかしたら今後使い道が出てくるかもしれないこれは、これから手に入る確率などを考えても、やはり売り飛ばすのは勿体無さすぎるからだ。

 

「なあ、俺らも集団行動してるわけだろ? 必要になる時が来るかもしれないし、ある意味究極の命綱だ。だからさ、もうちょい考えてからでも……」

「いや売っちゃおうよ。結晶アイテムに頼りすぎるのは良くない。……これは前、ジェイド自身が言ったことじゃない」

 

 しかしそこで、したり顔のままカズが意地悪なことをしてくる。確かに俺は過去にそう提言したが、今のカズは明らかに嫌がらせで俺と反対の意見を主張しているのだ。

 

「ルガてんめぇ、わざとだろ! イヤがらせのつもりか!? 他の結晶アイテムとコリドーはほぼ別モンだろうが!」

「それはジェイドの勝手な意見だよ! ここ最近は君の武器のために沢山お金使ったし、少しは自重しなよ!」

「う……くっ……」

 

 そう言われるとぐうの音も出ない。

 前層で最高級の両手剣作成のために、俺はかなりのコルを使いたいとロムライルに申し出ことがある。一時は却下されたが、改めて俺がリーダーになってから、職権乱用に近い強引さで新しい武器を買ったことも事実だ。

 しかし、俺にも言い分がある。

 今まで散々意見することを我慢してきたし、金を多く使ったのもそれ1回きりだからだ。ソロから合流した時に最も金持ちだったのは俺だし、使用した量は総合的、相対的にもむしろメンバー内では少ない方だろう。

 直近の浪費、過去に使用した量、この場でコリドーを手放すこと、全てが別問題だ。

 

「それとこれとは話は別だ! とにかく、最後のギルマス権限としてこれだけは売らない。ハイもう決定!」

 

 俺は早口でそう言うと、持ち出されないように高速タップで《回廊結晶》をオブジェクト化し、俺はそれを自分のポーチに仕舞う。

 だが当然のように反抗の嵐が俺に降りかかった。

 

「ちょっと! 自分勝手過ぎるよ! ロムも何とか言ってよー!!」

「んん~……でも、一概に売った方がいいとも言えないし……。まあ、最後の指示なら別にいいんじゃ……。頑張ってくれたし。それに、ジェイドだってまさか、それを自分のためだけには使わないでしょ? ならコリドーの使い道だけ気を付けてくれれば」

 

 ロムライルは強気な発言を滅多にしない。ほとんど変わらないだろう年齢の割には、温厚な部類に入るだろう。されど彼の立場上、その特性のみでは欠陥だと言い切れる。

 俺が苛ついていたのは、この遅々として話が進まないリーダーシップの欠如が原因でもあるのだ。

 

「ルガぁ、あんまり怒ると疲れちゃうよぉ。ロムもそう言ってるんだしぃ……」

「……ふんだ……」

 

 ジェミルの説得でようやく収まったのか、それっきり(だんま)りを決め込むカズ。しかしまだすべてを納得しているわけではないようで、口を尖らせて腕を組んでいた。

 だが、知ったことではない。

 俺だってストレスぐらい溜まるのだ。お互いそれをぶつけ合ったわけで、この場で俺だけ責められるのはお門違いというやつである。

 それに今後はリーダーを元に戻すという話も出ている。なら最後に少しぐらいワガママを言ってもいいではないか。

 

「(やっぱ俺は悪くねぇな。悪くないったら悪くない……だからあやまらねぇぞ……)」

 

 このやりとりを最後に喧嘩こそ途絶えたが、その後もギスギスしたままこの日は午後9時に狩りを終えた。

 真夏の暑さにうんざりしながらも、ジェミルが鍋や各種簡易調理セットをオブジェクト化して料理を始める。

 

「ああ、腹減ったな~。俺は規則正しい生活とかしてこなかったけど、やっぱ毎日3回食ってると決まった時間に腹って減るもんだな」

「もぉ、もっとしっかり食べなきゃぁ。ボクら育ち盛りなんだしぃ。ちょっと待ってねぇ、すぐ作っちゃうからぁ」

 

 ジェミルは俺との会話を継続させながらも、休むことなくせっせと手を動かした。

 ちなみに無頓着なのか、ジェミルは「ボク、母子家庭なんだぁ……」と、リアル情報をメンバー全員にバラしている。なので食事に関してもかなり自炊に近い状態が『向こう』でも続いているようで、レジクレの中でも唯一《料理》スキルを獲得し、メンバーの食事は彼に一任されている。

 ――こいつを怒らせると飯にありつけないってこった。

 そして用意されたのは(まき)やコンロに見立てた置物、鍋や包丁と4種類ほどの野菜と2種の肉類。後は袋詰めにされた何かの()だった。もっとも、俺はここ数週間で何度か見たので答えは知っているのだが。

 

「ええ~またシチュー? こんなに暑いんだから、もっと冷たいのが良いなぁ……」

 

 シャクだが今回ばかりはカズに同意だ。冷麺などは無いのだろうか。

 

「でもぉ、シチューは栄養を逃がさないしぃ、何よりこの人数だとレパートリーがねぇ。……ロムぅ何か料理できないのぉ? ジェイドでも良いけどぉ」

『いや、無理』

 

 ギルドリーダー経験者は語る。できることとできないことがある、と。

 何はともあれ、22層の森林区に生えている無料の野菜――私物なら失礼だが勝手に摘んできた――とショップ販売されている人参や白菜のような何か、最後にフィールドで狩った飛行MoBからのドロップ品、《ビッグパラキートの胸肉》、《ビッグパラキートのもも肉》が次々と切断され、鍋の中へ放り込まれていく。

 ものの数分で調理は完了し、ホワイトシチューに似たドロドロとした物体ができ上がると、男4人でそれらを平らげた。

 

「んぐ……んぐ……ぷはぁ。やっぱ旨ぇな。熟練度上げてるとこんなの作れるのか。《料理》スキルとかバカにしてたけど、あながち捨てたものじゃねぇな……」

「へへぇ、でしょう? これがねぇ、簡略化されてるけど結構楽しくてねぇ。野菜の皮剥き不要にぃ、みじん切りもワンクリックだけどぉ、ぶっちゃけその辺は向こうだと面倒だったからねぇ」

 

 そう言う彼もやはり誉められると嬉しいのか、頬を染めて少しだけはにかむ。野郎なのでドキッとはしない。

 がしかしだ。俺はスキルについて誉めたが、まさか今さら料理について勉強する気にはなれない。スロットの空きも限られているし、スキルを獲得するかどうかはもはや論外である。

 

「(役割分けられてるからこそ、こういうの取ってる余裕あるんだろうなぁ……)」

 

 上がったばかりとは言え、俺のレベルは現時点で50。これは攻略組の中でも、数字だけを見るならさらにトップクラスの高さだろう。

 この世界でのスキルスロットはレベル1の時点で2つ、さらにレベル6で3つに増えレベル12で4つに増える。レベル20で5つに増えてからは10の倍数レベルでスロットが1つ追加される仕様になっている。

 つまり俺のスキルスロットには今、8種類のスキルが名を連ねていることになる。

 内訳は《両手用大剣(ツーハンド・ソード)》スキル、《索敵(サーチング)》スキル、《隠蔽(ハイディング)》スキル、《体術》スキル、《武器防御(パリィ)》スキル、《投剣》スキル、《疾走(ダッシュ)》スキル、そして最も新しく登録したものが《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルである。

 他人がどうかは知らないが、俺はこれら全てを戦闘での使用を前提に獲得している。次の目標の《対阻害(アンチデバフ)》スキルを含めて。

 だのに、俺がこのギルドに入った時には、3人が3人とも直接戦闘とは関わりの薄いスキルを得ていたのだ。

 カズは《鍵開け(ピッキング)》スキルや《限界重量拡張》スキル、ジェミルは《罠探査(インクイリィ)》スキルや《料理(クッキング)》スキル、ロムライルは《騎乗(ライド)》スキルや《鑑定(ジャッジ)》スキルなど多岐に渡る。

 これこそ『ギルド』最大の利点で、スキルごとの役割分担でもあるのだが。

 

「せっかくの安全地帯だし今日はここで寝てくか? もう10時回ってるし帰るのもアレだろうから……」

「あの~。それじゃあリーダー変更の手続きは……」

「あ、あ~まぁ……それは明日やるってことで! んだよ、いいじゃねぇか寝袋4人分買ったんだし。今日使ってみようぜ!」

 

 ガキか俺は、と思われても仕方がないが、距離的な概念よりも《迷いの森》ではその特殊なフィールド効果ゆえに帰るのは非常に面倒なのだ。

 それに消耗品でも手に入れたアイテムを試してみたくなるのは、古今ゲーマーとしての自然な欲望である。

 

「じゃあそうしよっかぁ。……ふぁ……もう眠いしねぇ。今日はほとんど休憩もしてなかったしぃ」

「悪かったって。俺のペースじゃデフォなんだよ」

 

 言い終える前に早速ジェミルが睡眠体制に入る。俺としては、まだ1時間ぐらい狩りを続けてもいいと思っていた。が、ここは言い出しっぺということもあるため、特に発言することもなく横になった。

 起床アラームを6時半に設定すると、かなり早い段階で睡魔に襲われそのまま俺は暗闇の中に落ちていった。

 

 

 

 翌日。

 起床アラームは設定した本人にしか聞こえないため、音もしないのにほぼ同時に3人の男が目覚めるという、なかなかシュールな光景をいつものように体験してから周りを見渡す。

 そしてその結果、メンバーが1人欠けていることに気付いた。彼がいた場所には小さな箱が1つ置かれているだけだったのだ。

 カズが、姿を眩ましていた。何の前触れも前兆もなく忽然(こつぜん)と。

 

「(カズ……?)」

 

 カズはその日、いつまでたっても帰ってくることはなかった。

 

 



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アナザーロード6 率先垂範

お気に入り件数が450を超えました!
読者の皆様、今後ともよろしくお願いしますm(__)m

本日は番外ですが次話より新章に入ります。


 西暦2023年8月2日、浮遊城第35層。

 

 深夜の森。あと30分ほどで日付が変わる。

 

「(ああ……ソロの夜は寂しいなぁ……)」

 

 あたしは心の中でそう独りごちた。

 10ヶ月がたった今でも、例え何年かかっても、慣れることはないだろう。

 1層《はじまりの街》で、あたしは1人の知人を見殺しにした。あの夕暮れから今まで、どのギルドにも所属せず、かつなるべく多くの人が生き延びられるよう身を粉にしてきたつもりだ。

 しかし、やはり寂寥(せきりょう)感は紛れない。

 以前、あまりの寂しさに衝動的にアスナに一夜だけ共に過ごしてほしいと頼み込んだことがある。邪推されるような意味ではなく。

 今やかの有名なトップギルド、《血盟騎士団(Knights of the Blood)》こと《KoB》の、さらに『副団長』の地位まで登り詰めたお姫様に対して、「今夜貸して」と言われたのだから当のギルドはさあ大変だ。彼女は2つ返事で了承してくれたけれど、周りの団員までそうはならなかったようで「アスナ様と同じ寝室だと、おこがましいわ!」や「夜遊び? させるかぁああッ!!」といった猛反発を受け、一時騒然とさせてしまったことがある。

 アスナも「相手は同性だから!」と説得していたけれど、プライベート情報を守るためかあたしの名は出さず、曖昧な説得になってしまったがゆえの惨事である。

 最終的には団長にだけ話し、ようやく「ギルドの行動に支障がでなければ束縛はしない。好きにしていい」という許可を得て、久し振りに歳の近い女の子と夜遅くまで話し込み、楽しい夜を過ごしたのも今ではいい思い出だ。

 それからはあまりストレスに対して我慢しようとはせず、寂しくなったらリズやアルゴ、またシリカちゃん達と一緒の宿に泊まったりもして、問題自体は解決している。

 しかし今日みたく、夜も遅くなってから人を誘うわけにはいかない。攻略組でもあるまいし、リズやシリカちゃんもきっと皆寝てしまっているだろう。アスナも……彼女は下手をしたら起きているかもしれないが。

 

「はぁ~……」

 

 しかしアスナがこんな時間に起きていたのだとしたら、それは十中八九パワーレベリングだろう。団員が止めても強引に通しているのだから、ここで誘っても無駄である。

 なのでたっぷり息を吐いて溜息をつくと、やるせない気持ちになって目尻に涙が浮かんできた。

 ――あ、溜息は幸せを逃がすんだっけ?

 

「あたしもギルド入ろっかな……」

 

 ついに独り言まで声に出てしまった。

 なし崩し的にソロを続けてしまった結果、同じくソロのはぐれ者や、あるいはギルドに所属しておきながら劣等感に苛まれる者、果ては前線を目指す数多のプレイヤーにとって、あたしが強烈なシンボルになった自覚はある。

 けれどあたし自身、相当長い間耐え抜いてきたわけで、そろそろ自分にご褒美をあげてもいいのではないだろうか。

 自分を心から許せる時。それが今なのか、まだ先のことなのか、そもそも何を持ってそうだと言いきれるのかはわからない。しかし多くの人に励まされ、支えられ、時には手を引いてもらっておいて、気持ちの上では前へ進めませんというのも失礼な話である。

 1つ問題があるとすれば、過去に1度KoBからのお誘いを蹴っているのに、今さら加入希望を出してもすんなり受け入れてくれるかどうかというところか。

 

「(でも軍はもういないし、DDAなんて数えきれないほど断り続けてきた。としたら、やっぱり血盟騎士団になるのかなぁ……)」

 

 しかしかの有名なあのトップギルドとて男子……否、おじさん方も多いわけで、正直何をされるかわからない恐怖もある。

 潔癖症ではないが、あたしは8層の迷宮区で実際に乱暴されかけた身でもある。()りていないと思わせないためにも、『自分の身を自分で守ること』へ執着気味になることに、決してやり過ぎは無いはずだ。

 半年たっているからか、あの時の3人組の顔はぼやけて思い出せない。

 毎日無数のプレイヤーやNPCと出会って会話をしているわけだから、記憶が薄れるのは仕方ないのかもしれない。それでも寒気の走るような恐怖心だけは、傷痕として残っている。

 とそこで、エリアの死角から間近を通過するプレイヤーがいた。

 

「あっ……」

「え……?」

 

 思い出に浸っていたあたしは、注意力が散漫になっていたため――安全エリアなので《索敵》スキルは切っている――か、プレイヤーの接近にまったく気付けなかった。

 ほぼ隣とも言える距離から控えめな声が聞こえると、あたしは一気に警戒心を高めて勢い良く振り向いてしまった。そしてそこに立っている人を確認すると、既知の人物であることが判明し、ほんの少しだけ警戒を緩くする。

 

「ええっと確か……あ、そうよ。あなたジェイドの友達さんよね? ……こんな時間に1人でいるの?」

 

 こんな時間に1人なのはあたしも同じであるし、だいたい女性である時点であたしの方が10倍はアブナい。

 けれどその辺は棚の上にでも置いておいて、先に相手のことを聞き出そうとした。

 

「あ、え~と……あの、そうです。1人です……」

 

 そのまま彼はしどろもどろしながらも、何とか反応してくれた。おそらく先客がいるとは思っていなかったのだろう。しかも女性の。

 それにしても、ギルド所属者が1人。

 驚き方からしてあたしの所に来たのは偶然だろうけれど、それにしてはこんな深夜に単独行動する機会なんて滅多にないはずである。もう日付が変わる直前だというのに、強化モンスターの跋扈(ばっこ)する森フィールドの端っこに、彼はいったい何の用だろうか。

 

「どうしたの? この辺、1人でうろついていると最悪《ドランクエイプ》の集団を引っかけるわよ」

「あっはは……散々戦いましたよ。ジェイドと一緒に……」

「……ふーむ、何かあったって顔ね。ギルドでいざこざでも? ええっと……」

「あ、ルガトリオです。ルガでいいです。あの、一応確認しますけど、《反射剣》のヒスイさん……でいいんですよね?」

「……え、ええそうよ。《反射剣》はいらないけど。あとお互い敬語はやめにしない? その方が話しやすいと思うし。それで、ルガ君が1人でいる理由なんだけど……どう? あたしでよければ相談に乗るわ」

 

 あたしがランプを灯していたので足場を確認できたのか、座れそうな場所を見つけて彼も腰を下ろす。そして開口一番で独断行動をしている理由を明かした。

 

「実はメンバーと……あ、て言うかジェイドのことなんだけど、ケンカしちゃって。……別に最後の方はもうどうってこと無かったんだけど、なんだか近くにい過ぎると怖くなっちゃって……」

「怖い?」

 

 ソロ同士、あたしとジェイドが知り合い関係にあったことはすでに承知していたのか、彼はあたしがジェイドのことを知っている前提で話を進めた。

 ――まあ、あたしが出会い頭に彼の名前を出してるしね。

 あまり要点を得なかったが、あの短気男なら何があってもおかしくない。最近はズケズケと踏み込んでこないが、あいにく彼がすぐに怒鳴るタイプだということは存分に心得ている。

 

「何か初めて会う人に相談するのもアレなんだけど……」

「あ、気にしないで。あたし休憩中とか時間空くこともあるし、趣味で人生相談みたいなこともやってるから」

「へぇ~、それは意外だった。それも使命感みたいな……?」

「んーん。幸か不幸か、ソロの象徴みたいになってるあたしからアレコレ助言もらうと、男子ってのはやる気になっちゃうみたいでさ。ホントわかりやすいよ」

「あっはは。教会の懺悔室みたい」

「まあ、あたしのはモドキだけどね」

 

 そこまで助け船を出してようやく彼は意を決したのか、ここに至るまでの経緯を事細かにあたしに伝えてくれた。

 かくかくしかじか。

 聞いたうえでそれらを要約すると、原因自体は単純だというのに、彼の心の中が少々複雑なことになっていることに気付いた。

 

「なるほどねぇ。ま、確かにそれはジェイドが悪いと思うわ。あの人そういうところあるよね~。血液型はBよ彼」

「あっはっは、確かに!」

 

 血液型と性格が無関係なことはすでに立証されていることであるが、何となく民族特有のニュアンスで表現してみる。

 そんなことより彼らの関係のこと。まず判明したことは喧嘩別れという表現に少し語弊(ごへい)があったということだ。なぜなら、言い争いそのものはすでに解決していたからである。

 良くある話とは言え、今時の男の子がそんなこと考えるというのは珍しい。

 

「つまりジェイド自身も、ギルドに参加した安心感で調子づいちゃったわけね」

「まあ、言い方は悪くなるけど、そうなるのかな。僕も意地悪したんだけど……でも、これならもうしばらく会わなかった方が、お互い上手くやれたんじゃないかなって。適度に会ってた時の方が……そんなこと考えてたら、衝動的に飛び出しちゃって……」

「でもギルド登録を抹消したわけじゃないでしょ? 隠れてたってすぐにバレちゃうわよ?」

「いや、それについては《永久保存トリンケット》に、手紙を添えて置いてきたから元々心配ないんだ。遅くとも明日の夜には戻ると思うよ……」

 

 計画性はちょこっとだけあるみたいだけれど、なんだか重みがない。これでは子供が反抗期をこじらせたなんちゃって家出である。

 ちなみに《永久保存トリンケット》というのは『耐久値が一切減らない保存ボックス』のことで、もちろん使い勝手に優れるアイテムなためか、最大でも10センチ四方で大きい物は収納できない。活用法はせいぜい指輪やアクセサリーかその他の小物の携帯程度で、最大サイズならクリスタル1つぐらいは入るかもしれない。

 そもそも作成はプレイヤーにしかできない上に、しかも専用スキルの熟練度は相当な高さを要求される。ついでに時間もかかることから、ずいぶん高かっただろうと伺える。

 

「でもね、あんまりお友達に心配かけちゃダメだよ? ルガ君の意見も、他のギルドメンバーの意見も、それぞれに思うところがあるはずだし。それぞれが考えて言ってるわけでしょう?」

「う……ん、まぁ」

 

 ランプの光だけが、弱々しくもあたし達の顔を照らす。

 そして彼の顔を見て判明したことは、彼自身も自分の行動に過失があったと認めているということだった。

 

「結局はね、それは伝えきれてないってだけなのよ。そんな人達はいっぱい見てきたわ。……う~んそれじゃあね、1回思いっきりぶつかっちゃうのはどう? 男の子らしくね」

「ぶつかる……?」

「そ。剣でやりあうの。案外スカッとするものよ? だ~いじょうぶだって、ジェイドったら単細胞だから。……ふふっ、ケンカもね、上手な仕方があるの。終わる頃には何で怒ってたのかも忘れちゃうわよきっと」

「えへへ、そうかも。実は前にもやってるんだ。……でも、なんだか悪いね。僕達の問題なのにこんな遅くまで時間とらせちゃって」

「いいわそんなの。言ったでしょう、これもあたしの生き甲斐なのよ」

 

 そこまで聞いてようやく罪悪感を拭い去れたのか、少しだけ落ち着いた表情をして今さらながらに眠そうにうとうとしている。

 

「あ……でもここは先にヒスイさんがいたから……」

「や、それはいいわよ。あたしも諸事情あって、安全地帯じゃ寝ないって誓い立ててるから。ここでは仮眠もとらないわ。……寝袋とかある?」

「えっ……あ、うん。ある……から……」

 

 相当無理な狩りをしてきたのか、睡魔は一瞬で彼の体を浸食し、寝袋をオブジェクタイズした後はそこに潜り込んで、泥のように眠ってしまった。

 

「(ふふっ、無防備なんだから……。《安全地帯》で寝るのは危険ってワリと言いふらしたつもりだけど、みんな宿以外で寝ちゃうんだよねぇ)」

 

 そう思いながらも、いつまでも寝顔を拝見するのは失礼と思い直し、出発の準備を整える。

 夜間は一部のモンスターが凶暴化、あるいは行動パターンの変更などがあるので危険度は増すが、それ相応にプレイヤー側へ供給されるリソース……つまり、ドロップされるコルや経験値などが上がる時間帯でもある。

 ソロプレイヤーとして自分のやりたい時に存分な狩りができる、という特性を本日ばかりは遺憾なく発揮しよう。

 

「(幸せそうな顔だったなぁ。あ~なんか悔しい! こうなったら、この辺のモンスターを根こそぎ狩りまくってみんな出し抜いてやるっ!)」

 

 悲しきかな、人は他者だけが幸せだと素直に喜べないものである。

 しかしルガ君への感謝が大きいのもまた揺るぎない真実だった。彼らがいたからこそ、今のジェイドが普段通りに過ごせているからである。

 目標があると人は変わる。彼は善良なギルドである《レジスト・クレスト》と行動を共にできるとわかった日から、来るべき日に向けてさらに温厚な性格になっていった。

 実際に1ヶ月と少し前、ジェイドは途轍(とてつ)もなく荒れていた。『ケイタ』という名の知り合いを、目の前で殺されたかららしい。

 攻略こそ投げ出すことはなかったけれど、ギルドの方針を無視して場当たり的に復讐に駆られたこともある。1人でオレンジギルドのアジトや関係者を、それこそ《鼠のアルゴ》や《吟遊詩人》に頼み込んでまで血眼で探し回っていたらしい。

 ちなみに《吟遊詩人》というのはソロの男性情報屋ミンストレルさんの別名である。そもそも『ミンストレル』の和訳が『吟遊詩人』なわけだけど。

 しかし個人の力とは儚いものだ。捜せど捜せど本命を見つけることはできず、砂漠で砂金を探すような途方もない行為は、ルガ君達《レジクレ》が抑制剤となって終幕した。

 悔しかったのだろうし、仕返しもしたかったのだろう。しかしそれを達成したとして、単純な解決にはならない。なぜなら『犯罪者を殺す』ということは、『その場に新たな犯罪者を生む』ということでもあるからだ。

 

「(言い聞かせて彼を止めた。それができたのは、きっと彼らだけだったんだろうな……)」

 

 だから今でも感謝している。

 精神面で救われたからこそ、彼は同じ事をするキリト君の行動をもやめさせられていた。彼もケイタ君、ならびにギルド《月夜の黒猫団》を失い相当落ち込んでいたらしいけれど、レジクレの行動は結果的に2人の心も和らげたことになる。

 レジクレは攻略組に向かない性格なのかもしれない。だが彼らがいるからこそ、事実プレイヤーは冷静さを取り戻している。

 

「(なんだかなぁ。そんなところで器用になれる男子達が羨ましい。それに、ジェイドがちょっとだけ離れていったみたい……)」

 

 彼らに嫉妬しているわけではない。ただ思うのは、あたしが血盟騎士団に入団したいと願っているのは事実でも、その気持ちと同等か、あるいはそれ以上に彼らのギルドの仲間になりたいと感じたことだ。

 あたしの気持ちであり、あたしの想い。

 

「(何でだろ……)」

 

 唯一の前線にいる女性のアスナは血盟騎士団にいるというのに。それを踏まえた上で、あたしにとってその2択は両極なのだ。

 ジェイドはレジクレの面々に、『前線で戦う』以外の道を提案したことがあった。

 それでも彼らは聞き入れなかった。自分達を助けてくれたジェイドのように、人を守れるよう強くなりたいと跳ね除けた。

 正直、珍しい。それほどまでに、あたしが見てきた多くのプレイヤーの心は荒れ果てていた。誰も信用していない、自分だけが生き残ればそれでいい、と。それこそ初期のジェイドそのままの人達がこの世界にはごまんといる。

 

「(あたしも彼を変えられたのかな……)」

 

 もしそうなのだとしたら、ようやくお互い様になれたというものだ。

 それに25層の壮絶で凄惨な戦いがあった後、次のフロアまでのあの螺旋階段で彼と話してあたしは確信した。あたしは……彼に惚れている。彼のことが好き。目をつぶって想うほど、夜も眠れない。

 取り繕わないなら、あたしがレジクレに「仲間に入れてほしい」と言えないのは、(ひとえ)に彼に近づくのが怖いからだ。

 近すぎると、怖い。先ほどまでルガ君が(うれ)いていた感情がこだまする。情けないことに。あたしは人のことを偉そうに言えない。

 

「(でもあたしの言葉で救われる人がいるなら。……あたしは今やっていることを、やめるわけにはいかないわよね……)」

 

 と、そこでモンスターとエンカウントしたため、一旦意識を現実に戻した。

 しかし集中力不足のあまりオーバーキルをしてしまい、無駄な行動遅延(ディレイ)が課せられる。そこで初めて、あたしは普段の落ち着きがどこかへ行っていることに気づいた。

 

「ああ~、もう! 全部あのおバカさんがいけないんだからぁー!!」

 

 こうして本日は、いつもより少し長い狩りをしてしまうのだった。

 

 

 

 数日後。

 フロアボス討伐のための会議でレジクレの姿を見かけた時、そこにわだかまりは微塵も残っていなかった。どころか、初めからそんなものが無かったかのように4人で騒ぎ合っていて、実に仲の良さそうなものだった。

 

「(まったく……)」

 

 人騒がせな人達である。しかしだからこそ、彼らの生活は輝かしいと思う。

 あたしもいつかはあのように、誰か信ずる仲間と一緒に過ごしたいと思ってしまうほどに。

 

 

 

 



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第六章 番外集
アグレッシブロード1 破壊者の愉悦(前編)


 西暦2023年4月22日、浮遊城第20層。

 

 最前線が5分の1地点へと移行してしばらくたつ。

 ここは20層主街区で、有象無象の木造建築物が乱立するナチュラルカラー重視の街だ。

 古色蒼然(こしょくそうぜん)。街並みの印象を一言で表すなら『ジャングル』だろうか。深く透き通った空気のこの街に、俺はあまり……否、まったく好感が持てなかった。

 実際に虫系Mobを不得手とする人間には、昆虫が群飛(ぐんぴ)する本層メインフィールド、《ひだまりの森》でのバトルは辟易しているのかもしれない。

 覇気のない通行人を見るたび、そう思う。心の中で目一杯悪態をつく。

 

「(どいっつもこいつも。ぬくぬくとアホ面晒しやがって。……フヌケ同士、傷のナメ合いをしていやがる)」

 

 『外』でプレイヤーを攻撃するといちいち街や村へ入れなくなる、この《アンチクリミナルコード(生温いシステムロック)》に阻まれて2週間。久々に甘ちゃんプレイヤーの巣窟に来てみると、相も変わらずこの様だ。

 しかしインターバルも正直厳しい。勘弁してほしいものである。こちらとしては、脅しでダメージを与えつつアイテムを強奪しているだけで、まだ本格的な殺しもしていない段階なのに。

 こんなことで毎度足止めされていると、獲物探しも満足にできない。

 

「(……っと、グチってもしゃーない。ドロップ物はNPCに売り尽くしたし、さっさと買うモン買わねーと、まーた俺がキレられちまう)」

 

 せっかくと言えば、せっかく獲物探しを停滞させてまで『俺達』は揃ってグリーンに戻ったのだ。そして俺達オレンジプレイヤーというのは時間にシビアでもある。この間にやれることは全部やっておきたい。

 俺はフィールドで戦うための必需品を(そろ)えながら、早速潰せそうな対象を捜しながらひたすら歩いていた。

 だが《圏外》へ誘おうにも、ゲームオタク然としたプレイヤーはついて来ないだろうという結論に達し、結局は周りをスルーしてNPCショップに到着してしまった。その場で必需品を買い足したところで、ストリートの奥の店から興味をそそる会話が聞こえてきた。

 角の直前に立っていることから、お互いの姿は見えていない。

 俺は足を止めて2つの音源に聞き耳をたてた。

 

「いや、君は女性だからこんなこと頼めないし……」

「いいわよ、あたしもそれ受けようとしてたから。ただし、あたし達はひたすらクエストをクリアしていくだけ。それ以外のことは一切しないって約束できる?」

 

 話の流れはまだ見えない。しかし1人が若い男の声で、もう1人が若い女の声ということはわかった。

 女の方はだいたい予想がつく。おそらく前層から『二つ名』などが付けられてチヤホヤされている攻略組きっての女性ソロプレイヤーだろう。何があって最前線にいるのかは知るよしもないが、大方褒められるのが嬉しくて仕方がない、いわゆるアイドルのようなナルシスト女という線がオチと予想する。

 まだ2人の会話は続いた。

 

「も、もちろんさ! 約束するよ。いや〜助かった。19層の迷宮区って骸骨系が多いだろ? 実は僕の《ポールランス》みたいに『刺して攻撃する系』は効果が薄いんだ」

「ええ知ってるわ。ここの掲示板、そういう人の集まりだしね。……あと、あたしからもちょっと注文していいかしら? 19層迷宮区の……クエストにね、ち……ちょっとだけアレなモンスターがウロウロしている石碑ゾーンがあるの。それでね、そこにある少し高価な鉱石物を友達に持ってきてって頼まれてるのよ。そこまで一緒に来てくれないかしら?」

「あの辺は……ああ、ゾンビ系の。あれ、もしかしてモンスターが怖いの?」

「こ、怖くないわよっ!? 怖くないわ! でも、どうせ行くなら一緒に片づけちゃって方があたしとしては楽なの! ホントのことよっ! っていうか、それ以上聞くと一緒に行ってあげないよ!?」

「ああっ、ごめんごめん。もう言わないから。……じゃあ改めて今日1日よろしく。僕の名前はカインズ。君はヒスイさん、だよね?」

「ええそうよ。じゃあカインズ君、少しの間だけどよろしくね」

 

 物資調達を全て終わらせるまでにここまでが聞こえてきたが、とりあえず女の正体が的中のようだ。

 察するに、自然と気配を消していた俺に気付かなかったのだろう。内容はよく聞き取れた。

 そして付け加えるなら、『19層』と言えば主街区が移り変わったその日から『俺達』が根城にしている迷宮区(ステージ)だ。入り組んだダンジョンや仕掛けられたトラップ、モンスターの出現スポットまで事細かに熟知している。女が言う石碑ゾーンとその周囲も網羅済みである。

 ――つまり、飛んで火にいる餌発見というわけだ。

 そうと決まれば話は早い。

 

「な~おめェらさ、《退路無き闘技場》のクエスト受けに行くンだよな?」

 

 気の(はや)った俺は隠れるのを中断すると、その場を離れようとしていた2人組を呼び止めた。

 突然の介入に驚いた2人だが、女は冷静だった。

 

「ええそうよ。でもタイミングが悪かったわね、あたし達は2人で行こうと……」

「そう言うなって、俺も困ってたンだよ。あのクエストは参加者が複数いねェとフラグが立たないが、逆に上限が存在しない。……1人戦力が増えるだけだ、なァ頼むよ。どうしてもクリアしたい。力貸してくンねぇ?」

 

 こちらから言いたいことだけをとりあえず伝えたが、相手の表情を見るに俺の策はどうやら悪手だったようだ。

 

「ちょっといいかしら。あいさつもなしに仲間に入れてくれは、少し不躾じゃないの? 頼むにも順序ってものがあるわ」

 

 キイキイと(やかま)しい女である。これでも多くの愚民付き従うというのだから、容姿による差別というのは納得ができない。

 もっとも、あんまり拍子抜けする対応ならこちらの興が冷めていたところである。直々に品定めをしただけに、少しはままごとにつき合ってやろうではないか。

 

「わあったよ、失礼こいて悪かったな。俺はブラックってんだ。さっきも言ったが、見ての通りギルド参加はしてねぇ。協力者が必要だ」

「友達とかいないの?」

「ダチにも予定はある。なんなら、コルはあんたらで分け合ってくれていいからさ」

「ん〜、とは言ってもねぇ……」

 

 ――ンだよ、まだ何かあるのか。

 と、危うく口に出しそうになった。俺にはもうこれ以上の頼み方は思いつかないし、ましてやできることもない。

 

「(クソ、しぶといな。ヘッド(・・・)はこれじゃ成功率は低いと言っていたが、マジでその通りだ。カインズとやらはすんなりで、俺はなんでだ?)」

 

 俺が誘致失敗を危惧して佇んでいると、今度は男の方が口を開いた。

 

「ええっと、ブラックさん? 失礼ですが、レベルは安全圏でしょうか? 今日にでもこの層は攻略されそうですが、今のところ最前線の1個下。攻略組でもなければ十分危険ですから……」

「あァん? 俺は攻略組だっつーの。レベルだけなら余裕で1人でもできる。受注条件だけが厄介なンだよ」

 

 そこまで言ったところで、今度は《反射剣》サマが溜め息混じりに口を開いた。

 もしかすると俺のやり取りを見て呆れているのだろうか。だとしたらそれは許されざる、無礼極まる蛮行だ。

 

「ハァ……もういいわ、じゃあこの3人で行きましょう。でもあなたにも条件が……」

「あァ、そこで聞いていたよ。《異端者の石碑》クエだろ? つうか何で今になって? いや渋られるよりマシだけどよ」

「……あたしは、カインズ君と2人で、って話をしたの。直後に人が増えたら、その『3人目』がグルだった、とも考えられるでしょ? 2人より1人で話しかけた方が警戒されないし」

「あ~なるほどぉ……」

 

 とはカインズとやらの感想。

 しかし、確かに言われてみればそうだ。ヘッドもこれを予見したからこそ、俺が先走らないように先手を打って教えてくれたのだろう。結局やらかしてしまったが。

 

「あのクエストは1人では受けられないから、最初の人と協同作業になるのはお互いの利点よ。でも、それを利用して続けざまに同じ申し出をすると、あたしは2人目を断り辛い。あとは迷宮区に入り次第、いかがわしいことをしようって作戦ね」

 

 ここでカインズが「ブフゥッ!?」と吹いていたが、それを無視して考察すると、女の言っていることも一理ある。あるというより、普通そうなる。その場合は、最初に話しかけた者同士が初対面を取り繕おうとするだろう。

 無論、知人同士であれば、その者達2人でクエストを受ければ済む話となる。

 なるほど、勉強になった。今回ばかりは己の失態を認めるとしよう。

 

「でも、ブラック君の反応を見て何となくその線が外れた気がしたの。ついでに、カインズ君の反応で確信に変わったけど」

「い、いやぁ……それほどでも」

 

 ――褒めてねぇんだよ、このどアホ野郎が。

 と、またしても殴りかかりそうになった。

 しかし俺もあまり人のことを言えない。話がとんとん拍子に進んだのは、単に運が良かったからに他ならないからだ。世に轟かす絶対悪の一員としては情けない話である。

 

「ま、理由はわかった。けどこれで疑いは晴れたって事でいいンだよな?」

「あとはあたしがアイテムを採集する時間に、あなたが戦闘につき合ってくれるなら……そうね、問題ないわ」

「オッケーオッケー。確かリザルト付きで受注できる専用クエストでも採集系はあったが、それは1人じゃ行かないんだよな?」

「え、ええそうよ。みんなで行った方が効率も……」

「まあ、理由も聞いてたんだけどな。ようは1人じゃ怖ぇんだろ?」

「な……なっ……!? なに勝手に聞いてるのよぉッ!!」

 

 取り繕いが失敗し顔を真っ赤に染めた女の声だけが、5時過ぎの夕暮れに響き渡るのだった。

 

 

 

 それから1時間ほどが経過し、俺達は当初の計画通り19層へ降りてフィールドへと歩を進めると、早速(くだん)のクエストを受注した。

 迷宮区への過程でモンスターと2桁回数におよぶほどエンカウントしたが、別段障害にもならずに突破。そのままの勢いで迷宮区へと進入できてしまった。

 迷宮区モンスターは強力だが、たっぷりと蓄えたレベルマージンを相殺するには至らない。という事情の元、女の要件などすぐに終わってしまった。

 だが戦闘がまったく障害にならなかったのは、圧倒的なレベル差があったからで、戦いぶりは全員が満点とはいかない。主に女1人が足手まといだった。

 

「くっ……なによぅ。笑えばいいじゃない! そうよ、リビングデッド系は生理的にムリなの! でも仕方ないでしょう!? だいたいここはもう前線じゃないんだから、あたしのモチベーション低いのよっ! それに立ち聞きするような人にとやかく言われたくないわっ!」

「まぁまぁヒスイさん、僕は女の子らしくて可愛いと思うよ」

 

 終いには逆ギレだ。カインズが仲介役として女をなだめるが、茶番にはつき合いきれない。

 しかしこちらも準備は万端で、主街区(ラーベルグ)を出る前に「突然の層変更だから武装を変える」と断りを入れて奴らから離れ、その時間ですでにヘッドには連絡してある。

 たかだか目的地までのお守りがまさかこんな重労働になるとは思わなかったが、最終段階も間近なのでここは我慢だ。

 

「(ま、やるこたやった。あとはヘッドが配置についてくれてるだろう。ショーが楽しみだぜ……)……おう着いたぜ。カインズは左側やれよ」

「うん、わかった」

 

 とうとうクリア条件を満たすための迷宮区11階のエリアに到達。

 このクエストは複数人用に設定されていることをいいことに、それ相応のギミックなども施されている。アリーナ状のステージ入り口に左右対象に取り付けられた取手を同時に回して、歯車をほぼ同速度で回転させなければ目の前の巨大な扉は絶対に閉じないのだ。

 さらに、扉を閉じなければクエストも発生しない。取手間は数メートルと距離があるため、否が応でも複数人で挑む必要があるという次第である。

 門は初めこそ開いているが、個人で進入してもイベントは発生しない。今の俺達のように、決められた手順を踏んだ上で改めて自ら密閉空間を作り出すしかないのだ。

 クエストのストーリーは、ある悪趣味な富豪が、人と化物が殺し合うショーを見たいと駄々をコネるところから始まる。

 そしてその側近が主の願いを叶えるために『拳闘士』を集めだす。俺達プレイヤーは奴隷並に扱いの酷い拳闘士役を担い、闘技場へ呼び寄せられる。逃げ場の無い状態でモンスターと戦い、これを全滅させればクエスト完了である。

 成功報酬は武器素材と大量のコル。最後には連中が飼っている中ボスも湧出(ポップ)するが、難易度で見れば十分ワリに合った作業だと言えよう。

 強いて言うとクエスト内容が不可解、を通り越して不愉快といったところか。

 とにかくタチが悪い。作成したスタッフの気が知れない。19層では他にも《腐敗髑髏の奉納》、《大食らいの死者討伐》、《首無し騎士団殲滅戦》、《毒沼掃除》、《骸骨パズルの脱出劇》など、名前を聞いただけでやる気の削がれるようなクエストがところ狭しに立ち並び、受注者を待っている。

 もちろん、茅場晶彦がすべてを作り上げたわけではない。その多くはゲーム制作スタッフの努力があってこそだろう。

 完成品に目を通していないことはないだろうが、だからこそ「よくこんなクエストが審査を通ったものだ」と感心する。俺は欠片も気にしないが。

 

「(っと、くだらねぇこと考えてねぇで……)……やっと閉じたか」

「そうね。初めて受注したけど、こういうのって時間だけとられて案外七面倒な作業だったわ」

 

 硬い石材構造の床を踏みしめながら、女は手伝ってもいないのにまるで協力し合ったかのような物言いだった。

 そして改めてフィールドを見渡すと、形状は半球で地面の直径は約40メートル。さらに端から中心に向けて5メートルまでは無数の穴があいており、段差で仕分けられている。

 

「(いや、今はもうどうでもいい。ヒヒッ、もうすぐだ……)……始まるぞ」

「……ええ、NPCの話が終わったらすぐに集団戦よ」

 

 左官の健闘宣言を聞かされながら肯定しつつも、女はクエスト以外に何かが同時進行していると感じたのか、不安な顔を向けてくる。

 しかしそれは勘違いでも何でもない。女の方は実に警戒心の高い美味そうな獲物だ。カインズとやらは相変わらず緊張感のない奴だが、だからこそこの状況は最高のシチュエーションとなった。

 

「あっ!」

 

 そのカインズが驚いたような声を上げる。

 体全体を振動させる音と共に無数の穴があいていた地面、つまり端から周囲5メートルまでが地の底へ沈んでいくのが見えたのだ。その深さは現在1メートル。2メートル。まだ沈む。

 そしてとうとう現れる。最初から設置されていたのだろう長細い槍が、びっしり空けられていた穴から顔を覗かせたのだ。目算で50センチおきには禍々しい槍がそびえ立っている。地面はまだ沈み続け、果ては20メートルほども下に沈んでからようやく止まった。

 

「えっと、これは……?」

「つまりショータイム、ってわけだ」

 

 「ショータイム?」と首を傾げるカインズ。どうやら俺の遠回しな言い方に理解が追いついていないようだ。

 

「ヒ……ヒヒヒッ、そうだ。楽しい楽しいショータイム。下を見てみなカインズ。俺の言っている意味がわかるぜ」

 

 実際には何もない。誰もが想像する通り、今や直径30メートル程にまで縮んだ円形フィールドから足を滑らしたら、下に設置された槍に全身を串刺しにされるだけだ。過去の奴隷達が富裕層を喜ばせる義務を放棄しないよう、背を向けるものにペナルティを与えようと細工したのだろう。

 だがカインズは無能にも好奇心に従い、俺に言われた通り外周寸前にまで近づいて下をのぞき込んだ。

 無能だ。無能すぎる。

 

「んん……何もないよ?」

「うっせぇよ、消えなァッ!!」

 

 俺はダメージが入らない程度の力加減でカインズの背中を押そうとした。

 だがその直前、奴は俺の腕を逃れるようにひらりと身を躱し、俺から距離をとってしまったのだ。

 「なにッ!?」と、今度は俺が驚愕する番だった。完全に不意をついてのアクションだったはずだ。俺の意図に気付いてから回避など……、

 

「(いや、そういうことか……)……ケケケ、てめェら気づいてなお泳がせていたな!」

 

 こりゃあ、やられた。カインズは『気付いていないふり』をしていたのだ。その証拠に今や相対してしまった奴の顔には余裕の笑みさえある。

 

「そうさ、君のことは初めからマークさせてもらったよ。風貌も怪しかったし、僕らもそう簡単には騙されないさ。君はここで……」

「カインズ君っ!!」

 

 しかし会話の途中で女が叫んだ。

 カインズの後ろから、非金属装備装着時のみ使用できる《忍び足(スニーキング)》スキルを使用したプレイヤーが音もなく近づいたからだ。

 だが現象全てにまるで追いついていないカインズの脳は、動くどころか停止しているかのように、ある種無抵抗なままあっさりと外周から落ちていった。

 

「うっ、うわあぁあぁああああっ!? ガぁあッ!!」

 

 直後にはグシャァアッ、と何本かの槍が人体を貫通した音が鼓膜に届く。相変わらず良いメロディだ。

 

「カインズ君!? あなたなんて事をッ!! それに、そもそもどこから……ッ!?」

「Hello、お嬢さん。直前とは言え、よくハイドを看破(リピール)した。一応俺の装備は、ハイドレートにボーナスまで付いているやつなんだが」

 

 外周から落ちる寸前の位置に、あの方は立っていた。

 完全に俺のミスだったが、ヘッドがいてくれたおかげで作戦はあらかた軌道に乗った。あとは俺達プレイヤー全員に与えられたら平等な権利、『殺し』を存分に楽しむだけだ。

 唯一、俺が楽しめる物を提供してくれる崇拝者と。

 唯一、俺が心から面白い人間だと思った愉快犯と。

 唯一、俺が認めるイかれた思考を秘める犯罪者と。

 さあ、始まる。最高の『遊び』が。最高のステージが!

 

「イッツ、ショウタイムだ。楽しもうぜジョニー、そしてそこのお嬢さんもなァ」

 

 女の戦慄した顔だけが、俺の肌を快楽に染めあげた。

 

 



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アグレッシブロード2 破壊者の愉悦(後編)

 西暦2023年4月22日、浮遊城第19層(最前線20層)。

 

「く……動けないッ。くそっ、2人目がいたなんて!」

「イヒヒヒ! ざまーねェなカインズぅ!!」

 

 密室になった途端、俺は態度を一変させカインズをステージから引きずり降ろそうとし、突如現れた新手によってそれが完遂される。当の本人はというと、右腕、左脇腹、右太股にそれぞれ長柄長槍(ポールランス)が深々と刺さり、現在は行動及び脱出不可。

 さらに、時間をかけて《隠蔽(ハイディング)》スキルを万全の状態で使用していたヘッドが自己紹介を終えると、女の顔には暗い陰がさしていた。

 

「PoH……聞いたことあるわ。いいえ、有名な名前よ。常時オレンジとまで言われている危険な人。それに偽名だとは最初から思っていたけど、まさか『ジョニー』の名前まで聞くなんてね。2人共揃って最低のプレイヤーと名高い人達じゃない」

「Oh~ホッホ、有名人は辛ェな。だがそういうお前も、最近じゃあ愉快なあだ名を付けられていたよな。お互い有名人同士だ、ケンカせず仲良くやろうぜ」

 

 冷や汗を垂らしながらも、油断なく俺達2人を監視し続ける女。さすがに最前線で活躍するたった1人の女性ソロプレイヤーなだけはある。肝の据わり方は他のバカ女共とはわけが違うし、気丈に振る舞う姿は俺ですらそそるものがあった。

 

「あいにく、二つ名通りのことはできないわ。あなたと仲良くしようとも思わないしね」

「フッ、それは俺も同じだ。現に今はグリーンだしな。そしてお前とはやっていけそうにないという意見も、今ので共通したよ」

「ヒヒっ、悪くねぇ! もうちょい早く俺の名前に気付いてりゃあ、こンなことにはならなかったのになァ!」

「そうね、ご高説どうも。パーティ申請しないなら、今度からは誘われたら必ずデュエルでも申し込んで、相手の名前を確認してから行動するようにするわ」

 

 おっと、俺の発言から対抗策のヒントを与えてしまった。これは失敗だったか。

 それにしても、汚物でも見つけてしまったかのように顔を歪める女の表情は、ますます嗜虐的な感情を呼び起こす。本当にこの女は誘うのが上手い。生唾ものだ。

 

「シビレるねぇ。ヘッドぉ、まだトドメの一撃やっちゃいけないんすかぁ?」

「まだ我慢しろ。あの時(・・・)の約束通り、それなりの『場』を整えてから存分にやらせてやるからよ」

「何で……どうしてそんな会話が平然とできるのよ。誰かに恨みでもあるの? あなた達は、どうしてそこまで……」

 

 女は未だに、極限環境下(アインクラッド)における殺人に対して耐性を持っていないようだった。

 むしろ、たかがメスガキが俺達2人を前に泣き崩れて助けを乞わない時点で気高い。女性プレイヤーには散々遭遇してきたが、最近ヘッドが目を付けている『ある人物』を除いて、だいたい気の弱い矮小な人間しか見てこなかった。

 

「そー考えるとお前はまだマシだよ。他の女共に比べて、という条件付きだがな」

「……他の女の子達も襲ったりしているというの?」

「ハッ、男も女もかんけーねェんだよなぁッ! 攻略に参加しない女の割合いは多いが、なぜか死ぬ。なぜ同じ割合(・・・・)で、この世界から消えていると思う?」

「…………」

「勘のいい《反射剣》サマならもう気付いてんだろ? 意図的に殺しているからさ。フラグを立てずに殺す方法なんて、この世界には溢れている! ま、今回はお前がターゲットにはならなかったけどなァ。ヒヒッ」

「くっ……キモいわね、あなたって……ッ」

「『いやぁ……それほどでも』なんつってなァ! ヒャハ、ヒャハハハハハッ」

 

 女1人にどう思われようと、今さら考え方など変えるはずがない。説教を乞う時間もその気もない。それはこの女も理解するところだろう。

 だが洞察力は驚嘆する。この女はおそらく、ヘッドがいかにして奇襲できたのかさえ気づいているだろう。

 ヘッドはこのエリアの特徴を利用していた。この不自然なアリーナ状のエリアはモンスターもポップしない、言わば疑似安全地帯だ。イベントの手続きをしなければ、本当に何も発生しないのである。それは女が最初に《索敵》スキルをオフにしていた理由でもあるはずだ。

 必然的に、チマチマと場所を移動する必要もなくなり、長時間同じエリアに留まることで《隠蔽》スキルは最大限機能する。

 しかし俺が白々しく『武装を整える』と言って数分間だけ2人と離れた時、奴らが口裏合わせていたように、俺もヘッドに情報を流していた。

 その手順を、おそらくこの女は看破しているだろう。

 

「つってもジョニーは甘い。成功してねぇのに笑いだすは、最終的には尻拭いさせるはでよ」

「あっー! ヘッドぉ、それ言っちゃあシマらないじゃないっすかッ!」

 

 だが会話もほどほどに、この場にいる3人は同時に反応した。

 ついに《退路無き闘技場》クエストが幕を上げたのだ。そして、俺を含むこの場にいる3人の《索敵》スキルはモンスターの反応をキャッチした。

 

「ぐあぁッ、くそっ。お、おいッ!! 助けてよ……助けてくれよ! ヒスイさん! 早くしてぇええっ!」

 

 情けなくも涙声で女に助けを求める姿は、醜く見窄(みすぼ)らしい。餌としては申し分なくとも、プレイヤーとしては最低辺の反応だ。

 だがカインズが慌てている理由を俺は知っている。それは外周の底に設置された槍が刺突(スラスト)属性ではなく、貫通(ピアース)属性だからだ。

 

「カインズ君!? これは……貫通継続ダメージ(DOT)ね。……なんて事を。あなた達、自分が何をしたかわかってるの? このままじゃ彼、本当に死んでしまうじゃないっ!」

「What? こいつァ思ったよりマヌケな質問がきたな。それを理解していないとでも?」

「……聴いてた通りの最低っぷりね。そして姑息だわ。やるなら直接あたしを斬りなさい!」

「わかってねぇな。俺らはしばらくグリーンのまま楽しもうってんだよ。なあ? ついでに落ちていった男の命、逆算してやるよ。見たところ3秒で1パーだから、そうだな……残りは5分切ったってところか」

 

 相も変わらずシビれる。ヘッドの声を聞くとテンションが上がるのだ。ヘッドがあの時俺を仲間に入れてくれた瞬間から、俺はこの男と面白おかしくこの世界で生きると決めた。

 そうさせるほど、この男は俺にとって魅力的な『力』を持っていた。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「ヒャッハーッ! イヒヒッ、抵抗しても無駄だったなぁオイ!!」

「うわ、うわあぁああああ!? なんだ、お前! 俺はベータ上がりだぞ!? こんな事をして……」

「こんなことしてなンだってぇえ? あァッ!? 元ベータでどうしたってェッ! 脅しになっかよ、ボケがァあッ!!」

 

 響く斬撃音。轟く悲鳴。

 朝早く。時間にして5時をようやく回っただけの寒い早朝。日付は1月18日の真冬日だった。

 この浮遊城(アインクラッド)へプレイヤーが閉じ込められてから、実に2ヶ月以上。現在の最前線である7層の突破も間近に、それでいて俺は攻略に参加せず、あまつさえ5層のフィールドをフラフラとさ迷っては寝ぼけ眼のプレイヤーを先制攻撃(ファーストアタック)で襲っていた。

 そう。死という枷を突きつけ、人生初のプレイヤー狩りをしていたのだ。

 最前線プレイヤーならばレベル的には問題はない。必要なのは『精神力』である。

 ゲームオーバーが脳を焼かれることと直結した今、それを実際に行動に移そうと決意した人間は、この世界にはいない。なら本当に「殺してもいいし、死んでくれて構わない」と思っている俺は、この世界では1番突き抜けているのではないだろうか。

 そう考えるだけで、甘美な優越感に浸れた。

 初の発想、初の試み、初の達成。俺は一躍有名人になるだろう。現実世界で刃物を見る度に人を殺したくてウズウズしていた俺は、とうとう法の裁きを受けない『仮想現実』という空間で、それらを存分に成し遂げることができるのだ。

 やっと満たされる。報われる。衝動のままに人を攻撃し、完膚無きまでに破壊し尽くせる。(くすぶ)っていた欲望をぶちまけることができるのだ。

 俺がこの世界を1番理解し、堪能している。

 

「ひ、イヒヒ……そうだ、俺こそが……相応しい。人じゃなきゃ足りなかったンだ。この男を殺して、初の殺人者に……俺ならやれる!!」

「お、おい!? 待ってくれよっ……アイテムなら渡す! 頼むから殺さないでくれぇッ!」

「うるっせぇよ……!!」

 

 だが、いざ鋭利なナイフを沈ませようとした寸前で、俺は運命を変える人物と出会った。

 この世界のために生まれてきたかのような天才。のちに愚民共が恐怖し、震え、最も警戒すべき人物として降臨したプレイヤー。

 

「Hey you、勿体ないな。命は大事にすべきだ」

「なんだ……誰だ、てめぇは」

「雑な遊び方が目に余る。お前がこの世界に相応しいだと? お門違いだな」

「はァ?」

 

 振り向くと、岩の上に腰掛けていた『ソイツ』はことの一部始終を目撃していたにも関わらず、眉一つ動かさずに俺に話しかけてきた。

 しかし言っていることは理解できない。

 感じたのは、この情けない声を上げるプレイヤーを(かば)うためにわざわざ俺に声をかけたのではなく、深い楽しみ方を知っているかのような、狂気のイントネーションがあったことだけだ。

 

「ひっ、ひぃいいッ」

 

 俺が追撃をやめると男は走り去っていった。しかし、これであの男を逃がした原因は、このツヤ消しポンチョを纏った男のせいということになったわけだ。

 

「オイオイ、記念すべき獲物第1号を逃がしちまったじゃねぇか。この落としは前どォしてくれンだよ」

「些末なことだろう。慌てなくても奴らは逃げられない。そして1つだけ言えるのは、お前が幼稚な遊び方をしているってことだけだ」

「ンだとぉ?」

 

 人を見下した物言いに俺は手元のナイフを逆手に構える。が、男はまるで友達か何かに話しかけるような落ち着いた仕草と言葉で、次の言葉を切り出した。

 

「That fool。だがまぁ、粋の良さでお前をマークしていたが、俺のカンは結果的にアタリだったわけだ。俺の名はPoH。ちょうどいい、ついてきな」

「(……こいつ、いったいどこまで本気なンだ?)」

 

 フザケた名前を名乗った男は、ごく当たり前のように腰を上げ、迷いなく一点を目指した。

 不用意に背を向けた時点で後ろから奇襲してやってもよかったのだが、しかし例えようのない期待感……首筋にゾクゾクと走る興奮が募り、自然と足を動かしていた。

 そして10分ほどの戦闘スタイルや殺人までの動機の話をしつつ移動し、5層主街区の出入り口付近で停止。草むらの陰に2人して潜むと、そのまま5分が経過した。

 

「おい、てめぇいい加減に……」

「Keep still。お客さんだ、あそこを見な」

 

 俺が我慢できずに文句を付けようとした直前、男は首を振って位置を知らせた。

 その先は主街区の入り口付近だった。そこには、コソコソと怪しい動きをする2人のプレイヤーが見える。NPCから借りることができる《人力車》を利用し、プレイヤーを1人乗せて隅の方へ隠れている。

 不可解なのは他にもある。彼らは無防備に寝ている男の右腕を掴み、何やら小刻みに振り回していたのだ。

 

「んん? 何やってンだあいつら」

「お前もウィンドウを開けばわかる。左下のオプションには何がある?」

「……なるほど、可視化か。見えさえすればやりたい放題……せっかくのレアアイテムも総ざらいってか? ヒヒッ、ウケるぜ。冴えねぇツラしてる割に、エゲつねぇこと考えつくじゃねェか」

 

 野外で寝ている男の指を勝手に使って泥棒するという、その発想はいい。

 確かに不可視のままアイテムストレージを操作して順にタップするより、『可視状態』にして同じことをすれば複雑な操作も可能になる。そしてウィンドウの可視化までの手順は、メニューを呼び起こしてから1タップのみ。そこに気付いたあの2人組は中々の器だと言えよう。

 しかもコソ泥2人組は、項目を1つずつ律儀に網羅するのではない。奴らは《コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイズ》、つまり《全アイテムオブジェクト化》ボタンで、一気にアイテムを物体化したのだ。

 それらを《人力車》の上で作業し、寝ている奴を地面に降ろせばアイテムをいちいち自分のストレージに格納する時間を省いてトンズラできる。

 これは相当デキる。彼らはかなりの切れ者野郎達だ。

 

「一応《隠蔽》スキル使っときな」

「あ、ああ……」

 

 例の男が命令口調で俺に話しかける。なぜ俺の取得スキルを把握しているのか。先を見越したセリフもいちいち不気味である。しかし、そもそも隠蔽は必要なのだろうか。ここまで彼らとの距離はある。

 疑問をよそに、俺はとりあえず指示に従っておいた。

 すると直後に信じられないことが起きた。

 

「げっ!? あいつら見つかってやがる!」

 

 主街区から 6人のプレイヤーが現れ、不審な動きをする2人をとっ捕まえていたのだ。

 当然、俺たちには気付いていない。その6人は捕まえた2人のプレイヤーに方法やら動機やらを問いただしているように見える。

 しかもあろうことか、6人の内1人の女が俺達の視線に気づいたのか、周りを警戒し出したのだ。確か、名はヒスイ。普段はソロで活動していたはずだが、この日は小ギルドと組んでいたらしい。

 それにしても、数分も前から俺達が《ハイディング》スキルで隠れていなければ、存在を気取られていた可能性もあった。

 

「スゲーな、預言者かよアンタ。にしても、あっさり捕まっちまうとは運がねぇ。あの2人はキレ者だったが……」

「本当にそうかな」

「……は? 何が言いたい」

「奴らは行ったか。じゃあ答え合わせといこう、あいつら2人の不完全な部分のな」

 

 俺の文脈から回答しているのではなく、明らかにシカトして勝手に話を進めている。

 

「意味わかんねぇよ、なンだよ答えって。連中のミスだと?」

「That's right。それが何か、お前にわかるか」

 

 この男は答えを知っているのか。

 そもそもこのデキすぎた状況はいったい……、

 

「(信じ難いが、まぁいいだろう。試されてるなら……)……そうだな、強いて言うなら時間帯か。これじゃ遅すぎるし、手際も悪い。そして場所だろうな。あそこはマズいだろう? 門出てすぐじゃ人目に付きすぎる。……んん? ってことはあの2人は素人ってことに……じゃあ何か、お前が教えたのか。これを俺に見せるために……!?」

「オゥケー、そこまで気付けりゃ合格だ。今度は応用を考えてみろ。もしかしたら、お前みたいにオレンジカーソルにならなくても、人を殺せるかもしれねぇぜ?」

「…………」

 

 やはりそうだった。犯罪の手口を場所や時間帯まで――成功率の低い情報を流し込まれ、あの2人組は利用されたのだろう――指示して、あの男達を『カモ』にしたのはこのポンチョ姿の男だったのだ。俺に見せつけるためだけに。

 だが、これでも俺も納得はできなかった。

 

「は、ハハッ……ンだよ自慢かよ。だからって……」

「いいから、気づいたのかどうかだ」

「……わからねぇ。つーか、殺しをするならオレンジになるしかねぇだろ? そのためのアンチクリミナルコードだ」

「今の光景を見ていたろう? ウィンドウの他人への可視化は情報交換を行う場合は頻繁に使用するコマンドだ。当然手軽に行うことができる。今回の実験で、その手順が素人にも可能だという証明になっている」

「ウィンドウの可視化……あんた、盗みがしたいのか?」

「Use your head。もっとあつらえ向きなのがあるだろう。……決闘さ。ターゲットの名が判明していなくても、『相手から自分に向けてデュエルを申し込む』のはできるからな。あとはどうだ?」

「……ッ!! ……そう、か。《完全決着モード》! これを相手から自分に挑ませられれば……確かに、カーソル変化なしに殺害できる。マジかよ……」

 

 ――すげぇ。すげぇよこいつ。

 俺は初めて体が震えた。

 知り尽くしている。この世界における全てのロジックやギミックを知り尽くし、それでいて『合法殺し』を満喫する気満々だ。手当たり次第に斬りかかって、単調な威しで満足していた俺とは大違いである。俺の行動を雑な遊び揶揄(やゆ)したのにも頷ける。

 

「お前……いや、PoH。あんたはこの方法をすぐにバラして狩りをする気だな……?」

「答えはNoだ。言っただろう? この世界をゆっくり楽しむとな。そして『直接殺し』は最後のお楽しみだ。相応のステージを整えてからにする。そうだな、俺達(・・)が殺人ギルド結成をする時、その記念パーティとして解禁しようじゃねぇか。この方法はその日を境に広めるとしよう」

 

 ここまでを聞いた俺は、すでに一種の感動を覚えて目の前の男に惚れ込んでいた。

 こいつといればきっと楽しい生活が望める。ユニークで、ユーモラスにあふれる男。ハッピーな気分にさせてくれる存在。それこそ、全てを投げ出してもいいと思わせるほどに。

 

「1つ聞かせてくれ。何で俺なんだ?」

「クックッ。趣味っていうのは共有したいものだろう」

 

 自然と笑みが零れた。

 ドクン、ドクン、と心臓がうるさい。これは一種の恋なのかもしれない。(あらが)いようのない期待の増幅が、俺の頭を快楽で埋める。

 

「ヘッドと呼ばせてくれ。……ヒヒヒッ、俺ぁラッキーだ。今日という日に感謝しかないッ!! 中途半端に殺るのはもうやめだ! 俺はヘッドとこの世界を楽しむぜ!」

「まぁ初めのうちは俺の指示に従いな、きっと充実した狩りができると思うぜ。さあイッツ、ショウタイムだ!」

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 俺はあの日から、こういった『イベント』がある度に笑いが絶えない。今ではこれだけが俺の生き甲斐だ。

 

「ある意味お前はラッキーだよ! 覚えてるぜェ! 俺とヘッドが組んだ日(・・・・)からなァ! さァどうした、踊れよ! 抵抗してみせろ女ぁ!!」

「くっ……言われなくても! こんな奴ら、3分もあれば片付けられる。……待っててね、カインズ君!」

「早くッ、してくれっ! 死んじゃうよぉ!! ……誰かぁ!!」

 

 物理的な恐怖が、モンスターと化して女に襲いかかる。だが女は目尻に涙を浮かばせつつも、決して剣撃を止めようとはしなかった。

 

「おっと! ハハッ、MoBが俺らも狙うからやり合えてんじゃねぇかッ! どうしますヘッドぉ!?」

「どうもこうもアレやれよ」

「了解っす……よォ!!」

 

 バギィインッ! と、耳をつんざくような高周波音が破裂する。

 俺が右手のダガーで女の持つ片手直剣を弾いた音だ。

 

「なっ!? 何するのっ! グリーンでいたいのならジャマしないで!!」

「ヒヒッ、よォく考えてみろ。俺は『武器』を攻撃したんだぜェ!? これだけじゃカーソルは変更しねぇんだよッ!!」

「……ッ……!?」

 

 女もようやく気付き、改めて驚愕(きょうがく)していた。

 このクエスト、受注条件に『参加プレイヤー2人以上』とあるのはいわば救済措置だ。

 誰かがステージから滑落しても、残りのプレイヤーがクリアすれば助かる可能性がある。即死設定ではない槍とは言え、落ちたら高さ的にも脱出手段はない。されど複数参加の条件があるからこそ、『落ちたプレイヤーが死ぬまで何分もそのまま』という事態にはならず、生存確率が残り続けるということだ。

 しかし時間との勝負である。

 そんな中でヘッドは、『グリーンアイコン』のまま殺しができると思いついた。そして手順がこれだ。

 メインアームへの攻撃。これだけに集中していれば、相当な時間を稼げる(・・・)。そして時間さえ稼げば俺達の勝利。

 女が一か八かで俺達2人に牙を剥いても、女1人がオレンジカーソルになった瞬間に反撃許可のボーナスがつく。オレンジプレイヤーを攻撃してもオレンジにはならないからだ。

 俺達は縛り遊びで手を出さないだけ。少なくとも『そう見える』女にとっては、このシステムが生きている限り、否が応でも俺達に攻撃などできない。それは『自殺』と変わらない行為だからだ。

 

「(ああ……でも、殺してぇよ。武器を取り上げ、レッドゾーンまで落として……泣いて命乞いする首をナイフで裂きてぇ)」

 

 俺は殺人衝動を抑えるのに必死だった。

 もっとも、今日の俺達は《反射剣》を絶対に殺さない。この女にはすでに先約があるからである。

 なんて仲間思いなのだろうか。こんな旨そうな獲物を譲ってやるなんて。

 しかしそうとも知らない女は、慌てて下の人間を助けようとしている。時間をかけすぎると死んでしまう。それを理解している以上、達成が絶望的だと悲観していても剣を振るしかない。

 無様だ。実に無様で滑稽(こっけい)だ。

 

「ほォらよッ! とっととクエ終わらせねぇと下の奴が死んじまうぜ!? イヤなら俺を斬るかァ? あァッ? ヒャッハハハハッ」

「やめなさいよ! ジャマしないでって言ってるのに!!」

「ククク、なんだよその目。ガッカリさせるなって。泣かれてもなんの足しにもなってねぇぜ?」

 

 絶対的な力を前に、決定的な無力を前に、女の動きは自然と鈍くなる。達成し得ない目的を、そのための惜しみない努力を、とうとうやめてしまう。途絶えさせてしまう。

 あと10秒もない。

 ――さあ、消滅の時間だ!

 

「イヤっだあぁぁあああァアああああアあッ!!」

 

 バリィン! と、声とほぼ同時に聞こえた破砕音。ステージの端、槍が連なる跡にはカインズの愛用する武器だけが乾いた音を立てる。

 その断末魔(ストローク)に、全身が震えた。

 この日この時を境に、あの男は見た目の現象だけではなくサーバーにおけるデータバンクからも、そして現実世界においても『死んだ』のだ。

 

「いいね、いいねェええっ! こればっかりは毎度味が違う!!」

「壮観だな。これだからやめられねぇ」

「……い……ンズ君……そんな……」

 

 イベントも終了したということで、俺とヘッドはすぐにでもレベル差による一方的な力技でモンスターを全滅させた。女がいくら頑張ってもできなかったことを、皮肉なほど速攻で成し遂げたのだ。

 静まり返ったフィールドに響くのは、女の(すす)り泣く声のみ。今にも消え入りそうな、小さな(さえず)りだけだった。

 

「い……てぃよ。最っ低よあなた達! ……なにも! 殺すことはなかったじゃないッ! ウサ晴らしのつもり!? なんでこんなひどいことができるのっ!!」

「Shut up。いいか女、あの男は確かに死んだ。が、殺されたんじゃない。『トラップにかかった』だけさ。現に俺らはグリーンのままで、お前の言う殺しとやらも今となっては証拠がない」

「詭弁よ! あなた達が彼を殺したんだわっ! 人でなし!!」

「ククク、あんま騒がれると余韻に浸れねぇだろうが」

「クッハハハァッ!! 嫌なら俺らを斬ってみろよ、反射剣サマよォ! ほらどーしたァ!?」

 

 斬れるはずがない。俺達は殺しこそするが殺し合いはしないのだ。

 実力差ははっきりとしている。つまり女は、現段階ではどうひっくり返っても俺達には勝てないということである。

 女は泣きながら膝を突いて罵るように声を荒げるが、そんなことで心動かされる俺達でもない。

 

「ジョニー。興が冷める前にとっとと移動するぞ」

「あっ、待ってくださいよォヘッド!」

 

 こうして俺達はゲームの世界で殺しを楽しむ。俺達の後ろで何人の人間が泣こうが、それは決して止まるものではない。

 そしてまたあの言葉を聞く。また軽やかに口ずさむ。

 俺を幸せにする言葉を。イッツ、ショウタイムと。

 

 



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リコレクションロード1 フレンドエール(前編)

クォーターポイント戦の日と同じ日です。



 西暦2023年5月22日、浮遊城第20層(最前線25層)。

 

「(はふぅ、もうやだ……)」

 

 5月に突入して早3週間。15層の迷宮区でジェイドと再会の約束をしてから1ヶ月半がたっている。

 しかし彼には強気に豪語したが、僕としてはもう攻略すら止めたくなってきていた。

 僕は小さい頃から、それこそ幼稚園に通っていた頃から今に至るまでずっと、虫や昆虫に対して強烈な嫌悪感を(いだ)き続けてきたのだ。クラスメイトにも散々からかわれたけど、いつまでも克服できなかった。

 だのにまさか、ゲームの世界でまでそれを強要されるとは思ってもみなかった。

 ソードアートの世界では戦闘センス云々の前に、前提としてモンスターに対する闘争心を削られるわけにはいかないのだ。寸前の躊躇(ちゅうちょ)こそ死への直通路であり、致命的なミスを誘発するものである。

 

「あの〜、ルガ大丈夫?」

「へっ? あ、ああ大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけ」

 

 突然話しかけられて驚いたけど、ロムライルは仲間の不調に本当によく気がつく。

 けれど集中力不足は反省である。ソロプレイなら自分が死ぬだけだ。しかし、ギルドに所属しているなら勝手が違う。

 現に僕が足を引っ張っているせいでペースは落ちている。

 なるべく避けてくれているとは言え、ギルドメンバーである彼ら2人にだって欲しいアイテムをドロップさせるモンスターや、効率の良い経験値をくれるモンスターとの戦闘は進んで行いたいはずだ。それを僕は妨害してしまっている。早く虫系MoBに慣れてみんなの負担を軽減させなければならない。

 それにしても……、

 

「(ゲームの制作者達、この層だけ頑張り過ぎでしょう!)」

 

 と、クレームをつけたくもなる。

 異常なモンスターの種類を誇るこの20層フィールド、《ひだまりの森》には誇張ではなく、多種多様な虫がわんさか湧いてくるからである。

 ちなみに僕の苦手な奴らだけでも挙げると、体の各所が銅製でできているバッタのようなモンスター、《カッパー・グラスホッパー》。ネチャネチャした酸を吐く、カタツムリのような全長1メートルもあるモンスター、《ポッタシウム・スネイル》。攻撃反応圏(アグロレンジ)がやたら広くコオロギのような形をしている、膝下ぐらいの全長を誇るモンスター、《ヘイトレッド・クリケット》。HPの消耗がかなり早い強力な毒を持ち、蜂のような姿で空中を飛び回るモンスター、《エストック・ビースパイク》。流体フォルムで接近戦では相当手強く、かつ強力な羽ばたきが時にプレイヤーに対して行動遅延(ディレイ)すら巻き起こすカマキリのような上級モンスター、《ゲイル・マンティス》。体力は多いが特殊能力がなく、「これ大きいだけのゴキブリじゃない? 嫌がらせかな?」と寒気の走るモンスター、《ビッグマーチ・コックローチ》。キリがなかった。

 思い出していると鳥肌を通り越して鮫肌が立ってくる。

 

「ルガぁ! そっち行ったよぉ!」

「へっ? ふぇえあぁああああッ!?」

 

 昆虫特有のブツブツした多眼を目の前にすっかり竦み上がってしまった僕は、それでもぎりぎりのところで両手用棍棒(ツーハンド・スタッフ)を滅茶苦茶に振り回す。

 すると偶然にも攻撃のいくつかがクリティカルで命中し、グシャアアッ、というとても不快な感覚を僕にプレゼントしてから、モンスターは『割れる』ことによって消滅した。

 ちなみに先ほど眼前にまで迫ったとんでもなく気持ち悪いモンスターは、棲息地域が設定されていないトンボのようなモンスター、《トラヴェル・ドラゴンフライ》である。

 『滞空時間が長い』と言われる虫系の中でも、さらに《エストック・ビースパイク》同様飛行系MoBとして名高い、つまり出現率が高く広い範囲に知れ渡っているモンスターだ。

 

「今ので全滅だね、お疲れ~。でも、やっぱりルガはタイミングおかしかったから、もっかいオレと特訓かもね」

「ええ~ロム意地悪しないでよっ!」

「あはは。ほら、さっきは大丈夫って」

「い、言ったけどさぁ。……ハァ、僕もうやだよこんなところ。1層下に戻って、《霊剣》使ってくるモンスター達と戦おうよー。あっちも怖いけどここよりはまだマシだよ!」

 

 ゴーストやアンデッド、もしくはリビングデッド系は精神的には怖い。けれど生理的には耐えられる。よって、僕はここより19層の迷宮区で武器を振り回している方が、いくらか安定した戦いが見込めると思っていた。

 しかし我らがギルド《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》のリーダー、ガタイのいいロムライル隊長は、見た目に反して高い音声で僕の意見に異を唱えてきた。

 

「あの~、《霊剣》はすり抜けてくるから盾持ちのオレにはキツいものがあるんだよね。あの技って対タンク用だし。それにペース落ちてるを通り越して、ほとんど成長止まっちゃってるから、この層でもう少し頑張らないと」

「賛成ぃ。今頃はぁ、攻略組も25層のボス倒しちゃってると思うよぉ?」

 

 確かにロムやジェミルのおっしゃる通り。ここ最近19層と20層で幾度となく精神的な妨害を受けてかなりの遅れを出してしまった僕らは、こんなところでしょげていないでもっと頑張らなくてはいけないはずだ。

 それに攻略組に所属する大規模ギルドが編み出したボスフロア必勝攻略法、『2レイド攻め』が確立してからというものの、僕らと最前線との距離は縮まるどころか開く一方だった。

 大規模で強引な超スピードPoTローテーションが成立してしまう以上、きっと今日の戦いもあっという間に片付くだろう。

 

「もぉロムももっと強く言わないとぉ。それにルガは臆病だなぁ。こんなのゲームじゃん。本当にはいやしないんだからぁ、気にせず斬りまくればいいのにぃ」

「ええ~っ、触れたら感覚ある時点で現実と変わらないよ!」

「ジェミルはホント戦闘になると心強い……シッ!」

 

 冗談混じりの雑談を繰り広げていると、突然ロムライルが姿勢を低くして、人差しを口元に当てるジェスチャー付きで僕らを黙らせる。

 そして彼は利き手ではない左手の方の人差し指も突き出すと、それをある一点に向けて傾けた。

 僕とジェミルは(いぶか)しみながらも、彼の視線がフィールドの木に集中していることに気づいた。

 目を凝らす。すると、そこには眩いばかりの『金』がいた。

 正確に表現すると全身を純金で覆う、それこそ体積全てが金塊とほぼ同価値とまで言われる、全長30センチほどの幻のレア度A級モンスター、《ゴールデン・ゴールドバグ》。プレイヤーにはあだ名で『幸せを呼ぶ黄金虫(こがねむし)』と囁かれ、遭遇するかあるいは狩猟に成功した場合、大量のコル以外にも《幸運判定ボーナス》の支援(バフ)効果が与えられているのでは、とまで信じ込まれている非攻撃(ノンアクティブ)モンスターである。

 

「いや、僕はイヤだから……」

『却下っ!』

 

 僕の意見は賛成多数で強制送還されてしまった。

 

「よーし、満場一致だな。でもオレは重量級で、しかも遠距離武器が無い。武器(ランス)のレンジはロングだけど、跳び道具のそれには勝てないしな~」

「ボクはぁ、ダガーもブーメランも投げるの得意だから任せてぇ。あ、でもボクのスキルだけじゃゲージ飛ばしきれないかもぉ。あいつHPだけはそこそこあるって聞いたしねぇ。大幅に削ったあとはぁ、逃げ道の誘導ぐらいしかできないかなぁ」

 

 ジェミルは本当に狩りになると元気だ。それにしてもこの雰囲気はマズい。僕にとってかなりマズい。

 

「じゃあトドメはルガに任せてもいいかな? 確か《投剣》スキルもジェミルとそん色ないぐらい上がってきてるよね?」

「う~んどうだろう、そもそも満場一致って部分おかしいからね。まあ、僕的にはここは無理せず……」

『却下っ!!』

 

 僕の主張は問答無用で強行突破されてしまった。

 だが口では嫌だと言いつつ何やかんやで戦闘配置に着いている僕にはやはり主張が足りないのだろう。流されやすいと言うか、影響されやすいと言うか、他人の色に染まりやすいと言うか。

 

「(うぅ……僕、絶対この世界に向いてないよ……)」

 

 泣きそうになりながらも僕は何とか涙腺決壊に耐えて、今度こそしっかりと対象を見つめた。

 そしてロムが盾で日の光を反射させると、僕の目の端でチカッチカッと合図が送られてきた。

 次の瞬間……、

 

「(ジェミルが攻め込んだ! いけるっ!?)」

 

 緊張の静寂を振り切って、銀のダガーが視界に映るもう1つの輝きに吸い込まれていくのが見えたのだ。

 それが《ゴールデン・ゴールドバグ》の左羽に命中する。体の芯に直撃しなかった時点でアレをジェミルが『左手』、つまり利き手で投げていないことが推測できる。それほどまでに彼の投剣技術は、正確さ(アキュラシー)補正を通り越して抜群に巧いのだ。

 攻撃によるダメージ総量はさしおいて、命中精度だけを競うなら今なお前線で攻略組を名乗るプレイヤー集団にも、彼のそれは決して引けを取らないだろう。

 そして追撃の一手が迫る。

 彼は草陰(くさかげ)から身を乗り出すと、《軽業(アクロバット)》専用ソードスキル、空中側転跳躍移動《スカイサイド》で一気に距離を詰めた。

 続いて角度を調整しながら右手に持つ《クラッシュ・ブーメラン》を淡黄色に輝かせ《投剣》専用ソードスキル、中級軌道変化用投擲技《カーブシュート》を発動。ゴールドバグが逃げ出す方向を視認した直後に、足が地面から離れている不安定な状態であるにも関わらず、迷わず進行方向に向けて右手の溜めを解放していた。

 今度は流石に利き手である。

 見事空中の敵にヒットさせると、連続攻撃によって8割以上を削った。

 しかし《レッドゾーン》のゴールドバグは止まっていた木を正面に見て右側へ飛び立っていた。この方向に沿ったままだと攻撃命中ポイントがあると確認したのか、少しずつ軌道を左へずらしている。

 しかもそれだけでは終わらない。

 《カーブシュート》は野球でいうカーブ。おまけに投げた武器は《ブーメラン》だ。

 よって、アシスト揚力を得た《クラッシュ・ブーメラン》は、『曲がり』をさらに鋭い角度に変えたのだ。

 これによりゴールドバグは無理な空中機動を行ってしまい、気付いた時には僕の正面の位置にまでヒョロヒョロとおびき寄せられていた。一連の動作はどんなゲーマーが見ても、もはや『神業』と評価する以外ないものだった。

 ジェミルのトスにより、ボールは最高の位置でラストアタッカーである僕の前に来ている。あとは僕が格好良くシュートを決めるだけだ。

 

「いっけぇえええッ!!」

 

 《投剣》専用ソードスキル、初級基本投擲技《シングルシュート》。右手の投擲用ダガーを赤く染めると、僕は体全体を使って右腕を思いっきり振りかぶった。

 そして虚空へ放たれた弾丸は『空飛ぶ金塊』に迫っていき、その真横を通過することで本当に空の彼方へ飛んでいってしまった。

 

「へっ!?」

 

 ――外したぁああッ!?

 

「うっそぉ!? やだやだお金~! 待ってよー!!」

 

 幸運を呼ぶ黄金虫は当然逃げる。凄まじい勢いで逃げていく。

 そして……、

 

「おらよッ!!」

 

 ズッバァアアアアッ! と真っ二つにされてから、光の粒となって跡形もなく砕け散っていった。

 ゴールドバグにラストアタックを決めたその張本人、暗い色彩の装備で全身を覆う目つきの悪い僕の親友(・・・・)は、パズルか何かを組み合わせるように骨素材を重ねた無骨な大剣を、さらに片手で軽々と掲げて一言。

 

「あんたらはツメが甘ぇんだよ!」

「…………」

 

 開いた口が閉じなかった。

 おそらく《両手剣》専用ソードスキル、空中回転斬り《レヴォルド・パクト》を決めたのだろう。そして彼を見た僕の心を埋め尽くしたものを、恥ずかしながらも素直に表すと「うわぁ、格好良いな~」というものだった。

 

「あ、ヤベ……剣重すぎたわ。ちょいタイム……」

 

 折れそうなほど細い右腕は、自然の摂理であるかのように剣の重みに耐えきれず、ふにゃんと曲がって彼は決めポーズを3秒と持たせることなく剣を地面に下ろした。

 ――前言撤回。あんまり格好良くないな、この人。

 

「っていうかジェイドッ!? どうしてここにっ? 最前線は5層も上でしょ?」

「え? あ、ああ……まぁちょっとな。ん、なんつーんだろ。なんかルガの顔見たくなってな。は、ハハハ……」

 

 この嘘をつく下手さ加減はここいらで少し何とかしておかなければ、アイテムなどの物々交換やその他の交渉の時に大損をこく可能性が高い。事態は深刻だ。

 しかし、そんなことよりもまずは彼がここにいる理由である。

 

「ジェイドじゃないか。あの〜……久しぶりだね、でも、どうしてここに? ゴールドバグについてはすでに逃がしていたからいいんだけど、まさかホントに会いに来ただけじゃないよね?」

 

 ロムが指摘すると、ジェイドは「こいつ鋭いな……」的な顔をしているけれど、残念ながらここにいる全員がすでに気付いていることだった。

 ジェイドのアクションにはどう反応すればいいかわからない。

 

「まあ、な。ちょっとゴールデンレディバグ見たの初めてだから……」

「『ゴールデン・ゴールドバグ』だけどね」

「……見たの初めてだからテンション上がっちまったけど、実は違うこと言いに来たんだよ……」

『…………』

 

 微妙な沈黙だった。ただ、気づいていないふりという気遣いは皆にあったようだ。

 

「言いたいことは山ほどあるんだ。けど……その、いきなり言っても納得しないだろうしな。……そうだ! とりあえずルガ、俺とデュエルしてくんないかな?」

「え? 僕がジェイドと決闘?」

「少し確かめたいことがあるんだ……」

 

 そう言って彼は有無を言わさず決闘コマンドを押し、対戦対象者設定欄に『ルガトリオ』を英文字で打つ。ただし、慣れていないのかすご~くゆっくりと。

 そしてすぐに僕の目の前にも《デュエル・ウィンドウ》が現れて、対戦を受けるかどうかを聞いてきた。

 僕はリーダーであるロムライルの方を見るが、彼は首を少し竦めるだけで受けろとも受けるなとも言ってこなかった。なので僕は疑問に思いながらも、とりあえず了承の旨を伝えて、『OK』ボタンを押す前に体力回復用ポーションでHPを全快状態にしておく。

 

「悪いな時間とらせて。遅れ気味だってのは最近メールで知ってたけど、どうしてもな。……ん、そだ。ホレ、これさっきの黄金虫で手に入れたコルだ。全額やるから勘弁な」

「え? ああ、ありがとぉ……」

 

 袋詰めにされた大金をジェミルが空中で受け取っている。ついでにその重さに驚愕しているようだった。

 

「あ、あとルガも安心しろよ。武装はほら、《ブリリアント・ベイダナ》に変えてある。なついだろう、これ。ここら辺の層で換え時になった昔の剣だ。さっきの《ファントム・バスター》は使わねぇ。それに俺は今回のデュエル、一振りしかしないと断言しておく」

「え……?」

 

 《初撃決着モード》においては確かに最初の一振りを命中させることで勝利条件を満たすことはできる。だが互いに外した場合は相手のHP半減が勝利条件だ。これでは僕に対する明らかな過剰ハンデであり、実力を見くびっている証拠でもある。

 

「全然納得いかないけど、それでも僕に勝てるってこと? そもそも、僕らがここでデュエルする意味ってあるの?」

「勝っても負けても全部話すよ。今は俺に勝つことだけに集中してくれ」

 

 もうここまでくると、彼の突発的な行動は理解しがたい。

 ただし、僕も負けず嫌いなゲーマー。一騎打ちをする以上は例え相手が誰だろうと、そこがどんな状況だろうと、勝ちにいくのは当然の選択だ。ハンデはいただくが手加減しない。

 

「じゃあお言葉に甘えて全力でいくよ。なんだかよくわからないけど、ロムとジェミルはもう少し下がっといて。危ないから」

「マジメな話、確かめたいことがある。だから手を抜くなよ……」

「へへんっ。元よりそんなつもりはないよ!」

 

 状況に流される。これは先ほど僕が注意しなくてはと思ったことだ。

 それでも僕は久しぶりに、それこそ実に1ヶ月以上振りに生の姿を見て、声を聞いて、彼とこうして相間見(あいまみ)えている現状が楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 ジェイドはレディバグの遭遇でテンションが上がったのかもしれないけれど、僕はジェイドの姿を見てテンションが上がっている。今は自分の実力を試せるこの状況を少しでも楽しんでおかないと損というやつだ。

 

「じゃ、行くよジェイド」

「おう、殺す気で来い!」

 

 カウントは休むことなく刻まれていった。

 そして僕と彼との初めてのデュエルが始まる。

 

 

 



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リコレクションロード2 フレンドエール(後編)

 西暦2023年5月22日、浮遊城第20層(最前線25層)。

 

 僕とジェイドの久し振りの再会は、説明無しの一方的な突発決闘(デュエル)で幕を開けることになった。

 

「定期試験みたいなものなの? それとも、抜き打ちテストって言った方が近いかな?」

「まあ、そんなとこだ……」

 

 ジェイドに詳しく答える気はないようで、登場時のオフザケな雰囲気はもうどこにも無かった。

 あるのは、彼にしては異様な緊迫感。

 何かに恐怖しているようにも見えるし、また僕らを遠ざけようとしているようにも見える。

 しかも今回のデュエル、彼は「一振りしかしない」と宣言した。いくら僕が準攻略組レベルか、それ以下の実力しかないのだとしても相当なハンデでもある。――これは流石にナメすぎだ。

 

「(でも、今は勝つことに集中……)」

 

 理由の詮索は後回しだ。

 もうすぐカウントがゼロへ……、

 

「行くよっ!」

 

 僕は一気に間合いを詰める。そしてボクシングで例えるなら軽い『ジャブ』をする感覚で、右側から棍棒(スタッフ)を振った。

 ただこれは先述の通り『一振り限定』縛りをしていないからこその牽制であり、この一撃に決定打としての速度も重さも存在しない。一撃で決めようともしていない。

 間合いを強制的に限定させる、挨拶代わりの攻撃だ。

 

「どうした、トバさねぇのか!」

「わかってるよっ!!」

 

 金属バットのような武器は初速こそ両手で与えられていたが、途中からはほとんど片手で振り回している。

 そこで僕は、半周軌道を描いた得物の『柄』の部分を左手で受け止めた。

 踏み込みの足を入れ換えながら、ベクトルは逆方向へ。柄の部分が長ければ、『てこの原理』と同じですんなりと攻撃方向を変える。

 その先はジェイドの足下。今度は先ほどよりさらに速い速度で足払いを敢行する。

 

「やぁああっ!!」

「くッ!?」

 

 連撃からの急加速にすかさずジェイドはバックステップで距離を空けた。

 ここまでの動きすべてが計算通り。あと1手でこの戦いの詰みまで持って行ける。

 

「(……いける!)」

 

 無理な駆動はない。そう判断した僕は、作戦通り再び長柄部分を両手で持つと顔の横で武器の先端を相手に向けたまま、腰を低くしてダッシュ体制を取った。

 そしてジェイドが着地、さらに剣を構え直すと僕の得物が浅葱(あさぎ)色を纏った。

 

「いっけえぇええええッ!!」

「ッ……!?」

 

 《打撃(ブラント)》属性武器専用ソードスキル、中級単発剛突進打撃技《ガンストック・バーニア》。

 スキルアシストとして過剰な加速度を直進方向に与えられるだけの、シンプルといえばシンプルな突撃技だ。

 技の出は若干遅いが、しかしその速度が段違いである。武器を振らない、と言うよりあまりのスピードに振っている暇がないだけに玉砕戦法のようにも見えてしまうが、激突した時のダメージ判定は一方的に相手が背負う。そういった類のスキルなのだ。

 いくら何でも、これを直撃で受けたらジェイドとてひとたまりもないはず。

 

「うおォおおおおッ!」

 

 ブォンっ!! と、風を切る音だけが聞こえた。

 彼は真上へ飛んで避けきったのだ。あの距離で、あの速度を、掠りもしないほど完璧に避けきって見せた。股を大きく開いた格好悪いジャンプだったけれど、こればかりは敵ながら称賛せざるを得ない。

 それにしても信じられない。攻略組はいったいどんな反応速度を持っているのか。

 

「くおォおおお!!」

「うっそお!?」

 

 しかも着地地点を後方に選んだのか、最悪技を外してなお推進力を利用して距離を取り、リスクを回避する算段だった僕の真後ろにジェイドはズダンッ、と降ってきて土煙を上げたのだ。

 一瞬、お互いに背を向け合った。

 僕の技後硬直(ポストモーション)的にはギリギリだけど、守りに徹すれば何とか間に合う。それに相手には『一振り限定』の縛りがある。一撃さえ耐え凌げば必然的に僕の勝利だ。

 

「らああぁあァアアああッ!!」

「(間に合えェッ!!)」

 

 しかし、硬直が解けて振り向くと大きな誤算があった。

 それは彼の武器がアッシュグレイに輝いていたこと。そしてこの技名を知っていた僕は、このタイミングで使用されるソードスキルを予見して『ガード』ではなく『回避』の選択をしなければならなかったことだ。

 振り向きモーションにソードスキルの反撃を混ぜながら大剣装備でそれを実行できるとしたら、それは《両手剣》専用ソードスキル、旋回単発上段水平斬り《サイクロン》しか有り得ない。

 それを僕は手と手の間、つまり武器の構造上衝撃に弱い『柄』の部分で受け止めてしまった。

 

「ぐあぁああっ!?」

 

 バガアアァァアッ!! と、爆裂音を響かせ僕の愛刀、《ボスマンズ・ハンマー +7》は半ばから完全にへし折れていた。

 数秒とたたない内にハンマー武器が割れると、データの残照として光だけを手元に残す。

 唖然とするしかなかった。完敗である。

 彼は一昔前の、性能で言ったら僕と大差ない武器を使用していた。だのに「デュラビリティの強化を疎かにしていたから」などという理由でこちらの武器が一撃で破壊されるなど、ゲームバランスが破綻しているのではないだろうか。

 

「うっそ……でしょ……」

「ふう……これは俺の勝ちでいいよな? 筋力値差は誤魔化しようがなかったけど、まあ仕方ねぇわな。デュエル中に武器の入れ替えとか普通ないし、これで……」

「じゃなくてっ! 信じられないよ、どーしてくれるの!? 僕、今強い武器っていったらさっきのボスマンズ・ハンマーしかなかったんだよ? ヤバいよこの先もう戦えないよ!」

「え? ああ、そういやそうだな。悪い……あ、でもボスマンズ・ハンマーつったらもう通用するのってこの辺が限界じゃね? それならほら……ってか、元々これルガにやるつもりだったしな」

 

 ぶつぶつ言いながら彼が取り出したものは、各所が金属で補強されつつも煌びやかな木製武器。

 カテゴリは僕が使っている《両手用棍棒》だったけれど、たった今破壊されたことを考えると、木製武器では少しばかり不安が残る。

 僕はレジクレの中でも、特にダメージディーラーとしての役割を任されている。隙は仲間が作ってくれるので、手数が増えることより一撃ごとの攻撃力の方が僕としては重要だからでもある。

 

「木製武器はな~、とか思ってんだろ? 安心しろって。こいつもそこそこレア武器だ」

「『そこそこ』なの……?」

「……ぜ、ゼータク言うなって。重さも補正しながらやりくりすれば、今後しばらく武器を換えずに戦っていけるはずだ。おまけに要求筋力値が相当低い。ここまで低けりゃSTR重点上げのルガなら、きっと今すぐにでも装備できると思うぜ?」

「う~ん……あ、ホントだ余裕で持てる。でもいいのこれ?」

 

 持ってみると確かに遜色(そんしょく)ない重さだった。

 だがこのままだと、先ほどまでの武器をただ単にバージョンアップさせただけになってしまう。いくら何でもこれを貰うだけというのはジェイドに悪い気がする。もっとも、相棒を壊した張本人は紛れもなくこの人だが。

 

「へぇ~、よかったじゃんルガぁ。いいなぁ1人だけずるいなぁ……」

「ハハハ、まあそう言ってやるなジェミル。あの~、それより何か悪いね、気を使わせちゃって。ハンデもあったのに」

 

 ジェミルやロムもデュエルが終わるとみると続々と集まってくる。もちろんゲーマーとして癖となりつつある、自分より上位の他人の武器の鑑定をしながら。

 

「いいってことよ。あと一応さっきの説明しとくけど、アレはシステム外スキル《アームブラスト》ってやつだ。どうやら『武器破壊』って意味らしい。まあ俺が発案したわけじゃないんだけど、攻略組が編み出した最新のシステム外スキルでな。武器に存在する『もろい部分』への直撃なら、なんと1回か2回程度で破損するらしいんだよ。でもこれが難しいのなんのってなあ。正直言うと、さっきのもぶっつけ本番でよ。いや~成功してよかった。最初はさ~、自信なかったんだけどさ~……」

「あ、いや、ジェイドのシステム外スキルへの愛はいいから。ここに来た理由をそろそろ聞いてもいいかな?」

「…………」

 

 口元だけにまだ笑みの形を残し、他のパーツから感情を取り除くという、中々に器用な表情を数秒間維持してから、彼は今1度まじめなオーラを醸し出して次の言葉に繋げた。

 

「ん……じゃあまあ、単刀直入に言うけどさ。……レジクレの力はだいたいわかった。メンバー全員に言わせてもらうけど、今後は攻略組目指すのをやめてほしい。さっきのデュエルであんたらが向かないことはよく理解できた」

 

 そして彼の喉から発せられた言葉は、しばらくここにいた全員をフリーズさせるに事足りる内容だった。

 

「言い方悪いかも知んないけど、俺はテーネーな言い方とか苦手なんだよ」

「は……え? ……いや、意味がわからないよ。一緒に旅をしようって言ったのに! それに、この武器だって僕らを攻略組にさせたいから渡したんでしょう? 本当に……わけわかんないよ。唐突に現れたと思ったら急にそれ? 今さらやめられないよ!」

「武器は安全を期して渡しただけだ。しばらく換えなくてもやっていけるのは本当だけど、さっき上層でも通じるって言ったのは本心じゃない」

 

 でもだからといって「はいそうですか」にはならない。

 それを証拠に、ロムも彼の意見に異を唱えている。

 

「あの~。でもジェイド、こればっかりはこっちも意見を変えられないよ? オレはともかく、そこにいるジェミルは《はじまりの街》に知り合いを1人残してきてるんだよ。……あの日、『君を助けてあげる。だからここで待っていて』と、こう言って前線に飛び出してきている。そうだよね?」

「えっ? う、うん……」

「まあ、その人物が誰かまではオレらも詮索してないよ。けど、ここで進むのをやめたら、その人への裏切り行為になってしまうんじゃないかな?」

「でもッ! それでも……こっからは危なすぎる。あんたらに死なれるよりはマシだ……」

 

 ジェイドは悲痛な叫びを漏らした。本気で心配しているがゆえに、そんなことを言うのだろう。

 

「ボクの友達のことはおいといてぇ。それでも危険というならぁ、それはジェイドにも言えることだよぉ? だって君だって攻略組でしょぉ?」

「く……それでもだよ! あんただって、攻略しようともしない奴のために体張ってさ、そんなのおかしいだろ? んで、レジクレの誰か1人でも欠けてみろ。俺らバカみてぇじゃねぇか! そうなってからじゃ遅いんだぞ!?」

「あの~、だから、それが君自身にも言えるってことなんだけど。出会い頭にも言ったけど、それは『ビーター』の考え方だよ。《はじまりの街》にいるプレイヤー全員が、この世界で生き抜くことを頑張っているんだし。……いったいどうしたんだ? 武器を渡すだけならともかく、オレらを止めようなんてこと……」

「今日……」

 

 そこでジェイドが口を挟む。

 今度こそ顔に暗過ぎる影を落として。

 

「今日、26層への道が開いた。……最初の2時間は攻略隊の特権だけど、それは26層へ上がる時の話だ。俺が下層へ降りる分には問題ないから降りてきた。すでに《転移門》は稼働してるよ」

「ああ、そう言えばジェイドがここにいる時点で、ボス攻略は終わってるってことだよね。で、どうだった? 20分ぐらいで終わった?」

「1時間で……討伐隊の25人が死んだ……」

「……え……?」

 

 僕達3人は例外なく絶句した。それどころか、しばらく言葉の意味を理解することさえできなかった。

 理解不能なまでに、ジェイドの言っていることが荒唐無稽(こうとうむけい)だった。あまりにも筋が通っていなさすぎて、場違いな雰囲気すら漂ってくる。

 

「え……いや、でも……そんなはずは……」

「それは……いくら何でもあり得ないんじゃないの? ジェイド、オレの記憶が正しければ、前層まではむしろ圧倒的に……」

「そうだよッ! 前までは余裕だったさ! でも変わったんだッ……変わっちまったんだよ。もう今までの戦法は通用しない。これからも、時間かけてペースは戻ると思う。でも、ボス戦で死ぬ可能性が上がったってことは、新米共を討伐に参加させ辛くなったってことでもあるんだ。俺は……そこにこのメンバーを入れたくない」

 

 「入れたくない」というのはおそらく『フロアボス討伐隊』にではなく、きっと《はじまりの街》にある名前だけの墓標、《生命の碑》にあるネームに横線を入れられた状態で名を連ねて欲しくないという意味だろう。

 

「レジクレが攻略組に参加すりゃあ、大規模ギルドからフロアボス討伐への勧誘がくる。そして気のいいあんたらは言うだろう。他のプレイヤーのために全力を尽くします、ってな。でもそれじゃダメなんだよ! 俺は頭悪いけど、悪いなりにも考えたさ。順番通りならあのバランスブレイカーは50層でも間違いなく現れる。75層でもだ! このギルドは50層戦に参加できる。……参加しろと言われたら……するんだろ?」

「……オレらは……きっとするだろうね……」

「だから止めにきた」

 

 ジェイドがここに来たほぼ全ての理由は明かされた。そして主張自体も理解した。

 しかし肝心なところが抜けている。それは彼自身が過去に犯した罪の(あがな)いのために、攻略自体をやめる気がないということだ。自分を犠牲にすることを(いと)わないということだ。

 間違っている。僕が死んだって、レジクレの誰が死んだって、ジェイドを含むこの世界の誰であれ、死ねば悲しむ人がそこにいる。過去に何をしようとも、彼が死んだら僕が悲しむ。

 だとしたら、僕達だけ安全地帯で縮こまっていろという話は筋が通らない。

 彼は守らなくてもいいように僕らを遠ざけ、悲しみを背負わないようにしているのだろう。はるか高みから弱者を睥睨(へいげい)したまま同情され、身内だからと過保護な判官贔屓(ほうがんびいき)を受けるいわれは毛頭ないのだ。

 1番怖いのは、指をくわえて帰りを待つことである。彼が僕らに強要していることそのものだ。

 ――冗談じゃない。

 

「冗談じゃないよ……」

 

 だから僕は拒絶した。こんな交渉は成立しない。こんな要件を提示できるほど、彼は最低条件すら満たしていない。

 

「ジェイドが攻略をやめないなら僕もやめないっ!」

「ンでわからねェんだ! 言うこと聞けって!」

「イヤだ! 君が言うべきはこんなことじゃないはずでしょう!? 僕らの前に格好良く現れたのなら、この世界に捕らわれている人を解放しようとしてるなら! みんなを守る気概ぐらい持とうよ!」

「ルガ……そうは、言っても……」

「こっちでやるから後は見ていろ? そんなの通用するわけないじゃないか! ……僕らにだって守りたい人がいる。もうあの時とは違う、僕だってジェイドを守りたいよっ!!」

「そうだよぉ、ジェイドだけはずるいよぉ。ボクだってねぇ、もーすっごく強くなったんだよぉ?」

「ま、そういうことだよ。それにジェミル、『ボクは』じゃなくて『ボクらは』……だろう? ナメないでほしいな、オレだってレジクレのリーダーなんだからさ!」

「ル……ガ……みんな……」

 

 ここまで言って、そこまで聞いて、時間がたって。初めて彼は、僕らに対して弱者というレッテルを剥がしたようだ。

 

「一方的に支えようなんて考えないで。僕らはこれから死に物狂いで君に追いつく。やれることは全部やるし、君に負担がかからないように強くなる。へへっ、その時はまたデュエルの1つでもしようよ。正々堂々とハンデなしで、ね」

「ルガ……」

 

 僕は右手を差し出す。

 差し伸べるのではない。変わらず対等な立場として。

 レベル差やステータス差なんていうものはこの際知ったことではない。今ここで必要なのは、そんなちんけなものではない。相手に頼られて、相手を頼る。互いが力を合わせて困難に立ち向かう。そういうものだ。

 信頼があれば人はいつだって対等なのだから。

 

「そう……だな、ああそうだ。ヤッベ、ざまーねェな俺も。ちっとばっか敵が強かったからって超ナイーブになってたよ、悪いな」

「えへへ、ジェイドは考えるより先に体が動くタイプだからね~」

「オイオイ、俺が脳筋の考え無しみたいに言うなよ!」

 

 おどけて言われて僕らは皆笑っているが、かなり冗談では済まない部分があったからか、苦笑いがいくらか占めてしまっていた。

 

「ハハハッ……ああ、ところでだな。ナイーブって使い方あってるっけ?」

 

 ――意味知らずに使ってたのかい!

 

「やっぱりジェイドはジェイドだなあ、まったく。……でもおかげで俄然やる気がわいたよ。上で待っててね、すぐ追い付くから……」

「ああ、待ってる。もう止めに来ねーから覚悟しろよ!」

 

 こうして彼は最前線に戻っていく。

 そして僕らは最前線を目指していく。

 再会の時は近い。なぜなら、彼が僕らの前を歩く限り、僕らはこの足を決して止めたりはしないのだから。

 

 

 



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ジャスティスロード1 犯罪の手口(ギミック・オブ・クライム)(前編)

 西暦2023年6月22日、浮遊城第29層。

 

「点呼ぉおッ!」

 

 オレが肺から全力で声を出すと、手榴弾でも投げ込まれたかのようなビビり方をしてから、隊員3名が順に「いちっ!」「に」「さんっ!」と、1人を除いて元気よく返事をした。

 ちなみに返事をした3人は順に、『リュパード』、『ステルベン』、『オーレンツ』。

 リュパード。少々気性が荒いが、短髪黒髪で性格までさっぱりしている好青年である。数人のパーティからハブれてしまい、しばらくソロを続けていたらしい。

 我々のギルドが人手に不足してから久しぶりに求人を行ったところ、速攻で釣り上がった人物でもある。おそらくソロの寂しさにうちひしがれたのだろうが、実力に折り紙つきの攻略組で、劣悪環境も経験済みとあれば貴重な人材だ。

 続いてステルベン。彼は完全に実力主義者といったスタンスである。暗く、露出の少ない装備を好む。口元はマスクで覆われ、目つきは悪い。コミュニケーション能力も極めて低い。もしギルドに人事部なんてものが存在し、しかも書類選考や面接があったならば即切られていたに違いない。

 されど、戦力補強がギルドの目的であることを考えると、やはり他のギルドの息がかかっていない高性能な単体戦力は惜しいらしい。結局は採用。

 最後はオーレンツ。どう見てもファンタジー防具よりスーツの方が似合いそうなおっさんだったが、死人を出して攻略をやめたギルドから抜けてまで前線にいる物好きだ。

 しかもオレの所属するギルドが巨大化して、ますます面倒になってきた書類の処理や各種システム的手続きについて、正規員になれば引き受けてもいいと申し出たのである。雑務上等なんて、ある意味レアなプレイヤーだった。

 

「よ~しお前ら、朝の《圏内》模擬戦はこれにて終了! 10分の休憩を与えるが、それからは実際にフィールドに出てレベリングを行ってもらう。気を引き締めたまま休憩するように!」

 

 それを聞いて腰を下ろしつつも、さらに隊員の顔に影が落ちた。

 がしかし、例え期間限定だとしても、オレがこの誇り高き《聖龍連合》の新規メンバー教育係を任されている以上、気の抜けた号令・指導を晒すわけにはいかなかった。

 最前線が29層へと移り、より一層《聖龍連合》と《血盟騎士団》の重要性――《軍》は25層フロアボス戦で壊滅的な打撃を受けて以来、攻略行為に消極的である――が上がる中、我々のギルドが至上最強の集団だと示さねばならないのだ。

 しかし当然の摂理か、コアゲーマーの集まるこの世界において、単純な社会構造は通用しない。たかだか少し先にギルドに加入しただけの、どこの馬の骨とも知れない男の命令。それに唯々諾々(いいだくだく)と従う彼らではなかった。

 

「あのっさぁ! ミケーレさーん! もう終わったことだけど、そもそもこの模擬戦意味あったん!? 点呼も! 新人だからって、こちとら端っから攻略組だぜ!? いくら何でも見くびりすぎだろ。つうか範囲限定してねぇのにタンクが勝てっかよッ!!」

 

 早速メンバーの1人、リュパードとやらが反抗してきたのだ。自衛隊のバイト研修レベルのトレーニングに嫌気がさしたと見える。

 もっとも、攻略組である自尊心がそうさせるのだろう。危険と隣り合わせの前線で、その腕っぷしと判断力でどんな局面をも切り抜けてきたと自負する、手前の信ずる条理がある。

 なるほど。ヌルく、そして単調な環境への反感は一理あるだろう。

 しかし、いくらここが『即戦力部門』だからといっても、ギルドの細かいルールは覚えて貰わないと困るし、そもそも加盟にあたって『1週間の訓練』は条件欄にしっかり明記してあったはずだ。それまでは付き合ってもらわないと、過去の加入メンバーに示しがつかない。

 ちなみに『ミケーレ』とはオレの名だ。恥ずかしい話だが、ネカマとして女のアバターを選んでこの世界に来たオレは、言うまでもなく最初は女性キャラクター用の名前を使用していた。そしてあの日、全てのプレイヤーの性別が……いや、全てのプレイヤーの『真実』が明かされてしまった時、オレも現在の三十路間際の姿が暴露されたわけである。

 だが救済措置はあった。1層の街外れにある簡単なクエストをこなせば、1度だけネーム変更のチャンスが与えられていたのだ。

 イカレ野郎である茅場晶彦は同時に天才野郎でもあった。おそらくこうなることを予見して、わざわざあの《ネームチェンジ・クエスト》を追加したのだろう。

 そしてクエスト受注上限が1回限りなのは、推測だが『非マナー行為』をしたプレイヤーがその名を晒される度に名前をコロコロ変えさせないため。せっかく犯罪者の所在を掴んでも逃げられてしまうからだ。

 なんにせよ、オレはデスゲーム宣言のあった日はゆっくり新しい名前を考えている暇もなかったが、今では『ミケーレ』という名も気に入っている。

 ふむ、それにしても確かにリュパードの指摘した『戦域が広すぎる』というのは改善点だったか。タンカーは例外なく重い盾を携えることから、戦闘時は機敏に動けないからだ。

 

「ふん、だが言わせてもらう。……最初ぐらい先輩に従えいっ!! オレだってなぁ、長いことここにいて、よ~やく大役を任されたんだぞ!? 少しぐらいやりたいようにさせろ!」

「いや、新人の育成とか、ぶっちゃけ嫌な役押しつけられただけじゃあ……」

「くそ、何で俺が。最悪だ、こんなことなら、来るんじゃなかった」

 

 リュパードは冷静に突っ込み、横にいたステルベンがそのやり取りを見て文句をブツブツと漏らす。

 

「えぇい、うるさいうるさいっ! 将来の役には立つはずだ! だいたい、ステルベンは声が小さいんだよ! 文句を言うならシャンと背筋を伸ばしてはっきりと! さっきも点呼はなんだ!? 君の声だけやたら小さかったではないかっ!」

「うるせえ。だいたい俺は、お前より強い」

 

 反論に次ぐ反論の応酬。ただ、確かに先ほどの模擬戦において、自分を含む4人の総当たり戦の結果はステルベンの1人勝ちという、とても隊長の威厳を示せるものではなかったのも事実だ。

 しかし、言い訳かもしれないが、そこには負けた理由もある。

 

「ぐぬぬ……けど! お前さんの武器は速度に優れる《エストック》で、《細剣》カテゴリの武器だ! 対人戦には向いている! うむ、隊長のオレが負けた理由はそれしかあり得ん。オレのは不向きな両手用戦斧(ハルバード)だしな! ハッハッハァ!!」

『…………』

 

 何とも言えない視線が痛かった。

 

「よ、よおし休憩終わり! お前らフィールドに出る準備をしろ!」

「あぁん!? おいおいまだ5分しか……」

「ええい、やかましいわリュパード! ちょっと顔がいいからって、お前も図に乗っているなぁ!?」

「いや顔関係ねーし……」

「攻略組なら、どーせこのぐらいどうってことないだろ。ほらちゃっちゃと準備する!」

 

 俺が手をパンパン鳴らすと、ようやく3人も重そうに腰を上げて、最前線フィールドへ赴くための支度をした。

 ものの30秒で整うと、オレ達は意気揚々と行進していく。

 

「(う~ん……)」

 

 それにしても、オレは東京には行ったことがないが、どこか20世紀初頭を思わせる東京のような街を歩いていると、ふと思うのが《圏内模擬戦》における総合優勝者のステルベンについてだ。

 言うまでもなく3人目の新人であるオーレンツさんを含み、能天気なリュパードに至っても、さすが攻略組を歩いてきただけはある。敗北したとはいえ、今さらそのプロファイルにつべこべと文句をつけるつもりはない。

 しかしその全員を実力で下すだけのパワーを誇るステルベンの強さは、何と表現していいか正確にはわからないが、とにかく『危ない』の一言に尽きるのだ。

 対人戦特化とでも表現すればいいのか。人体に対して攻撃する技術が、群を抜いている気がするのである。

 この世界には、数え切れないほどの《ソードスキル》が設定されている。ならばもちろんのこと、それを利用するモンスターも増えてくる。他のRPGに出現するモンスターより、剣を握って戦うことのできる『二足歩行ユニット』が圧倒的に多いのは、製作者側からしたらコストパフォーマンス的意味合いからだろう。

 ゆえに。彼のように、対人戦法を体に叩き込むことは決して浅はかな選択ではないし、ギルドの一員として特筆すべき性能を持っているなら、むしろ連合としては大歓迎だ。

 

「(じゃあこの違和感は……ま、気のせいか。……てか、知らん間に見ない顔の女が後ろ歩いてるけど、なにか用かな? 道に迷ったとか?)」

 

 もろもろ気になるが、些末(さまつ)なことを考えている暇があったら、隊員を育てるための練習メニューでも考案しておかなければならない。

 新人のレベルが高すぎて地味に危機的状況である。出だしからハイレベルプレイヤーが集まる即戦力部門とはいえ、新人の方が俺より強いという事実も作りたくない。

 ちなみに、オーレンツさんだけに敬称を使うのは、彼がどうみても40を越えているようにしか見えないからで、まだギリギリ三十路にいっていないオレはどうも呼び捨てにできないからだ

 とそこで、いよいよ彼女が口を開いた。

 

「ね~ねえぇ、気付いてるんでしょ〜! はーじめましてぇ!」

「……こっちも任務中でね。歩きながらで良ければ聞くぞ」

「あっはははっ、さてはミリオタ! ねぇアタシもせーりゅうれんごー入りたいなぁ~。レベル高いよーアタシ!」

「……無理だ」

「おーねーがーいー! 入れてったら入れてぇ~!」

「ミケーレさん、この子知り合い……じゃなさそうっすね?」

「ああ、知らん」

 

 金髪のナイスバディ女がずいぶん馴れ馴れしく……もとい、フレンドリーに話しかけてきた。

 敷地を出てくる瞬間を狙っていたのだろうが、この鼻にかけたような甘ったるい声色はどういった了見か。男をたぶらかすことが目的だと宣言するかのごとくである。

 装備も然り。デザインは胸元を派手に開いたホルターネックのドレス型で、さらにスカートはプロパティのカスタマイズで極限まで短くされている。風俗顔負けの童顔に(つや)のある頬やぽってりとした唇、健康的な細さを保つ肢体にいくつかホクロの覗く魅惑的なバスト。おまけに長い金髪なんて、一世代前の勘違いお嬢様を思わせるほどロールをぐるぐると巻いていた。

 明らかに攻略組として、そして前線のモンスターと渡り合ったことはなさそうである。

 かなりのグラマーであることは認めるが、総じてキャバクラのお嬢にしか見えなくて接し辛く、かつ直視し辛いプレイヤーがオレ達に話しかけてきたのだ。

 

「入隊はムリだ。そもそも決定権がない。おとなしく帰りなさいな」

「ええ~、いいじゃないっすかミケーレ隊長。この子メッチャ可愛いっすよ?」

「口を挟むなリュパード、面倒になる! オレは手続き上の話をしてるんだよ。だいたい何で今さら敬語なんだ。下心が丸見えだぞバカ者め!」

「いいでしょねぇ~、アタシ二十歳よ? はたち! これ逃す手はないってぇ~、こんな娘探したって他にわぁ……あ、ヤバ。血盟騎士団にいたかも」

「えぇいやかましいわ!」

 

 苛ついてしまう。セリフの最後の部分がやたら低いトーンだったことに「クスっ」と笑ってしまった自分に苛ついてしまう。

 

「困るよ、キミ。繰り返すが権限がない。もっとこう、聖龍連合の本部にいる上役にだなぁ……」

「ええ~、そんな堅いこと言わずにぃ~……事後報告でいいじゃん、ね?」

 

 ペタッ、と肌が触れ合う……直前で彼女は身を翻して距離を取ったが、香水の香りはやけに鼻孔に粘りつき、不覚にも心臓が跳ねる。

 そして間近で見て判明したことがある。それは、この女性が年齢とふしだら装備で女子力パラメータを誤魔化したビッチ女ではなく、至ってよくいる普通に可愛い大学生(たぶん)ということだった。余談だが彼女のたれ目はオレのストライクゾーンでもある。

 ……い、いや、言っている場合ではない。

 

「ああ……じゃあ、オレにどうしろと?」

「どうしろって言うかぁ~、単にアタシも仲間に入れてほしーの~。……それに、確かにアタシのレベルはホントに高いし。地味な活動してたから知らないと思うけど、それは基本ソロだからよ?」

「し、しかし……キミのことは……」

「知らない? 当然よ。この世界では女性はみんなそうやって隠れてる。それがなぜかは、わざわざ言わなくてもわかるわよね?」

 

 自然と足が止まる。前方に回り込まれたからではなく、途中から真面目な口調になって仁王立ちする今のこいつには、先ほどまでのおどけた雰囲気やふざけた態度は微塵も感じられなかった。

 その変貌ぶりに怖気(おぞけ)半分、感心半分なリアクションをとりつつ、警戒レベルをほんの少しだけ上げながら同時に今一度彼女の姿を確認した。

 そしてさらに驚かされた。彼女の装備をよく観察し、記憶の断片と照らし合わせると、信じられないことに装備そのものは間違いなく一級品のそれだったのだ。ざっと見渡す限りオプションパーツにコルを出し惜しんだ様子もなく、武器にも相当金と時間をかけたことが伺える。

 スカートの丈が短いだけで。

 

「……レベルうんぬん、というのは本当だったのか。じゃあさっきまでの仕草は……?」

「演技よ、演技。自分自身を弱く見せるための、ね? 女性、ソロ、攻略組の三拍子がそろうと、あの《反射剣》サマが1番有名なんだろうけど、ボリュームゾーンにはそこそこ女性も増え始めてる。みんな個性に合った戦い方を身につけているし、アタシもその1人なの」

「な、なるほど……」

「攻略組とそれ以外だと……まぁやる気の問題からか、結構情報とか隔絶されてるわよね~。あ、これでもアタシ最近じゃマジに有名人よ? 試しにデュエルでもヤってみる? もちろん勝ったらアタシを入れてよね」

「いや、だからそれはオレの一存では……」

 

 そもそも話を聞かない奴だ。

 仮に、だ。オレや、一時的とはいえ、後ろを歩く3人の部下全員が承諾しても、それは《聖龍連合》という組織が容認したわけではない。

 色仕掛けやギャップ萌えもいいが、世の中にはできることとできないことがある。

 

「ねぇだめ~? アタシが勇気出してここまで言ってるのにぃ?」

 

 妖艶(ようえん)な眼差しを向けて、とうとう体の起伏部をオレの腕や胸にすり付けてくる。

 いや、わかっている。こやつは先ほどはっきりと「これは演技だ」と言ってのけた。ならば今オレに振る舞うこの姿は、所詮まやかしに過ぎない。

 しかし……それこそプレイヤーを保護する《ハラスメントコード》に引っかからないということは、オレのバイタルは彼女のキワドイ行為にまったく嫌悪感を抱いていないということになる。このマシュマロのように柔らかい幸せの塊との接触で、よもや《ハラスメントコード》に引っかかる男はいないと思うが。

 

「ふ~ん、そう。じゃあもう頼まなぁいっと。血盟騎士団の方にでも行っちゃおっかなぁ~?」

「あっ、ちょっと待ってくれ!」

 

 だからオレは、たれ目でオレを誘惑する声をとっさに引き留めてしまった。 きっと彼女はこの瞬間こそを虎視眈々(こしたんたん)と狙っていたのだろう。ニヤリと笑うドヤ顔を見るに、見事にハメられたものだ。

 だが後ろで「んだよ、結局堕とされてんじゃん。チョロすぎたろ」や「若いっていいねぇ」といった、リュパードとオーレンツさんの感想を頂こうとも、そげとなく無視して話を進めてやった。

 

「あ~なんだ、その……正式な手続きは先になるけど、実力検証に問題はない……と思う。見学ぐらいならいいだろう。うむ、そうだ。連合が普段どんなことをしているか、間近で見せてやるのも指導員の使命だしな!」

「調子のいーこと言っちゃってぇ。つかさ、聖龍ってそういうファーミングスポットみたいなのは極力隠す方針なんじゃなかったっけ?」

「えぇ~そぅなのぉ? リュパード君詳しぃー!」

 

 オレが1度声に出して呼んだからと言っても、一発でリュパードの名を覚えるとは。こやつ異性の掌握術に手馴れているな。

 

「ったく、余計なことを。ああ、ハハッ……いや別にうちのギルドは隠してないぞ? そんなやましいことはしないさ。さて! 早速迷宮区に行こうかな! ステルベンも彼女同伴でいいかい?」

「うぜぇよ。どっちでも、いい」

 

 こいつ、態度や口調が悪いなどの以前に、まず人との付き合い方がなっていない。おおかた先ほどの模擬戦で実力に自信をつけ、強さが証明されたことをいいことに大きくでているのだろう。

 だがこの世界は広い。今後自分より強い者に出会ってせいぜい挫折するがいい。フハハ。

 

「ま、何はともあれ5人で行こうか! ああところで、君の名前は? 一応訓練中に声ぐらいはかけるからさ」

「ふふっ、アタシの名前はアリーシャ。聖龍連合のみなさん、今日は1日よろしくね!」

 

 キャピンッ、と効果音が発生しそうなウインクを1つ。そして少なくとも今のあざとさでハートを撃墜されたプレイヤーが2人。何とも男とは欲望に逆らえない哀れな種族だ。

 

「(よし、せめてこの子にカッコいーとこ見せてやるかねッ!)」

 

 

 

 そんなこんなで29層の迷宮区第10階に進入してしばらくたつ。迷宮区到着と同時に昼飯休憩はあったが、そこから休みを挟まず3時間が経過。

 結局狩った数の最高記録は僅差でステルベン。次点となったオレ、あるいはリュパードも大変面白くない状態だったが、早くもオーレンツさんとアリーシャちゃんがレベルアップしていることからも、ここへ来た目的自体は順調に運びそうだった。

 

「おいおいキミ達、事前に狩り場を教えといたからって予習でもしてきたのか? まったく教え甲斐のない奴らだ、オイシイとこ残しとけよ」

「アハハ知らねーよおっさん。……んで? リポップの波が完璧おさまっちまってんだけど、場所とか移動しねぇの?」

「ん、ん~確かにそうだな。じゃあ今度はここの2階にある秘境へ連れて行ってやろう。特別だぞぉ?」

 

 こうしてオレ達はその後2時間に渡り、幻想的な風景を背景に多種多様なモンスターを狩りまくった。

 本来は公言禁止のスポットを披露したことで、ギルドが企業ならコンプライアンス違反もいいところだったろう。ステルベンは途中で勝手に帰ってしまいながらも、それなりに楽しい会話を満喫したのだからこの際細かいところは目をつぶろう。

 

「おお、もう夕暮れ時か。迷宮区にいると時間狂うな。……さて、自由時間とか与えないと、そろそろ労働基準法に引っかかりそうだから解散にしようかな! あとステルベンは次帰ったらクビにしてやる!」

 

 オレが冗談を言うと周りの3人も笑いだす。うむ、それにしても予想以上の戦果だ。これは中々強力なメンバーが集まったのではないだろうか。

 アリーシャちゃんについては、まだギルドメンバーとしてカウントできない上に多少アイテムの過剰消費が目につくが、それでも聖龍連合のスピーディなモンスター狩りに難なく付いてきている。

 それに任務の義務として皆の戦い方はよく観察させてもらったが、彼女はどちらかというと『才能や運動神経はあるが、動くことがメンドクサい』といった印象を受けた。やればできる子というわけだ。

 

「よっし、じゃあこの辺で。狩り続ける人はそのままどうぞ! あ、アリーシャちゃんは明日からどうする? 見学のつもりが完全に戦列に参加しちゃってたけど、一応本部に連絡とかしておくかい?」

「いえいいわ。……アタシね、気づいたの。本当の攻略組になるには、大きいギルドに入るしかないって。まあ、脅迫概念があっただけね。……でも、あなた達といてわかったわ。強いギルドに入ってチヤホヤされたいんじゃない。アタシ、こういう気さくなメンバーとやってた方がいいかなって」

「おお~、アリーシャちゃんイイこと言うねー! 俺もその方が楽しいと思うな~。ねえねえ、こんなとこ抜けて2人でペア組まない!?」

「あっはっは、ミケーレさんの前でそれは言い過ぎぃ~」

 

 なんて、リュパードがまたしても調子のいいこと言っている。しかしアリーシャちゃんの感想が嬉しいかと問われれば、首を縦に振るしかない。ぶっちゃけ、勝手な判断で行動したことをいちいち古参メンバーに伝えるのも億劫(おっくう)だったのである。

 よってオレは特に言及せず、オーレンツさんと目が合ってはクスクスと笑ってしまうのだった。

 

「ああでもさ、もう帰っちゃったステルベンは明日も参加予定なんだけど、それでもいいかな? あっ、いや別に彼を遠ざけるわけじゃないけど、あいつ我が強いだろ? オレもうまく扱いきれなくてさぁ……」

「えぇ~、アタシああいうのもいーと思いますよぉ? なんかクールで素敵じゃないですかぁ~!」

『…………』

 

 普段の男に媚びを売ったような、キャピキャピした話し方に戻ったが、それよりも重要なのはアリーシャちゃんにとってステルベンのスタイルは『素敵』に値するということである。オレも明日か彼のように無口キャラでいった方がいいだろうか。

 

「(いやいや……)」

 

 どうしたらアリーシャちゃんがオレに振り向いてくれるか、というくだらない考えを振り切って今度こそ帰路につく。

 

「じゃーね~! アリーシャちゃん帰りに気をつけてね~! オレンジ集団が現れたらオレに助けを求めてね~!」

 

 そんな冗談にも、彼女は笑って手を振ってくれた。

 アリーシャちゃんは明日も来てくれるとのことだが、やはりギルドへの報告はやめておこう。これはオレと、オレの率いる隊員のみが味わえる至福のひとときだ。それに何より、彼女もその方がいいと断言していたことだし。

 

「(ま、マジもんの軍隊でもあるまいし、ちょっとぐらいオイしいことしたってバチは当たらないよな)」

 

 この世界においては、誰だって秘密を隠し持っているものだ。どうせギルド内におけるレアアイテムの報告義務というのも、各々たくさん怠慢しているだろう。

 

 

 

 そして、そうこうしている内にギルド本部に到着したオレは、早速本日の結果報告のために総括リーダーであるリンドさんの右腕にあたる、『エルバート』のもとへ歩を進めた。

 ついでに1分で本人を見つけてしまった。というのも、彼は基本的に目立ちたがり屋なので服装が派手なのだ。

 DDA総括副隊長エルバート。

 ギルドの一員なのでもちろん指定の制服、およびDDAのシギルを縫い付けたものを着用してはいるのだが、いかんせんカスタマイズできるところは可能な限り手を付けている。

 高い階級を見せびらかしたいのか、あるいは単に没個性ファッションを彼のプライドが許さないのか。なんにせよ毛先まで銀髪で、ヘアピンを駆使して左半分だけバックに流し、右サイドに垂れる一房の髪束をゴムでまとめたとキザな男ともなれば、探そうとしなくともすぐ目につく。

 しかし見てくれだけの話をすると相手の方が年下に見えるが、ここはかの有名な《聖龍連合》であり、同時に年功序列制が採用されない弱肉強食のチームだ。よって、彼より弱いわたくしことミケーレは敬語で話さなければならない。

 ――ああ、やだやだ。

 

「エルバートさん、お疲れ様です。今いいですか」

「進捗報告か? 書類でいいぞ」

「そっすか、じゃ明日から。……そういえば、ずいぶん前にやった《反射剣》さんの勧誘、派手に失敗したままですよね。リベンジしないんですか?」

「わざわざ思い出させるなよ、まったく。……あの女はいずれウチに入れる。が、今は別件で忙しい」

 

 せめてもの抵抗をしてみたが、度が過ぎると笑い事では済まなくなるのでこの辺りで抑えておく。

 常にイライラした言葉使いが品を落としているように見えるが、これでも人望は厚い。トップギルドでトップ争いができるバケモノとは、すなわち生粋の頑張り屋さんだからである。

 

「ハハッ、期待してますよエルバートさん。そんで、オレが任された新人ですが、中々どうして根性ある奴らでしたよ」

「ほう、1日一緒にいてどうだ? 今後の攻略でもやれそうか?」

「ええそれはもう。1人はバカで1人はコミュ障ってのが難易度高いですけど、やり甲斐があるってモンですよ!」

 

 それを聞いてエルバートは、事案の1つは片づいたとばかりに少しだけ溜め息をついた。

 しかし直後に駆けつけた、直属の部下であるマンガの主人公のような青年――名は確か『アッドミラル』で、こいつもかなりの重要職に就いている――が何かを耳打ちすると、彼は舌打ちも混ぜて隠そうともせずにストレスを爆発させた。

 

「なんだよ、あんだけ人数いてまだ見つけられんのかッ! くそ、やっぱあいつらに頼んだのは失敗だったか……」

「どうしたんですか? さっき言ってた別件ってやつです?」

 

 すると、腕を組んで困った顔をしながら、目の前のさわやか青年は原因を吐露する。

 

「ああこっちの任務でしてね。俺はオレンジギルド……中でも特に過激な奴らを追ってるんです」

「へえ〜。KoBみたく、ミドルゾーンの被害を抑えようと? ナッハハ、そういう慈善事業的なハナシは蹴ると思ってたけど」

 

 しかしエルバートは即座に否定した。

 

「ちげーよ、俺らはそんな甘くない。実害出てんだ。……前線じゃ、でかいギルドのバックがあったり、カウンターくらう恐れがあるからか、あまり手出しはして来なかったはずだろ? それがどういうわけか、そいつら最近じゃ攻略組にまでちょっかいだしてきてるんだよ」

「……な、なるほど……」

 

 オレンジプレイヤーが前線の人間に手をだしてきた。

 なぜかそのセリフは、いつまでたってもオレの頭の片隅に居座り続けるのだった。

 

 



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ジャスティスロード2 犯罪の手口(ギミック・オブ・クライム)(中編)

 西暦2023年6月22日、浮遊城第29層。

 

 聖龍連合が副総長。リーダーの右腕として信頼厚く活躍するエルバート上官(ただし歳下)が口にした言葉、それがやたらとオレの脳内に張り付いた。

 攻略組に楯突く犯罪者とやらを。

 

「それはまた物騒な……しかし、攻略組と言ってもピンキリでしょう。DDAにまで噛み付いてくるんですか?」

「今のところ間接的な報告しかない。だが、オレンジ共が調子に乗ってるのは確かで、対策チームを作って調査の派遣をしたんだ。連合のメンバーと数人の情報屋にも頼んだ。……で、これが遅々として進まんわけよ」

「あ~、だからさっき。……ええっと数人の情報屋、ってことはもしかして、《クリント・クロニクル》以外にも依頼してるんですか?」

 

 『連合のクリクロ』と言えば、ブランドの力も相まってそれなりに名の知れた聖龍連合直属の情報屋2人組である。聖龍連合の、聖龍連合による、聖龍連合のための情報屋である。

 コルを定期的に渡す代わりに、いつどこでもオレ達の依頼を最優先に回してくれる。彼らの責任は重く、ギルド加盟当初こそ適当な仕事をしていたが、今ではそれなりにネットワークを構築して堅実に依頼をこなしてくれる双子のプレイヤーである。

 だが今回は、そんな直属以外の情報屋にコルを払ってまで犯罪者(オレンジ)連中を本気で追っていることになる。なお見つけられないということは、相手にも相応に頭のキレる奴が混じっているというわけだ。

 

「クリクロ以外の情報屋……となると?」

「ああ、《鼠のアルゴ》と《吟遊詩人》だ。詩人はともかく、敵味方すら曖昧なネズミへの金の積み込みもとことんやってる。抜かりはない、と思うが……」

 

 オレはそれを聞いて内心余計に驚いていた。

 《鼠》と言えば、まさかのデスゲーム最初期から活躍している『何でも知ってる情報屋』をウリにしている有名なプレイヤーである。もっとも、彼女のキャッチコピーは数知れず『売れる物は何でも売る』なるモットーを初めとした、自分のステータスやクライアント情報すら売買対象にしてしまう規格外だ。こと情報に関しては守備範囲も規格外である。

 《吟遊詩人》は陰では『過剰! やりすぎ!』と揶揄(やゆ)されるほど、対象者のプライベートを根掘り葉掘り集めてくると言われている者で、これはミンストレルという名である。こちらはアルゴと違ってボス戦などの情報をタダで売らない、そもそも率先して集めない、むさい男、と色々な理由で人気に劣る。がしかし、彼女と違ってクライアント情報を勝手に売らないし、人間関係を暴く際も確実な攻め方をする性格なため、むしろ金を積んで依頼する側としては信用における。

 しかもこいつは綱渡りが好きなのか、自らが危険に晒されることを(いと)わない。対プレイヤー情報……つまり《オレンジギルド》にも精通し、その潜伏地を幾度となく暴いている。このことから、今回の件での期待度も高い。

 しかし、彼らを(もっ)てしても潜伏場所を見つけられない今回のターゲット。にわかには信じがたいが、彼ら4人を上回る頭脳か、もしくはそれなりの人数をそろえて電子戦を繰り広げているということになる。

 

「路頭に迷った集まりかと思いきや、結構やるもんですね。頑張りすぎてドン引きですよ。そんなに反社会行動が楽しいんすかね?」

「知るか。共感できないから捕まえようとしている」

「なるです。ところで、せめてそいつらの『ギルドネーム』は判明してないんです?」

「そうだな、その報告もない。つーか、さっきは『ギルド』と言ったけど、まだ実際にギルドとして活動してるんじゃなくて、ただの2人組だ」

「えっ!? たったの2人……!?」

 

 これにはさしものオレとて驚いた。話半分で聞いていたが、わずか2名に手こずるとは。敵はよほど幸運なのだろうか。

 

「とんでもない奴らでな。非マナーを通り越して完全に悪質犯罪だよ。もうトドメの一撃を直接叩き込む以外は何でもありみたいなスタイルらしい」

「あっちゃ~。そーいうのって、野放しにしてたらその内絶対ヤっちゃいますよ。マジで」

「わかっているから焦っているんだ。クリクロの2人を含み、他の情報屋達も一部ネットを共有しながらアジトを特定しようとしているらしい。……だが、目撃情報も一致してないみたいでな。行ってももぬけの殻で、どっかで俺らの動き監視してるんじゃないかとすら言われているほどだ」

 

 現実的に考えればその危惧はあり得ない。何かトリックがあるはずだ。

 全プレイヤーの監視などこのゲームの創始者、今や唯一のゲームマスターと化した茅場晶彦にしかできやしないのだから。

 ただ、普段の情報屋連中を知っている人間からすると、とても考えられない体制をとっている。それでアジト1つ見つけられないという事態は尋常ではない。そもそも確率論的にもそんなことがあり得るのか。

 

「(っておいおい、オレは探偵かっての。自分の仕事じゃねぇんだから、難しいことはエルバートやアッドミラルに任せて、風呂でも入って着替えたらとっとと寝よう)」

 

 言い訳せずに内心を暴露するなら、「今日出会ったアリーシャちゃんが心配! それ以外はどうでもいい!」の一言に尽きる。男連中は自分の身ぐらい自分で守るだろう。

 そして、この憂患(ゆうかん)すら無意味な可能性が高い。今日出会って、上司の案件を聞いて、それらが深く絡み合っていて、彼女が事件に巻き込まれるなど。妄想にもほどがある。それで、オレがナイトのように彼女のピンチに出会(でくわ)して、最終的には王子様か?

 

「ハッ、バカバカしい……」

 

 それが創作物語だと諦めをつけてしまうほど、オレも歳を取っていた。

 それだけを吐き捨てて、若干ばかりもやもやしながらも、その日はさっさと床につくのだった。

 

 

 

 翌日。現在は6月23日の、午前11時40分。

 不足気味だった資材集めをギルドの会計士に頼まれ、午前中いっぱいを使って特殊クエストを4人で4回こなすと、昨日の心配事がまるっきり杞憂(きゆう)であることが判明した。

 

「やっほぉ~、せーりゅーのみんなぁ! おっ待たせぇ。どう、今日もキレイ?」

 

 ウフン、とわざわざ音が聞こえてきそうな仕草で髪を撫でるキュートなアリーシャちゃん。

 悔しい。こんなビッチっぽいことをしているのに、実は彼女はそんな安い女でないことを理解しているがゆえ、誘惑フェロモンにまったく抵抗することができないからだ。

 文句なしで可愛いのである。

 装備は重ね掛けできない物をわざと選んでいるのだろうか。ともかく健康的な素肌、正確に言うと扇情的なバストやヒップが見え隠れすると、男として目がいってしまうのはもはや自然界の摂理と言えよう。スラッと伸びた手足も実に(なま)めかしい。

 見目麗しい女性プレイヤーというのはすでに絶滅危惧種に認定されていると思っていたのだが、なんのことはない。少なくとも目の前に1人いるではないか。可愛いという表現が適切かどうかは賛否の別れるところだろうが。

 

「会いたかったよアリーシャちゃ~ん。それよりどうかな、今から俺と南にある《コッコリーの村》でも回ってみない? あ、村っていってもあそこはほぼ《街》レベルで発展してるから、結構見応えあるんだよ~。眺めもいいし飯はうまいし!」

「オイこらっ、堂々とサボる宣言すな! あとオレの目の色が黒い内にナンパすることは許さんッ!」

 

 リュパードはゲーマーにしては珍しく、女性を見ると結構な頻度で声をかけているらしい。だが彼女いない歴何とやらのオレを差し置いて異性同士でイチャイチャすること、それだけは許されない。

 ――嫉妬だと? 否、断じて否だ。

 

「んーだよ、おっさんッ! 俺がどうアプローチしてアリーシャちゃんと話そうが別にいいだろ!」

「ええいうるさい! おっさんじゃない! とにかく、ちゃっちゃと昨日の場所行くぞぉ! もたもたしてっと、まーたウチのギルドの先鋭達がボス部屋見つけちまうっつーの! ステルベン、オーレンツさん、準備できてる!?」

「早くしろ。こっちは、待たされてる」

「言い方、変えた方が得しますよ、ステルベンさん。私らは準備できてます。いつでもオッケーです」

 

 相変わらずステルベンがウザ……もとい、扱い辛かったが、とにもかくにもオレ達5人組は急速レベルアップのために休憩もほどほどに広場を出発しようとする。

 しかし、ここでアリーシャちゃんが手を挙げて何かを言いたそうにしていることに気付いた。

 

「はい、アリーシャちゃんどうぞ!」

「そう言えばアタシぃ~、昨日解散したあとヤッバいとこ知っちゃったの! 昨日よりぜんっぜん弱いモンスターなのにねっ、経験値同じぐらいくれるらしいの! あったんだなぁこれが、いっこ下の層にー!」

「へぇ、それは聞き捨てならんな。場所も知ってる?」

「もっちろぉ~ん」

 

 話を聞くと、この層に出現するモンスターより弱いモンスターが、獲得経験値やドロップアイテムの総量を変えずに下の層でも現れるらしい。予想に反して――おっと失礼――それなりに有益な発言だったわけだ。

 チマチマ狩るのと違って今から数時間ぶっ通しで戦闘を行うわけだから、正直このネタはオイしい。

 

「(ギルドのためじゃないぞ、決して……)……ところでさ、コルは払うからそこ教えてくれないかな?」

 

 オレは条件反射で取引にでていた。しかしオレの考えは浅はかで、相手を信用していない行為だということを次の発言で思い知った。

 

「やだなぁ~もう。ミケくん、アタシ昨日言ったよねぇ? 皆といるのが楽しいって! だから~、タダとかコルとかじゃなくて、楽しいから教えちゃうのぉ」

「アリーシャたん……」

 

 本当にイイ子である。きっと彼女は誰とでも打ち解けると思うが、ゆえに最初にオレ達に話しかけてくれたのは、神のお恵みか何かだったに違いない。

 そして彼女はパワーレベリングスポットについての説明を始めた。

 

「ほう、こんな28層の迷宮区にそんなモンスターが? 知らなかったな~。リュパードは知ってたか?」

「いや俺も初耳っす」

 

 「ちょっと最前線は苦しかった」と、昨日は解散後に1層下で狩りをしていたらしいアリーシャちゃんが、たまたま見つけたらしい場所を3Dマップアイテム《ミラージュ・スフィア》でこと細かく教えてくれた。

 しかしそこは、オレもその他のメンバーも知らないスポットだったのだ。これは相当なラッキーである。

 

「ま、でも勝手に決めるわけにはいかないな。予定にはなかったし、みんなの意見が一致したら変更する感じでいこう。オーレンツさんはどうです?」

「ええ、どちらでも問題ないですよ」

 

 よし、第一関門は突破だ。

 そしていきなり最終関門だが……、

 

「す、ステルベンはどうだ?」

「好きにしろ。決めるのはアンタだ」

 

 やはり最終関門は……。

 ――って、えぇええ!?

 

「えっ!? い、いいの? いや、いいならそれでいいんだけどさ……」

 

 珍しいこともあるものだ。こういっては根も葉もないが、彼はどちらかというとサプライズには乗り気になれない人物だと思っていた。むしろどうやって説得したものかと悩んでいたが、すんなり通ってしまったことが順当すぎて怖いぐらいである。

 

「まぁ、ともあれ皆オッケーで良かったよ」

「いや、俺聞かれてねーんすけど……」

「さ、そうと決まれば早速転移門だ。方向転しーん!」

「ねえ! 俺聞かれてねーんすけどぉ!!」

 

 答えの見えすいたリュパードをシカトし、一行はトコトコすたすた転移門へ歩くのだった。

 

 

 

 層を28層へ移動させると、オレ達5人は速攻で迷宮区の入り口に差し掛かってしまった。

 最前線より不気味度が増すのは28層の特徴なので仕方がないが、やはりモンスター全体を通すとレベルダウンしている感は拭いようがなかった。

 とは言え、この戦いやすさで同じ経験値がもらえるのだから儲けものだ。強いて問題点を挙げるならジメジメした気候が肌に張り付いて、狩り自体のモチベーションが下がるといったところか。

 しかも、壁絵でも貼られているように諸処がぐにゃぐにゃと傾いてて、じっと見つめていると酔いそうになってくる。近代芸術に似ているだろうか。あまり絵画系のアーティストについては事情に明るくないのである。

 

「お、この辺か。今のところそれらしきモンスターとエンカウントはしてないが……ん?」

 

 そこであることに気付く。赤目の小型コウモリで、今となっては唯一の迷宮区における連絡手段となった、《メッセンジャー・バット》が、こちらに向かって飛んできていたのだ。

 ちなみにこのゴーレムもどきなアイテム、登場当初こそ軽視されていたが、絶対数の減少からか今では貴重なアイテムとして重宝されている。

 原因は低層へ降りてわざわざ専用モンスターを狩らないとドロップされない上に、NPCによるショップ販売がされていないからだ。

 これにより上級者であればあるほど、手に入る機会が遠ざかってしまう。実際、オレとしてもまさか結晶系アイテムとの額が逆転するとは夢にも思わなかった。

 だが不可解な点もある。《メッセンジャー・バット》は『同じ層の迷宮区』にいるプレイヤーにしか届かないはずだからだ。しかも複数欄用意されているとはいえ、宛先にきちんとプレイヤーネームを書き込む必要すらあったはず。

 いったいどうして、宛先にこのメンバーのプレイヤーネームを指定できたのだろうか。

 

「(え、マジでオレ宛なのか? どゆこと? オレらが今日ここに来たのはまったくの気まぐれだぞ!?)」

 

 やや不審に思いながらも、近くで滞空するコウモリの鼻先をタップしてやる。するとコウモリはすぐに凝縮され、次の瞬間にはメッセージウィンドウとしてオレの目の前に表示された。

 差出人は《聖龍連合》の専属情報屋である《クリント・クロニクル》が片割れ、クロニクルによるものだった。

 実はこいつ、『最短の宛先に届く』という特性を持っていて、対象を最大10人まで設定して飛ばすことができるのである。

 しかし、そもそもフレンド登録やギルド登録をしていようが、迷宮区にいるプレイヤーはマップにアイコンが表示されない。隔絶されるのだ。下手な鉄砲数打ちゃ当たるではないが、同層にいる仲間を特定する手段がないことから、誰に届くかは状況次第ということになる。

 事実、オレの他にも《聖龍連合》所属の重鎮の名前が9人分、びっしりと列挙されていた。つまりオレがこれを手にしたのは、あくまで偶然に過ぎないということになる。

 次はその内容について。

 しかしそのあまりに衝撃的な内容の方は、2度ほど読み返してなお理解が追いつかないほどだった。

 

「(クリクロの奴らが例のオレンジ集団を見つけた……っておいおいマジかよ!? メッセンジャー・バットが届くってことは、この層にあるってことだろ? 冗談じゃねぇよこんな時に……しかも記述にある場所って、ここからメチャクチャ近いところじゃねぇか……っ!?)」

「ミケーレのおっさん、顔色悪いぜ? いったいどうしたんだ?」

 

 ウィンドウは他人には不可視だが、オレは咄嗟(とっさ)に飛び退いて文章を隠そうとしてしまう。だがその仕草を見て余計に周りの奴らを心配させしまった。

 オレはこの内容を、ここにいる4人の連中に伝えるかどうかを決め兼ねている。

 おそらく、クリクロの2人は発見した時点ですぐにでも《メッセンジャー・バット》を送れるように、場所以外の説明文は迷宮区に突入する前にあらかじめ記入しておいたのだろう。その点については彼ららしい実に周到な用意だ。

 

「(接点は少ないけど……クリクロの2人だって古い仲間だ。助けを求めているなら……)」

 

 それに敵は2人だと書いてあった。ならばこのメンバー全員で切り込めば、犯罪者とやらに勝てるかもしれない。しかもそいつらは、犯罪の中でも最大級のタブーである殺人にまで手をだしかねない連中と聞く。

 奴らを拘束してしまえば、間接的には他の人間を助けたことにもなるのだ。勲章や栄誉など貰えなくてもいい。しかし、1人の人間として行動するべきである。

 だが……そう、これは『デスゲーム』なのだ。

 ゆえに俗世に無頓着なオレですら、人を救う意識が生まれる。同時にそれは、こちらが『殺される』可能性にも繋がる。

 剣を抜いて反撃されたとしよう。我々との戦力差は2倍以上。単純に考えれば勝てる戦いである。

 しかし、限りなく低い確率だとしても、ソードスキルがクリティカルで決まってしまった場合、果たして『死ぬことはない』とオレは部下に言えるのだろうか。言いきれるのだろうか。

 ――いや、無理だ。

 レベルの低いモンスターを狩るのとは意味が違う。部下を危険には晒せない。曲がりなりにも、オレはこいつらの上官にあたる地位にいる。指導に耐えてきて、わがままにつき合わされて、それでも信じてついてきている。

 ならばオレができることは、絶対にこの4人を守りきること。この4人を生きて現実世界に帰すことだ。

 

「お前ら、今日の狩りは中止だ。全員速やかに迷宮区から離脱して、聖龍連合本部に向かえ。そして28層の迷宮区に犯罪者共がいると伝えるんだ」

「ちょっ、え……わけわかんねぇよミケーレさん。ヤバい雰囲気なのは何となく伝わるけど、じゃああんたはどうすんだよ!?」

「ちょっとぉ~、ミケくん? アタシなんだか怖いよぉ……」

「…………」

「ど、どうしたんです? 何があったんです?」

 

 ただのバカに見えて、リュパードの奴も中々鋭いではないか。それにアリーシャちゃんはこんな時も相変わらず可愛い。これからもそうあってほしいものだ。ステルベンは……いつまでも無愛想だが、こいつがいれば戦闘面は心配ない。撤退中の指揮は彼に任せるつもりだ。最後にオーレンツさん、この人は今後絶対いい職につけるはずである。こつこつキャリアを積み上げていってほしいものだ。

 

「(へっ、なんだぁ? オレとしたことが、死にに行くみてぇなこと考えやがって……)」

 

 だが悠長なことはしていられない。

 オレは手短に現状を説明するべく、周りを警戒しながらも考えるより口を動かした。

 

「いいかお前ら、1回しか言わねぇぞ。今この付近に犯罪者集団、俗にいう《オレンジカーソル》が複数いる。んで、連合の奴らが組織的にそいつらを追ってるわけだが、ただのオレンジじゃない。今のところ1番危険視されてるヤベェ2人組なんだ。……それでも、オレはこいつらを野放しにはできないし、お前らを危険な目に遭わせることもできない。だから1人でこいつらとやり合ってくる。……その間に援護をよこすよう、本部に連絡してほしいんだ」

「はッ!? 今から援軍って、どれだけかかると……ッ」

「……なに、オレだってバカじゃねえ。英雄気取りはしないで、時間稼ぎに徹するよ。……お前らもゴキブリ見たら目を離さねぇだろ? 目を離すと逃げるからだ。クズ人間2人をみすみす逃がして、後になって犠牲者を増やすわけにもいかない。ここで誰かが残らないといけない。だからオレが……」

「ちょっと待てよ! フザッケンなよそれッ!」

 

 しかしここでリュパードがブチ切れたまま怒鳴り散らすと、オレの言葉がきっぱりと途切れてしまった。

 

「信じらんね。ハッ、口では仲間とか言いつつ、アンタは俺らのことまったく信用してなかったってわけだッ!」

「そういう……わけじゃ……」

「だってそうだろう!? アンタは上官かもしんねえけどな、このクソゲーに閉じ込められたただの囚人っつう、根本的なとこは全部一緒なんだよッ! ……自分だけ命張ってんじゃねぇ。俺も連合の一員だ。俺は逃げない!」

 

 今度こそオレは息を飲んだ。リュパードが……あのお調子者の青年がオレのためにここに残ると言っているのだ。同じギルドとして、同じチームとして、こいつはオレと共に戦うと、そう言っている。

 そしてそれは、彼だけではなかった。

 

「やぁねぇ~、アタシが1番責任感じてるのに。……こちとらヤる気で来てんのよ? 仲間外れは悲しいな」

「連れて行け。俺もやる」

「私も微力ながら援護します。危険かもしれませんが、どうかここにいる皆でぶつかりましょう……」

「おま……えら……」

 

 不覚にも目頭が熱くなってくる。 

 行動を共にした時間だけならせいぜい十数時間ほどであり、ギルドとしては少ない方なのかもしれない。されど、重要なのは時間ではない。何をしたのかという、その過程だ。

 

「い、言ってくれるぜちくしょう。……だがな! 言ったからにはここにいる全員、最後までオレにつき合ってもらうぞ。そして誰1人死ぬんじゃねぇ! これは隊長命令だッ!!」

 

 そこまで叫んでようやくオレは後ろを振り向いた。

 背中を支えてくれるというのなら、そんな戯れ言を信じて前を向く。きっとこのゲームが終わる最後(・・)まで、オレはこんな選択を繰り返すのだろう。

 

「ハァ……ハァ……待ってろよクロニクル……今行くからな……」

 

 オレ達は幻惑背景を持つ迷宮区をひたすら走った。

 そしてオレ達はそのオレンジプレイヤー達と、運命の邂逅(かいこう)を果たすのだった。

 

 

 



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ジャスティスロード3 犯罪の手口(ギミック・オブ・クライム)(後編)

 西暦2023年6月23日、浮遊城第28層(最前線29層)。

 

 見つけた。オレンジ色のカーソルが2つ。タイミング、場所、人数、事前に得ていた大まかなシルエット、すべてを鑑みて断言できることは『間違いない』という確信だった。

 道を塞ぐように佇んで、オレ達に背を向けている。今まで散々聖龍連合や情報屋の目を欺きそして多くの犯罪を支援、助長させた真犯人。

 

「ようやく見つけたぞ、アホンダラ共……」

「あァん……?」

 

 声に驚きがない。おそらく《索敵(サーチング)》スキルと《隠蔽(ハイディング)》スキルの熟練度が相当に高く、それらを事前に活用していたのだろう。

 オレ達の接近を予知していて、同時に脱出を計算にいれた上で余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)の態度と言うわけだ。

 ナメられたものである。しかし、その油断が崩壊を招くのだと身を持って知らせてやればいい。

 

「余裕ぶるなよカス共が。てめぇら状況わかってんのか? オレたちはあの……」

「ヒヒッ、元気だなァ。DDAってのは」

「しっ、知ってて……その態度か。……上等だ。こちとら5人がかりだぜ? コソコソ逃げ回ってたみたいだが、火遊びも終わりだ。これからお前らをとっ捕まえて……お、おい……?」

 

 オレはそこで初めて気付いた。

 奴らがなぜ、通路を塞ぐ(・・)ように立っていたのか。そしてその向こうは壁のようで、模様のようで、その実まったく違うものだということに。

 アレは模様などではない。一面を覆い尽くすほどのモンスター群だ。しかも、辛うじて見えるのは《聖龍連合》専属の情報屋、《クリント・クロニクル》の片割れの腕。(うごめ)く集団に押し潰された『クリント』の死にかけの腕だった。

 そしてクリントとクロニクルは双子の兄弟である。特にプライベートを探ったわけではなく、一卵性ゆえに顔を見れば一発で判明したことだ。がしかし、だからこそ彼らは常に一緒に行動していた。

 よってあの場には、2人のプレイヤーがいるという推測が成り立つ。

 

「おめぇらの後ろ……く、クリント!? オイッ! てめぇら何で……っ」

 

 言いかけて思い至る。理解してしまう。この2人がここで何をしていたのか、いま何をしているのかを。

 

「ヒャッハハハハッ! なんでぇ!? なンでと来たよコイツ……ヒャハッ、マジウケる!! どう見たって俺らがMoBをトレインして、ニアデスにしといたこいつらを餌にしたに決まってんだろォ!? あとは《ブロック》状態で観戦ってなァ!! ヒャハハァッ! だてに隠蔽上げてねぇっての!」

「Hey、わかってねぇのは貴様の方だったな。Obseve。でないと、すぐに死んじまうぜ。チェリーボーイ?」

 

 《ブロック》とは、プレイヤーが並んで通路を塞ぐアンチマナー行為である。

 黒フードの男は挑発役だろうか。ポンチョ姿の男は流暢(りゅうちょう)な外国語をすらすらと発音している。と同時に、どこか暗い、危険な声色である。美声だがしかし、頭のねじが吹っ飛んでいる奴の声だ。

 されど、今はそれらのことすべてがどうでもいいことだった。

 

「(……ンの、やろうが……!!)」

 

 何より怒りで血管がブチ切れそうだったのだ。本当に直接とどめを刺すこと以外なら何でもやる奴らなのか。

 いずれにせよ、敵をすぐにでも無力化して、早くクリントを助けなければならない。

 オレの記憶が正しければ、あの双子はショップ販売されるようになった《転移結晶(テレポートクリスタル)》を所持している。しかしそれは、発音してから効果が発動しきるまで、1~2秒はダメージを受けてはいけないのだ。失敗時は不発に終わり、どこへも転移されない。

 もっと奥にはクロニクルの方もいるはずだ。2人同時に助けなければ意味がない。

 

「た……助け……て……」

「待ってろ! クロニクルもいるんだな!? 今オレが助けに……なッ!?」

 

 頭に血が昇ったオレが、人数差を活かせない無謀な特攻をしでかす寸前、実行に移さずに何とかとどまることができた。

 奴らの後ろで通路一面を覆っていたモンスター共が1匹、また1匹と『割れて』いくのが見えたのだ。

 

「ミケーレさん、あの奥にもう1人います。でもたぶん、おたくの片割れじゃ……」

 

 リュパードが言い切る前に視界が晴れた。

 そして体力を《危険域(レッドゾーン)》の、さらにぎりぎりの位置で留めるクリントと、もう1人……片手剣使いの二枚目の男が立っているのが犯罪者達越しに確認できた。

 

「おめぇは確か……」

「エルバートさんの指示でこっちに来たのは正解だったな。ミケさん、来てたんすね! でもアッドって名前ぐらい、いい加減覚えてくださいよ! しょっちゅう呼ばれてるでしょう!!」

 

 言われなくとも思い出した。昨日、オレとエルバートの会話の途中で彼に耳打ちしていたのがこのアッドミラルだ。

 彼はエルバートの側近で、レベルだけなら引けを取らない。まじめな正義が本人のモットーらしく、規則正しいことと規律を守ることが大好きな好青年だ。

 このタイミングで援軍? 助けを求めて本部がそれを受諾、さらにここまで駆けつけるのに時間はかからないものか。

 

「(……いや、時間的に矛盾する。アッドの言い方から察するに、オレンジ共の隠れ家にアタリはついてたってことか……)」

 

 連合は何の采配(さいはい)か、28層の攻略をあまりしてこなかった。

 だのに、ここにこぎ着けられた理由は、複数の情報屋という策が功を成したからだろう。負け惜しみではなく、この挟み撃ちは必然である。

 アッドミラルは影に隠れるクリントに語りかけた。

 

「クリント、お前は転移結晶で飛んでろ。クロニクルの事も今は忘れるんだ……」

「でもぉ……でもぉお!」

「行けッ! 後で弔う!! 今はお前が生き残れッ!!」

 

 そこまで叫ばれてようやく意を決したのか、クリントはふらふらと《転移結晶》を取り出しながら29層主街区の名を口にした。

 そしてすぐに青い光に包まれると、その姿を完全に消す。

 オレは聞いてはならはいことを聞いてしまった。

 

「おいアッド……いま、弔うって……冗談だろ、オイッ!? ウソだろッ!!」

「ミケーレさん!」

 

 通路の後ろからリュパードに名を呼ばれ、ぎりぎり正気を保つ。そして彼の言葉に耳を傾けると、絶望的な現実がのし掛かってきた。

 

「俺さっき……その、クリントって人の向こうに『もう1人いる』って言いましたよね? 俺しばらくソロだったんで《索敵》熟練度高いんすけど、反応あったのは1つです。……たぶん、それがあのアッドミラルって人の……」

 

 リュパードの顔を見てすべてを悟った。その悲痛な趣は、1人の死者が出ていることを如実に物語っていたのだ。

 そして今度はアッドが発言者となって、犯罪者を含む全員に聞こえる音量で話した。

 

「俺がもう少し早く来ていれば……けど、お陰で剣は鈍りそうにない。クソ共をぶった斬りたくてしょうがないからな」

「Wow、怖い怖い。それにしてもお前の方(・・・・)はよく俺らの位置を特定したな。それだけは褒めてやるよ」

 

 黒ポンチョの金髪男性は、この期に及んでも薄ら笑いを引っ込めようとしなかった。ゲームか何かを楽しんでいるように、アクシデントに興奮するように、この状況にエンターテイメント性を感じているのかもしれない。

 クレイジーだ。度が過ぎなければ穏便に済ませるつもりでいたが、これでは説得する気も起きない。おそらく、こいつらと解り合える日は永遠に来ないだろう。

 なんて思考をよそに、長い通路の向こうでアッドが声を張り上げた。

 

「今回、《吟遊詩人》と《鼠》で意見が分かれた。クリクロの2人もこっちに来たみたいだが、ほとんどの連合メンバーはミンストレルを信じて19層の迷宮区に向かっちまったんだ。《記憶結晶(メモリークリスタル)》による証拠映像もあったから仕方がないがな。……でも、エルバートさんだけは俺にアルゴの指示したポイント……つまりここに来るようにと言った。……さすが隊長だよ。まあ、今回はアルゴに軍杯が上がったってことだ。後でたっぷり謝礼を払おう」

「だけどアッド、オレらがここにいることは知らなかったんじゃ……?」

「もちろん知らなかった。今のミケさんには新人育成の任務もある。……でも、俺は1人でも来たよ。こいつらのやっていることは許されることじゃない!」

 

 怖い顔をしたままアッドが叫んだ。

 しかし彼までこの位置を特定できたということは、『クリクロ』の2人が1人ずつ(・・・・)《メッセンジャー・バット》を放っていたからだろう。

 先ほどの宙に滞空していたコウモリの宛先には、確かに『アッドミラル』の名もあったのだ。であるのなら、彼が駆け付けられた理由も説明がつく。

 そして彼もオレと同じ考えに達した。危険を省みず、正義を曲げず、他人を救うためにやれることをやる。そうやって彼らも使命を全うしたのだ。

 《聖龍連合》に所属している連中はたまに過激なことをしでかすが、それはあくまで『仲間を絶対に死なせないため』である。

 博愛主義者ほどまっさきに死ぬ。救える数には限度がある。現実を直視した、ある意味では究極のリアリスト集団。そして根っこの部分では仲間思い。これを再確認できて、オレはそれだけでもこのギルドに加盟してよかったと思える。

 しかしここでフードを被りながら、手持ちのナイフで遊んでいた男が金切り声を出す。

 

「ウッヒョー! 痺れるね~、聞いててカユくなってくるぐらい偽善に満ちた友情だなぁッ! けど大事なこと忘れてないか。『正義』ってのはなぁ、勝った奴の特権なんだよッ!! お前らみたいなのを見てると寒気が」

「黙れぇええッ!!」

 

 今度はオレの一喝で場を(しず)めた。

 通気性の悪い閉鎖空間での俺の声は、自分が想像する以上にこだまして響いたが、戯れ言を吐くあの男にこのまま喋らせ続けることはできなかった。

 

「首を突っ込んだからには、斬られる覚悟もできてんだよなァ!? お前達は連合隊員のクロニクルを殺したんだ! 今さら命乞いなんざするなよオレンジ共。《圏内》に転移できないてめぇらは簡単には逃げられない! そしてオレは、もうテメェらを許さねぇ!!」

 

 ここで彼らは一瞬笑うのをやめたが、次の表情は何かの余韻に浸る屈託のない邪悪なにやけ顔だった。

 

「ヘッドぉ、どうしますー? こんな茶番、俺もう耐えられねぇっすよ~」

「堪え性のねぇ奴だな。だがスパイスも利いてきた。こりゃいいレセプションになるぞ」

「ミケさん、耳を貸しちゃダメだ! 挟み撃ちで仕留めるっ!」

「おう!」

 

 アッドの声には構えて応えた。この際、相手の行動は無視する。おおかた意味深な言動を繰り返すことでオレ達の隙を伺っているのだろう。追い詰められた犯罪者がよく使う古典的な心理戦だ。

 しかし、そうはさせない。

 ここが勝負どころである。奴ら2人を絶対に逃がすわけにはいかない。作戦もここに来るまでに伝え済ませてある。

 

「リュパード、ステルベン、作戦通りオレの後に続け! 突撃系のソードスキルで切り込むから、その後すぐにスイッチだ! 残りの2人は取り逃がした時のために待機を……ん?」

 

 そこで、ポンチョ姿の男が不思議な動きをしているのが見えた。

 フード男が「ヘッド」と呼んでいたことから、ポンチョ姿の男の方が立場は上なのだろう。では、彼の左手を挙げて指を振るあの動作は、隣にいる男に向けてやっているのだろうか。フード男はまったく見ていないように見えるが……、

 その空白に、黒ポンチョの男が1つの言葉を発した。

 

「イッツ、ショウタイム」

 

 この現状の、全てを逆転させる言葉。

 澄んだ声が戦場を支配する。

 

「ぐあぁああああッ!?」

「な、何を!? うわぁあっ!?」

「なにッ!?」

 

 突然後ろで叫び声がして、オレは無防備にも振り向いてしまった。

 そして目に入ってきたのは信じられない光景だった。それはステルベンとアリーシャちゃんが、それぞれリュパードとオーレンツさんを『攻撃』している姿。2人が同時に『オレンジプレイヤー』へ変わる瞬間だったのだ。

 それからは早かった。

 オレが後ろを振り向いた瞬間、フード男が《投剣》スキルの初級投擲技《シングルシュート》を発動。持っていたナイフで、弱点部位であるオレの首元と心臓に連続でクリティカル攻撃をヒットさせ、そのままオレはその場で倒れ込んでしまう。

 そして遠くで動揺したアッドの武器を、今度は一瞬で肉薄したポンチョ姿の男が持つ大型ダガーで弾き飛ばし、さらに彼の首筋に突き立てて制止していた。

 この間約2秒。ものの2秒ほどで、盤局を変えたのだ。

 

「ガッ……なんっだ!? いったい何が!?」

 

 せめて情報だけでも得ようと首を捻ろうとするも、体全体が麻痺してうまく動かせないことに気付く。

 これは阻害効果(デバフ)の一種、《麻痺(パラライズ)》と同じ現象だ。

 

「くっ、投げナイフに……麻痺毒を……しかも《対阻害(アンチバフ)》スキルを越える濃度か……」

「それだけじゃないわよぉ~、ミケくーん! アタシらの武器にもぜ~んぶ塗布してあるよん! 《クイックチェンジ》って便利よねぇ~」

 

 今度はアリーシャちゃんが……いや、アリーシャの奴がサディスティックな目で仲間を足蹴にし、地面にひれ伏すオレを見下していた。

 その言葉を証明するように、《麻痺》状態でリュパードとオーレンツさんがうつぶせに倒れている。

 

「はっあぁーい! 気分はどおぉ? あ、そっちの……えぇっとぉ、アッドくんだったっけ~? 君も動かない方がいいよぉ。動くとオトモダチが死んじゃうからねぇ?」

 

 そもそも首もとにダガーを突きつけられ武器が手放し(ファンブル)状態になっている今、彼は人質など無くても動けない。しかもポンチョ姿の男はだめ出しのようにアッドの剣を遠くへ蹴り飛ばしていた。

 有り得ない。あってはならないはずだ。目の前の光景が全部信じられない。現実感なんてものは微塵もない。彼ら2人がこのタイミングでオレらを裏切る理由なんて……、

 

「いや、違う。……そうか、お前らは最初からグルだったのか。……ステルベン! お前はオレ達をここへおびき寄せるために……!!」

「ク、ク。違うな。俺はただの『品定め』だ。殺せるかどうか、確認するだけに、過ぎない」

 

 この世界において初対面の人物に対して判断できることは3つ。プレイヤーのカーソルカラーとギルドアイコン、あとはデバフステータスだけだ。

 よって名前やそのレベル、また総HP量などは判別できない。だからこいつは、オレ達に接近することで総合的な実力を探ってきたのだ。

 そしてターゲットの誘導役。それは……、

 

「その役目はアタシだよーん。メッセンジャー・バットとか来なくてもぉ、ここまでご案内してたってーの~、キャハッ。それで、いい夢見れたぁ? ミケく〜ん、アハハハハッ」

「アリーシャちゃんッ!! なんで……どうして、こんな! 俺らこれから一緒に頑張ろうって、そう言っていたじゃないか!? あの言葉は嘘だったのかよ!?」

 

 リュパードの悲痛な叫びは、オレンジ4人の失笑を買うだけで終わった。彼はそれでもめげずに会話を続けようと必死になって口を動かす。

 彼の狙いは読める。それはきっと『麻痺継続時間』だ。麻痺が解かれるまで、この不毛な問答を続けるつもりなのだろう。もっとも、この状況での成功率は絶望的であるが。

 

「くそ……でも、そうだよ。俺はタンクだぞッ!? 全身だってミスリルアーマーで覆っている! いくら不意打ちだからって……ぐあァアッ!?」

「よく吠える。雑魚が、喚くな」

 

 ついに2度目の刺突攻撃を、地面に横たわるリュパードに放った。

 理解している。エストックの別名は『鎧通し』である。対タンク用のソードスキルだっていくつも知っている。

 リュパードの体力ゲージは比較的多いはずだが、防御体制が取れずノーガード状態ゆえに、今の攻撃でほぼ《イエローゾーン》に差し掛かっていた。あと3回。あと3回ほどの攻撃でリュパードが死んでしまう。

 

「やめろっ、やめてくれぇ! 頼むから……そいつに手を出さないでくれ……」

「ハァッ!? おいおいおーい! 斬られる覚悟もねぇのに首突っ込んだのかァ!? ブァッカじゃねーの? 今さら命乞いしたっておせーンだよッ! ヒャハハハハ!」

 

 言ったことをそのまま返されても、オレはひたすら泣いて命乞いするしかなかった。部下を誰1人として失わないようにするためには、オレが泥を噛んで頭を下げるしかない。

 だから……、

 

「お願いだから……許してくれ……」

「ステルベン、アリーシャ……やれ」

 

 それを最後に、彼ら2人は狂ったように無抵抗な人間を刺しまくった。

 ガシュッ!! ガシュッ!! と血生くさい音が反響する。猟奇的な目を向けて、狂気的な声を上げて、何度も何度も手に持つ武器を振りかぶっていた。

 

「やめろぉおおおぉおおおおっ!!」

 

 だがオレの声は2つの、ガラスを割ったような破砕音にかき消された。

 バリィイッ! という、乾いた音。光の結晶を無数に散らせた音で、空間は静まり返る。

 

「は? な、おいっ……そんな……」

 

 全身の毛が坂立つような感覚。奴らは無惨にもオレの願いを無視して、この世から2つの命を退場させた。

 そこにはもう、生命が存在していた痕跡は、彼らの装備していた武器しか残っていない。

 

「うっ……わ、気持ちわるっ! サイアク……やっぱトドメはやるもんじゃないわ~」

「そうか。俺は、いい手応えだと、感じたが」

「方針変えたのって今日からなんだっけ? タイミング悪い時に入っちゃったなぁ~。……殺る方は向いてないわ。PoH、アタシこれから誘導専門でお願いねぇ!」

「おいこらアリーシャ! 『トドメ解禁』の記念すべき日だぜぇ!? もっと派手に楽しめよッ! それに、新人がヘッドに意見してんじゃあ……」

「まあいいさジョニー、人にはそれぞれ得手、不得手ってモンがある。そうだろう? 殺しは俺らで十分だしな」

 

 身動きの取れないアッドも怒りと恐怖で震えていたが、だからといって何もできない。

 

「くそッ、クッソォオオオっ!!」

 

 虚しく反響する。だが当然、彼らはそれに動じることはなかった。

 それに、オレは先ほど聞いてはならない名前を聞いた。アリーシャはポンチョの男を『PoH』と呼んだのだ。こいつは聞いたことがある。常時犯罪フラグを立てているとも言われている、攻略行為を妨害している狂ったプレイヤーである。

 

「くそッたれがァッ!! 許さねぇぞ! お前らは情報屋も探している!! すぐにでも見つけだして追い詰める!」

「Suck、そういや取り逃がした情報屋が2人いたか。いつかは殺しといた方がいいかもな……」

 

 クリントは脱出していたが、文脈的に違和感のない答えを導き出すと、逃がした2人とは『アルゴ』と『ミンストレル』のことだろう。こいつらは間接的に関わってくるプレイヤーまで殺しの対象内として捕らえているのだ。

 すると今度は、生殺与奪の権利を奪われたアッドが犯罪者共に時間稼ぎのための会話を投げかける。

 

「くっ……アリーシャさん、でいいのかな? 君は女性だ。前線ではどうしても人の目を引く。今ここで俺らを殺しても、きっとすぐにバレるだろう。だから自首するんだ。そうすればまだ……」

「はぁ? バッカじゃないのぉ。顔が割れたってぇ、ぶっちゃけ接点あったのはこの連中だけ。おたくら聖龍とは無関係なの。街歩いてたってバレやしないわぁ! ……さっき逃げた情けない男にもぉ、顔だけは見られないようにしといたしねぇ~」

 

 アッドに対して小馬鹿にした言い方。今となってはなぜあの態度に違和感をもてなかったのかと、過去の自分を殴りたくなる。ギルド内で「おいしい話には裏がある」と、耳が痛くなるほど教え込まれたというのに。

 だがそんなことをしても、今さら何に気付いても、リュパードとオーレンツさんが生き返ることはない。それでも……だとしても何か、現状を打破する突破口を探さねば。

 生き残りさえすれば、オレはこいつらに報復することができるのだから。

 

「そうだ……ステルベン! お前はどうなんだ!? 顔はギルドの何人かに知れ渡っているし、名前だって正式に登録されている! お前だけが生き残れば誰だって不審に思うだろう。……ギルド脱退が対策になると思うなよ? 名前が判明してさえいば、迷宮区にいない奴をマップ追跡できるレアアイテムもあるんだッ! 街や村で『ステルベン』の名前を聞いただけで、聖龍連合は容赦なくお前を殺しに行くぞ!!」

「能無しも、ここまでくると、傑作だな」

「な、に……っ!?」

「《ネームチェンジ・クエスト》。あれは街外れ(・・・)にある。そう、《圏内》にはない。俺はいつでも、受けられる。そして俺は、1度もあのクエストを、受けていない」

 

 その緻密(ちみつ)な計画性に、オレは声が出せないでいた。

 確かにあのクエストを利用すれば簡単に名前を変えられる。それこそオレ自身、ゲーム開始後の初期段階で使用し、『アルテイシア』なんていうネカマ用のふざけた名前を変更したことがあるのだ。

 そしてあのクエストは、逆に言えば『1度だけなら誰でも受注できる』という権利があるということになる。奴らはそれを悪用しようと言っているのだ。

 

「だが顔は……見られた顔はどうする!? お前のツラだって連合の一部は覚えているぞ? 今後、一生街に入れないのは変わってねぇんだよッ!!」

 

 だがそれを聞いたステルベンは、にやりと口元を歪めると、余裕を崩さずに右手でウィンドウの操作をする。

 すると、彼の身長を覆うほどのロングフードが彼を包み、髪とアイカラーを黒から赤へ。さらに口元以外をすっぽりと隠すドクロ型のマスクを装着すると、今度こそ決定的な一言をオレに投げかけた。

 

「名前も、姿も、変えれば問題ない。元々、未練などない。これが本来の姿。強いて言えば、次の名を決めていないことか。そうだな……」

 

 もうすぐ麻痺が解ける。

 だが同時に、もうすぐ殺されるのだろうと、オレははっきりと感じてしまった。逆転の瞬間は訪れなかったのだと。

 

ザザ(Xaxa)……赤目(アカメ)のザザだ。これがいい。それとPoH、これで条件は、果たしたことに、なるんだな?」

 

 話しながらステルベン……いや、ザザが迫る。利き手に持つ《エストック》カテゴリの得物を不気味に光らせて。

 

「Yesだ、ザザ。そいつのキルで約束通り。お前はユーモラスに満ちている。きっと満たされた日々を送れるだろう。……そこのミケーレとかいう奴」

 

 最後にこの世界における大犯罪者がオレに話しかけてきた。

 身動きのとれないオレは、ひたすら耳を傾けるしかない。

 

「冥土の土産だ。俺達5人はギルドを立ち上げ、そのうち『盛大なパーティ』でもって世界全体に認知させる。……ギルドの名は《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。せいぜい地獄で有名にしておいてくれよ!」

 

 それを境にPoHと「ジョニー」と呼ばれていた男が、無駄と知りつつ抵抗するアッドを、そしてザザが動けないオレを躊躇(ためら)いなく攻撃した。

 目の端に映るHPゲージが見る見る減少していき、ついにレッドゾーンへ。視界が赤く染まり、バーの先端はもうほとんど見えなくなった。

 そして……、

 

「いやっ……だ……いやだあァあああッ!!」

 

 呆気なく、ゼロへ。

 視界が霞む。これは涙だ。

 視界が歪む。これは死んだからだ。

 視界が消える。カーディナル・システムによってオレの体はポリゴン片となり、バラバラに散っていく。ゆらりと焦点に映る英文字は《You are Dead》の短い文のみ。

 ここは浮遊感だけが佇む、真っ黒な世界。

 

「くそ……クソっ! ちくしょう!! オレはこんなところでは死ねないッ! 死ぬわけにはいかないんだ!! 部下のためにも! 残りのプレイヤーのためにもッ!! オレはこいつらを殺して……っ

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 報告。

 『オレンジギルド捕獲作戦』における被害状況。

 死者5名。いずれも《聖龍連合》所属プレイヤー。

 行方不明者1名。こちらも連合の所属で、現在は生死不明。

 捕獲者0名。オレンジカーソルのプレイヤーはなおも逃走中。

 

 《生命の碑》より確認。

 《聖龍連合》ギルドマネージャー『アッドミラル』、《聖龍連合》専属情報屋『クロニクル』、また即戦力新人育成部隊長『ミケーレ』、並びにその部隊員『リュパード』、『オーレンツ』の両2名を含み、計5名の死亡を確認。

 残りの隊員についてはプレイヤーネーム変更の痕跡あり。現在の名前、および行方は不明だが、生存している可能性が高い。連絡手段の一切は遮断され、位置特定も不可能と思われる。

 また、クロニクルの死により、彼の双子の弟である『クリント』が本ギルド脱退を表明。至急、新たな情報網の確立を検討されたし。

 オレンジからの捕縛者は皆無。加えてオレンジの数人は本格的にギルドを立ち上げ、人数を増やしたことでより危険な存在になったものと思われる。ギルドネームは現在特定中。

 被害状況は甚大かつ深刻。本ギルドはこれ以上の損害を被るわけにはいかない。

 この一件から、手を引くことをここに提案する。

 

 

 【聖龍連合ギルドマスターへの作戦結果報告】より抜粋。

 

 



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第七章 笑う棺桶
第44話 人質救出作戦(前編)


お気に入り件数が500を超えました。
読者の皆様、この作品を愛して下さって本当に感謝しております。これからもどうかよろしくお願いしますm(__)m


 西暦2023年10月14日、浮遊城第43層。

 

 ギルドに加盟するメンバーが常に多人数行動をしているかというと、実態は少し違う。その比率が多いのだとしても、プライベートな時間は必ず設けられている。それは大規模ギルドでも例外ではない。

 かの有名な血盟騎士団(KoB)の団長や副団長にもオフの日があると聞く。もっとも、彼らには中小ギルドには回している余裕のない『護衛』と言うオプション付きではあるが。

 ――ボディガードが子供につくなんて、自国の感覚からはなじみもないが……。

 

「(ま、そーいう意味じゃあ小さいギルドで良かったわ)」

 

 上下関係を意識しながら、ヘコヘコ頭を下げるのも頭を下げられるのもさすがにガラではない。

 その点、ロムライルには感謝しなければならないだろう。こうして何気ない観光を楽しみながら、時折り目に入るサービス精神旺盛な女性NPCを眺められる自由な時間も与えられているわけなのだから。

 と、思っていた時期が俺にもありました。

 

「それでね、その42層のボスにラストアタックを決めたギルドなんだけど覚えてる? っていうかあたしの話聞いてる?」

 

 てくてくと横を並走、ならぬ並歩しているのは、現存する唯一の女性ソロ攻略組と名高いヒスイ。

 今日は鉢合わせたのではなく、会うべくして合流している。

 43層の古めかしい静かな街と景色に、久しぶりに感銘を受けながら歩いていた午後。

 珍しくかかとが上がっているブーツで駆け寄った彼女。歩きづらいだろうに、この時点で違和感満載である。

 というのも、着ている服にもやたら新品のような光沢があり、丈の長いタックワンピースとハイソックスのスキマからは、あろうかとか絶対領域がチラ覗き。厚手のジャケットありきとはいえ、10月半ばにしてはやや薄着なのである。

 なんだこれ。エロい。

 普段ナチュラル最低限なだけに、化粧もいつになく奮発しているご様子である。髪型もわずかに手が込んでいるだろうか。前髪は左から大きく耳にかけ、右側は軽く三つ編みにに()って一房垂れている。ストレートだった髪の先端もシュシュらしき布で束ねていた。

 

「(逆に緊張するんすけど……)」

 

 ザ・いつも通りで来た俺は冷や汗ものである。

 何にせよこの大胆さは見慣れない。おまけに、ちょっと近寄ると鼻腔(びこう)をくすぐる『女の子のニオイ』が脳髄を溶かしに来るではないか。げに恐ろしきは魔性の変身術よ。

 対して俺の悲惨なこと。左ひじにゴツい竜骨の籠手と風情に合わない軽甲冑、腰巻マントの文様はまさかのダサい矢絣(やがすり)。なまじ性能重視なアクセは、コーデに合わないバイバルのネックレスで、靴に至っては色をカスタマイズすれば運動靴である。

 

「(なんでコイツこんなに気合入ってンだ……?)」

 

 つい思ってしまう。

 待ち合わせはしたものの、デートをしに来たつもりはないからだ。

 だいたい、攻略組とあればレベリングかマッピング。せいぜい効率的な昼休憩に赴いていなければならない時間である。

 個人的には普通に嬉しいのだが、裏を警戒してしまうのはやはりソロ活動をしていた時の(サガ)だろう。

 しかし俺があまりにもヒスイに関心を向けなかったからか、何だか()ねたようにアインクラッドの現状、すなわち最近台頭してきた超好戦的ギルドについて彼女は延々と語り出している。

 

「(ちょいとワリーことしたかな。その服カワイイね、とか言えば良かったのかな……いや……)」

 

 無理だ。というより、無駄だ。発言には流れというものがある。

 あまり踏み込みすぎると非常に悲しい勘違いを起こし、そのままうつつを抜かしてしまいそうになるので、当たり障りなく場を誤魔化すとしよう。

 

「そもそも知らねんだよな~他のギルドのこととか。えぇとなんだったっけ、マフィン……コフィン、だっけ?」

「ずいぶんラブリーな棺桶ね。って、だいたい聞いてるじゃない」

「ん~っと……カフェイン、コカイン?」

「わざとやってるでしょ!」

 

 半ば呆れた口調で溜め息をついているが、俺とてボスにラスト決めた人間は、顔も名前も所属ギルドもいちいち記憶に留めてはいない。人数が多すぎるからだ。同じように、俺が21層のボスにラストを決めたことも、すでにみんな忘れているだろう。

 ちなみにヒスイ曰く、彼らのギルドは直近の41層戦にも参加していたらしいが、限りなく皆勤賞を果たしているはずの俺のメモリーにも、そのギルドネームはどうやら保存されていなかったようだ。

 

「知らんがな、英語なんて。……そりゃあ、だいぶ前に英語勉強するとは言ったけどさ。SAOには参考書とか売ってねぇし。……で、そいつらがどうしたって? 何か悪さでもしてんのか?」

「そ。なんでも、味方部隊をジャマしてまでラストを狙っただとか」

 

 適当に答えたつもりが的を射ていたらしい。

 最近は俺の所属するギルド、《レジスト・クレスト》のことで手一杯だったため、あまり世間様に目を向けていなかったが、その弊害(へいがい)がこんなところで頭をもたげてくるとは。

 

「ん? ってかラフィン・コフィンって確か……ああ! こないだ有志新聞の端っこに載ってたやつか。レベルはせいぜい『準』のくせに、やたら装備が一級品で、顔も隠してて付き合い悪くて、ついでにデコボコ集団なのにメッチャ攻撃的な少数精鋭ギルドだろう? 思い出した、思い出した。あったなそんなとこ」

 

 顔合わせの回数は未だ少ないものの、記憶がリボーンした。そのギルドの悪名はよく広まっている。

 人前に姿を見せる時は、プレイヤーカーソルは常にグリーン。しかし、彼ら行動を共にしたプレイヤーが行方不明になってしまったり、あるいはゲームオーバー、つまり『死んで』しまったりと怪しい噂が後を絶たないギルドだ。

 だが証拠はない。なぜなら、この世界には戦闘経過記録(コンバットログ)やダイアログボックスといった、いわゆるプライバシーを探れるヒストリが存在しないからだ。

 しかもプレイヤーを隔てるのは『攻撃したか、していないか』である。中間はないし、『殺したか、殺していないか』で仕分けすることができない。これは主にケンカっ早いDDAのことだが、多少の暴力紛いの行為でオレンジになる者も少なからず存在するし、彼らが人殺し(PKer)とは断定できない。

 いかに疑わしくても、モンスターによって殺された可能性も十分に考えられるため、一概に彼らを責められないのが現状である。

 しかし表舞台に現れる場合、毎度メンバーの一部、または全部が入れ替わっていることが多いのもまた事実。その際、オレンジとなったプレイヤーは《圏内》に帰らず、カルマ回復を済ませた『待機組』と入れ替わることで、まるで犯罪を誤魔化しているのでは? とも噂されているほどだ。

 いずれにしても、真相は定かではない。

 

「そうそれよ。通称は『ラフコフ』って言うらしいんだけどね。かなり調子に乗っているらしくて、アスナがほとほと困ってるみたいなの」

「ほーう。KoBが手を焼くほどってことは、もしかしたらホントはでかいギルドなのかもな」

「う〜ん、どうだろ。人数というより、彼らのやり方に乱されてる感じだったわ」

「そっか。……まあ考えてみりゃ、軍が退場している今、そんな人数がどこからわいたんだって話になるか」

 

 一瞬頭を()ぎった可能性を、俺はすぐに捨てた。

 KoBに真っ向から反発できるのは、俺の知る限りあの聖龍連合(DDA)だけ。泣く子も黙る、DDA。余談だがこのアルファベット3文字を聞いた当初、何の英語を略したのかがわからず、後でその由来を聞いてからその厨二臭さに心震えたものだ。

 ――ちょっとだけだぞ?

 

「でもまさか、それ全員が攻略組じゃないだろう? 大変なのはむしろ、治安維持に忙しい軍の方なんじゃないのか。仕事増えてるのあいつらだろ」

 

 犯罪被害、なんて聞くと仰々しいが、実際その多くはボリュームゾーンに留まっている。

 それに、俺がここ最近で聞いた中で最も悪質だったのは《はじまりの街》にいる子供プレイヤー数人の誘拐事件ぐらいだ。

 犯人は未だ捕まっていないらしい。

 子供は騙されやすいと聞く。きっと何らかの八つ当たりで、心の荒んだプレイヤーの犯行だと推測できる。気の毒ではあるが、SAOが殺伐とした世界となり果てたのはすでに1年も前の話。

 結論から言うと、俺達のギルドに今のところ実害がない以上、他人の不幸に興味は持てないということだ。

 

「それがねぇ、そうでもないのよ。わかっててやってるんでしょうけど、KoBが情報の開示をしていることをいいことに、レベリングスポットを独占しようとしたり、あとは巡回ルートに居座って領土の権利を主張したりでもうやりたい放題なの」

「へ、へぇ。かかわらねぇようにしよっと……」

「しかもね、これ幸いとDDAの連中がKoBにちょっかい出すようになったのよ。敵の敵は味方的な? なんだか、聞いててアスナが可哀想になってきちゃって……」

「……なあ、俺がバカなのはもう認めるけど、何となくその犯人わかっちゃったわ」

 

 今度は俺が溜め息を吐く番だった。誰がどう考えてもそのラフコフとやらの存在は、DDAにとって都合が良すぎる。

 なにせラフコフは結成されたばかりで、人数は中規模。だのにDDAとの連携でKoBが迷惑を被っているときている。別働隊(ラフコフ)を利用して印象操作やレベルアップを謀り、一気にトップに躍り出ようとするのはナイスな予想だろう。

 都合のいい存在とは、ポッと出で現れて味方してくれるものではない。

 

「それ絶対DDAのメンバーだって。おおかた『最強ギルド』とか言われだしたKoBにギャフンと言わせるタイギメーブンが欲しかったんだろう」

「『ギャフン』って……イマドキ言うの……?」

「ま、俺の言い方はとにかくだ。DDAは知っての通り、ムカついた奴には脅しにかかる、ってな前科持ちがわんさかいる。いや、それどころかメンバーの数人が同時に……その、殺されたってウワサの……」

「ええ。……28層であった事件ね……」

「そうそれ。当時の最前線は30層だったか? 連中、そん時から一時オレンジ化もお構いなしだしな。正確には5人ぐらいだったよな、死んだの」

「あたしもそう聞いたわ。……ひどい話よね」

「……まあ、結局はやられたらやり返す方針だ。そのラフコフとやらも、正規の連合隊じゃないならヤトった連中かなんかだろ」

 

 日本特有な和のなごみと情緒(じょうちょ)が漂う、緑豊かな坂道。男女2人で歩いている割には、なかなか興の削がれる会話だった。

 がしかし、こちらも攻略組である。

 その最たる大ギルドのいざこざに巻き込まれたら、いち個人としてはたまったものではない。実際、DDAが暴走し始めた30層といえば、ケイタがPoH達に殺された層でもあるのだ。そのせいで俺とDDAとが互いにイラついたまま遭遇(そうぐう)し、派手に衝突してしまった過去もある。

 とそこで……、

 

「んん? あれ、アリーシャかな?」

「え……だ、だれ……?」

「ほら向かい走ってる人。女だからてっきりヒスイも知ってると思ってたけど。……ってあれ? こっち来てる?」

 

 新たなる花……もとい、女性プレイヤーが俺達の元に小走りで駆け寄ってきたのだ

 俺すら舌を巻くほどの一級品装備を身につけ、苦手なはずのウェーブのかかった金髪ではあったが、嫌悪感より親近感が湧くのはなぜだろうか。

 そんな彼女が目の前で停止。ついでに胸元を見せつけるように突き出し、はぁはぁと息も絶え絶えに膝に手を添えるポーズがわざとらしい。

 ――いや、この際どさはワザトだ。

 何となくカンがそう言っている。どういう采配か、隣りにいる黒髪の女からも本日に限って同じ香りがするのだが、はて……。

 だが心に()い寄るよこしまな感想もほどほどに、女の方から話しかけてきた。

 

「はふぅ、みっけたぁ〜」

「よ、アリーシャじゃねぇか。最近よく見かけるけど、どした?」

「よかったぁ、アタシのこと覚えててくれて。3回目ね、ジェイド君。また会えてアタシ嬉しいなぁ~」

 

 彼女はここ3週間ほどで急激に知名度を上げた女性プレイヤー、アリーシャだ。

 二世のような鼻の高い顔立ち、スラっと伸びた整形を疑う細い脚とくびれ、尋常ではない芳醇(ほうじゅん)な果実……まあ、胸。

 しかし見た目に反した孤独事情も把握している。ソロと言うわけではないが、彼女にはこれといった所属ギルドがあるわけではなかったのだ。

 それこそ、たわわな見た目から各所を転々とできる環境が、今なお彼女を1つの組織に縛らないのかもしれない。

 もっとも、基本はソロでも、護衛やら依頼やらをこなして生計を立てるプレイヤーだって存在している。《吟遊詩人》と名高いミンストレルの専属護衛も、元を辿ればそれの延長だ。

 そしてアリーシャもその内の1人だったのだが、約1週間前に彼女と長々と会話してしまったがために、お互いの顔と名前はよく知る仲となっている。最近よく見かけると言っても、前線にいるから見かけるだけで深い意味も特別な感情もないが。

 

「……ね、ねぇジェイド。……この人はナニ? よ、よく会ってるの……?」

 

 ふと不穏なオーラを感じて振り向くと、そこには綺麗な黒髪が全部逆立ちそうなほど邪気を放ち、デンジャラスレヴェルの冷たい眼を俺に向けるヒスイがいた。直接視線を交わしでもしたら、きっと石にされそうな眼だ。

 

「(うっ、俺なんか悪いことした? ……)……え、えぇっとだな。こいつはアリーシャと言って前々層から、その……」

「…………」

 

 「そんなこと聞いてない。この女とどんな関係かと聞いている」なんて、被害妄想じみた声が聞こえてきそうな顔だった。脳に直接声が聞こえてくる的な。

 その剣幕に俺は押し黙ってしまうが、アリーシャはこの状況を楽しんでいるかのごとく軽い口調でヒスイに話しかけた。

 

「あら~? 気付かなかったわぁ、アナタ《反射剣》とか呼ばれてる子よね? アタシはアリーシャ。以後よろしく。ちょっとジェイド君お借りしてもよろしくてぇ?」

 

 金髪たれ目の煽りが酷い。しかもブチンッ、と音が聞こえた気がした。

 さらにびしぃっ! と指をさして髪を激しく(なび)かせながら、ヒスイがアリーシャに抗議する。

 

「いいわけないでしょ! だいたい何なのあなた!? 後から出てきて図々しいにもほどがあるわ!」

「やぁだぁ~、怒鳴らないでくださるー? 暴力はんたぁい。……あ、もしかしてぇ、あたしの愛しいジェイド君が取られちゃうー、とか思っちゃったの~?」

「な……なぁっ……ち、がうわよ! あたしはジェイドと先に約束してたの! もう何週間も前から会おうって言ってたのっ! だ……だから今日は……あたしが……」

 

 ヒスイの顔が熱せられた鍋に投下されるエビのごとくみるみる赤くなっていった。そして変色の進行が耳朶(みみたぶ)辺りまできたところで、そのまま俺を間に挟んでケンカが始まってしまった。

 当の俺はというと、背中に滝のような冷や汗が流れている。

 アリーシャはヒスイの反応に合わせて絶対わざとからかっている。タチの悪い女だが、ムキになっていたことを自覚したのか、少しずつヒスイの勢いが削がれている。

 それにしても、近い内に会う約束をしたのは本当だったが、別に今日だと限定していたわけではないし、そもそも彼女がここまで必死になるとは思ってもみなかった。

 ゲーム開始から3ヶ月に9層迷宮区の《安全地帯》。

 半年後は22層主街区である《コラルの村》付近。

 そして9ヶ月後は36層で初めて解禁されたニューステージ《圏外村》。そこで俺達2人は、なし崩し的に昼食をとっていた。

 そして来月で1年。つまり、成り行きで決まった3ヶ月に1度の昼食イベント――現に俺は、頃合いを見て腕の立つNPC経営のレストランを紹介するつもりだった――の月となる。

 もちろん俺自身、内心では楽しみにしていた。しかし昼食をご一緒する約束は来月のはずで、ここ数日での『会う約束』とやらはただ飯をどこで食うか決める話をする程度だったはず。5分もあれば済む話だ。

 避ける理由もないので、情報交換等の会話については文句などない。だが、それは面倒事が引き起こされなければの話である。

 

「(平和に済むと思ったんだけどなぁ……)」

 

 言い合って疲れたのか、ちょっとだけ黙りこくる彼女たち。

 その場には威嚇(いかく)だけで牽制し合う3人だけが佇むことになる。威嚇し合うと言っても、女性陣2人が龍と虎なら俺は無力な小動物のそれだが。

 もはや逃れる術はない。もしかしたら流れを止めるタイミングを逃し、不悉(ふしつ)を貫いた俺が悪かったのかもしれない。

 クラインあたりに見られたら終わりだ。彼の口にはチャックがない。むしろ歩くスピーカー。

 だがしかし、こうした修羅場を(さば)ききる芸当を俺は授かっていない。もう少しリアル世界で場数を与えてくれても良かったのではないだろうか。いきなり難易度高すぎである。

 しかも拮抗はすぐに終わりをみた。

 

「ヒスイさぁ~ん、アナタにジェイド君を独占する権利はなくってよぉ? 彼は別のギルドに入ってるし、そもそもアナタはぼっちでしょぉ? ぼっち。アハッ……もしかしてぇ、寂しいの~?」

「こ……こんのぉ、言わせておけば! アバズレ女に言われたくないわっ! ムネ隠しなさいよムネ!」

 

 遠くから聞こえるのは、海フィールドがもたらす洪濤(こうとう)のさざ波。雨上がりの空には、満遍(まんべん)なく生命を照らす太陽。その(かたわ)らには、美しき虹霓(こうげい)による7色のカーテン。自然が生み出す奇跡的かつ神秘的な風景。そしてそれを完膚無きまでに滅ぼそうとする2人の乙女達とその激昂。

 終いには「キー! お子ちゃまが調子に乗ってぇ!」や「コンタン見え見えなのよ、この露出狂オバサン!」など、再び聞くに耐えない悪罵(あくば)が飛び交って爆音が応酬するが、音量がよろしくない。

 放っておくとよからぬウワサが立ちかねないので、いい加減俺は仲裁に入った。

 

「オイオイお2人さん、いい加減落ち着けって」

『あァんっ!?』

「スイマセン落ち着いて下さい、落ち着いて下さいスイマセン……」

 

 怖い。掛け値なしで怖い。19層のゾンビ達よりも、あるいは。

 

「……ま、まぁさ。何だかよくわからんけどとりあえずここまで。はいケンカお終い! ……アリーシャ、なんか用があって俺んとこ来たんだろ? 本題に戻ろうぜ!」

 

 まだむっすーとしてたが、ヒスイもようやく落ち着いてアリーシャの言葉に耳を傾ける。

 そしてジャストインジャストタイム的な情報が、彼女から提供されることになったのだ。

 それも、事の重大さは先ほどまでの言い争いをまとめて吹き飛ばすぐらい重く、そして信じがたいものだった。

 

「それ……マジ、かよ? ……もし本当だとしたらタダじゃすまねぇぞ。KoBの問題だろ? アスナとかヒースクリフとか、いったい何やってたんだよ!」

 

 わざわざ俺に知らせるために走ってくれたアリーシャへの感謝も忘れて、俺はその事実を聞かされた直後には動揺してしまった。

 今回の事件は笑って済まされる事ではない。

 場合によっては、多人数戦による本当の殺し合いに発展しかねない。

 

「ま、待ってアリーシャさん。さっきの非礼は……謝らないけど」

「あやまらないんかい!」

「でも待って、それはあり得ないことよ。……KoBはそんなことしないわ。あたしも加入を考えたほど温厚なギルドよ? そんなこと……あたしは信じられない……」

「それでも本当のことなのよ。ま、正確にはちょっと違うわね。正しくは()KoBメンバーの犯行よ。(さら)われたのは間違いなく連合の2人で、情報は錯綜(さくそう)しているけど《吟遊詩人》の調べによるとほぼ確定。その人物は『殺し』目的で連合の人を拉致してるみたいね……」

 

 アリーシャの話し方から甘さが抜けて真剣になっている。2回目に彼女と会った時もこの話し方をされたが、これはつまり状況が切羽詰まっていることの現れでもある。

 以下は彼女の情報をまとめた結果だ。

 

 曰く、聖龍連合(DDA)はKoBと笑う棺桶(ラフィン・コフィン)の小競り合いに本格的に便乗することを決意。その準備に取り掛かっていた。

 曰く、過去にKoBを抜けた『ロン』と言う名のプレイヤーが、そのことをいち早く察し「古巣を荒らされるのは気に入らない」と徹底抗戦を決意。さらに計画された人拐いをして、DDAのメンバーを2名捕獲。なお手口は不明。

 曰く、DDAの現リーダーにインスタントメッセージによる脅迫紛いな交渉条件が提示される。その内容は『KoBに手を出すな。受け入れられない場合は、拘束している2人のDDAメンバーを殺害する』というもの。

 曰く、犯行声明を出したプレイヤーのネーム――つまり『ロン』の名前だ――が、過去にKoBに加入していた団員一覧表にきっちりと記載されていた。捕らわれたDDAの2人と連絡がつかなくなっていることも事実で、今は迷宮区に潜んでいるのか、いかなるプレイヤーにもマップサーチすら使えない。

 

 それらがほんの2時間ほど前に起こったというのだ。

 俺の頭は呑気にも「明日の新聞のトップ記事は間違いなくこれだな」なんてことを考えてしまったが、疑いようもなく大事件である。

 DDAがここまでされたら黙ってはいないだろう。必ず犯人を暴いて公開処刑にするか、それが叶わないのなら腹いせとしてKoBに戦争でも仕掛けかねない。

 そしてアリーシャが言うには、その元KoBメンバーだったプレイヤー『ロン』とやらは、KoBから完全に独立して動いていて、総団長であるヒースクリフの抑止命令などに対しても黙秘しているらしい。

 少し目を離した隙に手の付けられない状態になったものだ。すでに個人で手伝えることの範疇(はんちゅう)を越えている。

 発言力のある人物が大がかりな作戦でも立案してくれれば別だが、俺達にできることはせいぜい『巻き込まれないようにする』ことだけだろう。

 

「すっげぇことになっちまったな。とにかく、俺はレジクレんとこ戻ってこのコト伝えるよ。……ま、できるなら助けに行くだろうな。ヒスイはどうする? アスナはたぶん忙しいだろうし」

「そうね、あたしはアルゴを当たってみるわ。何もしないのは性に合わないから」

 

 宣言すると同時に、ヒスイはマップサーチでアルゴの位置を特定。俺と1度だけ(うなず)き合うと、そのまま《転移門》の方角へ走っていった。

 あとはアリーシャか。

 

「アリーシャはどうするよ? 他のプレイヤーにも同じように広めるか?」

「…………」

 

 俺が話しかけても、アリーシャは惚けたようにしばらく突っ立っているだけだった。

 どこか様子が変だ。

 

「アリーシャ……?」

「へ? あ、あぁ……いえ、何でもないの。前にジェイド君に会った時から変わらないなと思っただけ。……あなたって……他人のために必死になれるのね。素敵よ、そういうのアタシ好きかも」

「ん……」

 

 またもソノ気のない(・・・・・・)見え透いた誘惑に対し、心臓の鼓動を早めてしまった。

 確かに、人の生き死に対して過剰に反応するクセは治っていない。トラウマになっているのかもしれないが、死人が発生しそうな時ほど俺は懸命に動き出すのだ。

 しかし、かくいう彼女も人のことは言えない。どこで聞きつけたのかは知らないが、半月前に知り合ったばかりの俺に無償で報告してくれたのだ。この速度で情報を知ることができたのは(ひとえ)に彼女の功績である。

 

「……と、とにかく! 俺はもう行くぜ。アリーシャも、くれぐれも事件に巻き込まれないよう気をつけろよ」

「ええ、ありがとぉ。レジクレの人達によろしく言っといてねぇ~」

 

 最後にはいつもの甘ったるい話し方に戻っていたが、その会話を境に背を向けて走り出す。

 俺は時々後ろを振り返りながらひたすら足を動かしたが、なぜか彼女は、いつまでたってもその場を動こうとはしなかった。

 

 



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第45話 人質救出作戦(後編)

 西暦2023年10月14日、浮遊城第43層。

 

 ヒスイ、アリーシャと別れて2時間以上がたつ。

 ここは43層主街区《ヴィレシア》の北8区大通りで、俺は道の端でレジクレのメンバーと落ち合っていた。

 ついでにそれぞれ覗き込むように顔を合わせ、(くだん)血盟騎士団(KoB)にまつわる事件について、各々(おのおの)が集めた情報をまとめていた。

 

「メッセージで知らせた通り、いま大ギルド達がヤバいことになってる。ただ、この事件はKoBの総意ではなく、一部の奴が暴徒化したってだけらしい。んでロムライル、俺とルガが持ってきた情報は役に立つか?」

「むしろ短期間でよくこれだけ集めてくれたね。正直驚いたよ。……それで、オレもミンストレルさんに来てもらうよう頼んだから、みんなもう少しここで待っていてくれ。あの~、それとジェミルは悪かったね。《はじまりの街》に残してきた友人と会っていたんだってね? せっかくのオフの日だったのに……」

「いいよぉ。それにぃ、ボクだけ黙って見てるわけにもいかないしねぇ。けどボクらの出番は来ないかも知れないよぉ? このままだとぉ、犯人が自首しない限り流血無しの解決は難しいしねぇ……」

 

 レジクレのメンバーには、事件に巻き込まれた者はいなかった。とりあえずその点にだけは安堵したが、KoBがアルゴをはじめ各プレイヤーに事件解決のための応援を依頼していたのだ。

 ジェミルは「自分達にできることはない」と言っている。しかし誰かが助力してやらないと被害は増々拡大していくばかりである。毎度フロアボス戦がある度にレイドに乗っけてもらっているレジクレも、ここは一肌脱いで彼らに力を貸すべきだろう。

 

「あとジェイド、こっちで裏も取っといたけど犯人は間違いなく元KoBのメンバーの『ロン』だったよ。クォーターポイント戦以来、攻略をしてないらしい。それにしても、今さら古巣のためだけにここまでするものかな……?」

「確かにな。これじゃあまるでオレンジギルドの考え方だ。元KoBだった奴のすることじゃねぇ……」

 

 ロムライルの意見には俺も全面的に同意しておく。

 ヒスイが25層のフロアボス、《リヴァイヴァルファラオ・ザ・ペアギルティ》にラストアタックを決めてから数分後。KoB……と言うより、ヒースクリフが次層を解放(アクティベート)しに行った後には、確かにその人物はいたのだ。

 リンドの抜けた聖龍連合(DDA)のギルドメンバー、怯えきった《軍》の人々、俺とヒスイの他に1人だけいたソロプレイヤー、他にも何人かフロアに()い付けられたようにうつろな瞳のプレイヤー達のなかに、紅白の装備をした男が。

 前に進むことをやめたプレイヤー。ただ無力感に苛まれるようにフロアに座っていた、KoBのユニフォームを身に纏う1人の男性。

 その男、ロンこそが今回DDAのプレイヤーを2人も(さら)ったというのだ。

 しかし人形のように放心していた彼に、ここまでの気迫は感じられなかった。それどころか、攻略を断念した時点で、その精神力などたかがしれているはずである。

 何かがおかしい。道理に適っていない。当時の男にこれほどの行動力など……、

 なんて黙考していると、今度はカズが俺に疑問を投げかけた。

 

「結局ジェイドのが1番役に立ったね。……ずいぶん耳が早かった気がするけど、どこでこんなに聞いてきたの?」

 

 しかし喉につっかえるようなこの疑問は一旦忘れるしかないだろう。なぜなら《生命の碑》で確認した限りロンは今も生きていて、実際に事件は起きているからだ。

 いくら調べてもアルファベット表記で《Lon》は1人。万が一人違いでも彼が犯人でないというなら、その疑惑を晴らすために本人から連絡があってもおかしくない。

 

「ああ、これはアリーシャから……ほら最近、前線にちょくちょく顔出してる金髪の女だよ。そいつがわざわざ知らせに来てくれてな」

「あ~あの人。僕らのところにあいさつに来たのは先週だっけ? いろんなパーティを転々としてるらしいけど」

「アリーシャのことはもういいだろ。それよりジェミル、俺が頼んどいたことは……」

「うん、確認しておいたよぉ。さっきまで友達と《はじまりの街》にいたしねぇ。……メッセージ内容にあった『拉致された人リスト』の名前は1層の《生命の碑》でちゃんと見てきたけどぉ、拉致された人はみんな生きてたみたいだよぉ」

 

 それを聞いて俺とカズは同時に胸をなで下ろす。カズもその言葉を聞くまで気が気でなかったのだろう。

 

「そっか。てことは一応、まだ殺人事件には発展してないっつうこった。どうにかラチされた奴を救出できればいいけど……」

「そればっかりはKoBの手腕にかかってるね。僕らは特殊部隊とかじゃないし、せいぜい待ち伏せ(アンブッシュ)で斬りかかるのがいいとこでしょう……」

 

 消極的なカズの意見を前に、そこであらぬ方向から声がかかった。

 

「いや、そうでもなさそうだぞ」

「おお、ミンス! やっと来てくれたか」

 

 レジクレの会議に闖入(ちんにゅう)者が現れて、俺達4人は一斉に声の聞こえた方を振り向いた。

 そこに立っていたのは、専属護衛が1人雇われているものの、情報屋としてはソロで活動しているザ・地味プレイヤーのミンストレルだった。とは言え、今は本当に1人のようだが。

 

「遅くなってすまない。KoBから聞いたが、任務があるそうだ。もっとも、ジェイドだけかもしれないがな」

「ああ、ところでだな。俺はアンタんとこの『専属護衛』とやらを見たことがないんだけど、ホントにいるのか?」

「いるともさ。しかもこんな時期だからな。四六時中とまではいかないが、なるべく共に行動しているよ。ジェイドとは、そうだな……星の巡りが合わんのだろう」

 

 この台詞は前にも聞いた。いつだったか。

 そうか、あれは夏の深夜の出来事だ。俺とキリトが発案してミンスが後押ししてくれた『PoH鹵獲作戦』の一環で、このような会話があったことを覚えている。

 

「……と、そんなことより時間を有効に使おう。あらかた知っているぞ? 可能な範囲で答えるつもりだ」

「そりゃモチ。金は?」

「コルはすでにロムライル君から前払いで受け取っている」

「あの~、じゃあ早速。みんなも疑問に思ったこと彼にじゃんじゃん聞いてね」

 

 じゃんじゃん聞いてとは言っていたが、そこからはほとんどリーダーであるロムライル1人でミンスとの情報交換を請け負っていた。

 基本はおさらいであったが、そこには新情報も詰まっていた。

 

「《索敵》スキルの熟練度が800以上のプレイヤーを募集、か。オレもジェミルもルガも索敵は取ってない。後はジェイドだけど……」

「俺オンリーってのはそういう意味か。確かにサーチングは取ってるし、熟練度も800を越えてる。派生機能(モディファイ)の『プレイヤー索敵』も取得ズミだ。名前さえワカってりゃあバッチリ追えるぜ。……捜索隊には志願するよ」

「ふっ、ジェイドはやはり死人を出さないためという一点についてだけは過剰に反応するのだな」

「ワリーかよ」

「いやまさか。むしろ良い変化だ。その感覚は大切にしたまえよ」

 

 ミンスは少しだけ愉快そうに口元を緩めるが、どこか自嘲にも似たニュアンスを感じてしまったのは俺の気のせいだろうか。

 もっとも、認めるのは悔しいが、独力では変化の兆候(ちょうこう)すらなかったと思う。周りのおかげでこうなれたのは認めざるを得ない。

 

「とにかく、行くなら急ごうミンス。KoBがプレイヤーを集めている場所まで案内してくれ」

「良かろう、では4人とも付いてきてくれ給え。捜索が終了し次第、残りの3人にも任務が与えられるのでな。無論、参加は有志かつ『念のため』で、出番がないに越したことはないが……」

 

 口を動かしつつも、全員は同時に足を動かして目的地を目指した。

 そして自然公園の一角には、事の異常性を否が応にも認識せざるを得ない人数、3桁に届こうという上層プレイヤー達が集結していた。

 《血盟騎士団》をはじめ、俺の知っているところでは《風林火山》や《SAL(ソル)》、中には大使館的役割なのか《聖龍連合》や《軍》のトップ連中の顔も確認できる。名はそれぞれ『エルバート』と『シンカー』だっただろうか。

 ちなみに《SAL》と呼称されるそれは、《サルヴェイション・アンド・リヴェレイション》のイニシャルを取ったギルド名だ。4層で初めて知り合って、何度かフロアボス戦で共闘したアギンやフリデリックが所属する攻略組ギルドである。ついでに(そろ)ってイケメンのアギン達はギルドのリーダーと副リーダーでもある。

 

「す、凄い人数だね。こんなの初めて見たよ」

「そうだねぇ。……でもぉ、放っておくと人が死んじゃうかもしれないからねぇ。KoBも必死なんだよぉ」

「そっか、ルガ達は知らねぇんだったな。25層戦の時はこんなモンじゃねぇぐらい人いたぜ? まぁ今回はボス戦ですらないから、どっちかっつうと今日のがヤバいけど。……それに、必死なのは死者を出さないためだけじゃない」

「えっ、どういうこと?」

 

 カズは不思議そうに首を傾げる。

 

「いいか、まずKoBにとっちゃまさに身から出たサビ。信用ガタ落ちだ。しかも、今回ラチられた奴はDDAの正規メンバーときている。連中がガチでぶつかり合うとマジ戦争だから、当のKoBもなるべくアラナミ立てないように事を収めたいのさ。軍も一見、助けをヨコしてるけど、最近あった『子供プレイヤー誘拐事件』って覚えてるだろう? あれが起きたのは《はじまりの街》」

「あっ、そうか! いま1層は軍の統制下にあるから……」

「そゆことさ。勝手に《はじまりの街》を領土だとウタっといて好き放題してたのに、まんまとオレンジに出し抜かれてやがる。ミスの帳消し、ってほどじゃないかも知れんけど、まあ罪滅ぼし気分で来てるんだろう。治安維持っつう仕事はちゃんとやっていますよ、ってな」

「な、なるほど……」

 

 しかし人数の多さにはさすがの俺も息を呑んでいた。

 それに集団の中には有名どころのヒースクリフやアスナも見つけたが、その表情ですら一様に厳しいものだった。

 

「ジェイド、悪いがこちらに来てもらえるかな? アスナ君がお呼びだそうだ。私も呼ばれているので急ごう」

「ああ、了解した」

 

 ミンスに先導されて到着した場所にいたのは、ギルドもフレンド登録もしていなさそうな10人と少しのミックスプレイヤー集団だった。

 アスナの全体説明と集団の1人が「ギャラは出るのか?」などと聞いていることから、これらがソロを中心とした《索敵班》であることが推測できた。

 そして次の瞬間にはそれが証明される。

 

「あらジェイドじゃない、やっぱりあなたも索敵班に抜擢(ばってき)されたのね。……せ、せっかくだからあたしと組まない?」

「おおヒスイか、やっぱ人助けはするんだな。……ん? ところで『組む』って何だよ。このメンツで一気に斬り込むんじゃないのか?」

 

 俺が問いを投げかけると、ヒスイは「緊張して損したわ」的な表情を作ってから、ついでに呆れ果てたように肩を落とす。挙動がなにかと失礼な女だ。

 

「あなたねぇ、来たばかりでも察せるでしょう。あたし達は直接戦闘をするわけじゃないの。目的はあくまで敵を見つけるだけで、ミンスさんとアルゴでおおよその迷宮区は突き止めたから、あとはツーマンセルで6つの班にバラけて索敵。最終的にはメイン集団が包囲して無条件降伏をさせようって作戦よ」

「ほへ~、相手の大まかな位置ってこんな早く見つかるんだな。……あ、でもよ。索敵班が先行して探すのはいいんだけど、後続は待機してるのにどうやって迷宮区まで連れてくるんだ? 見つけた奴が出入り口まで走って知らせて、そっから改めて突入なんてしてたら逃げられちまうぜ?」

「それについては問題ない」

 

 あれよこれよと疑問をぶつける俺に、今度はミンスが口を挟んだ。

 

「これのどこが……」

「まあ聞け。まず、突入するのは団長であるヒースクリフを含み、血盟騎士団だけだと思われる」

 

 そこからは順を追って説明された。

 1つ目は敵の数について。おそらく、ロンには複数の加担者がいるはずである。なぜなら捕まったのがわずか2人ペアとは言え、最前線で今なお現役の《攻略組》だからだ。

 いくら犯人が不意を突いたのだとしても、戦力差に辻褄(つじつま)が合わない。消去法で複数犯ということになる。それらに対して武装解除を求めるに当たり、1番有効的なのが純度を100パーセントにした最強ギルドを当てること。

 という、長々とした無駄の多い説明だったが、堪え性のない俺はとうとう質問をしてしまった。

 

「ちょっと待ってくれ、有効的って言ったよな? 言っちゃあなんだけど、それは武装解除じゃなくて単に敵を逃走させちまう可能性の方が高いぜ? 『逃げ』を選択させるのに有効なんだ。力の差がはっきりしてるなら、あいつらは逃げることを優先するからな」

「いい質問だ。君の意見はすでに挙がっている。そこで対抗策として出された案がこの人海戦術だ。十中八九、犯人達は逃走するだろう。しかし場所は迷宮区で、周りはトッププレイヤー達によって包囲……ジェイド、この状況で君ならどうする? 彼らの立場なら」

「あぁん? ……そりゃあ、考えるまでもなく《テレポートクリスタル》とか使って適当に《圏外村》の名前を……あっ!」

「そう、その通りだよ。32層を境に出現して、36層や38、42層と今となっては4箇所にまで増えた新たなエリア、《圏外村》。正式名称は《アンチクリミナルコード無効圏内》だが、ややこしいのでそう名付けられた例のエリアだ。……必ず奴らはそこを利用する。ここで私が先ほど発言した《人海戦術》が役に立つというわけだよ。理由はもうわかるな?」

 

 ここまでヒントを与えられたら、俺でなくても誰でもわかる。

 《圏外村》はNPCによるショップや宿泊施設、果ては娯楽用の建築物も建ち並び、モンスターすら進入してくる『コードがはたらいていない村』のことだ。

 だが他の《街》や《村》と同じで、発声すれば《転移結晶》によるテレポート先に指定することができるのである。これを逆に利用すれば……、

 

わざと(・・・)テレポートさせるのか。《圏外村》がたくさん出てきて、事実上ムリになった『あの作戦』ができるってことだな?」

「フッ、やっと気づいたか。まさにその通りだよ」

 

 至ってシンプルだった。いや、それどころか俺は過去に1度、この作戦を実際に経験して(・・・・)いる。

 あれは8月に入って5日という時間が過ぎ、深夜にさしかかった32層の迷宮区付近でのこと。迷宮区に最も近い《カーデット村》で起きた、そして《PoH鹵獲作戦》として遂行されたほんの半刻の出来事だった。

 ミンスがスパイとして手引きし、それに引っかかったオレンジカーソルのプレイヤーが35層のフィールドにおびき寄せられたことがあった。そして、応援に駆けつけてくれた《風林火山》と《レジスト・クレスト》のメンバーがその2人のオレンジを包囲。追い詰められた2人組は、《転移結晶》で当時の最前線から3層下にある例の《カーデット村》へ逃げ込んだのである。

 だがそれこそ俺達の仕掛けた罠であり、待ち構えていた俺とキリト、また同行していたクラインが、気を抜いたこの2人組を完全拘束したことが前にあった。

 しかしその後、《圏外村》が複数に増えたことで逃走先に分岐が生まれてしまったのだ。

 これにより同じ作戦は通用しなくなった。逃げ場を埋め尽くすほど、大人数のプレイヤーを集めることができなくなったからである。

 大ギルドが個人を狙えばあるいは可能かもしれないが、敵が複数なら相応の膨大な数の協力者を集わない限り、ロジックとしては可能でも『事実上不可能』となったのだ。

 では現在はどうだろうか。

 答えは可能、である。

 なんと今はそれができる。皮肉なことに危機を前に人々は結託した。この時この瞬間においては、無理だと思われていた古くさい例の作戦が通用するのだ。

 

「へ~すっげぇな、よくもまぁこんな忘れ去られた方法を。これってミンスが提案したのか?」

「ああそうとも。もっとも、あまり自慢できたことではないが、この作戦には穴があった」

「へ? どこがダメなん?」

「わからないの、ジェイド? 過去に35層にオレンジ2人を呼び寄せたのはミンスさんよ。そしてミンスさんは、『そっち』のネットワークにかなり顔が利くわ。だからこそ長い時間をかけて2人に接触、信頼関係すら作り上げたの。……でも今回は……」

「ああ、そっか。今回はそんな時間がないんだ。いや、それどころか……ことは一刻を争ってる状況……」

「……残念ながらその通りよ」

 

 ヒスイの言う通りだ。これでは穴どころではない、決定的な欠陥ではないか。

 しかしミンスは焦った態度を取っていない。

 

「もっとも、そこについてももう対策済みだ」

「ど、どうやって!?」

「私とアルゴ君が共同で探りを入れることで、奴らの潜伏する迷宮区が何層かは特定することができた。あとは6つの班に別れて行われる、この高速広範囲索敵が役に立つ」

「それは聞いたって! 結論から頼む〜っ」

「わかったわかった。……まぁ、これは私の案ではなくヒースクリフ団長直々の作戦ではあるが。……いいか、手順はこうだ。まず敏捷値寄りビルドを持つアスナ君を中心に、以下数人の高レベルプレイヤーをあらかじめ迷宮区内で待機させておく。そして索敵班全員に1匹ずつ配布される《メッセンジャー・バット》で、敵を見つけ次第アスナ君に場所を知らせるのだ。そして彼女はその者の元へ全力で駆けつける……」

「モンスターとエンカウントするだろう。その辺どうするよ、時間的に」

「『数人で待機』と言ったはずだ。迷宮区内で待機する人はアスナ君を含みゴドフリー、ウィックマン、クラディールの計4名。エンカウントの度に誰か1人をその場に残すことで、一挙に担ってもらう。言わば、敵を無視して走り抜けるのだ」

「4人にしたのはなんで?」

「走りやすさを阻害するか否かだ。4度目以降は……アスナ君に振り切ってもらうしかないだろう。鍛え上げた敏捷値を存分に発揮してな」

 

 つまり連続なすりつけ(トレイン)の要領で強行突破し、あくまでアスナを目的地へ届けることを優先するわけだ。

 いい策である。ヒースクリフらの機転の利き方は、もう『スゴい』という表現しかできない。スゴい。ヤバい。

 

「そしてアスナ君は《回廊結晶(コリドークリスタル)》を所持している。……あとは理解できるだろう?」

「なるヘソな、そうやってこっちとあっちを繋げる(・・・)のか。……ああ、でもよ……それもおかしいぜ? いかなコリドーとて、確か入り口は入り口にしか使えないし、出口も出口にしか使えない。アスナがその場を出口に設定するのはいいけど、結局そっからどうするよ?」

「フッ、君はもう少し頭を柔らかくした方がいいぞ」

「んだとおぅ?」

「そんな聞き方だと頭の悪そうなチンピラよ。……いい? アスナが持っているコリドーの数は確かに1つ。でも、帰るために使うわけじゃないのよ。それに本隊の待機している場所はここ、43層の主街区」

「あ……ああっ、なるほど!」

 

 やっと理解した。だからKoBの本体は主街区から動こうとしなかったのか。

 《転移結晶》はプレイヤーが街や村の名を口にすることで、使用者をその特定エリアに転移させるアイテムである。

 ということは、アスナがコリドークリスタルの出口をその場に設定し、《転移結晶》で主街区に到着した瞬間、今度はコリドーを使って血盟騎士団を誘導するのだろう。敵は少数の人間に位置を知られた瞬間、いきなり目の前に攻略組の大部隊が現れたかのように錯覚するはずだ。

 それにしても凄まじい作戦である。コリドークリスタルと言えば掛け値なしで滅茶苦茶高価なアイテムなのだ。それを2人のプレイヤーを救出するたてだけに使用するなど……、

 

「(いや、そのぐらいして当然か。なにせ……」

 

 なにせ、この世界での死は本当に現実世界でも死ぬことを意味するのだから。

 もちろん、おいそれと実行できる作戦ではない。協力に名乗り出た残り多くのプレイヤーも各《圏外村》で待機しているし、集めるのだって一苦労だっただろう。血盟騎士団のブランド力があったからこそ、これらの作戦が可能なのだ。

 そしてプレイヤーの命を救うためなら、できることを全てしなければならない。

 

「何にせよ、これで決着がつくのは時間の問題だな。で、出発はいつよ?」

「5分後のはずだがヒスイ君、アスナ君に確認しに行ってくれないか? ついでに決行までの催促を頼むよ」

「ええ、わかったわ」

 

 それだけを言い残し、ヒスイは駆け足でアスナの元へ走っていった。

 しかし、ここでミンスが改めて俺の前に立つと少しバツが悪そうに、それでいて眼光に鋭い何かも含みつつ低いトーンで語り出す。

 

「ヒスイ君がいなくなったことで、改めて君に話がある。真面目に聞いてくれ給え」

「お、おう……」

 

 いったいどうしたというのだろうか。並々ならないオーラを感じるが、ヒスイがいなくなったことで話せる内容とは何だろうか。キケンな告白的なアレでないことを祈るばかりだ。

 

「(なんだぁ? なんで黙ってるんだ、こいつ……)」

 

 そして俺がひたすら待っていると、彼はたっぷり20秒も空けて難しい顔のまま再び口を開けた。

 さらにそれは信じられない内容だった。もしくは『信じたくない』、かも知れない。そんなセリフをミンスは(つむ)いだのだ。

 

「アスナ君、ヒスイ君、アルゴ君、アリーシャ君、きみが接触してきた女性方のなかに……まあ、裏切り者がいる可能性が高い」

「はっ? う、裏切りってどういう……」

「文字通りの意味さ。オレンジ共への情報漏洩。最近続いている事件への関与。今回についても、敵の内通者かもしれない。……いや、断定すべきだろう。そして君にはしばらく、いま挙げた4人の言葉を信じないようにして行動してほしいのだ。……できるな?」

「……な、ん……ッ」

 

 最後の問いに対して俺は、長い間言葉を返すことができなかった。

 

 



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第46話 巨大な犯罪者達(前編)

 西暦2023年10月14日、浮遊城第43層。

 

「なに……言ってんだよ。おい、冗談にしちゃタチ悪いぞそりゃあ……」

「…………」

 

 思いもよらない要求に、反射的に相手をきつく(にら)んでしまった。それでも、彼は無念そうな目線を下にずらしただけだった。

 しかし応える義務はある。仲間に向かって「敵のスパイがいる」と言ったからには、それ相応の理由があるはずである。

 

「……初めからではないだろう。だが、いつからか敵となった。でないと、情報の漏れ方に説明がつかない」

「答えになってねェよ。ショーコがあるならそれを……ッ!!」

「すまないが、物的証拠は示せない。リアルタイムで収集している。……情報屋としての話はここまでだ。この話は周囲に聞かれたくない」

「そりゃねぇだろミンス! だったら俺は何も信じねぇぞ!」

「どう受けとるかは君次第だ。これで失礼するよ……ただ、どうか先ほどの言葉は念頭に置いておいてくれ給え」

「ちょっ、おい!?」

 

 急ぎ足で彼は人混みに紛れてしまった。追って見つけることはできるだろうが、俺は到底そんな気にはなれなかった。

 脳内で反芻(はんすう)される今の言葉が思考を遮るのだ。

 

「(どうなってんだ。アイツが勝手に疑ったとして、じゃあなんで俺だけに? ……まさか俺のプレイヤー関係も洗ってるってことか?」

 

 されど、あり得る話でもある。彼も根っからの情報屋で、公平性を謳うなら俺を含め、誰かに肩入れすることはないはず。

 だとしたら、誰に依頼されたのだろうか。推測しても詮無いことだが……、

 そんなことを考えていると、接近するプレイヤーに気がつかなかった。

 

「お、ジェイドじゃないカ! やっぱりお前サンも来てくれたんだナ!」

 

 死角から声をかけられて強制的に意識を引き戻される。

 つく息も荒く話しかけてきた金髪翠眼の小柄な女性プレイヤー。人の後ろを取る癖でもついているのか、特徴的な喋り方から予想された通りアルゴその人だった。

 

「おう、アルゴ。……ま、今回は思ってた以上におおごとになってるからな。なんせ地味に隠れて殺すんじゃない、犯行声明やキョーカツといったオマケ付きだ。だから……」

 

 当たり前すぎて、普段通りすぎて、俺はつい先ほど忠告されたことを失念していた。

 いま目の前にいる人物こそ、ミンスが疑いを持てと言っていた女性プレイヤーなのだ。

 とはいえどうしたものか。彼女も情報屋として黒いウワサのたつようなことはしていないし、俺は彼女から与えられた情報によって危機に立たされたこともなければ、嘘偽りもなかった。

 であれば当然、救われてばかりの自分に彼女を疑う資格なんてない。

 

「ン? どしタ?」

「あーいや、アルゴはいつもの通りだと思ってさ。ダサいヒゲ生やした、変わった女……可愛いげもある……」

「……と、とうとう頭のネジが本格的にイかれたのカ?」

「そこ、うっさい」

 

 混乱して情緒に欠ける(うわ)ついたことを抜かした俺を前に、アルゴは少しだけ頬を染めつつ苦笑いを浮かべ、呆れたように返した。

 わずかな沈黙が降り注ぐと、互いにどちらともなく笑い出す。

 いつも通りのやりとり。違和感もない。

 ミンスがなんと言おうと事実までは変えられない。もし、俺とこうして何気なくかわしているザレゴトや、今まで数々のプレイヤーに渡していた知識や情報が今後の盛大な企みに備えてのことだったとしたらプロ顔負けの役者だ。

 

「(そうだよな、アルゴは危険をオカしてまで敵のアジトを突き止めたんだ。こいつのはずがない……)……そういや敵の本拠地見つける時、だいぶムチャしたんだってな。見つかってヤバかったって。無事でよかったよ」

「……んん、まぁナ。突き止めた時は色々とふに落ちない(・・・・・・)こともあったガ……まァ、オレっちなりにやれることをやったまでダ」

「たいした正義感だこと」

「お互い様サ。……さっきは『やっぱり』なんて言ったケド、本当は少し意外だったヨ。……嫌みじゃないんダ。ケド、お前サンも晴れてギルドに入ったんだろウ? そっちの安否を優先すると思っていたからナ」

「ハッ、最初はそうしたさ。でも、当の甘チャン達は被害者を何とか助けようってな。《索敵》持ってるなら手伝うべきだって。……まあ、俺もちょびっとだけそのつもりだったけど」

 

 話している途中、アルゴはできの悪い子供の成長を確かめる保護者的な目線を送ってきたことが納得できなかったが、もう慣れてきたという感が否めないのが実に悲しい。

 

「いヤ~、ジェイドも丸くなったもんだヨ!」

「うっせ。マシになったんだからいいだろ」

「初めの内はトゲでも生えてるみたいに危なっかしかったからナ! オネーサンのおかげかネ?」

「なぁ〜にがお姉さんだチビっこめ」

 

 そして、そうこう話している内に、ヒスイが装備を揺らしながらアスナの元から戻ってきた。

 

「あれ、アルゴじゃない。2時間ぶりね。それとジェイド、あたし達索敵班はそろそろ出発だって。行きましょう」

「(ヒスイも疑えってか、ミンス。けどそりゃ難しいってもんだぜ……)……おう、こっちの準備はもうできてっからな。早いとここのムナくそ悪い事件を解決しちまおう」

 

 だがそこで、アルゴがまたしても不安を煽るようなことを言ってくる。口元が笑っていることから推測できるように、理解して楽しんでいるのだろう。

 

「オ、ヒスイちゃんはとうとう2人きりの状況を無理やりもぎ取るまで積極的になったカ! いやぁ攻めますナぁ~」

「ちっ、違うわよアルゴ! アルゴぉー!」

 

 「ニァハハハハッ、まぁ頑張れヨ~!」と捨て台詞を置いて、彼女は凄い速度で走り去っていってしまった。――なんて余計なことを。

 おかげで周りの男共の視線に、そろそろ物理的な攻撃力が発生しそうになっているではないか。広場で堂々とヒスイ殿が話しかけてきた時点でチクチクとした悋気(りんき)は背中で感じていたが、はっきり言ってこれは冤罪だ。俺達の間に邪推されるようなイベントが発生したことがあっただろうか。いや、ない。

 

「なあヒスイ、あんま真に受けねぇで先急ごうぜ? それにほら、みんなもう歩き出してんだけど……」

「うぅ~ん……帰ったら怒る!」

 

 その動物のような姿を見て、俺は思わず苦笑してしまうのだった。

 

 

 

 ミンスとアルゴが共同で突き止めた――と言ってもほとんどアルゴ単独で突き止めたようなものらしいが――という、誘拐犯が立てこもっている層は40層らしい。

 よって俺達《索敵班》は40層の主街区へ、そして血盟騎士団(KoB)はそのまま最前線の43層で待機。残りのプレイヤーはそれぞれ《圏外村》がある32層、36層、42層へと戦力が均等になるように割り振られていた。主街区の《転移門》に到着した彼らは、急いで《圏外村》へと足を運ぶことだろう。

 

「いよいよね、ジェイド……ジェイド? どうしたの、大丈夫?」

「ああ何でもねぇ……なんでも。そ、それよりほら、気ぃ引きシメていこうぜ。索敵は効果とぎれがないよう交互に。んでもって、見つけてもドーヨーしないで冷静に。どっちかが《メッセンジャー・バット》に発見ポイントを記して飛ばす。間違いないな?」

「わかってるって。2度目よ、それ。まったく神経質というか……」

「最終確認だよ、ボヤくな。……おっ、先頭が歩きだしたみたいだ。とうとう出撃か。俺らのルート的には迷宮区に入ってすぐ右だな」

 

 10月6日午後4時5分、救出作戦第1段階開始。

 俺達2人は迷宮区に突入するやいなや無言となり、ひたすら敏捷値の許す限りの速度で走り続けた。

 だが同時に、2人きりになった途端、俺はどうしてもミンスの言葉を思い出してしまった。彼にしては珍しく理屈は語られなかった。だが、ゆえにどこか無視しきれない説得力があったのかもしれない。

 もちろん信じたくはない。

 確かに、俺がスタートダッシュで大衆を捨てたのは、周囲の人間をこれっぽっちも信用していなかったからである。しかし、今さら欺瞞(ぎまん)だらけの性格に戻るつもりもない。

 俺が関わってきた女性は、初対面から冷たい反応をすることがあったかもしれない。馬鹿にされたことだってある。しかしそれは、ある意味ではどこか俺を認めてくれたからこそ許せる、ちょっとした心のゆるみのような慈しみがあった。その距離感を踏まえた上で、互いに軽口を応酬させているのだ。

 1層の時とは環境が違う。

 だからこそ俺は、例え1人だって疑いたくはなかった。

 

「ねぇ、ちょっとルートから外れるけどこっちの道に行ってもいいかな? なんだか怪しい気がするの。隠れるのに絶好のポジションがあるみたいで……ジェイド……?」

 

 それでも俺は、ヒスイの言葉に背筋を寒くしてしまった。

 彼女は今、俺の危惧(きぐ)していることをそのまま言葉にして俺に投げかけてきたのだ。予定にない道を俺に提示し、特定位置に誘導しようとしているかのごとく。

 

「り、理由はそれだけか? 何かワケとか……」

「いえ、はっきりしたものじゃないけど。なんとなく……」

 

 ますます疑いが強くなる。だが、ここであからさまに疑った行動をしてしまえば、「俺はきみを疑っている」と公言しているようなものである。相手を承允(しょういん)させるだけの言い訳がないのなら、強く反発するのもおかしな話だ。

 攻略組として臨機応変な判断力に期待しているのか、捜索範囲は事前に『ある程度変更しても構わない』とも説明されている以上、やはりヒスイの提案を完全に退けるには理由が必要だろう。

 

「……わかった。怪しいなら一応そっちも調べよう。ただし、その……」

「ん……?」

「いや、何でもない……」

 

 なし崩し的にルートは変更された。俺は警戒心の土台を少しだけ底上げさせつつも、彼女の言葉に従ってしまった。

 それもやむなしというものだ。俺は今さらヒスイを否定したくないし、彼女の一挙手一投足をこの目で1年近く見てきたからこそ、彼女の言動に嫌疑を向けたくない。これは本心である。

 彼女だけではない。アスナも、アルゴも、アリーシャも、どうせなら目の前で弱音を吐いたリズを加えてやってもいい。俺は自分の知る範囲の人間を疑いたくはなかった。

 

「(くそっ……どうすりゃいいんだよ……ッ)」

 

 思わず、こっちが弱音を吐きたくなる。

 俺は自身で答えを見つけなければならない。

 ゆえに必死に頭を動かした。《索敵》スキルの結果に注意を向けながら、考えられる可能性を脳内で列挙する。

 ミンスによって挙げられた4人の中で考えるとしよう。

 まずはアスナだ。

 彼女は救出作戦の先導者であり、重要なポジションにもいることから今回の事件でスパイ活動をするのには打ってつけかもしれない。彼女は事件の主導権すら握れる立場にある。まさかとは思うが、これは可能性の観点で言っている。

 次はヒスイ。

 彼女もまた作戦の第一段階、《索敵班》の一員であるため作戦行程で細工を行うのは容易だろう。現に俺との索敵ルートの変更についてはその一環だと言われても矛盾点はない。むしろ内通者だとしたら自然な流れですらある。

 そしてアルゴ。

 言うまでもなく情報屋というものは、その人自身が寝返れば簡単かつ速攻でスパイになれる。二重スパイというやつだ。しかも情報の独占も偽装情報の漏洩も自由自在なことから、もし犯人だった場合の特定は1番困難にもなるだろう。

 最後はアリーシャ。

 今回、俺を巻き込んだ張本人。ただし、今回は事件の規模が大きすぎる。例え彼女がいなくとも、どこか知れば俺はできる限りのことをしただろう。しかし、やはり彼女の発言により俺はこの場にいる。犯罪の加担者なら広める意味は不明だが。

 

「(信用の度合いで言ったら、アリーシャを疑うべきなのかもしれない。……でも……その消去法はなんか違うな。半月前に話した時だって、俺が見てきたオレンジ集団の奴とはフンイキが違った……)」

 

 2週間前(・・・・)。頬を赤らめて笑った彼女は、間違いなく1人の子供だった。

 確かに女性プレイヤーというのはそれだけで珍しい。長い時間が人々を『囚人』から『住人』に変えたように、男性が本能で女性を求めるようになるのは自然なことであるし、性欲が払拭(ふっしょく)されない限り根本的な解決もない。

 だとすれば、それを利用しようとする輩が出てきてもおかしくはない。事実、俺は過去にその手の話を何件も耳にした。

 加えてミンスは徹底的にやるタイプ。ただの憶測ではないはずだ。俺に勧告したからには、それ相応の覚悟ないし、一定の確信を得ているに違いない。

 彼の信頼性は、あの夜から揺るぎないものにもなっている。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 2ヶ月以上も前の話になる。

 熱帯夜の厳しい暑さと高い湿度が(わずら)わしい、8月5日の深夜11時。

 最前線は35層。主街区を《ミーシェ》へと移行していて、俺が《迷いの森》で《回廊結晶(コリドークリスタル)》なども手にし、カズとちょっとしたケンカをしていた日の3日後。

 ギルドの金で《リシュマルド・タロン》なる強力な大剣も手に入れていたし、下層にはもう用はないとすら思ったにもかかわらず、俺は前線から3層も下に位置する32層主街区へと足を運んでいた。

 ここはアインクラッドにおいて初めて、《圏外村》が出現した層でもある。

 

「待ち合わせ場所はここか……」

 

 夜間ゆえ辺りは真っ暗で何も見えない、という事態にはならず、主街区特有の潤沢(じゅんたく)な街灯が辺り一面を光で包んでいた。

 閑散とした大通り。すでにNPCが経営するすべての店舗が店仕舞いをしているからだ。

 しかしこの寂しさは昼間も大して変わらない。放牧的だが白い壁に赤い屋根と、それなりに景色の栄える今の主街区(ミーシェ)に比べても、主街区にしては活気の感じない珍しい層なのだ。

 次層解放というのは本来、フロアボス討伐までに溜まったうっぷんやストレスを解放させる絶好の機会であるはずだったが、開発スタッフもここは小休止といったところか。

 そうして歩いているうちに、俺をこんな貧相な街に召喚した人物を見つけた。

 だが、それ以上に感謝の念を送らねばならない、独特な雰囲気で攻略組のバックアップに励むプレイヤーである。

 ソロの情報屋、《吟遊詩人》ミンストレル。

 日本人男性としては高い身長。下ぶちだけの丸メガネにピンと伸びた背筋。見たところは20代後半に見えるが、設定機能でカラーを変更したのだろう灰色の髪の毛。全体的、包括的なシルエットからも間違いはないだろう。

 ここ1カ月でこの人物と会うのは、ケイタを失ったあの日から数えるとたったの2回目だった。3週間前にこの作戦、『PoH鹵獲作戦』を俺とキリトの2人で彼に協力を仰いだ日以来なので、体感的にはかなり久しい。

 無論、彼と疎遠になっていたのには理由がある。

 

「ようミンス、久しぶりだな。作戦の内容的にしばらく会えなかったのは仕方ねぇけど。ああ、なんつーか……久しぶりだとナニ話していいかわかんねーな」

「ふむ、自然体で構わんよ。それより深夜にご足労済まないね。……まぁもっとも、今回の件は君が強く欲した状況でもある。深夜の呼び出し程度、なんてことはないはずだ」

「そりゃあな。ギルメンとケンカしてでも準備してきたんだ」

「ふふっ。ただ、ほどほどにし給えよ。これはあくまで『チャンス』だ。ゴールではない。もっとも、作戦の一部に携わった私としても、こんな立場を終えられるなら歓迎だが」

 

 相も変わらない聞きづらい言い回しに笑いつつ、俺はもっと違うところで彼と会話ができないでいた。

 それは彼に(まつ)わるよからぬ噂だ。

 プレイヤー関連の情報網に特化した彼は、そのキャッチフレーズが示す通り、多くの人と接触しては彼らの持つステータスや人間関係などを洗っていたと言われている。そしてその饒舌(じょうぜつ)かつ無駄の多い話し方と目に付く頻度から、2つ名で呼ばれますます有名になっていったのだ。

 だが問題も起きていた。金をつぎ込めば優秀な情報屋だが、彼は多くのことを知りすぎたのだ。

 その最たる例が『オレンジカーソルのプレイヤー集団』についてである。

 他の人間に知られたくないプライベートな情報を含み、ミンスと深く関わろうとしたプレイヤーが事件に巻き込まれた、なんて話は後を絶たない。中には「《吟遊詩人》が手引きしている」と主張する人まで出てきたほどだ。

 情報屋の命である『信頼』を失墜させるために、ライバルである他の同業者がプレイヤーを雇ってあることないこと広める手口はすでに周知の手段である。よって、これも氷山の一角なのだろうが、それでも彼は見た目の暗さも相俟って『危険な人間』というレッテルを張られたことが過去にあった。

 28層で《聖龍連合(DDA)》から多くの犠牲者を出してしまった事件があり、その原因が彼にもあったことが、より一層拍車をかけていたようである。

 彼のすべてを疑うわけではないが、やはり情報屋として信頼性だけは失ってはいけない。合理主義者な俺は、どうしてもその事実が脳内を彷徨(うろつ)いてしまう。

 

「(……ま、とは言っても今回ばかりは信用するしかないか……)」

 

 聞けることなら何でも聴いて、見えるものなら何でも視て、できることなら何でもしたい。

 なぜならこれは、今は亡きケイタへの報復と復讐になるかもしれないからだ。

 

「ん……ところでミンス、今日も専属護衛とやらは連れてきてないんだな。っつか本当に一緒に行動してんのか? 全然そうは見えないんだけど。まさか俺のこと避けてるとか!?」

「ハッハッハ、細かいことを。それに極めて主観的でもある。なぜなら私の護衛役からしたら、君こそが彼を避けているのではないかと感じているはずだからだ。お互い様……そういう星の巡りなのだろう」

 

 こいつの話は小難しい上にイメージのつきにくい例え話を持ち出してくる。この不変な態度がいつも通りで安心できるというものでもあるのだが。

 しかし、そうして道なりに沿ってしばらく歩いていると、いくつものプレイヤーカーソルが見えてきた。

 

「あ、キリト? キリトじゃねえか!」

「ああジェイド、あれから(・・・・)会ってなかったな。3週間ぶりか、久しぶり」

 

 そこにいたのは、あの日(・・・)ケイタがこのアインクラッドを永遠に去ってからずっとソロを続けているキリトだった。

 そしてキリトの言った『あれから』というのは、俺とキリトでミンスにオレンジ集団の鹵獲作戦を申し出た日のことだろう。

 さらに少し離れたところには《風林火山》のメンバーも見える。

 攻略組とはいえこんな夜中に……いや、攻略組だからこそこんな下層に一カ所に集まるなんておかしい。当然彼らも説明を受けてここへやって来たはずだ。

 

「急で済まない。あとジェイドには知らせておかねば」

 

 そう言ってミンスがある一転を指さすと、そこには《レジスト・クレスト》のメンツが横並びに立っていた。

 言葉を失うとはこのことである。これは非常に都合の悪いことだった。俺がオレンジ共と斬り合いになる覚悟をしている以上、大事を取って彼らには「来るな」と言っておいたはずなのだ。

 

「ルガ、みんな……なんで……」

「水くさいじゃないかジェイド。今回の目標である『オレンジ2人組』って、あのケイタ君を……その、殺した人の仲間かもしれないんでしょう? ううん、ほぼ確定してるって聞いたよ。そういうのはさ、僕らにも手伝わせてよ」

「でも……あいつらは危険すぎるッ!」

「あの~。ちょっといいかな?」

 

 俺が怒鳴ってカズ達を追い返そうとすると、ロムライルが口を挟んだ。普段通り見た目のゴツさに対して、分不相応な優しい声色だったが。

 

「メンバーが危険にさらされるっていうのは、うちらレジクレとしてはシカトできない。しかもまさか、オレらがリーダーを交代したり無茶なレベリングでケンカしたのも、きみにこんな譲れない理由があったなんて知らなかったよ。……お互い隠し事せずに行こうって、20層の《ひだまりの森》で言ったよね? だからさ……きみをギルドに参加させた以上、ケイタ君の無念を晴らすのはオレらの役割でもあるんだよ。一緒にやろう、ジェイド」

「ロムライル……」

 

 こいつの正義感にはいつも感心させられる。実は何の気ない雑談の節々で右翼発言の目立つロムライルだったが、それでもこいつは強すぎる愛国心と民族愛から、見知らぬ他人のためにも同じことができるのだ。

 その行動力については、俺も彼を見習うべきなのだろう。

 

「さて。積もる話しもあるかもしれないが、ひとまずそれは置いておこう。それに人数は多いに越したことはないんだ。そのぶん、直接戦闘時における危険性も減るのでな。……さてクライン君、キリト君、それとジェイド。君ら3人はメッセージで伝えた通りこのまま迷宮区方面へ、正確にはその付近にある《圏外村》の《カーデット村》へと向かってもらう。手順はいいな? 1番心配なジェイド、説明してみてくれ」

「オイこら、ケンカ売ってんのか!? ……ああ、コホン。えぇまずはですね~みなさん……」

「いや、普通に話せばいいから」

「…………」

 

 カズの突っ込みにより、余計に俺が単なる馬鹿に見えてしまった。俺は多くの人の前で話すことに慣れていないのだ。

 少しだけ自暴自棄になりながらも、話を進めんと真面目になって口を開く。

 

「ま、一応理解はしてるさ。ミンスがおびき寄せると言っている2人は過去に、てか……きっと今も犯罪フラグを立てているはずのプレイヤーだ。そしてこいつらはケイタを……みんなも聞いてると思うけど、《月夜の黒猫団》って少数ギルドのリーダーな。こいつを殺したPoHやジョニーの仲間である可能性が高い」

 

 俺はここで一旦言葉を区切って、俺を囲う周りの連中の顔を見る。そして覚悟が据わっていることを確認すると改めて続きを話した。

 

「そして俺達の目的は、こいつらを攻撃して残りの連中、つまりケイタを殺した張本人の居場所を吐かせることにある。当然、俺達は非マナーを通り越した『犯罪』をはたらくことになる。だけど、俺はあのクソ野郎共を許せないッ! だから力を貸してくれ。……もちろん、無理にとは言わない。俺とキリトで立てた勝手な作戦だ。スパイと誘導ははミンスにやらせちまったけど、たった数人のワガママだ。正直、話を聞いてくれただけでもありがたいと思ってる。それでも作戦に乗ってくれる奴だけこの場に残ってくれ」

 

 俺はまたしても黙りこくるが、誰1人動こうとしない。クラインに至っては「ビビってりゃここには来ねーよ」とまで言ってくれた。

 場の空気に呑まれて言い出せない表情がないかだけ確認すると、今1度全員に告げた。

 

「……ありがとう。汚い手だけど俺にはこれ以上は思いつかなかった。みんなにもイヤな役を押し付けることになる。本当にありがとう……それでミンス、時間の方は?」

「あと30分もないといったところだな。そろそろ配置についておこう。予定の時間に遅れては元も子もない。それに、こちらは奇襲をかける側でもあるのだから」

「ああそうだな。みんなも頼む!」

 

 ここで全員が声を上げて「任せろ!」や「やってやるぜ、人殺しは許さねぇ!」と気合いを入れてくれた。

 俺はそれが嬉しくて、死んだケイタに見せてやりたくなる。

 つい目頭を熱くしてしまったが、しかし今ここで泣くわけにはいかないだろう。

 作戦は、成功はおろかまだ始まってすらいないのだ。

 それに忘れてはいけない。ここでオレンジプレイヤーを捕まえようと、それはケイタへの手向けであることに過ぎないと。そして過去に犯罪をおかした俺にとって、これはただの贖罪(しょくざい)であり、見ようによってはマイナスだったものをゼロに近づける作業でしかないということを。

 

「じゃあミンス、俺らはこの層の《カーデット村》に一足先に向かってるよ。《風林火山》と《レジスト・クレスト》の突入タイミングとオレンジ2人の誘導頼むぜ」

「任せたまえ。私としても聖龍連合の件で迷惑をかけてしまったしな。汚名返上のために全力で当たらせてもらうよ。……それとジェイド、今回ターゲットを捕まえたら、そいつらは私をPoHの共犯者だと叫ぶだろう。だがそれは……」

「わあってるよ! それ含めて作戦だ。いいから、自分のシゴトだけきっちり果たしてこい!」

「……フッ、君に言われていてはわけないな。了解だ、今度こそ行ってくる」

 

 それだけを言い残して、ミンスは転移門の奥へ光と共に消えていった。

 あちらはもう任せてもいいだろう。後はこちらがきっちり仕事をするまでだ。

 

「さぁキリト、トムラい合戦だ。絶対に捕らえるぞ!」

「ああ、必ずッ! でもクライン、お前は関係ないのに付き合わせて悪いな……」

「へっ、よそよそしいこと言ってんじゃねぇよ! わかってんだろ? オレ、《はじまりの街》でキリトに会えてホントに幸運だった。なんたって、あの時受けた数時間のレクチャーがオレを生かしているんだから。……なあ、見合うことぐらいやらせてくれよ。じゃなきゃオレの気が収まんないぜ」

「クライン……」

「おいお2人さん、水を差すようで悪いけどそろそろ出発するぞ。こっちが間に合わなかったんじゃシメシがつかねェ」

 

 こうして俺達3人は主街区を出発。《圏外》へ出てからは一言も喋らずにひたすら足と剣を動かし、迷宮区に最も隣接した圏外村である《カーデット村》へと到着した。

 作戦決行時間の15分以上前だ。

 

「ここが……《圏外村》か……」

「ああ、そして決着の場所になるんだ。……その第一歩にしてみせるッ!!」

 

 

 復讐劇が刻一刻と迫りくる。

 抑えきれない殺意を秘め、その手に凶器を握りしめて。

 

 

 



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第47話 巨大な犯罪者達(後編)

 西暦2023年8月6日、浮遊城第32層(当時の最前線35層)。

 

 現在時刻は深夜0時を回って少し。俺とキリト、そしてクラインはそれぞれ村の一角に辿りつき、作戦前の最後の調整をしていた。

 そこへキリトが発言する。

 

「クラインはこの専用ローブを。俺とジェイドは《隠蔽(ハイディング)》スキル持ってるから、作戦通り時間が来たら隠れよう」

「おう! やってやろうぜキリト、ジェイド」

「ああ、わかってる……」

 

 ようやくだ。時間はかかったが、これで犯罪者達の尻尾を掴めるかもしれない。

 ケイタを殺したクソ野郎共を炙り出して、この手で直接制裁を与えてやるのだ。

 それに俺は、この日のためだけに、連日レジクレを無理なレベリングに付き合わせてきた。俺が一時的にギルドリーダーになってからは、他の3人に強引なこともさせてしまったと思う。

 しかしそれも今日までだ。現に無茶な修業のおかげか、最前線35層に対し俺のレベルは現時点で50。誰が相手でもやすやすと遅れは取らないだろう。

 

「(絶対に……このチャンスを逃さない!)」

 

 そして途方もなく長い、人生における体感速度としては最長とも感じる時間を経て、俺のメッセージタブにカズからの連絡を示すメールアイコンが明滅した。

 

「来るぞッ!!」

 

 俺が叫ぶと同時に2人で《ハイディング》スキルを発動。クラインもローブで全身をすっぽりと覆って、素早く物陰に隠れた。

 《カーデット村》の街灯は少ない。辺りは暗く、木造の小屋が建ち並ぶだけの安全地帯に毛が生えただけのような場所だ。その小屋も古いのか隙間やら穴やら空いているように見える。

 この圏外村はある種お化け屋敷のような不気味さを持っていたが、俺達3人は意にも介さずある一点だけを凝視していた。テレポートクリスタルで村のどの辺りに転移されるかはすでにテスト済みだからだ。

 そして……、

 

「(見えたッ! あいつらが……!!)」

 

 青い光が2つ。眩いばかりに輝き、そして収まるとそこにはカーソルカラーをオレンジに変化させたプレイヤーが2人、静かに佇んでいた。

 風林火山とレジクレが捕まえてくれればそれに越したことはなかったが、どうやら向こうでは逃がしたようだ。それでも、唯一の《圏外村》へ逃げ込んでくるのは計算済み。そのための伏兵だ。

 逃げおおせた2人は、転移が完全に終わるやいなや悪態をついていた。

 

「あのメガネ野郎、俺らを騙しやがった! フザッけんじゃねぇぞ、ちくしょうッ!」

「帰ったらボスに報告だ! 吟遊詩人がオレらを裏切ったってなッ……あん? な、何だお前らッ!?」

 

 瞬間、俺達が一斉に飛び出した。

 虚を突かれた2人の反応は緩慢だった。

 しかし連中の事情など知ったことではない。俺が気合いと共に容赦なく斬りかかると、ザクンッ、という斬撃音が深夜の村に鳴り響き、敵の左手が肘から切り落とされて宙を舞った。誰かが35層ですでに切り込みを入れ、被弾箇所が重なったのだろう。

 そしてほんの少し削られていたHPゲージは、俺達の奇襲によって一気に半分以下にまで落ちた。キリトとクラインが担当したもう1人、《(サイズ)》カテゴリの武器を使用していたプレイヤーもその右手首から先が《部位欠損(レギオンディレクト)》ステータスとして主の元を離れ、データの欠片となって散っていった。

 グロテスクではあったが、流血もなければ斬られた腕は数分もたてば元にも戻るのだ。敵にとってはこの程度で済んで僥倖(ぎょうこう)だろう。

 しかし徐々に状況を飲み込めてきたのか、2人の顔が蒼白になっていった。

 

「これまでだゲス共。降参するならよし、しないなら殺す。1分やるから選べ。……首を縦に振るなら、洗いざらい知ってることを吐いてもらう。口を開かなくても、同じように死んでもらう……」

 

 俺が本気で殺しかねない勢いで剣を構えまくし立てると、2人は完全に怯えきってしまった。

 そして、ほとんど抵抗することなく2人揃って膝をつくのだった。

 

 

 

 それから約半刻。

 念のため2人の犯罪者の体力をレッドゾーンにまで落としておく。アンチクリミナルコード有効圏内に入ると「殺す」という脅しが通用しなくなるため、主街区直前で立ち止まり改めて質問を投げかけていた。

 

「どういうことだ? あんたらをコキ使っていたボスの名前は知っていても、そのギルド名までは教えてもらってないだと? フザケてんのかてめぇら……あァ!? 言わねぇとブッ殺すぞッ!!」

 

 俺が胸ぐらを掴んでさらに脅しをかけるが、彼らは目の端に涙を浮かべて助けを懇願するばかりだった。

 

「ほ、ホントだっ! ホントに知らねぇんだ! ギルドを知るにも、加盟するにも、隠された『試験』がある! なァ信じてくれよ……そ、そうだ……場所ッ、なら知ってる。確か25層の……そう迷宮区だよ! 25層って言ったら、死人が出過ぎて誰も近づきたがらねぇだろ? あそこにボスは……PoHはいるっ! いるはずなんだッ!!」

 

 俺やキリトはこの2人の供述に耳を傾けながらも、心の奥ではハズレを引いたことを確信していた。

 どう考えてもこいつらは下っ端だ。重要なことなど何も教えてもらってはいないだろうし、彼らの証言とて信憑性などたかがしれている。

 

「おっ、キリトとジェイド、みんな合流したみたいだ。ってかこいつらから聞ける情報はもうねぇよ。早ぇとこポータル使って《黒鉄宮》に送っちまおうぜ……」

「…………」

 

 クラインの言う通りだ。俺も限界を悟り、2人の防具から手を放す。

 

「オドして悪かったな。でも、どうしても本当のことを聞き出したかったんだ。25層の話、ウソはないか?」

「な……ないとも。少なくとも俺らが知る限りじゃあ……なぁ?」

「あ、ああ絶対だ。それ以上は本当に知らないんだ……」

 

 俺もいい加減諦めて、2人の体力を全快させてやってから彼らをSAO唯一の牢屋、《黒鉄宮》に閉じこめる作業に入った。情報提供してくれたとは言え、やはり犯罪をはたらいていたことに違いはないからだ。

 そして案の定、初めこそミンスを見て「こいつはPoHに加担している!」と叫んでいたオレンジ2人組であったが、裏切られた現状を認めて最終的には無言のまま《軍》の『クロムオーラ』と名乗る、ごついおやじ顔の人物に引き取られていった。

 

「すまんなジェイド。結局、力になれなかった。君の期待に応えることで、ケイタ君に何もしてやれなかった自分を、その……少しでも許して貰いたかったのだが……」

 

 ミンスが近づき、まるで懺悔でもするかのように(こうべ)を垂れるが、俺としてはそんなことを望んではいなかった。

 

「やめてくれよミンス。俺はあんたを責めてるんじゃない。ただ、ひたすら無力な俺がくやしいんだ。……それに、反省してる。当時は考えもなしにどなっちまったけど、あんたはケイタのために最大限のことをしてくれたさ。今回もな。だから、謝らないでくれ……」

「…………」

「でも、一応聞かせてくれよ。あいつらが加入しようとしてたギルドの名前はやっぱ聞き出せてないか? 今までスパイをしていた時、その……会話に出てたとか……」

「『捉えられればその場で聞ける』、これは君が言った言葉だよ。事前に組織のことを訪ねると怪しまれる。ゆえに聞かなかったし、それに今となっては実行するだけ無駄だったことが証明されている。私が聞いたところで、彼らは知らなかったのだからな」

「……それもそうか」

 

 だが悔しがってばかりいられない。

 気持ちを切り替えてからさらに1時間ほど経過すると、再出前の全ての下準備を完遂させた深夜1時55分。俺達《レジスト・クレスト》の4人と《風林火山》の8人、続いてソロのキリトも合わせた即席13人パーティは25層へと足を運んだ。

 もし本当にPoH達が潜んでいたとしたら連戦となってしまうが、それでも計らずして夜襲を仕掛けられる形になったので賭けに出たのだ。

 しかし俺達が目標ポイントに到達した時、すでにそこはもぬけの殻だった。コソコソと包囲する俺達をどこかで嗅ぎ付けたのか、あるいは斥候(せっこう)のオレンジ2人と連絡が途絶えた時点で潜伏場所を変えたのかもしれない。捕まえるどころか誰1人としてプレイヤーは存在しない。

 (むな)しいまでに、俺達は非力だった。

 俺とキリトの復讐劇はこうして苦汁をなめながら幕を降ろしていく。巨大な敵は、全貌はおろかその片鱗すら掴ませないまま、再び暗闇へと姿を消してしまうのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 しかし所詮あれは作戦の第一弾だ。1回目がダメなら2回目を、それがダメなら3回目を。何度だって繰り返す覚悟はできている。それにあの経験があったからこそ、俺はミンスを信用できるのだ。やはりあいつは口では冷たく言いつつも、コトが重要ならとことん貫き通してくれる。

 そもそも、彼がいなければ進展はなかった。長期的な作戦にミンスが参加してくれたからこそ、俺達は一時的とは言え希望が持てた。

 それゆえに、俺はいま何を、誰を信じていいかわからなくなっている。

 

「(ダァちくしょうっ! ナサけねぇ。何てザマだ、テメェの見てきた人間を信じればいいだけだろうが!)」

 

 俺は決心して立ち止まると、ヒスイも俺にならって足を止めた。

 そして不安な表情を向けながらも俺の正面に立って相対した。

 

「ど……どうしたのジェイド。さっきからあなたの様子、ちょっと変よ? いえ、いつもヘンだけれど……」

「…………」

 

 相も変わらず失礼な女である。しかし、それでこそ俺のよく知るヒスイ、尊敬する年下のプレイヤーだ。本人の前では絶対に口にしないが、いつも支えてくれることに重ねて感謝している。だからこそ、俺は幾戦の危機にさえ何度もこの女に背中を預けたのだ。

 俺は意を決し、問いを投げかけた。

 はっきりさせる。白黒つける。答えの開示されていない問題に対して、らしくもない考え事をするのはもうやめだ。

 

「なあヒスイ、正直に答えてほしい」

「へっ? う、うん……なに?」

「さっきの広場で、なんで俺を選んだんだ? 広場に集まっていたソロの連中は他にもいたろ。……その中で俺に声をかけた。理由を、ここで教えてほしいんだ!」

「へっ、へぇええっ!? や、ちょ……ちょっと待って、選んだ理由っていきなり。でも……や……あの、その……」

 

 指を口元に当てたままヒスイは何だか早業のように頬を、と言うより(まぶた)あたりまでを朱色に染めていたが、何かマズいことでも言ったのだろうか。

 

「(どしたんだコイツ。俺はただ、なぜ俺と行動したかったのかを聞いただけ……)」

 

 そこまで考えて俺も思い至る。

 俺はミンスから無茶な注文を受けて悶々と悩んでいたが、彼女にとってそれは認知しないところの話である。真の意味を理解せずに俺の言葉を文脈から表面上だけでなぞっていくと、そこにはあまりよろしくない誤解を生む可能性があったことに気付いた。

 

「ああいや! 俺を選ぶってのはだな、その……パートナー的な意味じゃなくて、えぇっと……」

 

 もはやパニックである。俺はなにを言っているのだ。

 

「(くわぁあああやっちまったッ! ヤッベェよ、体マジ熱い、ってか絶対火花飛び散ってるって! ……顔ヤバいって俺これ……ッ!!)」

 

 だが互いにひとしきり照れくさったあと、俺達は目が合ってどちらともなく笑い出してしまった。

 

「くっ、ハハハッ……何やってんだろな俺ら。でけえギルドがこんな時だってのに……」

「フフ、そうね。ホントおかしい。……それで、ね。あたしがあなたに声をかけた理由は……ね……」

 

 そこで再び目線をキョロキョロさせて煮え切らない仕種をしたが、次の瞬間にはキッと正面を向き、決意を固めたように俺を直視した。

 

「あたしが……あなたを選んだのは……」

「……お、俺を選んだのは……?」

 

 緊迫した空気が流れる。蛇に(にら)まれた蛙とはこのことかも知れない。

 別に、これ以上問い詰める気はなかったのだが。

 しかも、彼女はここで不思議なチャージを開始した。そしてそのチャージの異様な長さときたら勘弁願いたいものだった。俺はこの間にどんな表情をしていればいいのだろう。緊張の一瞬なんて言葉は、スポーツ中継を聞いている時は本当に一瞬なのに、当事者になってみると拷問のように長く感じるから不思議である。

 

「え、選んだのはね……」

「それは……?」

「その、信用してる……から……?」

「……は、はあ。ナルホド」

 

 「うあぁああっ! 人のこと言えないよ!」などと叫んでいるが、もはや俺に向かって変だのなんだのと言えないご様子だ。子供の初めての告白でもあるまいし、なぜあんなにも溜めたのだろうか。

 

「いや、つっても信用されてンなら普通に俺はうれしいぜ?」

「うぅ……ま、まぁいいわそれで。ホントのことだしね。……あなた、現実世界での学力を悲観してるきらいがあるけど、ゲームのなかじゃかなり優秀だと思うし。……何度も守ってくれたし……」

「ゲームだと優秀とか、実質強みなしって宣言してるぞソレ。……そ、それによく言うぜ。俺はダマされないぞ、どーせ俺がヘタレだから心配ないとかとかそんな落ちだろ。まったく……ヌカ喜びばっかさせてると、いつか男に刺されるぞ」

「…………」

 

 への字に曲げた口元から察するに、彼女の機嫌が悪くなった。

 ――なぜだ、今の俺の言葉はジョークにならないのか。俺ってセンスない?

 

「……ってなあ……ジョーダンでよ。ええっと……ああそうそう、昼間の服可愛かったと思うぞ。いつもより細く見えた」

「それもう遅い。しかも微妙にけなしてる」

「ぐっ……まあ、俺もヒスイと一緒にこーいうのやれてよかったと思ってるぜ。さっき組まないかって言ってきた時さ、やっぱテンション上がったもんだよ」

「……ど、どうして……そう思ったの?」

「(え、そこ掘り下げてくるん? ……)……ああいや……その、なんつうかホラ……ヒスイが俺を更正しようとしたこと、成功してるな~って実感できるから、かな……?」

「…………」

 

 なに言ってんだ俺、と。意味不明発言に(みずか)ら頭を抱えたくなる。態度的にも、相手も右肩上がりに不機嫌になっている。

 だがここで意外な、というより救済目標から助けが入り、逆に救済されてしまった。

 

「あっ、うそ!? ……あたしの索敵にプレイヤー反応複数! 場所も近いわ!」

「マジかよッ!? 他の索敵班じゃなくて? と、とにかく急ごう!」

 

 《索敵》スキルにもいろいろと制約というか、使用にあたっては細かいルールが設けられている。例えば『立ち止まって同じ範囲を索敵し続ける』と、かなり深い部分まで調べてくれる。

 早い話が、時間をかければかけるほど効果が強まるのだ。擬態(ぎたい)隠蔽(ハイディング)スキル、あるいはアイテムによる索敵阻害も、使えば一生姿を隠せる道理はない。

 そして計らずとも、俺達はその状況を作り出していた。

 

「げっ、こんな時にモンスターかよ。ヒスイ! 1発目頼むッ!」

「了解! 大技用意しときなさいよっ!」

 

 モンスター名は《ウォール・オーガ》。その名の通り壁のようにでかく、総HPをたんまり与えられたモンスターだ。それが3体、俺達を阻むかの如く立ち塞がった。

 だがこの層の迷宮区モンスターなんぞ所詮『壁』にしかならない。何体来ようが何秒持つかだ。

 

「せやぁああっ!」

 

 まずはヒスイが先行し、ジャンプと同時に目玉への通常攻撃。怯んだ敵の横からヌッ、と現れた新手に対し今度は《反射(リフレクション)》スキルの初級技、《リペルバリア》を発動。片手斧を弾かれて大きくのけぞった敵めがけて、次は俺が追加攻撃を浴びせんと前に出た。

 

「スイッチ! っけえぇええッ!!」

 

 《両手剣》専用ソードスキル、中級高速袈裟五連撃《アクセル・コメッティオ》。流れ星の如く距離を詰め、一撃目が決まり次第、連続で5回まで回転斬りを浴びせられる、現段階での最上位ソードスキルだ。

 攻撃のイメージは単発袈裟斬り《スラント》の両手剣バージョン、つまり《ヘビー・スラント》を連発する感じだろうか。元々一撃の重さが他の武器の比ではない《両手剣》カテゴリのソードスキル。5連撃というのは十分な多連技である。

 

「ラスットぉおおおおッ!」

 

 体全体を斜めに傾けたまま俺は4回転、つまりスキルで出しうる最大数の攻撃をしたが、連撃は5で敵の数は3。敵のHPは2ヒットで飛ばせたが、最後の1匹はHPゲージをレッドゾーンすれすれにして耐え抜いてしまった。

 

「うげッ!?」

「なにやってんのよ、もうっ!」

 

 《片手直剣(ワンハンドソード)》専用ソードスキル、初級上段単発突撃技《ソニック・リープ》を使用したヒスイが、俺の真後ろからオーガに特攻。そのままラストアタックを決めると、奴を光の残滓(ざんし)に変えてしまった。

 

「まったく、あたしがいないとホントダメね!」

「ハハッ、わりーわりー。……ところでさ、話し戻るんだけど、ヒスイがルート変えた理由。『何となく』つってたけど、実際はあんだろ? なんか言いたげだったぞ」

 

 俺が仕切り直して質問すると、彼女は少し頬を染めて観念したように口を開く。

 

「笑わないって……約束する?」

「おう、男の名にかけてな」

「その……ね、えっとね……昔シズと……ああつまり、お姉ちゃんと公園でかくれんぼしたことがあってね。あたしがしょっちゅう隠れていた場所と地形がよく似ていたのよ。……そ、それだけ!」

「…………」

 

 俺は片手を顔に当てて、思わずくつくつと笑ってしまった。当然ヒスイには怒られたが、これで再確信することができた。

 彼女は疑いようもなく俺の味方なのだと。俺の非行を正してくれた、正義の味方なのだと。

 

「もーう! 笑わないって言ったのに!」

「(疑って悪かったな……)……あんまフクれるとハムスターみたいになってんぜ。……さ、急ごう! また敵がわいちまうからな」

「……なんか誤魔化された気がする……」

 

 文句もよそに俺は再び走り出した。

 そしてものの30秒ほどで目的地に着くと、注意深く目標地点を観察する。

 

「ヒスイ、人いんの見えるか? 一緒に迷宮区に入った他の索敵班じゃない。何人もいるぞ……おっと、ハイドすんの忘れんなよ」

「わかってるって。それに……ばっちりいるわね。数は11。どうやらビンゴ引き当てたみたいよ。きっとあそこに、聖龍連合をさらった『ロン』って人がいるはずだわ」

「ああ、早くアスナに知らせよう」

 

 明度がかなり低くなったキューブ型の安全地帯。そこにプレイヤー反応を多数確認した。詳しい状況は遠すぎて読み切れないが、正確な数を数えると11個。グリーンとオレンジを交えたカーソルがあったのだ。

 誰がどのプレイヤーかなどは、ローブで全身をすっぽり覆っているため判別できない。だが敵もバカではないので、こうした小細工は想定内だ。

 強いて想定外なことを挙げるとしたら、発見した潜伏場所にいるプレイヤーの人数が多すぎるということぐらいだろう。

 

 

「(11人は多すぎるぜ。捕まったDDAは2人だろ? するってーと、逆算で……9人がかりでやったってか? その割には、オレンジカーソルの数は3つしかねーし……)」

 

 

 それでも俺が目を離さずに監視し続ける中で、ヒスイが《メッセンジャー・バット》を解放。その間の監視を俺とヒスイで怠ることなく継続させた。

 そして数分後には、アスナが1人で凄まじいスピードで接近して来るのが見えた。

 1人と言うことはここに到達するまでに、モンスターと最低でも3回に及ぶエンカウントをしたのだろう。

 

「ごめんなさい、遅くなったわ。それで対象は……奥の安地ね。印象の薄い位置だとは思っていたけれど、間違いなくいるわね。しかも11人……!!」

「さあアスナ、コリドーの設定を。こんな事件は早く終わらせましょう」

「ええ。ありがとう、2人共。協力に感謝するわ」

 

 全員で頷き合ってから、アスナがクリスタルを2つ取り出した。

 蒼色に輝く小型のクリスタルと、濃紺色に輝く大型のクリスタルだ。

 

「コリドー、セットアップ。転移、《ヴィレシア》。……すぐに戻ってくるわ」

「おう!」

「任せて!」

 

 アスナの全身が青の光に包まれ、そしてほんの1、2秒で姿を消した。

 さらに10秒後、俺とヒスイの間に青白い光の円ができ上がり、その中から30人近いプレイヤーが一斉に姿を現した。

 敵の武装解除。つまり、無条件降伏させるに当たって彼らは直接その役割を果たさないが、敵に『逃走』という選択肢を取らせた上で改めて待ち伏せによる包囲をする。そのまま完全降伏まで持ち込む手筈になっているので問題はない。

 作戦の第二段階開始の合図だ。

 

「KoB、こっちだ!」

「迅速に包囲しろッ! 投擲班は逃げようとするプレイヤーへの攻撃を許可する! 絶対に外すなっ!!」

「しゃあぁああッ、行くぜぇえッ!」

「犯罪者を囲めぇ!」

「逃がすなよぉ! 奴らを許すなッ!!」

 

 安全地帯を完全に包囲され、奴らの顔には焦りの表情が浮かぶ。と予想していたが……、

 

「(なんなんだ、アイツら……この状況でまだ余裕があるのか……?)」

 

 前言撤回である。よほどのバカか、そうでないのならまだ対抗策を用意しているということか。

 何はともかく、奴ら犯罪者達は座っていた状態から腰を上げただけで、それ以上のアクションを起こす前に呆気なくKoBは敵の包囲に成功した。

 問題は人質。頑丈なロープで縛り付けてあるうえ、ご丁寧に全員がレッドゾーンまで落とされている。斬りかかれば彼らは殺されるだろう。

 

「(く……てか、待て!? こりゃいったいどういうことだ!? ……子供までいるぞ。何でこんなところに3人もガキが……!?)」

 

 しかし俺は、目の前の光景を呑み込めないでいた。

 倒れていたプレイヤーはなんと7人。そして彼らを軟禁していたと思われる主犯格は、たったの4人なのだ。あまりにも多い死にかけ(ニアデス)のプレイヤーを前に、不可解なことが多すぎる。

 元KoBのメンバー、今回誘拐事件を引き起こした『ロン』とやらが誰なのか、その顔まではどうやっても思い出せない。ゆえに、装備で顔を隠す彼ら4人からロンを特定することもできない。

 しかし、問題はそんなちっぽけなことではなかった。

 ここに近づくことで新たに得た情報。それは……、

 

「どうなってんだよ!? 捕まってんのは2人のはずだろ!?」

「……お、おいアレ! 縛られてるのロンか!?」

「ほんとだ……じゃあ、あの4人は……?」

「(はァ!? ンだよそりゃ!)」

 

 部隊の誰かが口々にそう叫んだのだ。

 俺は今度こそ耳を疑った。

 『ロン』が捕まっていると抜かしたのか? だがその人物は誘拐犯、つまり加害者側だったはず。その彼が逆に捕らわれの身として床に転がっているとでも?

 

「(じゃあ、あの4人はいったい誰だってんだ……ん? しかも1人は女か?)」

 

 俺は敵である4人のプレイヤーの1番左端にいた人物に注目した。

 真後ろを向いて顔を伏せているそいつが、女のような骨格をしている。唯一のグリーンアイコンでもある。いま考えるべきではないのかもしれないが、おそらくこいつこそがミンスの言っていたスパイ犯なのだろう。ついでに、これでアスナとヒスイの容疑が晴れたわけだ。

 だが俺はそんなことが頭から消し飛ぶほど重い衝撃を受けた。細々と立つ女性と(おぼ)しきプレイヤーとは対照的にこれ見よがしに堂々としている3人。その中央にいる奴は……、

 

「PoH……なんで、てめェが……!!」

「Hey、久しいな。また会えて嬉しいぜ」

「くっ……ザケんなッ!! てめぇの出る幕じゃねェだろッ! こんなところに……っ」

「待ちたまえジェイド君。彼との間に何があったか知らないが、今はこちらの話を優先させてもらおう」

 

 ヒースクリフの制止が入り、ようやく俺は押し黙った。

 しかしできることなら今すぐにでも斬りかかり、目の前の犯罪者を八つ裂きにしてやりたかった。

 

「(こんな奴がまぎれ込んだせいで……っ)」

 

 こいつのせいでケイタは命を落としたのだ。紛れもない殺人者だ。

 PoHはこの期に及んでまだ薄ら笑いを浮かべている。

 俺のよく知る投げナイフ使いも、両脇に控えるどちらかの人物なのだろう。だがどう言うわけか、俺はPoHのネーム上に表示されたギルドアイコンを知っていた。

 黒い棺桶が2つと、不気味に強調された悪魔の笑顔。このエンブレムこそ《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》が現在も最前線で使用しているアイコンそのものである。

 なんて奴らだ。新進気鋭の少数精鋭攻略組ギルドと謳われた《ラフコフ》は、犯罪者筆頭のPoHを頭にして動いていたのだ。

 信じられないほど大胆なことをしている。灯台もと暗しとはこのことで、実際フロアボスと果敢に戦っていたラフコフの戦闘員が、まさかPoHをギルドマスターに据え置いていたとは考えもしなかった。

 だがこれだけの人数に目撃されたからには、彼らはこれまでのように悠々自適な攻略生活はできないだろう。いくら一級品の装備で厳重に全身をくるんでいても、PoHやジョニー・ブラックなどの数人の古参を除き、平均レベルやステータスはたいしたことない。今後は常に隠れていなければ見つかり次第血祭りだ。

 KoBはともかく、少なくともDDAがこれを知ったら本当にやりかねない。

 

「これはこれはKoBの団長殿。お目にかかれて光栄だ」

「御託はいい。君らのギルド《ラフィン・コフィン》が、そこに横たわっている7人……ロンと情報屋クリント、そしてDDAのメンバーや子供達を監禁している理由とその手口。全てを吐いてもらう」

「く、ククククっ」

「何がおかしい? 逃げ場などない。君達は完全に包囲されているし、抵抗は無駄だ。投降して武器を捨てたまえ。そうすれば……殺すことはないと約束する」

 

 話を聞いているのかいないのか。どちらであれ、PoHはフードの袖の中から濃紺色に輝くアイテムを光らせ、抑揚のない声で、それでいて透き通るような美声を放った。

 

「コリドー、オープン!」

 

 パァン! と。奴が手に持つ《回廊結晶(コリドークリスタル)》は音をばらまいて弾けた。

 

「さあ、コリドーが閉じるまでの1分間! 楽しもうぜ! イッツ、ショウタイムッ!!」

 

 俺は奴を囲むKoBの顔ぶれに戦慄が走るのを感じた。

 危険な歯車は、全員の予想を遙かに超えた速度で回りだす。

 

 

 

 



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アグレッシブロード3 真相

 西暦2023年10月14日、浮遊城第40層(最前線43層)。

 

「ヒヒヒッ。俺らの場所を特定させ、誘拐自体をプレイヤーへ浸透させる。良い感じじゃないか。あとは俺らが本番で殺るだけだァな」

 

 ここは40層の迷宮区で、マップの隅に位置する安全地帯である。石造りの壁と床では寝心地がいいとまではいわないが、こちらの目的が一定期間の潜伏なのだから文句は言えまい。

 そしてこの場にいるプレイヤーはざっと10人。俺とザザとヘッド、そして『餌』の7人だ。

 作戦の前段階で必要になったガキが3人と聖龍連合(DDA)のメンバーが新旧揃って3人。そして今回の事件、主犯に祭り上げられた哀れな元KoBの奴が1人。いずれも終わりの瞬間を待ちわびてここで待機中である。

 そこで唯一喋れる状態の元KoBメンバー、すなわちロンと呼ばれる男が叫ぶ。

 

「あんたらは……ただのクズだ。低俗野郎! いいか、俺はお前達を許さないぞ……仲間がすぐに助けに来るッ!!」

「あ~うっせーなァ。……く、クククっ、あァ斬りてぇッ! 早く斬りてぇよヘッドぉ!!」

「Wait。我慢の利かねえ奴だよお前は。もう少しの辛抱だ。……ザザ、ロープの耐久値はあるんだろうな」

「余裕だ。抵抗したら、殺される。だからこいつらは、抵抗しない。耐久値も、減らない」

「ザザよォ、そのテンション下がるしゃべり方って、何とかなンねぇの?」

 

 俺はわりとマジで訪ねてみたが、あいつは肩を透かして溜め息をつくだけだった。

 意訳すると『変える気はない』らしい。

 

「ちぇっ、まいっか。……おいロンとやら。もうすぐKoBの連中が助けに来ると聞いて、心境どォよ? 期待と焦りが合わさってイカれる寸前なんじゃね? しゃべっていいから、ほら」

「お前らは……本物の屑野郎だ……」

「くっくっく。まさにテンプレ通り!」

 

 ロンは捕まった当初こそ穏便に話し合いで解決しようとしていたが、それが無理だと悟ってからはこの通りだ。ことあるごとにでかい口を叩くようになった。

 それも、この男が『まだ殺されることはない』と確信しているからだろう。捕まった自分に利用価値がある以上、殺されるわけはないと。

 もっとも、この男に付随していた『利用価値』はその大半をすでに消滅させているが。

 

「ちったァ文句の1つも言えるようになったか。上等だよ、いい傾向じゃねぇか」

「くっ……だいたい、なぜこんな回りくどいことを……? 殺しが目的なら、ここまで手の込んだこと……」

「ヒャッハハハァ! いいねいいねぇ」

 

 俺は立ち上がるとロンの正面まで歩いて、その場で座り込んだ。身動きのとれないロンは首だけ俺の方に向け、少しでも情報を引き出そうとしている。

 

「く、クククっ……お前の存在が、この策を立案させたんだぜ? 皮肉だよなァ、ガキ共をかくまってくれたおかげで、それがトリガーとなったンだからさ!」

「どういう、ことだ? まさか……ッ!!」

 

 奴もようやく理解したのだろうが、回答へ辿り着くにはいささか遅すぎたようである。悲痛な叫びも、正四角柱に切り取られた安全地帯に空しく響くだけだった。

 この男は25層戦の惨劇に耐えきれず、KoB脱退の決意をした。そしてそれが、すべての始まりとなった。

 これは俺達《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に仕える情報屋から直接聞いたことと、そして俺が実行した作戦の全ての事象だ。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 春も終盤に差し掛かった5月22日。

 ロンはフロアボスに勝てる見込み――どころか、敵を瞬殺できる可能性が十分にあった中で25層戦へと赴いた。

 だが、結果は知っての通りである。

 討伐こそ成功したものの結果は惨敗。そしてたった1人だけ発生したKoBにおける被害者、ロンにとって親しい友を亡くし、こいつは深い喪失感の中で完全に戦意を失った。

 一種のメンタルダウン状態である。アクティベートに向かったKoBにはついて行かず、1人25層の主街区へと帰って、次の日にはKoB脱退を団長であるヒースクリフに申し出たのだ。

 それから3ヶ月以上が経過した。

 こいつは《攻略組》として過酷な生活をしていた過去の自分と、苦しいことを団員に押し付けて1人のうのうと生き続ける今の自分とのギャップに悲鳴を上げた。

 ここが人間の愚かなところだ。抗う意欲の湧かない己の弱さに嫌気が差したのに、とうとう我慢できず宿を飛び出してしまった。

 行き着いた先は1層主街区、《はじまりの街》にあるしがない教会だった。

 知っていて向かったのではなく、ただ放浪していたらたまたま目に留まったらしい。

 ましてや都合のいい懺悔(ざんげ)ができるとも思っていなかっただろうが、ロンは見えない力に吸い込まれるように教会に足を運び、その門の戸を叩いた。

 

『あら……どちら様です?』

『えっ? あ、ああ。ロンというものです。プレイヤーが住んでいるんですか……?』

 

 意外にも中にはNPCではないプレイヤーがいた。『サーシャ』と名乗る眼鏡をかけた女性に教会内に導かれると、そこで多くの子供プレイヤーを目にしたそうだ。それは正式サービスが始まって以来、サーシャが保護してきた子供達だった。

 そして2ヶ月と少しの間、教会に保護されていた子らと触れ合うことで名前を知り、性格を知り、共に生活できることの楽しさを知った。と同時に思ったのだ。この子達を閉じこめ続けるわけにはいかないと。解放しなくてはならない。大人の自分にはその責務があるのだ、と。

 使命感は膨れ上がり、それは攻略再会の合図となった。

 しかし、それこそラフコフにとって千載一遇の鐘の音でもあったのだ。

 攻略を再開してたったの2週間後のこと。『子供達のうち何人かが姿を消したまま返ってこない。ロンは何か知らないか?』と、教会にいたサーシャからメッセージが届いたのである。

 ロンはメインメニューから探索するも、迷宮区にでもいるのか居場所は掴めなかった。そして子供達は1層のフィールドですら満足には戦えないはずなのだ。

 攻略はすぐに中断され、行方を眩ました子供の捜索が始まる。

 手がかりすら掴めないなか、しかし探す努力をやめなかった。《生命の碑》にラインが引かれない限り、ロンは諦める気などなかったからだ。

 だが進展もないまま時間だけがたつ。満足に食事も採っていないだろう子供達を想い焦ったロンは、切羽詰まったまま1人の情報屋に辿り着いた。

 その人物の詳しい素性すら知らぬまま。

 俺達の仲間だと、疑いもしないまま。

 そうとも知らず、情報を鵜呑(うの)みにし、いち早く失踪の原因と伝えられた現場へと向かった。

 そうやって子供達も狩場に引致(いんち)されたというのに。

 

『お前……達は!?』

『ハッロー! マヌケな羊ちゃん!!』

 

 待ちかまえるのは俺達ラフコフ集団。情報屋を通して位置が筒抜けだったこいつを囲い、力量差を持って制圧することはいとも簡単だった。

 ここまで派手に行動した結果、後に子供プレイヤーを何人も(さら)った凶悪事件として最前線にまで轟く大事件と化したが、やはり俺達の知ったことではない。

 ロンと子供プレイヤーを取り押さえたこの日、作戦の第一段階を終えた日付は10月13日。今の俺達からすると昨日の話だった。

 

 そしてここからは作戦の第二段階。

 と言っても、情報屋1人に誘導を任せている間、第二段階も同時進行していた。それどころか、初動こそ遅くとも完了したのは先である。

 作戦は単純。アリーシャを仲介役として、絶望に扮していた『あるプレイヤー』にあつらえ向きの希望をちらつかせることだった。

 彼女も容姿にだけは恵まれた女性だ。ターゲットは無論男性で、名は『クリント』。無名時代から《クリント・クロニクル》を名乗り、DDAに引き取られてからは《連合のクリクロ》として名を馳せ、今や引退した情報屋の、その片割れ(・・・)

 クロニクルを、つまり最愛の兄弟を失って失意の底に身を伏せる1人の男。

 俺達を嗅ぎ回ったことにより殺すことは確定していたが、表立っていないだけで前回の作戦(・・・・・)ではずいぶん邪魔されたものである。

 いずれにせよ、対象にまともな思考回路はなかった。

 

『お話はとてもありがたかったです。でも、なんで僕にそんな話を……? 売ればきっと大儲けできたのに……』

『やだなぁ〜、お金なんていいのよ。それにアタシのこと覚えてない? ずっと前、あなた達の情報で命を救われたの。だからね……グスッ……お兄さんが死んだって聞いて、アタシとっても心配してたの!』

『そんな……こと……』

『恩返しさせて! アタシ達でお兄さんを生き返らせましょう!』

 

 これはアリーシャの手柄と言っていい。ラフコフの情報屋にはできなかっただろう。

 『蘇生アイテムがある』などと調子のいい話をチラつかせても、そんな事実を情報屋が知っている時点で、もっと急速に広まっていないと辻褄(つじつま)が合わないはずである。なにせ彼らは、それを迅速に売りつけることが仕事なのだから。

 現に1回目はケイタなる人物に相当怪しまれた。最終的にはクライアントが多額のコルを積み込むことで口封じされていたと言い訳したが、今回は情報屋でもなんでもない女性プレイヤーだ。ここが改良点である。

 できすぎの儲け話を持っていたとしても、『自分はわざわざ情報を売り出していない』とでも断っておけば十分筋は通る。実際クリントは、兄のクロニクルを蘇生できるかもしれないというアイテムについて、神の奇跡だと信じてしまった。

 討伐、捕獲系クエストではなく頭脳戦が鍵を握るものだと(うそぶ)かれ、座学に自信のあったクリントはすぐさま宿を飛び出し虚構のアイテム探しを始めることになる。

 これが10月11日。この2日後に捕まえられることがほぼ確定的だったロンやガキを含めれば、5人目の捕獲者誕生の瞬間だったと言えよう。

 

 ここまで来ればあと作業だ。

 第三段階。殺しかけておいたクリントの首元にナイフを突きつけつつ、『DDAのメンツを呼び寄せろ』と脅迫。クリントはDDAの戦力を照らし合わせ、あわよくば撃退できると踏んだ。あるいは『信じた』のか、俺達の指示した通りの文面をDDAメンバーの2人へ送りつけた。

 しかし彼の情報は古すぎた。クリントがオレンジに探りを入れていた頃……つまり29層が最前線だった4ヵ月前よりも、俺達ははるかに戦力を増していたのだ。

 2桁に迫るラフコフメンバーでこれを圧倒。捕獲者はこの時点で合計7人にも及んだ。

 次は元KoBのロンが自分の名を載せつつ、KoBへ『DDAの人間を拉致した』というメッセージを送りつけること。

 やはりというべきか、クリントの判断ミスで攻略組2人があっさり拉致されてしまった事実を前に、ロンは激しく抵抗した。終いには殺されてでもお前らの作戦を阻止してやると、頑なに俺達の要求を拒んだのだ。

 だが作戦の立案者であるヘッドにとって、起こり得るすべての現象は想定内だった。

 捕らえた子供プレイヤーというカードをここで切ったのだ。

 あえて体力ゲージを満タンにしておいたガキ共を連れだし、目の前で『殺戮ショー』を始める。

 とても攻撃用とは言えない食事用のナイフで、ヘッドはじわじわと(なぶ)った。ガキ達は「ロンお兄さん! 助けてぇ!!」なんて必死に泣き叫ぶのだ。そしてHPがレッドゾーンにまで落ちた時、ロンはとうとう観念した。

 言われた通りにすると。

 子供を殺さないのなら、指示に従うと。

 

 

 これは、作戦の全てのフェーズが完了を告げた瞬間だった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 こうしてDDAは元KoB団員による脅迫(メッセージ)を信じ込み、今ではKoBに戦争でも仕掛けかねないほど気が立っている。さらに当の本人であるKoBの連中も事件を引き起こして放っておくわけにはいかず、主街区で対策チームを形成していると聞いた。

 あとは最終段階を待つだけだ。

 それにしても、子供の拉致とその使用方法を耳元で知らせたあの感覚は秀逸だった。遂に心の折れたロンの顔など、思い返してみても傑作(けっさく)の一言に尽きる。

 

「イッヒヒヒ、世の中偶然なんてものはねェ。ちなみに、KoBのフラストレーションを溜めたのも俺達だぜ。DDAがイキるわけだ」

「……この……っ、クサれ外道が!!」

 

 この上なく(しわ)を寄せてロンは俺を睨むが、そんなものは殺しの前の気の利いたスパイスにしかならない。

 財源の確保だってそう難しくはなかった。ラフコフは結成こそしたが、殺しの集団だとは誰も言っていないのである。オマケに金だけは一般人から殺す前に必ずむしり取っているので、おのずと装備は一級品となる。

 目的は、攻略ギルドへの発言権。

 感触ではほぼ達せられたと言ってもいいだろう。強引に割り込んでフロアボス戦にてラストアタックを決めた俺らの部下は、つい最近までノリにノって迷宮区の外で暴れまくっていたところである。

 ロンに送らせたメッセージ、『古巣であるKoBに手を出すな』なる台本も、俺達ラフコフがKoBにちょっかいを出していたからこそ効果が生まれた。

 

「DDAにとっては格好のチャンス……けしかけるよう誘導したわけか……」

「ヒヒッ、いい洞察力だ」

 

 おそらくは、横で猿轡(さるぐつわ)に見立てた布を噛まされて同じように横たわっているDDAメンバー2人とクリントも、さぞかし疑問に思っていただろう。

 しかし、ここでもこの男は冷静だった。

 誇示する力を増したギルドが、自分ら大ギルドをよそに正面衝突している事実。漁夫の利を得ようと、DDAの能無し連中がKoB潰しに取り掛かるのはごく自然のこと。

 

「ま、考えたの全部、俺じゃなくてヘッドなんだけどな! ヒャハハハハッ」

「どうして……そんな、ことを……」

 

 ロンはようやく作戦の全貌を理解したのか、一連の煽動に驚いた声を上げる。それは横にいた新旧お揃いの3人のDDAメンバーも同じだった。

 きっとこんなことを考えているのだろう。

 『だとしても、この男達の作戦がいくつか成功したのだとして、そもそもこんな回りくどいことをする必要なんてないじゃないか?』と。

 もっともな意見である。しかし……、

 

殺人集団(レッドギルド)宣言。……そう、単なるオレンジとは格も存在意義もまるで違う、新たな組織の誕生祭。それを世に知らしめる!!」

「なっ、そんな……たったそれだけのために、こんなくだらないことを……っ!!」

「うっせェんだよッ!!」

 

 俺は立ち上がり様にロンの顔をめがけて蹴りを入れた。

 ドガッ、と嫌な音が聞こえるが、芋虫のように苦しそうな呻き声すら無視してその頭に靴底を乗せてやる。が、ロンは口を動かすのをやめなかった。

 

「ぐ……無駄な、ことを……。因果応報という言葉を知ってるか……ッ」

「黙れ」

「そもそも、グリーンの誰かが主街区まで行って、パブリックスペースの掲示板にでも書けば済む話だ。バカ正直に『私達が殺しています』とな!! ……それが嫌なら、目についた奴から斬りかかって言い聞かせれば済む話だろう」

「ハッ、それじゃあダメだ。この世界にはたった数千人しかいないんだ。残機が少なくてな。手当たり次第はスマートじゃない。そんなんじゃ俺らはいつか捕まっちまうしな。そうさせないために、作戦を用意した」

 

 足を退けると相も変わらず刺々しい視線を感じたが、俺にとってはどこ吹く風だった。

 しかしもっと煽ろうとした瞬間、組織の頭から仲裁が入る。

 

「Heyジョニー、遊ぶのもいいが警戒を怠りすぎだ。アリーシャが来てるぞ」

「ん、ああスイマセンねヘッド。……んでアリーシャ、KoBが来んのはいつ頃だ?」

 

 目線と興味の先をロンから逸らし、安全地帯の出入り口へ向けると、そこにはアリーシャが突っ立っていた。

 若干顔をうつ伏せて暗い顔をしている。しばらく黙りこくっていたが、終いには拉致ったメンバーに申し訳なさそうな視線まで送っていた。

 

「おいおいナニ渋ってんだァ! ほうけてねぇでとっとと報告しろ!」

「待てジョニー。……アリーシャ、答えろ。与えた任務はどうなった?」

 

 ヘッドが改めてアリーシャに聞き直すと、体をほんの少し跳ねさせてから震えた声で切り出した。

 

「あ……あと数分でKoBは迷宮区に差し掛かる。……ここを探し出すのも、そう時間はかからないと思うわ」

「オイオイんだそりゃ!? いくら何でも急過ぎんだろッ! こんなギリギリまでどこほっつき歩いてたんだよテメぇ!?」

「ジョニー! 黙れと言っている。……さてアリーシャ、報告が遅れた理由はあるんだろうな」

「あっ、アタシだってバレないためにはそうそう自由に動けない! それに……さすがにこれはヤバいって。いくら何でも人数が多すぎる。……それに、子供まで……」

「アリーシャ」

 

 ヘッドが名を呼んで感情をコントロールしようと試みるが、蒼白となった彼女は生気を失い、まるで箱入り娘のように縮こまっていた。

 ただの脅しや盗みをはたらく分にはまだよかった。しかし、こいつは殺しに対してそこまで理解を示さないのである。

 『直接殺し』を初めてやった時から思っていたが、どうやらこの女に素質は無いのかもしれない。ケイタとやらを殺す際も結局この女は手をだしていないのだ。少なくとも、殺しの現場へ連れていく機会は減るだろうし、そこはヘッドも感じているだろう。

 

「アリーシャ、お前は複数の命令を与えられつつ、目まぐるしい働きを見せた。だから今回だけは免除してやる。……だが、覚えておけ。次そんなくだらねぇこと抜かしたら、お前が俺らのターゲットになるかもしれない。……いいな?」

「わ、わかってるわよPoH! わかってるわ。……それぐらいのことは……」

 

 アリーシャとの会話はそれっきりだった。

 俺達を避けるように座り込み、そのまま顔の認識阻害効果のあるフードを目深(まぶか)に被ってしまう。

 

「(死人を見るとすぐこれだ。ガキも女も関係ねぇだろうに。殺しを見せんのは今回限りかもな。……それとも、逃げ出す前に始末確定とか? ヒヒッ)」

 

 そこはヘッドの采配によるので俺の管轄(かんかつ)ではないが、彼もおそらく同じ結論を出しただろう。

 ギルド結成時からいる5人。その1人だっただけに少々惜しいが、ここ3ヶ月行動を共にして言えることは、彼女は期待はずれだったということだけである。同情で続けられるほど甘い組織ではない。

 

「Aw,Fuck it。客人が来るならもてなすのが礼儀。ジョニー、おしゃべりは終わりだ。口を縛っておけ」

 

 指示通りロンの口も布で縛り上げておく。そうしてしばらく時間の経過を静かに見届ける。

 そして、ついに命運を決する時がきた。

 

「Come on bitch.KoB」

「スキルに反応。騎士長と、その団員だ。その場に留まると、索敵は優秀だな」

「ヒヒッ、攻めてきたァッ! マジで来たぜあいつら! ……ってなにぃ!? な、なんだこのデタラメな数は!?」

 

 しかし俺は目を疑った。

 《索敵》スキルに反応があったのは初めこそほんの2、3個だった。にも関わらず、数分もしない内に数え切れないほどに増えたのだ。文字通り完全に囲まれてしまっている。クリスタルアイテム無しでの脱出は不可能だろう。

 

「慌てるなジョニー。俺の命令通りに動いていればいい」

 

 ヘッドの言葉を聞いて、俺は取り乱しかけていたことを恥じる。

 そうだ、この男がいれば何も問題ない。その頭脳を信じていれば何も心配なんていらない。彼と共に行動してから、たったの1度(・・・・・・)しかミスなどしなかったのだ。

 1度だけ殺しそびれた連中がいたが、しかしそれも自らを危機に陥れるものではない。

 

「KoB、こっちだ!」

「迅速に包囲しろッ! 投擲班は逃げようとするプレイヤーへの攻撃を許可する! 絶対に外すなっ!!」

「しゃあぁああいくぜぇえッ!」

「犯罪者を囲めぇ!」

「逃がすなよぉ! 奴らを許すなッ!!」

 

 そして迫り来る。30人にも及ぶ攻略組プレイヤーが。

 だが奴らは、俺達を完全包囲したにも関わらず一様にして固まっていた。眼前で縛り上げられたかつての仲間を前に、軽率な行動が取れないでいたのだ。

 

「(連中もどう動くべきかわかんねぇ状態か……)」

 

 何せ主犯だと聞かされていたロンは、目の前で地に伏せている。

 ついでにまったく別の事件だと思われていた子供プレイヤー拉致事件の被害者や、元DDAメンバーであるクリントの姿。

 見ただけで全貌を看破することなどできやしない。特にDDAは無駄にプライドが高い。己らの失態は必ず隠すギルドであり、そしてその特性をヘッドが存分に活用しているからだ。

 きっとKoBは《連合のクリクロ》の生き残りがなぜこんなところにいるかさえ理解できないだろう。

 だが睨み合いは続かず、1人の男が声を荒げた。

 

「PoH……なんで、てめェが……!!」

 

 どこかで聞いたことのある声だった。

 非常に不快な声だ。そしてその解をヘッドが即答する。

 

「Hey、久しいな。また会えて嬉しいぜ」

 

 俺もここで完全に思い出した。あれは17層で3人組をターゲットに定めた時だったか。

 殺しきった方が、むしろ記憶からは薄れる。そう、初めて(・・・)殺しを達成できなかったがゆえ、ジェイドとやらは思い出せた。

 その隣にいる女も当然覚えている。19層でカインズというプレイヤーを殺した時、たまたまターゲットにされなかったソロの女。そもそも《反射剣》と名高い有名プレイヤーだ。

 もちろん、19層で殺さなかった理由はある。あの時の俺とヘッドが『グリーンカーソル限定』縛りの殺しをしていたから――ではない。あれは情けをかけないという建前の通告だ。殺人と言っても女子供には容赦する、などという噂が立つのも目障りなのでわざわざ他に理由を作っておいただけ。

 慈悲があって見逃したのではない。

 ある人物に「あの女を獲物にくれ」と要求され、それをヘッドが受け入れたから。だからあの女はまだ生きている。ただそれだけだ。

 

「くっ……ザケんなッ!! てめぇの出る幕じゃねェだろッ! こんなとこに……っ」

「待ちたまえジェイド君。彼との間に何があったか知らないが、今はこちらの話を優先させてもらおう」

 

 騒がしかったジェイドとやらを遮って、今度はKoBの団長サマが直々に1歩踏み出した。

 団員も固唾を呑んでその後ろ姿を眺めている。

 

「これはこれはKoBの団長殿。お目にかかれて光栄だ」

「御託はいい。君らのギルド《ラフィン・コフィン》が、そこに横たわっている7人……ロンと情報屋クリント、そしてDDAのメンバーや子供達を監禁している理由とその手口。全てを吐いてもらう」

「く、ククククっ」

 

 余裕ぶっている団長サマを拝見すると、確かに笑いが込み上げてくる。俺も堪えるのが大変だ。

 

「何がおかしい? 逃げ場などない。君達は完全に包囲されているし、抵抗は無駄だ。投降して武器を捨てたまえ。そうすれば……殺すことはないと約束する」

 

 作戦の最終段階。それはもう、始まっている。

 ヘッドが隠して見えないようにしていた右手を、裾の奥から覗かせる。その手に発光する固形物を持って。

 

「コリドー、オープン! ……さあ、コリドーが閉じるまでの1分間! 楽しもうぜ! イッツ、ショウタイムッ!!」

 

 ヘッドの右手の中で《回廊結晶》が破砕すると、その真後ろに光のサークルができ上がった。

 さらにそれを見て、俺達を囲むプレイヤーが一斉に身構えた。俺達に逃げられる可能性が発生して、今さらながらに慌てているのだろう。

 

「おぉっとォ、1歩でも動いたらガキの首がトぶぜ?」

「くっ……皆動くな。投擲班、武器をしまうんだ……」

「ククク……いい子だ。さあ、世紀の瞬間に立ち会えた諸君、お前らは運がいい。滅多に見られないショーを特等席で味わえるんだぜ?」

「……ッ!」

 

 いきなり、見ていられないとばかりにアリーシャだけ離脱してしまった。

 もとより彼女の出番は終わっていたため、好きなタイミングで離脱していいとは言っていたが、それにしてもイベントを大切にしない女だ。

 ――まあ、そんな奴は放っておこう。それよりも……、

 

「くぅ~、やっぱヘッドはシビレるぜ! 団長サマよォ、アテが外れたな! ナンとか言ってみろよッ!!」

「くっ……」

 

 ウワサのトップギルドの長も、この時ばかりは対処に遅れていた。

 1秒すら無駄にしてはいけなかったのに、現状打破の考察に時間を要していたのだ。それだけ動揺している証拠でもある。

 

「……要求を聞こう。どうすれば救える?」

「Non Non。助けたいなら頭を動かせ」

「……では聞こう。なぜ……《圏外村》が包囲済みだとわかったのだ」

「こんな時にも情報収集か? クク……あんたが『逃げ場がない』と言った時点でこっち(・・・)を使うことは確定していた」

「ほう、では次だ。《回廊結晶》は高額だ。その資金はどこから得た?」

「死人から。正確には殺す直前のターゲットからだ。金を出すと存在意義が消えるとも知らずにな。クックック、まあおかげで金には困らねぇよ」

 

 30人規模で一様に表情を険しくするのを見ると、ある種壮観ですらある。

 もっとも、そう仕向けている人物はヘッド本人だったが。

 

「……まだ持ち上げる必要があるか? 長い準備期間だったらしいが、ならばお前達の目的はなんだ?」

「やっときたな。目的は宣告だ! ギルドの名は笑う棺桶(ラフィン・コフィン)。史上初の殺人集団(レッドギルド)! 巻かれるだけの大衆はよく覚えておけ! それに、そんなに返してほしけりゃ……ほらよォッ!!」

 

 ガキの首根っこを掴んだまま、それを高く放り投げた。

 前線プレイヤーの筋力値だ。ガキの体が放物線を描くような軌跡でゆっくりと飛ばされていく。

 

「あっ、危ないッ!」

 

 《反射剣》がとっさ叫び、それに呼応して《閃光》がガキを受け取ろうと前に出た。

 だがその前に俺が動く。いや、すでに動いていた。

 ナイフを、空中にいるガキめがけて投げたのだ。

 俺の投擲用ナイフは一点に吸い込まれ、急所である『首』に命中。レッドゾーンだったプレイヤーの体力を余すことなくゼロへ。

 《閃光》は細かい光の粒となったデータの雨を浴びた。

 

「あ、あ……あああッ……!!」

「うわあ! やだ! やだよぉ!!」

「ヒャッハハハハッ!! そ~らよォッ!!」

 

 布がほどけ声を出せるようになったガキが、最後に口から放ったものは絶叫だった。

 パリィンッ!! と。さらにもう1つ。次々と。殺しかけにしておいた全員の命を、ヘッドと俺と、そしてザザで葬っていった。

 あの世へと。

 断末魔のオーケストラ。

 それは、ゆっくりと上昇する打ち上げ花火が破裂する瞬間に似ていた。

 それは、ジェットコースターが昇り切った頂上から射出される瞬間に似ていた。

 脳が焼けるような甘美に深く陶酔(とうすい)する。

 だがこれは茅場の生け贄だ。茅場晶彦の背負うべき罪だ。俺達はゲーム内におけるプレイヤーの『HPゲージ』をゼロにしたにすぎず、脳神経を焼き切るプロセスには関与していない。

 それなのに。

 なぜか(・・・)ヒースクリフの思考と動きが停止していたのだ。

 まるでそれらの全てが自分の責任であったかのように。彼は何1つ命令を下すことができなかった。

 そしてこの沈黙の一瞬は決定的なものとなる。俺達を包囲していた連中が遅れて走り出したが、その数メートルを詰めることすらできなかったのだ。

 人間の感情を利用した心理戦、それに俺達は勝利した。

 

「あばよ愚民ども! せいぜい記憶に刻むことだ! このレッドギルドの名を!!」

 

 俺達の脱出後に、光の輪が消えた。

 これを最後に全ての情報は遮断される。連絡も、繋がりも、手がかりも、機会も、奴らは完全に見逃した。この日この時、俺達を捕らえられなかったことを奴らは後悔することになる。そして恐怖し、畏怖し、戦慄して、おののくのだ。

 楽しい、実に楽しいショウタイム。

 慟哭(どうこく)さえも、俺達には届かない。

 

 

 

 これは後に聞いた話である。

 人質救出作戦に失敗したKoBはDDAから目の敵にされ、しばらく集中砲火を浴び続けることになった。

 そして世界の成り行きを変えた史実として、10月14日を境に《ラフィン・コフィン》の名がソードアートの隅々にまで響き渡った。世界最大かつ最凶のレッドギルドがこの世界に君臨したのだ。

 恐怖はプレイヤーに伝播(でんぱ)する。

 俺達の作戦は、ここでその最終段階までを完全に成し遂げたのだった。

 

 

 



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第48話 華の街(フローリア)

 西暦2023年11月12日、浮遊城第46層。

 

 時は夕方、場所は主街区。そして宮殿の一室のような不自然な遺構(いこう)には、油臭そうな野郎集団が集まっていた。フロアボス討伐のため緊急会議である。

 思えば長いものだ。俺が1層のしがない商業街である《トールバーナ》において、ディアベル主導のもと初めてこれに参加したのが去年の12月2日。ということは、あとほんの少しで1層攻略から1年がたつ計算になる。

 正直苦しいことも辛いこともあった。いや、経過した日数から割合で換算すると、それは楽しかった時間などよりも圧倒的に長かったのかもしれない。

 それでも攻略組は帰還への希望を捨てなかった。極限下にも対応する適応能力、そして着実に進む攻略状況がわずかな希望をもたらし、俺達は現在もなお前進し続けている。

 実際、手慣れたものだと思う。

 初めのうちは何を話せばいいのか、攻撃役と防御役はギルドを無視するべきか、そもそも攻略の時だけ参戦するメンバーを信頼していいのか等々、とても万全とは言えない形で挑むことも往々してあったものだ。

 それが今では会議の話はスムーズに運ばれ、ものの15分足らずでそれらは終了。30分だけ武器のメンテナンスと各種ボス戦対策の所持アイテム調整時間だけ設けられたら、あとは実質自由時間だった。

 ちなみに俺はというと、その時間を有効活用するために、初めて立ち寄った狭い鍛冶屋でメインアームの最後のプロパティアップをしているところだった。

 

「(ん~、やっぱ速さ(クイックネス)正確さ(アキュラシー)補正は剣を振る感覚から変わってくるからなぁ)」

 

 だが俺はその肝心の強化内容に少し迷いが生じていた。

 『システムアシスト』というものは、脳死でひたすら受ければいいというものではない。

 例えばラストアタック。

 ターゲットの体力ゲージをあとほんの数ドットまで追い詰めたニアデス状態で剣技(ソードスキル)を発動した場合、それはきっと『オーバーキル』として扱われるだろう。そうなれば行動遅延(ディレイ)、悪ければ行動不能(スタン)状態になってしまうかもしれない。パーティハントならいざ知らず、ソロ活動をしている最中の集団Mob相手ならこれらは致命的なロスである。

 つまりボス戦前の武器強化とは言え、何でもかんでも強くすればいいわけではないのだ。例えば《重さ(ヘビィネス)》補正なんて最たるもので、一撃の重みと引き替えに剣を振る感覚がわずかに歪む。

 ちなみに《両手用大剣》カテゴリの武器は基本硬く、重い。丈夫さ(デュラビリティ)や《ヘビィネス》をいじるまでもなく、端から特徴の一部に組み込まれている。だから、本来なら不足しがちのアキュラシーやクイックネスに割り振りたいのだ。

 だが先述の通り現在はボス戦前。

 

「(ん~悩ましいけどしゃあない! ここは無難に鋭さ(シャープネス)を強化して、とりあえず切れ味の確保だけでもしとくか。金はあんだし……)」

 

 妥協を避けるタイプの俺にとって、この選択は断腸の思いだ。

 しかし時間がないのもまた事実。俺1人が相棒のプロパティ編成に悩んだからと攻略を遅らせるわけにはいかないので、大人しくNPCにシャープネス用の強化素材を出してもらうよう頼む。店頭に張り出されていた手作り感あふれる売買表の相場に合わせ、コルをストレージ内から物体化させた。

 そしてそれを手渡しつつ、2分ほどの待機時間を経て無事強化に成功した今の愛刀《クレイモア・ゴスペル +6》が返ってきた。内訳は3Q2A1Sで、至ってありがちなプロパティ構成(ビルド)だ。

 しかし改めて数字で見ると、やっぱり違和感。アキュラシーに振ればよかったと絶賛後悔中。

 

「(ま、いいか。強化上限はまだだし)」

 

 非常に重量のある無骨な鉄塊で、特殊能力こそないがそこも含めて気に入っている。まず製造法が好きだ。同金属レアメタルインゴットを大量に使用した古式鍛造方式で、飾り気のない、よく言えばシンプル悪く言えば地味な両手剣は、今となっては背中に納めていないと落ち着かないレベルで俺に馴染んでいる。

 11層主街区である《タフト》で、メインアームを《フィランソル》から《ウェスタンカルテ》へ、そして16層迷宮区でのレアドロップで片刃の大曲剣《ブリリアント・ベイダナ》へと変更する頃には、1本1本の武器に換えの利かないユニーク性が出ていた。俺は比較的早い段階で大業物であるベイダナを手に入れていたが、そうでなくても攻略組は遅くとも23~24層の時点では、メインアームを『ソードアートで唯一の相棒』として各々(おのおの)大事に扱ってきただろう。

 俺にとってゴスペルも他の剣に代え難い俺の半身となっている。

 当然、22層から34層まで使っていた悪趣味な骨塊刀《ファントム・バスター》や、そこから44層まで使っていた両刃の焼尽剣《リシュマルド・タロン》のことだって忘れてはいない。今でも抱き枕にして眠れるほどだ。

 しかし今の俺にとっては、やはりこの《クレイモア・ゴスペル》こそが攻略を共にする相棒である。

 

「あら、シャープネス強化?」

 

 と、そこで後ろから声をかけられて俺はその声の主を悟りながらもら少しだけ躍らせて振り向いた。

 予想(たが)わず相手はヒスイ。相変わらずきめ細かい黒髪とスレンダーな脚が艶めかしい。

 

「よ、おひさ」

「久しぶりね。この間会った時はアキュラシーを上げたい、とか言ってなかったっけ」

「そんな前のことよく覚えてるな。……いいんだよ。今は非常時、つーかボス戦前だから、あんまイジると剣が鈍る」

「ふふっ……いえ、ごめんなさい。でも何だか可笑しくって。あたし達、真顔でおれの剣が鈍る~なんて言っちゃってるのよ? ふふふっ、異常だったなはずが、すっかり日常になっちゃったねぇ」

「あ……ああ、そうだな。ハハッ、何かハズいな。今さらだけど」

 

 俺もつられて苦笑い。

 今でこそ寝ても覚めても剣や防具、またモンスターとの戦闘や迷宮区のマッピングなどの効率化方法を日夜頭に浮かべているが、本来ゲームに住むキャラクターでもない俺達が、勇者よろしくこんな会話をするなんて夢にも思わなかったのだ。

 

「ずいぶんたったよなぁ。もうすぐ半分だぜ? 俺やヒスイなんか、ずっと、ずぅっと頑張ってきたもんな」

「……1層から、って意味ならあなたの方が長いけどね」

「んなこたねェって。それに……ヒスイがいなきゃ俺、どっかでノタれ死んでたか、もしくはオレンジの仲間入りだ。マジでサンキューな」

「な、なによ急に。別にあなただけ特別ってわけじゃないから! 他にも更正した人なんてたくさんいるし。……そ、それにジェイドはその素直さをレジクレの前でもやるべきよ。あの人達も筋金入りの善人よ?」

「ああルガ達な。……いいんだよこれで。それに、こんぐらい大雑把につき合っといた方があいつらのためにもなるしさ」

 

 話しながら今度はヒスイがプロパティアップの作業に入った。

 ひと月前に会った時、『プロパティ変更』の強化ミスが起きたことを覚えている。もっとも、アップしてしまったのは《アキュラシー》であり、もともと強化しようとしている《クイックネス》の次に強化しようとしていたものらしい。順番が少しばかり狂ったのと、特定素材の採集狩り地獄が多少延びただけだ。

 待っていると彼女の剣も無事強化を終えたのか、ご機嫌な顔でくるっと振り向いた。確か彼女のもレアドロップもので、銘を《ファン・ピアソーレ》とする業物だったはずだ。すらっとした剣身に彼女そっくりの黒い鍔と柄。お気に入りだと言っていたのを覚えている。

 この世界でいう剣の強化とはまさに自身の強化でもあるため、さぞ嬉しかったのだろう。

 

「ふふっ、強化成功~っと。リアルラックって言うのかしら。これって9割にして失敗する事もあれば、今回みたいに8割もないのに成功することもあるよね」

「そりゃあな。武器強化なんて毎日行われてることだから、例え1パーセントの確率でもちょくちょく目に付くのがMMOってもんだ」

「そうね。あ、あたしはこれで失礼するわ。この層も死者無しで抜けましょ」

「おう! んじゃあな」

 

 手を振って彼女を見送っていると数秒後には唐突に肩をたたかれていた。

 俺は「ん?」となりながらも振り向くと、何とそこにいたのは攻略組小ギルド《サルヴェイション&リヴェレイション》がリーダー『アギン』その人だった。

 髪はロングでの基本色は黒だが赤のメッシュを入れて個性を出している。その脇には付き添いのように『フリデリック』の姿も見受けられる。彼は金髪で、アギンとは印象も変わって髪の長さはショート。2人共長身なうえに、とても女受けしそうないでだちである。超イケメンだ。現実世界の体を忠実にコピーした今のアバターから判断すると、彼らは着痩せするタイプと見える。

 それにしてもここの鍛冶屋はかなり穴場のはずだが、まさかヒスイ以外にも人が来ていたとは。

 

「よっ、おひさ」

「あいさつパクるな。……ま、久しぶりだな。フリデリックも。そういやレジクレと違って、SAL(ソル)は今回フルメンバーで討伐隊に参加するんだっけか」

 

 2人とも4層からの戦友と言って差し支えないだろう。考えてみればお互い同意の元で共闘したのはヒスイやクラインのギルド、また彼ら2人と共に《ザ・ヒートヘイズラビット》を討伐した時が最初なのかもしれない。

 1層のキリトやアスナがカウントされないのは、俺が半ば強引にチームへ滑り込んだにすぎないから。少なくとも当時のアスナには俺の参加を嫌がっていたようなイメージもある。

 しかしアギンの奴がすっかり黙り込んでいる。俺の顔に何か付いているのだろうか。

 

「なあジェイド、おれは今までお前のことをデキの悪い弟かなんかだと思ってたよ。歳の差はあるけどさ、なんかこう、恵まれない薄幸者っていうか」

「うっ、そりゃ間違っちゃいねぇけどひどい物言いだな!」

 

 しかしアギンの例えはやや意味不明な感じだった。的外れと言うか、まるでこの短時間で俺に劇的な変化でもあったかのような。何か伝えたいことがあるのだろうが、意味深発言が大好きなミンス並に遠回しな言い方である。

 そんな俺を無視して彼は続けた。

 

「低層の頃からなんだかんだで付き合い長くてよ。ジェイドが悩んだりつまずいたりした時は、何度も相談に乗ってやったものだ。なあ?」

「ま、まあそうだな……どうした今さら」

「そこでおれ達は約束したはずだろう。女関係も逐一俺に報告するってな。ジェイドに悪い虫がつかないか、目の肥えたおれらがきちんと見極めてやるってのに」

「いやそこは違う! そんな約束はしてねぇぞ!?」

 

 とうとうおかしな発言まで出てきてしまったので一応止めに入る。と言うより今のはどういう意味だ。

 もしかするとヒスイのことを言っているのだろうか。とすれば、それは勘違いも甚だしい。

 

「あのなぁ、何となく言いたいことは理解したよ。どうせヒスイのことだろ? 言っとくけど、俺とあいつはマジで何もねーぞ」

「嘘付け、おれは知ってんだぞ。幾度もボス戦で声を掛け合ったりチーム組んだり。『あの事件』だって事の大きさに隠れがちだけど、お前がヒスイさんと一緒に行動してたのは有名な話だ。ったく、デキてんならお兄さんに言ってくれよな~。お前のめでたい話なら仲間も呼んでパーティでも開いてやったのにさ。なあ? リックもあの時は見てたろ?」

「アハハ。見ましたね、確かに」

「いや俺そういうの苦手だし……てかデキてないって!!」

 

 不思議なトークに流されてついノリ突っ込みをしてしまったが、アギンの言う『あの事件』は残虐の限りを尽くした奴ら(・・)の事件のことだろう。

 多くのプレイヤーとってまだ記憶に新しいはずのラフコフによる《殺人ギルド宣言》。血盟騎士団(KoB)の連中の中には、あの凄惨な光景を前に鬱状態や恐慌状態に陥った人間もいる。当の俺とヒスイもしばらく動くことすらできなかったほどだ。

 これは直接見ていない《圏外村》での待機組も同じだった。

 作戦失敗による脱力感もそうだが、何より本来助け合わねばならないはずのプレイヤー同士の殺し合いだ。誰だって乗り気ではなかったし、やるなら1回きりにしたかったのだろう。

 しかし、まんまと全員に逃げおおせられた。おまけに死者の数は当初予測されていた『最高2人』から一気に飛んで、7人も生まれてしまったのだ。意気消沈しない方がおかしい。

 アギンが冗談を言えるようになったのは、やはりあの事件から1ヶ月という時間がたったからだろう。忘れたわけではないが、戒めとして、糧として、人々が乗り越えるべきと捉えるようになった証拠だ。

 彼もそう思ったからこそ話題に出したのだ。決して死者を愚弄しようとしたわけではない。

 それにしても腕を組んで頷いたり、両手を顔の高さまで持ってきて抗議の構えを示したり、ガキんちょのように地団太を踏んだり、とにかく仰々しい身振り素振りで言葉では表しきれない感情を表現しているがはっきり言ってシュールだ。見かけによらずガキっぽい。

 

「こら先輩、子供をからかうのはみっともないっすよ。他人の空気を読んでこそ器の大きいリーダーってものです」

「ちぇ~、こっちは浮いた話題ねぇし、いいじゃねーかたまにはさ。しかしリアルにフィアンセ置いてきた奴は余裕の構えだな」

 

 俺はそれを聞いて「なに、フィアンセだと!? 聞き捨てならんな、そんなうらやま……裏切り者は今すぐ三枚におろしてやる!」と内心で思っていたのは内緒だ。

 しかし、認めるのはプライド的にシャクだが、見た目そこそこイケてる感じのこいつらに、ギルドメンバーの女性率がゼロ割と言うのも意外な話だ。たった今聞いたフリデリックのリアル事情の件から、危惧されていた特殊性癖の集団ではないことは判明したが。

 ただ、こうもわかりやすく女に飢えているとアピールをしなければ女性の方から寄ってきそうなものである。

 

「(みんなも大変だな~……)……お、そろそろ集合した方がよくねぇか。こっから北ゲートまで結構あるぜ」

「ホントだ、結構話し込んじまったな。んじゃおれらはこの辺で」

「先輩! 何のためにメンテナンスに来たんすか……」

「……この辺で一丁メンテナンスだけ済ませてから向かうから先行っててくれ」

「……わかった」

 

 ――アギンの奴、ボケ始まってんなこりゃ。

 なんて、俺も人のことを言えないような気がしないでもないが、俺の記憶力の壊滅っぷりはまた別の話だ。

 それにしても、これでギルドリーダーとして攻略組に1年以上在籍しているのだから驚きである。

 救済と解放の組織(サルヴェイション&リヴェレイション)。通称《SAL》。彼のギルドの名はこの世界を無事に抜け出したその時に本当の意味で完成を見るのだと、照れくさそうに教えてくれたのを今でも覚えている。そのあと照れ隠しなのか笑って誤魔化していたが、それだけはきっと本心なのだろう。

 

「(俺ももっと頑張んないとな)」

 

 何かに触発されたわけではないが、俺は独り心の中でそう誓うのだった。

 

 

 

 主街区出発、迷宮区踏破、フロアボス討伐という過程に計2時間と少しほどの時間を費やして、俺達攻略隊は今、ボス部屋の先に続く次層への螺旋階段にいた。

 ちなみにボス戦は派手な割にはあっさりと終わってしまった。

 敵はプレイヤーにとって初見となる『大型ドラゴン系』Mobが3体で、登場時のサウンドエフェクトやアクロバティックな動きに各自感嘆を漏らしたものだ。

 それ以上に「飛行系がボスかよ。メンドクサいな……」という気持ちの方が大きかったかも知れないが。

 もっとも、湧出(POP)した敵に『腕』が生えていなかったことから分類上は『ワイバーン』になるのかも知れない。それに生物学的上――リアルに存在はしないはずだが――知能が高く、ブレスを吐くことも『ドラゴン』である条件だ。それすら機能として搭載されていなかったので、やはりあれはワイバーンなのだろう。

 ついでにメインは各モンスターの上に乗っかって長柄槍(ポールランス)を構えた騎士、真のフロアボス《ザ・ドラゴンマスターズ》だったようで、ワイバーンの討伐だけならあっという間だった。

 勝因はモンスター用部位欠損(レギオン・ディレクト)の活用だった。

 例としては『耳』や『翼』、または『尻尾』などが挙げられるが、今回のレイドリーダーであるヒースクリフは敵が登場した瞬間にはすでに冷静な指揮を下し、3匹の『左翼切断』に成功。本フロアの最大の見せ場だったのだろう新たなモンスター専用ソードスキル、《竜騎士(トラゴナイト)》スキルすらほとんどお目にかかることなく倒してしまったのだ。細かい攻略法を知っていたからこそ敵の討伐も容易かったものの、知らずに攻め込めばそれなりのダメージを受けていたとは思う。

 それを1レイド最大人数だったとは言え、偵察目的で進入しにも関わらずそのまま全滅させてしまうとは。ヒースクリフ恐るべし。

 しかも《竜騎士》スキルの登場で、それをプレイヤー側で実現しようと「人が乗れるぐらいデカいドラゴン系MoBをテイムしよう!」などと叫んでいた奴もいた。完全に余談だが、中層ゾーンに小型とはいえドラゴン系MoBのテイムに成功した女の子もいるらしいので、一概には笑い飛ばせないのだからまた面白い。SAOは良くも悪くも果てしなく作り込みが激しいゲームなのだ。

 それにテイムに成功すれば一躍有名人だろう。脳が壊死しかけている俺ははっきりと覚えていないが、その女の子にも立派な二つ名が付いていた気がする。最前線で同じことが起こったのなら、その知名度はうなぎ登りのはずだ。

 よって『モンスター専用』ではなく、隠れた《エクストラスキル》だと信じてテイムに挑戦するのも悪くはないだろう。事実、《刀》スキルは今やメジャーとすら言えるエクストラスキルである。日本人は日本刀が好きなのだ。

 

「(にしたってヒースクリフのおっさんはブレねぇよな~。リアルじゃどういう職に就いてたんだろ……)……お、やっと扉が開いたか」

 

 万能なプレイヤーに同ゲーマーとして嫉妬しかけた頃、ようやく開いた階段の先には新たな主街区が待っていた。

 俺が地下から抜けて午後の日の日の光を浴びると、最初こそ眩しさに目を細めたが徐々にその全貌が見えてくる。

 多種多様な植物に囲まれるカラフルな街並み。花粉を吸えば咳でも出そうな住宅街。リファレンスに新たに登録される街の名は《フローリア》。

 花が咲き乱れる美しい街である。

 

「綺麗……」

「本当ね。私、こういうところで生活してみたいなぁ」

 

 俺の横で紅白とダークメタルグレーの防具を纏う仲のいい女2人組が声を揃えて絶賛し、目をうっとりさせて風景を眺めている。

 しかし個人的には気が知れたものではない。俺は種類を問わず香水の香りがとことん苦手で、その手の店舗の前では失礼を承知で鼻を押さえてしまうほどなのだ。こんなところで生活していたらいつか発狂してしまいそうである。

 しかも、その辺の花を束にしてから絞り上げると、化粧品の原液でも抽出できそうな濃厚過ぎる香りである。人によって、また場所によっては口呼吸でも数分で悶え始めるだろう。

 

「(とりあえず、レイドの上限オーバーで討伐に参加できなかったギルメンのために、ちょっとは主街区探索ぐらいやっとくか)」

 

 例によってボスへのラストアタックを決めることはできなかったが、レイドに参加できたアドバンテージぐらいはギルド全体で共有したいものである。

 それにしてもヒスイだ。レディファースト制なのか、彼女――無論アスナも――は毎度討伐に参加できているので、公平さを求める俺にとっては少し悔しい。注釈を入れるまでもないと思うが、ヒスイ達が無理を言ってレイドに割り込んでくるのではない。ヒスイやアスナが「討伐隊に入りたいな~」などと軽く(つぶや)くと、参加する予定だった周りの男共が我よ我よと討伐隊の席を空けるのだ。

 何だかそこのところが悲しい。同じ男として悲しい。

 もう少しどこか威厳というか、自尊心というか、「男としてそれはどーよ?」と嘆きたくもなる。ひょっとするとこの発想こそ古くさくてダサいのかも知れないが、とにかくラストアタッカーになれる確率の高さから《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》で唯一討伐隊に食い込んだ俺だけは、誰がなんと言おうと断固として席は譲らなかった。ローテーションの空気を読まない俺は、そのせいでファンやおっかけの数人からキツい目で(にら)まれることもしばしばあったが、元より自分勝手に過ごしてきたので細かい視線など気にもしない。

 

「(なんか真新しいアイテムとか売ってないかな~)」

 

 そそくさと集団から離れて10分ほどが経過し、「へえ、ここのNPCショップにはマジで化粧品とか売ってるのか。ナルシスト女は中層を含めて殺到しそうだな」なんて考えながら俺が主街区巡りを続けていると……、

 

「(……あん? うげっ!?)」

 

 俺の脳は現在進行形で起こっている事象に対し、久しぶりに高速処理をしていた。

 まず転移門広場からそう離れていない店の一角で、多くのプレイヤーと同じように主街区探索をしていたのだろうヒスイを見つける。単独行動に戻っている。

 次に街路樹から曲がってきた彼女と目が合い、その視線を元にシステム外スキル《先読み》を無駄にフル活動させ、表情や仕種から『話しかけられるだろう』という予想を立てる。

 アギン達ならいざ知らず、野良野次に見つかって『反射剣が男と密会!』などという望まぬ噂をたてられると、ヒスイの熱狂的なファンにはもはやスキャンダルレベルである。俺は即座にまだ攻略隊の面々が周りを彷徨(うろつ)いていることを確認し、そんなことを危惧(きぐ)した。武器屋の穴場としてあまり人目に付かなかった昼間の場所ならともかく、アクティベート直後で討伐隊が近辺をうろつく現在はマズい。

 何度もしつこいようだが、ゲーマーの闇は深いのだ。

 そこからは簡単。

 危惧された事態を避けるため、俺は全力で走ってその場をあとにしたのだ。

 もう懐かしい話になるが、学校に通っていた時も1人の女がやたら俺に付きまとってきたことがあった。ストーカー的な意味ではなく、気のいいクラスメイトで、ごく普通にフレンドリーに。

 しかし、そこでも同じ問題が起きていた。

 彼氏持ちのそいつが別の男、つまり俺としょっちゅう会話などしていたら、それを目撃したクラスのゲーム仲間が水を得た魚のように騒ぎ立てかねない。ヤンキー集団は逆にその程度でははしゃぎもしないだろうが、男性過多なバカ校なりの対策としてよく必死こいて逃げ回ったものだ。

 と、そんな感傷に浸るのもつかの間。バカ校通いの頭が高速回転したところでバカの連鎖化学反応を起こしただけであり、最も肝心なことを見落としていたのだ。

 

「ちょ!? なんで逃げるのよジェイドぉ!!」

 

 と、ダッシュで逃げようとする俺を見て、なんとヒスイが大声で名前を呼びながら追いかけてきたのだ。

 無理もない。何せ人の顔を見ていきなり逃げ出したのだ。昼は普通に喋っていたのだから、何かよからぬことを考えているのではないかと疑われて当然である。

 ――って冷静に分析してる場合じゃねぇ!

 

「おいヒスイ! ことをアラげたくない! 今だけは追ってくるなって!!」

「理由を言いなさいよ! あたしに何かしようとしてるんじゃないのっ!? 待ちなさーい!!」

 

 もう終わりだ。誤解を招くような言い回しとわざと遠くまで響き渡らせるかのような高い声で、周りのプレイヤーも異変に気づき始めた。

 そして異変は事件へ。

 騒ぎを聞きつけた攻略隊がどよどよと集まってきやがったのだ。

 さらに彼らの醸し出す雰囲気を肌で感じ、それを日本語に翻訳すると『どこの馬の骨とも知れないモヤシ男と反射剣様が追いかけっこしてる!?』、『しかもお花畑で!』、『よし、あの男殺そう』みたいになっている。途中、目が合った男からはマジな殺気すら感じられたほどだ。

 これは非常によろしくない。今後の快適な攻略生活が相当危ぶまれている。

 ――本気で男共が雄叫び上げて追いかけてきやがった!

 

「(ちぃッ! こうなったらやむを得んかッ!?)」

 

 俺は街路樹に差し掛かるといきなり角を曲がって細い道に入った。

 ここなら限られた角度からしか見られないだろう。

 

「こらぁ! 待ちなさふむぅっ!?」

 

 曲がった先の死角で待機していた俺は、俺を追ってきたヒスイをとっ捕まえて彼女の口と手を押さえ込むと、奥に引っ込みつつさらに彼女の体を壁に押しつけた。

 そして同時にほんの数秒間だけ隠蔽率(ハイドレード)を引き上げる煙玉を転がすと、早鐘のように鳴る心臓に逆らって声を殺しながら叫ぶという器用な行動に出る。

 

「いいかヒスイ、とにかく大人しくするんだ! さわぐと……えぇと……と、とにかく困る!」

「ふ……むぐぅ……ふっ、ぅ……」

 

 口元を覆い、ひそひそ声で我ながら意味のわからない脅しを彼女の耳元で囁くと、何の奇跡か弛緩しきったように四肢を脱力させるヒスイ。

 おかげで野次馬根性丸出しだった取り巻き連中の足音がドタバタと去るまで、そのままやり過ごすことができた。

 

「ふぃ~、やっとマいたか……」

 

 ようやく一息ついて彼女を解放すると、どっと疲れが押し寄せてきてその場あった木箱にへたり込んでしまう。

 しかし今でこそ頭を冷やして思い出せているが、先ほどまでの俺は猛禽類か何かのアブナい目をして女性を羽交い締めにしていたことになる。いたいけな少女に狼藉(ろうぜき)をはたらく単なる畜生野郎だ。

 よくもまあハラスメトコードで《黒鉄宮》に飛ばされなかったものである。もしかしたらヒスイも混乱していたのかも知れない。それを証拠に、彼女は今も惚けたようにその場に立ち尽くしていた。

 

「……ああ、ヒスイ? ……その、さっきは悪かったな。あ、でも悪気はねぇんだ。ただヒスイって今じゃソートーな人気者だろ? あんま親しげにしてっと、俺が気にしなくても周りがうるさくてな。……おい、ヒスイ?」

「ふぇっ? あ……えぇ、うんそうね。そうよね……あたしも別に気にしてないから……」

「(んん……?)」

 

 反応に困る反応だったが、二次災害になることだけは避けられたようだ。最悪この場でぶちギレられようとも文句は言えまい。それほどのことをしたのだから。

 にしても、ヒスイは過激な現実を受け入れられない子供のように棒立ちになっているが大丈夫だろうか。

 

「(ヤベッ……でも考えてみたら、俺ってあのまま追われ続けることと大差ないぐらい恥ずかしいことしてたんじゃねーのか……?)」

 

 悔いても後の祭りではあるが。

 しかし俺が恥ずかしい思いをするだけか、ついでに周りの連中からいらん恨みを買うのか、とではわけが違う。うむ、やはり俺のやったことは正しかったのだろう。たぶん。

 

「んじゃそういうことで! 俺はこの辺で退散するわ。ってかフレンド登録してるんだから、何か話したいことあればメッセージ飛ばせばいいしな。だから……」

「ね、ねぇ……」

 

 やっと謎の束縛から解放されたのか、ヒスイは頬を染めながら俺に話しかけてくる。

 

「1年……たったよね。3ヶ月に1度のあれ、忘れてないわよね?」

 

 さすがに『お触り料金10万コル』的なおとがめが来ると覚悟していた俺からすると、これは少々拍子抜けである。であるがしかし、ヒスイは俺にとってまたも鼓動を早めるにコト足りる話題を切り出してきた。

 

「あ……ああ、そりゃ覚えてるとも。んでもちょっとマズイことになってきたな。こんな状況で一緒にメシなんて食ったら……」

 

 照れ隠しのため早口で捲し立てようとしたら、ヒスイが人差し指を俺の口に当てて静められた。

 そしてそっと手をどけると、上目使いでこう言った。

 

「ならいいの。……でも今度は食事じゃなくて、あたしのしたいことしていい?」

 

 唐突なめまいと極度の緊張で俺の心臓はバクバクである。高鳴る理由は彼女の指が口に触れたからではない。決してない。

 

「時間は深夜。場所は……まだ決めてないけど、たぶんこの層がいいかな。それはあとでメッセージで伝えるわ。……どう?」

「ん……まっ、まあヒスイがそうしたいなら。……何かやりたいこと、が……あったのか……?」

 

 生唾を呑み込み、胸の辺りのドキドキが収まらないため、まともな思考回路が形成されていないままに受け答えしている。が、その『まともな思考回路』とやらが形成されたとしても普段の脳味噌と大差ないと割り切って続ける。

 

「ふふっ、それはまだ秘密。……で、でもこれは親睦の証だから! ヘンな気は起こさないでよね! それにさっきみたいなことしたら……こ、今度こそホンットーに許さないんだからっ!!」

「わかった! わかったからもうちょい静かに! 今こうしてることすらできれば知られたくないんだからさ」

「……なによ丸くなっちゃって。あなたはもっと周りを気にせず行動してたじゃない」

 

 ダイレクトにディスられた気がする。

 しかしそうは言うが、無名だった初期と今とでは前提が違う。

 二つ名を付けられるなんて大それたことにはなっていないが、俺とて攻略組歴はプレイヤーの中でもほぼ最長。ギルドにも加盟してそれなりに知名度も上がってきているし、ヒスイに至っては4層の頃と今とでは名の知られ具合に雲泥の差がある。

 生活の根幹までガラッと変える気はないが、多少周りに気を配りながら生きることもまた処世術、と言うより常識的に考えてそうするべきだ。KoBだってその紳士な振る舞いが称賛されて有名になったからこそ、より礼儀や節度を守って行動している。

 俺とて今やソロではない。レジクレの連中にも迷惑はかけられないし、有名人とその他の有象無象との会話の受け答えに差が出るのは仕方がないと言えよう。

 

「そう言うなよ、俺だって昔の失敗とか結構気にしてんだからさ。……とにかくさっきのは了解だ。深夜ならそうそう目撃されないだろうしな。や、別にやましいこと考えてるんじゃねぇけど……」

「ふふっ、わかってるわよ。じゃあ今度こそ別れましょう。あたしも主街区は今日中に調べておきたいし」

「そうだな。攻略隊として参加できたこの2時間は目一杯利用しねェとレジクレに悪い。んじゃまた今度な~」

 

 そう言ってお互い別方向へ歩き出したが、途中で振り向くと相手も振り向いていたので笑ってしまう。なんだかんだで絆というやつは目に見えないだけで実在するのかもしない。

 

「(これでクライン達と話せられれば、正月パーティしたメンバー勢揃いだったな……)」

 

 なんてことを考えながら、ニヤけた顔を隠してその日は主街区巡りを楽しむのだった。

 

 

 



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第49話 一休み(前編)

 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

 攻略組のほとんどは活動拠点を主街区《フローリア》からさらに迷宮区直前の村、《リズン》へと移し終えていた。すでに午後だが、迷宮区への道を塞ぐフィールドボスを討伐すれば、明日にでも本格的な迷宮区のマッピングが始まるだろう。

 これでも平均的なペースとしては遅い方である。

 なぜ攻略が遅れたのか。それはきっと、フロア全体が花で覆われたこの層は人を(いや)しすぎてたからかもしれない。他にない珍しい調度品から、着飾るためだけにあるパラメータ皆無の装飾品。化粧類やアクセサリー専門店の総数は比較するまでもない。身だしなみを整えるならぶっちぎりで自由度が高くなる。

 ようはうつつ(・・・)を抜かし始めたのだ。一種の堕落と言っていい。

 しかも雰囲気が災いして、稀に低層のプレイヤーが混ざり込んでいることが唯一気がかりである。信じられないことに、ここはフィールドに至るまで『デートスポット』としても有名になりつつあるのだ。けしからん。

 今でこそ『最前線』だが、攻略が進んでこの層自体が『中層』と化した時、そこに男女のふぬけた姿が視界一杯に広がっているかと思うとゾッとする。別に、決して妬み(そね)みという意味ではないが。絶対に違うが。

 しかし、いつまでもダラダラしていられない。

 俺を含む《抵抗の紋章(レジスト・クレクト)》メンバーも例外ではなく、迷宮区の各所にセットされているだろう早い者勝ちの《トレジャーボックス》目指し、スタートダッシュの準備中だ。

 

「あの~、会議始めるから集まって。ジェイドもいいかな?」

「あ、ああ、悪い。いま行く」

 

 ここは《リズン》にある宿屋の1つで、店名を《渡り鳥の羽根休み》という。長い店の名前が鬱陶(うっとう)しいが、それさえ気にしなければ宿賃、部屋面積、各サービスなどコストパフォーマンスにおいては他の宿屋を凌駕していると言える。このように気の休まる宿を早く探すのも、見えざるシステム外スキルだろう。

 そんな店の1階は主に食堂スペース。そこでウィンドウのポップアップメニューから最近頻繁に新着メッセージ欄を確認しているため、話をよく聞いていなかった俺はロムライルに怒られてしまった。

 ちなみに一覧には未開封のものが1つもなかった。そのことに少し落胆しながらも、仕方がないので俺も食堂の一角の席に着く。

 

「ええ、集まってもらったのはもちろん、今日行われるらしいフィールドボス討伐戦について。敵は巨大なラフレシア型だけど、実行班が聖龍連合(DDA)だから間違いなく勝てるとは思う。でも問題はそこじゃなくて、ボスが消滅したあと、いかに早く迷宮区に飛び込めるかだ。……何か良い案ないかな?」

「う~ん……」

 

 ジェミルやカズは真面目に考えているようだったが、俺としてはそんな配慮は無視して強行突破すればいいと思ってしまう。

 ボス戦を他勢力のギルドに任せておいて、彼らが消耗した横をすり抜けるように突入する行為は、確かにマナーとしては良くないのかもしれない。しかし理由や言い訳はどうあれ、突入することに変わりはないのだ。いわんやバレなかったとしても『バレなきゃ良い』と言う考えの下突入するのだから、そこに遠慮もクソもないだろう。

 そもそもDDAも極当たり前のように同じことをしているし、他のグループだってそういったズルは散見される。

 

「あのさ、ロムライル。あんま根詰めてなくていいだろ? みんなやってんだしさ。それより効率化だ。迷宮区はなるべくバラけて探索しようぜ。そのルート決めとかの話し合いの方がよっぽどか有意義だろ?」

 

 俺は退屈そうな声でそう言った。なにせ47層は今回のフィールドボスさえ倒せば、迷宮区への入り口がなんと5、6個も用意されているらしい、とんでもなくプレイヤーに優しい設定の層なのだ。

 いくつかは罠ありきのフェイクだろうが、本題ではないのでわざわざ議題に上げるまでもない。

 

「僕もそう思うな~。弱肉強食の世界だしね」

「そっか……いつも同じ議題の会議だと飽きるかと思ったけど。……ん、よしわかった。じゃあ足が速くて《罠探査(インクイリィ)》持ってるジェミルはオレと。《鍵開け(ピッキング)》持ってるルガはジェイドと行動ってことで良いかな?」

「ま、いつも通りだわな」

 

 いつものミーティングに、いつもの結果。特段フロア自体に変化がなければこちらとしてもやることに変化は出てこない。

 惰性で作業に取りかかるといつかぽっくり逝ってしまうリスクが怖いが、こう変わったことが起こらないと退屈なものだ。

 この際、ある程度痛い目を見てもいいので、何か日々の日常から外れた刺激が欲しいものである。

 

「さぁて、んじゃ早速フィールドに出ますかね。……ん?」

 

 宿屋にいたレジクレ以外の数人のプレイヤーも昼食が終わったのか、はたまた俺達と同じように漁夫の利作戦なのか。とにかく、それぞれガチャガチャと金属音を立てながら立ち上がっていた。俺の発言はそれにつられてのものだったが、気付くといつの間にかメッセージアイコンが明滅していたのだ。

 いわば簡易的なメール機能であるこのメニューも、主な送受信の相手はここにいるレジクレメンバーだけだ。が、会議開始から会議終了までの間は彼らと直で話していた。その間に来たということは……、

 

「(もしかしてヒスイか!?)」

 

 「やりたいことがある」と呟いて、後日会おうと言ってくれたのが6日前。奇遇にも3ヶ月に1度という規則で昼食をとったことから端を発し、今では約束まで取り付けるようになっている例のアレ。その連絡がそろそろ来るのではと思っていたのだ。

 そうしたら案の定、メッセージの差出人にはヒスイの名が刻まれていた。

 

「(あ~ヤバい、なんか文面見るのすっごいキンチョーする。なんだこれ……期待してんのか? けど落ち着け、相手は『シンボクを深めるため』と言っていたんだ。そうやって夢を見るとあとで絶対後悔する。ああそうとも。現実はそんなに甘くないんだ! 傷つきたくなければヤワな妄想は持たないように……)」

「何ぶつぶつ言ってるの?」

「のわッ!?」

 

 いきなりカズに話しかけられて不覚にも大声を出してしまった。そのせいで周りの何人かは俺に注目してしまう。

 

「(ちくしょうオドかしやがって……)……ああいや、なんでもない。なんでも……お、それより今日はいい天気だから攻略がはかどるなこりゃ! さぁて俺はお先に失礼して……」

「…………」

 

 じっと~と見つめられている気もするが、きっと気のせいだろう。

 

「ロム、ちょっと押さえてて。ジェミルは右をお願い」

「任せろ!」

「了解ぃ~」

 

 と思ったが前言撤回、しっかりと俺の秘密を暴こうとしてきやがった。それにしてもなんて奴らだ。人のプライベート情報をなんだと思っていやがる!

 

「っておいバカやめろッ!」

「残念でしたー! 僕らの中で隠し事はダメだよ~ん」

「あはははっ。抵抗されると見たくなっちゃうよねぇ」

 

 抵抗するが状況は3対1の圧倒的劣勢。俺は挟み撃ちで両脇をがっしり絞められてしまい、抵抗やむなくウィンドウの可視化ボタンを押させられてしまった。

 そのままカズは、開かれていたメッセージ内容を音読しようとしていた。

 ヤバい。これはヤバい。内容によっては(淡い期待)ヤバすぎる。

 

「え~なになに。『今夜9時半、《思い出の丘》の最奥部で待っています。2人きりで話したいこともあるから遅れないようにね。 ヒスイより』……えっ?」

「ヘェえエッ!?」

 

 2回目のヘンな声は俺のだ。

 いや、だっておかしいだろう、この文章。明らかに今の俺をどこかで監視して、あえて陥れようとしているかのような誤解を招く要素満載の内容だ。誤解……のはずだ。

 

「(おいおいしかもコレ、よりによって音読されちまったよッ!? マジか。……ん、殺気……?)」

 

 と、俺はそこで周りにいたレジクレ以外の宿泊客――最前線の村《リズン》の寝泊まりしている以上、当然みなさんも攻略組のはずだ――がこちらを向いて、ついでに剣も抜きかねないほどの怒りと憎悪を向けていることに気付いた。

 聞かれたのだろう。最高に聞かれてはならないことを。

 きっと先ほどの音読会が特定人物公開処刑ショーへと変貌したのだ。

 ――だって聞こえるんだもん。

 「おいあの不良みたいな男……」「ああ。例のペテン師だ。ヒスイさんが悪い男にダマされたってウワサの」「ストーカー系か? よし、浄化しよう」などと。このような感じで物騒すぎる言葉が色々聞こえているのだ。どこか黒魔術の前夜祭的な流れで、供物を捧げるような目をしている。あれは人に向けていい目線ではない。

 罪状は冤罪だが、最終判決は宣告されるまでもなく『死刑』だと思う。

 メッセージ内容はとても嬉しかったがこれは参った。

 こうなったら……、

 

「逃げるが勝ちぃいッ!!」

『そいつを逃がすなァあッ!!』

『お近づきになれる方法を教えろォっ!!』

 

 男共は醜き轟音をとどろかせ、全力で店の出口に殺到した。

 こうして、宿屋《渡りの鳥の羽根休み》に駐在していた攻略組と俺のまったく楽しくない追いかけっこは、当初のレジクレのスケジュールを無視して小1時間ほど続行されるのだった。

 そして俺は走りながら天を仰ぎ、堅く誓う。もう2度と余計な刺激など求めない、と。

 

 

 

 しばらく走り続けてようやく『ドキ☆ 男だらけの大運動会!』なる地獄、つまりむさ苦しい上に一方的な命がけの鬼ごっこから解放され、一息つく頃には《リズン》の端っこまで来ていた。

 一時フィールドにまで逃げ込んだ俺だったが、なけなしの敏捷値でよくこの速度が叩き出せたものだ。色んな意味で完全燃焼である。

 

「ハァ……ハァ……どちくしょうがッ……ハァ……無駄な体力……使わせやがって……ふぅ。……んでここはどこだ?」

 

 ついでに絶賛迷子である。

 攻略組だからといって、プレイヤーは最前線層の街や村の隅々まで網羅しているわけではない。マップからだいたいの方角ぐらいは判断できるが、目的地に続く直線的な道がなければ迷うことだってあるのだ。

 《圏内》なのでそこまで心配することではないが、やはり知らない道というのは本能的に不安になる。

 だが途方に暮れていても仕方がないので、次にいつヒスイから連絡があってもいいように、メッセージが届いたら着信音が鳴るよう詳細設定を変えていると……、

 

「おお天然ジゴロなジェイドじゃないカ! こんな村の端っこで何してんダ?」

 

 ネズミペイントの例の小さな女が、例によって背後から声をかけてきた。

 

「ん? ああ、可愛らしいネズミのアルゴちゃんじゃねーか。今日はいつにも増して可愛いな。服とメイク似合ってンぞ」

「な、ァ……!?」

 

 予想外すぎる返答が来たからか、アルゴにしては珍しく頬を染めて口を開け、中途半端に身構えたまま固まっていた。

 ――誤算だったな、もうその程度では動揺しない境地に達していたのだよ、アルゴ。

 

「……とうとうクスリに手を出したカ?」

「なわけあるか! ……いやまあ、ちょっといざこざあって流れ着いただけだ。んでアルゴたんは何してんのさ。もしかしてアル」

「次に愛称で呼んだらひっぱたくからナ。あとセクハラで訴える」

「……あい、すんません……」

 

 ちょこっとだけおふざけが過ぎたようだ。レジクレは例外だが、自分だって好きなようにニックネームをつけているくせに、どこか理不尽な気もするが。

 

「そっちも1人か。にしても、よく持つよな~。普通1人だけだとさみしくなるだろう。俺なんて最初の数ヶ月で死にそうだったぜ?」

 

 彼女には専属護衛がいない――もっとも、たまにローテーションで野良の護衛を雇っているらしい――ことから、俺の言った独り身の寂しさも少なからずあるだろう。いや、独身という意味ではなくて。

 

「ナハハ。……ま、オレっちにもプライベートぐらいはあるゾ。丸1日オフの日は無いガ、ちょっとは遊んだり休憩したりするサ。こないだもヒスイと夜に飲み明かしてな! いや~弱気になったあの娘は可愛いもんだヨ! しかも悩みも聞いてあげたりしてサ」

「へえ、そういや同じ部屋で寝泊まりとかしたこともあるんだっけな。……ん、ちょっと待て。その悩みとやらなんだけど、ヒスイは具体的になんて言ってた?」

「ムフフ……ムフフフ……」

「……やっぱいい。それ以上なにもしゃべるな」

 

 ニヤニヤニヨニヨしながら怪しすぎる笑い声をあげるアルゴ。おそらく、あえて遠回しに話したのだろう。まんまとかかってしまった。

 「ま、聞きたきゃ10万コルは貰うがナ! ニャハハッ」などと言ってはいるが、まともに相手などしたら金だけ取られて肝心な部分は有耶無耶にされるだろう。そんなことは目に見えているのでこれ以上はノらない。

 

「最後はバタンキュ~しちゃったケド、聞きたいことは全部聞いたサ。ジェイドさんは幸せ者だナ~」

「(ヒスイめ。きっと今日のことしゃべっちまいやがったな……)……な、ナンのことだかサッパリだ」

「ま、そういうことにしといてやるヨ。それより、さっきまでのお前サンは不審者だったゾ。もしかして道に迷ってるのカ?」

「そんなとこかな。広くねェし、歩いてりゃその内知った道に出るだろうけど、結構長いこと走ったからな~」

 

 俺がそうぼやくと、「フィールドを通るが大広間への近道を教えてやるゾ?」と持ちかけてきたので、俺はありがたく善意を受け取り、道を教えてもらうことにした。

 有料で。

 

「(とほほ……ま、まあ必要経費だ。たぶん……)」

 

 そんなこんなで、秘密の抜け道的な穴からいざフィールドへ。俺達は並んで獣道をすたこら歩いていた。

 

「よーこんなシゲみに隠された道を知ってんな。わざわざ通りたがる奴だっていないだろうし」

「ナハハハ。情報屋をナメるでないヨ! と言っても、この辺はちょいとばかしモンスターのレベル上がるんだけどナ。実はこの村(リズン)の形を上から見ると『コ』の字みたいになってるんダ。だから間をすり抜ければずいぶんショートカットできるんだヨ」

「はぁん、なるほどね。この無意味っぽいスペースは、そうやって活用してたのか」

 

 確かにこの辺り、つまり《リズン》の端っこまで来ないと《馬屋》などはない。我らがリーダーのロムライルが持つ《騎乗(ライド)》スキル保持者がこれらの施設を利用したい場合、抜け道は非常に便利だろう。

 《馬屋》と言うと馬だけを貸しているように聞こえるが、実は牛も同料金で貸し出しをしている。足は遅いが、主な使い道はストレージに入りきらないアイテムなどを積載(せきさい)して、持ち運びや行商に使うのだとか。店を持たない行商クラスの連中が転移門付近で店を開く際に活用しているらしい。俺は利用頻度が低いので詳しくは知らない。

 しかし、牛はともかく馬は借りてもすぐには乗れない。なぜなら、馬のコントロールに高い技術を求められるのである。

 技術の補正は《ライド》スキルの熟練度に左右されるが、スキル無しだと相当難しい。毎層《馬屋》が設置されているわけでもないし、他の層へ持っていけないは、時間無制限(フリータイム)で借りると高額だはで、割に合っていないネタスキルと言える。馬の足が速いので、敵によっては完封戦法が成り立ってしまうからだろう。

 ロムライルのように乗馬が趣味なら口は挟まないが。

 そんなことを考えながら、俺はザックザックと名も知らぬ植物を踏み倒して休むことなく前に進む。

 しかし高い草木が視界を遮るので、これでは目的地に近づいているのか判断が付かない。経路は完全にアルゴ任せである。

 

「……そういやさ。アルゴはいつもだいたい1人だし、バトルだって門外漢だろ? 危険にサラされることだって何度かあったはずだし、何でそうまでして情報屋を続けられるんだ」

「そっくりそのまま、昔のジェイドに聞いてみたいヨ。お前サンはソロで、しかも実際に戦ってんだからナ。そこがオレっちと違う。……戦闘以外で助けられるから助けル。それじゃ駄目カ?」

「まあ、あんたがいいならいいんだけど。……でも、にしたってさ。1ヶ月前のあれ、覚えてるだろ? 40層で《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のアジトをアルゴがほぼ単独で特定した時のこと」

「……忘れるはずもナイ……」

「見つけたのはそりゃスゴかったけど、同時に敵の一部とソーグウしてマジでヤバかったって聞いたぞ? んなこと繰り返してたら、マトモな女なら途中でザセツしそうなもんだけどな」

「…………」

 

 アルゴが黙り込むとは珍しい。

 俺の質問にはさすがに二つ返事で返せなかったのかもしれない。しかしだからこそ、動機と言えばいいのか、その原動力がどういったものなのかは気になる。

 

「……特別に無料で教えてやるヨ。今だから言えるケド、オレっちも最初は偽善だったのかもしれなイ。でも《はじまりの街》でな、『あなたのおかげで助かった。この恩は一生忘れない』ってナ。……言われちまったんだヨ。それ聞いちゃったら……もうやめらんなくなっちまっタ」

「アルゴ……」

「他意はないヨ。魔が差したってやつダ。ニャハハ。……まァ40層の時みたいにならないよう、気を付けてはいるつもりダ。それにちょうどよかっタ……」

「ちょうどよかった?」

 

 アルゴは立ち止まって振り返ると、目に力を宿したまま切り出した。

 

「そのことについて、少しジェイドと話があったんダ。あの時、ラフコフが《殺人ギルド宣言》をしている裏で、何が起こっていたのカ。……奴らの協力者についての話をナ」

「な、何だよ突然……」

 

 改まって目線を合わせると照れくさいので、俺の方から視線を外してしまう。

 だが、これはまた唐突だ。俺はアルゴの話を振ったつもりだったが、いきなりひと月前の人質救出作戦の話になっている。初めから俺に話すことがあったのだろうか。

 

「心配しなくてもこの話で金は取らン。だが他言無用で頼むヨ。約束できるカ」

「で……できる……」

 

 俺はアルゴの迫力に押されてしまい、ついそう答えていた。しかし彼女との約束だ、嘘はつくまい。

 

「信じるゾ。……まずあの作戦。初めからどうもおかしかっタ。オレっちと《吟遊詩人》はDDAメンバーが拉致られた時点……それこそ、相当早い段階から捜索に乗り出していたんダ」

「ああ。それは聞いたよ。あん時、あんたら2人の異常な初動の早さはかなり有名だしな。それで?」

 

 俺が催促すると、その前にアルゴは近くにあった巨大な(つる)に腰掛ける。俺もそれに習ってから彼女は続けた。

 

「……いくら何でも早すぎた(・・・・)んだヨ。ミンストレルは30層カラ。んでオレっちが40層からの探索になったんだガ……」

「おいおい40層から、ってジャスト(・・・・)じゃねえか!? 時間との戦いだって時に、都合よく一発で当てたってことか?」

「その通りダ。オレっちは、ものの30分たらずで潜伏場所を突き止めタ。モチロン、最初は運が良いだけと思ったサ。でも直後にオレっちは敵の集団に見つかっちまったんダ。いや~ビックリしたもんだヨ。とっさに《閃光弾》、《煙玉》、《転移結晶》の三連コンボで逃げ出せたケド……あれは本当に危なかっタ。……ただ、奴らは会った時からどこか不自然だったんダ。まるで……オレっちがそこに来ると、あらかじめ知っていたかのようナ……」

「…………」

 

 俺はそれを聞き、ついまゆを釣り上げてしまった。

 ここから先は憶測だが、2つの可能性が浮かぶ。

 まず1つ目は、単純に敵の情報網がこちらより優れている可能性。そして2つ目は陰謀説。あの事件そのものが、いま広く知れ渡っているそれとは別の目的が存在した。

 

「ついでに言うと拉致事件を含め、事件が広まる速度も尋常じゃなかったヨ。ま、これは向こうがカルマ回復させといた手下を使って、意図的に広めたんだろうがナ。……そこで、オレっちは怪しい人物をリストアップ……」

「あ、アルゴ! なんか下から来てるッ!」

「ニャッ!?」

 

 ほぼ真下を見ると、アルゴの足下の土がボコボコと盛り上がっていて、その中央から発光する対の目が見えたのだ。

 そして徘徊型ではなくテリトリー、つまりゲーム用語に直すと攻撃反応圏(アグロレンジ)に侵入したユニットをターゲティングするタイプ。

 俺とアルゴが横に飛び移った直後に地面が破裂。

 実際に火薬を使っているわけではないが、勢い良く土の塊を突破されたので、まるで戦時に埋まった不発弾が爆発したかのように見えた。

 

『カカカカッ。カカカカカッ』

 

 登場と同時に、人の乾いた笑い声にも聞こえる鳴き声を上げるモンスター。

 姿はグラマーな女性を模した上半身――たゆたう胸は草に隠れて見えない。あとちょっとだが見えない――に、大きめのボロカーテンをそのまま巻いただけに見えるスカート状の下半身。頭の上に乗っているのも、素材が葉っぱというだけで形はティアラだ。ぱっと見、どこかのお姫様か女王様にすら見える。

 名は《ティタニアル・メイド》。フィールドモンスターとしては上位に部類される危険度で、植物系MoBにしては珍しい『視覚情報で敵を認知する』種類だ。

 

「(《索敵》ケチったのが災いしたか……)……すまん、発見遅れた! アルゴは引いてろッ!」 

 

 ものすごい大事な場面だったというのに、ここに来てまさかのモンスター襲来である。しかしあちらは空気を読むことのできない、所詮は定められたAIを元に動くだけのモンスターだ。こちらの事情など知ったことではないのだろう。

 これからフィールドで話す時は《トリック・インセンス》でも持ち込むとしよう。

 《幻惑のお香(トリック・インセンス)》は、プレイヤーが香を焚いていると、使用者に対してレベル差のある下級モンスターが有効範囲に近づいてこないという便利なアイテムである。攻略組は普通安全マージンをたっぷり取っているので、基本的に全ての層で役に立つ。

 今回はこちらから近づいてしまったが、次に使う機会はすぐにでもくるだろう。なにせ、メッセージでヒスイが待ち合わせに指定した場所の名は《思い出の丘》であり、ここも立派なフィールドだからだ。

 だが俺とて攻略組。いくら不意打ち紛いな強襲だからと言ってこんな奴ら

 

「(余裕ゥよゆ〜ッ!!)」

 

 心の中で俺は叫ぶと、ほぼ直上にジャンプして下段振り払い攻撃を回避。さらに抜刀すると、縦に振り下ろして敵の左腕を根本から断ち切った。

 

『カガッ、カカカッ』

 

 敵とて単体。赤く光る目がひたすら不気味だが、戦って負けるようなことはまずないと判断した。

 しかし俺は、モンスターとアルゴのちょうど中間地点に着地してしまった。敵の連続蔓攻撃に思わず真横に飛び、ワンテンポ遅れてようやく気付く。

 そして巨大スカートの中からアルゴに向けて飛び出したワイヤー級強度の蔓は、まっすぐ彼女の方へ向かっていき見事命中。そのまま四肢や体に巻き付いて、俺に見せつけるように宙釣り状態にしてきたのだ。

 

「アルゴっ!?」

「ニ゛ャあ゛ァァアッ!?」

 

 発音すら途切れる勢いで彼女は長い蔓に浚われてしまう。

 しかも逆さになって。

 そして衣服や装備は重力には逆らえない。目の前の現象は自然の摂理に適った結果。

 

「って、えぇええッ!? おいこれはビジュアル的にヤバいんじゃないのか!? スカートメッチャめくれてるし! ってか白い下着見えてるしッ!!」

「ンなこと言ってる場合カ! 早よ助けろヨ! ……ってか色見んなぁあアっ!!」

 

 思わず片言になるレベルで俺は動揺していた。フードが取れているので赤い顔もバッチリ。だがこれは不可抗力だろう。

 それに戦うにしたって白いパン……もとい、敵を直視しないと間合いも計れない。先に蔓を切断して助けるにしても、敵を見ないと狙いは定まらないのだ。

 それにしても意外である。アルゴが下に履くものはこんな清楚な感じではなく、もっとアダルトな感じだと勝手に……。

 

「言ってる場合じゃないな、間違いない! なるべく瞬殺するから動くなよッ!!」

 

 とりあえずガッツリ手を止めようとした自分にノリのまま突っ込んでから、俺は改めて剣を構え直した。

 敵は果たしてどんな化学肥料で育てられ、どんな遺伝子組み換えをされた植物ならここまで硬い(くき)が生えるのか疑問が浮かぶモンスターで、おまけに本当に刺突用の茎製武器を取りだして《細剣》系のソードスキルまで繰り出してきたが、何とか1分もかからずに倒すことができた。

 ティタニアル・メイドは、暴れていた残照すら残すことなく光の粒として消えていく。

 

「やっと終わったか。やけに倒すの長かった気もするがワザトじゃないな。うん、ワザトじゃない」

「…………」

 

 敵は倒したにも関わらず、アルゴの無言が背中に刺さってきて貫通継続ダメージが痛い。

 こうなったら冗談のも1つでもかまして誤魔化すしかないだろう。しかしミスは許されないという条件付きで。

 

「(ヤバい……ヤバいぞこりゃ、下着ガン見してたのを相当怒ってらっしゃる。下手したら非戦闘員相手に殺されかねねぇな。この場を笑いの空気に変えて、何とかして怒りを静めねば。けど、どうする? 考えてる時間はあまりないぞ。……そうだ、格好悪い決めセリフでもキメて、俺を相対的に陥れればいいんだ。パンツ見たのなんか吹っ飛ぶぐらいのインパクトを与えりゃいい。俺も恥ずかしい思いをして、その思いを2人で共有する。妙案だ。ってかもうそれしかない。何て言うかは……アドリブでやるんだ俺!)」

 

 この間約1秒である。

 

「こほん。……ああ、その、なんだ。……恥ずかしがることはない。誰だってミスはある。それに、俺はシンシだからな。シントーメッキャクすれば火もまた」

「ゴタクはいいから忘れロォオッ!!」

「げふぅッ!?」

 

 話している途中、オチをつける前に脳天へドロップキックが入ると俺は転倒しながら昏倒した。

 それにしても酷い女だ。舌も噛んだ。助けてやったのにこの仕打ちである。

 

「わざとダ! ジェイドはわざとやっタ! もう許さないからナ。今日のこと全部記事にして社会的にお前サンを抹殺……いや抹消してやル!!」

「オイ待て、落ち着け! 消してなかったことにする気か!? けどそれはモロハの剣だぞ。なぜならアルゴの下の色が!! 白だと知れ渡ることに……ッ」

「パンツのことを忘れんカァッ!!」

「がはぁッ!?」

 

 今度は首筋にチョップをくらって再び倒れる俺。場違いだが俺はこの時、ダメージの入らない彼女の絶妙すぎる力加減に密かに感心した。

 ――ま、アルゴは筋力値上げてないしな。

 

「(さて、こっからが大変だ……)」

 

 その後、俺は怒り狂うアルゴをなだめるのにさらに半刻ほど時間を費やしたのだった。もしかしすると、俺を置いてどこかへ走り去り、あることないこと不名誉な噂を言いふらさなかっただけ(たな)ぼただったのかもしれない。

 そして当初の予定より遙かに時間をかけて主街区大広間周辺へ到着。俺はげんなりを通り越し、ゲソッとしながら舞い降りた平和を享受する。

 

「(やっとリズンの村だ。俺何もしてねぇのにやたら時間だけ取られてくな。……厄日だ)」

「おいジェイドさんヤ。今回は不問にするガ、さっきのこと誰かに言ったりしたらもう絶対に許さないからナ! 絶対だゾ!」

 

 言葉の端々にトゲを残し、未だにどこかむくれながらも何とか許してもらえたようだ。絶対と念を押されるとフリと勘違いして言いふらしたくなってくるが、今回はデリケートな乙女の下着事情なだけに、さすがに彼女の尊厳を守るとしよう。

 ともあれ、大事な話とやらは聞けなくなってしまったが、あの場の危機を乗り越えられたのだから五分五分だろう。仕方あるまい。

 しかしアルゴはぷりぷりしながらも今1度俺の正面に立ち、またもやよくわからないことを言う。

 

「ま、まァ助けてくれたしナ。『視聴料』もがっぽり貰ったシ……」

「パンツのな! アハハハッ」

「殺スゾ! ……ハァ、今回だけ助け船を出してやるヨ。ヒントだけだがナ」

「意味わからんけど、とりあえず聞けることなら聞くぞ」

「『秋海棠(しゅうかいどう)』。この花は9月10日の誕生花ダ。ヒントはこれダケ。せいぜい頭をはたらかすんだナ!」

「は? ちょ、アルゴぉ!?」

 

 それだけを言い残すと、彼女は俺に背を向けて走り去ってしまった。

 まったく意味不明である。俺はそれを元に何を考えればいいのだろう。花に覆われたこのフロアのどこかに、その『しゅうかいどう』とやらが咲いているということだろうか。そして、その情報は俺の攻略の役に立つのだろうか。

 

「……ま、いっか」

 

 わからないことは後回しにする悪いクセ。

 とにもかくにも、まずは『誰にも追われない怒られない咎められない』な今の平和をありがたく楽しめばいい。

 それより攻略してない攻略組になってしまっていることの方が問題だ。

 着信音を大きめに設定に変更し、歩いている間に何回か鳴っていたから気づいていたが、レジクレからも心配されてるのかメールも何通か届いている。早いところ返信して、俺もすでに開通しただろう迷宮区に急がなければならない。

 

「(おちおち休んでもいられねぇな、ったく……)……さて、攻略再会といきますかね!」

 

 散々アルゴに罵られたというのに、俺は久しぶりの刺激的な日に気持ち晴れやかになっていた。――Mって意味じゃねぇぞ?

 だから俺は、誰もいない場所で空に向かって大声でそう言ってみるのだった。

 

 

 



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第50話 一休み(後編)

 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

 なぜか時間に比例して気力がガリガリ削り取られていき、それに反比例して攻略に参加できていない不思議な1日。

 そんな日の午後4時。俺はようやく、取り巻く不幸のしがらみから解放され、迷宮区直前の村《リズン》の正門前に仁王立ちしていた。

 攻略組からサボっていないで攻略に戻れ、なんて厳しい声が聞こえてきそうだったが、何も好んで攻略に遅れているのではない。重なるアクシデントのせいで話が前に進まないだけだ。

 

「…………さて、と……」

 

 しかし俺の認識は甘かったのかもしれない。

 道の先に、不穏な人物。フィールドへの出入り口ゲートに金髪の可愛らしいソードマンが(たたず)んでいるのだ。

 アルゴから解放され自由になれたと思っていたが、彼女は明らかに何者かの到着を待っていて、しかも視線がこちらに向いている。

 これは正攻法で突き進むとまた何かある。と、そう思わせるには十分だった。

 

「(よし、ルート変更だ。西門から出よう。これ以上変なことに関わると俺の身が……)」

「ヤッホージェイド! また会えたね、久しぶりぃ~」

「……よ、よおアリーシャ……」

 

 先手を打たれた。

 近づくとよく見える。派手な金属メイルに、ペイルの間にはチラチラ覗く絶対領域。ワキ下から二の腕までも白いモチ肌を晒し、さっそく店売りらしい香水を振りまいている。

 ここにきて今度はアリーシャである。

 こうなる前に対処しようと、そろりそろりと向きを変えていたが、意図に気づかれたのか能動的に動いたわけだ。別に今日でなければここまで疲れなかっただろう。しかし今日はダメだ。すでに俺の心のHPゲージは危険域(レッドゾーン)なのである。

 しかし、だからといって無視するのもはばかられる。

 

「いつもより髪の毛盛ってんな。アリーシャは金髪だし、形だけ見るとなんかのデザートみたいだ。ま、まさかデートでもすんのか?」

 

 装備は戦場に出る直前な感じだったが、最近は《幻惑のお香(トリック・インセンス)》が流通している。モンスターだって冷静に対処すればまったく脅威にならず、各所に設置されたベンチにでも座って景色を眺めながらイチャコラする分には香を焚くだけで事足りるので、私服でなくても『フィールドデート』の可能性は十分に残る。

 

「違うわよ~ん。これから化粧品アイテムの作成のためにぃ、お店巡りしようかなぁって思ってたところ。……あ、でもジェイドが付き合ってくれたらぁ~、デートになっちゃうかもね! アタシ1人は寂しいな~」

「(まぁ〜だ化粧品買うのか。羽振りいいな……)」

 

 またこれだ。よもや本気にしているわけではない。デートなんて冗談だというぐらいはわきまえている。しかしいちいち誘いを断ると、逆に意識していると思われかねない。

 それにアリーシャは俺が今日味わったアレやコレやを知らない。夕方美容室に行って美容師と天気の話をすると、俺にとっては初めてでもその美容師にとっては今までのお客さんと散々同じ会話をしている、という現象に似ているだろう。

 彼女にとって、今日は暇で暇で仕方がない1日だったのかもしれないのだ。

 

「(う~ん。ロムライルはメッセージで『今日はオフでいい。メール覗いて悪かったな』なんて言ってたし、別に付き合ってやらんこともないんだよな~。……いやでもヘンなウワサ立つと厄介だし……)」

 

 初めこそロムライルは『早く復帰してくれ』と言っていたが、2通目のメールでそのようなこと言うからどっちつかずになってしまう。本日の夕飯のメニューを息子に聞いた時、「なんでもいい」と返されるお母さんも大変だ。

 

「う~ん……」

「もぉ、ナニ男がぐちぐち悩んでるのよ! あたしと付き合うの!? 付き合わないの!? ハッキリしなさいよ!」

「えぇええッ!? なんかその言い方スッゴいヤなんだけどっ!? ニュアンス変わっててスッゴい誤解生まれそうなんだけど!!」

 

 ここは最前線の村で、しかもフィールドへの正面出入り口。つまり人通りが多いのである。滝汗ものである。

 それを証拠に、いったいどこから湧いたのか野次馬共がわらわら集まり、「ええっ!! 僕のアリーシャたんがっ……て、またあいつかよ!!」や「ウソだ! 前はオレのことタイプって言ってくれたのに!」や「いやぁああアああッ!!」などと言っている。最後は言葉にもなっていない。

 それ見たことか。何なのだ、今日は。語弊(ごへい)を生む表現を駆使した催し物だろうか。ドッキリ企画なのだろうか。

 

「ああもうッ!! わかったから主街区(フローリア)行くぞ! とにかく話はそれからだ!!」

「あぁん。……強引なんだからぁ」

 

 俺がアリーシャの手を引いてゲートを潜り、フィールドに出て全力疾走。すると意識が遠退きそうなぐらい余計なことを、これまた超が付くほど甘ったるい作り声で口ずさんだ。

 おかげで『今日はオフの日! 決定!』と俺の決意が固まってくれたが、場所を移しても一悶着ありそうと考えるのは自意識過剰だろうか。いずれにせよ厄日で間違いない。

 俺とアリーシャは花が咲き乱れるフィールドを、手を繋いだままひたすら走るのだった。

 

 

 

 1時間ほどかけて主街区に到着。

 道中、横にいる金髪女が「景色が良いのに通り抜けるなんて勿体ないわ!」などと言って敵とのエンカウント――モンスターは当然ながら、この場合の『敵』はプレイヤーも含む――覚悟でフロア探索と観光をし始めたがゆえに、ここにくるまで時間がかかってしまった。

 それにしても、休憩もしていないのに面白いぐらい俺の時間だけが天に召されていく。

 

「(ったく、こんな調子じゃ体がいくつあっても持たねぇぞ……)……んで、これからどうするよ。フローリアの化粧品売場って言うと『化粧品市場』の《ポゥレン》が1番でかいか? あそこならあらかたメジャーな物も売ってるだろ。ま、詳しくは知らんけど」

「そうね~。でもせっかく主街区来たんだしぃ、アタシ名スポット巡りとかしたいなぁ~」

「……あれ、シュシ変わってね……?」

 

 付き合う義理はない。これ以上この女のワガママに付き合う義理はないのだ。きっとお金もかかる。

 それに俺もマッピングに協力、ないしレジクレのレベルアップノルマを達成するために、少しは戦場に顔を出しておきたい。

 ただでさえ今日はうれし恥ずかしなハプニングだらけだというのに、このままだと10匹と少しのモンスターを狩っただけで1日が終わってしまう。

 

「んあ〜……っべ、思い出した。俺口じゃ説明ムリなほど大事な野暮用があったんだった。っべーわ。ソロソロ帰らないとナ〜」

「ぅ……アタシといるの楽しくないんだ。……ぐすっ……アタシはただ、ソロの寂しさを……少しでも癒して欲しいだけなのに……ひどいよぉ、くすん……」

「…………」

 

 ――わざとらしい。メッチャわざとらしいよ、きみ。ぴえんとか言いそう。

 なんて自分のことは棚に上げて思う。

 いやしかし、独りぼっちが誇張ではなく寂しいのは事実。どんな強靱な心を持っていても、明るく振る舞う人間であっても、死と剣の世界で1人はキツい。その恐怖から、ソロ経験のない攻略組だってSAOにはいくらでもいるはずだ。

 俺がカズ達のギルドに入れると判明した時、死ぬほど嬉しかったのは昨日のことのように覚えている。だからこそ、俺はしくしく泣いているアリーシャを前に非情になりきれず、固まった顔のまま棒立ちとなってしまった。

 これが演技でなかったとしても、彼女を置いていくと後が怖い。

 

「……ああ〜、アリーシャ? わかったから。オゴリでも付き合うから。だからあんま大声出さんでくれ、頼むで。とりあえず2、3時間しかつき合えんけどな」

「やったぁイケメン! じゃ~あぁ、ここから南にまっすぐ行くとすっごく美味しいクレープ屋があるからぁ、まずはそこに行きましょう? あ、もちろんオゴりね! 二言なしね!」

「…………」

 

 俺が負けたか。してやられたのか。だろうとは覚悟していたが、こうもあっさり態度を変えられると悲しいものがある。

 そして予定されていた名スポット巡りという、最低限の(てい)すらもはや保つ気はないらしい。これも彼女らしいと言えばらしいのだが。

 

「……ヘイヘイ、どこへなりと」

 

 だが、こういったおちょくり合いは楽しい。退屈だった昼前までが冗談みたいだ。

 普段女っ気がまったくないのもあるかもしれない。しかしそれ以上に、サプライズには気が昂るものだ。しばらく前に、狩りの途中でクライン達《風林火山》と会い、ギルド対抗戦と称して4対4の早食いと早狩り競争をやったのだがこれも非常に心躍った。

 アリーシャを含むソロプレイヤーは基本的には毎日ソロ。フィールド・フロアボス戦なら声ぐらいはかけられる。が、イベントボスだって今は固定チームを組んで挑んでいるし、途中で参加するのは難しいだろう。クエストボスなんて言わずもがな。

 そんな彼女が1日だけ共にいてくれと頼んでいる。

 もっとも、他の日だってどこかの男と(つる)んでいるかもしれし、女が1人は危ないのでむしろそうあるべきなのだが、最近の彼女についてはその手の話を寡聞(かぶん)にして聞かない。

 もしかすると、ここしばらくは本当に1人行動が多かったのかも知れないのだ。

 かつての競争相手であるキリトも(しか)り。集団になじめず弾かれてしまった彼は、昔の俺と立場が逆転している。アリーシャ同様、人との距離感の計り方に悩んでいるはずだ。

 

「(俺の都合がいいんだから、今日ぐらいは大目に見てやるか……)……やけに楽しそうだな。俺は面白い話なんてできないぞ?」

「えへへぇ~、そんなことないわよ。アタシが頼んだんだし。それに……」

「それに?」

「いいえ、なんでもないわ……」

 

 暗い表情を一瞬だけ見せたアリーシャだったが、それを最後にあとは明るく振る舞っていた。

 しかも俺はすぐにそんなことも忘れ、このお方の好き勝手ぶりに翻弄(ほんろう)されることになる。

 

「わ、見て見ておっきい花! これ伐採して売り込めばアタシ大金持ちぃ!?」

「バッサイて……まあ、確かにバカでけぇからな。んでもアイテムにしたいなら《調合》スキル持ってないとダメだって聞いたぞ。時間もかかるし。だいたい、アリーシャって《調合》持ってたっけか」

「あ、ほら今度は《レインボー・セイスト》の集団よ! キレイねぇ、アタシあれホームで飼いたいなぁ~」

「……一応、飼いたきゃ《テイミング》スキルな……」

 

 《フローリア》の最西端である小高い丘に来ていた。ここも有名な観光名所で、団地の高さも相俟(あいま)って主街区にいながら広い範囲に渡ってフィールドを見渡せられる。

 人気も抜群で、アリーシャが先ほど口走ったモンスターは代表的な非攻撃型(ノンアクティブ)のモンスター。四枚羽根で、7色に輝く蝶々のような体長15センチほどの可愛い虫だ。

 このように多種多様なモンスターが一望できるここは《エデンロード》と呼ばれ、観光名所と言うよりはもはやデートスポットと言うべき場所であり、つまり俺にとってはどことなく魔界である。

 しかし絶対に攻撃されない位置から攻撃型(アクティブ)モンスターすらじっくり観察できると、変わった趣味のプレイヤーが《望遠鏡》を持ち込んでニヤついている時もあるので、それを見ると少しだけ安心する。

 それにしても、この女は話を聞かない。時たま俺が横にいる意味があるのか問いただしたくなる。

 ついでにヒスイほどではないにせよ、彼女とこうして長時間行動を共にすることにもやはりリスクが伴われる。色々目撃されてヤバいかもしれない。

 

「(でも帰るに帰れない雰囲気になってきてるし……)……ん? なあアリーシャ。あんなところにハデな建物ってあったか」

「あ~、あそこ見辛いわよねぇ。でもアプデ前からあったわよ。試しにアタシと行ってみる?」

「ああいや、俺はいいんだ。街区で新しい発見したから」

「じゃあ行きましょう!」

「ちょいと、気になっただけ、で……」

 

 こうして、今度は生意気にも入場料が設定されている、現実世界で言うところの動物園的なアトラクションに侵入した。

 施設内だけ《圏外》設定なのか、ガラスケースの向こうに閉じ込められているモンスターは下層のフィールドで何度か見たことのあるものだった。作りはいやに本格的で、小型で可愛い奴もいれば大型で不細工な奴も、あるいは色違いのレアタイプまでいる。

 しかしどちらかというと俺は不細工な奴の方が見ていて楽しいかも知れない。普段は限られた時間をきりもみしているだけに、抹殺対象であるモンスターをこれほど間近からじっくり観察する機会もなかったのだ。

 

「あ、あっちは実際に触れるみたい。……ん~ノンアクティブだけだねぇ。アタシ触りたいな~?」

「おいコラ、俺はヒモじゃねぇぞ。食いもんおごったんだし、今度こそ1人で行ってこいよ」

「チッ」

「今『チッ』て言った……」

「ねぇ、『男女カップルでさらに割引!』って書いてあるんだけど。それでもだめぇ?」

「……わあったよ」

 

 俺も虫や動物が好きなので、ふれあい広場に興味があったというのもある。それにカップルでなくても、男女のペアでさえあれば「カップルだ!」などと言い張ることでNPCを騙すことができる。単にかかる金が減るだけである。

 が、それ以上にまんまと乗せられて流されていっているように感じるのは気のせいだろうか。

 

「(……初対面の時(・・・・・)、裏表ある女だと思った。……けど、どう考えたって攻略生活の中でムリしてるだろうし。たまにはこうして息抜きもいいな……)」

 

 最初は嫌々付き合ってやっていたが、いつしか時間が過ぎるのを忘れるほど楽しんでいた。

 積極性なく退屈な日々をのんびり暮らしているだけでは味わえなった刺激である。この女は俺を陥れようとしているのか楽しませてくれるのかよくわからない。

 

「んん~、なんか言ったぁ?」

「いいや。……ワリと楽しいもんだなってな。ヒマな毎日だったけど、アリーシャのおかげでずいぶん楽になったよ」

「ギルドの人と一緒だとつまらないの?」

「そういうわけじゃないけど、あいつらといると攻略の話ばっかになるだろ? んで気をハリっぱなしだったからな~。やっぱ、たまには女子としゃべるモンだな! アハハハッ」

「……ばかね、あなた……」

 

 アリーシャの頬に赤みがかかっていたように見えたのは、きっと夕日のせいだろう。

 なぜか、追加の恨みを買った気がするのだが、はて……。

 

「なして!? バカって言われるノルマまた達成しちまったよ」

「だってあなたがバカなんだも〜ん」

 

 そんな冗談を言い合っていられる時間があるというだけで、俺は幸せ者なのかもしれない。

 そしてこの後も俺達は散々遊び回った。

 愛想のいい動物もどきを触りまくって、花の咲き乱れる金のかからない自然公園で最近の攻略について話し込み、終いには普段の俺にとっては少し豪華なレストランで夕食。

 認めるのはシャクだが、勿体ないぐらい幸せな時間をアリーシャはくれた。「つか途中からただのデートじゃね?」と思われても仕方がないのだが、別にお互い好き合っているわけでもないのでセーフだろう。

 ――セーフとアウトの境界は知らんが。

 と、そんなことを考えている内に、いつしか夜になっていた。

 日も暮れて外は真っ暗。空に咲く満点の星々が華と住宅地を微かに染め、時刻もすでに9時を回ろうとしている。

 

「ふい~、遊んだ遊んだ。攻略以外でこんな金使うのも珍しいもんだ」

「もぉ~アタシといる時ぐらいそんなこと忘れてよ……あ、ちょっと待ってね」

「……?」

 

 アリーシャがなにやらウィンドウを操作している。一緒に遊んでいた途中、単調なリズムだが何度か音が鳴っていたことから、きっと誰かからメッセージが届いていたのだろう。

 しかし彼女は、しばらく微動だにしないほど固まっていた。

 

「…………」

「……どうしたアリーシャ?」

「い、いえ。何でもないの……それよりちょっと用事思い出しちゃった。アタシそろそろ帰らなきゃ」

「そうだな、もうすっかり夜だ。なんなら送ってっても……あ」

 

 同時に俺も思い出す。

 

「(ヤッベぇえ!! カンペキ頭ん中からトんでたよ、ヤベーよ、もうすぐヒスイと会う時間じゃん! しかも何だろこれ、俺がとんでもなく悪いことしたみたいな感覚が!?)」

「……ジェイド? どうしたのよ急に」

「ああいやなんでもねぇんだ。こっちの話でな……と、とにかくなんでもない!」

「それならいいんだけど、そろそろアタシ帰っちゃうわよ?」

 

 一気に早口で言ったのでもっと疑われるかと思ったが、アリーシャも本当に用事があるのだろう。俺は大した言及もなく切り抜けられた。

 

「1人で帰れるか?」

「子供じゃないんだから帰れるわよぉ~。あ、でもお別れのキスぐらいはほしいかなぁ」

「き、キスぅ!? ここにはそんな文化ねーぞ!」

「フフン、冗談よ。じょーだん……それじゃあホントに行くわね。また時間空いたらこうして主街区巡りしましょ?」

 

 いたずら好きな小娘が浮かべそうな笑顔で、アリーシャはくるっと振り向いて歩き出す。

 

「あ、ちょっと待って。1つ聞いていいか」

「ん、何かしら?」

「しゅうかいどうって花を知ってるか? ほら、今日はやたら咲いてる種類とか教えてくれただろ? そういうのに詳しいなら、できればその花言葉も聞いときたい」

「へぇ、らしくない花を知ってるわね。ちょっと待ってね、花言葉一覧が載ってるメモ帳持ってるから。……んん~……あった! えぇ~となになに、秋海棠は特徴的な赤が綺麗な秋の花で、花言葉は……」

 

 アリーシャの声がだんだん弱々しくなってくる。いったいどうしたというのだろうか。花言葉を俺に教えたくないとでも?

 考えていると、今度はアリーシャから質問してきた。

 

「ちょっとその前にアタシからも聞いていい? まさかとは思うけど、これから反……いえ、ヒスイさんに会う予定とかあったりする?」

 

 あとほんの寸でのところで「げげっ、なぜそれを!?」と口走ってしまうところだった。危ない危ない。

 いやしかし、本当になぜそこに行き着いたのだろうか。ちょっと花が持つ意味を聞いただけでそこまで読めてしまうのだろうか。女とは恐ろしい生き物なのだろうか。

 

「ま、まあな。っつかよくわかったな」

「ッ……そ、そう。あのでも……えっと、今から会うのよね……?」

「ああそうだけど、何かマズかったか?」

「いいえ、そんなことはないんだけど。でも……気をつけてね。それだけよ……」

「ん……?」

 

 先ほどのアルゴにも当てはまることだが、意味のわからないことを呟いて姿を消す行為は最近の流行りかなにかだろうか。とてもモヤモヤするので迷惑である。

 

「本当に何でもないの。……あ、秋海棠の花言葉よね。このメモ帳には『片思い』って書いてあるわ」

「片思い、か」

 

 まさかそんな意味があったとは。ただ、アルゴが何を伝えたかったのかを察するのは難しい。これはアテが外れたか。

 しかし俺が思案に暮れていると、今度はアリーシャがもじもじしながら提案してきた。

 

「ね、ねぇジェイド。最後のわがままなんだけど、いい?」

「内容による」

「即答! ……ねぇ、アタシと……個人用の《共通アイテムウィンドウ》を作ってほしいの。別にここにアイテムを置いてほしいわけじゃない。何も取ったりはしないわ。……ただあなたとの繋がりが、目に見える形でほしいのよ……だめ?」

「…………」

 

 少しだけ考えてしまう。それは『なぜ共通アイテムウィンドウなのか』についてだ。

 確かにこの別枠ストレージがあれば、お互い任意のアイテムを共有できるし、交換などもスムーズに行える。もっとも、同じ層かつ迷宮区にいない条件付きではあるが。

 だがだからこそ、そこはフレンド登録ではダメなのだろうか。これだって形に残るし、色々と応用も利く。

 都合の悪いことでもあるのだろうか。詮索したいが、この段階で教えてくれない時点で聞かれたくないのだろう。

 

「(聞かないでおくか……)……ん、まあいいさ。オッケーだ。んじゃ早速済ませちまおうぜ」

 

 俺とアリーシャは慣れた手つきで早々と全ての手続きを終わらせてしまった。

 

「じゃあ今度こそこれで。……ま、また会いましょう」

 

 どこか不自然なまでにあっさりと彼女は去っていってしまった。名残惜しいわけではないが、俺はそれを見て首を傾げてしまう。

 

「(っと、俺も早ぇとこ《思い出の丘》に行かねーと……)」

 

 こうして、どこか引っかかる部分を残しながらも、俺は小走りのまま目的地を目指し、時間ぴったりに《思い出の丘》最奥部に到着するのだった。

 そして見えてくる。髪、瞳、防具から武器まで全身を漆黒に染めるロングコートの女戦士。この1年で何度も助けて、同時に助けられもした、ともすれば最も早く戦友となった女性。

 

「遅ーい。レディを待たせるなんて。どこほっつき歩いてたのよ、まったく……」

「時間通りに来ただろ。って言ったら怒られるよなそうだよな。……今後は気をつけるよ」

「むむぅ〜……ま、許すわ! ちょっと場所移するけどいいかしら? ここは目印になるから来てもらっただけで、見てほしいのは別の場所にあるのよ」

「見てほしい? まあ、そういうことなら行こうぜ」

 

 そんなこんなで移動開始。待たせた割には気分も良さそうである。

 トコトコ歩きながらも見渡す限りの花々が俺達を飽きさせない。

 香水の香りに弱い俺にはやや頭痛の種だが、やはり綺麗なものが好きなのか話も弾む。ただ、楽しそうで何よりなのだが、知識量の差か話についていけていないのがまた痛いところである。

 もっとも、それを差し引いても夜のフィールドはとんでもなく美しい。これら百花繚乱の虹道がデートスポットとして知れ渡ったのは、当然と言えば当然の帰結だったのだろう。

 

「フィールドだから装備は戦闘用だよね?」

 

 そんなことを考えていたら、ヒスイがいきなりこう切り出してきた。美麗な背景と合わせて眺めていたからか、少しだけ心臓が跳ね上がる。

 

「ああ、私服も持ってるけど、いくら何でもここじゃあな」

「フフン、ちょっとあたしと競争してみない? 地味で狭いけど、この先にレベリングスポットがあるのよ」

「へぇ、知らんかった」

「ポップするのは《ティタニアル・メイド》。それを先に20体倒した方が勝ち。あ、でも安心してね。あいつら視界を持ってるタイプだから、夜はむしろ弱くなるのよ。……ジェイド? もしかして嫌だった?」

「あっ、ああいや、違うんだ! 別にイヤじゃない、ッてか、ちょっと思い出したっつーか!」

「……?」

 

 フラッシュバックした下着を網膜から取り除き、どもりまくりながら慌てて見苦しい弁解もどきをしてしまうと、ヒスイに物凄く怪訝(けげん)な目を向けられた。

 そして驚いたことに俺の首に手を回すと、彼女は突然ぐいっと顔に引き寄せてきたのだ。

 ――ってか近い!

 

「ひ、ひひヒスイ?」

「すんすん……変わった香り。……ねぇ、あたしと会う前に誰か別の女の子と会ってない?」

「(ええぇえええええッ!? 何でわかるの!? 読心術スキルとかいう未知のエクストラスキル!? はた迷惑すぎんだろ!! ……)……ん、んまあ、な。……あ、でも……」

「…………」

 

 膨れていた。いやさメッチャ膨れていた。

 もっとも、鈍感な俺でもさすがに失礼だなとは思っていた。しかしそれでも仕方なかったのだ。ほとんど俺のせいではない。などと言った日には、助走付きで蹴られた挙げ句ゴミ箱にでも捨てられかねない。

 

「……ぅ、ごめん。成り行きで」

「まったく、八方美人なんだから。……それで? どんなことしてタノシんでたのよ」

「い、いや何もしてないぞ! ちょいと世間話してただけで。そう、情報交換だって! マジで何もなかった!」

「……余計に怪しい。けどいいわ。別に拘束したいってわけじゃないし。……それよりほら《植物女中の繁殖区域》よ。気を抜いてると一気に囲まれるわ」

「おわ、ケッコーな数。チンタラしてっとアウトだな」

 

 そこはヒスイの言う通りで、とりあえず《索敵》スキルを起動させておくとそこには数え切れない反応があった。

 

「弱体化してる、つったって骨が折れるぞ。……俺は余裕だけどヒスイは大丈夫か? 戦闘中は助けてやれねーぞ」

「ふん、ナメてもらっては困るわ。あたしだってこの勝負、あなたに負けてばっかりじゃいられないもの」

 

 ヒスイはどこかズレた対抗意識を燃やしているようだが、俺とて装備は仮にも《両手用大剣》だ。ソードスキルを命中させられるタイミングも全て記憶しているので、大きめのモンスターが相手なら片手剣より圧倒的に狩る速度は速い。

 その分ヒスイとの訓練で行った対人戦では惨敗状態ーーさすがに女に手を出す際はマジになれないーーなのだから、ここで負けたら俺の立つ瀬が無くなってしまう。

 

「ちょっとは強さってモンを示さねぇとな!」

「それも今日までよっ!」

 

 それから数十分間、俺とヒスイはそれこそ子供のようにムキになって争うことになる。

 最終的には俺の勝利で終わったが、途中ではひどく焦った。彼女の実力がどんどん上がっていたからだ。これはうかうかしていると、装備の優劣すら越えて何もかも持っていかれそである。

 

「ハァ……ゼイ……あっぶねぇ。ハァ……もうちょいで負けるところだった……」

「ハァ……惜しかったぁ……ハァ……でも楽しかったね」

 

 こうして屈託のない笑みを返されると、なんだかボランティアでもしたあとのような晴れやかな気分になる。この場合、手加減はしなくて正解だったのだろう。

 

「ふぅ~、でもあたしとのデ……じゃない、イベントはまだこれからよ。むしろこっちがメイン。また歩くけどいいかしら」

「おう、もちろんいいぜ。今日はウォークデイだ」

「ぷふっ、なにそれ」

「予定にはなかったけど、今日はよー歩いたんよ。どうせなら隅々までタンノーしてから48層に行ってやるさ」

 

 再び歩行を開始。すると今度ついた場合は先ほどまでとは対照的で、逆に警戒してしまうほど静かだった。

 

「ごめんね歩かせちゃって。でもあたし、時々その辺の人に付けられたりしてるから、ヒマがあれば移動したくなるのよ」

「やけに生々しいなっ! ガチで怖ぇよ」

「ふふっ、もう慣れたけどね~……あ、ここよ。ほら見てこの丘。ここからだと星がすっごく見やすいのよ」

 

 見ると、ほんの少しだけ周りの平地より盛り上がっていることがわかる。

 そこは大きい木が1本生えているだけで、あとは芝生のようになっていた。おかげで好きな所に腰掛けられるし、ほぼ360度どこでも花を観察することができる。

 

「ほぇ~確かにそうだな。なるほど、周りの明度が意図的に下げてあんのか。やけに暗いわけだ。……ん、ってことは星が見たかったのか?」

「半分正解かな。でもここ見つけた時は奇跡を見た気がしたわ。花だらけだし、この層ならもしやと思ったけど……まさかこんな場所が見つかるなんて」

 

 詩を読むかのように、そして過去の記憶を呼び覚ましているかのように目をつぶって語るヒスイは、どこか手の届かない存在のように見えてくる。

 背景による補正がかかっているのかもしれないが。

 

「(い、いかんいかん。純粋にこの縁を大切にしてくれてるだけだ。勝手な思い込みは失礼……)……ん? なあヒスイ、あの赤いのってまさか『しゅうかいどう』って花か?」

「な、なな!? 何で知ってるのよ!? ウソよ……ジェイドがこんなオシャレな知識あるはずが……!!」

「おいちょっと待てコラ。もう1つの奇跡を見た、みたいな顔してんじゃねェよ。傷つくわ!」

「ふふふ、ウソだって。ホントに驚いたけど、ちょっと言ってみただけ。……で、でもどうしてまたこんなこと知ってたの? 花の名前なんてガラじゃないって自覚はあるよね」

 

 自覚しているとも。しているけども、どこまでいっても失礼な奴だ。俺の頭はそんなに許容量が少ないだろうか。確かに勉強のレベルは目も当てられないだろう。俺は今年で18だが、去年の段階で高卒にて働く以外に道はないとまで言われたほどだ。

 それとも頭の許容量を残したまま使われていないだけとか。……やめよう、自虐にしかならない。

 

「まーな。たまたま耳にしたんだ。……でもさ、つかぬことをお聞きしますが、その……ヒスイの誕生日って9月10日?」

「な、なななっナヌなぬなぁ!? ど、とこまでリサーチしてるの……あ、でもまさか、花言葉まで知ってるとかっ!?」

「……し、知らねぇよ? ……たぶん。片思い? 的な……ヤツじゃないよな。ウン、知らねーよ……?」

「…………」

 

 まずい。俺の嘘がバレたのか、ヒスイの顔が茶でも沸かせそうなほど高温になっていた。

 なぜ温度までわかるのかって? 単に顔が赤くなるのを通り越して、白い湯気みたいなのが立っているからだ。すっごく恥ずかしそうなのだ。

 いや、しかしこれはどういうことか。そういうことなのか。俺の勘違いとか早とちりとかではなく、こういうアレがそういうアレなのか。いやいや、まさかそんなことはあるまい。仮にも天下の美少女ヒスイ様だ。

 

「いっ、いいやでも! そーいうこっちゃないことぐらいわわわかってるから!!」

「そ、そそうよ! そんなロマンチックなことジェイドには似合わないわ! 花も関係ないし!」

「だ、だよなぁ〜、知ってた!」

「だいたいあんたは何にも知らなくて、青春を自分から逃して、積極的になれなくて、残念な人生しか送れないもん!!」

「オーイっ!! そりゃ言い過ぎだろォがッ!!」

 

 ガヤガヤと、またしても息が切れるまで言い合う俺とヒスイ。そして恥ずかしさと、もう何がなんだかわからない楽しさでいつの間にか馬鹿笑いしている俺達がいた。

 夜中にこんなに笑うのも久しぶりだ。

 

「ハァ……ハァ……ハハハッ、なんつーか笑い疲れたわ。すげぇカロリー持ってかれた気分。ん……げげ!? なんか叫びすぎでいつの間にかモンスターに囲まれてんだけど!?」

「あ、ちょっと待って! 剣抜かなくていいから。ええっとほらコレ、《トリック・インセンス》よ。これをこうして……」

 

 和訳は《幻惑のお香》。レベル差のあるモンスターはこの香りが届く範囲外へと姿を消してしまう一風変わったアイテム。しかし、これの有無で安全確保の効率性は相当変わってくる。

 そんなお香のおかげで、俺達を囲んでいたモンスターは標的を見失ったかののとくどこかへ行ってしまった。

 

「あ、そういや俺も用意してんだったわ。すっかり忘れてたよ。で、何の話だっけ?」

「いえ、それは思い出さなくていいわ。そ、それより星見ましょうよ、星! 満天の星に雲1つない空!」

「……人口物だけどネ……」

 

 ヒスイの慌てる姿は比較的レア現象なので、もう少しツッコミ入れて眺めたかった気もする。が、これ以上踏み込む勇気がないので話に乗ることにした。

 決してヘタレと言うわけではないが、俺はことなかれ主義を通す。

 

「まぁでも、俺の場合は星をそのまま見ても区別がなあ……」

「あ! 見てあれ!」

「ん……?」

 

 ヒスイが指をさすドーム状の空には、相も変わらずどこにでもありそうな星が煌めくだけ。いわんやそれが珍しいものだったとして、説明無しではとても感動を共感できないだろう。

 

「……見た?」

「さっきも言いかけたけど、星見ただけじゃ違いわかんないぜ?」

「違うわよ、よく見てみなさい。止まってるのじゃなくて、流れ星みたいなのがあるから」

「ホントか!?」

 

 今度は集中してプロジェクターから再現されたプラネタリウムもどきを見つめる。そして光度に個性のある沢山の星々の中に、それはあった。

 必死に自己を主張しながら動いているその姿に、俺は見当違いにも「可愛いな」なんて思ってしまった。それは星に対してか、隣の女に対してか……。

 

「ね。見えたでしょ?」

「ああ見えた見えた。今の流れ星の名前も知ってんの?」

「獅子座流星群。星の名前というわけではないけど、細かい粒が大気圏で燃え尽きる時に見えるらしいわ」

「た、大気圏ん!? おいおいここはアインクラッドで……あ、それを再現してるってことか」

 

 いきなり話のスケールが大きくなって驚いたが、考えてみればこの世界は果てしなく現実世界に近づけていることを思い出す。

 しかしたまげた。開発スタッフは本気を出しすぎだろう。これは限定1万本という時点でなにか裏があると疑うべきだったか。

 

「これからもっと増えるわよ。本来は17日から18日にかけてがピークなんだけど、今年は1日遅れるって聞いたのよ」

「よくそんなこと調べたなぁ。……まあ、アインクラッドはどの層から見ても星の位置は変わらないらしいしな。何層か下にいた星占いのばーさんに聞けばある程度のメボシはつくか。星だけに!!」

「さっむ!」

「すっまん!」

「ふふっ。……前の周期は11年前……2012年ね。あたしが小学校1年生の頃の話なんだけど、お父さんに連れてってもらって同じものを見せてくれたのよ。その年は偶然にも日本が絶好の観測地だったみたいで、言葉にし尽くせないほど美しかったわ」

 

 そう言いながらヒスイはゴロンと芝生のような地面に寝ころぶ。俺もそれに習うと、視界一杯に光の粒が映し出された。

 声にこそ出すことはなかったが、確かに美しいなんて呟きたくもなってくる。

 

「それが凄く印象的でね。星なんてほとんど知らないんだけど、逆にこれだけはいつまでも忘れられないのよ」

「星っつったら、俺はチャリをこぎながら真上を向くの好きだったな〜。それが唯一星を見る時間だったわ」

「何それ危なそう。……でも、11年かぁ。あたしもおっきくなったな~。星に手が届きそう」

「メルヘンチック」

「ロマンチックって言ってよ」

「……んでも、たまにはいーな。マジで本心、すっげぇキレイだ。青春してるなーって思う」

「そう? 青春って言ったら普通恋愛とか……」

 

 言っていてヒスイも思い出したのだろう。またも顔を真っ赤にしている。上半身を起こして顔を背けているが、それが証拠となっていることに気づいていないようだ。

 

「よっこらせっと。……ああ、ヒスイ? さっきのことは忘れるから。っつか照れすぎだろ。俺の方がハズいわ……」

「ね、ねえ!」

 

 俺が冗談めかして話を別のものに切り替えようとしていると、ヒスイが思い切ったような声を発しながら振り向く。

 

「ジェイドは……あたしが困っている時は助けてくれるよね? 弱気になった時は励ましてもくれた。1人が寂しくなったり、誰かに嫌なことされたりすると、いつも……いっつもよ。……あたしね、あなたのことは本当にかけがえのない人だと思ってるわ」

「うえっ……ちょ、え? どしたん急に。そ、そんなことはお互い様だっていつも」

「最後まで聞いて! あたしはいつもの話だけじゃなくて、大事な話があってあなたを呼んだの。この関係が崩れちゃうかもしれない、大事な話よ」

 

 そのあまりに重い気持ちを汲み取って、俺は声が出せなくなる。

 ヒスイの気持ち。本当にそういう(・・・・)ことなのだろうか。勝手な思い違いではなく、俺を想ってくれているとでも?

 もしそうだとして、果たして俺はその気持ちに応えていいのだろうか。

 甲斐性がないこともある。レジクレとの関係も無くしたくないし、冗談や言い訳ではなく彼女を病的に愛しているプレイヤーにだって殺されかねない。

 この孤独な女戦士はもはやアイドルだ。象徴的な扱いを嫌うヒスイには悪いが、彼女が常に1人で攻略に励む姿は有名になりすぎているし、だからこそ、見えない力をもらって最前線で踏ん張っている奴もいる。誰に対しても博愛的で、可憐な少女が弱音も吐かずに凶悪なモンスターに立ち向かっている中で、大人の自分が背を向けていいはずがない、と。

 彼らの向上心の影には、常に彼女の支えがあった。

 これすらも言い訳に見えるが、実際問題として俺がヒスイと共に行動し続けることには多方面にリスクが発生する。それは避けられないことだ。

 

「(じ、自意識過剰……か? ヒスイが俺のこと、そんな風に思っているはずが……でも、これって……)」

「ねえ、あたしはあなたにいっぱい救われた。けど、あたしもいっぱい救ったと思ってるわ。……だからこそ、お互いに信じ合える。あなたをずっと守るから……だから、あたしをずっと守って? これから、ずっと……」

「ヒスイ……」

 

 愛おしいと感じた。

 守ってやりたいと思えた。

 おそらく勇気を振り絞ったヒスイは精いっぱいの建前を作った。あとは俺が踏み出すだけではないのか。周囲のことなど気にせず、俺が彼女に応えるだけではないのか。

 自然と、俺の口から滲むように言葉が生まれる。

 

「……ああ守るよ。絶好守る。俺がこれからヒスイを」

「守られるだけじゃないわ。会った時から変わらない、ずっと変わらない対等な立場として支え合うの。それでこそあたし達《攻略組》でしょう?」

 

 初めて会った時と同じ。決意のこもった瞳を見て、また律儀に心拍数が上がるのを感じた。

 光り輝く星空を背景に、彼女の姿は眩しく映る。

 この独占欲を隠すために、彼女に近寄らなくて済む反定立を必死に掲げてきたというのに、ふとしたゆるみでこの女を誰の手にも渡したくないという渇望が無限に湧いてしまうほどだ。

 それは醜くどす黒い感情だったが、俺はそんな本能を抑えようとは微塵も思わなかった。それこそ無粋だろう。

 今は彼女を求めるだけ。

 

「ああ……その通りだ……」

 

 互いに座ったまま距離を詰める。徐々に顔が近づいてゆき、あとほんの数センチのところにヒスイの顔があった。

 

「(ヒスイ……)」

 

 そして彼女が目をつぶり、俺も目をつぶる。お互いの唇が触れ合う――寸前に、ビピピピッ!! とメッセージの着信音が高々と鳴り響いた。

 

「うわぁああッ!?」

「ち、ちょっとー! 脅かさないでよ!!」

「ごめん、ちょっ、ごめん!」

 

 ――最悪だ。台無しだ。ちくしょう、とんでもないタイミングで邪魔してくれた!

 ――なんの過ちか、たった今、人生初のアレをアレしたアレだったのによくもやってくれた!

 

「(うわぁ、うわあああ何てことしてくれやがる! 人の青春を!! このっ、このっ……ええい、こうなったら全てのウィンドウ操作で音が出ないようにしてやる! 全部消音設定だバカやろうめ!!)」

「……もう、おバカさん……」

 

 「わっ、ちょ……と待っ……」と、言葉にもできず慌ててウィンドウの設定を操作する俺を見て、ヒスイも顔を赤くしたまま膨れ上がっていた。もっとも、ここは完全に俺のせいだろう。

 今さら後の祭り。昼間にメッセージの着信音量を高めに設定したのも自分自身だが、俺はとりあえず腹いせに全ウィンドウ操作におけるサウンドエフェクトをオフにした。

 それにしてもこんな時間に誰だ、よくも人の夢をぶち壊してくれた。

 

「ミンスかよ、やってくれる。覚えてやがれよあのネクラメガネ。毎度毎度こんな夜遅くに……え……?」

「……ど、どうしたのよ?」

 

 メール文を読む俺の顔が青くなっていくのを、自分でも感じた。

 俺は読み切るなり慌てて、ヒスイにウィンドウを可視化状態にしたままスクロールさせて見せた。すると、彼女も同じように顔を青ざめていった。

 内容にはこう書かれていたのだ。

 『深夜に申し訳ない。時間が惜しいので簡潔に説明する。まず、PoHを発見した。場所は追って説明するが、とにかく《リズン》の隣にある小屋の集合地に来てくれ。対人か、対mobか……原因は知らんが、アクシデントのように見える。きっと今の彼には脱出手段がない。ただし、チャンスだからこそ覚悟を持って来てほしい。……殺す気で来い。生半可ではこちらがやられる。深夜ゆえ可能性は低いが、私もなるべく人数を集める。頼んだぞ』

 内容はこれだけ。シンプルで単純だが、だからこそ体中に恐怖とも武者震いとも言えない振動が伝わった。

 世紀の犯罪者PoH。ある意味においてはSAOでの最大の障害であり、アスナやヒスイとはまったく別の意味での有名人。

 そして、ケイタの仇。

 

「ケイタの仇なんだ! ヒスイ……ヒスイ俺、今すぐ行かなくちゃ!」

「待って。あたしも行くわ」

「ダメだ……あんたはここに残って……いや、主街区に戻ってなるべく人を集めくれ。それから……」

「イヤよっ!!」

 

 俺はヒスイの怒気をはらんだ大声に言葉の中断を余儀なくされる。

 

「一刻を争うのはわかるわ。でもだからこそ、前線のメンバー集めなんてしているヒマはない!」

「可能性はゼロじゃないだろ!」

「……昼には……フィールドボスが討伐された。迷宮区が開放されてるのよ? こんな時間に起きてる時点で、プレイヤーは迷宮区にいるはず。メッセージは届かないし、寝てるならなおさら無理。だったら、あたしが……戦力になるしかないじゃない!」

「でもそれは危険すぎる! ヒスイはケイタのことを知らないかもしれないけど、俺にはあいつの仇を討たなきゃいけないギムがある! だから……っ」

「そんなの知らない! あたしにはジェイドのことの方が大事なの!! それにさっき言ったよね? あたしのことはあなたが守ってくれるって、対等な立場でお互いを助け合うと誓ったじゃない。だったらこんな時ぐらい、自分の言葉を通してよ!」

「……ッ……!!」

 

 どうやら俺は肝心なことを言えないどころか、自分の意志すら再現できないヘタレになっていたらしい。

 言わせている時点で男として失格だ。

 ヒスイは俺を守ると即答し、俺はヒスイに逃げろと弱腰になってしまった。これを対等とは言わないだろう。ここで遠慮させるということは、彼女を信じていないと言っているようなものだ。

 

「……ああ、わかった。その通りだ。俺とヒスイであいつらを討つ!」

「ケイタさん、という人は確かに知らない。けど……あたしもPoHには借りがあるの。一緒にやりましょう。あたしにもできる限りのことをさせて」

 

 ヒスイの決意は驚くほどに堅かった。ともすれば俺より先のことを見据え、懸命に絞り出した答えだったのかもしれない。

 ならば俺はこれ以上彼女の思いを踏みにじらない。その答えを大切に、それでいて彼女を危険から守りきる。

 

「行きましょう。でも、油断しないように……いえ、彼を疑うのは……」

「……? と、とにかく急ごう!! 作戦立てるのはあとだ!」

 

 言いよどんだのは一瞬で、俺とヒスイは目的地へ走り出した。

 復讐の連鎖に終止符を打たんがために。

 



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テュレチェリィロード1 復讐の権利(前編)

 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

 この世界に来て1年と少しがたつ。

 しぶとく生き抜いたものである。が、その過程は最悪だった。

 卑怯で卑劣な手段の連続。生きるためなら幾度となく、この手を血と悪に染めてきた。

 これはその結果。畜生にも劣る行動が招いた、因果応報の人生。だから今日も()から指令が下る。そう、絶対的上位者として格付けられた、アタシ達犯罪者集団のボスから。

 

『標的はレジスト・クレスト。メンバーの1人は《はじまりの街》に知人を残しているらしいが、『客人』になってもらう。場所は北八区住宅街の最端地。プレイヤーネームは『アル』。こいつを夕方までに『店』に呼び出せ。あとはこっちでやる』

「…………」

 

 アタシは無言でメッセージウィンドウを閉じてから、誰にも気づかれないようため息をつく。

 苦し紛れのように他人には明るく振る舞うので、これまで誰かに疑われることはなかった。けれど、アタシの真の姿が露呈(ろてい)した時の恐怖を想像すると、最近はストレスでろくに眠れやしない。

 

「なにやってんだろ……」

 

 どこで道を間違えたのか。

 いいや、そんなことははっきりしている。初めてプレイヤーをゲームオーバーまで追い込んだ時からだ。

 それからアタシは変わってしまった。周りに置いて行かれないよう必死だった当時は、こんな残虐なことはしなかった。むしろ最初のスタート直後はひたすらに怯えて宿に籠もり、泣き叫んで助けを乞う毎日を送るだけだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 1年前。別に誰かとやろうとか元から狙っていたとかではなく、そもそもプレイする機会すら得ると思っていなかった。

 アタシは大学に上がったが、高卒で社会人になった友人が、とあるゲームソフトを貸してくれたことが発端である。

 

『よりによって休出だよ、最悪。まあ月曜は振り休だけど』

『アッハハ、かわいそ。……ねぇ、じゃあ1日だけ貸してよ。日曜中には返すからさ』

 

 なんて断りつつ、パッケージと宣伝を見て面白そうだとログインしただけ。たったそれだけでアタシはここに閉じこめられてしまったのだ。

 2ヶ月もしてからだろう。前線プレイヤー達が4層、5層と次々主街区をアクティベートしていく姿を見て、このまま孤独に何ヶ月も《はじまりの街》に放置される寂寥感(せきりょうかん)に心底恐怖した。

 いてもたってもいられなくなったアタシは、下準備も無しに1層主街区である《はじまりの街》を飛び出した。

 それは非常に危険な行為であり、対処しきれないほどのMob集団に囲まれなかったのはただの奇跡としか言えなかった。

 しかし、そんな奇跡も2週間で途絶えてしまう。

 

「くんッなってばッ! 近寄んな、キモいッ!!」

 

 剣を振り回すが、ろくにヒットすらしない。

 不用意な行動を繰り返していたアタシは、いま思うと考えられない自殺行為じみた行動の末、絶体絶命の危機に陥っていた。

 《はじまりの街》周辺より、はるかに危険な《ホルンカの村》。

 もっとも、ルーティンは《はじまりの街》にいた頃と大きく変わらない。死にたくない、でも死にたい。そんな矛盾した心と体を酷使して、アタシは全長1メートル半ほどの《リトルネペント》なる植物型のモンスターを殺しまくっていた。

 そして巨大植物の頭上にある『つぼみ』を攻撃してしまい、そこに詰まっていた花粉がより多くの《リトルペネント》を呼び寄せる生態を持つと知らなかったアタシは、棒立ちのまま敵の大集団に囲まれることになる。

 それを救ってくれたのが『リア』と名乗る同じ年齢ぐらいの男の人だった。

 フルネームは『リア・ローレック』。別ゲームの主人公の名前らしい。彼は死の憂き目に会っていたアタシを見かねたのか、目の前を埋め尽くしていたグロテクスな食人植物を瞬く間に討伐していった。

 

「アタシ……ハァ……ハァ……生き、てる……ハァ……」

「ふぅ~、これで最後と。……で、あなたの方は大丈夫です? っていうか、マージン無しでファームはナンセンスですよ。ハイディングだって利かないんですから。これ今じゃ常識のはずですけど。……もしかしてレベリング初めてですか? スキルスロットは何を選んだんです?」

 

 正直、そのプレイヤーがゲーム用語を得意げに連発する姿を見て、アタシは素直に「キモい」と思った。そもそも言っていることの大半は意味がわからない。

 でも。それでも。

 アタシはそういう(・・・・)世界に幽閉されているのだと再認識もした。改めて感じた。この世界においては、ソードアートオンラインの中では、自分の行いこそがキチガイなことだったのだと。内心「キモい」と吐き捨てた男に、たった1つの命を救われたのだと。

 

「……初めて。ってか、その……ありがと……」

「いいですいいです、みんなで協力し合わなきゃ。遠慮しないでその辺の人に聞いてみてくださいよ。あ、でも詐欺とかあるから信じ切るのはマズいか……。最初の1ヶ月ほどじゃないけど、人によってはまだピリピリしてますからね~」

 

 『リア』と名乗った少年は自己紹介こそたどたどしかったが、アタシが無力な女であること――あとはゲーム世界における優位性の確立だろうか――を確認してからは、長々とこの浮遊城について自慢げに教えてくれた。ついでにソロで、かつ人を救ったことも初めてだったのか、その日からアタシのことを唯一無二の戦友とも思ってくれたようだ。

 それについてはいい。むしろこの異世界に対し致命的に知識が浅かったので、少年リアこそ生命線と言っても過言ではなかった。

 アタシはほとんど依存するように彼に頼った。武器を選ぶのも、スキルを選ぶのも、宿を選ぶのも、狩り場を選ぶのも、付き合う相手を選ぶのも。全部全部、彼に任せた。

 そうすることで生きられたから。アタシはプライドもかなぐり捨てて従順に働き続けた。

 気づけば2ヶ月、何もせずただ怯えていただけの時間と同じ日数を、戦場で彼と生きていた。

 しかしある日、彼は豹変することになる。……否、アタシが気づかなかっただけで、彼は長い時間をかけて緩慢(かんまん)に変わりつつあったのかもしれない。

 とにかく、初めて同じ部屋に泊まろうと言われた時、宿代の節約という見え透いた言い訳を聞いた時、彼の奥に潜む獰猛(どうもう)な目を見た時、今までの関係が崩れ去っていたことに気づいた。

 アタシはあえて察したような表情を作り、その日のうちに隙を見て逃げ出した。遠くへ、遠くへと。

 彼とはその日以来、会っていない。

 後日《生命の碑》で確認したのだが、彼はとある迷宮区で息絶えていた。2023年3月半ば。アタシ達が別れて2週間後のことだった。

 

 

 

 βテストで公開されていた層を抜けた先は完全なる未開の地。生き残れるかどうかは本人の用心深さと直感に寄るところが大きなウェットを占めていた。

 とはいえ、数こそまさに純粋な戦力。

 リアと別れてからアタシは、また別の男性数人と組んでいた。それに修行三昧な日の全部が無駄だったわけではなく、アタシに中層ゾーンで十分に戦える力を与えてくれていた。

 新しい仲間『ロックス』と、彼の束ねる3人のプレイヤー達。たった4人の小さい集まりではあったが、ギルド《夕暮れの鐘》はアタシのことを「ただでさえ珍しいのにこんなに美人だ。拒むはずがない」と絶賛し歓迎してくれた。

 彼らとも初めはうまくいった。名も売れ、ギルドメンバーも着々と増えていった。準攻略組として将来を有望視されることにもなる。

 しかし、またしてもこの関係は2ヶ月で崩壊した。

 なんとリアとまったく同じ話をアタシに持ちかけてきたのだ。その目が否応なく示す真の動機も、まるで異性間の友情などありえないと言わんばかりに、過去にアタシがリアを拒絶したことと寸分違わず一緒だった。

 

「(ゲームでデキるとか、冗談じゃない……!!)」

 

 アタシは怖くなってまた逃げ出すことになる。相手の貪欲な性癖を理解した上で、「考えさせて」とその日の夜だけ勘弁してもらい、深夜にその層をあとにした。

 這うように逃げ、辿り着いたのは19層。自ら不快に損ねているとしか思えないその特徴的な景観から、誰も好んで近づこうとも住もうとしない。そこは主街区の名を《ラーベルグ》とする層で、アタシのレベルではまだ早すぎる層だった。

 ただゴーストタウンにも近いそこは、それゆえ身を潜めるにはうってつけ。主街区まで危険もないだろうと、隠遁(いんとん)先をここに決めた。

 ただ前回と異なる点があった。

 なんと信じられないことに、彼らは仲間を引き連れ、そして《索敵》スキルのオプション機能である《追跡》やフレンド登録者のマップサーチすら使い、あの手この手で追跡してきたのだ。

 宿を囲まれてからも、アタシは全力で逃げ走った。

 走りながら隠れ、その度に1人ずつ登録を解除して再び走る。不規則な呼吸だけが耳朶を打つほど走り続けて、さらに15禁ゲームにしては怖すぎるモンスターから必死に逃げて、ようやくその層の迷宮区まで到着する。

 手持ちのアイテム全てを使い果たしたが、安全地帯までは駆け込めたので、そこで何日も動かずに相手が諦めるのを待とうとしていたのだ。

 だがアタシの考えは先読みされていて、迷宮区の入り口付近にはすでに彼らが待ち受けていた。

 すぐに追いつかれ、死なない程度に攻撃された。口封じのために最終的には殺しきるつもりだったのだろう。今となっては真相も定かではないが、とにかく「抵抗すると殺す」と脅して、彼らは自ら装備を外すように要求してきた。

 6人がかりで囲い(ボックス)を作られて逃げることはできない。武器は取り上げられ、反撃することもできない。

 アタシは命令に従った。死にたくなかったからだ。

 どうしても、どうしても、死にたくなかった。屈辱的な姿にされようとも、女としての尊厳を踏みにじられようとも。

 いつしかアタシは泣いていた。わんわんと泣いて、助けを求めていた。もちろん気が立っていた6人がそれで許してくれるはずもなく、結局アタシは《下着全装備解除》ボタン自発的に押してしまう。

 

「おい、泣くなっての。シャウト扱いになったら余計なMoBまで釣っちまうだろう」

 

 男達はそんなアタシをあざ笑うかの如く楽しそうに観察していた。

 しかしそこで、男達にとっては思いも寄らない事態に陥る。

 

「ガッ! 痛ってぇ……だ、誰だお前ら!? いきなり何しやがる!!」

「Zip it、雑魚共。人様のナワバリに来て発情してんじゃねぇよ」

「ヒャッハハハァ、ヨソなら見逃したってのによォ。足りねぇ駄賃の代わりに、その命を置いてけやァ!!」

 

 謎の2人組がアタシと《夕暮れの鐘》とのやりとりに介入してきて、あっという間にロックス達6人をねじ伏せてしまったのだ。まるで対人戦そのものに長けているかのような体裁きで、それでいて攻略組さながらの圧倒的レベル差で撃退した。

 秒殺である。殺しきっているわけではないが、誇張表現や例えの話ではなく本当に数秒で勝利した。中堅クラスとしてはそれなりに名の売れた《夕暮れの鐘》を、それも3倍の人数を相手に。

 1歩間違えれば殺人者にもなりかねない挙動だったが、殺さない絶妙な力加減で攻撃しているようにも見えた。もし本当に手加減していたのなら絶望的な実力差である。

 とは言え、この予想外な乱入者によってリーダーであるロックス以外は這いずるように逃げ出してしまった。続いて逃げた通路の先で叫び声が連続して届く。きっと……トドメはモンスターに刺されたのだろう。これでは直接殺していないだけで、実質的にはこの2人組が《夕暮れの鐘》のメンバーを殺したことになってしまう。

 なぜこの2人組は顔色1つ変わらないのか。

 

「余裕すぎ~! っと、まだ1人残ってたか。さっさと片づけて……」

「言ったろう、殺すなよジョニー」

 

 その風変わりな黒ずくめ達は裸同然のアタシと、呆然としながら震えて動くことすらできなくなってしまったロックスを見比べてこんなことを言った。

 

「Hey you、名を名乗れ」

「ろ、ロックスだ。……頼む。命だけは助けてくれ……レアアイテムが欲しいってんなら……」

「Don't say anything。ロックスとやら、そこを動かないことだ」

 

 美声の男は抑揚(よくよう)のない声でそれだけを吐き捨てた。

 しかしそれだけでは終わらない。彼はごく普通に、それこそ昼食のメニューを決めるぐらい軽いノリでこう続けた。

 

「そこの女、1つ聞く。ロックスが憎いか?」

「…………」

 

 アタシは何がなんだかわからなかったが、複数の意味で震え上がった体を何とか動かして首を縦に振った(・・・・・)

 何となく、そうすることでこの場を切り抜けられると本能で悟っていたのかもしれない。

 

「いいだろう。これは俺の昔の愛刀(ダガー)だ。それを使ってロックスを刺せ。お前のその醜い気持ちを、ほんの少し表に出すだけでいい。イージィだろう?」

「…………」

 

 乾いた金属音と共にアタシの眼前に転がってきたものは、禍々しく銀に光る大型の非投擲用のダガー。刃には返し(・・)が施され、ぬめりとした黒い光沢を放つ柄の部分から、ぎらぎら輝く刃の先まで、悪意で固めたような材質の武器だった。

 アタシはほとんど思考を止め、それを手に取る。

 何度も浅い呼吸を繰り返し、カタカタと震えて狙いの定まらない手は、それでもしっかりと凶器を握った。後のないアタシにとって、その狂気こそ境界線だった。

 

「そう、それでいい。ただ己を解放しろ」

「イ、ヤだッ……おいアリーシャ! なんだその目は!? 忘れたのかっ? オレ達はいつだって、お前の願いを叶えてきたッ……望むなら武器や装備だって! その恩を忘れたのか!?」

「…………」

 

 アタシは酷く落胆してしまう。

 もっと複雑な関係だと信じていたのに。仲間としてではなく、飼い慣らす対象としてアタシを見ていたのだと。所詮、男にとって女とはその程度なのだ。

 (なつ)くか、否か。《夕暮れの鐘》だけではない。アタシに近づき親切にしてくれた男性は、どこか下心を持っていたと思う。

 総じて欲求不満だったのだろう。特に性別を気にしない(てい)を装いつつ、みんな敬語で優しくする。アタシはもう、長い間アタシという1人の存在を認められないまま生きている気がする。そんな錯覚がするのだ。

 そう考えると笑いがこみ上げてきた。

 

「アハ、アハハハハハハハハハッ!!」

「あ、アリーシャ……?」

 

 もういらない。もう求めない。誰も、何も。

 アタシを求める連中はいい。そいつらは利用するだけ利用しまくって捨ててやるだけだ。近寄って付け入って信じ込ませて、最後にはこっちから捨ててやる。

 アタシにはその『権利』がある。人の人生を滅茶苦茶にした、この世全ての事象に復讐する権利が。今度はこちらが見定める。あらゆる理不尽を武器に、アタシの方から制裁を下す。

 ロックスはその1人目。そして下した判断は「こいつに生きる価値はない」だ。

 

「死んでよ、ロックス……!!」

「バカやろうッ! 謝ってんだろォがぁ!!」

 

 泣き声で謝るロックスは酷く滑稽(こっけい)だった。それでも黒ずくめの1人に首もとにナイフを突きつけられたロックスは動くことができない。

 

「あぁアリーシャ……悪かった。悪かったから……」

「死ねよ……死ねぇええええッ!!」

「うあぁあああぁああああアぁあああああッ!?」

 

 ザクンッ!! と。ロックスの胸部にダガーが刺さる。短剣はリーチを犠牲に弱点部位へクリティカル補正が群を抜いているのだ。

 今さら抵抗する。しかし、彼の体力ゲージはレッドゾーンからゼロへ。もう変えることのできない、死の運命へ。

 

「クソっ、この(アマ)ァあアああああッ!!」

 

 断末魔をあげて彼は弾けた。

 同時に、首を締める指の感覚が消えた。

 その光のフラグメントを浴びた時は、正直吐きそうだった。ギラつくナイフと手首の先に真っ赤なダメージエフェクトが降りかかり、手のひらに残った『人を刺した感触』が蛇のように絡み付く。もしこの場に1人しかいなかったのなら、アタシは間違いなく吐しゃ物を()いていただろう。

 だが、それを耐え抜いた。そしてアタシを救った2人をじっと見つめた。

 同時に、ロックス達6人を実質的に死に追いやった2人。

 このまま殺されるのだろうか。それは赤子の手を(ひね)るより簡単なはずだ。先ほどは復讐心に息巻いていたが、考えてみれば今のアタシには力がない。現段階でこの2人に対抗することなんてできない。

 

「……殺すなら殺しなさいよ。襲いたきゃそうすれば? アタシはもう……」

「いい目だ」

 

 アタシが何もかもを諦めて身を投げだしたにも関わらず、その男は手を出そうともせずに、まるで子供が新しいおもちゃを見つけた時のように明るい声でそう言った。

 

「なによ、それ。……意味わかんない。それに、あんた達の目的はわかるってるわ。結局男ってみんな……」

「他のボンクラとは違う。それはお前も同様だ。何を望んでいるのか、お前の存在価値はどこにあるのか。俺には容易に理解できる。……アリーシャと言ったか。俺がお前を新しいステージで躍らせてやる」

「…………」

 

 恐怖ゆえに意識は耄碌(もうろく)していたが、彼の優しい声だけは透き通るようにアタシの頭にこだました。

 そしてそれは、きっと人を狂わせる声だったのだろう。

 

「でもアタシは……人を殺したのよ! もう普通のプレイヤーとは違う。誰とも過ごせない! 向こうへ帰っても、アタシは誰からも理解されないわッ!!」

「ノンノン。お前が犯罪者? 笑わせる。ここはゲーム、仮想の世界。自分を過小評価するな。おおかた、利用されてばかりで、果たして真の価値があるか悩んでいるのだろう」

「ッ……どうして、それを……」

「ありきたりな承認欲求さ。だが、それは恥ずべきではない。……アリーシャ、お前には多くのアイデンティティがある」

「女……ってだけでしょ」

「もっとあるさ。お前は『人を魅了』する。そして堕とす(・・・)。ダガーを拾った瞬間、それは確定している。両立できる奴は滅多にいない。……自信を持て。同じ立場に立って、互いを尊重し合う関係。……あとはお前次第だ」

 

 アタシはそう言われて唖然とするしかなかった。

 犯罪者の啓示。人殺しとなった以上は彼が必要なのだろう。偽善の言葉で上辺(うわべ)だけ優しくされるのではない。好かれようとレアアイテム片手にすり寄ってくる連中とも違う。

 対等な『個』として、その真価を発揮させる。

 保証なんてどこにもないが、なぜか彼ならそれを軽々とやってのける。と、そう信じさせるに値する官能的な何か(・・)があった。他の男にはない、何かが。

 

「……名前を、教えてちょうだい」

「PoH。お前を変える者の名だ」

 

 PoH。なんて良い響きなのだろう。

 この独特な存在感が、アタシをここではないどこか遠いところへ導いてくれるような、そんな期待をさせてくれる。

 

「素敵ね。……改めて、アリーシャよ。できることなら何でもする。だから、アタシにしかできないことをやらせてちょうだい」

「All right。きっと満ち足りた生活ができるだろう」

 

 こうしてアタシは、彼に(ゆだ)ねた。今度こそ意義を見いだした道を歩けると信じて。

 

 

 

 その日からアタシは大きく変わった。裏の協力者として、アタシはグリーンアイコンのまま各主街区、もしくはそれに準ずる《圏内》で与えられた仕事を次々と全うしていったのだ。

 思えば、彼らが『グリーンアイコンでいる』ことにこだわらなくなったのもこの時期だったか。

 その代わりアタシが矢面に立った。非情になり、騙し、奪い、欺き、できうる限りの暴虐を尽くした。

 無論、口で言うほど簡単ではない。作戦はデリケートなものばかりだった。

 それでも充実感はあった。任務を成し遂げる度に。アタシ自身の有用性をアピールできる。それはまさしく、麻薬のような中毒性を秘めていたのだろう。

 だからアタシは、相手の良心につけ込んでは恩を仇で返した。

 

「アリーシャちゃんは今日も可愛いね~。あ、ところで前教えてくれたアイテム交換の専門店なんだけど……ち、ちょっと割に合ってなくないか? いや、君の知人が経営しているなら今後も通い続けるけどさ」

「えぇ~? 別にあんなモンだと思うけどなぁ……でもごめんね? アタシのせいでなんかリューヤ君にヤな思いさせちゃってぇ……」

「ああいや、そんなことはないんだ。アリーシャちゃん自慢の店だからね。今後も通い続けるよ」

 

 詐欺にあっていると考える脳味噌もないのだろうか。目の前の男は、初めに強く当たっておいて、あとで少しアタシが気を許しただけですんなり懐柔(かいじゅう)できてしまっていた。

 もっとも、こうした脳無しのおかげでアタシ達の私腹が肥えるのだから、絶滅はしないでほしい。なんとも微妙な存在だ。

 

「(バッカみたい。……男なんてちょっと誘惑すればすぐにシッポ振るんだから。みんな馴れ馴れしくしちゃってさ……)」

 

 アタシはプレイヤーを見下し続けた。

 それこそあの日(・・・)、心に亀裂が入るまで、この道こそが至高なのだと信じ続けて。

 

 

 

 6月20日。PoHの協力者として生活して2ヶ月。ギルドの名と結成までの段取りが決定した。

 これを聞いた時から嫌な予感はしていた。

 直近の2ヵ月間で、徐変してきた行動指針について。盗みや脅しから、より暴力的かつ狂気に満ちた犯罪、『殺人』をすることがより恒例化してきたのだ。いよいよ間接的なものではなく『直接殺し』が視野に入り始めた。

 そして運命の日。

 『客人』は大ギルドのメンバーだった。

 ギルド結成当日。直接殺しが解禁され、『リュパード』という名の聖龍連合の青年タンカーを刺し殺した時、アタシは確信した。

 

「アタシに殺人は無理だ……」

 

 と。

 なんと、かつてのロックスを刺し殺した瞬間を思い出し、「気持ち悪い」とはっきり口に出してしまったのだ。

 強烈なトラウマがアタシを(むしば)む。ロックスを刺したあの時から、その罪悪感は解けない鎖のようだった。

 もっとも、その日はギルド結成の記念すべき儀礼のため、『直接殺し』は式典のようなものだった。回避できなかったし、その日だけは気丈に振る舞った。

 しかし、これを経験してしまったがために、アタシは《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の暴走に付いていけないと感じてしまっていた。

 決して考えてはいけないことである。

 元よりアタシは、PoH以外の人間に味方しているつもりはない。彼の命令に従う部下が、たまたま同じ作戦を、都合がいい立場で行っているに過ぎない。彼らに興味はなかったし、どうなろうと知ったことではなかった。それはラフコフの幹部的な立場にいる連中にも言えることだった。

 しかし状況は一変。次のターゲットになった『ケイタ』なる人物の殺人の際、あろうことかアタシは獲物を庇うような発言をしてしまったのだ。

 その日から発言には注意している。だが、明らかにラフコフのメンバーはアタシへの警戒心を上げていた。

 直接殺しの作戦にいちいち難色を示すようになると、その傾向はますます強くなっていった。自主的なものも併せて、アタシが殺しの現場に同行することは目に見えて減り、強がって同行しようとすると怪訝(けげん)な視線すら送られた。

 アタシの居場所は、少しずつ失われていった。

 

 

 

 公式発表はしていなくとも、『ラフコフ誕生』からなし崩し的に実質3ヶ月以上が過ぎた。

 10月上旬。

 でも、アタシにとってはまたも考え方を変えさせる大切な節目となった時期。

 ゲーム開始からほぼ1年。ベッドの上で丸まって過ごすのをやめた当時は、まさかこれほど時間がたっているのにアタシがなおも剣を持ってフィールドに(おもむ)くなど想像もしていなかった。

 

「(死のうとしていたぐらいだしね。よくもまあ、いけしゃあしゃあと……)」

 

 しかしトボトボ歩いていると、次の大きな作戦への下準備として、アタシは《攻略組》に混ざってフロアボスの討伐隊に参加するよう命令が下る。そのための新装備も大量に用意してもらった。

 けれど、またも殺しをすると言われた時、アタシは心の中で限界が来つつあることを悟っていた。

 それでも、仕事をこなさなければ消されるのはアタシだ。この時点で狂った道を正すこともできないまま、条件反射のように行動していた。

 

「まだアリーシャさんは、《閃光》のアスナさんや《反射剣》のヒスイさんみたいに二つ名はないんだね」

「新進気鋭の新人っすよ。仕方ないです。……あ、でも討伐隊への参加は嬉しいっす」

「ラフコフの連中と違って、礼儀やマナーも弁えてる。滅多にいない女性プレイヤーだしね。……それじゃあまた。今度の討伐にも顔出してよ! じゃ~ねー」

「はぁーい! またよろしくお願いしまぁ~す!」

 

 ボスフロアで他のプレイヤーとの会話中。

 内心「二つ名とかいらねぇよ。ダサすぎだろアホか」なんて思いつつ、アタシは愛想良く笑顔でその場をあとにする。

 頭のおかしい戦闘バカな攻略組。ゆえに、ボス討伐隊に株を売っておくのは自然にとけ込むための常套(じょうとう)手段で、ここを怠るわけにはいかなかったのだ。

 だからアタシは『アリーシャ』という人物をひたすら売り込み続けた。ラフコフが好き勝手やっていることを(けな)して共感を得ながら、人々の心を少しずつ掌握する。

 そして、彼に出会った。

 アタシの心に亀裂を入れた、ゲーム開始から1年という月日で、この考え方をもう1度変えた人。

 

「(あとあいさつしてないのはっと。……ああ、あいつか……)」

 

 目つきの悪い大剣使いが1人。他のパーティメンバーかと思っていたが、どうも今は1人らしい。

 

「……はぁい。ねぇあなた、名前なんてゆーの? 討伐参加は何回目? 経験は長いの?」

「ちょ、速い速い。質問分けて!」

「もぉ〜。じゃあ、お名前は?」

「ん、レジスト・クレストのジェイドだ。あんたは?」

「今日は……ほら、あそこのパーティに入れてもらったの。普段はフリーのアリーシャよぉ」

「そういや見かけねぇのがいたな。俺も今はソロっぽく見えるけど、普段はレジクレのメンバーといるよ。んで討伐歴は……まあなげぇ方だ。よろしく」

「ジェイド君の戦い、超カッコ良かったからつい見とれちゃったわぁ。そっかぁ長いこと頑張ってたんだね~。あ、また今度ぉ、剣のレクチャーとかしてくれない? アタシなんてまだまだでぇ……」

 

 いきなりのタメ口に多少苛つきながらも、お決まりの社交辞令で挨拶を交わした。約束なんて取り付けてもドタキャンで何とでもなるし、初めから教えてもらうつもりなどない。

 しかし、この男はアタシのマニュアルにはない言葉を返してきた。

 

「ん~悪いな、俺忙しいからさ。確か中層に剣道で段取ってる奴が教室みたいなの開いてたから、そこ教えてやるよ」

「へぇ物知り! その人とは仲いいの?」

「いやどんな奴かは知らね。までも、実戦の方がはるかに覚えはいいんだけどな」

「(ふむ、ベタ誉めしてるのにノリ悪いなぁ……)……ありがとぉ~。また今度行ってみるね!」

 

 この時、初対面時の会話はこれだけだった。何てことはない、本当に牽制程度の他愛のない会話である。なびかない男に興味はないし、数時間もすれば内容すら忘れてしまうほどの、ただの日常になるはずだった。

 だのに同じ日の夜、アタシがたまたま取った宿のすぐ隣の部屋に《レジスト・クレスト》と思しき4人組が宿泊してきたのだ。少なくともボスフロアで話したジェイドとやらはいた。

 4人ギルドか。レジストクレストなんて言っていたが、ひょっとしたら討伐が終わってからつけられていたのかもしれない。

 

「(ああ、またか……)」

 

 アタシはそんなことを考えながら、特に部屋を変えることなく1人ベッドに横たわっていた。

 別に珍しくはない。むしろ、よくある話だったからだ。

 最前線に女性。この事実は宣伝効果で一気に広まるし、追っかけやファンクラブだって何人もいる。血盟騎士団(KoB)聖龍連合(DDA)に1人ずついる女性プレイヤーや、ソロの《反射剣》だって例外ではない。

 

「(……むむっ。でも、あの男はアタシに興味を示さなかったな。卑しい目線もなかったし、別の女狙ってたとか? ……てかここの宿ってシングルベッドよね? げっ、てことはあの男達はソッチ系の集団? アレ……でも、それじゃあアタシをつけてきたことにならないし……)」

 

 生理現象並に男性の目線をかなり敏感に感じ取るため、昼間の彼についての見方は間違いないと思う。それにあいつは、アタシに対してあろうことかタメ口をきいてきた。女性というだけで下手に出ることもなく。

 別にそれだけなのに、どうしてあの男が気になるのだろうか。ガラの悪さから、上手くやればラフコフに勧誘できそうではあるが。

 

「(ああもう、うっとうしい。何てこと考えてるのアタシはッ!)」

 

 ホテルのような宿には廊下を徘徊するスタッフNPCも存在しなかったので、深夜にさしかかってしまっていたが、気晴らしに外でも歩こうと服を着替えてラフな格好で部屋を出た瞬間だった。

 ガチャリ、と。隣でもまったく同じ音がシンクロしてアタシの耳に届いたのだ。

 そして……、

 

「んん……あ、昼間の」

「な、なな何よアンタ! やろうっての!? アタシを狙ってるの!?」

「おい待て落ち着けっ! 俺はなんも狙ってねぇぞ!?」

 

 しかも現れたのはかのジェイドなる男性。あまりにも唐突で、アタシはつい抜刀するほどびっくりしてしまった。

 考え事をしている最中の不意打ちだったとはいえ、これは大失態である。

 

「ご、ごめんなさぁ~い。怪我はない? アタシったらつい、テヘヘ。あ、でもここは《圏内》だからケガはしないわよね~?」

「いや、ないけどさ。ないけど、まさか会うなりオドされて短剣向けられるとは思わなかったぞ」

「ぅぐ……っ」

 

 ナニこの人目が怖い。ヤの付くお方?

 しかし、野郎の心労など知ったことではなかったが、アタシとしたことが潜入と調和を任務に据えておいて派手にやらかしてしまったものである。これはいつかどこかで穴埋めしないといけないだろう。

 いや、イメージダウンを避けるために今ここでしておこう。

 

「買い物でもするとこだったのぉ? じゃあオススメのスポットとかあったらぁ、アタシも一緒に行っていいかな! なんだか今日は眠れなくって~」

「へぇ、マジか。まあ買い物じゃないけど、それでもいいか?」

 

 引け目を逆手になびいたフリまでしてやったつもりだったが、やはり彼のイントネーションからは嬉しそうな感情は()めなかった。女として見られてないのだろうか。こうなったら何が何でもなびかせてやる。自尊心的にも。

 

「もちろんよぉ。じゃあ行きましょ。アタシ達2人で……」

 

 アタシは挑戦的な目を向け、限界まで甘い声で誘惑した。

 変わった男との2度目の出会いが、その日からアタシを大きく変えるとも知らずに。

 

 



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テュレチェリィロード2 復讐の権利(後編)

 西暦2023年10月6日、浮遊城第42層。

 

 アタシは、この無愛想な男には似つかわしくない綺麗な噴水がある場所へ移動していた。

 ふと感じるのは目の前の男、ジェイドというプレイヤーと、その他のプレイヤーの相違点。彼がアタシに対して取る言動は例外で、またも昔のことを思い出してしまった。

 

 

 

 スパークが走るように刹那的に思い出すのは、いつもここの世界へ来てからアタシに話しかけてきた男達の顔とその声だった。

 

『リアって名前さ、別ゲーの主人公の名前だし、あまり好きじゃなかったんだけど……アリーシャさんに呼ばれてるうちに好きになっちゃった。……きみは僕が守る。だからずっと一緒にいてよ』

 

 命の恩人であり、VRMMOの師でもある16歳の少年。記念すべきファーストコンタクトとなった人物。アタシを初めて救った彼は、そう言って頬を染めつつ体の関係を求めた。

 

『ただでさえ珍しいのにこんなに綺麗だ。拒むはずがない。……君みたいな可愛い子がうちのギルドに来てくれるなんてね。俺らのやる気も上がるってもんだよ。俺はロックス、これからよろしくな』

 

 ()りの深い目つきと気さくな態度が印象的で、筋肉質の体格をいつも自慢げにしていた。ただ、どうも仲間の一員としてではなく『女』という物として認識されていたらしい。アタシを襲うだけでなく、終いには亡き者にしようとした。

 

『アリーシャちゃ~ん! 今日も会えて良かった。あ、これ差し入れね。気持ちだから受け取ってよ~。紹介されたお店、また行ってみるね!』

 

 そう楽しそうに話す彼は中年男性だった。表情には表裏がなく、現実世界でも人付き合いは多いのだろう。ラフコフと組んで初めてのターゲットでもあった彼は、甘い言葉を真に受け、絶えずアタシを溺愛(できあい)し続けた。

 

『アリーシャさんはほんっと可愛いなぁ。今度の狩りにも参加する? ぜひ俺と一緒にいでででッ、ちょっグリセルダさん!? 耳引っ張らないで下さいよー。ええっ、俺の下心丸見えって? そ、そんなバカな……』

 

 もう数えることもやめた、アタシの関わった《黄金林檎》というギルドの一員。目が細く髪の毛先を濃い緑で塗りつぶした不良少年のようなクレイヴは、元々スリルを楽しみたかったようで、日を追うごとに深くアタシに入れ込んだ。ある一線を越えてからは、相愛とでも勘違いしたのか《結婚》込みの告白もしてきた。

 

『ええ〜、いいじゃないっすかミケーレ隊長。この子メッチャ可愛いっすよ?』

 

 ラフコフ結成記念。不運にも若くして『直接殺し』解禁のターゲットとなってしまった、聖龍連合に加入したばかりのプレイヤー。名はリュパード。しかし、結局は土壇場で裏切ったアタシに古今積み重ねてきた努力と尊厳を踏みにじられ、世界のすべてを罵りながら消えていった。

 

『本当に!? クロニクル兄さんが……生き返るの? そんなアイテムが……僕の兄さんは帰ってくるの!?』

 

 同じく聖龍連合のメンバーで長く諜報部に属していた童顔の少年。最愛の兄を失ったその弟は、存在するはずのない《蘇生アイテム》という釣り針にかかり、兄の仇同然であるアタシに疑いもなく希望の眼差しを向けた。

 誘導されノコノコ死地にやってきた彼も、この世の理不尽を前に塵芥(ちりあくた)と化した。

 

『まだアリーシャさんは、《閃光》のアスナさんや《反射剣》のヒスイさんみたいに二つ名はないんだね』

『ラフコフの連中と違って礼儀やマナーも弁えてる。滅多にいない女性プレイヤーだしね』

 

 とうとう攻略組に混ざれるまで実力をつけてきたアタシは、ボスを討伐したメンバーに一時(いっとき)だけ舞い降りる特有の一体感に付け込み、いざとなれば体を張ってでも惑乱し、周りと溶け込めるようにあらゆるモノを利用し続けた。

 そして、ラフコフが望むべくいかな作戦も遂行してみせたのだ。

 けれど自己犠牲が功を成すごとに、アタシを取り巻く全ての事象に怖気(おぞけ)が走った。体はよく見られるのに、心はまったく見られない。言葉を投げかけられるのも、まるで人を心配しているかのよな接触も。

 なぜなら、彼らは一様にしてこの叫び声を聞こうとしなかったのだから。いつだってアタシは秘める自分を理解しない人間に囲まれていた。

 

『ありがとうみんな。アタシこれからもっと頑張るね!』

 

 その度にアタシは嘘をつき、善意を利用して騙し討ちをした。故意に(あざむ)いていることを全部棚に上げ、「気づいてくれないお前らが悪い」と。障害になりうる男は誰だろうと、半ばヤケになって粛清(しゅくせい)し続けた。

 特別視されることが嫌になったから。『女だから』と、アタシの本当の部分を他のプレイヤーのように見てくれないから、アタシはPoHに仕えている。

 彼は厳しいけど、アタシは彼に会えて良かったと思っている。共に行動できて良かったと思っている。彼が導いてくれること、それはこの世界で唯一の幸運だ。

 そんななか……、

 

『ん~悪いな、俺忙しいからさ』

 

 PoHとその部下以外で、その男は珍しく態度を変えなかった。目つきも態度も悪いその男には、あらゆる意味で壁が敷かれていた。初対面の人間に対する一定の距離だけでなく、仲間か否かの枠組みがはっきりしていたのだろう。

 

「(アタシと同じ、馴れ合いを拒絶する眼。……誰か殺したことでもあるのかな? ……な〜んて)」

 

 線引きされた外にいる人間は、見ないようにする。不純物を徹底的に排斥(はいせき)しているからか、悦に入っていたアタシの方が驚くほど自然体で接してくれた。

 きっと彼なら、自分の成した善行の裏で見えない誰かが不幸を背負ったとしても、「そんなことは知らない。自分の手の届く範囲で尽くすだけだ」と断言していただろう。

 思慮(しりょ)の浅い外見からでは想像もつかないが、陳腐(ちんぷ)な道化なら軒並み嗅ぎ分けてしまいそうな野性的なその瞳に、興味がそそられなかったと言えば嘘になるかも知れない。

 何ヶ月振りかも思い出せない、張りつめ続ける糸が少しだけ緩んでいた。

 空元気な言葉で必死に包んでも所詮は人間。いくら決心しても、その心に隙間ができてしまうことはあった。

 そして……、

 

 

 

 

「にしても、あんたよくソロで最前線に追いついたな。体の動かし方とかもあるし、やっぱこのゲームに女は向いてないだろ?」

 

 ふと昔の記憶を駆け巡っていたアタシは、彼の声で意識を引き戻された。

 

「たくさん助けがあったからよぉ~。アタシだけの力じゃないわぁ」

 

 しかしこの時、ごく普通に自分を認識してくれる男性を素直に認めることができなかった。

 大ギルドの一員ではないのだから、無理に懐柔してもメリットは薄い。だのにムキになっていたのは、彼の中にわずかな同類性を見出していたからだろうか。

 そうこうしている内に、アタシ達は目的の場所へと到達していた。

 

「お、ほらこの辺。噴水が広場を囲ってるんだけど、デザインよくないか? こう、左右対称の幾何学模様ってどこかロマンがあるだよ。英語でなんつうんだっけ、これ」

「ジオメトリック?」

「そうっ、それ。ジオメトリック! わかるかな~、この気持ち。ネズミがハったようなチューショー画とかまるで興味ないんだけど、こういうのハマっちゃってさ。宇宙を解析するドキュメンタリー番組とか、たまにビビッときちゃうんだよね俺」

「……ロマンチックね。なんだか変わった人」

「えっ、俺が?」

 

 自覚はないのだろう。稀代の犯罪者の手下であるアタシと本当に当たり前のように喋っている。お人好しなのか、もしくは鈍感を極めているのか。

 少なくともこの手の経験があるようには見えない。

 

「ところでアリーナ」

「アリーシャよ」

「……アリーシャ、何でこんな夜遅くに外出なんてしようと思ったんだ? 詫びはウソだろ。《圏内》でも女だったら夜に散策は避けるだろうに。……はっはぁ、さては俺と同じで夜型だな?」

「…………」

 

 この緊張感のなさ。

 ジェイドが宿で扉から出てきた時、『アリーシャ』ではなく『昼間の』という表現だったから、名前を忘れられている可能性はあった。がしかし、事実だと地味にショックを受ける。物覚えは良くないようだ。

 接し方に悩む人間である。そもそもアタシの真意に気づいたのなら、この特別サービスにもっと嬉しそうにしてもいいではないか。

 

「ま~昔のこと思い出しながら……ほら、夜に歩きたくなることってあるじゃない? そんな感じねぇ。アタシにも色々悩みとかあるのよ。本当に……いっぱいね……」

「たまにクルよな、そういうの。なんつーか超罪悪感みたいな?」

「……はぁ」

「おっと、ため息は幸せを逃すぜ! ゆーて俺もあるからマジわかるよ。んでも、そーいうのって友達とかにも言えないもんでさ、ケッコ-ため込むんだよなぁ」

「…………」

 

 不用意にも自嘲気味な発言をしてしまったと後悔するところだったが、アタシはむしろ彼の受け答えに腹が立っていた。

 悩みの深さも知らないくせに、と。この男の浅はかな気遣いでは計り知れないほど重く、そして悲しい叫喚なのに。それを格好付けて優しくして、終いには「俺にもわかる」と言い切った。

 屈辱だ。こんな屈辱はない。しかしその内容をここで暴露させるわけにはいかない。どれほどもどかしくても、アタシは現状に雁字搦(がんじがら)めにされている。

 

「それ、クドいてるつもり?」

「違うって。大マジで相談に乗ってんの」

「……じゃあマジメに答えてあげる。……アタシのはね、あなたの考えていることよりずっと難しいことよ。絶対誰にも言えない秘密。……み、ミステリアスな女って感じでステキでしょ?」

「え、それ答えてなくね?」

 

 おどけた態度にイライラしたが、それでもアタシは悔しさのあまりに歯を食いしばって耐えた。

 自分だけがこんなに苦労して、なんの取り柄もない男だけが楽しそうにギルドの連中とワイワイしている。それが悔しくて堪らない。なぜ自分だけにこんな大変な環境を押しつけるのか。

 考えていると、卑屈(ひくつ)に満ちた感情でアタシはいつしか泣きそうになっていた。

 奴隷を1人増やしておくか、ぐらい軽い気持ちで来たのに、もうそれどころではない。

 しかし泣くわけにはいかない。他人の前で泣くという行為は、それだけで無条件に弱点をさらすも同義であり、そして弱みを見つけると必ず人はつけ込むからだ。アタシが散々してきたことを、この男にもされるだけである。

 

「アリーシャ……」

「ごめんなさい、アタシ……もう帰るわ」

「アリーシャ!」

 

 耳鳴りがしそうなほど無音に我慢できず、感情が漏れ出すのを恐れて逃げようとした。

 しかしジェイドに腕を捕まれて強引に振り向かされる。

 すると、勢いあまったのかレベル差による筋力値負けを起こしたのか、アタシは脚をもつれさせて男の胸に飛び込んでしまった。

 

「きゃああ! な、ナニすんのよ変態!!」

「ちょ、落ち着ぐうぅッ!?」

 

 ビンタからの腹パンコンボである。本気の。

 

「このっ! このっ!」

「待て! 落ち着け、わざとじゃねぇ! 言ったろ、俺はあんたの悩みを聞こうとしただけで……」

「……だから、それは……」

 

 とりあえず殴るのだけは止めたけれど、不意を突いて勝手に肌に触れてきた鳥肌と、沸々とした怒りがおなかの底から沸き上がるのを感じた。

 聞いてどうすることもできないだろうに。気安く腕を掴み、主観的には極刑にも値するこの不埒な男は、アタシの傷を(いや)すことはおろか、きっと片鱗(へんりん)を受け入れることすらできやしない。

 

「……あんまり図に乗らないでくれる? さっきも言ったけど、アタシの抱えているモノは、誰にも理解されないのよ。ジェイド君、あなたのお節介はアタシにとって……」

「おセッカイなもんかよ!」

 

 しかしアタシの言葉はうるさいまでの音量にかき消された。

 そして彼は、ただでさえ怖い顔で(にら)み付けながら会話を続けようとする。

 

「セッカイ? ……じゃない!」

「はぁ? てかそこ略さないし。じゃあ何だって言うのよ? 知った被らないでほしいわ。アタシはただ……」

「だーから、そうじゃねェって! ほらアレだ……あんたみたいな奴を前に見てんだ。クドき文句じゃねぇぞ? その……どうしようもない罪から、逃げられなくなってる目を知ってる。俺がそうだったから!」

「……何を、言って……?」

 

 アタシが口ごもると彼はまくし立てるように続けた。

 そしてそれは、堪えきれずに溢れ出た彼の激情そのものだった。

 

「俺はな、初めはソロだった。理由は簡単、スタート直後に友達捨てたからだ」

「は、ハァ……?」

「死にかけてる奴がいても、ほったらかした。横目で見てたけどそいつは死んだよ。……わざと弱いフリして斬らせてから、オレンジになったその相手をぶった斬ったこともある。クソみてーだろ?」

「なに、よ……それ……」

「βテスターだったから、力はあったんだ。……んで、それを自分のためだけに使った。ちょっと首振りゃ、バタバタ倒れてる奴が見えたのにさ。……罪の多さ? 重さ? ンなこたわかってんだよ。だから、そのウザったい強がりをまずやめろ!」

「つ、強がってないし。あんたが最低なだけじゃない……」

 

 わかっている。言っている自分が、彼よりもっと深い暴虐非道をはたらき、罪深い業を背負っていることぐらい。しかし、彼の前では『女の子らしいアリーシャ』であらねばならない。アタシの闇はその欠片も掴ませてはならないのだ。

 でもなぜ、彼はこんな話しをしたのだろうか。景気よく矢継ぎ早に暴露(ばくろ)するのもいいが、アタシがどこにでもいる一般人だったらどうするのか。もしそうだったらドン引きものだ。それなのに、このことを人に知られて彼は怖くないのだろうか。

 それとも。

 それともアタシが犯した罪を、誰にも言えないはずの秘密を、本当に会ってすぐに見抜いたとでも?

 

「あ、アタシは悪さなんて……」

「出た、ウソつきの目だ。別に誰にも言いやしねェよ。俺だって善か悪かっつったら悪だ。……けど、悔いてんならそれでいいじゃねぇか。エラそーなこと言ってる普通のサラリーマンだって、ガキの頃にはウソをついたし、キレれば手も出た。そーいうもんだろ?」

 

 それは、アタシの叫びと同じだった。

 この男は暗い過去を持っている。闇より深い業の暗さを知っている。

 

「いるんだよ、人の悪いトコちょっと見ていちいちナンクセつける奴な。ったく。ンなことでギゼンぶられちゃ、俺はとっくにブタ箱行きだ。……やっちまったんなら仕方ねェんだ。あとはそれをどうやって清算するかだろ?」

「…………」

「ちょいと手借りるぞ」

「あ、ちょっと……っ」

 

 彼は有無を言わさずアタシの手を握った。

 これにより、システムが作動して《ハラスメント・コード》が目の端で点灯するが、この時のアタシは目もくれることはなかった。

 

「……やっぱな、抵抗しないと思った。俺がぴーちく垂れたことに少なからず思うことがあるってわけだ」

「フ、フン……今からその『ブタ箱』に飛ばしてやってもいいのよ……」

「ごじゆーに。……ま、これ以上センサクはしない。けど同じような悩みを持ってる奴は案外いるぜ。……みんなが目標にしてる有名人でさえもな……」

「…………」

 

 アタシはそれを聞いて愕然とした。

 アタシが言うのもお門違いな話けれど、過激な思考を持ち、そのくせ過去にこれだけ非道をはたらいた人間が、なぜ不自由ない攻略生活を続けていられるのか。なぜこうも違う人生を歩んでいるのか。

 彼にだけ悩みがないわけでも、彼にだけ犯した罪がないわけでもなかった。

 だのに彼はアタシと考えが違い、立場が違い、そして境遇が違う。彼には理解者が沢山いて、アタシには理解者がPoHしかいない。

 

「……でも……なんで、それを教えるのよ。例えばアタシが過去に罪があったとして、あなたはアタシのために……」

「誰かが救わなきゃそうは変われないさ。俺だって1人で考え方変えて、信用だの何だのを取り戻したんじゃない。……俺のこと気にかけて、正してくれた奴がいたから直った(・・・)んだ。……んで、なんか思ったんよ。アリーシャに初めて会った時から、こいつには誰かが必要だ、ってな」

「それがあなたとでも……?」

「別に俺じゃなくてもいいさ。ただ誰かが近くにいて、認めてくれる奴が必要なんかなって」

「…………」

「それだよ。……正直危なっかしくて見てらんねェ。俺に言いたくねぇならいい。けど、いつか破裂しちまう前に誰かには打ち明けた方がいいぜ? 絶対楽になるし、案外心の支えになってくれるモンだ。……もちろん俺でもいい。俺はアリーシャをケーベツしないと約束する」

「…………」

 

 言動の悪さや教養の足りなさからは、およそ推測もできないようなことを長々と言われた。

 そしてよく考えさせられる。アタシの罪、それは殺人。これだけは誰にも言えないし、言えないということは相談もできないということでもある。

 ただ、たった1人の理解者がいる。それがPoHだ。アタシの罪を知っていて、生きる道筋を描いてくれたある意味での恩人。唯一、ジェイドの言っていた『誰か』になりうる人物。

 と、同時に思い至る。アタシがなぜジェイドを認めようとしないのか。これほど的確に悩みを察し、かつアタシをただの女ではくアリーシャとして見てくれているのに、一向に彼を認めようとしない理由。

 

「(PoH以外……認めたくないんだ……)」

 

 彼以外を認めたくない。ジェイドを認めると言うことは、アタシの理解者が他にもいたということになってしまう。

 アタシが「自分の理解者はPoHしかいない」と判断したあの日、それは選択肢のない、言わば(のが)れようのない極論だった。勝手に断定しただけで、実は殺人者以外にも認めてくれる男がいたなんてことになったら、今までの自分は馬鹿みたいではないか。

 ジェイドがアタシを認めてくれるのなら、許してくれるのだとしたら、アタシはこの道を選んだりなんてしなかった。

 そんな道があったのなら、彼ともっと早く会っていればよかった。そうすれば血を血で洗うなんて愚かなことはしなかったのに。

 

「(何もかも遅すぎたのよ……)……ジェイド君、その気持ちは嬉しいから素直に受け取っておくわ。忠告ありがとう、よく考えてみる。でもアタシの悩みだけは……それだけは、言えないのよ……」

「……じゃあいいさ。こうして話せたことが収穫だ。ってか、説教みたいなことして悪かった。じゃあ俺はそろそろ帰るよ。レジクレの奴らにもすぐ帰るって言っちまったしな」

 

 そう言って振り返ると、ジェイドは来た道を戻ろうとする。

 アタシは偽りようのない焦燥感に襲われて、気付くと小さくなり始めたその背中に声をかけていた。

 

「ジェイド! 君……」

「ん、なんだぁ!」

 

 距離ができてしまっていたので、お互い張り上げるように声を出す。

 

「その……アタシのこと、聞いてくれてありがとぉ! でもまた会ったら……そ、その時は名前ぐらい! ちゃんと覚えときなさいよ!!」

「ん……アハハハハっ、了解だ! 『アリーシャ』な! もう忘れねぇよ!!」

 

 今度こそ彼は宿へ帰った。ありったけの、温かい気持ちを残して。

 

「(もっと早くに……)」

 

 しかしその温度は、アタシの中に潜む冷たい悪意と混ざり合っていった。

 消しきれないのだと、宣告されたかのように。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 あれからもう1ヵ月以上たっているなんて。

 アタシは改めてPoHから届いた、《インスタント・メッセージ》による文面を眺めていた。

 

「(これもジェイドへの裏切り行為……)」

 

 度重なる不手際で、アタシのラフコフ内における立ち位置は危うい所まで来ている。もうミスは許されないが、ジェイドに関わる犯罪だけはなるべく避けたいのが今の心情だ。

 あの夜があったから、だけではない。

 その後、正確にはあの夜から8日後の10月14日。《ラフコフレッドギルド宣言》の作戦が決行された日に、アタシはまたジェイドに会った。今度は名前を正確に呼ばれ、再会に有頂天だったアタシに対し、彼は「人質を助ける」と即答した。

 素直に格好いいと感じた。できれば危険な目にあってほしくない思いこそあれ、だからこそ、この気持ちは疑いようもなくなっていた。

 アタシは彼に危害を加えることに、抵抗を覚え始めていたのだ。

 

「(誰か助けてよ……何でアタシばっかりこんな目に遭うのよ。ラフコフには5大幹部なんて言われてるけど、アタシを持ち上げていいように操ってるだけじゃない! どこまでコケにすれば気が済むの!!)」

 

 悪態をつきながらも、現状を嘆きながらも、アタシの脳は制御を外れていた。気づけば1層主街区である《はじまりの街》に来ていた。

 もう後戻りできないのだという深奥(しんおう)の闇が、まるで人形のようにアタシのことを突き動かす。

 

「(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい)」

 

 本当はやりたくないのに。この闇は本当の自分ではないのに。

 それなのにアタシは役目を果たしていた。

 与えられた任務は、レジストクレストの一員である『ジェミル』という、小柄でそばかすのある茶髪プレイヤーのリアル友人『アル』。彼を夕方の5時にゲート前に来てもらうよう約束を取り付けること。

 

「(男のホームタウンはここね。……1人暮らし。目撃者も無し。多分余裕かな……)」

 

 主街区から出ない条件付きで、それも《はじまりの街》に留まっているプレイヤーを女性であるアタシが誘ったのだ。煽情(せんじょう)的なしぐさに耐性がなかったのか、はたまた私服でデート用に気合を入れた女が少し道を訪ねただけで心を許したのか。

 ともかく、追い打ちのように容姿を褒めちぎっておくと、ターゲットを掌握する仕事は呆気ないほど簡単に済んでしまった。

 

「(誘い方も上達してきたのね……)」

 

 やっと午後にさしかかった11月18日。とうとうレジスト・クレストが攻撃対象に選ばれてしまった。

 しかし対象へあれこれ注文する発言権はない。

 

「(とりあえず、レベル上げだけでもしておこうかしら)」

 

 そんなことを考えていたアタシはゆっくりと昼食をとって、攻略組の多くが拠点として構える《リズンの村》に来ていた。

 しかも間が悪いことに、そこでターゲットにされたレジクレを見つけてしまったのだ。高い声に反するリーダーの強面(こわもて)は、そのがっしりとした体格やタンカーならではの重装備により、否が応でも記憶に焼き付く。

 

「(よりによってレジクレ。落ち着かないわね……)」

 

 基本アタシはジェイド以外に興味はない。彼が悲しむとわかっていても、アタシは彼以外のことで自身を危険に晒したくはなかった。

 だからギルメンのジェミルという男、しかもその友人程度の存在である『アル』というプレイヤーを騙すことに、引け目はあまり感じられない。引け目があるとしたら、やはり最終的にジェイドを困らせてしまうだろう、ということだけだ。

 これはPoHにも同じことが言える。1ヶ月前、つまり3度目となるジェイドとの会話の日、アタシはラフコフの《殺人ギルド宣言》に関わらないようジェイドを説得するつもりだった。そうすればPoHもジェイドも裏切らないことになるからだ。

 だというのに、彼は迷うことなく、『ヒスイ』とかいう女狐と人質を助ける道を選んだ。その正義感はどこから生まれてくるのだろうか。

 

「(彼女がジェイドを変えたのかな……)」

 

 そう結論着いてしまうと少しだけ悔しい。先を越されたかのようで、そしてどうしようもなく悲しくなる。

 しかし、アタシはここであることに気付いた。

 

「(あれ……ジェイドがいない?)」

 

 小さなギルドのどこを見渡してもいない。彼だけ別行動をさせられているのだろうか。

 とにかく推論だけ並べていても仕方がないので、いてもたってもいられなくなったアタシは、本人達に聞いて確かめてみることにした。

 

「ハァイ、あなた達ってレジスト・クレストよねぇ?」

「え? あの……えっと……」

 

 ゴテゴテに着飾った金髪が話しかけてきたからか、少年らは少し驚いたようだった。

 すかさずリーダーの大男が割って入る。

 

「ああごめんなさい。はいそうです。オレがレジクレのリーダーやってるロムライルです」

「(ガン飛ばされてるみたいに怖い顔ね……)……あ、アタシはアリーシャよぉ。いきなりで悪いんだけど~、ジェイド君を知らないかしら? アタシ彼に話があってぇ~」

「ああ~ジェイドか。……うぅん……あの~、用件を聞いてもいいです? メッセは送れるので、伝えておきます」

 

 どうやらすぐに会える状態ではないようだ。やはり単独行動をさせられているか、または自らしているのだろう。

 しかし、これは見ようによってはチャンスである。

 

「なんで今いないのぉ? ギルメンならマップから追えるでしょう? アタシそれだけでも聞きたいな~」

「え、ロム……これ教えちゃっていいのかな?」

「……まあいいだろ。細かいところは省いてさ。……ああごめんなさい、ええっと彼は知人と会う約束をしていて今は……もしくは今日1日かもしれないですが、会えないんです。この村の周辺にはいるみたいでしたけど……」

「ふぅん、そっか~。……うんありがとうねぇ。せっかくだし、ジェイド君のプライベートは大切にしてあげなきゃね。……じゃあこれで失礼するわ。まったねぇ~!」

 

 過ぎ去るアタシの背後で「……ジェイドは今日ぐらいオフの日にしてやるか」などと言っているのが聞こえたことから、アタシの作戦は成功したと見ていいだろう。

 「プライベートを大切に」なんてセリフを、こっちは仕事で言っているのだから説得力はないが。

 

「(これで、ジェイドがターゲットに加わる可能性が少しは減ったかな……)」

 

 PoHは『後は任せろ』と言っていたため、詳しい執行時間は知らされていない。きっと聞いても教えてくれないだろう。アタシは『アル』という名のプレイヤー殺しには参加しないし、見るのも嫌だからだ。

 もっとも、そのプレイヤーを《圏外》まで移動させる方法については大体予想がついている。

 それは《圏内戦闘》の応用である。

 《圏内》では、例えHPに1ダメージも入らなくても、強烈なノックバック現象は再現される。

 同レベル帯ならともかく、彼我に圧倒的な差があった場合、レベルの低いプレイヤーはノックバックを通り越して文字通り『吹っ飛ばされ』るのだ。

 対象が出入り口付近まで来てしまったら、あとはカルマ回復を済ませたラフコフのメンバーによって攻撃され、強制的に《圏外》まで引きずり出されるに違いない。

 

「(念のためにルドの奴を使って、作戦の裏を洗ってもらっとこうかしら)」

 

 ルドとは『ルドルフ』の略称である。彼はラフコフの一員だが、PoHよりアタシに忠実である。単に惚れているのだろう。アタシにとっては使いやすい駒で、ただ1人PoHの管理下にないアタシの兵だ。

 しかし、ともすればPoHへの裏切りに行為に映るが、素性に探りを入れる気はない。

 あくまでルドの役割はラフコフの『任務の監視』であって、反旗を翻そうとしているわけではない。教えてくれない情報を、自分から探りに行っているだけ。巨大化したラフコフも一枚岩ではないという、たったそれだけのことである。

 

「(アタシを慕うルドには、ちょっと悪いけどね……)」

 

 それでも、悪いと思ってやめられるのなら、こんなことにはなっていない。アタシはそう考えるだけで非情になれる女なのだ。

 そうしてルドには、PoHへの作戦経過報告も兼ねて色々と指示を出しておいた。

 

 

 

 それから1時間ほどが経過した。

 アタシはレベリングにも飽きて、また村に帰ってきていた。

 装備のメンテナンスをして《ポーション》系のアイテムを買い込み、心の準備が整い次第、またいつでも攻略に行けるようにする。体に染み着いた日々の作業。朝食をとって歯を磨くことと何ら変わらない、今のアタシの日常風景。

 だが間の悪いことに、そこで彼を見つけてしまった。

 

「(あ、れ……ジェイド? ジェイドじゃない!)」

 

 どういうわけか彼1人ではない。そのすぐ隣には有名な情報屋、《鼠》のアルゴの姿もあった。何か揉め事でもあったのか、彼女に平謝りしている。

 しかし今やソロではないジェイドが1人行動をしていて、女性と歩いているという事実は言いようもなく不快だった。

 

「(なによジェイドの奴、女いすぎじゃない!? しかもアルゴの言いなりみたいになっちゃってさ……)」

 

 アルゴにヘコヘコと頭を下げるジェイドより、彼にそうさせることを強要していた女の方に怒りが湧いた。

 だがもしかすると、ロムライルなる人物が言っていたジェイドとの面会者らしい相手は彼女だったのかもしれない。それに……、

 

「(……それに……アタシはすでにジェイドを裏切ってる。アタシが彼に親しくしていいはずが……)」

 

 どうしても、こちらの犯罪者としての意識が素直になることを邪魔する。

 しかししばらく様子を見ていると、すぐにアルゴが走って去っていってしまったのだ。

 レジクレのリーダーは「今日1日会えないかもしれない」などと言っていた。このことから、ジェイドが会いたがっていた人物は彼女ではなく他にいたのかもしれない。別れるのが早すぎるからだ。

 しかし、こうなると彼の用件はこれで終わってしまう。終わったのなら当然、これからレジクレと合流してしまうだろう。

 そうなればPoHの攻撃対象はジェイドにも及ぶことになる。

 

「(……と、止めなきゃ……!!)」

 

 ゆえに、自分に恐怖するほど、醜いことを考えてしまう。

 先ほどの言葉を意識的に忘れ、アタシがジェイドを守るのだと考えてしまう。レジクレがターゲットとなった今日、彼を守れるのは自分しかいないのだと。

 意識が現実に引き戻される頃には、アタシは逃げようとするジェイドを呼び止めていた。いつもの口調で、淡々と。身に染み着いた技術が脳内の否定を否定して、無感情に話しかける。

 

「ヤッホージェイド! また会えたね、久しぶりぃ~」

「…………」

 

 これが、アタシの運命を決める一言になるとは知らずに。

 

 

 

 



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テュレチェリィロード3 懺悔の義務

 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

「ヤッホージェイド! また会えたね久しぶりぃ~」

「…………」

 

 知り合った当初こそセオリーに則って 「ジェイド君」と呼んでいたが、その後に呼び捨てでと頼まれたので今ではタメ口だ。

 よってアタシは躊躇(ためら)うことなくジェイドに声をかけていた。がしかし、彼はこちらを確認すると、あからさまに嫌そうな顔をしてきたのだ。ちょっとショックである。

 

「……よ、よおアリーシャ。……いつもより髪の毛盛ってんな。アリーシャは金髪だし、形だけ見るとなんかのデザートみたいだ。ま、まさかデートでもすんのか?」

 

 自慢の髪に触れてくれるのは嬉しいが、そう言えば失念していた。アタシは彼のギルドメンバーの友人である『アル』をおびき出すために、いつもより奮発して化粧やらセットやらをしていたのだった。最近寒くなってきたのでインナーは着ているが、ちゃんと露出(ろしゅつ)させるべき部位はさせている。防具もピカピカにしてある。

 さて、しかしデート仕様の理由か。

 もちろん、事実は明かせない。それでいてアタシはジェイドと一緒に行動し続けなければならない。

 

「違うわよ~ん。これから化粧品アイテムの作成のためにぃ、お店巡りしようかなぁって思ってたところ。……あ、でもジェイドが付き合ってくれたらぁ~、デートになっちゃうかもね! アタシ1人は寂しいな~」

「…………」

 

 甘い声で誘惑するたびに、また疲れたような顔をする。なぜこうもアタシになびかないのか。バストだって自信があるし、何が不満だというのだろうか。これほど自分を売って誘っているというのに。

 気合いの手札を切ろうか悩むアタシを差し置き、それでも「う~ん……」などとアタシの気も知らないでジェイドは唸っていた。《鼠》がいいのか、それとも《反射剣》がいいのか。この際白黒付けてやる!

 

「もぉ、ナニ男がぐちぐち悩んでるのよ! あたしと付き合うの!? 付き合わないの!? ハッキリしなさいよ!」

「えぇええッ!? なんかその言い方スッゴいヤなんだけどっ!? ニュアンス変わっててスッゴい誤解生まれそうなんだけど!!」

 

 アタシとジェイドがガミガミ大声で言い合っていると、野次馬根性丸出しのオス共がアタシ達を囲んで嘆きのセリフを吐いている。中には「またあいつか!」なんて罵っている男もいたが、まさか女をとっかえひっかえしているのだろうか。

 そしてそれを見た彼は、焦ったのかアタシの手を引いて切羽詰まったまま全力疾走した。

 

「ああもうッ!! わかったから主街区(フローリア)行くぞ! とにかく話はそれからだ!!」

「あぁん。……強引なんだからぁ」

 

 シナリオ通りとまではいかなかったが許容範囲だろう。周りの連中など眼中になかったものの、野次馬のおかげでこの結果が導かれたのだから1ミリぐらいの感謝を寄せてやってもいいかも、なんてことを考えてしまうのだった。

 

 

 

 それからアタシ達は4時間近くに渡って、47層の主街区を遊び尽くすことになる。

 豪遊三昧で浪費家なアタシにとっては短すぎる時間だったけれども、その間にアタシは彼の色んな表情を見た。色んな仕種を、クセを、好みを、特徴を、魅力を発見した。

 それだけでアタシは幸せだ。

 彼と深く接することができた。比べるわけではないが、それはPoHのことを知るのと同じぐらい幸福なことだった。もっとも、彼はアタシに最小限のことしか教えてくれないが。

 

「ふい~、遊んだ遊んだ。攻略以外でこんな金使うのも珍しいもんだ」

「もぉ~アタシといる時ぐらいそんなこと忘れてよ……あ、ちょっと待ってね」

 

 アタシはジェイドとの会話中、自分のメッセージアイコンが明滅していることに気づき、会話を中断して文を読む。

 読む前からある程度覚悟はしていたが、嫌な予感は的中していた。

 

「……?」

「…………」

「……どうしたアリーシャ?」

 

 黙り込むアタシを見て(いぶか)しんだのだろう。ジェイドは心配そうな声色で声をかけるが、アタシは毎度のごとく涼やかに嘘をついた。

 

「い、いえ。何でもないの……それよりちょっと用事思い出しちゃった。アタシそろそろ帰らなきゃ」

「そうだな、もうすっかり夜だ。なんなら送ってっても……あ」

 

 今度はジェイドが声を詰まらせた。待ち合わせの時間を忘れていて寸前で思い出したのだろうか。とにかくそんな声だ。

 

「……ジェイド? どうしたのよ急に」

「ああいやなんでもねぇんだ。こっちの話でな……と、とにかくなんでもない!」

「それならいいんだけど、そろそろアタシ帰っちゃうわよ?」

 

 占領していたはずのアタシの領域が脳内から弾き出された気がして少しムッとなる。せめて今だけはアタシのことを見てほしい。

 ――とは言っても、もう帰っちゃうんだけど。

 

「1人で帰れるか?」

 

 そう言うジェイドに「じゃあ見送って」とは返せなかった。困らせてやりたいと思う反面、それとは真逆な想いも溢れてくるのだ。もちろんアタシの都合もある。

 それでも、少しはからかわないと収まりもつかない。

 

「子供じゃないんだから帰れるわよぉ~。あ、でもお別れのキスぐらいはほしいかなぁ?」

「き、キスぅ!? ここにはそんな文化ねーぞ!」

「フフン、冗談よ。じょーだん……それじゃあホントに行くわね。また時間空いたらこうして主街区巡りしましょ?」

「あ、ちょっと待って。1つ聞いていいか?」

 

 アタシは本当に帰ろうとしていたが、今度はジェイドに呼び止められた。

 

「ん、何かしら?」

「しゅうかいどうって花を知ってるか? ほら、今日はやたら咲いてる種類とか教えてくれただろ? そういうのに詳しいなら、できればその花言葉も聞いときたい」

 

 これは意外である。攻略目的でない発言というのもあるけれど、それ以前にジェイドに花の種類について聞かれるのは思わなかった。

 特段アタシも詳しいわけではないけれど、あんちょこを見ながら知った被ってうんちくを垂れてしまった手前、ここでシラを切るのも気が引ける。

 

「へぇ、らしくない花を知ってるわね。ちょっと待ってね、花言葉一覧が載ってるメモ帳持ってるから。……んん~……あった! えぇ~となになに、秋海棠は特徴的な赤が綺麗な秋の花で、花言葉は……」

 

 花屋でオプションとしていただいた、その花言葉のカレンダーアイテムに書いてある言葉を読み取り、アタシは教えるのを躊躇(ちゅうちょ)してしまった。

 花言葉は『片思い』。こんな偶然があるのだろうか。PoHにもジェイドにも、この気持ちは一方通行だ。今のアタシが誰にも明かせないもう1つの秘密。

 そしてアタシの中で色んなピースが当てはまる。アルゴと会っていたこと。ヒスイがこの男とよく一緒にいること。ジェイドが今日1人でいたこと。こんな夜遅くからある『用事』とやら。

 教える前に聞かなくてはならないことがある。

 

「ちょっとその前にアタシからも聞いていい? まさかとは思うけど、これから反……いえ、ヒスイさんに会う予定とかあったりする?」

 

 すっごくバレバレな動揺の仕方をするジェイド。もう何も言わなくてもいいぐらいだ。

 とは言え、まさかこんなことになるとは。タイミングが悪いなんてものではない。アタシの片想いを差し引いたとしても、考え得る限り最悪のシチュエーションである。

 

「ま、まあな。っつかよくわかったな」

「ッ……そ、そう。あのでも……えっと、今から会うのよね……?」

「ああそうだけど、何かマズかったか?」

 

 非常にまずい。より正確に言えば、たった今忠犬(ルド)からもらった調査報告のメッセージによってまずくなった。

 有り得ない。これではせっかくのアタシの行いが水の泡だ。この時間は楽しかったけれど、最終的な目的は観光地を遊覧して回るのではなく、彼を危機から遠ざけることだったのに。

 

「いいえ、そんなことはないんだけど。でも……気をつけてね。それだけよ……」

「ん……?」

 

 事実をそのまま伝えられないことが、こんなに苦しくなるとは思わなかった。今までは素性や事実を誰にも明かさないようにしてきたのに。

 こうなったらアタシが自分の力で何とかするしかない。ジェイドに気づかれることなく、なお何事もなく終わらせる。裏方の手回しなんて、知るよしもないまま。

 

「(PoHを裏切れば、ジェイドを守れるんだ……)」

 

 こんなことが考えられるようになるまで、アタシを変えてくれた。自分の過ちを認めて、悪さすることを金輪際やめる。

 ここが分岐点だ。ここで変われなければアタシは一生変われない。

 

「(やるのよ、もえ(・・)。これはアタシにしかできないのだから……)……本当に何でもないの。……あ、秋海棠の花言葉よね。ここには『片思い』って書いてあるわ」

「片思い、か」

「ね、ねぇジェイド。最後のわがままなんだけど、いい?」

「内容による」

「即答! ……ねぇ、アタシと……個人用の《共通アイテムウィンドウ》を作ってほしいの。別にここにアイテムを置いてほしいわけじゃない。何も取ったりはしないわ。……ただあなたとの繋がりが、目に見える形でほしいのよ……だめ?」

「…………」

 

 少しだけ考え込むジェイド。回りくどい『友情の証』に対して疑問を持ったのだろう。

 

「……ん、まあいいさ。オッケーだ。んじゃ早速済ませちまおうぜ」

 

 ジェイドは、どこかひっかかったままのような素振りを見せたが、特に不都合もないようですぐに承諾してくれた。

 しかしこれでもう後戻りはできない。ほとんど衝動的に持ちかけてしまったが、これは明確な反逆行為になる。もういつ以来か忘れるほど久しぶりに、『善の心』に則った行動。

 だが、だからこそ後悔はしていない。

 PoHとの関係は崩れ去ってしまうが、アタシは新しい理解者を得た。遅すぎると思っていたのに。もう過ぎたことだと受け止めてしまい、彼との関係は反面教師にもなれない『嘘の象徴』だった。アタシの天邪鬼を具現化した関係だった。

 それなのに、アタシは考えを変えることができた。正しいことをするのに遅いも早いもないのだと。

 ラフコフ脱退の、揺るぎない決心。

 アタシはPoHを裏切った今の自分が誇らしかった。

 

「じゃあ今度こそこれで。……ま、また会いましょう」

 

 アタシはあえてせわしそうにジェイドの視界から消えた。その必要があったからだ。もう振り向かないし、ここからはアタシの決意の証明である。

 緊張しているはずなのに逆に感情が落ち着く。やるべきことが理路整然と脳内に列挙され、バクバクと鳴るうるさい心臓をよそに驚くほど体はスムーズに動いた。

 

「(まずはレジクレの人達ね。……やってやる!)」

 

 ルドの探りによって今日1日のラフコフの動きが事細かに判明している。アタシはクリアになった情報を元に、状況の整理と次の行動内容を決めた。

 「お願い、出てちょうだい……」という祈りが通じたのか、《インスタント・メッセージ》による簡易メールを、レジクレのリーダーである『ロムライル』宛に送ると、すぐに返事が返ってきた。

 彼らは迷宮区の外にいて、かつこの47層にいるということになる。これで最低条件は揃った。

 アタシはすぐさま次の文を送る。内容は単純で、今から会って少しだけ話せないかというものだ。さらに待ち合わせ場所は《圏内》にしたので、疑いもほどほどに二つ返事で了承してもらえた。

 

「(ジェイド……あなたが認めてくれるなら、アタシはそれに相応しい信用を得たい。アタシはあなたを求めるから、あなたはアタシを必要としてほしい)」

 

 彼を求める。彼の全てがほしい。友情や信頼だけではなく、彼の心も体も、何もかもを。

 だから彼も求めてほしい。今までのキャリアをなげうってでもいいと思わせた彼になら、アタシはPoHへの忠誠すら供物にできる。ジェイドが「軽蔑しない」と言ったのだ。相談なら彼にする。懺悔なら彼に行う。

 『彼』ではなく、ジェイドに。

 

「ハァ……ハァ……待っててね、すぐに……っ!!」

 

 アタシはほんの少しの力も緩めずに、夜のフィールドを駆け抜けた。

 

 

 

 《渡り鳥の羽根休み》。少し長ったらしく、変わった名前の宿にレジクレは泊まっていた。

 時刻はもうすぐ夜22時を回ろうかというところ。夜になると特定モンスターのステータスが上昇すること、プレイヤーの視界が狭まること、アタシが善良市民からむしり取ったコルで揃えた、高級装備に助けられているだけの『弱小攻略組』だということ。あらゆる要素が重なって、アタシは迷宮区直前の村である《リズン》へ来るのにかなり時間をかけてしまった。

 

「あ、あの~……どうしてそんなに慌ててるんですか? ジェイドについて話したいとのことでしたが、彼に何かあったんですか?」

「ハァ……ハァ……違うわ。いえ、そうかもだけど、でも聞いて……落ちっ……落ち着いて聞いて……」

 

 乱れた息でそう言うアタシに説得力がなかったのだろう。ロムライルという大男は首を傾げて困ったような表情をする。アタシは仕方がないので、しばらく呼吸を整えるのに専念してから話題を切り出した。

 内容はシンプルである。しかし経緯を省き事実だけを聞かされたレジクレのメンバー3人は、どう反応していいかわからないような状態に陥っていた。

 その混乱の中から最も早く脱したのは、またもロムライルだった。

 

「つ、つまり……ジェミルが《はじまりの街》に残してきた友人アルというプレイヤーは、いまPoH達ラフコフの人質になっていると。……その殺戮現場をオレらの前で披露して、激怒したオレ達を返り討ちにしようとしているんですね?」

「その通りよ。……そしてアル君をゲート付近に呼び出したのはアタシ。そこからどうやって35層まで連れて行ったのかは話すと長くなるけど、場所は特定できてるわ。フィールドの《迷いの森》という場所の直前の岩場で」

「なんでッ!!」

 

 アタシが説明を続けようとすると、『ジェミル』と呼ばれていたそばかすが特徴的な小柄、および軽装の短剣使いの男性が割って入ってきた。

 

「何でそんなことしたの! アルが何したって言うんだ! あんたが余計なことをしなきゃこんなことにはならなかった!! ボクの友達を返してよ!」

「……ええ、その通りよ。ごめんなさい。アタシがこの事態を招いたの。理由はもう察していると思うけど、アタシがラフコフの正規メンバーだから」

『ッ……!!』

 

 さすがは《レッドギルド宣言》作戦である。大掛かりだっただけに、世に与えたインパクトは大きい。

 ゆえに少年らの動揺も大きかった。

 

「……で、でもッ……!!」

「確かに体力バーの横にギルドアイコンはないわよね。……でも、聞いて。……疑うなら疑えばいい。ただ事実を聞いてほしいの、アタシがなぜここに来たのか……なぜこのことを打ち明けているのか」

 

 ロムライルという男だけはほとんど全てを察したのだろう。達観した様子でことの成り行きを見守っていた。

 

「アタシはラフコフ……いいえ、PoHを裏切る。そもそもこれを誰かに伝えることこそが明白な反逆行為よ。それでもアタシはここに来たし、それを後悔してない。アタシはこれからありったけの事実とPoHへの対抗手段をあなた達に教える。それを実行するもしないもあなた達次第。……じゃあ説明するわね」

「ま、待って。せめてアルが捕まっていることが事実かどうかだけでもぉ……」

「連絡しようと言うの? それはダメよ。今のあなた達はその子が捕まっているということを知らない、という前提がある。それが覆ると彼らは必ず警戒する。アル君も危険になるし反撃のチャンスを失うわ」

「…………」

 

 この発言で3人とも黙秘してアタシの言葉に耳を傾けてくれた。それを確認すると、早口ながらも全部を吐露した。

 アルという少年。夕方には捕まった彼が、なぜ数時間に渡り殺されなかったか。それは別の『殺戮ショー』とタイミングが重なったからだが、それだけではない。

 どこで囚われているのか、戦闘員から能力構成まで、PoHを前にした時の対抗策や対話術、救出までの段取りや作戦例。

 全部。アタシの知る限り、教えられる限りの協力をした。

 

「ラフコフ脱退は……PoHの目の敵にされると思う。言いたくないけど、これで逆恨みされて……殺されるかもしれないんだよ?」

 

 ジェイドが昔からの旧友だと言っていた『ルガトリオ』という男が、アタシにそう忠告してきた。しかし、見た目は可愛いナリをしているが、こういうところではまさに表の住民といったところか。

 そんなことは、言われなくても理解している。

 

「それが怖くちゃここへは来てないわね。……これはアタシの義務。あなた達に提示できる精一杯の証明。でも情報を提供したことは、PoHにはまだ黙っていてちょうだい。アタシは内部からラフコフに牙を剥くわ。……その妨げになるの」

 

 細かい情報が詰まりに詰まっていたからだろう。アタシが提案した内容に異議もなく、要求はすんなり通った。

 

「でも、こっちからも質問したい」

 

 ロムライルはリーダーとしての冷静な判断を下し、アタシに聞くべきことを次から次へと聞いてきた。そしてそれらのほとんどは、今回の事件とは関係の薄い情報だった。きっとこれを機に、ラフコフの内勢や行動パターンをリークさせるつもりなのだろう。常日頃から正義感で動いているだけはある。

 当然アタシはもれなく回答し、それから戦闘準備を整えてロムライル達3人は、《転移結晶》で35層主街区《ミーシェ》へと急行した。この時点で別々となったが、彼らはすぐにでも行動を開始するだろう。

 アタシも準備をしようと場所を移動している途中、アイテムストレージから《録音結晶》を取り出した、その時だった。

 

「(メッセージアイコン? ルドの役割はもう終わってるのに、誰からかしら……)」

 

 アイコンのタブを右手の人差し指で押すと、メッセージウィンドウがアタシの眼前で展開された。

 そして、その内容はアタシの心を動揺させる。

 差出人はPoH。注目すべきはその内容だった。

 

「(PoHがアタシに会いたがってる? 誰にも言えない大事なことってなんだろう……)」

 

 アタシは一般人から疑われないように《索敵》スキルを持っている。ソロとして有名になっているのだから、危機察知手段の確保として当然だ。

 しかしだからこそ、その派生機能(モディファイ)として《プレイヤー索敵》を獲得済みでもある。PoHが1人でアタシに会いたがっているのか、あるいは多人数で待ち伏せしてあるのか、そうった最低限の戦況なら相手が誰であれ事前に察してしまうだろう。

 看破(リピール)されない自信があるのか。それとも本当に1人でアタシと会いたがっているのか。

 けれどそこまで深読みしてから、慌ててかぶりを振った。

 

「(い、いや、いま彼を疑うべきじゃないわ。彼はアタシが裏切っていることを知らないはず。これはギルドが任務を与えようとしているだけ……そのために、呼び出そうとしているだけよ)」

 

 心ではそう言い聞かせつつ、呼び出しの心当たりはない。

 加えてPoHは『2人きり』で会いたがっている。こんな要求は彼らしくない。それに、文面では伏せられている大事な話というのはなんだろうか。

 荒れた大地を駆けながら、その答えだけはいくら捻っても出てこなかった。

 しかし疑問は尽きないが、この時点で命令に背くわけにはいかなかった。闇雲に反抗するのではなく、アタシは自分なりの作戦に沿って反撃しなければならない。

 

「(『了解。すぐ向かう』っと、これでよし。……でも、これだけは転移前にやっておかないと……)」

 

 アタシは《録音結晶(レコーディング・クリスタル)》を取り出す。さらにその機能をオンにすると、アタシがジェイドに伝えるべきことを長々と録音した。

 彼のためにできる最大限の助言を。文ではなく、声で伝えることで少しでも気持ちが届くように。

 

「…………」

 

 全ての……いや、たった1つ(・・・・・)の告白を除いてアタシは素直になった自分の言葉をアイテムに載せた。

 そしてその《録音結晶》を、先ほどジェイドと作った《共通アイテムウィンドウ》のストレージ内に置く。

 同じ層の、それも迷宮区にいないプレイヤーにしかこのシステムは機能しないが、ジェイドはあれから他の層にも迷宮区にも行かなかったのだろう。共通ストレージはきちんと役目を果たしてくれた。

 これで準備は整った。

 それにPoHに呼び出されたのはこちらとしても好都合だ。むしろアタシはいかにしてレジクレをおびき寄せる『客人』の、つまりアルの殺害現場に介入するか、そもそもアタシを同行させてくれるのか、そちらの方が不安だったのだ。

 ここでラフコフのトップであるPoHに直談判すれば、運が良ければ自然な形で現場に直行できる。

 

「ここが勝負どころね……」

 

 アタシは誰にも聞こえないよう、そう呟くのだったり

 

 

 

 しばらくすると、PoHが指定した層、前線から11層も下の36層へ《転移門》を利用して降りてきていた。

 目的他は《レイヤー・ポータル》。全ての層の主街区からほんの数十メートルの位置に必ず設置された、真っ白に光る人間大の結晶だ。同時にプレイヤーが無料でテレポートできる数少ない手段の1つでもある。

 オレンジカーソルのプレイヤーは、基本的に主街区に入ろうとしても強力なガーディアンに阻まれる。しかしここならカーソルカラーが何色であってもぎりぎり近づける距離なのだ。

 そして転移したい層のポータルが協力者によってオープン状態になると、プレイヤーはポータルを利用して転移することができる。

 例えば1層にいる誰かを転移させたい場合、アタシがこの36層のレイヤー・ポータルにて転移元の層とその人物名を指定することで、1層にいるそのプレイヤーはポータル越しに36層へ転移することができる。

 本来の使われ方は、捕獲したオレンジを《はじまりの街》裏側の入り口から《牢屋(ジェイル)》に入れるための装置だ。実は《黒鉄宮》のジェイルに直通しているゲートがある。

 しかし、アタシのようなグリーンカーソルの内通者がいれば、こうした悪用方法で層の移動ができてしまう。

 過去にラフコフ5大幹部であるザザが『ステルベン』という昔の名前を捨てる際にも、1層にある《ネーム・チェンジクエスト》を受けるためにこれは使用された。

 《圏内》にしか設置されていない《転移門》からでは犯罪者は層の移動ができない。だから犯罪者をジェイルに送ることはできない、というジレンマめいた事態を防ぐために設置されたのだろうが、逆転して犯罪者にいいように使われてしまっているのが現状である。

 もっとも、アタシは今回ばかりはこの機能に感謝しなければならないだろう。こうしてPoHを呼び寄せて、アタシが彼に直接交渉を持ちかけられるのだから。

 これならタイマンで話せる。アタシが呼ばれる側なら待ち伏せされていても対処できなかったが、呼ぶ側ならPoH以外を転移させなければそれで済む。

 

「(い、いえ。だからアタシが疑われているという前提が間違ってるんだってば……)」

 

 アタシは自分にそう言い聞かせるが、どうしても嫌な予感だけが拭いきれなかった。

 この言いようのない不安はいったいなんだろうか。

 

「(……あ、転移が始まった……)」

 

 考え込んでいると、目の前で光るポータルがさらに激しく発光した。今になってジェイドに《共通アイテムウィンドウ》に《録音結晶》を置いたことを、インスタント・メッセージで伝えておけば良かったと思ってしまう。しかし今さら気付いても遅すぎる。

 そして光が収まる頃には、1人のプレイヤーが直立していた。

 

「アリーシャ、直接会うのは久しいな。……ポータルでのテレポートは俺だけだが、ここは人目に付く。さっさと移動だ」

「ええ、ハイディングは一応発動しておいてあるわ」

 

 アタシ達は早歩きでその場を後にした。

 しかしレイヤー・ポータルから距離を空けるのもほどほどに、PoHは鬱蒼(うっそう)と生い茂る木々の中で立ち止まった。そうして振り向くと、アタシの予測を遙かに上回る話題が振られてきた。

 

「アリーシャ。今までよく頑張ってくれた。……金をかけたからではない。お前が才能を開花させたからこそ、実現せしめたことだ。誘導役としての才能は掛け値なしで一級品だろう、誇っていい」

「ぇ……あ、ありがとう……」

 

 彼に褒められるのはいつ以来だろう。立場も忘れてドキドキするが、同時に心臓当たりにチクリとした痛みも走った。

 

「ラフコフの活性化はやはり幹部による活躍が大きい。アリーシャがその位置にいることが、俺の目が狂っていなかったという確たる証拠だ」

「……PoH? どうしたの急に。『特定の部下への態度を変えると、他の部下から信頼を失う』と言ったのはあなたよ?」

 

 あまりの変わりように動揺を隠せない。ポリシーを貫いてきた彼の実績を鑑みると、君子豹変もはなはだしい。ここでアタシからの信頼を強めても、個人の優遇はギルド全体を通してみるとマイナス要因にしかならないはず。これはラフコフに限らず、どこの大集団にも言える常識だ。

 しかしPoHは構わないといった風に話を進めた。

 

「No problem。このことはメンバーの数人には知らせてある。それに、薄々気付いているだろう? これは以前から決めていたんだよ、アリーシャ」

「…………」

 

 まさか、とは思う。妄想でしかないはず。しかし、昨日までのアタシは……いえ、先ほどまでのアタシは胸奥で強く願っていた理想の未来。

 女性を魅了するような魅惑の美声でPoHは滑らかに、それでもはっきりと発言した。

 

「時は十分に満ちた。俺と結婚しろ、アリーシャ」

「……ッ……!!」

 

 息が止まりそうになった。

 嬉しくて心臓が跳ね上がるのを感じた。アタシはこの言葉を待っていたのだ。PoHがラフコフの関係を投げ捨ててでもアタシを求める日、その決定的な言葉を。

 しかし同時に苦しくもなる。せっかく……せっかくPoHがこう言ってくれたというのに、アタシは今まさに彼を裏切ろうとしている。

 この世界の結婚が現実のそれとは違えど、SAOにおける《結婚システム》は、他の関係とはまるで重みが違うのだ。

 狩りにおける経験値のボーナス、連絡網の強化、一時的(テンポラリ)ストレージの活用。その他ソロでは得られない多人数による目に見えない優位性。

 これだけではない。SAOで結婚すると言うことは、自分の全てをさらけ出すということ。あらゆる登録におけるデフォルト機能はもちろんのこと、スキルやステータスはお互いに参照し放題で、極めつけは『全アイテムストレージの共通化』ときている。

 少しばかり信頼が強い程度では到底この関係を築くことなんてできない。命すらかかった、真の意味での生命線をさらけ出す。それが《結婚》。血肉を削いでかき集めたアイテムの共有という、この世で1番相手を信じた時にできる最上級の愛情表現。

 

「PoH……」

「俺とアリーシャだからこそ達成しえることだ。お前を受け入れた俺を、拒むはずがないだろう?」

 

 その提案を前に、アタシは首を横に振るしかなかった。断れようがない。ラフコフを脱退するという決意はどうしたのか、そんな心の声が繰り返し響いていた。しかし、何と言われてもどうしようもない。

 好きなのだ。PoHもジェイドも、むしろこの2人だけがアタシにとっての大事な男性。彼らだけが争わなければいいのに。彼らだけが無関心でいてくれれば、無関係でいてくれれば、それだけで良かったのに。

 でも、これは……、

 

「(何だろう、嬉しいのに……こんなに鼓動が激しいのに。なのに……)……なんでだろう、嬉しくない。アタシ嬉しくないよぉ……」

「……アリーシャ?」

 

 自分の声が鳴き声のそれに変わりつつあるのを実感できた。

 PoHの輪郭がぼやける。瞼に涙が溜まってきているのだ。次第にそれは頬を伝い、わずかに生える草木へしとしとと吸い込まれていく。アタシは今まで押し殺してきた感情が、とどめなく流れ出ていることをせき止める努力もしていなかった。

 

「なんでぇ……アタシ……もうわけわかんないよぉ……」

「…………」

 

 泣きじゃくるあたしを前に、PoHは無言でウィンドウを操作し始めた。

 そして、しばらくそれらを見つめて待っていると、なんとも気の抜ける着信と共にPoHからプロポーズメッセージが送られてきた。これが簡略化を極めた《結婚》の承認スキームである。

 

「この奥で待っている。気持ちに応えてくれたなら俺の元に来い。俺は愛している。あとは、お前次第だ」

 

 それだけ言って、PoHは木々に隠れて見えないところまで歩いていってしまった。

 その場にはアタシだけが取り残される。

 

「(このメッセージ……受ければ、アタシはPoHのお嫁さんになれる……)」

 

 これだけ泣きはらしたら、現実世界なら目元は真っ赤だろう。しかしここでは事情が違う。アタシが袖で涙を拭くと、泣いていたという証拠はなくなった。

 結婚だって同様。仮想の世界での、仮想の結婚。本物ではない……、

 

「(本物じゃないんだ……)」

 

 ふと思う。これが、名実共に嘘の婚約だとしたら、PoHの気持ちが本物でなかったとしたら。

 このプロポーズには2つ目の意味が乗せられているということになる。

 

「(それを確かめられるのはアタシだけ……ううん、確かめなければならない責任がある)」

 

 決意を新たに。もう弱虫なだけではない。泣いてばかりでも、誰かに依存してばかりでもない。

 ここが分岐点だと。そう、すでに決めたことではないのか。

 意を決したアタシは、ウィンドウを展開させたままPoHのいる場所へ歩いてきた。足取りは自分で思ったよりしっかりしている。あとは本当に伝えるべき言葉を紡ぐだけ。

 

「アリーシャ、気持ちは定まったか」

「ええ。……PoH、愛してるわ。プロポーズはすごく嬉しかった。……アタシもあなたを信じてる」

 

 彼の目の前でウィンドウを操作し、《プロポーズメッセージ》を受諾した。これでシステム的にもアタシ達は夫婦になり、今後共に歩むべきパートナーになったのだ。

 ……だから、なのだろう。

 PoHは迷うことなく、腰に携えた大型のダガーを右手に持って構えた。

 

「Oh so sad。じゃあなアリーシャ、死んでくれ」

 

 この時のアタシには、PoHの持つ刃の剣身が、月明かりを銀色に反射していることだけが印象に残っていた。

 

 



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第51話 執着する欲望

お気に入り件数が550を超えました! 忘れてたわけじゃないですから! 今までよりさらに嬉しかったですから!


 西暦2023年11月18日、浮遊城第47層。

 

「いきなり呼び出してすまないね。それも深夜に」

「いや、いいんだ。それより早いとこPoHの居場所を教えてくれ。5分はたってる。すぐに行かねぇと」

 

 俺とヒスイは謎のピンク空間を抜け出して、ミンスが待機していると連絡があった場所に来ていた。

 夜も遅いので周りは暗かったが、昭和の探偵然とした彼の黄土色の丈長なコートと黒縁メガネ姿はすぐに見つかった。

 しかし息の詰まる場所である。蛍光灯がいたる場所に乱立する先進国にはない広すぎる闇のせいか、あるいはこれから復讐に向かう切迫した心理状態からか。一面にそびえ立つ、元ネタのわからない木々による視界の悪さも不安を加速させているのだろう。

 ミンスはメガネを指で押し上げると、静かに語り出した。

 

「念のため会話の音量を落としてくれ給え。……場所は例によって迷宮区で、ここから数分はかかる。だが朗報だ。尻尾を掴んだその日に単独行動……今度こそ、PoHを完全にしとめることができるかもしれない」

「移動しながら聞きましょう。それとミンスさん、この層の迷宮区への入り口は複数あるわ。その辺りも特定できてるの?」

「無論だ。付いてきてくれ」

 

 俺たちは口と同時に足を動かした。そして走りながら、いかにPoHが無謀な状態か説明してくれた。

 しかし千載一遇のチャンスがなぜ到来したのか、ひいては《転移結晶》を所持していない理由は何か。

 という刹那の疑問に、ミンスはあっさりと答えた。

 

「憶測をたてるのは容易い。1つはクリスタルの価値が高いため、複数個所持することが滅多にないことだな。普段持ち歩く1つをどこかに置く、あるいは使ってしまえばそれでゼロだ」

「んなこと、これまでいくらでもあったはずだぜ」

「果たしてそうかな。……いいか? いかな奴らも、稼ぐ時は相当荒いが、どうしても安定はしない。そこへ組織の急拡大だ。羽振りがいいように見えて、実は金も逼迫(ひっぱく)しているのだろう」

「なるほど……確かに、同じような悩みを《軍》のメンバーがぼやいてたな」

「もう1つ。アジトの付近であれば、そもそも持ち歩かない可能性だってある。予期せぬ遭遇戦になったとして、《メッセンジャー・バット》があれば仲間を呼んで戦線離脱、あるいは襲撃者を撃退できるやもしれないしな」

「アジトの付近なら……ね。けど、それなら仲間を呼ばせないようにしないといけないわね?」

「うむ、袋小路に誘い込むか、あるいは増援の到着前に一気に叩くしかない。しかもラフコフが採用しているアイテムの保管方法にも弱点がある。《ベンダーズ・カーペット》は知っているな? 商人がよく使う仮店舗用の簡易露店だ。その上に置かれたアイテムは、耐久値も減らなければ誰も盗むことはできない。よってカーペットの所持者を登録上『PoH』とさえしておけば、裏切り者が出ても心配ない。安全地帯で過ごす奴らなりの知恵というものだ」

「よく調べたもんだ。んで、結晶1個も持たずに出歩いたわけだ。かくものPoHも、1年たってようやくポカをやらかしたってことか」

「…………」

 

 この意見にヒスイはノーコメントだったが、俺を含む3人のPoH遊撃隊は目的地に到着。時刻は午後10時57分、もう1時間もすれば日付が変わる。

 場所は浮遊城(アインクラッド)でも、さらに端に位置するのだろう。見晴らしは悪く、利便性も良くなさそうな迷宮区の入り口だった。アーガス社が好む独特な特徴も見られるので、きっと隠し通路としてデザインされたと推測できる。

 迷宮区への通路は狭く、入ってすぐに曲がり角があるのか、明度も低いため内部構造はほとんどが確認できない。

 大人数でカバーしたいところだが、目的はPoHの殺害。援軍に誘えるメンツすら限られる。

 

「なあミンス、《PoH鹵獲作戦》てあったろ? あん時のメンバー、《風林火山》やキリトは連絡が付かなかったか?」

「無論試した。寝ているか、あるいは迷宮区の中なのだろう。しかし彼らを叩き起こす暇はなくとも、私の護衛は召喚中だ。『23時に着く』との返信もな。よって4人で攻めることになるが……異論はないな?」

「ああ、戦力不足はショーチの上だ。つっても4対1だしな。護衛が着くのはあと1分ってとこか」

 

 正直に言うと、ほんの少しの待ち時間ですらもどかしかった。

 しかし万全を期すに越したことはないし、ましてや彼の護衛はバリバリの攻略組。即戦力の確保がたったの1分でできるのだ。ここは待つべきだろう。

 

「来たな。……見えるか、あの人物だ」

「おお、あいつがミンスの護衛か。やっとツラをおがむことができたぜ。……んでも、何であんな方向から……」

「あたしも……どこかで見たような……」

 

 迷宮区と真逆方向から俺達を挟んで走ってくるプレイヤー。距離はまだ400メートルほどあるが、《索敵》スキルの派生機能(モディファイ)でここにいる全員が《暗視》のオプションスキルを使っていたのですぐに発見できた。

 しかし次の瞬間。それこそ真後ろに意識の全てを持っていかれることになる。

 

『ミンストレル。客人が多いようだが、こいつはどういうことだ』

「ッ!?」

 

 迷宮区の入り口付近。曲がり角のすぐ向こうで男の声がしたのだ。

 俺のよく知る声。

 これを最初に聞いたのは17層が最前線だった時。人を惑わせる響きを持つ、あの優しくも冷酷な声だ。それが通路を曲がってすぐのところから聞こえてきた。

 

「引っかかったキミの落ち度さ」

「PoH……テメェ、そこにいるのか……?」

『いったい何の当て付けだ? 俺に貸しがあったはずだよな。恩を仇で返すつもりか……』

「無視してんじゃねぇよクズ野郎! 今日こそぶった斬るッ!!」

 

 嫌でも心臓の鼓動が速まる。汗がにじむまま愛刀を引き抜き、その柄を握る手のひらに有らん限りの力がこもった。

 今日ここで、この場でPoHを切り捨てることができれば、俺はやっとケイタの無念を晴らすことができるのだ。アラートトラップを踏んで仲間達が帰らぬ人となったあの夕ぐれで、容赦なくその傷痕(しょうこん)をえぐった。あまつさえ、遺産でもあったギルドホームを横からかすめ取った悪党。

 いい加減この溜まりきった積怒を、諸悪の根源にぶつけるのも頃合いだろう。1ヶ月前は、たかだかレッドギルドという存在を派手に周知させたいがために、7人もの罪なきプレイヤーを殺害した。

 その他にも多くの犯罪行為をはたらいてきた。1つたりとも忘れたとは言わせない!

 

『クック……不自然なコールは疑うべきか。度胸だけは称賛に値する。……だが、実に愚かだ。そんな人数で……』

「ッ……ああそうかよ。だったら殺してやる! ヒスイは後ろ見てろッ!!」

「ま、待ってジェイド! 様子がおかしい!」

 

 俺は斬る覚悟も、ある意味では『斬られる覚悟』すらもうできていた。ここで逃げたら全てが嘘になる。あとはこの激情を敵に吐き出すだけだ。

 だから、俺はヒスイの忠告を無視して1人で迷宮区へ突入する。

 そして憎しみの権化を絶つため、意匠なき無骨剣《クレイモア・ゴスペル》を背中から抜刀、およびソードスキルに発動よるは閃光。

 俺は湧き出る殺気も抑えず、勢いよく通路の角を曲がった。

 息を吐き、直後に単発重斬撃を放つ。

 しかし……、

 

「っらあァあああッ!!」

 

 ガヂィイインッ!! と、スキルは通路の壁に(・・)激突した。

 振り抜けなかった反動が両手に跳ね返り、激しい振動によって軽い麻痺がおこる。

 火花のようなライトエフェクトはほんの刹那だけ暗い道を照らしたが、プレイヤーはおろかその影すらまったく確認できなかった。

 

「ぐッ……なん、だっ? 誰もいねぇ……!?」

 

 誰も、いない。

 なぜだ。

 PoHの特徴的な声だけは間違いなく聞こえたはずなのに、そこには誰もいなかったのだ。《転移結晶》によるエフェクトも見えなかったし、どころかPoHは転移結晶を所持していないはずだ。

 俺はあらゆる可能性を考慮していたはずだった。待ち伏せによる敵の逆奇襲、事前に仕掛けたトラップ、俺達の知らない第3の逃げ道。そういった心構えすら砕かれた。

 ……いや、ある。何かが落ちている。俺も何度か見かけたことのある、これは《結晶(クリスタル)》系アイテムだろうか。

 

「レコーディング……クリスタル……?」

 

 そこに落ちていたのは10センチ四方もない結晶系アイテムの1つ、《録音結晶(レコーディング・クリスタル)》だった。

 その名の通り音声を記録し、再生させることで現実世界のレコードと同じ機能を発揮するもの。似たようなものに風景の記録などに利用される《記録結晶(メモリー・クリスタル)》が挙げられる。こちらはカメラ機能と同じで、これらに言える共通点はクリスタルのくせに安価で、比較的手に入れやすいということだけだ。

 しかし目下問題となるのは、なぜこのアイテムが、いかなる理由でここに設置してあるのかである。

 そうして呆気にとられていると、突如網目状の鉄檻が迷宮区の通路とフィールドへの出入り口を遮断するように降りてきた。気づいた時にはガッシャァアッ!! と、耳を塞ぐほどのけたたましい爆音が鳴り響く。

 待ち伏せを警戒して臨戦状態だったヒスイ達とは通路への入り口で隔離され、黒光りする鉄柵を挟んで互いに狼狽した。

 

「くそ、トラップか!?」

「ジェイド! もう、だから言ったのに。……それにPoHはいなかったの?」

「ああ、いなかった。どうなってんだ……全然わけわかんねぇ。レコーディングでPoHの声が再生されているだけだったんだ。もしかしたら、俺達の方がハメられたかもしれねぇ!」

 

 鉄柵を握り、何度か前後にガチガチと揺らしてみたが微動だにしない。

 編み目もそれなりに細かく、せいぜい腕1本分しか通せそうにない鉄柵のせいで、会話こそできる状態だがプレイヤーの力業での突破は無理そうだった。

 

「そんなことって……っ。それにこれ、耐久ゲージが見当たらないし、きっとイモータル設定よ。脱出手段は檻の破壊じゃなくて、別の何かが用意されてるってことだわ。……完全に罠ね。一旦テレポートで主街区に戻って、それから……」

「ヒスイっ!!」

 

 直後、ザシュッ! という気味の悪い音が俺の鼓膜を揺らした。

 

「か、ハ……っ」

「ヒスイ! ヒスイぃッ!!」

 

 見えてはいけないものだった。目の前の柵に縫い付けられたヒスイの左の脇腹から、レイピアと思しきサーベルの先が顔を除かせていたのだ。おそらく、反対側から貫通してきたのだろう。

 それがぐりぐりと。感触を楽しむように弄ばれている。

 そのまま武器を抜き取られると、彼女のネーム付近に阻害効果(デバフ)の一種、《麻痺(パラライズ)》のアイコンが点滅して、彼女は力なくぐったりと倒れ込んでしまった。

 先制攻撃(ファーストアタック)認定。《対阻害効果(アンチデバフ)》スキルや防具による防護機能が最もはたらき難い、背後からの最悪の一撃。

 俺はなんとか柵の隙間から腕だけを通して脱力したヒスイを支えようとしたが、彼女を攻撃して犯罪者(オレンジ)となったミンスの護衛役に引きずられて、手の届かない所へ運ばれてしまった。

 

「く、テメェ!! 何してるかわかってんのかッ!!」

「愚問もはなはだしいな。ジェイド」

 

 フード付きジャケットを着た軽めの鉄衣に包まれた男、専属護衛は口元にうっすらと笑みを浮かべたままそう言った。

 小さくもはっきりと。信じられないことを言ってのけた。

 

「ンだと? おい、フザけてっとブッ殺すぞ!!」

「ジェイド、少し落ち着きたまえ。それができないことは、今の君が1番理解しているはずだ」

「あァ? なんだよ、ミンス……?」

「あまり感情任せに騒がれると会話もろくできやしない。それに私は、うるさい人間が嫌いでね。知っているだろう? 長いつき合いだ」

「お……おい! これは……どういうことだ!? いや……それに、したって……ッ」

 

 俺の頭が鈍いからか、混乱が重なったからか。

 味方だと思っていたミンスの声を、そのあまりにも非情で淡泊な声を聞いて、俺は寒気すら覚えながらも状況を把握しようとする。何とかして今の状況が噛み合うルートを探ったのだ。

 だが見つからない。どうやっても。

 

「まだ理解できんのかね。君は今日、遊んでばかりで迷宮区に関する満足な情報を得られなかったそうじゃないか? こんな罠も、普段の君なら回避したかもな。……そして私の護衛がこの娘を攻撃し、私がそれを黙認する。……つまりはそういう(・・・・)ことだよ」

「な……に、を……テメェが俺をダマしたのか……ッ」

「ふ、フ……フハハハハッ、傑作だな! 別に嗜虐嗜好なんて持っちゃいないが、君を見ているとさすがに笑えてくる。……んん、興味深いね」

「クソ……野郎……」

 

 冷や汗が流れる。

 怒りより前に戸惑いが。敵意より前に疑問が。

 俺を騙して、ヒスイを刺して、一体なんのメリットがある?

 受け入れられない現実がのしかかり、夢でも見ているかのようなふわふわした感覚だけに支配された。誇張でも何でもなく、本当に目の前が真っ白になる感覚。

 

「それにしてもタイゾウ君、えらく遅かったではないか。もう少しで君がいないのに作戦が始まるところだったよ」

「わりぃな詩人さん。姉貴のペット、確かルドルフとかいったか。……奴が邪魔をしてきてよ、処分に手間取った。……ま、ここでルドルフの奴が手ぇ出してきたってことは、十中八九姉貴の指示だわな」

「なるほどルドルフ君か。……のろまな男。彼女の忠犬。ハハハッ、よもや君にも噛みつくとはね。レベルが違うだろうに、まったく無駄なことを」

 

 喫煙所で煙草をくゆらせながら話しているのかと錯覚するほどリラックスし、ごく自然体で会話を続ける2人。

 俺への説明もなし。何かに動揺する素振りもなし。これら全てが順調に作戦を進めているとでも言わんばかりの態度。

 

「なん、でだよッ! おい!! 何で、そんな平然と……く、そ野郎が……!!」

「なんて人なの。人の厚意を踏みにじって……犯罪者に加担して! あなた最低よ! 信じてたのに。疑わないようにしてたのに……アルゴが警戒していた通りじゃないッ!!」

 

 動けないヒスイも果敢に声を張り上げるが、地に伏している姿がより痛々しさを増大させていた。

 それに彼女の発言には覚えがある。数時間前、背丈ほどもある草木をかき分けながら、アルゴは確かに「怪しいプレイヤーがいる」と言っていた。この光景から察するに、それはミンスのことだったの可能性が高い。彼女の言葉を最後まで聞けていれば……。

 しかも彼に協力していたジャケット装備を着用するゲス男にとって、今のヒスイの姿がその歪んだ性癖をくすぐるのだろう。先ほどよりも笑みを深めて、()うような視線を向けている。

 

「あぁああ~、おれのヒスイちゃん。けなげだなぁ。なつかしいよ、こうやって動けない体に指を走らせるのは10ヶ月振りかな? あの日以来だ……」

「ん、くっ……さわら、ないで!」

「おい、ざっけンなよ!! その汚ェ手をどけろッ!!」

 

 可能な限り手を伸ばしたが、俺達の距離はゆうに5メートルはある。この柵をどけない限りどうしようもない。

 《ハラスメントコード》対策もお馴染みの手段だ。

 アクションゲームの体裁を保つために、プレイヤーからの攻撃をもこのコードで防げる(いわ)れはない。

 ごくわずかであれ、貫通継続ダメージの入る低層のナマクラ武器などで攻撃していれば、それによる肌の接触でさえ異性を弾くことは叶わないのである。もちろん、このように閉鎖された極限下に置かれることを想定していなかったアーガス社に対し、コードの抜け穴を指弾できる道理はない。

 それに俺は自分の頭に血が上るのを感じながらも、こいつが放った発言の節々を考えていた。「なつかしい」と。奴はこう言ったのだ。()れ言でないのなら、こいつは過去にも同じようなことをしたことになる。

 

「アハハハ。8層の迷宮区では3人がかりだったけど、今回はおれ1人だ。……覚えてるか? 君があの安全地帯で寝ていた時……この男が来なければ、おれらを受け入れていたよね? さあ、続きだよ。だからもっと楽しそうにしてよぉ」

「ひ、イヤ……やめて……ひゃっ!?」

 

 装備の上からとは言え、横たわるヒスイの体中を両手でネチネチと触りまくる姿は、俺の我慢の臨界点を軽々と突破させた。

 

「てめぇ……殺すぞ! 絶対に殺してやる!! やめろっつってんだろッ!!」

「やかましいな。言っておくが、彼はクォーター戦にも参加していたのだぞ? いけしゃあしゃあとな。その時気づいてとっ捕まえなかった君のミスだ。最後の最後まで、すぐそばで討伐に協力していたのにな」

「ッ……25層戦に、いただと……!?」

 

 少し動揺しながらも、必死に記憶の糸をたぐり寄せた。攻略の途中で逃走者が多発した25層フロアボス戦。その中で逃げ出していなかったのだとしたら、最後にヒースクリフが集めた30人の中にいたことになる。

 そしてこの男はソロ。俺とヒスイ以外にいたソロプレイヤーは……、

 

「(いた、あいつか! ずっと顔を見せなかった、盾無しのレイピア使い……!!)」

 

 それがこの男。ラフコフに多数存在する陰の協力者。

 元より口裏を合わせていたのだろう。こいつが走ってきた方向に、街や村がないことをはっきり思い出している。今こいつが敵対していることは、弱みを握られたがゆえの強制的な服従でないことも確定的だ。

 そしてこれは、恐ろしくおぞましい告白だった。

 俺はかつて、ケイタの危機に際しミンスによって緊急的に召集されたことがある。そしてその時、状況把握に《天耳通(てんにつう)の筒》というアイテムを使ったと言っていた。

 25層においての取り巻きへのラストアタックボーナス。その効果は、言わば視覚内にいるプレイヤーへの収音器。盗聴目的に使うものだ。

 アルゴと交わした会話も、おそらくこれを使って断片的か、あるいはその終始までを聞かれていたのだろう。だとすれば、これほど強硬な手段に急いだ理由もつく。

 あろうことか彼女は、このスパイ野郎の正体に感づき始めていたのだから。

 

「いいシナリオだろう? 脚本は私だが、アルゴの件で急いでいたものでね。PoH様の手を煩わすまでもない」

 

 アルゴがしていたことを、この男もしていたというわけだ。

 彼女への逆監視と、行動に対して常に先手を打つしたたかさ。やはりミンスは頭が切れるだけでなく実行力もある。思うと味方としての頼もしさより、敵対した時の恐怖から俺は彼が仲間だと信じていたのかもしれない。

 ケイタが死んだあの日、殺害現場となった崖の上で25層取り巻きへのLAボーナスを使ったと言うが、そのレアアイテムを渡した張本人は、ミンスの横で欲望を吐き出している男だろう。

 これが、こいつらの先見の明が成した実力。

 だが。

 だからといって、俺が逃げていいわけはない。相手がやる気なら、こちらも全力で立ち向かうだけだ。

 それを意識すると、腹の下あたりにスッ、と冷たい怒りの塊が落ちてくるのを感じた。おかげで逆に頭も冷えてきた。俺のすべきこと。それは泣き、喚き、騒ぐことでも、ましてや延々と罵ることでもない。あらゆる情報を強奪し、それを今後の犯罪者捕獲に役立てる。そして相手を俺との会話に集中させながら、ヒスイを救出する作戦を迅速に考え実行する。

 最短最速でこいつらに一矢報いる作戦を。

 

「言い逃れはできねェぞ。全部暴いて、公開処刑だ……」

「……ふむ、それで……?」

「…………」

「おいおい、口数が減ったな。騒ぐなとは言ったが、黙れとは言っていない。殺害はタイゾウ君に頼まれただけで、私は別に興味がない。もっとも、仕事は果たしたのだ。楽しまなくては割に合わん、そう思うだろう? だから君との会話を楽しむとするよ」

 

 イラつかせるようなくだくだしい話し方はもうおなじみだが、相手の挑発には乗らない冷静さはまだ残っている。

 奴は判断力を削ろうと、わざと俺の怒りを買うように喋っている。挑発にいちいち反応したら相手の思うつぼだ。

 しかし、思案に暮れる前にプシュウッ、と煙のようなものが天井から吹き出してきた。

 おそらくはトラップによる毒だろう。解放空間のフィールドでは濃度が確保されないが、閉鎖空間にいる俺はこのままでは肺一杯に吸い込んでしまう。

 俺はポーチから《解毒結晶(リカバリング・クリスタル)》を取り出して手に持つと、小さく「リカバリー」と発音して体内の毒素を相殺する。これで数分間はこの煙を吸い続けてもデバフに侵されることはない。

 しかし今度は、奴の方から口を開いた。

 

「……実はこの日が待ち遠しかったよ。ペテン師がその功績を自慢したがる矛盾した性質も、今なら理解できる。ただ、難易度には拍子抜けかな。彼の名前を出すと君が釣れて、君をエサにヒスイ君が釣れる。……単純明快だ。わかりやすくて助かるよ」

「話をそらすな。テメェはいつからPoHとツルんだ」

「ほう……? そうだな、ちょうどタイゾウ君と初めて会った時だろうか。初対面ではいくばか言葉を発しただけだが、あの方は遠い未来を見据えていた。……私はすぐ彼に協力を申し出たよ」

「ッ……!!」

 

 それほど前から俺を、ひいては彼を信じる多くのプレイヤーを騙していたのか。

 こいつは昔から頭こそ回るが本質は根暗だった。そういった不完全なところに俺はシンパシーを感じていたし、ゆえにネガティブな理由ながらも仲間意識を持っていた。

 それに今、ミンスはタイゾウとやらと会ってからと言った。ちょうどその頃から(・・・・・)、こいつは人と楽しそうに喋るようになった。俺はそれが自分のことのように嬉しかった。

 それなのに、どうしてこうなってしまったのか。あの唾棄(だき)すべき外道を様付けで呼んでいる。それが悔しくて堪らない。

 

「(ダメだ落ち着け。質問を続けないと……)……納得した。そこのクズが俺らの前に姿を見せなかったのは、レベリングや都合じゃなくて、顔バレの可能性を減らすためだった、と」

「ごもっとも。実に合理的だろう?」

「……ケイタについて聞きたい。何であの時、俺に場所を教えた? あれは完全に裏切り行為だろう。俺が自滅覚悟で現場へ乱入したら、1人ぐらい道ずれになってもおかしくなかったずだ。なのに……テメェは教えた!」

「ああ、あれか。いい質問だが、それも少し考えればわかること。……圏外にいた彼の所在は、むしろ私の誘導だった。黒猫団の全滅を知ったのは……くくく。実はこれ、君が原因でもあるのだよ」

「なにッ!?」

 

 それだけは聞き捨てならなかった。俺がいたから猫団全滅の情報がミンスの元へ流れただと? バカバカしい、俺は一言たりとも他言していない。

 だがここで、ヒスイがまたしても悲鳴を上げ、タイゾウと呼ばれていた痩せ気味の男から逃れようとしているのが見えた。同時に湧き上がる、毛が逆立つような焦燥感。

 

「……く、もうガマンならねぇ! 今すぐ主街区に飛んで、絶対ここに戻ってくるからッ!」

「落ち着けジェイド。君が転移結晶を使ったら、その時点でヒスイ君を殺す。これは取引ではなく警告だ。君がここから離れた時こそが、彼女を拝める最後の瞬間になるだろう。タイゾウ君は『見せつける』ことをご所望でね」

「ぐッ!? ……ちくっ、しょう……ッ」

 

 ここでヒスイにべたついていた奴が、俺とミンスとの会話に割り込んでくる。

 

「ヒッヒッヒ。ジェイドぉ、もうヒーローごっこはできねぇなァ? ククッ……いい気味だぜ。どんな気分よ、えェ?」

「クソがッ! ゴミは黙ってろよ!」

「まあまあ、外野は放っておけ。……さてどこまで話したか。……ああそうか、なぜ黒猫団全滅をいち早く知ったのか、だな。なに、私が彼ら全員とフレンド登録を済ませていたからさ」

「(ミンスが黒猫団と……!?)」

 

 もう何を言われても驚く気はなかったが、意外な事実に内心だけは絶えず揺れ動いた。

 

「吟遊詩人は人の裏を探りすぎる。なんて噂も、聞いたことぐらいあるだろう? 自分で語るのは興ざめだが、依頼を逆手に取るのは得意でね。キリト君への調査依頼は、共に過ごした《月夜の黒猫団》にまで及んだ。……建前は君が作ってくれた。ゆえに、『仲良くなっておいた』んだよ。相手はビジネス感覚だったろうけど」

 

 鉄柵を握りしめる両手にさらに力が入った。

 なるほど、その経緯から1人だけ生き残ったのを知って、『蘇生アイテム』があるなんて嘘をつけたわけだ。当時は金目当ての単なるハイエナ野郎だと思っていたが、確かにここまで周到だと防ぎようがない。

 

「最初からだませる自信があったってわけだ……ッ」

「ご名答」

 

 あの時、PoHを含む4人がケイタを殺しきるまで、俺達に振り向かなかった理由も判明した。全部演技だったわけだ。

 ニヤついた顔で、ミンスはこれまでを(つづ)った。もはや決定的である。彼の供述が全てのピースを揃えている。

 この男は戦闘職ではないが、直接殺し以外で『殺戮ショー』をラフコフと共有していたのだ。よりによってケイタを救おうとしていた俺と、この世で最も胸くそ悪いゲームを鑑賞した。

 ただし、これでは悔しがる顔を間近で見る特典のためだけに、あそこに連れだしたことになってしまう。それは非効率だ。

 では、なぜリスキーなことをしたのか。

 それはきっと、『ショーの見物』と兼ねて、同時に俺から信用を得ていたからだと推測できる。

 1歩間違えれば奴らのすべてがご破算になるスレスレの共有。ミンストレルという狂人は、この倒錯的な緊張感に病みつきになったのだろうか。

 

「(つくづくゲスい。……けど、これじゃあ無能を否定できねェ。確かに俺はミンスを信じた。信じちまったッ……アリバイ作りにもってこいだ。なんせ、俺自身が証人として……)」

 

 俺だけではない。きっとこの世界から消される前のターゲットだって、こうして価値観の食い違いに腹を立てただろう。

 さらにミンスの横で奇声を上げてあるタイゾウが、ヒスイの戦闘用の防具を剥がし終えたのか、彼女の胸部を揉みしだきながら感極まった表情をしている。わざわざ俺に見せつけているかのように。

 なぜ何も思いつかないのか。逆転の手が。

 やはり俺には無理だったのだろうか。格好つけて守ると言ったくせに、打ちのめされ鉄柵を握りしめたまま突っ立っているだけだ。格好良くなんてない、ただの腰抜けで、ただの負け犬。

 

「(ッ! ……いや、まだだ。あきらめたら全部終わっちまう。だったらこの瞬間も抵抗してッ……)……今の聖龍連合(DDA)が凶暴化した原因、あれも……」

「……ああ。私は重要な任務に就いていた。よって、安易にラフコフとフレンド登録するわけにもいかない。……そこで我々は、《共通アイテムウィンドウ》を使って情報交換をしていたのだよ」

 

 《共通アイテムウィンドウ》。《結婚》システムなど、問答無用にアイテムストレージを共通化させるのとは違って、そのタブ内に格納した特定の物だけを共有するシステム。

 同じ層にさえいれば、そして迷宮区に侵入しなければ実質アイテムストレージの共有化を計れる。数時間前、俺がアリーシャと作ったのも同じものだ。

 伝えたいことをレコーディングやメモリークリスタルに記録して、共通化されたアイテムストレージに置く。これで遠くにいても連絡できるという寸法である。だとすれば、クズ共が狂ったように録音結晶を買い込んでいる理由もこれだろう。

 どこかで聞いた話だが、あの時も確か《鼠のアルゴ》や《連合のクリクロ》といった有名な情報屋と、連携を組んで捜査に没頭していたと耳にしたことがある。しかし、フタを開ければ何が連携だ。情報なんて敵にダダ漏れだったということではないか。これでは捕まるものも捕まりようがない。

 DDAがまんまと騙されたせいで、犯罪者集団の作戦がすんなりと通った。これは、トップギルドが険悪になったもっとも直接的なファクターである。

 だが1つ、いいことを聞いた。俺は今の会話で、ミンスの口から現状を打破する糸口をもらえていた。

 あとはそれを実行する隙を作るだけだ。

 ブラフとなる会話は続けるしかない。

 

「だんだんクズの思考が読めてきたよ。1ヶ月前……ラフコフの《レッドギルド宣言事件》の目的も別にあったってワケか」

「ハハハハ、助け船があったとはいえ素直に驚嘆ものだ。ここまで楽しくなるとは。……それも正解だ。いやはや、準備をかけた甲斐があったよ。クリクロとネズミの排除はもちろん、私らを『守るため』にも大いに役に立った。……意味はわかるな?」

 

 誇らしげにそう言うが、結果を掘り下げると答えは簡単である。

 それはアルゴに限らず、ミンスに嫌疑の目を向ける人間が増えていたからだ。そうした事情は俺もたまに聞いている。

 おそらく、ラフコフがわざと目立つ行動を繰り返していた真の目的は、ギルドアイコンを広めるためだった。

 奴らは短期間でこれを印象付けさせた。アイコンのあるメンバーこそラフコフだと周知させたと言ってもいい。こうした先入観の操作は、古典的な記憶の刷り込みトリックと同じである。

 現に俺は、ギルドアイコンを表示していないプレイヤーを見る度に、その者を疑ったことはない。むしろ俺がPoHを見てすぐ確信したように、あの不気味な棺桶のアイコンは一種のブランドを確立させていた。

 

「上から目線でエラそーに……テメェこそ、こんだけ知れたら終わりだぜ? ネタは上がりきったろ」

「フフフ……さてどうかな?」

 

 ミンスはなおも得意げだった。今後のラフコフの活動に支障をきたすほどの情報。それを言い当てられたのに、なぜこれほど余裕がある?

 これではまるで、全て知れ渡っても対処しきれるかのようではないか。

 確かにSAOでの俺のコネクションなんて10人そこらだ。前線に戻るなり、いま聞いた彼のカミングアウトを大声で叫び周ったところで、メガネ野郎の根回し次第では俺の方が悪者になってしまう。

 しかし、少なくともレジクレの3人は信じてくれるはずだ。そのギルド単位で訴えればだうだろうか。

 勝算は高い。実はスパイが紛れ込んでいたなんて鉄板展開でも、つじつまが合う以上、周りの連中だって無視はできまい。

 

「(そうさ……カズ達が味方してくれりゃ……)」

 

 だがその時点で思い至ってしまった。

 よもや、俺が即興で思いつく程度のことが通用するはずがない、と。敵はそんなミスを犯さない。

 

「(くそッ、まさか……やられたっ!! 今あの3人(・・・・・)が狙われてンのか!!)」

 

 気づいてももう遅い。俺の狼狽に構わず、ミンスは口調を変えず続けた。

 

「約2ヶ月に渡る長い準備期間ゆえ、まあなかなかの成果だった。潜入が主の私やアリーシャの自由は、あの宣言によってかなり助けられたものだよ」

「あ、アリーシャ? アリーシャだとッ!?」

 

 しかし、ここにきて信じられない名前が挙がった。

 アリーシャがラフコフメンバーだと? だとしたら、今日1日の時間は全部作り物だったということになる。

 もう混乱しそうだった。あり得ないなんてことこそ、あり得ないのだろうか。彼女が俺を騙すために。目の前にいる男は、実に半年間ものあいだ人を欺いていたのだから、可能性としては……、

 いや、だが、そんなはずは……、

 

「自慢するようで気が引けるが、私を含む5人は幹部的位置にある。象徴としての役割だったが、こうしてみるとあの女も落ちたものだよ。……ああ、つまらん話をして悪かった。彼女のことは忘れよう。なんなら……」

「アリーシャは違うッ!!」

 

 気付いた時には、俺は自分に出せる限界の音量でミンスの意見に異を唱えていた。

 無駄と知りつつ抵抗するヒスイにすっかりはまり込んでいたタイゾウでさえ、アリーシャに対する言及には興味を示し割り込んできた。

 

「……なんだと? おいおい、あんたに姉貴の何がわかるってんだよ」

「あいつは……そんな奴じゃない。こんなクズに味方するはずねェんだ!」

「はずがない、か。根拠は知らないが事実は変わらんよ。私が一時、『アリーシャを疑え』と言ったからか? だとしたら失笑ものだ。あくまで余計なことを吹聴される前に、カモフラージュとし利用したに過ぎん。もはや、組織にとってはただのお荷物だ。役立たずはそろそろ処分されるだろうね」

「……ッ、ンのやろうっ……!!」

 

 嫌でも俺の意識がミンスの言葉に持って行かれそうだったが、アリーシャのことは一旦忘れるしかない。

 確かめようがないし、それより今はヒスイを助けることが先だからだ。ミンスの言葉に感情的になったフリをして、何とか隙を(うかが)うしかない。

 

「で、でも!! ミンスはいろんな奴とオレンジ野郎を捕まえていた! レッドにとっちゃ身内みたいなモンだろう、それはどう説明するっ!?」

「単調になってきたな。……使えそうにない中層レベルのプレイヤーを囮に、定期的にアリバイ工作をするのは常套手段だ。いちいち説明するほどかね?」

「……もう、テメェらにどんな文句を浴びせても足りねぇよ」

「誉め言葉さ。……ん? タイゾウ君、楽しむのもいいが麻痺が解けかけているじゃないか。彼女も腕はたつのだ。せっかく時間をかけて用意しているのだから、早く《原液》を」

「ああ、わかってるっての!!」

 

 俺も気づいていたが、ヒスイの麻痺は解けかけていた。会話中に後ろのことまで気づくあたり、やはりミンスは敵にとっても有能なのだろう。

 だがこれは待ちに待った、几帳面なミンスが俺に対し初めて見せた隙だった。

 

「(今しかない!)」

 

 成功するかはわからない。それでも、俺は最後の賭けに出る。これに勝てば敵との立場を五分にまで持っていける。

 ここからが、本当の反撃だ。

 



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第52話 悪意のありか

 西暦2023年11月19日、浮遊城第47層。

 

「(今しかない!)」

 

 俺はミンスとその護衛役であるタイゾウの言葉に耳を傾けながらも、最小限の動きで素早くある行動(・・・・)をしていた。

 

「かぁー! いいとこだったのによぉ。……んじゃあこれ、はいあ~んしてヒスイちゃん」

「く、誰がそんなもの! ふざけないで……これ以上触られるなら、死んだ方がマシだわッ!!」

 

 ヒスイは、痙攣(けいれん)して動き辛くなった右手を必死に動かしながらウィンドウを立ち上げようとするも、タイゾウに腕ごと踏みつぶされてあえなく失敗する。

 しかも艶のあった髪を乱暴に引っ張り、原料不明の液体を無理やり口元に押し付けている。奴の慈悲無き一方的な蹂躙も、状態異常となっているヒスイにはシステム的にも覆しようがない。

 

「(ヒスイ……もう少しだけ耐えてくれ……)」

「ほら飲んでよ、じゃないと口移ししちゃうよぉ~? ヘヘヘッ。おれがあのあと(・・・・)、親友だと思っていた2人に捨てられてからは大変だったんだぜ? もうお前はリーダーじゃないってね。おれだけを悪者にして、あいつらだけ被害者面しやがったんだ……クソッ!! みんなノリノリだったってのになぁ!! ……でもヒスイちゃんのことだけはずっと覚えてたんだよ? あぁ~、このほっぺの感触……懐かしいなぁククク。ゲスと罵りたきゃそうすりゃいいっ!」

 

 タイゾウはヒスイの頬を手で挟み、強制的に顔を自分の方に向けている。そして魔法瓶のようなアイテムを手に、とうとうその口へ液体物を流し込んでいた。

 

「ぅ……ふっぐぅ……ッ」

 

 ヒスイはやがて緑色の液体を嚥下(えんげ)させられ、せっかく解けかかってい麻痺ステータスが再適用されている。

 ミンスが「原液」と表現していたその液体物は、推測するにおそらく麻痺毒の原液のことだろう。効力のほどは確かめようがないが、解毒しなければきっと長時間彼女を縛りつけるに違いない。奴らラフコフはどうやってか、不純物と撹拌(かくはん)された毒液からも抽出する方法を編み出し、それをプレイヤーに向けて使っている。と、ロムライルがレジクレのミーティング時に教えてくれている。

 モンスターに使用し、麻痺したところを一斉攻撃をする戦術が主な使用法だが、『原液』なら水に混ぜることでプレイヤーに飲ませることもできたと聞く。

 所詮道具は道具。使う人間によってはその方向性はガラリと変わる。その悪い例がこいつらの使い方だ。

 そしておそらく、タイゾウという人間はヒスイのことが本当に好いていたのだろう。

 深い愛だったからこそ、その想いが強すぎたからこそ、極度な独占欲が生まれた。それが巡り巡って今の『タイゾウ』を作り上げているのだ。

 そもそも、ソードアートのソフトを購入した人間は所詮ゲーマーだ。たかだか1万人集めたからといって、そうそうサイコパスじみた考え方を持つ人間は集まらない。それはタイゾウだって同じはずである。

 現に俺が初めてこいつと会った1月中旬、記憶が正しければ、まだ俺と同じ《両手用大剣(ツーハンド・ソード)》を使っていたはずのタイゾウは、ここまで悪意の塊のような奴ではなかったと思う。

 それが友に捨てられ、欲は満たされず、かといって普通の生活に戻れるわけではない。ともすれば生き方を間違えることは往々にしてあるはずだ。

 SAOが彼を変えた。

 この世界が彼を歪めた。

 今では『対人戦』に向いた細く、速い《レイピア》の武器を持って。

 悪いのは、裁かれるべきは、かの茅場晶彦であるはずだ。

 そう考えると、彼も不幸を背負う者。だが、道を踏み外したのなら正せばいい。今からでも、いつだって正しいことをするのに遅いも早いもない。

 

「タイゾウ、聞け」

「……あぁん?」

 

 『殺せば解決』ではない。しかも、今では殺すことそのものが難しい。

 それに彼が今の行いを悔い改め、犯罪を今後いっさい止めることに越したことはないのだ。むしろそれが1番の解決方法とも言える。

 

「……ヒスイはな、この世界で苦しむプレイヤーを延々と救ってきた。休むことなく、始まってからずっとだ。俺もクズだったけど、この女おかげで救われた。こんな人間でも助けてくれたんだッ!」

「ハッ、おれは狂わされたぜ」

「……今からでも遅くない。正せばいいだろ! 足洗って普通に攻略に参加して、早ェとこ別の生きがい見つけろよ。ぜってぇその方が楽しいって!」

「おやおや、説得して改心させようと? 無駄だよジェイド。ここから抜け出す保証がない限り、もうこの世界が私達の世界さ」

「黙ってろ、ミンス……」

「更生したくば、さっさとSAOをクリアすればいい。それができないのなら……あとは察してくれ」

「ッ……なんでっ……テメェはそんなことが普通に言えンだよ!? 気の合う奴だと思ってたのに! どうして人間離れした考え方しかできない! どう生きてりゃそうなれるッ!!」

 

 理解できない思考に怒鳴りつける。しかし、意に介さないと思っていた彼は、メガネを片手で持ち上げて逆に激昂した。

 

「なんで? どう生きれば? は……はっハハハハははッ!! まるで私がおかしな人間だったみたいな言い方だな!? やめてほしいよ、そういう除け者扱いは。私だってしがない大学の、ただの院生さ。単位1つ落としたこともない、絵に描いたようなクソ真面目な学生だったよ。……それで? 就職目標は暗殺者でもなんでもなかった。望んでこの道を選んだのではない! 私の精神はここ(・・)で少しずつ病んでいったが、そんな私を必要としてくれる人がいた。共に歩くと決めた人物、知的で高貴な方こそがPoH様だった!! ……私は彼を尊敬し、彼は私を尊重する。彼が人殺しをしようと、仮に人助けをしようと……一生ついていっただろう。君ではない、彼が私を救った! 運命だったのだ! お前だって変わっただろうにッ!!」

「ッ……!?」

 

 俺は滅多に見ないミンスの激しい感情を目の当たりにして、驚きながらも腹の奥では静かにその気持ちを()み取ることができた。

 彼の過去に何があったかは知らない。もしかすると、PoHに命を助けられたのかもしれないし、生きる希望を見つけてもらったのかもしれない。それが今の彼を形作っている。

 俺もずいぶん変わった。この世界に来て、ヒスイという女性に出逢えて変われた。俺以外、例え何千という人間が死のうとも「自分が助かればそれでいい」と思っていた頃から、抜本的な価値観を変えてもらえた。

 ではプレイヤーの全員がそうだっただろうか。……答えは否だ。

 俺は恵まれた幸運を振りかざしているに過ぎない。

 変わらない人間こそイレギュラー。変わらない人間こそレアケース。

 そんなことは頭のどこかで感じていたことだ。俺だっていつああ(・・)なってもおかしくなかった。環境にばかり文句をつけ、八つ当たりの延長で犯罪者となって、道を踏み外して人を襲って、いつフィールドで野垂れ死んでいてもおかしくはなかった。

 そうなる可能性は随所に転がっていた。

 それが、今ではどうだろうか。気性穏やかな恵まれた仲間に囲まれ、不自由のない生活まで保証されて。ストレスやノルマ、ギルドの上下関係や付き合いなど、いろんな敵と戦うプレイヤーからは幸せ者とすら羨まれている。

 

「いやぁ、ひと月前のレッド宣言は愉快だったよ。私が溜めに溜め込んだ秘密を世界中に発信する。……さすがだ。こうやって、メンバーのニーズにきちんと応えるところが素晴らしい。それに私は……」

 

 俺を無視してミンスはうわごとのようにブツブツと昔のことを喋っている。勝利を確信している時の、人が(おご)り油断しきった時の目。

 そして俺は話している途中、ミンス自身の無駄口から現状の突破口を教えてもらっていた。ミンスもタイゾウも自分のことに夢中でそれに気づいていない。これが最初で最後のチャンスだ。

 

「(……テメェら哀れだよ。でも、やってることは許されない。だから負の連鎖は俺が断ち切る。……頼む。気づかないでくれ……)」

 

 内心で祈りながら膝をついて諦める……フリをした。さらにゆっくりと、そして確実に不可視状態のウィンドウを操作する。

 そう、俺は音を立てることなく《メインメニュー・ウィンドウ》を立ち上げることに成功していたのだ。1番バレる可能性の高かった初動のウィンドウの立ち上げ行為は、ミンスが俺から視線を外した瞬間に完了している。

 

「(ついさっき、ミンスのメッセージでジャマされた時に、ウィンドウ操作中の全ての音を《消音設定》にしておいて良かった。……あとは、《ギルド用共通アイテムウィンドウ》を開くだけだ……)」

 

 ヒスイとの雰囲気を壊され、半ばやけくそのように行っておいた消音設定。そのおかげで今の俺のウィンドウ操作にはサウンドエフェクトが発生しない。

 限られた手札で現状を打破するチャンス。これを活かすべく、さらに次の行動に移っていた。ミンス本人が俺に与えた逆転の裏道。《共通アイテムウィンドウ》の話をされた瞬間から狙っていた、最後の切り札。

 

「(……よしこれで……な、なんだッ!?)」

 

 俺がギルド用の共通ウィンドウを開くと、そこには切り札が……なかった。

 間違いなく求めていたタブを開き、そこに収納しておいたはずのレアアイテムが。

 

「(ない……ない! そんなバカな……俺は確かにここに……ッ!!)」

 

 嫌でも思い至る1つの可能性。

 『ギルドの緊急時にギルドのために使用する』という条件しか設けられていなかったそれは、ともすればロムライル達にも使用権限があったことになる。

 つまり……、

 

「(昨日まではあったのに、ロムライル達に使われたってのか!? よりにもよってこのタイミングでッ!?)」

 

 タイゾウは今もヒスイの体中をまさぐっている。思うままに脚をさすり、尻部に頬を当て、手を握り、髪の香りを嗅ぎ、覆い被さるように全身をくまなく撫で回す。その醜悪な色欲を前に、ヒスイは目に涙を浮かべながらも必死に声も漏らさず耐えていた。

 嫌なはずだ。仕返ししたいはずだ。しかし《ハラスメントコード》対策として、奴はヒスイに安いピックで貫通(ピアース)属性のダメージを与え続けている。

 つまり、今の彼女にタイゾウに対する抵抗手段はない。

 

「(くそ、くそッ……)……ちくしょうッ! なんっで……なんだよっ!! 何でこんな奴らだけッ!!」

「そろそろ反応にも飽きたな。……ここいらで主街区に戻ってみてはどうだ? せっかく情報を得たのだ。ヒスイ君には会えなくなるが、そこにいる誰かが、君の復讐を手助けしてくれるかもしれないぞ」

「こ……の……ッ」

「ああそうだ、すっかり忘れていた。邪魔をしたルドルフ、つまりアリーシャの手駒については報告済みだ。……もうあの女は殺されているかもな、フフフフ」

「な、に? アリーシャが死んでる? フザけんなよ……んなことがあってたまるか! 今日の、ほんのさっきまで生きてた! 俺といたんだよ!! そんな簡単に殺されてたまるかっ……ひとの人生なんだと思ってやがるッ!!」

「私に言われても困るな。気になるなら、その足で《生命の碑》まで行って確かめて来ればいい」

 

 俺は自分の震える手を何とか制御して、やっとのことで『ギルド用』の隣にある『個人用』の《共通アイテムウィンドウ》のタブをタップした。

 そして。

 

「(あ……あぁあああ……ぁ……ッ)」

 

 プレイヤーネームが灰色に染まっているのを……何度見返しても『アリーシャ』の文字がグレーに染まっているのを確認してしまった。

 システム的なバグでないのなら、彼女はゲームオーバーとして扱われていることに……、

 

「(いや……いや、まだだ!)」

 

 普段はギルド用のものばかり見ていたために頭から吹き飛んでいたが、即座に記憶が甦った。

 そう、このウィンドウはプレイヤーの生死を確かめるものではない。他層にいても登録者のそれがわかるのは《フレンド登録》、もしくは『ギルド用』の共通ウィンドウだ。

 個人用の《共通アイテムウィンドウ》は機能を果たせない場合、つまり『対象者が同じ層にいない』か『対象者が迷宮区にいる』時は、このウィンドウが機能していない証としてそのネームカラーをグレーに変える。そしてそうなったら、アイテムの取り出しはできるが収納ができなくなる。

 『ギルド用』であればこんなことにはならないが、『個人用』のものはかなりの制約がついてしまうのだ。

 よって、これだけでは彼女が死んだとは断定できない。逆に言えば生きているかどうか確かめることもできない。俺がアリーシャと登録する時、《フレンド登録》より『不便』だと思った理由の1つだ。

 

「……でも……でもアリーシャは、こいつらと……」

「ほ~らジェイドぉ! シケた面してねぇでこっち見ろよ。ヒスイちゃんがおれとちゅーしちゃうよォ? ククク、どぉせお前も惚れてんだろ? だったら何とか言ってみろよ、ええッ!? ハハ、これがおれの生活をメチャクチャにした報いだッ!!」

「……ッ……!!」

 

 俺はぐちゃぐちゃに混ざった憎しみの感情を双眸(そうぼう)に乗せて、タイゾウをきつく睨んだ。

 だがあいつは、その直情的な反応さえ余興の1つとして捉えているのだろう。なんら動じた様子もなく、どころかヒスイの泣きはらした顔をこちらに向け、その涙を舐めとることでさらなる挑発をしてきた。

 完全に愉しんでいる。

 まるで、俺の対抗手段が無くなっていることを知っているかのごとく。

 

「ふむ、なかなか耐えるな。どうだねタイゾウ君、そろそろヒスイ君を……」

「ハッ、もとよりそのつもりだっての! 何ヶ月待ったと思ってやがるっ!!」

「……く、そ……っしょうが……ちくしょうが! ちくしょうがァッ!!」

 

 手を伸ばしても届かない。俺の全てを持ってしても、彼らには遠く及ばない。ガチガチと音を立てるだけで、阻む鉄柵は破壊される気配も見せない。

 俺は、叫ぶことしかできなかった。

 

「……ちっくしょうがぁアあああッ!!!!」

 

 俺が不用意に踏み込んだから。

 ヒスイの忠告を無視し、何の疑問も抱かずミンスを信じたから。

 俺が単調だから。俺が単純だから。能無しだから。馬鹿だから。情けないから。頼りないから。力を持たないから。過ぎたものを望んだから。約束を破るから。

 俺がこんなんだから、好きな女1人守ることもできやしない。

 

「(俺が……守るって、言ったのに……)」

 

 だが諦めかけたその時、奇跡が起きた。

 

「(あ……ぁ……!!)」

 

 俺が探し求めていたアイテムが、ウィンドウに再収納されていたのだ。

 ギルドの誰かが一時的に《共通アイテムストレージ》からオブジェクト化しただけだったのだろうか。とにかく、そのレアアイテムはロムライル達によって使われてなどいなかった。

 

「(よかった……まだ希望は……)」

 

 嘘だらけで、悪意だらけで、殺意だらけのこの世界で。神に感謝してもいいとすら思えた。

 逆転への道は、閉ざされてなどいなかった。

 

「いま行くよ……」

「あん? どこへだよ。あの世にか? ヒヒヒッ……おっと、この笑い方は間抜けっぽかったな」

 

 今度こそ俺は力を込めてタイゾウを睨む。ただの脅しではない、反撃するだけの力を伴って。逆転へのカードを手に持って。

 その言葉を口ずさむ。

 

「コリドー、セットアップ!」

「……は……なぁッ!?」

 

 腕1本分(・・・・)だけ通る鉄柵から、右手に持つ濃紺色の輝きを限界まで突き出して。

 次に。

 手を目一杯引き、真後ろでその輝きを最高度まで高める。

 

「コリドー、オープンッ!!!!」

 

 脳に直接響くような甲高い破裂音と、同時に展開される真っ白な光のサークルが2つ。

 直後、最速で地を駆ける。

 

「こ、こいつッ!?」

 

 2メートル(・・・・・)だけ転移し、隔離されていた俺がフィールドに現れると、鉄の檻を脱した『獲物』に初めて2人が動揺していた。

 

「まずいタイゾウ! 私を守れっ!!」

「おせえェんだよォッ!!」

 

 乾いた土を踏みしめる両足と背丈ほどもある大剣が発光し、次の瞬間にはリニアな加速感が包み込み彼我の距離を一気に詰めた。

 装飾の一切ない鉄塊は、タイゾウの元へ逃げようとするミンスの腹を確実に捉えた。

 ようやく抜刀したタイゾウから数メートル離れた位置でズンッ!! と、肉の隙間に鋭利な金属を押し込むような鈍い音と衝撃が発生する。

 すると、プロパティの向上に一切の妥協がない高級防具すら超越し、俺の大剣がミンスの肉体を貫通する。

 

「ごがあぁあああっ!?」

「タイゾウも動くなッ!!」

 

 もちろん、その間もタイゾウから目を離していない。追撃させないこともあるが、《転移結晶》で逃がさないために俺の左手にはすでに投擲用ピックが握られていたのだ。

 

「し、信じらんね。こいつ、こんな方法で……」

 

 さすがに攻略組であるタイゾウも、俺の予想外な反抗に固まっていた。

 雇い主であるミンスを人質に取られていることからも、勝手な行動ができないでいるのだろう。固まりながらも、その目でオレンジカーソルとなった俺を油断なく監視し続ける。

 

「か……ハッ……!?」

 

 俺の両手剣が深々とミンスの腹に突き刺さり、ミシミシと音を立てている。さらにミンスは、信じられないものを見るような目で自分の腹を見つめていた。

 

「は、ハハハッ……なんだこれは。くそ、なぜ私がジェイドに……それに視界が……」

「安全圏でぬくぬくしてりゃ、レッドアウトすんのは初めてだろ? ンでも動くなよ、ヘタすりゃ死ぬぜ」

「しっ、死にたくない! 殺さないでくれ!!」

「……俺の大剣は貫通ダメがあるピアース系じゃねえ。斬撃時にだけ攻撃力が発生するスラッシュ系だ。このまま剣をいっさい動かさずにポーションを飲めばまだ助かる」

 

 俺は一気にまくし立てると、今度はタイゾウに向き直った。

 

「タイゾウ、取引だ。ヒスイを麻痺から解放させろ。そうすればミンスも解放する!」

「……は……ハハっ、アハハハハハハハッ! なるほどねぇ、ずいぶんと粋なマネするじゃねェか! えぇオイっ!? だが、おれがヒスイちゃんを助けた瞬間、今度はお前が裏切るんだろう? 見え透いてんだよ。おれがこんなセコい罠にかかるかッ!!」

「罠じゃない! ヒスイを解放すれば、剣を動かさずに体力を回復させる! 必ずだ! だからまず、ヒスイをここから逃がせっ!!」

「…………」

 

 俺達4人の中に訪れた初の静寂。

 ミンスもようやく本物の死を実感し始めたのか、小刻みに震えて黙り込んでいる。

 

「タイゾウ、ジェイドに従え……こ、これは、命令だ……」

 

 次にミンスが話す言葉も、息を吹きかければ消えてなくなりそうなほど小さいものだった。だがタイゾウだけは余裕を崩さず会話を続行させた。

 

「待てよ詩人さん、その前に聞きたいことがある。……ジェイドとやら、コリドーはどうやって取り出した? 普通……ほらこんな風に、いくら不可視つったって、ウィンドウを立ち上げると音がするだろう。操作中も同様だ。それがなかったんで、全然気づかなかったじゃねぇか」

 

 タイゾウは実際にウィンドウを立ち上げて、音量がどこまで響くか確かめていた。そして間違いなくこの距離で聞き漏らすはずがないと感じたようだ。

 

「……ただの消音設定だ。メッセージの着信音から何までな。だから時間をかけてギルド用の共通ストレージを開き、そこからコリドーを取り出せた。これでいいか?」

「くくく、なるほどねぇ。協力に感謝するよ」

「た、タイゾウ……あまり刺激するな。私はラフコフに必要とされている。こんなところで失うわけにはいかないのだ。ここは生きて帰ることだけを……」

「あァん?」

 

 ミンスが切羽詰まった声で(なだ)めているが、対照的にタイゾウはリラックスした声で受け答えをしていた。

 

「なー詩人さん、あんたは何でアリーシャの姉貴がラフコフから切り捨てられたと思う?」

「し、知れたことを! あんな奴はもう使い物にならなくなっていた! 私とあいつとでは存在価値が違う!」

「こいつ……ッ」

 

 その言葉を聞いて、俺は本気でミンスに対して殺意が沸いた。

 しかしここで殺しては意味がない。俺1人ではこの2人をSAOの牢屋である《黒鉄宮》へ放り込むことはできないだろうし、少なくとも可能性は低い。

 では殺し合うとどうだろうか。

 ミンスだけなら殺せるかもしれない。だがそれでも、殺してしまっては意味がないのだ。憎しみで殺害したら俺は奴らと同じになってしまう。

 そうならない道を全力で実現するしかない。捕らえることだけならまた次の機会を待てばいい。

 ただし、少なくともタイゾウにその気はないのだろう。ごく自然なペースで会話を続けている。

 

「存在価値……ねぇ。確かにあんたはなげぇことラフコフに尽くしてきた。その成果は下っ端のおれじゃ到底、足下にも及ばない。……けどな……」

「……た、タイゾウ……お前はっ……」

「ラフコフにあんのは存在価値じゃねぇんだよ! あるのは利用価値(・・・・)だ! つまり、あんたはここで脱落さァ!!」

「くッ……!?」

 

 堂々と。

 タイゾウは先ほど開いたウィンドウを操作して、《クイックチェンジ》を行ってきた。阻害効果(デバフ)用のレイピアから攻撃重視のレイピアへ。デバフステータスを解毒結晶で無効化している俺との、戦闘準備を整えた。

 

「タイゾウやめろぉお!」

「手向けにゃコイツを贈ってやるよぉお!!」

「く、バッカ野郎がぁああああッ!!」

 

 応戦。

 そのために俺は愛刀を、《クライモア・ゴスペル》をミンスの体から引き抜いた。

 さらに、俺の武器は斬撃判定を受けて無情にもミンスの命を削り取る。

 

「死ねぇええっ!!」

「ガあぁああぁああああッ!!」

 

 もう誰の声かもわからないような叫びと、ギィイインッという金属音が鳴り響く。同時に聞こえる、真後ろからガラスの割れるような音。

 

「うああああぁぁああああぁあああッ!!」

 

 振り向くまでもない。

 これはミンスが……俺の古き戦友が、この世から姿を消した音だ。もう2度と会えないのだと、そう宣告された音だ。

 ミンスは嘘つきだったかもしれない。犯罪者で、悪人だったのかもしれない。ミンスは俺でなく、PoHと共に戦う道を選んだのかもしれない。

 だが戦友だった。こいつと共に過ごした10ヶ月は間違いなく存在し、俺はその間に助けられたこともあれば、学ばせてもらったこともたくさんあった。思い出を消すなんてできやしない。人間、この数分だけで簡単に割り切れるはずがないのだ。

 それをこいつのせいで、この男のせいで!

 

「殺す! ぶっ殺してやるッ!」

「やれんのかァ!? 口だけのお前に、それがァッ!!」

 

 叫びと同時にビュン!! と放たれたタイゾウの鋭い突きは、俺の『目』のほんのすぐ横すれすれを通って冷や汗を流させた。

 『眼球』も急所だ。失明こそなくとも、直撃すれば条件反射で一時的に戦闘不能に陥ることは避けられない。生理的に攻撃し辛いだろう箇所を、タイゾウは躊躇(ためら)い無く攻撃してきた。

 

「くっ、はぁッ、速ぇ!」

「ったりめぇだろ! おれが! どれだけ! 時間かけて対人戦を学んできたと思ってやがる!! 殺しもしてきた! もう、あん時みたいにゃ動揺しねぇぜェえっ!!」

「ぐっ……」

 

 猛烈なレイピアのラッシュに、俺はギリギリ躱すか受け止めるだけしかできないでいた。

 それほどまでに速すぎる。

 《閃光》の異名を持つアスナが、その単純なスピードだけでトップに立つのとはまた違った速さ。心理戦、精神攻撃を踏まえた上で最も敵の意表を突き、いかにして相手の行動を予測しながら回避先に攻撃するか。

 俺の得意なシステム外スキル《見切り》は通用しない。なぜなら、タイゾウの目線の先と攻撃ポイントが一致していないからだ。おそらく俺との戦闘を万が一に考え、事前にこうした特殊な戦法による対策手段を講じていたのだろう。

 当然、単純なAIで動いていない以上《ミスリード》も簡単には通用しない。さらに《先読み》に至ってはタイゾウに技術力で劣っている始末だ。先ほどから何度かフェイントの掛け合いで押されている。

 ともすれば、《閃光》のレイピア(さば)きより、さらに厄介な戦い方を確立していた。

 

「そぉらよォッ!!」

「ぐあっ、く……ッ」

 

 コバルトブルーに輝くタイゾウのレイピアによる《細剣》専用ソードスキル、上級高速五連撃《ニュートロン》が俺に鋭く牙をむく。技の出が最速とまで言われる短剣やレイピアの、さらに高位ソードスキルだ。

 それらの斬撃が容赦なく襲ってきた。

 俺は大剣の角度を微細にずらし、すれすれのところで凶器をいなす。

 アスナの剣戟のイメージが焼き付いていなければ、タイゾウの斬撃はこうも躱せなかっただろう。

 それを裏付けるように、いったん距離を置いて睽乖(けいかい)するとタイゾウは余裕を見せた。

 

「おいおいどォした? 殺すとか豪語したワリに、えらく消極的じゃねぇか! 平和主義はここでも健在ってかァ!? ハッ、くだらねぇ! そのご自慢の大剣でもっと攻めて来いやぁ!!」

「……ッ……言われなくても、殺してやるよ!!」

 

 防戦一方だった戦況を変えるべく、俺は誘いを承知で前に出た。

 武器出しによる初撃。

 無論一発KOで勝負が決まるとは思っていない。安定した攻撃だからこそ、相手は警戒しているからだ。

 よって、右脇からの一振りは完全に牽制目的だった。

 

「らァあああ!!」

「ノロすぎ、ガぁッ!?」

 

 わざと大降りで、かつあからさまに上段の横払い攻撃をしたのだ。レイピアで馬鹿正直にガードしないことは予測できていたし、しゃがんで回避することも読めていた。

 俺はあらん限りの体重と筋力値を乗せて《体術》スキルの補正がかかった重い蹴りを放ち、それをタイゾウの右頬に命中させた。

 上げまくった筋力値がそのまま衝撃と化したことで、アゴを抑える敵は一撃でフラついていた。

 

「っ痛ぅ……キくねぇ……!!」

「次は首でも切り落としてやるよ!!」

 

 ヒットアンドアウェイ。重量級装備なら基本中の基本である戦闘スタイル。

 推測するに、頭に血が上った俺が、定石を無視してインファントをしかけると思ったのだろう。それが予想外に冷静な判断を下した。

 この蹴りはタイゾウのうぬぼれがもたらした悪因悪果の一撃だ。

 だが「イキがってんなよ!」と、今度こそタイゾウは油断を引っ込めた。

 最短の構え、最速の突き、機械的な動き、殺戮者の殺気。それらを携えて己の半身を手足の延長のように自由自在に振るう。俺の体力ゲージは敵のそれを遥かに越える勢いで、目に見えて削られていった。

 

「ぐあっ、くっそが……ッ」

「へっ、こちとら全てが狂った日から! 仮想敵はお前だった! 正直、他の誰かに負けてもお前だけにゃ負ける気がしねぇ!!」

「そうかよ、光栄だ。ならもうちょい手ェ抜けや!!」

「ハッ、知るか! このまま死んでろっ!!」

 

 瞬間、目にも止まらぬ二連撃に対してろくな回避もできず、俺は強力なノックバックに怯んでしまった。

 さらに届かないと悟りつつも大剣を振り下ろそうとしたが、その手首にレイピアが一閃。大剣を振り切る前に、突き刺さったまま腕のコントロールを奪われてしまった。

 その後もレイピアを引き抜かれ、連続の追加攻撃。完全に敵のペースだ。相性が悪すぎて、これでは敵うはずもない。

 

「ぐっ……クソ!」

「シッ!!」

 

 ゴガンッ! と、鈍い打撃音が鳴る。

 顔面への肘打ちだ。その後の脚払い、剣での斬り払い、立ち位置を変えての突きの連撃。それらが全段とも命中し、まともな抵抗もできないまま俺の体力ゲージがとうとう危険域(レッド)に染まる。

 

「はな、れろ! ハァ……ハァ……くそ、ヒール!」

 

 ポーチから取り出した《回復結晶(ヒーリング・クリスタル)》がパアァンッと割れ、一時的に俺の命をつなぎ止めたが、このままでは何度やってもの同じだろう。

 都合よくあの感覚(・・・・)が連発しない限り、タイゾウに深い一撃を叩き込める見込みはない。

 だが、俺には現実的な策での勝算ができていた。

 

「ほらほら、次はねぇのか? それが本気だってんなら心底ガッカリだぜ!」

「吠えんな、来いよタイゾウ。ビビってねぇでさ」

「……おれがビビっているだと?」

 

 勝算を空論で終わらせないために、俺はあえてタイゾウを挑発した。

 この時間稼ぎもその一環だ。

 

「ヘッ、みくびんなよ。レイピアはホーフな手数がウリだけど、どうやっても一気に大ダメージを与えられないし、スキがあればこうして回復されちまう。対して大剣は一発に重みを置いた単発がセオリーだ……だから、怖いんだろう? 回復結晶を使う間もなく死ぬかもしれないってな!」

「……ふ……フックック! 笑わせる!! んじゃあ、おノゾミ通り速攻で殺してやるよォッ!!」

 

 俺は「釣れた」と確信する。それを証拠に警戒もせずに再び俺に攻撃をしてきたからだ。

 だが俺のこの動きだけは予測できなかったのだろう。俺が剣をどう構えるか。構えはフェイクか、フェイクでないなら牽制か必殺か。次の手は用意されているか、などなど。

 そんな細かいこと(・・・・・)を考えていたら俺の行動は予想できない。

 

「ハァっ!?」

 

 案の定、タイゾウは奇天烈な声を上げた。

 俺が《クレイモア・ゴスペル》を投げ飛ばしたからだ。

 タイゾウへ向けて、全力で。

 ウィンドウを開いて武器の高速切り替えをするのでもない。丸腰になることによって得られる新たな《体術》スキルがあるわけでもない。ただ単純に最高攻撃力を秘めた相棒を投げ飛ばした。

 もちろん、当たるはずがない。

 しかし誰も信じずに1人で戦ってきた人間にはわかるまい。信じ合って戦える人達の阿吽の呼吸など。

 

「ハッハァ! はっずれぇ~、そんなに死にたきゃ瞬殺してやるよォ!!」

 

 特攻を一旦止め、改めて俺の手前で構え直すタイゾウ。

 剣の発光色は黄色。《短槍》カテゴリにも似た技がある一極集中型上級連撃技。《細剣》専用ソードスキル、刺突強撃七連撃《アベラット・バニッシュ》だ。

 

「ちぇええぇええぁあアああッ!!」

「ぐうぅっ……ッ」

 

 奇声をまき散らすタイゾウはその声からは想像もつかない、殺戮マシーンのような完璧な《アベラット・バニッシュ》を決めた。

 全段がクリティカルで命中。俺の体力ゲージは満タン状態から一気にイエローへ。さらに、バーの先端はレッドゾーン直前へ。疑問を浮かべていたタイゾウの表情は、勝利を間近に控えたギャンブラーのそれへと変わる。

 しかし……、

 

「あン? ……お、おいお前、何を……ッ!?」

「ソードスキルには硬直が課せられる。……よく知ってるだろう」

 

 負けてなどいない。俺は速すぎて捕らえられなかったレイピアの動きをきっちりと捕らえていた。腹を貫通したレイピアは技後硬直(ポストモーション)による一時停止を余儀なくされ、俺はそれを利用したのだ。

 貫通された腹の前後から、レイピアの剣身を両手でしっかりと握っていた。タイゾウはここに来て初めて俺の作戦に気づいたようだ。

 そこへ、ソードスキル発動のサウンドが響く。

 

「ありがとう。ジェイド」

 

 そしてタイゾウの真後ろから聞こえる女性の声。彼の顔はその声を聞いて戦慄に震えた。

 

「セアァアアアア!!」

「ぐ、がああァあああああああッ!?」

 

 ズガアアァアアアッ!! と。

 直後に爆音と共にタイゾウを襲ったのは《片手武器》系専用ソードスキル、上位乱撃九連撃《アブソリュート・グラビトン》。フォレストグリーンに輝く剣の軌跡が雑然とした森林をイメージさせる、現時点で最高レベルの片手武器用ソードスキルだ。

 それらが1つも外れることなく、防御体勢すらとれていなかったタイゾウの背中に命中した。

 

「あんたの負けだよ、タイゾウ……」

 

 俺の狙いはこれだ。初めから1人で勝とうとはしていなかった。

 ヒスイをきちんと見ていたからこそ、俺は彼女と一緒に戦う道を選んだ。そして勝算を前に俺は……ミンスを実質的に殺した張本人であるタイゾウを、本気で殺しにいこうとはしなかった。

 

「ぐあっ、カ……くそ、回復してたのか……しかも不意打ちかよッ!」

 

 タイゾウは自分のしたことを棚にあげて悪態をつくが、俺に刺さっていたレイピアを手放して転がるようにして距離を空けてしまったのだ。

 奴にはもう、武器も対抗手段もない。

 

「ぐっ……」

 

 俺は自分の腹からレイピアをズブリと抜き取る。これでタイゾウは、ウィンドウを開いて新たな武器を用意するしかなくなったわけだ。無論、そんな隙を与えるつもりはないが。

 俺は《細剣》をスキルに選択していないので、レイピアを手にとっても初級技である《リニアー》すら発動できない。だが、それを差し引いても素手で今の俺とヒスイを下すことはできない。

 ヒスイも愛用している鋭利な直剣《ファン・ピアソーレ》を装備しているし、強引に外された防具の《クイックチェンジ》も済ませてある。

 あらゆる面から考えて、タイゾウに勝ち目は残されていなかった。

 

「ちっくしょう……は、はは……ハハハハッ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!! まぁたコレだよ! いっつもいっつもジャマばかりして!! 何なんだよおめぇらは! そんなにおれを不幸にして楽しいか!? あァッ!?」

「さっきまで幸福だったってんなら、考え方を変えるんだな。そんなんだから……」

「ヒャハァああッ!!」

「き、きゃああっ!?」

「ヒスイ!?」

 

 俺が会話の中で一瞬だけ見せた隙をついて、腰に差してあった投擲用ナイフを抜刀しながら、今度は狙いをヒスイに変えた。

 プロ顔負けの身のこなしで瞬時に彼女の後ろを取ると、左手で肘あたりをがっちりと握って剣を振れないようにしていた。さらにタイゾウは右手のナイフを首もとへ。

 

「まだやんのかよ、こいつ……」

「負けるわけにゃいかねぇんだよ! この日のためにどんだけラフコフに費やしてきたと思ってる!? 人生全部だッ!! おれはこんなとこじゃ終われ、ね……あン……?」

 

 しかし、勝敗はすでに決していた。

 

「こ、この女……ッ!?」

「あなたのビルドは、あの時から変わっている。……あたしが女だろうと、もう負けやしないわ!」

「くそ、俺より筋力値がッ!?」

 

 そう。スピードを手に入れた今のタイゾウは、その代償としてヒスイを拘束するだけのパワーを失っていた。麻痺に侵されていないヒスイを力で押さえつけることは、ステータス的にも不可能だ。

 ヒスイは少しずつ拘束から抜け出していった。俺に向かって「8層の時のようにはいかない」とタイゾウは言ったが、とんだ皮肉があったものだ。

 

「投降しなさい。あなたに勝ち目は……」

「死ねぇええぇえああァアあああああ!!」

「ッ……!!」

 

 最後のチャンスだった。タイゾウが生き残れる道の最後の提示。彼は、自分が生き残るラストチャンスを自ら投げ捨てたのだ。

 その結果、ヒスイの右手のシールドがタイゾウのナイフを確実に防ぎ、俺の……いや、タイゾウ自身のレイピアがその持ち主を貫く。

 皮肉の縮図。

 心臓への衝撃を理解できないまま、タイゾウはゆっくりと視線を下ろし、肉体を貫通する金属に触れた。

 停止した世界でグリップを軽くひねると、それだけで人型のオブジェはガラスのように割れる。ミンスもタイゾウも、ともすれば自滅に近い運命を辿ってその命を発光物に変えたのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 最後に少しだけ見せた、悲しそうなタイゾウの顔だけが、いつまでも脳裏に焼き付いた。

 ミンスやタイゾウのように消え去る瞬間、捨てセリフや悔恨の叫び、また遺言などの意思表示を残さないプレイヤーは珍しい。もしかすると、彼らはどこか死に場所を求めて今日の作戦を実行に移していたのかもしれない。少なくとも外道に手を染めた瞬間から、死ぬ覚悟は持っていたのだろう。

 それも、今となっては確かめようのないことだが。

 

「終わった、ね……やっと終わった」

「ああ……何もかも……」

 

 タイゾウの形見をその場に捨てる。

 もう2度と誰にも触られることはないだろう、一級品のレイピアを。

 

「ジェ……イド。……ジェイド! ジェイドぉ!!」

「ヒスイ……っ」

 

 ヒスイを襲った暴力と恐怖が取り除かれ、張りつめていた我慢が一気に解けたのだろう。俺に抱きついて肩を震わせながら嗚咽(おえつ)を漏らすヒスイは、誰かが抱きしめていないと消えて無くなりそうなほど(はかな)かった。

 普段気丈に振る舞っていても所詮はまだ高校生。強制的に与えられた屈辱と刺激は、彼女の体を(むしば)むには過ぎた大きさだったのだ。

 

「ヒック……グス……こわ、かった……」

「ごめんな……俺が情けないから。守るって言ったのに……絶対守るって言ったのに。……本当に情けねぇ。ミンスやタイゾウだって、結局は……」

「ぅ……ぅん。守ってくれたよ……救ってくれた。……約束、守ってくれたよ……」

「…………」

 

 俺とヒスイはしばらく抱き合ったままだった。だが、いつまでもこうしてはいられない。

 

「悪いヒスイ。たぶん、まだ終わりじゃない」

 

 俺は彼女が泣き止んで落ち着き始めたのを見計らってから、改めて右手を振ってウィンドウを立ち上げた。

 そして今1度、個人用の《共通アイテムウィンドウ》のタブを押す。同じ層の迷宮区以外の場所にいれば、大半のアイテムをストレージ内で共有できる。

 共有対象者の名はアリーシャ。

 今日1日、決して少なくない時間を過ごした1人の女性。

 

「ジェイド……?」

「ごめん……でもアリーシャがっ、ラフコフだって。……そんなことはないはずなのに。でも《共通アイテムウィンドウ》は機能してない……」

「それ、あたしにも見られるようにできる……?」

「……ああ……」

 

 ヒスイにも見えるよう、メインメニューから《可視化》ボタンを押す。彼女には悪いと思うが、俺はどうしても真偽を確かめたかったのだ。

 アリーシャはどこで何をしているのか。少なくとも、このストレージ窓を覗いただけで何もかもを決めつけたくはない。

 

「ねぇジェイド、これ。録音済みのレコーディングクリスタルじゃない? 何かメッセージのやり取りをしていたの?」

「いや、作っただけで俺は使ってない。俺と別れてから、あいつがここに置いたってことになるな」

「……聞いてみても、いいかしら……」

「そうだな。何かわかるかもしれない」

 

 俺は《録音結晶》をオブジェクト化して、その塊に人差し指で軽く触れた。

 結晶が発光し、きちんと機能していることを教えてくれる。そして聞こえてくるのはつい数時間前にも聞いた彼女の声だった。

 普段の甘ったるい声ではなかったが、聞き間違えるはずもない。

 

『改めて話すとなるとちょっと緊張するわね。アリーシャよ。……あ、名乗らなくてもいいんだっけ、アハハ。……それで、ね。いきなりで申し訳ないんだけど、大事な話をするわ。まずアタシの正体。……アタシね、ラフィンコフィンの正規メンバーなの。あの犯罪者、PoHの手先……驚くかもしれないけど、これは本当のことよ。今日打ち明けた理由ははっきりしてる。……あなたといて、いっぱい話して、本当の気持ちがわかったから。……いるべき場所はここじゃないって。……もちろん、アタシはこれまでに酷いことやズルいことを……数えきれないぐらい、沢山してきた。でもだからこそ、アタシは《軍》の元で更正して、改めてまっとうな人生を送ろうって考えてるの。ジェイドが変えてくれたのよ? PoHと同じように、あなたはもう1度変えてくれた。今日は本当に楽しくて嬉しかった。……だから、ね。アタシ決めたの。ラフコフをここで終わらせるわ。スパイとして生きてきたアタシの最後の証明。それを信じてほしい。……無理な相談しちゃってるよね。でも信じてくれると信じてる。あと、ここからもすごく大事なことなんだけど、焦らずに聞いて。今レジストクレストのメンバーがPoHに狙われているわ。一応、彼らには対抗策を教えてある。きっとPoH達には負けないと思う。……そして、ラフコフは逃走の際の転移先も特定した。……逃げる街はあの《カーデット》よ。……1番最初の圏外村、そこでアタシもPoH捕獲に協力するわ。少なくとも23時過ぎには転移してくるはずだから、そこで待ち伏せていてちょうだい。こっちが早く移動したらその時間を稼ぐわ。ジェイドが来てくれるなら、レジクレに転移先をいつでも知らせられるようにしておいて。アタシが不意をついて乱戦に持ち込んだら、そのまま全員でPoHを捕らえましょう。……言いたかったことはこれだけよ。……でも最後に、叶わないことだっていうのはわかってるけど、あなたに伝えたいことが……あ、の……いいえ、なんでもないわ。こういうことは直接言うべきよね。……じゃあ待ってるわ、さようなら』

 

 メッセージにはこれだけが入力されていた。声だけで、肝心な表情などは何もない。だが、文面だけをなぞっても決して感じることのできない感情に触れた気がした。

 

「罠……だと思う……」

 

 このメッセージを聞いた上で、ヒスイは震える声でそう提言した。

 しかし、気持ちを察することぐらいはできる。なにせつい先ほどラフコフの罠にかかって死にかけていたのだ。慎重な意見が出てもそれはごく自然なことだろう。

 それでも俺は……、

 

「でも……俺はカーデットに行きたい。アリーシャがどう思っていたのか、今も生きているのか……全部確かめたいんだ」

「ジェイドは……アリーシャさんを悪い人だと思ってる?」

「いいや、そうは思えない」

 

 強く、はっきりと。俺は何かを悟ったかのごとく語気を強めてそう言い放った。

 

「罠の可能性は……高いと思う……?」

「思う……でも、それは脅されているからだとも思ってる。そりゃアリーシャを信じてるつもりだけど、PoHは用心深い。あいつが裏切ったとしても、すぐに気づいて裏を突けるぐらいの奴だ。警戒心は持ってないとな」

 

 それだけを言うとヒスイも安心したように、それでいて新たな決意の炎を灯して俺にこう切り出した。

 

「よかった、盲目になっているわけじゃなかったのね。ならジェイドが信じた人を、あたしも信じるわ。一緒に行きましょう」

「ッ!? だ、ダメだ! ヒスイはここに残って」

「ジェイド! ……何度も言わせないで。あたしだって見てるだけはイヤ。さっきあなたが信じてくれたように、あたしも信じてるから止めないのよ? ……それに、手口もいい加減読めたわ。今度は油断もしない。あたし達で確かめに行きましょう」

「……そう、だな。……わかった。ヒスイも一緒に」

 

 漆黒の大地に立つ俺とヒスイ。黙ったままだったが、ほぼ同時に《転移結晶》を取り出した。互いに信じ合ったからこそ、俺達は次のステージへ向けてさらなる歩を共に紡ぎ出す。

 

「「転移、カーデット!」」

 

 こうして、全てが判明する場所へと。

 

 

 



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アグレッシブロード4 終着点

 西暦2023年11月18日、浮遊城第35層(最前線47層)。

 

 《迷いの森》。このフィールドは一定時間ごとに各ステージ間の繋がりが変化する特殊フィールドである。専用の更新型マップを主街区で購入しなければ、あっという間に路頭に迷うだろう。

 別にここら一帯だけが珍しいわけではない。入り組んだ迷宮区など、事前に情報を集めなければ脱出することすらできないエリアなどはザラで、攻略組だけではなく中層や下層ゾーンのプレイヤーも同じだ。

 では、満足な情報も持たずに英雄よろしくダンジョンへ向かうとどうなるか。

 少なくとも死亡率は跳ね上がるだろう。これは準備不足というコトにされる(・・・・・・)中堅ギルドの話。それ以外はもみ消される、そういった類いの小さな話だ。

 

「よりによって……あのラフコフかよちくしょう! おい新人! お前まさか、ここに手引きしたのか!?」

「ち、違うよ! ボクはそんなことしてない! 《吟遊詩人》がここなら安全って……そのためのマップもあの人がくれて……」

「ヒャハハハッ、まァそう言うこった! 別にそのガキは悪くねェよ。釣り餌にかかったお魚ちゃん!!」

 

 わずか6人のギルドを前に、片手でナイフをもてあそびながら答えてやる。

 俺の挑発で苦い顔をするギルドマスターと思しき少年。まだ高校にも上がっていないような容貌を持つ『新人』とやらが、その純粋な信頼を利用されたのだと気づいたのだろう。

 

「く……わかったよ新人、お前は悪くない。だから泣いたりはするなよ」

「う、うん……泣かない……ごめん……ごめんなさい……」

 

 言いつつもやはり涙声になっている。助からないかもしれないと、そして原因は自分にあったと、どこかで理解したのだろう。

 日も沈んで狩りを終えたこいつらは、油断しきっていたところを俺達に狙われたのだ。ここにいるのは俺とザザ、そして『殺し』を実際に見せることで慣れさせようとわざわざ連れてきた、ラフコフの新メンバーが2人。

 しかし、相手側6人は諦めたような顔はしていなかった。

 人数差ということもあるだろう。曲がりなりにも相手側は俺達に対して2人分のアドバンテージがある。誰かがここを切り抜け、助けを呼ぼうと企んでいるのかもしれない。もっとも、それが成功するはずもないのだが。

 そうとも知らないリーダー格の男は、囲まれてなお毅然(きぜん)と言い放つ。

 

「ウワサ通りだな。軽蔑するよ」

「あァ……?」

「アインクラッドで人を殺したら現実でも死ぬ。……さんざん言われているのに、なんでこんなことをする!! 異常だよアンタら!!」

「言葉に気をつけなクソガキ。ナメてっとぽっくり殺しちまうかもしれ……」

「う、うわあぁあああああッ!! 俺は死にたくないっ、死にたくないんだ!!」

「バカ! 1人で逃げようとするな!!」

 

 少年隊長は、1人だけ助かろうと会話の途中で大声を出して逃げようとしたギルドメンバーを(とが)めた。

 しかしもう遅い。俺は下級モンスター、もしくはレベル差のあるプレイヤーを一時的に行動不能(スタン)状態にさせる安物の毒ナイフをその背中に投げ、吸い込まれるように中央に命中させた。そして転がるように倒れ込んだその男の首は、ザザの一閃によって綺麗に切断。あっさりと消滅してしまった。

 ほんの2、3秒。俺達ほどのレベル差があればこれぐらいは造作もない。

 

「ラルフ! ラルフぅッ!! し、信じられねぇ……やりやがったなクソ野郎!! ほんとに殺しやがった!!」

「おおっと、ここにいる奴はみんな強ぇぜェ!? お前らが束になっても、1人も殺せねーぐらいにはな」

「ぐ……ぐぅうッ……くっ……」

 

 武器は構えていても、それを使うことは許されない。

 仕返したいのだろう。だがギルドのリーダーが、自分を慕うそのメンバーに対して「ラフコフに攻撃しろ」とは言えまい。それは自害に等しい特攻だからだ。

 たかだか投擲用のナイフを、しかもソードスキルではないものを受け、弱点部位とは言えその後たったの一撃で仲間が死んだ。どんな間抜けでも、どう転んでも、俺達に歯が立たないと考えるのが普通だ。リーダー風の男はそれに気づいているのだろう。

 もっとも、新人2人のレベルはそこまで高くない。やろうと思えば、1人ぐらいは十分に脱出可能だ。『4人を捨てる』覚悟があれば。

 だが相手はそれを見破る術がない。プレイヤーに与えられた権限では、初見の相手を視認するだけではレベルやステータスは確認できないからだ。

 それに、1度植え付けられた先入観はそうそう簡単に剥がれるものではない。逃げ出す奴はもう出ないだろう。

 

「さァて、落ち着いてきたところで、どうやって調理するかだ。ナイフ当てゲームだと俺がいつも勝っちまってつまんねェし、なんか他のがいいなァ」

 

 四方を4人で覆っているため、どこの誰かも知らないようなこのギルド――俺はターゲットとなった者の名を覚える気がない――は迂闊(うかつ)には動けない。

 そして俺が新しく面白そうな殺害方法を考えていると、視界の奥からヘッドが近づいてくるのが見えた。

 

「Hey、存分に楽しんでいるようだな。俺も混ざりてぇところだが、例の『アル』という男が送られてきた。アリーシャがうまくやったようだ。これが終わったら今度こそレジクレを叩く。準備しておけ」

「了解だ。あいつらは、攻略組。ここの奴らより、腕がなる」

「うっヒョォオオ! ヘッド、レジクレつったらあん時の奴らじゃねぇすか! こりゃ楽しみだなァ!」

 

 捕らえていた6人……いや、今では1人減って5人となったギルドとラフコフの新人2人は話についてこられていなかったが、ザザは次の対象が攻略組であることを知っている。

 おまけに俺とヘッドに至っては、『因縁深い』と言っても過言ではない連中だ。終止符を打つチャンスとなるとヤル気も上がる。

 さらにヘッドの後ろから、彼に追従していた部下の1人が人力馬車を傾けた。転がり落ちてくるのは、全身を縛られた哀れな男。レジクレの1人が1層の《はじまりの街》に置いてきた知人、『アル』というプレイヤーだろう。《圏内》に籠られては手の出しようもなかったが、こうなるとただの芋虫である。

 あとは単純だ。こいつを人質に揺さぶるか、あるいは殺して逆上したレジクレをラフコフが全滅させる。

 奴らは罠と知りつつ、仲間のために少人数で来るだろう。

 今度こそ殺しきる。ラフコフを大量に集めて準備を整え、敷地内へ(あぶ)り出したあとは集団リンチ。

 

「っと、その前にこいつら殺っとかねェとな。ん~……あ、ヘッド。俺が殺し方決めちゃっていいっすかね?」

「Have if your way。好きなようにしろ」

「ヘッヘッヘ……」

 

 許可も降りたので、俺のやりたいようにやらせてもらうとしよう。どのみちこいつらは逃げようとした時点で俺達に殺される運命にある。死に様の選択肢は与えるが、生存の道はない。

 

「さァてお前さん達、生殺与奪の権利は俺が握っちまったわけだが……ここは1つ、穏便に生き残る(・・・・)チャンスってやつを与えようじゃねぇか」

「……条件はなんだ……」

「ヒヒッ、生意気な小僧だ。……まァいい。それより勘違いしてほしくないのは、俺達はなにも放浪の通り魔ってワケじゃあねェのさ。無益な殺生は好まないンだよ」

「殺意のわく冗談だな。ラルフを殺したことは、いつか絶対に後悔させるぞ……っ!!」

「クックッ……食い気味だねェ。まァいいさ。問題は、俺達が愉しめるか否か。お前らが死のうが生きようが、実際のところはわりとどうでもいい。俺達がこの退屈な日々を凌ぐことの方が大事なんだよ」

「…………」

「よってユーモラスなことしてくれりゃ、てめェらを大人しくここから逃がす準備がある。……おいおい信じろよ。その分こっちの笑いの沸点は高いんだからよォ、ヒヒヒッ」

 

 笑いながら言ったせいか、半信半疑な目を向けながらも、リーダー以外のメンバーには明らかに希望の目が垣間みえた。

 殺されない可能性。生き残る可能性。「犯罪者の欲を満たせばいい」と、道が残されていたという可能性。僅かながらに沸いた抵抗の意思は、これまでの脱力しきった彼らからもエネルギーが感じられるほどだった。

 しかし、ここでまたしてもヘッドによって止められてしまう。

 

「待てジョニー、お前のショウを見たいのは山々だが仕事が入った」

「えぇえええっ!? ヘッドぉ、そりゃ生殺しってやつですよォ……」

「興が冷めるようなことは言わんさ。俺は席を外すが、勝手に進めればいい」

 

 俺は半ばマジでもどかしく思ったが、ヘッドの都合では仕方がない。

 部下2人も含め6人を見張るよう命令すると、俺は改めてヘッドに質問する。

 

「何があったんです? ヘッドは多忙過ぎてスケジュール覚えてらんないンすよ」

「アリーシャの調査が終わった。……というより、奴からまんまと動いたわけだ。……結果は黒。面倒事引き起こされる前に俺が直接叩きに行く」

「ハッ、アリーシャかァ……あの女やっぱダメでしたねェ。了解っす。今日から『4大幹部』になるともついでに」

「ああそうだな、これは俺のミスだ。俺が片づける」

 

 それだけを言い残してヘッドは《レイヤー・ポータル》の方へ歩いていった。

 ここが一般人にマークされている可能性は基本的には低い。オレンジでなければ手間のかかるポータルを利用せずに、《主街区》にある《転移門》を使用するからだ。ギャラが発生するわけもなく、ゆえに常に見張りを置く道理はない。

 そしてだからこそ、俺達オレンジギルドは毎度の如く《レイヤー・ポータル》を利用できてしまう。

 

「アリーシャも、終わりか。俺は会った時から、あいつを気にくわないと、思っていた」

「なんだァ? ザザも同じか。使い勝手の良い容姿だったんで面倒見てやったが、さすがのヘッドもお怒りだ。仕事に身が入らないは、ミスを連発するは、ってな。俺もいつかはこうなると思っていたぜ?」

 

 まあ、起きた事実を予期していたなんて、今さら言っても滑稽なだけ。

 そんなことより、せっかく好きにしていい奴隷が5人もいるのだ。彼らの無様な姿をせめて数分間楽しむとしよう。

 

「まァいい……エサの皆さん、そろそろショータイムといこうか! お前らが生き残る方法についてだが……ヒヒッ、おいイブリ。周りにプレイヤーは来てないだろうな」

「大丈夫っす。ここ、過疎地っすから」

「ゲームの準備はもうたくさんだ。いい加減俺たちを返してくれ!」

「そう焦るなよ。クックッ……お前らの内、1人が生き残る愉快なゲームの始まりだ」

 

 俺はこみあげてくる笑いを懸命にこらえながら、またガタガタと震え出す貧弱な人間を前に演説者の気分を味わった。

 

「どういう、ことだ……?」

「ヒヒ、ヒヒヒヒッ。ルールは簡単。俺達は一切手を出さない。けど……そう、たった1人だけ。幸運な奴がここから生きて帰れる」

「なッ……まさか……ッ!?」

「そう、おめぇらで殺し合う(・・・・)んだよ。最後に生き残ったプレイヤーを1人、ここから解放して逃がしてやる。おっと、このフロアから移動しようなんて思うなよ。1人でもそんな奴が出たら全員殺す! 『ラルフ』クンみたいになァ!!」

「ぐっ……!?」

 

 ギルドメンバーが1人残らず手に握る剣に力を込める。唯一の生命線、その(かなめ)である攻撃手段を。

 ふと、小さな警戒心が生まれるのを感じた。

 俺達だけに向いていた先ほどまでのそれとは根本から異なる、明らかに感情的で、同時に消極的な戦意。身内から裏切り者が現れやしないかという、どす黒い全方位への警戒心。そう、本能が悟る原始的な野生の目。

 

「くっくく……ヒャハハハハハハァ! いいねェ! 我ながらサイッコーなアイデアだ! 名付けて《殺し合って、生き残った奴だけ助けてやるぜ》ゲぇム!! 最後まで仲間を信じた奴が死ぬ! 最初に仲間を裏切った奴が生き残る! さァどうした! 切符は1人分しかねぇんだぜェッ!? 先出しで裏切った奴が生き残り確定だァ!!」

「だ、だめだ! 耳を貸すな! 俺らが信じ合わきゃ……」

「わあアあああああああッ! やだぁあ!! ボクは生きたい! 死にたくないぃッ!!」

「バっカ、この新人がッ……っ!?」

 

 ミンスに騙されたガキがとうとう緊張に耐えられなくなったのか、大声を出しながら両手で片手剣を振り回した。その結果、リーダー風の男を含む密集していた3人のプレイヤーに斬撃が決まり、そのガキはオレンジカーソルとなる。

 そこからは芋蔓式(いもづるしき)。雪崩のような感情の波が辺り一面を支配し、『生き残りたい』という、ただそれだけの生存本能に任せてメンバー全員が喰らい合った。

 獣のように。あるいはモンスターのように。

 ともすれば、森林フィールドで叫びながら互いに殺し合うその姿は、紛れもないモンスターだったのかもしれない。

 それを俺は特等席で眺めた。醜い顔で、それでいて無様にも生きるイス(・・・・・)を取り合う姿を。

 そして最初に、1番初めに騒ぎ出したガキが涙を流しながら消えていった。ダメージを受けた3人が真っ先に標的にしたのだから当たり前だ。そもそも『乱戦』の時点で先制攻撃もへったくれもない。最後に立っている人間は単に『運がいい』奴だけである。

 先に死んだガキは、殺し合いのトリガーを引いただけ。もう止めることのできない、最悪の結末への転落劇を始めただけだ。

 

「何でこうなる! なンでこォなるんだ!!」

「もう死ねよ! どう考えてもお前のせいだろ、リーダーなら責任取れよなァッ!!」

「俺は死なない! 生きて家族に会う! 早く死ねぇ!!」

 

 狂人達の一振り(ストローク)。俺やザザにも似た狂気的な一撃を、あろうことか苦楽を共にした仲間たちに向けて放ち合う。

 憤懣(ふんまん)やる方ない暴力によって惨殺されるプレイヤー。生き残りを賭けた殺し合いが始まった以上、無駄に誠実であり続けよう奴は先に死ぬ。浮遊城(ここ)が弱肉強食のサバイバルゲームになってからは、汚い奴が得をしてまじめな奴が損を見る。全てのプレイヤーに当てはまる不変の定理だ。

 現に多くのβテスターはこのような事態を避けるため、開始直後から重石を捨ててスタートダッシュをかけた。

 死を前に人の本質まで変えることはできない。そうして出された答えがこの現状であり、いつまでたっても一致団結しないプレイヤーのエゴだ。

 

「ハァ……ハァ……クソッ……なんで……なんで、俺らがこんなことを……」

 

 3分と経たずに争いは収束した。最後の数十秒で連続して光の雨が降った刹那の芸術には、ここしばらく味わってこなかった高揚感で満たしてくれた。

 満月の下、立っているのはただ1人。藍色を基調にしたタロンを纏う上半身と焦げ茶色のレザーを履いた、殺害ターゲットギルドのリーダー。散々俺を罵倒し強気だった物言いを繰り返していたが、今では死人のような目で己の武器を見つめる1人の男。

 だが俺からすれば、荒涼とした背景を前になかなか様になっている姿だと言えよう。

 

「ケッ、おいおい1番死んでほしかったリーダーさんが生き残っちまったか。んでも、気分どうよ? 仲間を片っ端から殺して自分だけ助かる気分はよォ、……クヒ……ヒヒヒ、ヒャッハハハハハハ! ヒャハハハハハッ! こりゃあ最高だぜェ!!」

「ふっ……グ……ッぇ……さねぇ……許さねぇッ!!」

「ならどォするよ、攻撃するか? てめェら全員で勝てないから反撃するのをやめたってのにかァ? あ〜あ、死んだ仲間が悲しむぞォ?」

「うあぁああッ!!」

 

 今度こそ斬りかかってきた。

 もちろん、掠ることすらない。俺はほんの少しだけ身を捻り、振り下ろされた斧を難なく回避した。

 しかも男は自身のスピードをコントロールしきれず、勢い余って転び泥だらけの地面に顔を埋めている。滑稽(こっけい)もここまで来るとアートである。

 

「《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルで半分ぐらいは回復しちまっていまいち味に欠けるが、まァいい眺めだ。合格としよう。てめぇは逃げてもいいぜ」

「……いつか、お前らを絶対に殺す……」

 

 ゆっくりと起き上がり、背中越しに殺害予告を下すその男はストレージから《転移結晶》を取り出した。

 まるで、ここから逃げられる(・・・・・)のだと思っているかのように。

 

「転移、ミーシェ……ッがァあ!?」

 

 発音した直後、男の右腕はクリスタルを持ったままその半ばから綺麗に分離した。

 ボトリと落ちた生々しい片腕の断片は、ほんの2秒ほど形を保っていたがすぐに砕けた。

 同時にテレポート機能が中断され、男を囲い始めた青白いライトエフェクトもあっさりと霧散(むさん)する。

 

「おっ、テレポートクリスタルゲットぉ〜」

「ぐぁっ……なッ、何を!? 俺をここから逃がすんじゃないのか!?」

「ヒ……ヒヒヒッ、イーヒッヒッヒッ! バぁカかお前は! 逃がしてあげるゥ? んなわけねェだろ! 狩り場の位置が割れちまう上に、詩人の旦那のこともバレちまうしなァ! クックック、さァ死ぬ覚悟はできてるかよォ!!」

「がぁああああッ!?」

 

 今度は左足の付け根から部位欠損(レギオンディレクト)が発生。回復しつつあったバーの先端も左のギリギリにまで迫っていた。投擲用ダガーが掠っただけでも、この男には死が訪れるだろう。

 

「カヒっ、フッ……う、ウソだ……こんなっ、あってたまるか……こんな、酷い……こんな結末が……」

「いいねいぃねェその顔! さっきより断然いい顔してるぜ! じゃ、あの世で仲間によろしくなァ!!」

 

 ザクン、と。男の生首が宙に浮く。その双眸(そうぼう)からはあまりの理不尽さゆえか涙が溢れ、眉間にはしわが寄り、悪罵を発しかけたのか口は空きっぱなしだった。

 醜悪な顔。そうとしか表現できない男の顔がごろごろと転がり、こちらを向いたままとうとう光跡の欠片となって飛散する。

 

「う……わ……」

「ヤバいっすね、ジョニーさん……」

「しゅ~りょお! っと、おい新人はともかく! なんでザザまでしかめっ面してんだよ。文句あんのか?」

「いや、ない。俺もそれなりに、楽しめた。だが妙だ。PoHはなぜ、帰ってこない」

「ん、まァそーだな」

「それにこれから、レジクレを叩くはずだ。援軍が来ない。攻略組3人を相手に、この人数ではないのだろう」

 

 なるほど。ザザはこいつらより強者との戦いを望んでいたのだ。

 100%勝てるなぶり殺しもいいが、確かに言われてみれば物足りなさを感じる。それに俺はゲームに夢中だったが、楽しい時こそ時間とは早く進むとはよく言ったものだ。気づけばヘッドがここを出てから相当たっていた。

 

「そういやメンツそろわねーな。来ねぇとレジクレを誘き出せねぇっつーのに、何モタツいてんだ部下どもは……あン?」

 

 殺戮ゲームを実際に目の当たりにして、震えながら涙を両目に溜め込んだ『アル』という人物を眺めながら愚痴っていると、視界の端でメッセージアイコンが点灯した。

 若干ばかり(いぶか)しみながら開くと、どうやら件のヘッドからだ。

 

「ザザんとこにも来たか? レイヤー・ポータル使ってここにくりゃ早ぇのにトラブルか……って、はぁッ!?」

 

 ヘッドから俺、そしておそらくザザにも送られてきただろうメッセージは、1度読んだだけでは信じ難い内容だった。

 ザザの顔にも困惑の色が見て取れる。

 

「(作戦内容が割れている。ポータルは《軍》に占拠されていて35層に援軍は送れない……)……ってなンだそりゃあ!? 冗談じゃねぇ、いくらなんでもこのままじゃ泥沼合戦だぜ。どォするよザザ?」

「どうするもこうするも、ないだろう。人質を殺したら、さっさと移動だ」

「……だよな。ちぇっ、刺して殺してハイおしまいかよ。つまんねェの……」

 

 俺が先ほどのプレイヤーを殺した武器を構え直すと、猿轡(さるぐつわ)に似せた布を噛まされた『アル』はあまりの恐怖でくぐもった呻き声を洩らした。

 だがそこで、俺の鼓膜は奇妙な音を拾った。ドドドッ、ドドドッ、とリズミカルに刻まれる一定の波は、徐々にその音量を増す。果ては地面を通して振動まで伝わってきた。

 まさかこれは……、

 

借用馬(しゃくようば)か。やられたな」

「はァ……? え、いやどォなってんだこりゃあ!?」

 

 本来はあり得ないことだった。

 誰にも知られていない狩場での奇襲。目撃されたとしても、俺達と戦闘するために手配されたにしては到着が早すぎる。先手を打たれたことに感づいた部下2人も、現行犯逮捕される直前の犯罪者のような狼狽(うろた)え方をしていた。

 それにしても、手際がいいなんてものではない。まるでしばらく前からこの位置が割れていたかのような……、

 

「おいおい、マジかよ……」

「やっと見つけた。……見つけたぞ、このレッドギルドめ」

 

 近づいてきた馬は3頭。そして例外なくその背中には完全武装したプレイヤーが2人ずつ、高い目線から俺達4人を見下ろしていた。

 6人の内3人には見覚えがある。そもそも俺達が呼び出そうとしていたギルド、《レジスト・クレスト》の正規メンバーだ。確か名は右から順にロムライル、ジェミル、ルガトリオ。そいつらが主に馬のコントロールを担っている。

 

「(なぜ裏をかかれた。どこにも落ち度はなかったはず……)……まァいいか。おいレジクレのリーダー、お前ロムライルだよな? あんま調子に乗ってどや顔すんのやめてくんねぇかなァ? イラつくんだよそういうの。こっちには人質がいるってことを忘れてもらっちゃ困るぜ? 手ェ出して見ろよ、そん時がこの『アル』の最後だ」

「やれるもんならやってみろ」

「……あァ?」

 

 当然、下手に出て人質解放のために条件を出せだの何だの言ってくるかと思ったが、予想に反して強気な返しをしてきた。

 これは予期せぬ誤算である。

 

「よっこらせっと。……さて、ここに6人の前線プレイヤーがいる。対するあんた方は4人。しかも2人は大したレベルじゃないこともすでに判明している。まともにやり合ったら、こちらに勝算がある。しかしオレ達レジクレの目的は人質の……つまりアルの解放だ。よって、意味のない争いはしたくない」

 

 俺達4人とほんの10メートルほどの距離を置いて、レジクレと《軍》の混成部隊は馬から降りて地に足をつけた。漏洩(ろうえい)ルートまでは不明だが、どうやら現時点でのまともな戦闘員が、俺とザザしかいないことまで割れているようだ。

 バイザー付きの防具で顔が隠されているが、そのままロムライルと思しきガタイのいい長身の男が続ける。

 

「アルの解放は条件につくが……」

「つーかよ、ちょいと待てや。てめぇらはなぜここへ来られた? 場所も、時間も、何もかもドンピシャすぎんだろ、えェ?」

「……情報提供者は匿名希望だそうだ。他にはないか」

「チッ、ナメやがって。……《馬屋》で借りた馬はどうやってる? 3人とも操縦できてたまるかよ」

「それも簡単。オレが《騎乗(ライド)》スキルを持っているから……っていうのもあるけど、まぁ元々オレが馬術部だからだ。ネタスキルでもなんでも、オレは馬に乗るの好きなんだよ」

「…………」

 

 一見下らない戯言のように見えて、その実それが原因で窮地(きゅうち)に立たされているのだから一笑に帰せない。おかげで足で逃げ切るのは不可能だろう。

 さらに言えば、確かに《ライド》スキルの熟練度が高ければ、複数頭の馬を同時に操れたりもする。まさかレジクレメンバーの1人がここまで高い熟練度数値を叩き出しているとは思わなかったが、結論から言うと35層を狩り場にしたのは間違いだったようだ。

 

「ハンッ、だが手が出せないのは同じだろ? イキがってんなよ、おとなしく俺らの……」

「が! しかしだ。そちらの交渉には応じないし、こちらの用件は譲歩しない。何が言いたいかわかるか? その人質を殺した瞬間、こっちは全力であんたらを斬りにいくってことだ。《軍》には支援目的で来てもらっているが、《投擲班》が転移を邪魔してくれる。そして狙いは……そう、ジョニーブラック。あんた1人だ!」

「な、ん……ッ!?」

 

 今度は俺が絶句をさせられる番だった。こちらの二手先、三手先を……いや、それどころか手の内そのものが筒抜けになっている感覚に近い。それほどまでに最悪のシチュエーションだった。

 先制したとして、アルを殺したら今度は俺が狙われる。『一方的な殺し』ではなく『殺し合い』が発生したとしたら、新人2人は命を賭してまで俺を救おうとはせずさっさと逃げるだろう。おまけにいくら何でも人数差がありすぎるため、全員の相手は俺とザザだけでは身に余る。

 奴らは標的を絞ることで、確実に1人だけは殺す気でいる。こちらから手を出させないようにしているのだ。事実、俺は俺の生存のためにもアルに手が出せなくなった。

 まさかここまで的確な判断をされるとは……、

 

「(能無しじゃなかったか……)……チッ。んじゃあどォするよ? そこまで歩いてこのイモムシを渡せってか? それが無理なことぐらいわかってンだろォな」

「わかっているさ。アルを受け取った瞬間、オレらはあんたに気兼ねなく攻撃ができてしまうからね。だから……ほらっ」

 

 パンッ、と軽く馬の尻を叩いてロムライルは馬を走らせた。そして彼の「ストップ」という声と同時に、俺達ラフコフの真横で無垢な馬が停止する。

 残り2頭にもロムライルは同じことをした。

 

「1頭にアルを乗せて、向きを直角に変えろ。あんた達4人が残りの2頭に乗れば準備完了だ。あんた達はそのまま消え、アルは別方向へ運ばれて安全が確保される。……馬はオレの元を離れると『前進』と『停止』しかできないが、同時にあんたらも離れれば問題ないだろう? 発音しても聞き取れないぐらい距離が空いたら、結晶使って《圏外村》まで飛ぶがいいさ。オレ達は後を追わない」

「それを俺が信じるとでも?」

「信じる信じないは勝手だが……ほら、これが見えるか? 《回廊結晶(コリドークリスタル)》だ。ギルドの共通ウィンドウに仕舞ってある。……金銭面での負担なんてどうでもいい。ここをコリドーの『出口』に定め、すぐに主街区に控える《軍》が現れるぞ? まだ何人か主街区で待機している。ちなみに、援軍待ちなら期待しないことだ。さっきあんたらの仲間を、レイヤー・ポータル付近で待ち伏せしていた《軍》が何人か捕まえた」

「…………」

 

 ザザすら反論できないでいる。元よりこいつは口ベタだが、今回限りはその性質は関係ないだろう。

 単純に反論材料が存在しないのだ。追い詰められているのはこちら側。おまけに、間違いなくレジクレは俺達との対話方法をわきまえている。作戦の代替案まで潰しにかかる勢いだ。

 

「軍も……グルだってのか……?」

「まあ、それについてはワイらから言わせてもらおか」

 

 ここで茶髪にトゲ頭といった男が割って入ってきた。

 

「……キバオウっちゅうもんや。一応、軍で一部のプレイヤーを仕切らせてもらっとる。早い話が、捕獲が決まれば晴れて昇進っちゅーわけやな。……本気でやるんやったら協力はさせてもらうで? ワイの手柄になる絶好のチャンスや」

「…………」

 

 なるほど、個人的にメリットがつくようにして協力させていたのか。

 どうせ殺しきるからと、詩人の旦那は今朝から可能な限り『レジクレが悪党集団』だと拡散、刷り込ませておいたはずだ。とすれば、せめて軍ではなく、最前線の街にいるプレイヤーを利用してくれれば今よりは希望も持てたというのに。

 

「くそ……クソッ! 覚えていやがれ……必ずお前らを皆殺しにする。必ずだ!!」

 

 向きを変えた馬にアルを無造作に乗せ、俺を含む4人が2頭の馬に跨がると馬は前進を始めた。

 フィールドに設定されたフロアを隔てる区画を移動する直前、レジクレの奴らが俺達ではなくアルを乗せた馬に駆けよる姿だけが、強く脳裏に焼き付いた。

 

 

 

 オレンジプレイヤーでも《転移結晶》で移動できる《圏外村》の1つ、《カーデット村》に俺達は来ていた。

 だが誰も喋り出そうとはしていない。あまりに静かで暗い深夜、空気までもが重たくなる雰囲気で他のメンバーの到着を待っている。すると……、

 

「ん~……あ、ヘッド!」

 

 ラフコフ創設者であり、そのトップに君臨するヘッドがカーデットに転移される瞬間を見た。

 しかしやはりというべきか、ヘッドのその表情すらも芳しくなかった。

 

「ヘッド……」

「Shit……Shit! アリーシャめッ! 余計なことをしてくれる……あいつはいつもそうだッ!!」

 

 いつになく荒れていた。こんなヘッドを見るのは初めてかもしれない。そして言葉の端々から、否が応でも状況を理解した。

 

「アリーシャの奴、殺せなかったんすか? それじゃあ、ぐッ!?」

 

 いきなり胸ぐらを掴まれ、凄まじい勢いで引き寄せられた。そして間近で見たからこそわかる、整った顔を歪ませたヘッドの現状。アリーシャを殺せなかっただろう作戦のミス。

 

「……My bad、ジョニー。……アリーシャは殺せなかった。俺が攻撃を仕掛けた瞬間、奴は煙玉を使った。……おそらく、体裁を保つ気もなく、端から裏切るつもりで来たのだろう。《圏内》まで逃げられた」

「……そうか、そういうことか……あいつ! あのクソ女がレジクレに情報を垂れ流したッ!」

 

 自然と握り拳に力が入った。

 ヘッドの話を聞いて確信した。十中八九アリーシャはラフコフを売り、今日にでも内部崩壊を企てていたのだろう。

 この分だと《吟遊詩人》も危ない。ジェイドという名のプレイヤーがレジクレにいなかった理由にもなっているが、確か奴はその男を標的にしていたはずだ。アリーシャ1人でどこまでカバーしているのかは把握しきれないが、何らかの妨害があった可能性も高い。

 

「道理で来るのが、早すぎる。あの女は、いつか俺が殺すとしよう」

「おめぇに同意だよザザ。しかしヘッド、アリーシャに預けていた金はどうなったん……」

 

 言いかけた途中、突然ヘッドの周りにアイテムが散乱した。

 見たところ普段ヘッドが持ち歩いている物ばかりではない。ヘッドのメインアームである《大型ダガー》とは明らかに違う《片手用直剣》やサイズの違う防具、さらには女性用の化粧品などを含む日用品まで、多種多様なアイテム群がそこにはあった。推測だが、多額のコルが入っているだろう布袋なども落ちている。

 

「金とブツは回収するつもりだったからな。アリーシャの奴がアイテム分配率ゼロパーセントで強制離婚を使ったのだろう。どこまでも勘に障る女だ」

「……もう1つヘッド、レジクレを叩くために手配した部下なんすけど……《軍》に捕まっちまってるかと。これで今日だけで7人の損失に……」

「…………」

 

 完璧であるはずの《笑う棺桶》。その異物が去り際に大暴れしてくれたおかげでとんだ被害だ。作戦失敗はおろか、ラフコフはたった1日で相当なダメージを被ってしまったことになる。

 

「オイ、お前ら2人は使えそうなアイテムだけ拾っとけ。んじゃあヘッド、一旦ここを離れてから……ッ!?」

「誰か来たぞ。1人は、グリーンだ」

「Get set。指示があるまで動くな」

 

 いそいそと金になりそうな物を拾う部下をよそに、2つのホワイトブルーの輝きはその勢いを消失させる。

 夜闇に直立していたのは2人のプレイヤー。1人は男でオレンジカーソル、もう1人は女でグリーンカーソル。さらに両者とも俺達のよく知る人物だった。

 だがおかしい。これはあり得ない現象だ。吟遊詩人が「《反射剣》を私にくれ」と言った時、その言葉の意味するところは『ヒスイという名のプレイヤーを自分の手で殺させてくれ』だったはず。

 だとすれば詩人の旦那は……ミンストレルという組織のブレインは、いかなる手段を以ってしてもこの2人を殺し終わっていなければならない。

 それなのに奴らが生きている。

 まさか……そんなことが……、

 

「No way……アクシデントもここまでくると驚愕だ。……貴様ら、ミンストレルを殺したのか。ならタイゾウも……」

「おいおい、ウソだろッ……詩人の旦那がやられたってのか!? タイゾウも付いていたってのに……あり得ねぇ、冗談じゃねェぞ!!」

 

 したたかで、かつ頭の切れる人間だった。

 ミンストレルは、ヘッドとは違った意味でラフコフの要である。ラフコフのもう1つの頭脳と言ってもいい。移動手段、獲物の見繕い、情報操作、潜入、その他多くの役割を一手に引き受ける天才的な名優。それが《吟遊詩人》なのだ。

 現に今日をもってその正体をジェイドとやらに明かすと言っていたが、ただ明かすのではない。その多大な情報ネットワークを駆使し、あの男が最前線の主街区及び《リズンの村》に戻って『ミンストレルが犯罪者』と暴露した瞬間、奴は自滅する手筈だった。

 ミンストレルはリスクを承知の上で、「ジェイドがいきなり自身を陥れようとしたら、そいつこそが紛れもないレッドギルドの共犯者」だと、予言にも近い宣言をしていたのだ。人は誰だって先に予告されていた言葉を信じたがる。これも一種の精神操作、心理攻撃だ。

 だが、この男は主街区に戻ることなく、あの《吟遊詩人》を返り討ちにしたという。

 正面から戦うことを避ける、あの詩人と。にわかには信じがたい。

 

「……反応は、ない。死んでいると、見るしかないだろう」

 

 しかし、ザザがウィンドウを開いて確認をとる。そして出た答えがミンストレルの……あるいはタイゾウを含む2人の死。認めたくはないが、この2人が《吟遊詩人》を撃退し、あまつさえ死に至らしめたと考える他なかった。

 敵のうち、男の方が口火を切った。

 

「……さて、クソ野郎がそろってるな。直に会うのはひと月振りか、PoH」

「ッ……言葉を選ぶんだなジェイド。この状態で俺達の前にのこのこ現れる度胸は相変わらずだが、死ぬ覚悟はできているか」

「さぁてな。いま俺は不可視でウィンドウを開いている。……で、ギルド用のメッセージに『カーデットに来い』とだけ打った。……攻撃すンなら、当然このメッセージを仲間に送りつける」

「…………」

 

 もはや、アリーシャによってこちらの全てが明かされている。この状況下において話術で優位に立つことは困難、を通り越して物理的に不可能だ。

 

「ヘッド、マズいっす。今レジクレは《軍》の奴らといる。この位置が割れると……」

「……くそったれがッ! だったらてめぇらは何をしに来たッ!」

 

 ジェイドはヘッドに怒鳴られようとも少しも怯まず、ゆっくりと口を動かす。

 

「……あんたらをここで捕まえることはできないさ。俺が指をぴくりとでも動かせば、即座に逃げるだろうからな。そして、いくら何でも四方に逃げられたら追いようもない。……目的は戦いじゃない。1つ、質問に答えてくれたらそれでいい。……アリーシャだ。あいつは今どこにいる」

「…………」

 

 《反射剣》は無言を貫いていたが、おおよその流れは把握しているのだろう。あの女も称賛に値する警戒心と頭の回転速度を持っている。

 

「……それ、足下に落ちてるのはアリーシャの物か。いや、絶対にそうだ。今日俺と一緒に買ったやつもある。他にもアイテムに見覚えが……」

 

 キルドロップではない。人が死んでも、落とすのはその時点での武器と装飾品のみだからである。という事実に、女の方がいち早く気づいた。

 

「ジェイド、たぶん彼らは《結婚》システムを使ったんだと思うわ。アイテムストレージを一旦共通化して、改めてアリーシャさんのアイテムを奪おうとしたのね? 相手を殺せば、共通化されたアイテムは全部結婚相手の物にできるから」

「なんだって!? じ、じゃあ……いや、でも俺とアリーシャの個人用共通ウィンドウの機能が復活している。……どうなってんだ」

 

 ぶつぶつと独り言を呟いていたが、言葉の端々から考えると、アリーシャはいつの間にかこの男とも《アイテム共通化ウィンドウ》を作成していたことになる。

 そして《カーデット村》がある32層へ、主街区の《転移門》を使って移動したのだろう。同じ層にいれば例え個人用でも《共通アイテムウィンドウ》は機能を取り戻す。

 

「機能してるってことは死んではいないんだな。それを知らせるために……つーことはなんだ、間抜けにも逃がしたってことか。ハッ、キダイのレッドが聞いて呆れる。ざまーねェじゃねえか!」

 

 そこまで聞いて、ヘッドは茶番につき合う必要もないと向きを変えた。

 そのまま左手を上げ、ジェスチャーによる暗号で『撤退』を意味する命令を下してきた。つまり戦闘は見送ったということだ。

 

「PoH、逃げるのもいいがこれだけは言わせてもらう。お前(・・)にアリーシャは殺させないぞ。俺も、ヒスイも、レジクレのみんなも。……いや、むしろ逆だ! いつかとっつかまえて牢屋にブチ込んでやる!!」

「…………」

「ミンスが死んで、アリーシャも抜けて! あっという間に《三幹部》にまで減ったな! 次はお前ら(・・・)だぞ! そのことを忘れるなッ!!」

 

 ここで。

 無言で去るのだと思っていたヘッドが改めて振り向き、奴ら2人を睨みながら抑揚のない声で宣言した。

 

「お前らは殺す。アリーシャも殺す。そのための舞台も用意する。楽しみにしておいてくれよ……ショウタイムはすぐそこだ」

 

 今度こそ立ち去る。

 もうすぐ日付が変わる。

 ヘッドの2度目の失敗に、またしてもレジクレが絡んできたこの日。俺達ラフコフはミンストレル、タイゾウ、ルドルフを追加したメンバー計10人の損失という大きな損害を受けた。総メンバーの半数である。

 だが終わらない。ヘッドが生きている限り、殺しの連鎖が立たれることはない。ヘッドが舞台に立つ限り、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》は生き続ける。

 俺達の『遊び』はまだ始まったばかりだ。

 

 

 



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第八章 ハーフポイント
第53話 浮遊城後半戦


 西暦2023年12月21日、浮遊城第50層。

 

 先月23日に48層主街区(リンダース)、今月4日に49層主街区(ミュージェン)、そして15日にはこの50層。その進行具合は層を進むにつれてどんどん遅くなっていた。

 階層だけなら全体を通して半分。

 しかし、やっと半分、という安堵はない。なにせ俺達は、この層の迷宮区にすら進入していない。少なくとも、本層のフロアボスを討伐しない限り、半分を終えた感慨は得られないだろう。

 

「あの~、速報入ったよ。みんな聞いて。……ついさっき、迷宮区への道が開いたんだ。今日よりレジクレは、拠点を《主街区(アルゲード)》から迷宮区直前の街《プロアソート》へと移動するよ」

「うわ、やっとか。道を塞いでるフィールドボスだけで相当かかったな。……ま、フロアボスはもっと壮絶だろうけど。なんせ前のアレ(・・)から25回目のボスだ……」

 

 ここ数日お借りしている宿の一角、そこでロムライルがギルドの定例ミーティングをしている最中に俺は口を挟んだ。どうしても25層戦のことを思い出してしまったからだ。

 過去最多数の死者を出したあの日から、まだワースト記録は更新されていない。

 

「ジェイドだけが25層戦に参加したんだよねぇ。ボクもボス見たかったなぁ」

「バッカだなジェミル、そんな軽々しいモンじゃねぇぞ? 人数多すぎでレイド全体に指示が届かなかったとか、平均レベルが低かったとか、そういうんじゃない。……マジで敵の火力が違いすぎたんだ。秒で死人が出る戦いだった」

「……うぅ、そうなの……?」

 

 俺の忠告でおどけていたジェミルも黙り込む。

 俺とていつまでも過去を引きずるつもりはない。ただ、中ボス程度を(ほふ)る気分で行くと、返り討ちになりかねないと忠告しているのだ。

 特にこのそばかす付き茶髪っ子は、バトルになると好戦的になるきらいがある。この特徴は一長一短だ。

 すなわち、ギルドが援護に回れる状況ならプラスにはたらくし、そうでなければ敵の実力を見誤った時点でご愁傷となるからである。50層戦に向かうなら、どこかへ置いといた方がいい性格だ。

 

「あの~、ジェミルも今回ばかりは慎重にね。25層ボスがバグでなかったのだとしたら、規則的に見て次の波は間違いなくここだし」

 

 リーダーの意見に3人でうなずく。

 25層戦の悲劇は、調子に乗った討伐隊の玉砕特攻が招いた失敗、という単調な理由だけではない。単純にかの双頭巨体ボスは異常なまでに強かった。

 このクォーターポイントのせいで、「強い敵が定期的に現れるかもしれない」という疑惑が浮上する。そして規則性があるとしたら、この50層のことを示すのだろう。

 

「もぅ、わかったよぉ。気を引き締めていくってぇ。それより迷宮区も開いたみたいだしぃ、早速レジクレも乗り込んじゃうぅ?」

「そうだね。……あ、でも僕ちょっとポーション買っときたいな。前に買い溜めしてから補給無しでここまで来たから」

「あ~ゴメンよルガ。その辺全部任せっきりにしてたよね。……よし、じゃあショップに寄ってからのマッピングって流れでいこう。ジェイドはコリドー使った分、ガッポリ稼いでもらわないとな!」

「わあってるよ。ラストアタック決めやすい装備なんだ、なるべくコーケンするさ」

 

 そうと決まれば善は急げ。

 レジクレがまず向かった先はアルゲートのNPCショップ。主街区の中では比較的《ポーション》系、言い換えれば『口に含む』類のアイテムが安いことで有名な店舗だ。

 ……だったのだが。

 俺達が宿を出発して数分後、当初の目的地に到着する直前に、大通りの片隅で修行僧がマッスルしてしまった感じのスキンヘッド男、巨漢黒人エギルがおやじ座りをして《ベンダーズ・カーペット》を開いているのを見つけてしまった。店を持っているプレイヤーが市場に顔を出すのは珍しいので間違いない。

 そんなムキムキなおっさんが、ギョロッとした眼球を向けてくる。

 

「なぁなぁ……俺らなんかニラまれてね?」

「そ、そうだね。まるで『買っていけゴルァ』と言わんばかりだね」

「なんかぁ、狙われてるって感じだよねぇ……」

 

 俺とカズとジェミルがほとんど意見を一致させてひそひそ声で喋っていると、ロムライルがごく普通にエギルに話しかけていた。

 

「あの~、お久しぶりですエギルさん。売り上げはどんなもので?」

「おお、荒稼ぎさせてもらってるぜ! 問題は寒さぐらいだ。ガハハハっ。お〜どうだ、あんたらもなんか買ってかないか!? 前線くんだりまで顔を出しに来たんだ。ついでに攻略のことも話していってくれよ」

「おいロムライル、勝手に話しかけんなって。もうけてる店ってこたぁ、客が損してるってことだぜ」

「つれないなぁジェイド! お前さんは本当に攻略以外に時間をかけないやつだ」

「ケッ、ほっとけ」

 

 俺は肩を落として忠告するがもう遅い。エギルは完全に商談モードに入っていた。

 そして彼の悩みを思い出してしまう。ロムライル自身、「オレ、よく顔が怖いって言われるんだよね。ガン飛ばしてるわけじゃないから、普通に話しかけてくれればいいのに……」などとぼやいていたことを。

 きっとエギルに対して、なんとなく親近感のようなものを感じ取っているのだろう。俺達常人からするとはた迷惑だが。

 ……いや、俺も目つきで損をしているか。

 

「ほらほら、買ってけ。1層からの戦友だろう? スキあらば店でも開いて物以外も売りたいんだ。協力してくれよ」

「まぁそーだけどよ……んん~……ん? なあエギル。これ、最近ウワサの《ハイポーション》か? HP残量に関係なく全快するっていう」

 

 エギルの言葉を軽く受け流しながらカーペットの上に敷かれたアイテムを眺めていた俺だったが、その内の1つに目が止まった。

 注目したのは《ハイポーション》。若干の差異を除き色も形も《ポーション》とほぼ同じものだ。表面に印刷されるロゴマークのみ完全に異なっている。最高レベルのポーションすら上回る回復力が売りで、今のところ全てのプレイヤーの体力ゲージは、このハイポーション1つでどんな状態からも全回復するとまで言われている。

 

「よくそろえたな。つってもま、ハイポーションどころか《ポーション Lv10》でもみんな全快するんだよなぁ。しかもそんなギリギリまで追い込まれないし」

「甘いなジェイド。目の付け所がいいと思ったが、俺の見当違いか? 回復量だけじゃない。ハイポーションはさらに、その速度が増しているんだ。別物として見てほしいぜ」

 

 俺の意見に早速エギルが反論する。

 ポーションというアイテム。1層から存在する最もメジャーな回復アイテムの1つ。もちろん、ゲーム初期から多用されるアイテムで、低レベル層のプレイヤーでも購入できる値段である。

 では《転移門》を通して《はじまりの街》まで出向き、そこで大量のポーションを買い込めば最前線で回復し放題かと言うと、実はそうではない。なぜなら《はじまりの街》およびそれに準ずる街や村では、《ポーション Lv1》しか売っていないからだ。

 大抵の人間はこれで想像つくだろうが、この安物ポーションは回復量が少ない。

 ちなみに現在最前線にいる《攻略組》のHPは、ある種の《エクストラスキル》による最大値の増減や特殊防具のデメリットなどを鑑みても、少なくとも数値上は1万以上もある。

 そして《ポーション Lv1》での回復量は300。ストレージの格納限界量を大きく圧迫する、質量が高めの液体物だ。貴重な枠を埋める以上、今の前線組は大抵《ポーション Lv7》以上の性能がないと燃費が悪い。

 これは味覚エンジンの搭載された食料アイテムや、プレイヤーが寝泊まりできる宿や館にも同じ法則が適用される。

 かくいう俺も初期資金1000コルに比べ、レジクレに加盟する直前の個人用ストレージには20万コルほどの蓄えがあった。こうなると、物価の高い前線ではともかく、一桁層の宿に泊まり続ければ宿代なんてあって無きがごとしだ。

 しかしゲームデザイナーもそこは考えていたようで、低層フロアの宿は何日~何週間と纏まった日数分を一括で払わなければならない。これは非常に不便だと言える。拠点が主街区から迷宮区直前の街に移動した場合、小回りがまったく利かなくなるからだ。安かろう悪かろうというやつである。

 メシも同様。利用されたのは主に『時間指定要求クエスト』。低層でも味のいい物は用意されているが、金にものを言わせて旨い物が食いまくれるのではなく、時間をかけたクエスト報酬などでそれらにありつけるようになっている。あるいは使用回数に制限のある《調味料》を手に入れられるぐらいだろうか。

 中には掘り出し物もあるかもしれないが、記憶が間違っていなければ1日数個、あるいは物によってユーザーアカウント1つにつき1回などの制限があった気がする。

 結論。

 回復アイテム、食事、寝泊まりにおいて、金があるからと低層に降りて良い目が見られるわけではない、ということである。前線のフィールドに出てひと狩りし、その金を使って高階層でメシを済ませた方がよっぽどか時間短縮になるだろう。

 話は戻って件のハイポーション。どうやら回復量が最高なだけでなく、時間継続回復(ヒールオーバータイム)も短縮されているらしい。これは大きな進化といえる。

 なるほど聞こえだけはやたらいいが、なんと言ってもバカ高い。エギルは商談中に自分の売るアイテムの欠点を話そうとはしないが、現段階でハイポーションに手を出すのは早計すぎる。

 

「つってもたけぇからな〜」

「そうだね、残念だけど。……あ、これはなに? 何層か前にも見たような……」

 

 メンバー全員から《ハイポーション》への興味が削がれ、他の商品を眺めていると、カズは目のついた商品について聞いていた。

 そしてエギルは再び、玩具を見つけたガキのように目を爛々と輝かせて身を乗り出す。

 

「おうルガトリオ、お前さんもなかなかの慧眼だ。それは《テイラス・エイプ》の毛皮と骨素材だな。35層にいた《ドランク・エイプ》の上位派生……ま、中ボスとして強敵だったあの大猿も、この層では雑魚モン扱いだけどな。とはいえ、珍しい素材に違いはない。君の《棍棒》カテゴリの精製や強化素材にも役に立つ。もはや必需品だ!」

「いや、そりゃ言い過ぎっしょ……」

「まだまだあるぜ? こっちの《カウンター・パラキート》の羽根は、元を辿れば30層のモンスターからでも手に入る品だ。だがこの層ではレベルが倍近くになって登場する。確かこれは……そうだ、ジェミルのダガーや細剣、変わったところではポールランスの各種長所を伸ばすのだったか。つまりルガトリオだけでなく、ロムライルのメインアーム強化の役にも立つ! 最前線のパフォーマンスでな。しかもこのロープライス!」

「おいスキンヘッド、落ち着け……」

 

 興奮気味の坊主はなかなかにハイテンションだった。俺が冷静に突っ込みを入れているのに聞いていない。

 

「さらにこれは、かの有名な大剣《ファントム・バスター》の入手経路らしい《グラットン・ゾンビ》のモンスタードロップ。こいつもこの層では倍以上のレベルで登場している。元々フラグMobだったためか、相場も高い。それがこの価格で手に入るんだ、ジェイドもケチケチしてないでさっさと買え」

「なんか俺だけガチトーンで超怖ぇんだけどっ!?」

 

 ついでに目が狩る者の目だ。

 ちなみに《ファントム・バスター》とは過去に俺が愛用していた大剣だったりもする。とはいえ、騙されてはいけない。この剣が比較的強力だったことは事実なものの、せいぜい『比較的強力』というだけ。ましてや名が馳せたわけではなかったはず。

 おおむね、商人特有の優秀な記憶力が俺の昔の装備を覚えていただけに、元所有者の気分をよくしようという腹だろう。

 

「とまぁそれは冗談だが、どうだロムライル。なにか目に叶う物はないか?」

「う~ん……」

 

 エギルの話にもでているが、50層に湧出(POP)する敵は相当懐かしいモンスター群だった。

 と言うのも、どんな法則で出現しているのかは知らないが、この層は過去のモンスターをやけくそのように強化した奴らがわんさか沸いてくるのだ。

 どこかで見たようなモンスターとなると、開発コストを下げるためにデザイナーが骨格作りやモーションティーチングをサボっているように見えるが、それだけではない。初見のブレス、攻撃反応圏の拡大、変更された攻撃パターンや生態系、さらに武器持ちモンスターは最前線でも通用する上級ソードスキルの使用などなど。

 しかし、この遊び心はユニーズをきっちり捉えている。

 素材が一新されるということは、各々の愛刀が当時の形のままハイスペックなステータスでもって再び装備できると言うことである。

 俺もこの粋な計らいには厨二心を存分に(くすぐ)られた。スペックを均等に上乗せされただけでなく、耐久値、切れ味、果てはデバフ効果など。色彩や銘の変化も兼ねて、色々と作り込みが尋常でないことになっている。

 なぜ茅場はこれを普通に販売するに留まれなかったのか。これほどの神ゲーがたった1万本の初回ロットで消えて無くなるなんて、開発に携わったスタッフも愕然(がくぜん)としているだろう。

 

「(そういやエギルが売ってる素材で武器作ったら、やっぱアレ(・・)も使えるのかな……)」

 

 俺の言うところの『アレ』。

 さらにもう1つ、ここ50層という地点から解禁された、プレイヤー用の嬉しいアドバンテージがあるのだ。

 『アレ』の正体、その名も《ペキュリアーズ・スキル》。

 本来ソードスキルとは、レベルに見合ったスキルスロットを消費し、実力に準ずる限られた数の中でやりくりしなければならない。例えば俺がレベル1だった頃に覚えていたスキル、《スラント》や《バーチカル》といった初級技を、俺はもう使えないのだ。

 そもそも攻撃力が低すぎる。さらに上級ソードスキルの冷却中(クーリングタイム)に他を自由に使えては、クーリングにおける一時的な弱体化が意味をなさなくなるからである。

 スキルセットの組み替えで昔の技も使えるようにはなるが、戦闘中にそんなことをしている暇はない。と同時に、似通った予備動作(プレモーション)が多数ある以上、動きを差別化し辛ければ、その分だけスキャナーにかかる負荷が莫大なものになってしまう。

 そういった事情から、新たに登場した新システムがこの《ペキュリアーズ・スキル》だ。

 直訳すると『固有技』だろうか。この層でリリースされた多くの武器に登録されている。

 その実態は『これが設定された武器を使用中にのみ、発動の許された専用ソードスキル』のこと。ステータス覧からいつでも確認でき、ほぼ全てが非常に強力な仕様になっている。

 最前線では自分の担当する武器でなくても、上級ソードスキルの種類はだいたい押さえてあるものだ。なぜなら、モンスター側もスキルを使用してくるからである。となれば鉄板対応の記憶は必須。

 しかし、《ペキュリアーズ・スキル》はその名の通りほぼオリジナルのユニーク技。初めて見るモーションばかりなのだ。

 この粋な計らいによって、いくら上級ソードスキルを使っても「あ、それ知ってる」と言われる現実から、「なにそのスキル、すっげぇ!!」という反応に変わり、ちょっとした優越感に浸ることも可能になってきた。

 まとめると、50層で武器を買うことは49層以下のそれとまるで意味が異なるということになる。のだが……、

 

「んでも無理だから! 金ないからね、俺ら! またの機会にするよ。行こうぜリーダー」

「え、でも……仕方ないか。また来ますよエギルさん」

「ああちょっと待ってくれ。おいジェイド、最近キリトの奴見てないか?」

「あァ? キリトは……そういや見てねぇな。前線でもまったくだ。……もしかして、あいつを探りに前線まできたのか?」

「いや、顧客を特別扱いなんてしないさ。見てないなら……いいんだ……」

 

 どこか釈然としなかったが、それだけを言ってこの日は早々に彼の元を離れた。あまり粘るといつの間にかコルを吸収されるのが常なので、この判断は正しいはずだ。

 

 

 

 ちなみに俺達はこの後、NPCショップであらかたの買い物を済ませ、ひたすら延々と続くレベリングと迷宮区マップの更新をした。

 こうして狩りまくっていたら、わざわざ素材を買い占めるまでもなく揃ってしまいそうだ。

 とそこで、俺はとある待ち合わせの時間となった。

 

「わりロムライル。いったん街に戻っていいか? 俺これから……」

「ん? ああ、そう言えば今日だったね。ごめんごめん忘れてたよ。……あの~、気にしなくていいからね、行ってきなよ。こっちはこっちで適当に迷宮区を攻略してるからさ」

「ワリーな、埋め合わせは今度するさ。んじゃ行ってくるよ」

「いってら~」

「彼女によろしく言っといてね!」

 

 レジクレのメンバーに見送られて、俺は方向を変えながら歩を進めた。

 向かうは本層主街区である《アルゲード》の、さらにその中央広場にある《転移門》。《生命の碑》で確認を取らざるを得ない時以外は、基本的に近寄らないようにしている《はじまりの街》に用があるのだ。

 正確には黒くそびえ立つ《黒鉄宮》に。

 俺が……と言うより、多くのプレイヤーが1層に近寄りたくない理由は複数ある。

 まずは《軍》の存在だろう。主街区に建設された建物の1つを大ギルドが本拠地にすることはよく聞く話だ。例を挙げると、39層にある1番大きな館が血盟騎士団(KoB)のそれに当たる。

 だがあまりにも肥大化した《軍》は、1層の主街区そのものを活動拠点にしているのである。

 多くのプレイヤーにとって、《はじまりの街》に足を踏み入れることが、イコールで他ギルドの領地に土足で上がることと同義になっている。少なくともいい気分にはならないだろう。

 次は、去年に始まる悪夢の日を思い出してしまうからだ。

 『理由もなしに1層には行きたくない』。この考えは、おそらく今後もプレイヤーの中から消えることはない。

 

「(もうすっかり夜だな……)」

 

 迷宮区直前の街《プロアソート》から主街区である《アルゲード》へ。そして巨大な面積を誇る《アルゲード》の中央地点へトコトコ歩いていき、門を使って《はじまりの街》に到着する頃にはすっかり日も落ちて、空には広く染み渡るような常闇(とこやみ)が落ちていた。

 元々明日は冬至なのだ。夜の時間は年内を通して最長である。加えてメチャクチャ寒い。

 俺はブルッと一瞬だけ震えると、着込んだコートの(えり)を引き寄せて首をすくめたまま再度歩き出す。

 すると、会って何を話そうか考えているだけであっという間に目的地に着いてしまった。

 

「《軍》だよな? ああ、確かクロムオーラだっけか。久しぶり。……前アリーシャに面会を頼んだジェイドだ。所属は《レジスト・クレスト》」

「おおレジクレんとこの、本当に来よったのか。あと、わしは『クロム』でええぞ。……それにしても、お前さんも物好きやなぁ」

「……別にいいだろ、ほっとけよ」

 

 「詮索はしないさな」と言いながら、クロムのおっさんと軍の連中は俺を《黒鉄宮》の奥へと案内し、牢が並ぶ場所まで連れてきてくれた。

 その手前、面会用の個室の照明が灯される。

 

「ここで待っておれ。お前さんの彼女連れてきてやるぞぃ」

「ああ。……ん、いや、彼女ってわけじゃ……」

 

 俺は味気ない、を通り越し『何もない』真っ白な部屋で座って待つことにした。

 あるのは1枚の大きなガラスとその手前と奥に一対の椅子。俗に言う犯罪者との面会室だ。ガラスがイモータルオブジェクトである以上、またシステム的にずるや脱獄ができない以上、監視人すら必要のない部屋。

 だと言うのに、廊下では長槍まで持ったギルドメンバーが室内を闊歩(かっぽ)しているのだから、《軍》の『軍隊っぷり』も呆れたものだ。聞いた話だと人に階級まで付けだしたそうだから、どこかにそれに通じたオタクがいるのかもしれない。

 そこでガチャッ、と扉の開く独特な金属音がした。

 

「あ……」

「……よう、アリーシャ……おひさ」

「よいな? 面会は最大でも10分じゃ。……ほな」

 

 それだけを言ってごつい短髪おっさんは席を空けた。見た目以上に喋りがじじくさいが、実際の歳はいくつなのだろうか。

 しかし、なんにしてもゲームの中とは思えない役人と役所具合である。警察官と警察署にある面会室、それらがなんの遜色(そんしょく)もない状態でゲーム界にダウンロードされたみたいだ。

 アリーシャは少しだけ髪を手ですいてから、可愛らしく席に着いた。

 

「ああ……正面切って話すとアレだな。その……」

「なんて話をすればいいか……」

「そうそれ、アハハ。……あ~、その……前線が移動したんで遅くなっちまった。今日は近くに泊まるから明日の朝も寄るけど、それからはまたしばらく来れないかな」

 

 咳をして促すアリーシャに対し、俺はそんな風にしか切り出せなかった。

 

「まったく、いつ来るかって不安だったわ。もうすっかり日も落ちちゃったじゃない。罪な男よね、ジェイドって」

「ちゃんと来たんだ、文句言うなよ。……前の甘ったるい声やめたんだな。……捕まった時は攻略組ん中で結構話題になったけど、もうみんな忘れ始めてるからなぁ。ここから出たあともそのしゃべり方だと、みんなに驚かれるかも」

「いいわよ別に。だってあれ、アタシが周りを欺くために……まあ、自分を飾るためにムリしてやってただけだもん。もうアタシには必要ないわ」

 

 俺は今日、アリーシャと会う約束をしていた。当然ロマンチックなあれやこれやではなく、あの日……11月18日深夜に投獄された彼女と、こうして《黒鉄宮》で会う約束のことだ。

 事件翌日の19日にアリーシャは《軍》に自首している。

 今まで《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》にいたこと。詐欺、強奪、殺人幇助(ほうじょ)……そして、直接手を下した殺人。初めて『ロックス』という男性プレイヤーを殺したその日から、今まで重ねた自分の罪を洗いざらい告白したのだ。

 彼女はその日に牢に閉じこめられた。やはり最も忌むべきレッドギルドの一員だったことは、それだけで許されざる犯罪者と扱われるからだ。

 しかし当然、俺はこの事実を広めるだろう情報屋、その最たる象徴であるアルゴ――ミンスがいなくなったことで俺が常用する情報屋はアルゴしかいなくなった――に会って「記事にするならなるべく穏便に書いてくれ」と頭を下げた。

 常に中立であろうとするアルゴからは嫌な顔をされたが、何も一方的にアリーシャを庇いたいわけではない。

 彼女によって取り返しようのない被害を受けたプレイヤーないしギルドは、それ相応の報復を望むだろう。俺がその復讐心についてとやかく言うのは外野のヤジ、それこそお門違いな雑音(ノイズ)でしかないからだ。

 事実、ミンスを含めて有名なプレイヤーの裏切り行為が巷間(こうかん)に流れた時、彼らへの憤慨は爆発的なものだった。

 でも、それでも。

 アリーシャはPoHの元を離れて、あまつさえ自らを救った恩人に牙を剥いた。駄々をこねて騒ぐだけではない。俺や、ひいてはレジクレのみんなは彼女の行動によって命をつなぎ止めた。彼女こそ俺達の命の恩人なのだ。

 せめて、立ち直るためのチャンスをと訴えた。主観をゴリ押ししているに過ぎないことはわかっている。実害のない、むしろ助けられたレジクレからすると、彼女の行いは良いようにしか映らない。

 そういう意味では、被害者からすると「ふざけるな」の一言に尽きるだろう。

 

「……でも嬉しかったわ。アタシのために、被害者に頭を下げてくれたって。……あなたこそ、アタシの恩人よ」

「ああ、それか。ま、借りは返すってやつだ」

 

 答えつつ、1ヶ月前を思い出す。

 俺はやれることをやった。手を抜かず、誠意を込めてできる限りのことを果たした。

 騙し討ちや売買詐欺にあった者、情報の無断漏洩をされたギルド、そして……帰らなくなった人の墓標の前で。

 俺は土下座をして許しを乞うた。みすぼらしく額を地面に擦り付け、体を蹴られようが後頭部を踏まれようが何1つ口答えせず、ひたすらに謝った。本人に浴びせるべき罵倒を、その吐き出しきれない慟哭(どうこく)を、一時的とは言え俺が代わりに全身で受けとめた。

 俺はきっと、彼女が投獄されていなくても行っただろう。

 しかし無駄ではない。行動には意味が生まれた。

 俺の姿を見て、必死に説いた彼女の経緯を聞いて、死に死でもって償うことに意味はないのだと。ほんの少しばかりでも、心を動かされたのかもしれない。代わって謝罪を繰り返した俺を見て、憐れむような同情が生まれたのかもしれない。

 1人、また1人とアリーシャを許してくれると申し出たプレイヤーが現れたのだ。

 全員ではない。

 だが俺は嬉しかった。少なくとも、命の恩人がただの『悪そのもの』という枠組みではなく、過ちを犯した心弱き犯罪者として。《軍》での更正具合によっては、隔離された白い牢からの解放すら視野に入った。

 危うく誓いを反故にするところだった。どう言いつくろっても意味はない。俺がヒスイと私的な時間を過ごしている間、アリーシャが陰で動いてくれなければ、俺はかけがえのない人間を全員失っていた。この事実は揺るがない。

 アリーシャには感謝してもしきれない。

 

「でも聞いてくれよ。俺なんか昔さ、ヒーロー気取りたくて、横取りしてでもボスにラスト決めようつってた時があんだよ。まだひと桁の層をウロついてた頃だったか。ホントは俺強ェんだぜ、的な」

「へぇ、それは初耳ね。それで?」

「とにかく目立ちたかったんだよ。二つ名とか付けられてさ、誰が見てもすぐわかるような。……んまぁ、不発だったけどよ。でも、今回のこれでなんかヘンな形で有名になっちまった」

「うっ……それはどうも悪かったわね……」

 

 ボリュームゾーンや最前線を問わず、俺は休まず走って謝っていたのだ。その希有な格好がプレイヤー間で物議を醸し出すのはそう時間がかからなかった。

 もっとも、俺は少したりとも気にしてはいない。体裁の崩壊が怖くてスカスカの頭を下げたりなんてしない。

 

「あやまれって意味じゃねーよ。なんも気にしてねぇから」

「じゃあ話題に出さないでください〜」

「あっ、ンのやろ。……よし、じゃあそのかわり約束だ。せめてここじゃモハン的に過ごせよな。早く外で会おうぜ?」

「ジェイド……」

 

 ヒスイが、カズが、キリトが、そして今はもうこの世にいないが、ミンスが。その他多くの人間が大なり小なり俺の正道を照らし、道に迷わなかったから、俺はアリーシャとガラスを挟んでこちら側に座っている。

 しかし他人事ではない。座る位置の差こそあれ、その中身に根本的な差はない。過去に犯した悪事が法に裁かれないのだとしても、俺がのうのうと暮らしていいことにはならない。

 

「……ホントに申し訳ないと思ってるわ。気にしてないって言うけど……アタシがあなたの格好悪い姿を見たくないのはね、あなたが……その、アタシにとっての……」

「……ん? とっての、なんだ?」

 

 いきなり殊勝な態度である。テンションこそ低けれど、先ほどまでの彼女にはどことなく元気があった。それが急に赤くなってしり込んでしまっている。

 

「ああもう、だからジェイドがアタシにとっての」

「ぅお~い、面会時間終わっとるぞ~」

「…………」

「…………」

 

 なんとなくクロムのおっさんが扉を開けるタイミングが、ジャストで最悪なものだったというのは理解できた。

 しかしなぜだろう、どこか救いの手でもあったような気がするのは。

 

「ん、んじゃあ俺はこの辺で……」

「まったく……はぐらかすのが上手いんだから」

 

 よくわからないことを言ってぷんすか膨れているが、アリーシャもうっすらと安堵の表情を浮かべていた。

 しかし退室も間近という瞬間になってから、彼女はわざと声を張り上げた。

 

「ジェイド!」

「ん? どした急に」

「あ~あのっ、えぇっと……そう! ヒスイさんとは何にもない!? デートとか行ったりしてない!?」

「ブフゥッ!?」

 

 ――空気と一緒にツバが飛び出たわ。

 まさか、人の前で大胆なことを聞いてくるとは。

 

「な、なんもねーよ! 結局うやむやになったっつーか、とにかくなんもねぇから! ってかトートツに何!?」

「アタシね……大晦日にはここを出られるって聞いたし、その……こっちもう大丈夫だから! だからジェイドは前を見て! 過去を忘れて、改めてここから出ましょう! それと、あの……アタシまだ諦めてないから!!」

 

 俺とクロムのおっさんは目をパチクリさせてしばらく彼女を見つめ続けていたが、俺が先に金縛りから解放されるとその言葉に応える。

 

「……ああ、約束だ。()でも会いたいもんな。望まないログインだったつーなら、俺がアリーシャをここから出してやる。この、《アインクラッド》とかいうフザけた牢屋からな!」

 

 今度こそ笑って扉を閉めた。

 振り向くな……と、彼女は言った。意味は1つではないだろう。自分の方ばかりではなく、俺がやらかしたことばかりではなく。『人殺し』として生きるしかなくなった俺への、最大の慰めなのかもしれない。

 ミンスとタイゾウを殺した俺はしかし、『不可抗力』の認定を受けて牢には入らなかった。被害者であるヒスイが証人になってくれたことが大きいだろう。

 だが俺は悔いていた。

 なにも殺すことはなかったと。そのせいか、武器越しに伝わった、人肉を抉る(おぞ)ましい感覚は今もなお鮮明に思い出せてしまう。

 そんな俺を見て、彼女は励ましの言葉を送ってくれたのだ。だとしたら、俺にできることは早いところ攻略に戻ることぐらいだろう。

 

「(来てよかったよ……)」

 

 アリーシャに特別何かがあったのかは俺にはピンと来ない。なぜか俺のことを人より好意的に見ているようだが、なおさらウジウジしてはいられないというものだ。

 

「(女の前でカッコつけたがるとか……)」

 

 俺は自分の単純すぎる思考を内心であざ笑い、《黒鉄宮》を出ると空を仰いだ。

 完全に日は落ち、目下がらんどうの漆黒だけが広がる。その空間は誰かの胸奥の象徴か、あるいは……、

 

「お前さんや、カッコつけるのはええが通行の邪魔だからちょいと横にずれとくれんか?」

「静かにしてくれよ! 今メッチャいい雰囲気だったのにッ! すっげぇ自分にトースイしてたのにッ!!」

 

 クロムのおっさんによる空気を読まない突っ込みのせいでだいぶノリが途切れたが、それ以上の恥ずかしさが俺に混み上がってきたのでとっとと退散することにした。

 

「ふむ、してジェイドさんや……」

「……あん?」

 

 しかし去り際、クロムのおっさん……いや、《軍》の中でもジェイルの門番や案内を任される男は俺の背に声を投げかけ、足を止めさせた。

 

「仕事がら変わった人間もたくさん見てきたが、ジーさんの戯言を聞いてくれるか?」

「30秒以内なら」

「見かけ通りケチんぼじゃのう。……お前さんのやったこと、カッコええ思うぞぃ? ……無様でも、おなごのために全力で頑張れるってこたあな。ま、約束をしよったんじゃ。男なら果たせよう?」

「…………」

 

 俺がキリトやクラインと協力してオレンジ2人を捕まえた時も、やはりこのクロムオーラなる人物に預けられていた。俺はその時にもこいつと2、3受け答えをしている。

 ――まぁ、そいつらはすでに更正して今は攻略に励んでいるらしいが。

 だがだからこそわかる。彼は事務的なことはそつなくこなすが、あまりプレイヤーと会話を楽しもうとしない男だということを。だというのに、珍しくベラベラと話すものだ。

 本当に、今日に限ってよく話す。もしかしたら先ほどの会話を聞いていたのかもしれない。

 

「立ち聞きとはシュミワリーけど……ま、その通りだな。それぐらい守るさ。だいたい他の奴とも約束してたんだよ。俺がこの世界をブッ壊す! ってな」

「……そうかい。じゃあまだまだ頑張らんとな」

 

 言うだけ言うと、俺はくるりと向きを変えて歩き出した。

 もう振り向かない。約束を果たすため、俺は今の1歩を踏みしめた。

 

 



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第54話 アインクラッドのクリスマスイブ

お気に入り件数が650を越えました。重ね重ね感謝ですm(__)m


 西暦2023年12月24日、浮遊城第50層。

 

 日も落ちて深夜。あと1時間で日付も変わる。いつもなら静まり返っているはずの最前線主街区は、爛々と輝くランプやイルミネーションによって活気づいていた。

 しかし街の熱気に反し、気温のほどは非常に低い。冷えきった空からは白の結晶がしんしんと降り、赤青黄(トリコロール)色の街はホワイト一色になるまで積もっていた。俗に言うホワイトクリスマスである。

 積もる道を窓越しに見ながら、ワクワク感が溢れてくる。

 

「(うは〜降ってんなあ。あー雪だるま作りてぇ! あと壁作って雪合戦とか!!)」

 

 だが、この時期どこのギルドも忙しい。レジクレも忙しい。よそが浮かれている内に駆け足で実力を付けようと言う思惑もあるが、単に50層という数字が緊張をもたらすのかもしれない。

 あるいは年に1度のイベントを前に、寒さを忘れる熱い聖夜をお過ごしの方もいるかもしれないが……とにかく、忙しいのだ。

 もっとも、ゲーマーにとってクリスマスなど知ったことではない。なぜか本日空いていないかヒスイに聞かれたものの、「空いてない」と答えるのが真のコアユーザーと言うものだ。レジクレのみんなもここは我慢してそう答えろと言っていたし。

 しかしなぜだろう。現状に憂い、非常に悲しくなってきたのは。

 

「(いかんいかん。集中しねえと……)」

 

 今は客人が来ている。

 それは俺たちのお得意先である、情報屋のアルゴ。今日に限っては個人的に(・・・・)問いただそうとしている件もある。

 しかしなにも、本能的に女に飢えているがゆえ、彼女とビジネスをしているのではない。単純に彼女が売るフロアボスの情報はバカ安いのである。

 情報の重要さは今も昔も変わらない。《回復ポーション》、宿泊施設、食料など、過去において制約があるものと違って『情報』と言うのは毎月相場が変わっている。より正確には、その平均価格が高くなる一方になっている。

 それも道理だ。仮にゲームがスタートして間もない頃、あるプレイヤーの財産が千コルだったとしよう。『生存率を飛躍的に上げる貴重な情報』が千コルだとしても、おそらくそのプレイヤーは情報を購入するだろう。

 しかしプレイヤーの持つ財産が、平均10万コルほどまで膨れ上がるような層へ攻略が進んだとする。その層で『生存率を飛躍的に上げる貴重な情報』がたったの千コルで買える筋合いはない。単純比例なら10万コルか、それに準ずる膨大な資金が必要になるはず。

 攻略組なら知っていそうな情報が知れ渡らず、中層プレイヤーが重要な情報に手が出せなくて危険に晒される、という現実はこんなところから発生したりする。

 

「と言うわけで、オレっちから言えることはここまでダ」

「おい冗談キツいぜ、こっちはすでに金払ってんだ。ケチケチしてないで教えてくれよ」

 

 ついキツい口調になってしまったが、俺の内心ではフロアボス並みに気掛かりなことがあるからだった。

 むしろ、俺にとってはそちらの方が本命。

 だが彼女の「わからない」という、ぶっきらぼうな一言は誇張ではなく意外だった。

 

「ムチャ言うなヨ。調べても出てこないんダ。あるもので対策を考えるしかナイ」

 

 男でもデキて仕事をサボったのではないだろうが、攻撃パターンや姿かたち、取り巻き出現の有無までわからない。同じ説明を何度もしているのか、彼女もげんなりしている。

 『情報が錯綜していて何が正しいか判断できない』や、『部分的な事実であって全体像ではない』なんて状況でもない。

 まったくの不明。例層にない、大量のクエストが用意されている50層のどこを探しても、ボスについての情報がない。

 

「難しいとか強いとか、そんなものじゃないよねこれ……」

「そうだねぇ。SAOだとぉ、常識っていうかぁ……必要不可欠っていうかぁ……でも、それができないってことは……」

 

 ジェミルとカズは同時に苦い顔をする。創始者である茅場の思惑が、本格的に体現したことを実感したからだろう。

 無論、あのイカれた天才にとって、これはエンターテイメントでしかない。自分の箱庭で遊ぶ捕われの子羊達が飽きないよう、新しい刺激を与えているだけ。人が死ぬのはお遊戯の副産物である。

 強大な敵でもそのパラメータさえ教えてくれれば、いざボスを前にしても理不尽な納得こそすれ、恐怖にすくむことはない。ゆえに25層で大きなインパクトを与えた茅場は、この『ハーフポイント』で前回以上の演出を凝らしているのかもしれない。

 

「『わからない』ってのはな……ハードル上がるぞコレ」

「そうだナ。戦いが始まる前から心理攻撃を受けているみたいダ。それにこの層は、モンスターの出現にかなりスクランブルがかかっていル。大まかな敵の種類を予想することだって至難だゾ」

 

 リーダーも会話に参加こそしていないが、心の中では相づちを打っているはずだ。確認できることが少なすぎて、同じ感想しか持てないのだろう。

 

「時間無いからそろそろ行くが、他に聞きたいことはないカ? ま、答えれるかは保証せんがナ」

「ああ、オレからはもうないかな。あの~、いつも悪いね走らせちゃって」

「ナハハ、情報屋っていうのは足を使うのが仕事みたいなもんだしナ。してロムライルさんヤ、これからも《鼠のアルゴ》をごひーきに頼むヨ。あとジェイドはいい加減ハラを決めて彼女を幸せに……」

「なあアルゴ、ちょっと俺からいいか?」

「…………」

 

 釈然としない顔をしつつ、と言うより半ば呆れながらも、アルゴは一旦言葉を止めて俺の質問に耳を傾けた。

 しかし、からかいに付き合う気分ではない。俺としても乗り気しない質問だが、後回しにする時間もない。

 

「ボスから外れちまって悪いけどよ、例のイベント(・・・・・・)で……ちょくちょくウワサを聞くんだ。……だから確信が欲しい……」

「と言うと、《クリスマスイベント》のことカ?」

「……どっちかっつーとキリトのことだ。今あいつは何してンだ?」

「き、キー坊か……あいつは、その……」

 

 空気が固まる感触。

 アルゴの表情から余裕が消え、冗談めかしたノリもなりを潜めた。

 金も払わないで情報を引き出そうとするな、といったニュアンスではない。だが、俺とて場を悪くさせることを承知で聞いている。

 

「今日昨日の話じゃないぜ。ここ最近ずっとだ。あいつ、前線にもまったく顔見せてないみたいじゃねぇか。聞いた話じゃ、無茶なスピードでレベルアップ目指してるとか」

「こ……個人情報ダ……」

「……いーよ隠さなくて。目指す理由に心当たりがあるんだ……まさかアルゴじゃねーよな? あんなデマカセ(・・・・)をキリトに吹き込んだのは」

「ウっ……それハ……」

 

 口ごもるアルゴを見てほぼ確定的となった疑惑。その責任の矛先に対し、俺はどうしても苛立ち、強く問いかけてしまう。

 まことしやかに囁かれる、ゲームの根底を覆すレアアイテムの存在と、その水面下での争奪戦について。

 

「やっぱりか。《還魂の聖晶石》……人をよみがえらせるアイテム。……なあ、もう今さらだけど……何でそんな余計なことをした? 蘇生アイテムだぞッ!? 意味無いだろそんなの!」

「だって……ッ」

「だってもヘチマもない! ……キリトには、時間軸の問題をどう説明したんだ? ナーヴギアが電子レンジになって脳を焼くなら、『ゲーム的な復活』はなんの意味もない! ……フザけんな。《月夜の黒猫団》は死んだッ! そんぐらいわかってんだろ!!」

「それデモっ!」

 

 声に段々と怒気がはらまれてくると、対抗するように彼女の声も大きく、そして(すが)るような声色になっていた。

 

「キー坊は大量の金を差し出しタ! その時の顔を見たカ!?  1パーセントの可能性しかなくても、やれることをしたいト。オレっちは知ってることを教えるしかなかったんダっ! 教えたことは間違いカ? どうしてオレっちを責められル!?」

「ぐ……で、でも! アルゴも頭じゃ理解してんだろ? ここ(・・)で死んで、あっち(・・・)じゃ死なないなら、俺らはとっくにここから出れてる! こんなのっ、混乱するだけのウイルスだ! 意味がないんだ……だって、誰も報われねーじゃんか!!」

「ちょっ、ジェイドぉ……」

 

 ジェミルは一方的にまくし立てていた俺を遮り彼女を庇おうとしていたが、今回ばかりは下がるわけにはいかなかった。

 どんな思惑があれ、これではミンスとやっていることは変わらない。「死んだ仲間を救える」などと、ケイタを彼岸へほのめかしたあの犯罪者達と。目的に差異こそあれ、やっていること自体は変わらないのだ。

 

「ジェミルは黙っててくれ。目の前でケイタを殺された俺ならよーくわかるぜ。蘇生アイテムを前にした、ケイタの気持ちがな。だからあのバカ(・・・・)は死んだんだ。……自分がいながら、黒猫団を殺されたっつーキリトが……あいつが今、どんな思いでその蘇生アイテムとやらを求めていると思う!?」

「それ、ハ……」

「……ムダ死にになる人間を止めてやるのが、情報屋の仕事じゃないのか!!」

「ッ……クっ……」

 

 アルゴはそれを聞き、数秒だけ逡巡(しゅんじゅん)してからいきなり走り去っていった。俺が強く言い過ぎたのかもしれないが、しかし見当違いなことを言ったつもりは毛頭ない。

 それに、彼女がどう思ったのかは定かではないが、少なくとも事実から逃げ出したのではないのだろう。きっと何らかの行動を起こすはずだ。固唾を呑んで見守っていたレジクレも、その後ろ姿にあえて声をかけないでいる。

 それでも……、

 

「すまんみんな、俺もじっとはしてられない。あのイベントは確か今日だ。……けど、行かせてくれ。ケイタの二の舞にならないようにする」

「あの~、ジェイド。そうは言うけど、場所の見当はついてるのかい? オレもウワサぐらい聞いたことあるけど……」

「そうだよぉ、敵が来る場所はモミの木でしょぉ? 似たような木なんてゴロゴロ生えてたしぃ、その内のどこにキリト君が来るのかもわからないはずじゃぁ……それに時間だってあと1時間もないしぃ」

 

 確かに彼らの言う通りだ。ハナから競争率の高いイベントボス情報を今から集めていては遅すぎる。それに唯一といっていい情報源であるアルゴは、とても追いつけそうにないスピードで走り去ってしまった。

 だがまったく当てがない、というわけではない。

 俺は室外へ出られる扉まで歩くと、指を指しながら続けた。

 

「見たろ、アルゴは《転移門》の方向へ迷わず向かった。てことはたぶん、イベント場はこの50層じゃない」

「う、うん……でも……」

「聞けって。なにもボス位置を俺が知る必要はない。知ってる奴を知れりゃいいんだ。……てかアレだ、ひょっとしてアルゴ自身も予想ついてンじゃねェのか? アイツはプレイヤーがどんな情報を買ったか、その情報すら売買してたな。ってことは、質問が集中している人間を割り出すことは簡単だ……!!」

「わわっ、いきなりスゴく冴えてるね。どうして普段からやらないの?」

「うっせ、ほっとけ!」

「……でも、知ってる人に見当がついている。……確かにその通りかも」

 

 カズの太鼓判(?)も頂戴したところで、俺はメインメニュー・ウィンドウを開いてマップサーチ機能を作動させる。すると、そこには《フレンド登録》をしていている、ある人物の位置が赤い印でしっかりと表示された。

 

「よしこれでっ……これは俺のわがままだ。みんなにはメーワクかけたくない」

「まさか、また単独行動する気じゃ……ッ」

「ワリ、そのまさかだ! 今のキリトは俺の言葉すら届くか怪しい。だからみんなはここで待っててくれ!」

「ちょっと、ジェイド!?」

 

 カズの制止は聞かず、俺は部屋を出ると極寒の地を駆け、ひたすらウィンドウの示す位置に全力疾走した。

 しかし、この層の主街区面積は過去類を見ないほど大きい。もはや1層以来の大きさだ。いくら現実とは比べものにならない脚力をもってしても、下道を徒歩では遅すぎる。

 

「(ちっ、しゃあねぇか!)」

 

 トップクラスに面積が大きい《アルゲード》は、同時にトップクラスに建物が多い。猥雑(わいざつ)とした主街区には1層主街区(はじまりの街)のような大きな建築物こそ無いものの、宿や住宅、その他飲食店から遊技場など数多の店が攅立(さんりゅう)している。

 俺は廃屋の段差を利用して2度ほど跳躍すると、誰の家かも、どんな役割かも定かでない施設の屋根を伝い、それらを飛び移るように駆け出した。

 もちろん、かなりの非マナー行為である。だがこの際は手段は選べなかった。

 

「(どの辺だっけ……)……あ、みっけたッ!!」

 

 走り込むこと数分。ついに俺は探し人の元へと駆けつけていた。

 さらにアンチクリミナルコード有効圏内、つまりダメージが発生しないことをいいことに、俺は高低差のある屋根から勢いよく飛び出し、彼女の目の前に派手に着地する。不快な麻痺が両足を包むが例によって無視。

 すると、あたりの雪が驚いたかのようにフワッと舞い上がり、そのほとんどが着地地点間近にいた人物、ヒスイの全身にドバァッ、と大量に降りかかってしまった。

 

「あ……」

 

 まずい。これでは屋根の上からいきなり俺が現れ、辺りに積もった雪を蹴りでぶちまけたようになってしまっている。もはや個人的な嫌がらせの域だ。

 

「ンねぇえジェイドぉ? あ、あなたは何がしたいの……? もしかしてぇ、オシオキ大好きニンゲンなのォ……?」

「おっおお落ち着けワザトじゃない。そ、それに緊急なんだ。どうしてもヒスイが必要なんだよ!」

「え、それはどういう……?」

 

 全面真っ白になっているヒスイをパンパンはたいて、降りかかった雪を取り除いてやると、キョトンとしてなすがままだった彼女は改めて俺の方を見て聞いてきた。

 

「ねえジェイド、さっきの意味は?」

「重要な頼みがあるんだ」

「ち、ちょっと待って! いつかみたいに宿の交換はイヤよ? パンフを見てここのお風呂はおっきいって……」

「そうじゃない! じゃなくて、その……俺は会いたい人がいるって言うか、えぇっとこの場合何て言えば……」

「え……?」

 

 それを聞くと、ヒスイは何やら期待の眼差しを向け、左手で髪をとかしながら照れたように顔を伏せてしまう。

 

「な、何よそーいうこと!? 初めは断ってたくせに、そういうこと? もう、今さら急いであたしのところ来て……」

「え〜っと……?」

「ああでも、いきなり言われてもなぁ……あ、あたしにも準備と言うものが……」

 

 目じりを下げながらぶっ飛び勘違いをしているようだが、俺の目的は彼女がフレンド登録しているだろうアルゴの位置である。

 主街区広場に必ず設置された掲示板を利用して契約を引き受ける形を取り、フレンド登録を極力避けるアルゴ――影で私的な付き合いによる差別や賄賂がないことを証明するためだったような――であっても、同性同士支え合う彼女達がフレンド登録済みなのは以前の会話で予測がついている。

 見失った彼女が今どこにいるのか。少なくとも目指している地点さえ知られれば、後を追うことも不可能ではない。

 のだが、なぜだろう。なぜか俺は、地雷を踏みにわざわざ死地に赴いたような気がする。

 

「ああヒスイ……さん?」

「も~もっと早く言ってよね。女の子は化粧とかいろいろ時間かかるんだから。あまり夜遅いと美容に悪いし、それに」

「もしもーし、ヒスイってば! 俺はアルゴに会いたくて、その……場所を聞こうと……」

「さよなら」

「ちょっと待ってぇええッ!!」

 

 軽やかな足取りで180度ターンを決めたヒスイを止め、俺は何とか状況を説明した。

 人探しは労力を使う。新たな発見だ。

 

「ってわけで、どうしてもあいつの場所が知りたいんだ」

「……ふぅ〜ん……あっそう」

「へそ曲げずに……頼むって!」

「どうしよっかなぁ〜。プライベート情報だしなぁ〜」

 

 腕を組んでジト目な彼女は、事情を聞いてもとても不機嫌そうである。キリトの自暴自棄を止めるにはどうしても協力が必要だが、この態度を見るに一筋縄でいきそうにない。

 しかし、俺はあることを思い出した。

 

「あ、そうだ。こんな時だから忘れてたよ。ヒスイに渡したいモンがあったんだ」

「……渡したいもの?」

「やーほら、前から誘ってくれてたろ? もしかしたら機会あると思って買っといたんよ」

「へっ? な、なにを……?」

 

 アクシデントのせいで遅れたが、まさにうってつけのタイミング。

 俺がここぞとばかりにストレージを漁りだすと、ヒスイは少しだけ尖らせた口を緩めた。

 本日はクリスマスイヴ。攻略のせいで一緒に行動できなくても、会ってアイテムの交換をするぐらいの時間ならすぐ。ゆえに俺は、数日前からオフの時間を使い、慣れないアパレル店に足を運んでいたのだ。

 

「これ。戦闘用じゃないけど、手袋をさ。……その……ようはプレゼントだ」

「ウソ……え、これ、あたしに!?」

「おう。ケッコー悩んだんだぜ? レースの色、赤や青もあったけど、冬にはやっぱ白かなって」

 

 差し出されたレディースの手袋を見て、まさかこんなサプライズがあると予想していなかったのか、彼女の目はパチクリと開いている。

 手首に白いレースと、可愛らしい十字のベルトがアクセント。裏起毛(うらきもう)のそれは保温性も高く、外もしなやかな黒の(レザー)が使用されている。

 値は張ったが、店売りではこれがヒスイに最も似合うと感じた。

 という意図を汲んでくれたのか、両手で受け取った彼女の声はわずかに潤んでいた。

 

「う、う、うれしい! ありがとう、ホントに。まさかあなたまで、こんな……あっ、あたしもね! 実は用意してたの。……あの、これ……」

 

 彼女は耳まで赤く染めながら、赤いリボンで綺麗にラッピングされた長方形の白い箱をオブジェクトした。

 今度は俺が驚く番である。プレゼント交換なんて、こんな事態でなければきっと嬉し恥ずかしすぎて卒倒していただろう。

 

「うお……さ、サンキュー。開けていい?」

「うん……」

 

 鬼が出るか蛇が出るが、なんてこともなく、そのギフトボックスには長方形の編み物が詰まっていた。

 

「これは……へぇ、マフラー! メチャもふもふじゃん。どうしたんだ、これ?」

「えへへ。《裁縫》スキル持ってたら編んだんだけど、どうせなら質がいいのをあげたくて。……い、色……とかは、ジェイドが好きかな〜っていうのを……」

「マジ最高だよ! うはぁ、前の店で買わなくてよかった〜」

 

 基調は暗褐色で、柄の半分はストライプ。質感のあるウール。俺が常用する装備の色合いと、背負う大剣の邪魔にならない大きさを選んでくれたのかもしれない。

 彼女なんてモテモテなので、匿名で大量の求愛ポエム付きアイテムが郵送されているだろうが、まさかヘイトを貯めるのが得意な俺が、人からプレゼントをいただくとは。人生なにが起こるかわかったものではない。

 

「一生の宝モンだ。年中使うわ」

「あはは。でも、冬だけにしときなさい」

「そりゃ確かに! なっハハ。じゃあこの流れでアルゴの場所教えてちょ?」

「うふっ、うふふふふふふ……」

「なはははははっ!」

「うふふふふふふふふふふふふふふふ……」

「はは、は……あ〜〜……っと、その……」

「雪に埋めてやろうかしらこの男」

「ヤメテ! 言うて10センチも積もってないからヤメテ!」

 

 それほとんど土に埋めてる!

 なんて言いつつ、眉をヒクつかせこめかみにお怒りマークを浮かべつつ、事情を知ったヒスイはため息をつくと、これ以上の意地悪はしないでくれた。

 時間にして10分ほどだったが、これ以上は猶予がない。

 

「ほら、ここよ。……でも、またトラブルに首を突っ込んで」

「トラブルってわけじゃ……」

「あなたもお節介ね。あたし、自分の償いに人を巻き込んだことはないわ」

「……こいつばかりはヒト事じゃない。キリトん中でケジメがついてないなら、せめて俺ぐらい最後まで付き合ってやらねーと」

「……ふん。またそうやって……あたしを心配させればいいんだわ」

「すまんって。でも今日はありがとなヒスイ! 絶対いつか埋め合わせするから!」

「もうジェイドなんて知らない!」

 

 なかなか噛み合っていない言葉のキャッチボールを済ませたら、後は再び全力疾走。非生産的なコントで時間を少し食ってしまったからまた屋根の上だ。

 

「(またぞろおかしなウワサが立たなきゃいいけど……)」

 

 『クリスマスイブ』という、多くのプレイヤーが主街区で過ごす日の中で、俺は屋根から屋根へなんちゃってニンジャのように飛び移っているわけだが、これでまた不本意な知名度アップをしないことを祈るばかりである。

 

「(つーか恋愛にふけっているヒマがあんなら、その熱意を攻略に向けて励んでほしいもんだぜ……)……あ、女の攻略に励んでんのか」

 

 そこまで考え、ふと自分のことを棚に上げているように感じ、俺は考えることをやめて主街区の屋根を走り続けるのだった。

 

 

 

 50層主街区(アルゲード)から35層主街区(ミーシェ)へ、さらに主街区を飛び出してフィールドダンジョンである《迷いの森》へ俺は歩を進めていた。この方角がヒスイから聞くところの『アルゴが向かった先』だったからだ。

 だが様子がおかしい。ここに来るまでに40分以上は費やしたし、先にあったヒスイとの会話にも10分は使った。つまり、そろそろ深夜である。静まり返っていてもおかしくない時間帯と場所の割には人の気配がありすぎる(・・・・・)のだ。

 

「(フィールドがざわめいてるみたいだ……)……あっ、アルゴ!」

 

 草木に身を潜めていたのに真後ろから俺に声をかけられて驚いたのか、反射的に振り向いたアルゴは慌てて人差し指を唇に当てるジェスチャーをした。

 仕方なしに無言になると、俺は《隠蔽(ハイディング)》スキルを発動させつつ、滑り込むようにアルゴが隠れていた茂みへと突入する。

 

「声は抑えたつもりだったけどな。……てか、こんなところで油売ってどうしたんだ? キリトは……」

「シッ! どうやってオレっちを追ったかは聞かないが、今は黙ってみてロ。キー坊の後を追っていた《風林火山》と、さらにそれをつけていた《聖龍連合(DDA)》が会っちまったところダ。このままじゃ斬り合いになっちまうカモ……」

「ま、マジかよ……?」

 

 見ると、確かにそこにはアルゴの言うメンバーが勢揃いしていた。フィールドボスもびっくりだ。

 おそらく目的は同じだろう。風の噂で耳にした《ジ・アポステーター・ニコラス》、またの名を《背教者ニコラス》なるイベントボスを討伐せしめんと集った者達だ。

 あと数分で出現するだろう敵をいち早く討伐して、『ゲームオーバー帳消し』のレアアイテムを争奪する。

 しかしここはソロや小ギルドには出せない利点、トップ級かつ大ギルドであるDDAは、よもやの30人以上も引き連れている。どう転んだってキリトや《風林火山》では彼らの行動を止めることはできないだろう。

 

「どうすんだ、ありゃ……あっ!」

 

 突然、キリトが次のエリアに向けて走り出した。当然のようにDDAの連中は追いかけようとするが、今度は《風林火山》が彼らの前に立ちはだかる。数倍の戦力を誇る相手に対し、玉砕覚悟で《風林火山》だけで止めにかかったのだ。

 しかしこれでは、逆にキリトだけがボスの元へ到着してしまう。すると次はどうなるか。

 考えるまでもない。彼は単騎でもボスと戦うだろう。

 相手は《イベントボス》。層が持つテーマ、あるいは関連する物語やら裏設定やらを重視し、文字通りイベント日を優先して配置されることが多い。

 つまり、層に見合わないほどの強力なモンスターが平気な顔で出現してくるものなのだ。万が一のことがあれば、無茶なレベリングを繰り返したキリトでさえあっさり返り討ちになりかねない。

 止めなければならない。早急に。

 俺は隠れるのをやめて広場へ飛び出した。

 

「キリト行くなッ!!」

 

 役者は揃ったとばかり思っていたのだろう。

 あらぬ方向からの大声で、エリア移動直前のキリトも足を止めてこちらを向いた。おそらく最後のチャンスだ。

 

「聞けキリト! 蘇生アイテムはウソっぱちだ!! あのギルドはもう帰らない! テメェが1番よくわかってるはずだ! くだらねェ妄想なんだよ、キリトっ!!」

「ッ……うるっせぇよ! くだらなくない! ジェイドは何もわかっちゃいない!! サチを裏切った俺は、1人でも行かなきゃいけないんだッ!!」

 

 それだけを言い残し、2度と振り返ることなく一気に走り抜けていった。

 『サチ』なる人物が誰なのかは、ほんの数時間だけ懐古談に興じたケイタから聞いたことがある。キリトとの深い関係までは知らないが、その女となんらかの約束をしてしまったのだろう。そして、結果的に裏切る形となり、彼ら全員がこの世を去った。

 だが、理由がなんであれ俺はキリトを止められなかった。ケイタの時同様、また止めることができなかった。この既視感が嫌な予感を助長させ、じわりと広がる悔しさが背中に重くのしかかる。

 

「くそッ、追わなきゃ! あいつを追わなきゃいけないんだ! ジャマすんなテメーらっ!!」

 

 しかし立ち塞がるのは《風林火山》とDDAの乱戦。コントロール不能の戦場を俺だけが体よく切り抜けられるはずがない。そしてプレイヤーというのは、一騎当千のような圧倒的戦力を得ることはない。同レベルなら2対1でも少数側は勝ち目が薄いだろう。

 勝手な都合で戦線を突破できる道理はなく、俺は波に呑まれるとあえなく抜刀しつつ応戦した。

 物量の決定的な差からか、俺の相手はもっぱらDDAのようだ。だがそれでもこの最大級ギルドは余裕があるのか、手持ち無沙汰なプレイヤーすらいるほどである。

 

「ジェイド! 説明は後だ、オレたちも加勢する!」

「なッ、ロム!? それにみんなも……」

 

 ここで、突如エリアを移動して現れたのはレジクレの残り3人だった。

 リーダー兼タンクことロムライルと、サポーターのジェミル、ダメージディーラーのルガトリオ。全員が完全武装で突撃してきた。

 

「へへっ、元からギルド登録者のサーチをしてたからねぇ。ジェイドの行動は筒抜けだったよぉ?」

「それに君1人じゃ何もできないで……しょッ!!」

 

 けたたましい金属音と共に、俺に迫りつつあった多くの凶器は一時的に遠退いた。

 元から定められていたコンビネーションアタックをアイコンタクトだけで済ませると、俺達レジクレは《風林火山》に加勢する形で勢いを取り戻す。

 もとよりレジクレ、並びに《風林火山》には独自のネットワークがある。この協力体制は事前に話し合っていなくとも自然となり立つ。

 

「ちっ、なんでお前らはあんなソロ野郎に加担する!!」

 

 そこでDDAの副長でもあり、指折りの実力者でもある『エルバート』が前に出て剣を構えてきた。

 オールシルバーの眩しい髪が左側だけ大胆に掻き上げられ、右に垂れるひと房の三つ編みをいじるのがクセのナルシスト。しかしこいつの人望と実績は伊達ではなく、意外にも奇策に頼らない堅実な戦いを好むため、敵に回すと精神的にも厄介な相手だ。

 という内情について、ソロ時代に本気で加入を考えたDDAのことはある程度知悉(ちしつ)している。

 

「友人だけは情が移るか!? だとしても、アイテムは1つ……あの男のストレージにしかドロップしない! まるで割にあってないだろォがッ!!」

「副長の言うとおりだ! あいつはあの『ビーター』だぞ!? 知らないとは言わせねぇ。それを庇うのがどんなことかわかってんのか!?」

「く……じゃあ、あんたらが剣を引けよ! 俺があいつを止めてくるっての!!」

「そうだそうだ! ビーターは関係ないし、それに陰口する人は嫌いだ!」

「えぇいうるせぇ!! そんな戯れ言を信じられるかッ!」

 

 無意味な言い争いを終え、また各々がその手に持つ愛剣を振り回す。

 レジクレ、DDA、《風林火山》。攻撃を受けた順番にもよるが、そこにはグリーンとオレンジのプレイヤーアイコンが乱立することになる。

 

「うおぉおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 男達の雄叫びは、何十という重なりを持って暗影の闇に鳴り響いた。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 それから30分後。

 やはり人数差が倍以上離れていたからか、リンドとエルバートが指揮する安定したポットローテーションの前に苦戦し、俺達レジクレと《風林火山》の混合部隊は見事に惨敗した。ついでに、奴らは少なくない量のアイテムを俺達からかっさらって立ち去っていくことになる。『見逃し料』というやつで、本気で拉致されたくなければ従うしかない。

 そして、おそらく今から討伐に向かってもボスが出現する『1時間』という制限を越えると考えたのだろう。プレイヤー同士の戦いが終わると、DDAはキリトやニコラスではなく、レア物を諦めて主街区の方向へ歩いていった。

 しかし、奪われたアイテムなど問題ではない。

 

「ハァ……ハァ……結局……帰ってこなかった。……クライン、そっちでも確認してくれ。キリトは……生きているか?」

「ゼィ……ああ、生きてる……ハァ……あいつは死んじゃいねぇ」

「よかっ、た……ハァ……本当によかった……」

 

 キリトの安否、それだけが不安だった。

 その朗報を受けて俺はようやく安堵すると肩の力を抜く。もう長いこと筋肉を強ばらせていたような感覚だ。

 

「ねえジェイド、キリト君は蘇生アイテムを手に入れたと思う?」

「……これだけあったんだ。相応にシンピョー性が高かったらしい話だ。何らかのリワードがねぇとな……」

 

 息も整いだすまで時間が経過して、ようやく《索敵》に1つの反応。キリトのものだった。

 だが喜ぶのも束の間。視界に入るほど近づいたキリトには生気がまったく感じられず、何もかもを失った幽霊のような存在感だった。

 

「キリ……ト、オイどうした。まさか何もなかったってのか?」

「…………」

「なあキリト、何とか言ってくれ……」

「じゅう……秒だ」

 

 俺の声を遮って、次にキリトの口から発せられた声色は異常に(しわが)れた雑音に近いものだった。

 

「死んでから……10秒以内のプレイヤーを……復活させてくれるアイテム。……それが報酬だ……」

「たったの、10秒……? それが発動条件か……」

 

 それが、プレイヤーの体力ゲージがゼロとなってからSAOのソフトがそのハードへ信号を送り、《ナーヴギア》が感知して高出力マイクロウェーブを脳内に流し込み、人体を死に至らしめるまでのおおよその時間。

 やはり半年も前に失った人間を蘇らせることなどできやしなかった。わかっていたがこれが現実だ。

 俺とてそのアイテムは『死者を完全な形で甦らせる』ものではなく、『所有者の死を身代わりに引き受ける』程度の、よくある身代わり札のようなものだと思っていた。

 

「ごめん。みんな……こんな俺のために。ジェイド達も……でも俺はなにも……」

 

 キリトはその場に両膝を着き、両手で心臓をかきむしるようにしながら(こうべ)を深々と垂れた。

 今は亡き《月夜の黒猫団》への謝罪でもあるだろうその痛々しい姿は、さながら俺がしばらく前にアリーシャのために行ったそれと重なって映る。

 

「ツラ上げろよキリト。わかってるって、誰も責めやしねぇ。……けど今回限りにしてくれ。これできっぱり死んだ奴はあきらめるんだ。たとえ誰のためでも、自分の命をおざなりにしていい理由にはならない。だろう?」

「…………」

「俺達はこれからオレンジになったメンバーのカルマ回復クエストに行く。その手伝いをしてくれよ。……そんで全部チャラにしよう。全部な……」

「……ああ。あり……がとう」

 

 ようやくキリトも納得したのか、少しだけ頷いてレジクレと《風林火山》の後ろについて来る。

 俺だけが勝手に話を進めてしまったが、他の誰もが文句を言ってこなかった。仲間意識があるとは言え、やはり根っからのお人好しメンバーなのだろう。

 

「まったく、おまえさん達を見てると心臓に悪いヨ。特にキー坊はナ」

「アルゴ、来てたのか」

 

 草むらからひょっこり顔を出したアルゴに、初めて認知したキリトがそう漏らす。戦闘員でない彼女は隠れるしかなかったのだろう。

 

「アルゴいたのかよ~、助けを呼んでくれても良かったろーに。薄情なやっちゃ」

「無茶言うなよクライン。こっから最寄りの街マデ、敵を回避したらどれだけかかると思ってるんダ。……いつも同じ……オレっちはいつも送り出すことしかできない弱小者サ。自分では何もできないヨ……」

 

 なんだか男が囲んで女を虐めている構図になってきて、アルゴは叱られた犬のようにしょんぼりしてしまう。

 そして性別的カースト制度の優劣関係がはたらき、非難するような視線は自然と赤髪無精髭の男に集まった。

 

「泣かした……」

「リーダーが女の子を……」

「あ~あ、やっちゃったやっちゃった」

「ちょっ!? いとも簡単に手のひら返しやがって! おめーらはもっと薄情だよちくしょう!」

 

 俺は気づく。やっとこさキリトがクスクスと笑っていることに。

 彼のこういう性格は、キリトのように思い詰めてしまうタイプの人間にはどうしても必要なのかもしれない。事実、先ほどまでの暗い空気を明るい雰囲気に変えたクラインの行いは偉大だ。計算づくならなおいいのだが。

 

「(何にせよ、解決して何よりだ)」

 

 殺伐とした浮遊城で俺達はクリスマスを迎えた。

 だが決して不幸なわけではない。両手いっぱいの幸せを、煌めく雪が祝福してくれているかのようだった。

 

 

 



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第55話 開戦

 西暦2023年12月27日、浮遊城第50層。

 

 いよいよ、としか表現できない緊張感。

 現状最高級の甲冑を鳴らし、(せわ)しなく情報交換する戦闘集団。もちろんその装備は伊達ではない。

 俺達フロアボス討伐隊は、廃墟に近い石城跡に集まっていた。

 

「(相変わらずスッゲー人数……)」

 

 もともとは観光名所だ。空を綺麗に反射する澄んだ浅瀬の湖が有名で、無人の城跡(じょうせき)はおまけと化している。

 城といっても、それは焼き討ちされた後であり、黒く酸化したコンクリート状のオブジェクトで形成されているからだろう。不気味な空間には俺達以外にNPCの気配すらなく、そのせいか歴戦の戦士達もどこか浮足立っていた。

 俺も例外ではない。『50層のボス』というプレッシャーに、待機しているだけでうなじの辺りがチリチリして重圧が押し寄せる。

 まず間違いなく、過去最も激戦となることが予測される、最大級の戦い。その幕が上がろうとしていた。

 

「んでロムライル、俺達はなにやれって?」

 

 指示を(たまわ)ったリーダーが帰還し、鉄のバイザーを上げたまま答えた。

 

「……ああ、今DDAのリンドさんに聞いてきたよ。オレ達は『D隊』、つまりタンク役割だ。と言っても臨機応変にね。敵の大体の像すらイメージできない状況だ。ヘイトを薄めないように、それでいて受けるだけじゃなくて、時には回避優先でボス戦に当たろう。今回、レイドリーダーを務めるリンドさんも無理してガードに徹しなくていいと言っていたし」

「ま、ブナンなところか……」

 

 そう言いつつ、冷たい石畳の上に腰を下ろして、せわしく情報交換をする聖龍連合(DDA)血盟騎士団(KoB)の連中を手持ちぶさたに眺めた。今回の戦いにKoBは参戦しないらしいが、作戦会議広場に集合しているのは習慣のようなものだろう。

 無論、軽口を叩いているが俺も緊張している。

 しかしここで、ジェミルが文句たらたらな感じでリーダーに質問をしていた。

 

「ねえロムぅ、もっと前衛に立って攻撃役に回れないのぉ? ボクら最近守ってばっかじゃん。それにどの道ぃ、ボス戦だとタンク役も全然安全じゃないよぉ?」

 

 彼は攻撃役を引き受けたいらしい。まったく、ボス情報がない中でも好戦的なことだ。

 

「わかってるけど仕方ないだろ? どこのギルドもラストアタックは決めたい。けどうちらは1つの隊の単位である『6人』に達していない。むしろ参加できるだけ僥倖だよ」

 

 足りない人数分は名も知らぬ――今はパーティ登録しているので知っているが――ソロのはぐれプレイヤーが2人あてがわれている状態だ。確かに文句ばかりを言っても詮ない。

 ちなみに、集まったは60人ほどの攻略組である。レイドの参加可能限度は48人だから、名乗り出たプレイヤーは多い方かもしれない。

 しかし前回のクォーター時より人数が少ないのは、やはり植え付けられた恐怖ゆえだろう。LAボーナスが見合うかは人それぞれの見識によるが、不透明な報酬に命を懸ける人間がこれだけ集まったのには驚きだ。

 実際、俺以外のレジクレはあの戦いを体験していない。だからこそまともなコンディションを保てているのかもしれない。『知らない』というのは、時に人を無謀にさせるのだ。

 そしてモチベーションが高い最たる理由もある。それは十分なレベリング時間である。

 先ほどリンドの部下が集計したところ、今回のレイドにおける平均レベルはなんと64だとか。50層であることを考えると、もっと早く討伐に乗り切っても良かったぐらいだ。そこをあえて引き延ばしたということは、予想される敵のポテンシャルを踏まえ、DDAの総意として警戒を厳にしているのだろう。

 余談だが、レベル63の時点で追加された俺の11個目のスキルスロットはまだ確定させておらず、気に召したものをいつでも選択できるよう開けてあるほどである。

 とそこで、チャラい赤髪メッシュの男がチャラチャラと話しかけてきた。

 

「お!? お~お~レジクレじゃないか。そういや、こうしてお互いフルメンでボス戦参加って久々だな」

「ようアギン、おひさ。救済と解放(SAL)は最近どうよ、誰も欠けてねぇだろうな?」

 

 サルヴェイション・アンド・リヴェレイション。攻略組きっての古参ギルドだ。

 俺に話しかけてきたのは、そのリーダーを務めるアギン。特段行動を共にした時間が長いわけではないが、なんだかんだ腐れ縁なのだろう。こいつともずいぶん長いつき合いである。

 

「まーな。んで、今日は参戦できなかった25層ん時のリベンジさ」

「参加しなくてよかったと思うぜ。たぶん、不参加の連中が想像する以上にカオスだったから」

「ビビらそうってもそうはいかん。取って置きの《ペキュリアーズ・スキル》持ちの武器も用意したしな。つうわけで、LAはおれらが頂戴するぜ!」

「先輩、死亡フラグ乱立するのやめて下さいな……」

 

 セリフに対し俺も何となくそんな気はしていたが、フリデリックがきちんと上司のフラグをへし折っているようだ。もっとも、たった5人で死線をくぐり抜けた最古参。放っておいてもそう易々とやられないだろう。

 

「ふっふっふ、それにな。今回足りない1人分の枠にはなんと! あのヒスイさんが入ってくれるんだとさ! フハハハハッ。今日からおれも勝ち組よ!」

「……ったく、よく言うぜ……」

 

 リアルではホストで働いていたとか何とかのたまっていた。あれはウソだったのだろうか。またもフリデリックに呆れられた眼を向けられている上に、このような純粋すぎる男には勤まらない仕事な気がするのだが。

 しかもこの男、普段は凛々しいアニキ分なくせに、なぜか俺にちょっかいをかける時だけ年齢退行しているような気さえする。

 それにKoBにもDDAにも女はいるのだ。どうしても一緒に狩りがしたいのなら、あれら大ギルドにでも参加すればいいだけの話である。そうでなくともルックスを武器に手当たり次第に話しかければ、何人かは釣れるだろう。本気で言っていないだけだろうが。

 

「みなよく集まってくれた!」

 

 広場一帯に響き渡る音量で、澄んだ声が聞こえた。今回のレイドリーダーで《聖龍連合》がトップ、リンドのものだ。

 

「ここはハーフポイント! クォーター戦の失敗……それを踏まえると、人数は不足すると思っていた! だが皆は逃げなかった! 俺はこのメンバーならきっと1レイドでもボスを倒せると信じている!!」

 

 俺はそれを聞いて、どうしてもクォーター・ポイントにおける物量至上戦闘を思い出してしまう。

 当初96人いたレイドの平均レベルは確か32。圧倒的に勝率が高く、そして圧倒的に死者発生率の高い状態で挑んだ最悪の愚行。あの凄惨な地獄のことを。

 だが今回は違う。

 俺達はあの時とは比べものにならないほど洗練されている。統制を強化し、小回りの利く人数と多少は無理が通用する高レベル。無駄がなくなれば余裕が生まれ、余裕が生まれれば視野が広がる……とは有名な言葉だ。

 

「役割は各リーダーから聞いたな! 各自再確認をし、すぐにでもここを出発! 少ない情報で不安になるとは思う! けど装備もサポートも全力、かつ最高級のものを用意した! 今日中にボスを叩くぞッ!!」

 

 オオォオオオオ!! と、轟音が鳴った。何十人もの男が喉仏を震わせて腹の底から絞り出した音だ。まるで不安や焦りを吹き飛ばそうとする圧巻の叫び声。

 暴力的な音量が撹拌(かくはん)する中、カズが近づいてきて言った。

 

「やれるよジェイド。僕達は油断をしない。そしてこの層を死者無しで乗り切る。これで全部解決でしょ?」

「……ああ、それで全部解決だ。クソゲーはクソゲーらしくワンパ戦法でも何でもして、ギッタギタにノしてやる!」

 

 拳を握りしめる。年内最後の月の真冬、《攻略組》は午前の穏やかな日光に照らされて街の門をくぐるのだった。

 

 

 

 ソロでも余裕で進撃できるほどステータス的マージンをたっぷりとった討伐隊は、瞬殺で雑魚を突破し昨日見つかったボス部屋の前に到達した。

 道中は戦国時代の合戦地や、悪僧はびこる(という設定の)寺院跡、また小規模な城でいかにも和風の敵が湧出していた。これもボス特定のヒントになるのだろうか。

 ……いや、よそう。今さら考えても鈍るだけ。

 幸い、剣に迷いはない。ボスを殺して全員無事に次の主街区に行くだけだ。

 俺はそのために惜しげもなくレアアイテムをストレージ内に詰め込んできている。

 21層ボス、《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》へのLAドロップアイテム、《レザレクション・ボール》。これは体力、阻害効果状態(デバフステータス)、装備中の武器と防具の耐久値を即座に全快してくれる。

 25層ボス、《リヴァイヴァルファラオ・ザ・ペアギルティ》へのLAドロップアイテム、《ミソロジィの四肢甲冑》。これは敏捷値の強化、筋力値の超大幅強化、体力総量の補正、部位欠損中でも装備できてオートガード付き防具。ただし時間制限があり、メンテナンスも不可能。

 どちらも強力だ。それぞれ優秀な効果を秘めた、この世界における唯一無二のアイテム。それを俺はいつでも使用できるよう準備万端にしておいた。レザレクション・ボールはポーチの中の取りやすい位置に、甲冑は派生機能(モデイファイ)の防具用クイックチェンジ先に登録してある。

 

「今日の戦いでぇ、ジェイドは今までのLAアイテムは使うのぉ?」

「無理して使うつもりはねぇけど、まぁヤバくなったらな。少なくとも、可能性は今までで最も高いだろうな」

 

 そばかすのチビスケの質問に俺はそう答える。

 使わざるを得ないほどピンチに陥るかはわからないが、備えがあればお守りとしてのプラシーボ効果もはたらく。トランプで言ってしまえば、ジョーカーを初手に握った大富豪のようなものだ。

 

「そこ、私語をしてないで集中しろ。……さて、あんまダラダラ話すのはガラじゃない。すぐにでもボスの部屋に入ろうと思う! だがこれだけは言わせてくれ……全員死ぬなよ!」

 

 それを聞いて、俺はふと1層で《イルファング・ザ・コボルトロード》と戦う前の、あの『ディアベル』が指揮をしていた討伐を思い出してしまう。

 当時も討伐隊は余裕で勝てると信じていて、そしてディアベルの「死ぬな」という一言に力をもらった。

 皮肉だ。それを誓わせた本人が、真っ先に約束を破ったのだから。

 だが、それは強烈な教訓となった。眼前で開いた門の奥、そこに例えどのようなボスが出現するのだとしても、犠牲者を出さない誓いがたった。

 それを自覚すると流れる緊張の密度が一段と濃くなり、それぞれが決戦の予兆を鋭い嗅覚で感じとっていた。

 

「全員、突撃!!」

『うぉおおおおおおおッ!!』

 

 俺だけではない。レジクレ、パーティメンバー、ひいては討伐隊全員が心臓を覆う死神の手を(はら)わんと気合いを一喝させた。

 咆哮と前進。撤退の際に大いにクセモノになるだろう、ヤケクソなまでの広い部屋。

 中央まで進むとガンッ! ガンッ! ガンッ! と、真っ黒な固形物が4つ、天井から降ってきて討伐隊の歩を止めさせる。さらに2メートル四方の立方体らしきそれらは徐々に膨らみ、変形することで『ある姿』を形作った。

 すなわち、『人型』を。

 全モンスターは同時にHPゲージを1段で表示。名を《ジ・エクスキューショナーズ》と判明させ、各々が辛うじて輪郭を判別できる――全身が真っ黒なため――鎧と4種類の武器をその手に持った。

 よく目を凝らすと、武器にだけはわずかに色がついていた。

 1体目は《直剣》カテゴリの片手剣(ワンハンドソード)を。

 2体目は《刀》カテゴリの打刀(ウチガタナ)を。

 3体目は《曲刀》カテゴリの蛮刀(マチェーテ)を。

 4体目は《細剣》カテゴリの細身剣(レイピア)を。

 

「(4体同時なのか……ッ!?)」

 

 バリエーションに富んだ、過去最多数を誇る定冠詞を持つモンスター群。ゲージ数の合計こそ他層と変わらないが、これだけ珍しい光景はSAOにアカウントをおくプレイヤーにとって初見だろう。

 約3メートル半の巨人4体と《攻略組》48人の全面対決。

 漆黒の肌と赤い目を持つボスが4体も並ぶと、恐怖とも武者震いとも言えない震えと全身を逆撫でるような鳥肌が立った。

 

『ガガギギギギガガガガッ!!』

 

 金属片を擦り合わせたような不快な叫び。その一喝で戦闘が始まった。

 

「怯まず情報を集めろ! それをチームで共有しろ! 敵の数は4! 攻撃隊はさっさと片づけてタンクの元へ! 指示のない隊は時間稼ぎに徹するんだ!」

 

 すぐさまリンドの指令が飛び交う。

 4体ものボスを前にさすがの指揮力である。慌てず的確、リーダー足る最低限の心構えを備えている。培った経験則が彼に統率者としての気質を与えたのだろう。

 

「おいG隊、敵の数が多い。予定変更だ。A隊の援護に回れ。先に仕留めるぞ!」

 

 A隊、すなわちリンド率いる小隊の伝令役が、俺達の隣で戦っている隊に指示していた。

 A、B、C隊の18人は主にDDAが構成している。C隊のみ攻撃特化型(ダメージディーラー)で構成された小隊だ。各隊からエリートを詰め込んで、より好戦的なパーティにしているのだろう。キリトもここにカテゴライズしている。

 次にD、E、F隊について。俺の所属するのもD隊だが、これらはいわゆる壁役(タンク)隊だ。

 A、G隊が特攻をかけて可及的速やかに攻略を進めるというのなら、おそらくB、H隊も2体目のボスに対して同様に電撃戦に持ち込み、短期決戦を図るだろう。

 最後はG、H隊の説明。これらはバランスタイプで、本戦闘において先ほど攻撃特化隊とスピード攻略を任されている。俺達が残りをせき止めている間に、せめてとっととぶっ倒してほしいものだ。

 

「ロム、削れるだけでも削ろう! ボクらの踏ん張りはあとで攻略全体の助けにもなる!」

「……わかった。ジェイド、ルガ! 2人で右へ! 挟み撃ちでなるべく減らしていこう!」

「了解だ! けど絶対無理すんなよ!」

 

 1番端に落下した《レイピア》使いのエクスキューショナー。それが俺達D隊の足止め対象だ。

 攻撃をして通ればよし、通らなければ援護が駆けつけるまでヘイトを貯める程度にとどめる。難しいことではない、今までさんざん任されてきた任務の1つだ。連携の甘いソロプレイヤーが同じパーティにいるが、やはりこれも初めてではない。

 今まで通りに。今まで通りに……、

 

「お、おいジェミル! あまり踏み込みすぎるな!」

「いやいける! ボスのバーは目に見えて減ってるよ!」

 

 確かに俺の想像以上に、メンバーの攻撃に対してダメージ判定が入っていた。

 当初の予定通り『出し惜しみをしない』なら、この6人で1体を倒しきるのは不可能ではない。敵の体力はそこらの今日MoBより多いが、攻撃モーションの数だって例層と大差ない。

 いったいどうしたというのだろうか。レッドゾーンに落ちてからの進化や強化も考えられるが、体力が2割以下まで落ちた時点で、1本しかないゲージを飛ばしきることなど容易なはず。

 茅場晶彦という人間は理不尽な死こそ避けるが、決して甘い男ではない。それとも、『事前にボス情報を与えない』という事態に、討伐隊が慌てふためくとでも思ったのか? 攻略組の強みはその順応性だ。初めて踏み込むステージでは否応なく培われていくものである。

 少なくとも、このままではいつものボス攻略とさして変わらない戦いが続くだけ。

 

「(ジェミルは早速悪いクセが出ちまってるけど、絶対このまま順調にはいかないはずなんだ……)……なのになんでっ、何も起きないッ!?」

 

 このまま順調にはいかないはず。けれど、このままいってほしい。そんな相反する警戒と羨望の中、敵の体力ゲージは10分でとうとう4割近く減少した。

 しかも、2つの隊で当たっている2体のボスなどほぼ倒しかけているではないか。初っ端から全員本気とはいえ、本当にこのまま……、

 

「……ッ!? 反応がある! 後ろに注意しろ!!」

 

 俺の指示を聞いてD隊、および声の聞こえる範囲にいた討伐隊が出入り口を振り向く。

 そこに立っていたのは黄金色の仏像だった。

 全長は目算で5メートル半。肌の色と見分けのつかないような布をなびかせ、目と口を開く奴の表情からは喜怒哀楽のどれも読み取れない。そして背中からは、異様に長い腕を8本も触手のように伸ばしている。厄介な攻撃をしてくることは間違いないだろう。

 このタイミングで登場したということは、ボスを支援する取り巻きだろうか。

 

「(いや……違うっ!!)」

 

 俺は頭をよぎった楽観思考をすぐに否定した。この仏像を模した多腕モンスターのプレッシャーは並大抵ではない。おそらくは……、

 

「やっぱ2層と同じかッ。全員聞け! いま戦ってるのは本当のボスじゃない! 真ボスが出入り口にPoP(ポップ)してる! 全員後ろを警戒しろッ!!」

 

 俺の言葉を聞いた伝令役は、急いで《片手剣》を持つボスと戦っているA、G隊の元へ走っていき、そのリーダーに異常事態を知らせていた。

 リンドも振り向くと、すぐに新たな指示を出している。

 

「伝令! 伝令! タンク隊はそのまま! アタッカーは最初のボスをもうすぐにでも倒しきれる!」

「タンク隊以外の全パーティで真ボスに当たる! PoTローテを心がけろ! あくまで奥の手は真ボスに対して使用するように!」

 

 命令ではなんと言おうが、やはりリンドはLAボーナスが欲しいのだろう。

 参加していないKoBに対するDDAの威厳というのもある。真ボスの相手は放っておいてもリンド達が引き受けるに違いない。

 

「ロム、エクスキューショナーは俺らでやろう。ルガ、コンビネーションアタックだ! Aの2!」

「了解! 僕が先に行く!」

 

 これは目潰しから入る連続攻撃である。

 推測通りなら弱点設定にされているはずの『首』を狙うことができるはず。

 

「ぐくっ……行ったよジェイド!」

「任せろ、スイッチっ!!」

 

 《ソードスキル》。重力設定が現実に沿っているこの世界で唯一、その重力すら無視して行動できる、魔法に変わるSAOの必殺技。

 カズの先手。打撃(ブラント)系専用ソードスキル、その1つにあるのは、空中から得る加速度で体を地面に落下させる技。高々度から地面すれすれまで、縦一直線に派手なライトエフェクトと攻撃判定を発生させるこの技は、『視界』を持つ、つまり目による情報認識に頼るモンスターには極めて有効的だ。

 顔を隠されないために、相手が盾を持っていないことが条件につくが、決まれば光と衝撃で敵の視野を一時的に奪える。ようは簡易ディレイ状態になるのだ。

 そこへ俺が追撃するという寸法である。

 

「れあァあああああッ!!」

 

 斬撃(スラッシュ)系、かつ両手用武器系専用ソードスキル、上級高速移動二連雷斬撃《ボルテックス・アーク》。

 クーリングタイムは長めだが、命中箇所が弱点部位なら一定確率で行動不能(スタン)、あるいは会心判定がつく俺の自慢のスキルだ。

 稲妻に似た乱軌道。光速の激突により、敵の金属体への命中音が轟く。

 

『ガッ、ゴカガガガッ!?』

「決まった、敵はスタン中だ! 全員最大ソードスキルぶちかましてやれ!!」

「やるじゃん! いっくぜぇえええ!」

「グッジョブだよジェイド! 後は任せて!」

 

 隣にいたカズと、臨時パーティであるソロの『ジーク』が、技後硬直(ポストモーション)に入った俺に代わって《スイッチ》を実行。位置を入れ替えると容赦のない追撃をする。ロムライルやジェミルも挟み撃ちで攻撃している。

 

「飛ばしきれえェええええええええ!!」

 

 がむしゃらに剣を振るD隊。

 ここにいるメンツはおそらく、自分達がタンク隊であることも忘れてこの好機を逃さんと必死になっていただろう。そして……、

 

『ゴガァアァァ……』

「っしゃああああ! やった! 俺が倒したぜ!」

 

 俺達の隊に参加していた、ジークなるソロプレイヤーがラストアタックを決め、《ジ・エクスキューショナーズ》の内1体を確実に殺しきる。

 奴は爆散し、跡形もなく消えていなくなった。

 

「おう、やるねぇ!」

「……けど、こっからが本番ですよ」

「アイテム欲しけりゃ、真ボスも倒すしかねぇからな。……ちょ、なんだ……あれ……?」

 

 俺は途中から出現したボスの姿を見て絶句した。

 D隊も意識を先ほどまでの敵に集中しすぎていたのだろう。全隊員が一点を向くと同じように硬直している。そこには3本(・・)の剣に串刺しにされたプレイヤーが空中で晒し刑にあっていたのだ。

 いや、注目すると剣の数はもっとある。あり得ない数の剣がボスの周りで自由自在に動き回っていた。

 

「はち……本か? 8本もの剣を……あのボス1体で操っている?」

 

 ロムライルが途切れ途切れにそう言った。

 ボスの名はスペルの発音に誤りがなければ《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》だろう。だが、ボスの姿の説明は一言では形容し難い。

 端的には『神々しい』。金に輝く肢体はメッキではない重厚な光を反射し、装飾、ディティール、動きの滑らかさ(モーションライン)、何から何まで妥協がない。12本の腕を持つ、まるで新種の生き物だ。仏神を視覚化した生命体だと言われた方が納得できる。

 たったいま討伐した取り巻き――とは言え定冠詞を持つ歴としたボス――に比べ一回り大きく、重武装に反して裸足の足でも音を立てずスムーズに移動している。

 それに『8本の剣』という量を操っているというのに、見事な剣裁きでプレイヤーを翻弄(ほんろう)している。肩甲骨辺りに生えた異様に長い8本の腕に比べ、経でも詠むかのように指が組まれた人間大の腕が前面に4本ある。直接剣を振るようなことはないのだろうが、内2つの手にはアイテムが握られているのが見て取れる。

 武器を握る8本の腕はアンバランスなまでに長く、背中から大きな翼でも生えているようにくっついている。おそらく全方位への攻撃と、自分の剣が絡まないように長く設定されたのだろう。

 

「剣は……そういう、ことか。さっきまでのボスのを……」

「そうみたいだね。上から順に片手剣、刀、マチェーテ、レイピアを持ってる。それが左右対称で8本」

「盾があっても意味がない。……ヒスイさんまで攻撃されてるってことは反射(リフレクション)スキルまであってなきがごとしか。もの凄いパワーだね。タンカーのオレでもアレは防ぎきれる気がしないよ……」

 

 ロムライルはそう言うが、彼に限らず専用の特殊スキルでもない限り、あの剣撃を捌ききれる人間などいないだろう。単に剣が振られた場所に盾を(かざ)すだけでは遅すぎる……いや、腕が足りなすぎるのだ。

 

「ッ……オレ達も早く加わろう! D隊、ポーションを飲んだら攻撃隊の援護を!」

「了解!」

「わかったよ!」

 

 各位があまり減っていない体力を念のために全快させつつ、リンド率いる主戦力の前に躍り出る。

 そのまま彼らに壁役の引き受けの旨を伝えると激励を飛ばし合った。

 

「リンド隊とスイッチが完了したら防御を重視して! なるべく攻撃はしないように!」

「守り一辺倒になれば、ある程度は持ち堪えられるよ!」

「おいB隊! 攻撃特化なら早く後ろから斬り込め!」

「なにしてやがるッ! 真ボスはこっち向いてんだ! さっさと側面から攻撃しろよっ!!」

 

 罵倒すら混じる情報の伝達。しかし、この時ばかりは俺ももたついているB隊を苛立たしげに叱咤(しった)した。

 耐久力のあるタンク隊が正面を引き受け、その間に攻撃隊が仕掛ける。被ダメージ値が蓄積したら別働隊とスイッチをして役割を分担しつつローテーション。ぶっちゃけてしまうと、少数の例外を除けばボスもザコも関係ない。これだけレイド平均レベルが高く、しかも48人も集まればこの戦法の繰り返しで大抵の敵は倒せてしまうのだ。

 それを知らない攻略組ではあるまい。ならばなぜ、実行に移さないのか。

 

「く……ねぇ、攻撃役代わって! 君たちでできないんならボクがっ……」

 

 だが次の瞬間。ドウッ!! と、地面が割れた。隙を見て敵の懐に飛び込もうとしたジェミルが、それでも精密に捕捉されていたのだ。

 

「な、なんでぇ!? ぐッ、ガァあっ!」

 

 斬り刻まれた攻撃隊に代わって素早く側面に回り込んだはずだったが、疑似的に完成度の高いスイッチを行った彼でさえ攻撃の嵐に遭い、そのままグサグサと刃に貫かれている。

 今までのボス同様、『目』を持つボスだっただけに、敵も視野による認識をするとタカをくくっていたのだろう。が、まさか死角からの攻めにすら対応してくるとは。これは俺も予想外だ。

 

「……く、こいつボクの位置を!?」

「おいジェミルっ! ムチャすんなってあれほど……ッ!?」

 

 俺も回り込むと、そこで《センジュレンゲ》が側面や背後の状況を逐一正確に把握できる理由に気づいた。

 単純だ。なぜなら顔の側面にも(・・・・)顔がついていたからだ。

 綺麗に3つの顔が3方向にある。それぞれが視野を補完するように全方位へ向けられていたのである。

 過去に聞いたことがある。確か人間の視野は約120度まで捉えられるのだとか。そして等分された方角に向けて3つの顔。これらが意味することはつまり、視野を持つモンスター初の360度死角無し(・・・・)という特殊能力だ。

 実際『能力』と一括りにするのは間違いなのだろうが、オブジェクトの位置を知るには視覚無しに成立しない。五感を持つ人間において、得られる情報の90パーセント近くは視覚頼りだとすら言われている。

 

「地味だけど、これじゃあ挟み撃ちもへったくれもないな。……しかも、あの本数の剣がジャマを……」

 

 剣戟のヒット音が尋常ではない。正確には、毎秒の音の密度が高すぎる。

 無論、物理的に倒せないことはない。プレイヤー側の剣の合計だって『8』より多いからだ。

 挟み撃ちや集団で敵を囲うことに今まで以上のアドバンテージを得られないだけ。効果は薄くなるが、無意味ということはない。

 ならばこのまま集団攻撃を続け、PoTローテーションによる体力ゲージの常時回復をしていけば、いつかはボスを倒せる計算になる。

 

「攻略を続行する! D隊は順次スイッチして後方へ! 我々が前に出たらG隊はA隊のサポートに回れ!」

 

 やはりリンドも、たかだか少し珍しいだけのボスを前に撤退はしない方針のようだ。あくまで最終的な目標はボスの完全討伐。

 

「やれそうだな。前回と違って、プレイヤーが2回の攻撃で死んだりしない。連続でクリティカルされないよう気を付ければ十分に戦えるはずだ」

「僕もそう思うよ。みんな慎重だけど、尻込みはしていないしね。戦意は十分だと思う」

 

 認識はカズも同じ。体力値総量も他のボスに比べて目を見張るほど高くはない。それを証拠に、討伐隊の猛攻にセンジュレンゲのHPゲージ最初の1段目が早速消費されようとしている。

 問題がなければもう1本ぐらいは簡単に飛ばしきれるだろう。

 

「ああ、その通りだ。……そうだ、おいジェミル。さっき1人で突っ走ったろ。倍率バカ高いんだしLAはいい加減諦めろって」

「うぅ……ごめんよぉ……」

 

 一応忠告は入れておく。

 戦闘となるとテンションの上がるジェミルはガッツリHPを削られたが、《回復ポーション Lv8》を飲み干してヒールオーバータイムによる回復期間に入っている。あと15秒もしない内にD隊は完全に戦線復帰できるだろう。

 しかし結果オーライで生き残っているが、これが25層だったら危なかった。

 ダメージを多数で稼ぐ敵だと、『回復』や『撤退』のタイミングを計りやすい。反面、前回のクォーター戦は一撃に重みを置くタイプ。気づいたら死んでいた、なんてことがザラだったのだ。その極端な状況よりはマシなのかもしれない。

 もっとも、連続攻撃をするタイプは完全回避が難しく、《回復ポーション》が底をつきやすいというマイナス面もあるが。

 

「お、そろそろ交代か。アギン達のいるG隊もそこそこダメージくってる。おそらく次のアタックで……」

 

 そこまで言い掛けた瞬間、ボスフロアに存在する人間全員に異変が起きた。

 

「は……?」

 

 予兆はなく、気づけば一面の白。

 景色を司る全ての色彩が消え、真っ白な空間が網膜を照らした。

 何らかのアイテムを使われた。そんな思考さえ飛ばし、暴力的な光芒を直視してしまったこの瞬間から、プレイヤーの視界は敵にその機能を完全に奪われることになるのだった。

 

 



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第56話 交錯する陰謀

 西暦2023年12月27日、浮遊城第50層。

 

 目を染める純白の圧力。

 俺の会話の途中、光とも輝きとも言えない白の塊が《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》を囲うプレイヤーを襲った。

 

「なっ、なんだァ!?」

「うわッ!? な、なにも! 何も見えないぞっ!!」

「ボスの攻撃だっ! ヤバい、視界が奪われた! 誰かくらってない奴前に出ろ!」

「落ち着け! ブラインドネスだ! 皆慌てずその場で防御態勢を取れッ!!」

 

 稲妻を間近で見てしまったように、鼓膜すら機能を停止する勢いで閃光が広がったのだ。

 憶測、なんて遠回しな表現はよそう。50層フロアボス、センジュレンゲによるデバフアタックだ。

 SAO史上最悪とまで囁かれたバッドステータス、《盲目(ブラインドネス)》。かねてより危険視された以上、その使用者は敵にいくつが存在している。

 濁った液体物を吐く両生類、物理的に顔を覆ってくるスライム系、辺りに煙を噴霧(ふんむ)する植物系など。しかし対処不能のバッドステータスであるがゆえ、雑魚モンスターが使ってくるにすぎなかったはずだった。

 

「くそッたれ、まさかボス級の奴がこれをっ……おい! ボスと反対方向に走れ! みんな走るんだ!!」

 

 擬似的な闇のなかで俺は叫ぶ。いつ、どのタイミングでセンジュレンゲが攻撃をしてきたのかは把握できなかった。だがソロ時代に俺がこれをくらった時と同じように、目の見えない状態での最も効率のいい対処法を隊員に伝える。

 盲目状態になってしまったら、プレイヤーにできることは姿勢を低くして一目散に逃げることだけだ。なぜならメインメニュー・ウィンドウですら、それを開こうにもその後の操作がまったくできないからだ。リンドは「防げ」と言っていたが、剣の物量から『防ぎきれない』ことはすでに実証されている。

 

「ガァああああああああああッ!?」

「やめてぇ! やめてくれぇえええええ!」

「ちくしょう、離しやがれ! やめろよこの野郎!!」

 

 暗闇が不安を加速させる。

 距離を空けなかった奴が、次々とセンジュレンゲの餌食になっていることが《聴音》で把握できた。

 しかしこの技をもってしても、ボスと剣を交えるにはほど遠い。それほどまでに、魔法攻撃のない世界において『視界が消える』というのは戦闘そのものを否定する。

 「やべェぞおい! 始動も見えなかったのか!?」、「誰か何とかしやがれッ!」、「予備動作(プレモーション)がなかった! 回避できるわけないだろう!」という罵声も、ほとんどとりあえず叫んでいるだけなのだろう。

 それに《聴音》で聞き取れる限り、センジュレンゲは今も多くのソードスキルを発動している。8本という剣の量からか、時おり音が重なって聞こえるほどだ。

 だが焦りでみんなパニックに陥っているものの、デバフアタックの中で《ブラインドネス》は比較的に効果持続時間が短い。解除されてから反撃にでるしかあるまいが、そんなに長くは続かないだろう。

 という予想を、このボスはいとも簡単に崩してきた

 

「くそっ、やっと見えてきた。時間にしてだいたい20秒ってところか」

「けど……こんなの、長すぎるよ……」

 

 短い……はずだった。気のはやる思いで効果終了時を待っていたが、やはり相当な時間が経過していたのだ。

 そもそも1秒ほど拘束される行動遅延(ディレイ)や3、4秒ほど拘束される行動不能(スタン)ですら攻略中に発生するとプレイヤーは危険に陥る。至近距離で戦っているのだから当然だし、ボス戦ともあれば致命的だ。

 それが20秒。これを受けてしまったら一時的な戦線離脱は免れないだろう。

 

「うわぁああああ! うわぁああああアアアああああああッ!!」

 

 突然、近くにいた奴の凄まじい音量の絶叫が響いてビクリと体を反応させてしまう。

 そして声の方を向くとそこにはSALのリーダー、アギンの姿があった。声の主は彼だろう。

 

「アギン……っ!?」

 

 その後の言葉は俺の喉を通らなかった。

 見えてしまったのだ。彼のパーティメンバーが、刀とレイピアに腹を貫かれて宙釣りになっている。

 HPゲージの先端部分は……、

 

「や、めろ……」

 

 バーの左端へ。

 

「やめろォオオオおおおおおおッ!!」

 

 珪素(けいそ)の塊が割れるような音。

 しかも1つではない。一気に4つほども聞こえてきたのだ。

 

『キカァアアアアアアアアアッ!!』

 

 初めてボスが声を荒らげた。

 降り注ぐ大量のフラグメント。

 討伐隊はその気迫に萎縮してしまった。

 先ほどガラスを一面に投げつけたような音が発生した。これが意味するのは死者の数だ。多くの隊からゲームオーバーとなったプレイヤーが発生し、それらの発する爆散エフェクト数。

 

「な、なんであの一瞬で、こんな……」

「どうやって複数のプレイヤーを……こんな短期間で!?」

「……ぶ、ぶっ殺す! ぶっ殺してやるぞ! レイアンの仇をォおお!!」

「待て、冷静になるんだ! 隊列を乱すな! D隊は前に出てヘイトを稼げ! 戦線を保ちつつG、H隊はボスを囲んで動きを止めろ! いや、G隊はお前らんとこのリーダー押さえつけてろ! 俺が出る!!」 

 

 リンドも必死に指示を飛ばしているが、その言葉の端々に苦境を反映するような汚い苦言が混じっていた。

 彼の隊からも被害者が出ているからだろう。

 しかし、俺もじっとしてはいられない。

 

「リーダー! レジクレとみんなを頼む! 俺はアギンの奴を止めてくる!!」

「あ、ジェイドぉ!」

 

 カズの制止を聞かず、俺は一直線にアギンのいるところまで走ってきた。端から見ても、我を忘れて激昂している。

 ギルドメンバーが目の前で殺されたのだ。その気持ちは痛いほどわかるが、同じパーティにいるヒスイの手すら叩いて退けている。盲目(ブラインドネス)から始まるボスの一連の攻撃は、あれほどまでに彼を『盲目』にさせてしまっているのだ。

 

「アギン落ち着け!! 1人で行ってもなんの意味もないんだ!」

「るっせェ! 他に何ができる!? お前も同じことをするはずだッ!!」

 

 止めようにも、なんと武器で腕を振り払われた。

 ダメだ。俺がなんと言おうとアギンは止まらないだろう。完全に自分を制御できていない。

 

「おい、おかしいぞ! ボスのダメージがなくなってる! 奴は体力を回復している!!」

「なにッ!? どうなってやがる!?」

 

 誰かの声により討伐隊がセンジュレンゲのHPゲージを確認した。

 すると、確かにボスのゲージは全快とは言わないまでも、その寸前まで回復していることが見て取れた。つい数分前に間違いなく最上段を1本飛ばしたはずなのに。

 

「どうなってんだ……なんなんだよこのボスはッ! おいリンド! これ以上はどう考えても無理だ! この情報を持ち帰ることを優先しよう!」

「……わかった。討伐を放棄するっ!! 撤退を開始しろ!」

「て、撤退だ! 撤退戦に入るぞ! 後退命令が上がった! 戦列を組み替えるぞ!」

「もたもたするな! D、E、F隊は前面に展開しつつ奴の進行を妨げろ! G隊から順に現フロアを脱出! 繰り返す! 撤退命令が出ている!」

 

 主戦力隊からもそのような意見がすでに上がっていたのだろう。リンドはほんの少し逡巡(しゅんじゅん)しただけで攻略断念の意志を示した。

 聖龍連合(DDA)としては痛恨事であるはずだ。せっかく血盟騎士団(KoB)が参戦していない中、フルレイドで形成された討伐隊でもってボスに挑んだのだから。

 だというのに、リンドは討伐を断念した。彼も本能で引き時を悟ったのかもしれない。

 

 

 

 12月27日、あまりにも悲惨な結果が巷間(こうかん)に流れるのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「勝てなかったね。楽に勝てる相手とは思ってなかったけど……」

「まさか最終的に1段目すら削れないとは。しかも今回は事実上の偵察。それで4人も死んだ……あのボスはいったい何を使ったんだと思う?」

 

 その日の夜に行われた、レジクレの定例ミーティング。

 しがない喫茶店のテラスでディスカッションは行われた。寒さは近くの暖炉が帳消しにしている。

 そして俺としては、メンバーを殺されたアギンやフリデリックのことが心配でならない。数人では相手にならないと知っているはずなので、よもや知人を集めて復讐に行くとは思えないが、なんと言っても長い間苦楽を共にした人間の喪失だ。その絶望感は筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたいだろう。

 

「デタラメに長かった8本の腕じゃなくてさ、人間大の大きさの腕って確か4本あったよね? 体の前で禅でも組まれてたみたいだけど、アレって何か意味あるのかな?」

「あると思うよぉ。だってその内の2つにアイテムが握られてたもん。あとぉ、右手に持っていた透明な円筒形からぁ、液体が少し減っていた気がする」

「ああ、あの水筒みたいなのね。緑色っぽかったけどアレ液体だったのか。よく見えたねあんな小さいの。……あの~ジェイド? 話し合いに参加しようね?」

「あ、ああ悪い。やっぱアギンの……ほら、SAL(ソル)の連中は明日のボス戦に参加しねぇのかな、って考えてた……」

「ううん、彼らか……」

 

 俺にとっては4層からの知り合いだ。 殺されたレイアンのことだってある程度は知っている。不器用な奴で、肥満体質で、仕事が雑で、努力も空回りしがちで、それでいて仲間思いのいい奴だった。

 SALは「明日は参加しない」と言っていたが、しばらくした後、参加しなかったことを悔やみそうで怖くなる。フロアボスに仲間を殺された場合、復讐を為し遂げ手向けを送る機会は、プレイヤーには1度しか与えられていないのだ。

 あの時もう1度討伐に参加していれば、なんて言い出す日も遠くないだろう。

 

「ジェイド、その気持ちはわからんでもない。けど参加は原則有志だし、その是非は彼らの意志だ。外野にも振り回されるというのもおかしな話だろうさ。あとで後悔することになったとしても、うちらが言っても始まらないよ?」

「そう……だな……」

 

 ロムライルの言う通りだ。アギン達には悪いが、対抗策を講じて次の戦いに備えた方が実りのある会議となる。

 俺達のため、あるいはソードアートにいる全プレイヤーのために。

 次のボス戦は明日。主導はDDAに変わってKoBが請け負うらしい。いや、主導を譲るどころか不参加らしい。おかげで参加を表明したプレイヤーの総数は、俺達を抜いて40人前後まで減っていると聞く。

 おそらく『死者が4人も発生し、ボス討伐も失敗した』という事実が足を引っ張っているのだろう。DDAも席を譲ったと言うよりは、難題を他人に押しつけたという意味合いの方が強い。

 

「実質的な『閃光弾』と『体力回復』。死角なしで、挟むも囲うも効果は薄い。背中からは8本の長い腕と各種剣。使ってくるソードスキルは数えられない。……やんなっちゃうね。何とかして『閃光弾』の前兆を発見して、目をつぶって《盲目》を回避したら、そこから地道にやってくしか」

「う~ん、その『体力回復』って言うのも実体がないしねぇ。どうにかして阻止できれば攻略は一気に楽になるんだけどぉ」

「ん、ちょっと待て……あれアルゴじゃね?」

 

 いつも路地の端でこそこそとしているイメージが強い彼女ではあったが、果たして大通りの中心を爆走する姿は見間違いではなく、《鼠》と名高いペイント女が遠くから近づいてきた。

 

「ヨ! 久しい……ってほどでもないナ。ちょっといいカ」

「どうかしたんです? あ、ボス戦のこと聞きたいのかな?」

「いや、来た理由は逆ダ。ボス戦の最新情報が手に入ってナ、これを売りに来たってわけなんだガ」

『買う!!』

 

 4人即答。ついでにみんなでハモった。

 

「そう言ってくれると思ったヨ。悪いが金を取る上に相場は1万7千ダ。出費がかさんだカラ、ちょいとばかし元取らせてもらうゾ」

「うげ……アルゴにしちゃ高ぇぞおい……」

「わかった、お得意さんだしナ。15kにまけとこうじゃないカ。……まず今回センジュレンゲとやらが使った目潰し技の名は《スペース・エリアウト》。効果発動の見分け方は左手に持つランタン型のアイテムダ。発光直前に赤く点滅してるらしいゾ。ついでに発動してから3秒ほどで目を開けてもよくなるみたいだナ」

「な、なんでそれを!? あの時レイド内に被弾していないプレイヤーが!?」

 

 これには俺も驚いた。この情報がアルゴの元へ辿り着いたということは、討伐隊がその事実を黙っていたことに他ならないからだ。

 新たなクエストが発見された可能性もなくはないが、やはり隠匿していたと考えるのが現実的である。

 

「いや、被弾者は全員だっタ。ただ、プレモーションを見破った奴が少なからずいたってわけダ。例に漏れずDDAだヨ。まったく、どこまでいっても我欲優先な奴らサ。己のギルドから脱落者が出てるってのにナ……」

「まぁ、あんま言ってやるな。ありゃ例外だよ。あいつらが出す死体の数は極端に少ないし、そもそも率先してボスへ挑んでくれたんだ。むしろ死人出してまで慈善事業はしたくねェんじゃねぇの?」

 

 俺の意見にアルゴも黙り込む。

 しかし、彼女は納得しきっているわけではないようだ。時と場合によっては、彼女自身が利害勘定を無視して情報を渡している節もあるからだろう。

 

「……あの~アルゴさん、1つ聞きたいんだけど、明日の主導権はKoBが握ってるんだよね?」

「ボス戦のことカ。主導権どころかDDAは参加しない方針だゾ。あとは好き勝手やれって意味じゃア……ウム?」

「気付いたみたいだね。これはなんか企んでるぞ〜」

 

 ロムライルとアルゴは神妙な顔になっているが、俺やその他の人間にはハテナ状態だ。

 

「へいへい、何がどうしたって? 俺らにも理解できるように話してくれよ」

「ロム、何か気付いたの?」

「……ああ、不自然なんだ。ルガはDDAがなぜボス情報を隠蔽しようとしたと思う?」

「そりゃあラストアタックをする時や、攻略時の負担を減らすために決まって……あ、でも参加しないって変だね……」

「そう、彼らがボス戦に参加しないのだとしたら」

「……そこにメリットは、ない……?」

 

 鈍い俺でもさすがに理解した。

 確かに彼らの指摘通り、再攻略をする上で敵の行動パターンを知っているというのはアドバンテージだ。戦術指導者が有能なら発言に説得力が生まれ、ラストを決められても文句はでない。DDAがそれを独占できたとしたら旨い(・・)に決まっている。

 

「言われてみればおかしイ。オレっちが正規ルートで手に入れられなかった時点で不審に思うべきだったヨ」

「ああ。参戦しないなら、早いところ情報を売ればいい。高くつくだろうし、そんなの持っていても仕方ないからね。……しかしそうしなかった。と言うことは、DDAはまだラストアタックを諦めていないのかもしれない……」

 

 まさかKoBがボスを倒しそうになったらそれを妨害するつもりだろうか。だとしたら相当タチが悪いし、だとしなくても気味が悪い。

 

「あの~アルゴ、もう3万……いや、5万出す。追加でオレの依頼を受けてくれないか?」

「ちょ、ロムぅ!? そんな金額……」

「内容によるガ、コルだけ積まれてもできないことはあるゾ。そりゃ力にはなりたいけどサ……時間もないシ」

「なに、追加の方は難しくない。DDAが明日何を企んでいるのかを調べあげて欲しいのと、それをなるべく低価格で攻略組に広めて欲しいんだ」

「それってDDA宅にUターンしろってことダロ? 十分難しいヨ。それに、悪巧みに気付いてると公言してるようなもんダ。10万はないと動けないし、さっきも言ったが時間がナイ」

「う~ん……」

 

 ロムライルもなかなか引きそうにない。

 ハーフポイントとは言えDDAにラストを持っていかれるのがそんなに我慢ならないのだろうか。それとも別の考えがあっての行動か。

 

「10万、出そう。……依頼内容はDDAの参戦方法。できればその結果報告は欲しいけど、まずは明日のボス戦に参加しないって人に低価格で売ってくれ。隊からはゲームオーバー出した人もいるしね。オレの予想が正しければ……」

「まあ、とにかく了解しタ。成功報酬10万で間違いないナ? オレっちはすぐにでも行動に移すヨ」

「頼んだよ!」

 

 ダッシュするアルゴを見送るレジクレだったが、しかし満足顔なのはもっぱらロムライルだけだ。他のメンバーは納得していない。

 筆頭の俺はため息まじりに答えた。

 

「はぁ〜またおせっかい体質がでたぞ。定期的に俺がリーダーやった方がいいんじゃね?」

「ねぇロム、張り切りすぎなくてもいいんだよ? ギルマスの方針っぽいから黙ってたけど、10万コルって言ったら相当な額だし」

「討伐の成功率を上げるためさ。利用されるだけが嫌だからこっちも利用しようっ、てとこかな。それにDDAにいいとこ取られるのも面白くないだろう?」

 

 相変わらず格好いいこと言っても音質が高くてソプラノ声では締まらない。

 それにしても何がなにやらさっぱりだ。俺の頭が悪いのかロムライルの頭がいいのか、はてさて。

 

「とにかく、ミーティングはお開きにして今日はもう休もう。センジュレンゲ相手に寝不足というのもマズいしね。フォーメーションや役割も、たぶん今日のままだと思うし。各自、しっかり睡眠を取るように」

 

 これだけの合図でその日のミーティングはお開きとなった。

 俺は若干ばかりの謎を抱えつつも、疲れがとれないのは確かにまずいと無理やり納得し、その日はおとなしく床につくことにした。

 

 

 

 翌日、12月28日。朝10時を少しだけ過ぎた極寒の午前。

 降り積もった雪の上を、耐寒装備を施した討伐隊が過ぎ、そして迷宮区の最奥部で佇んでいる。

 ちなみに、役割を含めて各所かなり変更点がある。

 昨日と比べてそれらを上げるとすれば、まずそのレイドリーダーの変更。DDAのリンドからKoBのヒースクリフへと変わっていることか。

 次は人数。今回の参加者はフルレイドに若干ばかり届かない44人だ。

 俺が見たところ追加されたのは、ヒースクリフやアスナを内包し主戦力でもあるKoB、他はクラインを含む《風林火山》の8人と言ったところだ。ちなみに脱退したのはアギンを含む《SAL》の5……いや、4人とヒスイ、あとは俺達と一緒にいた2人のソロプレイヤーとリンドを含むDDAである。

 

「(うわ、マジか。ヒスイも来てねぇんだ……)」

「皆よく集まってくれた。傷の癒えぬ者もいるだろうが、しかし44人。フルレイドでの討伐戦にはならないものの、ここに集った剣士を心から誇りに思う。《血盟騎士団》もその名において全力で戦い抜く所存だ。では諸君、健闘を祈る! 開門!」

 

 ギギィ、と重く閉ざされた不吉の象徴が開かれる。

 この先に待っているのは4種類の武器を持った《ジ・エクスキューショナーズ》がそれぞれ4体と、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》が1体。いずれも定冠詞を持つボスモンスターだ。

 俺達の隊は昨日と同じD隊だが、役割は打って変わって攻撃特化隊。

 A、B、C隊は壁役。D、E、F隊が攻撃役だ。G、H隊は片方は壁としてエクスキューショナーの足止め。センジュレンゲが来てからは一転して攻撃役に変わるらしい。

 もう1つは特に攻撃用のプレイヤーではないが、取り巻きへの攻撃隊として編入。役割がコロコロ変わるG、H隊が1番辛いだろうが、人数はA~D隊と違って6人。

 今回、タンカーであるロムライルだけはギルドを離れてB隊へ移動。俺とカズとジェミルは移動なしで、小隊に追加された残りの2人はなんとキリトとアスナだ。しかもアスナはD隊のリーダーを務めていて、ついでに攻撃隊の総指揮も務めている。

 ――KoBが主導なら当然の配置か。

 

「始まるわ。レジストクレストの皆さん、昨日の討伐戦に参加したあなた方は攻略の要です。私の指示に誤りがあったら、遠慮せずに申し出てください」

「堅いな……」

「ああ。かたい……」

「し、仕方ないでしょ! 今は私情を挟めないんだから!」

 

 相も変わらず真っ黒なキリトと連携するようにボケを挟んでアスナが突っ込みを入れている間に、天井から黒い物体が飛来した。

 演出が同じなので、奴らは前半戦で俺達を苦しめた《ジ・エクスキューショナーズ》だろう。

 作戦はこうだ。昨日の二の(てつ)を踏まないよう、時間制限で湧出するだろう真のボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》参戦前に取り巻きを倒しきる。そのために4つのタンク隊が各自1体ずつに張り付き、全ての攻撃隊がエクスキューショナーズ1体をターゲットに定め、各個撃破を計ると言うものだ。

 ピッタリではないだろうが、1体につき3分弱で削りきる計算になる。俺達攻撃特化隊が成果を上げられなければ、それだけ後半戦が苦しくなる。スピード勝負の構図である。

 ゆえに出し惜しみはなし。取り巻きへの攻撃ボーナス特典のもと、神風よろしく全力攻撃しなければならないのだ。

 

「来るぞ!」

 

 黒の物体は膨張し、変形し、ついには二足歩行ユニットとして顔の横に名を表示しながら一吠えした。昨日と同じ、『4体のボス』。

 取り巻きとはいえ一応こいつらも定冠詞持ちのボスだ。適当にやって勝てる相手ではない。

 

「配置につき次第、戦闘開始!」

「了解!」

 

 アスナの命令に俺を含み、以下3人のパーティメンバーが応答した。

 まずはH隊の相手するエクスキューショナーだ。

 他のタンカー部隊もキツいだろうが、こいつらのタンク時間を長引かせるのは得策ではない――そもそもA、B、C隊と違って遊撃チームであるH隊はそこまで防御特化ではない――から、その間は粘ってもらうしかあるまい。

 作戦通り、俺達D隊は反撃を受けながらも、被弾を極力無視して各自最大級ソードスキルを発動。20秒もたたないうちにゲージの3割り近くを消滅させた。

 もはやゴリ押しだ。冷却中(クーリングタイム)の関係上残りの3体でこの速度を維持することはできないが、上級ソードスキルをたらふくぶち込んでやった1体目は、だいたい2分ほどで片付くだろう。

 

「うはー怖ぇ怖ぇ、っつかメッチャいてぇ。けどE隊からG隊まで同じことすんだろ? マジで瞬殺だな」

「ああ、こんな状態でセンジュレンゲとやらに登場されちゃ困るからな。どの道、ボスが来た時点で消耗戦さ」

 

 真っ黒くろすけも玉砕覚悟でソードスキルを発動して反撃を受けたようだ。ちなみに、水平に四回攻撃をして水色のライトエフェクトが正方形に拡散していたことから、おそらくキリトの使用した技の名は《片手剣》専用ソードスキル、上級水平四連撃《ホリゾンタル・スクエア》だろう。

 俺やキリトだけでなく、真ボスが現れるまではダメージディーラーすべてが神風特攻。チマチマした戦い方だと長い目で見れば効率が悪い。それに1パーティに任せているタンカーにも申しわけが立たない。

 この戦闘方はヒースクリフが直々に発案したものでもあるので、彼を信じていればまさか昨日ほど惨敗することはないだろう。

 

「(アスナの奴も、ヒースクリフを高く買ってるからKoB入ったんだよな。……野郎やっぱ指揮力はたけぇ。タンカー部隊が崩れることはまずないか……)」

 

 KoBが総団長『ヒースクリフ』。このプレイヤーには謎が多く、すでに大半の人間が彼の噂をしている。

 やれ元軍人のお偉いさんだの、やれボードゲームの世界選手だの、複数のVRMMO開発を手掛けるスタッフ、穏和勤勉な聖職者などなど。まったく、本人のいないところで言いたい放題だ。

 しかし共感できなくもない。俺的には『元軍人』か『ゲーム開発スタッフ』というのが怪しい線だと思っている。なにかしら経験や場数を踏まなければ、ヒースクリフのアレはすぐに実行できるものではないからだ。圧倒的な叡知(えいち)を感じさせる知識量も、その手の事情に通じていたのなら説明がつく。

 それに聞いた話だと、彼はHPゲージを安全域(グリーンゾーン)未満へ落としたことがないという。その堅牢な防御力が真実だとしたら称賛ものだろう。もちろん、これはKoBの自称であり戦闘経過記録(コンバットログ)や時間図表記録《タイムダイアログ》のないSAOでは確かめようがないので、信じるか信じないかはその人次第だ。キリトもつい3日前まで――つまりイベントボス、《背教者ニコラス》と戦うまで――危険域(レッドゾーン)に落ちたことはなかったと堅持しているが、やはりこれも証拠はない。

 だが俺は、これらをなんとなく本当のことだと信じている。嘘をつくメリットが薄いからかもしれないが。

 とにかく、ヒースクリフは無敵ではない。しかし死なない程度には最前線を生きていて、しかもチート級に頭がいい。これはもはやソードアートにいる大半のプレイヤーの認識と見ていい。

 胡散臭いだけの銀髪のおっさんに全幅の信頼をおけるのは、ひとえにその真摯な態度と積み重なったキャリアがあるからだ。

 

「(っと、考えてる場合じゃねぇな。真ボス前にちゃっちゃと取り巻き倒さねぇと……)」

 

 俺の予想をはるかに越す順調なスピードで攻略は進んでいった。

 凄まじい衝撃のぶつかり合いには思わずしかめ面を浮かべてしまったが、三体目のエクスキューショナーに俺がトドメを刺せたのは儲けものだろう。

 半分以上の討伐隊は、事実上偵察となってしまった昨日の討伐に参加していなかったので、俺はもっと手こずると思っていたのだ。しかしさすがは《攻略組》。見事な順能力で当初立てられていた作戦を着実にこなしていっている。

 

「これで開始から10分……ッ!? き、来たぞ! センジュレンゲだ! 気付いてない奴に知らせろ! 真ボスが現れた!!」

 

 討伐隊メンバーの誰かが叫んで知らせている。

 50層フロアボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》だ。

 仏心を描く彫像物特有の輪郭を強調するように、カラフルな光の筋が幾重にも重なっていた。まるで細いワイヤーで編まれたような簡易フレームから、加工途中の木材をホログラム表示させたように。そして最後には細部まで精緻(せいち)に再現された立体巨像が、フロアの出入り口を塞ぐように屹立(きつりつ)していた。

 俺は今日でこそ登場するシーンを見ていたが、奴はまるでそこに初めからいたと言わんばかりに静かに佇むだけで、派手なサウンドや演出はない。もっとも、来るとわかっていればあの眩しい光で知れそうなものではあるが、その無駄に誇張しない静けさがいやにリアルな緊迫感を生んでいた。

 

「ケッ、上等だ。……とうとうおいでなすったぜ。アスナ、俺らから斬り込もう!」

「ジェイドに賛成だ。幸いこの隊は実際に戦った経験者も多いしな」

 

 俺とキリトがそう提案する。たった今《ジ・エクスキューショナーズ》への攻撃を終えたばかりなので、ダメージ総量的に次に取り巻きへ攻撃する機会は来ないはずだ。

 

「あなた達といると気楽でいいわ。……総員、《回復結晶》で即時回復! メインターゲットに攻撃を仕掛けます!」

 

 カズやジェミルもその指示を聞くなり取り出しかけていたポーションを仕舞い、あらためて高価なクリスタルを手にしている。取り巻き同様、真ボスへの最初の攻撃をD隊で受け持つためだ。

 

「団長、D隊(わたしたち)に先陣をください」

「行けるかね。よかろう、任せる」

「了解……D隊前進! 今度は特攻じゃないわ! 慎重に敵の動きを見極めて!」

 

 本戦はこれから。

 昨日はここからペースを崩されて戦果を上げられなかったが、今日はKoBが情報を持っている。情報料だってタダではなかったはずだ。だがだからこそ、今日の討伐隊は万全を期して望んでいる。

 

「(装備も、プレイヤーの表情にも余裕がある。行けるッ……)……行けるぜッ!!」

 

 無数の剣を掻い潜って真下に滑り込むと、《両手剣》カテゴリのソードスキルを躊躇なく解放。大型モンスターに有効な重装備として、目に見える形でその真価を発揮した。

 

「やるねジェイド! でも僕だってッ!!」

 

 ヒースクリフのA隊が正面で、俺達はボスの斜め後ろをとって攻撃していた。

 全周視界カバーの能力で挟み撃ちの効果が薄いとは言え、やはり8本の剣を左右に割かなければならないからか、システム外スキルを活用する俺はおろか、正面攻撃をしただけのカズの攻撃も奴はまともにくらっていた。

 俺とキリトとカズの攻撃で相当量のダメージが抜けた。

 

「っし、これで……ッ!?」

 

 だが俺はそこで見てしまう。3方向に貼り付けられた3つの顔、その中で俺達から見える位置にある顔の(まぶた)が閉じられていることに。

 

「(ボスが目をつぶって……)……カズ! 目ェつぶれぇえ!!」

 

 とっさだった。ひっきりなしに爆音が飛び交う中、声はすぐ近くにいた人間にしか聞こえなかっただろう、というのもある。

 しかし結果的に、俺の予想は当たっていた。最も恐れていた阻害効果攻撃(デバフアタック)の光。

 ボスフィールドは昨日の戦いと同じように、瞬く間に白の空間へと移り変わっていった。

 またも悪態をつきたくなる。俺は目をつぶるのに間に合ったが、他のメンバーはどうだろうか。

 わからない。叫び声の応酬が多すぎて俺の声はごく近くにいた人物にしか届いていないだろう。だが……、

 

「これ以上やらせはしない!!」

 

 情報にあったぴったり3秒後、視界を確保した俺は湧き上がる焦燥を沈めながらグリップを握り大剣を構え直した。

 同時に牙を剥く、真の敵から自分の仲間を守るために。

 

 

 



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第57話 アクシデントパレード

西暦2023年12月28日、浮遊城第50層。

 

 ボスが光を放った。

 しかし俺と、少なくともカズはデバフにかかっていないようだ。

 正面方向をA隊に任せている以上、ボスが使う専用の閃光弾(スペース・エリアウト)を発動する際、見極めることができるのはA隊及び後続に控えるパーティのみ。なぜならボスの前面にて組まれる、人間大の腕に装備されたランタン型の装置が赤く光る前兆は、敵の背後、つまり俺達D隊の位置からだと視認することができないから。

 しかし当のヒースクリフはというと、大型サイズのタワーシールドを顔の前に構えていて発見できなかった。彼から指示が出なかったのはそのためだろう。

 『ボス自身が目をつぶっている』。

 俺や同じD隊にいるカズがデバフにかからなかったのは、この事実が《スペース・エリアウト》のもう1つの発動条件になっていると寸前で気づいたからに他ならない。

 

「ヤバい、気付けなかった! 《盲目(ブラインドネス)》になっちまった!」

「前衛のA隊は何やってたんだよ、早く教えてくれよッ!!」

「ぐぁああっ!? ぐ、ボクも攻撃されてる! 誰か助けてぇ!」

「俺もだ! くそったれ、これじゃ前が見えねぇ! なんもできねぇぞ!!」

「く、……D隊でデバフになってない人はみんなを守って!」

「言われなくてもやってる! くらったならとっとと離れてろ!!」

 

 隊長であるアスナですら御しきれない轟音の中、俺も呑まれないようA、D及びE隊の人間に大声で怒鳴り返すと、ジェミルに連続でヒットしかけていた《湾刀(マチェーテ)》を《武器防御(パリィ)》スキルを全開にして弾き返した。

 闇雲に武器を振り回す味方を蹴り飛ばすことで強制的に離脱させ、自身も餌食にならないよう休む間もなく駆け続ける。しかし、パーティリーダーとして背を向けたくなかったのか、逃げようとしなかったアスナに《刀》カテゴリの禍々(まがまが)しい刃が迫っていた。

 まさか、《聴音》だけで対処しようとでもいうのか。

 

『キカカカッ! キカカカカカカッ!!』

「ヤッベぇ、アスナ下がれ!!」

 

 俺の声すら数々の怒声にかき消され、行く手は《ブラインドネス》にかかった有象無象に阻まれてしまった。

 センジュレンゲが勝利を確信したように笑う。俺は強烈なノックバックによる行動遅延(ディレイ)状態ですぐには動けず、カズも自分のことで手一杯だ。

 しかも彼女のゲージはすでにイエローゾーンに割り込んでいる。弱点設定の『首』や『心臓』へ強力なソードスキルが直撃したら。

 俺がそう悲観した時、イレギュラーが起こった。

 

『カカキキッ!?』

「な、キリトっ!?」

 

 ガチィンッ!! と、凄まじい音量のサウンドエフェクトを周囲に発散させながら、《黒の剣士》ことキリトが《ウチガタナ》を綺麗に捌いていたのだ。

 まぐれではない。センジュレンゲの攻撃軌道が見えている。目線の先から攻撃の軌道を推測するシステム外スキル、紛うことなき《見切り》の活用。

 目が見えている。と言うことは、彼もバッドステータスになっていなかったのだ。

 だがこれによりD隊の被害は最小限に留まってくれた。A隊はもとより、ヒースクリフ含め何名のタンクが『盾の陰』に隠れたおかげで、運良く《スペース・エリアウト》を受けていないので、微々たるダメージだ。D隊も無事スイッチを終え、今は安全圏まで後退できている。1度ピンチに陥ったとは思えない微少な被害である。

 

「キリトもあの光、受けてなかったのか。なんにせよナイスだったぜ」

「何を言ってる。ジェイドが俺の名前を呼んで、教えてくれたからじゃないか。助かったよ」

「え……?」

「ん……?」

 

 返答に詰まる俺。前衛がわいのわいのと忙しそうに動き回る後方で、どこかずれている会話に戸惑うキリト。

 

「そう言えば何でジェイドは俺の名前を……」

「もージェイド! リアルネームで呼んじゃダメって言ってるのに!」

「あ、ああ悪いルガ、ついな。……けどなんだろ、代りになんかすっげぇ発見をしちゃったかも……」

 

 パニック状況だったなんて言い訳はできない。キリトはらしからぬ己の失言を恥じ、冷や汗を流しながら目をキョロキョロとさ迷わせている。――フッフッフ。

 

「ぷ、プライベートのことだ。聞かなかったことに……」

「ほうほう、あのキリトが珍しい。そうだな、しばらく俺の部下として何でも言うことを……ぁいてッ!?」

 

 頭蓋骨付近をパコッ、と叩かれたのでうしろを振り向くと、アスナが頬を膨らましていた。ご立腹のようである。

 目を開けているから、どうやらデバフから回復したようだ。

 

「ジェイド君、何を知ったのか知らないけどキリト君をいじめないで。彼が可哀想でしょ?」

「ジョーダンに決まってんだろ、リアル話はゴハットってなァ。……ん、てかなんでコイツが相手だと毎度ムキに……」

「ち、違うから! 誰が相手でもきちんと助けましたから! ふんっ」

 

 そう言ってそっぽを向くアスナ。途中、言語が乱れて敬語になっていた気がするが深くは追求すまい。なんとなく自殺行為に思えてしまったからだ。

 

「それに遊んでる場合じゃないわ。D隊は安全圏にいてもしっかりボスの姿を見てちょうだい。あと、さっきの《スペース・エリアウト》を今度こそ受けないように」

「そうだね、僕もかなり危なかったし」

「うぅ、攻撃に夢中だったよぉ。ごめんねジェイド……」

 

 しゅんとして謝るのは、不用意な肉薄で窮地に立たされたジェミル。

 彼が全面的に悪いのではないが、やはり踏み込み過ぎたことを反省しているのだろう。体力が《レッドゾーン》にまで落ちなかったのは救いだったが。

 

「まあやめよう。過ぎたことよりこれからだ。レンゲ野郎は見たところ、HPの総量自体はそこいらのボスと大差ない」

「ええ、勝敗の鍵は短期決戦。……できるかどうかね」

「単なる火力押しじゃダメみたい。ほら、前回の戦いでは何らかの方法でHPを回復していたみたいだし……」

 

 引っかかるのはここである。

 しかしカズはネガティブな発言をしたが、行程だけ見れば至って順調。時おりヘイトを溜めすぎた攻撃特化型が連続して攻撃された場合のみヒヤリとさせられる程度だ。こうしてローテーションの合間に戦局を俯瞰(ふかん)しても、作戦軌道は修正するほどではない。

 

「少なくともレンゲに《バトルヒーリング》みたいなのはないな……ってかそろそろスイッチか」

「ええ。D隊はスイッチの準備を……行きます! D隊前進! H隊に変わって攻撃して!」

「任せたぜキリト! ジェイド!」

「おう任せろ!!」

 

 戦闘員と立ち位置を変える間際にレイドにおけるH隊、つまり《風林火山》所属のクラインから声をかけられ、俺とキリトが応対する。

 それは虚勢ではなく、俺達は宣言通り攻撃隊に相応しい戦果をあげた。

 全体で何割か昨日で慣れた者がいたからだろう。その後も安定したローテーションを繰り返し、次の俺達の番が終わる頃にはセンジュレンゲのゲージ1本を飛ばしきっていた。

 

「やれる……昨日とは違うッ!!」

 

 昨日死んだ4人のプレイヤーを忘れ去るのではない。彼ら4人が残した情報と悔恨を胸に、そして糧にして戦いに生かすために。

 

「シッ!!」

 

 短い気合いのあと、俺とカズが同時にソードスキルを発動した。

 《両手剣》専用ソードスキル、中級高速袈裟五連撃《アクセル・コメッティオ》と《打撃(ブラント)》属性専用ソードスキル、中級単発剛突進打撃技《ガントニック・バーニア》だ。

 共に距離を詰めることによって攻撃を可能にするスキル。俺とカズは迫り来る刃を無理矢理回避しながら接近し、カーテンのように展開される剣をあらかた排除した。

 そこへすかさずキリトとアスナがスイッチによる交替と上級ソードスキルの発動。

 見れば見るほど彼らの剣技には舌を巻く。剣の心得があるのかは知らないが、キリトの豪胆さと、それに比例する命中精度は同じゲーマーとして嫉妬してしまうほどだ。

 アスナに至ってはもはや芸術と言っていいだろう。少々上品すぎるのが玉に(きず)だが、高速移動に反して命中箇所の正確さもさることながら、剣捌きそのものが『綺麗』なのだ。同じ重力条件のもと動いているとは思えない。

 2人の攻撃はクリーンヒット判定を受け、とうとうセンジュレンゲのHPが全体の半分を割り込んだ。

 

「タンク隊が順次交替しています! D隊も次の攻撃でスイッチを!」

「了解だ! この攻撃をラストにするぜッ!!」

 

 運良くダメージをあまり受けなかった俺は、調子にのって最大級ソードスキルを発動してしまう。

 『してしまう』と表現したのは、俺のこの行動が愚策だとすぐ知らしめられたからだ。

 もっとも、ボスの動きを事前に予知できた人間はいなかっただろう。なにせ、プレイヤーは8ヶ月も前に1度だけそのスキル(・・・・・)を見たにすぎないのだから。

 

「ジェイド伏せてぇ!!」

「できっ、ねぇ!」

 

 ジェミルに言われるまでもなく、俺は条件反射で身を低くしようとしていた。

 しかしそこはソードスキルの代償、技後硬直(ポストモーション)を課せられている。まともに防御体制すらとれないでいた。

 《片手剣》、《刀》、《マチェーテ》、《レイピア》が上から順にジグザクに発光している。そしてその色は白。これらが意味することとは……、

 

「(ヤバい……あの光の数は……ッ!)」

 

 俺はこの技を知っている。リマインドされる、当時の驚愕と衝撃。

 伝説となりつつあった、あの《四刀流》ソードスキル!

 

「ぐっぁああああぁあああッ!?」

 

 ドガァアアアアアアッ!! と、炸裂音が空気に振動を与え、センジュレンゲを囲う数人が宙に浮いた。運転中に大事故を起こしたような衝撃と暗転。

 一瞬だった。

 《四刀流》専用ソードスキル、全周囲回転八連撃《イッチエム・パルフェ》。

 白く輝く4本の剣は、《攻略組》自慢の防御力を易々と貫き、信じられない攻撃力を生み出していた。

 阿鼻叫喚の音源は当然俺だけのものではない。動きが緩慢にならざるを得ないタンク隊も、初見に近いソードスキルに対して適切な防御ができなかった。……いや、八連撃の『多段ヒット』。それが、腰を落として防御の姿勢をとっていた彼らのガードを力業で斬り飛ばしたのだ。

 合金を重ね着しているような重戦士達が四方に投げ出された。これがハーフポイントのボスが繰り出す《四刀流》の強化型ソードスキル。

 

「ガハッ、ぐ……ってェなちくしょう……」

 

 地面に叩きつけられた俺は、悪態をつきながら上体を起こそうとした。しかしまたもボスにそれを阻まれる。

 

『カカかカカかカカカカッ!!』

「ジェイド逃げて! タゲが行ってる!!」

「(ッ、く……間に、合わねぇッ!)」

 

 『転倒(タンブル)から復帰する前に殺される』。

 そこまで考えて……否、理解してしまった俺の体は、死への恐怖から回避どころか完全に膠着(こうちゃく)してしまった。

 

「ジェイドぉッ!!」

 

 目をつぶった直後、俺のまぶたの向こう側で影が射すのを感じた。

 その後、俺を襲うはずだった衝撃は1メートルほど音源がずれた状態でフロアに響く。

 恐る恐る両目を見開いていくと、そこにあったのは我らがリーダー、ロムライルの姿だった。

 

「ハァ……ハァ……死んで、ない……っ」

「ったく、心配かけて。さっき交替したばっかだから、ここはオレらに任せて早く回復する!」

「お、おう! 助かった!」

 

 ようやく緊張から解放されると、先ほどまでの心と体の乖離が嘘のように後方へ逃げることができた。

 さすがに死にかけたからか、未だ心臓の音はバクバクとうるさいが。

 

「……ハァ……あっぶねぇ。ハァ……このボスも一瞬のスキで死ねるな……ッ」

 

 急ぎ足でD隊のもとへ駆けつけた俺は、照れ隠しに軽い口調でそう言った。しかし当然ながら口の中は唾液も出ないほどカラッカラだ。

 

「もう、バカなこと言わないで。私の隊で脱落者が出るなんて絶対に許さないから!」

「アスナの言う通りだ。慎重にしてれば、受けることのなかったダメージだぞ」

「し、仕方ないよみんな。運がなかったんだ。それに僕なんてさっきのスキル初めて見たし……」

 

 そう、それだ。

 忘れかけていた《四刀流》の再登場。そのせいで俺はいらない心配をさせている。

 21層のボス、《ラストダンサー・ザ・スカルファントム》が唯一繰り出してきた特例の効果。当時付随していたデハフステータス、《腐食(カラウド)》属性こそなくなっていたものの、やはり攻撃力はあの時の比ではない。

 ここはハーフポイントなのだ。例層のボスとは勝手が異なる。

 

「(とうとうハーフ戦らしくなってきたじゃねぇか。上等だっての……!!)」

 

 25層の時とは違う。2度と死にかけることがないよう心掛けるものの、それゆえに人の影に隠れて縮こまったりはしない。

 俺のやるべきことは迅速に情報を広め、これを次の糧にすることだけだ。

 

「先に言っとく。四刀流スキルはあと2つある。クロス2回の四連撃と水平2回の六連撃だ。だけど六連撃の方と今の八連撃は地面すれすれまでしゃがみこめば回避できる。覚えとけよ」

「なるほど、助かる。しかしこのデタラメな攻撃力と言い、うわさに聞く《四刀流》ってのはやっぱりダテじゃなさそうだな」

 

 神妙に頷くキリト。

 アスナはヒースクリフと一緒に21層戦に参加していたからか、特にリアクションはなかった。次なる策を頭に張り巡らしていたのかもしれない。

 

「あと数回のアタックでE隊はおそらくスイッチを要求してきます。わたし達D隊もいつでも変われるよう準備をしておいて下さい。……特にジェイド君、またロムライルさんに助けてもらうなんて甘い考えはしないように」

「わぁーてるって。それに《四刀流》は体験済みだ。そんじょそこらの奴よりうまくやるよ」

 

 1度ミスをしておいて説得力もない気はするが、ここで弱音を吐くよりは数倍マシな答えだろう。

 それにボスは待ってはくれない。俺がここで動かなければ、その分他の誰かの負担が大きくなるだけなのだ。ならせめて、先ほどのミスを帳消しにできるよう戦果を上げればいい。

 とそこで、グリップを握り直す俺の出鼻をくじくように、キリトが頓珍漢な方角を指さしながら質問してきた。

 

「おい待て、あそこにいるのは誰だ?」

「誰って……ここにいるのは討伐隊だけだろう」

「いや、でも……」

 

 的はずれな疑問を抱くキリトに対し、俺は振り向きもせずそう答える。

 半分以下に落ちたことでボスのモーションも増えているのだから、余所見をしている時間があるならその時間を使って少しでも動きを覚えることに……、

 

「(んん……確かに、マジで誰だあれ……?)」

 

 だが、気になって振り向いてみると、ボスフロアの入り口付近でコソコソ隠れながら、攻略の成り行きをじっと見守る不振なプレイヤーが確かにいたのだ。

 グリーンのHPバー付近にギルドを示すシギル以外にアイコンはなく、そもそも戦闘エリアに侵入してすらいない。頭上に浮かぶカーソルからも、その者が今回のボス討伐のレイドに参加していないことが見て取れる。

 

「今まで《隠蔽(ハイディング)》スキルで隠れてたのか。なんにせよ怪しいな」

「ちょっと待ってキリト君、あの人聖龍連合(DDA)の諜報員だったと思うわ。わたしもボス戦の打ち合わせで何度か話したし」

「DDAって言ったらジェイド、昨日ロムが気にかけていたことなのかな?」

「多分な。つっても俺は《索敵(サーチング)》スキルをフル活用してこのフロアまで来たんだ。1人ならまだしも、よもやDDAほど大人数の尾行に気が付かなかったなんてことはないと思うけど……」

 

 ボスがすぐ近くで暴れているのも気になるが、DDAが横やりを入れ、あまつさえラストアタックを掠め取られる、なんてことになったらいくら俺でも腹が立つ。

 と言うわけで……、

 

「捕まえろォお!!」

「うおぉおおおおおっ!!」

 

 俺とキリトが突然猛ダッシュ。ハイディングがリピールされている――もっとも、すでに発動そのものが止まっていたようだが――とは思わなかったのか、かなり接近されてからその男は自分の姿が俺達に見られていることに気付いていた。

 しかしもう遅い。俺とキリトはあっという間に距離を詰め、両サイドから男の腕をガッチリとホールド。いやいやと首を振る男を無視して、とりあえずD隊の位置まで引きずってきた。

 

「さぁって、テメェこらっ!! 何をタクラんでやがった! 洗いざらい吐いてもらうぜ、おおコラァ!?」

「ぐ、不覚……《四刀流》に見とれてハイディングが解けてるのに気づかないなんて……。けどお前なんかには言わねーよーだ! へんっ」

 

 まだ青臭さも残るいかにもゲーマーらしいその少年は、言うだけ言ったら口をつぐんだまま目を逸らした。

 ――よし、金たま蹴り飛ばしたろか。

 

「待ってジェイド君、そんな言い方じゃ教えてくれないわ。……ええっと確かDDA情報部のゼレス君よね? 今の怖い人は忘れてちょうだい。それで、なぜ討伐を監視していたのか、私でも教えてもらえないかしら?」

 

 アスナが飴と鞭を使い分けるように男に話しかけた。しかしアスナさん、息を吐くように俺をけなしているわけだが、それはそれで酷くないだろうか。

 

「う、ん……と。……ごめんなさい。それでも言えないんです」

 

 もしもし、態度が違いすぎるだろうゼレス君。少年は心底申し訳なさそうに顔をそらしているが、もしかするとこいつはプレイヤーの容姿で接する態度を決定しているのだろうか。だとしたら失敬だ。

 

「……わかったわ。でも討伐中は妨害を受けたくないから、皆のためにもここであなたを拘束しないといけないの。そこは我慢してちょうだいね?」

 

 俺は怒りでピクピクと頬の辺りが痙攣(けいれん)しているのを感じるが、ここで口を開くとただでさえ貴重な時間がさらに失われてしまう気がしたので、大人を示して後ろで待機した。

 そうこうしている内にアスナは縄をオブジェクト化し、慣れた手つきでゼレスとやらを無力化していった。誤解なきよう注釈するが、《ロープ》には至る所に配置されたオブジェクトや人体にもボタン1つで巻きつけられるので、頑丈に拘束できたのはアスナに束縛のテクがあるわけではない。

 途中、アスナに縛られつつある少年の顔がニヤニヤしていたのが嫌にムカついたが。

 

「ま、まぁいいや。ほら、こいつを端っこの方に置いといたら俺達も早く参戦してやろう。ずいぶん長い間タンクにフォワード任せちまった」

「そうだねぇ。余裕があったらまたロムにもこのこと教えといてあげよぉ?」

 

 緊張感の削がれるジェミルの声だが、なんと言っても今はハーフポイントでのボス戦中だ。ロムライルにこの事を知らせられるのは、彼のいるB隊と俺達D隊が同時に待機状態になった時だけだろう。

 

「団長、遅れました。D隊行けます!」

「よかろう、F隊交代準備! ……今だ!」

「D隊前進!!」

「うぉおおおおおおおおおッ!!」

 

 アスナの掛け声で俺を含む4人の部下は突撃を開始。

 キリトとジェミル、またアスナがなるべく多連技で隙を生ませ、俺とカズが重攻撃をする算段だ。先ほどとは逆パターンとなる。

 元よりサポート役として長年鍛えてきたジェミルや、《閃光》とすら言わしめたアスナの連続技である。彼らの誘導用ソードスキルが発動に成功し、さらにスイッチのタイミングさえ間違わなければ、俺やカズの攻撃は隙が大きいものでも格段に決まりやすくなる。

 結果、D隊は交代直後から目立つ技とソードスキルの重ね技をぶちかました。

 

『ギキィッ!?』

「っし、決まりィ!!」

「これだけキレイに決まると気持ちいいね!!」

 

 作戦は見事成功。しっかりとした手応えを大剣越しに感じる。

 カズに至ってはその手に持つ《両手用棍棒》カテゴリの愛剣、《アディージャ・ヴォレス》に登録されている《ペキュリアーズ・スキル》を発動していたので、周りから少なくない量の感嘆が聞こえてくる。初見の者も多いはずだし、この反応は納得がいく。

 一瞬の思考を経て、しかしボスの特殊な行動が緩んだ脳内の手綱を限界まで引き締めた。

 

「(まァた四刀流か……いや、違うッ!?)」

 

 与えられたほんの少しの時間だけで、俺はありとあらゆる可能性を列挙した。

 事象に対する可能性敵の剣が『複数の光』を発するには何が必要かを。

 色は3色。光の三原色として知れ渡る赤と青と緑だ。

 だがおかしい。プレモーションの色が一致しない上に、それらの光が3本の剣から発せられているのだ。本数から見て《四刀流》ではない。ソードスキルの複数発動か。だとしたら、ソードスキルを同時に発動させているということに……、

 

「くッ!? ……全員離れろぉおおッ!!」

 

 解が求まる前に、俺は言い様のない本能的な恐怖に突き動かされた。

 しかしこれは正解だったのだろう。途端、3種類のソードスキルが同時に(・・・)解放され、ズッパァアアアアアアッ!! と炸裂した。

 ボス周辺にいたプレイヤー3人が正確に狙われ、信じられないことに全員がクリティカル判定のダメージを負っていた。

 3人のプレイヤーを同時にターゲットと定め、3つのソードスキルを同じタイミングで発動させる方法。この技を知っている。忘れようもない、クォーター・ポイントの戦いで初めて目撃したモンスター専用システム外スキル。

 

「パラレル……オープンか……」

 

 俺は呆然とそう呟くしかなかった。

 システム外スキル、平行発動(パラレルオープン)。脳を2つ以上保有するモンスターが、互いに干渉し合わないソードスキルを同時に発動させる、唯一にして無二の究極戦闘技法。

 それをこのボスは易々とやってのけた。これだけのスペックをもってして!

 

「今の、間違いない! パラレルオープンだ! しかも3つも!!」

「こいつも使えんのかよ……くそったれが」

「冗談じゃねえぞ。攻略させる気あんのかッ!」

「なんだ今の!? 俺は初めて見たぞ! ボスなら何でもありかよ!?」

 

 センジュレンゲの圧倒的インパクトを前に、討伐隊は口々に臆病風をふかした。

 片手剣の《ホリゾンタル・トライアングル》とマチェーテの《フェル・クレセント》、そしてレイピアの《シューティングスター・バースト》。それぞれプレイヤーが発動しようとすれば、多少は複雑な動きを要求されるはずの技でもある。

 しかし奴の腕は長い。しかもそれだけではなく、『軸』が多数用意されているのだ。これにより、センジュレンゲは体の動きをスキルの動きに合わせる必要がなくなっている。

 つまり、人間で言うところの『腰の回転』やら『腕の振り降ろし』やらを、その場を動かずに腕の関節だけで達成してしまうということになる。肩から先が独立した軌道だけで、敵を斬り伏せることができてしまうということだ。

 この原理は産業用ロボットを想像すれば理解しやすいかもしれない。通常、それらは決められた3次元空間にて直動、回転等を6軸でこなす。

 しかし人間の上肢には『7軸』目も存在している。増えた役割は『障害物の回避』である。もちろんロボットのマニピュレータと比べたことはないが、自由度は大きく変わるはず。

 そして奴の腕。なんと、追加で『8軸』の設定になっているのだ。

 剣戟の動きにプレイヤーより多様性が生まれているのも道理で、おまけに間接から間接までの距離は人間の比ではない。もっとも、この特徴がなければ『剣8本』というアドバンテージをまともに生かすこともできなくなる。ソードスキルを使用してくる以上、戻換(れいかん)すれば予測できる事態だった。

 だが。それを踏まえた上で、討伐隊はなんの対策もしようがない。来るとわかっている分驚かないで済むぐらいだろうか。

 根本的な対策にはなっていない。あのパラレルオープンは、すでにプレイヤーでは止めようがないのだ。

 

「(あり得ねぇ、弱音吐ける段階じゃねェんだぞ……)……くそ、いちいちドーヨーしてんじゃねェ!! 攻略組ならタタミみかけろッ!!」

 

 しかしボスの猛攻を前に、多くのプレイヤーが(すく)み上がってしまっていたのだ。

 俺は奇跡的にも21層や25層のボスと一戦を交えているが、そのどちらか、あるいはどちらも経験してこなかったプレイヤーにとっては、悪夢の都市伝説をそのまま再現されたようなものだ。

 しかし、それでも。

 例えボスが《四刀流》や《平行発動》を駆使しようとも、ここでおめおめと逃げ帰れば、昨日死んだ4人のプレイヤーに申し訳がたたないのではないのか。

 俺の叱咤(しった)がいかほどの影響力を及ぼすかは定かではなかったが、無意味な狼狽に対し叫ばずにいられなかった。そしてその考えに至った人間は俺だけではなかったようだ。

 

「諸君! 背を向けてはならない! 我々はこれを打たねばならない! 理解しているはずだ! 勇猛な諸君らは必ずや達成しうるだろう! ならばその勇姿を表明したまえっ!!」

 

 発言者はヒースクリフだった。しかもKoBのトップタンカーは古めかしい言い回しと共に隊員を置き去りにしたままボスの眼前に躍り出て、なんと単独で壁役を引き受けていた。

 さらにそれだけではない。あろうことか、タンカーであるはずの彼が危険を(かえり)みないソードスキルによる反撃までし始めたのだ。

 

「だ、団長が自ら……」

「ヒースクリフが率先して前に……?」

「タンクに攻撃任せてどうする!? 俺達も斬り込めぇ!!」

「やってやる! やってやるぞぉっ!!」

 

 やはりこれがカリスマと言うものだろうか。ヒースクリフのそれはまるで守護神の加護だ。

 現に彼は劣勢下を立て直すだけにとどまらず、彼らを持ち上げコントロールしてみせた。長いものに巻かれるだけの一兵には決して発揮し得ない統率力だ。

 

「剣が同時に光りだしたら追撃するな!」

「《四刀流》と混同するなよ! 《四刀流》の水平技はしゃがんで躱せ!」

「同時に狙われるかもしれないだけだ! 各々よく見ていれば問題はない!!」

 

 やっと冷静な判断力が復活してきたのか、討伐隊もレイド間で情報の共有を図っている。

 5メール半を越える仏像多腕型のボスは徐々に押されはじめていった。

 

「さすが団長ね。私達も援護に回ります。キリト君……は大丈夫そうね。他のみんなは?」

「あ、えっとごめんなさい。放心状態でした。でも僕はもう行けます!」

「俺も回復済みだ。……にしても、こんなことなら埋めてないスキルスロットなんか適当に埋めときゃよかったぜ……」

「まったく、ジェイドは『しとけばよかった』が多いんだよ。……さて、やられた分の倍返しといくか!!」

 

 D隊が精神面で持ち直した瞬間、またしてもプレイヤーにとって信じられないことが起こっていた。

 

「な、なんだ!?」

「ボスが見たことのない動きを……ッ!?」

 

 俺にもそれは見えた。《四刀流》ソードスキルやパラレルオープンの類いではない。人間大の腕に握られたランタン型アイテムから発せられる光、《スペース・エリアウト》の前兆でもない。

 残り3本の人間大の腕。内2本の腕は飾りだろうが、最後の1本……そこに握られていた円筒形の物体を高らかに天に掲げていたのだ。

 こんなプレモーションは見たことがない。

 

「なんッ、だ!? ……まさかッ!?」

 

 狼狽するH隊の言葉を悪い意味で体現するように、センジュレンゲは円筒形の物体を口許へ運ぶ。さらに中に入っていたのであろう緑色の液体物を一気に煽っていた。

 この間も前衛による絶え間ない攻撃がヒットし続けていたが、異常なまでのスーパーアーマー能力が付加されていて、なんら歯止めになっていなかった。

 その結果……、

 

「やっぱり……体力ゲージが……ッ」

 

 なんと、目まぐるしい勢いでヒットポイントが回復しているではないか。

 自分で自分に体力回復手段を行使できるボス。おそらく初の行いであろうこの行動によって、奴の体力は全体の20パーセントが回復してしまった。

 いよいよ激戦となったハーフポイントでの戦いもまだまだ半分を回ったばかりだと思っていたが、その考えすら甘すぎる認識だったということだ。

 

『キキカカカカカカカカカッ!』

 

 嘲笑うかのごとく、金の仏像は高い声を上げた。

 仏神を模した金の巨人の嘲笑(ちょうしょう)が響き渡る。

 

 

 

 



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第58話 各個撃破

 西暦2023年12月28日、浮遊城第50層。

 

 《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》が持つ数々の特殊技。その1つである強烈な閃光により、リンド率いる最初の討伐戦で俺達は視界を奪われ、無惨にも部隊を切り崩された。

 そして今回もまた、ボスは特有の『体力回復』を行った。ジェミルの発言にあった「液体物が入っていた」という言葉をもっと吟味していれば、それが敵の《回復ポーション》だと気付けてたのではないのか。前回戦、視覚のない20秒もの時間があれば、ポーションを呷ることは可能だ。ならば必然的にその対策だって立てられたはずである。

 詰めの甘い認識が、この危機を招いたのだ。

 

「回復を許しちまったッ! 奴のゲージがまた3本に!!」

「慌てるな! デバフ受けたわけじゃない!」

「その通りだ! ローテーションを徹底する! 基本的なことの繰り返しで十分倒すことはできる!!」

 

 しかし討伐隊は互いに励まし合うことで、削がれかけた戦闘意欲をなんとか維持した。

 便乗するようにアスナもレイピアを構え、声を張り上げる。

 

「D隊、わたしが先行するので付いて来てください! 目を背けないように! 敵をよく見て!」

「ジェイド! 左右から行くぞ! アスナのサポートだ!」

「(反対側はヒースクリフが引き受けてるか……)……了解だ! 合わせろよッ!!」

 

 大振りな大剣は小回りが利かない。あらかじめコンビネーションアタックの手順を決めていないのなら、やはりキリトが俺の動きに合わせてもらうしかない。

 敵に死角が存在しないことで一抹の不安は残ったが、意を固めて右側前方を猛烈なスピードで駆け抜ける。ゴウッ!! と、先制で力任せの大剣ソードスキルを打ち込んだが、果たしてキリトは完全に俺の歩調に合わせることで、空いた『穴』に刃を差し込み、流れるような連携技を完成させていた。毎度凄まじい集中力だ。

 

「やるな! おかげでB、H隊も回復完了だ!!」

「持ち直せたぞ、討伐は続行!!」

 

 レイドに参加している誰かがそう叫んでいるのが聞こえた。

 俺はこの事実にひとまず胸を撫で下ろす。しかし、心のどこかでは「俺がみんなを守ってやる」なんて考えていたのかもしれない。昨日の惨敗にもめげずに、ハーフポイントなる節目の再戦に挑んだ。そんな俺が、動きや危機をいち早く察知し、レイドメンバーへの攻撃を代わりに受け止め、あまつさえトドメまで持っていく。

 そう考えていたのだろう。どこかにまだ英雄観が残っている。目立って称賛されたいし、ヒーロー扱いでちやほやされたい。ゲームのキャラクターに別人を投影する日本人ゲーマーに多い、典型的かつ病理的な願望だ。

 だがそうしようとした結果、アスナにはフォローされ、キリトには助けてもらい、ロムライルに至っては命を救われた。どれもこれも今日1日の出来事である。

 余計な思慮で、討伐という骨子を見失うのはやめよう。4人の命を奪ったこのモンスターを、機械的に殺すことだけを考えよう。それで日常を取り戻せるのなら。プレイヤーの命が救われるのなら。

 人の血で(まみ)れるは散々だ。

 

「ッ……やってやるよッ!! アスナ行け!」

 

 発言とほぼ同時、アスナのレイピアがコバルトブルーを纏い、《細剣》専用ソードスキル、上級高速五連撃《ニュートロン》を発動し終えた。

 瞬間、俺はスイッチの要領で彼女と位置を入れ換えて発動可能な中で最大のソードスキルをぶちかましてやった。

 激しいフラッシュエフェクトが弾丸のように体中に降りかかり、1度は回復を許したセンジュレンゲの体力ゲージがめまぐるしい速度で減少。再び2段目に割り込んだ。

 

「っし、ザマミロってんだ!!」

 

 俺はささやかな仕返しに対して満足げに吐き捨てるが、技が決まった途端、今度は奴の剣が8本ともグレーに染まった。

 《四刀流》ソードスキル、二段広範囲重六連撃《ツイスター・ラウンドトリップ》。

 そのプレモーションによる光の色が『灰色』であることは覚えている。だが8本の剣が同時に発行したと言うことは……、

 

「(ッ、前後攻撃かっ!!)」

 

 ポストモーションによる硬直が解けた直後、俺は胸を床に押し付ける勢いで姿勢を低くする。

 数瞬後、ガッガガガガガッッ!!!! と、ボスのソードスキルが超スピードで頭上を通りすぎていくのを背中全体で感じた。

 冷や汗ものではあったが、ダメージ判定のない箇所を覚えているだけ不思議と死への恐怖はなかった。

 

「あっぶねぇ! 誰か食らったかッ!?」

「僕は避けたよ!」

「俺も受けてない!」

「わたしもよ。でも……っ!!」

 

 アスナだけが芳しくない受け答えをしていた。

 D隊に特筆すべき被害は見受けられない。だがアスナの目線の先にはKoBのプレイヤーが。

 

「ッ……!!」

「……ウソ、だろ……っ!?」

 

 アスナの目線の先、そこには6つの斬痕を刻み込まれたプレイヤーが立っていた。

 6つの斬痕。これが意味することは先ほどの六連撃をまともに浴びてしまったと言うことだ。

 そこまで考えが追い付いた後、その代償が払われる。紅白の甲冑を身に纏うプレイヤーが、青のデータ片と化して割れたのだ。

 生命の欠片が四散する現象。ガラスを割ったような音は時間差で何度も何度も響いた。

 プレイヤーが割れたということは、つまり……、

 

「死、ん……ッ!!」

 

 しかし、センジュレンゲに待ったは通用しない。

 どこの隊の誰が死んだのか、それすら確かめることができないままボスは攻撃を再開した。当然死者に取りつかれて討伐のことを忘れれば、今度は自分が退場者の後を追うハメになる。

 

「ちくしょう、やられた!? クソっ、よくもやりやがったな!!」

 

 C隊の人間がそう叫んだ。

 間違いない。血盟騎士団からも脱落者が出ている。

 

「うそ、やだっ……そんな、ウィックマンが……!?」

「アスナ! 考えるのはあとだ! 今はD隊のリーダーだろう!!」

「口より手だキリト!! アスナ連れて一旦下がれ! 俺らのダメもそろそろ限界だ!」

 

 それを聞いたキリトは、後ろの警戒を怠ることなく呆然とするアスナの手を引いて全力で駆けた。

 

「マズいぞ、よりによってKoBの奴がやられた。ルガ、討伐隊に動きはないか!?」

「や、やっぱり鈍くなってる気がする。僕ら……き、今日も勝てないのかな……」

「余計なこと考えるな! そうそう何度も逃げたら被害が増すだけだ。……いいか、やる気(・・・)がなくなったらそこでシメーなんだよ。それはヒースクリフが1番理解してるはずさ」

「……う、うん。わかってるけど……」

 

 平均して。計算上の話だが、死者は1日につき2人から3人発生している。

 ほんの数日でも攻略が滞っただけでプレイヤーはどんどんその命を散らしていく。その多くがボリュームゾーンの話だろうが、前線で手探りを続ける攻略組だって他人事ではない。

 現にトップギルドの一員が昨日に続き今日も死んだ。明日は我が身だ。

 それに脱落者を出した逃走を繰り返せば、士気の大幅な低下は免れないだろう。

 

「それについてはジェイドに賛成だ。死人は出た。けど実力的に討伐が無理じゃないなら、ここで逃げるのは得策じゃない……ッ」

 

 同意するキリトに限らず、攻略組はそれを本能で悟っている。

 実際にKoBメンバーの死をバネに怒りの猛攻撃でもって応えている。これこそが彼らの死に報いる唯一の方法なのだと、そう語っているかのように。

 

「アスナ、終わったらギルドで墓の1つでも作ってやれよ。だから今は戦場を見ろ。俺らの命はアスナに預けてんだ」

「…………」

 

 彼女は何も言わずに立ち上がると、右手を振ってウィンドウを操作した。そのまま回復用のポーションを取り出して一気に飲み干すと、涙を拭きながら迷いを振り切る。

 そしてはっきりとセンジュレンゲを見据えた。

 

「ごめんなさい、わたしはこのD隊を預かる身。失望させないためにも……」

 

 もう気遣いは無用なようだ。KoBのサブリーダー、攻略の鬼と呼ばれているのも伊達ではない。

 見た目15、6の女に責任を押し付ける俺達が言えた義理ではないのかもしれない。本来、その重圧はもっと大人が背負うべきだ。戦闘センスが群を抜いていたというだけの、細い少女の肩には重すぎる。

 例えばの話、仲間が死んだ時に俺はこれほど早く立ち直ることができるだろうか。

 ……おそらく不可能だろう。

 まさに鉄の女だ。俺は攻略に集中するよう言ったものの、一見すると薄情な人にも見えてしまう。線引きは微妙なところだが、やはり彼女が鋼の精神で感情を制御していることだけは理解できた。

 

「(無理してる女が多すぎんだよ。くそったれが……)……行こう! 今度は俺が1発目を引き受ける」

「ジェイド、僕が続くよ! 背中は任せて!」

 

 俺は友の声援を背に浴びながらプレモーションを完成。

 まずは伸脚の形を作り、後ろに引いた足が臙指(えんじ)を纏い《体術》専用ソードスキル、中級単発突進強撃《凱膝華(ガイシッカ)》を発動した。

 膝蹴り技の着地後はタイムロスの穴埋めとして大剣がクロムイエローに輝き、斬撃(スラッシュ)系、かつ両手用武器系専用ソードスキル、上級高速移動二連雷斬撃《ボルテックス・アーク》を発動する。

 着地直後、スキル発動。地面を全力で蹴り飛ばし、通常では出し得ない加速を生み出す。

 右斜め前方へ高速で4メートルほど移動し、紫電を帯びた《クレイモア・ゴスペル》が水平に煌めいた。

 しかし、防がれた。ダメージはほぼ皆無。

 これで終わりではない。俺は腰がねじ切れそうな捻転力(ねんてんりょく)に歯を食いしばって耐えながら、姿勢を逆向きに変更。スキルアシストに有らん限りのブーストをかけて、続く連撃を繰り出した。

 

「れあァああッ!!」

 

 気合い一閃。

 バリバリバリッ!! と、稲妻が家屋の外壁を削り取るような音が響いた。

 

「カカカ、カガカカッ!?」

 

 予想より加速のついた斬撃を受けたからか、金色の巨体を持つセンジュレンゲは驚いたように半歩身を引いた。

 そしてもぎ取った隙は無駄にしない。

 カズは短く息を吐くと、鍛え上げた筋力値を生かして上空へジャンプ。そのまま最大攻撃回数を誇る棍棒系ソードスキルを命中させた。

 凄まじい轟音。急減するゲージ。

 だがここで予期せぬことが起きる。なんと、ボスがまた回復ポーションを口に運ぼうとしていたのである。

 回復量は全HPの2割。コンビネーションアタックによるダメージの帳消しはもちろん、再び集中力全開のローテーションが延長されてしまう。

 しかしここで前進するプレイヤーがいた。

 

「ッ……ボクがやる!」

 

 視界の端に映ったのはジェミルだった。おそらく、《軽業(アクロバット)》スキルで立ち位置を強引に変えたのだろう。その手に持つ得物は、中心にエメラルドをあしらった高級なブーメラン。やや実戦に不向きとは言え、クリティカル命中時の攻撃力は目を見張る。

 それを……、

 

「いっ――」

 

 腰を落とし、ジェミルの構えたブーメランは淡黄色を発する。

 

「――けぇえええええッ!!」

 

 ブオォっ! と風を携えて、逆放物線の軌道に入る。ブーメランはセンジュレンゲの目の前、つまり《回復ポーション》にめがけて飛んで行った。

 《投剣》専用ソードスキル、中級軌道変化用投擲技《カーブシュート》だ。

 そして敵が円筒物に口をつける寸前、見事そのアイテムを叩き落としてみせた。食器を盛大にぶちまけたような音と共に、シュラウドのような円筒状のアイテムが砕け散る。対象物の大きさと彼我の距離から考えると、その命中精度は非凡の域に達していた。

 

「ポーションアイテムが砕けた!? 回復を阻止できたぞ!」

「よし……いいぞッ!! これさえなけりゃ!」

「やるじゃねぇか、今の誰だぁ!?」

「このまま追い込め! ボスは大幅に弱体化している!!」

 

 討伐隊に活気が指した。

 不利な状況は一転、この上ないチャンスへと変貌したのだ。

 

「マジで凄ぇぜジェミル。ジャストじゃねぇかよ」

「俺も驚いた。あんな姿勢から打てるものなんだな……」

「えへへぇ、それにボスのゲージも3本目の半分まできたねぇ。なんとかこのペースが崩れなきゃいいけどぉ……」

「うわっ、うわぁああああああああッ!?」

「ッ……!?」

 

 ほんの少し目を離しただけだった。

 俺とキリトが少しジェミルの健闘を称えた、短い時間。

 新たなデバフアタック、ソードスキル、攻撃モーション。警戒も新たにしてボスを見た。

 しかし、奴に変わりはなかった。珍しい技でも見たのか。低確率で発生するディレイやスタンにかかってしまったのか。されど、攻略組ならそれぐらい嫌と言うほど経験してきたはずで、今さら驚くはずはない。

 ボスが取った信じられない行動とは……、

 

「ッ……!? いや、違う! まさか、集中狙いしてんのか!?」

「こんな、ことって……!?」

 

 これにはアスナも絶句せざるを得なかった。

 蓄積されたはずのタンク隊のタゲ――そもそも、《ハウル》スキルなどで今現在も蓄積され続けているはず――を勝手に変更し、特定プレイヤーのみを延々と攻撃し続けているのだ。

 言うまでもないだろうが、レイドにおける平均HPが安全域(グリーン)で保てていたのは、ひとえに『攻撃箇所の分散』が挙げられる。ではそのダメージ値が一極に集められたとしたらどうなるか。それは、火を見るより明らかだろう。

 

「おい! ヤバイぞあいつ!」

「嫌だ、いやだ! 嫌だぁああああああッ!!」

「おッ、い……!?」

 

 信じられないほど連続で斬撃音を残し、あっけなく、あっさりと。

 1人の人間の首が飛んだ。

 全憎悪値(ヘイト)リセット。そして、その完全コントロール。

 ボスにあるまじき、そしてシステムそのものを改編するかのような技は25層ボス、ペアギルティが使用した『ディテール・フォーカシングシステム無効化能力』を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 これが50層ボスのユニークアビリティとでもいうのだろうか。

 

「ありっ、えねぇぞ!? なんだよこれ!?」

「き、来た! 今度はこっちに! 誰か助けてくれぇ!!」

「無理だ! こんなのどうしようもない! タゲ取られたら死ぬしかねぇ!!」

「やってられるかッ! 俺は……死ぬのはゴメンだァッ!!」

 

 まず1人、《転移結晶》でフロアを離脱するプレイヤーが現れた。ボスによる1人狙いが始まってから出た最初の被害者と同じ隊にいた人物だ。

 気持ちは痛いほどわかる。くじ引きで外れを引いたらその時点で死が確定するゲーム。誰だってそんな運ゲーに参加などしないだろう。ましてやここはゲームオーバーが死に直結する、リセット不能のデスゲームなのだ。

 

「(けど……逃げたら、代わりに誰かが死ぬ。せっかくここまで来たのに! ……)……ここまで来たんだ! 守りきって見せる!!」

 

 死にゆく人間だけは守らなければならない。俺が攻略組足る最後のアジテーション。胸を張って守ってきた最低限のライン。それがここにはあるからだ。

 俺は確かにクズだった。誉められることをした回数より、見下されることをした回数の方がよっぽどか多いだろう。では何か償えるよう死力を尽くしているのかと問われれば、別にそうでもない。ただわけもなく、宛もなく、淡々と生きているだけだ。

 だが、これだけは許せない。容認してはならない。路肩で犬の糞を踏もうがキッチンでゴキブリに会おうが別に何とも思いはしないが、目の前で人が死ぬことだけは俺にとってトラウマだ。

 しかし……、

 

「よせジェイド! どのみちあいつはもう助からない!」

「下がりなさい! 感情的にならないで!」

「ッ……助かるかじゃねぇ、助けるんだよキリトッ!! それに撤退命令だって出ちゃいないだろうがッ!!」

「無理だよ、逃げようよ!」

 

 仲間の声を無視して俺は《メインメニュー・ウィンドウ》を立ち上げる。

 そしてワンタップで目的の武装を具現化した。

 使用したのは防具用の《クイックチェンジ》。登録されていたのはあの黄黒の鉄衣、《ミソロジィの四肢甲冑》だ。

 装備ボタンを押した瞬間、俺は奇妙な感覚に捕らわれた。手足の痺れと、それに伴う浮遊感。さらに高圧電流を浴びたような衝撃と感覚が遠退く体験を経て、ふと目を全身に凝らすと、そこには化け物のような手足が生えていた。甲冑が皮膚表面を覆っているのではなく、腕全体が硬質な細胞で編まれた鱗鎧(スケイルメイル)のようになっていたのだ。

 

「なんだ、これ……?」

 

 知識で得ているイメージと、実際に装着した防具の感触の誤差は歴然だった。

 黒を基本色としたベースに雷雲をあしらったように見えるブラックイエロー。そのコントラストが力強さを与え、鋭利な尖りを持つ逆鱗のような表面が禍々しさを強調する。両肘、両膝から先はドラゴンのそれを移植しているかのようだ。

 そして、何よりステータスアップに対比した体と得物の軽さを実感し、湧き起こるパワーは無限の万能感を生んだ。

 ――できる。

 これなら、この防具があるなら、俺はどんな凶器からでも人を救うことができる。

 短く息を吐き、瞬間、俺は駆けていた。

 見た目の重装備からはアンバランスなまでの加速力である。

 

「調子に乗んなよ――」

 

 ものの1秒でボスと『狩る対象』の間に入り込む。

 

「――くそったれがァッ!!」

 

 右下に構えていた《クレイモア・ゴスペル》が逆袈裟の要領で左上へ移動した。

 その先にあった障害物、《ウチガタナ》と《マチェーテ》の武器は全部弾き飛ばしている。筋力値+50という常識外れなパワー補正により、幾重にも鍛えられた無骨な鉄塊が暴れる。決して軽装武器とは呼べないはずの《クレイモア・ゴスペル》を、片手で振り回せるほどパワフルな機動を実現できた。

 

「ッ、れあァあああああああっ!!」

 

 ソードスキル無し。俺は剣撃が止まる心配のない通常攻撃だけでセンジュレンゲを押し返した。

 左下から迫るレイピアは《ミソロジィの四肢甲冑》の特殊能力、自動防御(オートガード)が発動し左の足が勝手に防いでくれた。

 続く頭上からの片手剣は俺の意思で右肘を使って弾く。腰を使ってぐるりと時計回りに回ると、センジュレンゲの右腰に水平斬りを炸裂させる。飛び交うオレンジの火花は、マンツーマンでは決して発生し得ない量で空間に模様を作っていた。

 命の削り合い。生命と肉片の乱舞。

 そんな表現が当てはまる、血みどろの打ち込み。

 

「ぜぇえッ! つ……ぐがァアアっ!?」

 

 しかし、やはり50層ボスを前に生半可な力業は通用しなかった。

 みなが呆然とする中ほんの15秒ほどタゲを引き受けたものの、『剣8本』という埋めきれないステータス差を前に体制を崩され、俺は真下から掬い上げられるように遠くへと飛ばされてしまったのだ。

 何度かバウンドしてから態勢を整える。防いでいるのでダメージはないが、それでも決定的な距離が空いた。

 

「ぐ、ちっくしょう!」

『カカカカカカカカカカッ!!』

 

 俺という邪魔物を排除し、センジュレンゲは予定通りと言わんばかりにすぐさま元々の対象者を八つ裂きにした。辛うじて前方に細身のサーベルを構えたようだったが、《四刀流》と《片手剣》のパラレルオープンを使った猛攻を前にあっけなくあらぬ方へ吹き飛ばされ、そこから先は文字通り虐殺だった。

 これで2人目。

 《ポーション》による回復力では、ボスから受けるダメージ量を緩和しきれない。しかもあれだけ斬り合ったというのに、俺へのヘイトはまったく存在しないようだった。歯牙(しが)にもかけない、まるで眼中にないと言わんばかりだ。

 

「くそ! くそォおッ!! ッ……!?」

 

 俺はそこで気づいた。

 体感で約半数。それほどの人数の戦意が、ほぼ消え失せていた。

 プレイヤーへの集中狙い。これがもたらした恐怖が決定打となり、討伐隊は自らが討伐対象となりつつあることを悟ってしまっていたのだ。

 

「転移! 転移アルゲード!」

「あ、お前逃げるのかよ!? ……ちくしょう、やってられるかオレも抜けるぞ!」

「おっオレもだ! だいたい、もう逃げてる奴いるじゃねぇかよッ!!」

「ダメよ待ちなさい! 手順通りに撤退するのよ!!」

「それで死んだら元も子もないだろう!?」

 

 戦線は瓦解寸前。個人の勝手な離脱など、本来ならあってはならないはずなのに。

 しかし、そもそもの話。予定されていた撤退戦すら『個人を守るような配列』にはなっていない。討伐隊の勝手な逃走も、事前に打ち合わせた撤退手段に絶対的な安全性が確保されていないことに気づいたのだろう。

 

「戦列を乱すな! 慌てず対処しろ! ……B隊、右側面から当たり、なるべくボスに足止めをかけたまえ!」

「む、無理です! こんな状況じゃあ……」

「団長! 我々も撤退に移りましょう!」

「く……ッ」

 

 駄目だ。ヒースクリフですら戦況を掌握しきれていない。《風林火山》のメンバーからも逃走するプレイヤーが出ていた。

 このまま戦闘が長引けば戦死者と離脱者が続発するだけに……、

 

「うそ、うそッ!? ……ヤバイよジェイド! ロムが! ……ロムがぁ!!」

「ロムライルっ!? クッソ!!」

 

 いきなり慌て出したジェミルの目線の先、そこにあったのはセンジュレンゲに攻撃を受けるロムライルの姿だった。

 彼が攻撃を受けている。つまり、これからも攻撃を受け続けるということになる。さらに彼の体力ゲージがたった今イエローゾーンへ。

 

「ッ!! ……ルガ、俺が先行する! いつものコンビネーション! ジェミルは目を潰せ!」

「わかってる!!」

「絶対にやらせないっ!」

 

 他人への配慮、隊毎の役割、『レイド』システムがもたらすアシストやボーナス、小隊長アスナ並びに総指揮ヒースクリフからの命令。

 その他全ての事象を無視して、俺は両の足を限界速度で動かした。

 向かい風のように迫る焦りが全身に重圧を課せる。

 それでも俺は猛進した。脳内の整理、視野の狭まり、音の遮断、クリアになった思考をもとに、最も効率的な救助方法を描く。全身全霊を込めて《クレイモア・ゴスペル》を解き放った。

 ガチンッ!! という金属音が反響し、俺の真上からの斬り払いは《レイピア》カテゴリの武器にヒット。と同時に、ジェミルからの援護が入り、ブーメランとダガーが敵の両目に命中。

 直後にカズが入れ替わり、十八番のソードスキル、《ガントニック・バーニア》を弱点部位とおぼしき場所に命中させていた。これにより、センジュレンゲのHPは3本目のレッドゾーンにまで低下。

 レジクレが実現できる、最高の連続攻撃となった。

 

「っし……ハァ……ちったぁこれで……ッ!?」

『カカカカカカカカカカカッ!!』

 

 白煙を切り裂いて現れたボスは、迷うことなく4本ずつの剣で俺とカズを左右に吹き飛ばし、ロムライルへと迫っていった。

 足りない。ボスを止めるには、ほど遠い。

 

「ぐあっ、く……ロム! 逃げてぇ!」

「転移しろ! 早く!!」

「みんな、オレは……絶対ここから……っ」

 

 その先は聞こえなかった。

 彼の言葉を遮ったのは、センジュレンゲによって初めて使われた技、《四刀流》ソードスキル、上級究極十二乱撃《スプレンディッド・ディスペアー》。

 初見、つまり対処法の知らないプレイヤーには防ぎようがない技だった。

 連続攻撃の3発目までは驚異的な集中力で防ぎきったが、そこからは体勢を崩されてロムライルは攻撃を全身に浴びた。

 

「ろっ……」

 

 音が遠退く。意識だけが加速する。

 最後に……いや、最期に。接写したようなスローな世界で、目が合った。そして、彼は微笑んでいた。歩み終えることになる人生に、嘆いてはいなかった。

 けれど、俺は納得などできない。こんなところでロムライルと……、

 

「ロムゥうううううッ!!」

 

 バリィインッ!! と、独特な破砕音が響いた。

 青く発光する1センチ四方の欠片が無情にも、無数に宙を舞う。

 理解が追い付かない。理解することを怖れ、現実から目を背けているだけなのかもしれない。

 だが、だとしたらなぜだ? 悪いことはしたが、それについては反省した。その手の行為から足を洗い、選択の余地があるなら人のためになることを率先して選んだ。

 では俺以外の人間はどうだったかだろうか。

 論ずるまでもない。加盟前からずっと、レジクレはいつだって善良だった。頼まれたら断れず、攻略が遅れるとしても、他人のために全力を尽くす。彼らはこの殺伐と世界ではあまりに甘く、そして優しい攻略組ギルドだった。

 天罰、天誅、そんなものを受ける筋合いはない。

 それでも、ロムライルは死んだ。

 死んだのだ。

 

「なん、でだよ……ウソだろッ!!」

「……ぁ……あぁ、ぅ……」

「ろ、ロム? ……そんな……う、嘘だよ! こんなの嘘だッ!! ……だって……だってぇ!!」

「待てお前ら! アンタらんのとこのリーダーはまだ助かる!」

「ッ……!?」

 

 俺は勢いよく真後ろを振り向いた。

 全身を漆黒に染めるキリトの姿がそこにはあった。

 しかし彼は今なんと言ったのか。俺の聞き違いでなければ「ロムライルが助かる」と、こう言ったように聞こえる。

 

「ど、どういうことだ……キリトは……ッ!!」

 

 そうだ、ある。キリトにはこの世でたった1つだけの、死者を蘇らせる特殊なアイテムがある。

 それをこの場で使えば、ロムライルを死の淵から引きずり出すことができる。

 

「キリトッ、一生の頼みだ! あのアイテムをここで!!」

「わかってる! 時間がないんだ! そこを退いて早く……ぐうッ……っ!?」

 

 聞こえてはいけない音だった。

 ドスッ、と。鈍く重い音が聞こえてしまった。

 目の前にいるキリトの心臓から片手直剣の切っ先が覗いている。

 

「ぐ……ぁ……っ!?」

『カカカカッ! カカカカカカカッ!!』

 

 いつ忍び寄ったのか。背後には黄金の多腕モンスターが。

 戦いは続く。ロムライルが殺されようと、何人の死者を発しようとも。捕食者を選び続ける。対象が死ねば、その次の対象を。

 ボスは、キリトを殺さんがために、残り7つの凶器を高らかに掲げるのだった。

 

 

 

 



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第59話 主観のヒーロー

お気に入り件数が700を越えました!
今後とも精進いたしますゆえ、なにとぞよろしくお願いします。


 西暦2023年12月28日、浮遊城第50層。

 

「きっ、キリトォ!!」

「ぐ、ぅっ……」

『カカカカカカカカッ!!』

 

 俺の叫びを、そしてキリトの(うめ)きを、センジュレンゲが一笑した。

 心臓部分から飛び出た《片手直剣》は、彼の胴体を貫通したままぐりぐりと弄ばれている。まるで弱くて矮小な俺達に対し、覆しようのない力の差があることを見せつけるかのように。

 

「(くっそが……ッ)」

 

 状況は不利を大きく通り越して絶望的だった。

 ボスはロムライルを狙い、そして殺しきった。さらに唯一その事実を帳消しにできる人間は次のターゲットとなっている。悠長(ゆうちょう)にアイテムをオブジェクト化し、それを使用している暇などなくなった。

 

「ルガ、ジェミル! キリトを守れ! ロムライルを救える!!」

「な、なんで……」

「理由はあとだッ!」

「ッ……!!」

 

 カズよりジェミルが早く動いた。

 ようやくジェミルもクリスマスイブに手に入れたそのアイテムのことを思い出したのだろう。

 レジクレのリーダーを死地から引き戻せる可能性、それが潰えないよう鬼の形相で迫る。センジュレンゲに向けて、その怒り丈はあますことなく爆ぜていた。

 

「返せよぉ……返せぇええっ!!」

 

 涙を滲ませ、彼はダガーをひたすらに振った。それは珍しくも強くもない、攻撃力設定が控えめなダガー武器だったのかもしれない。しかし、その凶器はシステムという壁、あるいは境界を越え、主の憤怒や殺意という意思に寸分違わず応えていた。

 

「ボクのッ、友達を! ……くっ……ずっと一緒だった友達を!! そんな簡単にやらせるかぁっ!!」

「キリト! 俺達が盾になる! 今のうちにアイテムをッ!」

 

 ジェミルはボスとゼロ距離を保ち、射程(レンジ)の短さという弱点を補っていた。

 3秒遅れで俺やカズも参戦する。ボスに対してキリトと直線上を保ち、なるべく彼に自由な時間を生ませるために。

 だが。

 俺達3人の力だけでボスの進撃を止めきれないことはすでに証明されていた。時経たずして俺達はまたもセンジュレンゲの猛攻撃に耐えかね、バラバラの方向へ吹き飛ばされてしまう。

 

「ごふっ……ッ!?」

「く、そ……とまんねぇッ!!」

「キリトくん! やめ……て、そんな!!」

 

 知恵を持ち、意識を向けて、あえてキリトの作業を妨害しているかのような仕草で、センジュレンゲはキリトを2本のレイピアで持ち上げていた。

 斬撃で強制的に空中へ。ゆうに5メートルも投げ飛ばされる。

 

「がはっ……くそ、ヤバい! もう間に合わない!!」

「そんな、いやだぁっ! いやだぁあああ!!」

「ちっくしょおおおおおおおおッ!!」

 

 アイテムの使用が間に合わない、どころの話ではない。

 今度はキリトの番なのだ。今の攻撃でHPが全体の半分を割り込んでいる。これ以上死者復活のアイテムを使おうとすれば、彼がそのあとを追うことになる。そうなっては本末転倒だ。

 

「キリト君下がって! わたしが足止めする!」

「あ、アスナ!?」

「絶対守って見せるから!!」

 

 《閃光》がその本懐を教示する。突きの速度は全装備中トップを狙えるレイピア。それを、神速の域に達したスピードでもって解放した。

 腕の引き、腰の捻り、体重移動、アシストがはたらく本来の動きとのシンクロ度。それら全てを加味して、ソードスキルが繰り出す技の速度を左右させる、常識となりつつあるシステム外スキル《ブースト》。

 攻略組なら誰でも恩恵に預かる技術だが、彼女の芸術的センスが重なり合い、その剣技は最高級のそれに昇華された。

 目も眩むような刺突ラッシュをまともに浴びたセンジュレンゲは、苛立たしげにアスナに目を向ける。対象者への道を阻む障害物として、彼女の存在を認めたように。

 

『カカッ、カカカカカカカカカッ!!』

「くっ……きゃあああッ!?」

「アスナッ!! ……ぐ、くそっ!!」

 

 そんな彼女でさえ、小蠅を払うような一撃で弾かれる。

 もともとレイピアという装備は大型モンスターの足止めに向いていないのだ。その攻撃回数からヘイトはいくらか溜めやすいかもしれないが、ヘイトの矛先を自由に設定できる今のボスにその長所は役に立たない。

 いくら《閃光》でも、相性の差まで埋められない。

 それに問題はキリトだ。バーの緑色部分は残り少ないというのに、アスナを助けようと走り出している。自分のリスクが完全に頭から飛んでいる。

 

「キリト、自分の体力見ろ! 復帰するなら《回復結晶》使ってからにしろ!」

「そ、そんな! 早くしないとロムがぁ!」

「キリトが死んじまったら意味ねぇだろうがッ!!」

「ッ……!!」

 

 それに……もう無理だ。体感速度抜きに秒数で照らし合わせても、とても10秒もたっていないとは思えない。

 ロムライルは……ロムライルは、もう。

 

「ハァ……ハァ……くそ、ウソだろ……どうしろってんだ。……どうすりゃいい……も、もう死んじまったのか? ……なにか……手があるはずだ……」

 

 冷静になって守りに徹しなければ皆が死ぬという理性。

 感情に全てを委ねて敵を完膚なきまでに殺せという本能。

 それらがせめぎ合い、焦りと動機だけが膨れ上がる。どうすればいいのかがわからなくなる。

 やたらに打ち込んで逆に吹き飛ばされた俺は、起き上がることすら放棄して呆然としてしまった。この局面下でキリトを守り、レジクレのリーダーを取り戻す手段など、すでに存在しないとしか……、

 

「ない……のか……? そんな……ここまでやって、一緒に出ようって決めて……あいつは死んだってのか? そんなの……ッ」

「ジェイド! ぐす……ダメだよ、立って戦わなきゃ! みんなを守るために戦わなきゃあっ!! ヒッ……あいつを殺さなきゃいけないんだよッ!!」

 

 泣き面を隠そうともせず、酷い顔をしたままカズは、逆に呆然自失で膝をついていた俺の肩を引っ張った。

 ヒースクリフは残存兵を集めて部隊を再編しているし、クライン達がいるH隊はキリトへの刃を辛うじて代わりに引き受けている。その身を裂かれてまで、守りたい者を守り抜くためにだ。

 だが俺にはそれがいない。

 いなくなった。

 俺が、誰のために戦えと言うのだ。

 死んだあいつは戻ってこないのに、この手を誰のために今さら血に染めろと? 冗談ではない。ロムライルのために償うことすらできなかったこの剣を、いったい誰のために捧げろと!

 

「うぐっ……あぁ……ぁッ、アァアアアアァアアアアアッ!!!! フザけんなよちくしょう! ちくしょうがァッ!!!」

 

 見えるのは《四刀流》が全周囲攻撃をかまし、クライン達が切り崩されているシーン。

 一旦《回復結晶》で全快したはずのキリトのヒットポイントは、またしても注意域付近にまで落ち込んでいた。ロムライルがやられてから、ここまで1分とたっていないはずなのに。

 だが。

 

「くっ……知るかよそんなこと!! なんだっていい! 絶対に殺してやるッ!!」

 

 だが俺はキリトやクラインのことを心底「どうでもいい」と思っていた。

 誰がどうなろうと知ったことではない。俺から大切なものを奪ったセンジュレンゲにしか用はない。こいつを殺せるか殺せないか、それ一点のみが重要なのだ。

 

「ぐがぁああああああああッ!!」

 

 俺は獣のような雄叫びを上げると、異界のものにしか見えない両手足をバネにして、システムが生み出せる最大出力のジャンプをした。

 甲冑に極限まで強化された筋力値から、俺は10メートル以上の位置変化を得る。

 行く手を塞ぐあらかたのプレイヤーを排除したセンジュレンゲは、再びキリトと交戦を開始。瞬く間にイエローゾーンまで斬り刻むと、《マチェーテ》の武器がサーモンオレンジの輝きを得ていた。

 だがそこへ俺が降下していき、すかさずその剣を真上から叩き込む。

 位置エネルギーの全変換。そしてボスの予備動作(プレモーション)の失敗と、それに伴う行動遅延(ディレイ)。握力が緩む攻撃寸前の一瞬に、武器そのものを側面及び上下から狙い打つ《ディスアーム》だ。

 肺から短い気合いで酸素を取り除くと、敵のタイムラグにカウンターの刃でもって応えた。

 右側、上から2番目の腕を斬り、迫るカタナは姿勢を低くすることで流れるように回避。センジュレンゲの後方へ回り込むと、今度は左側の腕を斬り裂き、下段攻撃を垂直跳躍で避けた。

 空中回避中、左の『顔』を両断。敵の肩に手をかけ、空中で前転しながら鎖骨辺りを斬撃し、回転途中に次の手を察知。ボスに対して後ろ向きに着地した直後、右に飛びながらオートガードが1本だけ剣を弾くと、《両手用武器》系専用ソードスキル、上級七連重斬撃《エゾルチスタ・アモーレ》を最短挙動で発動した。

 ガンッ!! ガンッ!! と派手なエフェクトが舞う。全身をあますことなく使用し、さらに爆発的な筋力値の上昇をしている中で、俺は敵を八つ裂きにした。

 およそ数秒の世界。

 空間領域そのものを制圧したかのような立体軌道戦術。

 重心移動、姿勢制御、速度計算。敵の行動予測を常に1、2秒前から確実、かつ正確に見ていないと(・・・・・・)実現できないだろう戦闘技法。

 

「ゼィ……ゼィ……まだ、だっ……ッ!?」

 

 奴のゲージが最終段に突入する直前、俺は奇妙な感覚に捕らわれた。

 ボスが俺を狙わない理由、それはコントロール下に置かれたヘイト値をたまたま俺に向けていないからだろう。

 だが俺はキリトとボスの直線上に陣取っている。邪魔者を排除するため、8本の凶器を一時的に俺へ向けることは至って自然なことだし、先ほどはそうしていた。

 だというのに、攻撃が止まっている(・・・・・・)。俺を『邪魔者』と認識しなくなった。つまり攻撃対象がキリトから外れたのか?

 それに、集中力や神経が根こそぎ奪われたようになっている。朦朧(もうろう)とする意識と激しい頭痛、立ち眩みのような感覚が追撃をさせてくれない。戦う意思に反し、体が動かなかった。

 いつもそうだ。あの感覚を得ると、その引き換えに精神疲労がピーク状態に達する。

 

「(なんだこれ……)……ぐッ、そうだキリト!? 無事、なのか……?」

 

 忘れかけていたことを辛うじて思いだし、俺は(かす)む目を擦って後ろを向く。

 

「あ、ああ。なぜ対象が変わったのかはわからない。……でも、俺はまだ生きている……」

「良かった、キリト君……本当に良かった。1分ぐらいは狙われていたものね。……でも今度はまたKoBのメンバーを……」

 

 俺はアスナのそのセリフからヒントを得た。

 

「1分……そうか、1分間! それがボスの『特定人物を狙える』限界時間なんだ! プレイヤーは狙われてもまだ助かる!!」

 

 俺は頭を押さえながら、より現実的で無理のない回答を導きだした。

 元より、特定個人を無限に狙い続けるなどということになればゲームとして破綻している。何らかの手段で対象を変更できるものだと踏んではいた。

 もちろん確証はない。どんな理不尽な演出であれ、救済措置を忍ばせる本作の特性上の話をしているだけだ。しかし、確証なんてものはゲームが始まってから1度としてなかった。

 アスナもハッ、と気づいたような表情をしている。

 

「わたしはこの情報を団長に伝えてくるわ。組織的に個人を守ろうとすれば、いくらなんでもボスの攻撃だけじゃ人は死なないはずよ!」

「話はここまで聞こえていたさ」

「ひ、ヒースクリフ!?」

 

 ほとんど間近にその男はいた。

 赤を下地に白いラインが入った特徴的な西洋甲冑。銀に染まる髪と、常世全てを射ぬかんとする眼光。大型の盾と意思を体現したかのような真っ白な剣。叡知(えいち)を感じさせる聡明な佇まい。

 

「たった今、KoBの全タンク隊でこれに当たっている。先ほどの推察が正しいとすれば、1分間耐えきることも不可能ではないだろう。そもそも、タンクのいない君らのみで成し遂げたのだからな。……しかしこれはまずい。逃げ出したプレイヤーは18人。残り22人で再編成したとしてもゲージ1本以上を削るのは難しい上に、そもそも皆が満身創痍だ。回復まで大量の時間を要する」

「し、しかし団長。必然的にボスと1度に戦うプレイヤーは多くなります」

「消費アイテムもほぼ尽きています。《バトルヒーリング》ありきでも、とても全員が回復するのは……」

「……ふむ、仕方あるまいな」

「え……?」

 

 全員が固唾を飲んで見守る中、ヒースクリフはウィンドウを素早く操作した。

 外見から何かが変わったようには見えない。しかし、自信に満ちたその表情の奥に、何かしらの確信めいた兵器が眠っていることだけが(うかが)えた。

 俺はどうしてもその正体が知りたくなった。

 

「なにを……する気だ?」

「簡単なことだ。……私が1人でボスを抑える。全討伐隊メンバーはその隙に体力を回復し、部隊を整え給え」

「なッ、ンだと!?」

 

 この男は、今度こそ理解不能の命令を下した。残存兵を纏め上げる途中に俺達の苦戦を見ていなかったのだろうか。何人も何人もボスの前に立ちはだかり、キリトが途中クリスタルでHPを回復し、ようやくもぎ取ったギリギリの1分だ。

 1分間という猶予の確保、それをたった1人で成し遂げるだと?

 

「アホかっ、無理に決まってんだろ! 半分も持つかよッ! なんでテッタイしようとしないんだ!!」

「君は勘違いをしている。……ッ!!」

 

 それ以上の応えはなかった。……いや、応えたのかもしれない。

 言葉ではなく、実際に行動することで。

 まず大型の盾がクリアベールに包まれる現象。その後、前方に掲げる盾をそのままに彼は疾走した。

 それからヒースクリフの行った行為を説明するのは簡単ではないだろう。

 文字通り鉄壁と化した彼は、襲いかかる8つの凶器を順に防ぎきっていた。物理的な質量差などどこ吹く風のように、俺達の総合防御力を凝縮したかのように。

 あり得る現象ではなかった。適当に盾を振り回して防ぎ、たまたまシールドに命中したのではない。天文学的数値の話ではなく、そのままの意味であり得る現象ではなかった。

 攻撃を防げたらそれで終わり、といった従来の考えはVR界では通用しないからだ。剣を盾で防いだ場合、その衝撃、ノックバック、姿勢の崩れ、構えのブレ、その他多くの要因など、3D界ならではの難点が隠されている。

 

「(あの攻撃回数を防ぎきれている……?)」

 

 だからこそ、不変の法則すら無視したヒースクリフが斬撃を止めきっていることは、それ自体が不自然な状態であると言い切れる。

 最初の数撃を凌ぐ。

 次に2桁に上る斬り込みを止める。

 十数撃、数十撃、その後も延々と。

 発動者への衝撃をカットし、発生するはずのノックバックを無効化し、姿勢に影響を与えず、術者の構えに干渉しない。まさにゲームで言うハイパーアーマー状態。

 《神聖剣》専用ソードスキル、絶堅連続完全防御《アイソレイデ・ムーン》。

 それが、全攻撃をシャットアウトするソードスキルの名だった。

 

「す、すげぇ……すげえっ!!」

「どのリファレンスにも載っていないぞ。新しいソードスキルか!?」

「《ペキュリアーズ・スキル》なのか……? それとも……」

「いや《神聖剣》なんて聞いたことねぇぞ!? あれはスキルスロットを埋めるタイプのものだ。ってことは……」

 

 憶測が飛び交う中、俺はある種の解答に辿り着いた。

 プレイヤー初の使用者となる、《エクストラスキル》の体得ユーザー。ヒースクリフがそれに当たることになるのだ。

 ヒスイが持つ《反射(リフレクション)》と同じように、俗に言う《シールドスキル》なのだろう。スキルの発動中、動きを相手に合わせる必要上スキルが決まった動作でないところが特徴的だ。

 しかしレベルだけは別格である。ごく稀にしか刃を通さない上に、その傷も《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルで完全に癒えてしまう程度だった。

 

「1分……マジでたつぞ、おい……」

 

 生唾を呑んだ俺はほんの小さく、呟くように言葉を紡いだ。

 確かに俺は大きな勘違いをしていた。奴がタゲを引き受ける時間がたった1分やそこらの話ではなかったからだ。

 しかも剣でガードしてもカット有効ときた。似たスキルの《武器防御(パリィ)》は両手で武器を持つ者、あるいは好んで盾を持たない者によく使用されている。確保できない防御力をスキルでカバーしようというのだ。

 しかし、本来なら通常攻撃でさえモンスターの強力な攻撃はこの防御を抜ける(・・・)はず。

 完全に理解不能。説明不可である。

 攻防一体の謎のソードスキルを前に、センジュレンゲが目標に1歩たりとも近づけていない。もはや明らかなバランスブレイカーだった。

 

「……っ! そうよ、こうしてはいられない! ここにいるプレイヤー全員は《回復ポーション》を飲んでください! ヒースクリフ団長が時間を稼いでいます! ……C、F隊は解体して各隊に分散。誰が抜けたのか、点呼をお願いします!」

「…………」

 

 KoBの副団長としてアスナがてきぱきと指示を飛ばす中、俺はしばらく戦闘に参加しないのだと経験から悟り、無言で《ミソロジィの四肢甲冑》を『装備中』から解除した。

 同時に襲うのは体全体の重量が増すような感覚。

 それでも目についた防具の耐久値(デュラビリティ)は残り3割を切っていた。あの最強防具を装備できる時間も儚い刹那に過ぎないだろう。……いや、最強防具が足元にも及ばない存在が目の前にいるのか。

 

「……隊は攻撃役に纏めましょう。D隊は集まってる? 人数に変化はないからこのまま行くわ。あとジェ……ミル君は……」

「……?」

 

 言葉に詰まるアスナを尻目に、俺はふと彼女の目先に注目した。

 そこには両膝をついて自分の手のひらを見つめるジェミルの姿があった。彼の肩が上下に、そして小刻みに震えている。

 泣いている場所はロムライルが最期に戦っていた場所だ。彼のランスと青銅でできた巨大な《カイトシールド》が落ちている。その後ろ姿からは目を背けたくなるような痛恨の極みが伝わってきた。

 そこでようやく気づいたのだが、よく見るとKoBの正装に身を包む1人のプレイヤーが嗚咽を漏らし、その隣にいるプレイヤーから慰めてもらっているのが見えた。そのKoBの男も、センジュレンゲとの戦いの中で最初の犠牲者となったプレイヤーのことを想っているのかもしれない。

 結局、どこも一緒なのだ。死人が出た時、最も親しい人間から絶望の波が波紋のように広がっていく。

 光を失った虚ろな目を見るまでもない。ジェミルはもう、戦えないだろう。

 

「(じゃあ……俺はどうなんだ? 仲間1人、救うこともできねぇ俺は……)」

 

 自問する。

 右手に握る大剣にも、より強く握ることで問いかける。戦えるのかと、聞いてみる。

 …………。

 答えはない。所詮道具は道具だと、自分でそれぐらい考えろと、そう見捨てられた気分だ。

 だが言われなくてもやっている。考え続けている。リーダーがいなくなったことで、今後ギルドは存続させていくのか否か。存続させたとして、変更せざるを得ないリーダーにギルドがどのように変化していくのか。

 ……いやむしろ、そんなことくだらないことを考える必要はないかもしれない。それよりフロアボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》のことだ。こいつをいかにして殺すか。殺害するか。俺が考えるべきことはこの一点のはずだ。

 ……しかし、果たしてそうだろうか。

 いわんやセンジュレンゲを倒したとして、レジクレのリーダーは帰らない。

 ロムライルの弔い方……なんて、後ろ向きな心配はもっと嫌だ。彼の死を認めるようなものである。それどころか、まだ現実感すら湧いてこない。

 思考だけがループして考えるべきことがわからず、そして定まらない。

 自然と浅くなる呼吸を抑えることもできなくなる。

 

「ロムぅ……フッ……ろ、むぅ……ぅ……」

「ッ……ジェミル。……ぐ……ふっ、く……くそ、たれがっ!! 俺は今まで……なにをやってッ……!!」

 

 幸か不幸か、俺は涙が視野を奪うようなことだけはなかった。考えることすらやめようとは思わなかった。叫ぶことで、正気が保てたのだ。

 そして1つの回答に辿り着く。

 まずはこの危機を乗り越えようと。まずはボスを倒すことで日常に戻ろうと。

 深く考えるのはそれからだ。そのために俺ができること。それは頭と体をフル回転させ、兵士として全力で戦うることだ。仮にロムライルを生き返らせる方法があったとしても、今は目をつぶるしかない。

 

「ルガ、ジェミル。今の俺達は50層討伐戦のレイド班D隊だ。こんな……ところで、泣いてるだけじゃほんとに犬死にだぞ!? まずは回復して戦う準備をしろ! せめて一矢報いるぞッ!! ……力を貸してくれ。これは、俺達が今やんなきゃいけないことだろ?」

「ぐ、グス……うん……その通りだ……僕らが、ボスを倒しきる!!」

「ロム……少しだけ、ね。待って……すぐに手向けを送るから……」

 

 カズとジェミルがついていた膝を地面から離す。『殺し合い再開』の覚悟したのだ。

 俺はショックが1番大きかっただろうジェミルを見直すと共に、自分の見る目のなさを心中で恥じる。

 

「(全員で立ち向かえる。今はそれだけでよしとしよう……)……けどヒースクリフがボスを止めてられるのは、あいつが俺らとボスの直線上にいるからだ。乱戦になったら通用しねェぞ……」

「この戦力じゃ……どの道厳しい。逃げた人をここに呼ぶ時間はあると思う?」

「まずもってない、かな。現状、新戦力の確保は……あ!」

 

 突然ジェミルが何かに思い当たったように声を上げた。

 編成の整った討伐隊がジェミルの目線の先にいた人物、俺とキリトが捕まえアスナが縄で拘束しておいた聖龍連合(DDA)の斥候に注目した。

 確かアスナに『ゼレス』と呼ばれていた、まだ幼さを残す少年の姿だ。討伐の途中でタンカーにタゲを取らせ続けていたこともあり、捕獲時には稽査(けいさ)できなかったとは言え、しかし……、

 

「ジェミル、残念だがあいつは戦力にならない。役割が戦闘用じゃないってのもあるけど、そもそも1人2人足せばどうにかなる問題じゃないんだ。何とかして、最短の街《プロアソート》からここまで戦闘員を……」

「違うよ、そうじゃない! 昨日ロムは何て言ってた? 『利用されるだけは嫌だからこっちも利用しよう』って、こう話していたんだ! ……つまり、DDAはこの戦いを利用しようとして、そしてロムはそれを読んでさらに利用しようとしていた! ……あの人、たぶん討伐状況をDDA部隊に知らせる役割をしていたんじゃないかな?」

「そんなこと……いや、やろうと思えばできるのか」

「……ゼレス君、少し話を聞いてもいいかしら?」

 

 俺とジェミルの会話を聞いたアスナはゼレスの元に歩み寄り、静かに切り出した。

 アスナの口調が捕まえた時より強くなっていて、しかも討伐隊メンバー全員で囲って問い詰めているからだろう。ゼレスとやらはあっさりと観念して自身に課せられた作戦を白状した。

 

 曰く、与えられた任務は、《隠蔽》スキルで身を隠して討伐隊のあとを付け、討伐に入ったらその進捗情報を監視し、戦況を仲間に伝えること。

 曰く、大まかにペースを見て終盤戦まで進んだら、今度は迷宮区内限定メッセージ交換方法である《メッセンジャー・バット》を放つ。あらかじめ迷宮区入り口付近に待機させてある人物が《メッセンジャー・バット》を受け取ったら、迷宮区から1歩出て今度は《インスタントメッセージ》で主街区に待機する本隊に同文を連絡。

 曰く、本隊が《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》を使用し、昨日の討伐戦でどさくさに紛れてマーキングしておいたこのボスエリアの中心地へ侵入。最後にラストアタックを横取りする。

 これがDDAの立案した作戦だそうだ。

 

「まさか……こんな状況になるとは思わなくて。……その、ごめんなさい」

「ずる賢いことをするのね。……でもいいわ、この際言い争っている場合じゃない。今すぐDDAをここへ呼びましょう。そうすることで51層がアクティベートするなら、そうしてくれた方がずっといいわ」

「そうですね。こんなの2度とやりたくないですよ。……おいお前、副団長の慈悲で釈放してもらえるものだと言うことを忘れるなよ!」

「わ、わかってます。わかってますって……」

「これ以上言及するのはやめましょう。それより、確実にもう5分以上はタゲの引き取りを団長だけに任せているから早くしてちょうだい」

 

 大柄な男が強めに縛られていたゼレスの縄を解くと、ゼレスはいくらか体を動かすことで手足の稼働領域が戻ったことを確認し、すぐさまメッセージ文を作成し始めた。

 念のためにウィンドウの『可視化ボタン』を押してもらってから作業を開始し、ものの1、2分で文章は完成。内容はDDAに送ろうとしていた当初の予定通りだ。

 それからさらに1分が経過し、とうとう現れた真っ白な光のサークル。

 紛うことなく《コリドー・クリスタル》の光だ。昨日の戦いで脱落者、つまりDDAから死者が出たのは予想外だったろうが、まさかここまで見越して狡猾(こうかつ)に作戦を企てたいたとは。

 その結果、エリアには大部隊が突入してきた。

 

「よし、作戦開始! KoBに構うな! 一気にボスを攻撃しろ! 俺達は死人出してまで情報を得た! ラストを取っても誰も文句など……っ!?」

「こ、これはどういう……? リンド隊長! ヒースクリフしか戦っていません。どうなっているのでしょう!?」

「あ! あっちに討伐隊が固まっている! 僕ら来ることバレてたんじゃ……」

 

 臨機応変に生きてきた攻略組でも、さすがに現状を把握しきれていないようだ。もっとも、LAを掠め取る作戦だったのに、率先してその道を明け渡されている状況だ。驚くのも無理はない。

 それに驚いたと言えば、俺達正規の討伐隊からも言えることだった。

 なんと、DDAとまったく関係のないプレイヤーが何人も混ざっていたのだ。

 

「どうなっているのか理解が追い付かんが、助かるよDDAの諸君。ちょうど1分だ」

「な、何を言ってやがるヒースクリフ……!? んなっ、なんだってんだこのボス!? まだなんもしてねぇのに俺を狙いやがったッ!!」

「狼狽えるな! KoBが手を出さないのなら好都合だ! さっさと止めて反撃しろ!」

 

 何がどうなっているのかわからない。

 攻略組レベル約30人分を越える新戦力がハーフポイント攻略に加わったことは辛うじて認識できるが、DDA以外の人間が混ざるに至ったストーリーが思い付かない。

 しかし、そこへ部外者の1人であるヒスイが駆け寄ってきて、ジェスチャーで皆を集めてから口を開いた。もちろん、なぜここに彼女がいるのかも不明だ。

 

「混乱していると思うけど聞いてちょうだい。……昨日、ある女性の情報屋が、DDAの作戦を裏で調べたの」

 

 ここで言葉を切ったのはわざとだろう。女性の情報屋、なんて言い方をすれば、攻略組が真っ先に思い浮かべるのはヒゲペイントの彼女である。

 

「そして、DDAが50層ボス戦に《回廊結晶》を使って割り込むことで、LAを狙ってることを突き止めたわ。それを昨日の討伐に参加して……恨みを果たせなかった人に伝えたの」

「…………」

 

 後ろでDDAがボスと戦い、初めからフロアにいた討伐隊がヒスイに注目する中、彼女は(まく)し立てた。

 ここまで聞いて、俺は頭を巡らせる。

 ヒスイの言うところの『恨みを果たせなかった人』と言うのは、昨日センジュレンゲに殺された人間のギルドやフレンド関係にいたプレイヤーのことだろう。SAL(ソル)のアギン達もその枠に入る。

 彼らは立ち直る時間すら満足に与えられず、再討伐隊が主街区の門を潜って行くのを複雑な心境で眺めていたに違いない。

 

「アルゴは彼らのもとを走り回って『この戦いが、心残りを精算する最後のチャンスになる』と布告したわ。……意味は察せるわよね? つまり、DDAの割り込みに便乗すれば、50層戦への参加に間に合うことを知ったのよ。KoBにどんな言い訳をするかはともかく……これも善意の利用だけど、そう考えたの」

「ちょっと待て、ラストでキル狙ってんだろ!? なら、DDAがハイそうですかってコリドーに入れてくれるはずがねぇ。なんて言って説得したんだよ?」

 

 昨日の戦いに参加し、今日の戦いに参加しなかったメンバーが復讐せんとする気持ちは痛いほど共感できる。経験のある攻略組ならそのぐらいは察するだろう。

 だが俺の知る限り、《聖龍連合》という組織は自分達の身の安全のために他者には厳しく当たる傾向がある。それゆえに生存率が高く、甘ちゃんのKoBより加入への魅力があるのだ。

 おそらく誰もが抱いただろう疑問を俺が代弁しいち早く問いかけると、ヒスイは1度だけ頷いて続きを話した。

 それらを要約すると、なんとその実態は脅迫だった。

 情報屋の女性……つまりアルゴからの逆依頼により、ヒスイは立場を利用してDDAと直接交渉したらしい。それにより、DDAの統一化されていたはずの見解はかなり割れた。

 そこへ追い打ちをかけるように、多くのプレイヤーが『自分達を連れていかないのなら妨害も辞さない』と脅しをかけたのだ。

 こうなると、いかに最大ギルドとは言えLA盗取(とうしゅ)計画も強行できなくなるだろう。

 ボス戦前に消耗しようものなら元も子もない。

 

「……マナー違反、と言われるかもしれないわね。けど、罪悪感なんて言ってられなかった。……そしてDDAは作戦の破綻を避けるため、彼らに妥協案として『LAボーナスだけはDDAに渡す』という条件付きでコリドーへの便乗を許可してくれたのよ。当然あたしもね……」

「あいつら……」

 

 ヒスイの後ろではギルド《SAL》のメンバー、アギンやフリデリックの姿もあった。

 同じギルドの仲間であるレイアンを殺され、一旦はボスと戦う気力さえ奪われた奴らだ。今ボスと戦っているのも、復讐が敵討ちになるという自己暗示に近いだろう。

 彼らとて必死だったのだ。『レイアン』という男の生きた証とその意味。両方を形ある行動か物で残すため、あるいは証明するためにあいつらは剣を振っている。

 

「様子を見たところ、みんなもDDAがここに来ることを知っていたみたいね。でもそれならなぜ止めなかったの……え? って言うか、いま気づいたけど……そもそも人数が全然……」

「ヒスイ、わたし達はセンジュレンゲに……ここのボスに勝てそうになかったの。足りない人数のほとんどが勝手な離脱よ。それで戦闘員を補充できる可能性として、苦肉の策に賭けたのよ」

「なるほど、道理で……」

 

 彼女らは頭がいい。きっと、「足りない人数のほとんどが離脱」なるセリフの『ほとんど』という部分から、死者発生の事実まで理解したことだろう。

 

「とにかく、あたしはボスと戦うわ。人任せはウンザリ。みんなもそうだから、ここに残ったんしょう? こんなスミっこで見てる場合……?」

 

 剣を抜き、振り向いてボスを眺めるヒスイに言葉と態度で発破をかけられたと悟った討伐隊は、『意地』という名のプライドにかけてこれを看過せず、改めて武器を握り直すことで応えた。

 

「……ここで倒しましょう! 怒りはぶつけなさい! 嘆くのは先に進んでから! 悔しかったら、乗り越えて……力に変えるのよ!!」

 

 うぉおおおおおおおおおっ!! と、爆音がフロアを揺さぶった。それは萌える新緑のような対抗心ではない。戦場の女神に扇動される、野蛮なクーデターのように露骨な戦闘欲だった。

 あっという間に士気を取り戻したヒスイを前に、いつしかヒースクリフやアスナでさえ感心の眼差しを向けていた。

 そして俺も思い出す。まだ最前線が4層だった頃、浮遊城にまだ殺伐とした空気が充満していた頃だ。

 真冬の夜。イベントボスである《ザ・ヒートヘイズ・ラビット》との戦い。誰もがそのLAボーナスであるレアアイテムに目が眩んでいた頃、身も心も冷えきった中で、ヒスイは繋がりの薄いプレイヤーを1つに纏め上げた。少なからず討伐を諦めていたプレイヤーもいただろうが、そんなこともお構いなしだ。

 今も、昔も、彼女はずっと変わらない。

 その姿は眩しいほど凄い。思えばあの時から、俺はこの女の生き方に憧れ、その背を追いかけるように自分を律してきたのかもしれない。

 戦意に燃えるヒスイの後ろ姿を見つめ、俺は右手を強く握った。

 彼女が近くにいることで、際限なく力がみなぎってくる。

 

「(倒す。……ボスを、ここでッ!!)」

 

 30人に上るDDAを含み、新たな討伐隊として。混成部隊とセンジュレンゲとの戦いの緞帳(どんちょう)が、再度切って落とされるのだった。

 

 

 

 



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第60話 英雄譚

 西暦2023年12月28日、浮遊城第50層。

 

 50人を越える攻略組が集う迷宮区最奥部の中で、50層フロアボス《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》の討伐が再開された。

 敵のHPケージは残り1本。戦力の補充ができた今、相対的に見て戦線は持ち直したと言っていいだろう。

 だが問題も起きていた。昨日の討伐でボスが使わなかった能力、例えば《四刀流》スキルや《平行発動(パラレルオープン)》、そして『ヘイト値完全コントロール』能力などを聖龍連合(DDA)は知らないのだ。

 目潰しデバフアタックである《スペース・エリアウト》こそ、対抗策があることを知ったDDAには利かない――現に先ほど目をつぶるなどの対策をとっていた――ものの、それ以外はかのトップ級ギルドにとっても想定外だったのだろう。

 そして彼らが俺達のレイドへ割り込んできてから5分。たったの5分でDDAのメンバーは根を上げ始めていた。

 メンバーからすでに2人、追加で死人が出ていたからだ。

 

『ガカカカカカカカカッ!!』

「ひ、ひぃいっ! 今度は俺んとこ来たッ!! みんな助けてくれよ!」

「バカ動くな! ボスと直線上にいろ! お前が動くと止められないだろう!」

「逃げた腰抜けはあとでシバいておく! やっと最終段に来たんだッ! このまま最後まで突っ切れ!!」

 

 しかしそこはDDAの意地、きちんと反撃はできていたようだ。本来、トップ級ギルドがボス戦に重なった場合、どうしてもタゲの取り合い合戦が発生してしまいがち。その点、タゲの集中そのものはプラスにはたらいているのかもしれない。

 しかし敵の攻撃値が個人の回復量を越える以上、狙われたプレイヤーはたまったものではない。DDAからは早くも数人、勝手な逃走に走った人間が出ている。正規討伐隊の立て直しのために大人しくしていたアスナでさえも、集中狙いされた不運なプレイヤーには震えるように惨慄(さんりつ)していた。

 

「ヒーフクリフ団長、彼らを守ることはできませんか? わたし達の援護は、大きなお世話かもしれませんが……」

「アスナ君の気持ちはわかる……しかし無理だ。《アイソレイデ・ムーン》は10分間の使用を許されるが、クーリングタイムが従来のソードスキルからは考えられないほど長い。向こう20分は使えないのだよ。……それにあの技は術者の集中力にも左右される。技の持続は端から限界なのだ。他の単発式のスキルも、KoBのメンバーかこちらの仲間に使用する」

「そう、ですか……」

「(仲間のために使いたいだと? ザケやがって。DDAはともかく、レイドが最初に危険にサラされた時に、何でさっさと使わなかったんだよッ……!!)」

 

 ヒーフクリフとアスナの会話を聞き、どうしても俺は力の出し惜しみをしていた人間に抑えようのない怒りを向けていた。

 無論、KoBから脱落者が出てる危険性や長いクーリングタイムの関係から、発動タイミングを見極めていたのだろうことは理解できる。

 だがそれでも。

 ロムライルを助けられる力が眠っていて、それを使わなかった人間と共に戦わなければならない己の非力さと無力感。そしてKoBの団長へのどうしようもない苛立ちが態度に現れてしまう。

 

「おい、ヒーフクリフ。言っちゃあ何だがあんたの指揮で人が死んでるんだ。突っ立ってないで攻略に参加しようぜ」

「……よかろう。D隊はそのまま、まずはC隊から前進。我々からターゲットが発生した場合はA、B隊でそれを阻止する。……問題ないな? では、C隊前進!」

 

 了解!! という、6つの声が重なる。それに伴い、再編されたC隊が攻勢に出た。

 人数が半減した俺達のレイドは単純化されている。A、B隊が守り役でC、D隊が攻め役だ。これ以上分割するだけの人数も余剰戦力も、今の俺達には残っていない。

 

「(……アギン。あんたこんな気持ちでセンジュレンゲに立ち向かってんだな。……でも、俺もこの化け物を殺したいって気持ちだけは同じだ。俺がこいつを殺しきるッ!!)」

 

 最初現れた威勢はどこへやら。結束力が低いのか、個人を守るような陣形が作戦内容に盛り込まれていなかったのか。

 とにかく、DDAは最悪のタイミングで参戦してきた反動として『殺そう』とする考え方より『生き残りたい』という考え方が勝り始め、早くも消極的だった。

 勝てないと判断し、(わら)にもすがる思いだった俺達が言えた義理ではないが、狙われる人間が分散されたことで人数の激減した討伐隊の負担は減っている。これはミスの許されない千載一遇のチャンスだ。

 「っし、交代だ! やってやるぞ!!」と、パーティリーダーが掛け声で合図し、ローテーションの順番が回ってきたD隊はC隊に変わって前線に躍り出た。

 飛んでくる小石を払うように、《パラレルオープン》を駆使して時には三方向同時に対応してくるが、体力総量にまだ余裕のある俺達は構うことなく攻撃を繰り返した。

 もう何度目かもわからないソードスキル発動のあと、最終段まで落ちたボスのヒットポイントがようやく注意域に到達しているところが見えた。

 

「(DDAが若干ヤバイけど、行けそうか? カズやジェミルも攻撃に集中できている。ようやくここまで来たん……)……な、なんだァ!?」

 

 C隊およびDDAの遊撃隊が見えない壁、衝撃波のようなものに押し返され、何人も倒れ込んでいたのだ。

 

「くそ……いや、この衝撃は攻撃じゃなくて無敵モーションを開始するためだったのか。つか、今さら武器の変更でもすんのか……?」

「ち、違うよジェイド。……これは……」

 

 とりあえず衝撃波が攻撃技でないことに胸を撫で下ろしたが、ボスを囲んで奇妙な静寂を保たざるを得なくなった討伐隊。

 しかし、その両目が例外なく驚愕に見開かれていった。

 まずボスの体の隅々までが電池を切らした機械のように一時的に停止し、それからギチギチと立てながら形態を変化させているのが見えた。具体的には真上から見て体が3等分に、そして背中に生えていた8本の腕が左右4本の対になるように。

 《片手直剣(ワンハンドソード)》と《打刀(ウチガタナ)》、そして《湾刀(マチェーテ)》と《細剣(レイピア)》が集まった4本の剣も右側は右の顔の方、左側は左の顔の方へ移動していく。さらに《スペース・エリアウト》発動のキーアイテムであったランタンを捨て、人間大の大きさだった腕がうしろの8本のように長く変化した。変化した手にはいつ握られていたのか同じように4種類の武器がきちんと備わっていた。

 次の瞬間、センジュレンゲの体が弾けた(・・・)

 3方向に飛んだそれぞれの体の内側から、精巧に作られたカラクリのように人体のパーツが摘出されると、5メートル半を越える3体の人型ボスが悠然と3つも屹立(きつりつ)していた。

 全モンスターはHPゲージを1段のイエローゾーンで表示。顔は正面にのみ取り付けられていて腕の数も12本から4本まで減ったが、数が増えたせいで単純計算ならHPは3倍だ。

 「こ、こんなの……」と。誰かがそう呟いた時、3体に分裂したボスが動いた。

 1体がDDAの方へ。そして2体が俺達の方へ。

 

『カカカカカカカカカカカカッ!!』

「きっ、来やがった! こっちに! ボスが3体に分裂しやがった!」

「なんだよコイツ! 本物は1体か!?」

「見分けつかねぇぞ!! 俺達はどう戦えばいいんだ!?」

 

 3つの体を得たセンジュレンゲは、多勢に無勢を強いられていた仕返しとでも言うように猛反撃を開始した。

 しかも、あろうことか個人への集中狙いが生きている。1人で3体のボスの位置情報を把握しきるなんて不可能だ。もし1体を狙っている最中に他の2体からターゲットにされたとしたら、少なくとも対処までインターバルを空けてしまう。

 それにヘイトの溜まり具合が無視される以上、『狙うべきセンジュレンゲ』は逐一流動する。

 KoBとDDAがラストを狙うならすなわち、いくらレッドゾーンに落としても横取りされる可能性が高くなるからだ。それも『狙ってきたから倒しただけ』という合法的言い訳付きで。

 

「なるべく正面はタンクが務めよ! 攻撃隊は側面、及び後方から最大ソードスキルの使用を! 今なら安全に発動できる!!」

「なっ!? こいつらに挟み撃ちは利かねェはず……か……っ、そうか!」

 

 俺はやっとヒーフクリフの言わんとすることを理解した。

 一般的な視野120度を3方向に取り付けることで『360度の視野完全補完』という特殊な体系を作り出していたボスだったが、今はそれを発揮できない。なぜなら分裂(・・)してしまったからだ。

 敵にとってもいいことずくめではない。しっかりとデメリットが存在し、ヒーフクリフはそれにいち早く気付いたのだ。

 広域デバフアタック《空間ごと目潰し(スペース・エリアウト)》だけでなく、システム外スキル《パラレルオープン》も《360度視野補完》も。奴にはもう、備わっていない。

 

「よし、後ろからなら大技行ける! 狙われた奴はタンクの後ろにでも隠れてろ!」

「こっちには《神聖剣》がある! オレ達は助かるぞ! 絶対に死なないんだ!」

「一気に攻撃しろぉ!!」

 

 しかし、一気呵成に攻勢へ出ようとした瞬間だった。

 

「……いや、待て!? 後ろからもう1体のセンジュレンゲが!?」

「コイツらッ! 別の仲間を攻撃してるプレイヤーを次のターゲットに定めていやがるッ!!」

「ふざけんなよ! 攻撃したら狙われるだけだ! お、俺はもう攻撃しないぞ!?」

「バカ野郎! お前らアタッカーが攻撃しねぇと攻略は終わらねぇんだぞ!!」

 

 怒号と叫喚が飛び交う中、センジュレンゲは意にも介さずプレイヤーを狙い続けた。そうすることで、フロアの防衛を任された自らの存在意義を証明するかのごとく。

 それにセンジュレンゲが助け合う姿を見ると、ある既視感に襲われた。

 

「(この戦い方……10層のフロアボス、《アキョウビ》と《ウンジョウラン》の連係プレー!? センジュレンゲはマジで今までの層の集大成とでも言うのか……ッ!!)」

 

 ほとんど弛緩した感情の中で俺は冷静にもボスの分析をしていた。《ジェネラルスタチュー・ジ・アキョウビ》と《ジェネラルスタチュー・ジ・ウンジョウラン》。この2体のボスは互いにサポートし、支え合うようにコンビネーションアタックを仕掛けてきたが、今のセンジュレンゲの戦い方はまるでその再現だ。

 しかしあることに気づいた。奴らは目の色が若干異なっている。色は赤と青と緑。これを利用すれば、狙うべきセンジュレンゲの見分けぐらいはつくだろう。

 

「アスナ、赤目の奴が無防備だ!! 団長サマも手が空いてねェみたいだし、俺達で判断して動こう!」

「……わかったわ。D隊、前方の個体に攻撃を仕掛けます!」

「ルガ、ジェミル。俺達でキメるぞ!!」

「うん、倒そう! 抵抗の紋章(レジスト・クレスト)の力を、ここで!」

「今度こそ! 必ず成し遂げるよ!!」

 

 たったいま狙いが切り替わってDDAの連中を狙い始めた赤目のセンジュレンゲだが、怒りを沸騰させた俺達にとってそれは微々たる変化だった。

 俺達を狙わないし、レイドに手を出さなくなった。

 他のプレイヤーが死に、悲しさは共有された。

 ヒーフクリフは温存していた手の内を見せ、キリトやアスナは同情もしてくれた。

 ……だが、足りない。全然足りない。

 奴は俺達を結び付けてくれたロムライルを奪い、かけがえのない仲間を永遠に手の届かない場所へ(さら)っていったのだ。そんな程度で収まるほど……、

 

「軽い恨みじゃねェんだよォッ!!」

 

 叫ぶのと同時に最大級ソードスキルの連続発動。仲間がタイミングを合わせてスキルを発動しているのだ。

 ゴッガァアアアアアアアッ!! と、その全てが盛大に命中。

 これにより、赤目のセンジュレンゲはそのHPゲージを危険域(レッドゾーン)にまで低下させる。もはや戦意を喪失させ、逃げ惑う敗走者にまで堕ちたDDAの兵士を尻目に、攻撃の手を休めないよう脳から命令を送り続ける。

 ――殺したい。

 ――もっと、徹底的に破壊したい。

 そんな危険な衝動に逆らわず、麻痺しかけた両腕をなおも酷使していたその時。手を止めざるを得ない現象が起きていた。

 分隊リーダーであるアスナが、すぐ近くで慣性を無視した凄まじいスピードで飛ばされていったのだ。

 

「いっ、つ……ッ」

「狙われてる!? 今度はアスナが狙われてんのか!?」

「く、ここまで来て……!!」

 

 圧迫されるような鋭い瞬間火力を維持したまま、センジュレンゲによる挟撃に翻弄(ほんろう)される。戦況が一変したことでD隊も一時的にターゲットを変えざるを得なくなった。

 

「アスナ……おいアスナ! っ……ぐッ、別の奴か!?」

「くそったれ、ヤバいぞキリト! 後ろにも気を使え! 青目のセンジュレンゲがそっちに向かってる!!」

「でもアスナが! アスナが危険に……」

「バッカ野郎……ソロならテメェの命を優先しろ! 俺が代わりに……なっ!?」

 

 眼前すれすれの位置を片手剣の刃が通り過ぎた。俺もボスに攻撃をされたのだ。

 

「(ターゲットにされた!? 俺がッ!?)」

 

 状況はまさに最悪だった。

 走馬灯が駆け巡る。確かに俺の人生はさんざんだった。

 両親からはあらゆる期待をされず、物心つく頃から刻まれた姉との格差や劣等感。学校での生活も、教師が見て見ぬふりをする中で、いじめや暴行がまかり通る環境だった。それを助けようとしなかった俺も同罪だろう。付き合う相手も比較的悪く、成人を間近にこれといって親友と呼べるような奴もいない。かといって細々と彼女でも作って青春を謳歌、何てこともなく、浮ついた話はせいぜい彼氏持ちの女にちょっかいを出された程度だった。

 だが。かつてこれほど、俺は自分の運命を恨んだことはなかった。

 緑目のがアスナに、青目がキリトに、そして先ほどまで攻撃される一方だった赤目が、今度は俺を捕食対象に選んだ。今までの安全な位置にいたD隊が一気に危機にさらされたのだ。

 

「(く、クリスタルを……ッ!!)」

 

 俺が「ヒール!」と叫ぶのと、センジュレンゲの《四刀流》ソードスキル、上位究極十二乱撃《スプレンディッド・ディスペアー》が炸裂したのはほんの少しの差だった。

 ゴッバァアアアアアアアッッ!! と、もはや斬られているのか押しつぶされているのかも判別できない衝撃が襲ってきた。俺の体力が回復しきった瞬間に敵の予備動作(プレモーション)も終わり、《武器防御(パリィ)》スキルの防御力をボスのスキルが貫通している。

 きりもむように投げ出された俺は、すぐさまレッドゾーン寸前にまで追い詰められた。

 レッドゾーン寸前。それはすなわち、俺はボスの必殺技に耐えきったのだ。

 しかし、なぜ? この技はロムライルを殺す時に使われていた、ボスのいわば必殺技だ。HPの総量や攻略途中にいくらか培った防御力も、やはりタンクであるロムライルを下回っていたはず。

 いや、これは……、

 

「よかった……無事で……」

「……ひ、ヒスイ!? 俺をかばったのか!?」

 

 俺と重なるように倒れていた人物、それはヒスイだった。思わず目をつぶってしまってから、数発の攻撃は彼女が引き受けてくれたのだろう。だが彼女が斬り裂かれたからこそ、俺は生き延びている。

 

「ヒスイ……っ」

「ジェイド、ヒスイさん大丈夫か!? ッ……ディレイタイムが長い! リック、おれに合わせろ!!」

「了解っす、先輩! いつでもかましてください!」

 

 ギリギリの『生存』をもぎ取った俺達2人の前に、《SAL》所属の4人、アギンやフリデリック達が割り込むように立ちはだかった。

 上位攻撃の代償として長い硬直を強いられる《スプレンディッド・ディスペアー》終了直後、その時間を逆手に取ったのだ。

 果たしてその目論みは見事成功し、バー最終段の先端は全体の1割ほど後退した。

 他の個体は血の気の多い連中に任せておけばいい。

 本当に、本当にあと少しだ。

 

「(狙いはこいつだけ。1体だけなんだ……)……っ、ルガ! 数秒持たせろ! 51層に行くぞッ!!」

「わかった! やってみせる!!」

 

 唯一、まだ戦えそうだったカズに命令を飛ばすが、稼げる時間は少ないだろう。そして俺はこれを1秒すら無駄にはできない。

 ギルドの仲間に俺は守られながらラストアタックの準備をした。心臓の心拍音すら拾えそうなほど集中し、《メインメニュー・ウィンドウ》を操作。立ち上げからの、ほんのワンタップ。システムが認証し、それをオブジェクト化する。たったこれだけのプロセスが死ぬほど長く感じたのも初めてだ。

 そのすぐ付近では、討伐隊の怒号も飛び交う。

 

「アスナ君は我々に任せたまえ! 残りの《神聖剣》スキルも解放する! KoBの名に懸けて彼女を守りきるぞ!」

「任せてください団長!」

「アスナさんをやらせはしない!」

 

 KоBのメンバーがアスナを守るように先鋭部隊を展開した。

 

「キリト! オレ達《風林火山》が来たからにはおめぇをやらせはしねぇ! 野郎共、絶対にここで踏ん張れよッ!!」

「任せろリーダー!」

「うっしゃあ! かかってこいやぁ!!」

 

 クラインを筆頭にした《風林火山》のメンバーが頼もしそうに応えた。

 多くのプレイヤーの声が聞こえる。それは奇跡の防衛戦だった。絶体絶命に立たされた各々の捕食対象は、多くの仲間に支えられ、助けられることで窮地(きゅうち)を脱しつつある。

 そして、センジュレンゲにも『限界』は存在する。

 

「はぁあああッ!!」

 

 珍しく大声を出しながら、ヒーフクリフが新たな《神聖剣》ソードスキルを発動し、『攻撃を防ぎつつ攻撃するスキル』という前代未聞の荒業でもって、緑目のセンジュレンゲのHPゲージを消し飛ばした。

 奴は体の内側から爆発し、振るっていた脅威をデータの破片として呆気なく散らす。

 ボスの討伐、その3分の1が完了した。

 

「クライン、あんたら自身がもうヤバいだろ! 回復は済ませてる! 俺と替われ!」

「ッ……キリト、今だ!」

「スイッチッ!!」

 

 次にヒットポイント全快状態のキリトが、最近発見された上位乱撃九連撃を越える技、《片手剣》専用ソードスキル、上位広範囲高速十連撃《ノヴァ・アセンション》でボスに対応した。

 対してボスは、ソードスキル無しで4本の剣で凌ぎきろうと思ったのだろう。

 しかし最初の2撃目で態勢が崩れ、さらなる4撃目で構えが完全に解かれた。

 5撃目以降の攻撃はまともに防ぐことすらできずに、センジュレンゲはキリトの渾身の大技を全身に刻まれた。

 爆散エフェクトの発生。それに続く、ボスの減少。

 

「(あとはコイツだけっ!!)」

 

 ニアデス間近までダメージを与えられたアギンやフリデリックは一旦退避している。感情任せに攻めまくっていたジェミルも同様に。

 かくして、俺の四肢に改めて《ミソロジィの四肢甲冑》が装備される。同時に体の重みが消え、《クレイモア・ゴスペル》が羽のように軽くなった。

 

『ガカカカカカカっ!!』

「ジェイドぉ!!」

「いっ――」

 

 俺は、カズの技後硬直(ポストモーション)を打ち消す最後のスイッチを。

 

「――けぇええええええええッ!!」

 

 彼の影から表に出ると、赤目のセンジュレンゲは仁王立ちしていた。

 右上から迫るレイピアを首、および体全体を左に傾けることで回避する。

 はっきり見えていたのだ。腕を引いた時、すでにレイピアから突きが来るものだと理解していた。

 完全に避けきることができなかったのか右の頬に鋭い痛みが走ったが、それを無視して俺は続く敵の片手直剣に集中した。

 真上からの降り下ろし。それがスキル発動の前兆であると知りながら、重心を移動させ過ぎたせいで対処できなかった。敵から見て右手上側の武器が光を放っている。《片手剣》専用ソードスキル、中級単発垂直斬り《バーチカル・ファルコン》だ。

 ――避けきれない。

 そこまで考えた時、左腕が自動で動いてボスのソードスキルを無理矢理弾き飛ばした。飛び散る火花が視界を覆うが、目をつぶることなく弱点部位を見据える。

 防具の消耗を犠牲に、隙が生まれた。

 声にならない咆哮。

 それが自分のものだと気付く前に、体の後ろに構えていた大剣を片手で振り抜く。

 爆発的なベクトルを得た刃はガチンッ!! と金属音を立て、曲刀のマチェーテを越えてボスの喉仏を裂いた。

 しかしまだ終わらない。俺は左で作った握り拳で大剣を殴ることで反対向きの加速を与え、愛刀は(つづ)った道を逆再生するように戻っていく。

 2度目の命中。しかし、スキルでなかったためかあと1ドットほどHPを残してしまった。

 

「(間にあわ……ッ)」

 

 上段に構えられた《ウチガタナ》が俺を襲う。躱しきれないと、そう感じた時。突如ブーメランが飛来しそれが凶器の軌道を少しだけ逸らした。

 攻撃が外れる。

 ゴバァアアアッ!! と、すぐ横の大地が抉られた。角度、タイミング、全てが絶妙だ。こんなことができるのはジェミルしかいない。後方支援のあいつが俺を守ってくれたのだ。

 後ろを見なくてもわかる。自然と笑みもこぼれた。

 赤子の手を捻るように、数々のプレイヤーをその手にかけてきた50層フロアボス。

 だがそれも、これで……、

 

「うぉオアあああああああああッ!!」

 

 ガリガリガリッ!! と地面を削ってから、下から順に俺の大剣が奴の体を駆け走った。

 足元から斬り込みを入れ、武器を次々と排し、胴体を通過し、脳天を貫き、天井に昇る。

 ズバァアアア!! と、斬撃音が響いた。

 

『ガ、ガガァァ……カ……ッ』

 

 センジュレンゲが腹部から膨張し、そして爆発した。

 青いポリゴンデータが霧散する。殺人鬼が、その生命をあますことなく散らす。

 ほんの数秒、静寂が訪れた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 直後、『congratulations』の文字がフロアに浮かんだ。

 そして3つの大きな光球が発生する。その光球はだんだんと明度を上げて次に光を失った時、そこには3本の剣が中に浮いているのが見えた。

 

「なん、だ……?」

 

 いきなり支えを失い、3本の剣はその全てが地に突き刺さる。

 次に銘が武器の頭上付近に浮かんだ。

 1本目は白地で十字架を模した大盾の中央には、大胆にも深紅の塗料でこれも十字架をあしらった紋様。その裏側に聖剣と表現するに相応しい壮麗な柄が伺える。敵を斬る刃と身を守る盾、それらがシンクロすることで調和を生み出す。

 《片手直剣》カテゴリのLAボーナス、《クロスカーレ》。

 2本目は対照的に黒。盾はなく、漆黒の剣身に銀の縁取り。(うるし)を塗ったように光さえも吸い込み、手裏剣の一部を模した鍔と、これもやはり真っ黒な柄。一目で硬質な素材だとわかる、シンプルにして大業物を思わせる鋭利な剣。

 《片手直剣》カテゴリのLAボーナス、《エリュシデータ》。

 3本目の基本色は暗い藍色。そこに赤みのかかった紫で象形文字が印字される。長いグリップに対し、2本ある片刃剣のブレード。鈍い光を発するそれを、支柱を中心に左右に取り付けた大雑把な凶器。両刃とも言えない規格外の大剣。

 《両手用大剣》カテゴリのLAボーナス、《ガイアパージ》。

 51層を解放したプレイヤーの、最高峰の武器。それをシステムが算出し破壊者として、そして救世主として名を馳せるだろう俺達に捧げたのだ。ヒースクリフが手にする武器が《片手直剣》であることから推測するに、彼の使用した《神聖剣》スキルは武器の種類を問わないのかもしれない。

 不思議な現象は終わり、いかなる予兆も感じさせない、閑散と広がるだけのいつものエリアがあった。

 

「やっ、た……のか……」

「たおし……た……倒したぞ!」

「終わったんだっ!!」

 

 戸惑う喜びも徐々に確信の笑みへと変わっていった。その後、歓声や拍手が利害関係を無視して激闘を終えた攻略組を分け隔てなく包んだ。

 フロア全体に、割れんばかりの歓声が上がった。

 介入しておいてラストアタックを奪えなかったDDAの中には、不満そうな顔をしている人間も数人いるようだったが、おおむね勝利に嬉々とした表情をしている。仲間を失ったSALの面子すらこの時ばかりは喜びを分かち合っていた。

 ……それでも。

 俺を含み、レジクレのメンバーの面影は一様にして暗いものだった。

 彼を失った以上、普段通りとはいかない。リーダー脱落によって散り散りになったギルドの話など後を絶たないからだ。それに、そうでなくとも51層以降の攻略はもう4人では行えない。この事実が重く腹にのし掛かる。

 やりきれない思い、逃れられない憎悪、かきむしりたい衝動と無意味と悟る僅かな落ち着き。死者がその場に残す武器が約10人分、そこかしこに散らばっているのが事実を突きつける。

 だが、ない交ぜになる俺の内心はよそに、ヒーフクリフが地面に刺さった《クロスカーレ》を引き抜いてストレージに仕舞い、さらにKoBの連中が次層のアクティベートに向かっている姿が見えた。

 討伐成功という功績。それをいち早くプレイヤーに伝えたいのだろうか。仲間を失い放心状態の者もいるなか、やはりあの精神力は尋常ではない。

 

「(とてもそんな気にはなれねぇ。けど、ここに残るのも嫌だな……)……ルガ、ジェミル……上に行こう。話はそこで……少なくとも、ここはな……」

 

 俺は残りの耐久値(デュラビリティ)を10パーセント以下にまで落とした《ミソロジィの四肢甲冑》を、『装備状態』から解除しながらカズ達に話しかけた。

 

「うん……そう、だね。僕もここは嫌だ。ジェミルも……ね?」

「いい。……ボクは、いいや。……どこにも行く気がしないんだ。ここでロムとぉ……一緒に……」

 

 まるで見えない誰かと話しているかのように、彼はロムライルの形見を握りしめてそれだけを言った。

 立ち上がる気力もないのかもしれない。その背中に、俺は短く声をかけた。

 

「……上で待ってる。落ち着いてから話そう」

 

 そう言って《ガイアパージ》の元へ歩いて来た俺は、時同じくして近づいたキリトと1度だけ頷き合い、LAボーナスである剣を引き抜いた。

 と、2人同時によろめく。

 筋力値にビルドが傾いている俺からすると、信じられないほどの重量だった。持ち上げるだけで精一杯で、これをまともに装備するにはあと2、3ヶ月はかかるだろう。

 

「は、ははっ……は。すっげぇ、これが《魔剣》ってやつか。初めて触ったよ」

「ああ、俺もさ。……彼にも見せてやりたかったな……」

「……くっ……ぅ、こんな……嬉しくない贈りモンも初めてだ。思ったより感動もねぇしよ。クソがッ……こんなのいらねぇよ。全然いらね……え……」

 

 もはや誰に話しかけているというわけでもない。

 ふと、張りつめた気が途切れたのかもしれない。涙腺が緩み、涙が瞼を決壊して次から次へと溢れてきた。何度も瞬きをしたが、手に取る大剣すら歪んで見えなかった。

 俺は泣いている。滂沱(ぼうだ)の涙は、止む気配もなかった。

 こんなデジタルデータの塊に、いったいどんな価値があるというか。連綿(れんめん)と答えの出ない冥漠(めいばく)とした不安が押し寄せた。

 4層で俺がカズとよりを戻そうとした時、ロムライルは「βテスターとは付き合えない」と俺を遠ざけた。だがこれは、カズを想ってのゆえだった。15層でレジクレの3人がアラームトラップにかかった時、俺は迷わず戦場に飛び込んで彼らを救った。それに対し、彼は礼を言って俺への認識を改めた。20層で久しぶりに会った時、俺は攻略行為をやめるよう提案をして、逆に俺を守りたいのだと怒られた。そう言われた時、どれだけ嬉しかったか。30層で抵抗の紋章(レジスト・クレスト)に正式に加盟した時、ケイタの分まで俺がこの世界で生き抜いてみせると誓った。そうすることが報いになると信じて。35層ではケンカもした。オレンジ連中を捕まえることに目が眩み、彼への恩を忘れ調子にのって3人には迷惑をかけた。いま思い返すと恥ずかしいことを言っている。けれど、それすら俺にとっては新しい経験であり、かけがえのない思い出だった。

 そして何より、真っ暗なフィールドで独り泥にまみれて眠るしかなかった俺を、孤独な世界から救ってくれた毎日の幸福すべてが。

 人生を織り成す、大切な1ページだった。

 

「ふっ……ぐ……あぁああああああああっ!! なんでッ! もう一緒にっ……戦うのも、話すのも! ……一緒に笑うことも……グスッ……できないのにッ! あんたがいないのに! ふッ……どう、してっ……こんなものを喜べるッ!! どうしてェええええッ!!!!」

 

 ガギィンッ!! と、《ガイアパージ》を床に叩きつけた。

 それでも、膨大な耐久性を備えた《魔剣》が堅固な材質を証明しただけだった。

 

 

 

 12月28日、氷点下の真冬日。51層主街区《トロイア》が解放される。

 そして……寄る()を失った攻略組ギルド《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》が、実質的な解散をするのだった。

 

 

 

 



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第九章 暗い世界
第61話 幻想未来(前編)


 西暦2023年12月31日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 暗い、暗い、部屋の中。俺は何もすることがなく、ただ寝そべっていた。

 今日で2日目。時間にして40時間ぐらいだろうか。数えるのも止めてしまったが、ずいずん長く閉じこめられているようにも、そうでないような気もする。

 ヒスイとカズは俺がここ(・・)に来た初日こそ血相を変えて飛んできたが、今は静かなものである。音という音は俺が動かない限り発生しないのだから。

 あまりにもやることがないので悪態をつくのも忘れる。長い期間攻略組として常に体を動かしてきたからだろう。この『何もしなくてもいい』という贅沢な(いとま)に俺はいてもたってもいられなくなり始めていた。

 とは言え、文句をつけるつもりはない。むしろ最高面積を誇る主街区の一角なだけあって、割り当てられた部屋はさすがの広さだ。浴場も寝床も体を伸ばしてゆったりすることができる。

 

「(けど、なんかしてぇな……)」

 

 この際、攻略と関係のない日々の雑談ですら構わない。なんであれば《はじまり街》に閉じ籠るプレイヤーとでも会話を楽しめるだろう。それほどまでに俺は人に恋い焦がれていた。

 効果が薄いと知りつつも、一応《隠蔽(ハイディング)》スキルや《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキル、または《索敵(サーチング)》スキルといったものは発動している。雀の涙だが、使い続けることでスキル熟練度は上昇するからだ。少なくともやらないよりはマシと言える。

 

「(ここってこんなやることねぇんだな……)」

 

 しかし、俺の体が微動だにしないことに変わりはない。

 くあっ、とあくびを1つ。

 いい加減()のことを考えるのも面倒になった俺は、寝っ転がりながらも目をつぶった。そうすることでほんの少しばかりでも寝ようとしていたのだ。

 だがドアを叩く軽めのノック3回によって、俺の即席スケジュールは早くも崩れた。

 

「面会したがっている人物がおるで。面会室まで移動する準備をしとくれぃ」

「…………」

 

 それなりに聞きなれた《軍》の正規メンバー、クロムのおっさん口調と声に若干ばかりの安心感を得ながら準備をする。――と言っても、ホコリを落としただけだが。

 ちなみに俺にとって重要な事実ではないが、本来あるべき『面会の拒否権』とやらはゲームの世界にはないらしい。俺はすっくと立って両足で硬い地面を踏みしめると、両腕に錠をかけられたまま歩かされた。面会室と言っていた以上、向かう場所はもちろんその個室だろう。

 

「まったく、10日も目を離さんうちにやらかしおってからに」

 

 歩いていると、クロムのおっさんが振り向きもせずそう切り出した。

 

「……聞いたぞぃ。お前さん、リーダー失いよったんてな。心中は察するが、またえらく大変なことになったもんや。わしが何をしてやれるわけでもないんじゃがな。お前さんがバカを見る必要はないんじゃぞ……」

「…………」

 

 気遣ってくれているのだろう。ありがたいことだが無言で返すしかない。ロムライルのことはもう割りきった気でいるが、まだ口に出して言える段階ではないからだ。

 どんな事情があるにせよ、今の俺は不幸を傘に悪事をはたらいた畜生にすぎない。ここで何を言おうと、それは言い訳に過ぎない。

 しかし誰のお呼び出しだろうか。そちらの方が気になる。

 ヒスイやカズではないだろう。彼らには昨日の時点で「もう来なくていい」と言ってある。こんなことで相手の時間を取らせることが心苦しかったし、何より俺のこの惨めな姿を見られたくなかったからだ。ひょっとするとジェミルかもしれない。あいつはあいつで塞ぎ込んでいると聞くが。

 

「なあ、誰が会いたがってんだ?」

「面会人は面会室まで名を明かさないでくれと要求してきよってな。それにもう少しでわかるんじゃ、同じことじゃろう」

「…………」

 

 俺は「それもそうか」と思い直し、ひたすらクロムのおっさんに連れられて歩き続ける。

 その前にここがどこで、どうしてこうなっているのかを説明しなければならないだろう。

 まずここは《はじまりの街》にある《黒鉄宮》だ。多くのプレイヤーが利用する入り口付近、つまり《生命の碑》という名のモニュメントを確認しに来ているのではない。プレイヤーの生死を確認するのにこんな重労働は課せられない。

 ではどこか。

 ――なに、メジャーな場所である。

 《生命の碑》の少し奥、今や《軍》の占拠下及び監視下に置かれているSAO最大にして唯一の牢屋(ジェイル)。そこに俺は閉じ込められていた。

 もっとも、この言い方だと冤罪で捕まったかのように聞こえるだろうが、そうではない。俺は捕まるべくして捕まっている。有名なプレイヤーに自慢の大剣で攻撃し、犯罪者となってここへ運ばれてきたのだ。

 そして俺が斬りかかった人物には護衛がいた。それはつまり、現行を目撃した証人がいたと言うことと同義である。

 

「着いたぞぃ。面会時間は特例で20分設けられておる。内容までは知らんが、せいぜい心置きなく話し込んでくると良い」

「…………」

 

 俺は「特例なんてあるんだな、知らんかったよ」なんて呑気に答えてから、面会室の扉に手をかける。軽く深呼吸をしてからゆっくりと取っ手を回し、開けた。

 そしてそこにいたのは……、

 

「ッ、ヒースクリフッ!! なんっ、なんでここへ来た!」

「…………」

 

 咄嗟(とっさ)のことで俺は取り乱してしまった。

 堅く、強く、冷淡で、微かに憐憫な色を交えた無機質な瞳。前髪のように垂れた一房の銀髪と、深紅を強調させる血盟騎士団(KoB)団長。

 

「話がしたかった。賄賂のようだが、コルの上積みでVHも延長してもらえたのは幸いだな」

「ブイ……エイチ……?」

「面会時間のことだ。実際は賄賂ではなく正式な取引だが。……さあ座ってくれ給え、延長といっても無限ではないからな。言っておくが、こんな場所にまで来て君を蔑みに来たのではない。純粋に話を聞きたくて出向いたのだ」

「…………」

 

 どこまで本気かはわからなかったが、どの道犯罪者になり果てた俺には選択肢がない。

 しぶしぶパイプ椅子のような腰掛けに浅く座ると、破壊不能(イモータル)オブジェクトであるガラスを挟んでかの『最強剣士』とやらを見据えた。

 ――いつ見てもすました顔してやがるぜ。ムカツク。

 

「……よくツラ見せたなドサンピン」

「『どさんぴん』なんて半世紀ぶりに聞いたよ」

「るっせ、話しかけんな。朝からヒマか、コラ。俺はアンタを許してねぇ」

「まったく、私もずいぶん嫌われたものだな。ハーフポイント戦か、あるいはあの戦い(・・・・)のせいか」

「用件だけ言え。答えてやる。そして速やかに帰れ」

「まあ、そう言わず普段通りにしてもらいたい。それに勘違いしてほしくないのだが、私はそこまで君のことが嫌いではない」

「…………」

 

 『そこまで』で、しかも『嫌いではない』ときた。暗に好きな性格ではないと宣言されたようなものである。もっとも、そう言われたところで欠片も傷つきはしないが。

 

「……そんな顔をしないでくれ。これでも私は君のことを評価しているのだよ。野性的な言動が玉に瑕だが、私はこれまで興味深い現象を君から多く見いだした。本日、私の激務を押して本意で君に話を聞きに来るほどにはね」

「まどろっこしいな、最強サマよ。さっきから時間ねぇっつうなら、とっとと本題に入ったらどうだ」

 

 俺は懲りずにケンカを売った。

 繰り返すが、俺はこの男を許していない。50層戦の経緯(いきさつ)、それを思い出すと(はらわた)が煮えくり返りそうになる。

 あの日。

 センジュレンゲが『ヘイト値完全コントロール』能力を使用してから、ヒーフクリフがほんの数分隠し持っていた《神聖剣》スキル。これを解放しなかったせいで、ロムライルは死んだ。どう転んでもこいつを前に敬意を払った態度など取れるはずがない。

 

「ふむ、では率直に聞こう。……君も感じているだろうが、前人未到ゆえにこのソードアートの世界には未知の遭遇が多々ある。その1つである『近未来の視認』について、君と話がしたかったのだよ」

「ッ……ど、どうしてそれをっ!?」

 

 俺はあまりに慌ててしまって、カマかけだったかもしれない質問にバカ正直に答えてしまっていた。……手玉に取られるのが早すぎる。

 

「っ……ンなことまで、知ってやがったのか……」

「立場上、耳が広くなるのさ。それと、その『最強』という呼び方はやめてもらいたい。私とて仰々しいことはしていないつもりだよ」

 

 記憶に新しい現象。『近未来の視認』はこいつとの戦いでも発生していたからだ。

 俺がこの《黒鉄宮》に閉じ込められる原因。俺が表現するところのこの『最強』という言葉。

 そう(はや)し立てられるこいつに、俺は殺意の眼差しを向けていた。それが爆発した2日前、俺はヒーフクリフと真剣な殺し合いをしている。そこで再び、俺はあの現象に遭遇した。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 51層のアクティベートが済んだ日から翌日にかけて、SAO界におけるほぼ全てのプレイヤーが嬉々として攻略組を祝福し、それはそれは凄まじい熱狂に包まれた。曇天の空が景観を壊すが、雨も今だけは気を使って降らずにいてくれているのかもしれない。

 今日は12月29日。ボス討伐の熱がまだ冷めないかのように、真冬にしては暖かい日だった。

 この1年と少しの間、プレイヤーは理不尽にも死と剣の世界に閉じ込められ、命を懸けた生活と攻略を強いられてきた。それもたった1人の狂気によってだ。

 だがその悪夢もついに峠を越えた。

 RPGである以上難しくなるのはこれからであり、『峠を越えた』とするのは早計かもしれないが、やはり具体的な数字として50層を制覇したという事実がある。

 大きな進歩だ。ほぼ全てのプレイヤーにとっての、という条件付きだが。

 

「(喜べは……しねぇな……)」

 

 そこに該当しない俺は、上がり続けるテンションに盛り上がってグラスやコップを掲げぶつけている攻略組の面々を、冷ややかに眺めていた。彼らの騒ぎ方は年末が近いということも大きく加速させているだろう。

 とそこで、気の良さそうなプレイヤーが外れに座っている俺にシャンパンのようなビンを寄越して、「お前も飲め、これからも頑張ろうぜ」と声をかけてくれた。

 しかし舌打ちした俺は、立ち上がってからその手を払い飛ばす。

 するとビンは不快な音を立てて割れてしまうが、それらをまったく気にも止めず、(きびす)を返してその場を離れた。善意で行動したその男にとってはわけがわからないだろう。

 

「(ああ……人を思いやることもできねぇ……)」

 

 最悪だ。最悪の八つ当たりだ。

 彼が何をしたというのか。可哀想に。せっかく楽しげにしていたのに、恩を仇で返されて台無しにされた。全部俺のせいだ。

 

「(……ま、どうでもいいか……)」

 

 それを踏まえた上で、俺は男のことを5秒で忘れ去った。

 構っている余裕はない。気にかけている場合ではない、と。そう自分に言い聞かせて。

 

「何やってんだろ……」

 

 昨日ジェミルはボスフロアから1歩も出てこなかった。

 確信はないが、ギルド登録者メンバーのネームカラーが灰色にならずマップサーチが使えない状態が続いたことから逆算して、彼は50層のボス部屋、もしくは迷宮区から出ていないことになるだろう。

 死んだロムライルのことをずっと嘆いていたのかもしれない。

 1人になりたいと言って、カズから距離を置いた俺が言えることではなかったが、レジクレはリーダーがいてこそ初めて成立する集団なのだと噛み締めた。

 

「…………」

 

 俺は歩き続けながら、ふとエクストラスキル《神聖剣》について思い出す。

 いや、今の名称は少し変わっているのだった。常時利用させてもらっている情報屋アルゴを含め、この世界に存在するあらゆる同業者が掴んでいなかったスキルの存在。

 ハーフポイントフロアボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》の討伐は確かに喜ばしい事実だった。初日で4人、次の日に9人の死者を出した末とは言え、大事を成した。有志新聞やニュースでも大々的に取り上げられ、トップ記事の半分の内容はボスを討伐したことで埋め尽くされた。

 ……そう、半分である。なぜなら、史上最強のソードスキルが討伐に大きく貢献したからだ。

 それが件の《神聖剣》。

 スキルスロットを埋めるだけ、正確には派生機能(モディファイ)の選択をするだけで剣に防御力を付加し、盾に攻撃力を付加する謎のスキル。

 繰り出す剣技は予備動作(プレモーション)が短く、単発であっても強力で、動作中の妨害を受けにくく、攻撃範囲(アタックレンジ)に相当な補正が受けられ、技後硬直(ポストモーション)も短い。使用者を1歩でも危険から遠ざけるかのような仕様。

 これほどのスキルの存在が世に知れ渡ったのだ。

 当然、聖龍連合(DDA)並びにその他の攻略組ギルドやプレイヤーは、スキル獲得条件の開示をヒースクリフに強く要求した。二番煎じと揶揄されようが、脅迫されたKoBからどう思われようが、やはり50層のボスを1人で10分間も足止めできたスキルだけあって、自分らのセーフティラインを大幅に引き上げると考えたからである。おかげで恥も外聞も捨て頭を下げる奴がいたほどだ。

 だが、果たしてそれは叶わなかった。KoBの団長とその団員が開示を拒んだのではない。質問に対して、使用者本人が「獲得条件がわからない」などと答えたからだ。

 反発は避けられないはずだった。現に多くの人々が口々にKoBを非難した。聡明な彼がこの結果を予想できないはずはない。にも関わらず、何度聞かれても、どれだけ必死に訪ねても、「いつの間にかスキルスロットを埋めていた」とだけ答えてプレイヤーを退けた。

 彼の努力によって得られたものではなく、必然のように与えられたエクストラスキル。

 そう、つまりはまったく新しいタイプのスキルがこの世に誕生したことになったのだ。

 手に入れることができる条件にプレイヤーの意思が関与しないもの。1人だけの独自の剣技という意味を、敬拝と侮蔑の意味を込めて、それは《ユニークスキル》と名付けられた。

 しかし、俺はそれを聞いて本気で怒った。ただでさえ、50層戦において隠し事をしていたKoBが憎らしくてたまらなかったのに、奴は平然とそのユニークスキルとやらが手に入った過程を「いつの間にか」とうそぶいているのだ。

 ――信じられない。

 ――ふざけやがって。

 わずかに残る称賛の意と、溢れんばかりの憎しみの渦中で、とうとう俺は我慢の限界を迎えた。

 英雄が英雄であり続けたい気持ちはわかる。ヒーローとして奉られる彼が、力の分散によってその地位を手放したくないのも非常によくわかる。何であれば共感できるといってもいい。エゴに生きるゲーマーが《攻略組》などと畏怖され、その快楽をエネルギー源にマッピングに励んでいる、なんて話は珍しくもないからだ。

 だが生きるのに必死な攻略組プレイヤーがこれだけ多くいる最前線で、そんな器の小さいことをされても嬉しくもなんともない。

 仮に……仮に、だ。彼が嘘をついていなかったとしよう。件の《神聖剣》スキルがヒースクリフの言う通り、彼のスキルスロットをいつの間にか埋めていたとしよう。だがだとしたら、この世界の根底はものの見事に覆る。

 誰かが言った。「この世界は突き詰めると公平さ(フェアネス)を貫いている」と。隣人がそれに同意した。人にできて己にできないことはないと。それを聞くなり俺も納得した。他のプレイヤーより弱いのは、他のプレイヤーより仲間が少ないのは、ひとえに俺の努力が足りないからだと。

 『この世の不利益は、当人の努力不足で説明がつく』。

 実際、それは真実だった。

 覆ったことは、1度もなかった。だのに《ユニークスキル》は生まれた。あろうことか、個人のためのたった1つのスキルがあっさりと生まれたのだ。

 そうして俺はこの世界の摂理を確信した。

 この世界は果てしないまでに不公平(アンフェア)だと。SAOを運営するシステムはプレイヤーを公平に扱うことをやめ、正義を捨てたのだと。

 なにが平等だ。なにが公正だ。

 

「(だったらなんでユニークスキルがあるんだよ……ッ)」

 

 つい、思い出すと声に出して叫びそうになる。

 この世界で、1人だけ優遇される環境が、技が、力があることに。ヒースクリフが注目を浴びることが悔しくて、悔しくて、そして羨ましくて堪らなかったのだ。

 

「(けど、言っても仕方ねェんだよな……)」

 

 俺は半ばなげやりになって歩き続けた。

 昨日センシュレンゲを討伐し、俺とカズはジェミルをボスフロアに置いて51層主街区の《トロイア》に到達していた。さらにそれからは、俺がカズに「1人にさせてくれ」と申し出て、ヒスイのところへ1人で向かっていた。

 ヒスイは1人で行動している俺に驚きながら――いま思えば彼女も俺に気を使っていたのかも知らない――も、個人的な頼みを聞いてくれた。

 頼みというのは、25層取り巻きへのLAボーナス、《天眼通(てんげんつう)の鏡》を使って《神聖剣》スキルの派生機能(モディファイ)を調べてほしいというものだった。将来性の乏しいスキルが、その側面だけを強力だと誇張されたいで『最強』などと言われていた場合、ヒースクリフとしてはこの上ない迷惑だろうと、一応彼の立場になって考えたからだ。

 しかしその実、かのスキルが無条件に『最強』ではないと証明する最後のチャンスでもあった。

 対象スキルのモディファイを100秒間視認できる《天眼通の鏡》を使った結果、奴のスキルには今後『冷却時間(クーリングタイム)短縮』、『中級以下阻害効果攻撃(デバフアタック)遮断』、『瞬間防御値上昇』、『使用者体力増加』、『使用武器耐久値減少速度低下』、『クリティカル率上昇』などを手に入れることができると判明した。

 すでに『剣への防御判定追加』や『盾への攻撃判定追加』などを手にしていることから、出された結論は「やはりバランスを欠くレベルの最強スキルだ」というものだった。

 おかしいと、そう考える方が自然だ。絶対におかしい。冗談なしにラスボスレベルのスペックを見た俺は、あるいはヒスイでさえしばらく開いた口が閉じなかったほどだ。

 ヒーフクリフは必ず何かを隠している。この理不尽極まりない世界で、ポッと出の『最強』が使えるなら誰も苦労はしない。

 よって、俺の辿り着いた答えは直接問いただしに行くというものだった。

 そうして、今に至る。

 

「(あ……雨か……)」

 

 主街区を出てフィールドを歩いていたら雨が降ってきた。

 目的地に着いたら下級モンスターを退ける《幻惑のお香(トリック・インセンス)》でも使おうと思っていたが、フィールドの天候パラメータが『雨』の答えを出すと、このアイテムの効き目は薄くなる。

 それに結構本降りになってきた。仕方がないのでモンスターが寄ってきたらその都度排除するとしよう。

 

「なぁにやってんだろな~……」

 

 雨に濡れて歩いていると、またしても同じようなセリフが口をこじ開けて発音される。

 50層ボスへのLAボーナスである、片刃の大剣を両側に取り付けたような超重量級大剣、《ガイアパージ》。これを装備することが今のところ不可能である以上、俺の相棒はまだ《クレイモア・ゴスペル》だ。

 俺はその感触を背中で感じてなけなしの安心感を得ると、樹海の奥にあるT字に別れた通路で立ち止まった。ここが目的地だ。

 そのまま、雨に打たれ続けること数十分。

 何度か襲い来るモンスターを斬り伏せて、それ以外はずっと待ち呆けていると……、

 

「うむ? ……君の狩り場だったか。すまないな、邪魔をするつもりはなかった」

「いや、狩り場ってわけじゃない。あんたを待っていたのさ……」

「待っていた……?」

 

 その男はやって来た。血盟騎士団総団長、またの名を《神聖剣》のヒースクリフ。

 見たところ、護衛なのか単に実力を新人に知らしめようとしているのかは判断がつかなかったが、少なくとも2人のプレイヤーがヒースクリフの両脇に控えていた。

 ――どっちもいい歳した男とは華がねぇ。

 

「我々を待つ、か……変わったことを言う。解放されたばかりで、51層は狩り場の公開も行っていない段階だが?」

「2つミスってる。……1つ、公開情報をアテにしてここに来たんじゃない。リーダーが遺したレポートをあさって、普段のあんたらが回ってそうなルートを逆算して攻略範囲を統計で絞ったんだ」

「ほう。人は見かけにならないものだな」

「いやいや、頭悪いから苦労したよ。……そしてもう1つ、我々つったけど俺が待っていたのはあんた1人だけだ。一発で当たり引いたのはラッキーだぜ」

「…………」

 

 どうやら彼にも、フィールドの探索がてらに面倒ごとに引き込まれた自覚はあるようだ。

 もしかすると難癖(なんくせ)をつけてくるプレイヤーは、俺が初ではないのかもしれない。雨の日の大晦日間近にも休まず攻略に励んで、その結果いちゃもんをぶつけられるのだから笑いものだ。

 

「……質問がある。な~に、正直に言やァすぐ済むさ。……あんた、《神聖剣》スキルが『いつの間にかスキルスロットを埋めていた』なんてホラ吹いてたよな。あれはなんだ?」

「なに、といわれても単なる事実だ。……しかし、そう答えることに意味はないようだが?」

「ハッ、そりゃあそうさ。つい最近までその辺きっちり平等だったんだぜ? そのワケのわからんスキルさえなけりゃな。……真面目に聞く。あんた、マジで何者なんだ(・・・・・)?」

 

 相変わらず目は据わっているが、少しだけ逡巡(しゅんじゅん)する素振りを見せた。それがフリなのか素なのかまでは区別できない。

 

「私とてごく普通のプレイヤーだよ。もっとも、リアルラックは高いようだが」

「アハハッ、なるほどなぁ……」

 

 そこまで聞いて、俺は迷うことなく背負っている大剣を抜刀した。

 ジャラン、と。心境を映したような大雨の下、無機質な音が響き渡る。

 

「ッ……!? 団長、こいつ!」

「慌てるな。刺激しないように。……ジェイド君、だったか。よもや剣を抜くとはな。無駄なことはやめるんだ。君は今、まともな思考で行動していない」

「ムダなこと、か。……へっ、言うねぇ。俺じゃアンタに勝てないってか?」

「言い方が悪かった。この行いは無意味だ。何も解決しない。ここで手を引けば我々も問い詰めるつもりはない……」

 

 ヒースクリフが何かを言っている。弁明にも謝罪にもなっていない時間稼ぎを。

 話し合いの場は俺から提供したと言うのに、よくわからん奴だ。それを自ら、たった今捨てたくせに!

 

「ッ、ハナっからさぁ……解決なんてしねェんだよ! このくそったれがァっ!!」

 

 俺は地を蹴った。

 これが無意味? これが無駄? そんなことは重々承知している。正論でいちいち止まるほど、俺の怒りは小さくない。この怒りは収まらない。

 

「とっとと《神聖剣》を使わなかったから! あんたがモタモタしてっからあいつは死んだんだ! 俺達のリーダーはッ!!」

「ぐっ……」

 

 バギンッ! と、案の定俺の打ち込みはヒースクリフの盾に止められる。

 自己中で、身勝手で、自分勝手な人間の、吹けば消えるような儚い大義。俺がヒースクリフに攻撃することは確かに無駄なのだろう。これによって得られる戦果が何もないのだから。

 それにこんな化け物、ひっくり返っても勝てやしない。

 

「ッ……!!」

 

 ヒースクリフの武器がクリアベールに包まれる。最強スキル、《神聖剣》発動の合図だ。

 だが諦める気は毛頭なかった。

 少なくとも、暴れることでロムライルを救ってやれなかった俺の怒りだけは晴れる。

 

「ふ……ッ」

 

 俺は少量の空気を肺に溜めたまま、貫通(ピアース)属性のピックをホルダーから引き抜いてそれをヒースクリフの眼球に向けて投げつけた。

 ほんの一瞬だけ、奴の目が見開かれるが、直後に左手の大盾が顔の前に構えられ、あえなくピックはあらぬ方向に飛んでいってしまう。《神聖剣》スキル所持者にだけ許された完全防御。これがあの《アイソレイデ・ムーン》というやつだ。

 しかし、視界は潰した。

 俺は『敵』に対して左側に回り込み、奴の左足首を狙って大剣をフルスイングした。

 だが、金属同士が衝突した音が耳に届くと、足元のフィールドに突き刺した奴の剣が俺の《クレイモア・ゴスペル》の速度を殺しきっていることに気づいた。

 

「(っ、これが例の防御付加か……)……マジでなんなンだよ、そのスキルはッ!!」

「2人は警戒しつつ後退。手を出すな!」

 

 どうやら控えていた2人を参戦させるつもりはないようだ。とは言え、斬るつもりのない人間に「人を斬れ」と言っても躊躇(ためら)ってしまうだろう。戦場での躊躇いは命取りだ。モンスターを殺すこと以上に精神を費やし、かえって混乱を招いてしまう。

 オレンジプレイヤーとして勇名な誰かさんならばいざ知らず、闇雲に剣を振るただの人間が相手なら……、

 

「ぐあッつ……へ、へへ。壁でも叩いてるみてぇだぜ。……つーか、あんたはここまでされて攻撃しない気か? それで死んでも文句言うなよッ!」

「……ジェイド君、君の怒りが晴れればそれで終わりか? こんなことでは君のリーダーは浮かばれないな。彼はこの戦いを望んでもいないだろう!」

「うるせェ、しゃべんなッ!!」

 

 お互いに攻防戦を繰り広げながら怒鳴り合いによる会話を続ける。

 俺は聞く耳を持つ気はなかったが、相手も立場上は穏便にことを済ませたいのかもしれない。50層を過ぎてプレイヤーがデリケートになっていることも考えているはずだ。

 

「ちっ、聞く気はねぇ! ……だいたいな、ンなことはわかってんだよ! でも俺は……俺が《神聖剣》持ってりゃ死なずにすんだ!! 取得条件も隠しやがって! 独占たァやることがアクトウだなぁ!!」

「私の指揮で死んだ人間に対し、私に責任を追及するのはいいだろう! だがロムライル君以外の人まで救えたか!? それがわからん君ではなかろう!」

「く、うっ……!?」

「それに獲得条件については正直に答えている。君の幼稚で稚拙なこの行いこそ悪党だ!」

 

 叫ぶと同時、剣と剣がスナップの利いた速度でぶつかり合って鋭い音を発散させる。

 重く高級な甲冑で身をくるむヒースクリフはその場をほとんど動いていない。まるでこの場を譲る気はないと、そう宣言しているように。

 対して俺は、間合いや攻撃角度の調整で激しく位置変更を続けている。が、斬撃すべてが奴によって迎撃されている。間合いの選択権を譲られて有利を保証されているというのに情けない話だ。これが実力差か。

 

「ハァ……ハァ……かってェなおい。冗談みたいに硬ぇぞ……ハァ……ったく」

 

 文句を漏らしながらも手応えに不満はなかった。

 もっと余裕で凌がれるものだと思っていたが、さすがに俺の打ち込みが迫真に迫るものと感じたのかもしれない。

 しかし、次に俺が攻撃した時だった。大剣をヒースクリフが受け止めた時、一瞬の隙を突かれて奴に姿勢を低くされた。これにより、大盾が滑るように股の間へ入り込んできて、計り知れない筋力値でもって俺を持ち上げた。

 スプーンで食材を(すく)うように、俺の体が宙に浮く。

 短い時間、重力が上下からやって来るような感覚が俺を襲った。直後に不時着。

 

「ッ……ガハっ! く……ハァ……ゼィ……投げやがったのか……ハァ……くそ、強ぇ……」

「いい加減諦め給え。君のようなプレイヤーは過去にもいた。逆上した者は……その全員が(のち)にこれらの行いを恥じ、反省している」

 

 ヒースクリフの目の前で無様にうつ伏せの大の字に倒れていた俺は、悪態をつきながらも再び立ち上がる。

 落下によるダメージすらなかったが、そもそも落下ダメージはプレイヤーから受けたダメージとして扱われない。オレンジ化を避けようとするヒースクリフも計算づくで投げ飛ばしたのだろう。

 気づくと、天候はいつしか豪雨になっていた。しかも水滴が温度を逃がし、逐次俺の体力を奪っている。

 ぬかるんだ地面と、水濡れエフェクトのせいで立ち上がるのに何度か失敗しかけたが、なんとか踏みとどまった。もっとも、防具も武器も泥にまみれ、全身を打つ雨がみすぼらしさを醸し出していることから、お世辞にも格好いい状態には見えないが。

 

「へ、へへへっ……ズタボロだな。けどまぁ、暑苦しい体にはちょうどいいや。これからだぜッ!」

「……次にその刃を向けるとしたら我々も反撃に出る。その覚悟があるのなら……」

「なきゃ来てねェよッ!!」

 

 荒い息を押さえ込んで俺は再三に渡って距離を詰めた。

 足蹴にされ、小馬鹿にされたことで集中力は逆に高まっている。

 減速する世界の中、加速する意識だけが取り残される感覚。……そう、以前に何度か経験した、研ぎ澄まされた視野が未来をも知覚する感覚だ。

 奴が左の腰を後ろに引く動作をする。

 予想される攻撃方法。もたらす捻転力、速度。姿勢制御。付加された攻撃の有効範囲。行動の癖と確率。その他の制約的な人体の駆動範囲。

 瞬間、俺には銀の盾が迫り来る映像が見えた(・・・)のだった。

 

 

 

 



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第62話 幻想未来(後編)

お気に入り件数が750を越えました。もはや感謝しかありません。
今後とも楽しんでいただけるよう精進したいと思います。


 西暦2023年12月29日、浮遊城第51層。

 

 攻撃は見切った。隙はもぎ取った。

 あとは、この腕を力の限り振りきるだけ。

 

「ッ……れぁあああああああッ!!」

「ぬぅっ!?」

 

 見慣れないモーションであるはずの盾による突き。これを絶妙なタイミングで躱されたことで、ヒースクリフは少なからず動揺した。

 左の側面を取った。がしかし、振りの遅い大剣はすんでのところで片手剣に防がれてしまった。

 攻撃を利用して時計回りに半回転したヒースクリフが片手剣を右肩に担ぎ、不安定な姿勢の中でもきちんと防いだのだ。その瞬発力は見事と言うしかない。

 そのまま両者の動きは一旦止まり、鍔競り合いに持ち込まれる。

 

「ぐくっ……く! 確かに、な……間違ってるさ! 俺はワルだッ!!」

「…………」

 

 徐々に姿勢を整えたヒースクリフと互いの凶器をギリギリと擦り合わせ続ける最中、俺は叫ぶ。抑えきれない、その慟哭(どうこく)を。

 

「ハァ……ンなこたァわかってる! けど!! ハァ……俺が《神聖剣》を手にするべきだったんだ!!」

「無意味な仮定だ!」

「うるせェ!! ハァ……アンタが憎い! 《神聖剣》は相応しくない! ンなもん、俺が殺して奪ってやるわボケがァッ!!」

「く……やめたまえ。私を……殺しても、そんなことはできない。彼は報われない!」

「がぁあッ!!」

 

 ジャキンッ! と鋼鉄特有の音を出しながら一旦鍔競り合いが解かれた。

 直後に俺は《体術》専用ソードスキル、中級単発突進強撃《凱膝華(ガイシッカ)》を構え発動する。

 当然のようにヒースクリフはその絶対的防御力で防ぐ。しかし着地前、俺は俺の体を目の前の男に抱きつく勢いで押し込み、無理にでも接近して顔面に頭突きをかました。

 憎らしそうに睨むヒースクリフを無視しようとした瞬間、奴の右腕に力が込められるのを感じる。

 そしてこの時、数秒と空けずあの感覚(・・・・)が再来した。

 左の肩が後方に傾き、剣を握る指に力が入る。同時に右肘が伸びきり、足を狙うような目線と、大盾を左にずらそうとしていること。目で視認することで初めて判断できる現象において、それらが導き出す……いや、導き出せる(・・・・・)唯一の解答例を幻視する。

 ほぼゼロ距離での斬り上げ攻撃は半歩身を引いて回避。リアルなら右側の髪が一房は持っていかれそうな近距離を片手剣が通り過ぎた。

 

「躱した……っ!?」

「ぜぁああァぁあああああッ!!」

 

 全体重を乗せる。ヒースクリフは外した剣の勢いを殺さず肩にかけ、どうにか防ごうとした。

 だが俺の剣は止まらず、そのまま直進する。

 とうとう俺の攻撃が奴の鉄壁を越えた。

 大剣装備の一撃にせいぜい1割にも満たないダメージ。数字だけを見るなら苦労に見合っているとは思えない成果だが、斬撃が抜けたことにはそれ以上の意味がある。

 

「ハァ……これで……ハァ……晴れてオレンジだな、俺も……」

「よもやしてやられるとはな。……こちらも本気でいくとしよう!」

 

 ヒースクリフの目付きが変わった。防戦一方を決め込んでいたヒースクリフは、1度攻撃を受けることでようやく本気で戦うことを決意したようだ。

 構えが保守的なものから外れ、攻撃を前提としたものに切り替わる。

 

「(つっても……やっとこさ本気か……)」

 

 遠退き始めているのは両手足の感覚だけではない。意識すら朦朧(もうろう)としてきている。

 ハンデのなくなったヒースクリフに対し勝てる気はしない。元より勝ってはいけないケンカではあるのだが。

 

「シッ!」

 

 ヒースクリフが短く息を吐いた。

 切っ先はヒット直前に方向を変え、反応速度が低下しつつある俺はあっさりとダメージを負う。穿(うが)たれた刃が俺の命のゲージを少しばかり削った。

 俺は大きくバックステップを踏むことでとりあえず距離を空ける。

 

「かはッ、つ……っ、てェな……」

「続けるなら『痛い』では済まなくなるぞ」

「ハッ! やっとその気か!? けどな……あんたのスキルで、ロムライルを救えると知った時! 俺の怒りはこんなもンじゃなかったぜッ!?」

 

 ダッシュしてから再び白兵戦。

 奴の戦い方は大盾によるガードと聖剣によるアタック。意外なことに大味なモーションはない。戦闘スタイルが片手剣士として基本に忠実だったため、俺の小細工は通用しなくなる。

 確実な守りと堅実な攻め方を前に、着実に俺のHPゲージだけが削られていった。

 しかし、こちらとて捨て身のケンカだ。悪あがきぐらいはさせてもらう。

 

「ハァ……ゼィ……こなくそォッ!!」

「ぬぅっ!?」

 

 俺は地面に広がる泥の塊を相手の顔めがけて蹴り上げた。反射的にそれを盾で防いでしまうヒースクリフ。

 強制的に構えを変え、俺はここぞとばかりに反撃をする。なんとも浅ましく醜い戦法だった。

 

「そらよォ!!」

「ぬぐっ!?」

 

 今度は足払い。天候パラメータが『雨』を維持する限り、フィールドはぬかるみによって滑りやすくなっている。結果、転倒(タンブル)の発生率も高くなるのだ。

 俺の筋力値とて相当に高い。ヒースクリフは俺の反騎士道的な戦闘方により大きくバランスを崩した。

 

「ハッハァッ!! 死にかけりゃ、《神聖剣》の取り方も教えるだろテメェ!!」

「ッ……いい加減にしたまえ!!」

 

 俺の追撃に対し、今度こそ『最強』はその姿を表した。

 ディープブルーに輝く奴の剣。ネーム付近には技名が表示される。

 初見である以上、俺のリファレンスに新たに登録されるだろうその新技、《神聖剣》専用ソードスキル、攻防合体回転二連撃《ペルラ・ルーチェ》。

 まず俺は、左側から迫る片手剣を打ち落とそうと垂直に剣を振り下ろした。

 俺の大剣は見事ヒースクリフの持つ剣先に命中。重量差からも打ち落としまで成功すると思った。がしかし、奴の剣は前進を止めず、際どいところで振り抜いてしまった。

 ダメージこそ相殺できて発生しなかったものの、『剣撃軌道の著しい妨害』としてシステムに認識されず、ソードスキルは続行。二段目の攻撃に移行した『盾による攻撃』が俺の胴体を斜めに斬り裂いた。

 脳を揺さぶる激しい振動。脱力しかけた体は踏ん張りが利かず放り出される。

 視界がレッドアウトする中、足が地を離れた俺はゆっくりと感じ、悟る。ヒースクリフに遥か遠く届かなかったのだと。

 地面に叩きつけられた時点で、俺は意識を失った。

 

 

 

 あとに聞いた話だが、《軍》が管理する《黒鉄宮》の名簿欄に俺のプレイヤーネームが刻まれたのは、その日の午後3時半を過ぎた頃だったそうだ。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 改めて俺はヒースクリフに向き直った。

 『近未来の視認』。

 1層、10層、21層、カズとのデュエル、50層、そして……ヒースクリフとの戦い。特にハーフポイントとこいつの戦いで、未来の動きがはっきり見えた(・・・)回数は2回にのぼる。

 とは言え、この現象は他人からだと気づきにくい。動画サイトに投稿すれば多少称賛を呼び込める程度のもので、その実情なんて普通のプレイヤーなら気にも止めないはずだ。

 

「私のスキルを最強と称するなら、君が幾度か実行に移したあの現象はチートと表現できるのではないかね? ……フフッ、もっともこの言い方は正しくないがな。私はその正体を知っているし、そんなに大逸れたものでもない」

「…………」

 

 本当に知っているのだろう。

 名称はおろか、この男はその原理まで理解しているかもしれない。

 

「……へっ、だからなんだ。KoBの連中がひーこら働いてるのに、あんたがここでダベっていい理由にはならねーぜ。聞きたくもないし、早く帰ってくれよ」

「私とて、個人的な好奇心を満たすぐらいの時間は与えている。ゆえに今日も、決して君のために来たのではない。それに我々も人だ。目に映らないだけで、不満を抱える者もいるだろうさ。君は『パレートの法則』を知っているかね?」

「……ぱ、ぱれ……?」

「知らないようだ。簡単に説明すると、ある数値を導きだした全体としての結果は実は、一部の人間の努力によって出ているに過ぎない。という法則性のことだよ」

「…………」

 

 ――わ、わからん。

 

「働き蟻の法則と言った方がわかりやすいかもしれんな。……100匹の働き蟻を集めたとしよう。観察すると実際に働いているのは全体の8割で、残りの2割は働かない。次に働いている8割の蟻だけを残したらどうなると思う?」

「そりゃ……別に働くだろ……」

「それがそうならないのさ。働き蟻8割の中でも8対2の法則ができ上がる。16匹は働くのをやめ、残りの64匹が働き続ける」

「へぇ、そうだったんだ……ハッ! つ、つまり何が言いたいんだよ!」

 

 ヒースクリフは若干呆れたような顔を作った。嘲笑ったのかもしれない。この世界の住民はそこまで俺をバカにしたいのかと、強く反論できない俺は自分が嫌いだ。

 それからヒースクリフはまた淡々と口を開いた。

 

「KoBとて同じということさ。憧れで入団した者も過酷な攻略生活に根を上げ、手を抜いた仕事をする団員も少なからずいる。君が言うように、そして誤解しているように皆が皆、日々全力を尽くしているわけではない。君もまさか、私の勅諚を受けた団員が無条件に命を捧げるとまでは思っていないだろう?」

「……ちょく……じょう……?」

「……私のこともいたずらに神聖視するのではなく、どこにでもいる普通の人間として見てほしいものだよ。……そろそろ本題に入ろう」

 

 ここで俺は、場を支配するギスギスした空気が払拭されていることに気がついた。立場上、この話術も必要となるのだろうか。アギンやクラインを見る限り、ギルドマスターの必須テクとは思えないが。

 それにKoBとて無敵の紳士集団ではないという、ヒースクリフの主張もよくわかる。

 平均年齢が高いことから穏和な性格のプレイヤーが集まっている――これも俺の偏見ではあるが――のだろうが、かといって常日頃の生活に不満を感じないはずはない。トップギルド特有のプレッシャーや脅迫観念、あるいはストレスといったものが確実に存在するからだ。

 メンバー間の本音と建前、ギルド間の打算と駆け引き、上司からの圧力や欲望、組織の受け持つ義務と仕事の責任、泥沼な人間関係から衆民の凝縮された期待まで。

 仮想空間が生活の場と化してから、基本的なアーキテクチャは現実世界のそれと何ら変わりはない。

 俺がレジクレに参加してそれらの点に労せず溶け込めたのは、ひとえにあのメンバーが異常なまでに善人しかいなかったことが挙げられる。現に、そういったドロドロとした事情が嫌でソロをしている人間だってわんさかいるし、俺自身レジクレ加入前はそのきらいがあった。

 KoBも例外ではない、と言いたいのだろう。

 例えばDDAと比較すると、そのギルドメンバーの数が実態を如実に物語っている。KoBには現在30人強のメンバーがいるのに対し、DDAはその倍以上、70人に迫る人数が所属しているのだ。この差は圧倒的である。

 なぜだろうか。

 答えは簡単に見つかる。

 つまり、ギルドに加入するにあたってKoBの2倍、加盟する魅力に満ちているということだ。狩り場や情報の独占も、裏を返せば己のギルドを危険から守るためであり、DDAも努力を怠らない身内には結構優しい。

 これらの事から断言できるのは、KoBは高嶺(たかね)の存在になりすぎてしまったということである。だから一般人にとって神聖視されるのだ。

 

「(って感心してる場合かよ。俺が望んだとはいえ、こいつはもう俺の敵だ……ッ)」

 

 俺は脳内で(かぶり)を振り、警戒心も新たに敵を向く。

 相も変わらず彼は澄ました顔をしていた。

 

「しかしオレンジカラーも侵入できる唯一の《特殊圏内》、か。どうもあまり落ち着かんな、こういう場所は」

「……んで。俺は経験談でも話せばいいのか」

「ふむ、君はオカルト話について興味はあるかね? ……漠然とさせすぎたな。では質問を変えよう。例えば君の好きな《システム外スキル》があるだろう? 言わばルールの範囲内で、他者との差別化を図る技術だ」

「いつの話だよ。つーか、よくそんなこと覚えてたな」

「職業柄、私も記憶力だけは自信があるのでな。……さて、その中に《超感覚(ハイパーセンス)》なるものがある。耳にしたことぐらいはずだ。なんと、認識できるはずもない情報を知覚範囲外から知覚し、的確に対処する技術らしい。君はこれをどう思う?」

「…………」

 

 これはまた、ずいぶんとらしくない質問がやって来たものだ。

 《ハイパーセンス》。本能の覚醒により、五感のリミッターが解放され遠距離の不吉な現象を感じとり警戒する、ステータスでは表示しきれない体に宿る隠された力が目を覚まして敵を地獄に葬る。つまりはこういった現象のことだ。

 無論、これは紛れもなくデマだろう。

 確かに直感で片をつけるにはできすぎた状況は起こりうる。しかしそれも、現実は奇なりというやつである。

 ある未踏破ダンジョンの前に到着して、プレイヤーが『この洞窟の奥は危険だ』と判断したとしよう。その推察が正しかった場合、果たしてそれは《ハイパーセンス》と言えるだろうか。確率など半々だ。

 どこまでいっても理論的な説明なしではジンクスの域を脱せず、往々にして『そういう時もある』で済まされてしまうのだ。そこへ根性論で反駁(はんばく)しても水掛け論にしかならない。

 

「ない、と俺は思ってる。なにしろコンキョがない……」

「妥当な判断だ。が……そうだな、では『定義を設定できる』世界ではどうだろうか。……難しい言い回しは勘弁してくれ給え。これは義務教育レベルでも使われる手法だ。存在するはずのない理想気体を前提にした理科の実験や、紐や台座の重力や摩擦を無視した物理の計算に近い」

「いや……ムズくてよくわかんねぇけど……」

 

 答えがわからないというよりは質問がわからない現象に立ち向かうべく、俺はほとんど脊髄反射で感想だけを述べる。

 

「んあ〜……なんにせよ、証明できないんだろう? なら無いのと一緒じゃん」

「はぁ……だろうな、君の意見は率直だ。しかしこれでは私が困ってしまう。なにせ、私は目の前に突きつけられたのだからな。そこで私はある研究をした。タブーに触れるようだが、少し現実世界の話をしよう」

「やめろ。リアルの話ヤメロ」

「単刀直入に言う。私はVRMMOゲームの製作担当をしていたのだよ。おかげで多くのゲームを手掛けたものさ」

「やめろつったよなァ!?」

「勤めていたのはゲーム会社ではなく電子工学の方でね、その中にこのソードアートも含まれていた。……なに、珍しい話ではないし、しがないメーカー勤めさ。常務の上でこの事件に巻き込まれた者や、定期的にゲームをする習慣のない者が、何かの偶発的結果からログインした例は少なくないのだから」

 

 まったく聞く気のない男にイラッとしたものの、重くなってきたまぶたを気合いで押し上げ、俺はどうにか興味の持てた箇所に焦点を当てた。

 

「…………聞いたことはある。業務上過失なんちゃらだよな、これ。っていうか、あんたんところのサブリーダー……アスナだって似たようなもんだろ。詳しくは知らねぇけどさ、あれがコアゲーマーだったとはトウテイ思えん」

「まさしく」

「ハッ、でも合点がいったよ。あんたの強さの秘密。武道に通じてるわけでも、兵隊とかでもなかったんだな。そういうウワサが絶えなかったもんで気になってたんだ」

「両方ともその通りだ。製作スタッフは地方にも多く点在し、私達はゲーム先行体験、俗に言う《クローズド・βテスト》を前に頻繁な情報交換もした。そしてある日、大規模なテストプレイが実施された。私もそのメンバーに抜擢され、製作途中である10層以上のフロアを除き、長時間ログインによってシステムアシスト、ディティール、タイムラグなどの計測を行ったのだ。次世代技術ダイアモンド半導体CPUが完成させた《カーディナル》と言えど、人の手なくしてゲームの完成はあり得ないからな。……いわば、数少ない《αテスター》さ」

「…………」

 

 これは飛躍した話が飛んできた。多少は驚いているが、だが同時に納得もしていていた。なるほど、この初老は根本的な面で世界を熟知していたのだ。初めからこの男の得ていたアドバンテージは、長い目で見れば最高級のものと言える。

 しかし、これはなんだろうか。胸騒ぎがする。圧倒的な危険信号だ。

 これまでに体験したことのない、本能的な警戒がヒースクリフに向けられた。

 なぜか……本当になぜかわからないが、目の前の男は《αテスター》だから強かったのだと。自分には強さを裏付けする決定的な過去があると、そう白々しく必死に言い訳(・・・)しているように聞こえたのだ。

 ただの、言い訳である。

 現段階では彼の言うようにこの世界の最速先行体験が、他の追随(ついずい)を許さないほど強い理由足り得たのだと、そう考えるのが妥当だろう。他に理由がない。

 だがこの理屈ではまだ何か足りない気がする。こいつの強さの理由は本当にαテスターだからという、深い情報を知りえていただけだろうか。もっと革新的な事由がなければ説明のつかない何かが……、

 

「まあ……とりあえず、な。……あんたがKoBの団長やってるのにも、なんだかんだ説得力出てきたよ……」

「なに、その自慢がしたかったのではない。過密な交信の中で耳に残った現象があったのだ。そう、それこそが先ほどの『現象』であり、視野感覚が生み出す幻想世界――」

 

 最強の男は一泊だけ置いて、そう口ずさんだ。

 

「――《後退する修正景(リビジョン・バック)》なのだ」

 

 説明はそれから長く続いた。

 《リビジョン・バック》。正式には、《Revise of Vision going Back》。

 モンスターおよびプレイヤーが行動を起こす際の全ての予備動作においては、《ソードスキル》に限らず避け得ない『微細変化』というものがある。

 まずヒースクリフはそう切り出した。

 剣を振りかぶれば胸筋は張り、背筋は縮まる。利き腕を構えると、一方の腕も連動する。呼吸や踏み込み、重心の移動から腰の捻りまで、システム外スキル《見切り》が成立する以上、目線も攻撃を予測する重要な材料になる。次に重力や慣性の法則、体の接触部分の摩擦や、果ては関節の動き方まで。それらはアシストを受けた各ソードスキル中にしか覆らない。

 『筋力値』や『敏捷値』も、戦闘中ではなく敵を倒してから――おまけに、それを境にレベルアップでもしないと数値は変動しない。モンスターでさえ短期間の急激な頭脳と精神の成長もあり得ない。映画などでよく見る感情が昂ることによるパワーアップや、好きな女の子にキスをされて不思議な潜在能力に目覚めるなどは論外というわけだ。

 そして現象の発生を決定付けるものとして、いかなソードアートの世界でも、やはり現実には追いつけない問題点がある。

 例の1つは『液体環境』。

 VR最高機器と謳われたかの《ナーヴギア》でさえ、差し込んだ角度に対する光の屈折、波が起こす乱反射、体にかかる水圧、流体力学的観点からの感触など。ついぞ液体環境については、完全再現にはほど遠い。それは『再現しきれないものがある』という証明であり、同時に仮想世界の証明にもなっている。

 今では人間が得られる情報量の多寡(たか)に差があるため、まだプレイヤーは現実と仮想を区別することができる。

 実はこれが『近未来の視認』現象を説明するのに重要なポジションにいて、また答えにもなっている。

 彼はここまでの話を一気に(まく)し立てた。

 

「わかるかい、ジェイド君。これを発見した研究員は根っからのゲーム好きでね。ネーミングセンスも彼のものだ。彼は君と同じように『ルールの中でどこまで(・・・・)できるのか』にとても興味を示していた」

「俺と同じように……システム外スキルの練習を繰り返していたのか……?」

「そう。立体的な別世界で、可動域の限界を知りたかった。そして時間をかけて、結果論ではあるものの、《Re:Vision Back(リビジョン・バック)》発生の訓練をしていたことになる。それも四六時中ね」

「…………」

「そんな目を向けないでくれたまえ、私も初めて聞いた時はヨタ話だと耳を貸さなかったさ。しかし別のメンバーからも1人、それ(・・)を見たという報告を受けた。そこでようやく私も注目し、友人含め数々の検証をしてみた。……結果は黒。なんと脳の後頭葉にある知覚領域は、間違いなく起こり得る現象を数瞬前にキャッチできることが判明してしまったのだ。実値の上ではな」

「そうか。そりゃ喜ばしいことだけど、できればもうちょいわかりやすく教えてくれ……」

「おっと、これは申し訳ない。好奇心を擽られるとどうも感情が先立っていけない。さて、先に述べさせてもらったように、この現象の発生が仮想世界でのみ起きる原因。それは情報量の差……」

 

 ヒースクリフがそこまで言ったところで、部屋に設けられていた回転式自動砂時計がゆっくりと傾き上下が逆転した。これは残り時間が5分を切ったことを示している。

 どうやら俺がアリーシャを訪問した時にも備わっていたらしいが、俺達は気づかなかった。あとでクロムのおっさんから聞かされてがっくりときたものだ。

 ヒースクリフは構わず続けた。

 

「君は『クライアント判定方式』を知っているだろうか。当たり判定を決める際は『ホスト判定方式』とよく双璧をなしている。簡単に説明すると、画面上での敵に攻撃をヒットさせるか、データ上での3次元的領域の空間にヒットさせるかの違いだ。後者はPING……つまり物理的距離にラグが発生しやすい。担当部署が違うのでこれは伝聞になるが、このソフトは『クライアント判定方式』を採用しているらしい」

「ま、まあ大体わかった。ダイタイな。んで、それがどうしたってンだよ?」

「君も考えてみてほしい。電子化後、誤って位置情報が入力されても、プレイヤーは《リビジョン・バック》と同じ現象には辿り着けない。なぜならデータ上での敵位置が実際の位置ではないからだ。実際は画面上の位置、似ているようでこれは少し違う。違えば無論、正確な対処もできなくなる。位置情報の逆流が起きて敵の位置を頭で先に理解したのだとしても、『視えた』というのは道理に沿わない。必然的に網膜を経由したことになる。君は『サブミナル効果』を知っているな?」

「…………」

 

 ――くっ、まずい。

 なんと言うことだろうか。まるで話についていけない俺がバカの極みのような空気になっている。これは今後の印象や沽券(こけん)に関わるだろう。

 俺は大晦日に浮かれて外でドンチャン騒ぎをしているだろう、あのおバカギルドの面々の顔を思い浮かべた。そして彼らからバカを見るような目で見られている俺を思い浮かべる。

 うむ、大変屈辱である。そう結論づけた俺は見栄を切ることを決意した。

 

「ああ、知っている」

「知らないようだ。ではこれも説明しよう」

 

 ――わかってんなら聞くなよ!

 という叫びを、俺は涙目でプルプルしながら呑み込んだ。

 

「潜在意識のさらに深層部分にある境界領域。これを刺激することで発生する効果のことだ」

「あーーもうわかんね! その言い方がわからせる気ねぇ!」

「存在が認められたのは今から200年ほど前」

「聞けっ!!」

「例えば、昔テレビなどで視認できない一瞬の画像を断続的に放映することで、視聴者の意識を誘導する実験も行われていたりする」

「壁としゃべってんのか俺は。……でも、それはマジで聞いたことがあるぞ。なんか無意識にその事考えちまうやつだよな。デマだっつー話も聞くけど、今じゃ放送は禁止されるとか……?」

「詳しいではないか。もっとも、一般常識になりつつあるがな」

「ホメるなら素直に頼む」

「そこでだ」

 

 俺の抗議は華麗に無視された。もう、反論も疲れた。

 

「モンスターやプレイヤーが行動する際、その先の映像が一瞬だけインプットされてしまう……ということはないだろうか。その時点では不確定要素であれ、な」

 

 興奮しているところに気が引けるが、率直な感想としては「それはない」だ。それができたらケンカは相当有利だろう。敵が行動する前から行動できる、ということは初動開始のスピードが相手と全然違うということになる。

 しかし、現にそれができてしまっている。そして何らかのロジックが存在する。運や奇跡では片付けられない原因があるのだ。

 

「ここで本命の『情報量』の出番だ。君はここが現実世界でなくソードアート、つまり仮想現実であることを認識できているな? それがなぜか説明できるだろうか」

「それぐらいなら俺にもできる。まずはこの肌、毛も生えてないしツルツルじゃねぇか。さっき風呂の話も出たけど、そもそも体や服に臭いとかつかねぇしな。歯も汚れないし排泄もいらない。動きだってほら、メッチャ細かい話だけどやっぱ現実とは若干違うしよ」

「まさにその通りだ。所詮はポリゴンデータであるアバターを電子化された信号で操作しているにすぎない。人工知能(AI)を搭載しているとはいえ、それはモンスターでも変わりはない。しかし、だからこそだ。視覚認識は現実世界のそれと変わらない性能を秘めているのに対し、動きだけは現実の再現に到達していない部分がある。……ここにヒントが隠されていた」

「…………」

 

 目で見ることのできる範囲は現実と同じ。しかし体で動かすことのできる範囲は現実に追い付いていない。

 ということは……、

 

「行動がより単調に……しかも、推測しやすくなってるってことか……?」

「真を得たな。動きは絶対的に制限がかかる。体の硬い人と柔らかい人、筋肉の違いで速く動ける人と動けない人など、そういった違いはプログラムで設定されているのであって本人の意思は介入しない。どうあっても、誰であっても、関節駆動は単純になってしまうのだ。つまり、個人差が生まれないユニットの動きは理論上……」

「目で見て、推測できるんだな……?」

「いかにも」

 

 それがヒースクリフの研究結果。

 粒子論学的側面から、とこいつは言った。友人――たぶん天才仲間だろう――を集めて検証したと。人間がそれを意識下でやってのけるかは別として、理論上は可能だと。

 《リビジョン・バック》は実在する。そう結論付けられた。

 

「完全に誤情報の認識であり、また誤情報の視認だ。人はその時、本来見えるはずのない映像を流し込まれているにすぎない。しかしそれは現実世界で言うところの『誤情報』であって、動きに制限がかかった仮想世界では『正確な情報』へと昇華する。なにせゲーム内ではそういう風(・・・・・)にしか動けないのだからな。意識の深層部分と私は言ったが、極めて高い集中力があれば、人はこれを自由に操れるのだ」

「そんなことが……未来の映像を、はっきり視るなんて……」

「鍛練によってはより頻繁に、正確に、遠くまで、な。初めは酷い酩酊感と頭痛に襲われるが、回数を重ねると薄れてくるらしい。《システム外スキル》の研究と実践、それは間違いなく《リビジョン・バック》発生への訓練だったといえる」

「…………」

 

 俺は感動で言葉を失っていた。厨二病的戦闘技法がこんなところで実を結ぶとは。

 いやそれよりも、自分のアイデンティティを認められた気がして、とても嬉しかった。

 1度は剣を交えた仲だというのに、俺はヒースクリフに親近感を抱いていた。頭の悪い俺が気安く親近感など畏れ多いが、少なくともたった今、両者には共有された達成感がある。

 これが『昨日の敵は今日の友』というやつか。本来は剣士ではなく商人に使われる言葉らしいが……。

 

「……時間だな。有意義な会話だったよジェイド君。それに、君も根っからな悪人ではないようだ。そう簡単に、人間は悪には成りきれないのだよ。ああいった彼らはもっと、根本的に、心が冷たい。……ついては君の釈放において、私からも前向きな検討をするよう申し出ておこう」

「そ、そんなことまでしてくれるのかよ。ってか、そんな影響力を持ってるのか……」

「なに、一般プレイヤーが罪の重さを決めているのだ。事実上、現実世界で言うところの陪審員のようなものであるし、そもそもその特性として初犯に甘い。私が君と戦った日にも忠告したが、突発的な衝動で犯罪にはしる人間は少なくないし、その全員がすでに反省して《黒鉄宮》から出ている。罪が重いのは計画的な犯行をし、人を殺めた者だけだよ。私が手を下すまでもなく、君は早い段階でここを出られていただろう。……そうだな、2日もここにいたのだったな? なら明日にでも出られる可能性が高い」

 

 そこまで話したところで後ろの扉がガチャリ、と開いた。入ってきたのはクロムのおっさんで、つまりは面会時間終了の知らせだ。

 ヒースクリフも起立して彼に従った。俺はどこか、それが悲しいことに思えてしまう。

 

「ああ、それとジェイド君」

 

 しかし去り際、ヒースクリフは思い出したように振り向いて口を開いた。

 

「私の意見を聞かせてなかったな。私は《ハイパーセンス》を……信じている。意外に思うだろうがな。矛盾している? そんなことはない。私はこの仮想世界で科学的に説明のつかない現象を数多く見てきた。君は信じることができるかね、『意思の力』というものを」

「意思の……ちから……?」

「さらばだジェイド君。また戦場で会える日を楽しみにしているよ」

 

 その言葉を残した男は、それ以外の疑問も残して去っていった。

 俺は個室に戻される前にヒースクリフの言葉を反芻(はんすう)していた。

 

「意思の力ねぇ……らしくもない……」

 

 そしてロムライルにも心中で謝罪した。

 俺が攻略に戻るかどうかはともかく、どうもあの男を憎みきれなくなってしまっていたのだ。

 これは酷い裏切り行為である。彼を救わなかったプレイヤーを前に、「もう憎めない」などと考えているのだから。会わせる顔がない。

 それとも、ヒースクリフが言っていたようにロムライルはそんなこと望んでいなかったのだろうか。仇討ちなど確かに生き残った人間の勝手なエゴだ。遺書にそうしてくれと書き残していたのであれば話も変わってくるのだろうが。

 

「明日から、か……」

 

 俺は3日前、ロムライルが死んだことをまた思い出してしまっていた。

 それが今の体たらくはなんだ。

 もう忘れたのか。直接殺しをしていないだけで、見殺しにしたのは紛れもなく奴だ。

 忘れてはいけない。焦点を合わせなければならない。目を逸らさず、視たくないものでも直視しなければならない。ヒースクリフは……あの正義感の強い立派な騎士は、ロムライルを見殺しにしたのだと。

 

「ああ、くそっ……どうすりゃいいんだよ、ちくしょうが……ッ」

 

 その日、1人で明かす夜の寂しさを、俺は久しぶりに噛み締めるのだった。

 

 

 

 



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第63話 サバイバーの選択

 西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 ヒースクリフの言っていた通り、俺はあいつが訪問してきた次の日の早朝には《牢屋(ジェイル)》から釈放された。

 釈放にあたっては、七面倒な今後の抱負やら謝罪文やら必要書類やらを書いたり読まされたりした――非売品だが、タイプ式でない紙類もSAOには存在する――が、俺の字が下手すぎて書き直したこと以外は特に問題なく手続きは完了。

 投獄中に多少会話を弾ませた《軍》の連中と軽く別れの挨拶を済ませると、俺は長年浴びてこなかったかのごとく、両手を広げて仮想太陽光を全身で感じた。

 

「(暖かけぇ……)」

 

 真の意味での心のこもった出迎えはない。それに気温だけ見れば低い。頭に浮かぶ何名かの知り合いも、俺の釈放を聞いていなかったのだろう。代わりに本部に在中する《軍》のエリートクラスのプレイヤーが、珍しいことに慌ただしく活動する光景を眺めることができただけだ。

 もっとも、皆無な出迎えに文句はない。オレンジの釈放日なんて知りたくもないだろう。犯罪者が刑期を迎え1人牢屋から放たれた。ただそれだけのことである。

 

「ほれ、こっちで預かっといたアイテムじゃ。ストレージに入りきらなかった分は倉庫にしまってあるで。担当者から鍵を受け取って自分で宿なりなんなりに持ち帰ってだな……お前さん、聞いとるかい? 最近無視されてる感が酷いんじゃが……」

 

 クロムのおっさんが懇切丁寧に説明してくれているのに、俺は頷きもせず相づちも打たなかったので、おっさんは(いぶか)しげに聞いてくる。

 

「……ああ、聞いてるよ。けどさ、アツデがましいようだけど、ちょっと頼みがある。しばらくでいいんだ。そっちで俺のアイテム預かってくれねぇか?」

 

 俺が振り向いて聞き返すとおっさんは少し固まっていた。

 牢に放り込まれた時に俺の所持していたアイテムがどうなったかというと、軒並み専門施設で一括管理されていたのだ。これはソードアートにおける対オレンジプレイヤー対応のマニュアル通りであり、当然他の受刑者にも同様の処置をしている。

 そして俺が出所する時、ストレージに入りきらないアイテムなどで保管や管理が必要なものは安い宿屋の一室を倉庫代わりに使っている。鍵を受け取って荷物を取りに行け、と言ったクロムのおっさんの言葉はそういう意味だろう。この場合はストレージを一旦空にして取りに行くか、担架(ストレッチャー)や人力車、または牛や馬を所定の場所で借りなければならない。

 

「……今日中には来るようにな。わしの方から伝えといてやる。もう悪さなぞするでないぞ?」

 

 どうやら引き受けてくれたようだ。

 それにしても耐久値残量が残り10パーセントを切った《ミソロジィの四肢甲冑》ですら、それからは少しも摩耗(まもう)していない状態できちんと返ってきたのだ。義務感か体裁保ちのためか知る術はないが、《軍》もその辺はきっちりしているようである。

 クロムのおっさんは「ジェイドや、絶対に取りに帰って来いよ」と念を押した。

 俺がその保管施設を、無料のコインロッカー代わりに使うことで経費を浮かそうとしていることを懸念(けねん)して、ではないだろう。

 おそらく俺の顔に死相でも滲んでいたのではないだろうか。心配して言っているのだろうが、いずれにしても過剰に敏感な奴だ。

 

「ああ、いつもサンキューな。……んじゃ頼むよ」

 

 俺は力のない声でそう言って立ち去った。

 気を抜いていると、ふと50層の戦いで授かった得物のことを思い出した。

 銘は《ガイアパージ》。

 《エリュシデータ》や《クロスカーレ》と並び、現段階最高クラスのマスターメイドが作り上げた武器より高性能な《魔剣》。プロパティを確認すると、そもそも使用可能な状態に持っていくのにもレアアイテムを要求されたり、前線におけるフィールドボスの鱗を大量に要求されたり、厄介な相手を乱獲レベルで狩り尽さなければならないと判明した。

 現段階では当然装備などできない。俺の筋力値ではまともに持つこともできないだろう。

 実は要求筋力値を超える重量の武器は、本来の重さ以上の重量感を課せられるという、逃れようのないシステムペナルティがかかっている。背中に背負うことすらアウトだ。こうなると《クイックチェンジ》先の装備欄に忍ばせておくこともリスキーな行為となる。

 閑話休題。

 俺は捕まった時に所持していたレアアイテムである《ミソロジィの四肢甲冑》、《レザレクション・ボール》、《ガイアパージ》を直接返してもらい、現在ストレージに格納。残りの荷物の回収は「いつでもいい」と判断した。よって、しばらく管理し続けてくれないかと提案したのである。

 それにしても、この《ガイアパージ》だけはなかなか好きになれない。

 ロムライルが死んだことにより、彼が流した血の代償物にしか見えないからだ。

 しかし逆に考えると、これは形見なのかもしれない。

 彼は仲間を庇って戦場に散った。本来この業物を手にするべき人物は彼だった。そういう意味では、大切に扱うべきなのだろう。

 

「いねぇ、んだよな……リーダー……」

 

 口からこぼしつつ、ロムライルの顔が思い浮かんだ。3層で初めて会った時から思っていた。単に怖い顔をしているというだけだはなく、偽善を装ってリーダーかぶれを満喫する、所詮はゲーム好きでしかないただの男だと。

 だがそれは違った。偽善などではない、ロムライルはいつだって善に則って行動していた。俺がギルドに入ってからではなく、きっと……ずっと昔から同じことを繰り返してきたのだろう。

 ――決してリーダーかぶれなんかじゃねぇ。

 本心からそう思う。ロムライルはその素質を十二分に備えていた。1層で茅場晶彦がデスゲーム宣言をしてから、カズやジェミルが《はじまりの街》を出て剣をその手に握れたのは、ひとえにロムライルの功績だ。

 彼が2人に勇気を与えた。

 彼が2人に第2の人生を与えた。

 この1年で文明人のような生活ができたのは、ロムライルが陰で奮闘していたからに他ならない。ただの囚人だった彼らに最低限の人権と尊厳を与えたのは、《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》のリーダーだったのだ。

 だというのに、なぜ死ななければならないのか。彼こそ1番報われるべきである。この世界を出て、現実世界で本来の暮らしを取り戻すはずの人物だった。

 いつもこうだ。いつだって世界は理不尽で、道理に背いたことしか起こらない。不条理で、善人だけが馬鹿を見る。

 

「(もう……考えるのはいいか……)」

 

 俺は適当に見つけた花屋に来て、目についた花を買った。いつもなら少しでもコルを減らさないよう買い物には気をつけるが、この時ばかりはそんなことも吹き飛んで一輪の花を手に取る。

 それから俺は《生命の碑》に、俺が先ほどまで幽閉されていた《黒鉄宮》に戻って来た。

 

「ロム……」

 

 牢獄とは別の入り口から入って、座ってからそっと花を添える。

 花の名前は俺の知識にない。

 『Romlaire』の前に。真横に引かれたラインと死因の載った墓標の前にそれを置く。毎日死人が出ているわけではないが、その日はたまたま《黒鉄宮》まで弔悼(ちょうとう)に来ているプレイヤーは俺1人だった。

 

「すまねぇな、4日も空けちまった。もっと早く来てやるつもりだったんだけど。……へへっ、遅刻グセまでついちった。……でも、アンタはいつも許してくれてたっけな」

 

 大理石調の黒壁に反響し、静まり返っていたこともあって声は大きく増幅された。仮想の相手と芝居の練習をするような虚しさだ。繙書(はんしょ)でもしているような独特の白々しさを無視し、それでも俺は紡いだ。

 

「明けましておめでとう……って空気でもないか。気候操作とかのせいで極端な天候をずっと維持してる層もあるし、四季もあんま感じねぇしよ。……アインクラッドじゃ月の変わりすらわかり辛えよな。ったく、この仕様どうにかしてほしいぜ」

 

 答えてくれる人は、いない。

 だが、自然と涙は出てこなかった。

 現実感が得られないというのもある。がしかし、俺はもう人の死で泣けなくなってしまったのかもしれない。4日前、枯れるほど流した涙が俺の抱える全ての悲しみだったのかもしれない。

 

「レジクレは消えちまったんだったな。ジェミルも攻略には参加しないし、もう全部戻らないと思うと……いや、グチはやめとくわ。……ああクソっ。……もう帰るよ。じゃあな、ロムライル。あんたは最高のリーダーだった」

 

 別れの言葉。

 無造作で無作法で不器用な言葉だが、俺の声は文字だらけの施設内でまたもこだました。自分の言葉なのに、その声はまるで別人のようで、深く抉り取られたかのようだった。

 俺は《黒鉄宮》の暗い部屋にいた時、正確にはその面会室での会話を思い出す。1番最初に俺の元へ訪れたのはカズだった。(とが)めるわけでもなく、罵るわけでもなく、がむしゃらに、そして衝動的に行ってしまった俺の罪をただひたすらに聞いた。

 そしてしばらく聞き手に徹していたカズは俺の行動を言及せず、それでいて淡々と近況報告をしてくれた。

 まずはジェミルについて。彼はもう攻略には参加しないとのことだ。

 彼はこのゲームが始まった直後、2人ペアで攻略に向かった。当然、その相手はロムライルである。

 カズもすぐに合流したようだが、この世界で最も長く攻略行為を共にした戦友の喪失は、俺やカズを上回る絶望を彼に与えた。攻略を断念させるほど、負の波は迫った。

 《はじまりの街》に残していた『アル』というプレイヤーと今は一緒に暮らしているらしい。つまり、今いる場所は俺と同じアインクラッド第1層ということになる。

 確かこのアルという人物はアリーシャに騙されて《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に捕まったこともある人物だ。

 とにかく、今のジェミルをそこから連れ戻すことはできないだろう。

 SAOの攻略は無理強いするものではないからだ。彼には彼の考え抜いた道がある。それを無理やり変えさせたところで、晴れて新たな死者が生まれるだけである。

 次はカズについて。彼は攻略をやめるとは断言しなかった。ただし、1人では嫌だと、レジクレが機能しなければ今後も攻略を続けることなどできないと、彼は言った。

 1人で戦場に戻るだけの気概はない。自然消滅してしまうだろう《レジスト・クレスト》が、再び機能するまで。

 

「(でもまあ、ムリだよなぁ……)」

 

 リーダーが不在なのだ。かの組織を復活させるためには、SAOで言うところの《ギルド》を立ち上げる必要がある。それには《約定のスクロール》を操作し、さらに《ギルドマスター》の承認をメンバーから得た後に登録しないといけないのだが、その適任者がすでに存在しない。それ以前にメンバーは俺とカズしかいない。

 ペアでやっていくのは容易いが、しかしそれでは意味がない。カズの戦線復帰への条件は『レジクレとしての攻略』だ。短絡的で指揮に向かない俺ではその役を負えない。

 なんと、考え抜いていくと驚くほどシンプルな解答が浮上した。

 

「(……実質、俺だけになるのか)」

 

 たった1人。ふとそんな考えに至る。

 ソロの経験が豊富にあって、ソロでの復帰を視野に入れる俺だけが《攻略組》として最前線で戦う覚悟があるのだから。

 今から仲間を集ったり呼び寄せたり、逆に誰かの運営するギルドの仲間入り、といった発想は浮かばない。とてもそんな気にはなれない。

 

「(さぁて、と……)」

 

 年寄りのように立ち上がってから俺は《黒鉄宮》を出た。

 年始だからかなぜかは知らないが、相も変わらずバタバタと騒がしい《軍》の連中を尻目に歩き出す。

 まだ早朝の時間帯で3割ほど雲が漂っているが、SAOでは至って晴天。

 そして、歩いて感じるのは主街区の広さだ。基部フロアの2割以上が《圏内》と言うのだから、2層以降これほど大きい主街区はまずもって登場しないだろう。今でも日和ったままな数千人のプレイヤーが、ここに留まってもキャパシティ限界を越えないのもうなずける。

 とは言え、その数千人が今からでも考えを変え、《はじまりの街》を飛び出して戦力になってくれた方が攻略組としては喜ばしいのだが。

 なんてことを考えながら道なりに沿って歩いていると、街の中央広場に到着した。

 頑丈な石畳が円形に敷かれていて、広場を囲う建物はそれらの多くが大型の建築物だ。中心には鐘を備えた時計塔がそびえ立っていて、その総面積は異様なまでの広さを持っている。ここであの(・・)チュートリアルを開くことは、おそらくずいぶん前から決めていたのだろう。

 この記憶は1層に立ち寄りたくない最大の理由にもなっている。

 

「(嫌な思い出だ……)」

 

 俺はちらりとだけ視線を寄越し、歩を止めることなく石畳を踏み続けた。

 1歩1歩、踏み締めるように。

 やがて広場を1周し、俺は来た道を逆走し始めた。先ほど通った道なだけあって、通路脇にある店や施設に真新しさはない。

 それでも、歩いた。前に、前に。思考を止めて歩き続けた。

 頭の中を空っぽにすると何かを考えている時より気分が落ち着く。いつもそうだ。俺はいつも、嫌なことに遭ったり、辛いことがあると脳の活動を止めようとする。その出来事を排斥し、忘れようとする。

 ヒスイと会って互いの掲げる正義を主張し合った時、己の醜態に我慢ならず主街区を飛び出した。ロムライルやカズに存在を拒絶された時もそうだ。難しいことを考えずに済むように、ひたすら剣を動かしていたのを今でも覚えている。

 いつだって一目散に逃げ、剣を振ることで向き合うことから逃げていた。

 もう、2度としないと誓ったのに。

 

「(甘かったなぁ……)」

 

 自分の甘さに腹が立つ。

 気付けば俺は《軍》メンバーがわたわたとする《黒鉄宮》をいくばくか通り過ぎて、主街区最端の塀の前に立っていた。

 魔が差したので塀を上って下を見ると、彼方まで延々と続く虚空の世界が広がっていた。飛べば無限に宙を漂うのではないかと思わせる、計り知れないデータ量である。

 ……飛べそうな、気持ちでもあった。

 理性が『死ぬ』と理解していても、後ろの《黒鉄宮》が際限なく存在感を漂わせ、後押しでもしそうなオーラで背中を押してくる。

 

「(飛び降りたら死ぬぞこれ。……んでも案外、死んだらすんなりあっち(・・・)に帰っちまったりしてな……ハハッ)」

 

 自分でもとんでもないことを思い付く。

 俺が余計なことをしなければカズは攻略を断念し、ジェミルは旧友と幸せな日々を送る。『ジェイド1人を最前線に放り出した』という罪悪感も感じず、時間やモンスターに追われない安全で快適な日々を。

 その方がいいのではないか。ちっぽけな俺など、前線に戻ったところで攻略行程に変化など現れやしない。

 

「なかなか充実した……人生だったんじゃねぇの?」

 

 自問自答。

 この場合、答える前に死ぬのだからこの四字熟語は間違っているのか。

 

「これからよ、あなたの人生は」

 

 そんな折、声がした。ほぼ真後ろからである。

 今さら背中越しに人の気配を感じる。2人いるようだ。それにしても曲がりなりにも攻略組として生きてきたプレイヤーとして、こうもあっさり後ろを取られるのはどういった了見だろうか。注意散漫なんてレベルではない。

 俺は静かに振り向いた。

 そこには、正月だというのに辛気臭いダークカラーの防具に身を包む完全武装の男女が立っていた。

 

「よ、ヒスイじゃねぇか。キリトも……でも、たった4日ぶりだったか」

「ジェイド……そこから降りてこっちに来い。バカなことはよせ」

「やめなさい。死ぬことが死者への冒涜と、あなたは言ったわ。あの言葉はなんだったの、飾り? ……いいえ、きっと本心から言っていたはずよ。なのにどうして……そんなことしてるのよ……ッ」

「…………」

 

 彼らからは強い憤りを感じた。

 俺はというと、正論をぶつけられぐうの音も出ないというのに、分厚い塀の上で酷く他人事のように2人を見ていた。

 ヒスイに否定されているのに、足りていない頭は呑気にも「よく俺が今日解放されると知っていたな」なんてことを考えている。

 

「俺と話してるとネガティブがうつるぜ? ハハ……正直、もう無理だ。付き合いきれん……。そう考えるようになったのも、ついさっきだけどさ……やっぱ無理なんかなぁって……」

「…………」

「茅場とやらのバカげたゲームには、もうな。……ヒスイ、キリト……ソロってマジで楽だよな。俺も失うのが怖くてソロやってたよ。仲間ってなぁ、それだけで戦闘もメンタルも助けてくれた。……けどよ、やっぱどうしようもないぐらい、それが弱点にもなってくるんだ。……んで、俺はそこを突かれた。あいつを殺された。……ロムライルがいないのに、剣なんて振れない。さっき気づいたんだよ。ヒスイにはわかんねェだろうな……」

 

 俺は今度こそ2人を無視して塀の向こうを見た。その瞬間、意外にもクロムのおっさんと交わした約束が守れないことが心残りに感じた。

 内心があざ笑い、シニカルに笑ったその時。

 

「っの……ジェイドぉッ!!」

「ぁ……なッ!?」

 

 彼我の距離は5メートルもあったはずだった。

 振り向いた目の前にキリトがいた。

 一足飛びにしてここまで来たのだろうか。そう言えばキリトは筋力値に偏りがちだと聞いたことがある。予想を上回るジャンプ力を有していても不思議ではない。

 

「このッ、大バカ野郎がぁ!!」

 

 殴られるな、と思っていたら、想像以上の衝撃でもって殴られた。本気である。

 視界がブレる。

 虚空の空とは反対側の陸地へと俺は飛ばされた。五感は浮遊感と少しだけ雲がかかった晴天を感じ取り、世界がぐるぐると回る。

 

「あぐっ!」

 

 あえなく、不時着。無様なものだ。年下の少年に殴り飛ばされ、年下とおぼしき少女の前で地面に接吻しているのだから。これより無様な人間を俺は生まれてこの方見たことがない。

 もっとも、俺はこうして殴られたかったのかもしれない。

 アブノーマルな性癖の話をしているのではなく、夢うつつとも言えない被害妄想に暮れていた今の俺を、力強い怒気でどこか遠くへ殴り飛ばしてほしかったのかもしれない。非常にわかりやすい、かまってちゃん状態だ。

 

「へ……へ、よーしゃねぇなキリト……」

「まだ終わってないぞ」

「は……?」

 

 四つん這いのままキリトの方を向こうとしたら、今度はヒスイが俺の正面に立った。

 

「ッ……!!」

 

 パシィッ! と、乾いた音が響く。さっき殴られた頬と同じ方を叩かれた。

 これまた酷く手痛い平手打ちだ。これなら打った方も痛がっているのではなかろうか。

 いや、痛みを調節するシステムである《ペインアブソーバ》は最大レベルで固定されているのだった。つまりこれは、痛みを感じようがない、と言うことでもある。

 しかし、ではなぜヒスイに張られた俺の頬はこんなにも痛いのだろうか。ヒリヒリと、いつまでも。(うず)きが消えない。

 

「……ちょうどケイタの時みたいだな。でもアイツを殴ったジェイドは格好よかったよ。ああ、こんな人がソロで頑張ってんだなって……素直にそう思った。ギルドに入ったと聞いてから、あんたはもっと生き生きとしていたよ! ……知ってるか、ジェイド。自分が思っている以上に、あんたのこと評価している人はいるんだ」

「……キリ、ト……?」

 

 何となく、先ほど浮上した疑問への答えを見た気がした。

 張られた頬が痛いのではない。きっと、俺の心が恐ろしく傷ついていたのだ。

 

「あたしもそう思うわ。ジェイド、これまでの……SAOに来る前のあなたがどんな生き方をしてきたのかは知らない。げどね、あなたは格好悪くなんてない。……レジスト・クレストのリーダーや、そのメンバーが1度でもそう言った? 今まで会った人たちが本気でさげすんだ? 戦友はあなたを笑った? 誰も言っていないはずよ。泥にまみれても、何回転んでも……はいつくばって、そして立ち上がった。本当に格好いいと感じたわ。これは本心よ!」

「…………」

 

 彼女の言葉には慰めと言うより、塞き止めていた本音がつい零れ落ちたかのような、そんなニュアンスが秘められていた。

 

「まったく、ヒスイの言う通りじゃない!」

 

 突然、またもやあらぬ方向から声がした。

 屋根から飛び降りてきた人物が、着地と共に盛大な粉塵を撒き散らす。

 その顔には覚えがあった。少しウェーブのかかった金髪と整ったスタイルを持つプレイヤー。本日は実に賑やかだ。追加で現れた闖入者(ちんにゅうしゃ)まで女性なのだから。

 

「アリー……シャ、か……?」

「アリーシャか、じゃないわよ! ……ハァ……何してるのそんなところで! あんたが立たなくて……ハァ……どうすんの! アタシを……外に出してくれるんでしょう!」

 

 息も切れ切れに、アリーシャは俺に渇を入れた。肌に張り付く髪が汗をかいていることと、そして急いでいたことを物語っている。

 それに彼女の姿は以前のそれとは大きく異なっていた。

 彼女が捕まる前、着飾っただけのなんちゃって攻略組のようなオーラは欠片もない。金色の髪は動きやすいようにサイドポニーで纏め、身をくるむ甲冑にも以前のような蠱惑なイメージが去っていた。当時着用していた美麗な装飾品も見当たらない。露出はかなり抑えられていて、実用的かつ効率的な戦闘を前提にしたスタイルをしている。

 それは、果敢にも真剣に再攻略に励もうとする歴とした女戦士のものだった。

 

「アリーシャ、って言ったらラフコフの!? こいつぬけぬけと……ッ」

「待ってキリト君、彼女に敵意はもうないわ。それに知ってると思うけど、この人はラフコフに仇なしたのよ。……ジェイドに、友好的でもあるし……」

 

 思っても見なかった介入者に警戒を強めたキリトだったが、ヒスイが説明を加えることでなんとかこの場は収まったようだ。彼女はやはり気が回るのも早い。

 1つ気になるところがあるとしたら、ヒスイとアリーシャが呼び捨てで呼び合っているところだろうか。いったいいつ仲良くなったのだろう。消去法なら俺が幽閉されていたこの3日間になるが。

 いや、それよりも確かめなければならないことがある。

 

「アリーシャ……またフィールドに出てるのか? ラフコフの奴らが狙ってるかもしれないし……あ、危ねぇぞ?」

「はぁ……大丈夫よ。主街区から離れない場所でしかまだレベリングしてないし、離れる時はなるべく複数で行動するようにしてるわ。……これでもアタシ、攻略組としての経験もあるし。人並みの剣と防具を手に入れたら、また最前線に戻ろうとしてるの」

「ッ……ダメだ! なに考えてる、せっかく安全な生活を……」

「ふんっ!」

 

 つかつかと歩いてきたアリーシャに、またしても左の頬をひっぱたかれた。

 日にこう何度も同じところを叩かれていると、何かイケナイ趣味に走る変わった人のように見られてしまうではないか。だんだん痛みもなくなってきたし。

 

「って、やっぱ痛ぇよ! 何しやがるっ!?」

「やっと戻った。……もう、ほんっとバカなんだから。あ~もうバカ。バカバカ……」

「……いや、そんなにバカ連呼されるとさすがに傷付くぞ」

「ほんと……バカよ……」

 

 至近距離で、胸を叩かれた。

 何度も何度も。力はあまり入っていないが、トントンと揺れる俺は叩かれた回数だけアリーシャに深く詫びた。心の中ではあるが、誠意を込めて謝った。

 

「……ごめん、心配かけて。やーホラ、俺はもうこの通り、ピンピンだから。……ああ~、悩んでたのがアホらしい。みんなが来てくれるだけですっかり元気になっちまった」

「だったらッ……最初からこんなことするのやめてよ……!!」

「……ほんと、すまん。いっつも助けられてんな俺。……サンキューな」

「……ダメ、まだ許さない」

 

 ぎゅっ、とアリーシャに抱きつかれた。まだ甘えたいのだろうか。久々に会えたと思ったら怒ったり甘えたりと忙しい奴だ。

 ――おや? 殺気が生まれたぞ。

 どこのどいつだまったく。感涙に咽び泣くシーンだと言うのに。

 

「ね、ネェアリーシャ……そっ、そんなに抱きつく必要あるのカナ? それ本当に必要カナ?」

「はっ? ハグはアイサツなんですケドぉ。やりたければアタシの後にでもやってなさい」

「こ……こんっの! もうガマンならない! 早く離れなさいっ!!」

「ナニよ、ヤる気!? 上等じゃない!」

 

 俺から離れ、威嚇し合う人。並々ならない事態ではあるが、ここが《アンチクリミルコード有効圏内》である以上、ダメージは発生しないので気にしないでおく。嬉しいケンカだし。

 

「(なんとまあ、せわしい奴らだな……)」

「なぁジェイド、やっぱそこから落ちとくか?」

「ちょ!? おいその目はマジで怖いぞ! っつかキリトにだけは言われたくねぇ!!」

 

 ジト目ではあったが、それが冗談で言っているとすぐにわかった。俺を励ますために一肌脱いでくれたのだ。

 ここ数日で初めて、俺は笑った。

 元気をくれる仲間はまだ沢山いた。道を正してくれる人は俺の周りに溢れていた。

 なんてことはない。守らなくてはならないものなどまだまだいっぱいあるということだ。落ち込んだ俺の心を賑わしてくれたこいつらを、この大切な友人達を失うようなことだけはあってはならない。

 

「ほらな、ジェイドだってやり残したこといっぱいあったろう」

「んだな。泣いてるヒマなんかねーぞこりゃあ……」

 

 ワイワイと騒ぐ俺達は《軍》に所属するメンバーを含め、稀に通りかかるプレイヤーの視線をずっと集め続けるのだった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 それからしばらくして、俺達は改めて今後の活動方針などを話し合っていた。

 

「そっかぁ、じゃあアリーシャはまだ誰と行動するかは決めてないのね。……あたしアスナと連絡取れるし、KoBの活動範囲内で狩りとかしてみるのはどう? 風当たりは強いかもしれないけど、なんとか説得して見せるから」

「その方が安全かな。なんか悪いわねヒスイ、それ頼めるかしら」

「ええもちろん。……で、ジェイドはどうするの? ソロに戻る?」

「どうだろ……ま、たぶんそうなるかな。一応ルガやジェミルにはもっかい復帰できないか聞いてみるつもりだけど、厳しいだろうなぁ。……いっそのことキリト、レジクレに加盟してくれよ」

「なあ、話の腰を折って悪いんだけどなんか《黒鉄宮》の周りが騒がしくないか?」

「あ、キリトもそれ感じたか。俺も今朝から《軍》の連中がドタバタうるさいと感じてたし。どうも元旦を祝ってる雰囲気じゃないんだよな~。なんかあったんかな?」

「……行ってみないか?」

「…………」

 

 怪しい玩具を見つけた子供のように悪い顔をするキリト。必然的に《軍》に干渉することになるが、確かに気になるかと聞かれれば「気になる」と即答せざるを得ない。

 

「軍の隠し事かぁ……気は進まないけど、これって場合によっては知っておいた方がいいってこともあり得るわよね?」

「よし、そうと決まれば善は急げだ。その辺の奴を適当に捕まえて取り調べをしよう」

「……まぁ、な。キリトの嗅覚っつーか、その辺は確かだからな。付き合ってやるのもやぶさかじゃないんだけど」

 

 そう言った俺だったが、実は言葉以上に気になってはいた。《転移門》付近に掲示されるここ最近の《軍》の活動報告にも活気に溢れた類いのものはなかった。今日の彼らは活発すぎる。

 それから俺達は場所を移し、《黒鉄宮》を一望できる建物の陰に身を潜めていた。4人もいると若干窮屈にもなる裏路地だが、ここからならよく見える。

 

「入り口付近、なんか人だかりができてるな。軍にしては珍しい。ジェイドがあそこを出た時もこんな感じだったか?」

「いや、いつも通りカンサンとしていたはずだ。それにいつも立ってるクロムのおっさんがどこにもいねぇ。……こりゃなんかあると見て間違いないな」

「ヘンな工作までしてるなんて。……よしヒスイ、アタシ達で切り込むわよ」

「せっかくの祝いの日に……しょーがないわねぇ」

 

 2人は意気揚々――片方は意気消沈気味だが――と壁の陰から飛び出して行き、4人の軍メンバーへ話しかけていた。

 彼らは例外なく慌てだし、身ぶり手振りで「勘弁してくれよ」といった心中を表現しているようだ。どうやら女性陣の2人、ルックスを盾に無茶を言っているらしい。

 

「お、ゴーサイン出たっぽいぞ。ジェイドも急ごう」

「……野郎どもがちょいとカワイソウになってきたよ……」

 

 正統派美人(?)に押しよられあえなく撃墜された軍の奴らを胸中で合掌しながら、俺とキリトも彼女達に続いた。

 その途中「え、まだ人がいるなんて聞いてないぞ!?」「えぇ~、『アタシ達』が2人とも言ってませんよ~」なんて会話が聞こえたことから、どうやら彼女達も詐欺まがいなことしたに違いない。

 

「ねぇアリーシャに任せっぱにしたあたしが言うのもなんだけど、これいいの? なんだかあたし、すっごく悪い人になった気分なんだけど」

「いいんだよ。だいたい、1層にあるのは公共施設が多い。それをまるごと占拠しようっていう《軍》の考え方のほうが間違ってるんだから」

 

 小走りで進みながらヒスイの懸念にキリトが明るく正論で答えた。

 対する俺はというと、共犯じみたこの行動による世間からの目線より、クロムのおっさんにまた怒られやしないかとビクビクしているところだ。

 しばらく走ったところで、また《軍》の正規隊員が見えてきた。どうやら話し合いをしているようで、俺達の接近にまだ気づいていない。

 

「なぁあんたら、ここで何かあったのか?」

「何かって、なにゆーてんねん。ワイらが見つけたこの……って、おぉおッ!? なんでお前らがおんねや!?」

 

 なんと曲がりなりにも《軍》の重役として日々激務に追われているはずのキバオウと、こんな辺鄙(へんぴ)でジメジメしたところで鉢合わせてしまったではないか。

 いよいよタダ事ではなくなってきた。

 

「それはこっちのセリフだ。公共施設だろう?」

「今はワイらの領土やろが!!」

「な〜にが領土だよ。暴走歴アリの《軍》を知っているだけに、ナニか隠そうとすれば知りたくはなるさ」

「そうよそうよ、みんなのものを独り占めにするのはよくないわ!」

「いや、アリーシャは当時の軍を知らないはずよね……」

 

 ヒスイからの冷静な突っ込みを全員が華麗にスルー。

 野次の飛ばし合いはヒートアップしていき、気付いた時には「土足で人様の領地に入るなチート野郎め!」「人を指で差さないの! あと蔑称で呼ぶのもダメ!」「ワイは端っから胡散臭いと思っとったわ、このビーターが!」「攻略もしないで何が解放軍よ!」「ああ、有名な子2人がこんなに近く……尊い……」など、聞くに耐えない悪罵が飛び交っていた。

 一部ダメな奴が混じっていた気もするが。

 

「ああもう、わーたわ。ラチがあかん。ワイらは情報をあんさんらにだけ教える。あんさんらはこの事を誰にも言わん。……これでええやろ?」

「ああ、約束する」

「その約束が破られた時は覚悟しいや。社会的な評判は捨てる覚悟をするこっちゃな」

「よく言う。……んで、結局なにを隠そうとしてたんだ?」

 

 この期に及んでまだ渋ろうとしていたのか、キバオウは視線を逸らしてなおも焦らす。が、そこは男の言葉。どうやら二言はなかったようだ。

 

「……隠しダンジョンや。最前線のボスが姿を消してから、ってタイミングやろうが……ま、この《黒鉄宮》に迷宮区が現れよったちゅうことや」

「《黒鉄宮》に迷宮区ぅ!?」

「声がデカい! ……せや。設備の定期点検に来た部下がたまたま見つけよってな。解放条件をこっちで照らし合わせてみたが、それ以外に考えられんちゅー答えが出た」

「隠し……ダンジョン? 《はじまりの街》にか。そんなの……いや、ベータテストの時にはそんなスペースだってなかったはずだぞ」

「ジェイドはん、テスターやったんか……」

「上層に進むことでの自動アクティベートか。何にせよ、こりゃ冒険の臭いがぷんぷんするな」

 

 キバオウの指摘をシカトして俺は心中を吐露した。

 ゲーマーとしての悲しい性なのだろう。つい先ほどまで悲観に伏した俺は、新たな魅力と発見に呆気なくウキウキしていた。

 ロムライルが今の俺を見たらなんと言うだろうか。ただ、案外笑って見逃してくれそうだ。俺の気まぐれでメンバーを振り回すことなぞ朝飯前だし、きっとやれやれといった感じでいつもみたいに付き合ってくれるに違いない。

 

「(リーダーの分まで、俺は残りの人生を楽しむよ……)……なあ、早速探検しねぇ?」

 

 俺の1歩目を合図に。

 俺達は新たな刺激を求めて旅を始めるのだった。

 

 

 

 



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第64話 ダークネスナイト

 西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

「ダボがッ! ハナシ聞いとったんかワレぇ!? 隠さんとしゃべったんやから、とっとと帰らんか!」

「いやいやウソかもしんないじゃん!! 見るだけ! 先っちょだけだから!!」

 

 という押し問答を経て。

 しぶしぶ案内されると、《黒鉄宮》の裏手、本来人通りの少ないはずの一角にそれはあった。

 道から堀の水面近くまで階段が降りている場所で、その先端部分右側の石壁に暗い通路の入り口が見える。その奥が件の隠しダンジョンだ。

 結局、同行者は合計で10人。俺とキリト、ヒスイ、アリーシャを除けば《軍》のメンバー6人である。

 その中にはもちろんキバオウが含まれているわけだが、しばらく《軍》と関わってこなかった分、その他のプレイヤーに見覚えはない。

 目立つプレイヤーは長柄長槍(ポールランス)を背負った茶髪の男、片手剣の青髪青年、そして赤を基調としたド派手な装備を着込む男ぐらいだが、当然実力のほどは確かではない。未踏破ダンジョンに侵入するだけあってそれなりのレベルを維持しているはずだが、やはりステータスや所持ソードスキルの内容までは教えてもらえなかったのだ。

 それと勘違いしていたが、キバオウの発言にあった「最前線のボスが消えてから解放された」と言うのはハーフポイントのことではなかった。

 どうやら40層のボスが討伐された時点で地下ダンジョンの解放自体はされていたようである。それから5層おきに次々とエリアがアップデートしていき、今回ハーフポイントの討伐が成功した時点でさらに総面積が広がったようだ。

 もっとも、基部フロアの2割を占める《はじまりの街》の地下ダンジョン。その面積は最初の段階から相当広かったらしい。

 そのエリアに新しくポップするだろうトレジャーボックスを目当てに先見隊を組んでいたところへ、俺達という招かねざる客が訪れたのだという。

 それにしても41層をアクティベートしたのは9月中旬の話だ。ゆうに3ヶ月半の間、こいつらはこの『隠しダンジョン』という情報を隠匿し続けたことになる。これは常識的なオンゲーでは考えられない期間であり、執念だけは見事だと言えよう。

 

「デザインも手を抜いた感じはしないし雰囲気もらしい(・・・)な。やけに本格的だ。……まるで本物の迷宮区みたいだぞ」

「ああ、俺もレジクレと連絡しようとしたけど、ギルド用の共通タブまで使い物になってなかった。この分だとメッセージも無理だろうな」

 

 キリトの独り言じみた呟きに俺が答えると、今度はキバオウが乱入してきた。

 

「おいワレ、さっきから自由やな。なに外部と連絡しようとしてんねん。秘密ゆーたろが」

「言葉のあやだよ。マジにメッセージを送る気はなかった。この隠しダンジョンがどれだけ『普段の迷宮区』と同じか、それぐらい把握しときたいだろ?」

「…………」

 

 黙りこくるキバオウ。おそらくそのことを伝え忘れていた自分がいかにぬるま湯に浸かり続けていたのか、その再認識をしてしまったのだろう。

 ――ま、無理もない。

 最前線に生きる《攻略組》は俺も含め的確な情報を迅速に集める行為に貪欲だ。むしろこれを(ないがし)ろにするような人を攻略組とは呼べない。

 その点、キバオウおよび《軍》の連中は長らく最前線から外れていた。加えて前線にいた頃から物量戦闘で乗りきっていた節もある。昔の感覚を取り戻すにはもういくらかの時間を要するはずである。

 とは言え、約束破りに見えなくもない行動をしてしまったのも事実。俺も少しは自重しよう。

 

「つーか、いくらキバオウが前線から外れてたつっても、連絡ぐらい取り合わなかったのか?」

「カン違いすんなや。ワイとてここの仕様ぐらいは把握しとったが、そもそも連絡することがマレなんや」

「……他の多くの軍の人に、このことを内緒にしているのね?」

「察しがええなヒスイはん。入り口に見張り置いとってもバレやすくなるだけやしな。せやから、ワイらはここにいる限り滅多に外部と連絡は取れへんねや。それに重鎮と直属の部下数人しかこのことは知らん。あんさんらが約束を守るんやったら、今後もこの事実は変わらんで」

「……味方にもエンリョなしかよ……」

 

 相変わらず、旨い汁は残さず(すす)りたいらしい。

 わからなくもないが、せめて仲間内にだけでも……いや、人の口に戸は立てられないとも言うか。ある意味キバオウの取った選択肢はベストと呼べるものなのかもしれない。トレジャーボックスを独占するには、だが。

 

「ッ……来たわ! 20メートル先、数は5!」

「さって、やるか……」

 

 そんなことを考えていたらモンスターが攻めてきた。エンカウント数は5。疑似パーティの約半数が臨戦状態を作る。

 モンスターが近づく音。緊張がピークへと達する。

 

「って、え……?」

 

 しかしその姿を目にした瞬間、俺は拍子抜けた間抜け声をあげてしまった。

 モンスター名は《オロチ・アヌビス》。蛇の下半身に、上半身は甲冑まで着込んだ筋肉つきの人型。頭部はこれまた爬虫類に戻ってキングコブラのようになっている。

 ここまでは至って問題ない。よくいるモンスターの形だ。

 問題はそのカーソルカラー。モンスターは基本的に『赤』のはずだが、この濃淡によって事情が変わってくる。雑魚は限りなく白に近いペールピンクで表示され、強敵は血よりも紅いダーククリムゾンで表示されるのだ。

 つまり、色だけで敵の戦闘力のおおよそが計れることになる。ちなみに『ペールピンク』で表示されたこの《オロチ・アヌビス》とやらは非常に弱いと予測される。

 実際に剣先でつついたらモンスターは弾け飛んでしまった。これでは弱すぎる。

 

「おいキバオウ、こんなザコしか来ないのか? ただでさえマージンあるのに、これじゃあ非効率にもほどがある……」

「ふむ、今のそいつは10層レベルや。まだ入り口付近やし、出現するモンスターのレベルも低いままやで」

 

 これを聞いた俺達4人は肩透かしを食らった気分だった。遭遇自体が初の『地下ダンジョン』であっても、こうも弱い敵しか現れないのなら冒険はおろかレベリングにすらならない。

 さすがにこれは、さっさと引き返すのが吉か……、

 

「……ん、待てよ。『まだ』ってことは、この先にいるモンスターはもっと強いのか?」

「そーいうことや。ワイらもナメとったから多少痛手を受けたものの、レベル30か40……もしくはそれ以上のランクの奴がわんさか湧いてくるで」

「そっちの方が腕もなるわね。アタシも早く復帰しないとだし、ガンガン狩るわよ!」

「ド阿呆。そんな調子じゃ、ワイらに泣きつくのが目に見えるっちゅーもんや」

「だってアタシ《軍》よりは全然強いし! 腕試しにはちょうどいいわよ!」

「…………」

 

 気ままなアリーシャの発言に言い返さなかった《軍》連中も、少しはその無意味さを悟っているらしい。

 そうこうしている内に、俺達一行は15分間ほどの快進撃を続けた。

 湧出するモンスターも30層~40層クラスのものへと変化していき、なかなか歯応えのある奴もちらほらと見えてきた。ここからがいよいよと言ったところか。

 

「……あ……?」

 

 気を引き締めにかかった瞬間、通路の色彩が変わった。

 全員の空気も変わる。警戒心をより濃密に。その後、フロア全体が黄色を帯びて、天井から何かが降ってきた。

 轟音。衝撃。

 否……何か、ではない。象のような体格だが金の鎧に二足歩行。追加で左手には大剣のような刀と右手には、中国製の大きなフライパンを塗装したようなシールド。ただのモンスターではない。

 

「ザ、ファスティスガネーシャ? な、なんだこいつは!?」

「ってえェえええ!? ちょ、え!? て、定冠詞! 定冠詞付いてるわよアレ!」

「落ち着けアリーシャ、ボスが来ることはフロアの色の変化で読めたろ! それにカーソルは変わらずピンクだ。このパーティならいけるはず……ッ」

 

 《ザ・ファスティスガネーシャ》。象の姿を型どった徘徊型フィールドボス。

 確かに迷宮区にいるモンスターでボスと言えば《フロアボス》が最もメジャーな存在である。しかし、それ以外の強敵が稀に存在する。

 例えば《フィールドボス》。主には迷宮区の入り口を塞ぐことが役目だが、迷宮区内を徘徊するタイプもいる。

 特定のクエストを受けることによってのみ発生するボスは《クエストボス》の分類だが、これらに共通して言えるのは、安全マージンを踏まえた上で2パーティ分、つまり12人もいれば十分狩ることができるということだ。

 いざとなったら逃走なんて手段もある。むしろ慌てる方が危険だと言えよう。

 

「あたしが先行するわ。キリト君かジェイドはあとに続いて攻撃してちょうだい!」

「了解した、先制頼むぞっ!」

「ふ……セァアアッ!!」

 

 ヒスイは言葉ではなく行動で応えた。

 《片手武器》系専用ソードスキル、上級乱撃九連撃《アブソリュート・グラビトン》。これが大した回避も防御も取らなかった《ザ・ファスティスガネーシャ》に全段命中。

 3段で表示されたHPが減少を開始。敵は呆気なくディレイに陥り、キリトによる追撃も許している。

 

「うぉおおおおおっ!!」

 

 悠々とキリトが突撃。スイッチの要領で立ち位置を変え、勢いよく敵を斬りつけた。

 これまたソードスキルが軒並みクリティカルで命中。いやはや拍子抜けだ。またもディレイを起こしているが、こいつも相当に弱いのではないか。

 

「よし、次は俺だぁ!!」

 

 俺は剣を中段やや担ぎ気味に構え、前傾姿勢で腰を下ろした。技の名は《両手用大剣》専用ソードスキル、上級単発上段ダッシュ技《アバランシュ》。

 単発だが優秀な突撃技で、発する衝撃が大きいので防御した相手に反撃のチャンスを与えず、躱されたとしても莫大な突進力が技後硬直をほぼスルーできる。

 敵のHPゲージは今もみるみる減っていく。なんとそのまま1本目が消し飛んでしまった。ついでに2本目も同様に消滅した。と同時に、システムの起き上がりを感じた。

 《アバランシュ》が発動する。

 しかし、目の前で《ザ・ファスティスガネーシャ》が割れた。

 俺は何もなくなった空間めがけて、全身駆動で技を加速させるシステム外スキル《ブースト》をかけた全力の《アバランシュ》を仕掛けてしまい、勢いあまってつんのめり、そのままゴロゴロと転がって「ごわぁあッ!?」という絶叫と共に突き当たりの壁に激突した。

 

「…………」

『…………』

 

 次は俺だ! などとカッコつけて飛び出して、結果的に自爆ミサイルになっただけだが、果たして全ての原因は俺にあるのだろうか。

 

「って、いくらなんでも弱すぎるだろっ!!」

 

 起き上がり様にとりあえず突っ込みをいれておく。

 

「あ~、見た感じ今のボスも10層クラスね。どんまいジェイド!」

「なぐめんなアリーシャ。ミジメになる……」

 

 この程度の辱しめでいちいちへこたれないほどのメンタルは身に付けているつもりだが。

 

「いやぁ、ボスが徘徊型なのは予想ついてたけど、まさか入り口付近の奴がこんなところまで徘徊してくるんだな……」

「ワイらも過去に似たような経験しとるで。……あれはこの隠しダンジョンに初めて侵入してから5分後ぐらいやったな。いきなりボスモンスターとエンカウントして相当びびったわ」

「それを早く言えよ!」

「んなこと言われてもなぁ。結局ワイらでも簡単に狩れる30層レベルのボスやったから、特になんも言わへんかったんや。せやから必要なかったやろ?」

 

 なかったと言えば、確かになかった。実害があるとしたら俺が恥ずかしい思いをしたというぐらいだ。

 実際楽に狩れたし、30層レベルのフィールドボスがやって来たところで、俺とキリトだけでも余裕で倒せるだろう。

 なんにせよ大事に至らなかっただけよしとしよう。

 

「ケッ、まーいいわ。んで、もうちょい進んでみっか……?」

「……ちょっと待ってくれジェイド。なあ、色んなレベルのモンスターが出現して、しかもボスだけは特定エリアを無視して徘徊している……。ってことは、100層間近のボスが現れてもおかしくないってことじゃないのか?」

「ひゃくぅ!? んなバカな。キリト、ここは《はじまりの街》の地下ダンジョンだぜ? んな適正レベルを越えたバランスブレイカーがうろついてるハズ……」

「…………」

 

 空気が固まる感覚。

 言われてみれば、彼の言うことも一理あったからだ。

 俺は《はじまりの街》周辺レベルに対して適正でないモンスターは出現しないと言った。

 しかし、ここで言う『レベルに対して適正でないモンスター』とは何だろうか。準攻略組レベルを維持する《軍》の連中――勝手に推測するしかないが――や現攻略組として最高レベルを維持する俺達にとっての『適性でない』なら100層間近のボスは現れない。だがレベル1桁がほとんどである《はじまりの街》の住人において、30や40層レベルのモンスターはすでに『適性でない』のではないのか。

 だとしたら、100層間近のボスが出現すると言えなくもない。

 

「……けどさ、最前線の進み具合によってアップロードされるんだろ? 今回センジュレンゲを倒して未踏破エリアが広がったつっても、さすがにほら……いきなりデタラメな奴は来ないんじゃないか?」

「う~ん……」

 

 比較的マジメに答えた。考察としては順当だろう。

 それからしばらく話し合いは続いたが、『真偽は確かめようがないけど、冒険をここで中断することはあまりにもったいないし、もういくばかマッピングしよう』という結論に至った。

 《軍》としても安全に探索範囲が広がることに文句はないようだ。ついでに発見したトレジャーボックスはじゃんけんで決める、という言質もとった。

 そして何より、歩いている途中で雑談が混じるほどには余裕も生まれてきている。

 

「やれやれね。大分マシになってきたけど、あたしとしてはちょっと退屈かなぁ」

「何だかんだで基本配置のモンスターレベルは上限を50以下に指定してるっぽいしな。それに、ヒスイみたいにソロやってるとパーティハントになった時、剣を振る機会が減るから退屈に感じるんだよ。俺もレジクレに入った当時は似たような感じだったさ」

「俺らソロが1番危険で1番レベルアップ効率がいいっていうのはもう通説だからな。スリルなんかも軽減されてるよ」

「ってかあんさんらマジで強いな。ワイらだけじゃここまでは来れへんかったわ」

「どころかほとんど戦ってないわよね、あなた達……」

 

 快進撃も気の緩みもそこそこに、10人はある直線通路に差し掛かった。見たところ横幅は4メートル半ほどで、天井の位置は10メートル以上もある。

 長い、長い通路だった。透明なガラスに鮮鋭アート風味の意味不明な模様を書きなぐったような背景を背に、じりじりと歩く。しかしいくらのんびりとした歩調とは言え、5分も歩き続けてようやくパーティは異変に気づいた。

 モンスターが、いない。生命の欠片も感じない。明度(ガンマ)は最初から低いので気にならなかったが、不穏すぎる重い空気が辺りを包み込んでいた。

 

「ジェイド、何かあるぞ」

「わかってる。……まさか1層で死んだ霊が地下をさ迷ってる、なんてオチじゃなきゃいいんだけど」

「ちょ、ちょっと……怖いこというのやめてよ……」

「あぁ~んジェイド怖ーい!」

「やっかましいわ!」

 

 キバオウの叫びでぶつくさ言いながらも俺から離れるアリーシャ。今だけは言っておこう。グッジョブ、と。

 

「ッ……これ!?」

「ああ、通路の色彩が変わったっ! また徘徊型のボスが来るぞ!!」

 

 だが突き当たりが見え始めた時、イレギュラーが混じった。

 再びパーティ内には強い警戒が生まれる。

 明度が上がり、藍色の光が細部まで照らすと、全員が戦闘体勢を整えた。

 直後に空間が揺らいだ。距離はほんの10メートル。全長……人型であるため、この場合は『身長』と言うべきか。とにかく2メートルはあるモンスターが湧出していた。

 名を閲覧したのではないが、俺達は培った経験則は目の前のモンスターがフィールドボスであると悟っていた。揺るぎない、確信をもって。

 

「2度目の遭遇戦とは珍しいわねぇ」

「そうね。2、30層ぐらいのボスだと助かるんだけど……て、えッ!? うそっ!?」

「おいおいヤバイぞ、カーソルカラーに紫がかかってるッ! こいつ、最前線と同レベルの奴だ!」

「冗談やろ……攻略組から見て同レべやって? 何でそんなんがおんねや。か、勝てるわけないやないか……!!」

「逃げよう! 逃げ道確保しとけよ! 準備無しじゃ無理だ! ……つーか、このパーティじゃ最善尽くしてもムリ筋だろ……っ」

 

 冷や汗が滝のように流れるのを感じた。嫌でも後方の退路に意識が行く。

 噛まずに発言できたことが自分でも驚きだ。それほどまでに驚愕している。

 とその時、後ろで聞き慣れた鱗鎧(スケイルメイル)が遠ざかる音がした。振り向くと、軍の1人が無防備にも背中を向けて走り出していた。勝手に逃げるな、そう叫ぼうとしたらさらに驚くべき現象が起こった。

 なんと、ボスが壁を走ったのだ。

 《疾走(ダッシュ)》スキルの派生機能(モディファイ)、《特定部位摩擦係数上昇》を選択して初めて使える疑似ソードスキル《ウォールラン》。それをボスが使用した。

 

「ひぃぃっ!?」

 

 俺達9人の頭上を走り抜け、ズガンッ! と男の目の前に堂々と着地すると、ボスは尻餅をついたその1人に追撃を……しなかった。

 どころか、視線の先にすら彼はいない。敵に戦闘の意思はないのだろうか。

 

「どう……なってんだ……?」

 

 異様に長い通路の奥、袋小路に誘われて俺達は退路を絶たれた。

 ボスがしているのはシステム外スキル《ブロック》。アンチマナー行為として有名な『通せんぼ』だ。だと言うのに、敵は攻撃の素振りを見せない。

 だが敏感になった五感が殺意を感じとる。逃がしてくれるといった雰囲気ではない。奴の脇をすり抜けようとすれば、間違いなくその身を八つ裂きにされるだろう。それを証拠に、たったいま軍の人間を逃がすまいとした行動もしていたではないか。

 俺は今1度ボスを凝視した。

 姿はかなり人のそれに近い。

 身長は2メートル台前半で全身はクリアホワイトの甲冑に包まれている。ブーツ、グリーヴ、コイル、メイル、シェルダー、アーム、その他関節部分までほとんどが曲線を描いていて透き通るように白い。兜も真っ白で、バイザーに黒い(もや)が架かっていて顔を確認できない。

 見れば見るほど眩しいほどの純白。フォルムは滑らかで無駄がなく、その装備からはほのかな発光が漂っている。姿勢や肉体が逞しさを表し、一般的なドレスにも似た模様が全体の優美さを物語るかのようだ。美しい、そう評価するしかない完成された西洋騎士。

 そこでさらに驚くべきことが発生した。

 チリリン、と鈴の音を鳴らしたような小気味良い音がなったのだ。プレイヤーの《メインメニュー・ウィンドウ》立ち上げの際にも発する非常に聞き慣れた音。

 ウィンドウが開かれる。俺達のすぐ目の前、ボスとのほぼ中間地点にそれは現れた。しかもただの大型ウィンドウではなく、それは『圏内戦闘』などで用いられるあの《デュエル・ウィンドウ》だった。

 

「な、デュエルっ!? 誰が……ッ」

 

 言いかけて、判明する。

 あり得ないはずの対戦相手のネームが表示されていたからだ。

 表示された対戦相手、その名は《オブスクリタース・ザ・シュヴァリエロード》。

 ボスの……名前なのだろう。俺達10人に真の意味での『決闘』を仕掛けてきたのだ。デュエルモードは当然《初撃決着》などという甘ったれたものではない。ノーマルモード、またの名を《完全決着モード》。

 殺しきることで勝敗を分かつ、アインクラッドでは封印された対戦形式。

 

「なんの冗談だ、このイベントは……ッ」

「くっ、あと50秒で……それにこれ、特殊ルールが……?」

「『降参不可』ってなんだよ! おっ、オレ達を殺す気かよッ!?」

 

 それは、なんとも今さらな悲鳴として通路に虚しく反響した。

 残り40秒。地下ダンジョンフィールドボス、シュヴァリエはここで剣身を鞘から抜き取った。

 ギルドの象徴を示したような赤の十字架が入った、俗に言う『ヒースクリフの聖剣』よりさらに白い。斬ること以外の目的を削ぎ落としたような鋭利な白剣も、まさに鏡のような光沢を持っている。

 

「仕方ないわ、緊急脱出よ! みんな《転移結晶》を用意して!」

「高級やけどしゃーないわッ……おいお前ら、ここは逃げるで!」

 

 軍の連中から順にテレポートクリスタルを取り出す。もし攻撃されそうなら俺達がそれを止めなければならないからだ。俺達の脱出は隙を見て行うしかあるまい。もっとも、カウントが終わるまで手を出す気はないようだが。

 

「転移! 転移、はじまりの街! ……おい、どうなってんだ!?」

「き、機能していないッ!? 結晶が起動しない!!」

「他の層の名前も言ってみろ! 試し続けるんだ!」

「……ダメですッ! どこにも転送できない!」

「そんな、じゃあこの通路一帯が……ッ!?」

 

 《結晶アイテム無効化エリア》になっている。……そう捉えるしかないだろう。

 律儀に軍の男達の心配をしていたヒスイだけではない。全員に最大級の緊張が走った。

 

「あと20秒……マジかよ、なんかねぇのかッ! こんなの自殺行為だぞ……!!」

 

 俺が結晶無効化フィールドを体験するのはSAOにログインして初のことだった。

 動揺は、している。冷静な判断力も失われているだろう。だが、なけなしの頭脳を巡らした結果、頭は「逃げる方法はない」という答えを出していた。

 戦うしかない。残り時間はあと10秒。

 呻き声なのか、甲冑の擦りきれる音なのか、『ギィィィ』と鳴ってから剣を構えた。殺戮者の隠しきれない、滲み出るような殺意も感じ取れる。

 

「ッ……せ、戦闘準備! 構えろぉッ!!」

「来るぞっ!」

 

 秒数がゼロを指す。

 カウントダウン終了。途端に、シュヴァリエが動いた。

 

『ギィィィイイイッ!!』

 

 大きく、戦慄(わなな)く。

 無駄のない動きで剣を腰溜めに構えた。

 戦闘開始。抜刀し終えた戦士達は果敢にも甲冑騎士に立ち向かう。

 

「よく見ろ! 敵のゲージも1本だ! このメンバーでもやれるかもしれない!」

 

 キリトがそう叫んだことで俺は改めて敵のHPを見た。なんと、若干長めではあったが本当に1本だけだったのだ。これなら狩りきれる可能性もなくはない。

 そう思った時、白剣がエメラルドグリーンを纏い、その輝きを増した。

 《エペ・レイヨン》専用ペキュリアーズスキル、水平五連爆風鏖撃《ラファル・アルメ》。

 技名からして初めて目撃するソードスキル……いや、高レア度武器専用の一振りに1つだけの(ペキュリアーズ)スキルだ。

 まず最初に、横への一振りで風が舞い上がった。全員がスキルの初動に合わせてバックステップを踏んでいたため被弾者はいない。だが反射的に眼球を襲う風を腕で覆ってしまった。

 

「(次が来る……ッ)」

 

 スキル攻撃が続く。次の二撃目で突風が巻き起こる。風圧で壁に叩きつけられた奴が1人いたが、ダメージはまだ入っていない。精度はあまりよくないようだ。

 しかし三撃目は強烈だった。暴力的な風圧を前に相対する俺達の防御態勢が軒並み崩れた。盾に命中したのか金属音が響き、防御力を越えた衝撃が被ダメージ値として軍の1人、青髪青年のHPを減らしていった。追尾性は低いが横薙ぎに剣を振る関係上ヒット率は高くなる。

 四撃目からは目が開けられないほどの圧力を受けた。俺の《クレイモア・ゴスペル》より遥かに細身の直剣を左右順番に水平に振っているだけなのに、台風のような暴風が発生している。もう少しでこちらの体が浮きそうだ。

 だが奇跡的に今の攻撃も空振りした。

 

「(ぐ、次で……終わりだッ)」

 

 そして最後、五撃目で文字通り竜巻が起こった。言葉のあやではなく、自然災害でよく目にする中央に『目』を持ったあの竜巻だ。それがプレイヤーを宙に浮き上がらせ、抗いようのない爆発でもって引き裂いた。

 4人に命中。その1人である俺の体力ゲージが、防いでいたのに2割ほども減少した。キリトも同様である。軍の人間に至ってはゲージの半分近くが消し飛んでいる。

 もしこれがリセット可能なRPGで、そのコマンドを押すことで戦闘を放棄できるのなら、即座にその機能を行使するだろうレベル差。あまりの恐怖とおぞましい危機感に全身の鳥肌が立つ。

 

「がっ、はぁッ!!」

 

 天井にぶつかってから背中から叩きつけられ、肺の酸素が強制的に吐き出された。

 これほど強大な片手剣の五連撃技が有名にならないはずがない。リファレンスに新たに登録されるだろう敵の白い直剣(エペ・レイヨン)の《ペキュリアーズ・スキル》は強烈極まりないものだった。

 

「っ、起きてみんな! 軍の人は壁際で待機! アリーシャも下がって! あたし達でなんとか隙を作るから!」

 

 技後硬直(ポストモーション)が相当に長いのか、追撃は来なかった。しかし戦闘開始から約10秒でほぼ全員が少なからずダメージを負っている。

 長期戦はあり得ない。こんな状態で討伐を続けたら、こちらから死者を出してもおかしくはない。

 

「アタシは逃げない! そのために訓練したのに、守らず逃げるなんて!」

「バカ野郎アリーシャ! 逃げることだけ考えろ! こっちの戦力が足らなすぎるんだよ!!」

「そ、それでもっ! ……ぐえッ!?」

 

 攻撃を仕掛けようとした彼女の目の前を、危ういところで敵の白剣が通り過ぎた。俺が彼女の首元の装備に手をかけて全力で引き、なんとか躱させたのだ。

 

「アリーシャじゃ無理だッ、キリト!」

「おうっ! スイッチ頼む!」

 

 ヒスイの《反射(リフレクション)》スキルがシュヴァリエの剣撃を反射し、奴から隙をもぎ取った。そこへキリトが《片手直剣》専用ソードスキル、上位広範囲高速十連撃《ノヴァ・アセンション》をぶちかます。

 凄まじい連続技が次々とシュヴァリエを襲った。しかしシュヴァリエもきちんと防御していて、その事実に苛立つようにキリトの斬撃が激しくなった。飛び散るライトエフェクトがその攻撃の勢いがいかに強いかを証明している。

 俺はと言うと《両手用大剣》専用ソードスキル、上級単発上段ダッシュ技《アバランシュ》の予備動作(プレモーション)を再び作成しているところだ。

 キリトの連撃が終わる。瞬間、今度は俺のスキルが解放された。

 体全体に不自然な加速が生まれる。

 システムに乗り高速移動すると、一瞬で敵との距離を詰めた俺は《クレイモア・ゴスペル》を斜めに振った。

 見事命中、とまではいかなかった。

 また防がれたのだ。キリトの乱撃を捌きながら、よく後続の動きまで知覚できたものである。それなりに綺麗に決まった連続攻撃の流れで、ボスが負ったダメージは全体のほんの1パーセントほどしかなかった。

 大雑把に計算をするしかないが、防がれてこのダメージということはこのボスにとってゲージ1本に込められた体力値が平均的なフィールドボスの約2本分ということになる。

 普段プレイヤー同士で《デュエル》を行う形式上、ゲージ1本の方がしっくり来るだろうという理由から、演出のために見かけ上ゲージを1本にしただけで、俺はその実、ゆうに4本分はヒットポイントが込められていると踏んでいた。だが、どうやらありがたい意味で見込み違いだったようだ。

 しかし、『今の』を100セット。そこまでしなければボスは倒せない。いくらHPが平均ボスの半分と言っても、とてもではないがこのメンバーでは厳しすぎる。

 

『ギィィ……ギギィィィ!』

「ハァ……ハァ……くそっ! 死ねるか、こんなところで!!」

 

 意識しなくてもロムライルの顔が浮かんだ。

 友の死。その二の舞だけは、是が非でも防がねばならない。

 そして、他でもない俺自身が生きて帰ること。それは死んだ友のためにも絶対になさねばならないことだ。

 

「(諦めない! 俺は……)……生きて帰るんだ! みんなと一緒に! ッぐ、うォあああああああッ!!」

 

 危機的状況下における壮絶な戦いが幕を上げた。

 俺達は今日も鳥籠の中で必死にもがく。

 それが、生きるための唯一の道なのだから。

 

 

 

 

 

 

 




原作設定を大幅に変更しています。原作との改編箇所で不明な点、及び本作の設定で気になった点などある方はメッセージでも結構ですのでお気軽にお申し付けくださいm(__)m


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第65話 未知の領域

 西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 地下ダンジョン。ランダム配置の徘徊型フィールドボス。よもや何度も再湧出(リポップ)しないとは思うが、未開拓地の多い迷宮区にて、初見モンスターとのエンカウントは致し方ないことだった。

 しかし問題なのは、そこが《結晶アイテム無効化エリア》、つまり緊急脱出手段が封じられた、最も危険なエリアの1つと化してしまったことである。

 徘徊型フィールドボス、《オブスクリタース・ザ・シュヴァリエロード》は50層クラスのモンスター。まともに戦えるプレイヤーは俺を含めキリト、ヒスイ、アリーシャの4人で、《軍》の6人はまとめ役のキバオウを除き、部下5人を足してようやく攻略組1人分といったところだろう。

 敵のHP総量は平均の約半分。単純計算して2パーティ12人で狩れる一般的なフィールドボスに対し、せいぜい5、6人そこそこも集まれば倒せる程度なのかもしれない。

 しかし単純計算が適用されない理由があった。

 なぜなら、敵が強すぎる(・・・・)からだ。

 あり得ないほどに、強い。明らかに目線の先から剣撃軌道を察知し、俺達の行動を阻害している。剣の位置や構えからソードスキルを識別される。

 攻略組なら誰もが利用するシステム外スキル《見切り》と《先読み》を、実戦で完全に活用している。ボスとしてはまったく新しいタイプと見るべきだった。

 

「ハァ……ゼィ……ちっくしょう、全然攻撃が決まらない……」

「く、まずいぞこれは……」

 

 戦闘開始から約5分。《攻略組》陣4人は全員が注意域(イエローゾーン)まで体力を落とし、とても戦闘を続行できる状態ではなくなっていた。軍の人間も俺達の陰に隠れて縮こまるだけで参戦はしていない。

 逃げ場はなく、かといってこの段階で戦力は充分に確保しようがない。

 

「おい! 後ろの奴ら! いくらなんでも俺ら4人じゃもうローテーションは無理だ! スイッチでしばらくタゲ取ってくれよ!」

「あなた達なしでは乗りきれない! 協力してちょうだい!」

「そっ、そんなこと言われても僕達では手に終えない……」

「……ちッ、おいワレぇ! 弱気ばっか吐いとらんとやるぞ! やらな死ぬんや! 剣を抜けぇ!!」

「は、はィいいっ!」

 

 何とかして逃げようとしていたキバオウも、ここに来てようやく腹を決めたようだ。

 他人任せでは共倒れ。それを理解した軍の人間が前に出てくれた。『前線にいない』とは言え、定期的にモンスターと戦ってレベルアップしてきたのだろう。その動きにカバーしきれないほどの素人臭さは感じられなかった。

 しかしいかんせん、レベルに差がありすぎる。ソードスキルではないただの通常技ですら2、3回の被弾で彼らはイエローゾーンへ割り込んでいた。

 

「こんなペースじゃ時間がかせげないッ! おい、もう少し慎重にソードスキルを使え!」

「HPは少ないけどAIは鋭いわ! ただスキルを使うだけじゃ当たらない! ……そこ! やたらに斬り込んじゃダメよ!」

「アタシですら足手まといなのに……あんな男どもじゃ持たないわよっ!?」

「そうは言うけど、軍にもやってもらうしかないさ。俺達もこれが限界だ……ッ」

 

 死んではいないが1人、また1人と軍の連中が白剣の餌食となっていく。

 いくら高レベルモンスターといっても多勢に無勢である以上、軍の得意な『物量至上戦闘』が成り立っているはず。だのに、それが功を成さない。

 やはり原因は奴の対応能力だろう。牽制目的の軽い振りはほとんど無視し、シュヴァリエは本命のソードスキルばかり気にしている。

 多少のダメージを覚悟して、後続の必殺を確実に回避していくボスなど古今例がない。これでは簡単なフェイントも通用しないということになる。込められた量は約2本分だが、ハンデと割りに合っているかは考えどころだ。

 

「くっ、よく持たせた! 俺が代わる!!」

「ジェイド、気をつけてッ!」

 

 俺は《クレイモア・ゴスペル》を構えた。

 大剣が明るめのパープルに輝く。発動したのは《両手用大剣》専用ソードスキル、中級高速袈裟五連撃《アクセル・コメッティオ》。2ヶ月以上も前に手に入れた技だけあって、現在も高攻撃力だとは言い難い。ゴスペルのプロパティはアップし続けているが、層の進行から相対的には力不足と言わざるを得ない。

 だが一気に距離を詰められたことで、シュヴァリエは数瞬だけひるんでから対応した。

 初撃は防がれる。二段目は体を捻って回避された。しかし三段目からは速度と角度に《ブースト》をかけ、危ういところで命中にこぎ着けた。これで合計して約15パーセントボスの体力を削りきったことになる。

 順調ではあるはずだが、俺達の戦力事情はカツカツ。このペースではこちらが先に壊滅(ワイプ)させられてしまう。

 

「くそったれ! こんだけやっても届かないのかよッ!!」

 

 意味がないのは承知の上だが、つい悪態をついてしまった。

 結晶系アイテムの効力を奪われていることが響いている。逃げられないにせよ、せめて《回復結晶》が使えれば今より断然余裕が生まれるのだが。

 もっとも、俺に限ってはハーフポイント戦でかなりクリスタルを消費したまま補給もしていないので、使えたとしてもあまり恩恵に預かれないが。

 

「もう無理だ! 今ので僕らがやられなかったのは運がよかっただけだよ!」

「何回も繰り返せない! こっちが死んじゃうよ!」

「に、逃げるしかない! レベルが違いすぎるんだ! 先に逃げさせてもらうぞ!!」

「待って! 待つのよッ! 1人は危険だわ!」

「止まれぇ!」

「うああああぁぁああああああああっ!!」

 

 ヒスイやキリトの言葉を無視し、茶髪の男が隊列を離れて飛び出した。

 シュヴァリエはきっちりとその動きを捉えている。横幅4メートル半のこの通路では脇を通りすぎて逃げることは不可能だ。まず足の速度ですら敵わないだろう。

 

「やめっ……!!」

 

 技後硬直(ポストモーション)で固まる俺の横を茶髪の男は走り抜けた。

 移動に合わせて白剣が迫る。

 しかし、男は意外な冷静さでもってメインアームとして装備していた長柄長槍(ポールランス)を地面に突き立て、急制動をかけることでなんと水平斬りを避けきった。

 そのまま地面を軽く蹴りあげ、垂直に立てたポールランスの柄裏を足場にしながら今度こそ全力で伸筋を伸ばしきる。

 

「よし、これでっ!」

 

 槍を踏み台に意外なほど高く跳んだ。8メートル近くは上昇している。

 武器を捨てての脱出手段。《クイックチェンジ》や全アイテム物体化(オールアイテム・オブジェクタイズ)ボタンなどがあることから、愛刀を闇雲に捨てたわけではない。逃げきったあとは回収する段取りだろう。

 それにしても、即席にしてはなかなかの脱出手段を考え付いたものだ。

 と、そう思った時。

 

『ギィィッ!!』

 

 ボスが微かに、しかし絶大な迫力で唸った。

 シュヴァリエの両足がアイアンブルーに鈍く光る。

 同時に地面から離れた。《軽業(アクロバット)》専用ソードスキル、初級直上跳躍技《ライトオーバー》だ。

 ボスの筋力にアシストがかかり、重力を越えて高度が上がる。続いて、「包囲網を抜けた」と気を抜きかけていた軍の男の左足を掴んだ。

 

「うっ、うわぁああっ!?」

 

 そこからはシンプルだった。

 加速度の高まった状態で茶髪の男は地面に叩きつけられ、咳こむの彼に追い討ち攻撃の要領で土手っ腹を抉られる。

 白剣は防具による抵抗を感じさせない勢いで腹部を貫通した。

 

「ご、あぁあああっ……!?」

 

 バーの先端が無情にも減退する。

 左へ。左へ。

 ボスが白剣を引き抜いた時、ゲージが最端部まで振り抜いた。

 上がる悲鳴。叫ぶ声と、割れる音。

 まず1人、サーバーのデータバンクから退場者が生まれた。実際の死と直通している以上、この場合は現実世界からの退場と言った方が適切か。

 死んだ……のだから。

 

「ひィっ!?」

「う、嘘や……ケイの野郎が1撃で……ッ! わっ、ワイらじゃどうにもならへんねや!」

「違う! 受け入れろ! あきらめんな!!」

「で……でも……ッ」

「戦って生き残れ! 俺の仲間も死んだ! それでも俺は戦った!!」

 

 人が死んだ直後、俺は条件反射のように叫び続けた。それは自分を奮い立たせるためでもあった。

 内心、よくそんなことが言えたものだと自嘲気味になる。俺自身がその痛みから逃れようとしたのだから。

 しかし死ぬことを覚悟し命を捨てることも、生を投げ捨て諦めることも、やはり正しい選択ではない。それを今日、3人から再認識させられた。

 今ならその恐怖を共有できる。

 だから俺は大声で怒鳴った。

 

「戦え! ホウビに生き残れる! 妥当だろオラッ!!」

 

 俺は《回復ポーション Lv8》と《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルによる時間継続回復(ヒールオーバータイム)が体力ゲージの再生を続ける中、一喝してから大剣を構えた。

 タゲが俺に移り変わる感触。

 白剣が居合い抜きの形式で腰から顔面に迫り来る。

 速い。そう判断する前に前傾姿勢を選んだ。

 躱したかどうかなど確認は取らず、目線を下に向けたままで――敵に《見切り》を使わせないためでもある――俺は上体を起こすついでに腰から伝わる捻転力を利用して刃を振り上げた。

 シュヴァリエによる驚異的な判断力で直撃こそしなかったものの、その左腕を深く抉った。

 ただでさえ少ない命を、削り取る。

 

「シッ!」

 

 斬ったことによる油断もない。

 返しの剣があるものだと仮定して動く。

 血管が浮き出そうなほど力を込め、振り上げた刃を止める。さらに反力により袈裟斬りを敢行。敵はそれを白剣で捌き、柄の裏側が俺の方を向いたところでそれを押し出してきた。

 直撃してしまった。胸板を打突攻撃された俺はその場でうずくまり、何度かえずいてしまう。

 

「ごほっ……しまっ……ッ」

『ギィィィ!!』

 

 バキィィィンッ! と、金属音が鳴った。俺が両断された音ではなく、ヒスイの盾が白剣を危ういところで止めた音だ。

 左利きのヒスイが俺の右側に立ち、雨でも遮るように盾の装着された右腕を(かざ)す。直後にアリーシャが左側に立ち、《片手用武器》系専用ソードスキル、中級単発水平斬り《ホリゾンタル・イーグル》を発動した。

 

「ジェイドしゃがんでッ!!」

 

 言われなくても俺は身を伏せていた。すぐ後にアリーシャが続く。

 

「せぇえい……っ、んなぁ!?」

 

 凄まじい衝突音。彼女のスキルの立ち上げは完璧だった。

 だがシュヴァリエはなんと、空いている左手を使って俺の真上を通過するはずのアリーシャの剣を、パシンッ!! と、彼女の右手を掌底で止めることで完全に停止して見せたのだ。

 

「うそ!? こんなことまで!?」

 

 攻撃力設定のあるブレード部分を避けてシステムに『剣撃軌道の著しい妨害』という判定を与え、アリーシャのソードスキルを無傷で止めた。止まれば無論、硬直が課せられる。

 知識だけではない。恐ろしいまでの精密操作性である。

 

『ギィィィィィィッ!!』

 

 俺より早くシュヴァリエが動いた。

 自らが止めたアリーシャの右手をガッチリと掴み、その体を軽々と持ち上げてヒスイに打ち込む。

 女性陣2人はあえなく壁と激突。恐ろしい筋力値だ。ここまで多様性に富んだ、いや運動精度を秘めた戦闘技法を確立したモンスターを、俺は初めて目撃した。

 

「ッ……野郎が!」

「ジェイド、背中借りるぞ!」

「は、ガぁッ!?」

 

 背中……というよりは肩を踏まれた。キリトが俺を足場にして高々度跳躍を実現して見せたのだ。実行前に一言付け加えてくれたとは言え、ひどいことをする。

 

「キリトっ!?」

「こいつを挟むぞ!!」

 

 空中でくるりと前転したキリトは、シュヴァリエの背後に立って改めて剣を向ける。

 まさか逃げるわけもなく、シュヴァリエを中心に挟み込む陣形を作り上げたのだ。

 

「(そうか、こいつは剣を目で追う。つまり挟み撃ちはかなり有効なんだ……)……っしゃ、いくぞクソがァ!!」

 

 俺は大剣を上段で構えた。

 発光。スキルの立ち上がりを手中に納め、《両手用武器》系専用ソードスキル、上級七連重斬撃《エゾルチスタ・アモーレ》を解放した。

 両腕を縦一門に一振り、回転しながら上段に二連撃、下段と中段に水平攻撃を各二撃ずつ打ち込む、現段階での大技を全力で放つ。

 シュヴァリエは初撃を華麗に受け流す。続く回転斬りはしゃがむことで掠りもせず、下段技の時にはすでに空中にいた。

 大剣絶技《エゾルチスタ・アモーレ》による被弾はゼロ。もはやサシ(・・)で勝つことなどできないのではないかと思ってしまう。

 しかし、これはあくまで集団戦だ。

 キリトも空中にいた。高度は同じで、すでに彼の右手の獲物は水色を帯びている。

 片手剣の代表的水平斬り四連続ソードスキル、《ホリゾンタル・スクエア》が炸裂。

 後ろに目のついていない、そして上下方向に回避しようがない空中で、シュヴァリエはこれをモロに受けた。

 ガクン、ガクン、と命のバーがその幅をせばめていく。これで残り7割。

 

『ギィィ……ッ』

「っし! たたみ掛けるぞジェイド!!」

 

 言われるまでもない。俺はヒスイ、アリーシャと共に交互に絶え間なくアタックを仕掛け、シュヴァリエに休む間を与えないよう斬撃を放ち続けた。

 効いている。挟み撃ちは正解だ。

 本物の人間とすら思わせる精巧なAIでも、さすがに被ダメージがかさんでいるのか、その体から大量のライトエフェクトを周囲に振り撒いている。

 

『ギィィィイ!!』

 

 我慢の限界とばかりにシュヴァリエは腰を低くした。

 当然ただ丸まったのではない。その両足がアンバー色に染まっている。

 側転跳び捻り後方抱え込み宙返り、またの名を《軽業(アクロバット)》専用ソードスキル、緊急脱出用跳躍技《アラート・エヴァキューション》。

 『物理的に覆しようのない質量差のある物体が、障害物として移動先に展開されている』などといった状態を除けば、ほぼ妨害されることのない脱出ジャンプ。これを使用してボスはキリトのさらに奥側へ移動し、ボスは挟み撃ちをされない立ち位置を確保した。

 

「うおっ! と……ジェイド! まだやれるか!?」

「いや、俺らは1度下がる! キバオウ! スイッチだッ!」

「わぁっとるわ! ワイに命令すんなァっ!!」

 

 半ばやけくそになりながらキバオウは叫んだ。

 しかし、口では言いつつ交替自体は行ってくれた。斬り合いの中で傷ついた俺は一旦下がってポーションを取り出す。どうやら、俺やヒスイ、またアリーシャに続く軍の男達も今だけは仲間の死を乗り越えたようだ。麻痺しているだけ、と言われるかもしれないが。

 

「いっけぇえええええっ!!」

 

 ソードスキルの立ち上がりによるサウンドエフェクト。キバオウは突撃系単発技のスキルを選んだようだ。しかも、技はものの見事に命中。少しばかりだが確実に敵の体力を奪っていった。

 だが……、

 

「なっ、んやこれッ!?」

 

 ソードスキルの立ち上がりだとしても明らかに異質な音量が通路に反響した。

 これは異質な音質(・・)と言うべきか。

 キバオウが壁になっていて見えないが、シュヴァリエが何か新たな技を……、

 そこまで考えた刹那、とげ頭が悲鳴を上げた。と同時に、生々しい音と共にザクッ、と彼の両腕から何かがこぼれ落ちた。

 ……否、両腕から落ちたのではない。

 

「腕が! ワイのうでがァァああッ!!」

「キバオウ……っ!?」

 

 両腕が(・・・)落ちたのだ。

 彼の肘の切断面からは未だに真っ赤なポリゴンデータが溢れている。血が滴り流れ落ちるように、それは現実を突きつけた。

 

「なんっ、だ……あのスキルは!?」

「ウソ……だろ……ッ」

 

 真っ白な体と対極の色、『黒』が白剣を染めていた。毒素の強い霧のようなもので覆われた、禍々しい漆黒の剣。

 しかもスキルが続行している。

 ――このスキルは連続技だ!

 

「躱せバカッ!!」

「避けてぇ!」

「ひ、あぁあああっ!?」

 

 敵から見て右から左へ水平に振り抜いた白剣……いや、『黒剣』の勢いに乗ってボスは半回転。さらに軽く飛んで体の軸を斜めに傾けながら半回転をして上空から垂直にその刃を振り下ろす。

 狙いはキバオウとは別の軍の男。そいつは反射的に片手斧を眼前に(かざ)した。俺やヒスイの言葉を無視したのではなく、体が言うことを聞かなかったのだろう。

 直撃。

 ガチガチガチッ!! と、耳を塞ぎたくなるような金切(かなぎ)り音が響き渡った。

 だが厚いアルミ板にせん断機を力任せに使用したような音が続くと、信じられないことに彼の斧は1秒と持たずに分断されてしまったのだ。

 構造上の脆い部分にピンポイントで大ダメージを与え、その耐久値(デュラビリデイ)を一気に奪うシステム外スキル《武器破壊(アームブラスト)》……ではない。なぜなら、その剣身部に当たる最も硬質な部分が破壊されていたからだ。

 そのまま直進した黒剣によって、ズッパァアアアッ、と青髪青年の右腕右足が主の根本からすっぱりと切り落とされた。

 右肩と右腿の部位欠損(レギオンディレクト)。あまりに異様、異常とも言える速度で切断されていくプレイヤーの四肢。

 これが……、

 

「暗黒剣……だと言うのか!?」

 

 奴の付近に浮かんだ小ウィンドウには、《暗黒剣》専用ソードスキル、十字回転軌道乖離重斬撃《クロワ・エグゼクション》の文字が。

 『ニューエンター・リファレンス』。すなわち、俺にとって初見のスキル。

 雪のように白かった聖剣を、暗黒界から飛来した邪剣のごとく黒が塗り潰している。むしろ『邪剣』や『魔剣』という表現ではなく、文字通り『暗黒剣』と称するべきか。

 マイナーな技でたまたま知らなかった、という次元の話ではない。これほど強力なスキルなら噂など1人歩きしてしまうのではないのか。

 だと言うのに、俺はこのスキルを見たことも聞いたこともなかった。

 

「は、ひぃい!? ひ、いやだぁ!!」

『ギィィッ!』

 

 またあの音が鳴る。

 ジェット機がエンジンに電力を加えた時にも近い、体の奥から全身を震わすような轟音。《暗黒剣》スキル立ち上がりの音だ。

 ボスは剣を構えるが色が黒で統一されているため、先ほどと同じ技なのか見分けがつかない。

 と思うのと同時、足払いとして単発技が一閃した。

 《暗黒剣》専用ソードスキル、下段単発超振動斬り《ミゼリコルド》。

 パーティの中で1番派手な赤を基調とした防具を装備していた3人目の軍の男は、追撃のソードスキルによって両足の膝から先が切断された。

 もはや決定的である。《暗黒剣》はその耐久性を無視、あるいは大幅な弱体補正をした上で切断面を作っていくスキルなのだ。

 それに、奴はこちらの武器に耐久値全損(デュラビリティアウト)を起こさせるほど損傷を与えている。切断する対象は武器、プレイヤーを問わないのか。

 

「下がって! アタシが引き受けるわ!!」

「ジェイド! キリト君! タゲは取るからその隙にみんなを安全なところへ!」

「わかった、《暗黒剣》は絶対に直撃もらうなよッ! ……キリト!」

「もうやってる!」

 

 重力下で足を失うのは機動力を失うに等しい。俺とキリトは歩けそうにない2人の軍の男達に肩を貸すと、そのまま引きずって安全帯まで後退しようと試みる。

 しかし高性能AIを備えたシュヴァリエにとって、そののろまな行動は『先に始末する』と判断させるに事足りたようだ。

 ヒスイ達のがむしゃらな攻撃を滑らかな体捌きで回避して、奴は俺達に迫った。

 俺より早くキリトが気付き、動く。

 だと言うのに。その壮絶な判断力すら越える速度でシュヴァリエは爆走した。

 止めにかかったキリトをその過加速で吹き飛ばす。

 飛び交う叫び声。俺に至っては反応すらできない。

 スキルの不使用から一時的に白に戻ったその長刀が、2つの切り傷を生んだ。

 

「は……?」

 

 ザンッ、ザンッ、と。あまりに自然過ぎて、あまりに美し過ぎて、あまりに華麗過ぎた。

 ほとんど透過したかのように、肩を貸していた俺に衝撃が伝わらないほど静かに2人を斬り殺す。これほどの技術だと再現しろと言われてもできないだろう。

 俺達の手の中で、2人のHPが残量を切らした。

 またしても2つ、割れる音が反響する。

 青髪青年と赤色防具の男が死んだ。守ろうとした矢先、目の前で消えた。

 

「あ、がァああああああああッ!!」

 

 ヒスイ、アリーシャ、キリト、そして俺を純粋な加速で抜いたシュヴァリエを。このボスを殺さんと、後ろで控えていた戦闘可能な軍の2人が全力で剣を振る。

 ここでボスは再三に渡る跳躍を実行。果てしない運動エネルギーを如何(いかん)なくその身に受け、疾走する前の位置、つまり俺達を奥の壁と挟み込むような元の位置まで移動した。残った軍の男達には目もくれていない。

 2秒後に着地。それに伴う大音量。

 あくまでも俺達を逃がさない気だ。ボスは着地した姿勢からゆっくりと立ち上がると、姿勢を伸ばしたまま体の正中線に合わせるよう白剣を構えた。

 その動きには迷いが微塵もない。

 

「ハァ……ゼィ……まさか、こんなっ!」

「3人……死んだぞ……ッ」

「ふぐっ、く……き、ィ……キバオウさんっ。……これ……ど、どうす……」

「ワイかて……わからへんわ!! ちくしょう、ワイかてぇ……」

「あ……諦めるな。まだ……終わってねぇぞ! 死んでたまるかッ」

 

 俺の言葉にもどこか虚しさが漂っていた。

 被弾数の多いヒスイやアリーシャ、足止めすらできなかった俺とキリト、死の輪郭に怯える軍の男達。両腕を失い戦意喪失したキバオウについては敵に焦点を合わせることすらできていない。

 弱腰になる現象を指弾(しだん)することはできない。キバオウは再戦する機能を失っている。滅多なことでは起きないが、単に右腕を失っただけならプレイヤーは《メインメニュー・ウィンドウ》を暫定的に『左手』で開くことができる。が、今の彼にはそれすらできない状態にある。バーチャルリアリティと化したからこそ、そして3D空間と化したからこそ、これらのペナルティは逃れようがない。

 そしてもう1つの現実。決定事項。

 

「(キバオウに限らず、軍のメンツは戦える状態じゃ……)」

 

 全員心のどこかで認めているのかもしれない。これは死ぬ、と。

 最悪のシチュエーションだ。チェックメイト、詰みゲー、普通のゲームなら負けイベントとも言う。

 ……いや、これはゲームであっても遊びではない。そう言っていたではないか。

 人生が、ここで終わるのだ。

 今まで圧倒的レベル差で蹂躙されてきたモンスターも、心の中では俺達にこのように白眼視(はくがんし)していたのかもしれない。逆転できるはずもない戦力差に、文句の1つもついていたのかもしれない。

 奇跡は起こらない。助っ人をここで期待するのはお門違いだろう。ゲームバグの発生を祈るのは、もはや茅場に助けを求める行為に等しい。愚の骨頂だ。

 全身の肌が逆立つ。攻略組としての野生本能が死の臭いを敏感に嗅ぎ取る。俺達が全滅するまで足掻いたとして、シュヴァリエの体力ゲージを危険域(レッドゾーン)に落とすこともできない。

 ゲーマーとしての俺も、このフィールドボスを倒すことは不可能だと結論付けた。

 完全に、手詰まりである。

 これ以上の手は……、

 

「ッ、まだだ!」

 

 ――違う!

 そうではない。思い直すのだ。

 限られた手札で現況を打破する、そんな単純なことは1年以上の攻略過程において散々繰り返してきたことではないのか。ソロ時代に隙を突かれて強力な麻痺にかかった時、27層で危険きわまりないトラップに嵌まった時、凶悪犯罪者(ラフィン・コフィン)の陰謀に巻き込まれた時、いつも俺は限界まで足掻いた。今回だけが例外などあり得ないはずだ。

 切り抜ける。この絶体絶命なピンチは、俺に課せられた最大の試練だ。

 パーティメンバー6人が俺を注視する。

 敵の体力はあと6割5分。……上等。頭を巡らせて最善の策を練る。それだけだ。

 

「試してダメなら次だ! ……よし、人増やすぞ。3人で奴を壁に寄せる! アリーシャはそっから抜けて援軍を呼べ! 人数もレベル問わない! とにかく集められるだけ集めてくれ!!」

「で、でも……アタシも……」

「やるならやろう! あなたが頼りなの!!」

「おい、来るぞ! 横に飛べ!!」

 

 キリトの忠告で全員が動き、直後に発生する剣技の発動と爆音。横といってもこの通路ではまともな回避もままならないのだ。

 時間はない。バックステップで煙から現れた俺達4人は、1度だけ頷き合うと次の行動に移った。

 これ以上の言葉は要らない。

 

「1発目は任せろ! キリト、続いてくれ!」

「了解だ!」

 

 問題は山詰みだ。あわよくばアリーシャが脱出できたとして、《結晶アイテム無効化エリア》外のフロアまで移動し、転移したのち増援部隊をかき集め、またここまでダンジョンを進むまで。少なくともその時間は俺とヒスイとキリトで持ちこたえなければならない。

 果たしてその膨大な時間をたった3人で持たせることができるのか。そもそも、その『膨大な時間』とやらは具体的にはどれぐらいなのか。

 ……わからない。まったくもって不明だ。

 『緻密な作戦』とはよく言うが、本来作戦とは緻密であるべきだ。成功確率? 計算するだけバカバカしい。不確定要素の高い憶測や予定を作戦とは言わない。

 だが例え不明であっても、負け戦に延々と付き合う謂れはない。

 

「(チャンスは1度きり……!!)」

 

 通路がより狭く感じる。緊張のあまり、悲観してしまう。敵の隙を見て通り抜けるなんて、都合のいい展開など……。

 しかし駆動する全身の関節は限りなくスムーズに、そしてスマートに俺へ応えた。

 

「ぜっああァぁああああッ!!」

 

 両腕に衝撃。

 対抗する者としての立場は1層のあの時から変わらない。疾駆する足は、今までにない高揚感を生んだ。

 俺達は、決死の作戦を開始する。

 

 

 

 



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第66話 心強い友

 西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 アリーシャを逃がす作戦、と言っても複雑なものではない。

 単純に俺、キリト、ヒスイが順番に突撃していき、行く手を塞ぐフィールドボス《オブスクリタース・ザ・シュヴァリエロード》を壁際へ追い詰める。最終的に1人分が通れるスペースを確保したらそれを維持。たったこれだけの単調な作業だ。

 成功しても失敗しても一瞬。

 その第1段階として、俺は先制攻撃を加えた。次はキリトだ。

 

「キリト!」

「ああ! スイッチ、今!!」

『ギギィィィ!!』

 

 俺の多連続ソードスキルをいとも簡単に対処しきったシュヴァリエは、従属して迫る追加のソードスキルにまたしても反応して見せた。

 今までの戦いを偶然だったと楽観しているわけではないが、何度見てもボスのAIは常軌を逸脱している。

 この思考力を前にしたら、安全マージンなどなきに等しい。この日この時になぜ、これほど高難度の討伐対象と出会わさなくてはいけないのか。そう考えると己の徹底した不運に辟易する。

 

「くそっまただ! ヒスイ、あとは頼む!」

「任せて! ……ッ、セヤァアアっ!」

 

 ヒスイの叫びと重なって、再びガギィンッ! と、金属音が鳴り響いた。

 荒れ狂う火花。出し惜しみのない最大級ソードスキル。プレイヤー側と違って集中力の落ちないボスでも、気迫に押されたのか彼女の攻撃でようやく防御の壁を越えた。

 ダメージが抜け、さらに行動遅延(ディレイ)が発生した。最初にして最後のチャンス。

 

「アリーシャ、合わせろ!」

「あたし達は大丈夫だから!」

「うん、みんな! ……戻ってくるまで耐えて!!」

 

 それより先は行動することで示した。

 アリーシャが駆ける。ヒスイは鍔競り合いに持ち込むことで時間を稼ごうとする。

 俺もただ指を加えて見ているのではなく、キリトと入れ替わった時点で《回復ポーション》を飲んでいる。この手の市販されるポーションアイテムは効果を発揮するまで時間のかかるタイプだったが、臆せず俺は前に出た。

 ここでアリーシャを逃がせなければ、それこそ全てが終わりだからだ。

 

「アリーシャぁ!!」

『ギィィィイイッ!!』

 

 ヒスイを斬り飛ばしてシュヴァリエが後ろを振り向くと、奴は肩に担ぐように白剣を構えた。

 その剣の色合いが黒に変わる。体の芯から振動するような、あの鈍い音だ。

 やはりシュヴァリエは、背を向けて逃げるプレイヤーを最優先で攻撃対象にするようプログラムされている。アリーシャを追撃する《暗黒剣》スキルは、奴自身を移動させるタイプか、あるいは長距離タイプか……、

 

「(させるかクソが!!)」

 

 俺もスキルを起こしている。上級上段ダッシュ技《アバランシュ》。俺とシュヴァリエの距離を一瞬で詰め、そこから斬撃を加える高性能ソードスキル。

 しかし構えを要してしまうため、際どい発動である。

 通常攻撃では『剣撃軌道の著しい妨害』と判断してくれるか怪しいが、ソードスキルによる高反動な妨害なら、種別が何であれまず間違いなくあの《暗黒剣》スキルを停止に追い込める。

 疾走開始。《アバランシュ》が正常に機能し、俺はボスに最速で迫った。

 直後、ボスの《暗黒剣》も起動。やはり新技だったそれの名は《暗黒剣》専用ソードスキル、長距離用単発斬撃《フォ・トリステス》。

 狙う先は俺ではない。だが、なんとしても止めねばならない。

 ――通すわけには、いかないんだ!

 

「とどけェえええええッ!!」

 

 魚眼のようになる『ディテール・フォーカシングシステム』とはまた別の作用により、俺の視野がさらに狭まった。

 集中がピークを迎えた時、大剣は斜めにベクトルを受けて振り落とされる。

 数瞬の差。

 技が命中。手応えと爆音が轟く。この突撃技のクリティカルヒットで敵のゲージ残量は5割5分を切った。

 だと言うのに。シュヴァリエの行動が寸前で阻害できなかった。

 《フォ・トリステス》が発動しきっている。振り抜いた黒剣からホリゾンブルーの衝撃波が、剣の軌跡をなぞるような形を保ったまま数メートル奥にいたアリーシャに向かった。

 これも命中。ザグンッ、という聞きたくない、あるいは認めたくなかった音が鼓膜を揺らした。

 

「そん、な……っ」

 

 ドサァッ、と倒れ込むアリーシャからはほんの短い悲鳴だけが聞こえた。

 見るとアリーシャの左足首が転がっていた。

 

「(切断されている……!? クソッ!!)」

 

 よりにもよって足に命中したのだ。

 ――最悪だ。

 援軍も望めない中で考え得る最善の手段も霧散した。それに作戦の失敗はおろか、孤立したアリーシャが窮地に立たされている。

 回復は満足にいっていない。しかしここで踏み出さなければ彼女を見殺しにすることになる。それだけは絶対に駄目だ。

 

「戻れあんた! もう無理だ!!」

「こっちへ来い!」

 

 ボスが視線の先をアリーシャから俺に向けた。《アバランシュ》の弱点部位へのヒットで憎悪値(ヘイト)が貯まったのかもしれない。

 恐怖で神経が総毛立つが、これはアリーシャを助ける上で好都合でもある。

 直後にお互いの獲物が激しい打ち込みを始めた。

 システム外スキル《見切り》と《先読み》のフル活用。わずかでも首を振れば目敏く次の動作を演算し、攻撃前に剣を溜めた時点でその剣撃予測線を推測する。

 モンスターが戦闘中にこちらの動きを学習することを利用して誘導し、急変化した行動で敵のAIに負荷を与える技、《ミスリード》もはたらいた。学習の早すぎる敵のAIはたった2回の『クセ』を見つけ、逆に3回目にパターンを変えることで攻撃を通す。

 ブレードの速度は敵の黒剣に分があり、大剣では天地が逆さになっても追い付けない。だから俺は攻撃が来る前に攻撃先を防ぐ。

 生命線を全部押し出した命懸けの削り合い。

 

「ぐぅっ、つ……がァああああ!?」

 

 しかし時間の問題だったとはいえ、俺はシュヴァリエに敗北する。

 押し返された。ポーションと《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルが回復を続ける俺のHPも、半分以下の注意域(イエローゾーン)にまで割り込んだ。レッドすれすれだ。

 これ以上の足止めは不可能である。そこでキリトが絶妙なタイミングで俺と替わってくれた。タゲが替わる。キリト自身も全快はしていないと言うのに。

 

「ハァ……もうちょっとで……!」

「あと少し、頑張って……アリーシャ! 良かった……」

 

 杖代わりに片手剣を地に着けて体を引きずるアリーシャをヒスイが抱き止めた。

 一旦は安全圏へ。だが戦線が崩壊したらそんな場所はなくなる。

 

「ごめんね……よりによって、足を……」

「ううん、あたし達のミスだもん。アリーシャは欠損(ディレクト)が治るまでここにいてね」

「ヒスイヤバいぞ、早くもキリトが限界だ。ヒスイも……まだ6割ぐらいか、くそ! おい後ろの2人! 少しでいいんだ! 頼むからタゲを取ってくれ!」

「え、オレ達がか!? できるはずない! さっき仲間が殺されるところを見てなかったのかよ! オレに死ねって言うのか!?」

「PoTローテーションよ! ダメージは与えなくていいから! それこそキリト君が……こっちが欠けても終わりよ! 大人でしょう!!」

「う、ぐ……わっ、わかったよ! ……やりゃいいんだろやればッ!」

「ちっくしょう、やってやらー!!」

 

 絶叫とも雄叫びとも取れる気合いを入れて軍の男達はキリトと入れ替わった。示し合わせたわけでもないのにタイミングは中々のものだ。

 彼らのソードスキルには見覚えがある。最前線ではやや心許ないものの、物理的に運動エネルギーが高まる剣技の中でこうした対抗は有効だ。レベル差があるのならなおさらに。とそう思った途端、なんとたったの数秒で軍の2人の足があらぬ方向へ折れ曲がった。

 そして、またも四肢が簡単に離れていく。1人は両足を、もう1人は片足を、それぞれ失っていた。

 先ほども使った《暗黒剣》のソードスキル、超振動単発下段斬り《ミゼリコルド》が3つのオブジェクトを作る。

 またしてもやられた。敵はこちらの思考さえ上回るのか。

 

「うわぁ! うわぁああああっ!?」

「ダメだよ! やっぱり無理だったんだ!! 助けてくれぇっ!」

「く、そ……!!」

 

 足止めにもならなかった。彼らは攻略組と違い、普段から生き死にの掛け合いをしていない。強すぎる恐怖心が彼らのスムーズな動きを阻害したのだ。

 そして鈍い動きに対応して、シュヴァリエが臨機応変に《暗黒剣》スキルを使った。軍の人間はすでに戦力外通告を受けているようなものだ。シュヴァリエ特有の能力と結果論からではあるが、俺の提案は次々と裏目に出ている。

 

「ハァ……っ!! くそ、なんで……ハァ……なんでいつもこうなるッ!!」

「あたしが行く! ジェイドは彼らを!」

 

 俺も動いていた。ヒスイが《反射》スキルでどうにか追加攻撃を妨がんとするすぐ後ろで、両足を失ったプレイヤーを抱えて後退する。

 しかし、戦えるほどの戦力はもう残っていない。ヒスイだけではどう頑張っても十数秒と持たない。だからこそ《攻略組》である俺達を回復せしめんと軍の人間を表へ出したのだ。

 

「(ここまでか……ッ)」

 

 俺は本当の意味で諦めかけた。なまじレベルだけは高いせいで、考えがまとまる時間が取れてしまった。

 圧倒的過ぎる。助かる術がない。

 

「きゃぁあああっ!」

「ヒスイっ!?」

 

 悲鳴で振り向くと、そこにはなけなしの希望を完膚なきまでに踏み潰す絶望があった。

 信じられないことに、今度はヒスイの左手がやられていたのだ。

 肘から先の『左腕』が片手用直剣を握ったまま空中を舞う。当然左利きのヒスイは愛刀の《ファン・ピアソーレ》ごと攻撃手段を喪失させることになった。

 片手直剣はすぐ近くに落ちているのに、彼女はそれを拾うこともできない。残された腕で擬似的なタンカーとして瓦解すれすれの戦線をどうにか維持している。

 次に右側後方に控えるアリーシャへ振り向いた。

 その表情は青ざめていた。自分が勧めたこの地下ダンジョンの探索によって、よもやこれほど酷い状況に陥るとは思っていなかったのだろう。単なる後悔以上に、その表情からはこの場にいる全員への申し訳なさを痛々しいほどに感じた。

 さらにキリトを見る。

 彼からは、まだ諦めきれない。このボスを倒したい。そういった気概を感じた。希望を捨てて死ぬよりは、希望を持ち続けて死にたいと、そうも聞こえる。これだけ追い詰められていてなお、その姿勢を保てるのは一種の才能だろう。

 だがそこまで考えた時……、

 

「ジェイドぉ!!」

 

 俺の名を呼ぶ声に双眸(そうぼう)を目一杯見開いた。

 懐かしい声、見慣れた武器や防具、小さい茶髪のそばかす。走り方から何までそれはジェミルのものだった。

 信じられない。かつての仲間がシュヴァリエの奥で叫んでいた。

 はかったようなタイミングでの参戦。いったいどんな手段を用いたのか。だが、それにしても、なぜ……、

 

「やぁあああっ!!」

『ギィィィ!?』

 

 シュヴァリエの後頭部にブーメランが直撃。

 混戦していたはずのヒスイには掠りもしていない。これほど高精度な遠距離攻撃を実現しうるプレイヤーはそういない。

 

「ジェミル、どうしてここに!?」

「理由はあと! ボクがこのボスを引き受ける! サポーターなんだから、長くは持たないよ!」

「わかった、助かる!」

 

 俺、キリト、ヒスイは油断なくシュヴァリエを捉えながら、俺達とは反対方向にいるジェミル、そして彼と戦うシュヴァリエを見据えた。

 回復は順調にいっている。まさかピンポイントで援軍が来るとは思わなかったが、軍の多少の足止めと仲間の介入によってしばらくは戦えそうだ。彼が来なければどうなっていたか、想像するだけでゾッとするが。

 

「そろそろ替われる! 下がれジェミル!!」

「うんッ……スイッチ!」

 

 突進、そしてスキルの行使。

 苛立つようにギチギチと甲冑を鳴らすシュヴァリエであったが、俺の攻撃を剣で受け止めきれず、とっさに左腕で防いでしまったためにまたしても大きくゲージの先端部分を縮める。これでさしもの奴もイエローゾーンよりさらにHPを消滅させていた。

 嬉しい誤算により戦線も維持された。あとは俺が……、

 

「ぶっ潰す!!」

 

 はっきりと剣先から伝わる鎧への手応えを感じながら、《クレイモア・ゴスペル》を筋力値全開で振り抜き続けた。

 敵も反撃。俺は腰と膝を折って体全体を畳み、姿勢回復の反動を利用して逆にシュヴァリエの首へ斬撃を命中させる。

 ここで《暗黒剣》が再発。現時点で判明しているのは、十字に斬る重さ重視の《クロワ・エグゼクション》、足元を狙って戦闘不能を狙う《ミゼリコルド》、逃げようとする距離のあるプレイヤーを襲う《フォ・トリステス》の3つのみ。しかし、またしても予備動作(プレモーション)の構えが異なっている。

 これらに連なる4つ目の連続技。

 《暗黒剣》専用ソードスキル、地閃掌握七連強撃《スクレット・クレマシオン》。

 不意を突かれて一瞬判断が遅れてしまった。

 下級モンスターならともかく、SAOでのボスキャラはデタラメのように強力な一部の例外を除いき、最大4つほどのソードスキルを駆使してくる。

 だが俺は、敵の愛剣である白い直剣(エペ・レイヨン)からペキュリアーズスキルである五連撃の《ラファル・アルメ》を目撃していた。つまり1つはただの《片手直剣》スキルだというのに、相対的には4つ目のソードスキルを体験した気分になっていたのだ。

 結果的に、この先入観が邪魔をした。

 

「躱せジェイド!」

「(間に合わ……っ!!)」

 

 硬直する体に反して、技の発動をはっきりと確認してしまう。

 密着戦ではこの僅かなタイムロスでさえ命取りになる。無理に避けようとしても、ホーミング性に優れるソードスキルから逃れることはできない。

 

『ギィィイイイッ!!』

「あ、がぁァアアあああああっ!?」

 

 目も開けていられないほどのエフェクトと凄まじい衝撃が俺を襲った。

 やられた。クリティカルだ。鍛え上げた《武器防御(パリィ)》スキルの防御値もやすやすと越えられた。

 弾かれた大剣の隙間を縫うように黒剣が迫った。

 ザグンッ!! と直撃。俺の右腕が宙を舞う。右腕だけではない。攻撃手段も一緒に奪われた。

 数世代前のコンシューマ格闘ゲームでも同様のことがいえるが、基本的にゼロ距離打撃戦でお互いがダメージを受けないことはない。ゲームをしていればどちらか、または力量が僅差なら双方が攻撃技を受けるものだ。でなければ決着もつかず、決着がつかなければゲームが成り立たないからである。

 それはSAOでも例外ではなかった。

 シュヴァリエに技を決めることがあれば、俺に技が決まることもある。どんなに慎重な攻略であっても、死人が出るのと同様に。

 

「くそ、ヤバい! ちくしょうがッ!」

「そんなっ!? ジェイドまで……」

「替われ! 今度は俺が行く!!」

 

 矢継ぎ早に交替。高速ローテにしても早すぎる。いかな攻略組と言えどもすぐにスタミナ切れだ。

 

「ハァ……ハァ……やられた、俺も……くそ、タップし辛ぇなこれ」

「右手がやられたらぁ左手でしかウィンドウ開けないから……。で、でもぉまだボクとキリト君はディレクトしてないから戦えるし……」

「ゼィ……そう、それだよジェミル。《暗黒剣》については……」

「あ、それは今さっきあたしが説明しておいたわ」

「そうか……でも、どうやってここが……軍が隠してるのに」

「それは……」

 

 その詳細は、その場で手短に説明されたものだけではなく、もっとずっと後になってから本人によって語られたことだ。

 まず、ジェミルは4日前にロムライルを失ってから翌日の朝まで本当にボス部屋から出なかった。やはり失った者の大きさから落胆し、うちひしがれた彼はしばらくまともに動くこともできなかったという。

 そんな彼が次に行ったのはロムライルのアイテム整頓。……ではなく、これも彼が死んでいることから遺品整理と言い直しておこう。とにかく、ギルドリーダーがギルドの細かい情報を設定する《約定のスクロール》の使用権限を得た副リーダーのジェミルは、その機能で最低限の後始末を終えていたようだ。これも初耳である。

 もっとも、ただでさえ事実的な解散状態にあるレジクレだったが、1週間以上新リーダーが再設定されないままでいるとシステム的にも《ギルド》は抹消されてしまう。存続させたいのであれば、遅かれ早かれ何らかの行動で示さねばならないだろう。

 話を戻すと、あらかた作業を終えたジェミルは、その日のうちに現実世界の友人である『アル』が住んでいる住宅街を訪れた。傷ついた心を療養する期間が必要だったからだ。

 ここで言うアル。この人物については、本人らの意向もあって部分的なところしか知らない。

 ジェミルのリアル友達であることは幾度か聞いていたが、どうやら彼と違って最前線で狩りをする気はサラサラないらしい。あくまで《はじまりの街》から《圏外》に出るようなことはせず、危険は負わないよう心がけているのだとか。

 なんにせよ、ジェミルはアルとしばらく暮らしていくよう決心し、それをいち早くカズに伝えた。

 カズは快く承諾したようだ。その気のない人間に攻略は無理というのもあるが、何よりロムライルがいないことへの精神的な穴埋めが必要と感じたからだ。

 俺が本人から直接聞いていないのは、ちょうどその時から俺が牢にブチ込まれていたから、という要因がある。

 生活の在り方を一新したジェミルだったが、新年初日である正月として賑わう今日になって、「せめてジェイドとルガにだけはあいさつを」と、重い足を運ぼうとしていたそうだ。

 俺の位置は知れている。それは牢屋と言ったら《黒鉄宮》しかあり得ないからだ。

 だがマップを開いてギルドメンバーをサーチする窓を開くと、なんと俺が《黒鉄宮》の敷地内から解放された位置にいた。ヒースクリフとの会話を知らないジェミルにとっては、聞かされていた幽閉期間とはズレがある。

 しかし、予期せぬ事態が起きる。また1度マップで位置を確認すると、《黒鉄宮》付近をうろついていた俺の反応がプツリと途絶えたのだ。

 足跡をたどっていたジェミルは大変慌てたそうだ。ギルド用のマップサーチが途切れるとしたら、《迷宮区》に侵入したか専用の特殊な防具で身を包んだか……あるいは『死んだ』時だからだ。

 アインクラッド1層の《迷宮区》は全然位置が違う。どころか、ここはまさしく主街区の《はじまりの街》てあり《圏内》だ。アイテムで姿を隠そうとする意図も不明。だとしたら消去法で『ある仮説』が立てられる。

 ようするに、デスゲーム開始1ヶ月で最も多くなった死因である『自殺』である。タイミング的にも場所的にもあり得なくはなかった。これならジェミルはおろか誰であっても慌ててしまうだろう。

 彼は走った。

 そこからは全力で。

 しかし、息も絶え絶えに駆けつけた場所には誰もいなかった。

 困惑するジェミルだったが、そこで違和感を覚えた。あるいは直感的なセンスだったのかもしれない。

 冷水を浴びたように冷静になってから、今1度ウィンドウを開いた。

 サーチは相変わらずできない。だが擬似ギルマスゆえに、《約定のスクロール》でギルド共通ストレージ利用者一覧を調べると、俺のネーム欄が灰色に染まっていないことに気づいた。死んでいない。つまり、先に挙げた方法の残り2つのうちどちらかを実行したことになる。

 ジェミルは改めて周囲一帯の探索を始めた。

 そして驚異的な目敏(めざと)さで俺達がいるこのダンジョンの入り口を発見した。無論、こんなことにならなければ、そもそも今さら1層を捜索をしようとすら思わず、地下ダンジョンの発見などできなかったらしいが。

 そしてゲーマーとしての抑えようのない冒険欲求と探求心が芽生えた彼は、装備とアイテムストレージが50層のボス用のラインナップから変わっていないことだけを確認してマッピングを開始した。

 まず最初に調べたことは、俺達と同じようにここがフィールド扱いなのか迷宮区扱いなのか、そういったダンジョンの細かい条件についてだった。

 判明した事実は内心ホッとするものだった。

 迷宮区と同じ仕様。サーチが途切れた理由もはっきりしたことで、すでに俺がこのエリアにいると確信できたのだ。迷宮区がノーマルフィールドより危険とは言え、『所詮は《はじまりの街》のダンジョン』で敵はたいしたレベルではないと結論付けた。

 しかし、それでも拭いきれない不安と警鐘がもう1度歩調を早める。最悪の結末だけは避けているのだと、その確信を得るまでどうしても楽観することができないと、ジェミルはそう感じた。

 そしてとうとうこの通路の入り口に辿り着いた。

 ロムライルが《騎乗(ライド)》スキルを持っていたように、カズが《鍵開け(ピッキング)》スキルを持っているように、ジェミルも直接戦闘力を上げるものではない《罠探査(インクイリィ)》スキルを持っている。これは以前から幾度か利用しているもので、まさにその時、スキルによる警告音が鳴ったのだ。

 ジェミルの《インクイリィ》スキルの熟練度も相当な域に達していて、モディファイである《種類別罠判定》を持っていた。そして判定結果は《結晶アイテム無効化エリア》。

 《インクイリィ》スキルは目の前にあるイベント用とおぼしき通路の奥が、クリスタルの使えない危険地帯だと教えてくれた。もちろん、意味なくそうなっているはずがない。

 そうして何度目かもわからない走り込みを経て、俺達とフィールドボスを見つけるに至った。これらの出来事が俺達と同時進行で起こっていたのだ。

 さらに、そのおかげで現場にいた俺達は一命をとりとめたということにもなる。

 奇跡とはまさにこの事だった。

 

「ハナから俺のこと探してくれてたのか。とにかく助かったぜ。おかげでさっきよりはマシになってる。……キリト、切断はないな?」

「ああ。さっきヒスイが俺と替わってくれた。彼女も左腕がないからやれるのは足止めだけだ。あとは……」

「うん、任せてキリト君。ボクもローテに混ざるよ。……厳しい、けどね……」

「けど残りは3割近くまで落ちている。ルガがいねぇのは残念だけど、何だかんだでシュヴァリエのHPは平均より低い。逆転はあり得る。最後まで粘ろう」

「…………」

 

 あるいは『最期まで』になってしまうかもしれない。

 しかし俺は思い直した。考え直した。絶対にそうはさせないと誓ったはずだ。

 

「いや、粘ろうってのは無しだ。……倒そうッ! こいつをぶっ倒して全員で帰ろう! もう1人たりとも欠けさせてたまるかッ!!」

 

 全身の血が沸騰しそうなほど高揚した。

 ヒスイが斬撃を受ける。交替の時が近い。

 

「やろう! ボクらの力でっ!」

 

 戦うしかない。戦わなければ死ぬだけだ。俺達の中に、諦める人間はもういなかった。

 戦況は、最終局面へと移行した。

 

 

 



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第67話 戦士の末路

 西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 防戦一方にならざるを得ないヒスイに替わってジェミルが前に出た。

 と言っても、彼も攻撃型能力構成(ステータスビルド)ではないため、必然的に現パーティでは俺かキリトがダメージを重ねて行くしかない。

 彼の役割は俺とキリトが回復するまでの繋ぎと言える。

 

「ジェイド、他に何か手はないのか? 消耗戦じゃ勝ち目がない。特殊アイテムとか……あいにく俺のは戦闘に直接干渉しなくてな」

「とっておきのが1つだけ……聞きあきたろうけど、今度こそ任せろ」

 

 キリトの問いに俺は即答する。

 いくらとっておきでも、実態は性能任せのゴリ押し。成功するかは五分五分だった。

 しかし迷っていられる猶予もない。俺は失った右手に代わって左手でアイテムストレージを開いた。基本的にキバオウのように両手を同時に失わない限り、《メインメニュー・ウィンドウ》の操作というのは残った手でそれができるものである。

 そして、動かし辛い左の指でどうにか目的のものをタップした。

 

「それはあの時の……?」

「ああ、ここからが反撃だ!」

 

 選択したのは《クイックチェンジ》に登録された特別製の防具。今や耐久値が10パーセント未満にまで低下した25層ボスへのLAボーナスドロップアイテム、《ミソロジィの四肢甲冑》。

 俺は迷うことなくこれを装備した。

 再びあの感触が襲う。手足に高圧電流が流れる痛みと衝撃。それに伴う究極的に高められた全能感。

 俺の両手が魔物のそれに変わる。同時にはっきりとした感覚が甦っていた。半年前、ヒスイからこれを授かって以来、この装備におけるすべての恩恵は把握している。

 すなわち《部位欠損(レギオンディレクト)》中であっても四肢が動かせる、という性能を、俺は装備する前から知っていた。

 

「さあ、やろうぜシュヴァリエ」

『ギィィィ?』

 

 右手が動く。まだ戦える。

 ここでジェミルの後退。続いて俺の前進。

 そしてディレクトしたはずの人間の腕が繋がっていることに気付いたのだろう。頭の冴えるシュヴァリエはまじまじと見つめて不思議そうに首を傾けた。

 構わず俺は《クレイモア・ゴスペル》を左の腰に溜める。

 大剣がクロムイエローを纏った。技の名は斬撃(スラッシュ)系、かつ両手用武器系専用ソードスキル、上級高速二連雷斬撃《ボルテックス・アーク》。

 アシストによる莫大な初速を得た俺は、狭い通路の端から端までを一瞬で移動。その間際に稲妻を帯びた素早い一撃を叩き込むが、反射的に防いだシュヴァリエは大きく後退しただけで目立った被害はなし。

 しかし、上半身を畳んで遠心力を抑えると、俺の進行方向は鋭角に折れ曲がった。

 逃げようとするシュヴァリエ。逃がすまいとする加速アシスト。

 天秤は俺に傾いた。

 まずはボスの左腕に直撃。続いて胴を斬り裂いて左側に振り抜く。HPゲージの総量は3割を切った。

 だがクリティカル率上昇と行動不能(スタン)発生率追加を得ている《ボルテックス・アーク》ではあったが、そう何度もスタンは発生しない。

 ボスが邀撃(ようげき)に出た。

 黒剣を上段で構え、両手一杯の筋力値で振り降ろす。

 《ミソロジィの四肢甲冑》は技後硬直(ポストモーション)の縛りを越えて機能の1つ、『自動防御(オートガード)』を技後硬直中に発動してくれた。

 激しい衝撃。飛び散るスパーク。

 防具の耐久値は残り2パーセント弱。俺の体力は残り3割と少し。

 押し切るしかない。

 できなければ、そこで終わりだ。

 

「キリト! 数秒でいい、タゲ取ってくれっ!!」

「わ、わかった!」

 

 強引なスイッチ。

 敵対する人物のメインアームが変わったことで、シュヴァリエは対処法を変えるためにAIプログラムの変更をしなくてはならない。しかし、どのプレイヤーやどんなモンスターにもこのタイムラグをゼロにすることは絶対にできない。

 

「れァアアあああっ!!」

『ギギィィ!?』

 

 さながら針穴に糸を通すかのような微細な隙。そこを異常な反応速度でもって突いたキリトに、さしものフィールドボスもうなりを上げた。

 集団ミスリード。これがプレイヤーの本領である。

 さらに俺はポーチから最後の切り札を取り出していた。

 ボトルグリーンに光る球形のアイテム。奇しくも翡翠石で作られたような透明で深い緑色。21層ボスへのLAボーナスアイテム、《レザレクション・ボール》。

 これを左の掌へ置く。そして……、

 

「レザレクション!!」

 

 言い終えた途端、強く……そして目を覆わんばかりの光が放たれた。

 《ペインアブソーバ》がレベルマックスで統一されている以上、確かにプレイヤーは本来の意味での『痛覚』は感じないのかもしれない。だが俺はこの時、傷が癒えていくような感覚をはっきりと味わった。

 乾いた喉に水をやるように。何かに餓えていた俺は説明のつかないエネルギーをもらい受けた。そしてそれは神経を通って全身へ行き渡る。

 数瞬で命のバーが全回復した。

 生命の残り火はその勢いを業火へと。

 武器と防具にも変化が見られた。連続したボス戦に損壊しつつあった《クレイモア・ゴスペル》と、鍛冶屋によるメンテナンスが不可能であり、戦闘前から消滅寸前だった《ミソロジィの四肢甲冑》が耐久値を全快させる。

 力がみなぎる。短剣のように軽い分厚い相棒が不思議と手にしっくりくる。

 《レザレクション・ボール》は見事その本懐を果たし、データの欠片となって弾け消えた。

 

「ジェイド! 行けェ!!」

「ここでテメェをぶっコロすッ!!」

『ギイイィィイイっ!!』

 

 俺は普段より格段に速い速度でゴスペルを振り回した。シュヴァリエのAIは、なぜか変更された俺の行動パターンに付いてこられず、黒剣はいくらか鈍った動きを見せた。

 俺が絶え間ない打ち込みを。

 ボスはギリギリのところでそれを防御。

 そんな、先ほどまでとは逆転された一方的な構図がそこにはあった。

 

「ぜァあああアアああああああッ!!」

『ギ……ギィィッ!?』

 

 ガギンッ! ガギンッ! と、鋭い金属音が連続的に耳朶を打つ。

 クロス。横一門。下段足払い。停止なしの斬り上げ。突きからの回転斬り。

 目を見張る。突破口は地道な作業でしか見つかるものではない。

 そして、ようやく隙を見つけた。渾身の一撃を叩き込むために斜めに全力で振ると、ボスは剣で受けきれなくなったのかとうとう左腕で防御する。黒剣も白剣へ戻った。

 敵の構えを抜いている。今の俺の筋力値で攻撃が通ったとすれば上出来だ。

 

『ギィィィィィィ!!』

「なッ……!?」

 

 だが、腰だめに構えた白剣がエメラルドグリーンを放っていた。

 あの技だ。

 そうか、《暗黒剣》を引っ込めたのはこのペキュリアーズスキルを使うためだったのだ。水平五連爆風鏖撃、《ラファル・アルメ》を使うために!

 

「下がってジェイド!」

「伏せてろ! ジャマだッ!!」

 

 あえて辛辣に言うことでヒスイを背後へ。

 俺は《武器防御(パリィ)》スキルと《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルがきちんと作動していることを改めて確認し、大剣を斜めに構えることで衝撃に備えた。

 1発目、2発目までは俺1人で耐え抜いた。シュヴァリエは俺より後ろのプレイヤーに手を出せないでいる。

 しかし、3発目の突風で余剰威力が脇に逸れた。

 4発目で完全にバランスを崩す。そもそもこの技は1人で抑えるのに限度があった。パーティメンバーも暴力的な風の圧力に耐えかねて次々と吹き飛ばされていく。

 5発目。とうとう肌を斬り裂く竜巻が目の前に発生。瞬間、《ミソロジィの四肢甲冑》は『オートガード』を機能させ主の体を精一杯護り抜いた。

 直撃。激痛。

 地面に背中から不時着。俺は空気の塊を喉から吐き出すと、ごほごほと咳き込みながらどうにか立ち上がろうとする。

 四つん這いでいると頭上に気配を感じた。

 目を向けるより早くすぐさま地面を転がる。

 寸前まで俺がいた場所は、ゴガアアアっ!! と、黒剣によって薙ぎ払われていた。

 危ない。一瞬の差だ。

 そう判断するよりも早く、俺は息をするのも忘れて今度こそ立ち上がった。

 酸素を取り込んでいる暇もない。

 死にたくない。ただそれだけを願って、絶叫を上げながら必死にゴスペルを操った。

 だが仕返しとばかりに体中が斬り刻まれる。《ミソロジィの四肢甲冑》と各所間接、筋肉と精神が限界を表明する。

 歯を食いしばってそれを無視した。酷使に次ぐ酷使で意識が飛びかける。

 

「ジェイドぉ!!」

 

 誰が叫んだのかもわからない。

 粘りきれなかった。

 手足が弛緩して力が抜け、バチンッ!! と、愛用する両手剣がシュヴァリエの向こう側へ吹き飛ばされた。これでは取りに行くことさえできない。

 そこからさらに全身をズタズタにされた。

 悪あがきのように縮こまりながら甲冑部分で耐えるが、体力ゲージの代わりにのデュラビリティが凄まじい勢いで消耗され、しかもダメージカットは決して完璧ではなかった。ある程度は俺のゲージも死の淵へ近づき続けている。

 

「下がっ……てよ! このバカ!!」

「あぐッ!?」

 

 なす術もなくサンドバッグになっていたら、首の後ろを掴まれてから一泊置いて思いっきり後ろへ引かれた。喉仏が圧迫されて息が止まるかと思ったが、ヒスイが俺を助けてくれたのだと判明するとそんなことも忘れていた。

 長く持たせられたからか、代わりにキリト達がタゲを取ってくれている。

 しかし脱力感が激しく、仰向け状態からしばらく起き上がれそうになかった。

 

「もう、バカ! 無茶して……ボロボロじゃない!」

「アタシもまだやれるから! 1人で頑張ろうとしないでよ!」

「ヒスイ……アリーシャ……」

 

 強烈な耳鳴りにしかめ面をしてから首を傾ける。

 纏まった時間を1人で戦線維持していたことから、回復する時間が充分に与えられていたのだろう。俺の独断特攻も無駄ではなかったというわけだ。

 しかし……、

 

「アリーシャはダメだ。足を切られたのはイタい。せめて立てる奴じゃないと、やり合っても意味がない」

「ぅ……でもぉ……」

「っていうかジェイドは黙ってここで回復する!」

「むごごっ!?」

 

 芯から筋力を抜かれたように両肘を付いて、何とか上体を起こそうとする俺……の口めがけて瓶が飛んできた。正確には《回復ポーション》だったが。

 

「ぶはっ! お、おいヒスイ! ……ヒスイ……?」

「ここにいて……お願いだから。さっきは死にかけてた……あたしがあなたを守るから。……無理しないでよ……」

「ヒスイ……っちょ、待て!?」

 

 ヒスイはおもむろに盾を捨て、片足を斬られ戦闘不能になったアリーシャの剣を残った右手で握った。

 さらにその剣先をシュヴァリエに向け、彼女のむき出しの闘志は一転に集中していた。

 彼女は左手をすでに欠損している。まさか利き手ではない方の手で、それも他人の武器を使ってボスと戦おうと言うのだろうか。重さも長さも違う上に、振り方にだって違和感は付きまとう。

 ――ダメだ、危険すぎる。

 そう言おうとした瞬間には彼女は駆け出していた。

 同じ盾持ち片手剣だからだろうか。その動きに戸惑いはない。どころか、素早い挙動でソードスキルまで立ち上げていた。

 まるで利き手など関係ないとばかりに。

 

「(そうか、ヒスイは両利き。だからあそこまで……)」

 

 勝算なしの自殺行為ではなかった。まずはそこに安堵する。

 そこで変化が起きた。シュヴァリエのHPが危険域(レッドゾーン)にまで落ちたのだ。

 初めて勝利への道筋が具体的な明度を持った。

 勝てるかもしれない、と。ボスは狩りの対象だった俺達から意外な抵抗を受け、逆に追い詰められつつある。逆転はすぐそこまで迫っていた。

 

「アリーシャ」

「な、なに……?」

 

 ほんの数メートル目先で激戦が展開されている。

 音量も酷い。リモコンの操作ミスでTVが大音響になってしまっているかのようだ。

 それに非現実的でもある。健全な高校男子がこんなダンジョンで時代錯誤の無人甲冑と戦っているのだから当然か。

 だがこれは紛れもない事実だ。現実だ。だから俺達は本気になれる。このイカれた空間から解放される日を夢見て、前進を止めないでいられる。

 

「約束は果たすさ。俺を信じろ」

「……うん!」

 

 意味もなく前線に立とうとする気は失せたようだ。

 おかげで、俺に二言もなくなった。

 

「っくぜ! ジェミルも替われ!!」

「ッ!? わかった、スイッチ!」

 

 ジェミルはすかさず《軽業(アクロバット)》専用ソードスキル、連続後方空中回転跳び《バックダンス》を発動。

 さらに執行と同時にその真下を俺が通り過ぎる。

 視線の先はシュヴァリエ。奴も俺への警戒を高めた。

 だがあからさまに対処が遅い。おそらく俺がなんの武器も持たずに突撃してきたからだろう。頭が良すぎる(・・・・)シュヴァリエは、くだらない玉砕戦法にも念入りに探りをいれる。最善の解答に(こだわ)り、それを導きだそうとして思考が空回りするのだ。

 ――ざまぁねェぜ!

 

「らァあああああっ!」

『ギィィィ!?』

 

 敵の肩に腕をかけ、抱きつくように後ろを取った。

 そしてそのまま子供のように飛び付くと、奴の背中にへばりついた。

 べったりと。こんな格好のつかない稚拙な作戦の対処法など、どれほど高度なAIでもっても最善解など求まるまい。しかしこの泥臭い戦い方こそ、俺がこの1年で覚えた究極の答えだ。

 

「キリト! 俺ごとやれェ!!」

「うォおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 ボスの焦りの表情すら幻視した。

 最高数を誇る片手剣の十連撃《ノヴァ・アセンション》が再三に渡ってシュヴァリエの真っ白な体を斬り刻んでおく。

 あと残り15パーセント。勝てないことはない。いや、勝つんだ!

 

「ぬぉおおおっぐ、ごァああああっ!?」

『ギギィィィィィッ!!』

 

 だが数秒で強引に引き剥がされた。

 錐揉むようにキリトと衝突。インファイトによる短期決戦を試みたつもりだが、やはりそんな状況に甘んじる気はなかったらしい。

 しかも、それだけではなかった。

 なんとまたしても、ボスがソードスキルを発動しようとしている。黒剣を肩に担いでいると言うことは、アリーシャを戦闘不能に追いやった長距離攻撃だ。

 

「くっそ……ぐァああっ!」

 

 《暗黒剣》の長距離用単発斬撃《フォ・トリステス》はキリトの左腕に杭を打つ。肘の部分から先がキリトの体から離れ、ボトリと落ちてから割れてなくなった。

 これでジェミル以外全員がディレクトしたことになる。

 

「ハァ……ハァ……まだ、諦めて……ッ」

 

 肩で深く息を吸う。

 同時にボスが吠えた。

 

『ギィィイイイイ!!』

「たまるかァああああああッ!! 」

 

 バギィィィンッ!! と、爆音が炸裂した。

 『オートガード』が最後の最後まで俺を護ろうと防具のデュラビリティを投げ捨てた。自身が消えてなくなるというのに、そのシステムは発動し続ける。

 

「ごがあっ!?」

 

 だがシュヴァリエのストロングに負け、またも吹き飛ばされてしまった。

 今度は壁と衝突。意識こそ飛ばなかったものの、その振動からしばらく呼吸が止まってしまうほどだった。

 

「ゼィ……くそ……えっ? ヒスイ……?」

「手を出して。これはあたしの切り札よ」

 

 休む間もなく立ち上がり、苦戦するキリトを救おうと今と同じ作戦を繰り返そうとした矢先、彼女が手を伸ばしてきた。

 掌をこちらに向け、まるで握手でも求められているかのようだった。

 

「ヒスイ、これは……?」

「いいから、手を……ふふっ、ジンクスだったけど。……あたしもね……死ぬかもしれないって思って、初めて使う気になったわ」

 

 鋭利な表面が逆鱗のように突き刺さるはずなのに、ヒスイは俺の指に自分の指を絡めるようにして握りしめた。俗に言う恋人繋ぎである。

 しかし、こんなことをしている場合ではない。ズレる重心に悪戦苦闘しながら残る右手で応戦するキリトと、サポート役としてしか活躍の場がないジェミルが、疑似タンクとして2人で戦線崩壊を防いでいるのだ。彼らもイエローゾーンで保てていられるのが不思議なほど痛め付けられている。

 早く助けに行かなければならない。それにすぐ隣にいるアリーシャや、まだしぶとく生き残っている後方待機のキバオウ達からの視線も背中に感じて居心地が悪い。

 

「ヒスイ、ンなことしてるヒマは……」

「ここを生き延びたら!」

 

 遮られた。大きな声にではない。強く、凛とした意思に。

 

「……あたしの気持ちを伝えるわ。正直に伝える。もう、誰にもジャマはさせない。だからいきましょう、ジェイド」

 

 静かな声で、はっきりと言った。

 

「《翡翠の御守り(ジェイド・アミュレット)》、オープン!!」

 

 瞬間。深い、翡翠色の光が幾状にも延びて、俺とヒスイの体を纏めて包み込んだ。

 暖かい。本当に人肌で包み込まれているかのようだった。

 目をつぶると、より安心感が充満する。

 これほど危機的な状態にいる俺が、彼女と手を繋いでいるだけで死の恐怖が遠ざかった。時間や空間を超越した2人だけの隔離された空間へ感覚のみが放り込まれた。

 

「こ、これって!?」

 

 目を開くと、驚いたことに本当に『死』から遠ざかっていた。

 俺のHPが回復しているのだ。

 全快、とまでは言わないものの、ちょうど俺とヒスイの体力残量を足して2人で共有したようになっている。それに結晶系アイテムとほぼ同速度の回復力だ。しかしクリスタルにこんなものは存在しない……以前に、そもそもここでは使用もできない。

 残る可能性としては、先ほど俺が使ったLAボーナス、《レザレクション・ボール》並の未知のレアアイテムということになる。

 

「今から30秒間、あたし達は無敵よ。そういうアイテムなの。……ちょうど1年前にできた、あなたとの大切な想い出。そしてあたしのお守り……」

「ヒスイ……?」

「ッ、時間がないわ! これがラストアタックになる。ジェイドも武器を用意して!」

「お、おう!!」

 

 ようやく俺達はボスに向き直った。

 だが使える武器といっても……、

 

「そうかあるぞ! ヒスイ、先制頼む! 時間かせげ!!」

「了解っ!!」

 

 俺はどこか使用できないことを前提にしていたある大剣(・・・・)をジェネレートした。

 先入観を取り払う。この際、ヒースクリフの発言にあった『意思の力』とやらも信用してやる。それが物理的な力になるのなら、俺はなんだって利用する。

 だから今だけは、俺の言うことを聞け。

 

「ジェイドっ!!」

「わかってる! っくぜェえええええッ!!」

 

 新たな相棒をその手に持って。俺は喉が枯れるほど雄叫びを上げた。

 直撃。ゴバァアアアアアッ!! と鳴る空気の振動。戦闘開始から数えて最大級の爆発音が響いた。

 シュヴァリエに込められたゲージの5パーセント以上が消滅した。

 あり得ないはずのHPの減少量に、かくものボスも大きく仰け反る。……いや、これも違う。これは技のアシストだ。『必ず(・・)ディレイが発生する』、それが技の特性なのだ。

 俺が使用したのは、重量級武器のみが扱うことを許された《ヘビー・スラント》の完全上位互換版。《魔剣》の極意。

 《ガイアパージ》専用ペキュリアーズスキル、超級単発重反動斬《ライノセラス》。

 武器はあのハーフポイントフロアボス、《ザ・スラウザー・オブ・センジュレンゲ》へのLAボーナスアイテムだ。

 本来両手で持ち上げることすら困難な両手剣。暗い藍色と、刀身の部分は血跡のように(にじ)む赤みのかかった紫を放つ。まるで脈動しているかのような質感なある片刃の剣を、無理やり両側に取り付けて両刃刀扱いしているような規格外の大型大剣。

 俺はこれをメインアームとして選択した。

 《ミゾロジィの四肢甲冑》が『筋力値+50』という別格のステータス補正をしてくれているとは到底思えない。それほどまでの重さと、そして手応えを感じた。

 だが、扱える。

 《ガイアパージ》はこの時、俺のしもべとして主の(つるぎ)となった。

 

『ギガギィィィイっ!?』

「構うなヒスイ! やれェ!!」

「セヤァアアァァアアアアアっ!!」

 

 硬直を交替時間へ。ディレイが起きたのならそのタイミングで攻撃を。

 ヒスイが表に出て斬撃を繰り出す。途中で《暗黒剣》状態となっている黒剣で反撃するが本当に効いていない。ダメージが無効化されている。

 

「んの野郎がァ!!」

『ギギィィィ!!』

 

 膠着(こうちゃく)が解け、参戦。

 疑似イモータルオブジェクト、つまり死なない状態と化した俺とヒスイはシュヴァリエの動き全てを無視し、ひたすらに剣を振った。この時ばかりは戦いにおける思考すら停止していたかもしれない。

 だがヒスイと呼吸が合う。考えることを放棄してなお、連携が繋がる。

 言葉を越えた意思の疎通。それに伴う一体感。

 歴戦の剣士のみが悟る心の境地。

 

「おっラァあああああああああッ!!」

「ハァアアアっ!!」

 

 ガチンッ! と、音が鳴った。シュヴァリエの左腕がその半ばから綺麗に切断されたエフェクトだ。

 モンスターであれディレクトは起こす。あの技は奴らだけの専売特許ではない。それに、この決闘が開始されてからシュヴァリエは何度も左腕で俺の斬撃を防いでいた。

 シュヴァリエが激痛に悶えるように悲鳴を上げ、回転して舞っていた奴の左腕は通路の壁に激突して四散した。

 残り5パーセントを下回った。俺とヒスイにはまだ余力がある。

 ――やれる。勝てるんだ!

 

「これで……っ!?」

 

 ふと、斬られたヒスイにダメージが入るのが見えてしまった。十分に回復していたヒスイの体力バーがガクン、と減っている。

 ヒスイは30秒間無敵だと言った。つまり、効果範囲外へ超過してしまったのだ。

 時間がかかりすぎた。ここからは奴とのハンデがなくなる。安全が保証されない正真正銘の殺し合いだ。

 

『ギィィィィィィッ!!』

 

 大きく吠えると、ボスの反旗が翻った。

 《暗黒剣》専用ソードスキル、地閃掌握七連強撃《スクレット・クレマシオン》。

 見た瞬間、俺は集中した。

 慌てず、危機を認めた。その上で対抗策を開始する。

 音が遠退く。自分の声さえも。意識だけを残して世界が減速する。

 近未来の予知。限界を突破した集中力が情報量の多寡が激しい仮想現実において、その処理速度、処理領域を相対的に加速させる。

 位置情報の誤認識。それが、仮想界という次元を越えた極地において、逆に絶対性を纏う。

 究極戦法。プレイヤー専用システム外スキル《後退する修正景(リビジョン・バック)》の鼓動を、その胎動を感じた。

 動きが見える。はっきりと、正確に。

 ヒスイの前に立ち、俺の体は恐怖を前に勝利した。

 完全なコントロールで敵の黒剣をミリ単位で追う。防御に回った俺の《ガイアパージ》は《暗黒剣》の専用ソードスキルを、激しい金属音と共に次々と塞き止めていった。

 敵の特性でもある武器破壊(アームブラスト)は発生しない。膨大な耐久性を備えた大剣は《暗黒剣》による突破を許さず、難攻不落の要塞のように微動だにしなかった。

 早く振り回せない大剣に代わって《ミソロジィの四肢甲冑》も『オートガード』で対応している。俺に伝わる超過ダメージも防具が全て帳消しできる程度のもの。

 シュヴァリエの7連撃ソードスキルが終わった。

 ここからは俺の番だ。

 

「(ここで決める……)……っ、なにッ!?」

 

 俺は絶句した。

 反撃に出ようという今になって、ズタズタに引き裂かれた《ミソロジィの四肢甲冑》が剣より先に限界を訴えたのだ。

 バゴン!! と、鋼鉄が割れるような音と共に、右腕から先の感覚が消える。《ガイアパージ》を支える筋力値と斬られていた片方の腕が消え、超重量の大剣は地に堕ちた。

 《ミソロジィの四肢甲冑》は幾度となく主である俺を護り、そして消えていった。皮肉なことに俺にこの上ない危険を遺して。

 発動直前だったソードスキルの予備動作(プレモーション)もキャンセルされた。さらにアシストのキャンセルが起こったと言うことは、技後硬直(ポストモーション)が課せられることに等しい。

 俺の動きがボスの目の前で停止した。

 

『ギガァアアアっ!!』

「ぐ、あァあああああああああッ!!」

 

 ザンッ!! ザンッ!! ザンッ!! と、動物の生肉をナイフで大雑把に切ったような気色の悪い感覚と、鋭くも硬質な刃が体中を這い回った。抵抗も虚しく敵の思うままに八つ裂きにされ、途中で左足もその根本からどこかへ吹っ飛んでいってしまった。

 後方に倒れる。もう逆転の手札はない。

 やっとここまで来たのに。すぐそこにあった希望は、あと少しで手中に収めることができたはずなのに。

 どうしてそれを妨害する。神の悪戯か。運命の反逆か。なんだっていい、まだ邪魔をするのか。

 

「(ちくしょう、なんで……ッ)」

「やらせない……やらせは、しないっ!!」

『ギィィィィ!?』

 

 視界がレッドアウトし、殺されると感じた直後、ヒスイが間に割って入ってきた。

 その右手に持つ片手剣はフォレストグリーンに輝いている。《片手武器》系専用ソードスキル、上位乱撃九連撃《アブソリュート・グラビトン》だ。

 ザクン! ザクン! と小気味良い音が連続して鳴る。俺にばかり気を集めていたせいで全段が命中したのだ。ともかく、これで奴のHPは残り1ドット。

 だが、ここでもボスは抗い続けた。

 クーリングタイムを終えたのだろう。最初に見せた《暗黒剣》専用ソードスキル、十字回転軌道乖離重斬撃《クロワ・エグゼクション》をここで再度使用してきたのだ。

 

『ギィィィ、ギィィィィィィ!!』

「ひぐっ、きゃあああ!」

 

 胴体に2発。両方ともクリティカルだ。

 せっかく回復したと言うのに、俺もヒスイもあと1撃で死ぬというところまで追い詰められた。殺されてしまう。本当に、このままでは死んでしまう。

 

「ヒスイぃッ!!」

 

 右腕と左足をなくした俺は、みすぼらしく地べたを這いつくばりながらそれでも叫んだ。

 シュヴァリエが黒剣を振る。

 下から上へ。

 ヒスイがすんでのところで構えたアリーシャの片手剣は、真上に弾かれてくるくると舞った。

 奴は滑らかに上段の目線の先に黒剣を置き、『突き』の構えをとる。

 避けきれないだろう。ヒスイはあの刺突攻撃を腹に受け、その命をデータの破片として散らす。これは避け得ない決定事項だ。

 他に道があるとしたら。

 ――ある。あるには、ある。

 別の人間が消えればいい。ヒスイを庇って盾となり、彼女を死の縁から救えばいい。

 適任者は誰だ。

 ――俺しかいない。距離的な該当者は。

 ならば、やるべきことは……、

 

『ギィィィイイイ!!』

「させるかァああああッ!!」

 

 残る右足に全圧力をかけた。全身全霊を躊躇(ちゅうちょ)なく込める。

 残る左手でヒスイを掴み、手元に引き寄せる。俺と彼女の位置が交換された。

 

「ガ、ふっ……!?」

 

 ドッッ!! という鋭い衝撃と、腹部に感じる決定的な鈍痛。

 足が宙に浮いている。

 目の前にシュヴァリエがいた。1本だけとなった奴の腕の先、そこには黒剣が握られている。さらにその先は俺の体のせいで見ることができなかった。

 敵の黒剣が俺の腹を貫通しているからだ。

 肺の空気がすべて吐き出され、同時に血しぶきのようなポリゴンデータが大量に散らばった。その音すら、鼓膜は拾えなかった。

 システムが被弾を確認。バーの最端がゆっくりと移動を開始した。

 レッドアウトする視界がさらにぼやける。

 そうでなくとも死にかけていた俺は、とうとう決定打を受けた。

 脳内に整理されていた記憶が拡散する。情報は制御を外れ、無尽蔵に発散した。すると視野が電子化され信号に占領され、走馬灯が駆け巡った。

 人は死ぬ間際に記憶が鮮明になるという。しかし意外なことに、俺は現実世界の幻を視た。休日、家族と昼食を過ごす、まったく変鉄もない日常風景が網膜に映し出されていた。

 だが。

 俺はそれを気合いで打ち消した。

 声にならない声が充満し、魅惑と希望に満ちた映像は霧散する。すべてが一瞬の出来事だった。

 幻想の先にはシュヴァリエがいた。

 そして俺は知っていた。ソードアート界での高レベルプレイヤーは、その膨大なHPから攻撃を受けても『完全に死にきる』には少し時間がかかることを。

 死が確定したプレイヤーにまだ攻撃判定権が与えられているのかを試したことはない。トライ&エラーが通用しないこの世界では当然だ。だが俺は、絶対にこのモンスターを殺さなければならない。

 俺の死を、無駄にさせないために。

 

「あ……ぁ、あァあああアアアああああああああああッ!!!!」

 

 獣のように吠えた。

 身をよじり、真上から回転して降ってくる片手剣をガシッ、と逆手で掴んだ。

 最後の力を振り絞り、まっすぐ振り抜かれた片手剣はシュヴァリエの首にほぼ垂直にズブリ、と突き刺さった。

 生々しい手応えと、グロテスクなサウンドエフェクト。

 体が割れていく。俺だけでなく、俺達を散々苦しめてきたこのフィールドボスの体もだ。

 やっと、倒すことができた。

 ヒスイが、キリトが、アリーシャが、ジェミルが、それぞれ何かを叫んでいる。

 よく聞き取れない。もっと大きな声で発してくれないと。

 勝利への祝福の言葉だろうか。苦しい戦いであったことへの愚痴だろうか。戦力差を覆した自慢だろうか。それとも……ここで冒険を終える、俺への罵倒だろうか。

 

「(最後のは……ちょっとイヤだな……)」

 

 そこまで考えたところで、俺の意識は誘われるように暗い闇に沈んでいくのだった。

 

 

 

 



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第68話 あるべき姿

 音がする。さんざん聞いてきた騒音だ。

 耳をつんざくような刺激を与えるこの音は、毎朝欠かさず聞いているが未だに慣れない。

 発明した人物も大したものだ。よくもまあ、これほど苛々させる甲高い音を考え付くものだと感心する。

 

「(あ~マジでうるせぇ……)」

 

 ようやく重たい手を布団から出す。音源をガチャリ、と叩くと音も止まった。目はつぶっていたが、俺の腕はどうやら元凶の位置を寸分たがわず把握していたようだ。

 俺を心地よい闇の中から引きずり出した目覚まし時計を、恨めしくもありがたくも思いながら、同時にそれで学校のホームルームにぎりぎり間に合う時間帯であることを確認する。

 

「(朝ってたるいよなぁ……)」

 

 先天的な早朝アレルギーである。

 ウソである。

 しかし、せっかく起床してじっとしているのもアレなので、魅惑のぬくもりを後に俺は布団から完全に脱出した。

 それから教科書や文房具並に携帯ゲーム機や漫画、ゲーム攻略用雑誌が詰まった通学用の鞄を肩に掛け、その上に学生服を無造作に乗せると、纏めて持ち上げながら階段を下りる。手すりもない勾配が急な階段だったが、もう引っ越してきてから半年以上はたつ。さすがに慣れるというものだ。

 そんなこんなで1階リビングに到着。待っていたのは両親という名の敵対者共で、俺の起床に気づいても何ら反応を起こさず、さらに姉ちゃんは大学生になってから朝が遅くなったのか、まだ起きていないようだった。

 このまま無言の数分を経て、俺は着替えなどの準備が整い次第とっとと消え去るつもりだったが、この日は珍しく声をかけられた。

 

「お前、学校行ってんのか? ……さぼってんじゃねぇぞ」

「行ってるっつーの、クソが……」

 

 オヤジはぎろりと俺を睨むが、息をするようにスルーした。この程度なら日常茶飯事だし、そもそも先に喧嘩を売ってきたのはこのお方であるからだ。

 いちいち気に障るようなことしか言えず、姉ちゃんと俺との態度の差をはっきりとさせながら俺に当たってくるこいつは、ほとんど稼ぎもしないのにやたら態度がでかい。親だからというのもあるだろうが、それよりも正直な理由は、完全に俺のことを見下しているからだろう。

 だからこいつらは俺のことを「お前」と呼ぶ。他人であるかのように。家族と認めないように。頑なに名付けた名を呼ぼうとしない。

 よって、俺は人に向けて絶対に「お前」と呼ばない。

 俺はそう呼ばれることも、そう呼ぶことも、そして何より親と同じであることが大嫌いだ。今でこそ辛抱できるようになったが、周りからそう呼ばれるだけで昔はむかっ腹がたった。

 最も身近に寄生するこいつらともかれこれ17年。正直金も、自炊をする能力も、コミュニケーション能力も、自立性も持ち合わせていない俺が、育ての親につべこべ言える立場ではないのだろう。イヤなら1人で生きろという話だ。

 しかし現状それは現実的ではなく、ひたすらに耐え凌ぎながら生き続けて来た。耐え忍ぶ人生だ。おかげで最近は学校も生活そのものも無味無臭過ぎて、毎日を消化しているだけになっている。

 

「(どっかでくたばんねぇかなこいつ……)」

 

 保険ぐらい入っているだろう。そんな大胆な発想を頭に浮かべながら学生服に着替え終わると、俺は冷たい麦茶だけを飲んで歯を磨いた。

 当然のように朝飯など用意されていないので、この後はチャリに乗って片道15分程度の学校にたらたらと足を動かすだけだ。

 

「(ま、行ってる言うても勉強はしてねェけどな……ケケケ!)」

 

 そういう意味では学校に行ってないのとまったく同じ状況だった。がしかし、それでも反抗期真っ盛りな俺は、親の金がドブに捨てられているこの状態を何とも思っていなかった。

 そうこうしている内に、今すぐ災害で跡形もなく消滅しても何の感慨も湧かないだろう母校に到着。チャリ置き場に愛車を停めると、11月の冷える風を防ごうとポケットに手を突っ込んで教室を目指した。

 途中何人か知り合いと軽く挨拶しながら、校舎への下品な落書きとその払拭を繰り返すいたちごっこの果てを眺めつつ、特になにも起こらずに教室に着いた。

 そして我がクラスにはたった1人だけ先客がいた。

 

「おおっ!? よう、なんか今日早くね? ……オレ? オレぁあれだよ、ベンキョーだよベンキョー!」

 

 寂しかったのか、俺が入室するなりテンションが高い。

 この教室に制服をだらしなく着こなした男、つまりクラスメイトの『下平』と俺しかいない時点で、投げかけた言葉の対象者は確定しているわけだが、無慈悲な俺はまともに取り合うことすらなかった。

 それにしても、俺も耳はピアスで穴だらけだが、いつ見ても下平はパッと見ですでにヤンキーな男だ。こいつに至ってはくちびるにも穴が開いているし、右半身は元カノのイニシャル付きで入れ墨まみれなのだから。

 しかもあろうことか『ベンキョー』ときた。よもやここのバカ共が勉強などするはずないのに、随分とわかりやすいホラを吹いたものだ。

 

「知ってんだろ? 俺は(あそこ)にいるのがイヤなんだよ。あと勉強がウソなのはわかってんぞバーカ」

「ブハハハッ、そういやそうだったな! おめぇんとこの親キッツいからなぁ。あとオレはベンキョーしてんだよ! ほらコレ、月刊誌でオンナもんの下着の種類!! ブハッハハハハハハハハ!」

 

 素晴らしい、チンパンジーの方が笑いの沸点は高いだろう。

 大して面白くもない冗談は当然シカト。スマートフォンを開いてブックマーク登録しておいた情報サイトを開くと、いつものようにスクロールしては大して面白くもある記事を読んでニヤニヤした。

 しかしネットにいる連中はなぜこうも人を笑わせるのが巧いのだろうか。この才能をもっと違うところで活かせないのかと思ってしまう。

 

「え、ナニナニこんな朝早くからザキとヒラ? めっずらしぃ組み合わせじゃん、ホモかよ。どしたのぉ?」

 

 本日教室への3番乗りは教室の中ではレアの部類に入る女だった。

 加えて彼女も『朝早く』の意味を辞書で調べ直す必要がありそうである。

 染めていないのに地毛からわずかに茶色い髪の毛と、背は小さいが胸はデカいポニーテールな人気者だ。

 名は確か清元陽菜(きよもとはるな)だったか。お世辞にも仲がいいとまでは言えないが、下の名前まで答えられる数少ない人物でもある。というのも、たまたまこいつが俺によく絡んでくるからだ。現に彼女以外の女はフルネームで言えないし、実際のところ11月に入っているのに俺はクラスの人間全員の名前を覚えていない。趣味が合わなきゃ興味もない。

 フルネームで覚えているということは、例外的な存在とすら言えるだろう。もっとも、だからといって割とガチでこの女とは何もないのだが。

 それにしてもザキ(・・)か。よく使われる俺のあだ名だというのに、懐かしい響きすら感じるのはなぜだろうか。

 

「いや、ちゃうやろ。めずらしいってかさァ、うちのクラスの奴らが来んのおそ過ぎんだよ……。マジでもう教師くるぜ? 一応ホモじゃない」

 

 ――否定の順序逆じゃね。

 しかし下平の返しには俺も全面的に心の中で同意しておく。

 確か、だ。

 確か俺はホームルームに間に合うぎりぎりの時間に家を出たはずなのだが、なぜこうもクラスに生徒がいないのか。それは(ひとえ)にここがクズ校だからに他ならないのだが、それにしてもこのクラスは生徒が時間通りに来なさ過ぎる。

 その後、1限目の始業時間と共に何とか半分ぐらいのおバカが登校してきたが、それでも集まったのは半分だ。本格的に登校が始まるのは2限辺りだろうか。

 

「(カスいなここ。……もう帰ろっかなぁ)」

 

 親にけしかけられて登校したものの、前述の通り俺とて勉学に(はげ)んでいるわけではない。

 とうとう授業を投げて昔話をしだした教師の子守歌を聞いているわけでもないし、ゲームやっているだけだし、充電が切れたら本を読んでいるだけだし、真面目に何かやろうものならガラワル連中に目を付けられるだけだし、何もやる気起きないし、充電器が挿せる部屋に移動したいし、と言うか俺最近まともに寝てないし、完徹でもしたのかゲーマー仲間も今日はサボっているし、天気もいいし、もうどうでもいいし。

 

「(ん……んぁ……)」

 

 そしていつの間にか寝ていたらしく、目覚めた時にはもう昼休みに入っていた。

 

「……え? ……げっ、もう昼!?」

「ハハッ、レン(・・)は寝すぎだろボケ。つか数学のあのハゲも、さすがにオメェのいびきに笑っとったわ」

 

 今の呼び方、またしても違和感だ。下平は金髪で口ピアスのヤンキーだが、比較的仲は良かったので彼からはずっとこの呼び方だというのに。

 なんにせよ、奴は余計なことを言い続けて周りから爆笑を誘っている。俺はまたも無視しようとしたが、腹が立ったのでとりあえず音量だけデカめに言い返しておいた。

 まあ、睡魔に隙を突かれたせいでゲームもできずマンガも読めなかったが、グチグチ言っても仕方がない。と言うわけで、購買でパンの1つでも買おうかと重い腰を上げると、馬鹿笑いを背に受けながら教室を出る。

 と、そこには今朝話しかけてきた茶髪ポニーの清元が待ち伏せで廊下に立っていた。ついでに俺の隣をトコトコ歩きながら「朝早かったのはまた家族的な?」とか「今日のパンは何買うのぉ?」などと聞いてくる。嗚呼、いとうっとうしきかな。

 

「1人にしてくんね~。部活入ってんだろ、こんなとこいねぇで早よ水泳部行けよ、ジャマだなぁ……」

「うぅわひっど。乙女を言暴(ことぼー)とかマジ有り得なぃんですけどぉ。ってか部活は放課後からだよん。それにさぁ11月に入ってもう7日じゃん? 最近オニ寒くってさ~温室じゃないとムリムリ」

「…………」

 

 ――俺のハナシ聞く気ねぇなこいつ。

 この女は本校に2割も存在するのか疑わしい『部活所属生徒』とやらにカテゴライズされている。

 しかし、ここの学校に入学した時点で勉強面にて出世することを考えるより、スポーツに力を入れていた方が万倍マシだと考えるこいつに反論する(すべ)はない。

 それが険しい道だとしても、きっと他校の生徒と頭脳勝負をするよりはずっと分の良い戦いになるだろう。なので速やかに部活に励んでほしいのだが。

 ちなみに、微妙に髪が茶色いのはプールの水に長く浸かりすぎたからだとか何とか。

 

「(あれ、色の変化って水は関係ないんだっけ。まぁいいや……)……てかさ、清元といると何か目線がイテェつーか、いごこち悪いつーか」

「キヨモトは半世紀遅れだって! ハルで行こーよソコわ!」

「……ザンシンな文句だな。じゃあハルたん」

「それはウザすぎ。……だいたい目線がどうとか、またいつものネタミでしょう? 男のネタミとか世界でベスト3に入るダサさ」

「どっちかっつうとワーストじゃね」

「ま、ヘリクツはいいから座ろう速く! 今日はザキと食べたい気分なの!」

「…………」

 

 この女、こういうことをストレートに言えるから凄いと思う。しかもこの女には彼氏サマがいるのではなかっただろうか。

 いいのだろうか。こうやって疑わしいことをして、それでどこかの誰かがよからぬ疑いを持って、そいつが彼氏に報告して、最終的に俺が怒られるとかそういうメンドクサい展開はないだろうか。それともこうした後ろ向きな考え方こそ、まさにその手(・・・)の経験がない証なのか。

 

「何してんのさ、早く買ってきたら?」

 

 彼女は俺の葛藤(かっとう)と悩みなど知るはずもなく、ちょいちょいと手を振って催促した。

 しかしよく考えればという前置き以前に、よく考えなくてもこの状況はおかしい。

 俺を含め、この学校の者はサル並の頭脳しか持ち合わせておらず、悪ノリや暴走だって何度も繰り返す。教師の言うことなど聞くわけもない。さらに「いつ何時(なんどき)もうちの高校は体育大会だぜ!」みたいな反社会的自由人か、協調性のない廃人みたいな男しかいないのだ。

 もちろん男だけではない。

 女だけが品が良く、素直で大人しい大和撫子的なアレなはずがなく、そのほとんどが禁止されているのにも関わらず髪は染める、アクセサリは付ける、スカートは短い、大量の化粧品を持ち込むし使いまくるしで学校側も手に負えないのが現状だ。

 男に媚びを売ることが1つの生き甲斐となっているナルシスト女が跋扈(ばっこ)するここでは、例外的にほとんど自分を飾らないこの清元……もといハルは、顔がいい、スタイルがいい、なんて脇に置いてもとりあえず非常にモテる。意外なほどの身持ちの堅さも有名だが、それ以上に彼女の『告白されました武勇伝』はよく耳にする。まずもって俺がこいつとの会話時間を延ばすことは、今後の学校生活でプラスにはたらくことはないだろう。

 だというのに。例外に当てはまるこの女は、俺がパンを買い終わってここに戻ってくるのを待っていた。親に付きまとう小動物のようだ。

 同時にまだ俺と話す気満々のようでもある。

 

「ナ~ニ考えてんのか知らないけど、たぶんザキは自意識カジョーだよ。……あたしカレとは別れたけど、だからってザキを狙ってるってことにはならないっしょ? だぁれも気にしてないっちゅーに」

「(読心術者かこいつは。ってか別れてたんだ……)……いや俺が気にすんだって。マジでカンベンしてくれ。なにもねぇのが1番なんだよ」

 

 癖でこめかみを抑えつつ、「こいつの一人称こんなんだっけ」などとどうでもいいこと考えながら俺はそう受け流す。

 少なくとも女と2人きりで話すこと自体苦手な俺は、何が何でも早くこの時間を終わらせなければならないのだ。

 よって俺はせっせと足を動かして場所を移動した。ただしハルを後ろに従えて。

 

「(……って、これじゃ意味ねーじゃんッ!)」

 

 新作ゲームを買った時などの気分的な興奮状態ならいざ知らず、普段の俺は女に怒鳴れるような攻撃的な人間ではないので、心の中だけで叫んでおく。

 そして彼女は知ってか知らずかわざとやっているのか、とにかく俺が適当な空き教室を見繕ってもその場に留まり、自分の弁当を取り出していた。中身はサンドイッチだろうか。いかにもお手製な可愛らしくも美味しそうなものだったが問題はそこではない。

 

「あのさ、お昼をご一緒ってあれジョークじゃなくて……?」

「そだよぉ? たまにはEじゃん!」

 

 若干以上に顔をひきつらせながら試しに再確認してみたが、「えーびーしーでぃーいーじゃん!」などという上機嫌な謎の呪文と満面の笑みによってものの見事に撃退された。

 なんとまあ、エアブレイクスキルの高いこと。

 ――スキルってなんだよ俺。

 それにしてもこれは暗示だろうか。力ずくでもいいから羽交い締めにして、どこかへ放り投げておくべきか。

 もっとも、それすらも一部の過激なファンから恨まれ存在ごと消されかねない。なかにはストーカーじみた陰湿な行為に走る輩も存在するが、なんと彼らは自分らの行いに宿る正当性を信じてやまないのだ。この女に手を出したが最後、圧倒的な戦力差によって俺は社会的にもみ消されるだろう。

 

「(スマホのぞく日課が……)……わあったよ好きにしろ。んでも、なんか話すことあんの?」

「んぐ……んぐ……ん~無いわね。ザキが何か面白い話してよ」

 

 「何かを話せ」と言われ、話している内に会話が弾む現象は多々あるが、「面白い話をしてくれ」は相当にハードルの高い要求である。どう考えても俺には役不足だ。

 さて、役不足の使い方はこれであっていただろうか。

 

「つーかさ……パンの破片がボロボロこぼれてんだけど。ハルも女子ならもちっとキレイに食えよ」

「うーわぁ女子みたいなこと言うよね、あんた。そんなキャラだっけ」

「おいおい……」

「ん~でもいいんじゃない? みんなこんなモンよ。……あ! でもそー言えばザキだってそうじサボったりしてるじゃん!」

 

 もぐもぐしながら喋っているせいか今この瞬間も口の端から破片が飛んでいる。最近判明したのだが、こいつは基本的に人の話を聞かないようだ。ついでに頬をリスのように膨らませる彼女を観察するに、どうもデフォルトでお行儀もよろしくないようである。残念ながらこの食べ方が俺は嫌いだ。

 だがなぜだろう。俺の話が女に無視される経験が懐かしく感じるのは。

 

「片付けたそばから散らかす奴がいる動物園だからな」

「うわ、サルは言いすぎでしょ。あとでヒラにちくっとこ」

「……別に下平とは言ってねーしサルとも言ってねーぞ」

「テヘペロの助。てかゴミボックス遠いんだけど」

 

 5秒単位で話題が変わる波に乗るのはトップサーファーにも酷だろう。ましてやパンピーの俺が学校指定のスリッパで乗れるはずがない。

 今さら軌道修正するのも面倒なので放っておくが、意志疎通が図れていないやりとりは精神的にげんなりくる。そもそも、これは食事中のトークネタではない。

 それにしても、何だかんだと文句を言いつつも飯を食べている間は会話が途切れないものだ。女と2人。終いには授業時間に割り込んでまでケラケラと笑い合っていたわけだからすごい成果である。

 ――ん……? 昼に女と……2人きりで食事。不思議な既視感だが、はて……。

 

「あ~笑った笑った、ザキがこんなしゃべれる人だとは思わなかったなぁ。マニアも度が過ぎるとオモろいね。なんだか久しぶりに昼が楽しかったし」

「ん、ああ……そうだな」

 

 面と向かってそう言われると少し恥ずかしいものがある。午後一の始業時間をすっかり失念するほど、彼女が美人でモテるからどうとか野暮ったいことすら頭に浮かんでこなかった。

 しかし、続く彼女の言葉のトーンはどこか低かった。

 

「ねぇザキ……って名前さ、なんか読み辛いし長ったらしいから(レン)って呼んでいい? や、イヤならいいけど……」

 

 言っていて気づかないなら、あえて聞こう。

 

「字数一緒じゃね?」

「いいんだね!? いいんだ! レンっていうのはヒラしか呼んでなかったからおソロはハズかったんよ!」

「答えてないし。……ってか、あはは、なんでそんなウレしそうなの」

「そりゃあ、ほら……」

「…………」

 

 なんだろうか、この空気は。

 ふとしたきっけで瓦解するものなのかもしれない。少なくとも、俺は彼女の言葉の重さを感じると、なぜかもう先ほどまでの楽しい会話には戻れない気がした。

 誰かと連んで俺のこと監視しているのだろうか。ドッキリなどだったら、ピュアハートな俺はかなりショックだ……。

 

「れ、レンってさ……あたしに対してなんか態度変えないよね。等身大っていうか。……まあ、男子はケッコーあたしに対して優男になるんだけどねぇ」

「それそっちが言う? ハルがモテるのってさ、その……なんつーか、平等なのがウケてるからじゃね。野郎はもうこびられんのもいい加減イヤになってんのかもな。同性からアレコレ言われんじゃないの?」

「むっふー、わかってんじゃん。け、けどなんテレるね。やだなぁもうレンに言われると何か……えぇっと、うれしいな。何でだろ……?」

 

 ――なな、何じゃそりゃ……。

 どこかいきなり雰囲気が変わってないだろうか。普段から勝ち気な彼女がしおらしいことを発言するなど滅多に見られることではない。

 と言うより、目の前の女は照れるとこんなにも可愛かったのか。

 

「(やっべぇ、目が合わせらんねぇ……)」

 

 授業行く、と言って逃げ出そうか。

 いやそんなこと言える空気では……、

 

「(や、これはない。ないって、マジ何か言わねぇと……)」

 

 否定する心とは裏腹に、早まる動悸(どうき)は一向に収まらなかった。

 しかもいつまで立ってもお互いに無言のまましばらく見つめ合っていると、俺の心臓は普段の何倍もの速度で鼓動を繰り返していることに気づく。

 

「あ、あぁアハハ、いやだなぁもう。今日は11月なのに暑いねぇ……い、居残りザンショかな~」

「そ、そそうだな……な、なんつーかノドかわいたなぁ。そうだっ、何かジュース買って来ようか? バイト代入ったんだ、おごるぜ」

「にへへ、バイト禁止なのに。チクったろ〜」

「みんなやってんじゃん。見逃せよ」

 

 ケツがそわそわする。なぜかは知らないが、これ以上留まっていると非常にマズい気がした。具体的に何がマズいのかと聞かれると中々答えにくいだが、そういった説明できないアレが後戻りできない感じでヤバいことだけはおぼろげにわかる。

 しかも様子がおかしいのは俺だけではなく、ハルにも言えることだった。忙しなく目線をきょろきょろさせながら頬を僅かに染める彼女は、よりにもよって滅茶苦茶可愛いかった。

 

「(やっべぇ、何考えてんだ俺。こんなことしてたらあいつに悪いだろうが……あいつに……あん?)」

 

 そこではたと気づく。なぜか、自分を取り巻くこの空間がひどく不自然で、歪な違和感を植え付けた別の何かに思えてしまったのだ。

 はっきりしないが何か違う。

 

「(なんだ……『あいつ』って誰だ……?)」

 

 見慣れるほどに、呼び慣れるほどに、感じ慣れるほどに近い存在だった気がする。

 そいつは手を伸ばせばすぐ届く位置にいて、いつも俺と話す時は笑っていて、互いに偽らないところで共感して、気まずいぐらいに愛しくて。

 

「(あ……れ、なんだこの既視感……?)」

 

 こいつはおかしい。似たような経験をするシチュエーションが多少なりとも俺の人生にあったのなら別におかしくはない。だがソロかせいぜい3、4人の男だけでの食事しかしてこなかった俺がこんな場面で既視感など……。

 ――ん、『ソロ』?

 それに先ほどから頭が割れんばかりに痛い。まさかパンに毒や麻痺毒を盛られたなんてことはないはずだし、人通りの少ないここに呼び寄せてそのままMPKをされるなんてことは……いや、俺はさっきから何を言っている。なんだろう、この頭に靄がかかったような、デジャヴュなんて曖昧なものではない。もっと身近で、もっと当たり前で。生活と『俺』を司る一部であるはずの、根本からのパーツを俺は忘れている。

 言い換えるならこれは思い出。

 記憶から形成された可能性の思い出だ。

 

「……ッ……!?」

 

 そこまで考えた瞬間、ハンマーで後頭部を殴られたような感覚に襲われた。

 さらに痛みは断続的に続き、激痛がとうとう痛覚まで麻痺させると、俺は立つこともできなくなってその場にうずくまってしまった。

 同時に世界も暗転する。

 ハルが俺のそばに駆け寄って必死に何を叫んでいるが……いや、もう誰の声なのかもわからない。声の端々はぶつ切りになっていて上手く聞き取れない。この聞き取れない声にすら既視感を感じる。

 それどころか俺は自我を認識する意識すら遠くなっていき、遂には視界の消滅と共にどこか遠くへ飛ばされた。

 ここは真っ暗な記憶の中。

 

「(そ……うだ。……俺はここにいない。これはただの思い出……)」

 

 死と隣り合わせのふざけた空間に迷い込まなかった世界。

 つまり今の日本で当然の権利としてその平和を謳歌するはずだった、1つの人生を『奪われなかった』空間。

 2022年、11月6日の午後1時。俺が自室でダイブへの始動キーを発言しなかった世界。

 その1日後、11月7日の午後1時。住む世界を変えなかった場合の希望に満ちたパラレルワールドなのだ。

 

「(そ、うか。やっぱり……)」

 

 すべてを思い出した。

 この世界に来て、絶望と共に周りを切り捨てて、なにがなんでも生き延びようとした2ヶ月。だが、友を捨ててただ生存することだけが人としての根元(こんげん)ではないと知らされた新年。黒い髪の少女と出会って他の多くのプレイヤーと助け合いながら支え合った日々。

 それこそ、剣と戦闘の世界でしのぎを削った『こちら』では決して味わうことのできない刺激的で幻想的な日々をだ。

 それをすべて思い出した。もちろん、俺が『死んだ』ことも。

 

「(ああ……やっぱ俺……)」

 

 死んだのだ。俺は間違いなく地下ダンジョンの徘徊型フィールドボス、《オブスクリタース・ザ・シュヴァリエロード》によって殺された。痛み分けに近い形で、壮絶な最期を遂げた。

 ならばここは死後の世界だろうか。

 暗くて何も見えない。暗くて何も聞こえない。暗くて何も味わえない。暗くて生の臭いがしない。暗くて何も感じられない。この闇が広がるだけの空間が死者の末路なのだろうか。今までに死んだプレイヤーもここに来ているのだろうか。だとしたら、もう1度彼らと会って話すことはできないだろうか。

 もう1度……もう1度だけ。

 

「(でもそれは……ムリなんだろうな……)」

 

 俺は死の代償としてナーヴギアによって脳を焼かれたのだ。そうなってからも生きられるのなら、《浮遊城(アインクラッド)》にいる全プレイヤーはとうの昔に解放されている。

 そうでないから、死んでしまうから、俺達はこうして雄大な檻の中に閉じ込められていたのだ。

 でも、できることなら死にたくない。まだやり足りないことは沢山あったし、俺が知らないだけで、そんなことはこの広すぎる世界に溢れかえっていたはずだ。

 キリトともっと競い合いたい。クライン達ともっと騒いでいたい。アルゴやエギルともっと商談をしたい。ルガやジェミルだって置いてきてしまった。アリーシャへの恩返しも約束を果たすこともできていない。

 そして、ロムライルへの罪滅ぼしも。

 まだだ。何一つ成していない。あの世界をもっと堪能したい。

 ……そして、ヒスイに会いたい。彼女に触れたい。話したい。守りたい。

 俺にはやれることが、やらなくてはならないことがある。

 

「そうだ、死んでる場合じゃない! いやだ……こんなところで死んでたまるか! ……俺は死にたくないッ!!」

 

 もがく手は何も(すく)えず、声は暗闇に吸い込まれる。

 固くつぶっていた双眸を開きながら俺は天に叫んだ。だがそこにあったのは、なけなしの救いでも小さな慈悲でもなかった。

 はっきりとした赤い文字列。『You are died』と、そこにはあった。

 暗い、暗い、世界の中。俺はただひたすらに涙をこぼした。悲しすぎて、惨めすぎて、絶望の縁に立っていて、泣くのを止めようとも思えなかった。

 さようなら、と。せめてみんなにそう言いたかった。俺は別れの言葉すら伝えていない……、

 

「(あ、れ……?)」

 

 しかし、俺は奇妙な光の糸を見た。

 その糸はやがて簡素な英文を希薄させ、重なることで筋となった。

 筋は拡散することで光球に変わる。

 次の瞬間、その光源から音が聞こえた。音……というよりは、声。

 名前を呼ぶ声。

 聞き取り辛い。なんと言っているのか聞こえない。

 いや、ようやく聞こえ始めてきた。声はだんだんと大きくなる。

 『ジェイド』……だろうか。

 

「そうだ……」

 

 大瀬崎 煉(おおせざき れん)などという名前は、もう使われていない。俺はジェイドだ。

 《ソードアート・オンライン》の第1層から、解放の日に向けて歩む《攻略組》。

 

「俺は……ッ!!」

 

 音源に精一杯手を伸ばす。

 光が、視界一杯に広がった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 切れ切れの意識の中、俺を呼ぶ声がした。

 何度も何度も名を叫ぶ誰かの声がして、俺は少しずつ五感を回復する。

 徐々に声も明確になってきた。聞こえる名前は本来のもの、つまり『大瀬崎 煉』ではない。この世界でのみ通用する名前だ。と同時に、俺は自分のいる現状を少しずつ把握していった。俺は冷たい床に座っている。幅4メートル半ほどの狭い通路の壁に背をもたれて。

 次に何人かの顔が見えてきた。ヤンキー野郎の下平や茶髪ポニーなハルではない。そもそもここは学校でも、現実世界ですらもない。目の前の連中のそれはもっと馴染みの深いものだった。

 

「ヒスイ……みんな……?」

 

 ようやく声が出せた。蝋燭(ろうそく)の火を連想させる弱々しい音量ではあったが。

 

「よかった……ヒック……よかっだぁジェイドぉ……」

 

 眼球を真っ赤に染めたヒスイが、女性にあるまじき声を出しながら抱きついてきた。

 首に彼女の腕が絡む。抵抗する元気はなかった。体中の隅々までエナジードレインでもくらったように力が入らない。それに、押し付けられることで密着したヒスイの体を嫌でも意識しながら、俺はまた別のことを考えていた。

 当然、俺はなぜここにいられているのかという率直な疑問についてだ。

 

「ジェイド、キリトくんがね……クリスマスイベントの……アイテムで……」

「そっか、キリトが俺を……」

 

 ジェミルの説明で合点がいった。

 キリトがクリスマスの0時に発生したイベントボス《ジ・アポステーター・ニコラス》を討伐した際のLAボーナス、《還魂の聖晶石》。この宝石を死にゆくはずだったプレイヤー、つまり俺に使用してくれたのだ。

 記憶が正しければ、あのアイテムには『死後10秒以内に使用しなければ効果を発揮しない』と記述されていた。つまり夢の中で長い時を経験した俺だったが、現実世界では10秒にも満たない時間しかたっていなかったというわけだ。道理で何度も記憶が途切れたわけである。

 ついでに気づいたが、よく見るとヒスイだけでなくジェミルとアリーシャもはらはらと涙を流していた。俺のことを想って泣いてくれているのだろうか。だとしたら場違いだと認識しつつも、嬉しさが込み上がってくる。

 と同時に、不動の安心感がどっと降りかかった。痺れる手足にすら安堵(あんど)し、試しに左手を見てみた。握ったり、広げたりもしてみる。嬉しすぎて歯がガチガチと噛み合わない。

 

「生き……てんだよな俺。みんなもよかった……死ななくて、ホントによかった。……キリト。あんたは命の恩人だ。何て礼を言ったらいいか……」

「バカ野郎……そんなことはいいって。……それより、ここから一旦出よう。まだ危険地帯だ。500秒たってキバオウとアリーシャのディレクトは治ったみたいだけど、他は全員まだだからな。ジェイドに至っては右手と左足が無いし」

「は……ハハ、確かに。ヒスイもちょっと離れてくれ。その……胸が当たって……」

「ッ……!!」

 

 シュバ! と効果音が聞こえてきそうなほどの速度でヒスイが身を離すと、その真っ赤な顔が目の前に現れた。

 ――照れてる。メチャクチャ照れてる。

 

「も、もう! グス……心配したんだから! ヘンなこと言ってからかわないでよ!」

「いや、これじゃ結晶も取り出せなかったし……ってか……やっぱ可愛い、な……」

 

 ふと気の緩みに油断して、つい口からポロっと本音が零れてしまった。

 ヒスイは一瞬キョトン、としてから一気に沸騰。目や頬どころか耳や首まで真っ赤に染めて慌て出した。

 

「な、ちょっへんなこと……言わないでって、その……か、帰る! 先に帰るから! ジェイドなんて知らない! あたし、もう……て、転移! 転移はじまりの街!」

 

 ぷっくりとほっぺを膨らませたままヒスイは逃走を開始。結晶の光が彼女を包み込むと、ものの1、2秒で見えなくなってしまった。クリスタル無効エリアは解除されているらしいが、彼女にしては珍しい現実逃避である。きっと向こう側でもあたふたとしていることだろう。

 俺はというと、あまりにも死を間近に経験してしまったからか、自分の発言に恥ずかしくなりつつも、いつものように取り乱しはしなかった。

 あのまま言いたいことも言えずに消えていたかと思うと、その恐怖の方が羞恥心に(まさ)ったからだ。例え話しを持ち出すと一種の酔っぱらいのような状態だろうか。俺は未成年だが酔いの快楽は知っている。

 もっとも、後になってそのクサいセリフを思いだして自分で悶絶する日も近いだろう。

 

「わ、ワイらも戻っとるで。あんさんらのジョークに付き合える気分でもないしな。……おいお前ら、もっかい結晶用意しいや」

「はい、キバオウさん……」

 

 キバオウはそう言ってクリスタルを取り出すと、部下にも転移の準備をさせた。

 俺は今1度、軍の内情について頭を巡らせる。

 死者を3人も出してしまった《軍》としてはハッピーエンド、とまではいかない。しかもキバオウについては責任者。言葉通り責任の是非は彼に問われる。どんな言い分が残されているかは定かでないが、考える時間は必要だ。

 順次男達が転移のエフェクトに囲まれる。次はキリトも脱出して、アリーシャは「アタシだってまだチャンスはあるもん!」などというよくわからない捨て台詞を置いて転移していった。その場にはとうとう2人だけがとり残されることになる。

 

「ジェイドぉ、本当に無事でよかったよ。ボク、ロムに続いてジェイドまで失うところだった。そうなったらもう……それこそ引きこもりになってたかなぁ……」

「へっ、ジェミルが来てくんなきゃマジで助からんかったさ。俺達と……あとルガが集まりゃなんてことはねぇ。残りの層、俺らで解放してこうぜ?」

「……そ、それは……」

 

 座ったままの俺に対し、ジェミルは口ごもった。即答できない俺の質問に些細な躊躇(ためら)いを表明したのだ。

 

「ボクにはもう、攻略はできないと思う。ルガには言ったけどぉ……ボクはロムを無くしてから今日になるまで、1回もフィールドに出てないんだぁ。攻略組もやめる気だったしぃ……」

「なあ、ジェミル。ショックがデカいのはわかるけどさ、ルガからはこうも聞いたぜ。『レジクレが再稼働すれば、攻略も視野に入る』ってな。……そこはルガと同じ気持ちだったんだろ?」

「……うん」

「おい俺を見ろ……なあ、1つ提案があるんだけど、聞くだけでも聞いてくれねぇか? ……俺の出した答えでもある。この話が終わった時、きっと全員にとっていい未来が待ってる」

「……ジェイドの、答え……?」

 

 俺は2人だけの空間である話し合いをした。とても有意義で、前向きな話し合いを。

 しばらくして話の纏まった俺とジェミルは2人同時に転移して一時的な平穏へと赴いた。

 《はじまりの街》。俺と、そして多くの人にとって地獄の始まりとなった象徴。

 だが数時間振りに見渡す《圏内》は、気持ちの切り替わっている俺とジェミルにとって、ダンジョンに入る前とはまったく違って見えるのだった。

 

 

 

 



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第69話 心機一転

 西暦2024年1月1日、浮遊城第1層(最前線51層)。

 

 地下ダンジョンを脱出し、俺達は今《はじまりの街》にいる。

 数分してから全員の欠損(ディレクト)ステータスが完治すると、俺達8人はまたしても《黒鉄宮》へ戻ってきていた。そして今後についての擬似的な会議を開いているところだった。

 

「なぁおいキバオウ、俺らは確かにこのダンジョンを公開しない約束で、あんたらのしきち内を自由にさせてもらった。……けどこれからどうするよ。仲間3人は《生命の碑》にばっちり載ってるし、死因も出てんだ。これもごまかす気か?」

「……結果的には、そうなるわな……」

「っ、あんたねぇ!」

 

 1歩踏み出しかけたアリーシャを片手で制すると、俺はキバオウの眼球をじっと睨んだまま静かに切り出した。

 

「結果そうなる、ってあいまいだな。具体的には?」

「……あの地下ダンジョンそのものを隠蔽する言うとるんや。死んだ3人については……組織が見逃さへんやろな。ワイは正式に厳格処分されるはずや。……せやけど、よう考えたんや。正直に話せば地下ダンジョンという未開の場所は割れる。したらどうなる?」

「地下ダンジョンを探索しようとするプレイヤーが出るだろうな」

 

 キリトの念押しに、キバオウは首を上下に振って頷いた。

 

「せや、そうなったら余計死ぬ。軍の連中はレベルがバラバラや。層の数字で見分けがつかん以上、中途半端に自信つけた奴が蛮勇こいて死に急ぐ言うんは十分起こり得る。そうなりゃ誰が責任を取る?」

「…………」

「答えられんはずや。誰もとれへんからな。……3人には悪いと思うが、やっぱワイはこの場所を広めとうない。攻略組のあんたらでさえ死にかけたんや。……それにプレイヤーがここを知ることのメリットがあらへん」

 

 キバオウは一旦ここで溜めた。答えを催促するように。

 俺はそれに乗ってやることにした。

 

「だろうな。見たところ次層解放の重大なカギになる、ってわけでもなさそうだし、オオヤケにさらすメリットはほとんどない」

「地下ダンジョンの踏破は根本的な目的……100層攻略と関連性がないからか。確かに軍が1人締めしない以上、ここが今後ずっと明かされないのならそれが1番好ましいことに……」

「お、お前さんらもそう思うやろ。せやから……」

「けどな!」

 

 俺は冷や汗を流すキバオウを視線で射ぬき、黙らせてから続けた。

 

「約束は守れよ。俺達5人が黙ってれば、ここを詮索しようとするヤカラは出ないだろう。けど1度でもあんたら3人……いや、その内1人でも地下ダンジョンに侵入したら、そん時はエンリョしねぇ。さらし上げにして徹底的に叩く」

「わ、わぁっとる。わあっとるわ……残ったワイらは軍の中からダンジョンに気づいた奴がおらんか、それだけを精査する。他言無用や。絶対に約束する」

 

 キバオウが強く言い切ったことでこの話はここまでとなった。あまり楽しい内容でもなかったし、危険な扉が封印されると約束されたのだ。それに越したことはない。

 そしてすでに午後の4時である。序盤は雑魚モンスターしか湧出(POP)しなかったとは言え、やはり慎重に進んでいたからだろう。俺達は相当長い間ダンジョン内にいたことになる。

 しかし解散かと思いきや、黒づくめの剣士が前に出て口をついた。

 

「その前にキバオウ、1つ聞きたいことがある。あんたとは1層の頃からなんだかんだ因縁のある仲だけど、俺への恨みはもう晴れたのか……?」

「…………」

 

 聞かれたキバオウはそれに即答できずにいた。彼も今だからこそ聞けるのだろう。キリト側にもここで質問することにリスクはない。

 キバオウの思惟(しい)も短いものだった。

 

「ワイは……あんさんをまだ許しとらへん。ディアベルはんの無念はまだワイの中で(くすぶ)っとるわ。……せやけどな、ワイも変わってもうた。もうあんさんをビーター呼ばわりできへん。ワイら急進派は最初のクォーター前にテスターを抱え込もうとした。全部ギルド拡大、攻略のためや。……やけど、初心を忘れはっとった。ワイを含み、当時の重鎮共はあの時死んだ20人の《軍》メンバーの事後責任を押し付け合い、そこでたまたまワイが勝って生き延びたにすぎん」

「…………」

「つってもや、ワイはまだ諦めとらへん! なんせウチも、頭数だけなら最大ギルドや。組織のトップは狙っとるで。……そんで、今度こそ正攻法で攻略に参加して見せるわ。首洗って待っとき!」

 

 それだけを言ってキバオウ達は本拠地へ戻っていった。

 これからキバオウはギルドで双璧を成すトッププレイヤーである『シンカー』と何らかの決着をつけにいくだろう。それがどういう結末をもたらすにせよ、ここからはキバオウ自身の歩む道だ。とやかく言うのもほどほどにしなければ。

 

「さてと……キリトはどうする? 正月ぐらいは攻略やめとくか?」

「いや、少し落ち着いたらもう一仕事だな。……おい、レベルホリックは自覚してるよ。そんな目で見るなって……」

「あ、いやそうじゃねぇんだ。さっきの『ビーター』って、アレ思い出してた。……聞いた当時、もっと一般的な俗称になると思ったんだ。そん時ソロだった俺も、いつか周りにバレて後ろ指さされるじゃないかってビクビクしてさ。……でも結局はキリト1人に背負わせちまったから、それが何となく後ろめたくて……」

「なんだそんなことか。自分から引き受けたディアベルとの約束だ。後悔はしてないし、ましてやあの場にいた他のテスターを恨んだり、巻き込もうなんて考えなかったよ」

 

 実はこの世界における『ディアベル』という、今は亡きプレイヤーのネームバリューは驚くほど高く、KoBのヒースクリフやDDAのリンドにも負けずとも劣らない。

 すでに戦法を熟知していたはずのβテスターですら、1ヵ月という期間を長いものに巻かれようとコソコソ逃げ隠れしていた。その中で、彼はアインクラッドで初めて1層のボスに戦いを挑んだ。疑心暗鬼とどうしようもない無力感に(さいな)まれてなお、自ら動こうとしない未熟な高レベルプレイヤーを叱咤激励したのだ。

 彼は1層で死んだ。よって厳密には、彼は2層のアクティベートすら行えていないのかもしれない。

 しかし、2層以降すべての攻略に彼の勇気が後押しされていたことを、この世界の全住民が理解していた。彼が踏み出した大きな1歩なくして、人類が団結することも前進することもなかったことを理解していた。

 だから彼は偉大なのだ。

 生前には細かいイザコザもあったのかもしれないが、少なくともディアベルという勇敢な人間の名は、今でも前線で踏ん張っている多くの攻略組の支えとなっている。

 

「そう言ってくれると救われるよ。一声かけることさえしなかった俺もな……」

「ああ。じゃあ俺はボチボチ前線に上がってるよ。軍のことで何かわかったら連絡し合おう。くれぐれも突っ走るなよ」

「けっ、キリトにだけは言われたくねぇ。んじゃあな!」

 

 キリトが角を曲がったところで俺は振り返った。

 ヒスイ、アリーシャ、ジェミルがそれぞれ俺の方を向く。

 

「ジェミル、さっき話したことルガにも伝えといてくれねぇか? 俺はこれからちょっとヤボ用があってさ」

「うんわかった。ボクもこれから覚悟を決めるよぉ。……例の場所でまた会おうねぇ」

 

 それだけ言い残し彼も歩き出した。カズが正月の日までフィールドをさ迷っているとは考え辛いので、行き先は十中八九《圏内》のどこかにいるだろう。

 残るは女性のお二方だが……、

 

「ヒスイ、アリーシャ。このあとヒマか?」

「え、あたしは別に予定ないけど……」

「アタシも時間はあるわ。モロモロから解放されて、むしろもて余してるぐらいよ」

「そいつはよかった。じゃあ今夜8時半に51層の、えぇと《トロイア》だっけか、主街区の名前。あそこの転移門前に来てくれよ。少し話したいことがあるんだ」

 

 俺はなるべくナチュラルにそう申し出ると、彼女達は不承不承だが承諾してくれた。

 と、これが別れのあいさつになると思いきや、ヒスイとアリーシャが俺から数メートルの距離を空けて何やらひそひそ話を開始した。時折チラチラと視線も浴びて俺としては非常に恥ずかしいのだが、これはいったいなんの羞恥プレイだろうか。

 

「ねぇジェイド……」

「ん……?」

 

 内容までは教えてくれなさそうな雰囲気だったが、ヒスイをその場に置いてアリーシャだけが俺に話しかけてきた。

 

「……何このビミョウな距離」

「そういう順番にしようって話がついたのよ。そ、れ、に!」

 

 両頬をペシッ、と叩かれて俺の顔の向きは強制的にアリーシャの方へ向けられた。

 彼女の口からは「今はアタシだけを見て……」と続けられ、俺をまっすぐ直視する彼女の瞳は若干ばかり潤いを含んでいた。

 想像の斜め上を行く不意打ちに胸がドキついてしまったが、これはどういう状況だろうか。もしかして、死地を共に乗り越えた吊り橋効果で、言いたいことは今のうちに言っておこう作戦だろうか。ヒスイも地下でそんなことを言っていた気がする。

 

「アタシね、あなたと会えて本当によかったと思ってるの」

 

 一泊置いてから手を離すと、彼女は(うつむ)きながら突然そんなことを言った。

 

「脈絡なくてゴメン、月並みだしね。……けどこれは本心よ。……アタシも割と散々な目に遭ってきた口で……まあ、ストレス溜まってたのよ。だから、アタシは意図的に好意を向けた後に、男を裏切るようになったわ。裏切ることで自分の価値を測ったの。アタシが人を騙した結果、あの残忍な仲間達がそのターゲットを『最終的に殺す』とわかっていてね」

「……やめようぜ。それはもう、終わったことだろ? アリーシャはラフコフとは完全に縁を切ったはすだ……」

「ええそう、終ったこと。でも忘れちゃダメだと思うわ。反省もしてる。犯した罪が精算されたかはわからないけど、全員に謝っても来た。そこで問答無用に殺されなかっただけマシだとも感じるわ。……でもアタシはこのまま全てを投げ出したくないのよ。あとはヨロシクって、無責任に残りの人生を歩みたくない」

「…………」

「攻略に戻りたいの。1人じゃ無理って、ジェイド言ったわよね? そしてこうも言ったわ、『アリーシャをここから出してやる』って。でもアタシは攻略を投げ出したくない。どちらも相反した願いよ。……ねぇ、アタシはどうすればいいの?」

「……それは……」

 

 口ごもる俺は眼球だけを動かして、少し離れたところに待機するヒスイの方を見た。

 彼女は何も言ってこない。動こうともしない。いつもは困っているプレイヤーを助けて回っているあのお人好しが、この時だけは俺に助言をくれなかった。

 しかし幸か不幸か、俺は誰の助けも借りずにアリーシャの問いに答えることができそうだった。

 俺がジェミルと2人きりで話していた内容も、部分的には重なっている。むしろ好都合とすら言えた。

 

「アリーシャ、約束は守る。会った日から、悩んだらこうして誰かに打ち明けろと言ってたしな。その相手が俺で嬉しいよ。そこでだ……」

「ん……?」

「ああ……いや、まだやめとこう。とにかく、その気概は受け取った。……けどちょいとだけ俺に時間をくれねぇか? 今夜までには話をつけとくつもりだ。さっきも聞いたけど、アリーシャは夜の8時半に《トロイア》まで来れるんだよな?」

「ええ、時間だけはあまってるから……あ、でもあまった時間でレベリングはするよ? ジェイドが協力してくれるのなら、余計張り切っちゃうんだから!」

 

 アリーシャはあえて明るく振る舞ってくれた。

 その気遣いに感謝しながら俺は続ける。

 

「そうだな、協力なんて喜んでするぜ」

「……ねぇジェイド、2度と死のうとなんでしないでね。それこそ約束破りだし。今度そんなことしたら絶対許さないから!」

「ああ、今朝は悪かった。これからは絶対、俺なりの前向きな生き方をする」

「フフン、よろしい。……じゃあ、アタシも上に行ってるわね。また会いましょ!」

 

 アリーシャは元気よく別れの挨拶をするとクルッ、と振り向いて歩き始めた。

 その後ろ姿をまじまじと見つめる。よく観察するまでもなく、彼女が装備しているのはかなり実用的な防具だ。誘導役なんてものをやっていた頃の露出の多さや無駄な装飾は影も形もない。

 本当に変わった。罪に対する姿勢は本物だ。彼女は自分が死に追いやったプレイヤーを決して忘れないだろう。

 過去に捕らえたラフコフメンバーの多くは、殺しをいかに正当化するか、そういった論点のすげ替えをしようと必死になっていた。「殺して何が悪い」、「プレイヤーに平等に与えられた権利だ」などと、悪びれもなくそう言って罪を認めようとしなかった。

 だが彼女は違う。早い段階で釈放された理由がそれだ。

 

「ジェイドー! 明けましておめでとー! 今年もよろしくー!」

「(ったく、今さらだな……)……おーう! 今年もよろしくなぁ! 《圏内》から離れすぎんなよっ!」

 

 これを境にアリーシャは見えなくなった。

 まったく、攻略組と、それを目指そうとするプレイヤーは正月だというのに働き者なことだ。去年の俺が同じ状態だったことから棚に上げている感は拭えないが。

 

「さて、あとはヒスイだけだな。アリーシャと別々に話す意味あったのか?」

「ニブちんのジェイドにはなかったかもね~?」

 

 目を細めてからかうように、そして心底楽しそうにヒスイが近づいてきた。

 本音を言い合うため、それぞれが聞かないようにしたのだろうか。確かにその方が明かしやすいかもしれないが……いや、果たして本当にそうだろうか。俺しかいないから言える本音とは。

 ――う~む、謎……だな。たぶん。

 

「つーか、こうして普通にヒスイと話せることが奇跡だよ。……冗談なしに1回死にかけたからかな。もう今後は隠し事とかなしに、思ったこと全部発言していきたいわ」

「へぇ、ぜひその隠し事とやらを聞きたいわね。っとその前に少し歩いていいかしら。ここ、建前上は《軍》の占領地でしょ? なんだか話しにくいわ」

「言われてみりゃそうだな。んじゃどっか適当なとこに……」

「あ! 中央広場に寄ってみたいんだけど、いいかな? ……まぁあの日(・・・)を思い出すっていうのもわかるんだけど、やっぱり良くも悪くも思い出の場所じゃない? ジェイドと、その……初めて会った場所でもあるし」

「そう、だな……」

 

 それを機に、微妙な空気のまま俺達はひたすら歩いた。

 《はじまりの街》は広いが、例の場所そのものは距離的に近い。俺達はものの数分足らずで街の中央広場に到着した。

 頑丈な石畳、円形の広場、そこを囲う大型の建築物。中心地には立派な時計塔を備えていて、総面積も極端に広い。俺が朝方にも訪れた場所だ。なんの因果か、今度はこうしてヒスイと並んでいるが、よもや日に何度もこの場に来るとは思わなかった。

 

「懐かしい、かな。あたしの第一声は。ヘンな話だけどね、今でこそ、SAOにログインしてよかったって思えるの。嫌で嫌で仕方ないのに、ここでしか出会えなかった人と話してると、どうしてもそう思えちゃうのよ……」

「それ言えてる。マジに死んだ奴には悪いけど……ああでも、1層で目ぇ逸らしてる奴ら以外なら、意外とそういうの多いカモだぜ? 俺も今は後悔してないし。……さっき死にかけといてムチャクチャな話だけどさ」

「……そうね……」

「あ、そういやヒスイ。最後になって使う気になったってあのアイテム、聞いてもいいか? ……特別なアイテムだったんだろ?」

 

 真冬ということもあって、年内を通しても早い段階で沈む夕日を眺めながら、俺はふと気になったことをヒスイに問いかけてみた。

 

「……ええ。ボス撃破時の、歴としたレアアイテムよ。……発動条件はキーワードを発音することと、そして……対象者と手を繋ぐこと。そうすることでお互いのHPを足して共有し、その後30秒間無敵属性が与えられるの」

「…………」

「もう薄々感づいてると思うけど、ソロのあたしにはまず使い道のなかったアイテムよ。だって2人以上いないと、そもそも発動する機会すらないんだもの……」

 

 ヒスイはシニカルに呟いた。せっかくのレアアイテムを有効活用せず、売りもせず、あまつさえただのジンクスとして後生大事に抱えてきたことに対する自嘲だろうか。

 だが俺はそれを笑わない。彼女の気持ちに共感できたからだ。

 俺のソロ時代、存在するはずのない暗殺者に対応できるようベッドの中に剣を仕込んだり、人の家にお邪魔する時に間違えて完全武装のまま訪れたことだってある。ボス前に必ず祈願ルーティンする姿も飽きるほど見た。人が何をもって安心するかなど見た目からでは決してわからないものだ。

 

「……けど、ヒスイはそれをずっと大切にしてきた。言葉通り『御守り』だったんだろう? そういうのをストレージに忍ばせてる奴もわりかしいるぜ。……んで、たまたまそのアイテムになったのが《翡翠の御守り(ジェイド・アミュレット)》、だったわけだ……」

「ぅ、うん……」

「なーんかなぁ……ヒスイ、『ジェイド』って名前の意味知ってたろ?」

「えっ、え~と……これはそのぉ」

「目逸らしてもムダだぞ。アルゴやリズとこそこそ話してたのはそういうことか、ようやく胃に引っ掛かってた骨が取れたぜ。……ったく、ヒスイも人が悪いもんだよ。そうやって何も知らない俺を裏で笑ってたんだろぉ?」

「ち、違っ……ッ!?」

 

 俺はヒスイが何かを言う前にその頭に手を置いた。すると彼女はよく躾られた動物のように静かになる。ついでにポンポンと軽く叩いてやると、くすぐったそうに目を細めた。

 ――いつからこの娘はこんなに可愛くなったんだろうか。

 と、同時に確信した。ここまで自分の気持ちに気づいていて何も言わないのは男が廃るというものだ。その時が来たら必ずこの気持ちをヒスイに打ち明けよう。

 

「気にしてねーけど」

「ええ……まぁ、違わない……わね」

「まさか翡翠の英訳がなぁ……ま、忘れてた俺も悪いんだけどさ。でもやっぱ、それが御守りってのはメチャ嬉しいよ。……ハズイけどさ」

「う~、バカ……恥ずかしいのはこっちよ、もぅ……」

 

 またもヒスイは顔を真っ赤にする。幼い頃の痛い日記を読まれたかのような目だ。

 何はともあれ、これでヒスイから聞きたいことは全て聞けた。今のヒントだけで俺が密かに立てていたある仮説(・・・・)が正しかったものだと十分に証明してくれている。

 時間にして3時間と少し。あとは実行に移すだけだ。

 

「ヒスイ、さっき言ったように俺はこれからヤボ用がある。んで、そのあと51層の主街区へ来てくれないか? そこで話したいことが2つある。できれば今日がいいんだけど……」

「今日は元々オフの日よ。好きな時間に行けるわ」

「そっか、んじゃあ頼むよ。……おっと! 俺のあとを付けて作業をノゾキ見するのは無しだぜっ? サプライズイベントだからな!」

「ふふっ、わかってるわよ。ていうか、サプライズだって目の前で言っちゃダメでしょ! ……まったく、なんか言いたいこと言えなくなっちゃったけど、あたしのはまた今度にするわ」

「そっか。んじゃ、マジでちょっくら一仕事してくるぜ!」

 

 何度か振り返りながら走り去り、俺はある準備に取りかかった。ヒスイやアリーシャに偉そうなことを言いつつ、カズへの説明はジェミルに丸投げしているのだが、企画したのは俺だ。俺のサプライズイベントと言っても過言ではないだろう。

 それに、時間を指定したのには理由がある。

 まずはジェミルがルガと話をつけるのに充分な時間を与えるため。そして俺が今からやる作業が8時からしか行えないためだ。

 この作業が無駄にならない保証は先ほどヒスイが明言してくれてもいる。

 

「(さって、早速ボス戦とシャレこむか!!)」

 

 俺は晴れ晴れとした未来に期待を馳せ、意気揚々と内心で叫ぶのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 午後8時半。俺が約束を取り付けた時間。

 真冬ゆえ、とうに日は落ちている。特に気にしてはいなかったが今夜は心月らしく、宵闇が完全に覆った主街区では辺りの光源は街頭によるものしか存在しなかった。

 やるべきことをあらかた済ませた俺は、1度だけ深呼吸をすると自分の頬をパシンッ、と叩いてから4層の主街区にある《転移門》の正面に立った。すると、ゲートが発光して利用可能状態にあることを知らせてくれる。

 「転移、トロイア!」と声に出すと、コマンドを検出したゲートが起動し、すぐに俺の体が青白いライトエフェクトに包まれた。

 ほんの1秒で景色が変わる。全身へ過重圧がかかったわけでもないのに、エレベーターの利用が一瞬で終了してしまったような感覚。長年体に刻み込まれてきた感覚から大きくズレた現象からか、これだけは未だに慣れない。

 

「みんなは……と」

 

 俺は辺りを見回した。するとそこには4人の人影が。それぞれカズとジェミル、そしてヒスイとアリーシャのものだった。

 

「よっ、ルガ。あけおめ」

「うん、明けましておめでとうジェイド! 今朝、もう解放されてたんだってね?」

「おうよ、朝はクソ寒かったぜ。んで、開放の理由は……ま、ジェミルからだいたい聞いてっか」

「うん。無事でよかったよ……また最前線に来てくれたんだね。今年もよろしく、っていうのは2つ意味ができちゃったかな」

「そうだな。じゃ、夜も遅いから手短に済ませよう」

 

 俺は身内の会話を切り上げると、《転移門》回りの段差を1つ降りてゲートの使用有効範囲外へ出る。そして改めて4人の前に立って声を発した。

 

「あ~テステス、お集りのみなさん」

「プフッ……」

「……ははっ、やっぱ普通に。……あ~……っと、まあ4人に集まってもらったのにはもちろん理由がある。その……察してる奴もいるかな。知った顔同士だし」

 

 不慣れゆえにあまりスムーズとまではいかなかったが、俺は身振り手振りを加えながら4人の前で懸命に言葉を紡いだ。

 

「改めて……4人に会えて本当によかった。しかも単なる他人じゃない。なあルガ? 俺は知らなかったけど、ヒスイとも顔なじみだったって」

「あーうん、だいぶ前の話だけどね。最初は確か、夜遅くに35層の《迷いの森》だったかな。相談に乗ってもらって」

「あ〜懐かしい!」

「えへへ。ちょうどその頃から、ジェイドを通して話しやすくなったのはあるかも」

「よしよし。……んでジェミルも今日、晴れて戦線を共にしたわけだ。おまけに、レジクレはまだ犯罪者だった頃のアリーシャに命を救われている。忘れたとは言わせねぇぜ? 事後処理にあたったアリーシャの更正手続きやバックアップは記憶に新しいはずだ」

「う、うんまぁ……」

「……そう、だよね」

「おいおい、気まずくなるなよこんな程度で。……最後に、ヒスイとアリーシャ」

 

 俺はここで一旦言葉を止めた。

 それから彼女達の目を見る。2人はまだ話の意図、少なくともその全容が見えないのか、2人して首を斜めに傾けていた。

 

「ひょっとしなくても、俺が知らないところで何かあったろ?」

「え、ええ話なら少し。まだアリーシャが《黒鉄宮》にいた時なんだけど、あたしが面会しに行ったのよ。初めは足を運び辛かったけどね」

 

 俺の質問にはヒスイが答えた。そしてその多くは予想していた通りでもある。

 そこへ続けるようにアリーシャが割って入る。

 

「同性だからか、気にかけてくれたの。おかげで今じゃ全然後ろめたさとか無いわ。この子はアタシの相手やサポートを手伝ってくれるし、こんな前科持ちプレイヤーの面倒見てくれるなんて、相当なお人好しよ」

「悪かったわね!」

「よし、まぁ何はともあれ、お2人さんも今は仲良しこよしってわけだ」

『…………』

「おっと文句は却下だぞ。……さて、本題だ。乗るか乗らないかは本人で決めてくれ。……んんっ。俺はこれからギルド《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》存続を提案する!」

 

 途端にカズが嬉しそうな顔をした。これから続くセリフに期待するように。

 俺は噛みしめるように言葉を選んだ。

 

「さっき3層の《ギルド結成クエスト》を秒で終わらせてきたところだ。んで、リーダーの名前はこの俺。他のメンバーはルガトリオ、ジェミル、ヒスイ、アリーシャの4人だ! ……俺はこれを伝えるためにみんなをここへ呼んだ。ここにいる全員はメンバー候補に上がるまでの経緯と実績がある。散々悩んだけど……これが1番に思えるんだ。まずはルガ、どうだ?」

「も、もちろん! 僕は参加する。どころか、ぜひ参加させてくださいってぐらいだよ! 僕はレジクレがある限り攻略をやめるつもりはなかったしね。ジェイドがそう言ってくれるなんて、そんな頼もしいことはないよ」

 

 カズは元気よくそう答えた。リーダーこそ変わってしまったものの、カズはこの世界に囚われた哀れな投獄者を解放したいと願っている。そこに嘘偽りはないはずだ。

 

「……次はジェミルだけど、無理せず正直に答えてほしい。雰囲気に流されずによく考えてくれ。……ロムライルは死んだ。次は誰が死ぬかわからない。そんな中で、共に心臓を預け合えるに値するか、背中を託すに値するのか。リーダーが俺なんかでいいのか」

「あははっ……」

「オイそこだけ笑うなって、ったく。……ハッ……でもあれだ、やっぱよく考えてから答えてほしい。どうだ……?」

「ボクは……っ、参加するよ! ジェイド。ボクは今日、きみの戦う姿を改めて見た。そして……とても格好良いと感じた。それは何でかなって、考えたんだ。……そしたらわかったよ。きみが命をかけて仲間を助けようとしたからだ! ……だから、ボクは恥ずかしい。あれだけ脱出を誓ったのに、ロムに顔向けできないや。こんなところで戦うのを中断しようとするなんて、絶対望んでなんかいなかった。……そうでしょう!? ボクも戦う! 前を向いて戦うよ!」

 

 その小柄な体躯からは激しいほどに強く、そして揺るぎようのない意思を感じた。ジェミルは背が比較的低く、普段は間延びした声で緊張感を削ぐムードメーカーだったが、ことこの場においては戦士の表情を崩さなかった。微動だにしていない。

 そう、彼には彼の思いの丈があったのだ。

 

「わかった、俺も最善を尽くす。みんなで100層を抜けよう。……次はヒスイだけど、今までほぼソロでやってきたよな?」

「うん……」

「しかもなえた野郎連中のメンタルケアみたいなことまでしてさ。自分も心の傷との闘いだったはずなのに、《攻略組》を影でずっと支えてきたんだ。そこに俺は尊敬もしていた。……けど俺は今、その築き上げてきた地位を捨てろと言っている。ヒスイにはそれができるか?」

「できる……というより、チャンスをくれるならよろこんで。あたしも決めたの。これ以上強がって、無理して生きるのは止めようって。そうまでして息を止めて暮らしたくないわ。……けど、あなたがここで頑張ると言うのなら、あたしは支えたい。レジストクレストに入れてください!」

 

 その眼光から迷いは見てとれなかった。去年の11月、同じ学校の生徒が脱出と称した自殺を図った時に、それを全力で止めようとしなかった……いや、むしろ『結果を待った』自分への罪の鎖。それを断ち切らない限りレジクレへの参加は厳しいと俺は考えていた。それが、今では即答でギルドに入ると言い切ったのだ。

 彼女の誇りを踏みにじるようなことだけはしない。

 

「俺も全霊で応えるし、失望させないって約束するよ。……最後にアリーシャ、ありのままの意見を聞かせてくれ。レジクレへの参加、どうだ?」

「アタシは……実際ね、アタシなんかが、って思うのよ。ヒスイに何があったかは知らないけど、このコはその償いに1年以上を費やした。対してアタシはまだ1ヶ月半。こんなの……不公平だよね……」

「…………」

「……でも、ジェイドはそれを理解した上で、ギルドに誘ってくれている。アタシはこの繋がりを台無しにしたくない。ずっと大切にしていきたい! 本当の意味での仲間を、ここで無くしたくない!」

「……なら、アリーシャはどうしたい?」

「アタシを、レジストクレストに参加させてください。足手まといにはならない。……最低でも、その努力はするわ! ずっと居場所がほしかったの。お願いします!」

 

 アリーシャは立ったまま深く頭を下げた。

 最敬礼。それが今の彼女が俺達を信じ、そして裏切らないとする最大限の証明。

 俺は例えアリーシャがどんな悪事に手を染めていたとしても、それを恥じ、悔い、償う努力をするのならそれを精一杯助けてやると約束した。そして今はアリーシャが俺を求めている。

 あの憎き大犯罪者ではなく、この俺を頼っている。

 

「頭下げられんのはガラじゃないけど……カンゲーするぜアリーシャ。最高の前任者が作ったギルド再誕の瞬間だ。残り半分、俺達5人で助け合おう。アインクラッドをなんとしても脱出するぞ」

 

 ここで何度目かの静寂。しかし漂うのは気まずさではなく充実感だ。みんなの顔も、戦場を共有する仲間を得たような安堵しきったものばかりだ。

 4人が視線を交わし、それぞれ「よろしく」と握手をしている。ようやく一段落だ。これからこの5人で新しい旅立ちを迎えるのである。

 だが俺はというと、昂る気持ちを押さえつけるのに四苦八苦していた。

 鼓動が高まる。俺にとってはむしろこれからが本番だ。

 緊張で喉が干上がるのを感じ、膝もがくがくと震え出してきた。だが逃げるわけにはいかない。俺はこの気持ちに素直になると決めたのだ。

 

「ヒスイ。……ヒスイにだけもう1つ、言いたいことがあるんだ……」

「え……?」

 

 再び注目を集める。彼女だけでなく、残りの3人もこれには首をかしげていた。

 

「言いたい……こと? そう言えばあたしには2つあるって言ってたわね」

「あ、ああ……」

 

 意識を集中させる。俺がヒスイに言うべきこと、これはまず間違いなく俺が生きてきた人生で最大級の難関だ。難関と言うより、むしろこの歳でこんなセリフを言うような奴が世にいるのだろうか。いろいろと段階を飛ばしているような気さえする。無論、ここはゲームの世界であって現実世界ではないから、本来の意味は込められていないし、その実態も少なからず違うだろう。ここで俺が発するセリフと、リア充が現実世界で伝える重みは決定的に比較対象にならないと言うかなんと言うか……、

 

「ジェイド……?」

「や、あの! えぇっと……」

 

 ヤバい。顔面温度が大変なことになっている。

 あらかじめ用意しておいた長ったらしいキザなセリフも全部吹っ飛んでしまった。

 なんのために時間を空けたのだ。予行演習までしてきて準備万端だったというのに、その真価が何も発揮されていないぞ、俺。

 

「ひ、ヒスイ! これを……その……」

 

 ――なんてこった、声が裏返りやがった。

 恥ずかしさもピークにきている。

 

「受け取ってほしい」

 

 思わず目をそらし、それでも俺は言いきった。溜め込んだ激情を目一杯押し出すように。

 

「ジェイド、これって……!?」

 

 俺がポーチから取り出したアイテムは首飾りだった。

 シルバーのチェーン。先端には透明なグリーンを放つ宝石が添えられている。

 そのアイテムに彼女は釘付けとなった。

 理由は明快。なぜならこれは、彼女が1年も肌身離さず携帯し、そして大事にしてきた御守りと瓜二つ、を通り越してまったく同じ形をしていたのだから。

 

「《翡翠の御守り(ジェイド・アミュレット)》。新年初日の午後8時に、4層で《ニューイヤー・イベントボス》ってのがあるだろ? そのLAボーナスを、さっき狩ろうとしてたプレイヤーを金で退かして倒してきたんだ」

「え、でもこれ……あたしあのイベントのドロップ品だなんて教えてないわよ? どうして……あたしが、あの日から持ってたなんて……」

「まあ、さすがに覚えてないよな。……ヒスイがあの日《ヘイズラビット》を倒してから、『自分っぽいアイテムだ』って言ってたんよ。……キモイかもしんないけど、俺はあの日のことずっと覚えてて、その……レアアイテムはきっと、ヒスイの名前にちなんだものだと思ってたんだ。……だからアイテム名を聞いた時からピンと来てたんだよ」

「そうだったの。あの日から……ずっと覚えてて……」

 

 両手で(すく)うようにそのネックレスを持つと、ヒスイは呟くように言った。

 その眼は懐かしむように揺れ動いている。

 

「は、ハハッ……ああ、その……今日たまたま正月でよ! んまぁ今年は辰年だから兎じゃなくて『タツノオトシゴ』みたいなモンスターだったぜ? 墨みたいなのも吐いてきてさ、倒しきるのに思ったより時間かかっちまったよ! アハハっ」

「…………」

「あの、それで……さ。えっと……ま、ヒスイへのプレゼントってのもあるんだけどさ。それだけじゃないって言うか……ひ、ヒスイ!」

「え、ど、どうしたのっ?」

 

 いきなり大声を出す俺にヒスイがビクッ、と肩を跳ねさせる。必要以上に声を荒らげてしまったようだ。反省している場合ではないが、もう少しトーンを抑えよう。

 ――って言うかもうここまで来たらあとは勢いだろ!

 

「……それはさ、俺とヒスイを繋いだ特別なアイテムだ。だからこれを手渡す時、もっと特別な意味を持たせたかった。前よりもずっと……去年よりもずっと……特別な意味を……」

「ぁ……えっ」

 

 ヒスイもようやく俺の意図を察し始めたのか、だんだんと強ばっている。成り行きを見守っていたカズやジェミルも……そしてなぜかアリーシャが極端に動揺しつつある中、俺はそれでも飾らない気持ちを伝えた。

 生まれて初めて、この言葉を口にする。

 

「ヒスイ、愛している。この世の誰よりも。この先もヒスイのそばにいたい。そしてずっとそばにいてほしい。苦労も幸せも共有したい……ヒスイ、俺と結婚してくれ!」

 

 言い切った。

 頭の中など真っ白だ。

 直前になって震える声を制御できたのは奇跡に近い。

 周りも唖然状態である。

 だが知ったことではない。

 それにしても心臓の音がうるさい。

 やはり断られるのだろうか。

 ここにきて答えを聞くのが怖くなる。

 告白したことを後悔してきた。

 ヒスイが俺なんかと……、

 

「ジェイド……」

「あ、あの……答えなら待つから、その……」

「ジェイド! ……あたしね、いま凄い幸せなの。あなたからこんなこと言ってくれるなんて。……ぁ、え……な、なんか泣けてきちゃった……グスッ……あたし……嬉しい。すっごい嬉しい。ここに来て……あなたに会えて……ヒク……こんな素敵な贈り物まで……」

「ヒスイ……じゃあ……?」

 

 ヒスイは両目から零れる涙を服の裾で必死に拭き取りながら、それでも笑ってこう言った。

 

「ええ。あたしもあなたのことが好き。誰よりも愛してる。あたしと、結婚してください」

 

 満面の笑顔でヒスイは言った。

 直後に心臓が跳ね上がる。喉の奥まで熱い何かが混み上がってきた。

 目頭の温度が変わっていることが体感でわかる。

 俺は自然と1歩前に踏み出し、ヒスイの体を抱き締めていた。

 

「ヒスイ……よかった。いつまでも一緒に……」

「うん……ふ、ふふっ……それにしてもジェイド、あたしが断ったらどうしてたのよ……ギルドなんでパァよ?」

「あ、は……ハハッ、そういやそうだな。……全然考えてなかった……」

「もう……スキだらけなんだから……っ」

 

 笑っているのか、泣いているのか、喜んでいるのか。

 とにかく、ひとしきり言いたいことを言い合ってから俺達は体を離した。冷静になってみれば恐ろしいほど恥ずかしいことをしていたのだが、あとになって羞恥心に溺れ死んだりはしないだろうか。

 

「うぅっ、負けた……負けたよぉ……」

「恥ずかしすぎて死にそう……」

 

 ここでなぜかアリーシャとカズが絶望的な表情をしているのが目に入った。……のだが、彼らはなぜ俺よりもショックが大きそうなのか。

 

「え、えっと……その悪いな、個人的な時間作っちまって。……し、仕切り直して! 改めてギルド再結成をここに宣言したいと思います!!」

 

 とりあえず大声で叫んでみた。

 

「ジェイドぉ、やっぱりリーダーは向いてないんじゃないのぉ?」

「うううるさいジェミル! こ、これかららしく(・・・)なるんだよ。今に見てろ! 俺がレジクレを最強ギルドにしてやるぜ!」

「あはは、もうなんかグダグダ。でもそれでこそジェイドらしいよ。……さっきまでは人が変わったみたいに凛々しかったし」

「ルガ、それってホメてる……んだよな?」

「うぅ……こっちはダメージでかすぎてしょげそうよ……まぁでも、ね。現状には満足してるわ。アタシだってまだまだこれからなんだから!」

「……よくわかんねぇけど意気込みは伝わったぞ?」

 

 5人でそれぞれ言いたいことを言い合うと、何度目かの無言タイム。

 わだかまりも全部吐き捨てたと言った清々しい顔だ。と同時に、俺はジャランッ、と背中の大剣を抜き取った。

 カズは後ろの腰に取り付けられた棍棒を、ジェミルは太ももに備えたダガーを、ヒスイとアリーシャもそれぞれ左右の腰に携える片手剣を利き手に握って構える。

 全員が無言で剣を(かざ)した。

 重なる剣先が星の形を作る。

 

「《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》再結成を記念して……みんなで頑張ろう!!」

『おおーっ!!』

 

 9時を回ろうという夜になっても、正月の日は主街区を光で染めた。

 俺達だけではない。他にもいくつかギルドや集まりなどができていて、最前線の街は賑わっていた。

 2024年の元日、人々は諦めずに前を向く。囚われの身でありながら、それでも解放感に酔いしれる。

 夜はまだこれからだ。新生レジストクレストのメンバーもこの日は大いに盛り上がった。そして艱難辛苦を未来に控えつつ、それでも羽目を外して騒ぎ回るのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 その時の俺は気付かなかった。忍び込んでいた予想外な楔に。

 2日もたってから、俺は50層ボスの討伐戦からずっと埋めないでおいたスキルスロットを有効活用しようと、スキルセットを足そうとしていた。

 専用のタブを開いた状態で指が止まる。空きスロットが消え去っていたからである。操作した覚えなどないのに。

 しかし理由はすぐに判明した。そこにははっきりと刻まれていたのだ。

 スキル欄の最終列に。

 

 エクストラスキル、《暗黒剣》と。

 

 

 

 



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第十章 金銭トラブル
第70話 逝く者の跡


前話で言い忘れていたのですが、お気に入り数が800を越えました。とっても嬉しいです!


 西暦2024年2月13日、浮遊城第55層。

 

 怒濤(どとう)の勢いで月日が過ぎた。これがいつから、というのは改めるまでもない。俺が《はじまりの街》にある《黒鉄宮》から釈放された1月1日から、今日に至るまでの2ヶ月間だ。

 俺はあの日、1度死にかけた。

 HP危険ゾーンなるニアデスのことではなく、ナーヴギアによって脳が焼ききられる寸前にまで(おちい)ったという意味である。

 しかし危ういところで生還し、カズ、ジェミル、ヒスイ、アリーシャの4人と新生《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》を立ち上げたのだ。

 それから2ヶ月。《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》を警戒した上で、アリーシャを攻略組と同レベルまで引き上げる作業も終わり、俺達5人は現在の最前線である《グランザム》市を拠点としていた。

 55層主街区《グランザム》。またの名を『鉄の都』。

 数世紀さかのぼった時代を準拠にする本作では珍しいことに、街全体の建築物が石造りではなく鋼鉄でできている。無数の煙突や尖塔、立ち並ぶ鍛冶屋や彫金屋――その多くがNPC経営であるものの――も理路整然としていて、隠し道的な散策路や街路樹はほとんどない。人工は多いのに不思議と殺風景な、そして殺伐とした印象を与える街だ。

 ただ、『鉄の都』に足を運べるまでに、俺達5人は相当の大金をはたいてしまっていた。共通資金は底をつきかけてしまった上に、ギルドの成長を優先させたことで、51層から54層までのフロアボス戦は放棄してしまっているのである。

 現状、このギルドは貧乏だ。楽しさのあまり忘れそうになりがちだが、そこには金の問題に限らず、相応の困難や混乱があったことをここに報告しておこう。

 まず、嬉し恥ずかしいのは知名度の上昇。

 急成長の反動で出費も激しく、ギルドホームこそ購入してはいないが、レジクレに対する攻略組全体の認識は確実に変わったと言える。「どこかで聞いたことはある」から「忘れるはずもない」ぐらいにはシフトアップしただろう。少なくとも野次馬共は執念のごとく忘れない。

 なぜなら、5人パーティに女性が2人もいるからだ。

 この比率は異様だと言える。攻略組が男所帯である現状からするとなおさらに。

 そのうち1人は、唯一の女性ソロプレイヤーにして《反射》のエクストラスキルを最初に発見した人物。言わずと知れたお人好し。片や戦線に出遅れたにも関わらず驚異的なスピードで成長を遂げ、これまた驚異的なプロパティと先天的パラメータ(武器や防具にあらず)を持つ、そして一躍世間を震撼(しんかん)させた台風の目。

 これらのメンバー事情から、人々は惜しげもなく興味の矛先を向けた。

 女性率の他に、いかようにして水に混ざらない油のような人物を抱え込めたのか、という点に。

 しかし結論が出なかったのか、男プレイヤー達はそのテクニックを裏で俺に聞きに来たり、果てはレジクレへの加盟申請にも来たほどだ。言うまでもなく、下心ありき接近してきた者は丁重にお断りした。

 だが当然、何が決定打になったのかは断言できない。つい最近まで同じ立場にいた俺としてはぜひ助言してやりたかったのだが、あいにく「こういうのって積み重ねだから……」としか言ってやれなかった。事実そうであるし。

 されど、『落とし方』を不当に隠す俺がレジクレの先頭に立ち、あまつさえ美人2人を見せびらかすこの現状に、周りは不満たらたらだった。

 敵情視察的的に《風林火山》のリーダーであるクラインや、《SAL(ソル)》のリーダーであるアギンに、今のレジクレがどう映るか率直な感想を聞いたことがあったのだ。

 結果、あまりよく思われていないとのことだ。具体的には爆発してほしいほどだそうだ。

 リア充爆発しろ。なんて、今は懐かしい響きである。

 という優越感はさて置いて。不満があるにせよ、俺がリーダーになる前、ロムライルが運営していた《レジスト・クレスト》は優しかった。ついでにドが付くほど甘い連中で、憎めない存在だったのだ。

 今のメンバーがどうあれ、結局その恩に着せられたことのあるプレイヤーは俺達に強く当たれようはずもなかった。

 その他の野次馬にしても、ヒスイとアリーシャの監視下で「女の子と仲良くなるな!」などと情けないことは言えず、往々にしてチラ見をする程度に収まっている。

 そして被害が少ない理由は、俺とヒスイが恋仲……を飛び越えて、《夫婦》関係にあることをまだ誰も知らないからだろう。

 レジクレ以外はまだ誰も知らない。しかもあろうことか、付き合いの浅いカップル並みに俺達の関係はプラトニックだった。なんと頬にキスした程度のことが最大限の踏み込んだ愛情表現ときている。2ヶ月たって接吻もなし。システム的に《夫婦》という判子を押されたとしても、やはり攻略中毒な俺は、それ以外に何をすればいいのかわからなかったのだ。

 よって人に知られたら平和の終わりだと感じる反面、別に知られてもなんの問題もないように見える、言わば相反した悲しさが日々俺の心を(むしば)んでいる状態である。

 

「(つってもなぁ……マジで数日おきに完徹ではたらいてるし。ド素人がいきなりギルマスとかクッソきつい……この2ヶ月でイチャつくヒマとかなかったし……)」

 

 なんてことをフラフラした頭で考えつつ、突如として俺の空きスロットに出現したエクストラスキル、《暗黒剣》についても思いを馳せる。

 実は猛烈に対処に困った。なぜなら、これがただのエクストラスキルなのか、それともプレイヤー1人にだけ与えられる唯一の、俗に言う《ユニークスキル》なのか。その判別ができなかったからである。

 確かめられる方法は1つ。《はじまりの街》にある地下ダンジョンへと舞い戻り、あの徘徊型フィールドボス《オブスクリタース・ザ・シュヴァリエロード》が再湧出(リポップ)しているかを確認すればいい。していればエクストラスキル、していなければユニークスキルだ。

 しかし厄介なことに、あのダンジョンは現在封鎖中だ。キバオウ達にだけ侵入を禁止しておいて俺達だけこっそり再突入など良心の呵責(かしゃく)が許してくれない。

 ならばせめて新スキルの情報公開だけでも、というわけにもいかないのだ。ヒースクリフの一件を思い出すまでもなく、エクストラスキルというものは名前が判明しても、結局その『取得条件』まで知ることができなければまったく意味がない。そして『取得条件』を教えるためには、またしてもダンジョンのことを他言無用にしたキバオウとの約束が邪魔をする。情報開示の面からすると完全なる手詰まりだ。

 必然、言い訳する形になってしまうが、俺はこの特別な力をひた隠しにすることを決めた。

 《ユニークスキル》とおぼしき力の秘匿と独占。俺がヒースクリフに強く浴びせた罵倒は、ブーメランのように俺の脳天に突き刺さっている。

 しかしこうも思った。

 これら特定人物に授けられた特殊なスキルは、実はすでに世に溢れているのではないか、と。

 俺の場合は公開しようにも公開できない状態だが、考えてみるまでもなく公開するメリットは本人にはない。

 例えば誰かソロプレイヤーなどが《ユニークスキル》らしき強大な力を手にしたとしたら、十中八九そのプレイヤーは己が独占欲の赴くままにその力を自分だけのものにしようとするだろう。それで罰せられることもない。

 だが俺はこれを大切にしようとも思えていた。

 運よく拾ったこの命。その先に《暗黒剣》スキルがある。皆の団結、その事実だけはどう言い繕っても変わるものではないのだ。

 あれから、暇さえあれば人目のつかないところで《暗黒剣》を使用し、鍛練するようにしている。今では熟練度もある程度上昇してきて、実践投入も視野に入りつつあるところだ。

 最後は食事に関するところ。

 フィールドや迷宮区で夜を明かすことが多々ある攻略組において、パーティメンバーの1人が《料理(クッキング)》スキルを獲得している、といったことは実は多い。現にジェミルは熟練度が心許ない中でもロムライル、カズ、そして俺の飯の面倒を見てくれていた。

 そして今回、2人目の《クッキング》スキル獲得者としてヒスイがギルドの仲間入りを果たした。これにより、食事に関しては割りと贅沢と言えるメニューに預かれることになったのだ。レパートリーも増えて味付けについても満点を捧げたい。俺のソロ時代、保存食と水しか口につけなかったのはご愛嬌。

 閑話休題。

 とにかく、平和という言葉がこれほど当てはまることもない、実にのどかな日常を俺達5人は満喫していた。

 つい先ほどまでは。

 

「い~じゃない別に、あたし達は夫婦よ!? アリーシャが口を挟むところじゃないわ!」

「むきー! 何よその上から目線っ! アタシだってねぇ……こ、この人には責任取ってもらわなきゃならないのよ! たまに借りてもいいじゃない!」

「いや、いいわけないでしょっ!? それに責任ってナニッ!?」

 

 リアクションも声のボリュームも大きい彼女らに対し、少々焦り気味で口を挟んでみる。

 

「あのっさぁ、お2人さん。それってどーしても転移門(ここ)でやんなきゃいけないことかな?」

「「はぁっ!?」」

「い、いやなんか……その。周りからね……こう、いわれのない殺気ってやつがするんだよ。あとヒスイ、夫婦ってのナイショに……」

「「ジェイドは黙ってて!」」

「あ~い……」

 

 修羅場か。よもや俺自身が人生の中で体験しようことになろうとは。

 これがハーレムもののチャチなゲームなら晴れて目標達成であり、ミッションコンプリートと言えよう。だがこれは現実であり、手放しに喜べる状況とは言えない。これで私生活が破綻したとなれば目も当てられないからだ。まったくけしからんことに、アリーシャの悪ノリも最近はエスカレートしている。

 ――あれ悪ノリかな?

 

「(ま、まあアレだ……孤独死寸前の頃に比べたらささいな悩みってやつ……)」

 

 そう言い聞かせることで男性陣はしばらくことの成り行きを見守っていた。するとしばらくして、アリーシャは(こじ)らせてしまったのか「アタシ今日は休む!」と言ってどこかへズカズカと歩いていってしまったのだ。

 ギルドの再結成以来、明るくもどこか一線を越えなくなったアリーシャにしては中々にわがままな行動である。そんなに勘に障ることがあったのだろうか。

 しかしこれは困った。彼女は基本的にラフコフに狙われている、という前提がある。あのPoHが非効率にも執念深く1人の女性プレイヤーをターゲットにし続けるかは(はなは)だ疑問だが、1人で出歩かせていつの間にか危険に晒される事態は避けたい。

 

「ルガ、ジェミル。悪いけどアリーシャを見といてやってくれねぇか。まさかソロ狩りなんてしないだろうけど、一応心配だからさ」

「うんわかった。じゃあ僕らはアリーシャさんといっしょにいるね」

「今日はマッピング休みかもねぇ。でも合流できそうだったらまた連絡してねぇ」

「おう、頼んだぜ2人とも!」

 

 雑用を任せてしまった罪悪感はあれど、俺は手を振って2人を送り出すと面倒な事態を引き起こした人物に振り向く。

 

「さてヒスイ」

「な、なによ……? あたしは悪くないわ」

「言い訳は聞きとうないぜ。妙に突っかかってたけど、アリーシャも冗談のつもりだろうしさ。なんか今日は大人げなかったぞ?」

「だ、だって……アリーシャのあれは9割本気というか……」

「またまた、そんなわけないだろ。俺とヒスイは夫婦だぜ? あいつもそのヘンはわかってるだろうし。つか、俺がアリーシャの立場だったらこのギルドにいることもすっげぇ辛いわ」

「…………」

 

 何やらまだ納得のいかない憮然とした表情ではあったが、俺と2人きりになることでようやく落ち着きを取り戻してきたようだ。それがちょっと嬉しかったりもするが本人には秘密である。

 

「んじゃあヒスイは次にアリーシャに会った時アタマ下げるように」

「い、いやよ……元はと言えばアリーシャが悪いんだし」

「ダメ。あやまんなさい」

「……はい……」

 

 ショボンとしてしまったがやはり根は素直だ。俺が聞き分けの良くなったヒスイの髪をそっと撫でてやると、彼女は嬉しそうに目を細めて喉を鳴らした。

 それにしても甘えたがりというか、共に過ごす時間が増えたことで俺は彼女の側面によく触れるようになった。

 いつだって凛々しく、聡明で、時には男を先導し、弱音は絶対に吐かない。いつでも心の拠り所であり、誰にでも平等に優しい。そんな、ともすれば身勝手な願望に近い聖人じみた人物像を押し付けていた俺だったが、それが攻略中に見せる一面でしかないと知ったのはレジクレが再出発して間もない頃だった。

 彼女にも少女らしい感情がたくさんあった。こういうと失礼だが、どこか気の抜けた無邪気さと無垢な子供っぽさにはジェンダーギャップすら感じたものだ。

 それに気づけて俺は幸せだ。魅力がどんどん溢れてくる感じがする。

 

「そう言えばまた3ヶ月たったよな。どうだ、たまには2人で主街区とか探検してさ、んで、あん時みたいにメシでも食いに行くか?」

「ええ、あたしも言おうとしてたとこ。それにこの層の圏外は極寒地帯だから、フィールドに出たらお昼をどうしようか迷っていたのよ。ちょうどよかったわね」

 

 何の因果か、俺はまだヒスイとそれほど親密な関係でない時から3ヶ月おきに2人きりで食事をとっていた。そして今日はSAOが始まってから約1年と3ヵ月。頃合いだろう。

 それにしても腹を満たせる場所の少なさも55層の特徴だ。《グランザム》での食事は諦めた方がいいかもしれない。質のいいレストラン街のある47層主街区(マーテン)を見習ってほしいものである。前方にある四方200メートルほどの空間にボクシングリングのような、おそらくプレイヤーのデュエル場として設置されたであろうフィールドが2つも設置されているが、こうした無駄に広い土地をもう少し別の用途に使えなかったのかと開発スタッフに小1時間ほど問い詰めたくもなる。

 十中八九、開発費の軽減が目的だろうが。

 

「この層はメシ屋が少ねーな、ホント。やっぱ充実した下層に降りてからだな。どっか穴場探しでもするか? それとも無難に行きつけの……」

「ちょっと待ってジェイド!」

 

 ヒスイがいきなり大声を出して俺の言葉を遮った。その両目はきつく釣り上がり、事態が切羽詰まっていることを如実にして表していた。

 視線の先に映像を移すと、そこには見慣れないヒゲも生えてなさそうな若い男性が、両膝を地面に付いて大声で懇願(こんがん)していた。

 場所は現在攻略組に最も使用されている北ゲート前。それなりに屈強な、少なくとも装備は一流なプレイヤーが多く行き来する最前線で、その男だけは身なりが際立っていた。

 いい意味で、ではない。あまりに簡素……否、みすぼらしい服を着ているのだ。

 インナーに近い薄さの長袖の帷子(かたびら)に、スラックスのような無地のデニム、そして厚底のブーツだけ。良質な生地で作った着衣用オブジェクトはな確かに値の張るものかもしれないが、それを差し引いても男のそれは寒々しい。ましてやここ55層のフィールドは極寒地帯でもあるし、2月の半ばでこれは寒かろうに。

 しかもあろうことか、帯刀してすらいない。武器を携帯していないのだ。

 

「友達の仇を! 誰でもいいんですっ! 誰か恨みを晴らしてください!!」

 

 蛇足(だくあし)を踏むヒスイにならって近づくと、ほどなくして声が鮮明に聞こえてきた。男の叫び声、その内容は死んだ仲間の敵討ちをしてくれと言うものだった。

 つまり彼の仲間はもう死んでいるということになる。しかも仇を打ってくれるよう願っていることから、同時にそれが『死んだ』のか『殺された』のかが判別できる。

 リポップを繰り返すモンスターへの仇討ちはできないからだ。

 

「……あの男か?」

「そん、な……」

 

 俺の質問にヒスイは反応しなかった。どうやら彼女に俺の声は届かなかったらしい。

 先ほどまで甘い空気が漂っていたというのにあの男のせいで台無しだ。どこの誰だかは知らないが、ヒスイの関心を俺から掠め取ったことに軽い嫉妬心を覚えてしまう。

 しかしそれよりも、そもそも彼女はなぜ彼にだけそんな悲しそうな目を向けるのか。言い方は悪いが、似たような件は過去にもあった。攻略組ならどこかで1度は見ていると言ってもいい。

 それらと今回の相違点とは……、

 

「ロキヤ……ロキヤさんっ!!」

「ッ……!?」

 

 ヒスイの個人を指した呼び声に、呼ばれた男と俺は同時に驚いた。

 俺は彼の名前を知っていたことに。

 男は救いの女神の声を聞いた時のように。

 

「ヒスイちゃん……なのか!?」

「ええ、そうよ。……ロキヤ、さん。……これはどういう……さっき仇討ちって」

「アドも、ヴィルも! みんな死じゃったんだっ! 9人組の盗賊にやられて……オレは! オレ達を逃がすために、皆が囮になって! それから……ッ」

「待って、落ち着いて。順を追って話してちょうだい。あのギルドが……アタシのいた、《シルバー・フラグス》がどうなったのかを」

「(ヒスイが昔いたギルド……?)」

 

 こうしてゆっくりと落ち着きを取り戻した彼は、ヒスイの質問に淡々と答えていった。

 脱け殻のような、光のない泣き疲れた目に、いつしか俺は嫉妬するのも忘れていた。

 

 

 

 事情を聴き終えるのに、ゆうに半刻以上を費やした。

 もっとも、途中で真っ赤に腫れた両目から何度も涙を流し、嗚咽(おえつ)とも叫びとも取れる悔いに染まった呻き声を漏らしていたあたり、事情なんてものは聞くまでもなく察せられる。

 結論から言うと、その男ロキヤの束ねるギルドのメンバーは間違いなく死んでいた。

 ミドルゾーンを主戦場とした小規模ギルド、《シルバー・フラグス》。

 実は俺も、昔1度だけこのリーダーと会話をしたことがあったことを明記しておく。

 あれは今から1年と少し前、俺がまだ宿を取らずに公共(パブリック)スペースで寝泊まりをしていた頃だ。

 あとになってラフコフが流行らせた『圏内PK(睡眠PKとも言う)』ほど悪質ではなかったが、同様の原理でもって所持アイテムを強奪する事件の際、狙われた俺の近くをたまたま通りすがったギルドに犯人を捕まえてもらったことがあった。

 俺の記憶に残っていないことこそ失礼千万なのだが……そう、そのギルドこそ彼らシルフラのことなのだ。

 そして彼らが、ほぼ全滅という憂き目にあったらしい。

 悲しい事件である。ヒスイ、ひいては俺にとって関わりのあるギルドなだけに、その喪失感はリーダーと同じとまではいかなくても、無名ギルドの消滅よりは精神的にくるものがある。

 だが、俺の興味は別の方向へと傾きつつあった。

 それはシルフラがなぜ全滅寸前に追いやられたのかだ。どうやら彼のメンバーは、全滅の1週間ほど前からある女性と行動を共にしていたらしいのである。

 頭に(もや)がかかったように、その事実がこびりついていた。

 だからだろうか。俺の喉は数秒の空白時間に我慢できず、静かに震えた。

 

「それで、その赤髪の女性とやらは今どこで何を?」

「……わからない。彼女は『貧乏クジを引いた』と……関わるべきではなかったとだけ言って、どこかへ行ってしまったんだ」

「あまりおだやかな話じゃねぇな。そいつも人が悪いぜ……」

「彼女の……ロザリアさんのことは悪く言わないであげてくれ。オレの調査が甘かったんだ。まさか、あんな強力な盗賊が彷徨(うろつ)いていたなんて……彼女も立派な被害者だよ」

 

 ロキヤはその『赤髪の女性』について、庇うような発言をした。

 赤髪の女性、プレイヤー名をロザリアと言うらしい。

 ロキヤは俺達との出会い頭に「メンバーが死んだのはオレ達を逃がすため」と言った。命からがら逃げたプレイヤーである『オレ達』というのは、どうやら本人の他にロザリアも含んでいるようだ。

 そのロザリアについて。

 彼女は基本的にソロ活動をしていたそうだ。しかし過去のアリーシャと同様、女性は多方面に予防線を張る傾向が強い。つまりゲーマーとしての技量やセクシャル的な面から、男性と横繋がりを強化することによって『監視の目』を増やし、相対的に身の安全を図ろうとするのである。実際、牽制し合うことによって男達はヘタに手を出し辛くなる。

 ロザリアもそんな女性プレイヤーの1人だったという。だから彼女が悪いのではないと、リーダーとしての器量が足りていなかっただけだと、ロキヤは諦めるように言った。

 

「けどよ、タイミングからして怪しい……ってのは感じなかったのか?」

「それは……どうとも言えない。だってそうだろう、ロザリアさんは定期的に色んなギルドのお世話になっていたんだ。なのに、たまたまシルフラと狩りに行ったその瞬間だけ彼女が怪しくなるのか? 当時のオレらに彼女を疑う根拠はない」

「同時に信じる根拠もない、だろう? だったらなんで……一時的とは言え加盟を許したんだ。残酷なことを言うようだけどさ、女性を引き連れるだけでいろんなリスクは伴う。特に実力も情報力も未熟な中層プレイヤーにはな」

「…………」

 

 的を射ているからこそ、ロキヤは俺の言葉の前に黙るしかなかった。

 実は攻略組に近づけば近づくほど、盗賊やその他のオレンジプレイヤーとの遭遇率は下がる。最前線に上がればオレンジが手痛い反撃を受けるケースが増すからだ。俺が最初期に周りの人間を差し置いてまでスタートダッシュした理由である。

 だが女性がいたとしたらどうだろうか。

 先の説明にもあったが、女性は強者と共存することで自身の保全を図る。ならば逆説的に、平均戦力は落ちると言えないだろうか。俺が個々人ですでに強力な戦力になるヒスイとアリーシャを引き連れる危険度とは比べ物にならないのだ。

 その点、ある程度の金もあって獲物も豊富なボリュームゾーンの人々は恰好の的だろう。当然いくばかのレベルを保持する努力は求められるが、強奪の成功率とその見返りは油のたっぷり乗った食用モンスターよりも『旨み』がある。

 俺とて頭ごなしに疑うのではない。可能性の話をしているのだ。そのロザリアなる女性が何も知らないただの被害者で、9人組の盗賊だけが犯罪者というなら話は単純である。それにこれも突っ込んだ物言いになるが、シルフラも報われる。

 だがもし、もしも彼女が共犯者だった場合、事件は少しだけ複雑になっていく。

 そして残念なことに、内通者であった可能性は捨てきれない。それが真実だとしたら、俺は似たような手口を過去に体験した。

 女性を紛れ込ませ獲物を見繕ってから戦力差に物を言わせてターゲットを圧倒する。アリーシャという人物を通して、その手口と記憶はまだ新しい。

 

「懐かし、かったんだろうな……」

「あん? やぶから棒に何だよ」

 

 いきなりそう言われた俺は(いぶか)しんでから首を捻った。

 するとロキヤはすぐに回答を出した。

 

「女性がいる攻略での……あの何とも言えない見栄張り合戦がね。ヒスイちゃん、君は忘れたいだろうけど……オレは今でも覚えてるよ。あの時のオレはヒスイちゃんにいいとこ見せたくて、よくクールを気取ったものさ。全然ガラにもないことしてさ……」

「ロキヤさん……」

「君が抜けると言った日、それは悲しい思いをしたよ。でもあの後ヴィルが謝りに来てさ……仲直りして、また5人で頑張ろうってなったんだ。あいつは床に頭までこすって、しっかり誠意を見せて勝手な行動を詫びたんだよ」

「…………」

 

 俺とヒスイは無言で応えて話の続きを催促する。

 

「実はね、ロザリアさんのシルフラへの一時参加に……リスクがあるのは承知していたんだよ。だからオレは多数決を採ったんだ。オレ1人で決めたくはなかったし、停滞していた士気も取り戻せるんじゃないかって、一縷(いちる)の希望を持ってね。……結果は3対2だった。そこで反対してたのは、オレとヴィルだけだったんだよ」

「そんなことが……」

「意外でしょ? ……けどそこは言い出しっぺとしてロザリアさんの参加を認めてさ。それで次の日になって生き生きしてるメンバーを見て思ったんだ。ああ、やっぱりみんな、ヒスイちゃんと一緒に暮らしてた時間が楽しかったんだなって。かけがえのないものだったんだなって。……後になってから……その懐かしさで焦がれそうになってたんだって……気付いたんだ。ヒスイちゃんといた時間を、全員が心から大切に……」

 

 ロキヤの声にはまた徐々に嗚咽が混じり始めてきた。当時のメンバーと交わした会話を思い出しているのかもしれない。しかもその『当時』のいうのは、ほんの数日前のことだ。

 それに彼がロザリアを招き入れたのは、異性に目が眩んだだけの単純な動機ではなかった。ここまで聞かされてしまったのだ。ならばいったい誰が彼を責められようか。

 俺もロムライルを失ったからこそ共感できる。つぶった目の端から零れる涙に、どれほどの怨嗟(えんさ)慟哭(どうこく)が込められているのか、ロキヤの無念は痛いほどに理解できる。

 

「ロキヤ、《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》があんたの依頼を引き受ける。前のリーダーは絶対に放っておかなかっただろうしな。やるからにはその名に懸けて手は抜かない。……でだ、その前にこれだけ聞かせてくれ」

「な、なんだ……?」

 

 俺は真っ直ぐと泣きはらして赤くなったロキヤの双眸(そうぼう)を射抜き、問う。

 

「俺がその犯罪者を捕まえたとしたら、あんたはそいつらを『殺してくれ』と頼むか?」

 

 俺は次に発せられたロキヤの答えを、意思を、決意を聞き、何としてでもこの凄惨な事件を解決すると心に誓うのだった。

 

 

 

 



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第71話 竜使いとの旅(前編)

大変遅れて申し訳ありません。
お気に入り数が850を越えました。よもや立て続けにこの通知をするとは思わなかったので、作者としましてはより強く嬉しさが混み上がっているところです。


 西暦2024年2月13日、浮遊城第35層(最前線55層)。

 

 小規模ギルド《シルバー・フラグス》を壊滅させたオレンジプレイヤー9人の捕獲。それが再稼働を果たした《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》が請け負う任務の最終目標だった。

 そのために今、俺とヒスイは有力情報を求めて35層主街区《ミーシェ》へと降り立っている。

 しかし簡単にオレンジを一括(ひとくく)りにしたところで、その総数は約300を越える。問題はその特定法。

 ちなみにこの捜査だが、レジクレを名乗ってはいるものの、実行は俺達2人だけで行う。メンバーに遠慮したのではない。むしろ彼らへの事情報告はとうに済んでいる。

 これはケジメの問題だ。互いに恩のある俺たちだからこそ、わずかでも恩返ししたいのである。

 

「ロザリアさんが活動しているっていうのはここね。見つかるかしら……?」

「さぁな。ただ今日中には難しいかもよ。冬の日没が早いと言っても、すでに夕日も沈みかけてるし。……けど、やるなら急ごう」

 

 聞き込みは手分けして行われた。難しい段取りはない。単に街を暫定的に2分割し、左右に別れて道行くプレイヤーに話しかけるだけだ。赤髪の女性が参加するパーティを知らないか、と。

 少なくともこれまでの調べで35層にいることは判明しているので、層の移り変わりさえなければ俺とヒスイはいつでも簡単に連絡がとれる。

 そしてわずか20分後にヒスイから連絡が来た。

 どうやらロザリアを含む一行は本日午前9時頃にサブダンジョンの代名詞、《迷いの森》へと向かったらしい。

 

「(なんだ、迷宮区までは行かないのか……)」

 

 《インスタント・メッセージ》を見ながら、伝えられた事実についそう呟く。

 どうやら最も捜索難易度の高い地には足を踏み入れていないらしい。

 だが納得もしている。

 というのも、中層を延々と彷徨(うろつ)いて上層に上がろうとしないプレイヤーが何を思って攻略に励むのか、その心理を察すればロザリア達が迷宮区内にいることはまずあるまい。

 彼らにとって重要なのはレアアイテムでもボス討伐の称号でもない。

 大きくは2つ。日々の攻略に必要な通貨(コル)を貯蓄することと、中層に留まるだけの最低限の経験値の獲得だ。強いて生理的な面以外で必要性を挙げるとすると退屈しのぎだろうか。

 人に娯楽は必要だし、ましてここにいるのは抽選で運良くソフト発売前にプレイできた《βテスター》とは違う。歴としたゲームマニアだ。

 

「(……っと、これでよし。んじゃ早速行くとするか)」

 

 俺はメッセージで、このまま別行動でロザリアを探そうとヒスイに提案した。ソロ狩りでも安全な下層で2人が固まるのは効率が悪い。

 次の対策は《迷いの森》についてだが、実はこのステージ、《転移結晶》による脱出ができない仕様になっている。どうやらスクランブルがかかっているようで、結晶を使うとランダムで別の《迷いの森》内のエリアに飛ばされてしまうのだ。

 特徴はまだある。1分という時間が経過すると、これまたランダムにエリア間の連結先が変化するのだ。

 しかも碁盤状に分割されたエリアの総数は数十に昇り、ゆえに東西南北いずれかの方角に突き進めば脱出できる、などと言った簡単な話にはならない。だが踏破が常に運任せかということはなく、主街区の道具屋に売っている『連結先を逐一更新する、専用の特殊マップ』を購入する必要があるだけだ。

 高価ではあるが、この際ケチケチして時間を弄する方が金の無駄というもの。時は金なり。と言うわけで、俺は主街区の中心地に佇む道具屋を訪れていた。

 

「すみません、地図アイテム欲しいんすけど……」

『あいよ、毎度あり』

 

 NPCとの簡単でラフな会話。たったこれだけでもこのソフトの性能が計り知れる。

 若干の感慨に耽ってから、俺はそそくさと《迷いの森》に向かった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「きゃあっ!」

 

 という鋭い悲鳴を、俺はまず耳にした。

 道具屋で地図を貰い受け、ゲートを潜ってフィールドへ。それからしばらくして《迷いの森》に到着し、意気揚々とエリア内に侵入した瞬間のことだ。

 問題は声が複数聞こえない点である。パーティではなく、1人で行動している可能性が高くなるからだ。

 日が落ちたからといって、よもや街から見てこんな目と鼻の先で少女に狼藉(ろうぜき)をはたらく無法者がいるとは思えないし、思いたくもない。

 ならば考えられることは1つ。マージンの取り方を間違えた情報弱者がモンスターとエンカウントし、危険に晒されているというと。

 

「おいおいマジかよ……」

 

 ソロでレベリングに明け暮れていたころなら気にも止めずにスルーするが、今回は無視せず音源へ疾駆した。

 距離は近い。しかし曲がりくねった森の小道や巨木の根っこを躱しながらだとどうしても時間がかかる。

 俺は直接距離を縮めるのではなく、まず充分な視界を確保した。映るのは茶髪を赤いリボンで結んだツインテールの少女の姿。ファッションから年齢を推し量ることはできないが、声質と身長から12、3才だろうか。

 ――若すぎる。

 そう思うのと同時、俺がアクティブ状態にしておいた完全習得(コンプリート)済みの《索敵(サーチング)》スキルが、3体のモンスター反応をキャッチしていた。

 ここ最近筋力値に片寄り気味だったステータスビルド――早く《ガイアパージ》を装備したかったのだ――に少しだけ舌打ちして、俺は足のショルダーから投擲用ピックを1本引き抜いた。

 赤く発光。《投剣》専用ソードスキル、初級直進投擲技《シングルシュート》だ。

 投擲の天才肌であるジェミルほどの腕は持ち合わせていなかったが、標的の大きさと視界の確保が効いて見事モンスターの顔面に命中。行動遅延(ディレイ)を発生させた。

 ここで抜刀し、足の伸脚をバネに跳躍。ノックバックから解放されたモンスター、《ドランク・エイプ》の正面に堂々と立ち塞がり、愛刀を真横に薙いだ。

 胴体切断。標的を右前方の2体目に変更。

 短く息を吸って体を折り畳む。

 全力疾走と時同じくして袈裟懸け斬り。ポリゴンデータの爆散を利用して3体目に接近し、縦一文字に振り下ろすと戦闘はあっけなく終了した。

 

「あ……ぁう……ぁ……」

「…………」

 

 短剣使い。絵に描いたような適正レベルの汎用防具を着た少女は、力なくぺたんと座り込み、時間をかけて状況を理解しているようだった。

 そして間を空けて紡がれた言葉は……、

 

「お願いだよ……あたしを独りにしないでよ……ピナ……」

 

 少しだけ考えて発言の意味をおおかた理解する。予想通り何者かが死んでしまっていたようだ。よもやこのツインテールの少女がソロ専とは考えていなかったが、やはり仲間とフィールドに足を踏み入れたのだろう。

 しかし彼女は「ピナ」と言った。友人の名前にしては違和感がある。

 そこで俺は彼女の近くに青く光る羽根が落ちていることに気づいた。

 プレイヤーはゲームオーバーの際に装備中の武器をドロップするが、この小さな羽根が仲間の武器ということはあるまい。だとしたら珍しい戦闘スタイル、この世界でいう《ビーストテイマー》であると結論付けられる。

 

「ピナ……使い魔か? 死んだんなら……悪い。来るのが遅かった」

 

 俺は少女を刺激しないようにゆっくりと詫びた。

 多少敏捷値が高い程度で間に合えたはずもない時間であったが、ここで正論を言って彼女を余計に傷付けることもないだろう。

 少女は必死に泣くのを堪えて「いいえ……」と前置き、切れ切れに続けた。

 

「あたしが……バカだったんです……。ありがとうございます……助けてくれて……」

 

 否定のセリフがピナという存在の否定ではなく、道理の通らない俺の謝罪を否定するものだったということは、『ピナ』というのはどうやら本当に使い魔だったらしい。

 使い魔。《ビーストテイマー》と呼ばれるプレイヤーが使役できるモンスター。

 攻略組にはごく少ない存在である。正確な数字はわからないが数人しかいないと言ってもいい。現在600人近くもいる攻略組に対して、この数字がいかに低いかは一目でわかるだろう。しかし事情を知る者であれば、納得のいく理由がそこにはある。

 

「回復……できないのか? たぶん地図アイテム無しに来たんだろ。1回迷うとここは難関ダンジョンだ。これからは気を付けろよ……ほら」

「あ、ありがとうございます……」

 

 注意域(イエローゾーン)にある体力をいっこうに回復させようとしないことから、俺は少女が《回復ポーション》を使いきったのだと判断し、代わりに自分のそれを手渡してやる。

 《回復ポーション Lv7》。俺にとって最低値を叩き出す回復量も、この層を主戦場とするプレイヤーには少々過ぎた回復性能を誇る。彼女のHPバー先端部分はみるみる右へ移動し、あっという間に全回復した。

 しかし少女はまだ泣いている。失ったものを想い涙を流す。その弱々しい背中に、非情にもポーションの代金など要求できようはずはなかった。

 

「ふぅっ……う……この羽根、ピナ、の……っ」

「連絡はこれでよしっと……おい、いい加減泣きやめよ。どれ、そのハネ見せてみろ。……へぇ、やっぱ《ピナの心》か。じゃあマジで泣くのは早い。ピナとやらは生き返らせれるぞ」

「ほ、本当ですか!?」

 

 俺がヒスイへの連絡を終えて、彼女の大切な存在を甦らせられると伝えたら、少女は勢いよく食いついてきた。そしてその姿は、どこかロムライルの死を回避しようとしていた己のそれと重なって見えた。

 ふと仕舞っていた記憶を掘り起こしてしまった俺は、最後まで面倒を見切れるわけでもないのに、少女の情に流されてしまった。

 

「(その表情(カオ)に免じてタダで教えてやるか……)……ああ、言い方変えるわ。できなくはない。……だいぶ面倒なんだよ。ところで、《飼い慣らし(テイミング)》スキルの熟練度は?」

「あたしのは650です。でもピナはピナ……他の《フェザーリドラ》じゃ嫌なんです」

「テイムのし直しはしたくないと。まあ、《なつき度》もリセットされちまうからな。今後死んだ時《心》がドロップしなくなるし、こりゃ仕方ないか」

「そういう問題ではありません。あの子は唯一の親友なんです……」

「……すまん、デリカシーなかった。つか、フェザーリドラとはまたレアなモンスターをテイムしたもんだ」

 

 俺は半ば感嘆の色を交えて少女に驚く。

 《フェザーリドラ》は8層で初めて出現した、低エンカウント率のレアモンスターである。

 大きめのトカゲに全長とほぼ同じ大きさの羽根を持ち、ペールブルーで包まれたふわふわの羽毛を全身に生やしたらフェザーリドラの完成。見た目も愛らしく、1度だけ遭遇したことのある俺も、なぜコレが好戦的(アクティブ)モンスターなのかと困惑したものだ。

 ――ま、βテスト当時はレアモンとも知らずにぶった斬ったが。

 

「でも知りませんでした。あの《なつき度》って、命令の自由度以外に、生き返らせる時にも参照するんですね」

「まーな。最近まで知られてなかったことだし、あんたが知らなくても当然だよ」

 

 情報を得ることが一種の快楽となりつつある俺には、テイミングについても一通りの知識がある。

 まずはなぜビーストテイマーの数が不足しているのか、その説明から入ろう。

 彼らは例外なく《テイミング》スキルを獲得している。逆に言えば、運よくテイムしたプレイヤーのスキルスロットに空きがあった場合にのみ、エクストラスキル《テイミング》が与えられるのだ。

 最初のテイムは困難を極める。通常のアクティブモンスターがプレイヤーに危害を加えない友好的な態度、つまり非好戦的(ノンアクティブ)で近づいてくる、という稀なイベントを待たなければならないからだ。

 次にそのモンスターが好物とする餌を与えてやり、飼い慣らしが成功すると晴れて使い魔の誕生である。

 ただでさえスキルの獲得が遅く、リアルラックに訴えかける一連の『テイミング作業』が、攻略組を目指す者にとってどれほど時間的足枷かは想像に難くないはず。俺が『前線のビーストテイマーは少ない』と断定している理由の1つがこれだ。

 だが幸いなことに、一部の例外を除いて基本的に敵モンスターはテイムされた使い魔を襲わない傾向にある。主を守るために自ら盾になる、あるいは主がわざと盾にするような場合はその限りではないが、今回少女の使い魔が命を落としたのは、むしろかなりの不運だと言える。

 しかし、これが前線にビーストテイマーがいない2つ目の理由にもなっていた。

 使い魔は攻撃されれば死ぬ。これは不動の摂理だ。

 彼らは激しく落胆したという。よもや手塩にかけた相棒が、これほど(もろ)いとは思わなかったそうだ。

 47層で使い魔用の《蘇生アイテム》が判明するまでは、死んだらテイムをし直すしか復帰の方法はなかった。にも関わらず、テイムする都度《なつき度》は初期値に戻されてしまう。《テイミング》スキルの熟練度の上昇で飼い慣らすこと自体がし易くなっているとは言え、さすがに時間の浪費が割に合っていない。

 47層での使い魔用蘇生アイテムの登場は、プレイヤーにとってあまりにも遅すぎたのだ。

 こうして攻略組は、不確定な戦力を排除してしまった。今いる前線のビーストテイマーも、結局は準攻略組などからの成り上がりや新参者ばかりで、ゲーム開始時からの古参は残念ながらこの世にはいない。

 

「(むしろこんなガキんちょがよくテイムできたもんだ……)」

「それで、その蘇生アイテムなんですけど……」

「ああ、その話は帰ってからにしよう。どのみちあんた1人じゃ無理だろうし。……あ、そういや名前は? 俺はレジストクレスト所属のジェイド」

「あたしはシリカって言います。ギルドやパーティは時期によって変えています」

「へぇ、そこはちゃっかりしてるんだな」

「……あの……シリカって名前、聞いたことありませんか?」

「うん、ないけど?」

 

 なぜ俺が知っていると思ったのだろうか。俺と過去に会っていて俺だけが忘れているのだけだろうか。……なくはない。だが、だとしたらもう少し気まずそうな顔をするはずである。今の『プライドを傷つけられた時のような顔』は何だろうか。

 それとも自分の知名度に相当な自信があったのか。もしそうだとしたら、彼女にも何か特技があるのだろう。確かめようがないがシリカの使い魔と一発芸でも……、

 

「いや、待てよ。確かフェザーリドラ……って言ったら《竜使い》の!」

「はい! あたしが竜使いのシリカです。……何だか嬉しいですね」

 

 どうやら自分の知名度に関する俺の推測は当たっていたらしい。使い魔のことで暗い表情しかしていなかったシリカが、ここにきて満面の笑みを浮かべている。

 道理で態度が釈然としていなかったわけだ。彼女もこの話題が真っ先に来るものだと信じていたのだろう。

 しかしその自信は過信も生む。実力以上の能力を錯覚してしまうのだ。

 例えば、今日のように。

 

「俺はその《竜使い》って奴はフィールドに出ないものだと勝手に思ってたよ。ああ、悪い意味じゃないけどさ」

「……いえ、いいんです。……あたし舞い上がってました。ただのマスコットとしての人気を、自分の力とカン違いしていたんです……」

 

 一旦明るさを見せたシリカであったが、その浮かれが危機を招いたのだと思い出して自虐的に呟いた。

 だがここで女神のように明るい声が響いた。マイエンジェル、という意味ではなく。

 

「あ、いたいたー! ジェイドぉ! 大丈夫ー!?」

「えっ! ヒスイお姉さん!? どうしてここに!?」

「えぇえええ!? お、お姉さんって……ヒスイに妹が!?」

 

 連絡しておいたヒスイが到着するなり、シリカの突拍子もない反応にかなり驚いてしまった。

 まさか妹がいたとは。失礼だがまったく似ていない。そもそも髪の色が違う。それに隠していたのかは知らないが、俺になら教えてくれてもよかっただろうに。

 

「ハァ……違うわよ……ハァ……急いできたけど、助けた女の子ってシリカちゃんだったのね。あたし達はずいぶん昔から知り合っていたの。この子がまだ使い魔にも会っていなかった頃よ。《体術》スキルの入手にてこずってたみたいだったから、ちょこっとコツを教えてあげてね。それ以来、仲良くなって定期的に会ったりもしてるし」

「へぇ~、そりゃ知らんかったよ。俺はてっきり薄情な姉だったんかと……」

「そんなわけないでしょ!」

「いえ、あの……ちょっと待ってください! ヒスイお姉さんはあたしが唯一知ってる攻略組の人ですよっ? しかもあの《反射剣》で、その……とにかく凄い有名人なんです! なのにジェイドさんが……何でそんなに親しげに……」

「…………」

 

 ――まあ聞きたくもなるよな。ズバッと聞いてきたなこいつ。

 などと他人事のようなことを考えつつも、内心俺は回答に困っていた。

 俺はヒスイと恋仲にある。しかしなるべくこれは知られたくない。多くの人間から祝福されないだろうと確信しているからだ。

 だが何を隠そう、俺とヒスイは同じギルドの――ネーム付近にアイコンが浮かぶので隠しようはないが――所属者だ。それを話題に論点をずらし、徐々に関係を曖昧にしていけば誤魔化せないことはあるまい。相手はまだ子供なのだ。

 

「あたしね、この人と付き合ってるのよ」

「えぇええっ!?」

「おいィいいッ!?」

 

 脳内作戦は粉々に粉砕。しかも主犯は身内から出てきた。

 

「それなるべく内緒ってなったじゃねぇか! どうしてくれるんだよ、そんなストレートに言われたら……」

「もう、今はいいじゃない。前線じゃあるまいし。ここは中層よ? あたしに尾行もないはずだし、それにシリカちゃんは言いふらしたりなんかしないわ。そんな子じゃないもんね?」

「あわ、あわわわわ……」

 

 当のシリカ嬢はご乱心のようだった。口は開きっぱなしで頬は真っ赤。この場合、刺激が強すぎたというよりは有名人の熱愛スキャンダルを目撃してしまったようなニュアンスが強いだろう。

 それとも尊敬する人物の堕落した姿を見たような感じ、という線も捨てきれない。

 

「……あ~、えっとねシリカちゃん、この人とは昔から色々とあったのよ。心配しないで、決してお金で買われたとかじゃないから」

「なあヒスイ、心配して。俺は10倍失礼なこと言われたぞ」

「まあ立ち話も疲れるから、まずは街に戻りましょう。すっかり夜も遅いし」

「そうすっかね。シリカも問題ないよな?」

「えっ……あ、はい。あの……自慢するようなことしてすいません。ジェイドさんの方がよっぽど凄い人だったんですね……」

「いやそういうのないからな」

 

 しみじみと言われると返答に詰まる。

 俺はため息を飲み込んでそう思うのだった。

 

 

 

 とりあえず一悶着あったものの、それからしばらくして俺達3人は主街区へ戻っていた。

 時刻は8時を過ぎている。今から飯屋を探すにしても夕飯にありつくには少々遅い時間帯だろう。さっさとレストランか宿屋でも決めて、温かいスープを胃に流し込んでやりたいものである。

 

「ところでシリカちゃん、あたしとジェイドは依頼があって来ていたけど、シリカちゃんはなんで《迷いの森》なんかにソロで行ったの? 危なかったらしいじゃない」

「えっと……最初は1人じゃなかったんです。エリア内でケンカして……そのまま別行動しちゃったんです。あたしがバカでした。つい売り言葉に買い言葉で……今度からは気を付けます」

「そうだったの、それでピナを。……よし、あたしが一緒に付いていってあげる。47層ぐらいならなんとかなるし、うちのギルドにも短剣使いがいるから。その人のお下がりを借りれば数層分のパワーアップもできるし」

「ちょい待てヒスイ。気持ちはわかるけど、俺らの目的を忘れるなよ。ピナとやらの件も悲しいけどあっち(・・・)も重要だろ? 手を貸すのは、まず本来の要件を終わらせてからだ」

「そんなこと言って、3日過ぎたらどうするの! ピナのいないシリカちゃんの悲しみはあなたもよく知っているでしょう。ちょっとヒドすぎじゃないっ?」

「じゃあシルフラのことはアト回しか!? ここで中途半端にしたら、いま苦しんでるロキヤがむくわれねェんだぞ!」

 

 だんだんとヒートアップしていく俺とヒスイの剣幕にシリカも怯えてしまっていた。

 主街区(ミーシェ)に戻る道中、47層の南に位置するフィールド《思い出の丘》で《プネウマの花》という、つまり使い魔ピナを蘇生させるアイテムが手に入るのだとシリカには教えてある。

 現在より12層も上のフロアで、しかも難易度が高めに設定してある道を進むのは、シリカ1人の実力では到底不可能。俺が教えたのも「無謀でもいいから挑戦しろ」と言いたかったのではなく、誰か別の人に依頼しろという意味だった。

 しかしヒスイは、突き放されたシリカに見ていられなくなったのか「助けてやる」と申し出たのだ。まだシルフラの依頼の最中だというのに。

 

「気の毒とは思うさ。けど、使い魔は最悪蘇生が間に合わなくてもテイムのし直しが利く。3日以内に犯人を突き止めて、全部終わってからにしようぜ。でないとロキヤにも合わせる顔がない……」

 

 まくし立てようとした矢先だった。

 

「あら、シリカじゃない」

 

 唐突に棘のある声が真後ろからかけられた。

 振り向くと、そこにあったのは長柄槍(ポールランス)を主武装に選択した赤毛の女性の姿が。髪を派手にカールさせていて身長も平均女性よりは高めだろう。

 いくら中層でも名前と容姿は世界に広く割れているため、ヒスイはとっさに『自分から目を合わせない限り顔を隠すことができる』という特殊効果を内蔵したフードを被っていたが、俺はすぐに女性を直視してしまい、息が止まるほどの衝撃を受けた。

 目の前にいる女性。わざわざ自分から俺達の方に出向いてきた女性こそ、俺とヒスイが半日探し回っていた女性の特徴と一致しているのだ。

 

「へぇ〜、森から脱出できたんだ。よかったわね」

 

 赤髪の女性、おそらくロザリアというネームを持つだろう人物は嫌味ったらしく続けた。アイテム分配は終わったなどと言ってシリカを執拗に言葉で責めている。

 俺は彼女の正体に気付いたヒスイに改めに視線を送った。

 ――どうする?

 目線だけで問いかける。だがヒスイは再びロザリアと思しき人物を睨み付けた。

 俺も目線の先をヒスイから赤毛の女性に変更し、状況を理解するために脳をフル回転させる。

 

「(なんでヒスイは話しかけない……いや、顔と名前が割れているか。ムダに警戒心を生むだけだ。探りをいれるなら俺からの方がいいか……?)」

 

 事実無根の根も葉もない疑いだったとしたら、この疑惑は彼女にとって迷惑千万だ。

 だが実際の人物像はどうだろうか。《迷いの森》で別行動となったシリカに対し、生きていることを喜ぼうともしていない。しかも言うに事欠いて、アイテムの分配は終わったなどと言っている。それが最初にかける言葉だろうか。それが、同じパーティにいた仲間が無事生還を果たした後にかける言葉だろうか。ケンカでも言っていいことと悪いことがある。

 まさか、シリカの死を望んでいたとでも?

 それはまったくもって犯罪者の思考回路である。それとも彼女は本当に犯罪者で、シリカをMPKができる状態へ誘い込んだのか……、

 

「(ダメだ、それこそ決めつけ。真人間であって欲しいんじゃないのかよッ)」

「あら? あのトカゲ、どうしちゃったの?」

「ッ……!!」

 

 俺の葛藤とは裏腹に、とうとう赤毛の女性が決定打を投げかけた。

 直接目撃していなくても、この女性なら知っているはずだ。使い魔はストレージに格納することも、どこかの施設に育てることを委託することもできない。最高レベルの熟練度を保有しているならともかく、今のシリカにはピナを一定距離から離して命令することすらできないはずだ。

 あえて聞いた。わざと問い正した。

 シリカの傷を、心の傷を抉り取ったのだ。

 

「死にました……。でも! ピナは絶対に生き返らせます!」

 

 とうとうシリカは大声でそう怒鳴った。

 女性は思わぬ反論に目を見開いたが、すぐに細めて挑戦的な聞き方をする。

 

「へぇ、てことは、《思い出の丘》に行く気なんだ。でも、あんたのレベルで攻略できるの?」

「(なにっ!?)」

「それは……」

 

 言いよどむシリカを尻目に、今度は俺が目を見開く番だった。

 なぜこの女が《プネウマの花》のことを知っているのか。

 俺のように47層を通過した攻略組、すなわち金と情報購買力に余裕のあるプレイヤーだけが、《思い出の丘》とそこにまつわる《プネウマの花》の実態を知り得るのだ。ましてや自分がビーストテイマーでもないのに、ここよりはるか上層の情報をこの女性が知っているのは道理にそぐわない。

 シリカのために親切にも調査しておいた……はずはないだろう。

 残る可能性は、この赤毛の女性の攻略適正層はすでに35層よりはるかに高いということだ。

 

「できっ……できます! あたし1人でも手に入れて見せます!」

 

 シリカは果敢にも言い返した。俺はいてもたってもいられなくなる。

 何か言い返さなくてはならない。それとも問答無用で力ずくでも取り押さえるか……いや、それこそ論外だろう。『犯罪者9人の捕獲』という題目をクリアできなくなる。

 この女をロザリア本人だと決めつけた上で、さらに警戒させることなく監視下に置く方法とは。

 ……簡単だ。俺がバカに(・・・)なればいい。

 

「シリカの言う通りさ、赤毛のネーチャン。《プネウマの花》って言っても、あの程度のフィールドなら俺が付いてきゃ楽勝。サクッとクリアして花束にでもしてやるよ」

「へぇ~?」

 

 彼女は値踏みするように、今度はねっとりとした視線を俺へと向けた。

 

「見ない顔だね、アンタ。けどわっかりやすいわ。どーせ、そこのちっちゃい子に甘ぁ〜くたらしこまれたんでしょ? ハッ、笑っちゃうわねぇ!」

「可愛い子相手にムキになって何が悪い? ……とにかく、俺は行くって言ったら行くぞ!」

 

 それだけを言って俺はヒスイとシリカの手を引いた。

 1分以上は歩いて、女が見えなくなるところまで来てから俺はヒスイに合図した。

 客引き(・・・)は十分だろう。上手く能無しを演じられたかは定かではないが、無視できない手応えはあった。あとは投げた餌に引っ掛かるかどうかだ。

 

「やるわねジェイド。けどごめんね、また損な役割押し付けちゃって」

 

 ヒスイがフードを外しながら控えめに詫びをいれる。

 

「慣れっこだよ。むしろ迷ったせいでタイミング遅かったしな。……それに、こいつの頑張り見せられちゃ、俺も反撃したくなった。……シリカ、事情は順を追って説明するけど、最初にこれだけ聞かせてくれ。あの女、名前はロザリアだな?」

「え、はい……でもどうして知ってるんですか?」

「ビンゴか。ロキヤに言いたくもねぇコトが増えちまったよ……」

 

 ロザリアがシルフラ壊滅事件にとって白なのか黒なのか。それがわからないからこそ、俺達は白である裏付けをしようとしていたというのに。

 よもやこの行動の先に、犯人の証拠を示唆する未来が待ち構えていたとは。

 

「ええ、彼女よ。仲間を失って数日後……また仲間を失いそうになってるのに、あんな態度はとれないわ。シルフラの前では猫の皮でも被ってたんでしょうね」

「え~と……?」

 

 いい加減話についてこられなくなったシリカは首をかしげる。

 

「俺達がもともと《迷いの森》にいた理由だ。ま、ようは俺とヒスイが全力でピナを生き返らせる手伝いをする、ってなったんだよ」

「ほ、ホントですか!? あたし、お金とかあんまりないですけど……」

「いいのよシリカちゃん、お手柄だったんだから。……そうだ、せっかくだから今日の晩御飯はあたしから奢らせてよ」

「そんな、ヒスイお姉さんまで……。何から何まで、本当にありがとうございます!」

 

 大人からの、謂れのない嫌がらせ。それに対し逃げ場のない彼女は不幸だ。まだ学生服に袖を通したことすらあるかわからないのに。

 なればこそ、この小さな戦士のために、せめて俺のできることをしてやらねばならない。

 

「……あ、でもジェイド! シリカちゃんが可愛いのは認めるけど、だからって必要以上にスキンシップするのはダメよ? 気を引こうとするのもダメ!」

「さっきのは言葉のあやだ。俺にはヒスイだけいれば十分だよ」

「そ……それなら、よろしい……」

「えぇっと……色んな意味でごちそうさまです」

 

 シリカがそう纏めたところで俺達は本日の宿を決定した。

 気を引き締め直す。本番は始まってすらいないからだ。俺とヒスイが賭けに勝ったとしても、それは犯罪者の尻尾を記録的な早さで掴んだことにしかならない。

 ある種の決意のようなものを秘め、俺達はその宿屋に足を踏み入れるのだった。

 

 

 

 



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第72話 竜使いとの旅(後編)

 西暦2024年2月13日、浮遊城第35層(最前線55層)。

 

「あの……この部屋ツインですよね?」

「ああ。こっちがツインで、ヒスイとシリカはこの部屋で寝泊まり。シリカを1人にしないようにって。……おいおい、俺のは隣のシングルを予約してあるから心配すんなよ」

 

 俺達3人は《風見鶏亭(かざみどりてい)》という名の宿、その1階にある食事処で夕飯を済ませた。ついでに層の移動が面倒であることから、お互いホームタウンではなくそのまま2階の宿泊施設を利用することにしている。

 1階フロントにいたNPCに宿の代金を手渡すと、俺達は年季の入った(すす)けたアナログキーを預かる。『フロント』といっても居酒屋のバーのような雰囲気であった。鍵の古臭い形状から、心の片隅では部屋の取り方を間違えたかとビクビクしていたが、部屋自体はまともなようだ。

 建物が木造建築であることから予想はしていたが、ハイテクな家具などは設けられていない。しかし中々にシックな感じの――クラシックとも言う――いい部屋である。家具や寝具のデザインよりは、特に色彩の対比が素晴らしい。

 

「でもいいんですか? せっかく2人でいるのに……その、一緒に寝たりとか……」

「コラコラコラコラませたことを言うんじゃないよキミ。そそそんなハレンチなことをどこで覚えたんだキミ」

「え……あの……?」

「いいのシリカちゃん。1人のヘタレが体裁を保とうと必死になってるだけだから。あたしもこの積極性の無さに悩まされているのよ。そっとしておいてあげて」

「大変なんですね……」

「頼む、そのあわれむような目線を何とかしてくれ」

 

 ともかく、話が進む気配がしなかったので、俺はふてぶてとしながら常時携帯している地図アイテムを取り出した。

 3Dマップとして有名な《ミラージュ・スフィア》。35層主街区(ミーシェ)の道具屋で手に入る特定箇所限定のものではなく、1度通過した場所を立体的に知ることのできる必須アイテムである。

 当然のように47層の全体像を把握していなかったシリカは、ミラージュスフィアの発する穏やかな光と幻想的な映像、また『華の街』として名を馳せる《フローリア》の全貌に感嘆とした声をあげた。反応が直接的で微笑ましい。

 ちなみにティーテーブル備え付けのイスも足してもらってるので、これなら3人で落ち着ける。

 

「さてさて、早速ルート決めなんだけど、ここが主街区の《フローリア》でこっちが《思い出の丘》。ヒスイ、作戦通りでいくならこの直線道一択だ。ただしこれは覚悟(・・)があるならの話。……できるか?」

「ええ、あたしもこの際、腹をくくるわ。打ち合わせ通りいきましょう」

「よし。じゃあシリカもここを見ておいてくれ。道は案内するけど、万が一はぐれてもいけないしな」

「はい。あたし47層なんて初めてなので、貴重な情報はありがたいです!」

 

 ずずいっ、と身を乗り出して一生懸命に地図の道筋を覚えようとするシリカ。

 こうしてみるとヒスイと夫婦になったのにも関わらず、多忙な日々が続いたせいで、新婚さんのようなラブラブ生活ができなくて嘆いてしまう。プロポーズ承諾されてから数えてハネムーンすらまだだ。

 しかし、らしいことをしてやれなかった俺からしたら、シリカとこうして話している風景は家族の団欒(だんらん)に見えなくもない。だとすれば少しシリカの歳が(かさ)みすぎている気はするが、いつかは俺もヒスイとゆっくり……、

 なんてことを考えていたら、《索敵》スキルが近くの廊下に留まったまま移動しないプレイヤーを察知した。

 

「(いるな~、扉の向こうに誰か。いや、誰かっつー段階でもないか……)……この橋を渡ったらすぐに丘が見える。そう西からだ。案外近道だから、結果的に見れば一石二鳥だな」

 

 俺はシリカの言う『貴重な情報』とやらが漏れている事実にあえて目をつぶった。

 わざわざ言わなくてもいいことを、こうして声に出すことこそ必要な下準備だからだ。

 

「はい、覚えるのもそんなに難しそうじゃないですね」

「まぁな。単なる確認作業だ」

 

 確認、というよりは俺達の攻略ルートを知らせてやっているだけだが。

 だが、あまりヒントを与えすぎるのも逆に怪しまれる。それにどうやら目的は達したようで、扉の向こうから人の気配が抜け落ちていた。

 

「ジェイド気付いてた? たぶん《聞き耳(ストレイニング)》スキルね。《索敵》を完全習得(コンプリート)してれば気付くはずだけど」

「そりゃあな。んじゃミーティングはこんなもんでいいだろ。ギルド用共通タブから送られてきたジェミルの防具とかはこの辺に置かせてもらうぜ。一応シリカにとってベストなのを選んだつもりだけど、装備できなかったらまた教えてくれ。替えも用意してある」

「……? えぇっと、最初の方はよくわかりませんが、とにかく感謝してますジェイドさん。明日もよろしくお願いします」

 

 この締めの言葉を境に俺達は一時的に解散した。俺もヒスイやシリカと別れると自分の部屋に移動する。

 今日は色々あった。泣き崩れたシルフラのリーダーと再開し、仲間の仇討ちを頼まれる。そして依頼執行の途中に《竜使い》の二つ名を持った少女と出会い、彼女を通して犯罪者の手がかりと遭遇。さらに犯人捕獲の第一段階として利用できた。どれもこれも今日1日の話だ。

 話はとんとん拍子に進んでいる。舞台は整った。あとは全力を尽くすだけ。

 

「(明日で全部片を付けてやる……)」

 

 そう決心し、俺は残る防具を取り払ってからベッドに横たわるのだった。

 

 

 

 本日は2月14日。カラッ、と乾燥した快晴の早朝だ。

 朝の冷え込みこそ回避しようがなかったが、太陽は仮想のものであることを忘れさせるほど燦々(さんさん)と照りつけ、ボリュームゾーンのプレイヤーを優しく包んでいる。

 『華の街』として有名な《フローリア》と、その名に恥じない花の咲き乱れるフィールドを巡るには、わりと絶好日和と言えた。

 朝食を取り終えた俺達3人は、早速47層を訪れている。

 

「き、きれい……」

「だろ? 香りはキツいけどいいところさ。俺とヒスイも昔はここで走り回ったもんだよ」

「いえ、確かに走り回ったけど、あれ自慢できるような内容じゃなかったでしょ……」

 

 顔を隠すために再びフードを深く被ったヒスイがそう言った。

 しかし黒歴史である本質を隠して字面だけ追えばどうってことはない。あの恥ずかしい記憶は俺とヒスイ、また一部の攻略組の中にしかないのだ。

 

「その辺の花に意識をフォーカスして見るともっとよく鮮明に見えるぞ。……すげぇもんだろ、名前とかは知らんけどな!」

「ホントですね。いま気づいたんですけど、似た色でもこんなに種類があるんですか」

「ほどほどにね。心惜しいけど、ここには遊びに来たのでもないわ。シリカちゃん、一刻も早くピナを生き返らせてあげましょう?」

「はい! じゃあフィールドに行きましょう!」

 

 一行はフィールドに出て進行を開始。

 戦闘面で余裕のある俺達は雑談をしながらまったりと歩き続けた。

 そのまま数分もしてからだろう。俺達はフィールドに生える植物に擬態したモンスターとエンカウントした。

 この手のモンスターにありがちなことは、擬態中は本当にシステムから『花などのオブジェクト』認定を受けるのだ。

 つまりどういうことかというと、擬態を解いてモンスター扱いになるまで《索敵》スキルに反応しないということである。モンスターではなくオブジェクトなのだから。

 もっとも、擬態解除中に態勢を整えることぐらいはできる。なので不意打ちから一気に危機に陥るなどということはないが、やむを得ず戦わざるを得ないこともザラだ。

 しかしこの場合、モンスターは設置型のトラップの部類に入るため、ジェミルの持つ《罠探査(インクイリィ)》スキルなどにはむしろ反応したりもする。

 《索敵》も便利だが万能ではない。これこそがソードアートの面白いところで、スキルの選択には無限の分岐があるのだ。

 攻略開始直後こそ実用的なスキル以外が(ないがし)ろにされてきたが、こうして余剰レベルの確保ができた今はスキルの選択で個性が出る。その積み重ねがロールプレイング性を際立てる醍醐味にもなっているのだから奥が深い。

 

「おおっと、こいつぁ《ティタニアル・メイド》じぁねーか。また思い入れの深いモンスターに会えたもんだぜ」

「ちょ、ちょっとジェイドさん! 呑気なこと言ってていいんですか!? き、来ますよ……ほら、すぐ!」

「まあ落ち着けって。ほらよ!」

 

 ターゲティングは俺だったが、軽いステップだけでツタの叩きつけを回避してしまう。速度はあれど技にホーミング性がない証拠だった。

 そして甘やかすのが嫌いな俺は、ついシリカにも発破(はっぱ)をかけた。

 

「今のシリカのレベルと、充実した装備。……うん。サシなら負けるこたぁねーな! 危なくなったら速攻で助けてやるから1回やってみ。バトルは慣れだよ慣れ」

「わ、わかりました。じゃあやってみます」

 

 しかしそれが間違いだった。

 

「いや、でも……シリカちゃんってスカート履いてるじゃない? これ任せたら……その、見えるんじゃ……?」

「見えるって何が……ッ!!」

 

 言いかけて瞬時に理解する。いや、理解すると言うより思い出した。

 特定の技を受けると、このモンスターは足に(つる)を巻いてプレイヤーを宙吊りにするのだ。宙吊りにするということは、例のあれが見えると言うことにもなる。

 植物系モンスターが相手なら珍しいことではない。バランス感覚のイカれたプレイヤーが放つソードスキルほど無力なものはないので、戦闘において普通に要注意だ。

 ではなぜ俺が失念していたかというと、それは俺にとって『攻略における注意すべき攻撃』以外の意味を含まないからだ。すなわち、『パンツが見えるから注意せよ』などといった意味を持たないということでもある。

 おまけに俺は男だ。宙吊り攻撃を受けた時に自分のパンツが見られる心配をしたことは、残念ながら人生で1度もない。

 甘かった。配慮が足りなかった。こいつの相手をシリカにやらせると……、

 

「きゃあっ、助けてぇえええ!」

 

 こういうことになる。

 

「ひゃあ! 見えちゃう! 見えちゃうよぉ!」

 

 両足をがっちり固定されたシリカは、敵にもてあそばれつつも懸命に叫んだ。しかしいかんせん、適当に振り回している彼女のダガーではリーチに劣り、モンスターにまったく命中していなかったのだ。見えちゃうも何も、絡まった蔓をほどけずにいるシリカの股からは白い下着がはっきりと見えている。パンチラですらない、もはやパンモロだ。

 以前にはアルゴが同じ目にあっていたが、それは思い出さないのが吉だろう。

 

「おおうっ……早速くらってんな! もうちょい踏ん張れよ! ……だあもう、じっとしてろ! いま助けてやるから!」

「ダメです! こっちを見ないで助けてください! 目をつぶって倒してください!」

「アルゴみたいなこと言うなよ!? ったく、おいヒスイ! ちょいと手伝って……あれ、どした? なんか鬼の形相になってんだけど」

「ジェイド、アルゴみたいなって言ったよね。……え、ナニ? アルゴとも一緒にやったの? 経験済みって言うことよねコレ。あれれ……ふゥん、じゃあわかってて(・・・・・)シリカちゃんにやらせたんだ……」

「…………」

 

 冷や汗が滝のように流れた。

 なるほど、洞察力の高いヒスイの前では失言だったらしい。冷静に分析している暇はないが、どうやらこれは逃げ場がない。モンスターを挟み撃ちにするつもりが、モンスターと挟み撃ちにされている。俺も数々の修羅場を潜り抜けたと自負しているが、これほど生命の根元から恐怖する機会も少なかったと言えよう。

 さて、俺が生き残るにはこの妻を穏便になだめる必要がある。

 俺はシリカの悲鳴をBGMに、ひとまずはヒスイを説得する作業に入った。

 

「待て。おいおい落ち着いてくれヒスイ。やましい気持ちはなかったんだ。よく考えてほしい、シリカはまだまだ小さな子供で、ストライクゾーンから大きく外れる。それに俺は純粋に、あいつの場数を増やしてやろうと……そう、善意から言ったんだよ」

「ひゃっ!? ちょ、どこ触って、ひやぁああ!?」

 

 シリカの艶やかな悲鳴により、また一段と空気の温度が下がった。

 極寒までもう少し。うむ、手短に済ませなければ俺の命が危うい。

 

「……こ、こここれも経験かと思ってな。……だってそうだろう? シリカもいずれ47層に到達する。知っての通り、ここでものを言うのは経験の差だ。事前に戦闘しておくことは絶対に役に後で立つはずで」

「や、そこはダメ! ぬるぬる嫌ぁ、入ってきちゃダメぇぇ!!」

 

 もはや言うことはあるまい。シリカよ、願わくば少し黙っていてほしかったぞ。

 

「……言いたいことはそれだけかしら? なら……蒸発しろ、この変態ぃっ!!」

 

 真っ青に輝くヒスイの愛剣から上位クラスの片手剣用単発ソードスキルが発動された。

 そしてその刃は、俺もろとも敵モンスターを完膚無きまでに切り刻むのであった。

 

 

 

 アクシデントがあってからさらに30分ほどが経過。俺達3人は《思い出の丘》直前地点まで来ていた。あれから少々ギスギスしてしまったものの、ペースとしては上々だ。

 問題があるとすればヒスイ。まだ先ほどのことをこじらせていて大層ご機嫌斜めである。ずいぶん緊迫したシビアな作戦中だと言うのに、いささかシリアス成分に欠けるのは気のせいだろうか。それともこれが俺のプレイヤーとしての性か。

 

「あの、ヒスイお姉さんオレンジになっちゃってますけど……本当に大丈夫なんですか?」

「安心しろシリカ。オレンジ化ってのは回数を重ねるごとにグリーンに戻るのが難しくなる。が! ヒスイは初めてなんだ。つまり戻るのも容易いってこった。そう、オレンジになることは作戦だったんだよ! あのアクシデントも全ては想定の内だったのさ。どうだ、安心したか?」

「とても不安になりました。ヒスイお姉さん、大丈夫でしょうか?」

「え、ええ。まぁ……ちょっと予定と違うけどだいたい順調よ。ちょっと違うだけだから」

「…………」

 

 まずい、シリカの人を見る目がどんどん変わっているように見える。まるで飼い主に捨てられた(あわ)れな子猫を見ているかのごとく。

 これ以上失態を晒すと大人としての威厳がなくなってしまうので、どうにか言い訳をした方がいいだろう。俺が口を開くと墓穴を掘るような気がしてならないが。

 

「っと、言ってる間にもう到着したな」

「えっ、ど、どこですかっ!?」

「ほら、奥に見えるのが《思い出の丘》だ。使い魔の《心》を持った主人があの丘の頂上に立つと、《プネウマの花》が咲くんだってさ」

「よかった……これで……ピナにまた会える!」

 

 シリカはようやく壮麗な活気を取り戻し、トテトテと走っていった。

 すると一面の美しい花が彼女の気持ちを遠慮しているかのように、不思議な空間の中心で鮮やかな花が咲き始めた。割れる葉から太い茎が、そしてその先につぼみが実り、完成された一輪の花はその根本から手折(たお)れる。

 光の欠片(かけら)が彩りを足す中で、《プネウマの花》は誕生した。

 

「これがプネウマ。ピナ、また一緒に旅をしよう……」

「よかったなシリカ。でも感動の対面には早い。この層はまだピナにも危険だ。一旦フローリアに戻ってから復活させてやろうぜ。……あとヒスイ、オレンジになった甲斐はあったぞ。こっからは別行動にしよう」

「ええ、また後で合流しましょう。……けど、あたしにできるかしら……」

「なにビビってんの、今まで通りでいいんだよ。怒ってんならぶつけてやれ。……それに、いざとなったら俺もいるしな。なるべくフォローするよ」

「ありがとうジェイド。でもシリカちゃんを危険な目に遭わせないようにね」

 

 ヒスイは言うだけ言って後ろを向いた。

 その背中はすでに、俺が長らく憧れた強くて凛々しいいつものヒスイのものだった。

 

「え、ヒスイお姉さんはどこかに行っちゃうんですか? まだ帰りの道が……」

「ごめんねシリカちゃん、利用するようなことして。あたしはこれから仕事があるの……でも、今はただ信じて、ジェイドと主街区に向かってほしいの」

「ヒスイお姉さん……」

 

 シリカも思っているだろう。俺やヒスイから言ってしまえば、こんな低層でいったい何をしなくてはならないのかと。それは使い魔の蘇生より優先されることなのかと。

 そもそも攻略組の目的は、迷宮区を攻略し、その奥にいるフロアボスを討伐することにある。だというのに、何が楽しくて35層や47層のようにレベリングスポットもない中途半端な階層で(くすぶ)っているのか、わけを知りたくもなるはずだ。

 

「……いいえ、やっぱり聞くのはやめます。あたしは2人を信じてます」

「サンキュ、シリカ。んじゃ帰るとするか。ヒスイは好きなタイミングで合流してくれ」

「ええ、じゃあまた。……シリカちゃん、少しでも危なくなったらクリスタルで逃げるのよ? あたしとの約束だから」

「はい!」

 

 一瞬だけ笑顔を見せると、すぐにヒスイはフードを被ったまま姿をくらました。

 俺とシリカは2人で帰路に着く。

 帰りは特に強いモンスターにも出会すことはなく、恐怖心に打ち勝ちつつあるシリカは、俺のフォローなしで十分モンスターと渡り合っていた。先ほどファンファーレが鳴っていたことから、どうやら2度目のレベルアップもしたようだ。

 ここからは直線。迷う心配もなく、攻略組を引き連れている時点で敵を恐れることもない。俺は自然と足が軽くなったシリカと手を繋ぎ、小川に掛けられた橋に差し掛かった。

 しかし、シリカと手を繋いだのもまさか浮気心が芽生えたのではない。

 彼女を制止させるためだ。正確に表現するなら、口で合図することなく橋を渡りきらせないためだった。

 俺が小さな手を引いて彼女を立ち止まらせると、彼女は振り向いて不思議そうに子首をかしげる。それを無視して、用意しておいた言葉を投げ掛けた。

 

「その程度のハイディングで隠れたつもりか? 出て来いよロザリア」

「え……? あっ!」

 

 シリカは俺のセリフに驚いた顔をしたが、すぐに『悟りだしていた答え』を導いていたようだ。つまり、自分自身がオレンジ集団のターゲットになっていることを。

 俺が数秒間立ち止まっていると、木陰から赤い髪を持つ女性が《隠蔽(ハイディング)》スキルを解きながら姿を表した。その態度に悪びれた様子はない。

 髪、顔、主武装、防具から何までシリカにも馴染んだ特徴だろう。それは見紛うはずもない、この数日間行動を共にしていたのだから。

 

「ロザリアさんが……なんで……」

「へぇ~、初めから見えてたの。少なくともレベルは同列ってぐらいかしら? ……連れの女が見当たらないわね。ケンカでもしたの?」

「さァてな。なんにせよ、あんたには関係ないことだ」

「……いやね、怖い顔しないでよ。アタシは嬉しいのよ? あなたが骨のない口だけ剣士じゃなくてね。だってそうでしょう。そのカオを見るに、やっぱり首尾よく《プネウマの花》を取ってきてくれたみたいじゃない」

「くれたつっても、シリカにくれてやったんだ。悪いけど品切れさ」

「フフッ、素敵な回答よ。でもプネウマって今が旬だから、アタシすっごく欲しかったのよねぇソレ。譲ってくれない?」

「今が『プネウマの旬』だァ? ……またワケのわからんことを。とにかくあんたら(・・・・)のぶんはない。まだ隠れてる奴いるだろ、そいつらも呼べよ」

「……チッ」

 

 ロザリアは小さく舌打ちをしてからスッ、と手を挙げた。

 途端に道の両脇に生えた木の後ろからぞろぞろとプレイヤーがやってきた。その数は9。しかも内8人のプレイヤーアイコンが禍々しいオレンジ色だった。残る1人の男は確かにグリーンだったが、よもやロザリア自身が《聞き耳》を使っていたことはあるまい。その男こそ昨日扉の向こうで《聞き耳》を使っていた犯人だろう。

 そしてシルフラを襲った賊の数も9。これで全てのピースが繋がった。

 

「俺も嬉しいよロザリア。シリカから名前を聞いて知ったんじゃない。ハナっからあんたに会いたかったのさ。……しかもギルドアイコンに見覚えがある。最近じゃあすっかり過激派、《タイタンズ・ハンド》ってやつだろう、それ。有志新聞で『10人ギルド』と聞いてたけど、実際は2人もグリーンがいたんだな」

「え、どういうことですか……?」

 

 シリカは怖くなったのか、俺の袖を強く握りしめて後ろに隠れながら俺に聞いた。

 俺は勾配(こうばい )の高い位置から10人を油断なく見下ろし、口を開く。

 

「ルール上、オレンジだけじゃ成り立たない犯罪はよくある。獲物をみつくろって誘導する……その役目はむしろ、グリーンだからこそできるんだ。ロザリアは女で、しかも装備や容姿が目立つ。印象に残りやすくしてるんだろうな。んで、昨日《聞き耳》を立てていた奴、それが後ろにいるクソ地味な男だ」

「昨日の宿の話、聞かれていたんですね……」

「ふふ……アッハッハッハ。すごいすごぉい、やるじゃないモヤシ君? けど所詮はカッコ付けたがり屋ね。それがわかっているなら《プネウマの花》を諦めればよかったのに。イイトコ見せようとするからお子サマだって言ってんのよ!」

 

 ジャランッ! と、一斉に凶器が引き抜かれる音がした。男たちが抜刀したのだ。

 脅しではない。現にシルフラのメンバーは壊滅寸前まで殺されている。

 だが、彼らにとって唯一の誤算はそのリーダーを殺しきれなかったことだ。だからこそ、こんな無名の、どこにでもいる《攻略組》を招き込んでしまったのだから。

 奴らは自らの過信によって自滅する。

 

「《暗黒剣》、解放(リリース)

 

 俺は短く呟いた。誰にも聞こえないように、小さく。

 俺の《クレイモア・ゴスペル》が黒い(もや)を纏う。これにより、俺の大剣は欠損(ディレクト)を非常に発生させやすい状態となり、同時に《暗黒剣》の専用ソードスキルがいつでも発動できる状態になった。《暗黒剣》以外の技は使えなくなるが、どのみちこの戦闘にスキルは不要、と判断した俺に不都合はない。

 最近は筋力値の強化で軽く感じるようにもなった愛刀が背中から引き抜かれた。

 

「お前達、やっちまいなァ!」

『うぉおおおおおおおおおおおおッ!!』

「シリカは離れてろ!」

 

 俺は腰を低くしてダッシュすると、ロザリアおよびグリーンの男を除く8人の男達の中央へ突入した。

 肩と脇にそれぞれ2箇所ずつの斬撃をもらう。

 俺は怯まずに大剣を下段で横に薙いだ。

 よもや直撃して行動遅延(ディレイ)すら起こらないとは思わなかったのだろう。勢い任せの斬り払いがヒットし、3人の足が切断。

 俺は《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルを有効状態にしてあったので、受けたダメージは瞬時に回復。次の攻撃モーションに移っていた。

 敵の海賊刀(カトラス)重槍(ビッグランス)が俺の首と土手っ腹に命中。ズンッ!! という重たい衝撃に一瞬だけひるんでしまうが、アイコンタクトだけにしては無駄のない連続攻撃で、そのやり手具合には敵ながら称賛を送りたいぐらいだった。

 しかし、ソードスキルがクリティカルヒットをしてなお俺のHPは減少しない。正しくは減少速度が回復速度を下回っているのだ。

 俺は捻転力を殺さずに半回転し、敵のコンビネーションを無視して強引に払った。

 またしても3人の足がそれぞれ股の付け根、膝、足首という順番で斜めに切断。

 残る2人は挟み撃ちを敢行。前方に展開した男は目潰し攻撃を、後方に展開した男はなるべく急所設定にされた心臓を狙って連続攻撃をしてきた。

 動きに無駄がない。相当訓練されている。

 だが俺はそれらを全て無視し、前に立つ男の顔面を潰さんばかりの力で掴む。続いて左手だけで男を宙に浮かせてから、今度は後ろのプレイヤーの足を狙った。

 敵のソードスキルの衝撃を越えて後ろの男の足が飛ぶ。そのまま刃の速度方向を逆転させ、掴んでいた男の両足首も空中で吹き飛ばした。

 戦闘は、たったの十数秒で全てが終わっていた。

 

「がァっ! おれ達の足が……こんな簡単にディレクトされるのかよ!?」

「こんなの勝てるはずがない! なんだよ、その壊れスキルは!?」

「レベル制なんだから、差があったらこんなもんだろ」

「そんな……バカなこと……ッ」

 

 単なるレベル差では説明がつかない現象に、奴らも困惑している様子だった。

 もっとも、ソードスキルの1つでも使えば性能の一端ぐらいは掴めたのかもしれないが、連中に詳細を教えてやる理由はあるまい。

 

「あ〜ちなみに、逃げ出そうとした奴から首を跳ねていく。死にたい人間から動いていいぜ。てか死ねカス」

「くっ、役立たずの男どもが……転移、フロー……っ!?」

 

 ガギンッ! という乾いた音が響いた。ちょうどロザリアが逃げ出そうとした瞬間だ。

 ロザリアの手のひらにあった脱出用のクリスタルがあらぬ方向へ飛んでしまっている。しかも片手剣が喉の近くに突きつけられ、身動きがとれないでいた。

 ついでに彼女の隣に立つグリーンの男の首にも、麻痺毒の塗られた短剣が突き付けられる。

 

「バカな、伏兵……? そんな反応はどこにも……」

「これが最前線の《ハイディング》よ。ロザリアさん」

 

 一瞬にして犯罪者の後ろをとった人物、ヒスイはにやりともせずにそう言い放った。

 

「あ、あんたはっ《反射剣》!? どうしてここに……いえ、なるほどねぇ、そういうこと……。そこの剣士サンも攻略組だったってわけね。けど、それなら余計にわからないわ。多忙なあんた達の介入になんの意味があるのよ!」

「……少しは察しがつくでしょう? あなたが主導して滅ぼしたギルド、《シルバー・フラグス》のリーダーに頼まれたのよ。苦楽を共にした仲間を殺された……その仇を、打ち取ってほしいってね!」

 

 一瞬の静寂。

 ヒスイはまず、短剣を突きつけていた男の視界から外れるようにロザリアとゆっくり後ろに移動した。これで彼女の注意がどこに向いているのかグリーンの男からでは見えなくなり、ロザリアとの会話に集中できる。

 次に顔をロザリアに近づけ、鋭い目付きで彼女を睨んだ。

 だが当の本人が言葉を聞くと、楽しそうに鼻で笑っていた。

 

「はっ! 殺した、ねぇ!? そうは言うけど坊や達、証拠はあるのかい証拠は!? アタシはね、ゲームを楽しんでいるだけさ! ゲームオーバーになったからって、人殺し扱いするのやめてほしいわぁ~? そういう善人ぶった人間が大嫌いなのよ!」

「黙りなさい! ここはもう現実でしょう! ゲームならアリなんて、理解した上でヘリクツを!」

「ぐ……ッ!! く……ふ、フフフフ……いいわね、何も知らないガキはお気楽で。それにやめてよねぇ。息がかかってくすぐったいわ~」

 

 それを聞いたヒスイは、自分の剣の切っ先をさらに喉に食い込ませた。

 ロザリアは攻撃されないと踏んでいるのか、一瞬だけ顔をひきつらせはしたものの挑発をやめる気はないようだった。

 

「アハハッ、人を斬る覚悟もないクセに! だいたい、グリーンのあんたがアタシを斬ったら、今度はあんたがオレンジにな……ッ!?」

 

 しかし、そこでロザリアは気づいた。気づいてしまった。いま自分の発している脅しが、もはや何の効力も持っていないということに。

 自分を狙うプレイヤーが、すでに犯罪色に染まっていることに。

 

「そうさ、ヒスイは見ての通り、すでにオレンジだ。なぜかわかるか?」

「わから……ないわよ……」

「プレイヤーを隔てるのは2種類。グリーンか、オレンジかだ。……つまり、あんたを殺そう(・・・)殺すまい(・・・・)が、もうヒスイに変化はないっていうことだよ。不退の覚悟だ。今のヒスイに、人が斬れないと本気で思ってンのかァ!?」

「ひィ……!!」

 

 ロザリアの顔色が青く染まる。初めて本物の恐怖を感じ、動揺した。

 それを確認してから、俺は腰のアイテムポーチからクリスタルを取り出す。

 

「……ロザリア、ここまでだ。これ、わかるだろ? 《回廊 結晶(コリドー・クリスタル)》だよ。(コル)をむしられたロキヤが、それでも金目の私物を全部売り払って買ったんだ。出口は《黒鉄宮》の牢屋に設定してある。全員これで牢屋に飛んでもらうぞ。……コリドー、オープン!」

 

 ストレージから取り出したばかりの濃紺色の大型クリスタルが弾けた。

 真っ白なサークルが浮かぶ。このサークルを越えた先には孤独な生活が待っているだろう。だが、その自業自得の結末に同情の余地はない。俺自身がそうだったように。

 望みがあるとすればそこでの暮らし方だ。せめて改心して欲しいと俺は願っている。

 

「歩けねぇんなら、俺が放り込んでやろうか?」

「わ、わかった。自分で歩く」

「くそッたれ、覚えていやがれ……」

 

 ある者は憎らしげに悪態をつき、ある者は()う這うの体で逃げ、ある者は無表情のままに足を動かした。これが末路だと、犯罪者の終着点なのだと理解しているように。

 そしてその認識は正しい。最後は跳ね返ってくるのだ。勝った方が正義なんて理屈、バカげている。

 俺は歩こうとしないグリーンの男にも催促を入れた。

 

「テメェも入れよ。……言っとくけど、俺もいざとなったら殺す気で来てる。ヒスイにゆずってるだけさ。気が短いんだ、あまりキレさせんな」

「わ、わざわざ繰り返さなくてもわかってる。クソッたれ……」

 

 9人目がゲートを潜った。

 残るはロザリアのみ。表示されるギルドアイコンから特定されるのを恐れたのか、ロザリアだけ《タイタンズ・ハンド》に加盟はしていないようだが、実質的なリーダーは彼女だ。

 しかしロザリアは白いサークルの前で足を止め、俺達の方へ振り返った。警戒するヒスイとシリカを制し、俺はロザリアに発言の許可を下す。

 

「まだ何かあるのか?」

「アタシの敗けだよ。もう無駄な抵抗はしない。……あんた達に話したいことがあるの。どの面下げてって思うわよね……でも、アタシはやりたくてやったんじゃないんだ……お願いよ、信じてちょうだい!」

「ロザリアさん、あたしは今とても怒っているの。手元が狂わない内に従って」

「ほ、ホントなんだよ! 正直に話す! アタシが知ってること、なぜこんなことをしているのか……ウソじゃない! 洗いざらい話すから……ッ」

「その言葉を! ……待っていたよ、ロザリア。正直に、全部話すんだな? ヒスイ、彼女から剣をどけてやれ。話し合いに応じる。……コリドー、クローズ!」

「ちょ、ジェイド!?」

 

 閉じられたコリドーのゲートを見てヒスイは信じられないとばかりに声を荒らげた。

 ここでの話し合いが何の解決を生むのかと、そう問いたいのだろう。割り込んだシリカにも同じ表情が見て取れた。

 

「ジェイドさん……あたしが巻き込まれた事情はだいたい呑み込めました。ですが、ここで……まさか、ロザリアさんを放してあげるんですか!?」

「違うよシリカ。あとごめんな、こわい思いさせて」

 

 俺はこれから主街区付近に設置された《レイヤー・ポータル》まで移動すること、1層の《黒鉄宮》まできちんと連れていくこと、また俺とヒスイがいてロザリア1人を取り逃がすことはない、といった前置きをすると、改めて全員に振り向いた。

 

「2人には黙ってたけど、ロザリアが共犯者だと確信した時点で、どうしても気になってたんだ。自白しない限り聞く気はなかったけど、案の定コイツは口を割った。……そういう意味だろ、ロザリア?」

「……ええ。9人の部下を……失った。今のアタシに後ろ楯はない。逃げおおせても、ボスに殺されるだけよ。だから牢に入る前に言ってやりたかったの」

「ッ……!?」

 

 この告白にはヒスイとシリカも驚いていた。ロザリアは『ボス』という表現を使った。これが意味することは、俺達が勝手に決めつけていたリーダーの誤認という事実。彼女は真の黒幕ではない。

 根本的には、事件はまだ終わっていない。

 

「予想はつくさ。わざと目立つ女を立てて、地味野郎が街に潜入。誘導や追跡をしたのちに、孤立したエモノを大部隊で襲撃。やり口が似すぎて(・・・・)笑えてくるよ。ロザリア、あんたはただの雇われ兵だ。末端の使いっ走り。そうだろ?」

「ええ。そしてアタシを下僕扱いする連中、その正体は《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》」

「だろうな」

 

 ヒスイとシリカは今度こそ息を呑んだ。

 俺はヒスイと《結婚》した後に聞かされたのだが、彼女もずっと昔にPoHやジョニーと一戦交えたことがあるらしい。彼女もそこで行動を共にしていたプレイヤーを殺され、苦汁を舐めさせられている。

 俺だってそうだ。

 今のロザリアとグリーンだった男は、それぞれアリーシャとミンストレルを思い起こさせる。苦い経験則。できればこうした形で思い出したくはなかった。

 しかし因縁深いものである。ロザリアは本隊にも入れてもらえない手下なのかもしれないが、こうしてシリカを狙う途中で俺達と鉢合わせしているのだから。

 ある程度予想できたうえで、ロザリアは続けた。

 

「《タイタンズ・ハンド》が最近になって力をつけた理由は、ラフコフとパイプができたからよ……」

 

 うつむいたまま、滔々(とうとう)と語る。

 汚い手法だが、連中には豊富な財力がある。強盗ギルドから殺人ギルドにシフトしたのも元を辿れば経緯は同じ。先ほどロザリアの仲間と戦った時、息の合ったレベルの高い対人戦術(・・・・)は連中からノウハウを教わったからである。

 ここまでは予想通りだ。しかし……、

 

「……じゃあ聞くぞ。なんであんなゲスに従う?」

「……アタシの彼氏が人質になってるのよ。……いいえ、人質とは言えないわね。アタシのカレは望んでPoHに魂を売ったの。あの男に魅了され、殺人の味を知り、《タイタンズ・ハンド》での悪行を越えた境地に陶酔した。アタシより、PoHを選んだ……」

 

 ロザリアは虚ろな目でそう独白した。

 彼らに逃げ道はなかったのかもしれない。ただでさえ犯罪ギルドであった《タイタンズ・バンド》には、心を許せる味方も相談する相手もいない。極論、強盗をするのと殺人をするのは一般的に見分けがつかないからだ。プレイヤーは『グリーン』と『オレンジ』でしか区別されない。今のヒスイがそうであるように。

 PoHがその気になれば、メンバーから1人か2人ぐらい引く抜くことなど造作もない。あの悪魔に目をつけられたことが災厄だったのだ。奴の最大の武器は、その人身掌握力にあるのだから。

 

「PoHの技に魅せられる奴はたくさんいる。……けど、まさか張り合ったのか? カレシだからこそ。……自分にも殺人はできる、だからいつか寄りが戻せると?」

「微妙に違うわ。確かにアタシは、この手を血で染めたけど……それは振り向いてほしかったからじゃない。カレに死んでほしくなかったから……」

 

 言葉を繋げたつもりだったが、しかし俺の予想は外れた。

 代わりに彼女が答える。

 

「アタシは真っ先にボスに脅されたの。あいつを信じきっているアタシのカレと引き換えにね。……要求は金。金を持つギルドを潰して、奪って、それを貢げと」

「ああ、クソ野郎の言いそうなことだ」

「……当然、誰かに言いふらしでもしたらカレは即死刑。自分の心棒者だってのにね、簡単に殺すと言ったわ。だからアタシは死に物狂いで貢いだの。犬のようにね……ッ」

「そんな……」

「しかし死体をよこせ、じゃなくて金を要求するのか。ラフコフが金に困ってるって話は聞かないけど」

「甘いわ。あいつらはね……ラフコフは現状に決して満足しないの。金があるなら、それを倍に。人を殺せるなら、より楽しく。そう考える奴らなのよ。しかも殺しがあちこちで発生すれば、マークされる危険性も各地に分散できる……ならば、手下を揃えて活動金を調達しようってハラよ。現にアタシはボスの住処を知らない。剣を向けられようとも、アタシからボスの情報は漏れない……」

 

 それは悲痛な叫びだった。非の打ち所のないカースト制度に俺も絶句するしかない。確かに殺害現場の増加はラフコフ正規メンバーの特定に対して足枷になるし、金も集まるのならデメリットはない。

 そして人は、人を殺すと後戻りできなくなるという。自発的に行ったのならなおさらだ。

 ロザリアとそのギルドはもう、とうの昔に壊れているのだ。

 

「逆らうことは……できなかったの。ねぇ剣士さん、あなた何で《タイタンズ・ハンド》が『10人ギルド』だと思ったの?」

「そりゃ……あんたらが、10人だからだろう……」

「その理屈がおかしいことは気づいているでしょう? 強盗の実行班が8人しかいないのに10人という事実で広まっているんだもの。アタシらの実態を知りもしない世の中の連中が、正確な人数を言い当てている……奇妙な話よね。けどそこにはちゃんとタネがあるわ。見せしめに殺されたメンバーが1人いるのよ。そして……」

「ロザリアさんの彼氏がいたから、ね。それで実行班はちょうど10人……」

「その通りよ《反射剣》……いえ、ヒスイさん」

 

 なるほど、と思う。

 ロザリアが彼氏1人のために部下全員に対して示しのつかない行動を取れていたのは、そこに強い結束力があったからではない。恐怖による支配体制ができ上がっていたからだ。つまり、ロザリアの部下は彼女本人が、ひいては自分達がPoHに脅されている状況に甘んじていたと言える。

 そして12人で活動していたからこそ、実行班の10人がギルドの人数として認知された。有志新聞に実行班の人数が載ったあと、本当に10人になってしまったのだ。

 皮肉なことに、PoHに近づき《タイタンズ・ハンド》を脱却したロザリアの彼氏とやらが1番PoHのことを理解していない。

 

「部下は《特殊圏内》……つまり牢屋に入れられた。これで見せしめは起きないわ。カレが失態の代償にならないという保証はないけれど……たぶん、出所した時の釣り餌にすると思う。情報も統制するはずよ。……だから今のアタシにできる唯一の抵抗は、これをあなた達に教えること……」

「いや、十分だよ。その行動がいかにキツいか、俺はよく知っている。けどなロザリア、人の生死がかかった時は……その時だけはミスっちゃいけなかったんだ。アンタは……」

「じゃあどうすればッ! 部下だって人よ……あの時のアタシに、何ができたと……ッ」

「できたさ! ……できたんだよ。アンタが恐怖に負けず、部下も連れて、前線に行って攻略組に土下座でもするんだ! もしかしたら、この裏切りでラフコフの壊滅まで持っていけたかもしれないだろ!!」

「そんなことしたら……例えば、誰かが助けてくれても! オレンジのアタシ達は人生破滅よ! 潰し合えばよかったっての!?」

「はァ!? 甘えんなカスがっ!! ノーリスクで許されると思ってンのか? 殺された人間は何人いる!? アンタらはクソみたいな連中だ。……それでもっ……カレシを守りたいなら、他の何だって捨てて生き恥サラせよッ!!!!」

「そ、れは……ッ」

 

 俺はロザリアの胸ぐらを掴んだまま、血でも吐くように言い放つ。

 ロザリアは被害者面をしていた自分の醜い感情に気付き、それこそがなんの反省もしていない証拠なのだと突きつけられて黙り込んだ。

 

「俺はな、道を間違えたことを未来永劫いびるつもりはねェよ。けどさ……恥ずかしい思いも、信頼を失うのも、それこそ牢にブチ込まれんのも……たかが(・・・)その程度のことじゃねぇか。結局アンタの甘さがこの利益のない争いを生んだんだ」

「アタシの……甘さが……? でも、アタシだって……アタシだってこんなことぉ……」

 

 (うつむ)くロザリアの肩が上下に小刻みに揺れた。

 1度は敵と定めて剣を抜いた相手の前で涙を流す。ロザリアは人として、ようやく全てをさらけ出していた。そのまま溜まりに溜まった悲しみを吐露する。

 何度も、何度も。

 殺したことを謝った。殺そうとしたことを謝った。そこに過去の改変という結果が付随しないのだとしても、反省した先に新たな価値が生まれるのだと信じて。

 たくさんの涙を流して、深々と(こうべ)を垂れた。悲しい事件だ。ロキヤ達も、ロザリア達も、誰も報われない。

 哀れな被害者が数多く溢れるこの世界にとって、神の救済はあまりにも少ない。

 

「ロザリア……ラフコフは俺の手で片をつける。カレシさんが帰ってきたら、そん時は迎え入れてやれ。そいつを変えてやれるのはアンタ1人だけだ。……さて、これから牢屋につれて行く。どう過ごすかはあんた次第だ。ここで泣いたのがウソじゃないなら、せいぜい1からやり直せ」

「……ええ。世話……かけたわね。あんたに会えてよかった。出所したらシルフラのリーダーに会いに行くよ。謝って……許されるかはともかく。……ははっ、ジェイドとか言ったか。あんまり格好いいことされるとホレちまいそうになるわ」

「ロザリアさん、ジェイドに気を寄せようとしたら今度はあたしが黙っちゃいないわよ? これでもこいつ、あたしの自慢の夫なんだから」

「えぇええええっ!?」

 

 この声はロザリアのものではない。久々に驚きの声をあげたシリカのものだ。固唾を呑んで見守っていたようだが、我慢できずに吹き出してしまったという感じだろうか。

 うむ、あり得る。言われてみれば付き合っているとしか伝えていなかったからだ。

 

「って、だからそれ言っちゃダメだってば!」

「えへへぇ……なんか、女としてね……その、嬉しくってつい」

「可愛い顔して隠す気ないと宣言された!?」

「……あんた達にはいつも驚かされるよ。っていうか、ひどい惚気(のろけ)よねそれ」

「ヒスイお姉さん……大人です……」

 

 アイロニーな事実発覚が多数浮上する中で、よくもまあこうコミカルになれると感心もする。

 何にせよロザリアにもう心配はいらないようだ。彼女の心はすでに生まれ変わっている。

 

「……さ、戻ろう。俺達の日常に」

「ええ。いつものみんなに」

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

「抜け駆けは許さないんだから!」

「だからあたしの男だって言ってるでしょ!」

「おいおい落ち着け2人とも」

「「ジェイドは黙ってて!」」

「あ〜い……」

 

 ロザリアを《黒鉄宮》へと送ってからほんの半刻足らずでカルマ回復クエストをこなしたヒスイは、晴れてグリーンカーソルへと戻ってまた日々の生活が顔をもたげてきた。

 そして今、一夜を越えてアリーシャ達と合流した俺はアリーシャとヒスイの喧嘩の理由を知らされた。

 なに、難しいことではない。今日が何の日かを考えてもらえればいい。

 2月14日。なんと、バレンタインデーだ。

 これには驚きである。あまりにも……あまりにも無縁なリア充イベントを前に、俺の残念な脳ミソはその存在を綺麗に消し飛ばした。ゆえに、なかったことになっていた。

 

「ジェイドも大変だねぇ。タイトなスケジュールだったみたいだけどぉ、結局帰ってきても忙しいんだからさぁ」

「言うなジェミル。俺も反応し辛えんだから……」

「ヒスイさんは本気で好きなんだろうけど、アリーシャさんは照れながらも僕らにだってチョコくれたんだよ? 義理だと思うんだけどな~」

「ああ、ルガも貰ってたのか。ヒスイってああ見えて独占欲強かったりしてな。……と、ところでさ……アリーシャって《料理(クッキング)》スキル持ってなかったよな? その、味とか大丈夫か……?」

「うわ、失礼だね。でもそれは大丈夫みたいだよ。ここより6層下の49層主街区(ミュージェン)のメインストリートにね、《クッキング》スキルの熟練度を500に固定したままチョコレートを作るクエストがあるんだよ。NPC経営の簡単な料理教室みたいなものかな。素材と型もコルの上積みで上等なものが用意できてたみたいだから、味は保証されてるんだってさ」

「へぇ~……あ、思い出した。アルゴが言ってたわ、それ。去年と違って落ち着いたから、乙女が入れ食い状態らしくて。情報屋としてはボロ儲けなんだってな……」

 

 まったく、アルゴも取れるところで金を取る。もちろんその姿勢に文句をつけるつもりはないが、彼女も立派な少女だ。こう裏方ばかりで暗躍するのではなく、彼女自身にも甘酸っぱい青春があってもいいのではなかろうか。

 こんなことを本人に言ったら蹴り飛ばされるだろうが。

 

「(まあなんにせよ、これでいつも通りに……)……お、おいちょっと待て。ヒスイとアリーシャ、それ作るためのカカオってギルドの金で買ったんだよな? ……あのさ、言いにくいんだけど……いくらした?」

「「ん~2万ぐらいかな」」

「…………」

 

 その夜、俺は2人の作ったチョコレートをありがたく頂戴した。それはとても初々しく、そしてとても濃厚で(とろ)けるほどに甘かった。

 しかし信じられないことに、俺は目を覆いたくなるような光景を見てしまった。なんだかんだと言い合いつつも、ヒスイとアリーシャが仲直りして互いに自作したチョコレートを交換し合っているところを。

 そして「必要経費だから!」などとのたまいつつ、アスナを筆頭に親密な女性プレイヤー全員分に用意された大量の『友チョコ』を!

 

「う、うまい……うまいけど……いくら使ったんだマジで」

 

 ――ギルドが金欠って忘れてね?

  1人堪能するその甘さの奥に、少しだけしょっぱさが混ざっていたことは、ついに誰にも明かすことはなかったのだった。

 

 

 

 

 



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アナザーロード7 夢ドロボウ

 西暦2024年3月7日、浮遊城第57層。

 

 ほんの1ヶ月前、あたしは小規模ギルド《シルバーフラグス》のリーダーとほぼ1年ぶりに再会し、彼が失ったという仲間の敵討ちを引き受けた。

 ただし、実際にシルバーフラグスを襲った犯罪者をみんな殺してしまったわけではない。

 唯一の生存者となったであるロキヤさんの要求通り、犯人達を投獄することで成就とした。当時の現行といくつかの余罪、さらには計画的に犯行に及んでいたことから彼らの刑は重く、1ヶ月たった現在も留置所で他の囚人と暮らしている。

 模範囚とまでいかなくとも、自分の行いを悪と認めて反省している者が半数。もう半分は残念ながらまだ自分の処遇に納得がいっていないようだった。彼らは自分達こそ被害者だと訴え、処遇の再考、または早急な解放を望んでいる。その行いがより自身の身柄を長く拘束する行為だと気づけない事実は、外で眺める者達の心を酷く痛めた。

 あたしを含め、犯罪者を永遠に閉じ込めようなどと望んでいるわけではないからだ。悔い改め、人のためになる行動に邁進(まいしん)するのであれば、彼らを自由にし共に歩む道は用意されているはずである。

 

「(どうにもならないと思うと、ちょっと悔しいな……)」

 

 それを全うする義務はない。仕事を任された覚えもない。

 しかし、あたしは長らくソロとして生きてきた中で数えきれないほど人を励まし、元気づけ、そして立ち直らせてきた。今ではその活動に誇りを持ち始めていたのだ。中途半端にだけはしたくない。

 なんてことを考えていると、ギルドリーダーの彼が注意を促してきた。

 

「ヒスイ~、ぼーっとすんなよー」

「あ、ええごめんなさい。なんの話だったかしら?」

「ったく、んじゃもっかい言うけど……ええ~まあ、大半は俺の雑なやり方のせいなんだけど……ギルドに金がないのよ! 1ヶ月間の貯金でようやく50万コルぐらいは貯まったとは言え、この調子じゃ49層主街区(ミュージェン)にあるギルドホームが先に取られちまう!」

「やーだーアタシあそこがいい~」

 

 そうだ、活動拠点を作ろうかという話だったか。

 ちなみに先ほど駄々をこねたのはアリーシャ。とは言え、ミュージェンにあるギルドホームは開放的で緑豊かな地が広く、《転移門》に近い立地条件から、個人的にも譲りたくない。

 これは大きいメリットである。基本たくさん寝るタイプのあたしは朝に弱い。加えてギルドが忙しくなる時期は早朝から招集がかかるので、少しでも起床時間を伸ばすという意味では無視できない魅力がある。

 もっとも、物件価格だけを見るのなら、その1つ上の層の50層主街区である《アルゲード》にした方がいい。宿屋が不気味なほど安い設定になっているからである。

 しかし反面、アルゲードはこの上なく混雑しているエリアだ。街全体がよく言えば猥雑(わいざつ)な喧騒、悪く言えばうるさくて品のないBGMに包まれている。

 店と店との距離が短く、道行く道もそのほとんどが非常に通り辛い。道路補整もろくにされておらず、建築物の建てられ方がバブル期の混沌を(てい)しているせいか、全体地図はまるで迷宮のような形をしていて外観も悪い。

 さすがに年頃の乙女にそんなスラム環境での寝泊まりはハードルが高い。というわけで、あたしとアリーシャは、まさにそのアルゲードを拠点にしようとしていた男性陣をなんとか説き伏せて今の話にこぎ着けている。

 

「しかも目標額はあと190万だ。そこで、俺らはしばらくケンヤクした生活をしたいと思う。残り140万を50日でそろえるノルマ表は作っておいたから、あとはメンバーが協力的になってくれるだけで……」

「お金ってある時に使っちゃうからねぇ」

「僕もどちらかというと浪費家かな。なんと言っても稼ぎが少ないし!」

「そこ、いばるな!」

 

 ホーム確保に意欲的でない2名は気楽なものだったが、コル貯めの計画表にざっと目を通しても内容に抜かりなかった。

 無論、ギルマスなら彼でなくとも計画ぐらい立てるだろう。しかしあの場当たり的な行動ばかりしてきた故障車のような人が、わずか3ヶ月間で組織をうまくまとめ運営しているのである。発言したのがジェイドだからこそ、この手際の良さに驚きだった。

 

「(いつこんなことを……夜に外出して、情報屋にでも聞いて回ったのかな?)」

 

 例えばその情報屋、あるいは鍛冶屋など、高額装備にかける大金をそのまま生活金に回せてしまうクラスのプレイヤーは話が変わってくるが、あたし達は歴とした攻略組。多くの同業者と熾烈(しれつ)な競争をしている立場で、浪費の制限には限度がある。

 後はいかに稼ぐか。

 SAOには経験値獲得量の少ないモンスターであっても、中には高額のコルをドロップする(たぐ)いのものが数多く棲息している。

 大量のモンスターを高効率で狩り続けることができるエリアを、ゲーム用語では《レベリングスポット》または《ファーミングスポット》という。

 最近まで有名だったのは46層フィールドの《アリ谷》などが挙げられる。最近まで、と言うのは、時間あたりの獲得経験値および獲得通貨が一定値を越えると、独立修正システムである世界の調節機(カーディナル)がその効率を下方修正してしまうからである。

 もっとも独立システムのおかげで、この世界は日夜手動によるメンテナンスを免れている。上層更新やニュークエストのアップロードなど、《カーディナル》の介入なしではSAOの住人などすぐに干からびてしまうだろう。

 ジェイドはその境界線に着目した。《カーディナル・システム》が修正する直前まで居座り、現状知られているファーミングスポットを転々とすることで効率の永続性を計れるだろうというものだった。

 これだけの仕事となると、少なくとも一朝一夕で終わる量ではない。

 

「(ふふっ……ちょっと嫉妬しちゃうよ、まったく)」

 

 彼がリーダーとは言え、かつてあたしは方針やルールに何度も口を挟んだことがある。こと攻略において、あたしなしではままならないだろうと思っていたのに、いつの間にかこちらが置いて行かれた気分になる。

 全員が計画表に目を通したころに、彼は仕切り直して宣言した。

 

「つーわけで、さっそく今日の攻略組からのお手伝い要請はパス! コルのドロップ率が高いモンスターと殺り合うから、55層主街区(グランザム)に移動だ。他に質問はあるか? ……じゃあこれで定期ミーティングは終了。ついでに出発!」

『はーい!』

 

 たどたどしかったギルド運用は日を追う毎に手慣れている。助言や意見が連発した当初から見れば偉大な進歩だ。

 どこかトゲのあった性格も丸く収まり、ましてリーダーとしての努力を怠ったことは1度としてない。51層主街区(トロイア)であたし達を失望させないと誓って以来、彼の成長は目まぐるしいものだった。今ではあたしが彼からから学ぶことの方が多いぐらいである。

 ――この人をずっと支えよう。

 あたしは素直な気持ちでそう思うのだった。

 

 

 

 けれど、出発早々に問題が起きてしまった。

 まるで待ち伏せでもしていたかのように、《転移門》付近で女性プレイヤーから声をかけられたのだ。

 しかもこれまた残念なことに、その女の子はあたしの古くからの友人で、《フレンド登録》も済ませてある仲である。さらっと無視するようなことはできない。フレンドリストからあたしの居場所は特定できるので、おそらくその機能を使って本当に待ち伏せていたのだろう。

 その友達の正体は、ピンクの髪をしたリズベットだった。

 友人なのになぜ残念なのか、その理由もはっきりしている。なぜなら彼女の形相が、明らかに面倒事を持ってきた人間のそれだったからだ。

 

「ヒスイ! あたし達、友達よねっ?」

「……友達かどうか確認してくる友達は友達じゃないかも……」

「あぁんひどい! お願いよ、他に頼れる人がいないの! 今こそアンタの協力が必要なの!」

「…………」

 

 「ちょっと話がしたいの」からすでに1分。あたし以外の4人を待たせてしまっている現状が息苦しかったが、ここまで食い下がるということは相当重大な問題があるのだろう。

 しかし長くなりそうと判断したのか、ギルドを代表して――珍しく呆れた顔をしながら――ジェイドが近づいてきた。

 

「あ~この子、ヒスイの知り合い?」

「ええそれ傷つく!? 19層や27層じゃあ一緒にパーティも組んだのに!」

「ジェイド……髪がピンクに変わってるとか、ウェイトレス姿になってるとかあるけど……さすがにそれは失礼でしょう。この子はあのリズベット。ほら覚えてない? 鉱石探ししたじゃない」

 

 それを聞いたジェイドは少々顔をしかめた。数ヶ月前の記憶と照らし合わせているようだ。

 

「リズ~!? おいおいリズなら覚えてるけどさ、どうしんだこのキバツな髪は。失恋でもしたのか?」

「デリカシーないわね~、ホントあの頃から変わってないんだから。……いい? 失恋じゃないわ。鍛冶屋も商売なの。こっちの方が前より業績上がったから仕方なくこのままにしたの!」

「へぇすごいね! バイバイまたね!」

「あっ、ちょ、ごめんなさい! 悪かったってば、調子に乗って。……で、でも相談したくて……どうしても助けてほしいの。忙しいのは承知してるけど、少し聞いてくれない? ねぇ、ヒスイも〜!」

「お金のことじゃなければ……」

「…………」

 

 お金のことのようだ。顔に書いてあって助かる。

 などと様子を見ていると、なんとリズの顔が(またた)く間に悲しそうに……否、悔しそうに歪んでいった。そして、目の端から水滴が溢れる。いつも元気な彼女が涙を浮かべるなんて、大変珍しいことだった。

 

「く……ぅ……うぅ……」

「え、リズ……? ちょ、泣くことないじゃない。あぁもう、わかったから……」

「ち、ちがうの。違うのよ……泣くつもりはなかったの。でも悔しくて……あのね……あたし、お金騙し盗られたの……。実際は騙されたわけじゃないけど……たくさん盗られちゃったのよ。一生懸命集めたのに……全部……」

「コルを……騙し盗られた?」

 

 それを聞いたあたしはすっとんきょうな声をあげていた。

 無理を通して我慢していたのか、1度破れた目頭の防波堤はリズの涙をしばらく塞き止めることはなかった。

 あたしは困り果てた顔のジェイドと目を合わせた。

 ――どうしよう?

 ――ほっとくわけにはいかんだろ……。

 そんなやりとりをアイコンタクトだけで済ませる。

 

「あのちょっといいですかぁ? あ、ボクはジェミルって言います。今の聞こえちゃってぇ……ん~えっとぉ、リズベットさん? 言葉を返すようですがぁ、他人の所有物を盗むのって、コード適用下だと無理な気がぁ。その時は《圏外》に?」

「いいえ、主街区にいたわ。わからないの。あたしもまさかと思ったわ。……簡単に下調べもして、利益があると見込んだ取引で。その……夫婦で購入することで、プレイヤーホームを格安に買い叩く方法を……」

「ふ、夫婦っ!? 誰かと《結婚》したんですか!?」

 

 ルガ君も参入。

 転移門の前なので、ちょっとした目立つ人だかりになってしまった。

 

「ビジネスとして、その……一時的にね。専門のプレイヤーと取引したのよ」

「そ、そんな方法があったんですね……」

「無縁だからねぇ。……お、驚きだねぇ……」

「てか、1人でホームって……そんな金よく集められたな。俺らなんてこれからギルドで集めようってハナシしてたとこだぞ」

 

 ジェイドの質問にはあたしが代わりに答えた。

 

「ああそれね、ジェイド。実は生産職にいる人っはコルを貯めやすいのよ。オーダーメイドの武器って、注文すると最低でも10万が相場でしょう? そういう発注を受けて依頼をこなすだけで莫大な利益が上がるの。それに攻略組が経験値とレア装備に執着している間、鍛冶屋や情報屋だって遊んでいるわけじゃないわ。他にきちんと稼いでるものがある」

「経験値やアイテムの代わりにかせぐもの……それが金、ってわけか。なるほどなぁ」

 

 もっとも、お金に強欲なのは攻略組も同じと言える。そこは変わらない。ただ生産職につくプレイヤーは強さの絶対値に制限が設けられる分、他の面で効率が跳ね上がるのだ。

 それにしても、夫婦で物件を求めることによって安く購入する手段はあたしもどこかで聞いた――以前、《結婚》しているあたしも興味があって調べた――ことがある。しかし、それを請け負うプレイヤーがいるとは聞いたことがない。

 そもそもホームが高額とは言え、夫婦による物件割引に採用される割引率は10パーセントから20パーセントほどにしか満たない。仮に最大の20パーセントだとして、レジクレの購入予定である《ミュージャン》の物件価格、つまり『190万コル』から計算すると利益は38万コル。これが依頼されたプレイヤーの報酬となるわけだ。

 けれど、これは組織的でないと成立しない。

 なぜなら対象者の選別や相手の望む性別――すなわちSAOには男性が多いことから、女性の用意もしなくてはならないからである。

 そう、他人がこの話に乗る可能性は元よりかなり低く、必然的に継続的な利益は見込めない。

 それがなぜかは説明するまでもないだろう。

 SAOの絶対的ルール、デスゲーム。この性質がアインクラッドで顔を利かせる限り、あたし達のサバイバルは妥協を許さない争奪戦となる。

 《結婚》システムはステータスやスキルの全閲覧権、またアイテム欄(ストレージ)の共有など多くの生命線をさらけ出す行為である。これでは互いの首にナイフを突きつけあって商談しているようなものだ。

 リズはなぜこの危険な道を選んだのか。これは最も注意すべきことなのに。

 

「それでリズ、言いたくはないけど……その、一時的に結婚したっていう相手がお金を盗んだ可能性はないの? たぶん彼が1番盗みやすいんじゃないかしら?」

「……委託結婚を引き受けた人の名前は『シーザー・オルダート』よ。あたしも彼を真っ先に疑ったの。でもね……共通化された相手のストレージを見れば一目瞭然だったわ。ストレージはずっと空っぽだった……彼はお金を盗める状態じゃなかったのよ。2人でホーム購入中だったから持ち逃げもできないし、これだけは絶対に言えるわ。あたしを含めてね」

「そこんとこはお互い様つーことか。そのイタク結婚、だったか? ってのをしてくれた奴は今どうしてんの?」

「支払ったのはあたしだけで、彼は特に損をしたわけじゃないからね。事務処理だけして帰っていったわ。……ただ気の毒だったと言って、5万コルだけ手渡して……」

「ヘンに律儀な奴だな。けどそいつの線は薄まっちまったか……」

 

 レジクレの全員がう~ん、と唸る。

 また難解なトラブルだ。

 

「ところでストレージ内って、お金以外のは盗まれてないわけ?」

 

 ここでアリーシャが発言。5人が彼女に注目した。

 

「ええ、結婚する前は当然アイテムを全部宿に置いてきたわ。それもシーザーさんと事前に打ち合わせた上で合意したの。……これだと話がぶつ切りになっちゃうわね。順を追って説明するわ」

 

 いつも元気でニコニコしているリズも、今日に限っては自嘲(じちょう)した声で言った。

 それから彼女のとった行動にどんなドラマが隠されていたのか、すべてが赤裸々に語られた。

 

 曰く、始まりは鍛冶屋一筋として生活してきたリズが、自分の住まい兼経営所を手に入れたいという願いが生まれたことからだった。

 彼女は手始めに48層主街区(リンダース)を訪れ、なんと一発で水車のついた古風なプレイヤーホームを発見し、立地条件や充実した設備から一目で購入を決定した。

 ただし、売値は驚愕の300万。もはや驚額(・・)といえるその値段に一時は愕然としたものの、初めて湧き出た猛烈なやる気と購買欲に逆らうことをしなかった。

 曰く、今年の1月から行動を開始。原始的欲求を満たす行為に、リズは生きる意味を抱いたように本気で打ち込めた。強力な意思はやがて現実味を帯びた。接客、運営、仕事が、すべて明るい未来をリズに見せるようになる。

 そうしてゲーム内で最も充実した2ヶ月を過ごしたリズは、貸金業者(マネーレンダー)から借金などをしたものの、たった60日強で目標額の一歩手前、255万コルを手に入れた。

 曰く、順風満帆だった計画が一夜にしてとん挫した。それはライバル職の、なおかつ同じホームを狙うプレイヤーの貯金額がほぼ300万に達しつつある、という苦しい現実だった。これをとある情報筋から入手する。

 やりきれない思いはリズの枕を一晩濡らし続けた。1年以上地獄を見せられた1人の高校生が願う、このちっぽけな願望すら叶わないのか、と。

 しかし諦めかけたその時、天の思し召しか、はたまた巧妙に張り巡らされた罠なのか。リズは『委託結婚』による抜け道を聞かされることになる。

 夫婦購入による割引サービスは最大の20パーセントで金額は60万。今の貯蓄量で十分に購入できる額だった。リズは藁にもすがる思いで、しかし冷静に判断した上で改めてその話に乗った。

 曰く、数日前、『シーザー・オルダート』と名乗る男性と取引を開始。口約束ではあるが、スキルやステータスを覗かない言質をとり、アイテムをお互いが盗めないように各々の宿に格納し、ものの数十秒でプロポーズ、受諾のやり取りをして結婚。降って湧いたような都合のいい購入手段に、その時ばかりは心踊った。

 割引システムの不正利用を避けるために、ホームの購入にあたっては夫婦それぞれに役割が与えられる。リズは不動産仲介プレイヤーのところへ赴いて、購入後の手続きの確認や離婚時によるホーム存続などの条件指定――これをリズがやらなければ最悪離婚後にホームを奪われる可能性がある――の取り決めを。

 夫役はNPCによるホーム設備や、家具の細かい利用方法の説明を受けていた。ちなみに説明を受け終えた後、コルを引き渡すことで取引が完了する手はずになっている。

 曰く、シーザーさんの野外設備の説明中に事件が起きた。

 購入予定のホーム外にいたほんの数分で100万コルの金袋、SAOの金貨1枚に対する最高額は1000コルなので、つまり1000枚の金貨が収納された袋1つが購入予定のホームから忽然(こつぜん)と消えた。事件発覚の瞬間にシーザーさんはリズに連絡。お互いにストレージを確認し合ったが、そのどこにも100万コルという大金を詰めた袋は見当たらなかった。

 

 《犯罪防止規定(アンチクリミナルコード)》によって保護されているはずの敷地内から、プレイヤーの所有物が消失した。

 これが事件の全貌であり、そしてつい前日に起こったことでもある。

 

「(ゲームだからこそ、単純なドロボウは成立しないわ。……いったいどうやって……)」

「そんなことがあったのか。……まあ、確かに……300万のホームで20パーなら相当な額だ。目もくらむだろうけど……でも、わりきれる額じゃねーよな」

「そう、だよね……だって僕らが高額な剣を買うのと……動機は全然変わらないし。むしろ納得が行くって言うか」

 

 男性陣が全面的に同情した。

 剣か、家かの違いでしかないのだから。それに目標を決めることによって、その人がどれほど生き生きと生活するのか、それはつい数十分前の自分達がよく実感している。

 あたしとて例外ではない。考えるほどリズが不憫(ふびん)でならない。

 しかし、今の彼女に必要なのは同情でも慰めでもない。それは問題の早急な解決方法であるはずだ。

 

「リズ……ベットさんだったっけ? アタシも自慢できるようなことしてこなかったけどさ……その悔しい気持ちは伝わるわ。どうにかできないかしらね……」

「ありがとう。あたしのことはリズでいいわ。気遣いは嬉しいんだけど……あたしのコレが、ただの駄々っ子だってのはちゃんとわかってるのよ。……ただ、ちょっと悔しくて……あまりにも悔しくて……少しでいいから相談できる人がいないかって……」

「じゃああたし達を頼って正解ね」

 

 あたしはまた泣き出しそうになったリズの言葉を遮り、あえて強く言い放った。

 

「ようはリンダースにあるプレイヤーホームを、誰よりも早く買って手に入れればいいわけでしょ?」

「でしょって……簡単に言うけどなヒスイ、誰が払うんだよ。言っとくけどウチのギルドじゃ財産はたいたってまかなえないぜ? それとも、その300万近く貯まってる奴を説得しに行くか? ま、今さら『買うのやめて』はないからな。競争するしかないぞ」

「いいえ、まだ手はあるわ。そもそもリズは競争相手より先んじて買う手だてがあったんだもの。なら、そこに戻ればいいのよ! つまり、あたし達が犯人を見つけて取っ捕まえればいい!」

「アタシさぁ……ヒスイならそれ絶対言うと思ったんだけど……」

 

 アリーシャが半ば呆れたようにげんなりと言う。ジェイドも似たり寄ったりな表情だった。

 しかし、この理屈が支離滅裂なのは百も承知である。誰より自分が理解している。けれど、あたしとてソロ時代、鍛冶屋のリズには何度も助けてもらった身だ。今できることを全力でして、今できる可能性を全部試したい。たったそれだけの話である。

 あたしは脳内でジェイドの反論を予測し、その受け答えを分岐ごとにシミュレートする。

 果たしてジェイドは意見が纏まりきる前に痛いところを突いてきた。

 

「事件を解決する……か、そりゃあいい。やれるもんならな。けど解決までのメドは? 段取りはともかく、それにかかる大まかな日数は?」

「それ、は……」

「ホラきた、何もかも不明だろう。じゃあ真っ先にすべきはホームの確保。やれることは1つ……システム上『借金の重ねがけ』ができないリズに代わって、俺らレジクレが《マネーレンダー》から借金をすればいい。無事ホームを手にいれた後は、リズもゆっくり貸した金を返してくれればいいし、犯人探しだって時間をかけていいことになる」

 

 口をへの字に曲げて言うこの態度からして、彼はまったく乗り気ではないのだろう。本当に人の生き死にが関わらないと本気にならない人である。

 と言う予想は、すぐに命中した。

 

「……けどなヒスイ、俺らは探偵じゃないんだ。時間だけロスして、もし逃げられた場合、俺はレジクレのリーダーとしてメンバーにどう責任をとったらいい? それがわからんワケじゃないだろ」

「それは……もちろん、考えてるわ。確証はない、わね……でも今までだって確証はなかった。シリカちゃんを助けたこともある。そうでしょう? いつだって知恵を絞って……ねえ、リスク回避ばっかりだと友達を助けることもできなくなる。それって息苦しくないかしら……?」

「キベンってやつだな。ヒスイがそんなんじゃダメだろ。今回の件はおとなしく……」

「あーそのっ、アタシも! ……さっきはあんなこと言ったけど、この人助けてあげたいわ。ジェイド、あのね……アタシも助けられたから。責任者の立場もあるんでしょうけど、やっぱりあんたの優しさとか。がむしゃらな人助けみたいなの見せてあげたいし」

 

 あたしに加勢するように割り込んだアリーシャは、それでも強い意思を秘めたように言いきった。

 

「忘れたのか……俺が必死になんのは、ピンポイントなの。クエストを失敗したならまた挑戦すればいい。金を失ったならまた貯めればいい。いつもそうだったろ? 小さいリスクの積み重ねが大事を生むんだってのに……」

「でもジェイド……やっぱりリズさんが可哀想だよ。僕らもヒスイさんやアリーシャさんに賛成する。これも何かの縁だしさ、助けてあげようよ?」

「…………」

 

 とうとうルガ君まで、彼にとって見ず知らずの少女であるリズに手を貸したいと言い始めた。これにはかのジェイドも困り顔になる。

 ジェイドの言っていることは立場上正しい。しかし彼とて良心や後ろめたさというものを持ち、そして感じているのだろう。その目にはありありと見て取れる迷いがあった。男が女性の涙に弱いのは、やはり古今東西どこも同じなのかもしれない。

 少しの逡巡(しゅんじゅん)を経て……、

 

「わぁーったよ。ったく、俺が悪者みたいな空気になってんじゃねぇか。リズ、まずは足りないコルの量を教えてくれ。利率の低い貸金屋に心当たりがある」

「利率の低い……?」

「ああ、長期間借りても利子をあまり要求してこないとこだよ。うちのギルドも今後の生活金とか考えると5万は残しておきたい。つまり借金なしで貸せるのは今んとこ45万。それを踏まえていくらいる?」

「えっと……盗られたのが100で45貸してくれるなら差し引き55よね。あたしも生活があるから20パーセントの割引があっても……足りないのは、ざっと40万ね」

「よんっ……わ、わかった。こっちで工面しておこう。じゃあルガ、俺とヒスイで金の確保に行っとくからその間にリズと《結婚》しとけよ」

『えぇぇええええええっ!?』

 

 見事なまでき綺麗なハモりを奏でる2人。

 特に予備知識なし、経験なし、しかも不意打ちに近かったルガ君は耳まで真っ赤になっている。やはりこの手の奥ゆかしさはゲーマーらしいと言える。

 

「ったりめぇだろ。気前よく助けたいって言ったんだ。ヒスイ達は女だからどのみち結婚できないし、それに『割引』してくれるっていう、その60万は引いておかないと現実的じゃない。……つーか、まんざらでもない顔してるし?」

「もーバカ! そんな顔してないからバカ!」

「バカって言われた回数そろそろカウントしようかな……」

 

 そんな冗談を言い合うジェイド達。ちなみにルガ君については、「式をあげるわけじゃない」、「数秒ですむから緊張しなくていい」などとリズから助言も受けていた。

 あたしはそれらを見る度に、そして穏やかな笑顔に包まれる度に、いい友人に出会えたと見えない誰かに感謝するのだった。

 

 

 

 あたしとジェイドは4人と別行動になって1層下、つまり56層主街区(ラミレンス)近辺にあるしがない農村《パニの村》を訪れていた。

 56層と言えば、《聖龍連合(DDA)》のギルド本部が設立されている層で有名になったエリアである。

 56層に印象に残る施設やクエストははないが、こうしてトップギルドの一角が本部を据えることでずいぶん評価は変動する。

 そしてDDAの本部が56層に建つことは、半ば予想されたことでもあった。

 例えば39層で初めて血盟騎士団(KoB)がギルドホームを構えた時、なんと40層にDDAがギルドホームを置くと言い出した過去がある。

 そして55層にはKoBのギルド本部が建っている。今回56層にDDAが本部を置くかもしれないと言うのはそういうことだ。

 結局のところ、それは攻略組全員のエゴなのだろう。全世界のリソースや圧倒的恩恵の独占ができると言うことは、ビギナー相手に優越感を抱けることと同義である。そしてそれを幼稚、矮小な感情と罵ることができないのもまた、攻略組の持つ言い訳しようのない性なのかもしれない。

 力の誇示を悪とするなら、我執(がしゅう)を振りかざさないと言うのなら、リソースと情報を平等に分配すればいい。下層にいる人達に、中層にいる人達に、そして準攻略組の人達に。

 しかしそれはできない。《攻略組》と呼ばれること自体、すでに快楽となりつつあるあたし達にとって、今さら善人面をする資格もないのである。

 あたしですら獲得した武器も、経験も、お金も、情報も、むやみに公開したくはない。『常に最強でありたい』というDDAの糾弾など、いったい誰ができるというのか。

 

「ついたぜヒスイ。……ヒスイ? どうしたよ怖い顔して」

「い、いえ……何でもないわ。ああ、ここが村の貸金屋ね? でも隠すつもりのような場所に建っている気がするんだけど」

「製作段階で穴場に設定したんだろうな。俺がここを見つけたのは単純に運が良かっただけだ。最近いろんなところ走り回って……ああいや、何でもない。……そうそう、ここのおっさんがまた無欲な奴でさ、貸してくれる額に上限はあるけど、期限超えてしばらく借りっぱでも文句は言われないんだ」

「『文句言われないんだ』って……借りたの?」

「……さ、さぁ〜て、んじゃさっさと済ませて早いとこホームを買っちゃいますかね〜」

 

 泳ぎ目で言葉を流すと、押し扉を開いてカランカラン、と吊るされていたいくつかの木筒が心地いい音色を響かせた。

 奥の書斎(しょさい)らしき仕事部屋を除けば、生活感のあふれるこじんまりとした建物で、外見のフォレストハウスっぷりを裏切らない自然素材のオンパレードだった。『あぃらっしゃい。ゆっくりしてきな』とだけ挨拶をしたことから、きっと白髪の老人の彼が店主のNPCなのだろう。

 しかし……、

 

「(あら……もう1人いる?)」

「おや、人が来るとは珍しい。ここも穴場なんですが」

 

 いくつかの小物を物色していた、藍色の髪の人物がこちらへ振り向いた。

 比べるまでもなく物腰や声が相当若い。弟子というにも発言内容に違和感があるので、察するに彼はNPCではないだろう。

 あたしとジェイドの会話が途切れたのも、こうして先客がいたことに若干驚いたからに他ならない。

 男性もコルを借りようとしていたのだろうか。見た目は勤勉で真面目そうな雰囲気ではあったが、彼もお金を借りざるを得ない状況になったのかもしれない。

 ――あたし達も人のこと言えないけど。

 

「こんにちは。驚きましたよ、あまり人は来ないはずっ……て、え……あなたはジェイドさん、ですよね……?」

「ん、まぁな。俺らどっかで会ったか?」

「いえ、その……そう! 《反射剣》のヒスイさんといるということは、かの有名な《レジスト・クレスト》のリーダーってことになるじゃないですか! 握手してもらってもいいですか!」

「ああ、そっち経由ね……」

 

 ジェイドは露骨に悲しそうな顔をしながら、差し出された右手に応えていた。個人的な知名度ではなく、高い『女性率』を誇るレジクレを元に素性が知られていることからショックを受けたのだろう。体験談として言わせてもらえば、有名になりすぎるのも考えものなのだが。

 それにしてもこの男、先ほどから少し妙だ。

 見た目や服装の話ではない。顔のパーツごとに見るとパッとしない感じはあるが、全体としては整っていて背も比較的高いし普通に格好いい。この優男が笑いかけるだけで鼓動が早まる女性も一定数いるだろう。一目見て表現するなら長身痩躯だと言える。

 と、それよりも。顔よりもだ。

 やたらとソワソワしていること男性は、思いもしないことを言い放った。

 

「あ、ぼくはシーザーっていいます。シーザー・オルダート。どうぞよろしく」

「シーザー、ってえぇええっ!?」

「うそ……」

 

 世の中狭いものである。

 こうしてあたし達は、事件の重要参考人と電撃的な早さで邂逅(かいこう)するのだった。

 



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第73話 とんとん拍子

 西暦2024年3月7日、浮遊城第56層(最前線57層)。

 

 俺達は現在の最前線57層からわずか1層下にある56層の主街区(ラミレンス)に来ていた。

 なかでも《パニの村》とその貸金屋は、そこからフィールドを挟んだ南の外れにある。

 店内には初めましての人間が1人。名はシーザー・オルダート。兜はないが、和装の甲冑に合わせて草摺(くさずり)脛当(すねあて)をシリーズで統一している。おまけに、帯刀武器まで《カタナ》カテゴリときた。大河ドラマの若手男優然とした、パッと見るだけでもイケメンの優男だ。

 

「それ、コスプレ?」

 

 一応聞いてみる。

 

「いえ。日本刀が好きなんです。となれば、必然的に西洋甲冑は似合わなくて」

「あ〜なるほどな」

 

 さすがにこれには同意できる。が、刀を引っ提げて金のやり取りをするものだから、その勘定奉行っぷりには笑いが込み上げる。

 そんな彼は、一時的にリズと結婚し、物件を買い叩くことによって発生する『60万コル』という莫大な利益から経営を立てる、『委託結婚』を受け持つギルドのメンバーらしい。

 しかしその実態は、あっけないほどバックがおろそかだった。

 なんと、ギルドとは名ばかりで個人経営をしているも同然だったのだ。ギルド最低人数を満たすためのメンバーは文字通り数あわせ程度らしい。

 そうなると余計に怪しい。

 というわけで、シーザー本人とばったり会ってしまった俺は、とりあえず彼らの実績の少なさを念頭に置きつつ、今までの出来事を詳細に話した。

 

「……ってわけだ」

「なるほど。なし崩し的に、今はあなた達がリズベットさんの手助けをしていると。……これを言うとなんですが難儀な性格ですね。損をするタイプですよ」

 

 向き合って座るシーザーは、整った眉をハの字に寄せ怪訝(けげん)そうに言った。

 見た目から真面目な雰囲気が漂っているが、どうやら人は見かけによらないらしい。ただ話しているだけだというのに、その優しい物腰からまったく隙が(うかが)えなかったからだ。

 もちろん内心では納得もある。

 実力のほどは推測するしかないが、最前線の1歩手前にあたる56層のフィールドを横断して《パニの村》にいるのだ。剣の腕はともかく、少なくともレベルは攻略組水準に並んでいるはずである。

 ましてや金関連の話はおそらく彼の独壇場で、俺達を……というより、部外者を警戒するのも無理はない。

 第三者がこれを見たとしたら、きっとシーザーへの責任追求に見えるだろう。彼もリズの損失に今さらイチャモンをつけられたらたまったものではないはずだ。

 

「言うな、わかってる。でもほら、友達助けるのに理由を求め出すと、まるでその付き合いが利害関係になっちゃう〜、みたいな?」

「ジェイドさっきと言ってること違う」

「なっはは……だからまあ、せめてやれることをやってから文句の1つでもついてやろうってコトよ」

「ジェイドさんは……立派ですね。ぼくが疑われるのもわかります。……不甲斐ない話ですが、当時お金を預かっていたのはぼくですからね。仲介プレイヤーと話をつけたリズベットさんも事務的な処理はあったようですが、コルの引き渡しはぼくの仕事でした。それを……数分NPCから野外設備の説明を受けている間に、侵入したヤカラに気づきもしないなんて……」

 

 シーザーはようやく警戒を解いて沈痛な趣でそう言った。

 一時的でも、人の金を管理しなければいけなかった立場にあったのだ。それをみすみす100万もの大金を盗まれてしまった。そこに責任を感じ、リズに『失敗補償』として5万コルを手渡したのも納得がいく。

 しかし、まるで納得のできない事項がそこにはゴロゴロしていた。

 まずここがゲームの世界であるということだ。

 ごく普通に泥棒が押し入ってきて何事もなく金を盗んでいったような事態になっているが、一口に言ってもゲーム内でそれを実行するのは非常に難しい。

 なぜなら、《圏内》での強盗は本来『できないこと』として《アンチクリミナルコード》によってチェックされているからだ。

 誰にも悟られずシステム上不可能な盗みをする手段がある。この犯罪手段を暴かなければ、今後この手の被害が拡大する可能性もある。なので、イマイチ乗り気にはなれないとはいえ、やはり誰かが手を打つ必要がある。

 とそこで、ヒスイがマネーレンダーと話をつけて戻ってきた。

 

「ジェイド、コル受け取りの交渉は終わったわ。はいこれ40万」

「サンキュー。にしても金貨4袋分か……これ貯めるのだって、レジクレが5人で頑張っても1週間はかかるぞ。やっぱリズの金は取り戻してやりてぇな……あ、シーザーにちょいと聞きたいことがあるんだけどいいか?」

「守秘義務に反しない範囲で、なんなりと」

 

 ヒスイからコルを受け取ってを振り向くと、実に涼しげに彼は言った。

 しかしその声色(こわいろ)から、どこか攻撃的な意識を向けられたような気がする。助力する、と言っておきながらも、やはり『答えられない範囲』があるのだろうか。

 俺が眉をひそめたのを感じ取ったのか、シーザーがめざとく口を開いた。

 

「いえ、気を悪くしたなら申し訳ない。ただぼくもビジネス(・・・・)を数多く手掛けてきましたからね。正直、リズベットさんがこの『金の貸し借り』作業を別の誰かにやらせていることが気にくわないのです」

「ほう、そりゃなんで?」

「鍛冶屋がレベルアップとの両立をすることが難しいことはぼくも理解しているつもりですが、本来これは自分でやるべきだ。ぼくはそれらを人任せにしないことを誇りに思っていますし、少なくとも過去にぼくが損害を出した時は、自分の足で各所を走り回りましたよ」

「リズにはまだ56層フィールドは早い。力が足りなくて《パニの村》まで来れないんじゃ仕方ないさ。それに、『借金の重ねがけ』はできないからな」

「解決策は前線以外にもありますよ」

「まぁな……って、あいつのことはいいんだよ。それより結婚している状態でホームを買う手順とか、システムの穴を突けるような手段に心当たりがないかとか、そこを聞きたい」

「ぼくも判明し次第犯人を捉えるつもりでした。なにせ出るはずの利益がでなかったので。……しかし、残念ながら犯行のギミックを明かすような手がかりはありません。そもそも犯人はどうやってぼくらのホームに入ったのでしょうか」

「それなんだけどちょっといいかしら?」

 

 ここでヒスイが発言。俺とシーザーの会話に割って入る。

 

「ホーム……っていうか、売られてる物件って例外なく『訪問・観賞権』があるじゃない? ほら、あたしやジェイドもどこをギルドホームにするかよく検証し合ったでしょ? 厳密には、お金をNPCに渡す前だった48層主街区(リンダース)のホームって、その権利が全プレイヤーに生きてたんじゃないかしら?」

「なるほど、目からウロコだ。おっしゃる通り『いつどの段階で誰の所有物になるか』という点は未検証な部分も……手がかりが掴めるかもしれませんね」

 

 どこか希望を掴んだような声色でシーザーがメインメニュー・ウィンドウを開くと、なんの迷いもなく分厚い書籍をオブジェクタイズした。どうやらホーム購入時の細かい手順が記載された手引書のようで、彼はまたスラスラとページをめくっていく。

 

「生意気カモですが、これでもプロ意識はあるんで、結構読み込んだつもりだったんですけどね。なかなか全部は覚えきれなくて……あ、ありましたよ。購入決定から実際にコルが取引相手に渡るまでの詳細です。え~と、こうありますね、『原則として購入決定の意を示すことでNPCのカーソルにはイベントフラグが立つ。フラグが消えないうちは主街区から出られず、購入予定の物件も仮所有物として扱われ、その人物にいっさいの訪問、閲覧、家具の試用権限が一時的に譲渡される』……だそうです」

「なるほど意味ワカラン。つまり……?」

「つまり、ハズレみたいですね。……購入手続きのフラグは間違いなく立っていたはずです。説明欄にある『仮所有物』という状態ですが、これも間違いないでしょう。ホームの開錠が可能だったプレイヤーは、《夫婦割引》が適用されたぼくとリズベットさんしかいなかった。……ということは、《カーディナル》とやらの胡散臭いシステムが正しく作動している限り、どんなプレイヤーもあの敷地に侵入できないはず、ということです。もちろんぼくは野外設備の説明をされている最中だったので、室内からドアを開けてはいませんし」

「うわ、細かいな~……けどこれもダメだったか」

 

 また1つ、有力な情報と手がかりが霧散していく。まるで雲を掴むような議論である。

 ここからは時間をかけて実験するしかない。『言うは(やす)し、行うは(かた)し』というやつだ。

 正攻法でいくならアイテムかスキルだろう。しかし、前者の場合は(たち)が悪い。それほど危険でレアなアイテムであるのなら、犯人はわざわざ公開しないはずだからだ。公開されていないアイテムの性能を知る由はない。

 厄介な線は置いておいて後者、つまりスキルはどうだろうか。

 そこまで私考した時点でヒスイがまたしても口を開く。そしてその疑問は俺が抱いたものと寸分違わず同じものだった。

 

「未知のスキル、って可能性はないかしら。と言うよりそうであってほしいわね。さすがに全アイテムを把握しきることなんて不可能だし、スキルなら知り合いの知り合いぐらい辿れば全部聞き出せると思うわ」

「それは俺も思ったんだけどさ、ネックなのはステバレを強制するところだよな。誰だって秘密にしたいだろうし……ここでも金積む?」

「う~ん……あ、待って! そうよ《鍵開け(ピッキング)》スキルはどうっ? 確かルガ君が持ってたよね! まだ熟練度がギリギリ最大値に到達していないけど、もし完全習得(コンプリート)しているプレイヤーがいたらどうかしら? 派生機能(モディファイ)にホームの解錠とかあれば……」

「その可能性もなくはないですね。ぼくの知り合いに《ピッキング》を持っている方はいませんが、その程度のことなら調べるのにも時間はかからないでしょう。きっと誰かがすでに疑問に思ったことでしょうから」

「んじゃあ俺とヒスイは帰ってルガに聞くか。情報サンキューな、シーザー。またどっかであったらメシでも食いに行こうぜ」

「喜んで。ただぼくとしては、今度はビジネスのお話を期待しますが」

「ハハッ、職業病じゃねーのソレ」

 

 それだけ言って俺達とシーザーは別れた。

 事件解決へ大きく1歩踏み出したのは事実だ。あまり時間をかけてのんびりと探偵ごっこする気はないので、できればこれが正解であってくれと願うばかりである。

 と、店を出たところでモンスターの気配を感じた。

 整備されていない歩道を踏みしめながら振り向くと、件の《貸金屋》の屋根上に黒い翼の生えたドラゴンが佇んでいた。全長は1メートル半で羽の幅は約2メートル。短い尻尾と首回りの逆立った刺々しい鱗が特徴のダークグレーのモンスター。

 見覚えがある。空を飛ぶモンスターが多い30層フィールドでは頻繁に見かける飛行タイプのMoBだ。特定のテリトリーを持たないことも知識にはあるが、まさか圏内にも入ってくるとは。ちなみに倒した際にドロップする肉は焼いて食べるとそれなりに旨い。

 

「ここ村の中だってのに……って、ああそうか。パニの村は《圏外村》だから普通に入れるか。つか、あのモンスターが徘徊型ってことは知ってるけど、よもやこんなとこにも来るとはな」

「30層クラスのモンスターが56層にいることの方が不思議よ。よくある、レベルを底上げして再登場させたクチかな? ……あ、そう言えばここの村ってアスナが、NPCを囮にして徘徊型の強力なフィールドボスを安全に倒そうとしてたわよね。『NPCが囮の役割を果たせる』と判断したのも、モンスターが村に侵入できることが実証されてたからだし」

「あ~、そういやそうだったっけ」

 

 俺も言われて思い出す。

 『フィールドボスを圏内におびき寄せて、回復ポーション補給しながら倒そうぜ大作戦』。

 実際はこんなふざけた作戦名ではなかったが、それ自体はアスナが立案し、ひと悶着あった末にご破算となった戦法である。

 その原因は意外なことにキリトにある。

 普段目立ちたがらないあの黒装束が、この時に限って「NPCを殺してしまうような作戦には乗れない」などと反論したのだ。

 ことあるごとに視線を集める2人だったが、意見の食い違いはデュエルで決めよう、という流れになり、アスナを打ち負かしたキリトの意見が反映された。結果的にボスは倒せたものの、おかげで苦戦したことを今でも覚えている。

 

「(ああ……だから決闘は大っ嫌いなんだよなァ)」

 

 レベル制で成り立つソードアートにおいて、固定アバターはない。それゆえ、残念ながら決闘することに公平性はない。

 あるのは高いレベルを確保したレア武器の所有者が、自分の意見を強引に押し通す手段的な意味合いだけ。

 当時、正しい主張はアスナの方だった。NPCは実際に生きているわけではない。例えあれら(・・・)が100体消滅しようと、プレイヤーの生存率がたった1パーセントしか上がらない作戦だろうと、やはりそれを尊重すべきだったはずだ。

 幸い戦死者は出なかったが、結果オーライでは済まされないだろう。もしそのせいでプレイヤーが欠けていたら、あの男はどう責任を取るつもりだったのか。

 目の前で人が死ぬ現象を目撃しすぎたせいで、俺は深い傷跡を負っている。それは今に至ってなお治ることはない。

 キリトもその傷を持っているはずだ。自覚がないにせよ、彼もそう遠くない未来で苦悶するだろう。時にはプレイヤーとNPCを『区別』せざるを得ないのだと。今後もこの意見を通そうとするなら、『ひと悶着』では済まされない対立があるのだと。

 

「あー思い出したら腹立ってきた」

「そう言わないの。誰が正しいかなんてわからないものよ……って言うか、あのダスクワイバーン動かないね。あたし達には気づいてるはずだけど攻撃の意思はないのかな?」

「いや、よく見ろヒスイ。アイコンが緑だろ? ありゃ非攻撃型(ノンアクティブ)だ。今ならエサやれば飼い慣らし(テイミング)できるかもな。試してみるか?」

「あたしじゃあんな大きなドラゴン飼えないわよ。エサ代もかかるし熟練度を上げる時間もないし。そもそも、ダスクワイバーンの好きなエサ知ってるの?」

「モチ知らん」

 

 滅多に見ない現象に少々の足止めをくらってから、俺達は迫り来るモンスターを速攻で蹴散らしながら主街区へ到着して《転移門》を使った。自慢ではないが、俺達の連係プレーは以前からは想像できないほど完成されている。

 ほぼ最前線だというのに、これほど快調にフィールドを駆け抜ける2人組がいるだろうか。いるかもしれないが俺は見ていない。

 ――これも愛の成せる業か。

 などと脳内で惚気をだしていると、なんと《転移門》にて最前線層まで移動したところで、有効範囲外へ出てすぐのところに《竜使い》と名高いビーストテイマー、ツインテールのシリカを発見した。

 せわしなくキョロキョロとしているが誰かをお探しだろうか。

 

「あれっ、シリカちゃんじゃない! どうしたの、こんなところで!」

「あ! ヒスイお姉さん!」

 

 見知らぬ土地で不安だったのか、彼女もこちらに気付くと満面の笑みを浮かべてヒスイに抱き着いていた。その近くには当然、彼女の使い魔である《フェザーリドラ》のピナが滞空している。

 これは意外な人物が登場したものだ。大人なので澄ました顔作りつつ、俺は半ば以上驚きしながらシリカに話しかけた。

 

「よおシリカ、おひさ。でもここは最前線の街だぜ? どうしてこんなとこに?」

「えっと、今日パーティを組もうって誘ってくれた人達が急な用事で一緒に行けなくなっちゃって……それで、午前中はずっとヒマだったんです。なのでもしかしたら前線(ここ)に来ればヒスイお姉さんに会えるかもしれないと思って……」

「えーそれスゴいうれしい! じゃあ何かお話しする?」

「はい! 攻略組の人の話なんてそう聞けないですし!」

「え、俺は? ねぇ俺は……?」

「そうねぇ、何から話そうかしら」

 

 すげなく無視されてしまった。相も変わらずSAO在住の女性は俺に手厳しいらしい。

 と思った矢先、シリカがくるりと反転して悪さをする小悪魔のような顔をして口を開いた。

 

「えへへ、ウソですよジェイドさん。ジェイドさんにも会いたかったです」

 

 なんて言ってきた。

 直視して言われると恥ずかしいものがある。しかし俺には恥ずかしさより嬉しさが押し寄せ、そしてその複雑な心境が暴走した状態で表に現れてしまった。

 

「くぅ〜っ、俺をからかうたァいい度胸だ! コウカイするがいい!」

「えっ、わひゃ! あはははははっ」

 

 俺は逃げようとするシリカを圧倒的ステータス差で無力化し、ホールドしてから脇へのくすぐり攻撃を実行した。

 効き目は抜群で、3D界ならではのイタズラ――セクハラともいう――行為にシリカは涙を浮かべながら悶絶していた。少女特有のぷにぷにの肌も指に吸い付いて気持ちいい。

 

「ちょ、やめぇえっやめてくださいってばぁ」

「フハハハさあ苦しめシリガブごァぁああああッ!?」

 

 だが油断した直後、飛来物が俺の顎に直撃した。《庇護コード》による紫色のライトエフェクトが発生する中、ノックバックを相殺しきれないほどの速度と、固く握られた拳のような何かに裏拳的な何かをくらって俺はブッ飛んだ。

 まるでギャグマンガのように、2メートルほど顔面で地面をこすり上げる。

 俺は四つん這いで(うめ)きながら我が最愛の人物の方へ向いた。

 

「て、手加減してもいいぞヒスイ……」

「ねえ、冗談もその辺にしないと……2度と……剣を握れない体にするよ……」

「(こぇええええ、でもグーパンする前に忠告してほしかったぁああ……)……了解です」

 

 俺は真顔でそう答えた。

 助けを請うシリカを背中に隠すヒスイが、俺には鬼人か何かに見えた。

 そうして微笑ましい恐妻家庭っぷりを見せつけ、さらにヒスイからお慈悲をいただいてからは、俺達はシリカと近況を交換し合うことにした。

 ちょうど《テイミング》スキルの話をしていたところだったので自然にその話を混ぜつつ、シリカのマスコットとしての地位がさらに堅いものになりつつあることも判明する。

 言い方は悪いが、半分調子に乗り出していたシリカも、あの事件以来仲間への発言には気を付けているらしい。

 いずれにせよ、彼女もまた1歩健全な方の大人の階段を上ったというわけだ。

 

「そうなんですか、ギルドホームを……やっぱりたくさんお金がいるんですね。ホームを購入したらあたしにも見せてくれませんか?」

「うっ……ま、まぁもうちょい先の話になるけどな。それでよければ……」

「やったぁ。楽しみにしていますね!」

 

 弾んだ会話から余計なことを口走ったもので、今ではシリカの人を疑おうとしない目が憎い。彼女のそばでピナも嬉しそうにキュルキュルと鳴いていたが、この空飛ぶトカゲもどきに言語力はあるのだろうか。

 そこで俺はふと引っかかった。

 ヒスイの言う使い魔の飼い方ではないが、普段のシリカはピナをどういう風に育てているのだろうか。今のところ衛生面を理由に使い魔が飲食店に入れなかったことはないが、食事はともかく入浴時、就寝時なども行動を共にしているのだろうか。

 俺がそれを実際に聞いてみると……、

 

「はい、大体一緒にいますよ。水属性の攻撃をするからかはわかりませんが、ピナは水浴びも大好きで……ああでも、あたしのスキル熟練度だとピナを遠くに1人で行かせることはできないんです。前に上層の人が出版した『使い魔の上手な飼い方』という本を読んだんですけど、ヒスイお姉さんが使い魔を持つというのであれば貸しましょうか?」

「い、いえいいのよあたしのことは。今は現実的じゃないし、どうせ飼うならダスクワイバーンより可愛い子がいいし……」

「じゃテイミングしやすくて可愛い子をあたしが調べておきます!」

「いやシリカちゃん、それテイマー仲間が増えるの嬉しいだけでしょ!」

 

 女性陣2人による微笑ましいコントを永遠に見ていたい気分だったが、俺は頃合いを見て話をたたむことにした。

 ただし、わずかに湧いた疑問だけは晴らしておきたい。

 

「なーシリカ、今の熟練度じゃピナを遠くに……ってのも無理なんだっけ?」

「遠くというのがどこまでかにもよりますけど……でも、敵との距離が10メートルぐらいなら攻撃してくれますよ。おかげで《索敵》スキルの代わりになってくれています」

「へぇスゲーじゃん。じゃあ熟練度をコンプすると、もっと何でもできるのかな? アイテム拾ってくれたりとか」

「えぇっと……さすがにそれは1つ1つ試していくしかありませんね。少なくともコンプリートした人は結構フクザツな操作ができるみたいです。……あ、『使い魔の上手な飼い方』にも書いてあったと思います。貸しましょうか?」

「マジか。んじゃどっかで読もうかな」

「ジェイド、そんなにペットが欲しかったなんて……」

「ちげーよ。ちょ、なに『不良の意外な一面を目撃!』みたいな顔してんだよっ!」

 

 そんなこんなで誤解を解きつつ、俺達はようやく目的地に到着した。

 リズ達とも無事合流できたところで、56層でシーザーと会ったこと、またそこで話したことを伝えようとするも、その前に我がギルドメンバー達が見慣れない客に釘付けになってしまった。

 ビーストテイマーは最前線では絶滅危惧種だ。滅多にお目にかかれるものではない。そのうえ使い魔を使役するシリカは、見た目のほどは小学生レベルの女の子である。自然とテンションが上がってしまうのも無理はなかった。

 アリーシャとカズとジェミルがシリカの元へ駆け寄っては口々に称賛を飛ばす。

 

「なにこの子超可愛いー! ってかちっちゃーい!」

「ホントだね~。僕も初めて見たよこんな子は」

「珍しいよねぇ。今日はなんだか幸先のいい1日になりそうだよぉ」

「えへへぇ……それほどでも……」

『ペットがね!』

「あたしのことじゃないんですかっ!」

 

 ――楽しんで……いるのだろう。

 この3人ってこんなに面白い奴らだったっけ、などと思いながらも俺はその光景を見るのがどこか楽しかった。

 しばらくして落ち着いた7人と1匹は改めて集合して、まずは適当な喫茶店に入った。そのままコーヒーの1つもメニューにない摩訶不思議な店の中で、俺を中心に今までの経緯を伝える作業に入る。

 途中いくつか頷きや相づちを貰いながらも、やはり感じるのは手応えのなさだ。どの連中の顔からも確信に満ちたトリックのネタ披露をできるようなものはない。皆が皆、リズが巻き込まれた犯罪の決定的な手口が掴めないでいたのだ。

 特に謎だらけなのは、仮にもプレイヤーホームとして契約が成立する直前だった施設へ難なく侵入された事実だった。

 

「なるほど、そこまではわかったんだね。けどジェイド……水を指すようで言いにくいんだけど、つい最近僕の《ピッキング》スキルの熟練度はコンプリートしてたんだよ」

「えっ、コンプしてたの!? だったら話は早い。これなら情報を買いに行く手間は省けたな!」

「うん、それはいいんだけど……コンプリートしようが《ピッキング》スキルにそんな機能はないんだよ。他人のホームには手が出せないんだ」

「あっ……そう、なのか。……ま、そうだわな……」

 

 またしても徒労に終わった無力感が襲う。

 話を聞くと、カズが《ピッキング》スキルをコンプリートしたのはつい先日のことらしい。

 報告しなかったことについては特に責めるつもりはない。元より好きなタイミングで教えてくれればそれでよかったのだ。だが今となっては、《ピッキング》スキルがトリック解明の鍵にならなかったことが悔しい。

 

「ってことはまた白紙だねぇ。《超能力》スキルとかないものかなぁ……いっそのことお金の方からホームを飛び出したんじゃないかって考えちゃうよねぇ」

「そう言うなジェミル。ホーキしたくなる気持ちもわかるけど……」

 

 再びどよよ~ん、とする一同。

 シリカの「お金の話は難しいです」的な無垢な顔だけが今は(いや)しか。

 しかしアイデアが詰まって沈黙が降りかかった瞬間、今度は店の入り口からガタンッ、と大きな音が聞こえてきた。

 ついでに再会を喜ぶ声も。

 声の主はなんと、つい2時間ほど前に会ったばかりのシーザー・オルダートその人だった。しかも音質が明るい。明らかに朗報を持ってきた声だ。

 一瞬で思考が加速する。シーザーがここに来たということは事件関連だろうし、期待も高まる。

 

「こんなところに……ハァ……いましたか。いや~……ハァ……探しましたよ」

「よ、シーザーじゃねぇか。あーほら、こいつがさっき言ってた奴だ。……それにしても、こんなに早く一緒にメシが食えるとはな。まあここはメシ屋じゃねーけど」

 

 息が荒いが、俺の後を追えたということは、《索敵》の派生機能(モディファイ)にある《追跡》でも使ったのだろう。 

 

「どうも、はじめましての方ははじめまして。シーザー・オルダートです。リズベットさんとホームを買おうと……って、ここは聞いていますか。先ほどジェイドさん達とその事について情報交換もしましたが……」

 

 そうして続けられた言葉に、全員が度肝を抜かれることになった。

 

「ついさっき1通のメッセージが届いたんです。《インスタント・メッセージ》でした。差出人のネームはぼくの記憶にありません。内容は……まずは謝罪から入っています。ですが本題はそこではなく……ぼくらから奪い取った100万コルを、その……至急お返ししたいというものでして……」

『えぇええええっ!?』

 

 一同が信じられないといった声をあげる。

 この事件……なんだかあっさり片付いてしまいそうであった。

 

 

 

 



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リコレクションロード3 脇役根性

 西暦2024年3月7日、浮遊城第57層。

 

 ルガトリオ君、と。

 そんな可愛らしい声で僕は現実に意識を戻した。と言うより、そう話しかけられるまで呆けていたことに気づかなかった。いくらなんでも動揺しすぎである。

 

「えあ……はいっ?」

「えっと……プロポーズメッセージは届いてるわよね? それに了承ボタンを押してくれれば、すぐに《結婚》状態になると思うんだけど」

「あ、はい。すすすぐにやります……えっと、これで……いいんでしょうか……」

「うん、これでよし。あ~そんなに固まらなくてもスキルやステータスを覗いたりなんてしないわよ。アイテムを盗むのも論外だし」

 

 リズベットさんは僕に念を押した。しかし僕が固まっている理由はそんなことではなく、むしろスキルやステータスが覗かれるかもしれないという基本的な危機感すら眼中になかった。

 もっとも、リスクが怖くて人を助けたいなどとは言わない。ある種の無神経さとも取れる「結婚しておけ」というジェイドの命令はしかし、最も合理的だった。

 それにしても、まさかの結婚である。

 僕は初めて結婚した。というと語弊(ごへい)もあるが、これがしがない高校生にとってどれほど未知の体験であるかは、わざわざ特筆するまでもないだろう。

 いささか動機にロマンチックなものが含まれていない気もするが、この際細かいことは置いておこう。僕が結婚したという事実だけが問題だ。

 

「え……えぇええっと……そして……僕らは何をすればいいんでしょう……?」

「声が裏返ってるよ……そうだねぇ、でもヒスイ達が帰ってくるまではここで待機じゃない? 《夫婦割引》が適用されると言ってもホームは高額だから、お金が借りられてからじゃないと勝手に買いに行くこともできないし」

「あ、あぁあ……そ、そうですね……」

 

 ピンク色の髪の毛、というのは決して僕の好みではなかった。しかしリズベットさんは今だけ限定で僕の妻になっているということになる。緊張してしまうのは無理もないだろう。

 それにしてもリズベットさんにとってこの程度のことは何ともないのだろうか。だとしたら、いくら無神経な僕でもかなりショックである。

 しかし……、

 

「(……いや、そうじゃないのか……)」

 

 ふと思い直す。彼女にとって自分のプレイヤーホームを買うということは、きっとこれほどの重みがあるのだ。

 ネーム欄を見るに、その付近にギルドアイコンが浮かんでいない。と言うことは、彼女は事実上のソロプレイヤーである。

 まだ殺伐とした情勢。1人で戦い抜くというのは、口で言うほど簡単ではない。初期の頃のジェイドやヒスイさん、そして今なおソロプレイヤーを貫くキリト君には、その支えとなるドス黒いまでの執念があった。独りであることを通そうとする、常人からは理解され難い支柱が。

 ジェイドの場合は主に僕の存在があった。あの日1層で、すべてが始まった瞬間から見捨てた。そして自分だけが助かるために、他の何をなげうってでも良かったのだろう。だから心の清算をするために、僕らのことを命懸けで救ってくれた。

 ヒスイさんも現実世界の人絡みだと聞く。

 詳しくは本人が伏せているので聞かされていないが、ジェイドの誘いに乗ったということは、彼女にもようやく変化が訪れたという証拠なのだろう。

 キリト君については、どうも昔のギルドのメンバーを見殺しにしてしまったらしい。わざわざミドルゾーンのギルドにレベルを偽って入った上に、当時攻略組の中で危険が周知とされていたアラートトラップの情報を共有しなかったのだ。

 クリスマスの夜、彼がなぜ《蘇生アイテム》にあれほど執着を見せていたのか。それを、今では哀れみと共に納得するしかない。

 

「(それなら、この女性(ひと)には何があるんだろう……)」

 

 家族関連だろうか。それとも友達? 恋人?

 いずれにせよ、その悲しみの深さと途方もない孤独感は、幸運にも1層で縮こまっていた時、ロムライルから「仲間に入らないか」と誘われた僕にとっては到底推し量れるものではない。

 彼女の心の支え、その第1歩として欲するものを手に入れようと必死になることはいいことだ。

 と、そこで……、

 

「あ、これアシュレイさんがデザインしてる特注のキーホルダーよね? うわ、すっごい……キレイだけど、高かったんじゃないこれ?」

 

 僕の悩みなどつゆ知らず、アリーシャさんがリズベットさんに話しかけていた。

 まず忘れてはいけないことがある。それは《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の幹部として『アリーシャ』の名前が有志新聞に大きく載ったことがあると言うことだ。

 リズベットさんが改めてアリーシャさんの名前を聞いた瞬間、その目に嫌悪にも似た鋭い感情が滲み出たことを僕は見逃さなかった。名前をどこかで聞いたのだろう。あれから4ヶ月という期間が過ぎたが、やはりまだ人々の記憶から消えるには短い。

 しかし、それでもリズベットさんはアリーシャさんと普通に話している。彼女の苦節に対して親身に語りかけたアリーシャさんから、わずかな警戒心を解いたのかもしれない。

 

「こういうのってどうしても値は張るものよ。けどあたし、このウェイトレス姿が板についちゃってるのよね~。あんまり装飾品をいじる必要がないの。1個あればそれでいいって感じ。店番する時はいつも同じ格好だし」

「なるほど~」

 

 どうやらアリーシャさんとリズベットさんで本格的にガールズトークを始めてしまったようだ。お題はネックレスや指輪などの装飾品なのだろう。だが残念なことに僕やジェミルはその弾み続ける話についていけない。

 先ほどデザインしたのが誰かなどと言っていたが、よく意匠だけで誰が作ったかを当てたものだ。僕に至っては、武器やアイテムの制作者などは《鑑定(ジャッジ)》スキル保持者などにコルを払って教えてもらうしかないとすら感じているというのに。

 この手の会話にいつまでたっても交ざれないから、僕らには彼女がいないのだろうか。

 彼女のいない歴がイコール年齢であることに若干焦りを感じつつ、彼女らをしばらく見守るのだった。

 

 

 

 ジェイドらを待つこと数十分。雑談をするにも話題がなくなりそうになった絶妙なタイミングで、ジェイドとヒスイさんが57層主街区(マーテン)へと帰還を果たした。

 彼らの晴れやかな表情を見るに、どうやら少なからず臨時報酬もあったようだ。

 と、それよりも目を引くものがあった。人物がいた、といった方が正しいだろうか。明らかに最前線での戦闘を経験したことの無さそうなビーストテイマーが、小さな青色の子竜を引き連れてこちらへ向かってきているのだ。

 しかもその少女は驚くほど小柄である。加えてこの世界において希少価値のある女性。僕はSAOに来て初めて割合の逆転する場面にいることになる。

 ――ていうかジェイド、はべらせすぎじゃないかな。

 そんな冗談はさておき、僕には少女の顔に見覚えがない。しかしどうやらジェイドとヒスイさんには面識があるようだ。

 

「え……えっと、シリカです。よろしくお願いします」

 

 僕らに会うなり彼女はそんなことを言った。

 シリカ……やはり前線では耳にしない名前だ。ジェイド達もいつ知り合ったのだろうか。

 とにかく一通り自己紹介をし合った僕ら一向は、あいさつ代わりとして少々言葉の掛け合い――いじりとも言う――をしてから喫茶店に入ることにした。

 カラン、カラン、と鈴を鳴らしながら7人ものプレイヤーが店のドアをくぐる。

 個性豊かな面子である。愛くるしいビーストテイマーのシリカちゃんに、ピンク髪ウェイトレスの鍛冶屋リズベットさん。さらに漆黒の装備を着るクールなヒスイさんに、金髪で混血のようなスタイルのアリーシャさん。ジェミルが飛び道具の達人で、ジェイドが《暗黒剣》の使い手であることを踏まえるなら、どう見ても僕が1番影の薄い存在だ。力不足も甚だしい。

 僕に存在価値はあるのだろうか。少なくとも、この立ち位置は誰でもいいように思えて仕方がない。僕ではない、他の誰かでも成立するような……、

 

「んで《鍵開け(ピッキング)》スキルに注目したわけだ。施錠に関しちゃあ、ここまでうってつけのスキルもないだろうしな。ルガ……なにか思い当たることはないか? なければ熟練度をコンプリートするまで待つけど」

「えっ? 《ピッキング》スキル……?」

 

 リズベットさんからお金を奪い取った犯人が誰なのか、その議論をしている最中に僕に話が振られた。集中していなかったが、どうやら手口の話をしていたらしい。

 

「そそ。ルガしか持ってないからな。いやぁ、持つべきは仲間だぜ。そうじゃなきゃ、またぞろネズミペイントのカネ亡者にコルを取られてただろうし」

「あ、うん……僕がいたから、か……」

 

 僕がいてよかったと言われることがこれほど嬉しいとは思わなかった。

 タイミング的に響いたのだろう。どこか嬉しくなりながらも、しかし残念な知らせをしなければならない。

 秘密裏に《ピッキング》スキルを完全習得(コンプリート)していたこと。そして、スキルではどうやっても他人のホームへ侵入することなどできないということを。

 プレイヤーが正式な手続きを経て購入したホームはもちろんのこと、購入直前の契約中、つまり『仮所有物』であるホームであってもそれは例外ではなかった。

 そもそも理論的、常識的に考えて僕が《ピッキング》スキルで扉の解錠ができた可能性は極めて低い。僕は性格上そんなことはできないが、誰しも犯罪をはたらかないとは限らないからだ。誰かしら悪事を企むプレイヤーが紛れただけで、その街は犯罪の温床となる。開発スタッフもそんな危険は避けるだろう。

 僕は正直に話した。

 それは利用価値を自ら捨てているようで、とても気が進むものではなかった。

 しかし、ここで以外な角度から救済措置が入る。

 

「こんなところに……ハァ……いましたか。いや~……ハァ……探しましたよ」

 

 突然店内へ乱入してきた藍色のキレイな髪をした男性プレイヤーは、僕らのテーブルの近くまで寄るなりそんなことを言った。

 腰に下げる日本刀がやたらと似合う男性だったが、見たところ面識はない人物である。

 けれど、挨拶をしたジェイドは『シーザー』と呼びかけた。

 と言うことは、リズベットさんがホーム購入の際に夫婦割引を試みた婚約相手のことだ。

 対抗意識があったわけではないが、僕は値踏みするように彼を見た。特別変わったところは見受けられない。むしろ整った顔からは気品すら感じた。

 と、そんな折りに彼は衝撃的なことを打ち明けた。

 

「1通のメッセージが届いたんです。《インスタント・メッセージ》でした。差出人のネームはぼくの記憶にありません。内容は……まずは謝罪から入っています。ですが本題はそこではなく……ぼくらから奪い取った100万コルを、その……至急お返ししたいというものでして……」

『えぇええええっ!?』

 

 全員が若干困惑ぎみに声を張り上げる。その声に驚いて反応した別のテーブルの2人組はNPCではないのだろう。

 いや、そんなことはどうでもいい。

 それよりシーザーさんは今なんと言ったか。犯人がメッセージを送ってきたと? これだけ周到に下準備しておいて、今さら自ら謝りに来るとは信じ難い。

 そこへヒスイさんが代表して口を開いた。

 

「開口一番アレだけど……それ、本当に犯人からのメッセージでしょうか?」

「ええ、おそらく。ぼくも疑いましたが本人でなければ知り得ない情報もあります。なのでこれは自首……なんでしょうね。……とにかく読みます。文面にはこうあります。『新婚夫婦から多額のコルを盗みとったことを、まずは謝罪したいと存じます。私の名前はボルドと申します。不肖、私はこのたび盗みをしてしまいました。これが許されないことと知りながら、私は素性不明の男にそそのかされ、簡単に悪事に手を染めてしまいました。軽率な行動に深く反省しております。《空き巣狙い》をしてから、私も色々調べました。すると、あなた方は離婚していると聞きました。初めて自分のしたことの重大さに気づいたんです。見て見ぬふりはもうできません。つきましては、手元にある100万コルをお返ししたい。本日の4時、40層主街区の外れにある《トシフック村》へ来てください。《圏外村》ですが、プレイヤーの所有物を奪うことで犯罪者となった私は、47層主街区(リンダース)を1歩出た瞬間、オレンジカーソルとなってしまったのです。目印として村の最北端にある《傾斜の時計塔》の真下にいます』……ああこれ、40層の観光スポットにあるやつですね」

「てかなっが! まだ続くん!? 寝そうなんだけど」

「ちょっとジェイドは黙ってて!」

「……あい……」

 

 ヒスイさんが不良をなだめると、シーザーさんはクスリと笑ってから再び手紙に目を落とした。

 

「続けます。……『そうして本日、運良くシーザー・オルダートさんが《圏外村》のある56層にいる情報を得ました。この《インスタント…メッセージ》を送る決意をした理由です。最後のチャンスだと思ったからです。幸い、《転移結晶(テレポート・クリスタル)》は最低限確保できました。これが届いているかを私は確認できませんが、40層にて待ち続けます。取ったお金には手をつけていません。それでは』……えっと……これだけですね」

「思ったよりいい人っぽくてよかった……っていうのはフラグになっちゃうんだろうね」

「それに越したことはないけど、やっぱ疑ってなんぼだろうな。まあどっちにしても、確かめるなら40層に向かうしかないか……」

 

 僕の発言にジェイドが同意する。

 無論、そんな警戒は言われなくとも全員がしているだろう。何らかのトラブルやアクシデントが発生することを前提に常に動き続ける。攻略組なら誰でも日常的にしていることだ。相手の人間性で変わる習慣ではない。

 ここでシーザーさんが可視化してくれた文面を改めて閲覧した。

 そうして話し合う内に、いくつか疑問に思ったことを出し合った。

 

「《傾斜の時計塔》かぁ、懐かしいなぁ。あと、手紙の人は離婚した理由を勘違いしてるねぇ。そこまでは知らなかったのかなぁ」

「知らなかったんじゃないかな。『夫婦割引』を使った購入法なんてマイナーな話だと思うし。ホームを買おうとしていたあたし自身も、こんな方法でコルを浮かそうなんて……シーザーさんに提案されるまで考えもしなかったから……」

「それもそうよね~。っていうか、アタシには《空き巣狙い》の方法を教えたっていうこの素性不明の男の方が気になるわよ。……まさか、ね。あいつじゃなきゃいいんだけど」

「でも危ない橋を渡れとかそういう話じゃなくて安心したわ。ボルドさんも、きっと魔が差したのよ。返してくれるなら信じましょう? よく言うじゃない、信じないで後悔するより信じて後悔しろって。ジェイドもそう思うでしょ?」

「ん〜、いやまったく。知らん奴は信じない」

「ひど!」

「まあでも、動かんことには始まらないか。んじゃあ代表で誰か様子見てきて、カネ確保したら俺にメッセージな。《パニの村》で借りた40万はムダ足ってことになりそうだけど、文句を言ってもしょうがない……」

 

 ジェイドがテキパキと指示を出す。今の彼の判断については自信をもって従える。問答無用でそう思わせるまでに、彼もギルドマスターとして成長してきたのだろう。

 そこへシーザーさんが意見を述べた。

 

「ぼくも同行させてください。自分の不手際を誰かに尻拭いさせるなんてプライドが許しません。なんであればぼく1人でも行ってきますが」

「じゃ、頼んだ」

「ハイ、では……えっ、ホントにぼく1人で?」

「アッハハハ、冗談だって。うちのギルドも依頼を受けてんだ。ここまで来て丸投げはねェわな。じゃあシーザーにはルガと……そうだな、ヒスイが付いていってやれ」

 

 ほんの少しだけ考えてからジェイドは僕とヒスイさんを指名した。

 もちろん、僕としてもこれは予想の範囲内であった。何度も言うようであるが、僕とヒスイさんはリスクを背負うことを承知でリズベットさんを助けたいと言い放った。一連の事件の解決となる節目に、僕が不在というのは道理にそぐわないだろう。

 同じことを思ったのか、シーザーさんと40層の圏外村である《トシフック村》に行くことに対してヒスイさんも特に難色を示すことはしなかった。

 

「できればリズも連れてってやりたいけど、実力的にまだキツいだろうし、とりあえず待機な。その間にジェミルとアリーシャは《貸金屋》に向かっといてくれ。100万が返ってきたら40万を速攻で《貸金屋》に返せるように」

「ジェイドはどこかへ行ってるの?」

「まあ、早めにシリカを送ってやろうかなと。面識あるのは俺かヒスイだけだからさ。……それに、さっき頼んだ物もついでに借りようと思ってよ。別にいなくてもいいだろ? シーザーが主街区に戻れば、改めてリズと2人で買いにいけばいいし」

「まあ、確かに。でも借りるって何を?」

「あ、『使い魔の上手な飼い方』ですよね? さっき話してたんです。ほんとに読んでくれるなんて。ビーストテイマーが増えるかもしれないかと思うとワクワクします!」

「あ、ああ……なんか期待され過ぎると辛いものがあるけど、前向きに検討しとくよ」

 

 こうして僕らはまだ半分以上あった飲み物を一気飲みして――ちなみにロシアンルーレットのようにハズレがあった。明らかに味覚エンジンに悪意がある。なぜスタッフはそんな設定をしたのだろうか――から、班ごとに別れてそれぞれの目的地に移動しようとしていた。

 と言っても、まずは動く前に準備だ。

 先に僕とリズベットさんの《結婚》を解除し、続いてリズベットさんとシーザーさんをその場でまた《結婚》させた。時短目的だろう。

 しかしこれらを先に済ませた以上、きちんとホームを買うまで面倒を見ようとしているのだ。隠しているつもりでもジェイドは優しい。

 それから《転移門》までは道中は共にすることになった。

 ジェイドはシリカちゃんと一緒に彼女のホームタウンがある8層主街区(フリーベン)へ向かうし、リズベットさんは《パニの村》がある56層主街区へ向かう。さらに僕ら『手紙の主と面会』班も指定された《トシフック村》がある40層に移動しなくてはならない。

 今は8人で57層主街区(マーテン)のメインストリートを歩いているが、シーザーさんはリズベットさんと商業の話をしている。そこへ時々アリーシャさんも混じっていて、ジェミルとヒスイさんはシリカちゃん並びにその使い魔とじゃれていた。パッと見る限りでは仲のいい家族か兄弟に見えなくもない。

 そこへジェイドが近づいてきた。

 

「な〜ルガ、1つ聞きたいことがあるんだけどさ……あのメッセージ文、ほかに気になるところはなかったか?」

「え……ずいぶん前の話に戻るね。それはどういう意味……?」

 

 僕はいきなり不安になってジェイドを見上げた。

 彼には……彼の目には僕と同じようなものが宿っていた。つまり、不安である。

 彼にも確信がないときはある。自分の判断、行動に悩み、そして怯えている。答え合わせなんてできない。だからこそ、そこには強い不安が生まれるのだ。

 問われる責任の先も結局はジェイド。しかしリーダーだからこそ、その際限のない葛藤は必要なことでもあり、上に立つ者の気質はその先にある。

 僕はそれを察し、できる限り彼の目線に立って意見を述べた。

 

「心配してるの? 大丈夫だよ。ジェイドはロムがいなくなってからよく考えて動くようになってるし。……まあ、あの人ほど博愛主義者ではないみたいだけどね」

「わ、悪かったな……」

「ホメてるんだって。ぶっちゃけ反省点だったし。……厳しい時もあるけど、僕はそれが嬉しいよ。だって、なんだか昔を思い出さない? 中学生の頃ころ、きみはよく僕らをまとめあげて強引にその日の遊びを決めたこともあったよね」

「ハハ、中ぼうの頃ってのはちょいと黒歴史だけどな。やっぱカズがいてよかった」

「ふふふ、懐かしいよ」

「とにかくサンキュ、改めてやること決まったよ。ヒスイが疑わないようにって言ってんのに悪いんだけどさ、やっぱ俺の信じることを全部しようと思う。誰も失望させないって51層主街区(トロイア)で誓ってるしな」

「ん……僕はいつだってジェイドを信じてるからね。自信を持ってよ」

 

 この会話を境に僕らは《転移門》が備え付けられている広場に着いた。そして各々の目的地を声高らかに宣言する。

 40層主街区名を口にすると僕らの体は真っ白な閃光に包まれた。

 

 

 

 

「ヒスイさんとこうやって2人で行動する機会ってあまりなかったよね」

「そうねぇ。ジェイドも気を使ってくれてるのか、別々になる時はあたしはアリーシャと、って場合が多かったし。それにしても《トシフック村》はやたらと遠いわね」

「あの、一応ぼくもいるんですが……」

 

 僕達調査班の3人は40層にある《トシフック村》を目指していた。《パニの村》が56層主街区に程近い地域にあるのに対し、確かに《トシフック村》は遠かった。

 しかし、特にこの層に強力なモンスターが出現するわけでもなく、レベルと層の数字の差が30ほども離れていることもあって、僕らはほとんど敵を傷害とも感じず快調に進んでいた。

 もっとも、荒れ果てた広野が主戦場である関係上、いざ戦闘が始まると背面フィールドよりは手こずる。天候パラメータの機嫌がいいことが救いである。

 

「(それにしても、シーザーさんすごいな……)」

 

 モンスターのリポップの波が収まると、パチンと刀を(さや)にしまうシーザーさんをつい目で追ってしまった。

 戦闘技術は相当なものだ。使用するサードスキルも最前線クラスで、そのセンスは攻略組でも高い水準にあると見ていいだろう。なにより、ビジネス関連で顔の利く彼が、これほどバトルスタイルを確立していることに驚きである。

 そうこう考えているうちに、一行は無事《トシフック村》に到着した。

 

「街を出てから30分もたっちゃったね。えぇっとここから確か……」

「《傾斜の時計塔》は北ですよ、ルガトリオさん。イタリアの有名な『ピサの斜塔』をモチーフにした時計塔で、斜めに傾いたまま建てられているんです。よって、時計そのものもずれていて、記憶に間違いがなければ分針が5分遅れているんです」

「へぇ~。ここが前線だったのって去年の秋だよね? よく覚えてたね」

「観光名所でもあったので。念のため、この辺りのことはおさらいしておきました。……と、それよりこの調子で行くと、予定より5分は早く着いてしまいますね」

「早く着く分にはいいじゃない。待たせるわけじゃないんだし。5分前行動は基本よ?」

「ええ……その、通りですね。……では、早速ボルドさんに会って犯罪の手口とやらを聞きましょう。ぼくらのこの行為は攻略全体に対してもプラスになるはずです。手口は拡散させておきますので」

「そりゃあ、このままだと商売上がったりだもんねぇ~」

 

 そんなことを言いながらも、そもそも南北に延びていない《トシフック村》の最北端とやらはかなり近い位置にあった。

 背の高い森林をバックに、クラシックな時計塔が視界に入る。やがて僕達3人は《傾斜の時計塔》の真下に到たが、ざっと見渡す限り、まだ人の気配はない。ボルドさんより早く着いたようである。

 

「あ〜そう言えば、このうっそうと生えた木々で《圏外村》かフィールドかを区切っていたのよね。こういうの珍しいわよねぇ……あれ……あたしの《策敵》に反応が?」

「《サーチング》スキルに? 森の奥かな。ヒスイさん、反応の場所は?」

「ちょっと待って……あ、上よ!」

「くッ……あ、あそこじゃないでしょうか! あっちです、ほら! 飛行型MoBが!」

 

 シーザーさんがヒスイさんの言葉に慌てて上書きするように指をさした。

 ヒスイさんの目線とは別方向だったが、確かに彼の示すそこにはモンスターの影があった。

 

「遠いですがルガトリオさん、投擲系の武器か何かはありませんかっ!?」

「えっと、あるけど……でもあれ《ダスクワイバーン》だよね。何でこんな層に……?」

 

 大木の隙間から突然飛来したモンスターに注意を向けながら僕は考えた。

 《ダスクワイバーン》と言えば30層の広い範囲と、強いて言うなら33層の迷宮区直前で見かける黒い翼と全身を覆う、黒い逆鱗が特徴の飛行タイプモンスターだ。

 それがなぜ、今ここで。しかも攻撃型(アクティブ)状態になっていない。非常に珍しいケースではあるが、あのダスクワイバーンは低確率イベントで発生する非攻撃型(ノンアクティブ)のモンスターだということになる。

 そこでシーザーさんが僕を指差した。ダスクワイバーンを見たままでだ。

 なんのジェスチャーなのだろう。……いや、そもそも誰に向けた(・・・・・)ジェスチャーなのだろうか。とても意味のある行為には見えな……、

 

「あれ、ダスクワイバーンが呼応して……うわっ! ちょっ、こっち来たぁ!?」

「危ない!」

 

 ドンッ、と胸板を押されて僕は後方へ飛ばされた。

 ヒスイさんが僕の代わりにダスクワイバーンの《フレイム》ブレスをシールドで防ぐ。

 そこへ相次いで襲撃者が現れた。

 それも、すぐ隣からだ。

 ジャリン! と、シーザーさんが腰に下げた《カタナ》カテゴリの武器を引き抜いている。

 剣が発光する。すぐにソードスキルが発動され、単発技のそれはザンッ!! と防具を引き裂くような音と共にヒスイさんの背中に直撃した。

 ソードスキル自体は《カタナ》ではよく見かける《麻痺》属性追加のポピュラーなものだったが、防御姿勢を取っていない背中から直撃したからだろう。対抗値を越えた攻撃であっという間にヒスイさんが《麻痺(パラライズ)》のバッドステータス状態になった。おまけに刀身に何らかの液体まで塗布されている。

 言い逃れのしようがない、完全にシーザーさんの手によってそれは成された。

 

「なんっ……ぐ……ッ!?」

 

 混乱より先に体が反応していたはずだったが、助けに入ろうとした僕の足がガクガクと震え自由が利かなかった。

 ――いったいなぜ? どこから?

 そう思うより早く、僕は答えを悟った。刃物が首へ命中したのを感じていたからだ。

 僕は目線だけを泳がせて現状を確認する。ネーム欄の横にはヒスイさん同様《パラライズ》のアイコンが点滅していた。僕も不意打ちでやられたのだ。

 ここでシーザーさんが口を開いた。

 

「ふう、危なかった。やはりサーチスキルは我々の敵ですね」

「な……にを……っ」

 

 ヒスイさんの腰からゆっくりとカタナが引き抜かれる。

 それは捕食者が獲物を弄ぶ姿に似ていた。

 シーザーさんは……否、シーザーはたった今から狡猾で残忍な犯罪者(オレンジ)となったのだ。

 

「ヒャハッ、ヒャハハハハハ! あっぶねーあぶねぇ、相変わらずカンだけはいい女だぜ。俺らのハイドが見破られそうだったしなァ!!」

「No、オルダートが使い魔を使って注意を逸らさなければかなり面倒なことになっていたな。But、誰かさんが時間を守らなかったせいで隠れ率(ハイドレート)が確保できなかったってのもあるが」

「隠蔽は全員、コンプリート、しているがな。わからないものだ」

 

 そんな声が聞こえた。声の種類は3つ存在し、そしてどれもこれも友好的には感じ取れない冷たいものだった。

 彼ら3人は直立する大木から生える太い枝の上にいる。それぞれ目の位置だけが繰り抜かれた頭陀袋(ずたぶくろ)を被る毒ダガー使いと、髑髏(どくろ)を模したマスクを装着する赤眼の刺突剣(エストック)使い、そして金髪長身で襤褸(ぼろ)切れのようなものを纏って肉切り包丁を携える黒ポンチョの男。

 全員に見覚えがある。全員に恨みがある。

 忘れるはずもない、僕らに近づき内部崩壊を図ったPoHやジョニーだけでなく、ザザについてもアリーシャさんを罠にかけようとしたことは記憶に新しい。

 彼らのアイコンは例外なくオレンジカラーである。そんな人達が遥か高みから地に這う僕とヒスイさんを睥睨(へいげい)していた。

 

「そんな……笑う棺桶(ラフィン・コフィン)がなんで、ここで出てくるッ」

「くっくっく、いい質問だか答える気はねェよ。さあどう料理したものか……んん? おいオルダート、『メインターゲット』を連れてくるって話じゃなかったか。どうも俺の目には映らないようだが」

「細かいですね、PoH。話の流れからメインターゲット達(ジェイドとアリーシャ)は連れてこられなかったんですよ。それにほら、『スペアターゲット』の《反射剣》ならいる。大物でしょう? おまけも付いていることだし、これで幹部昇進じゃないですか? もっとも、ぼくはまだラフコフに正式参加していないですが。アッハッハ」

「ふん、雑な仕事を……まあいい。いずれ始末するつもりだったんだ。改めてショウタイムといくか」

「く……あッ!」

 

 僕は何とかしてポーチに忍ばせておいた《解毒結晶》を手に掴んでいたが、それをシーザーに蹴り飛ばされる。ヒスイさんも同じようなことをしていたが焼け石に水であった。

 冷や汗が滝のように流れる。

 ――対抗手段がない。

 そう認めざるを得なかった。

 最悪の展開だ。ここに来てラフコフが我が物顔で出てきたと言うことは、ボルドさんも巻き込まれている可能性が高い。どうやって情報が漏れたのかは定かではないが、臆病な彼がレッド連中に抵抗できたとは到底思えない。

 時間稼ぎもしなくてはならない。情報も抜き取らなければならない。

 寝ているばかりでは、いられない。

 

「PoH……僕は17層で仲間に入れて欲しいと言っていた、当時のきみは嫌いじゃなかったんだけどね……」

「そいつは光栄だな。俺はお前を見ると反吐が出る」

「なんで、こんなこと……それにボルドさんはどうした! ここに来るはずだったんだ。彼に手を出したんじゃないだろうな……もしそうなら許さないぞ!」

「無茶振り来たァあ! ブハハハ、おほほいそりゃオレのことじゃねェかエェ!? なァ! オレがボルドだよガキぃ!」

「ッ……!?」

 

 木の影から新たな闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れた。

 今度は見たことのない人物だ。オレンジ色の髪の毛を基調に左の前髪の一部が青の毒々しい蛍光色で象られている。腰に下げる武器は《曲刀(シミター)》だろうか。牙のような歯も特徴的で、どこかそこにいるだけで強烈で攻撃的なオーラを放つ猫背の男だった。

 4人目のオレンジプレイヤーに「お前は誰だ」と問う前に、その男がまたしても楽しそうに遮った。

 

「ニブちんだなァ、オレぁ端ッからボスと関わってたんだよォブハハハハ! オメーらの能天気さには呆れるぜ!」

「ボルド、その辺にしとけ。ガキの目的は時間稼ぎと情報だ。いちいち付き合うな」

「あ、そうなんすか。了解っす。んじゃあボス、今日はどう調理しましょう?」

 

 短絡思考が滲み出るボルドを制止させて、今度こそPoHが投げナイフを取り出した。

 おそらく前回のように《跳弾(ジャンプバレット)》を使った回りくどい戦闘妨害などではない、それこそナイフを直撃させた上でHPを削り取る気なのだろう。

 

「ルガ君……せめてあなただけでも……」

「そんな、ヒスイさんこそっ」

「逃げられませんよ、お二方。温厚なぼくでもね、あなた方を見ているとイライラするんですよ。傷の舐め合いに剣士の真似事。しかもそれを絆だの仲間だのと言う戯れ言で隠そうとしている。まったく、ジェイドさんの方がまだマシだ」

 

 彼はしゃがんで顔を覗き込むと、倒れる僕らを見下して言った。

 言われっぱなしはシャクに触る。

 

「そういう君こそ……PoHは仲間じゃないのか……」

「厳密な関係は違いますね。利害関係ですよ、ぼくらのそれは。組織の財布を任されていましたが、見返りに娯楽やアイテムを受け取っただけ。現状を見てください……ふくく、ぼくの手でこれが成し遂げられるとはね。この短期間でぼくの評価はうなぎのぼりだ」

「くッ……」

 

 僕は悔しかった。奴らに、ではない。もう言い返せないでいる僕自身に対してだ。

 僕は保身に走っている。強い口調、攻撃的な言葉が寿命を減らすと理解しているからこそ僕の反論は弱々しい。曖昧なものになっている。

 これだけ騙され、欺かれたのに、死ぬのが怖くて震えながら質問するしかない。今の僕にはそれしかできない。シーザーの言う通りだ。弱者の群れと罵られても当然だ。自身がそれを認めている。

 僕は同じように倒れるヒスイさんを見た。

 しかし……、

 

「(あ、れ……?)」

 

 同じ表情をしていると思い込んでいたが、彼女のそれからはなんら死への恐怖を感じなかった。……いや、感じてはいるのだろう。だがそれだけではない。他の何かが彼女の奥に秘められていた。

 あれは信頼、だろうか。この危機的状況下において何を頼っているのだろう。

 システムのバグ? 犯罪者の改心?

 それも違う。あの両目に宿る炎はとても全てを運に委ねたような安いものではない。そう、僕もよく知っているものだ。

 仲間を信じている。たったそれだけのことがヒスイさんにはできていた。

 僕は猛烈な羞恥心に苛まれた。

 何がもっと自信を持てだ。僕がその下地にならなくてよくもそんなことが言えたものだ。

 やめよう、無駄な演技や強がりを。下手(したて)に出て犯罪者のご機嫌を伺うのもやめよう。やることはやったのだ、あとは僕がこの感情をぶちまけるだけである。

 

「君らのことはよくわかった。……こんなに単純だったなんてね!」

「あん? ンだこいつ。ビビッて壊れたか?」

「ボルドッ、あんたも同罪さ! こうして他人を貶めることでしか自分を主張できないんだ! ようはコンプレックスだろう!? そうやってこじれた人間が、悪者ごっこをして満足しようとする。君らのような人を何て言うか知ってる!?」

「な……にを、言って……」

「ただの、小悪党だよ!!」

 

 それを聞いたボルドの目付きが変わった。彼だけが大木から飛び降り、ずかずかと前に出る。

 それから彼は暴力的に吐き捨てた。

 

「イキってンなよ、クソガキィ! 大口叩くだけか、えェ!? それともオトモダチでも期待してんのか!? こんな時に都合よく誰かが来るなんて……ッ」

「おい、ボルド! それとオルダート……お前らの失態だ。Shit、尻尾掴ませやがって」

「え、はい? なんスかいきなり……?」

 

 そこでずっと黙っていたPoHが発言した。

 彼は僕らではない、もっと遠くを見ている。木の上から見えるものがあるのだろうか。

 それにPoHだけではない。ジョニーやザザもまったく同じ方向を見ていた。

 

「数は3か。もっと多いと、踏んでいたが」

「ハァ? ちょ、ザザ先輩もなに言ってんすか」

「バーカ、ボルド。てめぇら2人はミスったんだよ」

「なにを……なッ!?」

 

 そこへ突然、バン! バン! と連続して大きな破裂音が鳴り響いた。同時にシーザーとボルドが軽いステップを踏んで距離を空ける。

 この音は脅しに使われるアイテムである《威嚇用破裂弾》だ。基本的な攻撃力はごく僅かしか設定されておらず、文字通り威嚇に使う他にはモンスターの憎悪値(ヘイト)を溜めるのにも使われている程度のもの。

 真っ白な粉末が少しだけ視界を隠すと、その前方に3つの人影が勢いよく降り立った。

 全員が武装している。そし怒りと闘争心を燃え上がらせていた。

 まさか、まさかとは思った。

 だが紛れもなく事実だ。そのシルエットは僕もよく知るものだった。

 

「ワリいなルガ。それと……よく言った」

 

 その声で確信した。この救済者が誰なのかを。

 

「よう、気張れよ小悪党。一瞬で消されねェようになッ!!」

 

 僕のヒーローが助けに来てくれた。

 反撃が、ここから始まる。

 

 

 

 



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第74話 反撃の狼煙

お気に入り数が900を越えました。皆様いつもご愛読ありがとうございます。
1人称ゆえの弊害ですが前話同時刻のジェイド視点です。


 西暦2024年3月7日、浮遊城第57層。

 

「あの……みんな、行っちゃいましたよ? あたし達は行かないんですか?」

 

 隣にちょこん、と立つ小柄なシリカにそう催促され、俺はようやく意識を目の前の《転移門》に移した。

 主外区付近に必ず取り付けられている《レイヤー・ポータル》が白く変色した超大型の《回廊結晶(コリドークリスタル)》に似ているのに対し、《転移門》の見た目は《転移結晶(テレポートクリスタル)》を巨大化したそれに等しい。透き通るような蒼が綺麗な据え置き結晶型移動手段。

 しかし、美しい結晶に反射して映る俺の顔は険しい表情をしていた。初めから目付きが悪いといった意味ではなく、眉間にしわを寄せた怖い顔だ。

 俺はつい先ほどカズと話していたことを思い出していた。

 

「俺の判断がカンペキか。買いかぶりすぎだぜ、カズ……」

「え……?」

「いや……そうだな。せめてやることやんねぇと……なあシリカ、前に会った時は色々忠告したけど、あれからどうよ? ちゃんと人は疑ってるか?」

 

 突然の質問に、シリカはあごに指を当てて困った顔をする。

 しかし少しだけ考えたあとすぐに答えた。

 

「ちゃんとうたがう、っていうのもオカシな話ですけど。……どうでしょう。あたしもよく変な目で見られるので、普通にありますけどね。……あっ、なんとなくわかりました! 今のジェイドさんが誰かを疑ってるってことですか!?」

「まあ大体そんなところだ。ぷっ、くく……なんかシリカを見てるといやされるよ」

「そ、それがほめ言葉じゃないこともわかりますよ!」

「いやいやホメ言葉だよ。いい答えだった……」

 

 などとほんのり言葉の掛け合いをしてから、俺は今1度《転移門》の前に立った。

 しかしここからの行動は俺の独断先行だ。俺だけが裏で手を回し、俺が勝手にメンバーの安全を確証できればそれでいい。求めるのはたったそれだけだ。

 

「シリカ、寄り道するから手を繋いでくれ。……転移、ラミレンス!」

「えっ!? それ56層の……あ~、あの……ここにあたしのホームタウンはありませんよ?」

 

 シリカの驚くような声を置き去りに、青白いエフェクトが俺の回りから消えると俺は前方5メートルほどの位置でだべっているジェミル達が目に入った。まだ出発前のようである。

 56層主街区の外れにある農村、《パニの村》に再び立ち寄ってマネーレンダーから借りた40万コルを返す役割はこの3人に与えたのだから。

 俺は時間を無駄にしないようすぐに3人に割って入った。だが「リズ、話がある」という俺の言葉にはリズ本人ではなくアリーシャが答えた。

 

「えっ、あれ、ジェイドじゃない。どうしたのよ、さっきシリカちゃんと8層に行くって言ってたのに。……あ、もしかしてお別れのキッス? いやん!」

「いや、今も言ったけどリズに用が……あるんだけど……」

 

 言いかけてアリーシャがこれ見よがしにしょぼんとする。本気で萎えられると俺は弱い。最近彼女によるスキンシップが過激になりつつあるのだが、よもやこの女は俺に気があるのではないかと勘ぐってしまいそうだ。

 ――気のせい、だよな?

 何はともあれアリーシャをなだめた俺は、少しばかり強引にリズと2人きりになった。話さねばならないことは明白だが、なんと言っても第一声が難しい。

 

「聞きそびれたことがある。素直に答えてほしい。リズはさ、俺は何でリズとシーザーをさっき《結婚》状態にさせ直したと思う?」

「え? ……あたしとシーザーさんが夫婦でプレイヤーホームを買えば安くなるからでしょう? その時間短縮にもなるし」

「ならシーザーが帰ってきてからでもできる。時間なんて大して変わらないさ」

「ん~と、じゃあ面倒を最後まで見てくれるから、かな? あんたって見かけによらず面倒見がいいって言うか」

「見かけによらず、ってのがすこぶる余計だけどそれも違う。単刀直入に言うと……疑ってんだよ、まだ。だからリズには『ズル』の共犯者になってほしいワケ」

「ズルの共犯者……?」

「ああ。シーザーのステータスをここで確認してほしい。夫婦ならできるだろ?」

 

 ここでリズはあからさまに嫌な顔をした。彼女にとってシーザーはホームを買うのに必要だった本来のコルを大幅に減らし、あまつさえ自分の長年の願いを叶えてくれそうだった協力者だ。

 結果は失敗に終わったものの、もしシーザーがいなければ希望すら持つことはできなかった。彼には感謝するべき立場にある。

 それを、言うに事欠いて恩を仇で返すようなことをしろと正面切って頼んでいるのだ。

 こういった信頼関係前提の契約で相手のスキルやステータスを閲覧するのは、明確なノーマナー行為である。オレンジ化はしないが、事実上リズは彼らと同じようなことをすることになる。

 しかし俺とて引き下がるわけにはいかない。

 

「言いたいことはわかる。けど、さっき40層の《トシフック村》にルガを行かせようとしたけど、結局は追加でヒスイも同行させた。たかだか40層のフィールドにだぜ? ……ようは万が一だよ。俺なりにギルドのメンバーを大切にしている。もちろん、リズやシリカやシーザーももう仲間だ。……けど、だからこそあいまいにしたくない。今はリズが頼りなんだ」

「……そこまで、言うなら。でもウソだったら承知しないよ。それに今言ったこと、ヒスイの前でも言える?」

「言える」

「…………」

 

 リズはそこまで聞いてようやく意を決したのか、俺を睨み付けたまま指を振ってウィンドウを開いた。それからいくつかタブをクリックする音が鳴ってからまた話し出す。

 

「ほら彼のステータス欄、開いたわよ。……まったく、これっきりにしてほしいわ」

「マジでサンキュー。そこに《テイミング》スキルがあるか見てくれ。あったらその熟練度まで教えてほしい」

「えぇっと……あ、完全習得(コンプリート)してるわね。っていうか何でシーザーさんがテイミングを持ってるって知ってるのよ」

「ん、まあ……嫌な方の仮説が当たっただけだけど、その話はあとだ。リズ、おとなしく《圏内》にいるんだぞ。……シリカ! 少し時間がかかっちまった、急ごう!」

「あ、はーい!」

 

 ジェミル達と談笑していたロリッ娘を呼ぶと、俺は急いで(きびす)を返した。

 

「ちょ、ちょっとジェイドっ!?」

「いいなリズ、俺の言う通りにしろよ!」

 

 それだけを残し、俺はシリカの手をまたしても強引に引っ張る。

 そのまま《転移門》の有効範囲内へ移動。驚いた顔をするシリカをあえて無視し、慌ただしいまま8層主街区(フリーベン)の名を口にするのだった。

 

 

 

「えぇとっ……これはっ……どういうっ……」

「あんまりしゃべると舌をかむぞ? すまんなシリカ、急かしちまって! でもだっこかおんぶかを決めたのはシリカだぜ!」

「決めましたけど! お姫様だっこの方がいいって言いましたけど! でもホントに、それをこの場でやるとは思いませんよぉ!」

「重ねてすまん、急いでるんだ! 次の道は左右どっち!!」

「あ。そこを左です! ……じゃなくて!」

 

 俺は《フリーベン》を疾走していた。より正確に表現するなら、小柄な女性プレイヤーを体の前でだっこしながら精神衛生上あまりよろしくない形相をして街を駆け抜けていた。

 時おり道行くプレイヤーが興味津々に俺達2人に目線を向けるが、俺はひたすら無心を努めて走っている。ちなみに目標はシリカの常用する暫定ホームである。最初の目的であった『シリカを家まで送る』というものからはいささか脱線が過ぎつつあるが、当然そこにはきちんとした理由があった。

 おそらくファンクラブの一員だろうプレイヤーの中には、「シリカちゃんに気安く触るな!」などといった辛辣(しんらつ)な言葉を投げ掛けてきた者もいたが、今が緊急であることからそげとなくスルーもした。シリカの熱狂信者すら()けるほど俺は焦っている。

 すると、ものの数分足らずで俺達2人はホームに到着してしまった。

 

「うぅ……あたしの初めてのだっこが全然雰囲気のないものに……こんなクツジョクはありません、ヒスイお姉さんに言いつけちゃいますよ……?」

「それはワリとヤバいな……って言ってる場合じゃねぇぞ! さっそく『使い魔の上手な飼い方』を見せてくれ」

「あ、さっき言ってた本ですか? それはいいんですけど、なんとなくジェイドさんがビーストテイマーを目指してるから頼んでいるわけじゃない気がするんですよね……」

 

 シリカはぶつぶつと、そしてしぶしぶといった感じで本棚から1冊の本を取り出した。

 表紙は著者の気に入ったイラストを貼り付けられる仕様なのか、どう考えても本の出版者による使い魔への愛情で溢れていて、もはやこれを作ったプレイヤーが動物保護団体か何かの人にも見えてくる。いや、差別意識はないのだが。

 

「んじゃちょいと借りて……えっと……これか! 操作方法とか使役可能範囲……うお、すごいな。使い魔ってのはジェスチャーだけで命令することもできるのか?」

「ええ、できますよ。むずかしいのでなれが必要ですけど。ちなみにあたしは口で命令してます。ん~……あとは『自動設定』ですかね。体力ゲージが半分以下になったら回復ブレス、とかです」

「ふぅん……よし、これだ。『命令の種類と実践』っと……へぇ~、最大使役範囲って、この人が試した限りだと100メートルもあるのか」

「あ、あたしもそれを読んだ時はおどろきましたよ。あたしの熟練度と《フェザーリドラ》という種族ではどんなにガンバっても50メートルも遠くに飛ばせませんから。試そうとも思えない遠さです」

 

 それについては至って同感だった。元より俺には使い魔など存在しないが、意思を持って動ける相棒が100メートル圏内で戦力になるというのだから驚きだ。

 というより、いくら《テイミング》スキルの熟練度が上昇して飼い慣らし成功率が上がっているのだとしても、そもそも普段ただのモンスターとして現れる敵が非攻撃型(ノンアクティブ)で湧出するイベント自体稀なのだ。ペラペラとページをめくってぎっしり埋まった文字を読むと、それを十数種類以上のモンスターで試しているというのだから、まだ見ぬこの生粋のビーストテイマーには関心を通り越して若干引くものがある。

 

「ビーストテイマーでも極めると便利なもんだな。んで、使い魔別の最大積載表は……お、これか。えっと1枚1000コルで1000枚分の金貨の袋だから、だいたいの重さは……ジャストか。マジかよおい。何かイヤな流れだな……」

「あのージェイドさん? そのドラゴンはそもそもテイミングされているところを滅多に見ませんし、それにどれだけのアイテムを運べるかなんて、攻略にはあまり関係ありませんよ?」

「いや、わかってる。わかってるんだ。……助かったよシリカ、埋め合わせはする。俺はこれから前線に戻るから、本はまた今度ゆっくり読む。すまんな!」

「あ、ちょっとジェイドさん!?」

 

 俺は再三に渡ってシリカに謝罪を告げると、脇目も振らずに駆け出した。

 嫌な予感がする。その可能性は粘着性の高いガムのようにへばりついてくる。俺の頭が構成した奇怪な物語だというのに、それが自分のものではない何か別の恐ろしいものに思えた。

 仲間を疑い、最悪の可能性を意識し、ネガティブに、悪い方向に、思考だけが意思を無視してずんずん進む。冗談のように悪寒が走る。

 

「ハァ……ハァ……白なら白でいい……ハァ……何も起こらなきゃ、笑い事ですむ……!!」

 

 俺は走った。がむしゃらに足を動かした。

 シリカを抱えながら道を問いただし、一定おきに足を休めながらホームへ向かっていた時より遥かに早い。俺はたった1分と少しの時間で8層主街区(フリーベン)の《転移門》に着くと、そのまま結晶に両手をついて思考する。

 

「(ハァ……クソッ、確認できることはなんだ。考えろ……頭動かせろよ……ハァ……確かめられること……そうだ、ヒースクリフ! あのクソ野郎なら、細かいルールも知ってるかもしれないッ……)……転移、グランザム!!」

 

 発音するとすぐさま視界が白のベールに包まれた。

 浮遊感すら感じない時間感覚を狂わすエレベーター。その現象を経て、俺は『鉄の都』と名高い無機質な街にいた。鋼鉄でできた煙突と尖塔、黒光りする大型建築物。質良くレパートリーにも文句のないその奥にヒースクリフが所属し、そして統括する血盟騎士団(KoB)の本部がある。

 俺はまたしても猛烈な勢いで進んでプレイヤーやらNPCやらを退けると、息も切れ切れに本部の大きな入り口(ゲート)前に立つ門番に詰めかけた。

 

「頼む、今すぐ団長に会わせてくれ! 理由はあとで説明するから!!」

「お、おいなんだお前は。そんな理屈が通るかいな。きちんとした手続きもなしに……こら、お前何を!? おい、君も見ていないでこいつを取り押さえろ!」

「は、はい!」

「く、離せよこの……ッ」

 

 俺は衛兵2人が両脇から押さえつけようとする中、何とかして本部内に侵入できないか模索していた。入ってしまえばこちらのものだ。混乱に乗じてヒースクリフを見つけ出し、事情を説明して協力してもらえればいい。端から時間を取らせるつもりもない。

 だがさすが本部の番をさせられているだけはある。彼らの筋力値は、少なくとも俺が適当に足掻いただけでは振りほどけそうにない。

 怒鳴り合いは次第に殴り合いに変わり、ヒートアップした俺は強行突破を図ったが、死角からメンバーの1人に足払いをされて頭から押さえ付けられた。

 そこへ奇跡的にも真後ろから救済者が現れる。

 

「こらこら、帰ってくるなり本部の前で揉め事かね」

「あ、団長! こいつ、あの時団長に斬りかかった男です! また侵入しに来たみたいです!」

「ヒースクリフ、違うんだ! 話を聞いてほしい。ちょっと知識を借りに来ただけだ! 頼むよ、話だけでも聞いてくれ!」

「まったく、君はいつも騒がしいな。……もういいよ、彼を離してやりなさい。おそらく攻撃の意思はない」

「ですが、団長……」

「私も今から30分ほど時間も空いているしな。……だがジェイド君、できればこれからはアポをとって訪れてほしいものだ。毎回これでは私が疲れてしまう」

 

 ヒースクリフが元犯罪者風情のプレイヤーに対しあまりにもあっけらかんと答えたからか、危機感の薄れた門番途も呆けたように動きを止める。

 

「……そうだな、それは気を付けるよ。ほらっ、団長サマがもういいって言ってるだろどけよッ。……で、突然で悪いけどヒースクリフ、アインクラッドのルールについてだ。いくつか質問がある」

「待ち給え。礼節のない者には何も教えられない」

「ぐっ……お、教えてくださいお願いします!」

「よかろう」

 

 これまた腰を直角に曲げて頼んだ俺がバカに見えるぐらい軽い返事が返ってきた。

 

「軽いなオイ! ……コホン、まずえっと……そうだ《圏内》でオレンジになった……ああっ、いや、犯罪フラグだけ立てた場合は《圏内》を出た瞬間オレンジカラーになるのか?」

「うん? いや、それはあり得ない。正確には《アンチクリミナルコード》有効圏内において、全ての犯罪行為は行えない。逆に言えば、《圏内》ではいかなる行為にもフラグは立たず、全てが正当化されるということにもなる。盗みを行える状態、プレイヤーにダメージを与えられる状態、その他の行為が《圏内》でできるとしたら、それはシステムが正式に認めているにすぎない。……もっとも、私が預かり知らぬ方法がないとも言えんが」

 

 俺はそれを聞いてさらなる強烈な危機感に(さいな)まれた。

 先ほどカズに「メッセージ文の中で気になったところはないか」と聞いた。それは単に時間潰しのために聞いたのではなく、俺自身が疑問に思ったからだ。

 シーザーにメッセージを送ったという『ボルド』とやらの名前は、可視化させた《インスタント・メッセージ》で間違いなく確認している。

 ではこの人物が言う『犯罪をはたらいたあと、《圏内》を出たらオレンジカラーになった』という言葉には矛盾が発生している。《圏内》では犯罪フラグを立てられないはずだからだ。

 経験したことがなかったので、最初は俺も文面を疑わなかった。よもやこんなことを確かめるために面倒なカルマ回復クエストをこなす時間は惜しかったし、そもそも人のアイテムを盗む行為そのものが進んでしたくはない。

 しかし、ここに来て辻褄(つじつま)の合わないことが起こってしまった。

 本来起こるはずのないことのへの焦燥感がつのり、背中を嫌な汗が流れた。俺はそれでも訪ね続ける。

 俺が間違っていてほしいと願い、仲間の潔白を証明するために。

 

「そのルール……自信はあるのか? 試したわけでもあるまいし……」

「そこいらのプレイヤーより私の知識に確実性があるのは、すでに《黒鉄宮》で話したはずだが?」

「そう……だよな。確かに。ハハ……牢での会話はあんまり思い出したくは……いや、そうだよ、《黒鉄宮》だ! まだ確かめることがある!」

「ん? どうしたのだね急に」

「また機会があったら説明する! とにかく今日は助かった! 礼はいつか必ずする!」

 

 切羽詰まる俺に、目を細めるヒースクリフと唖然(あぜん)とする彼の団員達。

 そんな彼らを置き去りに再びダッシュした。慌ただしい上に礼儀知らずだとは自覚するものの、今回ばかりは多目に見てほしい。こうした1分1秒すら無駄にしたくない。

 礼も謝罪も後でできる。しかし今しかできないことがある。

 

「(ハァ……時間は……よし、まだ約束の時間まで10分以上はある……)……転移、はじまりの街!!」

 

 再び転移の光。《転移門》の利用回数は今日1日でとんでもない数になっている。そもそも、攻略組はそこまで下層と上層を行ったり来たりはしないものだ。武器や食材の買い出し、ギルドホーム閲覧、フロアボス討伐による最前線の移動、往復しても日に2〜3回程度だろう。

 それが今日はどうだろう。コルを借りるために56層の《貸金屋》まで行って、最前線の57層主街区(マーテン)に戻ってきたと思ったらトンボ帰りでリズがいる56層主街区(ラミレンス)へ。そこからシリカのホームタウンがある8層主街区(フリーベン)へ移動したのち、KoBの本部がある鉄の都55層主街区(グランザム)を迂回して、今度はここ。《はじまりの街》に足を踏み入れている。

 長い攻略過程を思い返してみても、これは記録的な使用回数である。

 

「ハァ……ハァ……なんで俺の予想はいつも……いつも悪い方ばかり……ハァ……くそッ」

 

 俺は理路整然と立ち並ぶ家屋の屋根上を、土足でジャンプしながら走り続けていた。

 これもあまり誉められたことではないマナー違反行為だ。というより、エチケットがどうこう以前に、人のホームを踏み台にするのは、された側も気分はよくないだろう。

 だが前述の通り、なりふりを構っている場合ではない。

 

「ハァ……着いた! ハァ……おい、クロムのおっさん!」

「おおジェイドじゃないかい。なんだい今日は、屋根から現れおって。面会の予約でもしに来たんか?」

 

 クロムのおっさんは呑気に手を振って俺を迎えていた。

 しかし残念なことに丁寧に挨拶をしている暇はない。

 

「ハァ……いや、予約とかじゃねぇ。今すぐ囚人に会いたい。ゼィ……先月、俺とヒスイが連れてきた赤髪の女がいただろ。……そうそいつ、ロザリアだ。今すぐ会わせてくれ」

「これはまた無茶を言いよる。お前さんだけ特別扱いすると、他のプレイヤーに示しが……」

「俺が違ってたらそれでいいんだよ! ……いや、どなって悪かった。けど聞いてくれ。ある意味チャンス(・・・・)なんだ。ウラをかけばクソオレンジ共をまた連れてきてやる。……確かめたいことがあるんだ。もしかしたら俺は仲間を危険な状況に立たせてるかもしれない。確信がほしい。ムリ言ってんのはわかってるけどッ! あんたの権限でどうにか会わせてくれ!」

「……だがな……しかし……いや、わあったわい。そこまで言うなら。けど今回限りだぞ。おい、いま面会室は空いているな?」

「空いていますがクロム少佐、勝手なことをされたら困りますよ……」

「なぁに責任者はわしだ。お前さんは上司に強制されたとでも言っとけ。……これジェイド、お前さん急ぐんならさっさと付いてこんかい」

「あ、ああ。サンキューな……」

 

 早口で事件の一部しか伝えたつもりはなかったが、どうやらクロムのおっさんはたったあれだけの問答であらかたのことを察してくれたらしい。

 やはり彼は察しがいい。最低階級は知らないが、こうしてメンバーに優劣を付けだした最近の《軍》にとって『少佐』という称号は決して低くはないだろう。

 おっさんが《黒鉄宮》の責任者であったことは、幸運以外の何者でもない。

 

「細かい手続きは知っとるはずじゃ。わしはロザリア君を連れてくる。面会室で待っとれ、場所はわかるな?」

「ああ、できれば急いでくれ」

 

 それには答えずにクロムのおっさんは角を曲がった。

 俺も面会室を目指す。数日世話になったので、牢獄内の地図は叩き込んである。

 大股で歩いていたからか30歩で到着。扉を開けると、何度か目にした白い部屋が広がっていた。大きなガラスと一対の椅子。これら全ては持ち出しも破壊もできず、耐久値(デュラビリティ)もいっさい減少しない。何から何まで《アンチクリミナルコード》によって保護された非破壊オブジェクトだ。

 それからすぐに扉が開き、クロムのおっさんに続いてすぐに赤髪のロザリアが入室してきた。そして彼女の髪は寝癖が激しかった。

 

「んもぉ、なんなのよぉ……」

「寝てたのか。完全に昼夜逆転してんな。……って、それよりもロザリア、時間がないんだ。取引しよう。聞きたいことがある。答えてくれたら、ここから出られるように掛け合ってやるよ。質問は単純、オレンジ共の名前についてだ。心当たりがあったら……」

「ちょっとちょっと、早口すぎるって。ナニ慌ててんのさ」

「言ったろう、時間がないんだ。……答えてくれたら、ここから出られるように交渉するから……!!」

「…………」

 

 ロザリアはようやく目が覚めたのか、俺の顔をまじまじと見たあとにそっぽを向いた。

 拒絶されたニュアンスは感じない。むしろ相手にしてほしいようにも見えた。

 

「あんたんとこ、確か元犯罪者がいなかったかしら。その人に聞けばいいじゃない……」

「それはもう5ヶ月も前の話だ。ブランクが長すぎるし敵もバカじゃない。やるとしたら、そいつが名前見ただけでピンと来ないように新人を使っている可能性が高い」

「そういうとこよく考えるものね。……で? アタシは何を答えればいいの?」

「……ワリーな。久々に会ってこんな……」

「……ふふふ、なんて顔してんのさ。アタシはあんたに救われたの。こんな格式張って仰々しくされなくても、普通に聞けば答えるっての、まったく……」

「ロザリア……。ありがとな。じゃあ改めて……シーザー、またはボルドって名前に聞き覚えはないか? 引っ掛かることがあったらなんでもいい」

「や、ちょいと待ちな。今なんて……『ボルド』だって!? アタシに彼氏がいたって話覚えてる? まさにそいつのことよ。教えてないのになんで名前まで知ってるのさ」

「ッ……!!」

 

 俺は今度こそ決定的な衝撃を受けた。

 脳内に激痛が走る。直接鋭利な刃物で切り裂かれたかのようなショックだ。

 思考の停止と再加速が繰り返される。

 状況を整理する必要がある。

 俺が56層の《貸金屋》を出てすぐ、そこには《ダスクワイバーン》がいた。30層周辺で初登場したはずなのに出現ゾーンが違うこと、さらに非攻撃型(ノンアクティブ)であることから、飼い慣らし(テイミング)済みであるとも考えた。

 そしてリズに聞いたところ、シーザーは《テイミング》スキルを完全習得(コンプリート)しているらしい。場所とタイミング的に彼の使い魔だろう予測に曲解はない。しかもテイムされたモンスターは、わざわざ設定を変更しない限り《索敵》スキルに引っ掛からない。シリカのピナも同様だ。

 このことから、ある仮説が立てられる。

 つまり、ホームに押し入った強盗とはシーザーによる自作自演であり、実際は彼自身が自らの使い魔によってホームから大量のコルを遠くに持ち運んだという説だ。これなら共通化されたストレージを相方に覗かれても問題はない。

 実演はシリカの協力があれば可能であるだろうが、実演するまでもない。『使い魔の上手な飼い方』にはそれと同じことができる、だから使い魔による盗みに注意しろ。などと、ページの端の方に小さく記載されていたからだ。シーザーが本当に《テイミング》スキルをコンプリートしていたのなら可能である。

 次はボルドの存在。

 この男に至っては胡散臭さが満載だった。

 まず彼の気持ちの変わりようである。

 層の移動に《転移結晶(テレポート・クリスタル)》を使用したということは、主街区の付近に必ず設置されている《レイヤー・ポータル》を使い、『複数プレイヤーによる層の移動』ができなかったということになる。となれば必然的に、ボルドは友人がいないのか、最低でもソロで行動していたはずだ。

 であるのなら、彼を諭す仲間も、逆に穏便な彼をそそのかし助長させる仲間もいないはずである。

 極めつけはシーザーへのメッセージだろう。

 こればかりは怪しさの方が際立っていた。店を開き、鍛冶屋として名前を売り出しているリズを差し置いて、シーザーの居場所を特定した。加えて、わざわざ層を移動して《インスタント・メッセージ》を送ったという。

 いくらなんでもこじつけだ。彼ら夫婦のことを調べたのなら、普通はリズの場所を突き止めて、ホームを欲しがっていた彼女にこそメッセージを送信するはずである。

 続くヒースクリフとロザリアの証言。ピースは繋がった。ただのオレンジではなく、あのラフコフに狙われている実感がやってくる。

 俺は気がつくと椅子を倒して立ち上がっていた。

 ロザリアとクロムのおっさんが怪訝な顔を向ける。

 手が震えていた。やるべきこと、やるべきこと……そればかりが反芻(はんすう)される。

 

「どう……したのよ。顔色悪いわよ……?」

「(ボルドは……たまたまシーザーに声をかけた? ……いや、バカか。んなわけねェだろ。だとしたら、誘われたッ……罠か! トシフック村は《圏外村》だ。やろうと思えば待ち伏せも……)……くそったれがァッ!!」

「おいジェイドや!?」

 

 俺は机を力一杯殴っていた。その騒音に驚き、クロムのおっさんもドアを開ける。

 脳内での対抗策の構築が間に合わない。否、成されていない。

 してやられた。気づくのが遅すぎた。

 勘の鋭いヒスイをあとから同行させたが、今回ばかりは相手が悪すぎる。俺以外全員のギルドメンバーを行かせても危険すぎる連中だ。

 人間不振になりそうだった。この3ヶ月間、平和な日が続いていたからかもしれない。

 されど、諦めるつもりはない。次の瞬間には、俺はジェミルとアリーシャに向けてメッセージを飛ばしていた。

 先ほどまで感じていた痛みがアドレナリンによって刺激閾すら下回る。

 俺の全身が叫んでいた。『やらせてたまるか』と。

 

「『トシフック村へ飛べ。今すぐに』と、これでいい。あとは現場で同時進行だ……なんとしてでも……間に合わせてやるッ」

「ね、ねぇジェイド。それって転移クリスタルよね? アタシはもういいのかい?」

「ああ、助かったよ。クロムのおっさん、ロザリア……俺にとっちゃ恩人だ。埋め合わせはいつかさせてもらうよ、また会おうぜ……転移、トシフック!!」

 

 体を包み込むライトエフェクト。俺の名を呼ぶ2人の声が途中で途切れた。光が増す。それが晴れた時、そこには2人のプレイヤーがいた。

 荒れた地を踏んで2人が近づく。

 

「あ、ジェイド! もう〜どうしたんだよぉ。もうすぐ《貸金屋》に着きそうだったのにぃ〜」

「……ジェミル、アリーシャ、黙って聞いてくれ。ジェミルは《ギルド用共通タブ》から《威嚇用破裂弾》を数発取り出しておけ。《約定のスクロール》の設定をいじっておいたから取り出せるはずだ」

「う、うん。わかったぁ……」

「アリーシャは《解毒結晶》を2つ用意しとけ。いざという時はそれを使え。俺は《回復結晶》を持っておく。それと今からラフコフと……いや、PoHと戦えるか?」

「え……っ!?」

「ちょっとジェイド、それって!?」

 

 ごく当然のように2人は手を止めた。アリーシャについてはひどく怯えてしまっている。無理もない。あの体験はトラウマでしかない最悪の経験だ。

 だと言うのに、俺はその張本人と再び相まみえることを強要している。

 しかし、それを理解した上でなお問う。

 

「敵はラフコフで間違いない。アイコンはなかったけど、シーザーも似たようなモンだろう。今回はヒスイとルガが相手だから、幹部の奴らが率先して出てくる可能性は高い。それでも剣を握れるかと聞いている。できないのならここに残れ」

「そういうこと。……アタシは、もう……今までのアタシじゃない! 親友がピンチだってのに、じっとしてられるわけないわ!」

「……よく言った。けど、あと少しで4時になっちまう。ジェミル、《傾斜の時計塔》まで案内してくれ。場所を覚えてないんだ……」

「うん、任せて。事情はだいたい飲み込めたよ。ジェイドに足りないのはボクらが補う。そのためのチームだ。……それに、あの日託すと決めたから。だからボクはキミを信じてる。……急ごう、こっちだよ!」

 

 ジェミルが3時方向に走り出した。

 俺とアリーシャもそれに習う。これから向かう先は熾烈な戦場だ。3人の目からは何かを射抜くように闘志が放たれていた。

 木々を、家々を、宿屋、食事処、その他木材や藁でできた安い建築物を横切って走った。

 目印となる時計塔のてっぺんが顔を覗かせる。と同時に《策敵》スキルに反応があった。しかも数は7。ボルドが1人で待つと言ったのも、これでデタラメだと証明できた。

 すると、俺達の行く手に横一列に並造された家屋(かおく)が邪魔をしていた。俺達一行は何1つ声の掛け合いもせずに同じ行動をとる。置物や段差を使って屋根へ跳び移ると、そこで改めて話し声が聞こえた。

 そして声の主はこう言い放った。

 

「君らのような人を何て言うか知ってる!? ……ただの、小悪党だよ!!」

 

 聞こえる声に、自然と笑みがこぼれた。

 見えてくるのは幾度か見かけた犯罪者の3人。いずれも網膜に焼き付けてある顔だ。

 俺は走りながらジェミルにアイコンタクトを送ると、ジェミルはそのまま両手に持つ小型アイテム《威嚇用破裂弾》を全弾放射(フルバースト)した。

 バン! バン! というサウンドエフェクトがこだまする。近くで平然と悪びれもなく立っていたシーザーと、もう1人の男がステップを踏んで距離をとった。

 俺達3人は足場にしていた屋根から飛び降りると、破裂弾から発生した煙の前に着地した。

 まずは謝罪しなくてはならない。リーダー失格の判断力がこの危機を招いたのだから。

 

「ワリいなルガ。それと……よく言った」

 

 後ろでカズが反応した。どうやらヒスイを含めて無事だったようだ。

 ここから先、言うべきことは簡単だ。お膳立ては仲間がしてくれている。

 

「よう、気張れよ小悪党。一瞬で消されねェようになッ!!」

 

 PoH、ジョニー、ザザを前に、俺は《ガイアパージ》を引き抜いてそう叫んだ。

 ともすれば最も到死率の高くなるだろう戦いが、今始まる。

 

 

 

 



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第75話 衝突

 西暦2024年3月7日、浮遊城第40層(最前線57層)。

 

 一瞬だけ……ほんの一瞬だけ静寂が降りた。

 しかし漂う空気には嘲笑(ちょうしょう)も混じり、連中はすぐに返しの言葉を寄越した。

 

「威勢がいいのは変わらないな。アリーシャも、俺は会いたかったぜ」

 

 それは優しく諭すような声色だった。

 あれだけ好き放題使い回して捨てたくせに、白々しい奴だ。

 

「……構うな。2人のマヒを回復してやれ」

「うん……リカバリー!」

 

 俺は安い挑発を無視し、取り出しておいた2つの《回復結晶(ヒーリング・クリスタル)》を腰に取り付けた革製のポーチに仕舞った。続いてアリーシャに《解毒結晶(リカバリング・クリスタル)》を使ってヒスイとカズの《麻痺(パラライズ)》を回復させる。

 2人の《パラライズ》アイコンが消えると、ようやく《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》のメンバーが本調子で一列に並ぶ。大事に至らなかったことが唯一の救いか。

 ここでシーザーが割って入ってきた。

 

「これはこれはみなさん、勢ぞろいで。もう堂々と聞きますが、なぜぼくがラフコフと手を組んでいると?」

「…………」

「そう睨まないでくださいよ、純粋に驚いているんです。ミンストレル先輩から聞いた通りだ。稀に予想外の洞察力を見せる。……行動をくまなく洗われても、バレるような要素はなかったはずですが」

「……よくしゃべるな、シーザー。ミンスと言ったか……確かに似てるよ」

 

 俺は一泊だけ置いて、大木(たいぼく)の上から見下ろす4人の犯罪者達(オレンジカラー)に注意しながらシーザーに種明かしをした。

 

「判明したのは運任せだ、その辺は勝手に想像しろ。けどよ、あんた自身も結構ボロが出てたんだぜ」

「ほう……ぼくがミスをしたと?」

「初対面で有名人ではなく俺に反応したな。……ダスクワイバーンを隠しきれてなかったこともキイてるぜ。だからあんたを信じきれなかった」

 

 もっとも、よもやラフコフが絡んでいるとは思えなかったが、おかげで黒いワイバーンがシーザーの《使い魔》だったと仮説を立てることができた。

 もう1つある。1ヶ月前、ロザリアがレッド連中とパイプを持ってしまったせいで、あるアイテムを高値で売れるなどと口ずさんでしまったがために。

 

「おかげで察したよ。あんたがプネウマ(・・・・)を欲しがってたんだな……」

「……なるほど、確かにミスだ。その読解力を見抜けなかったぼくの、ね。見かけによらずなかなかどうして……」

「見かけによらず、が余計だっつの」

 

 ため息をつくシーザーも、どうやら自分が疑われた理由だけは理解したようだ。

 上に立つラフコフの連中には余裕が垣間見える。作戦が思い通りにいって順調にターゲットを(ほふ)るのも、そこでアクシデントが起こって獲物が予想外な反発をするのも、やはり彼らにとっては余興であって娯楽でしかないのだろう。あるいは余裕をもってプレイヤーを殺し続けるのに飽き始めたのかもしれない。

 いずれにせよ、気狂い共の考えることだ。彼らの心境予想に根拠も自信もなかったが、この人を見下すような視線を感じる限り似たようなものだろう。

 ここで左前面部を青の蛍光色で彩ったオレンジ色の髪を持つプレイヤーが、奇声をあげながら俺とシーザーの会話を絶ちきった。

 

「余裕ぶっこいてんなよ雑魚プレさんよォ、てめェら! ぬるま湯のエセ攻略組じゃあ、束になっても敵わねぇお方だぜぇ!? 勇敢さ余ってポックリ死んじまっても知らねぇぞ~?」

「泳がせ方もうまくなったな。……おいボルド、それとオルダート。お前らのミスでこの面倒な状況になってんだ。ここは1つ、こいつらと殺り合え」

「ちょ、えぇ!? そりゃねぇぜボス! 俺のレベルじゃまだ50層にも行けないんすよ!? それを……ここで戦うのは早すぎますよ!」

 

 ボルドなる男は自分が矢面に立たされると思っていなかったのか、尻ぬぐいを命じられた瞬間に一気に委縮していた。

 対するシーザーの答えは単調だ。

 

「いえ、ボルドさん。我々が大ポカをやらかしてしまったのです。つべこべ言っていないで戦いましょう。ですがPoH、仮にも戦場を共有した者同士、ここで知らんぷりは大人げないです。……ここは共闘しましょうよ。なに、ぼくが彼らレジクレの頭を殺します。その間、メンバーを引き離しておいてください。やられそう(・・・・・)なら撤退していただいてもかまいませんよ? ふふふっ……ただ、そうですね。2分……いや、1分ください。ジェイドさんはぼくが殺しますので」

「ッ……!!」

 

 ヒスイが、カズが……俺すらも恐怖で固まった。

 シーザーの目付きは完全に悪人のそれになっている。俺がヒスイと共にシーザーと初めて遭遇した時には欠片と感じなかった濃厚な殺意。こんなものを内に秘めておきながら、メンバーと普通に話していたのだ。

 俺が感じた恐怖は、オレンジ共の発するこの死の臭い、ではない(・・・・)。圧倒的な殺意の隠蔽力。それが果てしなく恐ろしいのだ。

 彼は脇に漆黒の逆鱗を持った《ダスクワイバーン》を携える。そこで自身も鍔を灰色に彩った、艶のある《カタナ》カテゴリの(やいば)を鞘から引き抜いた。

 そうして剣を持つと彼らは絵になる。礼儀正しく、良くも悪くも勤勉なシーザーが、あろうことかあのミンスを崇めるだから皮肉だ。

 

「ただしオルダート、貴様に投資した分の回収はさせてもらう。次のミスは許されない。負けたら無条件で俺にくだれ」

「確率としては低いですが……しかし先輩やタイゾウさんも、そうやって死んだんでしたっけ。……いいでしょう。敗北しておめおめと生き残ったら、生涯ラフコフに服従すると誓います」

「その言葉を忘れるなよ」

「契約不履行は最大のタブーですよ。約束しましょう」

 

 どうやら話がついたようで、PoHを始めとする幹部連中が大きな枝から飛び降りてザッ! ザッ! と地に降り立った。

 舞い上がった砂煙が風に吹かれると、そこにはそれぞれのスタイルの、そして自慢の装備を惜しみ無く披露していた。すべての武器が最前線で通用する。

 足止めに徹するとは言っていたがどこまで本気かは定かではない。猛獣というのは、例え厳しく(しつけ)ていても時として主にすら牙を剥くからだ。

 

「……ヒスイ、3人の指揮を執って、少しでいいから時間をかせげ。俺がシーザーとボルドの相手をする」

「そんな……相手の作戦に付き合うって言うの?」

「よく考えろ、これはチャンスだ。5対5で戦うより、俺が単独で2人を戦闘不能にすれば5対3に持ち込める。さしもの幹部も、攻略組5人相手にバカ正直にもならないだろう」

「勝てる見込みは……ある……?」

「勝てなきゃ全員死ぬまでだ。来るぞ、集中しろッ!!」

 

 戦闘開始、直後に俺を2人がマークした。シーザーとボルドだ。

 俺達5人も2分割される。ギルドメンバーの中には俺を1人にすることに反対する意見もあったが、ヒスイが一括して黙らせている。

 そこまで見てから、俺は張り付く2人のプレイヤーに意識を戻した。

 シーザーは《カタナ》。ボルドが《曲刀(シミター)》使いと言ったところだろうか。

 

「ち、面倒なことに……こうなりゃブッ殺してやるよォ!」

「さかりを立てないでください。それにしても、意外に素直な反応ですね。2対1ですが、ここで卑怯だとかはやめてくださいよ?」

「ハッ、半人前2人ならいいハンデだ! 《暗黒剣》、解放(リリース)!!」

 

 俺の《ガイアパージ》が真っ黒な(もや)を纏った。

 これで俺の剣は部位 欠損(レギオン・ディレクト)を発生させやすい状態となる。それはモンスターだろうとプレイヤーだろうと、さらに武器や防具とて例外ではない。

 そして聞き慣れないスキルの名が出たからか、シーザーとボルドの顔に初めて警戒が生まれた。

 おまけに50層(ハーフ)ボスのLAアイテム、片刃の剣を両側に取り付けたような規格外の大剣《ガイアパージ》を使用している。ここで考えなしに猛進してきたらただの間抜けである。

 しかしそこは大見得を切った手前、シーザーは挨拶代わりに広範囲へ影響を及ぼす隙の少ないカタナの三連撃を放ってきた。

 これによってボルドの行動が阻害されている。連携は考えていないようだ。

 

「(ナメやがって……)……手始めだッ!!」

「な、に……!?」

 

 ガギィイイイイッ、という耳をつんざく大音響が鳴った。

 俺とシーザーが弾き飛ばされる。正確にはシーザーのソードスキルと俺の通常攻撃が相殺されて、両者がその運動エネルギーを全身で受け止めた音だ。

 ここで驚いたのは彼らである。奴は攻撃力と速度を補正する剣技を放っていたのに対し、俺はただ単純に剣を振っただけなのだから。

 意に反して痛み分けとなった。この原因は一概に武器の性能差だけではない。

 

「まったく、冗談のように重いですね」

「やるなら本気で来いよ」

「オレを無視してんじゃねェぞゴルァ!!」

 

 頭の悪そうな気合いと、見た目に反して繰り出された鋭い突きを、どうにか地面を転がることで(かわ)した。

 だがこれでシーザー達が直線上に並ぶ。

 数の優位性を奪われたことを解消するために、後ろのシーザーが俺から見て左側に迂回した。

 させじと俺も肉薄する。

 

「ッ、んのヤろ! 失せろ、外道がッ!!」

「おっと、ヘァハハァ! 当たっかよォ!」

 

 左にずれた俺の斬り上げをボルドは体全体を(ひね)ることで回避。そのまま腰だめに新たなソードスキルの予備動作(プレモーション)を作成していた。

 見たことがある。SALというギルドのリーダー、同じく《シミター》使いであるアギンもよく愛用する単発突進タイプの技だ。

 しかしこれは予想通りでもある。わざと(・・・)左にずらした甲斐があった。

 シーザーは左側に迂回している。そしてボルドは右側に移動した。つまり俺は、擬似的に挟み撃ちをされる状態を作り出したのだ。

 俺はあえてその中心に飛び込むと、ボルドのスキルは俺をホーミングした。

 単発突進技が炸裂。と同時に、俺は空中へジャンプする。

 寸でのところで俺の足元を通過するボルド。その先にはシーザーがいた。

 

「ちょ、どけッ」

「っ!? ぐァああ!?」

 

 剣を振り抜くことこそ技をキャンセルして防いだボルドであったが、慣性の法則まではキャンセルできなかったらしく、連中は派手に激突する。

 俺はその真後ろに立つと、《暗黒剣》専用ソードスキル、下段単発超振動斬り《ミゼリコルド》を発動した。

 キャンセルをしようと必ず課せられる技後硬直(ポストモーション)がボルドの動きを阻害する。

 俺は遠慮という概念を消し去って全力で大剣を振った。

 ボルドの両足に命中する。しかし浅すぎた。

 ついたのはわずかな創痕のみ。システムが彼の防御力と俺の《暗黒剣》の切断性能を加味してダメージ値を送った。

 結果、ボルドの両足の金属甲冑が粉々に砕ける。が、足の欠損(ディレクト)は発生しなかった。

 分不相応なほど高級な防具に守られているだけでなく、《タイタンズ・ハンド》を抜けたボルドは間違いなく急成長を遂げている。

 

「くそッ、切れないか!」

「くッ!? やってくれたなァ!!」

 

 俺は際どいところで真下からの攻撃を見切って距離をとった。

 今のでボルドを戦闘不能にできなかったのは痛い。複数対単数という状況は俺の想像を上回る厄介なハンデだったからだ。同じ手も通用しないだろう。

 シーザーも体勢を立て直している。左腕を軽く上げていることから、今度のアタック時には、確実に彼の使い魔であるダスクワイバーンがコンビネーションを組んでくるはずだ。

 戦況は不利の一途を辿っている。早くこの2人を倒して、ヒスイの援護に行かなければならないというのに。

 俺は一瞬の判断でポーチに忍ばせてあった《煙玉》を取り出した。

 シーザーが先に気づく。視界がなくなった場合、彼ら2人にとって敵と味方の判別ができなくなってしまうのに対し、俺は俺以外の全てのユニットが攻撃対象だ。

 しかし気づいた時にはもう遅い。俺はその小型アイテムを足元に叩きつけた。たちまち濃灰色の煙が辺りに充満し、俺を含む使い魔までを包み込む。

 俺が狙うのはボルドだ。

 

「ボルドさん、下がってください! ぼくが食い止めます!」

「(ちっ、バレてるか……ッ)」

 

 シーザーは自分達が何のアドバンテージを持っているかを心得ていた。

 だがそこは思慮の浅いボルドが足を引っ張る。

 

「はァ!? ギルメンでもないのに指図すんな!! ……オラ、出てこいよ雑魚! かかってこいやァ!!」

「この、おサルさんがっ! 使えない男だ!!」

「(見つけたッ!!)」

 

 俺はシーザーがコントロールできない味方に毒づくなかで、音源を元にボルドの影を捉えた。

 全力でそれに突撃する。

 激突した俺達2人はそのまま数メートルも移動して《煙玉》の有効範囲外へ出た。

 

「いってェ……なァ!」

「ぐぅっ!」

 

 ゼロ距離で腹にシミターを受ける。それは俺の体の半ばまで貫いた。

 だがここまで計算通り。俺は馬乗りになったまま左手でシミターの剣身を掴み、片膝を立てて後ろを向く。そこには当然ボルドの両足がある。

 俺は声にならない絶叫をあげ、無理矢理片手でガイアパージに初速を与えた。

 片手では持ち上げるだけの筋力値がないからか、ガイアパージが地面をガリガリと削りながらボルドの両足を通過した。

 《暗黒剣》によって強化された切断能力は、とうとうその本領を発揮する。本来なら平均4、5回ほど同じ場所が斬られた時に発生する部位欠損(レギオン・ディレクト)が、たった2回の残撃を受けただけで発生した。

 ボルドの目が見開かれる。

 ここに来てようやく《暗黒剣》の危険性を、遅効性の猛毒を見たかのように。

 

「うァアアア!? なんでだっ!? オレの足が、あしがァ!?」

「黙ってろクソカスッ!!」

「ゴあああっ!?」

 

 俺は刺さったシミターを腹から引き抜きながらボルドを蹴り飛ばした。

 その直後にシーザーが《煙玉》から出てくるが、見るからに整った顔が歪んでいた。実力だけでなく戦術で出し抜かれたことが、彼には我慢ならないのだろう。

 ようやく1対1だ。だがここまで30秒以上かけてしまった。急がなければならない。

 

「やってくれますね、非常に気にくわないです。……かの先輩が破れたというのもうなずける。不本意ですが認めますよ。あなたはぼくの考えを上回って見せた。この場この時において、あなたはぼくの真の敵となった」

「俺がねばるのは意外か? そりゃいい気味だ。ちゃっちゃとやろうぜ、あとがつかえてンだ」

「ふ……ふくくく……実に面白い。彼を殺した罪……あなたの心臓で精算するとしましょう!」

「このキチガイがッ!!」

 

 再び両者はお互いの相棒を斜めに振り抜いた。

 激しい金属音。それに伴う火花と全体重をかけた鍔競り合い。

 と、その視界の隅で黒い影が横切った。

 ビーストテイマーが使役するモンスター、使い魔の《ダスクワイバーン》だ。

 俺はとっさに鍔競り合いを解除し、転がるようにして真横へ飛んだ。すぐ後ろで《フレイム》ブレスが炎熱を振り撒いている。間一髪だ。

 《ダスクワイバーン》という種族にとって、苦手とする分野は速度と体力の少なさである。ある程度は機敏に動けるしその操作性も並み程度だが、最大速度は大したことない。しかしその特徴的な長所は、今目撃した《フレイム》ブレスと力強さにある。

 リズとのプレイヤーホーム買い取りの際に、シーザーの使い魔は大量のコルを持ち出している。そしてSAOでの貨幣は現実世界のそれよりかなり大きめに作られて――ストレージに収納できることから財布の大きさなどを考慮する必要がない――いるのだ。

 金貨も材料は金属。それが1000枚も溜まるとかなりの質量になるはずである。

 しかしこの使い魔はそれを持ち運び、遠くで長期間保管することができた。彼は我が物顔で使い魔から大金を受け取ったことだろう。

 

「ハァ……いいパートナーだなおい……ハァ……厄介な奴がラフコフに入ったもんだぜ……」

「厄介では済みませんよ! あなたの血肉をこの子に与えてやりたいぐらいですよ!」

「ぐっ、くそ……!!」

 

 ブレス、突撃技、視界撹乱、連続斬り。単純な繰り返しであってもその相互連携のレベルの高さから突破口が見つからない。シンプルゆえに誤魔化せない。完全に相手のペースだ。

 奇跡的な体裁きでどうにか被ダメージを抑えてはいるが、ボルドに刺された傷を含めて体力総量は6割を下回った。そう長くは持たない。どころか、俺はこれからギルドの援護に行かなければならない。

 いくら鍛えぬいたレジクレの仲間4人でも、ラフコフの幹部3人相手ではキツいだろう。

 

「(ゼィ……く……くそ、賭けだ!)」

「なにっ!?」

 

 俺はシーザーが上級多連撃ソードスキルを発動しようとするのと同時に、全身をバネにして彼の前方上空へ飛び上がった。

 筋力値補正の暴力的な加速を得て、俺はシーザーの使い魔、すなわちダスクワイバーンの首もとに飛び付いた。ついでに空けた左腕でガッチリと自分の座標を固定する。

 ダスクワイバーンが悲鳴をあげた。俺を振りほどこうと必死にもがく。

 俺のように筋力値の高いプレイヤーはこうしたジャンプ力も増す。シーザーはその事を失念していたのか、予想外の展開に技をキャンセルしてしまった。

 

「ゼフィ! くそ、ぼくのゼフィから離れろっ!!」

「ぜァああああッ!!」

 

 バギィイイイッ、と何かが弾かれる音がした。

 《暗黒剣》解放状態の俺のガイアパージが、シーザーの防具を浅く削ったあとに彼の刀を弾き飛ばした音だ。

 体勢の悪かった俺は適当に腕を振り回しただけだった。剣が弾き飛んだというのは狙ってその結果を生んだのではなく、単純に運が良かっただけである。

 しかし武器をなくしたシーザーは、それでもダスクワイバーンにしがみつく俺を強引に剥がそうとしてくる。隙のない連携から一転、これでは隙だらけだった。

 勝負とは、往々にして一瞬の迷いから決する。

 

「う、らァあアアっ!」

「ぐあぁあああ!?」

 

 真横に一閃したガイアパージをモロに受け、シーザーは半回転してから腹這いに倒れた。

 彼はそれでも咳ごみながら立ち向かってくる。俺はダスクワイバーンから一旦離れたあとに、またしても使い魔を狙って攻撃した。

 近距離ゆえにクリティカルで命中。ダスクワイバーンのHPがガクッ、と減った。

 彼からはさらなる焦りが見られた。

 しかし俺は容赦なく追加の1撃を叩き込む。

 ザシュッ!! という、肉の切れるような斬撃が響くと、その命も残りわずかとなった。

 勝敗は、ものの10秒の間に決した。

 

「ヘッドぉ、あのバカ共やられてますぜ! マジ使えねぇっすねェ」

「ここで続けて、勝つのも、アホらしい」

「……お前ら、撤退だ。ジョニーは《煙玉》うっとけ。撒いたら転移だ。帰ってこないななければ2人は切り捨てる」

「了解っす、よ!!」

 

 ボフッ、とまたしてももう1つの戦場で広範囲に煙が撒かれた。

 幹部連中の会話はギリギリ聞き取れたが、どうやら本当に撤退するようだ。

 タイミングがよすぎるし、思いきりもいい。おそらく俺とシーザー達の戦いを監視しながらレジクレの4人と戦っていたのだろう。

 その戦闘技術は毎度驚かされるが、集中力を欠いていたお陰でレジクレの4人がまともに戦えていたのだから、結果的に俺の選択は正しかったようだ。

 俺はオレンジ共の跡を追わないよう仲間に叫ぶと、また1度シーザー達を視野に捉えた。

 

「くそ、ぼくが……こんな単純な動揺で……ッ」

「逃がすかァ!」

「くはッ!?」

 

 結晶アイテムで逃げようとするシーザーを俺は斬り伏せた。

 テレポート準備期間のライトエフェクトが霧散する。同時に、今の俺の攻撃でシーザーの体力ゲージが危険域(レッドゾーン)に突入した。

 時同じくして10メートルほど先でも音が鳴った。これも転移が中断された音だ。よく見ると、ジェミルが飛び道具を投げてボルドの行動を阻害しているようだった。かなり距離があったがさすがはギルド1の名狙撃手である。

 

「ボルドさん……逃げられると思わないで……」

「くそ、ちくしょう! こんなところで終わってたまるか!」

「ジェミル、ナイス攻撃だったぞ! ヒスイ、ボルドを取り押さえろ! 俺はシーザーを!」

「わかったわ!」

 

 俺は手がかりの確保を命じた。

 シーザーに向き直る。地面に尻餅するシーザーの目にはまだ闘志が宿っていた。

 

「言ったはずです。もう動揺はしないと……ゼフィ!」

『クギィイ!』

「ッ……!?」

 

 俺は反射的にシーザーに追撃を行おうとした。

 しかしそこへダスクワイバーンが割り込み、俺の剣は使い魔にクリティカルヒットした。

 

「また会いましょう……転移!」

「させっかよ……なにッ!?」

 

 ここで時計塔の鐘が高らかに鳴った。時針の針が数字と垂直になったことを知らせたのだ。

 ゴーン、ゴーン、と。その近辺にいる俺達にはそれ以外の音が遮断された。

 そう、俺は忘れていたことだが、《圏外村》に分類される《トシフック村》にとって、この大型オブジェクトである《傾斜の時計塔》周辺は観光スポットだ。傾いたまま立てられたこの時計塔は、分針が5分程度遅れている。つまり、本来の時間である4時5分に相当するタイミングで鐘の音が鳴るのだ

 シーザーの発音する街の名前が聞き取れない。ダスクワイバーンがポリゴンデータとして爆散したせいで口元も一瞬だけ隠されてしまっていた。

 次にシーザーの姿が目に入った時には、彼はすでにテレポートのエフェクトに包まれていた。

 しばらくしてエリア全域に響いた低い音程の鐘の音が鳴り止む。そこには最初と同じ、穏やかな静寂があるだけだった。

 

「くそ……ここまできて、シーザーを逃がすなんて……」

「でもジェイド、使い魔は倒したんだよね? なら実質的に……」

「いや、ほら見ろよ」

 

 俺の指が指す先で羽根型のアイテムが消えていった。

 推測するしかないが、今消えたのは《ゼフィの心》としてドロップしたアイテムだろう。

 長距離に置いてしまった自分のアイテムを手元に引き戻す方法には、《コンプリートリィ・オール・アイテム・オブジェクタイズ》というボタンが挙げられる。文字通りプレイヤーの所持アイテムを全て周辺地面に無差別にばらまくコマンドだ。

 これはビックリするほど使い勝手が悪い。コマンドそのものがメインメニューからほど遠い場所に隠されていることもあるが、物体化したくないアイテムまでまとめて出てきてしまうので、あとで回収するのが大変なのだ。

 しかし、今のシーザーのストレージにはアイテムがほとんどない。俺がリズともう1度《結婚》システムを使わせるに当たって、両者のストレージをほぼ空っぽにしておいたのだから当然だ。これは盗みやトラブルが起きないための最低限の処置でもある。

 そしてアイテムの所有者属性というのは、地面にドロップしてから300秒後にしか解除されない。奴は最低限の自衛アイテムであるテレポート、ヒーリング、リカバリーの結晶をそれぞれ1つずつし所持していた。シーザーの所有物として《ゼフィの心》は発生しているのだから、今のシーザーの足元には1枚の羽根と2つの結晶アイテムだけが落ちているはずだ。

 

「やっぱり回収されたか。落とした刀も消えたみたいだし、《クイックチェンジ》に登録してあったんだな。逃走1つとっても周到すぎて文句も出やしない……」

「仕方ないわジェイド。それより捕まえたボルドさんから情報を聞き出しましょう」

 

 ヒスイの提案でまずはシーザーのことを忘れてボルドに向き直った。

 仲間が両手をロープで縛っている最中、まず俺は《暗黒剣》を停止させた。それからボルドの目の前でしゃがみこんでゆっくりと語りかけた。

 

「ボルド、1つ聞きたい。あんたが足を斬られたとき、なんですぐ逃げなかったんだ? ……逃走する《圏外村》ぐらい、事前に決めてあるだろう」

「……けっ、逃げれるかよ。逃げたら殺されちまうよ! ラフコフで頭張る男がどう言う人間か……あんたらは知らねぇんだ。そんなに甘くねぇ。幹部より先に逃げようものなら、こんな安い命はすぐにパァだ。けど言うこと聞いてりゃ、ちゃんと必要とされる!」

「そいつは気の毒だな。けど同情はできない。……あんたのことはそれなりに知ってるよ。2ヶ月ぐらい前まで……《タイタンズ・ハンド》にいたろ」

「なっ、なんでそれを!?」

 

 この事実にはボルドだけでなくレジクレメンバーも驚いていた。ものの1秒足らずで理解した顔を見せたのは、回転の速いヒスイぐらいだった。

 とはいえ、遅かれ早かれ消去法でボルドの正体は割れただろう。

 12人ギルドだった《タイタンズ・ハンド》。

 ギルドに加盟していないだけで実質組織を仕切っていたロザリアと、恐怖体制の礎として見せしめに殺されたメンバーが1人。攻撃役が8人と《圏内》での誘導役が1人。として、残るプレイヤーはロザリアの元彼氏。ラフコフに移籍した最も危険な男、それがこのボルドだったのだから。

 

「あんたのその身勝手な行動で《タイタンズ・ハンド》が死んだようなものだぞ。殺人なんかに手を染めやがって……ッ」

「は、ハハハ……そうか、ロザリアのバカが吐きやがったのか。ならシーザーが話していたのは……ちくしょう、じゃあオレのギルドもやられてたってか? くそったれだ、いつもオレをはばにしやがって……」

「言っておくと、あんたはPoHにすら信頼されていない。奴は《タイタンズ・ハンド》という組織全体の力を戦力に数えているだけで、あんた個人にはなんの価値もないと思っている」

「は……? なに言ってんだよ……んなことあるか、なにも知らねぇくせに!」

「テメェよりは詳しいさ。じゃあロザリアはなぜ無条件でPoHに従っていたと思う?」

「それは……」

 

 ボルドは座り込みながら口ごもった。

 どうやら剣を突きつけられ脅されるとしたら、ラフコフやシーザーのことを聞かれると思っていたようだ。それがいざ蓋を開けてみると《タイタンズ・ハンド》についての質問ときている。混乱するのも無理はない。

 

「レッドのやり方が楽しくなってきたのか……オレと指向を合わせようとしたんだよ」

「いいや、まるで違う。彼女はこう言っていたぞ。殺しのノルマを達成しつつ金を貢がなければボルドが殺される、とな」

「そんな……そんな馬鹿な!? ンなことするはずが!」

「これが現実だ。ロザリアなりにあんたのことを想っていたんだ。失いたくなかった。……だから、殺人ギルドとしての注目をラフコフの代わりに引き受けた。……だってのに、肝心のあんたはPoHの犬になり下がっている。裏では彼氏をエサに脅されてる一方で、あんたはのうのうとラフコフで生活していたんだ。あんたにロザリアの屈辱がわかるか?」

「それ、は……その……」

 

 口をパクパクと動かすボルドからは、もはやなんの生気も感じられなかった。

 目の焦点が合わなくなる。目の前が真っ暗になる人間というのは、今の彼を言うのだろう。しばらくしてその場で額を地面に打ち付け、音もなく崩れ落ちた。

 下っぱのボルドを捕まえたところで、有益な情報が割り出せないことは初めから察しがついていた。あとは彼自身のことだ。せめてロザリアのように改心の道へ行くことを願うばかりである。

 

「……もう帰ろう。ルガとジェミルは俺と交代しながら、ボルドをこの層の《レイヤー・ポータル》まで連れてくぞ。ヒスイとアリーシャは接近してきたモンスターをけちらしてくれ。策敵もヒスイに任せる」

「了解ぃ」

「わかったわ……」

「あとルガ達は悪かったな、危険な目に……けど、根本的にはまだ解決してないんだ。気を抜かずにいこう」

 

 こうして俺達は主街区へと歩いていった。

 これからまた大仕事だ。まずは当人のリズにこれらの事情と出来事を報告しなければならない。彼女のお金がまったく取り返せなかっただけでなく、今後取り返せる可能性はまずないだろうことも含めて。話す前から気が重い。

 それからシリカを初めとした各方面の恩人への礼。中には何が何やら全貌が掴めないまま未だに放置状態にしている人もいるので、早急に対処しなければならないだろう。

 プレイヤーホームの確保とそれら全てを考えると、とても今日1日で終わるものではない。

 

「(しゃーねぇ、本腰入れてもうひと仕事するか……)」

 

 俺は疲れた体に鞭打って、歩きながら小さくぼやくのだった。

 

 

 

 



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第76話 損失を取り戻す方法

 西暦2024年3月7日、浮遊城第56層(最前線57層)。

 

 犯罪者ボルドを連行してまず行ったのが、《軍》の人間、厳密にはクロムのおっさんへの引き渡しで、その際にロザリアに対してもあらかたの経緯を説明しておいた。

 ロザリアの顔を見たボルドは酷く動揺していた。

 その手でギルドを叩き潰し、ロザリアを《黒鉄宮》送りにしたことから、自分がいかに何も知らされないままにPoHの言いなりになっていたかを自覚したのだろう。

 ボルドは深く頭を下げて謝罪していた。俺が見たのはそこまでだ。あとは彼ら自身の問題である。

 俺は軍の連中に礼を言ってから、すぐに《黒鉄宮》をあとにした。

 

 

 

 レジクレが次に向かったのは、シリカが住んでいる8層主街区(フリーベン)だった。

 そしてホームタウンに立ち寄って彼女を呼び戻してから、56層主街区(ラミレンス)へと再三に渡って転移してきていた。

 目的は注意喚起以外にも、ビーストテイマーの彼女がいた方が説明しやすかったからである。

 

「……というわけだ。悪かったなリズ、あれだけ協力させといて1コルも取り返せなかった。……正直、俺の見通しも甘かったよ」

「そ、そんな……謝らないでよ。あたしは助けてもらってるだけなんだし。それにあんた頑張ったじゃない。気付かなかったら大変なことになってたし……」

 

 「危なくなったから挽回した」というのはなかなか通用しないものだが、確かに過ぎたことで落ち込んでも仕方がない。

 ルガと三度(みたび)《結婚》状態にさせているので、例の夫婦割引サービスを使えば、リズは俺達の借りた40万で48層主街区(リンダース)にあるホームは買えるはずである。まずはそちらの対処が先か。

 

「ま、次こそは危険ナシで行くさ。……ああそれと、俺はこれから55層主街区(グランザム)に行って、ヒースクリフに同じことを言わなきゃならんのよ。またかな~りメーワクかけたからな」

「ジェイドぉ、ボクとアリーシャさんはルガとリズベットさんと一緒にいていぃ? 今度こそ何も起こらないようにさぁ」

「ああ、そうだな。じゃあみんなはリズと一緒にホームを購入しといてくれ。俺とヒスイはシリカを連れて55層経由して戻ってるよ。……んじゃ一旦解散」

『はーい』

 

 返事をすると一員はそれぞれ自分の役割をこなすために散り散りとなる。

 視線が外れたことでふう、と肩の力を抜く。

 ひとまずは1件片付いた。

 しかし実に長かった。4時5分にラフコフとの戦いが終わり、ボルドと《黒鉄宮》での手続きに30分。《フリーベン》と《ラミレンス》を往復し、シリカとリズに合流してから彼女らへの説明に30分。

 すでに時刻は5時10分を過ぎ、3月の夜はすぐそこまで迫っている。

 俺は表通りを歩きながらウィンドウの時間を見てぼやいた。

 

「ちょっと遅くなっちまったな。どうするよ、やっぱ先にシリカだけでも帰しておくか?」

「あ、あたしも時間は大丈夫なんですけど……その、血盟騎士団(KoB)の人達に会いに行くんですよね? どちらかというとそっちの方が……」

「あ~そりゃそうか、下層のプレイヤーにとっちゃ面識ないからな。……んじゃあ名残惜しいけど《転移門》に着いたらそこで別れよう」

「ピナも眠そうだしね。先に送ろっか」

『キュルキュル……』

 

 ピナがそう返事をしたところで俺達の方針は固まった。

 それにしてもこの層はさすが《聖龍連合(DDA)》が根城にしているだけはある。丘の上に建って街を見下ろすDDAのギルド本部は、下手をすれば要塞としても機能しそうなものだ。

 その威圧感に急かされるように自然と3人は歩調を早める。

 

「それにしてもジェイドさん。いくら《貸金屋》の上に《ダスクワイバーン》が止まっていたからといって、それだけでよくシーザーさんが《テイミング》スキルを獲得していたと気づきましたね。何かその前に疑ってたりしてたんですか?」

 

 突然シリカがそんなことを聞いてきた。彼女の幼い顔を見ると、意外にも本気の探究心を感じ取った。

 俺はその意を酌み、再び前を向きながらヒスイにも聞こえるように答えた。

 

「まあな。俺やヒスイがシリカと会って、そのままロザリアに自白させた日があったろ。覚えてるか?」

「はい……」

「ええ、もちろん」

「そん時から引っかかってたんだよ。シリカがピナを生き返らせると言った時、あいつは『《思い出の丘》に行くのか』と聞いてきた。……けどコレ、おかしいよな? 35層で狩りをしている人間が、47層フィールドの情報を手に入れているんだ。んで、実際ロザリアのレベルは高かったと」

「へぇ、細かいことを覚えてるんですね!」

「…………」

 

 暗にバカにされた気もするが、きっと彼女は純粋な感想を述べただけなのだろう。

 なので、バカにされたカウンターは加算しないこととする。

 

「次は翌日のことだ。ロザリアと47層主街区(フローリア)前の橋でタイジした時あったろう? その時も、あいつは俺とシリカを狙っていたというよりは、どちらかというと《プネウマの花》を狙っていたきらいがあった」

「あ、そう言えば『プネウマは今が旬』、みたいなことも言ってましたね」

「そう、それそれ。けどこれもおかしいんだよ。なにせ《プネウマの花》は季節や時期によって値段が変動するタイプのアイテムじゃないからな。あの後よく調べたんだけど、1ヵ月前までの時価に目立ったインフレはなかったし。……そういや、シリカはビーストテイマーがどうやって《プネウマの花》を独自に手に入れているか知ってるか?」

「え、ビーストテイマーはみんな手に入れてるんですか? んーと……ん~と……」

 

 シリカは人差し指を顎に当てて地面を見ながらうんうんと(うめ)いた。

 何かを思い出そうと虚空を見つめたり、頭を働かせようとこめかみをグリグリする姿からは、一種のあざとさすら漂ってくる。決してロリコンやそれに準ずる特殊な性的指向を持ち合わせてはいないが、見ているとどうしても頬がほころんでしまう。

 もっとも、この感情を表に出そうものならまたぞろヒスイに斬られてしまうだろうが。見かけによらず、彼女もあれで独占欲の強い女なのである。それが苦しくもあり嬉しくもあり……。

 さておき、それから優に30秒ほど唸ってからシリカは降参した。

 

「あう、わかりません」

「へっへーん、そうだろ。いいか、プネウマの出現方法は《なつき度》の高い使い魔を亡くしたビーストテイマーが、ドロップした《モンスターの心》を持って《思い出の丘》の前に立つことだ。そうすればシリカも手にしたあの花が咲く」

「はい、そこまではわかります」

「あとは値段だ。プネウマの主な流通法は下請(したう)けがテイムした使い魔をあえて自分から死ぬように戦って、花を手に入れてからそれを主街区にまで持ち運んでるんだ」

「えっ!? そんな……ビーストテイマーが、自分の使い魔を……?」

「かわいそーだけど仕方がないんだ。量産されないと、テイマーは使い魔が死ぬ度に《思い出の丘》に来なくちゃいけなくなる。シリカみたいに、47層に行けないレベルの奴はその時点でアウトだぜ? 俺やヒスイがいたからよかったものの、ハナからレアで高額だとやすやすと買えないしな」

「確かに……そうですけど……」

 

 シリカにとってはまだ不満があるようだ。

 あれほど可愛がっていたピナと《プネウマの花》を回収しにいくビーストテイマーとを比べれば、それが酷く残酷に見えるのは無理もない。

 だがプネウマは流通している、これは事実だ。

 ただし極端に供給が少ないからか、売り出す相手はかなり厳選している。《なつき度》上昇率と、同族モンスターのテイムのし易さが《テイミング》スキルの熟練度に左右される、ということはシリカも重々承知のことだろう。

 プネウマがやたら高い原因は、これ1つをゲットするのに、どうしても時間がかかるからである。

 結果的に、売る側も怪しいプレイヤーに渡って悪用されたくないので、大量のコルか同等品の物々交換によってのみ取引が成立する

 もしテイマーでない者がプネウマを欲するなら、それこそ法外なコルを積み込むか、もしくは多人数による偽装工作でもするしかない。いずれにしても遊びで行えることではないだろう。

 

「だからこそ、あの時ラフコフの手下だったロザリアには、マジでプネウマを高額で叩き売れる相手がいたってことになるんだよ」

「え? でも花を流通させてる人を調べれば、わざわざそんなことしなくても……」

「売る人は選ぶ。……ましてやオレンジ共がプネウマを狙ってたとしても、交渉に応じないだろうさ。ラフコフはあの時からシーザーを抱え込む気満々だったんだろうな」

「そういうことだったのね、ジェイド」

 

 長らく黙り混んでいたヒスイは合点がいったように会話に介入する。

 俺とシリカが歩きながらヒスイに注目した。

 

「麻痺にやられている時、話を聞いていて思ったのよ。……シーザーは転移してすぐに《ゼフィの心》を回収した。使い魔を使い捨てにした脱出を取ったのも、あの《ダスクワイバーン》を復活させる手立てがあったからなのね 。シーザーと繋がっていたラフコフ……さらにそれと繋がっていた《タイタンズ・ハンド》……」

「終わってみると、ホントせまい業界だよ」

「むつかしい話ですね……」

 

 そうこうしている内に、今度こそ別れの時が近づいてきた。

 ちょっとした人垣の向こうに《転移門》が見える。

 

「お、そろそろお別れだな。ホームまで迎えにいってやれないのはカンベンな」

「はい、《圏内》ならあたし1人でも大丈夫です。ヒスイお姉さんもありがとうございました」

「あたしなんて何もしてないわよ。それに、また巻き込んじゃったね」

「今日はあたしが会いたくてみなさんに会いに行ったんです。それに……事件の話も、あたしとはどこか違う世界のできごとに聞こえます。実際に見てもいませんし」

「知らないならそれに越したことはないっての。……さてヒスイ、いい加減を仕事を終わらせよう。じゃあなシリカ、また会おうぜ。……転移、グランザム!」

 

 《転移門》の目の前に到着すると、俺はヒスイと手を繋いで転移エフェクトに包まれた。

 ヒスイは先ほどの会話から終始落ち込んだ表情をしている。シリカと別れる時も、いつもの彼女なら次に会う日を思い浮かべてむしろ心踊るといった顔をするはずである。現にシリカに手を振るヒスイからは元気が感じられない。

 まあ、おおよその予想はつく。彼女なりの責任感の現れなのだろう。

 俺は感情を逆撫でない程度のフレンドリーさを作って切り出した。

 

「ヒ~スイ。そんな落ち込むなって、みんな無事だったんだ」

「……さっきジェイドが言ってた、危なくなってからじゃ遅いって。……事実その通りだわ。何がリズを助けてあげたいよ……何が、力を合わせれば……結果、あたしはギルド全員を危険に巻き込んだわ。あたしが発端のようなものよ。……しばらく問題がなかったせいで浮かれていたのね。正直、ここまで自己嫌悪になったの初めてかも……」

「(確かに長いグチは珍しいな……)」

 

 この分だと先月の件を話したのは逆効果だったのかもしれない。

 しかし俺は、ヒスイの正義感に振り回されたという意味で、つまり彼女を責めたくて長く口上を垂れていたのではない。彼女はいつも俺のサポートをしてくれている。迷惑なんて思ったことはないし、頼られるのははっきり言って嬉しいぐらいである。

 きっとこの正義感の塊は、それを言葉にしてほしいだけなのだろう。

 

「まー、ぶっちゃけるとさ。ヒスイの力になれたならオーライだ。ヒスイ以外はダメだけどね!」

「……ジェイド……」

 

 少しだけ格好つけてから、俺達は鋼鉄でできた無機質な街並みを静かに見渡しつつKoBの本部がある主街区の中心部へ向けて歩を進めた。

 その間、幾度か弱音を吐いたものの歩調自体はしっかりとしていた。どうやら俺の慰めが多少なりとも功を成したようだ。

 

「ふふっ、そろそろあなたへの貸しが尽きちゃいそうかも」

「おいおい貸し借りだったらむしろヘコむぜ」

「ねえ、ジェイドってよく学歴にコンプレックス持ってるみたいなこと言ってたけど、実は頭いいんじゃない?」

「バッカちげーよ。ほらあれだ、ゲームのことになると脳が活性化される的なやつ。俺マジで史実とか英単語とか覚えるのムリだけど、ゲームの専門用語100個覚えろとかなら1日でできそうだわ」

「あはは、いかにもって感じ。でもちょっと納得できちゃう自分がいるのよね……」

「だろ? わかるだろ?」

 

 少し興奮ぎみに聞いてしまったが、中学生の時に同じ話をした際に、学校できちんと勉強している人間から白い目を向けられたことを思い出してしまった。

 しかしヒスイは俺の励ましを深読みしたのか、突然トーンを下げて切り出してきた。

 

「そうやって励ましてくれるのはとっても嬉しいんだけど……やっぱりあたしは償いたいよ。何かできることはないかな? あたしなんでもするよ?」

「そ、そうは言われてもな……ああほら、KoBの本部だ。先にこっちの話をつけよう」

 

 この分だと、俺が勝手にリーダーに全ての責任があると思い込んでいるだけで、カズも裏で相当な責任を感じているのかもしれない。だとしたら何をしでかすかわからない。ギルド内の心のコントロールとやらが1番難しい課題だと、リーダーになってからここ最近如実に実感している。

 それはそうと、確かヒースクリフは俺に情報を提供してくれた段階で「30分だけ時間が空いている」と言っていた。現在はあれから1時間半ほども経過しているので、何のアポも取っていない現状を鑑みるに、首尾よく彼と話をつけられないかもしれない。

 だとしたら面倒ではあるが日を改めるしかないか。

 だが思案に暮れていると、ちょうど到着する頃になってデジャヴのようにまたしても本部への帰還者一行が現れた。しかも先頭を歩くレイピア使いは俺もよく知っている。

 

「あ……あれ、アスナじゃない! アスナ~!」

「スゲーな。タイミングが良いやら悪いやら……」

「ヒスイ、久しぶりじゃない! 珍しいわね、セットでジェイド君を連れているなんて」

「俺のあつかいって!?」

「ウチに何か用があったの? わたしでよければ窓口になるわ。あ、あなた達はお客さんが来たからわたしが対応するって団長に伝えといて。うん、よろしく」

 

 アスナが軽く命令するだけで、その後ろに従えていた何人かのKoBメンバーが小娘の命令に文句の1つもつかず、ガチャガチャと甲冑を鳴らして従っていった。

 《攻略の鬼》として、そして《閃光》として名を馳せるトッププレイヤーは今日も絶好調のようである。男共を顎で使う仕草も実に手慣れたもので、彼女のイメージからはむしろ納得のいく貫禄だった。さすがは名高い大ギルドのサブリーダーだ。

 強いて問題を挙げるとするなら、俺への横暴な態度だろうか。

 

「(まあ、ヒースクリフに免じて……)……んでアスナ、いま団長さんと会えないか? さっきちょいと世話になってな、礼ぐらい言っとこうかと」

「ん~確かこの時間は会議じゃなかったかしら。わたしが全力で頼めば来てくれるかもしれないけど、緊急じゃなさそうよね」

「無理しなくていいんだ、また日を改めるよ。今日は遅いしな。じゃあせめて次にヒースクリフの都合がよくなる日ぐらいは……」

 

 締めようとしかけたが、隣の恋人に手で制されて言いよどむ。

 

「あ、そうよアスナ。短期間でお金を徴収する方法とか知らない? 今あたし達のギルドがとてもお金に困ってて」

「徴収て……」

 

 どうにもまだ俺による寛大な処遇に納得がいかないのか、ヒスイはギルドが(こうむ)った多大な金銭的被害を取り戻そうとしているようだった。

 俺的には人命の懸からない損害などは軽視してしまうが、元より人一倍真面目で誠実な女だ。相応の失敗には思うところがあるのだろう。

 俺は割って入ったヒスイをあえて止めず、成り行きを見守ってみることにした。

 

「お金、ねぇ……わたしは攻略していく内に自然と貯まるイメージだけどな~。サブリーダーやってるとギャラがいいからかしら。まだまだ死蔵されてるコルがあるけど」

「へえ~いいなぁ。そう言えばアスナって誰からお金もらってるの? 確かKoBにはお金を管理する特別な役職があったよね?」

 

 俺もアスナの羽振りのよさを想像すると羨ましいが、それより気になったのは金を管理する役職が設けられているという点だ。

 やはり規模が違うとこうした人事活用ができるのかと感心してしまう。

 内心ギルドに1人はそういった役職を担う人材が欲しいところ。人にはそれぞれ得手不得手というものが存在するし、レジクレが金を貯め損ねているのは、ひとえに俺の経理に対する苦手意識が影響しているからだ。

 

「うん、ダイゼンさんという人が担当してるわ。彼はメンバーが集めたお金を一括管理して、それを各ノルマや成績に会わせて分配したり、あとはイベントを行う時にその参加費や出費を計算したりしてるのよ。どうも電卓を叩くのが好きみたい」

「ほえ~、部活でいうところの会計みたいなもんか。アクションゲーでモノ好きなもんだ。やる奴はやりたがるんだよなぁ」

「そうそう、あたしの学校でも……って、そっちはいいか。ねえ、その人ならお金の効率的な貯め方とか知ってるんじゃないかしら? 今のレジクレ……いえ、あたしはできることならあたしはなんでもするつもりよ。相談だけでも乗ってもらえるよう掛け合ってくれないかしら?」

「え……と、それはいいけど何かあったの? えらく損害を出したみたいね」

「ああ、実は……」

 

 俺はまたアスナに対して何度目かもわからない説明をする。アスナについてはリズが《結婚》を利用した詐欺の段階から知らなかったので、説明を終えるのにかなりの時間を要してしまった。

 しかし女性として《結婚》システムを悪用した強盗紛いの騙し方に腹を立てたのか、これらの話は俺が予想していたより遥かに有効的に彼女を燃え上がらせた。

 

「リズを騙してそんなことを……許せないわ。もう、それならそうと早く言ってよね。わたしも全力で手助けしてたのに。てっきりお金を貸してほしいとか、そういうのかと思っちゃったじゃない」

「んで実際どうよ? ヒスイはこう言ってるけど、レジクレ全員で助け合うつもり満々だ。5人でできる範囲なら全部試したい」

「わかったわ。もうすぐ6時よね……その時間になればダイゼンさんも攻略会議室から出て来るはずだから、部屋の前で待ってましょう。そこからはわたしも頼んでみるわ」

「ありがとうアスナ~」

「もう、ヒスイったら……」

 

 抱きついて頬ずりをするヒスイを見ると、普段そこまで甘えてこない俺自身への立場に少なくない危機感が迫ってくる。

 いや、アスナにヒスイが取られるなどという失礼なことを考えているわけではないのだが、自身の甲斐性のなさは見直さねばならないだろう。未だに踏み込んだ事情すら作れないのはいかんともしがたい。本当に、なぜ彼女のような美人でなんでもこなすタイプの勝ち組が、こんなダメ人間のそばにいてくれるのか、たまに不安になるのである。

 

「(いかんいかん、ポジティブに……)」

 

 それから俺達は、鉄壁城を思わせる巨大なギルドホームの中に案内された。

 中にお邪魔すると、立派な作りに素直に見入ってしまう。鋼鉄で造られた塔の1階は大きな吹き抜けのロビー。下には長く鮮やかな赤い絨毯が敷かれ、壁にはF100キャンパス(人の身長レベル)のモザイク画が、それも有名な細工師が手掛けたような完成度で展示されている。他のギルド本部を色んな意味で圧倒していた。

 途中何人かすれ違ったギルドメンバーに会釈しておいたが、やはり過去に何度も誰何(すいか)されたこともあって特段疎外感は感じなかった。そのまま廊下を突っ切ると、正面には立派な大理石でできた螺旋階段が現れる。ただし、非常に常識外れな大きさからか不便にさえ思え、マイホームには決していらないものだった。

 

「(何をとっても規格外って、それはそれで考えものだよな……)」

 

 文句を言っても仕方がないのでアスナに続いて長い階段を上ると、いくつもの扉を越えてからナチュラルカラーの扉の前まで来た。

 レイアウトやデザインも隣の扉と一線を画している。どうやらここがゴールのようだ。

 それから数分、6時を回る少し前に会議室の扉が開かれた。中からはいかにも重役についていそうな風格のプレイヤーが出てくる。ヒースクリフはまだ何か話しているようだ。

 そこで、よく言えば恰幅(かっぷく)のいい、普通に言えば太っている温厚そうなプレイヤーがいることに気づいた。アスナから聞かされていた特徴と合致する。

 

「あ、あの人がダイゼンさんよ。じゃあ事情を伝えてくるからちょっと待ってて」

 

 アスナはそう言うと彼の元へ駆け寄って今までのことを話していた。

 そこで俺はふと疑問に思ったことを口にする。

 

「つか、会議って言うと重役は参加するだろうに。アスナは参加しないのな」

「あの子がいないと士気が下がるから」

「あ~、すこぶる納得」

「それにケースバイケースだと思うよ。会議中だろうと攻略は進んでいくんだし、前線では誰かがメンバーをまとめないと」

「それもそうか。……お、話ついたみたいだな」

「いや~お待たせしてすみません、ダイゼンという者です。この度はどうも」

 

 そう言って近づいてきたのは柔和な笑顔を見せる件のダイゼン。

 経理担当から助言が頂けるなら光栄である。俺達4人は雑談を交えながら――もっぱら前線の情報交換だが――休憩所のような場所に着いた。

 

「まぁうちもトップだなんだと言われますけど、なんやかんやで人も足りん、金も足りん、武器も足りんな状況ですわ。規模を維持するのも大変でっ……と、立ち話もなんですわな。まずは座ってください。……さて、ざっくり言うと、借金を引き受けてギルドの資金が空っぽになってしまったと?」

「ああ、そうなる。……いや間違えた。その通りです」

「はっはっは、若い者が無理をするものじゃないよ」

 

 ダイゼンは人懐っこく笑うと、ものを頼む態度に対し俺を叱ったヒースクリフと対照的なことを言い出した。

 げにメンドくさきはジャパニーズビジネスマナーである。

 

「あたしの責任です。できれば1人で損失分を取り返したいんですが……」

「おいヒスイ、勝手に責任を負わんでも……」

「ままま、話は大体わかりました。うちもこんな役職に就いてる身でしてね、金の足りん状況なんて日常茶飯事ですわ。して、うちにも日夜考えとる儲け話言うんはあるんですわ。ただ少し……提案し辛いというか……ま、一応言います。率直に言えば、攻略組全体を巻き込んで、有名な街の広場などでプレイヤー同士の大規模なトーナメントを組むんです。それから参加者には景品などを用意して、メディアすら活用したドンチャン騒ぎにする。そうなれば、うちらKoBの株も上がってプレイヤーにも刺激的な1日を提供できる……一石二鳥と思いません?」

 

 そう言ってダイゼンは身を乗り出して尋ねてきた。

 いい案かはやってみないとわからないが、試す価値はあるだろう。少なくとも現状、現実味のある解答だ。それになんだかとても楽しそうである。

 元より攻略組というのは、称賛されることがとてもとても大好きなコアゲーマー。こうした機会に自分の実力を試し、自ら鍛え上げたステータスやレアな剣、または習得者の少ないスキルや自慢の装備も披露できる。そこで上位入賞などすればたいしたものだ。KoBや聖龍連合(DDA)に限らず、メンバー不足にあえぐギルドからは勧誘が来たりするかもしれない。単体性能が高くても注目されなかったはぐソロ連中を発掘したり、逆に声をかけられたい彼らにとって、開催されることに大きな意味がある。

 理にかなっているとは言え、参加者確保にはもう1つ何かないものか。

 

「ん~トーナメントつっても、金集めってことは当然有料だろ? 戦いたきゃフィールドに出ればいいだけだし、そんな参加者が集まるのかな……」

「甘いですよジェイドさん、簡単なことです。客寄せ用の優勝商品があればいいだけなんです。集団戦にしてしまうと運の要素が強くなってきますが、1on1のトーナメント形式なら腕に覚えのあるトップ勢にはあつらえ向きの腕試しになります。さらに物欲まで満たされる一大イベントとして告知すれば、そりゃあ食いつくプレイヤーは多く見込めますよ」

「レアアイテムとか、KoBへのギルド参加権とか?」

「そうですね、それもアリです。ですがいま攻略組にとって不足しているものはなんだと思いますか? なに、難しい問題ではありません。攻略組をよく観察していれば自ずと察せます」

「そらいくらでもあるけど……いや、スキルやステータスはもちろん、経験値も手渡せるもんじゃないし」

 

 ここでダイゼンは自信満々に言った。

 しかしそれは、到底受け入れ難いものだった。

 

「違いますよジェイドさん。ほぼ全員が男である攻略組にとってコルや経験値より勝る即物的なもの……それははっきり言って女性です。女の子です」

「いやちょっと待てちょっと待て、ヒスイやアリーシャを商品にするってのか? 悪いけどそいつはパスだぜ。言えたギリじゃねェかもしれんけど、こいつらと一緒にいられることは俺の誇りだ。1人も欠けないのは大前提であって……」

「渡せというのでありません。攻略組にとっても、嫌々グループについてこられては日々の攻略に障ります。つまり、その日その時において彼らの欲を満たすことさえできれば、その参加券を求めて財布のヒモを緩める人が出てくると、こう言っているのです」

「な、なるほど……でも具体的にどうするよ……?」

「う~ん……」

 

 こればかりは俺とダイゼンだけでなくヒスイやアスナも頭を抱えた。

 やれることと言っても、所詮は子供である俺達にとってやれることそのものが少ない。捻りを加えてオシャレに決めようとしても、シラけてしまえば地雷になる可能性もある。非常に難しいところだ。

 

「ヒスイにできること、と言えば……手を繋ぐとかかしら?」

「んなもん参加賞にしろとか言ってくるぜ、あいつら。なら着てた防具渡すとかでいいんじゃね!? モチ渡す時はパチモンで」

「ん~、インパクトとしては弱すぎますね。今回について我々の目的がお金であることを忘れてはいけません。防具の詐欺なんてファンクラブのプレイヤーもダマせないでしょう」

「ちぇっ、いい案だと思ったのに」

「攻略組の皆さんの肥えた視線の中から、夢中にさせなければなりません。と言うことはイベントの目玉はこれまでにないもので、かつ斬新に衝撃的に……」

 

 だがここで、マイフェイバリットレディがとんでもないことを言い出した。

 

「ほっぺにチュウーとか?」

「そう、ほっぺにチューぐらいないと……ってえぇえっ!?」

「えぇえええええッ!?」

「ちょい待ちんさいヒスイ! お、俺はそんなの認めないぞ!」

 

 信じられない自己犠牲性に、俺に至っては大慌てである。ダイゼンを含むアスナすらもヒスイ自身によるこの提案に驚いていた。

 確かに子供ながらに考えた、最大公約数的妥協点なのかもしれない。

 しかしほっぺにチューはないのではないだろうか。ここは外国ではないのだぞ。あいさつでも相手の体に触れることすら滅多にないはずだ。こんな環境で決行したら戦争である。いや、自分の女の唇が戦争を引き起こすほどの魅力に満ちていると言いたいのではなく、男として死してなお死守するべき最終絶対防衛ラインだと言いたいのだ。

 と言うより、ヒスイ自らが提案している。

 本人にとってはどうでもいいことなのだろうか。

 

「そ、それでええんなら、ウチが何とかして何とかしますんで解決したようなものですが……ほんまにええんですか?」

「いやいいわけないだろ! ヒスイはその、俺にとって……なんつーか、えっと……」

「わたしもどうかと思っちゃったけど、本人が言うなら、まあ。……他に代案があればいいんだけど、あいにく稼ぐことだけを考えるなら、夢物語な方法でもないし」

「いや、でも……これには深い事情があってだな……ヒスイは俺の……」

「ジェイド君はヒスイのチューを阻止したい理由があるの? あっ、好きなんだ!」

「イメージ崩れるからアスナはチューって言葉使うな!」

 

 ――あと好きだよ! うっさいなっ!!

 俺は言いつつヒスイの方をチラ見してみたが、本人はがぜんやる気のようである。そして、ついに後押しするようなことを言ってきた。

 

「うん、なんか可愛いジェイドも見れたしこのまま頑張るわ! あたし、ほっぺくらいなら平気だし、迷惑かけた分を帳消しにできるのならお安いご用!」

「帳消しどころか増えてんの!」

「まあまあジェイドさん。……ほなら、インパクト大の提案感謝です。うちのネームバリューと宣伝力があれば、イベクエ並みかそれ以上を集められますわ」

「じゃあ決定ね。告知も済めば登録は簡単だし、参加者応募は明日か明後日にでも締め切って3日後ぐらいに本番開催でいいかしら?」

「ちょ、なに勝手に話を……ヒスイはいいのか!?」

 

 俺は少なからず本気で心配になってヒスイに本心を尋ねてみる。

 彼女は一瞬だけ、今さら躊躇(ちゅうちょ)した。アバター越しであれ、やはり先ほどの提案には自分がリスクを負っている自覚があるのだろう。だが長らく夫として付き合ってきた俺ならわかる。彼女から送られてきたアイコンタクト的メッセージには、「あなたが悪いのよ」とはっきりと込められていた。

 蠱惑的な表情を浮かべ、彼女は迷いを振り切り、イタズラ好きな子供のように次のことを口にした。

 

「いいも何も、あたしが提案して40万を借金した。しかも、かけた迷惑はお金だけじゃない。でも、これなら戒めとしてケジメもつくし、損害も取り戻せるんだから。……あとはちょっとの間だけ我慢するだけよ。そ、れ、に。この作戦で何も失わない方法があるって知ってた?」

「えっ……ど、どうやんだよ……?」

「ジェイドがあたしのために優勝しちゃえばいいんだよ!」

 

 それを聞いた時、俺は忍び寄る頭痛に眉間を押さえ天を仰ぐのだった。

 

 

 

 



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第77話 バトルトーナメント(前編)

 西暦2024年3月9日、浮遊城第55層(最前線57層)。

 

「はぁ……」

 

 俺はいま、とても黄昏(たそがれ)ている。

 場所は公園のベンチの上で、時間は午後の4時。仮想太陽はその半分が地平線に沈みつつある。ちなみにこの場にいるのはアリーシャだけで、他のレジクレメンバーはダイゼンと打合せしている。

 そう、ダイゼンとの会話……思いを馳せるのは時を遡ること46時間前、血盟騎士団(KoB)本部にある一室の休憩所はあり得ないほど賑わっていた。

 文句なし待ったなしのサシ対戦、無差別級初撃決着デュエル。第1回『アインクラッドで1番強い奴は誰だ!?』トーナメント、エキシビションマッチの開催が決定してしまったのだ。

 反論する俺と、楽しそうだから続行しよう! という他の3人。細部は省くが一方通行な問答ののち、その日はもう遅いということでKoBのギルド本部をあとにした。

 その後、時間を無駄にしたくないと、ダイゼンがあらかた形にしておいてくれたらしい。前金として1万コルを要求され、しかしざっくばらんに計算した見込み利益の期待値が損害額と同じ40万を軽く越えるということなので、俺は何も言えず求された通りの金額を手渡した。

 ちなみにヒスイの「あたしのためにジェイドが優勝して!」などという大胆な宣告はかなりマズかった。アスナに至ってはだいぶストレートに交際関係を聞いてきたので、今後の動向にはさらに注意しなければならない。

 注意するべきは主にヒスイの動向だが。

 そして嵐の2日間が到来した。

 3月21日。すなわちヒスイによる『ほっぺにチュー券』をかけたトーナメントを、まさかのKoB主催で開催されると宣伝されてから、ほんの数時間後の話である。

 なんと、募集開始1時間で参加者が2桁を突破したのだ。

 いったいいつ、どういった経緯で聞き付け、これほど早く応募しに来たのか聞きたくもなる。主催側として本当なら喜んでしかるべき俺も、思わず「攻略はどうした。ヒマなのかあんたら!」と口汚く罵ったものだ。しかも参加費は協議の結果8千コルと強気の価格設定になっている。少しは躊躇しないのか。

 とにかく、ダイゼンが本気を出して広めた結果、それはねずみ算のように瞬く間に蒼窮の浮遊城全般に広がった。

 トップランナーはファンクラブの男達だっただろうか。早速現れた参加者名簿のネームを見て、ヒスイが「うげっ!?」ともらしたのは記憶に新しい。きっと準攻略組か、それ以下のレベルしか持ち合わせていない彼らの参加を予想していなかったのだろう。

 攻略組の連中は忙しいのか、いきなり3日後に開催と言われてもそう簡単に予定は崩せないようだ。もっとも、強い奴らが参加しないのはとても喜ばしいことでもある。なぜならこのトーナメントには俺も参加して、さらに優勝して唇を守らなければならないのだから。

 自分の女の唇を守る、と言うと聞こえはいいものの、正直動機がショボすぎて泣きそうになる。

 もちろん、全てがうまくいっているわけではない。

 原因は優勝賞品の異質さである。

 初めの内は彼女がパワハラじみた圧力を受けているだの、KoBに弱味を握られているだの、その他多くの推測が飛び交って(ちまた)を騒がせた。その飛び火はレジクレにも直撃して、俺はメンバーへの配慮と野次馬根性丸出しのプレイヤーを両方相手にしていたものだ。

 しかし当の本人が元気そうにピンピンしていることと、単なる金目的である結論で落ち着くと、当初ヒスイへの心配から身を引いていた者まで遠慮なく参加を申し出た。

 1日目にして規定の64人に到達したということで、少し予定よりも早かったがその時点で参加者募集は締め切りとした。

 

「たった1日で64人も集まっちまった……つかお祭り騒ぎしたいだけだろこいつら」

「たぶんそうじゃない? ま、目に見えていたわ。アタシはあの子が乗り気でちょっと怖いぐらいよ、まったく……」

「そういうアリーシャも参加してるんだけどな……」

「そ、それはジェイドがチューしちゃうかもしれないから!」

「心配するとこそこぉ!?」

 

 アリーシャはむしろ堂々といった感じで言い切ったが、これは金を稼ぎつつヒスイの貞操を守ってウハウハしようという作戦のはずだ。だのに、なぜかこの女は俺の味方に付くどころか、俺以外の誰かを勝たせようとしている気がする。

 ……いや、これも違うのかもしれない。

 俺がほっぺチューを阻止したいと言った時、アリーシャはそれを守る必要はないといったニュアンスの言葉を放っている。

 俺は彼女の顔をまじまじと見てみた。「言い過ぎた」と言わんばかりに目を伏せるが、やはり何かがあると見ていい。

 俺がこのトーナメントに出場して優勝商品であるヒスイによる『ほっぺにチュー券』をかっさらうと言った瞬間、彼女だけは「ジェイドに渡すぐらいならアタシがもらうわよ!」とも言った。

 先ほどの発言と併せ、導き出される結論とは……、

 

「アリーシャって……ひょっとして……」

「や、ち、違うから! 別に2人が親密になっちゃうのが面白くないとか、そーいうのを言ってるんじゃないから!」

「じゃあやっぱアレか……ちょっとレズ入ってる?」

「どうしてそうなんのォっ!!」

 

 ドゴォッ!! と、腹を殴られた。たれ目の金髪カール女にこうも殴られた18歳もそうはいまい。貴重な経験である。

 うむ、3秒ぐらい息が止まったぞ。

 さてさて、彼女はそのまま機嫌を損ねて部屋から出てしまったのでご機嫌とり的後始末も大変だが、それとは別にさらに厄介事が増えている。

 まず現在時刻におけるトーナメントの参加者リストに、少なくない量の招かねざる客がいることである。

 《黒の剣士》として名を馳せるキリト……は、問題ない。むしろ彼はわざわざ招聘(しょうへい)した人物だ。

 嫌がるそぶりは見せつつも、やはり彼も押せ押せには弱いらしい。俺と当たった時点でその試合の勝ちを譲ってもらうよう示し会わせておいたのだ。死線を共にした仲でもそれとこれとは話は別。言うまでもなくタダとはいかなかったので前金を渡してある。

 ところで、俺はキリトの捜索に少々時間をとられていたりする。その原因は、彼がやけに中途半端な層で黙々と何かしらのスキルの練習をしていたからだ。人目につかないところを選んだということは、隠し玉の修練でもしていたのかもしれない。

 ともあれ、これで俺はキリトと当たった時点で次の試合に望めることになる。できれば勝つことが困難になってくるトーナメントの終盤戦でかち合いたいものだ。

 次は《SAL(ソル)》のリーダーことアギンの参加。

 こればかりは少々予想外だった。彼は古き戦友。よもや頭を下げれば頼みぐらいは聞いてくれると期待したが、いざアギンに会うと彼は「ほっぺにチュー券を取りに行こう!」なんて抜かしやがった。

 おそらくは本気でない。完全に俺への悪ふざけ。何かを含んだようにニヤニヤ笑いながら、ギルメンのフリデリックに呆れられていた彼は、明確な『敵』として俺の前に立ちはだかることとなる。客観的に大人げない年配者だったが、敵対するとなると普通に厄介すぎる。

 そして最後はギルド《風林火山》が代表、クラインの参加だろうか。

 彼についてはもはや要注意人物と言っていい。

 昔のよしみで彼のギルドホームを訪れた際……あれは参加者募集の初日の夜のことだ。時間帯的にも彼らにはすぐ会えて、早速件の頼み事を切り出そうとした。しかしクラインはどこかでその情報を仕入れたらしく、話す前から知っているようだった。

 そこからは簡単である。

 「オレは……ガチで勝ちにいく……」とだけ言われたのを今でも覚えている。

 人は悟りを開くとどこか豹変してしまうものだと戦慄した。悪い意味で格好よかった。

 その目に宿るのは冷徹にして、全てを灰塵(かいじん)と化す業火の戦意。狂信的盲執、強者の威嚇。赫焉(かくえん)の闘志と勝利への固執。自信に満ちた、ある種の勇者然とした佇まいからは、近づき難いオーラまで漂ってきた。

 俺はそっと扉を閉じて、それ以上頼むのをやめた。

 こうなったら仕方がない。解き放たれた猛獣はトーナメント本選で排除するとしよう。

 

「(ファッキンすぎるだろ、クソが……八百長にしてやろうと思ったのに!!)」

 

 やけに敵が多いのも人徳の成せる業か。主にネガティブな意味でだが。

 しかし愛する女の唇を守るために真っ先に八百長を企て始めるセコい男には、これが分相応なのかもしれない。

 それはそうと、参加者欄の最終列に刻まれた名前は多くの参加者の度肝を抜いていた。

 エントリーナンバー64、つまり最後のエントリーに載るプレイヤーネームは、なんと『アスナ』。そう、《閃光》や《攻略の鬼》として知れ渡る、そして超絶美少女フェンサーとして人気を博するKoBがサブリーダーの彼女が、この滅茶苦茶くだらないトーナメントに参加を表明したのだ。

 ――いや~、まいったまいった。

 こればかりは予想外だった。他とははるかにレベルを画する予想外度数である。原因は俺にあるような気もするが、とにかく数時間前にその場で話した俺とアスナの会話を再現してみよう。

 

『わーすごい、結構順調に集まったじゃない? よかったわ、成功しそうで。これなら40万なんてあっという間に返せちゃうね』

『わーすごい……じぇねーよ、まったく。俺の場合優勝してなんぼだからな。じゃないとヒスイがどこの馬の骨とも知らない男と……うぅ、それだけは……』

『やっぱりギルドのリーダーとして阻止したいの? でもヒスイは困ってるジェイド君を見て楽しんでたような気がするけど』

『ま、まぁだいたいそんな感じだ。あいつもたまにメーター振り切るんだよ。あ、けどギルドのみんなも協力してくれるってさ。あとキリトも。数でゴリ押せば怖いものなんて……』

『ち、ちょっと待ちなさい! キリト君が参加するの!? キリト君がヒスイとち、チューするためにトーナメントに出るの!? キリト君が!?』

『え、あ……まぁ、そうだけど。けどあいつも俺と当たったらその時点で……』

『うそ……そんな、何かの間違い……でも、いえ、悠長なことは言ってられない! 勝って止めればいいんだわ。そうよ、わたしがキリト君に勝てばいいんだ……!!』

『もしもーし……?』

 

 以上、終わり。

 彼女はダッシュで参加を表明し、ギリギリでその名前を一覧に載せましたとさ。ちなみにダイゼンは喜んでいた。

 どうもアスナにとって、キリトの参加は一大事だったらしい。現在、彼女は「ヒスイに優勝してくれと頼まれた」という参加動機で通しているらしいが、それはそれでもっともな感じがするので怖い。だがもし、それが本当だというなら俺と当たったら勝ちを譲ってほしいものである。おそらくヒスイは俺の優勝を何よりも願っているはずだからだ。……はずだからだ。

 それとも、俺の優勝を疑っているから保険をかけたのだろうか。俗に言う『友チュー』というやつで、ヒスイもアスナのほっぺにならあまり気にせずチューぐらいできるだろう。しかしだとしたら相当ショックである。自信がなくなってきてしまった。

 

「(いやいや、俺が信じないでどうするよ!? ぜってぇ勝ってやる!)」

 

 俺は1人、変人のようにいきなり立ち上がって拳を握りしめた。

 ちなみにリズからも謝罪が来た。自分のために借金までしてコルを渡してくれたのに、その責任を他人が取るというのだから、よほど図太い神経をしていなければ罪悪感ぐらいは湧くだろう。だがヒスイはギルド全員を巻き込んでミスをしたのだから償いは当然、と言って聞かなかった。

 どうやらリズに直接貸した45万は本人に返してもらうにしても、自分が借りた《貸金屋(マネーレンダー)》からの40万はなんとしてでもヒスイ自身が身を呈して取り返したいらしい。

 リズは憮然としながらも再びヒスイにお礼を言って、熱烈なハグをして去っていった。なぜ抱きついたのかは不明だ。そう言えば過去にヒスイは「女の子からもモテるのよね~」などと言っていたが、今回のケースとは関係ないことを祈ろう。

 ちなみにちなみに、その後はアルゴも走ってきたことをここに知らせておく。

 よもや彼女に謝るようなことはないと思っていたが、本当に謝りに来たのではなかった。なんと、この面白そうなイベントをふんだんに使って荒い稼ぎ方をしているらしい。心底幸せそうに「ぼろ儲けだヨ! ありがとナ!」と言ってきた。

 疲れていた俺は、尻を蹴って追い返すのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 翌日、早朝の10時。『鉄の都』たる55層主街区《グランザム》で、かねてより開催を予告していた『アインクラッドで1番強い奴は誰だ!?』トーナメントが盛大に幕を開けた。

 辺り一面から拍手が巻き起こる。

 一面という表現を使ったのは、すでに観客の数が300を越えているからだ。

 四方200メートルほども空けている主街区の一角で、エキシビションマッチの開会式は開かれている。

 確かに数だけなら内包しきるキャパシティを備えているのだろうが、実際に観戦を楽しもうというプレイヤーがここまで多いとは思わなかった。試合の始まる前段階でこれ(・・)なのだから、30分後の1回戦目ではさらなる観戦者の増加が見込めるだろう。ダイゼンは視聴料として500コルを巻き上げているはずだから、これだけで15万の儲けが期待できる。

 ここでダイゼンの声が聞こえてきた。

 

「あ、あ~……んん、え~お集まりの皆様こんな朝早くからお越しいただきありがとうございます。では宣伝用の広告にも掲載されていたことですが、簡単なルール説明をしようと思います。声は大きくしていますが、遠くにおる方は声の届く範囲まで近づいてください。……では。基本的に武器以外では、攻撃力の設定されていないアイテムやフィギュアを使うのはなしでいきたいと思います。飛び道具はアリですが〜、《煙玉》や《閃光弾》はなしにしてください。観客が見えませんので!」

 

 ここでプレイヤーの中でどっ、と笑いが起こる。

 話し方も相まって、ダイゼンがMCを兼任したのは正解だったのかもしれない。

 

「まぁ他にもHP回復系アイテムや《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルもあきまへんで。時間短縮の処置ですのでご勘弁を。改めることでもないでしょうが、トーナメントのデュエル形式は《初撃決着モード》です。長期戦を避けるよう、試合の制限時間は2分。ベスト8からは3分とします。リングは設けてあるのでその範囲内で戦ってもらいますが、あくまで決闘の演出です。万が一場外になっても、5カウント以内に復帰すれば敗北にはなりませんのでご安心を。待機される選手は試合の邪魔にならないよう……」

 

 ここからはほとんど広告やチラシに書いてあったこととほぼ同じことだった。ダイゼンは『音声拡張』系アイテムを使い、遠くのプレイヤーにも声が行き届くよう配慮している。事前に準備ができていたということは、これだけの人数が集まることを彼は前もって予想していたようだ。

 ちなみにダイゼンが演説をする壇上の左右には、プレイヤーが実際にデュエルをする試合会場が設けられている。形はボクシングで用いられるリングに近いだろうか。つまり、トーナメントは2分割されて2試合が同時進行で行われるのだ。《グランザム》にちょうどいい会場があったからと言っても、彼の手際のよさには感心する。これが経理の仕事というものか。

 そこで相も変わらず全身黒装備のキリトが人混みを掻き分けて俺の方に近づいてきた。しかし、毎度こういったダークカラーの装備はどうやって探しているのだろうか。

 

「こういう人混みでも《追跡》は便利だな」

「よ、キリト。てか目で探せ、目で。……まあ実力は認めてるんだ。なるべく倒しまくってきてくれよ」

「そう期待するなって。それに、対戦くじには細工できないんだろ? ならジェイドがいきなり連合のエルバートと当たる可能性だってあるわけだし……」

「エルバート……って言ったらリンドの右腕じゃねぇか!? そんな奴まで参加してんのか。知ってる名前だけマークしてたけど、こりゃ全員分把握しといた方がいいな」

「お、早速1回戦が発表されるみたいだ。聞いとこうぜ」

 

 いつの間にやら盛り上がりもヒートアップしていたようで、ランダムに選考されたプレイヤーの名前がクラスAとクラスBに分けられ、1人ずつ読み上げられていった。

 クラスA、すなわち俺達選手側から見て左のリングで戦う選手の名前に聞き覚えはなかった。人混みの中から「リーダー頑張れー!」だの、「ギルドの名前を売ってこい!」だの聞こえることから、彼らもどこかのギルドに所属しているのだろう。

 と、そこへ信じられないことにクラスBの1人の名前が……、

 

「クラスB第1回戦、選手名は『ジェイド』ーッ!!」

「うげ、初戦かよ」

 

 俺の名が呼ばれていた。

 仕方がないのでプレイヤーを掻き分けて右側のリングへ歩く。そこへ間髪入れずにダイゼンが2人目の名前も読み上げられていった。

 

「対する相手は~……選手名『キリト』ーッ!!」

『えぇええええええッ!?』

 

 ほんの数メートル離れた位置で、俺とキリトが悲鳴にも近い驚きの声をあげた。

 今ダイゼンはなんと言った? 俺とキリトが最初からかち合うだと?

 これはヤバい。作戦がパァだ。

 よりにもよって……これでは高い金を払って八百長を画策した意味がない。初戦は切り抜けられるだろうが、それこそ最初の1回戦ではそこいらのミドルゾーンのプレイヤーと当たりたかったものだ。そうすれば結局は同じことである。

 それともこれは、真面目に参加した人に対してズルで勝ち上がろうとした俺への天罰だろうか。

 トーナメントは1度取り決められたら覆せない。どう足掻いてもこのまま行くしかない。

 

「ではBクラス1回戦……ファイ!!」

 

 KoBの審判と思しき人物が、俺とキリトの可視化されたデュエルウィンドウのカウントダウンに合わせて試合開始の合図を宣言する。

 もちろん、言われなくてもデュエルは勝手に始まるのでこれは必要ないのだが、観客がいることを考えて演出性を重視しているのだろう。集中力は削がれるが仕方あるまい。

 実際その試合はあっという間にケリが付いた。

 やる気のない無気力状態のキリトを、俺が怪しまれない程度に加減して攻撃するだけだから当然か。しかし明らかに本気を出していないことぐらいは伝わってしまったらしく、観客からはブーイングが巻き起こった。主に何のために出場したのか不明なキリトに対してだが。

 

「すまんキリト、損な役割だよな……」

「ソロだから気にしないさ。それにクリスマス前からこれまで、いい評判なんてこれっぽっちも聞かないしさ。……それよりジェイド、あとは自力で何とかするしかないんだぜ? 頑張れよ」

「おう、こっからは俺らレジクレだけで何とかするよ。……あれ?」

 

 そこで俺はクラスA側のリングに上がる人物がカズであることと、その対戦相手が強豪プレイヤーで優勝候補の1人でもあるエルバートだということに気づいた。

 DDAのエルバート。シルバーに変更された髪を左側だけ大胆にピンで上げてバックへ流し、一房垂れる前髪を女々しく揺らすキザな野郎だ。しかし自信満々にでかい態度を取るだけあって、奴の()る片手直剣捌きは見事なものである。おまけにお調子者のような容姿に反して生粋の努力家で、隙や油断を見せない堅実な戦法が評価されているのか、仲間内からは異様に人望も厚い。

 だがその事実を知るカズの顔からは、完全に生気が引きつつあった。

 

「(おいおいマジかよ、1発目からエルバートとか勝てるわけねーだろ。……つかヤベーぞこれ、用意した手札がじゃんじゃん消えていく……勝てんのかこれ……!?)」

 

 言っている内にカズはエルバートに競り負けして1本とられてしまっていた。これで俺と当たった時に俺に勝ちを譲ってくれるはずのプレイヤー3人の内2人がいなくなったことになる。

 幸いと言うべきか、クラスBで呼ばれていた2回戦目のプレイヤー、つまり次の俺の対戦相手となるはずの人は、記憶が正しければどちらも中層を主戦場としているギルドの一員だった。どちらが勝ち上がっても次の試合はもらったものだろう。

 それから次々と選手の名前が読み上げられて――ちなみにアリーシャはクラスBの3戦目だった――いき、プレイヤー同士の戦いはどんどん白熱していった。クラスBの中盤ではアギンの名前が、その終盤ではジェミルの名前がそれぞれ挙がっている。

 そしてクラスBの1回戦最終試合はクラインだった。と言うことは、彼が勝てば同じく1回戦を突破したジェミルと当たることになる。

 クラスAの終盤戦ではようやくアスナの名前が挙がっていたが、彼女の戦意はすでに薄れていた。

 そもそも彼女の参加動機がすでに曖昧なのだが、少なくともやる気をなくし始めたということは、どうしてもヒスイのチューが欲しいわけではないと判明したわけだ。地味に収穫である。

 現にアスナの参加を知らなかった客からは、その意外な名前が出たその瞬間に黄色い歓声が寄せられていた。《攻略の鬼》の出場はやはり話題性が高い。

 そこへカズがショボショボと俺の方へ歩いてきた。

 

「ごめんよジェイド。僕全然力になれなかった……」

「いやいいってことよ。元より俺の都合だし、どう考えても初戦の相手が悪かったしな。エルバートは強えよ。あとはこっちで何とかするさ」

「うん。それにやっぱりジェイドが勝たないとね。何と言っても王子様のキスなんだから!」

「やかましい」

 

 そんなことを言いつつ、次の対戦者として名前を呼ばれたのでリングに上がった。

 対戦は順調に終わり、《ガイアパージ》を装備した俺はその性能差とレベル差によって理不尽な勝利をあげる。ファンクラブの一員だったのか、開始と共にヒスイと同じギルドに所属していることを散々叩いてきた。

 だが、それどころではなかったので俺は瞬で決める。

 敗者は納得していなかったようだが、これは無差別級のトーナメントである。リングにちなんでボクシングで例えるなら、フェザー級とヘビー級の選手が戦うようなもので、覆しようのないレベル差には我慢してもらうしかあるまい。

 しかしここで誤算だったのは、アリーシャが2回戦を難なく突破してしまったことだろう。そしてその燃え上がる闘志の先が俺に向いているようで、もっぱら昨日の失言のことをまだ根に持っているようだ。

 しかもまだ2回戦だというのに、ジェミルまでクラインの餌食となっているのが確認できた。これにより俺は、俺の用意したズルのほとんど無駄に全てを消費したことになる。

 ――これマジヤバい。

 

「(おいおいおい、アギンもフツーに勝ってるし相当キツいぞ……。てかクラインのあの暴走はなんだ? ジェミルとの実力差なんてなかったはずだぞ。それに……レベルや装備で勝ちを拾ったというよりは、気迫で押し通ったような気がしなくもないし……)」

 

 考えているうちにそばかすっ子のサポーターが帰還。

 得意分野の関係上、こうした1on1では圧倒的に不利であることに違いはないはずなのに、負けず嫌いのゲーマーらしくかなり悔しがっていた。

 

「うぅ……クラインさんに完敗したぁ。何でかなぁ、いつもより断然強かったよぉ」

「おうジェミルおつかれ。たぶんあれは規格外だから気にするな。愛のパワーってやつだよ」

「愛のパワー……?」

 

 あまり世間一般的に使われている愛のパワーではなかろうが、当たらずも遠からずだろう。

 とにもかくにも3回戦。俺はリングに上がるとアリーシャと対峙していた。

 ゴールドに近いそそるような淡い茶髪が毛先だけウェーブを描き、恵まれた体格を十分に自覚した挑戦的な甲冑がかすかな金属音をあげる。しかし戦意だけがひしひしと伝わる視線を寄越すだけで、アリーシャは何も言ってこなかった。こうして無言の彼女を改めて見ると、モデルがコスプレでもしているのかと錯覚してしまう。

 むしろ観客からの野次の方が気になり、「レジクレ全員参加とかナメてんのか!」や、「何があったか知らんが、ギルドの責任をヒスイさんに押し付けるなよ!」や、「アリーシャたん、好き!!」や、「つかジェイドくたばれェ!!」など。そのテンションはむしろ他の選手よりも高かった。

 俺に暴言を吐いた奴を表に出してその喧嘩を買いたいところだが、今はアリーシャに集中しなければならない。気を抜いたら殺られるのはこちらだ。

 とは言えこれも無駄な対戦くじ。こうなったら最後の交渉でもしてみるとしよう。

 

「な、なぁアリーシャ……その、あと30秒で試合、始まっちまうよな……」

「…………」

「ああ~、昨日はさ……なんだ。同性愛者って言ったの、悪かったよ。だから……」

「……絶対倒す……ッ!!」

「(うわぁ……)」

 

 頬を赤く染め上げ闘志に燃える彼女を見るに、どうやら俺の交渉は逆効果だったようだ。昔から作戦が裏目に出るということはままあったが、こうも空振りしたのはここ最近ではなかったはずである。

 時間はない。もはや全力でのバトルは避けられまい。

 そしてとうとうカウントダウンが終わる。

 

「ええい、こうなりゃやってやる! 悪く思うなよアリーシャ!」

「そんな! アタシを本気で斬るって言うの!?」

「うっ……いや、だってこれ試合だし……」

「スキありィ!!」

「うォああああああッ!? 」

 

 ブオン! と、片手剣が前髪を掠めて振り抜かれた。

 危なかった。掛け値なしで一瞬にして敗北するところだった。あとほんの少しアリーシャの作戦に気づくのが遅れたら、俺は開始1秒でこの上ない屈辱を味わっていただろう。

 やはり彼女もSAOの前線で逞しく生きる女戦士ということなのか。可愛らしいたれ目と、およそ戦士に似つかわしくない豊満な局所は緊張感を削ぐが、その奥に秘める炎は決して他の攻略組に劣るものではなかった。

 

「いや、でも今のは汚ぇぞアリーシャ!!」

「チッ……」

 

 とうとう舌打ちが出てきた。

 うむ、これは四の五の言っている場合ではない。勝つためなら手段を選ばず、だ。

 

「アリーシャ……下の奴がメモクリでパンツ撮ってるけど」

「え、うそっ!?」

「スキありィいいいい!!」

 

 ズパン! という小気味良い音がすると、ウィナーメッセージと共にブザーが鳴った。

 アリーシャのHPは10パーセントほどしか減っていないが、システムが試合終了の判断を下したと言うのは初撃を命中させたからだろう。こいつはラッキーだ。

 しかし、周りのプレイヤーからはまたしてもブーイングの嵐が起こった。

 

「ずるいずるいずるい! 今のはなしよ! あぁん悔しい~!」

「フッハッハッ、なんとでも言うがいいさ! 言い訳はあとで聞いてやるよ!」

 

 俺は逃げるようにリングをあとにする。中央の壇上にこれ見よがしに座らされたヒスイが深い溜め息をついたような気がしなくもないが、あえて見て見ぬふりをしよう。

 とうの昔に気づいていたことだが、ヒスイとアリーシャを抱え込むギルドリーダーの俺は目の敵にされ易い。現に俺が勝った時はもちろん――だいたい不意打ちだし――選手入場の時点でバッシングを受けていた。どうやら目の前でヒスイが俺にチューをすることを頑として止めたいのだろう。

 だがキリトではないが、俺とて元から評判は悪い。ここで人様の目線を気にしてヘタに手を抜いたりしようものなら、それだけで俺は損をするのだ。この際あと戻りはできないのだから、周りからどう罵られようとも絶対に勝ちを拾いにいかねばならない。

 

「(さ~てとりあえずこれで3勝、と。でもこれから3回も勝たんといかんのか。……これ人数集めすぎたんじゃねぇのか……?)」

 

 とは言っても、最強な男が現れるわけでもなければ、そもそも2トップのギルドリーダーは不在。おまけに、大規模にしなければKoBとしても宣伝効果にならないし、これだけの人数が来なければ儲けもでない。端から3日で40万コル稼ぐというのは一筋縄ではいかない。

 そこでふとクラスAの戦いが目に入った。エルバートが3回戦を突破するのは予想済み。今はアスナが戦っている。相手は……これも聖龍連合のメンバーだろうか。エンブレムは連合のものだ。想像以上の参加率だが、中々どうして彼らもこうした娯楽は(たしな)むらしい。

 そして同時に決着も付いた。勝者は際どいところでアスナ。やはり対人戦ともなれば、いくら実力が高くても時の運と一瞬の判断で勝敗は別れるからだろう。気を抜いているのなら、俺がヒースクリフに完勝する可能性も決してゼロではないのだ。

 

「アスナ相手に案外といい試合だったな。……なんか燃えてきたぜ」

 

 ヒスイのチューや優勝商品がどうこうと考えているプレイヤーもまだいるだろうが、それよりも熱気が向けられるは試合の行方に傾きつつある。

 これが戦闘に身を馳せるバトラーなのだ。俺が預かり知らないだけで、客の中では非公式の賭けもされているだろう。

 クラスA、Bともに3回戦が終わった時点で昼休憩となった。俺は弁当を支給されているヒスイを除くレジクレのメンバーと箸を合わせていて、おもいっきりピクニック気分である。本日はジェミルとヒスイが共同で作成した弁当で、黒い箱がバスケットから出された時点でほどよい香りが漂ってくるが、作った本人が食べられないというのも皮肉なものだ。

 もっとも、ヒスイはヒスイでアスナと楽しそうに昼メシを食べているので心配はいらないようだが。

 

「たまにはこういうことがあってもいいよねぇ。ボクは2回戦で負けちゃったけどジェイドはこれで4回戦目だしぃ」

「ま、俺がアリーシャと当たった時点でメンバーが4回戦に出れるのは決まったようなものだしな。アリーシャも剣の振りとかもセンスよくなったんじゃないか?」

「当然よ! アタシだって強くなってるんだから。……あとさっきはごめんね。あ、でもジェイドも悪いんだからね? お弁当が美味しいから許してあげるだけなんだから!」

「……了解した」

 

 もぐもぐと口を動かすアリーシャに対し、俺はやや納得のいかない風に納得の意を伝えた。

 ちなみに休憩時間は約30分。前線に生きる者達にとってこの時間は長すぎるものであったが、まだ生き残っている8人のプレイヤーは次の対戦相手とその戦闘スタイル、または勝ち筋の確立など時間を有意義に使っている。

 ベスト8に残ったはいいが、俺としてはベスト8も準優勝も同じだ。優勝して恋人であるヒスイからチューを……いや、さすがに大衆の面前でそれは非常に恥ずかしいのでパスするにしても、少なくとも他の誰かにそれをされるのを阻止しなければならない。

 そして午後12時30分、休憩時間が終わる合図が出された。

 8人の選手は壇上前に呼ばれ、そこがこれからの待機場となるようだ。いい晒し者であるが、そこへ隣に並ぶアギンがヒソヒソと話しかけてきた。

 

「ようジェイド、何だかんだでおれらガチでやりあうことってなかったよな? せっかくのチャンスだ、お互い悔いの残らないように頑張ろうぜ?」

「とか言いつつ、ずいぶん念入りに俺のこと調べてたじゃねぇか。勝算ありきだろ?」

 

 しぶしぶ答えてやると彼はとても楽しそうに答えた。

 

「なっはっは。ていうか背中の《ガイアパージ》はおれも知ってるぜ。ハーフのボスドロップで《魔剣》……警戒すんのは当然だろう? 昔からシミュレーション系は好きだったんだ。そんで、迫り来る壁をばっさばっさと斬り捨てて、最後はヒスイさんとぶちゅ~っと一発……」

「言わせねぇよ!!」

「んだよ、夜な夜な2人でよろしくやってるんだろ? 今日ぐらいいーじゃねえか」

「逆に聞くぞ。アギンは銀行に1000万の貯金があったとする。100万までなら取られてもいいか?」

「うぐっ……」

「そういうこった。てか、よろしくやってねーよ」

 

 俺とヒスイは恋仲にある。これは確かだ。

 しかし踏み込んだ愛情表現はお互いの頬にキスをすること、つまり今回の優勝者に与えられる権利と変わらない。ヒスイも少なからず俺の非積極性に腹を立ててこのような意地悪をしているのだろう。これについては反省しなくてはならない。

 なれど、それはアギンに勝ちを譲る理由にはならない。

 

「では選手の方はデュエルの申請を……」

「なぁジェイド、今日はこんなトーナメントだけどさ、おれはお前のこと色んな意味で認めてるんだ。今回ばかりは女のこと忘れて全力でやろうぜ?」

 

 向かい合った状態で、わざとらしく格好つけて腰のスカーフを(ひるがえ)らせつつ、高身長赤メッシュの残念イケメンさんは低いトーンのままそう切り出した。

 俺も彼の目を見てはっきりと言い返す。

 

「……ハッ、言われなくても!」

 

 トーナメントマッチ準々決勝が始まる。

 本格的な戦いは、むしろこれからだった。

 

 

 



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第78話 バトルトーナメント(後編)

お気に入り数が950を越えました。皆様いつもご愛読ありがとうございます。


 西暦2024年3月10日、浮遊城第55層(最前線57層)。

 

「では準々決勝を始めます……ファイ!」

「うっしゃあ、やったるぜ! かかってこいジェイド!」

「そぉい!」

「ぬをォっ!?」

 

 デュエル開始と同時に俺はホルダーに取り付けておいた大量のピックの内1本を投げた。尻餅をついたアギンには際どいところで命中ならず。惜しい。アギンは俺のあまりにも(こす)い一撃目に色んな意味で驚いていた。

 そしてジャックナイフでも取り出すように立ち上がると、早速文句を言う。

 

「ちょ、正々堂々やろうってのにいきなり飛び道具使う奴がいるか! 剣を抜け、剣を! それは何のためにあるんだよ!」

「知らん、勝てばいいのだ」

「く、こんのやろっ……あァそうかよ、そっちがその気ならこっちも遠慮はしねぇ!」

 

 アギンが腰に帯刀していた曲刀(シミター)を抜刀する。長く苦楽を共にした仲と言えど、男が剣を構えた以上奴も本気だ。そして歴とした古参の攻略組でもある。ここで彼と正面切って戦い抜くというのなら、こちらもそれなりの被害を覚悟しなければならない。

 アギンがシミターを構え、俺は背中の《ガイアパージ》に手をかけた。

 緊張が高まる。先に動いたのは俺だった。

 

「せいっ! せいっ!」

「え……うわ!? ちょ、何本持ってんだよ! 貫通継続ダメージだけでおれに勝つ気か!?」

「うん。ソウダヨ」

「きったねェええええええッ!?」

 

 アギンはとうとう絶叫する。俺はそれをそこはかとなくスルーして、本日だけ両足に取り付けたパンパンに膨れ上がっているホルダーから、同じく《投剣》スキルを持つジェミルやカズより拝借したダガーなども投げてみる。

 やはりダガーのヒット時はピックよりもダメージが大きい。《投剣》のソードスキルを使えばもっと効率よくダメージが通るのだが、今は物量で押しきる戦法がベストなので単発威力の低下は仕方あるまい。

 俺は猛烈な批判を審判からすらも浴びる中で、涼しい顔をして手を動かし続けた。アギンが俺を追いかけ、逃げる俺はアギンの「痛っ! いてっ!」という悲鳴を聞きながら、無感情無表情かつ無惨無慈悲に飛び道具を投げまくる。

 しかも外れた武器は観客の方へ飛んでいっている。コードの庇護(ひご)により直前で弾かれるとはいえ、これで批判を浴びないはずもなかった。

 そして本格的に戦闘が始まる頃には、アギンは2割ほどHPを減らしていた。

 

「う~ん100本は投げたかな」

「てかジェイドてめェ! わざと場外に出てただろ! 何のためにリングが用意されてると思ってんだ!!」

「え、5カウント以内に復帰すればルール違反じゃなくね?」

「うぅわ、お前それでも剣士かよ!?」

 

 頭にダガーが突き刺さったギャグマンガのような格好でそんなことを言われても、《両手用大剣》装備は元より対人戦には向かないのだ。俺より有利なシミターを選択している時点で、これぐらいのハンデはあってもいいはずである。

 良いも悪いも彼の意見など聞く気はないが。

 それから激昂したアギンは俺を叩きのめす勢いでシミターを振り回し続けた。準々決勝から試合時間は3分に延長されていたが、その内2分を回っていたので慌てたのだろう。

 しかしそこはさすがき振りの早いシミターによる攻撃だ。なんとかリーチの差と武器の比重を活かして応戦してみるものの、俺がアギンの体力を20パーセント減らしている間に俺は30パーセントも減らされてしまっていた。やはり武器による優劣は覆らないか。

 強攻撃ヒットが出ないまま制限時間の9割が過ぎる。

 時間一杯まで逃げ切れればギリギリ勝利だ。だがここで後手に回れば確実にやられる。

 

「ゼィ……ゼィ……あんだけ投げまくったのによくやるぜ……こうなったら……ッ」

 

 俺は伸脚の姿勢を下半身で作りながら《ガイアパージ》を真上に投げた。

 アギンの注意がほんの1秒ほど上に向く。

 その直後、後ろに構えた右足が発光。《体術》専用ソードスキル、中級単発突進攻撃《凱膝華(ガイシッカ)》が放たれた。

 彼はギリギリ俺の意図に気づいたが、完全回避には至っていない。

 突進系、突撃系ソードスキルによる間合いの消滅。コンマ数秒の世界で5メートルを縮め、俺のいわゆる『膝蹴り』技は見事にヒットした。

 だがこれも古い技だ。無防備な顔に命中したというのに、ほとんど体力を削れなかった。

 

「野郎ッ、時間稼ぎか!」

「(やられる……ッ!!)」

 

 メインアームを投げ捨てているので、俺はこれ以上のダメージを期待せずタックル体制に入った。

 そして相手が反撃の一歩を踏み出すのと同時に、俺も両足に力を入れる。

 ザシュッ!! と、相手のシミターが肩口に浅く突き刺さる。俺は構わず全身で体当たりを敢行し、お互いはもつれ合いながらリングの上をごろごろと転がった。

 回転が止まる。上に跨がっていたのはアギンだった。

 彼がシミターを逆手に構え、俺をめがけて降り下ろす。

 雄叫びを上げつつ腹の底から空気を抜いて限界まで体を回転させた。

 すると、どうにかしてクリティカルヒットを避け、追撃を躱したことでガンッ!! と剣が地面に突き刺さる。

 俺はその隙を見逃さず、刺さったシミターの『柄』の部分をがっしりと握った。

 またしても泥沼の攻防戦が広がる。このシミターを手にした方が勝つ、という認識を両者が持っていたからだ。

 果たして俺は、体勢の悪さからあえなく手を離してしまう。

 アギンが勝利を確信した顔で俺の方を向いた。

 その時……、

 

「ハァ……この勝負、もらったぜジェイド……ッ」

「タイムアウト! 試合終了! 体力残量により勝者ジェイド!」

「えぇええええええええっ!?」

 

 アギンがまたもギャグマンガの一コマのように、顎を広げて両目を突き出して驚いていた。

 アギンはまだ実力を出しきっていないし、制限時間など設けられていなければ今の試合は確実に俺が負けていたのだ。しかもその体力残量とやらは超僅差。立場が逆なら俺とて悔しくもなる。

 だが事前にルールによる穴をついた作戦を立てた俺の完全なる勝利だ。

 俺は大の字になって勝利を噛み締めた。観客の中にはヒステリックな声をあげて悪罵を浴びせる者もいたが、正直勝利した以上どれだけ罵られても構いはしない。

 

「ハァ……ハァ……あっぶねぇ。ギリギリかぁ……まだ……ハァ……4回戦だぞ……」

 

 そこへすかさずアギンが割り込む。

 

「ったく、穴だらけの戦法を思い付くもんだ。これ途中でどれか1つでも失敗したらあっという間におれの逆転だぜ? 最後の数秒で決めきれなかったおれの敗けだな……」

「……悪いな、なりふり構ってるほど余裕ねェんだわ」

「わかってるよ、人の女には手を出さんさ。それに、この世界じゃ現実と見た目変わらないんだろう? あの歳の娘に手を出したらおれ犯罪だっての」

 

 人の女に手は出さない、とアギンは言った。

 やはり現実世界での職種がその目を養ったのか、見抜かれた俺にも気恥ずかしさはなかったが、それよりもわかっていてなお俺の壁として立ちはだかろうとする辺りが彼らしい。

 

「ハァ……へへっ、まったく……なら加減してくれってんだ……人が悪いぜ」

「人がいいんだよ。本気でやったから価値があるんだろ? ほら、寝てると次の試合のジャマだ。手貸してやるから……お、見ろよ。クラスAはKoBのサブリーダーさんがメッタ刺しにしてるぜ」

 

 手を借りて立ち上がりながら隣のリングを見ると、彼の言う通りアスナの優勢だった。と言うより、対戦相手は攻撃を躊躇っていた。女性だからだろうか。ともかく、トーナメントクラスAの準々決勝勝者はほぼ決まりだろう。

 俺は入れ替わりでリングに立つクラインを見上げた。彼も、次の試合相手となる俺を少しだけ一瞥(いちべつ)する。

 その瞬間、ゾクッ、と背中を悪寒が走った。

 凄まじい闘志だ。人間の戦いはマシーンのそれとは違い、高い闘志はそのまま戦力にもなる。今の彼ならヒースクリフの鉄壁も何とかしてしまうのではなかろうか。

 俺はこの試合を本気で視察するつもりで眺めた。

 試合はあと30秒で始まる。

 

「(さて、見せてくれよクライン……)」

 

 試合開始のブザーが鳴った。

 腰溜めに構えるクラインと、下段で構える対戦相手。スタンダードな展開でもあるが、お互いが同時にソードスキルを発動する状態だ。

 クラインが若干早い。必然的に隙を生むソードスキルを初っぱなから発動したということは、あれらは中途半端な汎用技ではない。超多連撃技か、単発の突撃系ソードスキルだろう。前者は勝つにせよ負けるにせよ決着が早く着きやすく、後者は技がヒットしなくても距離ができることから失敗のリスクが比較的少ない。

 ほぼ同時に加速が始まる。

 クラインが先に振り抜く。曲刀及びその派生系の武器にしか出し得ない技だ。対する刺突剣(エストック)使いのプレイヤーはクラインによる予想以上の加速度に対応しきれないでいた。

 一瞬の攻防。

 耳鳴りが襲ってくるほどの高音が響き、瞬きの間に距離を縮め、またすぐに距離を空けた彼らがそこで技後硬直(ポストモーション)を課せられる。

 どちらの技もお互いにクリティカルヒットしていたが、勝敗は誰の目にも明らかだった。

 これは《初撃決着モード》。先に初撃を命中させたプレイヤーが勝利となる。

 そして試合終了のブザーが鳴った。

 ウィナーウィンドウのネーム欄にはクラインの文字がある。審判が高らかに勝者を宣言すると、静まり返った観客席から歓声が響いた。

 勝負は1秒ほどで終わってしまったが、今の試合がいかにハイレベルな攻防戦だったのか、それが前線に生きるプレイヤーには理解できているからだ。俺はというとそのあまりのエキサイティングな戦闘に鳥肌が立っていた。

 

「(おいおい、もれなく絶好調じゃん。あれに勝てってのか……?)」

 

 ベスト8からは攻略組による攻略組だけのトーナメントと言っていい。勝ち抜いたクラインも、エルバートも、アスナも、もはや誰と当たっても勝算など薄い。お調子者のクラインであれば武器種による不利を踏まえても多少望みはあるかと皮算用していたが、その認識すら甘かった。

 誰の実力にも大差はない。

 

「(《暗黒剣》を使うか? ……いや、それは……)」

 

 《暗黒剣》。斬り口が重なるか、場合によっては1度の斬撃で部位欠損(レギオン・ディレクト)を狙え、ディレクトが起きればまず間違いなく勝てる。そもそも《暗黒剣》を使えば、それだけで動揺という名の隙を誘うことができる。

 だが、これはもうしばらく秘密にしておきたい。キバオウとの約束というのはもうほとんど意識の外で、俺はこの力に多少なりとも醜い独占欲を抱いていたのだ。少なくとも、こんなしょうもないプレイヤー同士の戦いで見せびらかすのはいただけない、と思うほどには。

 まったく、我ながらずるい男だ。あれだけ身勝手にヒースクリフに食って掛かっておいて、今度は俺自身が無意味に奥の手を晒すことを忌避(きひ)しているのだから。

 しかもここ1ヶ月間でいくらか見せてきた、すなわち口封じができた今まで――逃げたシーザーまでは知らないが――と今回とではケースが違う。

 《暗黒剣》なしで戦う。これは決定事項だ。

 そんなことを考えていると、人垣をかき分けてお使い係が帰ってきた。

 

「ハァ……ハァ……あ、ジェイド。はいこれ、街に売ってたピックを買ってきたよ。さっきジェミルとアリーシャさんが試合中に飛んでいった飛び道具をなるべく回収してたみたいだから、それも持っていくよね?」

「……ああ、けど軽くて本数を稼げるピックだけでいく。同じ策は通じないだろうからな。あとはいかにして俺のペースに持ち込めるか……」

 

 相手がどれだけ強くても、戦う前から諦めたことはない。ブザーが鳴って俺の敗けが確定するまで、足掻くだろう。

 俺なりの勝ちコースを頭に浮かべ、次なる戦いに挑む準備をした。

 そしてついにその時が来る。

 ベスト4の選手が全員リングへ上がる。この試合までは同時進行で、3位決定戦と決勝戦のみが1つずつ消化する取り決めになっている。

 見ると、客層はほとんどクラスAに流れていた。やはりKoBの右腕とDDAの右腕を務める実質サブリーダー同士の戦いだからだろう。事実上の決勝戦という見解も強いようで、人気があるのは仕方がない。

 俺は外界のノイズをシャットアウトし、目の前の猛獣に意識を集めた。

 

「クライン……レジクレのことをうらやましがってたけど、ヒスイやアリーシャといるのにはきちんと理由がある。だからこの戦いもマジで行くぜ?」

「……へっ……」

 

 俺の挑発を受け、クラインは初めて真顔を解除すると微笑を浮かべた。

 

「苦節25年……人生の春を味わうことのなかったオレは今日、この3月をもって春を迎える。例えジェイドでも倒して進む。それは変わらんのだよ」

「いやその根性はマジで感心するけど、勝利イコール恋が結ぶとかいう考えはかなりデンジャラスだぞ」

「いやいや誘導しようったってそうはいかん。チューはオレがもらう!」

「いやいやいやヒスイのチューは渡さん!!」

「いやいやいやいや!」

「いいから早よ始めんかい!」

 

 審判から催促があった時点で、俺とクラインはしぶしぶ試合の準備をした。

 クラインはリミッターを解除した状態での本気モードだが、俺もやるからには勝ちにいく。勝利への道を脳内でリハーサルすると、俺はピックが装備されたホルダーに手を伸ばした。

 それはクラインにも見えているだろう。ここからは読み合いだ。勝負の行方、少なくとも先行アドバンテージと道中の優劣は序盤で決まる。

 試合開始まであと10秒。

 集中力がピークまで達した時、ブザーが鳴った。

 

「ッ……!!」

 

 ピックを1本引き抜いて下から(すく)い上げるように振り抜いた。

 迫るクラインは姿勢を低くして初弾を回避。俺はそれに合わせて後退する。

 続いて2本目のピックを取り出した。

 それを見てクラインの目付きが変わる。先ほどと同じ戦法を取ると判断したのか、一気に距離を詰めてきた。俺はピックを握りしめたまま四つん這いになって横振りの初撃を躱す。初撃回避。これで俺は1撃でKO負けにはならなくなったことになる。

 しかし油断しないように体全体をバネにして脱出。再び距離ができた。

 彼我の空間は4メートル。投げつけたピックはまたしても避けられる。

 クラインは《カタナ》カテゴリの業物を肩に掛けてソードスキルを立ち上げた。

 全身に緊張が走る。

 俺が冷静に90度右に跳ぶと、縦振りの単発ソードスキルはゴウッ!! と、際どいところで空振りされた。

 

「ハッ……あっぶねェ……ッ」

「次は逃がさん!」

 

 瞬きする時間もない。

 転がりながら起き上がった俺の目の前にはすでにクラインがいた。

 硬直が解けた瞬間にはダッシュしていたのだろう。左の腰に回されたカタナは日の光を反射しながら俺に迫った。

 攻撃が右の腰に直撃したが、1度両腕の籠手で威力を相殺しているので強ヒット判定にはならなかった。よって俺は、あえてその刀を右手で押さえつけ、逆に俺の体から抜けないようにしたのだ。

 そして……俺に勝機が訪れる。

 

「く、うォおおおッ!!」

「なにッ!?」

 

 俺は左の太ももに取り付けられていたホルダーからほぼ全てのピックをごっそりと抜いた。

 それをゼロ距離にいるクラインに向ける。

 システムが作動。《投剣》専用ソードスキル、初級基本下手(したて)投げ《アンダーシュート》が発動の準備段階に入った。

 そう、ピック1本の値段すらバカにならないというのに、よもや手に一杯掴みながら《投剣》スキルを発動する本物の馬鹿は普通いない。しかしここにはいた。

 無尽蔵に投げ飛ばすもの全ての弾道を制御することはできない。金銭的被害など目も当てられないだろう。本来これは宴会芸だが、超至近距離なら話は変わってくる。だからこそチャンスを(うかが)っていたのだ。

 スキルが炸裂。左手に握る十数本のピックが一斉にクラインの胴体にゴバァアアアッ!! と突き刺さった。

 

「ぐあああっ!?」

 

 ここでさしものクラインも驚きの声をあげながらバックステップを踏む。よもや剣術を駆使した作戦ではなく、ここまで邪道な戦い方をしてくるとは思っていなかったようだ。

 そしてようやく俺も抜刀。下がるクラインに肉薄して《ガイアパージ》を全力で振った。

 

「おるあァあああ!!」

「ごァああああああッ!?」

 

 横薙ぎが弱ヒット。立て続けに斜め逆袈裟懸け斬りもヒット。クラインのHPは一連の攻撃で2割減った。

 俺も2割ほど減っているが、これで体力残量を逆転した上に大量のピックによる貫通(ピアース)継続ダメージが数秒ごとに与えられる。どちらが不利かは一目瞭然だ。

 クラインは焦りながら針ネズミのように刺さったピックを抜き取っている。たまにそれを投げつけてきたが、俺はそれを無視して攻撃を続けた。

 場当たりじみた稚拙な作戦で、絶好調だった男の動きに陰りが差した。対人戦はこれだからわからないのだ。

 クラインの刀が俺の足を浅く抉り、俺の両手剣が胴を掠る。

 両者のHPバーはまったくの同速度でジリジリと削られていった。

 俺の大剣から送られる運動エネルギーを利用し、防御体勢から弾かれたクラインが転がりながら距離を空ける。俺はそれを追って追撃の突きを放った。

 しかし身を捻って回避。その行動を回転斬りへと転化した。

 体全体を大剣の影に滑り込ませると、サーベル同士が火花を散らしたが、しかし防ぎきれなかったのかダメージが(かさ)む。

 1歩リードを許してしまった俺は慌てずバック転で下がり、それに呼応してクラインが前の試合で使用した単発突撃系の上位スキルを構えた。

 

「(このタイミングでッ!?)」

 

 ここが正念場だ。

 俺は取り付けられた正真正銘最後のピックを抜くと、不安定な姿勢からそれを投げた。

 奇跡が起こる。アバターの目玉に直撃した飛び道具により、クラインのソードスキルの構えがキャンセルされたのだ。

 おかげでスマートな着地にはならなかったが、すぐさま起き上がって俺もソードスキルを立ち上げた。

 クラインもピックを抜き取ると、片目をつぶったまま自慢のソードスキルを再発動する。

 俺の方がコンマ半秒ほど早く立ち上げていたにも関わらず、両者がソードスキルを解放したタイミングは恐ろしいほど一致していた。

 声にならない咆哮。獣のような、ある意味無秩序な力の爆発。

 《曲刀》派生系ソードスキル、上位単発特攻斬撃《テンプテーション・クレイター》と《ガイアパージ》専用ペキュリアーズスキル、超級単発重反動斬《ライノセラス》がそれぞれ色彩を増しながら激突。

 ゴッガァアアアアアアアアッ!! と、指向性地雷でも踏んだような爆音が巻き上がったその時、クラインの体は空中にあった。

 収束した音が拡散するという矛盾めいたイメージだろうか 。あまりに大きな音が鳴ったからか、クラスAを観戦していたプレイヤーまで音源である俺達を注視していた。

 2秒後にくるくると舞っていたクラインが着弾。信じられないほど暴力的な過負荷を真正面から受けたクラインは、その圧力を受けきれずに虚空へ投げ出されていたのだ。

 試合終了。

 見方によってはオーバーキルにも近い形で俺はクラインに勝利した。

 ウィナーウィンドウの表示と、審判によるたどたどしい勝者宣言。途端、静まり返っていた会場には割れんばかりの拍手と歓声が降り注いだ。

 今回ばかりは俺にも罵倒は来ていない。自他共に認めるほど、今の試合が刺激的だったからだろう。中には「最後のなんだったんだ!?」「何ってペキュリアーズスキルだろ!」「突撃系同士で、片方だけ吹っ飛ぶなんて聞いたことないぞ!」などと言った憶測まで聞こえる。そう言えば、この技を衆目に披露する機会もなかったか。

 

「ハァ……マジか……最後……ハァ……あんな隠し玉があったとは……」

「へへ……ゼィ……決勝まで取って置きたかったけど……つい見せちまった……」

「最後の一瞬……急いでスキルを再発させるんじゃなくて、横に飛んでから改めて攻撃すりゃよかったのか。ちくしょう、作戦負けしたのが悔しいぜ……っていうか、ちくしょー!! ちくしょうちくしょう! オレだっていい思いしたい! ジェイドばっかずりー!!」

「……ま、まぁ言ってもしょうがねぇよ。グッドゲームだクライン。ダダっ子さえなけりゃあな……」

 

 いいバトルであったというのは本音だ。実際勝者と敗者なる壁は存在するものの、俺とクラインとの実力差は無いに等しい。あったとしたら、それは少しばかりの武器の性能差だろうか。現にクラインの言う通り、すでにスキルを立ち上げた俺からすると、回避後に側面から仕掛けられていれば対処のしようがなかった。

 つまり、重量級装備を相手に真正面からの力技で突っ込むというのは、この試合に限らず愚策であったというだけのことである。

 俺は息を整えてから座り込むクラインに手を差しのべる。そこでまた拍手が起こった。駄々をこねようが一応いい試合を見せてもらったというニュアンスが大きい。

 そして別の場所で一際大きく拍手が鳴った。

 またしても大歓声だ。どうやらちょうどクラスAの準決勝も片がついたようである。銀髪ナルシストのエルバートが四つん這いになって項垂(うなだ)れていることから、サブリーダー同士の戦いを制したのはアスナだったようだ。もっとも、残りのHPが半分以下(イエローゾーン)すれすれであることから、辛勝だったことが見て取れる。

 しかし何であれ勝利は勝利。決勝戦のくじはここで確定した。

 

「ほらよ、ピックは返すぜ。……今度の相手はアスナか。たぶん下手なことすると瞬殺されるだろうし……勝てる見込みはあるのか? っていうか負けろ」

「……さぁてな。んまぁ何にせよやれることはやるさ」

 

 アスナのトーナメントへの参加動機、それを知る俺からすると複雑な気持ちである。

 ヒスイによる保険、という言葉をそのまま捉えるのなら、決勝を俺に譲ってしかるべきである。なにせ、俺が勝てなかった時用の保険なのだから。

 それに以前の会話では、キリトの勝利を妨害しようとしているようにも聞こえた。言うまでもなく、初戦で俺に道を譲ったキリトは早い段階でトーナメントから退場している。

 しかしどう言うことか、アスナの体から沸き上がる戦士としての気迫は健在だった。

 俺はリングから降りても観衆に褒め称えられていたが、そのプレイヤーたちを押し退け、同じくリングから降りた彼女の元へ歩いて行った。

 目の前で立ち止まると、彼女は汗を拭きながらこちらを向く。

 ファイナリストが並んだことで、自然と周りの連中も押し黙った。何百人といる観衆が見守る中、アスナは涼しい顔で切り出す。

 

「あらジェイド君、決勝で会うことになっちゃったわね。……どうする? あなたがどうしてもって言うなら……」

「いや、いい(・・)。ここまで来たんだ、全力でやろうぜ!」

「……ふふん、あなたがそのつもりなら。せっかくだし楽しみましょう? わたしも手を抜いたりはしないわ!」

「へへっ、望むところだ!」

 

 ここで周りが楽しそうに騒ぎだした。熱い戦いを所望の戦士にとっては、俺やアスナの挑発的な問答が大変お気に召したらしい。他人事と思って大いに(はや)し立てている。

 トトカルチョも順調にレートを上げているようで、その額はそこいらの攻略組にもおいそれと払えないほどにまで膨れ上がっていた。

 「さぁ、賭けた賭けタ! オレっちが親ダ! 安心して賭けロ!」などと言う聞き慣れた情報屋の声がしていることから、彼女もこのイベントを機に存分と儲けようとしているのだろう。様子を見るに、未だにアスナの優勝と言う意見は根強いようだ。もっとも控除率高めのギャンブルに手を出す野次に同情する気は起きないので、俺は全力で取りに行く。

 そしてようやく気づく。アスナもこの戦いが楽しくなってきていたのだ。ならばあの剥き出しの闘志にも納得がいく。

 俺はふと、決勝戦と同時進行しないと予告されていた3位決定戦のリングを見た。

 対戦カードは《風林火山》リーダーのクラインと《聖龍連合》サブリーダーのエルバート。どちらも実力としては攻略組切ってのお墨付きだ。勝つのがいずれにせよ見ものにはなるだろう。

 それに賞品が与えられるのは3位までである。彼らもそこはそこでちゃっかりしているはずなので、3位決定戦であろうと本気を出すには違いない。

 

「(頑張れよクライン……さて)」

 

 俺は人混みに紛れながら、壇上に座らされているヒスイの方を見た。

 ひま潰しなのか、愛想よくプレイヤーに手を振ってにこやかにしている。時よりファンクラブの一員が寄り添ってレジクレを脱退するよう強く要請していたが、KoBのメンバーが弾き返していた。

 そこでヒスイが俺に気づいて目を合わせてくる。

 その目は複数の意味を含んでいるように見える。余計なことをしなければ俺が順当に優勝していたのに、というものと、やっぱりズルなしで勝って欲しいからいいや、という信頼の微笑み。

 俺は目をつぶると、デコの辺りを2回拳でつついて今一度集中力を高める。

 再び両目を開いた時は、ヒスイのことすら頭から飛んでいた。浮かぶことは勝利への戦術。俺は壁際まで歩くとそのまま塀に背を預ける。ひんやりとした壁の温度が背中に伝わると、余興を楽しむプレイヤーの声すら遠退いて聞こえた。

 どれだけそうしていただろうか。

 何度聞いたかもわからないブザー音と拍手。審判による勝者の宣言がエルバートであったことと熱狂的な声が轟いてきた。クラインは残念ながら表彰ならずとなったわけだ。

 俺はもたれていた壁から背を離して全体重を自分の足に戻すと、そこからは前を向いて歩いた。選手入場の宣言前なので気は早いが、決勝戦のカードが誰かは今さらなこと。

 いつの間にか客の数が増えていて、優に500は突破しているようだった。しかし不思議と緊張で体が硬直するようなことはなかった。

 そして俺がリングに到達すると、そこではすでにアスナが待ち受けていた。栗色の綺麗な髪と端整な小顔が異性を惑わすような魅力を放ち、同時にその華奢な体躯からは想像もできない速度で剣技を繰り出すタチの悪い小悪魔だ。

 

「KoBとしては、自分達で商品出しておいてわたしが回収することになっちゃうから、あまり勝ちたくはないけど……手を抜いたら怒られちゃうかしら?」

 

 憎たらしいほどキュートな顔で挑発してきたが、それを聞いた俺は鼻で笑ってから答えた。

 

「俺が怒るとしたら、それはアスナがすでに勝った気でいることだな。……ナメんなよ、トップ入りはあんたより早ェさ」

 

 俺は指を振ってウィンドウを立ち上げると、アスナに対して決闘を申し込んだ。

 彼女がそれを承諾する。デュエルウィンドウが両者の中央で展開されて、そのまま60秒のカウントダウンを開始した。

 両者共にまだ抜刀はしない。気が研ぎ澄まされる感覚が広がり、細い目をさらに細めた。

 初動の読み合いと間合いの取り合いが始まる。この待機時間すら勝負だ。

 カウントが10を切って1桁に入る。

 ここでアスナが抜刀した。抜き取った音だけで上質なレイピアだとわかる。

 

「(開始直後に仕掛けるのか!?)」

 

 昔からこういった心理的駆け引きには自信があったが、この予想外の行動に動揺した。彼女の性格上、序盤は慎重に来ると踏んでいたからだ。

 だがリラックスした腕から直後にそれがブラフだと確信する。ジャンプの準備を中止し、俺は足のホルダーを剥ぎ取る勢いで全てのピックを無理矢理引き抜いた。

 今度は読まれたアスナが驚く。カウントダウン終了。

 賭けに勝ったのは俺だった。

 

「フ……ッ!!」

「えっ!?」

 

 《投剣》スキルが全てのピックを赤色に染め、アシストが作動。十数本の大きめの針が流星群のように敵めがけて飛来した。

 出遅れたアスナは無理に距離を縮めず、溢れる敏捷力を活かして冷静に真横へ跳ぶ。しかし拡散した数の暴力が功を成し、右手と右足に1本ずつピックが命中した。

 アスナの位置は俺から見て右。人体というのはその構造上、利き手の方角へ逃げられると追撃しにくくなる。見事な判断力だが、完璧過ぎるがゆえにそこまでは読めていた。

 《アンダーシュート》発動直後、意図的に構えた《体術》スキル《ガイシッカ》の予備動作(プレモーション)が完了。右脚が臙脂(えんじ)色を纏い、自然界の法則を無視した加速が前方に生まれた。

 アスナが腕をクロスすると、その交点にゴガッ!! と、俺の膝が直撃。

 後方に吹き飛ばされるアスナと、微弱ながらも装甲の薄さから発生するダメージ。左手を地に付いて立ち上がろうとする頃には、俺は彼女の目の前に固形物を投げていた。

 その正体は《威嚇用破裂弾》。ごくわずかにしか攻撃力が設定されていないが、逆に言えば微ダメが発生するアイテム。《煙玉》や《閃光弾》と違ってルール上問題のない、それでいて反騎士道精神まっしぐらの戦法だ。現にこの戦法をとったプレイヤーは1人もいなかった。

 破裂弾が破裂。アスナは軽い悲鳴と共に目を覆う。目に見えない程度のダメージも入っているはずである。

 《体術》スキルによる下半身の技後硬直(ポストモーション)が終わり、次なる技《両手用大剣》専用ソードスキル、上級単発上段ダッシュ技《アバランシュ》を発動。

 煙を払って視界を回復したアスナはすぐさま斜め前方にジャンプし、一泊遅れて距離を一気に詰めた俺のスキルが通過。アスナの左足に軽くヒットした感触が剣を通して俺に伝わった。

 開戦からここまで数秒間、一方的なラッシュだけが行われたことになる。

 身軽な防具が災いし、浅い攻撃から2割のHPを失ったアスナも、足に刺さって貫通継続ダメージを与えるピックを引っこ抜きながら改めて立ち上がった。

 

「ハァ……ハァ……やるわね……」

「ハァ……強がるなよ……ハァ……劣勢だぜ……?」

「ここからよ!!」

 

 一層殺気を際だてたアスナがレイピアを突きの構えで俺に向ける。

 同時に加速し、気づいたら彼女は俺の足元にいた。

 条件反射。思いっきり首を横に振る。頬をレイピアが掠めて鋭い痛みが来た、と感覚を受け取った時には腕が引かれ、そこから再加速されたレイピアが『点』となって顔面に迫っていた。

 溜めなしの攻撃(ノーワインドアップ)が閃く。

 首に直撃。2撃目でなければこれだけで試合終了だ。抜き取られて鮮血のようなポリゴンデータを浴びる彼女の名剣は、次々と薙ぎ払われて俺の胴体を浅く削った。

 敗北の2文字が脳裏をよぎる。

 俺は恐怖に駆られるように喉を震わせ、叫びながらがむしゃらに大剣を振るった。しかし彼女はすでにそこにはいなかった。

 そして少し離れた位置に彼女が着地。そのままソードスキルを溜めた彼女に対し、俺はとっさに《ガイアパージ》をフルスイングで投げつけた。

 

「なっ!?」

 

 さすがにこれには驚いたようで、彼女は慌てて回避した。

 しかも俺はメニューウィンドウを立ち上げて、あらゆる武器スキルで習得可能な《派生機能(モディファイ)》である《クイックチェンジ》を使用している。

 くるくると回転する巨大な大剣は、観客に激突する寸前で消滅し、俺の手元に一瞬で復帰。続けてがむしゃらに突進すると、目を引きつらせるアスナに対しやっとこさ鍔競り合いに持ち込めた。

 

「ハァ……ハァ……今のは、ずるくない……?」

「ハァ……へへっ……ハァ……んな単語は辞書にはねェな……」

 

 大抵の単語は俺の辞書にないが。

 ジリジリとリング際へ追い詰めようとしたがすぐにバチンッ!! と解除され、読まれていたのか俺のパワー比べに持ち込む作戦はあえなく失敗。さらに距離を作ったアスナを冷静に見ると、俺のHPと拮抗していた。

 信じられない。開戦直後に手に入れた、20パーセントほどの体力ゲージと精神的余裕はあっという間に帳消しにされた。

 速すぎて光の筋しか捉えられない。これが《閃光》の世界だというのか。

 

「ハァ……ハッ……ったく、冗談じゃ……ハァ……ねぇぞこれ……」

「ふ~……言ったでしょう、わたしは正攻法でも勝てる」

 

 凛々しく背筋を伸ばしレイピアをぴたりと向けるその姿に、俺は威圧された。自分よりいくばか背の低い少女に気合いの面で圧倒されたのだ。

 その事実に気づいてしまうと、俺は苛立つように吐き捨てる。

 

「ちっ、悪いなァ! あいにく、1年半かけたスタイルだ! 泥臭くても必ず……今さら変える気はないぜ!」

「……そうね、強制はしないわ。でも、勝てないと悟りつつ抵抗する敵をこてんぱんにするのも……ゾクゾクするし!!」

「怖ェええええッ!?」

 

 言ったそばから獰猛(どうもう)な眼力を放つアスナがまたしても全力で迫ってきた。

 冗談はともかく、冗談のように速い攻撃は目が慣れ始めたと言っても(かわ)し受け流していくのが精一杯だ。

 彼女のレイピア(さば)きは神業の域に達している。思考して動くというより反射で避けているからか、背中の冷や汗の方がむしろ気になる。

 

「ちょっとヤボだった? 動揺してるわ!」

「ぐ、くっそ……ッ! マジで速ぇ……!!」

 

 速く、そして何より美しかった。

 空いている手で殴ってきたり、使っていない足で蹴ってきたり、剣身部分以外のところで突いたり叩いたり、そういったいわゆる『邪道』を一切してこない。常にブレード部分のみが俺の身を削る。

 正真正銘の剣士。俺は籠手(アーム)を、(ガード)を、柄頭(ポメル)を、足の裏を、とにかくありとあらゆる場所を使って剣を避けている。観客から見れば、俺は悪党のしたっぱで、アスナはそれを滅する勇者にも見えるだろう。

 本当に……この目で確かに確認しても信じられない。こんな女がいるのかと。美人で少女で礼儀正しく、カリスマ性を備えた上で頭もよく、さらに剣の腕も達人級とは恐れ入る。湯水のように溢れる才能は俺とは正反対だ。

 だが……、

 

「(けどッ、なおさら負けらンねェだろっ!!)」

 

 俺とてただの悪役としてこのリングに上がり、抵抗もなく彼女に倒されに来たのではない。才能がないなり工夫はある。

 俺はひたすらに剣を受けた。一振り毎に敗北へ近づいている。たまに徹底された防御体制すら貫通してくるが、それでも反撃しない。

 客観的には反撃の糸口も掴めないまま、体力の15パーセントが消え去った。

 

「そっこォ!!」

「ぐ、あぁぁっ!?」

 

 アスナが側面に回り込んで俺の防戦を崩そうとしてくる。しかし俺は、させずと立ち位置を変えてどうにか元の状態に戻す。

 半無限連続攻撃が再開され、その剣が脇を掠った。

 跳び足る火花とサウンドエフェクト。防御力はアスナより優れているはずだが、ピンポイントの攻撃力は時には攻撃特化型(ダメージディーラー)すら凌ぐ爆発力がある。削られた体力は少なくない。

 彼女は下に潜り込んで死角からのラッシュを試みた。俺はそれに合わせて強烈なバックステップを踏む。そのソードスキルは寸でのところで全てが空振りとなった。……いや、(かわ)し切ったと思っていただけで実際には食らっていた。またしても俺のゲージが減っている。

 吹っ飛ばされ、ごろごろと転がりながらも俺は態勢を立て直し立ち上がった。

 

「(まだだ……まだ、耐えろ……ッ)」

 

 負けコースに入っている。それでも攻撃はしなかった。

 何度目かもわからない攻防戦。逃げては追い付かれ、追い付かれては防御してはまた離れようとする。アスナは最早作業のようにレイピアを振る。うんざりした顔からは疲労が見えた。

 俺はまだ逃げて時間稼ぎをする。

 もちろん、作戦があるがゆえに。

 彼女の残量は8割弱。開始直後からほとんど減っていない。

 しかし弱点はもう1つの『体力』である。それは薄い防具ありきで成り立つ高い速度水準の維持。システム的体力とは別の、別の意味で体力の消耗が激しいのだ。

 彼女は有利な状況を延々と維持しなければならない。対する俺は、一瞬だけクロスカウンターを決める時間があればいい。

 果たしてその瞬間はゲージ半分以下寸前、つまり俺が負ける寸前に訪れた。待ちに待った『その瞬間』が訪れた要因は多々あるだろう。俺を翻弄するに足る速度維持による疲れ、慢性的で変化がなく見据えてしまった戦いの行方、揺るぎない優位性。

 そう、アスナの攻撃が初めて緩んだのだ。勝利を確信するあまり油断した!

 

「(ラストチャンスだッ!!)」

 

 俺はいきなり速く動きだして、紳士的とは言えないキックをアスナの腹にお見舞いした。

 彼女は少しだけ(うめ)いてから、隙を見せたことを恥じている。

 だが、もう遅い。

 《ガイアパージ》がレッドブラックに光る。《両手用大剣》専用ソードスキル、上級毒属五連重斬撃《ペンタグラム・スコーピオン》の発動が間に合っていた。

 俺は最後の力を振り絞って両腕の筋肉を酷使する。1撃目、右下から左上にかけての攻撃はしゃがむことで凌がれる。2撃目、左側を垂直に斬る攻撃は防がれたが、超過ダメージが少しだけ発生。しかしそこからは防御が崩れ、3撃目の下段水平攻撃がヒットしてダメージが完全に抜ける。4撃目、右側垂直斬り上げも防御を貫通して命中。重斬撃だからこそレイピアでは防ぎきれない。

 アスナのHPは5割強。俺は全霊を込めた渾身のストロングをアシストに託した。

 そこで気づく。4撃目を放たれた時点で、アスナがすでに防御だけの行動をしていなかったことに。

 《閃光》のレイピアが一閃される。

 ゼロ距離での血肉の削り合い。そして、衝撃。

 ドガァアアアアアアッ!! と、でたらめな爆音が反響した。

 攻撃で吹き飛ばされたのはアスナの方だった。……ただし、俺の脇腹にレイピアを突き刺した後で。

 ズタズタに引き裂かれ、吹き飛ばされて転がるアスナ。大技を決め、大剣を降り下ろした状態でスキル後の膠着(こうちゃく)を課せられる俺。

 短い静寂。

 戦いの幕を下ろすブザー音が聞こえた。

 このワンシーンだけを切り取れば俺が対戦相手を斬り伏せたようにも見えるが、両者の中間位置に現れたウィナーメッセージウィンドウにはアスナの名が挙がっていた。

 最後、彼女はスキルがヒットする前に捨て身で自分の相棒を突きだしたのだ。

 3撃以上のヒットで100パーセント《ポイズン》のバッドステータスを与える特殊能力も、両手用武器による多連撃という高火力も、デュエルが終わった後では反映されない。

 俺はHPが半分を下回った後に決定的な一撃を叩き込んだことになる。

 何のことはない。俺の、完敗だった。

 

「し、勝者……《閃光》!! アスナァあああッ!!」

 

 うおぉおおおおおおおお!! と、興奮した声での勝者宣告をかき消す勢いで、本日最大級の大歓声がグランザムの街に響いた。

 アスナの勝利を単純に確信していた者、野良賭けでレートを上げて負けてもらっては困る者、悪役が倒されたことを喜ぶ者、かませ役が予想外にも善戦したことで興奮した者、その他あらゆる面で激戦となった試合に激励と称賛を贈る者。

 様々な形で膨れ上がった感情の(うず)が『大声を出す』という行為で発散されていく。

 俺はというと、負けたショックにうちひしがれると言うより、放心状態になっていた。勝てた実感が湧かないとはよく言われるが、俺の場合は逆に負けた実感が湧かない。

 確かに俺は体力残量51パーセントでソードスキルを使用し始めた。そこで反撃を受けたのだから、ルール上敗北したことになるのは明白な事実である。だがHPの全損が勝敗を分かつデュエル方式であれば、俺は圧倒的に優位に立てた。

 もっとも、この仮定はまったく無意味だ。アギンやクラインも、そうしたルール上の盲点を突かれて負けたようなものなのだから。

 俺は潔く敗けを認めた。

 腹から抜き取ったレイピアを手渡すと、我慢できずに口を開く。

 

「やられたよ、さすがとしか言えねぇ」

「いいえ、あなたこそよくあの状況で狙うわね。驚いたわ。わたしなら諦めてたと思うし」

「あと、蹴って悪かったな」

「ううん。試合だもん」

「へへっ……つか連撃技の間に反撃とか、その剣速でしかムリだろう。立派なシステム外スキルだよ、それ」

「できれば使いたくない戦法だけれどね」

 

 無論だろう。なにせ、先ほどの戦法はメインアームを手放す行為でもあるのだから。

 それにしても、負けたというのに清々しい。これなら優勝しなくても……いや、待てよ。これはこれで大変レアな状況なのではなかろうか。

 アスナが勝ったと言うことはつまり……、

 

「では優勝したアスナさん、壇上へ上がってください! ご来場の皆さんは盛大な拍手を!」

 

  アスナが照れながら脚光を浴びる中、その周辺……否、見渡す限りのプレイヤーが男女を問わず拍手喝采で彼女を迎えていた。

 優勝商品としてトロフィー型オブジェクトとフィールドボスのドロップアイテムの授与が、なぜかヒスイの手によって成される。それからダイゼンが口頭で、『ある権利』がアスナに渡ったことを今1度宣言した。すなわち、目玉商品であるヒスイからの『ほっぺにチュー券』だ。

 『音声拡張』系アイテムで声を響かせているので、途中から何のイベントかわからずにとりあえず観戦してきたプレイヤーも、この一見バカ騒ぎなイベントがなぜここまで客を呼び寄せるのかはっきりしたようだった。

 アスナは言った、「わたしはアイテムだけあればいいので……」と。ダイゼンは言った、「いやいやそんなこと言わずに……」と。

 ダイゼンとしては商品を提示して参加費と(うた)った上に金をむしり取っておいて、まさかの自分らのギルドメンバーがそのアイテムを回収してしまっている立場だ。ここらで一発、参加者の煮え切らないストレスを発散させてやらなければならないのだろう。

 そのためには何をするのか。簡単だ、最後までエンターテイメント性を貫けばいい。

 ダイゼンはとうとうアスナに対して頭を下げていた。男連中からもかなり必死にキスを助長させる声が聞こえる。

 困ったように頭をかく彼女は照れながらもとうとう折れたのか、その権利をここで執行することにしたようだ。

 壇上のヒスイが楽しそうに横に立つ。そして観衆が野獣のような眼で見守る――凝視するとも言う――中で、ヒスイがアスナの頬にいたずらをするようにチュッ、とキスをした。

 またまた聞き飽き始めた歓声。しかも明らかにベクトルが違う。クリスタルによるスクリーンショットの濁流(だくりゅう)のようなシャッター音も追加しておこう。ノリでただ叫んでいるだけの奴もいる。

 世にも珍しい女性オンリーのギルドも近くで見ていたのか、「きゃー! アスナ様ー! ヒスイ様ー!」といった声も聞こえてきた。振り向いて見ると彼女達の目がハートになっている。

 一部の人間にとっては、このイベントが何よりの商品だったのかもしれない。気持ちはわかるので軽蔑はしないでおくが、できれば近寄りたくはない存在だ。

 そこで大音量を遮るよう耳を塞ぎながらカズが近づいてきた。

 

「相変わらずあの2人は凄い人気だね。百合って言うんだっけ」

「ルガやめてくれ、聞かれるとカン違い起こるだろ」

 

 2024年現在、これくらいのネットスラングなら、もはや常識的に使われていたりもする。ただスラングを会話に出すと異常、という暗黙の了解も残念ながら(?)健在だ。我がギルドから特殊趣味を持った、少なくとも周りから誤解されるようなメンバーを出したくはない。

 それからしばらくしてイベントは終了。客があらかた解散してからは、俺はダイゼン達と協力して後片付けをした。

 ちなみにトーナメントで晴れて準優勝を果たした俺だったが、ありがたくいただいた賞品はインテリアがほとんどで、攻略で使える消耗品は《リップル・アロマ》という気の抜けるような名前の小さな紫色の香水だけだった。ただしその効果はもっと拍子抜けするもので、アイテム説明欄には『このアイテムを体に振りかけると、どんな毒や麻痺も一瞬で治るぞ!』と書かれていただけだった。

 ――エクスクラメーションつけりゃいいってもんじゃねぇぞコラ。

 確かに解毒効果は無視できない。それは数あるバッドステータスの中でも《(ポイズン)》と《麻痺毒(パラライズ)》には使用頻度を考慮してか、珍しくレベルが設定されているからだ。例えばレベル1のウィーク毒やレベル2のライト毒から、現在ではレベル5のリーサル毒まで。麻痺にも同じくレベル5までの毒の『濃度』がある。

 『濃度』を無視できるなら汎用性も高そうだが、それは《解毒結晶(リカバリングクリスタル)》が登場するまでのお話。攻略組なら誰でも知っている通り、クリスタルによる解毒もそのレベルを問わないのだから、おおむねこのアイテムははるか下層、それこそ結晶系が登場する前の層が前線だった頃のボスドロップだろう。

 そして大事に保管するあまり、より便利で軽いクリスタルが登場してしまった。すなわち、ようは要らなくなったから丁度いい賞品にしてしまおう、という魂胆だったのだ。

 しかも「脚本家が舞台側から回収してどうするんだ!」というお叱りの元、他にも用意されていたらしいお宝アイテムはなかったことにされた。ショックである。

 だがお待ちかねである儲けの分配タイムが続いたことで、俺はどうにか爆発寸前の自我を取り戻した。

 

「いや~助かりますわホンマに。来週もやりません?」

「やらねーよ、てか本来の準優勝アイテムよこせよ。……んで? 結局いくらぐらいもうかったんだ」

「客からも観戦料を1人500コル取りましたからね~。しかも思ったより集まって500人も見に来てくれています。選手の参加費と合わせて我々が3割の取り分ですから……レジクレはざっと53万5750コルの儲けですね」

『53万んん!?』

 

 その金額に俺を含むレジクレの全員が驚いていた。

 50万と言えば、先月から3日前までの30日間でいやになるほど切り詰めながら貯めた金額とほぼ同等のものだ。それが3日で集まるとはにわかには信じられない。

 先に手渡しておいた広告料とキリトへの依頼料、さらに試合中に購入したピックの計数万コルを差し引いても予想以上の儲け方である。

 

「まあ、これはウチらが用意した契約書にサインいただいた内容での儲け分配ですからね。さんざんあった野良賭けの儲けはうちらのものってことになりますな」

 

 ダイゼンはしたり顔で言う。

 

「うげっ、アルゴの奴、珍しいことに手をつけてると思ったらKoBの依頼かよ」

「宣伝費にちょ~っと色をつけたら気前よう引き受けてくれましたわ。ま、これも経験の賜物です」

「その根性にはかなわねぇよ、ったく……」

 

 それでもダイゼンから宣言通りの金貨を受け取って実感した。

 俺達はわずか数日で莫大な資金を手に入れたのだ。ほとんど損害金を取り返せたようなものである。

 それから俺達はダイゼンとアスナに礼を言って別れた。

 その日ばかりはイベント大成功の打ち上げとして5人でパーティも開いた。最終的にレジクレから優勝者はでなかったが、俺が準優勝をしたことから掲げたコップには嬉しさが滲んでいる。大きな円形の卓上に並べられた肉類もおいそれと買える粗悪品ではなく、久々のご馳走に皆が取り合うように手を伸ばしたものだ。

 そして、思う。

 この数日も、振り返るとなるようになったのではなかろうかと。

 オレンジ共から受けた被害は金銭面に留まり、人的被害は無視できる程度。それに一矢報いてもいる。

 リズはかねてより目標にしていたホームを購入して《リズベット店》として鍛冶屋を切り開いていくらしい。サボった攻略も今日で挽回し、横やりが入ったとは思えないほど順調に終えた。

 

「(くは……どっと疲れる1日だったわ……)」

 

 それからさらに数時間が経過した。

 時は深夜。俺は打ち上げパーティが終わって各々(おのおの)が部屋で寝静まり返った後も、1人だけ抜け出してその施設の屋上で寝転がっていた。全員が寝ても自分だけ起きている、という時間はここ3ヶ月でだいぶ増えたような気もする。睡眠時間は減る一方だ。

 俺はギルドのリーダーとして、ソロ時代には決して味わえなかっただろう激務に追われている。責任ある立場として苦労も絶えず、正直言えば負担だけ増えた気がしてとても辛い。

 しかし、この環境にしかない達成感がある。

 俺は現状に感謝しているぐらいだった。

 

「(悪くないもんだ……)」

 

 寝転がって天上を仰ぐと光が散りばめられていた。

 微妙な肌寒さが気になるが、今日は特別星が綺麗だ。名前こそ知らないものの星の楽しみ方は人それぞれだろう。俺は幼い頃、夜に自転車に乗りながら、真上を向いて星を見続けるのが好きだった。真っ暗な空間に人工物ではない明かりだけが飛び込み、自分の息と車輪の回転だけが音を支配する幻想的な数秒間に病み付きになったのだ。

 とは言えかなり危ない運転だったため、繰り返す度に姉ちゃんにこっぴどく叱られたが。

 なんて昔のことを思い出しつつ、しばらく1人で寝転がりながら空を楽しんでいると、頭上から声をかけられた。

 

「ジェイド、ここにいたの」

「おおヒスイか。なんだ、まだ起きてたのか」

「うん。なんだか体が火照って。昼間のキスを思い出したのかな~?」

「やめてってば、女に女を取られたとなりゃトラウマだぞ……」

「ふふっ、冗談よ。ジェイド格好よかったもん。あたしはそれで満足かな」

「…………」

 

 俺が上体だけ起こすと、ヒスイが俺の左隣に腰かけてきた。その仕草が妙に不自然だったことが気がかりだが、俺はあえて気付かないふりをする。

 お互いに座りながら一緒に星を見上げ、優に1分もしてからヒスイが静かに喋りだした。

 

「……懐かしいわね。あの時もこうして2人で星を見てたっけ」

「深夜に2人でいるのもあの日以来だな。レジクレが今の形になったのは3ヶ月ちょい前だし、タイミングも色々悪かったから……」

「うん……タイミング、悪かったよね。でも、今は悪くないわよ……」

「え……?」

 

 俺は驚いてヒスイの方を向いた。彼女は頬を真っ赤に染め上げて、それでも(かたく)なに俺と顔を合わせないようにしているようだった。

 今はタイミングが悪くない。つまりはそういう(・・・・)ことなのだろう。

 そして俺は全身に稲妻が走ったように思い至った。

 トーナメント優勝商品の内容を提示した時、なぜあんなリスキーなことをしたのか。なぜキスに(こだわ)ったのか。アイコンタクトで「あなたが悪いのよ」と、そう語っていた。それは積極的になれない俺への最大限の踏み込みだったのだ。

 別に俺とて、長らく独りで死線を潜り抜けてきた彼女が、よもや好き好んで個人行動をしたわけではないと知っている。

 気を許せる友人に囲まれ、くじけそうになっても支えてくれる仲間に出会えた今、俺と仲違(なかたが)いするということは寸分違わず『独りの道』へ逆走することを意味するからだ。

 純粋な戦力としても優秀な彼女なら、フリーになった途端引く手数多なのかもしれない。だが、繋がりの薄い有象無象にはやし立てられる刹那(せつな)の快楽が、抜本的な解決になっていないことは本人がよく理解しているだろう。彼女にそういった不安を(いだ)かせてしまうのは、まさに俺の配慮不足だった。

 しかしまったく呆れた女である。普通したいことを素直に言えないからといって、あそこまで天の邪鬼なことをするだろうか。これほど繊細(せんさい)なくせに大胆な女は見たことがない。

 

「(ったく、そういうことか。ミステリアスもほどほどにしてほしいもんだぜ……)」

 

 おそらく、ヒスイは他の誰かではなく俺に壇上に登ってほしかったのだろう。もしかすると、俺が決勝戦で勝っていたら、あの場でとんでもない行動に出ていたかもしれない。

 ここに来て、改めて得心がいった。

 心臓が高鳴る。それは早鐘のように心音を打った。しかも、なんとヒスイが右手の指を俺の左手に絡めてきたではないか。そのすべすべの指先が手の甲をなぞる度に、雰囲気はこの上なく登り詰めている。

 顔が熱い。俺も真っ赤だろう。

 ヒスイがようやく俺の方を向いた。その目は緊張からか、少し潤んでいた。

 可愛い、と。率直に思える程度には、俺の心も成長したのかもしれない。愛しい存在を、大切に扱う宝物のように触れた。

 頬に触れただけでヒスイの体が一瞬痙攣(けいれん)する。ゆっくり右手を頬から下に降ろし、滑らかな(あご)に指を添えて少しだけ力を入れると、彼女の顔が正面を向く。

 顔を近づけ、ピンク色の健康的な唇が迫る。もう目の前だ。ヒスイは我慢できなくなったのか目をつぶってしまった。

 俺もそれに(なら)い、目の前が真っ暗になる。

 漆黒の世界で俺は唇に柔らかい感触を得た。

 生まれて初めてのキス。それは永遠にも感じる無限の甘美を俺に与えた。

 彼女の唇をもっと感じるために、ヒスイをさらに強く引き寄せる。彼女はされるがままとなって体を俺に預け、それがまた一段といとおしく感じる。

 彼女が扇情的に身を(よじ)ると、華奢な腰は絡み付くようにうねり、耳朶(じだ)を打つ布の擦りきれる音すら(なまめ)かしく響いた。

 微かに口元から漏れるくぐもった声。その両手が背中に回り、俺達の距離はもっと近づいた。

 長く、とても長く、そして濃密な接吻だった。

 満点の星空の下、俺とヒスイはようやく胸に秘める気持ちを伝えあったのだ。

 

「(ヒスイ……愛してる……)」

 

 俺達はその日、何度も何度もお互いに唇を重ね、溢れる愛を確かめ合うのだった。

 

 

 

 



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第十一章 《圏内事件》
第79話 犯罪者の唸り


お気に入り1000件……とても嬉しいです。夢にまで見た数字です。なんとしても完結させ、皆様の期待を裏切らぬよう尽力いたします。


 西暦2024年4月22日、浮遊城第60層。

 

 日も落ちて夜。59層のフロアボスである、地面を掘るもぐらのような姿をした《ジ・アニファスモーラン》が討伐された。

 現在時刻は午後9時50分。討伐から2時間以上が経過した今となっては、討伐隊に参加した者だけが得られるひとときの優先権はない。60層の主街区はあっという間に下層ゾーンの観光客で賑わっていた。

 俺達レジクレも活動中である。競争相手に先を越される前に主要箇所の下見をさせておいたのだ。

 これにより、主街区から得られるあらかたの汎用アイテム、武器や素材、または宿屋、鍛冶屋などの位置情報と値段までは把握できたことになる。ただでさえ遅い時間に腹を空かせたまま――立ち食いは言及しないので、しているメンバーもいるだろうが――2時間走り回って集めた情報だ。

 夜10時まで強要し続けるのは酷だったろうが、本討伐戦が完了する時間をプレイヤー側で調整することは難しい。攻略組の中では街の下見を明日に見送るパターンもあるだろう。

 ところでソロプレイヤーと言えば、ボスの討伐戦にキリトを含むソロプレイヤーが1人も参加していないことには驚いた。もちろんローテーションなのでそういう日もあるだろうが、ソロを貫く人間というのはレアな物なら武器であれ、消耗品アイテムであれ、とにかく所有欲が強い。特に理由がなければ休む意味もない。

 と言うことは、キリトにも何かしらフロアボス戦に参加しなかった理由があったのかもしれない。

 だがなんと、ヒースクリフすら上回るスパルタ性とカリスマ性を発揮する《攻略の鬼》、閃光アスナさえ参加していなかったのだ。

 不真面目な攻略組が2、3日サボるだけならまだしも、実質トップギルドの双璧を成すその右腕というポジションが、部下に一声すらかけずトンズラするものなのだろうか。

 

「んがぁ~つかれた。みんなもそろったな、おつかれさん」

「お疲れー」

「大変だったよぉ。マップに印とコメントは載せといたから」

「サンキュー。明日からこの層でも装備調達するかもしれないから、みんなも目通しておけよ。……うし、ノルマ達成だ、今日は帰ろう」

 

 ややぐったりとした元気のなさで、メンバー4人がため息をつく。

 迷宮区へ侵入し、内部のマッピングを開始してから今の今まで約12時間以上。どう考えても労働基準法とやらの指定勤務時間を大幅に越えた強制労働だ。少々夜遅くまで仕事を与えてしまったものの、これもゲームを楽しんでいるのだと諦めてもらうしかあるまい。

 と、それぞれ60層の《転移門》から先週購入したばかりのギルドホームがある49層主街区(ラミレンス)へ向かおうとするところへ、真横から我がギルドメンバーとは対照的なソプラノのかかった声が降り注がれた。

 

「ヨ! 信頼とスピードがモットーなオレっちに会えるとは幸運だナ! 最新情報をたんまりゲットしたんだが、興味はないカネ?」

 

 声の主は《鼠》と名高いアルゴだった。「変わった喋り方だよねぇ」とはジェミルの談だが、彼もクセのある喋り方をしているので人のことは言えないと思った今日この頃。

 ヒスイは「アルゴ久しぶり」などと言って挨拶をしているが、そこは親しき仲にも礼儀あり。これは彼女の声が『仕事』で来ている時のそれだったからに他ならない。

 と言うわけで、俺もその流儀に合わせた声調で話を切り返す。

 

「モットーは『売れるものは何でも売る』だろ。まったく、コロコロ変えやがって。……それで? 最新つっても俺らはもう前線街の情報を自前でそろえちまってるんだけど、それを踏まえてなんかあるのか?」

「チッチッチ、甘すぎるヨン! まァあんまし嬉しそうに言うと不謹慎になるガ、今日の目玉は《圏内事件》についてダ」

「《圏内事件》? また物騒な造語ね……どういうこと?」

 

 首をかしげるヒスイ対し、アルゴはさらっと「1万コル」とだけ言い、小顔に沿った小さな両手を差し出してきた。可愛らしい仕草と相変わらずのヒゲペイントではあったが、金の亡者たる獰猛的(もうきんてき)な金銭欲が双眸(そうぼう)の奥でメラメラと炎を巻き上げているのだから台無しである。

 ――スポイルっつんだっけ?

 ともかく、俺の注意を引いたのはそのネーミングセンスよりもまずは設定価格だった。

 高すぎる。プレイヤーやボス、あるいはクエストや時事的な情報の平均相場よりも倍近い金額だ。能動的に依頼した捜査でもあるまいし。

 がしかし、彼女に限らず情報屋にとって信用の喪失は死活問題である。よもや軽い金欠といった理由で不条理な値段をつけるはずはない。

 すなわちこの懸案について、彼女は値段に釣り合う労力を割いたということなのだろう。あるいは同等の危険を伴ったのか、いずれにせよ金額が張るからこそ逆に興味は尽きない。

 

「たっかぁ。アンタ女の身で危なっかしいことまで調べてるわけ? 仲間もいないのに、アタシには無理だわ~」

「まぁ値段設定につべこべ言うつもりはないけど、またヤバい橋わたってんのか? 質より量で攻めるタイプのアルゴにしちゃあ……」

「やけにじょーぜつだナ! か弱いオレっちが心配カ!?」

「ち、ちげーよバカ!」

「…………」

「…………」

 

 浮気現場の言い訳シーンのような空気になってしまったのだが、この女は余計なことしか言えないのだろうか。話しているとリーダーとしての威厳がなくなってしまう。

 

「(もう2度と心配しねぇからな! ……)……ほらよ、1万だ」

「毎度アリー! でだ。件の事件についてだガ、少々説明が長くなル」

 

 前置きもそこそこに、アルゴはつい数時間前に起きた恐るべき事件の全貌(ぜんぼう)を語った。

 

 曰く、ことの顛末(てんまつ)は遡ること3時間半前。57層の主街区《マーテン》のレストラン街にて、1つの悲鳴が上がったことに端を発する。

 野次馬が集まったその場には、腹を貫通(ピアース)属性のショートスピアで貫通された壁戦士(タンカー)が、協会近くの塔にロープで吊り下げられていたらしい。

 そして彼は、ロープに吊るされた状態で徐々に貫通継続ダメージを受け続け、とうとう体のパーツをポリゴンデータに変えて消滅した。フルプレートアーマーで体中をガチガチに固めたタンカーですら死に追いやったのだ。

 曰く、《圏内》で唯一プレイヤーにダメージを与える方法である《デュエル》システムは作動していなかったようだ。少なくとも、多くの観衆がデュエル終了後に現れる大型ウィンドウを見ていないらしい。

 しかも塔近辺を《通せんぼ(ボックス)》していたことから、犯人が徒歩で逃げられた可能性は低い。その場にいた1人は塔の内部に人影を見たそうだが、転移エフェクトの発生はなかった。

 曰く、そのタンカーは以前交際していた彼女と食事に来ていて、人の多さから一時的にはぐれてしまっていたらしい。

 そうして、2度と再開することはなかった。

 傷心した交際女性は、現場に居合わせた攻略組の2人が保護。現在は適当に見繕った宿に泊まっていて、彼女から話を聞いた2人は《圏内》での殺害方法を特定中だそうだ。

 

「へえ、目撃者アリ……塔には人影……でも転移エフェクトはナシと。これだけ聞くとミステリーだな。ほぼ幽霊じゃん。つか、わざわざ《圏内》でこれを……?」

「演出だろうナ。『目撃者がいた』んじゃなくて、『目撃者を作る』ことが目的という意見もアル。……ア、話に出てきた攻略組2人組の情報も聞いとくカ? 追加で5千取るが、おまけでオレっちの考察もつけてやるゾ?」

「ハハッ、俺らはタンテイじゃねぇっつ〜の。保身が終わりゃ関わることもねえよ。……まあ強いていえば、そのまま続けて広めといてくれってぐらいさ」

「それは商売だから言われなくてもやるガ……」

「よし、じゃあみんな帰るぞ~! ……おっと、今日はリズに預けといた防具をまとめて取りに行くんだっけか。なあヒスイ、今あいつに連絡とれるか?」

 

 情報屋への興味を完全に失うと、ヒスイは「ちょっと待って」とだけ言ってウィンドウを操作する。すぐに返事が来たらしく、夜中の10時を回ってしまったがどうやらリズは今からの来店にも目をつぶってくれるらしい。やはり1ヵ月前の事件以来、俺達に貸しがあるというのは大きい。

 俺は危なっかしい事件の情報について、アルゴに礼と忠告を餞別(せんべつ)してから、まずは48層主街区である《リンダース》へと向かった。

 《転移門》からおなじみのテレポート。すると、踏み心地と色の変わった石畳に舞い降りるや否や、暗い空間から認識し辛い景色よりも先に、激しい声による応酬が耳朶(じだ)を打った。それもほんの目と鼻の先である。

 

「アンタは警察じゃないだろう! KoBの副長とこそこそ動いてるみたいだが、情報を独占する権利はないぞ!」

 

 転移した瞬間これである。水路ある綺麗でのどかな街だというのに、景観を損なう怒鳴り声。どうやら、と前置きするまでもなく、見るからにプレイヤーが喧嘩中のようだ。

 しかし驚いたことに、怒鳴っている人物も怒鳴られている人物も俺のよく知るものだったのだ。

 

「(お、珍しい組み合わせ。……でもないか。黒ずくめはいつだってこれだ……)」

 

 聖龍連合(DDA)のタンカー隊の小隊長シュミットと、《黒の剣士》キリト。両者共に有名人である。

 発言者の内容はとりあえず脇に置き、俺は溜め息を呑み込んでまずその中心まで歩きながら切り出した。

 

「おいおい、穏やかじゃないな。やるなら裏路地でどうぞ」

「部外者は黙って……なっ、お前達は!?」

 

 仮にも小隊長に任命される男は、俺ではなくヒスイとアリーシャを見て固まっていた。誰もが認める最大手のDDAだったが、やはり女性という希少価値の前にはたじろいでしまうらしい。

 いずれにせよ愉快な気分にはならないが、気になるのは特にアリーシャに対して意味深な目線を送っていることだろうか。彼らの過去に何かあったのだろうか。

 とにかく、俺は1歩前に出ると目線を遮りつつ喧嘩の理由を訪ねてみた。

 すると、彼は思いのほかすんなりと説明してくれた。

 どうもタイムリーなことに、アルゴが持ってきた《圏内事件》について、キリトがおせっかいをしていることがシュミットには気にくわなかったらしい。それで怒鳴るほど怒り狂う理由までは話さなかったが、自白しないことが関係を如実に物語っている。

 助ける義理はないものの、仲間が見ている手前、放っておくのも格好がつかない。

 という消極的な理由を原動力に、俺は再び口を開いた。

 

「事情はわかった。……つってもどうよ? 俺にはキリトの代わりに情報を独占したいとしか聞こえねーぞ。だよな?」

 

 俺が振り向いて聞くと、レジクレの面々が口を揃えて同意した。あまりこうして数の優位性を利用したくはないが、キリトが同様にされているのだから目をつぶる。

 果たしてシュミットは、彼の率いる7人のギルドメンバーに(なだ)める形で立ち去っていった。

 「あまりコソコソと嗅ぎ回らないことだ!」などと言っていたが、それが負け惜しみであることは誰の目にも明らかである。

 その場には静寂が残る。それを最初に破ったのはキリトだった。

 

「悪いな気を使わせちゃって。助かったよ」

「いいさ。それより、シュミットってあのDDAの小心者だろ? あんな理不尽なことを言う奴じゃなかったぞ」

「それ思った~。討伐戦で見かける時は、あんなねちっこい人じゃなかったのにね。それが今日はいきなり……何かあったの?」

「それは俺もわからないんだ。ウラミを買った覚えもない」

 

 キリトも皮肉ではなく本気でそう思っているようだ。

 確かにDDA全体の評判はともかく、そのタンカー隊の隊長を務めるシュミット自身に悪い噂は聞かない。

 強い生存本能に従い全身を重厚な鎧で包む彼は、その性格の現れなのか攻撃的な姿勢をあまりとらない。にも関わらず、情報の独占をしようとしたり、所有物を無条件で渡すよう恐喝したりと、本日はガラにもなくヒートアップしていたご様子だ。

 

「《圏内事件》の話は聞いてるか? ……そうか。ちょうどその話で、証拠物件としてタンカーに刺さってた《ショートスピア》を俺が拝借してたんだよ。それを渡せと言ってきてな。……機会があれば、むしろ俺の方から聞きたいぐらいさ」

「ってことは、そのタンカーの元交際女の保護をしたって攻略組の2人は……」

「ああ、それは俺だ。本題に戻るけど、武器はプレイヤーメイドだったから、渡す前に銘が『グリムロック』であることを教えてやったんだ。そしたらあいつが血相を変えて……あ、ちなみにこれがその槍。固有名は《ギルティソーン》」

 

 そう言ってウィンドウを開いたキリトの両手に赤黒いスピアが顕現された。ダメージ認定の入る先端部分の穂先には逆棘がびっしり生えているが、ここまではよく見る特徴だ。継続的にダメージを与えられる武器は、同時にその武器が敵にヒットし続けられるような工夫が施されているものである。

 次に目がいったのは全体の色。本件のカテゴリの中では珍しく、全体を通して同一色のものでの統一性が見られる。グリップや柄の部分にもぶつぶつとした突起物があり、やはり実用的な武器とは思えない。レア度もパラメータもたいしたことはないだろう。

 《ギルティソーン》。見る限りでは決して最前線でも通用するような一級品のスピアではない。しかしこれが《圏内》という絶対的に安全の保証された空間で、プレイヤーの命を奪ったのだ。俺はそれを念頭に置きつつ、若干腫れ物でも触るようにその槍に触れた。

 

「銘が『グリムロック』……だったんだよな?」

「ああそうだけど、まさかそいつを知ってるのか?」

「いや知らん。けど、そもそも鍛冶屋が貫通武器を滅多に作らないから、そこが気になったんだ。まったく、どこの田舎者だよこんなの作りやがって」

 

 貫通属性武器が作成されない理由は簡単だ。

 この武器は、プレイヤーに対して使う時に最大の真価を発揮する武器だからである。

 穂先の特徴である逆棘のオプション。これは体に刺さった場合、引き抜くのに相当な筋力値が要求されることを意味する。しかし日々重装備での戦闘を強いられるタンカーが引き抜けないほどではない。だというのに《圏内事件》は成立した。

 そこにはもう1つ、引き抜けなかった大きな要因がある。

 それが『仮想の体を動かすための明瞭な脳信号』だ。

 早い話、抜く気がなければいかなる筋力値すら役にたたない。人が恐怖し、パニックに陥り、慌てふためく信号すらナーヴギアはキャッチするのだ。命令意思が混沌とするほど、『武器を引き抜く意思』が感知されなくなる可能性はある。これがプレイヤーに有効的であると言われるゆえんである。

 対してモンスターは指定の基準に従い行動を出力するので、恐怖を感じる段取りを踏まない。ワンステップ、つまり『武器を引き抜ける筋力値』が備わっていれば、それだけで追加ダメージを回避できる。

 同ジャンルで効果的と言われるのは投擲用ピックが挙げられる。

 与えられるダメージには期待できないものの、ヒット判定が起これば対処しようとするのがモンスターというもの。ワンパターンやループ行動を検出しない限りいちいちピックを引き抜こうとするので、それ自体がダメージ以上にスタンにも似た隙を生むメリットがあるからだ。

 以上のことから、手数を増やすためのオプション兵装ではなく、主武装にすることを前提にした貫通属性武器は、対プレイヤー用装備であると言い切れる。

 ゆえに流通も極端に少なく、ちょっとやそっと主街区近辺を洗っただけでは、プレイヤーメイドの貫通(ピアース)属性武器は出てこないはずである。

 

「(ぶっちゃけ死んじまった奴はどうにもならん。けど、それをコイツの前で言うのはタブーなんだよなぁ……)……しゃあねえ、俺の方でもなんかつかんだら知らせるよ。キリトも、よければ知ってるコトとか教えてくれないか?」

「ああ、せっかくだしな」

 

 こうして俺達は、アルゴから聞かされた以上に詳しく事件の詳細を知った。

 まず判明したことは、この《圏内事件》の手口を追う攻略組2人というのが、キリトとアスナであるということ。

 彼らの心中を問いただす気はないが、59層のフロアボス戦にキリトやアスナの姿が見られなかったことに説明もついた。

 次に判明したことは、被害者の名前と、さらに被害者と行動を共にしていた女性の名前だ。

 殺害されたタンカーは『カインズ』と言うらしい。そしてかつての交際相手の名は『ヨルコ』。2人とも中層を主戦場にするプレイヤーで、普段から行動を共にしているのではなく、その日はたまたま食事のために外出していたらしい。

 

「カインズに、ヨルコ……か。ルガやジェミルは聞いたことあるか?」

「ううん、まったく」

「ないねぇ。たぶん聞く機会すらなかったんじゃないかなぁ」

 

 収穫なし。などと思いつつ、たいした期待はしていないが。

 次に判明したことは、カインズなるプレイヤーの完全なる死。どうやら人伝に聞いただけではなく、キリトらはスキンヘッド褐色肌で巨漢商人のエギルを連れて、自分の目で確認しに行ったらしい。するとやはり《はじまりの街》の《黒鉄宮》に安置された《生命の碑》には、カインズのネームに横のラインが引かれていたのだ。彼は間違いなく現実でも死んでいる。

 最後に明日、被害者の連れである貴重な参考人ヨルコと再び会って、さらなる事情聴取をするらしい。犯人の心当たり、狙われた動機、それが現在でなくとも、過去に想起させることが起きたのか否か。推察するにも、情報がなければ話にならない。

 現段階であれこれ考えても、先入観しか生まないだろう。

 

「おけ、りょーかい。ま〜あれだ……聞いたからには協力するつもりだけど、あんまし期待するなよ」

「ああサンキューな。こっちも明日までは前進できそうにないよ」

 

 お礼代わりに、キリトには最前線の街についてあらかたの情報を教えてやった。俺だけ一方的に何かを聞き続けることがフェアではないと思えたからだ。

 それからお互いはすぐに別れた。

 少し時間がかかってしまったので、急いでリズの元へ行かなければならない。

 と言うわけで、急ぎ足にリンダースを横断したはいいものの、俺達一行がリズの立ち上げた《リズベット武具店》に到着する頃には、約束してあった時間を20分ほどオーバーしてからだった。

 扉の向こうに人気がない。さすがに遅すぎたのだろうか。不可抗力とは言え、連絡もなしに遅れてしまったのだ。攻略組からすれば夜間帯に活動することも許容範囲だが、彼女にとってはすでに就寝中でもおかしくはない時間である。

 ドアノブに手をかけるも、案の上それは開かなかった。

 どうも《フレンドのみ開錠可》設定にしているらしい。実際にフレンド登録を済ませているヒスイに頼むと、すぐに解錠音が聞こえる。

 あまりドアノブと触れている時間が短すぎるとシステムは認識してくれないが、ゆっくり1秒ほど握っているとロックが解除されるのだ。

 

「これもまた危険よね……」

 

 ヒスイがそんなことをこぼすのもわかる。

 この《フレンドのみ解錠可》。言葉の通りだが、借りている宿やホームの扉を開けられるようにする設定。他にはギルドメンバーだったり、夫婦であったりと、設定にはレパートリーがある。

 そんなこんなで、果たして俺達は無事《リズベット武具店》の内部に本人の了承もなしに侵入できた。

 ――この言い方は犯罪者臭いか。

 

「リズ~? 来たわよ~?」

「明かりはついてるみたいだけど、どこ行ったのかしら?」

「いねーのかな? いや、こんな時間に外出するはずが……」

 

 いくらなんでも寝る時に自分以外のプレイヤーに解錠できる権利を与えた状態にしたままにするとは思えない。《誰それのみ開錠可》設定は、寝る前には必ずオフにするはずだ。

 しかし俺達は、一応設定をし忘れて寝てしまっていることを考慮し、こっそりとリズ宅を捜索していた。

 すると、そこへノレンをくぐって奥の通路から現れた人物が1人。

 

「……あ」

「え……?」

 

 事件が起きた。

 髪をタオルで拭きながら現れたのはリズだったのである。

 髪を、拭いている。

 二の腕から、正確には肩甲骨辺りから先はバスタオルによる保護が存在せず素肌が露出(ろしゅつ)していて、湯だった体の至るところから水滴がこぼれていた。太もも辺りから覗く健康的な両足も魅力的である。普段から活発的で髪の色をピンクに染めた女性に反比例して、その扇情的な姿はある種の神秘性で醸し出していた。

 完全に、パーフェクトなまでにお風呂上がりな……、

 

『うおぉおおあい!? 男子は見るなーっ!!』

 

 直後、ヒスイとアリーシャによって男性陣は武具店から叩き出されるのだった。

 

 

 

 場も一段落し、全員が落ち着いてから俺達は勧められた椅子に座っている。……というより、ただの無言が展開されている。

 大きめのテーブルを挟んで片側には俺とカズとジェミル。反対側にはヒスイとアリーシャとリズがそれぞれ一列になって向かい合っている。合コンよりは集団お見合いという表現が近いだろうか。

 非常に気まずい。ジェミルは所詮バーチャル世界と割りきっているのか動揺は薄かったが、過去に1度《結婚》というSAO特有の仲になったカズはそうはいかなかった。つい数分前の艶かしい姿を思い起こしているのか、その顔はゆでダコのように真っ赤に染まっている。

 俺についてもなるべく平静を装ったつもりだが、感情の起伏を過敏(かびん)に表現することもこの世界の特徴だ。おそらく隠しきれない照れが顔に出ていることだろう。

 

「いえ、あなたたちは悪くナイノヨ……メッセージの送信ボタンを押したと思い込んで、そのままウィンドウを閉じちゃったあたしがいけナイノヨ……」

 

 アイライトの消えたリズが魂を吐き出すようにボソボソと言う。生気を失って人形のようになってしまったその姿からは、痛々しい脱力感だけが伝わってきた。

 ちなみに誤解を招くといけないので一応報告するが、現在彼女はきちんとウェイトレス姿になっている。

 結論から言うと、リズも俺達が勝手に武具店に入ってしまうことを予想し、外で少し待つようメッセージを送っていた……いや、送ろうとしていたのだ。到着の遅れた俺達から連絡が来ないことから、せめて時間を有効活用させようと、お風呂に入りながらメッセージ文を作成していたそうだ。

 しかしシャワーの音がクリック音を相殺したのだと勘違いしたらしく、自分がタップミスをしていたことに気付けなかった。

 結果、彼女は気を抜いたままゆったりとお湯に浸かり、体を拭き、脱衣所から鼻唄(はなうた)混じりに出てきたのである。

 そして先ほどのサプライ……もとい、悲劇が起きてしまった。

 

「大丈夫だリズ、俺らはもう忘れた。な? マッパは逆に色気ない」

「それはそれでヒドいわ……」

「わかった、じゃあ脳に焼き付けとく」

「そのまま焼き殺されたいのかしら?」

 

 うーむ、乙女心というものは扱いが難しい。ちなみに、マッパと表現したが下着だけは着用していた。

 

「ま、まあいいじゃねぇか!」

「よくない……」

「よくないかもしれないけど、過ぎたもんはしゃーない! それよか防具はピカピカにしといてくれたんだよな?」

「ええ、耐久値も全快させてあるわ。あと前借りたお金は本当に返さなくていいの?」

「んあー、いいってことよ、取り返せなかったワビだ。こっちは派手なトーナメントでバッチリかせいだからな」

「そのあとの攻略でも想像以上に貯まるの早くて、こっちのギルドホームは買えちゃったのよ。あとは貯蓄になるだけだし。……ところでリズ、今日のことなんだけど、《圏内事件》について何か聞いた?」

 

 ヒスイの問いにリズは首を横に振った。本日は仕事が(かさ)んでほとんど外出していないらしい。

 俺達はキリトから教わったことを含め、大体のあらすじをリズに話してやった。この事について金を取るつもりだったのではなく、単純に縁があるので注意したにすぎない。ましてや事件解明に乗り気でない俺に代わり、探偵まがいなことをさせるつもりもなかった。

 しかしリズは神妙そうに頷くと、さも当事者のような口ぶりで話し出した。

 

「カインズ……ヨルコ……どっかで聞いたことあるような……」

「リズも? あたしもどこかで聞いたような気がするのよね。特にカインズさん……昔どこかでその名前を呼んだ気がするのよ」

「ヒスイが? まぁ、たまに誰かと行動してたもんね。う~ん……あ、でも確か、この人達って昔は同じギルドにいたんじゃなかったかしら? あたしがまだ鍛冶屋として駆け出しだった頃に7、8人で来店してきたことがあったような……。リーダーが女性だったから珍しくて」

「へえ~、同じギルドでリーダーが女。……ケッコーしぼれるんじゃないか?」

「絞れるって何が……?」

「そりゃもちろん、犯人候補だよ」

『…………』

 

 空気の重量は確実に増した。

 ごく当然のことだが、簡単に言えば、俺は殺しの手がかりを同ギルドのメンバーから集めやすいと言っている。行動に移そうとしたその時点でかなりナイーブになりそうだ。

 俺の見立てだと、カインズなるタンクプレイヤーを直接殺したのはヨルコという女性ではないと思っている。しかし同時に、ヨルコという女性が重要参考人であるという揺るぎない確信を得ていた。

 それはキリトではなく、アルゴから知らされた情報の中に眠っている。

 

「いやそんな顔されても。……カインズが昔ギルドにいて、今は解散してるっつうなら、そこで起きたトラブルの可能性は高いだろ? そもそも男と夕飯食いに来たこのヨルコって女は相当うさんくさい」

「そ、そんなっ。会ってもないのに疑っても……っ」

「落ち着けよルガ。むしろキリトとアスナが真っ先に疑問に思わなかった方がフシギだよ」

「どうして……?」

 

 ヒスイの疑問に溜め息をつく。

 今回は偶然気が付いたが、俺だって進んで事件に片足を突っ込みたくはなかったからだ。

 もっともあの白黒コンビは、攻略では鬼に見えても情に訴えかけると非常に弱い八方美人である。予想するに、そのヨルコなる女がうまいこと被害者面をして、庇護欲掻き立てるような仕草でもしたのだろう。

 

「いいか、ヨルコは食事をしに《マーテン》に立ち寄ったんだ。あそこはウマいメシ屋も並んでるしな。……けど、メシつってるのに、カインズはフルアーマーで身を固めていた。これはおかしくないか? ファッションに鈍くても、それが常識外れなことぐらいわかるはずだ。俺だってヒスイとメシ食う時は服ぐらい選ぶ」

「う、ん……まあ、言われてみれば変ね……」

『…………』

 

 あっという間に手のひらを返して照れているヒスイを、両脇の女2人が冷ややかに見つめた。

 

「なんにしても、ギルドにいたなら残りのメンバーも知らんぷりは利かないだろう。でなくとも手がかりが少ないんだ、なら手は早く打った方が……おい。ちょ、何ニヤニヤ見てんだよリズ……」

「いやね、あんたさっきまでやる気がないとか言ってたくせに、ちゃっかり張り切ってると思って。やっぱり気になる? 素直じゃないわね~」

「ち、ちげーよバカ……」

 

 俺はプイ、と横を向くが、そこには笑いを堪えるカズの姿があるだけだった。

 そしてほぼ同時に全員が笑い出す。どうやらアルゴに言ったこととまったく同じ台詞を口に出してしまったことが、彼らの笑いの琴線(きんせん)に触れたらしい。

 笑われる俺はバツが悪そうに()ねるしかない。

 

「(ちくしょう、好き勝手笑いやがって……)」

「はぁ、笑った笑った。じゃああたしが覚えてそうなことなるべく教えておくわね。確かあの時、あたしの店に来た人はカインズさんとヨルコさんと……」

「よくもまぁ、客の名前なんて思い出せるな」

「な~に言ってるのよ。鍛冶屋もようは商業なんだから、記憶力は大事な武器よ? えっと、ちょっと待ってなさい、すぐ思い出すから。……あ、グリセ……ぐ、そう! グリセルダ! リーダーっぽい人をそのメンバーが『グリセルダ』って呼んでたのを覚えてるわ」

「ああーっ!!」

 

 そこへいきなりアリーシャが大声を出した。音量を調節してほしいレベルである。

 しかし突然どうしたというのだろう。『グリセルダ』だと、何かまずいことでもあるのだろうか。

 だが、その答えはすぐに判明した。

 彼女は思い出したくない思い出を探り当てたような顔をしたまま、こう言い放ったからだ。

 

「思い出したわ。やっと思い出した……そうよ、グリセルダは間違いなく8人ギルドのリーダーだったの。ギルドの名前は《黄金林檎》。ゴールデンアップルのイニシャルを取ってメンバーは『GA』と呼んでいたわ」

「え、何でそんなに詳しいわけ……?」

「言ったでしょ、思い出した(・・・・・)の。アタシがまだラフコフにいた時……そのギルドがターゲットにされたことがあったわ。誘導役だったから間違いない。ちょうど各パーティを転々としていた時期で、一緒にいた期間は短いけど、もしかしたらヨルコはアタシのことを覚えているかもしれないわね。ちなみに、DDAにいたさっきのシュミット君もGAの元メンバーよ」

「ほえ~。だからあいつ、アリーシャのことにらんでたのか」

「よく気づいたわね。……そしてもう1つ、ギルドが解散している理由も思い出したの……」

 

 アリーシャはここで長く溜める。

 その目は悲しみに満ちていた。

 

「ギルドリーダーが……殺されたからよ……」

「ッ……死んで、解散を……!?」

「違うだろルガ、『殺された』って。……でも、どういうことだ……?」

 

 俺も思わず声を出してしまった。

 ギルドリーダーが死んでいて、それによってギルドは解散を余儀なくされた。まるでハーフポイント戦でロムライルを失ったレジクレがあと少しで辿りそうだった運命そのものだ。

 リーダーが死に、ギルドが散った。

 残存員だけで再結成して《黄金林檎》が復活を果たす可能性というのは、実は極めて低い。曲がりなりにもプレイヤーの命を預かる組織の頭が死ぬということは、寸分違わずそういうことなのだ。

 それに今の言い方だと、フィールドに出てモンスターに死に追いやられたという意味ではなく、何者かによって殺害されたと言っているに等しい。

 その報復が《圏内事件》なのだろうか。

 しかし同時に確信もした。こんな偶然はあり得ない。

 

「(このギルドには何かある……)」

 

 止まっていた歯車が、ゆっくりと動き始めた。

 

 

 

 



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第80話 《圏内》に潜む罠

 西暦2024年4月23日、浮遊城第60層。

 

 カラン、とグラスの氷が傾く。

 広々とした店内に客は数人。ギルドメンバーも各々昨日の事件について話しているが、俺としては現状お手上げだった。

 昨日、カインズやヨルコが所属していたらしきギルドの名前が《黄金林檎》、そのリーダーの名前が『グリセルダ』だということが新たに判明した。

 加えてグリセルダはすでに殺害され、この世にはいないらしい。それこそがGA解散の直接的な原因。

 これらリズとアリーシャから頂戴した、新しい情報の一部始終だった。

 

「(あとはキリトの報告待ちだなぁ〜)」

 

 一夜明けた本日、キリトとアスナは重要参考人のヨルコにもう1度会い、さらに踏み込んで質問するらしい。

 彼らの待ち合わせ時間は午前10時。時間潰しにメンバーの武器を新調すると、あとは消耗しつつあった必須アイテムを大手の雑貨屋で買い足して待機している。

 現在は10時35分。喫茶店などに寄ってゆっくり話していてもそろそろ一連の聴取は終わる頃だ。

 キリト、アスナに昨夜のことは共有していない。なぜなら、知らせる前にクリアな気持ちで当事者に会わせ、彼らが率直に疑問を問えるようにしたからだ。

 せめて狭窄(きょうさく)的になりつつある視野が改善されることを祈るばかりである。

 そんな折に、俺にメッセージの着信音が届いた。

 

「……ッ、来た。キリトからのメッセージだ。全員集まってくれ」

 

 好きなように座って時間を潰していたメンバー4人を、ウィンドウが見られる程度近くに寄せた。俺も姿勢を正して深く椅子に座る。

 メッセージタブをタップする。すると、キリトから簡潔に纏められたヨルコからの引き出し情報が書かれていた。

 そこにはこうある。

 『ヨルコさんは《黄金林檎》という総勢8人の小ギルドに所属していたらしい。リーダーは女性でメインアームは片手直剣。昨日会った聖龍連合(DDA)のシュミットや、ジェイドに見せた槍を作った『グリムロック』も《黄金林檎》のメンバーで、その目的はアインクラッドの攻略ではなく宿代と食事代の確保だったそうだ。また、グリムロックはかのリーダーと《結婚》をしていたらしい。

 ある日、彼らは図鑑でしか見ないほどのレアモンスターと遭遇し、敏捷値を20も上げる指輪をドロップさせた。個人で用途を決めることができず、売却して儲けを分配するか、特定の誰かが装備するかでかなり揉めることになる。

 仕方なく多数決を採った彼らは、結果的に指輪を売却することになった。反対したのはまさに殺害されたカインズと、これを話してくれたヨルコさん。あとは現在DDAにいるシュミット。他のメンバーは全員賛成だったらしい。

 そしてその日、オークショニアに話をつけるために最前線の宿に泊まったギルドのリーダーさんは、深夜1時頃に何者かによって亡き者にされた。場所は19層のフィールドで死因は貫通属性ダメージ。

 だからたぶん、アイテム絡みの恨みだと思う。

 ギルド内で殺人ができた、あるいは動機があった人間は多い。特に売却に反対していたカインズ、ヨルコさん、シュミットは阻止するために手をかけた可能性は否定できない。だが他のメンバーにもアリバイはないので、現段階では何とも言えない。

 以上のことから、今回圏内でカインズを殺したプレイヤーはギルド内にいると思われる。

 報告は終わり。ジェイド達も何か気づいたら意見をくれ』。

 

「だとさ。返信はヒスイに頼んでいいか?」

「え、なんで?」

「文書くのヘタだから」

「……まあいいけど。でも何て書こうかしら? 被ってる情報も結構あるよね」

「シュミットさんやグリムロックさんが同じギルメンだったことは知ってたし。知らなかったことと言えば指輪かな?」

 

 そのカズの確認に対してはジェミルが答えた。

 

「敏捷値プラス20ねぇ。ボクもそんなアクセサリアイテムは見たことないよぉ。……あ、それとぉ、槍を作ったグリムロックって人がぁ、リーダーさんと結婚してたって言うのも初めて聞いたよねぇ?」

「こりゃヨルコのウサン臭さは倍増だな。こいつにウソをつく事情があったのか。……ああそれと、『ギルドのリーダーさん』って言ってたから名前知らないんだろうな。キリトにそいつの名前が『グリセルダ』つーことも教えとこうぜ」

「わかったわ。んーと……よし、だいたい今の意見をまとめられたかな。他にメッセージに載せとくことはないかしら? ……じゃあ送るね」

 

 ヒスイがそう言うと、可視化されたメッセージ窓がありきたりなサウンドエフェクトと共に消滅する。すぐにでもアスナの元へ届くだろう。

 ちなみにキリトからのメッセージなのに、なぜ回りくどくアスナへ送り返すのかというと、俺はキリトと《フレンド登録》を済ませているのに対し、ヒスイはアスナとしか済ませていないからだ。全員フロアボス戦の時などで《パーティ登録》程度のことはしたものの、俺はアスナとフレンド関係にないしヒスイとキリトも然りである。少々面倒だが。

 とそこで、アリーシャが神妙に発言する。

 

「う~ん、たった1週間そこらだったけど、一緒にいたアタシから見てもやっぱりグリムロックさんって変よ。だってほら、奥さんの死因……《貫通属性武器》でしょう? なのにあのスピアを鍛えるものかな? あと指輪のことも。だって、レアアイテムを1人で最前線に持っていくなんて危ないじゃない!」

「武器については確かに。けど、売りに行かせたことについてはなあ……話し合いで決めたなら、着服しようがない。しかも行き先は《圏内》だったんだ。よもや殺されるとは思わないだろうさ」

「アリーシャの気持ちもわかるけどね。あ~あ、最近アインクラッドでいい話を聞かないなぁ。あたしも結婚してるのにジェイドはヘタレだし」

「おいコラ、ケンゼンと言ってほしいもんだ。それにこの前……あ、いや……何でもない。……そ、それより! リズん時の割引サギじゃねぇけど、これだってほっといたらヤバイんだ。ほらみんなもシンキングタイム!」

 

 ん~、と言って一様に唸るレジクレの皆さん。

 やはり簡単ではないのか、現に俺もほとんど脳みそが働いていない。それに中々どうして、案外複雑な事件である。

 そもそもグリセルダがリーダーで、グリムロックがその夫。しかもこの2人は結婚しているときた。俺の言えた義理ではないが、この世界では珍しい関係にまで進んでいることに……、

 

「(んん~……珍しいと言えば、グリムロックと、グリセルダってスペルまで似てるな。これもグーゼンかな……?)」

 

 ただ、グリムロックは元より指輪の売却に賛成だったのだ。とすれば、アイテム使いたさに殺人まで犯す動機はない。

 問題は指輪の売却に反対していたヨルコ、カインズ、シュミットか。カインズは死んでしまっているから、グリセルダを殺した可能性がもっとも高いのはヨルコか、現DDAタンク隊隊長のシュミット。ここまで絞られる。

 だがそれ以上に、俺は夫婦間にあったグリムロックとグリセルダについて思いを馳せていた。

 ギルドのトップ2を夫婦で担う珍しさだけではない。ゆえに、名前のイニシャルと3文字目のスペルまで被るものなのかという疑問が残る。

 しかし、そこでふと思った。

 

「いや待てよ、《ギルティソーン》を作ったのはグリムロックだったな? んで、カインズの殺害を街中で演出した者がいる……ってことは、グリムロックは共犯者、なのか……?」

「複数犯の可能性はあるけど、ちょっと単純じゃないかな。《鑑定(ジャッジ)》スキルで犯人なんてすぐバレちゃうよ」

「たぶん、たまたま鍛冶スキルを持っていただけでぇ、その仲間が当時の武器を所持してたってだけだと思うけどなぁ」

「まぁ奥さんが亡くなっててぇ、犯人を突き止めようと意固地になるのもわかるけどねぇ。でもまさか、それだけでカインズさんを殺したりはしないはずでしょぅ?」

「…………」

 

 俺はそればかりは即答できなかった。

 例えば、本当に例えばの話だ。

 レジクレメンバーの誰かがヒスイに手をかけたとしよう。その時俺は自分を自制できるだろうか。……わからない。この例え自体が成り立つものではないのだとしても、やはりそう仮定すると、俺は死ぬまで犯人を探し続けるはずだ。そして必ず報復するだろう。『殺し』でもって復讐と成すことすら、俺はいとわないかもしれない。

 そして今回。

 最愛の人物を殺されたグリムロックによる制裁なのだとしても、さすがに動くのが遅すぎる。グリセルダが亡くなった日が去年の10月であることから、すでに半年もたったことになる。それに現場には、プレイヤーメイドの《ギルティソーン》を残してしまっている。ここまで露骨だと、『犯人は自分です』と明言しているようなものだ。カインズの死を人口密集地で派手に演出した意味も、その場にわざとらしく自分の作った武器を残した意図も見えない。

 それともグリムロックは自分への疑いを薄めるため、あえて時間をおいて殺人に踏み切ったのだろうか? 確かに半年も開ければ恨みとの動機付けは薄くなり、容疑者から外れやすくもなる。

 ……いや、それでもやはりカインズの死を見せしめにした意味がない。

 

「じゃあ昨日の事件でぇ、誰か普段のルーティンと違う行動した人がいないかぁ、調べるのはどうかなぁ」

「いいなそれ。昨日の夜から俺らがまさにそうだけど。……じゃあここからは二手に別れよう。ルガとジェミルとヒスイは中層に降りて、なるべくフリーの情報屋を当たってみてくれ。今のヨルコ達の攻略層……どこだっけ」

「44層」

「そう、44層辺りの主街区で聞き込みな。とりま指揮はヒスイ。俺はアリーシャと一緒にシュミットに当たってみるよ」

「え、ジェイドはアリーシャと行くの? ……ああそっか。シュミットさんがアリーシャのこと覚えているかもしれないのね」

「そういうこと。んじゃ、一旦解散!」

 

 明らかにダベるためだけに立ち寄った喫茶店モドキから出ると、一行は真っ先に《転移門》へと向かう。そこから俺とアリーシャは56層へ、残りの3人はヨルコが攻略中だった44層へそれぞれ別れた。

 それにしても、アリーシャと2人きりでの行動というのも久しぶりだ。相変わらず淡く発色しているかのような明るい髪と、すっぴんが隠れるほどのメイクには慣れなかったが、出るところの出た甲冑女が横を歩いているだけで高鳴るというものである。おまけに最近は露出多めのスタイルに戻りつつある。

 なんて、こんな邪念が顔に出るとヒスイの佩剣(はいけん)する武器が光の速さで首元に突き付けられるので、平常心を取り戻しておく。

 俺はアリーシャの方をちらりと(のぞ)くと、なるべく当たり障りのない話題を切り出した。

 

「シュミットに会うのさ……イヤならイヤって言ってくよ。強要はしたくない」

「んふふ~過保護ねジェイドって。アタシがギルドに入ってから遠慮してるんじゃない? それとも、可愛らしい女の子を守るナイト様になってくれるのかしら。あ~んアタシ嬉しい~」

「わかった、1人で行って来い。責任はアリーシャ持ちな」

「ちょっ、そこは遠慮したままでいいのよー!」

 

 涙目で笑いながら訴えてくるが、俺をからかおうとした罰だ。

 その後も「アタシ口下手だから~」や「体育会系の人って苦手なのよね~」などと言った抗議活動をあらかた無視し、ずんずん進むこと数分後にはDDAの本部前に到着した。

 ちなみに体育会系のくだりについては、単にシュミットのガッチリとした体格から想像しているだけだろう。もっとも、アリーシャは昔GAと短期間ながらも過ごしていたので、その時に真偽を確かめたかもしれないが。

 なんてことを話しているうちに、堅苦しい壁門が進路を塞いできた。

 

「さて到着はしたけど……お、あそこに門番が2人いるな。いかにもいかつい表情だけどアリーシャなら説得余裕っしょ」

「ちょっとさっきの引きずりすぎよ!」

「頼むって、後ろから援護するからさ。レッツゴー!」

「えぇえっ!?」

 

 背中押して暖かく見守っていると、どうやら順調に話は進んでいるようだ。元よりアリーシャはこの手の会話には手慣れているはずである。ラフコフ時代に培ったアドリブ会話力は、なにも犯罪だけに活かせるものではないし、直前まで嫌々と駄々をこねていた彼女からは単なる怠惰というニュアンスがひしひしと伝わってきていた。

 そして話を聞く限りでは、どうもシュミットは本日の攻略はお休み状態で、いつでも本部内で会える状況にあるという。しかし本人は現在プレイヤーと会うことに消極的なようだ。ここへ訪れた用件も先に聞きたいらしい。

 その段階でようやく、俺は物陰から身を隠すのをやめて彼らに近づいた。

 

「あー悪いねお2人さん、それ俺が頼んでるんだわ」

「あ、レジクレんとこの! なんすか、来てたんすか。じゃあ名前だしときます?」

 

 ヘルメットのバイザーを上げながら、男性がにこやかに答える。

 しかし、ギルドの名前を出しても目標は釣れないだろう。

 

「いや、俺の名前は伏せて、代わりにこう言ってくれ。『アリーシャから、グリセルダの指輪について聞きたいことがある』ってな」

 

 案外、個人ぐるみな会話では親しみやすく協力的なところもDDAらしい。

 そして手の内から有力なカードを2枚ほど切ったものの、幸いなことにその影響はすぐに現れた。

 指輪の話を持ち出した途端、巣篭(すご)もり中のシュミットがギルド本部でなら話に応じると言ってきたのだ。

 俺とアリーシャは早速、要塞のような本部の廊下へと案内され、やがて気怠そうなシュミットが現れると、険しい顔をされたまま彼の部屋へ招かれた。

 そこは広い部屋だった。壁掛けの調度品はもちろん、武器の収納ケース、ソファとテーブルの一式、その他の調度品に関しても高級な質感がある。さすがはDDAのタンク隊リーダーといったところか。

 しかし障害もなく重要参考人に謁見(えっけん)できてしまったわけだが、予想していた通り当の本人はソワソワしていた。

 同時に彼が「大事な話がある。席をはずしてくれ」と言うと、随伴(ずいはん)していたメンバー2人が部屋から退出した。これで場は整った。

 入り口で預かられて武装もしていないのに、お互いピリピリとした緊張感のなか、眉間にシワを寄せたシュミットは声色(こわいろ)も低く切り出した。

 

「あんたらどこまで知ってる。特にアリーシャ……」

 

 深く沈む上質なソファーに座り、暖かい紅茶まで出しておいてなお、やはり開口一番は強い口調から始まった。どうやら、あくまでも会話の主導権を握りたいらしい。

 しかしどうだろう。そこには警戒というよりも恐怖心が先だって見える。

 どこまで知っているのか、と彼は問うた。つまりヨルコを経由して、俺達がどこまで事件について知り得ているかを知らないということだ。連携が取れていないのか連携していないのか。いずれにせよ、カマかけにしては質問が浅い。これでは無知に見えてしまう。ヨルコとカインズは、現時点で利害関係はないのかもしれない。

 

「どこまで知ってるか、ねえ……てか俺への言及はなしか?」

「ふん、あんたはリーダーだから付いてき。だろう? 同室は許可してやっているんだ。部外者と自覚するなら、せめて黙ってくれ」

「ゴールデンアップル。つまりあんたらが言うところの《GA》は、半年前まで8人ギルドだった。しかし敏捷値を20も上げる激レアな指輪でモメて……その日の夜、リーダーのグリセルダが何者かによって殺された。おかげでお互いを疑ったまま、ギルドは解散しましたとさ。……違うか?」

「な、ん……どうし、て……それ……っ」

 

 いきなり正解を語りだしたからか、シュミットはテーブルを挟んで対面に座ったまま、微妙に腰を浮かしてあからさまに動揺していた。

 アリーシャからも「いきなりそこまで打ち明けていいの?」と不安な表情を寄越されたが、ここの判断に委ねたようだ。

 と言いつつ、俺も内心賭けで喋ったようなものである。第一印象で豊富な情報力を見せつけ、ペースを掴んでから相手側の情報を抜き取る。古典的な交渉術だ。

 だが効果は覿面(てきめん)を大きく通り越し、怖いほどにドハマりした。

 

「な、なんでそれを! それとも、オレが殺したって言いたいのかッ!? 違うぞ、そこまでしてない! そもそもお前達はなんでこんな探偵ごっこを!!」

「落ち着けよシュミット、犯人は誰それだと言いに来たんじゃない。ていうか、俺らってば別にグリセルダの件についてはあんまり興味もないしな。……ただ事実確認がしたい。俺が言ったこと、間違いはないな?」

「……く……ああ、ない。オレは確かに売却に反対した。どうにかして指輪を使いたいとも……思った」

「…………」

 

 想像していた通り……いや、それよりもスムーズに進んでいる。

 シュミットは焦りからか、聞いてもいないことを次々と吐露(とろ)してくれた。自分が売却に対し反対派であったことと、その動機まで。

 なかなかどうして、小動物のような姿になってしまった大男を見ると少々良心が痛むが、遠慮していても始まらない。押さえるところは押さえ、伏せるところは伏せなければならないからだ。

 俺はもっと踏み込んだ質問をするべく再び頭をはたらかせた。

 

「情報源つうとギョーギョーしいけど、まあ人づて……昨日のキリトから聞いたんだ。でも確かに、俺よりアリーシャから話を聞いた方が早いかもな。半年と少し前だったか? ちょっとだけ一緒に行動してたらしいじゃないか」

「……ええ。アタシは指輪の件が起きる直前にパーティから外れたけど、解散したことは知ってるわ。……ねぇシュミット君、クレイヴが今どこにいるか知らないかしら?」

「ク、クレイヴの奴がどうかしたのか? 知らんぞオレは。生きてるかどうかも知らなかったんだ!」

「おーちつけって。ていうか誰よ、そのクレイヴって」

 

 聴取のマストは山積みされているというのに、彼の気分が高揚してしまっていることにややげんなりしつつ、俺はめげずに話に割って入った。

 

「元GAのメンバーだ。メイン武器は短剣。軽装でサポートによくまわっていたから、あんたらのギルドでいう、ジェミルって男と役割が似ている」

「や、そういうんじゃなくてさ。もっとこう、事件との関わりとか」

「関わっているかどうかはアタシもわからないの。けど……その……」

 

 あごに手を当ててアリーシャが口ごもった瞬間、シュミットは食い込むように口を開いた。

 

「じゃあ何で聞いたんだアリーシャ。……お前、もしかしてなにか知ってるんだな!?」

「し、知らないわよ! アタシは指輪の件より前にギルドを抜けたんだから!!」

「いいや怪しいぞ、元ラフコフのくせに! そう言えば思い出したぞ。お前確かクレイヴに言い寄られてたよな? その時に何か……」

「それも関係ないわ! あれは彼の勘違いもあって……し、質問してるのはこっちなんだから話を逸らさないで!」

「なんだその言いぐさは!? それが人にものを頼む態度か! だいたい、お前が来てからギルドはおかしくなったんだ!」

「アタシのせいだって言うの!?」

「…………」

 

 ギャアギャアと喚き合う2人。これが一抹の寂しさというものだろうか。友達の友達と友達が俺をよそに話している疎外感と言えば伝わるかもしれない。話に混ざれている感が薄れてきた。

 ともかく、俺を置いてきぼりにして遥か遠くに行きかけた男女2人をひとまず呼び戻す必要がある。

 

「ちょいちょいお2人さん、昔の恋バナにふけってるとこ悪いんだけどさ。クレイヴがホレたハレたとかはたぶん事件とは関係ないだろ。それよか、メンバーの全体像を教えてくれよ。じゃないと話についていけない」

「あ、その……ごめんなさいジェイド。……クレイヴの他には……グリセルダ、グリムロック、カインズ、ヨルコはもういいわよね? 残りはチェーザル君、ヤマト君……」

「んで、最後がここにいるシュミットか。それで8人」

 

 指を折りたたみながら数えてみる。

 個性的な名前は喜ばしいことである。ここで没個性的な名前が列挙されたところで、吸収力の剥落(はくらく)したスポンジ頭しか所持していない俺は、面倒なことにメモを取らざるを得なくなってしまうからだ。

 新登場したのはクレイヴ、チェーザル、ヤマト。よし、きっと覚えた。

 

「オッケー。じゃあシュミットってさ、昔のリーダーたちが結婚してたことは知ってるんだよな?」

「当然だろう。全員知っていたぞ」

「問題はそこからなんだけど、当時のグリムロックは妻が死んだ時、どんなリアクションしてたよ? なるべく具体的に頼む」

「どんな……と言われても困る。放心状態だったというのがしっくりくるとしか……」

「犯人を特定しようとヤッキになったりは?」

「しな……かったはずた。そんなことはしてなかった。ただ静かにうなだれていたよ」

「そっか……」

 

 俺はここで押し黙った。

 その場の繋ぎとして出された紅茶を口に運びつつ、そしてゆっくりと考える。

 シュミットには知るよしもないが、俺にはヒスイというかけがえのない恋人がいる。互いに死線を(くぐ)り、背中を預ける仲となった大事な女性。その笑顔を、関係を、命を守るためなら、惜しみ無い誠意を尽くすことができる相手。

 そんな彼女が、殺されたと仮定しよう。

 これは先ほどもシミュレートした、ある種のまったく想像したくもない世界の話だ。しかし、やはり何度その状況に出くわしたことを考えても、黙って引き下がれるようには思えなかった。むしろその瞬間から、ヒスイを殺した人物を殺そうと激昂するだろう。

 しかしグリムロックはそうしなかった。

 俺と彼の間に、何の違いがあるのか。

 格好つけて、感情に身を任せず自制した行動をとったとでも言いたいのだろうか。……いや、そんなことはあり得ない。

 今さら『仮にもゲーム』で結婚、なんて曖昧な関係ではないはずだ。俺の予想が正しければ、グリセルダとグリムロックは俺とヒスイ以上にもっと深い間柄だったはず。だとするなら、ますますグリムロックが半年も事件を放置していた理由が見えない。なぜ死んだ妻に対し、そこまで落ち着き払った『死の受け入れ』ができたのかがわからない。

 たった1人の愛する女が、粗末な方法でこの世を去った無念。その怨念がどうしても薄っぺらく感じてしまう理由。

 と、そこまでの俺の黙考をどう受け取ったのかは定かではないが、沈黙に耐えかねたようにアリーシャが質問を続けた。

 

「じゃあグリムロックさんが今どこにいるのかは? 普段滞在しているのがどのホームタウンかさえわかれば、こっちでも調べようがあるわ」

「すまないがそれもわからない。どころか、今も生きているのか、すでに死んでいるのか。……それすら知らないんだ。あいつはギルドが解散してから、1人でひっそり暮らしたいと言った。仕方ないだろう? そんな人間と無理に攻略を続けようなんて無理だ」

「そう、よね……彼も辛かったでしょうから……」

「…………」

 

 俺はそれを聞いた上で、どうしても傾いた視点が頭を離れなかった。

 グリムロックが生死すら不明なほど元GAメンバーから距離を置いているのは、本人が故意に隠れているからではないのか、と。

 アインクラッドには本格的な捜査機関がない。1度連絡が途絶えれば、プレイヤーの居場所の特定など、基本手当たり次第な手作業となる。それを見越しての隠蔽ではないのだろうか。

 もちろん、これは憶測だ。

 キリトは指輪の売却に賛成した、あらゆる容疑者の居場所が特定不能だと言っていた。であるならば、やはりグリムロックと連絡がとれないことも、彼だけがわざと身を隠していることにはならない。

 これはいけない流れだ。思考が凝り固まって先入観だけが渦を巻いている。

 二次情報に振り回されるのも嫌になり、俺はかぶりを降ってから立ち上がった。

 

「もういいよシュミット、ジャマして悪かったな。……でも最後に聞かせてくれ」

「……ふん、探偵ごっこが好きな男だ」

「違うっての。……なあ、お互い人の上に立つとさ、決断迫られるときあるじゃん? もし戦場での判断ミスで、その……部下が死んじまったら、あんたはどうする?」

「そ、それは……どういうカマかけだ……」

「ただのキョーミ本意だよ。もしもの話……ほら、あんたもタンク隊リーダーだろ? 指揮権持ってると、自分の命令で人が死んだりもする。お互い似た立場だ、意見だけでも聞きたいんだよ」

「…………」

 

 そこでシュミットは深く(こうべ)を垂れ、浮わついた表情のまま周りをキョロキョロと見渡した。そしてしばらくして落ち着いてから次のことを口にする。

 

「フザけた尋問だ。こッ……これは、復讐なんだよ。グリセルダが……殺した人間に報復しているんだ。でないと説明がつかない! 《圏内》で人が殺されたんだぞ!」

「オイオイ、売却に反対した人間全員を殺しに来るとでも?」

「あァっ? 売却ッ……ああ売却か。そう、それに反対した奴らもそうだ! けど、それだけじゃない! 殺した犯人もっ、みんな殺すつもりなんだよ!」

「……トラウマだったら、思い出させてすまん」

「クソ……だから嫌だったんだ、こんな話……ちくしょう……」

「ああ、そうだな。過ぎたことはともかく、これから起きる殺しについては、俺も全力で止めようと思う。あんたもなるべくここから出ないように。あと、他にも何か思い出したことがあったら教えてくれ。……行こうアリーシャ」

「う、うん……」

 

 見送りはなかった。だが、目頭を抑え、深くうなだれる男にそれは強要できまい。

 俺は(きびす)を返すと部屋の出口に向かった。

 結局のところ、自分の判断ミスで仲間を見殺しにしてしまった時の対応を彼がどうするのかは聞けずじまいだった。

 呵責(かしゃく)に押し潰されて自暴自棄になるのか、はたまた頑丈なポジティブ精神に則って後ろを振り返らないのか、あるいは……ミスを無為に知られないよう、なるべく隠そうとするのか。それは本人だけが知るところだ。

 しかし回答が聞けなくてなお、収穫はあった。

 彼はきっと、清廉潔白ではない。しかし同時に、無慈悲な男でもない。事件をほじくって本音が聞けたのも大きい。

 俺がこれで身を引いたのは、これ以上の質問は必要ないと判断したからだ。事件に関わりの無さそうなクレイヴ、チェーザル、ヤマトはともかく、グリムロックの所在を突き止めて本当の話が聞ければほぼチェックメイト。この段階まで来た以上、グリムロックの生死すら把握していなかったシュミットが用済みになったのも道理と言える。

 そんなことを思いながら、扉のドアノブまで手をかけたところで彼が呼び止めた。

 

「なぁジェイド、あんた……」

「ん……?」

 

 攻撃的な声色ではなく、そこには若干の羨望(せんぼう)が見え隠れしていた。

 

「あんた、そんなに堂々としている奴だったか? おかしいだろ……この2、3ヶ月で何があったんだ。リーダーと言っても、最初のうちは……」

「ああ……」

 

 そういうことか、という相づちを飲み込んで、俺は言葉を選んでからその問いに返す。

 

「仲間に恵まれたからな。けど1番デカいのはさ……やっぱ、失うまいと必死になれたからだと思うぜ。レジクレに参加したいっつー野郎がいくらいても、結成当初から俺らのギルメンって数が変わってないだろ? それな、俺が全部断ってるからなんだ。互いが仲間と認めるに足る経験、みたいな。……まあメッチャ独断だけど、そういうプレイヤーに厳選してるんだよ」

「仲間と認めるに、足る……?」

「難しいこと言ってんじゃねぇぜ? 『助けて』って言われた時、ツベコベ言わず命懸けられるかって話さ。それができりゃ晴れて《レジスト・クレスト》だ。……つまり、そんな仲間のためにエンリョなく全力尽くせたから今の俺がいるってこった」

「…………」

 

 これがシュミットにとって満足のいく答えだったのかは定かではないが、俺はついでとばかりに思い出したことを彼に伝えるため振り向いた。

 

「そうそう、キリトも機会があったら話したいって言ってたぞ。その時は今のをそのまま話してやれや。……じゃあ昼時に悪かったな、紅茶うまかったよ。これが済んだら、今度は攻略で会おうぜ」

 

 その言葉を最後に要塞のようなDDA本部をあとにする。

 ここからは低層に降りてグリムロックについての聞き込みである。今のところ誰からも連絡がないことから、ヒスイ達も満足のいく情報は得られていないのだろう。

 しかし彼女らに進捗を連絡しようというところで、隣を歩くアリーシャが目を合わせずこんなことを言った。

 

「ねぇジェイド、せっかくだからアタシも昔のGAメンバーとコンタクト取れるか試していいかしら?」

「なんだ、アテがあるのか。なら俺も……」

「あっ、1人でいいわよ。彼らも知らない人が同行してると警戒するだろうし」

「……そっか……わかった。その辺はアリーシャにしかできそうにないしな。じゃあ何か判明したらそのつど教えてくれ。《転移門》着いたら別行動で行こう」

 

 何だかんだと首を突っ込んでいる俺。そして文句を言わず積極的に調査しようとするアリーシャ。この時は、まったくと言っていいほど疑問を持たなかった。むしろ進ん協力してくれることに感謝すらしていただろう。

 それが、のちに新たな事件の引き金になるとも知らずに。

 

 

 

 



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第81話 憎しみの連鎖(前編)

1050件のお気に入り登録者数を達成しました。作者冥利につき、とても嬉しく感じます。幸運にも暖かい読者様方に愛されているのだと一層自覚し、より精進していきたいと思います。


 西暦2024年4月23日、浮遊城第44層(最前線60層)。

 

 44層の異国的(エキゾチック)で陽気な雰囲気に反し、2メートルほどの高さにまで積まれた赤銅(しゃくどう)レンガの上に、暗い顔をしたまま俺は座っていた。

 ところで、天才は1パーセントのひらめきと99パーセントの努力のことである、という名言がある。誰でも知っているはずだ。誰が言ったのか覚えていないのは言わない約束。

 もっとも、1パーセント程度のひらめきなら俺を含む凡人にも備わってはいるだろう。しかし、例えば俺は残りの99パーセントの努力を怠ってきたことを認めざるを得ない。俺にとって人生で頑張った期間など、サバを読んで3割程度だろうか。

 ここで話題を戻そう。

 ようするに、反復してものを覚えること、目上の人間に素直に従うこと、そうした本来ガキの頃に当たり前にクリアしてきただろうハードルを飛ばずに(くぐ)り抜けてきた俺は、黙ってじっくり問題に取り組むといった我慢強さがなかったのだ。ハードルは上げすぎると潜りやすい、という皮肉もあながち的を射ている。

 頭がパンクしそうだった俺はがむしゃらに突っ走るのをやめ、行き詰まった情報をまとめることにしていた。

 

「(こうなると、どいつもこいつも怪しいもんだなぁ……)」

 

 まず49層で死んだカインズについて。

 これは個人の証言ではなくキリト、アスナ、エギルがそれぞれ確認していて確実性がある。彼が《黄金林檎(GA)》のリーダーであるグリセルダを殺していたのであれば、半年前の指輪事件についてはお手上げだが、ここはあえて彼ではない場合を前提にしよう。

 次はそのカインズと、直前まで一緒にいたというヨルコなる女性について。

 おそらく彼女は嘘をついている。

 どうやら『見慣れない街でカインズとはぐれ』、そのまま彼が亡き者になったらしいが、見失った原因とやらについても説得力がない。常識的に考えて、交際していた相手と食事に行き、そこで偶然にもはぐれるだろうか。万が一はぐれたとして、事件とのタイミングが示し合わせたかのようである。

 おまけに『到底食事に来たとは思えない服装』についても説明はない。シュミットがレストランを探している時に完全武装していた理由がないのだ。

 次に《ギルティソーン》の作成者であるグリムロックについて。

 妻の死に直面してなお淡白な反応と、貫通属性武器の作成。ただでさえ対プレイヤー用の武器といった常識に反し、彼は固有名《ギルティソーン》を鍛えた。そこに何の思惑があったのかは、やはり当人を捕まえて厳しく問いただすしかない。

 最後は聖龍連合(DDA)のタンク隊リーダー、シュミットについて。

 ジェミルは言っていた。《圏内事件》でルーティンを外れた人物を調べるべきだと。

 すると意外なことに、事件の反動で元GAのギルドメンバーで動きのあった人物こそ彼だったのだ。

 48層主街区(リンダース)の《転移門》付近でキリトにらしくもなく怒鳴ったことも、攻略を放棄した上でDDAの本部に籠城(ろうじょう)していたことも。《圏内事件》というエサによって陸に釣り上げられた魚とはシュミットその人。

 彼は明らかに怯えている。

 だからこそ、俺は最終的に『収穫あり』と判断したが、これは強がったのではない。彼は無意識のうちに2つの手がかりを落としていた。

 1つはグリセルダ殺害の件で問い詰めに来たのだと誤認していた時。彼は「グリセルダは殺していない。そこまではしていない」と慌てて弁解した。これは非常に考えさせられる言葉だ。

 もう1つは49層で死んだカインズ同様《指輪売却反対派》としての動機だろう。売却に肯定的だった側からすれば、反対派は厄介者にすぎない。同じく反対派だったシュミットには『肯定派によって凄惨に殺されたカインズ』が事実として刻まれ、このままでは彼と運命を共にすると考えたのだろう。

 しかし不思議である。

 であるのなら、気になる2つ目のセリフ「グリセルダの復讐だ」なる言葉がどこから発生したのかが謎になる。

 この場合は「売却肯定派全員の復讐だ」と言うべきところであるはず。

 彼が復讐を最も恐れているのは、グリセルダが殺害された原因の一端を担っているから、とは考えられないだろうか。だとすれば「そこまではしていない」というズレたセリフもきっちりと噛み合う。

 『オレはグリセルダ殺害への手助けをしたが、直接殺しまではしていない』。

 こんな言葉が生まれてもおかしくはない。

 

「(1人で宿に泊まりに行ったグリセルダを……殺すために、手を貸すことになっちまったとか……)」

 

 彼のセリフをリマインドすると、脳が糖分を得たように冴えだした。

 ギルドリーダーが殺されたのは深夜帯。場所までは聞きそびれたが、キリトのメッセージには「19層のフィールドで殺された」とあった。

 このことから、俺はてっきり公共(パブリック)スペースで寝ていたところを担架(ストレッチャー)などで運ばれたとばかり思い込んでいた。前線の宿代の高さ、勝手の違い、睡眠PKの流行前である時期、あらゆる方面から見た俺の客観性がそう訴えたのだ。

 だが違う。

 俺や、おそらくはキリトとアスナも下しただろう判断は、大きく間違っていた。

 内部から手を引いた人物がいたとしたら、『パブリックスペースで寝ていた』という、殺害されるのに必要な『都合のいい不注意』さえ必要なくなる。

 もしこれが真実なら、グリセルダが狙われた時にたまたまレアな指輪を所持していたのではなく、レアな指輪を所持していたからグリセルダが狙われたことになる。

 キリトは反対派であるシュミット、カインズ、ヨルコには動機があると言いつつ保留にしたが、こんなものは保留で済ますわけにはいかない。

 ギルドリーダーは《約定のスクロール》という、ギルドの運営機能全般を(たまわ)る特殊なウィンドウをいつでも開くことができる。

 そして俺はギルドのリーダーだからこそ、すぐに思いついた。

 ギルド名義で宿をとると、デフォルトで借用部屋が《ギルドメンバーのみ解錠可》設定になることを。

 寝る前にこれをオフにしなかったせいで、男女間の関係から仲良しギルドに亀裂が入った例すら聞いたことがある。昨日あった《リズベット武具店》でのいざこざも、元を辿ればこの機能が原因だ。

 1人で、宿に泊まりに行った。

 まさかギルドメンバーが追って来るはずもないので、開錠設定をオフにし忘れた。と言うより、自然とオフにしなかった可能性は十分に考えられる。

 もし、シュミットがグリセルダの寝ている部屋に入れたとしたら。

 

「(誰か連れ込んでそいつに殺させることができる。寝てさえいれば完全決着でデュエルを仕掛けりゃいいだけだ……)」

 

 とは言え、そこまですれば立派な犯罪。幇助(ほうじょ)ですらない、もはや当事者だ。『お前それ立派な殺しじゃん』と言われても仕方がない。

 それでも俺はシュミットを追い詰めなかった。その理由ももちろんある。

 

「(部屋の扉を開けて、その場でマジに殺させた可能性は低いからな~)」

 

 『そこまではしていない』。

 この言葉が邪魔をする。

 シュミットが扉を開けて、一緒に部屋に侵入した者に殺させるなどといった、直接的な犯行ではないと踏んでいる。

 彼は途中まで共犯していた自覚すらなかったのだろう。グリセルダを殺した犯人の顔や名前を知らないことは当然として、どうやって殺したのかも知らないはずだ。グリセルダが死んで初めて取り返しのつかないことをしてしまったのだと気づいた。

 何ができる?

 シュミットには何ができた?

 時間差でメリットを生むアイテムがあるとしたら辻褄(つじつま)は合う。例えば事前に……、

 

「(そうだ、コリドー! あのポータルの出口設定で……)……ああクッソ、マジでできるぞ。シュミットの奴……ッ」

 

 俺はなるべく小声でぶつぶつと吐き捨てた。

 可能性としては低くない。これなら宿で寝ていてもグリセルダを部屋から引きずり出すことができるだろう。

 回廊結晶(コリドー・クリスタル)の出口を設定するだけで、犯人の顔を見る必要もない。指定された場所にクリスタルを置けば受け取りなどいつでもいい。戦闘経過記録(コンバットログ)も攻略ヒストリもないSAOならではの共犯殺人だ。

 だからシュミットは「そこまではしていない」と言った。

 しかしなぜ、わざわざそんな不可解なことをしたのだろうか。

 無理なく推測すると、殺害班からメモなりメッセージなりを送りつけられたあとということになる。簡単なことだ。レアな指輪をこっそり盗んで売り払い、殺人者とシュミットで分ければ半々。本来8分の1になることを考えればそれだけで実に4倍の儲け。この金をちらつかされれば、「指輪を独占したい気持ちがあった」と告白したシュミットの我執(がしゅう)から、軽犯罪を助長させることぐらいできたかもしれない。小さなエゴを風船のように膨らませることができたかもしれない。

 だが、またしても時間軸的矛盾が起きる。

 先にギルメンから漏れない限り、殺人グループに『グリセルダがレアな指輪を持っている』という事実自体が伝わらないはずだからだ。シュミットが犯罪者を特定し、その人物に指輪のことを知らせたとしよう。だがこれでは彼が殺人者の顔や名前を知っていることになってしまう。

 俺はまたしても首をひねる。

 

「(他の反対派の仕業か? ……いや待て、ヨルコがグリセルダを殺ったなら、キリトに洗いざらい話すか普通?)」

 

 いかようなメリットも存在しない。考えれば考えるほどあり得ない。

 

「(しかもカインズは《圏内事件》の被害者になってやがる。……んがぁ、どうなってんだこりゃ。マジでグリセルダの亡霊でも出たってのか……?)」

 

 ダメだ、今度こそ手詰まりである。

 惜しいところまで迫ったつもりだが、やはり俺はいつも決定打がない。探偵漫画、推理小説などでは必ず主人公は『証拠』という必殺技を用意するが俺にはそれがないのだ。

 あるのは願望、そして希望的観測。推理が合っていたら格好いいという憧れ。

 そもそも、誰の証言かは知らないが、カインズの殺された現場では『人影を見た』と言われていたではないか。その人影とやらはクリスタルも使わず、《ボックス》状態の塔から何らかの手段で脱出して今ものうのうと生きている。指輪事件は無視するとして、このトリックが明かされない限り進展もない。

 

「(と、それよりも合流が先か……)」

 

 聞き込みが終わったらしきヒスイ達と合流するべく、俺は考えるのをやめつつ合流ポイントへ足を運ぶのだった。

 

 

 

 ヒスイ達と合流できた俺は、早速お互いの収穫を聞き出しあっていた。

 

「……ってな感じだ。なんかピンとくるとこあったか?」

「へぇー、すっごい詳しいことまで聞いてきたのね。昨日の怒ってた態度から、シュミットさんも話す気ないと思ってたのに」

「ま、幸運ありきの話術だな。俺も口がうまくなったもんだよ」

 

 などと冗談を言い合ってはいるが、やはりヒスイらもこれといった有力情報を確保していたわけではないようだ。

 現在時刻は午後2時前。

 44層の主街区全体に鳴り響くNPCによる明るい演奏を聞きながら、俺はレジクレのみんなと住宅街を歩いていた。日本人特有の外国コンプレックスがそう思わせるのか、『らぐじゅありー』な感じの民家が統一された高さのまま見渡す限りに並列している。

 しかし彼女らからも、せいぜい判明したことと言えば同じく残りのGAメンバーの名前がクレイヴ、チェーザル、ヤマトであること。そして彼ら全員が生存していて、今もアインクラッドのどこかで攻略に励んでいるということだけだった。

 どれも《圏内事件》解決、ひいてはその手口の判明に近づいたとは言い難い。

 

「でもどうするぅ? この調子だとぉ、夜が明けるまで頑張っても結果は変わらないんじゃないかなぁ。GAの人にも会えないしぃ……」

「僕も今の調査は非効率だと思うよ。せめて倍の人数がいればいいんだけど」

「う~ん……こうなるとやっぱヨルコに会いたいな~。どんな娘なのかな〜」

「その表現変えて」

 

 途端、ヒスイが耳を引っ張ってきた。

 「痛いっすヒスイさん!」と、どうにか慈悲はもらえたが最近彼女の愛が重い。

 まあ、痛いと言いつつ痛覚調節機器(ペインアブソーバ)がレベル最大に固定されているので、俺は強引に次の目標を定めて早速行動に移った。具体的にはヨルコの所在と、人と会える精神状態にあるかの確認をキリトにとることだが。

 返事は少し遅れていて、俺達が住宅街を越えて《転移門》へ返ってきた頃にようやく来た。

 

「ちょっと時間くったな。どれどれ……」

 

 俺はキリトから返ってきたメッセージを可視状態にさせると、それを3人にも見えるようにスクロールした。

 そこにはこうある。

 ――まずは返すのが遅れて悪かった。こっちこれから、元GAメンバーのところに寄ってみようと思う。彼らから事件を聞いた方が効率的だし信憑性もあるからな。

 ――そこで本題に戻るが、ヨルコさんに会いたいんだな? 彼女は事件のあった57層のマーテンで背の高い宿に泊まってもらっている。カインズが殺されたショックで怯えているから、時間稼ぎのつもりでとった処置だけど、やっぱりアポなしで初対面のプレイヤーが訪ねると余計な刺激を与えかねない。なるべく人数は厳選してほしい。

 ――情報増えたらいつでもくれ。返信待ってるぞ。

 

「ふーむ、4人の大所帯じゃ驚かせかねないと……なるほどな。じゃあヨルコんところにはヒスイ1人で聞きに行くか?」

「そりゃあ同性なら馴染みやすいかもだけど……そこはあなたが質問するべきじゃないかしら? やれと言われたらやるけどね」

「やっぱそうだよなぁ。よし、んじゃあ俺とヒスイの2人で聞きに行こう。ルガとジェミルは、話が終わるまでしばらく付近で待っててくれ」

「了解~」

 

 という流れから、それらしい旨をメッセージで伝えると、キリトからもゴーサインが出た。どうやらなかなか首を縦に降らないヨルコに、キリトが何度か説得してくれたらしい。

 

「ともあれ前進したな。じゃあ行ってくる。転移……ん?」

 

 転移直前の絶妙なタイミングで、大きめな着信音と共にメッセージタブが明滅し、俺は発言を中止した。

 3人には「ちょっと待ってて」と断ってから、メインウィンドウを起動。そのまま受信ボックスをタップして本文を表示した。

 差出人はアリーシャで、そこにはこう書いてあった。

 ――42層主街区で元GAメンバーのチェーザル君に会えたわ。単刀直入に《圏内事件》のことを聞いたけど、どうやら彼は知らなかったみたい。カインズ君が死んだことを伝えたら酷く驚いていたし、まず間違いないと思う。こっちから話すことだらけだったけど、それなりに使えそうな情報も聞けたの。

 ――その最たるものがグリムロックさんの現在位置。

 ――今は27層の酒場と46層のフィールドを行ったり来たりしてるみたい。46層の方は彼の主戦場で、27層の方は彼のホームタウンがあるらしいわ。中には行きつけの店もあるらしくて、名前は《サントニオ・ドリンク》っていう暗い感じのバーね。27層では唯一の酒場みたいだから、道を尋ねればNPCでも場所はわかるらしいわ。

 ――しかもチェーザル君からはクレイヴの主戦場層も聞けたから、今からそこに向かうつもりよ。何かあったらまた教えてちょうだい。

 

「へぇ、やるなアリーシャ。俺らがモタついてる間にこんなことまで」

「僕達の役割がただのお留守番だけじゃなくなったね。僕達は27層に向かうよ。もしバーにいなかったら、一応46層のフィールドにも出てみようかな」

「そうしてくれると助かるよ。じゃあ二手に別れよう。けど、くれぐれも聞き込み以上のことはすんなよ」

 

 俺はダメ押しをしつつ、アリーシャに返信メッセージを書き始めた。

 無論、これから俺とヒスイだけでヨルコに会いに行くことについて。そして、ルガ達はグリムロックを探しに行くことも。

 最後に、アリーシャに対する忠告だ。

 というのも、DDA本部でシュミットとの話を聞く限りだと、クレイヴという男はGAにいた頃のアリーシャに惚れていた可能性が高い。再開の瞬間に無礼をはたらくとは思えないが、それでも無理に誘いがあった場合は遠慮なく《ハラスメントコード》を使用するように、と勧告しておいたのだ。

 彼女も自分の身は自分で守る女である。俺のお節介がなくとも、危機は回避できるものと信じてはいるが。

 それにしても、メッセージのやり取りがこうも頻繁(ひんぱん)だと、着信音を消音(ミュート)設定にしていては効率が悪い。俺はメインウィンドウを閉じる前にセッティングボタンから音設定へ移動し、音量やメロディはデフォルトのままで着信音だけが鳴るように設定を変えておいた。

 そしてようやく準備が整って、俺が57層の主街区名を口にするとヒスイもそれに習う。

 そこからは特に雑談することもなく、早足に宿に到着した。

 

「ここね、ヨルコさんが泊まってるって場所」

「みたいだな。確か5階だっけ? ま、見晴らしはよくなるけど、こういう宿ってエレベーターないから下の階の方が楽なんだけどな」

 

 俺達は階段を歩きながらそんなことをぼやいていた。

 立ち止まるとヒスイが軽くノックする。すぐに「は~い」という平均女性よりワンオクターブ高い声が返ってきて、すぐさま思い出したのか「ど、どちら様ですか?」というこれまたたどたどしい質問が来た。

 俺とヒスイは一瞬だけ目を会わせ、対話の出だしをヒスイに譲る。

 そしてヒスイが自分の名前を名乗り、キリトの許可を得て訪問してきたことを伝える。すると案外すんなりとヨルコは納得し、アンロックされたドアが内側から開かれた。

 姿を見せたのは小柄な女性。物腰から決して弱々しくない覇気(はき)が流れていて、幼く見える外見より実年齢が高いことが(うかが)える。見たところ俺と同じぐらいだろうか。ほんの少しだけウェーブのかかった濃紺色の髪は腰辺りまで伸びており、眉をハの字にしたそばかす付きの顔からは保護欲が()き立てられる。

 この女性が、キリトとアスナが最初に会った情報提供者。

 俺が疑いを向ける女性。

 

「あ、あの……」

「あっごめんなさい、ヨルコさんよね? あたしはヒスイ」

「はい。前線での噂はかねがね聞いています。最近はギルドに入ったんですよね?」

「ええそうよ、これがギルドの紋章(シギル)。で、こっちがそのリーダー」

「とりあえずはじめまして。レジスト・クレストのジェイドだ」

「はじめまして、よろしくお願いします。話は聞いていますので中へどうぞ」

 

 導かれるままに部屋の中へ案内され、リビング中央に備え付けられた座標固定型――つまり室外に持ち出すことができない――ソファに腰を下ろした。

 疑ってはいるものの、しかし俺はなるべく客観性を重んじるために、まずは正午過ぎにあった会話を意図的に忘れながら最初の言葉を選んだ。

 

「気の進まないだろうに、悪かった。わがままに付き合ってくれて礼を言うよ。でもだからこそ、こんな事件は早く解決したい」

「はい、そうですね……」

「そんなおびえんなって。俺には敬語もいらない。じゃあ端的に聞くけど、俺らは指輪(・・)のことを知ってる。それを踏まえた上で、今回の事件……本当に犯人に心当たりはないのか?」

「ッ……!?」

 

 ヨルコは喉に食べ物をつまらせたような表情をした。

 だがすぐに悟ったのか、気を取り直して聞き返してきた。

 

「キリトさんから聞いたんですね。……でも、その通りなんです。動機があるプレイヤーは間違いなく指輪事件の時、ギルドにいたメンバー。……しかも、指輪の売上金の恩恵に預かっている人です」

 

 優しい声色だったが、しかし敬語で話すのは彼女の素のようだ。わざわざ強要しても仕方がないので俺は無視して続ける。

 

「そこまではみんな察してる。俺だって指輪のことをここまで詳しく調べたのは、今回のとコレと無関係と思ってないからだ。どっちかの事件だけ解決しました、ってのはないだろうさ。……だから正直な意見が欲しい。《圏内事件》は誰が何のために発生させたと思う?」

「私の……意見ですか? それは……やっぱり、グリセルダさんを殺して指輪を奪った疑いが強い、つまり私を含む《売却反対派》を……」

「違う、建前じゃない。俺は本音を聞いている」

「…………」

 

 俺は聞き飽きた一般論を話し始めたヨルコを一括して黙らせ、強い口調で続きを催促した。

 俺の豹変(ひょうへん)した態度に驚いたのか、ヨルコはまたも言葉をつまらせる。目付きの悪い不良が女性を脅しているとこんな構図が生まれるのかもしれないが、俺は彼女を追い詰めることをやめる気にはなれなかった。それをしてしまったらキリトやアスナ同様、所詮そこまでの情報しか得られないからだ。

 俺は人がよくない。性格や第一印象も基本は「悪い」と言われる。同情も滅多にしないし、だからこそ嫌われもする。

 しかし俺は、人を見た目で判断しない。気弱で内気な男が腹グロ野郎である可能性も、暴力的で乱暴な女が人一倍仲間思いである可能性も捨てない。

 俺は彼女が指輪事件か圏内事件の、少なくともそのどちらかの共犯者であった可能性が捨てきれない。いや、むしろ確信に近いものさえ感じていた。

 正直に話すならよし、ここに来てシラを切るなら対応を変える。同情しに来たのではなく、あくまで事実を探りに来たという目的を忘れてはならないからだ。

 ここが勝負どころ。

 

「私、は……いえ、わかりました。素直に話します。……カインズさんを圏内で殺して、それを衆目に晒したのは……『見せしめ』だと、思います……」

「(食いついた。いいぞ、その調子だ)」

「グリセルダさんを殺した犯人を、その……誘いだすために用意したショー。……はっきり言って、カインズさんをあんな風に死に追いやった理由は、それしかないと思っています」

「……ま、だろうな。と言うことはつまり、《圏内事件》を起こした奴はシュミットだとにらんでるわけだ? DDAタンカーの隊長まで一気に出世したもんな」

「そう……思います。昨日から、彼はとても珍しい行動をしているとキリトさんから聞きました。迷宮区に行って攻略することをやめるだけじゃなく、ギルドの本部に籠って怯えているとか……」

「自覚がなきゃそんなにビビることない、か。じゃあさ、話変えるんだけど昨日57層にシュミットとメシ食いに来てたってホント?」

「へっ? ああ、はい……本当です……」

「そっか……でもよ、となり歩いてたわけでしょ? はぐれるもんかね~。あとカインズのことなんだけど、レストラン探しに全身武装してたらしいじゃねぇか。そこんところフシギだよ。最初に事件を発見して悲鳴あげたのって、聞いた話だとヨルコらしいじゃん。ずいぶん近くにいたよな? あんたもしかして……」

「ちょっとジェイド!」

 

 鋭い反駁(はんぱく)

 ヒスイは隣でベラベラと喋っていた俺を責めるような目付きで睨んでいた。そこにはヨルコを庇おうとする意思が感じ取れる。もし彼女がカインズを失っただけの、どこにでもいる善良なプレイヤーだったとしたらどうするのか。証拠もなしにあることないこと憶測だけで指摘し続け、挙げ句の果てに被害者を怖がらせてしまっている。

 無理に押し掛けておいて酷い仕打ちだ。見知らぬ男がヒスイに同じことをしたら、俺はそいつを心を込めてブン殴っていたかもしれない。

 しかし、それは足枷ではなかった。

 

「な……何が言いたいんです、ジェイドさん。わ、私の証言を疑っているんですか?」

「いいや、疑っちゃいない。ウソをついていると確信してるだけだ」

「ジェイドいい加減にして。……ああもう、強気になればいいっわけじゃないの。そんな聞き方だと可哀想じゃない!」

「そうです! ヒスイさんの言う通りです! 私は被害者なのに……それなのに私は、事件を解決したいと思う一心でっ!」

「へェ、そうかい! じゃあ聞かせろよ。あんたは塔の中に『人影があった』とキリトに証言したなっ? 《ボックス》状態で逃げ場もないのに、その人影とやらはあっさり消えたぞ!? クリスタルの発光すらなかった!」

「その方法がわかれば事件が解決するんでしょうっ!!」

 

 俺達はヒートアップした感情をぶつけ合ううちに、お互いに立ち上がって口論をしていた。

 つい、ぽろっと。感情的に口を滑らす(・・・・・)こともあるだろう。

 そして、俺は賭けに勝った。

 

「……出ていってください。……早くここから出てって!」

「わかった、もう2度と来ないよ。話は聞けてよかった」

 

 俺はソファに立て掛けておいた大剣《ガイアパージ》を掴んで背負うと、ヨルコに平謝りするヒスイを強引に連れて部屋を出た。

 来た道を戻る。ヒスイがこの上なく腹をたてているからか、俺達は57層の《転移門》に到着する直前まで無言が続いた。

 そして息苦しい時間を経て、俺はようやく話しかけた。

 

「ヒスイ……」

「……なによ」

「ありがと」

 

 思ってもみない返事が来たからか、ヒスイはあからさまに怪訝(けげん)な表情で俺を見た。

 ご立腹が身を潜めたわけではないのでまだ膨れっ面だが、俺が感情的にヨルコを責め立てたその話だけは聞いてもらえそうだ。

 

「正直自信なかったよ。マジで心臓バクバクだし……つうかまあ、ショーコねェからヒスイが正しい線も十分残ってた。……けどさ、最後の方でその可能性もほぼなくなったんだぜ?」

「……意味わかんない。大体あたし、何かジェイドの助けになることしたかしら?」

「したさ。俺がまくし立てた時、ヨルコはだんまり決めそうな顔してやがった。……でもそこはアメとムチってやつだな。黙ってりゃいいものを、ヒスイがかばったから正当性を振りかざしやがった。おかげで俺は使えそうな情報を2つもゲットした」

「…………」

 

 彼女の肩を持っていたヒスイは、それが何なのかまだわからないようだ。視線をキョロキョロさせながらヨルコとの会話シーンを思い出している。

 俺はしばらくヒスイに考える時間を渡してから改めて口を開いた。

 

「言葉づかいが悪かったことは認めるよ。けどヨルコはこんなことを口走ったんだ……『殺した犯人を誘いだすために用意されたショー』ってな」

「それはあたし達も考えついたことじゃない」

「微妙に違う。いいか、カン違いしちゃいけないのは、昨日死んだカインズが、グリセルダを殺した犯人かもしれないってことだ。なんせあいつも立派な《売却反対派》だからな」

「ええそうね。でも、それとなんの関係が?」

「ハッハ~ン、わからねーか? あいつはカインズが殺されても、『犯人を誘いだすために』と言ったんだ。……てことはさ、カインズが殺されて亡霊の復讐が終わった、つう可能性を捨てきってんだよな~これ」

「あっ……ああー!!」

 

 ヒスイはようやく得心がいったのか、思わず足を止めて考えを馳せていた。

 

「確かに! まるで始まりでしかないみたいに……じ、じゃあ、カインズさんが犯人でないと知ってたのね!?」

「だろうな。指輪のことを知らなかった当時の俺らはともかく……」

「少なくともヨルコさんは知っていたはず……え、でもこれって犯人側の思考じゃない!? まさか……ヨルコさんが、カインズさんを殺したの……?」

「可能性は残る。けど、わからんのが2つ。動機と手段だ。《圏内》で殺人できるなんて未だに信じられんしな」

 

 事件は解決へと1歩進んだ。間違いなく犯人との距離は縮まっている。

 しかしこの時の俺達は、まだ事件が本当の意味で起きた理由を知るよしもなかった。

 

 

 

 



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第82話 憎しみの連鎖(後編)

 西暦2014年4月23日、浮遊城第57層(最前線60層)。

 

 主街区マーテンの入り口とも言える《転移門》にて、俺とヒスイはまだ先ほどのヨルコとの会話について洗っていた。

 

「やっぱり、突き詰めるべきは《圏内事件》の手段ね。証拠がないことには……」

「そういや、もう1個ある。俺はさっきヨルコに向かって、カインズが殺された現場で『塔の中に人影を見たと証言したか』と聞いたんだ」

「ええ聞いていたわね。それで?」

「これな、誰の証言だったかずっと不明だったんだよ。てっきり通りすがりの目撃者がそう言ったんだと思ってた。……けど、カマをかけたら見事に引っかかってくれた」

 

 彼女が証言していないのなら、俺の追及は意味をなさなかった。

 と同時に、これでキリト達を誘導しようとした痕跡も(うかが)える。

 

「ヒスイが発言をうながしてくれたおかげだよ。……この事件、唯一あいつだけがウソをつけたんだ。ヨルコがカインズの殺されたシーンを目撃し、悲鳴をあげて注目を集め、事件当時の状況をキリトに話した。あいつから得た情報だけがさっきから信用ならねーんだ」

「話の流れを……勝手に作っているのね……」

 

 その通りである。

 舞台を整えつつ観客を集め、衆人が集中したところで寸劇を始める。まさにヨルコがぬかした通り、巧妙にセッティングされたショーのように。

 しかしまた新しい疑問が渦を巻いている。

 突発的に、ついカッとなって犯行に及んだ場合は簡単である。俺がヒースクリフにたてついた時のように、基本その場で取り押さえられるからだ。

 常習的、計画的に人殺しをするプレイヤーは一部の人間に限られる。《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》を挙げるまでもないと思うが、そうしたギルドが長らく捕まらないのはほとんどが計画的だからだ。

 そして同時に、独特の傾向がある。

 普通ではないドス黒さ。レッド連中の(まと)う血生臭い臭気。

 殺人が横行すればするほど、プレイヤーの絶対数は減少することになる。これは不可逆的な数字であって、減ることはあっても増えることは絶対にない。と言うことはつまり、レッドにとってはアインクラッドを脱出することが最終目的ではないのだ。

 その狂痴的(きょうちてき)な思考回路は、言動の節々で如実に(にじ)み出る。先ほどのヨルコが《圏内事件》の主導者で、DDAのシュミットが《指輪事件》の主導者だったとしよう。共に計画犯行だ。なら彼らにも当然、それらの狂気じみたオーラが漂っていなければおかしい。

 だが、それがないのだ。まったく感じ取れない。

 もちろん演技の線も捨てきれない。特にヨルコの方はキリトやアスナすら出し抜くたいした役者だ。そんな彼女が本気で殺意を隠そうとすれば、感情の起伏に鋭いさしものヒスイとて気づかないかもしれない。

 現にシーザーのそれに気づけなかったのは、たった1ヶ月半前のことである。

 

「くそっ、ここまでそろってるのに断定できない。なんであんなに……マジで人殺しには思えないぞ……」

「それなのよね。あたしがヨルコさんを庇った理由も結局はそれ。あたしも人と話せばそれぐらいのことは判別できるつもりよ。あの様子だと、ヨルコさん達は今まで人を殺したことがない。……なのに、どうも嘘をついているみたいだし、シュミットさんも復讐されることを恐れている……」

「俺もそこが全然わからんのだわ。さしずめどっちも軽い共犯ってとこか?」

 

 これ以上はお手上げ、というのが俺の感想だった。

 とそこで、ヒスイが俺の方をじっと見ていることに気がついた。「ん、どうしたよ」と聞くと、髪を一房くねらせて彼女は言う。

 

「いえ、なんだかあなたがどんどんたくましくなってる気がしてね。いつかはあたしなしで生きていけるんじゃないかって、そう思っただけよ」

「うお、持ち上げるな。ハードル上げないでくれ」

「だってそうでしょう? たった1年半しかあなたを見てないけど、最近はすごいものよ。出会った時は子供みたいに暴れてたもん。……それに比べて、あたしは当時から何も変わってない……甘い人間のまま。一緒にいるのに遠くに感じるわ。前回も、前々回も、結局あなたの言うことが正しかったし」

「…………」

 

 俺はその独白を聞き、ヒスイがとてもいじらしく見えた。

 こんなに俺のことで悩んでくれていたとは思っていなかったからだ。一見クールに見えてヒスイも所詮は女子高校生。人並みのメンタル的弱さと少女特有の脆弱性(ぜいじゃくせい)というものはあわせ持っているようだ。

 ソロの時は(かたく)なに見せようとしなかったつけ入る隙を、俺の前では頻繁に見せる。俺はそれがここでもう1度聞けたことが嬉しかった。

 

「リーダーとしては……その、頼ってくれるだけでめちゃくちゃ嬉しいよ。でも俺は責任者でバックがないっていうか……むしろ一緒になっておかしくなっちまった。ヒスイのことばっか考えてさ……事件に本腰いれたのだって、いいとこ見せたかったからだぜ? あ~ダサいよなぁ。けどどうしようもねぇんだよ。俺も、その……ヒスイのこと……すっげぇ好きだし……」

「…………」

 

 すでにヨルコの部屋を出てから、ここまで歩く間に感じた気まずさはない。どころか、甘酸っぱい空気に酔いそうになる。

 しかし目線を逸らすだけにとどまる2人。絶対事件のことなんて考えていない。このピンク色のカーテンは、本格的に意識しないと取り払えそうになかった。

 俺達は再び人通りの少ない《転移門》前で硬直している。過疎化したエリアだからではなく、運良く昼過ぎの今がそういう時間帯であるというだけだろう。

 主要な駅の周辺で建物の物価が高いのと同様で、層を行き来する限られた手段である《転移門》付近にはプレイヤーが集まりやすい。昼飯時や夕暮れになるとここもすぐに人で溢れかえる。こうして言葉もなく見つめあっていては、不審に思われる、あるいは興味津々なプレイヤーにクリスタルでパシャっといかれかねない。

 しかし、それでもなお俺は抑えきれそうになかった。

 左手で右の手首を押さえながら、もじもじと胸の前で合わせるヒスイを押すと、その華奢な肩を抱いたまま正真正銘人目のつきそうにない裏路地に入る。

 

「やっ……ジェイド……?」

「ヒスイ、少しだけ……」

 

 耳の辺りで(ささや)くと、小動物のようにビクついていたヒスイが一際大きく反応した。

 頬をくすぐる黒髪がまるで俺を誘っているかのように揺れる。俺はさらに詰め寄って近づくと、身をよじるヒスイにやや遠慮の欠けた勢いで迫った。

 嫌と言いつつなすがままとなっている彼女からは、誘惑的なものすら幻視してしまうほどだ。それに壁に押さえつけられながら顔を真っ赤に染める時点でまんざらではないように見える。

 俺は鼻息が荒くならないように、などといった方向性を間違えた細心の注意を払い、うっとりとした双眸(そうぼう)をしばたかせるヒスイにさらに迫った。

 

「だめよ……誰かに……見られっ……」

「大丈夫、いま人いないから」

 

 そこでようやくヒスイもなけなしの抵抗をやめ、とうとう目をつぶった。

 俺も沸騰しそうな感情をどうにか自制し、なるべく優しくヒスイの腰に手を回す。互いの絶対的な距離値が消える、その直前。

 いきなり着信メッセージを知らせる通知が鳴り響き、狭い通路で共鳴した。

 

「のぁあああっ! またかよ! 何回目だよこれ!」

「……もぅ」

「ああもうちくしょう、差出人は……げっ、アリーシャ!? まさか見られてる!? くそ、どこにッ!!」

 

 パニクってシュバ! シュバ! と反復横跳びもどきをしながら辺りを見渡す俺に、ヒスイは頬を染めたままジト目で、かつあくまで冷静に次のことを言った。

 

「いや、それ定時報告じゃないの?」

「…………」

 

 この日のうちにロマンスは無理。

 これはもう、そう判断せざるを得なかった。

 

 

 

 果たしてメッセージはヒスイの言った通りアリーシャからの情報提供で、GAの元メンバー『クレイヴ』と無事エンカウントできたアリーシャは、なるべく彼から情報を聞き出したそうだ。

 意外にもクレイヴは57層で起きた《圏内事件》と一連のいざこざについて、少しは小耳に挟んだらしい。風の噂とは怖いものだ。ただしその情報とやらも漠然とするものが多く、真を得るようなものはほとんどなかった。

 「殺されたカインズは《売却反対派》だったから」や「指輪欲しさにグリセルダの寝首を()いたんだから、リーダーを尊敬してた人間の復讐」、または「コードをすり抜けられたのはリーダーが化けて出たから」などなど、一貫性も説得力もない意見ばかり。残念ながらクレイヴは今回の事件解明の足掛かりにはならないだろうと判断しかけたその時、最後の最後でこんなことを口走ったそうだ。

 そう言えば当時のグリムロックは怪しかったような、と。

 以下のセリフはクレイヴとやらのものを抜粋したものだ。

 ――グリセルダさんが指輪を売りに行ったあと、グリムロック副長は誰かと会っていたんスよ。誰かと言うからにはもちろん見かけない顔だったんスけど、見知った人だろうと思って特に気にしなかったんス。でも珍しいことに、寡黙(かもく)な彼にしては長々と話し込んでいたから、もしかしたらグリセルダ団長のこと話してたのかもしれませんっスよ。

 クレイヴから聞けた話はこれで終わり。メッセージの追伸には、引き続きGA最後のメンバーであるヤマトを探しに行く、ともあった。

 

「やっべ、俺の部下が有能すぎる」

「世間話してただけじゃなければね。……でも、これでさらにグリムロックさんに会わなくちゃならなくなったわ。未だに居場所が掴めないこともそうだけど、動きが不透明すぎるし」

「それもそうだな。じゃあグリムロックの位置だけでももう1回聞いてもらうか。チェーザルはほとんどな~んも知らなかったっぽいけど、このクレイヴって奴なら知ってるかもしれないし」

 

 俺が改めてメッセージウィンドウに右手をかけた、その瞬間。

 バギィイイイッ!! という破裂音が俺の手首から発せられた。正確には突如としてそこへ飛来した投擲(とうてき)武器によって。

 その禍々(まがまが)しい武器は勢い余って転がっていき、何度かバウンドして俺から数メートルの距離で止まった。

 

「ってーな! 誰だよクソがッ!!」

「ジェイド、あれよ!」

 

 ヒスイが指をさした方角には、何者かが全身を覆う真っ黒なローブを纏って立っていた。

 場所は民家の屋根の上。顔は仮想太陽の逆行からか、はたまたローブの付随効果からか影に隠れて見ることはできなかった。しかし骨格までは騙せるはずもなく、肩幅が広いことからおそらくは男だろうと結論つける。

 およそ《圏内》に相応しくない異物。不吉を象徴する、空気。

 黒づくめの不気味な男は、その高みから俺達を睥睨(へいげい)し、ニヤリと笑ってから低い声で話しかけてきた。

 

「はじめまして、と言ったところか」

「ハッ! いい度胸じゃねぇか。裏でゴチャゴチャされるよりキライじゃねェぜ!」

「ごあいさつね不審者さん。それとも、あたしらから名乗ったら、名前を教えてくれるのかしら?」

「ふん……その武器、わかるか……?」

「ッ……!?」

 

 彼の指し示すものが先ほどの武器だとわかると、俺は反射的に飛んできたダガーに目を向ける。

 そしてすぐにその特徴に気づいて衝撃が走った。

 赤黒いサーベル部分に逆棘。ここが《圏内》でなければ俺の腕に突き刺さり数秒置きにダメージを与えうるブレード。小汚ない布がグリップの先端に無造作に巻かれているワンポイントさえ同じ。明らかにグリムロックが鍛えた《ギルティソーン》なる貫通(ピアース)属性のスピアと同系統同スペックのダガー。間違いなく意匠も同じだろう。

 なぜ、これが今、ここにあるのか。

 

「て、めェ……これをどこで手に入れた!」

「知りすぎたんだよ、君らは」

 

 脅しのつもりなのだろう。あくまで抑揚(ようよう)のない声を保ちつつ俺達を試すように、あるいは挑発するように男はすらすらと続けた。

 

「いずれそのダガーが人を殺す。……次は誰だろうな」

 

 突然ローブの男は身を(ひるが)し俺達に背を向けた。

 屋根を駆ける音が聞こえる。話を切り上げて逃走したのだ。

 

「野郎、逃がすかよッ。追うぞヒスイ!」

「ええ! サーチング、オン!」

 

 有らん限りの脚力を靴底に伝え、俺とヒスイはほぼ同時に跳び上がった。さらに俺も《索敵》スキルを有効化し、そのままスキルが発動の意思を検知して視界の右下に展開された。これで焦点を会わせることでいつでもミニマップとマーキングをフォーカスできる。

 木造の屋根に足をつけると、俺は最小限の仕草で視線を左右に降って目標をキャッチ。遠ざかる背を追って全力で駆け出した。

 逃げ足はそれなりに速い。だがいかんせん、民族調(エスニック)な極色彩を放つ外観を背に真っ黒な塊がちょこまかと動けばそれだけで目立つ。ローブの男も縮まる距離からそれに気づいたのか、たった今屋根から降りた。俺達を()く手段を、人混みを利用する方法へシフトさせたのだろう。

 

「(ンだコイツ? 手際悪ィな)」

 

 これは意外である。状況に合わせた逃げ道を利用する姿が、ではない。

 むしろ周到な逃走経路を用意していない致命的なミスについてだ。この業界で幅を利かせる者にとって、命綱なしで命を懸けるようなもの。

 着ているローブの色が合わないから道を変えたなど、経験者から言わせれば間抜けにしか見えない。これは森林で効果的な(ウッドランドパターン)迷彩服を着て雪景色に溶け込もうとするようなものだ。戦場に出てから冬季迷彩に着替える奴がいたら、俺ははっきりバカだと言うだろう。

 その後ろ姿にイライラしながら屋根から直接に跳びこんだ。

 

「やる気ねェなら……でしゃばんなよッ!!」

「ぐあっ!?」

 

 数メートルの高低差を利用した渾身のドロップキックが脳天に炸裂。男は慣性に従ってゴロゴロと転がり、その途中で空から降って来たヒスイにゴガッ!! と顔面を踏まれ停止した。

 普通に痛そうだった。

 そんなことはお構いなしにヒスイがフード状になっている布をひっぺがすと、男の顔が(あらわ)になる。

 特に特徴はない。濃い髭があごにびっしり生えた中年のおっさんで、見た目は30代半ば辺りだろうか。よれた服からは哀愁すら漂う。結局、突然現れてむやみやたらと逃げ続けていた不審人物たる男は降参のポーズをとりながらおどけて言った。

 

「わぁたわぁた、参ったよあんたらには。ったく、昼過ぎだってのに若ぇーのは元気だねぇ。イタズラしたことは悪かったよ」

「ハァッ!?」

 

 しかしヒスイはそれでは納得いかなかったようで、胸ぐらを掴んで男を膝立ちにさせる。その男は、よもやこれほどまでに彼女が激昂すると思わなかったのか、冷や汗をたらしながら弁解の言葉を探しているようだった。

 とは言え俺も冗談で済ますつもりはない。ハズレを引かされた気分にはなっていたが、どうにか聞き取れることがないか抵抗を試みる。

 

「おいあんた、こっちはマジなんだ。名前を言え」

「オレか……お、オレはフロイスだ。へへ……(ちまた)じゃ『利かん坊のフロイス』何て呼ばれててよ、聞いたかとねぇか? ハハッ、まぁこの辺じゃ聞かねぇかもな。けどほら、ノった日にゃ酒場とか開いて情報提供なんかもしてる……」

「うるせェな」

 

 俺が《ガイアパージ》を背中から引き抜いて首筋に押し当てると、そのずっしりとした鋼鉄の感触から《圏内》にいることを忘れたようにヒッ、と声を漏らす。そこにはもう、全てを見透かしたようなあのニヒルな笑い顔はない。その顔はまるで、度の過ぎたいたずらが親に見つかって怯える子供のそれだった。

 しかし俺に投げつけられたあの赤黒いダガーと、タイミングよく現れて「知りすぎた」と言った意味深なセリフを説明しない限り解放はない。

 

「聞いたことにだけ答えろ。あんた誰にやとわれた、あァ? 返答しだいじゃあこのまま《圏外》まで引きずってぶっ殺す」

「ちょっ!? ちょ、おおおい待てよ待ってくれよ、なんだそれ!? オレはちょっとイタズラしただけじゃねぇか! こ、殺すなんてそんな……こ、ここじゃあ冗談でも言うことじゃねぇぜ!」

「答えろ」

「わぁーった、わぁたから! 話すから剣をどけてくれ! ……ふぃ~、まったく57層は物騒な主街区だぜ。……数十分前にホームタウンに帰ってきたら、このメモが置いてあったんだ。仕事内容にしちゃ羽振りがいいから従ってみただけだ。これでも、書いてあるセリフを覚えるのは大変だったんだぜ?」

「これは……」

 

 俺はフロイスと名乗る男からしわくちゃの羊皮紙を受け取ると、乱雑に文字が書き込まれたその内容を見て唖然とする。

 まず目についたのは、『このローブとダガーを装備して57層へ行け。街で1番背の高い宿の付近で男女の2人組を見つけたら、ダガーを投げつけて以下の台詞を順に言え』という文が。俺とヒスイが《指輪事件》、および《圏内事件》の調査をヨルコのもとで行ったこと知っていたらしい。

 

「あんたの店の前に置いてあったのは、この手紙と着てるローブ……あとはさっきの赤黒いダガーだけだったのか?」

「いや、《両手用鉄槌(ツーハンド・メイス)》も転がってたぜ。銘は《ディーパワフル・ハイポーチ》。長柄の尖端に正立法体の鉄格子みたいなのがついてて、その中身が空洞になってるタイプの安いメイスだ」

「それなら知ってるわ。確かその『檻』みたいな尖端部分に好みの重りを乗せて戦う武器で、重量が大きいほど高威力が出せるやつよね?」

「そうそう、それだよ! 嬢ちゃん詳しいな……ん? えっ、あ……あれ? あんたもしかして《反射剣》か……?」

 

 ヒスイはその質問には答えずふんっ、と鼻を鳴らすとそっぽを向いてしまった。

 それよりも今はフロイス宛に送られた手紙の続きだ。

 とその前に……、

 

「質問の続きだ。どうしてこんなウサン臭いメッセージに従った?」

「そりゃ続きを読みゃわかるよ。さっき言った武器の先端にはな、上質な木箱が積まれてたんだ。しかもただの木箱じゃねぇぜ? 25層主街区の《リャカムハイト》って覚えてるか。正真正銘あそこの巨大銀行の印が打ってある規格だ。……んで、大きさは四方30センチ、最高級金貨用格納箱で金貨が200枚も入る代物ときてる。オレ試しにメイスをガチャガチャ振ってみたんだけど、ありゃ隙間なくみっちり詰まってたぜ!」

「最高級金貨200枚ですって? それってつまり20万コルじゃない! でたらめよ、そんな大金がメイスに積み込まれて戦おうとするプレイヤーなんていないわ。あなたまた嘘ついてるんでしょっ!?」

「ち、違げぇって。ホントに落ちてたんだよ、その手紙と一緒にな」

「…………」

 

 確かに《ディーパワフル・ハイポーチ》の先に金貨の詰まった箱を装填して振り回せば、ゲーム用語で言うところの《ヘビィネス》補正がかかってそれなりの威力が出せる。液体アイテムの質量が総じて重くストレージの積載限界を圧迫するのと同じで、最高級金貨を含む貴金属などの質量は果てしなく重い。

 しかし物質の密度の高さと高熱に耐えられる優秀な金属という理由だけで、純金の装飾をあしらった、あるいは純金そのものを加工した剣と盾を使う戦士がいるだろうか。

 答えはノー。

 それはロストするリスクが付きまとうゲーム界でも例外ではない。

 メイスの先端に取り付けるアイテムは普通、ある程度の重量を確保できる要らなくなった金属素材(インゴット)などを使う。そうすれば《物拾い(ルーター)》系や《強奪(ロビング)》系のスキルを使うMobと当たっても安心して戦えるという寸法だ。

 

「……ん? いや、そういうことか。ヒスイ、そいつの言ってることは正しいぜ」

「えっ?」

 

 俺はメッセージ文の注目すべきところに指を当てて文章を読ませた。

 

「これって……」

「ああ、ようはそれが報酬ってことだな。『武器の中にコルを入れている』理由は、装備フィギュアに設定された個人のメインアームがそこいらの消耗品よりかなり強く《コード》に保護されているからでもある。……考えたもんだよ。例えばクリスタル系アイテムはその辺の床におけばたった5分で所有者属性が解除されちまう。あとは5分後に拾った奴の物だ。だけど装備フィギュアに設定された武器は《ロビング》スキルで奪われない限り3600秒……つまり1時間も持続する」

「あ、スキル派生機能の《クイックチェンジ》!」

「そうそう。武器を置いたプレイヤーは交渉に応じないようであればいつでもメイスを引っ込めることができた。そうすれば金も一緒にオサラバさ。手の出しようがない」

「なるほどね……」

 

 トドメに考えていられる時間はほんの3分、とある。『考える時間を与えない』こと。これは被害者をどん底に落とす常識である。

 自分のPCに、どこそれの銀行の○○口座にいくらか振り込めというメッセージが来たとする。明らかなウイルスだが、時間を過ぎれば過ぎるほど膨大な利子がつくタイプで、しかも振り込ませようとする金額はたった2~3万程度だったりする。

 すると、相談するだけの時間がない被害者はパニックに陥りつつも、その程度の被害で済んでよかったと、つい振り込んでしまう心理に落とされるらしい。

 

「言ったろう? 所詮はいたずら程度だ。誰も傷つけないし、オレもオレンジカラーにゃならない。こ~んな30分もかかんねぇような簡単なことで20万もくれるってんなら、物は試しと思わねぇか? ちまちま仕入れた酒を売っても金にならねぇんだから、割りのいいバイトとしてもってこいだ。オレを見下してたやつらみーんな飛び越えて一躍昇進間違いなし……だよな?」

「……ここに書いてあるセリフの意味は知らなかったのか?」

「知りゃしねぇよんなこと。あんなのは使い古された騙しテクでさ、知ったかぶってりゃ勝手にドツボにハマってくんだよ。さっきのあんたらみたいにな」

「仮にも立派なイヤがらせだぞ。よくもまあ……」

「ふん、あんたらには嫌われるだろうがな。けど57層に知り合いもいねぇし、さっきも言ったが別に犯罪じゃあない。こっちは大金のためさ」

「はぁ~……」

 

 ヒスイが大きなため息をついた。その気持ちには俺も共感しておく。

 だが同時に納得もした。俺が例に出した現実の犯罪にこうも引っ掛かる人が多いのは、そのデメリットの少なさからだと知っているからだ。

 パソコンがウイルスにかかっておじゃんになるより、2~3万程度を振り込んだ方がマシ。

 つまりこのフロイスも、メッセージにあった『男女2人組』とやらに嫌われてでも、20万を手にするチャンスが欲しがったのだ。

 

「あなた、フロイスさんでしたっけ。答えたくなければいいんだけど……その、犯罪歴は?」

「あ……? あ~、まぁ……あるっちゃあるな。あっ、けどもう足は洗ったぜ? そもそも、あんときゃついカッとなって斬っちまっただけだし、元からちーとばかしケンカっぱやいのよオレ。いっぺん《黒鉄宮》にブチ込まれて以来、なるべく自制するようにしてるしよ」

「そう……いえ、反省してるならいいのよ。けど今のではっきりしたわ。うしろで依頼した人は、いわゆる『予備軍』を調べてから接触しているはずよ」

「そうかもな。やみくもに頼んだにしては……ってか、俺らの行動読まれてんのが腹立つ」

 

 俺とヒスイがヨルコの部屋に訪れて話を聞き、宿をあとにしてからアリーシャとメッセージ交換するまで1時間もたっていない。このフロイスという男を使うには、少なくとも俺とヒスイがヨルコの部屋へ行く前に行動に起こす必要がある。

 監視、されているのだろう。

 それを意識すると、粘りつくような視線を四方八方から感じてしまう。

 何者かが俺達を視ている。それがグリムロックなのか、それともヨルコが(うそぶ)いた『塔の人影』とやらが嘘から出たまこととなったのか、はたまた俺すら預かり知らない第3者がいるのか、それはまだわからない。

 だがコケにされたツケは払ってもらう。取り繕うつもりはない。負けず嫌いがやられっぱなしでは終われないというだけだ。

 俺は持っていた羊皮紙をグシャッ、と握りつぶしてから言う。

 

「上等だよ。どいつもこいつも悪事あばいて片っ端からブタ箱に放り込んでやるッ!!」

 

 静かな怒りと共に決意した。

 しかしこの時の俺は、またはその場にいた全員は気づかなかった。

 俺に投げつけられたダガーが、すでに誰かの手によって回収されていること。そして、時計塔のてっぺんから俺達をじっと見つめるドス黒い影に。

 

 

 

 



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第83話 カインズの正体

 西暦2024年4月23日、浮遊城第57層(最前線60層)。

 

 三十路(みそじ)のおやじから横やりを入れられたものの、俺とヒスイは結果的に犯人との間接接触を『成果』と認識していた。敵側からアプローチがあったことから、焦りを実感できたからだ。

 俺達への脅しのつもりだったのだろうが、手を引くつもりのない俺達からすれば尻尾を掴むチャンスが到来したに等しい。

 そして最も重要なポイントは、事件の根幹的な部分に帰属する。

 万が一にも考えられた『ナーヴギアの故障やバグ』だったり、『死者の怨嗟(おんさ)が電子信号として焼き付けられた』といった、対処不能の事態でないことがこれで確実になったのだ。

 この殺人事件はプレイヤーが考えたトリックであり、同時にゴール(・・・)が存在する。先ほどまでお手上げ状態の俺達からすればモチベーションの違いは歴然となった。

 

「……ま、あんたが無関係なのはわかった。けど2度とあんな紛らわしいマネすんなよ。今度見かけたら冗談抜きで首のディレクトを味わわせてやる」

「わぁーったって! 悪かったよホンマ。確かに不謹慎だった。でも事情を知らなかったんだ。今回だけは見逃してくれよ……なっ?」

「ちっ、調子のいいやつだよ」

 

 可能なら逃げ切るつもりだったと白状したくせにちゃっかりとした奴だ。とは言え、こうも敵意が削がれては今さら怒りようがない。こういう世渡りの上手そうな人間は放っておいても長生きしそうだ。

 俺は文句を言いながらも、とりあえず調査の阻害にしかなりそうにないフロイスを解放してやる。と、そこでヒスイが難しい顔をしてキョロキョロしていることに気づいた。

 

「ん……? どうしたヒスイ」

「ないのよ……」

「ないって」

 

 ――何が?

 と、そう聞こうとした瞬間に俺も悟った。

 俺達3人は何も、おっさんを捕まえてからその場で座り込んで談笑していたのではない。物的証拠を押さえるため、フロイスが演技を始めた現場に向かっていた。

 しかし、あるべきものがない。俺の手首に投げつけた逆棘付きの赤黒いダガーが。

 

「回収されたか。拾ったところで所有者すらわからなかっただろうけど、そう簡単にシッポはつかませないってことだろうな……」

「ねえ、あたし思うんだけど、脅しはこれで終わりなのかな」

「ん……どゆ意味?」

「さっきのフロイスさん、結局捨てゴマだったでしょう? 捕まればあたし達のチャンスになるかもしれないのに、組織だった支援もなし。こっちを観察していたなら、この程度で引き下がったりしないことは折り込み済みなはずよ」

「……言われてみれば」

「現にフロイスさんから情報も聞けたわ。認めるのはしゃくだけど……彼のおかげで、あたし達はがぜんヤル気を出しているのよ」

「えっと……じゃあ何か、犯人側は俺達にヒントをくれたのか? もっと犯人探しを続けてほしくて、わざと情報を渡したとでも……? まっさか〜」

 

 ヒントを与えて事件を能動的に進めている、というのであれば、そこにメリットでもあるのだろう。あるいはリスクを避けた第三者による誘導も考えられる。

 だがヒスイはそれには答えず、「う~ん」と首を捻った。

 こればかりは予測の範囲を越えないからだろう。となれば、まずは当初の目的だけでも果たすとしよう。

 

「まあ、先にグリムロックを探そうぜ。さっきも言ったけど、そいつに聞けばチェックメイトだ。どうにか居所さえ……ん?」

 

 そうしていると、またしても聞き慣れたメッセージ音。今度はキリトからだ。

 なにか進展があったのだろうか、有力情報だとありがたい、などと呑気にメッセージ文を開くと、そこには信じられないことが書かれていた。

 目を、疑う。

 何度もまばたきをしてしまう。

 「ヨルコが死んだ」。

 出だしにそうあったからだ。文はその後、数行だけ続いていた。

 『逆棘の付いた赤黒いダガーによって、コードの庇護下にあった彼女の背中を貫かれて、即死だった。何もできなかった。窓の外には犯人と思われる男が真っ黒なローブを着て立っていたが、結局逃げられたから正体はわからず終いだ。すまない』

 こう、あった。何度読み直しても。

 ヨルコ。そばかすの付いた長い髪を持つ女性。口喧嘩をしたまま部屋を飛び出てしまったが、彼女がすでに殺されているという。つい、ほんの数十分前に話していた女性が、現実世界で脳を焼却されこの世を去った。

 なんの対策も、なんの対抗もできぬまま。

 

「うそ……でしょ……」

「……そう信じてぇよ……けど、また先を越されたのかッ!? くそ!!」

 

 拳を強く握ることしかできなかった。

 『これ以上死者が出る』という、これだけのシンプルなことを俺は阻止したかったのに。自分に引いた最後のボーダーラインを、いとも簡単に越えられた。

 俺はてっきりカインズを殺したのがヨルコだと思っていた。そこに何者かの邪悪な斡旋(あっせん)があったのだとしても、最終的に彼女がその結果を望んでいたものだと。

 そしてヨルコがグリムロックと手を組んで、カインズの死をエサにグリセルダを殺したプレイヤーを炙り出す。彼らがどういう経緯で共闘に至ったのかは知らないが、この筋書きの先に内輪もめの決着を付ける犯行だと思っていた。

 さらに、おそらくグリセルダの死に関与しただろうシュミットと、まだ見ぬオレンジ……否、レッドプレイヤーが今回の事件における登場人物。

 そうやって決めつけていた。

 しかし、確信が持てなくなる。

 ヨルコが死んでしまったからだ。

 彼女が死んだ理由はなんだ。殺されなければならない理由は。

 

「とりあえずキリトと合流しよう。俺が連絡する。コトが終わったわけじゃねぇから、アリーシャやルガ達をいちいち動かすのは効率が悪い。ヒスイはアリーシャにだけヨルコの死を伝えてくれ」

「わ、わかったわ……」

「許さねぇぞクソ野郎ども……ッ!!」

 

 怒りの矛先を決めるため、俺達はすぐに行動に起こしていた。

 

 

 

「キリト……俺だ」

「ジェイドか、ちょっと待ってろ」

 

 ヨルコを一時的に避難させていた部屋、そこで俺達は合流した。

 あれからまた10分ほどたってしまっていたが、一応現場の状況を見ておきたいと俺が提案したからだ。

 宿に到着し次第軽くノックをして名乗ると、内側から鍵が開けられる感触があった。

 ドアノブを捻って押すと、まだ記憶に新しいレイアウトの部屋が目に飛び込む。窓の外から降り注ぐ夕日を浴びて全体がオレンジ色に輝いているが、それが逆に憂鬱な気持ちを引き立てていった。まるで今にも部屋主であるヨルコが、悲しい顔をしたまま話しかけてきそうな違和感だ。

 

「今は本人がいないから、貸付期限が切れるまでは内側にいる誰かが開けないと扉が開かないんだよ」

「ああ、すまん。違うんだ。……ここ出る時、2度と来ないなんて言っちまったからさ……」

「……ああ。けど、今は手口を探ろう。シュミットは先にDDA本部へ返しておいた。完全にビビっちゃってたから、ここにいたらややこしくなるだけだろうし」

「おう。他にも当時の状況を聞きたい」

 

 俺が端的に言うと、すでに部屋のソファに座っていたアスナとキリトが交互にわかりやすく教えてくれた。

 

「つまりシュミットが事件についてヨルコに聞きたがっていた、と。んで話してる途中に彼女が窓に近よって、気づいた時には背中にダガーが……。そういや、その武器って拾ったんだってな?」

「ああ。ヨルコのアバターが、その……消えてから……その場に落ちてたやつだ。これ」

 

 そう言ってキリトの懐から取り出されたものは案の定、俺を襲ったフロイスが持っていた例のダガーだった。

 特徴的な毒々しい色は見間違うはずもない。一級の刀匠が鍛えた武器でない以上、低スペックのダガーと予想するが、かの武器が俺の腕の手前で弾かれた時、もしもコードが発動せず貫いていたらと思うと悪寒が走る。まさか《圏内》にいるのに、こんな即死級の攻撃に怖じ気づく日が来るとは。

 ……いや、なにも忘れたわけではない。

 ゲームの本質が変わった初日、『圏内は安全』というバカバカしいほど空虚な保険がいつまで持つかわからないと判断したからこそ、俺は《はじまりの街》を飛び出してフィールドに出た。そこで汚名を被ろうと、自分だけが強くなるために全力を尽くしたはずだ。

 あれから1年半、もう《圏内》というぬるま湯が通用しなくなる世界が近づいているのかもしれない。

 俺は目の前に置かれたちっぽけなダガーが、プレイヤーを瞬時に死に至らしめ得るものと断定して丁寧に扱った。

 

「実はな、このダガーを持って俺とヒスイに脅しをかけてきた奴がいるんだよ」

「な、なんだってっ?」

 

 これにはいかなキリトとて予想していなかったのか、身を乗り出しつつ続きを催促した。

 そして今度は俺とヒスイが説明に回った。つい数十分前に体験したことの顛末(てんまつ)を。

 俺の時はダガーに対してコードがはたらいたこと、襲ってきた男がただの捨てゴマにすぎなかったこと、男の名や彼が依頼された方法に至るまで、全て。

 

「そんなことがあったのか。次にこのダガーで人が死ぬことまで予告してくるとは……ナメられたもんだよ」

「ジェイド君に投げつけられたダガーは回収されていたのよね? ということは、きっとそれをそのまま宿の2階に投げつけた可能性が高いわね。ここから《転移門》付近までは離れていると言っても徒歩で5分もかからないし」

 

 キリトが下唇を噛んで目を伏せた瞬間、今度はアスナが髪を耳にかけながら割って入ってきた。

 その疑問にはヒスイが反応する。

 

「ええ。あたし達がフロイスさんから話を聞いているうちに、アスナ達がここでシュミットさんやヨルコさんと話をしていた。それならタイミング的にも合うね」

「ったく、やられっぱなしでイラつくぜ……」

 

 ヨルコの死を防げなかったことは確かに悲しき事実だが、常に先手を打たれ続けていることの方が重大だ。このまま真相をうやむやにされて犯人に逃げられるのだけはなんとしても避けたい。

 そう、今はヨルコを追悼(ついとう)する時ではないのだ。そのためにはごねているより体を動かす他ない。

 

「ま、幸いアリーシャはまだクレイヴのところにいるんだ。グリムロックの位置を知ってたら教えてもらおうぜ……望み薄だけどな」

「わかった。じゃあこっちは20層の酒場で張っているよ。さっきのシュミットの話によるとグリムロックがよく足を運ぶ店らしいんだ」

「そうだな……ん?」

 

 キリトの発言を肯定しようとした刹那、その内容に違和感を覚えた俺は言いよどんだ。

 

「ちょっと待てキリト、20層なのか? 27層や46層じゃなくて?」

「え……ああ、俺が聞いたのは20層だ。さっきシュミットが確かにそう言ってたんだよ。まだGAがギルドとして形を保っていた頃は、毎晩のように通っていた酒場らしい。だからといって今もそうかはわからないけどさ」

「……そうか。いや、いいんだ。気にしないでくれ」

 

 俺達4人は簡単に今後の確認だけ取ると、早速二手に別れて解決に乗り出した。

 別れた直後、ヒスイが耳打ちする。

 

「さっきのキリト君、アリーシャから聞いた層とは別のところを聞かされていたわよね。今さらシュミットさんがデタラメを吹き込んだのかしら?」

「……わからん。当時は本当にそうだったのかも知れねーし。……ま、どのみち選択肢は少ないんだ。俺らはこっちに集中しよう」

 

 ヒスイはそれでも首をかしげていたが、俺の不機嫌を悟ったのか黙りこんだ。

 俺が怒っている理由、それは紛れもなくグリムロックに対してだ。

 重要参考人として確定的となった彼は、今どこで何をしているのだろうか。妻が指輪を売りに行った半年前から事件は始まっているはずである。それに復習劇が《圏内》で勃発(ぼっぱつ)してなお、この事態に何も勘づいていないことはあるまい。

 特に武器についての疑惑が付きまとう。逆棘のついた例のスピアやダガーも妻が死ぬより過去に作られて、そして今日(こんにち)に至るまで後生大事に保管されていた可能性は極めて低い。十中八九、事件に合わせてその都度鍛えられているはずだ。

 

「(なんで野郎はいつまでも黙ってんだ?)」

 

 そう思わずにはいられなかった。

 グリセルダを殺したプレイヤーを《売却反対派》から適当に見繕い、手当たり次第に殺しにかかるのならまだわかりやすい。行動の良し悪しはあるにせよ、しかし彼はそれすらしなかった。

 なぜ死者を侮辱する見世物のような真似をする。

 なぜ怒りの発信源たる夫が自ら手を下さない。

 仇を他人に取らせるつもりなのか。SAO内での《結婚》の重みを知らないプレイヤーはいない。ならば、その手を血に染めても本人がやらねば意味はないはず。

 復讐が是とは思わない。が、冷静に回りくどいこと考えてる余裕が……、

 

「(アンタにあんのかよ……くそったれが……ッ!!)」

 

 それが気にくわない。素直に同情できない。

 オカルト的な現象である《超感覚(ハイパーセンス)》ではないが、『殺意』というものはわりと肌で感じ取れるものだ。いきなりうなじの辺りがチリチリしたり、理由もなくやたら鳥肌がたったり、イベントダンジョン開始1分前の時のようにそわそわし続けたりと症状は様々だが、見えない威圧感に本能が警鐘(けいしょう)を鳴らすことは確かにある。

 と同時に勘ぐってしまうのだ。俺はこの事件を通し、グリムロックからの怒りや憎しみ、先に出た『殺意』とやらをまるで感じないことを。

 あるいは、殺意の発信者が曖昧なほど遠い。

 俺の意見をトレースするようにヒスイが言った。

 

「ヒトゴトで頼まれたみたいに空虚な戦いよね。……本当に犯人は、何を考えているのかしら……?」

「さぁな。お、アリーシャから返信だ。……なにッ!?」

「ど、どうしたの?」

「ようやく来たローホーだぜ。最後のGAメンバー、ヤマトが今日グリムロックを見たって!」

 

 今日初めて、うっすらと笑みを浮かべた。

 続く文に目を走らせると、『今日の午前にたまたまグリムロックさんを見かけたらしいわ。話しかけてはいないみたいだけど、彼は忙しそうに主街区を走っていたそうよ』と、メッセージには短くそうあった。

 層の数字は50。主街区名を《アルゲード》とした多くのプレイヤーが活用する大規模拠点だ。

 その活気付いたムードからレベル差が気にならず、人の往来は激しい。雑貨用品のみならず、充実した裁縫店および食材アイテムや幅広い鍛治屋が店を構えているというフレコミで、特に理由がなくとも足を運ぶ人までいると聞く。そこで目撃談があったとしてもさほど不思議ではないだろう。

 信憑性はともかく、次なる現実的な目標は定まった。

 

「急ごうヒスイ。運が良ければまだ移動してないかも」

「ええ……あ、ちょっと待って。メンバーを洗ったなら、これからアリーシャはどうするの?」

「ああ、アリーシャも別行動で探すってさ。固まる理由もないしな」

「そう……まあ、アリーシャが言うならいいんだけど……」

 

 ヒスイが眉を寄せる理由もなんとなく理解できる。今アリーシャが元GAを訪ねていることには、単純にリスクが生じているからだ。

 彼女がGAを脱却したタイミングと、《指輪事件》が起きた時期が近すぎる。もし元メンバーの誰かが疑いを持ったとして、分が悪いのは彼女である。その事実は変わらない。

 と言うことはつまり、今はレジクレのメンバーとして献身的になっているアリーシャが、現状の大部分のリスクを背負っていると言っても過言ではない。昼に会ったシュミットが我を忘れて取り乱したように、言葉選び1つを間違えれば新たな傷害事件が発生しかねない。ヒスイはそんな彼女のことを思って心配したのだろう。

 俺はそれを()みつつも、()く気持ちを抑えられず《転移門》に向かって走りながら応えた。

 

「ま、あいつもよくやってるだろ? バカじゃないんだ。危険が迫れば手を引くさ。むしろ、おかげでだいぶ解決まで進んだ」

「……うん……きっとそうよね。ゴールに近づいてるはずよ……」

 

 俺の説得でなんとか納得したようで、《転移門》の付近まで来た頃にはヒスイは目の前の事件に集中しているようだった。

 さて、しかし目標が定まったと言っても50層主街区(アルゲード)は広さ、つまり主街区における床面積の大きさに定評がある街だ。運良くグリムロックがその層に留まっていたとして、そこから見つけ出すにはさらなる奇跡が必要になってくる。

 

「転移、アルゲード! ……はてさて、どうしたもんか……」

 

 転移を通して目に飛び込んでくるものは猥雑(わいざつ)な景観、整備のなっていない歩道、うるさいBGM、遠慮のない声の応酬とそこを行き交う多くのプレイヤー。ここから特定人物を探せと言うのだから、巨大なショッピングモールで迷子のお子さまを探す親御さん方はさぞ気苦労が絶えないのだろう。今ならその気持ちをほんの少し共有できる。

 などと前途多難な作業に辟易(へきえき)しつつ、脳内でグチを垂れながらどこから探そうかと思案にくれていると、捜索1分で見知った顔に出会(でくわ)した。

 

「おや奇遇だな。こんなところで会うとは」

「ヒースクリフっ!?」

 

 赤を基調とした清楚な装備に、おいそれと持ち運ぶことすらはばかれる巨大な盾や対になる剣。何よりその存在感が街並みから浮きすぎていて、俺はすぐに血盟騎士団(KoB)がトップ《聖騎士》の姿に気がついた。そもそも周囲に軽い人だかりができている。

 銀髪初老の騎士の脇には、部下とおぼしき既定のユニフォームを纏うおっさん達も付き添っている。

 そして動揺した俺は、挨拶もすっ飛ばして不躾(ぶしつけ)に話しかけていた。

 

「すいぶんゲビたところに参上したな。服が汚れるぜ」

「開発者に失礼だぞ、それは。こうした雰囲気も需要があるから栄えている」

「ハッ、開発者に失礼! 笑える。会ったらゲンコツブチ込みたいぐらいだっつーの」

「…………しかし、君とてここにギルドホームを拵えようしていたと聞くが?」

「うぐっ……」

 

 それを言われるとぐうの音もでない。つい大人ぶってこんなことを口走った俺も、実際内心ではこの騒々しい街が全然嫌いではないからだ。

 そこへ我が恋人が喧騒(けんそう)に負けないよう元気良く割って入ってきた。

 

「こんにちはヒースクリフさん。いつもジェイドがお世話になっています」

「なってねーよ」

「これがあいさつなの、黙ってなさい。……コホン、今日はどちらへ?」

「うむ、装備部との打ち合わせさ。武器の多くは特注品で、決まれば纏まった数を仕入れる。最後の決定権は私にあるというわけだ。先ほど早足に済ませたものでな」

 

 ヒースクリフもここまではマニュアル通りなのか、社交辞令の返しとしてヒスイに答えてくれた。特に暴露したというほどの貴重な情報でもないからだろう。

 だがここから俺が個人的に聞きたいことがある。せっかく生き字引が目の前にいるのだから、事件のことについて有用なものを引き出せれば願ったりかなったりだ。そこまで人が良いかはまたも相手次第だが。

 

「あ~……そうだ、ヒースクリフ。1つ頼みがあるんだけど」

「なんだね、かしこまって」

「え〜と……あ! そうそう、昼メシ、キリトと食ったんだってな! 聞いたよ、珍しいじゃん。……んでさ、オゴれるもんとかねーんだけど……俺にも教えて欲しいんだよ。あいつに話したこと」

「ジェイド……」

 

 タダで知識を寄越せ。俺が言ったことは簡単に言えばこんなところだろうか。必死になる痛々しさを感じたのか、ヒスイの声にも弱さが見える。

 なにせギルドの副団長を通して頼み込み、体裁上とはいえ昼代まで持ったキリトとはわけが違う。その時間すら惜しいので、対価は後払いとなるだろう。仲のいいお友達ならともかく、口約束の後払いほど信用に欠けることもない。

 おまけに小判鮫(こばんざめ)のように付き添う護衛の1人が、「団長、あまり長居は……」なんて余計なセリフで急かしている。

 しかしヒースクリフの真鍮色(しんちゅういろ)の眼光を睨み付けていると、予想に反して彼はやけにあっさり柔和な笑みを浮かべた。

 

「わかっている、すぐすむさ。……ジェイド君も、そんな怖い顔をしないでくれ。雑談すべてに対価を求めるはずもなかろう。私と君の仲ではないか」

「え、俺らそんな仲良くねーぞ?」

「また会おう。さらばだ」

「ちょ、ちょっと待って! マブだったわ、マジで!」

 

 両手を広げて通せんぼ。

 調子のいい場当たり的な言い訳が通用したわけではなさそうだったが、彼は深い深いため息をついてから向き直った。

 

「なんの話だったか……ああそうか、キリト君への助言のことだったか」

「んえ? マジでいいの……?」

「情けは人の為ならず。転じて、親切をすると自分に返ってくるものさ。私が困っている時は、ぜひとも助けてやってほしい」

「うい……(……こいつ結構俺に甘いよな)」

「さて、しかし助言と言っても大したことは話していない。私とて全貌は聞かされていないし、ましてや《圏内》でコード違反なんて未だに信じていないものでね。ただ一言、『一次情報のみ信じよ』とだけ言っておいた。他にはすべて偽装の余地が入る」

「一次情報だけを……?」

「人から得た情報が覆れば解決する矛盾もある、ということさ。……おや、楽しい時間は早く過ぎるものだな。では私はこれで失礼するよ」

 

 そう言い残して彼は颯爽(さっそう)と身を(ひるが)した。

 その後ろ姿を見送りながら俺は頭を巡らせる。

 単純に言葉通りに(とら)えれば『自分だけを信じろ』と聞こえなくもない。

 

「たぶんこう言いたかったんじゃないかしら……」

「え……?」

 

 後ろで黙っていたヒスイが横に並んでから口を開いた。

 

「今まで人から聞いた情報を全部疑え……って。ヨルコさんはウソをついていた。アリーシャとシュミットさんの意見も食い違ってる。……それなら、あたし達が見聞きしたもの以外は、真実を見えなくするフィルターにもなりうるってこと」

「まあ……確かにな。え、じゃあキリト達も疑えと……!?」

「彼らの勘違いだってあるはずよ。あれを見た、こうなってるはずだ、なんて言われてもウソかホントかわからないでしょ?」

「身もフタもねぇな……」

 

 結局は信じる情報と信じない情報を選別しなければならないというものか。正しいものを受け取り、正しくないものだけを排斥する。しかし面倒以前にできっこない。

 思案に暮れていると、ヒスイがまたも頭を抱えながら冷や汗を垂らしつつ(うな)っていた。

 

「そう、よ……カインズさんは……ヨルコさんも、本当に死んだの? 死んだかどうかなんて、あたしは確かめてない……」

「ど、どうしたんだヒスイ? なんかすっげー顔コワいぞ?」

「おかしい……おかしいわ……さっきヒースクリフさんの言葉を聞いてずっと引っ掛かってるの。考えてみれば『カインズさんが死んだ』という情報も二次情報だった……」

「おいおいそっからか。さすがに呆れるわ……言っとくけど、それってキリトとアスナとエギルが3人で確かめたことなんだぜ。なんなら後で《黒鉄宮》に行くか? その時間すらもったいないけどな」

 

 俺は付き合っていられないと言わんばかりに肩を落として見せた。だがヒスイは俺のことなど眼中にないらしく、まだこめかみを押さえたまま顔を青ざめている。

 いったいどうしたというのだろうか。カインズが《圏内》で死んだからこうして事件になっているというのに、彼が死んでいないなら事件が始まってすらいないことになる。いくらなんでもそれはないだろう。飛躍しすぎている。

 だというのに。

 それを踏まえてなお、彼女の迫真に迫る表情には無視できない説得力があった。

 昔は長い前髪に隠れていた左目も、いつしか自分の行いに自信を持つようになってきて、今は髪を上げて大きい両目がどこからでも見えるようになっている。だからこそ、俺はその隠されていない2つの瞳をまじまじと見つめた。

 疑惑、戸惑い、そういう疑心暗鬼にまみれた濁った目をしている。自分自身が信じられない、もしくは信じたくないと言わんばかりの顔だ。

 そして、とうとう決定的なことを口ずさんだ。

 

「ああ、なんてこと……そうよ、カインズさんじゃないの……カインズ君(・・・・・)が……カインズ君がいたのよっ!!」

 

 それは、弄ばれた事件の全貌(ぜんぼう)を塗り替える、逆転のピースだった。

 

 

 

 



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第84話 弱き心と――

 西暦2024年4月23日、浮遊城第1層。(最前線60層)

 

 ヒスイがいきなり「思い出した」などと言ったことで、俺達はキリト達に伝えた行動とはまったく別のことをしていた。

 

「でもよォ! 結局どうなってんだ!! ったくさァッ!!」

「文句言っても仕方ないでしょ! 確かめられることはっ! 全部確かめるのよ!」

 

 と言うわけで、俺とヒスイは絶賛全力疾走をしていた。それも閑古鳥が元気よく鳴きそうなほど静まり返った《はじまりの街》の大通りを。

 目的地は1つ、現存するプレイヤーとこの世を去ったプレイヤーを客観的に隔てることができる唯一の場所。《生命の碑》が安置された《黒鉄宮》の入り口だ。

 どうしてもそこに用がある。絶対に確かめねばならないことがある。

 

「ハァ……ハァ……着いたぞヒスイ」

「ハァ……ええ、じゃあ……ハァ……急いで確かめましょう……」

 

 息も切れ切れに俺達はネーム欄を凝視し続けた。探すものは『カインズ』と発音できそうなアルファベットの綴りのみ。

 脇目も振らずに走ってきたのだ。これで手取りなしとは言わせない。

 

「あったわ、カインズ! 綴りはK、a、i、n、sよ!」

「4月22日、18時27分……確かに死んでるな。死因も一致してる。……よし、ここまでは予想通りだ。次を探そう」

「英語表記でもそこまで発音はズレないはずよね……」

 

 そう、俺達は2人目(・・・)のカインズを探していたのだ。

 ただしヒスイの声色(こわいろ)からは焦りが見える。同じような名前が《Kains》の前後に見当たらないのだ。俺達は試しに『K』から始まる全てのユーザーを調べてみたが、やはり結果は同じで、とてもカインズと読めそうな人はいなかった。

 

「なあ、やっぱねぇぞ。記憶違いだったんじゃないのか……?」

「いえまだよ……全部、全部見なきゃ……あっ、そうよ『C』から始まる場合もあり得るわ。そっちも探しましょう」

「あるとしたらC、a、って続いてるところだよな……お、おいこれ!」

「どうやらビンゴね……」

 

 見つけた。見つかってしまった。

 そこにはすでに見つかったカインズと同じ、5文字のアルファベットが綴られていた。何の悪びれもなくC、a、y、n、z、と刻まれた、同音プレイヤーの名前。しかもこちらには横にラインが刻まれていない。

 それを静かに眺めながら、ヒスイは言葉を紡いだ。

 

「『カインズ君』って響きね、言ってからどんどん記憶がよみがえってくるの。顔まではよく思い出せないけど、貫通継続ダメージで殺されたことまで」

「で、でもさ……死んだ死んだって言ってるけど、さっきの『K』から始まる方のカインズの死亡時刻と死因も昨日と一致してるんだぜ?」

「違うわ、一致させた(・・・)のよ。いいジェイド? 4月22日っていう日付は去年に1回、今年でもう1回来てるの」

「あっ、そうか……じゃあこっちのは去年……」

 

 カインズさん(・・)ではない、もう1人のカインズ。

 最初に聞いた時は意味がわからなかった。と言うより、『違い』がわからなかった。

 俺が勝手に呼び捨てにしている彼を、ヒスイがどう呼ぼうが関係ないと思っていたからだ。今は亡き死者からは承諾を得られようがないのだから、君付けで呼んだところで何の変化もないはずだった。

 だのに、それが決定打と成り果てた。こんな言葉遊びのような、冗談のような事実が、見えていた事件の姿をガラリと変えさせた。

 なんとヒスイは、過去にまったく同じ読み方をした男性プレイヤーに会っていたらしい。

 思い出すまでに時間を要した理由は多々考えられる。

 まず、この《ソードアート・オンライン》という世界観が要因の1つとして挙げられるだろう。人の形を模した種族、例えばエルフや人魚、ハーピィやヴァンパイア、果ては日本神話にも登場する天狗や雪男(女)まで彷徨(うろつ)いていたりする。それらの種族が人間と関わり、展開の次第によっては敵にも味方にも変わってストーリーが進むのだ。

 そして、王国に住む上流階級のNPCから下町で雑貨屋を営む下級のNPCまで、手抜きをしない信条なのか『名無しさん』は絶対にいない。しかも全て外国で使われているような横文字の名前で、神話に登場する神様の名前すら見かけることもある。

 そこで、特に珍しくも特徴的でもない4文字の名前を持つプレイヤーと、数時間だけフィールドや迷宮区に出て狩りを共にしたとしよう。

 では1年後にその名前を思い出せと言われたらどうだろうか。アンケートをとっても(かんば)しい結果は得られないだろう。同じクラスの同級生と1年間勉強に励むのとはわけが違うのだ。

 そうした数々の要因を踏まえた上で、『カインズ君』という俺の知らない人物を思い出せたのは、ひとえに彼女の驚異的な記憶力のおかげだといえる。

 

「でも、だとしたら……事件はどうなるんだ? ヨルコがカインズの死を見間違えて……キリトとアスナが運悪く巻き込まれて……特に何事もなくこれでめでたしめでたしってか……?」

 

 俺が半ばやけくそになりながら理想をぼやくと、ヒスイは石碑をまっすぐ見つめたまま否定した。その両目の先に横ラインの引かれていないヨルコの名前を見ながら。

 

「だったらどんなに楽だったかしらね。見て、ヨルコさんも死んだように見せかけただけみたいよ。……たぶんだけど、彼女はカインズさんの『偽装した死』を隠したのよ。何かの拍子で1年前に死んだカインズ君を見つけた彼らは、この偽装トリックを思いつき、そして何かをしようとしていた」

「カインズの死亡を偽装したところでたかが知れてるだろ? ムダに混乱を起こしてハイおしまいじゃねぇか」

「それも違うわ。《圏内事件》の演出できっちり得るものを得ているの。……それは、グリセルダさんを殺したプレイヤーの炙り出しよ。狙いはやっぱりシュミットさんだったんだわ!」

 

 カインズの死を偽装した昨日、目立った動きを見せたのはシュミットだった。つい先ほどヨルコの死を偽装した時にその場に居合わせたのもキリトとアスナ、そして彼だ。

 ヨルコとカインズが手を組んでグリセルダ殺害の犯人を特定しようとし、目星を定めていた。ここまではおそらく正しい推測だろう。

 

「じゃあ作戦はばっちり成功してたんだな。シュミットの奴なんかスゲーハマってたぞ。……そっか、食事にアーマー着込んでた理由もこれではっきりしたよ」

「ええ。あたし達にヒントを与えかねない……というか、疑いを持たれかねない不自然な装備にも意味があったわけね」

 

 アーマーを着込んでいた理由。それはおそらく、エフェクトの利用と思われる。

 防具がアイテムの一種と言えど、やはりホームのボックスに収納しなければ圏内でも耐久値は減る。つまり、ショートスピアが最初から腹に突き刺さっていたのは、アーマーの耐久値を急激に減らすための必要な前準備だったわけだ。

 防具の消滅で青白いポリゴンデータは大量にばらまかれるし、タイミングを合わせつつ転移すれば爆散エフェクトをその場に残してプレイヤーだけが消え去る。見慣れない現象だけに、キリト達が勘違いしてもおかしくはない。

 あとは間違ったスペルを教えれば一丁上がり。シメに誰かが《黒鉄宮》に確認しに行けば、晴れて《圏内事件》の完成だ。

 ヨルコも死ぬ寸前に窓から落ちたと聞くので、死角に入った瞬間、クリスタル片手にボソボソと転移コマンドを唱えたのだろう。

 そうすれば、残るのは背中に刺さっていたらしいダガーだけ。またも人が死んだように見える作戦だ。

 

「……『ウソつき』っつー答えを知ってりゃ、こんな簡単なことだったんだな……」

「ヨルコさんとカインズさんは、これだけ大がかりなことをしてまでグリセルダさんを殺した犯人を見つけたかったのね。……えっ、でも待って! これって根本的には復讐よねっ? なら犯人がシュミットさんと判明した以上、これから彼を!?」

 

 俺もそれは気がかりだった。

 しかし事前準備の規模の大きさと周到性を踏まえた上で、これは『穴だらけな作戦』だと言わざるを得ない。

 なぜなら、俺はキリトからこう聞かされていたからだ。

 「念のためアスナがヨルコさんと《フレンド登録》をしておいた」と。

 ヨルコが死んでいなかったのなら、当然怪しまれないよう登録は自発的に切るしかない。だが登録したネームがグレーに染まるのではなく、相手側から切られてしまったのならそれはそれで疑問が沸く。

 すなわち《フレンド登録》を承諾してしまった時点で、ヨルコはいつアスナに作戦がバレてもおかしくない状態を作ってしまっていたのだ。

 それに話題にも上がった『偽装に必要な大量のポリゴンデータ』を確保するのにも、夕食をとるのに相応しくない装備を身に付けてしまっていた。これでは超絶ヒントが盛りだくさんである。

 しかし、押しきって作戦を決行した。

 であるのなら、こうは捉えられないだろうか。

 『偽装作戦などバレても構わない』、と。いやむしろ、誰かに暴かれるところまでが作戦だったのではないだろうか。

 

「バレてよかったんじゃねえの……あの2人にとってはさ……」

「え……?」

「ああ、話変えて悪いな。端的に言うと、殺しには行かないと思う」

「そ、その根拠は?」

「やたらおざなりでヒントまんさいだったからさ。まるで、誰かに気づいてほしかったかのように……」

 

 俺は1つ1つ言葉を吟味して答えた。

 

「つまりよぉ、作戦が誰からも悟られず感づかれず完璧にキマっちまったら、マジで完全犯罪ができちまうんだよな。だから……あいつらはヒントをあえて残した。他人に知られる可能性をたくさん残して、自分達を抑制したんだよ」

「……それは……あり得るわね。だから彼らからいっさい人殺しの気配を感じなかったのかしら。じゃあ……シュミットさんに反省させたかったってことなのかな?」

 

 ヒスイは目を細めて、悲しみを共有するように呟いた。

 俺も感傷に浸りながら続ける。

 

「たぶんな。野郎がグリセルダを殺害……を、手助けをしてたことぐらい見りゃわかる。今頃は墓の前で土下座でもしてるかもよ? そこでサプライズ! 地獄から舞い戻った2人がいきなり現れて問い詰めれば、かくものシュミットも自白すんだろ。……つか、ビビって泣きべそかいてなきゃいいんだけどな」

「……不謹慎よ、まったく……」

 

 ヒスイには怒られてしまったが、カインズもヨルコも死んでいないのだから、そういう意味ではハッピーエンドだったのかもしれない。ある意味清々しい。騙されたことは案外シャクだが最悪の事態ではない。

 死者なき復讐劇の舞台に少しだけ招待されただけだ。ここいらで俺とヒスイの出番は終わり。フィニッシュは元GAメンバーの3人が今までのいざこざを帳消しするよう尽力するだろう。

 

「さ、お呼びでない俺らは帰るとしようぜ。……あん? どうしたよヒスイ」

 

 気力が抜けて隙だらけな表情を浮かべていた俺とは違い、ヒスイはまだ難しい顔をしていたのだ。例えば……まだ何も解決していないような、そんな緊張感のある眼光を。

 

「おかしいわ……」

「またそれか……」

「だっておかしいもん! ……コホン。いいっ? 確かにカインズさん達はプレイヤーの死を偽装する作戦を考えたわ。でもこれにはね、もう1人協力者がいるのよ」

「だ、誰がいるんだ……?」

「決まってるでしょ《貫通(ピアース)》属性の武器を作ってくれる刀匠よ!」

 

 しかしそれを聞いた俺はひどく落胆した。

 

「何かと思えば。……だ〜から、それってグリムロックのことじゃん。ヨルコら2人に協力してやっただけだろう? 俺はてっきり野郎が他の人を使って殺しさせてるんかと思ったけど、実際は誰も死んでなかったんだ。奥さん殺した奴を殺してやりたかっただろうに……まあ、ただの根性ナシかもしれないけど」

 

 俺は軽くそう返していた。

 グリムロックは『対プレイヤー用』と位置付けられる、いわゆる忌むべき武器というものを鍛えたのかもしれない。しかしそれは、殺しのためではなく愛する人を殺めたプレイヤーを探すためだったのだ。

 なら文句は言わない。むしろ問答無用にシュミットを殺しに行かない分別のよさは、見習うべきプレイヤーがたくさんいるのではなかろうか。感情的な俺もその1人である。

 

「気を抜くのは早いわよジェイド。キリト君も言ってたじゃない、『ヨルコさんの背中にダガーが刺さっていた』って。……これよ引っ掛かってるのは。『背中に武器を刺す』という行為は《圏内》では不可能よ。皮膚はおろか防具ですらコードに守られて弾かれるんだから」

「おーじょーぎわワル! ンなもん、先にフィールドに出て……」

「それはムリ」

 

 ヒスイは食い気味に遮断すると、自分の推理を披露し続ける。

 

「カインズさんと同じ方法って言いたいのね? ゲートを通ってフィールドに出てからダガーを刺して、改めて宿に戻る。……でも、これもおかしいわ」

「えーなんで……あ……」

 

 そして俺も、自分の推理のガバガバ具合に気づかされた。

 

「そ、そっか! 俺とヒスイはその前にフロイスからちょっかいを出されてた……ってことは、あの時のダガーを拾ってからキリト達が部屋に来るまでにそんな作業をする時間はないんだ……!!」

「ヨルコさんの敏捷値がとびきり速かったとして、サバを読んでもまるで無理ね。きっとキリト君やあたし達が部屋を出てすぐに訪れていたはず。……その間、あたし達は《転移門》へ移動したり……その……壁に迫られたり……」

 

 そこは赤くなりながらゴニョゴニョと濁すヒスイ。

 

「と、とにかくダガーを回収してから背中に刺すのは無理なの! ようはね、ヨルコさん以外に武器の作成を依頼した人がいるってことよ!」

「……まあ、あるかもな……」

 

 思惑。偽装作戦と並列して進行した別の作戦。

 それはフロイスと名乗ったおっさんを利用した人物であり、同時にグリムロックが『3本目』のピアース属性武器の作成しなければ成立しないことである。

 確かに『3本目』はおかしい。いくら自分らのギルドリーダーの殺害犯を探すと言っても、ヨルコ達にとってそんなに武器はいらないはずだ。

 それに……、

 

「あ……」

 

 俺は、実に唐突に、呆気なく理解してしまった。

 答えを。ことの主導者を。

 そもそも、自分からシュミットに聞いたではないか。

 自分がミスをした時、わざとではなくとも罪を犯してしまった時、人はいったいどんな反応をするのかと。

 確かに答えは聞けなかった。しかし答えなどそこまで分岐(ぶんき)はない。だから俺はシュミットになったつもりで答えを予想したはずだ。

 『ミスを無為に知られないようなるべく隠そうとするか』と。

 子供でもわかる。ミスをしたら隠したくなるものなのだ。

 小学生の時、点数の悪い答案をタンスの奥に仕舞った。中学生の時、夏休みの宿題代わりに塾で終わらせたドリルを親に見せ、いけしゃあしゃあと騙した。高校生の時、テストで赤点を取ったことを知られないようあの手この手を尽くしてその場しのぎをした。

 俺だけではないはずだ。腹の底が(かゆ)くなるような悪ガキ歴史や体験は誰もが通る道でもある。なぜなら……たまに、『騙し通せてしまう』からだ。言い訳している内に辻褄(つじつま)が合って、誤魔化している内にうやむやとなる。その背徳的な希望に抗える者は、驚くほど少ない。

 犯人は……誰でもない、アリーシャ(・・・・・)だったのだ。

 

「そうだよアリーシャが……俺らを騙してたんだ……ッ!!」

「あ、アリーシャ!? 突然なに言い出すのよジェイド」

「わっかんねェのかッ。いいか? まず、シュミットは何であんなビビってる?」

「それは……殺す手助けをしちゃったからでしょ?」

「それを! アリーシャもしてたんだよ! ……いろいろ聞きたいだろうけど、先に俺の話を聞いてくれ。まず、生活費稼ぐだけのチンタラしてたGAのメンバーが、いったいどうやってオレンジ……いや、レッドプレイヤーと繋がったかってところがずっと謎だったんだ」

 

 俺は感情的になって手をぶんぶんと振り回しながら一気に(まく)し立てると、意見を挟もうとしたヒスイを制して続ける。

 

「レッドの方から近づいたか? けどな、いきなり現れるなり、『指輪持ってるグリセルダを殺してその儲けを分けあおうぜ』なんて言ってくるか?」

「それは……あり得ないわね……」

「そう、あり得ない。……答えはこうだ。当時のメンバーの誰かがレアアイテムのことをレッドに報告して、それを知った奴らがシュミットを作戦に誘った!」

「そ、そんな!? それができるのって……!?」

「そう、あいつだよッ!!」

 

 アリーシャが、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)に、報告したのだ。

 直接ではなかったとしても、窓口をチラつかせただけなのだとしても、どんな言い訳をしようがメンバーの誰かにレッドギルドとのパイプを持たせた。これは確かだ。それを活かして、誰かが欲望の赴くままに『グリセルダ殺害』を依頼した。

 火付け役がいたからこそ、《指輪事件》は発生した。

 

「20層の酒場、これもだ……シュミットの証言と食い違ってた。だから……アリーシャの情報には、どれも一貫性がなかった!!」

「そんな……あの子が今さらそんなこと……」

「ヒスイ! 今すぐあのアホンダラのいる層を調べろ! 俺はルガ達に知らせる!!」

「わっ、わかったわ!」

 

 俺は怒りに任せたままルガとジェミルに次なる命令を与えた。と同時に、彼女ことが次々と頭に浮かぶ。

 誰にも伝えず、知られず、悟られないよう、昔犯した罪を必死に1人で全部片付けようとしたバカ女の顔を。

 まったく、笑えないほど面白いことをしてくれる。

 きっと彼女は、カインズやヨルコがグリセルダの死に対する復讐を『殺し』で解決しないと見抜いていたのだ。

 そしておそらく、殺害の片棒を(かつ)いだだろうシュミットを、ヨルコ達が反省させる作戦に密かに手を貸した。

 俺やヒスイが邪魔をしないように。

 キリトやアスナが邪魔をしないように。

 そして何より、過去の醜き汚点を隠して、勝手に1人で解決できるように。

 

「何で俺を頼らなかったッ……くそ!!」

 

 本当に、本当に、バカ野郎だ。これではまるで子供ではないか。

 アリーシャは危機に対する嗅覚が鈍っている。相手は……あいつの相手は、最悪の犯罪者集団なのだ。奴らに甘さはない。遠慮も、慈悲も、およそ暖かな心などこれっぽっちもない。あるのは無限の欲と冷たい残忍性だけだ。

 彼女の爪の甘さにつけ込まないはずがない。危険因子に対する脆弱な警戒心は、そっくりそのまま彼女に牙を剥いてしまう。

 事件を利用する第三者……その正体は火を見るより明らかだった。

 そして俺は……、

 

「(なンっでッ! 気づいてやれなかった、俺のバカ野郎ッ!!)」

 

 俺自身にキレていた。

 声なき悲鳴は上がっていたはずだ。DDA本部でクレイヴの所在を聞いていた時、アリーシャの様子は明らかにおかしかった。そこですぐに問い正せばよかったのだ。

 何か無理をしていないか。秘め事があるなら打ち明けてくれ。

 この一言をかけてやればよかった。

 

「アリーシャは……19層のフィールドにいるわ!」

「クソ、なら主街区から走ってくぞ! ルガ達も向かわせといた!」

 

 その瞬間から俺とヒスイは敏捷値の許す限りの速度で疾駆(しっく)した。

 内心に渦巻く最後の疑問(・・・・・)を抱えて。

 そしてどうやらヒスイもことの重大さに気づいたようだった。

 俺達は無言で走り続ける。《はじまりの街》での人口はかなり多い方たったが、幸い面積の広さに対する密度は低く、人通りは極端に少ない。途中、何度か《軍》の見回りに声をかけられそうになったものの、俺達の射抜くような視線にその誰もが後ずさりして終わる。

 あっという間に《転移門》に到着。だが日が沈んでしばらく経過してしまっていた。これは夜行性のモンスターが満遍(まんべん)なく強化され、オレンジおよびレッドプレイヤーの活動領域が一気に増えることを意味する。

 そう、安全マージン付きの攻略組がいる最前線でもない限り、フィールドや迷宮区にいるプレイヤー層は突如ガラッと変わるのだ。

 《索敵(サーチング)》スキルの派生機能(モディファイ)にある《暗視》は有効な手段だが、それは敵にも言えること。夜のフィールドが危険とされるゆえんはここにある。

 

「(ハァ……ハァ……アリーシャ。くそ、頼むからこれ以上、余計なことすんなよ!)」

 

 19層へ到着後、俺達はまだ休まずフィールドを駆け抜けていた。

 

「あっ、待ってジェイド! アスナからメッセージよ!」

「なに!? なんて書いてある!?」

 

 俺たちは急ブレーキで停止すると、ヒスイの可視化されたウィンドウを覗き込んだ。

 

「これ……アスナ達も真相に辿り着いたみたい。こっちはヨルコさんがいる場所だって!」

「おいマジかよ、じゃあそこが決着つけようとしてる場所だ! もしかしたらアリーシャもいるかも知れねェ……ルガにも知らせておこう!」

 

 こと樹木が生い茂る森林フィールドにおいて、進むべき方向が定まることは非常に助かる。視界と足場の悪い空間をひたすら走ってきたからか、気づくとだいぶ息も上がっていた。

 しかし俺とヒスイが息を整えつつメッセージを送っている1分間、俺達は警戒をほんの少し緩めてしまっていた。

 だからなのだろう。2人して接近するプレイヤーに気づくことができなかったのは。

 

「あっ! じ、ジェイド!? ヒスイまで! どうしてここに!?」

「え……アリーシャ!? アリーシャじゃねぇか!!」

 

 接近するプレイヤー、それは2人いる。

 明るめの防具を身に着けるアリーシャの隣には、見知らぬ男性が立っていた。

 

「なんとまあ、声がすると思ったらホントにプレイヤーがいたよ。ってアレ、こっちから、ってことは主街区から来たの。うわ~マジか、やっぱ作戦バレてんじゃん」

「ッ……!?」

 

 記憶を探ったが、やはり2人目には見覚えがない。

 第一印象は掴み所のない男性、だろうか。切れ目の眼光に狡猾(こうかつ)な表情を作り、細身の体からは考えられないオーラを感じる。髪型はナチュラルだが毛先は濃く塗り潰したような緑色になっており、チャラチャラと銀の装飾が付いた暗い装備からは、説明されなくとも彼の人間性がある程度伝わってくる。

 そんな男が話を続けた。

 

「ヨルコらの計画さ……途中でワカっちゃったんだろ? いや~やるね、感心するよマジで」

「オイあんた、アリーシャの知り合いか?」

 

 俺が質問すると、彼は少年のようなあどけなさで笑って答えた。

 

「わるいわるい、俺はクレイヴ……ま、俺も元GAのメンバーってことよ。君らの名前をこのコから聞いてたもんだから、名乗り忘れちゃっててサ。カンベンしてよね」

「チッ……そうかよ、じゃあ聞き方を変える。アリーシャを利用して事件を引っかき回したのはテメーか?」

「う~わ舌打ちしてきたよ、何様だっつーの。……いい? 俺はね、アリーシャさんの手伝いしてただけなんだよ。どうしてもって頼んでくるから。ヨルコやカインズと疎遠になってて、《指輪事件》のことも忘れかけてたってのにサ。……まァた首突っ込むハメになった」

「…………」

 

 心底迷惑そうなのは、演技なのか、それとも……、

 

「いやぁ大変だったんだよ~、余計な手出しされないようにわざわざ時間をロスさせて。んで、シュミットのクソ野郎をグリセルダさんの墓まで炙り出すように後押ししてやったり。たぶんだけど、今ごろあっちじゃ追悼式みたいなことになってるんじゃない? 時給でてもいいレベルだよコレ」

 

 あくまで、クレイヴなる男ははおどけたままここまで説明した。

 陰気臭いことが嫌いという(タチ)もあるのだろうが、それにしても後ろめたさなどは感じないのだろうか。リーダーを救えなかった罪悪感、やりきれない後悔、そういったものをもっと見せてもいいはずだ。何よりその『追悼式』とやらに元GAメンバーのこの男(クレイヴ)が参加する気がないというのも気になる。

 それとも初対面の俺達に対し、あくまで弱さを見せまいと取り(つくろ)っているのだろうか。

 

「……ま、リーダー救えなかった責任もあるしね~。一応このコへの協力は進んでやらせてもらったよ。君らには悪いけど、こっちのケツ拭きを他人にやらせるわけにはいかないのサ」

「俺がキレてんのはな、見る目のなさだよ。クレイヴつったか……半年前までパーティ組んでたなら、様子がおかしいとは思わなかったのか? アリーシャもそうだ、何で勝手に解決しようとした!? まいど危なっかしいことしやがって!」

「うっ……それは……」

 

 弱々しく答えるアリーシャの、その悲しそうな目を見て確信した。やはり当時、指輪の情報をラフコフに漏らしたのだろう。

 だが返ってきた言葉は少々意外なものだった。

 

「アタシも責任は感じてたのよ。直接PoHに伝えたんじゃないけど、ここにいる……その、クレイヴに……『窓口』を聞かれてつい……」

「アリーシャさん、それはないっしょ。俺だってあんな物騒な連中とはカンペキ縁を切ったって! ここで人のせいにするのはナシだよ!」

「…………」

 

 ――そういうことか。

 俺は何となく当時の情景が目に浮かぶように思えた。

 酒のつまみに聞いたのか、嫌なことが続いて魔が差したのか、出発点は特定できない。しかしクレイヴはアリーシャに『レッドの入り口』を聞いてしまった。そして、彼女はなんと、それを知っていたのだ。

 シュミットの部屋での、惚れた腫れたの言い争い。あれは彼の勘違いだのと言っていた。

 つまり、そうした危ない隠し事を共有してしまったクレイヴは吊り橋効果のような錯覚に陥り、その紙一重の秘密を盾にアリーシャに言い寄りでもしたのだろう。

 しかし(いびつ)な恋は実らなかった。

 それからアリーシャがGAを脱退し、しばらくしてグリセルダが指輪を売却しに行ったその日、クレイヴはとうとう秘密を死守しきれなくなった。

 そして『窓口』から漏れた情報は、そのままグリセルダを死に至らしめる事件に発展してしまう。

 あり得る話だからこそ恐ろしい。

 誰がグリセルダを殺したのか、誰が1番悪かったのか、悪さの比率はそれぞれ何割なのか、誰が責任をとればいいのか。そうやって事件の悪意がどんどん曖昧になっていき、罪の出どころが拡散してしまったのだ。

 これが半年も事件が放置された最大の要因。

 あるいは、カインズらが偽装作戦を思い付かなければ、永遠に葬り去られていただろう真実。

 だが人のせいにして何になる。指をさして罵ったところで、結局は同じ穴のムジナでしかない。俺はその罪の(なす)り付け合いにイライラしていたが、1歩踏み出しかけた俺に代わって、ヒスイが先に前に出た。

 

「直接教えたとか、誰かを経由したとか、そんなものは関係ないの。アリーシャなら知ってるでしょう? あなた達が反省して、ヨルコさん達の手助けをしていたことはもうわかったわ。けどね……誰かが絡んできているの。この事件を利用して……何かを企んでる」

「誰かが、この事件を利用している……?」

 

 アリーシャが初めてキョトンとした顔で目を細めた。

 やはり彼女は気づいていないようだ。すぐ後ろまで迫っている真っ黒な闇に。

 

「とにかく反省会は終わりだ。この先を直進したところにヨルコやシュミットもいるんだったな? 変な奴が攻めてくる前にとっとと引き返すぞ」

「ぷ……プクク……」

「は……?」

 

 俺の言葉に、笑い声が響いた。

 ここで、なぜ。

 しかしそんな疑問はすぐに洗い流されてしまった。

 

「プハァ! アハハハハッ、いかんこれ笑うって絶対! アハッ、アハハハハハハハ!」

「て、めェ……どういう……」

「テメェ……だってよ! ブハハハハ! お芝居じゃないんだからさ! さっきからセリフ臭すぎんだろッアハハハハハハハハッ!」

 

 おどけたジェスチャー。片目だけ開く、小馬鹿にした表情。しばらく腹を抱えて爆笑したクレイヴの声だけがこだまする。

 その狂った笑い声に、アリーシャは剣の鞘に手を伸ばしながら、怯えたように数歩後ずさった。

 

「クレイヴ……あんた、ホントはまだラフコフと……?」

「いや~ノリノリで演技したら逆に困ったわ。悪い意味で張り合い無ねぇよアンタら。……ンブフッ、マジ面白すぎ。……エッとなんだっけ? あそっか、この先でやってる反省会に凸るんだったっけ? ん~それね、無理なんだわ実は」

 

 まったく動揺したそぶりも見せず、彼は両手をブラブラさせて続けた。

 俺はどこか寒々しい恐怖を味わいながら、掩撃(えんげき)も視野に入れつつ《索敵》スキルも活用して一帯を警戒した。

 

「てめェクレイヴ……なに言ってやがる……」

「だ~か~らぁ! 今はこの俺が! ラフコフの『窓口』になってんの、わかるっ? わかりますかァ!? デュアンダスタぁン!?」

「そんな……クレイヴ、どうして……」

 

 クレイヴは言った。言い切った。

 これではもう、情状酌量の余地はない。

 

「カッコつけちゃって気色ワリィ。テメーらがダンナに勝てるかっての。……だいたい、アリーシャさんも! 俺がこっそり連絡いれてんのに気づきもしねーで呑気にさァ! 確かに尖ってた頃は好きだったよ。けど丸くなったアンタはどォよ!? 俺が指示したコト鵜呑みにして、ギルドのリーダーさん困らせてやんの! マジでこっちの緊張感もなくなるってこれ!」

「……おいクレイヴ……ノリノリなカミングアウトもいいが、その調子だと明日から牢獄暮らしだぞ。わかってんのか、ラフコフ側につくって意味がどれほど重いか」

「いんや~? どっこいそうはならねぇのさ。ほらそこ、ご到着だよ~」

 

 遮るように、わざと注目を集めるように、足音が聞こえた。

 ザッ、ザッ、と。徐々にそれは近づいてくる。そして大きな大木(たいぼく)の後ろから、迷彩を解いて1人の男が現れた。

 

「まったく人が顔を見せる前に……やあ、久しぶりですねジェイドさん、そしてヒスイさん」

「あ、あなたは!?」

「てめェはシーザー……シーザー・オルダート!?」

 

 夜闇に浮かぶ殺人者。同時に希少価値の高い最前線のビーストテイマー。

 藍色の整った髪、作りのいい小顔と純真な目。足の長さがスタイルを際立て、自信のある姿勢と聡明な頭脳が天から二物を受け取った人間をことさら際立てる。

 そしてゆっくりと右腕があげられ、腰に挿す名刀の柄に添えられると一気に銀の刃が抜き取られた。

 磨き抜かれた刀身が月の光を反射する中で、シーザーは静かに口を開く。

 

「ああ……この時を待っていた……」

 

 またも無益な戦いが。

 人間同士の殺し合いが、始まろうとしていた。

 

 

 

 



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第85話 ――その対価

 西暦2024年4月23日、浮遊城第19層。(最前線60層)

 

「ああ……この時を待っていた……」

「待っていた、だと……?」

 

 野性的な眼光を宿したまま、すでに達成感を得たようなうっとりとしたシーザーの表情に瞠目(どうもく)しつつも、俺は恐る恐る聞き返していた。

 

「ずいぶん待ちましたよ、ジェイドさん。ワクワクしていたんです。こうして、もう1度お会いしたかったから」

「気持ち悪さも増してんな、シーザー……」

「ああそれと、申し訳ありませんねアリーシャさん。慎んで利用させていただきました。ま、ぼくが1枚『ウワテ』だったということで」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 

 シーザーの饒舌(じょうぜつ)さに、たまらずアリーシャが叫んでいた。

 

「なんでアンタが出てくるの! ラフコフはこれには関係ないじゃない!?」

「これ、というのが《圏内事件》ならその通り、まったく関係ないですね。しかし指輪の件はそうもいきません。ぼくがラフコフと手を組む前、《黄金林檎》を名乗るギルドの頭を、ウチのメンバーが殺したのだとか。……ふくく、憐れですよね。そして当時、それを依頼したグリムロックさんが、今度は証拠隠滅のために『生き残り』まで亡き者にしようとした。これが今回の真相というわけです」

「え……ええっ!?」

「ぐ、グリムロックさんが!? グリセルダさんを殺す依頼!?」

 

 当時ギルドの副団長まで務めていた男が、なぜ今になってメンバー全員を毒牙にかける必要があるのか。果たしてレアな指輪の売買だけで、それほどまでに溝のある禍根(かこん)を生んでしまうものなのか。

 ヒスイとアリーシャが口々に困惑の色を放つ。

 だが、俺だけは違った。

 肩の荷が落ちたように、ある意味では重圧が消えたような感覚だった。

 

「ま、そうなるわな……」

「ジェイドまでっ、なに言ってるのよ!?」

「ムナクソ悪いけど繋がったぜ。なァクレイヴ……てめェだろ、グリムロックにラフコフを売ったのは」

「へぇ。証拠は消したつもりだけど」

「気づいたのはついさっきさ。『夫婦』なのに指輪を盗めた、なんてあり得ない。……気づけたもう1個の理由も教えといてやるよ。俺、実はヒスイと《結婚》してんだ」

「なっ……うなあぁあっ!?」

 

 突然の告白にヒスイだけが赤くなって慌てていた。しかし、クレイヴとシーザーは軽く目を見開いただけで、むしろ納得したような顔をしてうなずく。

 

「……な、なるほど。気づかれるわけだ。50層で待ち伏せていた手前、格好つかないと思っていましたが……まあ、仕方がありませんね」

「ん~だよ、じゃあ答え合わせできたようなもんか。てかリア充かこいつ! 元リーダー以外で《結婚》とか聞いたことねーぞアホ!」

 

 突然の空気の変わりようにアリーシャもヒスイも付いていけていないようだった。

 俺はヒスイに目を合わせると、少しだけヒントをやる。

 

「ヒスイ、俺らのストレージって共有化されてるだろ? でもこれってさ、離婚する時どうなると思う?」

「り、離婚するときぃぃっ!?」

「しねーよ!? しねーけど、もしもの話だよ! 悲しい顔すんなよ! ……じゃもっとスッパリ言うけどさ、『片方が死んだ』場合……どうなるか想像したことあるか?」

「死別……って、 あ!!」

 

 どうやらヒスイも気がついたようだ。《指輪事件》が成り立つはずがないことに。

 

「そうよ、死んだら全部あたしのものに!」

「怖ェことサラッと言うな!」

「ごめん言い方……でも、し、死んだら……指輪はおろか、それ以外のアイテムも全部、どうしてもあたしのものになっちゃうのね……?」

「……ま、そういうことさ。襲撃者がどこの誰だろうと、パーソナルストレージを持たないグリセルダを殺しちまったら、奪えるはずがないんだ」

 

 これが真相。思考停止するなら『指輪売却による金ほしさ』に妻を殺そうとしたグリムロックは、擬似的に『窓口』になってしまったクレイヴを通して話をつけ、ラフコフにグリセルダを殺させた。そうして圧縮された金の分配により多額の利益を得たのだろう。

 しかもそれにはシュミットを利用している。グリセルダの後を付けさせ、《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》のセーブポイントを作るだけ。自分の手を汚さず、ラフコフはグリセルダに接触できた。シュミットにも金が入ってお互い万々歳と。

 ラフコフは出費なしで殺す。クレイヴは『窓口』という席の確保。それだけで、2名のプレイヤーが労せず大金を手にする、夢のようなクソシステム。

 だからグリムロックは《指輪事件》を蒸し返されたくなかった。自分の殺人の罪が公にさらされることを恐れていたからだ。

 それなのに《圏内事件》に協力したのは、ヨルコやカインズ、そしておそらくシュミットやアリーシャまで、事件の全貌を掴みうるプレイヤーをまとめて地獄に送るようラフコフに再依頼するためだった。

 だから武器を鍛えた。貫通(ピアース)属性の武器を、3本も。

 あたかも消極的に、被害者面をして、皆殺し計画を進めた。

 

「(言い逃れは……もうムリだろ)」

 

 ここにシーザーと今の『窓口』がいるだけで証拠は十分である。ゆえにのんびりはしていられない。エリアの奥にはラフコフの下っぱか、あるいは《聖龍連合(DDA)》のシュミットが同行していることから、最悪幹部連中が出向いている可能性もある。

 だが時間に制限のないシーザーは冷静だった。俺は感情的になりそうな自分を必死に押さえ、なるべく余裕があるように見せつつ相手の出方を(うかが)うように口を開く。

 

「だいたい、ヨルコ達の考え方が間違いだったんだ。《圏内事件》程度の 小っせぇ(・・・・)ことでクソレッドはお行儀よく反応しない。あいつらはその辺がマヒしてるんだよ。……だから、この『炙り出し作戦』自体、連中にとっちゃ糸の見えた釣り餌だったのさ。そうだろシーザー?」

「イエス。しかし面白いですね。IQが低くてもこういうのは見抜くんですから」

「あァ!? 個人的にコロスぞ!!」

 

 血管に圧をかけて叫んだが、シーザーはサラサラの髪を揺らしておどけるだけだった。

 

「褒めてるんですよ。ヒスイさんを差し置き、あなたがメインターゲットになるわけだ。……サービスで教えます。殺しの条件として、グリムロックに3本目を作らせたのはぼくです。あと、フロイスさんに払った20万も独断だったりします」

「……ずいぶん勝手できる立場になったもンだな、シーザー。悲しくて泣いちゃいそうだぜ」

「ええ。ぼくは元より自由人。……ああそれと、この先区画を3つ越えたところにPoHを含む三幹部がいます。早く救助に向かわないと大変なことになりますよ?」

「お、おいシーザー!? ダンナのことは抑えとけよ、喋りすぎだ!」

 

 ベラベラと話続けるシーザーに驚いたのか、クレイヴが焦りを見せて黙らせる。それにしても、確かに今日のシーザーは、誰の味方なのかわからなくなるほど色々と教えてくれている。

 前提として、おっさんフロイスを操っていたのがこのスカし野郎なら、少なくとも俺とヒスイに《指輪事件》と《圏内事件》を解決してほしかったことになる。だから途中でヒントを与えてきたのだろう。

 しかし謎だ。俺達の介入はラフコフにとって障害にしかならないはず。

 策士策に溺れると言うが、とうとうシーザーはトチ狂ってしまったのだろうか。

 

「なに、簡単なことです。ぼくが役目を果たせばそれで解決なんですよ」

「役目……へっ、なるほどな。メインを殺しきれるってんならたいした自信だ。んじゃあこっからは任せたよ。『窓口』の役割はこれで終わりさ。それに、こっちにゃとっておきの『追跡されない脱出法』があるしよ」

「そうですね、ここで終わりです。……あなたの、全ての役目がね!!」

「はァッ!?」

 

 ザグンッ! と、ソードスキルが炸裂した。

 発動者はシーザー。被弾者はクレイヴ。

 反応こそしていたが、すでに抜刀していたシーザーの超至近距離からのソードスキルは、クレイヴの胴体に見事にクリティカルヒットしていた。

 

「ぐぁああああああっ!?」

「今ですジェイドさん! 彼の足を!!」

「おっ、おう!? あ、《暗黒剣》リリース!!」

 

 ほとんど操作されているかのように《暗黒剣》専用ソードスキル、長距離用単発斬撃《フォ・トリステス》を放っていた。

 ボウウッ!! と、特大のバーナーを点火したような音を置き去りに、放物線を横に倒したような形の衝撃波が4メートル半も直進した。

 地面に伏していたクレイヴの両足に直撃。《魔剣》の性能が遺憾なく発揮され、高攻撃力と《暗黒剣》という名のユニークスキルの効果により、彼の膝の部分から先が綺麗に抜け落ちた。

 悲鳴と怒号。とっさに剣を抜いたヒスイとアリーシャさえも呆然としていた。

 

「てめェゴラァ!! これっ、ザッけんなよシーザー! なにしてンだボケがァ!!」

「ジェイドさん、このロープを使ってください。……何って、両手を縛るんですよ! ぼくがやってもいいんですか!? それともこのまま彼を殺しきりますか!?」

「ああ、なら……俺がやるよ……」

「ちょっ、おまっ、やめろってのッ!」

 

 足のないクレイヴが抵抗をするが、焼け石に水なんてレベルではない。機動力がなくなり、筋力値でも大きく劣るプレイヤーが俺にできたのは、『指に噛みつく』という酷くみっともない悪足掻きだけだった。

 クレイヴの捕獲成功。それも時間にしておよそ30秒で、損害もなく。

 彼の両手を後ろで縛るために俺の両手が塞がっていた間はヒスイとアリーシャがシーザーを見張っていたし、クレイヴの腕をキツく縛り上げたのも俺だ。見せかけのズルもしようがない。これで誰がどう見ても、3対1の状況ができ上がってしまったことになる。

 

「ちくしょう! ちっきしょうフザけんなよコレ!! なんで俺が捕まってんだよッ!!」

 

 体をくねらせ、もっともな疑問が投げ掛けられた。

 それでもシーザーは動揺した素振りを見せない。

 

「これは言わばセレクションですよ」

「セレク……ション、だァ……?」

「有能な者を選抜し、無能な者を排除する。弱肉強食のサイクルです。クレイヴさん、あなたが『窓口』に就いたのも先任を蹴落としたからでしたよね? ならその逆もあり得る。ぼくの方で新しい人を抜粋しておきますよ。……あと、組織の金を横に流すとこういうことになるんです。以後気を付けるように」

「カネっ? カネだって!? クソがッ、俺よりテメーの方が好き放題しただろうが、あァん!? 20万はどこの組織からパクったよ! 横に流してんのはサイフ役のテメーだろうが!!」

「……ふぅむ、まったく。やれやれのガッカリです。いいですか? 報告するのは管理を一任されたぼくです。バレないよう、うまく君のせいにしておける。死人に口なしという、これだけのことではありませんか」

「く……こンっ、の……クソカス野郎がァアアアッ!!」

 

 そのやり取りを見て、俺達は唖然(あぜん)とする他なかった。

 組織が他ギルド、および予備軍とパイプを持たせるのに重要な『窓口』を捨て、最高級のオーダーメイド武器すら作れる大金を勝手に使い、殺される危険すら背負って嘘をつき、そして……そして自ら絶望的な状況を作っている。

 わけがわからない。意図が読めない。

 謝罪のつもりなのだろうか。これで勘弁してほしいと、そう言って頭を下げるのか。

 それとも、ラフコフの強制力に嫌気が差しているとでもいうのか。

 

「ヒスイさんとアリーシャさん、急いでください。このままではシュミットさん達が死んでしまいますよ。ルガトリオさん達も向かっているのでしょう?」

「え、ええ……まぁ……」

「でも……アタシらをこのまま通していいの? あんた帰ったら殺されるわよ?」

「…………」

「チッ……時間がない! 先にヨルコやカインズを助けに行こう! こいつらはあとだ!」

 

 だが俺がシーザーの横を通り抜けようとしたその瞬間、ビュン!! という音が鳴った。

 目の前にギラついた刀が迫る。

 

「行っていいのは彼女達だけです。ジェイドさんはここへ」

『ッ……!?』

 

 再び3人に緊張が走る。

 全員が剣の矛先をシーザーへ向けた。

 

「おいシーザー……何のつもりだ。ラフコフを裏切ったんじゃねぇのか」

「そうよそうよ! それにジェイド1人を残すわけないじゃん! やるんだったらアタシもやってやるわよ!!」

「相変わらずおバカさんですね女ってのは。いいですか、ぼくは彼との決着にしか興味がないから、こうして策を練ったのです。そしてあなた達は敗北した。3対1ならぼくは負けるでしょう。しかし最期まで……死ぬ直前まで、時間稼ぎに徹します。対する君らは1分1秒すら惜しい。なら! 彼をここに残し、お2人が助けに行くしかないはずです! 邪魔者はさっさとご退場願いたいッ!!」

 

 まるで正しい答案を見ながら回答するかのように、自信満々の表情でシーザーは叫んでいた。

 レジクレが自然にヨルコ、カインズ、シュミットを助けに行かせる状況。PoHを含む幹部全員が不在の状況。『窓口』を使い捨てにした上での組織の金の乱用。

 頭をひねったとして、これを白紙の状態から思いつけるシーザーは間違いなく天才だ。人間は単純なパーツではない。それぞれに感情があり、それぞれに秘めたる想いがある。予定通りに動いてくれる方が稀で、大抵はどこかで歯車がちぐはぐになるものだ。

 それを完全にコントロールした。意のままに操った。

 ヨルコとカインズの《圏内事件》を利用し、グリムロックの謀略(ぼうりゃく)を利用し、《ラフィン・コフィン》を利用し、最後に『俺と戦うため』だけに全てのリスクを背負った男。

 それがシーザー・オルダートというプレイヤーが選んだ、背水のリベンジマッチ。

 アリーシャは頬を染めながら「ねぇあんたってホントそっちの気があるんじゃ……」なんて呟いていたが、この場合はこう答えてやるしかあるまい。

 

「アリーシャ! ……いいんだ、先に行っててくれ。ヒスイもな。なんせこいつの言ってることはタイガイ正しい。ここで全員足止め食らったままコイツを捕まえたところで、ヨルコ達が死んだら元も子もない」

「ジェイド……」

「早く行けッ!!」

「ッ……信じてるよ! 先を急ぐわアリーシャ!!」

 

 ヒスイが不安がるアリーシャの手を無理やり引いて奥へ駆け抜ける。

 その場には芋虫のように這いずり回るクレイヴと、愛刀を従える2人の剣士だけが残った。

 

「ゼフィ、来い!」

 

 声に反応し、視界の外からバサッ、バサッ、と2、3回羽ばたいた大型の《使い魔》が主の脇に降り立つと、シーザーは友達に話しかけるようなカジュアルな声でそう言った。

 

「ようやく2人きりになれましたね」

「2人きりだァ? 1匹多いぞ」

「ふ、ふふふ……」

 

 しかし、少しだけ緊張しているようにも見える。「この時を待っていた」なんて呟いていたことから、本当に待ち遠しかったのだろう。

 だから彼はごく優しい口調で思い出話を語った。

 

「クレイヴさんに命令を送って、アリーシャさんを操っていた時はね……冗談ぬきに心臓が張り裂けそうでしたよ。連絡網である彼女に感づかれたらジ・エンドですからね。しかも、あなた方は想像以上に活発に動き回ってくれました。これでも計画表はちょくちょく書き換えていたんですよ?」

「…………」

「フフ……楽しそうでしょ? ふくくく……ぼくから言わせればメインもサブもない。そう言えば、後になって《タイタンズ・ハンド》の時の話も聞きましたよ。オレンジ8人を当然のようにかっさばいたんですってね? いや普通できませんよ、一般人には。相手は人間。ましてや、ここは死ねば『死ぬ』世界だ。台所に置いてある包丁を持っても、震えて狙いが定まらないのと原理は同じ。……それを! あなたは斬った! ……これの意味がわかります? 人は自発的に(・・・・)斬ると戻れなくなる。人を斬る震えを消す方法は1つ、実際に人を殺してみることだけなんです」

「なげェんだよ話が。何が言いたい」

こっち側(・・・・)へようこそ! と、そう言いたいだけです。前回ぼくは負けました。しかしそれは、経験がなかったからなんです。人が人を殺すシーンは見ました。……でも、殺したことだけはなかった。あなた方が僕の殺意に気づけなかったのは簡単な話。だからぼくは、あの日を記念日にするつもりでした。ミンストレル先輩を殺したあなたを……最初に殺したかったんですよッ!!」

 

 叫んだ後、静けさがさ迷った。

 空気がチリチリと張り詰める。

 ミンスを殺した、正確にはミンスとタイゾウを殺したあの日から、俺は確かに殺人者の仲間入りを果たした。忌むべき存在であり、罪を背負った。

 言い訳をするつもりはない。正当防衛だと声を大きく主張するつもりもない。現実世界に戻ってから法的裁判の下に罰を与えられるとしたら、それを甘んじて受ける覚悟もしている。

 そして、やはり彼の指摘はここでも正しい。

 人を殺してからの剣は、鈍らなかった。それがトラウマにならなかったらという条件付きではあるが、少なくとも俺がシーザーやボルドを翻弄(ほんろう)できたのも、『人殺し』の経験があったからだろう。

 それに……、

 

「わかってたぜ、シーザー……あんたはそこの使い魔の死に際にたじろいだ。おまけに《ゼフィの心》を回収して《プネウマの花》で復活までして見せた。……これよ、使い魔の《なつき度》マックスってことじゃねぇか。泣かせるね~、悪人になりきれない男ってのはさ」

「黙れジェイド。その過去はもう捨てた!」

 

 乗せられたシーザーは刀を振りながら否定した。

 珍しく俺のことを呼び捨てにし、脇目も振らずに怒鳴り散らす。それは失敗続きの幼い子供が、理不尽を受け入られないからと駄々をこねるようにも映った。

 

「……ゼフィ……確かにこの子はぼくの唯一の弱点だった。ソロにはよくある、心のよりどころってやつですよ。……けれど、それはもう終わった。バカにしないでほしいな、おかげで冷たい憎悪を学べました。この舞台がその披露宴だ!」

 

 そこには、物理的にも精神的にも強者となった敵が立ちはだかっていた。

 シーザーが刀を強く握ったことで、対話の時間が終わりに近づいていることを感じる。

 

「あなたの《暗黒剣》……素晴らしいソードスキルだ。かつてボルドさんの足を、2回の斬撃でディレクトさせた。……でも安心してください。誰にも話していませんよ、PoHにもね。ぼくとジェイドさんだけの秘密です」

「頼んだ覚えはないけどな。それに公開されるスキルリストに挙がらなかったんだ。言っとくけどこれ、たぶん《ユニークスキル》だぜ」

「でしょうね。……ふくく、ジェイドさんがその所有者でよかった。あなたを殺せばそのスキルが手に入ったりして」

「ごたくはもういい。殺ろうぜシーザー、そのために来たんだろう? あいにく俺はてめェをボコボコにして、さっさとヒスイに追い付かなきゃいけねェんだよ」

 

 黒い(もや)(まと)わせたまま、俺は《ガイアパージ》を両手で構えた。シーザーも片手で刀を持ちつつ、左手の人差し指と中指を立てて構える。あれが使い魔にどんな命令をも送れる万全な姿勢なのだろう。

 俺は彼を陳腐なセリフで挑発したが、そもそも今さら頑張ったところでヒスイの援護に間に合うはずがない。たっぷり懐古談に付き合ったことを考えると、俺達の戦いが終わる頃にはあちらの争いも何らかの決着を見ているはずだ。

 キリトとアスナ、ヒスイとアリーシャ、カズとジェミル。それぞれが向かった先でまともな戦闘をラフコフが仕掛けてくるとは思えないから、おそらく救出が間に合いさえすれば奴らは撤退するだろう。

 だがシーザーは違う。こいつには戦力差による撤退がない。それは俺にもシーザーにも援軍が来ないことが確定しているからだ。

 誰がどうなろうと関係ない。勝敗を決するのは、互いの腕だけ。

 

「死んでくださいジェイド!!」

「死ねッかよアホんだらァ!!」

 

 キィイイイッ!! という光が煌めくと、2人同時に単発突撃技を発動していた。

 耳鳴りを誘発させるようなサウンドエフェクトが鳴る。

 俺は一旦《暗黒剣》を解除して大剣専用の《アバランシュ》を。シーザーは移動力に優れる曲刀(シミター)派生系の《テンプテーション・クレイター》を。

 真横へ直進させる、物理的にはあり得ない加速度。

 そのアシストを全身で受け取り、神経と筋肉を研ぎ澄ます。叫んでいたのか歯を食いしばっていたのか、それすらわからなくなるほど意識は敵に向けられていた。

 金属の衝突。敵意の爆発。

 衝撃が腕に、肩に、背筋に、暴力的に襲いかかる。そうなってから初めて音が聞こえた。

 

「シィイザアアアアアアッ!!」

「ジェイドォォオオオオオオオオ!!」

 

 バヂヂヂヂヂヂヂッッ!! という激しい唾競り合い。

 飛び散る火花と、苦痛に歪めたお互いの顔。

 腹の奥から気合いを爆発させ《ガイアパージ》を振り抜くと、よろめいたシーザーが左手で指示を送る。

 これがビーストテイマーの真骨頂。奴の使い魔、種族名《ダスクワイバーン》が忠実に命令を実行する。

 俺の顔面に向けて口から灼熱の火炎が放たれていた。プレイヤー側は逆立ちしても真似ることのできない『魔法攻撃』だったが、即座に反応した俺は勢いに逆らわず体全体をたたんで(かわ)した。

 ダスクワイバーンはその大きな体躯(たいく)ゆえに死角が多い。力強い攻撃は防ぐより躱した方が効率もいいのだ。

 しかし、『回避されること』までを読まれていた。

 

「そこォおおお!!」

「ぐぅッ!?」

 

 ガクンッ!! と、横下腹に鈍痛が走った。《体術》専用ソードスキル、大脚回転連続蹴技《極平車輪》だ。

 回転しながら蹴るわりには広範囲攻撃でない上に、体勢の悪さが加味されて比較的使い勝手の悪い技として知れ渡っている《体術》スキルの上位技。テクニカルな技を自然に使いこなしていた。

 続いてダスクワイバーンも巨大な爪を構える。

 ――けっ、上等だぜ。こうでなくっちゃなァ!!

 

「んなろォがァアアアア!!」

 

 とっさにシーザーの足を掴み、そのまま真後ろから迫るダスクワイバーンの鉤爪を背に構えた《ガイアパージ》で防ぎ、その重い衝撃に耐えた俺は、さらに連動するように両足がミッドナイトブルーのエフェクトを放った。

 防御体制による予備動作(プレモーション)完成。その直後、《体術》専用ソードスキル、上位空中二連乱脚《輪天撃》が閃いた。

 1撃目、ゴガンッ!! と、左足の爪先がシーザーの顎を垂直に捉えて地上4メートルまで浮きあげる。

 屈伸の反動でジャンプ。さらに2撃目、空中でグルッ、と体を捻り右足のかかとがこめかみに炸裂。

 敵は側宙をしながら樹木の根もとに激突した。

 

「ごァっ、か……ぐッ……ゼフィイっ!!」

『クルギャアア!!』

 

 着地後、ダスクワイバーンが立ちはだかることにより追撃中止。

 魔法攻撃の中で最大攻撃力を誇る《フレイム》系統のブレスはきっちり避けた。カウンターによる反撃は失敗したようだ。

 シーザーは体勢を立て直し、ソードスキルによる光の帯を纏う。

 俺は反射の速度で中間にいるダスクワイバーンを盾にするよう配置を変更。

 しかし、それは読まれていた。

 

「ゼフィ! 飛べ!!」

「ッ……行かせッかよォッ!」

 

 続けざまに発せられるシーザーの命令を先読みし、必死に生存の道へ張り付く。

 またも動体神経を越えるような反応で上空へジャンプし、ほとんど重なるようにダスクワイバーンと並んだ。

 シーザーの舌打ち。にも関わらず、奴は冷静だった。

 ダスクワイバーンが臨機応変に攻撃体制へ変えたのだ。空中でのブレスを避けようがないことがわかっているからだろう。

 だからこそ。

 だからこそ、俺は微笑を浮かべていた。

 

「堕ちろよ、このクソトカゲがッ!!」

 

 一瞬の差で、ルビーレッドの色彩が異形の大剣を包み込む。

 発動条件は『空中にいること』、あるいは『飛び込みに必要な脚力』。俺が初めて覚えた《大剣》用ソードスキルの上位互換技がすでに胎動していたのだ。

 《両手用大剣》専用ソードスキル、上級空中回転連斬《レヴォルド・クレアパクト》。

 体全体を40度ほど傾けたまま両手剣を縦方向に回し続ける連続攻撃。その美麗(びれい)な輝きが、紅色のカーテンとなって軌跡を残す。

 直撃。漆黒の体にガシュッ!! ガシュン!! と2本の赤い斬り傷を作った。

 ダスクワイバーンが崩れ落ちるように失墜する。

 

「ゼフィ!? ぐ、やってくれますねェ!!」

 

 キャンセルした技を再度発動。

 着地後の技後硬直(ポストモーション)が邪魔をして回避までは至らず、俺は《カタナ》スキルの4連続技を《武器防御(パリィ)》スキルで守らざるを得なかった。

 力学的な過剰エネルギーが暴走し、踏み込みの浅かった俺が後方へ吹き飛ばされる。

 ワンバウンドののち、剣を突き立てて急停止。

 一進一退。まさに勝利への綱引きが拮抗していた。

 

「ゼフィ、ブレス体制! これでシメです!!」

『クギャアァアア!!』

 

 土煙が収まると、さっそく連続攻撃……否、連携攻撃が俺を脅かす。だと言うのに、俺は嬉しかった。

 適度なエサ、適切な(しつけ)、スキル調整、レベル調整、その他もろもろの適した育て方と愛情がなければ《使い魔》は成長しない。《使い魔》とは一種の面倒くさい生き物なのだ。

 日々飼育しなければいけない手間、資金面による無視しきれない負担、通じない言葉と意思。それらの障害を乗り越えて初めて戦闘時に心強い味方となる。

 間違いない。シーザーはこっち側(・・・・)の人間だ。

 歪められた人生に甘んじているだけであり、PoHの掌で踊らされていただけなのだ。本人もどこかでそれに気づいているはずである。だからこそ、彼はラフコフ全体の利益を無視して勝手な行動を繰り返した。

 

「(ああ……負けられねェなァッ!!)」

 

 切実にそう感じる。

 負けてたまるか。このままにしておけるか。

 シーザーの目に俺しか映っていないなら、それは好都合ではないか。アリーシャにしたように、ロザリアにしたように、彼にもしてやりたい。(おぼ)れるたびに手を差し伸べられ、救われてばかりの人間だったが、これからは救ってやれる男になりたい!

 

「シーザァアアアアッ!!」

 

 混沌とした感情が、剣を交える度に混ざり合っていた。

 

 

 

 



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第86話 人の生き方とは(前編)

お気に入り数1100件を突破しました。感無量です。


 西暦2024年4月23日、浮遊城第19層。(最前線60層)

 

 鬱蒼(うっそう)と生えた木々の隙間を()うように、乾いた金属音が幾度となく通り抜けた。

 月明かりだけが光源となった夜間では視界も悪く、うっすらと張った不気味な(きり)がより原始的な恐怖心を(あお)っている。

 そんなフィールドで鳴り響く音。

 何度も何度も、様子を(うかが)うようなものから、獲物を食らう気迫のものまで。まるで生き物のように変化する。

 それは命のありかを左右させる、決戦の音だった。

 

「ハァ……ハァ……やるなァオイ! 前より強くなってんじゃねェかよ!!」

 

 何かしら消耗アイテムを採取できそうなほど巨大な木を背に、額の汗を手の甲で(ぬぐ)いながら俺は毒づいていた。

 

「ゼィ……当然です! どうしたんですジェイドさん……ハァ……奇警な顔が台無しですよ! ぼくの知るあなたはこんなものではないはずだ!!」

「キケイぃ!? ハァ……知るかよボケッ!!」

 

 言った直後、シーザーの《使い魔》であるダスクワイバーンが攻めてきた。

 牽制ではない。これも確実に食らいに(・・・・)きている。だが俺もカバーポジションから迷いなく飛び出すと、息をするようにその火炎ブレスを回避し、連動するようにダッシュで距離を詰めたシーザーに対応していた。

 バギィイイッ!! という嫌な音が充満する。

 連携を先読みされたシーザーに焦りはない。

 連携を先読みした俺に満足感もない。

 前屈みのまま敵を睨み付け、まるで示し合わせたかのように同じ力で押し合い、反作用したエネルギーをお互いバックステップに回す。

 ここで《暗黒剣》を再発動。シーザーの目に鋭い警戒心が差した。

 彼我の差は4メートル。俺は冷却期間(クーリングタイム)の終了した《フォ・トリステス》を解放し、ホリゾンブルーに光る衝撃波をお見舞いする。

 直進する長距離用スキルをダスクワイバーンが回避。しかしその後ろにいたシーザーの右肘を掠めた。

 絶望的な目をして右腕を確認するシーザー。しかしヒット時の浅さとシーザー本人のレベルの高さからディレクトはなし。ホッとしたような表情を浮かべる。

 その顔へ容赦のない突きを一閃。

 だが、またしても頬を掠るだけで直撃はしなかった。

 

「まったく、エグいことをッ……ゼフィ!!」

『クルギャアア!!』

 

 俺は小さく(うめ)いてしまう。ダスクワイバーンが左足に噛みつき、動きが制限されたのだ。

 その隙を逃すまいと鬼の形相で突撃するシーザー。たった1秒で激突された俺は、右の肩に奴の刀を突き刺されたまま大木(たいぼく)に縫い付けられた。

 反動と激痛。

 声の代わりに音になり損ねた空気の塊を吐き出した俺は、敵のチーム戦法に追い詰められつつあることを悟っていた。

 

「ぐッ……ちくしょう……!!」

「くくっ、いい眺めです。拮抗して見えるのも、あなたがどうにか食らいついているだけですしね」

 

 左手だけで刀を握ると、残る右手で俺の左手をがっしりと掴んでいた。

 嗜虐的な双眸(そうぼう)が至近距離で俺を射抜く。

 左足がダスクワイバーンに噛みつかれていることと《ガイアパージ》を片手で持ち上げられないことをいいことに、シーザーは武器をグリグリ押し込んで弄んでいた。

 掛け値なしで首の皮一枚。それが現状だった。

 お互いのHPはようやく半分を下回ったと言ったところだろうが、開幕から数えて俺がシーザーのそれを逆転したことは1度としてない。

 

「ぼくがミンストレルさんを崇めるワケって、なんだかわかります……?」

「なんの……ことだッ」

 

 俺は2ヶ所から襲う毒のような継続ダメージに焦りながらなんとか答えた。

 対するシーザーはイライラするほど落ち着いている。

 

「人の生き方、それは根元的な欲求や指針で決まる。なんともまあ、彼はそれが凄かった」

「へ……また、回りクドいなてめェは……」

「フフっ。情報屋が、戦闘力を持たないまま……想像できますか? 彼の素性を目の当たりにした時、感じたのは懐疑心だけではなかった。……圧倒的な羨望です。殺す力なくして人を殺す! それも、PoHに必要とされたからという、純粋な動機で! ……なのに、その行く末を……あなたは潰した! 奪ったんです、可能性を!!」

「……は……ハハハ……ぶははははははッ!!」

 

 このバカの言いたいことはわかった。恨みを増幅させた理由が、前回の戦いでこてんぱんにされたことだけではないことも、ミンスがいかな策略家だったのかも、全て。

 しかしそれを聞いた俺は、思わず笑ってしまっていた。

 

「……何がおかしい?」

「動機つーからどんなことかと思えば……人生を台無しだァ? 行く末を潰したッ!? ハッ、笑わせんなよ。高説タレてる奴が、人に依存すんのかッ! 手を汚さない犯罪に感動しましたァ!? 悪モノごっこもタイガイにしろ!!」

「黙れ黙れぇ!!」

 

 整った顔を歪ませてシーザーは刀を一段と強く食い込ませた。

 

「これが、ぼくの生き方だ……」

「それを『生き方』とは言わねぇんだよ、この三流ッ!!」

 

 俺は右手の剣を地面に突き刺し、残りの全てのパワーを右足の蹴りに回した。ゼロ距離という環境の悪さからは信じられないベクトルが腹に込められ、足蹴(あしげ)にされたシーザーがたまらず下がる。

 続いて左手が太ももに取り付けたショルダーのピックを根こそぎ引き抜き、赤いライトエフェクトで彩られた。

 《投剣》専用ソードスキル、初級基本下手(したて)投げ《アンダーシュート》。

 すっかりお家芸となったコスパ最悪の大雑把な攻撃。しかしその集団流れ星のような攻撃がダスクワイバーンを襲い、複数の被弾箇所をAIが検知したのか《使い魔》はこれまでにない派手な鳴き声を放っていた。

 

「くっ……よくも!!」

 

 シーザーが数瞬《使い魔》に気を取られていたことにより、技後硬直(ポストモーション)中の反撃はない。俺は怒りに任せつつ斬りかかってくる相手の右腕を狙って剣を動かした。

 先ほど浅かったとはいえ、《暗黒剣》のソードスキルが右肘辺りに被弾したことと、その特性を思い出したのか慌てて下がる。

 とそこで、彼は初めて《暗黒剣》の見えざる力に得心しているようだった。

 

「なるほど……ぼくは今、無意識に回避を優先した。……それが人に対する《暗黒剣》の力というわけですか……」

 

 彼の言う通りだった。

 《暗黒剣》はユニットの部位と武器の耐久値(デュラビリティ)を大幅に削り取るユニークスキルである。それはIDやアカウントを参照した、いわばバックグラウンドで記憶される個別パラメータであって、外面からの目視判別はできない。

 よって、指定パターンの中でしか動けないモンスターは自分の危機を感知できない。ゆえにディレクトさせやすく、対するプレイヤーは『欠損(ディレクト)』というシステム的ペナルティの重さを知るがゆえに、常に慎重になってしまう。

 瞬間火力、攻撃速度、命中率、連続攻撃持続時間、そういったいわゆるスタンダードでダイレクトな力ではない(・・・・)

 攻撃の制限。行動の抑止力。

 それが《暗黒剣》のもたらすプレイヤーへの真のアドバンテージだった。

 

「ま、地味だけどよ。それでこそ、ってモンだろう……?」

 

 それでこそ、俺の使うスキルに相応しい。

 確かに数の差で不利に立たされている。ビーストテイマーは自分のレベルアップと同時に、《使い魔》を成長させ育てなければならないが、だからこそ戦闘の時は強い仲間となるからだ。

 しかし戦況はどうだろうか。勝負の行方は終わってみるまでわからない。そして、戦いはまだ終わってなどいない。

 

「いいでしょう! ぜひ苦しんでから死に、あの世で後悔でもしていればいい!!」

「フラグ乱立だな、ズボシ野郎!」

「ひっくり返せますか!? やれるものなら、やってみろ!!」

 

 互いに限界まで振りかぶった獲物が激突し、ガギンッ!! という金属音が鳴ってから、再び唾競り合いが始まった。

 両者共に引く気はない。道を譲る意味も、妥協も、全部置いてきた。

 あるのは勝利への渇望(かつぼう)。知力や体力、精神力や闘争心、戦略、殺意、その他あらゆる運すら含む、人と人との殺し合い。

 これが《デュエル》という形式上の争いでは表現できない真の闘技場。

 

「それでも……最後にモノを言うのは力なんですよ!!」

「ぐ、あッ!?」

 

 離れた直後瞬時に接触したシーザーが、俺の反応速度すら越えて連撃を繰り出した。

 しゃがんで力を溜めた状態でも、ましてやクラウチングスタートを決めたわけでもない。彼はごく普通の姿勢から爆発的な加速をしていた。

 これだ。奴の得意技、《ゼロスタート》。

 運動エネルギーゼロの状態からトップスピードに乗るまでの、言わばタイムラグを極端に少なく認識させることを言う。これにより、相手の予想を上回るスピードを得ることができるのだ。

 俊足(しゅんそく)を誇る《閃光》のアスナに敏捷値で劣るシーザーが、体感上の速度で彼女を超えることが実はできる。同じ原理で、筋肉の発達した熊が気迫に押されただけで狼に力負けすることも自然界ではある。

 その現象を故意に、実力で導く。

 力を決めるのは筋力値だけではない。速度を決めるのは敏捷値だけではない。

 言うなれば『ラフな加速』。助走期間なく初速を得る、プレイヤーにだけ通用するペテン師の移動術。それが《ゼロスタート》という名のシステム外スキルだった。

 

「うッめェ!? ぐ、速すぎんだろッ!!」

「切り札無しに仕掛けますか!!」

 

 後手に回り続けている最大の原因。

 またも背後に回られ、俺はダスクワイバーンに背を向けることを覚悟してシーザーに対応していた。

 しかし、やられてばかりではない。そこで俺の耳はガチチッ、という音を拾っていた。

 これは牙の擦りきれる音だ。回数は2。拾った音の方角から範囲を選定(せんてい)

 次にシーザーを確認。目線の先は俺の右後方。

 

「うっらァああアアアアアアッ!!」

「なにぃッ!?」

 

 地面を転がりながら背後の《フレイムブレス》を見ずに(・・・)回避した。

 視覚野を介さない、ようは物体を見ずに音だけでオブジェクトの位置とその種類を判別する汎用技術。システム外スキル《聴音》。

 俺の努力は、こんなところでも実を結んでいた。

 

「後ろに目ぇ、付いてるんですかッ!」

「さァてなアア!!」

 

 流れるように斬撃の応酬が再開された。

 負けているというのに、押されているというのに、心臓が高鳴る。

 研ぎ澄む刀が眼球スレスレを通りすぎていった。

 巨大な鉤爪が防具を掠めていく。

 敵のスキルが僅差で穿(うが)たれた。

 高熱の獄炎が一面を覆う。

 どれもこれも1歩間違えれば致命傷だ。俺はその確定的な敗北の道から、命からがら這い出ているにすぎない。しかし初めて、シーザーに焦りが見えた。

 彼の動きに迷いが見てとれる。なんとなく、俺に突きつけられた言葉の意味を手探りしているような感覚がある。

 

「なぜッ……ハァ……なぜ、当たらないんですッ!」

「ゼィ……ゼィ……」

 

 危険域(レッドゾーン)に突入した俺を、注意域(イエローゾーン)に入って間もないシーザーが追いかける。立場が逆転された、ある種の奇妙な光景が広がっていた。

 余裕のない闘犬は視野を狭める。そして狭められた視野の先からは現実問題、《見切り》が効果的に機能しやすくなる。

 目を持つモンスターまたはアバターの目線から攻撃軌道を推測するシステム外スキル、《見切り》。やはりこうしたプレイヤー依存の小技は、皮肉にもプレイヤーに対してこそよく効くのだ。

 叫ぶシーザーは実に読みやすい(・・・・・)

 

「ぜァアッ!!」

「ぐああああっ!?」

 

 とうとう鋭い邀撃(ようげき)が胴体に命中。ラッシュを仕掛けたシーザーがHPを減らしていた。

 余裕ができた戦士は心理戦すら同時に行う。

 

「わかるかシーザー! 勝てない理由が!!」

「まだッ、負けてなど……ッ」

「てめェが納得してねェからだよ!!」

「が、はッ!?」

 

 ザクンッ!! と。斬られ、削られるのはまたしてもシーザー。

 スキル前の構え、攻撃前の意図、従者への命令、そうした準備段階で次なる動きを予測する《先読み》が発揮されていた。これも俺の得意とするシステム外スキルであり、浅はかな戦術こそ逆手にとりやすい。

 ドツボにハマっていたのは彼の方だった。

 

「迷ってバッカで……ブレねぇ奴に勝てッかよォ!!」

「ごァああああっ!?」

 

 輝かしいエフェクトが炸裂し、とうとう《暗黒剣》のソードスキルが命中。幸か不幸か切断されない胴体に直撃したことで、シーザーはディレクトステータスこそ課せられなかった。しかし彼の体力ゲージはゴソッ、と減っている。

 すかさず《使い魔》がヒールブレスを放つが、元より後衛タイプではないダスクワイバーンのサポートだ。中和しきれないダメージ量は確実に相手の体に刻まれていた。

 俺の《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルもその役割を果たす中、シーザーが口を開く。

 

「ハァ……ゼィ……迷っていたとして! ゼィ……鈍っていたとして!! 物理的に強ければ問題はない! ぼくはもう誰にも負けないっ!!」

「ハァ……ハタンしてるっての……ハァ……もう、いい加減に……」

「ごたくはいらないとあなたは言った! プライドを引き裂いた人間が目の前にいる! つまらない心理戦もここまでです。……やりましょうよ。これほどの好条件は今後来ない! ……だから! あと少しだけ(・・・・・・)戦いましょうッ!!」

 

 怒号と並列して、ジェスチャーによる《使い魔》への命令が下されていた。

 左の指を右胸から前方へ突き出す動作。これには見覚えがある。

 

「ラスットォオオオ!!」

「ッ……このっ、大バカ野郎がァ!!」

 

 ダスクワイバーンが最大級のブレス体制へ入る。同時にシーザーが突撃系二連続技の《カタナ》カテゴリ専用ソードスキルを構えた。射程を犠牲に上空へ攻撃できるタイプだ。

 ブレスの位置を左右どちらかへ振り、逆方向への回避を優先するだろう敵プレイヤーを、今度は上下方向に無理の利くソードスキルで制圧。これで逃げる敵を3次元的に捉えることができる。

 奴らが得意とする、最もスタンダードな連係プレー。

 それを俺は……、

 

「ふぅ……ッ!!」

 

 大剣の向きを直角へ……つまり、剣の『腹』を見せたまま全力で振り抜いた。

 ゴガッ!! という鈍い音が響くと、ドギツいビンタを食らったダスクワイバーンの顔が、本来の狙いとはまるで違う方向を向いていた。

 すなわち、シーザーがいる方向へ。

 

「な……あっ!?」

 

 火を吹くのが人間なら、反射的に技をキャンセルする。しかしこれが、短いスパンでの攻撃中に中断命令の存在しないビーストテイマーならではの弱点。

 《フレイムブレス》はキャンセルされることなく全力で放射された。

 

「がっ、アああァァああああ!?」

 

 灼熱地獄でのたうち回るシーザー。

 俺は無慈悲にも黒き(もや)を一段と漆黒に染め上げ、共鳴するような低いトーンのエフェクトを《ガイアパージ》に持たせていた。

 《暗黒剣》専用ソードスキル、十字回転軌道乖離重斬撃《クロワ・エグゼクション》。

 1撃目、水平斬りが直撃。ダスクワイバーンの片翼がもがれ、飛翔力を失う。

 2撃目、垂直斬りが直撃。シーザーの右肘がその半ばから完全に断たれた。

 反射的に武器を拾いに向かったが、硬直が解けた瞬間に彼を蹴り上げ、力なくうなだれたワイバーンのすぐ近くに叩きつけた。

 強敵として立ちはだかり、終始俺を苦しめ続けたシーザー達がとうとう地に伏せる。

 

「くあっ、く……そんな……ハァ……また、ぼくが……ッ!?」

『ギュル、ギュル……』

 

 戦いが拮抗しようと、両者が健闘を称えようと、勝者は常に1人しかいない。それが不動のルールだ。

 俺は呆然とする連中の前に立つと、静かに口を開いていた。

 

「あんたらの敗けだ。ウィンドウで確認した限りだと、こっちのメンバーも欠けていない。ヒスイ達もうまくやったみたいだな」

「……くっ……そ……」

 

 立場の逆転したシーザーは(うめ)くことしかできなかった。

 しかし。

 名前も知らない大きな木に座ったまま背中を預け、首もとに剣を突きつけられているにも関わらず、それでもシーザーの目には闘志が宿っていた。無くなった右腕をいたわるように押さえながらも、この男は毅然(きぜん)としている。

 まったく、誰に似たのかは知らないが強情な奴だ。

 

「……なあシーザー、意地張んのいい加減やめようぜ。PoHに従ってんのもさ、あの戦いでミエ張っただけの口約束だろ。……これよ、ラフコフの拘束力っていうより、てめェ自身のくだらない自己暗示じゃねェか」

「……口約束も契約です。ぼくにもプライドがある」

「またお得意の契約か。ったく、さっきそのプライドってのが引き裂かれただのグダグダ抜かしてたじゃねぇかメンドくせぇ。ここいらでチャラにしてよ、いっぺん牢屋ん中で頭冷やしてこいや」

「……どうして……そこまでするのです。なぜ、ぼくに気をかける……」

 

 自分のことを棚に上げておいてよく言う。しかし理由はきちんとある。

 それは、どこかの誰かに似ているからだ。

 遅いか早いか。違いはそこしかない。

 

「……さァな。とにかく……っ!?」

 

 だが話を続けようとした俺は驚いていた。シーザーの顔が、笑っていた(・・・・・)のだ。

 ――追い詰められた人間が、なぜここで?

 しかしその疑問もすぐに理解してしまった。ブチッ、という何かが引きちぎれる音が聞こえたからだ。場所は後方数メートルほどの位置。

 音源は……クレイヴを縛り付けていたロープだ。

 

「なッ、これ……どうして、俺の手が自由に……?」

「今です! 逃げてくださいクレイヴさん!!」

「くッ!?」

 

 俺は反射的に駆け出していた。

 ダスクワイバーンを殴った時のように、《ガイアパージ》を横に寝かせたまま振り抜く。

 《テレポートクリスタル》を片手に転移コマンドを詠唱し終えたその直後、クリスタルを持った腕を叩き落とした。これにより、寸前で脱出を妨害。

 もう後はないはずだ。クレイヴの最後の抵抗は、これで終わった。

 だが……、

 

「ったく、ハァ……仕事増やしやがって……あ! しまッ!?」

「ロープに細工しておいたんですよ。またさよならです」

 

 今度はシーザーが《テレポートクリスタル》を発動していたのだ。

 もう遅い。彼は青白いライトエフェクトに包まれている。その穏やかな表情から、ポツポツと言葉が漏れていた。

 

「これも生き方です、ジェイドさん……ですがあなたの気持ちは……」

「ま、待てシーザー!!」

 

 とっさに投げつけた大剣が空を裂き、そんな言葉を最後に残してシーザーはどことも知れない街へ転移してしまった。

 逃げられた。あの状況で。

 間抜けにもあっさりと。

 

「やられた……くっそ!!」

 

 (わめ)いたところで時間は戻らない。

 それに俺は先ほど聞いていたはずだ。「あと少しだけ戦おう」と。これは勝とうが負けようが、それこそHPゲージが残っていようがいまいが、戦いの終わりが近いことを示していたのだ。

 捨てセリフである「ロープに細工」という部分も不可能ではない。

 彼が《暗黒剣》による部位欠損を過剰に恐れていたのは、『目に見えない内在パラメータ』で欠損の是非が決定されるからである。耐久値を参照するのは武器や防具、食材からアクセサリーまで例外ではない。

 そう、ゲームの世界だからこそ、不可能ではないのだ。

 『千切れかけたロープ』などというアイテムは存在しない。ロープは新品だろうが使い古しだろうが《アイテム詳細》ボタンをタップしなければ耐久値を確認できず、外見からでは読み取れる情報も少ない。もっとも、彼のアイテムを確認しなかった俺にも責任はあるが。

 

「(やられた。出し抜かれた……)」

 

 オレンジプレイヤーの生命線。退路の確保。

 コルの横領(おうりょう)隠蔽(いんぺい)以外でもクレイヴを利用するしたたかさ。どこまでも狡猾(こうかつ)にならなければ思いもつかない発想力。

 

「シーザー……」

 

 その場には、呆然と佇む2人のプレイヤーだけが取り残されていた。

 

 

 

 



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第87話 人の生き方とは(後編)

 西暦2024年4月23日、浮遊城第19層。(最前線60層)

 

 呆然とした脱力感。シーザーに勝利しながら実質的に上がっていない戦果を、俺は悔しさと共に呑み込むしかなかった。

 それとはまた違った方向性なのだろうが、隣のクレイヴもやりきれない感情を吐き捨てる。

 

「ああ、終わった……最後までやってくれやがった……ヌカ喜びさせやがって……俺の生活……くそったれッ! 野郎のせいで!!」

「クレイヴ……『窓口』を請け負ったあんたに言う資格はねェよ。グリセルダを殺した連中なんかと手を組みやがって」

「うるせェ……事情も知らねーで……」

「事情? 知らないさ。なァおい、人殺せる事情ってなんだ!? あんたらのリーダーに申し訳たたねぇんじゃねぇのか!? どうなってんだよテメーらマジでッ!!」

 

 目の前の男の矮小な愚痴にいてもたってもいられなくなり、クレイヴの胸ぐらを掴んだまま出てきた言葉がこれだった。

 途方もないイラつき。その吐き溜めが、たまたま近くにいたプレイヤーに定まっている。

 それでも……いや、だからこそクレイヴは叫び返して来た。

 

「あァあァうぜーウゼェ! うぜェンだよお前!! 知ったかぶッて善人面すンなよ! どうなったかって!? 俺だってなァ! まさかっ、グリセルダさんが死ぬとは思わなかったんだ! だってあの2人はガチ夫婦だぜ!? このデスゲームん中で! それをッ……こ、殺すなんて! 予想できるかよ!!」

「…………」

「……俺にも罪悪感ぐれぇある。んだけどよ、どの面下げて謝りに行けるよ!? ヨルコやカインズに面と向かって、ラフコフに教えてゴメンナサイってか!? こっちの道に片足突っ込んじまった以上、もう仕方ねェだろ! だいたい悪いのは俺に教えたアリーシャだ! それとも、リーダー殺しを依頼したグリムロックさんか!? 実際に首を跳ねたラフコフかもな! なんにせよ俺じゃねぇ!! ハァ……ハァ……仕方……なかったんだよ……なんで俺だけ……ッ」

 

 クレイヴは涙ぐみながらそう吐露し、そして微かに悔やんで(・・・・)いた。

 確かに『窓口』はあくまで入り口で、殺しをしているわけではない。何かの拍子で仲間の意地汚さを見聞きしてしまうこともある。そういう時、正義を(うた)って正論で説き伏せる難しさは説明するまでもないだろう。

 学校での昼休みに携帯ゲームで遊びふけるクラスメイトを見かけた時。未成年の友達が路地裏でタバコを吸っていた時。高校部活の飲み会でお酒が振る舞われた時。

 そんな時、しっかり注意し止めることができる人間が果たして何人いるだろうか。

 少なくとも、俺には無理だった。根元がいて、あくまで自分もそれに巻き込まれた一種の被害者なのだという気持ちは、少なからず理解できる。

 それを踏まえて、言い放った。

 

「ざッけんなよ弱虫が。となりにどうしようもねェクズがいたとして、あんたが染まらなきゃいい話だろうが! のまれてどうすんだよ。誘惑に負けて! さっきアリーシャの前でなんつってた? ワルぶってる自分カッケェとか、そんな程度だろ! 言い訳すんなッ……あんたが! ソレを選んじまったんだろうがッ!!」

「ぐっ……う……ッ!?」

 

 取り上げるのではなく、ゲームを他の場所でやるよう誘導する。殴って聞かせるのではなく、未成年の喫煙者と縁を切ればいい。悪ノリするのではなく、自分がその日酒に手を伸ばさなければいい。

 周りを変える力がなくとも、自分のことだけは言い訳できない。

 誰でもない、クレイヴは自分に負けて『窓口』へと成り下がったのだ。

 

「これからしばらくゴク暮らしだ。……せめて死ぬほど反省してこいよ」

 

 これが俺からクレイヴに言える最後の言葉だった。

 数分後、ほとんど抵抗されることもなく、両足が戻ったクレイヴは俺に縄を引かれながら3区画先のフロアに到達した。

 ラフコフとの衝突もあっただろうフィールド。そこでは俺とクレイヴ以外に10人ものプレイヤーが円を作るように陣取っていた。

 左からそれぞれカズ、ジェミル、ヒスイ、アリーシャ。奥の方にはヨルコ、カインズ、シュミット。右側にはキリトとアスナ……そして背の高い見知らぬ男の姿まであった。

 

「うそっ……クレイヴ?」

「ホントだ……なんでここに……」

「ジェイド……無事でよかったわ。でも、その……シーザーさんは?」

「……逃げられた、すまん。……それよりこれはどういう状況だ? 流れ切って悪いんだけど、俺にもわかるように説明してほしい」

 

 ヨルコとカインズがクレイヴに反応するのはいい。DDAのくせに肝っ玉の小さいシュミットが、今さら怯えた表情をしているのも何となく察しがつく。ヒスイを含む全レジクレメンバーが抜刀しているのも、つい数分前までここにラフコフの幹部3人がいたことから納得できるだろう。

 あとは残りの面子。

 キリトと、そしてアスナにレイピアを突きつけられた怪しい男。革製の服を着て目深に帽子をかぶった男の正体と状況を、俺はこの耳で聞かなくてはならない。

 

「ジェイドもある程度予想はついているでしょうけどね。……彼の名前はグリムロック。……実は、彼は……」

 

 ヒスイはその場の全員が静粛にするのを待ち、(いつく)しむように一声を投じた。

 

 曰く、ヨルコとカインズの目的は、やはり犯人と目星をつけていたシュミットをここへ(おび)きだし、犯行の際の全ての状況を正直に吐かせることにあった。それが本来の《圏内事件》の内容。19層のフィールドを選んだ理由として、ここがグリセルダの殺された層であり、同時に彼女の墓を立てた場所だったからだそうだ。

 曰く、予想した通り、イカれたレッドプレイヤーたるラフコフの連中は、《圏内事件》で1人たりとも動揺の欠片を見せなかった。よって、懺悔しに来たのはその手助けをしただけであるシュミット1人。

 ラフコフの3幹部の襲来と、キリトやカズ達が救援に駆けつけたタイミングはほとんど一緒だったらしい。少し遅れたのはヒスイとアリーシャのみ。このことから、彼らは無理に獲物を殺そうとせず、珍しいことに潔く立ち去っていったそうだ。

 曰く、ヨルコとカインズが結果的に騙すような形をとってしまったことを、キリト達全員に謝っている時だった。

 木陰からグリムロックが現れた。

 それも背中にぴったりとアスナのレイピアを寄せられた状態で。

 キリトらもグリムロックが妻の殺害依頼をしたと気づいたらしい。そしてそれは真実で、おまけにヒスイ達は証拠隠滅のための『仲間殺し計画』までシーザーから直接聞かされている。

 曰く、グリムロックは初めのうちは密かに隠れていたそうだ。「私にはことの顛末(てんまつ)を見届ける責任がある」などとうそぶいて。

 だが、そうしたハッタリはすぐに見抜かれた。そこには淑女ヨルコの機転を利かした探偵然とする活躍があったらしいが、詳しい手順の説明は本題ではないので俺が止めている。

 そして先ほど、とうとうグリムロックが白状した。

 自分が妻であるグリセルダを殺すよう、『窓口』を通してラフコフへ依頼したことを。真相を暴かれるのを忌避(きひ)して、ヨルコやカインズ、そしてアリーシャ共々《指輪事件》の関係者をまとめて殺そうとしたことを。

 俺もようやく聞ける。

 グリムロックがなぜ、唯一無二の女を殺したのか。

 

「……クレイヴまで揃って賑やかですね。チェーザルとヤマトはいませんが、これだけ多くのプレイヤーに気にかけてもらったんです。彼女もきっと喜んでいるでしょう」

 

 ヒスイの説明が終わってから舞い降りた静寂を、グリムロックが破っていた。

 その言葉に誰もが耳を傾けたが、耐えられなかったのか震えながらヨルコが聞く。

 

「あなたは本当に……グリセルダさんを……?」

「……ええ、依頼しました。今の『窓口』であるクレイヴにではなく、その時のプレイヤーは見知らぬ男だったけれどね。……何もかも、遠い昔の話のようだ……」

 

 その独白にヨルコは、カインズは、シュミットは、アリーシャは、そしてクレイヴですら困惑していた。元のメンバーすら頭の中がぐちゃぐちゃになっているだろう。

 誰1人として見抜けなかった『妻を裏切る動機』が明かされるなか、前者3人に至ってはクレイヴが『窓口』にいることすら初めて聞かされたはずなのだから。そのショックの大きさは、簡単に推し量れるものではない。

 それらが織り混ざり、それでもなお静かに明かされた。

 

「計画は抜かりなかったはずだが、いつかはこうなる気がしたよ。全てが白昼の下に晒され、謂われなき非難を浴びせられるような気がね……」

「いわれなき? 気がしていた、ですって!? ……その程度のッ! 簡単な気持ちだったの!? あの大金の方が、あなたには魅力的だとでも!?」

「いや、ヨルコ……たぶんこいつ、金に興味ねェだろうよ」

 

 涙混じりに叫び散らしたヨルコを、俺はゆっくりなだめるように声で抑えていた。

 その気持ちをトレースしたのかグリムロックが切らさないように続ける。

 

「最近は勘のいい子供が多いようだな。……ジェイド君と言ったか? フン……ほら、これだよ。確認してくれていい。指輪を換金した時の金はこれで全部だ。金貨1枚だって減っちゃいない」

「えっ……?」

 

 唐突に指を振ったグリムロックが《メインウィンドウ》のストレージから取り出した布袋には、はち切れんばかりの最高級金貨が詰まっていた。

 再現度の高い本バーチャルリアリティ内では、落下時の音の鈍さでさえ金貨量が果てしないものだと判別できる。見たところ数十万はあるだろうか。売値でこの値段と言うことは、買おうとすればさらにその数倍は堅い。指輪はそれほどのレアアイテムだったのだ。

 だが思った通りグリムロックは「使っていない」と言った。

 

「じゃあ、どうして……?」

「私はどうしても妻を殺さなくてはならなかった。彼女がまだ、私の『妻』である内に」

 

 それは、夫だけが味わう(わずら)いとでも言わんばかりに。

 

「グリムロックとグリセルダ……頭の文字が一緒だろう? これは偶然ではない。私と彼女はいつもオンラインゲームをする時にこの名前にしていた。そして、可能であれば常に夫婦だった」

「なぜならリアルに夫婦だったから……だろ?」

「えっ!? それって!?」

「…………」

 

 グリムロックは否定しなかった。

 それこそが最大の肯定だ。

 

「この世界での結婚はキツい。スレトージ共有に、スキルステータス見放題。みんな知っての通りさ。ましてや名前被りの夫婦なんて、『奇跡』はそう連発しないもんさ。……ああキリト達にも初めて言うんだったな。ヒスイは……そこの女は俺と結婚してる」

「ッ……~、ッ……!?」

「ええっ? お前ら結婚してたの!?」

 

 わかりやすい反応をしたのはヒスイとキリト。アスナだけはどこか予想通りといった表情を浮かべていた。ちなみにグリムロックを除く全メンバーは戸惑いながらも一様にして『なぜそれを今ここで?』といった顔だ。

 しかし、当事者たるグリムロックだけは気づく。

 

「ヒスイ……? ああ、翡翠(ジェイド)か。……君らがリアルで知り合わないのなら、確かに奇跡的だ。そうは起こらないだろう……」

「……あんたらのスペルを知った時、運が良かったから、つう答えをすぐ捨てた。同時に、理由が金なはずもない。……どうせ、嫌気が指したからとかだろう? 離婚しようって言えない奥手さんがこじらせるとよくそうなる」

「ふ、フフフ……フハハハハハ……!!」

 

 どこかのタガが外れたようにグリムロックが笑い出す。

 だがそれがピタリと止まると、改めて彼は表情を改めた。

 

「生意気な子供にはわからないさ。おままごとで暮らしているのではないんだよ。妻である内に……『私の妻』である内に殺さなくてはならなかったのだ!」

 

 瞳孔が開いたまま、狂ったマッドサイエンティストのように。それでもなお、理論的に。

 

「この喪失感がわかるかい!? いいや、わからないだろう! 偽りの世界で愛を押し付けあうガキには到底わかるまい。ゲームの創始者が狂気をあらわにしたあの日、恐怖に呑まれて塞ぎ混んたのは他でもない、私自身だった。妻も初めは合わせてくれていたさ……しかし彼女は変わってしまった! 優しくおしとやかなユウコが!! いったいどこにそんな才能を仕舞っていたのかは、今でも思い当たらない。だが私の反対を押しきり、『《攻略組》の手助けをする』などと言って聞かなかった。その日から、あろうことかフィールドで狩りをし、しばらくしてギルドを作り、仲間を集い、果てはその面倒を一手に見ながらみるみる成長して見せた! ……ギルドのメンバーには生活費を稼ぐため、などと言っていたが、彼女は《攻略組》を目指していたのだ! ……ヨルコ達も知っているだろう? GAの攻略中に死者も出た。アリーシャを含みメンバーの入れ換えもあった。今度は私らがそうなるかもしれない……本当は私も、わざわざ死地に向かいたくはなかった。なのに彼女は、リーダーを降りなかった! ……その時すでに悟ったよ。『妻を殺すしかない』と。現実世界に帰って離婚を迫られるか、道中で共倒れするかの違いでしかないのだと」

「…………」

 

 恐ろしい動機が明かされて、しかしそれにすぐ言い返す人間はいなかった。

 それでも、キリトは隠しきれない怒りを喉から吐き出す。

 

「それだけ……たったそれだけの理由でグリセルダさんを殺したのか。彼女は本当に《攻略組》になって、そしてこの世界を終わらせていたかもしれないのに。あんたはくだらない理由で人殺しを!!」

「大局を見ればそうなのだろう。だが私は博愛主義者ではない。世界がどうなろうと、私にとってはユウコの存在の方が大切だったのだ。いわんや生き延びたとして、そこに生きる希望はない。想像がつくかい? こんな屈辱があるかね? ……そうまでして、私はユウコと共に暮らしてはいけないのだよ……」

『…………』

「……ちょっと待て、終わりか? おいおい、笑わせてくれるよマジで」

 

 俺は自然と口を割っていた。しかも、チープな動機とやらを本気で語る姿があまりの面白かったので、つい声のトーンが上がってしまっている。

 陽気な声はヒスイまでも便乗させていた。

 

「ホントよね。愛を押し付けあうだなんて、さんざん侮辱されたからご立派な理由が聞けると思えば……単にいくじ(・・・)がなかっただけだからなんて」

「なんだとっ……?」

「いいかしらグリムロックさん、それを愛とは言わないの。あたしとジェイドがどんな気持ちで《結婚》したと思う? 彼のことを心から信じたからよ。いっぱい彼に迷惑をかけたわ。ウソもついた。足を引っ張ったし、ケンカもした。理想も押し付けたし、大きな借りもある。それをあたしもされた! ……けどね、全然苦にならないの。だからこそ、いつでも背中を預けられる!」

「その信頼関係だけは羨望に値するよ。しかし、私にとってもこれは苦渋の決断だった」

「あなたのひがみは結構。じゃあユウコさんの気持ちはどう? 夫がみんなを引っ張ってくれなくて幻滅したかしら? 消極的な姿勢にうんざり? ……うっざいのよ、そういうひねくれ者って。彼女は絶対そう思ってなかったわ。死の際まで指輪を外さなかったのは、最後まで夫を信じていたからよ! 愛の押し付けが聞いて呆れるわ! ユウコさんを愛さなかったのは誰でもない、あなた自身ってことでしょう!!」

「くっ……う、ぅ……!?」

 

 雨のように非難が降りかかっていた。

 しかし、ここでグリムロックはヒスイに対して即座に反論ができないでいる。これはつまり、言い返すだけの材料を持ち合わせていないからだ。

 これが、妻が殺されてなお、半年も放置した理由。

 彼が犯人でなくとも、グリセルダのために命を捧げてまで捜査に乗り出さなかったのではないだろうか。独占欲だけが支配する彼の心の中で、すでにグリセルダという女性は死んでいたのだ。

 そこへ、ことの全てを聞かされたシュミットがゆっくりと前へ。銀甲冑を鳴らし、トップギルドの一員らしい顔で近づいてきた。

 

「ジェイド、ヒスイさん、感謝するよ。1歩間違えればオレ達はみんな殺されていた。おまけに真相も暴けなかっただろう。この借りはいつか返させてもらう」

「期待せずに待っとくよ。あと、さっきグリムロックも言ってたけど、今はクレイヴもただの『元GAメンバー』じゃない。正真正銘ラフコフの『窓口』だ。こいつもあんたらに任せていいか?」

「ああ、引き受けよう。決して私刑にしたりしないと約束する」

 

 俺の言いたいことは大体ヒスイが言ってくれたので不満もない。それ以上グリムロックにとやかく言わないようにした。

 しかし、当の本人はそうではなかったらしい。

 

「……言われっぱなしでは終われんな……」

 

 ふと、そんなセリフが聞こえた。

 

「て、めェッ!?」

 

 ボフッ、と固形物が投げ込まれた。白い粉末が広範囲に広がって視界を覆う。

 焦り、叱咤、警戒、怒号。入り交じった感情がせめぎ合う中で転移を示すライトエフェクトが見えた。

 

「《煙玉》とはナメたマネを……ッ!!」

「転移する気だ! 逃がすな!!」

「俺は村の名前が聞こえてる! 後から付いてこい! 転移、ガレッシオ!!」

「みんなはここに残れ! 罠だった時のリカバリー頼むぞ! 奴は俺とキリトで追う! 転移、ガレッシオ!!」

 

 腰のポーチから取り出したばかりの《転移結晶》が光を発し、その光が体全体を包む。

 最古の城村《ガレッシオ》。確か30台層のどこかにあった《圏内》だ。当然オレンジでは立ち入ることのできないエリアであり、そこでは《デュエル》システムを利用しない限り、プレイヤー間ではいかなるダメージも発生しない。

 だがどこの村に逃げ込もうが同じである。《索敵(サーチング)》スキルの熟練度がカンストしている俺とキリトから逃げ切れるはずがない。こうも近距離では熟練度の高い《隠蔽(ハイディング)》スキルすら役にはたたないだろう。

 それに、剣で斬ればノックバックが発生する。レベル差があるほどその影響が現れることから、俺とキリトが2人がかりで《圏内》の外まで吹っ飛ばし続ければいずれ物理攻撃すら通せる。よもや逃げられることはあるまい。

 果たしてグリムロックは逃げた村、つまり《ガレッシオ》の転移先から1歩も動かず佇んでいた。

 

「テメこら、グリムロック! 墓にいたグリセルダが泣いてんぞ!!」

「……追ってきたのはキリト君とジェイド君だけか。言動からは気品や知性を感じないのだが、ちょうどいい。どうやら君らは冴えるようだ」

「ケンカ売っといてよく言うぜこのヤロウ……」

 

 逃げ出そうとしたこと、俺をバカにしたこと、あらゆる面で許しようがない。

 それでいてグリムロックは続けた。

 

「提案がある。何も聞かずに私を見逃してほしい。まだやるべきことがあるのだ」

「オネガイ聞いてほしけりゃ、牢屋ん中で訴訟でも起こすんだな。このインテリネクラが」

「……何をする気か、それも聞けないのか?」

「おいキリト、構うこたねぇよ」

 

 俺はキリトの意外な反応に思わず制止していた。

 だが彼は奴の目をじっと見ている。俺もそれに習うと、損壊した家屋の大黒柱のような木材を踏んだまま、グリムロックが淡々と応えた。

 

「……怖いさ。怖くないなどと、言えるはずもない。口に……出すと、やめたくなってしまう。私はこれから今までの人間ができなかったことをする。しかしここで、君らに貸しを作る気はない。……ただ黙って私を見送ってくれればいい」

「……納得すると思うか?」

「いいや、これは一種の宣言だ。もう決めたこと。だから、私は……わ、私は! 君らを押し退けてもこの意思を通す!!」

「けっ、ふるえてらァ。やれるもんならやってみ……なぁ!?」

 

 グリムロックがポーチから取り出したのは隠し武器でもボスドロップアイテムでもない、またも《転移結晶》だった。それも、両手に3つずつ(・・・・)

 いくらなんでも多すぎる。流通元は増えているが値段は高レートを維持しているはずだ。おいそれと買えるものではない。なぜこれほど所持しているのか。

 

「転移……」

「させっかよォ!!」

 

 ゴガッ!! という小気味のいい音がしたが、吹っ飛ばされたグリムロックはやけに堂々としていた。まるで、すでに安全が確保されているかのように。

 ようやく優位性を確保したと確信したのか、ニヤリと笑いつつゆっくり立ち上がってグリムロックが決定打を放った。

 

「くっ……無駄、だよジェイド君……《圏内》ではダメージが通らない。……そしてクリスタルの妨害条件は、『効果の起動中にダメージを受けること』で、ノックバックは無視できる。……さて、ガレッシオは《圏内》エリアではあるが、主街区ではないので周りに《転移門》がない。何度も転移したければ、こうしていくつものクリスタルを用意しなければならないわけだ。君達はどこまで付いてこられるかな?」

「ぐ、くっそ……ッ」

「元々はクレイヴが編み出した脱出法。《カウントレスジャンプ》と勝手に呼んでいるが、いわば『追跡されない脱出手段』だ。グリーンなら主街区以外の村や街に飛び続けることで、捕まりようがなくなる。逃げ専用のシステム外スキルさ。……もっとも、言い出しっぺが捕まっていたら世話がない。不意打ちに弱い上に一発芸であることは否定せんがね。……また合おう、探偵諸君。転移、プロアソート」

「待ちやがれ、グリムロックっ!!」

 

 しかし、待てと言われて待つ犯罪者はいない。

 しかも俺達に後を追う手段もない。あれだけの結晶を使って転移され続ければ、もう最後にどこの村に行ったかなどわからないからだ。

 高価なクリスタルはそもそも入手の機会が限られてくるし、《転移結晶》はその使用目的が多くは『主街区に帰る』ためだ。主街区にさえ戻れば《転移門》を使ってどの層にも飛んで行ける。よって、一般プレイヤーが複数個持ち歩くメリットはほとんどない。

 おまけにグリムロックは鍛冶屋。

 ヒスイから聞かされていたはずだ。モンスタードロップの武器、レアアイテム、トレジャーボックス、そして《攻略組》たらしめる経験値リソース。そうしたものが手に入らない商人、鍛冶屋、情報屋は代わりに膨大な(コル)が手に入る。

 護衛役を買うもよし、豪華な一軒家をこしらえるもよし、美味しい料理にありつくもよし……そして、市販されているアイテムを買い込むもよし。

 例えば《転移結晶》をしこたま買い溜めすることが、彼らにはできる。考えたものだ。

 

「こんな逃げられ方ありかよ……んだよ、シマらねぇな!」

 

 俺は重要文化財にでも指定されていそうな遺跡を蹴り倒すと、唾を吐き捨てた。

 だがキリトはそうは思わなかったらしい。

 

「そう荒れるなよ。グリムロックは無駄話に見せかけてヒントを大量に残していったんだ」

「あァん? そりゃどういう意味だよ」

「『また会おう、探偵諸君』と彼は言った。俺とお前の共通点は『探偵』っていう曖昧な部分じゃない。《攻略組》というメッセージだったんだ。あいつは必ず今後の攻略に関わってくる。それとグリーンなら逃げられるってやつ……《カウントレスジャンプ》だったか? 一応これも。一発芸だと前置きしてるのに説明してくれた。これで今後グリーンの共犯者を見かけた時は、晴れてこの対処方を常に意識できる。だからあいつはこれを俺達に教えておいたんだ」

「ま、さか……でも何でそんなことを……?」

「それは俺もわからない。意味深なこと言ってたけど、案外その場しのぎの贖罪でした、とか言われたらそれまでだ。向こうは今の(・・)で貸し借りなしとか思ってるかもしれないし、あとになって犯罪に走る可能性は十分に残るからな。……ていうかその可能性の方が高い。けど、なんでだろうな……答えはきっと、グリムロックの方から教えてくれる気がするよ」

「…………」

 

 そこからの俺達に会話はなかった。キリトの強い眼差しに、発言を無意識に控えたのかもしれない。

 《圏内事件》はこうして幕を下ろした。しかしラフコフの幹部はもちろん、シーザーとグリムロックも逃している。戦いが終わっていない以上、ここで後ろ髪を引っ張られず退場できるのはヨルコ達だけだ。

 漆黒の夜闇は、迫り来る危機を占ったのか。

 現在攻略は難航の一途を辿っている。激化する戦いには順応性と確たる意思が求められるだろう。俺はまだマシである。なぜなら、グリムロックのように揺らいだ時は、頼れる仲間が正しく導いてくれるからだ。

 ではキリトはどうだろうか。

 彼はまだ1人で悩んでいる。1人でさ迷っている。

 

「(知ってるかキリト……あんたこそ、レジクレに入れる条件満たしてんだぜ?)」

 

 俺と来い。

 彼の背に投げかけたその言葉は、結局その日も届くことはなかった。

 

 

 

 



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第十二章 笑う棺桶 The 2nd Stage
第88話 『幻の金属』探検隊(前編)


 西暦2024年6月5日、浮遊城第63層。

 

 

「へぇ~、幻の金属ねぇ」

 

 と、(かす)める興味と暇潰しの半々の意味でうなずいたのはヒスイだ。

 特筆しようのない普通の宿の小さな休憩スペース。ちょうど彼女だけ立っているが、残りのレジクレメンバー4人が足を休めている時に、その情報が転がってきた。

 そしてぞんざいな反応がおきに召さなかったのか、相対する情報屋、《鼠》のアルゴはほっぺを膨らませてからヤケになりつつ宣伝を続ける。

 

「雪山のドラゴンと伝説の金属だゾ! これほどのロマンはないんだゾ! 存在することは間違いないんダ。ただ聞いた話では、ドラゴンを倒しただけじゃその金属はドロップはしないらしイ。討伐された数は10匹や20匹じゃないカラ、低確率ドロップアイテムでもないだろうナ」

「存在が確かなら特別な条件下でドロップするか、どこかに隠されているかの2択でしょ? そして情報を提供したのは善意ではなく、入手方法を先取りして売りまくりたいから……ね?」

「相変わらずヒスイはいい読みだナ~。神妙に頭脳を馳せる時は凛々しク! 剣取り地を駆ける時は雄々しク! 世間の風当たりは完璧で、格好いいスタイル!」

「即席のホメ言葉で誤魔化すのヤメテ」

「そしてこのボディ!」

「ち、ちょっとアルゴ!? くすぐらな……って、こらぁッ!? ひゃあっ……アハ、アハハハッ! もう、足は禁止ぃっ!」

 

 天気の良さに比例して元気がいいのか、アルゴは『生足くすぐり』という超セクハラ行為――同性間では《ハラスメントコード》も無意味――に走り、対するヒスイは笑い転げながらも必死に抵抗。しかし男勝りでフェミニストなヒスイの抵抗は虚しく、体を扇情的にくねらせているだけなので目のほよ……目のやり場に困る。

 ともあれ、嫁ちゃんのピンチということなので俺は一応助け船を出してやった。

 

「そういやアルゴって俺らレジクレにあだ名とかつけないよな。ほら、『キー坊』とか『アーちん』とかさ」

「ここのメンバーは名前がもじり辛いからナ。ジェイド以外イジっても反応薄いシ」

「いや、イジらんでいいんだけど……」

「でジェイドはどうダ? 報酬はたんまり弾むシ、貴重金属素材(レアメタルインゴット)かもしれんゾ? ワリに合ってると思うがナ~」

 

 荒い息づかいで(あえ)ぐヒスイを置き去りに、ヒョイっと立ち上がってから改めてアルゴが商談に戻った。

 それにしても、ヒスイの新たな弱点を発見したので今回は不問にするが、できれば人の女で勝手に遊ばないでほしいものである。

 されど、隠しアイテムを探しに行くのなら2、3時間では終わるまい。例に習って多数決でも取るとしよう。過去から学ぶ男は出世する、と誰か偉い人が言っていた気がする。

 

「ルガやジェミルはどう思う?」

「ボクはパスかなぁ。寒いのはねぇ嫌だしぃ……」

「そう言えば55層の北エリアって極寒設定だったね。僕も寒さには弱い方だから、ちょっと戻りたくはないかも」

「で、ガマンは利くけど俺も寒さには弱いと。細身3人組はもちっと脂肪つけた方がいいかもな。これじゃ季節が変わるたびにカゼ引きそうだぜ」

「あっ、でもアタシなら平気だよ? どっちかって言うと山育ちだったから、寒さにケッコウ強いのよね!」

「……無駄な脂肪……」

「ナニか言ったかしらヒスイちゃァんっ?」

 

 アリーシャは笑顔のままぬらり~ん、と戦闘態勢を整えると、くすぐられ疲れて地面に座り込んでいたヒスイに勢いよく飛び込んだ。

 そしてそのまま先ほどのアルゴより激しくくすぐると、6人しかいない休憩スペースに再び(なまめ)かしい矯声が響き渡る。

 しかし今のはヒスイが悪いと思うので、今度は助け船を出してやらないことにした。

 

「生意気ムスメの弱いところはここかな~? それともここかな~っ?」

「アハハッ、もうダメ! そこホントダメだから! キャハハハッ! もういやぁ! 誰か助けて……ヒャわぁっ!? それより奥はホントにダメェっ!!」

 

 艷々(あであで)しい姿で揉み合う2人に流石に当てられたのか、ジェミルすら耳を塞いで目を伏せていた。そしてルガに至っては目をギンギンにして生唾を飲んでいる。2人共経験が足りんな、などと優越感に浸りながら、俺は高速で『平常心』という単語を脳内で10回唱えてから全理性で煩悩を排除。

 だが目ざといアルゴにはすべてお見通しだったのか、誰にも悟られないよう近づき、しかも耳打ちされた提案はたいへん卑怯なものだった。

 

「ムフフ……オレッちからなら、いつでもこの声を聞かせてやるゾ。他の弱点も知ってるしナ」

「ッ!! ……く……ぅ……」

 

 なるほど仕事を引き受ければ『特典』が付くというわけか。情報屋は人手不足と時間不足にあえいでいると聞いたが、まさかこんな汚い手段を用いて人員を確保しに来るとは。

 しかし俺はしばし考えたものの、愚かにも悪魔の取引に乗ってしまった。

 

「よ、よーしわかった。まあ俺はぶっちゃけどっちでもよかったからな~。俺らの仲だし? ここで断るのも薄情っつーか、やっぱ男の器量は女のわがまま聞いた回数で決まる。ってなあ、アルゴ?」

「…………」

 

 しかし予想に反して返事がなく、今も響き渡る甘く危険なトーンの歌声をBGMに、アルゴは完全に見下し切ったジト目を俺に向けていた。

 嫌な予感を置き去りに、彼女は決定的な裏切りの言葉を投げ掛けた。

 

「……むっつりスケベ」

「(こ、こいつ今さらっ!! ……)……ち、ちっげェよ下心じゃねぇって! 古い付き合いだからつってんだろあァん!?」

「ほ~ウ、古い付き合いネェ? 仁義でオネガイ聞いてくれるなんて、お姉さんおっぱいが踊るナ〜」

「そこは普通に『胸が踊る』って言えよ頼むからさ! 踊るほど胸ないだろ!」

「ふム、頭の中は煩悩だらけだネ」

 

 納得のいかない一方的な自己解決に落ち着かれたところで、それでいてアルゴは勝者の笑みを浮かべてクルリン、と振り向いた。

 その勝ち誇った笑顔を見るに、俺はどうもやらかしてしまったらしい。

 

「むふふーン、今の言葉を忘れるなヨ? ムネないって言ったことも。……コホン、ヒ~スイ! オレっちの頼みを聞いてくれるカ?」

「はふぅっ……聞く……聞くからぁ! 助けてくれたらなんでもするぅ!」

「ほいきタ。やめてやりなさいアリーシャたン!」

 

 いともあっさりとアリーシャを退けてやると、解放されたヒスイは美味しそうにゆっくりと空気を吸う。

 そしてキッ、とアルゴを睨むと、恨めしそうに呟く。

 

「ハァ……ハァ……今の……ずるくない……?」

「リーダーさんはいいと言ったゾ? そしてヒスイは何でも言うこと聞いてくれるって言ったゾ?」

「だからそれがズルいのよー!!」

 

 陥落。

 アルゴの鮮やか(?)な作戦により、俺達レジクレ一行は実態なき幻の金属とやらを探しに行く羽目になったのだった。

 

 

 

 アルゴが俺達に面倒事を押し付けに来てから1時間後、俺達は件の金属が出現すると噂される55層に来ていた。

 55層と言えばフィールドは極寒設定に固定され、街には《KoB》のバカでかい本部が建造される有名な主街区である。ついでに俺にとっては、参加者60人を越える本気のトーナメント戦を通過し、見事準優勝に輝いた思い出の場所でもある。

 そんな感慨深い《転移門》ゲート広場を見渡すと、ふと目につく2人のプレイヤーがいた。

 端的に表すと黒とピンク。どちらもメインカラーから想像がつきやすい。意外な組み合わせであるものの、歴とした俺の知り合いだった。

 

「おおっ、キリトじゃんあれ。おーいキリトー!」

「ん? ああジェイドじゃないか!」

「うそっ? ヒスイやジェイドと知り合いって……まさかキリトは攻略組!?」

 

 ホットドッグのような楕円形の固形物をリスのように頬に突っ込んだプレイヤー、つまりキリトがそこには立っていた。

 隣で驚いているのはリズ。厚手の装備を見るに、彼らもこれからフィールドに出て何らかの狩りをするものと推測できた。

 レジクレ5人と黒桃2人組は互いに軽い挨拶を済ませると、近況の報告会のようなものをガヤガヤとし始めた。中でも気になったことを聞くため、俺は1歩前に出る。

 

「1ヶ月ぶりぐらいか? 相変わらずモフクみたいなカッコしやがって。……ところで、リズとはいつ知り合ったんだ?」

「喪服言うなよ……ジェイドこそ知り合いだったんだな。紹介してくれてよよかったのに」

「知り合いっつーほどでもなくてな。このピンクとは……まあクサれ縁だ」

「ねえ、ピンクって名前じゃないんだけど」

 

 すかさずリズが割り込み訂正をかけるが、俺達は風のごとく無視した。

 

「こっちも成り行きみたいなものさ。たまたまアスナに会った時なんだけど、腕のいい鍛冶屋を知らないかって聞いたら、ここを薦められてたんだよ。そしたら素材集めからする流れになっちゃって、仕方なしに……」

「腕のいい鍛冶屋? はて……」

「あたしよそれあ、た、し! 目の前にいるでしょ!」

 

 もっとも、《鍛冶》スキルの熟練度をカンストさせたリズの腕前は伊達ではない。

 冗談もほどほどに俺達が今なぜ55層に来ているのか、その説明から入ると意外や意外。キリトからタイムリーな言葉が聞こえてきた。

 

「レア金属だろ? それなら俺とピンクも行くぜ」

「ねえ、ピンクって名前じゃないん……」

「え、キリト君が探してる素材ってインゴットのことだったの? じゃあ僕らと一緒に行かない? ちょうどその水晶ドラゴンをに倒すところだったんだよ」

 

 カズが提案すると、キリトはフム、とあごに手を当てた

 

「そうだったのか、えらく珍しい偶然だな。……あ、でも俺は金属が手に入らないと意味がないから。そのためにこのピンクといるわけだしなぁ」

「いや、だからあたしピンクじゃ……」

「その点は問題ないよ! 僕らは金属はおまけで、入手方法が判明すればそれでいいんだ。だからできるだけ人数が欲しかったところなんだよ」

「それなら問題ないな。じゃあお言葉に甘えさせてもらおうか。……なあ?」

「もうピンクでいいわよ!!」

 

 最後に至ってはまだ何も言っていないのに敗けを認めるリズであった。

 

 

 

 街の北ゲートを7人で抜けてさらに2時間後。

 白髪老人のNPCから長ったらしい生い立ちと、エピローグでちょろっと出たドラゴンの話を全て聞き終えると、クエストフラグが立ったことを確認してフィールドに出ていた。

 攻略組6人編成で最前線から8層も下のモンスターを狩っているからか、足取りは完全にノープロブレム。中ボスぐらいなら軽くあしらえる戦力を携えて、予定より早いのか遅いのか定かでない微妙な時間帯になってようやく目的地に到着していた。

 輝かしい水晶と真っ白なふもとが見渡せる山々の稜線。

 情報によれば、むしろここからが本番である。

 山の白竜は初めこそあっさりと討伐されたらしいが、それは『大人数の攻略パーティ』だったからこそ。であれば、戦闘員実質6人の現パーティをそれと同列視できる(いわ)れはない。

 個々の強さからゲームオーバーこそ避けられるはずだが、やはり結果的に勝利できることと、その過程で負うリスクの大きさは別々に考えねばなるまい。

 

「……見渡したところいねぇな」

「ねぇジェイドぉ、もう少し東に移動してみないぃ?」

「あン? いやさっきヒスイにざっと確認させたけど、あっちにはアホみたいにでかい落とし穴があったらしいし、何より高低差のあるガケも近い。この人数で戦うなら不利だろ」

「でもぉ、翼を持つドラゴンならどっちも弱点にはならないよぉ? ……つまりぃ?」

「ホーリィシッツ! なるへそ、いかにもドラゴンとかすんでそうってワケか」

 

 棲んでいそうと言うよりは、制作者側が好んで配置しそうと言うべきか。

 何にせよ俺とジェミルの会話を聞いていた各々は、先見隊として組まれた『大人数の攻略パーティ』とやらが、噂に反していかに苦労してドラゴンを倒したのか、その栄えある健闘を心中で称えつつしぶしぶ移動していた。

 一口に『山頂』と言っても、東に位置する山頂部分は若干高度が低い。地面から飛び出ている水晶や氷のオブジェクトの背もかなり高く、また数も多く設置されているようだった。

 はっきり言って不気味だ。こうして見ると本来アクセサリーにも代用できる綺麗な水晶も、やれでかいものだけ大量に用意すればいいだけという話でもないらしい。

 とそこで、おそらくは《策敵》スキルを持つ全員がモンスター出現の兆しを発見した。ドットの荒いポリゴン塊が辺りから一点に集中し始めると、その集合体が徐々に『ある形』へと変化する。

 どうやらビンゴのようである。

 丸太のように太く長い後ろ足、短めだが凶悪な鉤爪(かぎづめ)を備えた前足、広げたら横幅15メートルはありそうな双翼、立派な角とびっしりと生えた鋭い牙、そして純白で美しくまた透明で(たくま)しくもある体躯(たいく)

 《山の白竜》と通称されるクエストボス、《ジ・アクアフォール・ドラゴン》。

 

「来た来たァ! 全員落とし穴と崖から落ちんのだけはカンベンなぁ!!」

「誰に言ってる!」

「あたしだってマスターメイサーなんだから! やってやるわよ!」 

『リズは下がってろッ!!』

「……は、はい……」

 

 俺とキリトが同時に叫ぶと、ドラゴンはそのまま俺とキリトをファーストターゲットとして捉えていた。

 血の気が多そうだ、とでも直感したのだろうか。知能の高い、つまり設定AIが高ランクのMoBならプレイヤーが元気に走り回っているだけでヘイト値を増加させると聞く。

 とは言え万が一に備えて、『階層数+10』というマージンレベルを保持していないリズは適当な水晶の影に隠せている。これでレジクレ6人の混成部隊がドラゴンに集中できるというわけだ。

 まずはヒスイに目配せをすると、彼女はそのまま敵に直進。左右の鉤爪振り回し攻撃を俺の代わりに防いでくれた。

 瞬時に被ダメージを目視。そして彼女の最大HP数を代入し逆算。敵の攻撃力を暗算で叩き出す。ギルド内最高防御力を誇るヒスイが最初に請け負う仕事(オーダー)である。もちろん、この程度の情報はひけらかすほどでもない。レジクレなら全員が呼吸をするように行っている日常だからだ。

 ギルド全員がドラゴンを『敵ではない』と判断すると、キリトも自分なりに目の前のクエストボスの力量を計り終え、討伐隊が攻撃態勢に転化した。

 そして。

 怒濤(どとう)の集団リンチがそこにはあった。

 左足に食らいついた俺がその関節部に大剣を突き刺し、減速したところをサポーターのジェミルがダガー投擲で両目を潰し、消えた視界に怯んだところをヒスイの連続剣撃が左翼を痛め付け、破れかぶれな怒りの氷結ブレスをアリーシャが精密に完封し、技後硬直を狙ってカズがアンバランスなまでの棍棒を脳天に叩き込む。

 そして、地に墜ちた獲物はキリトの最大攻撃回数を誇るソードスキルの餌食となった。

 まさに圧倒的。

 水晶オブジェクトの先端から空中に飛び込んで数秒間空戦をするしかないプレイヤーが、大空を自由に滑空する白竜をボッコボコにしていたのだ。

 もっとも従来のRPGと違い、SAOでの戦闘は基本的に一方的になる。9割以上の戦いが、勝敗の見え透いたつまらない虐殺になっているだろう。

 勝てるかどうかを序盤で判断し、無理なら無様だろうと尻尾を巻いて逃げる。負ける要素なく絶対に勝てるなら確実に仕留める。急激なレベルアップや割のいい獲得経験値に目が眩み、綱渡りのようなレベリングをするようではまだまだ半人前で、これらが正確に判断できるようになってようやく一人前の《攻略組》だからだ。

 アインクラッドという極限下において、敵の強弱の見極めに流れ作業はない。

 

「行ったぞ、右回れ!!」

「こっちはいいよ! そのまま追い込んで!」

「そろそろ突風攻撃だから、各自足場確保しといてね!」

 

 声によるコンタクトが盛んに行われる中で、一瞬の隙を付いてフォールドラゴンが垂直起動で一気に飛翔。比率のおかしい両翼をさらに限界まで広げ、かまいたちのような風を巻き起こしていた。

 ――まいったなこりゃ。

 と、俺は内心ではかなり毒づいた。

 突風技が直接的に強力なのではない。むしろその攻撃力はほぼ皆無であり、リズが直撃を受けても危険に晒されないだろう。

 しかし、単位面積当たりの風圧が驚異的だった。テキトーに「瞬間風速100メートルだよ」と言われれば、素直に納得してしまいそうなほどである。

 冷えた空気を高速で運ぶ性質上、むき出しの顔だけでなく全身から温度が抜けて体力が奪われていく。しかも、なんと舞い上がった雪が空間を埋め尽くし、まるで擬似的な吹雪のようになっている。

 間違いない。なぜあからさまな落とし穴と不自然に急な崖がそばにあるのか。それはプレイヤーがドラゴンと戦い辛くするため、なんてヌルい理由ではない。それらを利用した戦術が存在するのだ。

 

「……ッ!? やっばッ!?」

 

 そして、俺は発見してしまった。

 氷属性の魔法攻撃……正しくは《アイスブレス》というカテゴリに属する先ほどの遠距離攻撃が、思わぬ副産物を生んでいることに。

 似た形状で例えるなら『ダム』だろうか。引っかけ問題ではなく、発電所としても有名な水の流れを遮るあのダムのことだ。

 追い詰められたフォールドラゴンは各所へブレスを放っていた。女性陣は的確に仲間への直撃弾を弾いたが、ゆえに関係ないところへ向かったブレスの着弾した地帯が文字通り氷付けになっていたのだ。

 行動制限系阻害攻撃(デバフアタック)としても有名な《氷結(フリーズ)》。

 盲目(ブラインドネス)麻痺(パラライズ)に次いでプレイヤーから恐れられるバッドステータスが、その効果範囲の大きさからフィールドにすら影響を及ぼしていた。

 風で運ばれた大量の雪が塞き止められてた結果、なんとも最悪なことに、大質量の個体が壁の決壊を今か今かと待ち構えていた。

 

「みんなぁ! 気を付けて!! さっきのブレスが雪を溜めてるわ!!」

「言ってる場合じゃないって! この位置からだとアリーシャさんが1番ヤバいよ!!」

「逃げても遅い! リズもどっかしがみついてろ!!」

「来るぞッ!!」

 

 遠くでガシャァアアアッ、というガラスの割れるような音が響いていた。

 直後。

 俺達を襲ったのは地響きと波だった。

 音、と言うより『震動』は空気中よりも速く地面を伝う。しかも足元が揺れるという原始的な恐怖に加え、災害時によくある『どうしようもない絶望』が迫っていた。

 地震が起きた時、落雷に出逢った時、台風が家を直撃した時、生身の人間ははっきり言ってどうしようもない。これはそういう類いの現象だ。

 見渡す限りの雪が、まるでデバッギング中にだけ体験できる光源バグのように押し寄せる。

 塞き止められていた膨大な雪の濁流(だくりゅう)

 雪崩(なだれ)だ。回避不能の天災が起きていた。

 

「ヒスイ……ッ!!」

 

 短く最愛の名前を呼ぶと、その背中を下から思いっきり押してやる。ヒスイはそれにより、どうにか根の深そうな水晶の柱にしがみつけていた。

 次は空気を限界まで吐いてカズへ腕を向ける。際どいところでその小さな手を掴んで引くと、俺の筋力値(STR)の許す限りの力業で投げ飛ばした。カズはほとんど声にならない叫び声で俺の名を呼んでいたが、その意思に反して雪崩の影響が及びにくい場所へ飛ばされる。

 最後はアリーシャだ。

 雪崩はすぐそこまで来ている。

 

「アリーシャ! 時間がない!!」

「アタシはいいから!!」

「いいもんかよッ……!!」

 

 ほとんど口の中だけでつぶやくと、俺は左手で支えにしていた水晶から手を離してアリーシャの方へ飛んだ。

 揺れ続ける足元に(すく)われそうになる中、引きちぎれるかと思うほど腕を伸ばす。アリーシャもそれに答えるように手を差し伸べていた。

 その瞬間。

 ゴバァアアアアアアッ!! という横殴りの衝撃と、ホワイトで埋め尽くされる視覚野。

 投げ飛ばされた先は、虚空。

 

「(ウソ……だろ……ッ!?)」

 

 直径10メートルはあろうかという円形の落とし穴、その中心地点に投げ出されていた。

 当然そこは空中だ。ベクトルの向きを変えられるような足場はない。

 落下が始まる。底の見えない深さであることから、そのまま落ちたら死亡確定だ。

 見渡すと俺の近くにはアリーシャがいた。

 口は動かしたつもりだが暴力的な風が言葉を奪っているのだと気付き、俺はいつの間にか握っていた彼女の手首を手前に引き寄せる。と同時に、右手の《ガイアパージ》を激突寸前だった落とし穴の壁に突き刺していた。

 そこからはもう何の音かもわからない、ただうるさいだけの騒音が耳朶(じだ)を打つ。

 途中で殺しきれない速度に負けたのか大剣が弾き飛ばされてしまった。だが俺は往生際悪く右手をガリガリと壁に這わせる。リアルなら爪が全て剥がれるような感触に(さいな)まれたが、それでも急激に近づく地面に比べれば不快感などない。

 着地直前に壁を蹴ると、アリーシャを抱いて俺の背が地面に向くようにしていた。

 音すら聞こえない衝撃。

 頭痛と吐き気が併発(へいはつ)して脳内をグルグルと回るが、俺は気力でそれらを抑えた。

 止めていた息を迷うことなく吐き出す。ゼィゼィと空気を吸うと、その旨さに感激しながら何とか音を発してみた。

 

「ヵ……ハァ……ゼィ……生きてんなァ……おい……」

「うん……い、きてる……」

 

 胸の位置からアリーシャの声を聞くと、意識が飛びかける寸前でどうにか保てた。

 次に首を傾けて状況を確認する。体のほとんどが雪に埋もれていることから、雪崩の一部も穴に流れたらしい。

 この柔らかい雪がクッションになってくれたのか、はたまた俺の苦し紛れの空中減速方が功を奏したからか。いずれにせよ、視界がレッドアウトするだけで済んだようだ。

 と言っても死にかけは死にかけ。

 俺はたゆんたゆんのマシュマロに名残惜しさを感じつつも、覆い被さるアリーシャをゆっくり退ける。続いて腰のポーチから赤い液体の入った瓶を取り出し、息継ぎもなしに(あお)った。こういう時に手荷物のアイテムが破損しないのはゲームならではの利点だ。もっとも、ゲームでなければ落下で間違いなく死んでいたが。

 

「アリーシャも飲んどけよ、回復ポーション。……さって、こりゃまたずいぶん突き落とされたな。ゲージがほぼフルだったからよかったものを」

「ごめんねジェイド……アタシを助けるために……」

「バァカ」

 

 とりあえず、彼女のふわふわの髪の毛に軽くデコピンしておいた。

 まったく、悪びれる必要なんてない。どう見ても討伐中の判断ミスであり、気づいた時点でアリーシャはどうしようもなかった。だからもう、そこは堂々と俺のせいにしろという話だ。

 しかし、格下にしてやられただけでは終われない。

 

「ま、とりあえず上への復帰方法を探そう」

「うん……あ、ちょっと待って。あれって……」

「ん……?」

 

 アリーシャの視線を追う。するとホワイトダストのように舞っていた雪が落ち着き、隅の方に人影が2つ転がっていたのが見えた。

 ゾクリ、と嫌な予感が脳裏をよぎるが、直後に聞こえた「いてててっ」というセリフと、下敷きにしたプレイヤーを心配するリズの声が聞こえてきて安堵する。

 どうやらキリトとリズも雪崩に巻き込まれて、そのまま抵抗もできずにこの落とし穴へ放り込まれたらしい。

 それにしても、穴の深さからして半端な装備しか身に付けていないリズは一撃死されていてもおかしくはなかったのだ。本来であればキリトは逃げきれていた。ならば、彼女の下敷きになっている状況から推測するに、キリトの咄嗟(とっさ)の判断がリズの命を救ったと言っても過言ではあるまい。

 そしてキリトらもHPを回復して息を整えると、今後の方針について話し合っていた。

 

「とまあ、死に目にあったワリには全員無事で何よりだ」

「けどこれからどうする? 俺やジェイド無しに上の3人は討伐を続けてるんだろうか?」

「ん~それはないと思うぜ。受けた依頼と仲間の安否とじゃあ天秤にもかけられんさ。そういう風に叩き込んできたからな、このギルドは」

「アタシもそう思うかな。ヒスイならまずは……」

「そう、連絡してくれるはずなんだけどなぁ。まずっつーなら、まずは退避して安全な場所の確保とかしてんのかな?」

 

 ちなみにここは《結晶アイテム無効化エリア》だ。先ほど試したので確実である。考えることを放棄して一瞬で帰れる手段はこれで失われたわけだ。

 それよりも《メッセンジャー・バット》が使えないことの方が重症である。《迷宮区》と同じ条件であれば《インスタント・メッセージ》が届かないことにも納得がいくが、ここは迷宮区唯一の連絡手段すら使えないときた。これでは連絡手段に関してはお手上げだ。スマホもガラケーも無しに遠くの友達と連絡などとれようはずがない。

 

「う~ん……あたし今日ボケ役みたいだけど、レッテル剥がすために提案なんだけどさ」

「ほい、リズさんどうぞ」

「聞いた話じゃあんたとヒスイって、その……結婚してるのよね?」

「まあ、そうだな……」

 

 これについては今さら言い訳のしようがない。

 《圏内事件》と称された1ヶ月半前の2日間で、俺はヒスイと結婚していることを武器にアイデアを絞り出したことがある。そして最終的にほぼ包み隠さず俺達の関係を暴露してしまっていた。

 今までシリカにバレたりロザリアにバレたりと、とても堅守できたとは言い難かったが、それでもギリギリの水面下で押さえていた事実は白昼にさらけ出されてしまった。それもそのはずで、シーザーとクレイヴ、さらにシュミット、ヨルコ、カインズ、グリムロック、キリト、アスナに同時に知られてしまったのだ。火消しも何もあったものではない。

 これにより最前線の超意外カップルとして、本意ではない知名度がレジクレにのし掛かかった。メンバーが情報屋の取材を受けるは、ノリのいい仲間からサプライズを受けるは、心ないプレイヤーから脅迫されるは、離婚を迫られるはでてんやわんやになったのだ。

 ちなみにヒスイの結婚が周知されたことで彼女の株が急落し、実はアリーシャのそれが裏で急上昇していたりもするが、本人はどこ吹く風である。

 

「いま考えれば《リズベット武具店》をリズが《夫婦割引》で買おうとしてたのも、聞いてるこっちとしては複雑な心境だったりしてたわけだ」

「いやそうじゃなくてね、あんた達のストレージは共有されてるってことが言いたいのよ」

「なんてこったその方法があったか。リズは天才だな」

「ふふん、まぁね」

「ったく調子のいい奴め」

 

 まさかリズの口から突破口が聞かされるとは。かくものキリトもその柔軟な発想力に驚いた。

 俺は早速羊皮紙アイテムを取り出すと、浮かんできた小さなウィンドウに聞きたいこと、つまり今後どうするかについてだけをサラッとタイピングして、また同じようにストレージに格納した。するとヒスイもまったく同じ手段に辿り着いていたのか、すぐに格納した羊皮紙がごっそり消えて1分とたたない内にストレージに舞い戻ってきた。

 今度は俺がその羊皮紙をオブジェクト化すると、そこにはこうあった。

 

「『必要なら街で大量のロープを買ってきて、ドラゴンを倒してから救出にいく』だってさ。いまは19時50分……てことは、行って帰って倒して助けてなんてしてたら、最悪日付をまたいじまうな」

「罠にハマったもんは仕方ない。今日はここで野宿してから明日にでも来てもらおうぜ? 運のいいことにモンスターが湧かないフロアみたいだし、俺はソロで野営もしょっちゅうだ。1週間ぐらいならアウトドアライフ送れちゃう自信もあるしな」

 

 とはキリトの談。

 そうは言っても男女が混ざり合っているのだから難しい。

 

「つーかここで寝るのは仕方ないにしても、俺寝袋みたいなのわざわざ持ち歩いてないからな~。いい加減この寒さにめげそうなんだけど……」

「なんだよジェイド、寝袋も持ってないのか。俺なんか2つもあるぞ」

「その全員持ってるでしょ、的なノリやめてくれ。てかなんで2つ?」

「あ~、前にいざ迷宮区で寝ようとしたら、プロパティをよく確認しなかったせいで、30分もしない内に寝袋の耐久値(デュラビリティ)が全損してエラい目に遭ったからな。予備だよ、予備。にしても、ストレージ積載量が限界とも思えないし……あ、さては女を連れてるからだな?」

「ちげーよ。いやそれもあるけどさ、俺はうち帰って毎日暖かい風呂に入りたいんだよ」

「……え、キャラじゃなくね?」

「誤解なきよう言っとくけど、普段の俺キャラ作りしてるわけじゃねぇからな……」

 

 そんなこんなで、何とも嬉し悲しいことに、俺は1つ屋根の下で年頃の女達と一緒に寝るハメになってしまうのだった。

 

 ――まあ、屋根はないんだけどね。

 

 

 

 



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第89話 『幻の金属』探検隊(後編)

 西暦2024年6月5日、浮遊城第55層。(最前線63層)

 

『おお~っ!!』

 

 という男女3人の驚きの声がこだました。

 いったいどこにこれだけの量のアイテムを格納していたのか、辺り一面にはごちゃごちゃと簡易式の日用品が転がっていた。

 野営用の大きなランタン、一家が丸ごと囲って使うような鍋、火の確保にも運用できる火起こし機一式、真空パックのような袋に閉じ込められた綺麗な水、新鮮さには欠けるものの水分を飛ばした保存食、マグカップに見立てたお椀がいくつかに本物のマグカップが2つ、カラフルで中身が謎な缶詰め4つ、それら缶詰めのタブも開けられる便利な7つ道具に、見当もつかない小袋が3つ。

 本気具合に呆れるとはこの事だ。

 このキリトとかいう男にとって、日夜攻略に励みレベリングを行うことは生きていることそのものらしい。とやかく蔑んだりするつもりはないが、どこか異常者じみた没入っぷりには純粋な心配と忌避感(きひかん)が生まれてしまう。

 しかしそのおかげで、今夜は俺達もメシと寝床に困らないのだから皮肉なものだ。

 

「まあ見てなって」

 

 と言って、キリトは自慢の『日用品』あらかた見せると、手慣れた手つきで火を起こしそこへ鍋と水、いくつかの具材を乱暴に投げ込んだ。鍋の横に何かの(もと)が置かれていることから、どうやら食後にスープのようなものまででるらしい。

 すぐにハーブを溶かしたような香りが充満し、冷えた体を暖めてくれる熱源が4人を包み込む。

 ところで、《料理》スキルを獲得していないキリトだと、具材の質や調理器具の性能だけでは味をカバーしきれないらしい。食事が始まるまでの数分間は保存食を片手に雑談をする運びとなった。

 

「蟹みたいな甲殻類と草食系ドラゴンの肉、レタス代わりの野菜に、前線に生えてたキノコか。適当に有り合わせを突っ込んだメシにしては上々じゃねぇか」

「ホントそれよねぇ。あたしなんて、キリトが壁を走り出したりロッククライミングしだした時は『あ、もうこの人ダメだ』って思っちゃったわよ。あれで脱出とかムリムリ」

「おいヒドイな。俺だって前線でソロやってるんだから、どんな状況でも対処していかないといけないんだよ。それにあれはデタラメ言ったんじゃないぞ? 充分な助走距離と舗装された地面があれば、こんぐらいちょちょいと登れたのに……」

「あ~話変えて悪いんだけど、こう干し肉に食いついてると酒飲みたいわねぇ。ないの?」

「え、アリーシャってハタチ越えてんの?」

「やぁね~、女の子にトシ聞いちゃダメでしょうジェイド。でも若く見られてたなら嫌な気はしないかな~。あ、あと今は越えてるよん」

「(絶対普段飲んでたろこいつ……)」

 

 でなければ酒との相性を知っているはずもない。ちなみに俺も飲んでいた。

 と、そんなこんなで話し込んでいると、鍋の近くに浮いていた小さなウィンドウからポーン、と音が聞こえ食事の時間が到来したことを告げていた。

 鍋から蓋を取り除くと、グツグツと煮えたぎる食材が食欲を()き立てる。

 ドラゴンの肉は元々小型だったのか食べられる部分は少なそうだ。しかし甲殻類の殻の中にはぎっしり白身が詰まっており、皿によそったその瞬間から旨さの質量を実感できた。しかもいいダシになっている。

 一通り盛り付けが終わると、全員が「いただきます」と手を合わせた。スプーンという若干食べ辛い食器しかないのが残念だが、それでも空腹に耐えていた面々は会話も途切れ途切れにガツガツと頬ぼった。

 こういう状況下だとお上品な方々は苦労するだろうな、などと内心お節介をやきつつ手を動かす。

 

「うっめぇ! くぁ~染みる~。あったけ~でも火傷した~ッ」

「あははははっ」

 

 家にも帰れないというのに、なんとも平和な会話だった。

 食事が終わると、することもなかったのでまた談笑タイムが訪れる。

 特にリズは攻略組ではないので、俺やキリトから聞かされるほとんどのエピソードが初耳だったらしい。かなり懐かしげのある話もしてやったが、どれも楽しそうに聞いてくれた。

 逆にキリトには《リズベット武具店》がどういった経緯でリズの手に渡ったのか、その波乱の道中を説明するとやけに納得したような顔をする。

 

「なるほどなぁ。KoBがガラにもないトーナメント大会を開いて、しかも優勝商品がキスだったのはそういうことか。というか、リズの金を奪った奴の顔は知れてるんだろ? なんなら俺が見つけて取り返しにいってやろうか?」

「う、う~ん……その気持ちは嬉しいんだけどね。けど、その相手って言うのが……結構ヤバイ奴らなのよ」

「いやキリトに伏せる必要はないぜ。つか、リズよかよっぽどかインネン深い相手だ」

「因縁深い……ってまさか、ラフコフか!?」

 

 瞬時に顔を伏せたリズを見て、キリトはすぐに理解したようだ。

 《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。アインクラッド史上初にして最大、最悪の殺人者集団(レッドギルド)。俺やキリトにとっては切っても切り離せない存在である。

 ロムライルがリーダーをしていた頃のレジクレを鏖殺(おうさつ)しようとしただけではない。ケイタを殺した組織であり、邪悪の原点。

 その後も《レッドギルド宣言事件》や、個人的にミンストレルやタイゾウに狙われたこともある。しかも、つい最近起こった《圏内事件》においても彼らは暗躍していた。ここでも俺は、キリトと共に寸でのところで撃退している。

 俺達のはまだ成功例だからいい方だ。

 しかし、失敗した場合は聞くに耐えない。

 奴らは理性を完全にコントロールした上で、それでも殺す(・・)のだ。

 

「1人で殴り込みは確かに自殺行為だな。そもそもアジトを掴むのだって苦労してるらしいし。情報屋が寄ってたかっても見つからないんだろ?」

「ああ。アルゴを筆頭にしらみ潰しにしたつもりらしいけど、見つかったのは特にマークしていたわけでもない弱小オレンジ集団のみ。戦果はほぼナシだとさ」

「…………」

 

 とそこで、明らかに口数の減っているアリーシャに気づいた。

 彼女はラフコフに加盟していたことがあるのだから、とても手の平を返せる心境にはない。今の彼女にできることは安全な外野からとやかく言うことではなく、罪を晴らせるよう黙々と善行に基づくことだけだ。

 同じく表情に影を落としたことに気づいたリズが(いたわ)る。

 

「アリーシャさんが気にすることじゃないわよ。半年以上も前、あーいう人達と縁を切って、それで初めからやり直してるんでしょ? だったらもういいじゃない」

「リズの言う通りだぞ。俺もホラ……例の地下で疑似パーティ組ませてもらったろう? あ~っと……そう、あの時あんたの目を見てその、いろいろ気づかされたよ。なんかこー生きようとする力的な」

「(キリトは話ややこしくするから黙ってなさいよ!)」

「(ゴメン、ごめんってば!)」

「……うん、ありがとね2人とも」

 

 アリーシャはキリト達の気遣いに軽い感謝を寄せたが、表情は暗いままだった。

 そしてそのまま、俺の危惧していた心配事を口にする。

 

「けどアタシがよくても他の人は……ラフコフを裏切る時にね、ジェイドを助けるためだけにカードを切ったわ。でも……あとでよく考えれば、ラフコフそのものを終わらせられたんじゃないか、って思うのよ。裏切り方をもっと工夫すれば、今も頻発してる犠牲者を止められたんじゃないかって」

「おう、どうでもいい悩みだな」

「ちょっとジェイド!」

「だァってろ。いいかよく聞け。あの時は俺だけじゃなくて、ロムライルを含むレジクレ全員分の命を救ったんだよ。4人だぜ、4人。おいおいどこの英雄さんだ、よくばりな奴め」

「……運が良かった、だけよ……」

「運じゃねぇ、アリーシャの実力だ。俺ができなかったことを、あんたがやったんだ。しょげてないで誇ってくれよ……でなきゃ俺がムナしくなる」

「ジェイド……」

 

 何のことはない本心だ。天地がひっくり返っても俺が成し得なかっただろう偉業を、この金髪美人のネーチャンが血ヘド吐く思いで成し遂げた。ならば他にある甘美な可能性に目を眩ませても仕方がないはずだ。元より隣の芝生なんて青く見えるものである。

 元犯罪者のアリーシャとしてではなく、現レジクレメンバーのアリーシャとして、今まで積み重ねたことにもっと誇りを持ってほしい。精一杯今を生きているからこそ、彼女は誰よりも格好いいのだ。

 

「よっし、じゃあジェイドが上手くまとめたところでこの話は終わりだ。もう日付変わるから、そろそろ明日に備えるとしようぜ。……そこでだ、少し聞きたいんだけど、寝袋かそれに準ずるアイテムを誰か持っていないか?」

「う~んあたしは持ってないかな。まず外で寝るって行為が初めてだから」

「リズは仕方ないさ。だって職人クラスだからな。何より低いレベルで野営なんてもってのほかだ。そこのお2人さんは? ……ああ、ジェイドはないんだっけ……」

 

 俺が首を横に振ると、アリーシャもそれに(なら)って首を横に振る。

 こちらはギルドホームを買ってしまっているのだから期待されても困るが。

 

「俺だけか~……。ううむ、じゃあ仕方ない。この2つは女性側に使ってもらうとしよう。それでいいよなジェイド?」

「ちょっと待って!」

 

 俺がしぶしぶうなずきかけたその時、リズが鋭い『待った』をかけた。

 

「そのなに、シュラフみたいのってさ……わりと幅広で大きいじゃない?」

「うん……」

「まぁそうだな」

「これならその……キリトとか入れるんじゃないかって思うんだけど」

『うんッッ!?!?』

 

 ――うむぅぅうっ!?

 同じ寝床に、キリトが、入れる、だと。

 

「(え、リズはそれでいいのか!? こいつピンクな髪してウェイトレス姿でとんでもないこと言い出したぞ!? そういうお仕事でしたっけ!?)」

 

 俺は心の中で大いに錯乱していた。

 当のキリトはというと、口を半開きにした状態で顔を真っ赤にし、さらに困り果てればいいのか、素直に喜べばいいのか、よくわからない奇妙かつ器用な表情を作っていた。

 完全に寒さ以外で固まった空気に気づいたのか、自分の言葉を脳内で反芻(はんすう)してから遅まきに過ちを悟った。

 

「ちょっ、ちょォおおおっ!? 違うから! 違うからねキリト!? 誤解されるようなことがしたくて言ったんじゃなくて!!」

「ごご誤解されるようなコトォっ!?」

「ちっがーーーうっ!!」

 

 涙目になったリズの凄まじい否定からやっと事態呑み込めてきたのか、キリトとの意思疏通がようやく円滑に進んだようだ。

 どうやら自分と同じ寝袋に入ってほしかったのではなく、キリトの細さなら男2人でも入れるのではないかという提案だったらしい。

 確かに防具を解除すれば可能だろう。女2人は当然のごとくすっぽりと入る大きさだったし、寒さに弱い俺が薄い毛布1枚で寝なければならない現実に絶望していたことから、その意見は大変ありがたい。季節的には初夏だったので、厚手の服を用意していなかったのだ。

 とそこで、事態が収集しかかったという平和の兆しに戦犯が現れてしまった。

 そう、アリーシャの奴である。

 

「いやこの際だからさ! 男女2人で一緒にネちゃわない?」

『えぇえええええっ!?!?』

「リズもそれを望んでるわ! そうよね!?」

「え、えぇっと……それは、そのっ!?」

 

 ――頬を染めていないで反論しろリズ!

 それにしても、何を言い出すのだろうこのアバズレは。今ようやく話が収まりかけていたところに、まったく!

 

「2人……2人……ダンジョ……フタリ……」

「く、惑わされるなキリト! こいつは昔からダイタン発言して周りを困らせてんだよ! 本気じゃねェから負けるな!!」

「アタシは本気よジェイド! よく言うでしょう、本気の恋も既成事実から!!」

「死ぬほどイヤな格言だなオイッ!? ゴロ悪ィしよく言わねェよッ!!」

 

 突っ込みが追い付かない。

 やむを得まい、本日ばかりは強行手段に出るとしよう。

 

「チッ、こうなりゃ仕方ねェ!! おいキリト、こっちでさっさと寝るぞ!!」

「俺がジェイドと寝るネルネぇ!?!?」

「壊れんなッ、そういう意味じゃねぇ!!」

 

 結局、2つの寝袋に男2人と女2人を割り当てるという、一般人ならごく自然な組み合わせに辿り着くのに30分もかけてしまうのだった。

 

 

 

 そしてそれぞれの寝袋に潜り込んでしばらく経過した深夜0時30分。

 事件は起きた。

 

「あ、ヤバい。アタシ寝れないかも」

「頼むアリーシャ、マジで寝てくれ!」

 

 そう、戦犯がまだお休みになられないらしいのだ。夜は長い。ここで終わりだと思っただろう? しかしそうは問屋が卸さない。

 事件名、《夜は長いぜ第2ラウンド大事件》だ。

 真っ暗な空間にはアリーシャの声だけが響き渡る。

 

「……あァん、シーツの中蒸れるぅ~」

「……ぷふっ……」

「…………」

「アタシらの胸が合わさってぽよぽよ~」

「ぷ……くっく……」

「……ッ……」

「あ、ジェイドとキリトがくっついて寝てると絵になるかも」

「ぷはぁ! アハハハハっ! ダメ、笑い死んじゃうっ! アハハハハハ!」

「がァアアー!! 明日寝不足になっても知らんぞあんたらァーッ!!」

「ジェイドうるさい。耳元で叫ばないでくれ」

 

 そんなこんなで、俺達4人組の楽しげな会話が途切れたのは、そこからさらに2時間以上もたってからだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「(う、ん……あぁ……)」

 

 眠い。それも非常に。

 眠いというのに、光の筋がまぶたの裏から目を灯す。しかも頭の中にはけたたましいアラームまで鳴っていた。

 

「(うぅわ、まぶし……もう朝か……? あ~、頭ガンガンする……)」

 

 それもこれも完全に寝不足のせいであり、また同時に寝不足なのはアリーシャとリズのせいだ。まったく、途中からリズもノリノリで参戦してくれたので、結局寝られたのは午前3時前というとんでもない時間になってしまった。

 寝溜めや食い溜めができたソロ時代ならともかく、今は当時に対してブランクが長すぎる。それに起床時間だってこんな朝早くからではなく、もっとゆっくりゆったりしていたものだ。

 そう、こんな午前6時とかいうふざけた時間では……、

 

「(午前、6時……? で、なんで起床アラームが鳴ってんだ……?)」

 

 そして俺は気づいてしまった。

 隣で寝ていたキリトの服が少しはだけていることに、ではない。それも今後の俺の貞操概念上超重要なことではあるが、今は寝相が悪かったのだと無理やり納得するしかない。

 それより注目すべきは『寝ていたキリト』の部分だ。

 今は起きている。こんな時間に、俺と同時に目が覚めた。

 

「あァ? なっ、おいこれ!?」

 

 起床アラームではない!

 

「おい全員起きろ!! アリーシャ! リズを端っこまで運んどけ!!」

「えっ? ふえっ?」

「寝ぼけてるヒマねェって! 来やがった! なんか知らんけど、ドラゴンが今になって攻めてきたんだよ!!」

 

 バサッ!! バサッ!! と空の景色を埋める空想上の生き物。《山の白竜》として、そしてシステム的にもクエストボスとして、昨日激しく対決したモンスターが上空から迫ってきていた。

 起床アラームではなく、《策敵(サーチング)》スキルの接近警報。

 だからこそ俺とキリトはほぼ同時に、しかも中途半端なタイミングで目を覚ましたのだ。

 とそこへ……、

 

「ね、ねぇジェイド!!」

「あァッ!? ジョーダン言ってる時間はねぇぞッ!!」

「違うわよ!! これっ! 端っこの方に見たことのない金属素材(インゴット)が落ちてたんだけど!! これって『アレ』じゃない!?」

 

 あれ、とは言うまでもない。俺達が探し求めていた《貴重金属素材(レアメタルインゴット)》だ。

 なんとまあ、運がいいのか悪いのか。アクシデント続きで内蔵にダメージが入りそうな最悪なコンディションになって、ようやく探していた金属が見つかるとは。寝込みを襲ってきた畜生クエストボスドラゴン様々だ。

 

「うわっ、また氷ブレスか……それにしてもキリトよォ! こりゃいったいどうなってんだろうな! 確か水晶食ったドラゴンが腹で精製する金属って設定だったろ!?」

「腹で精製……そうか! そういうことだったのか! その設定は間違っちゃいないぞ! 胃に眠ってるんじゃなくて、排泄物として出してたんだ!!」

「うわっ! なんか男子が下品な会話してる!」

「下品じゃねぇよ! っておいこら捨てんな!! つかこれよォキリト、それならここは落とし穴じゃなくてドラゴンの巣だったってのか!? ここに攻めてきたのは、俺らを見つけたからじゃなくて……」

「ああ。そもそもさっきから言ってる『攻めてきた』ってのが間違いだな。夜行性のドラゴンが、単に活動を終えて巣に帰ってきただけなんだ!」

 

 なるほど面白い設定だ。並列して面倒くさい設定でもある。

 わざわざ見つけ辛い小屋に住ませた老人の長ったらしい昔話を聞いた上で、発生したドラゴンとは何の関係もない罠の中に金属を埋めて隠すとは。本当に嫌らしすぎるだろう。

 おまけにロープを伝って底まで降りてきたわけではないので、俺達4人は今からこのドラゴンを討伐しなければならないときている。

 

「カッコよくご登場したとこ悪いが、とっととブッ倒しますかね!!」

 

 必然的に高度を落とし鉤爪で《斬撃(スラッシュ)》属性の攻撃をするフォールドラゴン。そんな巨体に真っ正面から突撃した直後だった。

 

「待てジェイド、もしかしたら倒さなくてもいいかもしれない! おいリズ! インゴットはいくつ見つかってる!?」

「えーと、あ! また見つけたわ! これで5個目!!」

「よしよし、上等だ。おいジェイド! ドラゴン利用して脱出するぞ!」

「ドラゴンを利用!? って、ああ、なるほどなァ!!」

 

 壁に向かって走り出したキリトから俺もメッセージを受けとる。

 俺も急いで壁へ向かっていた。

 雪上だとこれほどスピードがでないものかと舌打ちする。足場がしっかりしていれば壁を登れるとのたまったキリトの発言にも、少しばかりうなずいてしまいそうだ。

 それでも俺は、目一杯足を動かし地を駆けた。

 ドラゴンが後ろから追随(ついずい)する。

 巨大な足が俺達を踏み潰そうと迫り、極低温の吐息がそばを掠めていた。

 だが、止まらない。加速する。

 アリーシャが猛進する俺に驚いたのか「えっ? なになに!?」と慌てているが、俺はそれを無視して手をがっしりと握る。そのまま手前へ引くと、筋力値が叩き出せる限界の筋力でジャンプしていた。

 世界が、スローモーションのように減速する。

 

「きゃあァアアあっ!?」

「ぜってェインゴット離すなよアリーシャァ!!」

 

 空中で壁に激突する寸前、俺は《ガイアパージ》を逆手に持ち直しながらさらに壁を蹴って方向転換していた。キリトもリズと同様にしている。

 ――やっぱそれだよな!!

 示し合わせたわけでもない作戦が一致したことで、いよいよ最終段階に入る。

 チャンスは1度きり。俺は全神経を右手に集中させた。

 そして、接近するドラゴンの背中にゴガァッ!! と大剣を深々と差し込む。

 

『グルァアアアアアアアアッ!!』

 

 大音響が響いていた。

 フォールドラゴンの痛々しい叫び声だ。

 俺とキリトは突き刺した剣をがっしりと握り込み、もう一方の手でそれぞれアリーシャとリズを掴んだまま体勢を維持することに集中する。すると、文字通り手も足も出ないドラゴンはひたすら翼をはためき続けた。

 結果的にその場にいた全ユニットが急上昇し、80メートル以上もあった落とし穴の入り口がみるみる近づいてきた。

 

「速い速い怖い高い!!」

「しがみついてろ、アリーシャ!!」

 

 弾丸のごとく空中を疾駆(しっく)する。

 しっとりとした冷気が遠慮なく顔面を叩くと、寝起きの朦朧(もうろう)とした意識が吹き飛んだ。

 そして……、

 

「出たァあああ!!」

「だっしゅーーつ!!」

 

 地平線から昇る朝日が4人を包み込む。

 ぽっかりと空いた落とし穴を眼下に見下ろせる状態でそれぞれが思い思いに叫んだ。

 そしてしばらくすると、ドラゴンの飛翔角度が変わって高度数十メートル地点で俺とキリトの剣が同時に背中から抜けた。

 落下開始。

 耳が切り裂くような風の音をガンガン拾い、その他の音が完全に遮断されてしまう。しかしアリーシャと手を繋いだままお互いに目を合わせると、どちらともなく笑いこけてしまった。

 今日は……正確には今日と昨日は本当にいろんなことがあった。

 きっかけはアルゴに面倒事を押し付けられただけに過ぎないが、そのおかげで普段は見られないアリーシャ達の本音が垣間見えた気がしたのだから憎めない。

 

「(丸1日ツブれちまったけど……まーなんだ、楽しかったからいっか……!!)」

 

 そんなことを素直に思える、気持ちのいい朝だった。

 …………。

 …………。

 …………。

 がしかし、それとこれは別。高度上空から投げ飛ばされた俺達は、残念なことにメッチャ落下中だった。

 

「って、これヤバいってェーー!!」

「受け身受け身ぃ!!」

 

 バッフゥッ!! と2人同時に地面に激突すると、そのまま俺とアリーシャは揉みくちゃにされながら緩やかな坂をゴロゴロとくだり続けた。

 どうやらキリト達もセットでどこかへ飛ばされたらしい。

 10秒も転がってようやく停止。ちなみに俺の顔に当たる柔らかい感触――防具を外しているので昨日より生々しい――は考えないようにしつつ、落下地点から相当離れてしまった。

 ゆっくり視線を戻すと、そこには仰向けの俺に馬乗り状態になっているアリーシャがいた。

 

「あ……アハハ。なんだかこれ、噴水の前でもあったよね」

「ん……ああ~……あったなそういや。あれはアリーシャに初めて会った日の夜だっけか」

「うん……」

「まぁ好きな場所だったから、たまにはあそこにも戻ってみるのもいいかもな。……それより早く退いてくれないか? 上に乗られると重いんだけど……」

「うわぁ、重いって言った。キズ付く~」

「まったく……」

 

 雪の上に寝転がったまま、俺達は息も絶え絶えにそんなジョークを交わしていた。

 それにしても、おふざけが過ぎるようなら凝らしめてやらねばならないか、などと思っていると、体中雪だらけのアリーシャは静かに……そして震えるように(つぶや)いた。

 

「こんだけやっても……ジェイドの気持ちは変わんないんだよね……」

「は……はい? どゆ意味?」

 

 違った。震えるように、ではない。はっきりと震えていた。

 突然どうしたというのだろう。

 ニュアンスだと『哀しみ』だろうか。それとも悔しさ? ダメだ、全然わからない。昨日の夜からこれほど楽しくいい雰囲気だったというのに。

 俺の胸に顔を(うず)め、彼女はなおも噛み締めるように言葉を漏らす。

 

「ごめんね……ダメだってわかってるのに……もう抑えきれないの。もう無理なの……」

「だから……何がさ……」

 

 こんな時にも《サーチング》スキルの反応圏内に敵がいないかとか、目標を失ったドラゴンがこちらに気付かないかなど。状況とは関係のないアホ攻略脳が邪魔をする。

 ……いや、こんな時だからこそだろうか。

 考えたくないことを、その場凌ぎで放棄するのは俺の悪い癖だ。

 アリーシャはギュッ、と防具を掴むと、いきなり溜まり込んだ感情を吐き捨てた。

 

「会った時からじゃないけど……ッ。どんどん、強くなって……無視できなくなって……この気持ちは本物なの……!!」

 

 あるいはそれは、いきなりではなかったのかもしれない。

 

「あなたはっ……クズなアタシを、簡単に認めてくれて……!!」

 

 ずっと、ずっと、叫んでいたのだろう。

 俺はそれに対し、聞こえない振りをして耳を塞いだ。

 生きた心地もしないまま、《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》で生きてきた忍耐。想いをぶつけることもできず生かされた苦痛。

 

「ラフコフ抜ける時、やっぱりアタシは自己中だったよ! ジェイドのことしか考えてなかったもん! 仲間を助けたのも……彼らが死んだら、あなたが困るだろうって思っただけ……ッ。だってアタシ……あの時から……!!」

 

 死ぬほど辛い想いをさせて苦しめ、()きむしりたくなるような葛藤を押し付け、平気でのうのうとしてきた罪。

 もう誤魔化すことはしない。聞いた上で、決める。

 今、心の中でその覚悟が決まっていた。

 そして……、

 

「ずっと好きだった!! 誰より大好きなの……忘れらんないよ! 割りきれないよ……負けたからって!! ずっと一緒にいて、こんな屈辱……ないよ……っ」

「アリーシャ……」

「あんたを奪った女が……世界一の親友なんて……。アタシどうしたらいいのよ……悔しいのに……悔しくて、寂しいのに……もう言い訳しきれないの! みんなを指揮するあんたを見て、たまに見せる優しさを感じて……無理だってわかると、距離を感じると……余計に気持ちがふくらむのよ……ッ」

「…………」

 

 長い金髪が垂れ、表情を隠す。だがはっきりと、アリーシャが泣いていることはわかった。

 泣かせたのは俺だ。

 正直、涙を(したた)らせた顔で「好きだ」と言われた瞬間、俺の心臓は現金にも跳ね上がった。戦いの中で感じる高揚感より、もっと激しく躍動した。

 直前に告白されることを感じ取っていたはずなのに。例え彼女を傷つけるようなことになっても、この気持ちだけは揺らぐまいと決めたのに。

 飾り気のない本心。その剥き出しの情動(じょうどう)が俺の用意した『無難に拒否するセリフ』を全部吹き飛ばしていた。

 俺もそれに答えなくてはならない。

 キザったいセリフを捨て、本心でぶつからなければ永遠にこじれてしまう。

 

「その気持ちは……すっげぇ嬉しいよ。あぁ、その……ガマンさせてたんだな」

「……うん……」

「悪かった。けど、俺は……ヒスイが好きなんだ。アリーシャじゃなくて、ヒスイが……」

「……う、ん……っ」

「ごめんなァ……マジで、ごめん。くはっ……すっげぇ嬉しくて、信じらんないぐらいなのに……それには応えられないんだ。あいつがさ、俺に応えてくれたから……」

「……う……ぅ、ん……」

 

 泣き方に嗚咽(おえつ)が混じる。一向に上げようとしない顔は酷いことになっているだろう。

 それでも、なお。

 

「好きなの……に……。こんなに、好きなのに……それでもダメ、なの……」

「…………」

「アタシが……最初だったら……先に好きだって、言えば……」

「……好きになってたかもな。……けど、それはズルいぜ。なあアリーシャ、ちょっとこっち向いてみろ」

 

 仰向けのまま、俺は跨ぐアリーシャの顔を両手でむんずっ、と掴むと、半ば強引に向かせた。

 ポロポロと頬を伝う涙を拭き取ってやると、その両目をはっきりと見つめて言う。

 

「アリーシャ、俺の気持ちは変わらない。けどもし、その事が辛くてギルドにいられないって言うなら、俺は止めない。気持ちがはっきりしたんだからな。ギルドを抜ければ、新しい恋が見つかるかもしれない……」

「……ジェイドは」

「でも! できればっ! ……抜けてほしくない。……ハハ、マジで勝手なこと言ってるよな俺。けどさ……この世界から出す約束をしちまってる。俺が刻んだ、自分ルールだ」

「うん……」

「だから、できれば……やっぱできなくても! アリーシャには共にいてほしい!」

 

 優柔不断男の最悪の頼み事。

 俺はヒスイを愛し、俺への恋心はきっぱり忘れて精算し、それでもなお俺のわがままに付き合って隣にいてほしい、なんて。自分が赤の他人なら鼻で笑ってしまいそうな要求だ。

 それを、誠心誠意クソ真面目に頼み込んでいた。

 それを聞くアリーシャはポカンとしている。ここまで自分のことしか考えていない男だと知れると、その反応こそまっとうなのかもしれない。

 と、諦めかけたその時。

 

「あ……お、い……アリーシャ?」

 

 何かにケジメを着けたような、そんな割りきった微笑を浮かべたアリーシャが。

 

「……!? ッ……!?!?」

 

 思いっきりキスをしてきた。

 キス、である。間違いなく。

 彼女が顔をあげても、長く触れあった唇だけが熱を持ったようにいつまでも熱かった。

 さらにアリーシャはゆっくりと深呼吸をし……、

 

「よしっ!!」

「あ、アリーシャ……?」

「……うん、ムリ言ってごめんね。このままギルドに残ってほしいなんて、本当ならアタシから頭を下げて頼むことよ。だって超前科持ちでしょ? こんな不良物件を買ってくれるお人好しなんて、早々見つからないわ」

 

 ガラにもなく早口だったが、意図だけは理解できた。

 

「じっ、じゃあこれからも!?」

「ええ。アタシはずっとこのギルドに尽くすわ。だからね……さっきのは忘れてほしいの。キスしたことも。……もう、アタシはあんたを忘れるから。気遣って優しくするのもダメよ? アタシの恋は、ここでお終い。……あんたの言う通り、いい加減新しい恋を見つけなきゃね!」

 

 涙を拭き、やっとアリーシャが笑ってくれた。本日1番の笑顔だ。

 彼女には辛い想いをたくさんさせていたのだと思う。他人の気持ちに鈍感で、押し殺させた想いの丈を平然と強いてきた。

 だが、これからも俺と来てくれると言う。

 今日この瞬間がなければ、いずれレジクレが崩壊していたかもしれなかった。その前にアリーシャの本心を聞け、そして整理をつけさせた。もしかしたら、これこそが本当の収穫だったのかもしれない。

 

「そりゃいい目標だ。……じゃあ、そろそろ帰ろっか」

「……うん!」

 

 そこにようやくキリト達が駆けつけ、お互いに無事を確認した。目が赤い理由を誤魔化すのに苦労したものだ。

 そしてドラゴンが巣穴に戻って行くのを見届けてから、俺達は失った2つ分の寝袋を惜しみつつ雪山を後にするのだった。

 

 

 

 ここからは後日談である。

 

「いやぁ、一時はどうなるかと思ったよぉ。あの高さから落ちてもぉ、案外平気なんだねぇ」

「いやいや、んなことはねぇぞジェミル。聞いて驚け、あの一瞬で壁を利用しながら減速してな。あと俺のカレイな着地術があったから助かったんだ」

「も~冗談じゃ済まされないわよ! あたしホント気が気じゃなかったんだからね!」

「あ、ああ……悪かったよ」

 

 ヒスイにこれだけ心配させておいて、自分はアリーシャとあれやこれやがあったのだから、じわりと罪悪感が押し寄せてくる。

 しかし、ふとアリーシャと目が合うと、その意思を受け取るようになるべく普段通りヒスイをなだめた。手に入れた《貴重金属素材(レアメタルインゴット)》を使って彼女の新しい武器を揃えたことなど、そげとなく話題をずらしていく。

 彼女もどうやら振りきったようだ。

 今ではヒスイに対しての過激なスキンシップが復活して、前と変わらないようなキワどい声が響いている。

 ――うむ、ヒスイの可愛い声はやたらと聞かせたくはないけどな。

 

「(にしてもアリーシャ、マジでありがとな……)」

 

 その背中にひそかに感謝しておいた。

 彼女がいたから今のギルドがある。願わくば、この形が末長く続きますように。

 

 

 



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カルマレスロード1 復習計画(ヴェンジェンツプラン)

お気に入り数が1150件を越えました。感想をくださる方、評価をしてくださる方、もちろん読者の皆様にはいっそう深い感謝を捧げたいと思います。


 西暦2024年8月3日、浮遊城第66層。(最前線68層)

 

 あの日から、3ヶ月と少し。

 ユウコが死んでからは9ヶ月と少し。

 私は1度、自分自身の生き方について見つめ直していた。

 私にとってユウコはどんな関係だったか。彼女にとって、私の立ち位置はどう見えていたか。そういった諸々(もろもろ)のことを客観的になって捉える時間を割いた。

 僅かだが、以前よりはっきりしてくる。

 何度考えても、私は1度たりとも裏切られたことはなかったのではないか。幻滅、見捨てられる、なんて考えは自分の被害妄想で、彼女は常に私を重んじた決断をしてくれていたはずだ。

 ということは、つまり。

 複数の少年少女から突きつけられたことは、真実だったことに他ならない。打ち負かされた私は、(ハナ)から敗者だった。

 

「(今さら気づかされるとはな。……しかし、そういう結論に達したからこそ、私はこの男と話しているのだろうか……)」

 

 この男、と。

 膝まで垂れるぶかぶかの黒い艶消しポンチョに、フードをかぶった大型ダガー使いと。

 

「Hello、ユリウス。調子はどうだよ」

「はい、好調ですリーダー。しかしよろしいので? 可哀想なことに、おかげで相手はまだ我々との共存が成立すると信じているようですよ」

「ハッハッハ、皮肉が言えるようになったな。構うな。むしろいい宣伝になる」

 

 雑談に近い軽さで会話しているが、今このページを切り取ってみてもその本質は異常だ。

 『人をどう殺すか』の段取りを決めているのである。しかも標的となっているメッセンジャーの男は、ここ最近過激な活動を繰り返している《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に対し真摯に向き合い、勇気を振り絞って諧話(かいわ)の印を交わしに来たのである。

 まだ間に合う、悪さをやめて、協力し合ってこの牢獄から抜け出そう、と。

 しかし現実は理不尽で満ちている。我らがギルドリーダーにその気は一切なく、ノコノコとやってくるその哀れな羊をどう調理するか考えているところだ。

 

「殺し方はお任せいたします。ところで本作戦について、せっかくリスクのないチャンスですし、彼のプレイヤーネームを殺す前に変更させてもよろしいでしょうか?」

「標的の名前……ああ、以前から言っていた件か。当然構わんさ。お前は今日から名実共に『ユリウス』だ」

「はい、ではすぐに《ネームチェンジ・クエスト》を受ける条件を追加しておきます。『グリムロック』とはもうお別れですね。……さて、そういえば今度はどんな趣向で?」

「クックック……毒だ。毒沼でトレインさせる。辺りは暗闇で包囲が済めば逃げ場もなし。うまくやればオレンジカラーにならねェように殺せるかもな」

「なんとまあ。では、合流の位置は調整しておきます」

「抜かるなよ」

 

 《ラフィン・コフィン》永遠のトップ。

 殺人の先駆者PoHはまた闇に消えていった。獲物を定期的に(みつ)ぎ続ける身とは言え、まだ私には上層幹部の居場所など重要な情報は知らされていない。

 しかしそれも今日までだ。例の一般人の誘導をする任務を任されているが、それを完璧にこなし殺戮ショーが無事成功すれば、私も晴れて参謀としての実力が認められることになる。立場としてはシーザー・オルダートの直属の部下と言ったところだろうか。

 私がラフコフ内の序列を駆け上がる快進撃は、2ヶ月前から留まるところを知らない。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 これは、私がラフコフと接触する前の自叙詩である。

 その日の攻略範囲は真っ白な雪山の頂上にまで達していた。深く柔らかい雪を踏み、片手でメガネをずり上げる。ソロプレイヤーと化した私は、モンスター出現区域では一切気が抜けず、しかもそういった場所に立て籠るあまり疲弊(ひへい)しきっていた。

 もっとも、悔いはない。自分で選択した道だ。

 どちらかといえば寒さの方が問題である。私が佇んでいるここ55層のフィールドは、超がつくほどの極寒地帯であり、6月だというのにいくら着込んでも防寒対策としては足りないぐらいだった。

 私は無意識にコートの襟を引き寄せるが、こうして震えながら乞食(こじき)のようなことをしていると、今にも凍餒(とうたい)しそうな薄幸のヒロイン気分を味わわされる。

 もちろん、ヤケになって極寒地に突っ立っているのではなく、目的があって留まっているのだ。

 見届けるのは雪山の山頂付近にある、ぽっかりと口を開く大穴。

 

「(結局一夜が明けたか……)」

 

 もはやまともな睡眠などとっていないことから、睡眠時間というよりは単に、効率的なレベリング時間を失ってしまったことだけが惜しまれる。

 レアな金属素材という噂にたぶらかされて情報を追ってみたものの、キリト君やジェイド君を含む攻略組のメンツに出くわしてしまうとは因果というのも恐ろしい。

 などと(おの)が不運を呪いつつ、フィールドに出てからばったり鉢合わせ、という最悪の展開でなかっただけでも僥倖(ぎょうこう)なのかもしれない。

 とそこへ……、

 

「おやおや、先客がいましたか」

「ッ……!?」

 

 いきなり後ろから声をかけられた。

 驚き半分と、あっさり後ろをとられた警戒半分でパッ、と後ろを振り向く。

 《隠蔽(ハイディング)》スキルは発動していた。仮に看破(リピール)されても、灰色の上着とトレッキングパンツはこの雪景色に溶け込んでいたはず。

 そして振り向いた先のプレイヤーは、暗い色のファーがなびくロングコートを着た男性だった。スリムな輪郭に若者らしいファッション。わずかな金属音から、インナーには防具を纏っているのだろう。声色もまだ相当に若い男で、二十歳に届いていないとみた。髪の色は藍色で背筋もよく目も澄んでいる。腰に下げる刀もよく似合っており、悔しいが装備の充実性から類推するに実力も伊達ではないらしい。

 しかし。

 どこか虚ろとしていた。

 生きる意味を忘れてしまっているような、生気の感じられない表情。

 この顔を、私はどこかで……、

 

「……ッ!! 君は確か、《圏内事件》の時に、私が皆の殺害を依頼した……ッ」

「覚えていてくれましたか……と言っても、1ヶ月ちょっとしかたっていませんけど。シーザーです、シーザー・オルダート。まあ好きに呼んでください」

 

 真面目に話しているのかナメくさっているのか。とにかく、彼は意に介さないとばかりに肩をすくませて言った。

 

「あんまり怖がらないでくださいよ。グリムロックさん、でしたっけ? 今日ぼくはプライベートでここに来ていますし、何よりラフコフは手当たり次第に殺してるわけじゃないんです。世紀末になってしまいますし、考えなしな犯罪者から順に《黒鉄宮》でお寝んねしてるんですよ」

「……私を……殺さないのか……?」

「ええ。美学なき犯行は実に醜い。……それより、こんな雪山の山頂で何をしているんです? この層には日陰者にとってはおっかないKoBも在中していますし、言うまでもなく寒いですよ? それとも……さっきからチラチラ意識されているあの落とし穴がそんなに気になりますか?」

 

 私が敵ではないと判断してか、シーザー・オルダートは警戒心もなくゆったりとと近づいてきた。

 ラフにぶら下がった凶器がすぐそばまで迫っている。

 緊張で胸が張り裂きそうなほど圧迫される中、私は冷や汗を(したた)らせながら黙考し続けた。ここで言葉を間違えたら終わりだ。鎖に繋がれていない狂犬が最後まで大人しかった試しがない。

 とそこで、いきなりシーザー・オルダートが口を開いた。

 

「72時間単位で」

「……は……?」

 

 彼は私を無視して語り出す。

 

「睡眠時間が10時間を切ると目の下に隈ができるんですよ。おまけに汚れエフェクトの進行からそのコートを着続けている期間は約3日、長時間のレベリングはさぞ大変だったでしょう。無意識でしょうが手の組み方からあなたは右利き、隠しているつもりなのか、腰には取り出しやすい短剣を。肩幅に開いた両足とコートの裏にある閃光弾は戦闘体勢を最短で整える準備。隙なく装備をチェックし、ぼくがビーストテイマーであることも見破っていますね? 声をかけてから視線が斜度のある雪原(せつげん)と、岩場の続く後ろの道に1度ずつ向かった……ふむ、逃走経路ですか。その最適解を選別するため。……違いますか?」

「……っ、な……か……ッ……!?」

 

 違わない。

 なぜ。

 恐ろしい。

 どうやって。

 この男は私と出会ってからほとんどの情報を勝手に引き抜いていた。

 確かによく見ると、向かいの面とは逆側に《使い魔》用のエサ袋にのみ使用される長紐が腰から垂れているが、私は彼がビーストテイマーであることすら見抜いていなかった。というのに、彼は私の戦闘スタイルから撤退作戦まで筒抜けにしている。見事なコールドリーディングだった。

 

「……もう、隠して通せるレベルではないのですね。……いいでしょう。ご存知でしょうが、キリト君とジェイド君です。彼らの後をつけていました」

「ジェイドさんと、誰です……? まあ、なら結果を教えてください。ぼくも昨日の夜に3人しかいないレジクレを見かけましたからね。逆算してここが目標ポイントだと割り出したんです」

「……よく……ギルドの人数だけでここまで突き止めましたね」

「当然です。ほら、さっきの続きをお願いしますよ」

 

 しかしここからは特に隠すようなことはない。強いていうなら、大穴に落ちたキリト君ら4人が多少危険に晒される程度だろうか。

 私はいつ気を変えて襲ってくるか怯えながらも、なるべく詳しく経緯を伝えた。

 しかし当の聞いている本人は終始退屈そうにしている。

 

「な~んだ、結局金属が見つかりそうな要素はなしみたいですね。じゃあお話ついでに話題を変えましょう。今度はぼくからお題を出します。単刀直入ですが……」

 

 同窓会で久々に会った友達に話しかけるかのような気軽さで。

 彼はとんでもないことをはっきりと口にした。

 

「ラフコフに入ってみませんか?」

「なっ……!? それは……どういう……!?」

「聞いてばかりじゃなくて観察してくださいよ。長いこと人間ウォッチングやっていると肌で感じるんですけどね、あなたみたいに『素養』がある人に声をかけて勧誘しているんです」

「素養……? 私に素養が……?」

「そりゃあもう、たっぷりあります。中々できませんよ、『妻殺し』なんて。いろんな意味でレアですし。ふくくっ……」

「ッ!! く……ッ!!」

 

 危ない。

 一瞬、殴りかかりそうになった。

 殴ったらその時点で私の人生は終わりだ。攻撃し返されて秒殺だろう。だがそんなこと(・・・・・)よりも、そんなどうでもいいことよりも、もっと大事なことがある。譲れない一線が私にもある。

 それは《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》なる悪の権化に仲間入りできるかもしれないということだ。彼らと同類になれるかもしれないという奇跡だ。

 ラフコフと肩を並べ、最終的に私の掲げた『復讐』を完遂させること。

 それが私の行動規準たる第1条件。

 私は自然と饒舌(じょつぜつ)になっていた。

 

「妻の……グリセルダの件はもういいんです。死ぬ間際の彼女はすでに……それより、いま大事な提案をお聞きしました。私がラフコフに参加? ぜひともお願いしたい。(くすぶ)るこの復讐心は、あなた方と共にいなければ達成し得ない」

「……ほう。大変結構な答えです。せっかくですので、その理由もお尋ねしていいですか?」

「それは……」

 

 言い(よど)んだ瞬間、雄々しい鳴き声と共に大穴からドラゴンが飛翔している光景が目に飛び込んできた。

 シーザー・オルダートの注意も今だけはドラゴンに移り、山頂付近に佇む我々2人のプレイヤーはさらに天を仰ぐ。

 『彼ら』だ。

 途端に《隠蔽(ハイディング)》スキルを発動させると、彼もごく自然な挙動で攅立(さんりゅう)していた適当な水晶の陰に身を潜めていた。もはやそういう癖があるような滑らかな動きだ。

 

「ジェイドさんと……あれはアリーシャさんでしたかね。他にも2人。なるほど穴に落ちた時、ロープがなければああやって脱出するんですね」

「……隠していたわけではありません。本当に知らなかった……」

「責めちゃいませんよ。しかし、ふむふむ……復帰方法、トラップゾーンが巣、設定上ドラゴンは夜行タイプ……なるほど。インゴットは巣の中、つまりあの落とし穴の中にあったわけですね。簡単に見つからないわけだ」

「(説得力ある推論には驚嘆させられるが……)……そもそもなぜ、ジェイド君らがあの穴に落ちたままだと思ったのです? 私は穴の底から煙が上がるのを見ました。これは火を炊いていた証拠です。クリスタルで脱出せずに夜営に切り替えた理由は、クリスタルが使えなかったから、という推論も成り立つ。それを見ていないオルダートさんは当てずっぽうで来たのですか」

「ヒスイさん方を主街区付近で見ました。そして、リーダー不在にあたりとても動揺していた。おかしいじゃないですか? フィールドという危険地帯から帰還している人が、主街区にクリスタルで帰れた男を心配するなんて。立場が逆転しています。だから彼らは取り残されたままだった……簡単な推理でしょう」

「…………」

 

 一理ある。

 が、しかし。なんにせよだ。

 希少なインゴットを手に入れる方法は今しがたシーザー・オルダートの口から聞けた。あとは情報が出回る前にさっさとインゴットを回収して自己強化をすれば、それだけで価値ある時間だったというわけだ。

 懸念すべき事項は……、

 

「オルダートさん、3つほど聞いてもいいですか」

「なんなりと。お答えできる範囲なら」

「……今ここで加入する意思を見せれば、私もラフコフに入れるということになるのでしょうか?」

「はは、まさか。1週間後の午後23時までにグリーンカラーになってから50層主街区(アルゲード)の9番外ストリート南端付近に来てください。占い師NPCに扮した内通者がいます。この紙が暗号文です……解けたら合言葉を言ってやってください。ラフコフの《加入試験》の日時と開催場所を教えてくれますよ」

「…………」

 

 薄汚れた紙にいくつかの英数字。これを解くことが最初の試練なのだろうが、幸いこの暗号文とやらは私に解けないことはなさそうだ。

 これなら突破したも同然。

 ようやくここまで来た。

 

「2つ目です。加入の際に必要な物はありますか? 例えば、最低限のレベルなど……」

「いえ特に。ですがまあ、殺人ギルドに入ろうとしているわけですから、それなりの気概は持った方がいいかと。難題を出されても、万全の体制で望めば今のあなたにもチャンスはある」

「……わかり、ました……。では最後の質問です。《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》を持っていないでしょうか?」

「ほう、これはまた変わった質問ですね。前線に籠っていれば1つは手にするでしょうし、現に今ぼくも所持しています。ですが元々これは集団で使うものでもあります。ぼくも近いうちにラフコフに献上するつもりでした。で、それをあなた1人が何に使うつもりで?」

「『命綱』です。我々には必須の……」

 

 その時点でシーザー・オルダートが笑い出す。

 

「あはははっ、気分だけはいっちょ前ってわけですか」

「いえ、攻めの逃げは技の一手。個人での扱いに困るコリドーも、ようは使いよう。着目すべきはその応用性なのです。先ほどオルダートさんは《加入試験》と言いました。私がラフコフに相応しいか試されるということですよね? なら打てる手は……可能な限り打っておきたいんです。ここに10万と少しのコルがあります。できれば私に売ってほしい……」

「……へぇ」

 

 たったその一言だけだった。

 何かを悟ったのかもしれないし、詮索をやめる合図だったのかもしれかい。

 なんにせよ、シーザー・オルダートという犯罪者の頭脳役(ブレイン)は、相場に5万ほど足りない10万であっさりとコリドーを引き渡してくれた。

 元より手つかずのまま死蔵されていた大金を惜しみなく開放しているのだ。しかも私にとって10万という損害額など、白竜の巣穴に落ちているレアメタルインゴットですぐに帳消しにできてしまう。

 

「期待していますよ。時にはネズミが、猫を食らう場合があるかもしれませんしね」

 

 取引が終わり、口だけニヤニヤと笑う彼が発したセリフはそれだけだった。

 向けられた背中からはあっけなさすら感じる。

 

「(オルダートは本当に去っていったか。なんだったのだ……)」

 

 しかし考え続けていても仕方がない。残ったものは事実だけなのだから。

 私はその日、ラフコフの正規メンバー化に向けて最大限の下準備をするのだった。

 

 

 

 1週間がたった。

 6月12日。曇り空が果てまで続くフィールドで、階層数は32。ここが決戦の場だ。初の《圏外村》、つまり《カーデット村》が出現した層でもある。

 50層でラフコフの『窓口』である男に《加入試験》への参加意思と、事前に受け取った合言葉を告げると、集合場所が書かれた小さな紙を受けとる。これが23時過ぎのことで、てっきり50層で試験をするのかと思っていた私は、ここまで徒歩で移動してきていた。

 集合時間は深夜0時。現在時刻が23時50分であることから、のんびりはしていられない。

 と言っても、そういう時間にしか受けれない仕組みになっているのだが。

 

「(さて、ラフコフへの加盟は『復讐』の前提だ。絶対に成し遂げなくてはならない)」

 

 そのために私は、善性をかなぐり捨てて自己強化に投資し続けてきた。

 強さに自信をつけた少年の良心を踏み越え、金をつぎ込んで成り立つ容姿に陶酔(とうすい)した少女の素顔を無惨に晒しては金を引き取り、平和に暮らしていた弱小ギルドをフィールドに(おび)きだしてから脅してアイテムを巻き上げたりもした。

 言わば悪徳業に成り下がった何でも屋。

 どれもこれも『復讐』を完遂させるためで、しかもやっていることは序の口である。

 ラフコフに加盟できるだけの実力がいるからだ。

 最終的に、私はユウコが死んでから手に入れた『指輪の売約金』にすら手をつけ、当時驚愕の防御力と人気を博していた防具を購入して無双していた。

 レベルに見合わない高価な装備を身に付け、性能差によるモンスターの虐殺を繰り返すことで、私は信じられないスピードで攻略組との実力差を詰めていった。

 気付いた時には、私はラフコフへの片道切符を手にしていた。

 《加入試験》への招待状を。それもほんの数十分前のことだ。

 

「(いよいよ『復讐計画』の第1段階、『ラフコフへの加盟』に入る。無謀なレベリングにも意味があったか。……こうして目標ある人生を送れているということは、少なからずキリト君やジェイド君の存在は、私の中で偉大だったということだろうな……)」

 

 『ある意味』において、2人には感謝している。

 彼らは私に生きる意味を与えてくれた。

 おかげで私のメンタルが否応なく鍛え上げられ、ラフコフでの殺戮デビューのスタートラインに立てそうのだから。

 純粋なメンタル強化。ぶっ潰そう、ぶっ殺そう、と。目標を定める覚悟の有無。

 4つのフェーズに分けられた『復讐計画』を練り、それを実行する決意。

 

「虚しい戦いだ、まったく……」

 

 私はひとりでに、そう呟いていた。

 

 

 

 そして深夜0時。約束の時間である。集まっているプレイヤーは意外にも多かった。人数は自分を勘定に入れて5人。

 細身かつ深緑の装備で固めたロングヘアの男は長柄槍(ポールランス)を所持。

 次に隣の男は少し……否、かなり太っていて鼻息も荒かったが、深緑を基本色とする軽そうな革系の装備。左手には大きなラウンドシールドと、右手には小回りが利きつつも威力を出せる片手用斧(ワンハンドアクス)を。

 3人目も男で、背中には両手用大剣(ツーハンドソード)がある。筋力値に振っているだろうことから、フォワードとしては今いる中で最も期待が見込める。

 最後の男は全身が黒のフード。かなりの安物に見えるが、ブカブカの服でメインアームを覗かせないように工夫しているのだろうか。とは言え、ここから確認できない武器の大きさということはダガー、大型ダガー、エストック、チャクラムなどに絞られる。

 

「(1人とばかり思っていたが5人か……いくらなんでも多いな。中には前線から遠いレベルの者も混じっていそうだ。それに……とても現実的な数字とは思えない。周期は不明だが、たった1度の試験にこれほどラフコフへの希望者が集まるようでは、今のギルドに正規メンバーが何人いるかわかったものではないぞ……)」

 

 そんな危惧(きぐ)も露知らず、1人のオレンジカラーのプレイヤーが草陰からひょこひょこと歩いてきた。やけに威圧的だが、さらなる6人目の参加者だろうか。

 ――いや、参加者ならグリーンになっているはずか。

 小馬鹿にした歩き方は、完全に参加者全員を敵に回している。この緊張感が感じられないのだろうか。

 

「……ッ!? なっ!?」

 

 だが、私は驚いていた。

 黒革のブーツに身体に密着していそうなレザーアーマーとズボン。刀身が麻痺毒で彩られたナイフを片手に頭陀袋(ずたぶくろ)を被った特徴多き冷酷無比な犯罪者。

 プレイヤー名、ジョニー・ブラック。

 飛び道具に関する知識と扱いは天才級で、いかな重武装すら彼の前では紙切れらしい。にわかには信じ難いが、鎧の間接部に空いたわずかな隙間さえナイフで()うように射止めると聞く。それが実現可能なら、下手な重武装より身軽で軽快に動ける装備の方が有効だろう。彼と戦う気があればの話だが。

 そんな男が近づいてくる。横にいる3人のオレンジプレイヤーは彼の部下だろうか。ともあれ、全員に今まで以上の警戒が走った。

 

「そー固くなんなって。ウチらラフコフは仲良しこよしがモットーだ。てことは、これからここに入りたいッつぅ新人ちゃん達にも、ぜひ仲良くやってほしいのよ。わかるだろゥ?」

 

 わからなかった。まったく。

 そんな噂は聞いたことがないし、嘘八百もいいところである。

 声に出ない反論を汲み取ってか取らずか、構わずジョニーが続ける。

 

 

「まぁまぁまァ!! 俺は待たせるのも待つのも嫌いだしィ!? んじゃあ、ちゃっちゃと《加入試験》について詳しく説明して行こーかァ!」

「ちょ、ちょっと待って……ください。試験が……あるんですか?」

 

 ポールランスを背負った男が弱々しく問う。

 私はシーザー・オルダートから本日中に《加入試験》があることは聞かされていた。どうやらこの段階ですでに、各々へ与えられている情報量に誤差があるようだ。

 

「あちゃあ、ゴボウ君には言ってなかったかァ!? まあ普通にあるぜ! 殺人ギルドらしィ~テメェら同士の『殺し合い』つう試験がなァ!!」

『ッ……!?』

「けど残念なことにルールがある。しかもルールは5つもあるから説明が長い長い。じゃあまずはルール1。1つ目のルールってことはこれが1番大事ってことだ。耳かっぽじってよ~く聞いとけよォ?」

 

 言葉に反して随分ともったいぶる。

 それに試験内容が『殺し合い』というのも初耳だ。そんな覚悟など今の私にはない。

 あるいはだからこそと言うべきか。続く言葉は、とても耳障りのいい内容ではなかった。

 

「ルール1はなんと! 勝者はたったの1人!! ン~!! 実にシンプルだろォッ!?」

「なッ……に!?」

「な、何を言ってッ!?」

 

 いきなりだ。いきなり、でたらめな条件が来てしまっていた。

 フラグを折るにしても回収するにしても、トリに持ってくるようなキチガイ染みた条件が、初っ端のルールから開示されていたのだ。

 何が仲良くだ。何が新人ちゃん『達』だ。端からそんな気はなかった。

 

「ギャアギャア(わめ)くな。それともなんだァ。まったく、一片たりとも予想できなかったかァ? だったら悪いことは言わねェ、こっから消えな」

「…………」

 

 反論、抗議、そういうものが用意されているはずもない。

 それに変わったのは空気だけではなかった。軽い気持ちで足を運んだ者もいるのか、顔色まで悪くなっているのだ。フードの男は顔が見えないが、ポールランスを持つ細身の男は今にも倒れそうである。

 意外に図太い神経を持っているのか、高そうな装備に太った体型のワンハンドアクス使いだけは動揺が薄いように感じられた。もっとも、額に浮かぶ脂汗のようなものが冷や汗でないとも言い切れないが。

 ジョニー・ブラックがルールの先を説明する。

 

「よし大人しくなったな。誰も殺さなくて済んだ。んじゃあお待ちかねのルール2だ。戦闘はバトルロワイヤル形式。使っていいフィールドはこの層にある《魍魎(もうりょう)の樹林帯》と、その森に隣接する《カーデット村》の内部のみ。あ~っと、そうだな……わかりやすく言うと、とりあえず自分以外のユニットは全て敵だと思っていい。当然他メンバーと組んでもいいが、『ルール1』がある限り、それも最後まで通用しないってことは頭に入れとけ。あァちなみに、フィールドを彷徨(うろつ)く部外者がいたら殺していいゼ? 逆に利用して他の対戦者に当てるも、腕試しに練習するも、ぜェんぶお前らの勝手だ!」

 

 《魍魎の樹林帯》。

 32層のメインフィールドにしてはさほど広さのない森林フィールドだ。しかし空けた視界や直線道がほとんどなく、入り組んだ地形は利用しやすくも身を潜めやすくもある。

 区間は大きく4つに別れ、アインクラッド外周と隣接するマップの上側が《高丈林(こうじょうりん)》。

 波打つ輪郭を持つ南西部には名前がないので『南西部』と呼ぶしかないが、開けた視界と言えば唯一ここのことであり、美しい湖が広がっている。

 右下、つまり南東部分は《低丈草原》と呼ばれ、腰下程度の野草が植生されるエリア。好戦的なモンスターとのエンカウント率も高い。

 中心区間から残りのマップを埋めるように、そして人の毛細血管のように延びるのが《蛇道》。名前に反して蛇型モンスターは出現しないが、とてもプレイヤーが歩いて渡れるような設定になっていない、いわば獣道である。

 ようは地の利をいかにうまく使いこなせるか、それも重要というわけか。

 《加入試験》のルールがどんどん開示される。

 

「ほォいじゃ、ルール3! 転移(テレポート)回復(ヒーリング)解毒(リカバリング)クリスタルは使用不可とする!」

「えっ、ちょっといいですか! それはその、つまり……実力が発揮しきれないと言いますか……」

「ハッ、ばァか。脱出用の『命綱』は本番にだけあればいい。俺らが見たいのは金にものを言わせた生存方じゃねェ。どうせ《回復結晶》を10個も20個も用意したとんちんかんだろテメェ? ウス汚ェ根性してやがるが、加盟してから発揮しろ。……つーわけで、各メンバーがそれぞれストレージを確認し、3種の結晶は事前に全てを回収する。これはもう決まっちまってるルールなんだよ」

「は、はい……」

「オッケー質問はいいことだ。人生最後の発言になるかもしんねェしな! クハハハ! ルール4は~そうだな……お、そういや勝利条件を言ってなかったか。ん~まァ皆殺しにすりゃ勝手に決まるが、戦力判断はレベルを見れば済む。……これはつまり、『いかなる手段』を用いても勝者になれってこった。いいか? 勝利条件は1つ。最後に32層唯一の《圏外村》……つまり《カーデット村》にいたプレイヤーだ。こいつを新たなラフコフ参加者とする。例外はない、せいぜい雑魚は小細工するんだなァ」

 

 なるほど、勝者が1人なのに「生き残りが1人」と言わなかったのはそういうことか。極論、1人以外が全員逃げ出しても勝者は決まる。1人以上殺さなくてはいけないノルマがあるわけでもなく、常に戦っていなければならないわけでもない。

 この加入試験にだけ当てはまるのではなく、文字通り『血の掟』というわけだ。

 

「ルール5……さて、『最後に村にいた奴』とは言ったが、その最後とやらの時間は夜明けまでだ。……てことはわかるな? 現在0時過ぎから夜明けまでの約4時間ちょい。これがお前らの全てを分ける。あ~それと、無気力試合を避けるため夜明けの時点で2人以上村に残っていた場合は全員殺す。村に隠れて1日中やり過ごしましたってのはナシだ。せいぜい殺し合ってくれよォ?」

「(……く……これでは作戦を練る時間さえ……)」

「お、そこの銀縁メガネ君質問か? 聞くなら今のうちだぜ」

 

 クリスタルを回収されると知ってから放心状態のポールランサーに代わり、今度は私に話を振られた。

 しかしこの場合、初めから答え方にバリエーションなどない。

 

「い、いえ……ありません……」

「よしよしイイコだ。最後に助言をくれてやる! 勘違いしてほしくねェんだが、逃げたきゃ全然逃げてくれよ。それは一向に構わねェ。『来るものは拒まず、去るものは獲物』だ。ククク……理解してんだろォ? ようこそ、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の入り口へ! たっぷり殺戮(さつりく)を楽しんでくれよォ諸君!!」

 

 これが、イカれたギルドへのイカれた加入条件。《加入試験》とは名ばかりの、ゲーム。

 いや、気づいていたはずだ。気づきたくなくても気づいていたはずだ。

 

「(ああ、そんなに甘くはないと思っていたが、本当に甘くなかった。自分に暗示をかけても意味がない……くそっ、まだ『スタート前』だぞ……ッ!!)」

 

 自分の決断を今さらながらに恨めしく思う。

 私はシーザー・オルダートに出会ってから人をよく観察するようにしていた。

 情報は戦力だからだ。人の呼吸回数、決まった動作、特有のルーチンやジンクス、姿勢、声のトーン、その話し方、無意識な癖、そういった何気ない行動から人格を推理し読み取る技術。だからこそジョニー・ブラックの真意に気づいたのだ。

 ルール説明の際に彼の目が左斜め上に何度も移動していた。これは俗に言う『視覚的記憶』を思い出そうとする素振りである。ここで発表する前に紙に書かれたルールを何度か読み直したのかもしれない。

 すなわち、このルール説明は繰り返されたものではなく、今回の《加盟試験》にのみ採用された突発的な方式であり、一時的にルールを丸暗記したということになる。

 そして、ここにいる5人の中で唯一顔色の変わらなかった人物がいる。どころか、幾度となくジョニー・ブラックと目を合わせそしてニヤついていた。

 その男とは、太った体型の革製防具のプレイヤー。

 この自信、安心感は強さゆえではない。おまけに装備の基調は暗黒色で、視界の悪さが重なるフィールドにおいて重要な『音』が発生しないものになっている。そう、装備に金属部分がほとんど使われていないのだ。

 と言うことは、バトルロアイヤルはおろか、そのルール内容や場所、決行の時間帯までを彼だけが事前に把握していた可能性が高い。ジョニー・ブラックからルールを聞かされる以前に、正規メンバーと示し合わせていたのだろう。

 

「(なるほどな……)」

 

 という、諦めにも(いきどお)りにも似たため息が出る。この戦い、強者を選抜する《加入試験》などという悠長な話ではない。私はてっきり強力装備の男がたまたま強さを身に付けていたと思っていたが、そうではなかった。

 ……これは言わば『出来レース』だ。即戦力になりそうな人材――今回のケースではこの太った男――をあらかじめ絞り混み、彼をこのサバイバルの中で『立派な殺人鬼に成長させること』が目的なのだ。

 殺しの技術、感覚、快感を植え込むのに最も適し、効率がいい方法はなにか。

 答えは簡単だった。まさに、殺しをさせることである。

 エサと捕食者。だからこそ緊張感に温度差が出た。

 まったく、えげつないことをする。しかしこの絶望的なヒエラルキーでさえ、自力で逆転させなければどのみち私の器はそこまでだったということになるのだろう。

 

「(ああ、とんでもないところに足を踏み込んでしまった……)」

 

 ともすれば、太った男がすでに『ラフコフの正規メンバー』で、このサバイバル戦自体が一種の『娯楽』の一環なのかもしれない。少なくとも、シーザー・オルダートの提案はもっとよく精査しておけばよかった。

 『素養』があったからたまたま誘った?

 バカバカしい。

 さんざんインテリぶった会話を続けたせいで、警鐘(けいしょう)を鳴らす重要な頭のネジがどこかイカれていたらしい。そんな適当なことをしていたら、いつかハズレを引いてラフコフのアジトが割れてしまうかもしれないというのに。

 暗号というクッションを挟んだのも意味はなかった。いやに簡単すぎるとも思ったが、獲物が食いつきやすいようにしただけだったのだ。

 私は誘い込まれたネズミそのもの。

 なぜ疑えなかった。

 なぜ馬鹿正直に信じた。

 今となっては頭を抱える失態である。私の過去と素性を割られた上で、ノコノコと奴らの土壌(どじょう)に遠慮なく上がり込んだのだ。

 

「(なんて……ことを……)」

 

 己の不甲斐なさに吐き気がした。

 

「…………」

 

 しかし、運がいい(・・・・)

 ストレージ検査の際に必要最低限の手は打ってある。切り札的最終手段だ。

 あと必要なのはアドリブで切り抜ける力。元々足りていなかったものでもある。ならばつべこべ言っていないでこのステージ上で養い、成長させるしかない。

 敵のズル賢い裏工作が判明した以上、こちらもそれに付き合う義理はないのだ。

 やってやる。勝って、勝って、そして生き抜いてやる。

 勝つには緻密(ちみつ)な作戦。そして私の武器は頭脳。

 たった1人の勝者に輝く方法が、私の脳内ではもういくつも浮かんでいた。

 

「クリスタルは渡し終えたかなァ!? 終わったら教えてくれよ。配置につく前に言っときたいセリフがあるんだよなァ……ククク!!」

 

 ルール1、勝者は1人。

 ルール2、自分以外は全て敵。一般人の利用は可。形式は森林地帯と村を戦場としたバトルロワイヤル。

 ルール3、転移、回復、解毒結晶は使用不可。

 ルール4、勝利条件は《カーデット村》に残ったプレイヤーのみ。

 ルール5、刻限は夜明けまで。戦意なく隠れ続けたら処罰の対象。

 助言。殺し合いはマナーを守って、楽しく。

 

「オッケー!? オッケーだな!? じゃあ始めちゃうぞォ~!?」

 

 ――ああ、ユウコ。

 ――ほんの少しでも、私を(ゆる)してくれるのなら……。

 

「イィイ~~っツ、ショォオタァイムッ!!」

 

 

 

 



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カルマレスロード2 達成までのディスタンス

 西暦2024年6月12日、浮遊城第32層。(当時の最前線64層)

 

 地獄のような殺し合いが始まった。

 バトルロワイヤルを始めるにあたり、スタート地点はランダムに決まったらしいが、運の良し悪しはともかく、私のそれは《カーデット村》から1番近い森の南東部だった。

 村を目指すプレイヤーを手持ちの罠にかけられる可能性は1番高い。特に《蛇道》は機動力と視野を極端に奪うので、先に陣取っておけば先制攻撃は間違いなく決まる。

 しかしいかんせん、序盤は敵と当たってもメリットがほとんどない。

 ここで待ち構えて片端から罠にかけたところで、それら全てに対処しきれるだけの実力を私が持っていなかったのだ。

 ならばできることは1つ。ここら一帯からいち早く抜け出し、なるべくエンカウントを最小限に抑えること。そして他のプレイヤー同士が可能な限り潰し合いをして、最後の最後で漁夫の利を得る戦法を取ることだ。

 罠を仕掛けるのはいい。しかし敵を倒すのは別の敵でなければならない。

 

「(必要なのは情報……まずはどのプレイヤーが、どの地点からスタートしているのか。それをなるべく正確に割り出さなくてはならない……)」

 

 私は緊張した手でメインウィンドウを開き、そこからフィールドマップを確認していた。

 《魍魎(もうりょう)の樹林帯》北側区間、つまり《高丈林(こうじょうりん)》は森林全体の45%の面積を占めている。おそらくここへ2人ほどのプレイヤーが運ばれたはずだ。

 北側の2人は勝手に潰し合うか牽制し合っているだろうし、できればそうであってほしい。

 直面する問題は私と同じ区間、《低丈草原》に近い湖と中心から四方へ伸びる《蛇道》へ運ばれただろうプレイヤーである。

 草原とは銘打っているがここも立派な森であり、突っ立っていてもすぐに見つからないとは思う。だが罠が仕掛けやすく行動に制限がつく《蛇道》から村を目指すプレイヤーは少ないはずだ。

 であれば、プレイヤーは《低丈草原》から村へ向かうと推測でき、必然的に最後は主戦場にすらなりうる。南下してきた《高丈林》のプレイヤー達まで合流されたら作戦もへったくれもない乱戦になりかねない。危険だ。

 

「(そうならないような戦局運びか……難しいな。そうか、まずは湖を目指すか……隣の《低丈草原》で乱戦になっても巻き込まれない。視界が開けていると言うことは、心理的にも隠れ辛いはず。あえて村から逆走してそこで機を待つのも作戦だ。……あとはラフコフがどこまで逃げを許容してくれるか……)」

 

 ……いや、ダメだ。人が真っ先に考える逃げ先は被る。

 こんなことなら北の《高丈林》からスタートして地盤を固めていた方がよほどか有意義だったかもしれない。考えれば考えるほど自由が失われる。

 地図を広げ、手持ちの装備を照らし合わせ、即席の作戦を練っている時間は本当に一瞬のように感じられた。気づけば試験開始から15分もたっている。これ以上時間のロスはできない。

 

「(足下は暗いが、ランタンを灯すのは自殺行為か……こちらの位置情報を教えるようなもの。手探りで北を目指すしか……)」

 

 北の《高丈林》はアインクラッド外周にも接していることから、注意しなければ浮遊城そのものから落ちて死んでしまうと聞く。

 ここでの会敵率は最も高いと予想されたが、漁夫の利の他にも戦略はある。そして私のその戦略上必要な人材が1人だけ不可欠だ。

 その人物も北を目指すと踏んでいたが……、

 

「……ッ!!」

 

 フィールド上半分の直前エリア、人間の毛細血管のよつにまばらに延びる《蛇道》にその人物がいた。

 半ば賭けに近い行動だったが本当にいるとは。ジャスト予想通りだ。

 動物型モンスターではない。深くフードを伏せた装備に柔らかい物腰は、この試験の待ち合わせ場所にいた5人目のプレイヤーである。

 それに気づいた途端、私は天恵(てんけい)を受けたようにいきなり口を開いていた。

 

「あ、あの……!!」

「っ……!?」

 

 私に気づいていなかったのか声をかけた瞬間、その人物は刺突剣(エストック)を引き抜いてピタリと私に向けてきた。

 もう後戻りはできない。勘違いならここで終了だ。

 私は、今後の自分の雌雄をも決する賭けに出た。

 

「あの、ですね……君は、その……女性ではないのかね?」

「ッ……な、なぜそれを……?」

 

 ――よし……よし! 賭けに勝ったぞ!

 サトルネガティブ。50パーセントの確率なのにカマをふっかけ、それが見事的中した場合、人はそのインパクトと信憑性を続く言葉にまで影響させる。心理誘導テクニックの1つだ。

 

「意外でしょうが結構わかるんですよ。……ですが安心してください、私に攻撃の意思はありません。戦いの終盤まで私と協力し合いませんか?」

「……どうしてそれを……信じられる……」

「弱いから……です」

「……はァ?」

「私が……いえ、私達が弱いからです。フードを目深に伏せているのは、性別が割れてナメられるのを避けるため。安いフードになってしまったのは貴重なコルを割けなかったから。貴方にとってコルが貴重なのは、指先の中途半端なネイルを見れば想像できます。武装は『見せずに警戒させた』のではなく実力に見合っていないから。高ランカーに金を取られた仕返しならラフコフに依頼するだけで済みますが、そうせず自ら行動しているのも、おそらく同様の理由。(した)しいプレイヤーがターゲットで、自らの手で決着をつけようとしたのでしょう。さらにそのプレイヤーというのは……」

 

 ズキン、と。

 話す前に少しだけ、しかしはっきりと心が痛んだ。

 

「貴方にとって大切だった男性……」

「す、すごい……」

 

 愛する異性に捨てられた、少なくともそう感じたことのある私だからこそ、根拠もなかったターゲットについて当てることができたのだろう。

 結果、初めは男だと思っていた真っ黒ローブの女性はエストックの構えを解いた。すると予想よりも美形な顔立ちがあらわになった。子顔で品のいい鼻筋を持ち、少し色のある柔らかそうなツインテールがよく似合っている。

 

「ふ、ふん! でもあんなクズ間男は死んで当然よ。……で、目的はなに?」

「死ぬわけにはいかないからです」

「はぁ……ねえ、ルール1を覚えてる? 勝者は1人よ」

「ええわかっています。組むのは途中までです」

 

 こればかりは本心だ。演技ではないので自然と語気も強くなる。

 その気迫を感じ取ったのか、女性は警戒心を強めたように改めた。

 

「ふぅん、その気はあるんだ。……じゃあさ、太った男の装備……見た?」

「ええ。彼がこの中で1番強いプレイヤーと思われます」

「やっぱり? エルもあいつが難関かなって……あっ」

 

 手で口を押さえる女に「お名前ですか?」と聞くと、彼女は数瞬躊躇(ためら)ってから答えた。

 

「ふん……。エルミナよ。あんたは?」

「私はグリムロックです。鍛冶屋から転職しました」

「そ……ま、聞かないわ。それより協力の話なんだけど……まあ受けてもいいよ。あんたは使えそうだし。ただし、あの太っちょを倒すまでよ。体触るのとかもナシ」

「ハハ、しませんよ……」

 

 殺しきるまでは殺し合わない、という共通見解を得られたからだろう。エルミナもようやく構えていたエストックを腰に戻し、ニヤリと笑ってから軽口を叩いてきた。

 しかし条件は揃った。多対一と言う状況を常に作り、複数の攻撃手段で敵を切り崩す。正攻法が効かない強敵への最もポピュラーな対処法である。

 そしてその『ポピュラーな対処法』とやらは、弱者同士が集まらなければ成り立たず、彼女と私の実力はおそらくワースト1と2。他のプレイヤーとのレベル差は僅差であるとは願いたいが、やはり実戦経験からも差は出る。付け加えるなら悲しくなるほど私の実践経験は浅い。

 彼女以外の敵と出会ったら、その時点でひたすら逃げることしかできなかっただろう私からすれば奇跡に近い。1度目標を外す度に命が脅かされていたかもしれないのだから、4分の1でもやはり幸運だ。

 しかしそこへ、遠くから糸のようにか細い絶叫が漂ってきた。

 

「っ!? 悲鳴……よね?」

「間違いありません、東の方から聞こえましたね。声に聞き覚えがあります。確か回復結晶を懐いっぱいに詰め込んでいた……」

「あ、《長柄槍(ポールランス)》装備の! っとと、声大きくしちゃマズいわね。でもやられたとしたら、そいつは《高丈林》にいた1人かしら」

「なぜわかるんです?」

「エルは湖スタートだったんだけど、さっきあの太っちょが《低丈草原》にいたのを見たのよ。たぶんスタート地点がそこ寄りの《蛇道》だったんだと思う。で、《カーデット村》を目指して南下したプレイヤーをそのまま……」

「だとしたら罠も、先制攻撃も、半端な攻撃全てが通用しそうにありませんね……」

 

 思っていた以上に太った男とのレベル差が激しい。

 彼以外とのマンツーマンなら、低いなりにも勝てる見込みはあった。しかし彼だけはダメだ。立っている土台からしてまるで違う。もしかしたら《攻略組》とタメを張れる実力かもしれないぐらいだ。

 現在時刻は0時50分。開始からわずか25分しかたっていないと言うのに、生きた人間がバトルマップから永久退場した。

 奴の独壇場である。複雑な地形が死期を遅らせているにすぎない。

 

「……急ぎましょう、グリムぅ~……グリムさん。童話みたいな名前ね。……何にせよエルはこんなところで死ぬ気ないし」

「同感ですがそっちは北ですよ? 単独なら先ほどのように北を目指すところでしたが、今やツーマンセル。迎え撃たないんですか?」

「バカね、まだ大剣使いがいるじゃない。あいつを始末するだけの準備をするか、最悪太っちょが場所移動して来てもいいように作戦練らないと」

 

 ――ほう、意外と冷静だ。

 と素直に感心した。

 この手の突発的予備軍と言うのは、その名の通り計画性に乏しい場合が多い。「悪いことをしようとしたけれど、案外難しくてすぐ捕まってしまった」となるのが大多数なのである。

 その点は誉められたことではないが、この女性はそれなりに勝つための手段をきちんと模索している。ただの足手まといにはならないようで何よりだ。

 

「作戦があります。連携しないと絶対に成功しません。やってくれますか?」

「……ふん、聞こうじゃないの」

「まずは1人では動かせないような大きい岩が必要です。あと頑丈なロープも。ついでに作戦とは関係ないのですが、シールドを持ち歩いたりはしていないでしょうか? できればそれを貸してほしいのと、あとは……」

 

 こうして私達は意見を出し合いながら《高丈林》へ侵入した。

 『殺されないために』という無理ある言い訳を盾に、殺しを正当化して作戦を決行するために。

 

 

 

 あれから1時間がたった。

 あれからというのは、推定1人目のプレイヤーが死んでからの時間だ。

 もう可能な限りの作戦を張り終えている。必要最低限周囲の安全は確保してあるので、あとはテリトリー内に目標を誘い込むだけだ。

 

「どう? 宙吊りにする罠とロープの延長はエルがやっといたけど」

 

 トラップの設置だけにしては、やけに時間をかけてエルミナが潜伏場所へ帰ってきた。おそらく限られたトラップを最大限に活用できるポイントを慎重に選んでいたのだろう。

 

「いませんね、誰も。彷徨(うろつ)いているのはモンスターばかりで、金属音すらしません。それにこう高い木が乱立していては、木に登った視点も意味がありませんしね。もしかしたら2人目も、もう……」

「楽観視は危険よ。エルが様子見てこようか?」

「……いえ、私が行きます」

 

 言ってからスルスルと背の高い木を降りる。

 エルミナとアイコンタクトすると、私はポーチから取り出した瓶の液体を飲み干してから、警戒域範囲外へ飛び出した。

 テリトリーを出るとそこから先は闇。《策敵》スキルのない私からすれば、敵陣にノコノコ足を踏み込む行為に等しい。せっかくの罠もここでは有効に機能しないからだ。

 そこで。

 草むらが、微かに動いた。

 

「ッ……!?」

 

 息が詰まりそうなほど驚くが、顔を覗かせたのは非攻撃型(ノンアクティブ)の野うさぎだった。確か食用にもなるレアな部類のモンスターだった記憶がある。

 しかし今はそれどころではない。

 止めていた息を吐き出すと、私はまた歩いていた。

 飛び立つ鳥に、風に揺れる木の枝に、自分の足音にすら、注意を払い続けていた。

 敵はまだ見えない。随分歩いたが気配もない。

 ぐったりと気を抜いた、その時。

 

「が……ッ!?」

 

 ズガッ!! と、肩口にナイフが突き刺さっていた。軌道は掴めたが姿が見えない。おそらく《隠蔽(ハイディング)》スキルだろう。

 自陣ポイントに誘い込む戦法は向こうも同じ。塗布された液体が緑色に光っていることから、これは麻痺毒が仕込まれている武器だとわかる。

 だがまだ爪が甘い。

 

「……あ、テメ、解毒飲んでやがったのか!!」

「易々とはやられんさ!」

「言うねぇおっさんッ!」

 

 保険が効いたのは大きい。待ち受けていたのは両手用大剣(ツーハンドソード)使いの男だった。

 おそらく、勝てない。なんて頭で判断するよりも早く、私は後ろを振り向かず全力で来た道を走り抜けた。

 倒れた木の下に潜るように滑り込むと、ほとんど速度を殺すことなくそのまま滑って通りすぎた。すると私が隠れてやり過ごすとでも思ったのだろう。減速しかけた後ろの大剣使いのプレイヤーが舌打ちするのが聞こえた。

 しかし逃げるにしても限度がある。と言うより、相手は麻痺による短期決戦が失敗しても追い付ける、ギリギリの場所で待ち構えていたように感じる。すなわち、私が不用意に長距離を移動するのを待っていたのだ。

 

「が、あぐッ!?」

「へへっ、捕まえたぜクソ野郎」

 

 とうとう後ろから飛び付かれ、私は首を絞められていた。

 スピードを出すために大剣をしまって追ってきていたのだ。確かに追い付いてしまえば、あとは煮るなり焼くなり強者の自由。

 しかしそれは理性を持たない動物が巣食う自然界の話である。

 

「お、おォオオオ!!」

「こいつっ!?」

 

 私が次に足元に投げたのは《毒煙玉》だった。

 《毒煙玉》。モンスターは当然のこと、投げた本人だろうがパーティメンバーであろうが、有効範囲内にいる全てのユニットに見境なくバッドステータスを与える。しかもその無差別性からか、対象が誰であれオレンジカーソルにはならない。

 ここで彼我(ひが)の境遇を確認すると、片方だけ毒対策をしていないことに気づくだろう。

 毒を武器とする生物は、逆に毒への対策を疎かにしがちである。毒ヘビ、毒蜘蛛、毒を持つハチから、それを吐き出す草木まで、人間の作った毒に殺されるように。

 攻めようと考えたプレイヤーこそ、攻められる戦局を考えない。

 

「きっ、さま!?」

「私は解毒済み。さあ我慢比べだ!!」

「く……そぉッ!!」

 

 首から腕が離れて自由になる。絞められたことで止まっていた空気の循環を戻すと、私はまたも逃げ続けた。

 逃走を開始してから初めて後ろを振り向くと、大剣の男も早々に解毒ポーションを飲んで追跡を再開している。

 

「(甘かったな。……毒は回るが、死ぬ速度は私の方が早かった。手を離さず、殺してから解毒すればよかったものを……!!)」

 

 これが心理戦だ。追い詰められた鼠が猫の手を噛むように、土壇場まで攻め込まれた獲物は何をしでかすかわからない。

 そういった無駄な先入観(・・・)があったからこそ、ただ毒をばらまいただけの私を、男はみすみす取り逃がしたのだ。

 

「あァそうかよ、そういうことかっ……なら望み通り、ぶっ殺してやるッ!!」

 

 男は裏の作戦に気づいて叫ぶがもう遅い。

 私は罠を張り巡らした『陣地内』に入っていた。ここから先は『私達』の反撃……、

 

「つ、あァ!? ぐぁあああ!?」

「おっと……こりゃどうなってやがんだ……?」

 

 反撃の、はずだった。

 だというのに、陣地内を走っていたら、私自身がいきなり宙吊りの罠にかかったのだ。

 足首に絡み付いたロープが背の高い木枝を伝って奥に伸びている。武器のブライオリティの低さと体勢の悪さから(かんが)みて、すぐにロープを切断して脱出できることはあるまい。そもそも、こんなところに罠を仕掛けることは一切作戦に盛り込んでなかったはずだ。

 私の知らないところに、ブービートラップが仕掛けられている。

 この事から導き出される答えとは……、

 

「(裏切ったのかエルミナ……)……ぐ、くそ……ッ」

「おいおいこりゃ拍子抜けだな。まさかとは思うが、仕掛けた罠に自分でかかったってのか? ハッハァ、こりゃウケるぜ間抜け」

 

 もう絶体絶命だ。エルミナが私を見限ったのだろう。でなければこんなところにトラップがあるはずがない。

 簡単な話だ。私に報告した数より多くの罠を所持し、自分の判断でそこら中に仕掛ける。あとは攻めてきた敵にせよ私にせよ捕まえた方をなぶり殺す。

 恐ろしいほど狡猾(こうかつ)な女性。

 

「こんな、ことが……」

「さァてと。んじゃあじっくりいきますか」

 

 そう諦めかけ、男がゆっくり近づくのを見届けていた瞬間。

 

「のァああああっ!?」

 

 という叫び声が響いていた。

 見ると、なんと信じられないことに、大剣の男も同じ罠にかかって宙吊りになっていたのだ。

 これはブービートラップではない。多重仕掛け(マルチトラップ)だ。

 同時に私は理解した。彼女がトラップの設置に出向いてから帰還までに長い時間を要したのは、こんな事情があったのだ。しかも罠の隠蔽率(ハイドレート)を上昇させたり、極めて近いポイントに重ねてトラップを仕掛けるには、時間だけでなくそれなりに高い《罠仕掛け(ギミッキング)》スキルの熟練度が必要になってくるはずである。ということは、同じく熟練度の高い《罠探査(インクイリィ)》スキルでもってリピールするしかない。彼女はその情報を秘匿したまま、私を利用したことになる。

 なんにせよ、この先の作戦は2人で決めている。

 私は……結末を知っているのだ。

 

「お、おい! この罠どうなってんだよ!?」

「く……ロープの先を延長し、巨大な石にくくりつけてある。協力者がいる……その人物が、石を城壁の外へ落とせば……」

「はァアアッ!? ざっけんじゃねぇよ!! んなことしたらアインクラッドから落っこちてお陀仏じゃねェか!! テメーが仕掛けた罠だろ、何とかしろッ!!」

「…………」

 

 なんと言われようが、裏切られた私に対抗手段などない。

 そして。

 

「ひ、ヒィイイイイイイっ!?」

「く……そ……ッ!!」

 

 落下が始まった。壁上から投石されたのだ。

 テコの原理を利用して、2人がかりでなんとか壁上に持ち上げたほどの大きさの石である。このままでは浮遊城からまっ逆さま。

 大剣使いが泣き(わめ)いていた。私も限界まで唇を噛む。近くの雑草を掴んでみたが、簡単に抜けてまるで減速しない。

 計画が、復讐が、こんなところで終わってしまう。

 

「く、そォおおおおっ!!」

 

 思わず叫んだ、直後。

 

「ヤァアアアアッ!!」

 

 という気合いが響いた。

 剣と、光。エストックのソードスキルだ。

 高威力単発系のものだと推測されるそれは私の足元、つまり私を拘束するロープに直撃し、壁面に激突する寸前で私を解放した。

 同じように死の縁へ(いざな)われていた大剣の男はまだ運ばれている。

 とうとう壁に激突。男は口内から胃酸のようなものを吐き出すも、どうにか壁端にしがみつこうとする。

 しかし、所詮は悪あがき。断末魔を残し、男は浮遊城外へと投げ出された。

 鼓膜が拾う彼の声の音量がだんだんと小さくなり、そして消えた。

 もう永遠に聞くことはない。

 

「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」

 

 大量の汗。足りない酸素を補充する。何かの比喩(ひゆ)表現ではなく死にかけたのだ。

 エルミナの息も荒い。が、ここからは問い正さなくてはならない。

 

「ハァ……エルミナさん……ハァ……どうして……」

「ハァ……わかるでしょ。敵を騙すには……ハァ……まずは味方から……」

「だから直前で……ハァ……私を、助けてくれたのですか。……ですが、本当に死ぬかと……思いましたよ……」

「わかってるわ! ハァ……話しかけないで……エルは殺したのよ……手、出してないから……グリーンのままだけど、殺した……」

「彼はすでにオレンジでした。攻撃しても……」

「そういう意味じゃない!」

 

 私が屁理屈を言うと反駁(はんぱく)があった。

 エルミナは自分のしたことが恐ろしいと感じたのだろうか。会ったことも話したこともない男だっただろうが、歴とした人間を死に追いやったのだから。

 そして心地の良い言葉である。うっかり気を許してしまいそうだ。

 ……だが。ここまでされてなお、騙されはしない。

 下手をすれば私は死んでいた。確かに結果だけ見れば私は助けられたことになるが、それは論点がずれている。彼女の震えが本物のそれなら、怯えておいてよく有効面積の小さいロープへ冷静に技をヒットさせられたものだ。彼女の武器はエストックなのに。

 私を殺すも生かすも彼女の手にその命運が握られていた。それはあってはならなかった。1秒たりとも。

 彼女の真意を確かめる方法は1つ。

 

「人殺しが無理なら……逃げてください。ラフコフへは私が言っておきます」

「……それはダメ。エルはあの男を殺す技術がほしいの」

「(なるほど、やはり……)……そうですか。では最後の1人を倒しにいきましょう」

「……ええ、そうね」

 

 真意は読めた。とっさに相手の笑顔に騙されたフリをして愛想笑いを浮かべてしまったが、今となってはその大胆不敵な謀略(ぼうりゃく)に感服すらする。

 大した役者(・・・・・)である。

 作戦が失敗したあとにすぐこうした演技ができる、ということが彼女の強みなのだ。

 男を殺して息を荒らげている行為も、私を救出して安心しきった顔をしているのも、危機を乗り越えた一体感を見せつけて私に笑顔を向けるのも。その全てが欺瞞(ぎまん)に満ちた巧妙なトリック。

 おそらく彼女の策はこうだ。

 1つ、私からアイデアを貰ったら、あとは自分から罠を仕掛けて私に見張らせる。これにより私へのトラップ配置の報告を偽装する。

 2つ、私を先に罠にかけることで後続者を確実に油断させる。

 3つ、後続者が『太った男』なら誰も助けず、纏めてあの世行きにさせる。

 4つ、後続者が『大剣の男』なら私を救出し、2対1の状況を続ける。

 太った男は最強の敵だからだ。私なしでは勝ち目が薄い。

 

「ねえ、あんたはなんで勝ちたいの? 死にたくないからってのはなしよ」

「……復讐です。とても身勝手で、ちんけな復讐……。ですが、私が生きる全ての原動力でもあります……」

「ラフコフに求めるものなんてどこも同じね。……で、グリムさん。これからどうする? 場所移した方がいいかな?」

「いえ、まだ仕掛けた罠は残っています。せめて手持ちの武器は全部ぶつけましょう。だとしても、彼に勝てるかどうか際どいところなんですから……」

「……そうね。じゃあエルが……」

 

 エルミナが言いかけた時だった。

 

「こんばんは~」

『ッ……!?』

 

 わざとらしい挨拶と共に、男が茂みから姿を表した。

 片手用斧(ワンハンドアクス)に大きなラウンドシールド。脂ギッシュな顔を(こす)り、武器も構えずにのしのしと歩いてくる。その自信は、強力な防具で身を固め、贅肉の詰まった腹とは裏腹にラフコフに素質を認められたからに他ならない。

 舞台における役者側ではなく、主催者に選ばれた脚本家。

 

「なぜ、ここが……」

「そんな……ッ」

「グックックッ、ヤだなぁ~なにその反応。あれだけ大きな叫び声(シャウト)のあとじゃん。隠れるも何もないでしょう。えげつない殺し方してたみたいだけど、すごいねさっきの」

「く……あァもう! だから移動した方がいいって言ったのに!」

 

 ツインテールを揺らしながら、私と敵を交互に見るエルミナ。この状況の打開策を求めているのだろう。

 しかし私にも対抗手段など……、

 

「あ、ちなみにボク《罠探査(インクイリィ)》スキルも持ってるから、その辺に張り巡らされた罠も無意味だよ。……それに驚いた。あんたらまさか、協力し合ってんの? それだとボクを倒しても意味ないよ~。まあ、何をしたって勝てないんだけどねェ!!」

 

 男がこちらにダッシュすると、私とエルミナは今度こそ全力で後ろへ駆け出した。

 《罠探査》スキルと《隠蔽》スキルの熟練度の高さから実力とステータス差もはっきりし、彼にとっては罠も見え見えで2人での会話も聞かれた。

 裏をかきようがない。勝ち目がない。

 これではただの虐殺だ。

 

「とにかく《蛇道》だ! そこまで逃げ込めば、奴を撒けるかもしれない!」

 

 私も振り向きざまに《煙玉》を叩きつけながら、全力で足を動かした。

 勝つためには逃げて、逃げて、そして策を講じるしかない。もしくは、いよいよ『アレ』を使う時が来たのかもしれない。

 

「逃げてどうすんのよ、結局勝てないじゃない! 罠もなんも効かないのよ!」

「……わかってる。最後の戦いだ。私の切り札を使う」

「切り札……?」

 

 私は走りながらなんとかエルミナに作戦を伝えた。

 勝利確約の必勝法ではない。

 まさにアドリブ必須。内面と外面、ソフトとハード、メンタルとフィジカル、なんでもいい。力をここで身に付け、さらに発揮しなければ勝ち目はないのだ。

 ごたくはいい。私はやる!

 

「いいな、チャンスは1度きり!! だから生き残ってくれ! エルミナさん!」

「ッ……あ~もうっ! あんたも死ぬんじゃないよ!!」

 

 《蛇道》への最短距離からエルミナが逸れる。

 当然、後ろで猛追する男も二手に分かれたことに気づいたはずだが、やはり私を追い続けていた。最初に殺すと決めているらしい。

 そして、それこそが『計画通り』だった。

 逃げ切れなければ意味はないが。

 

「二兎を追うものは一兎も得ずってね~! まずは眼鏡のおっさんからだ!!」

「く、そ……っ!! 恨みは買ってないはずだ!!」

「ンフッ、ンフフフッ! 好きなものは後で食べる主義なんでねぇ! まずはアンタだ!!」

 

 太った男は体格に見合わず俊敏だった。1度開いた距離も徐々に詰まり、余裕綽々(しゃくしゃく)でニタついていた。

 

「2時間たぁ~ぷりあの娘と遊べるからね~! さっきチラッと顔見えたけど、なかなか可愛かったんじゃないぃ~? エルミナさぁん!! ってさァ!!」

「っ……!?」

 

 ブオッ、と斧が空気を斬り裂いた。いや、直後にけたたましい轟音をたて、樹木をなぎ倒している。凄まじい破壊力だ。

 後頭部に命中しなかったのはただの悪運で、何度も連続すると思わない方がいい。

 だが今できることは武器で反撃することではない。

 

「最後には殺すのだろう! さっき君がそう言った!!」

「逆だよ逆ぅ~!! 最後に殺すから『途中で何やっても』いいんじゃないかァ~!!」

 

 どうしようもないゲスだ。

 しかし、罵るより前に武器が頭蓋の近くを切り裂く。

 緊張で乾いた喉にだけ意識がいった。

 

「く……やはりラフコフはクズだな!!」

「あれれ~気づいてたのすごいね! でもさぁ、おっさんにだけは言われたくないな~! 同じ穴のムジナっしょ!!」

 

 確かに男は太っているがここはゲームの世界。敏捷値にある程度経験値が振ってあれば、その体格など関係なかった。

 大きな盾と塞がる両手が、まるで障害になっていないかのような加速だ。

 時には草木をシールドでよけ、倒れかけた木片をアクスで切り開き、その他生い茂って苔まで生えた樹木をズタズタにしながら突っ切っていた。野性味溢れる無茶な進み方ではあったが、効果的であることに違いはない。

 またも、距離はどんどん詰められる。

 もうほんの1メートル。

 

「そぉらっ!!」

「ごァああああ!?」

 

 とうとう斧が右の肩口に(かす)った。武器の射程がショートタイプでなければ、充分に『直撃』という判定が出ていただろう。

 しかしHPは削られたが、それが1割にも満たなかったことからある仮説が立てられた。

 

「く、防御型(タンカー)か!?」

「ラッキーとでも思った!? でもほらほら! 逃げなきゃ死ぬよ~!!」

「ぐッ……くっ、そぉ!」

 

 おそらくは的中、中でもバランス寄りだろう。

 しかし幸運だ。タンカーであることも、追い付かれるのと同時に《蛇道》へ突入していたことも。

 ここから先は体格も関係してくる。道すらない混雑とした木々を踏み越え、垂れる(つた)や枝を避けなければならないからだ。どうしても大きい体格、広い体面積だと移動時には不利になる。

 がしかし、そんな希望すら(かす)れた。謀ったような革製の防具、それに盾持ちとは思えない軽い足取り、斜めに倒れかかった大木すら足場にピョンピョンと跳ね迫ったのだ。

 間違いない、奴は《軽業(アクロバット)》スキルを高い熟練度で獲得している。

 

「こ、こいつッ!?」

「実践的なのは網羅済みでね~!!」

 

 今度の垂直振り降ろしは左足首へ。足に攻撃されたことで若干体勢が崩されてしまった。

 全身泥だらけ。それでもなお両足を酷使する。完全に射程内に留まれば死ぬだけだと理解しているだけに、四つん這いになっても必死に進もうと足掻く。逃げた先に勝利を信じて。

 

「はい無駄ァ!!」

「ぐわァああぁあアアっ!?」

 

 背中にドロップキックを受け、私は坂をゴロゴロと転がっていた。

 もう天と地の境も知覚できない。

 何度も地面とバウンドし、草木の葉と泥を被る。遮断された視覚と聴覚に混乱したまま、私はとうとう大きな広場へ吹き飛ばされていた。

 ぐるぐると回る目をなんとか戻し、開けた視界から情報を搾取(さくしゅ)する。

 

「(ぐっ……ここ、は……?)」

 

 ――開けた視界(・・・・・)だと?

 森林設定のフィールドにこんな空間はほとんど存在しない。つまりここは《魍魎の樹林帯》南西部、澄んだ湖のあるエリアだ。

 しかしこれはいけない。来るのが早すぎた。

 エルミナは回り込めているのか、配置につけていのるか、準備はできているのか、私は作戦を決行してもいいのか。

 彼女との連絡手段はない。選択権も時間の猶予(ゆうよ)もない。それを意識すると、知らず足は湖の方は後退りしていた。

 

「(まさか本当に、こんな状況が……)」

 

 今さら後悔しても仕方がないが、本来こんな方法で『コレ』を使うとは思わなかった。本来は生存率を上げる手段であって、自分が何かに打ち勝つために使用されることはない代物だからだ。

 だが、過去の私は最悪のケースを想定し、それが功を奏した。だとしたら誇るべきだ。

 今は作戦を頭で反芻(はんすう)するのみ。

 

「あらら~、ここ湖じゃん。だだっ広い敷地に障害物のない平坦! こりゃ逃げれそうにないね。どうする?」

「…………」

 

 完全に捕獲したと踏んでいるのか、鬱蒼(うっそう)と生える草木をかき分けながら、彼はあくまでゆっくりと近づいてきた。

 

「ビビっちゃうよねそりゃ~。でもそれじゃあ遺言にもならないよ? ほらほら、どうするのさ~?」

「……君を、倒す」

「んーやっぱ……はっ? あれ、聞き間違えたかな。いま倒すって聞こえたんだけど。……あれあれ~? もしかして、死ぬ前に相手をイラつかせよう作戦かなァ」

「貴様は知らんだろうな。勝ち筋などないと踏んでいる。……しかし私には、今まで誰にも見せてこなかった切り札がある……」

「…………」

 

 それを聞いた太った男は一旦体をリラックスさせ、鼻で大きく深呼吸していた。

 そのまま斧をクルクルと(もてあそ)び、ステップを踏んで息を整えると改まって発言する。

 

「へ~面白そうじゃん。やれるもんならやってみなよ。武器でもアイテムでも、ほら使えばいいだろう? ボクはそれでも勝つけどね」

「……(おご)りは破滅を招くぞ」

「違うよ~。ボクなりに準備をした。だから、100パー勝つ自信がある。おっさんのはハッタリにしか聞こえない。……けど、なんだろうね……説得力も感じるんだよ。だからそれを見極める。踏み越えた上でボクはラフコフへ入る」

「…………」

「ポールランスの男を殺した時ね……震えたよ。ブルっちまったのさ。……まさに恐怖だった。……でもさぁ、これじゃダメなんだよ。正規メンバーの誰にも認められない。だからね~、ボクは殺す感覚に慣れなきゃいけない。ただのエサじゃ意味がない。……切り札を出させたうえで、それでも勝たなきゃね!」

 

 彼の目には決意があった。ラフコフがこの男に与えた試練を彼は正確に熟知している。その上で人を殺すと言っているのだから、さすがラフコフが勧誘した唯一の人材だけはある。

 

「(ユウコ……なんの運命だろうな。私は今、生前の君からじゃ想像もつかないことをしているよ。こんなところで復讐に燃えているんだ……)」

 

 必ず完遂させる。この手で殺すために、私は人生で1番頭を巡らせている。

 だとしたら狂っているのは私の方で、彼の言う通り同じ穴の狢でしかないのかもしれない。しかしそれを言い換えるなら、1度決めたことに愚直(ぐちょく)になった男は、この世で最も面倒な生き物なのだということだ。

 それをこの男に思い知らせてやる。

 

「なら、見せてやろう……!!」

 

 これが私の、最後の切り札だ。

 

 

 

 



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カルマレスロード3 復讐こそがエンドライン

 西暦2024年6月12日、浮遊城第32層。(当時の最前線64層)

 

 太った男が油断なく構える目の前で、《メインメニュー・ウィンドウ》を素早く操作した。

 ポップアップメインウィンドウ、サブメニュー、アイテムストレージ、アームクラスタブ、メイン装備フィギュアオープン。

 そして……、

 

「ん、それって……盾……?」

「…………」

「ハッハハ、ちょっとちょっとぉ、それだけじゃ意味ないでしょう。どこのキャプテンだよ!」

「……私の切り札だ」

 

 私は大きなラウンドシールドを物体化し、左腕に装備していた。形は円形で直径は約70センチ、銅製でしなやかさを持つスタンダードな盾。元々の所持者はエルミナであり、バトルスタイルを変えた彼女にとってはもう無用の長物。ただの貰い物。

 しかし、それを見た男は呆れていた。

 

「……ふざけてんの……?」

「…………」

「……価値のある勝利にしたかった。それってボクの装備のダウングレード版だよね? おっさんの逃げ足が速かったから想像つくけど、装備するのがやっとでしょ。まともに動けるの? ボクを脅かす要素は?」

「……ない、だろうな……」

 

 今度こそ太った男は短く息を吐いた。付き合いきれない、むしろここまで付き合った己が愚かだったと。

 まったくだ。何に期待しているのかは知らないが、私が彼と戦って殺せるはずがない。レベル差、ステータス差、武器と防具の性能。どれをとっても彼の方が高く、まともにぶつかれば万に一つも倒すことはできない。

 彼に死ぬ要素はない。しかし、このゲームに勝つのは私だ。

 勝負は一瞬。

 

「ズァアアアアアっ!!」

「な、にッ!?」

 

 私がほんの数秒黙祷(もくとう)して気合いを溜めていた時だった。

 男が片手用斧(ワンハンドアクス)専用五連撃技の予備動作(プレモーション)を完成させている。

 速い。速く、そして正確だ。

 6メートルほど離れていた距離が1秒で詰まった。

 私はもうなりふり構ってはいられなかった。反射的に体を丸く(すぼ)め、吹っ飛んでいかないようにシールドを密着させる。

 暴力の嵐。一方的な腕力が他方を翻弄(ほんろう)し、蹂躙(じゅうりん)していた。

 防げては、いたのだろう。

 防御自体は間に合っていた。スキルの直撃は1つたりとも受けておらず、敵の技後硬直(ポストモーション)が目の前で起こっている。

 

「お、おォおおオオッ!!」

 

 攻守逆転。

 短剣(ダガー)スキルの上位連続技、《ドラップルエッジ》。

 少し後方へ押しやられていた私が再び距離を詰めると、技の全てが胴体へ命中。先攻してきた元の位置へ男を追い返していた。

 そこでようやく両者のHPバーを確認しようとした。

 そして、気づいてしまう。

 

「(なんだ、視界が赤い……こ、これはっ!?)」

 

 視界がレッドアウトする現象。これは残りの命が2割を下回ったということだ。

 《危険域(レッドゾーン)》。永眠への最後の階段。

 途端に汗がブワッ、と吹き出していた。対して、押しやられたというのに太った男は冷静である。技の全てをノーガードという見下しきった戦法を取ったくせに、HPがほとんど減っていなかったのだ。ゲージの残量は少なく見積もっても8割はある。

 手加減しない、本気でいく、そう言っていた男は前言を撤回(てっかい)した。

 

「やっぱ暑苦しいのナシでさっさと殺すわ。でもまぁ、興が冷めたことで抵抗とかなくなったかもね。そこだけは感謝するよ」

「……く……そっ……」

「悔しがるのやめてよ。ガッカリってレベルじゃないよ? そっちはもう1割か……すっごいや、人を殺しかけてるのになんとも思わないんだもん。それだけつまらないハッタリごっこをしたんだよ? 勘弁してよね……」

「まだ……まだだ……」

 

 冷や汗をかきながらも、私は目だけはそらさなかった。

 彼の背後は《蛇道》。私の背後は湖。しかも奴の《サーチング》スキルの補足対象は私に設定されている。

 不意を突くシチュエーションは完璧だ。よもやエルミナも準備をする時間はあったはず。していなければ私が死ぬだけだが、今は彼女を信じるしかない。

 私は斬り口をさするようにコートの中に右手を突っ込んでいた。

 もちろん、大きなラウンドシールドが邪魔をして、彼からは本当に斬り口をいたわっているようにしか見えまい。

 

「まだ……って、何が?」

「勝負の行方だよ。勝負というのは一瞬で、あっけなく決まってしまうのさ!!」

 

 私はオブジェクト化した盾で隠すように、手元でいくつかのアイテムをストレージから取り出していたのだ。

 そして球形のそれを、相手に向かって全弾投げつけた。

 

「これッ、《トリモチ玉》か!?」

 

 足元に命中。粘り気のあるスライム状の物体が付着すると、ようやく相手の表情にサッと緊張が走った。

 しかし、これではただの足止め。決定打ではない。

 続いて私は、黄色い液体が詰まった水瓶(すいびょう)と、紫の汁が滴るスポンジのようなアイテムを投げつける。それも彼の足元に着弾し、衝撃によって煙が広がった。

 有効範囲が狭く、汎用性はない。しかし毒の濃度は最高級の《麻痺(パラライズ)》と《(ポイズン)》のバッドステータスである。

 

「(同時にかかった!)」

 

 だが朗報も束の間。

 相手はなんと、片手にクリスタルアイテムを持っていたのだ。

 緑色の蛍光色の結晶。ルール通りであれば、すでに回収されているはず。しかしジョニー・ブラックやその部下は、きっとこの《解毒結晶》を、あえて彼に持たせたまま試験に挑ませたのだろう。

 そう、これは《加入試験》と銘打った、ただの殺戮ショーなのだから。

 

「リカバリー! ……さて、あっさり復帰だ」

「……そん、な…………」

「アッハッハ、いいカオ。そのぶんじゃ万事休すかな?」

「……くっ……まだ、作戦は……」

「驚いた、まだ強がれるのは才能だよ、ソレ。でもそういう心理戦はしつこい。ウザいだけだから」

 

 男は最後までつまらなさそうに斧を構えた。一瞬のスキを(えぐ)ってきた先ほどと打って変わり、今度はかなり適当である。冷却中(クーリングタイム)に入った技が連発できないからか、単発直進技の構えに切り替えたようだった。

 もっとも、それだけあれば十分なのだ。防御に成功したプレイヤーを5回の攻撃で8割以上減らしている。至って簡単な暗算で、1発当たり16%の体力を私は失ってしまうことになる。

 残り10%のHPを飛ばすには、シールド越しだろうとあと1発で十分。だからこそ、彼がここで単発突撃技を繰り出すことは予定調和だった。

 プレモーションが終わる。男が勝利を確信し、アシストが術者を加速段階へ導いた。

 その瞬間。

 

「コリドー、オープンッ!!」

「っ……んなッ!?」

 

 状況が動いた。敵が初めて、本気で目を剥く。

 割れるような音が聞こえると、私の目の前に真っ白なサークルが突如として出現していた。

 直径は4メートル。持続時間は1分間。あらかじめセットした場所へ複数のプレイヤーを運ぜる、唯一無二の特殊転移アイテムだ。

 だが。

 

「あっ、ぶねェッ!!」

 

 ズザザザァッ!! と、男は技をギリギリでキャンセルできていた。

 慣性の法則が彼を1メートルほど前進させたが、あとほんの20センチほどの距離で止まってしまっている。冷や汗を垂らしつつも、硬直を課せられた男はまた微笑を浮かべた。

 だが終わりではない。

 ソードスキルを出しきった場合も、ソードスキルをキャンセルした場合も、技後硬直(ポストモーション)タイムに変わりはない。

 

「(さらばだ、名も知らぬプレイヤー……)」

「ヤァああアアアアっ!!」

「ぐ……づッ!?」

 

 太った男は《蛇道》から無鉄砲に直進してきた人物に、無防備な背中へズドッ! と激突されていた。

 そう、エルミナだ。《索敵》対象を私にセットしたことが仇となり、勝利に酔った男はこれだけグダグダと会話をしていても、彼女が後ろでスタンバイしていたことに気づけなかった。

 ソードスキルが生み出すノックバックを利用し、あとほんの少しの距離を単発突撃系の技で押し込むだけ。直撃さえすれば敵のHPなど別に削れなくてもいい。

 彼女の仕事はそれだけだった。

 姿勢の整わないまま作戦に墜ちた太った男は、か細い悲鳴を残しただけでそのまま転移先へ飛ばされてしまった。

 

「ハァ……ハァ……うそ、やった? ハァ……勝っちゃった……?」

「挑発して……ゼィ……攻めさせましたからね。しかし……発動タイミングも、あなたが来るのも……首の皮一枚でした……」

「うっさいなぁ……ハァ……成功したんだからいいでしょ、グリムさん……」

 

 これが切り札だ。《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》。シーザー・オルダートから買い取った『命綱』。

 運がいいと言ったのはこういうことだ。今のところトレジャーボックスからの入手がメイン、すなわち前線に上がれず手にする機会のないはぐれ者が、まさか集団で真価を発揮する高額レートのレアアイテムを売らずに保管してあるとは思ってもみなかったのだろう。

 ストレージ検査の際にアイテムジャンルではなくアルファベットでソートし、うまいこと所持アイテムを誤魔化せたのが奏を成した。よもや本番になって逃げの手段ではなく、逆転の手段に使うとは私自身思ってもみなかったが。

 しかし、完遂させた。言葉で誘導し見事役割をこなした。

 作戦成功だ。

 

「ハァ……グリムさん、でも……安物のメモリーやレコーディングはともかく、よくこんなの持ってたね」

「……入手経路については運です。そしてもちろん、所持がバレたら回収されていたでしょう。ラフコフの狙いは経費の傘増しだろうからね」

「ふふっ、けど乗り切った。……あの太った男は高ランカーだったけど、出口からじゃこっちには戻られない」

「そういうことです。飛ばした先は遠い。残りの2時間で戻って来られるような場所ではありません。彼の脅威は去ったと見ていいでしょう」

 

 それを聞いて安心したようにエルミナは立ち上がった。

 

「ふぅ~……まぁ、一難去ったところ悪いんだけど、さァッ!!」

「っ!?」

 

 そして。立ち上がるついでにソードスキルを構えた。自分自身にとって最後の敵、最後の参加者、つまり『私を殺す』ために。

 作戦の最終フェーズが、これでようやく終わった。

 

「なッ……っ!?」

 

 待ちに待ったスキルの構えを察知した直後、私は彼女の刺突剣(エストック)を蹴り飛ばしていた。

 ゴキンッ! と、あらぬ方向へ飛んでいく武器。

 完全に私の裏をかいたと思い込んでいたエルミナは、予想外の反撃で失った武器へ注意を逸らし、私は情け容赦なく彼女の腕を引いて地面へ組み倒した。

 フリーな方の手の甲にもダガーを深々と突き刺し縫い付けると、ダメージを与え続けることで《ハラスメントコード》対策をする。セクハラではなく『攻撃している』のであれば、システムは私の行為を妨害できない。

 

「考えることは同じさ」

 

 当然、私はオレンジプレイヤーへと変貌(へんぼう)してしまうことになるが、この際それは何のデメリットにもならない。

 

「《ハラスメントコード》にまで!? あ、あんたっ……あれだけエルを信じきっていたのに……ッ!?」

「信じる、か。くだらん妄想だ。君のその傲慢な瞳は、私が手を組もうと申し出た直後からギラついていたよ」

「くッ……!?」

 

 どうにか下敷きの状態から脱しようとわずかな抵抗を見せるが、技術の介入しない単純なパワー勝負では不可能。システムを根性で覆すことはできないのである。そして、私の筋力値は彼女よりも高い。

 

「無駄だ。……少々安直な作戦だったな。性別と色気を武器に何度も私を意識させようとする発言があった。こうなると見越してだったのだろう。大剣の男が攻めてきた時も、ピンチを都合よく利用できたのも計算づく」

「……アハ、やるじゃん……バレてたの……」

「君の作戦が成功しない過去を、私は持っている……」

「は……意味、わかんないし……」

 

 色気によって誘われず、いかな誘惑にも惑わされない。

 すでに勝敗を悟り、組み伏せられるままとなったこの女性には知る由もない過去。

 

「私には妻がいた。この世界に」

「え、う……うそッ……!?」

「《結婚》もしていた。現実でもそうだった……だから私は他の女など眼中にすらない。……しかし、いたのは過去の話」

「く、そ……っ」

「成そうとする全ての行動原理もそこにある。よってエルミナ、君の目論みは成り立つはずがなかったのだ。……殺しはせんよ。だが……」

 

 憂うような思いがあった。私はここにきて久しぶりに、本当に久しぶりに演じる(・・・)のをやめた。

 

「あなたもどうか、2度とこんなところへは来ないでください」

 

 それが最後の別れの挨拶だった。

 私はエルミナを両手で持ち上げると、悲鳴を無視して彼女を開きっぱなしの光の円へ投げ飛ばした。

 発声コマンドでコリドーを閉じる。辺りには静寂が広がった。

 

「…………」

 

 樹木に囲まれる深い闇のフィールドで、目をつぶって深呼吸をした。

 勝った。私の勝ちだ。と同時に、ある種の二重人格のように『上書きした私』が表層に降りてきた。

 いったい誰がこの結果を予想できただろうか。

 強さの順列だと後ろから数えた方が早い雑魚が、開始2時間でサバイバル戦を決し、生き抜いた。まだ時間は半分もある。おまけに4人の内3人の退場には私が関与しているのだ。

 いや、誰も予想できなかったはずである。「レールをぶち壊せ」と、コリドーを横流して激励(げきれい)したオルダートでさえ。そして誰もが驚愕と共に心に刻むだろう。食物連鎖を逆転させた男として、このグリムロックという男の名を。

 

「さて、ここからだ」

 

 綺麗事を連呼して自己の正当性を主張する時間は終わり。

 ストレージから回復ポーション取り出して飲み干すと、東へひたすら歩いた。

 夜行性タイプの狂暴なモンスターも、レベル60を超えた今の私にとって障害とならない。細い《蛇道》を越え、南東を埋め尽くす《低丈草原》を抜ける。妨害工作も罠もない。ただ道なき道を歩いていると、いとも容易く《カーデット村》へ到着していた。

 死者2名。退場者2名。

 そして勝者1名。

 

「ラフィン・コフィン! 誰でもいい、出てきて話を聞いてほしい! 私は勝ったぞ!! フィールド内にはもう他に参加者はいない!! 勝者は私だッ!!」

 

 私は村の中心区で叫んでいた。周りに気配はない。だがどこからともなく現れた4人のプレイヤーが、私を四方から取り囲むように近づいてきた。うち1人はジョニー・ブラックで間違いない。

 彼の姿を確認すると、私は(おく)せず強気に話しかけた。

 

「勝ちました。私がここに残る唯一の参加者です」

「……おい、ちょっと待てよ。あのデブまで倒したのか」

「ええ、造作もないことでした。今ごろ転移先でふてくされているでしょう」

 

 転移先、という表現が使えるのは、コリドーを使った証拠でもある。

 ジョニー・ブラックもその暗喩(あんゆ)には気がついたようだ。

 

「……ハッ、いいねェコリドーとはたまげた。前線にいたわけでもねぇのによく持ってたな、それも回収しとけばよかったぜ。……けどどうだ? 夜明けまでまだ2時間以上はある。いくら転移させても、奴らが復帰できないことはねェだろう? 2時間たっても帰ってこれねぇポイントは、お前のレベルじゃセッティングできない」

「いいえ、そんなことはありません。場所は55層フィールド北山の山頂、《山の白竜》の巣です。巣穴は底まで約80メートルと深く、復帰するには大量のロープを持参するか、『夜明けまで』待たなければいけません。一緒に飛ばした女性は何の因果か大量のロープを持っていましたが、今回の《加入試験》中にほぼ使い果たすように仕向けました」

「回収していないコリドーは何もお前のだけじゃない。そもそもデブのクリスタルは回収してない。すぐにこの《魍魎(もうりょう)の樹林帯》に戻ってくるかもな?」

「問題ありません。飛ばされた先は《結晶アイテム無効化エリア》です。あとは夜行性のドラゴンが夜明けに、つまりこのサバイバルゲームの制限時間が過ぎる頃に巣穴に帰ってくるのを待ち、その飛行能力を利用して脱出するしかありません。……そう、チェックメイトなんですよ」

 

 そう言い放つと、数秒だけ沈黙が降りた。

 

「ほぅ……ほうほゥほーう!! お前やるじゃんオモしれェよ!! ネギしょったカモだと見ていたが、注いでみないと器量の深さなんてわかンねェなァ!? ヒャハハハハ!! オッケーオッケー愉快な余興だった。ところでお前、なんでウチに来ようと思ったよ」

「…………」

 

 私の目的、そこがブレたことはない。

 そしてその目的はこのギルドへ入らないと達成しない。

 

「復讐です。そのためにはなんだってできます。例えば今回用意された『出来レース』の男を退場させたように、私に不可能はありません」

「てめェ、そこまで見えてた(・・・・)のか……。いいぜ、いいよ合格だ! 元よりこんなサバイバルすら生き残れない出来損ないに用はなかった! 今日からあんたは世界最悪のレッドギルド、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の仲間入りだァ!!」

 

 今度こそ本当に感心した声でジョニー・ブラックは(うめ)き、騒いだ。

 4段階もある復讐作戦には気の遠くなるような辛抱が必要だったが、私はとうとう計画の第1段階『ラフコフへの加盟』を成立させたのだった。

 

 

 

 以来、私はことあるごとに彼らに忠実に服従した。

 騙せと言われたら人を騙し、逃げ道を確保しろと言われたら従順に用意し、獲物を持ってこいと言われたら無慈悲にも差し出した。ラフコフに、ひいてはPoHに認められるように。

 気づけば、私は名を『ユリウス』に変え、『グリムロック』は跡形もなく消えていた。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 これでいい。復讐者で通すには『グリムロック』では弱すぎる。

 第2段階、『ラフコフ内での階位を最高ランクまで上げる』には、過去と完全に決別した今の『ユリウス』が必要なのだ。そのために費やした2ヶ月という時間である。

 それに、一気に序列を駆け上がるには多少の無理も必要だ。

 ラフコフでわがままを通すには、強さを身に付けるしかない。思春期の子供がアイデンティティを声高らかに誇示するように、多くの人間が承認欲求や渇望をネットで満たすように、自己の強さを証明し己の存在意義を訴えるしかない。

 執念とも言える自己顕示欲が認められたのだ。

 

「(人が……たくさん死んだな……)」

 

 おかげで《攻略組》に限らず、アインクラッドに住む全てのユーザーが怒りに燃えていた。

 快楽殺人者共め。気の狂った異常者が。絶対に許さない。いつか仕返ししてやる。そういった悲鳴なのか、慟哭(どうこく)なのかも判別できない、敵意の衝動が無数にこだましていた。

 ……上出来だ。

 いや、まだ足りないか。こんな程度ではまだ足りない。敵意などでは生ぬるい。それが殺意に変わってこそやっと意味を持つと言うものだ。もっと我々を憎むがいい。ラフコフは悪を象徴する組織であり、私は全体の意識をもっとコントロールしなければならない。

 ――ああ、計画が順調に進むのは本当に……。

 本当に、なんとも言えない感覚だった。

 

 

 

 そしてPoHと会話をしてから4時間が経過した。獲物を弄び、ラフコフの欲求を吐き出す時間だ。

 そうとも知らない青年も、さすがに念には念をとこれ見よがしに《転移結晶》を見せびらかせ、完全武装で登場するという心意気だけはあるようだった。

 

「話をつけに来た! ……条件は1人で来ること! そして名を『グリムロック』に変えてくることで相違ないな! 言われた通り変えて来たぞ。証拠の確認なら好きなだけさせてやる!!」

 

 私を含むラフコフのメンバーが辺り一面に配置する中、可視化されたウィンドウを見せる青年は、自分がいかに危機的状況に立たされているかも知らず叫んでいた。

 ただ、彼もせっかくここまで来たのだから回答ぐらいは渡してやらないと不憫(ふびん)というものだろう。

 私は物陰から姿を見せるとリラックスして挨拶した。

 

「やあ青年、時間通りとは律儀な男だ。前に1度だけ会ったな。覚えているか、交渉人を買って出た者だ」

「ああ先週ぶりだな。もちろん覚えているさ。しかし交渉人なんて、まったくよく言うよ。以前は名乗りもせず条件を一方的に提示しただけだろう」

「我々も警戒心が強くてね」

「……まあ、過ぎたことはいい。君らがこうして場を設けてくれたということは、やはりただの気狂いの集まりではなかったということだ。……僕は信じているよ。いずれ君たちも含め大勢の意志がまとまり、そして攻略に立ち向かえる日が来るのだと。それで、今回は名前ぐらい聞かせてくれるのかな?」

「……ふむ、その前に変えた名前をもう1度よく見せてほしい。可視化したウィンドウをこちらへ」

「ハハ、何となく予想はしていたが疑り深い人だな、君も。だいたい、これもいい迷惑だったんだぞ? 受注できるのはアカウントにつき1回きりなんだから、僕は今後この名前で過ごさなくちゃならないじゃないか」

 

 おどけながら青年がウィンドウを操作すると、ネーム変更の確認が終わった。スペルの指示まで出しておいたので間違いない。

 私もほっと胸を撫で下ろす。と同時に、青年が生かされる意味も失われた。

 

「うるさいガキだ。……あと数分の命なんだ、グダグダ抜かすな」

「な、なに……を……くっ!?」

 

 彼が武器と結晶を構えるよりも早く、足元に四方八方からナイフが突き刺さった。クリスタルも弾け飛んでいるので、おそらくジョニーの仕業だろう。

 青年は『こちらも交渉に出る者は、非武装の協力者1人のみ』という情報をどこかで信じていたのか、それとも主街区からそう遠くないフィールドでまさか攻撃されると思っていなかったのか、とにかく驚きに目を見開いていた。

 攻撃された武器のレベルの高さだけは理解し、足が(すく)んでしまっている。そして、気の毒だが運命も決まっていた。

 

「な、なんだよこのナイフ……あっ、あんたがやったのか……?」

「無駄口を叩くな、10人規模で貴様を囲んでいる。逃げようとすればどんな結末が待っているか……予想ぐらいつくだろう? ここから一区南下した場所に毒沼がある。死にたくなければそこへ入れ」

「は……はっ? ま……さか、裏切るというのか。僕の帰還は多くの人間が望んでいる。刻限までに戻らなければ徹底報復だぞ。……こんなことをして、ただで済むはずが……」

「わかるだろう? とっくに理解しているはずだ。それとも我々の総意、そして意思表示というものを最初から説明してほしいか? ……(さい)はすでに投げられている。繰り返すぞ。死にたくなければ、そこへ入れ」

「……お、お前たちは間違っている……」

 

 移動距離にしてたった30メートル強。

 青年はなるべく小幅でゆっくりと歩き、そして憐憫(れんびん)なまなざしを向けたくなるほど必死に言葉で抵抗していたが、結局すぐに沼地へ到着してしまった。奇跡もなし、助けるヒーローもなし。だからだろうか、諦めに近い顔で青年は毒エリアへ侵入した。

 ここは66層。前線に限りなく近いこのステージの適正域にまで達していない青年は、《対阻害(アンチデバフ)》スキルも(むな)しく、すぐに毒に侵されじわじわとHPが減っていく。

 

「青年よ、私は運命すら感じるよ。ここは私にとって大切な者が土に眠った場所とよく似ている。……しかし安心したまえ青年。まだ君にはチャンスがある。これからトレインしたそこらのモンスターを適当に何体か毒沼へ投げ込む。見事モンスターを全滅させたら君は釈放してやろう」

「で、できるわけないだろう! あんたが場所を指示する前から、僕が出向くことのできる限界層は伝えてあったはずだ! こっちはソロで……しかも毒状態なんだぞ!! この層のモンスターはまだサシでないと勝てないんだ!!」

 

 声には涙が入り交じっていた。

 もうどうしようもないのだと、本能では悟っているだろうに。

 

「ああ、無論それも知っている。健闘を祈るよ」

「く、ああァあアアアアッ!!」

 

 じゃぶじゃぶと泥をはね飛ばしながら青年は必死にもがいていた。どこからともなく放り投げられたスケルトンウォリアーを相手に、首のない騎士甲冑を相手に、スライムのようにぐねぐねと姿を変える軟体系モンスターを相手に。

 叫び声と金属音は1分間ほど頻繁に聞こえていた。

 1分もたつと金属音より泣き叫ぶ声が大きくなり。

 2分後には全ての音が消えていた。

 作戦終了。

 これで無事帰還すれば、それは計画の第2段階が完了したことと同義である。

 こうしたやり取りに長けていない青年は、せっせと集めた結晶用のコルやら、万全を期した武装やらを披露する間もなかった。そして私の要求通り名を『グリムロック』に変え、私から『いい返事』が返ってくると信じて交渉へと(おもむ)いてきたことだろう。

 非常に残念だ。惜しむらくは安らかに眠るといい。

 彼は毒に侵されるのと同時に引き連れられ(トレインされ)たモンスターとも戦っていた。特に重要ではないが、《黒鉄宮》の《生命の碑》に刻まれる『グリムロック』の死因はそのどちらかだろう。念のため把握しておく必要がある。

 もっとも、死んだのは前線一歩手前に甘んじる一般人である。ラフコフとの和解交渉自体は大っぴらに振りまいていたようだが、まさか死の直前に名前を変更して死んだとなれば、あの女(・・・)にすぐには気づかれまい。シビアな時間を要求しておいたことで、今の男が手を打てたとも考えにくい。

 

「(計画の第2段階はこれで完了か。これで私はギルド内での権限を大幅に上げられる……もっと手こずるかと思ったが、案外スムーズにことが運んだな)」

 

 権限が増すと言うことは、私に開示される情報がよりクリアになるということでもあり、同時に主導できる指揮権や自己行動範囲を広げられるということでもある。

 単純なようでこれは大きい。手駒が増えれば復讐の成功率も上がるからだ。

 やはりギルドの頭脳役(ブレイン)として才覚をアピールしたのは正解だったようである。

 

「(では少し早いが、計画の第3段階に入るとしよう。待っていてくれよ、アリーシャ……)」

 

 行動制限の枷を外した私はいてもたってもいられず、『娯楽』が終わるとすぐに行動に移る。

 辺りに人気のない古小屋の中で、私は停滞した戦局を左右させる1つの恋文を(つづ)っていた。

 

 

 

 翌日。

 8月4日の、夕方6時。本日の天気は残念ながら雨。

 アインクラッドでは全層を通して天候や気圧が統一されており、それは極端な気候に固定された特殊なフィールド以外の全てに適用される。よってここ61層主街区、水の都《セルムブルグ》も例に漏れず雨だった。

 61層主街区と言えば、高級感あふれる硬質で色鮮やかな壁が目立つものの、なにも高飛車な連中だけが住み込んでいるわけではない。

 あくまでそれは悪いイメージが独り歩きしたもので、都心から外れれば水上集落に暮らすNPCが、投網(とあみ)に励む光景すら見られるほどだ。

 脱線したが、しかし計画自体は雨天でも決行である。復讐にだけ生きる人生など真っ平だし、こんな悪夢は1日でも早く終わってほしい。そして、これが最速で終わらせられる方法でもある。

 私はメッセージを送った相手、つまるところ『アリーシャ』をひたすら待った。

 約束の時間が迫り、そして過ぎていく。5分も過ぎると、相手が約束を反故(ほご)にしたのではないかという落胆から、指先がじわりと痺れてきた。

 待ち人の到来を信じてとうとう10分がたつ。

 しとしとと降る雨に打ちひしがれそうになった時、奇跡が起きた。小降りであることが幸いしたのか、それとも詩文のようなメッセージに少しでも心動かされたのか。とにかく、アリーシャは薄水色の傘をさして辺りを見渡していた。

 物陰に隠れた状態のままで私は声を出す。

 

「こんにちは、アリーシャさん。メッセージを送ったユリウスです」

「あれ、いるの? ごめんなさい遅れてしまって。告白も嬉しかったわ。けどユリウスさん、アタシはあなたのことを全然知らないのよ。それよりどこにいるのかしら?」

「……ここです」

「ああ、あなたがメッセージを……ッ!!」

 

 ジャリンッ!! と。

 振り向いて私の顔を確認した瞬間、アリーシャは傘を投げ捨て腰のロングソードを抜刀しつつ、私の首筋にピタリとそれを張り付けていた。

 ほとんどまともな抵抗もできずに距離を詰められた。敵ながら見事な反応速度と適切な対処である。覚悟していたにも関わらず、ここが《圏内》であることを忘れてしまいそうな恐ろしい気迫だった。

 それでいてやはり、私の中の動作記憶(ワーキングメモリ)は迅速な対処を促した。

 

「剣を降ろせ、話し辛いではないか」

「…………」

「無言かそれもいい。にしてもさすが、ブルジョア主街区で有名な『水の都』だ。風景価格というやつか。まったく、やることがなくて過疎化している層とは別の意味で人が少ない」

「……あいさつはいいわ、あんたから過疎地を選んどいて白々しいのよ。それより牢屋へ出荷されたくてここへ来たのよね」

 

 ここまでくると殺気に近い。

 最前線の女性プレイヤー。アスナ、ヒスイに続く女の《攻略組》。差はできるだけ詰めたつもりだが、まだ私では彼女には勝てまい。それに端から戦闘行為をしにここに来たのではなかった。

 私の心は笑っている。彼女の成長がその末端でも見届けられたことと、そしてまたこの女性に会えたことそのものに。

 だからこそ、落ち着いて質問を投げ掛けた。

 

「さてさて、久方ぶりだがどうも懐古談はできそうもないらしい。では単刀直入に、『ラフコフとの和平交渉』について……ゆっくり話し合おうじゃないか」

 

 復讐計画の第3段階、『アリーシャを仲間に引き込む』のに必要な、大事な話し合いを。

 

 

 

 



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カルマレスロード4 死をもって、成就とする

 西暦2024年8月4日、浮遊城第61層。(最前線68層)

 

 雨水に濡れた街通りには、若干ばかりの静寂が訪れていた。

 1人の女性が剣を抜き、もう1人の首筋につきつけているのだから当然か。その姿は恋慕(れんぼ)のこじれにしてはいささか度が過ぎ、のどかな街並みに対しては違和感もあった。

 私はそれでもカジュアルに語り出す。

 

「アリーシャの頭の中には疑問が渦巻いているだろう。なぜ自分だけをここへ誘ったのか、そして私が生きているのか……」

「あり得ない……そうよ、あんたは死んだはず。シュミット君から聞いたの……あんたは昨日の夜中に毒殺されていた!! ……け、今朝! 元GAのメンバーが後を追うように確認しに行って……私も見に行ってみんなで確かめたもん! おかしいじゃないっ!!」

「なに、ふたを開けると簡単な話だ。偽装したまでさ、《圏内事件》と同じだよ」

「ぎ、そう……?」

 

 アリーシャの構えが僅かに緩んだ。私の言葉の意味を探っているのだろう。

 言葉遊びをしているのか、それとも全てが事実で、新たな偽装手段を確立しているのか。そう考えているのだろう。そしてそれらはどれも正しいようで、どれも正しくはない。

 

「話が進まんな。HPゲージの隣を見てくれたまえ。不気味な笑顔が鼻につく棺桶のシルエット……見覚えがあるはずだ。これが何を意味するかわかるな?」

「あ……これっ!!」

 

 いちいち反応が単純なアリーシャを見ていると昔を思い出してしまいそうになる。

 こうして先手を取る側に立ってみると、3ヶ月前にキリト君やジェイド君に負かされた私から、自分がいくばか(たくま)しくなったような気さえする。

 だが今の私は『ユリウス』だ。グリムロックではない。

 仕事を果たさなくては。

 

「……私は昨日、ある男を殺す算段を取らされた」

「……な、にを……っ」

「その男は、人が(あや)め合う惨状に嘆き、自らを危険にさらそうとも巨悪に立ち向かう勇気を持っていた。……しかし彼の存在は見せしめにしかならなかった。きっとすぐに最前線にも噂は広がってくるだろう。かねてよりラフコフとの和平交渉を進めていた男が、ある夜から突然名前すら遺さず消息を絶った、とね」

「あ、あんた……あんたまさか……ッ!!」

 

 さしものアリーシャも、その信じられない残虐性に勘づいたようだ。

 

「私とてギルドの方針までは変えられない。だとしたら、彼の死に意味を持たせてやるのが人情だとは思わんかね? 交渉に応じる条件は1つ……《ネームチェンジ・クエスト》で名を『グリムロック』に変え、それを66層フィールドにある毒沼付近で私に確かめさせること。青年は簡単に騙されて従ったよ」

「く……うゥっ!!」

 

 アリーシャは私のコートの襟首を乱暴に掴むと、ガシャンッ! と金属音を鳴らして、雨で濡れた地面に私を押し倒した。彼女自身が常に意識していた美貌(びぼう)も歪み、オーラは怒りに震えている。

 ここが《圏内》でなければ今頃どうなっていたことやら。

 ヨルコらが実行した《圏内事件》は、言わば合法的な死の偽装工作であり、そのトリックはハッピーエンドになるよう一生懸命仕組まれていた。対して私がやったことは小粋(こいき)(ひね)りも何もない。

 

「殺したのね……その人を、あんたはなぶり殺しにしたッ!! 結果グリムロックは死んで! あんたが『ユリウス』になって生き続けた!!」

「ご名答だが、満点はあげられないな。どうせ目的はわからんのだろう」

「……くっ、そ人間……ッ!!」

「何とでも言え。だが答えは聞いてもらう」

「いいえ、もう何も喋らなくていいわ。このまま引き裂いて、他の人間にしてきたことと同じ目に遭わせてやる!!」

 

 私を拘束するアリーシャの目は本気だった。いったい何が変えたのだろうか。彼女は最初、ゲームについてろくな知識もなかったと聞く。何をするにも手当たり次第で、どこに行くにも手探りで、日々を生きるのも効率が悪かった。

 数々のプレイヤーと一戦を交えていく中で、一種の人格が形成されていた。

 それが《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》のアリーシャだ。

 その女は人を騙すことに生き甲斐を覚え、裏切ることに価値を見いだされていた。そして天職にも近い才覚は遺憾(いかん)なく発揮され、《黄金林檎》もその荒波に呑み込まれ破滅の道へ進むことになる。

 しかし結果的に彼女は別の道から……ジェイドという、まだ少年のような男から救いの手を差し向けられ、それにしがみついて生き方を変えたらしい。

 人を助けて回る人生へ。

 耳障りのいい話だ。誰かが妄想を膨らませて作り上げた虚構の美談にすら聞こえる。だというのに、それが現実となっている。だからこそ、《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》のアリーシャはここまで本気になれるのだろう。

 私は心を押し殺し、甲冑の下敷きになったまま反論した。

 

「……なるほど、それもいいな。では具体的にどうする。君が何と言おうと《アンチクリミナルコード有効圏内》で私は殺せない」

「簡単よ、圏外まで引きずり出してやる!」

「おお怖い。そして実に愚かだ。君がすべきは可能な限り情報を抜き取ることで、私へ怒りの丈をぶつけることではない。考えても見ろ、これほどの安全圏でメンバーと交渉できる立場がどれだけ貴重なのかを」

「うるさい! フィールドに出たらッ……今度こそあんたを!!」

「やれやれ、呆れたよ。何の手札もなくのこのこ君の前に現れたとでも? さて、私の視界の右上には《ハラスメントコード》が点滅しているのだが、君はそんなに《黒鉄宮》にぶちこまれたいのかね」

「ッ……くっ!?」

 

 アリーシャがのし掛かっていた体勢から勢いよく飛びずさった。

 私は余裕をもって起き上がり、話術で彼女を追い詰める。

 

「トラブルメーカー気質は相変わらずだな、時間を大切にしたまえ。それに見ろ、おかげでお気に入りのコートに泥がついてしまった」

「……なんで……アタシに……」

「やっとその質問がきたか、では教えてやろう。……『グリムロック』が死ねば、彼を知るプレイヤーの心に隙が生まれる。ああ、死んでしまったか、あんな奴でも仲間だったのに、死ぬなんて可哀想だ……とね。ここで私の目標が4人に絞られていることに気づくだろう」

 

 メッセージの届かない《黒鉄宮》にいるクレイヴは除外される。

 すなわち……、

 

「アタシとヨルコ、そしてシュミットさんとカインズさん……」

「イエス。恋文(こいぶみ)がグリムロックから届いても応じないだろう? ……少々ひけらかしすぎたか。まあ当然、私は警戒されて君に会えなかった。これが事前に『ユリウス』になっておいた理由だよ」

「心の隙を作らせて……アタシに接触するためだけに……?」

「私は改名することでラフコフへの依存性をPoHに示し、同時にギルド内での信頼を高めた。一石二鳥だろう? この時間が貴重だと言ったのはそういう意味さ。……まったく、そろそろ信じてほしいものだ。これでも決定打がほしいと言うなら、証拠にこんなものをプレゼントしよう」

 

 私がコートのポケットから《永久保存トリンケット》を取りだし、さらにその中からしわくちゃの小さなメモ用紙を掴んで見せた。紙アイテムへは基本的にタイプキーで打ち込むものが多く、フォントすら自由自在に変えられることから、紙を粗末に扱っても文字が読めなくなることは少ない。

 そしてアリーシャは(いぶか)しみながらも文面に目を通した。

 短い文だ。読みきるのにそんなに時間はかからなかった。

 

「なっ!? これって!?」

 

 今度は彼女が目を見開いた。

 それは、陳腐(ちんぷ)な言葉では表しきれないほど衝撃を与える一文だっただろう。再三に渡ってメモに目を走らせるが、私への偏見が少しでも薄れるのを祈るばかりである。

 そんな折りにさらに追撃する。

 

「私に協力してくれる気になったかな? ちなみに、その紙の《耐久値(デュラビリティ)》は消滅寸前にしておいてある。あまりヒラヒラと持ち歩かれたくはないのでな。あと1分ぐらいしか持たないから大切に扱えよ」

「……ふさげ、ないで……こんなもの! ぜったいウソに決まってる!!」

「決まってはいない。嘘かもしれないというだけだ」

「くっ、バカにしてッ!」

「しかし『本当かも』しれない。だから君はこう思っただろう……」

 

 一拍、溜めて。

 私にとっては全てが綱渡り。

 1枚1枚の切り札、ジョーカーのカードを最高のタイミングかつ最大の効果を発揮できるように見極めて切る。

 

「信じてみよう、と。1度確かめてから改めて私を消そうと。チラッと考えたはずだ。それを否定しても、心の底ではもうとっくに認めている」

「そんな……わけ、ない……そんなはずないわ!」

「いいやそれは嘘だッ! 過去に《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に加入して、その後PoHを裏切り組織を脱却したアリーシャだからこそわかるはず!!」

「ぅ……く……それ、は……」

 

 嘘をつく時は半分を真実で固め、もう半分の嘘を自分で信じて騙される必要がある。ここでアリーシャが一瞬たじろいだのは、彼女に言い訳しきれない古傷があったからだろう。同じ目線に立った者だけが抉ることのできる傷が。

 引けば終わり。臆せば失敗。それを知るがゆえに、私は真意を覆うようにまくしたて、感情すらも塗り潰した。

 

「……アリーシャ、君はまだ子供だ。一時(いっとき)の衝動的な行動で失敗したかもしれない。絶大な可能性を無為に流したのかもしれない。しかし、だとしたら!! ……私に賭けてくれ。代わりにやり遂げてやる。試してみる価値があると思うなら……明日この層の10番サブストリートにある喫茶店に入れ。時間は17時。1人で来ることは当然、この事を誰にも話さないようにしたまえよ。さもなくば、せっかくのチャンスをみすみす逃すことになるだろう」

「……アタシ、は……あ! 待っ……ッ」

 

 私は無言のまま素早い動作で《転移結晶》を取り出すと、ボイスコマンドを注入。青いクリスタルが白く発光し、私を別の街へと(いざな)った。

 しばらく転移先の街で待ったが、アリーシャは追っては来ないようだ。

 成功しさえすれば絶対性を秘めた逃げ専用技、《カウントレスジャンプ》を前提にクリスタルを買い込んでいたのだ。しかも『圏外から村へ逃げる直前にダメージを与えて押さえ込む阻止方法』は、すでに私が圏内にいるので使えない。

 元より重要なのは計画である。

 復讐計画の第3段階、『アリーシャを仲間に引き込む』こと。これも今まで通り順調に進んでいると見ていい。何にせよ結果は翌日わかる。

 

「失望させないでくれよアリーシャ」

 

 私は誰にも聞こえないように呟き、沈み行く夕日を見送るのだった。

 

 

 

 翌日、8月5日。

 私は《記録結晶(メモリー・クリスタル)》を持って61層主街区(セルムブルグ)の喫茶店へ訪れていた。

 美味しそうにカップを傾けているのは永久的常連客、つまりNPCだけだ。なにせここは目を疑うような高級店が建ち並ぶ層であり、喉を潤すことが目的ならコルの消費に敏感なユーザーにおあつらえ向きなものが他層にいくらでもある。

 よって、その場には私とアリーシャだけがプレイヤーとして来店していた。

 

「やあアリーシャ、また会えて嬉しいよ。コーヒーは私のおごりだ」

「……昨日に比べれば真摯(しんし)な振る舞いじゃない。でもアタシは、まだあんたを信じてないわ」

 

 悠長にコーヒーをたしなむ私が気に入らないのか、アリーシャの声にはトゲがあった。手で着席を催促してみたが結果は変わらず。

 それでも私は余裕を崩さなかった。

 

「それは素晴らしい心がけだ。あんな紙切れ1枚で信用されても困る。だから疑うのは結構だが、しかし今日でその考えも終わりだ。君とて元ラフコフの正規員だったろう。それなら私の気持ちに気づくはず。……考える時間は十分与えたつもりだ。ところで《転移結晶》は持っていないかね?」

「……予備は持ってないわ」

「じゃあこれで失礼するよ。また会おう」

「ま、待って! ……持ってるわ」

「いくつ持ち込んできた」

「2つ……よ……」

「女性は嘘をつく時あえて相手の目を見る場合が多い。……まったく、バレバレなんだよ。どうせ約束を破ってジェイド君にだけは伝えたのだろう? いやいやアリーシャのことだ、君のギルド全員に伝えた可能性もあるな。まあそこまでは想定内だ。だが、これ以上戯言を連ねるつもりなら君に話すことはない」

「……くっ……13個、持ってきてるわ……」

 

 これは驚きだ。推測するしかないが、ジェイド君がメンバーを適当にだまくらかしたか、あるいは周知させているのならギルド内の結晶全てをかき集めたのだろう。それと買える範囲なら結晶を買い足したかもしれない。その本気加減には脱帽するしかない。

 私が用意した《転移結晶》の数が9個であることから、《カウントレスジャンプ》での脱出法は彼女には効かないと見ていい。いずれ限界転移数の差から追い付かれるだけだ。

 もっとも、私はもう逃げ隠れするつもりはなかった。

 今日この時この場が決着の瞬間である。

 

「最低2つは使って場所を変える。クリスタルを用意しろ」

「……わかったわ。あんたが身の安全を確保するならそれでいい。ただし、転移先に《圏外村》を指定したら、その時点でこっちもあんたの話を聞かずに取っ捕まえるわよ」

「構わんさ。元よりこんなものはただの儀式であって、本気で対策してきた君らの前からすんなり逃げきれるとは思っていない。そもそも君が同行するならギルド内の人間に位置が知れ渡るだろう? なら私が場所を誤魔化せることにはならない」

「……ふん、時間が惜しいわ。さっさと行きましょう」

 

 アリーシャもようやく決心がついたようで、私の指示に黙々と従った。

 私と彼女が転移で行き着いた場所は22層のしがない村。低層ゆえに面積だけはやたらと広いが、モンスターもいなければ人口すらほんの20人強に留まる過疎地帯だ。ここならよもや通行人にたまたま聞かれるといった事態も発生しないだろう。

 私はそれでも用心深く辺りを見回してから会話を始めた。

 

「さてここからが本題だ。私がこの日を選んだのは昨日の夜がラフコフの定例報告会だったからで、その際に面白いことをしてきた」

「それは……なに……?」

「これか、見ての通り《メモリー・クリスタル》だ。これが本日のプレゼント。……前回のメモ用紙にはたかだか『ラフコフの潜伏アジトの位置』を載せただけだったからね。昨日は隙を見てこっそり本場を撮影してきたのだ。バレてはいないと思うが、私がいくら気を付けてもリーダーにはそのうち不審な行動に勘づかれるかもしれないな。私はここ数日で動きすぎた」

「……うそ……この写真って、昨日紙に書いてあった場所と同じじゃないッ? 写ってるメンバーの顔触れにも見覚えがあるわ。……あなた……グリムロックさんは、本当にこの情報をアタシに渡すためだけに今までッ!?」

 

 パーシャル的な側面から憶測することしかできなかったアリーシャは、ここにきてその全貌(ぜんぼう)を知ることとなった。

 やっと、ここまで来た。決断してからもう何年もたったような気がする。

 私がすべての物的価値を投じて掴んだ情報。これで得られる……いや、勝ち取らなければならないものは1つ。計画の第3段階、彼女の心からの助力。他の全てを捨ててでも私に協力する意思。

 キリト君やジェイド君が背中を後押ししてくれた『復讐計画』。

 《ラフィン・コフィン殲滅作戦》が、ようやく最終段階に入った。

 

「ごもっとも。そして、功を奏した……」

「なんで……こんなことしたのよ!! この情報のためにいったいいくつ命を奪ってきたの!? これで正当化されると思ってるわけっ!? こんな……あなただけの立場しか考えてない、身勝手な復讐より……他にもっと方法があったはずよ!」

 

 承知の上だ。その上で断言する。

 

「ああ、ただの復讐さ!! 目的のために人を殺した! 他のことなど知ったことではない!! ……いいかよく聞け。それらすべては、覆ることのない過去の行いだ。……もう遅い。私の覚悟が作戦をここまで進めた。あとは!! ……あとは、この結果を使い、いかな奇跡を呼び込めるかだ。違うか?」

「でも……だって! ……だ、だいたい、クリスタルで撮影なんてすればPoHは絶対にすぐ気づくわ! もしかしたら、その『報告会議』っていうのを部下に監視させてるかもしれないし……それに同意の上なら、ギルドマスターは《約定のスクロール》を使ってメンバーの位置情報まで割り出せるのよ!? あなたの動向をチェックしてる人がいないとも限らない! あなたは本当に、今すぐにでも……ッ!!」

「承知しているとも。2ヶ月かけて工作したつもりだったがな。……PoHは自他共に認める天才だ。おそらく私の媚売り作戦なんて、息をするように見抜いてくるだろう。遅くとも明後日、早ければ明日にでも証拠を掴まれるかもしれない。そうなれば私の居場所などなくなるさ」

「そんな……ッ」

 

 アリーシャは優しい。優しすぎる。

 もっと罵ってくれればよかったのに。蔑んでくれれば、怒ってくれれば、無関心でいればよかったのに。なのに、ここに来て私を慈しむように、こんな悲しみに満ちた顔を向けるのだ。

 私がこの計画を決意してから、いったい何人のプレイヤーが人生を滅茶苦茶にされたと思っているのか。いったい何人のプレイヤーがこの世を去ったと思っているのか。

 その数、30人はくだらない。

 3人は私に全財産を奪われ、4人は人に知られたくもないプライベートを暴露され、7人は弱味を盾に悪行を強いられ、12人がアイテムの不正トレードに騙され、2人は私自身に手を下されて死に、6人がラフコフへの生け贄として差し出された。そして、その犠牲者と結びつきのある者を含めれば数えることさえできない。複数回被害に遭ったプレイヤーを含め、その全員の顔と名前を覚えている。たくさんの人が私の個人的な復讐に踊らされたのだ。

 決して、断じて、許されることではない。

 『死には死を』という、違法的で狂的なアジテージョンに突き動かされた業。私はそれを背負って惨めに生きるか、業に焼かれて(いさぎ)く死ぬ他ない。

 私は……、

 

「私は、こんなところで……死ぬ気はない。死地を探しているのではない。だから、ここを死に場所にさせないでくれ。最後の頼みを聞いてほしいんだ!」

 

 優しい嘘を。

 あるいは、最期の頼みを。

 

「……その前に1つ聞きたい。君は……アリーシャはまだジェイド君のことが好きかね?」

「っ……そ、それは……」

 

 誰が誰を好いているかぐらい、大人には予想がつく。

 ジェイド君がヒスイさんを、キリト君がアスナさんを愛していることも。逆も然り、見ればわかる。

 洞察力というほどでもない。私とて既婚者で、その手の経験は積んできたキャリアもある。ただ、1番近くにいた妻の気持ち1つ察してやれなかった、とびきりの愚か者だったというだけだ。

 だからもう、間違えない。

 アリーシャは辛い想いをしていると思う。そしてさらに過酷な頼みを彼女にしなければならないだろう。

 同じ代償を払う覚悟がある。私は今でもユウコを愛しているのに、それでもこの復讐計画を完遂させなければならない。心を捨てなければ。

 

「アタシは……まだ、彼が好き……」

「……だと思ったよ。しかし今回ばかりはその気持ちを忘れることだ。それを踏まえた上で私と――」

 

 心の雑音を振りきって、私はアリーシャに頼んだ。

 切り札を切っては新たな切り札を。

 これが、私の計画。その最終形。

 

「……それがあなたの頼みなのね。これが……どう逆転に繋がるのかはわからないけど、打開策になるなら。……グリムロックさん、あなたの全てを信じます」

「ああ、ありがとう……本当に……ありがとう」

「……グリムロックさん……」

「私は……これで失礼するよ。もうこの事は誰に話してくれてもいい」

 

 そんな素っ気ない言葉で私はその場を去った。

 復讐計画の第3段階が終了。いよいよ最終段階へ突入だ。

 その後、運命の時間まで、私は9時間かけて最後の仕掛けに走り回るのだった。

 

 

 

 その日の深夜だった。

 組織から緊急集合がかけられた。どうやら《攻略組》側から裏切り者が出て、誰かが『密告者』としてラフコフのアジトを教えたことを、さらに『密告者』としてPoHに伝えてしまったらしい。《圏内》で活動している者だろう。

 まったく厄介なことだ。もし私がアリーシャに密告したことが本当に運よく誰にもバレず、そして《攻略組》が組織した《ラフコフ討伐隊》がそのままストレートにアジトへ奇襲を仕掛けていれば、何の損害も損失もなく綺麗に悪を掃除できたというのに。

 だが。

 

「(内通者か、あるいは……まあ、甘くはなかったが……)」

 

 おおかた予想通りだ。最上級の作戦は文字通り希望に満ちた未来だったが、私にとっては『プランB』である。まだまだ本命の『プランA』があるので、そちらに集中すればいい。

 私は冷静に対処していた。

 

「リーダー、何やらメンバーが集められているようですが、これはどういった召集で?」

「どこほっつき歩いていやがったユリウス。……フン、まあいい。てめェらを呼んだのは他でもない。どっかのおバカさんが裏切ってアジトを晒しやがった。おかげで向こうじゃ討伐隊なんてものが結成されていたらしい。昨日まで使っていたアジトは当然放棄、今日からは59層の迷宮区10階へ移動だ。すでに大半を転移させてある。《攻略組》の討伐隊はもう攻め込んでくることはないだろうが、一応警戒はしておけ。残った俺達もすぐに59層へ移動だ」

「……そうですか、わかりました。では私は先に」

「待ちなユリウス」

 

 呼び止められた一瞬、冗談なしに心臓が止まるかと思った。

 私を低いトーンで呼び止めたPoHはフードで両目を伏せたままゆっくりと近づいてくる。

 足取りには視察を、首の傾きから欺瞞(ぎまん)を、息づかいからは敵意を。はっきりと感じた。間違いなく気圧された。

 

「ユリウス……てめェは一旦45層の圏外村へ飛べ。俺が後で追う」

「……なにか……特別な話でも……?」

「ああ、そうだな。……特別な話がある」

「…………」

 

 ――早くても明日、か。

 まったくもってのんびりした心構えだった。同時に今の今まで9時間もかけた対策をしていなければ、全てが水の泡になったわけか。

 第1段階は『ラフコフに加盟する』こと。

 第2段階は『ラフコフでの階位を上位ランクまで引き上げる』こと。

 第3段階は『アリーシャを仲間に引き入れる』こと。

 そして最終段階、『PoHを出し抜く』作戦はこの瞬間からスタートである。

 

「……了解しました。ではそこでお待ちしております」

「おっと、それもWait。先にお前のストレージを見せな」

「ッ……!?」

 

 ――そんなっ、ストレージを、ここで?

 ――まさか。まさかっ……そんなことが。

 ――こいつには全てお見通しなのか。私の(たくら)みは無意味だとでも?

 ダメだ、もう終わった。計画の最終段階は始まる前に終わりだ。

 中身を覗かれたらその瞬間に私の首が跳ねられるだろう。復讐なんてもってのほかだ。せっかく個人的な呼び出しにも対応できていたというのに、その全てが台無しになる。

 

「……どうした、見せられないのか」

「(くっ、ここで断ろうものなら……)……いえ、単純に不思議だったんです。目利きにかなう所持品は持ち合わせていないもので。……では可視化させるのでお待ちを」

 

 こうなったら賭けだ。最後の細工を試みるしかない。

 私は手が震えないように何とか尽力しながら、メインメニューのトップにあるストレージ・タブをタップし、現在有効化されているストレージの種類のみがわかるページで指を止めていた。ここまでなら《所持アイテム一覧》の一歩手前だ。

 するとPoHは……、

 

「……共通タブはここのだけか」

「はい。登録してあるフレンドも正規員のものと、あとは次の獲物だけです」

「……オゥケー、確認した。先に行ってろ」

 

 賭けに、勝った。

 内心で息を吐く。顔面がひきつかなかったのは我ながら驚異的な集中力である。

 バクバクと鳴る心臓を叱りつけ、私はなんとか震えを抑えきった。

 比喩ではなく本当に運任せだった。

 1つの可能性は彼がストレージの中身、つまり格納ボックスにどんなアイテムが存在するかの確認。

 2つ目は、私がギルドメンバー以外と《共通アイテムストレージ》を作っていたり、許可のない人間と《フレンド登録》をしていないかの確認。

 PoHは「ストレージの中身を見せろ」ではなく、「ストレージを見せろ」と言った。だからこそ私は後者だろうと賭け、事実彼はそれを確認するだけに留まった。アイテム一覧は覗かれていない。作戦は続行だ。

 

「はい……では……」

「ああ、楽しみにしてるぜ」

 

 私はクリスタルを取り出して逃げるように転移した。体全体を青白い光が包み込み、次に視界が開けるとそこは先ほどまでとは別の村だった。

 問題はない。ここも9時間かけて仕掛けをしておいたポイントの1つだ。すでに万全の体勢を整えてある。

 後戻りはできまい。元よりターニングポイントなどとうの昔に過ぎている。覚悟を据え、やれるだけのことをすればいい。

 

「(……いるな。用心深くも監視役が……1人か、それとも2人か……)」

 

 気配は感じるが場所も正確な人数もわからない。

 それからゆうに3分は経過した。浮き足だったラフコフの部下達も、そろそろ落ち着きを取り戻して安全圏へ移動している頃だろうが、やはり先ほどまでのPоHも大勢の部下の前で面倒ごとを増やしたくはなかったのだろう。

 そこへ、新たな転移反応が起きた。

 

「よォ、待たせたなユリウス」

「……いえ、それよりも……」

「All right、隔離した理由だろう? ラフコフ内の影響力を上げ、行動の幅を広げられるようになって3日。……よもやその瞬間から、こうも活発にやりたい放題してくれるとは思わなかったぜ。理由を聞こうか」

「……言っている意味が、わかりかねますが……」

「NonNon言い逃れはなしだ。メンバーの前じゃあ統率に影響をきたす。だから貴様をここへ呼んだ」

 

 仲間の目が届かなくなった途端、今度こそ彼にも容赦はなかった。

 もう、偽らなくてもいいのだ。

 

「……それなら、今さらですよね。とぼけるのはやめよう。リーダー……いや、凶悪犯罪者PoH。種明かしをしようじゃないか。しかし目的は単純で、アジトの位置をこうして移動させることにある」

「Amazing。どんどん聞かせてくれよ」

「……ラフコフに加盟してから、確かに私はお前たちにあらゆるものを捧げてきた。……だが、それはあくまでガス抜き用で、致命的なものではない。お前たちが言う『メインディッシュ』とやらのコントロールをしたのも……」

「テメェというわけだ。機会が合わなかったのも道理だな……同時に階位を上げた一因になった。それで、カミングアウトは終わりか?」

「いいや、まだだ」

 

 覚悟を決めて4ヶ月……否、ユウコを手にかけてしまってから9ヶ月にもおよぶ覚悟が、たったこれだけのはずがない。

 私はあえて演技をしながら会話をし、可能な限り時間を稼いだ。

 

「言ったろう、今の攻略組、ないし《ラフコフ討伐隊》には猛烈な殺意が渦巻いている。和平を目指す交渉人を慈悲もなく抹殺したことは、私が広まるよう仕向けておいたからな。……そして彼らが攻め込んでくる直前になって、アジトの位置が59層の迷宮区に一気に移動している。全員分……となると、34人分だったか。転移結晶代はバカにならない損失だったろうし、おまけに数も限られる。もう1度全員が転移する余裕はないはずだ」

「同時にする必要もないな」

「それもネガティブだ。2度あることは3度ある。そして全員の移動が可能な残る手法はコリドーによる脱出ぐらいだが、極めて高い離脱率を誇るこれも所詮は消耗品。使い果たしたてしまうと、今度はあんた自身の『命綱』がなくなってしまう」

「…………」

 

 たった今、攻略組で編成されている《ラフコフ討伐隊》から逃れるために、こいつらは59層のアジトを放棄し、部下34人分の転移クリスタルを消費した。しかも次に全員で移動するには、PoH自身の究極の脱出手段であるコリドーを使うしかない。私はそう忠告しているのだ。

 PoHは無言で続きを催促した。

 

「ふむ……コリドーによる脱出とは芸のない手法だ。まったく、いくら確実性に秀でるとはいえ進歩のない。呆れるよ。……それで? 今度はどこに逃げる? 人気がない25層は君らもよく寄生している根城だ。それとも30層の岩石地帯かな? 去年の初夏にケイタなる男を殺したのがギルドの出発点だと聞く。さぞかし思い出深い場所だろう。……いや、40層という線もあるな。2ヵ月におよんだ下積みに、派手な《レッドギルド宣言》事件。ああ、これは濃厚だ。君は意外にも記念日を大事にしたがるから」

Stooop(ストォォォップ)、そこまでにしておけ。人は死の間際に知覚速度が上がるらしいが、それは真理だな。今日のお前はよく喋る」

 

 PoHはどこか楽しそうだった。

 ニタついた笑顔が網膜に張り付く。

 

「だが惜しいな、掛け値なしで惜しい。あと数時間凌げばお前の運命も変わっていたのかもな。裏でからかうのは自由だが、それでもお前は何もできない。予期せぬ革命? 都合のいい援護? よせよ、ナンセンスだ。今からお前を殺してそれまで。実につまらない。なんならコリドーの脱出先を教えてやろうか? 19層にある『誰かさんの墓』の前なんだなァ、これが」

「なっ!? それは……ッ!!」

 

 この、屑野郎は……。

 

「Oh、もっと喜べユリウス……いや、グリムロック。お前の妻の墓は次に俺が命綱(コリドー)を使うまで無事だぜェ? しかし次に使った時は大変だ。無惨に荒らされ、価値のない指輪(・・)も砕かれ、弔うものは跡形もなくなってしまう。まァもっとも、お前はそれを確認することも、誰かに知らせることもできないだろうがなァ」

「クッ……ソったれ。吐き気がする。途方のないクズ野郎だよ、君は。けれど……その驕りが破滅を招くのだ。とくと思い知れ犯罪者ッ!!」

 

 私は睨み付けていた状態から数歩脇へ移動し、木陰を乱暴に漁るとそこから黄色に光る結晶アイテムを取り出した。

 PoHがここに来る前に、どの角度からも光が漏れないよう事前に隠しておいた結晶だ。9時間かけて決戦の場に選ばれそうな《圏外村》全てに仕掛けておいたのはこれである。

 と同時に、私の最大の切り札でもある。

 

「見ろ! これがわかるか!? 《録音 結晶(レコーディング・クリスタル)》。ずっと物陰に配置しておいたのさ。私が近くにいればアイテムのオン、オフは可能だし、今の会話は全て記録されている。そして君は決定的なことを2つ話した! 1つは私がラフコフを裏切っている証拠! そしてもう1つは今のアジトの場所!!」

 

 そして本命(・・)は、奴がコリドーで逃げる先を。

 

「……ふ、フフフ。この《録音結晶》がある限り、私の謀反(むほん)には説得力が生まれる。現存するアジトの位置が攻略組に知れてみろ。すでに結晶を使い果たしたお前たちに、《ラフコフ討伐隊》から逃げきる時間はない! とんぼ返りでコリドーを使うか!? 今度はお前の『命綱』がなくなるだろう! そして数人をオトリに逃げてみろ、ギルドマスターに向けられる懐疑心が! 信用ならないトップへの疑いが、組織の自壊を促進させることになる! 遂にはラフコフの終わりだ!! もういい加減に……ッ」

「く……クック……クックックック……クハァっはっはァ!!」

 

 舞台は佳境(かきょう)へ入った。

 峠を越えた爆発的な感情の渦がひしめく。

 

「……な、何がおかしい……」

「いやァ小せぇ器を見ていると、あんまりにも(あわ)れでな。それよォ、その結晶アイテムつーのはどうやって攻略組の手に渡るんだ? まァ、どうせここから逃げるのだろう。逃げて、逃げて、無様に尻尾を振るだけ振って、命からがら逃げて……そして適当に目についた攻略組に手渡せば完了。けどな、現実はそれほど易しくねェんだよ。理解しているか、誰かに渡すまでが遠足(・・)ってなァ!!」

「ッ……ああ! 知っているともっ!!」

 

 私は叫ぶのと同時に真横へ飛びずさると、元いた場所をPoHのナイフが横切った。

 速い心拍を気にしながらも、建築物を盾に《録音結晶》をストレージにしまう。

 続いて腰のポーチから両手に1つずつ結晶アイテムを握りしめると、適当な圏内を指定して逃げ専用のシステム外スキル、《カウントレスジャンプ》を始めた。

 発動が遅い。喉が干上がっているのに、転移が死ぬほど遅く感じる。今この瞬間だけわざと転移がゆっくり進行しているかのようだ。

 そして転移が終わる直前……、

 

「ぐあッ!?」

 

 ズンッ、と首筋に1本のナイフ。

 先回りしていた協力者のものだろう。使われているナイフの種類から、おそらく投擲者(とうてきしゃ)はジョニー・ブラック。

 恐ろしい命中精度だ。私は彼の投げるナイフが首か心臓以外の場所に命中した瞬間を見たことがない。

 無論、ただでさえ被ダメージで中断される転移現象は弱点部位への直撃で達成され、おまけに私の体は痺れに侵されていた。

 

「ワーンッ、ダウーン!!」

「く……リカバリー!!」

 

 だが対策はしている。

 私はもう一方の手で握りしめていた《解毒結晶》にボイスコマンドを送り込んでいた。クリスタルがパリンッ、と割れると瞬時に体の痺れが希釈(きしゃく)され、私は自由になった上で《カウントレスジャンプ》による脱出を放棄。

 追っ手を行動不能にしてから確実に逃げきるプランへシフトしていた。

 

「オォウ! かっけェなメガネ親父!!」

「Wow、やるじゃねェかグリムロック。今ので打つ手なしかと思ったぜ」

「いつまでも! そうやって余裕をかましていろ! 私は勝つ!!」

 

 

 今度こそ私も全力疾走である。

 下見で訪れた時はもっと景観を楽しむ余裕すらあったが、ぶっつけ本番となってしまった私の視野は、冷静であろうとする心理とは裏腹に急速に狭まっていた。準備はしてあるが、それを利用できる立場にたたなければ意味がないからだ。

 PoHが加速して追い付かれそうになった直前、私はギリギリ直線道の角を飛び込むように曲がっていた。

 後を追う対象者へ罠が炸裂する。

 発動したのは宙吊りのトラップだ。9時間もあって、具体的な対策がレコーディング・クリスタルを木陰(こかげ)に置くだけに留まるはずがない。

 

「よしッ、これで!!」

「甘ェよ」

 

 PoHはまったく慌てることなく、足首に巻き付いたロープ付近へ大型ダガーを振り降ろしていた。

 友切包丁(メイトチョッパー)。超低確率ドロップのメインアーム。

 その切断力は私の想像を遥かに凌駕(りょうが)していた。ブチッ、という音と、信じられないスピードで全損するロープの耐久値(デュラビリティ)

 

「く、ぅ!? ……そ、そんなっ!?」

「さァてこれで終わりか!」

「く……まだまだぁっ!!」

 

 私は泥まみれになりながらも腰からダガーを引き抜き、ひたすら逃げながら次の建物カーブで『仕掛け糸』を自分で切った。

 何かのトラップが作動する機械音が聞こえる。

 進行方向から見て右側から大きな丸太が迫ってきていた。自身には命中しない。タイミングを合わせておいたからだ。命中するのは私を追って同じ場所を通過するだろう2人目のプレイヤー。

 ――これでも……ッ!!

 

「くらえぇええええっ!!」

「ッ……ぐゥ!?」

 

 空中に吊られた丸太がゴウッ!! と真横からPoHへ直撃。

 あとは反対側へ吹き飛ばされれば『足枷のトラップ』にハマって捕獲完了だ。鉄製のチェーンはロープと違って切断まで時間がかかるし、切断せず私を追おうとしても足枷系の罠は敏捷値を大幅に削り殺す。向来(きょうらい)使い古された戦法ではあったが、それこそが有効的である証なのだ。

 これで安全圏まで逃げられれば終わりだ。

 終わり、のはずだった。

 

「なッ……あァああっ!?」

 

 バキバキバキッ!! という、何かが裂けるような音が響いたのだ。

 丸太だ。丸太が縦一直線に割られている。

 《メイトチョッパー》が放つ単発ソードスキルは、鉄製のチェーンではなく木製の丸太を切断していだ。

 私の渾身の反抗が急減速し、大型ダガーが半分ほど食い込んだ時点で運動は停止した。直後に力を込めると、丸太は無数の木片となって粉砕。

 まさか人の胴ほどある丸太すら切断する切れ味とは。これが《魔剣》による荒業、これがトッププレイヤーによる力業。

 

「で、これで終わりかな?」

「……ッ……!!」

 

 私は相手の声を聞き届ける間もなく、ほとんど鬱血(うっけつ)しそうなほどの力で付近に垂れさがる網糸を手元に引き付けた。

 ゴバァアッ!! と、凄まじい轟音が響く。本来は食用モンスターの捕獲時に使われる《狩猟用ネット》が連動して落下し、屋根の上からは無数の小型アイテム、一時ストレージを圧迫するほど溜め込んだ《デプス・アロー》、《毒煙玉》、《まきびし》などが降り注ぐ音だった。

 しかも(やじり)の形をした《デプス・アロー》に至っては、ヒット後しばらく引き抜くことのできない呪いがかかったレア投擲武器である。

 しかし、その対処は閃光のごときスピードだった。

 ほとんど反射的に前方へ低く飛び込んだPoHは、信じられないほど不安定な姿勢のまま《威嚇用破裂弾》とサブアームであるナイフを同時に投げ込み、恐るべき命中精度で空中の飛来物にぶつけた。

 戦局を決めた短い破裂音。

 結果、まだ大きな塊だった大半のアイテムは僅かに吹きすさんだ爆風で広範囲に散らばってしまい、辛うじてまばらに襲い掛かる凶器は、すでに標的を見失った地面へ無作為に突き刺さるだけだった。

 真っ黒なマントをはためかせ、ほとんど隣に男が着地。その口元は不敵に笑っていた。

 そうして屹立(きつりつ)する彼からは、余裕すら感じ取れた。

 

「……おいおいどうするよ。まだ無傷だぜ」

「かっ……な、ん……」

 

 思わず足から力が抜けた。最善を尽くした抵抗は、惜しくも何ともなくあっさりと終末を迎えた。それなりに出し惜しむことなく金と武器を投入したつもりだったが、まさか武器とも言えない安価なアイテムと瞬発力だけで完封されてしまうとは。単純に発想と技術が桁違いだ。

 壁に背を預け座り込んだまま、その死神を仰ぎ見た。そこにあったのは、人知を超えた力との対立に等しい虚しい脱力感だった。

 終わりだ。もう打つ手は、ない。

 

「やはりこの程度か。なにか言い残してェことはあるか、んん? 墓荒しの前に亡き妻へ伝えといてやるよ。旦那の悲劇もついでにな」

「ぐ……こんな、ことが……」

 

 自然と歯を食いしばる。こういう、人生の終わり方だったのだろう。

 元から。

 業無き人生などあり得ない。受けるべき罰だ。これで神に救いを乞うなどお門違いだ。

 

「だが……終わりではない! これで終わりではないぞPoH!! わ……私が、死んでもッ……ここで命を費やしたことは無駄ではない! 私の協力者が……いずれ、必ずや悪魔共のアジトを攻略組に伝えるだろう!! 悪が勝つことはないィッ!!」

「……そうか……後味が悪いと萎えるんだな。これからは幕引きのタイミングを見極めるとしよう。遠吠えご苦労、負け犬野郎!」

 

 ザンッ!! と。

 重く冷たい何かが首に命中した。

 追い詰められていた私に逃げ道はない。

 ――ああ、そうか。

 と、諦めに近い納得をしていた。

 視界がおかしい。空がぐるぐると回っている。地面が上に、周りのものが反転し、床を転がると、とうとう私の体全体が一瞬だけ目に映った。

 首を跳ねられたのだろう。

 首、あるいは胴の部位欠損(レギオンディレクト)は死を意味する。

 

「(ああ……ようやく終わった……)」

 

 悪夢が過ぎ去った。

 黒一色に染まる世界で、その中心に浮かぶのは『You are Dead』という赤い英文。これがゲームオーバーになった者の末路だ。

 最期はどうだったのだろうか。私としてはうまくやれたつもりだ。少なくとも、もしPoHやその側近らが勝利を確信していたら、私の勝ち(・・・・)なのは明らかである。

 その結果は天のみぞ知る。

 そして……、

 

「(……っ!!)」

 

 途切れ行く意識の中で、一瞬だけユウコが見えたような気がしたのだ。

 それはフラッシュバックのように(はかな)い刹那だったのかもしれない。走馬灯のような幻想だったのかもしれない。

 誰のものかも判別できない光の人影。

 だが、確かに見えた気がしたのだ。

 

「ユウコ……なのか……?」

『(……あなたを……)』

「ッ……!?」

 

 声が聞こえた。直接、彼女の暖かさを感じた。

 

『(赦します……)』

「……ああ……ありがとう。ありがとう……」

 

 間違いない、この優しい声はユウコだ。彼女が今ここにいる。

 私はこの数ヵ月間作ることのなかった笑顔を浮かべていた。

 伝えたいことがたくさんある。ギルドを引っ張り、こんな夫を支えてくれた感謝と……そして、期待を裏切り苦労と重責を押し付けた謝罪が、いっぱい。本当にいっぱい。こんな時間では伝えきれない。

 でも、いい。

 すれ違った分はこれから取り戻していけばいいのだ。

 

 ――今、そっちにいくよ……。

 

 私は自然と、穏やかな光の筋に導かれていった。

 

 

 

 



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第90話 グリムロックが遺したキセキ

お気に入り件数が1200を越えました。読者の皆さま方にはいつも感謝しています。


 西暦2024年8月4日、浮遊城第68層。

 

「ようアリーシャ、相手はなんて?」

 

 待ち合わせらしき場所から行きつけの店へ帰ってきたアリーシャに声をかけると、俺に追随(ついずい)するようにカズも話しかける。

 

「ねぇねぇどんな話したのっ? ロマンチックな感じだった? アリーシャさん大人っぽいから、きっとレストランでワインとか誘われるじゃない? それともき、きキキっ?」

「ルガ落ち着きなぁ。それにイケメンかどうかって聞かれたら厳しいかもねぇ。まぁここゲーマーしかいないからねぇ。それは仕方ないよぉ」

「……うん? どうしたのよアリーシャ。『ユリウスさん』って人から会いたいって言われたんでしょう。なんか怖い顔してるわよ?」

 

 帰宅したアリーシャに対しヒスイが心配そうに顔を覗いた。

 それにしてもどうしたのだろうか。確かに彼女の様子がおかしい。

 

「信じ……られないかも、しれないけど……」

「へ……?」

 

 もともと、ことの始まりは2時間前だった。

 1日を通してパラパラと雨が降り注ぐなか、俺はアリーシャの攻略に対する集中力が途切れていることに気づいた。

 朝から元《黄金林檎》メンバーに叩き起こされて『グリムロックが死んだ』という訃報(ふほう)を聞かされ、元メンバーと《黒鉄宮》に確認しに行っていたのは知っている。元気がでないことに疑問はなかったが、しかし夕方になって今度は時間を気にしてモジモジとし始めたのだ。

 俺がそれを問いかけても、彼女は(かたく)なに説明しようとしなかったが、コンビネーション練習を3回連続でミスられてからいい加減白状させた。

 すると間が悪いことに、『ユリウス』と名乗るプレイヤーから恋文が送られていたのだ。手軽なインスタントメッセージではなく、しっかりとした便せんには長文で想いの丈が感情的に綴られていた。

 なるほど、これなら時間は気になるだろう。なにせ戦闘訓練兼レベリング時間は19時までなのに、約束の時間は18時だったのだ。いくら俺達に隠したまま待ち合わせ場所にいこうとしても、少なく見積もって1時間半は相手を待たせてしまうことになる。

 そして事情を知った俺はフィールドでの仕事をその場で切り上げ、アリーシャをその人物に会わせてみようと思ったのだ。

 もちろん、そこには2ヶ月前の雪山の一件を思い出した経緯はある。

 あの日以来、俺はてっきりアリーシャも気持ちにケジメをつけられたのかと思っていた。だが何度か俺への相談もあって、なかなか割りきれないでいることにも勘づいた。嬉しいやら悲しいやらである。

 カズやジェミルも奥手だし、そもそも彼らに相談してもいいなら俺が1人で悩む必要もなくなる。

 と、そんな折りにこの告白メッセージが届いたのだ。

 成り行きで決めたのではなく、俺もそれなりに覚悟を決めてアリーシャに会ってみることを強く勧めた。するとどうにかして、彼女も新しい恋探しに出掛ける決心がついた。

 それが今から約30分前の話。

 しかし帰ってくるなり無言の棒立ちときている。いったい何があったのだろうか。

 辛抱強く待っていると、彼女はポツリと答えた。

 

「『ユリウス』は……グリムロックだった」

「ええっ!?」

 

 俺もカズ同様耳を疑った。腰を浮かせて驚くほどではなかったが、ゾクッ、と背中に悪寒が走る。

 グリムロック。たった1人の妻を死に追いやり、仲間すらその後を追わせようと裏で暗躍したプレイヤー。同時にレッドギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》とパイプを持った男。

 現状判断材料は少ないが、『とりあえずは危険人物だろう』という枠組に入る、謎多き犯罪者予備軍である。

 しかし、それよりもまず、俺は幽霊でも見ている気分だった。

 

「つか……生きてたのか。でも、それっておかしくねえか」

「そうだよ、今朝死んだってGAの人達が……」

「だよねぇ。だってぇ、去年死んだグリムロックなんていないはずだからぁ」

「……偽ったということね?  1年越しの同名偽装以外にも、本来はもっと単純な方法はある」

 

 ヒスイが鋭く指摘すると、彼女は俺達を見渡したまま話す。

 

「死の偽装……は、それほど難しくないわ。……ジェイドもチラッと考えたはずよ。あたしとあなたが《圏内事件》に関わっていた時、わかってからは考えたくもなかったけれどね……」

 

 「ああ、あれか」と、俺も言われて思い出す。

 

「確かに、ソレが前提なら……誰か別のプレイヤーの名前を変えさせただけでも成り立つ」

「ええ……もし去年にも同名者が死んでいなければ……十中八九、偽装には生きてる人を使ってるわ」

「えぇえ!? 名前を変えて死なせた……って、それじゃあ、あの人が犯人だって言ってるようなものだよ!?」

「でしょうね。せっかくダマしたのに、初日で向こうからバラしてくるなんて……」

 

 やってくれる。一般人から名前を変えざるを得ない状況を作り、完了した時点で殺害。たったこれだけで生きるプレイヤーのすり替えが可能だ。そこには言い訳をする余地すらない。

 目的は不明だが、今のところ言えるのは、グリムロックが堕ちるところまで堕ちたレッドの犬畜生に成り下がったということだけだ。

 いっそ清々しく、堂々とさえしている。

 偽装による実質的人殺しを見せつけ、カズやヒスイから聞いた話では、ラフコフから『メインターゲット』に指定されているアリーシャへの接触。最近なぜか異常に活性化しているレッドギルド連中と《指輪事件》や《圏内事件》の経験から考えて、グリムロックが《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》と無関係であるとは考え辛い。

 ラフコフが動いている。しかも、俺達への先制攻撃だ。

 

「上等だぜラフコフ」

「ん……やっぱりあのギルドの匂いがするわ」

「けどちょっと待ってほしいの! ……アタシも最初はそう思ったわ。人を殺しておいてよくも目の前に現れたな、って……。でもね、グリムロックの姿勢って言うか……事件に対する取り組み方が異質って言うか、どこかおかしかった気がするのよ」

「どういう意味ぃ? ボクらが《圏内事件》で見た時のあの人とはぁ、違う感じってことぉ?」

 

 まどろっこしさにジェミルが追求しても、アリーシャはまだ曖昧な態度のまま答えた。

 

「うん。……うまく言えないけど、罪悪感みたいなのを感じたわ。……だからきっと、本人が言うように人を直接殺したこともあるんだと思う。それは許されないことだし、ラフコフメンバーなのも、わざわざアイコンを見せてくれたから……けどね。けど……きっと、必死に抵抗してる感じだったのよ……」

「ハッ!」

 

 呆れたような横槍で言葉を遮ったのは俺だ。

 全員の視線が俺に集中する。

 

「バーカ深読みしすぎだろ。つか、殺した時点で言い逃れは利かねぇ」

「でも彼……ラフコフのアジトの場所を教えてくれたのよ」

「ああ、そうだとしても……あァアアッッ!?!?」

 

 目が飛び出るかと思った。

 

「ラフコフの……アジトよ。53層の迷宮区にある安全地帯で、確か7階」

「い、いやいや!! ンな簡単に奴らの本拠地がわかっちゃ苦労しねェよ!! ったく、今までナニ見てきたんだ。いいか、奴らのトップは組織の末端に教えるべきことと、そうでないことをきちんとわきまえてる! 前にとっ捕まえたザコがなんも知らなかったんだ。それとも何か、グリムロックはこの短期間でラフコフ内の階級を上げまくったってのか!? だいたいショーコはどこだよ! まさか口頭説明されただけじゃないだろうな!?」

「アジトの位置はその場で渡された紙に書いてあったわ。用紙は耐久値(デュラビリティ)を消滅寸前にされてたからもう見せられないけど、階級についても彼は高い位置にいると考えていい。だって彼が自由に動ける理由がないでしょう? 使いっぱしりにして監視でもしてると? アタシだって《索敵》で辺りは探ったわよ。あの場にいたのは絶対にNPCだけだった!」

「じゃあ本人が帰って報告してるかもな」

「もうっ! 信じてよ!!」

 

 アリーシャがそう怒鳴り付けると、周囲にいた何人かのプレイヤーが反応した。

 元より、今となってはヒスイやアリーシャだけでなく、レジクレというギルド全体が有名になりつつあるので視線自体を気にはしないが、周りに迷惑をかける音量で話し続けるのはいくらなんでも気が引けた。

 俺はそれを考慮した上でヒスイら3人をその場に待機させ、アリーシャだけを部屋の隅に連れ出していた。

 しかし彼女はそこでもまだ抵抗する。

 

「アリーシャ、ちょい冷静になって話すぞ」

「ねえ……信じてくれないの……?」

「まあ、簡単には信じられない。理由はわかってるはずだ」

「この単独接触は罠じゃないわ。彼の意思を肌で感じて、そして無視しきれない可能性を感じたのよ。もしうまくいけば、本当にラフコフの悪行をここで止められる。だったらアタシ達がやらなきゃ! 明日の17時にまた61層に来るよう言われたわ。そこにアタシを行かせてほしいの」

「アホかっつーの。危険すぎる。全てにおいてッ……こんきょが、ないだろう。やっぱりダメだ」

 

 俺はフツフツと湧いた僅かな期待を振り払うように怒鳴ろうとしたが、彼女のまっすぐな視線から逃れ諭すように反対した。

 それでも「……根拠なら、あるわ」と言って、彼女はおもむろに目を合わせた。

 

「『アリーシャは子供だから、切り札の使い方を間違えた。でも私は大人だから間違えない。1度ラフコフと手を組み、そして血塗られた組織から抜け出そうとした君なら理解できるはずだ』……こんなことを、言われたのよ。ジェイドにはわからないかもしれない。けどアタシはわかる……あんな男のこと、信じたくないけど! ……それでも、アタシだけは信じなきゃいけないのよ……ッ」

「……アリーシャ……」

 

 震えた声でこれほどはっきりものを言われたのも、また2ヶ月前の雪山以来だ。

 懐かしい。と同時に、この女がそれをする時は決まって本気の時だと相場が決まっている。俺にフラれて意気消沈しているだけかと思ったらとんでもない。俺の仲間は面倒なまでにいつも色んなことを考え、悩んでいた。

 

「(こいつも大抵クソまじめだな……)……はあ、わかったよ。あいつら込みで改めて作戦会議だ」

「えっ……ていうことは……?」

「ああ。今度は俺らの方から反撃してやろうぜ」

 

 決めたものは仕方がない。

 俺は攻略行為を一時断念した上で、メンバーに次々と指示を出していた。

 

「アリーシャをグリムロックにもう1度会いに行かせる。けどカン違いすんなよ、こっちから裏をかくためにやるんだ。敵が人殺しだということを忘れるな。……ラフコフがギルドを上げて、俺らを潰しに来てるという前提で作戦を立てる。まず、この事はレジクレ内でしか話すな」

「え、他の人に協力は求めないのっ?」

「ああ。なぜなら俺達の目的がラフコフに勝つことじゃないからだ。こっちのカウンター作戦が知られたら意味がない。最優先は情報、強いて第2目標を決めるならグリムロックの鹵獲(ろかく)だろうな。だから限界まで奴を泳がせる。泳がせた上で、聞くべきことだけは口を割らせる。得たものはなるったけ攻略組にリークさせる」

「でもぉ《カウントレスジャンプ》でぇ、相手はいつでも話を切り上げられるよぉ?」

「その逃走も当然考えられる。けど『追跡されない脱出法』ってのは、相手が勝手に付けたキャッチフレーズだ。そんな手段はこの世に存在しない。……対策はこうだ。まず持ってる《転移結晶》は1個を除いて全員がアリーシャに持たせる。あいつらにとって最後の転移と思われる場所まで粘って、後を追ったアリーシャの位置を今度は俺らが追って一気に捕らえるんだ。けどもし《圏外村》が1度でも指定されたら、その時点でオレンジ共の待ち伏せを見越して追跡を中止する。……なにか質問はあるか?」

 

 俺は一旦言葉を止めてメンバーの反応を(うかが)った。

 

「……ないよ。僕はジェイドの判断に従う」

「リーダー方針なら仕方ないよねぇ。逆らえないしねぇ。ボクも賛成だよぉ~」

「ジェミル君ったら全然不満ないクセに。まあ、あたしもそれでいいと思うわ。アリーシャがせっかく掴んでくれたチャンスなんだもん。活かさなきゃね」

「みんな……」

 

 どうやら意見は纏まったようだ。時にはギルドメンバーが行動方針を決めてしまうのだから恐ろしい。俺もメンバーには甘いらしい。

 

「いっちょ連中に泡ふかせてやろうぜッ!!」

『おおーーっ!!』

 

 こうして作戦は決行された。

 そしてこれは、悪魔根絶への偉大な1歩の幕開けだった。

 

 

 

 日をまたいだ8月5日。

 なんともあっさり、決着がついてしまった。

 17時に約束の場所へグリムロックが現れたのはいい。全方位から4人のメンバーが死角なく監視し、危険はないと断定した。

 何度か転移して22層の村で会話をしたらしいのだが、それ以来一向にアリーシャが後を追う気配がなかったのだ。そしてものの10分で、とうとう彼女は最初の61層主街区、つまり《セルムブルグ》まで舞い戻ってきてしまっていた。当然そこにグリムロックの姿はない。

 これで追跡も不可能。鹵獲も不可能。もし準備に見合う情報が得られていなかったら、考え抜いた作戦が全部おじゃんだ。

 俺達4人は《転移門》付近――《転移結晶》で飛ばされる場所は《転移門》の半径10メートル以内と決まっている――まで走って駆け寄る。

 すると彼女は、1枚のスクリーンショットを可視化した。

 

「《記録結晶(メモリー・クリスタル)》か? ……ってこれ! アジトのスクショじゃねえかよ!? あいつ、俺らの信用を買うために、アジトを撮って来たのか……!?」

「信じられないね。しかも、昨日言ってた場所と本当に一致してるよ。おまけに臨時で開く会議の場所や、本部への中継ポイントまで撮ってきてる。……僕らがこれほど探しても見つからなかったなのに……」

「アリーシャ、これホントにグリムロックが手渡したのか? あいつは3ヶ月前の事件以来、マジでラフコフを殺すためだけにここまで……」

「ええ。だからこそ今日はアタシの方から彼を逃がしたの。……ラフコフを潰そうとしてる。彼は本気よ」

「でも、だって!」

「もちろん、身勝手な復讐だと言ってたわ。グリセルダさんを殺す依頼をしたのは自分なんだから、これが罪滅ぼしにすらならないことも自覚してる。……でも、あの人……グリムロックさんは人として……いえ、《黄金林檎》副リーダーとして、最後の使命を全うしようとしている気がするの。死ぬ気はないけど、せめて牙を剥いてやるって……」

 

 ――嘘をつけ、フラグビンビンだろうが!

 聞いていて腹が立つ。こんなことがあっていいのか。

 妻なき今、使命というなら、それこそ彼女の分まで生き抜くことだったはず。それが、なんだこれは。まるで正反対じゃないか。

 ラフコフを捕まえるために殺しが正当化されるわけではない。自由行動権を手に入れるため、ましてやアリーシャから理解を得るために誰かの命を奪っていいわけでもない。なにより……こんなことを達成したとして、妻への手向けにそれはない(・・・・・)だろう。

 グリムロック。

 元を辿れば、茅場晶彦の被害者。そんな人間へ、俺やキリトのお節介が歪んだ決意を持たせてしまったのなら。

 

「止めよう……今すぐグリムロックを!」

「ダメよ! それは絶対にダメ!!」

「死ぬ気はないって!? ご高説は結構だが、保証はあるのか! 気の利いた逆転法でも聞いたか!? あいつは!! ……死に場所を求めて、この悪夢を……ッ」

 

 終わりなき旅ではない。終着駅がどんな場所か知った上で。

 死ぬ気はないだと、よくもそんなことをぬけぬけと言える。

 

「逆転……になるかはわからないわ。けどアタシ……ある準備をしたのよ……」

「アリーシャ……?」

「その……突然でビックリしたけんだけど、ね……」

「ここまで来てもったいぶるなって。もう生半可なことじゃ驚くこともできねーよ」

「アタシ、グリムロックさんと結婚してるの」

「ああ結婚な。けっこォんおォおおオオオッ!?!?」

『結婚んんーーっ!?』

 

 ――結婚、だとッ!?

 それはなにか、精神的にしているということなのだろうか。元々アリーシャは叔父様派だったということなのだろうか。それなら意外だ。アリーシャはもっとこう……若い男が好みなのかと思っていたが……。だいたい、俺に好きだと言っておいて叔父様派も何もないだろうに。

 ――え、俺老けてる!?

 

「アイテムは!? アイテム取られちゃうよアリーシャさん!?」

「いやいやそんなことよりも! ……え、なんで!? 急過ぎて俺……あっ!!」

「あ、ジェイドッ!!」

 

 俺とほぼ同時にヒスイも気づいた。

 グリムロックの信じられないような玉砕行為に。

 

「そうだよ! 結婚してればできる!! あいつやっぱり!!」

 

 おかげでアリーシャのふざけた発言にも説得力が生まれた。ましてやグリムロックが茶化しで提案してきたのでもない。

 なるほど……これは、確かに本気だ。

 退路はない。やれることを全てやったら、あとの未来は残った俺達に任せる意思。一般プレイヤーだけでなく自らの命すらチップに懸ける究極的な不退転の覚悟。

 あの男は、未だに亡き『ユウコ』を想っていたのだろう。愛していたのだろう。だからこそアリーシャに求婚し、死を覚悟してまで己が作戦を貫いた。

 

「ああ、もう遅いなこりゃ……グリムロックは死ぬ……」

「え……ええっ、どうしてそんなことが。……死なないように作戦を立てたって彼は言っていたわ!」

「でもねアリーシャ……彼はもう、ずっと前から自分が死ぬことを計画に入れていたのよ。自分が死ぬように仕向けて……だからもう、間に合わないと思う」

「ちょっと待ってよ! なんで、そんな……!?」

「《圏内事件》を思い出して。あたしとジェイドが指輪の移動に気づいた理由を」

 

 アリーシャが事実に困惑する気持ちも()める。《圏内事件》だって、実際にはアリーシャではなく俺とヒスイが謎を解いた。

 当事者ならではの発想転換。共有化されたストレージは『死別』した場合、その全権が生存者のものになる。彼が欲したのは、夫婦の片方を殺すことによるプレイヤー全所持アイテムの瞬間移送手段だろう。

 

「あ……あ、ぁ……!!」

「あいつは……ラフコフ全滅に不可欠な何かを、こっち(・・・)に送り込んでくるはずだ。しかも殺されたらその時点で証拠は残らない。PoHだか誰だか知らないけど……奴を殺して、勝利を確信してたら……死んだ後に出し抜くことができる」

「もう、それを止めても意味がない……アリーシャ、彼の行動はその内バレるわよね?」

「う、うん。細工はしたけど、もうすぐにでもって……」

「じゃあ……意味なく死ぬか、意義を遺して死ぬかの違いでしかない……」

 

 ヒスイの突きつけた現実はその場の空気を鉛よりも重くさせた。

 確定事項にも近い人の死。

 例えるなら、ビルから飛び降り自殺した人物を空中で救出しろと言われた気分だ。選んで死地へ行く人間など、根本的に助けられるはずがない。

 考えたくはない。が、考えるのをやめたら終わりだ。

 まったく大人はズルい。こんな無理難題を平気で子供に押し付けてくるのだから。

 俺は硬く握りしめていた拳を解いた。

 

「よし……わかった……」

「ジェイド……?」

「やってやるよ。ハッ、やってやろうじゃねぇかグリムロック。ここまで来たんだ。……全員よく聞け、まずオフレコにしてた情報は全部解禁だ。ルガは《SAL》のアギンへ、ジェミルは《風林火山》のクライン、ヒスイは《KoB》のヒースクリフだ。アリーシャはアルゴ捕まえて信用できる攻略組だけ集めてくれ。俺は《聖龍連合(DDA)》んとこ行って交渉してくる」

「待って。グリムロックさんは早くても明日って……」

 

 聞いていられなくなったのか、アリーシャがなおも俺に反対意見を出す。

 しかしそれは考えが甘い。

 

「ラフコフを舐めすぎだ。それに、準備にしすぎはない」

「でもジェイド、DDAにも話すの? あそこが無償で協力してくれるとはとても……」

「おいおい、でけェ貸しがあるだろ。……シュミットだよ。あいつから話し通して絶対戦力を確保する。……いいか、極秘任務だ。寒いセリフに反してガチのやつな。だから手当たり次第にヒト集めりゃいいってわけじゃねェ。先にリーダーにだけ話して元情報(ソース)を聞かれたら俺の名前を出せ。《ギルド用共通タブ》から一時的に証拠の《メモリー・クリスタル》を見られるようにしとく」

「わ、わかった!」

「了解よ」

「でも、こんな……ことに……」

「アリーシャ、悲しむのは後だ! 全員死ぬ気で果たせよ!」

 

 この言葉を機に、俺達はそれぞれの担当場所へ駆け出していた。

 現在時刻は5時半。今から散り散りになっている攻略組に声をかけ、そのリーダー達の耳に情報が入ってから作戦に連れ出す仲間を厳選し、フィールドや迷宮区からそのプレイヤーを主街区まで呼び寄せ、人数調整を込めた部隊編成をしてから作戦を練る。

 慎重に慎重を期すなら、ざっと目星をつけて6時間はかかりそうだ。最低でも23時半以降。これが作戦を決行できる最速ボーダーライン。

 

「やってやるさ……達成して、それで最後は……ブッつぶす!!」

 

 これがグリムロックの作戦。彼の描いた理想図。

 ギルド《レジスト・クレスト》はその実現のため、アインクラッド中の街々を走り回るのだった。

 

 

 

 そうして6時間半が経過した。

 たった今、日付変更線を越えたことになる。

 

「これじゃラチが空かない。まずはリーダーが誰かをはっきりさせよう」

「リーダーは我々KoBの団長が請け負う!」

「ハァ!? 横暴さは定評通りだな。だいたい人を待たせておいて、態度がでかいんじゃないかぁ!?」

「そもそもこの情報はどのぐらい正しいのさ。向こうの誰かが意図的に流したのでは?」

「そればかりは言っても仕方ないだろう。いま偵察隊を向かわせて確認させに行ってる。帰りと結果報告を待ってから攻め込むべきだ」

「いや、攻め込むことが決まってから部隊編成じゃ時間がかかりすぎる」

「だから先にリーダーを決めて部隊を作ると最初から言っている!」

 

 まずもって一般的な通行人には聞かれないだろうフィールドの隅。張られた大型テントの中は、混沌としたギルドエンブレムと声の応酬でてんやわんやだった。

 53層のフィールド。夜間による一帯を《索敵》スキル保持者が常時監視し、近づくものはモンスターであろうとプレイヤーであろうといち早く察せる。一斉拡散できない情報ゆえに長く時間がかかってしまったが、ここまでは順調だ。抜かりもない。情報統制も徹底され漏洩した気配もない。

 とは言え、この準備にかかった時間はおおよそ予想通りだが、思った以上に仲間意識が薄かった。

 しかしその心理状態ははっきりしている。

 そう、怖いのだ。

 浮遊城を震撼(しんかん)させたラフコフという殺人者集団(レッドギルド)が堪らなく恐ろしい。

 人とは初めて行うこと、または未知の現象に対して警戒心を抱ける高度な動物だ。迷宮区攻略やボス討伐は慣れたもの。だが、《人殺し作戦》に慣れている奴はいない。ここにいる全プレイヤーにとって初体験。

 何より思考が読めない。およそ攻略前におけるもっとも重要な材料、『必要充分な情報』がない。すなわち、並のRPGの初見殺しにも近い恐怖感が拭いきれないのだ。

 おまけに最近のレッド連中は絶好調ときている。例えば誰かの命令に従って突撃したとして、それでそのままあの世行きという可能性が今までで1番高いのだから。

 

「……き、来ました! 偵察隊です!」

「全員静かに! 報告を聞け!」

 

 そこへようやく53層の迷宮区に侵入したプレイヤーが帰ってきた。

 息を切らす若いプレイヤーを前に、その場にいた全員が静まりかえる。

 

「ほ、報告します。53層の7階にあった《安全地帯》は……間違いなく、ラフコフがアジトとして拠点にしていました!」

「ウソだろ……!?」

「信じられん……こんな簡単に……」

「いや、今は事実だけを受け止めよう。集団戦になるぞ!」

「いよいよもって特攻だな。根絶やしにしてやるッ」

 

 また各々が勝手に発言する中、DDAのリンドが手を挙げて言った。

 

「実際どうだろう。部隊の指揮官候補は、俺とヒースクリフとジェイドの3択だと思う」

「ふむ……」

「げ、俺!?」

 

 いきなり話を振られるとは思わなかったので、内心かなり動揺した。

 情報提供元という意見もわからないでもないが、俺は2桁越えの大部隊の指揮をしたことがない、という欠点がある。さすがに今回は候補から除外されるだろう。

 そしてリンドも同じ指摘をした。

 

「ジェイドの活躍には感謝している。最近いい加減調子に乗っていたレッド共を叩くチャンスとしては、これほど奴らに接近した例もないだろうさ。だから本人が立候補するなら一考の余地はある。……が、押し付けるのはよくない。責任の帰属先が集中しすぎるからな」

「ビンジョーするようだけど、俺にもその気はない。候補から外してくれ」

「……了解した。ではヒースクリフ、あんたはどうする」

「ふむ……私の部隊には経験者(・・・)がいなくてね。誉められたことではないが、人にも刃を向ける覚悟があるかという点では、DDAが適任だろう」

「ふん、嫌みかこいつッ」

「まあ待てエルバート、言わせておけばいい。ということはヒースクリフ、我々が指揮を執る、で相違ないな」

「構わんよ」

 

 これで部隊のリーダーは決定した。

 この後1時間にもおよぶ作戦会議が行われ、『女性は参加すべきでない』という意見も満場一致したところで、いよいよ作戦決行時間の話になってきた。

 俺とてグリムロックがどんな作戦を立てたのかを理解している。

 だから言った。

 

「情報ついでに提案だ。部隊を本格的に動かす時間は――」

 

 皆が納得する理由を、確かに伝えた。

 グリムロックの真の復讐計画とその真髄(しんずい)を。

 異論を申し立てる者は1人もいなかった。しかしプレイヤーが集合した22時から、ここまで一気に煮詰めて話し尽くしたので、一旦の休憩が挟まれる。そのわずかな時間を使って、俺はヒスイと2人きりになっていた。

 

「いよいよね。……まさかこっちから仕掛ける日が来るなんて」

 

 忙しなく周りを往来する者、あるいは立ち話でざわめく人垣(ひとがき)を気にせずヒスイは呟く。

 

「夢にまで見た瞬間……だったらいいんだけどな。夢のまた夢は、やっぱラフコフ全員が悪さをやめることだ……」

 

 それは不可能である。頭では理解できているし、だからこの状況を招いた。

 しかし、やむなき戦闘とは言え、果たしてレッドに所属していないプレイヤーが人を殺せるものだろうか。普通に暮らしていれば到底体感することのない究極の領域だ。ともすれば、こちらが勝つための最低条件を、この場の全員が持ち合わせていない場合もある。

 不安は尽きない。それでもヒスイが《ラフコフ討伐隊》から外させられたことについては胸を撫で下ろしている。ミンスやタイゾウの件もそうだったが、彼女にだけはそれをさせたくはなかったからだ。

 同じ理由で、アリーシャやアスナも会議を聞いただけで本戦には出ない。

 

「それにしても待ってるだけかぁ。あたしならできたのに……それか、今からでも抗議しに行こうかしら。ジェイドだけを危険なところになんて送れないわ」

「はやトチったことすんなよ。人を斬る感覚なんて、一生知らなくていいんだよ」

「過保護ね~。でもそうやって意地張るとこは、やっぱり男の子って感じがするかな」

「悪いかよ、こっちは死ぬほどカッコつけたいの」

「ふふっ……ううん。全然悪くない」

 

 ヒスイがそう言うと、テントの影でキスを迫られた。

 俺は優しくしよう、なんて心遣いも忘れ、彼女を抱き締めながらそれに応えた。

 しっとりとした柔らかい感触が伝わる。

 呪いのかかったような視線をちょこちょこ感じたが、それでも俺はやめなかった。今日この時だけは、例えどんな妨害を受けてもこの唇を離さなかっただろう。

 死ぬ……かもしれないのだ。最後の口付けになるかもしれない。その可能性は、考えたくないほどに高い。

 誰も決して口にはしないが、心の中ではこう思っているだろう。「絶対勝てると思うけど、きっと数人は犠牲になるな」と。

 だから俺は腰が折れそうになるまで彼女を抱き寄せた。

 正直怖い。しかし、この場から逃げ出す選択肢は存在しない。俺は元犯罪者アリーシャを仲間に引き込んだ責任があり、危険な戦いにみんなを巻き込んだ責任がある。そのツケは払う必要がある。それにここで逃げるようなら、彼女をギルドに引き入れはしなかっただろう。

 にしても……、

 

「(ああ……やっぱ死ねねぇ……)」

 

 ヒスイとキスをしていると脳裏に稲妻が走るような感覚がする。慣れてきたと思っても、どれだけ回数を積んでも、重ねる度に心拍数だけは面白いぐらいどんどん上がる。

 本当に、笑えるほど、俺は彼女にゾッコンなのだ。

 もう死んでもいい。

 けど死ねない。

 そんな相反した葛藤(かっとう)がせめぎ合う。

 

「……ヒスイ、そろそろ……」

「ぁ……うん、そうね。なら……」

 

 俺とヒスイにとっては辛い決断だった。

 しかも、アリーシャにはもっと残酷な要求をしなければならない。

 

「ヒスイ……俺と《離婚》してくれ」

「……ええ、そうしましょう。じゃあ……アリーシャと頑張ってね……」

 

 こうして俺とヒスイは《結婚》を破棄した。達成直前の作戦を成すために。

 そして刻々と近づく。

 奴らとの、最終決戦が。

 

 

 

 



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アグレッシブロード5 絶望のホワイトサークル

 西暦2024年8月6日、浮遊城第59層。(最前線68層)

 

 日付が変わって2時間。

 月の光だけが照らす半宵(はんしょう)に、ヘッドから召集がかかっていた。

 

「アジトを53層(ここ)から59層へ? ずいぶん急すね」

「Accident。位置が攻略組に割れた。口を割った奴がいる」

「えェっ!? マジっすか……最近ハイペースでブッ殺しまくってたもんで、ブルッちまったんすかねぇ」

「いいや違う。俺らの位置を知り得て、さらに日の浅い奴の仕業だろう。あまりにも前兆を感じなかった」

 

 ラフコフでの立場が上がって権限を乱用したということだろうか。

 それにしても、最近はメンバーも増えてきて把握するのも一苦労である。新人連中には伝えていないが、ヘッドは他のオレンジギルドも煽動(せんどう)してパート的な扱いで仲間に率いれている。

 今や犯罪ギルドは大きなネットワークと化し、過去最大級の塊になっているのだ。

 

「ってーと何人かいたような……ああ、1番怪しいのはユリウスっすかね。しかしあれだけウチらに依存していた奴が、そう簡単に裏切るもンすか?」

「そそのかされたわけではなく、初めからその気だった、か。《加入試験》でレールをぶち壊したと聞いて買い被ったが、確かに淡々としすぎていた」

「あちゃ~俺のミスっすねこりゃ。じゃあさっさと殺してきます」

「Wait、奴がこの短期間でどこまでリークさせたのかが気になる。先に45層の圏外村で待機しておけ。後でユリウスを送り込んで情報を引き抜く。それに、()るのは断定できてからだ」

「了解っス」

 

 俺はすぐにヘッドの目的を理解し、早速《隠蔽(ハイディング)》スキルの準備をした。

 それにしても意外である。

 ユリウス……当時のプレイヤー名は『グリムロック』だった男。

 奴はラフコフへの加盟動機を「復讐だ」と言った。ありふれた動機だったが、俺はその言葉を聞いた時に強烈な飢餓感(きがかん)を感じたのだ。飢えた獣のみが発するアブノーマルな食欲、血の滴る肉がぶら下がっていたら即座に飛び付くだろう空腹感。

 奴の腹からは満たされない何かを確実に感じた。あれは嘘だったのか。

 

「(いや、そんなはずはねェ。現に奴はラフコフへ加盟してから、生け贄をこれでもかと運んできた……)」

 

 見抜けなかった言い訳ではないが……、

 俺はアゴに手を当て、1つの解答に辿り着いた。

 

「(それともなにか……ヘラヘラとうそぶいたまま、奴はハナッからラフコフを裏切る気満々だったってのか? だとしたら生半可な覚悟じゃねェぞ……)」

 

 感心する。欠片も恐れはないが、同類として感心はする。

 同時に、猛烈に関心を持った。グリムロックというプレイヤーの半生に。忠実すぎて、逆に退屈になっていた男に。

 たかだか中層でヌルく過ごしてきた者が、いったいどんな心境の変化があれば、こんな気の狂いそうなことを真顔でこなせるのか。ましてや理性を残したまま殺人者を名乗る、腐れニワカではない。あとで後悔だの懺悔(ざんげ)だのごちゃごちゃ言い出すのがこの類だからだ。

 だのに。あのニワカ殺人者は、ヘッドの組織へこれほどのダメージを与えた。

 ギルドがまるごとアジトを変えるとなると、結晶代による金銭的損失はバカにならないし、割いてしまう時間、および在庫の問題上でも同じ手は連発できない。

 

「(面白いぜ……もうお前はユリウスじゃねェ。あの面白オカシかった頃のグリムロックだ!! 久しぶりに俺の予想を裏切ってくれよォ!?)」

 

 俺はまだ、背後に近づく急展開を嘲笑っていた。

 

 

 

 45層の《圏外村》で待機すること数分。屋根裏から見渡せる範囲に青白い転移エフェクトが発生していた。

 件のグリムロックだ。

 意外にも、転移後はこれといった動きが見られない。ぼうっと突っ立っている。逃げも隠れもしないという決意だろうか。しかし、奴とて監視されていることを前提にしているのか、視線を泳がせることもない。常に一点を見つめている。

 

「(なるほど俺の気配に勘づいたのか。だとしたら、2ヶ月でエラく成長したものだな。《加入試験》を受けていた当時は軒並みアホ面をぶら下げてたってのによォ、ヒヒヒヒッ!)」

 

 しばらく『出来の悪い駒の成長』を感慨深げに観察していると、もう1つの転移反応があった。

 今度はヘッドである。裏切り者に対して怒り狂うような気配はなく、その表情はしつこい服のシミを掃除する時のそれに似ていた。

 グリムロックの現在の価値などそんなものだ。便利な小道具で、忠実な犬でもあった。そこは認めるにやぶさかではないが、では必要不可欠な存在だったかと問われると、別にそんなことはない。

 所詮は言われたことを無難にこなしていただけだ。俺達が求めるのは自分で判断できる生きたレッドプレイヤーである。

 と、眺めるうちにヘッドが話を続けると、奴はすぐにボロを出した。

 なんと『アジトの位置を59層の迷宮区内にある《安全地帯》へ移動させること』は、あくまで目的の一部だったらしい。何らかの計画のため、転移結晶の無駄な消費を誘ったのだろうか。

 

「クールじゃねェかグリムロック。久々にグッとくる刺激だぜ」

 

 気分的には『人間ダーツ』ゲームでもしながら踊りたいぐらいだったが、廃屋の屋根裏で小さくこぼしながら我慢を続けていると、グリムロックは次々に胸の内を解き明かしていった。

 『メインターゲット』共の行動記録や基礎情報の蔓延(まんえん)を意図的に抑え込んでいたこと、危険に晒さない程度のガス抜きをさせていたこと。ヘッドへのイラつく煽り合戦と、『命綱』の指摘。

 そして……奴は、おもむろに木陰からクリスタルアイテムを取り出したのだ。

 

「(なっ!? 奴はすでに、《録音結晶》を隠していやがったのかッ!!)」

 

 これは意外だ。俺の予想をいい意味で裏切ってくれた。

 同時に合点もいく。

 つまり、ここであらゆる事実をカミングアウトして無駄な抵抗をするのではなく、今日のこの瞬間までにおそらく中継点として使用している主な《圏外村》にこの細工を施していたということになる。ならばあの落ち着きにも納得がいく。

 

「(やるなァおい。《録音結晶》は安価だし、まだ予備もってンだろう)」

 

 実に面白い試みだ。

 そして、どうやら本当にあれが切り札のようである。

 確かに今のヘッド達の会話が討伐隊を結成した攻略組に露呈(ろてい)したら、ラフコフは絶体絶命通り越して終わりかも知れない。

 されど、その貴重な結晶が誰かの手に届くことはない。

 追跡率を格段に落とせる《カウントレスジャンプ》も俺が待機していることから通用しない。おまけに奴は知るよしもないだろうが、いかなる罠もヘッドへは通用しないのだ。

 なぜなら彼は、現存する全てのトラップアイテムの名前と効果を熟知し、それぞれに最高の対応を反射の域でこなせる本物のバケモノなのだから。

 だからヘッドには《罠探査(インクイリィ)》スキルがない。

 さらに2人の会話は続く。

 

「現実はそれほど易しくねェんだよ。理解しているか、誰かに渡すまでが遠足ってなァ!!」

「ッ……ああ! 知っているともっ!!」

 

 とうとうグリムロックが動いた。

 気合いと並列してナイフを際どいところで回避すると、奴は家屋の隙間を()うように走り抜ける。そしてヘッドの死角まで到達すると、その状態で結晶アイテムを両手に取り出していた。

 ヘッドは歩いてそこへ向かっていて、奴の《カウントレスジャンプ》阻止には間に合わない。

 つまり、俺が(・・)止めろと言われたわけだ。

 

「(ここまで来たら出番なくっちゃあなァッ!!)」

 

 俺は姿勢を正すと嬉々として毒入りナイフを投げつけた。

 ズンッ、とうなじに命中。手ごたえあり。

 完全に不意を突かれた形となるグリムロックからは転移エフェクトが解除され、《麻痺(パラライズ)》のバッドステータスが奴の体を蝕んだ。

 

「ワーンッ、ダウーン!!」

 

 と、つい嬉しくなって叫んでしまう。

 しかし、直後に「リカバリー!!」というボイスコマンドが聞こえた。やはりグリムロックは俺からの介入さえ読んでいたのだ。

 《解毒結晶(リカバリング・クリスタル)》による麻痺毒の除去が終わると、奴は一目散に逃げ出していた。どうやら《カウントレスジャンプ》による脱出を諦めたようだ。これで奴は大きな切り札の1つを失ったことになる。

 だというのに、一向に闘志の火が消えなかった。逃走を図るよう装ってはいるが、あの警戒を巡らすような眼はまだ何か狙っている証拠だ。

 

「オォウ! かっけェなメガネ親父!!」

「Wow、やるじゃねェかグリムロック。今ので打つ手なしかと思ったぜ」

「いつまでも! そうやって余裕をかましていろ! 私は勝つ!!」

 

 歯を食いしばりながら、それでも往生際悪くグリムロックは逃げ続けた。

 俺はヘッドからアイコンタクトでこれ以上は手を出さなくていいというメッセージを受けとると、お楽しみの観察タイムへ入った。

 それにしても、ただの潰走者となった男の逃げ足は見上げたものだった。ラフコフに在中しておいてこの逃げ腰なのだから、本来は見下げるべきところであるが。

 それからも、奴はあの手この手でヘッドを妨害した。両足を封じて宙づりにすることで一定期間対象を無力化する単純なトラップ。または対象を丸太で吹き飛ばすことで誘導し、足に重りを装着させるマルチトラップ。地形まで利用して保護色で擬態させていた辺り相当手が込んでいる。

 しかし、ヘッドはその全てを薙ぎ払った。

 わずか1つも、掠ることさえない。

 

「(とうとう終わりか……)」

 

 そして、逃走劇は幕引きへと差し掛かった。負け犬は壁際に追い詰められる。

 すると……、

 

「だが……終わりではない! これで終わりではないぞPoH!! わ……私が、死んでもッ……ここで命を費やしたことは無駄ではない! 私の協力者が……いずれ、必ずや悪魔共のアジトを攻略組に伝えるだろう!! 悪が勝つことはないィッ!!」

 

 こんな言葉を残して、逝った。ヘッドに首を()ねられ、後には何も残っていない。

 ……いや、俺達からしたら役にも立たないグリムロックの低レベル武器と、1つの指輪が落ちていた。裏側に刺繍(ししゅう)されただろう名前は見なくてもわかる。それは奴自身が先に捨てたと聞くグリセルダとの『結婚指輪』だ。

 まったくもって期待外れ。

 ラフコフに加盟するべき男を撃退し、俺を震撼(しんかん)させたグリムロックという強者は、もうどこにもいなかったのだ。

 先ほどまで抗っていたのは妻の殺害を依頼した時と同じ、消え入りそうな脆弱(ぜいじゃく)な一般人。間際に残した怨嗟(えんさ)のセリフも、やはり同業者に言われてもいまいち響かない。

 俺は崩れかけた廃屋から着地し、歩きながら溜め息をつくように口を開いた。

 

「戻りましょうぜヘッド。可愛い部下達が帰りを待って剣磨いてますってさ」

「……ああ、呆気ないカスだった。まさかこれで終わりとはな」

 

 ヘッドは消えた残照へと唾を吐き捨てると、(つや)消しポンチョを(ひるが)して転移した。

 俺も死者に対して一瞥(いちべつ)もせず、ゴミ捨て場を去っていった。

 

 

 

 そして新たな潜伏場所、59層の迷宮区へ到着した。

 何の心配もせず1時間ほど黙々と準備していると、目星をつけていた《安全地帯》はギルド中継点としての機能を取り戻す。散見できるアイテムは非常に見慣れたものばかりで、配置も見張りも交代体制も全て確認をし終えた。

 完璧だ。グリムロックが2ヶ月以上かけて俺達に与えた混乱は《転移結晶(テレポート・クリスタル)》約30個分の金銭的被害と100分ほどのアジト移動時間に抑えられた。これでも1人のプレイヤーが組織に与えた損害としては大きい方だろう。称賛にすら値する。

 しかし、孤独な内乱は儚く散った。

 

「(優雅だ……イベントってのは、こうエキサイティングじゃなければな……)」

 

 気を緩めかけた、その時。

 

「ボス、大変です! 連中が討伐隊を崩していないらしいんです!!」

「What……『サイ』からそう聞いたのか?」

「はいッ。フィールドに張っている野外テントは明かりが消えず、しかも! そっ、その……討伐隊ってのが59層に移動したようだと……」

「……この層に……だと」

「ちょっち待てよ、おいどうなってんだァ!?」

 

 その報告に俺は思わず叫んでいた。

 『サイ』はグリーンカーソルの仲間だ。こうした事態、つまり『密告者による本拠地の情報漏れ』対策のメンバーである。ヘッドは人を殺める重責に耐えられなくなって、いずれ現れただろう裏切り者に対しても過去の段階で手を打っていたのだ。

 手の込んだ内乱が結果的に手ごたえのない結末に終わったことで、おそらくヘッドはユリウスの件が()に落ちなかったのだろう。だからこそ決着後、念には念をとすぐに連絡を入れ、そうして帰ってきた答えがこれだった。

 しかしあり得ない。情報が漏れる余地はなかったはずだ。

 俺はこの目で見た。ユリウス……いや、グリムロックが死ぬ様を。奴にはレコーディング・クリスタルを誰かに渡すチャンスはなかったはず。

 

「どうなって、いる。殺したはずだ。俺はそう、聞いたぞ」

「あァ殺したよ、ぶッ殺したさ! 付近には誰もいなかった! 俺は奴が死んだあと速攻で《索敵》使って、辺り一帯をサーチしといたんだぜ!?」

「……なら、なぜ来る。連絡手段が、あったんだな」

「くそったれ。奴は《共通アイテムストレージ》の作成を、ましてや部外者と《フレンド登録》もしてなかった。殺ったのは30分前だぞ!? もう俺らの討伐隊が主街区出発だァ? 情報早すぎんだろうッ!!」

 

 俺は近くに散乱していた置物を苛立たしげに蹴り飛ばす。

 待機中の部下は怯えてしまっていたが、それでも怒りは消えない。

 

「……チッ、しかしまァ来るもんは仕方ねぇ。サイの野郎は討伐隊と一緒に転移していないだろうから、討伐隊がこの層へ来たのはもう少し前だな。てことは……ご到着はおおよそ3時ってところか」

「もう……30分もない……」

「全員での移動は利かねぇ。付近の見張りと次の『娯楽』の準備に行かせた奴らを全員集めろ。ここで待ち伏せて迎え撃つ」

「え、全面戦争すか!? へぇ……へェ! それはそれでテンション上がりますね。ヒョーウッ! こりゃまた凄ェことになってきたッ!!」

 

 グリーン協力者のサイに嘘をつくメリットはない。

 ということは、来る。奴らがここへ。

 なら原因がどうあれ、打てる対策を打つだけだ。あいつらに痛い目を見せてからでも犯人などすぐ判明する。俺達の情報を売ったグリムロックの協力者など。

 

「さァタイムリミットは近いぞ。臨時の宴だ」

「おいテメェら!! 聞きもらすなよォッ!?」

「全員よく聞け、史上初のリアルタイムオーダーだ。ジョニーとザザは直前の枝道で待機しておけ、挟み撃ちにする。人選と使う武器は任せる。残った連中は俺とオルダートの指揮下だ。手の空いた奴から順に《索敵》の派生機能(モディファイ)に、《闇視》がない奴へ《闇視ゴーグル》を配っておけ。会敵と同時に煙を撒いて敵を攪拌(かくはん)させる。……いや、付近の商人から《毒煙玉》を買い占めろ。結局は目眩ましになる。アンチデバフがある奴も《解毒結晶(リカバリング・クリスタル)》を用意しておけ。迂回組で《隠蔽(ハイディング)》の熟練度がカンストしてない奴は迷彩ローブも忘れんなよ。連中は隊列組んでくるだろうから、その解除に徹しろ。敵の作戦を潰すことが勝利への最速コースだと心得ろ。待機組は存在を知らせるためにハイドは不要だ。前衛には《貫通(ピアース)》系のユーザを配置。短期決着は不可能だが、序盤でいくら減らせるかがウェイトを占める。あと罠は一切仕掛けるな。《罠探査(インクイリィ)》スキル持ちが敵にいたら待ち伏せを悟られて詰むからな。質問はあるか?」

『…………』

「……へっ、ないみたいっすよ」

 

 あるわけが、ない。

 この扇動的なカリスマ性を前には発言すら(はばか)られる。

 

「あァそれと、逃げたい奴は前に出ろ。この世から逃がしてやる。……クックック。いいか、何も恐れることはねェ。極論俺達は無敵だ。奴らは『人間』を噛み殺す牙がない。それを引き裂く爪もない……言わばただの臆病者」

 

 場を独占するヘッドの言葉だけが響き、それに釘付けにされたメンバーは一様に息を呑む。

 

「ふん、対して俺らは何人殺した、んん? ……答えは『数えきれねぇぐらい』だ。お前らならわかるだろう、《デュエル》形式の決闘がクソの役にも立たないことを。型にハマった人間は、枠に収まらないレッドに恐怖し畏怖している。だったら! ……どうだ、おい。生放送で俺らの強さを見せつけようじゃねェか」

「お……おお! やれるんだよな!? 俺達なら攻略組にも勝てる!」

「ああもちろんさ! なんのためにここまでやった来た!!」

「殺す! コロす!! オレを捨てたあいつらに、人を殺せるってのがどういうモンか教えてやる!!」

「そうだ、このギルドの本質だ! さァお前ら!! 血をたぎらせろッ!!」

 

 ウォオオオオオオオオッ!! という群生音が洞窟内で反響した。

 指揮は上々、気合いも充分。何より俺達は奴らに足りないもの、殺す技術とその気概を持ち合わせている。

 勝敗は火を見るより明らかだ。うまくいけばパーフェクトバトル、ワンサイドゲームが展開されるだろう。結果的に攻略に不可欠な人員は根絶やしにされ、俺達レッドが巷に蔓延(はびこ)る。そうなればもう、どんな大部隊であれ俺達に反抗しようとは考えないはずだ。

 夢の一極支配体制。

 その実現が、明日の朝からやって来るかもしれない。

 ああ、愚民共。目を覚ませば絶望が待っている。傷をなめ合う者どもが、首だけ並べられたトップ勢を見ていったいどう思うだろうか。

 ――想像がつくか? ヒヒヒッ。

 

「……ハ……ハハハハッ、ヒャハハハハハハハァ!!」

 

 俺の高笑いすら、周囲の轟音に掻き消える。

 とそこへ「ところでジョニー・ブラックさん」と、パーティの端でノリに混ざれないタイプの空気を纏ったまま、シーザー・オルダートが声をかけてきた。

 

「あァ、なんだよオルダート」

「二次災害的にこの世を去った人までは数えていませんが、ぼくの集計だとラフコフの殺害人数は128人だと思うんですよね。数えきれちゃいました」

「バッカおめっ、そういうテンション下がる情報はいらねェんだよ! とっとと捨てとけ! ったく、だァからお前ェみたいなお利口チャンは嫌いなんだよ!」

 

 お気楽なオルダートは扱い辛い。

 それよりも、祭りが近い。死の気配がする。死臭も漂う。

 だというのに、話はそれだけでは終わらなかった。

 

「そうですね。ぼくは……おかしいでしょうか……」

「ンだよそれ、珍しいなおい。ま、お前はいつでもおかしいがなァ! ヒャハハハハハッ!!」

「…………」

 

 やっぱり頭のおかしい奴は無視に限る。

 ――あァ、そんなことより、パーティが楽しみだ!

 

 

 

 そして。

 

 

 

 午前3時。

 部隊を編成し枝道で身を潜めていると、とうとう奴らが来た。

 

「一気に攻め込め!! 人殺しに慈悲はいらないッ!!」

『うォおおおおおっ!!』

 

 部隊を先導する統括者の指揮で、後続の大集団が咆哮(ほうこう)を爆発させる。

 深夜にのみ湧出(ポップ)する凶悪、凶暴化したモンスターなど最初から存在しなかったかのように薙ぎ倒す。まるで紙切れのように斬り飛ばしていた。

 細い脇道に身を潜める中、通過する集団を観察する。そのバイブレーションだけは本物である。

 俺らを殺すためだとしたらたいした戦意だ。

 これから人を殺そうとしている一般人とは思えない殺気。どうやらここ2ヶ月ほどハイペースで殺ったことが仇となったたらしい。それとも攻略組、ひいてはアインクラッド全体が、こうした『反ラフコフ精神』という統一意思を持つところまでが、グリムロックの策略だったのかもしれない。

 

「(まったく思い通りにならねェな。だからこそ……)」

 

 ――人生は楽しい!!

 

「イィ~ツ、ショウタァイムッ!!」

「戦闘開始ィっ!!」

『オオォオオオオオオオッ!!』

「なにっ!?」

「バカな……後ろに回り込まれた!? いつッ!?」

「知るかよ! 指揮系統はもっと前だぞ!!」

「読まれてたんだ! 全員挟み撃ちに備えろォっ!!」

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図。

 縦長に延びていた敵の整頓部隊がたちまち崩れた。

 

「なっ、毒!? 敵味方も判別できなくなるぞ!?」

「こいつら、すでに視界撹乱対策をッ!?」

「絶対勝てるんじゃねぇのかよ! こいつら全員ヤバいって!!」

「ヒャアアアアハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 ――ああ可笑しい!

 ――素で笑っちまったぜ!

 ――絶対に勝てる戦いなんてモンはさァ!!

 

「この世にソンザイしねェんだよォカスがァッ!!」

「これがレッドの力ァ!!」

 

 隣で部下の1人、ドレイクが同じように吠える。連携は上々、元より骨のある奴だった。殺人現場にも何度か連れ出し、《加入試験》の際も手下として同行させたことがある。やはり生まれの素質が真の切れ味を変えさせるのだ。

 もちろん、乱戦中にはダメージも受けている。しかし攻撃されて緩むような者はいない。

 ドレイクの奴がうまく誘導し、俺が背後から必殺の《ソードスキル》をお見舞いした。

 

「がァあああああっ!?」

 

 バリィイイッ!! と。まず1人、割れた。

 既存のものと被ることのない人造花火。この輝きと美しさだけは他の何にも変えられない。

 万を期しての奇襲だったのだろう。

 勝てる戦力差と見込んで剣を握ったのだろう。

 それなのに、死者は《ラフコフ討伐隊》から先に発生した。解毒に数秒時間を割いていた雑魚が、俺の手によって殺された!

 

「もういっちょォオ!!」

 

 逆奇襲による目眩ましと、《ポイズン》のバッドステータスによる混乱。おかげで討伐隊とやらは恐慌状態だった。

 加えて前衛に務めた仲間が、貫通継続ダメージのある武器で先制を打ってある。後半の優位性も確保されたようなものだ。さすがに人数だけはバカみたいに多かったが、これなら初動で何人かは削れるだろう。

 

「うああ! このォおおおっ!!」

「おおゥ、威勢だけはいいなガキィ!!」

 

 不意打ちで新手の乱入。

 しかもその少年には見覚えがあった。

 

「おっと、こりゃあいいぜ! サブタゲが、ノコノコとなァ!!」

「くっ、う!?」

 

 ザクンッ!! という斬撃音がした。

 小ギルド、レジスト・クレストの一員……ルガトリオなるプレイヤーの攻撃を受け流し、その隙を縫うようにダガーを走らせた音だ。

 初めからついていたHPアドバンテージはあっという間に吹き飛んだ。

 並び立つドレイクも死にかけているが果たして……、

 

「殺せるかなァ!? こっちも彼岸見えてンぞォ!? ヒャハハハハァ、そんなツラで斬れるのかよォッ!!」

 

 殺る気のない剣など、避けるまでもない。同様に仲間達にも余裕があった。

 予想通りルガトリオは、今となっては文字通りただの的になり下がった男は、《両手用棍棒(ツーハンド・スタッフ)》を力なく手から滑り落としていた。

 殺人者になる前の段階。

 あってはならない、戦意喪失。敵前逃亡にも等しい降伏行為。

 まったくもって論外だ。

 ――死にかけ(ニアデス)を前にエモノを地面に落とす奴がいるかよ!!

 

「ハっはァッ! カマトトぶってもしゃあねェぜ、カス野郎が!!」

「くぁああ! 僕だってぇええ!!」

 

 殺しは無理なのだろう。虫すら殺せそうにない哀れな憂いを見てしまえば、そんなことは理解できていた。

 しかし。

 次の瞬間、理解できないとばかりに咆哮話を上げたのは俺の方だった。

 カヂィイッ!! と。首を跳ね飛ばされHPゲージを全損させたのは、優秀な部下であるはずのドレイクだったのだ。

 しかも彼を殺した刃はそのまま俺のダガーまできっちり受け止めている。両手剣という大味な装備に対し、見事な精密性と言わざるを得ない。よく使いこなしている。

 だがそもそも、人を殺してなお剣に迷いがない。

 

「て、めェは……!! うオォオ!? 懐かしいじゃねえかァ!!」

 

 またこの男か。こんなところでも邪魔をする。

 一見すると目付きの悪い不健康な不良のなり損ない。横暴な態度や礼節をわきまえない気ままな性格が、当時攻略組の中でも孤立を生んだ原因にもなっていたはず。

 だが。俺達ラフコフにとって、いつも土壇場で現れては神経を逆撫でしてくる天敵。ずっと殺しそびれていたメインターゲット!

 

「ジェえイドぉオオッ!!」

「ルガは早く下がってろっ!!」

 

 毒塗りのナイフを至近で投げるが、左手の籠手に遮られ《対阻害(アンチデバフ)》スキルに押し返された。

 横一門に振り抜かれた大剣はしゃがんで(かわ)し、今度は死角から絡め手で貫く。

 しかしそれすら察知され、すれすれで命中を避けた奴からは今度はいくつものピックが飛来してきた。

 強い。瞬殺できない。量産型のボンクラとは違う。

 

「人殺しの剣はよォ!! やっぱ年季が違うなァッ!?」

「今日で最後にしてやるッ!!」

 

 大剣の腹を向けて防御可能面積を増やし、回り込んだ俺へ腕が伸びてきた。

 胸ぐらを掴まれ洞窟の壁へ投げ飛ばされる。

 その手首をダガーで突き刺し、握力を緩めてから一時離脱。

 毒塗りナイフを投げつけて隙を作り、今度は超低空からの足首へ一閃。

 直後に膝蹴りが飛んできて目にスパークが走った。

 やってくれる。ここまで互角に渡り合ってくるとは。やはり覚悟が据わってる。その気(・・・)で立っている。そんな人間は……、

 

「どォおおルイだろうがよオオッ!!」

「一緒にスンじゃねェよゴミがァッ!!」

 

 バヂヂヂヂッ!! というオレンジの火花が飛び散った。

 対人戦に向かない《ツーハンド・ソード》使いと戦っているとは思えない手強さだった。

 押してはいる。ヒット回数もこちらが上回っている。

 だが、しかし。ともすれば防衛本能が機能してしまいそうなほどの気迫があった。

 一瞬も気を抜かなければこのまま。一瞬でも気を抜けばこちらが死ぬ。

 

「(つえェ……やるじゃねぇかクソがァ……!!)」

 

 とそこで、脇からさらなる乱入者が現れた。

 全身を黒い装備で固めた片手剣士。

 

「キリトか!? さっきのは!?」

「殺したさ!! やらなきゃ死ぬ!!」

「今度は初代ビーター様っ!! 大盤振る舞いだぜ!!」

「こいつは俺がやるから! ジェイドは作戦通りPoHを逃がすなよ!!」

「わ、わかった! ここは頼んだぞ!!」

 

 《黒の剣士》。こいつも骨のある奴だ。散見される一方的な虐殺風景には成り下がらない。つまり、この男もそこらの成り損ないと違い、こちらまで屠ってくるということである。

 しかし俺は、その事実を前に昂っていた。これこそ由緒正しき殺し合い。

 条件さえ同なら、あとは腕の差。

 

「ヒールッ!! ……さァてどう料理すっかなァ!?」

「キリト! オレも付くぜ!! ……う、こいつは……ッ」

「ああ、ジョニー・ブラックだ。気を付けろよクライン! 来るぞ!!」

 

 ――何人来ようが殺してやるよ!

 ――今までそれができた! 実現させた!!

 

「シアアァアアアアアッ!!」

 

 地を蹴り、壁を走り、回り込み、仲間すら盾に、邪魔者を蹴散らし、ターゲットを逐一(ちくいち)変動させ、変則的なダガー捌きで弱者を翻弄(ほんろう)し、そして殺す。

 俺は自分の限界速度すら超越する万能感に包まれた。

 2人を常に狙い続けるのではない。2人と常に戦うのでもない。

 この場にいる動くユニット全てが俺の駒だ。

 だが……、

 

「くおォ! 捉えたぞキリト!!」

「チィっ!!」

 

 足へ刀の直撃を受けた。

 バランスを崩し、断続的な加速行動が途切れてしまう。

 

「うおおォッ!!」

 

 気合いと同時に放たれる《黒の剣士》渾身のソードスキル。

 それが俺にヒットする直前、真横から迫る新たなソードスキルによって妨害された。

 単発突撃技が衝突した時特有の爆音が響くと、トドメに失敗した敵が顔を歪める。

 そして驚愕していた。

 

「ジョニー。お前はすぐ、調子に乗る」

「無礼講だろう!? ったく、説教は後にしろッてんだ!!」

 

 俺の援護に来た奴はザザだった。クラインと呼ばれていた赤バンダナの男も、名前ぐらいは耳にしたことがあるようだ。

 有名人というのは、時に苦行に晒される。

 

「さァ殺ろうぜ!? パーティはまだ続いている!!」

 

 とは言え、時間はあまり残されていない。

 長期戦は覚悟のうえだが、時が経つほど有利にはならない。こちらも相当数の頭数を失っていたのだ。作戦が順調に消化されないのはお互い様のようである。

 何より初期人数に違いがありすぎた。

 おそらく、討伐隊側はレイド単位の48人。対してこちらは34人。しかもレベルにすらハンデがある。

 いくら殺しの技術を培ったところで、こうも敵味方が入り交じった戦局においてはそのメリットは十全に発揮されない。なぜなら、こちらのトドメの一撃も、やはり人海戦術をとられると届きにくくなるからだ。

 中には討伐組が殺す気もなくがむしゃらに剣を振り回したら、たまたまこちらのメンバーを殺す、といった瞬間すら目に入った。

 人数差は開くばかり。逆転一発ツモにはならなかったらしい。中々どうして、ボンクラなりに根性を見せたということか。

 

「ジョニーは、3人か。俺もだ。どっちが多く、狩れるか」

「ハッ、いいねェ! 赤バンダナと黒ゴキブリ! 両方食らってやるよォっ!!」

 

 ツーマンセル同士の死闘。

 今度こそ俺も狙いを引き絞る。

 

「やるぞクラインっ!!」

「おうッ!!」

 

 《魔剣》の片手用直剣(ワンハンド・ソード)と《曲刀》派生の《カタナ》。

 対人向きの逆棘ダガーと貫通力に長ける刺突剣(エストック)

 それぞれの愛刀が重なると、心地いい金属メロディが奏でられた。ビリビリとした感覚が闘争本能をも麻痺させると、その奥に潜む狂痴的(きょうちてき)な解放感が広がる。

 これほどの高揚があるだろうか。これほど背徳的な快感があるだろうか。

 人殺しって楽しい、と。本気で思える人種だけが辿り着く末路であり、終点。

 殺し合う風景を、消え行く一瞬を、精緻(せいち)なアートでも観るように堪能できる精神。

 素晴らしい巡り合わせはあったものの、元より理解されるつもりはなかった。たった独りだとしても、いかな罵倒を浴びせられても、この世界線を何回繰り返したとしても、俺は殺人者として生きただろう。

 

「キィイエェエエアアアアッ!!」

「この野郎っ!?」

 

 互いの金属をぶつけ合い、飛び散り、削られる生命の粉末に(いと)しさをも覚える。

 俺が黒剣士と斬り合っていると、横からバンダナ男が介入。それに乗じて連携を試みるも、またもザザがストップをかけた。

 俺はさらに真上へ飛び上がり、上空と下段からの立体戦術を繰り出す。今度は相手が防御に回り、着地後俺達から終わりなき連撃が迫る。

 伝わる振動から官能に酔いしれ、それでもなお凶器を振るう。

 理解者『PoH』に、ひいては《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》に無限の感謝を捧げ……、

 

「俺はぶっ殺すゼェエエアアアアッ!!」

「ぐうっ!?」

 

 赤バンダナの男が気迫に圧されたのか数歩後ずさる。《黒の剣士》サンもザザにかかりっきりでとても援護できそうにないようだ。

 一瞬の空白を利用し、ゴバァッ!! と、突撃系ソードスキルを炸裂させた。

 無理やり防御した赤バンダナの刀が吹っ飛ばされ、乱戦の渦中へ消えて行ってしまう。余裕の有無もはっきりし、逆転手段がないことも確認した。ブラフではない。

 隙を見せた赤バンダナ、死亡確定。

 そう思った時……、

 

「くっ!?」

「チッ……、時間切れ、だな」

 

 バン! バン! バン! と、粉末の塊が破裂したような音が3回鳴り響いたのだ。

 《威嚇用破裂弾》3発、これは撤退の合図である。

 タイミング的に逃げ切れない仲間もいるだろう。動けないように縛られている者もいる。彼らを囮に俺達はさっさと脱出である。

 生存者を人選したのではなく、撤退できる者だけが仕方なしに撤退する体裁が保たれる。これならヘッドに対する無駄な不信感も生まれまい。

 ラフコフは不滅だ。人数が減ったのも何ら問題はない。減った分だけ増やせばいい。

 それができる唯一の人物さえ生き残れば、それは夢物語ではない。ヘッドの卓越した傀儡(かいらい)術と豊富な話術こそが最も重要な武器だからだ。

 

「(あァ、楽しかったぜ……)」

 

 そして……光が(またた)いた。

 

「うわっ、なんだこれ!?」

「《閃光弾》か!? 誰が投げたんだよバカ野郎!!」

「くっ!? 違う! 攻撃が止んでる!! 逃げる気だッ!!」

「逃がすな追えぇっ!!」

 

 《威嚇用破裂弾》が炸裂してからきっかり3秒後、《閃光弾》が連続3発投げ込まれ続けた。1つの《閃光弾》につき《盲目(ブラインドネス)》のバッドステータスを課せられる有効時間は2秒。これも3発分である。

 すなわち、計6秒間目をつぶり続けなければ戦闘不能状態に陥る。

 これを知らない討伐隊の面々は狂乱していた。

 俺とザザは光の爆発が収まった瞬間から目を開けて逃走に移る。不意打ちが容易な今こそ棒立ちのプレイヤーを斬り刻みたい衝動に駆られたが、なんとか自制して脱出した。

 ヘッドがすでに通路の奥で《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》を開いている。

 脱出に間に合ったのは約10人。メンバーの半数以上……いや、7割を失った計算になる。

 

「ち、撤退だ。早く入れ」

「了解っすヘッド。来たのは俺らで最後っすよ」

「血沸き、肉踊った」

「2度とやらねェがな」

 

 その言葉を皮切りに俺達9人の生き残りは転移した。

 後ろで捕獲された何人かの仲間の叫び声が聞こえるが、無能な部下は不要。せいぜい縛られるなり、手足を斬り落とされるなり、各々時間を稼いでほしいものだ。

 いともあっさり光のサークルを抜けると、そのまま脱出が完了した。コリドーの転移先は所持者が任意で定めるものだ。特定の場所への瞬間移動ではないので、奴ら討伐隊に追跡の手段はない。

 よって、またもや俺達の安全が確保されてしまったわけだ。

 

「ふぃ~……一転して静かだ。さて、19層とは懐かしい。ヘッドとの初拠点か」

「元はと言えばユリウス……グリムロックの野郎が起こした騒乱だったな。宣言通り墓でも荒らしてから、明日のことを考えるとしよう」

「それにしても結構な損害ッしたね。パイプのあった別の弱小レッド共でも引き込みます?」

「戦力外だ。前線の、オレンジを、洗脳した方が、早い」

「待てお前ら……誰だッ!!」

 

 ヘッドが突然大声を出すと、その場にいた8人の生き残りが静まり返った。

 そして、荒れた道の脇から姿を表す人物は……、

 

「なんてこった、こいつァ気の利いたサプライズだな。俺もビビっちまったぜ。……んで、何でおめェがここにいるよ、えェっ?」

 

 声に怒気をはらませると、その女はビクリと一瞬反応した。

 恐怖感。狂騒寸前の震え。

 もうずいぶんと昔のことのようだ。

 見ないうちに丸くなったようだが、同時に納得もいく。俺達が共に行動した期間はたったの4ヶ月で、俺達が道を別々に歩み始めてから9ヶ月も経過している。今となってはこの女と作り上げた実績などとうに色褪(いろあ)せ薄れていたのだから。

 元ラフコフというレッテルを貼ったまま、今を生きる唯一の攻略組。

 

「アリーシャぁッ! 会いたかったぜ、愛しの仲間によォ!!」

 

 金に近い色の長い髪をなびかせる女性プレイヤー。裏切り者のこいつには殺意しか湧かないが、会いたかったという表現に偽りはない。

 だが、俺の耳に入る言葉は少々意外なものだった。

 

「ホンット……ジョニーは、いつまでも能天気ね」

「……あァん?」

「アタシは会った時からあんたが嫌いだった。知的なそぶりも見せやしない……あるのは幼稚な残虐性だけ。確かにアタシは手を汚したわ。けどね……思えば、心までは許していなかった。……自己弁護かって? いいえ、現にアタシはこうしてあなた達の最後を見届けようとしてるのに、全然、これっぽっちも悲しみを感じないんだもん」

「何が言いたい。そもそも貴様は、なぜここへ、来られた」

 

 ザザの疑問ももっともだ。言われなくとも、アリーシャの奴がラフコフという集体系の方向性に馴染みきれていないことは早期に発見できていた。

 奴の不適合性はいい。問題はそこではない。

 なぜここに。

 どうやって。

 この女が現れたのか。

 意味すら不明だ。こちらの生き残りが9人もいる時点で、彼女がこれから死に物狂いで抵抗しても1人たりとも道ずれにできないだろう。

 自殺志願……ではない。あのレジクレの一員だ。かのモヤシ男に惚れ込み、あげく恋すら実らず、なあなあで前線に立ち往生している愚か者。こんな負け組には一生伴侶などできないだろう。人として、何より女としてどこか終了している人生。

 しかし。だというのに。

 ヘッド(・・・)が、俺達の頭領が声を震わせていた。

 

「テメェ、そういう(・・・・)ことか。……全部、計算づくだったな……」

「ヘッド……? どうしたんすか!! こんなアマ、さっさと殺りましょうよ!!」

 

 俺は動揺した。意味不明な会話に、ではない。ヘッドの未来予知にも似た先見の明は時々以上に理解できないことはある。

 驚いたのは、彼が動揺していることそのものに。

 ここでなぜ引く? なぜなんの力もない女1人に言われっぱなしで黙る? 俺の知るヘッドは腰抜けだったのか。

 なぜ、なぜ、なぜ……、

 

「(ん、待てよ……? こいつが位置を知る方法は……あ、あぁア……)……アアアアアアアッ!!」

 

 ――そうか! そう言うことかッ!!

 

「てめェッ、そういうことか!? こんな……おまッ……ぐ、グリムロックと《結婚》していたのか!? だから、あの裏切り野郎が死んでも……俺ら本隊の位置が伝わった!! だからコリドーの転移先を知っていたッ……そうだろう!!」

「見事ね……見事に遅い推察よ、ジョニー・ブラック!」

 

 この糞アマは、本当に取り返しのつかないことをしてくれた。

 

「レコードは全部聞いたわ。場所が変わったことも。彼が死んだ事実が、最後に集結した討伐隊全員を信じさせた。ラフコフを壊滅させようという、強い意思を生ませたの!」

「そして……時を待った……」

 

 討伐隊を結成させてから突入するまでに時間がかかった理由は、夜襲で寝首をかくためではない。こちらの退路を潰すためだったのだ。

 グリムロックは妻の眠る墓すらも材料に使ったことになる。

 

(けな)しまくった気分はどうだった? おかげであんた達は丸裸よ! アタシにこんだけ言わせといて、なんの反論もできないじゃない!!」

「く、うっ……!?」

 

 (うめ)くことしかできない。ヘッドはここまで察したのだろう。

 俺はてっきり、奴の共犯者が本当にいたのかと思った。存在すれば情報は確かに漏れると、一時は捜索も後回しにした。

 だが俺はともかく、ヘッドすらその片鱗や兆候を掴めなかったのはいくらなんでも道理にそぐわない。グリムロックの死に動揺した協力者らしきラフコフメンバーは、100パーセント1人もいなかったはず。

 ヘッドには人間の機敏な変化に勘づく才能があった。だからからこそ常に先手を打てたし、ラフコフも成立していた。

 だから、いなかったのだ。2人目の裏切り者は。

 殺して情報の流出を止められたのではない。むしろ死によって巧みに隠匿(いんとく)された。ラフコフは、グリムロックに、この世を去ってから完全に出し抜かれた。

 これが奴『1人』の復讐計画。

 

「お前ッ……まさか……今っ……!?」

「ええ。惨めなことに、アタシはまた《結婚》してるわ。当然ストレージも共有されてる。このためだけに……もうっ、彼は……アタシのことなんて見てもないのに!! でもッ……この役目は降りられなかった! この決着をつけるために、どうしてもッ!!」

 

 涙声を上書きし、決意だけは微動だにしていない。

 

「くっ、そヤロ……このカスアマがァ……コリドーをセットしやがったな!? 生意気な糞ガキがっ! 意味わかってンのかテメェ!! このッ……何度もホイホイと……プライドねェのかよ!! この糞ビッチがァあアアアッ!!」

 

 叫ぶことしかできない。

 アリーシャの後ろで、ゆっくりと、真っ白な光が輝きだした。

 白い円。絶望を与えるコリドーの前兆。

 アリーシャは胸を叩き、泣き叫ぶように。

 

「ビッチ上等よ!! このクソ野郎っ!!!!」

 

 光が広がる。初めて女の覚悟(・・・・)に恐怖した。

 とうとう転移の輪から討伐隊がごっそりと姿を現した。その目は殺意に燃えている。

 最終戦は、まだ終わってなどいなかった。

 

 

 

 



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第91話 最後の意地

 西暦2024年8月6日、浮遊城第53層。(最前線68層)

 

 現在時刻は2時55分。いよいよだ。

 

「(結局、俺の読みは正しかったわけか……)」

 

 悪の権化を()つ、という意味では推測の的中は願ったり叶ったりだが、同時にどこか間違っていて欲しいと一縷(いちる)懸けていたのかもしれない。貴重な時間を割いた《ラフコフ討伐隊》からの信頼はガタ落ちするが、それでもグリムロックが死なずにすんだのだから。

 しかし悲しいことに、なんの捻りもなくストレートに、俺の読みは正しかった。

 彼は自分の死による『PoHの出し抜き』に見事成功し、おめおめとアリーシャのストレージに証拠を渡してしまったのだ。

 8月6日の、時刻は午前2時16分。

 グリムロック死亡。

 これでもかと作戦を練り上げておいて、討伐隊をさらに1時間も待機させてしまうのは本意なかったが、各隊のリーダー格がアリーシャに送られてきた《録音結晶》を聞いた時、俺への評価はガラリと変貌(へんぼう)した。

 その扱いたるや、まるで英雄だ。四方から発せられる称賛の声は5分も続いていたが、俺はそれを複雑な気持ちで聞き届けた。

 それでも、マイナーな鍛冶屋であるグリムロックに対し、思うところのない討伐隊は一様にして高揚していた。

 ラフコフへ致命傷を与えられる最初で最後のチャンス。1度謀反(むほん)を起こしたアリーシャですら欠片も見出だせなかった希望。その孤独な抵抗を正確に解読した上で、これだけの行動を起こした勇気に、討伐隊の全員から敬意を示された。

 彼女の覚悟と、仲間に引き入れた俺へ。最愛の人と《離婚》してまでアリーシャと《結婚》し、ラフコフに植え付けられた恐怖に打ち勝ったことへ。

 作戦の(かなめ)は《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》にあると誰もが認め、同時に俺も腹を据える。今は事実だけでも享受しようと。

 

「因縁への終止符かな。ジェイド君、きみの健闘に期待する」

「よくやってくれたよ。DDAからも代表して感謝を送りたい」

「ら、らしくねェな。それに部隊の指揮……つーか、そのシンガリもあんたらに投げっぱだ。俺らもこっからはただのコマさ」

「適材適所というやつだ。さあ向かおう! 全員気を引き絞めろよ! 部隊の再確認を済ませろ!! これより我が隊は59層主街区へ移動し、一気に敵を殲滅(せんめつ)する!!」

『オォオオオオオオオオオっ!!』

 

 大部隊の移動が開始された。

 長い待機時間や、53層から逃げた59層への移動時間の間に戦意は遠退いたかと思ったが、とんでもない。むしろ勇む多くの足取りは、熟練の戦士以外の何者でもなかった。

 

 

 

 そして。

 

 

 

 午前3時。決戦の時。

 前哨(ぜんしょう)を任されたフロントアタッカーが、59層の洞窟で奴らラフコフの反応を多数捉えた。

 道中の雑談は鳴りを潜め、早打つ心拍と手に汗握るプレッシャーが全隊員を襲う。ここからは加害者への境界だ。だがそれでも、ターニングポイントを超えた俺達は(むしば)む緊張感と罪悪感を振り切らなくてはならなかった。

 直後、決戦の号令が鳴り響く。

 

「一気に攻め込め!! 人殺しに慈悲はいらないッ!!」

『うォおおおおおっ!!』

 

 ビリビリと振動する空気に共鳴するように、心が激動していた。

 この時をいったいどれだけ待っただろうか。毎度のように先手を取られては、何の罪もないプレイヤーが犠牲になって苦渋を()めさせられてきた。奴らはいつもそうだ。そのくせ沈む前の船からネズミが逃げるように、あと一歩のところで確かな消息は常に掴めないでいた。

 しかしそれもここまでにする。悪は、絶つ。

 そう決意した直後……、

 

「イィ~ツ、ショウタァイムッ!!」

「戦闘開始ィっ!!」

『オオォオオオオオオオッ!!』

 

 後ろの方角から声が聞こえた。

 声というよりは、激しい雄叫びが。

 

「なにっ!?」

「バカな……後ろに回り込まれた!? いつッ!?」

「知るかよ! 指揮系統はもっと前だぞ!!」

「読まれてたんだ! 全員挟み撃ちに備えろォっ!!」

「(まさか……ッ!?)」

 

 一気に緊張感が充満した。

 奇襲側はラフコフのメンツで間違いない。ここに討伐隊が踏み込んでくる情報を、どこかで入手できたということか。

 十数個にも及ぶ《毒煙玉》が無尽蔵に投げ込まれ、部隊は戦々恐々としていた。

 全身から嫌な汗が流れる。敵を倒すことよりも、全てが終わったあとスパイ疑惑で責任が押し寄せてくるのでは、という場違いな恐怖がせり上がってきた。判断力が散乱して鈍る。

 それでも、脳が電撃を浴びたように思考が加速された。

 考えが嫌でも(まと)まる。体に染み付いたクセが勝手に戦闘体勢を整えると、《解毒結晶》を弾けさせてから覚悟を決めた。

 

「(今は考えるな……こいつらを、殺せッ!!)」

 

 目の前の人間が凶刃に(たお)れ、分厚い金属防具と共に粉々に割れた。80人規模の乱戦では誰が誰と戦っているのかもわからない。

 怖い、怖い、と全身の細胞が叫ぶ。原始的な恐怖に筋肉が萎縮(いしゅく)した。

 しかし怒号に惑乱する直前で、戦場の渦中にいる俺はある経験を思い出した。……いや、改めて思い知らされた。

 腹部の中心に突き刺さった大剣を抜き、ミンストレルという男を破壊した現象を。奪ったレイピアでアバターの心臓を貫き、タイゾウという男を絶命させた事実を。

 俺は、元より殺人者だ。何を今さら。(てい)よく綺麗事で片付けようとしてもそうはいかない。言い訳するな。悲しくても、辛くても、苦しくても、目だけは逸らすな。俺はもう……、

 

「(殺せるだろォがッ!!)」

 

 呆然と、そして漠然としていた俺は、大剣に全ての意識を集約させた。

 そして混沌とした斬撃の中でカズの叫び声を拾う。彼はすぐ近くで助けを求めるように叫んでいた

 冷静に、精密に、一分の誤差もなく刃を操作する。

 振るった鉄塊は死にかけていたレッド連中の、しかも弱点部位へクリティカルヒット。

 ゴリッ!! と、首から上が吹き飛び、それでも直進をやめなかった。

 殺したプレイヤーは本当に敵だったのか、もしかしたら味方だったかもしれない。それに、敵だとしても嫌々殺しをさせられていたら? 弱味を握って感情を制御するのはPoHの得意技であり、その気になれば本来の人間性すら塗り替えることだってできるはず。

 そういったもろもろの心配を、くず箱へ投げるように全部捨てた。

 激しい金属音が直進した大剣がダガーを受け止める。

 

「て、めェは……!! うオォオ!? 懐かしいじゃねえかァ!!」

 

 俺の目の前にいた奴はジョニー・ブラックだった。

 ナイフ、ダガーを腕の延長のように扱い、殺人行為へ一切の躊躇(ためら)いがない人物。実際プレイヤーを殺せるその技術よりも、『殺しへの乖離した抵抗感』の方がよっぽど不気味で危険である。

 だがカズに手は出させない。俺の親友には指一本触れさせない。

 彼は元々こういう血生臭いところにいるべき人間ではなかったが、それでも勇敢な決断が参戦を後押しした。

 いいだろう、仲間の決意は尊重する。その上で失わない。

 そのためなら俺は、人殺しにでも成り下がってやる!

 

「ジェえイドぉオオッ!!」

「ルガは早く下がってろっ!!」

 

 ナイフを至近で投げる。そう予測した直後、思考をトレースでもされたかのように予測違わず攻撃してきた。

 それをシミュレート通りに左手の籠手で遮ると、今度は右手に持った大剣は横一門に振り抜く。

 大剣はしゃがんで(かわ)され、反撃に視界の外からダガーが迫ってきていた。

 それすら、俺の知覚領域は察知する。これがジョニーという男と戦ってきた経験則だと、視認しなくとも体が覚えている。

 ショルダーにストックされていたピックを投げつけると、奴がバックステップで引いてお互いに距離を作った。

 やはり一筋縄ではいかない。

 

「人殺しの剣はよォ!! やっぱ年季が違うなァッ!?」

 

 ジョニーが叫んでいた。深い心の傷を(えぐ)るように。

 それでも、彼の主張は事実とは異なる。俺も自分なりに罪の背負い方というものを学んだ。

 

「(だからッ……)……今日で最後にしてやるッ!!」

 

 大剣の腹を向けダガーを防御。そのまま胸ぐらを掴んでジョニーを壁へ叩きつけた。

 左手に鈍痛が走る。手首をダガーで刺されたらしい。

 追い討ちが失敗し、奴は俺の拘束から離脱。と同時に緑に輝くナイフを投げつけられた。

 

「(く……そッ!?)」

 

 毒だ、と考える前に反射的に(かわ)す。しかしその隙を利用され、今度は低下段攻撃が炸裂して目の前に光芒(こうぼう)が舞った。

 やってくれる。だがやられっぱなしにはさせない。

 その顔面に膝蹴りを見舞うと、また咄嗟(とっさ)に距離を作った。

 互角……なのだろうか。殺した者同士考えることは同様なのかもしれない。人を殺したから張り合えると。だから人に向けても剣が鈍らないのだと。

 俺とこいつは……、

 

「どォおおルイだろうがよオオッ!!」

 

 実に楽しそうに、そう断言された。

 しかし面と言われてはっきりした。

 

「一緒にスンじゃねェよゴミがァッ!!」

 

 胸を張って否定の文句で言い返せる。憎悪に満ちた……いや、狂気に任せてチープな衝動に逆らおうともしないナイフと、激しい鍔競り合いから剣を伝って改めて感じた。

 俺とこいつの『殺し』への意識の向け方は180度異なっている。どこも一緒ではないし、何も似ていないのだと。究極的な選択はいつだって複雑だ。

 よかった、こんな奴とはやっぱり違うと。ある意味、安心感を腹に落とすことができた。

 遠慮がなくなると、押されているのに勝機が見えた気がした。

 とそこで、大音量と共に俺の後ろから援護が入る。

 

「キリトか!? さっきのは!?」

 

 キリトはキリトで別のプレイヤーと戦っていたはずだ。

 とは言え、ここへ援護に来られた時点でこれもまた結果は見えている。

 

「殺したさ!! やらなきゃ死ぬ!!」

「今度は初代ビーター様っ!! 大盤振る舞いだぜ!!」

「こいつは俺がやるから! ジェイドは作戦通りPoHを逃がすなよ!!」

 

 キリトはジョニーとの戦闘を引き受けるという。確かに作戦上はそうするべきなのだろう。俺達は作戦を進める際に、会議でとあることを決めていた。

 それはすなわち、『誰がPoHを殺すか』だ。

 奴は笑顔で人を殺せるような男でもある。一瞬でも躊躇(ちゅうちょ)すればレベル差やステータス差など簡単に覆されるし、そもそも前線並みのレベルを保持する彼にはその差とやらがない。

 では殺すことを躊躇しない人間とは誰か。その可能性を持つ者とは。

 決まっている。殺しの経験があって、それでも《攻略組》をしている奴だけだ。さらに可能なら、個人的に恨みを持った人物が好ましい。

 だから俺は挙手をした。殺したことがある者は、という質問に。その時、手の挙がった数は全体の1割にも満たない4人だけだった。実力者のみを厳選して作ったレイド48人パーティで、4人。隠れて挙げなかった者もいたのかもしれない。

 それでも、これらのプレイヤーこそ勝敗の鍵を握ると期待された。

 

「わ、わかった! ここは頼んだぞ!!」

 

 俺はその期待に応えなくてはならない。

 希少な1人である俺は、罪人をしっかり殺してくれるだろう、というあまりにも人として悲しく、突き抜けるほど憐憫(れんびん)に満ちた期待に応えなくてはならないのだ。

 

「(くそ、くそっ!! ……)……2度とゴメンだぞッ!!」

 

 俺は放心状態のカズを近くで器用に援護していたジェミルに任せると、単身戦場を直進した。

 弾ける火花と怒声。タンカーの多いこちらの部隊は防戦一方になりがちになっているが、それでも反撃の一撃はレベルの差もあって重い。1人、また1人と、ラフコフに限らず魂を乗せた電子アバターが散っていった。

 カシャーンッ、カシャーンッ、と。次々と無機質な音が連続する。

 その(むな)しい断末魔をいちいち拾い上げていると泣きそうになる。人間同士でこんなことをして、心臓に穴でもあけられた気分だった。

 しかし、今はそれを怒りと闘志へ。この事態を引き起こした張本人PoHへ向けさせ、最優先に爆発させなくてはならない。

 純粋な殺意を。人を殺せる力を。

 

「PoHゥッ!!」

 

 俺は気づけば最前線で叫んでいた。

 うねった壁のようにいたプレイヤーの集団が(ひら)けている。

 目の前でまた男が割れ、その先にいた黒ポンチョのオレンジプレイヤーは飄々(ひょうひょう)としていた。

 

「呼んだか、同士サンよォ」

「うる……せェ……ッ」

 

 また光の残滓(ざんし)が舞っている。今目の前で殺されたのは確かDDAのメンバーだ。殺しを経験したことがあると言った、つまり『PoHへトドメを刺せるだろう』仲間の1人。

 出撃前にリンドと相談していたのを見た。彼はその重役に恐怖していたが、総隊長も一緒に最前線で付き合うと言われ、自分を無理矢理納得させていた。

 だが返り討ちにあったのだろう。リンド自身はギルドの部下が強制介入してなんとか後衛への退却に間に合ったようだが、死んでしまった男はもう助けようがない。

 PoHと……もう1人、隣に(たたず)む男によって殺された。

 

「てめェら……頼むから、武器捨てて……投降しろッ……!!」

「腰抜けは揃って無駄口を叩くな」

「ジェイドさん……できれば殺したくない。どうか立ち去ってほしい……」

 

 2人目はシーザーだ。

 シーザー・オルダート。レッドギルドのビーストテイマー。

 こいつらの実力はいやというほど知っているし、思い出すだけで頭痛がする。立ち並び、押し寄せてきた《ラフコフ討伐隊》を、わずか数人の部下と2人の指揮者が押し返したのだ。わざわざ確認するまでもなく、史上最悪の人間の敵である。

 

「シーザー……まだこんなことを。クソ野郎の言いなりに!!」

「……ぼくの選んだ生き方です」

「てめェは!! なんッも選んじゃいねェよっ!!」

 

 言うやいなや俺が斬り込むと、パーティ部隊もそれに追随する。それはSAL(ソル)のアギンとフリデリックだった。腐れ縁か、彼らにもよく助けてもらっている。

 そして人間同士の愚かな激突が起きた。

 その火蓋を切った男を、この世から消すために。

 

「俺の見込み違いだったかァっ!? ンな程度の男かよ!!」

「あなたに! ぼくの何がっ!」

「いつも人の裏かいてきたてめェが! ゴミ溜めに落ちたままでよォッ!!」

「……ッ……!?」

 

 爆音の中で、攻勢に出る俺にシーザーは次第に黙りこくっていった。いい加減に気づけ、いい加減騙されるな、いいように使われているだけなのに。

 先ほどDDAの男を殺したのはPoHだった。もしかしたら今日、シーザーは1人も殺していないのかもしれない。

 なんであれば確かめてもいい。

 

「今日テメェは何人殺したよ、えェっ!!」

「く……ッ!?」

「トドメはさしたか!? 『優秀』なだけで合ってない! ホントは気付いてんだろ、黙ってないで何とか言えよッ!!」

「耳を貸すなオルダートッ!!」

 

 大剣に圧倒されるシーザーはひどく(もろ)かった。あまりに予想通りで笑えてくる。シュールなギャグでもやっているのかと。もう何度目かもわからないほど剣を交えて気づいた。激突して飛散する、怨念にも近い感情の集合体がダイレクトに伝わってくる。

 やっぱりか、と。こいつはそういう男なのだ。

 非常に感化されやすく、そのくせ1度決めたことはそうそう曲げようとしない。愚直で、頭が切れ、付き合いがヘタで、面倒で、手のかかる超クソガキ。すでに俺なんて奥の奥まで見透かされているだろうが、同様に彼を間近で見続けてきた。

 

「もう、わかってンだよ!! おいシーザァッ!!」

「見苦しいな、ジェイドォ!!」

「ぐ……あァっ!?」

 

 攻撃が直撃した瞬間、俺は悲鳴に近い声をあげていた。

 パキキキッ、という高い音がした。なんと左足にPoHの《友切包丁(メイトチョッパー)》がヒットした瞬間、膝と足首の間接部分がバッドステータスの《氷結(フリーズ)》状態になっていたのだ。

 このデバフは《麻痺(パラライズ)》と違って解毒法がなく、事前対策もできない。ただしデバフ継続時間は麻痺より格段に短く、剣で氷を『割れ』ば即座に復帰できる。薬はいらないが割るのに多少なりとも時間を取られる。

 がしかし、問題は対応策ではない。

 あり得ないのだ。今までPoHの技にはなかったし、そもそも一撃フリーズは一部の上級モンスターにのみ使用を許された専売特許である。メイトチョッパーは間違いなく超低確率ドロップの《魔剣》だが、こうした附随(ふずい)効果は聞いたことがない。そのウリはあくまで凄まじいまでの切断力と貫通力にあったはず。

 しかし、現に俺はデバフに(おか)された。

 

「ジェイド気を付けろ! PoHは《氷結剣》という特殊なソードスキルを使う!!」

「公開リストにはありません! たぶん《ユニークスキル》です!!」

「く、そ……先に言えっての……!!」

 

 ユニークスキル。システムに規定されている呼ばれ方ではないものの、ヒースクリフが50層のボス攻略戦で言わずと知れた《神聖剣》を披露(ひろう)して以来、巷で(ささや)かれる憧れのステータス。

 それを、あの犯罪者が使いこなしている。

 俺はヒースクリフに《黒鉄宮》で言われたことを思い出していた。すなわち、俺とは違い本物の犯罪者はもっと冷たいと。そんな皮肉がここで具現と化している。

 

「とっておきのスパイスだ。味わえよ」

「……けっ……」

 

 ――だったら!!

 

「《暗黒剣》、解放(リリース)!!」

 

 直後、バリィイイイイッ、という崩壊音が零度の固形物を粉々にしていた。

 黒い(もや)を纏った《ガイアパージ》が氷を粉砕し、その光景にはさしものPoHすら驚愕に目を剥く。

 

「て、めェ……一瞬でフリーズを。そのスキルは……ッ」

「ジェイド……? おい、なんだよそれっ……!!」

「まさか、ジェイドさんもっ……!?」

 

 ユニークスキルには同じユニークスキルを。

 俺はPoHに漆黒に燃える大剣を向けて言い放った。

 

「味比べだな、クズ野郎ッ!!」

 

 戦闘再開。途端にPoHの部下の1人が巨大なランスを携えて突撃してきた。

 直前まで引き付け、腰溜めに刺突されるランス。それを……、

 

「ゼァアアアッ!!」

 

 歪む形相のまま左下から斜めに大剣を振り抜くと、ゴバァアアア!! という、一際(ひときわ)輝く派手なライトエフェクトと共に1撃でランスが半ばからへし折れた。修復不可能判定を受けたランスが空中で飛散する。

 

「な、あァっ!?」

「嘘だろっ!? 《武器破壊(アームブラスト)》か!?」

「いとも簡単に……っ」

 

 討伐隊ですら、その性能に驚きの声を発した。

 耐久値を全損させる、という能力を帯びた攻撃法は本来存在しない。狙ってできればかなりのアドバンテージだが、この現象が起こるのは『武器の構造上脆い部分へ、的確な方向から強烈な瞬間火力が加えられた場合』のみである。すでに常識化している。

 それをムチャクチャな剣の振り方で達成せしめた。

 高難度《システム外スキル》の強制施行。この時点で《魔剣》の性能を越えた《ユニークスキル》特有のおぞましい力が垣間見えたことだろう。

 

「黙っていてくれたオカゲだぜ。なァシーザー!」

「……それ、は……っ」

「ハッ、思春期には秘密の1つもあるってな。どォだおい、悔しいかPoH!!」

「……く……クックック。随分、楽しませンじゃねェかよ……!!」

 

 しかし今まで不足の事態に対応してきた犯罪者のトップだけはある。横目にシーザーを睨んだだけで、奴は即座に俺のスキルに対応し、驚嘆するほど部下を効率よく運用して対抗してきた。

 戦闘中にPoHの仲間が数人の部隊を押し返す。

 それでも、俺だけは逃げない。

 

「おいバカ! 死にかけてんぞ、一旦引けぇっ!!」

「ジェイドさん!! まずは回復を!!」

「うるせェ! こいつらぶん殴るまでやめられっかよッ!!」

 

 怖い。死ぬのが、怖い。

 ユニークスキルを持っていようが、そんなものは1つの攻撃手段にすぎない。この世界で死ななくなるわけではないのだ。

 だが……ここで引いたら……。

 ――ここまで来たら!!

 

「最後だろうが!! お前(・・)が決めろォッ!!」

「ッ……!?」

 

 無我夢中で突っ込んだ。シーザーに向けて、がむしゃらに叫んだ。

 3度目だ。

 人を救う、3度目の行為。心を救える最後のチャンス。

 度重なる攻撃を受けて俺は死にかけている。強大なプレッシャーに押し負け、大剣があらぬ方向へ吹き飛んでしまった。

 やはりこいつらは強い。実力など端から気合いでどうにかなるものでもなく、俺は2人からの猛攻撃に耐えきれないでいた。

 

「ジェイドぉっ!!」

「(ああクソっ……アギン、わかってる……けど、俺はッ!!)」

 

 人は生物の中で唯一、本能ではない区分で戦う。

 戦闘行為に理由を求める。剣を握るのにワケ(・・)を作りたがるのだ。

 肉親や仲間のため、恋人や自分のため、強さや栄誉のため、なんだっていい。だのにシーザーは俺を目標に定めて剣を握った。ということは、彼なりにそこに可能性を見いだしているということになる。

 苦労の先で何を得られるかは明白だ。好きな女の子に嫌がらせをして気を引こうとする小学生よりわかりやすい。

 本当に……本当に本当に、本物のバカばっかりだ。

 

「(助けてほしいならさァ……)」

 

 右からはシーザーと使い魔の《ダスクワイバーン》が。左からはこの惨状の元凶たるPoHが。

 それぞれ刀と大型ダガーをたぎらせて、迫り来る。この挟撃を止める術は俺にはない。

 スローになる意識が、その詳細をはっきりと感知した。

 ……それでも。

 

「(そう言えよッ!! ……)……シィザァアアっ!! 俺と来い(・・・・)ッ!!」

 

 瞬間。バギィイイッ!! と。あり得ないはずの金属音が響いていた。

 ある男の刀が、もう1人の大型ダガーを受け止めた音だった。

 

「あ……っ……!?」

「テメェ、オルダートォッ!!」

 

 ザクンッ、と中華包丁のような刃がシーザーを斬り裂く。それを見たダスクワイバーンは《フレイムブレス》の対象を、直前で俺からPoHへ。

 

「ああっ……ぼくはっ……ぼくはなんで……ッ」

「Shit!! どいつもこいつも役立たずがァッ!!」

 

 ダスクワイバーンによる魔法攻撃すら回避しPoHが使い魔を斬り伏せると、心頭した怒りを押さえつけるようにPoHはある物体を投げていた。

 連続して3つの破裂音が響く。

 

「く……ジェイドさん! これは撤退の……ぐァっ!?」

「シーザーッ!?」

 

 PoHがシーザーを蹴り飛ばすと、奴はさらにポーチの中から《閃光弾》を放り投げる。

 途端(とたん)に目をつぶったすぐ後に、《閃光弾》が炸裂する感触が伝わる。しかも俺が目を開けようとしたら、デバフ有効時間外に入る直前でさらなる《閃光弾》が光を放っていた。

 やられた。最悪のバッドステータス、《盲目(ブラインドネス)》だ。

 とりあえず結晶でHPを回復させつつも、多くのラフコフメンバーがすぐ隣を通りすぎる気配を感じた。討伐隊の何人かが何やら叫んでいるが、いろんな音が重なって内容まで聞き取れない。

 ほんの十数秒間の出来事。

 目を開けると、そこにはほんの何人かの敵が捕まっているだけで、残党はどこかへ行ってしまっていた。

 

「……コリドーで逃げたか……」

「ジェイド、さん……ぼくは……っ」

 

 シーザーは隣で震えていた。

 よもや組織の破滅までは想像していなかったのだろう。だが騙し騙し生きてきた無理ある生活には、いつか終焉(オワリ)が来る。

 過ちを犯した自分を、歪んだ目標を持ってしまった自分を、これからどうするのか。果たしてまともに人間として扱ってくれるのか。それとも、買いまくった恨みの精算をさせられるのか。

 そしてなぜ、自分は組織に反抗したのか。

 

「シーザー……その答えは、もうあんたが持ってる」

「ぼくが……持っている……?」

 

 うずくまっていると、直後にシーザーは何人もの討伐隊によって取り押さえられた。

 戦闘開始から13分と少し。午前3時14分、全面抗争一時終了。ボス攻略に比べあまりに短い時間で、人間同士の争いは終結した。

 そしてその場にいた討伐隊は、2桁以上も数を減らしているのだった。

 

 

 

 「点呼終わりました」という忙しそうな声と、「遅い、2分もたっている」という怒声でようやく意識が戻ってきた。

 アインクラッド最大のレッドギルド、なんて遠回しな言い方に意味はないのだろう。負の遺産、死の象徴、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》とのぶつかり合い。その前半戦(・・・)が終わっていた。

 

「捕らえた奴を前へ。……この5人だけか」

「はい、リンドさん。あとは、その……死んだか、それとも……逃げたか」

「ご苦労だった。……さて犯罪者諸君、聞きたいことがある」

 

 リンドは厳しい目を向けたまま、拘束された5人のオレンジプレイヤーへ質問を投げ掛ける。俺は彼らの隣でその姿を眺めていた。

 あご髭が濃いラフコフの1人が言う。

 

「転移先だろう。ハッ……言うかよ……」

「いいだろう、せいぜい牢獄で末永く暮らしていろ。次、隣の奴」

「言わねぇよ。言ったら減刑されるってのか……?」

「さぁな、知るか。次……聞かれたことにだけ答えろ」

 

 ラフコフの生き残りへラフコフが転移した先を問い正す行為は、儀式のように淡々と進められていった。

 誰も何も言おうとしない。奴らにとっても多くの仲間を失う痛恨事となったからか、今さら俺達に協力する気もないらしい。

 だが最後の人物。シーザーだけは違った。

 

「……19層……です」

「おいシーザーッ!!」

 

 ぐったりとうなだれたまま、それでも続ける。

 

「……19層の……南西地区エリア。《魔物の棲みか》の林道エリアです……」

「信じらんねェ! お前、お気に入りだっただろう!?」

「ラフコフ裏切んのかよっ!!」

 

 それは、この世で最も醜い内輪揉めだった。

 近くに立つカズは、死が間近に迫った恐怖と2桁にも(のぼ)る仲間の損失に、両目いっぱいに涙を溜めている。その脇で彼を支えるジェミルの表情もやはり冴えない。いつもにこやかにしていることが信じられないほどだ。

 アギンも、フリデリックも、キリトも、クラインも、およそ視界に入る人という人の怒りが()み出ていた。そこには感情を隠そうとする意識もない。

 しかしその嫌悪感も禁じ得まい。こちらとしては最後の情けをかけているというのに、目の前でお涙ちょうだい劇をされたところでシラけるなんてレベルではない。

 

「シーザー……といったか。確かに事実のようだ」

「じ、じつ……? 嘘ではありませんが、しかし……確かめようが、ないはずじゃあ……?」

「我々は元より転移先を知っている。君らを試しただけだ」

「ハァっ!? おまッ、俺達を騙したってのかッ!?」

「待て、知ってるってどういう意味だよ!?」

「黙れこの()れ者がッ。……さてジェイド、準備はいいな。戦えそうにない13人はここに置いて、捕らえたこいつらの移送をさせる。残った4パーティ分、つまり24人が追撃隊の全戦力だ。……やれると思うか?」

「…………」

 

 即答はできなかった。

 しかし……、

 

「やれるさ。終わりにしよう」

 

 俺はストレージを無造作に(あさ)った。

 アリーシャと《結婚》したことにより、俺のストレージ内はごちゃごちゃとしていた。ヒスイと共有しただけでは見られないアイテム名の物もちらほらとある。

 中でも際立つものがあった。アイテムレア度も最高ランクのクリスタル系アイテム。

 

「それ……まさかコリドーか……? マジかよ、ほんとに転移先を知って……ッ!?」

「ああ。たった今(・・・・)出口が決まった。てめェらの息の根を止めに行く。……あとシーザー。正直に答えてくれて嬉しかったよ。最後、よくPoHに逆らった。あんたのおかげでこの命が繋がった。だからまた……ゆっくり話そう」

 

 すぐに釈放とはいくまい、シーザーもやはり立派な犯罪者だ。

 だが俺はとても満足している。なぜなら、彼を改心させられたからだ。ミンストレルの時は道半ばにすらならなかったし、タイゾウも結局『ぶっ殺して解決しました』という、奴らと同じ手段をとってしまった。

 それがどうだろう、彼は俺に味方し、まんまと出し抜いてやった。シーザーはPoHではなく、この瞬間から俺についた。信じていた仲間に土壇場で寝返られる感覚を、あの途方のないクズもしっかりと味わったことだろう。

 そう考えるだけで、今までの(いきどお)りやら溜飲やらがほんの少し和らいだ。

 

「ッ……終わらせるぞ! コリドー、オープン!!」

 

 右手の結晶が弾ける。暗い通路に開くコリドーによる白いサークルに、24人の猛者が侵入した。

 俺が最初に見た光景はアリーシャの背中だった。

 続いて荒れた大地と枯れかけた草木が飛び込む。マズい空気と棲息モンスターの種別から、とても歓迎される気分にはなれないフィールドだったが、俺はグリムロックによってこの場が決戦場だと知らされた時から待ち遠しかった。

 そして、その向こうにはラフコフが9人。

 

「もう……逃げらんねェぞ、PoH……」

 

 追い求めていたプレイヤー。出会うだけでなく、『逃げずに戦わせる』だけの戦場。

 やりたいだけやって煙のように退却できた今までとは違う。

 

「……Shit、やってくれたぜ。けどどうだよオイ、人数減ってんなァジェイド」

 

 PoHはあくまで減らず口を叩いていた。

 だがその声にすら力がない。

 

「アリーシャ……あとは俺らに任せろ。よくやった」

「うん……ジェイド、信じてたわ……」

「てっ、めェジェイド!! お前がやったんだろ! 絶対に殺すッ!! 必ずドロ噛ませて惨めにブチ殺してやるッ!!」

「図体ばっかでけェ害虫共がッ……こっちのセリフだジョニー・ブラックっ!!」

 

 俺が激動を吐き出すと、ラフコフ討伐隊の面々が武器を構えた。俺も強く柄を握り視線を諸悪の根元に見据える。

 24対9。絡め手もとれない圧倒的な戦力差。

 

「まったく、一応リーダーは俺なんだけどな。……さて、行くぞ! 戦闘開始ッ!!」

『ウォオオオオオオッ!!』

 

 全面戦争の後半戦。開始の鐘代わりとして、リンドの掛け声に呼応し6人4パーティ分の戦力がフィールドを疾駆(しっく)した。

 俺もその先頭付近で剣を構える。狙いは当然PoHだ。他の連中は仲間に任せる。

 だが。

 

「くっ!? ジョニーッ!! 邪魔すんなよ!!」

「これ以上はやらせねェっ!!」

 

 またしても俺の前に立ちはだかったのは奴の鋭いナイフだった。

 先に減速して振り抜いてしまったせいで威力の弱まった大剣をダガーで防ぎつつ、相手はそれでも叫び続ける。

 

「ヘッドを逃がせ!! くっ……全員!! ヘッドを逃がすことだけ考えろォッ!!」

「こいっつ!?」

 

 それが、こいつの選択だった。

 希代の大犯罪者PoHと最も長い時を重ね、常に謀略と戦乱の渦に身を投じてきた男の決断。自らを導き研鑽(けんさん)してきた崇拝者こそ、その存命こそを最優先に。

 PoHが「自分を生かせ」と嘆願したのではなく、仲間が「(かしら)を生かせ」と鼓舞ことには絶大な意味が生まれた。

 それを聞いたラフコフ残党の動きは早い。逆ピラミッドのような部隊編成を作成し、PoHを討伐隊から最も遠ざけたのだ。他人の傀儡化、精神把握術、悪意の煽動、それこそ火元を絶たなければ煙は消えない。だからこそ、PoHを捕まえられるか否かは俺達にとっても重要事項だった。

 逃がすわけには、いかない!

 

「追える奴、PoHを追え!! 絶対に逃がすなァ!!」

 

 ラフコフ討伐隊……いや、もはや『掃討隊』にも近い俺達の部隊は、8人の男に全力で行く手を阻まれていた。

 もう勝ち目はないというのに。

 それとも勝ち目がないからこそ、だろうか。

 誰1人としとして目標を見失わず、ただひたすら対象の遅延行動に移っていた。その集中力と団結力だけは見事なもので、追い詰められているはずの敵に感服すらする。

 何人かはラフコフの防衛戦を抜けられていたが、彼らが先に逃げ去ったPoHに追い付き、さらに捕獲できるかは五分五分だろう。

 残った掃討隊の方も、残党を捕らえるのに最低1分はかかる。

 

「待てよゴラァ! 誰もいかせねェ! 俺がてめェらまとめてブッ殺してやる!!」

「ったく、呆れた執着だよ君らは!!」

「リンド! 左から押さえ込め!!」

 

 俺とリンドによる左右からの挟み撃ち。

 別の掃討隊2人を誘導に使っただけはあって、誘い込まれたジョニーはモロに俺達の攻撃を受けていた。さらに俺の《暗黒剣》スキルの攻撃で片足まで欠損し、素早い身のこなしが嘘のように地に伏せる。

 それを皮切りに残党狩りは終息に向かっていった。

 《赤目のザザ》もキリトとヒースクリフの連携攻撃の前にとうとう崩れ、殺さず引っ捕らえることに成功している。結果だけ見れば戦争の後半戦はラフコフ側に1人の死者を出すだけに留まった。

 捕獲者が7人追加。正確な全勢力は不明だったが、戦闘初期の敵側は34人いた。21人が死亡し、これで前半戦と合わせて12人のラフコフメンバーを捕まえたことになる。

 あとはPoHだけだ。

 「全員逃がさないように縛り上げろ! PoHを追った仲間の連絡を待つ!」というリンドの命令がかかると、それぞれの隊員が指示に従って黙々と作業にはいる。

 そこでジョニーが苦し紛れに話しかけてきた。

 

「ヘッ……ヘヘヘヘッ……ジェイドよぉ、俺を殺さねェのか。今やらないと後悔するぜ……必ず後悔する……」

「…………」

 

 答えは決まっている。

 

「ムカつくゲスを殺して解決……ってなァ、この世で1番チンプなせーぎだよ。あんたはこの先も生かし続ける。生きて……死ぬまで思いしれ……ッ!!」

「くっ、く……カッコいいねぇ。ったく……」

 

 それっきりだった。会話も、順調だった作戦も。

 PoHの追跡に入った討伐隊は30分もしてから本隊と合流した。

 迷宮区の中まで捜索し、一時は相当ギリギリまで追い込んだが、結局は見失ってしまったらしい。やはり19層の迷宮区を1度根城にしたことだけはあるようで、くまなく探すには捕らえた者だけでも《黒鉄宮》に送ってからにしかできそうにない。

 

「逃がした、のか……」

「やめようぜジェイド。まずは目上の戦果に満足しようや」

 

 納刀したクラインが、赤いバンダナの上から髪をガシガシと掻きつつ後ろから割って入った。

 

「クライン……でも……」

「お前ェが作り上げた作戦と部隊で、死に物狂いで掴み取った結果だ。いいか、よく見とけよ。これからジェイドつープレイヤーをバカにする奴は現れねぇ。この日起こした奇跡を、誰も忘れやしねぇってな」

「けどっ、俺……ッ……た、くさん……!!」

 

 死なせてしまった。仲間の数が初めとで全然合わない。つまりそれは、俺が立案した作戦で多くの攻略組がこの世を去ったということに他ならない。当初の『絶対安全』という太鼓判から逆算すると、この人数は殺したも同然だった。

 それに俺は、先の戦いの中で2人のプレイヤーのHPを文字通り消し飛ばしていた。

 体力バーの消滅、それは人を絶命足らしめる絶対のルール。1年9ヶ月も前から変わらない不動の摂理。

 このゲームに囚われて以来、俺はこれで4人ものプレイヤーを殺した殺人鬼となったのだ。

 

「今日だけで……何人っ! ……死んだよ!!」

「……ジェイド……おめぇ……」

「たぶん30人以上は死んだだろうさ」

「キ、リト……?」

 

 俺とクラインの間に、今度はキリトが黒いコートをなびかせて割り込んできた。

 しかし、その眼には(いつく)しみがあった。降りかかってきたものは、責め句ではなく(ねぎら)いの言葉だった。

 

「けど誰もジェイドを恨んじゃいないよ。……あんたを称えこそすれど、絶対に誰も恨みはしない。だってジェイドは英雄なんだぜ? 悪の根を滅ぼした勇敢な人間だ」

「キリト……」

「明日……て言うか、今日の朝か。もうすぐ夜が明けて……それで多くのプレイヤーが目覚めると、有志新聞のトップにこの戦いのことが載っているだろうさ。作戦会議の時、アルゴもまだ起きてたろ? そして記事を読んだ人は、きっとこんなことを言うんだと思う……」

 

 キリトはそこで1度言葉を区切ると、改めて澄んだ声を出す。

 

「ありがとうジェイドさん、ってな」

 

 そう言う彼は凄く嬉しそうだった。まるで自分のことのように笑っている。

 それを聞いていたクラインも、近くで見ていたアギンとフリデリックも、一緒に死線を潜った討伐隊のメンバーも、一様にして俺に目を向け各々意味ある表情をする。

 

「ありがとうジェイド。おつかれさん」

 

 キリトがそう締め(くく)ると、まばらだが歓声が聞こえた。

 「よくやったありがとう」、「あんたがいなきゃできなかったぜジェイド!」、「ラフコフを潰した勇者だ」、「名前は覚えた! 今度手合わせしようじゃん!」など。たくさんの言葉が心に流れ込んできた。

 死者も出て、泣く者も出たが。PoHを逃し、わだかまりも残ったが。

 それでも俺のしたことに意味はあった。

 

「ジェイドぉ、ボクはレジクレにいてぇ……ロムの意思を継いでくれたこのギルドにいてぇ……本当によかったよぉ……」

「僕も……君がリーダーでよかった。いつも助けてくれるヒーローがジェイドでよかった」

「ええ、まったくね。じゃあヒスイんとこ帰んなきゃ。アタシはできればこのままがいいけど」

 

 ジェミルが泣きそうに語り、カズが嬉しそうに呟き、アリーシャがいたずらっぽく笑う。

 並んだメンバーに、正直俺の心は踊った。

 

「ああ、帰ろうぜ。俺らの日常に……」

 

 この日、8月6日。夜明けと共にアインクラッド全域へラフコフ壊滅の知らせが周知された。人々はその戦果に歓喜し、訪れた安息に爛々(らんらん)と震え上がる。

 そして。

 

 

 悪を絶った英雄の名が。

 『ジェイド』という栄冠の象徴が、全世界に(とどろ)くのだった。

 

 

 

 



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第十三章 クォーターポイント The 2nd Stage
リコレクションロード4 レッドの残照


大変お待たせしました申し訳ありません。
お気に入り件数が1250を越えました。作者はとても嬉しく思っております。


 西暦2024年10月17日、浮遊城第74層。

 

 「ねぇ、キミ可愛いね。どこの子?」と誘われたのは4日も前のことだった。

 相手は20代の女性だろう。清んだ色の茶髪でお団子のように髪が左サイドで纏められている。手足も女性にしては長いようで、目線は僕よりわずかに高い。

 自信の表れなのか、整った表情とスラッとした等身からは気品が漂っていた。

 ――綺麗なひとだなぁ……。

 なんて思うのも、はっきり言ってドストライクだからである。

 僕は内気なこともあるせいからか、昔から惹かれる女性は強気でリードするような人に寄る傾向がある。ジェイドには絶対言わないけど、ヒスイさんもその1人だ。

 多少、目の回りのメイクが濃い気もしたが、僕は慌てて女性に対して返事をしていた。

 

「ぼ、ぼぼ僕はルガトリオです。所属はレジストクレスト……」

 

 なんてばか正直に答えて気づいたが、考えてみれば名乗られる前に名乗るのもまた間抜けな対応だ。いくら相手が好みな女性だったとしても、やはり名前や所属ギルドは立派な情報で、やたらと言いふらしていいものでもない。

 しかし女性にとっては初々しい――自分で言うのもなんだけど――反応がお気に召したのか、気分を良くしたようだ。

 

「へぇ~!? レジクレって言ったら、あの有名な《暗黒剣》がいるギルドだよね!? うわ、私みたいな成り損ないが偉そうにごめんね……」

「いえいえそんなことないですよ! ……その……あなたも、強そうですし……」

「え、ホント!? うわぁレジクレの人に言われるとチョッと嬉しいかも。……今は1人なの? ホームはこの辺?」

 

 女性は矢継ぎ早に聞いてくる。

 こう聞いていると、ジェイドもかなり有名になったものだと痛感する。

 初めは新しいユニークスキル使いの登場に沸いた世間だったが、そこは前例があったことや、かの悪名高いPoHも《氷結剣》というユニークスキルを使用したこともあって、混乱というほどまでの騒ぎにはならなかった。

 むしろ今までKoB団長のヒースクリフさんだけが独占していたそれに対し、新たな使い手が登場するという事実こそが、まだ見ぬ力に夢見てプレイヤーを奮い立たせたとも言える。

 そして何より、1人締めしていたジェイドが誰からも責められなかったのは、《ラフコフ殲滅戦線》において彼が類い稀なる功績を生み出したことが大きいかもしれない。

 そう、心どのこかで感謝しているのだ。殺人現場に遭う、あるいは実際にそのターゲットになってしまう危険性が限りなく低下した事実。これがもたらす精神的な平穏は、言葉にでにないほどの価値があった。

 たかだかスキル1つを内緒にしていただけで、彼を指弾できるはずもない。

 

「(それにしても……なぁ……)」

 

 ふと記憶から呼び戻される。

 50層の《アルゲード》でふらふらしていたら、女性に逆ナン(?)されるなんて夢にも思わなかったのだ。4日前のアレは、たまたまギルドから休暇をもらっていた僕には大変なサプライズである。

 しかし名前を聞いた僕は、彼女への対応を一変させることになる。

 「私はミランダ・リファニーよ。ミランダって呼んで!」という彼女には、「僕の方こそルガでいいですよ」とだけ返して、その日は攻略指南を受けたいという彼女と、次に会う日を決めるだけで別れた。

 それから何度も彼女から連絡が来て、その度に僕はお誘いに喜んで乗っていた。時には教えてもらってばかりだからと、豪華な食事まで奢ってもらったことがある。

 

「ミランダさん……か……」

「ようルガ、彼女さんとは順調(・・)に行ってんのか。4日たつけどどうよ?」

「もうジェイドったら、茶化すのはやめてよ~」

 

 僕はからかうジェイドに釘を刺しておく。

 すると横からひょっこりジェミルまで現れてきた。

 

「でもルガぁ……これ最初で最後のチャンスだよぉ? どうせならイロンナ経験しなくちゃぁ」

「も、もう! そんなことしてる場合じゃないんだからさ! あと最初で最後ってどういう意味さぁ!?」

 

 わかって言っている彼らにはふてくされるしかない。

 それと本日のヒスイさんとアリーシャさんは買い出しの日のようだ。新鮮な肉が安く手に入るからと言って、午前中から姿が見えない。

 まったく、のっぴきならない事態だと言うのに、彼らの呑気っぷりにはため息が出そうになる。彼女と一緒にデートまがいのようなことをしている僕の身にもなってほしいものだ。

 ――まあ、半分以上は喜んで引き受けたけど……。

 

「待ちに待ったフィールドデートの日だろ? おっと、服は気合い入れて行けよ。そのスニーカーみたいな靴も論外だ。ああ、あとヒスイやアリーシャもすぐ帰ってくるってさ。アドバイス聞いてみたら?」

「うん……でも……勝手に割って入ってきちゃダメだよ」

「んなブスイなことしねーよ。ほら、今日の昼メシもご一緒だろ?」

「ルガもぉ、早く女の子に慣れないとねぇ~」

「も、もーう! そんなんじゃないって! あとジェミルにだけは言われたくないよ!」

「が~んっ!?」

 

 なんて押し問答をしている内に約束の時間が迫ってきたので、僕は逃げるようにギルドホームを飛び出すのだった。

 

 

 

 そして本日10月17日、午後12時。僕はミランダさんと2人で会っていた。

 階層は59層。主街区の名は《ダナク》。

 低い背の草が辺り一面に生い茂り、その辺で放牧でもしていそうなほど田舎町を思わせる主街区だ。

 

「攻略組のレジクレ所属なら低すぎたかな? ごめんね。60層後半でも行けるんだけど、大事をとってここにしたのよ」

「いえ、いいですよ。僕も簡単な層の方が落ち着いて話せますし……」

「にひっ、嬉しいこと言ってくれるね。……ね、私ってほら、まだ最前線までは行けないじゃない? だからギルドのリーダーさんの話も聞かせてよ。ユニークスキルがどうやって知れ渡ったかとか聞きたいな~……ダメかな?」

「ダメじゃあ……ないですけど……」

 

 もちろん、あれやこれやと隅々まで教えるわけにはいかないが。

 僕らは適当な食事処に入ってから軽く雑談をし、フィールドに出て狩りをする頃にはすっかり話し込んでいた。改めて感じるが、ミランダさんは間違いなく聞き上手だ。

 現在時刻は午後1時。やっぱりこういう日は時間が気になる。

 

「へぇ、じゃあジェイドさんのギルドにいる女の子が、ラフコフを倒すのに必要な情報をゲットしたってことだったのね? だから洞窟にいるってわかったんだ」

「……まあ、おおむねそうです。そしたらジェイドが洞窟の中で僕を守ってくれて。……しかも、あのPoHと戦って追い詰めたんです。あの大犯罪者PoHとですよ? すごく格好よかったですし、本当にあと少しのところでした」

「よく見てるんだね。さっきから何度も名前だしてる」

「あっ、や……これは違っ……」

 

 必死に取り繕うとしたら、ミランダさんは余計に僕のことを笑った。きっと全部承知の上でからかったのだろう。

 

「……もう……」

「にひひっ、ごめんごめん。……あ、せっかくだしあの森に行っていいかな? 私、実は調味料の元も取りに来てるのよ」

「ああ、ハチミツですよね。僕もここのは大好きなんです」

 

 僕はまたも彼女の話に流されるように、植生された人工林が乱立するエリアへ侵入していた。

 ここから先は周りからの視線が途切れるエリアだ。平坦の続く他エリアと違って視界も適度に悪くなる。例えば誰かが隠れていたとして、それでもスキルで捜査しなければそうそう見つけられないだろう。

 シーザーさんの報告した通り。そして全てが作戦通りだった。

 

「……あの、どこまで歩くんですか?」

「……ごめんね……」

 

 彼女が低いトーンで謝罪をした直後。

 僕はジャキッ、と後ろから剣を突きつけられていた。

 

「手ェ挙げな。下手なことすんじゃねぇぞ」

「……き、君達は……ッ!?」

「へへっ……よくやったミランダ。おいガキ、やめときな。俺らは攻略組に対抗できる武器がある。あんまり面倒をかけさせるな」

「そうそう、おまけに3対1だ。なぁに殺しはしねぇさ。ただちょっと持ち金全部置いてって欲しいのと、あんたのギルドについて情報が知りたい」

 

 ――そう来たか。

 なんて、他人事のように僕は考えていた。

 ガラの悪そうなおじさん風の代表者は、親切なことに聞く手間も省いてくれて、敵の数は3人で確定。シーザーさんに聞いた数と一致していることから、どうやら2ヶ月前の当時から相手の数は変化していないらしい。

 おそらく、これなら一瞬だろう。

 

「知ってどうするの……そんな情報」

「高く売れる先があるんでね。それを教えてやる義理があるか?」

「ごめんなさいルガ君。危害を加えたくないの、大人しく従って」

「……僕は……そうだね。君らみたいな卑怯者には、絶対に言わないよ!!」

 

 そう言い放つと、僕は後ろから「舐めンなやクソガキ!」という罵声と共に思いっきり斬りつけられた。

 次に挟み込むように2人目が僕の腕に刺突剣(エストック)を突き刺すが、《対阻害(アンチデバフ)》スキルが《麻痺》化を阻止。僕は転がるようにして戦線を離脱する。

 が、逃げようとしたその先にはミランダさんが。

 僕が彼女に掴みかかろうとすると、彼女もまた片手剣で対応し僕を斬り捨てた。

 一連の流れで僕のHPは半分を割りきっていた。思ったよりも減っている。準攻略組というのはうそぶいたわけではないようだ。

 

「ごめんなさい、ルガ君! お願いだから逃げないで!」

「謝るのはこっちです……ジェイド! みんなオレンジにしたよ!」

「えっ?」

 

 ミランダさんが何かを言いかける直前……、

 

「ぐァああああっ!?」

 

 という叫び声が響いていた。

 声に反応し、咄嗟(とっさ)にしまいかけていた片手剣を抜こうとしたミランダさんは、両脇からヒスイさんとアリーシャさんに抱え込まれる。同時に、両足を斬り飛ばされた男とは別の男がジェミルによって両目にナイフを投げつけられていた。

 2本とも命中。情けない悲鳴の1秒後には、ズパンッ! と3人目もまた両足を失ってしまった。

 いかなる耐久値(デュラビリティ)であれ、超スピードでそれを削り取る唯一無二の力。ユニークスキル、《暗黒剣》。

 

「ホイいっちょ上がりっと」

「ば、バカな……ッ!? 誘われたッ!?」

「ルガ君……これはいったい、どういうことなの!?」

「騙してごめん……でもおあいこです。返すようですが、逃げないでくださいね。ヒスイさんもアリーシャさんも同性ですのでコードの抵抗も使えません。……どうしても逃げようとするなら……」

「く、ぅ……!?」

 

 両手用棍棒を揺らして見せつけると、どうやら言わんとすることは伝わったようだ。

 僕はため息をついてから本題に入った。

 

「『ミランダ・リファニー』は元から僕らの標的でした。この作戦も当時から考えていたものです。ご存知の通り、ラフコフを裏切ったシーザーさんは片っ端から元の仲間や、パイプを持った『予備軍』の情報を明かしてくれました。プレイヤー名、組織ぐるみならその構成人数からスタイル、潜伏場所、恐喝諸々の手段……ようは全部です」

「本場とやり合った俺から言うと、あんたらはまだまだ甘いよ。あのクズ共の足元にも及ばねェ」

「……そん、なっ……!?」

 

 あくまで気楽に、どこか陽気に、敵の脅威を冷静に語る。悪を絶った英雄として、初めて名が売れたジェイドの横暴な性格にギャップを感じたのか、ミランダさんは戸惑うように視線を這わせた。

 お世辞にも褒められない普段の口調や態度を見るに、こちらの方がむしろ彼にとっては自然体なのだが、僕も今だけは良心を捨てて1歩踏み出した。

 

「気の毒だけど彼の言う通りですよ。だから名乗られた瞬間から、僕はミランダさんを捕まえなくてはならなかったんです。……じゃあ始めよっか。情報を高く売れると言っていたその『売却先』について、詳しく教えてくれませんかミランダさん」

「……おぅし、聞き取り調査開始といくか。おいジェミル、このバカ共押さえとけ」

「了解ぃ」

 

 ジェイドが本格的に割り込むと、それでもミランダさんは毅然(きぜん)と振る舞っていた。

 

「……知らないわ……」

「よし、まずは1本だ」

 

 言うやいなや、地に伏せるミランダさんの仲間の腕を、いきなり肩口から斬り落としていた。

 「があああああああっ!!」と叫ぶその男には一瞥(いちべつ)もくれず、さらに枯れ枝を喉まで突っ込んで黙らせると、ヤクザのような顔をしながらジェイドは続ける。

 

「答えろ」

「ま、待って! なにを……キリサメを殺す気!?」

「なにって、まだ腕を斬っただけだ。糸目のお友達はキリサメ君か? なかなか台本通りのいい声出してくれるじゃねぇか。んで、残念なことにもう2回の攻撃でこのキリサメ君のHPが消し飛んじゃうわけだけど、わかるよな? 次はもう片方の腕で、最後がお待ちかねの首だ」

「ひ、ひやだぁ……助けて……くれ……!!」

「……くっ……狂ってる……ッ」

「演出にはこだわる方でね。まあなんとでも言え。質問に戻るが、相手はPoHだな?」

「……ええ、そうよ。……言ったでしょ、だから……っ」

 

 ミランダさんは助けを乞うが、まだそれだけでは釈放できない。

 ジェイドはさらに質問を続けた。

 

「今の潜伏場所を言え。層だけじゃない、細かい位置も」

「…………」

「……手早く済ませようぜ?」

「……知ら、ないわ……私は……」

「があああああああアアアアアアアアアっ!?」

 

 ズンッ、と鈍い音が届く。

 さらに男の腕が斬り落とされていた。

 もうここまで来たらダルマだ。彼にはもう頭と足しか残っていない。

 僕は猛烈な吐き気と嫌悪感に(さいな)まれつつも、作戦続行のためそれらに耐えた。

 

「待って! いえ、待ってください! 本当に……知らないんです。信じてください。……ヒック……お願いよ……私は知らないのよっ……キリサメを殺さないでぇ……」

「……ジェイド……」

「……ああ、やっぱ……何回やってもこうだよな」

 

 ジェイドは酷くしわがれた声でそう吐き捨てた。

 僕らはこんなことをもう2ヶ月以上何度も続けている。ラフコフの正規メンバーが実質的に解散したあの8月6日から今日に至るまでずっと、欠かさずだ。

 そしてその理由もはっきりしている。

 

「……え? ぇ……あの……?」

「悪いな脅して。実際殺すつもりはないよ。けど……あんたらの本音を聞きたかった」

 

 言いつつジェイドが『キリサメ』と呼ばれた男性に回復ポーションを飲ませてやると、改めてミランダさんに向き直っていた。

 

「俺達はもうずっと繰り返しる。……ま、最初はこんなスマートじゃなかったんだぜ? ルガも相手がカワイソーで見てられない、ってな。……けど、どんなにイヤでも、やめるわけにはいかなかった」

「……な、なぜ……?」

「表向きは『ラフコフ完全解体』のためだ。戦いがあった8月6日、あの場にラフコフメンバーの1から10まで全部がいたかっつーと、そうじゃなかった。情報集めに行ってた奴、レベリングをしていた奴、中には一般人に混ざる内通者もいたんだ。名前は確か『サイ』だったか……」

「…………」

「週1ペースで2、3人……時には合同で8人集団も捕まえて、この2ヵ月ちょいで約30人。あんた達みたいな間接的な連中を含めてな。……けど、それも今日で終わりだ」

 

 今日で終わり。

 これはつまり、シーザーさんの持っている情報で捕まえられるレッドプレイヤー予備軍を、限界数まで捕まえきったことを意味する。

 計30人近くにまで上る残党狩りはようやく終了。PoH以外のラフコフ構成員60名余り、正真正銘の全戦力がこれで消滅したわけだ。

 世界最大のレッドギルド消滅。おかげで勢い付いていた他のオレンジギルドも成りを潜めている。300人近い数か、あるいはそれ以上のプレイヤーが蔓延(まんえん)していたはずだが、一気に縮小したことで活動しているオレンジ集団は、きっと全層で集計しても50人にも満たないだろう。

 心臓に悪い悪質な恐喝や騙し合いは、もうやらなくていい。そう考えるだけで、僕のムカムカした気持ちは少しずつ落ち着いていった。

 

「今日で、終わり……?」

「ええ。PoHがあれから新しい繋がりを作っていなければ、あなた達が最後だったの。そしてあなたもPoHの居場所を知らなかった。……でもね、これはこれで十分な収穫なのよ」

「そうそう。知らなかったってことは、一緒に行動してないってことでしょ? つまり、以前パイプを持たせたどのオレンジギルドの中からも、ジョニーやザザに変わって『幹部』に位置する人を選ばなかったってことなのよ。これは大きいわ。まったくの新人をラフコフに起用するにしても、いきなり本人が普段どこで何をしているのかまでは教えない。……つまり?」

「あっ! 彼はまだ……1人ってこと……?」

「ふふん、そういうことよ」

 

 答えに行き着いたミランダさんに、アリーシャさんが自慢げに言う。

 そう、PoHはまだ1人だ。今も孤独に生きている。

 言うまでもなく、事情に詳しいシーザーさんが裏切った以上、マーキングしておいた『予備軍』に手を出さず、新規メンバーを雇用していたという可能性も十分にあり得る。それなら解体が完了したとは言い切れないが、少なくとも信頼し合える仲間を得られていないのは確かだ。

 彼は恐怖による湾曲しきった(いびつ)な支配体制のツケを払っていると言える。

 

「よっぽど連続で裏切り者が出たのが効いてるな。ザマァ見ろってんだ。……ともあれ、これで終わった。ミランダ達3人を《軍》に引き渡すぞ」

「うん……」

 

 引っ捕らえられたミランダさんに僕に言えるのはこれだけだった。

 

「さようなら、ミランダさん……」

 

 囮捜査の役はこれで解任。

 この日、『ラフコフ完全解体』が終幕した。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 その日の夜。場所は《はじまりの街》の《黒鉄宮》前。

 僕達は《軍》では比較的なじみの深い、細かいシワのよった中年の男性に出向かわれていた。

 

「よ、クロムのおっさん。元気してたか?」

「先週ぶりだの。……シーザー・オルダートは面会室に待機させておるで」

「おお、仕事が早いな。助かるぜ」

「そら昼過ぎにミランダの嬢ちゃんをヒスイさんから引き取ったのはわしだからな。シーザー・オルダートにも大体の事情は話しておいたぞ」

「サンキュー。なら遠慮なく上がらせてもらうか」

「お邪魔します……」

 

 ちなみにここにいるのは僕とジェイドだけである。

 『ラフコフ完全解体』が一段落ついたということで攻略組全体にその事を知らせ、それをシーザーさんにも伝えるために僕達はここにいる。

 《黒鉄宮》に閉じ込められたことのあるジェイドだからか、案内もなしにてくてく歩いていると、ものの1分で面会室に着いた。扉を開くと、使い魔のいないビーストテイマーが静かに座っていた。

 

「……よお、シーザー」

「こんばんはシーザーさん」

「先週ぶりですねお2人さん。ミランダさん方が捕まったと聞いた時点で、もうここへは来てくれないものかと思っていましたが」

 

 大きなガラスを挟んで彼は不適に笑う。

 シーザーさんはレッドギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》においても中核に存在していたプレイヤーだ。その重責がある限り、2ヵ月以上たった今も彼はここから出られない。

 それでも、僕らは今日までの協力に感謝はしていた。

 

「ミランダ・リファニーを捕まえれたのはこのチビッ子のおかげだ。あと隠さず教えてくれたシーザーもな」

「おだてても何も出ませんよ」

「そうだよ……僕もただ、獲物としてしか見られてなかったのに……」

「それでもだよ。時にシーザーよ、そろそろシャバの空気を吸いたくねぇか?」

「えっ……?」

 

 この発言については、シーザーさんだけでなく僕も驚いていた。

 シャバの空気を吸う。つまり《黒鉄宮》から出たくはないかと、そう聞いたのだろうか。だとしてもジェイドにそんな権限はないはず。

 

「ジェイド……残念だけどそれは無理だよ……」

「クロムのおっさんも同じことを言うだろうな。……けど、当時誰もが無理だと思ったアリーシャの釈放は、投獄からたった1ヵ月で成された。だったら何も不可能じゃねぇだろ? これでもあいつの時はDDAやらKoBやらに強く批判されたんだぜ。……可愛い女の子だから助けるのかってな、ハハハッ……」

「…………」

「…………」

 

 ジェイドはあえてカラ元気を見せつつ、笑い顔を引っ込めてから続けた。

 

「俺は救える奴だけ地道に声をかけるだけだ。まあ正直、シーザーの釈放を提案した日から、俺んとこに脅迫メッセが届いたりしてるけどな。でもラフコフをブッつぶしたのは俺だ。さすがに野次馬も面と向かって文句は言ってこなかった。……んで、そっから俺は《ラフコフ殲滅戦》に参加したメンバーに条件を伝えた」

「条件? シーザーさんを釈放する条件のこと?」

「ああ。その1つは釈放の可能性を本人に絶対に伝えないこと。2つ目は、それを踏まえた上で犯罪者捕獲への助言をさせ、その情報をもとにラフコフを完全に解体させることだ」

「あっ! だから今日までずっと!?」

「そんなことを話していたのですか……」

 

 完全に初耳である。脅迫メッセージが届いていたことも脇に置いておけない事案だったが、それよりもジェイドの強引なギルド方針がこうして決まっていたことに驚きを隠せない。

 メンバーが乗り気でないのに押しきったということは、おそらくこの事はヒスイさんすら知らなかったのだろう。先ほど意味ありげに「表向きは解体だ」などと言ったのはこういう意味だったのか。

 

「2ヶ月もかかっちまったけど、今日……条件を達成したことを立会人に伝えた。あいつらすっげぇ器用な表情作ってたぜ? まさか達成するとは思わなかったってな」

「ジェイド……さん……」

「マジで助かったぜシーザー。あんたは間違いなく、心の底から変われたんだ。……これでようやく決着。だろう!? 後ろで聞き耳たててる奴ら!!」

「え……?」

 

 僕とシーザーさんが驚いて部屋の入口を振り向くと、反対側からドアノブが回されて扉がゆっくりと開いた。

 そこにはDDAのトップ、リンドさんを始めとした《ラフコフ殲滅戦線》に参加した数人のプレイヤーが立っていた。隣にはかのヒースクリフさんまでいる。

 その表情はジェイドの言った通り、一様にして微妙なものだったが。

 

「……フンッ、この物好きが……」

「まあそう言ってやるな、エルバート。確かに多くの友が犠牲になったし、彼の肩を持つ気は知れんがな。……ただ、約束は約束だ。見届けさせてもらったよ。ジェイド、あんたの決意は本物だった。ここから出してそいつの面倒を見ると言うのなら、俺達はあんたの意見を尊重する。だろう? KoBのみなさん」

「無論、1度交わした約束を反故にはしないさ。ジェイド君、KoBもシーザー氏の釈放に賛同しよう」

 

 DDA副官でもあるエルバートさんはまだ納得がいっていないようだったが、巨大ギルドを纏めるリンドさんやヒースクリフさん、それらに所属するメンバーですらジェイドの行いを認めていた。

 これはまさに、彼の努力が報われた瞬間だった。

 

「ジェイドさん。……ぼくのために、こんなことを……何て礼を言えば……」

「へっ、ようやく人間らしいツラ見せたな。けど今すぐじゃねぇぞ? 釈放されてからもしばらくは監視がつくだろうさ。なんせPoHが恨みツラミを持って襲ってくるかもしれないしな。自由になれんのは……まあもうちょい先だ」

「……ええ。十分ですよ。本当に……ありがとうございます」

 

 この日、近日中にシーザーさんが釈放されることが決定された。

 それはジェイドが関わった人間の更正において、3度目の快挙となるのだった。

 

 

 

 

 ミランダさん達3人が《はじまりの街》の《黒鉄宮》に投獄されてから、つまりシーザーさんと話し合いで決着をつけた記念すべき日から翌日。

 若干湿度が高いものの、本日は文句なしの晴れ模様。74層の迷宮区を探索するレジクレの足取りにも元気があった。

 ちなみに、この4日間でなかなか攻略に集中できなかったレジクレだったが、アルゴさんが感謝を込めて情報をサービス提供してくれている。本層の迷宮区も相当深い部分までマッピングされていたので、この付近にフロアボスの部屋があることは間違いないだろう。

 

「経験則だとこの辺だよねぇ。ボス部屋見つからないかなぁ……」

「そうね~。でもアタシの見立てだと、見つかるのは明日ぐらいになると思うんだけど」

「あ、ねぇあれ見て! プレイヤーが何人か集まってないかしら?」

 

 ヒスイさんがそう言っているのが聞こえると、談笑していた僕とジェイドも視線をその方角へ向けた。

 すると確かに、そこには服装がバラバラな10人ほどのプレイヤーが立ち止まっている。ただでさえ最前線の危険域でライバルとナワバリ争いが起こらないのも稀有だったが、さらに彼らは珍しい組み合わせだった。

 

「あ~れ、なんだなんだ……キリトにアスナに《風林火山》? どんなメンツだよこれ」

「なんだか違和感があるね」

「おおう、誰かと思えばレジクレじゃないか。久々だな」

「あ、ヒスイー! 久しぶり~」

「アスナ~!」

 

 その場にいた全員が旧友との再開に表情を明るくする。

 会った途端に抱きつきあって喜ぶヒスイさんとアスナさんに無意識に意識がよりつつも、僕はなんとか邪念を振りきってキリト君に話しかけてみた。

 

「それにしても凄いメンバーだよね。何がどうしてこうなったの?」

「ああ、それは……」

 

 彼から聞いた話を纏めると、つまりはこういうことらしかった。

 曰く、昨日50層主街区(アルゲード)で商人のエギルさんと話し込んでいたら、ばったりアスナさんと遭遇。たまたま捕まえたS級――なほど美味しい――食材を《料理(クッキング)》スキルを完全習得(コンプリート)させたアスナさんに料理してもらった。

 そしてキリト君は食後に『頑なにギルドに加盟しない理由』をアスナさんに聞かれた。僕はすでに知っているけれど、誤魔化そうとしたキリト君は余計にも「仲間は邪魔になる」と言ってしまう。

 曰く、言われたことに腹をたてたのか、アスナさんはあれやこれやと理由をつけてキリト君に同行。本日早朝、KoBに所属する『クラディール』というプレイヤーから露骨な邪魔が入ったものの、そのままコンビを組んで狩りを続けていた。

 そうこうしているうちに3時を越えた時点で空腹に限界が来てしまい、この《安全地帯》で2人して食事をする運びとなった。そしてアスナさんが用意した料理を平らげ終わる頃になって、《風林火山》のギルドがこの休憩所へ訪れたのだ。

 キリト君から語られるそれをみんなが聞き終えると……、

 

「むふふ……アスナったら、結構ダイタンなことするようになったじゃない!」

「なっ、これは違うってば!? そんなつもりじゃ、わたしはこれっぽっちもまったく全然そんなんじゃないんだからね!」

「おい、イロイロ乱れてんぞ」

 

 学歴カーストから考えると相当格下に位置するはずのジェイドにすらそう指摘されると、頬を染めるアスナさんを中心にその場に微妙な空気が流れた。

 同時に一連の流れは意外でもある。《閃光》の他にも《攻略の鬼》なんて物々しいあだ名が付く彼女が、よもやこんなに動揺するなんて。僕はてっきり怒りだすかと思っていたのに。

 そんな内心を後押しするようにジェイドが続ける。

 

「でも言うほどか? アスナがギルドの護衛つけて歩いてないぐらいで」

「……えっ……?」

「だいたいオオゲサなんだッつーの。そりゃ自由に動きたい日ぐらいあるだろう。毎日ガードマンとか、俺なら息がつまっちまうぞ」

「アスナさんもぉ、驚くほどの事でもないとは思ったけどなぁ」

 

 ジェミルがそう続けたことで僕はあえて発言しなかったが、やはり僕とてそう感じてしまう。

 しかしそれを横で聞いていたアリーシャさんが軽くため息をつくと、こめかみに指をあてながら嘆くように言った。

 

「いやちょっと待ってあんた達、たぶんそういうんじゃないと思うのよ。……こりゃ責任もって脳筋共の感性鍛えた方がいいのかしら……?」

『えっ……?』

 

 アリーシャさんのセリフには僕達も首をかしげるしかない。しかし彼女の(うれ)いにヒスイさんまで悩ましそうにうなずいているのだから、世の中不思議である。

 なにはともあれ、一段落ついたところでふとキリト君がこんなことを口走った。

 

「ああ、そういやさっきここに《軍》の奴らが集団で来てたよ。パーティリーダーの名前は確か『コーバッツ』とか言ってたかな。うろ覚えだけど」

「え、《軍》!? ってあの、《はじまりの街》で偉そうにしてる軍よね!?」

 

 ヒスイさんの驚き方ももっともで、《軍》……正式ギルド名を《アインクラッド解放軍》とする彼ら一大組織は、初めてのクォーターポイントである25層フロアボス攻略戦において、多大な被害を被ってから失墜している。

 この辺りはもう知っての通りだ。前線から遠退き、攻略行為そのものに関与しなくなった彼らは、ギルド名に名前負けしている現状に猛烈な批判を浴びつつもなお、安心安全な範囲で組織強化しかしてこなかった。時には数にものを言わせて狩り場を独占し、フィールド一帯を占領したこともあるほどに。

 それが今日はどういった手のひら返しだろうか。前回のクォーターポイントの通過日が5月中旬だったことから、彼らが前線に顔を出すのは実に1年と5ヶ月ぶりである。

 

「ほえ~そりゃまた。けど、よもや100人規模とかじゃないよな?」

「それはないでしょう。彼らの戦闘員は限られてるし、前線まで来られる人となると、たぶん5パーもいないだろうし」

「ええ、数は12人だったわ。たぶん上から順にレベルの高い人を2パーティ分連れてきたんだと思うけど、装備はそこそこ充実してたみたいよ」

「不気味な感じだねぇ。こんなところまで何しに来たんだろうぅ?」

 

 ジェミルが思いを馳せるようにボソボソと呟くと、それにはギルド《風林火山》の隊長でもあるクラインさんが答える。

 

「それがよ、あいつら図々しくもキリトに『ボス部屋までのマップデータを提供しろ』って抜かしてきたんだよ。しかも人のいいキリトはホイホイ渡しちまうし、やけに張り切ってた感じだったからあいつらひょっとして……」

「ち、ちょっとタンマだクライン。今ってボス部屋までマッピング完了してんの? 俺はてっきりアルゴから渡されたデータ情報が最新版だと思ってたぜ」

「見つけたのは俺とアスナだけどな。つい30分前に見つけたばかりだから、今朝の段階でのアルゴのデータは間違いなく最新だったはずだ。……ボスの見た目は、まあデーモンみたいな顔した巨大なミノタウロスってイメージだ。7メートルぐらいの。武器はでっかい大剣ぽいのが1本だったけど、特殊攻撃なしって線はないだろうな~」

「マジか。じゃあとっとと帰って、情報屋に売るなりしたら攻略会議開こうぜ。ようやく4分の3まで来たんだ、腕がなってしょうがない」

「そうしたいのは山々なんだが、クラインが言ったように《軍》の動向が気になるんだ。充実した装備にしっかりとした前衛と後衛の隊列……まさかとは思うけど、気が()いたらホントにボス戦すらやりかねない雰囲気だったんだよ」

「なんだそりゃ」

 

 僕も危うくジェイドと同じリアクションをとりそうになってしまった。

 いくら前線で通用する実力者揃いとは言え、わずか12人の討伐隊でフロアボスの討伐が成功した前例など過去にはない。長年攻略組をやっていれば、それがリスクマネジメントを踏まえた上で、取るべきでない行動と判断できるはず。

 なんの恥ずかしげもなく、彼らはキリト君にデータの提供を迫った。

 軍の現状からの打開策としての新しい政策。

 最精鋭の選りすぐりを12人連れ、とても効率がいいとは言えない集団マッピング。おまけにお家芸と化したファーミングスポットの独占目的ですらない。

 確かに、まるでフロアボス攻略を想定した流れである。

 嫌な予感はますます漂った。

 

「……ちっ、しゃーねぇ。じゃあキリトが決めろよ。帰ってボス部屋の情報バラまきに行くか、先に進んで軍の様子を見に行くかだ」

「俺は……そうだな、見に行った方がいいと思う……」

「じゃ、決まりだ。クラインはどうするよ」

「あったり前ェよ!」

 

 これだけでは何が当たり前かわからないはずなのに、クラインさんが言うと理解できてしまうのが彼らしい。

 という経緯のもと、僕らレジクレの5人と《風林火山》の6人、さらにキリト君とアスナさんの計13人は即席でこぼこチームを作って74層の迷宮区を前進していくのだった。

 ――ああ、人数多くて動き辛いよ……。

 

 

 

 あれから20分以上が経過した。

 なかなかハイレベルなモンスターである《リザードマンロード》の集団に囲まれた際の「え、その程度の戦力で僕らに挑んじゃうの?」的な空気もそれはそれで楽しかったが、わりとのんびり倒して歩いていたらこんな時間になってしまった。

 しかし情報通りならボス部屋までこのペースでも5分とかかるまい。

 そんな折り、僕はとりあえず仲間に話しかけていた。

 

「軍の人達見かけなかったね……」

「ゆっくり歩いてちゃんと探したからぁ、見逃したことはないと思うけどねぇ」

「あ、あれかもよ。先に帰って情報売り飛ばしたとか? もしそうなら、あいつら何もやってないのに今ごろガッポガッポだろうな」

「これはしてやられたかしらねぇ……」

 

 と、ヒスイさんが愚痴をこぼした直後。

 通路にか細い音がこだました。

 

「おい! いま悲鳴が聞こえなかったか!?」

「き、聞こえたぜ! なぁお前ェらも聞いたろ!?」

 

 キリト君、クラインさん、そしてそのギルドメンバーと続くように相づちを打つ。

 悲鳴が上がるという現象が起きた。ここでは元の発生源が誰か、という小さな疑問は無視できる。僕達が今考えるべき事はそれがなぜボス部屋の前で響いたかだ。

 それは誰もが考えないようにしていた、悪い予感が的中したことに他ならない。

 

「走るぞっ!!」

「アッホだろあいつらッ!!」

 

 言われなくとも全員同時に走っていた。

 突然の酷使に筋肉が悲鳴を上げるも、それを無視して石畳を疾走する。道を知る先頭のアスナさんも僕らを引き離さんばかりのスピードだ。

 そしてボス部屋特有の場違いなまでに大きい扉が見えてくる。あの奥にキリト君が言っていた74層フロアボス、《ザ・グリームアイズ》がいるはずである。そしておそらく、《軍》の人達も。

 

「おい! 大丈夫か!?」

 

 大門の前で急停止。キリト君が叫ぶのと同時に僕もフロアの内部を覗くが、それはもう直視できるようなレベルの惨状ではなかった。

 エリアのあちこちで軍のプレイヤーが倒れている。ここに来るからには相当安全マージンを積んだはずである彼らが、誰1人例外なく戦意を剥ぎ取られるまでに。

 しかも、数が合わない。

 軍の集団は12人いたとアスナさんは言っていた。

 僕の目に映る範囲には10人しかいない。

 逃げたのか。逃げるにしても、2人だけ逃げるなんてことがあるのだろうか。普通戦闘を続けるなら全員回復し、続けないなら全員転移するはずである。援護要請という線も薄いだろう。1人2人ホームに帰ってもここから主街区までは距離がありすぎる。

 

「(どうしよう……どうしよう、助けないと……!!)」

 

 焦る気持ちだけが(はや)る。

 ボス部屋は半径100メートルほどのドーム状。格子状に並べられた蝋燭(ろうそく)のみが光源で、中央にはテカテカと脂ぎった(たくま)しすぎる筋肉が屹立(きつりつ)していた。

 青の悪魔、《ザ・グリームアイズ》。丸太のごとく太い右腕には、束ねた鉄筋パイプすら両断しそうな斬馬刀(ざんばとう)が握られ、青く膨れ上がった体躯(たいく)に蛇の頭をつけた尻尾があった。また頭には羊の角が生え、それはまるでギリシャ神話に登場するデーモンに例えられる。

 体格差による苦戦は必至の状態だった。しかし位置が悪く、軍のプレイヤーが部屋の奥で伏しているのに対し、フロアボスは部屋の中央を陣取っているのだ。これでは出口を目指そうにも、その前にいくらでも斬られてしまう。

 

「なぜクリスタルを使わない!! 出し惜しむな!!」

 

 とうとうキリト君が怒りも隠さずに叫んだ。

 だが帰ってきた言葉はさらなる絶望的なものだった。

 

「だめだ……! く、クリスタルが使えない!!」

 

 その場にいた全員が声を発せなかった。

 《結晶アイテム無効化エリア》。突発発生でなければジェミルが罠探索(インクイリィ)スキルで察知してくれるとはいえ、確かに僕も何度か遭遇したことのあるトラップだ。しかしどうだろうか、フロアボスと戦うこの空間がそれだったことはただの1度もなかったはずである。

 あり得ない、あり得ない、あり得ない。

 恐怖よりも戸惑いが先にたっていた。不意の一瞬、集中力の途切れ、連携ミス。いくら慎重な討伐であれ、あらゆる場面で大ダメージが重なってしまうことはままある。その度に《回復結晶(ヒーリング・クリスタル)》は人の命を数えきれないほど救ってきた。

 それが今回はできないと言う。であるのなら、足りない2人は転移したのではなく……、

 

「死んだ……のか……?」

「何を言うッ! 我々解放軍に撤退などない!! 全員、突撃ィ!!」

「ばっ!? バッカ野郎ッ!!」

 

 死にかけている仲間すらいるのに、後ろで叫ぶだけの部隊のリーダーらしき男性、つまりキリト君がいうところのコーバッツさんは無謀な突撃命令を出していた。

 あれでは死んでしまう。いま以上に、もっと死ぬ。

 

「じ、ジェイド! どうしよう!? 僕はどうしたら!?」

「くっ……」

 

 僕はたまらずすがってしまっていた。

 この究極的な判断をしたくない。考えもなしに「助けたい」などと言って、こちらから死者が発生でも出したら、いったいどう責任をとればいいのか。それが自分に帰属されることを怖れ、そのくせ軍の人達を切り捨てるという、攻略組にあるまじき非情な判断すら口に出したくはなかった。

 だから僕は、体裁を保つ暇もなく回答をジェイドにすがった。

 だというのに……、

 

「クライン! ギルドの連中にポーション持たせてあるか!?」

「あ、ああ、たくさん。けど……」

「じゃあ助ける気はあるか!? あるなら今だけでもいい! 俺の傘下に入れッ!!」

『っ……!?』

「お、お前ェまさか……!?」

 

 僕も本気で目を疑ってしまう。

 しかしジェイドの目は、それこそ本気だった。

 

「何する気だよジェイド!?」

「ここにいる奴全員に聞く! 助けたいと思うなら残れ!! 残った奴で俺がパーティ組んで、そのまま俺が指揮をとる!! ……ここで!!」

 

 はっきりと、そして確実に。

 

「ボスを倒しきるぞッ!!」

 

 軍の残り10人と寄せ集め13人による、前代未聞の討伐隊。

 レジクレにとって、ひいてはジェイドにとって、74層攻略戦はボス討伐の総指揮者になる初の舞台となるのだった。

 

 

 

 



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第92話 74層攻略戦(前編)

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 西暦2024年10月18日、浮遊城第74層。

 

 目の前に瀕死の人間が10人いる。盾を割られ、剣を砕かれ、戦意を折られた人間が。そしてその広い空間に、群青色のバカでかいミノタウロス。

 戦禍を見れば結果は瞭然。ならば俺達の取れる行動は単純である。

 簡単ではないが、単純ではある。彼らを助けるのみ。そのために、でき得る限りのことを尽くすだけだ。

 

「ここにいる奴全員に聞く! 助けたいと思うなら残れ!!」

 

 気づけば俺は叫んでいた。

 キリトはソロで日々マッピングするゲームの中毒者で、アスナは言わずと知れたKoBの副リーダーだ。一介の中堅プレイヤーである俺が心配するまでもない。

 クラインと彼のギルド《風林火山》も戦う準備はできているという。何より、俺達の中で誰1人として逃げようとするプレイヤーはいなかった。これだけあれば十分だ。

 

「残った奴でパーティ組んで、俺がそのまま指揮をとる!! ……ここで、ボスを倒しきるぞッ!!」

 

 だから俺は肺がちぎれんばかりに声を出した。

 茅場という狂った天才が作ったオモチャで、人が死ぬのはもうこりごりだ。

 しかし断言したはいいが、何分この小人数。俺を含むレジクレが5人で、キリトとアスナに6人の《風林火山》と、最後は軍10人を加算した計たった23人。適当に攻めて突破できる壁ではないだろう。

 俺は死ぬほど頭を巡らせ、決戦を覚悟した仲間の意思にそれぞれ応えていた。

 

「分担する! アスナは死角から手数スキルでタゲ取れ! 首から順に弱点を探って、手応えあったらすぐ引くんだ!!」

「わ、わかったわ!」

「今すぐだ! よし、キリトはそのサポート! 引きつけたらなるったけ時間稼ぎ!!」

「了解だ! 行ってくる!!」

「クラインはギルド全員で《軍》を立て直しのバックアップ! ボスはおそらく《脱力化(ウィーケン)》のデバフを使う! 連中が逃げられなかったのはたぶんそれだ! 俺らレジクレが前衛で盾になる!」

「任せろ! 聞いたなお前ら!!」

「持ち直したら部隊を再編! 序盤はショートローテで回して情報集めに専念する! 内容叩き込んだら配置につけッ!!」

『了解っ!!』

 

 これだけ一瞬で頭が回転したのはおそらく人生初だろう。

 みんな即席の作戦によくついてきてくれている。アスナも溢れる速度に逆らわず飛び込み、細剣専用ソードスキル、上位高速八連撃《スター・スプラッシュ》を全段うなじに命中させていた。

 中段突き3発に回転しながら下段に薙ぎ払い、回転を止めて正面で往復攻撃。さらに斜め上に2発の強烈な突き。これは本来攻撃範囲を大きくカバーして、技のどこかで『弱点攻め』を成す技のはずだ。それを片端から狙った部分に打ち込めるのだから彼女の腕は計り知れない。

 そして単発攻撃力より、短期間で多く有効打をヒットさせた方が憎悪(ヘイト)の伸びは速い。

 結果、軍に斬馬刀を振り降ろす数瞬前に、ヘイト値の矛先はアスナに向いた。

 すかさずキリトが割り込んで役割通りの動きを見せ、硬直したアスナへの直撃もなし。ここまでは上出来だ。

 俺は辺りに漂う霧を払いながら怒鳴った。

 

「ヒスイ、軍はどうだ!」

「《ウィーケン》が効いてるみたい! 吸い込んで発動するみたいだから、じきにあたし達も弱体化のペナルティを負うと思うわ」

「だろうな、クソッ。狙うなら短期決戦だ。軍が回復しきったら俺の指揮下に置く。ムリやり撤退するにも、人数がいるからな」

「わかったわ。そう伝えておく」

「ちょっと待て!!」

 

 突如、脇から男が介入してきた。威圧的な態度、先ほど号令を出していた立場、ただでさえ高級な《軍》の前線用鎧よりもうワンランク上の防具、胸元に浮遊城全体を意匠化した紋章。どれをとっても、この男がキリトの言っていた『コーバッツ』なる人物であることは明らかなようだ。

 この惨状を作り出した張本人は、それでもなお突っかかってくる。

 

「聞こえていたぞ若造が! 私は解放軍のコーバッツ中佐だ。実績を認められ、この場での権限も組織に一任されている。したがって私が指揮を執る! 部下に勝手な指示を送るなど断じて……ッ」

「うッせーよおっさん! なにが『したがって』だ。てめェのせいでこうなってんだろうがッ! 自覚あンのかよッ!!」

「やかましい! 貴様ら一般人に変わって我々が戦ってやっているのだ! それに、途中から割り込んで助けるもないだろう! それは単なる横取りであってッ」

「死ぬか、おい」

 

 俺は相手が怒鳴っている最中にジャギッ!! と、《ガイアパージ》を突きつけていた。

 曲がりなりにも《魔剣》。俺が制動をかけなければ、首を両断されてあの世行きだっただろう。

 気迫に圧されたコーバッツは小便でも漏らしそうな顔をしたまま押し黙ると、俺は簡潔に要点だけを押さえて言う。

 

「黙って従うか、斬られて死ぬかだ。てめェの無知が生きてる人間殺してンだよ」

「……ぐっ……く、だが……私の威厳の問題であって」

「どうこう言ってる場合じゃねェだろう! 俺は4人殺してる!! グダグダ抜かすと5人目のサビにすっぞ!? あァッ!?」

「ひっ、い……!!」

 

 胸ぐらを掴んで吐き捨てると、コーバッツは萎縮(いしゅく)してしまっていた。

 だが悠長に話し合い(・・・・)をしている暇はない。俺は早々に交渉を切り上げ敵の方へ向きなおった。

 ただでさえ討伐推奨人数に足りない戦力だというのに、戦場の奥でマイナススタートをしているのだ。しかも、指揮を名乗り出た俺は極力戦局を把握しなければならない。

 キリトとアスナが負ったダメージ、俺達がスイッチするタイミング、軍の立て直しに要する時間、それらを計算した上で作戦に組み込まなくてはならない。

 まったく、今までの48人もの戦力でそれをやってのけた大ギルドのの功績がいかに偉大か、そんなズレた感激が今になって身に染みる。

 それでも今の俺は討伐隊の命令棟だ。

 

「レジクレ、スイッチ!! もうすぐ軍が復活するっ! ダメージ与えんのは後回しにして地盤を固めろ!!」

『了解!!』

「アスナ、ダメージの減りが速いとこあったか!?」

「角よ。あとは、あの蛇の形をした尻尾かしら」

 

 走り戻ってきたアスナに訪ねると、そんな答えが返ってきた。

 なるほど巨体の頭部にある角はともかく、長い尻尾なら巨体に見合う狙いやすさだ。弱点部位へのダメージソースには尻尾を狙うとしよう。

 現在4本あったグリームアイズのHPバーは2本半ほどにまで減っている。軍の男達もただやられていたのではなく、きちんと反撃できていたことになる。とは言え、たかだか全体の3割少しの時点で壊滅(ワイプ)寸前に追いやられていては元も子もない。やはり無謀な挑戦であった事実は変わらないだろう。

 俺は一時離脱したアスナとキリトを引かせて回復させると、《風林火山》にレジクレの消耗具合に準じてスイッチする命令を下し、改めて軍の男達に命令した。

 

「軍のトップ連中か。俺はジェイド、《レジスト・クレスト》所属だ」

「レジクレ……あ、あんたがレッド殺しの《暗黒剣》か……?」

「肩書きはいい。《風林火山》……あそこで待機してる次のギルドがタゲ取りし終わったら、あんたらがグリームアイズを止めてほしいんだ。できるか」

「し、しかし……おれ達はコーバッツ中佐の部隊であって……」

「その中佐くんも従ってもらう。両手用斧槍(ハルバード)の後衛隊5人と、コーバッツを含む片手剣(ワンハンドソード)の前衛隊5人に別れてくれ。スイッチのタイミングは俺が指示して、後ろで得た情報を全員に回す」

「この人数だ。固まって逃げればいいんじゃないか……?」

 

 知っての通り、と前置きしたかったが、軍が知らないのも無理はない。

 それが難しい理由としては、ひとえに敵のイレギュラー性がある。70層に突入してから、ボスも雑魚も関係なく動作パターンを読み辛いのだ。おまけに逃走者、および被弾者を優先的に狙う傾向も強い。特にボス戦の撤退はフォーメーションをじっくり練るか、あるいはその過程を飛ばすなら撤退なら適当に2、3人を部屋に残して相手をさせ、その隙に残りの人間が脱出するか方法もある。きっと残りは安全に逃げられるだろう。

 そうした旨を伝えると、やはり彼らとてうなずく者はいなかった。

 

「そんなッ、オトリ作戦なんてしたら……っ!?」

「だろう? それはできない。なんせ結晶無効だ。置いてった奴は確実に死ぬだろうし、誰も名乗りでない」

 

 1人たりとも欠けないようにするなら、ここにいる全員が平等にボスからタゲをもらい続けるしかない。

 そこまで一気に(まく)し立てるとどうやら軍のメンバーも納得したようで、ようやく俺の話に静かに耳を傾けてくれた。

 俺は自身の知名度が上がったことにこの時ばかりは感謝する。

 

「対策は追って伝える。まずは片手剣部隊がフォワードに行ってくれ。まだ攻撃はしなくていい。辛抱強く、できるだけ長く耐えろ」

「わ、わかりました!」

「コーバッツもだ! もたもたすんな!」

「……了解……です」

 

 呪いの魔法でも唱えそうな顔をしていたが、コーバッツもどうにか指示に従った。あの頑丈なレア装備で戦線に加わらないなどもってのほかである。

 

「うし、残ったハルバード隊の隊長はアスナだ。このスイッチからは攻めに回る。風林火山を全員サポーターにして、かく乱と防御を任せるから、同時にテメェらが持ってる最大のソードスキルで敵を斬れ。いいな!」

『了解!!』

 

 おそらくハルバード隊か、遅くとも次のレジクレの一斉攻撃でグリームアイズのHPは残り2本を下回る。つまり半分以下にまで落ちるということだ。

 本番はそこから。

 例に(なら)えば、ゲージ半分以下でボスの動きが変わる。攻撃前の溜めモーションが変動したり、使用するソードスキルが上位版や専用物に変わるなんてことはザラで、取り巻きのポップすら考えられた。徹底して防御体勢を敷いたのもそのためである。

 

「(単体なのは不幸中の幸いだけど、回復に時間をかけすぎたな……もうすぐ俺らにも《ウィーケン》のバッドステータスがかかる。クソ、ちんたらしてられねぇ……)」

 

 確かに軍は持ち直した。安定したローテパターンにも入れている。だがダメージを稼げないまま回復ポーションを消費しまくったこともまた事実で、こんなペースで討伐をしていてはすぐに回復ソースが枯渇してしまう。

 短期決戦が鍵を握ると言っておきながらそれが実現できていない。戦況を覆すだけの瞬間火力がいる。

 

「次のローテで俺も出る。キリトは片手剣のパーティに入ってくれ、リーダーを任せる。《風林火山》の次に出てもらうから説明しとけ」

「だと思った。ガラじゃないんだけどな……」

「文句言うなよ。あのバカ隊長も抑え込めるだろ。……よし、レジクレは全員スイッチの準備! ハルバード隊が下がったらすぐ前に出る! ルガは俺とソードスキルの準備! いつものだ!」

「うん、わかった!」

「準備は万端だよ!」

 

 俺達の装備は順に両手用大剣、両手用棍棒、ダガー、盾持ち片手剣が2人だ。ダメージディーラーが2人にサポーター1人、タンカー2人と成り行きで完成したにしてはそれなりのバランスパーティではあるが、だからこそ部分特化は難しい。

 それにパーティをまるごと特化させても1度にスキルを使える人数には限りがある。ボスがいくら大きくても、ソードスキルは広い範囲に攻撃が及ぶので味方にもダメージが入ってしまうからだ。

 全員がそれを踏まえた上で構える。

 すぐにハルバード隊が後退を開始した。

 

「スイッチ今! 行くぞッ!!」

 

 尖った鼻から白煙を撒き散らすグリームアイズは、空気が(とどろ)くほどの雄叫びを上げながら迫ってくる。

 しかしここを通すわけにはいかない。

 俺はローテの順番を守れるようヒスイとアリーシャを先に前に出した。

 だが……、

 

『グォォォォォォッ!!』

「きゃああっ!?」

「ヒスイ! アリーシャ!!」

 

 下段横薙ぎの斬馬刀が《反射(リフレクション)》スキルの壁を越え、低重音を轟かせながら2人を吹き飛ばしていた。

 見た目に準じて恐ろしい筋力値だ。バランスビルド寄りの2人ではいくら盾持ちでも長くは持たないだろう。

 ゆえに前進する。

 俺とカズは、ぴったりと合った息で左右から挟み撃ちを敢行していた。

 

「止まんじゃねェぞルガァっ!!」

「ヤァアアアアアアッ!!」

 

 命中タイミングはほぼ同時。さらに俺の技は凄まじい轟音と共にクリティカルヒットまでした。

 膝を地面につけたグリームアイズに対しジェミルが追い討ちに入る。ゴガァアアアッ!! と、爽快な音が響いた。文句なしのベストタイミングである。

 だがスキルが直撃した数瞬後。突如、ボスが狂ったように暴れだした。

 

「うわっ!? 急になんだ!?」

 

 荒い鼻息から漏れる熱気とはまた別の、遥かに大量の白煙が吹き出していた。

 視界が一気に悪くなる。白い濃密な霧はすぐにフロア全体に充満し、ボスすらその上半身が辛うじて見える程度になるほど俺達の視野を遮った。

 まずい。これらすべての霧が《ウィーケン》に陥る布石だとすると、弱体化した部隊ではさらに被害を受けてしまう。

 

「(くっそ、半分切って本気か……どうすりゃいいッ!?)」

 

 《暗黒剣》がボスに弱いのも、こういった場面で無力だからと言える。

 俺が指示を出し悩んでいた、その時。

 

「……ジェイド、俺に少し時間をくれ」

「キリトっ!?」

「やるっきゃないみたいだからな……俺も出せる全てを出す。ほんの数十秒でいい。片手剣部隊から外してほしい」

「……わかった、じゃあ命令だ! やりたいようにやれ!!」

「ああ任せろっ!!」

 

 何の躊躇(ためら)いもなくキリトが後方へ下がると、俺は受けたダメージからレジクレへ交代の合図を出す。

 キリトなしの片手剣部隊5人が前に出ると、一列に並んで防御体勢へ入った。

 やはりグリームアイズの筋力値は凄まじい。前線に顔を出すプレイヤーはしっかりレベリングされている。それすなわち、体力の絶対値だけは確保されている強力なコマであるはずだ。

 そんな彼らのHPが瞬く間に削られていく。

 

「ダメだ、長くは持たんぞ! 後続も準備してくれ!」

「うっ!? これッ、もうウィーケンにかかってるのか!? 剣が重い!!」

「全ステ弱体化か……さらに気を引き閉めろ!」

「ボスの姿が視認し辛い! 仲間とできるだけコンタクトをとれ!」

「ぐあっ!? オレも直撃もらった! 引かせてくれ!!」

 

 戦場の端々で怒号が飛び交っていた。

 片手剣部隊のタゲ取りが終わり俺はハルバード隊に前進させるが、流れはかなり悪い。もちろん、ハルバード隊によるダメージ量は申し分ないのだ。よく洗練された《軍》の攻撃部隊5人とアスナの手数による攻撃は、ボスのバーをさらに1本半近くにまで減らしている。

 だが交代があまりにも早すぎた。

 スキル発動、命中、部隊内のローテーション。それを6回繰り返す約15秒間だけが、攻撃隊が取れるタゲの限界時間だった。

 15秒後にはすぐにレジクレが前に出るが、ここでも長く持たせて30秒だ。《風林火山》はたった1分で前線へ戻さなくてはならなくなる。バフの掛け直しができないどころか、中にはデバフの対策まで手が回らないメンバーすらいるというのに。

 

「クライン出られるか!?」

「いくらなんでも早すぎるぜ! もう少し時間をくれ!」

「くっそ……ッ」

 

 回復速度が間に合っていない。こういった緊急時でも回復結晶が使用可能であれば問題なく打破できたはずだが、前述の通りその手は使えない。

 嫌な汗が全身から滲み出た、その直後。

 

「スイッチだ! 俺と変われっ!!」

「キリト!?」

 

 待ちに待った交代に叫び返しつつ、振り返る間もなく反射的にスキルを発動していた。

 《ガイアパージ》専用ペキュリアーズスキル、超級単発重反動斬《ライノセラス》。

 命中しさえすれば、敵がどんな大型モンスターであれ必ず行動遅延(ディレイ)を起こす、『怯ませ値無限』の突撃系汎用ソードスキルだ。

 集中する。当たらなければ意味がない。

 全神経を両腕とその先の大剣へ。

 天井に届きそうなほど上空から振り回されたボスの斬馬刀がジェミルやカズを蹴散らすが、俺はその中心へ臆することなく疾駆(しっく)した。

 速度アシストが限界点へ達した瞬間、押し寄せる風をかき分け声にならない咆哮と共に《魔剣》が振り降ろされた。

 

「らァああアアアアアアアアッ!!」

『ヴォォォォォォッ!!』

 

 火花と言うよりは花火のようなライトエフェクトが飛び散っていた。

 ブライオリティの高い武器のみが保有する専用ペキュリアーズスキルは左腕に直撃。盛り上がった筋肉からの反動には確かな手応えがあった。

 そこで背中を預けた仲間へ声を送る。

 

「キリトォ!!」

「スイッチっ!!」

 

 すぐ隣から弾丸のような速度で黒い塊が射出された。

 右手には鈍い漆黒を放つ魔剣《エリュシデータ》を。左手には対照的に魔を射ぬかんと発光する聖剣を。

 その手には2本の剣が握られていた。本来ならメインアーム以外の装備品はイレギュラー扱いでスキルすら発動できないはずだ。初心者だって知っている。

 だが、俺はキリトを信頼していた。

 もぎ取った数秒足らずのチャンスをものにし、それを最大限活かさんがために。全ての光を押し退け連続攻撃が顕現(けんげん)する。

 

「スターバースト……」

 

 スパークが閃いていた。

 

「……ストリームッ!!」

 

 グッシャァアアアアアアッ!! という、あらゆる筋肉を引き裂く音が反響した。

 グリームアイズが激痛を表すように叫び散らすと、散々部隊を蹂躙していた斬馬刀の波が一気に遠退く。

 攻撃が続く。

 まだ続く。

 過去類を見ない最大攻撃回数を誇る剣技。《二刀流》専用ソードスキル、究極高速十六連撃《スターバースト・ストリーム》。

 斜め上から黒剣が振り抜かれると、すぐさま半回転して光剣が真横に一閃される。斬り上げられ、袈裟懸け斬り、突きが放たれ、下段払いが炸裂し、正中線からの振り降ろし。右から、左から、また右から。やがて光の筋を目で追うことすら困難になっていく。

 

「うォおおおオオオオッ!!」

 

 絞り出すような気合いと共に技を一閃。

 左手のラスト技が直撃した時、ボスのHPバーは3本目のレッドゾーンにまで陥っていた。

 

「んだよ、あれっ……隠し玉か!? どんだけ続くんだ!!」

「す……げぇ……ハハッ、すげェなおい!!」

「……ッ! 一気に攻め込むぞ!! キリトに続けェ!!」

 

 初めて目の当たりにする隠し技に感動するのもいいが、せっかくのダメージも次に繋げてこそ意味があるのだ。

 凄まじいノックバックにたじろぐグリームアイズは、とうとう《風林火山》の6人から決定的なダメージを与えられていた。彼らのローテーションが終わり一時離脱する頃には、HPはさらに残り1本にまで減っている。

 ――やれる!

 そうやって勝利を確信した瞬間……、

 

「なっ、なんだ!? 霧がさらに濃くなってるぞ!?」

「もうボスの姿すら見えない! 《ウィーケン》が回って速度も出ないってのに!」

「んだよこりゃっ!? これじゃあ戦いようがない!!」

 

 混乱が起きていた。噴出される霧によって、いよいよボスの視認すらままならなくなったのだ。巨体がすぐ近くにいるのに位置が掴めないというのは、人を本能的に不安にさせる。

 このままではキリトがこじ開けた傷跡が塞がってしまう。

 しかし、特殊能力で濃霧を一面にくゆらすのは勝手だが、どうやら奴は根本的な前提を失念しているようだ。

 

「いいからまずは落ち着け! 的はこっちの方が小さいんだ! だったら、ボスからも見えないだろう! いいか、先にレジクレが前に出る! 部隊を広く展開して声で空間を把握するぞ! フロアの北側には風林火山を! 南側にはっ……」

「ぐあァあああっ!? ぼっ、ボスから! 攻撃を受けています!!」

「なにッ!?」

 

 本気で心臓が跳ね上がり、指示を止めざるを得なくなった。

 この視界最悪の空間で、軍の連中が一方的に攻撃を受けているとでも?

 敵は間違いなく『目』を持っていて、目を持つユニットが視界で敵の位置を判断するのはもはや常識である。

 それともさらなる特殊能力だろうか。装備する武器は大きな斬馬刀しかないように見えたが、敵の位置を知るためだけのアイテムでもあったのか。

 しかし方法がなんであれ、このままやられっぱなしにはできない。

 

「攻撃されないんじゃないのかよ! ばっちり割れてんぞ、おい!!」

「ヘビの形をした尻尾だ!! あれが噛みついてきてる! ……クソっ、ぐァあああッ!?」

「ちくしょう、ダメだ! 来ることがわかってても、やっぱこっちからは反撃できない!」

「ジェイド! 軍の人達が!」

「くっ、そ……なら出口だ! 全員出口なら方向わかんだろ! そっちを背に向けて後退しながら防御体制!! 稼いだ時間で突破口を見つける!!」

 

 突破口……声に出すだけなら簡単だ。

 しかしこれは数学の問題ではない。公式はなく、模範解答が100%存在する保証もない。攻略方法はレベル、装備、地形、人数、敵の種類によってあらゆる形に変化する。

 自分なりの解答を出さなければならない。それを提示し、従わせるに足る説得力を持たせなければならない。

 ロムライルならどうしていただろうか。彼は決して1人で事を成そうとはしなかった。自分が万能者でないことを理解し、いつも周りの戦力を的確に運用していたはずだ。

 幸い、思った以上にこいつらは骨がある。逆転の道を信じるのだ。

 

「(俺が気づいてないだけ……絶対、どこかにッ……!!)」

 

 敵が白い煙で見えない中で、悲鳴と金属音だけが断続的に広がる。自分の発した霧を利用し。正確に攻撃を繰り出しているのだろう。

 ――俺らと奴の索敵能力の差はどこにある?

 昔やったゲームに類似したシチュエーションがあったはずだ。

 あれは次世代ロボットストラテジゲームだった。ミッションの1つである夜襲系の任務では、デフォルトで搭載されているハイライトを灯して実行されなかった。なぜならそれは、こちらの位置を教えながら敵に攻撃することと同じになってしまうからだ。

 敵味方なしに闇に溶け込み、彼我(ひが)の条件は同じ。だからこそ敵は一方的に攻められる状況に敵は混乱していた。

 今とはちょうど真逆。

 ならば敵の位置を知るために、俺はどうしていたか。

 

「もう戦線が持たない! 反撃の手はないのか!?」

「敵の剣はまだ避けられる! けど、ヘビの噛みつきが精密すぎるんだよ! こんな視界の悪さじゃ避けられっこねぇ!!」

「勝てなかったんだ! やっぱりッ! 初めから勝てないのに戦わされたんだッ!!」

「ジェイドぉ!! 犠牲覚悟でも、もう逃げるしかないよぉ!!」

 

 だが俺はネガティブな声を1つ1つ丁寧に聞いている暇はなかった。勝てない設定の敵はいない。

 思い出せ……思い出せ……。

 赤外線、振動、感圧、声紋、金属探知……他には何かなかったか。しかし、ハイテクサーチ機能がグリームアイズの体内に仕込まれているはずはない。

 茅場も言っていた。『これはゲームであっても遊びではない』と。ということはつまり、これは少なくとも最低限『ゲームではある』ということだ。

 そしてゲームには相応の世界観がある。ロボットゲームに科学と無縁な妖精は現れないし、戦国アドベンチャーにM16アサルトライフルなんて装備品もない。リアルの戦争では、強国が戦略兵器で射程外から絨毯爆撃するが、ゲームにはクリアさせる気のない理不尽な虐殺はない。あるのは実力や情報の不足、認識力の低さによる攻略ミスだけ。

 いつだって、どんな作品にだって、守るべきゲームバランスと不文律(ふぶんりつ)があった。

 相手の位置を知る方法……他には……、

 

「(あ、あったぞ! 温度だ!!)」

 

 温度センサ、厳密には放射温度計に分類されるのだろうか。過去に1度だけテレビで見たことがある。特定のヘビは体性感覚が異常に発達しているのだ。

 夜目が利かないのに夜間でも獲物を捉えられるし、それゆえに剣での攻撃は空振りが多発する。奴は目ではなく体温で俺達の位置を追っていたのだ。

 そうとわかれば話は早い。

 

「温度を見てるんだ!! 全員、《発煙筒》でもランタンでもいい!! 焚いてから広範囲にバラまけ! 火が灯せるなら野営用の《火起こし器》、《松明》でも!! とにかく火を焚いて温度をメチャクチャにしろ!!」

「そ、そんなことで本当に……!?」

 

 不審に思う部隊を、「とにかくっ、指示に従って!」「僕からもお願いします!」という声が後押しし、ようやく全員が作戦通りの動きを見せる。

 あちこちでパチパチと音がなり、時にはさらなる白煙も舞っていた。

 攻略環境が余計に悪化し部隊内から反感を買う。

 しかし、ガシャァアアッ!! という()りきれ音が鼓膜を打つと、信じられない光景に誰もが押し黙った。

 

「なん、だ……っ!?」

「ヘビが《発煙筒》に食いついてる!?」

「しかもケムリの中だ、これなら位置が丸見えだぞ!」

 

 読みは正しかったというわけだ。

 吐き捨てるように、俺はうっすらと笑っていた。

 やっと突破口を見つけた。《発煙筒》を口でくわえてしまったせいで、煙の中でもヘビの位置がしっかり認識できる。

 プログラミングされた範囲でしか行動ルーチンを選択、差別化できないグリームアイズにはわかるまい。自らもたらす間抜けな逆転劇をとくと味わうがいい。

 

「《暗黒剣》……リリースッ!!」

 

 ブワッ、と。黒き邪悪な(もや)を《ガイアパージ》が纏う。

 深淵の輝きがさらなる深みを増し、地獄への(いざな)いが胎動した。

 《暗黒剣》専用ソードスキル、極致両断上位四連斬《ネグロ・ヘリファルテ》。

 1撃がバカみたいに重い大剣が生み出す連続攻撃としては十分な回数を誇るそれは、ぐねぐねと動き回る赤い目印に向けて吸い込まれるように直進した。

 左へ中段払い、右斜め上へ斬り上げ、まっすぐ上から両断、時計回りに1回転して右へ中段払い。

 ヒット角をカバーできる一連の連続技は、強弱の差こそあれどその全てが命中していた。

 しかしいかんせん、長い尻尾の各位置にそれぞれズレて命中してしまっている。これだけ技のヒットポイントがバラバラでは《暗黒剣》の真価は発揮されない。

 そんな悪い予感をトレースするように、連撃後のボスのヘビ型尻尾は健在だった。

 

「(くそっ、やっぱ凡人並みかよ……ッ!!)」

 

 すでに《発煙筒》も離してしまっている。宝の持ち腐れとはこのことだ。いっそのことキリトやアスナがこのユニークスキルを使っていればこれが決定打になったのではないか、などと詮無き希望に願ってしまう。

 手繰り寄せたチャンスを離してしまった。敗北の2文字が頭をよぎったその時。

 

「まだ行けるわ! あたしがやる!!」

「ひ、ヒスイっ!?」

 

 叫ぶのと同時に、左手の剣を投げ捨てたヒスイがボスに向かって直進していた。

 無謀だ、なんて言葉が出てくる間もなかった。一点しか見つめていない走りはあらゆる反応速度を越え、それだけ真に迫っていた。

 圧倒的な集中力。

 彼女は転がる《松明》アイテムを左手で(すく)い取り、それを携帯したまま全力でジャンプした。

 その右手が、煙に紛れようとしていたあるものを掴む。

 ーーそうか、ヒスイの狙いは!

 

「ここよ! あたしを狙ってっ!!」

 

 狙いは尻尾にしがみついて俺にその位置を知らせること。

 濃い煙の中でも真っ赤な《松明》が煌々と位置を照らした。

 

「手ェ離すなよォ!!」

 

 俺は再度《暗黒剣》のソードスキルを発動していた。

 長距離用単発斬撃《フォ・トリステス》。今度こそ外したら攻略は失敗する。死者発生のリスクを覚悟してでも、尻尾を巻いて逃げ出すしかなくなるだろう。

 だからこそ、俺は欠片も(おく)さなかった。

 邪悪なオーラを発する黒き大剣から放たれたホリゾンブルーの衝撃波は、爆発的な初速を糧に目印めがけて飛んでいく。

 直撃。手応え十分。

 ザッシュンッ!! という切断音が耳朶を打つと、室内に響くあまりにも大きなグリームアイズの絶叫。さらに長く大きなヘビ型尻尾が地面に失墜する現象だけが起こった。

 《体性感覚》の排除完了。ヒスイも武器を拾って戦隊復帰した。

 

「霧が……晴れていく……?」

 

 そして徐々にではあるが、間違いなく充満していた霧が薄まっていっている。

 一方的な展開からの脱出だ。

 

「ボスのデバフアタックが終了した!?」

「尻尾を切り落としてか!?」

「これが攻略条件だったんだ! あの野郎マジでやりやがった!!」

「残りはゲージ1本だ! これより全部隊で反撃に出るぞ! 気を引き締めろ!!」

『オォオオオオオオオオオッ!!』

 

 士気の大幅な回復。戦意の高揚。討伐隊の目に生気が戻っていた。

 攻略戦は、ここからが本番だ。

 

 

 

 



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第93話 74層攻略戦(後編)

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 西暦2024年10月18日、浮遊城第74層。

 

 74層ボス、《ザ・グリームアイズ》によるデバフアタックは終了したが、奴の(かも)し出すプレッシャーがより凶悪なものへと変化していた。

 動物的な飢餓感。(から)め手を駆使して計画的に敵を追い込むのではなく、右手に持っている斬馬刀(ざんばとう)で刃向かう敵を()ぎ払わんとする本来の獣のような威圧。

 

『グルルル……グォォォォォオオオオオオオオッ!!』

『っ……!?』

 

 ビリビリビリッ、と空気が振動した。

 ただでさえ太かったグリームアイズの両腕の筋肉が、さらに盛り上がる。

 俺はスキルの汎用性を考えて《暗黒剣》を引っ込めると、次の指示内容を模索した。

 

「……ローテを再開する!! 片手剣部隊からだ! 残りは受けたダメージの回復に移る! 狙われても応戦するな、守備に回れ!!」

『了解!!』

 

 プレイヤーにとって手痛い行動を優先する敵は、フォワードを飛び越えてくる可能性も十分にあり得た。

 しかし、勢いよく応えた《軍》の精鋭部隊はすぐさま根を上げることになる。

 

「なっ、なんだぁ!? 今までにない動きを!?」

「手で武器を掴んでくるのか!? これじゃあ隊列が組めないぞ!!」

「ボスがこんなっ……まるで人間みたいな動きを!?」

「ぐあァアアアアッ!! 助けてくれぇ!」

 

 飛び交う絶叫。

 グリームアイズが軍のラウンドシールドを左手でどかし、そこへ間髪入れず斬馬刀を差し込む。

 やはり、手強い。グリームアイズは盾を構えるプレイヤーを、横から順に巨大な手で()まむようにして崩していた。動きのカスタマイズが本格化したとはいえ、かなりの高ランクな思考と判断である。

 ただでさえ7メートルにも達する巨体と、あくまで元の人間アバターとでは体格差がありすぎるのだ。片手剣士の間合いはたかが1メートル強。闇雲に数種類の攻撃パターンをランダム発動するのとは比べ物にならない危険度である。

 軍の守備主体の隊列はたちまち瓦解していった。

 

「もう持たない! すぐにスイッチを!!」

「少し長めにくれ!! バフアイテムが尽きた! ストレージからポーチに移したい!!」

「攻撃してないのに30秒すらッ……くそっ! 位置を換えて前衛の時間を減らす!!」

「そんなっ!? 対策時間が……ッ!!」

「逆だ! ローテを早めて被弾を減らす! 火力高すぎて受けてちゃ持たない! 引いたら体力回復にだけ専念しろ! アスナ達は側面からスキル使って一時退避!!」

「わかったわ! みんなも、お願いします!」

「任せてください!」

「早く! 今ですっ!!」

 

 すれすれの死闘を繰り広げる討伐隊。首の皮一枚の攻略。ソードスキルによる瞬発的な攻撃と、急接近からの硬直に対する盾役や、そこから脱する十分な移動力の確保。ダメージが重なる前に素早く後続と入れ替わるスピードスイッチ。

 だが戦況が進むにつれ、やがて(ほころ)びが生まれてしまった。

 ダメージ量が重なりすぎたのではない。ポーションによる回復速度が下回ったのでもない。それらを避けるためのハイペースローテだ。むしろ、1レイド48人パーティではなく23人パーティだったからこ行えた柔軟な対応は、想像以上に効果を発揮している。

 現につい先ほどボスのHPが残り1本を切った時、俺はこのまま攻略が順調に進むものだとばかり思っていた。

 しかし、もうこの作戦は使えない。

 

「リーダー! ジェイドさん!! もうおれらが持ちません!」

「こっちも限界です! 討伐は……もうっ!!」

「なに弱音吐いてんだッ! このペースを保ちゃ狩れんだろ!! 《軍》のプライド見せろッ!!」

「ダメなんです! そのッ……《回復ポーション》が底をつきましたっ!!」

「なっ、にッ!?」

 

 ――ポーション切れだと!?

 最悪の事態だ。

 ちまちまと『防御優先、隙を見て攻撃』を繰り返す堅実なやり方とは違い、ハイペースローテーションは確かに回復アイテムの消費が激しくなる。

 回復アイテムなしの消耗戦。それは普通のゲームなら最後の最後にどうしようもなくなった場合の戦法である。

 しかし、こと《ソードアート・オンライン》というバーチャルゲームにおいて、『最後の最後』という先にあるのは家庭用ゲーム機におけるゲームオーバーなる現象ではなく、『脳焼却による本物の死』だ。もちろん、負けそうになったからといって電源ボタンで強制離脱などはできない。

 生殺与奪(せいさつよだつ)がかかっている。俺はそんな命令をここで下さなくてはならないのか。どちらが先に死ぬか、チキンレースでも始めようか、と。

 根本的に不可能だ。恐怖は体を硬直させる。ポーションを切らしたプレイヤーというのは、実質的に戦力外通告を言い渡しているに等しい。

 

「《風林火山》は! あんたら予備持ってないのか!?」

「ダメだ……もう俺らの分しか残ってねぇ!!」

「じゃあアスナ!!」

「わたしも限界よ! もうクリスタルしかないわ! 《バトルヒーリング》だって間に合ってないのに!!」

「(マジかよオイッ……ここまで来て!! ……)……くそっ! くそォッ!!」

 

 事実の受け入れを後回しにするように俺は叫んでいた。

 ここまで来て、あとは運任せだというのか。

 しかし指揮者というものは、権利をかざして適当な命令を下していい立場ではない。勝てる打算のない攻略はアインクラッドでは通用しないのだ。

 なにか見落としているものはないか。見つかれば状況を逆転させるような、画期的な糸口が。

 

「(いや、待てよ……今クリスタルなら予備があるって……っ!!」

 

 差し渡し100メートルはありそうな淡いシアンのフィールドを疾駆(しっく)しながら、俺は大事な前提を見逃していたことに気づいた。

 このボスフロアが《結晶アイテム無効化エリア》なら、当然今日の攻略において《回復結晶》は誰1人、1つも使ってないはずではないのか? そして攻略組であれば、緊急時に使用できるクリスタスの数も相当数に上るはず。

 発想の転換いかんでいくらでも戦場の見え方は変わってくる。

 

「作戦だ! 《連続スイッチ》を使って、1人ずつ(・・・・)逃がし続ける!」

「おい! まだ討伐を続けるって言うのか!?」

「ど、どうすりゃいい!?」

 

 全員の意識が俺に集中した。

 言葉を選んでいる余裕はない。

 

「スイッチ直後に距離を取れ! 逃げた奴は入り口を出てすぐクリスタルで回復! 引き返して即戦線復帰しろ!!」

 

 前例のない作戦に動揺してか、顔色が変わった付近のプレイヤーから疑問が浮かぶ。

 

「そ、そんなめちゃくちゃな作戦を……ッ」

「できるさッ!! てめェらは全員防いでるだけでいい! 部隊を回しながら一瞬で回復! あとはひたすら1人のアタッカーだけを守り続けるっ!!」

 

 ハイペースローテで攻撃するのではなく、その渦中で防御するだけ。

 ボスが雄叫びを上げて襲いかかるがそれをなんとかいなし、俺は最後の命令を叫んだ。

 

「守るって誰をっ!?」

「トドメやんのはキリトだッ!!」

 

 この時点で視線の先は俺からキリトへと移り変わり、言われた本人も驚いていた。

 つい先ほど、《二刀流》という史上4つ目のユニークスキル――だと予測するしかない攻撃技――でグリームアイズを圧倒した人物。刹那における瞬発力ではなく、時間帯最大攻撃回数を誇る別の意味での最高攻撃力。

 軍の連中が代わり番こでソードスキルを使う効率に比べれば、キリトが単独でソードスキルを使い続ける最終的な被ダメージ値に軍配が上がった。

 では彼が防御を一切考えず攻撃に専念できる状況とは何か。

 それは、大人数が統率された状態で隊列を組み、彼を守らんとするこの状況のことである。

 

「こっちが受けるマトを減らして、ダメージソースを絞る! キリトは援護を受けられる間に、持ってる《二刀流》スキルを片っ端から叩き込めっ!!」

「こ、これならキリト君は守ることさえ考えなくていい!」

「どのちみソードスキルは同時にやると互いがジャマになる!」

「軍の片手剣部隊は順番に出口に走れ! ブレイクポイントを作ったらキリトはスキル!! 行くぞッ!!」

『オォオオオオオオオオオオッ!!』

 

 剣と盾を握った戦士一個単位で戦力を測るのではない。

 集まったプレイヤー全体を1つの戦士として捉え、剣なら剣に、盾なら盾に、その役目を完全に分離させる。ある程度の人数を保ち、なおかつフルレイドほど多すぎないからこそ可能な戦術。

 その戦果は早くも見え始めた。

 1人ずつ順番に出入り口の大門で「ヒール!」と叫ぶ声が聞こえると、そこから連続してパリィン! パリィン! とクリスタルの弾ける音が聞こえてくる。

 そして危険域(レッド)すれすれから一瞬でフルゲージになった隊員が隊列へ戻る。これの繰り返しが、追い詰められていた討伐隊の余裕をみるみる取り戻していった。

 順調だ。リズミカルな音の周回は安定している。取り巻きがポップしていないことが条件など、有効なシチュエーションが限られる戦術とは言え、シンプルな行動の繰り返しゆえにグリームアイズは独力で覆しようがない。

 

「代われ代われ! どんどん行け!! 防ぐのは数秒でいい!」

「なんにしても絶対にキリト君を守って! ダメージが重なったら出口で回復!」

「回復は一瞬なんだ! 走ってやりゃ十分間に合う!!」

 

 キリトが応えるようにさらなる多連撃ソードスキルを放っていた。

 《二刀流》専用ソードスキル、最上位烈火二十七連超剣撃《ジ・イクリプス》。

 赤より紅い、血よりも濃い、灼熱で深紅のライトエフェクトを(まと)う2本の業物。そして美しいまでのプレイヤーの戦闘センス。それがタガを外れて爆発したことにより、《フレイム》属性を手に入れた太陽コロナのような軌跡が、文字通りいくつもいくつも瞬いた。

 まるで死を迎えた惑星の慟哭(どうこく)

 ゲームの機能にアシストされているのか、アシストを凌駕(りょうが)したスピードで剣を操っているのか。おそらく自覚してはいないだろうが、彼を法悦(ほうえつ)させるその加速力が本来受け持つ全性能のギアをもう1段階シフトアップさせている。

 これが限界突破した二刀流の実力。

 そしてキリトが安全にスキルを放ちきるまで、周りの討伐隊は体を張って彼を守る。

 

「らァアアあああああああああああッ!!」

『グオオオオオオオっ!!』

 

 気づけば叫んでいるのはキリトだけではなかった。

 あのグリームアイズが、74層より上層階を死守せんと立ち塞がる堅牢な番人が、自分より遥かに小さきユニットに咆哮をあげていた。

 その絶叫は逆に、それを打ち倒さんとする全討伐隊を奮い立たせた。

 

「いきなり相当減ったぞ!」

「チャンスだ! やるなら今しかない!」

「待てッ! キリト以外は防御でいい!! 今の隊列を崩すなッ!!」

「し、しかしっ!?」

「ジェイドに従って! 指示にあったことだけを!!」

「持ち場を離れちゃダメ! やるべきことは変わらない!!」

 

 ヒスイとアリーシャのかけ声でどうにか持ち直し、激しい金属音はキリトを寸前で(かわ)していった。

 今のはギリギリだ。前衛に求められるものは、敵のディレイを探して一気呵成に攻略を推し進めるものではなく、タゲが集中するキリトに攻撃が届かないよう地盤を固めていく、というものだからだ。

 快勝の誘惑に惑わされそうだった軍の男達はその1歩手前で踏みとどまり、攻撃後の技後硬直(ポストモーション)を課せられたキリトを寸でのところで守り抜いていた。

 彼の消耗もほとんど見受けられない。

 ここからは最終局面。

 

「もうちょいだ、大技はまだあるか!?」

「もう少し待ってくれ! クーリングが終わらない!!」

「ちっ……しゃあねェ! なら順番通りレジクレが出る! 《風林火山》、スイッチで後退しろ!!」

『了解!!』

 

 これだけの人数で攻めてもトドメにはならないだろう。ラスト1本まで迫ったとは言え、ボスのHPバーはまだまだイエローゾーン。

 だがラストアタックにならなくとも、そのアシストぐらいにはなる。これは俺達レジクレの最後の仕事だ。

 

「クリスタル切れだ!! 全員これが最後の攻撃だと思えッ!!」

「了解よ!」

「任せて!」

 

 レジクレの戦員が一致団結し、グリームアイズに対峙していた。

 まず始めにヒスイの右手のシールドが光を帯びる。《反射(リフレクション)》による防御スキルの準備だ。俺の持つ《武器防御(パリィ)》スキルとは比べられないほど堅固な防御力を維持するそれは、数ある攻撃系スキルと違って動作モーションに決まったものがない。

 小隊最高タンカーのヒスイは、きっちりボスの斬馬刀に合わせてシールドを構えた。

 ゴガァッ!! という轟音と共に減速される斬馬刀。

 あまりに強力な筋力値ゆえか、《リフレクション》による行動遅延(ディレイ)こそ起こせなかったものの、威力吸収に衝撃反駁(はんぱく)をまとめて味わったグリームアイズの懐はガラ空きとなっている。

 そこへすかさずカズとアリーシャが潜り込んだ。

 

『ヤァアアアアアアアアアアアっ!!』

 

 ハモる絶叫に、片手剣と両手用棍棒による単発突撃系ソードスキルが炸裂すると、グリームアイズのバー先端部分がさらにグイッ、と減少する。

 とうとうボスのHPをレッドゾーン直前まで追い込んだ。本当にあと少しだ。

 そこへ連動するようにジェミルがブーメランを投げつけ、視界撹乱と足首への同時多発攻撃で俺から注意を逸らす。

 防御、同時攻撃、サポーターによるディレイ延長、最後に大技で一撃。これは俺達レジクレの最も得意とするコンビネーションアタックである。

 

「いっけェええジェイドォ!!」

「《暗黒剣》、リリースッ!!」

 

 ジェミルの声に押されるようにスイッチを行い、俺は咆哮を上げながら突撃した。

 自慢の《魔剣》が漆黒の邪気を纏う。そして現状最強の《暗黒剣》専用ソードスキル、地閃掌握七連強撃《スクレット・クレマシオン》が解き放たれた。

 《はじまりの街》地下にいたイベントボス、《オブスクリタース・ザ・シュバリエロード》も使用していた《暗黒剣》の上位奥義技。

 地道に何度も練習した修得難度最高レベル剣技の初撃が、ぴったり脳天に直撃する。

 大型動物を家庭用包丁で捌こうとするような極端な抵抗が襲ってきたが、俺はそれでもまったく躊躇(ためら)わずに腕を、刃を、全力で推進させた。

 重さと遠心力によってもげそうになる両腕。

 それを管理下に置かせる精神力。

 スパークする脳内からは大量のアドレナリンが分泌され、もはや命中しているかどうか、攻撃の途中で反撃を受けているかどうかは俺の思考領域から抜け落ちていた。

 史上最強の、過去最高の、《スクレット・クレマシオン》を完成させる。そのために不要なものは削ぐだけ削ぐ。

 部隊の頂点に立っている責任感とレジクレへの仲間意識すら遠退く頃に、俺はとうとうラスト一発を振り絞っていた。

 分厚い肉体を爪で(えぐ)り取るような、不快でありつつも確かな感触。見ると、グリームアイズの左腕が肘辺りからゴソッ、と消し飛んでいた。

 宙を舞う大きな肉塊。《暗黒剣》に内蔵される身体的欠損(ディレクト・ペナルティ)効果がとうとうボスにも適用された瞬間だ。

 先のない左の膝から、そして蛇の頭部を待っていた切断済みの尻尾からも、生々しい液体が噴出する。さらに奴のHPはレッドゾーンを越え、死にかけ(ニアデス)の域まで達した。

 そして……、

 

「キリトォオオッ!!」

「スイッチっ!!」

 

 正真正銘の最後。世界最強のダメージディーラー。この瞬間まで目にすることのなかった、複数の武器を煌めかせる現象。

 《二刀流》専用ソードスキル、究極高速十六連撃《スターバースト・ストリーム》。

 流星のごとく激しく、蝶のようになだらかに舞う。超多連撃のスキルは、なお洗練されたアートのように繋がった。

 ラケットを両手に構えるスポーツ選手はいない。2つのマウスでパソコンを操作する人もいない。包丁を2本持つ料理人もいない。二丁拳銃で本物の戦場に出る軍人もいない。それは、それらの行為が真に無意味だと知っているからだ。武器を増やせば強くなる、という発想は転じて子供じみている。

 だというのに、そんな固定概念にも近い常識を、キリトはバッサリと(やぶ)いていた。

 

「うォおおおおおアアアアッ!!」

『グォォォォォォォッ!!』

 

 暴力的なエネルギーの濁流(だくりゅう)が渦巻く。

 右手の剣撃が左手の構えを崩さず、左手の攻撃は全体の姿勢を保たせ、回るように、跳ねるように、全力滑走が逆に安定を与える超高速領域。

 他の誰にも追随(ついずい)できないような、一種の作品のような十六連撃ソードスキル。

 斬っては斬られ、斬られては斬る。

 片腕になったグリームアイズはそれでもキリトへ猛攻撃を繰り出し、斬馬刀と二刀流の乱舞劇は火花と深紅のエフェクトに彩られた。

 絶叫、咆哮、轟音、震動。

 《スターバースト・ストリーム》の最後の突き技が、風船のように膨らむ厚い胸板を貫いた。

 

「キリ……ト……!!」

 

 爆撃のあとの静寂に似た空気の中で自然に声が漏れた。

 さらに天井を仰ぎ見るグリームアイズの全身が硬直した、数秒後。

 

『ゴァ……ァァ……ッ』

 

 バリィィッ!! と、無数のポリゴンをばらまいてボスが飛散した。

 振り()かれた光の結晶はフロア全体を包み込み、不思議な安心感が一帯を支配する。

 約束事項にも似た世界のルール。心の底から緊迫を解く魔法のような、涼しいファンファーレが鳴り響いた。

 これは75層への扉が開けた瞬間であり、壮絶な戦いが幕を下ろしたサインでもあった。

 

「……やった……のか……?」

「やった……倒したんだ! ボスを倒した!!」

「うォおおおおおおおおっ!!」

 

 徐々に勝者の実感が浸透した。と同時に、とても言葉では表しきれない達成感が押し寄せてきた。胸部まで上ってきた緊張感と不快感の塊が、腹の下までストンと落ちた感触だろうか。

 自分で達成しておいてなお、偉業の大きさから状況が信じられない。

 

「夢じゃ……ねェよな……?」

「ジェイド! あんたやりやがったよ!! ホントにこんな戦力で倒しちまった!」

「マジでなんて言ったらいいか……ありがとう! この恩は忘れないよ!」

「ジェイドさん、ボスを倒したんですよ! あなたのおかげで」

「ち、ちょっと待って! キリトくん!!」

 

 子供のようにはしゃいでいた軍の男を押しのけ、アスナが悲鳴に近い声を上げながら駆け寄ると、俺もその先に横たわるキリトを見つけた。

 ――やられたのか!?

 『相討ち』という嫌な単語が脳裏をよぎり、俺やその他のメンバーも駆け寄る。すると、どうやらキリトは精神の磨耗(まもう)から気を失っていただけのようだった。10秒ほどで意識を取り戻すと、俺や他のプレイヤーも胸を撫で下ろす。キリトは周りを見渡して自分が勝ったことを確信したようだ。

 アスナはクラインから手渡された最後の《回復ポーション》を飲ませてやると、回復したキリトは最初に確認すべきことを俺に聞いてきた。

 

「攻略では結局……何人が……?」

「最初の2人だけだ。討伐戦で死人が出たのは67層以来だったな……2ヶ月半ぶりか」

「……ふんっ……」

 

 俺の嫌味にコーバッツは、『自分のせいではない』と言わんばかりに吐き捨てた。

 

「コーバッツさんに全責任があるとは言いませんが、これからはもっと慎重な攻略してください。特に、最前線に上がってくるならその覚悟を持って……」

 

 ヒスイがそう言うと、コーバッツはぐうの音もでないのか腕を組んで後ろを振り向いた。これだけのことがあったのだ、過ちは繰り返されないだろう。

 それよりも問題はキリトである。74層攻略以上のスキャンダルが眠っていたのだから。

 そこへクラインが全員の代弁者として疑問を投げ掛けた。

 

「それはそうとよ、さっきのは何だよキリト。あんなの見たこともなかったぜ?」

「エクストラスキルだよ。名前は《二刀流》。……俺は武器スキルを《片手剣》しか取ってないから、片手用の直剣を両手に装備するしかないけど、どうやら片手で持てる武器のスキルさえ修得してればどんなものでも左手に装備できるらしい」

『おおっ……!!』

「交互に武器スキルを発動できるのか?」

「修得方法は? いつ手に入れたんだよ?」

「《二刀流》の専用ソードスキルは他にもあるんだろっ?」

 

 それぞれが好き勝手なことを聞く中、キリトは困っているように見えた。

 仕方がないので俺は確かめなければならないことを端的に聞く。

 

「キリト……結局それは《ユニークスキル》なんだよな?」

 

 キリトは一瞬躊躇(ためら)うが……、

 

「ああ、たぶんな。何ヶ月も他の《二刀流》使いが現れなかったんだ。俺みたいにひた隠しにしてる可能性もあるけど、《神聖剣》と同じで突然スキル欄に来たから、ほぼ間違いなく……」

「なら質問は終わりだな。問い詰めても他のプレイヤーは習得できないわけだし」

「あ、ああ……そうだな……」

「そういえばジェイドさんもユニーク所持者だし、(うらや)んでも仕方ないか」

「また別のを探せばいいさ。きっとあるはずだよ」

 

 目でキリトから感謝されると、俺達は上層の有効化(アクティベート)にむけて歩きだした。

 度重なるアクシデントから蓄積された疲労と、2人のプレイヤーのを喪失感こそ見てとれるが、さすがに新しい街への期待から足取りは軽くなりつつあった。

 何より、75層解放の立ち会い者になれたことが、その背中を上へ上へと押し上げる。

 

「(キンチョーでぶっ倒れそうだったけどな……)」

 

 俺は内心で笑いつつ、晴れやかな気持ちで75層を迎え入れていた。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 翌日、俺達レジクレはただでさえうるさいのに、いつにも増して騒がしい50層の主街区を横断してある店へと訪れていた。

 そこの店主であるスキンヘッドの強面(こわもて)に手を挙げつつ話しかける。

 

「おいーっすエギル。ハンジョーしてっか」

「おうジェイドか。聞いたぞお前、昨日は大活躍だったそうじゃないか」

「まァな。もっとホメていいぜ」

「スーパー格好いいと思うぜ。奇抜な発想を駆使し、レイド半分単位の戦力でボスを倒した英雄! その背中は多くの人間に希望を与え、奮い立たせたに違いない! 俺がもし現場にいたらこう言っていただろう、『俺は今、歴史変革の目撃者になった!』とな!」

「やっぱその辺にしてくれ。超恥ずかしい……」

 

 店内に響く芝居がかった大声に慌てて制止をかけると、この時点で俺はギルド一同にクスクスと笑われていた。

 ――納得いかん!

 

「ハッハッハッハッ!! ところで、レジクレまでそろってお越しとは珍しいな。せっかくだ、なにか飲んでいくか」

 

 ここはエギルの経営する店内である。人の出入りはそれなりにあるそうで、今となってはウワサのカフェ兼アイテムショップ。同時にこの大男が客をおちょくる悪名もまた揺るぎない真実のようだ。

 質屋にも近い雑貨店だが、仕事は早いし安いものも大量に仕入れているしおまけにコーヒーがやたらうまい。強いて言うなら、安く仕入れるということは安く買い叩かれることでもあるので、あえてここでアイテムを売らない方がいいということぐらいだろうか。

 と、それよりも返事をしてやらねば。

 

「じゃあそうだな……最高級のやつを5人分くれ」

「おおっ!? 気前がいいじゃないか、本当にどうしたんだよジェイド。いつもは男の玉小せぇのかってぐらいケチくさい奴だったのに……あっ、さてはユニークスキルの件を情報屋に売ったのはお前だなぁ?」

 

 キリとのことを言っているのなら、まったくもってその通りだった。

 騒がしいアルゲードの街並みが、今日だけさらに一段と喧騒(けんそう)に満ちているのは、何も75層が開通したからだけではない。俺がここぞとばかりに奴のユニークスキルを情報屋に言いふらしたからだ。

 「新しいユニークスキル情報がある」とほのめかせば、それを買わない情報屋は存在しない。ゆえに俺はガッポリ儲けさせてもらっている。ついでに非常に前向きな配慮から、3割増しで尾ひれもつけておいてやった。すなわち、今の俺の懐はすこぶる暖かい。

 

「へへっ、まぁな。臨時収入ぐらいあってもいいだろう。……ついでに『男の玉』とか言うな。ヒスイがいんだぞコラ」

「あたし男の玉って言われても気にしないわ」

「気にしろ! あと口に出すな!」

「こいつめ~。キリトはホームタウンからねぐらまでつきとめられて、朝から大変だったみたいだぞ? 田舎のエリアに引っ越すと泣きそうになって嘆いていたが……」

「ま、俺にずっと黙ってたツケさ。キリトも同じ苦しみを味わうといい。ケッケッケ」

 

 俺は細く鋭い目付きを一層歪めて笑う。

 すかさず「うわ、悪そうな顔」や「ジェイド変顔やめてよ」と、女性陣からなじられてヘコむ俺を他所に、カズがここへ来た理由をリーダーを差し置いて解消してしまっていた。

 

「ところでそのキリト君なんですが、ここへは来ませんでしたか?」

「ああ、あいつならさっきKoBのアスナに連れられて本部の方に行ったぞ。どうやら話がこじれて、あっちのギルド内でも大変なことになってるらしい」

 

 眉をひそめるカズにはジェミルが割り込んだ。

 

「ボク昨日こっそり聞いてたんだけどぉ、たぶんアスナさんがぁ『キリト君と一緒に行動したい』って言ってたからかなぁ? あくまでKoBの副リーダーだからねぇ。許可もないのにぃ、勝手な行動はぁやっぱりダメなんじゃないのぉ?」

「へ~そうだったんだ。あの天下の美人さんとツーマンセルじゃあ、やっぱりキリト君は全力で逃げ回ってなきゃだね。気を抜いてるとポックリヤられちゃうよきっと」

「…………」

 

 カズにしてはなかなか辛辣(しんらつ)な言葉だ。

 するとすぐ後ろから声をかけられた。

 

「ムッフッフ。話は聞かせてもらったヨ!」

「そ、その声はっ!?」

 

 俺がわざとらしくオーバアクションで振り向くと、店の1番奥のテーブルにフードを被ったソロプレイヤーらしき人物がチマチマ牛乳を飲んでいた。

 その赤い頭髪のネズミペイントはクルンッ、とこれまた芝居かかって立ち上がると、実に楽しそうに語りだす。

 

「キー坊の情報を真っ先に持ってきてくれた男にサービスしてやル」

「アルゴさんいたんだ。しかもミルクだし……」

「いたよン。ミルクは仕事中だからダ。……コホン、仲のいいKoBの上層部にコソッと話を聞いたんだガ、どうやらあそこのリーダーさんがキー坊を仲間に引き入れようとしてるらしいゾ」

「仲間に引き入れる、ってヒースクリフさんが言ったの? アスナを引き抜こうとしたから、させじと交渉したってことかしら?」

「まア、手っ取り早く言うとそんなところダ。実力でもぎ取れるならヨシ。さもなくば、逆に行動を共にするようにだとサ」

「なにィ~~?」

 

 だが俺はアルゴのその言葉を聞き、闘志の炎を心に灯していた。

 キリトがアスナとツーマンセル……というのなら、まだ容認できる。

 前提として、そのツーマンセルとやらは一時的な話だと聞いていたので、さほど問題ではなかったのだ。しかしキリトが他のギルドの一員になるというのなら話が変わってくる。

 ギルドへの加入と、ギルドからの脱退。

 それは効率重視の1日パーティを組むのとはわけが違う。ことの重みが比較にならないのだ。もし彼が他のギルドに加盟してしまったら、アインクラッド解放の日までそのままということもあり得る。

 

「らしいことしてくれるじゃねーか。奴ならやりかねねぇぞ……」

「そうかな、あたしは珍しいと感じたけど。だって騎士団のメンバーは厳格な人が多いでしょう? ましてやあのリーダーは……」

「ンなこたねーって。わかってねーな~ヒスイ。何度か個人的に話したけど、伝説の聖騎士つってのも、フタを開ければ結局は実力を過信したどうしようもない攻略組。呆れたコアゲーマーさ。しかもヤッベェぐらいに最強のな。……くっ、このままじゃキリトが他のギルドに……んなこたさせねェぞ!!」

 

 俺が立ち上がって1人で燃えていると、カズは若干引きながらも聞いてきた。

 

「ど、どうしたの急に。キリト君の脱ソロはもっと喜ぶところじゃないの?」

「バッカ言え! これじゃあ俺が何のためにユニークスキルを言いふらしたかわかんねぇじゃねぇか! 『情報屋に追われて居場所のなくなったキリトなら、最終的にレジクレに泣き寝入りすんだろ』作戦が台無しだ!!」

「あっれぇ!? この人すごく最低だったよ! 思ってたより腹黒いこと考えてたよ!」

「先にキリトに目ェ付けてたのは俺だ。なんとしても阻止してやる!」

 

 激しいコント合戦もお構いなしに、俺は頭を働かせて今からの選択次第で起こりうるあらゆる妨害ルートをシミュレートした。

 最短コースでキリトとアスナを追って、KoBギルド本部前までに彼らに追い付ければそれが1番いい。あとは適当に話を合わせて交渉すれば間に合う。

 ではすでに、2人がギルドホームへ到着してしまっていたらどうだろうか。

 俺の知る『ヒースクリフ』という生きた伝説さんはこの世界に魅了されている。これは間違いなく断言できることだ。と言うことは、大事な戦力であるアスナ喪失を防ぐため、先ほどヒスイが言った「一緒になりたきゃ勝負をしろ」という展開にもかなりの説得力がある。

 アスナとのツーマンセルを阻止し、ギルドに引き込もうとする連中の狙いを阻止する。

 妨害の妨害。その達成にはやはり、本部への突入以外に方法はない。

 

「ヒスイ! アスナに『今から本部に商談しに行くからレジクレを中に通せ』つーメッセージを送ってくれ」

「う、う~んいいけど。でもそんな簡単にいくかしら?」

「あ~そこはあれだよ、全力で揺すればいいさ。ほら、ヒスイならあいつの弱味とかなんか知ってるだろ!?」

「うわ、アナタとことん最低ね……そりゃあ、まぁあるけどさ……。ていうか現在進行形で彼女は弱味を持ち歩いてるわけだけど……」

「進行形? よくわからんけど、ギルマス命令だ! 今から本部に乗り込むぜ!」

『え~~』

 

 不満タラタラではあったが、俺としてもワリと本気でキリトを狙っていたりする。

 理由は述べるまでもあるまい。犯罪歴は1層から見てきた俺視点でも当然クリアしているし、ボス攻略戦への出動率も高く、他のメンバーと個人的に死線を共にしている。おまけにユニーク使いのトップランカーで1匹狼と来たらこれほどの有望株もそうそうないだろう。

 問題はキリトの『傷跡』だけだった。《闇夜の黒猫団》が全滅したあの日、その原因のありかを自分にあると決めつけた彼は、壮絶な心の傷を負った。

 それは今もなお彼の中で(くすぶ)り、集団行動への切符をことごとく捨てさせている。1年4ヶ月たった現在でも苦しめているのだ。

 嬉しくないのかとカズは聞いた。そんなの、嬉しいに決まっている。

 誘いになるかはともかく、この数ヵ月間でわだかまりが溶けかかっている感触に俺は気づいていた。今なら人肌の温度から逃れられないのでは、と勘ぐったりもした。

 人は元を辿ると集団の温もりからは逃れられない。

 《圏内事件》があったあの日は、まだうなずかなかった。だがあれから半年。俺は正直、いつギルドに誘おうかワクワクしていた。いつか一緒に冒険できる日を、と。強く渇望していた。

 何か行動に起こして失敗するならともかく、何もしていない内にポッと出の成り行きにとられてたまたるものか。

 

「(負けて元々、相手はあのKoBなんだからな。けど……)」

 

 奴と苦楽を共にしたい。そのためなら、やれるだけのことをしたい。

 この衝動が収まらない限り、俺は挑戦をやめなかっただろう。

 

「待ってろヒースクリフ! レジクレ出撃!!」

「ちょ、えっ!? なにも飲んでいかないのか!?」

 

 エギルの叫びは虚しくこだまし、アルゲードの街並みに溶けていった。

 

 

 

 ギルド全員が走って目的地に向かうと、ものの10分でKoBのギルド本部前に到着した。

 『鉄の都』グランザム。また(ちまた)では鍛冶屋や彫刻が盛んな街として有名だ。鋭角な長槍の先にはKoBのエンブレムを刺繍(ししゅう)した旗が寒々とはためき、鋼鉄の尖塔がところ(せま)しとひしめき合っている。中でも一際大きな塔がKoBのギルドホームである。

 この光景を目にする度に体中にサッと緊張が走る。

 しかし、今日ばかりはビビるわけにはいかない。

 とそこで、番を任されたらしい男2名が俺達の存在に気づいたようだった。

 

「む……? 君は確かレッド殺し。……ということは、後ろの方々はギルド《レジスト・クレスト》の?」

「やあやあ門番のお人2さん、見ない顔だな。オツトメご苦労なこった。ところで、俺らを本部の中に入れてくれないか? ヒースクリフに用があってな」

「今は客人を招いているし、当日来てすぐ入れるなら我々がいる意味がなかろう」

「フフン……ヒスイ! 例のものを見せたまえ」

「なんでまた、わざとキザッたくするの……」

 

 ヒスイは指パッチンした俺にジト目を向けるが、しかしなんやかんやと言いつつも素直に聞いてくれた。

 俺が彼女に甘いのと同じぐらい、彼女も俺に甘いのだ。

 と言うわけで、アスナからの招待状メッセージを見せつけられたKoBの門番ズは「う~ん」と首を捻りつつも、俺達を中に案内するしかないようだった。

 

「(脅して勝ち取ったとは言えないわよね……?)」

「(当たり前だ。余計なことは言わんでよろしい)」

 

 こそこそと話して事前に(くさび)を打っておくと、俺達は門番ズが持ち場に戻った途端、抜き足差し足忍び足で客間を飛び出した。

 そして堂々とメインホールを横切り、立派な螺旋(らせん)階段を上がりきる。この辺りは以前のイベント(・・・・)で下見に来ているので知っている。

 明かりの漏れる部屋に近づくと、「いいでしょう、剣で語れと言うなら望むところです。デュエルで決着をつけましょう」なんて声が聞こえてきた。歴戦の風格を漂わせながら、どこかあどけなさを残すテノールのかかった声色は間違いなくキリトのものだ。どうやら悪い予感が命中し、ヒースクリフの挑発に乗ってしまったようである。

 ――ったく、ゲーマーってなァどうしてこう!

 そのまま贅沢なモザイク絵が飾られた廊下を大股で通り過ぎると、思いっきりバンッ!! と踏み込み部屋へ侵入した。さらにビシィ!! と指を突きつけながら、あらかじめ用意しておいた言葉を高らかに発した。

 

「キリトは俺のモンだ! 誰にも渡さねェ!!」

 

 この自信満々な誤解を招く一言は、事態をさらにややこしくさせるのだった。

 

 

 

 



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第94話 強者3人の抗争……(?)

 西暦2024年10月20日、浮遊城第75層。

 

 暗闇の中に俺はいた。前後の記憶はない。しかしこの空間にいる自分に、一切の疑問を抱けなかった。

 目の前にいるのは、傷つき地面にひれ伏すキリトと、聖剣と大盾を構えるヒースクリフ。これもまた決闘に負けた事実を認知しているはずなのに、その戦闘シーンがどうだったかなどは全然思い出せない。懐疑思想の世界が5分前にできた、ではないが、まるで世界がこのカットから始まったようだ。

 さらにその脇にはアスナがうなだれたような姿で「キリトくん、なんでわたしのために……」なんて嘆き、シクシクと泣いている。

 カオスだ。カオス過ぎる状況である。

 

「キリトは渡さねェぜ」

「やるなら力で、剣で語るのだジェイド君」

 

 いや、もっと突っ込みどころがあるだろう。

 だがやはり、自分の発言にも疑問を持てず、俺は根拠のない自信に満ちた状態で元気よく叫んでいた。

 

「キリトは俺のだ! 誰にも渡さねぇッ!!」

「私とて負けんさっ!」

 

 もう何がなんだかわからなかったが、言いようもない使命感にすっかり囚われていた俺は、もの凄い重量を誇るはずの《ガイアパージ》を全力で叩き込んだ。

 そのまま突き抜けるような欲望が口内から発音される。

 

「キリトは俺がッ……!!」

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「ほわァあああっつ!?」

 

 絶叫を上げながら上半身を起こす。額にはびっしりと汗をかき、呼吸の荒さも体感60回毎分。

 一旦落ち着こうと理性がはたらく。

 辺りを見回すと、そこは自室だった。現実でも愛用していた遮光カーテンに地味なタンス、木製のテーブル、備え付けのイス、でかい姿見にアンティークな本棚。本棚なのに並んでいるのはオーパーツのようなレトロフィギュアばかり。うむ間違いない。

 ちなみに、ギルドホームを購入してから5人ギルドに合わせて6部屋までは確保してある。1人1室ずつを自由に使える約束で、内1つはメンバー不在ということで今は物置だ。

 どうやら冷静に分析するまでもなく、俺は夢を見ていたらしい。意識を脊髄でカットした電脳世界で夢まで見られるのだから不思議だ。

 しかし明晰夢(めいせきむ)ではなかった。どちらかと言えば悪夢だろうか。最後の俺が何を言おうとしていたなど、命令されても想像したくない。

 ことの発端は《KoB》の経理担当メンバー、ビール腹のダイゼンにあった。

 

「(くっそ~ダイゼンめ。余計なこと頼むんじゃなかったぜ……)」

 

 しばらく前に突発のトーナメントを依頼して以来、儲けの旨味を知ったのだろう。

 確かにキリトはギルドに欲しい。剣の腕は一流だし信頼もおける。おまけにユニーク使いで現在はフリーだ。喉から手が出るほど欲しい秀才である。

 しかし話は彼に利用され、どんどん望まぬ展開を見せていた。

 

 

 

 起床後数時間もして、俺は――もちろん残りのレジクレ4人も――ある建築物の屋内へ招待されていた。

 狭い部屋には俺とキリトが長椅子に座らされている。これもダイゼンによる手配だ、と言えば少しは察してもらえるだろうか。

 

「おいなんだこれ……おいなんだこれ……」

 

 大事なことを2回。昨日の深夜に知らされた俺に対し、キリトは今朝事情を知らされたようで、彼は大事(おおごと)になった争いに戦々恐々と(つぶや)いた。

 もっとも、寝る前に変に意識する必要がなかっただけマシだろう。俺なんてそのせいで、自分でも信じられないような悪夢を見てしまったのだから。

 しかしこの展開を招いたのもまた俺なので、下を向いたまま一応彼に謝っておく。

 

「すまんキリト。こればかりは予想外だったわ……」

 

 選手控え室で(こうべ)を深々と垂れる俺とキリト。彼に至っては冷や汗たっぷり、&ちょっぴり涙が(にじ)んでいるようにも見える。

 そう、『選手控え室』。

 俺とキリトはとある試合の直前だった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「キリトは俺のモンだ! 誰にも渡さねェ!!」

 

 なんてクサいセリフが発せられるとは、相手が男であれ女であれ、去年の俺からは想像もつかなかっただろう。

 正面に立たされているキリトやアスナ、その奥に座っているヒースクリフ込みのギルド重鎮5人、後ろから追ってきたレジクレ4人は茫然(ぼうぜん)状態だった。

 突然の闖入(ちんにゅう)者が部屋に勝手に入り込んでくるだけでもクエスチョンマークが飛び交うのに、あまつさえギルド副リーダー損失がかかった交渉にまでケチを付けだしたのだから当然か。

 

「ちょ、ジェイド!? それに勝手なこと言うなよ! 俺は誰のモンでもないぞ!?」

「まさかジェイド君にそんな趣味が……わたしちょっとついていけないかも……」

「ちっげーよキリアスコンビ! うわっ、ヤメロその顔!! ……俺もキリトを狙ってたから、せめてその争奪戦に参加しようってだけだ!」

「ていうかちょっと待って! そもそもあなた達はどうしてここへ!? 商談っていうから、わたしは客人用の休憩スペースに行くように言ったはずよ。ダイゼンさんも向かったはずだし……」

 

 甘いなアスナ。レジクレはそんな小さなルールには縛られないのさ。

 しかしヒースクリフはさすがの貫録で、その場に居合わせた者のなかでは唯一口角をうっすらと上げながら不敵に、そして試すように俺へと対応した。

 

「ほう。この際、ジェイド君がなぜここへ来られたのかは不問にするとして」

「あの……わたしが本部に呼んじゃいました。すみません」

「不問にするとして……」

 

 「あ、無かったことにした!」と、誰もが思ったはずだが、誰も口に出さなかったので彼は自然に続ける。

 

「現れる度に面白いことを言うな、きみは。さてキリト君を渡さないと言ったかね? しかし、私らとてギルドの(かなめ)である彼女を渡すわけにもいかない」

「俺はアスナを取ろうってんじゃねーぞ?」

 

 一応反論してみる。と言っても彼女に興味がないと言っているわけではない。あくまであのカリスマ性が最高に発揮されるのはKoBとして、と結論つけているからの発言である。

 それはヒースクリフも理解していた。

 

「承知してるさ。だがキリト君はそうは思っていない。ならば、やはりギルドマスターである私はそれに対抗しなければならない。そして私もこれをチャンスと捉え、彼をこのギルドに巻き込みたいと考えている」

 

 「あ、巻き込むって言った!」と誰もが思ったはずだが、以下略。

 俺は少しだけ考えてからハハーン、といった顔を作りヒースクリフに続いた。

 

「なるほど、そっちも引けねェってか? オッケー、じゃあこうしよう。決闘を2回に分けるんだ。最初にキリトとあんたが戦う。もしキリトが負けるようなら、今度はキリトを賭けて俺があんたと勝負する」

「ふむ、それならきみとの勝負にアスナ君は絡まない、と」

「イィーエス! 俺に勝てば……ほら、あれだ……あ、ヤベ。俺なんも渡せるもんなかったわ」

「そこ考えてなかったのジェイドぉ!?」

 

 外野(カズ)がガヤガヤうるさいが、ここまで来て引き下がるわけにはいかない。

 

「ええい、うっさい……なら何でも言うこと1個聞いてやる!」

「それじゃただの子供じゃん!」

「よかろう」

「え、いいのっ!? マジ!?」

 

 今日はカズのノリ突っ込みが冴え渡っているようだ。

 ――若干彼のキャラがブレたような気がしたけど、まあ気にしない。

 しかしまさか、口下手な俺がこういった交渉を成立させてしまうとは。俺もここへ来た頃に比べ、ずいぶん大人になったと言うべきか。

 ……大人に、なったというべきか。

 当然、啖呵(たんか)切ってしまった手前、俺も奴も『男に二言はない』という立場だ。振りかぶった拳は振りきらなければならないのだ。ヒースクリフには己の口から出た災いというやつを存分に味わってもらうとしよう。

 

「これで合法的にキリトが俺のモンになるわけだ……ケッケッケ」

「はてさてそう簡単に行くかな……フッフッフ」

 

 フッフッフ、ク~~ックックという不気味な笑い声だけが反響するなか、キリトとアスナはそれぞれ違うニュアンスを含ませながらこんなことを言った。

 

『どうしてこうなった……!!』

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 というわけで。

 ユニークスキルを持ったプレイヤー3人がいきなりガチバトルを始めるという展開になってくれたおかげで、攻略に関心のあるほとんどのプレイヤーがその戦いを一目見たいと、あちこちから集まってきているのだ。ミドルゾーンの方々もユニークスキルには興味津々である。

 ちなみに軽く飛ばしそうになったがキリトの意見も問題ない。あとで本人に聞いてみたところ、「どうせギルドに入るなら別にレジクレでもいいよ」と言ってくれた。メンドくさそうに言っていたが、あれは照れ隠しだと信じよう。

 それにしても、ダイゼンがハッスルしてあちこちに言いふらさなければ、もう少し大人しい交渉になったはずだが、客観的に見るとバカをやってしまったものである。

 今回のデュエルの開催場所は、最近アクティベートされた75層の主街区《コリニア》。街のメインテーマはコロッセウム誕生期のギリシャとのことで、再現度の高いマップの中央にはおあつらえ向きな円形闘技場(コロシアム)屹立(きつりつ)していた。

 死刑囚用健闘士と言えば想像しやすいだろうか。国こそ違うものの奴隷制度、カースト制度が堂々と跋扈(ばっこ)する当時のインドで最底辺階級の人間同士が武器を持って殺し合うためのステージ。

 そんな物騒な、ゆえに大人気を博した観戦ステージがあるということで、俺達とヒースクリフは見世物と化した。

 

「時間は?」

「10時50分。あと10分でスタートだな」

 

 端的な質問にキリトは即答する。

 どうやら彼も時間が気になっていたようだ。

 

「まァ~じかよカンベンしてくれ。俺と逃げるかキリト?」

「それやったら、ただでさえ悪名高いのに一躍犯罪者になっちまうよ。前のトーナメントみたいに観戦料取ってるらしいからな。そして100パー覆らないだろう、史上最悪のウワサが流れるのさ……」

「……だよなぁ……」

 

 しかし世間の耳も怖いものである。その噂とやらでキリトを追い詰めておいてよく言えたものだが、狙ってもいないのにとんとん拍子で拡散されていくのだから。

 それに節々に遺憾(いかん)な部分がある。

 何やら俺とヒースクリフがピンポイントでキリトの争奪戦をしていると聞こえたらしく、アスナはほとんど絡んでいないらしい。そう、つまり少年2名と壮麗(そうれい)なおっさん1名による壮絶なスーパードッキリデンジャラス三角関係が成り立っていたのだ。悪夢発生の一因である。

 俺とヒースクリフの会話をどう聞いたらそうなるのか。……まあ、そう聞こえても仕方がない会話をしていたような気もするがしかし、これならまだ少年2名とおっさん1名による薄幸のヒロインアスナ争奪ドロドロ昼ドラのほうが聞こえはいい。

 弱小ギルドの妬みから生まれた印象操作すら疑ってしまう。

 

「これ、勝っても負けてもレジクレに明日はない気が……クソ」

「ジェイドがそうしたんだろ! まったく、どうしてくれるんだよ!? 勝っても負けても明日がないのは俺の方だよ! ただでさえどっかの誰かがユニークスキルを大袈裟に言いふらしてくれるし、ねぐら暴かれて住むとこない状況でこの仕打ちだよ!」

「(ヤッベ、それほとんど俺が原因じゃん……)」

 

 珍しくハイテンションなキリトを尻目に、わずかながら良心の呵責(かしゃく)が罪悪感をつついてくるが、無論それを口に出したりはしない。

 しかし俺にも言い分がある。キリトも本気でいやなら断ればいいのだ。

 考えたくはないが、レジクレとしても加盟が苦痛なら断ってくれた方がいい。なにせ彼の目的はアスナと少しの間コンビを組もうというだけのことだ。ギルド右腕の副リーダー兼《攻略の鬼》の戦闘部隊長ともあれば、数日席を空けるだけで攻略行程に支障が出ることは言われなくとも察せる。であるのなら、バリバリ攻略組のキリトにとっても、アスナと行動を共にするリスクは身に染みて感じているはず。

 ではなぜ、ここまでこだわるのか。

 レベリング効率だろうか。最近ソロではキツい場面も多発しているので、可能性としては1番あり得る。

 だが結局ハイリスクを自覚した時点で、それ以上突っ走るタイプだったかと言われると謎だ。キリトは面倒ごとを極力さける人間だし、現状は十分面倒ごとになっていると言える。

 偏った話、今の彼にとって俺を含む普通の攻略組とコンビを組むことと、アスナとコンビを組むことに意味の(へだ)たりがあるのだ。

 

「(アスナといたい理由ね~……ん? いや待てよ。冗談っぽく美人連呼してるけどあいつはガチなやつだ。てことはアレか!? コイツもとうとうそういうこと考える年ゴロってワケか!? つか真っ盛りなんじゃね!?)」

 

 ヒョイッ、とキリトの方を見てみる。すると彼は俺の視線に気づきつつも、やや首を傾けてキョトンとしていた。

 童顔、朴念仁、廃ゲーマーらいしズレた自信。まさにそんな表情だ。

 

「(いや見ろよこのむぼーびな顔。この攻略脳が女と2人でいたいとか……けど、無きにしもあらず。経験不足ってんなら、アスナがちょろっと色気使えばすぐオチそうだしな。ちょいとつついてみるか)」

 

 「さっきからどうしたんだよ、ジロジロ見てきて気持ち悪いな」などとのたまう失礼なキリトを無視し、俺はキリトの両肩をがっしり掴んで言い放つ。

 

「キリト……アスナのことが好きならコクっちまえよ。イケるって絶対」

「こ、ここコクぅぅっ!? なっ、なに言い出すんだ急に!?」

 

 キリトは慌てて否定しようと大声を出すが、完全な否定系にはなっていない。おまけにその慌て方というのも、普段の彼らしからない気がした。

 これはますます怪しい。

 俺は悪ノリを通り越し、背徳的な嗜虐心(しぎゃくしん)をエネルギー源に言葉を連ねる。

 

「わかるぜ~、廃人には無縁のカワイイ女の子……コンビ組もうなんて言ってきたら、期待ふくらみすぎてマドわされてもしゃあねぇよ。キリトはフツーだ」

「誰が惑わされた、誰が! そして勝手にわかるな!」

「でもさっき、アスナが嫌いとは言わなかったぜ?」

「うっ……くッ?」

 

 キリトがサッと頬を朱色に染めると、俺は畳み掛けるようにジリジリと距離を詰め、さらに逃げ場のない壁際へと追いやる。

 実際には好きとも嫌いとも言っていないのだが、ことこの状況下においてはいかな彼も判断力が低下しているようだ。

 

「言えるか? アスナのことが嫌いってホントに言えるか?」

「うっ……そりゃ……言えないけど……」

「フフン、そうだろう。そういや今日の朝までは私服だったんだってなアスナの奴。キリトに会う時だけ気合い入ってるよな~」

「たまたま……だろ……」

 

 思いあたる節があるのか声に元気がない。

 別に両想いなら悪いことはしてないだろ、という極めて一方的な理論で武装した俺はさらに質問する。

 

「んじゃあも1つ聞くけどよ、アスナに最初に会った時、あいつのどこを見たよ?」

「どっ、どどどこ!? ……って、どこも……そ、それこそ服だよ! 服装!」

「服と、どこ見てた?」

「ふ、くと……服だけ、です……」

「うんにゃ、俺にはお見通しだぜ。目を背けてもムダだ」

 

 すっかりしおらしくなってしまったキリト。即席の否定すら必死で、当人すら自分の反応にさらに困惑する。まるで否定するほど肯定しているかのように。

 結果判断力は欠落し、注意力は散漫していた。

 あげく敬語まで使い出して顔を真っ赤にしているというのに、俺は鬼畜にも彼を壁に縫い付け、背けた顔を俺の方へ戻してからさらに言葉による攻めを続けた。

 

「ムネ……見たろ」

「みッ、みみ見てないよ! 見るわけないだろ!」

「ムネは見てないのに服だけ見たのか? おかしくね?」

「うく……っ!?」

「なァに、男ってのはそーいうトコに目が行くんだよ。細胞が叫ぶんだ。二次元しか興味ないって言い張るオタクもカゲじゃコッソリ見てんだぜ?」

「そ、そんなことは……え、そうなの……」

 

 「たぶんね……」と心のなかで付け足しておくが、本人には聞こえない。

 

「そんだけ魅力があったってことだ。否定したらアスナにも失礼だぞ?」

「そう……なのか……?」

「モチのロン。だいたいネタは割れてんだ。好きじゃなきゃキリトはとっくにこの勝負を降りてる、そうだろう? ガラにもなく熱くなってさ。……なあ、ハナッから食い下がること自体らしくねェんだよ」

「む……ぅぅ……」

 

 討論させるのではなく、1人で会話のペースを独占することは主導権を握る話術の基本だ。別に難しい話ではない。術中にハマってしまえばあとは多少ミスをしても相手が勝手に勘違いを起こすからだ。

 後がないキリトは、論点がズレていることにすら気づかなかった。

 

「ふっふ~ん、けど安心しろって。あいつのはデカいからな。キリトが悪いんじゃない。決してな。これはアスナが悪いんだよ」

「アスナが……悪い……?」

「そう、ムネがデカいアスナが悪いんだ」

 

 ぼーとしだしたキリトに追い討ちをかけにいくのはいいが、なんという超絶セクハラ発言だろうか。音声によるハラスメント対策があれば俺はとっくにブタ箱行きだ。言った俺がビックリである。

 しかしこれは、言わば小中学生による修学旅行などの宿泊先で、恋バナやY談に花を咲かせるのと同じテンションなのだろう。

 何より人が期待された方へ伸びていく現象。つまり、俗に言うピグマリオン効果――だったかな?――が、キリトにバッチリはまっていることがとても面白かった。たいして綺麗に使われていないトイレでも、『いつも綺麗にご利用いただきありがとうございます』と貼り紙し、心理的に実現させようとする例のアレだ。

 キリトは徐々に俺の術中に染まりつつあった。

 

「ま、まぁ失礼だしな。……服見た時に、見えなかったこともないし……けど、だからって好きってことに繋がるわけじゃ……」

「素直になれよ、自分の気持ちにさ。それとも、ここで言うのは恥ずかしいか?」

「それ……はっ……その……」

 

 思えばここでやめておけばよかったのだ。にも関わらず、俺は「あとひと押しでキリトの口から証言が取れる!」などという、誰からも称賛されない達成感を得ようとヤケになって深追いしてしまった。

 そして、越えてはならないターニングポイントをスキップ混じりに踏み越えてしまう。

 

「キリトの口から聞きたい。はっきりって言ってくれ。誰にも言わないからさ……俺らだけの秘密だ」

「う、ん……」

「聞いてるのは、俺だけ……」

「まあ、俺も……好き、なのかも……」

 

 ――うっしゃあァアアアッ!!

 やはりそうだった。俺の読み通り、この攻略バカはアスナのことが好きだったのだ。それをこの、どこかスカした《黒の剣士》の口から言わせてやった。見ろ、顔なんて真っ赤になっていやがる。

 勝った。俺が勝者だ。

 がしかし、謎の優越感に浸るのもつかの間。

 さてこの弱味を使いどうやって揺すってやろうか、なんてゲスいことを考えたその瞬間。ドサッ、という……なにか重量のある布袋が力なく床に落ちるような、乾いた音が真後ろから聞こえてきたのだ。

 そして、それで十分だった。たったそれだけで全身の熱が引き潮のごとく引き、俺とキリトが亜音速で音源を振り向く。

 

「あ……かっ……そ、の……っ!!」

 

 目を見開くキリトは絶望に干上がり、俺に至っては声すらでない。

 そこにはよく見慣れた女性プレイヤーが3人ほど固まっていたからだ。……否、固まっていたと表現すると語弊(ごへい)がある。これを現代文学で一言に(まと)めることは不可能だっただろう。

 怒りにも似た嫉妬。恐怖にも似た悟り。一見呆然としているようにも見える殺意。

 それらの混沌とした激情が融合し、結果的に無表情になっているだけだった。そう、例えるなら、色んな絵の具を混ぜることにより、それぞれがどんな色であれ最終的に黒色ができ上がってしまうかのように。

 

「……ね……ネェ、ジェイド。ナニしてんの……?」

 

 我が恋人のセリフなのに、まるで邪悪な死神が話しかけてきたような錯覚すらした。

 普段の甘く高いトーンからは想像もつかないドスの利いた声。その現実離れした超嫉妬深い彼女の声を聞いて、初めて俺は現実へ引き戻された。

 

「どあァああヒスイッ!? とアリーシャとアスナ!? あああんたらどっどどどこから見てたっ!?」

「素直になれよキリト……から……」

「(ってことは……最っ悪だァアアアアアアアッ!!)」

 

 人生最高の回転数を誇る頭の回転速度で、俺は己のセリフを脳内でリピートしていた。

 素直になれよ、のくだりから俺がどんな言葉を発し、キリトからどんな言葉が返ってきたか。

 確か言い(よど)む彼に本人の口から答えを聞きたいなどと言い、俺自身に向かって無理矢理『好きです』と言わせるよう四苦八苦していた気がする。

 つまり客観的な見え方はこうだ。

 2人きりになった途端、片方の男が別の男を壁際へ押しやり、あらかた言葉責めしたあと「実は好きでした」と決定的な言質(げんち)をとっている。

 誤解だと、弁解する余地はあるだろうか。信頼の深さによってはギリギリある。

 試してみよう。

 

「……誤解だ」

「バイとか……無理……」

 

 ――なかったかァッ!

 ヒスイなんて今にも泣きそうになっている。泣きたいのはこちらなのに。

 

「わ、わたしは……べべ、別に……キリト君が誰を好きだろうと……」

「ちっ違う! 本当に誤解なんだアスナ! 俺はジェイドに無理矢理言わされただけで!」

「シャーーラップ、キリト!! これ以上傷をえぐるでない!!」

「その……2人ともお幸せにっ!!」

「あ、ちょっアスナ!?」

「ってこらヒスイも逃げんな! まだゴカイが解けてねェ!」

 

 アリーシャを除く2人が顔を真っ赤にして逃走。

 これはまずい。ここで逃がして言い訳を並べる機会を脱してしまえば、俺達はこの先永遠に誤解を与え続けることになってしまいかねない。いや、もう手遅れだろうか。

 

「…………」

「さ、察しのいいアリーシャならわかってくれるよな……?」

 

 顔面に脂汗をたっぷり流して最後の希望に(ささ)いてみる。頬が若干染まったまま立ち尽くしているが、すぐさま逃げ出さなかっただけまだ可能性はある。

 なるべく刺激しないように聞いてみたつもりだが、果たして返答は……、

 

「アタシ……気にしないから。……ごゆっくり……」

 

 バタン、と。無慈悲にも扉は閉まった。そこに何か感情があったかと言われるとわからない。何か言いたげだった気もする。

 なんて悠長なことを考えているが、実はすこぶるどうでもいい。今となってはヒースクリフとの試合すらどうでもいい。取り残された男2人の魂もどこかに取り残されたように数秒間の静寂が訪れた。

 そして……、

 

「どぉーすんだよこれっ!? ジェイドのせいだぞこれは!!」

 

 キリトがキレた。

 

「仕方ねェだろ不可抗力だっつーの!! 今から追いかけて事情を説明すりゃあ……」

「それがダメなんだよ! ……く、やっぱり。時間みろジェイド、あと1、2分で試合が始まるんだ。ここで説得に時間を割いたら、俺達は試合に現れなかった臆病者になってしまう。そしてさっき話してた『考えうる最悪の展開』になるだろうさ……」

「男同士で駆け落ち……か。俺とキリトが……んなことするわけねェのに……!!」

「世間に伝わるのが事実だけとはいかない。もうこうなったら試合に集中するしか……」

 

 今はまだヒスイら3人で済んでいるが、NPCを含むとはいえ数千の観客の前で俺とキリトだけ神隠しに会えば、本当に取り返しのつかないことになる。火消しにも限度があるし、最悪うしろ指を指されながらゲーム解放まで生きなくてはならなくなるだろう。

 とそこで、扉が軽く2回ノックされた。

 

「ん……? 誰だこんな時に……」

「なんだ、ルガ君か」

 

 そろりそろりと部屋へ入ってきたのはカズだった。

 ノックしておいて無言とは珍しい。しかも人見知りで内気な上に冴えるところがどこにもない彼――かなり酷いことを言っているが――にしたって表情が暗い。何かあったのだろうか。

 

「あの、さっき1人で歩いてたアリーシャさんに事情を聴いたんだけど……」

『…………』

 

 その一言で俺とキリトが石のようにフリーズした。

 事情を聴いたと言うよりは、カズはこの上ない根も葉もない虚実を聴いただけだと言うのに。早くも被害は絶賛拡大中のようだ。

 

「その……僕も偏見はないよ? だから安心して。アリーシャさんも……どういう意味かわからないけど『むしろ全然アリです』って言ってたし、だから……」

「ヤメロルガァああッ!! 聞きたくないぞ! 俺のギルドにいる奴のあられもないセーヘキなんて聞きたくないっ!!」

「レジクレの教育どうなってんだよ!? だいたい、さっきも考えてみればノックの1つぐらいしてくれればこんなことにはならなかったのに!」

「僕は2人を応援するよ! 悲しさもあるけど、本人の気持ちは尊重しないとね!」

「シャーーラップ、ルガ!! これ以上ややこしいこと言うな!」

 

 そんなことをあたふたと言っていると、『さぁお待ちかねですご来場の皆様! ただ今より、世界に1つしかいない《ユニークスキル》をそれぞれ獲得したプレイヤー3人による……』というバカでかい運営のアナウンスが会場の方から聞こえてきた。

 タイムアーップ。

 マイライフイズザファイナルエンド。文法など知らない。

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイ……」

「落ち着けキリト! いいか、あわてたって状況は変わらない! こういう時は手のひらに『落ち着け』って3回書いて飲み込めば落ち着けるってばっちゃが……」

「落ち着けジェイドっ!!」

 

 こうして波乱万丈な午前が過ぎた。何もしていないとそれはそれで疲れると言うが、何かし続けるのもこれはこれで疲れる。

 新しい発見である。

 

 

 

 ああ、ちなみに心理状態的に言うまでもないかもしれないが、試合は2人ともヒースクリフに負けて終わった。

 

 

 

 



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第95話 悪夢再び(リターンナイトメア)

 西暦2024年10月23日、浮遊城第1層。(最前線75層)

 

 我ながら面倒なことを引き受けてしまったものだ。

 元はと言えば、俺が「なんでも言うことを聞いてやる」なんて先走ったことを約束したのが原因だが、いざ引き受けてみると改めて反省せざるを得ない。

 だからといって「聞くだけです~! 実行はしませ~ん~!」なんて、子供のようなことを言える雰囲気ではなかった――《聖騎士》相手に当たり前だが――ので、俺はヒースクリフから受けた命令を地味に進めつつあった。

 

「じゃあキバオウを筆頭とした《軍》の急進派が、何かたくらんでるってことか?」

「そうなるのう。ただ確証はなくてぇな。じゃあ具体的にと聞かれれば、ぶっちゃけ答えにつまるの」

「ふ~ん……」

 

 ここは第1層の《はじまりの街》。相手は渋い顔をした短髪の初老。

 慰霊碑(いれいひ)兼、悪どい犯罪者を閉じ込める牢屋でもある巨大建築物《黒鉄宮》の前で、クロムのおっさんはそんな風に歯切れ悪く答えた。

 なんでもヒースクリフが言うには、《軍》こと《アインクラッド解放軍》のやや攻撃的な動向が目に余る反面、裏で言いようもない危険な臭いが漂ってきているらしい。

 茶色のトゲトゲ頭がチャーミングポイントな軍の急進派代表格、キバオウの名前がここで挙がったのもそのためである。

 しかしなぜ、KoBがそんなことを。言ってしまえば『他人事』を気にするのだと思うだろうか。

 詳しく聞いてみると、どうやらトップギルドの中でも温厚アンド誠実なKoBは、下層中層のプレイヤーから厄介ごとの解決を依頼されることが多々あるらしい。

 依頼主、つまりミドルゾーンの人達の心境はこうだ。

 『《圏外》で軍の連中から嫌がらせを受けている。どうにかならないか』。

 『しかし相手のレベルがわからない。下手に刺激して相手が高ランカーだったら、逆に今まで以上に危険にさらされるかもしれない』。

 『最高レベル集団で、頼れる人に相談しよう』。

 『そうだKoBがいる。彼らは弱い者にも優しいし、フィールドに出て危険に飛び込むぐらいなら、お金で解決した方が結果的に安くすむだろう』。

 というわけだ。

 

「(KoBも大変だなぁ……)」

 

 それこそ、他人事のようにため息をついた。

 相談内容には解決までの難易度のバラつきから、そもそも信憑性すら定かではない被害妄想じみた怪しいものまで様々らしい。

 しかし困っている人を放っておけないのは、民族の(サガ)とギルドの方針。ある意味、身持ちの堅いアスナですら全幅の信頼を置く、《聖騎士》ことヒースクリフが率いる天下の血盟騎士団だ。いくら乗り気でなくとも「知るか! 自分で解決しろボケ!」とは言えず、最終的に金さえ払ってくれればある程度は引き受ける形になったらしい。こんなところでもDDAとは差が出る。

 と、そんな折りに。

 《はじまりの街》とその周辺層で、《軍》によるまさかの『徴税』が始まったことは記憶に新しいが、その対象者が『突然の徴税には裏があるに違いない。これでは反感を買うだけなのに』と言ってきたらしい。

 確かに一理ある。俺も徴税するゲーマーが現れるとは思っていなかっただけに、最初に聞いた時はにわかには信じられなかった。それは現実世界の消費税率が50%になっても国がメリットを得られないのと現象は似ている。民あっての国なのだから、限界を越えた徴収はむしろ裏目に出てしまうだろう。

 ではなぜ、《アインクラッド解放軍》はその体裁と信頼を犠牲にしてでも、ただでさえ貧しさにあえぐ多くの市民から金を巻き上げ始めたのか。

 俺的にはただ失政に見えるが、当の本人らには自殺行為に等しい強行策の裏に重大な謀略(プロット)があるに違いない。と、こう見えたらしい。

 

「ボーリャク厨うぜ~。つーかこれ、テキトーに言ってKoBの力を借りつつ、軍の暴走を止めようって腹なんじゃねェ? これで止まれば悪いことなしだ。市民は安全を取り戻し、金とメシには不便しませんでしたとさ。めでたしめでたし。……ったく、こんたん見え見え。付き合ってらんねーよ」

「そう言うでない、お前さんから聞きに来たんじゃろう? 不自然な集金現象が起きとるのは事実じゃ。現にトップのシンカーさんやその側近が止めに入っても、キバオウらを押さえ込めなかったしのう。わしとて徴税には反対したんやぞ。あ~あと、最近74層ボス攻略戦で死者を2人出したのは知っとるな?」

「そりゃあ、75層を解放したの俺だからな。その場に居合わせてたよ」

 

 軍の中佐コーバッツは、たった2パーティ分の戦力を引き連れて玉砕していた。

 それを止められなかった虚しさもあるが、人が死んだショックは嫌というほど記憶に刻まれている。忘れろと言われても難しいだろうし、ましてやあれからまだ5日だ。

 

「……そうじゃったな、すまん。ただ、それなら余計わかるじゃろう。軍のトップ連中12人を勝手に最前線に送り、しかも2人も死なせてしまった。……保身ばかりで攻略に参加しない今の解放軍に不満を持たれ、それを打開しようと無策に突っ込んだ結果でもある。指令を飛ばしたのは急進派の連中で、金と信頼を一気に失った奴らは相当焦っとるで」

「そこでシンカーら保守派にギルドの政権……つーとギョーギョーしいけど、ようは主導権を取られたくなかったってわけか。保守派さえ黙らせておけば、多少の不満や反感は得意の強引さでなんとかなる、と」

 

 リスクが上がるほど権力者は保身的かつ狡猾(こうかつ)になる。慧眼(けいがん)なくとも悪知恵ははたらく。

 無慈悲な独裁も持ち前の拡大解釈であら不思議。立派な『統制行為』に変わるのだから、旨み(リターン)のある仕事はやめられないのだろう。責任の押し付けあいは絶賛お互い様で。

 

「シンカーさん達、保守派の影響力が弱まっとったのもある。元より攻略に参加さえしてくれれば、急進派にも大義はあるし支持率も高かったんじゃ。宣伝のうまい急進派に世論が誘導されるのは、時間の問題だったのかもしれんのう……」

「ふむふむ」

「もっとも、KoBに相談しに行った男はそこまで考えとらんかったようじゃ。彼らがこれを無視せんかったのは、放っておくと軍資金を得たキバオウらの暴走で大事になりかねんと思ったからかのう」

「…………」

 

 なるほど。今さらではあるが、『軍には極力関わるな』という決まり文句ができ上がってしまうほど、《軍》という組織はキナ臭い。内部が不透明なぶん、アインクラッド最大ギルドが本気で内輪揉めを始めてしまったら、間接的に殺人事件すら起きかねないのだ。

 であるのなら、確かに誰もが面倒で仕方がないと感じるだろう本件も、ぞんざいに扱えないのかもしれない。

 例えばこれがヒースクリフの耳に入ったとして、誰か使えそうな駒がKoBに転がり込んできたとしたら、その駒使って低コスト調査ぐらいはするだろう。

 

「(……ま、その『駒』ってのが俺なんだけどなッ!)」

 

 内心ヤケクソになりながらもクロムのおっさんに礼を伝え、そろそろ回りくどいことやめて軍の本部に(とつ)ってみるか、などと考えつつその場をあとにした。

 と言っても、想像以上にあれやこれやを話してくれたおかげで、正直軍の本部に腰を下ろすお偉いさんにインタビューでもしなければ、さらなる進展は望めないだろう。

 彼もよくあれだけのことを知っていたものだ。やはり閉鎖されたギルド内とその外では、情報の拡散具合に差があるのだろうか。

 

「(ま、おっさんの門番シフト直前に会えてよかったよかった。……さ〜て……)」

 

 ものの数分で《黒鉄宮》の外周をなぞり、俺は《軍》の戦闘員が狩りや補給の中継拠点として、頻繁(ひんぱん)に活用されるテント群の鼻先へ移動していた。

 テント群といっても、周りは破壊不可能なカーペット状の柵で覆われており、らしさと言えば視界の端に映る丈夫そうな三角形の布だけだ。中にテントがいくつも張られている、と教えられなければ、ギリギリ実態がわからないレベルである。

 囲いの唯一の入り口へ視線を向ける。

 そこには椅子というよりは丸太に近い雑な木片に座り、これもまた円形の木材テーブルを囲ってカードゲーム――ギャンブルだろう――にふける若い3人組に目がいった。

 なるべくカジュアルに話しかけると、「出入り基本自由ッスから」などと言われて浮遊城の刺繍(ししゅう)が入った暖簾(のれん)をくぐらせてもらう。

 関門とも言えない関門を、俺はいとも簡単に突破した。

 電子ロックをかけろとまでは言わない。しかし人数が多すぎてメンバーを把握しきれないからかは定かではないが、拠点の警備がこれではザル過ぎる。

 

「(ま、セキュリティばんばんよりは死ぬほどありがたいから、全然ウェルカムなんだけどさ……)」

 

 彼らの性格が特別フラットだからというわけではないのだろう。なぜなら盤上型のテント群エリアに侵入しても、俺に視線が集まらないからだ。

 急に視線が集まらないと文句を言うナルシストになったのではなく、普通ギルド外のプレイヤーが我が物顔で敷地をのしのし歩いてきたら「誰だこいつ?」となるだろう、という意味である。

 これもまた不便ではないので逆に感謝するべきだが、どうにも心配になる。ここまで無関心になるほど兵隊達の士気を極めて損ねたのが、74層攻略戦における久々の『死人』と理解しているだけに、それを乗り越えてステアップに励んでくれないと俺の立場がない。

 何て考え事をしているうちに、俺は一際(ひときわ)高級で作りのいいテントの目の前へ来ていた。

 保守派のシンカー。

 急進派のキバオウ。

 多忙な彼らがどこへいるかなど本来知るよしもないはずだが、それなりの階級を持つクロムのおっさんから指南を受けた今日の俺は事情が違った。

 小学校の林間学習ではないのだから、テントそのものも高さ3メートル以上はあるわけで、俺は背を丸めることもなく入り口から侵入してみた。

 そう、『侵入してみた』のだ。当然怒られた。

 

「お、おい! おいおいおい」

「4回言うな」

 

 物置から袋のような物をコソコソ引っ張り出しながら食いついてきた男に突っ込みを入れつつ、慎重に辺りを見回してみる。

 すると、目に飛び込んできたものは熊の毛皮に上質な絨毯(じゅうたん)。飾るためにだけ作られた銀鎧、さらには壺のような形の骨董品。その他、感心するほどありとあらゆる嗜好品が立ち並んでいた。

 なるほど《はじまりの街》でプレイヤーがその日のメシを食うのに困っている中、結構な暮らしを堪能しているらしい。

 

「いや勝手に入ってきちゃいかんでしょう、どこの所属よ君。一応立ち入りの可否は階級で決められてるし、許可制なんだから……」

 

 早口で言う男は、濃紺色の袋を慌ててしまいながら俺に近づいてきた。

 しかし俺の顔を見てすぐに気づく。

 

「ん? ……っあれ、あんた!? 《暗黒剣》のジェイドッ!?」

「な、なんやてっ? おいコラ、ジェイドはんがなにしに来たんや!?」

 

 同時に奥の部屋からぞろぞろとプレイヤーが出てきて、静まった湖畔(こはん)に石でも投げ込んだかのような波紋が広がる。

 最前線の地図のようなバカでかい羊皮紙を広げ、部下とミーティングをしていたらしいトゲトゲ頭の男が席を立って詰め寄ってきた。

 彼こそが俺の探し求めていたプレイヤーだ。

 「ベイパーは下がっとき」という命令により、先に話しかけてきた男が1歩身を引き、辺りの連中まで各々の会話を中断してまで俺を凝視してきた。コミュ障真っ盛りの2年前なら、これだけであっという間に脳内オーバーヒートを起こすところだったが、俺が問い詰める立場であることも相まって、意外とスムーズに声が出た。

 

「どうもこうもねぇよ。最近あんたら千人規模の団体様からコルをパクってるらしいじゃねぇか。建前はみんなで協力か? 元より貧しさにあえいでんだ。連中からなけなしの金をむしりとっても……」

「関係あらへんやろッ!」

 

 キバオウの鋭い先制により、俺はシミュレートしてあった続く言葉を発せなかった。

 代わりにキバオウが隙間を埋めるように言葉を連ねる。

 

「ジェイドはんには世話になったわ。そりゃあな、例の件(・・・)のこともある。けどこっからはワイら《軍》の話や。関係あらへんやろ? 今まで負担は戦闘員に(かつ)がせとったが、それじゃアカンおもてリスクを末端まで分散しただけや」

 

 これはまた突っ込みの難しい返しだ。なぜなら、道理が通っている。クロムのおっさんもこういった返しのうまいところが急進派の強みだと理解していた。

 のべつまくなしに言い訳したのではない。

 彼らにあまねく大義名分がある以上、俺も当たり障りのないことしか言えなかった。

 

「……けど、その不満をKoBに訴える奴までいた。訳あってここへは俺が来たけど、ようはストレスたまって取り返しがつかなくなる前に忠告しに来たんだよ。あんたも嫌だろう? シンカーの席ばっか目が行って足元すくわれんのは」

「ワイらの場所、身内で不満、保守派寄り……はっ、クロムオーラあたりの差し金やろう。面倒かけたな。やが、大きなお世話や」

「……ったく、察しはいいくせにのっけから否定すんなって。ほら、話し合いとかじゃ解決はムリなのか?」

「やるで。シンカーはんとの協議は数日後に控えとる」

「まぁだとおもっ……え!? うそ、話し合うの?」

「だからそう言うとる。なんも平和的に争えるならそれに越したことはない。……どっちがトップに相応しいかをな。ワイにギルドマスターの器がないと判断されたら、大人しく引き下がるつもりやったわ」

 

 これだから片方の意見だけを聞くと危険なのだ。

 その話し合いとやらでキバオウらが納得すれば、また元通りになれる可能性がある。どちらが主導を取るにせよ、ねじれた運営サイドが(まと)まれば《アインクラッド解放軍》全体のフラストレーションも収まっていくだろう。

 そうとわかれば話は早い。確かに俺のお節介は大変大きなお世話だった。

 トゲトゲ頭は考えもなしに好き放題やっていたわけではない。これだけでも収穫である。あとはことの次第をヒースクリフに伝え、彼らの好きにやらせると進言すればこの仕事も終わりだろう。

 俺はキバオウに「ならいいよ。勝手に入ってきて悪かったな、ここの警備ザルだったもんで」とだけ言って、しれっとテントを出ようとした。

 だがそこで背中から声をかけられる。

 

「……ワイからも1つ、忠告したるわ」

「あん?」

 

 よもや突撃インタビューした俺の方へ話すことがあるとは。

 声とは裏腹に多少興味を持ちつつ、俺は続きを促した。

 すると……、

 

「おかしなっとるのはワイら《軍》だけやないんや。《DDA》も《KoB》も……」

「ちょっ、キバオウさん!?」

 

 入り口でいち早く俺に気づいた男、つまりキバオウに先ほど『ベイパー』と呼ばれていた長身の男が、ここで食って掛かった。

 俺としてはクエスチョンマークだが、彼らにも事情があるらしい。

 

「ええやろ、ワイらとあいつらは、そう仲のいい集まりやないで」

「それは……そうですが……」

「話が見えんのだけど、それは《軍》の情報ろーえーに繋がることなのか?」

「いやそうやない。が、ことがことだけに大っぴらには言えん。……ええか? 他言無用や。以前借りたもんはここで返すことにする」

 

 『以前借りたもん』と言葉を(にご)したのは、おそらく《はじまりの街》の地下ダンジョンのことだろう。

 新フロア発見に浮き足だって独占しようとするあまり、直属メンバーを危機に晒し3人の死者を出してしまった愚行。それは今も封印される俺達の記憶の中だけの話だったが、彼自身が作った借りを返すというのだから、きっとそれは『それなりの情報』だと推測できる。

 ますます聞き逃すわけにはいかなくなった俺は、盗み聞きされないようキバオウと別のテントへ移動し、先ほどの空間とは対照的に掃除すら行き届いていない物置で話に乗った。

 

「さっきも言うたがここだけの話や。ワイら軍の中にもおるやろうが、トップギルドの一部にも『奴』の影がチラついとる」

「奴……? っていわれても心当たりないけど」

「あるはずや。レッドギルド《ラフィン・コフィン》の元トップ、PoHのことなんやからな」

「なッ!?」

 

 今度こそ俺はパフォーマンスではなく息を呑んだ。

 2ヶ月間、足取りの『あ』の字も掴めなかったPoHは、何もひっそりと潜伏して罪の時効を今か今かと待っていたわけではなかったのだ。

 「動向が掴めんだけに気が散るわ。今度の事件の規模は小さいやろな」と続けるキバオウには同意する。

 あいつは活動を再開している。この瞬間も次の殺人を頭に浮かべ、手口を考案し、それを実行せんと網を張っている。本人が卑劣(ひれつ)で残虐だっただけに、先の戦争で敗北した反動によって今までになくキレているだろう。控えめに見ても危険すぎる存在である。

 そんな人間が、トップギルドに毒牙を向けているらしい。

 かつてメンバーのステータス的ハンデを負いながら、最前線エリアまで席巻(せっかん)したラフコフは、その中核が生き残っているのを忘れてはいけない。

 

「ワイもこの事実を掴んだのはつい最近や。あんさんも素性探っとったなら知っとるやろう。奴はこの2ヶ月半で戦力拡大をせんかった(・・・・・)。せやかて寝とったわけでもない。……奴は、かつて3大ギルドと呼ばれたワイら《軍》、DDA、KoBにそれぞれ接触しとったんや……」

「んな……アホなこと……ッ」

「冗談みたいな話やから盲点なんや。灯台もと暗しとはこの事やな、誰もそないなことは考えん。奴は群れで行動するのをやめ、まるでヘビかなんかみたいにじわじわ1人ずつ標的を絞ったんや……」

 

 それが真実だとすれば確かに盲点だ。俺はオレンジギルドとPoHとの関係を洗っていたが、よもや最前線のトップギルド相手にこれほど大胆なことをしてくるとは。

 もちろん、これでは大きなギルドを壊滅させられるほどの戦力は得られないだろう。よくて1人か、多くとも2人程度のプレイヤーをたぶらかすのが関の山である。そこに本人が加わったとしても総戦力などたかが知れている。

 つまりこれは、今のPoHから攻略組壊滅の野望が消えていると見ていい。

 純粋な悪意が渦まいていた初期の頃だ。

 組織的な戦争ではなく、極めてミクロな殺人劇。

 誰が何を得するわけでもない。殺人快楽者にとっては人を殺められるかどうか。部下など使い捨てで構わないし、戦力の増強など一時的で構わない。

 狂った奴らしい手口である。

 

「誰がどこまで接触してるかとか……まあ、わかんねぇよな」

「……せやな……」

「この分だと規模も1人、2人って話だ。くそッ……タチがワリィ……」

 

 だがここで、思ってもみない情報を突きつけられた。

 いや、むしろこれは真っ先に考えなければならないことだったのだろう。

 

「せやけど……過程がどうあれ、最終的なターゲットなら知っとる……」

「ターゲット……?」

 

 PoHが何をもって殺人を成すのか、誰の首をもってそれを成功と見なすのか。

 

「言い辛いが……キリトはんと、お前さんや……」

「な……にっ……!?」

 

 予想していなかったわけではない。どころか、今までの奴らの殺人計画への度重なる妨害行為を数えれば、俺やキリトは真っ先に報復してやりたい筆頭候補だろう。

 だが、のしかかる重圧は圧倒的だった。

 苦手な科目で教師にマークされている授業でも、実際に指名されたら心構えどうこうの話ではなく一瞬固まるのと一緒だ。心のどこかで身構えていても、事実を叩きつけられると放心状態になる。

 しかし……、

 

「まあ……ちょっかい出した時から覚悟してるさ。ラフコフ潰しでレジクレの知名度上げたぐらいだからな。やり返すなら俺だろう……」

 

 あとは、キリト。ミンストレルが情報屋として健在の頃から、もっと言えば俺がソロの頃からキリトとラフコフには因縁があった。

 しかもそのことごとくに勝利し、俺達はなお生き残っている。殺人ギルドと言い放った奴らからすれば、殺せていない俺達ほど虫の居処が悪い存在もないはず。

 そして今もソロのキリトは格好の獲物だ。真っ先に心配した相手が俺自身でなく彼だったのは、PoHの起こせる殺人の限界人数が『1人2人の話だ』と結論づいていたからに他ならない。

 

「だとしたらキリトはヤバイぞ。あいつの動きは筒抜けだ……」

「なんやて……?」

 

 呟くように言ったつもりだが、それを聞き取ったキバオウはその言葉を拾う。

 

「筒抜け言うても、普通は行動を隠すやろう?」

「少し事情が違う。俺がユニークスキルをバラしたせいでねぐらも暴かれてるし、あいつはヒースクリフに敗けたあとKoBに混ざって訓練するって言ってた。だからソロでこそこそレベリングしてた時に比べて、結構な奴に動きが割れてる」

「KoB……っちゅうと、あるかもな。報復が……」

 

 考えたくはないし、今すぐ起きるとは思ってない。そもそもKoBとて攻略集団だ。いくらPoHでもあの集団に手を出すのはリスキーすぎる。

 しかし、羽虫がのそのそと目の前に湧いたような悪感が背中を走っていた。いや、この感覚はもっと抽象的かもしれない。何をすればいいか具体的には思い付かないが、何かをしなければ親に怒られそうな休日の昼間のような焦燥感だ。

 その胸騒ぎに俺は逆らわなかった。

 

「話してくれてありがとよキバオウ。俺ちょっとKoBんとこ行ってくる」

「……せやな、まあ注意喚起だけでも意味はあるやろ。今回は止めへんわ」

 

 あいさつを済ませて帰ろうとしたが、俺はふと足を止めた。

 軽く振り向きなんとなく、本当になんとなく確認をとってみる。

 

「……なあキバオウ、シンカーとはきっちり話し合うんだよな? その、武力で訴えるとかじゃなくて」

「……ホンマにお節介やな。せやかて、何度も言うとるやろ。さっき隣におったベイパーはワイに敬語こそ使っとったが、あいつの立場は事実上無所属や。ワイとシンカーはんの仲介人として、どっちも武装解除した上で安全に話し合う手はずを整えてくれとる」

「…………」

 

 十分な回答が聞けた。

 これ以上疑うのはさすがに失礼だろう。

 

「わかった。じゃあ今度こそ見てくる」

「……そか。せいぜい気ぃつけるんやな」

「ああ、油断はしねェよ」

 

 そう言って俺は出口へ向かった。誰かの手に引かれるように、何かに背を押されるように。

 ところで、後悔先に立たず、ということわざがある。『後悔』という言葉の定義がすでに先に立つものでもはないが、誰もが知る非常に有名なことわざである。

 そしてこの時、俺はまんまとしてやられた。

 物置らしき暗いテントから出ようとした時、もしかしたらキバオウは不敵な笑み(・・・・・)でも浮かべていたのかもしれない。

 それを俺が知る術は、後にも先にもないのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 《軍》の駐留テントから早足に脱出した俺は、悲しいことに真っ先に空腹に見舞われた。

 現時刻はすでに11時を回ろうかという頃で、朝は「9時に集合してくれたまえ」などと注文を付けるヒースクリフに合わせていた。おかげで朝からあまりヒスイとラブラブできず、しかも寝坊していたせいで遅刻寸前。今日は起きてからまだ何も口にしていないのだから、まったく納得のいく空腹状態だった。

 それに先ほどの情報収集も気の休まる内容ではなかったのだ。精神的な疲労が重なり、とてもではないがこれでは攻略すらできないだろう。精神的疲労を侮ってはいけない。オフィスワークで1日中パソコンに向かい合う職場でも、土木工事で炎天下において激務に追われる職場でも、腹はみな同じように減る。

 ギルドホームに帰ってヒスイに頼めば、ちゃちゃっとまかない料理のようなものを出してくれるだろうが、往復するには距離もあるのでなかなか悩ましいところだ。

 

「くっそ、腹減った……けどここはガマンすっか」

 

 誰にもいないことをいいことに独り言を呟くと、俺は《転移門》から誘惑を降りきって『鉄の都』こと《グランザム》へ転移していた。

 寒々しい風が吹き抜ける感覚にはもう慣れたものだが、俺が本部に行ったところでキリトに会わせてくれるかは問題である。どのみち《軍》の報告でヒースクリフには会わないといけないので、ついでに彼の場所に案内してもらおう。

 ――ちょっとぐらいならユーズー効くだろ。

 と、そんな呑気なことを考えていると、圧迫感のある大通りの奥に妙な光景が広がっていた。

 

「(あれ……キリトか?)」

 

 場所はギルドの本部ではない。だいぶ離れたフィールドへの出口、《グランザム西門》の手前だ。建物の並びが碁盤格子(ごばんこうし)状になっているグランザムでは、直線上のものなら遠くても見通しがいいから助かる。

 隣にアスナがついて歩いていることからも、近くの彼がキリトであることは確実だろう。普段と違って真っ白な団服に身を包むせいで、《黒の剣士》というレッテルが逆に本人である認識を遅らせたが、よく見れば背負う直剣も2本ある。

 俺はこそこそとストーカーのように後を追ってみた。

 

「(あ、なんかこれいつぞやを思い出すな。キリアスの監視みたいな……)」

 

 今は懐かしきソロ時代。《フレンド登録》を済ませたプレイヤーはおろか、気の許せる友人もいなかった俺は、確か彼らが楽しそうに会話する姿をこんなふうに羨ましがりながら、そして(うら)みながらストーキン……もとい、正義に従い監視していた気がする。

 はっきり言って弩級の黒歴史だ。

 万が一本人達に知られようものなら本格的にマズいことになる。

 

「(まあ、これは心にしまっておこう。……つかなんだ、この集まりは?)」

 

 白い団服を着る剣士が5人。風の噂に聞くKoBの訓練というやつだろうか。ギルドの行動スケジュールは機密レベルの高い情報で、当然俺も彼らの行動を把握していたわけではないが、どうも小隊戦闘特訓の出立(しゅったつ)直前だったらしい

 無論、今さら55層なんて低階層で訓練してもたいした戦果は期待できないはずなので、大方フォーメーションやらハンドサインやらの統一化が目的だろう。かのユニーク使いソロプレイヤーキリトも、ここではただの新人である。

 監視することへの抵抗感も相まって、つい謎のテンションに引かれつつ、俺は苦労ついでにその集団に話しかけてみることにした。

 

「よぉキリト! KoBとおでかけか!?」

「ん? ああ、ジェイドか。おでかけ……というより訓練だな」

「ジェイド……と言えばギルド《レジスト・クレスト》の! いや、《暗黒剣》と呼んだ方がいいかな?」

 

 モジャモジャ短髪天然パーマな大男はガッハッハッ、と笑いながら切り出す。

 声のでかさや口調、態度から考えても豪快そうな男だ。リーダー格なのだろうが、大柄な体格からも「こいつハーフか?」と勘ぐってしまう。

 それにしても、厨二全開な俺からすると《暗黒剣》なんて願ったり叶ったりなのだが、1歩身を引いて客観的になぞってみよう。すると、これがいかに恥ずかしい二つ名かが見てとれるだろう。あだ名で呼ぶのは身内でやるから楽しいのだ。

 複雑な気持ちで息を吐き、俺は無難に受け答えした。

 

「フツーにジェイドでいいよ。あんたと会ったことあったっけ?」

「ボス部屋で数回な。私はゴドフリーだ。おっと、気づかんのも無理はないだろう、気張った日はフルフェイスの兜を被っているのでな。ガッハッハ!」

「あれって逆に視界悪くならねーか」

「慣れさ! ちなみに、私は小隊の指揮を預かっている。先の団長との戦いで敗れたキリトは、正式に《血盟騎士団》へ加入する運びとなったので、フォワードを任されるこの私が1度実力を確かめておこうというわけだ」

「ふ~ん……え、アスナも?」

「あっ、わたしは違うのよ。ここへはたまたま……」

 

 本人は否定するが、目がそよそよとキリトの方角へ向いた辺り、『たまたま』でないことは間違いないだろう。

 

「メンバーは4人。私を含み、キリト、クラディール、キャリィだ」

「き、キャリィ? そいつ男だろう」

 

 俺が無礼にも指を指すと、男は甲冑のアイガードで顔を隠しながら「言わないでくれ……ッ」なんて抜かしている。女々しい奴だが、名前からして元ネカマだろうか。

 

「フルで言うとキャリアン・ロウ。《ネームチェンジ・クエスト》は1度も受けていないが、本人いわく名前は変えたくないらしい。つまりは変わり者だ」

 

 またもガッハッハッ、とゴドフリーは笑う。こいつはいつも楽しそうだ。

 個性派揃いで羨ましい限りである。なよなよした甲冑の男もキラキラネームに不満はないのだろう。見たところ命名の理由までは話してくれそうもないが、口で言うほど嫌がっているようには見えない。

 最後の男はクラディールと言ったか。

 蒼白で血色の悪い顔色、俺によく似たキツい三白眼、削れるように(くぼ)んだ頬、どれをとってもガリガリで俺以上の不健康男だが意外に若そうな感じである。俺と5つも違わないと見た。

 それにこんな奴でもトップの端くれ。さぞかし高レベルで腕のたつ男だろうと推測できる。

 

「……ん、いや待てよ、クラディールだ? ……って、確か74層攻略戦前にキリトがもめたっ言う……」

「はい、先日はご迷惑をお掛けしました。申し訳なく思っております」

 

 俺に反応したクラディールと呼ばれた男は、そう言って深々とお辞儀をして見せた。

 聞いていた悪い印象と目の前の男の人物像がだいぶ違っていたので、試しにキリアスコンビにアイコンタクトを送ってみたが、当のお2人さんも首をかしげるだけだった。

 ゲーマーにしては珍しい低姿勢と手のひらの返し様だが、まさかキリアスコンビは制裁と称して、トラウマを植え付けるまでボコしたりしていないだろうか。

 

「……ま、まあこんだけいりゃむしろレジクレより安全か……」

「ん、それはどういう意味だ。ジェイド」

「ああ、こっちの話だ、気にすんな。じゃあ時間とらせて悪かったな。俺はおいとまするよ」

 

 決闘で敗けた俺への依頼はヒースクリフに《軍》のことを報告し、PoHについて注意を喚起させておけば終了だろう。

 (くや)しくはあるが、せっかく馴染んできたキリトに対し、ギルドの危険性について講釈を垂れるのも(はばか)られる。第三者目線からしたら、キリトの争奪戦に負けた俺の忠告は負け犬の遠吠えであり、ただの八つ当たりだ。

 それに、先ほど俺はPoHの魔手が何も今日この瞬間に降り下ろされることはないだろう、という結論に至っていたはず。心配も度が過ぎれば心配症である。

 

「(ったく、ヤローの名前が出るとすぐこれだ。悪い想像がクセになってんな。反省しねぇと……)」

 

 そう考えた直後だった。またゾクッ、という悪寒に襲われた。今度はさらに強烈なものだ。

 脳に電流が流れたかのように、あるいは脳に流れる危険信号をダイレクトに感じ取ったように、過去のやり取りを思い出す。

 74層攻略戦前、キリトはアスナと一緒に行動することをクラディールに邪魔されたと言っていた。しかもその理由が俺と違って、ガチのストーカーじみたアスナへの信仰心からだ。

 彼女は今回の訓練には同席しないという。揉める原因を作った罪深い本人様なのだから、キリトらの関係改善を図る上でその判断は正しいともとれる。……が、俺から言わせれば生命線が1つ失われたようなものだ。

 キリトのアウェイでの初訓練。

 以前からのいざこざ。

 よもや本人達を前に堂々と「ここは危険だ」などと話すわけにはいかないが、俺はいてもたってもいられなくなり、結局足を止めてまた話しかけていた。

 

「なあゴドフリー。何度も悪いんだけどさ、この訓練って特別ルールとかあんの?」

「特別ルール?」

「やーほら、こんな層楽勝だろ?」

「まあ、実戦に近づけるよう結晶アイテムは預かったが、訓練内容はどこでもやっているようなものだぞ。ここは低層だからアクシデントにも対応できるだろう」

 

 なるほど理にかなっている。ただそれも、『敵がモンスターのみなら』だ。おまけに回収されたクリスタル系アイテムと言えば、それこそ最もメジャーな生命線である。

 ここでも1つ、胸を撫で下ろしてキリトを1人にはできない理由が生まれてしまった。

 彼以外の3人には悪いが、俺は突然舞い降りたこの《超感覚(ハイパーセンス)》じみた直感を信じて3人を疑ってみることにした。

 

「なんつーか、あぁ〜……俺もヒースクリフに敗けた身だしさ。ちょいとムリを承知で頼んでいいか?」

「ふむ、無理なことでなければな」

「ハハッ確かに。……で、その『訓練』ってのに俺も1回参加させてくんね?」

 

 この時の俺はまだ危機感もなく、喉に引っ掛かる程度の楽観的な心構えでいた。

 それが決戦の鐘の音とも知らずに。

 

 

 

 



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第96話 悪の最終走者(イービルアンカー)

章の途中で投稿が大変遅くなってしまい申し訳ありません。
また遅れましたが、お気に入り数が1400件を越えました。感謝感激です。


 西暦2024年10月23日、浮遊城第55層。(最前線75層)

 

「ふぅむ……」

 

 とゴドフリーは短く(うな)った。

 体験会ではないのだ。いきなり「訓練に同行させてくれ」と言われても、自分の一存で決めていいのだろうか。そんな懸念を示したのだろう。

 基本的にギルドのスケジュールは秘匿(ひとく)されることが多い。なぜならそれが割れると、今度はスポットの取り合いになったり、はたまた待ち伏せされて危険な目に遭ったりするからだ。発生するのはリスクだけだと考えていい。

 行動は基本的に漏れない。ゆえに、敵対関係にない小ギルド同士がフィールドでばったり会うと、異様にテンションが上がるのである。

 だがゴドフリーの逡巡(しゅんじゅん)は一瞬だった。

 

「まあ不都合はない。それに《暗黒剣》なんてネームバリューをうちが独占できるんだ。いいことずくめじゃないのか? ハッハッハ。唯一食料が問題だがクラディール、1人分追加できるか」

「……ええ、念のため2、3人分は余裕を持たせてあります……」

「おお気が利くな。担当させておいてよかった。それに団長、副団長共に面識の深いキミなら、現場の判断も尊重されるだろう。……だいぶ前に団長ともめたのも、今となっては笑い話だしな?」

 

 俺はそれを聞くと、豪快に笑う彼に少しホッとする。

 食料については最悪俺が我慢すればすむことだったが、それより名前が多少売れていたこと、また騎士団らに悪さしなかった過去の俺を少しだけ誉めてやりたくなった。

 

「(いや、ヒースクリフにはしたか……)」

 

 そんなこんなでレジクレに帰りが遅くなることを連絡。別にこのギルドの行動範囲に(さぐ)りを入れるわけではないと断りを入れつつ、出発前の準備中にゴドフリーと色々話してみた。

 すると、どうやら彼はヒースクリフとのデュエルで敗けた俺が、面倒な仕事を引き受けていることを知っているらしかった。参加承認の背景には、そういうことに首を突っ込みたがる一風変わったトラブルメーカー、とでも思われているのかもしれない。

 それが真実ならかなりシャクだが、文句を言える立場ではない。

 先ほど去来(きょらい)した謎の警鐘(けいしょう)が気のせいだったと判明するまで、少しの間は我慢である。

 

「訓練内容はクリスタルなしでどこまでやれるかだろ? ほらよ、ヒスイに頼んでクリスタル系は全部オブジェクト化しといてもらったぜ」

 

 なげやりにストレージ内をスクロールさせて見せる。実はこの時点で悪知恵をはたらかせておいたのだが、当然ゴドフリーには内緒である。

 サバイバルに適応する能力が必要なのと同様に、サバイバルを生き残るにはずる賢さも必要だ、なんて心の中で揚げ足をとってみる。

 

「ふむ、よかろう。さて少し遅れたが出発とするか!」

 

 可視化されたアイテム欄を見て満足そうにうなずいたゴドフリーは出発を宣言し、意気揚々と先頭を歩いていった。

 《グランザム西門》の外。多種多様なモンスターがはびこるフィールドで、俺達は今日もまた剣を抜く。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 何てカッコよく言ってみたが、やはりここは踏破完了層。

 「走りたいな~、1人なら速攻なのにな~」と愚痴をこぼすキリトを押さえて徒歩でチンタラ歩いていたゴドフリー隊だが、とうとう彼もしびれを切らしたのか水を掻き分けるように《二刀流》で敵をなぎ倒していった。

 『迷宮区の完走』までがミッション内容なので、フォーメーションの確認など迷宮区内で見られればいいとでも考えたか、あるいはイライラした感情を汲み取ったのか。さすがに猛然と刀を振るってワンマンプレーをするキリトにも、小隊長殿は黙らざるを得なかった。

 しかし遅れた分は完全に取り戻し、昼時には迷宮区直前の広場にまで到着。ゴドフリーはここで一旦休憩をいれる旨を伝えた。

 

「この調子なら3時ぐらいには終わりそうだな。よし、では食料を配布する!」

「うへ~、配布とか聞くと軍隊みたいだな。4、5人ギルドじゃ考えらんねぇ」

「うむ。だが1日団員のジェイドはともかく、正式入隊を果たしたキリトには早く慣れてもらわないと困る。大きなギルドを長続きさせる秘訣は、差別しないことにあるからな。1人だけいい飯食わせていたら他の部下に示しがつかん!」

 

 それは認める。しかし、関心をするのも束の間。余計なことを考えているうちに革布を受け取ったキリトがその中身に戦慄していたのだ。

 続いて俺も「うっ、まさか……」と呻いてしまう。同じように手に取ったが、すでに重みがなさすぎる。革布の紐を解くと、これも同じく絶句せざるを得なかった。

 

「安い固パンと川ですくってきたような水か。……スターターセットじゃねーんだから、もうちっといいの用意しろよ。体験版かっつの」

「文句を言うな、文句を。団長から聞いていなかったか? トップギルドと華ある栄誉も、その実態は全てにおいてギリギリだ。それに、過酷な環境では力が出ませんじゃあ話にならんだろう」

「そうだけどさ。……あ~ヒスイの手料理食いてぇ」

「アスナのサンドイッチが……」

 

 よよよ、と泣き崩れる俺とキリトはしぶしぶ平たい岩に腰を下ろす。

 ともあれ腹が減ってはなんとやらだ。不健康男クラディールが変化した人数に食料配布の面で対応できたのも、こうして安価な原材料あってこそ。それに1コルのマズい黒パンや保存食、また塩素消毒されただけの水道水より汚そうな湧き水で昼夜をしのぎ、迷宮区で寂しく寒さに震えながら夜営していたソロ当時の過酷さに比べればなんと楽なことか。まるでオアシスである。

 強がってみたものの、俺はこういったアウトドア的というか、ワイルドな生活がわりと好きなのである。野性味溢れていて心が踊るのだ。

 ――あくまでバーチャルゲームの話でだがな。

 そしてメンツの違いに新鮮味を味わいながら、乾きを(うるお)すよう革の水筒に口をつけた瞬間。

 

「ゲホ!! ゴホッ!!」

「うわ!? きったねッ……!?」

 

 隣のキリトが同じタイミングで口に含んでいた水を俺の足元に吐き出したのだ。

 なんてばっちい奴だ。野性味溢れていることと行儀が悪いことはまるで意味が違う。

 

「ったく、キリトは……づ、ッ!? なっ!?」

 

 そんな彼を注意しようとした直後、俺は異変に気づいた。同時に俺の認識がまったくもって愉快(ゆかい)で間抜けだったことに気づかされていた。

 体が、動かないのだ。

 まず『腰を浮かす』という、ごく単純なワンアクションすら起こせなかった。数時間正座でもしていたかのような(しび)れだ。

 遅まきに自分のHPバーを確認すると、予想通りグリーンの点滅枠に包まれている。これはSAOで言うところの麻痺(パラライズ)のデバフメッセージ。

 

「(マヒだァ!? くそ、サーチ妨害かハイド系MoBに後ろを取られ……)」

 

 思いかけて、思い直す。

 否、あり得ない。55層で湧く程度の敵なら、例え後ろからの不意打ちでも《対阻害(アンチデバフ)》スキルが防ぐはず。

 残る可能性は1つだった。

 人の手による、高レベルなデバフアタック。罠や専用のソードスキル。あるいは今回のケースでそれを人為的に引き起こせるとしたら……、

 

「(水か! クソッたれ……!!)」

 

 気づいた時には遅かった。小隊で1人水に口をつけていないクラディールがゆっくり立ち上がる。

 奴だ。こいつが食料に毒物を混入させた。

 状況の深刻さから混乱していると、クラディールのクックックッというくぐもった笑いが、ヒャハッ! ヒャーハッハッハァ!! という、耳に障るほど甲高い笑い声へと変化した。

 楽しそうに腹を抱える奴からは、バカでも事態はすぐに察せた。このマズい水を用意したクソ野郎の目的を。

 

「てンめェクラディール!」

「ゴドフリー! 早く解毒結晶を使え!!」

 

 口だけ満足に動くことをいいことに、早速罵倒を浴びせようとした俺に対し、キリトは具体的な解決策を突きつけた。

 言われた本人は慌てたように、しかしパラライズによって限定された気の遠くなるような動きでストレージからクリスタルを取り出す。が、案の定すぐに反応したクラディールに叩き落とされていた。

 万事休すだ。タラタラ解毒用のポーションを取り出して飲もうものなら、それこそ復帰までの十数秒で真っ先に邪魔される。

 

「これは……訓練なのか? クラディール、お前はどういうつもりで……?」

「クヒヒ……ゴドフリー、お前バカだバカだと思ってたが筋金入りのノーキンだなァ!!」

 

 この時点でクラディールが腰の大剣を抜刀していた。

 最悪の展開だ。

 肌で理解できる。奴の目的はドッキリやら下克上やらといった生易しいものではない。どこか外してはいけないリミッターを外してしまった、壊れた犯罪者の目をしていたのだ。

 縁遠い人種だと信じているが、縁の深い連中をよく見てきた。ああなった人間を小手先の口車に乗せて瞬時に改心させることは不可能に近い。

 俺はほとんど本能的にあらゆる対抗策を実施した。

 こうなることを望んで立てた対策ではないが、こうなってしまってはやるしかない。

 

「(間に合うか……ッ)」

 

 最小限の指の動きで『送信』ボタンの横にある『保存』ボタンで、いつでもヒスイに送れるよう未送信状態でキープしておいたメッセージタブを改めて送信。

 さらにデバフ対策として、ストレージから腰のポーチにわざわざ移動させておいたアイテムに手を伸ばす。

 と、そこで。俺はまた見てしまった。

 

「あっ……ぁ……あ……ッ!!」

 

 激しい金属音が風に運ばれていった。

 何の抵抗もできず、まともな時間稼ぎすらできず。本当に無能だ。役立たずもいいところだ。

 ここはデスゲームなのだと何回教えられれば学ぶのか。手の届く範囲で人に死んでほしくなければ、そうならないよう死ぬほど気張れとどれだけ言って聞かせられたのか。

 幾度突きつけられれば、俺は人間を守れるのか。

 

「いいからもう死ねや」

 

 残酷、とも違う。冷酷ですらない。テレビゲームをしたい子供が先に面倒な宿題を片付けろと言われた時のような、やる気のないだるそうな声質だ。

 たった一言だった。

 ゴドフリーはゴツゴツの地面に這いつくばりながら、それでも野太い大きな悲鳴をあげ続けた。それを自然に無視すると、クラディールは逆手に持った大剣を勢いよく振り下ろした。

 

「ぐああああああああ!!」

「ヒャハハハハハハハ!!」

 

 そして、プレイヤーが1人……割れた。

 無数の破片となって飛び散る、人間を(かたど)っていた結晶。それが拡散し彼の悲鳴が頂点に達するのと同時に、ようやくクラディールも重ねるように奇声をあげた。

 初の殺しでは決してこんな行動は取れないだろう。意図せず人が死ぬ瞬間を見たことがあるとかないとか、そういう次元の低い話をしているのではない。殺す行為を繰り返さなくてはこうはなれないのだ。

 クラディールはグルン、ともう1人の団員へ首ごと振り返る。

 殺す気だ。1人目を殺った時点で2人も3人も関係ない。

 彼は大剣を構えたまま、奇妙な足取りでキャリィとの距離を詰める。

 

「ヒィ! いやだぁっ!!」

「おいアンタ、逃げろォ!!」

「させるかよォオオオオオオオオ!!」

 

 凶器を突き刺した。狂ったような声をあげ、キツい三泊眼は白目を剥きかけながら、どこにも躊躇(ためら)いの色を見せることなく。

 4度目の攻撃で2人目の犠牲者が発生した。

 順番などどうでもいいのだろう。どのみちこのままでは全滅だ。

 

「ヒヒッ……よォ、ガキどものために関係ねぇ奴らを2人も殺しちまったよ」

 

 悪びれもなく言い放つ。

 その言いぐさがあまりに愉快そうで、俺にはあまりに不愉快だった。

 とうとう我慢できなかった。

 

「今度はてめェの番だぞクズ野郎ッ!!」

「こ、こいっつ!?」

 

 俺はやっとのことで、腰のポーチに忍ばせておいたアイテムを取り出していたのだ。

 任務が始まる前に立てておいた2つ目の対策。

 アイテム名《リップル・アロマ》。粉上の香水のようなものを体にかければ毒や麻痺が瞬時に回復するという、レア物扱いでありながらその大きさと重さから《解毒結晶(リカバリング・クリスタル)》の完全下位互換に当たる、はるか昔のアイテムだ。

 俺がヒスイのキスをかけたバトルトーナメントで準優勝に輝いた時の賞品だったが、記念品のようにケースにしまいこんでおいたのを出発前に思い出していた。クリスタルを排除する際、代わりにこれをストレージに収納するようヒスイに頼んでおいたのだ。

 だがそれを使用する直前、先に叫んでしまったことが災いした。

 

「カァァアアアアっ!!」

「ぐあァああああ!?」

 

 足のかかとを俺のみぞおちに打ち付け、突き出されたクラディールの大剣が右腕に直撃したのだ。しかも《リップル・アロマ》が有効状態になる前に俺の手から滑り落ちていった。

 狂喜の笑みを浮かべるクラディール。

 しかしその足を今度は左手でがっしりと掴んだ。

 

「なっ!? くッ……てっめェ離せや!」

「ぐっ……キリトォ!!」

 

 俺が文字通りクラディールを足止めしていると、すぐ隣で麻痺にかかっていたキリトが一瞬のチャンスに反応した。

 キリトは痺れる手足をなんとか動かし、落ちたアイテムを思いっきり握り潰す。

 すると香水系の《リップル・アロマ》からバフッ、と紫の粉が狭い範囲に噴霧(ふんむ)され、アイテムの効果範囲内にいたキリトは忌まわしき呪縛から解放された。

 

 

「オオオオオオオオッ!!」

「くそっ! クソガアアアアっ!?」

 

 応戦せざるを得なくなったクラディールは、後悔の絶叫をあげながら改めて防御した。

 ガギィイイッ!! という鋭い金属音が鳴ると、距離をとって対峙(たいじ)する。

 

「クソ! クソォオっ!! こんな簡単に! 『メインターゲット』2人分だぞ!? どれだけ遊べる金が手に入ったと思ってやがる!!」

 

 キリトを前に剣を構えたまま、クラディールは呪詛を唱えるように吐き捨てる。

 

「依頼した奴がいるのか。ジェイドの参加に対応できたあたり、相当手が込んでるな」

「……ハッ! あの女がついて回るパターンも想定しておいただけだ。こんな小細工されるぐれェなら1人分で手を打っておくべきだったぜ。……なァあんたもそう思うだろう!? 隠れてないで出てきてくれよボス!!」

「ボス……だと!?」

 

 すぐ近くにいると言うのか。なんて危惧(きぐ)するより早く、俺とキリトが突然叫んだクラディールの振り向く方角に同時に視線を向けた。

 ここでいうボスとはつまり、彼に殺人を担当させた人物だ。少なくともこいつを従わせるだけの実力者ということになる。

 回りくどい危機感すら後追いでやって来た。

 肌がチリチリと反応する。嫌な予感、戦士の直感、《超感覚(ハイパーセンス)》、もう呼び名は何でもいい。とにかく、見る前から俺の五感は理解した。

 獰猛(どうもう)な殺気は空気そのものを重くさせるようだ。過去にその天才的な発想力と希代の統率力で、『殺人ギルド』という消しきれない傷跡を浮遊城の歴史に刻んだ張本人。同時に推定不可能なほど死者を生んだ世界最強の殺戮鬼(さつりくき)

 

「PoH……ッ!!」

 

 バサバサバサ、と黒い襤褸(ぼろ)切れが風にはためいた。

 逆光で顔こそ隠れるが発するオーラは本物だ。それに右手にへばりつくように装備された中華包丁のような武器は、間違いなく超低確率ドロップの魔剣《メイトチョッパー》である。

 U字のように反り上がった渓谷の側面から、PoHが俺達を睥睨(へいげい)する。

 

「Hello、しぶとさだけは健在のようだ。……こうして対面するのは久しいな、腐れ野郎ジェイド。そして《黒の剣士》サンよ」

 

 人を小バカにしたような笑い声と共に、「さァイッツ、ショウタイムだ」とお馴染みの開戦コールをかける。

 紡がれる声にはわずかに、しかしはっきりと歓喜が感じられた。

 まるで古くからの戦友と凱旋(がいせん)を称え合うように。

 

「お前、どうしてここが……ッ!?」

 

 キリトが自由になった体で両者を警戒する。

 相手は殺しに躊躇(ちゅうちょ)がない。しかも高所で余裕たっぷりと腕を組むPoHに至っては、憎たらしいほど完成された殺人術が備わっている。危険度の観点ではクラディールでさえ比べ物にならないはずだ。

 だが、今度は俺が余裕を見せていた。

 

「相手が誰でも、関係ねェよな……!!」

「き、貴様それはっ!?」

「リカバリーッ!!」

 

 驚くクラディールの視線の先、つまり俺の右手で解毒結晶(・・・・)が割れたのだ。

 瞬間、俺のアバター周りで紫色の解毒エフェクトが舞うと、呪縛も解かれキリト同様に体の自由を取り戻す。

 クラディールは目を疑うように見開くが、本来クリスタル系アイテムはゴドフリーが任務開始前にすべて回収済みだ。当時の彼がこうした事態を予測し、俺だけにクリスタルの所持を容認した可能性は皆無。

 しかし、ヒスイ宛のメッセージには「SOSが届いたらすぐにクリスタルをストレージに戻し、臨戦態勢を」と書いておいた。事情を知らない彼女でも、常日頃から緊急時に対処してきている。この程度、片手間でもできるはずだ。

 それさえ叶えば、俺は《リップル・アロマ》に頼ることもない。

 対抗策なしと油断したクラディールに、俺もようやく肩を回しながら語りかける。

 

「さァて……フェアにいくなら2on2ってことでいいか、クズども」

「く……クックックッ……古い友よ。お前らはいつもそうだ。追い込んだはずがゴキブリのようにしつこい。だが残念だったなァ。俺はフェアって言葉が嫌いでね」

「なにっ!?」

 

 俺の言葉には代わりにPoHが反応した。奴は気の(はや)るクラディールと違い、パラライズ状態から一気に戦線復帰した俺に動揺すらしなかった。

 理由はすぐに判明した。

 自信に満ちた声に呼応するように、PoHのすぐ後ろからさらなる人影が姿を表したのだ。

 

「挨拶はいらんな、忌々しいビーターども。《暗黒剣》に《二刀流》くん、だったか? ……フンッ、私も74層ではずいぶん世話になったからな」

「てめェ……コーバッツ!? 軍の隊長が何でここで!!」

 

 金の彩飾から無駄に高そうな甲冑に全身をくるみ、蒼窮(そうきゅう)の浮遊城のデザインが施された盾が特徴的な軍の標準装備。

 崖の岩を踏むその中年の人物はコーバッツだった。

 コーバッツ中佐。《軍》に所属する中でもトップの実力と階級を備えるプレイヤーだ。なるほどこうして俯瞰(ふかん)してみると、キバオウが俺にした忠告は、どれも間違っていなかったことになる。

 だが中佐などと呼ばれ、数少ない前線メンバー2パーティ分の隊長を務めていた奴であれ、こと《攻略組》での水準をみればその実力は平均レベルだろう。

 だからこそ、ボス戦で彼の独力による逆転は不可能だったと言い切れる。

 礼を寄越せとは言わない。だが、彼も馬齢を重ねたわけではあるまい。仲間を危険にさらしておきながら、悪びれもなく突っかかってきたあの時、俺達の介入がなければ自分自身どうなっていたか想像もつかないのか。

 『世話になった』だと? そんな皮肉を言われる筋合いはない。カッとなって斬りかけたとは言え、俺は最終的に命の恩人となったはずだ。

 俺は無意識に舌打ちしてから話しかける。

 

「よもや気晴らしに散歩してたんじゃあねェよな。なんの用だコーバッツ……」

「……なに、簡単な理屈だ。『遊び』の邪魔をされたら誰だって不快になるものだろう」

「な、にっ……?」

「ちょっとしたサービスだよ。部下の前で恥をかかせてくれた礼さ」

 

 危うく「くそったれ」と口をついて出そうになった。

 あの時、指揮権を俺に移さなければ全滅ないし、あれ以上の損害が出ていたはず。……という認識が、間違いだったことを理解してしまったのだ。

 したくもないが、犯罪者の思考回路は必然的にかなり似か寄る。

 つまり彼にとって、74層攻略ですでに発生していた死者2名は予定調和だったのだ。逆に中途半端なタイミングで援軍が来ず逃げに転じれば、俺達の援護なしにあと2、3人の犠牲で残りは脱出できた計算になる。

 基本的にSAOで部隊が全滅(ワイプ)することは滅多にない。あるとしたら、それは《転移結晶》のない初期の時代に足の速いボスに捕まるか、あるいは《月夜の黒猫団》のように一定エリアに閉じ込められた上で、安全マージン外の敵集団からリンチに遭うかだろう。

 レベル制MMOである本ゲームにおいては、その上昇に伴ってHPの最大値もどんどん上昇していく。剣の腕、攻略センス、そんなものはお構いなしにレベルさえ確保すれば死ににくくもなる。

 ならば74層で部隊が全滅する前に、少なくとも半数以上が逃げ出せた可能性は高い。 だからコーバッツは『自分が』死なないことを理解した上で、チェスのように駒を扱ったのだろう。

 言うなればハンティングゲーム。

 リスクを押し付けた観戦会。

 

「74層で……」

 

 言い訳などいくらでもたつ。端から見てもクリア不可能な、たった2パーティ12人に出動命令を下したのは彼本人ではない。言わずと知れた《軍》の過激派、早い話が無能な上の連中だ。彼らに責任を押し付ければいい。

 それにデスゲーム内では、場合によって敵前逃亡すら正当化される。

 だから逃げて何が悪いと。

 

「見捨てることを前提に、てめェは……」

「見捨てること? ああ、あの時の部下のことか」

 

 そんな言い訳を盾に、負け戦に部下を送り出した。

 戦う時に彼らが預けるのは命だ。それほど信じて捧げた忠誠心を踏みにじったのだとしたら、血が(にじ)むほど握りしめた拳をぶちこんでも気は晴れないだろう。

 

「そうとも知らない奴らを、後ろでのうのうと……ッ!!」

「聞き取れんな。言いたいことがあるならはっきり言え」

 

 生きて帰れると、偽りやがって!

 

「死ぬとわかってたのかッて聞いてンだよお前らァッ!!」

「……ああ、もちろん。それがどうかしたか」

 

 ブチッ、と。自分の中で何かがキレる音がした。

 もうこいつらに容赦はない。

 何かを食い千切るかのように歯軋りをたてたまま、俺は背中の大剣を抜刀した。

 キリトが開戦の空気を感じ、改めて魔剣《エリュシデータ》とオーダーメイドの《ダークリパルサー》を構える。

 

「ジェイド、気持ちはわかる。けど冷静になれよ、まともにやりあうと危険だ」

「わかってるさ……」

 

 PoHとコーバッツが高所から崖の急斜面を伝って徐々に下がり、同時に着地。敵も今度こそ3人がかりで殺しに来るだろう。

 だが頭では、現状での不利な戦力差は承知している。むしろ怒りが募るほど冷静になれる。

 だから俺はやれることをやってきたのだ。

 

「(できれば巻き込みたくはなかったけど……)」

「ジェイドっ?」

 

 俺は唐突に、開いたままのストレージタブから赤紫色(・・・)に輝く結晶アイテムを取り出していた。

 こんな色をしたクリスタルは他にないはずだ。現にこれにはクラディールを始め、PoHですら疑問と驚愕に目を細める。

 ただ珍しいというだけでなく、おそらくここにいる全員がこの特別なクリスタルを見たことがないはずだ。存在すら知らなかったかもしれない。

 俺とて『夫婦の証』として大切に、そして永遠に保管するつもりだったのだから。

 

「……《婚約 結晶(エンゲージ・クリスタル)》、オープン!」

 

 初めて発音する始動キー。

 パリンッ! と結晶が割れた直後、俺の数十センチ隣に見たこともないライトエフェクトが浮かび上がった。

 暗い赤と青のヴェールがくるくると螺旋状に渦を巻き、その中心には(まばゆ)い光に包まれた黒装のプレイヤーが現れる。

 

「こ……これはっ、どうなっている!?」

 

 クラディールが驚きの声をあげた。

 数秒後、そこに立っていたのは《反射剣》と謳われたヒスイだったのだ。

 明らかに《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》の出口をここへ設定したのではなく、始動キーを発音したその瞬間にプレイヤーが転移した。だが、これほど速効性の高い便利な増援補助アイテムがあるなら、とっくに知れ渡っているはずである。

 拡散されていない理由もはっきりしている。

 これは最低でも1ヶ月以上《夫婦》を続けた者にだけ受注権が得られるイベントクエスト、《夫婦の絆》によってのみ手に入るクリア報酬。かつ、その夫婦間でたった1つしか入手することのできない、超がつくほどのレアアイテムだからだ。

 これさえあれば、パートナーを瞬時に近くへ呼ぶことができる。おまけにストレージは共有されているので、その利便性は言うに及ばず。片方が《結晶無効化エリア》に閉じ込められた際にも生命線となりうる。

 しかしクエスト発生層はかなり上層で、受注条件を満たすプレイヤーすら一握りだろう。俺達以外に入手した者がいるかどうかさえ疑問である。

 

「ジェイド……これは、エンゲージクリスタルを使ったの?」

「……ああ、すまん」

 

 約束はしていた。使わないに越したことはないし、1度きりのイベント報酬ではあった。しかしどちらかが危機に扮した時だけ、この《婚約結晶》を惜しみなく使おうと決めたのだ。

 彼女は崖を見上げるとすぐにPoHの存在に気づいた。

 

「……PoH……メッセージはそういうことだったのね」

 

 ヒスイは数秒だけ目を閉じる。

 そして無駄のないダークカラーの騎士甲冑をカチンと鳴らし、鞘に手をかけながら強い意思でもって応えた。

 

「でも嬉しいわ。指をくわえて帰りを待つだけより、こうして頼られた方が、あたしはずっと嬉しい」

 

 すでに戦える状態にあったヒスイは、静かに抜刀すると左の剣と右の盾を油断なく構える。と同時に、唖然とする部下をよそにPoHも状況を理解したようだった。

 

「……I see(なるほどな)、《結婚》済みの奴らだけが手にできる結晶か。隠し玉を用意しておきながら平然とする辺り、テメェも変わらないなァジェイド」

「ボス……こいつはちょっとヤバイんじゃないすか? 追い詰めていたはずが……」

「今に始まったことではないさ。こいつらを相手にしていると……なにッ!?」

 

 PoHが話終える前にさらなる異変が起きた。

 今度は後ろからだ。猛烈なスピードで何かが……いや、誰か(・・)が向かってきている。

 

「今度はなんだッ!? どうなってんだ、くそっ!!」

 

 クラディールの悪態は、やがて恐怖の震えを(まと)い出した。

 ガガガガッ、と最高級のピカピカのブーツに泥が付くことにさえいっさい構う様子を見せず、疾風に乗った栗色の髪と純白の装束が俺達の目の前で急停止した。

 その人物は……、

 

「ハァ……ハァ……間に合った……ハァ……間に合ったよキリトくん……!!」

「な……なぜっ! なぜアスナ様がここに!? いったいどうやってっ!?」

 

 血盟騎士団副団長、《閃光》のアスナ。《攻略組》なら誰もが知る神速のレイピア使いがそこにはいた。

 彼女はクラディールを睨み付けたまま言い放つ。

 

「マップを見ていたら、ゴドフリーのアイコンが消えたわ。迷宮区前なのに! パーティ全員が揃っていながら、こんな低層でッ……キャリィだって! ……それにっ……これはどういうことよクラディール!? どうしてあなたがっ、そいつ(・・・)と肩を並べているのッ!!」

 

 そもそも俺とキリトが剣を構えて対峙している以上、理由は貼り紙するより明らかだ。

 クラディールがその激しい剣幕に押され何も言えないでいると、しびれを切らしたアスナがジャリンッ、と迷うことなく愛剣を腰から抜き取る。

 もはや彼女らに状況の説明は不用だった。

 ようは、立場の逆転。これだけ念入りな計画をも前に、彼我の戦力はあっけなくひっくり返った。

 因縁の大犯罪者PoHが俺達の前にいて、《軍》で好き放題暴れたコーバッツと、《KoB》に所属しながら殺意を剥き出しにするクラディールがいる。

 奴ら全員の思惑がまんまと外れたのだ。

 俺とキリトも静かに構えた。皮肉や侮蔑(ぶべつ)の1つもでなくなったPoHも、お得意の逃亡はもうしない。

 どころか奴は肩を震わせていた。

 そして、とうとう……、

 

「Oh、shit……very fanny! ハハハ……クハハハハハハハハハっ!! shit! now what!? ohmy……shiit!! Shiiiィィィィィッツっ!!!!」

 

 PoHの整端な顔が壮絶な苦汁を()めたように歪んだ。

 俺は奴のこんな声を初めて聞いたかもしれない。あいつ自身、アインクラッドに閉じ込められてから初めて発した笑い声だろう。長い期間を経て蓄積され続けた晴れない殺人欲と鬱憤(うっぷん)が、ここに来て爆発したのだ。

 殺人鬼の激昂が、荒れた大地にこだまする。

 

「Dommit!! クソッたれが、ゴキブリどもッ!! 毎度イラつかせやがって! テメェらだけは血肉引き抜いて、ハラワタ引きずり出してから晒し首にしてやるっ!! 俺をここまでコケにしたツケは死んだぐらいじゃ到底返せねェぞ! この糞ガキがァアアッ!!」

 

 ビリビリビリッ、と肌で感じる殺意。その全霊を乗せた咆哮に(つや)消しのポンチョがうるさく(ひるがえ)る。しかし希代の悪人が語るに落ちたものだ。怒りの丈をぶつけるPoHには、同情心など(ちり)ほども湧かなかった。

 そしてこれで、奴にも引く気はないのだということがはっきりした。

 勝敗を決めるのは簡単だ。どちらかが、死ぬまで。

 

「PoH、お前を殺す……ッ!!」

 

 悪の最終走者(イービルアンカー)が、その魂の怨嗟(えんさ)を刃に灯した。

 

 

 

 



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第97話 因縁との決着

 西暦2024年10月23日、浮遊城第55層。(最前線75層)

 

 PoHと初めて邂逅(かいこう)し、この長い戦いが幕を開けたのは1年半前。

 恥ずかしながら、初めは恐怖で足がすくみそうだった。

 俺は夜も眠れないような思いをしながら、それでも自衛のためにと人を欺き、リスクを避け、人の死を踏み台にして生き長らえていた。それなのに当時のPoHとジョニー・ブラックは、生存競争に影響のないプレイヤーにさえ死を与え、身勝手な悦に浸ったのだ。

 まず大前提として、俺はこうした愉快犯がどこか無縁な世界の話で、放っておいても正義感の強い人間が捕まえるものだと思っていた。だからこそ、頭のおかしい連中とは関わらないようにしていた。

 しかし、現実は酷だった。

 少なくとも今、こうしてドラマのライバルみたく剣を交えて、時代錯誤な殺し合いをする程度には。

 

「死ねジェイドぉオオオオッ!!」

 

 猛烈なスピードで凶器が迫った。

 

「死ぬのはお前だァ!!」

 

 応えるものは相応の凶器。

 ガギィイイイっ!! という爆音が耳に届くより速く、キリトとアスナが両脇から踏み込みPoHに斬りかかろうとした。

 PoHの動きが一瞬で変わる。

 反動を利用して距離をとる奴は、恐ろしいことにほとんど目線を動かすことなく両者の攻撃を察知。《軽業(アクロバット)》スキルを発動し、精密な攻撃を完全に回避、あまつさえ追撃に対応できる体勢まで整え牽制していた。下手に深追いもできない。

 クラディール、コーバッツ両名による一泊遅れた波状攻撃をヒスイがかろうじて受け流し、初動による披ダメージは発生ならず。

 俺は総当たり戦法を変えることにした。

 

「キリト、アスナ! PoHは俺らがやる!!」

「……わかった、任せるぞっ!」

「気をつけて……!!」

 

 この命令でキリトはクラディールに、アスナはコーバッツにそれぞれ焦点を合わせた。

 PoHは仲間を利用し、戦況を掌握する術に長ける。洞窟での全面戦争も、結局その戦い方が彼らの価値を存分に発揮させてしまった。

 例え技術的にPoHに劣る兵士でも、奴はそれを上手に利用する。攻略組顔負けの戦闘術。だからこそ、使える手札が少なければ奴は相対的に弱体化するはず。

 そして俺の読みは正しかった。

 

「ヒスイ挟み込め! いつものやつでいくぞ!!」

「ええ!」

 

 連携攻撃に移るとチッ、という舌打ちが聞こえてきた。

 PoHとて生き霊ではない。異常なのは奴の思考回路であって、決してそのアバターに説明不能なパワーが備わっているわけではないのだ。ゆえにこいつは頭脳を駆使する。

 そして分類上、奴のステータス構成(ビルド)はダメージディーラーだと言い切れる。バカ正直に攻撃を防ぐことは考えていないだろう。

 奴は俺達の連続攻撃に対し、回避するか軽く受け流すかの選択をすることになる。

 ……そんな、甘い認識をしていた。

 

「シアァアアアアっ!!」

「ぐ、うッ!?」

 

 ガッ!! という金属音は俺のすぐ側で鳴り響いた。

 否。辛うじて防げたと言った方が正しい。

 奴がここで猛攻撃(・・・)に転じてきたのだ。

 人数と総HPに分がある俺達に消耗戦とぶつかり合い。重量級装備との正面衝突。隙あらば反撃をするのではなく、懐に踏み込むことでそれを探す。その行動のことごとくが予想の範囲外だった。

 

「(腕でも伸びてんのかよクソッたれ!!)」

 

 間一髪の攻防に心の中で悪態をつく。

 いともあっさりと間合いを詰められて攻撃されたのだ。

 PoHは文字通り命の削り合いを仕掛けてきた。この意外な判断に俺の動きを一瞬だけ鈍らせ、逆にその空白を突いて有利に進めようというのだろう。

 いつからか、戦場とは心理戦だと、強く刻んだはずなのに。この土壇場で、その戦歴(テキスト)の足元を(すく)われる形となった。

 俺は意識し考えて敵の裏をかき、奴は無意識に息をするように敵の裏をかく。この差だろう。

 だが、しかし……、

 

「(そう簡単にっ……)……やらせっかァッ!!」

 

 鍔競り合いが解除されてからすぐに繰り出してきた、PoHの得意技である下段からの視覚潰しに完全に反応。

 ガッ! ガガッ!! と擦りきれるようなつんざく音が耳の後ろへ流れていく。

 

「No wayッ!?」

 

 規定モーションをなぞるだけのソードスキルではなく、身に染み込ませた殺人術が通用しなかった事実に、今度は相手が声を荒らげた。

 しかし隙は見せなかった。俺が好機と読んで放った反撃は、むなしく空を斬るばかりだ。

 しかも、ヒスイの位置取りは完璧なはずなのに、後ろに目でも付いているかのごとく同時攻撃を(さば)いている。

 声で指示は飛ばしていない。アイコンタクトもしていない。

 この連携した動きは、間違っても小手先の細工や付け焼刃のぶっつけ本番ではない。長い年月をかけて、飽きるほど繰り返し反復することで身に付いた努力の結果だ。タイムラグがゼロの俺達の攻撃に、こうも完璧に対応できるはずがない。

 だというのに、それを奴は難なく実行していた。

 

「(どうなってやがる……ッ!?)」

 

 同時多発的な攻撃を1人のプレイヤーが、剣1本で捌ききることは物理的に不可能。

 つまり奴は、連携が取れなくなる絶妙なタイミングを感覚だけで感じとり、ワンテンポ速く動き始めることで牽制と突撃を繰り返していたのだ。

 確かに、微妙に連携が成立していない。意図的にずらされている気がする。

 俺が大きく踏み込む時は、確かにヒスイは攻撃しない。呼吸が合わないのではなく、大振りを避けさせたところを時間差フォーメーションである。

 目で追うのではなく肌で理解し、奴は回避と同時に体の絶妙な空中半回転と攻撃の受け流しを同時に行う。

 飛べば着地後、走れば停止後、多方向へのターゲットへ、限られる行動範囲内で移動転換と攻撃対象を即座に見極め最適解を導く。

 

「(うそ……だろッ!?)」

 

 同種としての尊敬も含み、彼のそれはなんの比喩(ひゆ)でもなく神業だった。

 システム外スキルの活用については比べるべくもないだろう。1対1だけではなく、奴は1人で複数人と殺り合う状況すら想定し、すでに十分すぎる実力に慢心することなく修業に励んできたのだ。

 

「きゃああっ!」

「ヒスイ! いっかい下がれ!!」

 

 とうとう攻守が逆転した。まるで得体の知れない軟体動物か、はたまた人外のスピードでボタン入力できるツールアシストを駆使するチーターと戦っているような感覚だった。

 今しがた俺の大剣を最大速度に達する直前で受け止め、ヒスイに足払いから始まる《体術》ソードスキルを発動して連続攻撃に繋げた奴の動きはもう人間業ではない。筋肉と関節に電動モータでも仕込まれているのか。

 被弾したヒスイをいたわるように体で隠し、俺は構えを解かずに挑発する。

 

「ハァ……やるなァおい。ハァ……たった1人で……ハッ、泣かせるじゃねェの……」

「クックック……息が上がっているぞ、ゴキブリ野郎。貴様のあがきはその程度か」

 

 数のアドバンテージなどと悠長なことを言っている場合ではなかった。

 覚悟だ、覚悟がいる。

 もう絶対に引けないところまで追い詰められた時、逃げられない時、悟ったように体の底から湧き上がる本物の覚悟が。

 

「……ヒスイ、やり方を変えよう……」

「ハァ……ハァ……」

 

 互いにジリジリと間合いを計りながら、俺はPoHから視線を逸らさずに願った。

 

「捕獲はやめだ。こいつを殺すつもりで戦ってくれ!」

「ッ……!!」

 

 息を呑んだのが背中越しに感じられた。

 今の注文は、端から見れば何を今さらと思うかもしれない。だがそれでも、過去に俺は約束してしまったのだ。

 ヒスイは人を殺さないでくれ、と。

 俺はすでに4人殺した。目を(そむ)けてもこれは事実である。

 と言うことはつまり、必然的にヒスイの恋人は人殺しということになる。他人(ヒト)から(さげす)まれたところで言い返さないだろう。

 しかし、これで彼女まで人の命に手をかけてしまったら、俺は絶対に『現実世界に帰ったあと』に後悔する。

 事情を知らない人間に不可抗力だの正当防衛だの言ったところで、やはりそれを証明する手段はない。問答無用で2人まとめて更正施設送りになることもあり得る。何よりその事実を知られた途端、どんな関係者だろうと俺達を見る目に影が差すはずだ。

 なんだ、こいつらも人を殺した経験があるのか、と。

 それも残りの長い人生を、ずっと。

 だから俺は誓わせた。殺しだけはやめてくれと、俺が初めて人を殺した日に約束させた。

 そして、それでは通用しない状況が目の前にある。

 

「(たぶん、それじゃ勝てない……)」

 

 殺す覚悟がいる。それにこの場合、勝てないことと死ぬことは同義と言える。

 理想の展開はヒスイがダメージを重ね、俺の瞬間火力が奴の命を焼ききることではある。汚名も業も背負う覚悟はできている。

 だが、PoHとて付け焼刃ではない。俺のあずかり知らないところで、反吐の出るような死線を鼻唄交じりに(くぐ)っているはずだ。敵はおろか、時には仲間の死をも間近に見続けた奴には、言うなれば殺す気のない攻撃といった軟弱な攻めは脅しにすらならない。

 剣に宿すべきは敵意ではなく、殺意。

 俺はヒスイの解答いかんでは撤退を視野にいれようとした。

 しかし……、

 

「……わかったわ、あたしも殺す」

「……すまねェな」

 

 覚悟が据わった声だ。

 俺はそれを聞いた瞬間に突撃体勢をとった。

 

「笑わせる。まだ勝てる気でいるのか、あァ?」

 

 このニヤついた顔を、今から徹底的に叩き潰すために!

 

「っくぞゴラァっ!」

「鈍いんだよカスがァ!!」

 

 我ながら凄まじい瞬発力だった。

 だというのに、技を見てからでは避けようのない速度を、PoHは慣れた挙動で受け流すように回避した。

 殺傷力の高さから古代より殺人特化の剣術と称された突き技も、やはり重い装備とソードスキルの予備動作(プレモーション)付きでは軽く避けられてしまうのだろう。

 しかし、タイミングまで予測通りだ。

 

「Drop deadっ!!」

「ヒスイ……ッ!!」

 

 渾身の突進技だった以上、これを外した代償は大きい。

 そう考え、回避の捻転力を俺へぶつける前に、PoHはさらなる回避行動を余儀なくされた。

 ジッ! という(かす)れた音。

 きちんと距離計算をしたはずの殺人者の頬に、ダメージが入ったことを知らせる赤いヒットエフェクトがチラチラと舞っていた。

 ヒスイの攻撃だ。

 迷いのない一撃は、もう単なる威嚇でもこけ脅しでもなかった。

 魚を素手で掴むかのように難しかった攻撃の命中が、再戦後数秒で達成されていた。

 

「バ、カな……っ」

「ヒスイ次だッ!!」

 

 休む時間は与えない。

 ガッ! ガッ! と防具に(かす)る音が連続する。俺とヒスイは交互に斬り込み、序盤についた差を詰めていった。

 これは殴られてもノックアウトされない根性があるとか、毎日激しい筋肉トレーニングしたとか、そういう事情はいっさい関係ない。レベル制MMOというゲームの仕様上(くつがえ)せないものだ。

 結果はすぐに表れた。

 

「ク……この雑魚どもッ」

 

 バヂィイイイ!! という鍔競り合いによって、分厚い中華包丁と破格のプロパティを保有する両刃の大剣から激しい火花が飛び散った。

 すかさずヒスイが弱点設定である首筋に剣を差し込み、心理上の小細工ができないPoHは、やはりここでも逃げに移らざるを得ない。

 行動の選択肢が失われつつある。さらに追い討ちをかけていく。

 強制的に消耗戦へ持ち込むことで、戦局は次第に一方的になっていった。

 

腐れ野郎(Dayam)!! 調子に乗るなよカスがァアア!!」

「あとがねェぞクソ悪党っ!!」

 

 一瞬の空白を利用し、キィイイイ!! と、ほぼ同時に俺と奴がソードスキルを構えた。

 

「《氷結剣》――」

「《暗黒剣》――」

 

 すべての音が、重なる。

 

『――リリィースッ!!!!』

 

 直後、ゴガァアアアアアアアッ!! と爆音が轟いた。

 万物を冷凍させる冷たい風と、破壊の限りを尽くす黒き炎。最高級の性能を備える、互いの《ユニークスキル》がもつれ合うように絡んだ。

 うるさいサウンドと眩しいライト。深い青と漆黒の黒が混ざり、反発し、爆ぜる。

 氷点下の塊が《氷結剣》として顕現し、武器を鉛のように固めた。

 同時にその氷塊を、今度は《暗黒剣》の黒炎が粉々に粉砕する。

 煌びやかな創造と、無秩序な破壊。

 剣力は拮抗していた。

 

「PoHゥーーッ!!」

「ジェイドぉオおオオオオっ!!」

 

 バヂィっ!! と、稲妻が落ちた。

 ゲームが表現するエフェクトなど無視し俺とPoHが距離をとる。

 氷結剣、この直撃を貰ったら終わりだ。凍った部分を剣や体術の衝撃で『割って』脱出できることから、確かに継続的な阻害効果こそないものの、その代わりに《暗黒剣》スキルとは比較にならない速効性がある。

 青白い個体の生成と、無尽蔵な破壊を繰り返す。味気ない岸壁区間が氷の結晶に彩られるなか、俺は一際(ひときわ)奴の行動に注意を向けた。

 ほんの数秒間の氷結が、プレイヤー同士の目まぐるしい戦場では致命傷になりうる。それに手足はもちろん、胴体ですら奴のユニークスキルは効力を発揮するのだ。

 

「(けど、こちとら2人がかりっ!)」

 

 ミスの許されない状況。

 だがポディシブに見れば、ミスさえしなければ依然として有利な状況だと言える。それに、『PoHがミスをしない』何て保証はどこにもない。

 

「あたしもいるのよ!」

「チィっ!?」

 

 死角からまたしてもヒット。挟撃戦法も生きているのだ。

 魔剣の瞬間火力、挟み撃ち、ユニークスキル、対処しなければならない脅威は増すばかり。

 ――さァ、どうするPoH。

 奴は回りのものを最大限に利用する。このまま黙ってジリ貧はないだろう。

 

「クハハァ! 知ってんだぜ、ジェイドぉ!!」

 

 幾度とも知れない攻防から、ランダムに配置された岩場をうまく活用してPoHが流れるように位置を変えた。

 仕掛けてきたということだ。

 その狙いは……、

 

「ぐッ!? ヒスイ!!」

 

 PoHが狙ったのは武器破壊だとか、一撃離脱戦法だとか、そういう戦闘スタイルではなくもっとシンプルなものだった。

 彼女の一点狙い。

 ジャンプ回避後に大きな岩石の足場を利用し、同時に高所からソードスキルを構えていた。

 《氷結剣》専用ソードスキル、三連白豹烈閃爪(れっせんそう)、《セレスティアル・ギル》。

 ヒスイは1撃目こそ反射的に《氷結剣》に対応して見せたが、友斬包丁(メイトチョッパー)の圧倒的な攻撃力が上乗せされたユニークスキルの威力は彼女の想像をはるかに越えていた。

 崩れた体制から2初目が直撃。クリティカル判定を受けた右半身に棘花(とげばな)のような氷が結成される。

 俺も見ていただけではない。

 ほぼ割り込むように《ガイアパージ》を振りかぶった。

 ここで妨害に成功すれば、ポストモーションを課せられる奴にとっては、そのままチェックメイトまで持ち込めるかもしれない。

 そう考えた時。

 

「それがてめェの弱点だァアッ!!」

 

 PoHが突然、標的を俺に変えたのだ。

 必要最低限のリスクで、技で、最大限の戦果を呼び込ために。わずか三連撃のソードスキルで盤局をひっくり返す算段をつけた。

 あまりに濃い殺意が向かい風のように迫る。

 奴の作戦は1人狙いによる戦力の半減ではなく、心理戦による戦力の全壊。

 だが。

 

「そ、こォオオっ!!」

「なッ!?」

 

 ダメージを負い、攻め込まれたはずのヒスイが、気合いと共にここであえて大きく前進していた。

 まさか、何て考える暇もなかっただろう。

 ガキィンッ!! と、彼女の戦意が《メイトチョッパー》の腹を叩く。

 二つ名に恥じない、見事なタンカーの姿がそこにはあった。

 そしてPoHが気づく。情にほだされてぬくぬくと友情ごっこをして来た俺が、この時この戦場において人生のすべてを捧げた最愛の女に、1ミリたりとも煩慮(はんりょ)していないことに。

 そう、俺はまったく歯牙にもかけていなかった。剣を振り上げたのは、端から彼女を助けるためではない。

 これが、俺達へ勝機を見出(みいだ)すだろう卑劣な男への対抗策。

 これが、生き残るためではなく、殺すために剣を握る覚悟。

 

「きっ様らァアアアアア!!!!」

「うおォおオオォォおオオッ!!」

 

 ガガガガッ!! と、凄まじい勢いで削れた。

 絶叫、咆哮、ヒット音が重複(ちょうふく)する。

 PoHの右腕には全体的に血のようなエフェクトが(まと)い、そのHPバーは最大値の20%以下、つまり危険域(レッド)にまで消滅した。

 一瞬の判断ミスが招いた敵への洗礼として、深い、深い1撃が奴を裂いたのだ。

 

「ガァアア!! ぐっ……shit! ゴキブリ共がッ、次から次へとォッ!!」

 

 そこへまた別のプレイヤーが吹き飛ばされてきた。

 ゴロゴロと情けなく転がる彼のすぐ近くにザンッ、と片手剣が突き刺さる。《軍》の装備を着用しているというつまり、この負け犬はコーバッツである。

 情けなさに拍車をかけるように、彼は起き上がり様に命乞いをする。

 

「ひっ、ヒィイイイ! 助けてくれ! こんなことになるなんて聞いてない! 私がここで死ぬなんて聞いていない!! 誰か私を助けろぉーー!!」

 

 左腕に装着されていた盾すらかなぐり捨てて泣き叫ぶ。

 その体のあちこちに細い切っ先の武器による刺し傷から、アスナが彼との戦いに勝利したことが見て取れる。

 それを裏付けるように、注意域(イエロー)にすら陥っていないアスナが後ろから余裕をもって歩いてきた。

 今なお泣いて詫びるコーバッツは、すがるように俺の足元を()う。

 しかし、この哀れな姿としとど流す滂沱(ぼうだ)の涙には、微塵(みじん)も価値などない。

 

「うせろ外道ッ!!」

 

 ザッシュ!! と、気色の悪い感触と斬撃音が鳴った。

 両腕と左足の付け根が欠損。声にならないような、野性動物の断末魔のような叫びを響かせながら、コーバッツが脇へ転がっていく。

 とそこへ、すかさずクラディールまでどこからともなくすっ飛んできた。

 

「がッ……ぁ、ぁ……っ!!」

 

 小さな呻き声。全身に強烈な斬り傷を残しながら、高所からの落下が原因か立ち上がれない。そもそも、彼の体力ゲージがほとんど残っていなかった。

 だが数秒ほど経ち、ほんの小さく「この、人殺しが……」とだけ(こぼ)して、クラディールという男はこのフィールドから消えていった。

 プレイヤーの情報バンクからまた1人、固有のデータが霧散(むさん)する。死の間際に遺した言葉が、果たしてかけられた本人の心に残ることはないだろう。

 キリトは憂鬱(ゆううつ)な表情をしながらも、戦意を欠かすことなくアスナに並んだ。

 アスナもキリトも、それぞれの役目を果たしたのだ。

 残る敵はPoHのみ。

 

「クッククク……だがよくやった、足止め役の雑兵ども!」

 

 パリィン! と、青白い小さな結晶がPoHの左の掌で弾けた。

 見ると奴のHPが全快している。俺達の注意が敗者達に逸れたことをいいことに、1人だけ《ヒーリング・クリスタル》を使用したのだろう。

 驚いたことはそれだけではなかった。

 今の数秒は、あいつがこの場から逃げられる最後のチャンスだったはず。

 これまで何度も敗戦濃厚な戦場から幽霊のように姿を消したPoHが、この状況下であくまで応戦の構えをとるとはどういうことなのか。冷静な判断力がなくなっているのか、あるいはもう狂気が暴走し、玉砕覚悟で誰かを道連れにするつもりなのか。

 《メイトチョッパー》を構えるPoHに答えはなかった。

 そして、すでに必要もなかった。

 

「ッくぞ! PoHっ!!」

「シアァアアッ!!」

 

 4対1。

 結論は出ている。

 それでも奴は剣を振るった。

 その目に敗戦という結末は浮かばないのだろう。ある意味において情熱的な、人に出せる限界すれすれのような速度で俺達を翻弄(ほんろう)する。

 全然攻撃が決まらない。だのに、こちらは間一髪で敵の攻撃を(かわ)している。

 しかし弛緩しきった意識が途切れ、とうとう先に攻撃されてしまった。

 

「ぐあァっ!? く、なんだよこいつ!?」

「くっそ……ッ、キリト! 《氷結剣》は俺が対処する! 一気に攻め込めッ!!」

「ヒスイ! 後ろに回り込んで!!」

「くクク……クハハハァ!! てめェらはここで皆殺しだァアアアっ!!!!」

 

 俺が《暗黒剣》で割っておいた氷が、デジャブのようにヒスイの体に張り付いた。

 軽く上がった悲鳴を無視し、PoHは俺達を同時に相手とった。

 俺の大剣をいなし、キリトの《二刀流》に対応し、アスナの神速を(かわ)し続け、隙を(うかが)うと戦場の空気を掌握する。

 それは、ほとんど恐怖という概念の体現だった。

 純粋に怖い。タチの悪い悪霊に取り憑かれたようにPoHは執拗(しつよう)だった。だいたい、この局面で何がこいつをここまで駆り立てるのか。スイッチを繰り返して1人ずつ着実にヒールで回復していけば、万が一にもやられるようなことはない。決着までの時間をいくらか遅延させることはできても、奴が単体戦力で戦況を覆すことはできないはず。長年の戦闘経験も物理的な閾値(いきち)をそう叩き出している。

 それでも奴は戦った。

 数の安心感すら()り潰されるように。

 

「きゃああっ!?」

「アスナ!? く、ジェイドそっちだ!」

「わかってる! けど……あたんねェッ!!」

 

 例え地獄に番犬がいたとしても、それよりしつこく噛みついてきただろう。

 足払い、目潰し、フェイント、突撃、緊急回避、牽制、体術。それらが織り成す破滅的な足掻きが殺人鬼の背中を押した。

 それは『動き方』に制限がかかるバーチャルゲーム内でのみ再現される。最高域まで高められた集中力が、人体のリミテーションを超え、理論上だけは可能とされる、本来は知覚や実行が不可能であるはずの上限領域へ五感が踏み込む。

 視覚野にはコンマ数秒未来の映像が写り込み、大脳が情報を誤認識することで、そのまま未来視へ昇華してしまった戦闘技法。

 システム外スキル、《後退する修正景(リビジョン・バック)》。

 間違いなく、疑いようもなく、奴はその世界線の俺達と戦っていた。

 

「なんっ、なんだよクソ!!」

「何であなたのような人が!」

「は……ハハハッ、ハハハはハハハははハハ!! 最終局面だブタ野郎どもォっ!!」

『ぐぁあああああッ!?』

『きゃああっ!』

 

 バキキキキっ!! と、《氷結剣》を使った鋭い回転斬りにより、取り囲む俺達4人の一部が同時に《フリーズ》のデバフに侵された。

 不死身。

 本物の化け物。

 どこか人間をやめないと得られない悪魔の所業。

 そんな錯覚が思考を麻痺させる。

 反則級の怪物だ。いくら人数を集めたところで、勝つのは不可能ではないかと悲観してしまう。

 しかし、俺は体に食い込んだ肉斬り包丁に億さなかった。

 耳が音を拾わなくなるほど相対聴力がミュートされ、ギシギシと(きし)む腕にさらなる限界を迫った。

 左手は凍って使えない。無理を承知で、右手だけで《ガイアパージ》が振り抜かれる。

 

「ここでお前をォッ!!」

 

 しかしこの時点でPoHが剣の軌跡を先読みして避けていた。確実な回避だ。動体視力や運動能力がずば抜けているこの怪物なら、なんなくこなせる回避行動だろう。

 …………。

 ……いや、それはおかしい。

 まだ避けていない。そう錯覚した(・・・・)だけだ。

 ドクン、と。心臓が胎動する。

 奴の目線がはっきり焼き付く。

 それは次に避けようとする方向を見ていたのか。

 奴の筋肉が膨らむのを感じる。

 それは次に伝えるべき運動エネルギーの行方(ゆくえ)を見定めているのか。

 見えるはずのないものを幻視したように、激しい頭痛と悪寒が走る。それすら突き抜け、突破し、俺はPoHが『回避行動を始める前』から剣撃の軌道修正をしていた。

 自分で得るというよりは、勝手に流れ込んでくるような《リビジョン・バック》の映像。ほんの少しだけ進んだ未来の、コンマ数秒先の世界。

 直後。

 

「ぐ、がァッ!?」

 

 PoHは信じられないものを見るような目付きをした。

 ズキュっ!! という、斬れるというよりは破砕機に廃棄品を投げ込んだような、骨がねじ切れたような不快な音が響いた。

 とうとうPoHの右腕が肘から斬り裂かれて消失。部位欠損(レギオン・ディレクト)ペナルティを受けた右腕が宙を舞った。

 しかしPoHは驚異的な反射神経で《メイトチョッパー》のみをがっしりと掴む。そのまま空中でくるくると回転していた『右腕だった』物体から、殺人武器だけが抽出された。

 PoHは改めて左手だけで剣を構える。

 俺はこの攻撃を受けきることはできないだろう。ただでさえ《氷結剣》にあちこち斬り刻まれていたのだ。

 道連れ。これがPoHの選んだ最期。

 

「さ、せるかァアア!!」

 

 だが金切り声のようなワンオクターブほど高音域の振動が伝わった時、なおも《メイトチョッパー》を受け止めていたのは俺のアバターではなかった。

 凄まじい音量の先にあったのはキリトの左手の剣。

 右腕を氷の阻害オブジェクトに丸ごと遮られていても、彼は文字通り《二刀流》の所持者だ。

 魔剣を受け止めた名剣の銘は《ダークリパルサー》。鍛冶屋リズが最高級の素材を使って丹精(たんせい)に打ち込んだ、自他共に認める彼女の最高傑作。それが俺達を守ってくれた。

 数瞬が引き延ばされた世界で、PoHの動きが止まる。

 そして、それだけで十分だった。

 

「おォオオオオオオオオッ!!!!」

「ジェ、イ……ドォオおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

 腰だめに構えた俺の大剣が一閃された。

 それは吸い込まれるように艶消し黒ポンチョの中心へ沈んでいった。

 凄まじい炸裂音とノックバック。

 ズパァアアアアアアアアッ!! と。重なる音に、とうとう《ガイアパージ》が右腕のないPoHの心臓部を貫通した。

 静寂が、ほんの少しだけ場を支配する。

 

「クックッ……まだ、終わらねェ……っ」

 

 気が気でない時間が過ぎ、発せられた言葉とは裏腹に時が終わりを告げる。

 ガラスが1つ、静かに割れる音がした。カランカラン、と。多くの人の血を吸いすぎた包丁が、それでも無機質に地面に墜ちる。

 吹き抜ける風はどこまでも冷たい。死体の温度を運んできたように。

 嫌でも実感は後追いでやって来るだろう。今日この瞬間にどんな人物が散り、どれほどの数の人生が救われたのか。

 

「終わっとけよ……ハァ……クソ野郎……」

 

 死に際の台詞が何を意味するのかはわからない。残った傷があとを引くという意味なのか、根付かせた悪意が実を結ぶという意味なのか、それとも単なるこけ脅しか。

 何にせよPoHはこの世を去った。

 深く、重い息をつく。まるで憑き物が落ちたように。

 それっきり、誰も、何も声を発さなかった。

 長きにわたる戦いが、だんだんと息を引き取り、そして終息していった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

「あれでよかったのよね……」

 

 深夜、眠れないからとギルドホームの自室に招いたヒスイが、俺のベッドの隣でそんなことを言った。

 話のはじめは唐突だったが俺にとっては昼間の戦いから繋がって聞こえた。

 特に迷うこともなく、心のどこかで用意していた言葉を紡ぐ。

 

「よかったさ。軍の1人は殺してないし……PoHは、死んで当然の奴だ……」

 

 死んでいないとは言え、もちろんコーバッツは《黒鉄宮》に投獄されている。これで直接的な危機は発生しないだろう。

 それにしても、用意はしたが本心ではない。よくも心にもないことをつらつらと続けられるものだ。

 心臓が()きむしられるようだった。

 誰がわざわざそんな結末を望むだろうか。殺したくて殺したのではない。互いに剣を突きつけたあの場において、それ以外に出せる解答がなかっただけだ。

 だから仕方なく覚悟を据えたまで。まさかラフコフが壊滅した直後、PoHが攻略組に出頭し頭を下げながら命乞いをしたとして、それを無視しはりつけにしてまで公開処刑をしてやろうなどとは思わなかっただろう。

 だが、結局は殺した。

 もう言葉も通じなくなっていた男に死を与えた。悲しいほどに、どうしようもない取捨選択。犯罪者を消す目的のため、改心ではなく殺害という1つの手段を取った。

 すでにアインクラッド中がこの事実を確認したことだろう。そして奴のいなくなった世界に歓喜しているに違いない。

 ジョニー・ブラックや赤目のザザに関しても《記録結晶(メモリー・クリスタル)》で《生命の碑》を、PoHの墓標を撮って見せつけてやった。彼らはまだ信じていないようだが、それも今や関係ない。あとはあいつらの考え方次第である。

 なんの利益も生まない連続殺人、負の争いは終わったのだ。

 これでよかったに決まっている。

 

「……なのに、そんな目をするのね……」

「こ、これは違う!」

 

 見透かされたような気がした。

 俺はすぐに否定してしまったが、それが何よりの肯定だったのだろう。

 殺したことに、その事実に、少なからず焦燥を見せてしまった。それを読み取り、ことの重大さに気づいたのか、彼女は不安に押し潰されそうに泣き始めた。

 

「あたし……怖かったのよ。……だってっ……死ぬのも……殺すのもッ……あたし達は向こうに帰ったらッ」

「……ああ、強要したのはあやまる」

 

 ヒスイはもう共犯者と言っていい。多くの人に肯定される殺人だったのかもしれないが、しかし彼女の震えは慰めで納得し止まるものではないだろう。

 人肉に鉄塊を押し込むあの感覚は、例えることすらできないおぞましさがある。去年の11月、ミンスとタイゾウを殺した瞬間、手のひらの感触を思い出すだけで俺すら吐き気が走るぐらいだ。

 その行為を共有し、こうして戦いが終わった後も巻き付くような禍根(かこん)を残してしまった。今さら、「安心しろ。殺したのは俺だ」なんて、とてもではないが言えない。

 ヒスイは記憶を掻き消すように叫び続けた。

 

「あたしも怖いのっ! なんなく実行できた自分がッ……普通、殺せる!? あたしはっ……それを、やったのよ! みんな怖がるかもしれないッ……もう、戦いたくないの!」

「ああ、すまん……けど俺もヒスイも間違ってない。誰も責めないし、殺したことをトガめない。それは自信を持て……」

「ぅ……ヒック……」

 

 その後も何度も、何度もなだめた。あの殺人行為は悪くなかったのだと。人に肯定される殺人もあると。そんな、あり得ないことを口にしながら。

 そうしてしばらくすると、ようやくヒスイは落ち着いてきた。

 

「うんっ……あ、りがとう……でもっ、ごめんね……あなたの前じゃ泣かないって……甘えないって、決めっ……たのに……」

「泣いていい。俺がいるから……」

 

 俺はヒスイを髪の後ろから抱き締めた。

 彼女の涙がまだ肩を濡らす。この涙が心の中からも枯れるには、もう少し時間がかかるだろう。いくらでも時間をかけて(いや)せばいいと言い聞かせる。

 俺は嗚咽を漏らすヒスイを撫でながら、「少し横になろう」と言って寝かしつけた。それに大人しく従う彼女は心身ともに疲れ果てたのか、そのまま寝息をたてていった。

 念のため俺はしばらく横で座ってみる。すると、意識のないまま俺の手を握った。もういい加減いいだろうと俺もそれを握り返してやると、頬に伝わった涙を拭き取ってから同じベッドに横たわる。

 聞こえてはいないだろうが……、

 

「ヒスイがいてくれてよかった。……ずっと……ずっと好きだよ、ヒスイ……」

 

 髪と、そして頬にキスをした。

 最愛の(ヒト)(かたわ)らに、俺も壮絶な1日を終えるのだった。

 

 

 

 



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第98話 《軍》の底流

お気に入り数が1450件を超え、さらに1500件も超えました。こんなに嬉しいことはありません。すでに作品はラストスパートに入っていますが、どうか最後までよろしくお願いします。


 西暦2024年11月1日、浮遊城第22層。(最前線75層)

 

 俺とヒスイは今、層の面積の8割が森林エリアに設定された22層を歩いていた。

 22層は言わずと知れた休憩(きゅうけい)層だ。敵が弱いどころか、そもそもフィールドに湧出(ポップ)しないことから、前線のプレイヤーに踏破されて以来、多くの人々の記憶から消え去った過疎区でもある。

 俺達が歩くこの緑の林道区域にもやはり、敵ユニットはおろかトラップすら顔を見せようとせず、NPCかそうでないかも判別がつかない、くたびれた老人が時おり散見できる程度だった。

 ちなみに誰1人として覚えていないが、この際はっきり言っておく。

 この層を有効化(アクティベート)したのは俺だ。

 ゲームが始まって約2年とたつが、今までわずか74回しかこのアクションは行われていない。そしてその大半の比率は大ギルドのトップ様が独占していた。むしろ新たな主街区をアクティベートした回数を競い合うことこそが、彼らの根本的な(よすが)だったのだろう。

 しかし俺は彼らのほころびを見逃さなかった。主街区解放の経験者など、攻略組でも稀なはずだ。ヒスイとて1度や2度ほどはあるかもしれないが、この層の解放は紛れもなく俺。21層で扉を塞いでいた強力なボスモンスターにトドメをさした俺。

 そう、俺なのだ。

 

「ね~何さっきからブツブツ言ってるの?」

「……いや、ちょっと感傷にひたったつーか、大事なことの確認をだな……」

 

 危ないところだった。(はかな)い自尊心を保とうとするあまり、ハズかしいことを聞かれてしまうところだった。

 幸い過疎区ゆえに付近に人通りは皆無。これなら白昼堂々ヒスイへの愛の(たけ)をこだまするほど大声で叫ぼうが、お洒落に新調したミニスカートをはくヒスイを肩車して歌おうが、やはり目撃談は広まらないだろう。

 しかしそんな心配事もよそに、彼女はここぞとばかりに茶々を入れてきた。

 

「ふぅん。でも挙動不審だからやめてよね。ジェイドはいいかもしれないけど、これから人に会うのにあたしまで変な目で見られちゃうじゃない」

「ひど。別にいいだろこんなカソ区で」

「イヤでーす。あたしは自分が可愛いんでーす。変な人に見られたくありませーん」

 

 まったく、コロコロと無邪気に笑いながら酷いことを言ってくれる。俺もこの他愛のない会話を楽しんでいるのだが、今日会おうとしている人物のことを考えると、どうにもからかわれっぱなしな自分に危機感を覚えた。

 ちなみにその相手とはキリトとアスナである。

 せっかく世間的に威厳が出てきた俺が、よもやギルド内では女に言い負かされているなど格好悪いではないか。古くさい考え方かもしれないが、3つも下のキリトにこんな姿は見せられない。

 俺はフツフツと沸き上がる反抗心を武器に、密かな反撃に出た。

 

「ったく、昨日はなでるたびに猫みたいに鳴いてたくせに……」

「なっ、あ、あれはっ……た、たまにはいいじゃない! 毎日気を張るのも疲れるのよう!」

「ふ~ん? まあ、なんならこれからずっとあれでいいよ。スランプのヒスイとかいつにも増して可愛かったしな。……ふっふっふ、毎晩なぐさめてやってもいいんだぜ~?」

「うっ……うぅ……」

 

 元来考え方が理論的だからこそ、弱味を見せたあとのヒスイは弱い。

 ちなみに昨夜どうこうという話は、数日前から続く彼女の戦績不振から来ている。

 9日前、つまりPoHと壮烈な最終戦を繰り広げた日、彼女は少なからず心身にダメージを負った。

 これらは回復ポーションを飲んですぐに全快するものではなく、猛毒のような悪魔と化す。

 考えてみれば俺の危惧(きぐ)はここからあった。

 《タイタンズ・ハンド》との私闘に巻き込んだ時も、ラフコフの残党狩りに2ヶ月費やした際も、拷問を請け負うのは常に俺。

 そもそも、その笑う棺桶(ラフィン・コフィン)と全面戦争になったあの日、結局ヒスイは参戦させず数人の非戦闘員と共に作戦会議用テントで待機を命じている。

 よって彼女は、人を(あや)めることへの耐性を研鑽(けんさん)したことはない。

 させまいと過保護にしたからか、それとも個人的な溺愛(できあい)とは関係なく彼女の優しい心が拒絶反応を起こすのか、それはわからない。

 しかし、現に体は悲鳴を上げた。

 剣を振る度に飛び散る血のような赤いライトエフェクト、死に際に(のこ)すモンスター達のグロテスクな叫び声。それらが蓄積(ちくせき)され、とうとうヒスイは前線での戦闘に支障をきたし始めたのだ。

 といっても、これは覚悟の上だった。また自叙伝になるが、シーザーと初めて対峙した時も、殺しの経験を活かして動揺を抑えることに成功した。そしてこうも思ったはずだ。殺しに慣れるのは、それが酷いトラウマにならなかった場合だけだ、と。

 どうやら俺とヒスイは違ったらしい。

 軽いフラッシュバックで済んでいる今の内はいいが、これからあと25層もあるアインクラッドの道のりを考えると、ここで彼女がリタイアするはあまりにも厳しい。

 という経緯から、無理して後々に響くぐらいなら一旦まとまった休暇(きゅうか)を取り、完全に復帰できるメンタル状態にしておこうという方針に決まった。これはアリーシャからの提案だが、彼女の療養(りょうよう)をかねて、俺と2人でしばらくデートしてこいというものが今回のこの企画の前提である。

 

「(それがいきなりあれだからな~……)」

 

 「だった」と言うのも、昨晩ヒスイが久しぶりの2人きりだからと、武器も防具も解除して(あらわ)な姿で俺の部屋に突撃してきたことが原因だ。

 それは目を疑うようなモノ凄いコスチュームだった。丈の長いキャミソールを着ているはずなのに、その生地があまりにも薄すぎて下着――冷静に思い返せば水着だった可能性大――が透けていたのだから。

 よもや不安定極まりないシチュエーションで大人の階段を上るわけにはいかず、俺はやけくそのように積極的なヒスイの行動に悶々としながらも、なんとか『今は誰かに甘えたいんです衝動』にスーパー紳士に付き合ってやり、思い出すだけでうぶ毛が逆立ちしそうな甘ったるい愛の言葉を(ささや)きながら抱き締めてやったものだ。

 ――このアバターにうぶ毛はないがな。

 相当な羞恥プレイを強要された気がする。

 恥ずかしいセリフなどは慎んで割愛させていただくが、察するにこいつは少女漫画かなにかが好きなのだろう。俺としてはギルドメンバーのドッキリ企画でなくてホッとしているが。

 もっとも、このわがままで気が晴れてくれれば万々歳だ。当初の予定では数日かけてケアをするつもりだったが、早く済むならそれだけ手間が省ける。

 いずれにせよ、先に弱味を見せたのは間違っても俺ではない。おまけにこの女は滅多に感情的になれないタイプだ。

 いつも強気なヒスイを、俺はここぞとばかりに攻め立ててみる。

 

「ヒスイも策士だよな~。2人きりってわかった瞬間すぐアレだ。それも夜中に、ダイタンなカッコでよ」

「だから違うんだってば! 昨日のアレはたまたま、ホンット滅多にないんだからね! ……そ、そう。ほらあれよ。人がいる時とか、攻略では見せられないからガマンが溜まってたっていうか。あえてスキを見せることで、あたし達の親密感を深めようっていう算段が……あっ、その目は信じてない!」

「ふむふむ、言い訳なげーしアヤシイもんだ。……はは~ん、さては昨日の状況(シチュ)を見越してわざと無気力に過ごしてたな~?」

「ち、がっ……もう! あたしはそんな理由で休まないわよ! あとそれ以上言ったら、今後ぜぇったい甘えてあげないから!」

 

 言いながら顔面めがけてベシベシと手刀を飛ばしてくるヒスイ。

 

「いたっ、いたっ! なぜ叩く!?」

「今日ミニスカだからよ!」

「いや、蹴って欲しいって意味じゃねぇよ!!」

 

 ジョークが言えるだけマシになった方だが、いい加減ほっぺや目の下の高揚が夕日のせいにできないレベルで真っ赤になったヒスイは、とうとう視線を逸らすようにそっぽを向いてしまった。

 しかし手入れの行き届いた(つや)のある黒髪が揺れるのを見て改めてテンションが上がった俺は、攻撃の手が止んだこともあって「スキあり!」と心のなかで叫びつつ腕の辺りをグイッ、と引っ張ってみた。

 そして気づけば、すぐ近くに建っていた適当な家の壁にヒスイを優しく押し付ける。

 驚いて縮こまる彼女におでこを寄せて、ここでもやはり冗談まじりに攻め続けた。

 

「照れてるヒスイ、マジでかわいい」

 

 決まった。

 体温急上昇。

 これはいけない、ハンパなく恥ずかしい技が決まってしまった。

 ……が、これはヒスイのための時間だ。結果として前線に復帰できるようエスコートすることが究極的には俺の任務ということになる。

 恥を忍んでここまでキメ顔作って盛大にボケてやったのだ。鋭いツッコミが返ってきてくれないと恥かき損になってしまう。

 しかしここで問題が起きた。それもかなり重大なやつで、いつまでたってもレスポンスが返ってこないのである。

 彼女の顔を見てみると……、

 

「あっ……ぁ……の……」

 

 もう、首筋まで真っ赤だった。おまけに口を半開きにして両目だけパチクリと俺の顔をじっと見ている。

 そして両手をグーにして胸の前でいっちょまえにファイティングポーズをしているのは、彼女なりの反抗意思だろうか。冗談を通り越して鼻血が垂れそうなのだが。

 だが、待ってほしい。これは俺の望むべく反応ではない。取り敢えず記録結晶に収めて額縁ものの初々しい表情ではあったが、先にも述べたように、これで戦線復帰できるようになってもらわなければ意味がないのだ。

 それともなるのか。なってくれるのか。

 ほう、いいだろう。ならば続けようではないか。

 うるさいぐらいに心拍数が跳ね上がったせいで、ケッコー本気で息苦しいのだが、もはや心臓がハチ切れたって構いはしない。心臓なんていくつかくれてやる。いや、いくつもはなかったか。

 

「ヒ……スイ……」

「ぁ……っ」

 

 まともに声も出せず、キョドったまま右手がうなじへ添えられる。彼女は絞り出すように、そして悶えるように弱々しい声を漏らした。

 限界だった。

 背筋にゾクッ、ゾクッ、と官能的な独占欲が走る。ただでさえ威圧的な俺のつり目も、さぞかしギラついてモザイク必須になっていることだろう。

 そのまま左手で流線美を描く引き締まった腰を支え、ほとんど無抵抗な隷属(れいぞく)娘と化したヒスイをおもいっきり引き寄せた。

 ――今ヒドいこと考えたぞ俺。

 どうしてこう、雰囲気の移り変わりは急なのか。こちらとしては極めてジョークのつもりだったが、カズやアリーシャらがいないからか、ヒスイは本気に受け止めてしまったらしい。

 息づかいまで肌で感じられるほど近づくと、今度はヒスイが俺の背中に両腕を回した。

 まずい。情けない話だが、緊張のしすぎで目が痙攣(けいれん)してきた。しかも生唾と一緒に彼女の息まで飲み込んだ気がする。スゴく興奮した。

 今のは少しいかがわしいというか、変態チックだったろうか。

 しかし……こんなロマンチックなキスができるのなら……もうなんでもいい……、

 

「(ヒスイ……)」

 

 互いに目をつぶった直後。

 

「人んちの」

『わぁああああああっ!?!?』

「……裏庭で、ナニやってるのよ……」

 

 またしても邪魔が。またしても邪魔が入ってきよった。

 口から内蔵を吐き出しそうなほどひとしきり驚くと、俺とヒスイは介入者を確認する。

 

「だ、誰だァ!? ってアスナ!?」

「あ、あああアスナがどうしてここにッ!?」

 

 嫌になるほど目に焼き付いた紅白の団服を着ていないからか。あるいは、らしくないジト目のせいか、一瞬判断が遅れてしまった。

 だが栗色の長い髪を()って、明るめのチュニックに上着を重ね、清楚な長スカートに簡素なネックレスで(たたず)む美人さんは《閃光》ことアスナだった。

 恐怖の印象が強かったレイピア使いも、やはり武装解除すると見違えるほど可愛くなるようだ。

 ちなみに俺は名称こそわからないが、髪のサイドを長い三つ編みにしてから頭の後ろへ持っていき、それを中央で小さく結び他の部分をストレートにする彼女の特徴的なヘアスタイルが大好きである。以前ヒスイに同じ髪型にしてほしいと頼んだ際、かなり不機嫌になりながらもしぶしぶ実行してくれた時は本当に(もだ)えるところだった。

 そんな一瞬の思い出浸りを気合で忘れるころに、彼女はすぐにヒスイの疑問に反応した。

 

「どうしてもこうしても、ここはわたし達の家の裏庭よ? 買い物帰りだったんだけど、あなた達が時間より早くうちに来てるだもの。こっちが驚きよ」

 

 なるほど、今ので合点がいった。キリトとアスナに会うのになぜ『22層』かという疑問と戻るが、PoHとの決戦の2日後にあたる25日から、キリアスコンビはKoBから正式に長期休暇をもらって2人で暮らしているらしいのだ。

 もちろん、クラディールの件で立て続けに不祥事を起こしたギルド側が全面的に悪いのだが、キリトは早くも集団から切り離されたことになる。

 さらに年頃の男女がわざわざ家まで購入して、ひとつ屋根の下で過ごしているのも納得の理由が存在する。なんでも彼らは、《結婚》までして暮らしているのだとか。

 ここまで紆余曲折と回り道をしてきた感は否めないが、俺としてはようやく落ち着くところに落ち着いた感じがする。

 

「(おかげでアスナの私服見れるとか、超ポイント高いんだけど……)」

 

 なんて最低なことを考えつつ、何にせよ俺のせいでねぐらを暴かれたキリトは今度こそ静かに暮らすためにこんな辺境の地に建てられたホームを探し当てたらしい。

 ユニークスキルをバラしたと知らないキリトが、こうしてまた俺に家の場所を知らせてしまう辺り、少しばかりズキズキと痛むものがあるがそれは華麗に無視。お詫びとしてこうして結婚祝いに来てやったのだから、むしろ感謝してほしいぐらいである。

 しかし、そのホームとやらがよもや俺達がもたれ掛かっていた家の正体だったとは。景色を眺めるついでに寄り道もしたのだが、いつの間に到着していたのか。ましてナルシストごっこに利用した壁がゴール地点だなんて、都合のいい偶然があったものである。

 それより目下解決すべき問題はアスナへの言い訳か。対抗意識でラブラブ順調な結婚生活を見せつけに来たわけではない。ただ、彼女のこの素朴な反応を見るに、目がショボショボしていたか何かで、先ほどのシーンは詳しく見られていなかったのではなかろうか。

 十分にありうる。

 

「い、いやぁこっちはアレだよ、ヒスイがその……ほらドライアイでさ、目薬指してほしいって言ってな。そこで気を利かしてだな……なっ?」

「…………」

 

 隣のヒスイはというと、お目目はパッチリなのに顔面一杯に汗をたらたら流すという器用な表情を作っていた。

 おどけたジェスチャーで悪戦苦闘する俺にまったく援護射撃をしてくれないのは、どう考えても無理のあるアホな設定に、呆れを通り越して絶望したのかもしれない。せめて剥がれたファンデを直していた的なことでも言えばよかったのだが。

 俺も言い終えて気づいた。これは厳しいと。

 果たして結果は……、

 

「いやあなた達、人目も気にせず抱き合ったまま2人の世界に入り込んで……」

「ストープっ! 悪かったそうですその通りです気を付けます!」

 

 やけくそになって言葉を遮ってみる。

 何が目がショボショボしていたかもしれないだ俺の楽観人格め。射幸心を(あお)るでない。

 

「(クソ、出だしで鼻くじかれたぞ。どうしてくれるッ……!!)」

 

 男ならハードボイルドに。そんな育て方をされたような気がする俺としては、泣いたり狼狽(うろた)えたりしたところを女に見られるというのは締まりがなくなる。

 それもこれも支配欲を誘うヒスイが悪い。何度も感じていることだが、彼女は策士だ。上げて落とすタイプだろう、きっと。

 なんて、自分のことを(たな)どころかマンションの屋上辺りまで上げておくと、アスナ達が住むホームの玄関へ通してもらった。庭は色彩豊かなレア物オンリーの花畑というほどではなかったが、やはり几帳面なアスナらしい綺麗なものだった。

 

「(おおっ、なんか改まるとキンチョーするな。うちのホームよか片付いてそうだけど……)」

 

 古い作りながらも頑丈そうな扉を、アスナが開けた瞬間だった。

 

「ママー! おかえりー!」

『っ……ッッ!?!?』

「あらユイちゃん、走ったら危ないわよ」

 

 両手を広げて小さな女の子が玄関から出てきた。

 誰だ、この子。

 パッと見たところ年齢は7か8といったところか。真っ白なワンピース(たぶん)に茶色の安い靴。腕輪も指輪もその他有用な装備が一切見受けられない子供だ。ぱっつんカットの前髪はともかく、後ろの髪が腰まで垂れているのが、くびれもできない年齢の子供にしてはやたら長い。

 それに、今こやつはアスナに向かってなんと言ったか。

 

「は……ハジメマシテ、ユイサン……?」

「あ、はじめまして。……あれ。ママ、この人たちはだれ? さっきパパがいってた人?」

「そう、お客様よ。ほらすぐ食事にするから席にすわっ……あっ!」

 

 そこでアスナもようやく気づいたようだ。俺とヒスイがヘタな大理石よりも堅く固まっていることに。

 突如、アスナがすべてを悟り、真っ赤になって言い訳を始めた。

 

「こ、これはっ……違っ! これには深い事情があって!」

「ちがじゃねぇええええッ!! ママってなんだよ、ママって!! えっウソ!? 子供できるの!? デキ(・・)ちゃうの!? このゲーム!?!?」

「ち、違いますから!! これにはいろいろと理由が……っ」

「それだけじゃないわジェイド!! この子、8歳ぐらいよ!? 子供ってこんな早く育つのかしら!?」

「バッバカ言え! に、にンしぃゲホゲホしてる時間はどうなってッ!?」

「ヒスイも! 2人してなに言ってるのよ! この子はわたしの子じゃなくて……!!」

『わたしの子じゃないッッ!?!?』

「ちっがーうっ!!」

 

 なにを言うのよと言われてもナニを、だ。言い訳は聞きたくない。

 顔は似ているだろうか。似てなくは……ない。黒髪を栗色に変更すれば、かろうじて似てなくはない。

 もれなく玄関前につっ立ったままいつまでもギャーギャー騒いでしまっているわけだが、どうしてもこればかりはスルーできなかった。

 子供ができているのだ。

 これは大変である。大変、一大事である。

 

「けどちょっと待ってくれ! 子供がいる……ってことは、つまり――」

「つまりなによ!?」

 

 つまり、アレだ。

 そもそもことによっては無関係ではいられまい。俺とヒスイも結婚しているのだから。

 よもや幼き頃に想像を膨らませた清き純粋で汚れなき無垢(むく)な発想でもあるまいし、キスをしたり結婚をしたりするだけで子が授かれないことは残念ながらもう知っている。そこには非常に説明しにくい、それでいて誤魔化しの利かない大人の事情が絡んでくる。

 いわゆるチョメチョメである。

 いきなり誤魔化したぞ、俺。

 いや、だからこそ、アレがアレしたアレ的な結論が導き出されてしまう。まずその行為がゲームでできるのかどうかすら曖昧だが、ここは声に出して聞くべきだ。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。無駄に格言。

 つまり。そう、つまり……、

 

「――つまり、これはキリトと、その……せ、セックズゴァアアアアッ!?」

 

 バゴォオオオ!! と、いきなり単発突撃ソードスキルで吹っ飛ばされていた。これが客に対する仕打ちか。

 玄関にはゼイゼイと乱れた呼吸をする《黒の剣士》さんが。そんな彼が頬をピンクに染めたまま、自慢の魔剣で俺を盛大に吹っ飛ばしてくれたのだ。圏内でよかった。

 そんな彼はひきつった顔のまま一言。

 

「その話は……リビングでゆっくりと……」

 

 

 

 

 さて、ひと暴れしてやっとこさ落ち着いた俺達4人……ではなく、ユイと名乗る少女を入れて5人のプレイヤーは長テーブルを挟んで、初めてのお見合いで切り出し方がわからない人達のように黙り混んでしまっていた。

 別に友達関係が冷えたという話ではなかったが、下ネタを使ったCMが不意に流れてしまった茶の間のような、どこか気恥ずかしい沈黙がそこにはあった。

 しかし、これでは話が進まない。

 仕方なく俺は本題へ移った。

 

「……で、その子はどうやってデキたんだ?」

 

 もはや新婚祝いなど本題ではない。

 

「会って最初の話題が重すぎる……ていうか、できたとか言うな。拾ったんだよ一昨日の昼間にな。場所はそう遠くないぞ。ここらじゃ唯一人の集まるでかい湖が北にあるんだけど、そこから道なりに進んで外周沿いの森林区間だ。そこにフラッとこの子だけ立ってたんだよ。……いや、正確には立ってたけど目の前で倒れた」

「ふぅん……だけど言動がまるで生まれたままって感じよ? 少なくとも、齢相応の知識や運動神経が備わっているようには見えないわ」

「そこは……俺も謎なんだけど……」

「やっぱりヤることヤって、コウノトリさんが運んできたんじゃ」

「やめてくれ! イメージ崩れるからそれ以上はやめてくれ!」

 

 キリトがあたふたとヒスイを止めている間に横で、俺はアスナに詳しく聞いてみた。

 すると、どうやらNPCではないことは確か――NPCは行動可能な座標が決まっていて、ましてや人の所有地には侵入できない――なものの、記憶と言語機能が大きく失われているらしく、しかも最悪なことにシステムのバグもいくつか発生しているらしい。

 1つは《メインメニュー・ウィンドウ》。

 本来プレイヤーは例外なく右手でこのウィンドウを開くはずだが、彼女だけはなぜか左手でそれが開けるらしいのだ。右腕をモンスターにちぎられたわけでもあるまいし、この時点ですでに聞いたことがない。

 そして本質はその中身。

 意識を回復してから本人の同意の上でウィンドウを可視化したところ、どうやらレベルやHPバーが表示されないバグに侵されていたらしい。

 ウィンドウの右下に表示される《装備フィギュア》についても武器らしい武器が存在せず、なんのボーナスもステアップ効果もないワンピースが一着だけ登録されるのみ。左下に表示される《コマンドボタン》一覧に至っては、自由にカスタマイズできるはずなのに選択肢がアイテムとオプションだけという、まさにRPGで冒険を始めたばかりの初期勇者状態だった。

 ここまで情報が得られないと、もはやこの子供がどこで何をしていたのか、どの階層をメインに狩りをするプレイヤーだったのか、そういった初歩的なことすらわからない。

 と言うわけで、なし崩し的に保護者となったキリトとアスナは一夜明けた昨日、最も衣食住のコスパが高い《はじまりの街》でユイとやらの保護者か、元の住みかを探し回ったらしい。

 しかし結果はこの通り。

 今日は俺達がお邪魔すると約束していたこともあって、適当な情報屋に迷子の情報の拡散を頼む程度に留まってしまったらしい。無論、そこで保護者が見つかればキリト達も引き渡すつもりだそうだ。

 

「戦果なしか。ん~……いくら敵がでないとはいえ、むぼーびなガキがフィールドにいたんだろ? なにかしらウワサのひとつでも立つはずだけどな、普通は……」

「それなのよ。昨日は偶然にも、はじまりの街で子供たちを一手に集めて、保護を目的に教会を貸し切ってた女性に会えたんだけどね」

「へぇ〜、そんな人もいるんだね」

「うん。すごくいい人だったわ。……でも彼女も、やっぱりユイちゃんのことを知らないって言ったの」

「2年間もエリアごとに子供を探してた奴が知らない……ということは、2層以降で暮らしてたことになる。だとしたら……」

 

 アスナらがほとほと困り果てた顔をする。というのも、正式サービス開始から2年経過した現在、オレンジ共を除けば基本的にプレイヤーは現在3種類にカテゴライズできるのだ。

 1つは《はじまりの街》に住むプレイヤー。

 全生存者の3割近い数がこれにあたり、彼らのさらに約半分が《軍》という巨大ギルドの所属者にあたる。軍はともかく、あらゆる戦闘行為を完全に放逐(ほうちく)した一般市民は、毎日少ないコルで腹を満たすことだけを考えて生きている。自然と低レベル低ステータスが集まる閉鎖空間であり、攻略情報や資金の流通はここと2層以降では一気に遮断される。今や軍が街の全てを統治していると言っていい。

 もう1つは《攻略組》。

 これはわざわざ説明することもないだろう。まさしく俺達がこれなわけだが、日夜死と隣り合わせにモンスターと血を争い脱出の日を夢見る人々のことを指す。500人ほどが総数で、1番少数かつレアな人種でもある。

 最後がボリュームゾーンのプレイヤー。言わば『その他』である。

 これが2層以降のプレイヤーというやつだが、2層から最前線手前まで、ありとあらゆるレベルや攻略スタイルを持つ彼らの冒険意欲は、実は消極的な理由から来ていたりする。

 まずは(コル)だろうか。

 世の中カネだ。飯を買うにも、宿を取るにも、他には武具、アイテム、情報まで、何から何までコルがいる。最底辺の生活が嫌なら最低限の努力がいるのだ。ならば仕方がない金を稼ごうじゃないか、という受け身の姿勢である。

 次が経験値。

 レベル10のプレイヤーが隣にいたら、レベル11になりたいのがゲーマーというもの。置いていかれず、飛び抜け過ぎず、しかしちょっとだけ優越感にひたりたい。ごく自然な競争心だが、命を賭けてボスと殺り合いたいほどではない。そんな心理である。

 現存する最も多い分類だが、未踏破のダンジョンへ勇敢(ゆうかん)にも突撃し、レアアイテムなどをかっさらっていく俺達《攻略組》という生き物とは一線を画する。だからこそ、ここでも情報の往来がカットされてしまう。

 敵といっさい戦う気がない者。

 仕方なく敵とは戦うが、安全に生活するためだけに戦う者。

 攻略以外の欲望を捨て、いずれくる解放の日を夢見て、限界に近いレベリングとマッピングで1日のほとんどを消費していくストイックな者。

 情報や人間関係の繋がりが各層で希薄になりがちなのも、日々求めているものがまるで違うからだろう。

 

「(はじまりの街で手がかりなしは痛いよな~……)」

 

 1層か、2層以降か。

 結局はそれだ。よもやユイが《攻略組》なはずもなく、だとしたら保護者の捜索は困難を極める。

 

「にしてもよく1層をウロつけたな。あの辺《転移門》から《黒鉄宮》までの直進コース以外は、軍の見回りとエンカウント率高いだろ」

「うぅん、それなんだけど……」

 

 アスナがゴニョゴニョと言い(よど)む。

 すかさずキリトが説明に入った。

 

「ああ、軍の奴らには会ったぜ。教会を貸し切ってた……つまり潤沢なコルを持つさっきの女性に、以前から目をつけてたらしくてな。子供たちを捕まえて金を寄越せって脅してきたんだよ。そしたら怒ったアスナが怖い顔したままボコボコに追い返して」

「ちょっとキリトくん言い方!」

「うっわ早速モメごとかよ。剣でドンパチやるとあいつらしつこいぞ~? 今度は腹いせに2パーティ分連れてきて集団リンチとかし出すから……ん?」

 

 俺とキリトがほぼ同時に気づくと、すぐにドアの方からトン、トン、トン、の軽いノック音が3回響いた。

 人のホームを訪ねるにしても時間帯が微妙だ。俺達は昼飯をご馳走になりに来たようなものだが、来訪者は昼も食べずにこんな辺境の地まで来たのだろうか。

 と言うより、そもそもキリトは引っ越してまだ間もないはず。彼らの滞在を知っていたとしても、いかようにしてここを突き止めたのだろう。

 

「誰だろ。……まあ俺が出るよ」

 

 数瞬だけ不審そうな顔をしたが、言ってキリトが立ち上がると、すぐに間延びした返事をしながら扉を開けた。

 すると座っている位置から見える範囲での話だが、そこにはかなりの美人プレイヤーが立っていた。

 

「誰だあれ。アスナの知り合いか?」

「ううん、知らない人」

「女性で準攻略組以上の人はみんな知ってるはずだから、たぶん前線には来てない人だと思うわ」

 

 アスナもヒスイも知らないというのなら俺が知るはずもない。女の知り合いなんてたった数人である。

 それに彼女の好みなのか定かではないが、当たり障りのないポニーテールに反してシルバーの髪がやたらと目立つ。あれを見て忘れろと言う方が難しいぐらいだ。

 しかしせっかくの女性だったので、俺は無遠慮にもまじまじと観察してみた。

 アイカラー、ヘアカラーともに少し洋風にカスタマイズしすぎている感はある。別段ベースが悪いわけではないのに、過剰に可愛く見せようとフォトショで顔にフラッシュを当てすぎた感じと言えばわかるだろうか。

 もっとも、少なくとも東洋人ベースの骨格を持つはずの彼女だが、スラッとした顔立ちと毅然(きぜん)とした姿勢からかとてもよく似合っていた。

 相当スタイルも良く、ヘタをすればキリト以上の身長だ。胸はヒスイ以上アスナ並といった感じか。Dカップぐらいはありそうである。腰回りは……見たところ安産だろう。もっと下を見てみると脚はヒスイの方が細い。長さでカバーされているのでまったくだらしなくは感じないが、しかし……うむ、やはり俺は細くて綺麗な脚の方が好きだ。女の基準は美脚かどうかに限る。

 

「ねぇどこ見てるの」

「どこも見てネーヨ」

 

 空虚で適当なヒスイへの返事だったが、どうにかバレなかったようである。俺もポーカーフェイスがうまくなったものだ。

 「あとでゆっくり話を聞くわ。むっつりスケベさん」なんて、末恐ろしい声で耳打ちされた気もしたが、きっと寝不足が招いた空耳だろう。まったく欠陥だらけの聴力で困ってしまう。

 そんなこんなとしているうちに、キリトがその銀髪で空色の眼をした女性を部屋に招き入れていた。

 と言っても、俺もただフェチ心を満たそうといやらしい目で観察していただけではない。ステンレス系インゴット特有の反射の鈍い金属面、濃緑色の上着、ギルドのシギルが直接刻まれているわけではない――おそらく意図して隠されている――ものの、それを想起させる防具の色合い。その他いくつかの特徴から、この銀髪の女が《軍》の人間であることは看破していた。

 「ほら見ろ、言わんこっちゃない。報復に来たっぽいぞ」なんて視線をアスナに送ってみたが、その視線には代わりにキリトが答えた。

 

「いや、どうやら昨日のことは関係ないらしい。むしろ感謝したいぐらいだって」

「んんっ、感謝だァ……?」

「突然押しかけて申し訳ありません。ユリエールと申します。もうお気づきかもしれませんが、確かに私は《アインクラッド解放軍》に所属しています。ですが、ここを訪ねた理由は昨日のいざこざのことではありません」

 

 銀髪が(しゃべ)った。声はなかなか澄んでいる。

 しかし思ったよりも男勝りな響きなのできっと《軍》……もとい、《アインクラッド解放軍》でも激務に終われる日々だったのだろう。忙しい人は自然とこうなる。

 それよりも一般的な俗称を避けた辺りに私怨(しえん)を感じる。先ほどのキリトの発言を含み、訪れた理由はそんなところからも垣間見えた。

 

「徴税については私達もいい加減困っていて……実はあれ、個人的にも反対していたんです。ですが、彼らはそんな意思とは関係なく動いていて……」

「シンカー派……つーか保守派か。そいつらとキバオウらのイザコザだろ。最近調べたから知ってるよ」

 

 それを調べていたおかげでPoHの脅威がすぐ後ろまで迫っていたことに気づけたのだ。面倒なことではあったが、今ではヒースクリフやキバオウに感謝している。

 しかし事情を知らないキリト達は首をかしげていた。

 ――余計なことを言ったかな。

 

「ああ、こっちの話だから気にすんな。それより、それがどした?」

「あっ……ええ。それで、ギルド内での揉め事が絶えない日々だったんです。そこへ上から攻略組2人が降りてきて、徴税兵をコテンパンにしたとか。それを聞いて私はいてもたってもいられなくなり……あの手この手を尽くしてあなた達のことを調べたんです」

 

 流れで憶測(おくそく)するなら、おそらくその『揉め事』とやらの解消依頼だろう。誰それがやられたから仕返しにガンつけてきて欲しいだとか、あるいは敵チームより早くレアアイテムが欲しいからクエストに協力して欲しいだとか、そんな話だ。

 低層にありがちな話である。

 例えばリーダー以外が惨殺された《シルバー・フラグス》というギルドの事件も、結局はそのリーダーでなく俺とヒスイが犯人であるロザリアを捕まえている。

 

「なるほど、それはわかりました。ですがわたし達は軍の……ジェイド君の言葉を借りるなら、その『急進派』という人達と争うつもりはありませんでした」

「いえ、違うんです! そうじゃないんです。あなた達のことを探したのは別の理由で」

 

 ここでユリエールと名乗る女は、一拍溜めてからとんでもないことを口にした。

 

「お願いです。私の代わりに、シンカーの命を救ってください!」

 

 

 

 



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第99話 消息不明までのアリバイ工程

 西暦2024年11月1日、浮遊城第22層。(最前線75層)

 

 例えばケンカの仕返し、あるいは攻略難度の高いクエストの手助けが挙げられる。

 低層のプレイヤーが攻略組に金を払って戦力を借りる話は古今に溢れている。別に彼らを責めはしないし、図々しいとも思わない。レベルに大幅なマージンを強いられるSAOの特徴上、無理なものは無理なのだろう。

 なかにはトラウマから前線を離れるも攻略の支援だけはしたいと、悩みごとを率先して解決するよう走り回る物好きすらいる。いわゆる何でも屋のことだが、彼らにとって低層のお困りプレイヤーはむしろ必要なクライアントとも言える。

 しかし、だからこそ(コル)で物事を解決したければ、そういった手合いに当たるべきであり、普通に攻略している俺達は正直時間が惜しい。《軍》所属のユリエールなる女の頼みも所詮はよくある話だろうと踏んでいたし、内容が何であれキリト達はそれを断ると思っていた。

 こんなセリフを聞かなければ。

 

「シンカーの命を救ってください……」

「命を救うって……おいおい、おーげさだな。ただのケンカだろう? 街でデュエルとかになっても、初撃決着かなんかでやり合えばすむ話じゃ……」

「そうですよ。相手に殺意があるなら、応じなければいいんです。それも嫌なら……」

「もう遅いんです……」

 

 俺とアスナの言葉を(さえぎ)ると、目立つ銀髪のポニーテールさんは信じられない言葉を続けた。

 

「MPKをされたんです。いえ、まだ未遂なんですが、彼は……シンカーは、転移した先で多くのモンスターか、あるいはプレイヤーに囲まれて……たぶん、今もどこかで身を潜めている……」

「されたって、いつ……?」

「3日前です」

『ッ……!?』

 

 一同は息を呑んだ。3日も前に行方不明のプレイヤーなど、いつ命尽き果ててもおかしくはない。もしそれが最前線なら、攻略組ですら持たないだろう。夜を越すにもステルス性能を内包したバカ高いテントがいる上、回復ポーションとて無限にあるわけではない。非常用の《回復結晶》を使っても俺ですら戦場で3日は持つまい。

 最前線でなくとも、レベルに不相応なフィールドへ投げ出されていたら結果は同じだ。敵中突破する前にゲージが消し飛んで死んでしまう。

 『身動きがとれない』という部分は引っ掛かるが、今なお生きているというのなら、おそらく主街区ではない村などの《圏内》か、もしくは随所に設定してある《安全地帯》で過ごしていると推測できる。

 

「……その言い方だと、《生命の碑》は見てきてるんだよな? クリスタルもないのか」

「はい、確認しました。いま彼はクリスタルも持っていません。少なくとも生きてはいるんです。ですが……これだけ待っても帰って来ませんでした。動ける状況ではないのでしょう。せめてノーマルフィールドだったらメッセージも送れますし、ギルドストレージを使って物資を援助することもできたんですが……」

「迷宮区ならすべてが不可」

「はい……」

 

 割り込んだ俺としても手の打ちようが無さすぎて歯がゆい。

 というよりもまず、なぜ彼はこんなメジャーな手に引っ掛かったのか。MPKなど《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》がドロップするようになったはるか昔から横行する、犯罪の常套(じょうとう)手段である。

 俺の記憶が正しければ、シンカーという人物はかなりの情報通だったはず。SAO発売前にも多くのMMOでその名を馳せていたギルドリーダーだ。戦闘に不向きな性格だろうとなかろうと、こんな初歩的な手にかかる器ではない……という先入観はあったのだが。

 

「いい人過ぎたんです……」

 

 まるで思考をトレースしたように、そして慨嘆(がいたん)するようにユリエールが声を(つづ)った。

 

「もとはと言えば私のせいでした。ギルドの方針を懸けた戦いなのに……彼の副官でありながら、ことを大きくしたくないと言われれば素直に引き下がりました。そしてキバオウ達が躍進していく様を、指をくわえて見ることしか……」

「周りも止めなかったの……?」

「何より稼ぎが桁違いだったんです。マナーも何もない狩り場の独占に、昨日の《徴税兵》の強引な稼ぎ方……控えめに見ても《急進派》の行いは解放軍のメリットになることばかりです。おかげであの男に同調する人はたくさんいました。……それに、そうやって持ち上げられたことで、本人も目的意識を失ったメンバーを啓蒙しているのだと信じていたのでしょう」

「……け、ケーモー……?」

 

 おそるおそる手を挙げてみる。

 

「教え導くという意味です」

「え、しっ、知ってたし……」

「……続けますね。なので、私達の発言権はもうほとんどありません。ギルドの正式名称すら変わってしまったというのに……」

「あ~、確かギルドMTDとか何とかだったよな、最初は。資金とか食料とか、そのヘンをギルドに分配するのが目的だったやつ」

「ていうか急進派のトップ争いしてるのってキバオウだったのか、初耳だよ」

「はい、まさしくその通りです。しかしこんな独善的な組織では……少なくともシンカーに、今の《軍》を作るつもりはありませんでした」

「けどさァ」

 

 俺は俺ばかりが話してしまっていることに気づき一旦周りを見渡してみるが、キリトを含む3人が発言の続きを催促(さいそく)してきたので構わず続けた。

 

「けど……言っちゃあ何だけど、あんたらも悪いんだぜ?」

「それは……どういう……」

「わかってるだろう。……いいか、極力キケンを減らしつつ集団レベリングして、コルやアイテムを分け合おう、つー思想はたいへん結構なんだよ」

 

 規模に差こそあれ、ギルドという集団は皆それが目的だろう。

 しかし、SAOに限らずMMOは基本的に……、

 

「でもな、世の中リソースの奪い合い……いや、SAOならなおさらそうだ。『みんな仲良く』はあくまで理想で、実現させたいなら反対勢力を押しきれる戦力か、それに見合った強力なリーダーシップがいる。……シンカーにはそれがあったか?」

「それ、は……」

 

 しゅんとするユリエールを見るとさすがに可哀想にはなってきた。

 ここまで糾弾するつもりはなかったが、やはり人がいい、優しい、というだけでは大集団はコントロールできない。今は亡きロムライルも、それを引き継いだ俺も、やはり数人をコントロールするだけでもかなりの労力が要求された。(ハナ)からこの極限状態の中、4桁のプレイヤーの面倒を見るということが夢物語だったのだ。

 それを本人達に認識させない限り、シンカーを救出したところで摩擦は消えない。

 

「ないだろ。見りゃわかる。助けるのはいいけど、助けたあとはあんたらでソコんとこ解決しなくちゃいかんぞ」

「はい、おっしゃる通りで……えっ、え? あの……助けてくださるのですか……?」

「俺はな。けど元はキリトとアスナを訪ねてきたんだろう。2人はどうか知らんぞ」

 

 ケンカの尻拭いなどなら見て見ぬふりだが、死ぬかどうかの瀬戸際というのなら(ふち)まで引っ張ってやらないこともない。ここで帰ったら後味も悪いだろう。

 しかし極力ヒスイは戦闘に出したくない。PoHと殺し合ったせいでダメージを負ったからこそ、こうして休暇をとっているのだ。おまけに精神的に何の異常もないキリアスコンビも、だからと言ってここで協力に乗り出す可能性は低いだろう。

 理由は2つ。

 1つは話の信憑性だ。裏をとっていないので単なる作り話かもしれなし、そもそもアインクラッドでは騙しや詐欺などよく見かける現象である。またユリエールに悪気がなくとも、ノコノコついていったら急進派に話が筒抜けでしたというパターンもある。俺も快く引き受けた(てい)を保っているが、やはり裏では疑いも残る。

 2つはキリト達の今の立場。

 俺とヒスイは新婚祝いにここへ来ている。そう、『新婚』だ。早い話、キリトらはかけがえのない幸福を満喫している最中なのである。何も貴重なこの時間を削ってまで、こんな物騒な話に首を突っ込むことはあるまい。

 しかし、意外なことにアスナの姿勢は積極的だった。

 

「わたしも助けられるなら助けたいです。……でも、やっぱり最低限こちらでも事情を聴く時間が欲しいです。どのみち全層の迷宮区は見て回れませんから、軍の関係者に第三者の立場から情報を得ませんと……」

「じゃあ……アスナさんも救出に協力を?」

「ええ。だってギルドマスターさんですもの。無名の一般人なら考えるところでしたけど、さすがに軍の人に聞けば、彼の行方不明が事実かどうかぐらいはすぐにわかると思います」

「ありがとうございます。本当に……ありがとうございます。情報収集については、そうですね……、わかりました。では軍のギルドホームへは私が案内します」

 

 ここで試しに「キリトやヒスイはいいのか?」何て聞いてみたが、本当に困っているユリエールに同情したのか、特に嫌そうなそぶりは見せなかった。

 しかもトドメにユイまで「ママ、この人うそついてないよ」なんて言ってくれたおかげで、どうやら決心はついたようだ。

 ――なんでガキんちょのユイにそんなことがわかるんだか……。

 だが、それなら話は早い。

 

「よし、閉じ込められてんのが前線だろうがどこだろうが、ここにいる連中はみんな攻略組だ。見つけさえすれば余裕だろ。それよりまず……メシ食わね?」

 

 直後、我慢を知らない俺の腹がぐぐぅっと鳴ってしまった。

 と言うわけで、準備の期間に打ち解けられるよう談笑しつつ、さらにかねてより気になっていたアスナの髪型の名称を『編み込みハーフアップ』だと教えてもらいつつ、俺達は彼女のとっておきの調味料付きの料理を堪能させてもらった。

 しかも、そのとっておきの調味料というのは『醤油』と『マヨネーズ』だったのだ。

 信じられない。いつか誰かが作るとは思っていたが、まさか攻略組のアスナが作るとは。以前俺が料理に挑戦した時は、手順を間違えたのか焼きそばのような形をしたダークマターができあがったことがあるが、このマヨネーズさえあればあれもそれなりにイケただろう。

 あっけないことに食事は10分そこそこで終了。俺もあまりに感動的なうまさに涙を流しながら礼を言い、ついでにヒスイに材料とレシピを伝授してくれるらしいので今後のメシも安泰である。

 ――ぶっちゃけ、俺は醤油とマヨネーズがあれば何でもイケる。

 

 

 

 腹ごしらえを終えたところで、ようやく俺達は動き始めた。目的地は軍のギルドホームだ。《はじまりの街》それ自体には思い出もなく、特段理由もなければ足を踏み入れないだろう大都市にそれはある。

 と言いつつ、せっかく久々に《軍》のギルド本部へ来訪したからといって、参加者全員に事情聴取なんて時間はない。俺はかねてより目星をつけておいた人物を訪ねようとしていた。

 それが先ほどの話にも出たキバオウだ。

 

「それにしてもキバオウか~。思えば、あいつとは1層からの因縁だったな」

 

 キリトが柄にもなくしみじみと言った。

 そういえばユリエールとの会話中も、キリトだけがキバオウの名前に反応していたか。

 

「しかしジェイドは知ってたっぽいけど、話し合いをつけようとしたらシンカーがMPKに遭ったって話だっただろう? 信用できるのか」

「まあそうなんだけどさ。俺にはどうもあいつがやったようには思えないんだよ。なんかこう……避けられない事情があったとか」

「やけにキバオウのことを買うな。便宜上でも対立関係にあるシンカーがいない今、あいつからいくら意見を聞いても、それこそ自分に都合のいい話に偏るだけだと思うけど……」

「私もそう思います! 彼がやったに決まってるんです!」

 

 話に乗っておきながらキバオウを擁護(ようご)するような俺の態度が気にくわなかったのか、ユリエールが気性も荒く割り込む。

 しかし……、

 

「まあまあ、そう結論をせくなよユリエール。ショーコはないんだしさ、いっぺん洗いざらい聞いてみようぜ。それにキリト、俺らがここへ来た理由はどっちの味方もせず第三者として平等に分析するためだろ?」

 

 さしものキリトもこの言葉には納得するしかないらしく、トコトコとあとに続くアスナ、ヒスイ、ユイについても異論はないようだった。

 判断するにもまずは情報。それに、キバオウの話でどう結論付けるかは俺の勝手でもある。何度も言うようだが、俺は人を見た目で判断しないタチだ。なので、ユリエールがトップの席を狙う悪人でした、なんて可能性もバリバリ視野に入れてある。

 しかしふと思ったのだが、ユイは置いてきてもよかったのではなかろうか。確かに子供を1人にするのは危険なことかもしれないが、《軍》の内部が安全かと言われると五分五分だ。ややこしくならなければいいが。

 

「ってあれ? ルガからメッセージだ」

 

 歩いている途中、視界の端でメッセージアイコンが点滅しだす。話の本筋とは関係なかったが、俺はつい気になってメッセージを開いていた。

 ヒスイも覗きこむように近づく。

 

「何て言ってきてるの」

「ん~と……ん……は? ちょ、なんだこれ!? ルガとアリーシャが一時的にギルドを脱退したいって書いてあるんだけど!?」

「ええっ!? なにそれ、あたしたちとの駆け落ち対決!?」

 

 そんなおちゃらけたはずはないと信じたいが……。しかし内容が内容だけに、なかなか軽いノリでは返せない。キリト達も心配そうにこちらを覗き見ている。

 俺は真顔になってメッセージで端的に理由を聞くと、『今は時間がなくて説明できない。とにかく僕を信じてほしい』とだけ返ってきた。よほど慌てていたのか2度も送信してきている。

 俺とヒスイはまだ呑み込めていないが、数秒(うな)った俺は『わかった、すぐ帰ってこいよ』とだけ返信して《約定のスクロール》を開き、カズとアリーシャの名前をギルドから除名した。

 自然な挙動過ぎたのか、それを見たキリトとアスナの方がむしろ慌て出す。

 

「おいおい、いいのか?」

「なんか簡単にやっちゃったけど、本当に2人からだったの?」

「あっはは、キリアスコンビは心配しすぎな。大ギルドじゃこうもいかないんだろうけど、こっちは柔軟性がウリだしよ。……ま、むこうも何かあったんだろ」

 

 格好つけて流してしまったが、きっと事情があるのだろう。俺達の案件が終わったらゆっくり聞けばいい。

 と、歩きスマホではないが、メニューを開きながら歩いているうちに軍のギルドホームへ到着した。

 先頭に立つユリエールが話をつけると、門番はすぐに道を開けて俺達5人もすんなり通してくれる。彼女もなかなかの影響力を持っているのだろう。

 余談だが、頭の良さそうなアスナに聞いてみたところ、ユリエールの軍服の肩口に縫い付けられた階級章は、どうやら陸軍における『中佐』相当のものらしい。軍のトップランカー12人の、さらに隊長を務めたコーバッツも中佐だった。《黒鉄宮》監獄エリアの監守長を勤めるクロムのおっさんですら『少佐』であることから、やはりユリエールは名実共に重役勤務のようだ。どちらかと言うと騎士の風情にはその高い階級はイメージに合っているが。

 それにしても、軍の本部は何度見ても立派な造りの建物である。長い廊下とその壁や天井に追加された装飾品、手の込んだ内装だけでもかなりの値段になると予想される。

 

「こうして見ると結構なカスタマイズ具合だな。全体がどうかはわからないけど、急進派だけはどうも贅沢な暮らしをしてそうだ」

「ええ。これならシンカーさんの攻略方針と食い違うわけよね」

「内装にコルを割いた理由は、戦闘員のストレス発散らしいのですが……やはり私に彼らの豪遊を止める力はありません。……だいたい、シンカーはキバオウと話し合いをつけようとして、2人で転移したまま帰ってこなくなりました。なのにキバオウだけが帰ってきたんです。おかしいと思いませんか? 2人とも丸腰だったのに、片方だけが帰ってきたのですよ。……やっぱり、絶対に許せない……ッ」

 

 まずい、歩きながらユリエールちゃんがお怒りモードだ。激おこプン……このスラングは死語か。

 別に《圏内》なので、剣を振ろうが樽型の導火線爆弾を投げ込もうがプレイヤーは傷1つ付かないのだが、あまり感情的になられると話もできない。

 だが、どうやらその心配は杞憂(きゆう)に終わったようだった。

 

「待っとったで、ユリエールはん。話があるそうや……なァっ!?」

 

 奥の部屋で大物ぶろうと回転椅子に座ってもれなく失敗していたのは、実質的なギルドの支配者であるキバオウだった。

 しかしさしもの彼も、ユリエールの連れが俺やキリトらであることまでは読んでいなかったらしく、姿を確認すると同時にすっとんきょうな声をあげていた。

 彼女もそれに興を削がれたのか、俺達5人のことを簡単に説明する頃には怒りも完全に抑えてられていたようで、落ち着いて自分の席につく。

 ちなみに、部屋にはもう1人いた。俺が中継テント群を訪れた時にもキバオウの横にいた人物だ。

 彼の名は確かベイパー。長身で首が太く、青を基調とした短髪が特徴的な男だ。姿勢もやたらいい。

 ユリエールを除く俺以外の者には面識はないだろうが、俺は当時、キバオウがこのベイパーとやらは無所属であると証言したのを聞いている。居合わせていることは問題はないだろう。だがおそらく彼がここにいる理由は、事件について重要参考人だからだと推測できる。

 すこぶるどうでもいいことかもしれないが、ベイパーは俺達珍客よりもユリエールに目線を寄せていた。なにか俺の預かり知らぬ因縁があるのか。

 

「(または単に可愛いからか……なんてな!)」

 

 とは言え、ユリエールは美人だし目が行くのは仕方がない。他はロリっ娘以外ならすでにシステム上の嫁さんであるし。

 なんて冗談は無論、口にできる雰囲気ではなかったので思うだけにしておく。

 さて、明らかに場違いなユイについてあーだこーだと文句は言われなかったものの、ここからが本番だ。なんとしてでも手がかりがほしい。

 

「それにしてもジェイドはん、ホンマに首突っ込むのが好きやな。なんやそういう体質なんか? ……ま、ワイとして好都合やけどな」

「証人としてって意味か? ほっとけよ、好きでやってねーし成り行きだ。それよりほら、ユリエール」

「……はい。では質問に移ります。……その前にキバオウ、彼らは事件を解決しようと第三者としてここへ来ています。決してあなたを責めに来たのではありません。ですから、どうか当時の情報を正確に伝えてください」

「わあっとるわ。こっちも隠すことはあらへん。むしろ疑惑が晴れてせいせいする」

 

 トゲ頭のキバオウが足を組みながらそう答えると、ユリエールは意を決したように問う。

 

「コホン……ねじれた意見の統一のため、私達とあなた方は話し合いによる決着を約束しました。その対話は武器も結晶も持たず、完全に丸腰になってから行おう。そう言って提案して来たのはあなたですね? そして私達はそれを承諾し、安全に安全を期してその日を迎えた……」

「せやな。もっと具体的に言うと、どっちの部下も武力介入できないようシンカーはんが1人で極秘に協議場所を決め、そこをコリドーの出口に設定した。そんで無所属のメンバー……そこの壁に立っとるベイパーにしばらくコリドーを渡しておき、時を待ってからコリドーを使ってワイとシンカーはんが転移する。これがギルメンで決めた約款(やっかん)やったな、ベイパー」

 

 キバオウが指をさす方へ全員が振り向くと、ベイパーは小さく肯定しつつうなずいた。

 俺がシワを寄せて神妙な顔を作りつつ、「ヤッカンて何だろう。約束の方言かな?」なんてくだらないことを考えているうちに、今度はベイパーが補足するように発言する。

 

「オレは数日間ストレージを空っぽにしたまま過ごし、シンカーさんに渡されたコリドーだけを持って過ごしました。食料は支給されたものだけを食べ、オレと接触するプレイヤーは必ずストレージを空にしてからという条件までつけられました。軍の敷地内からも1歩も出ていません」

「えっ、じゃあなに。俺と中継テントで会った時は、キバオウ達がみんなストレージん中を空にしてたのか?」

「は、はい。……ですよね、キバオウさん」

「せやで。ワイらは一時的に、だがな。アイテムの……正確には『別のコリドー』の受け渡しができんようにや。急進派も保守派も関係あらへん。絶対守っとったルールやし、なんならテントにおったモン全員に聞いてもエエで。……これなら直前になって場所をコロコロ変えよるズルはできん。互いにフェアやったっちゅーことや」

「でも《フレンド登録》を誰かとしていれば、同じ層にいて迷宮区にいないという条件下でアイテムの受け渡しが可能よね」

「一定距離内なら《共通アイテムストレージ》による受け渡しもあるじゃない。いくら本人に手渡ししなくても、例えば隣の部屋ぐらいならアイテムの譲渡ができたはずよ」

 

 ここでアスナとヒスイも発言。そしてそれぞれの意見がごもっともだった。

 見てすぐわかりそうな、それこそ手渡しであからさまなアイテムの交換をしていなくとも、ゲームの世界ならいくらか誤魔化しが効いてしまう。徹底するならもっと強い縛りが必要だ。

 だがキバオウは、そんな彼女達の鋭い視線にもたじろぐことはなかった。

 

「承知の上や。せやから、ベイパーの《フレンド登録》、《共通アイテムストレージ》、およびストレージ内交換に使える機能全般は、数日間だけ凍結状態にしとった。ベイパーが正式なギルメンである以上、本人の同意の上なら《約定のスクロール》を開けるワイとシンカーはんにとっちゃ造作もないことや。ここまですればさすがに誰だろうとアイテム交換は無理やったはずや」

「うお……思ったより徹底してるぞ。でも、よくそんな極端な環境を我慢したな……」

「ギルドの今後に関わりますからね。言ってしまえば、1000人規模の存続問題ですよ。あなたは長らくソロだったらしいので、その辺はピンと来ないのでしょう」

 

 うぐっ、と黙り混むキリト。もっとも、不便極まる生活を何日も強いられたベイパーの献身的な行為は実にあっぱれだ。どちらかの派閥のためと言うならともかく、無所属ならリワードもほとんどないはず。モチベーションも上がらないだろうし、そうそうできることではない。

 しかしなぜそれほど時間を空けたのか。

 

「時間が空いてしまった理由は私から説明します」

 

 おそらく誰もが思っていただろう疑問に、とうとうユリエールが説明に入った。

 

「簡単に説明すると、これも『ズル対策』でした。キバオウ達の要求で、『出口を設定したシンカーは、セットした先にアイテムを隠すことができる。武器も結晶も隠したい放題だ。転移直後に武器を拾って脅すこともできる。だから、その耐久値が全損するまで放置し、充分時間を空けてからしか協議には応じない』……こう要求しましたよね?」

「その通りや。日時を決定したのは結局シンカーはんやった。コリドーをベイパーに渡してからやったから場所の変更はできひんし、ワイらも時間さえ空いとれば、フィールドに置きっぱなしの武器はオシャカになる思て、文句は言わへんかったんや。……そして、サシの協議をしようゆう当日、初めて場所を知ったんや。対策はしようがない。ワイら2人は所持物審査によって、ストレージや外部オプションにも武器や結晶を隠していないと判断され、ベイパーに渡されたコリドークリスタルを起動した」

「そしてキバオウ、あんただけが帰ってきたわけだ……」

 

 キリトがそう言うと、やはりキバオウはすぐに反発した。

 

「仕方なかったんや! 転移した先にはオレンジプレイヤーが待ち伏せとった! 情報がどっかから漏れて、ワイらは始末されかけたんや! ……ええか、あんな状況じゃレベルなんて関係あらへんでっ? ワイは武器も防具も身に付けとらん、完全に丸腰やったんや。一目散に逃げ出し、ワイだけが奇跡的に生還できた。シンカーはんが途中でどこに向かったかも把握できんかった!」

「そんな……ことが……」

 

 この独白を聞いた俺は絶句していた。これではむしろ、キバオウ自身も立派な被害者だ。おまけにシンカーの殺人未遂という罪まで(なす)り付けられていたのなら、彼とて内心穏やかではなかっただろう。

 しかし、ユリエールはなおも食い下がった。

 

「で、でも! ……わかりました、正直に話します。私はどうしても嫌な予感がして、シンカーにこの件について確認をとっていました。つまりズルをして、彼からコリドーの転移先を聞いたんです……」

「な、なんやってッ!?」

「でも! 誓って言います、決して悪用するためではありませんでした! あくまで人の良すぎる彼の安全策として、副官の私がきっちり安全を確保しなければと思って……」

「ふざけんのも大概にせェや! それがワイらを騙していい理由に……ッ」

「でも事実、あなた達は待ち伏せに遭いました! ……これこそ水面下の駆け引きがあった証左です。本来あり得ないことが起きました。だからこそ、私の対策には意味が生まれた。事前に転移先を聞き出しておいたことを、ここで改めて問います……」

 

 ユリエールはおもむろにポケットから2つ折りにされた紙を取り出し、何かを決意したように続けた。

 

「キバオウ……あなたがコリドーで転移するはずだった場所はこの紙にメモしてあります。もし証言と食い違えば、あなたとシンカーが転移した場所は本来の場所ではないことになる! 誰かに情報が漏らされ、コリドーがニセモノとすり替えられていたはずなんです! さあ、あなたが転移した場所を教えなさいっ! キバオウッ!!」

 

 すさまじい剣幕だった。部屋を訪れる前に見えた怒りなど言うなればただのかがり火で、今の彼女が発する敵意の猛火は具現化しそうなほど真に迫っていた。

 きっと、背後に俺達がいるからだろう。1人でこれを突き付けたとして、実力行使で口封じされては意味がない。

 だが、それでも。少しだけ目を細めたキバオウは勝ち誇ったように答えた。

 

「ふん……6層の迷宮区、2階に上がってすぐ左に上層階への階段とは関係ない、フェイクとして作られた迷路ダンジョンがある。そのゴール地点や」

「っ!? そ、そん……なっ……!?」

「あそこはレベリング効率も極端に悪く、隠れスポットなせいか人は滅多に来ん。迷路を突破しても報酬は少し味のいい果実アイテムが中央の樹からドロップするだけで、その場で食べられるよう気を利かせたのか、《安全地帯》がポツンと設定されとる。人が来んゆう意味なら格好の場所やな。……ワイらはそこへ飛ばされたんや」

 

 言いながらキバオウが近づき、放心状態のユリエールの目の前で紙をめくる。するとそこには、たった今証言した場所とまったく同じ場所がはっきり記載されていた。

 これで決まりだ。キバオウは間違いなく、正々堂々シンカーと協議をするためにシンカー自身が定めた場所へ転移した。そこでオレンジプレイヤーの待ち伏せに会い、迷路を逃げ回ってキバオウだけ脱出に成功した。

 もう、疑いようがない。

 

「そんな……はずは……6層の迷路は確認しました。そこには誰もっ……だからキバオウが、シンカーを騙し討ちしたに……決まって……」

「一方的な疑いやな。ワイからすればあんさんの方が疑わしいわ。転移先を知っとったんやってな? 約束を破って1人だけ! ……くそったれや! せやったら! そっから情報が漏れたんとちゃうかァ!!」

「ち、違っ……私はそんな……っ」

「おまんはワイらを危険に晒したんや! 他に誰ができるっちゅーねん! あァッ!?」

「ち……が……」

 

 キバオウの攻撃的な口調に、とうとうユリエールは顔を伏せて泣き崩れてしまった。

 無理もない。どうも聞く限りでは、ユリエールとて軍のただの中佐、シンカーの副官というポジションでは収まらない気がするからだ。彼女にとってシンカーという人物は……その存在は、心のウェイトの多くを占めていたに違いない。

 しかしだからと言って、あらぬ疑いをかけられたキバオウも(たま)ったものではないだろう。転移先を最初から知っていたのは彼女の方なのだ。故意にせよ事故にせよ、もし情報が漏れて待ち伏せをされたとしたら、それは彼女を経由したと考えるのが自然である。

 

「……ユリエール、聞きたいことは聞けただろ。消息を掴めそうな手がかりはなかったけど、これ以上は……」

「待って! 待ってください! 何かあるはずなんです! キバオウはまだ何か隠してます! 条件がフェアなら、1人だけ逃げられたなんて絶対……ッ」

「おいユリエール!」

 

 往生際の悪い彼女を、俺は一喝(いっかつ)して黙らせた。

 これより先、キバオウを責めることは黙認できない。彼女が求めた回答によって逆に証拠が出揃ってしまったからだ。今や重要参考人はキバオウではなくユリエールである。

 

「部屋を出て話し合おう。シンカーを見つけるのが先だろ? だいたい、あいつが行方不明になって困るのはあんたなんだから、キバオウだってわざとやったとは思ってないさ」

 

 フンッ、と鼻をならすキバオウも腕を組ながら目線を()らす。やはりユリエールを個室に連れ出して質問責めにしても意味がないとわかっているのだろう。

 傷心した彼女には悪いが、捜索は一からやり直しだ。

 

「じゃあ悪かったな時間とらせて。あとはこっちでシンカーのこと探すよ」

「待ちぃや、お前ら」

 

 振り向きかけた俺達に、キバオウは言い放った。

 

「ジェイドはん……キリトはんもや。あんさんらは、よその揉め事に首を突っ込みすぎとる。今回だけは見逃してやるが、次はないと思っとき。これはな、《軍》っちゅうギルドの威信をかけたワイとシンカーはんとの争い……いや、正面切っての決闘や。横からとやかく言われる筋合いはないで」

「…………」

 

 反論のしようがなかった。

 キバオウにやり過ぎたところがあっても、シンカーに足りないところもあった。たったそれだけの話である。どちらが悪だったかという基準は存在しない。それこそ組織強化を強行したキバオウが悪いと言うのなら、(まと)める能力もないのに組織をいたずらに拡大させたシンカーも悪い。

 彼らはそれぞれの理論を持ってぶつかり合おうとしていたが、何者かによって罠にかけられた。これが事実だ。今はそのせいで消息を断ったシンカーを探し出すことが先決だろう。

 俺は改めて、彼の救出に成功しても、ギルドの方針には絶対に口出ししないと心に誓った。

 

「わかってるよ、シンカーを探すだけだ。そっから先はつべこべ言わねェ」

 

 今度こそ俺達は部屋を出た。泣き続けるユリエールをなだめたら捜索再開だ。やるべきことは山ほどある。

 しかしまたしても去ったはずの部屋の扉が開いた。と同時に「ユリエールさん!!」と、廊下に大きな声が響いた。振りかえると、そこにはどちらの派閥にも所属しない青髪のベイパーが立っていた。

 

「オレはこの協議の仲介をしてました! オレにも責任があります! だからっ……自分を責めないでください! 何かあったらオレを訪ねて! 絶対力になりますから!!」

 

 彼は大声で叫んだ。先ほどユリエールとの間柄わ邪推してしまったことを謝りたくなるほどまじめな奴だ。元々そういう性格なのだろう。

 背中越しに言葉を受け取った彼女は、感極まったのかまた涙を流す。

 そして口元を手で押さえたまま、ベイパーに体を向けてから深々とお辞儀をした。それが、彼の誠意に対する彼女なりの精一杯の謝礼だった。

 

「まあ、まだ始めて1時間もたってないんだ。そう落ち込むな」

「はい……ありがとう……ございます……」

 

 さて、しかしここからは手探りになる。

 俺達6人は軍のギルドホームを出てすぐ、手分けをする手筈となった。シンカーの目撃談がないか聞き込みをしようという話になったのだ。

 せめて行方不明になった層が何層なのかさえ突き止めれば、攻略組4人もいれば見つけ出すことは可能だろう。

 

「う〜っし、じゃあ俺らはシンカーの適正レベル層あたりから順に行くか」

「うん……効率で言えば……」

「それとも、先に軍の保守派連中に当たってみるとか? そいつらも独自にシンカーを探してそうだし」

「……そうね。保守派の人達なら知ってるかも……」

「ん~……ん? どうしたヒスイ」

 

 俺はヒスイが上の空で返事をしていることに気がついた。

 彼女も俺の意図が読めたのだろう。顔をあげてからとんでもないことを言い放つ。

 

「あたしは……やっぱり、キバオウさん達が怪しいと思うの……」

 

 はっきりとそう言った。だが、論理的でない切り捨てざるを得ないだろう。

 アイテム交換のできなかったベイパーは、シンカーから預けられたコリドーを使用し、協議日程まで伏せられ、そしてキバオウ達が事件に巻き込まれているのだ。

 しかも、唯一転移先を知っていたユリエールの場所、つまりシンカー本人が定めた協議場所へ2人は転移したという証拠まである。

 事前対策は不可。どう考えても、ここから罠にかけるのは無理である。

 

「……その可能性はさっきあり得ないってなっただろう」

「いいえ」

 

 短い否定に、迷いはなかった。

 

「それでもまだ、可能なのよ……」

 

 なおもヒスイは断言した。

 その心に、確信に近いものを見いだしたように。

 

 

 

 



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アナザーロード8 視点を変えた証明

 西暦2024年11月1日、浮遊城第1層。(最前線75層)

 

 いくつも違和感が残った。まだ新人の俳優さんが慣れない台本を思い出しながら演じるように。どこか(げき)のような白々しさを感じた。その場で相手に合わせて答えているような、奇妙な感覚。

 そういう意味ではユリエールさんはあまりに味方が少なかった。ずっと多勢に無勢で、キバオウさんとユリエールさんの舌戦は、きっと始まる前に決着していたかもしれない。

 けれど、だからこそジェイドが「キバオウは悪くない」などと言っていたとしても、あたしはこう言い返せる。

 

「……いいえ、まだ可能よ」

 

 キリト君、アスナ、ユイちゃん、そして誰よりもユリエールさんがあたしの発言に興味を向けた。彼女に至っては希望にすがるような眼差しで。

 状況証拠が出揃ってなお、あたしが食い下がれる理由に。

 

「具体的なトリックは……まだわからないわ。でも、あまりにも急進派に非がないんだもん。おかしいと思わない?」

「非がないことがおかしい、ってのはよくわからんな。確かにやってることはカゲキかもしれないけど、だからって……」

「違うのジェイド。そもそも彼らの行動がずいぶん回りくどいと感じなかったかしら? ……ズル無し丸腰で話そうなんて状況は、難しそうに見えて実は簡単に作れるのよ。いい? まず無所属のプレイヤー、ここで言うベイパーさんね。彼に剣と防具だけ持たせてストレージを空にさせるの。そこにコリドーだけ格納しておけば、もうそれで準備完了。《転移門》を使って適当な層に飛んで、人目のつかない《安全地帯》にコリドーの出口をセットする……そこからは簡単よね?」

「んん……あ、そっか。武器もクリスタルも取り上げておけば、主街区から2人を送れば済む話なんか」

「ええ。ベイパーさんの無所属を信用できないと言うなら、そもそも彼に何日もクリスタルを保管させたキバオウさん達の案も成立しないわ。それでも疑わしいというなら、ストレージ交換機能をすべて凍結させてから、彼をすっぽんぽんにでもしておけばいいだけよ」

 

 「いやすっぽんぽんはこの時期寒いぜ」なんてジェイドは言っているが、そんな冗談はさておき、この『協議』とやらが始まるまでにいかに無駄な労力が割かれていたのか、その点については理解してくれたようである。

 ここでついにアスナまで助け船を出してくれた。

 

「う~ん……ヒスイの言う通り胡散臭すぎるなぁとは感じてたわ。わたしらが各交換機能について聞いた時も、まるでその質問に備えてすっごい完璧な解答を作ってたような……」

「そう、それよ! 時間を空けた理由も事前に仕掛けておいた罠やアイテムのデュラビリティを全損させるまで、なんて言ってたけど、これも怪しいものよね。そんなトラップなんて考えもつかなかったわ。……みんなも不自然に思ったはずよ。あたしなんて、よくもまぁ偏屈になって次から次へと最悪な状況が想定できるものだと感心したほどよ」

 

 ジェイドはそれでもまだ「むむぅ……」なんて(うな)っていた。自分の推理が外れていると恥ずかしいから粘っている、というよりは、他にキバオウさんの肩を持つ理由があるように感じられる。

 それでも、あたしは続けた。

 

「ユリエールさん。あなた達は今回のことでキバオウさんに……と言うより、急進派に何か要求をしましたか? 協議に必要なものとか、なんでもいいんですが」

「そう言えば、シンカーは1度もそんなことを言ってなかった気がします。いつも過度に悪い状況を仮定して、キバオウ達があれこれと注文してきました。どれも安全面について強化される内容だったので……私もあまり気にしませんでしたが」

「なるほど。やっぱり条件設定は一方的なものでしたか」

 

 どこか納得しかけたあたしを怪訝(けげん)に思ったのか、一同はまたあたしに注目する。

 「つまりどういうことだ?」と首をかしげるキリト君の質問に、腕を組んで思案し続けていたあたしは、やっと自信があると言いきれる答えを出した。

 

「コリドーをセットし終わってから時間を空ける、武器とクリスタルを完全に解除する……つまりこういったそれぞれの要求は、シンカーさん追放と、そのアリバイ作りに必要だったのよ。彼らはきっとその条件下で……」

「ちょっと待てって。なんかキバオウが能動的に事件を起こしたみたいな流れになってるけど、あいつがそんなことするとは思えん。……俺さ、ヒースクリフから命令受けてただろう? ヒスイには話したけど、あれって実は軍の最近のやり過ぎ具合を調べて、ヤバそうなところだけでもクギ刺しとけっつー内容だったんだよ」

 

 ジェイドがちょいちょいと手を振って話を中断させると、なぜ彼がここまでキバオウさんの主張を尊重しているかの理由を話し始めた。

 

「ああ、決闘で負けたときのやつな。おかげで俺がKoBに入ったっていう」

「そうそう。んでよ……俺、キバオウと直接会ってたんだ」

 

 そう言えば先ほど「前にテントであった時も」どうのこうのと言っていた気がする。確かベイパーさんとアイテム交換できないよう、2人が会う時はキバオウさん達もストレージを空にしていたか否か、そんなことを聞いていた時だ。

 そしてキバオウさんは自信満々に肯定した。

 ベイパーさんと会うプレイヤーは全員ストレージを空にしていたと断言し、当時周りにいたメンバーに聞けばそれが証拠になる、とまで。

 

「でだ。そこであいつは、PoHの影がチラついてると言った。狙いは俺やキリトだとも教えてくれた。軍にも、KoBにも、その手は伸びてたって。……知ってること全部教えてくれたんだ」

「だからあの日、突然俺に……」

「ああ、ほとんど衝動的だった。PoHが死んだ以上、その件についてはもう解決だ。……ま、ようは俺がキバオウの肩を持つのはこっから来てる。それにどうも、あいつが考え付けるような匂いがしない。だってそうだろう? アリバイ作りだとか言ってたけど、事実その回りくどいことをせっせとこなしてアリバイが立っちまってる。丸腰だっつー証人がいて、手も足もでない状況だったんだ。武器も持たずに逃げ帰ってきたキバオウが、いったいどうやってピンポイントでシンカーだけを置き去りにできたんだ?」

「まあ……かなり運任せだよな……」

「だろう。アホっぽい奴なりに回りくどいことやっちまったのはいいけど、そっから俺らが頭ヒネっても思い付かないMPK作戦をやってのけるような奴かッつー話よ」

『う~ん……』

「アホっぽいって君が言うの……」

 

 ユリエールさんがこの世で5番目ぐらいに失礼なことを言った気がしたが、みんながその意見に一斉に(うめ)いたように、ジェイドの理屈にも一理あった。

 キバオウさんにこれほどの頭脳があっただろうか。ゲームのシステムを網羅したような、深い知識と応用力が。

 たまたま思い付いたことが成功したのか。あるいは本当に運任せで自分までをも危険な場所へ放り込み、神のみぞ知る天秤にすべての運命を(ゆだ)ね奇跡を信じたのか。

 ……わからない。現実のオチなんてつまらないと相場は決まっている。どれもありえそうで、実はなんの種も仕掛けもなくキバオウさんとシンカーさんが待ち伏せに遭っただけでした、なんて可能性はむしろ1番高い。

 しかし、こういう時はいつも誰がメリットを得たのかを先に考えてしまう。

 シンカーさんがいなくなることで1番得をするのは、間違いなくキバオウさん。彼さえいなければ、《軍》の主導権は消去法で彼のものになるのだから。

 ただし、それこそコリドーのすり替えが不可能だったように、シンカーさんしか知り得ない転移先情報が他のプレイヤーへ知れ渡ることはないはず。大事をとるなら主街区の《転移門》を使わず、多少コルがかかるものの、最高レベルのコードに保護された自室などから《転移結晶》を何回も使って一気に層を移動してしまえばいい。追跡は当然無理だし、コンバットログやタイムダイアログが存在しないSAOなら移動の足跡も残らない。後日、移動範囲を探られて大まかな位置が露呈(ろてい)する事態も避けられる。

 ゆえにラフコフ壊滅以降、発生件数そのものが激減したオレンジギルド柄みの事件がここぞとばかりに起きたのは、キバオウさん自身か、最低でも急進派になんらかの陰謀がなくてはおかしい。

 でなければ、これだけ都合のいい結果は得られなかったはずなのだ。

 

「(ユリエールさん、ではないわ。彼女は本当に泣いていた……)」

 

 彼女の裏切りの線は限りなく薄い。シンカーさんがいなくなることで彼女にメリットがないのもあるが、何より流した涙が本物だったから。

 おそらく、愛するがゆえに。

 キリト君やアスナの居場所を藁にもすがる想いで突き止め、これだけ献身的になって犯人を探そうとする彼女が、情報を拡散させたはずがない。情報管理にも細心の注意を払っていたはずだし、だいたい酔っぱらいではないのだから、誰かにうっかり話してしまったもないだろう。

 やはり情報は彼女の口以外のルートから漏れていたことになる。

 あたしの第六感はまだ確信を持っている。これが消え去らない限り、あたしはシンカーさんを救ってあげたいという願いと同じぐらい、犯人を捕まえたいと思っていた。

 

「ま、1回リセットして調べてみよう。誰が疑わしいとかは置いといて、シンカーを使って身代金みたいなのを要求された奴はいないかとか、あいつが捕まってないなら逃げ隠れしそうな場所に心当たりがあるかとか。裏の作戦より、とにかく人間探すのを第一にしようぜ」

「それがベストか。なおさら固まって動くのは効率が悪いな。手分けして聞いてみよう」

 

 キリト君がそう言うと、各々はそれぞれ心当たりのある人物へ歩き出していった。そしてこれは、ある意味では好都合である。

 あたしは誰からも見られなくなったのを見計らってから、早足に詰め寄りジェイドに改めて話しかけた。

 

「ねぇジェイド、1つ聞いていいかしら」

「あの……いま手分けして探そうって……」

 

 懲りん奴だな、何て顔をされてしまったけれど、あたしとしても引き下がれない。

 

「……ったく、それはまだ疑ってるって目だな。ならとことん聞いてやるよ。ほら、何が聞きたいんだ。誕生日か」

「違うわよ、もう。……気になるところがまだあるの。敷地内から1歩も外に出なかったらしいベイパーさんだけど、逆に敷地内なら自由に動けたのよね。だったら……ねぇ、《指輪事件》のこと、覚えてるかしら?」

「うん? 指輪ていうと……《黄金林檎》の連中が解散したあれのことか?」

 

 そう、シュミットさんが結果的にリーダー殺害の手助けをしたしまったという事件。いきなり突拍子のない質問が来たからか、彼は少しだけ戸惑う。

 しかし、あたしはここからヒントをもらっていた。

 

「ええ。あれってシュミットさんがリーダーの部屋に侵入して、コリドーの出口を設定し、それを示し会わせた場所に隠したっていう話だったわよね?」

「そうだな。ラフコフが拾って部屋に侵入……まあ、あとは知っての通りだ。それがどうかしたのか? もう終わったことだろう」

「ギルドのことじゃなくて、手口の話よ」

「手口……?」

 

 《インスタント・メッセージ》はハラスメントに抵触するものもたくさんあるので、送られた側は普通にいつでも消去できる。

 そういう(・・・・)指示は、証拠を残さなくともできたはずだ。

 

「キバオウさんにも、できたはずなの。彼らは基本的に《はじまりの街》、つまりアインクラッド第1層で過ごしているわ。在住する層をまったく変えず、ベイパーさんに至っては敷地内からで出ていないとまで言ってる……これって、連絡はいつでもできたことになるよね? 《インスタント・メッセージ》の機能条件は、相手が同じ層にいることと迷宮区にいないことだもん。もちろんその消去も……」

 

 「まあ、そうなるな……」と答えるジェイドには、まだ見えてこないらしい。

 あたしはとうとう核心に迫った。

 

「つまり、キバオウさんがコリドーを隠してその場所を指示し、時を待ってそれをベイパーさんが探して勝手にストレージへしまったのよ! ……これならつじつまが合うわ。アイテム交換用の登録や凍結されていようと、まったく関係ない……彼らは共犯だったのよ!」

「ちょっと待て、あの時……」

「ええわかってる、それこそ証拠はないわ。けど可能か不可能かで言ったら……」

「違うんだよヒスイ! 今の聞いて思い出したんだ! 確か……そう、そうだよ! ベイパーに初めて会った時、あいつは他の集団からこそこそ離れて袋のようなものを物置から取り出していた!! コリドーがちょうど入りそうな袋をッ!!」

 

 あたしはそれを聞き、強烈な衝撃と共に大きく『安堵(あんど)』した。

 運悪く、偶然、たった6層という超低階層の迷宮区で、今でもレベリングだけはやっているらしいキバオウさんですら逃げ回ることしかできない前線クラスのオレンジ軍団と邂逅(かいこう)してしまったというのなら、正直言ってお手上げだった。

 「運が悪かったね可哀想に」と、他人事のようにそう言うしかない。しかしそれは事実ではなかった。

 

「ああそうだ、思い出したぞ! そのテントは本来、正規メンバーでも一部の人間以外は自由に出入りできないらしくて、俺が突然侵入したことにベイパーとキバオウはスゲー驚いてたんだよ! ……そん時の状況はこうだ。キバオウが部下数人と奥のテーブルで話してる。その間にベイパーがかなり離れた場所で、隠れるように何かをストレージにしまっていた!」

「それに気づいた人はいたかしら?」

「たぶん……いなかったと思う。つか、俺が来なかったら注意がベイパーに……この場合は俺にか。向かうこともなっただろうぜ。……そっから軍のやりすぎを注意した俺は、帰り際にキバオウからPoHの情報をタダで教えてくれるって言われたんだよ。ベイパーは一瞬止めに入ったけど、キバオウが『自分らとあいつらはそう仲のいい関係じゃないだろう』ってさ……」

「やっぱりね……」

 

 あたしの中ではもう犯人は決定付けられている。

 あとは証拠。あれだけ徹底的に見えた『ズル対策』とやらもこうしてボロが見えだしたのだ。きっとどこかにシンカーさんを幽閉した方法と証拠が隠されているはず。

 

「うわクッソ、確かにおかしいぞ。なんか先入観があって疑わなかったけど、なんであいつは6層迷宮区の、しかもゲロ面倒なダンジョンにああも詳しかったんだ!?」

「あっ! それもそうよね……!」

「レベリング効率の良し悪し、プレイヤーの行き来があるかないか、ダンジョンを突破した先になんの報酬があるか、どうでもいいだろこんな情報! よりによって6層のクソダンジョンだ。この軍が忙しいって時に……つーことはあいつ、やっぱアスナの言う通り、聞かれることをわかってて万全な答えを用意してやがったな!」

 

 まさに不自然とはこのこと。

 おかげであたしはもう1つおかしな点に気づいていた。

 

「いくつか出てきたわね。あたしも思い出したんだけど、『ワイにとって好都合や』……これはジェイドを見たキバオウさんが第一声でつぶやいた言葉よね。これもかなり意味深よ」

「ああ、まさか恩を売り付けといた俺が、ジャストでバッチリ証人になったんだからな。ユリエールを疑うところだったよ」

「仕方ないわ。だってこれ、共犯者がいなくちゃ成り立たないんだもん。無所属でありながら、キバオウさんに加担できる人物。……すなわちベイパーさんの協力がなければ。……でも、なんで彼はこんなことをしたのかしら? 脅された……ならまだわからなくもないけど、理由もなくするはずないわよね?」

「う~ん……」

 

 さすがのジェイドもそこまで心当たりはないらしく、言葉に詰まっていた。

 しかし、あたしが1つの疑問に行きつく。

 

「……あっ、思えばベイパーさんは、あたし達が部屋を訪れた時から反応がヘンだったわ。《攻略組》が軍のホームに訪れるなんて滅多にないことなのに、物憂げにずっとユリエールさんを見つめてたし。なにか考え事でもしていたかのように……ずっと……彼女を、見て……あっ……あぁっ!」

「ああッ! そうだよヒスイッ!!」

 

 あたしとジェイドは同時に、そしてまったく同じ答えに辿り着いた。

 

「ユリエールに惚れてたから! 『シンカーが邪魔』だったんだ!! そして……」

「そして、シンカーさんを亡き者にしようと……急進派と共闘したのよ!!」

 

 パズルがかっちりとハマる音がした。

 本当に劇と言ってもいい。こうなってしまえばもう、彼らの行動1つ1つが解答への誘導だったかのようにすら思えてくる。気づけなかった自分がバカみたいだ。

 あたしはてっきり、何の得もないベイパーさんが、それでもギルドのためにと身を粉にして働いてきたのかと勘違いをしていた。しかしリワードはきっちり存在したことになる。

 リワードは、ユリエールさん本人。逆になぜ今まで疑問が持てなかったのか。最後に彼が発したユリエールへの激励(げきれい)は一見まじめな性格がそうさせたように見えるものの、単に自分を彼女へアピールしていただけだった。女の身でありながらこんな簡単な心理すら読み取れなかったなんて。

 しかし最後の問題が残っている。

 ベイパーさんが勝手にコリドーを使って『本来転移されただろう場所』を確かめたのはいい。しかしそれでは……、

 

「でもまだよ。キバオウさんはどうやって新たに設定した転移先に、武器かアイテムの仕掛けを施せたのかしら?」

「ああ、話によると最終的に『協議』の日程を決めたのはシンカーだった。さしものキバオウも、フィールドに武器やアイテムを何日も放置しておいて、転移後すぐに装備する技術は持ってなかったはずだ。……てかシステム的に無理だ。山カンならまだしも……」

 

 一発勝負に、そんな適当なはずはない。

 とはいえ、いくらコードの保護が強い武器系を《装備フィギュア》に設定しても、所有者属性は1時間で切れてしまうし、《圏内》ですらない場所に放置すればあっという間に壊れてしまう。毎日同じ転移先に武器を置きに行っていたのなら、さすがにその不自然な行動は子供でも気づくだろう。

 フィールドでも耐久値が減らないアイテムと言えば。

 

「うぅん……あっ! 《永久保存トリンケット》よ!! これならできるわ!」

 

 一種の格納箱。マスタークラスの細工師にだけ作成可能な《永久保存トリンケット》。これを作成できるプレイヤーはごく限られているため、専門のプレイヤーを探し出すことは簡単なはず。

 そして、これは決定打だった。

 

「でも、《永久保存トリンケット》は『耐久値無限』の特徴を持ってるけど、実際は最大サイズで作っても四方10センチが限界のちっちゃな箱だぜ? あんなもん、キバオウが使う片手剣はおろか安いダガーだって入りゃしねェよ。入るとしたらせいぜい……クリスタル……1個分……ッ!!」

「ふふん、そうよ。彼らには1個あれば充分だったの! だから転移した先でキバオウさんだけが脱出手段を確保できた。……彼らは本来転移される場所を知っておきながら、新しく決めた転移先で万全を期していたのよ!!」

 

 ジェイドもようやく確信を持ったようにうなずく。あとはこれを突きつければいい。多くの人が聞くなかでこのトリックを暴けば、もうキバオウさんとて言い逃れはできない。

 とその前に、まずは心当たりのあるマスタークラスの細工師に最低限裏をとれるよう聞き込みをいれる必要がある。まだまだ仮説に仮説を重ねている状態なので、彼らがシラを切ればそれまでになってしまうからだ。

 できれば2人を呼び出しつつ、大勢のプレイヤーの前で事実を吐かせることが理想であるものの、果たしてそううまくいくだろうか。未だに覆りようのない『ように見える』アリバイを作った彼ら2人を、犯人として証拠つきで突きつけられる状況がそう簡単に作れるか。

 

「まったく……よく考え付くわよね。完全にしてやられたわ。キバオウさんってこんなに頭の回転よかったのね」

「いいよ、そんなのはもう。それよりトリンケットを作ってそうな奴誰か知ってるか?」

「ええ。50層の《アルゲード》に住んでる鉄道マニアの人が、コル不足なのか最近手当たり次第に仕事を引き受けてたのを覚えてるの。良質なものは仕上げられないみたいだけど、仕事が早いことで有名だからきっとベイパーさんも彼へ依頼したはずよ!」

「よし、とにかく急ごう!」

 

 あたしとジェイドは保守派への聞き込みを中止し、急いで《転移門》へ向かった。

 そして走りながら思い出す。その鉄道マニアのプレイヤー名は、記憶違いでなければ『ヒャッケイ』さん。残念なほど太ったプレイヤーで、同時に攻略にはほとんど参加していない。しかし戦闘をまったくしないわけではなく、高効率レベリングできる場所が見つかった時のみ、フィールドに出掛けてレベルアップに勤しんでいるらしい。

 滅多なことがなければ、彼とは主街区のアルゲード内で会える算段が高い。

 あたし達は《転移門》に到着すると、意気揚々と50層へ転移した。

 

「よっし、んじゃあ案内頼む。えぇっと……」

「ヒャッケイさん」

「そう、ヒャッケイんところに。……てか言い辛いなこの名前」

 

 あたしに言われても困る。あくびが出るほど興味がそそられないけれど、きっと鉄道関係から名付けられたのだろうと推察できる。

 それより、彼の所在の方が問題である。猥雑(わいざつ)としすぎているアルゲードでは、目標地点がわかっていてしかも地図を見ながら歩いてなお道に迷うことがザラなのだ。

 あたしは昔1度だけ訪れたことがあったので、その記憶を頼りに歩き出そうとした。すると、見知ったプレイヤーが近づいてきた。

 

「おやおやお2人さん、ご無沙汰してます」

「おお、シーザーか。なんだよ、もう自由の身になったのか」

 

 絶滅危惧種の最前線ビーストテイマーであるシーザーさんが、まるで待ち伏せていたかのように歩きながら話しかけてきたのだ。相も変わらず爽やかな笑顔と、思わず振り向いてしまいそうな物腰の柔らかさだったが、どうもいつも浮かべている含み笑いが彼から二面性を感じてしまう。

 ともあれ、そのすぐ後ろには愛らしく主人について歩く《ダスクワイバーン》の姿もあった。あたしはその使い魔のことを『ゼフィ君』と呼んでいる。

 

「いえ《フレンド登録》を済ませた適当な軍の人が、まだぼくの動向をチェックしてますよ。さすがにあれから2週間たちますから、そろそろ解除されるでしょうが、《圏内》付近でレベリング程度なら許されています。……それより、どうしました? ずいぶんと慌てたご様子で。ああ、もしかするとヒャッケイさんをお探しですか?」

『えッ……!?』

 

 思わず心拍が上がってしまっていた。なぞなぞを出したら1秒ぐらいで解かれてしまったような気分である。

 あまりにも思わせ振りな話し方をするシーザーさんに対し、あたしは少しだけ警戒レベルをあげて話しかける。

 

「な……なんでそれを知ってるのよ……?」

「なに、ちょっと小耳に挟んだんですよ、軍の最近のいざこざについてね。彼ならここの北門からフィールドへ出て狩りに行ってしまいましたよ。隣にある村《スクーワ》直前の場所で素材狩りをしていると思います。ここから小走りで10分ぐらいでしょうか。近いですよ」

「な、なんか怖いぐらいタイムリーな情報だな。にしても、よりによってフィールドか」

「待ってジェイド。……ねえシーザーさん……」

「はいなんでしょう?」

 

 シーザーさんはわざとらしく、そして可愛げもなく薄ら笑いを顔に張り付けたまま首をかしげ、事情が読み込めないポーズをとった。

 これでも誤魔化す気だろうか。怪しいなんてものではない。

 

「詳しすぎるよね……? 時間的にもあり得ないわ、こんなこと。あたし達の行動は軍に筒抜けっていう意味なの?」

「フッフッ。だとしたら、ヒャッケイさんの正確な位置情報を教えたりはしませんよ」

「誘われてるようにしか見えないわ。そうでないなら……っ」

「おいヒスイ……」

「疑うのもいいですが、あなたは彼のホームの場所を知っているんですか? 彼、隠れ家みたいな場所に住んでますよ?」

「うっ……」

 

 知っていなくは……ないことも、ない。

 記憶が正しければ。

 

「し、知ってるわよそれぐらい!」

「そこは無理するところじゃありませんよヒスイさん。まあ、何にせよ彼のホームへ行っても無駄ですけどね。フィールドにいるのは本当に事実です。信じるかはあなた達次第ですが」

「う、ぅ……ん……」

 

 ヒャッケイさんはフィールドにいる……らしい。これは信じるしかないのか。

 シーザー・オルダート。優男のイケメンで、目線の高さから身長は175センチほど。体格から体重は60キロ前後だろうか。この人は本当に会った時からミステリアスだった。発言はどこまで本気かわからないし、敵だった頃からしょっちゅう勝手な行動も繰り返し、いつもどっちの味方かわからない。

 しかし他に宛もなかった。

 手をひらひらさせ「ほらほら、時間がありませんよ~ヒャッケイさんに会えませんよ~」なんておどけて言うシーザーさんと別れると、あたしとジェイドは仕方なく彼の指示した場所へ向かう。

 そして悲しいことに、《スクーワ》前のフィールドを適当に探すだけで、(くだん)の人はすぐに見つかった。

 

「おいあんた! もしかして『ヒャッケイ』って人か!?」

「え? ええ、まあ。お、おれはヒャッケイだけど……な、なにか用か……?」

 

 革鎧とチェーンだらけのデニム(?)にその補色のソックス、しわくちゃのタンクトップにくるぶしをすっぽり覆うほどもある靴という、攻略脳的にもファッション的な観点からも、すべてにおいて壊滅級にナンセンスなぽっちゃりさんがそこにはいた。

 脂汗を垂らす彼はドモりながらなんとか続ける。

 

「あ、あ~トリンケットの依頼ね。……い、いいけどちょっと待ってて。こ、これ終わったら……」

「いや悪いけど客じゃない、トリンケットも間に合ってる。ちょっとあんたに聞きたいことがあるんだ」

「き、聞きたいこと……?」

 

 手を止めたヒャッケイに向かってあたしとジェイドは何とかして今の軍の状況、そこで起きた事件、解決への証拠を揃えるのに必要な条件などを早口で伝えた。

 当然と言うべきか、それでもヒャッケイさんは情報の開示を渋ってくる。

 

「で、でもな~……こ、顧客情報ってホラ、基本秘密だから。し、仕事は仕事だし……」

「そこをなんとか頼むよ。人の命がかかってるんだ。そのショーコ以外には使わないから、頼むよ教えてくれ!」

「う、う~ん……」

 

 ジェイドも粘るが……やはりダメなようだ。やむをえまい。

 

「ねぇヒャッケイさん。あたしからもお願いしたいんだけと、それでもダメかなぁ?」

「え、えっ? あっ……いくら《反射剣》さんでも……これは、えっと無理と言いますか……」

「おねがぁい。ヒャッケイさぁん……」

「う、ぅん……じ、じゃあ……ち、ちょっとだけなら……す、少しだよ……」

 

 勝利。鳥肌に耐え、辛くも勝利。

 ジェイドにはドン引きされているし2度と繰り返したくはないけれど。

 

「ここ最近のだと……ちょっと待ってね。め、メモった紙がどっかに……あったあった。え、えぇっと……2週間も前のだけど、1度に3個も依頼してきた『カグヅチ』さん。で、これ……すごく珍しくて女性だったんだけど、『チョコラ』さん。で……この、最新のが……でかいの作れってうるさかった……べ、『ベイパー』さん」

『ッ……!!』

 

 あった。存在してしまった。一瞬耳を疑ってしまったが間違いない。顧客リストに名前があったということは、ベイパーさんはヒャッケイさんに依頼して《永久保存トリンケット》を作成したということになる。今の軍に必要性を感じないアイテムをこのタイミングで。

 これでほとんど決まった。

 あとはどうやってこの事実を広めるかにかかっている。

 

「ありがとうヒャッケイさん。お礼としてはあれだけど、何かアイテムを作ってほしくなったら優先的にここを訪れるようにするわ」

「う、うん……けど……ほ、本当にこれだけでいいのか……?」

「ああ十分だ、俺からも礼を言うよ。さあ戻ろうぜヒスイ! さっさとユリエールに知らせないと!」

 

 あたし達は再三に渡って礼を言い、ヒャッケイさんを残したまま来た道を戻ろうとした。そして元々彼を探し出すのに費やした時間は10分。フィールドのモンスターは敵ではないので、あたし達はてっきり帰りもすぐだと思っていた。

 しかしジェイドとほぼ同時に気づく。

 帰還にかかる時間が10分か20分か、なんて話ではなくなっていたことに。

 有効状態にしていた《索敵》スキルに複数のプレイヤー反応。いつの間にかあたし達3人は10人以上……否、20人にも上る武装集団に囲まれていた。

 

「え、えっ……どうしたの? け、剣なんて構えて……?」

「ジェイド、これって……!?」

「ああ。やっこさん達にしてはわりと早く来やがったな。……クソッ、数に差がありすぎるしヒャッケイもいる。転移したいだけど誰かも一応見ときたいな」

 

 別エリアで待ち伏せしていたのにも関わらず看破(リピール)されたことに驚いたのか、少々足並みが揃っていない状態で彼らは目の前まで迫ってきた。

 そしてその姿に愕然……とまではせず、予想通り過ぎてため息が出た。

 

「(74層攻略に参加してた人まで……)……こんにちは《軍》のみなさん。ファーミングスポットならもう少し奥よ?」

「嘘はいけないと思いますよ《反射剣》さん、スポットはここですよね。それに今日はあなた方に用があるそうなんです。……そうですよね、キバオウさん?」

 

 軍の取り巻き集団を掻き分けてのしのしと現れたのは、トゲ頭が特徴のキバオウさんだった。

 とても複雑な顔をしている。こうなることを恐れて早めに(くぎ)を打っておいたつもりが、まんまとトリックを暴かれてしまった時のような表情である。

 隣にはベイパーさんもいた。ことの顛末(てんまつ)を見届けようと立ち会ったのか、はたまた最後の仕事を完遂させようと躍起になっているのか。それはわからない。だが、同時にどこか、彼らの眼は何か重要なことを決意していた。

 

「よりによって本部を出てすぐワイにも疑いをかけるとはな、ジェイドはん。首を突っ込まんよう忠告しといたはずなんやが……。まぁええわ。とにかく逃げることは考えんことやな。ここはフィールドやから、転移しようもんなら何かしらの投擲武器でダメージを与えれば妨害できる」

「すみませんね。……オレもこんなこと、できればしたくはなかったんですよ?」

「キバオウ……ベイパー……てめェらどうしてこんな」

「言ったはずやろ、11ヵ月も前に! ……ワイは軍を育ててきた自負があるんや。せやからここでトップになって、道を変えれば、軍はまだ攻略に戻れるようになると! ……でかくするだけなら誰でもできるで? そりゃそうや、メシ代も宿代もワイらが必死こいて取ってきては配っとる! あいつらは満足に税も払わんくせになッ! ……ワイらはそんな閉塞しきった軍を、こんな弱輩集団を、そっから『強く』した。今さら誰にも邪魔されとうないわッ!!」

 

 真に迫る剣幕に、逆に周りのメンバーがたじろぎ気味だった。

 MPKと言っても、それは直接手を下さないだけであって殺人行為に変わりはない。この場で事情のすべてを把握している、あるいは把握してもなお手を貸せるプレイヤーはごく少数だろう。高級な装備に身を固める前線クラスのメンバーとて、しでかしたノーマナー行為と言えば、狩り場の独占がせいぜいのはず。

 しかし、おかげで覆しようのない戦力差にただただ辟易(へきえき)してしまう。74層のフロアボス攻略戦に参加していた前線クラスのプレイヤー10人――コーバッツさんはいないけれど、後から1名補充されたようだ――もいるので、抵抗するだけ無駄だと思う。

 それに『11ヶ月前』という発言で思い出した。ベイパーさんの面影に見覚えがあった理由を。

 あの日、1層地下ダンジョンで徘徊型フィールドボス《オブスクリタース・ザ・シュヴァリエロード》と戦って生き抜いた、3人の軍メンバーの内1人であると。

 あたしは背中に冷や汗を流しながらも質問を続けた。

 

「……逃がさないって言っても、じゃああたし達をどうするつもり?」

「ことが終わるまででええ。《黒鉄宮》で成り行きを見とってくれや。……言っとくが抵抗も無駄や。ワイらにとって都合が悪くならんようになるまで大人しく見ときや。その間の面会も全部断らせてもらうが、我慢することやな……」

「くっ……」

「ちょっと待ってくださいよ、キバオウさん」

 

 そこでさらに隠れるようにしていたプレイヤーが前に出てきた。

 しかもその声には聞き覚えを通り越し、つい先ほど聞いたものとまったく同じだった。

 

「シーザーさん……どうしてあなたが!」

「まったく、せっかく協力したんですから、紹介ぐらいしてくださいよ。ヒャッケイさんの位置をあらかじめ絞り込み、ついでに彼らをここへ誘導し、こうして急進派のメンバーをかき集めて待ち伏せに成功したのも、全部ぼくの根回しのおかげでしょう?」

「……せやったな。信用に欠ける男やったが、今回の手際は見事やったわ」

 

 キバオウさんと仲良く話すシーザーさんはとても不適だった。まるですべてを見透かすピエロのように、顔が笑っていても目だけは微笑まない。

 

「さあジェイドさん。ぼくにも聞かせてくださいよ、あなたの素晴らしい推理を」

 

 藍色の髪をなびかせ、彼は実に愉快そうにあたし達を見下したまま語り始めるのだった。

 

 

 

 



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第100話 独り戦争

お気に入り件数が1550を越えました。嬉しいです。


 西暦2024年11月1日、浮遊城第50層。(最前線75層)

 

 なるほどシーザー、そういうことか。

 と、俺はすぐに直感した。

 別に俺とあいつの心はいつも通じあっているとか、オカルト満載な話ではない。俺達を職人『ヒャッケイ』のところへ誘導した時点で、シーザーの様子はどうもおかしかった。いつもは完璧な演出がぎこちなかったと言うか、とてもソワソワしていた感じだ。

 目的ありきの行動。まずは従ってくれ。そうしたメッセージを感じ取った。

 だからこそ、竹藪(たけやぶ)のようにわらわらと20人規模の《軍》の武装兵を辺りに展開させておきながら、笑っていない目で「どうです、ジェイドさん」なんてとぼけて言うシーザーにはこう答えてやる。

 

「俺の推理か……ほほう。いいぜ、たっぷりきかせてやる」

 

 悟られないように深呼吸した後は、抜刀しかけた剣から手まで離して応えた。

 

「キバオウ、俺を見てまっさきに『都合がいい』と言ってたな? 疑惑が晴れるからじゃなくて、恩を売っといた人間がノコノコ現れたからだ。違うか?」

「な……っ!?」

 

 突然強気になって痛いところを突いてきたからか、余裕ぶっていたキバオウは慌てながら否定に入る。

 

「ち、ちゃうわ! ワイはただ、本当に自分がッ……これで疑いが晴れるおもて、安心しただけや!」

「じゃあシンカーと転移した先、つまり6層のダンジョンに詳しかったのはなぜだ。たまたま6層を調べたか? ん?」

「ハンッ、簡単なことを。まさにその通り、調べたんや! 何であんな目に遭わんといかんかったのか! 治安悪い場所をシンカーはんが選んだのか、だとしたらそれはなぜか! ワイには知る義務がある!!」

 

 事後に調べた。なるほどキバオウもなかなかやる。ものは言いようでも、言い訳ができてしまうからこそ、彼らの犯行を証拠付きで突きつけるのが困難だった。

 しかし手札はまだたくさんある。ここまではあくまで、俺とヒスイが不自然に思った点だ。

 

「ほう、けど俺は覚えてるぜ。先週、あんたらの中継テントを訪れた時、ベイパーは1人コソコソと袋のようなものをストレージに隠していたよな?」

「なっ、何を……オレはそんな……」

「いいや見たぜ。だから俺の侵入にいち早く気づいた。……で、あれはシンカーのコリドーとは別のを隠し持とうとしてたんじゃないのか」

「ち、違う! オレはそんなことはしていない! くっ……言いがかりだ! ログも攻略ヒストリもないからって、部外者が好き放題言うなよ、このッ!!」

 

 1歩踏み出しかけたベイパーはしかし、シーザーに手で先制されて立ち止まった。無論、彼はキバオウ達に手出しさせないように同行していたのだろうが、ゆえに仲裁に入っても不自然ではあるまい。なぜなら『あくまでこの場は話し合い』的な空気の流れはすでに作られてしまっているからだ。

 つまるところ、俺とヒスイはこのシチュエーションをどう作るかで悩んでいた。多くの第三者が立ち入るなかで、どうやってこいつらに犯行を認めさせられるか。果たしてそんな都合のいい展開になってくれるのだろうか、と。

 だが、現にあっさりと実現された。俺はシーザーの自然な援護に内心で感謝しつつ続けた。

 

「ログがないから確認できない、ってのはお互い様だ。てめェら2人のメッセージも、結局はあとで消去できるしな。そして、新しいコリドーを手に入れたあんたは、『本番用のコリドー』を勝手に使用して転移先の情報を確認した」

「く……ッ」

「そして今度は偽コリドーの出番。おまけにそっち出口には、《転移結晶》入りの《永久保存トリンケット》を置いといた。トリンケットは事前にこいつに作らせたとさっき判明した。……だよな、ヒャッケイ?」

「えっ!? え……あっ……はい。そ、そうです……」

 

 ふくよか過ぎるヒャッケイは、突然振られておどおどしていたがなんとか答える。

 

「だそうだ。こいつはマスタークラスの細工師……あとはお察しだよなァ? シンカーが日程をいつに設定しようが、転移前に丸腰だろうが、『耐久値無限』アイテムにクリスタルさえ入れとけば、キバオウだけが帰還できてシンカーだけが取り残される……これがすべての答えだよ!」

「あり得ない! 名誉棄損だ! ……は、ハハハハ! 格好いいな《暗黒剣》! 好き勝手に糾弾してるが、トリンケットを作ってもらっただけでは証拠にはならない! ……オレはもう、長いこと無所属だった。ここまで露骨に手を貸したりはしない! こんなのっ、被害妄想以外のなにものでもない!」

「でもあなたは! ユリエールさんを、愛してしまった……!!」

「な、あっ……ッ!?」

 

 隣に立つヒスイが割り込むと、図星だったのかベイパーが言葉をつまらせてしまう。よもやここで動機まで暴かれるとは思ってなかったのだろう。

 だがその一瞬の空白が、攅立(さんりゅう)する20人以上の武装兵の雰囲気を一転させてしまっていた。

 どうやら彼女もやっと状況を呑み込んだらしい。シーザーがセッティングしたこの状況こそが、キバオウとベイパーが作り上げた『擬装アリバイ』の上から叩き落とす最良のチャンスなのだと。

 

「けどユリエールのそばにはジャマ者がいた。……そう、シンカーだよ。なあベイパー? いつ惚れたのかは知らねぇけど、このままじゃ一生待ってたって振り向いてくれなかった」

「だま……れっ……!」

「そしてあなたは犯行に及んだのよ。誰の手にも渡らず、救助もない秘密の場所……《はじまりの街》の地下ダンジョンに、あなたはシンカーさんを追いやった!」

「だまれェッ!!」

 

 ここの段階でざわめきが起きた。はじまりの街の地下にダンジョンなどあるのか、ベイパーは無所属のくせにそんな秘密を抱えていたのか、そんな言葉がちらほら聞こえる。

 そして、黙り混むキバオウとベイパーに、俺は最後のカードを切った。

 

「……キバオウ。あんた、俺にPoHのことを知らせて恩を売ろうとした時、ベイパーに止められたよな」

「……それが……どうしたんや……」

「今じゃはっきりわかる。KoBやDDAの信用が落ちるからとか、そんな心配をしたんじゃなかった。……てめぇは『PoHに対して』言ってたんだな。クソ野郎に詳しかったのは、てめェ自身が奴と接触して手口を教えてもらったからだ」

 

 似た手口を知っている。だからこそ《指輪事件》が発生し、だからこそ《圏内事件》は起きてしまった。

 この件については、きっとシーザーの方が詳しいだろう。

 

「その通りですジェイドさん。古い作戦でした。ぼくから言わせれば穴だらけですが、ある意味懐かしいですね」

「おいシーザー、さっきからどっちの味方やねん! 元はといえば、お前さんが余計なこと言わんとったらこんなこと……!!」

「懐かしいからこそ、何となく察しはついていました」

 

 少しだけダークブルーの入った前髪を掻き分けながら、シーザーはキバオウを無視し、落ち着き払ったまま続けた。

 

「だからぼくは、軍をエサにしてキバオウさん周辺を調べ、PoHを逆探知して殺すつもりだったんです。なにも裏切り者が全員、彼に恐れるわけではありませんしね。……ま、尊敬するジェイドさんに先を越されましたが」

「おいコラ、聞いとんのかワレェ!!」

 

 キバオウは突っかかるが、もはやその行為に意味はない。

 それにしてもシーザーの行動力に驚いた。なるほど、俺やヒスイの行動にリアルタイムで詳しかったのも納得である。むしろ、俺達が彼の捜査を追いかけていたことになるのだろう。

 しかも俺達が『擬装アリバイ』に惑わされないことを前提としている。その融通の利かせ方にはまいってしまう。味方になるとこれほど心強いとは。

 

「ムダだぜキバオウ。ネタは上がってんだ。あんたはあの日、PoHに俺のことを知らせたんだろう。……どーりでおかしいと思ったよ。聞いたその日その直後に、あんな都合よく本人の襲撃にあうなんて。……けどこれではっきりした。俺やキリトが消えれば《地下ダンジョン》の秘密を知るプレイヤーが減る。PoHが返り討ちになれば、作戦の考案元が消える。どっちでも好都合なワケだ」

「……くっ……うぐ……ッ!?」

 

 チェックメイトだった。

 もう、言い逃れる方法はない。

 

「こ、こんな、キバオウさん! オレ達はこんなところで……!!」

「もうあきらめろ、大人しく武器を捨てて……」

「くそっ……諦めろやと? ここまでやっておめおめと……ああ、確かにワイは奴と手を組んどったわ! 後でジェイドはんらにけしかけもした!」

 

 俺がキバオウから言われたセリフをそっくりそのまま返そうとした瞬間、キバオウはありとあらゆる事実を認め、その上であまつさえ腰からジャリンッ!! と、サーベルを抜き放った。

 

「せやけど、これも軍のためやった! やっとここまできたんや! やっと……クソッ……これからやって時に! こんなところで諦めきれるかァっ!!」

 

 激しい剣幕と戦闘欲に、居合わせた全員が身構える。

 俺も思わず剣の柄に手を当てていた。まさかこれほどの覚悟とは。

 

「急進派の代表はワイや! そのワイが、ここで命令する!! 全員戦闘準備やァ!!」

 

 強引に部下へ命令をくだし、俺達を力ずくで排除しようとする。

 だが……、

 

「……それは、できません。できないんですよ……キバオウさん……」

「な、なんやと!? お前らッ……」

 

 突然、事態が急変した。なんと武装隊の半数にもおよぶ10人のプレイヤーが、剣の切っ先をキバオウに向けていたのだ。その顔ぶれには少しだけ記憶があった。ほんの数十分間だけ共闘した仲だったが、それでも覚えている。

 74層攻略戦に参加した軍のハイレベルメンバーだ。10人目は顔を知らないから最近補填されたのだろうが、彼ですらコーバッツを含む12人の仲間がどんな経緯を辿ったかは聞いているはずである。

 そんな彼らがタイミングを見計らったように反旗を(ひるがえ)し、一転してキバオウとベイパーらが追い詰められた。そのうちの1人、先ほどからよく先頭に立って発言する髭の濃い短髪パーマの男性が静かに語りだした。

 

「そこにいる、シーザーさんが……74層攻略に参加したおれ達をかき集めたのは偶然じゃないんですよ……」

「じ、じゃあ……どうして……っ」

「真偽を確かめられると、そう言われたんです。……だってそうでしょう!? おれ達はコーバッツ中佐を信じて必死に戦いました! それがっ! 結果はどうです!? 中佐は牢で黙秘し続けていますが、おれ達は死ぬ確率が高いとわかっていて戦わされた! 今となっては《レジスト・クレスト》の方が命の恩人ですよ! 彼らを傷つけることなんて……できるはずがないっ!!」

 

 俺はパーマのおじさんにこんな照れくさい言葉を聞かされて、またシーザーの細かい配慮(はいりょ)に気づいてしまった。だからあいつはこのメンツを選んだのか、と。俺やヒスイに万が一のことが起こらないように。

 しかし軍の男の言葉に、なおもキバオウは食い下がった。

 

「あれ、は……ワイも誤算やった。よもや……コーバッツのやつが……。本当に知らなかったんや! 少なくとも、攻略の可能性はワイも信じとった!」

「誤算……それで死んだらたまったもんじゃありませんよ! だったら誰を信じればいいんです!? 誰の命令に従えば、この命が無駄に使われないのですか!? ……考えるうちに、おれ達は決めたんです。大恩あるキバオウさんが、今もまだ恩人のままか。それとも、シンカーさんの席を奪うためだけに……許されない犯罪を行ったのか! ……本人の口から悪い方の真実が聞けたら、その時おれ達は軍をやめようって……」

「バカや! そんなんッ、お前らそれじゃこっから生きてけへんで!? 人間だって敵になる! 壁があるたび止まっとったらキリないわ! 今回のことで……すべてを棒に振ってもエエ言うんか!?」

「もう……決めたことなんです……。だから、あなた達を……ここで捕らえます」

 

 ジリッ、と迫り寄る10人のプレイヤーは、もう何を言われても剣を下ろすことはなかった。

 俺達とシーザーも含めば13対10。しかも俺達は平均レベルが前線クラスだ。キバオウにも、ベイパーにも、すでにどうにかできる状況ではなかった。

 それを悟ったのか、ベイパーが両ひざを地に落とし、呆然と彼方へ意識を飛ばす。

 

「なんだよこれ……こんな結末なのか。……でも、だって……仕方ないだろう……? 攻略も脱出も諦めて、餓死もできないこの体で……それでも、いつしか彼女が整備や見回りに来る数分だけが、生きる喜びに変わったんだ」

 

 ある意味開き直ったベイパーには、どこか哀れみを含んだ視線が集中した。

 

「くっ……ゲームじゃ選択肢はない! じゃあキチガイの作ったこのゲームで、わびしく生きるか!? 他に方法があったら教えてくれ! 今すぐオレを現実に帰して、『やりたくもないこと』以外をさせてくれよ! 元より奪い合いだろうこんな世界! あとは限られた人生をどうやって! どこまで使い尽くせるかの選択なんだッ!! 違うとは言わせないぞォ!!」

 

 皮肉にもレベリングだけは人一倍こなしていたベイパーは、平和ボケした1層の住人よりは現実を見てしまったらしい。見るからに、誰よりも脱出が無理だと悲観しきっている。

 剣も戦意も投げ捨てて、吐き捨てるように叫んだ。いい歳をした大人が顔をクシャクシャに泣き腫らし、環境を、あるいは自分自身を糾弾するそれは、まるで本能の咆哮(ほうこう)だった。

 

「(けどよ、そりゃ通用しねぇだろ……)」

 

 自らを押し殺し、たった1つの恋の成就を願った。

 だが、それでも。

 ベイパーのしたことは間違っている。みんな我慢ならない不条理に我慢し、やりきれない理不尽に忍耐し、どこかで折り合いをつけて生きている。そんなことは全員わかっているし、ここでタラタラ美辞麗句を並べて説教しなくとも、本人が1番理解していただろう。

 言うなれば、これはただの駄々っ子だ。同情心は沸くが、やはり彼は1人だけ甘いことを抜かし、犯罪に逃げた弱者であることに変わりはない。

 俺はうなだれたまま一言も発しなくなったベイパーから無理矢理視線を外し、1人直剣を握りしめたまま途方にくれるキバオウを直視した。

 

「……キバオウも、シンカーを殺すことが目的じゃないだろう」

「……ワイかて……やるだけやった! 寝る間も惜しんで情報集めて、棒みたいになった足引きずり回して! それでも早うこっから抜け出せんか、毎日ねじ切れるまで考え尽くした! そんでっ……答えも出した! 11ヶ月前! 《地下ダンジョン》で3人も仲間を失った日から、答えを!!」

「…………」

 

 俺を含み、まだ誰も責め句を飛ばしたりはしていない。キバオウがいったいどんなアジテーションに動かされ、こんなことをしてしまったのか。

 あんたの正義を聞いてやる、と。

 単に抜き打ちに近い命令で付いてきただけの軍のメンバーまで、感情的になった彼の言葉に聞き入っていた。

 

「それが《軍》の! 《アインクラッド解放軍》の再強化やった!! ……シンカーはんは確かにようやってくれたわ。残りモンを、目の眩んだアホベーターが置いてった弱小プレイヤーを、差別もせんと丁重に保護した。それで救われたモンは数えきれん。……やけど! その統制は崩れた! コルの横領も、アイテムの隠匿も、はびこる不正に対応できずッ、責任者が聞いて呆れる! 都合が悪けりゃ『ことなかれ主義』や!!」

「……だから、追放を……?」

「あいつはいっつも邪魔しよる!! 嫌われんようにと、現実から目ェそらして! 仲良う暮らせばエエわけやない! 25層で負けたんがなんや! 死人が出て、それがなんや!? だったら戦うのやめるんか、あァッ!? 腰引かした臆病が、《攻略組》に負担押し付けて! 恥ずかしくないんか聞いとんじゃワレェッ!! おまんらフヌけた軍は! いっつも戦わないで済む言い訳しか考えてへん! 弱虫のクソったれがァッ!! ……ハァ……ハァ……《徴税》がなんや……ハァ……中層で遊んどるアホ共から、狩り場独占して何が悪い……ッ!? あいつらは脱出を助けるために攻略しとるんやないで? 周りが動き出して、『取り残される』のが怖いからやっとんるんや。だったら! 言うてみやホラ、何が悪いか! 自己満共から、限られたリソース奪って! 代わりに命を張ることの何が悪いか! 言ってみいや今すぐ! 声だけデカい低レベの包食クズには、脱出する気があるんか1人ずつブン殴って聞きたいぐらいやったわッ!! ……11ヶ月間、ひたすら安全に組織を強化し……ワイだけに浴びせられる非難を押し退けて! 我慢して我慢して!! そいでもいずれ、仲間が安全に前線行けるようになるまで! どんな気持ちでワイがッ……このギルドで精魂尽き果たしてきたかわかるかお前らァアアアアっ!!!!」

 

 その暴雨のような絶叫に、辺りは静まり返る他なかった。

 言葉がでなかったのだ。

 重すぎる激情がのし掛かり、胸の奥に(しび)れのようなものがじんわりと広がっていく。その苦痛の日々を思うだけで、自然に憐憫(れんびん)と同情の声をかけそうになる。軍にだけは共感者が多かったと聞くが、大衆から一点に集まったヘイトにも折れず、孤独にもキバオウが攻略組のために戦力拡大を優先させたことに。

 知らなかった。半年以上も前線を離れ、そもそも攻略に参加しようという意識そのものが欠落した当時の軍に、それほど興味がなかったというのもある。

 しかし想像はできる。

 攻略をやめた最大集団を再び羽ばたかせるには、計り知れないほどの努力と時間が必要になる。

 夢のまた夢。無謀な理想は、返り咲く気のないダラけた連中からしたら、きっとハタ迷惑な話だっただろう。それを11ヶ月前のキバオウは実行に移したというのだ。

 

「……そりゃ、天才肌とちゃうわ。連中に比べて効率は悪かったかもしれへん。やって来た政策がッ……どれも成功したわけやない。……やけど、シンカーはんの組織から、メンバーを引き抜くことは避けられん行為やった。奴と対立せな! 消えてくれなッ……目標は叶わんかったんや! ……せやから、ワイはずっと馴れ合わんかった。シンカーはんだけやないで。ユリエールはんや、保守派の腰抜けがなんと言おうと、ワイは信じる正義を貫いた。……ある意味、限界やったんや。そんな時に、ベイパーからこの方法を提案された」

『…………』

「コトの重大さを理解し、そいでも自分を叱咤(しった)してPoHと会った。……MPKの方法、バレへんような注意点、アリバイの作り方。その他、知恵とテクニックをありったけ聞き出した。……奴も久しかったんか、楽しそうにしとったわ。……頭じゃわかっとる。ヘタすりゃシンカーはんが死ぬ」

「でも、オレ達に代案は思いつかなかった……」

「せや。そして先週、チャンスが来た。偶然訪れたジェイドはんや。ラフコフ潰しの張本人が出張ってくれたことを機に、持っとる情報を全部ジェイドはんに渡した。……そしてワイはPoHが死んでくれることを願って、直後にキリトはんと合流した2人へ……すなわち、KoBのところへわざと差し向けた。今なら2人が揃っとる、無防備になっとる言うてな。まだ準備不足やったあの犯罪者を、わざと万全にさせたおまんらにぶつけたッ! ……結果、PoHは死んだ。すべては……うまくいってたんや……」

「…………」

 

 これは悪の道だと理解しての行動だろう。シンカーの一線を越えた行為を非難しておきながら、自らそれを越えることを、その技術を身に付けてしまったことは。

 話がこうも遠回りになってしまったのはこのせいだ。キバオウがここで余計な知識を得なければ、まだシンカーに危険が及ぶことはなかったのかもしれない。平和的な解決法が、どこかにあったのかもしれない。

 しかしことはすべて終わったあとだ。

 俺は、この場で彼に動機を聞いた責任として、絞り出すように声をかける。

 

「……その気持ちは……わからないこともない」

「ジェイド……!?」

 

 ヒスイは驚くが俺は止まらなかった。

 同情できる程度の鬱憤(うっぷん)なら、俺にだって死ぬほど溜まっている。

 

「わかってるよヒスイ。……けど、俺もどっかで思ったんだ。なんでこいつら攻略しねんだろうな、とか。戦わねェで上の層行って……俺らが血肉削いでまで踏ん張って、やっとこさアクティベートした主街区で、どうして当然のように過ごしてんのかって……。最初のうちはよかったよ。まだ立ち上がる奴もいたし、あいつらを踏み台にする俺らベータテスターこそ悪だったのかもしれない。……けどどうだ、あれから2年たったぜ?」

 

 苦労話を自慢したかったのではない。

 ただ、自然と口から吐き出されていた。

 

「……ま、軽いグチさ。昔は俺も、現にそれを口に出してた。やる気ねェなら死んで当然つって……自分がテスターでアドがあるとか、そんなこと全部タナにあげて、弱い奴は死にかけてようが助けもしなかった」

「そんな……ことが……? レジクレのジェイドさんにもっ……?」

「あったよそりゃあ。天パーも知ってんだろ、2年前は誰だって人を気づかう余裕なかったし。……まあそのせいで、どっかの誰かさんから口うるさく説教食らったけどな」

 

 俺がヒスイをチラッと見ると、彼女はバツの悪そうに目を逸らした。

 

「でも、だからって……」

「ああ。気持ちがわかるといっても、あくまで今回のこれは正当化されるもんじゃない。……キバオウ、あんたが行き詰まって最終手段を取ったッつーのはわかった。けど、こうなりゃ見て見ぬふりはできない。全部終わったら独房で反省会だ。……だから、最後にシンカーのいる場所を教えてくれ……」

「……わかった。……全部、話す……」

 

 キバオウはうつむきながらも、ようやく全てを語るのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 案の定、シンカーを幽閉するうえで、キバオウ達は《はじまりの街》の地下ダンジョンを利用していた。

 2人とも経験が生かせたことと、何より秘密を共有していたことが大きかったのだろう。まったく、2重の意味で約束を破っている。

 ともあれ、俺達は同じように事件の解決に向かっていたキリト達と合流すると、シンカーの救出に向かうメンバー決めと段取りを決めた。

 ちなみに敵のレベルが一律でないことから、地下ダンジョンへは《軍》の精鋭10人、キバオウとベイパー、ユイを含む俺達5人とユリエールの計18人が実行する運びとなった。武装をしていないユイが含まれたのは本人が怖がっていないこともあるが、キリトやアスナがきっちり守りきるからというらしい。どこかに預ける暇がなかったとは言え少々心配である。無論《軍》に預けるのも嫌だそうだ。

 

「気ぃつけや。ジェイドはんらは知っとると思うが、ここはレベルがバラバラなボスがそこら中に徘徊しとる。たまに《安全地帯》があるのが救いやが、場合によっては今の最前線と同等かそれ以上のボスと遭遇する可能性もあるっちゅーわけや」

 

 地下ダンジョンに進入してしばらくすると、キバオウは同行者全員に注意を(うなが)した。

 

「そんな敵まで出てくるんですか……これを言ってはなんですが、よくこんな危険なところで奥まで進めましたね。……しかし本当に広い……」

「ああ、一口に地下つっても、総面積ダントツ最大の主街区《はじまりの街》の地下だからな。そりゃバカでかいだろうさ」

「ワイらが奥に進めたのは、単に運が良かったからやな。ボスにも遭わんかったわ」

 

 とは言え、よくキバオウ達が地下ダンジョンの奥へ行けたものだと内心驚いていた。

 レベルうんぬんではなく、先ほどキバオウが注意した通り、小隊規模ではどうにもならないボスとの遭遇も考えられたのだ。そんな奴と会敵した時点でアウト。ジ・エンドである。

 とどのつまり、キバオウとベイパーにとって、このアリバイ工作には命を懸けるだけの価値を感じていたことになる。それそのものは生半可な覚悟ではなかっただろう。

 話をぶり返すようだが、《はじまりの街》で行動も起こさずに文句を垂れるプレイヤーの言葉は極めて軽い。対して彼らの言葉に重みを感じたのは、リスク上等のアクションを起こした紛れもない実績があったからなのかもしれない。

 

「……ま、もう少しなんだろ。この分ならでかい奴には会わなくて済みそうだな」

「だといいんですが……」

「フン、なんやまだ疑っとんのかユリエールはん。ワイも今さら嘘なんつけへんわ。……それにどのみち、ワイらは《軍》の実権を握ったあとにシンカーはんを救出するつもりやったんや。そりゃ、欲しかったのはあいつのタマやなくて、座っとった席やからな。ベイパーとはここで結晶を仕掛けるよう口裏を合わせて……」

「待って! 敵よ!」

 

 (さえぎ)るように、ヒスイが突然叫んだ。

 その声で3パーティ分のプレイヤーは一斉に武器を構えて辺りを見渡す。キバオウやユリエールも今だけは垣根を越えて背中を預けあっていた。

 すぐに通路一帯の色彩が変わり、何らかのイベント――その多くは特殊クエスト発生や隠れボスとの遭遇戦――が始まったことをフィールドが示唆(しさ)する。

 

「クソッ、言ったそばからかよ! どっか消えやがった!」

「そっちにいる!? わたしは見えなかったわ! 見えた人は教えて!」

「……いえ、でもさっき確かに反応が……」

「おい! 上だ!!」

 

 直後。

 ゴッガァアアアアアッ!!!! と、地面が割れた。

 キリトの洞察力のおかげで反射的に蜘蛛の子を散らすように飛び退いた俺達の中心に、3メートル近くある不気味な骸骨が(たたず)んでいた。

 刺突系に強く、打撃系に弱い『スケルトン』カテゴリ。ボロボロの黒いフードを被った人の骨格標本が自立行動しているイメージだろうか。ただし太い背骨の下には下半身らしき人骨格がなく、ムカデの先に非鉄製のブレードを装着したようになっている。足がないことから必然的に宙に浮き続け、間接の節々から黒よりも濃い闇を噴霧(ふんむ)し、その手にはあまりにもアンバランスな巨大鎌。標本の上から軽く接着したような眼球だけがドクロの眼窩(がんか)でグルンッ、とこちらを向く。

 クリムゾンレッドのカーソルカラー。

 定冠詞を飾る徘徊型フィールドボス、《ザ・フェイタルサイズ》。

 

「ヒィィ!? しっ、死神ぃッ!!」

「ウソだろ、索敵外から!?」

「ボスの接近警報まで出てないぞ!?」

「く、あぁあああ!! 何でもいい! やれぇ! 全員で攻撃するんだっ!!」

「待てベイパー! こいつはヤバイ!!」

 

 言うよりも速く体が動いていた。俺は無理矢理ベイパーとボスの間に割り込むと、敵の振り抜く鎌を全力で受け止めた。腕が過重圧を感じとると、俺も腰を落として踏ん張りを利かせる。

 そして。

 ……そして、すべての音が消えた。

 ドガッッッッ!!!! と。気づくと俺は、はるか後方へ吹っ飛ばされ、耳を割るような爆音があとから追ってきた。

 しかも衝撃波でさらに直撃を(まぬが)れたメンバー数人が吹き飛ばされている。

 

「ガッ……は……っ……か……!?」

 

 思考ができない。

 呼吸もできない。

 立つことなど論外。

 上を向いているのか下を向いているのかさえ曖昧になっていた。

 

「(半分……切っただと!? たったの一撃で……っ!?)」

 

 もがくように視線を動かし、辛うじて自分が注意域(イエローゾーン)に突入したことだけを確認できた。しかも《武器防御》スキルは問題なく作動していたというのに、ただの通常攻撃で行動不能(スタン)まで起きている。

 あり得ない。このボスは……、

 

「じ、ジェイドが! それにこれは……め、目で見えてるのにっ、《索敵》に反応しないわ! どうなってるの!?」

「おいパラメータもまったく見えないぞ! ダメージも異常だ!!」

「そ……んな……このモンスターは、90層クラスのボスだって言うの!?」

 

 つい先週俺達4人で大罪人PoHを撃退しました、なんて栄えある肩書きがクソの役にも立たない現実が広がっていた。

 勝てる勝てないを論ずるのは時間の無駄だ。いかにして逃げ切れるかを考える他ない。

 

「うわぁあああああ!? 逃げろ! 逃げろォおおおおおお!!」

「行け行け行け! いちいち止まるなっ! さっさと奥へ走れェ!!」

「アホッ、子供を先に通すんや! 1人1発でええ! 1発だけなんとかして耐えぇや!! そしたら逃げ切れるまでワイらがなるべく時間稼ぐわ!!」

「キバオウ気を付けろ! 時間稼ぎなら完全に避けきるしかない! パターンを暗記して避けることにだけ専念しろ!!」

「き、消えた!? 気をつけて! こいつ数メートルぐらいを瞬間移動するわ!!」

 

 《回復結晶》でどうにかHPをフルに回復させたが、俺とて耐久が破綻した耐久戦をまともに続ける気はない。

 しかもハイレベルな敵にしては小さい体躯(たいく)だとは思ったが、数メートル単位で瞬時に移動という能力も普通にふざけている。弱点のカバーの仕方がオーバースペックにもほどがあるだろう。

 ただ、よもやこんなラスボス風味のインフレキャラと遭遇するとは思わなかったが、あいにく俺達の目的はダンジョンの攻略でもボスの討伐でもないのだ。

 先に奥へ撤退した《軍》からの叫び声に近い声を聞く限りでは、シンカー本人はギリギリ土壇場で見つけたらしい。

 当初の目的は辛うじて達成している。ならばもう用はない、さっさとケツを振って逃げるが勝ちだ。

 

「(つっても通路が狭いッ……)……これで十分だろう! 俺達も撤退する!!」

「クソ! バラけてたら連撃で終わりだ! 固まって一気に全員で突破するぞ!!」

「おう!」

「了解よ!!」

 

 キバオウ、俺とヒスイ、キリトとアスナ。たった5人の撤退戦は、しかし無惨にも最初の一撃で永久に頓挫(とんざ)した。

 ゴゥッッッ!!!! と、圧力の壁が反応速度を越えて体を貫通していく。

 コマ送りとなった世界で、もれなくプレイヤーの体が舞い飛んだ。

 一瞬で現れ、一瞬で攻撃されたのだ。もはや人型MoBから鎌による攻撃を受けたのか戦闘機から空爆されたのかも定かでない、そんな冗談みたいな衝撃が全員を襲った。

 固まろうがバラけようが関係ない。強行突破すらまともに実行できなかった。

 準密室による圧縮された衝撃波が感覚を狂わせたようだが、今の攻撃で五体満足なことが不思議なレベルの攻撃だ。こんなデタラメなものは、かのヒースクリフですらどうにもできなかっただろう。

 ペインアブソーバが効いているか不安になるダメージに5人が倒れ……、

 

「ぐっ、あ……っ」

「ちっくしょう……こんな……ことがッ」

 

 しかし。

 

「な……っ!?」

「ぁ……ああッ……!!」

 

 その人物はなんの前触れもなく現れた。

 アスナが目を見開くのも無理はない。死神による猛攻でハイレベルの俺達5人が無様に這いつくばっているなかで、その少女は生まれたままのような無防備さでトコトコと冷たい廊下を歩いていたのだ。

 

「ユイ!? バカっ、なんで!!」

「ユイちゃん逃げてェ!!」

 

 ユイだ。純白のワンピース以外に装備らしい装備もしていない……いや、例え装備していたとしても、あんな小さな手と足ではまともに構えることもできないプレイヤーが、静かに戦場を横断する。

 場違いだ。間違ってもこんなところへは来てはいけない。気づくのが遅れた。ユイはもう……、

 

「だいじょうぶだよ、みんな」

 

 「なっ?」と、気の抜ける声が出た。

 突如、即死級の攻撃力を秘めたフェイタルサイズの単発重ソードスキルが、ガガガガガッ!! と彼女の目の前で不可視の壁に阻まれたように止まり……そして、とうとうボスの方が弾けとんだのだ。

 過剰なサウンドが耳鳴りを誘発させたが、それが止んでも生きている。改めて見ると、体の付近には拍子抜けするような着信音と共に決定的なメッセージが浮かんでいた。

 信じられないメッセージ。《圏内》に住む死なないNPCなどを攻撃した際に表示される《Immortal Object》と。

 

「(イモータル……って、不死……?)」

「ちょっとまっててね」

 

 そこから先の現象をうまく伝えるには、俺の表現力ではあまりに乏しいかもしれない。

 まず、またも左手で(・・・)《メインメニュー・ウィンドウ》を開いたユイはほんの数秒間だけサラサラとタブを操作し、各パラメータをカンストさせるような設定をその場で行ってしまったのだ。

 無限に近い攻撃力と無限に近い守備力。

 同時に見たこともない獄炎の大剣を何もない空間から生み出してから、それを片手で軽々と持ち上げると、ズンッ!! という重低音を轟かせ、真上からボスを一刀両断。一撃で敵を葬り去ってしまった。

 バグ……とは違うだろう。だとしても異質すぎる。なぜなら彼女は、そのバグに一切戸惑うことなく、どころか使いこなしていたからだ。

 火葬場のように燃え上がるフィールドであどけなさの欠片も残さないユイは、ほんの1ダメージも負うことなく、真っ白なワンピースに焦げあと1つ残すことなく、ゆっくりと俺達のもとへ歩いてきた。

 

「どう……なっとんねん……?」

「ぜんぶ、思い出したんです。わたしが何者だったのか……」

 

 キバオウが全員の疑問を具体的に声に出すと、ユイは物憂げな表情で告白した。

 

 

 

 曰く、話は《ソードアート・オンライン》創立の時期まで(さかのぼ)った。

 通貨や経験値のインフレを抑え、アップデートごとに新しいクエストやイベントを増やし、時には新武器や新防具の更新を行う。その独立修正プログラムの完成形である《カーディナル》には、開発当初には計画されていなかった機能が末期に搭載されたらしい。

 その名も《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》。プレゼンの段階で、そもそもなぜ《カーディナル》に搭載(とうさい)しなければならないのか議論もされた、精神トラブルの解決用ツール。

 初めはスタッフが24時間体制でいくつかのアカウントを使いログインし続け、人間が人間の心のケアをしようという話だった。それは単純に、ゲームでの精神的な損害を訴えるクレーマー対策にもなるはずだった。無論、茅場晃彦のデスゲーム計画ではそれがおぼつかないからこそ急遽開発されたAIなのだろう。

 曰く、しかし計画は不完全に終わってしまった。時間が足りず感情模倣機能を与えた状態でテスト段階まで持ち込めなかったのだ。

 よって唯一のゲームマスター茅場晃彦は、不完全プログラムを抱えたままゲームを開始することになる。プレイヤーと非接触設定にしておきながら、試作1号機《ユイ》は2年もの間プレイヤーのメンタル状態、ホルモンバランス、血圧、hrbpm(心拍数)、脈拍などのモニタリングさせ続けてしまった。

 そして結果から言うと、《ユイ》は重なるエラーに対処しきれなくなった。

 感情模倣機能を与えてしまったことが裏目に出たのだ。早い話、1万人ものメンタルケアをするべき人間、つまり負の感情を見せられ続けたようなものなのだから。

 そしてそのツケは具現し、不安定なプレイヤー《Yui-MHCP001》として22層の森へコミュニティしてしまった。プレイヤーとの干渉を禁じられたはずのプログラムが、だ。

 曰く、地下ダンジョンに限らず、いくつか《安全地帯》に装飾的オブジェクトとして擬態してある、緊急通信コンソールが設置されていたらしい。

 同じくゲーム内からトラブルに対処できるように設置されたものだ。それに運よく触れた《ユイ》は、本来格納されているアクセス権と非常用のバイパスを経由し、バッファから自分の記憶データと言語機能を再インストールできた。先ほどGM権限とでも言えるプレイヤーのパラメータいじりは、数分前の記憶無きユイではなく今の彼女だからこそ行えたのである。

 

「わたしは……もうすぐ消滅します」

 

 またも左手でウィンドウを操作した。プレイヤーには手の届かないスペースに『勝手に出現させた大剣』……チラッと見えた、固有名《デモンズゲート》なる大剣をしまうと、ユイはそんなことを言った。

 何事もなかったようにコミュニティしてしまったユイも、やはりタダでとはいかない。

 

「そんな……し、消滅って!?」

「カーディナルがあるからか? その、 難しい話はよくわかんねーけど……あんたはエラーで出ただけのAIで、エラーはもうすぐ修正されるってことか……!?」

 

 俺の質問にユイは小さくうなずいた。それは、見た目8歳の少女が作っていい表情ではなかった。

 彼女ら消える運命を完全に受け入れている。

 

「嫌! そんなの嫌よ!!」

「ユイ、行くな!」

「……パパとママのそばにいると、みんな笑顔になれました。だからお願いです、これからも……わたしのかわりに……みんなを助けて……喜びを分けてください」

 

 ユイの体が光に包まれる。カーディナルが彼女をまた『プレイヤー非干渉状態』にさせるためだろう。

 こういう時、摩訶不思議なパワーが助けてくれたり、天使か何かが功績を(たた)えて理不尽を帳消しにしてくれたりなんてことは起きない。プログラムは組んだ通りにしか作動しないのだ。

 

「ユイ……ちゃん……」

 

 アスナの涙を肩に受け、ユイは誘われるように光に吸い込まれていくのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 翌日、ギルドホームにてラフな格好をした俺は、行儀悪く木製テーブルに足を乗せながらそばかす小僧のジェミルと話し込んでいた。

 

「まったくぅ、こっちも大変だったんだよぉ? アクシデントがなくてもぉ、もともとボクはリーダー向きじゃないんだからさぁ」

「ああすまなかったジェミル。リーダー代理助かったよ。……そうそう、なんかそっちも男とモメたらしいな。『ヨルコがらみ』でてんやわんやだったとか。……確か、変な海賊風の奴に絡まれたんだったか?」

「うんまぁねぇ……。あ、でもルガァが言うにはぁ、名前を知る機会もないほどのただの雑魚だったってぇ」

 

 なんだ、絡まれたと言ってもザコか。

 

「無事で何よりだから詳しくは聞かんけど、トラブルはこれっきりにしてほしいぜ」

「えぇ~それをジェイドが言うぅ?」

「うぐっ……ま、まあこっちもヒスイがようやく気持ち固めたらしいからな。今日から普通に攻略に戻るんだとさ」

 

 レジクレに合流したのは今日の朝からだが、一時脱退したカズやアリーシャもすでにギルドに再加盟している。これでいつも通りだ。

 そう言えば昨日、1人も死ぬことなくシンカーを救い出した俺達は、解散したあと深夜になってようやく《軍》の方針というか、最終的な結論を聞いた。

 《軍》は一時的に解散されるしい。その後シンカーの身の丈に合ったもっと小さな規模で再結成されるのだとか。

 ちなみに最初にメンバーリストから除名されたのはキバオウとその直属の配下だ。と言っても、彼らはキバオウをリーダーとした新たなギルドを作るつもりだったらしいので、もしかしたら自主的な辞退だったのかもしれない。

 少なくともパーマ頭の男を筆頭にした《軍》のトップ連中10人は、キバオウ――ベイパーは不明――を《黒鉄宮》のジェイルから解放しようと手を回しているらしい。どうやら彼が純粋に攻略行為への最短ルートを取っていただけだと、どうせ戦うなら命を懸けるに相応しい人物だと再確認したようだ。

 もっとも、《黒鉄宮》ごと彼らの所有地なのだから、2人はすぐにでも自由になれるだろう。

 そう。忘れがちだが、元々《軍》とて一枚岩ではない。『シンカーが飾り物状態』になる程度に意見は対立し、むしろキバオウの考え方は多くのメンバーから支持されていたのだ。例えそれが非戦闘員にとっていかに過激であっても。

 あまりこういうことを言いたくはないが、『アインクラッドを脱出する』というお題目をクリアするに当たって、シンカーの存在価値はほとんどないに等しい。確実に脱出が成し遂げられるなら、それまで1人でも多くの非戦闘員を存命させる役割はあるだろう。だがもちろん、そんな保証はどこにもない。

 俺達攻略組としては、一刻も早くキバオウ達ハイレベルメンバーが前線で協力してくれることを願うばかりだ。

 そこへカズが近づいてきてこんなことを聞いてきた。

 

「キバオウさん達はまた前線に戻ってくるかな……?」

「そのうち来るだろうけど、ある意味ちょっと来てほしくないかもな。……だってあいつら、きっとソートー厄介な競争相手になるぜ?」

「あはは、確かにね。それじゃあ、キリトさん達はどうなったの?」

「ん? ああ、キリトとアスナなら大丈夫だ。案の定、仲良くやってるみたいだし、保護した子供とやらもその……無事、家に帰したよ……」

「そうだったんだ、じゃあ一件落着だね」

 

 ユイについては……嘘はついていない。

 あの後、ユイが消滅した直後にキリトはある行動に移っていた。

 黒大理石に擬態させた緊急通信コンソールに噛みつくように迫ったキリトは、俺にはまったく理解できないコンピュータ言語でホロタイプキーを高速で叩き始めたのだ。

 ざっくり説明すると、ユイが開けっぱなしにしたGMアクセス権に割り込み、彼女の保管された領域を主記憶装置からひっぺがしてペンダントアイテムとしてオブジェクト化させたらしい。わかりやすく言うならUSBメモリにデータを移動して持ち歩いている感覚だろうか。

 よって、厳密にはユイは消滅していない。むしろよほどか安全になった。

 さすがは6歳の頃から自作パソコンに手を出した――と以前に聞いた――キリトだ。剣だけが脳ではない。彼曰く、今ならアインクラッドごとカーディナルがフォーマット化されても、キリトのナーヴギアの中でユイの人格は守られるらしい。

 

「(ま、何にせよバッドエンドじゃないだろ。やり残したことはねえ……)」

 

 攻略して攻略して攻略して……そして、最後はここを脱出する。そのためにすべての時間を後悔しないように消費してきたつもりだ。

 生きて帰る。これを実現するには、やはり俺達は剣を握って敵と戦うしかない。1日と少しでヒスイが再び前線に戻ろうと考え直すまで回復したということは、俺やヒスイにとって今回のお節介は無駄ではなかったということである。

 俺はパンッ! と大きく手を叩くと、テーブルから足を下ろしつつ雑談に興じていたメンバーを制止した。

 

「さて! なんだかんだと色々あったけど結果的にいい休暇になったな。こうしてヒスイも戻ってきたことだし、今日から攻略再開だ。気を引き締め直すぞ!」

『おー!!』

 

 75層。2度目のクォーターポイント。法則通りならおそらく過去最高難度のボス戦となるだろう。

 準備などいくらやってもやりすぎることはないだろうし、戦力もいくらあっても足りることはあるまい。

 満を持して、さてさて……、

 

「そこでだ! 今日からレジクレの新しいメンバーを紹介する!」

『うんうん……うんっ!?!?』

「あっはっは、いい反応だ。まあナイショにしてたし、10ヶ月ぶりのメンバー更新だ。不安になるのもよくわかる」

「ち、ちょっと待って。初耳なんだけど?」

「いま言ったからな。けど安心しろ。なじみの深い奴だし、実力も十分だ。今回の立役者でもある。……てか、レジクレのために牢を出てからここ2週間、タイトなスケジュールでレベリングに励んでくれたらしい」

「あっ……まさか!」

 

 ヒスイがまっさきに気づき、続いて他のメンバーも得心がいったような顔をした。

 

「入ってくれシーザー!」

 

 事前に《フレンド登録》を済ませ《フレンドのみ解錠可》設定にしておいたホームのドアが開かれると、そこにはシーザー・オルダートが少し照れたような表情で立っていた。

 ダブついた暗い和服。さすがにゲタまでは履いていないが、武具の少ない金属部分も戦国甲冑を連想させる。ダスクワイバーンを後ろに従わせたまま俺達の元へ歩いてくると、そのままソワソワ感を出しつつシーザーは言葉を繋いだ。

 

「3人の方はお久しぶりです。……え~あ……その、おこがましい……とは思いました。ぼくはその……出所したからといって、今までさんざん迷惑をかけましたし。それにラフコフにいた時代からジェイドさんに……」

「まーまーそういうのはいいから! それ言ったら半分は前科モンだし!」

「……で、では。……反省してます! どうかぼくをギルドに入れてください。……牢で過ごす間、この事ばかり考えていました。ぼくにはここしかありません。みなさんと共に、戦わせてください!」

 

 「だそうだ」と感慨深げに言ってみると、最初に反応したのはヒスイだった。

 

「いいんじゃない? あたしは賛成よ」

「ヒスイさん……」

「前科っていうけど、それだけじゃ決まらないわ。今この時、シーザーさんが反省しているかが大事なのよ。そして、あたしはその意思を今回の件で充分感じたわ。ジェイドからの信頼も厚いみたいだしね」

 

 俺を含めて賛成2。無論、1人でも嫌だと言ったらこの話を通す気はなかった。

 だがヒスイの即答はやはり効果的だったのかもしれない。

 次にはカズも続いた。

 

「僕も! ……僕も、賛成だよ。だって2ヶ月間、シーザーさんの証言を頼りにラフコフの残党と戦えた。……それって、僕らが6人で戦い続けたってことにならないかな? 勝手な話だけど、僕のなかでは……もう仲間だって思ってたんだ。ずっと……だから僕も、きみと一緒に戦いたい!」

 

 カズの口からこんなにはっきりと肯定されるなんて意外である。たった1日席を空けていただけだったが、どこかずいぶんと男らしくなったように感じられる。

 そんな彼の成長が誇らしく、俺はつい口を挟んでしまう。

 

「……スカウトした立場から言わせてもらうと、その言葉はスゲー嬉しい。あと私情も込みで追加すると、シーザーはつい数日前までラフコフと単独で戦い続けてたんだ」

「え? それってどういう……」

「PoHだよ。こいつは俺が牢から出してやったその日から、ずっと奴を追いかけてたらしい。野郎を殺して、初めて最低限の責任が果たされる、ってな。……まあ、あいつは俺が終わらせた。だからシーザーは、最後に俺とヒスイを助けた上でここへ来たんだ」

「だったらぁ、もう言うことはないんじゃないかなぁ」

 

 間延びした声はジェミルのものだった。

 

「拒む理由がないよぉ。ボクらレジクレにはぁ、むしろ必要なんじゃないぃ?」

「ジェミル、さん……」

 

 直接斬られた経験から、最も恨みが募っていただろうヒスイとカズが(せき)を切ったように彼を受け入れたのだ。ジェミルも仲間割れの心配は捨てたらしい。

 

「あとはアリーシャだけど……」

「……うん。……あんたの気持ちは理解できるわシーザー。言い淀んだのは、単に……アタシからあんたを赦し、受け入れることを口にする日が来るなんて、って思っちゃっただけよ」

「……ということは、つまり……ぼくを許してくれるということですか……?」

「うん、もちろん賛成よ。どっちかというとここから(・・・・)の方が大変なんだからね」

 

 なかなか深い言葉だ。やらかしている瞬間よりやらかした後が大変というのは、身をもって経験した彼女なりの教訓なのだろう。しかしアリーシャがイタズラっぽく微笑を浮かべると、やっとシーザーの表情が緩んだ。

 これで決まり。シーザーはもう《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》の一員だ。

 

「さ~て、なんかの更正施設みたいな感じになっちまったけど、俺はこういうの好きだぜ! だって俺らのギルドってオリジナリティ的じゃね!?」

「自分で人選を誉めたら世話ないですよジェイドさん。あと言葉が変です」

 

 シーザーにトスを送ると、見事なシュートでどっと笑いが起きた。

 ラフコフの影響で道草だらけの道のりだったが、努力次第ではこんな結末にもなるのだ。少なくとも俺にとって、アインクラッドの2年間は価値のあるものだった。

 俺は背負う大剣を抜刀して一言、

 

「じゃあさっそく!」

 

 言おうとしたが、バチンッ!! と、照明に剣が当たってしまった。

 俺は慌てて剣の腹で揺れる照明を静まらせる。室内で棒状のものは振り回さないように。

 団員に笑われて一言すら締まらなかったが、納刀してから改めて。

 

「じ、じゃあさっそく初の6人パーティで狩りに行くとするか!」

『おーっ!!』

 

 末永く続けば、なんて矛盾する思いを押し殺し。

 今日もこの世界を脱出するために剣を握るのだった。

 

 

 

 



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リコレクションロード5 受け継がれる正義

 西暦2024年11月1日、浮遊城第75層。

 

 さてさて。

 さすがは同性と言うべきか、アリーシャさんの気遣い的な助言で、ジェイドとヒスイさんは気分転換デートに旅立ってしまった。

 それもこれも、この世を去ってなお精神を(むしば)むあのPoHが悪いのだが、今は彼女の戦績不振が治ることを祈って待つしかない。

 とは言え、彼女の復帰を待つといっても待機組とて有意義に過ごしたい。という理由から、朝から副リーダーのジェミルが暫定的に3人での狩りを計画してくれていた。

 ……のだが、さすがに強引なリーダーなき戦闘員もお休みモード。ぐだ~っとしているうちにお昼になってしまった。特に今日は日が昇ってから横風がひどく、随所(ずいしょ)に発生する突風が狩りの効率を落としているのも一因である。

 なしくずし的にフィールドで効率度外視の暇潰しレベリングをしていた僕達3人は、仕方がないので一旦主街区に戻って腹ごしらえをする流れとなった。

 

「ああもう、ヤダヤダ。どうなってるのよ今日は。風強い日は外歩きたくないわ~。久々にはりきって化粧したのにこれじゃ台無しじゃない!」

「うぅん……それにしても、ないねぇお店。この辺になかったかなぁ?」

 

 出発前に20分も鏡の前で粘ったアリーシャさんを適当にあしらいつつ、ジェミルも辺りをキョロキョロ見渡しながら答える。

 

「何件かはあるはずなんだけどねぇ。さっき見つけたのは人が一杯だったしぃ」

「あ、あれってSAL(ソル)の人じゃない?」

 

 ふと指差した僕の方向には、攻略組ギルド《サルヴェイション&リヴェレイション》、通称SALのメンバーが2人歩いていた。

 残念なことにハーフポイントで1人減ってからは、未だに人数の増えない4人組ギルドだ。今はリーダーと副リーダーという、いつもの2人ペアで歩いているが。

 

「ああ、確かあの赤メッシュな曲刀(シミター)使いがリーダーの。ええっと、4人ギルドだったわよね? 前のトーナメントで全員参加してた覚えがあるわ」

 

 リップ、チーク、シャドウ、ファンデとお人形さんのようなハイレベルな化粧にサイドポニーかつワックスこてこてのギャル風アリーシャさんが、ぽってりとした口元に指をあてながら(つぶや)いた。

 

「そうだよぉ。特にあの2人はリアルでも知り合いだったんだってぇ」

「あ、ジェミル~。リアルのことは本人の了承なしに言いふらしちゃダメだよ!」

「あぅ……ごめんよぉ。つい……」

「まったく、ご法度は守らなきゃ。おーい、アギンさーん! フリデリックさーん!」

 

 たった23人で唐突に討伐したのだから当然だが、彼らが前回のボス戦に不参加だったゆえに会うのが久しぶりだったため、僕は自然と声をかけていた。

 

「ん? おお、レジクレんとこのボーズじゃん。74層は任せっぱになってすまなかったな」

「いえいえそんな……」

「こんにちは。久しぶりですよね? 前会ったのは先月の……」

 

 雑談に入った赤いメッシュをいれた高身長のアギンさんはさすがの貫禄というべきか、僕が最初に会った去年の夏頃とは別人のようなオーラがあった。ただしあご髭とイメージカラーが赤というチャームポイントはクラインさんも頭に浮かぶ。

 対する穏やかなフリデリックさんも僕より目線が10センチほど高く、片耳のピアスと金髪が整った顔を一段と際立たせていた。

 そこへ、面食いを自称するアリーシャさんがこそこそと話しかけてくる。

 

「ね、ねぇ……近くで見ると結構イケメンじゃない? も~こういう人は最初に紹介しなさいよ! アタシ左の方スッゴい好みなんだけど!」

「紹介するために声かけたんじゃないよ! それにフリデリックさんには向こうにフィアンセがいるよ!」

「うっそーん!!」

 

 フリデリックさんが爽やか笑顔で「呼んだ?」と言うと、「いやいやなんでもありません!」と答えるしかない。

 まったく、アリーシャさんのトラブルメーカー気質はどこに行っても絶好調だから困ってしまう。つい僕までご法度を破いてしまったではないか。

 

「そういえば今日も2人なんですか?」

「ん? ああ今日のギルド活動はオフでさ。ノルマは果たしたし、たまには休まないと体が持たん。そこで前受けた難解なクエストをクリアしてくれたリックに、今日はおれから奢りだって話つけてたんだよ」

「そうだったんですか。どこかめぼしいお店でも?」

「もちろん。古い酒場みたいなところでね、雰囲気の好みは分かれるかもしれないけど、なんなら紹介しようか?」

「奢ってくれるんですか!」

「いやそこまではしねーよ!?」

「ちぇ〜」

「……たくましいな、思ったより……」

 

 と言うわけで、僕達5人は最前線から25階も下がった雑貨商街《アルゲード》に来ていた。

 もはやダンジョンよりも迷宮入りした本主街区には、宿やレストランに穴場も多く、人口密度と充実した娯楽施設から活気に溢れている。

 きっとアギンさん達は必需品の補充などをこの層で済ませているのだろう。適当に10分も歩けば帰りに迷いそうな道なき道を、よそ見もせずにすたすたと歩いていく。

 ちなみにアリーシャさんも色仕掛けで『自分だけ奢ってもらおう作戦』を敢行(かんこう)していたが、アギンさんの顔色ひとつ変わらないあしらいによって撃退されている。「ちっ、手慣れてるわね!」などと文句を言っていたが、長い付き合いで旧レジクレ勢にのみ聞かされていた彼らのリアルの職業を聞いたら、きっと自分の無謀さに赤面するに違いない。

 そうして気前よく穴場の美味しいお店を紹介してもらい、5人で満席という奇跡的な狭さとジューシーな肉料理も満喫したところで、僕達は食事を終えると近況報告をしていた。

 

「このお店の代わりと言ってはなんですけど、75層の迷宮区は相当キツいらしいですから気を付けてください。特に《パラライズ》と《カラウド》のデバフが激しいのだとか」

「へぇ~そりゃ知らんかった。明日から一気にマッピングする予定だったから、サポーターにありったけデバフ対策させてから適当に突っ込むよ。サンキューな」

「サポーターって僕じゃないですか、仕事増やさないで下さいよ先輩」

「いえ、ほんのお礼です。じゃあ僕達はこれで」

「また会おうねぇ。時間があったらぁ、今度は手合わせでもしよぉ」

 

 さりげなくフリデリックさんをスルーしながら別れようとした寸前だった。

 

「誰か助けてくれ! 仲間が連れ去られたんだ! 誰か手を貸してくれぇ!!」

 

 という、悲痛な叫びが店の前方から聞こえてきた。声は若く、当然そのボリュームなら多くの通行人に聞こえていたはずだが、周りのプレイヤーは例外なく面倒事はゴメンだと言わんばかりにすぐ横を通りすぎていった。

 しかし僕は流されやすいタイプなので、つい助けを求める彼のことを見てしまう。

 

「やめておいた方がいいぜルガトリオ。無条件な優しさは禁物だ」

「で、でも……」

「面倒を押し付けておいて、お金を踏み倒そうとする物乞いみたいな人が以前いたんですよ。最近じゃ手口も広がって見なくなったんですが……。それに迷子を探すクエストもここアルゲードでは散見されていますし、彼もNPCかもしれません。じゃあ行きましょうか先輩」

「でもクエストログはありませんし……」

「ち、ちょっと待って! あれヤマト君じゃない!?」

 

 とそこで、アリーシャさんが僕とSALの2人を遮るようにすっとんきょうな声をあげた。

 しかも名前で呼んでいたあたり、どうやら彼女の知り合いだったらしい。駆け寄っていくアリーシャさんに続くと、すぐ後ろでこんな言葉が聞こえる。

 

「ったく、しゃあないな~……って、こらリック! おめぇ何笑ってやがる!」

「いやいや。ただ先輩もお人好しだな~と思っただけですよ」

 

 どうやら様子だけでも見に来てくれるそうだ。アギンさんも案外素直である。

 

「アリーシャさん!? アリーシャさんなのか!? ああ本当によかった、助けてくれ!」

「それはいいけどあんた達、名前の横にシギルがあるってことは、またみんなでギルドでも立ち上げたの?」

「それどころじゃないんだ! いや、その話なんだけどッ……と、とにかく! ギルドに来てくれたヨルコちゃんが他の男にさらわれたんだ!」

「ヨルコが男にさらわれたですって? ……そんな……でもほら、あの()だって《ハラスメントコード》のことは知ってるでしょう? 何でそんな簡単に……」

「ダメだ。たぶん、複数のプレイヤーに自由を奪われちて抵抗できなかったんだよッ」

 

 先に着いたアリーシャさんとの会話を拾うと、どうやらヤマトと名乗った黒髪で寸胴な男性は元GA、つまりギルド《黄金林檎(ゴールデン・アップル)》のメンバーの1人のようだ。

 当時リーダーだったグリセルダさんとその夫であるグリムロックさんはもうこの世にはいない。有名な事件だ。確か『クレイヴ』という人物も犯罪に手を染めていたので、DDAに所属してしまったシュミットさんを除くと、フリーな元GAメンバーは4人といったところか。

 昔の8人ギルドはとうに解散したはず。しかし、たった今元メンバーを気にかけているヤマトさん達は、4人でまたギルドを再結成したのだろうか。

 

「ルガァ、ヨルコさんってぇ……そばかすの人だったっけぇ?」

「うんそうだよ。藍色のロングヘアーのおとなしい人」

「あんた達はレジクレの……覚えててくれたのか。俺ら4人になっちまったけど、また攻略に参加しようってチェーザルの奴と久々に会って話し合ったんだよ。名前も昔の《黄金林檎》を使ってさ……その、レジクレの人達が昔の事件を解決してくれて、俺達はもうお互いを疑いあったりする必要がなくなったんだ! だからっ……仲の良かったあいつともう1回ギルドを作ったんだよ。シュミットの奴はもうDDAに入ってるから無理だったけど、カインズとヨルコちゃんも誘いに乗ってくれて、その時点でもう4人。戦力確保のためにメンバー募集をかけると、さらに4人が集まってくれた。1年もバラバラで非効率な攻略しかできなかった俺らが、こんな単純なことで仲直りできたんだ! ……けど……」

 

 そこで言葉を区切るリッカルドさん。

 辛抱強く待っていると、激しい怒りと共に続きを語り出した。

 

「けど、やられたっ! 新しく入ってきた4人の奴らは、俺らを騙しやがったんだ!」

「どういうこと……?」

「……俺らはあるクエストを受注していた。ここからフィールドに出てかなり東にあるクエなんだけど、なんせ報酬が抜群で今も多くの人が受注し続けてる。始めにバカでかいボスとやりあって、そいつを突破すればレンガ造りの立体迷路が待っている。それで、奥にある宝箱の鍵の入手でクエストが完了するやつなんだ」

 

 汗だらけのヤマトさんがそこまで話すと、アギンさんが思い出したように割り込んだ。

 

「あ、それ知ってるぜ。おれも昔リックとやったことがある。確か、迷路に入る前や後で参加人数を再設定できるんだよな?」

「あーありましたね。迷路を少人数で突破したら、とんでもない経験値が手に入った記憶があります」

 

 だいぶややこしいが、前半と後半で参加人数をコントロールできるクエストらしい。

 僕はあずかり知らないが、きっと《カーディナル》によって後からアップデートされたのだろう。

 

「そう、それだよ。俺らは新人を含む8人でボスを倒した。騙し絵迷路も少人数で挑んだ。……報酬を圧縮するために、仲間の1人に迷路の突破を全部任せたんだ。……だってよ、そいつはクエストの情報を買っていたらしくて、ゴールまでのルートを暗記してるって俺に言ったんだよ!」

「ああ、報酬がいいのはバカ広い迷路が到底1人2人じゃゴールまでたどり着けないぐらい難しい初見殺しだから、だよな。……けど、2回目以降はもちろん、情報買って道の答えを知っておけば、迷路はもはや何ら障害にならんし……」

 

 ダンジョンの種別は判明してきたのかもしれない。

 しかし、まだ話は見えてこなかった。

 8人の内1人がその騙し絵迷路の立体ダンジョンに突入したことが、ヨルコさんがさらわれたことにどう繋がるだろうか。これではその新しい仲間とやらが1人扉の向こう側に閉じ込められてしまっただけで、ヨルコさんは関係ない。

 そんな疑問を払拭(ふっしょく)するように、ヤマトさんはさらに続けた。

 

「……そっからだよ、やられたのは。扉の中に入った奴は、予定にはないはずの『ダンジョン侵入可能人数』設定で、勝手に人数を変えやがったんだ。そうとも知らずに俺らは、近くで適当なレベリングをして時間を潰してたんだよ……」

「そこでヨルコがさらわれたのね?」

「ああ。彼女の休憩中にあっという間に扉の中に連れていかれちまった。加入時に確認したんだけど《隠蔽(ハイディング)》スキルはみんな持ってなかったはずなのに、いつの間にか見計らったように3人が姿を眩ませてッ……けど、マジでどうやったのかわからねぇんだ。誰にも気づかれることなく……」

「今の参加人数は?」

「『5人』に設定されてるみたいだ。だから新しく入ってきた4人とヨルコちゃんだけがダンジョンの扉の向こうにいてッ……俺も、チェーザルやカインズも助けに行けないんだよっ……ちくしょう……ッ!!」

「じ、じゃあクエストを諦めれば? そうすれば迷路に入った5人もこっち側に……」

「それもダメなんだ!!

 

 リッカルドさんは大声で吐き捨てた。

 しかし感情的になっていた自分を自制し、なんとか話を続ける。

 

「怒鳴ってすまない……けど、人数設定も含め、クエスト破棄ができるのは扉の内側にいる奴だけで、しかも迷路の突破を諦めて脱出したければ、内側の全員がクエスト破棄を選択するしかない。……そりゃそうだ、でなきゃ手分けしてゴール地点を探すだけ探せば、あとはゴール直前にみんな脱出させて『1人』に戻すことで、クリア後の報酬を大量に受けとる不正ができちまう。……中はモンスターがポップしない仕様で、しかも『特殊な脱出手段』が用意されてるせいで、逆にクリスタルは無効。つまり、ヨルコちゃん1人が『クエスト破棄』を選択しただけじゃ脱出もできない!!」

「それはどれぐらい前のこと?」

「に……20分以上も……前だ……」

 

 なるほど、聞く限りでは状況はかなり危険だと言える。

 最初にクエストログを有効にしてしまった8人はクエストの受け直しができない。しかもクエスト後半のダンジョンへの参加人数は、先に内部へ突入したメンバーしか決められない。

 さらにクエストクリアを除き、脱出方法が迷路内全員のクエスト破棄だとすると、ヨルコさんに離脱手段はないと見ていい。

 絶望的だ。せめてダンジョン内へ援護しに行けるのならだいぶ解決するのだが。

 

「そうだ! 今から僕達がそのクエストを受ければ、ヨルコさん達がいるところと同じダンジョンに侵入できたりしないのかな!? 人数も別枠になるし!」

「それは僕も考えてました。先輩と僕だけでも突入すれば……」

「……それは、無理なんだよ。確かにクエストログはいつでも立ってる。同時進行で別々のプレイヤーやパーティが挑戦することもできるだろうさ……けど……」

「あ、そっか……同時に進行できるってことは、そのダンジョンは扉を境に一時的な(インスタンス)マップに切り替わっているんだね? 50層のマップから一時的に消滅して別の空間に転移されてるから、簡単なメッセージも送れない……」

 

 僕が訪ねるとリッカルドさんは静かにうなずいた。

 一時的な(インスタンス)マップ。スタンドアローンなRPGやコンシューマーゲームと違い、多くのユーザが同時多発的にログインするVRMMOでは、物語の唯一性を優先してしまうと逆に多くの人が理不尽な(あお)りに見舞われてしまう。

 よって今回の場合は、騙し絵迷路の奥に隠された宝箱の鍵の奪い合い、または他の誰かに先を越されたせいで後発者のクリアフラグが立たず脱出不能になる事態を避けるため、クエストが発生するごとに各チャレンジャーに、それぞれ別のダンジョンマップが提供されるのだ。オンラインゲームではよくある話である。

 と言うことは、これから僕達やアギンさん達がクエストを受け直したとしても、僕達用に用意されたまったく関係のないダンジョンをクリアするだけになってしまう。

 

「そんな、どうにかならないの……ヨルコは女の子よ? だって、その……」

「わかってるっ。だから一刻も早くって、助けを求めて手分けしてたんだ。けど、冷静に考えればそうだ。協力者がいても、これじゃあ……クソォッ」

 

 僕も目一杯頭をはたらかせていた。だいたい、こんな簡単な方法で完全に閉じ込められてしまうのなら、ずっと前に問題が起きていてもおかしくない。

 きっと何かあるはずだ。このデスゲームは、自動メンテナンス機構《カーディナル》が常に情報のアップロードを行っている。おかげで不具合やラグも発生していないし、理不尽なダンジョンや経験値テーブルが比例しないスポットはどんどん修正されている。あくまでプレイヤーが言い訳できないよう、フェアな環境を整えているのである。

 ということは、見落としているだけでどこかにあるはずなのだ。犯罪者が好き勝手できないような、参加者へのセーフティライン、安全策が……、

 

「あっ、そうだ! 思い出したんだけど、同じギルドメンバーなら同じインスタンスマップが提供されるんだ! まだヨルコさんは助けられる!」

 

 僕が突然騒ぎ出すと、まだ意味を理解できないリッカルドさんは首をかしげていた。

 

「えっとね、つまり、《黄金林檎》のギルドメンバーであれば、今から同じクエストを受け直しても報酬の重複受け取りみたいな不正を避けるために、その人達は同じインスタンスマップへ飛ばされるんだ!」

「それは知ってるさ。でも最初に言ったろう、俺らは8人集まった段階で活動を開始した。……つまり《黄金林檎》にはもうメンバーがいないん……ま、まさか!?」

 

 僕は力強くうなずいた。

 それを遅まきに理解したジェミルとアリーシャさんも甲高い声をあげる。

 

「ええぇ!? それじゃぁギルドを脱退するってことぉ?」

「一時的ってだけ! 僕が今からレジクレを抜けて《黄金林檎》のメンバーになって、そしてクエストを受け直すんだ。そうすれば助けに行ける!」

「そんなっ……あんた、何でそこまでしてくれるんだ? そりゃ《圏内事件》じゃ世話になったよ。……けど、これって俺らが礼をするべきだよな? 恩人のあんたにそこまでさせられねぇよッ」

 

 涙目になって己の葛藤と戦うリッカルドさんには、とてもシンプルに答えた。

 

「いいや、やるよ。……ジェイドならきっとこうする」

 

 これが事実なら、僕にもう迷う理由はなかった。

 ただ、アギンさんやフリデリックさんは少し申し訳なさそうに言う。

 

「……すまねぇな、ルガトリオ。おれもできれば協力してやりたいんだけど、おれとリックは一応SAL(ソル)のトップ2だ。ギルマスとそのサブの変更は手順が面倒で時間がかかりすぎるし、おれらは簡単にこのギルドへの脱退や加入ができない……」

「先輩の言う通りなんです。権利乱用を避けるため、加盟と脱退には制限がついてしまいます。つまり、頻繁に出たり入ったりができないんです。……ギルドを解散すれば早いんですが、ただの休暇中にメンバーに無断で勝手なことは……」

「わかっていますよ。だからこれは僕1人でやります。今からジェイドに僕をギルドから除名してもらって、そこからすぐに《黄金林檎》に加盟します」

「あんた……か、感謝するよ! 本当に……本当にありがとう!」

 

 とはいえ、僕とてただのお人好しにはなりたくない。僕は手分けして協力者を探していたらしいカインズさんやチェーザルさんにも集まってもらい、それぞれ事情を聴いて裏を取った上で行動に移った。よもや《圏内事件》で貸しのあるカインズさんだ、嘘はつくまい。

 

 

 

 そして数分後、やはり彼でさえ本気で救助を求めてきたことから、僕はこの事件を本物と断定した。

 ただし、直前で横槍が入る。

 

「……決めた。アタシも行くわ」

「あ、アリーシャさんも!?」

「副リーダーのジェミル君と違って、アタシもフリーよ。問題ないでしょう?」

「でも……」

 

 言いかけて、やめる。これが今のアリーシャさんにとって貫くと決めた正義なら、僕はそれを止めない。

 

「うん、決まりだね。じゃあ走りながらやろう! 時間が惜しい!」

 

 僕は揺れるウィンドウに四苦八苦しながらも、どうにかジェイドに要望を送った。タップミスで同じメッセージを連投してしまった気もするが、細かいことを憂慮(ゆうりょ)している時間はない。

 無理を承知で頼み込んだつもりだったが、短い文でも僕を信頼してくれたのか、ジェイドは意外にあっさり受け入れてくれたようだった。

 

「(すぐ帰ってこい……か。さすがに僕のことだと察しがいい……)」

 

 それがなんだか嬉しくて、僕は危険を前に俄然(がぜん)やる気になっていた。

 

「く、クエストログを見つけたぜ! 走った甲斐があった! 《ギルド招待メッセージ》はさっき送っといたから、それを承諾したらすぐにでも頼みます!」

「わかってるよ! もう40分はたってる!」

「圏内事件の時からっ、迷惑かけっぱなしですみません! お願いしますルガトリオさん!」

 

 カインズさんの念押しには片手を上げて応え、僕はのんきにフィールドで地図を広げていたNPCに定番ワードである「なにかお困りですか?」と声をかけると、旅人は早口なセリフにも反応してくれた。

 案内されたポイントへまたダッシュで接近すると、小型のピラミッドのようなレンガ造りの建物を発見。正面には明らかにミスマッチした銀縁の取手付きのドアが設けられていて、おそらくその先が騙し絵迷路の立体ダンジョンだと推測できる。

 すると、《索敵》スキルを持ってなくてもわかるほど堂々としたエフェクトと共に、正面に派手な色彩の敵が現れた。

 

「来た、クエストボスだよ!」

「でも大丈夫。アタシらは前線組だし、慌てなければこんなの瞬殺なんだから!」

 

 最近はヘタなマイナーゲームの女戦士よりも様になってきたアリーシャさんが、片手直剣を後ろに構えながら一層自信に溢れた戦気を放つ。

 

「ルガ君はアトから援護ちょうだい!」

 

 アリーシャさんが単発突撃系のソードスキルで突っ込むと、そのノックバックで強制的にこじ開けた隙に乗じ、今度は棍棒(クラブ)を抜刀したボクがスイッチで前に出た。

 両手用打撃(ブラント)属性武器専用ソードスキル、上級重震五連撃《ミルキー・インパルス》。

 右から横殴りに1発振り抜き、半時計回りに回転しながら今度は頭上より垂直に棍棒を叩きつける。あとはその回転叩きつけ攻撃を最高五連撃まで続けることのできる、言わば攻撃回数を途中で任意に決められる便利ソードスキルである。

 僕はそれを最高の五連撃までだしきると、敵の反撃に備えて防御の姿勢をとる。しかしクエストボスからの反撃は来なかった。

 ズガガッ!! と、その眼球に2本のダガーが突き刺さったからだ。

 

「ジェミル!」

「えへへ、ボクだけじゃないよ!」

 

 彼がそう言った直後、曲刀(シミター)長柄槍(ポールランス)を装備したアギンさんとフリデリックさんが、息の合った挟み撃ちでボスを追撃した。

 その猛攻にたまらずゴアアアアア!! と絶叫を残しながら、二足歩行のスフィンクスボスモンスターがたじろぐ。

 

「2人共どうして……っ」

「へへっ、まだ一時的な(インスタンス)マップには突入してないだろ? だったらおれやリックにも手伝えることがあるってこった!!」

「全力で援護するよ! サブウェポンだから、力になるかはわからないけどね!」

 

 クエストログからフラグを立てたのは、今や《黄金林檎》メンバーとなった僕とアリーシャさんだけ。ゆえにこのボスへ誰がラストアタックを決めたとしても、その経験値は僕達2人にしか割り振られないはず。

 それでも、それを承知した上で彼らは僕達を援護してくれているのだ。

 それにフリデリックさんの予防線が謙遜(けんそん)であることは明らかだった。もちろんメインの円月輪(チャクラム)を使ったサポートが彼の本領ではあるのだろうが、元々器用な彼にとってそのハンデは無視できる程度のものなのだろう。

 戦いは一方的で、圧倒的だった。

 有無を言わせぬ連続攻撃。ものの2分半でクエストボスが討伐されると、僕とアリーシャさんは背中を押されるように取手付きのドアの前に立っていた。

 

「準備はいいアリーシャさん?」

「アタシらがペア組んでこんなことするなんてね。不謹慎だけどちょっと気が高ぶるわ」

 

 どうやら準備は万端のようだ。

 ドアノブを(ひね)って僕が先にダンジョンに侵入すると、アリーシャさんがゆっくりとあとに続く。

 

「2人とも頑張ってぇ。あとぉ、気を付けてねぇ」

「任せてよジェミル。すぐ帰るから」

 

 ダンジョンのドアが完全に閉まる。ここからはインスタンスマップ。脱出したければ、僕とアリーシャさんがメニュータブから『クエスト破棄』を選択する他ない。

 

「やっぱり設定人数は上限が『2』だね。もしやと期待したけど普通にクエストボスも追加されてたし、ボスから割り振られた経験値も僕とアリーシャさんで割り勘だったもんね。さすがにインスタンスマップは共有してるはずだけど」

「それより何よこのダンジョン、階段とドアの設置の仕方がおかしくないかしら? 側面に階段もあるし、下や上向いちゃってるドアまであるわよ?」

 

 確かにアリーシャさんの言う通りだった。

 閉鎖空間にしては意外に明るいのが救いだが、まるで有名画家による錯覚アートを3次元で表現したような、目が回るダンジョンが広がっている。

 

「うん。情報通り、これが騙し絵迷路の立体ダンジョンってことなんだ」

「目が回って酔いそうだわ。……きゃあ!?」

「ほらっ、そこ気をつけて!」

「あっぶなぁ〜」

「ダンジョンの広さに反して結構足場が狭いし、『立体迷路』ってことを忘れないようにね」

「うん……ゴメン……」

「しかも、なんか下の方に湖みたいなのがいくつか見えるね……」

 

 四角に切り取られた不自然な湖は、底が見えないことから、かなりの水深があると予想された。もっとも、落ちても泳げば問題ないかもしれないが。

 ただし落ちたら水音が遠くへ響いてしまう。僕達はここの攻略にこそ興味はないが、少なくともこのダンジョンに監禁されたヨルコさんを速やかに助け出さなければならない。

 よってなるべく僕らの侵入は敵に知られたくはない。

 至るところにある蝋燭(ろうそく)の火で、光源だけは苦もなく確保できそうだ。

 

「ヒール履いてこなくてよかったわ~。レンガの上とか歩き辛いし。……あ、じゃあ手分けするのは危険すぎるかしら。トラップとかもあるかもしれないわよね?」

「う~ん……こうなると罠探査(インクイリィ)を持ってるジェミルが欲しいところだね。でもアリーシャさんは《索敵》を持ってたでしょ? まずはそれで大まかに位置を探ろう」

「それしかなさそうね。サーチングの機能はさっきオンにしておいたんだけど……ち、ちょっと待って!? これどういうことなの!?」

 

 突然アリーシャさんが立ち止まり、僕には不可視の自分のウィンドウに目を開いた。

 

「ど、どうしたの。誰かいたの? あとできれば声を抑えて……」

「数がおかしいのよ! このダンジョンには今、10人以上のプレイヤーがいるわ!」

「そ……んな……ッ! くっ!? アリーシャさん危ない!!」

 

 視界の端でチカッ、と何かが動いたのを確認すると、僕は必死にウィンドウを覗き込んでいた彼女に覆い被さっていた。

 直後に背後でドガァアアアアアッ!! と大爆発が起きる。

 (あぶ)られた背中が熱い。この火力は間違いなく樽型爆弾だろう。ヘイト稼ぎにしかならない《威嚇用破裂弾》とは比較にならない破壊力で、樽一杯に火薬を詰め込んだタイプの導火線爆弾だ。普通はモンスターの生態を利用して待ち伏せし、その爆発力で先制攻撃に使われるものだが……、

 

「(先を越された!? どうやって!?)」

「ボスの言った通りだ! やっぱり勝手に入ってきてやがった!」

「数は2人! さっさと捕まえろ!!」

 

 あちこちから声がする。

 振り向くと、視界の端に数人捕らえた。怒声から感じる声調、髪や服装の乱れ、問答無用の攻撃性。

 ヨルコさんを密室に(さら)った連中は、どうやら悪い意味で本気らしい。

 

「くそ、相手の人数が多いッ……ここは引こう。アリーシャさん立てる!?」

「え、ええ……ごめんなさい……」

 

 その謝罪にも応えずに、僕は彼女の手を引いてがむしゃらに走った。敵の総戦力が不明な内は衝突を避けたかったからだ。

 幸い不自然にレンガがくり抜かれたような空間や乱雑な階段もあり、部屋を区切るようにドアも設置されていたので、数人の追っ手を一旦()く程度なら容易(たやす)かった。

 3次元的な逃げ方をランダムに行ったのだ。多人数で端からローラー捜索をされてもしばらくは持つだろう。

 

「ハァ……ハァ……先にキャッチされるなんて……ハァ……敵にも手練れがいるね」

「ハァ……うん……危なかったかも。さっきは本当にありがとう、助かったわ……」

「あ、いや……うん……」

 

 慌てていたとはいえ、つい手を握って走っていたことを思いだして体温が少し上がる。

 しかし《ハラスメントコード》によって無条件に僕の手が弾かれなかったと言うことは、アリーシャさんの内では徐々に僕の存在が認められていると言うことなのだろう。嘘偽りなく嬉しい事実である。

 

「あとさっき敵が10人以上って……」

「そ、そうなのよ。数えたらアタシ達以外に13人もプレイヤー反応があったわ。さっきみたいにアタシ達侵入者を警戒していた辺り、ヨルコさんの監禁と無関係じゃないだろうし……あいつらはどうやって人数を増やしたのかしら? まさかヤマト君が招き入れたとか……!?」

「だとしたら僕らを呼ばないだろうし、それはないと思う。……方法はまだわからないけど。でも考えてみたら、あの人達は剣を使わずに前線のショップで売ってるタイプの爆弾で攻撃してきたよね? 時間差のおかげで僕は奇襲に気づけた。……と言うことは、あいつらのレベルはたいしたことないと思うんだ。たぶん次に遭遇戦になっても切り抜けられると思う。だから固まってちょっとずつ捜索なんてやってる場合じゃない。ここは強行突破して少しでも早くヨルコさんを見つけよう」

「そうね。女の子のヨルコがどれほど怖い目に遭ってるかはアタシが1番わかるわ。あんな奴ら、サクッと倒してサクッと脱出しちゃいましょう!」

「うん。ロープは持ってきてるよね? 敵と交戦したら、なるべく相手の武器を破壊して、身動きをとれないようにしておこう」

 

 方針は決まった。

 僕とアリーシャさんは休憩もほどほどに二手に別れ、ヨルコさんがどこで監禁されているのかを突き止めにかかった。

 

「(ヨルコさん。……敵がそういう……げせんな目的で彼女を監禁してるとしたら……)」

 

 考えるだけで怖気(おぞけ)が走る。やっと仲直りできたギルドがこうして前向きになったところに、それを踏みにじるように侵犯したあげく、女性によってたかって手を上げるなんて最低だ。男の恥だ。

 レンガ上を走る僕の中で、戦意は独りでに膨れ上がっていた。

 

「(けどタイムロスは避けたい。戦うのはヨルコさんを見つけたあとだッ)」

 

 できればこの怒りを叩き込みたいところだけれど、あくまで目的は戦うことではない。それはただの手段。敵の手下を見つけたとして、僕はやはりルートの迂回を選ぶだろう。わざわざ時間を割くのも無駄である。

 そして。

 しばらく早足に捜索していると、本当にふとした弾みで視線を横に向けた先に、下着だけをまとった女性が体を抱くようにして隠れているのが目に入ってしまった。ほんの数メートル先だ。

 

「ヨルコさん!?」

 

 その姿にあまりに驚きギョッとした声をあげてしまう。

 だが僕の声で初めて存在に気づいたのか、小刻みに震えていたヨルコさんがキツくつぶっていた目を開け、そのまま大声で叫びそうになる。

 

「ヨルコさんダメッ、僕です! レジクレのルガトリオです!」

 

 とっさに彼女の口を塞ぎながら僕も同じ(くぼ)みに身を潜める。どうやら今の音量で誰かに見つかったりはしなかったようだ。

 改めるまでもなく、ほっぺのそばかすと藍色の長い髪は以前の彼女のものだった。

 しかし、あまりに面積の狭いレディースの白パンツとブラジャーしか(まと)っていない艶姿(あですがた)な女性と、しかもその口を塞ぎながら身を潜めるのは精神的に悪い。張りのある白い肌も相まって目に毒もいいところだろう。

 僕は「もう大丈夫です」と何度もなだめつつ、ストレージに詰まっていた目的不明だったブカブカの売却用布防具を彼女に手渡すと、それを着てもらってからやっと状況が聞けた。

 

「ヒ……ヒック……ルガトリオさん、さっきはごめんなさい……でも、あなたのリーダーさんに……その、悪いイメージが強くて……」

 

 泣き声で申し訳なさそうに謝るが、おそらく《圏内事件》についての事情聴取でジェイドが部屋に訪れた際に、ヤクザ口調で脅しまくったことを言っているのだろう。

 ずいぶん怒鳴り散らしたと聞いたので、その時に感じた恐怖心が今でも残っていたのかもしれない。やはりいくら計算された尋問とは言え、彼女をこれほど怯えさせてしまったジェイドも悪い。

 僕はあえて彼のフォローをしないまま、なるべく穏やかに続きを催促した。

 

「怖かったんです。脱出もできなくて……私、乱暴されかけて……本当に……グス……怖かった……ぁ……」

「……はい、それはわかります。でも気を確かに持って。彼らはいったい誰なんです?」

「ぅ……わ、私にもわからないんです。……わけのわからない内にダンジョンに連れられて……麻痺が解けても《ハラスメントコード》が押せないように両手を後ろで縛られて……でも、ウィンドウを開かないと服が脱がせられないからって、一時的に縄をほどかれたんです。無理やり1人だけコードを使って《黒鉄宮》に飛ばせました……その隙になんとか逃げ出したんです」

「そ、そうだったんですか……」

「でもその人は敵のリーダーではありませんでした。まだ彼はどこかに……」

 

 やっぱり最低な人達だった。強盗や殺人と比べることではないが、僕はこういった強制行為で欲を満たそうとする人間は大嫌いだ。

 

「時間経過で《ハラスメントコード》のタブは閉じちゃったみたいですね。けど仕方ないです。逃げる方が先だったでしょうし。とにかく今は安全なところへ……」

「安全なところなんてないぜ~! ヒーロー気取りがァ!!」

「くッ……!?」

 

 突然の声に驚いて振り向くと、そこにはラフな格好をした大柄な男が立っていた。

 

「へっへっへ、1人締めか? させねェぞ~」

 

 ニヤニヤと笑いつつ男は歩いてくる。ほどよい筋肉質で身長は170後半もありそうだ。日に焼けた褐色肌と海賊のような服装に、傷だらけのいかつい顔には自信も見え、そのくせ確かなレア度を誇る武器とアクセサリーを装備していた。ファッショのつもりなのか、中にはゴツいゴーグルのようなものまで首に下がっている。

 敵を前に腕を組んでの意味ありげなこの態度。直接戦闘すら辞さない覚悟から、彼が敵集団における『ボス』であることが証明されていた。

 僕は油断なく見据えつつも、はやる心臓を必死に押さえながら呟いてしまう。

 

「な、なんで……これは、攻略組クラスの装備か……っ!?」

「ハッハッハァ、レベルと装備なら前線野郎にも引けは取らないぜ? まもっともォ、そんな手練れプレイヤーは俺ぐらいだがなァ!」

 

 大柄な男は曲刀カテゴリの大刀《タルワール》を腰からジャリンッ、と引き抜いた。その武器の固有名までは記憶にないが見るからに大業物である。

 不用意な発言から注意すべき敵が単騎と判明したものの、しかしこれはマズい。敵が自由に動けるのに対し、僕はヨルコさんを守りながら戦わなくてはならないからだ。敵グループの狡猾(こうかつ)さを考えれば慈悲など望むべくもなく、長引けばいずれその弱点を突かれる可能性も高くなる。

 まともに張り合ってもジリ貧だ。理想は粘るか逃げるかしているうちにアリーシャさんと合流することだが、二手に分かれてから5分は走った。果たしてそううまくいくだろうか……、

 

「(くっ、敵も僕らがそろわないよう策を練っているはず。なら、来た道はたぶん包囲済み……正面には前線プレイヤー並みの敵。右に逃げたらしばらく直進通路で下手したら詰む。左前方の空間は空いてるけど、ヨルコさんを連れているし、下が水槽みたいな湖で泳ぐしかない。……いや、僕は何を逃げ腰になってるッ。泳いで逃げられるはずがないだろう! ここはこの人を倒すしか活路はないんだ!!)」

 

 地面すれすれまで水が波打つ左側の湖は水深部が見えない。水位がひざ下までなら何とかなったかもしれないが、これでは走って逃げるのも無理だ。

 僕も意を決して応戦の構えをとる。

 その選択に満足したように、大柄で褐色の男はタルワールを向けてきた。

 

「なるべく時間をかけずに敵を倒せばなんとかなるよ。ヨルコさんは下がってて」

「はい……」

「イヒヒヒッ、格好いいなァおい! んじゃあ行くぜクソガキィィィ!!」

「く……僕だってっ!!」

 

 ダッシュで間合いを詰めつつ、衝突。油断したわけではないが、その反動に思わず再度距離が空いた。相手は僕より体勢を崩していた。

 しかし、今度は助走がない。凶器をぶつけ合うと、ガガガガガッ!! とザラザラの鋼鉄を高速で擦り合わせたような音が響いた。

 そこで、敵対者の片足がソードスキルの予備動作(プレモーション)で発光していることに気づく。

 単調でタイミングも遅い。連撃に繋がらない大技は回避もしやすかった。

 

「(この人は戦い慣れてない! ならッ……)……そ、こォ!!」

 

 僕が攻撃幅の穴を見つけ斜め前方に転がるように進むと、射角の狭い敵の連続《体術》スキルを無駄撃ちさせることに成功する。

 真後ろを取った僕の行動は早かった。

 

「ぐぅっ!?」

 

 慌てて振り向く敵のみぞおちへゴウッ!! と突き技を放つと、倒れ込む相手に今度はこちらのソードスキルをお見舞いした。

 

「ヒィ! ヒィぃィィ!? バカな!?」

「ッけェえええっ!!」

 

 ガッ! ガガッ!! と連続技がすべて命中した。

 一応横に倒したタルワールで防ぎきっていたようだが、無理な姿勢で無理な防御を行ったせいか、最後には武器が後方へ吹っ飛ばされていった。

 敵はあっけない結果に悔しがるのを通り越して唖然(あぜん)としている。

 勝負ありだ。これほど短期決戦に持ち込めたのは奇跡に近い。

 

「ヒィぃィィ! ヒヤァアア!?」

「ハァ……ハァ……抵抗は無駄だ。これでもう……」

「ヒ、ヒ、イヒッ……イヒヒヒっ!!」

 

 あざ笑うその姿に、驚く暇も無かった。

 スキルの技後硬直(ポストモーション)で動きの止まった僕を、今度は敵が(すく)い上げるように蹴り飛ばしたのだ。

 悲鳴に近い絶叫をあげながら肺の空気を押し出され、僕は四方20メートルほどの巨大な水槽へドボンッ、と落とされてしまった。

 

「ヒャーハッハッハッハッハァ!! 誘っちまえば勝ちってなァ!!」

「ごぼっ……ゲホッ、ゲホッ! くそ、足が届かないっ……それに、なんだ!?」

 

 ガチャッ、と。明らかに異質な金属音が、水中の足元の方で聞こえたのだ。

 いきなり鉄球でもぶら下がったかのように片足が重くなる。水上への脱出どころか、水の底へ引きずられないように通路の(ふち)に掴まるのが精一杯だった。

 そして突如、ほとんど僕の真横から大人をすっぽり覆えるほどの布を退けながら、ザバァアッ、と水面からプレイヤーが2人も姿を表した。

 

「やりましたよボス! オレっちが足枷を付けてやりました!!」

「ちぇ~手柄とられたぜっ」

「クックック、2人共ご苦労だったな。女を捕らえておけ」

『アイサー!!』

 

 何らかの方法で水面模様と同化していた手下達がボスらしき人物の命令を聞くと、すぐにヨルコさんの痛々しい悲鳴が聞こえてきた。

 こうしてはいられない、早く助けなければ。

 しかし焦りとは裏腹に、足首に取り付けられた重りが異常な重さで僕を縛り付ける。

 

「あァ無駄だぜ。鉄球付き足枷トラップにまったく同じもんをさらに巻き付けてある。重量オーバー過ぎて、どんな筋肉バカでも特製のそれからは逃げられねーよ」

「くっ……」

 

 確かに力ずくで抜け出せる重さではない。ましてや水位の深さから足が底についてもいないのだ。

 大柄の男は飛ばされた自分の武器すらも拾わず、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な態度で近づく。さらに僕の大事な相棒をガンッ、と水中に蹴り飛ばした。

 水柱をたてて武器がロストする。HPゲージはほぼフルで残っているのに、とてもではないが戦闘を続行できる状態ではなかった。

 

「ったくダセェんだよ武器が。……クックック。よォクソガキ、いい気味だな。ところで、人には心理のスキってもんがある。言葉やしぐさで判断力をニブらせると生まれる」

「そ、それがっ……どうしたっ」

「イッヒッヒッヒ、テメーは俺をアホな奴だの、スキだらけだのと侮っていたわけだ。ペラペラ戦力を暴露するバカとでも思ったろう? 実際は俺の方が用心深く慎重な人間だったなァ! 人を見た目で判断するなって教わらなかったかァ? クックッ、わかるかガキ。会った瞬間から……いや、さらにその前から俺は計算してテメーを倒した。2人を水面に潜ませた方法も簡単なトリックだ。たったの4層から存在が確認されている《アルギロの薄布》つーアイテムがある。水の上ならどんなものでも超迷彩化してくれるアイテムだが、その上位版がなかなか長持ちでなァ。クエストを途中で放棄しつつ、ちょいと拝借して応用してるってわけだ」

 

 その戦略には歯がしみするしかなかった。

 確かに《アルギロの薄布》は初期に登場した水上のボートなどを迷彩化してくれる便利アイテムで、水面という限定的な場所でしか活用できないが、そのタイプでデメリットなしは初登場だったからよく覚えている。

 しかし、まさか人間を隠すために使ってくるとは。トラップにトラップを重ねて脱出不能なレベルになるまで細工する発想をとっても、目の前にいる海賊風の大柄男が慎重であることは否めない。

 金属製のトラップ自体もストレージに納めておけばある程度重くても持ち運びは可能だろう。直接的な恩恵を感じないことから不人気ではあるものの、拡張したストレージに重いものを格納して運べるようにする専用スキルすらある。

 それに……、

 

「それだけじゃないですよね~ボス! オレっち達は《水泳》スキルも持ってる! 息は長持ちするし、水圧を無視して自由自在に動けるのさ!」

「おかげで戦闘スキルはかなり捨ててるがね! んだけど、あんたが湖に落っこちた瞬間、勝負は決まってたんだよ~ん!」

 

 卑しい表情を浮かべる敵の2人の部下は、初期装備に近いほど殺傷能力の低い貫通(ピアース)属性の武器をヨルコさんの肩口に深く刺し込み、目視できないほど微量のダメージを与え続けることで《ハラスメントコード》対策をしているようだった。

 PK可能なアクションゲームにおいて、プレイヤーへの攻撃行為まで《ハラスメントコード》で(しの)げる道理はない。それを許してしまったら異性間での戦闘はすべてコードの誘発でカタがついてしまうからだ。

 ヨルコさんには、きっと彼らから脱出する手段はない。

 

「いやぁ、いやぁああ! 離して! 触らないで!」

「くっ……僕はどうなってもいい! だからヨルコさんを離せ!!」

「釣り合いが取れていないなァ。できない相談だぜ、クソガキ」

 

 焦る僕を見下しながら低く笑い、しゃがんで話していた大柄男が立ち上がってから改めて続けた。

 

「あと1人いるみたいだが、俺の《策敵》は大体の位置を捉えている。こちとら全員《隠蔽》スキルを持っているんだ。捕まるのも時間の問題だろう」

「く……ま、待て! それはおかしいぞ! 《黄金林檎》のリーダーはお前の仲間のスキルを確認していたはずだ! なのに、僕達は不意打ちをかけられた……そんなこと、できるはずないのに!!」

「こいつはたまげた、健気なガキだ。死ぬ間際になっても情報収集か? 見え見えなんだよなァ、そういう小細工は」

 

 恐ろしい洞察力である。まさしく、僕の狙いはその通りだったのだ。

 頭脳戦でこの人物に勝てる気はしない。しかも単純な戦闘力では僕の方が上のはずなのに、男に十分に下準備させてしまったら、このように物理戦でも完敗してしまっている。ある意味、人を欺くことが苦手な僕の天敵と言っていい。

 強いて彼に弱点があるとしたら、このおしゃべりな自慢癖だろう。

 

「まァ冥土の土産だ。トリックの種明かしは……これだ。見た目はただの木の実状のクリスタル小瓶だが……?」

「…………」

 

 男の取り出したアイテムは見た目こそ変哲のない透き通った青色の瓶だったが、やはり僕は知識にはなかった。

 

「ハッハッ、知らねーか。正解は《カレス・オーの水晶瓶》。7層や8層辺りに出てくるエリートMobは、はるか下層の3層で1度だけ受けられるキャンペーンイベント、《翡翠の秘鍵》クエストにも登場する。受注は1度きりで、本来《負けイベント》のそいつをその場でぶっ倒すとこいつが手に入るって寸法だ」

 

 男は悠々と、言い聞かせるように紡いだ。聞く限りではアイテム入手のために序盤で大幅な逆走をしていたようだが、《転移結晶》もなく移動手段の限られた初期に思い切ったものだ。

 そして、この時感じていた嫌な予感は見事に的中した。

 

「まァレベルの上がった俺らには余裕だったが、得られる効果は驚愕に尽きる。なんと! スロットに設定された各種スキルの熟練度を、この小瓶に保存できちまうんだよなァこれが!」

「そ、んな……ッ!!」

「ヘハハハッ無知は罪ってなァ! これでスキルを1つだけ隠すことができる! ったくよォ、能無しチェックのパスなんて余裕だっつーの! ヒャーハッハッハッハッハ! だいたい今までの犯罪者は、あのレッド代表ラフコフのPoHを含め! みんなバカばかりだった! 人身掌握術? いらねェよそんなモノはァ!」

 

 どこかタガが外れたように、テンションをあげた大柄男は聞いてもないことを次々と語りだした。

 

「俺は違う! スリルなんて求めちゃいない! だから部下は全員俺よりレベルが低いんだよ! いいか、必要なのは優秀な奴でも信じられる仲間でもねぇ。俺を裏切れない『忠実な下僕』だ!! 下っぱを戦力と数えた前任者はみんなバカだよ! こういうザコには相応の使い方ってもんがある! 爆弾を使った牽制、人数差を生かした見掛け上の包囲網、待ち伏せからの強制トラップ、《ハラスメントコード》の身代わり! これならボンクラでもできるだろう!?」

 

 後ろでそれを聞いている部下がいるというのに、大柄男な自慢げだった。おそらく彼の部下2人は……いや、部下全員が彼の性格や主張を理解した上で、それでも欲望に抗えずに付き従っているのだろう。後ろで苦笑いを浮かべながらもヘコヘコしている2人には、どこか歯車であることに甘んじているきらいがある。

 そして、この男は増長した。

 戦闘センスなんて関係ない。ハイエナのように攻略組のおこぼれに預かり、危険をおかさず最前線の影にひっそりと付いていけば、こうして欲に飢えた下層プレイヤー達を手駒にできると実感したのだ。

 ここまで堕ちたらもうおしまいだ。彼はこれからも(みずか)らを磨くのではなく、他人を見下すことによって自分を慰撫(いぶ)していくのだろう。

 

「そ……うやって……下の層に降りて王さま気取り?」

「……あァ?」

「そんなんじゃ……得られるものは何もないよ。武器やお金の強奪だってできない。だって、君の周りの人達は……みんな君より弱いんだ……。そんな分不相応な人達からいったい何を……」

「バーカ、だから俺は『女』を狙ってるんだろう。俺の狙いはハナから女だよ」

 

 ここに来て、こいつは徹底(てってい)していた。人殺しが目的だった方がよかったなどと話を逸らす気はないが、この方向性に突き抜けたプレイヤーは初めて見る。

 言うなれば、ただのクズ。同情の余地が微塵も残っていないクズ野郎だった。

 

「金や武器ならどこでも稼げるじゃねェかアホらしい。PKもタダの手段さ。……さ~てさてさて。おっと、こんなところにテメーの鉄球付き足枷を外せるだァいじな鍵があるじゃないか。こいつはどうしようかなァ?」

「うっく、それ……は……!!」

 

 おしゃべりは終わりとばかりに。

 掌で小さな鍵をコロコロ転がしながら、男はそれをもったいぶるように見せつけてきた。僕が自由を取り戻す最も簡単な手段だ。

 だが、男は無慈悲だった。

 ニヤニヤしたまま、その鍵を湖の真ん中の方へ投げ捨てたのだ。

 後ろでちゃぽん、という小さな水音がした。膨大な体積を誇る水中に手のひらサイズな鍵が消えた。深部は暗い。深さ5メートル以上はありそうなこの湖において、ましてや足枷をかけられた状態で探すことは不可能だろう。

 それに息だって永遠には持たない。この通路の淵から手を離したら、鍵を見つけて足枷のトラップを解除しない限り、数分とたたず僕は死んでしまう。

 

「この教訓は俺からのプレゼントだ。『大切な仲間』より『忠実な下僕』……覚えたかな~? イヒヒヒヒッ、女をわざと泳がせて誘い込んだ甲斐があったぜ。結局テメーは何1つ俺に勝てやしないんだよ! んじゃ、地獄で会おうなクソガキィ!!」

「ぐああああああっ!?」

 

 (あご)を思いっきり蹴られた。

 両手も離れ、空気が吐き出され泡と水だけが視界を覆う。辛うじて繋がっていた生命線が絶たれたことで、完膚なきまでに全ての戦いに敗れたのだ。

 僕は目をつぶったまま、暗い水の底へ、だんだんと沈んでいった。

 

 

 

 



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テュレチェリィロード4 芽生える気持ち

 西暦2024年11月1日、浮遊城第50層。(最前線75層)

 

 瞬きよりも刹那、ざわつくような、浮足立つような胸騒ぎがした。遠くから微かに名を呼ばれた気がして、誰もいないはずの通路を振り返ってしまう。

 暗く続く回廊には、静寂だけがあった。

 

「(ルガくん……? ……)……くッ!?」

「オラァアアアっ!!」

 

 突如、待ち伏せていた敵の一兵が人の首ほどもある段差から飛び降り、頭上から先制攻撃を仕掛けてきた。

 しかし付近の伏兵をサーチングでリピール済みだったアタシの対応は沈着だった。

 息を止め、抜刀と同時に返す刃がカウンターで獲物の中心に直撃。バギギィッ!! 『く』の時に折れ曲がる襲撃者の両手用槍斧(ハルバート)には目もくれず、見せつけられた実力差に呆然とする南蛮服の敵へダッシュで迫った。

 そのまま男を組み伏せると、その背中に乗ったまま素早くロープを実体化、流れるような作業で敵の1人をでき損ないの恵方巻にしてしまった。

 

「うげぇっ、なんだこれ! 俺は女に縛られる趣味はねぇぞ!」

「あ、口を塞ぎ忘れたわ」

「ちょ、おいやめっ……ふごぉ!? フゴフゴっ、ムゴゴォォォオ!!」

 

 これでよし。しかし3人目だからこそなかなかスムーズに行えたけれど、逆に言えばアタシはこれで3人のプレイヤーと戦ったことになる。

 HPや武器の消耗は皆無と言ってもいいが、そろそろロープの方が底を尽きかけている。敵を無力化して進むのもあと1人が限界と言ったところか。

 それよりヨルコを探しながら騙し絵迷路のダンジョンを進んでいるのだから、この場合は無駄に時間を浪費したことの方が痛い。変わり栄えのないレンガ部屋にも見飽きてきたところだ。

 

「(やんなっちゃうわまったく。敵の本拠地もヨルコも見つからないし……おまけにこの胸騒ぎ……)」

 

 戦果にいちいち喜ぶこともなく、アタシはずんずん前進する。広い目で見れば全てのエリアが閉所といえるこうしたダンジョンでは、やはり見つからないように逃げ回るにも限度がある。角を曲がる度にヒヤヒヤものだ。

 それとも、ランダム配置の蝋燭(ろうそく)の火が服に燃え移ったり、巨大な水槽状の湖からゾンビが襲ってきたりなどしないだけアニメや映画よりマシなのだろうか。

 

「……あっ……!」

 

 何て冗談を言っている暇はなかった。もう少しで大きな声をあげそうになってしまう。

 いたのだ。

 数メートル先に人数は5。比較的広いエリアで、見渡せる範囲は15メートルほどもありそうだった。

 そんなエリアの中心で、防具の特性なのか手入れを怠っているのか、不潔そうな生地の薄い服を(まと)う男達が辺りを適度に警戒しながら休憩したり武器を研いだりしている。

 やけに呑気なものだ。と言うより、敵の捜索網を順々に辿って突破した結果、こうしてアタシに本拠地が見つけられたようなものなのに、少しまったりし過ぎである。彼女の姿は見当たらないが、アタシが見つけたからには捜査の手を薄く広げたのが仇となったようだ。

 

「(ふぅ〜とりあえずいたけど、アタシ達やヨルコ探しを中断してるのかしら……? 少なくとも見た感じは他にいないし。……ということは、たぶん逃げたあのコが捕まっても最後はここに連れられるはず……って、捕まるのを待ってどうするのよアタシ!!)」

 

 意思や感情のないNPCの救出作戦なら考えるところだが、ヨルコが怖い目に遭ってから助けているのでは全然遅い。彼女が捕まってからの一網打尽は論外なのである。

 という決意のもと、非効率を承知で物陰を移動。散乱する木箱などをカバーにしつつ、敵の1人が最短距離に近づいた隙を見てアタシは一気に物陰から突撃した。

 

「ん……な、なんだこいつ、どこからッ!?」

 

 反射作用(リフレックス)で戦闘体勢にはなれたものの、アタシの速度と筋力値にその男は追い付けなかった。

 直後にけたたましい重音が炸裂する。

 

「遅いのよっ!」

「ぐァああっ!? くそ、速い!?」

「敵襲ぅー!! 武器を取れー!!」

 

 アタシは迷いを切り捨てて剣を振るった。すると完全な奇襲で1人、武器を手に取る前にさらに1人、ソードスキルの正面衝突で敵をゴリ押しすることでまた1人。あっという間に3人を注意域(イエローゾーン)へ叩き落とした。

 当然ポーションやらクリスタルやらで回復を繰り返してくるだろう。しかし5分そこそこも戦えば、必ず敵側の方が先に非常用の物資を使い果たすはず。それにメインアームを折ってしまえば敵にどれだけ回復ソースがあろうと関係なくなる。

 時には人数を生かした挟み撃ちを、時にはやけくその特攻をかましてくる敵を、アタシは冷静に(さば)いていく。

 

「セヤァアア!!」

『ゴアアああっ!?』

 

 男達は束になっても役立たずだった。

 1人がレンガ水槽にドボンッ、と落ちていき、敵の戦意はほぼ喪失したようだった。

 

「ハァ……ゼィ……つ、つえぇ……ッ」

「ハァ……ハァ……さあ、これで追い詰めたわよ。ハァ……男の風上にもおけないあんた達の言い訳は、署でたっぷりと聞いてあげるわ。それよりヨルコをどこに……ッ、上!?」

「飛んで火に入る夏の虫ってなァ!!」

 

 ガチンッ!! と、寸前までアタシが立っていた場所に火花が飛び散る。

 また真上からだった。一辺倒な戦法だ。

 しかし敵の援軍か。簡単に後ろをとられるとは驚きである。だいたい、乱入者の手に握られた武器であるタルワールが、先の5人とは比較にならない業物だ。

 アタシは瞬時に敵の装備を分析した。

 知性を感じさせないファンキーな声、やる気のない構えに騙されてはいけない。地味だが彼のブーツは加速をアシストするレア物。他のアクセサリーもレアとはまではいかないが前線で通用するレベルだろうか。チャラチャラとネックレスやゴーグルのようなものを首に下げ、海賊袈裟のように羽織(はお)る防具も見た目以上の防御値を誇っているはずだ。

 抜け目ない眼光1つとってもやられ役の雑魚キャラではない。一流の装備にも追加の強化や手入れが行き届いていて、ダンジョン侵入直後の下っぱの発言にあった『ボス』という単語が頭にチラついてくる。

 そして、その予想は的中した。

 

「ボス! 待ってやしたぜ!」

「サクッとやっちまってくだせぇ!」

「……やっぱあんたが……ふふん、ずいぶん弱っちい部下を何人かそろえたみたいだけど、アタシはもう8人も倒しちゃったわよ?」

「……ひ……ヒ、ヒィーヒッヒッヒ! イィーヒッヒッヒッヒ!! 『忠実な下僕』が11人。……それを束ねる俺は1人。そしてそしてェ……? なんと! 戦闘員も俺1人(・・・)なんだなァこれが!」

「なにを……言って……?」

 

 警戒がスカスカなことは伝わってきたけれど、言っている意味がわからない。

 人を小バカにしたような仕草で大柄男は続ける。

 

「わかんねェかなァ? お前がチマチマ倒して縛り上げた最初の3人も、そこでたむろってた5人も! 『戦闘員』じゃあねェんだよ! イキがってもらっちゃ困るなァ!!」

「(な、何で最初の3人のことまで……まさか!?)」

 

 アタシが振り向くのと同時に、大柄な男とアタシの対角線(ダイアゴナル)上からアタシへ毒塗りのナイフとダガーが飛来してきた。

 ガッ、ガガ!! と、際どいところで全ての武器をシールドで弾く。姿勢を低くしてどうにかそれらを(しの)ぎきったと確認すると、今度は攻撃したプレイヤーを視認した。

 すると……、

 

「やっぱりッ……アタシが倒した人達が……!!」

 

 捕獲は無意味だったのだ。戦闘力はたいしたことなかったが、毒武器専門職のような気味の悪い猫背のプレイヤーが戦線に復帰している。

 

「そういうこった。後ろで待機してた奴が、エサ役の部下をきちんと解放済みさ。ハナッから負けるつもりでテメェを誘導してたんだよ。……ってことはだなァ、オメーさんは散りばめたチーズの欠片にホイホイ食いついた挙げ句、ネズミ取りにかかっちまった哀れなネズ公ってわけだ!! ハッハッハァ! 自分でゴールに辿り着いたとか思っちゃったかなァ!?」

 

 彼の傲慢(ごうまん)さは留まるところをしらないようだった。

 しかし誘われたとはやってくれる。

 無力化に失敗した敵が3人と、その人達をロープの束縛から解放した1人。アタシが奇襲した、無防備にたむろしていた敵が5人。新たに登場した『ボス』らしき人物とその部下が追加で2人。敵の合計は12人。1人以外がまるで強くないことから、実質1人+αと言ったところか。

 だが、アタシとルガ君が束になって戦えばなんとかなりそうだけれど、短期決戦でこの『ボス』らしき人物を倒さなければかなり厳しい。

 

「(ヨルコはまだ見つけてないのか、それとも隠しているだけ? なんにせよ、ルガ君がこの場にいないなら全員の相手は無理……一気に敵のトップを叩くしかない!!)」

「お? ……おおっ!? よく見たらこいつレジクレじゃねェか! ブロンドウェーブのグラマーってことは、おめーさんは『アリーシャ』だな!? ヒャッハッハァ! わざわざ美人さんがこんな巣窟に飛び込んでくるたァ、もうけ話があったもんだぜ!!」

 

 ヤニ臭そうな笑みを浮かべると、褐色肌の大柄男はタルワールを構えた。

 それが合図だったのだろう。直後に死角からまたも毒塗りの投擲(とうてき)武器が迫る。

 しかし、これはアタシの読み通りである。

 部下を使った牽制を読んで、アタシはすでにラウンドシールドで隠しながらポーチから《解毒結晶》を取り出していた。大きなシールドは腕に装着すると手元が隠せることから、この小技は対モンスターよりも対プレイヤーによく効くのだ。

 アタシは敵の攻撃に合わせて「リカバリー!」と叫びながら、あえて下がらず前に出た。

 

「なにッ、この女!?」

「バレバレなのよそんなものはッ!!」

 

 《解毒結晶》により数分は毒を受けつけなくなった。何のこけ脅しにもならなかった部下のデバフ攻撃と失策に苛立ちながら、大柄男はワンテンポ遅れてアタシの攻撃に対処する。

 さすがにソードスキルを発動する隙はなかったが、インファイトを仕掛けたアタシと敵の距離が近すぎるため、外野は手出しができない状況に陥っていた。

 人数差はこうした工夫でも切り返せるのだ。

 

「まともな戦力が! あんた1人だからこうなんのよ!」

「く……クソッたれ、こんな手でッ」

 

 アタシは連続攻撃の途中でわざと剣を大きく振りかぶった。そして敵が両手でタルワールを水平に構えるのと同時に、鋭い足払いで敵のバランスを崩す。

 それで決まりだった。ゴキンッ!! と、直後に炸裂した渾身の一撃は敵を5メートルもぶっ飛ばした。

 

「ぐがァアアアアアっ!?」

「嘘だろ、ヤベェぞこれ! あんな女にボスがッ!!」

「これでトドメよ!!」

 

 取り返しのつかないディレイを尻目にソードスキルを発動させた、直後だった。

 

「な~んてな」

「なっ……!?」

 

 眩むような閃光が空間を包む。

 視界が全てホワイトアウトした。それが《閃光弾》による敵の部下の援護射撃だと気づくのに、アタシはたっぷり3秒も費やしてしまう。

 

「し、しまった……ッ」

「対閃光ゴーグルには気づかなかったかなァ? まあ、邪魔なもんまでチャラチャラぶら下げといたからなァ!」

 

 ゴッ!! と、お腹の辺りに強烈な蹴りが入った。

 続いて耳の近くで《威嚇用爆弾》が炸裂し、足元で小規模の爆発も起きる。盲目(ブラインドネス)にかかってしまっては一方的なリンチだ。情けないことに少しずつHPが削られる度に――目をつぶっていても視界の左上には名前とHPなどは常に表示される――焦りと悲鳴が表面に出てしまっている。

 確かにこの男は部下の『使い方』がうまい。これだけの人数がいてなお単純戦力として扱わず、しかも最大限に効果を発揮させるやり方は今までにないスタイルでもある。まるでポーンしか動かせないチェス盤のようだ。

 ただし、キングが1人という絶対的ルールは生きている。奴隷のように部下を使役するリスクは最終的にはそこにある。

 だから……アタシがこの男に勝てば、盤上の危機は見事にひっくり返されるだろう。

 

「(まだ諦めてたまるか!)」

「おっ!? がむしゃらに暴れて時間稼ぎか! いいねェそういう泥臭い努力っ!!」

 

 最後のセリフでまた横っ腹を蹴られ、アタシは軽い悲鳴と共に倒れてしまう。

 

「そろそろかァ!? 視界が戻るぞォ~……はい残念ン!!」

 

 アタシが視野を取り戻すのとほぼ同時に、またも《閃光弾》が投げ込まれた。

 もちろん、普通に攻略するだけなら常備する必要のない《対閃光ゴーグル》により、何発《閃光弾》が投げ込まれようと大柄男にはなんら影響はない。

 

「そ、そんな!? また……ッ……こんなの卑怯よ!」

「卑怯!? 卑怯と来たか! ハッハァ、作戦と言って欲しいね! だいたいクリスタルで対策とか、単調すぎて話になんねーよ女ァ!!」

「く、あァあああ!?」

 

 アタシは勝つどころかダメージの入らない攻撃で遊ばれ続け、しかも文字通り手も足も出ないことをいいことに、先ほどからわざと局部に近い場所ばかり攻撃してくる。そして、彼らはそれを嘲笑(あざわら)っている。

 それでも、最低な男の部下は11人もいるというのに手を出してこない。

 下っ端達が直接戦って得た戦績と言えば、アタシに歯向かってボロ負けした程度。ダメージもほとんどもらっていない。本当にこの男は、自分以外の部下の戦闘力を無視している。この統一性はある意味では潔い。

 だのに、アタシはまるで歯が立たない。戦術は驚愕に値するが、問題はこれを覆しようがないことにある。

 

「ああ最高だぜ! 防戦一方の美人さんが喚くのは、こんなにビンビン響くんだなァ! そそるねェ……まだ耐えれるかァ? ほらもういっちょォ!!」

「きゃあああああああっ!?」

 

 シールドで防ぎきれなかった衝撃がモロに伝わり、フロアの壁まで吹っ飛ばされた。胸部の防具に大きな亀裂が入ると、間髪入れず無抵抗になったアタシを大柄男が片足で踏みつけ、さらに利き腕を躊躇(ちゅうちょ)なくタルワールで突き刺す。片手用直剣が手から滑り落ちるのを確認すると、男は突然質問してきた。

 

「健気だねぇ。テメェらは負けると頭で理解した戦いでもホント~に最後まで諦めねぇのな。感服するよ、秘訣でもあるのか?」

「くっ……まだ負けてなんか……」

「……ったく、この女は回転が鈍い。じゃあヒントな。『テメェら』ってワード選んだのは、なんか気にならねェ?」

「え……? あっ……そんな、あんた! ま、まさかもうルガ君と戦ったっていうの!? ならっ……彼に何をしたのよ!」

 

 まさか。そんな……まさか。

 だとしたらこの敗北の遅延行為に、ほとんど意味がなくなってしまう。

 

「助けを待ってたんだろお前! 援護があれば逆転できるって! ヒャーハッハッハ、それが厄介だから部下の大半をお前に当てて時間稼ぎしてたんだッつーの!! もとより、各個撃破が無理なら今ごろ俺は離脱してただろうさ。ケケケっ……来ねェぜあいつは! この手で先に殺しといたからなァ!!」

「なっ、そん……な……はずは……ッ」

「そんなはずはないかァ? 爆音に大声に光の玉! こんだけ暴れてもまったく気づかず、まだ迷路をさ迷っているとでもォ!? いい加減認めろよアバズレェ!!」

「くぅっ……ぅ……く……!!」

 

 グリップを(ひね)られると、手を貫通するタルワールがさらにゴリゴリと食い込む。

 アタシの目論みは全てお見通しだったというわけだ。

 最初から逆転の芽は摘まれていた。そもそも高いレベルを保持するルガ君で勝てないのなら、アタシがこの男に勝てる可能性は最初から低かったことになる。

 ……しかし。

 まだ負けてはいない。ルガ君が死んだ? そんな証拠もない。

 アタシにできることは、全ての可能性を信じていつもジェイドが口すっぱく言っている命令を実行するだけだ。

 

「……だいたい、あんた達はどうやってこれほどまでの人数を……ッ」

「おっ、てめェも追い詰められたら冷静になる口だな。別に知ってる奴は知ってるし、いいぜ教えてやっても。……つか、てめェらとまったく同じ方法だがな」

「アタシ達と同じ……? まさか、ギルメンの途中参加!?」

 

 海賊服の男は気分をよくしたのか、真っ黒なゴーグルを着けたまま、嬉々たる気持ちをオーバーアクション気味に笑いだした。

 聞いたことがある。

 例えば、ギルドAの構成員が勝手に組織を抜け出せるとしたら、ギルド共通ストレージから金やアイテムを持ちパク(・・・・)されるかもしれない。もちろん、それを許せば大損害である。だから組織を抜けるには、ギルドAの代表者(ギルマス)による承認がいるのだ。

 けれどこれは、裏を返せば脅されて強制参加させられたメンバーが絶対に抜けだせないことになってしまう。

 そこで疑似監禁を防ぐため、例えば他のギルドBからAの構成員にも《ギルド招待メッセージ》が送れるのである。これが、いわゆるプレイヤーへの救済措置。

 もっとも、ギルドBが他のメンバーに後からちょっかいを出してしまえば、当然その通知がギルドAのリーダーに届いてしまうが、だからこそアイテムを盗んでトンズラはお互いにできないことになる。

 解りきっている質問に答えないでいると、大柄男はアタシに構わず楽しそうに進めた。

 

「奇遇だが、俺もとあるギルドの長をやっていてね」

「そんな……だったら最初から……!!」

「イッヒッヒッヒ! そう、4人にはあらかじめ《ギルド招待メッセージ》を送っておいたのさ! 回答はしばらく保留にできるからな。《黄金林檎》だか知らんが、時間差で承諾ボタンを押すことで、いつでも! そして好きなタイミングで俺らのギルドに戻って来られる状態だったのさ!! さらに同じギルメンは一時的な(インスタンス)マップを共有する! 遅れて発車した俺ら全員がここで合流できるって話よォ!!」

 

 この手順を応用すれば、ルガ君の言っていた『クエスト報酬の重複受け取り』も夢ではなかっただろう。まさに超スピードレベリングを実現せしめる立派なシステム外スキルである。この発想力を売ればコルにだってなったはず。

 ただし、この悪党達はその可能性に満ちた手段を最悪な目的に使用してしまったようだが。

 

「……く……っ」

「お、やっと諦めたか? なァに安心しろ、幸いお前は顔がいい。大人しくしてりゃ痛くはしねェよ」

 

 多勢に無勢。絶体絶命。

 けれど、おしゃべりさんから聞きたいことはあらかた聞けたし、逆転の段取りもシミュレートできた。懇切丁寧な情報提供には感謝すらしてもいい。あとは……

 

「死ねッ! クレイジー野郎!!」

「なにィっ!?」

 

 アタシは左腕の盾装備をバレないように解除していたのだ。

 左手が自由になると、今度は足の側面に掌底(しょうてい)を食らわせる。

 前のめりになった敵の腰めがけて真下から蹴りを炸裂。「ぐおおおっ」と股間を痛そうに押さえるのを無視し、頭部に装着されたゴーグルをひっぺがして投げ捨てた。

 そして大柄男がレンガの床をのたうち回っている間に改めて盾を拾うと、即座に反撃に出る。

 

「これで小細工もなし! あんたみたいなモブ野郎には! 絶対負けないのよ!」

「ぐっ、クソッ! ふざけた女だ、この期におよんでまだ……ッ。いちいち抵抗すんなっつってんだろうがァ!!」

 

 大柄男に正真正銘の焦りが見えた。ここでアタシが距離を開けずに攻め続ければ、こいつの部下はオウンゴールを恐れて飛び道具も放てない。対閃光ゴーグルを取ってやったので《閃光弾》も無論だ。

 そしてある事実が浮上する。

 やはりこの男の単体性能は、それほど高くないということ。それなりのレベルとそれなりの装備だけ。ビーストテイマーのように部下を使役している間は比類なき厄介具合だが、こうして武装を剥がすともれなくガタガタの基礎があらわになる。その点嫌というほど戦い方を身に染み込ませてきた攻略組は、ピンチになろうとイレギュラーに遭おうと、常に安定した戦力を発揮できる。

 大柄男はとうとうHPを危険域(レッドゾーン)寸前にまで追い詰められた。

 

「ぐっ……くそ、こんなクソアマに……ここまで……っ」

「ハァ……ハァ……そうして地に伏してる方がお似合いよ……!!」

 

 男の首筋に剣を突きつける。部下はそれだけで身動きがとれないでいた。

 思った通り、彼の部下は考えることをかなり放棄している。即物的な欲求を果たすためにこの男の言いなりになって、負けろと言われたら唯々諾々(いいだくだく)と戦いに負け、プライドも捨てて責任者を(はや)し立て、どんなにバカにされてもこれっぽっちも言い返さない。まるで木偶(でく)人形だ。

 キングが取られたら敵は終わり。という、アタシの読みは正しかった。

 ただし……、

 

「……くぅ~敗けだ敗けだ。まァさか最終手段まで使うハメになるとはな……」

「な、に……!?」

 

 キングを取ったという先走った認識だけが誤りだった。

 今の言葉が合図だったのだろう。アタシはずっと男に剣を向けているというのに、途中参加してから一切動きもしなかった部下2人がゴソゴソと動き出したのだ。

 

「何をしてるの! 動かないで! 動くとこの男を殺すわよ!」

 

 アタシだって過去に2人もプレイヤーを殺したことがある。忘れもしない。アタシを都合のいい女としてしか見なかったロックスと、そしてDDAに加盟したばかりの罪なき男性オーレンツ。彼らをこの世界から退場させたのは紛れもなくアタシだ。

 これを最終手段にするだけの良識はあるが、やれと言われたらやれる自信はある。

 しかし大柄男はともかく、ゴソゴソと動く彼らはここから7メートルほど高い位置にいた。最初にこの大柄男が頭上から攻撃をしかけられた理由だ。

 だから当然、高低差ゆえに彼らの手元が足場によって隠されてしまっている。彼らが今何をやっているのかがここからだと見えないのだ。

 

「いいね~、見た目的にそんな強気な女だとは思わなかったよ」

「黙りなさい」

「……ああ、そっか。そういやあんた、ラフコフにいたんだっけ? ど~りで戦い慣れているはずだ。……いや、この場合は心理を読み慣れてるって言った方がいいのかァ?」

「黙れと言ったのよ。あんたも部下も、必ず牢獄送りにしてやるわ!」

「おいおい、あいつらがただの観戦客とでも思ってたのか。言ったろう、俺らはテメーんとこのクソガキと戦ってきたんだって。……その戦利品だよ。あれを見な」

 

 男がアゴをくいっ、とやると、アタシは男に注意しながらゆっくりと振り向いた。

 そしてアタシは、ごくナチュラルに言葉を失うことになる。

 信じられない光景が広がっていた。

 7メートルほど高い位置に、3人目のプレイヤーがいたのだ。知覚してなお信じたくもない。白いレディースの下着とブラのみを身に付けたヨルコが、両手と口の自由を奪われた状態で2人の男に立たされていたのだから。

 先ほどアタシの《索敵》スキルにヨルコの反応がなかったことから、おおかたサーチ妨害用の使い捨てアイテムで数分間だけプレイヤー反応を隠していたのだろう。

 手詰まりである。

 今にも恐怖で泣き崩れそうなヨルコの首に鋭利なナイフを突きつけられた時点で、もはやアタシと彼らに『勝負』はない。あるのはヨルコの安全のため、彼らの要求を素直に受け入れなければならないという現実だけ。

 

「その悔しそうな顔を実力で引き出してやりたかったんだがなァ……クックック、まァいいか。さて、武器を捨てるかあの女を捨てるかだ。この高さじゃひとっ飛びとはいかないぜ?」

「そん……な……っ」

 

 悔しい。女性の弱味をこんなことに利用するなんて、悔しさのあまり握りしめた手が鬱血(うっけつ)しそうだった。

 男性恐怖症になりかけたあの経験はまだトラウマである。

 かつての中堅ギルド《夕暮れの鐘》。アタシがコンビではなく初めてギルドとして集団行動をさせてもらった居場所。そのギルマスでもあったロックスなる人物は、アタシに激しい好意を寄せるあまり暴走し、部下5人と共に(はずか)しめるような行為を迫ってきたのだ。

 あの時味わった恐怖は、一生忘れることはないだろう。

 この言い方では顰蹙(ひんしゅく)を買うかもしれないが、ある意味ラフコフに加盟して男への詐欺行為を繰り返したのは、縮こまっていたアタシにとっていいリハビリになったのかもしれない。ゆえにこうして男連中に剣でもって立ち向かえるし、ヨルコの苦しみを理解した上で守ろうと動けるのだから。

 ……いや、先ほどまでは動けたが、それもここまで。

 

「……っ……武器を捨てるから、ヨルコの安全を約束しなさい」

「……クヒッ、クヒヒヒヒヒ! 名前は『ヨルコ』! ヨルコねェ~! なんだよ、おめェらは知り合いだったのか! だったら早くそう言えや!」

 

 大柄男はまた頭の中で悪巧みが働いたのか、満面の笑みを浮かべた。

 

「互いに知り合いならこんなゲームが成り立つんだよ! ……いいか、おめェらのどちらかが《ハラスメントコード》を使ったら、その時点でもう片方の女を殺す! お仲間さんを見捨てるなら、好きなタイミングで誰かを牢にブチ込みな! ただし確実に片方には死んでもらうぜェ!!」

「なん、てことを……っ!!」

 

 自分の失言は取り戻せないが、それにしても信じられないほど卑劣なやり口だ。

 これではヨルコやアタシの束縛を解いたとして、そのどちらかが反抗的な態度をとったらもう1人が犠牲になる。あくまで抵抗する意思を削ぐ気だろう。

 

「フッヒッヒッヒッヒ、俺を愚弄した時点で殺されないだけマシと思うんだな。女の保証とかは知ったこっちゃないが、さて……。おーい、おめェらも全員降りてきていいぞ! ……さあ、まずはレジクレのアリーシャからだ。何から始めるか……」

「女の武器は運んどきますぜボス」

「トリップショーやりましょうよ! 恒例じゃないっすか!」

「こいつは久々に見ものだ! おい、《記録結晶(メモリー・クリスタル)》を用意しとけよ!」

 

 ぞろぞろと男たちが集まってきた。やろうと思えば部下11人なら数分で片付けられそうなレベル差だというのに、ヨルコの安全を考えるとアタシは命令に従うしかない。

 

「自発的なのもいいが、たまには俺らの方からってものオツだよなァ!」

 

 言うやいなや、大柄男はアタシの胸当てを無造作に引き剥がしてきた。

 ガコッ、という音がして、亀裂の入ったブラストプレートが地面に転がる。あらわになったアタシの無地のインナーを見て、おお!! という歓声が上がった。

 確かにここまでは不可侵扱いではない。ゲームのルール上では外部からの衝撃や圧力で破壊、除外といったことはできてしまう。手入れもせずにモンスターと戦い続ければ、いずれ防具が剥がされて同じ現象も起こるだろう。

 けれどこれは、人の手による能動的な結果だ。服の間に指が入り込む瞬間のおぞましい感覚だって、本来プレイヤーが感じる必要のない不快感である。

 

「ヘッヘッヘ、ウワサ通りの体つきだなァ」

 

 まだ肌が露出したわけではないが、これだけでも()え難い屈辱だった。

 男達の()め回すような視線が顔から胸部に至ると、顔を覆いたくなるほどの恥ずかしさからアタシは途端に体中がカアッ、と熱くなった。

 冷や汗が流れる。拳をもっと強く握りしめる。

 それでも文句は言えない。すでにほとんどの衣類を脱がされてしまっているヨルコだって、ここに立たされているだけでも死にたくなるほどの恥辱を受けているのだ。

 

「(でも……怖い! アタシだって、こんなの嫌! 誰か……誰か助けてよ!!)」

 

 無力を実感すると視界が(かす)んでくる。泣いても意味などないのに。

 あまりの怖さに足の震えも止まらなくなってきた。

 大柄男が今度は腰当てに手を伸ばしてくる。その(いや)しい手つきは、ロックスとその仲間とのトラウマな記憶をより鮮明に呼び覚ました。

 少し離れたところでヨルコも脱衣を強制されている。初めは彼女も嫌がっていたけれど、アタシの顔を見ると大柄男のセリフを思い出したのか、庇うために指示に従う。

 次々と追加される指示通りその場にしゃがみこみ、無抵抗に手を後ろに回す。これでアタシは、体の自由を敵に委ねたようなものだ。

 

 

 

 男の笑い声と息づかいが、目をつぶっていても五感に無断で入り込む。

 現実逃避するかのように、自然と意識が、判断力が遠退いていった。

 

 

 

 その直後だった。

 ゴガァアアアアアアッッ!!!! と、突然爆音が鳴り響いた。

 なんの冗談だろうか。慌てて目を見開いた時には、大柄男のいかつい顔の向こうで、大人が5人もスローモーションのように宙に浮いていたのだ。

 アタシは絶句し、大柄男は「は?」という、たった1つの短い言語を口から発音するのがやっとだった。

 振り向くそのマヌケな顔面に、磨き上がった棍棒がフルスイングで叩き込まれたからだ。

 ゴゥンッ!! と、またも鼻面から骨に響く嫌な音が鳴った。

 

「ゴッギャァアアアアアアアアアアアアアッ!?!?」

 

 人にあるまじき顔に変形しながら、凄まじい運動エネルギーを受けたからか、男の体は低空を水平に飛んでいった。

 最低男をぶっ飛ばした人物は静かに佇む。

 アタシは目の前に立つ人物の正体にようやく気づき、饒舌(じょうぜつ)に尽くし難い安堵から、抱きつくのも忘れて惚けてしまっていた。

 

「遅くなってごめん。もう心配ないよ」

「ルガ君……よかった……本当に……っ」

 

 ルガ君が見たこともない殺気づいた眼光をして立っていたのだ。

 それでも、来てくれたことが嬉しすぎて、ついアタシの返事が涙声になってしまった。

 とにかく、彼は男に殺されてなどいなかった。無事だったのだ。そして危険も(かえり)みずにアタシ達を助けてくれた。

 

「ヨルコさんはアリーシャさんに任せるよ。僕はあいつをやるから」

 

 上着を脱いでアタシに被せながら、彼はまた一層と敵意の濃度を上げて射抜く。

 

「く……そったれがァ……どうなっていやがる!? てめェは死んだはずだ! 《水泳》スキルかッ……いや、んなわけねェ! だいたい、あの深さじゃ最深部は光も届かない。鍵を見つけられるはずがッ……トラップは外せなかったはずだァ!!」

 

 魔法はない……光源は炎しか……奴は水中に……などと、ブツブツと文句を垂れながら大柄男は辺りを見渡す。

 そして彼は壁に立て掛けてあったタルワールを無我夢中で拾うと、鼻を真っ赤にさせながらアタシ達に迫ってきた。

 

「負け犬はおとなしく死んどけッてんだ、こいつよはよォオオッ!!」

「ッ……シアアアアっ!!」

 

 しかし、ルガ君は怒りのピークすら通りすぎ、すべて爆発させていた。

 左からまっすぐ迫るタルワールを、左手で持った棍棒を地面に叩きつけるように突き立て、甲高い金属音と共に完全に()き止める。

 そのまま武器を離して左手で敵の胸ぐらを無造作に掴むと、完全にキレた感情を集約させた右の握り拳を、全体重が乗ったまま情け容赦なく顔面に食い込ませた。

 ゴキュッ、という肉切れ音が鼓膜に届き、アゴが外れたような顔をした大柄男がベクトルを反転したように無様に吹き飛ばされた。

 

「ゴブふぇロゴゴガァっ!?」

「……僕は頭にキたよ。何がアホらしいだ……達観したつもりかい? 君の、人を使い捨てるようなやり方も……自分勝手な行動も全部!! 僕は絶対に許さないっ!!」

 

 垂直に突き立てた棍棒が倒れる前に柄を掴み直すと、ルガ君は油断なく大柄男に接近し、骨ごと潰さんばかりの筋力値で追い討ちをかけた。

 クレーターでもできそうな一撃からほとんど這うように脱出すると、焼けた褐色肌が青ざめるような表情で制止をかけていた。

 

「まっ、待て待て! 俺が悪かったよ! もう悪さはしねェ、これっきりにする! ハァ……ハァ……ったくよォ、おふざけじゃねェか。ハハッ……ハァ……ただ、1つこれだけは教えてくれないか? ゼィ……あんた、あの状況からどうやって抜け出しやがった……ッ!?」

「……ふん。あいにく、《鍵開け(ピッキング)》スキルを完全習得(コンプリ)済みでね。鉄球付きだろうが何だろうが、あんな足枷じゃ僕は止められないよ」

「ピッキング……チッ、あァそんな手があったか! 2度手間とらせやがって! きっちり堕ちとけよこのクソガキィ!!」

「……いい加減ッ、その心理戦もくだらないねっ!!」

 

 姑息(こそく)にも喋りながら態勢を整えた男も、策が尽きたのかひたすら特攻兵のように突撃する。しかしその剣は、ルガ君に軽くあしらわれる。戦意に燃えたぎる彼の足元にも及ばなかった。

 

「ガァアアアっ!! なんなンだよ、このガキはァッ!!」

 

 いくら叫んでも好転しない。やはり、彼単体ではまともな戦闘もできないらしい。作業ゲーのように怠惰なレベリングを繰り返したとしても、レベルと装備を騙し騙し前線プレイヤー並みにしても、結局は本人のバトルセンスや技術力はほとんど向上しないのだ。

 組織のトップを心配そうに取り囲む周りの11人の部下も、とうとう与えられた命令が品切れなのか棒立ちしているだけだった。アタシが自分の武器を拾いに行く間にも妨害はなく、背中に隠れるヨルコへ危害を加える素振りも見せない。本当に電池切れの人形のようだった。

 業を煮やした大柄男は、自分を助けるように裏返った大声で指示を出すと、やっと自分達の置かれた状況を理解したのかノロノロと応戦準備を整える。

 

「(アタシはヨルコから離れられない……このままじゃまずい! ルガ君っ!)」

 

 しかし心配は杞憂だった。ルガ君が殺意に溢れる(にら)みを利かせただけで、取り巻き連中が(すく)み上がってしまったのだ。

 なんと情けない。小柄なプレイヤーに睨まれるという、たったこれだけの行動で士気が落ちてしまっていた。彼らの希薄な信頼関係はこんなところでも浮き彫りになる。

 

「(こんなに動けないんだったら……)……アタシの方からやってやるわよ!!」

 

 なるべくヨルコから離れないようにして敵の部下を攻撃し始めた。もちろん効果は覿面(てきめん)で、1発で武器をロストした人までいる。

 すると、自分達の決定的な劣勢をようやく理解したのか、こんな言葉が聞こえてきた。

 

「む、無理だぁ! もう無理なんだよこれはっ! 作戦がない!」

「おっ、オレっちは先に逃げるぞ! 巻き添えはゴメンだー!!」

「あー!? ズリィぞ、だったらオレも逃げてやる!」

 

 なんと、ヨルコの逃走対策としてまだ《黄金林檎》メンバーでいた人達までメインメニューから『クエスト破棄』を選択していたのだ。

 その影響は即座に現れた。すでにクエストを破棄していたヨルコと合わせて、最初にこのダンジョンに侵入した《黄金林檎》扱いのプレイヤー全員がクエストを諦めたことになったからだ。

 

「あ、あれ……体に光が!? これって転移なの……?」

「そうみたいね。……あっ、これアタシの服、早く着て。あと向こうにアタシ達の仲間が待機してるから、状況を説明したら保護してもらいなさい」

「うん……本当にありがとう、アリーシャ。この恩は一生忘れないわ」

 

 敵の下っぱ3人とヨルコの転移が完了した。

 しかし敵のボスが『クエスト破棄』を選択しない、正しくはルガ君との戦闘中で選択できないからか、残る8人の雑兵はいつまでたっても転移ができないでいた。

 

「ちくしょ~、こっちはボスがクエストを破棄してくれないと逃げられねぇよ!」

「逆に閉じ込められてんじゃねぇか! 冗談じゃないよまったく!」

「お、オレっちがボスを助ける! いや、ていうかやっぱりみんなで助けよう! 勇気を出すんだよ! あの男さえいなくなれば、そしたらみんなで脱出を……」

「させると思う?」

 

 目眩(めまい)がするほどのんびりと方針決めをしている連中の後ろに立つと、アタシは距離の近いプレイヤーめがけて片手剣を真っ先に振り抜いた。

 対応能力の低い彼らからは、雄叫びは上がらないが悲鳴は上がる。元々、8人だろうが11人だろうがこいつらだけなら敵ではない。

 どうにか防具や盾で(しの)いだり、タゲを押し付けあって逃げたりがせいぜいの8人は、鬼ごっこでもするかのように辺りを走り回った。

 しかし彼らを殺しきらなかったことが災いした。

 

「ちっくしょおおお! こうなったら買い溜めした爆弾の大安売りだ!」

「よし来たオレっちが着火する! トリアンは持ってる油を全部床に捨てるんだ!」

「ば、バカやめなさい! こんな密室でそんなことしたら!!」

 

 無知ゆえに無謀。あまりに自分らが扱う兵器のことを理解していなかったらしく、アタシはその奇天烈(きてれつ)な作戦の制御に間に合わなかった。

 量も計らずそこらを走りながら大量の油が撒かれ、ストレージにあった樽型導火線爆弾をテキトーにオブジェクタイズ。着火剤がポイッ、と投げ込まれると、凄まじい火災が発生し、続けざまに爆発音が四方八方から膨れ上がった。

 

「うわぁああああああ!?」

「あちっ、あっちィいいいいいいいいい!! 油撒きすぎたぞこれェ!!」

「冗談言うな、爆弾が多すぎたんだよ!! 誰だよこんなにィ!」

「きゃあっ!? ……くっ、もう! あんた達ホントにバカなんじゃないの!!」

 

 もう手のつけようがなかった。ドガッ! ドガッ! と散発的に爆発が起こり、視界一杯にもうもうと煙が立ち込める。肌が焼けそうな熱風が迫り、火の手も広がって行動も制限された。

 まさかアタシに勝てないからと、こんな破れかぶれな自爆特攻をかましてくるとは。下手をすれば仲間だって傷つけるというのに。

 しかも視界を一時的に奪われたせいで、ルガ君と大柄男を見失ってしまった。どちらの勝利にせよさすがに決着がつく頃だとは思うが……。

 

「し、仕方ねぇ! あれだよあれ! ギルドを強制解散させるやつ!!」

「《解散の多数決》だな!? そうだよ、それで過半数が越えたらギルドは解散だったじゃないか! 初めからこれでよかったんだよ!」

「よし、みんなで脱退を選んでさっさとここから逃げよう!」

 

 おそらく彼らは、メンバーの過半数がギルドの存続に異議を唱えた場合にそのギルドが強制解体される、プレイヤー側に与えられた民主的権利のことを言っているのだろう。アタシはメニューから見ようとしたこともないが、その機能名は《解散の多数決》で合っているはず。

 そして彼らはギルドの存続が不可能と判断したのか、それをここで行使しようとしていた。確かにこれならギルドは消滅し、ギルドメンバー全員が『クエスト破棄』を選択しなければ脱出できない、という前提も消える。

 もうあんな人達は放っておこう。先に逃げた3人を見れば外で待っているジェミル君達だって事情を察するだろう。即刻捕まって牢屋行きである。

 

「(じゃあアタシは見失った2人を……)」

「アリーシャさん、うしろだ!」

「えっ……ッ!?」

「おせェんだよクソアマァアアアアア!!」

 

 いきなりガバッ、と後ろから首を絞められた。鋭く手首を捻られ、気の緩みも重なっていたのか武器を落としてしまう。

 首に巻き付く褐色肌の腕は間違いない、大柄男はまだ抵抗を続けていたのだ。

 これは油断した。暴走する手下連中にばかり気を配っていたが、煙とファイアフラッシュを逆手にとってこんなに接近してくるとは。

 

「ハァ……ハァ……どォオオだクソガキィ! ゼィ……てめェ追い詰めたつもりだったろ! ハァ……フヒ……フヒャヒャヒャヒャヒャ!! またまた形勢逆転だなァおい!」

「くっ……」

 

 男はせわしなくまくしたてた。

 余裕のなくなった敵は、それでもなおタルワールを構え抵抗の意思を見せる。

 

「ハァ……クソッタレが滅茶苦茶だ! いいか、使いきったクリスタル代も高くつくぞ! 必ずその身でツケを払ってもらうからなァ! ゼィ……と、とにかくだ! 女の命が惜しけりゃ今すぐ武器を捨てなァ!」

「……最後にもう1回だけ言う。その汚ない手でアリーシャさんに触るな……!!」

「あっそォかよヒーロー気取りィ! 墓の前で一生詫びてろォ!!」

 

 煙と(すす)でさらに真っ黒に汚れた男が、それでも狂ったように刃の欠けたタルワールを振りかぶる。

 だがルガ君の方が一瞬速かった。

 なんと、巨大な棍棒を溜めなしでブオッ!! と投げつけたのだ。

 アタシは同時に合気道の要領で鳩尾(みぞおち)に当て身をすると、緩んだ束縛を見逃さずその場で素早くしゃがむ。

 男の喉仏の辺りに鈍い音と共に棍棒が突き刺さると、今度はえずく男に追い討ちをかけていた。

 

「アリーシャさん、僕のを拾って!!」

 

 アタシに指示を出しながら疾駆(しっく)するルガ君は、厳しい剣幕のまま相手の右手をガッチリと背中に固め、なんとチャラチャラと首にぶら下がっていたアクセサリー郡を全部掴んで手加減もなしに引っ張ったのだ。

 「コヒュっ、コヒュっ……!!」と、酸素ボンベの失敗作のような息遣いが聞こえる。

 腕をガッチリ決められ、自身のアクセサリーで息も止められ、ブクブクと泡を吹き始めた大柄男の前に、アタシは拾い上げたルガ君のメインアームを片手に立っていた。

 意識の飛びかけた男の耳元に、ルガ君は静かに語りかける。

 

「この教訓は僕からのプレゼントなんだけど……『忠実な下僕』より『大切な仲間』だよ」

 

 皮肉を言われた男は、もうその言葉に反応することもできないでいた。

 経緯がどうあれ、結果的にこの大柄男は大敗を(きっ)した。少し臆病なほど慎重に、丹念に、念には念を押した作戦はすべて破られたのだ。

 アタシは恵まれているのかもしれない。今日1日でさんざんな目には遭ったけれど、こうして挽回のチャンスを与えてくれる仲間に出会えたのだから。

 

「ありがとうルガ君。これで終わりにしましょう……」

 

 残念ながら《両手用棍棒》スキルはスロットに入れていないので、鬱憤(うっぷん)すべてを晴らすような大技ソードスキルは放てない。

 だからせめて、アタシは恨み辛みを凝縮(ぎょうしゅく)させるように武器を溜めた。

 そして……、

 

「一生詫びてなさい! この変態男ォっ!!」

 

 ズドォッッ!! と。全霊を込めた一撃を脳天に叩き込んだ。

 潰れたカエルの様に痙攣(けいれん)する男は、何とも無様にノビてしまうのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 アタシとルガ君は体中を(すす)で汚しながらも無事にダンジョンを抜けた。

 まだほとんど半裸のヨルコが泣きながらお礼を言いつつアタシに抱きついてきたけれど、よく見ると近くで10人以上のオレンジプレイヤーが無造作にぐるぐる巻きにされているのが目に入った。

 

「よっ、お2人さん。無事で何よりだ。そのお嬢さんに大体事情は聞いたから、ダンジョンから脱出しようとした輩は全員おれらでノしといたぜ」

「グスッ……ありがとうアリーシャ……ルガトリオさんも……助けてくれて……」

「あ~もぅ泣かない泣かない」

 

 鼻を真っ赤にしてすがり付くヨルコを優しくなだめると、アタシ自身も全身から力を抜きつつ息をついた。

 ヨルコが《ハラスメントコード》で《黒鉄宮》に飛ばした1人を含め、13人の犯罪者はこれで総叩きにできたわけだ。チームワークもへったくれもない歴史の浅いオレンジギルドとは言え、これほど早期に芽を摘めた事実は大きい。

 それに犯罪へのハードルを極端に下げた元凶であるラフコフは、もうこの世に存在しないのだ。SAO界のオレンジギルドは縮小の一途をたどり、今となってはその総数は50を切っているはず。本日消滅したこのオレンジプレイヤー達も、割合だけを見ればそれなりに影響があったに違いない。

 すると、アタシが考え事をしている間におもむろにヨルコがアイテムストレージを開くと、その中からレア度の高いアイテムを2つオブジェクト化させていた。

 

「アリーシャ……こんなのしかないけど、いま私ができる最高のお礼よ。受け取って」

「そんな、気にしなくていいのに……」

 

 しかし直後に「ルガトリオさんにも」と2つのアイテムを手渡されると、アタシだけの話ではなくなったので受け取らざるを得なかった。

 どうやら、せめてものお礼として手持ちで1番高価なものをくれたらしい。

 

「なんか悪いわね。……あ、物欲でやったんじゃないわよ?」

「もちろん。これは私の気持ち」

 

 そう言って彼女から渡されたアイテムの名は《漆喰(しっくい)のアームレット》。

 濁《にご》った銅色ではあるけれどやけに形の凝ったアームレットで、どうやら装着中10分間はソードスキルのクーリングタイムを激減してくれるらしい。1つはルガ君のものではあるが、両腕に装着することでさらに効果が重複(ちょうふく)されるのだとか。

 

「(へぇ、変わったアイテムね……)」

「それにしてもぉ、ルガァもアリーシャさんもボロボロだねぇ。そこで目を回してる真っ黒な人はぁ、そんなに強い人だったのぉ?」

 

 アタシと2人がかりでダンジョンから運び出し、髪と服のあちこちが黒コゲになった男を指しながら、ジェミル君がのんびりと聞いてきた。

 なんだかこの男がどんな人間だったかを詳しく説明されると、今度はアタシとヨルコの貞操観念が揺らいでしまいそうだが。救助があと1分も遅ければ危なかったし、彼女も知られたくなさそうに不安がっている。

 しかし聞かれたルガ君は、何でもなさそうにあっけらかんと答えた。

 

「いやいや、ちょっと度の過ぎたヤンキーみたいな人ってだけだよ。名前もわからないぐらい弱い人だったし。時間かかっちゃったけどね~」

「な~んだぁ、それならよかったぁ。てっきりただ事じゃ済まないかと思ったよぉ」

 

 こっそり視線をアタシに寄せながら、ルガ君は「えへへ」と笑ってみせた。どうやらダンジョン内での出来事を内緒にして、みんなを心配させないようにしてくれたらしい。

 しかし現に男は強敵だった。詳しく話せば自慢できる功績だったはずである。

 アタシは何だかドキドキしてきた気持ちを押さえつつ、むしろ振り払うようにして撤収(てっしゅう)の提案をした。もっとも、こんな連中といつまでもお散歩はごめんだったので、ぐるぐる巻きの連中を無理矢理立たせると、アタシ達はすぐに1層《はじまりの街》を目指した。

 

「(ハードな1日だったわ~……まあ、ちょっとはいいこともあったけど……)」

 

 隣を歩くルガ君をチラッと確認すると、目ざとく気づいた彼は首をかしげてくる。

 その子供のような仕草がまた思ったより自分の琴線(きんせん)に触れたらしく、オーバーヒートしたアタシは考えるよりも先に話しかけていた。

 

「ねぇ、アタシって男運ないわよね……」

「え、そうかな……ああ、昼に言ってたフリデリックさんのこと?」

 

 今度は相当コソコソと話していたので、先頭を歩く本人は聞こえていないようだった。

 気恥ずかしさで目尻が熱くなってきたが、アタシは自制もできずにどんどん口をついてしまう。

 

「う、ん……何て言うかね。アタシにも少し……その、やっぱかなり原因あるのかも……」

「アリーシャさんに原因か~……とてもそんな悩みはない人だと思ってたんだけどなぁ。だってその、すごく美人だし。……でも人それぞれあるものなんだね」

「そうなのよ……例えば……雰囲気に流されやすかったり、褒められるのに弱かったり……」

「えっ……?」

 

 ほんの少しだけ空気が伝わったのか、彼はピクッと肩を揺らした。おかげで自身の体温がなかなかにヤバめな感じになってくる。

 しかし、それでもアタシは続けた。

 

「アタシって……ほら、たぶん……ちょっと、惚れっぽいのかもっ……」

 

 照れっ照れな言い方になってしまったけれど、言い終えてから数秒待ってみる。

 まだ待つ。

 そして10歩以上も進んでからようやくその意味を理解したのか、ルガ君はお湯をかけられたように真っ赤になっていた。

 

「えあぅえぇっ?」

「……ぷっ……あははははっ」

「んん? 2人ともなんか楽しそうだねぇ。でもルガァは顔赤いよぉ?」

「な、なななんでもないよジェミル! 何でもないったら何でもないよ!」

 

 アタシを土壇場で助けてくれて、敵をこてんぱんに倒してくれたけれど。

 そういう純で可愛い反応だけは、まだまだアタシのよく知るルガトリオ君なのだった。

 

 

 

 



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第101話 命の尊さ

 西暦2024年11月7日、浮遊城第75層。

 

 朝食を摂り終えた晴れの日の午前。

 俺はギルドホームのミーティングフロアで、木材で作られた長方形のテーブルに何枚かの報告書を無造作に置いていた。書類はKoBから送られてきたものだが、その衝撃的な情報は目を通さずともほとんど風の噂で伝達されている。

 カズを先頭に召集をかけたギルドメンバーがぞろぞろと集まってきた。ギルドに合流して間もないシーザーの後ろには、発達した胸筋から成る(たくま)しい肉体に、広げれば3メートル以上もある図体を持つ黒竜が、よく(しつけ)られているのか真後ろを大人しく付き従う。彼の希少な戦闘スタイルを支える、種族名ダスクワイバーンの『ゼフィ』だ。

 それぞれが決まった席に腰かけると、彼らを軽く一瞥(いちべつ)してから、俺も着席してようやく重たい口を開いた。

 

「……で、どうするよ。今回のは……やっぱやめとくか?」

 

 しかし俺は、思わず弱気になってそう切り出していた。

 俺の「やめる」とは、この層のフロアボス攻略についてだった。

 というのも、この攻略戦はあまりにも危険すぎるのである。

 脳裏に浮かぶのは、準備不足も重なって過去最高の戦死者数を叩き出した、最初に通過したクォーターポイント。あるいは、最高戦力を整えて偵察まで行い、途中で30人以上の援軍を得ておいてなお13人も殺されたハーフポイントの戦い。

 されど、今回は比較にならない。こうした史上(まれ)に見る壮絶かつ凄惨な記憶すら、薄れて流されそうな訃報(ふほう)を聞かされたのだ。

 

「う……ん……斥候(せっこう)隊が半壊だもんね……」

「組織単体で合理的に考えると、確かに参加は控えるべきかもしれませんね。ぼく達全員が生き残れる可能性もやはり低いでしょうし……」

 

 カズやシーザーまで消極的な姿勢を示すと、椅子の脇で大人しくしていたゼフィも、彼の傍らでキュルキュルと弱々しい鳴き声をあげた。普段は明るい女性陣も整った顔を歪め(ひたい)にシワを寄せている。

 偵察作戦で、戦死者10人。

 これが2回目のクォーターポイント戦に備え、20人で組まれた斥候中隊の調査結果だった。

 人間が10人も死んだ。これは本来あり得ない数字だった。真剣に数えたことなどはないが、最初の1ヶ月を除けばアインクラッドでの退場者数は、1日平均2人から3人に留まっていたのだ。

 それが、数分で10人。

 ましてや最下層の住民が「今からでも冒険を始めよう」と、安全マージンを確保できない初期段階でこの世を去ったのではない。ボリュームゾーンのプレイヤーが同ランク帯と競い合うあまり、身の丈に合わないパワーレベリングでうっかり命を落としたのでもない。

 彼らはいかなる困難をも打ち破り、最前線で凶悪なモンスターと戦い続け、最大の生存率を誇る攻略組きっての盾役(タンカー)だった。『生き残ること』についてだけ言えば、いわば世界有数のエキスパートということになる。

 そもそも、SAOはレベル制RPGである。ストーリー後半に差し迫る現在では、その高いレベルからかなりのHPゲージが確保されている。デメリット付きの防具など諸事情を考慮しても、最低1〜2回はボスからのクリティカルヒットにも耐えられるはずである。

 であれば、あとはチームの助けを借りてこまめに回復を挟むだけ。きちんと防御さえしていれば敵のソードスキルでさえもっと(しの)ぐだろう。

 そう。トップランカーは今さら簡単に死ねないのだ。

 だというのに、今回のボスに限ってその抜本的な前提を(くつがえ)している。

 

「でもぉ、ここでボク達がみんな参加しないのはぁ、やっぱり攻略を捨てることになるよぉ?」

「……そうよね。あたし達レジクレは今やそれなりの戦力だし……。結成されてからだいたい1年たつけど、人数は1度も減ってないわ。しかも『6人』はフロアボス攻略の時のレイド単位で考えれば、小隊をまるまる補える人数だものね」

 

 ヒスイはジェミルに続くようにそう答えた。

 そして彼女のおっしゃる指摘は正しい。俺達の人数だと1レイド48人を8つに小隊分けした場合、ギルド単位で小隊としての役割が果たせてしまう。

 この人数は地味なようで実は恩恵が大きく、小隊ごとにスイッチをしてローテーションする場合、数合わせをさせられたチームに比べてスムーズに展開できる。タイムロスは最小限に抑えられ、攻めるにせよ守るにせよ連携機能は最大限に活かされるのだ。

 大人数でのボス戦時に、単体性能よりも6人規模での総合応用力が重視されがちなのはこのためだ。

 でかいギルド、つまりKoBやDDAだと6人機動を基礎構想においたフォーメーション用の訓練や、それ専門の特別なプレイヤーが存在するほどである。

 

「ヒスイの言う通りね。アタシ達みたいに小隊がマルっとギルドとなると、討伐隊に参加表明した中にはもうレジクレと《風林火山》しかないのよ? ここで手のひら返したら、このまま送り出すことになる残りの人達の士気を下げちゃうはずよ」

「それは確実でしょうね。ぼく達が背負う、その……もろもろのリスクを一旦置けば、事実はわりとシンプルです。参加して勇敢な者になるか、数ヵ月間攻略を放棄して平均レベルをさらに10ほど上げてから再挑戦するか……」

 

 シーザーはため息混じりにそう言うが、残念ながら俺達に後者を選ぶ権利はなかった。彼もわかっていて肩をすくめたのだろう。

 と言うのも、ここ最近のゲームの進行具合が極端に落ちているからだ。前層である74層攻略前にヒスイとも話していたが、70層に突入してからモンスターの行動パターンが読みづらく、トップ連中が必死になってもマッピングが遅々として進まない。

 つまり、2度目のクォーターポイントだろうとなかろうと、今後減速の一途を辿る攻略スピードを考えると、4分の3地点までの前進にかけた2年という歳月はあまりにも長すぎたのである。

 残り25層。おそらく踏破には1年以上はかかるだろう。すると、今度は仮想世界だけの問題ではなくなってくることがわかるはずだ。

 現在も現実世界で衰弱し続ける自分の体が、チューブから与えられると推測される栄養素だけであとどれだけ生き延びられるのか。

 必ず1年持つというならまだ判断しやすい。しかし1年たったとして、こちらの攻略スピードがさらに減速していたらその計算には何の意味もない。

 よって俺達は、本体(・・)のタイムリミットとVRゲームのリスクマネジメントを天秤(てんびん)にかけ、手探りで均衡点を探さなくてはならなくなっていた。

 俺はテーブルの下で足を組んでから苛立たしげに続けた。

 

「……実際やるしかねェよな。ここで『やめた』は攻略をやめたとなンも変わらない。だから俺は改めてKoBに参加を進言してくる。けどもし……もし、ここで降りたいって奴がいたら言ってくれ。これは正直に答えてほしい」

『…………』

 

 せまい部屋で俺の声だけが反響(はんきょう)するが、皆に反応はなかった。

 そして、やはり誰も俺と目を合わせようとはしなかった。

 

「……わざわざ確認しねぇけど、まさかここにきてエンリョや罪悪感とかはやめてくれよ。みんなが行くからつられて、ってのはナシだ。本人の意思で決めてくれ。ここで降りても誰も責めないさ」

「で、でも……」

「むしろ迷ったまま来ないでほしい。本番で足がすくんでいるようじゃ、笑い話にもならないからな。……俺らはそれなりに場数を踏んだギルドなんかもしれない。けど、だからって今日、ボスに挑まなきゃいけないなんてギムはない。俺が言いたいことは……みんな理解してるはずだ……」

「……理解して、それでも」

 

 そこでヒスイが代表するように応えた。

 

「それでも……戦わなくちゃ。そう決めたでしょう? だからあたしは行くわ。ボスの強弱なんか関係ない。立ち向かうと決めたなら、どこまでもついて行く」

「僕もだよジェイド。……前団長の遺志を継いで、新しくギルドが始まってから、このルールだけはずっと変わらなかったから」

「2人とも……」

 

 俺はというと、むしろヒスイとカズの戦意に驚いていた。

 よもや死地と悟って覚悟を決めたわけではあるまい。生き残ることを優先する以上、恐怖だってあるはずだ。最も根幹にある原始的本能は誤魔化しようがない。今の俺がそうであるように。

 だとすれば。

 彼らは俺の意思に、俺が背負い続けると決めた贖罪(しょくざい)への清算に、最後まで付き合ってくれると言っているのだろう。

 絶句したまま席につくメンバーを見渡すと、ジェミルが据えた眼光のまま微笑む。隣のアリーシャはいたずらっぽく首をかしげ、シーザーに至ってはそれらの反応をどこか楽しそうに捉えながら発言した。

 

「愚問でしたね、ジェイドさん。そういうあなたに惹かれて集まった5人ですよ」

 

 そう言われた俺は言葉を返すことも忘れて生唾を飲んでしまう。嬉しさのあまり、おかれた状況を忘れ顔がほころんでしまった。

 答えなど初めから決まっていたのだ。

 だから彼らにとって、俺の心配なんて余計なお節介だったのだろう。

 

「けっ……まったく、知らねぇぞ。俺はやると言ったらとことんやるからな。ここをサカイにどんどんギルドの名前売ってよ! なんなら他の連中がビビッてる間にラストアタックでもかっぱらっちまおうぜ!」

『おーっ!!』

「もちろんだよ!」

「言われなくてもそのつもりだったわ!」

 

 ようやく本調子に戻った。まだ見ぬ敵の強大さに手足は緊張で(しび)れるが、戦う前から気持ちの面で負けてはならない。

 報告を受けた討伐開始時刻は3時間後。俺はKoBの重役に改めて参加表明するべく一時解散の旨を伝えると、あえて個々人の行動を縛らないように指示した。与えられた時間を各々がどう使うかは彼ら次第である。

 直接口にはしなかったが、ようはクォーター戦前の最後の自由時間というわけだ。

 俺もしばらくは1人になって頭を冷やすつもりだった。立てられる対策はすべて行いたい。全武装の磨耗具合や耐久値(デュラビリティ)のチェック、ソードスキル登録の見直し、ストレージの確認と使用頻度や消耗する確率が高いと思われるアイテムのポーチへの移動、そして各種コンビネーションを脳内で何度もシミュレートする。

 

「(コーカイだけはしたくねぇしな……)」

 

 残された時間で俺ができる対抗策をすべて。

 そして3時間後に75層主街区の広場に集まることだけを命令して宿を後にすると、俺は簡素な街を歩きながらあらゆる可能性を考え抜いた。

 リーダーとして、取るべき行動。

 討伐の途中で万が一にも俺の仲間から脱落者が出た場合、俺は鋼の精神でその後の状況に対処しなければならない。

 俺がブレれば全員が指針を失う。そうなれば、いくら個人的に過剰な戦力を持っていようと、それらが十全に発揮されなくなってしまう。彼らもバラバラにならないよう俺を頼ってくれているのだ。

 覚悟を決めるなら今だろう。

 それに自分とて例外ではない。

 『俺が死なない保証』なんてものがどこにもないからだ。

 確かに俺は、今は亡きPoHを除き3人しかいない《ユニークスキル》保持者なのかもしれない。だがKoBの誇る無敗の団長様とはワケが違う。これがどこまでボス戦で役に立つかは(はなは)だ疑問である。

 ユニークスキル、《暗黒剣》。

 スキル発動中に攻撃をヒットさせた箇所の欠損(ディレクト)を促進させる、遅効性の特殊能力。

 もっとも、これはゲームだ。当然斬ればどこでも切断できるわけではない。後半でしか効果を発揮できず、高レベルかつ大型の敵には反映され辛い。おまけに《神聖剣》のように生存率を上げる汎用性、応用力もないときている。

 やはり、あくまで攻撃手段の一種程度に考えておくのが無難だろう。

 

「(ああ……やっぱ怖い……死にたくねぇ……)」

 

 数分で攻略組が10人も死んだという事実が今になってのし掛かり、歩きながら急に震えまでやってきた。情報不足で立てられる対策が少なすぎるというのも大きい。

 俺はほとんど意味もなく、1層主街区《はじまりの街》をさ迷っていた。

 相変らずここは利便性よりリアリティを重視したあまり、無駄に広すぎる。情報屋の佳境なのか(せわ)しく奔走中だった《鼠》のアルゴに会い、少しだけ立ち話した以外に、目的なき放浪の途中で街に一切の人気(ひとけ)は感じなかった。

 そうしてしばらく独りだけの時間がやってくる。

 俺は口を閉ざしたまま、気づけば山茶花(さざんか)に似る花の植樹(しょくじゅ)によって、丁寧にデコレートされた道を歩いていた。

 ふとテクスチャの境界に気づくと、今度は端に建てられたひのきの香りが漂う花壇の柵に触れてみた。木目が肌に心地よく、香りとの相乗効果も高まって少しだけ落ち着く。次に空を見上げて見たこともない鳥類に目を奪われ、アインクラッドの外周まで歩くと1メートル以上積まれたゴツゴツの石畳にも触れた。

 指先から感じる疑似的な表在感覚。それらすべての反応が、生きている証だった。

 例えこれが実際の五感を介さない知覚野へのダイレクトな刺激信号だったとしても、俺達にとっては唯一の現実であり、同時に実感することのできる生の証である。

 

「(俺には責任がある。ギルマスなんだから、俺だけ逃げ出すなんてことはできない……けど、あいつらはどうなんだ。絶対俺に気をつかってるはずだ。だったら今からでも戻って攻略を……)」

 

 しかし答えの出ない問題に思案に暮れていると、後ろから人が近づいてくる気配がした。

 俺がゆっくり振り向くと、そこには不安そうな双眸(そうぼう)をしばたかせるヒスイが立っていた。

 

「えへへ……結局追いかけて来ちゃった。しばらく忙しかったから、さっきまで久しぶりにシリカちゃんに会ってたんだけど。……あ~、ジェイドも来ればよかったのに」

「シリカか……ハッ、俺もさっきアルゴに会ったけど、あいつでさえ情報を暴けないせいで暗い顔してたぜ。力になれなくてもどかしい、だってよ。ハハハッ……ったく、こんな時にシリカに会っちまうと止められそうだっての」

「……ま……止められたんだけど……」

「だよなぁ……」

 

 照れくさそうにする彼女は、本題を言い出しにくくしてしまったことを後悔しながら言葉を続けた。

 

「討伐への参加なんだけど、アスナにメッセージ送っておいたから」

「そ……か、サンキュな。……えっと……」

「……ちょっと不安になっちゃって。自由行動だってことはわかってるんだけど、どうしてもあなたと一緒にいたくて……」

「……ああ。それはモチいいよ。俺もすっげぇ不安だった」

 

 黒基調のスリムな防具から伸びた細い腕に触れると、その冷えた手を暖めるように指を絡めた。

 しばらく道なりに沿って雑談をしながら、俺達はあえてこれからの戦いのことを避けていた。無意識に、意識から遠ざけていた。

 だが。

 

「……ねえ、ジェイド。やっぱりあたしは怖い」

 

 ヒスイは我慢できずに、震える声でそう打ち明けた。

 そしてその気持ちは痛いほどよくわかった。

 

「ああ……俺も怖ぇよ。今度の戦いは逃げられない。斥候隊半分の10人は、侵入した時点でボス部屋に閉じ込められた……なんて、冗談みたいなこと言ってたけど。……そいつらは1人も《転移結晶》で脱出できなかったんだ」

「うん。だからたぶん、そのボスフロアは《結晶アイテム無効化エリア》に設定されてる……てことよね」

「74層も無効化エリアだったんだ。もし次の層まで同じだったら……」

 

 『実は安全』とまで揶揄(やゆ)されだしたボス攻略。実際ボス討伐で死人が出たのは、74層でコーバッツが勝てもしない人数で玉砕を行わなければ、67層を境に2ヶ月半以上もパッタリ途絶えていたのだ。

 パターン見極め用の偵察ありきならなおさらである。あらゆるプレイヤーがアイテムやスキルの出し惜しみをせず、敵味方の関係を忘れて協力し助け合う、ある意味では一時的な安全地帯。

 何の変哲もない、ましてやボス戦でもないフィールドで死者が発生する現場では、必ずと言っていいほど『油断』があった。それは緊張感が高まる大会などのレースでは類い稀なるテクニックを発揮するドライバーが、見通しのいい高速道路でふと惰性運転をしていた時に大事故を起こしてしまう現象に近いかもしれない。

 攻略組が真に危険に陥るのは、むしろ攻略の途中で発生する予期せぬアクシデントが圧倒的に多かったはず。

 しかし、そういった概念が通用しなくなったのだ。

 

「でも、逃げられないんだよね。逃げるのは……死ぬのと同じ……」

「ああ、そうだな。だから俺はみんなを巻き込むし、みんなを守るギムも果たす。いざとなったら俺がオトリになっても……」

「それはダメよ!!」

 

 突然ヒスイが大声を上げると、まばらに見え始めていた通行人はおろか会話中の俺も驚きで目を見開いてしまった。

 ヒスイは意を決したように続ける。

 

「あなたはどんな才能よりも……小さなことでも、仲間のため全力で行動する勇気を持ってるわ。それだけは誰にも負けてない。いくらケンカしても、別れられない理由がこれだしね」

「あっはは、言ってくれる。……これからずっと実行しなきゃいけなくなったじゃねーか」

「ふふっ……ねえ、1つ約束して。あたしも怖いわ。けどそれはみんな同じはず。だからね……今回の戦いで、あたしをずっと気にかけながら戦うのはやめて欲しいの」

「……なんだよ、それ」

「《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》はあなたが立ち上げたギルドで、そして攻略中のあなたは《暗黒剣》のジェイドでしょう? 誰の存在価値が高いとかいう話じゃないけど、少なくとも誰を失ったら組織が機能しなくなるかはわかってるよね? だからこそ、もしあたしが原因で他の仲間に……その、悪い結果が起きたとしたら……」

「おい、やめろってそんな話!」

「起きたとしたら! ……聞いて。もしそうなったら、あなたは一生自分を責めると思うの。ここ数ヶ月での自己犠牲は時々怖いと思うことさえあるわ。……だから約束して。この戦いで、あなたは何よりも優先して自分の命を第一に考えて欲しい。むかし言っていたよね、自分を守れない人が他人に構っていられる資格はないだとか、まずは自分本位に生きるのが鉄則だとか」

「それはソロだった時の話で……」

「ううん、違う。あたしが認めたくなかっただけで、これは本質だと思うわ。……だから絶対に忘れないで。『人を守りたければ、まず自分を守れ』っていう精神を。あたしも自分のことを優先して絶対生き残る。だからジェイドも信じて……」

「…………」

 

 即答できないでいると、歩みを止めたヒスイは指を絡めたまま腰に手を回して抱き着いてくる。

 その腕はまだわずかに震えている。しかし突然、彼女は殊勝(しゅしょう)になって改めてきた。

 

「……ね、ジェイド。……あのね……こんな時に、その……言うべきじゃないとは思うんだけど……」

「ん……どうした」

「ある意味、覚悟してるのよ。もしかしたら……これが最後になるんじゃないかって……」

「だから、そんなこと……っ!!」

 

 だが俺はというと、目を伏せたままヒスイが見せた弱気に狼狽(うろた)えていた。

 まさか、本当にここを死に場所と諦めているのか。こんな中途半端な階層で脱出の夢を諦め、1層で見殺しにした亡き友人との約束を反故(ほご)にしてしまうのか。俺と現実世界でも付き合おうと約束し、今まで以上に希望を持とうと励まし合ったことすら忘れてしまったのか。

 しかしそれは違った。

 彼女は俺の心配を遮るように続けた。

 

「だからっ……まずは聞いて。最後まで……それでね……たぶん、こんな機会もそうないと思うし……あたしはその、どうしてもってわけじゃないけど……。あ、あの! こんな時だからこそ、自分の気持ちに……えっと、ウソをつきたくないっていうか……素直になりたいの。……もし、ジェイドがよければ……」

 

 ヒスイはせわしなくキョロキョロしたり、指をもじもじさせながらまくし立てた。

 そして、俺は途中からその意図が読めてしまった。顔を真っ赤にして絞り出すように紡がれた彼女の提案を。これから望んでいることを。

 理解した瞬間、生唾を呑んでしまう。

 

「え……あ、の……っ……」

 

 気づけば俺の体も煮沸した湯のように火照っていた。

 繋いだ右の手のひらにびっしり汗をかいたのを自覚できる。あまりの緊張にヒスイの綺麗な目を直視することもできなかった。

 ただ、1つだけ判明したことがある。これは彼女が俺を試しているわけではないということだ。

 今日までタイミングを見計らっていたわけでもないだろう。それでもKoBから寄せられた悲劇的な報告に、ヒスイは不安を忘れようと俺を求めてくれたのだ。

 それはまさに、危機を察知したゆえの種族保存本能だったのかもしれない。ただ俺は、隣を歩く女性をまた一段といとおしく思った。この(ひと)が勇気を出して1歩踏み出してくれた想いを大切にしたいと感じた。

 俺の口からは、自然と肯定の意を伝えていた。

 

「ヒスイ……ありがとう。……じゃあ、その……」

「……うん……」

 

 俺とヒスイは手を繋いだまま適当な宿を身繕い、自分達の世界へ没頭(ぼっとう)した。

 誰にも邪魔されない、誰からも介入されない、俺と彼女だけの大切な時間。

 部屋を借りるとすぐに真っ暗にして、外部とのあらゆる情報を遮断した。そして、1つ1つこれまでの軌跡を確かめるように互いを触れ合い、それぞれのパートナーに誠意を込めて愛を伝える。

 それからは本当に時間の進みが早く感じた。この時感じた優しい温度を、何よりも暖かい愛を、俺は一生忘れることはないだろう。

 俺達は2時間以上もかけて、想いの丈をぶつけ合うのだった。

 

 

 

 《転移門》の青白い光を通過して、討伐隊の集合地である75層の主街区である石材の街《コリニア》に到着すると、まだ10分前だというのにすでに広場は騒然(そうぜん)としていた。

 ざっと見渡した限りでも、錚々(そうそう)たる顔ぶれの攻略組が50人はいる。確か3時間前に俺が聞かされたボス討伐隊は40人だったはずだが、やはり最高難度の討伐に出向くメンバーを(ねぎら)う意味もあるのか、見送りに来た連中もいるようである。ヒースクリフ、並びに彼の主力タンカー部隊の到来を待たずしてなお壮観な眺めだ。

 とそこへ、広場で待機していたシーザーが《使い魔》のゼフィと並んで向かってきた。

 

「ジェイドさん! こっちです!」

「おお、シーザーか。他のみんなはどうした」

「もう奥で集合していますよ。2人を待っていたんです。ぼくも可能な限り準備は済ませました」

「そっか。なあ、その……まだやれそうか……?」

「えっ? ……ああ、その点は問題ありませんよ。ジェミルさんは今も1層に残してきた友人と会っていたみたいですが……尻込むどころか、むしろ次層解放に向けてやる気は増しているようでした。ルガトリオさんとアリーシャさんはどうも2人で過ごしていたようで、彼らも心配は不要でしょう。まったくいつから親密になられたのか、ぼくすら今日まで気づきませんでしたよ」

「へぇ~あの2人が。珍しいな」

 

 ヒスイだけはクスリと笑っただけで特に反応はしなかったが、ギルドリーダーの俺としては少々意外な組み合わせだったので首をかしげてしまう。はて、カズ達は2人でどんな準備をしていたのやら……。

 もっともあまり突っ込みを入れると、今度は俺達へ質問が返ってきた時に返答に困るのでこの辺にしておこう。

 それに振り向きざまに歩き出そうとしているが、この男の口からも直接聞いておかねばなるまい。

 

「待てよ、シーザー。あんたにも聞いてんだぞ。マジで大丈夫なのか」

「……今それ聞いちゃいます?」

「茶化しはナシだ。脱出だけが目的じゃなくて……俺やヒスイには、その……つぐないがある。もちろんギルマスの俺はみんなの安全を願って……」

「やめてください」

 

 言いかけたが、シーザーの制止が入る。

 今度こそ優男の顔を解くと、彼はまじめになって答えた。

 

「みんなの安全を願う? ……ふふ、今さら迷わせないでくださいよ。脱出なんて、言ってしまえば大衆の形骸化した言い訳でしょう? 例えば、そのためなら人から奪ってもいい、とかね。……言われるまでもなく、ぼくにだって極めて個人的な『願い』があるんです。絶対に曲げられないものが。そのためには、皆さんとこのクォーターボスに挑まないと」

「……そっか。それが聞けりゃ安心だ」

「そうね。叶えるためにも……全員で戦って、そして生き残りましょう」

 

 なんてことを話していると、いかついアーマーを着込んだKoBの1人が「どうも」と頭を下げながら接近し、メイン・ウィンドウからA4サイズの紙を物体化していた。おそらく作戦指示を簡略するための措置だろう。

 軽く会釈して受けとると、ヒスイやシーザーと共にその内容に目を走らせる。

 

「……おおまかな作戦や配置は変わってないけど、どっちにしてもパターンやタイプも不明だったしね。あと、やっぱり参加人数減っちゃったね。全部で36人だって」

「ああ。A隊は変わらずヒースクリフのタンカー隊が6人。B、C隊はDDAのリンドが率いるアタッカー隊とシュミットが率いるタンカー隊が計12人だな。《風林火山》も1人減って5人の援護部隊で、俺ら6人は遊撃隊、と。……残りはアギン達4人に、あとは……ああ、キリトとアスナか」

「そうみたいですね。アスナさんが部隊長でアギンさん達のギルド《SAL(ソル)》が4人ならちょうど6人に……あれ、ちょっとこれ見てください。商人クラスのエギルさんの名前があるじゃないですか」

「あ、ホントだ」

 

 シーザーの指摘は正しく、新たに記載されていたのは黒肌スキンヘッドで巨漢のエギルだった。確か彼は最近のボス討伐にはめっきり顔を出さず、商売上手だった天性の才を活かしてトップランカーのサポートに(てっ)していたはずだ。

 しかし改めて広場を見渡してみると、衆人に紛れて黒白のコントラストに赤いバンダナとハーフのような焼けた肌をした長身の男という、比較的目を引く4人組が談笑しているのが見えた。キリト達も広場に集まっていたようだ。

 他にも名だたる重鎮(じゅうちん)の姿が散見される。

 広場の目抜き通りでは《聖龍連合(DDA)》のギルドマスターであるリンドが数人のギルメンと打ち合せし、その横では彼の右腕として抜粋当初から新進気鋭の活躍を見せる、銀髪ナルシストのエルバートが点呼を行っている。こいつも大概のことでは死なない伝説をいくつか持っている男である。

 そして反対に見える石柱オブジェ付近で騒いでいるのは、4人ギルドの《サルヴェイション&リヴェレイション》だろう。リーダーのアギンも明るい性格で、いつ見ても仲がいい社会人組だ。

 ただ、エギルの参加を計算して4人減ったということは、どうもこの3時間で5人が怖じ気づいてしまったということらしい。無理もないがゲームの攻略はまた一段と難易度が上がったと見て間違いない。

 

「(クォーターで、36人か。……キッツいな……)」

 

 編成は最近KоBを離脱していたアスナを筆頭に、今回の討伐隊ではとうとうソロではなくタッグとなったキリト、さらに総勢4人のアギン達小ギルドを合わせて6人パーティ。また5人に減った《風林火山》と商人エギルの6人による、これも混成部隊らしい。

 するとそこで《転移門》が青白く発光し、新たなプレイヤーを広場へ運んでいた。

 数は6。全員がKoBのA班で、言わずと知れたメインタンカー達だ。

 しかし集団を()き分け威風堂々と前進する彼らのなかでも、異彩を放っていたのはやはり組織の長であるヒースクリフだった。

 彼の甲冑だけはカーマインレッドを下地に間接部分にのみ白いラインを入れており、赤い十字が刻まれた巨大なシールド、および汚れ1つない真っ白なマントが彼特有の気品をさらに際立てる。

 それにここに集結した誰もが、彼の能力を頼りにしているのも間違いないはず。

 かつてハーフポイント戦の終盤で見せた《神聖剣》専用ソードスキル、絶堅連続完全防御《アイソレイデ・ムーン》。剣と盾に攻撃力と防御力を付与し、術者の腕次第では10分間ほぼ無敵に近い存在となる攻防一体、かつ反則級のユニーク技である。

 ともあれ一応クーリングタイムが20分という、多少は効果に則した重いデメリット付きではある。しかもこのクーリングは一般のそれと異なり、いかなるアイテムやスキルを以てしてもいっさい短縮しないらしい。

 まあ、何にせよ味方として使用してくれるなら存分に活躍してほしいところだ。

 そうこう考えているうちに広場の中央で立ち止まると、ヒースクリフが声を張り上げた。

 

「諸君、よく集まってくれた!」

 

 彼の澄んだ声色が広場の隅にまで広まり、討伐隊のメンバーも雑談をやめて耳を傾ける。

 

「知っての通り、本層での戦いは過去にないほどの激戦となるだろう! ……しかし過去のことは忘れてほしい! 今ここで恐怖に打ち勝ち! 勇気を示した諸君らであれば、必ず勝利できると信じている!!」

 

 途端に集団の中から肯定の声が上がった。

 各々が彼の意思を噛み締めたのだろう。プレイヤー集団には勝利を祈祷(きとう)したり、ボス戦前のジンクスやルーチンをなぞる者がいた。そしてそれが無駄なことだとは思わない。

 俺達は逃げなかったのだ。この勇敢な思いだけは誰もが誇っていいはずである。

 しかし、彼が続けざまに「ボス部屋の直前へコリドーを開く」と宣言した直後だった。

 

「ちょお待ってんかぁ!!」

 

 と、甲高い声が響いたのだ。

 集まっていた討伐隊が一斉に振り向くと、そこには鈍い銀の光沢を放つ完全武装のプレイヤーが2パーティ分も整列していた。

 集団の隙間から除く彼らには見覚えがあった。……いや、先頭に立つキバオウを始め、俺にはむしろ馴染みの深い連中だ。

 キバオウの真横にはライトブルーな髪色で首の太い青年ベイパー、および74層のフロアボス戦では俺の傘下として命令に従ってくれた戦闘員が10人。中でも天然パーマのふけた顔をしたおじさんは、名前こそ聞きそびれたが、ほんの数日前に世話になったばかりである。

 元最大ギルド《軍》の一員で、その組織の中では上位1パーセントに食い込めるトッププレイヤー。

 そして全員が緩衝被膜(かんしょうひまく)コーティング特有のまったく光沢のないダークカラー甲冑を纏っていた。チタン系インゴットをふんだんに使用し、溶接の専門職に就くNPCや鍛冶屋にしか精製できない金属メイルだ。かかる金額が天井知らずなのは当然として、素材発掘ポイントを集団で独占でもしなければ、到底集まりきらない大量の希少鉱石を12人分。さぞかし自慢の防具だろう。

 

「君達は確か、アインクラッド解放軍の……」

「先週まではな。もうワイらは《軍》でもなんでもあらへん。ギルドの運営方針はさっぱり変えて、名前もある人物に敬意を示し《レジスタンス・ネスト》に改めた!!」

 

 集団に向けて大声でそう言い放った彼らのシギルを見てみると、確かにシンカー達の組織からは完全に決別したようだ。細かな銀細工と3色のレジメンタルが流麗な、見たこともない狼頭の紋章が肩に縫い付けてある。

 しかし《レジスタンス・ネスト》と言ったか。命名の基準が他人の影響となると、キバオウらしくもないその受け身な選択には意味があるのだろう。

 しかしそこで、背中をツンツンとつつかれた。

 

「ジェイドさん、ジェイドさん」

「あん? なんだよシーザー」

「気づきませんか? あのギルド名の意味は『抵抗軍の隠れ家』ですよ。彼はまさに、あなたに感化されてギルド名を決定したんです」

「えっ……ああでも、言われてみれば……」

 

 《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》と《抵抗軍の隠れ家(レジスタンス・ネスト)》。

 似ている。というより、彼のギルド名からはもどかしいメッセージ性を感じた。しかし込めた想いを自覚すると、一瞬の気恥ずかしさと、それを塗り潰すほどの誇らしい気持ちが溢れてきた。

 いま一度意識を戻す。すると今度はキバオウと目が合った。この集団の中から俺を見つけた辺り、やはり彼も意識していたのだろう。

 俺としては「やっぱり前線に戻ってきたな!」と、駆け寄って肩でも組んでやりたい気分だ。当の本人はすぐに頬の下を指でかきながら目をそらしてしまったが、彼がここで姿を現さなかったら数日前に断言した意思と言葉が嘘になる。

 しかし真実だったからこそ、あいつには今なお多くの部下が付き従うのだ。

 

「レイド隊の頭はヒースクリフはんか。急な話っちゅうのは理解しとるが、あんさんに頼みがある。……ワイらのギルドもボス討伐に参加させてくれへんか! ……もちろん、経験不足なんはわかっとる。1年も二の足踏んどったことも認める。せやけど、ワイらはずっと力を溜めてきた。絶対足は引っ張らんようにする! ここで戦うチャンスをくれんか、この通りや!」

 

 キバオウが頭を下げて頼み込むと、(せき)を切ったように後ろのメンバーが続いた。

 作戦が決まったあとでメンバーが増えるのは危険かもしれないが、戦力が惜しいのも事実である。果たして総隊長はどんな決断を下すのか。

 という刹那の疑問を、彼は実に軽い応答で破っていた。

 

「ふむ、我々の総数は36名。そしてレジスタンス・ネストの諸兄は12名。この混成部隊が成立すれば、期せずして1レイドフルメンバーが完成するわけだ。さてどうかね諸君! 彼らの勇敢な参戦に応えるのも悪くないだろう! これは、我々攻略組が一丸となる時だ!」

 

 直後に野太い歓声が上がった。「《軍》のことは忘れよう、一緒に戦おうぜ!」、「戦力はいくらあっても足りないしな!」、「拒む理由がねぇよ!」と、黒い甲冑の背を叩きながら誰もがキバオウ達を歓迎した。新戦力の面々も笑顔でそれに応えている。

 しかしキバオウも役者だ。まさか討伐直前に逼迫(ひっぱく)した戦力が大幅に増すなんて予想できるはずもなく、これは俺達全員にとって非常に嬉しい誤算なのだ。

 現にあれだけ緊張に凝り固まっていた討伐隊のメンバーを、こうも簡単にほぐしてしまっている。

 

「(俺のやって来たことは正しかった。……最高だよ、あんた達)」

「では改めてコリドーを開く! 私に続いてくれ!」

 

 キーワードと共に弾けた激レアアイテムの濃紺色クリスタルには目もくれず、ヒースクリフ達A班を始め、広場の集団が次々に光の輪をくぐっていった。

 俺も改めてレジクレのメンバーを見る。

 そして6人が互いにうなずき合うと、今度こそ前を向いて戦う覚悟を据えるのだった。

 

 

 

 75層迷宮区の最上階に位置する広い洞窟(どうくつ)は閑散としていた。集団の目と鼻の先には謎の彩飾が施された黒い大門がそびえ、鏡のように景色を反射する支柱が壁を埋め尽くしている。

 よく『ボス部屋前に出現する下級モンスターのランク』や『オブジェクトディティールの凝り方』でフロアボスの強弱をある程度見破れる、なんて小話を聞くが、この威圧するような空間から察するにおそらくそれは真実だろう。どう転んでも一筋縄では行きそうにない。

 そんな俺の不安を感じ取ったのか、あるいは周りの雰囲気にあてられたのか、ヒスイが弱々しく防具の裾を引っ張ってきた。

 俺が怪訝(けげん)そうに振り向くと、信じられないことに彼女は耳元で「キスして」と短く要求してきた。

 互いの関係こそすでに周知の事実だが、いくらなんでも人目が多すぎるだろう。

 

「……え、ここでっすか。それはちょっとハズくね……?」

「ん……」

 

 どうやら聞く耳は持たないようで、俺は数秒こめかみに指を当て、ヤケになってから(かたく)ななヒスイを引き寄せた。

 その突然の行動に数人がビクッ、とのけ反ると掛け値なしで非常に恥ずかしかったが、俺はそんな反応を無視して彼女の感触を深く胸に刻んだ。

 そのキスは、今までで1番濃密だった。

 唇が離れると、不思議なことに俺まで不安はなくなっていた。

 

「絶対勝って生き残ろう」

「ええ、必ず」

 

 「準備は良いな」というヒースクリフの確認で、俺達は意識を戻した。

 ギギギィ、と重たい扉がゆっくりと開かれる。この先で待ち構えているのは、姿形も、行動パターンさえも不明なフロアボスだ。

 

「閉門前に中央で陣取る。戦闘、開始ぃ!!」

 

 うおおおおおおおお!! と、討伐隊がなだれ込むようにボスフロアへ進入した。声はこだまするように反響するが、反射音の速度から考えて部屋は相当な広さだ。

 俺達6人も普段通り固まって警戒モード。

 討伐隊48人が完全に収まりきり作戦通り陣形を組むと、唯一の出入り口が自動ドアのように勝手に閉じていった。

 一行のメンバーによる「転移、回復共に! やはりクリスタルは発動しません!」という最終報告も上がる。もちろん期待してもいなかったので、メニューいらずの戦時用ポーチからは1つ残らず除外済みだ。

 そしてクリスタルが無効化されているからには、内側からは爆薬を使っても脱出できないだろう。

 ここからは正真正銘、(しのぎ)の削り合いである。

 退路が絶たれた瞬間、今度は部屋の明度が少しだけ上昇した。明かりを頼りに見渡すと、どうやらフロアはドーム状のようだ。側面からは湾曲した壁が伸び、俺達の頭上でぴったりと閉じている。壁が垂直でないということは、《疾走(ダッシュ)》スキル修得者による疑似ソードスキル《ウォールラン》などを駆使した、頭上からの攻撃も難しくなっているということになる。

 

「(敵は何体だ……どっから湧いてくる……)」

 

 俺は全神経を張り巡らせた。情報の少なさ、そして小石を踏めば鼓膜に届くほど静まり返った緊張感に、自然と悪寒と冷や汗が流れる。

 しかし、戦場が閉鎖空間化されてから10秒経過しても敵は姿を表さなかった。

 

「……おい、どうなって……」

「ッ……!! 上よ!!」

 

 そこでアスナが頭上を見上げながら叫んだ。

 全員が一斉に振り向く。

 そこには骨だけで形成された、ムカデとサソリを足したような異形の超大型モンスターがいた。

 巨人タイプとは何度も戦ったが、今回ばかりは見たことがないほどの巨体だ。頭の先からでも10メートル以上はあるだろうか。エイリアンのように膨張した後頭部と、両腕から生える4メートルは超すだろう反りのある鎌が目を引く。が、上半身は人間のそれを模したように肋骨らしきものが存在し、そこから幾重にも広がる凶悪な骨格が際立っている。

 対照的に下半身部分の外形はまさに節足動物のそれで、体節おきに存在する背骨のような芯からは、鋭利な脚が無数に伸びてガチガチと鳴らしていた。

 

『ギキカァアアアアアアアアアッ!!』

 

 ムカデ型の75層ボス、《ザ・スカルリーパー》が咆哮をあげた。

 4つもある眼窩(がんか)からは紅く発光した眼球が対象を捉え、骨だけで形成される巨大な体躯が天井から空中へ躍り出る。

 同時にレジクレのD班も離脱態勢を取った。

 

「来るぞ、散れ!!」

「固まらず散開しろォ!!」

 

 一拍遅れて蜘蛛の子を散らしたように討伐隊が距離を取った。

 その中心にスカルリーパーが着地すると、右手(・・)にあたる大鎌をダイナミックに振りかぶる。

 

「(来るッ、避けろよみんな!!)」

 

 しかしタンカー連中の移動速度はどうしても制限される。

 祈りは通じず、スカルリーパーによる最初の攻撃がプレイヤー2人に命中した。

 爆音の反響。凄まじい筋力値だ。

 直後に人の絶叫と怒号が飛び交うが、されど攻撃を受けた2人はとっさに盾でガードできていたのだろう。派手に吹っ飛ばされた先で、それでも体勢を立て直して各部隊の後方へ下がっていった。

 その事実にひとまずは胸をなでおろす。

 問題はここからだ。

 

「作戦を開始する!! 深追いはせず、ローテーションを守れ!!」

「いったれ聖龍連合! 大イチバンだ!!」

「ブチかませぇッ!!」

 

 見ると聖龍連合(DDA)のB、C班が巨体に張り付いてまずは様子見の牽制を行っていた。

 正しい判断だ。接近するなり大技を繰り出そうものならカウンターの餌食である。

 加えてあのバカでかい図体。基本的に《怯み》を取った時にコンボ技や連撃ソードスキルを叩き込むのがセオリーだが、その怯みを取ろうにも本体の体積に比例してその耐性値は上がるものである。

 俺達に残機がない以上、確定で入れられる(・・・・・)タイミングを見極めるまで破れかぶれに技を出しても意味がない。

 ……と、そこまで考えた時だった。

 

「クソッ、攻撃が通り辛い! しかも、こっちの被ダメが高すぎる!!」

「なんだよ連合! これじゃラチ明かないじゃねぇか!」

「でかいのをブチ込む! DDAは下がれ!!」

 

 弱腰の前線メンバーに対し、業を煮やした元軍、現レジネスの2班が早速食い気味の戦意をむき出しにし始めたのだ。優れた防御力と万全のバックに裏打ちされた確かな安全網はあったのだろう。

 そして、わずかな自負も。

 有効アグロレンジ内のアクティブユニットの増加を感知した瞬間、このエリアボスは的確な判断を下した。

 自分に歯向かう虫ケラを排除する、凶刃の邀撃(ようげき)

 

「バカッ、今じゃないっ!!」

 

 しかし俺の忠告が届くことはなかった。

 曲骨鎌(きょっこつれん)専用ソードスキル、二連挟殺大断頭《神を刺す滅びの外殻(スティンゴッド・ペリッシェル)》。

 それは腕を交互に振って広範囲へのヒットを稼ぐ、言わばボスクラスなら誰でも有する一見変哲のない連撃ソードスキルだった。

 だが、結末だけが違った。

 相当な衝撃すらも吸収するはずのレジネス隊の防御力を上回り、衝撃で強引に跳ね上がった1名のプレイヤーは空中で回転しながら四散した。

 同時に彼の装備していたメインアームとアクセサリが無造作に飛散し、軽い金属音と共に黒曜石の床に転げ落ちる。

 ほとんどリアクションすら取れない刹那。

 ウジャウジャと動き回っていた各班の動きが一斉に止まる。

 いま、完全武装した人型のアバターが光片になって散り砕けた現象が、果たして本当に落命を確定する演出だったのかさえ自信が持てなかった。

 

「はっ……?」

「おッ、オイいま!?」

「ウソだろコイツ!? プレイヤーが……一撃でやられたのか!?」

「こんなの……滅茶苦茶だわ……」

 

 スカルリーパーの甲高い咆哮に、戦々恐々とする討伐隊。殺られたのはキバオウの腹心、すなわちベイパーの班のメンバーだったが、当の小隊長も唖然とするだけで的確な反応、ましてや対応させる指示も飛ばせないでいた。

 無論、覚悟の上で戦場に赴いた戦士達だ。友軍の減少を前に、ここで攻撃の手を休める愚行は犯さないだろう。さらなる慎重な攻略を強制されただけに過ぎない。

 そしてこれで確信した。

 先行した偵察隊10人が、たった数分も持たせられなかった理由を。

 『1発即死のソードスキル』。それが、3体目の特殊個体に秘められた、唯一無二の戦闘能力だったのだ。

 しかし、それでも震える手を握りしめ……、

 

「ジェイド……絶対、2人で帰るために……!!」

「ああ、こいつを殺すぞッ!!」

 

 並び立つ恋人と立ち向かえば。不出来な隊長を支えてくれる仲間と共にあれば。

 俺は、どこまでも戦える。

 

 

 

 



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第102話 ビロードに染まる戦場(前編)

 西暦2024年11月7日、浮遊城第75層。

 

「クッソやっぱり硬ぇぞっ!! こいつ!」

「気をつけろ、甲殻が硬い! 『弾かれ判定』が出たらスキができちまう! 攻撃するなら全力でやるんだ!」

「ビビるな体重乗せろッ!!」

「ダメだ、ほとんど通ってないッ!! どんな防御力だコレ!?」

 

 開戦序盤。主にKoBとDDAの計18人が順番でタンクにあたり、相手の行動パターンを見極める、というのが当初の作戦だった。

 もちろんそれそのものは成り立っている。

 しかし問題は、《ザ・スカルリーパー》なるこのクォーターボスに通常攻撃がほとんど通らないことだろう。

 動きを見るだけではゲームは進まない。闇雲な突撃をするつもりはないが、ヘイトを溜めない待機組も側面、あるいは背後から手数を重ねて随時HPを減らしていく算段だったのである。

 だが、見つからない。

 すでに1人喰われているというのに。安定したダメージ源の確保がままならない……、

 

「ヤバすぎだろコイツ!? ヒスイっ、何か見つけたか!?」

「ううん、ダメ! 強いて言えば関節だけど! あの減り方は弱点って感じがしないの!!」

「なら状態異常系かもしれません!」

「いや、ダメだったよシーザーさん! さっきジェミルが手持ちの《猛毒ナイフ》全部命中させてたけど、異常値溜まってる気がしないって! 適用エフェクトが出ないんだ!!」

「ンなアホなッ!? じゃあどうやって……」

 

 あれもダメ、これもダメ。カズからの追加情報により、俺は焦りでどんどん視野が狭くなっていくのを自覚した。

 やはり大技を叩きこむしかないのか。

 だが、《怯み値》を溜めてスタンでも発生させなければ、ソードスキルによる隙の大きい技は放てない。そして現状のように、剣先でチクチク刺しているだけでは永遠に溜まらないだろう。スカルリーパーに返しの即死スキルをブチ込まれれば晴れてお陀仏である。

 そうこう悩んでいるうちに1人、また1人とウワサのソードスキルによって()り砕かれていた。

 あり得ない。大鎌と尾による何らかのスキルであれば、その種類に関わらず直撃した時点でアウト。等しく一撃で葬る力が備わっている時点で、奴にとってプレイヤーは十把一絡(じっぱひとから)げな存在にすぎないらしい。

 攻略の糸口がないまま、これで3人目である。

 

「(人間死んでんだぞッ! なんで何も見つからない……!!)」

「このままじゃマズいわ! カマが大きすぎて、スキルが発動するたび誰かしらに当たってる!!」

「クソ、見りゃわかるっての!! だったらアレだ、《ライノセラス》ブチかまずぞ! ルガとジェミルは援護くれ!!」

「そんな、ソードスキルを!? ホントに行くのっ!?」

 

 それには愛用の大剣(ガイアパージ)を肩に担ぐことで応えた。

 《ガイアパージ》専用ペキュリアーズスキル、超級単発重反動斬《ライノセラス》。

 50層フロアボスLAボーナスの魔剣にのみ発動の許された――元よりペキュリアーズスキル保有武器は、どれもそれ以外では発動できないが――専用技で、モーション自体はかつての斜め斬り《スラント》と変わらない。ただし、攻撃力とは別にヒット=《確定怯み》の特典が付く。

 すなわち、命中さえすれば反撃をもらわない、一種の防御にも繋がる汎用スキル。

 と言う前提さえ、適用されるか不安は残る。この規格外のフロアボスがそれすらも無効にする可能性は十分にあるからだ。

 もしそうなれば、目の前でポストモーションを課せられることになる。一転、死ぬのはこちら側。

 

「(頼む、効いてくれよ……)……ルガ! タイミングは合わせる!!」

「カマ弾くよ……いまっ!!」

 

 声が聞こえた瞬間、俺は猛然と駆けた。

 一気に視界がトリミングされ、焦点にはスカルリーパーのみとなる。

 一挙手一投足に集中し、空いた穴に重撃を叩きこむためだ。

 側面に回ったジェミルからは合図とともに《閃光弾》も投げられた。しかし目を開けた先に暴れ続けるボスを見て、やはりデバフ系では効果がないことを確信。

 すぐにスイッチによる連撃へ思考をシフトすると、カズの視線誘導、および大鎌の一撃を弾く瞬間を利用して突撃姿勢を作った。

 緊張を払い退け、システムアシストを起動。

 体が羽根のように軽くなると、踏み込んだ直後にアバターは吸い込まれるように腹部へ射出された。

 

「オッルァアアアアアアッ!!」

 

 可能な限りの膂力(りょりょく)を解き放った。

 激しいライトエフェクトと轟音が響き、両手の先からは鋼鉄の壁を金棒で殴ったような反動が。と同時に、対象は聞いたことのない鳴き声を上げた。俺の渾身の一撃はクリティカル判定にもなったようだ。

 そして……、

 

「(減ったぞ、オイッ!?)」

 

 目に見える形で、そのHPが減少したのだ。

 しかも先刻の通り、断岩の両刃剣(ガイアパージ)の特殊技は確定スタン付き。それを知るギルドメンバー、ヒスイとアリーシャがロスなしで追撃していた。

 エフェクトが花火のように舞う。ごくわずかな時間で、微動だにしなかったゲージがじりじりと減少していく。

 そしてそれは、単なる数値的なダメージに留まらなかった。

 一矢報いるチャンスを得られたのだ。おまけにこちらには切り札(・・・)もいる。

 

「そうか、やっぱりソードスキルだっ!! スキルを当てれば削れるぞ!!」

「けどムカデが早すぎる! 止まるのも危険だ!」

「ヒースクリフ、この期に及んで出し惜しむなよ! 例のアレ(・・・・)で止めてくれれば俺達が前に出る!!」

 

 DDA総隊長のリンドがそう叫んだ。

 少々姑息だがしたたかな作戦だ。どのみちKoB団長様の絶対防御なしにはリスクが高すぎる。あとはスキル発動中に誰が攻撃するか、という点だが、人数の多い彼らDDAがダメージの貢献具合をここで稼ごうという腹だろう。いかにも好戦的なギルドらしい

 さりとて、タンカーを多く(そろ)え、攻撃特化の副団長アスナも不在とあれば、彼らも効率の面で反論できないらしい。

 かくしてヒースクリフの反応は、「よかろう」のただ一言だった。

 この男は逆に撃破リワードに無頓着すぎるが、たったそれだけで神速の鬼と化し、一切の恐怖すら感じさせないまま単騎で突撃していく。重装の男とは思えないスピードである。

 

「うお、行くなァマジで。手がすべったら終わりだぞアイツ」

「縁起でもないこと言わないでよ。今あの人を失ったら、あたし達も一気に不利になるんだから……」

「そりゃそうだけどよ……」

 

 ヒスイの信頼の置き方もよくわかる。

 彼の保有する最長にして最堅の防御体制。一対の剣と盾(メインアーム)をクリアベールに包み、あらゆる脅威をシャットアウトする《神聖剣》専用ソードスキル。絶堅連続完全防御《アイソレイデ・ムーン》の存在があるからだ。

 俺とて一世を風靡(ふうび)した彼の10分間の無敵モードはよく知るところだし、ハーフポイントの8刀流をたった1人で完封してみせた衝撃は今でも忘れていない。

 しかし、やはりあれも『人の技術ありき』だった。

 ぼう、と突っ立っても死なないわけではない。「10分間集中するだけで限界だ」という俗識も、もとはと言えば彼自身がのたまったほどである。だとすれば、身の丈をゆうに超える大鎌を軽々といなし続ける最強タンカーの度胸は計り知れない。彼を見やり、改めて尊敬を超えた一種の寒気を感じざるを得なかった。

 あの自信はなんだろうか。

 どこから来ていて、絶対に揺るがないのだろうか。

 まるで自分が死なないことを知っているかのように。どこか創作世界の主人公にでもなった気分でいるあの男は、そうした英雄観を貫いたままHPを注意域(イエローゾーン)にすら落としたことがないという。それがもし事実だとすれば、単純なステータス差では説明のつかない溝が、彼と攻略組に存在することになる。

 ハイランカーとてギリギリの生活でレベリングに邁進(まいしん)しているのに、果たしてそんなことが……、

 

「ジェイドやったね! 効いてるみたいだよ、この作戦!」

「1段目もそろそろ削れそうじゃない!?」

「あ、ああ……」

 

 仲間の歓喜に意識を戻されると、確かにスカルリーパーの1本目のバーはすでに赤く染まっていた。クライン達も「お手ガラだな、ジェイド!」なんて元気よく叫んでいる。

 俺が突破口を見つけたところで、他のパーティも攻撃的なフォーメーションを取っているからだろう。

 ディレイやスタンは内在値の蓄積により確率で発生するもので、これほどリズミカルに放っていいはずがない。

 こうしたゴリ押しは《神聖剣》による恩恵が大きい。(くだん)の無敵バカは、一切のノックバックすら受けずに走り回っているが、期間終了とともにたちまち崩れてしまうからだ。

 

「(2本目はいくな。なるべく次のゲージも……)」

 

 そうして俺達に3度目のローテが回ってくる頃には2段目に突入。しかし、いざ攻撃を仕掛けようという段階で異変が起きた。

 苦しそうに悶えたかと思ったら、フロアボスが『変形』しだしたのだ。

 ムカデのような形状だった下半身は、数多の足が畳まれることで大きな尻尾へ。骨を鳴らしながら前面にある6つの脚だけ大きく膨れ上がると、それを6本足に見立て鋭利な爪を突き刺したままうずくまる。そしてその背中には、どこから生えているのか翼竜の翼らしき骨格が形作られていった。

 当然、骨格形成だけにとどまらない。その上部からは腐肉のような赤黒いジェル状の物体がドロリと垂れ、骨と骨の隙間をグロテスクな膜で繋いでいる。

 討伐隊の面々が固唾(かたず)を呑んで見ていると、とうとうスカルリーパーは独特な鳴き声と共に翼を一翔。そのワンアクションだけで風圧耐性の低い軽装プレイヤーはディレイを起こしていた。

 具現化された姿は、甲殻類と昆虫のキメラじみた外格を持つ、2刀の大鎌と翼付きのモンスターだった。

 

「くそっ、異様な形だ。尻尾の位置が高くなった! 側面から当たり辛いぞ!」

「神聖剣の効果も終わっちまう!」

「だがすべきことは同じだ! 次のローテでは俺達のタンカー隊も使う! その間に可能な限り削るぞ!!」

 

 普段は精悍(せいかん)な顔立ちを歪めるも、リンドの指示はフロア全体に響いた。おそらく彼の部隊であるB班(アタッカー)だけでなく、C班(タンカー)の戦力をパーティ全員のために消費すると言っているのだろう。

 ヒースクリフと同等の防御力を得るために小隊を丸ごと動かすとなると、それだけで攻撃に参加できるプレイヤーの数は減ってしまうが、ことこのボスと戦うにあたり慎重すぎるということはあるまい。

 しかし……、

 

「(C班、って1人欠けてんじゃねェかッ……5人で防げんのか!? あのバカみたいな火力を……!!)」

 

 タンカー隊隊長(シュミット)の能力を疑っているのではない。元は弱小ギルド《黄金林檎》からの成り上がりかもしれないが、こうして(おさ)を任命された以上、その単純な壁性能はレジクレの誰よりも優秀なはずだ。

 されど、それがボスに通用するかは別問題である。

 《神聖剣》によるかのソードスキルは、あらゆる物理、属性ダメージを100パーセントに近い確率でカットしていたのだ。

 根本的な条件が異なる。すなわち、ノーマルな盾で前衛を維持しようとすれば、その強化具合だけでなくC班全員の動体視力や判断力、そして部隊の連携練度にも左右される。

 

「動け! とにかく走り続けろ!」

「ジェイド! アリーシャさんが被弾した!! 次のローテに回そう!」

「あたしはノーダメ! ガードは任せて下がって!!」

 

 変形したボスに対し、攻撃のターンが止まる。同時に《神聖剣》の《アイソレイデ・ムーン》も終了し、宣言通りC班が一斉に前に出た。

 すでに3人が犠牲になっているのだ。これ以上は……、

 

「ハァ……ハァ……どうにか無事だったね。クラインさん達、大丈夫かしら……」

 

 ヒスイは息を切らしながら、入れ替わりで前に出たE班、すなわち《風林火山》とエギルのチームを見やりながら心配そうにつぶやいた。

 ここからしばらく絶対防御の加護がなくなるからだろう。

 そしてやはり、ボスの動きにも変化が見られた。羽による風圧ディレイの他に、序盤から大雑把だった通常攻撃がよりコンパクトになっているのである。

 ますます慎重な対応が求められる。そう思った矢先だった。

 

「クソ、一撃が重い! このボスッ……ずいぶん狙ってくるようになりやがった!」

「被弾した奴はマジで気をつけろ! 優先的に攻撃してくるぞっ!!」

「うわっ、コイツ浮くのかッ!?」

「翼を使った! 全員けいかーいっ!!」

 

 スカルリーパーがとうとう羽ばたいたのだ。

 足元に潜って包囲していた連中は軒並み吹っ飛ばされ、ボスはすぐに飛翔を停止し、落下する。巨体を利用した圧殺コンボ攻撃。

 

「おい、早く逃げっ……ぐああああっ!?」

 

 そして、すべてを薙ぎ払う衝撃が。

 俺は反射的に叫ぼうとしたが、その声すら続く轟音にかき消された。

 爆心地から距離があったにもかかわらず、地割れや隆起が発生するほどの災害じみた攻撃を前に、あくまで二足歩行ユニットであるプレイヤーはなす術がなかった。

 剣を突き立てひざをつく者、なかには転倒している者までいる。

 さらに煙が晴れると、奴の巨大な6本足の下でレイドメンバーが2人もがいていた。

 1人はシュミット隊のタンカー。もう1人は風林火山のメンバーが。重装の男に至っては、真上を向けたシールドの中心を貫通して串刺しにされている。

 ガード行為すら無視する攻撃が存在するのか。

 

「(こん、な……どうしろってンだよ……ッ!?)」

 

 付近の討伐隊が脱出を促したり、連続攻撃によるヘイト調整を試みるも、フロアボスに容赦はなかった。

 曲骨鎌(きょっこつれん)専用ソードスキル、六連懊悩極之毒牙(おうのうきわみのどくが)異端者への蠍の鎌刑(シコゥピオン・フォレディック)》。

 縦振り確殺6連撃のうち2発が双方の人体を蹂躙(じゅうりん)すると、そのアバターはボスに踏み抜かれたままパーティクルとなって砕け、跡形もなく消え去った。

 これで5人。

 本当にふざけている。

 ヒースクリフがいなければ、初見の技が出るたびに即死だ。そこにいったいどんなゲーム性や戦略性があるというのだろうか。

 俺達は何も無謀な賭けをしているのではない。むしろその真逆。騰貴(とうき)して久しいレアアイテムをふんだんに使用し、クリア適正レベルを逸脱し、平均値を底上げさせて安定した狩りに臨めるよう万全を期したはずだ。現に75層に到達してからボスに挑戦するまで3週間も要している。

 だからこそ、この結果が生まれたこと自体に製作サイドの歪んだ執念を感じた。

 

「う、うわぁぁあああああっ!? また一発だぞ!?」

「くそ……こんなの! 勝てるわけないだろう!」

「攻撃するチャンスすらないじゃないか、ちくしょう!!」

 

 2名の戦死で一気に戦局が傾いてしまった。

 クライン達もひどく気を取り乱し、臨時メンバーであるエギルがどうにか危険な行動に出ないよう抑え込んでいるのが現状だ。

 キリトも《二刀流》を構えようとしていたが同班のアスナが制止している。強力なスキルによる一撃を10回以上も叩き込む前代未聞の継続火力がウリだったが、ただでさえ前線に立つ時間が長くなってしまうのだ。今回ばかりは絶望的に相性が悪い。

 ローテの順番で言えばまだ先だったが、レジクレがどう動くべきかの決断も迫られていた。

 

「ジェイドどうするの!? アタシらも行かないと、みんなシリごんじゃってるじゃない!」

「あーッてるよ、クソ! 女2人は引きずってでもE班引かせろ! ヤロウ共はヘイトかせぐぞ!! ジェミル、閃光なくてもやれるな!」

「もちろん! あと攻撃は受けずにかわそう!」

 

 有用なソードスキルがクーリングに入っている今、頼れるのは己の技術と判断力のみ。

 だからこそカズ、ジェミル、シーザーの3人は短い命令だけで役割を理解し、各々がベストな行動を取ってくれた。

 俺も目の前の死神に集中する。

 大きく振りかぶった凶刃が迫る直前、体を折りたたんで小さくジャンプ。すぐ背中を濃密な殺意が過ぎ去っていった。

 風圧だけで寿命が縮まるようだ。ソードスキルではない……すなわち問答無用の屠殺攻撃ではないにせよ、奴の生み出すダメージ数値はそこらのMobとは一線を画する。

 激しい反動に耐えながらどうにかやり過ごし、6本足の一部にわずかな切創痕を残してやる。

 減ったのかどうかもわからない体力。

 それが、個人がなせる精一杯の反撃だった。

 しかしそこで、戦況を見極めるために離れて指示を飛ばすヒースクリフの死角で、またしても風林火山のメンバーが尻尾攻撃に被弾して転倒(タンブル)させられているのが目に入ってしまった。装備重量の関係上、どうしても鈍足になってしまったのだろう。

 もっとも、この戦いにおいて防御性能はほとんど意味を成さない。

 

「カルゥーっ!! 早く逃げろぉおお!!」

 

 だが、クラインの絶叫は虚しく通り過ぎた。

 重厚な武者鎧に全身を守られていたはずの男性は、7割以上もHPを残した状態でたった1度の刺突攻撃を受け、それを全損させたことにより現サーバから消滅する。

 また無機質な音が響いた。

 《風林火山》からは2人目。HPゲージ2段目に突入してからまだ有効打を出せないまま、討伐隊の戦力だけがどんどん削られていく。

 

「あ、あァ……クッソ……ちくしょう、このヤロウ!!」

「待てクライン! 1人で行っても意味がない! 仇を取りたいならッ、なおのこと周りを見ろっ!!」

 

 視界の端で奔走する大男と、それにともなう野太い喝破(かっぱ)が聞こえた。きっと褐色肌のハルバード使いがクラインをなだめていることだろう。思わず俺もカズ達の安否を確認してしまったほどである。

 無論、仲間を奪われた彼の気持ちはよくわかる。すぐさまこのボスを叩き潰したいはずだ。

 しかし、そのためには……、

 

「(くッ……!?)」

 

 ガチンッ!! と、またも凄まじいスピードで振り抜かれる大鎌の主軸を大剣でズラす。

 両腕に凄まじい衝撃。だがパリィ成功にもかかわらず、その規格外の重さ(・・)にHPが減少。すでに時間稼ぎは十分だったが、思考する時間さえままならない。

 とにかく即席の対応として必要なのは反撃のための準備。ソードスキル必中のタイミングを作るため、普段以上にタンカーを前に出すこと。

 そしてそれは、思わぬ形で成立した。

 

「下がれジェイドはん! ワイらが出る!! ベイパーッ、用意できとるなァ!!」

「こっちはいつでも!! 仲間の仇を、必ず!!」

「キバオウか!? おい、軍にはキツいぞ!」

「アホウ、言っとる場合か!!」

 

 G、H班の計10人にも上る男達が果敢に前に出たのだ。

 しかも入れ替わり際、「それに、もう『軍』ちゃうで!! しっかり焼き付けときや!」と言い放った彼の宣言は伊達ではなかった。

 両端まで8メートルはあろう翼の羽ばたきに対し、なんと彼らはまったく怯むことなく、むしろダメージを伴わない行動に対して強気にも攻撃に転じていたのだ。

 俺達は一定の規則世界でルールを課せられたプレイヤーに過ぎず、奴の巻き起こす風圧は気合いでどうこうできるものではない。

 となれば、あの集団のとった対策は1つ。

 

「あれかっ、腰に巻いてるベルト!」

「みたいですね。埋め込まれている宝玉の色から、おそらくあれは《防風の貴石》。しかも、レベルマックスを10人分も……」

「いえ、もとは全員分だったはずよ。豪勢なこと。やっぱり軍の名残もあるのね……」

 

 キバオウの班からも、ベイパーの班からも、すでに1名ずつの殉職者を出している。しかしフルメンバー分の装備が整っていたことは想像に難くない。

 回復中のシーザーとヒスイも同じ結論に達したようで、エナメルに光る黄金色の皮ベルトと、その中心で輝く青緑の透明結晶に注目していた。

 特定の敵に有効なあの手の対策アイテムは、古今あらゆるRPGに導入されてきたポピュラーなものである。だが1度作成すれば恒久的に使用できるタイプだと、その作成難度を上げることでバランスを調整されてきた。

 《防風の貴石》のカンストレベルは最高級アクセサリだ。凋落(ちょうらく)した《軍》から脱し、《レジスタンス・ネスト》として再誕した面々は併せて2パーティ分。彼らとて最終強化には例外なくレアドロップ素材を要求されるので、あれらを準備するだけで相当時間を要したはずである。

 それに乱戦をよく見ると、彼らの装備が登場時よりさらにスマートになっていることに気が付いた。直前のローテ待機中に機動性志向へ着替えたと推測できる。

 アバターへのスキル直撃以外……つまり盾による防御を介した余波なら、単純なダメージで済む。死ぬのはスキル命中時の付随効果であって、『攻撃力無限』などの設定ではない。

 というカラクリを見抜いてか、可能な限りのメンバーが盾を構えて相手の邀撃(ようげき)に備えている。

 平均レベルも文句なしの攻略組と同水準。あとは『ガード不可』と判明した先ほどの飛び掛かり攻撃に反応できれば、晴れてセーフティラインの完成だ。

 

「(いい対応力だ。これならしばらく任せられる……!!)」

 

 戦法が変わったことで対処に遅れた討伐隊も、彼らの奮戦中にどうにか立て直せたようだ。

 問題はクラインのいるE班である。物理的にも精神的にもパーティの被害が大きすぎる。

 だがここで、動きを止めないままカズが意外なことを口走った。

 

「ジェイド、どのみち風圧、振動、ガード貫通技に個人で対応するのはムリだよ! レジネスの人にだって限界が来る!」

「そりゃあな! おまけに各デバフまで無効ときてやがる!!」

「でも、だからこそアレやれるんじゃないっ!? 剣の固有スキル……《ライノセラス》には確定スタンがあるでしょ。これはデバフとは違うスイッチチャンス……ロスなく行けば、他班のソードスキルだって繋げられるよ!」

「1回はできるさ。けど続かないんじゃ……っ」

 

 武器の固有技はどれもユーティリティなスキルだ。《ライノセラス》も1度撃ってからクーリングタイムは終了しているし、俺も再発動のタイミングを見極めていたところである。練習できない点は気がかりだが、スキルの直撃直後に奴の広い体面積へ全方位からソードスキルが決まれば、それだけで一気に趨勢(すうせい)は好転するだろう。

 しかし俺のスキルは断続的に発動できない。という問題さえも、彼は即座に打ち破った。

 

「これだよジェイド! 《漆喰のアームレット》! 装備者のスキルのクーリングタイムを大幅に縮めるんだ!!」

「そっか。そういやこれッ、効果が重複するタイプの!」

 

 そう言ってカズが取り出したものは、濁った銅色の腕巻き。腕に装着するものなのにデザインが、そもそも人の腕を模している悪趣味なアームレットだった。

 それを見た俺はようやく彼の言わんとすることを理解する。

 助けられた礼として、元《黄金林檎》のメンバーたるヨルコからこれを贈答(ぞうとう)されたのはつい先週の話である。そしてその効果は彼の指摘通りのものだった。

 すぐさまアリーシャを呼び戻し、同じように死蔵されていたレア物を彼女のストレージから引っ張り出させた。

 あとはレイド長に話を通すだけ。

 もっとも、究極的には確定作業となる脳死戦術こそ安全策だということを、ゲームに耽溺する彼ならよく知っているだろう。

 せわしなく動く他班の連中をすり抜けると、俺は迷わずヒースクリフに駆け寄った。

 

「A班! おいヒースクリフ! このままじゃラチが明かねェ。俺らが動きを止めるから、《レジネス》の連中を下げて一斉攻撃してくれ!! こっちには確定スタンを連発させる装備がある!!」

「……先ほどのスキルかね」

「どうしますか、団長!? 確かめる時間はありません……!」

「やむを得ん。しかし前線で援護には入れない。きみの硬直中は……」

「ハッ、俺のスキは仲間(レジクレ)が埋めるさ! ヤれんのは数分だけだ。各隊の攻撃への指示、マジで頼むぜ総隊長っ!!」

「任せたまえ!」

 

 たったそれだけの返答で安心できてしまうのがこの男の恐ろしいところである。単体性能だけではない、集団が持つポテンシャルを効率よく引き出せるからこそ信頼がおける。

 いずれにせよ方針は決まった。

 そうしてA班が作戦を伝達させるなか、俺自身も二の腕に2つ分のレアアイテムを装着しながら精神を研ぎ澄ませていた。

 仲間が陽動のために攻撃目的ではなく前に出る。

 俺が動いたのは、スカルリーパーの視線が彼らに向けられた直後だった。

 

「(決めるッ!! 一発目だ、当たれよクソッタレ!!)」

 

 周りを見ている余裕はなかった。

 スキルが立ち上がる。両刃大剣が濃い緑を纏うと、たった1歩で数メートルを移動。

 焦点は白骨の胴のみ。

 

「っけェえええええッ!!!!」

 

 ゴッガァアアアアアアッ!! と、絶叫、スキルのSE、ヒット時の爆音がすべて重なった。

 奴の各関節から酷い軋轢(あつれき)が生じ、両腕には信じられないほどの反動が襲う。

 さりとて、目的だけは果たされていた。

 スカルリーパーは無尽蔵に放っていた攻撃の手を止め、後ろに大きくよろめいてから大ダウンを起こしたのだ。あらゆる大型Mobに設定された最大の攻撃チャンスである。

 

「総員! 攻撃せよっ!!」

『うおおおおおおおおおおッ!!!!』

 

 途端、一気呵成の大反撃が始まった。

 ほんの数十秒前まで誰かの後ろで尻込んでいたプレイヤー群が、血相を変えて我先にと斬りかかる。ある意味それは恥も外聞(がいぶん)もない、生存優先を徹底する攻略組が織りなす戦法の集大成だった。クライン達もこの時ばかりは我を忘れて殺戮鬼と化しただろう。

 作戦は見事にハマ(・・)った。

 微動だにしなかったHPはみるみる削られ、レジクレメンバーに守られながら、数倍速で回復する《ライノセラス》のクーリング経過を待つ。

 すると、再びメンバーがこじ開けた数瞬のタイミングに一撃を叩きこむ。

 わずか数手のルーチンによる攻略手順を前に、ハーフボスは完全に制圧されていた。

 

「行け! 手を休めるな!!」

「この調子なら2段目を飛ばせるぞっ!」

「押し切れェ!!」

 

 討伐隊の猛攻と高揚感に押され、思わず両手に力がこもる。

 数えきれないほどの集団バフ、瞬間ブースト、高価格汎用品が湯水のごとく消費されるなか、やがてボスにも限界が訪れた。

 

『ガガギギッギギギギギィッ!!』

「しゃあ! これで3本目行った!!」

「くらった奴、いるか!? 各班!」

「大丈夫です! B班、全員います!!」

「被弾ゼロ! まだやれますよ、これなら!」

 

 半分を乗り切った。ぶっつけ本番のハーフ戦においてこれは快挙だろう。

 しかしまた例の演出も挟まれた。ソードスキルを好き放題ブチ込んでいた連中も、数歩下がって様子をうかがっている。

 案の定、スカルリーパーはまたしても変形シークエンスに突入した。

 薄い膜でしかなかった翼間の肉は徐々に厚みを増し、見違えるほど重厚な一対の大翼となる。

 変化は背部だけではなかった。グロテスクな頭蓋はすでに骨だけではなくなり、もうドクロとは呼べないほど腐肉が癒着している。脚部もよりスマートにまとまって馬のようなフォルムになり、その足の体節や太い肋骨からもドロドロの肉が滲みだし、不完全な筋繊維と血管で象られていった。

 その光景は再生と表現すべきだろうか。

 すでに朽ち果てたはずの肉体を、戦いの最中(さなか)に取り戻していくかのように。

 そして、肉体機能が復活するたびに失われた殺戮本能すらも取り戻していくかのように。

 原理やストーリーまでは追っていないので想像するしかないが、おそらく最終段になると同時に本来備わっていたすべての機能を手にするのだろう。

 

「気をつけろ、より筋肉質になったぞ!!」

「速度も上がっているだろう! 下がった班も気抜くなよぉ!」

「来るぞ! スキルだけは絶対避けろッ!!」

 

 再開直後、スカルリーパーは両手の大鎌を叩きつけるようなソードスキルを放った。

 爆心地からは轟音と白煙が広がる。被弾者はいなかったようだが凄まじいスピードだ。本作におけるモンスターの形状変化とステータスはリンクしていることが多いので、きっと奴の肉体付与は単なるコケ脅しではない。めまぐるしく動く眼球から察するに、命中精度も飛躍的に上がっているだろう。

 しかも濃煙が晴れると、信じられない光景が広がっていた。

 

「も、モンスターが増えてる!?」

「6体も……!! これじゃあ集中狙いもできない!」

 

 視線の先には羽を持たない6本足の骨のバケモノ、2刀鎌まで主を真似たスケール縮小版のモンスターが6体も地面から出現していたのだ。

 それは一見、土葬された同族の遺骸が仲間の窮地に意識を取り戻したような印象さえ与えた。

 いずれにせよ、これで注意すべきポイントは一気に7か所にまで膨れ上がる。

 

「クソッ、取り巻きまで出てくるのかよ!」

「各班警戒!! ザコからも一撃死される可能性がある!!」

「モーションを見て覚えることからだ! 常にチームで動け!」

 

 それらの指示に従いレジクレを固まらせたが、スカルリーパーを警戒しながらだと対応できるのは1体までだった。

 おまけに悪い報告が連続して届いた。

 部隊の誰かが「それだけじゃない! ボスが浮いてるぞ……!?」なんて叫んでいたのだ。

 新キャラに注目が向かいがちだったが、改めて向き直ると全方位へ風圧による行動阻害をかけながら、なんとスカルリーパーは大きな翼を何度も羽ばたいてエリアの中央で滞空していたのである。

 ジャンプ攻撃のための跳躍ではない。空中で新たな揚力を生んで飛翔している。

 まさか、あの巨体で飛行能力まで有するというのか。スケールに合わせて高度を得ているので、現実離れした爽快アクションを行えるプレイヤーですら、助走付きで飛び上がっても剣先が届きそうにない。

 これでは攻略にならない。

 

「(シャレになんねェぞこいつッ……でも、まずはザコからだ!!)」

 

 しかし最も危惧すべきは、取り巻きからの妨害でスカルリーパーのスキルを避けきれなくなるケース。奴が高度を下げる瞬間には、風圧による行動阻害までされかねないのである。

 ボスはメインタンカーに任せ、俺達も歯車として役目に集中する。

 小型版の頭に浮かぶカーソルには《スカル・サブシトゥード》とある。残念ながら意味まではわからないが、ことこの戦場において重要なのは奴の和訳ではない。

 

「ヒスイ、一発受けろ! ダメージを見る!!」

「わかってる!」

 

 彼女はすでにフォワードの席を位置取ると、部隊一防御力に秀でる自慢の円盾を構え、取り巻きのタゲを取りに向かっていた。

 受けろと言っても棒立ちしろという命令ではない。あくまでガードの上から抜かれた分の減少値から相手の攻撃力を逆算する戦法である。

 ――さあ、どんな技を持ってやがる!?

 俺、ひいてはギルドメンバーが一段と身構えた。

 曲がった背筋を伸ばしても、尾の先まで3メートルほどしかない体躯だ。となれば分相応の怯み耐性しか持ち合わせていないはずで、ヒスイの《反射(リフレクション)》スキルがうまく決まれば、続くスイッチで追撃を叩きこむことすら可能だろう。

 そしてこれは完全に俺の経験による想像だが、この取り巻きまでボスほどの瞬間火力があるとは考え辛い。

 しかし、突撃系ソードスキルを放てるよう腕を引いた瞬間だった。

 

「な、にこれッ……!?」

「くっ!? 耳が……!!」

 

 サブシトゥード共の両目が紅く発光し、甲高い声で吠えたかと思えば、直後に聞こえたのは鼓膜を直接振動させるような低重音だった。

 そこかしこでキィィィンッ、と耳を(ろう)するハウリング現象が起き、取り巻き共の付近にいたプレイヤーが何らかのエフェクトに包まれる。

 ヒスイから発せられる短い悲鳴。すると、確かに接地していたはずのその体はフワリと浮き上がった。

 彼女だけではない。軽装ながらも貴金属防具を纏うはずの各隊のプレイヤーが、完全に重力に反して空中に持ち上げられる。戦場では計5つものアバターが無防備に晒された。

 

「べ、ベイパー……!? 何しとんねん、はよ下がれや!!」

「ダメです、重力が!? た、助けて!!」

「シュミット隊長っ!! 早く降りて!」

「どうなっている!? クソ、ひとまず取り巻きから離れろッ!!」

「そんな!? 待って、エルバートさん! オレを下ろしてくれぇ!」

 

 そして時同じくして、ヒスイの頭上……スカルリーパーの4メートルを超す両刀と長い尾が鈍く発光する。

 

「おりっ、られない……!?」

「ヒスイッ!!」

 

 俺はほとんど反射的に飛び出し、殺傷力のないブレードの腹を前方に向けたまま大剣を大上段で構えた。

 彼女の腹部を剣先でド突いて地面へ叩き落すのと、滞空するボスから技が放たれたのはほぼ同時だった。

 《曲骨鎌》専用ソードスキル、全方位回天九連撃《死星成す天象儀(シャイン・プラネノヴァ)》。巨体の旋回により、鎌と尾による3本の軌跡が天体の軌道を描くように空を半球に彩り、その閃光の筋は4つの人体を精密に貫通した。

 うるさいほどのサウンドエフェクトと、凄まじい迫力の広範囲殲滅撃。視線を上げると、硬い珪素が砕ける特有の四散景と轟音がこだました。

 同時に、空中では複数のアバターが硝子(しょうし)のフレークと化す。

 

「あ……っ、ぁ……!!」

 

 エリア全体に人灰の雨が降る。それも、4つ。

 気づくと、そこには戦意喪失の渦が広がっていた。

 峠を越えたかに思われた戦局はわずか1手で覆され、同時にこれまでに10もの戦友を失う結果をもたらした。そのリストには2人の部隊長まで含まれる。

 進捗は、まだ半分。

 まるで戦果に満足したように、飢えるままのスカルリーパーはひと際大きく戦慄(わなな)いた。

 地を這い、天を見上げる戦士達が硬直するなか、やがて戦闘は強制的に再開される。感情を持たないはずのモンスターの方が、争いの本質を思い出させるかのように。

 

「(俺はッ……こんな、ところで……!!)」

 

 気負う虚勢とは裏腹に、俺の中で、戦意を灯す中核が砕ける音がした。

 

 

 

 



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第103話 ビロードに染まる戦場(後編)

 西暦2024年11月7日、浮遊城第75層。

 

 すでにそれは戦闘と呼べるほど拮抗してはいなかった。

 滞空するスカルリーパーに対し、投擲武器を除けば攻撃を届かせる手段がないのだ。しかし、手序(てつい)でに取り巻きに近づこうものなら、《反重力》と名付けられた特殊技と即死コンボの餌食となる。空中に投げ出された時点で、羽のない人間に独力で逃れる術はない。

 命知らずのヒースクリフだけはサブシトゥードに斬りかかろうとしていたが、今は彼の部下が必死に抑えている。司令塔に万が一のことが起きないようにしているのだろう。

 まさに雑然(ざつぜん)とした獲物の狩り場。

 事実上の潰走者となり果てた討伐隊は、まともな反撃すら試みないまま10分もエリアを逃げ回っていた。

 

「勝てない! こんなの、一方的じゃないか!!」

「ザケんな、どう戦えっつうんだよッ!」

「初めからクリアさせる気何てなかったんだ! ちくしょう!!」

 

 天蓋(てんがい)に浮かぶ死神を見上げ、各々がそうやって悲観しているのにも理由がある。

 先ほど空中のボスがまた新しい技である『飛ぶ斬撃』スキルを放ったことで、さらにメンバーが1人減っているのだ。

 現時点で11人もの死者を生んだことになる。

 偵察隊まで勘定に入れればその倍。仲間の凄惨な最期を看取ることしかできなかった討伐隊の士気はほぼ壊滅。さしものレジネスメンバーも、まさか重力を打ち消す攻撃に対するメタアイテムまでは持ち合わせているはずもなく、双璧を成す隊長の1人を失ったことで指揮系統すら混乱していた。

 

「(ダメだ……これじゃあ、どうやって……ッ!?)」

 

 かく言う俺も仲間に指示を出せないでいた。

 だがその時、視界の端で動く気配があった。光沢のない甲冑を身に纏う、そのトゲ頭の男は……、

 

「バカっ、キバオウ!? 1人で動くな!!」

「……ワイとて、これ以上仲間はやらせん! よう見ときジェイドはん! いや、全員や!! 正解(・・)かどうか、身をもって確かめたるわっ!!」

「おっ、い……!?」

 

 引き()める間もなかった。

 ほんの10分前にベイパーが死んだばかりだというのに。全小隊員の制止すら無視し、味方1人付けず。甲冑を鳴らし走るキバオウは、鉄砲玉のように取り巻き集団と距離を詰める。

 もちろん、サブシトゥードは待ち望んでいたかのごとく人外の高い音程で鳴き、両目を紅く発光させた。

 一見すればただの自殺行為。それを裏付けるように、死の予兆として刷り込まれた例のハウリング現象が起きていた。

 思わず彼の名をまた叫んだ。

 その絶叫すら高周波の音波によって届くことはない。それでも、彼のとった行動は予想外のものだった。

 ダンッ!! と、力強く地を馳せる。その体は反力によって勢いよく投げ出され、重力による抵抗を受けずに直進すると、なんと空高く滞在するスカルリーパーの中心にまっしぐらに向かっていったのだ。

 

「うおぉおおおおおおおおおっ!!」

 

 《反重力》を逆用した大きな飛揚。1度の跳躍で十数メートルにも届こうかという高さまで上り詰め、ついにキバオウは討伐メンバーの中でボスの土俵に初めて並び立った。

 本来なら軌道ごと狂わされるはずの風圧による妨害も、対策アイテムが帳消しにしている。

 真っすぐな得物が赤い光芒を纏い発動したのは、片手武器専用ソードスキル、上位垂直四連撃《バーチカル・スクエア》。

 技の初撃から派手なエフェクトが飛び交うと、どこか気を抜いていたようにも見えた絶対の優位者は、その腹部へ渾身のダメージ痕を残していた。

 膨大な体力を持つフロアボスを前にたった4発。されど、その行為は誰も気付けなかった攻略法を白昼に晒した……否、逃げ腰になっていた討伐隊の戦闘欲すらもわずかに回復させた瞬間だった。

 敵の眼前でスキルを出し終え、空中でも例外なく技後硬直(ポストモーション)を課せられたキバオウ。スカルリーパーに怯みもなし。

 攻撃のターンは斬り替わった。

 

『ギギ、ギガァアアアアッ!!』

 

 まるで、(わず)わしいハエでも払い退けるかのように。往復の薙ぎ払い技である《神を刺す滅びの外殻(スティンゴッド・ペリッシェル)》は無慈悲に放たれた。

 2段とも胴に直撃。

 彼の名を呼ぶいくつかの叫び声が(むな)しくこだまし、時がスローに流れるような錯覚が去来する。

 この場で最も勇敢だった男と、彼を薙いだその凶器が、続く咆哮と共に高らかに掲げられる。

 俺はそれを見届けることなく一足飛びに駆け寄り、空気の塊を吐き出して落下した戦友を両腕で抱いた。

 うつろな目で脱力するキバオウ。

 フルゲージだったはずのHP先端が消え去る寸前、男の発した遺恨は短かった。

 

「見たか、どアホウ。絶対勝てや……っ」

 

 直後、両腕にかかる重力が消えた。

 人の死をトラウマに背負う俺の手の中で、皮肉にも最も近い距離で。

 そのアバターは甲冑ごと真っ白な破片となって四散し、彼が最後に装備していた武器とアクセサリだけが乾いた音とともに散乱する。

 

「うあああァアアアアアアアッ!!!!」

 

 裏返った絶叫が、自分の喉から発せられていることにすら後追いで気付く。

 しかし、戦場の者達は成すべき答えを見せつけられた。

 スカルリーパーが安全圏から無抵抗なプレイヤーを蹂躙(じゅうりん)できたのも、ひとえに反撃方法がわからなかったからだ。ここで何人の犠牲者を生もうと、どれほど近しい者が去ろうと、殺意の芽を枯らすことが一切の反抗にならないことを(みな)知っている。

 後悔も弔悼(ちょうとう)も、後で気が済むまでしてやる。

 俺はほとんど無意識のうちに、彼が装備していた《防風の貴石》を埋め込んだベルトを握りしめる。

 今はただ……、

 

「あいつを殺すぞ!! 《暗黒剣》、リリースッ!!」

 

 ボウッ!! と、断岩刀が黒い炎を帯びた。

 専用ソードスキルのアンロックと、あらゆる攻撃に切断(ディレクト)値加算ボーナスがつくユニークスキル。

 既存のボスに有効という点は確認済みである。その唯一性ゆえに強力な仕様にせざるを得なかったリポップなしのモンスター共は、弱点に設定された属性や状態異常を除く、いかなる耐性をも高水準で備えていた。

 その最たる象徴だったディレクトについても、個人ではいくら狙ったところで達成できなかっただろう。

 だが実際に俺は、74層にて蛇頭の尻尾や巨木のような悪魔の腕を、このスキルの発動中に斬り落としてやったのだ。

 ディレクトが発生する部位は腕、脚、羽や尻尾などが挙げられるが、奴の背にも大層なものがついている。あれを切断すれば少しは連中も戦いやすくなるだろう。

 俺の目的に気づいたDDAの一員が話しかけてきた。

 

「あ、《暗黒剣》だ! 羽を狙うつもりか!?」

「見りゃわかんだろ!! 取り巻き1体は残しとけよ!!」

「ヒースクリフはもう2回目の『無敵』を発動している! 今のうちに便乗して、アイツの羽をぶった斬ってくれ!!」

 

 言われずとも、俺とて彼の活躍をアテにするつもりだった。

 しかし、事態はそう簡単ではなかった。

 《暗黒剣》スキルを何度かヒットさせるには、どうしても彼の絶対的な守備性が不可欠だったが、空中に飛んでしまうと今度は《神聖剣》の利点が潰されてしまうらしい。

 A班、並びに総隊長の反論をまとめると、衝撃までを相殺する力はあくまで個人の技量とステータスに左右されるもの。よって力学現象を無視して空中でシャットアウト、なんて行為は本人の意思いかんによらず不可能とのことだった。

 これは大きな誤算である。現時点でヒースクリフの役割はあくまで『飛ぶ斬撃』に対するその場しのぎと、同ギルド隊であるA班の安全確保に留まっている。クーリングが完了するなり急いで再発動させたらしいが、彼にしては珍しく早計な判断だったと言わざるを得ない。

 そして《反重力》適用時間の短さを考えると、ボスの技後硬直を狙って時間差で飛び上がる、といった応用もできない。

 

「(クソッ! だったら賭けで奴に斬りかかれってのか!?)」

 

 思わず俺は内心でそう吐き捨てた。

 ソードスキルでのみ、まとまったダメージが入る。ということは、ポストモーション覚悟で斬りかかる他ない。しかしガード行為を投げ捨てることでボススキルの直撃をもらってしまった場合、レベルや体力残量に関係なくその時点でリタイアとなってしまう。

 もっとも、ダメージの通らない通常攻撃ではヘイトも溜まらないため、せっかく《反重力》を利用して大ジャンプしても、ダメージソースの俺だけがタゲをもらい反撃を受けて即死する。

 ではロシアンルーレットのように全員で斬りかかるか。

 言うまでもなく、繰り返せば攻撃分散要員の誰か、ひいてはやはり俺自身が確殺技の前に没し攻略が立ちゆかなくなる。

 そうして自己犠牲と攻略の天秤に誰もが揺らぐ中、1人の男が断言した。

 

「行けますよ、ジェイドさん。ぼくなら必ず助けられます」

「シーザー!?」

 

 このフロアで唯一のビーストテイマーは、藍色の髪をなびかせながら澄ました顔でこう続けた。

 「使い魔(ゼフィ)をオトリにします」、と。

 それを聞いた俺は、彼らしい目からウロコの作戦に驚きつつも、二つ返事でゴーサインを出せなかった。

 黒い羽と体躯を持つ(たくま)しいワイバーン。共に支え合ったシーザー・オルダートの愛獣にして、かつて犯罪者の手先だった頃からの心のよりどころ。

 無論、《なつき度》をしっかり醸成したモンスターであれば、そのパラメータをいくばか犠牲にするだけで死んでも生き返る。何であれば、《飼い慣らし(テイミング)》スキルの熟練度に長ける彼なら、あとで新しいモンスターをテイムし直す手段もとれるだろう。

 されど、それはユーザに与えられた権利の1つに過ぎない。

 彼は決してそんな選択はしないはずだ。

 攻略に直接かかわりのないあのシリカですら使い魔(ピナ)に酷く依存していたように、ゼフィの存在は激務の日々を耐える支えであり、同時に生活を彩る一部と化している。

 だというのに、育んだ関係ごとこんなところで捨ててしまうのか。

 彼と行動を共にした時間の短さから、使い魔より俺を優先させるのかと疑っているわけではない。しかし……、

 言い淀む俺に、シーザーはあっけらかんと答えた。

 

「言ったでしょう、『可能な限り準備は済ませた』と。あの待機時間で《プネウマの花》を計4つ用意しました。《なつき度》はすべて失うでしょうが、討伐失敗に比べれば安い対価です!」

「……ハッ、さっすが! スキル撃ったら叩き落としてくれ!!」

「お任せください!!」

 

 口角を上げて無理やり納得し、今度こそ彼の応答にすべてを託した。

 ギルドメンバーが当面の作戦を大声で伝えて回っている。攻略本を見て行動しているわけではないのでぶっつけ本番もいいところだが、キバオウが最期に示した方法だけが唯一の打開策なのも間違いない。

 《反重力》を利用した全方位からの攻撃。《暗黒剣》による羽の切断作戦。俺はそれを大声で伝えた。

 他班の人間も攻撃する都度博打を打つつもりはなくても、まだ撃破していないサブシトゥードを利用し、側面から陽動するぐらいのことはしてくれるらしい。敵のソードスキルとて膠着さえしなければガード可能で、かつ直撃以外は他のボスと変わらない。

 結論は出た。これが俺達にできる精一杯。

 

「行くぞ、シーザーっ!!」

「《反重力》に乗れ! 同時に、全員で踏み込むんだ!」

「クライン、ヘマするなよ!!」

「ヘッ、キー坊(・・・)こそなァ!!」

「単発技だけにしろ!! ヘイトは全部《暗黒剣》に向かわせる!!」

『うおぉおおおおおっ!!』

 

 耳鳴りを無視して各班から計6人が大跳躍を。

 体が羽毛のように軽く、吹き(すさ)ぶ向かい風が猛烈に迫る。

 この時ばかりはキリト、エルバート、クライン、アギンといった小隊リーダー格の呼吸がぴったりと合う。すでにレジネス班の遺品を失敬するか、あるいは個々人が用意していた《防風の貴石》は突撃メンバー全員が装備していた。

 形態が変化してから唯一ダメージを与えたキバオウを殺しきったことで、各プレイヤーへのヘイト値はまさに一律状態。ここから先は最もダメージを与えた誰かに瞬殺攻撃の矛先が向くだろう。

 ゆえに連撃(・・)スキルを立ち上げたのは俺1人。

 出し惜しみはナシだ。手始めから使うのは強撃7発、《暗黒剣》専用にして最高攻撃力を誇るソードスキル、地閃掌握七連強撃《スクレット・クレマシオン》。

 

「(狙いは羽ッ! ヒットポイントも合わせる!!)」

 

 対象物が背にあるなら、正面から飛んでも意味がない。

 俺は仲間を信じてソードスキルの構えを取った。

 そして立ち上がったアシストを限界までチャージする頃に、スカルリーパーが他のプレイヤー群に気を取られて側面を向く。

 瞬間、俺は最高連撃を全力で解放した。

 空中にいながらわずかに加速。するとソードスキルは吸い込まれるように左翼に直撃した。

 凄まじい反動。ガッ、ガガガガッ!!!! と、ムカデとデーモンによるキメラ巨体の各部で花火のように舞うダメージエフェクト。虹色の閃光が骨と関節を砕くように彩色されると、激痛にあえぐような絶叫が鳴り響いた。

 うち5つが一瞬で爆ぜたのに対し、俺だけは7連撃。

 もちろんボスは攻撃に耐え切った。

 そして反撃。いつまでたっても重力に引かれることのない6つのアバターは、まだ空に浮いているのだ。

 

「(俺の位置だけ正反対……さあ、来いよクソカスッ!!)」

 

 全方位への九連撃技(シャイン・プラネノヴァ)だけは出させてはならない。単発で終えた5人はもう硬直は解けている。ゆえにガード行為こそ可能なはずだが、無重力化における姿勢の悪さはいかんともし(がた)いのだから。

 果たしてその小さな願いは見事に叶った。

 

「来た! タテ6連の奴だ!!」

 

 誰かが叫ぶ。ヘイトの先は俺。

 奴の選んだ処刑法は《シコゥピオン・フォレディック》。地団駄(じだんだ)を踏むような挙動で垂直に鎌を振り回す狂ったスキルである。

 

「ゼフィ! 行けっ!!」

『クルギャァア!!』

 

 だが動けない――すなわちガード姿勢を取ることすらできないはずの俺の体は、横方向から激しいGを受け、錐揉(きりも)むように地面に墜落した。

 寸前までいた空間を凶刃が斬り裂く。

 時同じくして人外の甲高(かんだか)い断末魔が耳朶(じだ)を打った。

 使い魔ダスクワイバーンの死。俺はほとんど視界に捉えることさえできなかったが、自身を犠牲に敵スキルのアグロレンジ外へ飛ばしてくれたゼフィは、主の命令に一切の疑問を持たず従ったのだろう。その先に死の未来が確定していたとして、おそらく恐怖すら感じることはなかったはずだ。そもそも彼だけはプレイヤーと違って『やり直し』が利く。

 そこに付け入り、主人は神風を命じた。

 表情など見なくてもわかる。これ以外に手段がないから、シーザーという男は戦友の命を優先し、鉄の精神で特攻の指示を飛ばしているのだ。

 嫌らしく小細工による突破を排斥した、あり得ない討伐風景。積み重なる屍の山。こんな景色を前にしなければ、きっと永遠に取ることのなかった戦法である。

 彼の怒りは十分に汲み取った。

 だからこそ、俺はこう叫ぶ。

 

「シーザー、次だ(・・)!! 用意しろっ!!」

「っ……りょう、かいですッ!!」

 

 同情こそ真に無意味。

 それを判別できる彼だからこそ歯を食いしばり、世界を呪うような目を向け、それでもなお地を馳せる。

 《プネウマの花》を左に携えたまま、落ちゆく羽根と化した《ゼフィの心》を空中で掴み取るとそれらを強引に()り合わせた。

 触れた途端にシステムが遺骸とアイテムを照合。絆が深ければ死亡して3日以内……すなわち、《心》アイテムであれば使い魔蘇生用アイテムは問題なく機能する。

 やがて光が収まると黒き翼竜はその肉体を取り戻した。ピナの蘇生時には美麗に見えた演出も、このフロアではことさら無機質さが際立っている。目的が目的だからだろう。

 いずれにせよ、作戦は続行である。

 

「よし、このまま行けェッ!!」

「スゲー減ったぞ、おい!!」

「ハッハァ! 落ちる頃にはひん死だな、こりゃあ!!」

 

 さすがにひん死とはならないだろうが、それでも活気付いた号令が飛び交うのはレイド全体が今日1番に興奮しているからだ。

 ヘイト値をコントロールするため《防風の貴石》を手渡しすると、今度は入れ替わりで新しいメンバーが5人攻撃に参加した。リンドやアスナといった名の知れた猛者に並び、役の1人は同ギルメンのアリーシャも担っている。

 絶望的に見えた戦況にも光は差した。

 この世界を創造し鑑賞することが目的、などとのたまったあのフザけた量子学者様も、どこかでこの戦いを見ているのだろうか。だとしたらさぞ立腹しているに違いない。手の込んだストーリーのようだったが、キバオウがこれを暴いたことにより、こうしてゴールを探し当てられたのだから。

 実にいい気味である。節目にいちいちドン底へ落そうとする奴のやり口はもう見飽きたところだった。ここらで難問相手に華麗にパスするファインプレーがあってもいいだろう。

 

「(覚悟はできたか、ガイコツムカデっ!!)」

 

 狂乱に近い高揚感。笑う余裕すら生まれると、俺は自然と軽くなった足取りで再びサブシトゥードに接近した。

 《反重力》を誘発させるため、あらかじめ討伐隊の面々は距離を取っていた。あとは十分な助走をつけて斬りかかるだけ。

 重厚に輻輳(ふくそう)するエフェクト。

 6名が同時に飛び込むと、先ほどと同じように5人が単発突撃技、そして俺だけが極致両断上位四連撃(ネグロ・ヘリファルテ)を全段ともヒットさせると、第二波による同時攻撃も面白いぐらい成功した。

 元祖所有者だったイベントボスの直剣と違い、重量武器から繰り出される《暗黒剣》ソードスキルだ。他はヘイト値ゼロのメンツしかいなかったため、またもターゲティングは俺に向く。

 そして俺を殺そうと確殺のソードスキルが発動し、また空中で止まるアバターが真横からのベクトルにより難を脱する。

 1つの安全なルーティンが確立した瞬間だった。

 

「取り巻きはなるべく生かしとけ! どうせたいして強くない!!」

「そこ! 気を抜くなよ! 奴が落ちてきてからが勝負だ!」

「ハッハァ、でも3回目も成功!!」

「いいぞ《暗黒剣》! 次で千切れるんじゃないかっ!?」

 

 討伐隊は休むことなくエリアを走り回り、火力だけが取り柄で足の遅い取り巻きの生き残り4体――壁際でターゲティングされたメンバーがやむを得ず応戦し、2体だけ撃破してしまっている――は接近戦に持ち込むことすらできていない。

 部隊が極めて効率的に機能していた。

 シーザーも3度目となる《プネウマの花》を使用し、ダスクワイバーンを復活させている。誇らしいことに、戦局を左右させるキーマンがギルドメンバーから続出している状況だ。これはもう俺達の班がMVPでいいだろう。

 そこには慣れが生んだ、一種の油断があったのかもしれない。

 

「(ハァ……ハァ……おいおい、サイッコーだぜ《暗黒剣》!! レジスト・クレスト!!)」

 

 全能感と緊張が荒れ狂い、バクバクと心臓がうるさい。本物のヒーローになれる瞬間が近いのだ。確かに先ほどの攻撃では肉塊を引き裂くような、今までにない確かな手ごたえを感じた。

 俺も《暗黒剣》ソードスキルは5種しか持ち合わせていないが、どのみちフロアボスは次の波状攻撃で翅をもがれ、間違いなく床をなめることになるだろう。

 そして立役者である俺は栄冠を欲しいままにできる。

 

「(へっ、4回目! こいつでラストだッ!!)」

 

 気が(はや)り、そして俺はこの行為を永遠に後悔することになる。

 さすがに4度目ともなればタイミングを合わせる行為すらスムーズに行われ、これまでのローテーションで攻撃に参加していない新たな3人は呼吸を合わせて《反重力》に乗っかった。

 俺も一拍遅らせて後を追うと、4種類目の《暗黒剣》スキル、長距離用単発斬撃《フォ・トリステス》を発動。振った剣先から4.5メートルに渡り斬撃を飛ばす技で、多少飛距離が足りなくても直進上に目標物があれば問題ないのでエイムの甘さを誤魔化せる。

 という甘さと日和(ひよ)りが、最悪の結果を招いた。

 運命のイタズラか、死神の気まぐれか。

 見計らったかのような瞬間にスカルリーパーが傷だらけの翼を羽ばたかせたのだ。

 きっちりと接近してから撃ち込まなかった攻撃は、ヒット直前にフワリと浮いた胴の方へ吸い込まれていく。

 そして、命中。

 際どい判定だった。

 しかしその攻撃で、奴の赤黒い羽が千切れる結果を引き寄せられなかった。

 ただの不運が招いたことなのかもしれない。もちろん、九死に一生を得たボスからすれば好都合。しかも4人全員が単発技だったせいで、各位へのヘイト値が比較的近い値で確定してしまったのだろう。

 それらの歯車がかみ合うと、やがて1つの託宣(たくせん)が下された。

 全方位回天九連撃、《死星成す天象儀(シャイン・プラネノヴァ)》。

 剣戟の軌道は先ほど見たばかりだが、先に単発技を出し終えた彼らとて必ずガードできるわけではない。

 そして当然、後出しの俺は動くことすらできない。

 

「ぐ、うぅ……ッ!?」

 

 やはり真横からの衝突により、俺は確殺スキルのアグロレンジから脱出できた。

 不幸中の幸いだったのは、攻撃を受けた他のプレイヤー3人の防御が間に合ったことで、盾の上から抜かれた(・・・・)分しかダメージを負わなかったようだ。

 しかしこれでダスクワイバーンにとっては4度目の死。シーザーが持つプネウマはこれがラストとなった。まさかこの戦いだけで復帰アイテムが尽きることになってしまうとは。

 

「(すまねェ、でも今だけはッ……)……シーザー!!」

「……やれます! 次が本当に最後ですよ!!」

 

 ただし予期せぬラッキーが生まれていた。

 スカルリーパーがいつまでたっても殺しきれない俺に業を煮やしたらしく、実に単調な挙動で『飛ぶ斬撃』のスキルを放ってきたのだ。

 駆け寄ったヒスイが反応。右手のラウンドシールドがダルオレンジに輝くと、彼女の二つ名となったエクストラスキル、《反射(リフレクション)》による上位単発衝撃反転《ベクターン・オーバー》を盾のど真ん中で当てて防いだのだ。

 ドーム状の透明ガラスが斬撃に触れると、その特殊効果で衝撃ごと真っすぐ発動者に向かっていく。『飛ぶ斬撃』が尾の先端に当たると、ヒット箇所の悪さにも関わらずあまりの攻撃力の高さから、皮肉にも奴の態勢は大きく揺れた。

 やるならこの瞬間しかない。

 しかし、俺が覚悟を決めて《反重力》に乗った瞬間だった。

 

「あ、あれっ!? シーザーさん!?」

 

 後方で、カズの不安そうな声が聞こえたのだ。

 振り向く時間さえない。すでに攻撃モーションは組まれているし、今さら後には引けない。

 

「(これがラストなんだ、このままブチ抜くッ!!)」

 

 躊躇(ちゅうちょ)を捨てる。

 連続で飛び上がったことで今度こそ奴の左羽を捉えた。

 わずかな隙を勝ち取ると、両腕がもげそうなほどの速度で振り抜く。5種類目、最後の《暗黒剣》ソードスキル、単発超振動斬り《ミゼリコルド》はこれ以上ない完璧な部位に精密に叩き込まれた。

 ブチブチブチッ!! という腐乱した肉を噛み切るような音と共に、スカルリーパーの雄大な片翼がその根元から切断。途端に10メートルを超す巨体は完全にバランスを崩した。

 そして、最後に空中で破れかぶれの反撃の構えを見せる。奴が最も多用する二連撃、《スティンゴッド・ペリッシェル》だ。

 俺は作戦通り、ダスクワイバーンによる援護が入るものだと信じ切っていた。

 だが、結果はそうならなかった。

 運命の分岐路は突然やってくる。

 トンッ、と。誰かの手で優しく肩を押されたのだ。少なくとも今までのような黒竜の突進ではない。

 

「(はっ? お、い……ッ!?)」

 

 信じられない光景を目の当たりにした。

 使い魔を使役した方法ではなく、シーザー・オルダート本人が、俺を手でどけてボスに向かっていったのだ。

 位置が入れ替わっても助かるのは俺だけ。そんなことは、ダスクワイバーンの死を4度も経験すれば……いや、考えなくてもわかることだ。

 バカ野郎。何をしている。

 もはやそんな短いセリフを発する時間さえなかった。だというのに、一瞬だけ合わさった彼の目線から、俺は1つの(つむ)がれた想いを幻聴した。

 「これが、ぼくの『願い』です。どうか生き残って!!」。

 瞬間、両者のソードスキルが炸裂した。

 

「シーザーァアアアッ!!!!」

 

 落下直後に見上げるも、決着は過ぎていた。

 彼の腹部には2つの赤い斬痕が。そのまま地上に戻ることなく、無数の光の硝子と化して分散した。

 相打ちにもならない。スカルリーパーに微かなダメージを与えただけで、かけがえのない仲間がこの世を去った。

 ギルドの連中が絶叫するなか、俺の体感で世界の進みが減速される。

 理性と本能がぶつかり合う。

 最悪の結果を招いたことに対し、ガムシャラに剣でも振って詫びるか。それとも、生き残ったメンバーをこれ以上殺させないために、マシーンのような反応でもしておけばいいのか。

 やがて思考すらままならなくなる。

 これは、何週間もたってからシリカに聞いて教えてもらったことだ。

 SAO界で《使い魔》が命を落とすことによる《なつき度》の減少は防ぎようがなく、例えそれをMAXで維持していたとしても、1度のリカバリーもなく短期間での連続蘇生は3回までが限度らしい。4度目は問答無用で《心》ではなく《形見》アイテムと化す。であれば、途中で育成をし直す時間が設けられるならともかく、基本的には同時に4つ目以降の《プネウマの花》を所持することに意味はないわけである。

 それでもシーザーは、4つもの花を用意していた。いざ決断の時が来ても行動できるように。仲間を本気で(あざむ)けるように。

 本当に大間抜けである。

 滅多に起きる現象ではないとはいえ、ビーストテイマー以外に馴染みがないとはいえ、これだけの仕様を理解していれば止める手立てはあったはず。少なくとも戦法を変えるよう動いていたはずだ。

 討伐までの効率など知ったことではない。

 蘇生限界が3回と知っていれば、功を焦ることはなかった。どうにかスカルリーパーを低空まで誘い込み、スキルの硬直を何らかの手段で帳消しにする。ギルド全員で考えればきっといいアイデアがあったはずだ。

 ――あるいは、間抜けにも俺が4度目(・・・)に慢心しなければ……、

 

「っ……く、ッ……!!」

 

 しかし俺は、そういったくだらない結果論を全部かなぐり捨てた。

 戦友の遺した一筋の勝機を侮辱しないように。

 あらゆる悔恨を奥歯で食いしばり、それでも呑み込む。レイド隊の小隊長に任命された瞬間から、俺はシーザーの悔いを受けとめた友人でも、(ゆる)しを得るためアインクラッドを奔走(ほんそう)した恩人でもない。

 次層を解放するため、ひいてはプレイヤーをこの世界から解放するため、垣根(かきね)を越えて協力し合う一蓮托生(いちれんたくしょう)の戦闘員に過ぎないはずだ。

 レジクレのメンバーが脱落した。

 だから、どうした?

 他の連中だって今も震え、怯え、(すく)むような恐怖に(さいな)まれながら剣を握って立ち向かっている。

 

「ハァ……そんな、シーザーさんが……じ、ジェイド……!!」

「……くっ、泣くなよカズ。まだ終わってねェ」

「でも! イヤだよ、僕っ……ハァ……こんなところで……これからだったのにッ!!」

「だったら勝手に動くな!! ……いいか、全員よく聞け。ローテーションを守って、俺達は回復するためにいったん下がる。今はこいつに集中しろッ!!」

 

 戦場では落涙する行為すら不利になる。戦々恐々としている仲間が自棄にならないよう、俺はあえて語気を強め具体的な命令を下した。

 現に片翼を失った奴はとうとう地に堕ち、そのまま大きなダウン判定となったことから、スカルリーパーへの攻撃は再開されているのだ。どこぞの《二刀流》使いもここぞとばかりに肉薄し、彼が最も得意とする蒼き鮮烈の16連撃をブチ込んでいるところである。

 各所で「タンカーは正面から動くなよ!」や、「ジャンプ攻撃はまだ生きてるかもしれない! ガードだけに頼るな!」など、思いつく限りの怒声を飛ばしている。温存していた小隊が各方面から可能な限りの大技で斬りかかっているので、もうタゲのコントロールはできないだろう。

 そして問題は、ヒースクリフにのみ発動できる《神聖剣》の無敵モードが終了している点だ。一方的な惨殺に弱腰になったのかは知らないが、普段は冷静な鉄仮面がこの終盤でやらかしてくれたものである。

 現在はモンスターを挑発し自身をタゲらせるデバフアイテムを使い、A班ヒースクリフのタンカー隊が真正面を陣取ってくれているが、やはりこれにも永続性はない。

 

「(クソがッ、もう《漆喰のアームレット》はないんだぞ。ダウンが終わったらまたチキンレースじゃねェか……!!)」

 

 もっとも、連続スタンによる高速攻撃、および半ハメ戦術以外にもやりようはある。

 サブシトゥードも全滅し、地上での行動にレパートリーの少なかった――こうした事態を想定していなかったのかもしれない――第三形態戦はまだ問題なく推移した。

 しかし、やがて攻略が進んでいくと、フロアボスのHPゲージは最終段へ突入する。

 

「来た……! とうとう4本目のゲージだ!」

「最後のステ強化がされるっ!!」

「信じろ、勝てるぞ!! 今まで通り連携して動け!!」

「ちくしょう、取り巻きが復活してる!? もう飛ぶ必要はないんだ、さっさと片付けよう!」

「いや、倒すたびに補充されてる! 1体残しでくぎ付けにしろ!」

 

 どうやらボスの子分連中はコンボの初動を担うだけではなく、攻略そのものが(とどこお)らないよう全滅するたびに補給されるプロセスらしい。《反重力》の利用は正しい攻略手順だったようである。

 ただし、よもや羽を切断することで地上戦に持ち込まれているとは思わなかったのだろう。

 《神聖剣》だって《アイソレイデ・ムーン》以外にも有用なものはいくつかある。時間はかかるだろうが、主なタンカーが眼前でウロウロしてソードスキルを誘発。続いて周囲を囲うレイド隊の中でベストポジションにいた誰かが単発ソードスキルで着実に蓄積していけば、討伐隊の集中力が続く限り勝利は確約されている。

 されど、唯一気がかりなのはこの時間か。

 知っての通り人間の集中力には限度がある。個人差こそあれ、その波は15分周期で訪れるとされ、現時点で攻略開始から45分以上が経過している。

 そしてイレギュラーが起きた。

 喜悦に浸る暇もない。隆々(りゅうりゅう)とした筋肉繊維に覆われたスカルリーパーは、多脚姿勢に裏打ちされた速度と安定性をさらに増し、これまで以上にシビアなエイムで猛反撃してきたのだ。

 

「は、速すぎる!? 人の足じゃ追いつけないよ!」

「ジェイド、下がりましょう! あたし達だって無傷じゃないの!」

「下がるったってもうそんな人数いねェだろ!! だいたい相手の方が速いんだ、カウンターで《ライノセラス》をブチかます!! ザコを消したら……ッ」

「ジェイド危ないっ!!」

 

 ガヂンッ!! と火花が散ると、真後ろまで迫っていた大きな鎌がアリーシャの盾に弾かれてギリギリ軌道が逸らされた。

 思わず彼女を腕で支え、被弾箇所とダメージを確認。

 幸い無事だったが、短い舌打ちが出る。早速油断があった。胴体が長すぎて視界の外から攻撃されたのが原因だが、戦場ではいかなる言い訳も意味を成さない。さりとて、鎌と尾を警戒し過ぎてドーナツ布陣のまま身を固めていても討伐は永遠に成されない。

 ソードスキルにだけは気をつけつつ、各班のメンバーが徐々に攻撃を重ねる。

 ぶつかり合いというよりは、どうにか(かじ)り付くような状況だった。

 しかし消極的であれ堅実な戦法が数分も続けられると、レイド隊全員の集中力がまさに限界を迎えようというタイミングで、スカルリーパーの最終バー先端が半分を割った。

 もう少し、もう少し、と念じるように足を動かす。

 もはや作戦などない。恐ろしいスピードで接近してくるボスと会敵した順に、その攻撃を(かわ)しつつすれ違いざまに可能な限りの単発ソードスキルをヒットさせる。最強の神聖剣(アイソレイデ・ムーン)がない今、足止めのジョーカーに頼ることはできないのだ。

 

「ラストだァっ!! しかも半分、誰も欠けるなよっ!!」

「ここ一発集中しろォ!!」

「ソードスキル以外に即死はない! よく見て動くんだ!」

 

 しかしスカルリーパーは、穏便有れかしと願う希望すら軽々と消し飛ばした。

 

「(なっ!? 新しいソードスキルか!?)」

 

 見たことのない色に発色した奴の両鎌。

 《曲骨鎌(きょっこつれん)》専用ソードスキル、最上位殺戮永続必殺《原罪裁く死神の絶叫(シンドレッス・リーパーズスクリーム)》。

 いわば、永遠に解かれることのない、恒常戦用確殺ソードスキル。

 信じられない技に呆気にとられた一瞬だった。スカルリーパーがひと際大きく戦慄(わなな)くと、猛烈なスピードで部隊に接近してきたのだ。

 狙いはアスナ率いるF班の隊員。

 

「え……ッ!?」

「リック避けろォっ!!」

 

 しかし無残にも、ザンッ!! と男の胴は斜めに剪断(せんだん)された。

 小ギルド《サルヴェイション&リヴェレイション》。たった4人の社会人組は今日だけでメンバーを2人も減らされ、そうでなくても最古参のアギンとフリデリックの2人を残すのみだった。

 彼らと初めて共闘した日のことを、俺は今でも覚えている。

 まだ誰とも話せず、どことも打ち解けなかった俺がヒスイの魅力に惹かれ、初めてレベルの低い連中と手を組んだ最初の新年。いちいち偽善で返す不愉快な主張を一時的に認め、彼女に(くみ)した瞬間に協力を申し出た命知らずのチームが2つあった。

 それがクラインの《風林火山》と、アギンの《SAL(ソル)》だ。

 共闘の記念日というだけではない。

 ヒスイは新年イベントボスの戦利品、《翡翠のお守り(ジェイド・アミュレット)》を生還のジンクスにして大切に持ち歩いていた。そのおかげで俺は彼女の気持ちに気づかされ、勇気をもらい、ずっと素直になれなかった想いを伝えることもできた。ひいては《レジスト・クレスト》再誕のきっかけを与えてくれたのだ。

 俺にとって、アギン達は歳の離れた兄のような存在だった。

 彼らこそ報われるべきだ。プレイヤーを解放させた時に真の意味で完成するギルドだと、恥ずかしげもなく豪語していた彼らこそ。

 だというのに、その博愛姿勢のどこに裁かれなければならない理由があるのか。

 食い違う人とも争わず、あらゆる行動を閉ざしてしまった者さえ蔑まず、一途に攻略に励んでいた人間の、どこに。

 

「ぁ……ぁ、あ……ああァアア……っ!!」

 

 両断された赤髪の男――最後の仲間の危機に身を(てい)し、自らの命さえ投げうった小隊長の表情は、どこまでも寛大な許容を(たた)え、悔いは見えなかった。

 慈しむように。包み込むように。

 長く戦いを共にした戦友、フリデリックを救えたことに満足していた。

 

「イヤだ、先輩っ!! アギンせんぱいッ!!!!」

 

 しかし、人の死に例外はない。

 曲刀使いの戦士が結晶の欠片となって四散した後も、最終強化されたスカルリーパーの攻撃は続いていた。

 随所でソードスキルによる邀撃(ようげき)はなされるものの、返しの一撃死を恐れてか、有効部位とはかけ離れた各部の先端に当てるにとどまる。あるいは、そもそも命中させられないような逃げ腰の技が散発されるだけ。

 

「もう作戦はない!! 全員手持ちのスキルをブチ込めェ!!」

「バカッ、ヤケになるな! きっと正しい攻略法がある!」

「言ってる場合か! 1分考えてる間に何人殺すつもりだよっ!!」

「うわああぁあああっ!? こっちに来たぁ! だれかァー!!」

 

 名も知らぬ男の断末魔は途中で途切れた。

 そこから起こった悲劇は、いかなる言葉でも表せないだろう。

 史上初めて注意域(イエローゾーン)にまで陥った団長を守るため、A班のタンカーが自分さえも犠牲にしてヒースクリフの身代わりとなった。

 DDA副長を務め百戦錬磨の戦歴を持つエルバートが、ボスが起こした地面の《振動》によって行動阻害を受けた一瞬の隙に首を()ねられ絶命した。

 レジネスのベイパーが率いていた(・・・・・)統率者なきH班の残党兵は、俺の目の前でとうとう最後の1人まで死に追いやられた。最後まで生き残っていたのは、意外にも新人の少年だった。

 素振りのようなスイングで誰かが死に至る。

 カバーに入る時間さえない、まばたきするよりも一瞬。ふと振り向くと、いつの間にか人が減っているような錯覚。ヒスイが戦いの前に約束させた、『人を守りたければ、まず自分を守れ』なるセリフが否応なくリマインドされる。

 そうして数多の死を目の当たりにして、俺は1つ確証を得た。

 理性を持つ動物がスカルリーパーを凌駕するには、絶対に死なない保証付きの対抗手段が必要だという点だ。でなければ、気概の時点で敗北し、奴と対等に対峙することすらままならない。

 例えば、ヒースクリフの《神聖剣》のような。

 例えば……、

 

「(いや待て……俺達が死なない、アイテムが! まだ手はあるっ!!)」

「(そうよ、ジェイド! あたし達の切り札(・・・・・・・・)が!!)」

 

 もしかすると、その答えに辿り着いたのは2人同時だったのかもしれない。俺達はまったく同じ鼓動で視線を交わし、一切の声を出さず、シンクロして行動に移していた。

 共に打ち合わせたわけではなく、そもそも一生使うつもりもなかった2人のお守り。

 かつて11ヵ月前に1度だけ使用した、アインクラッドにこれまで2回しかドロップしていない年内初めのレアアイテム。

 《翡翠のお守り(ジェイド・アミュレット)》。手を結ぶ両者のHPを即座に足し合わせ、精霊の加護により30秒間だけ不死属性を与えられる究極の延命アイテム。

 俺は左手を伸ばし。

 彼女は右手を伸ばした。

 彼女の首から下がる深緑の宝石が煌く。触れた瞬間、互いの思考は完全に一致した。

 

『《ジェイド・アミュレット》、オープンッ!!』

 

 翡翠色の光が巻き付くように伸びる。1層主街区の地下、かの戦いでも感じた、煩わしいすべての苦悶を忘れさせる暖かい温度。

 そして目の前には、風圧によって吹き飛ばされたアスナの前に、巨悪に立ちはだかる《黒の剣士》の背中が。きっと1人では防ぎきれない。

 

「(クソが……ッ!!)」

 

 それすらも構わない。いかなる障害にもならない。俺は心の中で吐き捨てると雑兵(ぞうひょう)を押しのけ、今まさに振りかぶられた渾身の一撃を素手(・・)で止めてやった。

 ゴッガァアアアアアッ!! と、爆音が支配する。

 しかし俺達はアミュレットのエフェクトに護られて無傷。

 窮地のメンバーを救い、周囲から上がった驚嘆する声すらも無視し、俺とヒスイは最上級のソードスキルを撃ち放った。

 

『れあァアアアああああっ!!!!』

 

 鮮やかな双色の華が戦場に咲いた。

 その舞いは交互に続き、流れるように呼吸を合わせ、共鳴した意志を持つ1つの生命体と化していた。

 まったく同時刻に、ヒースクリフによる総攻撃の命が下される。

 すでに半数近くの人間が消失した討伐隊は最後の理性を手繰り寄せ、各々に出せる最高の技を、迅速かつ確実にボスの図体へ叩き込んでいた。

 レイド全体が大きな力に変換される。怒号なのか、スキルの発動音なのか、金属と骨とが擦り合わさる音なのか。それはおそらく、この戦いが始まってから最も大きい――否、アインクラッド攻略の歴史上における最も強大な集団意志となって眩い光の渦を生んだことだろう。

 一気呵成の猛攻にさしものスカルリーパーでさえどんどん後ずさり、持ち直そうと武器を構えた瞬間にはダメ押しの《ライノセラス》までくれてやった。

 確定スタンによって途切れることのない《二刀流》の16連撃。あるいは、高プライオリティに設定された各自の武器による《ペキュリアーズスキル》。レジクレの仲間による一斉攻撃も。アミュレットの効果などとうに過ぎている。

 そして……、

 

『ギッガガガガガァアアアアアアッ!!!!』

 

 最大級のバケモノは最期を迎えた。

 その最終段のゲージが完全にゼロとなる。スカルリーパーはこれまでにない絶叫を残し、とうとう力なく戦場に倒れ込んだ。

 気の遠くなるような数秒後、その巨体が完全にガラス片となって四散。馴染みのファンファーレが鳴り響き、現時点でフロアにいる人間にだけ圧縮された、信じられない量の経験値が舞い込んだ。

 しかし、それだけだ。

 やがて煌びやかな演出も鳴りを潜める。そして生き抜いた戦士達は、それをただ呆然と戦友の亡骸。すなわち、彼らが残したわずかなアイテムと装備を眺めるだけだった。

 戦場跡に喜びの感情を示す人間は1人もいない。いるはずもない。戦いに勝利したとはいえ、報酬はデータの塊。絆、感情、魂……そういった、俺達が(はぐく)んできた替えの利かない宝物は、未来永劫剥奪されたままなのである。

 俺も剣を突き立て、天を仰ぐ。

 終わった。1つの壮絶な戦いが。

 失ったものが重く、大きすぎる。1時間にもおよぶ激闘の跡は禍々(まがまが)しく、疲れ果て消耗しきった男達は一様にして黒曜石にへたり込んでいた。

 仲間に倣って(ひざ)をつくと、時同じくしてクラインが何人やられたか、と問うた。

 「20人だ」と、フロアの奥で低くしわがれた声がする。普段の明るさからは想像もつかないが、今のはキリトの返答だっただろうか。

 

「(ああ……ちくしょう、なんだよ……20人って……)」

 

 一瞬、冗談で言っているのか疑うような数字だった。

 わずか1時間。トップ集団が死に物狂いで抵抗し、技術と経験の粋を集めた極限下の一戦。

 しかし、結果はこれだ。

 誰1人として戦果に満足していない。ある者は悔しさに瞳を閉じ、ある者は疲れ切ったように地面に横たわり、ある者は風穴のような喪失感に泣いていた。激戦の果てに全員が満身創痍で、次層アクティベートに向かう人間すら皆無だった。

 俺もすぐに整理などできるはずがない。それでも、シーザーとの今生(こんじょう)の別れにこれから向き合っていかなければならないというのに。

 

「(ぁ……あ、れ……?)」

 

 うつむきかけたその時、俺はある異色に気がついた。

 全員、という前提は取り消さねばなるまい。たった1人だけ動じないように屹立し、76層より先を……そのずっと先を見据えたような男が立っていたからだ。

 無敗の男、ヒースクリフ。KoBが誇る《神聖剣》ホルダーの総団長。

 深紅の装衣に身をくるむ彼だけは、死を悲しむわけでもなく、奮い立たせるよう激励を飛ばすでもなく、今なお悠然(ゆうぜん)と立っている。新世界を夢見てうずうずする子供にさえ見えるではないか。

 今日に限って被弾の多かったかの男にとっても、それはすなわち戦う前から緊張していたということになるのだろう。だが仲間の援護によってゲージがレッド直前に陥る度に、ポーションを飲んでどうにか戦線復帰していたはずが、あれだけの死闘を経て疲労のそぶりすら見せないものなのだろうか。

 1つだけ、何度か感じてきたノドに引っかかるような疑惑が、思い出したように頭をもたげてきた。

 

「(どうして……あんたは、いつも……)」

 

 そうやって平然としていられるのか。

 まるで他人事(たにんごと)である。

 思えば、初めてこいつを殺してやりたいと息巻いた年末、奴が自身の強さの秘訣を俺に(ひもと)いて教えようとした《黒鉄宮》での一面にも違和感はあった。

 ハーフポイント討伐戦直後、彼の無敵っぷりに食って掛かったプレイヤーは俺だけではない。あらゆる手段――無論、本人への直接攻撃も含まれる――が画策され、我先に《神聖剣》の入手法を暴こうと躍起になった暴徒達のことだ。

 俺を含め、そうした烏合の衆はもれなく当の本人に敗北し返り討ちにあったらしいが、その際のフォローがイヤに丁寧だったとウワサを聞いたことがある。

 ボス戦以外に無関心だった彼が、世界の公平性が失われた――すなわち、ユニークスキルが誕生したワケを地道に説く姿は、さながら不可抗力が招いた不慮の状況対応に追われているようにも見えた。

 いわゆる、言い訳である。

 疑惑に拍車をかけたようなものだ。らしくもなく、俺に長々と生い立ちを聴かせ、あまつさえ《黒鉄宮》から出られるよう便宜を図ってくれた彼の行動は、すべてこの一言で説明が付く。

 そしてこの瞬間。ヒースクリフが茅場晶彦の、ないしSAOソフト開発チームの手先かもしれないと疑った日のことを回顧録のように思い出したことは、まさに天が定めた運命の分岐点だったのかもしれない。

 

「(なんだ……今、あいつ……ッ!?)」

 

 それはふとした気の緩みだったのか。

 彼が左手の指(・・・・)を2本揃えて構えかけたのだ。

 まるでウィンドウでも開こうとするかのように。右腕でも失わない限りそんな行動はとらない。即座に思い直し、すでに右手でストレージを開いているが、今の動作はいったい……、

 そう首を(ひね)った直後だった。じっと見つめていたその視界の奥で、こともあろうに《黒の剣士》ことあの二刀流使いが、臨戦態勢のままヒースクリフに攻撃しようとしていたのだ。

 彼の二刀が光芒を放つ。キリトも何らかの衝動に駆られたというなら。

 俺の思考にも同時にスパークが走った。

 『無敗の男』の正体。背景。到底足りないその説得力。

 疑問はいくらでもあった。ブラックボックスを暴く可能性があるとしたら、それは今だ。奴を挟み、奴が最も警戒を解いている今しかない。

 

「キリト君……?」

 

 対面にいたアスナの呼び声に反応し、ヒースクリフが俺から背を向ける。寸前に自分も走り出していたのは、ほとんど条件反射によるものだった。

 直後に爆音。彼の十字盾が、キリトの《二刀流》連撃を両段とも防いだ音である。

 そして歯車は動き出した。

 連続するように響いたのは、俺の大剣による無防備な背中への一撃。――それを、紅白甲冑より数センチ浮いた透明なバリアが弾いた音だった。

 

「な、に……ッ!?」

 

 そのセリフは、俺からではなくヒースクリフから発せられた。

 しかし驚愕したのは彼だけではない。プレイヤーが2人もレイド隊長に斬りかかったこと、あるいは被弾者の近くに現れた《Immortal Object》という短いメッセージウィンドウに、皆一様にして言葉を失っていた。

 ほんの数秒の間に事態が動きすぎた。

 されど……、

 

「システム的不死……って、どういうことですか……団長……?」

 

 キリトに駆け寄ったアスナがそう発言したことで、フロアにいる人間の注意はその一点に集められた。謀反を起こした俺やキリトになぜと問う前に、呆然と立ち尽くしている。

 不死属性。《ジェイド・アミュレット》などを使用した痕跡はない。どころか、ボスを討伐し終えた今、どんな消耗品とて使う意義は失われているはずである。

 だとすれば、この男はいかなる理由によって死なないアバターと化しているのか。

 答えはすぐに導かれた。

 

「ずっと疑問に思っていたことがあった。この世界を創り出した茅場晶彦は、どうやって俺達を観察し、世界を調整してるんだろう、ってな。けど単純な心理を忘れていたよ」

 

 一拍おき、揺るぎない証拠でも叩きつけるように。

 

「他人のやってるRPGを傍から眺めるほど詰まらないことはない……そうだろう、茅場晶彦」

 

 集団では感情を隠すあのキリトでさえ、かすかなイラ立ちを(あら)わにそう言い放つ。

 対する長身の男は、一瞬見せた狼狽(ろうばい)を忘れたように背筋を伸ばし、澄んだ声でゆっくりと答えた。

 

「ここが潮時か。……いかにも。私が、茅場晶彦だ」

 

 天文学的な確率の壁を越え、正体を見破られた男はとうとう白状した。フツフツと湧く戦意に後押しされるように、大剣のグリップをいっそう強く握りしめる。

 そしてこれから起きる歴史的な戦いは……いや、この戦いさえも。かねてより連綿と続く数千のプレイヤーによる、生存競争と生死の狭間を(また)ぐ激しい抗争で俯瞰(ふかん)すれば、たった1ページのできごとに過ぎない。

 肩の力を抜く。その代わりに、道半ばに倒れた仲間の意志と怨嗟(えんさ)でも背負うように。

 終幕の(こえ)が、耳元で囁くように。

 それは俺の中で、1つの覚悟が決まった瞬間だった。

 

 

 

 



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アナザーロード9 世界の最果てで

誤字報告をくださる方々、いつもありがとうございます。
なくてしかるべきですよね……。最善を尽くします。


 西暦2024年11月7日、浮遊城第75層。

 

 目の前で繰り広げられた彼ら3人の会話が、その重要度に反して即興の寸劇に思えてしまったのは、ことの真相が予想のはるか上を掠めていったからだろう。

 KoBの団長ヒースクリフは、茅場晶彦だった。

 これだけでも衝撃的だというのに、「《血盟騎士団》は90層以降の強力な敵への対抗手段にするつもりだった」、「そして自分は100層で待つラスボスとなるシナリオだった」など、彼の独白は独りよがりを超えた暴挙と狂気そのものだった。

 そして茅場は、正体に気づいた理由を2人に問うた。

 キリト君曰く、かつて行われたデュエルの際、彼のアバターがプレイヤーの速度限界を超えたように感じたから、らしい。

 確かに先月行われた戦いの終幕は、少々呆気なく閉じた感じはしていた。そして彼はその不可解な現象を、無敗伝説の諸事情を暴露させてしまう危惧から起こした、咄嗟(とっさ)のアクションだと推測した。

 ジェイド曰く、その懐疑心の根源はずっと前からあったらしい。疑いを根付かせてしまったことで、『ヒースクリフ』の立場を利用した丹念なフォローを重ねてきたらしいが、このボス戦がすべてをひっくり返してしまった。

 即死技に対する(いびつ)な自信と、レッド寸前で何度もHPを止めてしまうヘタな『調整』は戦闘中にも気がかりだったらしい。強敵ボス相手にうまく偽装しようとしても、今度は相手が強すぎた、といったところか。

 後手となる拙速的(せっそくてき)な手回しが裏目に出た。

 しかし彼の正体が判明したとして、あたし達がとるべき最善の行動がわからない。20人以上いる生き残りも、自白した彼をただ(にら)み付けるだけだった。

 それに……、

 

「あの人が……僕らのすぐそばにいたなんて……ッ」

「ダメよルガ君、ヘタに動いたら……」

 

 ――殺される。

 そう思わせるに足る異常性を、あの男は持ち合わせている。

 けれど、これまで黙々と彼に従い、彼と共に死線を歩んだ兵士達の衝動は止まらなかった。

 

「貴様が……俺達の忠誠――希望を……よくもーーッ!!」

 

 A班のハルバード使いが駆けだしたのだ。

 もちろん、そんな攻撃が通用するはずがない。

 彼は左手(・・)で迷いなくウィンドウを開くと、突進する男を滑らかな手つきで《麻痺(パラライズ)》状態にしたのだ。

 

「がぁ……ッ……!?」

 

 紅白の軍服を着た男は、足を滑らしたように突っ伏す。怒りに任せた渾身の一振りさえ、怨敵に届くことはなかった。そして指先をドラッグして降ろす頃には、フロアにいたほとんど全ての人を同じデバフによって行動不能にしてしまった。

 あたしも同様に足元から崩れ落ちる。駄目元で薬を飲もうとしたが、普通の《パラライズ》と違って指先まで硬直が広がっていた。

 現時点で直立している男は3人。

 茅場と、そして彼を看破した2人のみ。

 

「……どうするつもりだ。このまま全員殺して隠蔽する気か……」

「まさか。そんな理不尽な真似はしないさ」

 

 ヒースクリフはあっけらかんと答えた。しかもよりにもよって、「理不尽なことはしない」なんて口走っている。

 天才というのは存外、杓子定規な計り方しか知らないのかもしれない。とは言え、すでに数えきれない理不尽にさいなまれてなお、あたし達の中にその皮肉めいた言葉に返せる者はいなかった。

 しかし、ここで意外なことが起きる。

 なんと2人の洞察力を讃える意味だと称し、奇想天外な天才は両者に決闘権を与えると言い出したのである。

 ルールは簡単。参加も自由。事実上の《完全決着モード》で戦い、負ければ死、勝てば『ゲームクリア』と見做(みな)される。たったこれだけである。

 無条件クリアとまではいかないが、本人が大きなリスクを背負うだけの覚悟を見せた折衷案(せっちゅうあん)。全世界のプレイヤーの命運を背負わせた一世一代の決闘。当然『ヒースクリフ』というプレイヤーとして――すなわち、ラスボス並みの耐久力を備えずに、彼もまた不死属性を解除した上で臨むという。

 破格の条件だ。2on1でハンデなしなら十分《神聖剣》に比肩する。

 あるいは、今日ここで……、

 

「だめよキリト君……あなた達を排除するつもりだわ。今は……今は引きましょう……」

 

 あたしの思案は友人のセリフによって霧散(むさん)した。

 効率の問題ではないと、頭ではわかっている。あたしだってアスナのように声をかけてあげたい。あなたが命を懸けることはない、と。相手が嘘をつくとも限らない時点で、バカ正直に剣を握っても仕方がない、と。

 だが、いったん引いてじっくり一計を案じてから再挑戦、とはいかない。

 ただでさえ多くのものを失ったばかりだ。彼の性格上、ここで挑みもせずにすごすごと引き下がるとは思えない。

 そしてジェイドが答えるよりも早く、身動きの取れない1人のプレイヤーが声を荒らげた。

 

「ジェイドッ! ……2人とも、お願いだ……頼むから、そいつと戦ってくれ! ここでその、フザけた野郎を殺してくれ!!」

「リック……」

 

 ギルドで唯一の生き残りとなってしまった男性の慟哭が、ドーム状のフロアに悲しく反響する。

 発言者はフリデリックさんだった。その口から発せられた催促が、彼らしからぬ暴言付きだったのも無理はない。兄のように慕っていたリーダーを目の前で殺されたばかりだ。

 ジェイドらが振り向くなか、涙を流しなお彼は苦悶の文句を紡ぎ続けた。

 

「仇を!! とってッ……く……ぉ、ねがいだ……先輩を殺した元凶を!! 今この場で斬り殺してくれェッ!!」

 

 もちろん仇討ちになる保証はない。仮にジェイドらが勝利したとして、ヒースクリフが《ナーヴギア》によって脳を損壊される可能性が極めて低いからである。かの男が断言したのは、あくまで『ゲームをクリアしたことと見做す』だけ。

 しかし、静まり返っていたはずの戦場跡では、フリデリックさんの発言で(せき)を切ったように怒声が飛び交った。

 

「そうだ、奴を殺せェ!!」

「残り25層も戦う方がリスクが高すぎる!」

「ジェイドぉ!! お前ならできる、殺っちまえっ!」

「《二刀流》と《暗黒剣》だ! 2人なら相手なんて関係ないだろう!!」

「キリト!! ここで勝てばすべてが終わるんだッ!!」

 

 気が付けば、2人の身を案じるような意見は押し流されていた。あのクラインさんですらキリト君を焚きつけている。ほとんど当事者の気持ちを無視したまま、話の趨勢(すうせい)はその場の空気によって支配された。

 されど彼らは動じなかった。

 元よりこんな声援(・・・・・)がなくても、心のどこかではとっくに覚悟していたのかもしれない。

 それでもジェイドは、いま一度確認するように感情を吐き出す。

 

「なあ、ヒースクリフ。1つだけ聞かせてくれ」

 

 声はしわがれ、震えている。それは、表現しきれないほどの怒りが込められていたからだ。

 

「……あんたが茅場なら、《神聖剣》最強のスキルは……発動すべきタイミングを、知っていたはずじゃないのか? ちゃんと使えば死人も減ったはずだ。……初めは単なるミスかと思ったよ。てめェがHP半分切ったのも……なんせ初めて挑むボス戦で……けど……」

「…………」

「けどさ、これじゃあまるで……『難易度を上げるため』に、わざと非効率に使ったみてェじゃねぇか。簡単に突破されンのがイヤだったのか!? 違うッつうなら、今すぐ理由を言ってくれ……」

「……私の能力に頼りすぎるのも、また目的と乖離してしまう。シナリオを重視した行動ゆえ、私はあえて『絶対防御』を機能させすぎないようにした。……ゆえに、きみの指摘はおおむね正しい」

 

 それを聞いたジェイドは、すぐにでも首を()(さば)いてやりたいと言わんばかりの眼光をしていた。

 これ以上くだくだしい問答をする必要がなくなったからだろう。人が死にゆく狭間で、全力で食い止めようとしない人間。それは彼が最も忌み嫌う人種である。

 しかも《神聖剣》は、発動タイミングさえ間違わなければ、かつてのギルドリーダーであるロムライルさんと、そして長い時を経てやっと仲間となったシーザーさんを救える力でもあったはず。

 

「(許せない……誰よりもきっと……ジェイドがあなたを許さない!!)」

 

 しかし憎たらしいことに、ボス戦は計ったように1時間続いた。単純な計算上、彼はそろそろ3度目の《アイソレイデ・ムーン》が使える頃合いとなる。

 ただ、だとしても答えは変わらなかった。

 男達は殺意も剥き出しに対峙し、間合いを空けたまま、外野を受け付けないような緊迫感に包まれる。

 

「何がおおむね正しいだ、殺すぞこの野郎ッ……!!」

 

 それは、絞り出すような声だった。

 しかし怒りのすべてを物語る。

 

「おいキリト!! こいつは生かしちゃおけねェ!!」

「……ああ。俺もそのつもりさ」

「……2人とも挑戦する、と受け取っていいようだ」

 

 対するヒースクリフは、背筋を伸ばしたまま2人の怒りを受け流し、左手でウィンドウを短くタップする。

 ……いや、あるいはこれが彼の受け止め方なのかもしれない。その証拠に、彼の瞳には自嘲と興奮が混在していた。

 

「本当に、これほど早期に明かされるとは思ってもみなかったよ。キリト君、ジェイド君。イレギュラーの化身だな、君たちは」

「大物ぶるなよサイコパスが! 今までだって、シラフで仲間ヅラしてたとかスッゲェ吐き気がする。クッソキモいんだよテメェは!!」

「ジェイド、挑発するのはいいが冷静でいろよ。俺達は今からこいつを殺すんだ。……ただ、そうだな……自分で思ってるより演技はヘタだぜ、ヒースクリフ」

「フッフッフ……すばらしい。この瞬間を楽しもうか」

 

 そう言うと、茅場は自身のアバターにかかっていたチート級バフを順に解除していく。公平性のためか、3人のHPもジェイドと同じ――つまりちょうど半分あたりで固定したようだ。いかなソードスキルでも1発以上は耐える残量である。

 そしてそれを見届けると、キリト君はアスナを、ジェイドはあたしを無言で見やる。その視線には感情の全てがこもっていた。

 ――終わらせて、その先は2人で生きよう。

 ――ええ、自分の正義を信じて戦って。

 交錯は一瞬だった。すぐに恋人の表情から戦士のそれへと切り替わり、挑戦者2人は互いに寄ると誰にも聞こえないように耳打ちし合う。

 勝敗に関わらず、彼らにとって最後の攻略会議。

 無論茅場とて無策で来るとは思っていないはずで、さりとてたかが少年の考える一朝一夕の弥縫策(びほうさく)と侮ることもないだろう。それは《神聖剣》の壁を突破しうる作戦となるのか。……いや、しなければ許さない。相手がいかに怪物級の男だったとして、これ以上踏みにじられる気は毛頭ない。

 

「ジェイドッ!! 絶対勝って!!」

 

 自然と声を張り上げる。

 戦法は定まったようだが、声に対し彼は背を向けたまま左の拳を軽く掲げるだけだった。

 両雄姿勢を落としてそれぞれの構えを見せる。会心判定でも一撃までなら耐えるだろうが、連撃をもらえばそれだけで消し飛びかねない。

 緊張のあまり引き延ばされる数秒間。

 果たして、先に仕掛けたのはジェイド達だった。

 

『おおォオオオオッ!!』

 

 戦闘が始まった。

 踏み込みは1ステップだったのに、数メートルもあった距離は一瞬で縮まり、激しい剣戟によって無数の火花が散りばめられた。

 ただし、剣が光を纏っているのは1本だけ。茅場晶彦……否、ヒースクリフだけが20分間のクーリングタイムを終え、3度目の《神聖剣》ソードスキルを発動している。

 

「キリト行くぞ、はさみこめっ!!」

「わかってる! 《神聖剣》を崩すぞ!!」

 

 10分間の疑似的な無敵タンカー。現時点で攻略組全員の既知なる技だったが、使用者が防御に反応できる限り、あらゆる攻撃はあの剣と盾を超えてダメージをシャットアウトすることができてしまう。

 しかもカットだけではない。盾にも純粋な攻撃力を付与する特殊効果付きだ。つまり剣閃を彩る今の彼は、『常に攻撃している』状態ともいえるのである。

 まさしくバランスブレイカー。

 それでも、この技を超えない限り勝ち目はない。

 それに2人がソードスキルを使わないのは、なにも敵を恐れているからではない。おそらく、それそのものが作戦に組み込まれているからだろう。

 あたしは彼らの作戦が聞こえたわけではないが、ソードスキルを考案、もしくは考案されたものをチェック、採用したのは彼だと推測できる。いや、例えそのモーションを試作するにあたって門外漢の部署だったとして。あの完璧主義者が全ての技の動きと特性を記憶していないはずがない。

 とすれば、規定に沿ったあまねく攻撃は《アイソレイデ・ムーン》に一切通じず、彼の前で安々と技後硬直(ポストモーション)を晒してしまう、と考えるべきだ。

 さすがにあの《閃光》アスナでさえ、人間の反射神経をも超越した速度でソードスキルを発動、命中させることはできまい。

 それを知るゆえ、培った戦闘センスだけが彼らを突き動かしていた。

 あとは天才の裏をかけるかにかかっている。

 あたし達全員は、食い入るように戦闘を見守っていた。

 

「死角に回るんだ! ジェイド!!」

「やってるよ、クソッ!!」

 

 攻防は一進一退だった。KoBの訓練がいかに優れたツブ揃いの高度な研鑽(けんさん)だったとして、人間の視野が限られている以上、背面からの攻撃にまで反応できないと踏んだからだろう。

 ヒースクリフも自由な選択はできないでいた。1人に集中した瞬間、それはもう1人への隙を見せることに繋がる。

 しかしあの男は狡猾だった。無言のまま常に守りの姿勢を見せていたのは、反撃への糸口を手繰り寄せる準備でしかなかったのだ。

 ほんの一瞬の(ほころ)びを見て、長剣が一閃される。その軌跡はジェイドの腹部を深く(えぐ)り、彼のHPをレッド寸前まで落とした。油断があったわけではない。すでに発動状態だった攻撃スキルが、意識の狭間を縫うように放たれただけ。

 体が動かないことがもどかしい。身を差し出してでも援護に入りたい。

 そんな思いがジリジリと詰め寄ってきた。

 

「く……っ!?」

 

 ただし、斬られたジェイドは大きくステップを踏んで下がった。

 気持ちはわかる。彼らの弱点――それは、『1人でも欠けたら敗北に等しい』点だと言える。先月の戦いではやはり両名ともサシの戦いに敗れているし、人数差を活かして死角を取る作戦も単騎では成立しない。

 しかしジェイドもやられっぱなしではなかった。距離を空けると同時にブレードの腹を2回殴り、何らかの合図らしきものをキリト君に送っていたのだ。

 途端、戦局が動いた。

 コンビネーションではない。キリト君はひと際大きな怒号を放つと、《二刀流》の最強奥義、最上位烈火二十七連超剣撃《ジ・イクリプス》を発動していた。

 

「(そんな……それを使ったらっ!?)」

 

 あたしは酷く困惑した。

 本当にこれは作戦なのだろうか。

 場当たり的な怒りの衝動ではなく、勝ち筋ありきの攻撃なのか。それとも、先ほどのアレは自分の勘違いか。

 しかも合図だったとして、ヒースクリフは気づいているのではないか。

 そもそも作戦会議自体がブラフで、動揺を誘うポーズに過ぎなかったとしたら。

 あらゆる可能性と疑念が渦巻く。それでも指一本動かせないあたし達は、戦闘を見守ることしかできない。

 とそこで、ジェイドも同じように大剣に光芒を持たせていた。それを見た多くのプレイヤーがすぐに理解する。すなわち、攻撃力やブースト力に頼ったのではない。《二刀流》による『長い攻撃時間』を利用し、ヒースクリフの向く方向を常に一方へ縫い付けることが作戦だったのだ。

 やはり、あくまで狙いは死角。

 発動したのは上級単発上段ダッシュ技《アバランシュ》。一気に間合いを詰める算段なのだろう。

 しかし、無敗の男はそれすらも看破する。音と構え、そして発光色をチラリと見ただけでヒット箇所とタイミングを逆算し、必要最小限の動きで長剣を背にかざしたのである。

 ジェイドの攻撃は吸い込まれるようにサーベルを叩いた。

 依然として《二刀流》への対応も完璧なまま、もちろん最高防御性能を塗布された剣を相手に、ガードを超えてダメージを与えることは叶わなかった。

 むしろ硬直した分、短い反撃によってまたも彼は突き飛ばされている。元より8本の剣すらも(さば)ききったヒースクリフが、この程度のスキルの突破を許すはずがなかったのかもしれない。

 もうほとんど体力残量がない。反撃するチャンスもない。

 胃が縮まるような想いだった。

 

「(ダメよ……そんな、神様……!!)」

 

 けれど、祈りは通じなかった。失敗したジェイドは慌ててソードスキルを発動し直し、キリト君の連撃が終了してしまう前に再トライしようと攻勢に出たのである。

 しかし同じ作戦が通用する道理はない。

 ヒースクリフは《二刀流》スキルが終わる寸前にわずかに体の軸を逸らすと、ジェイドへ邀撃できるよう体の向きを変えたのだ。

 (かす)れば死ぬというのに。それでもなお、予備動作(プレモーション)は成立してしまった。そして直後にペキュリアーズスキル、超級単発重反動斬《ライノセラス》が立ち上がる。

 ある意味《スイッチ》としてはパーフェクトだった。寸分の狂いなく呼応するような、まるで共通意志を持った連携の境地を、最強の男はいとも簡単に打ち破った。

 

「甘いぞ、それは!」

 

 悪魔の快哉(かいさい)は短かった。

 ポストモーションを課せられたキリト君をあえて無視し、一部の狂いなくカウンターの一撃を確信する。HPが風前の灯火である以上、先に凶器が人体へ届けば事足りるからだ。

 その瞬間、あたしの中を駆け巡った疑問は刹那的なものだった。

 何かがおかしい。

 初撃が汎用技(アバランシュ)で、次撃が渾身技(ライノセラス)? そもそも連撃中の挟み撃ちが狙いなら開戦直後に行えばいい。

 ――本命は、逆なのか。

 思考が続くより早く、決着がついた。

 ゾブンッ!! と、長剣による一撃が暗い甲冑を穿通(せんつう)する。それも、十字盾が大剣の一振りを凌ぎきっただからではない。なんと、システム外スキル《ブースト》を利用し、《ライノセラス》のアシスト発揮を限界まで遅らせる(・・・・)テクニックを見せていたのだ。

 ガードのタイミングがずれる。

 脳筋の彼氏が、初めてかすかに笑った気がした。

 思い出したのは、死が確定した時、わずかに残留する攻撃判定期間。

 それが存在することを体験し、知っている(・・・・・)彼だからこそ、この捨て身の特攻策、決死の交替(スイッチ)を考案できたのだろう。

 なにせ、ヒースクリフを倒せば達成される『勝利条件』と違い、彼が条件に出した『敗北条件』とやらは2人のHP(・・・・・)が全損されること。1人でも欠けたら負け確、という逆説的な条件すらも逆手に取った、ジェイドらしいズル賢い一手。

 これまでの交戦こそがすべてブラフだった。ヒースクリフは取り返しのつかない段階に陥ってから、ノロマにも彼らの真の作戦を思い知る。

 土壇場で意表を突いた。

 そしてジェイドは、稀代の天才に向かってこう叫ぶのだ。

 

「ぶわァアアアアアアアかッッ!!!!」

 

 直後、ズンッ!! と、無敗の男に脳天から神罰が下された。

 同時にジェイドの体はフレークと化して砕ける。

 痛み分け。一発だけならまだ耐える。しかし、かの一撃には『確定怯み』の効果が付随していることを、彼もよく知っているだろう。

 いま一度雄叫びが上がる。

 重複するソードスキルの発生サウンド。

 2本の業物が光を纏い、輝く。ジェイドの放った最後の攻撃は、続く《二刀流》の連続スイッチにより逆転の決定打へと昇華されるのだった。

 

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 『ゲームはクリアされました』。無限の彼方に渡るそんな機械的なアナウンスと、時報に似た鐘の()がしばらく続いた。

 するとあたし達の体からは重力が消え、音が消え、視界一杯に光が広がると見たことのない小さなフィールドに転送されていた。

 橙の空が目に眩しい。焼き付くような日光が直接降りかかるのは、あたしが立っている場所が稜線(りょうせん)まで続く雲海よりもさらに上空に位置するからだろう。視線のはるか下方には浮遊城アインクラッドが宙に漂っている。こうして外観を俯瞰(ふかん)するのは実に2年ぶりで、その最下層が崩れ始めるのを確認すると、この場所がどのような目的で設置されたのかおおよその予想はできた。

 足元には随所に白い筋が入ったリアルなガラスの台があるのみ。目立った装飾もなく、直径10メートルほどしかない薄い円筒がフィールドの全貌だ。

 やはり攻略中はもちろん、夢の中にだってこんな思い出はない。しかし存在する意味を予測できても、自分がここに送られた理由が見当たらなかった。

 ただし途方に暮れるより早く、すぐ後ろから声をかけられる。

 

「ヒスイ……」

「っ……!?」

 

 振り返った先に飄々(ひょうひょう)と立つ人物。

 これこそ夢ではないだろうか。彼は間違いなく長剣によって(たお)され、他の多くの戦死者と同じ結末を辿っていったはず。

 けれど……ああ、神様。

 

「ジェイドっ……生き、てたの……」

「さあな。これから殺されるのか……ま、アイツ次第だ」

「バカッ!」

 

 強気でいようとするその姿は(はかな)くて、愛しくて、あたしは飛び込むように彼の胸に抱き着いていた。

 「うわ、落ちる落ちる!」と慌てられたのでとっさに重心は戻したが、この大バカには聞きたいことが山ほどあった。

 

「……なんで、最後……自滅するような戦い方をしたの。ヒースクリフは……茅場晶彦はたぶん《ナーヴギア》じゃ死なないわ。そんなの、誰でもわかることでしょう……!?」

「死に損になるって? ……けど、なんだろうな。あの男は殺したいぐらい憎いけど……なんとなく、俺の戦法を認めてくれるような気がしたんだ」

「はあっ? なによそれ……根拠ゼロじゃない!」

「ンなこたねェって。ルールを決めたのは奴で、スジだけは通すヤロウだ。……それに《神聖剣》のあの技は不意打ちなしに突破できない。ヒスイだって、正攻法じゃどうにもならないだろ?」

「うっ……」

 

 それには返す言葉もなかった。

 敗北寸前のあの一瞬で、五分の駆け引きに持ち込んだ手腕は見事と言わざるを得ない。確かにあれは、過去にゲームオーバーになった経験を活かせる唯一の戦闘だったのだろう。

 けれど、だとしても正気じゃない。

 相手のプライドを信じるのも結構だが、これはスポーツではないのだ。ほんの少し、糸穴よりも小さな勝機を掴み取らなければ、別れの言葉すらも送ることなくこの恋人は姿を消すところだった。

 無論、勝利は信じていた。負ければ終わりなんて、今日に限ったことではない。

 しかし理屈ではないのだ。安堵と、恐怖と、嬉しさで、頭の中はもうグチャグチャだった。流れる涙がいつ我慢を決壊させたのかもわからない。

 愛する男の目の前で、あたしは子供のように泣いていた。

 

「も……ぅ……1人にしないでよぉ……ジェイ、ド……」

「だあもう、泣くなっての。俺が泣かせたみてェじゃん」

「他にっ、誰がいるのよ! 物理的にいないんだからぁ!」

「なっはは。それ言えてる」

 

 「ホントバカ、バカ、バカ! 死ね!」と何度も叩いてやる。

 こちらは真剣に話しているのに。あたしを置いて自分だけ命を懸けておいて、残された身になって考えようとしない。どれほど辛かったかを理解していない。

 あなたのそんなところがキライだ、と。

 そう言おうとした直前に口を塞がれた。腕と腰を抱かれ、唇には彼のそれが重なっている。それは相手の全てを感じられる抱擁だった。

 そして抱かれて初めて気づかされる。彼の体が、わずかに震えていたことに。

 決して平気ではなかったのだ。

 それでもなお、信じるものを貫いた。正義を通した。彼がこうして生き残ってくれたことに改めて感謝すると、怒りなんてとっくにどこかへ行ってしまった。

 長い接吻が過ぎると、涙を拭いてどうにか紡ぐ。

 

「ん……ホントにズルい人。ごまかし上手」

「ヒスイにゃ言われたくねーよ」

 

 お互いに笑い合うと、今度はどちらともなく再び崩れゆくアインクラッドを見下ろした。気づけばすでに半分以上の体積が失われている。このまま城の最期を看取るのだろうか。

 しかししばらくすると、真後ろにコツン、とビジネスシューズが硝子を踏むような音がした。

 予想していたのか、ジェイドが先に口を開く。

 

「俺を地獄に送りに来たのか、ヒースクリフ」

「……ふふ、まさか。勝者には相応しいリワードを与えるつもりだよ。現に絶景だろう、ここも。我ながら悪くない」

 

 スーツの上に白衣を羽織り、戦う意思を消し去ったまま余裕の笑みを浮かべる。そして男はゆっくり歩み出すと、円周の縁まで近づいてあたし達に並んだ。

 それでもジェイドはあたしを片手で下がらせながら、警戒もあらわに問いただす。

 

「じゃあ俺達はどうなる。他のみんなも」

「約束通りログアウトさせるさ。……そう身構えないでくれたまえ。この時間は特別に設けさせてもらった。キリト君とアスナ君にも同じ場を用意して、先ほどまで話していたところだ」

「あら、恋人同士だから? あのアインクラッドといい、意外とロマンチストなのね」

「意外かな。私としてはアイデンティティのつもりだったが」

「…………」

 

 冗談を終えると、崩れゆく城から目を離さないまま、彼は自虐的に続けた。

 

「このクリアは君らのどちらが欠けても成立しなかった……そうだろう? だから両名を呼んだのだ。もっとも、人に『バカ』だと吐き捨てられたのは初めてなもので、腹は立ったがな」

「へッ、事実だろ。天才がこじらせるとこーなる」

「ふ、ふふ……実際、私は子供の頃に夢見た天空の城を、この歳になって再現したに過ぎない。きみの指摘はまたも正しいわけだ。どうだね、それほど共感する力に長けるなら、カウンセラーの道も悪くないんじゃないか」

「ホンキかよ。俺はヤだね」

「残念、性格が向かないか。……1つだけ聞きたい。きみはなぜ、攻撃可能な判定がいつまで続くかを知っていたのだ? いわんや命と引き換えに知れたとして、アインクラッドでやり直しは……ああ、《還魂の聖晶石》か」

「聞いたそばから解答出すな」

「しかもそのアイテム、使ったのはキリト君よ」

「なんと……」

 

 このくだりに関していえば、さしもの彼も本気で驚いているように見えた。

 そうしていくばくも無く真相を知ると、心の底から愉快そうに笑いだす。

 

「はっはっはっは、これはまた。1度死んでいたとは驚いた。じゃあ何か、きみ達は私の用意した救済措置によって命を留め、今度は私がきみ達に戦いを挑み、そして2人の経験が《神聖剣》を凌駕したとでも? は、はっはっ……これはまるで……ああ、まるで運命のようではないか……」

 

 燃え(たぎ)る太陽を仰ぎながら、彼は辿った半生でも噛みしめるようにうなずいた。

 この結末を、深く受け入れたように。

 

「……ちょうど全プレイヤー、6141名のログアウトが完了した。……きみ達と話しができてよかったよ、ありがとう。そろそろ時間だ……」

 

 彼につられて視線を寄越すと、もう最上階の塔にまで崩壊は進んでいた。間もなくこの場もその波に呑まれることだろう。

 世界を丸ごと作り上げた男は、その終幕まで見届けると背を向けた。

 

「……行くんですか……?」

「別れとは唐突にやってくるものだ。今を大切に生きなさい、少年達よ」

 

 特別な演出があるわけでもなく、彼は去った。

 空虚なエリアに、また2人だけが残される。

 同情をする気はない。しかし、あらゆる意味で彼の人生はここまでなのだろう、という確信があった。きっと本人も牢での延命を望むまい。

 

「けっ、あの野郎……誰が大事な時間をうばったと思ってんだか」

「もういいじゃない。この世界に来なければ、あたしはジェイドに会うこともできなかった……そうでしょ?」

「ん……まあ、そうだけどさ……」

「じゃあ話すべきことはこれまでのことじゃないでしょ。……ねえほら、時間ないんだから一足先に自己紹介でもしない? 改めてリアルの方を……もう『ジェイド』って呼べなくなっちゃうし!」

 

 言った直後、ガラッ、と足元のガラスが剥がれ落ちた。

 崩壊は目前である。

 

「そ、そうだな、じゃあ俺から。……んん、え~と住所とかはいいか」

「もう早く!」

「わあったって! ……コホン、『大瀬崎 煉(おおせざき れん)』だ。ザキかレンって呼ばれることが多いかな。不良校の一員だったけど、去年卒業して歳は今年で19」

「へえ~、1コ上だったんだ。てか卒業してないし! 普段は何してるの?」

「オンゲー」

「あはは、そりゃそうよね……。えっとね、あたしは御門女っていう苗字で……えへへ、あんまり聞かないでしょ? 御曹司の『御』に、門と女って書いて……あ、あれ……?」

 

 ふわりとした浮遊感を覚える。

 いつの間にか五感のほとんどが遠くに感じた。感覚が失われていくと、いま自分が直立しているのかさえ自信が持てない。

 視界に白い(もや)がかかり、ジェイドの姿も見えなくなる。

 あたしは思わず大声で叫んだ。

 

「『御門女 玲奈(みかどめ れいな)』よ! 忘れないでよね! 向こうに行ったら聞いちゃうんだから! ちゃんと言ったよ、れん(・・)!」

 

 視界が白一面に覆われる。

 ――ああ、これで本当に『ヒスイ』は終わり。

 声は届いただろうか。発音できたのかさえ怪しい。

 でも、いいか。これからは本当の世界で会える。真に触れあい、確かめられる。失った時間なんて、いくらでも取り返せるのだから。

 

「(向こうに戻ったら、またいっぱい話せるもんね。これまでのことと……これからのことを、たくさん話そう。ずっと寄り添うよ、ジェイド……)」

 

 心の呼び掛けも途切れ、意識が完全に遠退いていく。静謐(せいひつ)な部屋のなかで、(たお)やかな羽毛に横たわるような脱力感。

 不思議と不安はない。揺蕩(たゆた)うまどろみに身を任せるだけ。

 やがてあたしは、穏やかな光の抱擁に包まれていくのだった。

 

 

 

 



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第十四章 《アルヴヘイム・オンライン》
第104話 かの地は遠く


 西暦2024年11月7日。

 

「ヒ……スイ……」

 

 自分の声にふと目が覚めると、真っ白な空間が広がっていた。

 いや、辛うじて認識したこの強烈なガンマは、空間というよりはただの光源に近い。

 姿勢を変えないまま首だけを逸らし、まばゆい発光にまぶたを何度かしばたかせる。どうやら俺はあおむけで寝転がされていたらしい。

 一瞬「ここは天国か……?」とも思ったが、現状を把握しようと視線をさ迷わせると、大理石のように硬く、光をまるごと反射する白い立方体の上に、見知らぬプレイヤーが横たわっていた。その奥にも同じように粗悪なベッド以下の白い四角柱が並び、やはり見慣れないカラフルな装備をした人間ががいる。みな意識もなく、理路整然と陳列(ちんれつ)されていた。それも数えきれないほどに。

 幸いにも天国ではないようだ。

 だが、確信と同時にうんざりした。

 死んではいないようだが、どうやらここまでしても現実世界に復帰できていないらしい。

 それに先ほどヒスイと触れ合った映像が、つぶったまぶたに鮮明に(よみがえ)る。焼けるような橙の空を背に、その口から間際に聞かされたのは『ミカドメ』……だっただろうか。きっと苗字だろう、名前は最後まで聞き取れなかった。

 まあ、仮想世界という垣根(かきね)を越える時が来れば、きちんと名前を教え合う約束はしていた。名前に関してはこの際、現実世界に戻ってからでもいい。

 だからこそ、いい加減にしてほしいものだ。どんな事情があるかは知らないが、この約束より他に優先されるべき事項は太陽系レベルで存在しない。

 

「(ヒスイ……ヒスイはどこに……ッ!?)」

 

 上体を起こしてざっと見渡すが、そこに彼女らしき影は見当たらない。

 しかし代わりに、眼前には異様な光景があった。

 上面に広がる空間は一見白の単色だが、凝らしてみると格子盤状に黒い線を確認でき、それが果てのある天井だと知覚できる。ただし、それらの線も壁伝いには延びておらず、フラッシュをたき続けたかのごとく明るい広大な部屋からは、本当に無限に広がる宇宙のような怖気(おぞけ)を感じた。

 足が向けられた方向の奥にはディスプレイ……というより、スクリーンに近い長方形の浮遊物と、単純なデザインのホロタイプ式コンソールがポツンと置かれている。立体感はあるものの、視線から見て左側に設置された出入り口らしきゲートを2つ視認していなければ、このスペースが部屋だという認識もわかなかっただろう。

 さて、確認が進むごとにファンタジー感まで薄れてしまったが、いったいここはどこなのだろうか。

 浮かぶガラスの円盤で傾壊するアインクラッドを睥睨(へいげい)しながら、ヒースクリフは確かに、そして観念するように「生き残った者を解放する」と約束した。そして、数分もしないうちに全プレイヤーのログアウト完了を知らせてくれたのだ。

 晩霞の(とばり)を浴びながら泡沫(うたかた)のようにささやいただけだったが、俺には白衣をまとったヒースクリフ――否、SAOの開発者として『聖騎士』を終えた茅場晶彦が、デタラメな言い訳ではぐらかしたようには到底思えなかった。惨憺(さんたん)たる激戦の末にもぎ取った勝利と結果を、奴自身も深く認めていたからだ。

 だが現に、ここを医務室と曲解するには無理がある。異常な簡素具合とベッドの硬さも不快極まるが、それ以前に計器類、治療器具、薬物、看護係の労働者などあるべき物、いるべき人間の姿がない。匂いも気配も感じない。

 おまけに目がチカチカするほど多彩な装備を身に着ける数百のプレイヤー群を見るに、寝ているあいだに勝手に特殊メイクと着せ替えを施すことが趣味の院長でもなければ、ここは病院ですらないだろう。

 ただ、デスゲームが継続しているとは思いたくないが、もしかしたらログアウトがうまくいっていないのかもしれない。

 これなら難解になってきた現状の辻褄(つじつま)も合う。何らかのトラブルで中継ポイントのような場所で待機させられているだけで、これからサーバ異常を回復させ次第、順次ログアウトを再開してくれるのだ。それなら容量か何かを抑えるために、出来合い物の空間にプレイヤーの意識を一時ストックさせておく対策にも納得がいく。

 ――な~んて……。

 

「(ハッ、ばかばかしい。なわけねェよな……)」

 

 ほっぺたを軽くつねりながら願望に近い射幸心に対抗し吐き捨てると、予想よりも痛みの走った頬をさすりながら、俺は止めかけた思惟(しい)を無理やり再開した。

 

「(……俺の装備の色は薄紫色。見たことないのに変わってるな。剣はあるけど初期装備みたいに軽い。この装飾のない防具もたぶん初期ユーザ用の配布物か。おまけにウィンドウも開かないときてる。こりゃあ閉じ込められてるってことなのか? ……いや、にしては拘束もないし出口まである。たぶんヒースクリフにとっても予定にないイベントだな……)」

 

 考察していると、すぐ近くで「む、う……」というくぐもった声がした。

 どうやら周りでぐっすり横臥(おうが)させられていた連中も、徐々に覚醒しつつあるようだ。それぞれ辺りを見渡しながら、俺と似たような足跡(そくせき)をたどって首をかしげている。

 そして今しがた気付いたが、プレイヤーの耳も形が変わっている。先が細く尖っていて、その様だけはまるで創作上の生物であるエルフを彷彿(ほうふつ)とさせる。

 右隣に並べられていたプレイヤー、たるんだアゴと腹には少々似つかわしくない綺麗な水色の装備を着た男――例に漏れず耳が尖っている――が簡易ベッドから降りると、腰の片手用ハンマーをぶらぶら揺らしながら近づいてくる。すでに一面を見渡して思案に暮れるそぶりを見せていたからか、そのまま俺に話しかけてきた。

 

「き、きみ、似た顔を見たことがある。確か上層で犯罪者集団を全滅させた……あっ、レッド殺しの《暗黒剣》だ! 思い出した」

「…………」

 

 彼は嬉しそうに言うものの、かなり大仰すぎる。別に人の呼び方は自由だが、実際はきっかけも主戦力も他人ありきだったので、ラフコフ抹消の一任者に位置づけられると後ろめたい限りである。

 というむずがゆさを知ってか知らずか、男は質問を続けた。

 

「やっぱり、あなたも気づいたらここで?」

「ああ。恋人もいないし、レア大剣まで没収されてた」

「た、確かに意味不明だよね、この仕打ちは。……ねえ、これは何かのクエストなのかな? 《攻略組》がボスを倒したことで発生した……でも、さっきアインクラッド全域に響いていたアナウンスだと、『ゲームはクリアされました』って言ってたはずじゃあ……? うわ、だんだん混乱してきた」

 

 気弱そうな男はすがるように質問していたが、逆にこちらの疑問もいくつか晴れた。

 顔を見て判断されたということは、耳が多少尖っていようとその見た目はやはり『ジェイド』のままなのだろう。俺が先ほどから(いと)しのヒスイを見つけられないのは、顔が変わったからではなく彼女がここにいないからだ、という仮説にも自信が持てそうだ。

 だが、普段の装備を剥がされた今の俺でさえ、根幹に《カーディナル》が保管するプロファイルデータを参照しているらしい。互換性があるならレベルや各スキルの熟練度も、現在のアバターに各々継承されている可能性がある。

 しかも75層ボス部屋にいた討伐隊の生き残りはおろか、中層以下に生きる全プレイヤーへのクリア告知がされていたということは、ヒースクリフの言動は俺を(だま)すための嘘ではない。

 やはり何らかのイレギュラーな事態に陥っているようだ。

 喧騒(けんそう)が広がってきたのか名前のくだりは雑音に紛れたが、意外とまっすぐな態度と確信のきっかけを与えてくれた事実に免じて、俺はなるべく小さな声で男に返してやった。

 

「問題が起きてるのは確かっぽい。モンスターとかはいないみたいだけど、ここで死んでもアウトかもな。俺らの現実の体はまだナーヴギアをかぶってる。だから気は抜けない」

「え、ええ。でもあなたは上層の戦士なんでしょう? このステージに見覚えはないのか? それか、何かほかに心当たりがあれば……」

「ねーよ、情報をシブってるわけじゃない。だいたい、今の俺らはどこかおかしい。武器も服もやたらカラフルだし、振り分けもイッカン性ないし、メインウィンドウも開かねーしな」

「あっ、ホントだ……反応しない……」

 

 男は右手をブンブンと振るが、やはりこの行為がすでに何のコマンドにも登録されていないようだ。

 俺は四角柱の物体から降りると、体を動かすことにした。

 

「とにかくここを出よう。野戦病院だってもう少し生活感あるぜ。ところであんた、名前なんだっけ」

「ヤチホコっていうんだ」

「ヤチホコ? ヘンな名前だな」

国津神(くにつかみ)の大国主から取ってきてね。ほら、どことなく出雲大社の銅像に似ているでしょう? 太る前はもっと言われてたんだ」

「へえ、なるほどな……(……やべ、なに言ってるかワカンネ)」

 

 なんて自己紹介をしながら、俺達はたかりだしてきた衆人を押しのけて2つだけ設けられた広めの出入り口付近に到着する。まだ半分近くのプレイヤーがまどろんでいる、または状況把握に勤しんでいたからかそれほど苦もなかった。

 クセのように罠の有無を確認すると、ぽっかりと四角に空いた通りへ体を乗り出すように見渡したが、どうもどちらからでも同じ通路に出るらしい。

 人間サイズの使用を想定しているのか、のっぺらと平坦な通路だった。何の意味を成すのか赤基調のこじゃれた絨毯(じゅうたん)だけが敷かれ、やはりどこにも人影や音声はない。軽く湾曲して先の見通せないその奥からは、毒素の混じった空気でも流れ込んできそうなほどキナ臭い。

 しかし、白い壁のすぐ近くにマグネットボードが引っ付いていのを見つけると、部屋から数歩だけ体をのり出して異彩を放つ看板を2人で覗き込んだ。

 どうやらこの施設の見取り図のようだ。

 

「なんだこれ……ムッズい言葉だなあ……」

「最上階は《仮想クラッチ系数・スカラー場関数調整器》……? 横には《見做し加減圧・重力発生場》、《デバッグフィールド》ってあるね、あとは……」

「《フライト・エンジン経過疲労試験場》……か。地図っぽいのに現在地とか書いてないけど、わざと知られないようにしてンのかな?」

 

 フロアが最も簡易的に区切られた5Fの説明はこの4つで終了している。

 下の段からは随所に無意味な飾り部屋があるフロアで、主な広い空間には《摩擦、摺動性クリープ特性測》、《フィードバック・アバター耐圧試験大型ベンチ》、《データ閲覧室》、《主モニター室》、《表面・形態変化、および気体・ガス透過量揣摩(しま)臆測装置》なる名前が。さらにその下のフロアには仮眠室の他に、《液体環境観測・仮想水圧体感槽》、《スペル判定・Rエフェクター再現場》、《高低温維持器・長時間プレイ想定時VR大型恒温槽》、《アラートラジエータ温水循環耐圧繰り返し試験場》など。もう何が何やらわからない何らかの測定器、試験場の名前が満載だった。

 そして、2F。

 この階だけ構造と難解漢字の部屋がやけにシンプルな長方形で、そこには《実験体格納室》と《神経伝達電流・精密操作実験機》、《現実間コミュニケータ》とだけある。1F同様面積の大半を休憩場にしているらしく、ホテルで見るようなリラクセーションスペースの割り当てがされている。むしろ1Fは完全に客を招くための空間なのか、リゾート地を連想させる横文字の部屋だけで仰々しい名のフロアは存在しないようだ。

 ただし、これを確認したからと言え、どこへ移動できるわけでもなかった。

 すでにゲームクリアの告知がされているからだろう。

 勝手な散策などもってのほか。誰だってここまで来て余計なリスクを背負いたくないわけで、パラパラと集まってきた早起き組も早計な行動に出られないでいる。

 

「不気味だね。ここで真っ先に飛び出せたら格好いいんだろうけど、どうにも僕は昔から臆病なもんだから。……えっと、《暗黒剣》さんも……」

「ジェイドだよ! こっちの名前を覚えてくれよ!!」

 

 見取り図から目を離し、ヤチホコと名乗ったおっさんに思わずノリ突っ込みをかましてしまったが、二つ名だけ1人歩きしていた事実は地味にショックである。当然既知のものだと名乗りすらしなかったことが悔やまれる。

 

「ったく、でも慎重なのはいいことだ。ただでさえ目暗みたいなもんだし……」

「ジェイド! ジェイドがいるのカ!?」

 

 俺のノリ突っ込みで存在に気づいたのか、小柄な体躯(たいく)を活かして人垣をするりと抜けてきた人物がいた。

 声から察せられる年齢の割には体格が子供。しかも金髪翠眼の珍しい女性プレイヤー。

 有名なソロの情報屋、《鼠》のアルゴだった。

 

「なんだ、アルゴもいたのッ……なアっ!?」

 

 当のアルゴは血相を変えなら近づいてきた。この空間に飛ばされるプレイヤーの規則性は不明だが、どうやら彼女も捕らわれの身となっていたらしい。

 しかし知人の登場でかすかな安堵を得たのもつかの間。俺はというと、飛び込んできたその姿に思わず歓喜の混じるヘンな声をあげそうになっていた。

 否、あげていた。

 

「(なんだ、こいつの耳!?)」

 

 キュートな服装に、ではない。数時間前までの盗人(ぬすっと)じみた無地の放浪姿から一転、首巻から全体的に伸びるナイトグリーンの幾何学ライン、同系色のぴっちりとしたジャケット、ブロンド色のズボンは七部丈でふっくらしている。無造作な革ベルトにはイエローブラックのミニポーチが付随(ふずい)し、足首まですっぽり埋めるカーキのシューズに大胆なヘソ出しオシャレスタイルは、印象にある彼女とはギャップも強く確かにそそるものがある。

 ただし、根本的にはそこではない。見ると彼女には大きな耳があったのだ。

 もちろん人間には誰でもついているし、そもそも今の俺にも愉快(ゆかい)な耳が生えているはずだが、コトはそう単純ではない。彼女のそれは手のひらほども大きく、また『ふさふさモフモフ』としていたのだ。

 それも髪の毛の上から生えている。まるで俗世に溢れるいかがわしいイラスト、安いソシャゲに登場するようなメス猫の完全なる擬人化がそこにはあった。

 

「(なにコレ、ヤッバかわいい……!!)」

 

 ついよだれが出る。元より背の小ささを除けば、こいつは顔の形もスタイルもいい。美貌(びぼう)を損なう要素しかない普段のフードすっぽり姿+スベっている6本ヒゲのペイントを見るたび、「それやめたら? モテねーぞ」と忠告していたほどだ。

 だが現実にそれが成っている。ヒゲもフードも取っ払い、彼女は誰もが夢見た理想郷の住人――極めて個人的な感想だが――となった。

 指でつまんで遊びたくなるような2本の可愛らしい金髪アホ毛も健在。わざと誘惑しているのかと疑いたくなるドストライクの猫耳をパタパタと揺らし、こちらは不安を再現しているのか膝下まで伸びる尻尾を左右に振り、クリッとした瞳は背丈の関係上どうしても上目遣い。俺はペットを飼うなら圧倒的に犬派だが、あの忠誠心を除きシルエットだけなら猫の方が好みだ。

 その愛らしいしぐさに、俺のキツい三白眼は射貫くようにくぎ付けとなっていた。いやさ、なぶるように見定めていた。

 結論。例え《黒鉄宮》の牢獄送りにされてでも、今のアルゴにハグしたい。それがダメならせめて耳を少しだけ……、

 

「……なんダ。……なんか、目が怖いゾ」

「んえっ!? い、いやナンでもねェーヨ。イメチェン似合ってんな! 目が怖いのは元からだ! ハハハァッ!」

「…………」

「…………」

 

 卑猥(ひわい)な視線を感じたのか、片腕で自分の体を抱くと、まるで汚物を見るようなジト目を向けてくる。だがさしもの彼女とてこれは誤算だっただろう。

 ――今のアルゴはそんな仕草すら可愛ぃいいっ!!

 なんて、ね。

 コホン、とわざとらしく咳をして、とりあえず鋼の精神で目を逸らし、集中力と話の骨子(こっし)を取り戻す。ついでにヒスイへの罪悪感も取り戻す。

 先ほど知り合ったばかりの隣のプレイヤーについて軽く紹介だけ終えると、俺達は可能な限り情報交換を続けた。

 

「デ、オレっちはさっき起きたが、いったいどうなってんダ?」

「いや、それが俺にもわからないんよ。気づいたらここに転送されて。……まったく、こっちは死ぬ思いでヒースクリフを倒したっていうのに」

『ひっ、ヒースクリフゥッ!?!?』

「2人とも声がでかい!」

 

 その大声で周囲の連中を何人か釣ってしまったが、今は余計な混乱や情報収集の邪魔は避けたい。ので、ほとぼりが冷めるまで待ってから、2人にだけ75層のボスエリアでいかなる戦いがあったのかを手短に話した。

 反則級のムカデ型モンスター、最も大切だった仲間の死、勇敢にも戦場で散った戦士達、そして最強ギルド団長による裏切りカミングアウトと、彼に立ち向かった俺とキリトのラストバトル。

 もちろん濃密な1時間強の全貌(ぜんぼう)を数十秒で伝えきることはできなかったが、可能な限り俺が体験したことと、なぜこんなにも早くSAOがクリアされたのか順を追って説明した。

 元来(がんらい)、ここにいるプレイヤーにはそれらの事実を聞く権利がある。それは重々承知しているつもりだ。

 しかし現実世界に復帰できていない俺達にとって、喫緊(きっきん)ですべき行動は重篤(じゅうとく)状態の現実の体を放置してまで話し込むことでも、ましてや俺の武勇伝を聞くことでもないだろう。

 

「そんな、じゃあ僕らは……倒すべき相手と一緒にアインクラッドを攻略していたっていうのか……!?」

「終わってみればな。けど後悔するのも殴りに行くのも後だぜヤッチー」

「それ僕のあだ名?」

「他にどう聞こえる。いいセンスだろ?」

「……そ、それはどうかな……」

「まーまずはここを出ることだけ考えよう。一応さっき付近を見てみたけど、メインアームはノキ並みロストしてっるっぽいな。ステータスは引き継がれてると思うけど、ソードスキルは発動できないみたいだ。さっき試した」

「アア、オレっちの短剣やクローもなくなっちまってるナ。ウィンドウは左手でしか開かないし、いよいよアインクラッドもバグだらけカ」

「ウソッ、左手で開くのか!?」

 

 その情報にはさしもの俺も、残留していた猫耳の件が頭から吹っ飛んだ。左手でのウィンドウ操作は、右腕をディレクトしたプレイヤーか管理者権限を持つヒースクリフやユイのみ、のはずだったが……。

 ともあれ俺とヤチホコのみならず、その発言を聞いた周りの連中も左手の人差し指と中指でポップアップさせる。すると、いくばか仕様が変わっている《メインメニュー・ウィンドウ》が出現した。

 ただし残念なことに、念願のウィンドウをいくら操作してもアイテムボックスには期待したような膨大な便利アイテムは存在せず、代わりに文字化けした無数の欄が連なるだけだった。溜めに溜め込んだ大量の希少物から、高価ではないが思い出の一品まで、アイテムは全て破損してしまったようだ。

 しかも目を疑うことに、『オプション』のタブから最も浅い階層には『ログアウト』の選択肢が復活していたのだ。

 しかしこれもまた、ワラにもすがる思いで連打しても結果は芳しいものではなかった。『通信エラー。現在地を更新できません。通信状態のいいところで再度……』などと、何が何でも俺達をこの世界から逃がしたくないらしい。

 アイテムなし。ログアウト不可。純粋な(コル)だけは通貨単位を変えて数字もはっきりしているが、これで武器を揃えようにも商人や鍛冶屋はいない。

 

「バカにしやがって、ちくしょう。これじゃあ何の意味もねーぞ」

「で、でもこれを見て!? 《片手用棍棒》スキルの熟練度が712ってある! 他にも見慣れた熟練度の数字がいくつか。……実はこれ、さっきまでの僕のステータスと一緒だなんだよ。ここはまだソードアート・オンラインなんじゃないか!?」

「違うと思うゾ。さっき言ったろ、ステは引き継がれてると思うってナ。でも逆に言えば、引き継げないものもあるってことダ。……まずココ、なぜかデフォでOFFになってるケド、オプションの『表示』タブの下にある『HUD表示』をONにしてみロ。……お前さんの視界の端にも見えたろウ? オレっちの『種族』ってのが猫妖精(ケットシー)、体力ゲージは380で魔力(マナ)ポイントが140らしイ。こんなプロパティ見たことあるカ?」

「確かに……こんなものは、見たことがない……」

 

 目ざとく情報を回収するアルゴが指摘した場所を見てみると、まず大きな相違点として純粋な『レベル』という表記が見当たらないことと、他にはシンプルな英数字がいくつか見えた。

 伸びしろや最終ステータスまでは不明だが、現時点ではまったく新しいゲームに設定されたキャラクター固有の初期値、と見るのが無難だろう。

 ちなみに全体的にダークな色調の服装をしているからか、俺の種族は《闇妖精(インプ)》らしい。

 カンストしたいくつかのスキル熟練度の他に、種族のスペックらしき欄も発見した。

 数は7つ。それぞれ『STR』がBランク、『DRA』がBランク、『AGI』がBランク、『MAG』がCランク、『INT』がDランク、『PRO』がDランク、『FLY』がCランクとある。

 どこぞの国名コードではあるまいし勘弁してほしいものである。筋力値(ストロング)耐久値(デュラビリティ)敏捷値(アジリティ)くらいは何となく察せるが、他の略称に自信がない。本来はゲーム開始時やキャラクター選択時にあるスターターガイドにて判明する仕様なのかもしれないが、公正な手順を経てゲームにログインしていない俺達には親切な説明もないようだ。

 そもそもここは日本であって、アルファベットのイニシャルでいちいち表現するなという話だが。

 

「俺のゲージは、と……ふーん。体力420に魔力(マナ)ポイント100……か。じゃあこれは『マジック』の略かな。にしても、気の遠くなるレベリングをした俺としては、レベルが見当たらないのが不安だわ。……それに何だ、人の背中に羽が生えたようなこのアイコンは?」

「それはオレっちも気になっていたところダ。ふーむナニナニ……ンン? 飛行補助コントローラの詳細? なんだコレ」

「あ、僕も見つけた」

 

 慣れない左手のウィンドウで『飛行補助コントローラの詳細』タブをクリックし、下にいくばかスクロールしていく。酒の宣伝に使うCMの押さえのような注意書きのさらに下に、コントローラの出現方法、および操作方法が列挙されていたのだ。

 左手を立ててスティックを握るように、手前に倒すことで上昇、親指にあるボタンを押し込むことで……なんて説明がつらつら書いてある。

 しかしそれらをじっくり脳に叩き込む時間はなかった。

 

「待って君たち、なにか……声が聞こえないか?」

 

 神妙な顔をして急にヤチホコが手をかざしたのだ。

 声も何も、今やほぼ全員の人間が眠りから覚め周囲は喧騒(けんそう)に包まれている。この混乱のさなかに彼は何を言い出すのかと一瞬正気を疑ったが、音源が今までとまったく異質なものであることに気づくのに時間はかからなかった。

 その緊張感のない緩み切った談笑は、俺達の頭上から聞こえてきたのだ。

 そう、真っ白な天井から。しかもそれらは口元からマイクを離して喋っているような、ノイズだらけの雑音だった。

 俺も即座にウィンドウを閉じると耳を傾ける。

 

『おいヤナぁ、……ルータの細工……わってないじゃん……れ。お前先々……「あと1ヵ月で終わり……そぶいて……かー?』

『うるさいなあ、別に……さなくてもいだろう。だいたい……の不備じゃなくてレクト側……ん忙期がズルズル長引いた……なことになってんだろう? あと先……郷ちゃんのお姫……とかさ。彼女だ……へ特別に……』

 

 しかし媒介を挟んだその荒い音声を前に、うるさかったエリアはしんと静まり返った。ヤチホコの言う通り、これは閉じ込められているプレイヤーの声ではない。

 意識を取り戻してから数分が経過し、ここにヒスイやレジクレのメンバーがいないか本格的に探したいところだったのだが、どうやらそんな時間もなさそうだ。

 天の声は断続的に届いた。

 

『まあ表の仕……も納期あるからなぁ。でもいい加減テンポラリサーバ……す準備ぐらいしないと、須郷さん……の件、ミスった……れるぞ』

『ドヤされる……まされないよ、まったく。その辺はさすがに弁えてるから、先週の時点……のデュラビライザー保管エリアは作ってある。いや~《ナーヴギア》のロバスト性には参ったもんだ。ああでも、見立てじゃ来年の下期になる可能性が高いらしいから、まさかとは思うけどね。間に合わせとは言え、今すぐSAOが何らかの原因でクリアされても意識だけは確保できるようにしてあるよ』

 

 だんだんとはっきり聞こえてきたヨコ文字だらけの難しい会話に、意味もわからず生唾を呑んでいた。

 どこのマイクがこの音声を拾っているのか、どこのスピーカーが伝えているのか、それともこの会話が過去に録音されたものかさえ判別がつかなかった。

 それでも。

 この音声の先にいる人物が、囚われの身である俺達にとって何か良くない因子である可能性が捨てきれなかった。どころか、まるでこのトラブルを先導しているかのような……、

 そしてその危惧(きぐ)は、次の瞬間に見事的中した。

 

『ならまあいいか……。でもまさか、次世代ゲーム機に浮かれる子供たちを被験者にして、感情、記憶操作の人体実験をしようなんてよく思いつくなあ』

 

 この時点で大勢の中にどよめきが走った。

 こちらに気づいていないのか、2人の会話は続く。

 

『逆だよ逆。思いつくっていうか、プロジェクトや構想は高く買われてる状態だったのに、被検体がいないから結果が出せなかったんだ。サーバ1台確保するだけで法外な値段するのに、無理やり300人分のバイパスを非合法ルートで作ったのもそれが理由さ。外人たちも喉から手でも出そうなほど欲しがってたよ』

『アッハッハ、無茶するよホント。確か「こっち」に来たら一旦殺し直すんだっけ? ダイブ中でもアクティブユーザと認識しなくなった《ナーヴギア》は、『脳を焼く』以外のプロセスから解放される……っていう仕様を突くんだよね」

『そうそう。デュラビライザーの権利を委譲するプロセス踏んで支配権だけ得れば、現実への意識復帰を妨害できるんだよ。まあ、それは《ラボラトリー》限定の話だけどね』

 

 響き渡るような音量でそう言い放ったねちっこい音声を前に、哀れな迷い子達は数秒怒ることも忘れて唖然と立ち尽くした。

 いきなりインサートしてきた不躾な会話。ひんしゅくを買う、なんて生易しいレベルの内容ではない。しかし、やがて言葉の端々に(にじ)む狂気の片鱗を感じ取ると、どこからともかくプレイヤーの憤慨(ふんがい)が天に突き刺さった。

 

「なんだよクソが……何の話してるんだよ、こいつらッ!」

「おいッ、そこに誰かいるのか!! 早くここから出してくれ!!」

「ふざけるな! 何の実験をするつもりだっ!!」

「カヤバアキヒコぉ!! お前がいるんだろう!! ぶっ殺してやる!」

 

 その他数えきれない罵倒が幾重にも重なったが、その声を聴いた向こう側にいる……おそらく、リアル世界から俺達をモニターできる人間達は、意外にも事態を把握しきれていない風だった。

 

『あとは座標だけ《格納室》にロックして……あれ……なんか、どっかから変な声が聞こえないか……?』

『うわっ、仮想間コミュニケータつけっぱじゃん! 聞かれてたとかハッズ~。……えっ、てか……今、スタッフの誰か《アミュスフィア》使ってたっけ……?』

『い……いや、シフト的にそんなはずは……うっ、うわぁああああああああああああああああっ!?!? ウソ!? 覚醒してるよッ!? アカウントが固定位置にない!! そもそもサンプルの感応グラフが止まってる!!』

『なッ、なんで……こんなに早く!? だって、まだ……ッ』

『くそっ、原因はいいからさっさと殺し直して《リメインライト》に! 《格納室》に戻せば1分以内に手動でやるから……おい! 先にコミュニケータ切れッ!!』

 

 何らかの液体物がこぼれる音、また計器類がけたたましく崩れる音の直後に、ブツンッと『外』との通信は途絶えた。

 と同時に、他に例えようのない焦燥感が全身を駆け巡り、ありとあらゆる危険信号が脂汗と共に流れ出る。

 たった今のんきに情報提供してくれた神に等しい存在は、最後に慈悲を与えるべくもなく畳みかけた。

 セリフを切り取って違和感のないように繋ぎ合わせると、彼らはどう考えても非合法な臨床試験をしようとしている。そしてその準備中に、俺達が望まぬ『ゲームクリア』をしてしまったせいで慌てふためいていた……ように感じ取れた。

 当然これで終わりではないだろう。期せずして治験……いや、危険値も定かでない人体実験という目論見を漏洩(ろうえい)させてしまった以上、必ずこの非常事態を打開しようと手を打ってくるはずだ。

 あまりの急展開にオーバーヒートしたのか、無為に叫び続けるファンタスティックな格好をしたプレイヤー群に、俺は思わず声を張り上げていた。

 

「とっ、とにかく逃げるぞ! 全員出口に走れ!! 誰でもいい!! 逃げのびて、いま聞いたことをまともな人間に伝えるんだ!!」

「あなたも逃げるんだよ、ジェイドさん!」

「おっ、おいヤッチー!?」

 

 雪崩(なだれ)のように悲鳴を上げて出口に殺到しだしたプレイヤーから腕を掴んで俺を引っ張り出すと、顔のシワをいっそう濃くしたままヤチホコは叫んだ。

 とは言え、ここに留まって部屋の奥にいた人間まで脱出できたかどうか確認している時間はない。

 呼びかけの手伝いをしてくれたアルゴの手も引っ張ると、俺達3人は大挙して逃げる群衆に紛れ、列ならぬ列をなし、いくつかの方向へ分岐する廊下を運任せに駆けだした。

 どうも記憶や感情を操作する実験体として、意識そのものの拉致を画策(かくさく)しているらしい。詳細など知りはしないが、奴らが国の監視をすり抜け犯罪プロジェクトとやらを完成させようというのなら、きっとその報酬で莫大な金が動くのだろう。

 しかしモルモットを承諾(しょうだく)した覚えのないこちらとしては抵抗する他あるまい。例え敵がゲーム内のプレイヤーをウジ虫のように踏みつぶせる絶対の支配者だったとして、奴らの計画に唯々諾々と付き従ってやる道理はないのだ。

 

「ハァ……ハァ……クソったれが。どっちが出口だっつの……!!」

 

 腹は立つが、足を止めてはならない。

 それに奴らが口々に言う《格納室》というのは、きっと俺達が先ほどまで安置されていた真っ白な空間のことだと推測できる。そこでデュラビライザーの支配権だの、座標のロックだのブツクサ言っていたが、想定以上に早まった『SAOのクリア』に初動から対処できなかったのは敵にとっても痛恨事のはず。

 あわよくばここにいる300人――と、会話のなかで聞こえた――のプレイヤー全員が、どんな危険があるかもわからない実験を体験しなくて済むかもしれない。

 という希望的観測のもと、より強く反抗の決意を固めた俺は、一目散にその場を後に――、

 ――いや、ダメだ。何かいる!

 

「先頭の奴は止まれェッ!!」

 

 蟻の行列のように伸びた先頭集団へ注意喚起した直後。

 罵倒が何重にも重なり、長い回廊の奥から淡い発光が連発した。

 拳を握ったまま両腕を広げ、すぐ近くを走るアルゴとヤチホコの腰にタックルを見舞うように、メイン通路から脇に逸れる道へ直角に飛び込む。

 3人で床に倒れた直後、ゴウゥゥッ!! と、炎が空気を切り裂くような音と共に、肌を焼く巨大な熱波がメイン通路を疾走していった。

 

「うわっ、わァああああああッ!?」

「熱い! 何だこれ!? ギャアアアアア!?」

「痛いィ!! 誰か助けてくれェ!!」

 

 眼前に広がるのは、燃え(たぎ)る炎。

 俺は悲鳴を上げる暇もなかった。だが高熱の集積体にその身を焦がすプレイヤーは、とても人のものとは思えない絶叫をまき散らしながら、燃え移る火を消そうと地面を()い転がっている。

 もちろん現実のものとは違い、酸素がなくとも発火するゲームの炎は決して消火されることはなく、彼ら、あるいは彼女らを容赦なく焼き続けた。後方を走っていて奇跡的に第一波で被弾しなかった者も、続く散弾銃のような次弾の熱に燃やされ、狂った叫びをこだまさせる。

 俺はたまたまヒット直前に2人を抱えたまま難を逃れたが、初弾は回避したのではなく前を走る連中が期せずして身を(てい)してくれただけだ。運がなければ彼らと同じ末路を迎えていたのだろう。

 気の遠くなるような戦闘音がまだ継続する。

 ……いや、これは戦闘と呼べるものではない。まさしく駆除であり、掃除の延長にある一方的な殺戮(さつりく)作業。鳥インフルの蔓延(まんえん)した養鶏場だと例えられた方が違和感もない。

 

「ゲホッ、ゴホッ……あァ、クソったれっ! アルゴ達、立てるか。ここも安全じゃない、ケムリにまぎれて逃げるぞ!」

「はい……僕はなんとかっ……」

「……オレっちも。助かったよジェイド」

「まだ寝ぼけてんのか。1ミリも助かっちゃいねェぞ……!!」

 

 汗をぬぐいながら毒づく。

 一瞬だけ視野にとらえた敵の姿。使い古してうす汚れた黒いカーテンをそのまま全身に巻いたような連中が何人も見えた。

 よもやあれらが全員『実験のスタッフ』とは思えないので、おそらくデバッグ用に色々とデータをいじられた――今回の場合は各パラメータ値MAXなど――既存のモンスターなのだろう。鈍色(にびいろ)に揺らめく水晶ドクロのようなアイテムを触媒(しょくばい)に、無制限に『炎の散弾』を放てるようだが、どうにも初期装備の集団では束になっても勝てそうにない。

 しんがりを陣取り速やかに、かつ敵の視覚に入らないようその場を後にする。

 女性であるアルゴを庇うように隠しながら、しかし俺は背に広がる光景から目が離せないでいた。

 オレンジ色の熱と幾重にも重なる残酷な叫喚(きょうかん)の地獄絵図。デバッグ用の最強Mobとやり合う以上、彼我(ひが)に開く決定的な力の溝は理解しているつもりだったが、どうにも()に落ちない点があった。

 それは、『プレイヤーの死に様』である。

 なぜ焼かれた彼らはあれほど苦しそうな断末魔を残したのか。ここもなんらかのゲームを媒介(ばいかい)にした世界である以上、あのアバターは本物の皮膚感覚を付与された肉体ではないはず。

 にもかかわらず、あれはまるで、本当に死にゆく人間が苦痛に耐えかねて絞り出したかのごとく悲痛の喚声(かんせい)だった。

 

「(オイ……まさか、そこまで腐ってンのかコイツら……ッ!?)」

 

 硬い疑似ベッドの上で頬をつねった時、思ったより『痛み』に近い感覚を味わったことを、フラッシュ映像のように思い出した。

 バクバクと心臓がうるさく鳴り、自然と動悸(どうき)が激しくなった。

 鳥肌の立つ震える手で、今度は強く(・・)右腕をつねってみる。

 

「(いッ……てェええ……っ!?)」

 

 想像していたよりも、もっと痛かった。久方ぶりに味わった、違和感を通り越した鋭い痛み。

 はっきりと痛覚が存在する。

 《ペイン・アブソーバ》が切れている確信。ということはつまり、アバター越しに感じた痛覚信号を、脳がそのまま受け取ってしまうということになる。

 俺が真っ先に畏怖(いふ)した、人としての尊厳の略奪よりずっと非道な行い。現実世界に帰った後もショック症状を引きずってしまう危険な感応設定。その現実を実感すると、あまりの恐怖に足がすくみそうになった。

 強力なモンスターと対峙(たいじ)したどんな恐怖とも違う。

 SAOは仮想世界にリアリティを極限まで追求した危うき天才量子学者、茅場晶彦の生み出したもう1つの規則世界である。

 かつて炎を再現するテクスチャに、彼がわざと熱量を付与していたことを俺は知っている。その再現温度は300度に上るらしく、だからこそ俺達プレイヤーは雪山で遭難しても、偽物のかがり火の近くに座るだけで暖を取ることができた。

 しかし一方で、触れても接点個所に軽いやけどのエフェクトが発生するだけだったのは、ひとえに感応調節機構がレベル全開で稼働していたからに他ならない。

 であるのなら、もしこの世界の感覚接続深度、および運用基幹プログラムが同一なら、先ほどの犠牲者は《ペイン・アブソーバ》による保護がない真の灼熱を全身に浴びたことになる。ましてやSAOの参加者は痛みに対して2年におよぶブランク付きだ。

 摂氏300度の熱に焼かれた彼らの必死な叫びが、いったいどれ程の激痛のさなかに発せられたのか、その本当の意味が胸にのしかかった瞬間だった。

 しかし、ともすれば数秒で20人ほどのプレイヤーを地獄に叩きつける敵が眼前を塞ごうと、俺達は歩を進めなくてはならない。

 意識の遮断された人間を好き勝手に実験台にしようとする悪に、対抗することを止めてはならないからだ。

 

「おいアンタら。気を付けようがないかもしれねぇけど、ペイン・アブソーバが停止してる。焼かれたら死ぬほど痛ェぞ……」

「ハァ……ハァ……いやだっ……そんな……僕は……ッ」

「泣いてる場合じゃない。男だろ、足止めんな!」

「ジェイドも声抑えロ、死角には常に敵がいると思えヨ」

 

 本隊とはぐれてしまった俺達3人は、中腰姿勢のまま何のセキュリティもかかっていなかった扉をスライドさせ、出口のわからない迷路をひたすら進んでいく。見取り図を覗き込んだとはいえ、あんな一瞬で入り組んだ全貌(ぜんぼう)を覚えられるはずがないからだ。

 しかししばらく道なりに進むと、今度は鋭角に折れ曲がった通路の先、腰まである段差の上に真紅の装備をまとった他のプレイヤーが1人見えた。

 彼もこちらを確認すると、細い剣を下ろして息を吐く。

 

「おっ、驚かせるなッ、敵かと思ったぞ! と、とにかくバルコニーのような開けた場所で外の光が見えた。こっちだ!」

 

 種族名はわからないが、見た目が真っ赤な彼は手でせわしなく催促する。どうやら目立つ集団を囮にしつつ単身で行動し、人目のつかない場所から隙を見て、自分だけ中庭へ飛び込んで逃げる算段らしい。

 俺達の接近すら待ちきれないのか、その足取りは見るからに慌てている。

 だが順番に段差を超え、遠くまで走っていた彼の後を追おうとした次の瞬間、突然彼が大声で命乞いをしだした。

 懇願(こんがん)虚しく四方八方から炎の柱に押しつぶされ、リアルなもがき方をしながら焼かれ消滅していく。テラスの方より流れ込んでくる生暖かい風から察するに、場所によっては外からも待ち伏せがあるようだ。

 また1人、凄惨(せいさん)な最期を遂げる。

 そしてHPを全損させたプレイヤーが死後に火の玉のような揺らぎをその場に(のこ)しているが、例外なく彼のそれもすぐにどこかへ転送されてしまった。

 俺を含む3人は紅い装備の男の死に声を発せず、足音を立てないように逃げ道を変更した。

 思わず『殺し直してリメインライトに』、『意識復帰を妨害』、『格納室に戻せば手動でやる』なるセリフが次々と脳裏をよぎる。

 先ほどの『会話』から察するに、ここでのゲームオーバーでナーヴギアが連動し、脳を輻射熱で焦がすような結果に繋がらないとは思う。

 しかし今の俺達にとって、ここで殺されることは、体感する苦痛を鑑みれば言葉そのままの意味を指す。おまけに、終わりがあるのか定かでない『感情・記憶操作』実験の被検体コースが待っているのだ。知ってしまった以上、知らなかった時より恐怖も増す。

 予想の域を超えないが、それが死者……つまり、《リメインライト》とやらになってしまった者の末路。

 普段おしゃべりのアルゴでさえ、想像を絶するむごい現実に口元を押さえて絶句していた。

 俺とて死ねない。絶対に、こんなところで終わるわけにはいかない。

 そこで、移動し続ける俺達の進路から3時の方角で動きがあった。集団のざわめくような声が、環状イベントホールらしきエリアから流れてきたのだ。

 

「こっちに国連の人が救助に来てるって! 広く開けた噴水と、白い螺旋階段のある場所だ! なるべく多くの人に伝えて!」

「まずは別の場所にッ……安全なところに転送してくれるらしい!」

「順番制だ、生き残りたきゃさっさと列に並べ!!」

「わっ、私を先に!! お願いします、先に逃がしてください!!」

「おい女も並べ! 後ろから入って来るな!!」

『皆さん、遅くなってすみません! しかし落ち着いて行動してください! 我々はあなた方を危害から守ります!』

 

 混沌とした群衆の視線の先には、知的そうな四角いメガネをかけた1人の男性が、転送サークル内になるべく多くの避難者が入るよう誘致(ゆうち)していた。

 彼は汚い布切れのモンスター兵隊と違い、清潔そうな白いジャケットスーツに身をくるんでいる。

 俺の言うモンスター、つまり『炎の散弾』を放つ禍々しい死神もどきは動きが一定だったが、それとは明らかに雰囲気が異なる。感情があり、しぐさにクセがある。頭に浮かぶ《破壊不可存在(Immortal Object)》のアイコンも先ほどの敵にはなかったことから、間違いなくあれはNPCではないだろう。

 しかしどこか違和感がある。都合のいいタイミングも(あわ)せて、プレイヤーのように尖った耳を含め、よその人間であるはずの彼は随所(ずいしょ)に妖精らしさを残しているのだ。

 難しい名前の専門職名、完全非武装に市民の誘導。確かにどれをとっても彼に従っていた方が安全を確保してくれる……気はする。少なくともアルゴやヤチホコと勝ち目の薄い逃避行を続けるより、この『救助』を謳う脱出に便乗した方がいいのかも――、

 そう考えた瞬間だった。

 

「いや違う! まさか、これは!?」

「ジェイド、おかしくないカ。あいつ声にマスクがかかっテ……」

「ああ、そりゃおかしいさッ。おいてめェら!! 今すぐ逃げろ!! 助けに来る奴が! 1人なわけないだろうッ!!」

 

 1階のホールに群がっている、集団心理に毒された連中を怒鳴りつけると、優男を装っていた白スーツの男は短い舌打ちをした。

 SAO世界にもあった《クイックチェンジ》で両手に魔導書と魔法の杖らしきいかにも(・・・・)な武器を揃えると、作戦でも練っていたのか即座に行動に出る。

 

『システムコマンド! 詠唱スキップ! 《電撃屈折媒(エレキプリズム)》!!』

 

 刹那の雷光。本物と見紛(みまご)う音の奔流。

 ゴッガァアアアアアッ!! と、紫雷の暴力が集団に降り注がれた。

 敵が技名らしき造語を発音して杖を頭上に掲げた直後には、空中に出現した宝石のような結晶から放射状に稲妻が走り、30人以上のプレイヤーが感電時の悲鳴と一緒に苦しみながら排除されたのだ。

 後に漂うのはおびただしい数の《リメインライト》のみ。

 そしてその小さな遺恨(いこん)すらも、強制的に強奪された。

 ベースとなったコンセプトモデルは知る由もないが、耳がエルフのように変化したこと、ステータスの《マナポイント》なる値、先の戦いで敵が炎を乱射したことなど。

 ソードアートでは撤廃(てっぱい)された『魔法』という概念が、この世界ではごく当たり前に存在することは把握していた。高位のメイジクラスなら、この手の戦略兵器じみた魔法を放てるタイトルを俺は腐るほど知っているからだ。

 これだけの人数に同時攻撃できるということは、きっと広域範囲魔法か何かだろう。しかし俺が重度の廃ゲーマーだからこそ、今の光がゲームバランスを保った攻撃ではないことは容易に看破できた。

 下準備なし。長ったらしいスペルを読みあげる時間もなし。クリティカルヒットでもないのに有効範囲にいた全プレイヤーHPをフル状態から全ロスト。術者に目立ったデメリットなし。

 クソッタレの公式チーター野郎だ。

 思わずツバでも吐いて中指を突き立てたくなる。

 とそこで、(きびす)を返して逃げ去ろうとした直前に、甘栗色の髪をした小柄なツインテールの少女が、割れた床にうつ伏せに横たわっているのが目に入った。

 アルゴと似た服装をしている。悪運の強いことに、我先にと押し掛けた大人達によってその華奢(きゃしゃ)な体が弾かれ、計らずして生き延びられたわけだ。

 彼女だけでなくエリアの端の方にも電気攻撃の範囲外にいた連中が散見される。もっとも、彼らもあのままうずくまっていては火だるまにされるのは時間の問題だろう。

 伏して倒れる少女を助けに行くか否か。白スーツの男を見やりながら天秤(てんびん)にかけるが、どうもあのチーター野郎は右耳に手を当ててマイク越しに誰かと()めていた。

 

『おっ、おいヤナ!? いまプレイヤーが苦しんでたぞ!? 《ラボラトリー》はオープンワールドと違って、毎回設定し直す必要があるんだって! お前《ペイン・アブソーバ》を起動し忘れてるだろう! ……えっ、あ、ああアト回しだって!? バカを言え、先に……っ』

 

 どうやら、これがラストチャンスのようだ。

 俺は姿勢を低くし、通路の陰から身を乗り出した。

 

「フザけやがってアイツら……お、おいあんた! 立って走るんだ! 早く逃げないとまたこっちに……って、シリカぁ!?」

 

 硬い床から抱き起すと今度は俺が驚愕する番だった。

 少女特有の肌の張り、左右に結ったブラウンのツインテール。またも性癖をくすぐる大きな猫耳に視線を奪われそうになったが、特大魔法を(かわ)した小柄な強運者はシリカだったのだ。

 いつも肩の周りを飛ぶ小さな翼竜こそいないが、定期的にヒスイが様子を見に行く際は俺も随伴(ずいはん)したのでよく覚えている。

 

「ぅ、ん……ジェイド……さん……?」

「ああシリカ、俺だ。すぐに移動するぞ。立てるか!」

「ぅぅ……すみ、ません……頭を打った時……本当に、いたくて……」

「クソ、それでも立つんだッ!!」

 

 眉にシワを寄せるシリカの意識はまだおぼつかなくフラついていた。だが、俺は有無を言わさず腕を引くと、ほとんど引きずるように小さな体を引致した。

 しかし隘路(あいろ)を利用しようとした直後に背中で大型の電撃魔法が弾けた。壁に命中したのかHPゲージこそ減っていなかったが、余波にさらされた俺はシリカを胸に抱いたままゴロゴロと吹き飛ばされる。

 例の男がもう戦線復帰したのだ。

 

『素行の悪そうなガキが奥に行った! 絶対に逃がすな! ああクソっ、どうせ後で忘れるんだ! 再度攻撃許可を出す!!』

 

 ――素行の悪そうなガキつったぞあいつ!!

 という心の返しはともかく、たったそれだけのその指示で、集合後いったん待機していた『炎の散弾』兵達が一斉に駆除を再開した。

 なるほど。結局は奴も言い争っていた男と同種の人間らしい。加害者としての認識が薄れれば、一時(いっとき)狼狽(ろうばい)も水のように流れていく。

 

「ぅ、ぅ……ヒスイ、お姉さんは……?」

「……今は考えるな」

「ま、まだおくに人が……」

「全員はムリだ! 走るぞっ!!」

 

 シリカは顔を蒼白にしたまま無理を押して足を動かした。

 ショックの連続で歩行すら困難なのだろうが、しかしこの瞬間だけは強引に連れ出す。いたいけな少女だろうと、降参の意志を示そうと、道徳心のないモンスターは平等に弱者を炮烙(ほうらく)するからだ。ヒスイが妹のように可愛がっていたこの娘を、あの煉獄に放置することはどうしてもできなかった。

 俺はつい、走りながら悪態をついてしまう。

 

「っンのドブネズミ! ……ハァ……クサれメガネ! ところ構わずバカスカ撃ちやがって……ハァ……マジで痛ェってのに。……野郎あとで、絶対吠えヅラかかしてやる!」

「ああダメだ、もう……螺旋階段のっ、上からも……来てる……ハァ……このままじゃ挟まれる!」

 

 2人と合流すると闘志を燃やす俺とは対照的に、たるんだアゴをさらにたるませながらいい大人が弱腰になっていた。

 しかしヤチホコの反応も無理ないだろう。施設の構造が複雑、というよりも芸術的であろうとしすぎて一本道でないのが救いだったが、この戦いの果てに心の晴れるような勝利はない。

 可能ならあの外道どもに相応(ふさわ)しい納得のいく引導を渡してやりたいところだが、そもそも一見戦闘にみえるこの応酬はただの逃避劇だ。死ぬか死なないかの駆け引きであって、『殺す』という手段を選ぶことはできないのである。

 それでも……、

 

「あきらめんな、前がダメなら他の道を探す。運がいいのか、この《ラボラトリー》って場所にはワケわかんねー部屋が大量にあるし、ちまちまオブジェクトに隠れてやり過ごそう。スキを見て裏口から走り抜ける」

「シリカちゃんっていうのカ、その子。イヤ聞いたことだけはあるケド、こんなに小さかったなんテ。……いざとなったらオレっちがダッシュして注意を引ク。絶対に守り切れよジェイド」

「ハッ、冗談キツいぜアルゴ。あんたがいなくちゃ助かるモンも助からないだろう。最初からオトリ前提で考えんなよ……ッ!!」

「……ニャハハハ、気遣いでも嬉しいものだナ。心配しなくてモ、この中で1番速いのはオレっちサ」

「そんな……あたし、なんて……」

 

 自責の念からか泣きそうになるシリカを()でて落ち着かせながら、半ば腹をくくったようにアルゴはそう言い放った。

 俺としては気を使ったのではなく本心だったが、きっと戦闘が本職でなかったこれまでのスタイルから、こうして自己犠牲の覚悟を示したのだろう。アルゴやヤチホコにとっては面識のない人間なのに、混乱に乗じることができた貴重な時間をシリカの救出に充てたことへの言及もなし。

 まったく、いい性格をしている。

 

「サンキューな、必ず守るさ。……けど、誰か欠けるのもナシだ。せめてここにいる4人だけでも生き延びて、絶対に人体実験なんて止めさせるぞ」

 

 手持ちの武器は少ない。あるのは濃淡のない(もろ)そうな直剣と簡素なメイスが1本ずつ、そして小ぶりのダガーがたった2本だ。この4人に配布された初期装備を振り回したところで、戦闘力など無きに等しいだろう。

 しかし俺の決意に全員でうなずき合うと、どす黒い追手の足音を背後に、なおも幽閉者達は進み抗い続けるのだった。

 

 

 



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第105話 死なない敵への挑戦状

 西暦2024年11月7日 《ラボラトリー》3階、居住区内。

 

 名のある芸術大学のキャンパスじみた施設で、俺達は不快なほど煌々と照らす照明の下をゴールのアテもなくまださ迷っていた。

 生き残っているプレイヤーが何人いるのかも確認しようがない。体感だとまだ200近くはいるように思えるが、努力の末に脱出が保証されているわけでもない。

 その事実を受けいれつつも俺達は諦めずに前進した。

 理由は簡単だ。

 こうして逃走できている現状から察するに、奴らは俺達を無条件で実験動物にすることができない。『殺し直す』という手順が必要なのは、決して宗教的な理由でも形式美を重んじているわけでもなく、プレイヤーのゲームオーバーを感知した《ナーヴギア》独自の殺害処理シークエンスをトリガーにしているからだろう。

 この2年、《ナーヴギア》は外部からのハッキングを完全に防ぎ切った。ユーザの意識を回復させないだけでなく、勝手な実験動物にもさせなかった。

 であるのなら、奴らが俺達に干渉できるのはプレイヤーがプレイヤーではなくなる瞬間、つまり『ログアウト中』か『死んだあと』のみ、ということになる。

 「だったら死ぬまで抵抗してやる」。これが、俺達の意思表示だった。

 

「くそっ、音が近いな……みんな気をつけろよ」

「できれば全スルーしたいもんだナ……」

 

 冷たい灰色の壁を伝い、互いの息遣いすら聞こえそうなほどゆっくりと進む緊張感。角を曲がる度に、そして4人でもカバーしきれない死角から、いつ敵が襲ってくるともしれない張り詰めた空気。

 視界の悪さから慎重に歩を進めると、さっそく煙の奥で攻撃音がした。こちらに気づいていない新たな敵が前方に2体。さらに奥には、焼死体を連想される影が一瞬だけ網膜に映し出される。逃げ遅れたた誰かが挟まれてやむなく戦闘していたのだろう。

 いや、戦闘ではない。『駆除』があらかた完了したのか、奴らはざっと周囲を確認するとすぐにこちらに体を向けてきた。

 ほとんど感知されかけた際どいタイミングで、脇の非常階段らしき場所に逃げ込む。

 煙のエフェクトが遮ってくれたのか、運よく炎の散弾は撃たれなかったようだ。だが、いたるところで爆発音が何度も爆ぜ、煙がどこからともなく立ち込める。その度に罪のない犠牲者が積み上げられているはずだ。

 ただどうも、エリア一帯を覆うほど無制限にモンスターを湧出(ポップ)させたり、敵のAIまで自由に操作できるわけではないらしい。敵の動きはあくまで一定である。

 僥倖(ぎょうこう)なニュースに安堵する暇もなく、階段を下がろうとした矢先にまたもツーマンセルを確認した。

 

「うっ、うわぁああああッ!! 助けて! 撃たないでぇ!」

「くっ……そぉおおっ!!」

 

 吹き抜けになっている階段から見下ろすと、わずか1階下で無残にもプレイヤーが2人焼き殺されていた。

 1人は元《攻略組》の人間だったのか凄まじい反応を見せ、勇敢にも会敵(かいてき)した瞬間に手持ちの初期装備メイスで殴りにかかっていた。が、顔面へのクリティカルでさえ少し怯む程度。敵にこれといったダメージは見受けられず、5秒と時間を稼げずハチの巣にされている。こちらからの攻撃はほぼ無意味だ。

 無論、キル総数に満足することのないモンスターの捜索は続く。

 

「戻って戻って! 下はもう来てる!」

「くそッ、ダメだ見つかった! 姿勢低く!!」

 

 ヤチホコの慌てた声でとうとう捕捉された。

 スカスカの手すりを貫通し、斜め下から一面を覆うように押し寄せる散弾に、寸前のところでシリカの頭を押さえる。

 ゴバァアアアッ!! と、非常階段の壁は加減を知らない炎の渦にのみ込まれ、見渡す限り赤一色に染め上げられた。

 

「走れぇえっ!! 足止んなよ!!」

「行って! 早く、急いで!!」

 

 殴りつけるような轟音と熱波が、逃げる弱者の背中を焼くように責め立てる。まるで鬼側にだけ飛び道具の所持を許した鬼ごっこだ。本能的に施設を下れば地上に出るだろうと踏んでいたが、なけなしの目論見すら見事にご破算にしてくれる。

 俺達は皮肉めいた捨てセリフを吐く間もなく何とか走り切り、生きた心地がしないまま4人同時に上層階の扉を開けた。

 そして。

 眼前、数メートル先に……、

 

「(て、きっ……ッ!?)」

「ニャアアア!!」

 

 瞬間的に反応したのはアルゴだった。

 樹木に人面相を焼き印したような顔の敵へワイルドなひっかき攻撃をかますと、発動寸前だった『炎の散弾』がわずかにずれた。

 至近距離で撃たれ過ぎたのか、拡散しきらなかった1発がヤチホコの右腕に命中。

 だが彼の絶叫を聞く間もなく俺が続いた。

 息を止めたまま《スイッチ》の要領で俺が大きく1歩踏み込むと、魔法を放つ媒介を思いっきり蹴り飛ばす。

 ガコンッ!! と、魔法触媒である鈍色の水晶ドクロがけたたましい音を立てて転がっていくが、その先にはまた新たな散弾兵が。初めは後ろを向いていたが、仲間の戦闘音を聞き取ったのかすでにこちらを捉えている。

 最初に遭遇した時もこいつらは複数だったが、最低でもツーマンセル以上で行動しているのかもしれない。

 

「伏せろッ!!」

 

 狙いは出会い頭に遭遇した方の散弾兵。

 刹那に判断を下したアルゴの足払いに加え、俺の鍛え上げた筋力値で顔面を力任せにブン殴る。

 ゴキュッ、という打突音。体勢を崩したうえに横向きの荷重が重なると、サブウェポンのハンドアクスを構えようとしていたその敵は今度こそ大きくよろめいた。

 結果、遅れて発動された伏兵側の炎魔法は、射線に躍り出た相方がガードするように全身で受け止めてしまう。

 炎弾が直撃。

 耳をつんざくような断末魔と共に、その暴力的な攻撃にとうとう1体が崩れ落ちると、今まで幾重にもプレイヤーを焼いてきたように、凄まじい放熱音を発生させていた。

 

「(まだだ。あと1体……!!)」

 

 俺とアルゴは、膝から崩れ燃え盛る敵の陰から一気に伏兵へ接近すると、まずは彼女が囮になった。

 脇からすり抜けるやいなや、ダンッ!! と迷いなくジャンプする。

 彼女は加速を殺すことなくアクロバットな動きで通路の壁や天井を縦横無尽に飛び回った。まさに狭い閉鎖空間へ全力でスーパーボールを投げつけたような挙動だ。

 ガッ!! ガッ!! と、2ヶ所にに火種が飛んだ。跳躍力とスピードに優れたアルゴに立体的な回避で翻弄(ほんろう)され、一撃死が可能なはず悪魔は、無様にも見当違いな場所へ炎の弾を撃ってしまったのだ。

 数秒だけ発生した時間。そのかすかな隙間を縫うように、躊躇(ちゅうちょ)もなしに懐へ飛び込んだ。

 ほとんど腰に抱き着く形で低重心タックルを炸裂させる。

 

「オッラアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 ドガァアアアッ!! という破壊音に交じり、2つの動的ユニットが暖簾(のれん)だけかけられた休憩スペースへダイレクトに突っ込んだ。

 誰の叫びかもわからない咆哮(ほうこう)と、強烈なタックルでまたも射軸を狂わされたのか、誰にもヒットしなかった魔法で瞬く間に部屋中が炎の波に呑まれていく。

 もつれ込むように部屋へ突進した時点で、壊れ果てたマッサージチェアや会談用テーブルはともかく、本棚や食器類なども無価値な装飾オブジェクトだったらしい。モノによっては質量すら感じられず、積まれていただけのそれらはパルプモールドに火でも付けたように崩れていった。

 爆音は連鎖的に(うな)りを上げる。

 

『ヴォ……ヴォァア……ッ』

「クソカスがァああああああああっ!!」

 

 それでも、俺は周りのことなどなりふり構わずインファイトに持ち込んだ。

 否、インファイトよりもさらに原始的な衝動に従い、敵に馬乗りになったまま力の限り顔面を殴打する。

 下敷きになったロハ台らしきベンチも真っ二つに割れたが、むしろモンスターの方が硬い。まるでコンクリートでも叩いているようだ。しかもここまでしてもダメージは一切入らないらしく、敵はすぐに反撃。

 狂ったような筋力値でゼロ距離キックを見舞われ、真上に上昇した俺は差し渡し7メートルもあろうかという高い天井に激突した。

 空気だけを嘔吐(おうと)する。凄まじい激痛と視界の暗転を気合いでこらえ、速度がゼロになる落下直前に佩剣(はいけん)していた初期装備を抜刀。

 落下速度を活用し、逆手に構えた直剣を、野太い雄叫びと共に深々と刺し貫いた。

 

『ヴォアアアアアアッ!!』

 

 ゾブンッ!! という、厚肉の内臓になまくらの包丁をねじ込むような感覚を味わうと、即死級魔法を放つ媒介(ばいかい)ごと敵の右腕を地面に縫い付けにしてやった。

 すぐ後に、またしても明後日の方向に『炎の散弾』をまき散らしたので、武器を放棄するとすぐにバックステップを踏む。

 すると敵は『ガッ、ァアア!』と悶えながら、残る左手で()いつくばったままハンドアクスを振り回すが、部屋に配置されていた豪奢(ごうしゃ)な家具が全て転倒する頃にあえなく沈黙した。

 鉢合わせからの予期せぬ遭遇戦だったが、これで2体の敵モンスターを無力化できたわけだ。

 

「ハァ……ンだよ……ハァ……やりゃあ、できんじゃねェか……」

 

 吐き捨てると、後ろから息を切らしたアルゴが近づく。

 

「ふぇ~……まったく、相変わらず戦闘になると凄いナ。まあオレっちも被弾はしてナイ。けどヤッチーが……」

 

 問題は被弾したヤチホコである。無数にいる敵のごく一部を戦闘不能にしたところで大勢に影響はないし、むしろロスした時間を取り戻さねばならないぐらいだ。

 たった1発かすっただけで体力バーを3割以上も削られ、冷や汗をかいて腕を押さえる青服男に駆け寄ると、意外なことに彼の方から口を開いた。

 

「ノロマですみません。けど大丈夫です……痛みがあったのはヒット判定中のわずかな、くっ……時間、だけでした。も、もう大丈夫……」

「お、おいヤッチー……!?」

「立ち止まるわけにはいかない。そうでしょう? 母数が減って索敵の密度は上がる一方です。こんなところで、座ってなんかッ」

 

 確かにその通りだ。獲物の数が減ると敵も移動範囲が広がるようで、もうどこを移動しても敵に遭遇(そうぐう)してしまう。

 しかしメンバーに迷惑をかけまいと激痛に耐え、呼吸を整えながら立ち上がるヤチホコにはさしもの俺も感心した。シリカが頭を打って簡単に気絶してしまったように、痛覚を久しく忘れていた俺達にこの刺激信号は過激すぎる。

 それでもなお彼は威勢を張った。

 自分のことを臆病などと卑下(ひげ)ていたが、どっこい冷静な判断力と据わった精神の持ち主だったようだ。

 

「ザンコクだけどそれが正しい。ここもすぐに……」

「て、敵です! もう来てます!」

『っ……!?』

 

 全員が振り向く。シリカが差し示す指の先、伏兵が陣取っていた側の通路に敵はまだいなかった(・・・・・・・)

 だがいったいどうやって察知したのか、彼女の指摘は数秒後に見事に命中する。しかも今度は3体以上。部隊が直角に折れ曲がると、隠れ場のない長い通路からすぐに俺達を発見した。

 『走れぇ!!』と、誰彼構わず叫び、シリカの手柄を褒める間もなく敵援軍の逆側へ全力で駆けだす。

 反対側のTの字に分かれた突き当りまでは約60メートル。こっちは吹き抜けのロビーにでも繋がっているのか、木製の手すりとその奥に開けた踊り場らしき風景があった。

 この速度を活かして柵を一気に飛び降りて逃げるか、あるいはT字路のどちらかに敵がいないことに賭けるか。いずれにせよやり直しは効かない。

 それに迫る圧迫感もさることながら、走る間にも後ろから迫る敵はどんどん魔法を放ってくる。散弾の特性でもある放射状に散る弾は、それなりに距離の開くこちら側へはまだほとんど届いていないが、いつ直撃を貰うともしれない恐怖が、たった60メートルの短距離走を無限の感覚へ引き延ばした。

 

「ハァ……下にいけるゾ! ……ハァ……飛び降りるカ!?」

「ハァ……いやストップ! 下の敵が見えない! ゼィ……突き当り、右だ! いったん右に行こう!」

「うわああア! ダメだ、こっちにモ!!」

 

 前を行くアルゴにワンテンポ遅れて追いつくと、絶望的な現実が迫る。

 また敵。こちらに背を向けているのでまだタゲられてはいないが、それも根本的な安全ではない。時間の問題だ。人の集団でも見つけて焼いていたのか、狭く細い経路をこれでもかと埋め尽くさんばかりにウジャウジャ展開されている。

 右側の進路を諦め、即座に反対側を見やった。

 そして一縷(いちる)の希望も(はかな)く消え、まるでタイミングを合わせたかのように新たなペアが到着していた。しかも文字通り飛来してきた方角は、まさに吹き抜けとなった中心部の反対側通路から。

 その距離、10メートル以上。ジャンプでどうこうなるレベルではない。

 つまり、ジメジメした沼や湿地帯の奥にでも棲んでいそうな見た目のこいつらは、なんと昆虫を模した(はね)を生やして空を飛行することまでできるらしい。地を蹴ることしかできない人間を徹底的にコケにしていやがる。

 T字路の左右にも敵、後方からも敵。まさしく八方塞がりで、追加で飛んできたツーマンセルに至っては距離すら近い。

 付近にあったジャスミンの形をした室内用植木鉢を鉢ごと蹴り飛ばし、炎の散弾を初撃だけ防御したが、これではもう……、

 しかし嘆きかけたその瞬間には、血が騒ぐように行動を起こしていた。

 いや、まだだ。忘れたのか? 諦めることより、あの白スーツを着た汚い顔面に1発拳をブチかますのが先だろう、と。

 

「ヤッチー、ハンマー借りるぜ! 全員、飛べェええっ!!」

 

 ヤチホコの腰から勝手に拝借したハンマーで、抜きんでた筋力値を最大限に発揮してやる。

 ガコンッ!! と、木材でできた落下防止用の手すりを破壊すると、全員が吹き抜けの1階へ身を投げ出した。

 到底防ぎきれない量の炎弾が、数瞬前までいた空間を焼き焦がす。

 散弾だけではない、着弾ポイントから半球状に爆散する魔法まで回避し、その余熱を背中いっぱいに浴びながら真下の着地地点を確認する。

 空中でシリカを抱きかかえると、俺が下になるように体の位置を変え、異常に横長に設計された高級ソファの端に背中からダイブした。

 息の止まる衝撃。爆音を前に、むしろ音は停止した。

 

「かっ……ハ……ッ!?」

 

 激しい苦痛と耳鳴り。

 脳幹(のうかん)を直接揺ぶるような振動と、グラリと揺れる視界。

 いったいなんの陶器が割れたのか、どこのタイルが破壊されたのか、自分が発した咳なのか、それともアルゴかヤチホコが俺の視界に入らなかったオブジェクトを粉々にした音なのか。そんな判断もできないまま眩暈(めまい)と激痛に耐え、歯を食いしばりながら俺にしがみついていたシリカの手を引いた。

 頭を押さえシリカは痛々しく泣き叫ぶ。

 顔色の悪いヤチホコは揺れる右腕を押さえながら、なおも悪罵を吐いて立ち上がる。

 アルゴは足を怪我したのか、痛々しい受傷痕を押さえその場にうずくまっている。しかしその襟首(えりくび)を乱暴につかんで立ち上がらせると、いい加減ピークに達した痛みに整った顔を歪ませながら、先ほどの敏捷な動きが嘘のようにフラフラと走り出した。

 シリカを庇った俺のHPゲージも何割か消耗し、もう敵のいかなる魔法が触れただけでも《リメインライト》に変換され、意識ごと監禁されるだろう。第一、俺とヤチホコはこれでメインアームすらロストさせてしまったため、敵の強弱に関わらず簡単なゴリ押しもままならない。

 全員が限界だった。あまりにもハンデが大きすぎたのだ。

 俺達にできることは尻尾を巻いて逃げ続けることだけだった。

 

「ハァ……走れ!! ハァ……くそっ……今は、前だけ見て走れ!!」

「ジェイド、さん! ゼィ……左に大きな……ゼィ……通路が見えます!」

「光が……もれてるゾ! ハァ……たぶん、外に出られル!!」

 

 ここは1階のロビーにでも設定されているのか、確かに出口への道らしき空間がある。

 壁越しに移動。大きな石の柱や煉瓦製のパーテーションもどきをカバーに使い、上の階から雨のように注ぐ炎をやり過ごしながら本堂通りへ駆け寄る。

 すると、幅も高さも10メートル以上はありそうな巨大な回廊があった。巨人でも通行できるように配慮したのかと疑う広さだが、この際広いぶんには都合がいい。どんな幸運に恵まれているのかは知らないが、『外』の光が差し込む念願の大門もあった。

 外……そう、ここが外に繋がっている。そう信じている。半開きである上に逆光が景色の認知を阻害するが、俺達は何度も挫折(ざせつ)しかけてここまで戦ってきた。これが外に繋がっていないなんて、そんなのは嘘に決まっている。

 ただ、問題はまだあった。

 距離だ。

 出口と思しき大門まで適当に見積もっても軽く100メートルはある。もちろん引き返すといった選択の余地はない。射線を確保するため、上にいた『炎の散弾』兵が大挙してこの階に押し寄せてきたからだ。当然、奴らに落下ダメージなんてものはない。

 俺とアルゴが目線を交わしたのは一瞬だった。

 意識を朦朧(もうろう)とさせぐったりとしだしたシリカを左に抱え、片目を押さえ左足も引きずるアルゴを右で支え、自身の腰に走る鋭い激痛に歯をくいしばって耐えながら。満身創痍の脱獄者達は必至の形相で出口を目指した。

 しかしそのスピードは、不調のない普段からすると半分以下に落ちている。

 

「ハァ……ハァ……クソッたれ……ここまでかよ……」

 

 手は打ち尽くされ、手段は残されていなかった。

 むしろまだ被弾していないことの方が奇跡だ。

 俺達4人が現れるのと同時に、潜伏を解いてどこからともかく駆けだした者もいた。出口は見つけたものの1人で特攻しても無意味なので、おそらく攻撃が分散されるよう他のプレイヤーが現れるまで隠れていたのだろう。

 しかし、そのしたたかさを持った彼の足首にもやがて炎の弾が突き刺さり、痛みに耐えかねて転倒したところをよってたかって虐殺されている。高熱の海に溺れた男は、人には聞き取れないような裏返った声で慈悲を乞い、硬い廊下でのたうち回るとやがて跡形もなく消えていった。

 そこに人道的なためらいはなく、同時にそれは純粋な人海戦術とも違った。システム的上位者達による、ただの圧倒。有無を言わさぬ神の処分裁定だ。

 

「ハァ……ハァ……ちく、しょう……ッ!!」

 

 視界が揺らぐ。ずいぶん気を張ってここまで耐えてきたが、戦意が折れかけている自覚をした。

 自分の荒い息だけが耳朶(じだ)を打つと、音が他人事のように遠ざかり、前に進んでいる感覚も薄れ、自分が怪我をしたことまで忘れそうになる。

 だが足も思考も止めかけたその時、(いつく)しむような声が届いた。

 

「これが、僕らの知る……《暗黒剣》……だったんだね」

「あん……だよ、急に……」

 

 距離がある程度埋まったら、隊列を成した敵は業火のスペルで一帯を焼き尽くすだろう。そうなれば回避もクソも関係ない、津波(つなみ)を躱せと言われるようなものだ。

 どうあっても敵の攻撃が開始される前に出口を通過する必要がある。

 話す時間すら惜しいはずだ。

 しかし絶体絶命なはずなのに、今にも倒れそうなのに、肩で息をするヤチホコの顔はどこか穏やかだった。

 対して俺はわずかに首を傾けるだけで、彼の呼びかけに冗談の1つも返せなかった。

 

「悔いはありません、ジェイドさん……あなたは希望です! どうかもう1度、みなを救ってあげてください!!」

「おっ、おいヤッチー!?」

 

 意を決した彼は、なんと巨大な回廊を逆走しだしたのだ。

 ヘイト値が一切変動していない場合、大抵アクティブな敵兵のターゲットプライオリティは最短距離にいる敵性ユニットへ向けられる。SAOに2年も滞在した彼がそんな初歩的な通説を知らないはずはないだろう。

 俺に向けて最期に残した言葉の重みを受け止める。それを理解した上で、俺達は一瞬たりとも止まらなかった。

 すでに振り返ることすら冒涜(ぼうとく)だ。ここで彼を止めるようとすること、ましてや救助に向かうようなことがあっては、本当の意味であの決意を水泡に帰させてしまう。

 どんくさそうな男。これがヤチホコという男と会話した俺の第一印象だった。そんな彼が、ここにきて誰よりも1番勇敢な行動に出たのだ。

 

「(ザケんなよ野郎、ンなところでカッコつけやがって……!!)」

 

 後方では怒涛(どとう)のように魔法の発動SEが重なる。その重厚な音の連なりから、1人の男の生存が確実に絶たれる事実を突き付けられた。

 だが(かえ)って、消えかけていた怒りの火がその勢いを増していく。

 乾いた雑巾(ぞうきん)から水分を絞り出すように、俺達はいっそう力強く両足を前に突き動かし無機質なタイルを踏みしめた。

 そしてどんな魔法を使って耐え抜いたのか、喉を潰すような彼の絶叫が聞こえたのは3人が半開きの大門をくぐり終える直前のことだった。

 

「出口だ! 飛びこめェええっ!!」

 

 支え合いながら、最後の1歩を踏み切った。

 自分らにタゲが移り変わる感覚すら嗅ぎとる。濃密な殺意の塊がゲームで再現可能な形で押し寄せると、それらに押しつぶされる直前に転がるようにして外界の世界へ旅立った。

 爆発と轟音。押し出されるように、さらに前へ、前へ。

 音が消え、天井が逆転する。

 風圧に吹き飛ばされると天と地が何度もひっくり返り、肺の空気が否応なく吐き出される。階段らしき石質の床をバウンドしていることは何とか理解できたが、予想に反して段差から段差への落下はものの数回で停止した。

 

「ガッ……ァ……いってェ……!!」

 

 またもシリカを体全体で守ったからか、受け身もとれなかった俺の意識は今度こそ飛びかける。

 全身を(むしば)むズキズキとした痺れはとっくに慢性化しつつあった。痛いというよりは、高速摩擦で火傷したような熱。脱臼や骨折といったバッドステータスがないおかげでこうして四肢を動かせているが、これがもし現実なら患部を押さえて(もだ)えることもできなかっただろう。

 だが何度も地面に倒れながら、それでも去り際のヤチホコの声に叩き起こされるように、つぶっていた両眼を少しずつ開ける。

 

「(マジ……かよ……)」

 

 光が、眩しかった。

 そこには嬉しい誤算が広がっていた。

 巨人用の大きなゲートも演出の一角で、俺はてっきりその隙間を抜けたここも室内の続きなのだろうとタカをくくっていたのだ。ルールを自由に変更できる仮想世界の神が相手なら、どうせ地平線の彼方まで逃げても追手の強襲は続くのだろうと。

 しかし厚さ30センチ以上もあるバカでかい門の先には、想像していた世界とはまったく別の、うつろのようにくねった大木の根が地面に渦巻いていた。

 正真正銘の『外』、ではある。だが地上とは言えないだろう。

 涼秋の蒼昊(そうこう)には地を照らす鮮麗な仮想の恒星と、吸い込まれそうなほど澄んだ空気が満ちている。土はおろか大地すら見えず、無限に漂う雲海の他にトカゲに羽根を4枚も生やしたような珍妙な生物まで気持ちよさそうに浮かぶ。

 桁違いの木漏れ日を(かたど)る名の知れぬ大樹は、深みのある緑を枝いっぱいに実らせ、世界そのものを覆わんとするばかりに広がっていた。胴より太い根と苔むした岩からは雄大な時を経た歴史も推測できる。目算で足場は四方数百メートルにもおよび、細部のディティールにまでこだわったその神秘的な光景は、まさに神話に語られる神々の居城(きょじょう)を切り取ったような異空間だった。

 上半身だけを起こし、つぶやくようにアルゴがこぼす。

 

「どこなんダ。ここハ……」

「わかんね……けど、すっげ……」

 

 圧巻の景色にしばらく言葉を失ったが、すぐに自分らの立場を思い出した。

 少なくとも本当に外には出られたようだ。奴らの会話から憶測するに、敵側が自由にシステムを改変できるのは《ラボラトリー》と呼称される一部のエリアだけ。もちろんそれがどこまでの範囲を指すのか検証していないが、明らかに近代化の進んだ今までの人口施設景と、このファンタジックな樹林のてっぺんのような場所は毛色が違う。それに捜索範囲が設定されているのか、『炎の散弾兵』達もここまで追ってこられないようである。

 ここがセーフティポイントなのだろうか。

 奴らの理不尽な人の権利への侵略。それが途絶えたのだとしたら、すでに自由な翼を得られた可能性も……、

 

「……なわけないか……」

「脱出できる条件なんて、初めからなかったのかもナ……」

 

 逃げ足では一流の《鼠》のアルゴでさえ、ついに空を仰ぎ見た。何度試みても結果は同じだったのだ。

 震える左手で開いたメインメニュー・ウィンドウは透き通った音を奏でるだけで、俺達をログアウトさせる気はサラサラないらしい。

 考えてもみればこの方が自然である。

 敵はこの瞬間だけ妖精のコスプレをしていたのかもしれないが、その本質は意識の強奪と、最終的にそれらの操作まで企てる生粋の科学者にある。頭のおかしいマッドサイエンティストだ。

 茅場晶彦の創造した《ソードアート・オンライン》という別世界への完全な介入――つまり、囚われたプレイヤーの意識を覚醒させることなくイジェクトする計画こそ中途半端に終わったようだが、かといってこの程度のアクシデントに対応できないオツムではあるまい。

 現にここは遥か上空。

 地上から数えて何千メートルなのか、それとも何万メートルなのか。

 想像したくもないが、少なくとも人間が飛び降りて助かる高度ではあるまい。施設の非常階段を下りるか上るかなんて、実に些末(さまつ)な問題だったのだ。

 それに、先ほどから視界に入らないエリアで、皮膚を逆立てる低重音が断続的に鳴り響いている。このことから、命からがら『施設の外』へ逃げ込めたプレイヤーの掃討も行われているのだろう。

 いっそ奇跡が舞い降りることを祈り、外周から飛び降りたいぐらいだが、巨大な根の途切れる崖の先には地平の先まで地面らしきフィールドを認められない。思うに、そもそも『地上』を用意していないのかもしれない。

 あらゆる事態を仮令(けりょう)し、脱走される憂患(ゆうかん)すら取り除く。

 逆にここまでワンサイドゲームに持ち込んでおいて逃亡を許したのだとしたら、相当なマヌケ揃いである。

 

「(どうしろってんだよ……こんなの。戦いようがないじゃねぇか……)」

 

 いまにも転んで突っ伏しそうな足取りで、3人は途方に暮れて歩き続ける。しかし、本気で諦めかけてなお、いたずら好きな女神は救済のクモ糸を垂れ、一筋の哀憐(あいれん)を向けた。

 そんなところでくたばるのか、と。清々しいほど鬼畜なハードルを用意する。

 その証拠に、マスクのかかった独特な音声は十数メートル先にある死角、()い廻る根の(くぼ)みのような陥没空間から聞こえてきた。

 

『まーったく、こんな外周までいっぱい逃げてきているよ! おいヤナぁ、キリがないしマップに敵位置をスポットするのはもういいぞ! 残りの空間リソースでいけるだけ《レジェンダリィ・イグジステンス》を召喚しておこう! ……えっ!? ああ、それなら実装前のストックでもいいさ! やっぱりこっちの魔法はモグラ叩きには向いてないから!!』

「(この声……あいつが近くにいるのかッ!?)」

 

 ごく微量だったが、腹の奥から活力が湧いて出るのを感じた。

 さらに歩を進めると、周囲の爆発音に負けないよう声を張り上げていたのはあの糞野郎だった。ぱっつんにした前髪、油ギッシュで不潔な襟足は肩に届きそうなまで伸ばし、ヒョロイ体格に似合わない白スーツとダサいメガネをかけた敵。悪魔の誘いに加担した研究者。

 そいつからは《レジェンダリィ・イグジステンス》なんていう、また新しい固有名詞が飛び交ってきたが、その意味を知るのにさほど苦労はしなかった。

 ものの数秒後に、高層マンション並みの規模で空が割れたのだ。

 

「(今度はなんだ……なにが起こってやがるッ!?)」

 

 空の裂け目からまず現れたのは、怪獣のような右腕。びっしりと深緑色の鱗が生えた巨大な腕が伸び、大地を裂かんばかりの衝撃で地に食い込ませる。

 続いて樹林のような立派な角が生えた頭、岩のように筋骨隆々な肩、鋼よりも頑強そうな赤褐色の筋がある胴。毒々しい黒紫色の腹ときて、しかも先から先まで50メートルはくだらないだろう皮膜の厚い翼、人間タイプが担げるいかなるサイズの特大剣よりも大きな鉤爪(かぎづめ)、研いだナイフのように鋭利な尻尾までが(あら)わになり、ついにその巨体が地上に降臨(こうりん)した。

 背中と翼にちょっとした森でも育成しているのか体の上部は青々と(しげ)り、もっと見晴らしのいい場所で俯瞰(ふかん)しないと、それがドラゴンを模した生命体であることにも気づけなくなる体躯。

 妖精の神秘の里、神の居住区としか表現できなかったフィールドにはスケールが違いすぎた。

 恐懼の具現。

 怪獣のような、ではない。これは怪獣だ。いくらなんでも大きすぎる。

 

「(クソ……なんでも、ありかよ……っ!!)」

 

 俺達の付近に召喚されたその超大型モンスターほどではなかったが、奥のエリアにも(たてがみ)と犬歯の立派な筋肉ゴリラと、何やら四足歩行のキメラじみた気持ち悪いクリーチャー集合体が生存者達に差し向けられている。

 よもやそいつらまで《翼付きの怪獣》ほどの強力なステータスを持っているとは思えない。が、熟練の古参連中がレイド単位で徒党を組んで、初めて討伐会議が交わされるかどうかの反則級モンスターなのは間違いない。しかも全ての個体に大きな翼が付加されていることから、奴らは足場の悪さにかかわらず空中戦にも強いのだろう。

 掃討にもなっていない無差別な破壊。波紋のように広がる真っ赤な炎。その破壊の余熱に(さら)されただけで、標的になっていないプレイヤーまで消し炭にされていた。

 この混沌から逃げ出そうなど、まったくもってバカげている。

 

『はーーはっはっはっはァ!! こいつは壮観だ! これなら何もしなくたってこの件は治まりそうだなぁ!! しかしヤナ、凄いぞこれは! お前にも見せてやりたいぐらいだ!』

 

 意外にも声に嗜虐的なものはなく、単に好奇心が満たされたような表情をしていた。無論、だから許されることでもないのだが。

 そして逃げ惑う民にとってますます絶望的になった状況に満悦しているのか、奴はまだこちらに気づいていない。

 まったく予想外なことに、どんなルートを通ったのか『施設の外』に達したプレイヤーが結構な数に登っているらしく、その対応という名目でこんなフィールドの端っこまで顔を見せに来たらしい。3体の怪物級Mobとやらも、まだ俺やアルゴに視線すらくれていない。

 俺達一行の(くぐ)った『大門』付近に過剰な量の魔術師を配置させたからか、自分がアンチダメージコードに守られた不死の存在だからか、理由はなんだっていい。

 ただ1つだけ言えることは、真の敵(ヒョロガリ)が簡単に背中を見せたということ。

 地獄を生き抜いた者達に追い打ちをかけようとした愚行。ヘタにネズミを追い詰めてしまった人間は、その諸刃の蛮行に対しまだ自覚を持てていない。

 

「ああ……こんな奴が、こんなクソ野郎がいたせいで……」

「お、おいジェイド! 何をする気ダ……ッ!?」

 

 数歩下がって助走をつけようとした俺に、アルゴは珍しく語尾を荒らげた。

 意識も回復せず虫の息になったシリカを抱きかかえたまま、よろよろと間に入って妨害しようとしてくる。突風になびく髪と、その隙間から覗いた綺麗な瞳はわずかに(うるお)い、同時に本気の色をしていた。

 

「死ぬ気なら止めル。勝てるわけないだろウ! この子だっているんダ……頼むから……いまは目的を忘れないでくレ」

「止めンなよアルゴ。ヤッチーに……誰より自分に誓ったんだ。こいつに一発ブチかますってな。オトリなりなんなり上手く利用して、シリカを連れて逃げろ」

「ダメだったラ! 考えてることならオレっちにもわかル! ……行かないでよ……お願いだカラ、1人にしないで……!!」

「アル……ゴ……」

 

 その声には嗚咽(おえつ)すらあった。

 フリではなく本当に意外だった。いつも冷静沈着。どんなクライアントにも平等。いかなるマユツバ物をも取り揃える天才肌の情報屋で、また融通の利かない生粋の仕事人。愛嬌(あいきょう)のいい美貌(びぼう)にほだされて、まんまと口車に乗った哀れなオスの話は枚挙にいとまはないが、アルゴへのイメージは大抵そんなものだった。

 その彼女が打算を捨てて俺の作戦を見抜き、あまつさえ本気で止めようとしてきた。

 ヤチホコと同じように、体を張ってアルゴとシリカをここから逃がそうとする、囮役を使い捨てにした陽動作戦を。

 これだから察しのいい女は嫌いなのだ。

 

「どけアルゴ。敵はすぐそこに――」

「イヤだっ……それでも行くなラ、オレっちだって……ッ!!」

「……それはダメだ、あんたは出口を探すんだ。……安心しろ、俺は死なねぇって。このしぶとさはよく知ってるだろう? ちょっと時間をかせぐだけだっての」

「それでも……ダメ……」

「わがまま言うな。……それに朗報だ、逃げ道は絶対に(・・・)用意されてる。あとは見つけるだけだ。信じてるぜアルゴ! 振り向くな!!」

「ダメだ、待ってジェイド!」

 

 涙交じりの一喝。その魅惑(みわく)的な声に一瞬だけたじろいだ俺はしかし、今度こそアルゴの制止を振り切り全力で疾走した。

 シリカを危険な目に遭わせられないのは百も承知のはず。そして問題の脱出法についてだが、これも間違いなく存在する……という事実に、たった今気づかされた。彼女もそれを理解したからこそ、俺の後を追えないのだろう。

 もし『プレイヤーが脱出できない』のなら、敵はこんなところへは来ない。モニター室に(こも)ってマスでもかいていれば事態は収束するからだ。

 だが、奴は現れた。

 脱走者相手に殺し直す手順を踏んで対処しようとした。それが監視をすり抜けてデュラビライザー(?)の支配権を得る一連の流れだ、なんてベラベラ喋っていたが、白スーツの男が焦って掃除を急かす理由にはならない。

 《ラボラトリー》から抜け出せる、万に一つの確率がある。

 だからこそ、俺もアルゴも自分が今やるべきことに集中するしかないのだ。それが天文学的な数字であっても、諦めないと決めたのなら。

 俺の仕事はゲームマスターへの、単身での突撃。

 一段と太く硬い根を踏みしめ、素手の右手を力いっぱい握りしめ、躊躇なく敵と直線上の空中に躍り出る。数メートルもあった高低差を利用し、そして……、

 

「こん、のっ……ド腐れメガネがァアアアッ!!」

『なっ!? ぬごがぁああえええあああ!?!?』

 

 ゴガァアアアアッ!!!! と。拳が相手の顔面に盛大にめり込んだ瞬間、凄まじい打撃音が鳴った。

 痛覚のある世界で無敵の存在に戦いを挑む恐怖。

 俺はそれを払いのけ、もう引き返すことのできない、決戦の火ぶたを落とすのだった。

 

 

 



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第106話 万策尽きたら、こぶしで語れ

 西暦2024年11月7日 《ラボラトリー》最外壁地境。

 

 いっさいの勝算なき戦いの緞帳(どんちょう)が上がった。

 殴った際の反動が自分の体幹にまで跳ね返り、勢い余った俺も綺麗(きれい)な着地とはならなかった。

 だが、顔の原型がイカれるほど殴り飛ばされた敵は、衝撃で左手に持っていた分厚い書物、魔力でもブーストしていたのだろう解読不能の古文書を地面に落とした。

 息も絶え絶えに膝に手を突きながら、それでも底力で立ち上がる。

 視線を上げると、顔から地面に突き刺さった阿呆(アホウ)を見下せたので、右手の割れんばかりの痛みとすさんだ心も少しだけ和らいだ。

 もちろん、野郎のアイコン横に表示された《Immortal Object》の小ウィンドウからわかる通り、俺の《体術》スキルの熟練度がいかに高かろうと、奴のHPは1パーセントたりとも減少していない。おまけにノックバックを活用して派手に吹っ飛ばせはしたものの、モロに入った右ストレートとて、やはり直接この男に痛覚をプレゼントできたわけではないだろう。

 しかし、コントローラ越しでしか経験がなければどうやってもピンとこないだろうが、この世界では例えチートコードを使って不死になろうとダメージがないから痛みもない、という単純なプロセスにはなっていない。

 人から人へのキル行為とは別種の攻撃。例えば丸太のように太く、石のように硬い木の根に、『自分から頭突き』をかませばどうなるだろうか。

 若干ばかりこの世界に詳しい先輩として、その教示を初心者(ニュービー)に叩き込んでやったわけだ。

 

『いったぁあああああっ!? なんだこれ、ちくしょうっ!? なぜ私が痛みを!? だ、だいたいどうやってきみ達は正面ゲート側からッ……なんだよ、どいつもこいつも使えないな! ふざけるなよお前ェ!!』

 

 四つん這いでワサワサと距離を取りながら、支離滅裂な悪態と共に唾を飛ばして吠え続ける。

 突然の乱入者、並びに絶対に陥落しないと疑わなかった防衛網を突破したプレイヤーを前に、奴の狼狽(ろうばい)は期待以上だった。

 声に度の強いセーフマスクをかけ誤魔化しているようだが、集中していればこいつが《格納室》と呼ばれていた空間で天蓋(てんがい)から聞こえた片方の声と一致していることが聞き取れる。

 永遠に狩る側にいられるとでも勘違いしていたのか、男はわなわなと震えたまま発狂を繰り返していた。

 視界がぼやけるまで体を酷使し、ズタズタに心身を引き裂かれ、惨殺(ざんさつ)の続く死の背景を尻目に。それでも、奥で続く虐殺を他人事のように眺めながら、俺は達観した気持ちでシニカルに笑って挑発した。

 

「ゼィ……エツ(・・)にひたってないと……息でも止まるのか。クックッ……ゼィ……口がクセーんだよ、アホ面」

『くっ……!? あり得ない。痛みはきみにも……怖くないのか!? 信じられん度胸だ。それにその顔、さっき見かけた不良の……っ!!』

「へっへっへ、俺のゲンコツも……ゼィ……少しは身に染みただろ」

『挑発するか、ただの小僧が! ……いいだろう。こうなったら私も腹をくくるぞ。いいか、まともな学歴も持たない社会のゴミめ! 私達はなあ! 無価値なお前らを活用してやろうと言っているのだよ! ええいシステムコール! 詠唱スキギュッ!?』

 

 今度は肘打ちが喉仏に痛快に炸裂した。

 攻撃により発音が途中で止まる。

 運動エネルギーを持たない状態からトップスピードに達するまでのタイムラグ。これを極限まで縮めることで『目の錯覚』を誘発させる、すなわち仮想世界でアバターを操作するプレイヤーにしか通用しない不意打ちの移動術。

 かつてシーザー・オルダートというビーストテイマーが最も得意とした対人用システム外スキル、《ゼロスタート》だ。

 

『ごあっ!? げほっ……な、なんだ、今の動きは……ッ!?』

「(やっぱり、予想通りだ!)」

 

 《詠唱スキップ》という、たった1句を発音することで、いかなる魔法も発動までの時間を飛躍的に削減するチート技。

 音声認識は苦肉の策だろう。というのも、『右腕を90度振る』など、特定モーションをトリガーにすると、普段歩行しているだけで魔法が暴発してしまう事態にもなりかねないのだ。ボタン、コマンドがない仮想世界ゆえの弊害(へいがい)である。

 だからこそ、ある意味最強のユニークスキルも、間合い5メートルの劣勢を覆すほど万能ではないらしい。

 

「くたっ、ばれぇえええ!!」

 

 名も知らないメガネ男の胸ぐらを掴むと、足を引っかけながら体を宙に浮かせる。それが柔道におけるどんな技名の投げなのかは知らないが、鮮やかに半回転した男を脳天からまた地面にデコレートしてやった。

 ゴガンッ!! という、頬がひきつるような振動が骨越しに伝わってくる。しかし個人的に恨みを増した俺は微塵(みじん)も容赦する気はなく、敵にまたがるとガキのパンチラッシュよりも原始的な拳の連打を浴びせてやった。

 

「オラオラオラァ! 救いようがないな、ザコチーター様よォ! 学歴当ててンじゃねえよ、このカスがァアッ!!」

『図に乗るなガキがァアアアアアア!!』

 

 しかし奴も所詮チート使い。そこにはプライドもクソもないらしい。

 俺からの直接攻撃ではちょっと派手なライトエフェクト程度しか発生しないと見るや、カンストした筋力値任せに振りほどかれる。そして縮こまるのをやめて左手を真上に掲げると、何もない空中からバグレベルの本数の火炎瓶……に似た固形物が瞬時に精製された。数にして2、30個はある。

 のちに正式名を《火炎大壺》と知ることになるその消費アイテムは、重力に逆らわずそこかしこに落下し、思っていたよりも大きく発火すると簡易的な火の海を彩った。

 とっさに真後ろに転がって回避したせいで、直撃こそなかったが互いの距離がとうとう決定的なものになる。

 

『とんだ迷惑だ……けどこれでっ!!』

「(させるかよッ!!)」

 

 考えるより先に足だけが反射的に動く。節々に走る激痛で運動パフォーマンスこそ落ちているが、長年《攻略組》として培ったカンだけは健在のようで、爆破による投射熱が収まらないうちから俺は前に駆けだしていた。

 残り火によるスリップダメージ。そして火傷による痛みを覚悟で間合いを詰めてくることは予想外だったようだ。

 そうでなくとも無敵&魔法撃ちたい放題vs初期防具、しかも武器ナシである。

 結果の見え透いたこの条件下で、逃げずに猪突猛進を続けるキチガイ相手だとよほど慌てたのだろう。考えなしに突っ走るようにでも見えたのか、奴は馬鹿正直に杖の先を俺に向けて照準を合わせた。

 

『詠唱スキップ! 《雷天の三又戟(ボルテック・トライデント)》ぉ!! 死ねえええええ!!』

 

 冷静に脚力のベクトルを真横に向けると、高々度上空から破城槌(はじょうつい)のような雷が3本も炸裂し、回避前の空間を大気ごと焼き尽くす。

 鼓膜を破りかねない爆音。電流の渦があまりにも太すぎるので、今の技は既存の電撃とは単位からして別格のダメージ量だったのかもしれない。直撃していたら感電死より焼死に近い形でこの世を去ることになっていただろう。

 だが現に、必死の反撃は(かす)りもしていない。

 トップアスリートよろしく、俺は1度の跳躍で5メートル以上も空中移動したが、こうした現実世界と乖離(かいり)した挙動に不慣れなプレイヤーは、仮想世界ならではのアクロバティックな爽快(そうかい)アクションに認識がついてこないことがままある。

 名だたる有名なロールプレイングゲームに深く耽溺(たんでき)したはずのコアゲーマーが、こと《ソードアート・オンライン》正式サービス開始初日においてのみ、ゲームに疎い子供のようにおどおどしていたのは偶然ではないのだ。

 いや、コアゲーマーだからこそ、か。

 

「(ハァ……しかし……ハァ……あれだな……)」

 

 溶解、気化した衝撃によって発生した白煙に隠れ、体力を回復させながら状況を整理する。

 まず、何度か戦闘を重ねるにあたり、俺はある確信を得ていた。

 この世界には、SAOにあった『レベル』や『EXP』に該当する数値が存在しない。

 であれば、なおさら俺やアルゴが窮地(きゅうち)に立った時、今までと遜色(そんしょく)のないスピードが出せていたことに説明がつかない。

 そこで、2年前の記憶が断片的によみがえった。

 ソードアート以外に試験的に導入された他のVRゲームでは、ディレクターのインタビューに「自身の移動速度は、脳神経と意識投射ハードから交互に送られる、電気パルスの交信速度によって決定している」なる回答があったのだ。

 この算出法の場合、移動力はレベルアップによって変化しない。あくまで脳から送られる『○○の筋肉を××に動かせ』という変換信号をナーヴギアが受け取り、それをバーチャルワールドの仮想筋肉にフィードバックさせるまでの時間。あるいは、その速度域をバーチャル内で明瞭(めいりょう)にイメージする才能が求められるわけだ。

 訓練時間が上達速度に比例しない計算式。ある意味では、かけた時間が強さを保証するレベル制より不公平だろう。

 しかし、この世界が個人のセンスに重きを置いたスキル制バトルをコンセプトに掲げているなら、その算出はむしろ(すじ)が通る。

 

「(だったら話は早ェ……)」

 

 思わず舌なめずりをした。

 儲けものだ。基礎運動力までイニシャライズされ、動作に制限をかけられていたら望むべくもなかった勝機が、ほんのわずかに明かりを灯した気がした。

 そもそも、紙装甲のプレイヤーに近接レンジでも即死級魔法で片を付けようとするからには、この世界ではステゴロで白兵戦を仕掛けるより魔法をメインに戦うことが俗識(ぞくしき)のようである。この距離に持ち込めた時点で俺の優位性は揺るがない。

 奴もその価値観で凝り固まっていて、ワンパターンな大型魔法を放った時点で隙だらけだった。

 

「しゃらくせェっ!!」

『な、ん……ッ!?』

 

 ドッ!! と、首がもげそうなほどの体当たりが決まる。俺を目で追うことすらできていなかったのか、煙を迂回してタックルをかけられる直前まで自分の勝利を疑っていなかったようだ。

 衝撃まで打ち消せないのは立証済み。

 体当たりのついでに覆いかぶさると、気が済むまで、野性の衝動にまかせるように両手で首を絞める。極端な筋力値で抵抗されると揉みくちゃになったまま体勢を変え、今度は本気のアームロックをキメてやった。

 

「ほらほらぁ、さっさと杖離しちまえよ! このクソカスが~!! チッソクしてもいいのか、ああァ!?」

『ぐるじい! はなぜ、ごのっ……ぜっだいごろじでやるっ!!』

 

 流れるような連撃。苦しそうな体勢で目じりに涙を溜めたまま、男は情けない声で抵抗した。

 打撃ではなくキメ技。攻撃手段が変わったことで、『無敵の防御性能に対応された』と勘違いを起こさせる先入観の利用。

 しかし、これもまた深層心理の(から)め手である。首に相応の閉塞感は生じるかもしれないが、実際に男の息は止められないし、この男の気管はいかなる手段によっても塞がらない。呼吸不可領域での呼吸によってHPが減少することはあれど、本当に窒息死することはあり得ないからだ。

 しかもシステム的ペナルティをもすべて回避しうるこの男にとって、キメ技で苦しんでいるのは単にコイツの思い込みのせいである。

 とは言え、焦っていたのは俺の方だった。

 

「(やべェ、そろそろ外を走ってたプレイヤーも全滅する。そうなりゃ、あのバカでかいモンスターがこっちに来て俺を……っ)」

 

 枝の上なのか根の上なのかもわからない場所で、子供のケンカのような泥沼の攻防はまだ続いていたが、どのみちこの遅延行為とて長くは持つまい。

 時間は稼いだ。しかし、どうせならやれるだけやってやる。

 という経緯の元、俺はテコでも離すまいとしていた相手のネイビー色の鉄枴(メインアーム)に着目し、それを徐々に手から剥がしてやった。

 

「っしゃあああ!! テメーの杖を取ってやったぜ! これだから初心者はよォ!!」

『ゼィ……ゼィ……そんなもの、いくらでもくれてやるさ……!!』

 

 俺は羽交い絞めの状態から魔法攻撃の触媒、すなわち40センチ足らずの木製棒を奪いきれた。

 だが、距離を取って首を押さえ、深呼吸をしながら息を整えた男は悔しがるそぶりも見せない。

 そしてそれは強がりではなかった。

 

『システムコマンド! オブジェクトID、《エッケザックス》をジェネレートぉぉ!!』

 

 男が狂ったように叫ぶと、奴のすぐ目の前に淡く緑色に発光する『0』と『1』だけで表現されたPC言語が猛烈なスピードで羅列され、やがて1本の大剣に姿を変えた。

 剣の先から色が付き、質量が与えられ、心材の金属に硬い結晶じみた装飾が付随(ふずい)し、厚さ数センチ刃渡り1.4メートルにもなる両刃の結晶大剣は奴の手に吸い込まれるように収まった。

 キャッチした瞬間よろけてしまうあたりに相変わらず締まりがないが、それでも剣の大きさだけを見ると、俺が死地を共にしたかつての魔剣、《ガイアパージ》に勝るとも劣らない。

 ここまで来るともはや何でもアリだ。

 中心の支柱以外が結晶製でできたそれは見た目も美しく、下手をすれば男の姿が隠れてしまいそうな大きさだった。半透明でペイルブルーに塗装した伐採用の大鉈を2つ背中合わせにくっつけたような刀身に、飾り気のない金色の(ガード)。そして小舟用の(かい)でも握っているかのごとく太いグリップ。柄頭(ポメル)には七色の宝石が埋め込まれている。

 どんな能力があるのかは知らないが、男は《エッケザックス》と呼ぶ大剣の切っ先を向けた。どうやらここにきてようやく己の鋼をぶつけあう気になったらしい。

 男は満足げに口角を上げると、通信でもしているのかまずは頭上に向かって言い放つ。

 

『やかましいぞヤナ、少し黙っててくれ! こっちも忙しいんだ! ……ったく、頭のおかしい人間に絡まれただけで、無駄骨を味わわされたものだよ。なあ不良少年? お礼に名前を聞いてあげよう、きっと忘れないようにする』

「誰が……ハァ……名乗るかよ、ボケカス」

『くっくっく……威勢はいいが内心じゃブルッてるねえ! そんなボロボロじゃ無理もない。どこに命中しても即死! 痛いなんてもんじゃないぞ~? おまけに、触れただけで魔法を無効にするエクストラ効果付だ!!』

「魔法が効かない、か……ふっ……くっくくく……あーっはっはっはっは!」

『くっ、くそ……! まだ笑うか!? 何がおかしいっ!!』

「魔法のスペル1個も知らねェよバァァカッ!!」

『な、アぁっ!?』

 

 「そういえばそうだったぁ!!」みたいな顔をしている男を無視し、奪った杖をさっそくそのヘンに捨てながら、俺は再三に渡る突進をした。

 せっかくの戦利品だったが、こうなればヤケクソだ。男と男のぶつかり合いに無粋な駆け引きは美徳に背く。互いに力の全てを正面からぶつけ合い、最後に立っていた者を勝者とするシンプルな競争。

 ……をするとでも思ったのか、激昂(げっこう)した白スーツ野郎は、猛進する軌跡に向かって条件反射のように超級大剣《エッケザックス》をフルスイングした。

 当然無意味。

 暇人極まる廃ランカーが初心者狩りを楽しむのもこんな気持ちなのだろう。

 単調な剣戟(けんげき)を華麗に交わした俺は、手始めにラリアットを決め、ライトエフェクトで視界を遮ってから男の背中に抱き着いてやった。ついでに両足を相手のそれに絡め、最後のエネルギーを振り絞ってナメクジのように全体でへばりつく。

 

『お前ぇええええええ!! ふざけいるのか! さっさと離れろおおッ!!』

「ハッハァ、大マジメさ! これじゃデカい剣は振れないだろう!!」

『どこまでも生意気な……なっ!? ウソだろコラ! 待て古龍樹!! いま攻撃するのはマズい!!』

「(古龍樹だと……ッ!?)」

 

 古龍樹、いわゆる《レジェンダリィ・イグジステンス》の1体。記憶が正しければその名は召喚されたモンスター中、最強にして最大の翼竜に対して向けていたものだ。

 首だけ振って確認すると、目につくあらかたのプレイヤーを始末し終えたのか、息をするように獄炎を吐く巨大な怪獣がすぐ後ろに迫っていた。角と背びれに見える樹齢何年かもわからない大樹だけでも、設定上では伝説級の生き物だと直感できる。

 しかも俺と白スーツの男も度重なる激突で根の端、つまり壁のない崖(ボーダーエッジ)付近にまで移動してしまっていた。

 万事休すだ。こんな足場の悪い場所で、一軒家でも()み砕けるスケールの口腔(こうこう)から火災旋風じみた範囲攻撃なんてされたら、例えメガネ男の無敵コードで焼かれ死なずとも、吹き飛ばされる先は大いなる虚空。高所からの落下で2人仲良くお陀仏である。……いや、敵だけは死なないだろうが。

 相手にとって俺はちっぽけな虫けら以下の生物。

 それでも古龍樹は無慈悲だった。

 

『待て待て落とす(・・・)のはヤバい!! 止まれ、クソッ!!』

 

 なぜか慌てだした男に呼応するように、直後に古龍樹による本気の火炎放射が。

 しかし敵性ユニット、つまりこの場合背中に密着する俺への無差別攻撃命令を瞬時に解除できないと悟るや、男はヒット寸前でポメルに備えられた七色の宝石をわずかに回転させた。

 巨大な大剣が光を放つ。

 高周波が響きブレード部分がさらに青白い輝きを増し、ついに煙に近い(もや)を発生させると、それを炎ブレスに差し向けた。

 ゴッパァアアアアアアアアア!! と、逆巻いていた火の濁流がヒット直前に消滅した。

 剣に直接触れていない部分も、まるで透明度100パーセントのドーム状強化ガラスに遮られたかのように四方に押し流されていく。

 巨人の宝剣《エッケザックス》のエクストラスキル、《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》は、とうとう10秒近くも続いた殺戮熱波をしのぎ切ってしまった。

 呆気にとられるとはこのことで、確かにでかい口を叩くだけはある。この世界における魔法の知識はほぼ皆無に等しいが、ダメージはおろか今度こそ衝撃波まで打ち消したこの大剣が、破格の能力を持つ大業物であることは即座に理解できた。

 

「生き……てる……?」

『死ぬんだよ、お前はなァ!!』

「ぐっ、がああああああああっ!?」

 

 俺は態勢の急旋回による遠心力で吹っ飛ばされてしまう。ぐったりと沈むような脱力感に逆らえず、起き上がる気にもならなかった。

 視界の端が赤く染まる。HPゲージが2割を切り、危険域(レッドゾーン)に突入したのだろう。

 しかしガラにもなくしくじったものだ。場慣れしたはずの俺の敗因が、まさか(きら)びやかな演出にしばし放心したせいだとは。

 潮時である。「くだらない自信家にしては上出来だったよ」なんて居丈高に言われながらも、すでに痛みでこれっぽっちも足に力が入らなかった。

 

「へへっ……ハァ……じゅうぶん、暴れて……やったさ……」

『ふん、まさか子供に感心する日が来るとはね。ただ、世の中君のようなナルシストから退場していく』

「……ハハッ。……ハァ……『人を守りたければ、まず自分を守れ』、か……ハァ……でも時には……あべこべに、なンだよ……」

『……なんのことだ』

「アインクラッドで、生き抜く……鉄則さ。覚えとけカス野郎」

『……ただの時間稼ぎか。最後まで好かんガキだったが……おしゃべりはもういいっ!!』

 

 だが、横たわる俺に憎悪の化身たるクソメガネが得物を振りかざした瞬間だった。

 「ジェイドっ……まだ諦めるナ!!」と、張りのある女性の声が戦場に響き渡った。

 それだけではない。わずか40メートルほど後方に、2つの可愛らしいシルエットを確認したのである。

 最初は錯覚かと思った。俺の性癖ゆえに愛してやまない猫耳の美人が、死に際の走馬灯にでも割り込んできたのかと。しかしそれは違う。彼女らは《レジェンダリィ・イグジステンス》の炎ブレスによる技後硬直(ポストモーション)を正確に狙い、俺のよく知る顔で必死に名前を呼んでいたのだ。

 

「ジェイドさん! 逃げて!」

「男だロ! 早く起きろォ!!」

『なんでっ、まだ生き残りが……!?』

 

 シリカとアルゴだ。どちらも少女らしい小柄な体格だったが、彼女らの種族の敏捷値補正が優れているのか接近速度は速い。

 まったく、呆れた情の深さだ。シリカの奴もせっかく意識を取り戻したのならその幸運に軽い感謝でもして逃げればいい。こんな愛らしい少女に(とが)を責める男もいまい。アルゴも同罪だ。口約束とは言え依頼主の要望を反故(ほご)にしやがって。出口が見つかったなら律儀に助けに来なくてよかったものを。時間がある時に説教でもしてやりたい気分だ。

 ――ああ、まったく……、

 

「(クソったれが……台無しだぞ……ッ)」

 

 せっかく観念したのに。心地いい睡魔に(いざな)われたかったのに。いったい体のどこに残っていたのか、数滴ばかりの勇気と気力が頭をもたげてきやがった。

 原因ははっきりしている。あの2人の顔を見た瞬間、俺もこの地獄からの『脱出法』に気が付いてしまったのだ。

 予想もしていない小柄な女性生存者2名の乱入で、メガネ男の注意が一瞬だけ俺から散る。

 正真正銘、これがラストアタック。

 

「う……お、オォォオオオオッ!!!!」

 

 血管が破れるような激痛すら無視し、俺は獣のような咆哮をあげて突進した。

 全体重を乗せた低重心タックル。胸の奥から強制的に空気を押し出された敵は、いかなる罵倒も発音できないまま、俺と一緒に巨大樹の末端から身投げ(・・・)した。

 底のない絶壁。空の青と雲の白だけが映る。

 耳を裂く風切り音。

 ――それでもッ!!

 

「2人とも、飛べェえええっ!!!!」

 

 落下しながらの咆哮。ドガァッ!! と、死角にあった巨大な枯れ枝に1度激突し、一瞬息が止まる。

 大きく跳ねたが落下は止まらない。

 朦朧(もうろう)とする意識の中で、世界がスローモーションになった。

 地面が見えない。それほどの高度なのだろう。

 俺の絶叫とほぼ同時に大空へジャンプしたアルゴやシリカを見やり、『バッ、ばかなああ!?』と、白スーツの男は今日1番の絶望的な顔で吠えていた。

 道連れに近い選択をした俺はまだ奴ともみ合っている。

 

『くっそおぁお! 何としても1人は……ぐごあああッ!?』

 

 しかし俺にトドメを刺そうと大剣を構えたその瞬間、『自由落下』という凄まじい速度で高度を下げる男の顔面に、投擲(とうてき)されたダガーの先端が突き刺さったのだ。

 空中でダガーを投げたのはアルゴ。初期装備は1本しか与えられていないので、当然本番1発勝負だったはず。されど、その比類なき命中精度をもってしても、無敵コードに守られた奴にほんのマイクロゲージ分のダメージすら与えていない。

 しかし全てが繋がった。脱出への限られた手札、手段、結果までのお膳立て。全てだ。

 4人はまだ自由落下している。

 ガシィッ、と。空中で動きが停止した大剣の刀身を右手で掴んだ。少ないHPはさらに減少するが、目をくれることもない。

 風と音の奔流が()いだ。

 

『くっ……な、にを……!?』

「てめえが死ねやァアアアアアアっ!!」

 

 ゴッガンッ!! と、男の顔をメガネごと靴底で踏みつぶしてやった。

 (かい)の取手のように太い大剣の柄がすっぽりと抜け、男は無様にもグルングルンと縦回転しながら、吹き荒れる突風でどこか遠くに流れていった。

 奇跡が成された瞬間だった。

 

「(ハァ……クソ、手間取らせやがってッ!!)」

 

 脅威は排除した。あとはアルゴ達だ。

 高速で入れ替わる景色が焦りを加速させる。反射的に奪い取った大剣を右手だけで器用に逆手向きに持ち直すと、目も開けられないほどの風圧に耐えながらどうにか体を半回転させた。

 その、途中――、

 

「……え……?」

 

 遠くに、何かが見えた。

 鳥籠、だろうか。

 小さな……子供1人に与えられる部屋程度に小さな、鉄格子の檻。

 必要最低限の調度品の手前には寝具らしき台座が用意され、その上でキョロキョロとせわしなく動く華奢(きゃしゃ)な少女。質のいいキャラメル色の髪を腰まで垂らし、確固たる意志を持った、NPCには再現できない眼光。何より整った鼻立ちに凛とした姿勢、引き締まった体、いつも紅白の団服を着てボス討伐隊の先頭に立ち、耳当たりの良い美声で指揮をしていた勇敢な少女。彼女に似たあの顔はまるで……、

 

「(アス、ナ……?)」

 

 コマ割りよりも一瞬だけ見えた不思議な光景。だが俺は、すでに豆粒よりも小さくなったその光景を意識的に棚上げした。

 網膜に映った純白ドレスの美少女が誰であれ、かまっている余裕はない。

 奴らの追撃を振り切る……すなわち、ヘタなショッピングモールより広かったあの樹林帯から飛び降り自殺をした時点で、俺やアルゴ達は現実世界に帰れるはずなのだ。

 問題は、空を自由に飛行する召喚獣らが飛んで追い打ちをかけに来ることだけ。

 しかし今の俺の手には、あらゆる魔法の威力を相殺する魔法殺しの大剣《エッケザックス》が握られている。剣に付与された特殊スキル《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》の発動法についても、先ほど背中越しにじっくり観察させてもらった。

 これさえあれば、あの遠距離バカどもからの魔法攻撃なぞいくらでも(しの)げるだろう。

 

「クッソ、どこだ! アルゴォ!!」

 

 ただの青空なら見つけやすかっただろう。が、巨大樹は桁違いの大きさで、自由落下中の今も視界の大半を埋めていた。雲すらも突き破る大樹の存在にどんな意味が込められているかは知らないが、この大きさは尋常ではない。

 だが冷静に目を凝らすこと数秒。

 見つけた。荒れ狂う大気に舞うプレイヤーの体が2つ。幸い手を握り合っている。

 俺は風から受ける微細な空気抵抗の変化を感じると、皮膚の感覚を頼りに少しずつ調節していった。

 空を飛んでいるわけではないので、俺にできることは体を広げて滑空軌道を逸らすことだけだ。しかし元々速度が出すぎていたからか、体全体を伸ばすだけではっきりと降下速度の減速を感じた。重力加速度を含め、SAOとは微妙に異なる力学演算である。

 揺れる視界に悩まされながらも、小さかったシルエットがみるみる近づく。距離にして数メートル。あと、ほんの少し。

 俺は思わず塞がっていない左腕を目一杯伸ばした。

 

「アルゴ、シリカ! 来いッ! 手を伸ばせ!!」

「ジェイドぉー!!」

「ジェイドさんっ!」

 

 激しく変化するスピードを調整しきれず最後は合流というより激突に近くなってしまったが、それでもどうにか俺達3人は抱き合って生き残れた実感を共有した。

 追手は来ていない。これで脱出は完了したのだ。

 

「やったなアルゴ! シリカもよく頑張った!! 俺達は勝ったぞ!」

 

 抱き着いたついでに、どさくさに紛れて人間にはないはずの尻尾や大きな耳を撫でまくってやった。

 モッフモフである。肌触り、毛並み、まるで生き物のような――生きているが――弾力、どれをとっても申し分ない。よくヘアバン(ニセモノ)越しの耳や、ベルトにテープでくっつけたような尻尾による急造のまがい物でケモッ娘に扮装(ふんそう)するふとどき者もいるが、俺から言わせれば笑止千万である。

 いやあ、しかし天国だ。念願だっただけに頑張った甲斐がある。超がつくほどのセクハラだろうが、このままログアウトできるなら関係あるまい。

 

「ジェイドさん! バレバレです!! すっごいヘンな感じがするのでやめてください!! あと落下が全然止まらないんですけどぉお!!」

「これホントに合ってるのカーッ!?」

「あっ、合ってるさ!! こっ、ここれで助かるんだよ!!」

 

 かすかに羞恥心を覚えながら風の音に負けないよう限界の音量で叫んでいるが、俺だって別に正解を理解しているわけではない。

 だが知っての通り、奴らは仮想世界にログインしてまで殺害しようと奮闘し、そしてプレイヤーが根の外周に近づくほど煩慮(はんりょ)していた。

 無敵の存在だったメガネの男。奴が《エッケザックス》の能力を使ったのは、吹っ飛ばされる先が地面外周のさらに外側だったからだと予想できる。衝撃までは防げないアンチダメージコードが、もしも背中にへばりつく俺まで炎ダメージから救出してしまった場合、オウンゴールのように自ら出口へ案内してしまうことになる。

 奴はその結果を未然に防いだ。そこに答えがあるとしたら、俺達の選択は『外周からの身投げ』で正しいはず。

 正しいはずなのだ。

 だのに、なぜ……、

 

「(なんで止まらねぇ!? なんでログアウトしねぇんだ!?)」

 

 引力に引かれる3体のアバターは、止まるどころか存在するかも不明な地上に向けてどんどん加速していた。《ペイン・アブソーバ》が停止している以上、こんな速度でどこか体の一部が物体に接触でもしたら、その時点で現実にて覚醒しても後遺症ぐらい残ってしまいそうである。

 怖い、怖い、と全身の細胞が騒ぐ。目をつぶって必死に俺にしがみ付いているはずの女性2人からまったく体温を感じられないほどの落下スピードだ。

 チラッと下方に視線を寄越すと、300メートルほど先に濃密な積乱雲が見えた。

 面積は広い。あそこが終着点なのか。

 頼む、ここで終わってくれ、と。念じるように目をつぶり、新幹線並みのスピードで真っ白な濃霧(のうむ)に突入した。

 しかし……、

 

「ダメだジェイド! やっぱりこれハ……!!」

「く、そったれ……なァッ!?」

 

 だがアルゴが現実に嘆いた数瞬後だった。

 雲を抜け、ボフッ、と霧が晴れた。

 それでも落下は止まらず、眼前には壮大な大地が見えたのだ。

 威風堂々たる景色にまたも言葉を失う。

 広い。真下は見るからに未踏の森林で、端のない大きな虹がかかるアマゾン川も流れ、ヘビのように続く川のそばには傾斜(けいしゃ)の浅い小さな山もあった。頭の方角に数キロ進めば打って変わって荒れ果てた荒野、あるいは雪と氷の張った赤貧(せきひん)の大地が顔を覗き、その一部は土地開発でもしているのか工場やら重機らしき動力不明の掘削機が見える。

 さらに別の方角には果てしない標高を持ち、稜角の鋭い冠雪(かんせつ)した山脈が攅立(さんりゅう)し、ゲーム界で言う『地上の区切り』の役を果たしていた。

 その正反対側には砂と砂利、そして集落と思しきテント群にピラミッド型の人工建造物までギリギリ散見される。

 ギリギリというからには、もちろん最果てを肉眼でとらえることはできない。フィールドを区切るような山のせいで見えない部分を含め、この高度から包括的(ほうかつてき)にマップを眺めて全体像を把握しきれないということは、かつて暮らしたアインクラッド第1層の基部面積をも優に超える広さだ。

 しかし広さはこの際どうでもいい。まさか数キロ彼方に見える、あの地面に落下して目を覚ますとでもいうのか。

 しかも死に方を想像して怯えていると、広大すぎる景色とは別にさらなる信じられないことが起こった。

 ポーン、という、弦を1回弾いたような気の抜けるメッセージ音。

 そして……、

 

『妖精の皆さん! 《アルヴヘイム・オンライン》の世界へようこそ!』

『…………は……?』

 

 一同揃って首を傾げた。

 それは女性の機械音声だった。凄まじい風切り音が密着状態のシリカやアルゴの声すら遮断している中、その声だけは脳に直接語りかけたかのように鮮明で、どうやらアルゴ達にも聞こえているらしい。

 俺のゲーム脳が正しいのだとしたら、何かしらの条件を満たしたからか、聞き覚えのないゲームのファーストガイドシークエンスが作動したようである。

 《アルヴヘイム・オンライン》といったか。聞いたこともない。無論2年も現実を離れていたので、その間に発売されたソフトの名前など知る由もないのだが、まさか俺達がデスゲームに囚われていた2年の歳月で新しいVRMMOゲームを開発、運営するに至ったとでもいうのだろうか。

 という疑問すら、刹那に流れる。

 考えてみれば無理もない。事件の大きさと残虐性を(かんが)みるに、当事者からすれば新タイトルの続投は短すぎるように感じるが、閉鎖空間となった《ソードアート・オンライン》の未体験ゲーマーにとって、相変わらずそれは夢の世界だったはずだ。

 需要があれば金にもなる。やはりここは、2年前には存在しなかった新しい仮想世界なのだろう。

 人工音声は俺達の思案など無視して語り続ける。

 

『……では豊かな自然と冒険の数々、そして素敵な出会いがあなたを待って……』

「これ、ジェイドさんにも聞こえてますか!? これはいったい……」

「わかんねえ! 俺にも何が何だか……!!」

『それでは夢と希望に満ちた空の旅(・・・)をお楽しみください。幸運を!』

「……えっ? 終わっちゃうみたいなんですけど!?」

「空の旅じゃねえよ!! マジにフライトしてンだよ、夢も希望もねェぞ!! あっ、おいこら!?」

 

 ここで音声はぷっつりと途切れた。

 抱き合って落下しながら、至近でシリカやアルゴと顔を合わせる。

 何だったのだ、今のメッセージは。助けてくれるわけでもなく、レベル1の勇者に起動時のマシーンが話しかけるような当たり障りのない情報しかくれなかった。初期ユーザ用ガイドのくせになぜか俺達が空中にいることまで言い当てて……、

 

「い、いや……違うっ!!」

 

 その瞬間、脳に電流が走ったような衝撃を受けた。

 《格納室》と呼称される場所で見た、ウィンドウ上に記載される『飛行補助コントローラ』の文字。

 そして炎の散弾兵や《レジェンダリィ・イグジステンス》を含め、すべての敵に飛行能力も与えられていた。もしプレイヤーだけが地上戦を強いられるのなら、あれらの討伐は至難の業、どころの話ではないだろう。

 メガネ男もずっと外周を警戒していたし、極めつけはたった今アナウンスされたウェルカムメッセージ。

 彼女の澄んだ人工音声が俺達の3次元的な位置座標をズバリ言い当てたのではない。空の旅、という(うた)い文句がこの世界の本質(・・・・・・・)なのだ。

 あらゆる事象が糸で繋がれ、同時に合点がいった。

 この世界では人間タイプのユニットが空を飛ぶことができる、らしい。

 だが、飛ぶにしてもどうやって。

 VRMMO、少なくともソードアート・オンラインにコマンド入力という概念(がいねん)はなかった。逆喚(ぎゃっかん)するようだが、『体を使って人型アバターを動かせる』ということは、そっくりそのまま『現実で動かしたことのない筋肉を動かすことはできない』とも言い替えられてしまう。無論、俺は翅の動かし方なんて理論的にも本能的にも知らない。

 しかし……、

 

「(あっ、アルゴが言ってたやつかッ!?)」

 

 たった1つのリマインドが運命を分けた。すっかり頭から飛んでいた、自分で読み上げたはずの文章が稲妻のごとく脳内再生されると、手順書にあった通りに架空の剣を握るよう左手を形作る。

 すると、すぐに流線的かつシンプルなイエローホワイトの小型コントローラが出現した。

 同時に俺の背中には、『昆虫の翅』らしき四枚の薄紫の透明翼が実体化する。

 時間はない。

 

「止まれぇええええッ!!」

 

 地上まであと数百メートル。速度は体感隕石並み。視界の端に広い湖らしき青いテクスチャを捉えたことで、大まかな着地地点と軌道だけが一瞬でイメージされる。

 意味もわからず親指にあったボタンを押し込み、スティックを限界まで手前に引いた。

 体全体の減速とスティックの荷重でも連動しているのか、それとも3人分は完全に許容値オーバーなのか、果てしない重さになったそれを、左手でなおも鬱血(うっけつ)しそうなほど体に引き寄せる。

 止まれ、と心の中で何度も願った。

 激しく顔を打つ風流れが変わる。軌道が斜めに逸れつつあることを、別ベクトルの強烈な加速からのみ実感した。

 方向は変わったが、しかし止まらない。減速をかけるのが遅すぎたのだ。あとは着水でうまく吸収してくれることを祈るだけ。

 

「歯ァ食いしばれぇええええッ……!!!!」

 

 速度を殺しきれなかった俺達3人は、差し渡し学校のグラウンド数個分の面積を誇る湖の中央に落下した。

 ドッパァアアアアアアアアアアッ!! という、けたたましい破裂音。10メートル以上の水柱を高く作り上げ、ゴムボールのように高くバウンドすると、ついに3人はバラバラになって大気の遮断された冷たい液中に放り出された。

 水中特有の無音状態と、平衡感覚まで狂わされたのか上も下もわからない。体がどんどん底に沈んでいくが、衝撃でほとんど息を止めることもできなかった。

 そもそも地表に到達したのになんら変化が訪れていない。

 

「(やっぱ、そう簡単に帰しちゃくれねェか……)」

 

 感覚が遠のき、目をつぶると本当にすべてが途切れた。

 すると暗黒の中で、無限に続くかと思われた戦いの決着や、これまで過ぎ去った出来事が感慨深く去来(きょらい)する。

 同時にこれは始まりでもあった。

 せっかく1から積み上げてきたものも没収されてしまった。共に暮らした仲間もいない。戦場で背中を任せたライバルもいない。死と隣り合わせで勝ち取った情報もない。しかし規則、組織、魔法、飛行、戦術など、様々な要素が一新された新天地はもうここにある。それだけは確かだ。

 気泡を吐く音が直接鼓膜に届くと、音のない世界でゆっくりと目を開けた。

 白く光を乱反射した水面(みなも)が見える。生存競争を放棄しないのなら、こんなところで油を売っている時間はないだろう。

 

「(だったら……やってやるよ!! ……ああ、やってやるともッ!!)」

 

 ギリッ、と奥歯を嚙み合わせる。見えない何かに反逆するように、慈悲なき決定を拒否するように、四肢は水を掴んで俺の体を押し上げた。

 終わりではない。

 むしろ、ここからが始まりなのだから。

 

 

 



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第107話 けんもほろろなリジャクション

 西暦2024年11月7日 《三領の永地》森林南西区画、湖のほとり。

 

 目も開けられない速度で着水した瞬間、あまりの衝撃に「死んだか……?」なんて危惧(きぐ)もしたが、俺の体が《リメインライト》になってしまう憂慮(ゆうりょ)は避けられたようだ。

 もっとも、密林が形成する満月湖がなければ即死。最後はほとんど不時着に近い。

 だが、過程がどうあれ俺達は生きている。

 しかも水をかき分けるうちにもう1つの朗報に気づいた。

 体のどこも痛くない(・・・・)のだ。怪我をしないどころか、先ほどまで生傷のようにズキズキと(うず)いていた腰やら腕やらの痛みまで消え、いつの間にかHPもフルゲージとなっている。

 おそらく高度数千メートルにあった積乱雲を抜けて正式にオンライン用シームレスマップに突入した時点で、《ラボラトリー》にて受けた理不尽な制約から解き放たれたのだろう。きっとこの世界には数々のネットゲーマー達が戦闘やら交流やらを楽しんでいるはずだ。

 息を止めたままシステム的な死を避けるためすぐに水面に向かって泳いだが、他の2人もどこかで岸に向かっているに違いない。

 

「ぷはっ……ハァ……ハァ……くっそ、剣どっか行った……ハァ……おいアルゴぉ!! んぶっ……ハァ……シリカー!! ……ハァ……生きてるかぁ!!」

 

 水面から顔だけ出してとにかく叫んでみたら、直後に近くでも水中からザバッ、と顔が出てきた。

 

「ぷはぁ……ハァ……ハァ……」

「おうアルゴ! シリカはどうした!?」

「ハァ……それが! ……ハァ……シリカちゃんが! いないんだ!」

「なにっ!?」

 

 それだけ聞くと、俺は呼吸を整える間もなく肺を膨らませ、もう1度深く潜水した。

 幸い水深は最も深いところで6~7メートル程度。周囲に火山でもあるのか、丸みを帯びた外周まで水は綺麗に澄んでいて波もなく、一目見て仰天するような海中の主的な魚型モンスターもいない。

 水中で首を何度か降ると小柄な尻尾付きの猫耳娘の影はすぐに見つかった。水中でゆっくりと漂っている。

 慌てている様子がないが、どうも意識がないようだ。よくない傾向だが、彼女は頭を打ってからというものの、だいぶ失神グセがついてしまっている。おそらく巨大樹の上で受けた激痛のせいで、着水寸前に本能が痛みからの逃避を選んだのだろう。

 潜水すること数秒で合流。動かない彼女の細い腰に手を回し、俺は片手だけで必死に水をかいて真上に向かった。

 水流を顔で感じるだけでおおよその速度は判断できるつもりだが、遅すぎて気が遠くなりそうである。中学までは学年トップクラスに泳ぐスピードが速く、水泳に関しては現実仮想問わずかなり自信もあったのものの、まさか潜水になった途端ここまで前に進まないとは。泳ぐのをやめてからブランクが長すぎたか。

 

「(ってか、意識のない人間を運んでるからか……ッ)」

 

 別のところで納得すると、やっとの思いで水面に到着。『溺死』対策として真っ先にシリカの顔を水中からしばらく持ち上げ、アルゴの助けも借りながらどうにかシリカを岸まで運ぶことに成功した。

 シリカを仰向けに寝かせ命に別状がないことだけを確認すると、互いに息を切らしながら、泥だらけになることもいとわずにぐったりと地面に背中をついた。

 粘ついた背中が気持ち悪い。しかし土を払う元気もなくなった俺は、寝そべったまま感動的な休息を享受(きょうじゅ)する。

 

「ハァ……人を持ち上げて、泳ぐのが……ハァ……こんなに大変だとは、思わなかったぜ。……ハァ……てか、水中でも翅使えばよかったじゃん俺……バカだ……ハァ……しかし起きねーなシリカのやつ……」

「ナッハッハ……ハァ……ハァ……まさか空まで飛ぶなんテ……ハァ……ジェイドは凄いナ。……ハァ……オレっちだけで、逃げてたラ……シリカ嬢も……ハァ……助けられなかったヨ……」

「……ハァ……あっはっは、確かに……ハァ……じゃああれだ。……どうせなら人工呼吸とかしてみるか……ハァ……フンイキでるだろ……」

「このロリコンめ……今のは聞かなかったことに、しといてヤル。……それにこっちじゃ、心臓マッサージすら無意味だゾ……」

「ちぇっ……じゃあ、アルゴの猫耳なでるのでカンベンしてやる」

「にゃはは、は……」

 

 ボケにもツッコミにもいつものようなキレがなかった。それほど疲弊(ひへい)していたというわけだ。こればかりは回復ポーションを飲んだところで治るものでもない。

 もちろん、戦いは終わっていない。

 ログアウトボタンは相変わらず機能せず、ゲームのタイトルが少し変更されただけで立場はなおも囚人のままだ。

 俺達が旧世代インターフェースであるナーヴギア、つまりあの鉄壁の電子ロック兵器を内蔵するヘルメット型ハードからこの電界へ接続する限り、無条件でシステム干渉することはできないのだろう。ここは一般人も混在するオンラインフィールド――の可能性が高い――であって、奴らも並外れて目立つ行動をとれば自分の首を絞めるだけのはずだ。

 しかしあの研究員達とて人体実験の一端を知られてしまった以上、もうあと戻りもできまい。

 俺はこのわずかな(いとま)に愚痴をこぼした。

 

「にしても、現実ってのはとことんフザけてやがる。たまにはホービをくれてもいいだろうに……」

「まったくだヨ、ここ現実じゃないけどナ。……ところで聞きそびれてたケド、その娘はジェイドの何なんダ……?」

 

 アルゴがすやすやと眠るシリカを指さしながら聞いてきた。しかも彼女のセリフにはどこかトゲがあった。

 怒ってらっしゃる……ように見える。

 まさか俺とヒスイの関係に亀裂を入れないよう、気を配ってくれているのだろうか。それとも、すでに晴れた惚れたの関係を邪推されて人生が終わりかけているのか。

 危ういところだ。できればシリカの年齢を考慮した常識的判断が、前者のそれに落ち着いたことを祈ろう。

 

「あ~あれよ、話せば長くなるやつ」

「いや大雑把すぎるだロ! こんな可愛らしい子供……。だいたい前線じゃ見ない顔だし、どうやったらお前サンと接点なんテ……」

「グーゼンだって。ぐ、う、ぜ、ん。ほら《タイタンズ・ハンド》っていう、10人ぐらいのオレンジギルドいたろ?」

「懐かしいナ」

「そう、あいつら捕まえに下に降りた時なんだけど、ちょうどこいつの《使い魔》が死んじまったところを見ちまってさあ……」

「まさカ、ヒスイちゃんに言えないような関係なんじゃ!?」

「はなし聞いてるーッ!?」

 

 特大ノリ突っ込みをかましたところで「ナハハハ、冗談だヨ!」とはぐらかされてしまった。相変わらず軽い奴だ。人のことは言えないが。

 

「で、なしくずし的に47層の《思い出の丘》に行ってな。初めからヒスイと仲良かったらしくて、なんやかんやたまに会ってたよ。……まぁある意味、ピナのことをマジで大切にしてたから、未だに恩を感じてんのかもな。こいつは」

「ピナ……?」

「あーそれが使い魔の名前」

「ニャルホド。しっかしお前サンはカツアゲ慣れしたような眼をしてるクセに、ちゃっかりお人よしだからなア」

「うっせ、面相にフレるな……」

 

 完全に息も整ったところで、俺はまたクリアになった頭であれこれと考えていた。

 それは、現状が山積みにされた問題を何1つ解決していない、ということだ。

 そして逃げられないなら必ずまた戦闘になる確信があった。

 ここも見た目ほど安全ではないだろう。

 確かに暖かい日差しがほとりに吸い込まれる、新鮮そうな静かな湖畔(こはん)。気晴らしに釣りでもできそうな良環境で、恵まれた気候とソードアートさながらの精巧なデザイン。踏めば沈むほどの肥沃(ひよく)な土壌に、見渡す限りに生い茂る樹木からは鳥や虫の鳴き声すら流れている。本土でも有数な名所に足を運ばない限り、これほど自然豊かで緑にあふれた風景はあるまい。

 されど、全てはまやかしに過ぎないのだ。

 ここは《ソードアート・オンライン》の世界でなければ、ましてや現実世界でもない。明らかにその手に長けたデザイナーによって造られた人工空間である。

 しかもそれだけでなく、ステータスが引き継がれていたり、同一のアバターが参照されていたり、あまつさえ極限まで磨き抜かれたはずの精緻(せいち)なデティールやグラフィックまでほぼ同等な精度を保っている。ご丁寧にあらゆる背景テクスチャにも手抜きはなく、その没入感と臨場感はかつての世界とも甲乙つけ難いものだった。

 

「(ソンショクないっつーか……見分けがつかねェぞ……?)」

 

 2年過ごした者の、これが率直な感想だった。

 ゆえに、かなり予測の範疇(はんちゅう)を出ないが、この世界が旧ソフト《ソードアート・オンライン》のサーバを完全コピーした仮想空間である可能性は捨てきれない。

 権利の委譲(いじょう)など法的な道程がどうなっているのかまでは知らないが、無数の訴訟とそれに伴う損害賠償額を想像するに、どうも俺の知るSAO運営会社《アーガス》が今も存続しているとは思えない。きっと会社ごと買収されたのだろう。

 だがだからこそ、ゲームマスターはあくまで茅場晶彦ではなく新しい創造主達となる。

 話の通る連中ではないことは身に染みた。どんなに騎士道に反しようとも、奴らは寝首をかきにやって来るはずだ。

 俺達のデータを監視なり改造なり、もしかしたら今度は触れただけで抵抗虚しく《リメインライト》にされるのかもしれない。そうなればいくら連中がVRゲームの初心者とはいえ毎回勝てる、あるいは逃げられる保証もなくなる。

 もっとも、奴らは『プレイヤーを殺すために大技魔法を放って』きたのだ。必中ホーミングタイプなど――すなわち単発の弱魔法を『攻撃力無限』などに設定する力などはないようである。剣やアイテムの精製についても入手までの過程を誤魔化しているだけで、あくまで既存のものをオブジェクト化しているように見えた。

 なので、さすがに『触れただけでOK』なんてことを実現しようとするとプログラムの根幹から作り直す必要がありそうだが、何にせよ両者にとって相手は最大の障害物だという認識に変わりはない。

 

「……なあ、アルゴ」

「どうしタ……」

「今さらだけどさ……76層で会おうなんて言ってたけど、とんでもないところで再開しちまったもんだな……」

「アー確かニ。ゲームすら違うみたいだしナ」

「ほとんど普通のゲーム(・・・・・・)に戻ったけど、たぶんやることは今までと変わらない。見たこともない街やフィールドに出て、情報集めて、装備を更新して。……んで、来たるべき戦いに備える。まあ慣れたもんだけどさ」

「にゃっはっは、その度胸だけは頼もしいヨ。ケド、わざわざ戦いに行くこともないだろウ? ……うまく行けばこのまま普通のプレイヤーに会って、今まで起きた事実を話して、そして現実世界の誰かに伝えてもらえばそれで終わりサ。警察でも運営会社でもイイ。何百人と違法な実験の素体にしたことが流布すれば、あの研究員達も人生終わりなんだカラ」

 

 確かにその通りだ。穏便に済む道があるならそれに越したことはない。

 しかし……、

 

「そうウマく行きゃいいけどな。……たぶん色々といじられてるぞ、いまの俺ら。オンライン環境でどこまで制限できるのか知らんけど、ヘタすりゃ人と接触もできなかったりして……っ!?」

 

 会話の途中、鬱蒼(うっそう)とする木陰から人が接近する気配を感じた。

 俺とアルゴが湖からそう遠くない森林方向へ振り向く。すると、ほぼ同時にガサガサと雑草を踏みしめる足音と男性の声が2つ聞こえた。

 

「まあ確かにさっきスゲー音してたけどさ。人が降ってきたはねーだろお前。まともに飛べない奴がさぁ、今さら中立域の奥に来るかっての」

「それがマジなんだって! なんか人が抱き合ったままモノ凄いスピードでさ」

「へぇ〜? 初心者はやることワカランねぇ。ハナからPK推奨を掲げてんだし、いいマトじゃねえか」

「へへっ、それか動画配信者だったりして。どっちにしろノーリスクでアイテム奪えるかもよ!」

 

 どうやら声の主はこの世界を満喫する普通のプレイヤーのようだ。しかも幸運なことに、相手はたったの2人。

 ただ『PK推奨』なんてセリフを聞くと、アインクラッドからやってきた俺達は耳を疑いそうだった。無論、ゲームにはそれぞれ特有の世界観というものがある。何らかの理由で他者と対抗、争奪をしているのなら、価値観の齟齬(そご)をSAO独自のそれと比較して指弾(しだん)する権利はない。

 しかし物騒な会話のせいで、反射的にシリカをズルズルと引きずり、人の背丈ほどもある草が生い茂る密林の端に隠れてしまった。

 

「(アルゴ。お色気の術でなんとかしてこい)」

「(シバくぞコラッ。男ダロ、お前サンが行けよゥ)」

 

 ヒソヒソ声で冗談を1つ。いずれにせよ、どうにか敵でないことを納得してもらい、俺達の事情を聴いてもらわないと。

 

「ハア~……じゃあ賭けてみるか? 俺は『まともに飛行できない奴は、こんなところで墜落しないし死んでもいない』に100ユルド」

「ああー! またバカにしやがって! じゃあオレは死んだ奴からガッポリ強奪できるに1000ユルド!」

「10倍に上乗せって、なんも考えてないだろ!」

「あっはっはっ」

 

 学生のように若い気の抜ける声調だったが、彼らなりに自信を持って隙を見せているのだろう。友人と一緒にログインしていれば見栄の1つも張りたくなるものだ。

 木陰からこっそり観察すると、彼らは同じ種族の妖精を選択して――俺を含め囚われ組に選択権はなかったが――いるようで、共に麻黒い肌をしていた。

 見たところ一方は脳筋タイプ。(たくま)しい背中に、これまた()の長い大きな戦槌を背負っており、もう一方は腰に曲刀をプラプラさせているがどうも接近タイプではなさそうな雰囲気だ。

 これは完全に俺の直感だが、この世界でペアを組む場合は、両者が接近戦タイプである可能性はかなり低い気がするのである。

 だがここで、俺の腕の中で予期せぬことが起こってしまった。

 

「う……ん……あれ、ジェイドさんっ!?」

「げ、シリカ!? し~!」

 

 なんともバッドなタイミングで猫耳バージョンのシリカが目を覚ましてしまったのだ。しかもいつかの主街区の時のようにお姫様抱っこをしている状態だったので、ここで覚醒したら声の1つも上げたくなるだろう。

 俺とアルゴは同時に慌てだしたがすでに後の祭り。2人の男らは抜刀しながら声が聞こえた方向、つまり俺達3人が身を潜める樹木を警戒していた。

 まったく、いいツラしてあつらえ向きの大槌(おおつい)まで買いそろえておいて、いざ寝起きの女の子の声を聴いただけで戦意むき出しとは気の早い連中だ。夜の(いとな)みもさぞ早いことだろう。

 いちいち交渉難度を上げてくる現実という名のクソゲーに感謝しつつ、俺は両手をあげて降参ポーズのまま「いや〜、ワリーワリー! 隠れるつもりはなかったんだ」と、陰から姿を現した。

 武器もないことだし。

 

「お、いたいた。デートでもしてたのかな~? まあ、場所を間違えてるぜ」

「そうそう。今度は人の敷地内じゃなくて、自分らの領地か《アルン》でしなよん」

 

 さっそくバトりたくてウズウズしている感じの声で話しかけられた。

 安定の不運である。

 

「(アルンてどこだよ。領地も知らねえけど……)……てか、殺す気満々か……。カンベンしてくれ、俺は敵じゃないんだ。ただ少し……その、ログアウトできなくて困っててよ」

「あ? なんだコイツ。おまえ何言ってるか聞こえた?」

「いいや全然。セーフマスクかかりすぎでしょコレ」

「なっ!? そんなサツバツとしてんのかこの世界は!?」

「だから聞こえねえって!」

 

 あまりに容赦のない受け答えと、若干ばかり噛み合わない会話に首を傾げかけたが、武器のない俺には話術だけが頼りなのだ。

 事情を聞いて協力してくれるか、せめてこの場だけでも見逃してほしいものだが、はて。

 なんて呑気に次の手段を考えていると、事態は急変した。

 

「なにっ!? レーダン、これ広域デバフアタックだ!! やられた!」

「クソッ、弱体化(ウィーケン)か!? いま解除する! フォアード頼むぞ!」

「はっ……え……のわあああああっ!?」

 

 突如、彼らは翅を生やして襲ってきた。反射的に初撃は避けきったが、ゴッバアアアアア!! と無駄に長い鉄槌が振り下ろされ、回避する前の地面が抉れるように土ごと持ち上げられた。

 目が点になるとはこのことだ。

 俺は何もしていない。構えてすらいない。だのに激怒した彼らは突然フォーメーションを組み、片方はハスキーな声をあげて巨大ハンマーをブンブンと振り回し、その相方は後ろに下がって日本語でも英語でもない、何やら奇怪な呪文を唱え始めていた。

 『上』で戦った時はこんな動作は……、

 

「(いや、ちげェ! 上での戦いが異常だったのか!!)」

 

 この戦闘スタイルが本来のあり方なのだ。

 そして異常と言えば、俺もいい加減異常事態を察していた。

 こいつらが突然牙を剥いた理由。おおかた俺が知らない内(・・・・・)に何か先制攻撃をしたのだろう。

 まともなプレイヤーにある程度接近することで強制的に発動する既存の範囲魔法。また肉声によるリアル関係の露呈(ろてい)を防ぐプライバシーポリシーや、セクハラ対策として猥褻(わいせつ)なセリフを聞き取りにくくする名目で導入された、《セーフマスク》の最大レベルでの適用。確か無敵のメガネ男もこれを使っていたか。

 ノーマナー行為を繰り返す悪質なプレイヤーに、この程度の制限を設けるぐらいなら……いや、もっといろんな妨害を奴らは俺やアルゴといった『普通のプレイヤー』に施すことができるはずだ。これでは人に出会う度に戦闘は避けられないし、意思疎通を図ることもできない。そのうえ世界観の導入部からPK推奨とダメ押しまでされたら、さすがに誰も俺達に手を差し伸べてはくれないだろう。

 『まだ終わりじゃない』、なんて段階ではない。

 もう奴らとの戦いは始まっていたのだ。

 

「(これだけやって、死んだら即転送。おまけに記憶も感情もいじくられます、なんてファッキンな話だったらそろそろブチ切れるぜ神様よォ!!)」

「くっそマジかよ! どんだけスキル熟練度あげてんだ! 悪いトヨ、一回の解呪じゃ解けなかった!」

「じゃあさっさともう1回唱えろ!」

 

 敵のラッシュは続く。ステータスはともかく、少なくとも動きだけを見るなら上で戦ったクソ野郎とは比較にならない隙のなさだった。

 ジャブ程度の連続牽制に、大きくフルスイングしたと思ったらそのエネルギーを殺さず軌道を変えて捻転力を次撃にぶつけてくる。ソードスキルではないので技後硬直(ポストモーション)なんてものもなく、試しに森林地帯に侵入してみても大木ごと折り倒して強引に攻めてきた。

 手練れだ。ステータスも申し分ないのでゲーム歴は長いのだろう。

 敵の目的も時間稼ぎなのか戦槌の振りは浅く、避けることそのものはできているが、とても武器を奪ったり素手で反撃できるタイプの弱者ではない。

 ともあれ、今の俺が普通のプレイヤーといったいどこまで『ズレて』いるのか、それはおいおい確かめて行くしないので悩むのは後だ。

 俺は足場の悪い森林地帯から飛び出すと、どこかに隠れているはずの仲間に呼びかけた。

 

「アルゴ! いま!!」

「っく!?」

 

 掛け声を待っていたかのように、どこからともなくダガーが飛来して、バチン! と男に当たった。

 命中したのは後方で呪文を唱えていた相手のプレートアーマーで、詠唱中だった一連の動きが不意打ちでキャンセルされる。よほど驚いたのか、左手に飛行補助コントローラまで握りしめて上空に逃げ出したので、前衛の男も連動するように焦っていた。

 

「伏兵だ! くそっ、こいつら女も戦えるぞ!」

 

 もちろん伏兵なんて大層なものではない。自身のものはすでにロストしているはずなので、投げつけたダガーはもおそらくシリカから借りた非投擲用の初期装備だろう。

 しかし、見えない位置からのフォロー。このたった1発の援護射撃で十分だった。

 

「野郎、誘いやがった! 初めからやる気だったのかよ!!」

「(いんや、ヤる気になったのは今からさ!!)」

 

 どうせ言葉は届かない。俺は心の中だけで敵に返事をくれてやる。と同時に、力の限り地を()せた。

 最初にして最後となるだろうハンマー男の隙を、俺は正確についてやった。

 

「おっらァああああああッ!!!!」

「ぐあああっ!! ううっ!?」

 

 格闘戦で何発か顔面に入れたあとに、本日すでに何度目かもわからない全力タックルが決まった。意外とこの汎用性の高さは知られていないので、ぬくぬくと育ったパンピー連中には結構な確率で決まったりする。

 あまりの衝撃で腹から何か吐きそうな表情を浮かべるハンマー男は、そのご自慢の金属製武器をまともに振れないまま俺と湖にダイブした。

 過抵抗のかかる水中。ここでは大きな戦槌はおろか、短剣だって満足には振れまい。

 

「ぶっはッ、ふざけんっ、なよコイツ! 何がしたいんだ、ったくよォ!!」

 

 いち早く泳いで岸に戻ろうとする敵を放置し、俺は潜水したまま湖の中に置き忘れた『ある物』を探した。

 当然これは時間的なロスとなる。支援タイプが空中でデバフの解除に成功したら、今度は遠距離攻撃の援護をしてくるかもしれない。となるとハンマー男も湖のすぐ近くに陣取って、仲間と同時に俺の出待ちを狙ってくるだろう。疑似的な湧いた瞬間殺す(リスポーン・キル)という状況だ。

 しかしこちとらリスキル上等。置き忘れたもの、なんてもったいぶる必要もないだろう。

 水底(みなそこ)に佇んでいた巨人の宝剣《エッケザックス》は、すでに俺の手の中にある。酸素ゲージの続く限り時間は耐えてくれる。

 

「(さあ、行くぜオラァ!!)」

 

 飛び出したい衝動を抑えて時間いっぱいまで耐えると、大剣のポメルに埋め込まれた七色の宝石を半回転させる。

 すぐに俺も左手で補助コントローラを出すと、水中で4枚の(はね)を広げ、水圧を押し分けて振動する。

 出せる限界の速度で、自分自身を水面から上空に投射した。

 

「来たぞ、撃てぇええええええ!!」

「っらァアアアッ!!」

 

 水柱が立った直後。案の上、空で待機していた支援兵は一直線に飛翔する俺に向けて掩撃(えんげき)魔法を放った。

 そして容赦なく()き消える。

 いかなる魔法を発動した痕跡(こんせき)もなく、相殺するほどの物理攻撃があったわけでもない。しかし青白く発光する肉厚の大剣にヒットする直前で、土属性魔法《塊岩(クラッグ)》なる重量級攻撃は唐突に消え失せた。

 これが《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》。触れた魔法を問答無用で無効にし、術者への衝撃までなかったことにして、かつデメリットなしで連発できるエクストラスキル。……と信じていたが、予想に反しピシィッ、という大剣にヒビが入るような音が聞こえた。

 だが。

 戦場では些細(ささい)なこと。俺はそれすら無視し、体を張った壁(スクリーン)をしてきた戦槌使いの男をもパスして加速した。

 

「あ、れっ……?」

 

 空中で狼狽(うろた)えていた革服男の腹にゾップン!! と響く刺突攻撃が決まった。

 規格外の鉄塊が腹の下から背中まで貫通し、男はメイジクラスを選択した甲斐なく、まともに支援もできないまま勝敗は決した。

 気合一閃でそのまま大剣をアッパーでもするように持ち上げる。

 グッチャァアッ、と上半身を縦に真二つにされるという、なかなか体験できない凄惨(せいさん)な最期を遂げると、男はとうとう《リメインライト》になって空中に漂った。

 

「っしゃあ!! まずひとーりッ!!」

 

 脳筋戦士は速すぎるカウンターキルに一時唖然(あぜん)とするも、驚嘆(きょうたん)すべき速さで俺に食いつてきた。

 慣れない空中戦。耳鳴りを起こす金属音と、おまけに片腕をバランス制御に使わざるを得ない状況に眉をひそめる。すると、なんと敵は両手で(・・・)ハンマーのグリップを握り、ギリギリと鍔競り合いをしながら話しかけてきた。

 

「くっそ《エッケザックス》かよ、どっからこんなレア剣を……てめえらさっきまでのはフリか、あァっ!? ……で、でもなんで補助スティックなんか……!?」

「(ぐッ……やっぱり……そうだったかッ!!)」

 

 片手だけで受け止めながら必死に頭をはたらかせる。

 リマインドされるのは、脳に響いた女性の機械音声アナウンス。あの時、エアレイドを前面に押し出した謳い文句を繰り返していた。

 ゆえに、両手用の武器が存在していること自体不思議だった。そして存在している以上、空中では特定のカテゴリ武器は両手で扱えない、なんてバカげた話はないはずである。

 現に、目の前の男は翅を器用に操ったまま両手で武器を振っている。これが答えなのだろう。

 この《アルヴヘイム・オンライン》なる世界にはどういう理屈なのか、スティックに頼らない翅の動かし方というのが存在しているらしい。

 先ほどメイジクラスの男にトドメをさした瞬間、アイテムストレージに何かをドロップさせたようなメッセージ音が聞こえたが、実際にゲームオーバーになる、あるいはさせることによってデスペナルティらしきシステムも作動するようだ。

 剣の不調も感じ取れる。《ラボラトリー》ではメガネ男が何の躊躇(ためら)いもなくスキルを使用していたが、無条件に魔法を無効化できたのはあの一瞬だけだったとみて間違いない。それとも《ラボラトリー》を脱してなお、武器そのものが消えてなくならないだけ(もう)けものと捉えるべきか。

 せっかくの魔法を完全否定するような武器が考案されている方が滑稽(こっけい)だが、剣の性能に任せたゴリゴリの遠距離封殺戦法は期待できないと見ていいだろう。

 

「(へっ、いいこと知ったぜ……ッ!!)」

 

 しかしその劣勢状況すら俺は楽しかった(・・・・・)

 生まれたての俺達にとって、すべては新しい発見だらけだ。

 魔法の発動に必要なスペルが英語ですらなかったこと、触媒も不要な魔法が存在している――のちに知ったが、このタイプの魔法の方が圧倒的に多い。杖は照準性(エイミング)と威力の補助がメイン――こと、そして脳筋の熟練プレイヤーと俺のアバターが筋力で()り合えていること1つとっても収穫だ。どう考えても俺のステータスは異質である。

 敵と戦う前に備えるべきことは、性能のいい武器と気概(きがい)だけではない。

 その点、焼けた肌を持ったこの少年らには、ある意味感謝をせねばなるまい。俺達が今もっとも欲している武器、情報という切り札を提供してくれているのだから。

 

「おっるああああ!!」

 

 相手の咆哮で鍔競り合いが解かれると、俺はスティックを引っ込めて地上に降り立った。

 大剣を体の正中線に構え、初めて得物を持ったまま正面から対峙(たいじ)する。

 しかし、流れで得意な地上戦に持ち込もうという算段は早くも見破られた。イケメンの両手用ハンマー少年は降下を中止すると何やらブツブツとスペルを唱え、地面を這うことしかできなくなった羽虫に一方的な魔法を浴びせようとする。

 種別は幻属性、魔法名《煙り包む灰塵(スモークス・アッシュ)》。彼の相方が巨大な岩をそのまま投げつけるワイルドな《クラッグ》という攻撃をしてきた時も思ったが、どうやら敵が魔法を発動した場合、その魔法名が敵アバターの付近に浮かぶようで、一定範囲内にいればそれを目視できる仕様らしい。無論、高速で移動しながら戦闘している最中なら見逃すことも往々にしてあるだろうが。この辺りは旧アインクラッド界のソードスキルの扱いに近いので違和感はない。

 だが身構えはしたものの攻撃魔法ではないようだ。モクモクとどこからともかく不透明な煙が漂ってきただけで、その場を移動しなかった俺にいかなるデバフも与えていない。おそらく時間稼ぎ用の目くらましなのだろう。

 

「(さーてどう来る……)」

 

 さりげにゆっくりと位置だけ変えつつ、視界ゼロの緊張感に押しつぶされないように神経を研ぎ澄ませた。

 これだけ濃い霧だと俺が音を出して動かない限り相手も感知は困難なはず。奴にはお得意の翅があるが、常に音は鳴っているし、いくら立体に動けるとは言え高速移動時は必ず空気を独特な音波で振動させてしまう。迂闊(うかつ)に動いて位置を悟られた方が不利になるというわけだ。

 しかしそこまで考えた俺を出迎えたのは、まったく予想外な攻撃だった。

 

「(来た! ……って、爆弾かよ!?)」

 

 何かを投下された瞬間にバックステップを踏んだことで直撃はなかったが、バリン! バリン! バリン! と地面に弾けたのは間違いなく巨大樹の上で雨のように降らされた火炎瓶もどきだった。

 狙って放たれたものではない。爆発力もいくばかグレードダウンした廉価版のようで、目潰し魔法からのハンマー連撃を想定していた俺からすると若干ばかり拍子抜けだ。

 だが気を抜きかけた瞬間、俺の先入観がいかに愚かだったかを思い知らされた。

 

「ジェイドさん! 音が2つに戻っています!」

「なにっ!?」

 

 どこか草の陰に隠れているシリカが声だけで教えてくれたが、まさに信じられないことが起こっていた。

 最初に倒した方のメイジの男が完全に復活していたのだ。

 敵の付近に浮かぶのはまた新しい魔法名、光属性の《蘇生(リヴァイブ)》。

 まさかシリカは翅が作るこの音の重なりの中から、特定の周波数を聞き分けられるのか、なんて発見もあったが、そもそも考えてもみればこれこそアクションRPGにあるべき本来の姿なのだろう。むしろゲームの世界だというのに、たった1回死んだだけで全てを失うなんてナンセンス以前に論外だ。

 それを2年間強制されたせいで感覚が狂っていることを自覚し、俺は晴れた(きり)の先にいる2人の敵を見据えた。

 

「すまねぇ、助かったよトヨ。けどあいつ、インプのくせに凄いスピードだったぞ。種族補正だけじゃない。どんだけVR慣れしてんだ……」

「敵は奴だけじゃない。気を抜くなよ、こいつの仲間はケットシーだ」

「湧いてる場所には違和感しかないけどね。多種族ペアであるからには脱領者(レネゲイド)かもしれないし、目と耳は相手に分がありそうだ」

「へへっ、けどどうも、初心者っつうお前の読みだけは正しそうだな。賭けはイーブンってことにしといてやる」

「ハイハイ。……あ、トヨが煙まいた時かな。投げつけてきたダガーも拾われてるね、気をつけなきゃ」

 

 そう言い合う男達は淡々としていた。まるでその分析と洞察がなんの自慢にもならないかのように。

 

「(や~れやれ気が遠くなるな……)」

 

 見事な審美眼である。あいつらは一見すると2人ともオチャラけているようで、しかしその鋭い注意力は的確にこちらの手の内を暴き、あまつさえアルゴの武器回収にまで気づいてみせた。

 動揺を悟られないよう舌打ちこそしなかったが、誰の目にも明らかな劣勢に心の中で溜め息を吐く。

 《リメインライト》の状態から復帰したこの男もまだ補助コントローラで飛んでいるとは言え、彼はスペルを読み上げるスピードが強みなようで、決して戦闘員として弱いわけではない。

 そしてこの《リメインライト》についてもっとも考察するなら、これはきっと死に切るまでの『猶予期間』だったのだろう。仲間が広範囲に煙を()いたことを知っていたことから、一定時間は意識を含めてその場にとどまり、アイテムなり魔法なりで蘇生処置を施せばもう1度戦線に復帰できる仕様なのだ。

 《エッケザックス》で後衛の男をクリティカルヒット2発で撃破できたことから、ステータスが異常に高い俺達にとって本来これは圧倒的に不利な戦闘ではない。

 だのに劣勢に立たされているということは、やはりこの世界で勝敗を左右するのにウェイトを占めるのは、経験値総量ではなく知識というわけだ。

 魔法の種類、武器防具ごとの強み、そして当然それらの対抗手段。

 この展開を読み切れなかったのは、考慮不足による判断ミスである。しつこいようだが、俺達は《アルヴヘイム・オンライン》のルールに乏しすぎる。長期戦になればなるほど裏のかきようがなくなってくる。

 さてどうしたものかと若干気が重くなりつつも、背の高い針葉樹よりもさらに高々度を維持する2人を見上げた。

 俺が助走をつけてジャンプしても剣が届かず、自分らが魔法を撃てば容易に回避できないだろう絶妙な距離感。相変わらずだ。

 

「(……しっかし、カテゴリが都合よく大剣で、筋力値不足もなしとはスキル制ゲーム様々だな。《エッケザックス》が使えたのはほとんど奇跡に近い……こんなものに頼らなくちゃならないとは……)」

 

 わずかな静寂を前に、彼ら曰くレア剣の、光り輝く一振りを一瞥(いちべつ)して俺は憂鬱(ゆううつ)な気分になった。

 これは俺の持論だが、剣を信頼せず、剣を本当に愛していない者は、それを振るう資格はないと思っている。

 もちろん2年前の俺がこんなクサいセリフを聞いたら、()でも生やしながら親の仇でも取るかのごとくそいつを(あお)っていただろう。

 だが俺は命と同等の価値ある相棒を背負って、いかなる困難も、絶望的な死地も、剣と共に戦い生き抜いてしまった。

 と同時に、焼き付くほど目にしてきた。武器をおざなりに扱う者、道具の延長としか認識できない者、そして真に愛さない者。彼らが最後の最後で剣に見捨てられ、この世を去っていった光景を。

 魂の奥にまで刻んだこの価値観は今さらぬぐえまい。

 しかしだからこそ、なんの努力をしたわけでもなくボイスコマンド1つで精製され、試し振りすらせずに実戦投入したこの武器について、どうしようもない不快感が襲ってきた。今さらだが中心の支柱に(はがね)を用いている以外が結晶製のこれは、特大リーチである見た目ほど重量もなく、その異様な軽さがさらに不安を掻き立てる。

 頭より先に体が理解してしまっていた。勝機があるとしたら俺の剣の能力ではない、ということを。

 しかしあいにく、強力な武器もまた《エッケザックス》だけではなかった。

 

「さあ、次で決着にしようぜ!」

 

 俺はあえて声に出して相手を挑発した。

 自身への鼓舞でもあったのだろう。されど彼ら2人は一切の感情も見せず、先ほどと同じフォーメーションを取っていた。2人が同時に魔法を唱え、さらに1人が接近戦を仕掛ける構えを見せる。唱え終えた瞬間に波状攻撃で畳みかけると見て間違いない。

 奴らの勘違い(・・・)を突けるチャンスは1度。

 気合いと共に地を駆ける。

 これまで通り肝を据え、仲間を信じる。何度でも立ちはだかる壁に、今度もまた血を吸う得物を向けるのだった。

 

 

 

 



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第108話 来る者拒まれ去る者追われ

 西暦2024年11月7日 《三領の永地》森林南西区画、《ドルトン湖》ほとり。

 

 「次で決着にしようぜ!」なんて叫んでみたが、彼らからの返事はない。やはりまだ言葉は通じないようだ。

 構える2人を見るに、どうも長期戦はお互い望むところではないらしい。

 俺も集中する。

 イメージされるのは『上』での戦い。ぶっつけ本番でアレ(・・)ほどの速度が出たのだ。だとすれば、この世界では叩き出せるスピードも人のセンス。

 高速域にいる自分を明瞭(めいりょう)にイメージし、脳から発せられる運動命令と《ナーヴギア》の電気処理をぴったり一致させる。そのレスポンスの短さがそのままスピードで表現されるはず。

 巨大樹で叩き出した最高速度……いや、それすらも超越してみせる。

 

「行くぜ!!」

 

 戦槌を構えたフォア―ドが先に呪文を唱え終わると、片手をかざしながら土属性魔法を放出してきた。

 魔法名《断片石(フラグメント)》。石の飛礫(つぶて)を直線状に放つだけの単純魔法だ。

 

「当ててみろッ!!」

「速いッ!?」

 

 不意を突く初動。システム外スキル、《ゼロスタート》。

 といってもほとんど気合い回避だ。限界まで引き付けてから真後ろへの猛ダッシュで、目標を失った石の欠片ドガガガガ!! と、地面に突き刺さり、続くハンマー攻撃をも連続アクセルですべて回避した。

 残された逆転の手段は、奴らの思い込みを利用することのみ!

 

「おい、アルゴ!! 手ェかせっ!!」

 

 これを合図にガサガサ! と、なんの武器も持たない少女が奥の木陰から飛び出し、湖の外周に向かって駆けだした。

 飛び出したのはアルゴではなくシリカである。

 メイジ側の注意が一瞬逸れる。パッと見では小学生のような、そのあまりに小柄な体躯(たいく)を目にして、ほんのわずかに動揺していたのだ。

 だが彼の長ったらしい詠唱は続いている。おそらく見た目がいかに若かろうと、その『中身』を操る現実の人間はきっと大人に違いない、とでも結論付けたのだろう。おまけに彼女は不用意に声を発したせいで奇襲もどきを失敗させ、後衛でありながら前衛の男に頼りっぱなしでろくな援護もできていない足手まとい、なんて風に見えるはずだ。敵が見くびるのも無理はない。

 

「(クソ、にしても詠唱なげェな!)」

 

 敵の魔法なんて種類はわからない。が、これだけ詠唱が長いのなら、放たれるのは避けようのない範囲魔法か、はたまた必中の追尾魔法か。

 いずれせよ、標的にされた時点で俺かシリカがダメージを受ける。場合によっては食らった時点でアウトだ。

 互いに必勝の作戦。

 

『おっるあァアアああああっ!!!!』

 

 咆哮が重なる。ブレードの長い俺の大剣と、柄の長い敵の戦槌が激突した。

 ガチィィイインッ!! と、甲高い金属音が響く。あくまで俺を地面にくぎ付けにしたいらしい。殺意に満ちた振動が体全体を震わせるのを感じた。

 土色の肌をした顔のいい脳筋野郎は、戦槌を構えたまま余裕の微笑まで浮かべる。

 追撃の瞬間。後ろの男がスペルを唱え切る、直前。

 

「ニャあああああ!!」

「うわっ、なんだコイツ!?」

 

 針葉樹のてっぺん付近からアルゴが姿を現したのだ。

 ガシィ!! と、危ういところで空中の男に飛びつき、強襲ついでに呪文詠唱を失敗(ファンブル)させる。

 

「ば、バカな!? 3人目だとッ!?」

 

 背中に張り付かれ、満足に抵抗できなくなった男でもアルゴは容赦しなかった。

 ザクン! ザクン! と、シリカから借りた初期装備ダガーを何度も肉体に突き立てる。途中で男が構えた曲刀を抜刀直後にはたき落とすと、そこから先は一方的だった。

 魔法触媒しかなくなった男は、せっかく全快した体力ゲージをみるみる減らしていき、あっという間に残量ゼロになると戦線離脱まで持っていかれる。

 ゲーム用語でいうテイクダウン。

 予想外の戦力に仲間を再度倒されて、作戦が見事に崩れ落ち、余裕をぶっこいていたイケメンもここにきてようやく焦燥をあらわにした。

 自分達が犯した重大なミス。確認もしないで人数を見誤った。初心者を前にした、熟練者を緩ませるわずかな(おご)り。その怠慢(たいまん)が、決まりきっていたはずの結果を変えた。

 

「サンキュー色黒!! 次は俺の領地で会おうぜ!!」

「うぐ、あああああああああっっ!!」

 

 注意力が逸れた瞬間、拮抗していた筋力が傾いた。

 ドッガァアアアアアアアアッ!! と。特大級、かつ青銅色の大剣が相手のアバターを肩から斜めに貫通した。

 地面でUターンした大剣は、男の抵抗をものともせずに直進する。筋肉に物を言わせた泥臭い肉弾戦と、肉を切らせて骨を断つラッシュの応酬。

 敵が戦槌を振り上げると、俺はむしろその長い柄に向かって前進した。

 衝撃。しかし敵のヒットは浅い。剣でいうところのブレード、つまり攻撃力が設定されたハンマー部分の直撃ではなかったからだろう。

 頭突きによるライトエフェクトを発生させ、空に逃げようとした男の足を左手で掴んで地面に叩きつけてやった。

 とっさに立ち上がる敵に、今度は俺が横に凪いだ剣で重い一撃をお見舞いしてやると、横っ腹にズンッ!! と深々と突き刺さり、両手に手ごたえを感じる。

 かすかに残っていたゲージが尽き、とうとう男の体は暗い炎に包まれた。

 

「なん、なんだよ……お前ら……」

 

 それが男の発した最後のセリフだった。

 ボウッ、と体が跡形もなく消滅する。あとに遺ったのは《リメインライト》のみ。死者がその場に漂わせる、意識だけを閉じ込めた火の玉だ。

 

「ハァ……ハァ……どうにか……勝てた……」

 

 緊張が抜けると一気に脱力感が襲ってきた。

 武器を持たない丸腰のシリカの陽動。針葉樹の頂上という、アルゴが敵に飛びつける高度の確保。そして連携プレイありきで地上戦を仕掛けてきた敵に、俺の得意なマンツーマン近接戦闘の技術で上回るだけの単純な作戦。

 しかしこれは事前に示し合わせたものではない。いわば完全な以心伝心まかせの賭け勝負だった。

 互いにどんな戦術を取れば生き残れるか。熟練者の裏をかけるか。頭の中でシミュレートし、確率の高いルートを選択し続けた消去法による思考の一致。この偶発的な相乗効果が運よくかっちりとハマったに過ぎない。もう1度戦ったら別の結末もあっただろう。

 ともあれ、息を整えた俺は地面に刺した《エッケザックス》にもたれかかりながら、左手でメインメニュー・ウィンドウを開く。

 そして、インベントリボックスで未だに文字化けしたままの数々のアイテムを無視してスクロールしていくと、欄の末尾にはとんでもない量の破損していないデータがあった。

 

「(うっへぇ、リザルト画面スゲーことになってんぞ。ふぅ~むナニナニ……体力や魔力の回復用ポーションが大量で、残りの物も消耗品が多いな。投げナイフに《火炎壺》、松明やらアウトドア用アイテム一式まで……お、この《劇薬のビネグリット》や《密売の原花石》なんてレアっぽくないか? 《グリーモのおいしい木の実》は……なんだ、ただの食い物か。ふむふむ、ドロップの基準がいまいちよくわからんけど、こりゃまた異常に多いな……)」

 

 これも随分(ずいぶん)あとになって判明したことなのだが、アルヴヘイム・オンラインではオンラインフィールドでプレイヤーをキルした場合、相対(あいたい)した敵が装備していないアイテムの中から『戦利品』扱いでランダムに何割かを奪取できるシステムなのだ。

 言わずもがなだが、準備万端の敵と戦えば苦戦を強いられるのは間違いないだろう。しかしその分、殺害に成功した消耗品の報酬は折り紙付きで、ストレージに攻略用アイテムを溜め込んだ敵ほどリワードは高くなる。

 他では、強力なモンスターを乱獲してようやく手にしたレア素材を待ち伏せに()ってかすめ取られてしまうことも、あるいは不要なアイテムでストレージの大半を埋めて死亡罰則(デスペナ)を最小限の被害で抑えることも可能というわけだ。

 しかしそれらの基礎ルールすら把握していない今の俺は、やたらに得た報酬から、とりあえず《回復ポーション》だけ取り出して一服する。

 こればかりはどんなゲームでも役割は同じらしく、回復量も申し分ない。HP上限が定められているこの世界では、大半のヒール処置でゲージが全快しそうなものだが。

 

「(おっ、これ剣の鞘代わりになるのか)」

 

 粗雑な作りではあったが、武器を背中に収める剣帯ベルトも見つかったので、それを実体化した俺は大剣《エッケザックス》を背負いながら無傷のアルゴ、シリカと合流した。

 聞かれても言葉の内容を判別できないだろうが、《リメインライト》に意識が残っていることが判明したことから、俺達はそそくさと湖の外周を迂回して歩きながらようやく訪れた正真正銘の安息を満喫(まんきつ)する。

 俺は歩きながらふと感じた疑問で口を開いた。

 

「にしても最後、よく俺の考えが読めたな。大剣の能力も発動限界あるっぽいし、正直メイジ側の対処どうすりゃいいかわかんなかったんだよ」

「にゃっはっはっ、何年の付き合いと思ってんダ」

「2年だけど」

「マジメに答えんなヨ。その大剣の能力が制限付きなのは知らなかったケド、敵がこっちの頭数を読み違えていたのは明白だったからナ! 『デート』って言ってたシ。あとはシリカちゃんと口裏合わせて……ア! オレっちのストレージに《鉤爪(クロー)》カテゴリの武器もドロップしていたヨ。性能は悪くないみたいダ」

「へえ、使ってないやつなら武器まで落とすんだな。ともあれ、初っパナの戦闘でほぼ完勝できたのはデカい。これから物資も100パー現地調達になるだろうしよ」

「ウム、なおさら武器はありがたいナ。熟練度はカンストしてないケドそこそこ高いし、さすがに初期装備よりは強いだろウ。今度からはこいつを使ってみようカナ。そういえばシリカちゃんもなにか貰えタ?」

「あぅぅ、なにももらえませんでした。たぶん、攻撃してないからだと思います。まったくお2人の力になれませんでした……。足手まといですよね、わたし……」

 

 自慢げだったアルゴとは対照的に、終始うつむき気味だったシリカが小ぶりのツインテールを揺らしながら謝ってきた。

 何度も命を助けられた割に、活躍シーンの少なさから負い目でも感じているのだろう。だが俺とアルゴは視線を交わすと、頭を撫でながらなるべく優しく答えてやった。

 手に吸い付く猫耳が超絶気持ちいい。

 

「(やべっ、下心が……)……な、なに言ってんのさ。シリカがタイミングよく注意を引いたから、アルゴだって敵に張り付けたんだ。ラストアタックは2人の手柄みたいなもんだろう。……ああ、それにほら! 別にギルド組んでたわけじゃないし、ラスト決めた人にしかアイテム行かない仕様なんだよ、きっと」

「ムフフフ、聞いてた通りの謙虚さだネ。ケド、報いたいと思う気持ちが本当なら、きみの頑張りはむしろこれから試されるんだヨ!」

「アルゴさん……これから試されるとは、いったいどういう……?」

 

 せっかく楽しんでいた俺の手を払いどけて、逆に自分がモフモフと頬ずりしだしたスキンシップの激しいアルゴに戸惑いながらも、シリカはわずかに察した不穏なワードに反応した。

 その質問には、アルゴの代わりに人差し指を立てて真顔になった俺が口を挟む。

 

「言葉通りの意味さ。どうにかチーター野郎の追手をしのいで、さっきの2人組まで倒した。……けど、だからって別に現実へ戻れたわけじゃない。つまり根本的には何も解決してないってワケだ」

 

 険しい道を歩きながら、シリカが胸の前で拳を固く握りしめる。どうやら、言わんとすることは察したようだ。

 

「ソードアートにまぎれたクソな実験……まぁ、あいつらがどこまで干渉できるのかは知らんさ。……けど、攻撃はもう始まってる。すでに他プレイヤーとは意思ソツ-も難しい」

「はい。……さっきの人たち、まったく話すこともできませんでした。突然おそいかかってきて……」

 

 どうもこちらから先制攻撃をした扱いに見えたので突然おそいかかる、というワードには少々引っかかるところがあったが、俺は構わず続けた。

 

「でも悪いことばかりじゃない。現にこうして被験者を逃がしてるわけだし、奴らも無条件でこっちのアバターをいじくれるほど万能じゃない。それができるなら、『白い部屋』で目を覚ますこともなかっただろうさ」

「オレっち達同士なら今も話せてるしナ! それに彼らのスペルワードも、意味まではわからないケド、単語そのものが聞き取れなかったわけじゃないデショ?」

「アルゴの言う通り、こっちは聞けるってわけ。……どうにか現実世界の人間に事実を伝えて、んであのクソ研究者共をブタ箱にブチ込まないといけない。……やるしかねーだろ? 白い部屋にいた連中を助けてやれんのは、デカい木から飛び降りた俺らだけだ。それまでは絶対に勝ち続ける。モンスターだけじゃなくて、プレイヤーに対しても」

「はい……」

 

 死ねない冒険、という意味では根本的な解決どころか、むしろ何1つ前進していないのかもしれない。今までとまったく状況が変わっていないからだ。

 しかも俺の陰に隠れるように歩いているシリカには悪いが、ネガティブなニュースはこれだけではない。

 ひと口に勝つと言っても、事前にすべきことはたくさんある。

 サバイバルを制す上で覆すことのできない鉄の掟。ここが弱肉強食の世界であること。そして、自分の身は自分で守らねばならないということだ。

 

「そのためにも前線で通用する攻撃法や戦略を学んで、練習して、んでジッセンしていかないといけない。今までは上層のアクティベートを《攻略組》に任せることもできた……けど」

「ケド、今度はそれをシリカちゃんもやらなくちゃいけないんダ。生き残るための鉄則みたいなものだヨ。オレっちやジェイドも、ずっとシリカちゃんを守ってあげられるわけじゃないしネ」

「うぅっ……はい……その、とおりです……」

 

 俺のセリフを拾ったアルゴの言葉でまたもボソボソ声になりながら、それでもシリカは現実を少しずつ認識していた。

 その戸惑いを不憫(ふびん)に思ってやることはできる。シリカは今まで何らかのアクシデントが起きない限り……いや、仮に起きたとしても滅多なことでは負けない戦いを繰り返してきたのだ。

 愛くるしい使い魔を(かたわ)らに、女性である希少性まで重なると、意図せずとも有名人となった彼女にはギルドからのオファーも絶えなかったそうだ。自分の身を守る十分な技術がなくとも、誰かがフォローに入る基幹が形作られていた。

 そして堕落を覚えてしまったのだ。

 その知名度でほとんど苦労することもなく、俺と比較にならない人数の仲間を得て、日々を安全に暮らしていける潤沢(じゅんたく)な食事と住居が保証される。自主性のない受け身の態度で生活が成り立ってしまっていた。

 もちろんそれが不幸だとは思わない。本来10歳そこそこの少女には、むしろ当然与えられる安全と権利なのだろう。

 しかし一夜とたたず状況は一変してしまった。

 晴天の午後、討伐隊が48人(そろ)って75層のフロアボスに挑んだかと思えば、1時間足らずで突然SAOそのものがクリアされたなどとアナウンスが入り、目を覚ましたら真っ白な部屋で新たな陰謀に巻き込まれ、幾度となく降りかかる理不尽な激痛に耐え抜いたら、最後には《攻略組》と同じように戦っていかなくてはならない、そのための訓練をしろ、なんて言われたのだ。

 果てしない緊張と恐怖。そのストレスたるや饒舌(じょうぜつ)に尽くし難いだろう。

 最悪の事態でないのがレベル制の廃止で、一応シリカも努力次第では前線の者達に実力で肉薄することはできる、はずだ。少なくとも物理的に覆せない差は縮まったと見ていい。

 荷が重いのは重々承知。

 おまけに、今日以降の戦闘にリスクを背負っているプレイヤーは俺達だけという、まことにフザけたルール変更まである。旧SAOのようなゲームバランスでない以上、時には敵の自爆特攻すら()(くぐ)らねばならないだろう。

 だが決まってしまったものは仕方がない。あとはその処遇(しょぐう)に対し積極的に挑んでいくか、それとも消極的なまま尻込んでいるかの違いしかない。

 

「アルゴとシリカは小さいし、対人戦じゃそのリーチの短さが不利になることもある……けど、小柄なりの戦いようってものもあるんだ」

 

 俺はあえて声調を上げて説明を続けた。

 

「俺んとこのギルドにいた男2人も背は低かったけど、別に戦闘じゃガンガン前に出て攻撃してたしな。……ともあれ()り方に1番詳しいのは俺だから、テッテー的に鍛え上げてやる。2人とも覚悟しとけよ~。アルゴだって戦闘職じゃなかったんだ。たぶん俺のスパルタ教育で泣くぜ?」

「なっ、なにヲ~!? オレっちだってたまにはレベル上げとかしてたからナ! ジェイドに教わらなくたって自分で学ぶサ!」

「まったまたぁ。でも言っとくけど俺、この世界でのスピードの出し方コツつかんじゃったから。アルゴより速いから、いまの俺」

「ガーンっ!?」

「ぷ……あはははっ」

 

 子供のような言い合いを見てようやくシリカが笑ってくれた。

 その笑顔に、俺はほんの少しだけ安堵(あんど)する。かつて俺とヒスイが使い魔《ピナ》の蘇生を手伝った時、そしてその後攻略とは関係なく《圏内》での食事やショッピング、また体験談を聞かせてやるだけの雑談する風景で、彼女が誰にもまして魅力的だったのはその満面の笑顔だった。

 決して痛みにおびえる顔や怖れに伏す姿ではない。

 そんな当たり前の光景を、一時(いっとき)だけでも取り戻すことができたのだ。

 

「(やっとだ。やっとスタートラインに立った。……空の飛び方、魔法の使い方、覚えることなら俺だっていっぱいある。俺がこの3人パーティでリーダーをやるっつうなら、たぶん最高にキツいのは俺自身だろうな……)」

 

 覚悟はできたが、とにかく時間が惜しい。

 俺は歩きながら戦利品の説明欄と魔法の扱いなどについて、文字化けした邪魔なアイテムを無視しウィンドウを操作しながら頭に叩き込んでいた。

 注目すべき点がいくつかあった。

 対策を立てる中で特に想定外だったのが、魔法の発動の難しさだ。

 戦闘中、敵はスペルワードを唱え切る前に何度か発動し損ねていた。だがそれもそのはずで、長い上に1つ1つが覚えづらいのである。おまけに英語ですらない。

 いったい誰がこんな難解な言語をわざわざ選んだのかは知らないが、あえて想像するなら、きっとこのファンタジーワールドを魔法でひしめく一色の世界にしたくなかったのだろう。

 空中戦闘(エアレイド)の際、VRワールドでは空を飛ぶ機械、例えば飛行機などの操縦席でもかなり難度の高い操縦技術を要求される。

 魔法を唱えながら高速で空中移動し、剣や盾を構えて接近戦もこなす必要が出てくる。そうなれば、ほとんど廃ゲーマーにしか辿(たど)り着けない、ビギナー殺しの排他的な境地となるに違いない。

 その難しさは片手に飛行補助コントローラを持った状態でも例外ではない。先ほど身を(てい)して体験したし、上で戦った反則のメガネ野郎とて『唱える過程』をすっ飛ばすチートを活用していた。

 すなわち、それが充分なチート行為足り得る証左。しかしだからと言って、滞空したまま《魔力(マナ)ポーション》でも飲みながら魔法をガンガン発動されては、それだけで戦闘の全てが完結してしまう。アイテムと人数で戦う前から勝敗が決まる、まさしく物量戦至上の光景が広がってしまうわけだ。

 だから苦肉の策として講じられた案が、この発音しづらいスペルワードなのだろう。

 おかげで接近戦を全否定することもなく、かといって呪文が長いだけならアバター操作などの生まれ持っての得意不得意は介在しないので、反復練習でいくらでも上手になれる。この仕様にはVRゲー初心者も言い訳できまい。

 しかし個人的にこれは嬉しくない。俺やアルゴの種族にも初期から与えられる魔法があったのだが、次の戦闘にでも魔法を導入してやろうという皮算用はこれで白紙だ。

 そしてブツクサと文句を言う俺は、さっそく脇道への注意が散漫になってしまった。

 

「じ、ジェイドさんたち!? 敵が来てます!!」

『なにッ!?』

 

 約20メートル先、鬱蒼(うっそう)と生えた1メートル以上ある硬い草木をかき分け、のっしのっしと歩いてきた四足歩行のモンスター。ギョロッとした目によだれをたらし続ける長い口、大型犬の5倍はくだらない体躯(たいく)悠然(ゆうぜん)と晒し、同じく暗いヒョウ柄を灰色に色付けされた足の筋肉を惜しげもなく披露(ひろう)した。

 モッフモフの灰色の体毛が目算を邪魔するが、おそらく尻尾まで含めた全長は約7メートル。昆虫のような翅は見当たらない――つまり空中戦を行えない――ものの、明らかに一帯に棲息する他の生物を蹂躙(じゅうりん)できるほど高レベルの狼型モンスターと見て取れる。

 こちらの存在に気づくと、口から副流煙のような白い息を吐いて低音の唸りをあげた。

 なぜかアルゴが顔面を真っ青にし、ついでに彼女を標的にしたのか正面を向き、数百キロとありそうな重心を下げた。

 

『グルオオオアアアアアアッ!!!!』

「にゃ、にっ、にぎゃぁああああああ!?!?」

「くそ、来るぞ! ここは逃げよう!! みんな全力で走れェッ!!」

 

 誰よりも必死に逃げ出したアルゴに若干首を(かし)げたが、俺達は川に沿って歩いていたので、深い考えもなしにその1本道を走り出していた。

 しかしそれが失敗だった。

 身を隠す場所が見当たらないのは、背の高い木々が壁のように乱立しているせいで視界が悪いから。なんていう、安直な考えがあったのである。

 だがたった1回角を曲がった先に見えたのは、『崖の端っこ』以外に比喩(ひゆ)しようのない完璧なる行き止まり。代わり映えのない空の景色だった。川の水が大量に流れているのに滝の音が聞こえないと思ったら、なんと水が空中で分散しているだけだったというギャグみたいなオチまでつていた。つまり『それほどの高度』だということだろう。

 いつだって現実は非道だ。

 その非道な仕打ちを目にして、右に並んで走るシリカが泣きそうな声になりながら助けを求めてきた。

 

「ジェイドさん! ジェイドさん! 道がないんですけどぉ!!」

「……うーっし、シリカ! 高いところは苦手じゃないよな!?」

「別に普通ですけど! ここは苦手って答えておきますー!」

「左手は剣を握るように、こう! スティックが出てもまだ力はいれるな! 翅が見えただろう!! 俺が合図したら全力でガケから飛んで……っ」

「イヤです無理です飛べないです!」

 

 猛然と迫るビッグオオカミ(今命名)から全速力で逃げながら、シリカはイヤイヤと首を振って抗議してくる。

 まったくこいつも往生際が悪い、ここまで来たら飛ぶしかないだろうに。アルゴを見習ってほしいものだ。飛行初挑戦の彼女が高さ数百メートル位置から命綱なしのスカイダイブをするというのに、「に”ゃははは! に”ゃーはっははははっ!!」と壊れたように笑う余裕すらあるご様子。

 ……むむう。震えているようにも見えるが、まあよっぽど気のせいだろう。

 俺は問答無用でシリカの服を右手で掴むと、残り数メートルで自分の『飛行補助コントローラ』も実体化しながら空を駆けあがる準備した。

 シリカが焦る。

 アルゴも焦る。

 

「ひえぇええええ!!」

「た、タ、高いぁい!? でも犬はいやぁああアアアアアアア!!」

「全員飛べェええッ!!」

 

 ダダンッ!! と、むき出しの岩石を踏みしめる音と絶叫が重なってこだました。直後に後ろで岩をも噛み砕く破砕音が聞こえてきたが振り向く勇気はない。

 足が離れた瞬間、またもタマ(・・)が浮くような浮遊感が襲ってきた。

 荒れた砂場や豊かな新緑の混ざったジャングルが消えると、景色がガラリと変わる。水に濡れつつもゴツゴツと褶曲(しゅうきょく)した岩肌と空中分散する滝、そして大きな虹の向こうには浅い水溜りのようなものだけが見えた。

 初めにデカい木からやった『身投げ』のように長考する時間はない。

 地面が迫る。

 

「スティック引くぞ! 力いっぱい、今ッ!!」

「わあぁあああああっ!!」

 

 掛け声と同時に彼女達が左手を手前に寄せる。

 すると、すでに十分な加速を得ていた黄土色の4枚翅はブオォウッ!! と景気よく振動音を発し、俺とほぼ同じタイミングで大空へ飛翔(ひしょう)した。

 風を切るような澄んだ音。そして重力が3倍に跳ね上がったのかと疑うような加圧。

 だがその先に待っていたのは、圧倒的な解放感だった。

 人が生身で、少なくとも何らかの飛行マシーンを身にまとわず空を飛ぶという、はるか大昔から夢見てきた人類の挑戦が仮想世界で成った瞬間だ。

 チラリとアルゴの方を見てみたが、彼女はなんだかんだと言いつつ狼型モンスターのことを忘れ、早速翅の動かし方やバランスのとり方を吸収し始め、涙目のまま俺にブイサインを送る余裕まで見せた。元《攻略組》らしい納得の対応力である。

 そしてシリカもようやくつぶっていた眼を開けると、その神秘的な光景に一瞬で見入っていた。

 数十メートル先の地面がいつまでも遠く、どんどん流れていく。言葉の(あや)ではなくまさにマップを鳥瞰(ちょうかん)している感動。今までは高レベルのプレイヤーがスピード感のあるダッシュで風を置き去りにすることもできたが、自由に空を舞う解放感とはやはり比較にならないだろう。

 風を受けながら、それでもシリカは驚嘆(きょうたん)を口にした。

 

「す、すごい……。それにこの飛行! 思っていたよりずっと速いんですね……!!」

「それな。移動楽にしすぎだよこれ。さっきはイヤがってたけど、飛んでみるのも悪くないもんだろ? おーい! アルゴはそんな速度だして大丈夫かー!」

「オレっちは平気ダー! ニャッハッハッハ、しかし楽しいなーコレぇ! こんな翅に加えて転移魔法か結晶やらあるなラ、逃げるのも楽なんじゃないカー!」

「あっはっは、あったらなぁ! でも、フィールド面積なんていくらあっても足りんだろう! ないんじゃねぇのー、たぶん!」

 

 実際この予想は正しかったわけだが。

 四方から突発的にやって来る風をいなしながらも、俺達にはよそ見をして雑談する余裕まで生まれつつあった。

 それを自覚すると不思議なことに視野も広がるようで、首下から肩甲骨にかけて力んでいる筋肉があることに気が付いた。飛翔行為はそんなに慣れたものではないが、やはり地上を歩く際も背中にこんな感覚を感じることはなかった。

 だとすれば……、

 

「(さてはこれが『手無し運転』のロジックだなぁ? 浅黒い肌のイケメンがやってたやつだ。他の奴にできるなら俺だって……)」

 

 恐る恐るスティックの傾きを浅く戻していき、浮力が落ちて翅にのしかかる負荷を背中の筋肉に集中させてみる。

 体と武器の重量が徐々に左手から移り変わっていく感覚を覚えると、俺は意図的にバランスを崩してみるなどして、背筋と肩甲骨周りの筋の動かし方を強制的に頭に叩き込んだ。

 想像していたより(はる)かに難しい。同じことを繰り返しているようで、直進以外の行動に出たとたん風にあおられてフラついてしまうのだ。しかも集中力の大半を背筋に回しているからこそ滑空(かっくう)程度を可能にしているのであって、わずかな旋回やアップダウンで剣を構えることすら困難になる状態では、むしろ使わない方がマシだ。

 しかし、本来これが習得まで時を重ねるべき上級技術だったとして、やはり俺達は早い段階で実戦投入せざるを得ないだろう。

 ここはいわゆるオープンワールドであり、敵は生身があるプレイヤーであり、その本質は略奪やPKが横行するスキル制オンラインゲームである。

 自由な探索とシームレスなフィールド。踏み込む場所を間違えればダンジョン侵入後数分で強敵に出会うこともあるはずだ。レベル、ランクマッチ機能が未搭載なら、サービス開始直後からプレイする古参連中とたった今から会敵する可能性だってゼロではない。レトロなコンシューマRPGで見かける、低レベルの確殺スライムからチマチマポイントを稼いで準備、なんて日和(ひよ)ったこともできない。

 であるのなら、勝利し続けることが生存条件にあるこの3人パーティは、この瞬間から連中を蹴散らせる熟練者たらねばならないのだ。

 せっかくの景色だが、遊覧飛行をしに来たのではない。

 俺はめげずにチャレンジすることで、どうにか両手に何も持たず飛行する感覚を掴んでいた。

 

「……うーし、だいたいわかってきたぞ。手無し運転のコツ」

「さっきから何やってるのかと思ったら、コントローラしまったまま飛んでたのカ。……ウオゥ!? なんだコレ! 移動に背中の筋肉とかあんまり使わないし、もしかしてメッチャ難易度高いんじゃないカ!?」

「こっ、これはっ……ちょっと、わたしには無理みたいですね……きゃあ!? へ、ヘタすると落ちちゃいますよこれ!」

「弱気になるなってシリカ、なんでも練習だ。意識は背中! 顔は前見て!」

 

 蛇行するシリカの前を陣取ると、『後ろにバックしたまま手無し運転』をして、なるべく俺が体得した感覚をレクチャーしてやる。

 

「ほらほら、背中じゃなくて俺を見ろシリカ。いいか、風が来たらそれに乗るだけ。来なくなったら首すぼめるような感じで、思い切って腕回す感じ!」

「そんなこと言われたって……こ、こうですか? わわっ!?」

「おう、今のは惜しいぞ! ちょっと力みすぎだ! コントローラは出したままでいいから、今後は右手にダガー持った状態で……」

「おいジェイド! 前見ろって、前! モンスターの大群だゾ!?」

「うげぇっ!? またかよオイ!」

 

 アルゴの指摘に、レクチャーを中止してグラつきながら反転。現れたのは2時の方向、視界ギリギリに展開するのはまさしく昆虫タイプの大群だった。ケットシーならではの優れた視力が羨ましい。

 イナゴの群生地にでも立ち入ってしまったのか、羽音も聞こえない距離でいち早く発見した功績に感動する間もなく、俺は背負っていたペイルブルーの結晶大剣を三度(みたび)引き抜く。

 はっきり言って、体はとうに限界である。クォーターのフロアボス《スカルリーパー》や、皆を裏切り魔王として立ちはだかったヒースクリフ。そしてデバック用のバカ強いMobや、無敵のメガネ男との連戦から数時間とたっていない。

 ましてや本物の身体ダメージやら、大気圏層すれすれの高さからパラシュートも持たず自由落下する恐怖まで味わっている。

 それでも戦いは絶えない。そして大剣を手にした俺にはできることがある。

 ならば答えは単純だ。

 

「ッしゃあ、『手無し』練習の景気づけにすんぞクソッタレがァ!! アルゴはシリカ守って低空飛んでろ! ポーション飲むタイミングだけスイッチだ!」

「わ、わかっタ。無理すんなヨ……ッ!!」

「頑張ってくださいジェイドさん!」

 

 接近。激突まで数秒前。

 俺はもう、キレていた。

 

「いい加減にしろやゴルアァアアアアッ!!」

 

 全力で大剣を振りかぶる。

 バキバキバキィイイ!! と、最初の一振りで何体かに命中した。

 昆虫の翅やら触覚やら脚やら体液やらが宙を舞い、それらが飛沫(ひまつ)となって顔面を緑色に塗り上げることすらいとわなかった。

 むしろ注目すべきは、一撃で死んだ奴と死ななかった奴がいる点だ。

 スピードの算出法に仮説は立てられたが、攻撃のそれはまだだった。しかしブレード部分に触れた瞬間、カタログスペック通りのダメージが出ていないということは、ヒット箇所や強弱も影響されるというわけだ。

 当たれば倒せる、といった単純な理屈は通じない。ヒット箇所やその強弱いかんによっては、倒す/倒せないの境界を往復することさえ起こり得る。なにしろ、この世界における武器性能の差は、レベル制のアインクラッド時よりはるかに幅が狭いのだから。

 そこまで一瞬で考えると、悲鳴を上げる全身の筋肉を無視して鋭角カーブで乱数回避を心掛けた。

 というより、『手無し運転』が雑すぎて勝手にそうなった。

 しかしグロいのもキモいのも慣れっこだ。エイリアンのような口角と毛の生えた複眼に無慈悲な結晶塊を叩きこむと、その反動を利用してまた突進攻撃を回避。スティックのボタンを押し込んだだけでは到底出しえないスピードが加算され、俺はイナゴどもを追随(ついずい)させない速度で垂直急上昇(ズーム)した。

 肩甲骨から延びる仮想の筋肉が震えると、あっという間に雲の高さまで到達。

 

「(エグい加速だったぞ、今!?)」

 

 自分で言うのもなんだが、実際に凄まじいスピードだった。心理的圧迫のせいで、理性が先に減速をかけてしまいそうになる。

 まさか手無し運転によってスピードの上限まで飛躍的に上がってしまうとは。これはますます上級者の必須システム外スキルだろう。直線距離を稼いでようやく速度を出せるだけの俺は、戦闘ではまだまだ論外である。

 だがスピードの恐怖にどうにか打ち勝つと、敵を引き離した俺はいったん全体配置を見直した。

 大群と言っても、どうやら捕獲されなければダメージを負うことはないらしい。こういうのは大量に張り付かれると確定死するのが定石だが、比較的AIが低く設定された弱小モンスターによる編成と見ていいようだ。

 だとすれば恐れることはない。

 

「ぐ、ォおおおおっ!!」

 

 再接近するとザク! ドガ! グッチャア!! という効果音がぴったりなほど、俺は何の容赦もなく《エッケザックス》を食い込ませた。

 リーチでもスピードでも劣る劣等種を一方的に圧殺できる爽快感。しかし、そんなストレス発散に夢中になっていると、アルゴやシリカにも数匹向かっていることに気づき遅れてしまった。

 一瞬ヒヤリとしかけたが、救助に向かう直前で思い直す。

 

「アルゴ! シリカ! 逃げてばっかいないで武器を持て!!」

「ええっ!? 助けてくれないんですかぁ!?」

「薄情者ー! 大剣持ってるのはお前しかいないんだゾー!」

「武器の性能は関係ない! ここはSAOじゃないんだっ!! 当てる場所! 速度や角度を見ろ! いい機会だ、動きを見て戦え!!」

 

 俺が喝を入れると、アルゴ達が先ほど強奪した《クロー》をたどたどしく右手に装着し、意を決したように武器を構えた。たった今思い出したが、左利きのアルゴはスティックによって利き手を封じられてしまうことになるため、右手での攻撃強制はかなり不自由な戦いになるはずだ。

 だが飛行と空戦の同時練習ができるなんて、ピンチどころかチャンスととらえるべきだろう。

 左にはまだスティックを握りしめているがそれで十分。重要なのは先入観による苦手意識を克服し、このイナゴ共で超基礎的な飛び方とエアレイドをマスターしきること。利き手で攻撃できるようになるためにも、いち早く『手無し運転』に移行できればベスト。

 時折密集した敵だけを払いどけながら、俺は祈るような気持ちで戦況を眺めた。

 彼女達は肉薄するモンスターに対し、果敢にダガーとクローを振り回している。自身のそれを含め飛び方にまだ不安は残るが、やらねば殺られる状況を前に見事な対応をしていた。

 アルゴに至ってはヒット直前の際どいところで前宙しながら跳ね上がると、アクロバティックなクイックターンで敵を屠っていた。これがコントローラなしにできれば言うことなしである。

 

「いいぞ! 飛ぶことと敵を見ることを同時にこなすんだ! 慣れたら剣なんて後からついてくる!」

「適当言うなッテ! ていうか左を塞がれてるカラ、飛行はできても攻撃がイマイチに……ウヒャぁっ!? くっ……コラー!! もっと手伝ェ!!」

 

 厳しいようだが、甘やかしても抜本的な解決にはならない。

 アルゴの嘆願はスルーしたが、さすがに数が減ると敵も学ぶのか残り数匹となった時点で自らご退場してもらえた。

 わずかな静寂と、『スキルポイントを獲得しました。これは各スキルの《熟練度》を成長させるポイントで、1度振り分けてしまうと……』ナンタラカンタラという、また新しい特有の要素を機械音声が説明してきた。

 とは言えこれもいわゆるリザルトだろう。これで正真正銘の平和が……、

 

「(いや待てっ……)……おい2人とも! 気ィ抜くな、まだいるぞ!」

 

 高々度からアルゴを見下ろす先に、小さな影がチラチラ覗いていたのだ。

 またも黒と茶色基調の服を着た3人の男性プレイヤー。彼らは木々の隙間を()うように……否、全速力でこちらに向け走ってきている。

 しかしこれは好機でもある。もし彼らが攻略に全力でなく暇をしていて、強制デバフアタックをされても怒らない人種という奇跡的な幸運が重なれば、あるいはここでゲーム終了になるやもしれない。

 だが「おーい! そこのプレイヤー!」と声を張り上げるも、薄っぺらい希望ははかなく散った。

 

「おおっ、ラッキー!! やっぱり他の奴いたじゃん!」

「だろう!? 読み通りだっ!!」

「トレインして逃げようぜ、ここまで来てデスペナはもう嫌だー!」

 

 前を走る1人は俺の呼びかけにも当然無視。しかもとんでもないことまで言い出した。

 そもそも今の俺は話しかけても意味がないことを思い出していたが、それよりも不運だったのは、彼らが3人とも普通にモンスターの押しつけ(トレイン)をしてくる害悪連中だったということだろう。

 やれやれ、休憩なしでここまで頑張ってきたのにこの扱いだ。どいつもこいつも行儀がなっていない。

 よく見ると、すぐ後ろに二足歩行する筋肉ムキムキ全長2メートルのトカゲ型ボクサーと、ケツに胴体と同じ大きさの針を持つ1メートル以上のチョウチョ型のバケモノが何体も張り付いている。翅があるのになぜ地上をコソコソ走っているかは知らないが、こうなったらもろとも成敗してやるとしよう。

 

「走ってるのにもワケがありそうだナ。……こ、こっち来てるゾ!?」

「どうしましょうジェイドさん! 彼らも話を聞いてくれそうには……っ」

「ああーってるよ! ったく、厄日だろこれはさァ!!」

 

 逃げの選択肢はない。何の効果がはたらいているかは知らないが、モンスターのターゲティングがすでに俺達に移り変わっていたのだ。

 碧落(へきらく)に輝く大剣《エッケザックス》を構えながら、意を決した俺は集団に向かって全力で急降下(ダイブ)した。

 恐怖を組み伏せ、重力に『乗る』。

 脳が歯車を噛み合わせると、翅の高速振動でさらに加速。

 ガッシュンッ!! 風ごと斬るような斬撃音がした。

 ようやく空中戦に移ろうとした男1人をすれ違いの一瞬で斬り殺すと、その悲鳴を後ろに放置して地面に激突。ゴッガァッ!! と、凄まじい土煙をあげた。

 そして、そのエネルギーすら殺さず距離を詰める。

 

「うわっ!? 向こうから来やがった!」

「なんかゲームでマジになってんぞコイツ!?」

 

 愚かにも片方は慌ててスペルを唱えだすが、彼我の差はあと数メートル。よほど今まで魔法に頼ってきたのだろう。

 だが知ったことではない。

 

「マジでワリィかッ!!」

 

 出力できる限界速で接近すると、固く握りしめた拳で相手の顔面をブン殴る。

 すると奴はゴッシャア、と泥だらけの地面に顔からスライディングした。

 剣で斬るのは納得できても、素手で暴力は納得できなかったのだろう。よもやアバター越しとはいえいい大人が殴られるとは思わなかったのか、骨に響くようなゲンコツに対し、突然キレた俺に向かって男達は怨声(えんせい)を浴びせだす。

 しかし敵の事情に構うことはない。

 尻もちをつく敵の鼻ツラに結晶塊を押し込んでバッサリ潰し捨てると、同時にラスト1人の頭を全力の上段回し蹴りでぶっ飛ばし、迫っていたモンスター集団への片道切符をくれてやった。

 さすがに目の前まで接近されると防衛機能が作動するのか、敵集団は手序(てつい)でとばかりに男を攻撃し、情けない絶叫と共に彼は間もなく炎に包まれた。

 

「っしゃあオラァ!! 死ねやカスがァーッ!!」

 

 3対1で圧勝。肩で息をしつつ、腹の底から大音量で快哉(かいさい)を吐き出すと、ついにモンスター集団が俺に攻撃してきた。

 麻痺(まひ)しだした腕を動かし、それでも俺はすかさず応戦する。

 発射される極太の針を(かわ)し、わずかに伸縮するムキムキのパンチをかいくぐり、一筋だけ見えた反撃の瞬間に己の大剣を叩きこむ。その一振り一振りが、この世の理不尽な暴力への対抗だった。

 舞うポリゴン片のしぶきに、削られていく命のゲージ。接写した映像がゆっくり流れるような世界で自分の叫び声すら遠のく。

 絶え間なく続く剣戟(けんげき)

 それでもまだ動く腕があるなら。振れる刃があるなら。そして……その先に、愛する人が待っているのなら。

 

「死ねねェンだよ、俺はァあああッ!!」

 

 ズッガァアアアアッ!!!! と、とうとう視界に映るすべての敵を両断する轟音が響いた。

 荒い呼吸で(あえ)ぎながらも、どうにか地に膝をつくことには耐える。だが散らばるモンスターの肉片を踏み潰し、それがポリゴンデータとなって消えたところで、俺は本当の地獄を知った。

 

「そんな……ジェイドさん! ダメです、まだたくさんいます!」

「別の方角ダ。今度のはでかイ! ……そ、そんナ……大きさだけならボスクラスだゾ! 早く逃げよウ!!」

「ハァ……ハッ……ハァ……オイどうなって、やがる……っ!?」

 

 まだ空中にいるアルゴ達が信じられないことを言い出したのだ。

 立っているのもやっとになるほど消耗(しょうもう)したというのに、潰せど潰せど湧いてきやがる。

 くそったれだ。確かに木々の揺れと地響きらしき音まで確認できる。

 これがもし俺達を狙って行動している大型の敵性ユニットなら、このエンカウント率は明らかに異常だ。過酷な戦況なんて段階を逸脱(いつだつ)している。まさかこのゲームはフィールドに出た途端、初心者が数分たりとも生き残れない極悪難度に設定されているとでもいうのか。 

 

「(……くそっ、ンなワケないか。何かイジってやがる……!!)」

 

 俺やアルゴも、まだ『プレイヤー』というパーソナリティを持っているはずだ。それは装備や戦闘システムの制限、各リザルト画面を考慮すれば確信できる。

 だが何らかの要因をトリガーに、モンスターのターゲティングを最優先に設定されているのもまた事実。それらの原因を探し出し破棄する、変更する、譲渡(じょうと)するなどして対策しない限り、休憩はおろか食事や睡眠もままならないのだ。

 あるいはそんな余地もないのであれば、その先には不眠不休の強制戦闘生活が待っている。永遠に逃げ惑い、永遠に追われ、永遠に戦い、輻輳(ふくそう)する敵を撃破すると息継ぎもなしに次のサイクルが始まる。憤懣(ふんまん)やる方無いストレスと暴挙に踏み殺されるまで無限に続く悪夢。

 無論、それは人類に耐えられる所業ではない。

 

「(もう……十分やったろう。他に誰がここまでできたよ? クソっ、ここであきらめたって……ヤッチーの奴も許してくれるさ……)」

 

 空を仰ぎ気が抜けた瞬間、本当に意識が飛びかけた。気持ちいい風と共に流れる、消え入るような安らかな(いとま)。優しく包み込むような睡魔に、何の抵抗もなく頭の芯にある大事なスイッチを捧げたくなる。

 しかし俺は、それらを気合いで打ち消した。

 まだだ。

 まだ俺には守らなくてはならない人が、会わなくてはならない人がいる。

 目をつぶるとヒスイの笑顔が一瞬だけ脳裏に映った。彼女の笑顔に触れ、(いや)されるような声を聞き、そして本当の名前を知るまでは戦いは終わらない。

 『ミカドメ』、と彼女は言ったか。たったこれだけの情報ではシロウトが人探しなどできないのかもしれない。

 だがシロかクロかなぞ関係ない。絶対に探し出して見せる。

 そんな、焼き付くような想いが膨れ上がった。

 

「アルゴ、シリカ、くらった分は回復しとけ。幸いプレイヤー倒した時の報酬は大半が回復ポーションと魔力ポーションだ。負けない限り底はつかないさ」

「で、でもこれからどうするんですか……? いくら回復しても、ずっと戦い続けることなんてできませんよ?」

「一定の規則のもとで俺達は狙われている。……なんか原因があるんだ。他のプレイヤーにはない、俺達にしかない特徴が。何でもアリならとっくに意識ごと持っていかれているさ。……クソ、あるはずだ。絶対に! そいつを探して、少なくともこの集中狙いを止める!」

 

 力強く踏み込むと、俺は語気も荒く空へ飛びだした。

 もちろん両手は空いたままだ。このスティックに頼らない背筋と肩甲骨の筋を使った『手無し運転』も、コツさえ掴んでしまえばあとは反復練習。まだ飛び始めて数回の俺とて、独特な移動法には慣れてきている。

 あとはアルゴ達にもそれを実践してもらい、避けるべき戦闘を避けられるようになれば、比較にならないほど生存率も上がるだろう。

 そこまで考えた直後、ゴッパァアアアッ!! と木の枝が無数に付近を()いだ。

 自立移動できる大木の妖怪である。その大型Mobが触手のような多腕攻撃を仕掛けてきたのだ。

 まともにぶつかれば骨の折れる作業となろうが、相手が飛べないのなら取り合うことはない。なるべくランダムな機動で注意を引いてやると、折りを見て一気に加速。鈍足なモンスターを瞬時に引き離してやった。

 一行が高度を上げると地響きのような足音が遠ざかる。崖から飛ぶ前に襲ってきたビッグオオカミも然り、中には飛行に移るだけで振り切れてしまうモンスターもいるようだ。

 そんな思考を読み取ったように、アルゴが嬉しそうに口を開いた。

 

「このまま飛べば陸でしか動けない敵はいないも同然だナ! オレっち達からすればありがたいガ、集中狙いさえなくなれば随分とヌルいゲームだヨ!」

「はい! わたしもだいぶ飛ぶのになれてきました! スティックありならダガーを構えたままでもなんとか飛べます。それに、なしで飛べるようになれば、もっと早く飛べるんですよねジェイドさん! ……あれ、ジェイドさん……?」

「……なにかがおかしい。2人もそう思わないか!? 宙に浮いてる島らしきモノもないし、飛行しているNPC的なのもいない。まだ見つけてないだけか……仮にも飛べるのがウリのゲームだぜ!? わざわざ地上しか移動できない敵を配置するのも……のわっ!?」

 

 俺が慌てたような声をあげたのは、急に翅の推進力が落ちたように感じたのだ。スマホのバッテリーの充電が少なくなった時に低電力モードになる感覚が近いだろうか。

 だが減速しだした体はさらに鉛のように重くなっていった。

 

「なっ、なんか下に落ち始めてます!? スティックを引いても!」

「全員いったん地上に降りるぞ! 高度下げろ!」

 

 とっさに背中を見ると、やはり翅の周りにチラついていた光燐(こうりん)がない。

 嫌な予感に従って全員が一斉に急速ダイブしだが、程度の差こそあれほとんど半ばあたりで完全に飛翔力が失われ、翅から得られる浮力が途絶えてしまった。

 いい加減しつこいくらいに味わった自由落下。

 しかし今度は3人とも慌てることなく背の高い木の枝などを利用し、無様ではあったが各々速度を和らげながらドサッドサッ、と地面に落下した。

 

「ぐわ……く……くそったれ、滞空制限があるのかよッ! どーりでさっきの連中が下を走ってたわけだ……ッ」

「い、いった~い。ケホッ……うぅっぷ……なんか、これ……ずっと飛んでるとヨいますね。……ああもう! ホントに、今日は1日最悪です!」

「酔う、ナ……確かニ。ケド……オイお前サン達、さっそく敵サンのお出ましだゾ」

 

 立ち上がりで少しおぼつかなくなる。なるほど、慣れないうちは本当に三半規管も狂わされるらしい。飛行機に乗って遠出、なんて贅沢ができる家庭で育っていないので、《飛行酔い》なんて初めての経験である。

 しかも物理的な絶望もそこにはあった。土や(ほこり)を払う暇もなく、気づけばけたたましい音に吸い寄せられた魑魅魍魎(ちみもうりょう)のモンスター群が四方を囲んでいたのだ。一切隠れようとしない派手な空中移動でここら一帯のモンスターでも釣ってしまったのか、走って逃げられる量ではない。

 敵も手を抜く気はないらしい。息が整う間も与えないと来た。

 なるほど、なるほど。

 

「(よくわかったぜ、カスが。上等だ……!!)」

 

 背中の大剣を抜刀しながら、俺は思わず不敵な笑いが込み上げてきた。

 リミットのない飛行能力なんてものは存在しない。おかしいのはモンスターによるこの集中狙いだけで、他は極めて精巧に考え抜かれたゲームバランスの上に成り立っているのだろう。

 だとしたらやることは明確だ。

 

「こいつら殺して、何としても生き延びるぞ!! 全員構えろォ!!」

 

 無限湧きする大群との激突が繰り返される。

 戦いは終わらない。茅場晶彦が用意した仮想の舞台は何者かによって引き継がれ、冷酷な凶具が飛び交う新しい大空のステージに移行した。

 しかし、それがいかに厳しい条件下にある一方的な暴力だったとして、きっと俺は剣を握り続けるだろう。

 それぞれの誓いを胸に、これまで争ってきた足跡を否定しないためにも。

 

 

 

 



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第109話 新天地の剣闘

 西暦2024年11月10日 《虹の谷》第2山、高度限界寸前空域。

 

 空を飛翔(ひしょう)できる妖精の国、《アルヴヘイム・オンライン》。

 この世界に足を踏み入れ3日がたった。

 激戦に続く激戦と不条理な戦力差。しかし《攻略組》だった俺やアルゴはともかく、戦力としては心もとないシリカでさえもまだ生きている。

 最初に会敵した《土妖精(ノーム)》2人組が言っていた、名を《アルン》と判明させた中央都から空に屹立(きつりつ)する世界樹。

 すなわちスタート地点のてっぺんから風に流され、3つの領土が隣接する《三領の栄地》なる大きな森林区間の中央に空から侵入し、山嶺(さんれい)に沿って南下し続け幾星霜(いくせいそう)(体感)。

 なにも3日3晩休むことなく戦い続けたわけではなく、数時間ぶっ通しで続いた過激な戦闘が終わりを迎えたのは、俺がある異変に気が付いたからだった。

 俺達と他のプレイヤーを隔てる相違点、それは『膨大な量の破損データ群』だったのだ。

 どこに逃げ隠れしようとすぐに追手に補足されたのは、おそらくシステムがオートで実行する《エラー検出プログラム》に引っかかり続けていたからだと推測された。

 初めは確信などなかったが、撃破後と次戦のわずかな合間に少しずつ処分――手っ取り早く全処分できなかったのは戦利品まで捨てないため――していくと、最後の1つを境に攻撃はぱたりと途絶えた。

 それが地上に降り立ってから2時間がたっていたころだ。

 では今が安全なのかと問われると、そんなこともないから困ったものである。

 快晴の散歩日和を盛大に投げ捨てて、俺達は断崖絶壁の岩肌スレスレを、3人で並列軌道を描いたまま必死に飛行している最中である。

 後方50メートルあたりを見ると、血相を変えた《影妖精(スプリガン)》小隊が「奴らを逃がすな! 飛べるのもそろそろ限界のはずだぁ!!」やら「やられた分取り返さなきゃ割に合わないぞ! おまえら本気出せっ!!」とか「ダメ入んのは見た! チート野郎を殺せぇ!!」なんて、お互いに気合いを入れながらついてきている。しかも殺伐とした世界観に似つかわしくないことに、1人は希少価値の高い淑女だ。思わずその手のサークルで()でもやっているのかと邪推してしまう。

 2度ほどプレイヤーを倒したのにも関わらず()りずに仲間を蘇生させて追ってくる4つの影を尻目に、会話を盗み聞かれないことをいいことにアルゴと俺は大声で叫んだ。

 

「あいつら結構しつこいナ! 蘇生品も値は張るだろうニ! 代わる代わるスイッチしてきて、倒してもキリがないゾ!」

「つっても相手は4人だ、やるからには陣地まで誘う! 一気に決めて復活の隙を与えないようにするぞ! シリカ、準備はできてるな!」

「は、はいっ!」

 

 まだスティックを放せないシリカは先に起こった乱戦を早めに切り上げ、集団よりだいぶ先を飛んだまま大きく返答した。またチラチラと後ろを確認するが追いつかれるペースではないので問題ない。

 敵は黒一式の装備と優秀なトレジャーハント能力が特徴的な《影妖精(スプリガン)》なる妖精で、許された滞空制限こそ俺達より長いもののスピード補正は互角。しかも敵とて補助コントローラ持ちが3人、『手無し運転』をする両手用斧槍(ハルバード)使いが1人という程度の構成だ。見たところ半分は後衛のメイジ職だろうが、何にせよ隊列を組むためには低速のプレイヤーに合わせる必要がある。

 わざとコントローラをチラつかせることで力量を見誤らせるフェイントテクニックも存在するが、すでにコントローラ持ちの撃破に2度も成功している時点であれはブラフではないだろう。片手が埋まっている連中は見た目通りの腕しか持ち合わせていない。

 とは言え油断しないまま(はね)を使った高速移動を緩めず、「頼むぜ2人とも……」と小さく口ずさみながらも、俺は依然として高いプレイヤーとのエンカウント率に悩まされていた。

 確かにフィールドは広い。しかし、同時にユーザの母数も多いのだ。

 中立域に留まっていてもわらわらモンスターが湧くため移動せざるを得ないのだが、かといって動き回るといろんな種族の血の気の多い連中と鉢合わせしてしまう。なるべく(かわ)すようにはしているが、翅の関係上こうして逃走すらできない場合もある。

 そして接近を許してしまうと、今度は《弱体化(ウィーケン)》のデバフを与える広域闇魔法が勝手に発動するのである。

 相手の逆鱗に触れるような有無を言わさぬ行動で、どうやら《脱領者(レネゲイド)》と呼ばれる枠組みに強制加入させられたらしい俺達は、あらゆる種族の妖精から殺害の対象となってしまう。おまけにその名の通り、妖精固有の《領地》に侵入することもできないときている。

 広域魔法は運営会社主催の《ハンディキャップ・バトル》なる、新規アカウント作成者を優遇する公式大会でも使用されている代物で、その発生へのプロセスで誰それが呪文(スペル)を唱える、なんて必要はない。プレイヤー同士が接近し、その距離をある程度キープすることが発動の条件ではあるものの、チートコードを介さず運営側が能動的にフィールドへ自然発生させられる数少ない魔法である。

 そしてダメ押しの《セーフマスク》。

 機能を載せるに至ったルーツがプライバシーポリシーなのかどうかは定かではないが、これが最大レベルで適用されている限り、『相手に不快感を与える猥褻(わいせつ)な表現』か『モラルを欠く暴力的・差別的な発言』として扱われ、俺達の発言は全てディストーションがかかったような妨害を受けてしまう。

 しかもこの声のノイズについて、運営からのジャマーだと正確に理解されずとも奴らにとって問題はない。

 というのも、多くの人からは『ラグの激しい外国か、地方からのダイブだろう』と想像されるだけだからである。これではプレイヤーと敵対しない方が不自然だ。なるべく逃げに(てっ)しているつもりだが、現実世界で日曜日だということもあってか、いくら無用な争いを避けてもこうした遭遇戦はやむを得ない。

 もちろん、襲われたからとはいえ闇雲(やみくも)に敵の相手をしていたわけではない。その間に得られたこの世界のルール、情報もまた大量にあったのだ。

 その1つに、俺は空を飛びながら悪態をつきそうになる。

 

「(クッソ逆光がマブしい。だいたい今、リアルは午後9時なのにゲーム(こっち)じゃ朝だからな。狂うったらありゃしねえ……)」

 

 これが最初の発見。はっきり現実と別の規則がはたらいているものを挙げるなら、それは『時間』だろう。

 俺がアルヴヘイム・オンラインに転移してきたタイミング――確か午後3時ほどだったか――こそアインクラッドの時間軸と大差なかったが、日没から夜明けまでの時間経過は明らかに早かった。

 そもそもこの世界の仕様なのか、現実世界のものと思しきデジタルクロックが視界の端に浮かび続けているのである。

 そしてなんと、初日は時針が午前2時を示す前の時点で、フィールドで神々しい朝日を拝めてしまったのだ。シリカはすでに無防備な寝顔を(さら)していたが。

 だが、ゆえに11月という季節を反映していないのだとしても、このスピードでは日の出の計算が合わない。

 実に違和感のある時間の進み方だったが、3日たった現在、アルヴヘイム・オンラインでは1日が16時間周期で回っていることが確定している。あくまでこれも予想の範疇(はんちゅう)を脱しないが、SAO時と違って年中ログインできない社会人あたりをターゲットにした対応だろう。

 ――いやまぁ、本来は学生もできないはずだけど。

 

「翅が限界ダ! 揚力落ちてるヨ!!」

「むしろピッタリだろうッ!! 降りたらすぐ穴に逃げ込め!」

「わたしが先に行きます! みなさんはもうスペル唱えてても大丈夫です!」

 

 叫び合いながらも慣れた加減速だった。

 ほとんど垂直の崖から舌状(ぜつじょう)台地のように突き出した鋭角岩。その奥に狭い洞窟がある。段差だらけのくせに距離感を掴み辛い灰色の地面に着陸(ランディング)を全員華麗に決めると、翅を休ませるのと同時に罠を張り巡らせた自分らの敷地内に敵を案内する。

 敵は俺達が尻尾を巻いて逃げ出したとでも思ったのか、硬い岩の地面に慌てて無様なランディング――意外にも着陸の難度は高い――をしながら、何の疑いもなく後を追って走って来た。

 そして2つ、この滞空制限について。

 俺とアルゴはすでに『手無し運転』をある程度使いこなせるが、しかしスティックの有無に関わらず滞空時間には制限が設けられているのだ。

 その証として翅の周囲には光る鱗粉が舞っているのだが、どうもこの鱗粉、つまり飛行可能時間を表す指標は太陽か月の光を継続して浴びなければ回復しないらしい。

 洞窟(どうくつ)にこもって敵をやり過ごそうとしていたら待てど暮らせど俺以外の飛翔力が戻らず、あわや全滅の()き目にあったのも記憶に新しい。

 逆に言えば、俺だけは洞窟内など陽の届かない場所である程度飛べるらしいのだが、それは俺にだけ根性があるなんて曖昧(あいまい)な基準で左右される話ではなく、妖精としての特性だろう。

 ちなみに俺の種族である《闇妖精(インプ)》に設定された滞空時間は8分30秒となっており、デバフを主体とする闇属性魔法が得意な妖精である。

 

「ったく、ネコ族はビンショー補正高くていいなァ! そのうえ小柄だと天井に頭をぶつける心配もないしさ! ……あイテっ!?」

「冗談言ってないで備えろヨ! 武器ダメ補正はやっぱジェイドが1番高いんだカラ!!」

「ああーってるよ! いつも通りにやるぞ!!」

 

 頭はぶつけてしまったが、おざなりに返事をすると慣れた道をずんずん奥へ進んでいく。狭く暗い通路を駆けながら、俺はあえて罠を気にする《スプリガン》共を振り切らないように、それでいて誘導を悟られないように気を配っていたのだ。

 次に初期ステータスについて。

 非常に簡単なことで、《筋力(STR)》、《耐久(DRA)》、《敏捷(AGI)》、《魔力(MAG)》、《智力(INT)》、《生産力(PRO)》、《飛翔力(FLY)》の意味が判明したというだけの話である。普通にメインメニュー・ウィンドウの『通知と表示言語』タブから日本語表記に変更できた。

 初めの3つは従来通りの基礎ステで重視される傾向も強い。《魔力》は魔法を使用するのに必要なゲージ量、一般的にはいわばMPのことで、《知力》は覚えられる魔法の種類、《生産力》はプレイヤーメイドとして作成できるアイテムや武器のレパートリーを表している。最後の《飛翔力》はまさに滞空時間のことで、《風妖精(シルフ)》という種族のみ最高ランクのA判定を授かっているそうだ。ちなみにこれはプレイヤーの努力で変化する数字ではない。

 大抵のことはウィンドウをじっくり漁れば判明することだった。

 

「ここからほとんど見えません! ジェイドさん!」

「さって出番か。オース・ナーザ・ノート・ライサ・アウガ……!!」

 

 1人で使う場合の3倍の魔力(マナ)ポイントを消費し、スペルを唱え終えた瞬間には真っ暗に近かった視界がクリアになった。

 我らは(オース)得る、(ナーザ)夜を(ノート)照らす(ライサ)(アウガ)。俺は発音しすぎてまったく()む要素もなかったが、魔法の発動キーに採用された発音し辛い古代ノルド語の呪文(スペル)ワードの一種である。

 全て可能なわけではないが、例えば限られた一部の魔法は初めの一句を《我は(エック)》から《我らは(オース)》などに変更することができる。3倍のマナを消費するものの、これにより発動者から一定の範囲に集まった味方全員に魔法を適用させることができるのだ。

 唱え切ると、瞬時に洞窟の壁の割れ目や隙間に息づく羽虫までよく見えるようになる。

 皆が迷わず配置に着いているので、発音し終えた瞬間、自身を含む付近のパーティメンバーには『暗闇でも夜目が利く』能力が付与されたはずだ。

 そして4つ、最後に明確化された情報が、まさにこの『魔法』についてである。

 魔法の種類は大きなくくりで7つ。

 炎、水、風、土、光、闇、幻属性が用意されている。言うまでもなく全ての属性に特色ある魔法が無数に存在するが、ベタな4元素は攻撃系メイン、バフの光、デバフの闇、言葉通りの幻属性と覚えればわかりやすいだろうか。

 世界樹のさらに上、《ラボラトリー》では雷属性の魔法も受けたが、とにかくオンライン世界では7つで間違いないようだ。

 当然だが魔法はスペルワードさえ覚えて発音すれば無尽蔵に撃てるものではなく、特定の記憶スロットへ《魔導書》と呼ばれるアイテムを事前にセットすることで、手持ちのマナポイントを消費してそのセッティング魔法のみを使用する権限が与えられるようである。

 と言ってもやはり、《魔導書》を手に入れてもセッティングできるか否かはステータス次第となる。

 覚えられる魔法の種類をつかさどる項目は《智力》。これが低すぎると、高位ランクの《魔導書》はセットできない。

 もちろんマナポイントだけガンガン上げても、弱い魔法しか使用できなければ意味がないので、ようはバランスである。またも余談だが《智力》補正値で最高ランクA所持は《水妖精(ウンディーネ)》のみとなっている。

 《インプ》にもそれらの制限が課せられる。空きスロット3に対し初期から装填されている《魔導書》は2つで、名はそれぞれ《暗視(インフライド)》と《暗中飛行(オプシディアン)》。闇属性しかなく攻撃力を持つものでもないが、共にスペルワードが短く――単語5つはかなり短い方――消費マナポイントも少ない。そして効果は試す必要がないほどいかにもわかりやすかった。

 アルゴとシリカは2人とも《猫妖精(ケットシー)》と呼ばれる種族で、ネコ科動物の擬人化をベースにする、まさに名が体を表したようなアバターを保有している。

 この種族はまだ未検証な部分が多い。

 魔法の空きスロットは4つで初期装填されたものが3つ。共通の《魔導書》は最初の2つにあたる光属性魔法《体力回復(ヒールバイタル)》と《飼い慣らしの鱗粉(テイミング・スケイレ)》だけで、読んで字のごとくといった魔法名だがやはりどちらにも攻撃性能はなく、テイミングに至っては1回も成功したことがない。

 そしてアルゴの3つ目は《遠方焦点(スコープ・ファインダ)》、シリカの3つ目は《警戒陣(サーベイランス)》とある。前者は双眼鏡のような役割を果たし、後者は音で敵の位置を探れる魔法のようだ。かつてのシステム外スキル《聴音》の強化、詳細版だと言えば想像しやすいだろうか。

 

『シリカちゃんが何度か見えない敵の位置を見抜いていたのは、敵の足音を聞き取っていたからなんだナ~』

『わたしにしか聞こえていないとは思いませんでした。「そういう設定」だったとしても、わたしとアルゴさんは同じ種族っぽいですし』

 

 とは彼女らの談だ。

 なぜ同じ種族なのにプロパティに誤差があるのか、また異なる初期魔法が与えられているのかについては、これもまたいくつかの推測から成り立つものだが、《ナーヴギア》という精密機器が大衆向けに量産販売された、ささやかな矛盾の経緯から端を発しているのだろう。

 簡潔にすると、フルダイブ環境における『適合性』である。

 開発初期から技術的な面ですでに問題視されていたが、次世代ハードとして開発されたナーヴギアは従来の据え置き型と違って非常に繊細(せんさい)。脳から発する命令素子を延髄(えんずい)部でイジェクトし、機械が読み取れる電気信号に変換する過程には、本来は個人差を埋めるために綿密(めんみつ)なチューニングが必要だったのだ。

 だが購入者に調整用の追加料金を払わせるわけにもいかず、かといって1つ1つ無償でサービスしようとすると今度は経営が立ち行かなくなる。ゆえに苦肉の策として代替された案は、初回神経接続テスト、およびキャリブレーションなる工程を経た自動調節である。

 優に1時間以上もかかるこのテスト結果に応じ、ナーヴギアがマージンの許す限り自動調節を行うので、だからこそ恩恵にあずかれた大衆は電源を入れるだけでゲームの世界に没入できるわけだ。

 ただ、可能な範囲で調整するということはつまり、こうも言い換えられる。

 『調整しきれない範囲』も存在するのでは、と。

 その懸念(けねん)は的中した。キャラクターの選択でさえ、個人差のせいで自由にできない場合が少なからずあったのだ。

 特に種族ごとに得手不得手が設定されるこのゲームではその影響が顕著(けんちょ)で、もし視覚や聴覚に障害が出るFNC判定、すなわちフルダイブ不適合判定が下されてしまったら、その時点で『視覚と聴覚に優れる敏捷な種族』という設定のケットシーは選択不可となってしまう。逆に『目や耳が機能しすぎる』がゆえに不適合の烙印(らくいん)を押されることもあるほどだ。

 閑話休題。

 ともあれ、開発元である《アーガス》を買い取った現在名称不明の運営会社は、そうした事態を憂慮(ゆうりょ)し、『個人差のある初期アバター』を用意したに違いない。

 彼女らの五感の適正に大なり小なり差があれど、これなら世界観を崩すことなく種族選択を無理強いすることもない。

 繰り返すようだが、俺達に選択権はなかったが。

 

「(しかしま。この魔法と言い、よくできてんな……)」

 

 3日間ほぼフル活動の甲斐あってか、数々のルールを学べた俺が初めに浮かべた感想はそんなものだった。

 今は『死ねない戦い』という制約のうえ、襲撃に備えてブルブル震えながら岩陰に身を潜めているが、できれば血なまぐさい話を抜きにして洗練されたこの世界を心ゆくまで堪能(たんのう)したい気分である。

 確かに感覚をフィードバックさせるプロトコル、プログラムはSAOから流用されたものなのかもしれない。フルダイブゲームの根幹というか、グラフィックと快適な操作性に直接影響する特許技術を出来合い物で済ませた本作の開発費は、この時点でさぞかし浮かせられただろう。

 しかし、《アルヴヘイム・オンライン》というソフトの完成度が高いのはそれだけに起因しない。

 SAOとはまったく異なる世界観を作り出すには一から構想を練り、そして文明、歴史、環境、生命、それぞれに相反(あいはん)しない物語を作っていかなければならない。

 リアル世界の街の再現だって大変なのだ。それを上空数キロから端を見渡せない範囲でオープンワールド化するとなると、素人目に見ても生半可な大事業ではなかっただろう。

 

「(来やがった……配置付けてるだろうな……)」

 

 陣地内におびき寄せた敵を視認したことで、無駄な思考を一旦停止させる。

 最後のトラップは近い。後は機会を外さなければ……、

 

「(真上だ。行けっ、シリカ!)」

 

 俺の思いが通じたのか、敵の4人小隊が陣地内に足を踏み入れたベストなタイミングで、隠れていたシリカがロープを切り落としトラップを発動させる。しかし4人は詠唱を中断するとほぼ同時に散開し、宙づり用の網袋は虚しく垂れるだけだった。

 さすがはトレジャーハンターどもだ。ブービートラップで直接無力化、なんて甘いことは起こらなかったが、こうした看破(リピール)はスプリガンにとってお手の物なのだろう。

 とは言え、俺の作戦はすでにキマっていた。

 

「リーダー危ない! 上だっ!!」

「おせェよッ!!」

 

 ズッガァアアッ!! と、ハルバード男の胴体に巨人の宝剣《エッケザックス》が斜めに貫通した。

 体力を半分以上削り取ると、そのゲージを飛ばしきるためにさらに距離を詰める。

 

「ぐあぁあああ!? くそっ、離れて魔法を! 早く!」

「(させるかっ……)……アルゴォ!!」

 

 戦場の端で隠れるように2人だけ合流していた男女の顔面に、どこからか飛来したピックが突き刺さる。

 怯んだ一瞬でアルゴが詰め、今度は片割れの女の顔を《鉤爪(クロー)》カテゴリの禍々しい四本の戦爪(せんそう)、《ヘレシーズ・オルタ―》で引っ掻いていた。

 無論これで1撃死とまではいかないが、2人仲良く詠唱失敗(チャント・ファンブル)を起こす。

 スペルの詠唱中でもっとも鬱陶(うっとう)しい行為は『口元への攻撃』だ。

 しかし、アルゴもなかなかにアンフェアな戦法でチャンファを誘発させていたが、それでこそ俺のパートナー。手段を択ばないその(サマ)は、かつてのギルメンで前衛でもあったカズや、サポーターのジェミルより対人戦に向いているかもしれない。

 もとより誘い込んだ戦場は極めて狭く、スペルを詠唱している余裕なんてない。これは後衛の役割がはっきりしすぎているがゆえに、柔軟に対応できないビギナーがよく発生させるミスプレイである。

 敵の援護の妨害を見届け満足すると、全力全開の打ち込みで改めて甲高い金属音を反響させた。

 

「クソッタレが……うますぎるッ!?」

 

 敵が嘆くように言うと、数秒ほど続いた(つば)競り合いを解き、俺は手刀で敵の眼球を容赦なく貫いた。

 叫びを無視し、間髪入れず大剣による横一文字の重撃。

 刃先が腹に食い込むと、とうとう敵の体力ゲージが全損した。

 死に際に体中が黒い炎――《リメインライト》とは別に、ゲームオーバー時のエフェクトはエンドフレイムと呼ばれ、種族ごとに色は違う――に包まれ、断末魔も残さず小隊長が脱落する。

 まず1人。だが敵がフルプレートの重装備だったからか、殺しきるのに時間をかけすぎてしまった。

 

「(間に合うか!?)」

 

 死亡エフェクトを振り払い、限界速で2人目のフォア―ドに肉薄する。

 相手の武器は長柄槍(ポールランス)。先ほど1度倒したプレイヤーの1人だが、槍術が得意というよりは慣れない空戦でもヒットするよう射程(レンジ)目的にしぶしぶ選んだ、というニュアンスを受けた。

 

「うっ、うわあああ!? 来るなァああ!!」

 

 果たして予想は的中し、慌てて繰り出した独特な突き攻撃は酷いものだった。

 (かわ)した直後に隙を発見。「もらいィッ!!」と一言だけ勝ち誇ると、力任せの斬撃でスプリガンを八つ裂きにしてやった。

 後はアルゴとシリカのタッグ戦か。

 いや、タッグ戦ですらない。すでにダメージを負っていた女性の方をアルゴが1人で倒している。

 だがほとんどフルゲージだった片割れが、シリカのチャチなダガー攻撃を無視してまでスペルを唱えきていた。

 《スプリガン》は幻属性魔法を最も得意とし、攻撃面ではツブ揃いの4元素、すなわち炎、水、風、土属性魔法の習得が困難というピーキーな性能の妖精だが、代わりに光と闇属性魔法をもある程度操れる稀有(けう)な種族だ。

 敵が放ったものは黒い球体を飛ばし、そこに強力な引力を生む源を8秒間発生させる闇属性魔法、《重力渦旋(グラビテーション)》。

 直接的なダメージ設定はない。しかし有効範囲内で発動を止められなかった場合、その時点で非常に対処が難しい範囲タイプの汎用魔法となる。

 

「ウワァアアア!? 吸われるゥー!?」

「きゃぁあああああっ!!」

 

 女性達から悲鳴が上がる。敵の「っしゃあ! まとめて死ねェい!!」という発言から、発動者への影響はかなり削減されているらしく、力場に吸い寄せられたアルゴ達が無防備になった時点で彼は懐から大きな袋を取り出していた。

 見たことがある。《火炎大壺》という爆発系アイテムを麻袋に詰めるだけ詰めた、非魔法の発火性堆積物だ。

 《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》で無効にできない類の攻撃。

 

「(ちっくしょうッ!!)」

 

 俺はダメもとで《エッケザックス》をブン投げた。

 しかし《グラビテーション》によって第2の重力を加味された加速物は緩やかなカーブの軌道を描き、なんと男の胴体に見事直撃するとそのまま彼を洞窟(どうくつ)の端に縫い付けたのだ。

 効果の終了した《グラビテーション》と、有効化されたまま敵の手から(こぼ)れ落ちた大量の《火炎大壺》。

 「走れェッ!!」という、俺の命令と同時に行動できたのはアルゴ達だった。

 ドッガァアアアアッ!!!! と、耳をつんざくような連続した爆音。

 しかも単なる爆破音だけでなく、明らかにエリアの一部が崩壊するような音がまぎれると、そういった破壊可能オブジェクトの下敷きになって死んでしまうことがあることを知っている俺は内心慌てていた。

 しかし階段のような段差をカバーポジションにし、彼女らはどうにか爆発の余波を逃れたようで、煙の中から(せき)をしながら姿を見せた。

 

「けほっ……けほ……。もう、本当にサイアクです……」

「にゃははは……ゲホッ……まァ、今のはチョット危なかったかもネ。……ケド結果オーライだ。オレっち達の10連勝目」

「バーカ。オーライじゃねぇっての、まったく。確かにアルゴはやることやってたさ。けどシリカは何度も言わせんなよ。……いいか、狙うのは相手の顔だ。スペル唱えられたら対抗魔法なんて山カンでしか間に合わないし、都合のいい《魔導書》セットしてなかったらそもそもムリだ」

 

 開口一番の叱責。厳しいようだが、今の戦闘は反省点が多い。まだ実戦の回数も少なく、コンビネーションアタックも下手なでこぼこパーティだが、いつまでもできませんでしたでは済まされないのである。

 駆け寄って瓦礫の排除だけ手伝ってやりながら、俺はなおも(すす)だらけのシリカを責めた。

 

「できない限り何度でも言うぞ。近距離取ったら詠唱は絶対止めないと、俺らの知らない魔法が来るかもしれないんだ。例えば自爆だったらどうする? 今ので終わってたかもしれない」

「ぅぅ……ご……ごめん、なさい……」

「マーマー、そうまくしたてるなっテ。勝てたしいいじゃないか、ジェイドはシリカちゃんに厳しすぎるゾ。この子だって対人はようやく慣れてきたばかりで」

「それじゃァダメなんだよッ!!」

 

 洞窟内だったからか、その叫び声は俺が思っていたよりも反響した。

 突然の絶叫に2人も驚いている。

 

「……ああ、クソ……どなって悪かった。けど、2人も知ってんだろ。……俺らは死んだらモルモットになる。奴らの言葉を借りるなら《格納室》だったか? あそこにまた転送されて記憶操作だか改ざんだか、意味ワカんねェ人体実験のな。……なあ、2人はそうなっちまった時のことを考えたことあるか?」

 

 改めて質問されるとは思わなかったのか、あるいはここ数日は戦って生き残るだけで精一杯で、自分らがいったい何から逃げているのかを考える暇もなかったのか。

 何にせよ、彼女達は(そろ)って言葉を詰まらせた。

 ちなみに戦場跡でペラペラと喋ってはいるが、倒した敵の残り火《リメインライト》はもう消滅している。

 おそらく味方が全滅した時点で、《蘇生(リヴァイブ)》の魔法なり《世界樹の雫》といった復帰アイテムなりを施してくれるプレイヤーが皆無となり、蘇生猶予期間としてその場に留まる意義がなくなったからだろう。

 殺害後、一定の割合でアイテムを強奪できる死亡罰則(デスペナ)を悪用して、『その場で復活→リスキル』の無限ループをさせないために、パーティメンバーやギルドメンバー以外は死者を蘇らせることはできないのだ。

 ――まあ、可能でもしないが。

 今ごろ彼らは最後にセーブしたポイントやログアウトに使用した宿屋か、あるいは《脱領者(レネゲイド)》でなければそれぞれの《領地》に転送されているはずである。

 

「戦いに負けたあとのこと……」

 

 改めて、シリカが口にする。アルゴも続くようにフォローした。

 

「それハ……きっと、意識を取られて、実験がうまく行くまでそのままニ……」

「そうだ、どのみち退路はない。国の人間だってバカじゃないんだ。300人だけ意識戻んなきゃ、血眼で原因を探るだろう。だから、クソ研究員も引けないところまで来てるんだよ!!」

 

 俺は足元にあった石を蹴飛ばし、イラ立ちを隠そうともせずに彼女らにあたってしまう。

 原因ははっきりしている。満足な睡眠もできないまま、余りに過酷な戦いを3日間も強要され、極限まで高まったフラストレーションを抑えきれないからだ。

 得られる食材はほとんどが未加工のまま口にできない物ばかり。水分補給はもっぱら自然の湧水のみで、しかも水筒は戦時中にでも使われそうなアンティーク調の革デザイン。

 惨めな生活にみすぼらしい衣服。プレイヤーが落とす非常食すらご馳走の一種で、清潔な着替え、寝床、体を休める風呂など、不可欠な『衣食住』がキレイなほどすべて不足している。女性の2人はむしろよく耐えている方である。

 しかし、それを配慮する余裕がなくなっていた。

 シリカはそんな俺を見て泣きだしそうになってしまい、その事実がまた自己嫌悪となって心を(むしば)む。

 

「……ぅ……つ、つまり……ぅぅ……ジェイドさんは、実験は成功するまでずっと続くと言いたいんですか? 何ヵ月たとうとも……?」

「だろうな……たぶん。いや、それだけじゃない。脱走さえされなきゃ、研究内容を知られたかどうかなんて、実は関係なかったんだ。そりゃあそうさ! 実験が成功すれば記憶は消されて、クソッタレ共だけが金を持って逃げられるワケだしな。けどもし、実験が失敗(・・・・・)して……記憶の操作や消去ができなかったら……」

 

 考えたくはない。

 同時に、考えるまでもない。

 

「クソっ!! ……俺達が付き合わされた記憶を持ったまま、現実に帰れるわけがない……ッ!!」

「そん、な……記憶操作の実験がうまく行かなかったラ……お、オレっち達は無条件で殺されるっていうのカ……!?」

「だってそうだろう!? 《ナーヴギア》が殺しただけなら茅場のせいにもできる! だからこそ、実験なんて言ってごまかしてるけど、あいつらにとって成功はあっても根本的な失敗はない。あるのは文字通りの口封じか……もしくは……モノ凄い時間を消費させられた挙句、この殺意すらアト形もなく消されるっつう、クソッタレた現実だけなんだよ!!」

 

 2人はいま一度、置かれていた実情を認識した。自分達がいかに『ゲームオーバーになってはいけない』状態なのか。そのためには、結果オーライで済まされない覚悟と行動が求められるのだということを。

 しかしまた消え入りそうなシリカの謝罪を聞くと、適当な岩に座り込んだ俺の方も頭を抱えて深いため息をついてしまった。

 

「ああ、違うんだシリカ……もう1回確かめたかっただけ。そう、責めたかったわけじゃない。……すまん。過ぎたものはしょうがないよな。今度はうまくやれるように……しよう、そうだろう?」

「は、はい……」

 

 今度は言葉を選んだつもりだが、座ったまま手だけ軽く振ると、目も合わせずそっぽを向いてしまう。八つ当たりしてしまったが、本来シリカが悪いのではない。悪いのはあのマッドサイエンティスト共だ。

 だいたい今回のミスについて、恒久対策をまじめに考えるのもアホらしいだろう。人間は24時間年中無休で気を張り巡らすことは不可能なのだ。

 それに彼女が知識や技術を求め、フィ-ルド、戦場を貪欲に渉猟(しょうりょう)していたことは誰よりも知っている。それでも口が先に動いたのは、俺が今朝、スカルリーパーにヒスイを殺される夢で目覚めたからだと思う。

 それ自体は個人的なストレスで片付くが、しかし思い出すと余計にかつてのギルドと比較してしまった。朝の5時、近くで寝るネコ耳の2人を眺めながら、なぜこいつらはカズやヒスイのように、ひいては俺の考えた通りに動いてくれないのか、と。なぜ今までの仲間ができた簡単なことがいちいちできないのか、と。

 しかしそれは、支えられていたことも忘れ、独りで何でもこなせると勘違いした男の傲慢(ごうまん)さの表れだった。

 元の地盤に差こそあれ、上達速度だけでいえばシリカこそが真のMVP。その向上心を認めているのなら、彼女だけはことある戦闘で褒めてやらねばならなかったはずである。

 まったく、未熟者はどっちだという話だ。1度学んだはずの経験を忘れてしまうところだった。

 俺はかぶりを振って重いまぶたをこすると、声のトーンを意図的に変えた。

 

「ワリーワリー、ホント空気悪くしちまったな。せっかく4人に勝ったんだ、アイテムの分配でもしようぜ。相手はトレジャー専門のスプリガンで、しかも戦線復帰した2人は2回も倒してる。こいつは相当期待できるぞ」

「……1発重いのもらっちまったから、ポーション1個くれるカ? あと服も新しいのがあれば欲しいカモ。初期装備のヘソ出しほどじゃないケド、11月なのに雪が積もる山に立てこもってるわけだからナ。まだ寒いヨ……」

「ほろよアルゴ。……ん~、でも服はねーな。そりゃいくらあっても足りねえか。……俺もつぎはぎだし新調したいぜ」

 

 仲直りのついでに望みの品を探してもみたが、残念ながらといったところか。

 ちなみに敵がドロップさせた防具がなぜ小柄なアルゴやシリカでも着られるのかというと、そこにはとても単純な理由がある。

 サイズごとにデザインを考えるのが面倒、というよりもデータを無駄に食ってしまうので、防具には大抵アジャスト機能が備わっているのだ。

 プリントされた模様が不自然に伸び縮みしてしまうことは往々にしてあるが、やはり利便性とゲームの快適さを優先させたのだろう。ご丁寧に色まで種族ごとに象徴するものへ変わる設定もある。

 考えれば考えるほど不足品が列挙されるが、俺は左手でウィンドウを見やりながら少しナーバスになっていた。

 

「あ、わたしは使っている武器が初期装備とほとんど変わらない性能なので、できればそろそろ更新したいです」

「武器なぁ、そう言うと思って探してるんだけど、武器も俺らの装備からしたらからっきしだぞこれ。曲刀にそこそこのモノが一振り。あとは市販タイプの槍とハルバードと魔法の杖が1本ずつってところか。他には謎のオレンジ塗料に質のいい砥石がいくつか……見たところ強化用鉱石だらけで、めぼしい消耗品のドロップはねえな」

「仕方ないさ、こればっかは選べないからナ。むしろオレっちに使えるマシな性能のクローが最初にドロップしたのは、かなり幸運だったヨ」

「しかしヤベーぞ。俺も耐久値のこと考えると、早いとこ《エッケザックス》に頼りっぱなのを卒業したいんだけど……鍛冶屋を探さないとな」

 

 チートコードによって顕現(けんげん)した、巨人が鍛錬した宝具級の神装とされる《エッケザックス》。

 確かにエクストラスキル《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》は解放後10秒間のうちに触れた最初の魔法を打ち消す強力な効果を持ち、ブレードの素材が半透明なペイルブルーの結晶製だからかリーチの割には重量もない。ゆえに神々に等しいアカウントからパクれた最高峰のプレゼントではある。

 だが決して万能兵器ではなかった。

 まず、大剣カテゴリの武器のくせに与えられる衝撃が直剣並に設定されていたのだ。これでは隙の大きいスイングが至近で炸裂したとても、(ひる)ませにくい大型の敵からは常にカウンターの危険性が付きまとう。

 極めつけはエクストラスキル使用時に起こる猛烈な《耐久値(デュラビリティ)》の消耗だろう。

 世界樹のてっぺん、すなわち《ラボラトリー》で使用した際はそんなそぶりも見せなかったが、オープンワールドではわずか5回の使用で耐久値がちょうど全損してしまうのだ。しかも手入れの手間も無視できず、砥石による耐久力回復なんてものはとっくに試したが、やはり(かんば)しい結果は得られなかった。

 壊れれば当然剣が使えなくなってしまうのだが、いざ鍛冶屋に頼んで鍛え直してもらおうにも、スタート時から《レネゲイド》かつ非マナー行為常習犯扱いにされた俺達は、《領地》はおろか中立域の街に近づくこともできない。

 転移初日の深夜にたまたま横切ったプレイヤーから、文化の興隆(こうりゅう)が盛んだと盗み聞けた王都に立ち寄ろうとしたところ、半端なく強い近衛兵に執拗(しつよう)に追い掛け回されたことがあるのだ。

 あるいは鍛冶妖精(レプラコーン)なら戦場でも対応できたのかもしれないが、このメンツではどうしようもあるまい。

 以上のことから、選択肢としてはスキルの発動を4回までに留めるか、もしくはさっさとフィールドにいるNPC鍛冶屋を見つけてメンテナンスをしてもらうかの2択。

 そして現時点での使用回数は2回で、フィールドの鍛冶屋なんて見つけていない。

 これでは摩耗限界のリミットがいつも気になってしまう。

 

「だあーちくしょう。やっぱポーションだけ補充できてもな……あっ、でも《重力渦旋(グラビテーション)》の《魔導書》を落としてる! あいつら余ってたのか、ラッキー!」

「チョッと待ってくれジェイド。あれ見テ!」

「へっ……?」

 

 突然アルゴが口をはさむと、先ほど大量の《火炎大壺》が炸裂した洞窟の崩壊箇所を指さしてきた。

 階段、だろうか。ただの段差に見えなくもないが、言われてみると破壊されたオブジェクトの奥にはまだ暗い空間が広がっていた。先の戦いで爆発とは似て非なる崩壊音も聞こえていたことから、これは自然にできた空洞ではない。

 だとしたら……、

 

「へえ、こいつはスゲー。通路になってんのか」

「ニッシッシ、どうやら隠しダンジョンを見つけちまったみたいだゾ! オレっちのカンだと、こういうのは魔法攻撃じゃ開かなかったパターンだナ! これはオレっち達が1番乗りなんじゃないカ!? 財宝がたんまり眠ってたりしテ!!」

「王家のミイラ付きかもよ。あと嬉しそうなところキョーシュクだけど、そんな情報集めてもどこにもクライアントなんていないぞ。《ネズミ》は休業中だろう」

「でもジェイドさん、この場合売る必要はありませんよ。わたしたちで盗っちゃえばいいんじゃないですか?」

「……ん、まあ……確かに」

 

 強くなれと発破(はっぱ)をかけたのは俺だ。先ほどの主張と二律背面なことも承知している。しかし人差し指を頬に当てて「盗っちゃえば?」なんて真顔で聞けるあたり、数日前までの彼女を思い出すと成長(たくま)しい姿に若干の悲しさを覚えても仕方がないだろう。

 なんて言いつつ、今さら墓荒らしに抵抗なぞまったくない。スプリガン連中が最後に残した土産(みやげ)としてありがたく頂戴しておこう。

 俺達は並んで不気味な通路を下に降りていくと、肌を撫でる風と《暗視(インフライド)》適用中でも視界を妨げてくる煙の存在に気が付いた。

 いよいよキナ臭い。

 

「気ィ付けろよ2人とも。シリカはそのカワイイ耳で死角を頼むぜ」

「か……可愛い……ですかね……」

「お、オレっちにもネコ耳はあるゾ!」

「アッハッハ、どこで対抗してんだよ。ふざけてないでアルゴはロングレンジ見張れっての。いやこの場合は耳張れ、かな」

 

 思わず笑ってしまったがアルゴも面白いことを言う。だいたい、猫耳に貴賎(きせん)はないのだ。こいつらほどの容姿なら――まだ発展途上とはいえ――よほどダサい服でも着ない限り勝手に目が行くだろう。

 なんて冗談はさておき、やはりゲーマーの(わずら)う不治の病か。俺はワクワクする気持ちを抑えられず、自然と足取りが軽くなっていた。

 危険な行動は極力避けるべきなのだろう。しかし、ほとんど光の届かない場所で名前もわからない草木が茂る畦道(あぜみち)を渡り、湖のほとりでかつての文明を彷彿(ほうふつ)させる船の残骸を見やり、時折朽ちかけた木箱や野営の痕跡(こんせき)が見つかったりするだけで全てが塗り替わる。

 謎解きの新発見、未踏の地の開拓、隠された財宝。そんな言葉で、まるで子供に戻ったような高揚感が舞い込んでくるのだ。

 

「(ハッ……やっぱトリコになってんなァ俺……)」

 

 これだから冒険はやめられない。何時間だってプレイできるだろう。

 それから螺旋状のちょっとした迷路の踏破と、そこに棲息(せいそく)していた獣人型モンスターと数回におよぶ戦闘をこなす頃には、やや開けた空間に外の光が差し込んでくる場所に到達していた。

 これまでの暗い道は登ってばかりだったから、きっとこの《虹の谷》なる山岳フィールドの山頂付近まで来たのだろう。すでに《暗視(インフライド)》は解けているが視界の確保にも困らない。

 とうとう広く崩れた外壁から山の外周に脱出すると、淡泊だがバカでかい石橋が目に入った。どうやら向かい側に続いていて、向こうにも山、というか灰色の崖がある。

 凄まじい高度だ。橋を見渡すこと40メートルほど先には、ディティールの凝った木製の大門、続いてそのすぐ目の前に陣取って仁王立ちしていたアイアンゴーレムが目に入った。

 まだ距離はある。相手がいるのは長い石橋を超えた先だ。そしてかすかに別種の空気というか、常温ではない暖かな風を感じた。

 ダンジョンのゴールが近いのだろう。途中で夕食と称した残飯あさりと休憩をはさんでいるので、探索開始からすでに2時間ほど経過している。ボスの出現なら頃合いのはずだ。

 俺は改めて警戒を強めた。

 日光なしでもわずかに回復し続ける俺の翅なら、道中の戦闘で絶えず消耗させているとはいえ、現状1分ほどなら飛べる。無論、どうも崩れかけた橋の下は底を見通せないほどの渓谷(けいこく)になっていたので、無駄な飛行を避けるべく足を滑らせないよう慎重に歩を進めた。

 

「翅のないオレっち達にはチト怖いナ……」

 

 2時間で限界まで翅を使い切ったアルゴ達は身震いしながら言う。そして目の前には絶壁から対岸の壁まであるクレバスのような裂け目。それを繋ぐ中間層の石の道は、もっぱら異世界へ渡る架け橋のようだ。

 橋の先、鎧を着た寡黙(かもく)なゴーレムは、まだ動かずずっとこちらを見ている。

 装備は黄土色の西洋甲冑でショルダー部が異常に大きく、バイザーの奥にはオリーブ色光る眼球が妖しく揺れ動く。全長は2メートルほどで、佩剣(はいけん)する武器は明らかに両手用。門の奥で何を守護しているかは知らないが、この手の銅像が動かないはずがないだろう。

 俺はアルゴとシリカをハンドジェスチャーで下がらせると、《エッケザックス》を体の正面に構えたままゴーレムないし、ガーディアンにジリジリ近づいた。

 

「この人も敵なんですかね……」

「人っつーかNPCですらないだろこれ……シッ!」

 

 一定の距離でゴゴゴゴ、と突然ガーディアンがゆっくりと動き出したのだ。

 体中の赤錆がボロボロと剥がれ落ち、敵性ユニットとして頭の付近にモンスターアイコンを浮かべると名前も判明。

 忘却の貴族、《カーディンズ・ホロウ》とある。カーディンさんの魂、という意味だろうか。少なくともそのシステマチックな機動に人間味は一切感じられなかったが、彼はなんと口まできき出した。

 

『這う者に呪われた地、汝はされど訪れた。生命の秘湯を求める者か……よかろう。では汝ら、代わりに……如何なる進物(しんもつ)を賊王の亡骸に賜すか』

「ヒトー? ……ああ、温泉か。持ち合わせないんだけど」

『……愚かな。蛮勇に酔うは魔に焼かれるが宿世(しゅくせ)よ。(われ)は既に堕ちた身だが……(しか)し、実に愉快! 久しく見ぬ剛勇なる放浪者……巨を断つ吾が刃の血錆(ちさび)と成れることを、最後の慈悲と受け取るが良い!!』

「よーわからんけど、やっぱりやるっきゃないか……ッ」

「ジェイドさん! 入口が!」

 

 声に反応して後ろを振り向くと、石橋の根元に隠すように配置されていた薄い――といっても厚さ50センチはありそうな――円筒状の石灰岩が、ストッパーでも外れる仕組みがあったのかゴロゴロと転がって退路を塞いできたのだ。

 壁面に当たって停止すると、保護色だったそれはサモアパールに変色し、テコでも動きそうになくなった。

 やられた。いま塞がれた通路は入口であると同時に、徒歩で横断できる唯一の出口だった。

 しかも、1人ずつなら運べるだろう、とタカをくくって飛んで逃げようかとも考えたが、腰をかがめて背筋を動かしても翅が現れない。どうやら滞空残量時間に関係なく空戦を奪うという、色々と面倒なイベント(?)に巻き込まれたらしい。

 

「(イベントなのか、高度がありすぎるせいなのか知らないけど……クッソ、どー考えても敵対ルートだよな、これ)」

 

 銅像ガーディアン改め、カーディンの霊体がとうとう武器を構えて橋の上を前進してきた。

 両手にじっとりと嫌な汗をかく。脇をすり抜けようにも幅はわずか3メートル弱しかなく、これだけ狭く飛べない制約付きなら複数人で戦う行為すら危険だろう。トライ&エラーがまかり通る一般人(パンピー)なら落下覚悟で挟撃態勢を狙いに行くのもアリだったが、初見一発勝負でその選択はリスキーすぎる。

 落下しても特定高度まで下がれば飛べるようになるのかもしれないものの、その前にアバターのどこかが岩肌にこすった時点で終わりと見て間違いない。

 

「2人は手ェだすな。こいつは俺がやる」

「ま、魔法撃つとお前サンに当たりそうだしナ……」

『フハーハッハァ! 決闘を臨むか、其の意気や良し!』

「く……ッ!?」

 

 突如、カーディン野郎の足がパンプアップすると、ダンッ!! と地を蹴り凄まじい加速を見せたのだ。

 大上段、正面からのフェイントなし。

 とっさに寝かすように構えた《エッケザックス》に敵の鉄塊が激突すると、けたたましい金属音と衝撃波が発生した。

 膝を震わせ「ぐおおおおおっ」と情けない声が出るも、それは決してパフォーマンスではなかった。アインクラッドでバカみたいに鍛えた筋力値を以てしてもパワー負けしだしたのだ。

 重く、そして鋭い一撃。

 軽く弾いて反撃でもくれてやろうかと思っていたが隙がない。体格差を抜きに、重心の置き方が雑魚のそれではなかった。

 ただのゴリラというわけではなく、剣士としても筋がいいのだろう。

 

『吾が一太刀をも()き留める!! 賊で終えるには惜しい男よ!』

「こいつ結構テンション高ェなッ!!」

 

 腰から踏ん張りを利かせてようやく押し返すと、忘れられた貴族カーディンさんの霊体とやらは、これまた意外なことに身軽なステップ踏んで狭い石橋の上で構え直した。

 この敵はゲームの設定上では、貴族として生まれたのに賊王とやらに仕えたまま、占領地の守護を任命された男の成れの果てのようだ。

 しかし俺は、対峙した敵のユーモラスなキャラクター性に自身が高揚(こうよう)していることに気付いた。

 期待以上に面白い。こうなったら、是が非でもこいつが守っている場所へ到達して見せる。

 

「っしゃあ行くぜオラァ!!」

 

 こうしてアルヴヘイムで初の、イベントボスとの一騎打ちが始まるのだった。

 

 



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第110話 人のあがき(スライグレスト)

 西暦2024年11月9日 《虹の谷》隠しエリア洞穴最奥。

 

 木材を削って作られた大門と、それを守護する西洋甲冑――ダンジョンで戦ったパイレーツ系のアンデットウォリアー同様、もう人ではないだろうが――のボス《カーディンズ・ホロウ》との戦いは5分が経過した今もまだ続いていた。

 棒切れ一本、逃げ場なしの打ち合いにしては異常な長さだ。敵の物理耐性が高いのも原因ではあるが、だとしても魔法攻撃力が付与された俺の大剣ならある程度解消できているはず。

 おまけに欧米人顔負けの体躯。体重を乗せた重撃を流れるように連続で叩き込まれると、スペル詠唱に集中力を割くこともできない。

 ガンッ! ガンッ! と互いの愛刀がぶつかって弾かれると、俺達は距離が開いたまま何度目かもわからない(にら)み合いを始めた。

 踏み外せば即死の高度。極限の緊張感。

 湿度の高さからか足場にできた薄氷(うすらい)が割れると、その小さな音すら反響した。

 

「じ、ジェイド……オレっちも代わろうカ? それか、せめて回復とか……」

「ハァ……ハァ……いや、まだいい。タゲを変えたくない。ハァ……硬ェけど当たってはいるんだ……このままいきゃ勝てる!!」

『……未だ助けも乞わぬか。実力も伯仲……願ってもいない剣技に相見(あいまみ)えた。吾なりの礼を尽くし、引導を渡すとしよう』

 

 何らかの区切りまで削ったのだろう。

 ガーディアン男のセリフに対し、俺はいっそう警戒を強めた。

 邪魔そうなショルダー部を気にするそぶりも見せず左手を掲げると、彼の後ろにある木製大門の上側に彫られていた、壁にはりつけにされたガリガリの罪人の裸像が(きし)むように胎動。ボスではなく彫刻が備え付けの弓を力強く引きながら、古代ノルド語でスペルを唱えだしたのだ。

 俺とて世界転移からまだ3日。ゆっくりとした発音にもかかわらず、裸像の彫刻が唱える呪文から魔法を逆算できない。

 アルゴが機転を利かせ、光属性魔法《体力回復(ヒールバイタル)》を唱えてリターンさせようとしてくれたが、俺は体内に巡る警鐘(けいしょう)に従って大剣のポメルにある虹色の宝石を半回転させていた。

 直後に矢が放たれる。

 しかし俺も《エッケザックス》を前面に展開させ、敵の光矢を跡形もなく消し飛ばした。

 エクストラスキルの使用はこれで3回目。派手な白煙のエフェクトを手で振り払うと、なんと意外なことに敵は憤慨(ふんがい)するどころか今までより楽しそうに哄笑(こうしょう)を見せた。

 

『フハーハッハッハッハッハァ!! 寄せ手の送る情けすら()ね付ける! 良き! 良きかな、理解者よ!!』

 

 同時にピロン、と視界の左上にメッセージが届いた。

 フォーカスすると短く『分岐選択、《正々堂々(フェアンドスクエア)》』とだけある。

 いったい何のことだ。カーディンは「敵の塩を受け取らなかった」という(むね)のセリフを吐いていたが、俺はまさか敵からのバフ魔法を打ち消してしまったとでもいうのか。しかも大剣の貴重なデュラビリティを消費してまで!

 

「(ヤッベ、判断ミスった! ……剣の耐久値減らして自分から不利になるとか、ずいぶん笑えねェなこりゃあ……)」

 

 今度ははっきりと背中に冷や汗が流れるのを感じた。

 この(たぐ)いの隠しルートならぬ散りばめられたミッションタスクは、達成した際のリザルトに色を付けてくれることが多い。だが、前提はもちろんゲームオーバーにならずにタスクを達成できたらのお話だ。

 アルゴが後ろで「あ、アレッ……回復魔法が効かないゾ!?」なんて驚いているので、おそらくパーティメンバーからの援護は、俺の選択のせいでシステム的にブロックされているのだろう。試す意味もないだろうが、放出系の攻撃魔法とて今や効果があるのは俺が放つ物のみのはずだ。

 

『……ゆくぞ!』

「来いっ!!」

 

 瞬時に判断するとポーチの水瓶(すいびょう)を一息に(あお)り、カラの瓶と共に魔法を織り交ぜた戦法を潔く捨てる。

 俺は迫りくる2メートル以上の長身相手に真正面から激突すると、ブレードの接触部からはおびただしい量の火花が散った。

 迷いは敗北に直結する。

 後がなくなったことで、ある意味では残留していた緊張が希釈(きしゃく)され、背後の激励(げきれい)すら鼓膜からミュートされた。

 幾度となく重ねた打ち合いで、行動パターンの解析はある程度進んでいる。

 何にせよゴリ押せないなら立ち回り勝負がMob戦の基本。俺が2年かけて得た《見切り》のノウハウは、バイザーの奥で(きらめ)くオリーブ色の眼光を見逃さなかった。

 敵の初動はすでに俺が予測された動きそのもので、反動で背中へ移動した大剣のベクトル方向に逆らわず、続く垂直振り攻撃を右回り背面スレスレで回避しながら、生まれた捻転力をまったく制動をかけずに振りぬいた。

 これがモンスターと対人戦の決定的な違い。

 ほとんど振り向きざまの攻撃。ゴオウッ!! と、右肩から垂直に《エッケザックス》が純鉄を貫通した。

 

『ぐ……ぬっ!?』

 

 確かな手ごたえ。まるで未来予知をされたかのような完璧なカウンターを前に、鎧のカーディンが初めて膝をついた。

 一泊の呼吸すら飛ばし、顔面へ右の肘打ち。反り返すがごとく鋭角な斬り上げ反撃を左手で無理やり停止させ、その顎へ全力の膝蹴り。

 強制的に起こされた彼の上体は無防備となり、バランスが崩れたその首元へ結晶大剣を一閃させた。

 決して()ダメは少なくない。

 俺は獣のような咆哮(ほうこう)を上げると、握りしめた業物をさらに前へ押し出す。

 

「いっけえェええええッ!!」

『ぬ……ううっ!?』

 

 石橋の表面をブーツ底のリベットでザリザリと削りながら、5メートルも後退したところでようやく両者は停止した。

 ギリギリと(やいば)をせめぎ合わせながら、俺は敵ながら内心で称賛を送っていた。

 ()う者に呪われた地だか知らないが、翅で飛べず逃げ場もなし。しかも魔法を使わない大剣1本の直球勝負。時代錯誤の西部劇でもこんな場所をロケ地にはしないだろう。

 だからこれは、楽しませてくれたことへの俺なりの感謝だった。

 

『おおおおっ!!』

「らァアアあああああッ!!」

 

 バチンッ!! と互いの剣が風を切ると、俺達は瞬きするのも忘れて両者の肉体を斬り合った。

 花火のように舞うエフェクト。

 受け、いなし、見極め、叩き込む。敵には大量の攻撃パターンがあるように見え、実際は連撃を途中で止めたりしているだけだ。目が慣れてきた俺は完璧に敵の動きを察知し、徐々に一方的な斬撃が鎧に突き刺さっていた。

 逸れたら落下の一本橋にもかかわらず、片足で一気に2メートル以上跳躍すると、カーディンの頭の上から大剣を振り下ろす。

 乾いた金切り音。寸でのところで攻撃は防がれたが、そのまま彼の頭上を越え、足元に自分の武器を捨てつつ敵の背後を取った。

 ごく短く呼吸すると、股下と首に空いた甲冑のわずかな隙間に腕と指を刺し込む。ここで発せられた怒声はもう、敵騎士のものなのか自分の(のど)が震えているのかも判断がつかなかった。

 踏ん張りを利かせると、目が開けられなくなるほどの重量を、大地を(きし)ませながら敵を肩に持ち上げたのだ。

 背中越しに担がれ、ジタバタともがくそれは酷く滑稽(こっけい)だった。

 間髪入れず、全力で木製大門へ投げつける。耳を塞ぎたくなるような轟音すら無視し、足元にある《エッケザックス》の太いグリップを握り直すと同時にダッシュをかけた。

 急接近。敵は態勢を立て直しているが僅差(きんさ)で遅い。

 

「届けェええっ!!」

 

 ゴッパァアアアアッ!! と、突進と迎撃がぶつかった。

 敵の得物が左手の籠手を穿通(せんつう)するが角度が浅い。対して俺の大剣は(さび)ついた敵の鎧をブチ抜き、深々と根元まで(えぐ)り取っている。

 オーバーラッシュをかけると石橋すら通り抜け、背後の大門に縫い付けた。

 またしても激突。

 しかし、これだけの攻撃を経てなおHPバーが微量だけ残る。大剣の攻撃属性は斬撃(スラッシュ)系。貫通(ピアース)のそれと違って、刺した後はじっとしていてもダメージを与えてくれないのだ。

 俺は三度(みたび)運動エネルギーを生み出そうとしたが、今度は壁に張り付いていたカーディンの左手が俺の右肘あたりをがっちりと掴んだ。

 信じられない握力だ。大剣ごとピクリとも動かせない。

 

『見事な……捌き……』

「ぐ、ウッ……まだだァ!!!!」

 

 だが、俺は上半身だけを逸らすと、何の躊躇(ためら)いもなく相手の兜に頭突きをくれてやった。

 ゴガンッ!! と、スパークが走るようなエフェクトに、バイザー越しでも衝撃が伝わったのか、数瞬だけ(くら)んだ奴の拘束が連動して緩む。

 すかさずあらん限りの力を両腕に注ぎ、銅製のメイルを踏み抜き、バク宙しながら結晶の刃を引き抜いた。

 ギシュンッ!! と大剣が抜き取られる。反動で無様に地をゴロゴロと転がって砂まみれになったが、惰力(だりょく)が収まると同時に膝をつきながら剣を構えた。

 しかし敵からの追撃はなかった。

 力なく2、3歩よろけると、黄土色のガーディアンは甲冑ごと色褪(いろあ)せていきながら満足気につぶやく。

 

『傭兵に堕ちた吾が、久しく遺却していた……血の(たぎ)る剣戟よ。貴族ゆえ、騎士ゆえ、名残もある。どうか汝に遣わそう。……吾が名はカーディン。嗚呼、生きた証を、いざ此処に……』

 

 それが大男の最期の遺言だった。

 糸が切れたがごとくバラバラに、けたたましく崩れ落ちる《カーディンズ・ホロウ》。まるで最初から誰もいなかったかのように、中身のない空っぽの錆びた甲冑。

 そして、透けるような黒漆(くろうるし)が施され、他に装飾のない無骨な大剣だけが墓碑のように戦場に(のこ)っていた。

 

 

 

  ◇   ◇   ◇

 

 

 

 今回のイベントボス討伐で得られた直接的な報酬は3つだった。

 1つは新たな大剣。まさに先ほどまで血を求めあった古き騎士と共に、1度は身命を賭した銘釼(めいけん)だ。敵を安易に『落下死』させなかった報酬と思われる。

 完成時は息を呑むような美しさだったのだろう。

 材質は黒錆を(まと)った高純度の(はがね)。古式鍛造方式で磨き上げられたぶ厚くバランスのとれた刀身はスチールグレイに色付き、その刃先は全周を通してさらに白く砥がれていて鋭い。

 剥落(はくらく)しかかっているとはいえ奢侈(しゃし)な漆のコーティングに、(ガード)は二段構造である点以外はシンプルなデザインに仕立てている。両手で握るにもずいぶんな長さを誇る握り(グリップ)には幾層にも包帯が巻かれ、それに染み込んだ血痕(けっこん)と手垢が、主と並び歴戦の武器であることを物語っていた。

 尖った剣先から計り、エッジにアールのかかったヘキサゴンの柄頭(ポメル)まで1.8メートル近くもあり、《エッケザックス》以上のリーチを誇っている。斜めに背負っていても剣先が地面に()りそうなほどだ。

 刀匠不明。銘は《タイタン・キラー》。

 簡素であり、なお威圧する巨神殺しの剣。奇を(てら)ったような名もなく、魔法属性の攻撃力などは設定されておらず、宝石や塗装による個性的な意匠(いしょう)もなし。

 突き刺さった重厚なそれを地面から引き抜いた瞬間に確信した。

 これはまさに俺が求めていた、本懐を果たすためだけに存在する、まっすぐな凶器。

 

「スゲェ重い。玉鋼(たまはがね)っていうんだっけか、きたえた時に使われるインゴットの密度がケタ違いだったんだろう。……いい剣だ」

「念願のおニューが手に入ったナ! し、しかしジェイドの戦い方は凄いヨ……それか、危ういって言った方がいいカモ。優れた剣士というよりは、サカッた獣に知恵と武器を与えたような感じダ」

「わたしも見ていて怖かったです。まあ、たまに何もしてなくても怖いですけど……」

「なあ、シンミョーな顔して素でディスんのやめない?」

 

 毀誉褒貶(きよほうへん)定まらない感想に眉をヒクつかせながら抗議すると、《エッケザックス》をインベントリに戻し、入手した金属大剣を背の剣帯に収納した。

 なんにせよ新しい業物だ。耐久値も申し分なし。当面は武器のことで心労を負わずにいられるだろう。

 そしてもう1つの討伐報酬は、まさかの3種類もの《魔導書》である。

 マンツーマンで戦うことが条件ならかなりハードな内容とは思っていたが、これは嬉しい誤算だ。おそらく没落貴族カーディンが去り際に放ったセリフと一緒にドロップさせたもので、これこそが隠しミッションタスク達成のご褒美だと思われる。

 1つはバフをつかさどる光魔法で、その《魔導書》の名は《正々堂々(フェアンドスクエア)》。

 ミッションのサブタイトルと同一の名を冠するこれは、一定範囲内のユニット全てがポーションや魔法による一切の回復行為を封じられるというもので、持続時間は長いがスペルも長い。ただし武器や防具の効果による回復は防げない仕様のようだ。

 バフ系と言いつつリスクもあって使いどころに悩むが、そもそも《光属性魔法》スキルの熟練度上達は遅い種族なのでアルゴかシリカにあげるとしよう。

 そしてもう1つ……否、もう『2つ』はペアで初めて機能する、つまり活用しようとしたその時点でスロット2つを占領しつつ、さらに2種類のスペル暗記を要求してくる闇属性魔法だった。

 名は《合成反応(シンターゼ)》と《脱離反応(リアーゼ)》。

 説明欄にはスペルの読みが順に、エック・バインダ・メイドゥ・ギィファ・カインダ・セガノーン・クリィスタス・エイト。そしてセアー・ビィルダル・エック・ブロード・レイズ・スィーザ。とある。

 我は留める。害成す侵略、祝福の水晶と共に。

 彼らは背負う。己が侵犯した、業の意味を。

 という和訳らしい。

 和訳はともかくノルド語読みはなかなかに長い。ただでさえ英単語を覚えるのも苦手だったが、幸い英語が混じったJポップを歌う練習ならギリギリ好きなので、似たような感覚で覚えるしかあるまい。

 《シンターゼ》の効果は、発動すると武器を装備していない手の平に直径1メートルほどの透明な風船じみた球体が発生し、30秒以内にその球体で触れた魔法を吸収、風船内に固縛(こばく)するといったもの。

 そして《リアーゼ》はその反射。なんと敵の放った魔法を、ダメージ量2倍、および射程補正のおまけつきで術者にお返しできてしまうのだ。

 道理で魔法を操る騎士でもあったはずのカーディンは、3種の《魔導書》を所持していながらどれも使ってこなかったわけである。その理由は明快で、俺が《エッケザックス》と2年間(つちか)ってきた自分の剣技を信じ、魔法戦を完全に排除したからだ。

 ちなみに、単に追尾魔法などを相殺したり撃ち落とすだけなら、《炎の妖精の加護(ディバイン・フレイム)》を初めとした、《~アクア》、《~ウィンド》、《~ガイア》といった4元素バージョンや、《迎撃魔弾(インターセプター)》など、――こちらはスペルこそ同一だが妖精ごとにライトエフェクトが異なる――ポピュラーなものがいくつか用意されている。

 しかし《リアーゼ》を使いこなせたとしたら、そのトリッキーな邀撃(ようげき)方と奇襲性はピカ一だろう。

 《シンターゼ》の成功からさらに30秒以内の制約付きで、かつ敵依存の弱点は無視できないが、戦術の引き出しを増やすためモノにしておくのも悪くない。対人だけでなく攻撃タイミングのわかりやすい大型Mobに対してもよく刺さる(・・・)だろう。

 2時間前にスプリガンチームがドロップした《重力渦旋(グラビテーション)》同様、幸運にもどちらとも闇属性魔法であり、《闇妖精(インプ)》の俺はスロット不足の問題さえ解消すればすぐにでも……、

 

「(……いや、《グラビテーション》の時とは違う。どうもこりゃあ、熟練度が足りてないパターンかな……?)」

 

 と思ったが、《闇属性魔法》スキルの熟練度問題もあった。装備不可という事実に、ウィンドウを眺めていた顔色が(くも)る。

 モノゴト何でも《暗中飛行(オプシディアン)》等の初期魔法を外してスロット数を稼げば解決するワケではない。

 分類上はそれなりの希少魔法なのだろう。こういった魔法ありきのアクションRPGでは特段珍しい話でもない。効果範囲、スペルワードの数、消費マナポイント、射程、命中率、即効性から持続性まで、多種多様な効力を持つ魔法が状況に合わせて使用されているのだ。

 そして種類が増えれば威力もレア度もピンキリになってくる。フィールド面積や脚本のボリュームに(ともな)って膨大な量を用意すればなおさら。

 つまり現段階での俺は、せっかく手に入れたこの高位の《魔導書》を発動可能状態にすらできないことになる。

 もちろんこうした事態は予想していた。

 というのも、SAOから引き継げていないパラメータで最も致命的なものが魔法関連だったからである。

 いくら伸び率の高い得意魔法とは言え、あくまで俺の《智力》の種族値は並み以下のD。もしこれが得意属性でない魔法の習得だったなら、いかなレア魔法だろうと活用はきっと諦めていただろう。

 初日から徹底しているが、当面は戦闘で手に入れたスキルポイントは、《魔導書》の空きスロット数拡張と《闇属性魔法》スキル強化に()てなくてはならないか。

 

「……んで、こいつが3つ目の報酬というわけだ。つか開くのか、このクソ重そうな門」

「知ってるだろうジェイド。システムが勝手に開錠する系のほとんど全ての門は、クエストクリアさえすれば敏捷値極振りのオレっちでも人差し指で押せば開くのサ!」

「こちらの世界では極振りとかもないですけどね」

 

 シリカの訂正をスルーし、凝った彫刻の施された木製大門を宣言通り人差し指で――おかげで雰囲気もへったくれもない――ゴゴゴゴ、とこじ開ける。片側は蝶番(ちょうつがい)の錆びを律儀に再現しているのかピクリともしなかったが、とにかく数歩進んだ時点で奥の空間から熱気の強い湿った空気が流れ込んできた。

 まず眼前に現れたのは石造りのいくつかの段差と、溢れるほど贅沢(ぜいたく)に源泉をかけ流す露天風呂だった。

 四方5メートルはある。岩をくりぬいた浴槽(よくそう)からは、地熱を帯びた湯が壊れた蛇口よりも勢いよく流れ出て、ほのかにヒノキが香る湯けむりの奥には、壺湯のような1人用の入浴スペースがある。壺湯は湾曲した木材で囲うことで形作られているが、リラックスさせる香りはここから発しているのだろう。

 これがカーディンの言っていた『秘湯』というやつか。

 空間そのものは長いところでも10メートルとないものの、着替え用なのか薄い仕切りに見立てた岩壁もデザインされ、最低限の(てい)はなしている。

 無論、男女分けされてもいなければ脱衣所とのはっきりとした境目もない。角度によっては湯船につかりながらでも見えてしまいそうなので、これで簡単なカーテンすら無しとは、若干ばかり開放的すぎる気もするが。

 そして、どこからともなく湧く源泉の先はシアター用スクリーンのように岩壁が取り除かれ、圧巻の景色が広がっていた。

 地面がずっと下に見え、広大な緑と豊かな自然が(はる)か遠くに感じる。

 のっぺらとした平面ではなく、大きく隆起(りゅうき)した大地がそこかしこで特色を見せ、また実際には存在しないだろう背の高い樹木も攅立(さんりゅう)し、片手の指では数えきれない大小の滝の付近には多彩な生物が生きついている。

 崩れかけた廃屋や水車、時代を感じる文明を元に設計された城塞や建造物。上流にある巨大な溜め池からは大量の水が川となって横断し、湖畔(こはん)には古びた村とわずかながらNPCらしき影が営む風景。

 その奥は湿地草原フィールドが広がり、ここにも大型モンスターの生態を一望できた。さらに、はだれ雪の山々を借景(しゃっけい)にした視線を南東にずらすと、今度は境目すら見えない澄んだ海峡(かいきょう)と幻想的な漁火(いさりび)が飛び込む。

 三日月湾の中心には瑞々しく色鮮やかな島と、大陸との往来を唯一可能にする大きな跳ね橋も見えた。奥には今にも賑やかな音楽が聞こえてきそうなエスニック調の街並みがあり、見張り塔らしき鐘楼(しょうろう)から狼煙(のろし)まで上がっている。あれが噂に聞く《水妖精(ウンディーネ)》領の首都なのだろう。

 美しい以外に形容しようがなかった。

 何より、この絶景を独り占めにする優越感がある。

 財宝をしこたま蓄えて思うままに人生を謳歌(おうか)したはずの『賊の王』とやらが、金で強力な傭兵を雇ってまで避暑地を守らせた理由がこれか。

 外からは丸見えだが標高が尋常ではなく、揚力を稼げない上空では妖精たちの(はね)も無意味なのだ。最近知ったのだが、いま俺達が根城にしているこの《虹の谷》もひと飛びとはいかず、冠雪(かんせつ)した山を上から翅任せで強引突破はできない仕様になっているらしい。

 ゆえに秘境への到達方は限られる。

 突っ立っているとスーパー寒いのがネックだったが、こと露店風呂に限っては寒い冬に入るのが真の醍醐味(だいごみ)だと主張している手前、この環境に文句もない。

 まあ、何にせよ風呂だ。清潔な湯で満たされた風呂がある。

 そして俺達はなんと、3日間風呂に入ってない。

 

「ジェイド! シリカちゃん! これはトンでもない穴場を見つけちまったんじゃないカ!? まるで高級ホテルの展望風呂みたいだヨ!」

「ほ……本当に夢みたいな景色ですね。こんなぜいたくな温泉があるなんて……」

「てか俺らの場合、フロどころか湖にダイブとかばっかだったしな。匂いがつかないからいいものの、さすがに体ぐらい洗いたかったぜ」

「エ、ジェイドってそんなところで律儀だったノ?」

「しっ、失礼な! これでもキレイ好きな方だよ! ……まったく。あ~高級ホテルとか旅館は泊まったことないけどな。脱衣所ってあんなスカスカなのか?」

 

 「んなワケないだロ」と冷静なご指摘を頂いてから、さっそく俺達は入浴の順番を決めようとした。

 しかし真昼の絶景を見ると感覚が狂いそうになるが、リアル時間では現在午後11時をとうに過ぎている。ここでシリカを後回しにするのは酷だろう。という結論から、まあここはゲームの中――ゆえに残り湯に男性を入れてしまうといった発想は薄れる――だし、と割り切ってレディファーストの運びとなった。

 さて、ここで問題が起きる。

 非常に繊細(せんさい)な、モラルの問題だ。

 

「じ、ジェイドさんは仕切り岩の後ろだと危ない気がします! ノゾいてきそうです!」

「ばッ!? 見ないっての! だいたい俺がヒスイのこと好きなのは知ってるだろう! シリカみたいなお子チャマは対象外なの!!」

「それはヒドいです!!」

「ええっ!? どっちだよっ! これ言うとアレだけど、なんならアルゴの中学生みたいな体型も圏外だぞ!」

「アアーーっ!? いまので怒っタ! モウ怒ったぞジェイド! オレっちだってなァ! お、オレっちだって……寄せればギリギリ谷間ぐらい……」

「アルゴさん、自分を苦しめてます! それ以上はやめましょうっ!! ……ジェイドさんも謝ってください。アルゴさん泣いちゃったじゃないですか!」

「ええい、んなモン普段のイジリで相殺だよ! ソーサイ!!」

 

 なんて具合にギャアギャアと騒ぎ立ててしまったが、ノゾキ対策にしても断崖(だんがい)()かる長い石橋の向こうまで40メートル近くも渡って待機させるのは(はばか)られたのか、2人からは木製大門に侵入する手前なら……という、寛大かつ有難い御達しを頂戴した。

 ちなみに動いた方の門も開けたら最後、押せども引けども動かなくなっている。閉められないわけだ。

 もう一方の門に隠れるようにするしかないが、壁を挟んだら当然風景など楽しめるはずもない。

 しかも熱波までしっかり遮断されるので、気温の下がり方が笑い話では済まされない気もするが、門の彫像(ちょうぞう)でも眺めて待っていろ、ということなのだろう。

 

「(ここ、解放したの俺なんだけどな……)」

 

 とは言え、彼女らの主張もわかるので俺は大人しく座って待つことにした。リザルトの整理と今後の対策でも考えるとしよう。

 確かに見えない花園(だついじょ)でシュウン、シュウン、と装備が解除され、薄着になるサウンドが聞こえる度に、よこしまな煩悩(ぼんのう)がほころんだ理性に付け込もうとしてくる。だが、俺は男の威厳を失わないようにかぶりを振ると、全力の心頭滅却態勢で追い払った。

 とそこで、座ったまま背中を預けていた門の反対側から、またもシリカの人を疑うような、あどけない声がした。

 

「ジェイドさん……ぜぇぇったい見ちゃダメですよ!」

「…………」

 

 いかにも年頃だ。こんなエリアを作成した以上は水着らしき衣装もデザインされているはずだが、現状は誰も手に入れていない。おそらくシリカ達は完全に下着姿だろう。

 しかしそこまで念を押されると、逆にノゾキの反応を見たくもなる。

 

「ハイハイ見ねぇっての。それよりあとがつかえてるんだ、さっさと入ってくれ」

 

 言うて、俺も年頃。どうしても生まれるエッティな妄想が誤魔化しきれなくなる前に、適当な返事を装ってシリカを追い返した。彼女もようやく疑いの目を晴らしてくれたのか、ゆっくり足音が遠ざかる。

 しかし、今度は別の足音が近づいてきた。

 猛烈に広がる嫌な予感。

 

「ネコ耳の女の子……」

「うっ……!?」

 

 そして見事予想が的中し、思わず顔が引きつってしまった。

 今度の声はアルゴのものだ。しかもこれは、『悪いコト』を企んでいる時の。

 片側だけ開いた門の端からあざとく顔だけを出し、火照った頬をバッチリ見られてから、彼女はわざとらしく大きな耳をピクピク揺らし、一向に目を合わせようとしない俺へ追い打ちをかけにきた。

 

「ふさふさの耳に、長いシッポ……」

「ぐ、バカな……なぜ、俺の……ッ!?」

 

 そう、俺が懸念(けねん)していたのはこれだ。

 もとより俺はヒスイで『ある程度』慣れている。詳しいところまでは割愛(かつあい)するが、コアなインドア派ゲーマーにしては場慣れしている自負があるだけに、普段の2人であればどうってことのない我慢だったはず。

 なにせ全年齢対象の本ゲーム内では、最大でもスポーツブラと生地の薄いホットパンツ姿までにしかなれないのだから。

 しかしこれは卑怯だろう。俺はSAOにダイブするずっと昔から擬人化娘の画像集めをするほどこれらのジャンルに目がなかったし、この世界のアバター再現度はそういった人種を釣ろうとしているようにしか見えない。彼女らの非の打ちどころのない擬人化は、もはや有名絵師の描く卑猥なイラストをも凌駕している。

 しかもあろうことか、その弱点にアルゴが気付いている。もっとも気づかれてはいけない敵に!

 

「そのザマで隠し通せるとデモ? オネーサン達には望んだものが付いてるぞ。……ムフフフ、人生最後のチャンスかもな! プライドを捨てるというのナラ、その願いチョットだけ叶えてやるのもやぶさかじゃないんだけどナ~」

「ぐぬぬぬ……よ、よぉーしいいだろう。俺はンなチャチい誘いにダマされないぜ? どうせなら賭けたっていい。俺が誘惑に負けたら、1日何でも言うこと聞いてやるさ」

「よしノッタ! オレっちが負けたら、そうだナ……非公開の秘密をお前サンにだけ特別に教えてやるヨ」

「ほほう……」

 

 珍しい、こいつは大きく出たものだ。

 思わず片側の口角が上がってしまう。

 前提としてアルゴは金の亡者である。大金でどういった暮らしをしていたかまでは知らないが、よく賭け事にも興じていたのは知っている。

 しかしだからこそ不自然だ。彼女は自分が不利になるような賭けは滅多に乗らないのである。

 にもかかわらず、今回のこれは明らかに勝負の行方を俺に(たく)している。いくらこの数日で相手の性癖(せいへき)を暴いたところで、俺の我慢次第ではあっけなく勝敗は決まるだろう。

 だがすでに勝った気でいるのか、彼女は鼻唄(はなうた)交じりに奥の浴槽に向かっていった。

 ――クックック。奴としたことが、俺のヒスイへの愛を甘く見たな。

 秘密を解放するというのなら望むところ。お言葉に甘え、存分に弱みを握ってやろうではないか。

 抵抗のつもりかパシャ、パシャ、とかけ湯をすると、地熱に暖められた湯船につかるなり「アア~肌に染みるナ~」やら、「耳まで潜ると気持ちいいナ~」やら、果てはシリカを不意打ちでくすぐってその幼い嬌声(きょうせい)を聞かせてくるといった暴挙にも出ていたが、そんな浅はかな作戦など無意味だ。

 無意味。そう、無意味ったら、無意味。

 

「(……まったく……呆れるわホント。それともアルゴの奴、自分のプロポーションに相当な自信を持ってんのかな……。……まあ、俺は胸より脚派だから、あいつらの体格はそっちの面でもヤバいな……てか声がやまないんだが。ヤメて欲しいんだが……)」

 

 耳を塞ごうにも、聞くだけなら禁止されていないし、可能な範囲でストレス発散しておかないともったいないよね、といった発想それそのものがしっかりとした遮音(しゃおん)を妨害する。

 見たい。セクシーな据え膳があるなら、男として味わいたい。

 門は高さ4メートルほどと大きく、腕力任せによじ登って上側から覗けば、彼女らの監視の目を一瞬すり抜けることもあるいは? なんて発想まで生まれてきやがった。

 だんだん心臓の鼓動がバクバクと速く打ち始める。

 2人の濡れそぼった細身の肢体がすぐ近くにあるという高揚と恐怖。とうとう都合のいいバンドゥビキニ+(なま)めかしいケモッ娘姿によるグルーミングまで幻視すると、「ああああああああああああああああっ!!!!」と心の中で叫んでから、《タイタン・キラー》のガード部分で何度も頭を殴打した。

 甲冑騎士も可哀想に。まさか自らを下した剣士に愛刀を盗られた挙句、こんな用途で初陣を飾られるとは。

 だが俺は負けず嫌いだ。賭けた以上、勝ちに行く。

 独りでドツボにハマっているだけのようにも思えるが、策士アルゴの手の平で遊ばれているかと思うと、微かに(にじ)んだ悔しさが抵抗した。

 

「(おおお思い出せ。俺には太陽系で1番可愛い彼女がいるだろう! こんなんじゃ悲しむぞ。あンないい娘を裏切るのか、このスカタン野郎ッ!!)」

 

 俺にとってナンバーワンはヒスイだ。だったらこの反応はいかがなものかと思わなくもないが、勘違いしないでほしい。これはあくまでケモッ娘補正であって、彼女らが持つ本来のポテンシャルではない。であれば当然、ヒスイが猫耳と尻尾を生やし裏声で「にゃあっ」とでも鳴けば、すぐに逆転するパワーバランスなのである。

 なんて言い訳しているが、現実は劣勢。

 鼻息を荒くしたまま戦利品にかじりつくと、先の戦闘でドロップしていた砥石を適当にオブジェクト化させ、新品同様の大剣を意味もなく研ぎ始める。

 まず必要なのは落ち着きだ。それさえ取り戻せば有利になるのは間違いない。

 なぜなら俺には人を(あざむ)く才能があるからだ。思えばクラスメイトにもよく言われていたものである。お前はバカだけど、初対面の人間にしばらくバカを悟らせないようにするのがウマい、と。

 持って生まれた才能なら、今こそまさに自分自身を(だま)す時。

 

「(こ、攻略のことでも考えよう。攻略っていうか、この世界からの脱出だ。集中しろ……よし、まずは紙類にでも書くか。頭のおかしい連中が人体実験をしている的なことをびっしり書いて、次に出くわした奴の目の前で捨てつつ抵抗しないで逃げるんだ。そうすれば、その奇怪な行動を怪しんだプレイヤーは俺達の言葉を紙越しに読んで、運営本社に一報を入れれば事件は無事解決……と)」

 

 うむ、無理がある。信じる信じない以前に、そんな七面倒なことを保証された報酬なしに率先してやってくれるほど、ゲーマーという人種は優しさに(あふ)れていない。だいたい本社への連絡先を知らないので紙にも記せない。

 それに反撃せずに逃げ回るとなると、生存率は一気に下がるだろう。やはり現実的ではないか。

 そこで萎える気持ちに追い打ちをかけるように、ビル風ならぬ断崖風が差し込んだ。

 おかげでオーバーヒート気味だった体温が消え失せてどうにか自我を取り戻したが、俺は《スイッチ》で割り込んできた眠気と寒気に震えながら上着の(えり)手繰(たぐ)り寄せる。

 

「(しっかし、こう標高が高いとマジで寒いな。風呂付きつっても、フィールドで完全非武装はちょいと勇気がいるしよォ。……安全地帯みたいだからモンスターは来ないとして、それでも入り口はボス倒した時点で解放されてるわけだし、谷底とか橋の向こう側は筒抜けだよな……)」

 

 一応警戒しておくに越したことはないだろう。いい景色と引き換えに無防備もいいところだ。何の気なしにフィールドを眺め続けているが、人間というのは古来より入口からしかやってこないとは限らないものである。

 単純な飛行のみでこの高度へ辿り着けないだけで、例えばクライム用の装備が市販されていた場合、それらのアイテムを駆使して外壁をよじ登ってくるなんてことも……、

 そこまで考えた瞬間。

 

「ウワァアアアアアアアアッ!?」

 

 という悲鳴が門の奥から響き渡った。アルゴのものだ。しかも騒々しく飛沫(しぶき)を上げるような水音が連続している。

 悲鳴はやまず、俺の脳内には最悪の事態が列挙された。

 まさか本当に敵プレイヤーが壁を登って? だとしたら完全な不意打ち、アルゴ達は丸腰。鉢合わせ直後に攻撃され、抵抗する間もなく、死んっ……、

 

「アルゴォっ!!」

 

 砥石を投げ捨てた俺は《タイタン・キラー》を構えたままリワードエリアへ突入した。

 敵妖精の種類はなんだ。近接タイプではないかもしれない。だとしたらスペル詠唱は終わっているのか。終わっているなら攻撃のタイプは、属性は……、

 しかし様々な対策を立てるのと裏腹に、露天風呂やその先にある広大な景色が俺の視界に入っても、敵はおろか小さな野生動物すらもいなかった。

 代わりに、岩に腰かけて腕と足を組んだまま満足げに笑うノーメイクのアルゴと、頭の上にある大きな猫耳を両手で隠すように伏せ、顔をゆでダコのように赤らめつつアゴ下まで浴槽につかるシリカだけがそこにいた。プルプル震えている。

 エッティな脇が見えそうだぞシリカ、なんて冗談を抜かす余裕もなく、まだ呑み込めずにいた俺からは「はい……?」と気の抜けるような声だけ漏れた。

 

「ぅぅ……見ないでって、言ったのに……ジェイドさんのバカ……」

「にゃーハッハッハッハッ、賭けはオレっちの勝ちだなジェイド!」

「なっ……お……おいクッソ、マジで言ってんのか!? カンベンしてくれこのビッチッ! ガチで心配したんだぞ! 今度やったら……に、2度と助けてやんねェからなこのアホー!!」

 

 負け惜しみだけ置いてすごすごと門の方へ歩きながらも、状況を完全に理解した俺は掛け値なしで開いた口がふさがらなかった。

 あの策士女め。

 よくシリカも黙っていたものだ。アルゴの奴は、

 

「ニャハハハ! ニャーハハハハハハハッ!!」

 

 なんて、タガが外れたように笑いこけているし、結局は俺の我慢強さなんて関係なかったのだろう。見方を変えるとは諸刃(もろは)の剣に近いかもしれないが、この女にとって俺なんてゴボウか何かに見えるのかもしれない。

 

「(やれやれ……いったいどんな命令されるのやら……)」

 

 今から気が重くなるが、しかし俺の本音は現金だった。

 期せずして花園に侵入を果たした数秒間で、とんでもなくデンジャラスな映像が目に焼き付いてしまったからだ。

 シリカはほとんど湯に埋もれていたがしぐさそのものが可愛かったし、アルゴに至っては勝ち誇ったように堂々と入り口付近の岩に座っていたため、局部のみ隠れたスレンダーな全身、圧倒的な肌色が見えてしまった。

 見えてしまったのである。

 勝負に負けたはずが、違う意味で大勝利したような……。

 しかしこれは大変だ。邪推しないでいただきたいのだが、俺は決して下心ありきで助けに向かったのではない。わずかな可能性ではあったものの、本当に敵の侵入を危惧し、浴場での戦闘を覚悟していた。

 ――欲情だけに。

 黙れ、俺。

 しかし、だとしても1つの事実を否定しきれなかった。

 

 俺はいま、とても幸せなのではないか、と。

 

 そこまで考え、乱暴に髪をかくと俺は全力で否定した。

 いやいやまさか。バカなことを言ってはいけない。金髪翠眼の小娘が鼻につくドヤ顔で座っていただけではないか。それにそんな、今まで事務的な話しかしてこなかった、言ってしまえばニアイコール他人な存在に性的な感情を(いだ)くなんてそんな、思春期思考が盛んな荒唐無稽(こうとうむけい)のご都合妄想じゃあるまいし、若さゆえの過ち的なまさかが起こるはずもなかろうて、とは断言しきれないこともないこともないが……、

 

「ジェイド」

「うわぁあいっ!?」

 

 真後ろからのアルゴの呼びかけに、絶賛深読み中だった俺はリアルに内臓が飛び出るほど驚くと、両手を万歳ポーズにしてしまった。先ほどのは声に出ていなかっただろうか。

 からかうのもいい加減にしてほしいものだ。こっちは恥ずかしさで顔も合わせられないというのに。

 しかもまだ半裸なのか、彼女は門から顔しか出していない。

 

「ん、んだよ……賭けは俺の負けでいいって……」

「イヤ、せっかくだし感想を聞こうと思ってナ。ムッフッフ、どーだったかネ、オネーサンのカ・ラ・ダ・ハ」

「ええいっ、失せろバイタが!」

 

 振り向きざまにペイントボールを投げつけたが、軽やかに回避すると「ニャーハッハッハッハ」と高笑いして去っていった。完全に深夜のテンションである。

 本当に何なのだ、コイツの大胆さは。連日続けて長時間行動を共にするようになったこの2年で初めての経験だったが、よもやあの有名なソロの情報屋がここまであけすけな性格だとは思わなかった。

 あと、俺とシリカが話している時に、聞かないフリをしつつ物陰に隠れてこっそり会話を盗み聞こうとする昔の悪いクセを早く直してほしい。

 日々の暮らしに問題がありすぎて、勝手に口からため息が出てしまう。

 

「(はぁ~、調子狂うよホント。カズ達がいねえからかな。そういやあいつら、今はどうしてるんだろう。無事に帰れてりゃいいけど……)」

 

 ギルドのことを思い出すとまた憂鬱(ゆううつ)になる。

 不覚にも、この世界に転移した翌晩には、会えない寂しさと孤独感で涙も溢れた。彼らが本当に釈放され、かつての暮らしを取り戻せたのか確信できなかったからでもある。情けない姿は見せたくなかったので、彼女達が寝静まった後でよかったものだ。

 もうあの日常に戻れない非道な現実が、みんなと苦楽を分かち合えないだけでここまで身体的に辛くなるとは思わなかった。これが失って初めてわかる大切さというやつだろうか。

 

「(でも……もし帰れていたとしても、まだ動けないか。床ずれだっけ、そういうのもキツいだろうし……あ、あと筋肉もほぼなくなってるよなぁ。リハビリのこと考えると俺達なんて探してる場合じゃないカモだし、その辺はもう期待しない方がよさそうだ……)」

 

 希望を持っていたからこそ、この3日間でもしやと思うこともあった。

 どこか別々の場所に留置させられたプレイヤーが、それぞれの方法で牢を脱出し、フィールドで再開できないものかと。もしくは違法行為の実態を知りえたまま現実に復帰した者がいるのではないかと。なにせ、俺は初日の戦いのさなかに別所で捕らわれていたアスナらしき人物の姿を目視していたのだから。

 しかし3日間で音沙汰なし。アルゴなんてアスナの件をどこか半信半疑に聞いていたらしいが、確かにこうなると望みは薄いだろう。

 例の科学者達の会話を思い起こすと、おそらくあの場にいたプレイヤーが拉致、および監禁者の全てだったのだ。

 そして同時に、自由の身になれたのも3人で全て。

 あとどれだけ生き残れるのかもわからない。いわんや生き残れたとして、俺達の現状を現実世界の誰かに伝えられないのなら意味はない。だからこそ俺は寝る間も惜しんで、まずは生存率だけでも上げようと躍起(やっき)になっているわけだ。

 今度こそ黙りこくったままインベントリの整理をしていると、10分ほどしてからアルゴとシリカが着替えを済ませて戻ってきた。

 入れ替わりでまた茶々を入れられたが、なるべく反応しないように岩場まで来る。SAOの経験上、ウィンドウに収納すると怖いので大剣だけは近くの壁に立てかけ、とりあえず脱衣所らしき空間で順に武装解除していった。

 あっという間にボクサーパンツ一丁の姿へ。気持ち丈が長い気もするが、そんなことより筋肉の欠片もない微躯(びく)に嫌気がさす。

 しかし華麗(かれい)に見なかったことにすると、とりあえず信じられないほど寒かったのでかけ湯もすっ飛ばして風呂に浸かった。

 総体積の変化で溢れた湯が岩の端からザパッ、と流れ出る。

 全身を充分に浸漬(しんし)させると、液体に設定されたテンパルチャ・エンジンがアバターを暖かく包み込み、俺は3日ぶりとなる癒しの快楽を味わった。

 しかも驚いたことに、消耗品の節約のためとわずかに減少していたHP、MPを放置していた俺だったが、湯に入った時点でそれらが全快してしまったのだ。説明こそなかったがそういう効能なのだろう。

 体内に取り入れても有効なら、水筒に入れてあとで飲もうか。なんて迷いもあったが、彼女らに死ぬほど引かれそう……を通り越して、2度と口をきいてもらえなくなる上に、社会的に死にそうなのでやめておいた。

 お湯自体は少し熱いぐらいだが、環境の寒さによって中和されたぬくもりが全身に浸透し、初めて装備を解いて得た文句なしの解放感に酔う。

 おまけに大画面の絶景付きときているのだ。

 この3日間の冒険の途中では、活火山の頂上に手すりなしのパイプ製の足場を乱暴に設置しただけの、《アルカントラ展望台》なんて絶景スポットもあった。だが、ここには見て楽しむためだけのあれらと比較できない付加価値がある。

 

「(うっは~、サイコーだなぁおい。……このまま寝ちまいそう。まさかプレイヤーに10連勝もしといて、死因ができ死はカンベン願いたいもんだけど……)」

 

 なんてことを思いつつ、ザパッと肩に湯をかけ思わず目をつぶっていた。

 そのまま四肢を脱力させると心地いい睡魔が手招きしてくる。

 どれくらいそうしていたかはわからないが、しかし本当に寝てしまうわけにもいかなかったので、俺はひとしきり露天風呂と景色を堪能(たんのう)すると、数分と待たず完全武装状態に戻った。

 ちなみに下着は濡れたままにしておくと股下に無視できない不快感が襲ってくるが、実はフィールド環境が雨などでない場所で私服を何度か着脱すれば、水濡れエフェクトをすぐに取り除けてしまうのだ。

 風情(ふぜい)も何もあったものではないが、下着1枚程度ならこの方が手っ取り早い。

 

「2人とも、もう入ってきていいぞ~」

 

 という声に反応すると、他愛ない雑談をしていた2人はすぐに暖かい空間に戻ってきて、仲良く冷えた手だけをまた温めていた。

 風が吹いても門の内側ならある程度遮られるため、今日の寝床はどうもここで決まりのようだ。適温の地熱もあることだし。

 

「今日は日付けが変わる前に安全地帯を見つけられてよかったですね。しかもココがかくしルートなら、人もそんなに来ないと思いますし」

「フィールドで経営される宿屋があればいいんだケド……マ、ゼータクは言えないサ。とにかくずっと同じ場所でアンブッシュしてると特定のパーティに狙われちまうカラ、明日も移動し続けるしかないだろウ」

「つっても逃げるのはもう慣れてきたところだし、そろそろ死なない程度に反撃してみるとするか。……あのクソッたれの科学者共にさ」

 

 俺は風呂の時間中考えついた案をとりあえず挙げ、手順や決行日を明日以降に話し合うことにして、その日はもう寝ることにした。

 

 

 

 それから2時間半。

 リアル時間で深夜2時。ほとんど麻痺(まひ)してきた脳を叱咤(しった)し、俺はなおも夕日が地平に消えかけた(よい)の空を飛び回っていた。

 しかも飛び回るだけではない。同時に鋼鉄の大剣を振り、古代ノルド語の勉強もしているところである。

 ぽたぽたと滴る汗を紺のグローブで拭うと、詠唱途中の魔法をファンブルさせながら一息つく。

 そう、自分で勝手につけた名だが、俺は『手無し運転』の練習をしていたのだ。

 このシステム外スキルは極めようとするほど奥深さに驚嘆(きょうたん)する。

 肩から肩甲骨に広く伸びる筋と背筋をうまくコントロールすることで、補助コントローラ使用時よりも幅広い飛行性と推進力が得られる技術。なんて聞くと簡単なプロセスにみえるが、空中戦(エアレイド)をするとなるとその難易度は跳ね上がる。

 というのも、実際に飛びながら剣を振ろうとすると、どうしても肩から背にかけて余計な筋肉に力がかかってしまうからだ。これでは剣を振った瞬間に意図しない推力が生まれヒットポイントがずれてしまう。

 特に重い両手用武器となるとその使い辛さは他と比べるべくもなく、ゆえに片手が封じられるのを防ぐために『手無し運転』の完全マスターはほぼ必須となっている。

 代わりにこれらの両手武器は、攻撃力とは別にヒット時の衝撃や《怯ませ値》といったポイントが桁違いに高く設定されている。スティックありきの初心者からしたら納得のバランスかもしれない。

 その点、背中に力を入れる必要がないことを考えると、一般人の大半が空戦・陸戦に難度の変化がない魔法に頼りきりになるのも必然だったわけだ。味方へ確実に貢献できる数少ない手段の1つである。

 しかしこれはある意味好機。

 俺は2年以上も前から両手剣使いだったし、おかげでそれらの扱いに多少の自信もある。ということは、手無しさえマスターしてしまえば、それだけで高く設定されたスペックが戦力に上乗せされることになるからだ。

 だからこそ、こうして穏やかな丘陵(きゅうりょう)を眼下に、深夜にブツブツと意味不明な言語を唱えながら、見えない敵に大剣を振り回しているわけである。

 ――決してアブない人ではないゾ。

 

「寝床にいないと思ったラ……」

「うおっ、なんだアルゴか!?」

 

 突然後ろから声をかけられて驚いてしまったが、振り向くとアルゴが厚着のまま翅を広げて滞空していた。

 ビックラこいてしまったが、未だ彼女の姿に見慣れないのもそのはず。今はチャームポイントの6本ヒゲがないのである。あと超絶可愛い猫耳がある。

 ちなみに俺達のいる高度は露店風呂のあった位置より相当低い。日光が差し込むかの場所では問題なく揚力を回復できたので、そのまま外壁より段差を利用してジャンプ混じりに翅が使える高度まで下ってきたのだ。寝相が悪すぎて崖から滑落(かつらく)したのでなければ、こちらの元《鼠》さんも同じようにして下ったのだろう。

 だがどういうわけか彼女もすでに汗だくで、俺が納刀しても彼女はバツが悪そうにしながら近づいてきた。

 

「……スペルと飛行、それに剣の同時練習カ……。ホントに精が出るナ。いつも眠そうにしてたケド、お前さん毎晩こんなことしてたのカ……?」

「あ~そういうこと。まあ……そうだな、欠かさずしてる。けどこのことで気負うなよ? 俺が勝手にやってることだ。おっと、マナは消費してないから安心してくれ。最後の一句は発音しないようにしてわざとチャンファさせてるんだよ。今日に限ってはさっきのフロ入り直せば済む話だけど……おいアルゴ、聞いてる?」

「えっ? ああイヤ……チョット感心してサ……」

「……そっか。まあ、長期的に戦っていくなら、ジョバンで無理してでもこの辺の基礎はマスターしといた方が効率いいだろうと思って。……ほら、その方が2人も……しっかり守れるしさ」

「うん……」

 

 なぜだろうか。てっきり歯の浮くようなセリフとキザな動機をなじってくるとばかり思ったが、顔を真っ赤にしたアルゴは殊勝(しゅしょう)な態度のままだった。

 俺に負荷を集中させた罪悪感と思っていたのだがどうも違うようだ。

 しかし、微妙な静寂(せいじゃく)が気まずくなってきた俺はあえて話を()らした。

 

「それよりどうした、こんな夜遅くに。俺が起こしちまったわけじゃないよな。アルゴも自主練か?」

「んんっ……イヤ、ちょいと寝付けなくテ。フードとヒゲがないからカモ。……そうだ、そういえばスプリガンを倒した時に塗料がドロップしたらしいナ? いい加減落ち着かないと思っていたんダ、プレイヤーにペイントできるタイプだったらオレっちにくれヨ」

「え~ない方がいいぞ……って、いつもなら言うところだけど、そのカッコだと逆にヒゲがないと違和感だな」

「ないと痛いヒトになっちゃうしナ!」

「いや普段『ニャア』とか言ってるし、アルゴは十分イタい奴だと思うぜ!」

「なにおーウ!!」

「あっはははは」

 

 そんな、屈託(くったく)のない笑みと雑談にどこか安心したのか、つられて大きな眠気まで襲ってきた。

 

「くぁ……ぁ……ふぁ。しかしさすがにねみ~」

「なら本気でそろそろ寝た方がいいゾ。明日だってプレイヤーがログインしてくる前には起きたいだろウ? ほら、こっちダ」

 

 翅をゆっくり動かして数秒ホバリングすると、俺とアルゴは適当な足場を見つけて着地した。難度が高いとされる着地も、3日半ひたすら繰り返していればコツも掴めるというものだ。ただでさえアバターの操作は一流なので、半分寝ながらでもできてしまう。

 しかしあまりの疲労からか、俺はものの数秒も立っていられなかった。

 しかも平たい岩を背もたれにどっかり座ってインベントリ上で作業していると、俺が動けないと見るや彼女は隣に密着してチョコンと座ってきたのだ。

 一瞬だけ跳ねた動悸(どうき)を悟られぬよう、なるべく平然と返す。

 

「……俺じゃなかったらアブねぇぞ。カン違い起こすかも」

「勘違イ~?」

「ああそう、カン違いだ。こいつ俺にホレてんのか!? ってね」

 

 プフッ、と(こら)え切れずに笑っているあたり(あなど)れない女である。

 

「ほいよ、《タッカー製の変色塗料》。人にも使えるんだと……うわ、ちゃんと12色あったけどこいつはメンドーだぞ。日光を浴びると樹脂かナンかが反応して色が変わるらしい」

「ン~じゃあオレンジはあるカ?」

「変化後前提なら……ほらこれ、濃い緑のやつだ」

「オ、サンキュー……と言いたいところだケド、せっかくだしソレ、ジェイドがオネーサンにペイントしてくれヨ」

「はァ!? い、いやだよ自分でやれって……ッ」

「にゃはははっ、まだまだ甘いネ。そんなに照れなくてもいいのニ。それにホラ、ここじゃあ鏡もないだろウ? ンンっ?」

「クッ……まったく勝手な奴。じゃあさっさと済ませるぞ」

「んっ……」

「……おい、動くの俺かよ」

 

 座ったまま目をつぶっていやがる。

 俺は動く気配のないアルゴに代わって態勢を変えると、彼女の目の前を陣取った。

 いざ正面を向いて整った小顔を直視するのは気恥ずかしかったが、どうにか深呼吸するとオブジェクト化させた円筒形の小物入れから、今度はクリーム状のワックスじみたものを指ですくう。もちろんグローブや籠手はあらかじめ外している。

 塗料は予想より冷たかった。流動性はほとんどなく、粘り気のある特定樹脂の含有率(がんゆうりつ)が高い、という説明欄のそれは、フォーマットを張り付けただけでなくきちんと正しいようだ。

 だが問題は、それを彼女の顔に塗るといった行為をいかがわしいものと本能が直感してしまったことだろう。

 その最たる原因は、つい数刻ほど前に見てしまった例の肌色だ。

 透明な雫と上気した肌でデコレーションされた生唾ものの極上のケモッ娘――という表現には自分でも引くが――2人は、否が応でも脳裏にピンク色のアレやコレやを浮かべてくる。

 おかげで睡眠欲もたじろぎ、まともに目が合わせられなかった。

 

「なんか遠いゾ、ジェイドさんヤ」

「あ、アルゴが足を伸ばすからだろう……」

「オイオイ、まさかオレっちの顔を見ずに塗る気なのカ? 剣がないと意外とチキンだったんだナ。イヤ、意外でもないのかナ? ムフフフッ」

 

 その言われようにはさしもの俺もカチンときて、彼女の瞳をまっすぐ射貫(いぬ)きながらキスができそうなぐらい顔を近づけてやった。

 「エゥっ!?」とヘンな声が出てビクついたのを見ると、この行動まで読んだ冷やかしではなかったようだ。気を抜くと真珠のようにキレイな碧眼に吸い込まれそうだったが、彼女の慌てた様子から得たわずかな満足感でごまかす。

 とはいえ、俺は四つん()いでの前傾姿勢で、アルゴはこわばったまま伸びた背筋を壁に貼り付ける背水の陣。至近で見つめ合い顔を染めながらも、引くに引けないので互いに続行するより他なかった。

 

「ほら……塗るから髪持ち上げろ」

「ち、チョッと待っテ。心の準備ガ……」

「大丈夫だって、2年も見てたんだぜ。だいたい覚えてるから」

「ヤ……そういう意味じゃア……」

 

 ごそごそと細かく動いて抵抗するアルゴに(わずら)わしくなった俺は、とうとう彼女の着る長袖装備の裾を(ひざ)で踏み押さえ、空いた手で勝手に髪をかき分けると、あらわになった頬に樹脂液を塗り始めた。

 すると「ひゃうっ!」という、わざとらしい嬌声を上げてきやがった。

 その不意打ちに心臓が飛び出そうになる俺。

 

「なんっ、つぅ……こえ……だすんだよ……ッ」

「だ、だってソレ、思ったより冷たくテ……」

「いいから声出すなよ。その……集中できねぇ」

「うん……」

 

 いきなり早鐘のように打ち始めた心拍に()かされるように、次の液体をすくい上げた。

 今度は躊躇(ためら)わずに塗りたくる。

 指先から柔らかな弾力が返ってくると、どうやっても上がるテンションを死ぬ気で押さえながら慎重になぞっていった。

 しかし女の肌というのはなぜこんなにもハリがあるのだろうか。すべすべで、触り心地が良くて、とても甘い香りがする。やましいことは何もしていないのに、頭に(もや)がかかったようにくらくらしてくるのだ。

 アルゴは俺がペイントしている間、口を手で押さえて必死に声を殺し、目を固くつぶり、頭にある大きな耳をしきりにパタパタさせていた。

 かといってそれ以上後ろに下がることもできず、結局は観念するしかない。細かい痙攣(けいれん)も、漏れそうになる吐息も、しぐさ1つ1つが煽情的(せんじょうてき)でふとした弾みで間違い(・・・)が起こってしまいそうだった。

 

「ァノ……ジェイド、なんカ……オレっち……ッ」

「(今日のアルゴ……スゲー可愛い……)」

 

 指を()わせるたびに、面白いぐらい反応が返ってくる。

 アルゴも緊張してくれているのだろうか。もし俺に対して気を張っているというなら、それはいったいどれ程だろうか。足や股が服越しに接触しても(おこ)りもしない。こんなシチュエーションで接近することはもうないだろう。セクハラ覚悟でそのモダンな服の上に手のひらを押し付けて、彼女の鼓動(こどう)をはっきり確かめたくなる。

 甘ったるい吐息と頬を紅潮させる彼女に、いつしかくぎ付けになっていて……その気持ちを確かめたいという黒い欲求が湧きたつ。

 それを満たそうと、体が制御を外れた瞬間だった。

 

「……あの~」

『っ――ッェ~!・~っ!?』

 

 背後から届いた声に言葉にならない悲鳴をあげて、剣やポーチをガシャコーン、と蹴飛ばしながら、俺とアルゴは超特急で互いに距離を取った。

 声はシリカだ。振り向くと、手で壁にもたれかかったまま、軽装の彼女は眉をハの字に曲げてこちらを見ている。

 しかしいつ接近した。見られたのだろうか、それとも聞かれただけだろうか。だとしたらいつからだ? ずっとか!?

 なんて思考を一瞬で済ませ、どうにか小さき乱入者の方へ体を向けた。

 

「よ……よお、シリカ。その……よい子は寝る時間……だぜ?」

 

 なんじゃそりゃ。と自分でツッコミを入れるも、続けようとした弁解をする前にシリカが割り込んだ。

 

「寝る時間……そうですね。わたしはグーゼンお湯の音で起こされましたけど、お2人がいなくなってて本当に心細かったんですよ……?」

「うっ、それはマジで悪かった」

「でも、いざ必死になって探してみると、お2人は岩カゲに隠れて抱き合っていました。じゃあ聞きます。2人は……ここでなにを?」

「抱き合ってねェし。その……ナニってそりゃあ……なあアルゴ? ほらコレだよ、コレ! ねずみのアルゴつったら6本ヒゲだろうっ? 塗料が手に入ったモンだから、ほら……」

 

 俺は顔面とワキに汗をびっしょりかきながら、ゼンマイ仕掛けのオモチャのように円筒形の小物入れを指さして言った。

 シリカの疑いの色しか灯さない暗い視線がゆっくりと右手の方に移り、そのままアルゴのふにゃっとした表情を見て、そして何の変化もなく俺の顔の方へ戻ってくる。それはもう、若干中学生ぐらいの年齢の女性がしていい表情ではなかった。

 

「よくわかりました。ウワキですね」

「ち、違うっつのシリカ! 信じてくれ! だいたい俺はさっきまで夜の特訓をしてただけでだなァ……おい、アルゴもなんか言ってやれよッ」

「そっ、そうだゾ、シリカちゃん! これはオレっちが頼んだんダ。か、鏡がないからネ! ネコの手でも借りたいと思っていたところデ……あ、ネコはオレっちか!」

「やかましいわ!」

 

 しかし俺とアルゴの即興茶番に反応はない。

 どころか、どんどん目からハイライトが失われつつある。あとちょっとで病む。

 

「夜の特訓……アルゴさんからの頼み……ふぅん。これでも、わたしが心配しているようなコトは一切ないと?」

「あ、ああっ、もちろんだ! 俺は人生でウソをついたことがねぇ!」

「早速つきましたね。じゃあヒスイお姉さんに言いつけますけど、イイですね?」

「うぐぅッ!? そ、それは……どうか!!」

「『どうか』じゃないですよっ、やっぱり後ろめたいコトしてたんじゃないですか! このヘンタイ! 女の敵!!」

「ジェイドは黙ってテ! シリカちゃんは勘違いしてるんダ! これには深いワケがあってだなア……!!」

 

 やれやれ結局ひと悶着だ。3日でこれでは、先が思いやられるというものである。

 そんなこんなで(にぎ)やかな夜になってしまったが、俺とアルゴはシリカの誤解を解くのに優に半刻も費やしてから、ようやくその日も浅い眠りにつくのだった。

 

 

 

 



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第111話 メンテナンスのお時間

 2024年11月13日 《虹の谷》麓付近中立域。

 

 《アルヴヘイム・オンライン》の、12度目の夜。天候は大雨。リアル世界ではいよいよ7日も経過したことになる。

 

「(こりゃ我ながらしくじったもんだ……)」

 

 粒のデカい雨に打たれ、しとど濡れながら、空を飛ぶ俺は内心そうぼやいていた。

 ちなみに、ゲーム内では夜になったばかりだが、日付変更線はとっくに超えている。しかし依然(いぜん)として俺達はプレイヤーと戦っていた。

 時刻はリアルで午前3時半過ぎ。相手もこんな時間にログインしているということは、俺達のようにログアウトできない人間でもなければ、この時点で相当な廃ゲーマーであることがわかるだろう。実際、敵の中で『手無し運転』でない者はただの1人もいない。

 しかも軒並み《脱領者(レネゲイド)》なのか、それともアカウント作成時に仲間内でいろんな種族を選択したのかは知らないが、なんと5種族の妖精が迫ってきている。それなりに戦闘はこなしてきたつもりだが、この多彩具合はさすがに初めてだ。

 

「クソったれ、まけないか! やるしかない!!」

 

 後続のアルゴ達に叫び伝える。

 こんな事態に陥ったのも、たまたま通りかかったレイドボス戦帰りの残存兵と遭遇戦になってしまったことに端を発している。

 もっとも、この無謀な旅が一路順風(いちろじゅんぷう)に終始するはずもなく、いずれこうなるとは思っていた。

 ログアウトできない俺達の弱点はどう考えても寝込み時。深夜帯に見張りを立てようにも一行の総数はわずか3人で、しかも1人は中学生前後の女性だ。理想は朝まで交代で周囲を警戒し続けることだったが、それを1人頭2時間以上となるとやはり非現実的。

 現に安全地帯を確保できなかった昨晩――いや、もう一昨日になるのか――は、ダウンしてしまったアルゴやシリカを誰かしらがモンスターから守らねばならず、そしてその役は俺が担った。ゆえに俺は45時間ほど連続で寝ていない。

 話を戻し、敵5人の猛追が一向に止む気配がないのにはそれなりの理由がある。

 というのも、実際のところ相手に戦意はなかった……というより、攻略が目的だった彼らは安全地帯を中継するために偶然通りがかっただけで、夜練でピョンピョン飛び回っていた俺はともかく、エリアの端で寝ていたアルゴ達に気づいてすらいなかったのだ。

 だのに寝込みを襲われたのかと勘違いした俺が2人を叩き起こし、即座に特攻を仕掛けると先制デバフアタック――例の敵を弱体化させる自動魔法である――も功を成し、敵の大将を不意打ち気味に倒してしまったのである。

 もちろん最も価値の高い最大強化済みのエンド品武器や高級装備となると、例え死んだ瞬間に装備フィギュアに設定してなくとも、ちゃんとセーフティのかかったストレージに固定されているはず。

 だが、凱旋(がいせん)中だったこととリアルにおける夜明け直前、いわゆる『過疎時間帯』であることに油断したのか、ボスドロップのレア物を安全枠に移していなかったのだ。

 俺も夜の特訓でなかなか成果が出ず、長引いたストレスと不運が併発(へいはつ)して互いにとっての災いをもたらした。

 クエスト達成報酬を集中管理していた彼らは、運悪く30パーセントの確立を引き当ててしまい、夜中の3時まで起きていた俺に奇襲されてまんまとレアアイテムを奪われてしまうことになる。

 勝手な想像だが、おそらくパーティが何度か全滅(ワイプ)したせいで彼らもこんな時間までかかってしまったのだろう。死んだ隊長を蘇生させていないようだが、そういったアイテムを使い切ったとのだ考えれば、蘇生(リヴァイブ)役の後衛隊がいないのも含め辻褄(つじつま)は合う。貴重なスロットを消費してしまう以上、《魔導書》を重複(ちょうふく)させるのは最低限にしたかったはずだからだ。

 それなのにやっとの思いで手に入れた品は、突然現れた3人組に、しかもその他3割のアイテムと一緒に奪われてしまった。

 そうなればゲーマーとして取るべき行動は1つである。

 きたない盗人から、奪い返す。

 

「卑怯な奴らだ、挟み込めっ!! 絶対逃がすなよ!」

「まだマナ残ってる奴はいるか!? 女の子供から狙おう! てかなんでこんな時間まで起きてるんだよ、こいつら!」

「ヒトんことは言えんだろう! とにかくオレが行くッ!!」

「ハマっちゃん遠距離系撃てるか!? 左から頼む! 俺が近づいて引きはがす!!」

 

 後方からは元気な声が聞こえてくる。やはり睡眠時間そのものがずれている集団と予想できる。

 

「(くそ、張り切りすぎだろ。完全に早トチッた。……こりゃ見逃してはくれないだろうな。隠れてりゃバレずにすんだのにっ!)」

 

 きっと今の俺には、あらゆる方面において冷静な判断ができていないのだろう。

 自分の迂闊(うかつ)な行動を恥じてはいたが、されど後悔ばかりしても始まらない。

 敵メイジの魔法攻撃と工匠妖精(レプラコーン)の弓矢による遠距離攻撃をどうにかいなしながら、たまに直剣で接近戦を仕掛けてくる闇妖精(インプ)を大剣で振り払う。

 死にたくなければやるしかない。あまりの眠さと限界に近い空腹が普段のポテンシャルを引き出せずにいたが、これも無理を通した悪因悪果というやつだ。

 しかしその内、遅れて飛んでいた敵の1人が副隊長らしきおっさん系火妖精(サラマンダー)に叫んでいた。

 

「ダメだ! やっぱり土妖精(ノーム)は限界が早い! 最後にマナ使い果たすから、あとを頼む!」

「うっそマジかよ!? ドドマル限界だって!」

 

 後方から聞こえるセリフから察するに、おそらくノームの揚力が尽きたのだろう。

 かの種族は唯一2つのステータス補正でAランクを獲得する妖精――ちなみに最高値のAランクだけは補正幅が比例せずボーナス量が高いのでおトク――で、しかもそれらは重要な基礎ステであるSTR(筋力)DRA(耐久)だ。近接戦にはめっぽう強い。

 反面、スピード補正は最低の『E』で、他のステータスも全体的に伸び率が悪い。定点を戦場としない、あるいは敵ユニットに接近困難な地形で戦う場合に起きやすい彼らの弱点である。

 そしてアルヴヘイム・オンラインではそういった戦場や状況は頻繁(ひんぱん)に見られるため、かなり尖った性能の妖精と言える。

 ただし、今回ばかりは相手の戦力ダウンは望外なサプライズなので、アルゴの表情にも少し余裕が垣間見えた。

 

「よし1人落ちるゾ! 最後の魔法だけは気を付けよウッ!!」

「シリカ、よく見てしっかり避けろよ!!」

「は、はい!」

 

 減速寸前でノーム男の詠唱が終わる。スペルは9句。我は(エック)降らせる(フォーラ)石の(ステイン)驟雨、(レイグン)嘘から(スッヴァエラ)逃げる、(デッタ)罪を(イーリル)深く負う(ファンガゥ)村人へ(フォッスヴリ)

 軽く流し聞きしただけでいくつかはっきり聞こえていないが、俺の記憶が正しければ奴の唱えた魔法は《散弾岩(スプレッド・ガン)》のはず。こぶし大の石の飛礫(つぶて)を周囲に大量に展開して、それを時間差で任意の方角へ飛ばしまくる技だ。

 だが弾数こそ多いものの、その特性上照準(エイム)はガバガバ。この手のジャブは列をなして撃つことでニアデスのモンスターを確実に殺しきったり、開戦直後に牽制で使われることが多いはず。

 本当に万策尽きたのだろう。あの攻撃が戦局を変えることはない。

 そうタカをくくっていた。

 しかし彼の詠唱は止まらず、すぐに追加のスペルが加わったのだ。

 

「ッ……!? クッソ、あいつ《重ね掛け》してやがる!!」

「ホントにマナ使い果たす気だナ!?」

 

 魔法の重ね掛け。これは比較的最近実装された、しかもごく一部の《魔導書》にのみ付与される追加コンテンツだ。

 今までも回復魔法やバフ魔法は詠唱後しばらくストックさせ、タイミングを見計らって仲間にかけられることも可能だったが、放射系、範囲攻撃系は唱え終えた瞬間エイムされた先へ放たれていた。つまり複数人でファーストアタックのタイミングを合わせたい場合は、どうしてもスペルをゆっくりと、少なくとも唱えるのが遅い人に合わせて発音する必要があったのだ。

 だが《スプレッド・ガン》を初め、いくつかの魔法はこれに当てはまらない。

 新要素として取り入れられたそれらは、発動確認から攻撃開始までタイムラグがあり、その隙間で少ないスペル、今回の場合はもっと(マージャ)強い(ミュース)怒りを。(ファーフリ)の3句を付け足すことで、同じだけのマナポイントを消費するものの、効果を倍増できてしまうのである。

 これなら1人でも状況やマナ残量に応じて使い分けられる。

 そもそもアルヴヘイムでの魔法が古代ノルド語で唱えられるというのは既知のことだが、初めの1句は我は(エック)汝は(スー)彼らは(セアー)我を(シック)我らを(オース)の5種類しかなく、それを相手に聞き取られる、あるいはアバター付近に浮遊した詠唱済みワードのスペルを肉眼で見られると、種類や意図をある程度予知されてしまっていた。

 だからこそ意表を突くではないが、こうした戦術に幅を持たせようと思い切って実機投入されたのだろう。

 奴は3回《重ね掛け》をした。単体マナ20消費の4倍だから、実に80ポイント分の《スプレッド・ガン》である。ノームの魔力ゲージが初期値のままならこれだけでフル消費してしまう大魔法だ。

 頭の中で逃走路をリルートするが、すぐに膨大な量の石ころが弾丸となって降りそそぐ。

 

「全員右に旋回ッ!! 最大速で真っすぐ!!」

 

 ポリヘドラル状に迫る散弾岩。

 イタチの最後っ屁にしては少々でかい規模になった簡易広域攻撃に対し、俺達は(そろ)って同じ方向へ軌道を変えた。幸い彼はすでに下降し始めていて、ベストな射線を確保できない状態から放たれたため、放射線を描く石の弾速が特段速かったわけではなかった。が、いかんせん数が多すぎる。

 密度の低い空間を飛行したのにもかかわらず、質感のある音が耳元を過ぎていく恐怖を味わいながら、そのいくつかが全員に被弾した。

 

「うあっ……きゃあっ!?」

「シリカぁ!!」

 

 一瞬きりもむように、トップスピードのままバランスを崩したシリカは、墜落こそ(まぬが)れたものの大きく失速していた。

 車両のギアと同じで、高トルクから徐々に速度を上げるしかない今作のフライト・エンジン。ゆえに高機動戦時にブレーキをかけることは、それだけで大きなエネルギーロスとなる。

 ただでさえスティックありきでしか飛べない彼女が、追手を前に速度を殺してしまったらどうなるか。

 答えは明白だった。

 

「ジェイド! オレっちが運ブ!!」

「任せろッ!!」

 

 速攻で判断を下した俺とアルゴは弧を描きながらUターンする。

 視界の端でいくつかの色が光った。はっきりと視認していないが、言わば魔法版の発射光(マズルフラッシュ)だろう。

 姿勢崩しから本命の魔法攻撃へ繋げる連携アタック。《スイッチ》同様2人以上で行うシステム外スキル《空中当て(エリアルショット)》だ。ペアとなる仲間と息を合わせる必要もあり、本命側は純粋なエイミング力も要求される高等技術。

 しかし敵はここで二兎を追う判断ミスをした。シリカを守るため敵の直射型魔法を誘致(ゆうち)させつつ、ヒット直前で全弾回避するとアルゴが彼女の手を取って一目散に退避したのだ。減速した甲斐があった。

 もっとも、おかげで敵に追いつかれた。

 副隊長らしきサラマンダーが両手用斧槍(ハルバード)を、戦闘員のインプの男が片手剣を同時に構える。

 

「クッソが、しゃらくせェ!!」

 

 巨神殺しの剣(タイタン・キラー)を振り抜くと、凄まじい金属音が響き渡った。

 引け腰の同族(インプ)野郎へ大剣の一撃を見舞う。盾で防いではいたが、強烈な反動に耐えきれず彼はノックバックに流されていった。

 だがロングレンジで魔法ブッパ戦法でもなければ、空戦で止まるのは自殺行為。

 俺は剣をスイングした姿勢から力づくで片方の翅だけ高速振動させて受け流すと、今度は斧槍使いのサラマンダーへ決死の覚悟で急接近する。飛行練習の成果が発揮され、その胸に文字通りの飛び蹴りをくれてやった。

 しかし、ゴウッ!! と命中したのは籠手を装備した彼の腕だった。

 衝撃の大半が殺され、その結果にかすかに眉をひそめる。

 1人目をほぼスルーパスして意表をついた急接近のはずだったが、この男も相当な反射神経である。伊達にこんな時間まで起きているわけではないのだろう。

 すかさずハルバードによる反撃がくる。だがきっちりと大剣でガードし、俺はヒット&アウェイの要領でさらに距離を空けた。

 

「ヒュ〜、アメィジン! やっぱこのインプ、チョー強いよ!」

「イースさんマジメにやってくださいよマジでッ!! せっかく殺しきれるチャンスだったのに!」

 

 残念がる様子も見せない副隊長さんは確かに随分(ずいぶん)と呑気だったが、俺は連中の言い争いを無視し背後を警戒しながらアルゴを探した。

 眼下のフィールドに数秒視線を走らせ、見つけた。

 彼女達は一旦低空に逃げて体勢を立て直したのだろう。魔法の射程の関係からその判断は正しかったが、いつまでも頭を押さえられていてはいずれ逃げ場をなくす。

 高度を上げる必要がある。

 

「アルゴ、援護する! 上がってこいっ!!」

「わかっタ! 行くヨ、シリカちゃん!」

「はい! ……あッ、ジェイドさん後ろ!!」

「くッ……!?」

 

 ガギィイイッ!! と、寸でのところで斧槍による垂直斬りを防いだ。

 数瞬の差だった。

 見えていたわけではない。剣に当たったのは運がよかっただけだ。

 しかも斧槍が炎を(まと)っている。武器に炎属性ダメージを追加する炎魔法、《纏う高熱(ウェアヒート)》だろう。優秀な筋力補正値で多彩な武器の扱いに長けるサラマンダーでは、得物を振り回すのが好きなタイプによく使われている。

 だが、これはいったいどうなっているか。まさか、先ほど一瞬の隙をついて20メートルほど開けてやった空間を、俺が視線をどけて警戒を解いてしまった数秒で追いついて見せたというのか。

 不覚は認めるがたった数秒だ。俺も相対的には移動していたはずだし、こいつは魔法の詠唱まで同時にこなした。

 ゲーム時間でも夜中で、しかも分厚い積乱雲から荒れ狂うような雨が降っている暗闇。こうした雨の強い日はサラマンダーこそ慎重に動くのが定石……だったはず。

 この男のスピードと集中力は他の連中とはケタが違う。

 

「なんでテメェが隊長じゃないんだよ……ッ!!」

「ワオ、ナニ言ってるかワカラネ!」

 

 ゴッ!! と肘打ちを貰い、構えを崩されたところへ連撃を見舞われた。

 凄まじい速度で振りぬかれ、防ぎきれなかった俺の防具を2度も(かす)る。

 思わず大剣を振り回しながら距離を取っていた。

 1週間とたっていないが、俺とて削りまくった睡眠時間を除いてもプレイ総数120時間オーバーの人間だ。ただでは引かず防御姿勢の上から吹き飛ばしてやったが、アルゴとシリカが同時に唱えていた光属性魔法、《体力回復(ヒールバイタル)》と《光雲(ハレーション)》がどうにか俺を守ってくれなければヤバかった。

 しかしそれは後衛のいる敵も同じこと。これでは単なる時間稼ぎである。

 今日アルゴが手に入れた《ハレーション》なる魔法も、無害な光る雲をランダムに発生させて逃走の手助けをしてくれるだけの初級魔法で、やはり戦いの決定打にはならない。

 現に不自然に発光する雲海を抜けると、すぐに4人はこちらを察知し、鋭い角度で折れ曲がるなり恐ろしい速度で猛追してきた。

 真っ向からぶつかっても人数差で押される。なんらか他の手段で奴の反応と技術を上回る必要がある。

 

「この先にトンネルがあったろう! あそこに逃げ込む!」

「敵サンにもインプはいるゾ!」

「わかってるけど外よりはマシだ! 翅もヤバい!」

 

 こういう時に《セーフマスク》のおかげでこちらの作戦だけ聞かれないのは本当に楽だ。こんなものがなければ苦労をすることもなかっただろうが。

 なんて冗談を呑み込み、合図をもとに俺達は無言でジグザグに飛び続け、敵の断続的な魔法を回避しながら30秒後にはぽっかりと開いた巨大な(くぼ)みの中に逃げ抜いた。

 突入直前にどこからともなく音の重なるパイプオルガンが響いたのと、透き通った女性の声で天空からアナウンスが聞こえてきたのが気になったが、遠距離攻撃の回避と着弾時のサウンドエフェクトで満足に聞いている時間もなかった。

 できれば聞き直したいところだが、まだ世界のルールについて知らないことの方が多い現状、こんな切羽詰まった時に気にしていたらキリがない。

 どちらにせよ検証は後だ。

 いい加減吐き気がするほどの眠気と、雨でベタベタの肌から容赦のないストレスに(さら)されるが、もちろん奴らに位置は割れているので一息つく暇もない。真っ暗な細道を抜け、急いで彼女らに回復魔法を施してもらうと、俺も《暗視(インフライド)》をかけ返して万全を期した。

 視界と現場を再確認すると、アルゴはまたうんざりしたように言った。

 

「もう最悪! いい加減アイツら諦めてくれないカナ!? ここをオレっち達の陣地か何かと勘違いしてサ……」

「なわけあるか。サメは血を見たらむしろコーフンするもンだよ」

 

 俺も改めて見渡す。隠れる場所に選んだ場所は崩れかけの建物のようだが、乱雑と配置される家具にわずかな生活感を感じた。かつてはここで暮らすモンスターもいたのだろうか。だとしたら、多少は文明的な暮らしだったはずだ。

 しかしサッチャー系のリピールや範囲魔法を警戒してなるべく奥まできたつもりだったが、適当に入った木製廃屋の中はいたるところに隙間も多い。いったいどんな壊れ方をしたらこうなるのか、屋根も剥がれてまるっきり筒抜け。対処法を考えられる時間はそう長くないだろう。

 ただ不幸中の幸いなのは、岩壁の直径が広いことだろうか。うまく迂回すればすれ違うように彼らを()けるはずだ。

 

「ちっ、ボロボロすぎてここもダメだな、ロウジョーには向いてない。もっと狭い場所にさそい込もう。それか壁面1周して逃げるか」

「逃げ一択だナ、サラマンダーの男がとにかくヤバい。あいつだけはオレっちやシリカちゃんにはどーにもならないカラ、どうにかジェイドがタイマンで注意を……」

「あっ、あの2人ともっ、室内にだれかいます!」

「くッ……!?」

 

 理解するよりも早く体が構える。シリカの示す暗闇の先にはプレイヤーではなく小型のモンスターがチラついていた。

 シルエット全体は推し量るしかないが、しかし人型だ。

 片手、あるいは両手にハンドアクスか伐採用の(なた)携えている。無造作に伸びたヒゲや下駄のような(くつ)まで、彼らの姿は総じて(みにく)く、使い古した雑巾のように黒ずむ衣服からは腐ったガソリンのような異臭が漂う。ただし腕だけはボディビルダーのように屈強で、簡素ではあるが金属製の防具で最低限の部位を守っていた。

 見える範囲に数は4。俺のファンタジー知識が正しければこいつらはドワーフだろう。鍛冶、工芸に長けた神話上の亜人である。

 しかしなぜこんなところに彼らが。今日より酷いにわか雨が2日前に降った際もこの(ほら)で世話になったが、以前は1体たりともポップしなかったはず。

 それとも、10分ほどしか雨宿りしなかった上に、当時は窪みの出入り口付近で止まっていたからだろうか。

 

「(ちっ……理由は後だ!!)」

 

 わずかによぎったモンスターの生態について考えることを放棄し、すでに交戦の構えを見せるドワーフ4体の中心にダッシュした。

 1体目の反射的な応戦をリーチ差で強引にねじ伏せ、続いた連携神風アタックを冷静にさばいていく。

 だが焦りは(つの)る一方だった。Mob戦には問題なく勝利するだろうが、本来はこんなことをしている場合ではない。トンネルとは言ったものの、実際はそれ以下の奥行(おくゆき)しか持たない『ちょっと大きい洞穴』だ。入り口付近で突撃準備をする彼らが気がかりである。もしこのタイミングで攻められでもしたら……、

 そこまで考え、ようやく奴らの狙いをトレースできた。

 

「(いや違う! 知ってて狙いやがったのか!?)」

「ジェイドまずいゾ! あいつらこっちに来てル!!」

「ああ、だろうなっ!! 2人はヒールをキープしながら限界まで奥に下がれ! 俺もすぐに追いかける!」

「で、デモ……」

「いいから行け、早く!!」

 

 猶予(ゆうよ)はもう10秒とない。迫るプレイヤー4人はドワーフの出現を知っていた。そして、Mobへのヒットを避けるため直接近づいて俺を斬り殺す気だ。接近戦に移った時点で生存の道は断たれる。

 俺は大急ぎでスペルを唱え始めると、どこからかワラワラと湧いて出たドワーフの援軍を際どい所でいなし続けた。

 敵は目の前。

 ――今ッ!!

 

「ハッハぁっ! ようやく獲ったァっ!!」

 

 敵がそう吠えた直後だった。

 俺は左手から黒い球体を投げ飛ばすのと同時に、『残りわずかな翅』を使って床スレスレを飛行し、部屋の限界まで後退した。

 球体が停止した点から半径8メートルに強い引力を8秒間発生させる、無差別タイプの闇属性魔法《重力渦旋(グラビテーション)》。勝利を確信していた彼らは一様に油断していて、小柄なドワーフともどもその渦に引かれる。それはもう、肉体が無造作にもつれ合う巨大なダンゴだった。

 

「しまった、これグラビだぞっ!」

「定期メンテで時間がないのに!!」

「クッソ! これじゃあドワーフにタゲられる!!」

 

 ふん、どんなものだ。なにを焦っていたのかは知らないが、スキなし文句なしの連携を見せていた連中にしては、ここにきて不用意な行動に出たものだ。これだけ密着したスシ詰め状態なら奴らもモンスターの相手をせざるを得ないだろう。

 しかし俺は「ところでメンテとはいったい……」という疑問に気を取られ、《グラビテーション》によって捕らえられたプレイヤーが3人しかいないことに気が付かなかった。

 

「逃がすとオモウ!?」

「なぐッ……!?」

 

 視界外から土手っ腹に蹴りを入れられると、飛翔直前だった体が鈍角に折れ曲がり、さらに下層の地面へ強制的に叩きつけられる。

 背中から衝撃。息が止まる。

 思わず咳をしながらひざをついた。

 やってくれる。残り10秒ほどの翅を満足に使うことすら許されなかったというわけか。

 フラつきつつも、衝撃と共に舞った(ほこり)を手で払う。剣をつきながら立ち上がると、6メートルほど距離を空けて、深紅の装備に身をくるんだ男が轟音と共に廃屋の一室にランディングした。

 ――またこいつかよ!!

 と、したり顔のサラマンダー野郎にため息が出そうになった。

 うんざりするほど機転のいい奴だ。ドワーフのなすりつけ作戦を読んだのか、単なる直感がブレーキをかけたのかは知らないが、いずれにせよ自室に(こも)ってログイン時間だけを稼ぐ肥満体質だとしたらこんな動きはできまい。

 

「(それにしても、この部屋……)」

 

 元々は雑魚寝用だったのか、見立てだと部屋の面積は26平米ぐらいだろう。飛んで戦う広さでないのと、自然な形で得意分野へ誘いたかったのもあって翅はたたんでおいた。

 その誘いに乗ったのかは知る由もないが、「こっちはイイよ! ミンナは2人を!!」なんて仲間に呼びかけているサラマンダー男も翅はしまったようだ。

 地上戦の流れを掴めた。まずはそこに満足すると、《タイタン・キラー》をゆっくりと地面から引き抜く。

 いくら名刀でも未強化という点が気がかりだったが、贅沢(ぜいたく)は言っていられない。タイマンを決意した敵も正式名のわからない質感のあるハルバードを構え、互いに間合いを計り合って初めて彼の容姿をじっくり観察できた。

 元気そうな割には白髪も見え、顔のシワも深いが、がっしりとした体格の壮麗(そうれい)の男性だ。

 身長は同じぐらいだろうがこちらと違って背筋が(たくま)しい。声の枯れ方にも独特の深みがあって聞きやすく、自信に(あふ)れた余裕からは威圧は感じても付け入るスキは見つからない。特別高級な装備でガチガチに固めているわけでもないのに、適度にほつれた重厚な戦闘衣装と、動きやすさに重きを置いた軽金類甲冑からは、ある種の手練れた気配すら感じた。

 セリフの節々からアバターを操る本人の実年齢はもっと若いと推測できるが、それを感じさせないほど完成度の高い構えだ。

 その戦力水準は、とても睡眠不足のコンディションで相手取っていいタイプの敵ではなかった。

 

「ホワイ、スゴい、マスクかかってるんだろうネ。よっぽどマナーがなくって、運営にオコられちゃったのかよ?」

「…………」

「ワオ、コワイ。オコんないでよ。……でもたまにはイイ日もあったよ。工場カンスイ、キザイは止まる。で、会社もすぐキタク。イヤな日だと思ったけど、こんなにパワフルなプレイヤーに出会えたよ。ワズベリィファン!」

 

 少し気が抜けてしまった。見た目に反してファンキーな野郎だ。

 あと、怒っているのではなく目つきが悪いだけである。

 ただアルゴのクセのような(なま)りではなく、ところどころイントネーションに違和感があった。『冠水』なんて言っているものの、知ったばかりの言葉を使いたくてしょうがないのだろう。かなり日本語を話せるようだが、二世か長期のホームステイか。出社したタイミングやこの時間に起きていることと照らし合わせて、夜勤ありの工場に勤めるただの出稼ぎかもしれない。

 同時に得心がいった。純粋な日本人でないばかりに、体感では最強であるはずの彼は小隊リーダーを任されなかったのだ。

 なんにせよ厄介な来日客である。偏見全開だが、きっと中身(・・)はジム通いのムキムキ男に違いない。

 

「逃げられナイよ。ナカマだっている。彼らはイイ人で……」

「急いでるんだ、さっさと()ろうぜっ!!」

 

 叫ぶと、大きく踏み込み容赦なく大剣をフルスウイングした。

 相手の筋肉も膨れ上がり、ハルバートを振り上げる。高純度の鋼を圧延(あつえん)した鉄塊が高速でぶつかると、ガチィンッ!!!! と金属音が炸裂し、三半規管を狂わすほどの高周波が大気と金属を伝わってきた。

 敵ながらいい反応である。重心にブレがなく、動きに迷いがない。オフの日に会って気が済むまで手合わせしたいレベルの戦士だ。

 しかし、この時だけは忌々(いまいま)しいだけの障壁。

 歯を食いしばり、反動すら攻撃の力に変えて重量装備を打ち付けると、振動と武器のたわみが手の感覚を奪ってくる。その不快な麻痺を上書きするほど腕を振り回すと、瞬間的に(きらめ)く凶暴的なまでのライトエフェクトを尻目に、足はさらに前進を(うなが)した。

 狂気の戦意は敵も同じだ。肘で殴られ、胸ぐらを掴んで投げ飛ばされる。

 ツバを吐き捨てて起き上がると、礼とばかりに膝で腹を蹴り返し、足払いをした後は、奴の厚い胸板を力の限り踏み(つぶ)す。

 頭突き、首絞め、足払いに、そして互いの剣が絡まって地面に()い付けられると、むしろ至近で笑い合い、隙あらば空いた手で殴り合った。

 騎士の決闘ではなく、意地で生きる雑兵の削り合い。獣共の雄叫び。睡眠欲が鈍痛に変わってこめかみ辺りを刺激するが、そのイラつきすら暴力に転換する。

 

「おおおおおおおおっ!!」

「ッらァアアアアアアあああああっ!!!!」

 

 ゴガァアアアアアアアアッ!! と、落雷に近い爆音が響いた。

 奴の愛刀がボウガンに打ち出されるような速度で弾き飛ばされると、室内の端に深々と突き刺さった。

 一筋の勝機。

 ……だったが、サラマンダーは諦めていなかった。

 野太い咆哮(ほうこう)をあげると無手の状態なのに間合いを詰め、速度ゼロとなった俺の大剣を膨らんだ足で蹴り飛ばしたのだ。

 スライドしていく鉄塊。体当たりで追撃まで防がれると、互いに(コブシ)を握って即席のファイティングポーズでステップを踏んだ。

 翅を生やした妖精のアバター戦にしては随分と原始的な格闘に移ってしまったがバカにはできない。アインクラッドで獲得した《体術》スキルの熟練度の高さから、単純な殴り合いでも体力ゲージは微減するのだ。もちろん奴のスキル欄に同じものがあれば、それは俺とて同条件。

 しかもバーの先端は共に半分程度ときている。長い戦いになりそうだ。

 

「っくぞ、おるァアアッ!!」

 

 俺の飛び膝蹴りをクロスアームで防ぐも、奴は反動で大きく後退していた。

 浮いた腰をめがけて疾走。肩から強烈なタックルをキメると、大男を持ち上げて木壁を破壊するほどの勢いで部屋の最端に叩きつけてやった。

 一瞬息が止まったようだが、しかし今度は野生動物のような腕が俺の腰をがっしりと掴み、そのまま持ち上げられるとまったく抵抗する間もなく脳天から地面に激突させられる。

 ゴウッ!!!! という振動だけが残った。

 暗転する視界。耳鳴りに変わる音。頭蓋(ずがい)からのダイレクトな衝撃で意識が飛びそうになる。

 どちらの絶叫なのか、それとも悲鳴なのかさえも判別できない、不協和音のレゾナンス。

 それでも根性でどうにか(こら)え、もはや単なるバタ足攻撃で敵の顔面を靴底で引き剥がすと、すかさずインファイトへ持ち込んだ。

 俺には卓越(たくえつ)した武術なんてものは備わっていない。しかし並み以上の高校に進学した連中よりは殴り合いのケンカをしてきたつもりだ。

 裏拳、掌底、延々と殴り殴られ、裏返った声で腹の底から威嚇(いかく)し合うと、示し合わせたかのように同時に敢行した頭突きでよろめく。俺の拳がアゴを射貫き、今度は奴のそれがこちらの頬を強打。頭を押さえながら、なおも隙を見せないよう(にら)み合った。

 肩で息をしながらふらふらと近寄り、だらりと下がっていた腕を上げてアマチュアボクシングの続きをしようとした――その時。

 2人(そろ)ってある真理に気づいてしまった。

 ――どっちも素手なら、剣拾った方が早くね?

 

「…………」

「…………」

 

 シンクロした動きでそれぞれギギギ……、と首だけ愛刀の方へ向け、またもシンクロした動きで元の格好へ戻る。

 一瞬の静寂。

 視線だけで投合すると何も言わずダッシュで相棒へ駆け寄り、俺は辛うじてバランスを保つテーブルの下から大剣を拾い、奴は剥落(はくらく)した絵画に突き刺さっていた斧槍を引っこ抜いた。

 空いた距離で構えると、残量2割以下(レッドゾーン)直前で本格的に仕切り直しだ。

 倒れそうなほど眠いのは間違いないが、こちらには2年仕込みの大剣戦術ならある。ただ、それに難なく追随(ついずい)してくるということは、この男にとってもこの距離でしのぎを削るのは臨むところなのだろう。

 面白くなってきたじゃないか。普段ならリスクヘッジして手を引くところだが、俺のテンションが破滅的に高いことを奴は後悔することになるだろう。

 

「やッハッハ、スゴイよ君は! こんなに熱くなるなんて!!」

「同感だよ。クソッタレがっ!!」

 

 またも激突。花火のようなエフェクトに目もくれず、部屋中を縦横無尽に駆け走りながら手足の延長のように武器を交差させた。

 しかし絶え間ない金切り音のなかで、一瞬の集中切れが戦局を動かす。

 俺が片足を滑らしてフラついた瞬間だった。

 やはりベストな状態ではない。

 そのかすかなチャンスを目ざとく突いてきた彼は、軽く足を払って転倒させると、突然4枚翅を広げ一気に8メートルほども飛揚(ひよう)して見せた。

 直後に高速落下。俺もよく知る……というより、つい数十分前まで繰り返し練習していたシステム外スキル、跳躍急降下(ソアー・ダイブ)だ。

 

「ぐう……くッ!?」

 

 重低音が空間を支配し、信じられない過重圧が鉄製大剣を超えて全身に降りかかった。

 《ソアー・ダイブ》。発祥(はっしょう)の理由は、飛翔時間を稼ぐためである。

 飛行中は地上走行に比べトップスピードは比較にならない。そして3次元的な移動により多彩な回避を可能にし、さらにチーム力次第では瞬時に多角攻撃、包囲殲滅、掃討を行うことさえできる。

 ゆえに飛行できる時間の長さはそのまま汎用性の高さともみなされ、ハイレベル戦となると無駄な動きを削り、翅を倹約(けんやく)する技術も求められる。

 と言っても、ずっと飛び続けられればそれに越したことはないが、そのためには《アルヴヘイム・オンライン》に用意された最大級、最難関のグランド・クエストをクリアしなければならない、らしい。

 『らしい』というのも、その現象を目撃したユーザが存在しないのだ。

 あるのはグランド・クエストを達成した者、またその人物と同じ種族は《光妖精(アルフ)》という種族に格上げされ、永遠に空を舞う能力を与えられる、という謳い文句だけ。

 ただしこれはインパクトの強い目標だ。

 少なくとも9種族の中で、常に1番を欲し続けなければならない。ある意味では強迫観念に近い対抗意識を植え付けるには十分だっただろう。

 リリース直後から略奪と競争が絶えない理由もまさにこれで、現在も他種族を出し抜いて我先にクエストを達成せしめんと、各妖精の(おさ)達が中立域での殺人もいとわず奮闘しているわけである。……いや、いとわないどころかむしろ推奨しているのか。おかげで流浪(るろう)の俺達には安寧(あんねい)の時がない。

 そして永遠の飛行は単に戦闘で役に立つというだけでなく、自由に空を舞う解放感をどんな制約にも邪魔されなくなることを意味する。

 帰属意識の高い連中が何よりも優先する究極の目標であり、念願の夢。道理で誰も呼び掛けに応じないはずだ。

 脱線したがとどのつまり、全プレイヤーはまだ限られた飛翔時間をやりくりして戦っていかなければならない。

 そうした試行錯誤から《ソアー・ダイブ》は生まれた。

 一戸建ての住まいを1~2建ずつウサギ跳びするイメージだろうか。助走と瞬発的な脚力をアシストにして、タイミングを絶妙に合わせて翅を微震させるだけで浮力を得る。そして10メートル前後の高度を活かし、以後翅を伸ばすだけの滑空(グライド)とを繰り返すことで落下ダメージも追わず恒久的な3次元移動をしようという魂胆で、横方向への最大速を捨てて立体軌道、立体戦術の時間を大幅に向上させた移動・恒常戦闘用システム外スキル。

 しかしそれを移動ではなく格闘戦に取り入れた奴がいる。このあっぱれなサラマンダー男である。

 俺に翅の力が残っていないことが原因だが、実際効果は覿面(てきめん)で、重力を味方につけた重い一撃には筋肉も分厚い大剣も悲鳴を上げている。

 床底がミシミシと(きし)んだことに気を取られていると強烈なキックによってまたも倒され、ほとんど同時に一瞬で再上昇された。

 

「(マジ……かよ……ッ!!)」

 

 思わず悪態をつきそうになった。

 今度こそ(もろ)くなった床が持ちそうにない。しかし彼のスピードは本物だ。回避不能と判断すると、ダメもとで巨大な大剣を体の正面で腹を見せるように防御態勢をとった。

 ダイブによる最高速突進。地面への激突で普通なら委縮するだろうが、彼に恐怖らしき感情はなかった。

 ゴッパアァアアアアアっ!! という衝撃。ポリゴンの光るエフェクトと、そして爆音。木板を重機でへし折ったような音が背中から伝わってくると、気づいた時には浮遊感の中にいた。

 施設の床底が崩れ抜けたのだ。

 体中を壁面にこすりつけながら、俺とサラマンダーは()みくちゃになって抜けた部屋底のさらに下へ転がっていった。

 視界は滅茶苦茶でなす術もなく、すぐに肩から衝突(しょうとつ)すると木材の砕ける音が連続する。自由落下しているわけではないが、どうみても1階2階程度の高さではない。俺達は10秒近くかけてゴロゴロと回転し、マップを更新しながら新たなエリアへ移動した。

 回転が止まって地面に落ちるとベチャッ、という不快な音と感触を浴びせられたが、そもそも死んでいないことの方が奇跡だった。

 

「が、は……クッソ……」

 

 それに光をほどよく通さない暗闇でも、暗視用魔法《インフライド》はまだ効いている。全身打撲によるショックと体調不良、空腹、睡眠不足が重なった今にも死に絶えそうな気持ちをなるべくなかったことにしつつ、俺は急いでロストした大剣を探した。

 

「ぬわァッ!?」

 

 そして捜索は2秒で終了。

 ビュンッ!! という風切り音が(かす)り、数瞬前まで首があった場所には生々しいハルバードの攻撃が炸裂していた。サラマンダー男は武器を手放さずさらに体勢を立て直し、地に伏す俺へ追撃までして見せたのである。

 ヒット寸前に汚い地面を()い回ったせいで、体は謎の液体でドロドロのギトギト状態。しかも果てしなく臭い。とりあえず服をベタベタに汚しながら四つん()いで距離を取ってみたものの、客観的に万事休すだ。

 こちらは武器も体力もなく、圧倒的不利という段階はとうに過ぎ去り、ニアデスの上に逆転の手段も残されていなかった。

 しかし。

 それでもなお、俺の体は限界を超えて斬撃を回避し続けた。

 もう1週間も会っていないヒスイの顔を思い出すと、その掻き(むし)りたくなるような(わずら)わしさが、わずかな気力に転化されたからだ。

 

「(ワリィけど往生際の悪さが強みでねッ!!)」

 

 消滅しかけた戦意が灯る。

 壊れかけの水車に隠れ、短い梯子(はしご)を一息に蹴ると木で作られた足場を次々に渡り、天井のある洞窟内なのに大規模に展開される樹上アスレチックじみた施設をがむしゃらに逃げまわった。

 施設を破壊して進む敵に躊躇(ためら)いなんてものはさっぱり存在しない。メニューを開いて《クイックチェンジ》先に登録されるもう1つの大剣、《エッケザックス》をロードする悠長な暇もない。

 だが一見する限り勝てる見込みがなくなったとしても、ゲームオーバーとなるその瞬間まで絶対に諦めないのが信条である。

 まさに『人を守りたければ、まず自分を守れ』だ。アルゴやシリカを守りたいと願うなら、俺がここで倒されるわけにはいかない。

 

「アッレ~! ……ハァ……そんなセコイ人だったの!! ……ハァ、逃げ回ってジカンカセギかよ! 逃げないでよ!!」

「ゼィ……るっせェ、死ねねェんだよこっちはッ!!」

 

 結果的に近い形にはなったものの、心の底から決闘をしているつもりはない。したいのはやまやまだが、今はその時でもない。

 しかしトドメをさせないと観念したのか、サラマンダー男は思ったよりも早く追撃を中止した。

 俺も体力を温存させるために無駄な行動をせず止まる。「ここは炎系のマジックはウテないし、ウェール……タァイムアップ……」なんてブツクサと言っているが、俺が言葉の意図を探る前に男は両手を広げてこんな風に切り出した。

 

「楽しかったニハ、楽しかっただよ! アイテムはドッチでもいい!」

「……はあっ?」

「またヤレる日! あったらトゥ、ファイッ! ボクはイーサン・ステイン! ちゃんとナノったよ。チョー、ストゥロン、インプ!!」

「な、なにを言って……うわっ!?」

 

 何かが強く発光したかと思ったら、突如目の前にあった深紅の装備がプレイヤーごと消え去っていった。

 移動魔法かと周りを警戒しても音沙汰なし。頭をブンブンと振ってみたが、眠過ぎるがゆえの激しい頭痛が潜り込んできただけ。

 正真正銘、敵が丸ごと排除されていた。

 モンスターの息遣(いきづか)いすら聞こえない、前触れのない沈黙。いったいどうなっているのか。そもそも瞬間移動するタイプの魔法やアイテムは存在しなかったはずだし、ほぼ勝ち確だった奴らがここで撤退する意義も見いだせない。

 しかし現実に生き延びた。だとしたら、俺はいったいどういう理由のもとで助かったのだろうか。

 

「ハァ……ハァ……なんだそりゃ……ハァ……」

 

 考えても答えは見つからなかった。

 半歩ずつ歩きながら、俺は熱気を排出させるように深呼吸する。極限まで張り詰めていた集中力が切れた瞬間だった。

 思考はますます鈍化し、千鳥足でベタつく地面に降り立つ頃にはそんな疑問も薄れていく。

 それに男が最後に残したセリフも気になる。イーサン・ステインと名乗っていたか。文化の違いか知らないが珍しい行動だ。せっかく歴戦の老兵然とした風貌(ふうぼう)なのに、ヤングチックに振る舞うと台無し感も強い。

 ギルドないし、少なくとも野良集まりよりは仲間意識のあるパーティに参加しているように見えたのに、受けた損害に対して想像以上に飄逸(ひょういつ)な男だった。名前に関しても仲間からは『イースさん』と呼ばれていた気もしたが、なるほど発音がネイティブだと『イースン』と聞き取れないこともない。あるいは単に愛称か。

 視界が揺れる。どこに向かっているのかもわからない。ただ、足だけは止めるなと、細胞のどこかが痛みと一緒に訴え続ける。

 それにしても腹が減った。寝る前に何か詰め込みたいものだ。今日だって柑橘(かんきつ)系の味を適当に詰め合わせた酸味たっぷりの丸い果物と、ゆっくりいぶした小魚とヘビの燻製(くんせい)を数匹かじっただけである。

 男の見栄が邪魔し彼女らに優先して食糧を回したせいもあるが、とても腹の(ふく)れるようなメニューではなかった。だいたいあれらが食用だったのかすら怪しい。

 この空間はヒドい匂いだ。何とかならないのか。廃油と有機溶剤を好みの配分で混ぜた汚濁水を撹拌(かくはん)させ、半年ぐらい発酵させたような臭さである。もっとも、そんな匂いを()いだことがないので完全に予想で言っているが。

 足がまるで(なまり)のように重い。激しい眩暈(めまい)も止まらない。俺は前に進めているのか。

 いつリファレンスが更新されたのか、エリア名は《ドヴェルグスレイブ・油田工場跡》とある。なるほど趣味の悪い巨大なインテリアだと思っていた物も、離れて眺めると掘削(くっさく)を目的とした機材だということがわかる。

 ガソリンの匂いがしたあの汚いドワーフ達もここからやってきたのだろう。淡く紫色の光を灯す誘蛾灯(ゆうがとう)がチラホラ乱立しているが、とても清潔な職場環境とは思えなないし、手元が暗ければどんな職人も手が汚れる。

 もう1週間とたつがまだ打開策は見えない。遭っては戦い、戦っては場所を変える。こんな生活は金輪際こりごりである。フィールドの僻地(へきち)でこうして強敵を退けたものの、果たしてこの行動にどれだけの意味、価値があるのだろうか。

 暗視は生きているのに目の前が真っ暗だ。

 どうしてもまっすぐ歩けない。

 ああ、この重厚な大剣は……。やっと俺の剣を見つけた。世話の焼ける相棒だ、泥だらけじゃないか。

 早くこれを担いで逃げないと。それとも、持って構えるべきだったか。武器がないとサラマンダーに勝てない……いや、奴はもう倒したのだったか。

 いや待て、倒してはいない。確かあいつは消えて……、

 俺はこれから、いったい……、

 

「アルゴ……シリカ……すぐいく、から……」

 

 ドチャ、と。頭から突っ伏すように倒れたことすら自覚できなかった。

 小さくささやいただけで、剣すら持ち上げていない。

 限界が訪れる。すでに指先すら動かせず、俺は深く、そして沈むように意識を失っていくのだった。

 

 

 

 



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第112話 脱走者達

PCが不調でこんなことに……。お待ちくださった方々、いつもありがとうございます。ほそぼそと更新してゆく次第です……。


 西暦2024年11月13日 炭鉱出口、《ドートリ川・河岸段丘》氾濫原。

 

 会えない。なぜ会えないのだ。まさか彼女に触れられない数日が、ここまで人を憔悴(しょうすい)させるとは。

 断続的な苦しさで息が止まりそうだった。

 目先にはぼんやりと浮かぶ女性の全身。軽く結われた黒髪がなびく。腕を伸ばせば、あと少しで届きそうなのに。それでも両手は虚しく闇を掴むだけ。

 

「(ああ……暗い。ヒスイ……会いたいよ……)」

 

 しかしやがて、幻想的な感覚が遠のいていく。

 ジャリ、という小さな音が耳元で聞こえ、俺の意識はゆっくりと覚醒していった。

 頭を誰かに動かされたような気がする。まぶたの隙間から加減を知らない光線が差し込み、遠くからは川のせせらぎのような、うるさい音の連なりが耳朶(じだ)を打った。

 

「(あったまいてェ……)」

 

 長い夢を見ていた気もするが、この時点でなにも思い出せなくなっている。

 たおやかな世界から脱する感覚。

 ところで。

 この世で最も不快なことは安眠を阻害させられることだと思うのだが、他の人間はどうだろう。

 視線だけ薄く確保。俺は知らぬ間に外で寝ていたのか。ほとんど真上を向いているはずだが、眩しいと感じるということはつまり、仮想太陽もほぼ真上にいるのだろうか。

 ずいぶん長く寝てしまったものだ。おかげで頭痛が痛い、なんて。

 しかし冗談抜きに、清々しい気分ではない。脱力したまま深海から浮上してきたような気怠(けだる)い起床といったところか。こっているのか肩も痛いし、寝すぎるのは逆に疲れると聞いたことがある。

 

「(まだ夜だったりしねーかな〜)」

 

 そんな願望が()ぎる。そう、仮想世界で昼でも、今が昼とは限らないのだ。現実との時間の進みには齟齬(そご)があるので、もしかするとまだ夜かもしれない。

 確かめようにもまぶたが重い。はて、つい先ほどまでリアルに深夜だった気もするが。もし今が昼過ぎだとしたら、アルゴ達は俺を起こさずいったいこんな時間まで何をしていたのだろう。

 そう……アルゴと、シリカの奴は。

 そこまで思考がクリアになり、ついに俺は跳ね起きた。

 

「ッ……アルゴっ!!」

「うわアアァあああっ!?」

 

 尻もちをついたまま上体だけ反対に振り向くと、なんとアルゴは目の前にいた。

 しかも近い。彼女も座っているようだが、どうにも近い。このままもう1度倒れると、彼女の折りたたんだ足の根元辺りに頭が当たってしまいそうである。

 それにしてもこれは予想外な状況だ。

 

「(むむ……普通に生きてんな、俺……)」

 

 思わず首をひねってしまったが、呑気に寝ていた場所は一口に言うと河川敷といったところか。

 こじゃれた架け橋なんてものは見えず、雑草はゴワゴワで砂利も荒い。足元を勢いよく流れる川は泥やら重油のような油やらが結構混じっているようで、パッと見どこぞのお隣大国が有する汚染河水を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 しかしこれまでの成り行きが見えず、俺はアルゴを見やった。

 すると彼女は微かに朱に染め、片手で金髪をとかしながら目を合わせず口を開く。

 

「お、おうジェイドさんや。やっと起きたのカ、お寝坊さんだったナ。突然起きるからその……び、ビックリしちゃったヨ」

「……ハァ~……おねぼーサン、じゃないだろう。てかなんでそんなに早口なんだ」

「はっ、早口じゃないゾ! いつも通りだゾ!」

 

 と、早口に言うアルゴ。

 

「ま生きてるならいいけど、俺はとっくにみんなやられたのかと思ったぞ。あいつら3人相手とかアルゴ達でもムリだったろ? どうやって生き延びたんだ」

「それはこっちのセリフだナ。得意のタイマン地上戦に持ち込んでおいて、あのサラマンダーにこっぴどく負けてたみたいじゃないカ。少なくとも、泥と油の中でHP1ケタにしたまま寝てた奴が言っていいセリフじゃナイ」

「うおっと、そりゃすまなかった。……んで? 今は何時だ、場所移したのか! シリカは? 何で敵が1体もいない!?」

「一気に聞くなッテ。アレからどうなったのか、順を追って説明するからサ」

「ついでに何でアルゴは俺のマクラの位置に座ってんだ?」

「あゥっ! そ、それハ……っ」

 

 ふざけたように恥じらうお調子者はともあれ、疲労の蓄積(ちくせき)常軌(じょうき)を逸していたのか、どうやら俺は約10時間半にものぼり盛大に気を失っていたらしい。

 この場所も気絶したポイントからそう遠くはない。ミミズが()ったようなマッピングの仕方ではあったが、簡易マップ上に記された《ドートリ川・河岸段丘(かがんだんきゅう)》というエリア名のすぐ北には、若干ばかりハイライトされた地点に《ドヴェルグスレイブ・油田(ゆでん)工場跡》とある。これは俺がサラマンダー野郎と戦った場所で間違いない。

 それに得心がいった。油の発掘が施設の存在意義だとしたら、川の汚れ具合の原因にも想像がつくというものだ。ろ()なし放水とは許すまじ!

 

「(何にせよここは略奪上等PK上等のアルヴヘイムのはず。なのにまさか、こんな中立域でぐっすり寝られる時間があったとはなあ……)」

 

 敵はプレイヤーだけではない。激戦続きだっただけに疑問である。

 しかし聞くところによると俺は酷くうなされていたようで、石を枕に寝かせ続けるのを気の毒だと思ったアルゴは、気を利かせて――別に適当なアイテムでもよかった気はするが――自らの太ももを枕代わりに差し出そう……とした直前だったそうだ。

 つまり、していない。

 絶対領域からチラチラ(のぞ)く透き通った白い肌を見ると、「なんだ未遂かよ! じゃあ続きやるか!!」とウキウキで言ってやりたいところだったが、あくまでそれは彼女の善意。貨幣どころか紙幣の亡者たる彼女は、アインクラッド時代でも大金を出せば膝枕ぐらいしてくれそうなほど自由人だったものの、今がわりかし非常事態なので煩悩(ぼんのう)を抑え込み口にはしないでおいた。

 そうして悶々としているうちに彼女が切り出す。

 

「シリカちゃんは心配しないでイイ。さっき水筒が空になったから、沢に水を汲みに行っただけダ。数分で戻ってくるヨ」

「数分のスキを見て俺のマクラになってくれようと?」

「そ、その言い方ヤメロ! クローで引っ掻くゾ! ……まったく。……ん、ンデ時間なんだケド」

「ああ見たよ。午後2時半過ぎ……か。エリア名見た感じ場所もたいして移動してないっぽいし、どっから見ても丸見えじゃねぇか。よく攻撃されなかったな」

「それがどうも、今このオープンワールド上にプレイヤーは存在しないみたいなんダ」

「へぇ~……?」

 

 さらに聞くところによると、エリアは移動しなかったのではなくできなかったようだ。どころか、インベントリボックスは眺められるけど調合やクラフトなどの操作はできなかったりと、とにかくロードを挟む行為は全般的に封じられているらしい。

 

「もちろんモンスターもいないヨ。一応可能な限り辺りを散策したんだケド、いかにもNPCが配置されていそうな空間も無人だっタ。おまけに昼前はシリカちゃんと交代で仮眠もとってたんだケド、やっぱり襲ってくる敵はゼロ。たぶんオレっち達以外は誰もいないんだと思うゾ」

「まさかバグじゃないよな……?」

 

 想定外の展開に座ったまま頭を抱えてしまったが、存外アルゴはのほほんとしているので本当にここ数時間で危機はなかったのだろう。

 それに、そこまで聞いてようやく意識もはっきりし、同時にいくつか思い出したこともある。去り際に残したサラマンダーのセリフだ。あの飄々(ひょうひょう)とした態度から鑑みるに、自分の言葉を否定するようだがバグの線は薄いはず。

 それを裏付けるようにアルゴは言った。

 

「それは違うと思ウ。今日の午前4時前、洞穴(ほらあな)に逃げる時だったカナ。運営のアナウンスがあったのを覚えているだろウ? 確か週に1度の定期メンテナンスとかナントカ聞こえたようナ……。となると、彼らが消えたのは強制ログアウトってやつだナ。おかげで敵もろとも皆いなくなって、オレっちらはギリギリ生き残っタ」

「幸運すぎてゾッとするな、それ。強いて不幸なことを挙げるとすれば、俺らが強制ログアウトの対象外だったってことか」

「じゃあ全体的に不幸ってことだナ」

 

 ごもっとも。どちらにせよ復調した体にも慣れてきたところだ。

 そうして立ち上がりストレッチをしながら談笑するうちに、シリカが沢の上流から元気に走って帰ってきた。気絶する前、最後に見たのが戦闘の渦中だっただけに心配していたところだ。姿を見られて一安心である。

 ……と思っていたら、俺が起きているのを見るなり、何やら不穏な空気を(かも)し出した。

 しかも彼女は近づくにつれ露骨(ろこつ)にたじろぎ、頬を染めたまませわしなく視線をさ迷わせている。フリフリのツインテールが愛おしい。

 

「よっ、シリカ。……どうしたよ」

「ええっと、やっと起きたんですね、よかったですジェイドさん。えと……で、でもこっちも大変だったんですよ……?」

「んん? あ~俺をここまで運んでくれたことか? そりゃあ悪かったな。我ながらあんなハイスイコーみたいなところで気を失うとは思わなかったよ。てか2人とも、どことなく歯切れが悪くないか」

「アァ、そのことについてなんだケド、ジェイドさんヤ……」

 

 しかしアルゴの話を聞く前にシリカに近寄り、「とりま、マジでサンキューな!」なんて言いつつ彼女の肩を叩いた瞬間だった。

 「きゃぁああああ!!」と、甲高い悲鳴を上げられてしまったのだ。

 予想外の応答に体がビクついてしまう。

 

「ち、ちょっと! 触らないでください!!」

「ええっ!? いくらなんでもそれはヒドくねェ!?」

 

 なんて言われようだ。俺達は温泉で裸寸前を見せ合った……もとい、俺だけ一方的に見た仲なのに。

 それにこちらとしては頑張った自分への褒美に、揺れる尻尾を好きなだけ()で回し、ふかふかの猫耳に心ゆくまで顔をうずめ頬ずりし、力の限りケモッ娘を抱いてハグをしまくる権利がある! と主張したい衝動を抑えて『頭なでなで』という妥協点で我慢する予定だったのに、このけったいな反応である。

 いや、冷静に考えてそんな権利はないか。

 

「って、ちょっとちょっと! なんで逃げるのさ!? 逃げると追うぞ! このっ、このっ!」

「きゃぁああっ!? ホントにやめてください! それ以上近づくとケ-サツ呼びますよ!」

「フハハハァッ!! 呼べるモンなら呼んでみろォ! 誰も俺をタイホなんてできないぞぉっ!! フハハハハハハッ……はは……ん?」

 

 ――ん? ちょっと待て。

 1つの疑問を前に、いたいけな少女を追いかける変態行為をやめて立ち止まり、俺は改めてアルゴの方を向いた。

 

「ちょい待ってくれ、なんで俺の体は何も匂わないんだ?」

 

 嫌な予感がする。

 両手を浮かせてざっと着ている防具を見直してみたが、目立った変更もない。

 右手には本革の指ぬきグローブ、左手は肘から手先にかけて光沢なく白銀に(とも)る希少メタルの籠手。インナー代わりの無地カッターシャツの上からは濃いダークマゼンタにペイルイエローのラインが入った上着で、加えてとある貴族家紋と記章をあしらった上質な戎衣(じゅうい)。聖職者用のぶかぶかの厚いズボンと、足首辺りを麻紐(あさひも)で縛った先にはサイドゴアのダサいブーツ、最後に太ももまで伸びた紺のフード付き襤褸(ぼろ)コート。

 保護色じみた色彩に違和感がないだけ、ギリギリセーフといったところか。だいぶ南下してきたので少々暑苦しいぐらいのラインナップである。

 とはいえ、いかにも手持ちの防具を性能順で着ただけというファッションセンスの欠片もない出で立ちではあったが、これは俺が10時間前まで着ていた服装とまったく同じものだ。

 しかしだからこそ、例の匂いが付着していない事実が()に落ちなかった。嗅覚で人を追うモンスターもいるぐらいだし……、

 暑いのでハーフコートだけ装備から外しながら確かめてみる。

 

「俺の記憶じゃあーいう環境のキツい匂いって、付いたら最後、水で洗うか日付またがないと取れないはずじゃあ……? しかも俺は全身ベッタベタに……」

「そ、そうだナ。洗わないと取れなイ……」

 

 真っ赤になったまま俺の体から顔を(そむ)け、岩に隠れ続けるシリカ。その姿を見て、俺は改めて確信を得た。

 

「……え、ウソ……? ふ、2人で洗ったの……俺を……」

「イヤ~、その……臭かったからナ!」

「いやっ、でも下、まで……これはイロイロ武装したままだと無理じゃね……? おいこら、目ェ合わせろアルゴ」

「そこはホラ、勝手に指をいじってメニュー開いてサ……あとは装備を解いて、ボクサー……だ、だけにしてだナァ……だって仕方なかったんだヨ! オレっちもイヤイヤだったんだゾ!」

「…………」

 

 ――セクハラはそっちじゃんッ!!!!

 と言ってやりたかった。猛烈に言ってやりたかった。

 けれど言えなかった。

 シリカの恥ずかしがっている姿に配慮したのではない。男の沽券(こけん)に触れられたことへの絶句でもない。無論、夜通し戦い続けた俺へのねぎらいだったという、彼女達の優しさの意を()んだこともあるが、根本的にはやはり違う。

 役得……である。まさに役得なのである。それだけで十分だった。

 思わず恥部(ちぶ)を見られたことへ言及するより前に、ありがとうございます! と口をついてしまいそうだった。本当に知らぬ間に半裸を見せ合っていたとは。

 

「(なんで寝たフリしなかったんだよ、俺のバカッ!!)」

 

 なんてゲスいことを考えながら、「お互いこのことは忘れよう」と真顔で提案することにより、シリカの思春期が生み出した深い溝をどうにかこうにか口八丁で埋め立てるのであった。

 

 

 

 20分もしないうちに10時間放置していたリザルト整理は終わってしまった。

 しかし久々にリターンが大きかったのは嬉しい誤算だ。特に連中が死に物狂いで取り返そうとしてきた激レアの盾、《スワロゥ・パーム》は文句なしの一品だった。まさにチート野郎が出現させた巨人の宝剣(エッケザックス)級の魔具で、両手用武器カテゴリを主武装にするプレイヤーでも扱える仕様になっている。

 というのも、盾なのに実体がないのだ。

 指関節と手首を直角に曲げたまま3秒ほどキープすると円形に平たく出現する赤黒い(もや)のような盾で、直径は約1メートル。もちろん装備欄は消費するし、スロットに選択した時点で他のシールドは持ってもエラー扱いとなる。

 しかし『出現する』とは言葉通りの意味で、いくら装備欄を埋めていようと普段は見えないよう引っ込んでいるうえ、装備者は状況に応じて展開・解除をすれば両手用武器との併用が可能になるわけだ。

 形状の異質さに加え、また効果も面白い。黒い円盤フィルターで魔法ダメージを95パーセントもカットしてしまう()ご用達のトンデモ品かと思えば、視界を塞ぐくせに物理攻撃はまったく防御してくれない。潔く素通りである。

 この性能から想定するに、魔法の世界と言いつつ魔法を否定し、手に持った得物だけで勝負を決めに行くために意図して製造されたラウンドシールだろう。

 しかも耐久値(デュラビリティ)はヤケクソのように高いくせに、強化不能ときている。これが初期状態であり、同時にエンド品となるわけだ。

 

「(振り切ってんな~、役割はエッケザックスに似てるか。アルゴ達が使うならあげたいトコだけど、そうするとせっかくの利点が……むむぅ……)」

 

 一応本人らにも聞いてみたが、今のところは不要だそうだ。シリカに至っては空戦中に左手が空かないので、聞くまでもなかったかもしれない。

 焚いた火を囲み、とりあえず誰が使うかは保留にしつつ、シリカが()んでくれたその辺の植物を滾沸(こんふつ)させた鍋の湯に放り込む。そして、ようやく落ち着いて今後の方針をまとめる運びとなっていた。

 ちなみにこの雑草、腹の足しにするつもりでいるが食えるのか定かではない。知るだけ食欲が失せそうだったので、名称やフレーバーテキストは読まないことにした。

 そしてサバイバル術の心得すら持っていない俺が初日から必要に応じて火を起こせているのは、記念すべき初日の戦闘で土妖精(ノーム)連中から奪ったアウトドア用アイテムがあってこそ。夜営や各休憩と、戦闘とは違ったベクトルでひっきりなしに活躍する大当たり商品である。

 

「しっかし今後の方針と言われてもナァ」

「案は出しつくしちゃった感じですよね……」

 

 なんて弱音を2人は吐いてはいるが、方針が決まらないのは致し方なかった。

 というのも、この1週間で思いつくようなことはほとんど試してしまったのだ。

 手始めにはビラ配り。方法は単純で、まず俺達の置かれた状況を書き留めた紙類を用意する。あとは攻撃する意思のなさそうな――具体的には、飛行中に手を振ったら振り返してくれるような――プレイヤーを探し、弱体化(ウィーケン)のデバフアタックが勝手に発動してしまう手前で紙を投げて引き返すだけ。

 出し惜しみをする理由がないので、これはいきなり最有力でもあった。……のだが、結果はお察し。

 興味本位で拾ってくれる人ですら少数派で、ほとんどは数行だけ読んでその荒唐無稽な内容に呆れて捨てるか、ご丁寧にプルダウンからデリートボタンまで選んでくれる薄情な奴らだけ。しかも物資が限られているのでたいした量を確保できず、それを使い切ったらあえなく終了。

 困った人にも手を差し伸べないとはふざけた陋習(ろうしゅう)だ。人口密度は高いはずなのに相互の関係、あるいは関心が希薄なのも、かつて村社会だったはずの現代日本が失った美徳の1つなのだろう。

 もっとも、それを悪いことだと認識してこなかったファッションクール派の俺も、その加速に一役買っていたともいえる。残念ながら今さら糾弾する資格はない。

 次に取り組んだのは、地面に大きく『SOS』と書いてみたことだろう。

 ペンでは書けないので剣で削ると、開けた場所だったからかすぐに何人か釣れた。困っている新参者がいたので助けてあげよう精神だったと推測できる。むしろオンラインゲーマーには、ビギナーの育成を生きがいにする古参だって山ほどいるのだ。

 しかし会話ができないので戦闘になってしまうことも多く、しかも相手は手慣れた奴ばかりで結局逃走。リスクの高さからこれもボツ。

 最後に行ったのは、街の直前に陣取って手当たり次第に声をかける方法だった。

 行為そのものは物乞いに近い。無敵のガーディアンが俺達《脱領者(レネゲイド)》兼ノーマナーユーザを追い払おうとする活動圏の15メートルほど手前で待機し、ダンジョン攻略や他種族のプレイヤー潰しのために《首都》から出てきた人を大声で呼び止めたのだ。

 そしてこれもほどなくして撤退。やはりオートで発動するデバフアタックがネックで、近くまで接近してしまうと待ち伏せ(アンブッシュ)と勘違いされてしまうのだ。リスクの観点でいえば最悪手だったと言わざるを得ない。

 こうして1週間。自分らなりにあの研究者共に抵抗してみたものの、『話せない』、『近づけない』、『街に入れない』の3重苦はもう役満である。

 最終的に、記憶をどこまで消去されるのか判別できない恐怖から委縮(いしゅく)してしまい、一世一代の賭けに出るぐらいなら安全第一に生き延びることを優先して過ごそう、という路線にシフトし始めたのだ。

 しかもこの選択のポイントは、生き延びることでもちゃんと希望が広がるところである。

 ゲームソフトのタイトル通りなら、この世界にオフラインは存在しないのかもしれないし、だとしたらオンラインプレイに興じているだけで親族や知人と遭遇(そうぐう)する可能性もゼロとは言い切れないのだ。

 さらに俺達のアバターはSAOから引き継いだ、つまり本人を(かたど)った文字通りの分身である。これなら旧知の仲であれば一目瞭然だ。

 これが残された一縷(いちる)の望み。

 もちろんすぐにとは言わない。むしろ途方もない時間を要するだろう。俺達はまだ何も成していない新参者で、この先大成する保証はない。

 だが機会はなくなったわけでもない。いくら最低限の戦闘しかしなかったとしても、常習的にログインしているプレイヤーが勝利し続ければ、否が応でも知名度は上がるはずだからだ。

 生き延びて、生き延びて、コミュニケーションを取ることなく事情を察してもらえる人物に出会うまで粘ろうという魂胆。日々のリスクは少ないが実に運任せの作戦かもしれない。

 ――しかし、あわよくば。

 この世にもし奇跡があるのなら、『SAOからの生還者』に会える場合もある。絶えない努力が天文学的な可能性を引き寄せる場合もあるのだ。

 

「(具体案はないけど、あのクソ野郎に屈したわけじゃない……)」

 

 そう思うと、俺は無意識に拳を握りしめていた。

 仮想世界を最も畏怖し、邪悪で危険に満ちたモノだと信じているのは他の誰でもない、君たちではないのか。そんな人間が、せっかく解放されたばかりだというのに、再び殺人ヘッドギアをかぶり鳥籠の世界に飛び込もうとするだろうか。

 こんな常識的な疑問を持つ者もいるだろう。勇気、勇敢うんぬんといった話を抜きにして、失敗から学ばない愚か者だと唾棄(だき)するだろう。

 しかし2年という歳月を仮想世界で過ごしてしまったからこそ、浮遊城アインクラッドは人生の一部を(はぐく)む、切っても切り離せない存在となっていた。だとすれば、仮想世界の否定は自らが歩んだ径路(けいろ)の否定に直結する。そこで起きた出会いや別れ、葛藤や挑戦、そして数々の成長を白紙として扱うことは、生還者の誰であれできないはずだ。

 悵恨(ちょうこん)の許容と周囲の理解に時間はかかれど、完全に関わりを断った生活を想像する方が不自然。というこの気持ちは、おそらく当事者にしか理解し得まい。

 1人でそんな結論に辿り着くと、俺はしなるまでゆでた草をムシャムシャ頬張(ほおば)りながら切り出した。

 

「んぐ……ぷはぁ。……あ~今すぐ有名人になりてぇ。その辺を領主が歩いてたりしないかな。速攻でぶった斬ってやるのに」

「バカ、こっちは真面目に話をしてるんだゾ」

「俺だって大マジメさ。けどま、方針が決まらんのならしょうがない。とりあえずひたすら生き延びよう。それが奴らにとっても1番厄介なことだろうし」

「かもしれませんね。やっぱりスタッフの人は少ないんでしょうか? このメンテナンスにも入れないみたいですし」

 

 シリカがそう指摘すると、ニヤリと笑ってから持論を展開する。

 

「だろう? 企業が丸ごと相手なら瞬殺だったかもしれないけど、俺の予想じゃ敵の数は数人だとふんでる。だったら難しい顔してないで、例のヒショ地にでも帰ってゆっくり風呂に入ろうぜ。こんだけ移動してるわけだし、ムリやり活動範囲を広げた甲斐はあったろう。あとはスタート地点からここまで行ったり来たりしてりゃ、そう同じ連中にも会わないだろうさ」

「そうするしかないかね、これ以上は何をしても無駄だろうシ。……サテ、じゃあそろそろ出発しますカ! なんか草食動物用みたいなメシしか用意できなかったケド、ジェイドはそれで大丈夫カ?」

「すみません、モンスターもいなくなっちゃってて。……あの、なるべく食べられそうな見た目を選んだつもりだったんですけど……」

「(にしてはゲロマズだったな……)……いや~、まあまあだったぞ。ないよりはだいぶマシだ。けど今ので水使い切っちまったから、もっかい補充してから行くか」

 

 午後3時まで5分を切ったことだけ確認しつつ、カラのアンティーク水筒を持ち上げた直後、アルゴが割って入った。

 

「アア、チョッと待っテ! 水はオレっち達で汲みに行くカラ、ジェイドは油田工場の方をもう1回見てきてくれヨ。暗くても松明は焚かないようにナ」

「ええっ、さっきここらの調査は終わったとか言ってなかったか?」

「そうなんだケド、実は洞窟の内部はそんなに詳しく見てなかったんダ。だから見落としてるアイテムもあるかなっテ……」

「おいおいしっかりしてくれよ、明らかに1番大事なトコロじゃん。なんでそこがおざなりなんだ」

「ア~、臭くてネ……」

「…………」

 

 つまり汚れ役を引き受けてくれというわけか。

 まあ、確かに。年端もいかない少女達に廃油とガソリンを混ぜ合わせた不衛生極まりない炭鉱を探れというのも酷な話しか。気絶している間に体を清めてもらった身としては、ここで強気な態度に出るのも気が引ける。

 もろもろ把握すると、俺は片手を上げながら「あいよ、じゃあサクッと見てくる」と言い残し、アンティークな水筒を投げ渡しながら(ほこら)の入口へ向きを変えた。

 そして1分とたたず鼻腔(びこう)に流れ込んでくる異臭。

 なるほど、この左右にそびえる階段状の岸壁に挟まれた河川敷は、形が珍しいだけにとどまらず、下流から上流に向けて風が吹いているらしい。だからアルゴ達は川を下った先でしか活動しなかったというわけか。シリカが上流から走ってきたのも、排水と混ざる前の清潔な川水を汲みに我慢して登っていただけ、と。

 それにしても汚水を垂れ流す施設が妖精界にもあるなんて、夢のぶち壊しもいいところである。そこまでリアリティ重視の再現はしなくてもよかった気がするのだが。

 

「(つってもアルゴは大げさだな。入口付近なんてちょっと薄めのガソリンが香ってくるてーどじゃないか。ケットシーだからか?)」

 

 鼻をつまむほどではなかったので、俺はそそくさとダンジョンの捜索を開始した。

 だが言うだけあって明度は低い。ありがたいことに、各所に置かれる高く伸びた柱の上には、ガラスで囲われた消滅しない灯穂(とうすい)があるおかげで《暗視(インフライド)》必須という暗さではない。

 さりとて松明禁止の忠告は的を射ていたようだ。

 こんなところで着火するのは自殺行為だろう。川の横でする(たきぎ)ならともかく、捜索中に高温体が油に触れでもしたら瞬く間にエリアごと火の海と化すに違いない。

 最後まで俺と激戦を繰り広げたサラマンダー男、イーサン・ステインとやらも、ラストにトドメを刺すだけとなってなお得意の炎魔法を避けた。彼も自滅を危惧して撃って来なかったというわけだ。

 そうこう考えながら奥の探索は避け、裸眼のまま桟手(さで)の隙間からわずかな(ユルド)を見つけたり、岩石に突き刺さったままのボロいピッケルを入手したりしていると、ポーンッ、という告知音でちょうど3時を迎えた。

 すると不思議なことに、遠くから金属を打ち付けるような音も同時に聞こえてきた。動力不明の機材が無人のまま動いている音だと思っていたが明らかに人工音だ。

 目を凝らすとエリアの壁側にカラカラに乾いた通路が見える。油が染み込まないよう丹念に手入れされた跡も見つかり、しかもカンッ、カンッ、カンッ、というリズミカルな高音は断続している。

 歩を進め、音源に近づくにつれ大きくなっていった。

 間違いない。誰かがいる。

 しかし直角に折れ曲がる通路から顔の半分だけ出して様子をうかがうと、そこにはボディビルのコンテストで上位を狙えそうなムキムキマッチョの渋いおっさんが、黄色の火花を散らしながらエフェクトを(まと)う巨大な斧をスミスハンマーで叩いていた。

 音に(はば)まれて気づいていないのか黙々と打ち続けている。本人はかなり巨体のようで、深く座っているのにちょうど俺の首の高さ辺りに目線がある。椅子(いす)も日本のショッピングモールには置いていないほど大きく、彼が立ち上がったらその身長から(かが)まないと通路を歩くこともできないだろう。

 タタラ製鉄用の風送り機と燃え盛る炉、分厚い鉄床(アンビル)や熱処理で使われると思われる水溶液が満ちたケースから、彼のキャラクターとしての役割を察する。

 俺は警戒心を解き、大剣のグリップから手を離したところでようやく思い至る。

 こいつもきっと、早朝に対峙したドワーフ部隊の一員だろう。髪の毛を逆さにしたような濃い黒髭(くろひげ)も特徴的だったが、彼らの種族は神話上、工芸や鍛冶に長けるとあらゆる聖典にはっきり明記されている。

 周囲に散乱する多種多様な凶器から、俺の推測は正しそうだ。とすれば、《奴隷のドワーフ(ドヴェルグスレイブ)》なんて立場でもなければ、目の前の彼こそ本職を全うする本来の姿なのだろう。

 

「(うっわマジかよ!? ついに来たっ!!)」

 

 しかも俺は、嬉しさのあまり大声を出しそうになっていた。彼の頭の上に浮かぶカラー・カーソルに念願のNPCタグが付いていたのだ。モンスターではない。まごうことなき、これはフィールド配置型の職人である証。

 俺はいま一度彼が敵性ユニットでないことを確認すると、急いで彼女達を呼びつけに来た道を戻った。

 ……のだが、寸でのところで留まる。

 

「(っとと、あれモンスターか? 来た時はいなかったのに、なんかそこかしこでリポップしてるな……)」

 

 人間大にした巨大なカナブン型モンスター、とでもいえばいいだろうか。多腕な見た目とモスキート音が実に気色悪い。

 と言っても所詮はザコMob。意気揚々と圧殺して上流へ探しに行くと、なにげに自ら天日干しになってくつろいでいたお2人を叩き起こして召喚した。

 しかし、ぬかるんだ道を往復し件のマッチョジジイを見せても彼女らは首をかしげていた。

 

「あれ、不思議ですね。3時間ほど前は音すら聞こえませんでしたよ?」

「シリカちゃんの耳で聞き漏らしたはずはナイ。……たぶん、何らかのタイミングで湧いたんだろウ。道理でさっき森の方から動物の鳴き声やらが聞こえたと思ったんダ」

「てことはメンテは3時が区切りか? 朝4時から11時間、ある意味ありがたいインターバルだよ。毎週やってくれるのなら……いやダメか。大きな地名で区切られたフロアは移動できないんだっけ」

「みたいですね。……昔わたしの友達がスマホのソ-シャルゲームをしてたんですけど、メンテ中はボックスのキャラやクエストの条件を見ることはできても、強化したり、売ったり、クエストに挑むことはできないって言ってました。もちろん1度ログアウトしてしまうと再ログインはできません」

「じゃあマジで寝て休めるってだけか。まあそこは仕方ない、とりあえず晴れてメンテが明けたわけだし、このおっさんに話しかけてみようぜ」

 

 鍛冶屋の黒髭ドワーフは思ったよりも陽気な人柄で、手持ちのユルドだけは潤沢(じゅんたく)に所持している旨を伝える――これは事実で、なにせ使い道がほとんどない――と、むしろへりくだりながら武器強化の依頼を快諾(かいだく)してくれた。

 しかもあつらえ向きだったのは彼の取り扱うジャンルの広さで、少なくとも俺達の装備品については問題なさそうだ。3日前に影妖精(スプリガン)連中からふんだくった鉱石が大半強化用素材だということも相まって、短剣(ダガー)鉤爪(クロー)両手用大剣(ツーハンド・ソード)はすべてピカピカに研がれ、さらに鋭さも増した。巨人の宝剣《エッケザックス》は元から最大強化のエンド品だったようだが、少々レア度の高いインゴットを手渡すと、懸念されていた耐久値もすっかり元通りである。

 鍛錬様式がやたらレトロで一連の作業に30分ほどかけてしまったが、強化そのものはつつがなく終了。耄碌(もうろく)ジジイは何度かミスも起こしていたが、ここぞとばかりに物資を追加でつぎ込んでやったので些末な問題だった。

 

『ヤッハッハッハッ! こいつは助かったぞボウズ共! これであいつらもしばらくメシには困らんだろう! ヤァーハッハッハッ!』

 

 強化が終わった武器を受け取るとこんなことを言い出した。

 元来(がんらい)気さくなドワーフだったものと思われる。まだ未発達な同族を守るために汗水垂らすその姿は涙ものだ。

 だが、プレイヤーによっては敵対時専用のイベントセリフを聞くためだけに牙を剥く連中も、また彼を撃破してそのドロップアイテムを奪おうとする者もいるはず。彼らのおかれた境遇はアルヴヘイムの設定上気の毒な面も見られるが、どうか強く生きて欲しいものである。

 炉端(ろばた)から動かず見送ろうとする彼に向かい、「そりゃよかった、こっちも助かったぜ。じゃあなー!」なんて返しながら3人で手を振って別れると、格段に強くなった相棒のプロパティチェックを始めた。

 

「スゲーなこれ。グンバツに強くなってんじゃん」

「ちなそれ死語だゾ」

 

 なんてやり取りをしつつ、特殊素材を持ち込めばいくつか属性を持たせられる派生も存在した――ここのジジイは《炎属性派生》しかできない――ようだが、俺の《タイタン・キラー》はいくら強化しても、やはり通常強化だけでは物理ダメージしか与えられないようだった。

 しかしこれで満足である。まさに重力級然とした無骨な大剣。シンプルにいかない方が無粋だろう。

 それにきちんとした打算もある。強化段階が進むにつれ、どうも筋力値ボーナスという設定が施されているらしい。そして俺はかつての魔剣《ガイアパージ》を使いこなさんがために筋力値を重点的に上げていた。そしてこの恩恵を最も受けられるのが、まさに通常強化によるノン属性派生だったのである。わかりやすくて助かる。

 彼女らも強化内容に申し分はないようで、皆一様に満足げなままメニューを眺めていた。

 

「これは本当にラッキーでしたね。わたしのはただでさえレアな短剣ではなかったので、心細かったんですよ」

「ここじゃ使い魔のピナもいないしな。昔の戦闘スタイルに合わせるためにも、早いとこその《飼い慣らしの鱗粉(テイミング・スケイレ)》ってのを使ってどいつかテイムしようぜ。……ところでアルゴはクロー以外にもいくつか強化してたよな」

「アア、飛び道具としてあり合わせのピックを追加購入して強化しておいたんダ。なんだよ、ユルドは余ってただろウ?」

「金はな。そっちじゃなくて……」

「ムチの方じゃないですか?」

「オット、ムチの方だったか。こいつは昨日ドロップで手に入れたやつダ。その時は目もくれなかったんだケド、オレっちのは片手用のクローだからサ。……それで、最近ジェイドの言う『手無し運転』がようやくできるようになって思ったんダ。『空いた手がもったいない』っテ。クローとムチの二刀流!」

「……まあ、そりゃ確かにな」

 

 理屈はわかる。俺が賛成をあぐねたのは、てっきり魔法の命中率を上げる杖を持つか、シールドでも携えてスタンダードにいくと思っていたからだ。

 この世界が種族分けされていると言っても、(かたよ)りきった編成では突破できないダンジョンやボスも往々にしてある。だからこそレネゲイドにならずとも進行を妨げないよう、得意系統の補正については極端に特化させないようにしているのだ。

 簡単な立ち位置だが、

 火妖精(サラマンダー)の得意魔法は炎属性、次点ボーナスは土と闇。

 最高ランクの筋力補正。ゆえに武器の扱いは頭一つ抜けている。炎属性は攻めに主眼を置いた魔法を多数内包し、射程においても優秀で、非常に攻撃的な種族である。しかも耐久、飛行時間まで並み以上と随所(ずいしょ)に優遇の跡がみられ、現在人気、勢力共にナンバー1の妖精。

 水妖精(ウンディーネ)の得意魔法は水属性、次点ボーナスは風と光。

 制圧、捕獲、水中移動系統を取りそろえる。同時に、回復や支援用の光属性まで早い段階で覚えられるメイジ選択者が多い。パーティ需要が高く、彼らのおかげで偏向気味のパーティは一気に整うし、必然的に生存率も上がる。智力(INT)補正がMAXで、最も多様な《魔導書》を扱える。弱点は飛行限界が最速で訪れること。

 風妖精(シルフ)の得意魔法は風属性、次点ボーナスは土と光。

 インプとユーザ人気ナンバー2を競うほどの一大勢力。ウンディーネと打って変わり最長の飛行時間、軽快な加速に長け聴力も優れる。得意の風属性は中・遠距離がメイン。最低補正の筋力値では武器は軽装のものに限定されるが、熟練者は高い機動性を駆使し、常に戦いのイニシアチブをとることができる。

 土妖精(ノーム)の得意魔法は土属性、次点ボーナスは闇と幻。

 筋力・耐久力と唯一『2つの成長補正が最大』という生粋の脳筋。対して速度の恩恵は残念な感じで、その鈍重さから醍醐味である飛行の爽快感が得られにくい。しかし戦域が限られる多種族混合公式決闘トーナメント等では断然有利。武器の精製や修理に欠かせない金属素材の発掘もお手の物である。

 闇妖精(インプ)の得意魔法は闇属性、次点ボーナスは炎と幻。

 暗い装備に暗い棲み()。みんな大好き闇魔法の扱いに突出する。最高補正項目こそゼロだが、重視される筋力、耐久力、敏捷性で一律Bを獲得するバランスタイプである。マップ中央に鎮座(ちんざ)する世界樹の周りには、翅で飛び越えられない山脈が囲うので、意外に《暗視》や《暗中飛行》は役立つ。おまけに地下世界――という冗談のように広いステージがあるらしい――がアップロードされてからは攻略面での重要性までうなぎのぼりで、サービス開始初期に比べ評価が(いちじる)しく変動した珍しい種族だ。

 猫妖精(ケットシー)の得意魔法はなし、次点ボーナスは水と風と光。

 魔法関連に秀でた性能がなく、筋力値もシルフ同様最低の伸び率。敏捷補正だけは最大のA判定だが、本ソフトの算出法から逆転現象はよくあること。ハンデだらけに見えるが、強みは飼い慣らし(テイミング)にある。単体での多角攻撃に詠唱なしの援護魔法。極めつけはテイムした大型モンスターへ騎乗(ライド)できる点だ。大型ともなればテイムの難度も高いが、モンスターにまたがって移動する特性上、この世界で最も長く空を飛べるのはシルフではなく彼らである。

 影妖精(スプリガン)の得意魔法は幻属性、次点ボーナスは光と闇。

 人気でいえばドベ争い。トレジャーハント能力が数少ない取り柄だが、幻属性は低殺傷力かつ種類が少ない。しかもレア素材等の入手をマラソン量でカバーするのは、ゲーマーにとって恒例の対処法だ。光・闇魔法を同時にマスターする物好きも存在するが、それが合理的かは微妙である。近接においても「サラマンダーでいい」といった意見は根強い。

 鍛冶妖精(レプラコーン)の得意魔法は土属性、次点ボーナスは炎と水。

 文句なし、異論なしの生産力(PRO)特化。目的ありきで選択するユーザが多く、《エンシェント・ウェポン》と呼称される強力な武器やアクセサリーを作成できるオンリーワンのニーズがある。その性質から多種族との交流が盛んで、《首都》に備蓄されたユルド総額は1番とも評されるお金持ち集団だ。

 音楽妖精(プーカ)の得意魔法は光属性、次点ボーナスは水と幻。

 典型的な後方支援型。魔力(MAG)値最高峰は伊達ではなく、マナポイント量はトップに君臨する。対応力ではウンディーネ、戦線の維持ではプーカに軍配が上がるか。飛行時間もウンディーネと並び最低値で、悪くいえばキャラ被り。荘厳な景色を背に、『歌い手』や何とかチューバーさんが動画をアップするツールにもなっているとか、ないとか。

 といった具合である。

 見ての通り、妖精が決まった瞬間スタイルまでガチガチに固まるわけではない。

 インプも魔法の選択肢だけなら炎属性、幻属性の獲得といった道も用意されているし、敵の度肝を抜くために気の遠くなるような時間をかけて苦手属性を鍛えるプレイヤーもいる。ロールプレイの醍醐味だろう。

 とはいえ、遊びに来たわけではない俺は魔法を活用するなら闇属性一筋と腹に決めていた。

 時間がないならなおさら1つを極めるべきである。完全に俺のゲーマーとしてのセンスであり、これ一辺倒で対処できなくなった時が年貢の納め時と割り切っている。

 しかしアルゴは投擲(とうてき)武器まで購入していた。いくら旧SAOで訓練したとはいえ、それは二次元回避が前提だったアインクラッドでこそ確立した戦術のはず。現に俺も剣の間合いから外れた敵との戦いは魔法に頼るよう考え方を変えている。それも、接近戦へ持ち込むことを念頭に入れた牽制魔法だ。

 となると彼女も決断したのだろう。

 ケットシーは唯一得意魔法の項目が存在しない種族だが、わずかにボーナスを得られ、かつ手ごろな遠距離攻撃の充実した水属性や風属性までバッサリ捨てたということは、バフの光を主軸に近・中距離戦をこなす支援タイプを目指すというわけか。

 それならサブに(むち)という選択にも納得である。

 なぜなら俺が多用するピック同様、大半の飛び道具が《サブウェポン》にカテゴライズされるからだ。

 銘を《フォー・ハウジング・バーブス》とする彼女の鞭も然り。メインアーム複数持ちエラーを回避できる。

 鞭の名は数字の『4』と『収納する』のFor housingを掛けているのだろう。特定モンスターの尾を加工し、伸縮率の高い製品に変えられた物騒な人工物だ。

 取手のトリガーを引くと芯間(しんかん)のワイヤーが引かれ、先端に円環状にあしらった4つの逆棘が展開される仕組みで、主にそのトゲを利用してどこかに引っ掛けたり敵を引き寄せるのが目的である。グラップリングフックを世界観の便宜上『鞭』と命名しているに過ぎず、先端のごく小さな部分以外はダメージすら発生しない。

 

「つってもまあ、アルゴが納得してるならいいさ。空戦だと当てるの相当ムズいだろうからどっかで練習しとけよ」

「にゃッハッハ、言われなくともするサ。特にムチの方は初挑戦だから、反射的に使えるようになるにはそこそこ時間ガ……」

「み、みなさん! 段差の向こうからハネの音が聞こえます! 数は4つ、真っすぐこっちに!」

「ウソだろッ、こんな見晴らしクソな場所に!?」

「メンテ明けから30分だゾ!? どんだけ人気なんだよ、このゲームぅ!!」

 

 グチグチ言いつつ全員が最大強化のエンド品を構え、シリカだけはスティックを具現化しつつ空戦の準備を整える。

 すると、15秒もたたないうちに4人のプレイヤーが制空権を奪いに来た。意外なことに『手無し』プレイヤーゼロの敵パーティは、すべて薄紫の翅をしている。生粋のインプ部隊だ。

 しかも彼らは、俺達を発見するなり信じられないようなセリフを口にした。

 

「やったマジでいたぞ! 始まってすぐログインしてる時点で、たぶん《スタッフチャレンジ》だよな!? マジで攻撃していいんだよな、これ!?」

「エルドーの適当な情報もたまには当たるんだな! しかもケットシーがいるってことは弱い方のパーティじゃん! 北に住む妖精もカワイソーに!」

「こらこらぁっ! たまにとか言うな!」

「でもこれ! キルログを送信するだけで、レア武器ランダムでゲットだぜ!? マジ気前良すぎじゃね!? ラッキーイベントだよ!」

 

 突拍子のない会話に困惑せざるを得なかった。

 何のことだ。意味がわからないぞ。キルログの送信? イベント? 時間的に考えて、こいつらは目的を持って《首都》から真っ先にここへ飛んできたはず。わざわざドワーフNPCによる武器強化をしに来たのでないなら、これは偶然の出会いではない。

 

「なんのこと言ってんだこいつらッ!?」

「そんなの、オレっちにもわからないヨ!!」

「うわっ!? 詠唱なしで弱体化(ウィーケン)のデバステにされたぞ!? 会話も聞き取れないし、間違いないなこりゃあ!!」

「よっしゃアタリ確定だ! 打合せ通り、早い者勝ちの恨みっこナシな!」

「あっはっは! おいおい誰か解呪してくれよ!」

「うるせぇ、みんな斬り込めーーっ!!」

 

 とにかく対話を試す時間もなかった。狩り場が被っただとか、惨敗したギルメンの敵討ちだとか、そういった私怨(しえん)が理由でもなさそうだ。

 彼らは嬉々として襲ってきた。

 そこに原因があるのだとしたら、十中八九『奴ら』だろう。

 俺達は応戦する他なかった。インプの彼らに恨みはなかったが、こんなところでわけもわからず血に(まみ)れるわけにはいかない。

 

「アルゴ、シリカ! 一機ずつやる! 円周なぞるようにして飛べ!!」

「作戦通りだナ! 了解っ!」

「わかりました!!」

「レーギのなってねェカスに吠えヅラかかせるぞッ!!」

 

 やむなく戦闘をすることもあれば、問答無用の不意打ちまで経験してきた身である。接敵直後の開戦に対し、俺達3人は翅を広げて難なく対応して見せた。

 高速詠唱、2人はスティックなしの飛行、アイコンタクトだけで入れ替わる囮役に、ヒット&アウェイを心掛けた連携ありきの各個殲滅フォーメーション。対する彼らは我欲に目の(くら)んだターゲットの奪い合いに、ちぐはぐのエセ小隊編成。手柄に執着しているのかウィーケンを解除しようとする者も皆無で、むしろこれでよく勝算を得られたものだ。

 しかも剣で攻撃を受け止めると、その軽さに失笑してしまいそうになる。

 モーションコマンドを指で押せば勝手に攻撃してくれる旧世代ゲームではないのだ。その手に武器を握って敵と相対する以上、本当に勝ちたいなら恥ずかしがって動きを大袈裟にならないようだとか、ヘラヘラして負けた時の予防線を張っている場合ではないはず。

 シリカにも劣るインプらの武器の扱いは未熟と評するしかなく、戦いはたった1分と続くことなく終結した。

 

「うはぁーっ!! スゲー! 生きてるのもう俺だけ!? 強すぎでしょこれ! ぐわぁああああああっ!?」

 

 攻撃力が一段と強化された俺の大剣が斜めから食い込むと、最後の敵もさして残念そうにせずエンドフレイムに包まれ、やがて《リメインライト》になって宙に漂った。

 あっという間の終戦。

 メンテ明けまで待機していたのか、再開直後から張り切って飛んできた割に難敵ですらなかった。勝利したのに虚しさまで感じてしまう。

 おまけに4つの《リメインライト》はすぐに消えている。おそらく再チャレンジするために《首都》に戻って武装でも整えるのだろう。言われてみればここから直線距離で最も近い妖精本拠地はインプのそれだ。

 

「ハァ……ハァ……ヘタなテッポウもなんとやらってか? ったく。案の上リワードもしょっぺーし、毎度こんな調子で来られたらたまったモンじゃねェぞ」

「それよりジェイド、こいつらの言ってたこと……オレっち達を倒してその記録(ログ)を送るとレア武器とかナントカ……」

「わたしたちを見たのに確信しませんでしたしね。情報もしっかりしたものじゃなくて、種族などをちょっとずつ伝えたんでしょうか?」

「たぶんな。もう1週間たつ。なかなか死なない俺らに業を煮やして、あのクソ野郎が手を回したんだろう。でもあんまり大々的にすると自分らの首もシまる。てわけで、確定レアのガチャ1回、みたいな宣伝だったのかもしれない。でなきゃプレイヤーが大挙して襲ってきただろうし。……しかもそれだけじゃないぜ。聞いたかよ2人とも……」

 

 首をかしげる2人はまだ気が付いていないようだ。

 俺はホバリングしたまま納刀すると、一拍溜めて感極まったように笑った。

 

「あいつら、『弱い方のパーティ』って言ったんだ! 俺達3人のことを! 最高だぜッ……これってつまり、俺ら以外にも生き残った奴がいるってことじゃねェか!!」

 

 それを聞いた2人はハッとしたように考え込む。

 

「生き残りっ……と、ということは……わたしたちが《世界樹》っていう大きな樹のてっぺんから飛びおりたあとに、他の誰かもマネして飛んだってことですか!?」

「だとしたら、その人達と合流すればもっと生き残る確率は高くナル!」

「やっと希望が見えてきたな! ……ああクソッ、でも位置がわからねぇ。適当に飛ぶにも、このマップは広すぎだぜ……」

「え~っと、えと……あ! たしか、さっきの人たちは『北にすむ妖精もかわいそうに』って」

「それだヨ、シリカちゃん! いいか、つまりこういうことダ。連中はオレっち達の位置情報だけは追えるカラ、このスタート場所を広めタ。そしてもう一方の生き残り集団はずっと北に陣取っているんだヨ! 脱走者狩りの報酬が同じでも、オレっち達より強力なメンバーを倒さなきゃならないなら、あいつらの発言にもツジツマが合ウ!!」

「とすると……」

 

 俺は急いで紙に記された《アルヴヘイム・オンライン/全体図ガイドマップ》を実体化して広げると、北に位置する各領土を指さした。

 

「最有力は最北端にあるノーム領とその周辺の氷雪地帯。次いでレプラコーン領の埋め立て地か、またはプーカ領の草原地帯ってとこか。今いる場所は南南東の高山地帯直前……ちくしょう、真逆じゃねーか!」

「そこは仕方ないサ。じゃあ今までよりモット暗い場所を通って移動しよウ。例えばアルン周辺の《虹の谷》を伝っていくトカ! 内部の移動は制限あるケド、敵にインプやスプリガンがいなければグッと追いかけにくくなるだろウ? 洞窟が途切れても、渓流に沿って進めば見つかる確率も減らせるシ!!」

「オッケー、決まりだ。当分の目標は山脈のふもとを伝うルートで北上し直すこと。……んで、他の脱走に成功した連中と合流したら、ひたすら生き残ってSAOセーカン者なり知人なりに会うまで粘る。と同時に事情を察してもらって、奴らの悪事を洗いざらい世にサラしてもらう。これで異論ねーな?」

 

 確認を取ると、彼女らはいっそう強くうなずいた。

 もちろん成功率なんて雀の涙。こんなものは、断片的な記号と記号を都合よく繋いだだけである。

 それに、これから何日もかけて北上するうちに野良のプレイヤーに鏖殺(おうさつ)される場合もあるし、いつまでたっても一方の脱走者達を見つけられず発見前に全滅したり移動したり、そもそも俺達の仮定が見当違いだったというパターンも考えられる。全部うまく行く確率なんて数字にすると目を疑うような低さに違いない。

 それでも、腹の底から力が湧いた。希望にすがることに意味がある。

 惰性で生き続けようと諦めるより、ずっと勇気が満ち溢れた。

 

「決めたらとことんやるぞ! 絶対生き残って、現実に帰るまで!!」

 

 揃って声を上げると、稜線(りょうせん)の見えない旅が、また始まった。

 放浪が終わらない限り、妨害も止まらないだろう。

 しかしこれは、アインクラッド第1層《はじまりの街》を飛び出した瞬間から一貫する決意表明でもあった。

 2年以上も前から覚悟した絶対条件を、誰かが口に出して言った。「我々は現状からの解放を渇望している。そして解放を望むということは、数多の岐路(きろ)で安全を捨てる選択を迫られるのだ」と。

 俺はかつての浮遊城でも、安全エリアに留まって待つだけ、という選択肢を早期に()てた。解放を夢見た多くの戦士と同じように。

 だからこれからも俺達は、死にかけてなお、失敗した後のリスクを見せつけられてなお、楯突くような悪あがきに邁進していくのだった。

 

 

 

 



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第113話 一条の光明

みな様、明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いしますm(__)m


……年内にもう1本上げると言ったな、あれは嘘だ。(ゴメンナサイ)


 西暦2024年11月20日 ノーム領北東、《滑昇風群発地区》

 

 リアル時間では午前1時を過ぎ、アルヴヘイム時間では夜明けを迎えた。

 マップの遥か北。もの凄い寒さだ。一面を覆いつくす銀世界は果てがなく、歩けど歩けど変化がない。深々と刺さる足を雪の底から抜くだけでも体力を要するのに、体温が奪われると空腹も容赦なく加速する。

 設定上で北に住むノームの連中も、まさかこの雪原を求めてキャラクターを作成したわけではあるまい。

 

「(ざびぃ……冗談抜きにじぬぅ……)」

 

 ようやく風は収まってきたが、そもそもなぜ寒い中を延々と彷徨(さまよ)っているのか。

 もう想像していただけるだろう。一行は今、見事に遭難(そうなん)していた。

 最も北に位置するノーム領に侵入したのが3時間前の午後10時で、その北東エリアにまで到達してしまったのが30分前。例の定期メンテナンスまで、すなわち11時間もの休憩タイムまで残り数時間だし、今日の《脱走者探し》は限界まで続けよう、などと発言したのがそもそもの間違いだった。

 俺達の他に《ラボラトリー》から逃げおおせたプレイヤーがいるという不確定な情報をもとに、これまで6日間半も北上の旅をしてきたが、やはりと前置くべきかそれらしい部隊は発見できていない。

 そんな焦りもあってか、大きくエリア移動できなくなる前に、マッピングもかねて捜索範囲を広げようとしたのだ。

 しかし俺達が足を踏み入れた土地はなだらかな丘陵(きゅうりょう)が多く、しかも環境は非常に不安定で、たいして移動する間もなく地吹雪に巻き込まれてしまった。

 同時に(はね)の鱗粉も尽き、徒歩で坂を避けるといちいち方向感覚が狂わされる。

 似たような境遇のノーム部隊とぶつかってガチンコ戦闘になってしまったことも含め、土地勘に乏しかったとはいえ失態を晒してしまった。

 

「うぅ……サムいですよぉ……完全に行きすぎましたよね、ジェイドさん……」

「……マジですまん。思ってたよりスイスイ進んでたんだな、俺ら。……あ~でもほら、やっと吹雪も終わったみたいだしさ、こっからは飛んでいこうぜ。アルゴとシリカがいりゃあ、大抵の奴らはサクッとかわせるだろう?」

「また調子のいいコトを言っテ……。これで手がかりも掴めなかったらアトでオシオキだゾ」

 

 強く大地を蹴ると3人はほぼ同時に極寒の蒼穹(そうきゅう)へ舞った。途中、「ネコちゃんのオシオキとか、むしろ期待するわソレ」、「ほゥ、死体になっても知らんゾ」なんてジョークも……うむ、ジョークも済ませながら、今度は真っすぐに南を目指す。

 ちなみにシリカも飛行補助ツールとして支給されたコントローラを使わずして空を飛んでいる。なんといっても、俺より一段とまともな睡眠をとっている彼女ですら結構な練習量に達しているからだ。今や一丁前に左手にバックラーシールドを携行し、接近戦による優位性を取り戻しつつあった。

 ついでと言えばもう1つ。俺が暫定的に『手無し運転』と命名していた飛行法だが、どうも正式なゲーム用語が存在するようだった。これはビギナーの練習に付き合っていた鍛冶妖精(レプラコーン)のセリフを盗み聞きしたのだが、《随意飛行(ずいいひこう)》と呼称するらしい。

 発音しにくい名だ。それらしいワードが戦闘中にも『ズイー、ズイー』と何度か聞こえてはいたが、意味まで判明したのは最近である。

 

「《随意飛行》、シリカもできるようになってよかったな。しかも《遠方焦点(スコープ・ファインダ)》と《警戒陣(サーベイランス)》はケットシーなら初期から使える魔導書だ。相手より索敵が早けりゃ、エンカウント回避できるってハナシもあながち間違ってないだろ?」

「でもそれはマナが尽きるまでの話です! いくらポーションがいっぱいあると言っても、ずっとかけ続けていたらすぐなくなっちゃいますよ!」

「シリカちゃんの言う通りだゾ。それにマナが切れたら補充までタイムラグがアル。もし、そのマナ切れのタイミングで鉢合わせたら、開戦早々不利になっちゃうんだからサ」

「へーいへい、わかってるっての。けどこの辺は初見の場所だったんだ。もう切り替えていこうぜ!」

「むぅ~……」

 

 そんなこんなで適宜モンスターとの戦闘も挟みつつ、翅の消費と回復を繰り返すこと30分。帰り道だけあって予定された経路は順調に消化されつつあったが、またも角度が数度ずれていたのかレプラコーン領との地界を(また)いでいた。

 低いピアノ単音と共に、視界端に浮かぶエリア名も《滑昇風群発地区》から同時に切り替わる。

 1時間以上も前に通過した《カルスト台地・ネイビーフェルト》はレプラコーン領の特産岩エリアだ。ニョキっと生えた石灰岩、および白雲岩(ドロマイト)所狭(ところせま)しと身を寄せ合う層状のエリアで、ここで隠れんぼをすると永遠に鬼が入れ替わりそうにない絶妙な地形である。

 アルゴの《スコープ・ファインダ》は強制ズームされてしまう特性上、飛びながら使用し続けるとすぐに《飛行酔い》してしまう点と、この地形のように遮蔽物(しゃへいぶつ)が多い場所で効果を発揮し辛いのが弱点だ。

 しかしシリカの耳は反響した戦闘音を正確にキャッチした。

 

「音がします。これは……11時の方向ですかね。まだ遠いです」

「人数や規模はわかるか?」

 

 飛んだまま俺がそう聞いたのは、無論攻めるかどうかの判断だ。

 確かに節倹した生活も慣れてきた。しかし構外、どころか街の外でしか活動できない俺達だからこそ、少ないチャンスはすべてモノにしたい。

 

「えっと……人数はなんとも……。あっ、でも数が多いのは間違いなさそうです。開戦してすぐなのかもしれません。音の重なり方から考えて、10人以上はいるかと」

「パーティ戦っぽいナ。ならレネゲイドがレプラコーン狩りでもしてるのカナ? 場合によってはイイ武器持ってるらしいじゃないカ」

 

 高度を下げつつ、俺はアルゴの推察に魅力を感じていた。

 

「んん~……そうだな、じゃあこうしよう。とりあえず見に行って、一方的な戦いだったら引き下がる。接戦で片方の生き残りが1人、2人だったら、消耗しているスキに一気に倒す。マジで半分がレプラコーンならレア武器ゲットのチャンスだ、悪くないだろう?」

「どのみちわたしたちは人を探している途中ですしね。先制できるならアリかもしれません……」

「じゃあタイミングはシリカちゃんに任せるヨ。行けそうなら終戦直後に目くらまし(ハレーション)で視界を奪うカラ、ジェイドがトドメを刺してクレ。2人残ってたら片方はオレっちらで誘導しておク」

 

 作戦は決まった。実はこうした《ハイエナ猟法》と蔑称(べっしょう)される略奪は頻繁(ひんぱん)に起きていて、俺達も10回以上はやられたことがある。

  PvPを1度でも行うと、ポーチに忍ばせた消耗品や翅の揚力を使い切ってしまうことが多く、敵のおかわりが乱入してきた時点でひたすら逃走を余儀(よぎ)なくされるからだ。この戦法なら圧縮された報酬を横取りできてしまうわけで、これを生業にした悪質なパーティが存在するほどである。

 もちろん、これらの勝利はなんの栄誉ともカウントされない。むしろ短期間で繰り返すと他の種族から目の敵にされて、悪い意味で噂にされるだろう。こういった同士への不必要なヘイト集めは、各妖精の領主も望むところではないらしく、頻度を下げるなりやるなら徹底的に身バレを防いだりと、何らかの対策は取っているようだ。

 結局やるんかい! と言ってやりたいところだが。

 だがそれこそ、ここにいる3人はハナからレネゲイド。名が知れるのであれば、いい意味だろうと悪い意味だろうと知ったことではない。

 俺達はアインクラッドでの生活、すなわちPKが絶対悪として既成概念化した生活を送ってきた。ゆえに慣れない行為ではあったが、低リスクで確かなリターンが見込める以上、このズルい戦法にアルゴやシリカが迷わず賛成するのも納得である。

 なんてことを考えながら、背の高い石灰岩の上を移動用システム外スキル跳躍急降下(ソアー・ダイブ)でぴょんぴょん飛び跳ねること30秒。

 

「(いるなぁ、10人規模か……)」

 

 視界で集団を捉えた。

 空中移動を止めてダッシュでの移動に切り替えつつ、俺達はパーティ戦にかまける10人ほどの敵群のそばに隠れられた。しかも予想通り片方はレプラコーン勢で間違いない。

 見つかってはいないだろう。後は時を待つだけだ。

 俺は構成、種族、戦術、武器種などを覚えてしまおうと身を乗り出した。するとすぐに飛び込んでくるカラフルな戦闘模様。

 だが次の瞬間、驚きのあまり2人同時に声が出てしまった。

 

『リンドッ!?』

「へっ……え……っ?」

 

 運命とは唐突に訪れるものらしい。

 シリカだけ置いてけぼりになってしまったが、どうやらハモッたアルゴも同時に見抜いたようだ。

 視線の先。装備は燃えるような紅蓮。ほぼ隙のない盾(さば)きと、わずかなほころびも見逃さない正確な曲刀攻撃。古今あらゆるイレギュラーに対応してみせ、そして数多(あまた)のギルドメンバーと窮地を切り抜けてきた功績。

 舌を巻くような高速エアレイド中だと顔をしっかり確認することはできないが、シルエットや戦闘スタイルから彼がかつての《聖龍連合(DDA)》リーダー、リンドその人であることは間違いなかった。

 それに彼だけではなく、俺はさらに2人見知った(・・・・)顔を見つけていた。

 

「あれ! 見えるか、槍持ってるのはSAL(ソル)のリックだ! 他にもいる!!」

「アアわかってル。オレっちの本職は情報屋ダ、ほとんど顔見知りだヨ! ……ということはつまリ、探してた連中にやっと会えたんだナ! こうしちゃいられない、すぐに援護しよウ!」

「リンドさん……ってまさか、あの有名な攻略組ギルドの!?」

「ああDDAのリンドだ。アンブッシュで一気にレプラコーンを叩くぞ。光雲(ハレーション)はナシ、合図は俺が送る」

 

 興奮が冷めないが、現実に復帰してから再ログインしたという線は薄いだろう。周りが止めるだろうし、顔が変わっていない説明がつかない。ということは、彼らが例の『脱走者』なのか。

 いや、どちらでもいい。やるべきことは変わらない。

 影を利用して素早く位置を変えると、俺はアルゴとアイコンタクトを取った。

 狙うのは後方で大魔法の準備をする1人。レプラコーンのチームが全般的に時間稼ぎしているように見えるのは、彼の魔法の一手が逆転のカード足り得るからだろう。

 指を3本立てて、順に折り曲げていく。

 ゼロになった瞬間、同時に地面から飛翔した。

 アルゴがピックを命中させて注意を引き、その後ろではシリカがヒールの準備をする。振り向く彼の頭には「なぜ猫妖精(ケットシー)の女性ペアがこんなところに?」、なんて戸惑いが生まれたのだろう。

 そして敵が無防備になったところへ、真後ろから俺の巨神殺し(タイタン・キラー)が炸裂する。胸当ての金属プレートごと薄ローブを叩き切った鉄塊長剣は、なんと完全に彼のアバターを分離させてしまった。

 すでにダメージが蓄積(ちくせき)されていたのだろう。後衛を任された彼はそれだけで黄土色のエンドフレイムに包まれて散った。

 それからはほとんど一方的な虐殺だった。

 かつての大規模ギルド長たるリンドの指示は的確で、後衛の大魔法が不発に終わった時点で奴らは打つ手がなかったのである。

 以降は何の手助けをすることもなく、潰走者(かいそうしゃ)となり果てた4人は瞬く間に全滅した。

 そして……、

 

「リンド、だよな……?」

 

 思わず声が出る。殺害で舞った敵の残り火にすら目もくれず、俺達は向かい合っていた。

 気が遠くなるほど長い1週間だった。無謀だなんだと悲観していたが、現実はどうだ。俺達は探し出したてみせたではないか。

 達成感を胸に、それぞれの生存者組が左右に向かい合ってホバリングする。

 5人のうち初対面の2人から少々トゲのある目線というか、どうにも言葉にし辛い不吉なオーラを感じはしたが、新たに火妖精(サラマンダー)の種族を得たリンドは4人の仲間を従えつつゆっくり接近すると、笑いながら軽く降参のポーズをとって切り出した。

 

「フフフッ、これでも結構驚いているつもりだよ。2週間ぶりだな、《レジスト・クレスト》の隊長さん」

「アッハッハッ、おいウソみたいだぜ! マジでDDAのリンドだ!」

 

 彼は俺達を認識している。言葉もわかるだろう。きっと彼も、俺達がセリフを理解していることに驚いているはずだ。

 その安堵は、ずっと背負っていた肩の荷を下ろすような感覚だった。

 

「まったく一時は敵の増援かと、連中と一緒に攻撃するところだったぞ。こんど手を貸す時はひと声かけてくれよ」

「信じらんねェっ! SAOの人間に会ったっつーだけなのによ! ハハッ、リックにクロムのおっさんまでいるじゃねーか!!」

「こっちのセリフじゃバカモン! お前さん生きとったんかいな。わしの方が腰抜かすところだったわ」

「ジェイド! 《ラボラトリー》で一瞬見えてはいたけど、まさかあの地獄みたいな戦いで死んでなかったなんて!」

「イヤー、まさかオレっち達以外にも生き残りがいたとワ!」

 

 生存者は5人部隊と3人部隊の計8名。こんな人数で同時に喋り出したものだから、戦場跡は収拾がつけられないほど賑わってしまった。

 積もる話なんてものは積もりすぎて天井知らずだったが、とりあえずひとしきりハグと握手を済ませた俺は場所を変える提案をした。

 ここもまだ歴とした領土。退けた連中とは別のパーティがうろついていてもおかしくない。

 そうして失われつつあった翅の鱗粉(りんぷん)を完全に使い切るころには、レプラコーン領と《アルン高山》の境の位置にある森の茂みに隠れられた。

 ちなみに自己紹介は移動中に完了している。

 まず1人目。言わずと知れたリーダーofリーダーのリンド。

 長身で、細身。質感のあるカイトシールドに、どこで調達したのか得物は相変らずの上等な曲刀(シミター)。ショルダー、アーム、胴、レッグにバランスよく金属防具が装着される。前髪は中心で左右に別れ、ロングヘアゆえに後ろで一房(ひとふさ)小さく束ねられている。1層で伝説となった男を模して染めていた蒼い髪が赤みのかかった茶髪になっているが、他者を射貫くような彼特有の双眸(そうぼう)は間違いない。

 旧ソードアート・オンラインでは全階層にその名を轟かせた最強軍団を(ひき)い、しかもそれを最後までまとめ上げた人物。VRMMO史上でも剣術ではトップの一角を担える男だ。

 そして2年間で培った統率力を以てして、このまったく新しい環境を2週間も耐え抜いたのだろう。

 2人目は4人ギルド《サルヴェイション&リヴェレイション》の隊員、そして唯一の生存者でもあるフリデリック。

 キャッチフレーズ通り、プレイヤーの救済と解放を掲げる善良ギルドだった。柔軟な筋肉を持つ着やせするタイプの体躯に、短くもまとまった淡い青髪。笑えば歯が光を反射しそうなほど男前で、きちんと伸びた姿勢や表情のさわやかさは健在である。彼のリーダーは《スカル・リーパー》の凶刃によって(たお)れたが、隊長亡き後も最後まで武器を取った勇敢な戦士だ。

 メインアームは変わらず長柄槍(ポールランス)。ロングコートで金属装備はなく、左腕に見慣れない民族衣装のような布を巻いている。現在は水妖精(ウンディーネ)として生まれ変わったようだが、サポーターとして優秀な能力を発揮する彼からすれば、それはむしろハマり役にすら見える。

 努力家だった彼のことだ。きっと現段階で発動可能な《魔導書》の説明欄は全て読破し、ノルド語によるスペルも網羅しているに違いない。

 3人目は元《軍》所属の少佐階級にして、犯罪者のたまり場たる《黒鉄宮》看守長を務めたクロムオーラ。スポーツ刈りの短髪に、うっすらと口ひげを生やす初老のプレイヤーだ。

 まだ40代らしいが1人称はわし。俺は個人的に『クロムのおっさん』で通しているが、愛称で呼ぶほど親しくなれた原因は察してほしい。

 ようは、俺が牢獄と接した時間が長かったというだけである。

 しかも《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》討伐戦や残党の後始末に加え、シーザー・オルダートとの約束を果たそうと、地味にSAOが消滅する間際まで何週間に渡り来訪しては世話になった。

 種族は《土妖精(ノーム)》で、武器は片手斧(ワンハンドアクス)。バイザーのない兜に加え装備はガチガチの重金を使用している。

 リンド隊では彼1人だけ《随意飛行》ができないらしく、加えて戦闘職でもなかったので戦力としてはシリカにも及ばないとのことだ。スロットに装填された《魔導書》のスペルを、一定の期間だけアバター付近に滞空してくれる光属性魔法《覗き眼鏡(ピープショウ)》なしでは、どうやら単語もまともに発音できないらしい。

 本人曰く、今生きていることが人生における最大の奇跡、だそうだ。

 4人目は『テグハ』と名乗った。

 ここから2人は俺のあずかり知らない人物である。どうやら彼も《聖龍連合》の一員だったらしく、ということは当然飽くほど剣を振り回してきた戦闘のプロフェッショナルである。

 リンドのことを盲目的に信頼していて、武器は当の本人と同じシミター。ただし『テグハ』という名前がすでに外国の曲刀の形状を気に入ったから付けたものであり、彼のスタイルに合わせたわけではないとのことだ。

 ほっそりとした長身で髪はオールバック、色はスチールグレイから光沢を取り除いた感じだろう。とりわけ悪いのはねちっこい細い目つきで、俺と同じように大衆受けがよろしくない人相をしている。服装はシンプルだがフルアーマーの全身鉄衣。ただし有り合わせなのか脛当てだけはさらに重厚で突起が痛そうだ。

 種族はクロムのおっさん同様《ノーム》を拝命。ただのシミターなら軽量武器だが、彼のそれは《大曲剣》という大型カテゴリで、妖精としての特徴とマッチしている。

 左手には非常に大きな黒鉄の盾を装備していた。こちらは双鳥の紋章が象られた上物で、スピードを殺さないようにした最大限の努力がうかがえる。

 5人目も初めましてのお方で、名を『ブライアン』というらしい。

 中肉中背で特徴らしい特徴がない。顔面偏差値も当たり障りがなく、ヘアスタイルもイジっていないのかナチュラルなクセっ毛の黒髪。種族は不運なことに影妖精(スプリガン)を押し付けられたらしく、一定時間移動しないユニットにしか適用されない長時間麻痺と惑乱デバフ攻撃、という意味不明な効果――これを適用させたかったら、敵を麻痺かそれに準ずる行動不能状態にさせる必要がある。二度手間もいいところ――を持った幻属性魔法を始め、有力な《魔導書》も手に入れていないという。

 

「(テグハっつーのはボス戦でチラホラ……でもブライアンとやらはうっすら記憶にもねーな。よっぽど接点なかったか……)」

 

 尋ねてみると面識がないのにも納得の理由付き。どうやら彼は最前線で攻略に励む類の人間ではなかったらしい。

 ただし先人が未開の地を開いて足場を固めた後は、そのおこぼれを拾い食いするだけの貪欲さは秘めていたらしく、ちゃっかり準攻略組レベルは維持していたようだ。

 おまけに人付き合いが苦手な性格ゆえ、最初期からごく少数のギルド、しかも限られたメンバーで細々と行動する生活が大半を占めていたようで、これでは存じ上げるはずもない。

 そんなこんなで彼らが使用していた森林の中継ポイントへ到着。俺達からも紹介を終えたところで、8人(そろ)って(たきぎ)で囲い暖を取りつつ、俺は切り出した。

 

「でもまさか……俺が言うのもなんだけど、あの高さから飛び降りようなんて人間が他にもいたとはなあ」

「それはこっちのセリフだ。聞けば、ジェイドらは飛べる確信のないまま外周から飛び降りたらしいじゃないか? まったく呆れたよ。……こっちは仲間同士で隠れながら試行錯誤した上、それでも反対票を押し切って賭けに出たぐらいだぞ。君らの方がよっぽどか異常さ」

 

 手を振って「そりゃ確かに」とだけ答えてから、しかし俺は若干ばかり落胆しながら切り返した。

 

「だからこそ気落ちしてんのよ。運任せのこっちと違って、スカイダイブする前から『飛べる』ことを知ってたんだろう? ガチでこれが生存者の全てなんて……。俺らより強力な部隊が北側に配置された、なんつうウワサを聞いて旅してきたもんだから、もっとこう……せめて、10人ぐらいはいるもんだとばかり」

「それは過ぎた期待だったな。あの虐殺を耐えた時点で儲けものだ。だいたい俺から言わせてもらえば、情報屋のネズミと中層のアイドルを(かか)えたまま生き残っている君の方に感激だよ。……まあもっとも、初めはもう少し生存者はいたんだが」

「デ、今いないってことハ、やられたのカ……?」

「……ああ、面目ない限りだ。巨大樹から飛び降りた時点では8人。うまく翅を使えなくて落下直後に即死した人もいたから、実質7人といったところか」

「てことは、2人は他のプレイヤーか、そこらのモンスターに殺されたってわけだ」

「いや、単に後れを取ったわけじゃない。……例の集中狙いだよ。《エラー検出プログラム》に引っかかってることに気づいたのがだいぶ遅くてね。途切れのない玉砕アタックはさしもの経験者でもキツかったよ。しかも魔法やら飛行やら知らない法則ばかり……初日と翌日の時点で3人もやられちまった」

 

 指を折りながら「へっ、3人?」と間抜けた声で俺が返すと、リンドは親指でブライアンを指しながら続けた。

 

「それ以来人数はずっと4人だったんだけど、彼は昨日の午後……つまり君らと同じように数時前に合流した新メンバーだ。2週間1人で生き延びたらしい」

「んなアホな!? 正気で言ってんのかよ……」

「ブライアン、説明してやれ」

 

 リンドは投げやりにパスし、黒髪クセっ毛の青年ブライアンは頬をかきながら俺を向く。

 

「い、いや~。といっても本当に運の良さだけで生き長らえただけですし。それに最初の3日半はカウントしていいのやら……。ああ、というのも、ボクは端っこから飛び降りたわけではないんですよ。あの冗談みたいに太い木の根やら長いツルを、手足を使ってよじよじ下っていったんです。3日間かけて」

「ええっ!? そ、そんなことができたんですね。わたしなんてジェイドさんに言われるがまま飛んだだけで……」

「い、いや~大変でしたよ。なにせ地面が見えないぐらいモノ凄い高さでしたからね。おまけにボクらって街に侵入できないじゃないですか? 巨大樹の真下は中央都《アルン》と呼ばれているらしくて……そう、つまり根を伝って降りるのには限界があったんです。皆さんもただ下に飛んだだけみたいですが、たぶんオンラインフィールドに突入した時点で、座標は《アルン》から離れた位置へ強制的に移動させられたのでしょう。……ああ脱線しましたね。……まあこのせいで、丸1日はなんと、分厚い葉っぱの上で立ち往生しちゃってただけなんですよ」

「じゃあそこからどうしたんダ? シリカちゃんも飛行に慣れるまでしばらくかかったし、ジェイドが抱えて飛んでくれなきゃオレっちも今ゴロ……」

「そりゃあ飛び降りる前に練習しましたよ。なにせ結果的に、時間はたっぷりありましたからね。邪魔だった文字化けアイテムをとりあえず全部捨てたあとは、ひたすら補助スティック説明欄の熟読。自分が飛行するイメトレの繰り返しです。最初はちょっとしたジャンプから、それでホバリングをして、垂直上昇(ズーム)して……最後は頃合いを見て本番へ。滑空していただけなので自慢できるわけじゃありませんが、4日後、今月11日の朝になんとか地面に辿り着けましたよ」

 

 ブライアンは額の汗をぬぐいながら、自分がいかな幸運に守られてきたのか自叙伝(じじょでん)(つづ)った。

 リンドが感心したように頭を抱えているのにも納得だ。俺達3人もそれなりに壮絶な生還法を経験した自負はあったのだが、世の中上には上がいるものである。まさかこんなデタラメな方法であの猛攻を(しの)ぎきった……いやさ、Mobの集中狙いそのものを回避したプレイヤーがいたとは。

 ヘタをすれば風で葉擦(はず)れが起きただけでも真っ逆さま。しかも彼は元《攻略組》ですらない。便利アイテムはおろか、武器や防具まで剥奪(はくだつ)されたままなのだ。

 今でこそいくばか人から強奪したようだったが、隠れるだけでも至難の状況で物資まで現地で調達したとなると、にわかには信じ難い。

 だからかもしれない。

 ここでアルゴが彼を追求するように、10日間にもおよぶ戦法がいかなるものだったのかを聞き出したのは。

 しかし意外なことに、彼はあっさりと答えた。

 

「《ハイエナ猟法》ですよ、聞くまでもないでしょう」

 

 その自然調の声色(こわいろ)には、むしろ質問者の方がたじろいでいた。

 聞くところによると、俺達が先ほど仕掛けた漁夫の利作戦に専念して、待ち伏せと強襲&略奪逃走を延々と反復して物資を確保してきたらしい。もともと得意だったとのことが、もちろん単独で成功させられるチャンスはそうなかったらしく、身の安全を優先して空腹もなるべく我慢してきたようだ。

 ここだけ切り取って聞くと、見上げた執念と(たくま)しさである。

 だがアルゴは1つの猜疑心(さいぎしん)(いだ)いてしまった。

 いや、抱いたのはここにいた全員かもしれない。その戦術は……SAO出身者であれば、普通は『苦手』であってしかるべきだからだ。

 難しい顔をしたまま、アルゴはなおも口をはさむ。

 

「なァ……質問攻めで悪いとは思うが、キミは《ハイエナ猟法》が得意だと言ったナ? しかも普段は少ない人数で活動していて、あまり多くの人と関わらなかっタ。……お前サンもSAOで身を持って体験しただろウ……こういう攻撃は敬遠すべきだったハズ。傾向として……今までお前サンがオレンジだった可能性モ」

「お、オレンジ……ッ!? いやちょっと待ってくださいよ! あ、アハハ……と、得意は大げさに言いすぎました。そうですよね、デスゲームでの競争は……あのっ、その……さ、察してくださいよ! そうしないと生き残れない時があったんですって! ここにいる誰だってズルをしながら2年を生き延びた。時にはライバルを出し抜いて! そうでしょう!?」

「うぅ……それハ……」

「……まあ、確かに。俺やDDAのメンバーはつべこべ言えないかもな」

「むう……」

 

 俺が口を挟むと、わずかな静寂が訪れる。

 どうやら再開した瞬間全員で仲良くしがらみなしで協力体制、なんて単純な話にはならないのかもしれない。いつも冷静で彼のギルドでは仲介役だった印象のフリデリックでさえ何のフォローも入れない辺り、やはり彼が『先輩』と呼んで親身(しんみ)にしていた兄貴分の死が堪えているのだろう。

 騙し、奪い、殺して何が悪いのか。

 この世界において俺達は、今さら遠慮をするような立場ではない。

 ポーカーフェイスのリンドはともかく、彼のギルドメンバーだったテグハまでもが俺達『部外者』に対し、威圧的な空気を(かも)し出していた理由にも少しだけ合点がいった。

 全員がストレスと疑心暗鬼に包まれていて、口では直接言及しないが、どこか懐疑的な思考回路が底流(ていりゅう)している。

 加えて勇者と思っていた聖騎士による、SAO最終日での正体暴露。あの狂った狂乱者達が2週間で植え付けた、これはフラストレーションの(くさび)だ。

 まさかこれを見越したわけではないだろうが、結果的に同業者でしかない他人との間には無視しきれない(へい)ができてしまっていた。

 そんな感情の推移を見切ってか、ブライアンの表情が強気なものに戻っていく。汗だくだった彼は俺の言葉で引け腰だった姿勢を堂々と正し、なおも周囲の目を伺いながら続けた。

 

「い、いや~こういう話をするのはもうやめましょうよ。いがみ合っていてどうするんです? いいですか、ボクは2週間前に初めて、本物の恐怖を体感じました。だってモンスターだらけのダンジョンで、いきなり意識を切断されたんですよ? いっそ本当に死んだのかと思いました。……そして、あの地獄に転送された。《ラボラトリー》と呼ばれる場所では痛みもありましたし、命からがら逃げたかと思えば、2週間も雲の上と見知らぬ土地で1人です。……でも、ボクはついに諦めませんでした。皆さんも気持ちは一緒でしょう?」

『…………』

「SAOのことは忘れましょうよ。ボクだってなにも、みなさんからアイテムを奪おう、なんて企てているわけじゃありません。全員の戦力が互いの生命線……こうなった以上、過去のことを詮索して信頼を損なうことはひとまず避けるべきです」

「言いたいことは山ほどあるが、これは道理だな。俺はDDAで頭を張っていながらアルヴヘイムに来てからわずか24時間で3人もの仲間を失ってしまった。なのに今日は4人も仲間が増えたんだ。……たぶんこれは、最後のチャンスなんだと思う。俺がここにいる全員に頼られるリーダーになるには……」

「おい待てよリンド、もうリーダーが決まったような口ぶりだな。俺だってこの2週間で……」

「ジェイド君、ここは抑えてよ」

 

 とそこで、今までだんまりを決めていたリックが、ウンディーネ衣装のまま割って入った。

 

「DDAを統率した彼の実績は本物だ。もちろん君もレジクレのリーダーだったのかもしれないけど、それは1年にも満たないだろう?」

「そりゃ……そうだけど……」

「対して彼の実績は2年で、人数は10倍以上。これは必然だよ。テグハさん……は元DDAだから当然としても、クロムオーラさんや、死んでしまった3人の仲間も当時は即決だった。僕も同じ気持ちだ。彼は責任を負う……覚悟もあるみたいだし」

 

 再度確かめるように顔色を確認されそれだけ褒めちぎられても、リンドの態度は一貫していた。

 (うな)ってお茶を濁してはみたが、そうまでされては、俺もアルゴやシリカの意志を聞く前に力なく首を縦に振らざるを得なかった。

 彼女達を俺1人の努力と判断で守ってきたという、醜い(おご)り。

 もしアルゴらが俺ではなくリンドこそリーダーに相応しいと判断したら……。そんな予想がよぎり、そのちっぽけなプライドを守るために、彼女達の回答を聞くことを忌避(きひ)してしまったのだ。

 目先のことを考えている時点で器ではないのだろう。だいたい、俺の行動指針の基準はヒスイにある。現実に帰還し、彼女の本当の名前を聞き、そしてしっかりと向き合って大過(たいか)なく幸せに暮らす。これこそが衝動の原点にしてモチベーションの全て。そのためならどんな犠牲もいとわない。

 レールの先に彼女しか、すなわち自分の愛する女のことしか望んでいない。こんな手前勝手な思想を、彼らは薄々感じ取っていたのかもしれない。

 

「リーダーといっても方針にケチをつけるなと言っているわけじゃない。いくらでも意見してくれ。けど、どんな連中と戦うべきか、どういうルートでマップを徘徊するべきか、この辺は大まかには決めさせてもらう」

「……わかったよ、あんたに任せる。ただし司令塔なら簡単にくたばるなよ。俺がイスを取っちまうからな」

「フッ、心得ておこう」

 

 俺がそう締めくくったところで、リンドの横で番犬よろしく(にら)みを利かせていたテグハも、ようやく視線を俺から()らしてくれた。

 やれやれひと段落だ。クロムのおっさんなんてピリピリした空気を逆撫でないように縮こまっていただけである。

 そんなこんなで一行8人は文字通り翅を伸ばしつつ、2人ずつペアを作って水や(まき)の確保、の野菜、食糧探しをする運びとなった。

 どうやらここらに棲息(せいそく)する大半の動物系Mobは、撃破時の肉片ドロップ品をなにかしらの刃物で剪断(せんだん)して湯で煮込めば立派な料理になるらしく、だからこそ彼らは一時この周辺を根城にしていたそうである。

 もちろん腹を満たせる類のストックはいくばかあるだろうが、数時間前に比べ現在は人数が倍に増えている。

 そして本日は水曜日でメンテナンス直前。今後の備蓄(びちく)まで考慮に入れれば、深夜2時を回ろうと人の少ない今のうち、かつモンスターが消滅してしまう前にリソースを回収しようという算段なわけだ。ゲーム界では今がすでに『早朝』で、晴れ模様の天気というのも都合がいい。

 各個強襲の心配も無用である。リンドから各ペアに手渡された角笛を吹けば(くすみ)の役目を果たすらしく、どういう仕組みなのかパーティ登録した仲間にだけ音で危機を知らせてくれるという寸法だ。

 しかしここで1つ問題が起きていた。

 ペアは女性組が自然に固定されたこと以外はテキトーに決められたのだが、なんとも意外なことに敵意すら向けてきたはずの『テグハ殿』が、俺をペアに指名してきたのである。

 ーー聞き間違いかな?

 

「もっかい聞くけど、マジで俺がいいの?」

「……実力も見極めておきたい。一応、戦闘員なのだろう」

「一応とか言うな」

「…………」

 

 さて、不気味だ。目つきを改めて欲しい。もっとも、全力で反対に1票投じたいものの、ここで嫌そうな顔をするとまたぞろ無意味に角が立つ。

 という後ろ向きな理由をもとに、俺は彼の申し出を承諾した。あわよくば気さくな仲になれると期待も少々に。

 ゆえに現在は彼と2人きりである。

 

「(なに考えてんだか……)」

 

 ザックザックと草を踏みしめながら考えてみる。

 食糧、もとい動物系モンスターの湧出ポイントを指示された以外は、かれこれ10分ほどコミュニケーションが遮断される気まずい空気が流れていた。

 仕方なく、悶々としつつバカでかい大剣を振り下ろす。モンスターは一撃で屠れたが、平原で見晴らしがいいとはいえ、これ以上離れるわけにはいかないだろう。

 しかし、ずんずん遠くへ進む彼に対しいい加減しびれを切らした俺は、リポップが収まった時を見計らい、一向に距離の詰まらない悪役ヅラに話しかけていた。

 

「なーあんた、テグハだったか。張りきるのもいいけど気をつけろよ、俺らに《ギルド登録》の権利はないんだ。あんまりエリアを離れすぎると、単なる《パーティ登録》なんてすぐに解除されちまうんだからさ」

「…………」

 

 まだ心を開かない、と。たいした協調性だ。

 俺はわずかに苛立ちつつある感情を必死に抑えながら、髪をガシガシやってから口を開く。

 

「……ハア~、なァおい。話があるから指名したんだろう? ここなら誰もいないんだし、言いたいことあるならそろそろ言ってくれよ」

 

 その曲刀がノンアクティブMobを討伐し終えると、卑屈な男はぶっきらぼうに振り向いた。とうとうその気になったようだ。

 だがその実、口を開いたそばからトゲを感じてしまった。

 

「お前……ずっと3人だったのか」

「あァっ?」

「アインクラッドにいた時……あ、アルゴさんに余計なことを吹聴していただろう。DDAは自分本位で、強引で、ムチャをする人間だと……昔はそこかしこでウワサされていたんだ。それをこの2週間でもしたんじゃないか」

「はぁ~~、なんでそうなる? ……よく聞けタコ助、アンタもそのギルドも別に会話にすら出てきてねぇし、そのウワサってぶっちゃけ事実だろう?」

「その言い草、本性が出たな。かつてDDAからの勧誘を断ったのも、そうした敵意の現れか」

「ちげーっつの。……うあ~なるほど、そういうこと。素性も態度もさんざんだった、かつての《暗黒剣》だ。探りを入れるよう命令されたってワケか? 泣けるなあ、オイ。完全にリンドのペットじゃねぇか。ワンワン」

 

 小バカにした瞬間、奴の眼光がさらに鋭くなった。

 

「オレはともかく、あの人を愚弄するな! これはオレの独断だ。だいたい、お前の方こそまともに戦えない2人を庇いながら、損害もなく……おかしくないか!? 聞けば聞くほど不自然だろう!」

「……何が言いたい。俺もSAOじゃ、対人慣れしたオレンジまがいだったとでも?」

「さっき合流したブライアンは、過去に『ハイエナ』同様のことをやっていたと、正直に白状しただけカワイイものだ。むしろ、それに専念していたなら説得力がある。比べてあんたらの2週間は逃げ隠ればかりしていた……ってわけでもなさそうだ。なんだって、『ビラを配って呼びかけ』? 『地面にSOSと書いて人を呼んだ』? ハッ、バカバカしい。あのリンド隊長の指揮下でも3人死んだのだ! お前が生きている時点で、だまし討ちに慣れていた証拠じゃないか!」

 

 売り言葉に買い言葉は最善手でない。ヒスイから散々教えられてきた俺だったが、こればかりはカチンときた。ヤクザじみた顔になっているだろうが気にもしない。

 

「おい、せめぇモノサシで計るなよ。アンタの考える以上に俺が強かっただけだろう、あァ? なんならさっき、アインクラッド流にデュエルでもすればよかったか? 野郎をボコせばちったァ俺を信じる気になるだろうぜ」

「取り下げろ! 隊長はオレみたいな奴でも仲間だと救ってくれた。お前みたいに、ただ女どもにうつつを抜かして、半端な攻略をしていたわけじゃない……ッ!!」

「クソ野郎がッ、取り下げるのはそっちだろう! だいたい、オマエ、オマエってさっきからウゼェんだよ。俺もメンバーも攻略には真剣だった。外野が知らねぇでゴチャゴチャ抜かしてんじゃねェぞテメェ!!」

 

 だが胸ぐらを掴もうとした俺の腕はビュンッ!! と鳴った鋭利なシミターに塞き止められた。

 モンスター狩りですでに抜刀していたとはいえ、奴は俺に自らの凶器を向けて言い放つ。

 

「オレは隊長を心から信じている。しかしお前はどうだ!? 案の定、隊長の意思を考えもせず対抗したよな!? いいか。組織っていうのはな、数だけそろえりゃいいってものじゃない。トップを信頼し、確たる忠誠心を持たなければならない! じゃなきゃ組織は機能しない!」

「聞いてなかったのかツンボ野郎。意見することまで禁じちゃいねェだろう。あいつ自身、間違った判断をしかねないと公言してくれたんだよ! そこは意図クめよこのアスペカス!」

「そういうところが反抗的だと言っているんだ!! あの人の意に反する言動が! 彼や、ひいては部下全員を危険にさらす!!」

「危険ね……へえ、じゃあどうするよ」

 

 ヒートアップした俺とテグハは、いつしか互いにじりじりと移動しながら距離を取って武器を構えていた。

 圧政の頸木(くびき)から放たれたと思った矢先にこれだ。

 俺も改めて右手に握る《タイタン・キラー》の重さを意識する。まさに一触即発。どちらかがあと1歩でも踏み込めば、本気のケンカ(・・・)が始まりかねない交戦意思だった。

 

「選ばせてやる。この場で黙って去るか、オレに叩き切られるか」

「考えを正そうとはしないのな。……まいいさ、やるならやるぜ。ウラでこそこそされるより千倍マシだ。なンなら第3の選択肢、テメェのあわれな返り討ちってことで手を打とうか」

 

 ペットを飼うなら犬派とは言ったものの、世の中には厄介な犬がいたものだ。単なる忠誠心にしては俺への突っかかり方が尋常ではない気もするが、こうなった以上対立は避けられないだろう。

 もう、こういう星のもとに生まれてしまったのかもしれない。昔から口より先に手が出るタイプだったし、気が立っていたらすぐ物に当たりもした。未だにウマが合わない奴は仕方ないとすぐ割り切るし、八方美人を羨ましいとも見倣おうとも思わない。

 ただ、奴は理解しているのだろうか。

 あくまで推測だが、俺達がこうして意識を保ち無事でいられるのは、きっと『プレイヤー』として存命しているからだ。プレイヤーである限り、ハード機器の側面も持つナーヴギアはどうやっても意識投射の本懐を果たし続ける。

 逆に言えば、あの研究者達に1度でも意識の手綱を握らせようものなら、たちまち実態の掴めない被検体となり下がるだろう。そして、そのまま人生を終える可能性もまたゼロではない。

 しかも俺は、3人の脱落者を間近で見たというリックから、その末路をきちんと聞き出していた。

 結果、『俺達に猶予期間はない』とのことらしい。

 《ラボラトリー》で目撃したように、《リメインライト》になった瞬間にどこかへ転送されてしまうというのだ。光魔法の《蘇生(リヴァイブ)》や《世界樹の雫》など、各種蘇生アイテムは俺達にのみ適用されないことになる。プレイヤーでなくなった瞬間、大枚はたいてモルモットを『購入』した奴らにとって、システムに介入する土台は作成済みというわけである。

 

「(キライなタイプってわけじゃねーけど……ガチでやるしかねーのかよ……ッ)」

 

 どうしたものか。

 俺は人が死ぬことへのトラウマを持っていた。だからこそ、どんな犯罪者ともまずは対話を模索してきた。

 だが4ヵ月ほど前から殺害の連続だ。ラフコフとの全面戦争、PoH単騎での暴走の鎮圧。そして、それらの戦いから学んだことは躊躇(ためら)うことへの危険性である。同時にこれが矛盾した二律背面の理想論だと気づかされた。

 なぜなら和解の試み、妥協した歩み寄りの末に、なんの罪もない人が死んでしまったからである。実力行使できる力を有しながら即座に行動しなければ、結果的に当事者以外の誰かを死に至らしめてしまう。

 殺すわけでは……ない。《ナーヴギア》の殺戮(さつりく)ファンクションは停止しているはずで、これはいわば保留にするだけ。

 頭の中で何度もそう言い聞かせていた。

 これはテグハが仕掛けた攻撃であって、それに応戦することは不可抗力なのだと。

 しかし奴の言い分は、続く震えた声ですぐ判明した。

 

「お前は気楽でいいよなァ、この地獄が終われば現実に戻れると思っていやがる。……変わらないんだよ、なにもッ! 生活も我欲も削って、ようやくボスを倒したと思ったら! 今度はアルヴヘイムだ!? 妖精と空の国!? 結局、ヒースクリフですらウソをついたってことさ!! いい加減にしろクソッたれが!!」

「……んだよ、悲観して俺に八つ当たりか? 現実は変わらないぜ」

「現実ではない、偽りの世界だっ!! こんなところでも得意の説教か!?」

「それはヘリクツだろう! 破滅上等のあんたにとっちゃ、仲間割れしてどっちが死のうが関係ねェってわけだ! 呆れるほどメーワクな奴だな!!」

「だまれだまれェ!! 全部持って生まれた人間にはわからんだろう! 生まれの才能をひけらかしやがってッ!!」

「ぐうッ……っ!?」

 

 ガキィンッ!! と、金属が弾け合う。()の一瞬の踏み込みが開戦の合図だった。

 とりあえず自衛の言い訳が成立するよう初撃だけは甘んじて受けたが、想像していた以上の圧だ。

 ノームという種族補正こそあれど、ただのシミターを力任せに振り回してもこうはなるまい。これは紛れもなく、テグハが2年の月日をつぎ込んで完成させた剣捌(けんさば)きのたまものだった。

 空戦なしの魔法なし。純粋な斬撃だけが折り重なる。もっとも、この距離ならスペルを唱えようとした瞬間に妨害のオンパレードだろうし、ラッシュ中で慣れない単語の発音はそもそも難易度が高すぎる。

 力の限り鍔競り合いを続けながら、ゆえに至近で悪罵を吠え続けた。

 

「井の中のカワズが! 見下したよう目をしてさぁッ!!」

「るっせーよ! てめェなんておたまじゃくしだ!! マジでやったなクソ野郎が、コーカイすんぞッ!」

「《暗黒剣》!! 《黒の剣士》!! そういうのは聞くだけで吐き気がするんだよ! ただの廃ゲーマーが、目立っただけでエラっそうに!!」

 

 金属が弾け、鍔迫り合いが解かれる。

 しかしステップを踏んで下がった俺に躊躇はなかった。

 

「歯ァ食いしばれよ、テグハァっ!!」

 

 直後に鋭い爆音が鳴り響く。

 森奥の夜半(よわ)、人知れず殺し合いが始まった。これが神の悪戯(いたずら)なのか、対立を煽る者の必然なのかはわからない。

 しかし同じ境遇に立たされた者同士、それが早くも1日で。

 抗う者達は日を追うごとに疲弊(ひへい)し、本来の目的を見失い、またしても剥がれ落ちるように消滅していくのだった。

 



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第114話 滑稽な合図(グッフィーサイン)

 西暦2024年11月20日 北山深層、《ルド教会布教域》

 

 肩で息をしながら敵を見据える。開戦からすでに10分近くたっているが、PvPでこれは異常な長さである。

 しかし無理もないか。形式こそ旧デュエル風だが実態はポーションガブ飲みの消耗戦で、回復しながら安全優先で牽制し合うあたり、互いに本気で殺す気がないのかもしれない。

 俺達はデスゲームを2年間も体験してしまった。ゆえにタイトルこそ違えど、相手が同じSAO出身者であれば、それを亡き者にする行為に少なからず抵抗を覚えてしまう。奴の真の動機は不明だが、剣を交えているのに殺気がないという、俺が感じた違和感はこれだろう。

 まったくもって無意味な抗争。チャンバラごっこに近い斬り合いを中断して距離を取ると、俺は思わずテグハに向かって叫んでいた。

 

「おい、わかってんだろう! ハァ……俺らは……死んだら実験体だ。……ハァ……てめェも殺しが目的じゃないなら、こんなこと……っ」

「う、うるさい! だまれ!! ゼィ……お前ばかり優越感に浸って……ゼィ……恵まれて生きてきた奴に、オレの何が……ッ!!」

 

 ダンッ!! と踏み込み、またも鋭利な刃が電光石火のごとく連続して襲いかかる。今の彼には言っても無駄なようだ。俺に対して何か大きな勘違いをしているようだったが、それを訂正している時間もない。

 膂力(りょりょく)に秀でた(ノーム)の斬撃を、俺は正面で貰わず受け流し、軸足を蹴って姿勢を崩す。

 まずはよろめいた背に一撃。小気味いい斬撃音が響くと、奴の方から腰にかけて真っ赤な切創痕(せっそうこん)が残った。

 『撃たせてからカウンター』は手札の少ない相手に鉄板でもある。やられた彼の顔はさらにゆがみ、体のあちこちにエフェクトを刻み、なおも歯向かおうとする姿勢は嫌に痛々しかった。

 だが実際、戦況は俺に有利だった。

 それを実感すると心に余裕が生まれ、赫怒(かくど)した彼の攻撃から一定の規則性を見つけ出した。

 そうなると戦いの趨勢(すうせい)は決まったようなもの。俺はたいした労なく相手の攻撃をいなし続ける。

 そして、とうとう彼の両足に重い一撃が入った。

 ザクンッ!! という反動に、奴はゴロゴロと転倒(タンブル)して握っていたシミターもロスト。それが決定打となった。

 

「ぐああっ!? ……ちくしょう、が……ッ」

「ハァ……勝ったぞクソが。まだやるってンなら……」

「おい、君ら何をやっているっ!!」

 

 剣を上段で構えた瞬間、ピタリと動きが止まる。

 振り返ると、怒鳴りながら駆け寄ってきたのはリックのチームだった。水色衣装の彼の後ろには、影妖精(スプリガン)のブライアンもビクビクしながら追走している。

 確かにリック達は比較的近くのエリア捜索を担当していた。決闘もどきに夢中になり、知らぬ間に移動して彼らに感知されてしまったらしい。いや、この場合はそれに感謝するべきか。

 どちらにせよ、リックは呆れたように口を開いた。

 

「……しっ、信じられない。君らのペアはイヤな予感してたけど、もうケンカしてたのか!? ジェイド君も……抑えるように言ったじゃないか!」

「先に突っかかってきたのはコイツだ」

「お、オレは先手を打とうとしただけだ! ことが起きてからでは遅いだろう!」

「ヘリクツだな。別に俺は、そうまでしてパーティを仕切りたいわけじゃあ……」

「今までそうしてきたじゃないか! アインクラッドで、女性達を見せつけるように。……それともッ、ゲームが変わって人まで変わったか!? とても信じられんな!」

 

 またしても平行線の口論が起きる直前、リックは背負っていた長槍を強引に俺達の中心に突き立てた。

 激しい金属の振動に押し黙ると、彼は険しい表情のまま切り出す。

 

「そこまでだよ2人とも。今は仲間割れをしている場合じゃない。……はあ、まったく。……ここで起きたことは全部リンドさんに報告するし、今後はすべて彼の判断に従ってもらう。『隊長さん』の決定なら、テグハさんも文句ないでしょう?」

「……フン、納得はしないだろうがな」

「俺のセリフだ。このガイコツづらが」

 

 フンッ、と互いに目を()らすとそれ以上会話はせず、リックによる「ちょっと頭を冷やさせる」という提言のもと、俺は特徴のないノッペラ顔のブライアンと行動する運びとなった。

 まあ、すでに食材確保の時間も間際だったが、もちろん俺としてはあんな取り付く島もない人間と1分でも早く別れられてせいせいした気分だ。

 

「(けっ。これで俺が責められたんじゃたまらねェな……)」

 

 リンドが眉間にシワを寄せて説教するシーンを思い浮かべると、ケルピーらしきモンスターの首を()ねながらため息をつく。

 

「(それにしても……)」

 

 黙々と狩りを再開したものの、このブライアンという男も相当に愛想のない奴である。チームを入れ替えてから「さ、災難でしたね……」と言ったきりだ。

 おまけにALOに来てから2週間とたっているのに戦闘はどこかたどたどしく、集中力に欠けていると言わざるを得ない。

 リンドやリックはともかく、俺の気が立っているものと配慮しているのか知らないが、オンラインゲーマーには態度のなっていない社会不適合者が多すぎるだろう。

 ――おっと、人のことは言えないか。

 

「(しゃーねぇな……)……なあブライアン、あんたもあっちじゃ攻略してたんだよな。最終レベルはいくつだったんだ」

「えっ、さ……最終レベル、ですかっ……?」

 

 俺の問い詰めるような質問に対し、彼の表情は思っていたより難色を示していた。突然だったからか、もしくは昔のクセで警戒しているのか。

 何にせよ、口調を穏やかなものに変えつつ再度口を開く。

 

「なんだよ今さら。ほら、SAOは終わったんだ。別に聞いてもいいだろう?」

「そ、そうですよね。えっと……70でした。70です」

「へえ、じゃあ前線はやっぱり厳しい感じか。思ったよりレベルはなかったんか。スプリガンまで押し付けられて、この2週間大変だったなオイ」

「え、ええそうなんですよ、アッハハ……。昔から臆病でして。さっきも言いましたけど、人のおこぼれで生き残ったようなものなんです。文字通りハイエナですね……。だから、あなた方が斬りかかった時は、ボクすごく怖かったんです」

「はあ……?」

 

 ふとした返事だったが、俺は少しだけ違和感を覚えた。

 

「『斬りかかった時』ってあんた、最初から見てたのか?」

 

 驚いた声が大きかったからか、彼の焦点がまたブレた。俺がそう聞き返した瞬間、彼の表情に微かだが後悔の色が(にじ)んでいたのだ。余計なことを口にしてしまった時の顔だ。

 クセなのか唇を軽く()む。そして一拍の間をおいてバツが悪そうに咳払いすると、自分の言葉を早口で訂正した。

 

「あっ、違うんですよ。声をかけようとは思ったのですが、ヘタに動くと巻き込まれそうで怖かったんです。それで、その……後はフリデリックさんが駆けつけてくれて、ボクが、えっと……事情を話したという次第です」

「……はーん、まいいけどさ。恨んじゃいねえよ、そりゃ他人のいざこざに首突っ込むのはイヤだろうしな」

 

 薄情な対処を(とが)められると心配していたのだろうが、俺が声のトーンを変えずにそう締めくくると、ブライアンは軽く息を吐いて緊張を解いたようだった。

 相変わらずのキョロッぷりに鼻で笑ってしまったが、時間も時間だったので談笑もそこそこに俺達は狩りを切り上げて他班と合流した。

 集合地でアルゴとばっちり目が合うと、互いの無事を確認できたからか小さく微笑む。わずか1時間ほどだったが、こうして変わらない顔ぶれを見られただけで安堵はするものらしい。

 各自報告と一般プレイヤーとの接触の有無を確認していたが、誰も問題はなかったようだ。肝心の備蓄も優に1週間分は貯まり、飢えへの対策は上々と言えた。

 ただし問題がないという点は、俺とテグハの関係を除いて、である。

 報告を聞いたリンドもこめかみを押さえていた。

 

「……それで、互いの主張がかみ合わず、再開初日から決闘もどきをしていたわけだ。……まだ未遂でよかったものの、これでどちらかが死んでいたら俺達全員の生存率が下がるし、ヘタをすれば駐屯地が他種族のプレイヤーに割れかねなかった。全員を危険にさらす行為だったんだ。理解しているな2人とも」

「……はい、隊長」

「おう。でも俺は悪くないぜ」

「言い訳するなジェイド。ソリが合わないのはわかるが、どちらも歩み寄らないなら永遠に変化もない。違うか?」

「……そうだけどよ……」

 

 ムスッとして首だけ傾けたが、リンドは存外頬を緩めてうなずいた。

 

「よし。過ぎたことはここまでにするが、不問にするのは今回限りだ。よく覚えておけよ。……さて今日は先週に続きメンテの日……のはずだが、連中から見て俺達はSAOから同じ顔とステータスを引き継いだエラーの塊みたいな存在だ。特に『顔が同じ』というのは大きな脅威となる」

 

 リンドは改めて口にしたが、これは生存者全員の共通認識だった。

 8人に増えてから送られる最初の行動方針に、メンバーは姿勢を正して傾聴した。

 

「……というわけで、俺達は攻撃された場合の備えをするべきだ。初日の混乱を差し引いたとしても、奴らがいつまでも対処に出ないとは考えにくい」

「でしょうね。研究員らの権限、とでも言うのでしょうか。どれだけ自由にこちらに介入できるのかは知りませんが」

「ああ。現にチートコードを使わない……つまり、運営が不正なくユーザに手を加えられる範囲で俺らは数々の妨害を受けている。そして、《定期メンテナンス》という閉鎖された環境では、これがもっと酷くなるかもしれない。……という仮定のもと、睡眠時は交代で見張りを立てようと考えている。1人1時間、今日だけはもう遅いから男性だけで、明日から女性2人が最初という順番でどうだろう。異論があったら言ってくれ」

「ないぜ、じゃあ俺は今日トップバッターで」

『…………』

 

 リンドに間髪入れず良い位置を確保すると、直後にその場の全員から冷たい目で見られたが、「んだよ、いいだろ?」と念を押すと、みんなして肩を落としながら承諾してくれた。

 だいたい俺は、この11時間休憩をアテにしたからこそ連日身を粉にして頑張ってきたのであって、息継ぎ直前でまた水に沈められるのはゴメンである。もう今にもブッ倒れそうなほど眠いのだ。

 俺が目を合わせないよう剣のプロパティを眺めているとブライアンやテグハも続き、見張りの順番は固定ではなくローテーションする流れでまとまると、俺はさっさと集団を離れて座り心地のいい場所で腰を下ろしてしまう。

 俺が不機嫌だと察したアルゴやシリカも、どうやら2人で過去の話に華を咲かせているようだった。とはいえシリカはすでに眠そうにしているし、これでしばらくは1人になれるだろう。

 たまの孤独も良きかな。

 

「(合流できてもたった8人。持って数ヵ月ってとこか。……それにクロムのおっさんはメンドー見いいけど、攻略じゃあんまり話すことはないしなあ。リックぐらいか、合いそうな奴は。……くあっ……ねっみ……)」

 

 俺は不覚にも大きく口を開けてあくびをするが、見張りが速攻で寝てしまうと元も子もないので、どうにか頬をつねって意識を覚醒させる。

 しかし俺が時給の出ないバイトを始めてわずか15分後、ある異変が起きた。

 すでに午前3時前で、各々メンバーも少ない時間で旅の疲れを(いや)しているだろうと思ったのだが、すぐ背後でゴソゴソと物音がしたのだ。

 音源は次第に近づく。

 だが、大剣のグリップに手をかけたのはほんの数秒。背の高い植生を横断するプレイヤーはブライアンだった。

 曲がる前髪をかき分け、気弱そうな顔を向けている。

 

「や、やあジェイドさん」

「なんだ、後ろ取んなよブライアン。てかまだ寝てなかったのか。寝れるうちに寝とくのも戦士のツトメだぞ。……もしかして、2週間も1人で生き残っちまうと、他人に命とか預けらんねェか?」

「まっ、まさかそんな! ジェイドさんのことは信じていますよ、ボクも生活はギリギリでしたし。……ああ、ただ……さっきからあなたがとても辛そうにしていたので。何日も女の子2人を守りながら戦ってきたのでしょう? 無理もありませんし、ボクにはできませんよ」

「そりゃどーも。……わざわざそれを?」

「……ああ~、ですから……つまりその、少し自分が情けなくなったと言いますか。……アッハハ。次はどうせボクの番ですし、残りの時間も合わせて、ジェイドさんの見張りの当番を引き受けてあげようかなと……」

「は、マジで言ってんのそれ……?」

 

 正直目が(くら)みそうになるほど魅力的な提案だった。

 ストイックに追い込んだおかげで対人、対攻略の双方において相応の自信を得られるまでに至ったが、代償として健康被害がはなはだしい。ちょうど1週間前に火妖精(サラマンダー)との戦闘後に昏倒した状況が近いだろうか。

 せっかくの申し入りだが……、

 

「(けど、なァ……)」

 

 しかし、俺は知らず知らずの内に認識してしまった。彼の双眸(そうぼう)の奥にたゆたう、獰猛(どうもう)な欲望を。

 純粋な好意とは異なる表面的な提案に、改めて危機感が募ってきた。

 まさか、そんなことがあり得るのだろうか。

 それでも、彼の存在を認識したのは最長のリンド達でさえわずか3時間前だ。

 一瞬で彼の今までの発言が繰り返され、(うず)く脳幹を無視して割り込んでくる。仮説はあった。またいらぬ亀裂を生むだけだと、なるべく考えないようにしていたが、しかしどうやっても矛盾点はない。

 彼は焦っている。ささくれのような違和感だったが、微かに鳴った警鐘(けいしょう)が素直に首を縦に振らせなかった。

 俺は脳に響く鈍痛を無視し、ご高配にあずかる前に思考の回転数を上げる。

 

「そいつぁいいな、助かるよ」

「よかった。それじゃあ……」

「けど、ちょっと待ってくれ。一方的にはさすがにワリィって。さっき10分ぐらいモンスター狩りしてた時さ、動きがギクシャクしてただろう? たぶん自分が思っている以上に疲れたまってンぜ、あんたも」

「い、いや大丈夫だよボクは。もっぱらハイエナだと実戦じゃあんなものさ。……それに今きみが言ったように、ボクとジェイドさんには実力差が結構あるでしょう? どっちが長く休むべきかは誰の目にも明らかだよ。ほ、ほら……察してよ……ボクも皆の役に立ちたいんだ。見て見ぬ振りをした……さっきの謝罪にもなるしさ」

「ブライアン……」

 

 うまい返しだ。そうまで言われると断りにくい。

 時間ずれの関係から空は燦々(さんさん)と照っていたが、俺もまぶたが限界だったので、近づいて彼の肩を叩くと単刀直入に最後の確認を取ることにした。

 

「気持ちは嬉しいよ。じゃあ好意に甘えるとして……ただ、あんたが危険になったらすぐ仲間を頼れよ。……よもや覚えてるよな? SAOの……今は消えた、アインクラッドで定着した『鉄のルール』を」

「え……えっ……」

 

 見定めるような、絡みつくような、尋問に近い腹の探り合い。

 途端、ブライアンの顔に小さな汗が浮かんだ。そして同時に、まるで重い借金でも取り立てられているかのように、全身が強張っている。

 わざとらしく肩にかけた手に力を込めると、そんなブラフすら効果覿面(てきめん)だった。一向に視線を合わせず、グビッと生唾を呑み込み、また唇を軽く()むとゆっくりと質問してきた。

 

「アインクラッドの……鉄のルール……?」

「ああそうさ。攻略における心構えだ。これだけは守ろう、つう不文律。有名だったよなァ? ……オイオイまさか、アンタは2週間でソレ(・・)を忘れちまったのか? んんっ?」

「いっ、いやまさかッ……ハ、ハッハハハ……」

 

 語気を強め音程をさらに一段落とすと、いよいよ挙動がおかしくなった。彼の視線が俺と合わないどころか呼吸も浅くなっている。何かセリフや情景を思いだそうとしているのか、キョロキョロと辺りを見渡してせわしなく動いた。

 もうこの時点で確信はしている。

 そしてとうとう思い至ったのか、ブライアンは自ら『白状』した。

 

「あっ! も、もちろん覚えているとも! 『人を守りたければ、まず自分を守れ』、だろう!? 当時はその、よく言われてたよね……?」

 

 その顔は、難問の回答を探り当てた生徒のそれだった。

 リンド達の近くでログインしたのも、『俺達の座標を追える』という仮説を裏付けてくれる。

 そして聞いた瞬間、溜まったうっぷんをぶつけたいという欲望と、1歩踏み留まれと叫ぶ冷静な自分が葛藤した。殺しは論外だが、だとしても……、

 ――ああ、やっぱり。

 

「ハッ……正解(・・)だよ。この、クっソメガネがァッ!!!!」

「ゴガァァあああッ!?!?」

 

 顔面の左側に不意打ちの拳を入れると、その体ごとブッ飛ぶ前に胸ぐらを掴みとり、もう1度気合いを放ってから抜刀直後に大剣による気合いと制裁を与えてやった。

 武器越しに伝わる軋轢音(あつれきおん)

 ゴッパァアア!! と、今度こそなんら声も発せられず、ブライアンはグルグルと舞ってから丘の下に着弾した。もちろん剣の腹の部分で殴ってやっただけなので、間違っても一撃死はない。

 追うように段差を降り、ザンッと草地を踏みしめると、土煙の中から情けない声が届いてきた。

 

「がっ、げほっ……クソ……なぜ!?」

「なにが『なぜ』だ? あァ?」

「まっ、ハハ……ま、待ってくれジェイドさん! きみは何か勘違いをしている! ボクはみんなの味方さ!!」

「マヌケが。それはアインクラッドのルールでも何でもない」

「ばッ……!? な、にを……っ!?」

「ヒスイが……俺の恋人が、最後の戦いの前に1回ささやいただけだ。他の誰かが知ってるはずねェんだよ。……たった1人を除いてなァ!!」

「あっ……あ、ああ……!!」

 

 驚愕に見開かれた眼には、きっと2週間前に起きた《ラボラトリー》での戦闘が映し出されているだろう。

 俺はあの日、戦場に潜り込んだ敵に向けて同じセリフを言い放った。

 勝てもしない戦いで粋がるからだ、なんてことをほざいていた時だろうか。当時は偶然思い出した彼女の受け売りフレーズを皮肉交じりに返しただけだったが、奴がそれを覚えてくれたことで功を成した。

 当の男もこんな方法で正体を看破されるとは予想できなかったのだろう。泥を払うのも忘れ、やけに面白い面相をしている。

 それにしてもまったく、あの愛するおせっかい女は現場にも居合わせないでまた俺のことを救いやがった。これでは負債が増すばかりである。

 

「だ、だとしても理屈が通らんだろう!? 今のお前の聞き方は! すでに私を疑っていなければできなかった!!」

「実は俺、クソ野郎アレルギーなんだよ」

「そ、そんなアレルギーがっ!?」

「……なわけあるかアホが」

 

 俺は深いため息をついてからマヌケ面に向かって言い放った。

 

「SAOでの暮らし方、世界樹からの脱出法、2週間分の生活風景……『設定』した部分だけは見事だよ。スジは通っているし、確認のしようがない。けどな、そこまで設定しておいて、肝心なトコがお粗末だから見えねェんだ」

「くっ……ただのガキが、調子にのって……ッ」

 

 特徴のないノッペラとした作られた顔をひときわ歪ませながら、ブライアン……否、人体実験の研究スタッフは睨み付けてきた。

 今となってはその特徴のない顔面構造にすら納得がいく。きっと3D上でランダムに生成した人工の面相をいくつか重ねて、特徴なき平均化したキャラクターを作成したのだろう。

 しかしもう、隠す気はないようだった。

 

「森に入ってすぐ、てめェは『意識切断を初めての恐怖』と言ったな。けど実際はそうじゃない。ナーヴギアの内部バッテリーが機能する2時間で、俺達の現実の体は病院かどこかへ運ばれた。《大切断》はこの結論が定説だったろう? ……それとも、2年前のことなんてすっかり忘れちまったか」

「呆れたよ……着眼点だけは称賛に値するな。だがきみは相変わらずシャクに障る小僧だ、まったく探偵気取りが。……エラそうに言っているが、そんなもの偶然が重なっただけじゃないかッ!!」

「このエセインテリが……じゃあもう1つ。今後レベルを聞かれたらテメェも聞き返しとけよ。実感わかねェか? 俺らプレイヤーにとって、ステやレベルはただの数字じゃない。命に関わる大事な情報だったんだ。聞かれてハイおしまい、つうムトンチャク具合はSAO出身者としてどーよ?」

「う、うるさいこのガキ! ……ふんっ、じゃあ悪いことをしたなあ、興味を持ってやらなくてさァっ!!」

 

 それ以上のひけらかしは無用とばかりに、男は4枚翅を広げて襲いかかってきた。

 本番に向けて相当訓練したのだろう。しかし奴が振りかぶる剣先が触れる寸前、俺は最低限の挙動でそれを受け流し、またもやつの顔面に握りしめた拳を叩きこんでやった。

 ゴウッ!! と痛々しい音が伝わる。

 しかしまだ飛び掛かろうとしてくる。エフェクトの音からして中々なクルティカル具合だったはずで、そう思えば奴も諦めが悪いらしい。

 だが動作の全てがローレベルだった。

 白煙の中から飛来する投擲(とうてき)用ダガーをジャンプで(かわ)し、反撃のムチャクチャな剣戟を大剣で押し返し、奴より早く《グラビテーション》の魔法を詠唱し終えると、メンバーに秘密にしていたのだろう大魔法を不発にしてやり、さらに容赦なく空中から靴底による追撃を加えた。

 ゴシャアアッ、と硬い地に伏せると、奴は信じられないものを見るような眼でぼやいた。

 

「バ、バカな!?!? ……そんな……ッ!?」

「何がおかしい」

「ハァ……こんな……あ、ありえない!! ハァ……こっちはずっと練習してたんだぞ! わずか2週間で、魔法や空戦をここまで……!?」

 

 ゴボウ野郎が笑わせてくれる。

 それとも、リンド達の動きを見て想像もつかなかったのか。

 

「ハッ、俺だって死にもの狂いで生き延びたんだ。……あんたらが思ってるほど、プレイヤーは『うつつを抜かしてゲームをする子供』じゃないんだぜ」

「くっ……!!」

 

 意図してチープな煽り行為をしてみたが、どうもプラスにはたらいたらしい。と同時に、奴も心のどこかで自分が決めつけていた先入観を恥じたようだ。

 一時は剥き出しにしていた敵意を引っ込めると、研究スタッフの男は改めて俺と対峙した。

 しかし顔に曇りもない。まさか、まだやる気だろうか。脆弱(ぜいじゃく)な装備と魔法でいくら食い下がろうとも、今の彼では天地がひっくり返っても俺には敵わないはず。前回でさえほとんど有効打を出せなかったチーターの彼は、メンテに入る直前である現状は無敵のアバターですらないのだ。

 俺だってまだまだこの男から聞き出したいことがたくさんある。ここで退場させてしまったら、次に現れる頃にはおそらく本来のスペックを取り戻したうえで攻め入るだろう。寝ている仲間を大声で起こしたい衝動にも駆られるが、傍聴人が増えるほど警戒され、最悪なにも喋らず即ログアウトされかねない。

 まだ立場の優位性を奴自身に自覚させる必要がある。

 だからこそ殺害のチャンスはあっものの、わざわざ外連味(けれんみ)の利いた戦いで誤魔化しながら生かしてやっているのだ。

 だが、先述の通り悟ったような態度は崩していない。まだ何か企んでいるのか、それとも……、

 

「いいだろう、認めるよ。きみに対する第一印象は変えてやる」

「そいつはどうも。マジうれしい」

 

 まだ上から目線。いい傾向だ。

 ……と思ったのもつかの間、さすがにこれは読まれていた。

 

「そのフザけた態度も打算ありきだろう? 横暴な性格こそ本質らしいが、ここまで注意深く……機転の利く男だったとはな。見た目がそれだけに厄介な……」

「(ヤベーな、フリはヘタなんだよ……てかディスられたな今)」

「……だが、やはり所詮はガキと言わざるを得ん。さしずめ目の前の損得勘定に必至といったところか? ……いいか、我々はもう今さら引けないのだ。どうせ初日の騒動では、コミュニケータ越しに実験の内容が聞こえてしまったのだろう? ならば双方に後はない。きみらは知らんだろうがな、耐久実験や脳波の測定は決まった機材、人数、環境で繰り返し行われ……それこそ、気の遠くなるようなルーティンの先にしか結果がない。被験者300人はそれをこなすうえで最低条件だったんだ……!」

「……言ってる意味がわからねーぞ」

「ガキ数人の人生では(まかな)えんほど、多額の損害を被ったと言っているのだよ!! ……20人の被検体が必要な測定が、19人に減るだけで2度手間になってしまう場合もある! どころか、照らし合わせや比較の整合性を出す作業だって簡単じゃない! 1つの工程の遅れがその他の遅延に繋がることもある! 被検体を最小まで絞ったのは最後の慈悲だった。だのに、わかるか!? この損失の規模が。たった7人……2週間も仕事の妨害をした罪の重さがッ!!」

「…………」

 

 俺は呆れてものが言えなかった。

 怒りに呑まれてベラベラ口を滑らせる敵を前に、途中までは心のどこかで満悦していた。しかし続いたセリフで、言葉と態度で情報開示の誘導に成功したという、そんなちんけな充足感はさっぱり消えてしまう。

 どうやらコストと成果を両立させる人数に達しなくなった、すなわち脱走した俺達7人が、連中の嫌がらせに耐え抜いてしまったことがよほどマズかったらしい。

 まあ、俺達がこの世界に居座り続ければ、研究の実態が(ちまた)露呈(ろてい)するリスクも高まるわけで、奴らにとってメリットになることは1つもないだろう。

 しかしだとしても、いずれ死んでくれれば記憶も消せるので問題なし、といったほどコトは単純ではないというわけだ。現状の対処に大わらわになっている彼らを想像するに、睡眠時間だけは今の俺とそう変わらないのかもしれない。

 はっきり言っていい気味である。

 随所で演技が杜撰(ずさん)だった辺り、この男も相当焦っておられるようだ。

 

「だったらどうした。死んでくれとでも?」

「……人聞きが悪いな。解放してやると言っているのだよ。きみ達も痛い思いをするのは嫌だろう? もうすぐ『定期メンテナンス』が始まる。サービス開始から続くもので、これは歴とした表の部署が担当しているが、新システムの試験導入を名目に、ブラッシュアップも含め私のコネで業務を一部委託させることに成功した。……ここまで言えばもうわかるはずだ。その気になれば私は毎週、きみ達を殺しに行くことができるんだ。1回目で全滅させられなくても、次も、その次も延々と。この手で無敵のアカウントを操り、痛覚を伴わせて蹂躙(じゅうりん)できるのさ。……ただしそれは、ここできみ達が身を引かなければの話だ」

「……クサッてやがる……」

「大人の世界だ、腐敗は認める。だがわかってくれ少年。目先ではなく大勢を見るんだ。私達は利益を得て国を去り、きみ達は痛みも苦痛もなく病院のベッドで目を覚ます。……これでいいじゃないか!? 日々に怯えフィールドの隅で震える必要なんてない! 向こうで恋人に会うことだってできるんだぞ。それとも学校のことを心配しているのか? ならば無用の危惧だ。匿名なら金の工面もできるし、働きたければ職の斡旋(あっせん)もできる。我々のサポート体制はヘタな勧誘企業より……」

「そうじゃない。そうじゃないんだよ……ッ」

 

 俺は重厚な大剣を肩に担ぎながら、悟った風にゆっくりと歩を進めた。

 損害だの、不利益だの、知ったことではないんだよカス野郎、と。しかしそれを口に出して感情が(たかぶ)ることもない。かのゴミクズ野郎である茅場晶彦を含め、なぜ頭のイカれた科学者はこうも簡単に人を思い通り支配できると思えてしまうのか、俺にはまったく理解できなかった。

 論点のすげ替えに必至な子供でもあやすように。そう思えたからか、自分でも驚くほど発した声は穏やかだった。

 

「もう2年も前だ……そういう、一方的な押し付けに歯向かうと決めたのは。……いいかよく聞け天然メガネ。開き直ってWIN-WINじゃあねェんだよ。テッテー的に抵抗して、テメェらが言うガキにも意地があるってことをわからせてやる」

「……なるほど、的を射ているな。確かに期待した私が『マヌケ』だったようだ。言葉を返すようだが、その立場でよく説教じみたことを言えたものだよ。私はフィールドやマップのコンセプトデザイン開発を一部請け負ったこともある。そのテストプレイもな! 例えばメンテのタイミングできみらがそういった場所へ侵入したらどうなる? エリア移動は当然不可。勝手知ったる私からすればまさにワンサイド、一方的な虐殺が始まるだろう! ……いいか、それはきみがいかに愚かな判断をしたかが判明する瞬間だ。私が脱走者をひっ捕らえた日には、自分の発言を後悔するほドゴガァアアアアッ!?!?」

 

 叫ぶと、奴は前触れを感知することなく後方へ吹き飛んだ。

 わずか1歩で間合いを詰めた直後に《タイタン・キラー》でブン殴ってやったわけだが、ちゃっかり回復していた奴のHPバーはまたも消滅寸前まで逆戻りした。

 俺は「くどい」と、一言だけで切り捨てる。

 思うまま無様に地を転げまわると、男は口に入った土をツバと共に吐きながら手をついて立ち上がった。

 

「ぐっ……くっくっく……剣を振れていい気分か? このアカウントではどのみち勝てん。存分に気を晴らすがいいさ。どう足掻いても、無限に攻めればすぐ根を上げるだろう。ふんぞり返ろうとまだ子供だ。……くふふ……まあ、その機転には驚いたよ。準備は入念だったのに……奇襲もできず、何もかも失敗して……」

「…………」

「く、そ……お前! そっ、そんな目で見るな! いいか、私はやると言ったらやるぞ! 最後に交渉の余地は与えたんだ。それを突っぱねたとあれば、相手が子供でももう容赦はしない。これには……私の、人生が! かかっているんだ……家族の生活もッ!!」

「…………」

 

 駄々をこねる男と、話すことはもうない。

 卑しいものでも見るように。自分にはびこる罪悪感と、運命共同体となった会社からの圧力。

 しかし、板挟みとなった彼をなぐさめてやる道理もまた、俺達は持ち合わせていなかった。穏便に済ませるようけしかけた最後の妥協すら拒否された以上、奴もまた心を鬼にして歯向かってくるだろう。

 上等だ。

 テストプレイの経験? エリアデザインに手を貸した?

 そんなもの、何のアドバンテージにもならないほど実戦を積んだのがSAOサバイバーだ。毎週のように無敵のアカウントで攻め込んできたとして、俺達はきっと生き残って見せる。

 

「まだ手応えはないけど……このまま勝ち続ければ、否応なく有名になれる。……見ものだぜ。なあスタッフ様よォ? 2年死ななかった人間を見くびりすぎたな。俺らをイベントに使ったことすら失敗だったんだ」

「そんなものはすぐに告知で終了宣言を……いやッ! バレたから何だと言うんだ! そうなる前に全部片づければいいだけだっ!!」

 

 両者突進による激突。

 その言葉を最後に一切の躊躇(ちゅうちょ)を捨て、俺達は世界樹での戦闘を再現するように再び殺し合うのだった。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

 わずか数分後、弱小アカウントに勝利した俺は年齢を配慮してシリカだけを除きパーティメンバーを起こすと、ことの顛末(てんまつ)を聞かせてやった。

 初めから戦力はもっと少なかったのだ。今はみな一様にして暗い顔をしているが、(なげ)いていられる時間も少ないだろう。そうでなくともリンドは、ここ数時間で考えた戦略やら移動ルートやらを変更せざるを得ないからだ。そのいくつかをすでにあの男に知らせてしまっているのだから。

 

「(しっかし、大変なことになったモンだな。……メンテまで時間もない……)」

 

 刻一刻と時が迫ると、今さら不安にも駆られてきた。

 『果たして俺の判断は正しかったのだろうか』と。

 奴はヒースクリフのようにただの無敵キャラというだけではない。どこもフェアではなく、騎士道精神もない。ただのハッタリかもしれないが、痛覚を与えることすらできると言ってのけたのだ。

 俺はまだいい。奴と対面した時点で覚悟は決めていたし、対人テクニックをある程度習得しているからだ。

 だが他の仲間はどうなる?

 被弾すらままならない。痛みによってはショック症状が現れるかもしれないし、あの男が提示した条件なら降伏が視野に入る人もいたのかもしれないのに。

 その可能性は、俺がすべて断ち切ってしまった。誰にも確かめていないが、これが最善だったかどうかなど確信できるはずもない。

 

「(ま、ハラ決めるしかないか……)」

 

 それでも。深く息を吸い込み、わずかな不安と後悔を押し流す。

 せめて、俺だけは自分の言葉を虚勢にしないよう尽くすしかあるまい。

 

 

 

 

 そしてやってくる。メンテナンス開始アナウンスと、それに伴う最大の脅威が。

 1時間だけの睡眠になってしまったが、無理やりシリカも覚醒させると敵の再来に備えさせた。

 と言っても、相手は無限飛行、無限魔法、詠唱スキップ、ダメージ無効の強化を受け、あらゆるデバフもキャンセルし、武器や防具も自由に生成するバケモノだ。かつて浮遊城の前線でも通用した実力者4人で時間稼ぎをしないと話にもならないだろう。

 弱気になっている暇はない。

 

「(かかってきやがれ。……ヒスイに会うまで、絶対ッ!!)」

 

 もう1度、言い聞かせるように強く念じた。

 もはや安全な時間もなく。7人の脱走者は、なおも境地に食い下がるのだった。

 

 



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エディターズロード1 交差する恋

またずいぶんと空いてしまって申し訳ありません。
更新が止まるたびにストーリーの記憶は途切れますよね。可能な限りアップさせていただきます……。

補足ですが、時系列は前話の約3週間後となります。
アルゴ視点です。過去最高に難しい1人称視点でした(笑
令和最初の投稿をどうぞ!


 西暦2024年12月10日 スプリガン領南西、《石灰の遺構》周域。

 

 理不尽な性能を持ったアバターの強襲を掻い潜り、ゴールのアテなく逃げ回ること1ヵ月。

 本日は師走(しわす)に入って一段と寒く、オイラは白い吐息を出すと、趺坐(ふざ)を崩さないまま篝火の向こうをぼうっと見つめていた。

 リアル時間にして、夜。日付変更線が通る直前。

 影妖精(スプリガン)が根城にする《石灰の遺構》なるフィールド、なかでも石造りの墓碑ステージからほど近い安全区域を陣取り、オイラ達7人集団は疑似的なキャンプを開いていた。

 しかし、さすがは火曜日の不人気妖精領である。

 おまけに祭日でも長期連休期間でもないこの時期、休日だった一昨日(おととい)に比べて真夜中に出現するプレイヤーの数は段違いに少なく、暗がりで火を()いているにもかかわらず非常に快適な夜となっていた。

 具合のいい段差に腰を下ろしたまま、遠くではしゃぐ2名ほどのプレイヤーを眺め、また溜め息交じりに独りごちる。

 

「(またやってるヨ。よく飽きないなァ……)」

 

 厳密には、目線の先にいるのは2人と1匹(・・)だった。

 装備も一貫性を持つようになり、漆黒に近いスリムな格好をしている1人目はジェイド。左手を肘から覆う鈍い白銀の希少メタルで精製された籠手は変わらず、右手からは廉価品のグローブが外され薄手の上質なガントレットと魔除けのバイバルブレスレットが手首に一輪。

 全身像もよりシンプルかつバランスの取れたデザインに変わっている。

 細く編まれた鎖帷子(くさりかたびら)の上から着る黒革の鎧型ベストは、頑丈なだけでなく肉体に張り付くようなしなやかさを持つ。心臓位置にある円形金属の留め金から、背中はその半ばまで、左肩にかけて(すす)けて破れたような短いマントが半身だけ覆うように垂れている。右肩には(かわら)に似た黒塗りのショルダーガードが重厚に輝き、大きな剣を掛けられるようになっていた。これもかつて正式に死に装束として用いられた上級近衛兵の戎衣(じゅうい)だとか。

 背中には鞘ではなく大剣用の簡単な剣帯、およびバックルと、下半身からも基調は黒で機動性重視。セピア色の膝宛てがあるぐらいで、(すね)からは色彩を抑えた革の長ブーツが覆っている。

 背と細さとが相まってのスレンダー具合である。

 対する赤リボンのツインテールこと、シリカちゃんの戦闘服における露出は少々高め。妖精の制約上、重甲冑を着こんでの戦いに向いていないからだろう。

 しかし彼女の服装は猫妖精(ケットシー)らしからぬ艶美なディープブルーが目立ち、短いジャケットと前面が大胆に開いた腰から延びるロングスカートの他に、胸部と腰に薄い合金の防護プレートがあしらわれている。黒のミニスカとニーソックスの隙間からベージュのしっぽが覗き、靴もゴールドラインが引かれた蒼のもので統一される。

 手首から手の平にかけて黒いテーピングがされているのは、メインの短剣とバックラーシールドをしっかり握れるように、だそうだ。

 同種族のオイラも重金は背負えないわけで、非戦闘時には保温用のぶかぶかロングコートを巻いていることを含め、ダークグリーンの色調以外は似たり寄ったりである。

 強いて相違点を挙げるなら、足関節の妨げにならないよう長いスカートを不採用とし、腰から下はラインにぴったりとしたレース型のハイソックスを履いているぐらいだろうか。

 余談だが、

 

「煽情的過ぎる。どうにかならないのか?」

 

 なんて、リンド隊長から注意を受けたこともあるが、俊敏性だけが数少ない取り柄なのだ。第一、戦利品からしか選べないのだから、贅沢(ぜいたく)(?)を言われても困る。

 最後の1匹はシリカちゃんにできた新しい仲間である、《メア・ヒドラ》なる種族名を与えられた深緑色の小型草食ドラゴンだった。

 つまり最近になってようやくケットシー専用魔法、《飼い慣らしの鱗粉(テイミング・スケイレ)》による使い魔を得たわけである。

 もっとも、《メア・ヒドラ》はテイムに向いているモンスターだったらしく、ずいぶん前に手に入れた木の実を与えるとすぐに懐柔(かいじゅう)できた。今ではすっかりシリカちゃんになついて、かねてより命名しようとしていた《ピナ》を引き継いでいる。

 だが、名をマネようと結局のところ新規モンスターのそれは、SAO時にいた《フェザーリドラ》とは体格も性能も違う。新しいもの好きのジェイドとしては、いったいどんなことができるのかを試したいらしいのだ。

 使い魔を武器の延長として見るジェイドに、当初シリカちゃんは難色を見せたものの、(かたわ)らの翼竜が本来のピナでないこと、そしてある意味では自分も《攻略組》だという自覚を取り戻すと、意を決して合流したばかりの仲間を酷使している。

 当然ながら、その反復がなつき度と連携練度を上昇させるわけで、今となっては修行程度も慣れたものだった。

 しかし個人的には面白くない。

 オイラはむすっとしたまま彼女と(たわむ)れるジェイドを見やり、ぼんやりと昔の出来事と重ねていた。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 オイラが攻略に励んでいた原点には、情報によって命を救われたとする男女数人からの感謝があった。

 『ありがとう、あなたのおかげで生き延びた。なんとお礼を言ったらいいか』。

 こんな月並みの言葉を繰り返し繰り返し贈られた。

 βテスト時、すでにハマり役だった。始めは天職でも見つけた気分で、目ざとく見つけた情報に値段を付けて遊んでいただけだったが、SAOがその本質から変貌(へんぼう)してなお、ソロで暗躍できた事由は間違いなくこの一件である。

 別に、だからといってやめるのは勝手だった。誰に強制されるでもなく、恒常的に賛辞が届くわけでもなく。単に才能があったから続けられただけ。

 もちろん常に1人でとはいかない。

 オイラの時間とて等しく有限で、極低確率の長期に渡るループ検証などはできなかったし、オレンジギルドが台頭してきた時期はローテーションでボディガードを雇ったりもした。

 でなければ、きっと半ばを過ぎることなく命を散らしていただろう。

 しかし、ゆえに独り身の孤独感と寂寥(せきりょう)に満ちた日々を乗り越えるにあたり、他人と行動できる時間がいかに貴重かを幾度か痛感したことは認めざるを得ない。

 なんといっても噂のされ方が極端だったのだ。

 大事な話の最中でもふざけている。知らないところで人の情報を売る非道人。恵まれた容姿に付け上がり、男から性も情をも吸い尽くす遊女などなど。あまり個人行動で儲けが過ぎると、その不透明な実態が大変迷惑な邪推を呼び寄せたものだ。

 もしくは競争相手による嫌がらせか。

 気にしないよう努めたとはいえ、それらが精神的な重荷だったことは疑いようがなく、たまに同性仲間に相談しては仮初(かりそめ)の好調を見せて休む間もなく走り回っていた。

 その努力が、結果的に多くのプレイヤーを死地から遠ざけたことは理解している。情報屋のパイオニアなんて言われたものの、純粋な好意と尊敬だけで最後まで贔屓(ひいき)に利用してくれた固定客も少なくない。

 たったそれだけで、ここが引き時と諦める前に「あと少しだけ頑張ってみよう」と思えたものである。

 隔絶された世界に震える一方で、彼らの期待に報いることは1つの達成感となっていたからだ。

 だが、オイラとて人の子。

 時には棄てられた有蓋貨車(ゆうがいかしゃ)に籠り、短剣を握りしめたままうつらうつらと夜を明かすような生活もまさに限界。年端もいかない子のためにカラ元気を維持してきたけれど、SAOがクリアされる終盤で大勢に影響を与えるほど貢献できたケースは少ないし、否応なくその自覚はしていた。

 そして、大衆とは刺激を求めるものだ。

 攻略当初こそあらゆる記事が真新しく感じたボリュームゾーン以下の人々も、やがて身を守る最低限のコミュニティを築いてしまうと事実を大きく見せる提灯(ちょうちん)記事こそ娯楽だと改まり、事実しか載せないオイラのそれは必要とされなくなっていく。

 ソロでの攻略が困難になるにあたり、ただでさえ真っ向からの戦闘経験に乏しい足手まといが、わずかに残された強みまで奪われていくようだった。

 

『……判明している情報が少ないことは悪いと思ってル。けどオレっちじゃどうしようもないんダ……すまン……』

『いいって、アルゴのせいじゃねーよ。レジクレは戦うことしか頭にねェんだ。専門職がわからないっつうなら、きっと誰が調べてもわからなかったさ』

『……重ねて謝るヨ。情報が少ない中でのクォーター戦ダ……その、頑張っテ……』

『おうよ。また76層で会おうぜ!』

 

 これが、SAO内で彼とした最後の会話だった。

 酷く悔しくて、無力に打ちひしがれた。

 持ち味を活かそうとソロを貫いた、なんてうそぶいていたものの、実際のところそれ以外の生き方を知らなかっただけなのだろう。

 ほとんど存在意義を失いつつも、浮遊城アインクラッドでのオイラの戦いは、ぬぐい切れない残照を後にしたまま幕を閉じるのだった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 改めてシリカちゃんを見る。

 自分も彼女も同じケットシーなのに、モンスターをテイミング、ないし使役した戦術を心得ているのは彼女だけだ。

 不確定要素は慣れた戦場を阻害する、という理由をもとに敬遠してきたが、考えてもみたら極力戦闘を避けてきた自分に確立された戦法なんてものはなく、ジェイドが挑戦する者に敬意を払ってつきっきりになるのは必然である。

 オイラは何も変われていない。

 SAOの終わりがけ、役立たずとなり果てた当時の姿から、なにも。

 

「(小さい女の子にまで嫉妬してサ……カッコ悪いなぁ、オネーサンも……)」

 

 半分ヤケになって唇を絞めると、つい自虐的なことを考えてしまう。

 炎のように渦巻く嫉妬。ストレスの原因。

 世界樹頂上、すなわち《ラボラトリー》で移動中。全員で生き残ろうとするジェイドに対し、自らを囮にして役に立とうと発言したことがある。

 しかし彼はそれを強く否定した。

 

『ハッ、冗談キツいぜアルゴ。あんたがいなくちゃ助かるモンも助からないだろう!』

 

 飾り気のないシンプルな言葉だったのに、もうずいぶんと長く忘れていた《鼠のアルゴ》の原点を思い出した気分だった。

 そして同時に、それからの戦いで彼のカリスマを見たのだ。

 強敵の集団に囲まれて絶望の(ふち)に立たされても、痛覚のある世界で不死の神を前にしても、彼は臆することはない。そして信じる選択を全うしようと奮戦した。

 ひけらかすでもなく。レジクレのメンバーが、迷いなく彼についていく由縁(ゆえん)見出(みいだ)した瞬間だった。

 きっと、この時には揺れ動いていたのだろう。

 だからオイラは真っすぐ惹きつけられた。ヤキモチもやいた。シリカちゃんの頭を撫でるのを見るとその手を払いどけ、2人で会話しようものならこっそりそれを盗み聞き、彼女がその愛くるしさを可愛いと評される度に反射的に絡みもした。

 盲目になると彼の横暴な態度、強引な方針決定でさえ心地よく感じたものだ。

 全部、彼を愛してしまったがゆえに。

 許されない恋ということも頭では理解している。しかし1度芽吹くと抑えられようもなく、むしろ日がたつにつれその背徳感と卑しい想いは膨れ上がっていった。

 ひときわ表立ったのは露天風呂で見せたアプローチだろう。勝手に定めたライバルへの焦りから加減を見誤ったと後悔もしたが、あの日の夜は本当に自分を求めてくれると期待で昂ったものだ。夜も深まってから彼だけゴソゴソと起き上がった時なんて、音が聞こえそうなほどバクバクと心臓が鳴っていた。

 ……けれど。

 音がしてからしばらくして、浴槽場から忽然(こつぜん)と消えたジェイドを追った先で突き付けられた現実は、オイラに大きな痛みを残していった。

 昼夜を問わず一緒に行動できるだの、一夜限りのアバンチュールだの、そんな風に浮かれていたのは自分だけで、彼は彼女(・・)しか見ていなかったのだ。

 一刻も早くここを去る。そのためなら腕が上がらなくなるまで剣を磨き、読み()くまでスペルを反復し、脊髄反射で動けるまで飛び慣れてみせる、と。

 そこにあったのは、見失った彼の姿を見つけた安堵より、押し潰されそうな惨めさだけだった。

 だからだろうか。最近は徐々に諦めがつくようになっていた。

 初メンテの昼過ぎに河川敷で聞いてしまった、彼女(・・)の名を繰り返す不快なうわごと。あの時に膝枕を途中で断念したのだって同じ理由である。

 隊長リンドを含む4人の新メンバーと合流したことで、2人きりで話せる機会もめっきり減ったし、相対的に疎遠になっていくことを仕方ないと思えるようになったのだ。枯れて久しいオイラの恋は、そもそも積み上げるべきではなかったのだから……。

 なんて考えていたら、修行にキリをつけた彼の接近に気が付かなかった。

 

「ようアルゴ」

「うわワっ!?」

「うわってオイ、どうしたよボーッとして。顔もけわしいぞ」

「ア、アハハッ、ちっと考え事をしててナ……」

「そっか。ネコ笑いじゃなくなってるし相当だな! あははははっ」

 

 ツボに入ったのか元から上機嫌だったのか。大剣を背からどけると人の気も知らないでドカッ、とすぐ隣に座ってきた。忘れたころに迫るその距離を、どうしようもなく意識してしまう。

 オイラ自身が低いことも相まって、頭1つ分ほども高い位置にある目を合わせられないでいたら、彼は手始めに「シリカの奴もヨーリョウ思い出してきたのか、使うのウマいもんだよ」なんて切り出した。使い魔のことを言っているだろう。

 最後のクォーター戦の終盤では、『使い魔の仕様を理解していなかった』がために仲間を失ったと聞いた。

 その教訓として、この世界に来てからシリカちゃんにアレコレ聞いたのかもしれない。気の毒だが過ぎた結果は巻き戻せない。

 もちろん、そんな彼も今の表情は穏やかだった。

 

「なあ、アルゴはテイムしねーの? 都合よく手ごろなモンスター見つかるとも限らないし、やっぱ今から慣らすのは効率悪いかな?」

「……そうだナ。もう足の速さしか強みはないヨ。元情報屋となると、いったいどこで役に立てるのか想像もつかんケド……とりあえず今のまま行こうと思ウ。ムチ、針、光魔法で中距離支援を……どしタ?」

「まーたそれ言ってると思ってさ。じゅーぶん役立ってるだろうに。リーダー名乗っといて、最初の2週間でどれほどアドバイスもらったことやら」

「アレはたまたま、経験と状況が重なっただけデ……」

「だから、その経験とカンの良さが強みなんじゃん」

 

 しかし無意味に否定しようにも、ジェイドも引き下がらない。

 2年前とは比べるべくもなく、最近の彼は涼しい顔をして感情を素直に表現するようになった。こっちが恥ずかしいぐらいである。

 

「いーんだよキョロッてないで、昔みたいに自由ホンポーな感じでさ。……あ~ほら、俺なんて初めSAOじゃヤバめだっただろ? 人間的にもコミュ力的にも。知ってるか、主街区に帰りたくない日なんて、干し草まいてクサい牛と一緒に寝てたレベルだぜ?」

「それは引くナ」

「ハハッ。だから……カゲで泥すすってた俺にとっちゃ、ソロでもしたわれてるアルゴやヒスイの存在って、ガチのあこがれっつうか、タカミの花でさ」

「高嶺の花……」

「……た、タカネの花でさ……その不屈っぷりは男ながら惚れたもんよ。こいつらカッケーなって。マジ惚れだよ、マジ惚れ」

「ホ、っ……あ、あんまりオネーサンをからかうとアトが怖いゾ。大抵の発言は自動的に覚えちまうんだからナ!」

 

 その何気ない口ぶり1つでオイラは動揺していた。体温が上がってきたからか、意味もなくごしごしと顔をぬぐいつつ早口になってしまう。

 わざとかと疑うような言い回しだったが、まったく情けない話である。

 クライアントに平等たるべき情報屋にとって、恋こそまさに御法度。『情報屋のオキテ第一条』なわけで、いざその(くさび)から解放されて気が緩んでいたからとはいえ、今度は語るに落ちるほど沼に(はま)ってしまっているではないか。

 

「あっはっは、それ武器にするクセやめろっての~。……おっ、そういやチャンスだ。なあアルゴ……ちょっと2人で話したいことがあったんだ。今いいか?」

「エっ……オレっちなら、いいケド……」

 

 うんざりするほど反応してしまった。このチクリとした罪悪感に従って、いい加減期待するのはやめるべきだ。糸より細い可能性にしがみついて、いい大人が恥ずかしいだけだろう。これこそ自分を傷つける行為である。

 だが、そう言い聞かせた直後、信じられない言葉が続いた。

 

「あーの、その……リアルの話になって悪いんだけどさ。アルゴにとって記念日になるような日って近々ないか? ほら、誕生日とか」

「……そ、そんなこと聞いてどうするんダー。お前サン、暗黙の了解を破るどころか、オレっちが情報屋じゃなくなった途端よく聞いてくるようになったよナ」

「え~いいじゃん、どうせプライベートも金にならんだろ? 売るにも客がいないんだし! それに、同じギルドぐらい仲良ければたまに話してたぜ? リアルのこと」

「怪しいもんダ。……でも、そうダナ……今年の誕生日は過ぎちまったヨ。だいたい独り身のオレっちに記念日なんて言われても……ああそうだ、あと2週間もすればクリスマスじゃないカ。12月に入って雪が降る演出もされてるぐらいだし、何かしらイベントはあると思うゾ?」

「んん~いや、そういうイベントじゃなくてな~……」

 

 「2週間かぁ」なんて歯切れ悪くつぶやいていたが、オイラ個人のことを聞いてきたということは、そういう(・・・・)ことなのだろうか。

 らしくない殊勝なことをしてくるではないか。

 大がかりなサプライズパーティなどは好みでないが、それ系のマクロな形で完結するプレゼントなら……しかもあのジェイドが自分から……いや待て、だとしてもいったいどういう風の吹き回しだ。あれだけヒスイに首ったけだった男が、今さらオイラの気を引こうとしてくれるのだろうか。

 

「(うゥ~……はっきりしろよなァ……)」

 

 しかしあろうことか、煮え切らない態度のまま「とりあえずサンキュー、また明日な」なんて言い残して立ち去ろうとするではないか。

 そんなクリフハンガーがあってたまるか。

 

「ちょっと待っタぁ!」

 

 慌てた反動でつい口をついてしまった。

 オイラとしても、彼の真意を問うこと以外で話すことは特にない。

 こういう(・・・・)面で察しの悪い彼に苛立ちを覚えながら、オイラは一瞬の思案でちょうど思いついたことを口にしていた。

 

「……お、オレっちからも用があったんダ。……例の露店風呂で賭けたことは忘れてないだろウ? 勝ったからには、『1日何でも言うこと聞いてもらえる』権利があるはずダ。明日の夜までそれ使かっちゃおうカナ~?」

「げげっ、覚えてやがった。……それもうジコーだと思ってたよ」

「時効なんて言葉よく知ってたナ」

「あ、今ので半日」

「だ、ダメだゾ! そんなのズルい!」

「つってもな~……今は特にタイミングが悪いっていうか。まあ……その、賭けた俺も悪いけど、受けたアルゴもアルゴだぞ。ぶっちゃけ1日も半日も変わらなくね? つか何なら今夜だけとか」

 

 その言い草とまったく乗り気でない彼にはだんだん腹が立ってきた。こうなったら権利を傘にキスぐらいせがんでやろうか、とも考えてしまう。どうせ初めてでもあるまいし。

 

「(この女たらし〜……んン?)」

 

 なんて会話している間に、ある視線を感じた。

 首だけ向けると、やはりかたまって雑談をしている男連中の1人からだ。

 オールバックの曲刀使い、テグハ。

 特にジェイドへの警戒だろうか。いくら彼が目つき最悪の悪徳顔とは言え、今もリンドにべったりの部下で、先ほどから監視されるようにチラチラと見られている。

 確か先のブライアン……なる偽装プレイヤーを操っていた研究スタッフを、ジェイドが独断で撃破した際も、『彼は本当に敵だったのか。あんたが気にくわなかっただけで、誰の監視もないことを逆手にとって手をかけたんじゃないのか!』なんて聞いてきたほどである。

 無論、きっかり1時間後のメンテ開始と同時に、無敵のアカウントが追いかけ回してきたことで事なきを得た――ジェイドの証言と一致した現象が起きた――が、彼を目の敵にした発言には幾度か怒鳴り返そうとも考えたものだ。

 ――まあ、複雑な心境のせいで助け舟は出せなかったガ。

 しかし、ここまで露骨なのはいかがなものか。ジェイドがオイラとの会話を切り上げようとしている原因もこれかもしれない。

 こちらとしてもいい迷惑。

 

「……オドオドしちゃって。またテグハと揉めてるのカ? なんなら、オレっちが話をつけてやるゾ」

「いっ、いやいや、ンなことないって! むしろ関係は向上していると言っても過言ではないことを否定しきれない感じになってるって!」

「……結局どうなってるんだ、ソレ?」

「かなり良くなってるね! チョー順調!」

 

 口角だけ上がっているが、果たしてそれが演技なのは火を見るよりも明らかだった。視線は泳ぎっぱなしで、目は口程に物を言うとはこのことだ。

 しかし、約束は約束である。

 シリカちゃんの面倒を見始めたリンド隊長へ『2人で周辺を軽く捜索する』旨を伝えると、オイラは問答無用でジェイドの手を引き、古墳ダンジョンの奥へとノシノシ歩いて行った。古墳内は閉所。こうしてやれば誰の視線を気にすることもなかろう。

 

「お、おいアルゴ、勝手に行動していいのか? 深夜の見張りだってあるだろう」

「30分で戻ると言っておいたヨ。索敵上手のケットシー付きだ、プレイヤーならこっちが先に見つけてやるサ。隊長もあまり遠くまで行かないなら許可する、ダト」

「ホントにいいのかね~。いくらあまり人がいないつっても……」

 

 そんなことを話している内に、5メートルほどの石造りのトンネルからダンジョンへ侵入。

 元よりここは1度通過したことのあるエリアで、自信ありきなのは間違いない。以前訪れた時は昼間だったが、ものの数時間の攻略で周辺のMobとボスを抹殺できる程度には戦い慣れている。先ほどサイクルの終わりかけである水曜日へ突入したわけだし、中には狩り尽されてリポップしなくなったモンスターもいるだろう。

 もろもろの理由から、2人行動でもさほど危険ではない。

 というわけで、オイラとしては早速ちょっとしたデートのつもりでダンジョンを巡っていた。

 

「ヒスイっちとも! こんな調子で連携してたのカ!」

「いんや! もっとスムーズだったぜ! おっととッ」

「なにおゥ! ハァ……こんなにッ、いいコンビネーションなのに!!」

「そこ張り合うのか……ハァ……ハハッ、けど……あいつはもっと俺の考えまで読んでたんだよ!!」

 

 戦いながら、口だけはよく動く。

 だからこそ、この際は努めて明るく話したつもりだ。最近では敵の処理にも慣れてきただの、この調子でいけばもう1ヵ月と待たず現実の人が異変に気付いて通報してくれるだろうだの、そんな明るい話である。

 そして、向こうに帰ったら何がしたいか。

 もっとも、帰ってからの話題ともなると当然彼女(ヒスイ)の名前が挙がってくるわけで、オイラとしては耳を塞ぎたくもなったが。

 しかしジェイドの態度は変わらなかった。ゆえに謎めいている。

 切り返すようにこんな質問をされること自体。

 

「や~久々によくしゃべった。なーアルゴ、しつこいようだけど、やっぱアルゴもイロイロとしがらみ捨てちゃっていいんじゃないか? 今まで全部ガマンしてきたわけだろ?」

「ムムゥ、お前サンの言うしがらみっテ……?」

「そりゃあアレだよ……こう、アルゴもイイ顔した女なわけじゃん?」

「何だソノ『いい歳した女』みたいな言い方……」

「だーもうっ、普通にカワイイって意味だよ! ほら、だからアルゴも誰かと付き合って、もっとこう……自由になるべきだって。仕事だ、相手に平等だ、ってのはもう散々してきただろう?」

「……ムッフッフ、それはオネーサンを誘っているのカナ? イケナイなーそれハ。あの朴念仁が、こんな暗がりで大胆なことをするようになったものだヨ」

「ちげーって、俺はいま彼女に会えないだけ! ……ったく。だいたい『ここでデートするゾ!』って冗談かましてきたのはアルゴだろう。《暗視(インフライド)》もかかってるから、主観的には暗くねェし。……おっとヤベ、またモンスター来た」

 

 誰も好きでこんな掃除のなっていない、ほこりクサい場所は選ばない。贅沢が言えないからである。

 

「雰囲気だよ、そこハ。……な、なあ、ジェイド。お前サンは……オレっちと一緒にいて、楽しいカ……?」

 

 蛇人型のモンスターを切り伏せる音と重なったが、明らかに口から吹き出したような音が狭い通路に反響した。

 

「ちょっ、えっ、なにその聞き方? いや楽しいけどさ。女と2人とか普通に燃えるしな!」

「……そうか、オレっちもダ。慣れない集団生活にはビビってたぐらいだケド、始まってみるとなんのことはないナ。こんなにかけがえのない時間はないヨ……」

「うえっ、そこまで思ってくれてたんか。や~まあ、アルゴってばずっと独りだったしな。……けど、じゃああれだ。ひいこら走ってリンド達を見つけたカイがあったってもんだ。だろう?」

「そうだナ。……お前サンは時々、優しすぎるヨ……」

 

 ポツリとつぶやいただけだった。しかし彼は耳ざとく聞いていて、ペースを落として歩幅を合わせるとオイラの顔を伺ってきた。

 

「どーしたよ、最近マジで。賭けのハナシ持ってきたからには何か言いたいことがあったんじゃないのか? 今は2人だ、俺ならいつでも相談に乗るぜ!」

「ニャハハハ……ありがとナ。でも自分で何とかしてみるヨ。SAOでもオネーサンが相談に乗る側だと相場は決まってたしサ!」

「おー、ちょっと元気になったな。そんなアルゴにグッドなニュースがあるぜ。ヒゲとフードがなけりゃ相当イケてるアルゴのことだ、むしろ今までなかった方が不自然な……」

「ちょっとタンマだジェイド! 奥に何かイル!」

 

 会話の後半にはそそられるような単語も見えたが、暗がりの奥でうごめく真っ黒な(もや)を前にオイラは遮って勧告した。

 不規則に胎動する黒い生物……なのだろうか。しかもどういうわけか、その物体は実態や輪郭もはっきりと判別できないばかりか、敵対反応までない。まるでそこだけ背景設定を間違えたかのような、ぽっかりと開く『口』。

 そしてそれは、モンスターですらなかった。

 

「なんだ、コレ!? 急に広がっテ……ッ!?」

「アルゴ伏せろっ!!」

 

 黒い影から守るように、大きな体が覆うように重なる。

 直後、オイラ達は引力の渦に呑み込まれていくのだった。

 

 

 

 

 目を開けると、その景色がガラリと変わっていた。

 オイラを抱いたまま隠し盾を展開していたジェイドも構えを解き、辺りを見渡しているようだ。

 ……いや、よく見ると根本的には変わっていない。新しくなった(・・・・・・)とでも表現すべきだろうか。

 先ほどまで全壊していた石造りの階段は、構造を保ったままヒビ1つ入っていない。いつ出現したのか、豪奢な燭台(しょくだい)とその蝋燭(ろうそく)は綺麗な横並びで再配置され、床には毛皮の絨毯(じゅうたん)と、何らかの動物を模した置物。そして毒々しい薬液で満たされた水瓶(すいびょう)などが乱立していた。

 これらは例外なく破壊可能オブジェクトだろう。が、先ほどまでの廃墟然とした古墳は、割れた陶磁器の破片やら、見習いが焼きすぎたような粗悪な壺やら、果ては由来のわからないゴチャゴチャとした草芥(そうかい)が転がっているだけの場所だったのだ。

 まるで時間をさかのぼったような感じである。

 ダメージこそ負ってないが、いったいいつ移動したのか。それとも、1歩も動いていないオイラたちはよもや……なんて考えていると、慣れ親しんだ低音が遅れてやってきた。

 

「わワッ? エリア名出たナ。フ~ム、《圧政者ランダの記憶世界》? やっぱり強制移動系カ~」

「うっわフラグ立ってたのか。ほら、ザコからのレアドロップで、キーアイテム持ったまま特定の場所に近づくと発生するやつ。誰かイベント途中でホーキしてやがったな」

「てことはまんまイベントエリアか。マズいなあ……あと5分で帰れると思ウ?」

「だから聞いたっしょ、ホントにいいのかって。……まあ、ドロップをまったく確認してなかった俺が言うのもなんだけどさ……」

 

 「そーじゃン! ジェイドが悪いんだゾ!」なんて言ってもみたが、インスタンスマップに進入してしまったことには仕方がない。こうなると《パーティ登録》は解除され、仲間の状態やチャットでのやり取りができなくなってしまうのだ。

 もちろんイベントを放棄したい普通のプレイヤーなら、接続を断って向こう(・・・)でメールでも送れば済む話であるが。

 しかし、何十分と同じ場所で座って過ごす――記憶が正しければ、これらのいわゆる過去の世界線となるステージは永遠に留まれない。無論ログアウトした場合は追い出される――より、可能な限り前進して出口を目指そうという方針で決まり、オイラ達は一変して理路整然とした廊下より歩を進めた。

 幸いここらに湧く神官クラス、ないし呪いのデバフ攻撃をしてくる女中モンスターは軒並み魔法攻撃がメインのようで、ジェイドが左手に装備する非実態の円形シールド、《スワロゥ・パーム》による大幅魔法カットがよく刺さる(・・・)エリアだった。

 骨と皮だけにしか見えないズタ袋を被ったアサシンもいるようだが、こういう敵こそオイラにとって恰好(かっこう)のターゲット。いくら数で押そうにも、絶え間ないバフ魔法援護と95パーセントダメージカットが重なれば、得意の白兵戦に持ち込むことは容易である。

 そして奴らの得物はナマクラの短剣のみ。

 ザックザックと斬り倒して慎重に20分も攻略を進める頃には、辺り一面は死体の山になっていた。

 

「お、短剣2本ゲットー。ほうほう、銘は《女中の短剣》と《廃潰(はいかい)者の刀子(とうす)》だって。いる?」

「……なあコレ、パラメータ低すぎじゃないカ?」

「タイキバンセー系かもよ。鍛えれば強くなるやつ。……いや~しかし気分ソーカイだな! 敵のレベルも低いし、このままボスも行けるんじゃねェ!?」

「そうやってすぐ調子に乗っテ……。ただ前に書いたメモ帳を見るに、この《圧政者ランダ》というのはたいしたボスじゃないそうダ。むしろ強いのは、取り巻きとして大量に湧く彼の家来だとカ」

「うへー本人と()れんのか、そいつの記憶の世界なのに。ま、NPCフラグすら回収してないし、攻略法がわかったらワンパターン戦法なりで倒そうぜ。どうせショボいだろ。ミッションタスクの報酬もいらない……ってあれ、ヤバいなんかボタン踏んだかも……」

「ジェイド危ない!」

 

 足元でガコンッ、という音がした瞬間には飛び掛かっていた。

 先ほどと逆の立場で抱きつくようにして2人とも倒れると、先端を赤く染める火矢がすぐ頭上を勢いよく通過した。

 保護色によって視認しにくいが、足元に仕掛けられた不揃いの瓦礫(がれき)を踏むことで起動する連動式のトラップだったようである。しかしそれ以上の追撃がないことを確認すると、オイラは今さらながらに現状を把握していた。

 すなわち、想い人を押し倒して全身で密着していることを。

 

「わわァッ!? ご、ゴメンっ」

「……いいって。てかサンキュー、よく判断できたな」

「オッ、お前サンが不用意なんだゾ! 勘でも横にジャンプした方がいいに決まって……ハァ、まあいいカ。そういえば、この記憶世界に転送される前に言ってたことなんだケド……」

「ああそれは……待て、見ろよアルゴ」

 

 彼が指差す通路の先を見ると、最上階に続くバカでかい階段と、豪華な金と銀の装飾が施された扉があった。並列する彫像もデザインが凝っている。

 

「なあ、これってもしかして……」

「ウム、十中八九ボス部屋だろうナ。……わかったヨ。じゃあまずは帰ること優先で行きますかネ」

 

 やけに道が開けたと思ったら、ずいぶんダンジョンを踏破していたらしい。

 オイラは無理やり先の会話を頭から取り除くと、崩れた廊下の隙間から見えた大階段を目指し、進路を変更して最後のMob狩りを再開した。

 学校の天井ぐらいなら頭をこすりそうなほど大型のモンスターをも突破すると、ついに到達する。

 明らかに異様な圧を感じる大門。ここにはステージそのものの名すら冠する《圧政者ランダ》なるボスモンスターがいるはずだ。七光りで国王となった恰幅(かっぷく)のいいランダは、独裁政権によって国の文明をも途絶えさせてしまったそうだ。その歴史変動の引き金をプレイヤーに引かせようというのが、《ランダの記憶世界》ステージにおける最終目標となる。

 コンセプトは面白いが、しかしタイムトラベルまでアリとはつくづく自由なファンタジー世界である。

 それとも、科学分野では再現不可能と結論付けたゆえだろうか。

 

「繰り返すようだが、ランダ本人の戦闘力が高いわけじゃナイ。むしろ座りっぱなしでブクブクに太ったただの的らしいカラ、オレっちが取り巻きを引き連れている間にボスを集中狙いしてくレ。両手物の得意分野だろウ?」

「ま、それが最善か。どうせ見飽きた魔法攻撃だろうし、俺の方にタゲついた奴は割り切って《スワロゥ・パーム》で受けることにするよ。……うし。準備はいいか、アルゴ」

「オレっちはいつデモ」

「じゃあいっちょボス狩りと行くかっ!!」

 

 彼が大門を蹴り開けると、壮大な戦闘BGM(オーケストラ)と広範囲に散布する拡散炎魔法に出迎えられた。

 それでも、なお進む。2人のタッグプレイヤーは、躊躇(ちゅちょ)することなく大広間に突入するのだった。

 

 

 

◇   ◇   ◇

 

 

 

 結果的に言って、ボス戦は拍子抜けするほどスムーズだった。

 高圧的な壁をイメージしているのか、雪のないセラッグを凝りもせず展開された時はさしものジェイドも手こずっていたようだが、所詮は時間稼ぎ。

 強いて言えば、スタート直後から壁のように迫る炎の弾には度肝を抜かされたものの、その分弾速とホーミング性がおろそかで、オイラとジェイドの俊足なら避けきることなぞ朝飯前だったのだ。

 それからは単純で、事前に打ち合わせた通り完全分業攻略をこなしただけ。

 タゲの数は半端ではなかったが、常に移動していればどうということのない散発的な反撃である。

 きっとスプリガンで始めた初期ユーザのために用意されたステージだったのだろう。ここを難所と感じるのはおそらくガン盾の安全第一マンだけで、仮想界で感じられる風と爽快感を得て欲しいがために、ある種の試験用に配置されたような敵だったのだ。

 言ってしまえば、新規勢への教育を兼ねた遠回しのチュートリアル。そしてオイラ達はもはやプロ。

 

「おお~っ、抜けた抜けた。帰って来れたぞアルゴ! なんかトロフィーもゲットしたし!」

「その表示はオレっちの方にも出てるヨ。まあ、帰ってきたと言っても30分以上の遅刻だけどナ……」

 

 そんなことを言いながら攻略済みの道を戻ると、エリアの途中で人を呼ぶ声が重なって聞こえてきた。皆してオイラ達を探しに来てくれたのだろう。

 予想違わず、30秒もしないうちにシリカちゃんの亜麻色のツインテールと蒼い服が見えた。

 

「あーっ! いましたよみなさん! ジェイドさんとアルゴさんです! 2人とも無事みたいです!」

「どこだ!? どこに……おおっと、やっと見つけたぞお前達!」

「ニャっはっは、すまんな隊長サン。イベントに巻き込まれてタ」

「よーリンド、精が出るな」

 

 「精が出るじゃないぞまったく……」なんて頭を()きながら呆れられてしまったが、想像以上にピンピンしていたからか、処罰は少しばかり(とが)められるだけに終わった。

 それから5分後、捜索に協力してくれたフリデっち、テグハ氏、クロムオーラさんとも合流すると、オイラたちは完全に古墳内から脱出。泥炭(ピート)と乾いた石が乱堆して並ぶ、《石灰の遺構》フィールドの南端までまた戻ってきた。

 オイラもリラックスしてシリカちゃんと雑談している。

 

「一時はどうなるかと思いましたよ。まさかお2人が目を離した数分で相手に負けるはずもないので、『2人で夜逃げしたんじゃないか』って、テグハさんが……」

「ニャハハ、夜逃げって! 迷惑かけたのは悪いと思ってるケド、ずいぶん飛躍したもんだヨ。しかし、あんなガサツな男でもジェイドの心配はするんだナ。さっき会った時なんて、オレっち達の顔を見るなり凄い顔してたシ」

 

 オイラが笑いながら適当な相槌を打ち、彼女に返答した直後だった。

 シリカちゃんは胸の前で指をくるくるさせつつ、目を逸らしながら続けた。

 

「あ、あ~……その、それなんですけど……たぶんあの人は、ジェイドさんの心配ではなく……あ、アルゴさんの……」

「ンン~? オレっちのなん……んン……っ!?」

 

 多少は目利きのある洞察力も悲しきかな。

 彼女のその反応を見ただけで、オイラは1つの解答に辿り着いてしまった。

 

「エッ!? ……ウソ。そうなのカ? そういうことだったのカ!? エっ……でも、さっきジェイドを呼びつけてしかりつけていたようナ。……あれもアイツを心配した裏返しの行動じゃなくテ……?」

「……ですね。言っていいのかわからないですけど……。ここ最近、仲の悪かったはずのお2人がよく話してるじゃないですか?」

「そうなのカ。オレっちは見逃してたヨ」

「あ、ソレたぶんわざと目につかないように……それで、まあ……ある日、あまりにも密会が長かったんですよ。悪いことだとは思いつつ、つい《ヒア・サーチキーン》を使って遠くから聞いちゃったんです。そうしたら、その……『やっぱり気になるなら自分で行くべきだ。想ってるだけじゃ伝わらないぞ』と、ジェイドさんがテグハさんに……」

 

 ――ええ~~~~。

 と、口をついて出さなかったのはいい判断だった。落胆全開の溜め息なんて聞かせたら彼を傷つけるだけである。

 シリカちゃんが自身にかけた光属性のバフ魔法《鋭敏な聴覚(ヒア・サーチキーン)》の効果は文字通りで、ケットシー、および風妖精(シルフ)と親和性が高く、もともと聴覚に優れる彼女の証言であればほぼ間違いないだろう。ちなみにバフ系魔法全般に多く見られるが、これは初句を変えることで敵味方に関係なく、しかも単体ではなく複数にかけられる。

 しかし、これで全てにおいて合点がいった。

 なぜテグハ氏が常にオイラとジェイドの動向を伺っていたのか。ジェイドの意味深な発言も含め、なぜ会った初日からああ(・・)も因縁をつけて突っかかってきたのか。

 仕事一筋だったオイラは、彼らと特別に仲睦まじくしたことはない。推測するに、逆にオールフリーだったオイラとDDA連合員がビジネスの話をするうちに、遠目で見ては次第に惹かれていったというオチだろう。

 しかもその想いを遂げるどころか、告げることすらないままアインクラッドは崩壊したのだ。

 ビッグチャンスが再来した今、いよいよ強硬手段に出たのだと考えれば違和感もない。

 けれど、歯がゆさもさぞ膨れたことだろう。

 想い人が2週間ものあいだ男女で1つ屋根を共にし、生活を支え合い、生き抜いてきたと目の前で宣言されたのだ。笑い話に脚色したつもりだが、露天風呂のエピソードもばっちり伝えている。

 テグハはジェイドに対し「節操のない男」などと言っていたが、そうした経緯で彼が相手を選ばない遊び人と断定し、オイラもその毒牙にかかったのだと勘違いしたようである。

 ……フタを開けてみれば、まったくそんなことはないのだが。

 しかし、だからこそ彼の気持ちに共感できる。

 きっとこれが……つまり《アルヴヘイム・オンライン》で巡り合えた共闘が、人生で最後の機会だと息まいているに違いない。

 今のオイラが、そうであるように。

 

「(オレっちにアレコレ聞いてきたのは、『テグハっち』に教えてあげようとしていたのカ。らしくないと思ったラ……)」

 

 テグハという不器用な男性に対し警戒を解くと共に、オイラに去来したのは底のない虚脱感だった。

 いったい何度目の肩透かしだろうか。また1人で舞い上がって、こんなに惨めなことはない。自意識過剰もはなはだしいだろう。

 涙腺が熱くなってくるのを自覚しつつ、悔しさで唇を噛みしめる。

 だが物憂(ものう)げな眼をして呆けていたのは、取り返しのつかない失敗だった。疑いすら持たせてはならなかったのに。ひどく縮こまったように、シリカちゃんに尋ねられてしまったのだ。

 

「あの、ずっと気になっていたんです。……もしかしてですけど。アルゴさんは、その……ジェイドさんのことを……?」

「……ぐ……ぅっ……ど、うして……そう思うんダ。シリカちゃん……」

「だ、だってそんな悲しそうな目をっ……おかしいと思ったんです。わたしの知る、攻略組でもあった《ネズミ》の情報屋は、今までこんなことをしなかったって。……でっ、でもダメですよ、それは! あの人にはヒスイお姉さんがいるんです。……きっと、その想いは……よくないことなんです……っ」

「…………」

 

 そう言われて、オイラは何も返せなかった。

 しかし頭ではあらゆる反論が渦巻いていた。

 ここで言う『よくない』とはいったい何だ? 生まれてしまった恋心に良いも悪いもない。自由な出会いすら取り上げられていた以上、強いて挙げれば悪いのは『環境』だ。

 子供のくせに。なにもわかっていない立場で、偉そうにオイラに口を挟めるのか。どうしようもなく、避けようのない感情に板挟みになることだってあるのに。経験していないことをいいことに、猫を被ったような言葉を……、

 

「……っ……!!」

 

 わずかな時間で叫びたくなるような衝動が列挙され、そして跡形もなく消滅していった。

 これ以上自分を(おとし)めるのか、と。残留する理性が、欲望に赴くままだった思念(しねん)を制御した。

 彼女の言うことは正しい。ジェイドがオイラの気持ちに応えるにしても、まず現実で待っている彼女との関係にケリをつけてからでなくてはならないはずだ。

 そんな簡単なことをずっと年下の少女に指摘されるなんて、名を馳せた攻略組が地に落ちたものである。

 だから、オイラは目を逸らした。

 

「にゃはは、心配しなくても、そんなんじゃないヨ。テグハっちの気持ちを聞いてちょっと驚いただけサ。……ケド、万年フリーの看板持ちだからナ。どう断ったものかと思案に暮れていたんだヨ……」

「…………」

 

 その上面(うわつら)なセリフだけでどこまで納得させられたかは定かでないが、シリカちゃんによるそれ以上の言及はなかった。

 ただし、逆に火がついた。自分の悪あがきがしばらく続くだろう確信もあった。

 確かに今回は、プライベートな質問を大きく解釈しすぎたきらいがある。しかしオイラの想いとテグハっちのそれとは、本来無関係なのである。

 環境に変化がなければあと何十日と旅をすることになるだろう。その間ジェイドはずっと彼女に会えないのだ。ずっと先になっても、果たして彼の気持ちがオイラに変わらないと、この世の誰が断言できるだろうか。

 

「(まだ1ヵ月ダ。これからもっと長くなル。……そして、いずれアイツの中にオイラの居場所を作れたら、それデ……)」

 

 やがて、一般プレイヤーからの強襲に備えて、各々は決められた順番通り見張りと休憩に入っていった。

 見張りの順番まで時間のあったオイラは、少しでも仮眠が取れるよう横になり、保温性の高いアイテムの《寝袋》に潜りこむ。かすかに震えているのは寒さのせいなのか、それとも……、

 だがその日、覚めた頭ではいつまでたっても寝付けなかった。

 ふと顔を上げると、流れ星が1つ。

 迷信なんて一笑に伏すのが情報屋のポリシーだったのに。ガラにもなく、身を焦がすような切ない愛が実るよう、オイラは指を組んで偽りの星に祈祷(きとう)するのだった。

 

 



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第115話 幽覧城塞アスガンダル


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初めて画像を投稿してみたり。(コレ貼れてるのかな……?)
むかし描いた主人公大剣の落書きです。ベルセルク、モンハンオマージュが強くてボツにしましたけど、いずれしっかり描きたいな。


 西暦2025年1月12日 砂漠地帯西中央、《イフリー砂丘》上空。

 

 アルヴヘイム・オンラインと呼ばれる新しい仮想世界へ侵入して早2ヵ月。俺達は誰も欠けることなく、しかし脱出のアテもないまま流離(さすら)いの旅を続けていた。

 無論、人体実験を画策するリアル側からの妨害はひっきりなしに続いている。

 ある意味ユーザから監視の目がはたらくオンラインネットも、毎週水曜日の深夜には必ず(ほころ)ぶからだ。

 そしてスタッフの手の者が、その度に無敵かつ魔法撃ちたい放題・飛びたい放題のチートアカウントで執拗(しつよう)に追いかけてくるのである。『ブライアン』だった頃のアバターを俺が両断した日から数えて、少なくとも一方的な狩りが5回は起こっている。

 となると、捕食対象である俺達が生き残るには当然、これらを()(くぐ)る策や罠を用意しなければならないのである。

 策や罠と言っても、神に等しい絶対者相手に小手先の抵抗が通用するのかという疑問も湧くだろう。

 しかし、これが通用するのである。

 最大手の動画投稿サイトでは、あらゆるジャンルで『チーターを返り討ちにした』なんてタイトルの動画が腐るほどアップされているが、同じことをALOで実行していることになる。

 相手はプログラムではない。あくまでアバターは生身が操作するわけで、一瞬の目潰しや各種隠蔽と擬態、不意を突いたノックバックなどが有効なのだ。

 まさかフルダイブ環境がこんな弊害を産むとは思わなかっただろうが、相手からすれば実にアナログなエラー対策をせざるを得ないったところか。

 それに、いかなマッドサイエンティストといえど、奴らにもリアル事情というものがあるらしい。

 なにせ少人数で違法な研究を企てる身である。記憶操作の研究は常に挑戦と勉強の繰り返しだろうし、その多忙さは想像に難くない。

 なにより彼らは、高速域で飛び慣れていない。ゆえに、メンテ最大の11時間ぶっ続けで相手とれるはずもなく、SAOを生き抜いたネズミにしぶとく逃げ回られると、数十分もフライトを続ければすぐに《飛行酔い》を起こしてしまうのだ。

 1ヵ月半前、俺は問答無用で『ブライアン』を倒したが、下した選択はあながち間違いでもなかったのかもしれない。

 悪事を隠し通さなければならない奴らには、毎週定刻にメンテに確実に割り込む時間も、表の事業部に内密にしたまま《ペイン・アブソーバ》をいじくり回す権限も、結局のところなかったのである。

 あの日、俺に持ちかけてきた魅惑的な交渉内容も、きっといくつかはウソだったのだろう。汚い大人らしい。

 しかもメンテ日は決まっているので、会敵前には猶予(ゆうよ)がある。時間稼ぎする気満々の熟練プレイヤー7人をキルするなんて、いくら死なないアバターを持っていてもそう容易(たやす)くはないわけだ。

 これが、俺達一団が2ヵ月たった今もフィールドで戦い続けられる理由である。

 

「(そろそろか……)」

 

 真っ暗な空と替り映えのない砂丘を7人で飛んでいると、数百メートル先にツブのような影を10も捉えた。

 この暗さで《暗視》なしだと確認し辛いが、モグラのような大型Mobとワーム状の巨大モンスター数匹を相手に、空中から有利な戦術で手際よく狩りをしているように見える。

 捉えたのは攻略を楽しむ普通のプレイヤーである。

 すなわち俺たちは、物資不足を理由に、ここで彼らを強襲しようというのだ。

 こちらには猫妖精(ケットシー)が2人もいるので、すでに遠くから察知している。

 もちろん、攻略中か戦後すぐのタイミングで攻撃を仕掛けようものなら、それはまさしくノーマナー行為代表の《ハイエナ猟法》となってしまうだろう。だが、火妖精(サラマダンダー)連中に勝利する確率が少しでも上がるのであれば関係ない。攻撃あるのみ。

 

「(ま、いいトコ取りはお互いさまっつーことで)」

 

 むしろ、こういう時に感知タイプをパーティに編入できることこそ、レネゲイドの大きな利点である。

 梯隊(ていたい)を崩さず射程圏へ突入。近づくにつれ、俺もつらつらとした感慨を忘れて目下(もっか)の敵に集中する。

 大剣のグリップを握ると、背負う革帯(かくたい)鉸具(かこ)がひとりでに外れ、右手にずっしりとした分厚い金属がのしかかった。

 

「もう手順はいいな! リックがバフをかけたら、俺とジェイドで畳みかける! テグハは迂回した狙撃手からの魔法を遮断しろ! 各自キルが無理なら妨害だけでいい! なるべく肉薄して前衛の援護を!!」

『了解ッ!!』

 

 隊長リンドの号令でひと塊になっていた隊列が散開すると、さすがにサラマンダー達もこちらに気づいたようだ。

 半数が応戦の構えを見せた。

 距離があってスペルまでは聞き取れなかったが、各々得意の魔法を諧声(かいせい)しているのだろうと予測し、俺は汎用性の高い《迎撃魔弾(インターセプター)》を唱えておく。

 即座に体の周りに5つの黒いエネルギー弾が浮遊した。弾速のでないホーミング系の牽制程度なら、これらが撃ち落としてくれるだろう。

 対して隣を並走するリンドの左腕がボウッ!! と発火しているのが見て取れる。使用したのは《熱線腕(ボイルレータ)》。

 直射でもなく、曲射でもなく、範囲技でもない。盾を収納しておく必要があるこの技は、いわゆる打撃タイプの魔法といえる。武器を装備していない腕を炎で包み、ゼロ距離で殴ることで強力なダメージを与える攻撃的な技だ。両手に武器を持っている状態に近い。

 しかも、間髪入れず高速詠唱で《纏う高熱(ウェアヒート)》まで発動させている。得物に炎属性の火力を付与する魔法で、かつて斧槍を携えたサラマンダーの強敵が使っていたものだ。

 どちらの魔法も防御性能には乏しい。一気に人数を五分に持っていく腹だろう。

 

「(まった隊長(リンド)はリスキーなことをッ!!)」

 

 保全に逃げた俺には若干ばかり彼への対抗心が芽生える。ギリッと歯ぎしりするが、もう唱え直す時間はなかった。

 凄まじい風切り音。点だった人影がはっきり映る。

 集団の魔法が一気に激突。

 直後、火薬量を誤った爆竹じみたエフェクトと爆音がそこかしこに響いた。

 魔法の弾道は視えている。突風音を追随(ついずい)させながら特攻すると、リンドと俺の刃が会敵3秒で1人の男の胴をなぞるように()いだ。

 弾丸のような直進。大剣の一閃。

 ザンッ、ザンッ!! と相応の反動が跳ね返った。

 轟音はそのままに、弧を描きながらなおも前進し、最大速を維持したまま次の標的をリンドが指示した。

 

「ひっ、1人やられた!? 速すぎる!?」

 

 敵が呆気に取られている。

 ほとんど仲間の真横を通過しただけに見えたからだろう。

 しかし、一拍遅れて仲間がエンドフレイムによって四散すると、「ウッソだろ!?」、「こいつら例のパーティかッ!?」などと、遭遇戦になっても崩さなかった彼らの自信が揺らぐ手応えがあった。

 基本的に《ハイエナ猟法》に頼る集団は小物レベルが多い。もしハイランカーのハイエナが他種族の領地を荒らし回ろうものなら、そんな一団はすぐにマークされる=必然的に無名パーティではなくなる。という、安易な先入観もあるようだった。

 接近しただけでオート発動する、ステータスダウンのデバフ魔法もいい味を出している。

 だがだからこそ、彼らの狼狽(ろうばい)はあらゆる面で致命的だった。

 

「(いいねェ、その顔ッ!!)」

 

 風の音がすべてを流す。その慌てる姿が優越感の増長とモチベーションになり、俺は脳がスパークするほど加速していった。

 今度はリンドから先行し、左腕による炎のラリアットに続き、俺のシルバーグレイの大剣が横薙ぎで一閃。ドドッ!! と、ごく短い間に鈍い斬撃音を2重に受けてサラマンダーが爆散した。

 途中で小粒の炎弾が何発か掠めたが、そんなものはお構いなしだ。

 ヒーラーのリックがパーティ全体にかけた水属性の《純化の聖水(ホーリブ・リファイン)》は、対象者を透明な膜で覆ってあらゆる魔法からのダメージと衝撃をしばらく軽減する支援魔法だが、それゆえ見込み違わず炎属性には効果が高い。

 弾速に優れ燃費――消費MPに対し、与えられるダメージ量のこと――も悪くないはずの《火葬球(クリメイター)》や《炎回壁柱(フレイムシリンダー)》といった放出型魔法が面白いぐらい相殺されている。

 しかし3人目のサラマンダーを(ほふ)り次の標的を決める頃には、さすがにバフも切れかけていた。

 しかもMobの相手をしていたプレイヤーも完全に戦闘を中断し、すでに加勢に入っている。

 

「ホリファが切れる! リック!!」

「わかってますって!!」

 

 激戦、乱戦のさなかでの指示だったが、青衣装のフリデリックが驚異的な広い視野で応答すると、土妖精(ノーム)2人に守られながら次なる水属性魔法を唱え始めた。

 単体でMP30消費の《ホーリブ・リファイン》を3倍消費で全体にかけたのだ。MAG補正の高い彼らとてさすがに連発はできないが、だからといって手はまだある。

 ものの数秒で範囲魔法が起動すると、直径1メートルを誇る無数の巨大なシャボン玉が、気の抜ける音と共に空域を埋め尽くした。

 水属性の妨害魔法《水玉が浮かぶ撹乱(コンフェッティ・ドット)》。

 体が触れればもちろんのこと、別魔法の命中でも弾け飛ぶ脆弱(ぜいじゃく)な風船群だが、ただしその場合は触れた魔法も道連れだ。普通に発動するだけでは両者ともただ見通しを悪くするだけという、使いどころを選ぶものである。

 だが効果はすぐに現れた。

 

「がァあああっ!? くそ、こいつらッ!?」

 

 ガシュンッ!! という斬撃音。

 最後まで発しきれないまま、また1人が天に召された。こちらチームによる斬撃がまだ続いているからに他ならない。

 そう、これを厄介な障害物としか見ていないのは彼らだけだ。

 一見無造作な展開に見えて、発動者の座標と向きでシャボン玉が出現する位置は固定される。つまり、俺達からすれば透過性の高い障害物のようなもので、相手の動きは筒抜けなのである。

 もっとも、これを『利用』までできているのは俺とリンドの2人だけであるが。

 

「リンド、そっちは遠い! 右をやろう!!」

「ダメだ! これに乗じて《蘇生(リヴァイブ)》のスペルが聞こえた!」

「減らしゃイーんだよそのブンッ!!」

 

 1人の復活を妨害する時間で1人倒せばいいだけだ。それに、蘇生に集中している間は余計に戦線を外れる計算にもなる。

 という独断のもと、俺はリンドの命令を無視して対人に不慣れそうなプレイヤーを標的に定めた。

 しかし、死角から俺の動きを見ていた奴がいたのだろう。

 仲間の掛け声で俺の奇襲に気づくと、ターゲットは情けない声をあげつつも、意図の読めないメチャクチャな機動で逃げ出した。

 

「(シロウトが! セオリー守れよ!!)」

 

 お門違いな愚痴なのはわかっている。もし男がセオリー通りの動きをすれば斬れる自信があったからだ。

 ゆえに、運任せになった大剣攻撃は空を切り、弱点部位の首や心臓にかすりもしなかった。

 

「クソッ、しくった……!?」

 

 そう感じた瞬間、背後にただならぬ気配を感じた。

 すでに詠唱を終えた隊長格のサラマンダーが待ち構えていて、しかも直後に土属性の大技を放ってきたのだ。

 不覚を認めた一瞬で翅にありったけの力を込めたが、危機を脱する前に仲間から援護が入る。

 ゴウゥウッ!! と、吹き荒れる土魔法によって相手のそれも風化し、無害な砂塵(さじん)へと変貌(へんぼう)した。

 目線だけ寄越すと、最近になってどうにかまともに《随意飛行》で飛べるようになったクロムのおっさんがガッツポーズをしている。

 彼が行使したものは、放出系の土魔法を特殊な風で無力化させる土魔法、《岩屑(デトリタス)》だろう。いわゆるミラーマッチ用のメタ魔法である。

 

「ジェイドや! もっと周りを見ろい!!」

「ハッ、ワリィなおっさん!! 助かった、ぜっ!!」

 

 グリップを絞るように握り直すと、語尾を強めて反撃に出た。

 サラマンダーは力強く、打たれ強く、しかも長い飛行時間まで保証される妖精である。しかし優遇妖精とて、SAOの前線で2年も鍛えた剣術に接近戦では及ばなかったらしい。

 この種族は火の他に土と闇にもある程度適正が利く。たった一手で敗色を示した辺り、先ほど放った隠し玉の土魔法は彼にとって切り札だったのかもしれない。

 

「誰か援護を! ぐあ……そんなッ、こんなに早く部隊が!?」

「これでいっちょアガリィッ!!」

 

 最後は雑になったが気合いでズタズタにしてやると、敵の司令塔はあっけなくリメインライトになり果てた。

 しかも撃破直後に戦場を見渡すと、先ほど殺しそびれた対人初心者がアルゴのクローにチクチクと追いやられ、そのまま右手のサブウェポンの特殊鞭《フォー・ハウジング・バーブス》に胴を絡め捕られ束縛されていた。

 戦闘が本職でなかったアルゴに手も足も出ないようでは、彼のこの先が心配だ。

 

「ジェイド、行けるカ!!」

「おう、パスパス! やれるっ!!」

 

 背に力を込めた途端、激しい向かい風を感じた。そして、グラッピングフックで巻かれた敵になす術はない。

 一気に飛揚(ひよう)して射程圏に入ると、ズッパァアアアッ!! と、続く2人目も灰色の鉄塊で両断してやった。

 そうして、ほどなくすると戦闘は終了した。

 保険枠の貴重品だけは仲間のテンポラリ・インベントリに転送される仕様上、ラスト2人になった時点で保管されたものだけでも取られまいと逃走に転換していた。が、全滅まで追い込んだ甲斐があったようだ。

 戦利品はきっちり回収できたし、隣の領土で採れるレア素材ものを含め、なかなか旨みのあるドロップも見受けられる。

 リンドが集団に合流すると、納刀しながら切り出した。

 

「欠けてないな。……よし、念のためアルゴさんとシリカさんは周りの警戒を。いったん降りてリザルトを整理しよう」

「了解です!」

「う~い、おつかれ~」

「オイこの報酬、やけにとなりの領地の特産品が多いな」

 

 それぞれが地に足をつけると、翅をたたんで肩の力を抜く。圧勝したように見えても、これは現時点最大勢力である種族のパーティ狩りだ。仮想太陽こそ沈んでいるがリアル時間は昼真っただ中。しかも今日は日曜日ときている。いくら2年のアドバンテージがあるとは言え、気の抜けない数分だったのは間違いない。

 しかし、飛行限界の残量や武器のデュラビリティチェックをしていると、横からささやくように声をかけられた。

 我らが隊長、サラマンダーのリンドである。

 

「ジェイド、ちょっといいか」

 

 その声にはトゲがあった。眉間にもシワ。嫌な予感である。

 

「……どうした隊長さん。戦闘は文句なしだったぜ、見事なモンだ」

「俺の方から文句を言いに来たんだ。……はぁ、いいか? 俺達はチームで動く。そしてチームがあれば、それを指揮する者もいる。まったく、お前もわかってるはずだ。事前にコンビネーションまで練習したのに」

「オイオイまた命令違反の話か? せっかく勝ったんだし、説教クサいのはなしにしようや。それに、そっから15秒で2人倒したんだぜ? かける言葉が違うだろう」

 

 先ほど、敵の一部は仲間を蘇生させようとしていた。そしてリンドはその阻止を命令した。合理的と言えるだろう。

 ただ、モノは考えようだ。

 遠い位置にいるサポーターを止めるにせよ、付近にいる手頃な若輩者を1人始末するにせよ、結局は1:1交換。《リヴァイブ》の詠唱だって、その効果が適用されるまで片手間ではない。むしろ奴らは、その間は1人欠けた状態を余儀なくされるはずだからである。

 俺は独断で動いたが、ラストアタック回数は5。数ではリンド以上の戦果を残しているはずだ。それは彼も理解しているはずだし、だとしたらこの糾弾はみっともない(ねた)みにも見えるはず。

 しかしリンドの主張は少し違っていた。

 

「撃墜数を競ってるんじゃない。繰り返すがこれはチーム戦だ。それに、ダメージを負わなかったのはクロムオーラさんの援護があったからだろう。よもやあの瞬間、そこまで織り込み済みで突っ込んでいったわけじゃないよな?」

「うっ……それは……」

「……ジェイドのことだ。あれで瀕死とまではいかなかったかもしれない。けど、連続キルだって同じだ。アルゴさんのアシストなしに1人で成し得たとは思えない。……チームがお前を救い、その傘の下で戦果を上げただけ。それをゆめゆめ忘れないことだ」

「…………」

 

 口をつぐんで顔を逸らすと気づけばギャラリーができていて、その視線を意識すると、彼の言葉に対し俺は反論できなかった。

 言い返すセリフだけなら、責め句を受けた瞬間に頭の中で10は挙がっていた。だのに黙秘したということは、俺が心のどこかで非を認めているからだろう。

 実際、俺は助けられた。

 情けない話だが、リンドが細かいところまで見ていないだろうとタカをくくり、自分が犯した小さなミスを隠そうとしたわけだ。

 11ヵ月もリーダーをやっていると、人にアゴで使われるのがどうしようもなく頭にくることがある。

 俺の方が効率よくできたのに、俺の方が的確に指示できたのに、と。起きた事象から責任者だけを遡及(そきゅう)するように、言っても詮無い結果論が次から次へと脳裏に浮かぶ。

 それこそ未熟の証明だと言いたいのだろう。

 結果が出てから道を選ぶのはとても簡単なことだ。難しいのは、見えない未来を想像して行動を決定すること。

 言い負かされた俺は、すごすごと引き下がるしかなかった。

 立ち止まっていると危険だからか、すぐに移動が始まる。集団の一味である俺もそれに(なら)うしかないわけだが、しかし落ち込んだまま一行の後ろについて歩いていると、1人だけペースを合わせてくれる短髪の老兵がいた。

 

「気負いしすぎるなよジェイドや。お前さんの気持ちもわかるが、こういう時こそ目上は敬うもんじゃ」

「クロムのおっさん……」

「やはは、前から言っとるが長いじゃろうそれ。普通にクロムで通っとるぞ。……まあ、《軍》にいたころは階級が後ろに付いとったが」

「うーん……じゃあ『おっさん』で」

「くはっ、この捻くれもんめ」

 

 甘んじてデコピンを受け入れると、夜間はむしろ冷えている砂漠――しつこいかもしれないがリアル側は真昼間――に深く足を埋めながら、見た目倍以上は年の離れる壮麗の男の語りに耳を傾けた。

 

「リンドはあれで責任感は人一倍強い男じゃ、お前さんの身を案じてキツく言っとるんじゃろう。……だいたいお前さんだって、女の子2人に容赦なく対人戦を教え込んだらしいじゃないか? これも同じやな。彼女達はよくお前さんに感謝しとったぞ。恨みたくなるほど厳しかったが、おかげで今も生きとるとな」

「……キツいだけならガマンも利く。だけじゃなくて……俺は正しいことをしたし、結果も残したつもりだ。扱いが不当だってハナシさ」

「さっき面と向かってそう言い返せばよかったじゃろう」

「…………」

 

 いじわるはこの辺までにして、クロムのおっさんは続けた。

 

「ヤハハ……まぁ1人なら、な。お前さんは実力だけならリンドとタメを張れるが、わしを含めメンバーまでそうとは限らない。1人で前に行かれると、次こそ本当に誰も助けに入れなくなるぞ」

「そりゃあ……そうだけど……」

「……助け合えなくて辛いのはお前さんだけじゃない。頼むから、わしにも守らせてくれや、ジェイド」

「え……?」

 

 思わず聞き返してしまった。

 「守らせてくれ」というのは意外な発言である。レベルも剣術も当初から俺の方が圧倒的に高かったはず。

 それ以前に、俺はクロムのおっさんに貸しを作った覚えがないのだ。むしろ俺の無鉄砲な行動のせいで《黒鉄宮》では何かと世話をかけていたし、当時は外野による俺への野次を退けさせるなど、いらない苦労もかけた。こうまでして俺を守ろうとしてくれる理由がわからない。

 しかし、その疑問はすぐに解消された。

 この場で最も年配者でありながら、同時に最も戦力として乏しい、1人の男の葛藤と独白によって。

 

「まともに考えれば暇なだけ。……じゃが、わしが階級を上げる前からずっと《黒鉄宮》の番をしとったのはな、若いモンの更生うんぬんと言った正義感ではない。ただの掃き溜めが行きついた……いわば成りゆきじゃ。逃げたことへの負い目もあったなぁ……」

「逃げた……って、何から?」

「そりゃあもちろん攻略さ。子供らが震える足を叩いて前に進む陰で、ひたすら怯えて暮らしとった。……25層の戦いで、《軍》から十何人と死者を出した……つまり、わしの友人がこの世を去った、悪夢の日からずっとな……」

「うそ、おっさんいたのか? フロアボス戦に……!?」

 

 クロムオーラはシワの多い眼を細めてうなずく

 これは掛け値なしで初耳だった。俺はてっきり、この男が戦い慣れていないのは根っから争いを好まない男だから。そして大集団の中での加叙(かじょ)が、彼のSAOに見出した生きがいだったのかと。

 しかし、考えてもみればその前提はおかしい。

 SAOのソフト購入者は一部の例外を除き、誰しも次世代機RPGに胸を馳せた生粋のゲーマーだったはず。彼もその1人であったのなら、モンスターとの戦闘を絶った何らかのファクターがなければ不自然である。

 ましてや彼は、恐怖のあまり《はじまりの街》から1歩も出なかったプレイヤーではないのだから。

 

「おかげさまで最終レベルは50以下。だから先々月、ゲームクリアのアナウンスが聞こえてきた時は後悔すら感じた。ああ、わしはとうとう何もしとらんまま、どこかの誰かが悪夢を終わらせてくれたんじゃな、と……」

「そうだったのか、じゃあ俺が……」

「ああ。お前さんの話を聞いた時は、もう足を向けて寝れんと感じた。あの感情的だった子供がな……《黒鉄宮》に来た時は、その無謀をあざ笑ってすらいたのに。顔を合わす度に説教じみたのは、逃げた自分への……ああ……最後の弁護だったのかもしれんなぁ。……おっと、ジジイになると長くなっていかんな。つまりじゃ」

 

 照れ隠しなのか、彼の言う『子供』相手に饒舌(じょうぜつ)になっていた自分を恥ずかしむようにわざとらしい咳をしてから、クロムのおっさんは歩を止めずに続けた。

 

「老体を言い訳に、いい大人が任せっきりで……負担を押し付けるのはもうまっぴらじゃ……」

「あっはは、そりゃあウレしいけど、やっぱ運動神経は仕方ねェよ。……なるべく、俺とリンドとテグハでフォワード抑えるからさ。その……後ろでしっかり援護してくれ。……ほら、おっさんがいなくなったら、俺なんて誰も止められねーぜ? ハハッ、これでも《黒鉄宮》で世話かけたのはマジで感謝してんだ」

「やははは……ありがとな。昔から気遣う時のウソだけはとことん下手な奴だ。そんなあまのじゃくな戦い方が逆に難しいことは、お前さんがよく知っとるじゃろうて」

「……うっ、そうなんだけどさ……」

 

 正論を前に、今度は俺の方が頬をかいて顔を逸らしてしまった。

 クロムのおっさんの種族は《ノーム》。与えられた初期魔法は所持武器を硬く、そして壊れにくくする《武器硬化(アームズロック)》と、剣戟による物理攻撃力にのみ一定時間ダメージ補正がかかる《裁断刀(ジャッジメン・トウ)》の2つだけ。

 鈍足で飛行時間と魔力量に難がある、完全な近接タイプ。その真価は両手用の重装を振るい、大盾を構えて味方の壁になる時にこそ発揮される。実際、同種族のテグハは腕こそ細いが、黒きタワーシールドを前面に重装タンカーとして活躍している。

 戦術という観点からも、開戦序盤から彼を後方へ下がらせるのはナンセンス以外の何物でもない。

 であれば当然、この数週間で激戦を生き抜いてきた彼にも、チームの柱として皆を支えてもらわねばならないはずだった。

 元より俺の気配りこそ的外れだったわけだ。

 

「けどジェイドや、さっきのことで尻込むでないぞ。自信を持てばいい」

「周り頼れとか自信持てとか、忙しいな」

「謙虚に勇めということじゃ。周りはお前さんを信頼してるし、期待もしとる。リンドのお叱りは発破(はっぱ)をかけとるに過ぎん……」

「葉っぱ……?」

「気合い注入! ってことや」

「ハッ、どうだか。……ならもっとホメるだろ」

「……世の中、最初は誰も期待しとらん。お前さんが期待を上回ったからこそ、初めて期待されたんじゃ。この順序、わかるか? だから胸張らんかい、ほれ」

「のわっ?」

 

 難しい話がわからないでいると、不意を突かれて強めに尻を叩かれたが、尻をさする俺を無視して彼は続けた。

 

「かっかっ、わしも負けとれん。二言は好かんタイプじゃ。やると言ったら死んでもお前さんらを守って見せるぞ」

「ハハッ、またエンギでもないことを。……んじゃこうしよう。おっさんは現実に戻るまで俺が暴走しないよう、ずぅ〜〜っとメンドウを見る。これでSAOの貸し借りはチャラだ」

「そいつぁいい、なら宣言し直さないとな。わしはアルヴヘイム・オンラインを脱出するまで守り切る。どうじゃ?」

「じょーとう!」

 

 ニッと笑い合うと、排斥しきれなかった溜飲(りゅういん)もいつしか下がっている。()いも甘いも知る人間との会話は、たった数分足らずで効果を見せたのだろう。

 しかし互いに決意表明した直後だった。

 

「お、おいみんナ! 狙われてるゾ!! プレイヤーが何人カ……上カラっ!!」

 

 その鋭い声に、全員に緊張が走った。

 アルゴの示す方向を見上げると、闇夜に紛れて見辛かったが、間違いなくこちらへ急接近する点が少なくとも10は見える。

 ここは風妖精(シルフ)のホームベースとの境界付近。彼らがどこの連中かは2択にまで絞られた。

 

「来るぞ! 妨害魔法唱えてやがる!」

「範囲系です隊長! 交戦するしか!!」

「わかっている、構えろ! あれはシルフ隊だ! リックとシリカで対シルフ魔法を!! 全員飛べェッ!!」

 

 珍しく女性を呼び捨てにしつつ、リンドの命令で7人が同時に飛翔した。

 ざっと見で7対10。伏兵がいなかったとしても不利な状況で、あまつさえ先にターゲティングされるとは。

 快勝後数分という、わずかな気の緩みを突かれたというわけだ。勝って兜の緒を締めよ、なんて今さらな教訓を思い出すことになるとは。

 それにシルフの襲来と言っても、これは予期できた、いわば起こるべくして起こる遭遇戦だった。

 サラマンダーとの不仲は周知の事実だし、休日の昼間ならなおさら人数を集めてパーティ狩りをしていてもおかしくない。

 現に先ほど、サラマンダーのストレージから奪い取った戦利品の中には、シルフ領で採れる特産アイテムが多く見受けられていたはず。それはまさしく、彼らがすでにシルフの集団を撃破していた証左に他ならない。

 

「(んにゃろ、目的はほーふくか……!?)」

 

 PvP推奨の世界観で生きているのだ。敵対組織のプレイヤーを殺害すれば領主への上納金も(うるお)うし、勢力図への貢献にもなる。

 しかし、だとしたら余計に厄介である。

 明確な目的意識を持った人間が徒党を組んで襲ってきた以上、獲物を横取りされたからと言って手ぶらで帰る選択肢はあるまい。むしろ、次の対象が忌み嫌われる脱領者(レネゲイド)なら、一切の罪悪感とて湧かないだろう。

 覚悟を決めたその時、さっそく敵からの範囲魔法が炸裂する。

 

「うわワッ!? 浮力がなんかおかしいゾ!!」

 

 俺も異常を感じ取った。明らかに翅が風を押す反力がおかしい。

 しかし、初見の魔法ではない。

 

「クソッ、これ《大気圧解放(アトム・リブレイション)》だ! シリカとおっさんは補助スティック出した方がいいっ!! テグハ、前線張れるか!」

「任せろ! 隊長を死なせるなよッ!!」

 

 ――あったり前だ!!

 心の中だけで叫ぶと、俺とリンドは重力の狂った大空をどうにかジグザグに飛行し、敵の直射魔法を紙一重で躱し続けた。

 体の真横を鋭い衝撃が過ぎ去る。思っていたよりも敵意の圧が高い。

 すぐに包囲され、リンドをしっかりと援護してやれない状態に持ち込まれたが、しかし焦るとそれだけ相手側の優れた統制が邪魔をした。

 誰を警戒するべきかを、相手も事前に決めていたのだろう。

 

「(ちくしょう、やっぱマークされるよな……っ!!)」

 

 俺の得物は最大強化済みの重厚な両手武器。カウンターとクリティカルの併発、および命中箇所とヒット時のスピードによっては軽装兵をワンパンできる火力があるからだろう。

 ガチガチの大剣一筋オーラを出す俺への警戒はいかにも露骨(ろこつ)で、剣閃から斬撃の波を飛ばす《斬波(スラッシャー)》や、指でエイムした方向へ螺旋状のミニ竜巻をぶつける《振動扇風(ファン・スインガー)》といった風魔法が四方から押し寄せた。

 しかし俺の目的は敵の隊列を()き乱すことにある。

 左の指関節と手首を直角に曲げると、闇紅の隠し盾《スワロゥ・パーム》を展開。ランダムな機動のまま進行方向の正面を取られてもいちいちまともに取り合わず、どうしても回避しきれないものだけをガードした。

 

「おいリンド! つえーぞコイツらッ!」

「さっきのよりはな!! ほら集中しろ!」

 

 魔法カット率95パーセントの性能に(たの)んだゴリ押し戦法だが、おかげで小粒をいくら受けたところでダメージなぞ微々たるもの。多少の時間稼ぎはそう難しいことではなかった。

 しかも俺にはすでに使用可能になった闇属性魔法、敵弾吸収の《合成反応(シンターゼ)》と倍加反撃の《脱離反応(リアーゼ)》がある。露天風呂の直前でイベントボスから手に入れた例の魔法で、少なくとも《シンターゼ》による疑似防御さえできれば、より戦線を維持することへの貢献になる。

 という算段から、どうにか吸収魔法と非実態円形シールドを駆使して耐え凌ぐと、その最中でリックとシリカが同時に範囲魔法を唱え切っていた。

 

「隊長! 行けますよ!!」

「よし! 総員、反撃準備ッ!!」

 

 命令を聞いたメンバーが防戦を解く準備にかかった。

 くどいようだが、相手にこちらの声は聞こえない。

 長い詠唱を終え、耳障りな音波とライトエフェクトが一帯を包み、味方2人がかりのコンボ魔法が正しく発動されたことが確認できる。

 シリカが発動したのは《鋭敏な聴覚(ヒア・サーチキーン)》。発動者1人だけでなく、初めの一句を変えるだけで仲間や敵への全体付与ができてしまう、対象条件緩めの光属性バフ魔法だ。

 シリカはそれを『敵全体』へ付与していた。

 敵全員にエフェクトを確認。これで奴らの優れた聴覚はさらに研ぎ澄まされ、もはや《静寂性(クワイエット)》などの補助魔法なしには待ち伏せなぞ不可能となっただろう。

 そしてリックが使用したのは水魔法の《空洞現象(キャビテーション)》。

 水中ではより効果的に機能するもので、範囲系の無差別タイプ。

 効果圏内で魔法を使おうとすると、発動者の近くで大きな音が鳴る。擬態(ぎたい)や隠密技で身を潜める敵など、不意打ち魔法に際して発動位置を音で教えてくれる、一種の奇襲対策用索敵魔法だ。

 しかも低級モンスターなら、種類によっては音に驚いてエイミングを狂わせる効果付きである。

 無論、自分が使えばノンアクティブ状態の敵に位置が割れてしまうが。

 

「(やっと来た! オラ、誰か引っかかれや!!)」

 

 願うと同時に視界の端で動きがあった。

 「共に乱戦中に役立つものではない」、「魔法の選択を誤っただけか」。さしずめそんな風に判断したのだろう。恵まれた速度補正にかまけて嫌らしく戦域の外周を逃げ回っていたメイジ隊4人は、柄を掲げて迷わず大技の発動を続行しようとする。

 しかし敵リーダーらしきプレイヤーの反応だけは違い、甲高い声で制止を掛けていた。

 

「待って! 魔法はダメぇっ!!」

「(うわ、女だったんだ……!?)」

 

 半端なバイザー付きガレーで顔の半分を覆っているくせに、やたら動きのいいサウスポーのレイピア使いがいることには気づいていたが、だからこそこの豪快さから彼は男だろうと踏んでいたのだ。タンカーのテグハに任せっきりだったが、確かに目を凝らすと鉄製メイルでも隠し切れない見事なふくらみが2つあった。

 これまでの経験上、最初期SAOと違いALOでのアバター性転換は不可能とみて間違いない。肉体の性が変わると、どうしても精神的に悪影響が出かねないからだろう。宿の個室でも借りれば、それだけで『自分の体を使って』極めて不適切なことができてしまうので当然である。

 それも、声から察するに相当若いだろうか。

 カンの鋭い女だったが、いずれにせよもう遅い。

 

「うわぁあああッ!?!?」

「なんだよこれ! み、耳がァああっ!!」

 

 メイジ隊のすぐそばでキーンッ!! キーンッ!! と高い周波の金属音が連続して鳴ったのだ。

 常人からすれば少しうるさい程度の音であるはずが、大げさに耳を抑えるメイジ隊。エイムも外れ、魔法発動の起点となる座標が消滅したために大技もキャンセル。同時に4人ものプレイヤーを行動不能にしてみせた。

 これが魔法コンボの真骨頂である。

 敵種が限定的だが逆説的に対シルフ、ケットシーメタとしては広く有効で、敵味方ともにHP回復行為を封じる広域光魔法《正々堂々(フェアンドスクエア)》や、あらゆる魔法の発動を不可能にしてしまう呪いの闇魔法《沈黙の子守歌(サイレンス・ルーラバイ)》とは違い、こちらだけ自由に魔法を使うことができる土台が出来上がった。

 耳を(ろう)すればバランス感覚まで狂うのが人の常。

 

「今だ!! 全員前へっ! ジェイドもなるべくシューターを削れ!!」

「あいよォッ!!」

 

 一気に攻勢へ転じる混成部隊。時には一撃離脱、時には阿吽の呼吸で三位一体の連携アタック。状況に応じたチームプレーが功を奏し、会敵直後の劣勢は次第に持ち直されていった。

 俺も深夜に反復しまくった詠唱を完了させる。

 我は(エック)祈る。(フレィスタ)ああ神よ、(エーゴズ)この命と(ェアリング)引き換えに、(ブリグザ)汝の力の(ブゥアースキ)片鱗を。(ティリッツ)

 闇妖精(インプ)が神と崇める、実質的な悪魔との契約術。

 左の掌に発生した、暗く、そして深く燃える火の玉。それを握り潰すと、全身の輪郭がデバフを象徴する闇のエフェクトを(まと)い、視界にはかすかに赤い(もや)がかかった。これは両目が赤く発光する演出のせいだろう。実際に単位時間おきに継続ダメ(D O T)が入っている。

 発動したのは《秘めたる狂性(ロードブハイド)》。自発的な解除まで永遠にスリップダメージを受け続ける代わりに、瞬間加速と物理攻撃力にボーナスが付加される捨て身の闇魔法だ。

 死ねない身とあれば本来は禁じ手。

 しかし俺は、この《魔導書》を手に入れたその日には貴重なスロットを1つ消費してまでセッティングし、毎夜毎晩、誰もいない空で発音の練習を繰り返していた。

 集中力を一気に高める。

 翅が一層高周波を刻み、文字通り風を切るようなスピードから万能感を得ると、狭まった視野に1人を捉えた。

 接近は一瞬だった。

 

「死ねカスゥウウウッ!!」

「のがぁあああああああっ!?!?」

 

 ゴッパァアアアッ!! と過剰なエフェクトを放出し、魔法特化の男は死亡宣告の炎に包まれた。

 ついつい汚い言葉(カケゴエ)が口をついてしまったが、布の下に簡素なチェインをあしらっただけの魔術師は一撃で葬り去られた。首への命中ではあったものの、カウンター補正のかかっていない、ただの一撃だ。しかも撃破した敵を彼方(かなた)に見つつ、スピードロスまでほとんどない。

 これが俺の出した結論だった。

 しかるべきタイミングで瞬時に間合いを詰め、確殺の一振りを決めたらヒット&アウェイ。術師のワンパン魔法を、逆にワンパンによって撃たせないことこそ安全への近道説、あるでしょう。

 

「ウッソだろ!? 一発退場とかアリかよ!」

「さっきからあのインプうざいぞ! あいつが《キャンセラー》かッ!?」

「マジなら例の部隊で1番厄介な奴だ!! 《スワロゥ・パーム》で魔法もほぼカットされてる!!」

「ボヤいてないでシンは右翼の援護を! エンハしてるなら逃げて時間稼ぎ! サリバーンはあっちのヤバめな赤服の動きを止めて! こっちも足止めるだけでいいから!!」

『りっ、了解!!』

 

 遠くでまたも例の女が適応していた。

 魔法を遮断する手段に富む俺のスタイルから、次第に戦闘中に俺を呼ぶ呼称そのものが二つ名のような扱いを受けているが、残念ながら嬉しい知名度を前に戦局はあまりよくない。

 ワンサイドのみ魔法禁止の――両耳を手で塞げば不可能ではないが――この状況で、隊長としてはいい心がけだ。彼女の姿勢からはSAO出身者並みの諦めの悪さすら感じる。

 

「(って、ホメてる場合じゃねェなこりゃあ!! せめてあと1人ぐらいは!!)」

 

 しかし、俺が全身エンチャントをしているせいだろう。時間さえ立てばスリップダメで自滅となってしまう俺と、「さあ正面から斬り合おう」とする敵は皆無だった。

 戦域を漂うか細い男達は、フラフラとした惑乱作戦に出る。

 

「くっそ、タマのちィせー奴らだなァッ!!」

 

 大剣をカラ振りさせながら、俺はなおも毒づき追撃を続けた。

 どうにか数発弱ヒットさせたものの、追加のキル数はゼロ。

 しかも紅一点の隊長シルフが仲間へかけた低級のデバフ闇魔法《加護を封じよ(シールブレス)》により、適用中だったバフ魔法《ヒア・サーチキーン》が上書きされていた。きちんと耳を塞いだままアルゴとリックの攻撃を避けているし、全般的にハイレベルな対応力だ。

 エフェクトが消えた途端に響く、輻輳(ふくそう)した低音のSE。メイジ隊が水を得た魚のように活気を取り戻している。

 刻一刻と減り続ける体力ゲージをチラ見した俺は非効率と判断し、《ロードブハイド》を解除せざるを得なかった。

 

「よっし、ドーピングが終わった! インプを挟むぞ!!」

「いいけどこれ、やっぱり声聞こえなくねぇ!? 人数もウワサ通りだし、例のスタッフお抱え用心棒イベントだよこれ!!」

「どっちでもいいわ! なりすましも先月いっぱい湧いてたじゃん! いいからお前は右から!!」

 

 シルフメンバーはそんなやり取りをしていたが、『なりすまし』なんて聞くと頭が痛くなる。

 というのも、俺達の存在が眉唾(まゆつば)物として扱われるほど、現実世界への人間へのメッセージは届きにくくなるからだ。

 「俺達はここにいる」。たったこれだけを、2ヵ月たった今なお誰にも伝えられていない現状を見て欲しい。ストレスなんてレベルではない。

 しかし波長の合った巧みな挟撃で追い詰められていた俺達は、次第に視野が狭窄(きょうさく)していった。

 なにせ、《ロードブハイド》を使用して一方的に攻撃していたようで、実は俺の方が誘い込まれていたことに気づかなかったのだから。

 

「ジェイド、それ以上離れるナ!! 高度を上げすぎダ!!」

「アルゴか!? でも()んないと終わらねェぞ!!」

「リンドの指示ダ、今すぐ撤退スル! もう2分ぐらいしか飛べないだろウ!!」

「くっ……!?」

 

 可視設定にしておいた残量に視点だけを合わせて確認すると、俺のそれは2.0minとあった。となると、水妖精(ウンディーネ)のリックはもう1分を切っていたのか。

 迂闊(うかつ)だった。レネゲイドの弱点、それは飛行限界時間が種族によってまばらになりがちな点である。まさかシルフの女は最初からこれを狙っていたのだろうか。

 微かな悪寒と共に奴を(にら)み付けるが、横からではバイザー越しの表情までは読み取れなかった。

 俺の他にもリンドとテグハが1人ずつ敵を倒していたものの、女シルフの蘇生アイテムによって敵は未だに8人態勢。彼らの飛翔力はまだ十分残っているはずで、制空権を完全に掌握されたらその時点で雌雄が決する。

 

「まずいぞリンド、早く逃げよう!!」

「お前が突っ走りすぎたんだ!! 下もすでに抑えられている! 各自魔法を避けつつ北に全力で飛べ!!」

『了解ッ!!』

 

 なんということだ。まさか尻尾を巻いて逃げるしか手段がなくなるとは。

 数の優位性があったとはいえ、こちとら睡眠時間を含まずして1000時間プレイを超える、そんじょそこらのガチゲーマーをも凌駕(りょうが)するゲーム依存集団なのだ。実力差があるはずの俺達をここまで追い込んだ時点で、敵隊長の指揮能力の高さは驚くべき水準である。

 しかし、それでも格下だろうと完全に見くびっていた。ここに来てまだわずかな慢心が滞留していることを自覚させられた。

 

「(ウッソだろあいつら……!?)」

 

 視界の端に移る、緑色の魔法色。

 シルフの誰かが深夜の厚い雲の向こうで、取得難度が高い風魔法《誘導空路(ガイドラウト)》を味方全員に適用させたのだろう。相手のアバターを取り巻くように風の渦ができあがり、スティック頼りのプレイヤーまで速度の域で遜色(そんしょく)がなくなっていたのだ。

 徹底した追い打ちの姿勢にひたすら戦慄する。

 少しでもグライド距離を稼ぐためとはいえ、現時点で俺達の座標は《高度限界》寸前。単純な撤退すら、許されることはなかった。

 シリカやクロムのおっさんの未熟な飛行を突く練度。弱者を的確に利用した彼らの包囲網は火の打ちどころがなく、一行はむしろさらなる上空へと押しやられ、たった30秒で今度こそ打つ手すらなくなっていた。

 

「た、隊長! この高さから落ちたらっ!!」

「わかっている……クッソ……っ!!」

「待てリンド! 上見ろ!! 陸地があんぞ!!」

「上だとッ!?」

 

 俺の掛け声で、隊員全員が視線を上げた。

 怪しく光る満月よりも高い。ゴゴゴッと風を切り、雲の切れ目から覗いたのは圧巻の幻想風景。

 なんと、直径数百メートルはある大陸が、空をゆっくりと浮遊していたのだ。

 地盤は岩。ゴツゴツの礫岩(れきがん)が幾重にも積層を成して絡み合い、そのわずかな隙間からは丸太のように太い木の根や(くき)が無数にだらりと垂れ下がっている。形状は逆向きの円錐が近いだろうか。

 浮力の源は不明だが、先ほど陸を形成する端から覗き込むように見たところ、立派な館の尖塔(せんとう)を捉えた。ただの背景にしては凝ったディテールの説明がつかず、となればここも何らかのフィールドと見るべきだ。

 風貌(ふうぼう)に聞き覚えもある。確か城内は侵入者を阻む仕掛けだらけで、館の主の配下側に付けば敵対妖精と生死を分かつ戦いを強要されるステージ。

 そして、2ヵ月で(つちか)った1つの記憶がリマインドされた。

 

「(そうだ思い出した! これ、アスガンダルだ!!)」

 

 正式名、《幽覧城塞・アスガンダル》。

 俺達が仮想世界ごと移動するより少し前に、追加で実装された新コンテンツである。

 『その腐った岩の大地と深く根付いた深淵の森は、今なお廃国の覇王と奴隷まがいな傭兵によって、月のもとに生きつく。飽きぬ探求心に呑まれ、その呪われた館へ足を踏み入れんとする愚か者よ。大いなる洗礼と共に、相応の対価を払うがいい』

 アップロード時の謳い文句はこんなところだっただろうか。

 傭兵扱いのMobどころか、覇王の館で従事する下級の使用人まで多彩な武器と嫌らしい攻撃モーション、および火力が与えられている。

 おまけにメインとなるエリアの標高も、わざとらしくギリギリ《高度限界》より高い。これはすなわち、翅なしでの戦闘を強要されているわけである。

 ただし、デタラメな外観を持つアスガンダルはその進路がランダムで、しかもアルヴヘイム内で『月が出ている』時間帯にしかエリアに参加できない。

 進入法も特殊で、地盤の岩より長く垂れ下がった木の根などにしがみ付き、翅に頼らず100メートル以上よじ登って上を目指すしかない。

 その特性上、飛行時間に限りのあるプレイヤーは上昇と下降分も抜いて数分間しかエリアを探すことができず、ここを見つけることそのものが困難である。

 ゆえに、俺達が戦闘の最中(さなか)に発見できたのはとてつもない幸運だった。

 

「(追ってくるか? 来るなら来い……っ!!)」

 

 覚悟はできていた。

 振り返ると、アスガンダルを目視した敵の対応も連動して変わる。

 そして……相手の怒号を聞いた瞬間、俺の全ての思考が停止した。

 

「ミカドさん、アスガンダルです! まだ追いますか!? たぶん逃げ込まれます!」

 

 敵のメンバーが、こう叫んだのだ。

 

「(は……今、なんつった……ッ!?)」

 

 全身の毛が逆立つ。

 『ミカドメ』の聞き間違いだろうか。ヒスイの本名……そんな、まさか。俺がずっと追い続けていた名前を、敵の男が発したとでも?

 

「くっ、サイアク……蘇生班の合流を待つよ! 追うのはいったん中止!」

「聞いたな、みんな下がれってよ!! 1回立て直す! ……おいサリバーン! あんたは前に行った奴らに伝えてくれ!!」

 

 隊のしんがりを務めていた俺とリンドには、ギリギリその号令が聞こえていた。

 何も知らないリンドはホッと胸をなでおろしている。連戦、奇襲、数の暴力を損害軽微で乗り切ったのだ。大きな運要素があったとはいえ、いくつかの回復アイテムと引き換え程度なら快挙である。

 しかし俺は違った。

 女隊長の名を聞いてすぐ、翅の振動に急制動をかけ、見えない手に急かされるようにクイックターンをすると、1人先行していたシルフとサシで再び交戦しだす。

 リンドを含め仲間からの呼びかけも無視し、意図が読めずに戸惑うその敵すらも1人パスすると、俺は遠くの女へ大声で叫んでいた。

 

「ヒスイなのか!? 俺だ! 俺はジェイドだッ!! わかるだろうっ!!!!」

 

 それは力の限りを乗せた咆哮(ほうこう)だった。

 しかし、「えっ……なに、ミカに言ってる……っ!?」と。彼女(・・)の反応は(かんば)しいものではなかった。

 その態度にどうしようもないもどかしさと苛立ちを覚えると、俺は舌打ちをしてポーチに手を伸ばし、手に入れたばかりのアイテム《翡翠(ひすい)の魅了石》を女に投げつけてやった。

 言葉も顔も忘れたのなら、いっそ遠回しにでも思い出させてやろうとして。

 サラマンダーがドロップさせたばかりの鉱石アイテム。消費すると一定時間アイテム発見力を上げるだけのポピュラーなもので、慣れたプレイヤーならアイテム名を確認するまでもないだろう。

 されど、それを受け取ってもまだ相手の表情が変わらない。不可解な行動に首をかしげるように。まるで、思い当たる節など存在しないかのように。

 そして回答を聞く前に状況が動いてしまった。

 

「まだとぼける気か! 俺がどれだけ……ッ!!」

「何をやってるアホ野郎!! さっさと下がれ! 置いていくぞ!」

「バカモンがジェイド! 後ろじゃあ!!」

 

 遠くからリンドの、そしてやたら至近からクロムのおっさんの声がして振り返ると、シルフがまた1人肉薄してきていたのだ。

 完全に反応外。衝突に備えて身を固めた刹那だった。

 1人の老兵の背が視界を遮った。

 限界高度すれすれの戦場で響く爆音。いったい何が、なんて考える間もなかった。

 彼が俺を守ってくれたのだろう。凄まじい衝撃だったはずだ。

 だが、魔法を駆使した突進を生身で受け止めた男は、敵を空中で敵を縫い付けたままこちらに一瞥(いちべつ)もくれず、枯れた声で一言だけささやいた。

 

「行け、今は前を……わしの誓いは、お前さんが果たせ……」

「おっ、おっさん!? イヤだッ!! 俺も一緒に……ぐゥっ!?」

「いい加減にしろヨ、このバカ! 下がれって言ってんダロ!!」

 

 ほとんど殺傷性のないアルゴの特殊なムチ(サブウェポン)、《フォー・ハウジング・バーブス》で腕を絡め捕られると、俺は強制的にシルフ隊と距離を取らされた。

 敵の背中にへばりついてどうにか時間を稼ごうとするクロムのおっさんと、そのシルフ隊がみるみる遠ざかっていく。

 飛ぶ力が半減する代わりに全身を硬化する土魔法、《固縛体化(リストリクション)》の発動によって今は凄まじい物理防御力を得ているが、その抵抗が1分と持たないことは誰の目にも明らかだった。

 

「まてっ、待てよ! あいつがまだ!!」

「もう助からない! 上に逃げるんだジェイドッ!!」

 

 受け入れるより方法がなかった。

 ミスでは許されない、大きな過ちを犯した感覚。

 早計なバイアスがもたらした、あってはならない浅はかな願望。

 全身の血が騒ぎ立て、同時に神経の先では現実を拒否するような麻痺が襲う。その罪の重さを自覚すると、アルゴの鞭やリンドの手を振り払ってでも彼の救出に向かいたかった。

 クロムオーラという男は、俺をずっと見ていてくれたのだろう。俺が逆走した瞬間には自分も続き、窮地(きゅうち)と見るや何の迷いもなく、たいした打算もなく、体を張って暴走するクソガキを助けようとしたのだ。

 翅に限界がある以上、結果は見え透いていただろうに。

 

「(ああ……クソッ、なんで俺はあんなことを……っ)」

 

 敵の女を、彼女(・・)と勘違いしたばかりに。しかしだからこそ、俺は戦友を見捨て空の城塞へ逃げる他なかった。

 無意味と悟りつつ、拘束されていない腕だけが彼方へ伸びる。

 灰のような粉が吹き(すさ)ぶなか、音もなく、ただ仲間を失う喪失感を無力に眺望(ちょうぼう)する。それだけで、今わの(きわ)に遺した彼の小さな懇願(こんがん)が、何度も頭で反芻(はんすう)された。

 善意も決断も無慈悲に。

 今度もまた、薄情者だけがのうのうと生き残るだけだった。

 

 



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エディターズロード2 失われた支柱

 西暦2025年1月12日 《幽覧城塞・アスガンダル》、『妖岩の洞』内部。

 

 シルフに追い詰められながらも、遊覧飛行する岩だらけのエリアへ逃亡したことは奏を成した。

 今のところ追手の影はない。

 しかし巨大な茎とツタを()い上がると、最初にオイラを出迎えたのは《妖岩の(うろ)》なる、視界の奥まで続くおどろおどろしい汚泥の壁面だった。

 2ヵ月書き溜めた情報ノートによると、道の分岐を正しく進み、袋小路となっている採掘場に行けば、汞和金(アマルガム)と呼ばれる一種のレアインゴットが採れる鉱山があるのだとか。

 ただし、今は素材どころではない。

 峻険(しゅんけん)な岩間を手探りで移動すること数分。バラバラに散ったオイラ達は次第に合流し、ジェイドが集まったメンバー全員に《暗視(インフライド)》をかけてから、それでもなお深刻そうな顔をしてうつむいていた。

 シルフ10人による強襲をどうにかやり過ごした6人(・・)

 危機からは脱したものの、これは1人の犠牲の上に成り立った不完全な平穏だったからだ。

 それでも、黙っていては好転しない。やがてリンドが立ち上がると、ずっと足元に視線を落としてうなだれる1人の男を厳しい声色で詰問した。

 

「……言い訳ぐらいは聞いてやろう。皆が飛行の限界時間で、せっかく見つけた唯一の生存方があった。なのにお前は逆走し、無意味と結論付けたはずの一般人への呼びかけを突然再開した。……理由を言え」

「……言って信じるか? あの女隊長の名前が『ミカド』だったからだ。……ヒスイのことは知ってるだろう。俺はあいつと長く付き合っていた……そして聞いたんだ。75層の戦いが終わってから、あいつに本当の名前を……いや、正確には聞き切れてないけど……」

 

 俺が言いよどむと、静観していた者は一様にして眉をひそめた。

 しびれを切らしたテグハが疑義を問う。

 

「聞いてないってアンタ……じゃあなんで……」

「全部聞く前にっ、あの『白い部屋』に、飛ばされちまったんだよ! ……俺が聞き取れたのは『ミカドメ』つう名字だけだった。あの時の声ははっきり覚えている……んで、あいつらの女隊長だ。名前を呼んでいただろう!? この世界じゃ同じ性のアバターしか操作できない。それで『ミカド』だ! しかも左利きだった!! これも偶然か!? あれだけ戦い慣れてて、部隊をまとめられる女がいったいどこに……ッ!!」

「筋の通らんハナシだな。じゃあ俺達の顔を見て反応がなかったのはなぜだ? まさか、耳が尖っていたからとは言うまいな」

「そっ、それは……」

 

 耳を指さし呆れたように言うリンドの疑問に対し、ジェイドは何も返せなかった。覆すに足る答えを持ち合わせていなかったからだ。

 確かに、言われてみればあの女隊長からはSAO出身者並みの執念を感じた。ただの憶測だったのかもしれないが、彼らの隊員が『ミカド』と呼んだ時、ジェイドの直感が一時(いっとき)訴える程度には説得力があったのだろう。

 とは言え、彼女がヒスイ当人なら誰にも気が付かなかった理由に説明がつかない。声も聞こえず、ジェイドを直視しなかったとして、しかしここには前線のメンバーが何人もいたからだ。しかも、かの女隊長の武器も直剣ではなくレイピアだった。

 その理屈を押し出すようにリンドも指をさして声を荒らげた。

 

「……この際はっきり言わせてもらうけどな、あまり自分を特別な存在だと思わないことだ。《暗黒剣》だの、レッド殺しだの、肩書きは大層だがそれはもう昔の話だろう? じゃあ今のお前はなんだ!? 自分の女のことだけ考えて、周りを危険にさらしていい立場か!? 違うだろう。俺が長を務める一介の隊員のはずだ! お前に1人の仲間を見殺しにした自覚はあるのかっ!!」

 

 そこまで言われ、ジェイドは反射的に立ち上がると叫び返していた。

 

「くっ……責任のことでツベコベ言えんのか!? アンタさっきから自分は悪くないみたいな言い方してるけど! 俺がアスガンダルを見つけなかったら、あれで全滅してたんだぜ!? 礼ならともかく、ギャアギャア文句言われるスジ合いは……」

「それとこれとは話が別だっ!!」

「いいや別じゃないね! 何もかも俺のおかげで助かったんだよ、感謝しやがれこのヤロウ!!」

「お前が勝手なことをしなければ、ここには7人いたという話をしているのだ!!」

「もうやめてくださいっ!!」

 

 ソプラノのかかった幼い声で、すでに掴みかっていたジェイドとリンドは暴力沙汰になる寸前で留まった。

 シリカちゃんはほとんど泣きそうになりながら、そして消え入りそうに、また同じセリフを繰り返す。

 暗いおもむきで顔を逸らし合う男2人。つい売り言葉に買い言葉となっていたようだが、彼女の言う通り、ここで罵詈雑言を浴びせ合ったところで過ぎたことを変えることはできない。

 たった今、これからどう動くべきかを話し合わねば。

 ケンカを止めたシリカちゃんに感謝しつつ、ため息混じりに追い風を送ることにした。

 

「気は済んだか2人トモ。とにかく上に出ようヨ。洞窟だと、挟まれでもしたらどうしようもないからナ」

 

 オイラがそう提案すると、いがみ合っていた彼らも一時休戦して、ひとまずは新規エリアの探索をする運びとなった。

 クロムオーラさんの脱落も悲劇ではある。しかしオイラ達はプレイヤーだけでなく、モンスターとの戦闘ですら負けるわけにはいかないのだ。頭数が減ったからこそ、一致団結しないことには助かる命も(こぼ)してしまうだろう。

 そうこうしているうちにモンスターとエンカウントする。初会敵した相手こそシルエットとパラメータを少々いじった程度の焼き増しMobだったが、追加ステージに新規キャラを置かないはずもなかろう。

 一行が気を引き締め直して順路通り攻略するにつれ、気温はどんどん下がっていった。翅が使えないほどの高度だからだ。

 されど、さすがは手慣れの集団。安パイのリンチ戦法と石橋を叩く用心深さで危なげなく15分も進むと、上方へ段々と積み重なる岩肌の向こうに月明りを見た。

 逆円錐のフィールドを登り切った、洞窟の出口だろう。

 足取りも軽く進むと、予想違わず抜けた先は待ち望んだ外界だった。

 

「(ワオ……スゴい景色……)」

 

 まず目に飛び込んできたのは、しんしんと降り注ぐ細かい雪と、無残に崩れる風化した石塀(いしべい)。そして遠くへ延びる舗装(ほそう)の甘い1本道。といっても左右に道とを隔てる遮蔽物(しゃへいぶつ)はなく、青く変色した寒草(かんそう)がのびのびと育っている。

 次いで木々の隙間がいやに真っ暗な闇色の森と、名前まではわからないがメインステージたる例の館が見えた。

 隣にはポツンと溜まる凝寂(ぎょうじゃく)な湖畔がそっと佇み、もっと荒寥(こうりょう)としていると思っていただけに、その神秘的かつ清雅(せいが)な風情は衝撃だった。

 (うろ)を出ると、同時に吐く息も白いものが出る演出がなされる。日の光を一切浴びない設定があるからだろう。プレイヤーへの配慮でべらぼうに寒いわけではなかったが、夜の砂漠よりもさらに防寒具を1枚足す程度には冷えそうである。

 ちょっとした景勝地と、何よりオープンワールド特有の『見える場所にはだいたい行ける』という解放感とワクワク感。

 睥睨(へいげい)した先にある流麗な深い蒼と、光を反射する白のコントラストがあまりにも美しく、自然と全員が言葉を失っていた。

 

「(もったいないなア。オレっちに権限があれば、いろんなプレイヤーにこの景色を見てもらう工夫をしそうなものだケド)」

 

 先にもあったように、侵入可能なのは月が空に出る間だけ。エリアごと消えてなくなるわけではないが、上空に見える満月が地平線に堕ちるとこの一帯は不可視となり、次のサイクルまで事実上の《インスタンス・マップ》となる。

 そうなればモンスターさえ来ない場所、あるいは湧出しなくなるまで敵を倒し続けた空間ならゆっくり休めるはずである。

 

「やっと地上が見えたな。ただ、翅が使えない。敵の種類も変わるだろうし、各自初見の行動は特に気を付けるように。……わかったなジェイド」

「ひと言よけいだ、オン知らず」

「ま、まあまあ隊長も抑えて。あれでも反省してますよ……」

 

 鼻を鳴らして去る隊長さん。例の一件以来ジェイドの肩を持つようになったテグハっちも、この場を収めるには力不足だったようである。

 そうして攻略が再開されるとまた彼からまたチラリと視線を感じた。

 

「(オイラを……諦めてないって感じだナ……)」

 

 そう、こちらの問題も未解決なのである。テグハっちも諦めが悪い。

 1度そげとなく断ったこともあったが、恋と言うやつはそう簡単に捨てきれないのだろう。

 もっとも、それを一方的に責めることはできない。彼からのアプローチは時折り邪険にしてしまっているが、しかし自分が抱えるこの気持ちもまた、何週間と前から変わることはなかったからだ。

 彼と同じように、ジェイドの横顔を見やるとたったそれだけで苦しくなる。

 あのぶっきらぼうな態度の下にも確たる信念が存在し、それを貫くためなら一切の努力を惜しまない覚悟を持っているのだ。

 ある意味、根拠なき自信。横柄な目立ちたがり。けれど、誘われるように魅せられたオイラには今さら芽吹いた恋心を止めようもない。

 それなのに、彼の衝動は愛する女性へ集約している。自分なんてとうに蚊帳(かや)の外で、いざ選択の時が来ても彼は一切迷わないだろう。

 現実が重くのしかかる。吐き出したい気持ちはいつだって(むしば)んでくる。それでもいつの日か、心の片隅にオイラの居場所を作ることができるのなら……、

 

「(あのコの想いを裏切ってデモ、カ……)」

 

 自嘲と自己嫌悪に(さいな)まれ、うつむこうとした瞬間だった。ずっと凝視してしまったことをジェイドに悟られてしまった。

 少しだけ自らの不注意を後悔しつつも、「何か言いたげだな、アルゴ」とトゲのある言い方をした黒服の彼に向き直る。

 

「イヤ……まア、どっちが悪いって話じゃないと思うんダ。人なら誰だって間違うと思うし、それは隊長の彼だって例外じゃナイ」

「……本当にそうならいいけどな。結果を見ると、その……俺はクロムのおっさんを殺したも同然なのに、また守られて生き残ってる……」

「それは本当に結果しか見ていないゾ。剣だけ振ってもどうしようもないことはあるサ。寿命を削るような戦いだったのに、お前サンは何日もかけてオレっち達を守ってくれたじゃないカ。それに満足しているんだろウ?」

「そりゃあ、な……」

「じゃあ『行かなかった』ならともかく、きっとクロムオーラさんは、ジェイドを救ったことを後悔してないと思うヨ……」

「……そか。それ聞けてよかった。……けど、納得できない人もいるだろうけどな……」

 

 リンドらのことを言っているのだろう。いつも気丈な彼が、今だけはオイラを頼って弱音を吐いている。

 恋をすると大抵のことは許せてしまうというが、それは真理だろう。救ってもらってばかりだったことへの清算より、頼ってもらえる女になれたことがどうしようもなく快楽だった。

 

「……まあ元気出せっテ、間違うことは悪くないサ。悪いのはベストを尽くさないことダ。ここにはまだ6人もいるし、知名度もこの2ヵ月で上がってるはずだヨ。現実復帰だってそう遠くナイ……」

 

 この言葉は慰めではなく本意のはずだった。

 噂を聞いたユーザだって経過した時間からすれば相当数に上るはず。いざオイラ達と遭遇した時に信じるかはともかく、圧倒的な力量差でねじ伏せれば心象にも残り易いだろう。

 そうなれば自然とアバター、ステータス、種族構成(ビルド)などが認知され、ゲームをしている場合ではないだろうSAOサバイバーとて、どこかで存在を耳にするぐらいには……、

 

「…………」

 

 そこまで考え、自分の逡巡(しゅんじゅん)がふと停止した。

 果たしてそれはいつになるのだろうか。

 経過も聞けないと不安に駆られてくる。もう1ヵ月粘れば叶うのか、それとも生き延びるだけでなくプラスαが必要なのか。

 わからない。解答を聞くことはおろか、正解に近づいているかさえも。

 結局、向こうの人間が経緯を理解したとして、個人の力ではどうしようもないことだってあるではないか。物的証拠を提示できないのに警察が動いてくれるとも限らないし、むしろ研究にかかっているだろう金額を想像するに、そんな未来しか見えなくなってくる。

 そしてもちろん、サバイバーがいかに問題解決へ前向きな気持ちを持っていたとして、再びVR世界へダイブしてくれるかどうかさえ定かではない。

 おのずと暗い結論が描かれるが、幸いにもMobにタゲられて強制的に意識を現実に引き戻された。

 ダッシュによる撹乱と手数の多いクロー攻撃を織り交ぜつつ考える。ジェイドがまだ荒れていた時、「剣を振っている時は難しいことを考えなくて済む」なんて言っていたが、これは的を射ているのかもしれない。

 とは言え、湧いたのは雑魚が数体である。再戦闘の末に敵モンスターを全滅させると、納刀したリンドは口を開いた。

 

「ふ~、さっそく今のは新手だったな。……でもやることは同じだ、どこかキャンプできそうな場所を見つけたら、手順通り一帯の敵が枯れる(・・・)まですり潰すぞ。別動隊を作って、すでにこのエリアにいるプレイヤーにもご退場願おう」

「基本は待ち伏せだろう? なら俺はリンドと……」

「いやお前はここに残れ。ここまで来れる相手は手練れと考えるべきだ。大事なのは連携。……俺とテグハとリックで偵察に行く。3人で無理ならまた呼びに来る。……いいなジェイド」

「……けっ、わあったよ。好きにしろ」

 

 なんて答えつつも「ファック! そのままくたばっちまえ!」と顔に書いてある。しかし名軍師を失えば今度こそオイラ達はお終いなのだから、その願いが本気でないことを祈ろう。

 そうこうして隊を2分すると、リンドチームは大舘の玄関口の方へいそいそと移動していった。

 オイラ達3人も体を休められそうな場所を探すべく行動に移す。

 エリア外周先のはるか遠く、オープンワールド本土とでもいうべき『下界』には中央都を囲う円環山脈が滑らかなテクスチャ、かつ壮大なスケールで再現されている。可能であれば観光がてら散歩したい気分だったが、景色を気楽に眺めている時間はなかった。

 それに、攻略自体は代わり映えのない館外周のマッピングだったものの、内心では高揚する気分を抑えきれない。

 今は使い魔である《メア・ヒドラ》のピナちゃんがシリカちゃんの肩周りをクルクル飛んでいるが、この3人で話すのが初めの2週間以来久しぶりだったからだろう。

 オイラ達は、当初のジェイドのワンマン具合とバーサークっぷりをシリカちゃんとからかいながらも、捨て身の覚悟で仲間を守ろうとした彼に改めて感謝しつつ、ゆっくり話し合えた。

 しかし15分もすると浮足立った会話も途切れはじめ、そうすると見計らったようにシリカちゃんが核心へ切り出した。

 

「ジェイドさん、あの……」

「ん、どうした」

「ジェイドさんの気持ちはわかっているつもりです。……SAOでつちかった、ヒスイお姉さんへの想い。……それが強すぎて……だからさっき、あんなムチャをしてしまったんですよね……?」

「……なあシリカ……その話はやめよう」

「あと回しにはできませんよ! ……DDAの隊長なんて聞くと、最初は身がまえましたけど……リンドさんも悪いヒトではありませんでした。お2人の実力と息の合い方はものスゴかったです。どんなにピンチも逆転のアイデアや作戦でみんなを守って。……研究スタッフの攻撃を5回も退けられたのは、その……お2人の協力があったからで……」

 

 きゅるるっ、と鳴く暫定ピナの傍らで、シリカちゃんは不安そうに指を絡めながら勇気を振り絞った。

 それだけで彼女の言いたいことがよく伝わった。

 ただ、2人に仲直りしてほしいだけなのだ。

 両者の仲間想いとストイックさ、それに伴う実力は皆が認めるところで、誰だって対立は望んでいない。

 悪名高いDDAの総隊長とて、ただのレベルホリック、あるいは極論をかざす急進論者(ラジカリスト)ではない。むしろ、部下のコンディションから相手の弱点までつぶさに観察し、しかるべきアドバイスができる男である。気性の荒いジェイドでさえ、その一貫性と人柄を褒めたことがあるぐらいだ。

 

「(だいたい、今回のことだっテ……)」

 

 発端は小さなすれ違いである。

 ヒスイの現実世界での名は『ミカドメ』と言ったか。この情報はさしものオイラとて知らなかった。

 確かにシルフの女隊長のプレイヤーネームは紛らわしいところもあるし、自分の女に対してはやや盲目的だった彼が、一縷(いちる)の望みを賭けてコンタクトを計ろうとするのも理解できなくはない。

 しかし、アバターがSAO当時のものでない理由が、現実からの再ダイブ――すなわちオイラ達とはまったく異なる径路だったとしても、件の相手の名はあくまで『ミカド』だったのだ。彼氏に気付いてほしいならわざわざ1字だけ変えることもないだろう。それに、単漢字の『帝』から持ってきた可能性もある。現に彼女は隊長だった。

 オイラは正面切って直接クローを交えたが、あれだけ頻繁に顔を合わせ冗談まで言い合った仲なのに、こちらの顔を見て無反応というのも納得できない。

 総合的に見て、これは明らかにジェイドのミスである。であれば当然、リンドと呼吸を合わせ直すには、このプライドの塊が折れて頭を下げる他ない。

 大舘の裏庭らしき手の込んだ庭園を横断しながら、オイラはそれを促した。

 

「お前さんの負けだヨ、ジェイド。恋人の愛弟子を泣かせてまで素直にならないつもりカ?」

「うっ……わかってるけどよ……」

「じゃあ決まりダ。偵察か討伐かしたらリンド達も戻ってくるだろうカラ、そこでしっかり謝るんだゾ。あとしばらくは隊長の命令を順守するようニ」

「…………」

「返事!」

「だあーもう、わかったよ! あやまりますとも! ったく、親かよ。2人といるとすぐにチョーシ狂わされるわ……」

「ネコミミが2人もいるからナ! ニャっはっはっは!」

 

 わざと耳と尻尾をフリフリしてやると、彼はほんのり頬を染めてそっぽを向いてしまった。その可愛いしぐさがまたも自分の琴線に触れたのか、ヒスイとの関係と独占欲とが混じり合って憂鬱(ゆううつ)な気分になる。

 いつも通り顔や態度には出さないつもりだった。しかしうつむきかけたその時、館の側面を伝った上の方から人の荒々しい声が聞こえた。

 

「今の声! まさか!?」

 

 ジェイドが即座に反応する。

 そして直後に、室内から機材の転倒音。これはそびえ立つ館側面の内側からだろう。屋内で誰かと揉めているのだろうか。

 

「シリカわかるか!?」

「中で戦闘してます! この声……たぶん、片方はリンド隊長さんたちですね」

「3人の奇襲で勝てると判断したわけカ。しかシ……」

 

 1つ気がかりだったのはジェイドが抜けた穴である。アスガンダルの先客プレイヤーの戦力がいかほどだったのかは知る由もないが、この特攻インプが持つ瞬間火力と、それをプレッシャーとして利用した隊長の鋭い技とで挟み込む鉄板戦術は、対人戦では無類の強さを発揮していたのだ。

 ガシャンッ、ガシャンッ、と木材や陶器が大量に割れるような音が重なると、その心配は余計に募っていく。

 百戦錬磨の元攻略組3人を見くびっているわけではないが、ジェイドを戦力から外した今、リンドだって本来のポテンシャルを出し切れていないのではないか。

 まったく男というのは度し難い。彼も大概意地っ張りな性格だ、これでさらにメンバーが欠けたら元も子もないだろうに。

 

「奇襲にしては長引いてるッ……なあアルゴ! あの音源に近いとこのステンドガラス割れそうじゃないか!? 建物の中に入っちまえば、今からでも助けに……ッ!!」

「無茶言うナ、どうやってあんな高いところに行くんだヨ! ここは翅の限界高度よりもっと高いんだゾ!? まさかこの垂直な壁をよじ登っていくとデモ!?」

「くそ、だったらどうすりゃ……」

 

 かくいう自分とて何か策があるわけでもなかった。

 ただ真上を見上げるだけでどんどん時間が過ぎていく。室内外の温度差――あるいは内部状況を隠す仕様だろうが――ゆえか、一辺4メートルもあるガラスは完全に結露(けつろ)していて、中の状況まではわからなかった。

 もし勝てると見込んだ先制アタックならいいが、少人数で行動したからといっても敵に先に補足されないという保証はない。サーチャーたる猫妖精(ケットシー)2人も同行していないので、逆に奇襲を受けた可能性だって残る。それに強力な3人の攻略組を深く信用しているものの、単純な人数差という覆せない劣勢も考えうる。

 そしてALOの世界において、そのアンフェアを指弾(しだん)できる謂れはない。

 だが凱旋(がいせん)を念ずるより先に隣の男が行動に出た。

 

「アルゴ、《バーブス》だ! グラップリングできただろう! 引っ掻けてくれりゃあ俺が登る!!」

「そ、そうカ! わかったチョッと待ってロ!」

 

 言われて初めて得心のいった己の鈍さを恥じつつも、壁面に張り付く排水用らしき管へ愛用ムチのトリガーを引いたまま先端を飛ばす。

 ガコンッ、と1発で巻き絡まると、すぐさまそれをジェイドへ手渡した。

 「ほら、やりよーあンだろ! 2人はここで待ってろ!!」とだけ残し、窓の縁や不揃いの煉瓦を足場に利用して蹴り上がる。すると特殊ムチ《フォー・ハウジング・バーブス》によるラぺリングをうまく使って、彼はあっという間に戦闘音のする部屋の高さに到達していた。

 そこからは簡単だった。

 7つの狂句を早口で唱えると、自傷付き攻撃・加速力エンハンスたる闇魔法《秘めたる狂性(ロードブハイド)》を発動し、鮮やかなステンドガラスを叩き割って館の内部へ突進したのだ。

 

「(ジェイド……気を付けテ……)」

 

 シリカちゃんと見守るなか、戦闘は30秒ほど続いただろうか。

 戦闘音がピタリと止む。

 息を呑んだが、メンバーは全員無事だったようだ。おかわりの敵影がないことを確認すると、4人はビル3階相当の位置から1人ずつ大地へ降り立っている。どうやらジェイドの援護がうまく機能して敵部隊を全滅できたらしい。

 聞けば今の対人戦は館の中では2度目だったとのことで、1組目を奇襲で(てい)よく瞬殺できたはいいが、音で感知されてから2組目に連戦へ持ち込まれたそうだ。

 しかしこれで、《幽覧城塞・アスガンダル》で攻略を楽しんでいたプレイヤーは排除し終えたということになる。どこかで誰かが身を潜めていなければ、であるが。

 

「みなさん、無事でよかったです……」

『キュルルルッ』

「……ああ、ざっと見てきたがおそらく全滅させてやったと思う。ただ……満点とはいかなかったがな」

 

 案の上、シリカちゃんの安堵に対するリンドの反応は(かんば)しくなかった。援軍ありきでの辛勝(しんしょう)となったからだろう。

 ともあれ、連戦連勝の事実は揺るがない。

 陽も落ちて闇は深いが、リアル時間では現在午後2時。夕方まではゲーム界での仮想太陽が現れないので、岩の下からよじ登ってくる追加プレイヤーに気を配りつつ、枯らす(・・・)まで乱獲した人工安全エリアで遅めの昼食をとることにした。

 仲直りをするならタイミング的にも今しかないだろう。

 オイラは知らん振りをして肉にかじりつくジェイドの脇をこずいてやったが、いくら催促されたところで彼もなかなか口に出せないらしい。

 そうして6人で今後の方針やら雑談やらをしている内に、我慢できなくなったのかリンドの方が先に口を開いた。

 

「ゴホン……ああジェイド。ちょっといいか」

「……んだよ、反省はしてるぜ」

「そうじゃない。その……さっきは助かった。ジェイドが強いことは理解しているつもりだったが、俺も頭に血が上っていた。不意打ちにせよ応戦にせよ、偵察にはお前を連れて行くべきだった」

「…………」

「クロムオーラさんは残念だったが、これ以上言及するのはお互い止めよう。それに彼だって死んだわけじゃ……ない、と思う。少なくとも、俺達が生き残るだけで奴らの研究は終えるに終えられないはずだ。そうだろう?」

 

 リンドは座ったまま食糧を置いてゆっくりそう話した。

 そしてそれはおそらく事実だろう。研究の進捗を把握する(すべ)こそないが、ナーヴギアを外部から破壊やコントロールすることができない彼らに、今のオイラ達を管理下に置く力はない。

 この果てのない長旅は、手っ取り早い処分をさせないための抵抗でもあるのだ。

 

「至らないところは俺も直す。だからジェイドも……今だけは俺達を見てくれ。ここでの連携と共存を何よりも優先してくれ。かつての、お前の仲間ではなく……」

「…………」

「ジェイド……」

「わ、わかってるって。ただちょっと、自分が情けなくてな。誰にもそんなこと言わせないようにと思ってたのに……」

 

 ポリポリと頭をかいて謝ると、ようやく緊張の糸がほどけて全員の顔がほころんだ。

 やっと彼も素直になれたようだ。「もう勝手なことはしない」と続けると、互いに前向きな話をしようと一件落着した。

 

「ニャっはっは、なまじバトル一辺倒だと世話の焼ける連中だヨ、ホントに。でどうするんだ隊長サン?」

「そうだな、期せずしていいポジションは手に入れたが、籠城するにしても情報は欲しい。アルゴさんも本職はそっちでしょう、何か気づいたことでもあれば」

「ウ~ン、とりあえずこのアスガンダルは北北東へ移動してるみたいだナ。さっき館周りのザコ処理をしていた時、進行方向の外周先に環状山脈を見たヨ。出現ポイントと移動方向こそランダムデモ、アスガンダルはあまり進路を変えないらしいカラ……」

「となると、向きが変わらなければ央都《アルン》の上空を通るわけだ。久しぶりに他のプレイヤーが街でどう過ごしているのか、上から眺められるかもな」

 

 確かに。インスタンス・マップといっても、エリアへの侵入に制限がかかるだけで、こちらから外界を眺めることはできる。望めば飛び降りて脱出も可能なはずだ。

 しかし、オイラがそんなことをつらつら考えた時だった。

 

「ああ、そういやそれが見えたのって、世界樹の上から飛び降り自殺しようとした数十秒だけだった……か……ん? あれ、いや、ちょっと待てよ……」

「どうしたジェイド。目つきが悪いぞ」

 

 「元からだ、ほっとけ」という冗談はともかく、静まり返ったフィールドの隅であごに手を当て、ジェイドはおもむろに立ち上がると進路上にある世界樹を真っすぐ見つめながら続けた。

 

「なあリンド。今ふと思いだしたんだけどさ……確かアンタら、《ラボラトリー》で戦っていた時には、『翅の存在』に気づいてたんだよな……?」

「そうだ。会ってすぐにそう言ったろう?」

「……何で、気づいたんだ……?」

「何度も言わせるな。あの時、あらゆる敵が空を飛んでいた。対処法がないと思うか? 君らと違って翅で飛べることを確認したからこそ、俺はあの頂上から……飛び降りようと、決意した……わけで……あっ」

 

 そして、唐突に核心に触れた。ほとんど重なるように、リンドは彼の言わんとすることを理解したようだった。

 ジェイドは遮るように続ける。

 

「そう、それがそもそもオカシイんだよ! ピナはともかく、アスガンダルの時点でプレイヤーの《高度限界》なんだぜ!? 疑ってるわけじゃないさ。でも、その……ここの数十倍レベルで高い位置にある世界樹のてっぺんで、どうやってアンタらは『飛べる』ことを確かめられたんだ……!?」

「と、と言っても普通に翅を使って飛べましたよね、リンドさん? 僕にもできました。もしかして世界樹にごく近い一帯だけ特別だったのでしょうか?」

「それだ! スタッフだって飛行の恩恵は捨て難いだろうしな。VRを利用してるなら、奴らにも移動の利便性は百も承知。例のブライアンだってはるか上空で飛ぶ練習を……」

 

 言葉を借りて続けようとしたテグハっちは、言いかけて止まった。そして顔をわずかに崩しながら、自分の言葉を即否定する。

 

「まあ、彼はもともとスタッフ側だったか。一般プレイヤーと同じ条件だったのかは疑わしいところだが……」

「だいたいその話でっち上げだしな。……とにかく、プレイヤーがここより高い場所で飛べるのはもう事実なんだ! だったら世界樹かその近くには、《高度限界》の設定がされていないカモだぜ!?」

 

 ジェイドがそう言うと、青服のフリデっちも肯定した。

 

「……まあ、確かに。ゲームのプログラムというか、グラフィックや感覚フィードバックを含めて、SAOからコピペされただけとしか思えない法則もいくつかありましたしね。……例えばSAOでいう《圏内》というものが、街区の地面から空中へ伸びる3次元空間であることは有名な話でしょう? 《圏内》なら空中で攻撃されてもダメージなし、とか。……とすれば、もし《高度限界》や他の空間設定が世界樹近傍でされているなら、それは木の輪郭をなぞるように、ではなく……」

「ああ、むしろアバウトな円筒になっているとしか思えない。……そしてだ! このスガンダルは《アルン》の、ひいては世界樹の付近に向かっている!」

「……なるほど、飛べた理由には納得した。しかしだな、それができたところで俺は反対するぞ。どうせジェイドはこんなことを言い出すんだろう、『俺達は強くなった。降りたブライアンとは逆に全員で何日もかけて木の根を飛び登り、世界樹の上でもう1度奴らと戦おうじゃないか!』……とね」

 

 それを聞くとザワッと一同がどよめく。向こう見ずなジェイドなら本当にそんなことを言いかねないからだ。

 しかし、皆が想像していたよりは彼も冷静だった。

 

「そうそう、魔法も充実してきたところだし……ってチガウっつのリンド! どんだけ単細胞だよ!!」

 

 ノリツッコミで笑いを誘ったところで、彼は手を広げて続けた。

 

「残念ながら、ンなことしても勝てないのは火にいる夏の虫」

「火を見るより明らカ」

「……火を見るより明らか。……で、でも俺の方こそ会ったその日には言ったはずだぜ。よもや忘れてないよな? あのバカでかい木の上にはKoBが副団長、《閃光》のアスナが捕らわれているんだ! この目ではっきり見た。戦場からいくらか離れた枝の上で。……いたのは金のゴーカな鳥カゴのなか。ハダカに白布を巻いたようなヤバいカッコだったけど、間違いなくあれはアスナだったんだよ!」

「……話が見えないな、ジェイド。肝心な理由も不明だけど……彼女が実際にいたとして、オレ達にいったい何ができるというのだ?」

「決まってんだろテグハ、撮るんだよっ! スクショでパシャッと!!」

『…………』

 

 アクション付きな力説を前に、やけに長い極寒の沈黙が降りる。

 テグハ氏だけが「ま、まあ気持ちはわかるけども……」と投げやりに答えたところで、リンドが咳払いをして口をはさんだ。

 

「余計に却下だヘンタイめ。さっきの話を忘れたのか? ケンカをぶり返すところだったぞ」

「ジョークで言ってんじゃねーって! 生活もギリギリなんだし、何日もかける気はない! ……聞いてくれみんな。現状からの解放を望むなら、時には危険にも直面する。……こんなの、SAOから2年も続いた常識だったろう!? 『生存優先』もいいけど、2ヵ月耐えて何も変わらなかった! そうだろアルゴ!?」

「うエっ!? アア……ま、そうだナ……」

 

 ――急に振らないで欲しい。

 

「だから数時間でいい、俺にチャンスをくれ。アスナの顔ドアップで撮って、どうにかして向こうのネットにバラまけば、誰かしら気づく奴だっているかもしれないだろう!? 何だったら助ければいい、それで戦力増員だ!」

「確かに元の知名度は段違いだが、う~む……だとしても、撮るなら俺達のものでも……」

「オイオイ、ただの写真じゃダメに決まってんだろ? それじゃサバイバーの一部しか反応しない。……いいか、なんといってもあの『世界樹の上』なんだ。年単位でクリアされなかったグランド・クエストの向こう側、そこを押さえて《閃光》を映すから価値がある!」

「なるほど一般人狙いですか。サバイバーの目につかせるためにも、まずはネット住民に事実を拡散してもらう必要がある、というわけですね?」

「そうそれ! それが言いたかったんだよリック、いいこと言うゥ!! ……ここまですりゃ、釣られる人間だっているだろう。少なくともゼロと断言できないはずだぜ!? こうして空飛ぶアスガンダルを見つけて! 進路もアルン上空を目指してるなら、これはもう運命だって! なあリンド、頼むよっ!!」

「…………」

 

 全員が隊長に向き直り指示を仰いだ。

 ジェイドの目が本気だったからだろう。彼への個人的な想いとは関係なく、目的なく明日を惰性で生きるより彼の突発的な発想に1枚賭けてやってもいいのでは、という感情は間違いなく芽生えた。

 果たしてそれは、ここにいる一同にも言えたのかもしれない。

 

「……マジメな話、まだ賛成はしかねない。俺はどこかKoB副団長のくだりを信じきれないんだ。言っておくがさっきのケンカは関係ないぞ? あれだけの美貌を持った女性だ。大抵の男なら、電子の世界に閉じ込めようとする意図も何となくわかる」

 

 あえて口にしなかったが、九分九厘いかがわしいことだろう。

 ため息混じりに肩をすくめつつ、「しかし」とリンドは語気を強めた。

 

「研究に没頭する連中だからこそ、どうにも彼女だけ特別扱いするメリットが見えないんだ。いや、デメリットが大きすぎると言った方がわかりやすいか。美人の娼婦狙いなら、それこそ儲けた金でいくらでも買えばいいだろう?」

「そりゃ理由までは俺にもわからないさ。けど見たモンは見たんだ! あとは俺を信じるかどうかだろ!」

「ハァ~……理屈で話さん奴だ。……わかったよ。なら、方法があるんだな? まずはそれを聞こう。相手は数キロもはるか彼方。しかも水平距離の話じゃない。ここのグラビティ・エンジンの特性上、気圧が下がれば上昇能力が落ちることは知っているだろう? どうやって上まで行くつもりだ? 言っておくが、賭ける価値がないと判断すれば乗らないぞ」

「ハッ、そうこなくっちゃ! ……コホン。もっかい確認するぞ、この城は地面ごと北上している。このまま進路が変わらなければ、アスガンダルが世界樹のごく間際を通過してくれるはず、だったよなアルゴ?」

「ああ、その通りダ」

 

 今度はすんなりと答えられた。

 しかし話は途中である。深呼吸をすると、彼は演説を続けた。

 

「よし。もちろん1回は試すけど、ここからは世界樹に最接近した時点で『翅が使えるようになる』ことを前提に話す。……作戦はこうだ。まず力持ちのノームを下にして5段の肩車を作る。後はロケットみたいなヨーリョウで、下から順に《飛行限界》数秒残しまで翅を使い切って、最後の1人になるまでひたすら垂直ズームして上を目指す!」

「な、なるほど……。翅の燐光を完全に使い切らなければ、ただ横に展開して滑空(グライド)するだけの用途は残せますね。……であれば必然、この動く城にも戻って来られると」

「落下死対策か。……まあそれはいいとして、しかしどう地面を見つけ直す? そんなに高く飛ぶとなると、いくらデカいエリアとは言え肉眼では豆粒だぞ。もちろん方角を少しでも誤れば、リカバリーするだけの翼力は残っていない」

「プレイヤーIDを追おうにも、オレっち達はギルドじゃないしナ。《パーティ登録》だって距離を開けすぎるとすぐ解除されちまうカラ……」

「そこは考えてある。さっきも言ったように、やるのは『5人』だ。ノームを下つっても肩車するわけで、4人持ち上げるのはすでに許容オーバーだろうしな。……つーと、残すのはシリカか」

「わたしですかっ?」

「そりゃあ体格的にな。あとはありったけのノロシやら発煙筒やらを預けて、シリカにずっと焚き続けてもらうんだ。高度も密度も関係なしに、ゲームじゃ気体系は全部『上』にしか向かわない。広範囲に舞ったカラフルなケムリを見りゃ、空の上からでもさすがに位置ぐらいわかるだろう?」

 

 ここまで聞くと、さっき思いついたような彼の提案も現実味を帯びてきた。

 岩の揺籃(アスガンダル)の進路や《高度限界》が緩和される条件など、未だ仮定に仮定を重ねた不安定さは残るものの、この作戦が成功すればいざという時の1つの武器になるやもしれない。

 研究者による脱走者達への位置監視も気がかりではある。しかし彼らも社会の流れに従う人間。日曜日の午後なら、平日のそれよりリスクも少ないはずだ。

 かくして、リンドの答えたそれは全員の期待値の表れだった。

 

「……挑戦しない者にリワードなし、か。目覚めた瞬間、フィールドをスクショしまくらなかったことが悔やまれるな」

「クハハっ、やっぱ思うよな、それ。撮ってる場合じゃなかったけど」

「しかしまぁ、よくわかったよ。百聞は一見にしかずという。断れば1人でも向かいそうな恐れ知らずの与太話に乗ってやろう。バクチは好かんが、どうせやるなら徹底的にやるぞ!」

 

 ここでまた小さく感声が沸き上がった。

 オイラ自身、どこからともなく(にじ)んでくる気力に後押しされ、明るい未来を信じてシリカちゃんに意見を交わし合う。

 小さな1歩を踏み出そうとしているだけなのかもしれない。こんな気休めの作戦、成功したところでアーちゃんが今も同じ場所で捕らわれている証拠もなければ、見えない壁に阻まれたり、そもそもそのスクリーンショットを拡散する方法が存在しない、といった可能性の方がよっぽどか高い。

 

「(だとしても、消えていた活力がもどっタ……)」

 

 これが重要なのである。今までは戦いにもなっていなかった。好きに攻められては、どうにか(かわ)していただけだ。

 しかし今回は違う。少ない手札で最大の一手を打とうとしている。これが彼の魅力であり、またエネルギーの源なのだろう。

 それに『百聞は一見にしかず』には続きがある。

 『百見は一向にしかず』。100回見るより、1回やれ(・・・・)だ!

 

「あの月が沈むまで2時間強といったところか。まずは見晴らしのいい場所を見つけて、周辺モンスターをリポップしなくなるまで狩り尽そう。《闇森》側は知らないが、外にいた奴らはたいして強くなかったはずだ」

 

 《闇森》というのは館のはずれにある森林エリアのことだろう。名前がわからないので暫定名である。

 

「問題はプレイヤーですね、隊長。イン率が高い盛んなゲームの休日なら、まだ何組も入ってくるはずです」

「でも幸い今は僕らだけ。それなら、地上へ出られるメイン通路となる《妖岩の洞》出口で待ち伏せしましょう。敵が大人数でも狭い場所なら利点は潰せますし、例の強力なシルフ隊が再度攻め込んできてもここでは飛べません。リンドさんとジェイドさんが速攻で接近戦に持ち込めば、あとは僕が後ろからカバーします。……仲間もろとも魔法で消そうとしてきたらみんなお陀仏ですが」

「おい最後! ……まあでも、こりゃ決まりだな。A分隊は俺とジェイドとフリデリック。B分隊はテグハとアルゴさん、シリカさんだ。テグハを小隊長にエリア捜索とスローターに励んでもらう。月が沈んだら場所を指示してくれ、目印には俺達から向かう。……異論はないな!」

「了解です!」

「ないぜ、早いとこ向かおう!」

「逆に敵の牙城へ攻め込むなんて、ちょっとワクワクしてきますね」

『キュルルル!!』

 

 フリデっちやピナちゃんまでらしからぬ楽観性を見せると、一行はよりテンションを上げたまま配置に着く。道中でつまずいても当然ご破算なわけで、気合の入りようはいつもより高かった。

 好調すぎて胸が締まりそうになる。

 彼と共に冒険できて、悩みを共有して、力を合わせて打開策を練る。これだけのことを、あの(ヒト)ではなく自分が隣で成している。

 

「(いつも度肝を抜かれるヨ。どんなに追い詰められても……イヤ、なればこそカ。……お前サンはズルいヨ。オネーサンはこれだから……)」

 

 これだから、危うい慕情が止まらないのだ。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 各々が十分に役目を果たし終える頃だった。

 分隊で別れてから2時間。最も心配だったプレイヤー排除チームの奮闘は見事と評する他なく、時には敷き詰めたトラップにハマり次第数の差で音楽妖精(プーカ)のカップルを瞬殺し、時には溜め込んだ《火炎壺》などの消耗品や小出しできる魔法を駆使して1チーム相手に30分以上粘る時間稼ぎをして、最終的にいかなる集団をも撃破なり撃退なりしてみせたらしい。

 やがて月は落ち、太陽が燦々(さんさん)と照りだす。同時に一般プレイヤーからは《幽覧城塞・アスガンダル》への参加権が失われた。

 せっかく見つけた隠しステージへの進入を、粘着質かつ超強力な悪質ユーザに邪魔されてしまったのだ。こんな休日の午後から内心穏やかではないだろう。場合によってはネットの広い海でスレッドでも立てられてボロクソに叩かれているかもしれない。

 もっとも、クドイようだがそれすらオイラ達にとって望むところである。

 

「いよいよだな。なんかスゲー緊張する……」

 

 眼前いっぱいに迫った世界樹を見上げ、ジェイドがそんなことを言った。かくいうオイラも緊張している。確かめられる事は全て確かめたし、シミュレーションも何度も行なった。あとはやるだけ。だのに、人はそこから本当の挑戦なのだ。

 オイラは腕の震えを隠しながら、自分を鼓舞するためにも口を開いた。

 

「自分で立てた作戦だろうニ。自信持てヨ。それに浮力は得られなくてモ、翅さえ広げられれば滑空できることや、《高度限界》の解除も確認できたんダ。……あとは信じてやるだけサ」

「まさか本当にあんなデタラメ論が成立するとはな。まったく、奇跡なのか呪いなのか。……ただ、もう1度お前の口から聞かせてくれジェイド」

 

 上質な真紅の鉄衣と防布をなびかせながら隊長リンドが改まると、ジェイドは黒革の防具を(ひるが)して彼の正面に立った。

 

「……ウソはつくなよ。アスナさんのことは全部デタラメで、1人で行って交渉してくるわけじゃないだろうな? これでもし自己犠牲で何とかしようってんなら、マジで地獄から引っ張り上げて俺の手で殺し直してやるからな」

「ハッ、こっわ。……ンなんじゃねーよ。だいたい俺の命1つじゃ割に合わないだろ? ……頭下げるどころか、俺はむしろ、あいつらに頭下げさせるつってんだ。見てろよみんな、俺は奴らにメチャクチャ後悔させてやるぜ!!」

「プフフっ、ジェイド君は昔からホントに面白いよ」

「おい笑ったなリック! マジでユーゲン実行だからな、俺はっ!!」

 

 気合いも団結力も十分だった。

 そうして作戦の障害となるプレイヤー、およびモンスターをあらかた排除した6人は、視界を埋め尽くすほど近づいた世界樹を前に、今度こそ出立(しゅったつ)の準備をした。

 ――彼の言う通リ、これでダメなら脱出なぞ諦めてやル。

 それぐらいの気持ちで、オイラはフリデっちの首にまたがっていた。そして今度はジェイドがオイラにまたがる準備を……、

 ……ウム。

 

「……なア、ちょっと待っタ。もう1回確認するケド、この5段肩車はオレっちが1番上じゃないんだナ?」

「だから何度もそう言ってるでしょ。俺しかアスナを見てないんだ。上がるだけ上がって場所がわからなかったら、それこそ無駄足になっちまうだろう?」

「そっ、そうなんだけどサ……こう、ホラ……いたいけな少女の頭に足から覆いかぶさるっていうのは倫理的にどうヨ!?」

「う、うっさい! いいから大人しく!」

「わわ!? わひゃあっ!? 耳には触らないでくれヨ!」

 

 こちらとしては冷やかすつもりはなかったのだが、ジェイドが肩の上にまたがるとその温度といい態勢といい、後頭部を意識すればするほど頭と体がこわ張ってしまった。イケナイ妄想がもたげてきているような……、

 しかし5段の肩車にグラグラと揺れながらも、彼の声はあくまで真剣だった。

 

「いいかみんな、帰りはミスったら終わりだ! 地上には戻れてもここへの復帰は無理だし、距離が空いたらパーティは解消されちまうからな! そのくせ1発勝負だ! 絶対成果上げてくるから集中して行くぞっ!!」

「オッケー!!」

「元よりそのつもりだ!!」

「じゃあ持ち上げるぞ! ……ヌンッ!!」

 

 膂力(りょりょく)に優れるノームのテグハが気合を入れると、1度大きくグラついてからフワリ、と地面から上昇した。

 世界樹のごく間近。より正確には、世界樹の中心から空に向かって伸びる円柱形の空間内では、翅の力が高度に依存せず機能する。例えそれが偶発的な発見だったとして、この発想を持てたジェイドの功績は大きい。だとすればせめて、作戦を無事に終え、何らかの方法で結果を活かしてやらねば。

 世界樹を超えた先にいるアーちゃんの姿を世間に拡散する。

 現実世界で何らかの動きがあれば、きっとこの世界にも影響を及ぼすだろう。

 シリカちゃんとピナちゃんがはるか下へ遠ざかる中、これがいざという時の備えとなると願い、胸は高鳴る一方だった。

 

「(スゴい……あの高度からもっと上に飛べていル。ジェイドも言ってたケド、『撮るだけじゃなくて、可能なら世界樹のてっぺんまで飛ぶ』っていうのも、あるいは本当ニ……)」

 

 作戦は順調に消化されていた。

 ロケットが燃料器を捨てて軽くなるように、翅をほとんど使い切った仲間が次々と離脱していく。雲の端から見えなくなったアスガンダルの進路をなるべく頭に叩き込んでいると、あっという間にオイラの出番がやってきた。

 ついに本番だ。

 ずっと地に足をつけていない違和感と不安をかき消すように、「絶対成功させよう、アルゴさん! ジェイド君!!」と、フリデっちが喝を入れる。

 しかしすでに限界だったのだろう、オイラとジェイドが同時に返答するとすぐに彼も滑空姿勢に入った。これで、残るは2人。

 

「(むむぅ、やっぱ重いナ……!!)」

 

 背中の筋肉と筋に力を入れると、2人分、かつ限界高度を超えたせいで思うように得られない揚力に焦りながらも、懸命に背筋を動かし上を目指した。

 泣いても笑ってもチャンスはこれっきりである。

 まだアーちゃんは捕らわれているだろうか。

 離脱した後、狼煙(のろし)を見つけて無事にパーティメンバーと合流できるだろうか。

 いくら休日とは言え、奴らのホームベースでは常時スタッフの人間が待ち構えている可能性だってある。この突発的な作戦が、彼といられる最後の瞬間になってしまわないだろうか。

 だが重圧に押しつぶされそうになった瞬間、優しく頭を撫でられた。

 頭に着いた大きな耳がソワソワする。でも、悪くない。その抱擁のような愛撫はしばらく続き、ずっと姉貴分でいるつもりだった己の迂闊(うかつ)な自信はとうに薄れ去っていた。

 

「へへっ、ワリ。抵抗できなさそうだし触りたくなった」

「まったく、これだからスケベジェイドは……こんな時にもネコミミが恋しくなったのカ? ニャハハハッ」

「なあアルゴ! いつも悪いな、ムチャに付き合わせて!」

「……別にイヤじゃないゾ! どっちかと言うとクロムオーラさんのことでヘコたれないか心配してたぐらいダ、にゃははっ。……それに、何もしないのは死ぬより怖いんダ……こういう無茶に付き合っていた方が退屈しないサ!」

「そう言ってくれると救われるよ。……さあ、もう少しだ。頑張ろうぜ! ちょっと右にズレてるから修正頼む!」

「アイヨっ!」

 

 たったそれだけの応答で、無限の全能感が湧く。

 そうしてしばらく垂直に飛び続けていると、やがて自分の翅にも限界が訪れてきた。

 まだ世界樹の頂上は見えない。しかしケットシーの種族に与えられた滞空制限は個人の努力ではどうしようもないことである。残る旅路はこのインプの男に任せるしかない。

 

「そろそろ『切り離す』ゾ! 準備はいいナ、ロスるなヨ!」

「おう、サンキューなアルゴ! でも、帰り道で落っこちでもたらショーチしねェからなっ!!」

 

 ぐぐっと彼の靴底を持ち上げ、その体を押し上げるのと同時に4枚翅が高振動で唸る。ほとんど飛翔力を得られないはずの高度で、彼はなおも信じられないスピードを維持したまま頂上を目指していった。

 その背中は力強く、また必死にもがく弱者にも見えた。

 ――絶対帰って来いヨ、ジェイド……。

 わずかに祈ると自分のことに集中し直す。こちらとて翅を振動させられる時間は10秒と残っていないのだ。

 しかも世界樹近郊から少しでも離れれば、すぐに《高度限界》の設定が適用される。翅を水平に展開して落下までの時間を先延ばしにすることしかできない以上、ミスれば2度と復帰は叶わない。

 

「(さ~てケムリはどこかなっト……)」

 

 3分ほどたっただろうか。姿勢を崩さないように注意しながら道なき道、ならぬ空路なき雲海をグライドしていると、前方に広範囲に広がる緑色のグラデーションが見えた。

 明らかに周囲の雲とは成分が違う。シリカちゃんが用意してくれた目印だろう。アスガンダルの移動速度が思っていたよりも速くて驚いた。が、これならまだ余裕を持ってランディングできそうだ。

 近づくにつれ他のメンバーの姿も目視できた。

 

「ただいまーミンナ! 案外遠かったナ!」

「おかえりなさいです、アルゴさん!」

『キュルルルッ』

「おう、お疲れさん! ジェイドは大丈夫そうか!」

「イヤ~元気いっぱいで飛んでいったヨ。あのまま上まで登り切っちまうんじゃないカ!」

 

 残り数メートルの時点で翅を折りたたむと転ばないように着地する。

 目印のおかげか全員迷うことなく帰還できたようで、本来は付近の敵を呼び寄せてしまう狼煙の効果も、一帯のMobが絶滅していることで発揮されず。これであとはジェイド帰還後の報告を待つだけである。

 しかしこの瞬間、誰しも予想していなかった異変が起きた。

 全プレイヤー宛てに送られる、ゆっくりとした符丁の噪音(そうおん)。毎週行われる『定期メンテナンス』と同じ、ユーザへの合図となる壮麗なパイプオルガンと、天空からの女性の機械音声が世界中に響いたのだ。

 『《アルヴヘイム・オンライン》サービスをご利用の皆様にお知らせします』。

 そう綴られる、無機質な音声。

 居合わせた5人はなす術なく硬直し、空を見上げたまま唖然としていた。

 

『本日、午後5時を持ちまして、《緊急メンテナンス》を実施させていただきます。サーバーをご利用の皆様には大変ご迷惑をおかけします。また、実施内容につきましては《アルヴヘイム・オンライン》公式ホームページをご確認ください。メンテナンス開始時には皆様のVRダイブを一時切断し、以降はメンテナンス完了までログインを……』

「そ、そんなっ、なんで今日に限って……ッ!?」

「時間だってこんな急に!? こ、こんなこと、2ヵ月で1度も……隊長、これも奴らの攻撃なのでしょうか!?」

「わからない……クソ、あいつはまだ帰ってこないのか!?」

「(……そんな……ジェイド、早く帰ってこイ……っ!!)」

 

 まさか、なぜ。今日は日曜日のはずでは。

 いくつかの疑問を洗い流すように、透き通った音声は続いていた。突如訪れたメンテナンスの刻限は容赦なく迫る。

 じわりと毒のような痺れが心臓を刺すと、思わず両手の指を絡めて世界樹の方角を見上げていた。

 しかし、山の稜線から日の出の光が差し込む穏やかな大空に、彼の姿はまだ見えないのだった。

 

 



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エディターズロード3 タビノオワリ

次話より、いよいよ最終章です。長かった物語もついに終わりが近づいてきました。
全身全霊をかけて作品を送りますね。

登録者数2000人……嬉しすぎです!


 西暦2025年1月12日 《幽覧城塞・アスガンダル》、南端。

 

 《緊急メンテナンス》の告知から5分以上が経過していた。

 まだ彼は見えない。ステージ間の移動が制限されるまで、もう1分とないというのに。

 

「時間になっちまうぞ! 誰かジェイドを見たか!?」

「だめです隊長! ノロシが広がって、こっちからじゃよく見えませんよ!」

「飛べないんじゃどうしようもありませんね。せめて合図があれば……っ」

 

 もう刻限は間近。

 しかしその時、オイラの視界の先に4枚翅を広げた黒い装備のプレイヤーが映ったのだ。

 

「ち、チョッと待っタ! あれ見えるカ!? こっちに向かってるゾ!!」

 

 いま立っている地平面より上空を飛んでいる、ないし滑空(グライド)している時点で彼に違いない。

 けれどまだ距離がある。アンカーの彼は、帰還までの直線距離が最長となる。高度に余裕がないのは、どうしても軌道がずれてしまうからだろう。

 そして翅を水平に保った滑空はできても、ロスをしたら修正は利かない。

 それでも、猫妖精(ケットシー)族の恩恵で視力の適応性が高かったからか、この時点で気づけたのはオイラだけだった。

 周囲の反応を置き去りに、迷わず自身に出せる最大速で走りだす。スパイクが凍てつく土を抉ると、ものの15歩足らずで岩肌の先端、すなわちジェイドとの最短距離へ到着。その頃には揺籠(ゆりかご)を追う彼の顔もしっかり捉えられていた。

 

「ジェイド、マズいゾ! 届かないかもしれナイ!!」

「向かい風なんだ!! ちょっとヤバいかもッ!!」

「カモじゃないダロ。このっ……コレ! 《バーブス》に捕まレ!!」

 

 反射的に腰に携帯する伸縮自在のムチを構える。

 ミスは許されなかった。だが先端を数回まわすと、釣竿を振るようなスイングで迷うことなく愛用ムチ(バーブス)の先を放る。

 長らく修練を積んできたからか、狙いは違わなかった。しかし荷重までは考えておらず、彼が落下寸前にムチを掴むと、周りのオブジェクトに捕まれなかったオイラは、踏ん張りも利かず引っ張られてしまった。

 なれど、肝を冷やしたのは一瞬だった。

 オイラの肩を力強い両手が支えたのだ。

 首だけで振り向くと、土妖精(ノーム)のテグハっちが僅差(きんさ)で追いついていた。後を追うまでの反応が早かったのだろう。

 

「それ絶対に離さないように、アルゴさん!!」

「お、オウ! ニャハハっ、お前サンもずいぶん助けるようになったナ!!」

「あんな奴でも死なれちゃ困るんです! そうでしょうっ!?」

「すまん遅れた、全員で引っ張るぞ!!」

「せ-のォっ!!」

 

 数秒遅れで駆け付けた5人が一斉に手綱を引き、グンッと後ろ向きのベクトルが加わると、オイラはムチもろとも陸の方へ引っ張り上げられた。

 そして、直後に全天へ響く鐘の()とメンテナンス開始のアナウンス。大別(たいべつ)されたエリア間の移動が制限された瞬間だった。

 《アスガンダル》を領域名に置くエリアが面積最大となる端面から筒状に伸びる立体空間なら、確かにオイラのムチを掴んだ段階で、見えない壁に阻まれ彼1人が取り残されることはなかっただろう。だがそれでも、ほんの十数秒の差である。

 ようやくジェイドも復帰する。

 手をかけた崖際から内地側へ転がり込むと、息も切れ切れに大の字になっていた。

 

「プハァ~……ハァ……アッブね! ハァ……助かったぜアルゴ……みんなも」

「助かったじゃないヨ! このっ……バカジェイド……」

 

 駆け寄り、思いつく限りの罵倒をくれてやるつもりだったのに。

 彼の(そで)を弱々しく握ると、こみ上げた感情を押さえつけるのに必死で、そんなセリフしか出てこなかった。

 世界樹頂上を目指す間もメンテナンスの放送は聞いていただろうに。時間に間に合わなくても、戻って来られずに落ちてしまっても、きっと彼だけでは生き残れない。

 理由は単純である。

 いかな幸運に護られたとして、このサバイバルを独りで生き抜くには限度があるからだ。ましてやオイラ達はあらゆる権利を剥奪された最底辺の脱領者(レネゲイド)。街で必需品を調達することができないばかりか、宿を取れない以上、フィールドでも気を抜けばあっさりとあの世行き。インベントリに格納できるプレイヤー1人分の物資なんて、いくら溜めてもまともに暮らせば1週間と持つまい。

 生きるか死ぬかの瀬戸際だったにも関わらず。

 

「(ヒョウヒョウとしちゃっテ。こいつはまったク……)」

 

 新しい悩みの種と言えばまさにこれ。世界転移から2ヵ月以上がたち、ジェイドは最近どこかおかしくなっているのだ。

 具体的には、リスクを負うようになっていた。

 無論、ところ構わず発揮する無意味な暴走とは違う。しかし、だからこそ彼の行動にはヒヤヒヤさせられる。まるで思春期の子供が、親の定めたレールか殻でも破ろうとしているように。恋人と、そして……かつての仲間に会いたいという渇望が強すぎて、座して待つ作戦を良しとしない行動が目立っているのである。

 彼とてもうウンザリなのだろう。

 こちらの座標を追える研究者も、オイラ達が消極的な活動しかしていないことを把握しているはずで、どちらにとっても膠着(こうちゃく)状態となってしまっているからだ。

 そこまで考えるうちに、リンドが「どうだったんだ、ジェイド……?」と問うと、呑気に息を整えていたジェイドはガバッ、と起き上がり、おそらくこの場の全員が聞きたがっていた結果を口にした。

 

「ぶっちゃけ言うと、乗り込むのまではムリだった。……高度的に、もはや惜しくもない」

 

 みなが落胆しかけた直後だった。

 「つっても危ないハシ渡ったカイはあるぜ……」なんて言いつつウィンドウを操作すると、とびっきりのしたり顔で彼は1枚のスクリーンショットを可視化させたのだ。

 そこに映るのは、金の格子に囲まれた真っ白な少女。望遠機能を最大にした解像度の低いスクショではあったが、かの浮遊城で激戦を生き抜いた猛者であれば、誰しも1度は目にしたことのある美貌(びぼう)だった。

 

「こいつを見てくれ! 撮ってきたぜ、マジでアスナだ! ハッハァ、どーだよオイ! グランド・クエストなんざクソくらえだッ!!」

「す、すごい……言った通りの場所と格好だ。半信半疑だったけど、本当にあの木のてっぺんに彼女がいたんだね……」

「見たと言っても開幕初日の戦闘のさなかだろ? よく発見したな……」

「アーちゃん……ダナ。どう見てモ。シリカちゃんも見たことぐらいはあるだろウ?」

「はい。かなりボヤけてますけど、他に考えられません」

「ほーら言っただろ! まあ運任せだったけどよ、見たモンは見たんだ。俺はウソついたことがねェ! ハハハハッ!!」

「コイツめ、言ったそばから。……さて、しかしどうしますかね隊長。素材だけあってもそれを広める手段がないんじゃあ……」

 

 「そこなんだよな~」と割り込むジェイド。他も一様にして首をひねっているが、やはりここが1番の関門だろう。そもそもネットに繋がる手段があるのなら、きっと今より効率的に脱出できたはずだからである。

 画像を添付するわずか十数秒間の接続の確保ですら、オイラ達にはままならない。

 けれど、止まった状況は隊長が打破した。

 

「まあ悩むのは後にして、とりあえずは移動だ。エリアの内側に行こう」

「やっぱり来ますかね、彼らは……」

「確証はないが……なにせ前例のない『休日のメンテナンス』だ。ただでさえ表の事業にも口を挟める権限を持っているみたいだから、このタイミングで強襲してくる可能性は高い」

「では、あのメインダンジョンらしき館に戻るというのはどうでしょう? こちらも飛べないなら、屋外じゃ分が悪いですし……」

「でも気を付けてください。今回が例外だからか、ユーザの強制ログアウト以外は手が加わってないようです。ほら、アレ! ……そこかしこでモンスターが歩いてます。……ここは慎重に決めましょう」

「みたいだな。うーむ……悩ましいが、一応逃げ込む先ぐらいには考えておくか。ジェイドがガラスを割って参戦したように、俺達も状況に応じて出入りできるだろうし。……とにかく、敵のスーパーアカウントがやってきたら、遮蔽物のある室内戦の方が有利に違いない。行き止まりにだけは注意してな」

 

 初見エリアなので注意と言っても限界があるけれど、敵とてまさにこういった準備不足を狙ってきたのかもしれない。

 となれば、イレギュラーであれ籠城(ろうじょう)の選択肢はどうしても残るだろう。

 

「(気持ち悪い空気ダ……何もなければいいケド……)」

 

 とてもイヤな予感がする。

 2年の歳月が生んだ生存本能だろうか。うなじにピリピリとした緊張が走る。そして、こういう時は決まってピンチがやってきていた。

 よもや24時間体制で監視できるはずもなかろうが、オイラ達が隔絶された場所(アスガンダル)に進入してもう4時間ほどもたっているのだ。研究スタッフのいずれかがこのアクシデントに気づき、対策に移るまで十分な時間があった。

 ここで勝負に出るというのだろうか。だとしたら、きっと自信ありきの先手となるに違いない。

 つらつらと考えながら6人で館の方へ歩いている途中だった。

 時が来る。

 全員が予期した事態は、現実となっていた。

 

「じゃあいつもみたいにケムリやら閃光弾やら用意して、テッテー的に時間稼ぎだけしてりゃあ……」

「待てジェイド。おでましみたいだゾ……」

 

 一同は移動を止める。アスガンダルの地平より上空(・・)から降臨された彼はゆっくりと下降、翅を広げたまま20メートル以上を空けてピタリと制止し、殺害目標であるオイラ達を見下していた。

 当然のように《高度限界》を無視。人間の記憶・感情コントロールを自在に行うため、非合法な実験を繰り返すマッドサイエンティスト。

 

「……ハァ、もう何度目になるだろうね。きみらとこうして会うのは……」

 

 滞空したまま、彼はゆっくりと口を開いた。

 やはりこの《緊急メンテナンス》は研究者達による先制だったのだ。またぞろ正規の担当部署にアレコレ理由をつけて、施設と権限の一部を提供してもらっているのだろう。機密性が高く、一般人にとって興味の薄い仕事なだけに、この介入から拉致監禁の件が漏洩することはまずあるまい。

 しかしメンテ時間は有限。それが相手にとっても狩りのタイムリミットとなる。

 

「(やっぱり来やがったナ。……ケド、急いでないのカ……?)」

 

 時間こそ最も惜しむべきもののはず。だというのに、敵は静かな空に滞空したまま動こうとせず、意外なことにその面影はひどく暗かった。

 なにか事情が変わったのか。

 だが装備にさしたる変更はない。直剣としても機能する特注の長く鋭利な杖と、白装束の高機能ロングコート。さらに魔法の効果範囲と命中率を増幅させる《レジェンダリー・ウェポン》の魔法辞典も携えているが、すべて以前からメンテ時に襲来するたび持参していたものだ。

 アバターも《ラボラトリー》で激突した時と同じで、ファンタジックな風貌(ふうぼう)に合わない凹凸のない東洋顔。当時のようにあらゆる制限が取り除かれた無敵のアカウントである。

 敵も戦闘自体は想定していることになる。

 オイラと、そして周囲の5人が警戒レベルをマックスまで上げた。

 奴の発する言葉がチートコード発動への一句であれば、繰り出す技がいかなるものであれ、きっと即座に散開して可能な限りの遅延行為に移っていただろう。この2ヵ月がそうだったように。

 しかしこの日に限って、研究スタッフの男は問答無用に襲い掛かって来なかった。

 そしてこんなことを言い出したのだ。

 

「もう止めにしないかね、少年達! 互いに消耗するだけだ!」

『…………』

 

 睽乖(けいかい)を破るように発せられたこの一言に、リンドも即答できないようだった。

 もっとも、彼から見て隊長格と勘違いしているのか、それとも内部操作を企てているのかは定かではないが、過去の戦闘ではジェイドへ交渉テーブルへの(さそ)いが度々来ていたらしい。突っぱねられ続けて業を煮やし、堂々と説得しに来たとでもいうのだろうか。

 「罠かもしれない。周囲を見張れ」というリンドの命令をよそに、星屑のような(きら)びやかなエフェクトが舞う中、男は真相を明かすことなく音量を変えずに続けた。

 

「1人の男が、数時間前にラボへ転送されてきたよ。遅れながらも被検体として合流……今は問題なく機能(・・)してくれている」

「クロムのおっさんのことか! このッ……カス野郎がァ!!」

「……だから言ったろう、少年。きみにはむしろ、幾度となく説明したはずだ。……もう理解してくれたか。これが結末さ!! 元より、人との接触を取り上げられたきみ達に! ここで何ができると思っていたんだッ!? 遅れを取り戻すのは過酷なものだよ。24時間絶えず感情刺激の電子ドラッグを投与され続け、終わりのない意識の中であらゆる実験結果がモニターされる! こちらの用意した妥協を拒否して2ヵ月も怠慢したんだ、これぐらい当然だろう!! きっとその子供も例外なく薬物付けになる!!」

「ひ……っ……」

 

 わざと脅すようにシリカちゃんを指さし、睨み付ける。

 すくみあがった彼女を庇うようにジェイドとリンドが前に出ると、男へ真っ向からぶつけていった。

 

「オドシはもういいッ!! 《ペイン・アブソーバ》だって、設定は変えられないじゃねェか! アンタは会った日からハッタリばっかだよ!!」

「彼の言う通りだ! いい大人がみっともない!! ここへ来た以上、どうせやることは変わらんのだろう!」

「……確かに騙そうともしたさ。だが今日まで、状況は悪くなる一方だった。……そう、今日まではな。私はチャンスをやるために来たのだ! 本当に最後となる交渉の場を。……先ほど座標を見ていた部下から報告を受けたが、きみ達は何やらラボのすぐ下まで接近したようだな? まったく無駄なことを。しかしそういう行動なんだよ、我々が危惧しているのは! 私だってな……非人道的な実験に対し、どれだけ悩んだことか! 生の声を、このALOを通じて聞いてしまったのが間違いだった! ……だから個人としては、むしろきみ達を助けてやろうとしているのに。あまり度が過ぎると見過ごせなくなる。……いいか、これが最後の警告だ!! 今ここで降伏すれば酌量の余地もある! ただし、これすら阻む者には凄惨な未来が待っているだろう!! もう手を引いてくれ。それが最も穏便に済む近道となるっ!!」

 

 よほど勝てる見込みがあるらしい。

 勝利を前提にした無条件降伏要求。これさえ呑めば、抵抗する者より手厚くするよう掛け合ってくれるという、2ヵ月ぶりにやってきた神の慈悲。

 しかし、すでにオイラ達の抵抗が彼らの組織へ即物的なダメージを与えているのだ。今からでも間に合う仲裁交渉などあるのだろうか。

 確かに彼は優秀である。自分らが抱える問題の核心を隠したまま、表の事業部へさえリークする行動力。ゲームの一部におけるコンセプトデザイン開発への参入。そして、仮想界で唯一まともにアバターを操作できる経験など。

 なるほど多かれ少なかれユニークな能力はあるらしい。チームで動くにしても柔軟性がある。

 さりとて……否、なればこそ。

 まず間違いなく彼はマネージャー格の役職ではないだろう。そういった七面倒な労働は下が請け負うと相場が決まっている。一研究員でしかない彼が、いったいどう()り成したら被験者数人だけを特別扱いできると言うのだろうか。

 プレイヤーでしかないオイラでは、彼の言っていることの真偽を正す術はない。

 しかし、やはりこれもブラフと見ざるを得なかった。これまで何度も情報のないオイラ達を陥穽(かんせい)にはめようとしてきた相手だ。むしろ武装している限り、男の狙いはこちらの戦意喪失だと推測できる。

 そしてパーティ方針を決定する男もまた、同じ結論に達した。

 

「これだけやっといてよく言うよ。……あんたこそ、ジェイドから何度も聞かされたんじゃないのか!? 『クソくらえ』となッ!!」

「……愚かなことを。私ほどこのステージを知る者はいないというのに」

「なに……ステージを、知るだと……っ!?」

「しかしもう遅い! これで……本当に最後だッ!!!!」

 

 白装束の魔術師は武器一体の魔法触媒を高らかに掲げた。

 交渉は決裂。

 頭のギアを一瞬で戦闘モードに切り替えると、オイラ達は準備しておいた《閃光弾》を上空へ投げ捨てながら最速スピードで後退した。

 ガガガガッ!! と、直後に飛来する雷属性の特大魔法。長ったらしい呪文詠唱をオミットしたチート攻撃である。

 それでも、精鋭達は光の全てを回避した。

 まだ実装すらされていない詳細不明の属性波状攻撃を前に、飛行制限がある弱者一行は地を駆け抜けて脱出し、白煙を切り裂いてなおも進んだのだ。

 「バフがかかる! フリデリックのそばに!!」というテグハっちの声を頼りに軌道を修正すると、すでにスペルを唱えていたのか水妖精(ウンディーネ)の定石通り《純化の聖水(ホーリブ・リファイン)》の支援魔法が全身を覆う。

 魔法ダメージを一定時間軽減する防御系で、これでいかなる攻撃でも1発KOとはならないだろう。

 というのも、残量HPを無視した一部の即死魔法を除き、PvPでは威力ブースト込みでもダメージ量に絶対的な上限が設けられているのである。

 弱点部位への直撃やカウンターボーナスを併発すれば可能だが、魔法には判定が広がるエフェクトがかかる。意図してそのボーナスを取るのは至難の業。どうしても武装した熟練者を確定でワンパンしたければ、完全に動きを止めてから多段ヒットするタイプの収束砲撃を叩きこむしかない。いずれにしてもロマン戦法である。

 かのアインクラッドではキャラクターへのレベル制度が採用されていたため、レベル999までカンストさせた小柄な少女――のちに聞いた話では、彼女はアーガス社員によって造られた特別なAI――が90層ボス相当の規格外モンスターを大剣一振りで瞬殺する、なんてことも可能だったらしい。

 しかしここは経験・知識で戦闘が成り立つ、個人能力依存のどスキル制ゲーム。

 ましてやオイラ達の防御力は、初期装備時のそれと比較にならないほど強力なものを装備しているのだ。

 場を切諫(せっかん)しているはずの男が、毎度のごとく獲物を逃がしては怒り浸透している由縁(ゆえん)である。

 しかし、今日に限って事情が少し異なっていた。

 

「やっぱり足で避けるにも限度がある! 中に逃げよう、リンドッ!!」

「わかっている!! 各員、スクランブル軌道で館へ向かえ!! 室内で合流後、また指示を出すッ!!」

『了解っ!!』

 

 泥を蹴り立たせながら全力で両足を動かす一行。

 そう、3次元回避ができないのである。

 翅の重要性は今さら周知の事実だろう。おまけに高度が高すぎて、跳躍からわずかな飛翔力だけを発揮、直後にグライドして距離を稼ぐ移動・恒常戦闘用システム外スキル《ソアー・ダイブ》をも封印されている。

 許された機動は緩急を持たせたダッシュ/フェイントと、規則性のないランダムなジグザグ走行のみ。

 これでは一方的な虐殺となる。

 

「(チクショウ、そろそろ《閃光弾》が切れル! これだって結構貴重品なんだゾ!!)」

 

 現段階で消耗量が一般人対戦のそれと比較にならなかった。

 なにぶん敵にデバフは適用されない。単純に光を放つ2秒程度だけが、相手の照準を狂わせられる猶予となるからだ。光の直撃を受ければブラインドネスのデバフを受けるはずなのだが、きっと相手は悠々と目を開いて上を旋空していることだろう。

 振り向いて悪態をつきたい気分だった。今後も逃避行が続くことを考えれば、こんな休日に臨時で物資を削られるのははなはだ迷惑なことである。

 もっとも、先の会話で出た単語から、おそらく彼がこの隠しステージのデザイン、および各種モンスターやギミックの設計業務に携わったというのは想像に難くない。とすれば、少なくともこの戦闘でパーティの半数ぐらいは削る魂胆でいるはず。

 今日、ここを凌げるかどうかが(とうげ)となる。

 ただでさえ数時間前にすでに1人失っているのだ。ここで3人、ないし2人でも欠けようものなら、向こう1ヵ月の存命すら危うくなる。

 

「アルゴ、シリカ! バフかけ続けろ!! MPは後で回復できる!」

「スー……フィッラ、っ……ヘイル……きゃあっ!?」

「くッ!? だめだ、距離が近すぎる! シリカさんが被弾した!!」

「オレっちが稼グ!! 皆はなかニッ!!」

 

 ジェイドらが《麻痺》にかかったシリカちゃんの体を担いだのを尻目に、オイラは先にまいた煙幕を利用して逆走。敵の真下に潜り込んだ。

 すぐに《フォー・ハウジング・バーブス》を構える。

 大胆なアクションで先端を投げつけると、同時にグリップのトリガーを引いた。

 すると、芯間を通るワイヤーが連動する音を感じ、先端四方から鋭利な突起物が逆棘のように出現する。

 そしてグルンッと男のアバターに何重にも巻き付くと、逆棘は伸びきったヒモ状の部分と絡み、一時的に敵の行動を制限してみせた。

 一切の攻撃行動でダメージを負わず、あらゆる攻撃で優先権のある敵だ。意識を向けて解こうと思えば、赤子の手をひねるより簡単にこなすだろう。

 しかしその数秒が結果を変えた。

 煩わしそうにムチをほどくのと、オイラが武器を収納しにかかったタイミングはほぼ同時。トンボ返りで仲間の背を追うと、限界に近い敏捷力でもって室内へ逃げ込めた。

 追撃なし。これで奴もオイラ達と同じ土俵に上がるというなら、制空権を握る奴の優位性は失われるはずだ。

 ほとんど無意味にチャンスを逃した以上、きっと顔を真っ赤にして……、

 

「さあ、ここからだ。せいぜい逃げ回るがいい! 結果は変わらないがなあっ!!」

「ハァ……ハァ……アレレ、あいつ……外で決着つけられなかったのニ……ハァ……ずいぶん余裕みたいだゾ! 誘われたのカモ!!」

「ゼィ……この館で……決める気なんだろうなァ! どうするよリンド!」

「とりあえず掠った分は回復しとけ! 常に全快をキープするんだ!」

 

 6人は走りながら万全の状態を整え、無敵バカの襲来に備えて装備を調整した。

 敵の牙城へ侵入すると同時に、臨時メンテのせいか配置されっぱなしだったモンスターが何体か襲ってきたが、それらを斬り捨てる頃にはどうにか各々の準備が整っていた。データロードを挟む再湧出(リポップ)も発生しない。

 ただし動いた状況はそれだけではなかった。あろうことか、今まで大口を開けたまま止まっていたはずの鉄の大門がひとりでに締まり、割れそうだったステンドガラスにも紫色の結界じみた文様が浮かび上がったのだ。

 

「(まさか閉じ込められたのカ!?)」

 

 危惧は的中した。

 ジェイドが反射的に大剣で攻撃してみるも、(もろ)いはずのそれは完全にノーダメージ。『いざとなれば外へ逃げられる』という想定はこれで覆されたことになる。

 館への侵入側とここの主……つまり、《廃国の覇王》と呼ばれるボスの配下側に分かれて、どちらかが全滅するまで争い合うイベントの存在は知っていた。まさかその実態が完全な閉鎖空間で行われるとまでは聞いていないが、おそらく敵はそういったアクティベート状態のイベントなりを利用したのだろう。

 室内戦は望むところ、というスタンスだったものの、能動的に外へ抜け出せないとなると選択肢は狭まる。

 そんな状況を代弁するように、「しかしマズいですね」とフリデっちが切り出した。

 

「あの相手の態度……よほど初見殺しのトラップが多いとしか……」

「それか、時間にヨユーがあるとか? ほらアイツ、さっきくっちゃべってたから」

「そういえば、向こうも飛ばないなら酔い潰れることはない」

「それもあるだろう。が、やはり危険なのは行き止まりに追い込まれることだ。道も狭い。集団で動こうものなら、きっとその時点で誰かが死ぬ……」

 

 考察はどれも鋭かった。ただでさえ威力の高い広範囲魔法をブースト&連続、無尽蔵に撃てるのだ。確かに閉鎖空間での高い人口密度はほぼ自殺行為になる。

 それに飛行のせいで酩酊(めいてい)することがなくなる、というのも盲点だった。

 今まではそれに何度も救われてきた。外に出られなくなっただけで、これほど相手に都合のいい狩り場になるとは。

 

「(ここが『仕掛け城塞』ってのいうのも、勝算の1つだろうナ……)」

 

 敵モンスターのボスが館を改造した理由。ゲーム上では、他国の王を殺して覇王となった途端に保身的になリ、のべつ幕なしに傭兵を雇って空に逃げ、壁の奥に籠ると叛逆(はんぎゃく)に怯えながら孤独に生き長らえている……なんて設定だったか。

 情けない王である。まあ、創造された世界ゆえ、住み心地の悪い城塞になり果てた理由なんて後付けでいい。

 問題はそれらを敵のスタッフが熟知している点である。

 しかも、室内からの脱出方法はオイラの知る限り3つしかない。

 1つ。メイン・ウィンドウから『ログアウト』ボタンを選択する。エリアに取り残されたアバターが、モンスターや敵対プレイヤーに斬り殺される――すなわち死亡罰則(デスペナ)を受け入れることが前提となるが。

 2つ。覇王の配下と化した敵対妖精を全滅させる。(あくまでユーザ同士の相剋(そうこく)用イベントであるため、ボスに挑む義務があるわけではない)。

 3つ。とは言え、ストーリー上はラスボスを討伐せしめるかどうかだ。ならばサッカー場ほども広い《覇王の皇室》で誰かがボスに謁見(えっけん)し、いわゆる『ボス戦』を開始すればいい。外野となった他のパーティメンバーや敵妖精は、それぞれに味方するも、傍観するも、または逃げることさえ自由となる。

 たったこれだけ。

 おまけに前者2つに至っては、相手が無敵なので達成不可能ときている。

 しかし、多くを生かすために1人をボスに向かわせるとしよう。それは事実上、生き残りの誰かを犠牲にすることと同義である。

 それを知るリンドの指示には迷いが見て取れた。

 

「……外に出るのは諦めて、館の中で迎え撃とう。2班に分ける。A隊は俺とフリデリックとシリカさん、B隊は他3名。隊長はジェイドに任せる。散開してなるべく長く稼ぐぞ!!」

『了解っ!!』

 

 「2人とも急ごう」という命令と共に、オイラ達は3人ずつに分かれた。

 人口密度は減らせたものの、これで1隊につき索敵員は1人。つまりケットシーを拝命したオイラが先に研究員の男を見つけなければ、この3人から犠牲者を出す可能性が飛躍的に高くなるわけである。

 責任は重大だ。

 魔改造された豪奢(ごうしゃ)な廊下を走りつつ、オイラはあらゆる箇所を警戒した。

 そして1分も走ってからだろうか。どこからともなく暴力的な攻撃音と地響きが聞こえてきた。

 このエリアのどこかで誰かが戦闘している音だ。

 そしてそれは当然、リンド達A隊ということになる。これには絶対忠誠を誓うテグハっちが反応した。

 

「あっちが狙われているぞ、ジェイド! ……なあオイ、ジェイド!」

「……俺らはやるべきことをやるまでだ。ここいらのトラップは、モノによっちゃあ単発の撃ちきり。アイツがA隊にかまけているうちに発動させまくって、こっちの逃げ道をなるべく確保しとくぞ。多少くらっても今ならまだ回復する時間が……」

「バカを言えっ!! もし隊長がやられたらどうするつもりだ!? オレ達は何度も彼の判断に救われてきた、そうだろう!?」

 

 隊長を妄信している彼のことだ。このセリフはきっと、意図せずして勝手に口をついたのだろう。

 しかし口に出すと、逆に感情が引っ張られるともいう。

 結果、その発言で本人にとってよくない感情が渦巻いた。

 

「今からでも引き返すべきだ。いま彼を失えば……っ」

「だからこそ任務を果たすんだッ! ……いいかテグハ、小隊長は俺だ。命令に従え。それにハナから勝ち目の薄い戦いで、まだ2分もたってないんだ。これで死ぬようじゃリンドもその程度の男だったってわけさ。……うオっと、さっそく罠じゃん。ベタに大鎌のペンデュラムか……おい2人とも! さっさと体を動かせ!!」

 

 ジェイドは命令するが、テグハっちも引き下がらない。

 

「……おい……本気で言っているのか!? 自分が助かりたいだけだろう!?」

「ハァ!? ちげーよ、考えりゃワカんだろッ!!」

「ウソをつけ!! オレはお前とは違うぞ! 隊長のためなら、オレはどんなことも怖れない!!」

「冷静になれって! 俺はビビってねェし、だいたいこの別行動もリンドの命令だったんじゃねェのかッ!!」

「ケンカしている場合じゃないだろう2人とモ!! ……テグハっちもここは折れてくレ。コイツは言い方が悪いケド、その判断は正しイ!」

「っ、く……そ、そうやって……またジェイドの肩を持って。アルゴさんはいつもそうだ……ッ!!」

「ちっ、チガうヨ! そういう(・・・・)んじゃなイ! ……リンドはあえて口に出さなかったケド、二手に分かれたのは全滅を避けるためダ!! お前サンだって、もうとっくに気づいているんだろウ!?」

「うっ……くぅ……ッ」

 

 言いよどんだのはテグハっちの方だった。

 やはり理解はしているのだろう。だがそれゆえに、標的となったリンド隊長達を助けるための言い訳を並べた。

 この狭い空間で奴の猛攻を凌ぎきれる確率はごく小さい。加えて敵の自信――それがこの2ヵ月同様バカバカしい皮算用だったとして――を見るところ、隠れてやり過ごせるほど甘くもあるまい。

 そして1つだけ確かなことがある。

 非情な決断をしたジェイドだって、今すぐシリカちゃんを助けに行きたくて暴れたい思いだということだ。それを押して任務を遂行している。

 

「し、しかし……オレはっ……クソ、わかってるよ!! ああちくしょうっ!! せめて、任務を果たすべきだ……っくそ!!」

「(テグハっち……)」

 

 現状を再認識した彼は、そう吐き捨てながらもトラップの起動作業を始めた。

 オイラもようやく肩の力を抜く。

 ずっと慕ってきた、かの連合隊長の援護に向かえないもどかしさがあったのだろう。その気持ちは推し量って余りある。だがここで誤謬(ごびゅう)を犯せば、この感傷すら無意味となる。

 奴ら研究者の真の奥の手は、オンライン実装前の特大魔法攻撃などではない。

 ここで戦い(あらが)った記憶と痕跡すらも、消し去る力なのだから。

 

「よしっ、ここらのトラップはだいたい終わったな! モンスターも仕掛けありきの動きが多い。奴がこっちに来てもみんな冷静に対処しろよ!」

「了解ダ。しかし音が続いてるナ……もしかしテ、室内戦は彼自身もあまり経験がないんじゃないカ?」

「ハッ、だァから言っただろ。DDAの頃は殺しても死なないぐらいしぶとかったんだ。あのリンドがそう簡単にくたばるタマかよ! なァそうだろう、テグハ!」

「……ふん。オレだって信じていたさ……」

「おおっ、冗談を言うようになったな! ハッハァ!」

 

 彼は肩をバンバンと叩いてテグハっちを、そして自分をも鼓舞(こぶ)した。

 緊張の糸は切れない。リンド達A隊の始末に負えなくなった場合、あるいは本当に倒されてしまった場合でも、こちらへ標的を移すケースは十分に考えられたからだ。

 そして3人が受けた微量のダメージ分を全体魔法で回復し、オイラも消費した魔力をポーションで補った瞬間、ついに対面の時が訪れた。

 

「ッ、……!? 来たぞ! 構えろォ!!」

 

 ドッガァアアアアアッ!! と、遠くで薄く(もろ)い壁が崩れた。

 その残骸(ざんがい)をガリガリ踏みならしながらゆっくりと歩いてきた男は、例のメガネをかけた研究員。

 しかし敵の眉間には未だ深いシワが刻まれたままだった。

 右側の唇を強く噛み、男は口を開いた。

 

「なぜ……なんだ。なぜ、死なないのだ……きみ達は」

「おーう、こりゃいいぜ! そのツラからして、またしくじったみてェだなクソゲス野郎! コリねぇバカだよアンタ!」

 

 またジェイドが挑発するも、相手は乗ってこなかった。

 ギリッ、と歯を食いしばり、一層強く(にら)みを利かせる。

 

「……バカだと? 私がどんな決意でここへ……ああ、そうだ……もとはと言えばお前が元凶じゃないか。ラボで妨害されなければ、7人も逃すことはなかった! プレイヤーに紛れた時だってッ、お前がいなければすぐ片付いていた!! おかげで私は腫れモノ扱いさ! たった数人のガキを始末できないのかと、日がな1日責め句を浴びてっ!!」

「…………いや、自業自得じゃね?」

「うるさい! なにも知らない子供がッ……こっちは生活を削っている! いい加減にしてくれよ!! ナーヴギアの殺人機能が停止した以上、死ぬまで粘ってもしょうがないだろう!? ……ああ……ちくしょう。……こんなの、理不尽だ。……なぜきみのような……ガサツな男が頼られて、私の努力が報われないんだ!? こんな仕打ちを毎日受けなくちゃ……ああぁあアアアアアアアッッ!!!! さっさと死んでくれよ、お前らさァアアアッ!!」

 

 『システムコマンドぉ!!』という初句と共に、もう作戦といった作戦もなく男は突進してきた。一帯の罠がすべて発動済みなのは一目瞭然なので、きっと戦場を変えようという腹積もりなのだろう。

 現にオイラ達は紫電のエネルギー塊に押されて、ほとんど選択の余地なく大きく後退させられた。

 しかしこれはいい傾向である。攻撃が大雑把になればなるほど読みやすくなるからだ。

 初見時特有の判断ミスを誘発させ、動きが鈍くなったところでブーストされた大技による一発ノックアウトを狙う。敵ながら単調な作戦である。

 今度こそ逆転を確信していたらしい彼は、轟音が収まると『被弾者なし』という事実にさらに顔を曇らせていた。

 

「この2ヵ月で人生メチャクチャだ!! きみらのせいでぇっ!!」

「知るかよ、クソッ……アルゴは影にいろよ!!」

「ヒールはしてル! 魔法の対処は2人に任せたヨ!!」

「《リストリクション》オッケーだ! しばらくはオレだけで持たせられるぞッ!! 前はいいから、アルゴさんは進路を指示して!!」

 

 怒号に近い意志疎通をしながらも、3人小隊は目暗ましと心理戦を駆使して緩やかに後退した。

 テグハっちが自身にかけた土属性魔法は《固縛体(リストリクション)》。アバターを硬化して物理、魔法防御力ボーナスを得られる。クロムオーラさんが身命を賭してジェイドを守ろうとした際、シルフ隊との戦闘渦中で使用したノームご用達の防衛魔法である。

 『飛翔力残量の半分を失う』という大きなデメリット付きではあるが、翼力を使い切って地上戦を余儀なくされた場合、または飛行できる標高を超えた――すなわち、ここアスガンダルのような《高度限界》以上の戦域ではシナジーが高い。

 加えて彼が装備する背丈ほども大きい黒鉄のタワーシールドは、その優れた筋力値でさえ取り回しできる限界スレスレ、包括的に見ても最大級の大盾だ。それに伴う防護性能も保証されている。

 そこに、オイラが小隊に発動した光魔法《治癒亢進(リジェネレート)》が重なる。

 これは旧アインクラッドにおける《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルの作用と近いだろう。経過時間に応じた自動継続回復で、かのスキルと比べ発動に少々手間はかかるものの、例のごとくマナポイント3倍消費で付近の味方全員に付与できる。

 そして追い打ちのようにジェイドが持つ高レア度の収納盾、《スワロゥ・パーム》まで待ち構えていた。

 彼だけでなく、これまで幾度となく脱走者7人を窮地から救ってきた、魔法ダメージのみ95パーセントカットの非実態ラウンドシールドである。

 敵が攻防一帯の魔法媒体を振り下ろすたびに、ゴッパァアアアッ!! と派手なエフェクトが舞うが、煙が晴れた先では獲物がピンピン活動しているのだ。時間の限られた相手にとっては気が気でないだろう。

 なにせ相手には、魔法ブッパ以外に戦法がないのだから。

 

「ここで無理ならもう処分なんてできない!! きみらの自然死を待っている時間はないのだよっ!!」

「ハッ、自然死だァ!? こっちは2年耐えたんだ。何年先になるかなァ!!」

「とり合うなジェイド! 守ることに集中しろ!」

もうすぐ(・・・・)ダ! 走れェー!!」

 

 通路の角を曲がった瞬間、オイラ達はほぼ同時に速度を維持したまま一定の区画を避けるようにジャンプした。

 その奇怪な行動はギリギリ死角になって目視されなかっただろう。

 何も知らない敵が90度曲がると、続いて後を追ってくる。

 そして、予想違わずそのアバターが脆い足場を踏むとドドドッ!! と崩れ、そのまま大きな穴にハマってしまったのだ。

 特定の地面に深い(くぼ)みを作り、表面を周囲の色に擬態させる即席の落とし穴。変則的な土魔法として知られる《陥没構(クレートセル)》である。

 ダメージもなく地上であれば翅も使われる。となれば、普段なら活用法を論ずることすら視野の外。けれど使い勝手の悪い初級魔法であれ、消耗前提で時間だけ稼ぐのであればこうした敵には有効なのだ。

 オイラ達は慢心せず時間の許す限り対策しておいた。トラップがすべて自分のために作用してくれる、そう思い込んでいた彼の油断がこの隙を生んだのである。

 文字通りあらゆる制限のない彼なら翅で飛べばいいものを、ここでも『落とし穴にかかった』という常人的な判断が思考を鈍らせている。

 彼が手足を使って罠の壁をよじ登るころには、彼我の直線距離は相当開いていた。

 

「待っ……ま、てくれ! ゼィ……待てッこの……っ!!」

 

 すでに見栄を張るのも忘れているのか、足をもつれさせながら懲りずに杖を構えている。

 と同時に、放たれた雷魔法はまたもあらぬ方向へ飛んでいった。

 やはり登場時に見せていた自信は、クロムオーラさんが攻略途中で残り火(リメインライト)になったことに気をよくしたのか、オイラ達を混乱させるためか……はたまたターゲットの翅さえ奪えば、本当に城塞の仕掛けと配置したままのモンスターで勝てる見込みがあったのだとみていいだろう。

 無敵というだけで彼のプレイヤースキルは決して高くない。

 残る問題は、この限られた空間でどれだけ持つか。

 

「(なんにせよ持久戦ダ。同じ場所をぐるぐる回るだけでも厄介なハズ……あとはモンスターが来るタイミングだろうナ。ダンジョンでの接敵とアイツの接近が重なる時が1番ヤバイ……っ!!)」

 

 初見ダンジョンなのでこればかりは神頼みである。

 しかし幸いなことに、彼の戦意は喪失されつつあった。

 死んでも諦めるつもりがない3人は、これでもかというほど館の中を駆け回り、横倒しになるモンスターの死体のせいで絨毯爆撃でも受けた後のようになった惨憺(さんたん)たる通路を逃げ続けた。

 安全なルーチンを見つけ、それを繰り返すことでひたすら時間を稼ぐ。奴らが攻めてきた場合の常套(じょうとう)手段である。

 そんなことをしている内にどれだけたっただろうか。やがて彼の姿が見えなくなるほど引き離すと、オイラはモンスターのいない廊下を全力で走りつつ後続の2人に話しかけた。

 

「ニャルホドなァ。……ハァ……やけにリアルタイムだと思ったラ、向こうは《無機索敵(インジケート)》を使っているのカ。……ハァ……道理でいくら走っても撒けないわけだヨ!」

「ゼィ……あれって確か……無差別で範囲広いけど……ゼィ……フツーなら、発動まで時間かかるやつだよな。ゼィ……セコすぎだろアイツ……!!」

「何を今さらっ……じゃあモンスターに、会うのを覚悟で……ゼィ……道を変えてみるか!? 例えば1階の広い道とか……ゼィ……おっ、おいジェイド!!」

 

 まさに話題に出た下の階のエリアを眺めた直後に、テグハっちは声を荒らげた。

 つられてオイラとジェイドも視線を寄越す。

 

「下の階見えるか!? リンド隊長達が走っている!!」

「うわっ、クッソ……追われてんのか!? しかもこのエリアで1番メンドーなデカブツじゃねェか!」

 

 きっかり格子状の金網から見えたのは、研究員からどうにか一時的に脱してから今の今まで隠れていた3人、つまり隊長リンドを含むA隊の姿だった。

 豪奢な装飾が燦然(さんぜん)と光る目抜き通り。上層を走るオイラ達からは、彼らだけでなくエリア全体を一望できていた。しかも、スーパーアーマー持ちの厄介なMobの処理に追われているときたら、それはまさしくあの敵が待ち臨んだシチュエーションである。

 そこまで考えた刹那、案の上研究員の男の判断は的確だった。

 標的がオイラ達から外れる。タイムリミットは近いはずだが、四方から集中狙いを受けたA隊は瞬く間にあとがなくなっていた。

 並走するテグハっちがすぐに叫ぶ。

 

「ジェイド! 隊長はモブの相手をしている! 割り込まれたら今度こそ……ここまで来ても助けないつもりかっ……!?」

 

 エリアの全貌も見えてきた。時間もだいぶ稼いでリミットは近いだろうし、現時点で『行き止まりの先で全滅』のリスクはほとんどなくなったとみていいだろう。

 ジェイドの判断も早かった。

 

「わァってるよ!! ハハァッ、ちょうど合流しようと思ってたところさ!! 奥に1階へ続く大階段があったろう!? 俺らも下に行って援護する! ほら、マナポーションだ。アルゴはバフかけながら走れ!」

「了解ダ!」

 

 くるくると投げ渡されたビンを危うくキャッチすると、もう何度目とも知れない《リジェネレート》をかける。そして息を整えながらポーションの中身を飲み切るころには、一行は追い詰められたA隊に加勢できた。

 緩衝被膜合金の混じる黒革ベストを装備したジェイドが、視界から消えるほどの速度で疾駆した直後、ゴッガァアアアアッ!! と、いつかに見た破城槌じみた落雷攻撃が炸裂する。

 しかし着弾点にいた少女は無事だった。

 インプの脳筋さんが際どいところで《魔法減殺の盾(スワロゥ・パーム)》を展開し、シリカちゃんを守ったのだ。

 その数秒後、ようやく強敵を退けた隊長が駆け寄る。

 

「ジェイドか! どうしてここに……っ!?」

「いいから早く! さっさと下がれッ!!」

「隊長、援護します!!」

 

 発火性の高い爆弾、《火炎壺》を敵の顔面に投げつけながら、テグハっちも強化された黒鉄の大盾を構えて果敢に前に出る。

 猛烈な連続攻撃が襲ってきた。しかし期せずしていいタイミングでフリデっちの水属性集団回復魔法の詠唱が完了し、それがパーティ全体にかかるとなんと一団はすっかり持ち直してしまった。

 そしてとくに捨て台詞もなく、地雷原を走破したような爆発音を切り裂いて、6人(そろ)ってUターンすると戦場を後にする。

 「今ので死なないのか……」と、相手の顔に書いてあった。

 逃げるオイラ達の背を、無敵の男はもはや茫然と眺めるだけだった。

 しかし……、

 

「ハァ……ジェイドさん助かりました! ハァ……いつもっ……ハァ……ありがとうございます!」

「いいって……ことよ! 死なれたらッ、ヒスイに合わせる……ハァ……顔がなくなっちまう!」

「ハッハッハ! ハァ……これじゃあ……ハァ……二手に分かれた! 意味がないなぁ、おいジェイド!! ハァ……気が回るじゃないかっ!!」

「るっせ! ハァ……たまたま見かけたんだよ!!」

 

 全力で足を動かしながら、ジェイドとA隊の面々が気を緩めて目を合わせた瞬間。

 ほんの数秒が運命を分けた。

 

「手持ちのポーションは足りてるな? 一撃がでかいんだ。ヤバいと思ったらすぐに飲んで……ッ、危ないシリカっ!!」

「きゃあああっ!?」

 

 未発動だったトラップが駆動する音が耳朶を(じだ)打つ。

 ただのオブジェだと思っていたデーモンの銅像が怪しく光り、魔法の紐で編まれたケージでシリカちゃんを閉じ込めてしまったのである。一定以上近づいてしまうと自動で捕らえるものなのだろう。

 魔法の光で編まれた、グリッド感のある唐草模様の緑格子。それにジェイドが大胆にも大剣で攻撃するが、激しい音を生んだだけでやはり効果なし。

 しかし彼は大きな悪態とわずかな逡巡(しゅんじゅん)を経て、自らもその檻の中へ手を伸ばした。

 直後に視界を埋めるほどの発光の演出。

 再び目を開けた先に、彼らはいなかった。ここに来て強制転移の罠だろうか。

 

「そんナっ!? ジェイド!? シリカちゃんモ!!」

「同時にどこかへ飛ばされたのか!?」

「ダメだアルゴさん! 2人はきっと別のルートで逃げる!」

「来てますよ、敵!! 彼らはあとで探しましょう! こっちのマナももうないんですからっ!!」

 

 フリデっちの警告で我に返ると、オイラは脳内に残留する不安を振り切り、どうにか(きびす)を返して前の3人を追った。

 けれど、たった数秒で2人がはぐれてしまったのだ。これがもし逃げ場のない場所への転送だとしたら……、

 そしての危惧は、次の彼の言葉で事実と判明してしまった。

 

「やっ、やった!? ハッハァ、やったぞ! 確か決闘イベだ、これで1人は確定!! 私の実力で倒してやったぞぉおおっ!!」

 

 敵の法悦(ほうえつ)的な表情を尻目に、思わず歯ぎしりしてしまった。

 そんな、まさか。

 1人……といったか。ジェイドとシリカちゃんの、どちらか1人を?

 あり得ない。即死のギロチンにかけられたわけではないのだ。あんな初見殺しのトラップに捕まっただけでパーティメンバーが死ぬなんて。これがもし一般プレイヤーの立場だとすれば、ただのオブジェに近づいただけで最終セーブポイントに飛ばされたとあれば、その理不尽なフィールド設定に思う存分批判を浴びせていただろう。

 現実を受け入れられない。

 こんな別れ方など、あってはならないのだ。

 

「あいつの言ってるコト……『どっちか1人は確定』っテ……ッ!!」

「ハァ……どうせハッタリさ! 今まで何度もあったろう! ……あのバカが、こんな簡単に……ハァ……やられるてたまるかっ!!」

「隊長のッ……ハァ……言う通りです! とりあえず、道なりに逃げましょう! ……追ってこないなら……好都合です!」

 

 しかし、とうとう4人にまで減った集団が未開の地に踏み込むと、その先には今までのものとは明らかに異質な大門が待ち構えていた。

 嫌な空気を感じる。されど脇に逸れる道も、熟考している時間もなかったため、急かされるように4人でそれを押してこじ開けた。

 

「(やっぱり広イ! ボス部屋カ……!!)」

 

 扉の先には予想違わず、現エリア最大級規模の広い空間が用意されていた。

 最奥(さいおう)のガンマは不自然に低いが、どうやらシンプルな長方形をした戦場のようだ。

 よく見ると、オイラ達は主戦場となる床からかなり高いところで待機させられていることになる。吹き抜けになった1階を見下ろしているイメージだろうか。手すりはあるが、その落下防止柵は一律して子供でも飛び越えられる高さ。館への『侵入者側』の誰かが下に降り、着地した時点で戦闘が開始されるのだろう。

 アスガンダルでは翅が使えない。つまり、降りた時点で退路はなくなるわけだ。

 随時ボスエリアから脱出して補給をしながら戦えるとなるとヌルゲーになってしまい、さりとて部屋の扉を開けた途端に有無を言わさずインスタンス・マップへ空間ごと転送、そのままボス戦とするのはいささか興も削がれる。集団であればボス戦前に準備ぐらいしたいだろう。

 そうしたニーズから『ボス前の安置』というのは、オンゲーに限らず割とコンスタントに用意されている。

 それに、奥に佇む黒い影はどう見ても《廃国の覇王》なる館の(ボス)だ。まだピクリとも動いていないが、その大きさはゆうに7メートルはくだらない。光源もないまま淡い光を持つ金の王冠から、その身に(まと)う朽ちかけた甲冑まで純金のような質感があり、ひどく衰弱した巨体の老兵はじっと一点を見つめていた。

 

「(まだ戦闘は始まってないのカ……?)」

 

 部屋の内部では流れるメロディこそ変わっているが、今回は通常のルートではない気がする。

 経験則から考えて、おそらく何らかのミッションタスクが適用されたものと予想される。かつてジェイドがイベントボスを単身で撃破した際、追加報酬として手に入れた巨神殺しの剣(タイタン・キラー)や3つの《魔導書》のように。これらのイベントをこなした暁には、きっと苦労に合ったアイテムなり武器なりが、参加プレイヤーに振る舞われるに違いない。

 そして4人がボス部屋に侵入してからしばらくすると、天井から声が聞こえてきた。

 

「おい、リンド達か!? 上だ! クソッ、捕まっちまった!」

「ジェイドか!? シリカさんもいるじゃないか!」

「出られそうにないですか!?」

「た、たぶん出られないです! ものスゴくかたくて……!!」

 

 部屋中央の真上あたりだろうか。

 ちょうどアーちゃんを閉じ込めていた鳥籠を彷彿(ほうふつ)とさせる、錆びた廃材のような鉄檻が2つ。中心がギアの軸らしき構造をしていて、回転する天秤を模した遺物の両端に2人が捕らわれていた。

 檻の内部は剣を振れるほど大きくもなく、きっとあれらは破壊不能設定なのだろう。

 しかしこれはどういったイベントなのか。

 あれではオイラ達がボス戦を開始した際に、その戦闘を観覧させる場を設けただけになってしまう。

 だがそうした懸念は、なぜか彼のいた方角とは逆方向に当たる、戦場の奥からゆっくりと歩いてきた例の男によって解消された。

 

「手こずらせてくれたね、きみ達。けど年貢の納め時だよ」

 

 瞬間移動でもしたのだろうか。男は落ち着きを取り戻し、それが口調や態度に表れている。

 

「まァたそれかッ……まだ終わったわけじゃねェぞコラ!!」

「フン、檻の中でも騒がしい。……まあいい! これは《王座前室の剣闘》イベントだ! フラグは取り消せないぞ。侵入者であるきみ達は、囚われたどちらか一方のプレイヤーを、《覇王の眷属》である私との決闘に差し出さなければならない!!」

「くっ……プレイヤー同士の、強制戦闘系か……」

 

 1つの回答に辿り着き、隊長が低く唸る。

 ストーリーの詳細などは自分からNPCに話しかけるなり、配置・ドロップしたアイテムのフレーバーテキストを読んで築き上げていくものなのだろう。それらを軒並み素通りしてしまったため、オイラ達は状況についていけているとは言い難かった。

 臨場感を味わえるよう、ALO開発スタッフの貫くポリシーなのだろう。

 よって、どうしても詳しく知りたければ、ダンジョンを逆走してこまめに情報を拾い直してくるしかない。

 しかし、「みなさん、これを……」というフリデっちの指摘で首を振って見ると、安置通路の先には、左右に倒せるアンティークな金属レバーが取り付けられていた。

 近づくと『どちらのプレイヤーを決闘させますか?』なるメッセージ小ウィンドウと、左右を指す矢印のアイコン、そして減少し続ける3ケタの数字が空中で点滅した。

 これだけである程度は予想がつく。

 見上げた先ではシリカちゃんが左に、ジェイドは右側に吊るされていたからだ。

 ボス戦前の小休止。サブタイトルを与えられたミッション。

 イベントが開始され、これに見事勝利した覇王討伐側or覇王眷属側のプレイヤーには、タスクをクリアした何らかの特殊リザルトが贈られることだろう。あるいはこちらがそれを手に入れられるのは、奥に控えるラスボスまで討伐しきった時だろうか。

 いずれにせよ……この戦いに勝利はない。

 ここから下の階に飛び降りて、戦いの火ぶたを切った仲間の援護に向かうことすら無意味である。逃げ場をなくせば、今度こそ全滅なのだから。

 オイラ達にできることは、1人をオトリにもう一方を回収し、速やかにこの戦域を離脱することだけ。

 当然ダンジョン制覇も放棄。敵の眷属プレイヤーが強制召集されたことで、きっと今なら屋外への脱出もできるだろう。

 

「(ア……ァァ……そん、ナ……)」

 

 目の前が真っ暗になりそうだった。

 ジェイドか、シリカちゃんか。『死んでもらう』人間を選択する行為。

 どうしようもないと理解しているからこそ、彼らも(うつむ)くしかなかった。これまで共に支え合い、時には反発し、競い合って成長したかけがえのない仲間を失うなどと。オイラには到底選べそうにない。この日を境に、また日常が侵害されるなんて。

 すでに1人が毒牙にかかったのだ。クロムオーラさんは2ヵ月積み上げた記憶すら消されようとしている。

 

「さあ、選ぶんだ。どちらを差し出す!? 当然、記憶は消去するがなぁ!」

 

 居丈高に笑う男には余裕が戻っていた。

 記憶を消すなんて、本当にそんなことが可能なのかはわからない。しかしコミュニケータを通じて実験内容を漏洩させてなお、彼らは意固地になって脱走者の殺害に奔走(ほんそう)しているのだ。まるで『意識の確保さえすれば、まだどうとでもなる』かのように。

 だとしたら、終わりではない。これだけしておいて、この男はオイラ達からさらに略奪しようとしている。

 そう感じると自然と喉が震えていた。

 

「もういいだろウッ!! アンタの勝ちだヨ。……だから、これ以上奪わないデ。オレっち達は実験のことモ! アンタのことだって誰にも言わなイ!」

「あ、アルゴさん……」

「これで文句はないはずダ! 迷惑はかけないし、黙っていると約束する……もう、放っておいてくれヨォっ!!」

「約束、か。……駄目だね。これがきみらの選んだ結果だ」

 

 愉悦に満ちた態度で彼は吐き捨てた。自分達の方が罪を犯しておいて……いや、ゆえに血も涙もない。

 わかりきっていた回答に、声も上げられず、その場で力なく座り込んでしまう。

 もう1分とない。そうなれば一方の記憶を消される。

 究極の選択とは言え、現実的かつ総合的に考えればシリカちゃんを切り捨てるべきである。世界樹から脱してから、ジェイドが彼女を保護し続けていたのは、言ってしまえばただの利害関係が重なるパターナリズムがそれを是としただけ。庇護欲の延長である。

 しかしシリカちゃんはまだ子供。そんな彼女を実験体への生贄(いけにえ)に差し出すなんて、果たしてDDA総隊長とて下せるのだろうか。

 ここで見捨てられた方は……、オイラ達との、思い出さえ……、

 しかしそれでも、部隊長はレバーの前に立つと任務に突き動かされた。

 

「たっ、隊長!? まさか選ぶんですか、あの2人を……ッ!?」

「く……仕方ないだろう! ……ちくしょうッ。ああそうだよ、俺の責任だ! でも選ばなければ……2人とも……ッ!!」

「クハァ―ハッハッハァ!! いいぞ、存分に悩め! 苦悩しろ!! だが自分らだけ助かったと思うなよ? まだ15分もある。逃げ切ることはできないのだ。どちらを選ぶにせよ、この狭さなら1分と持つまいっ! そうなれば、残るはきみたちだけだ!!」

 

 彼のヒステリックな悪声を聞き、自分の中で荒れ狂うような葛藤(かっとう)が起きた。

 それを口に出してしまいたい。

 アスガンダルを生還した後、どれだけ蔑まれ嘲笑(ちょうしょう)されてもいい。「レバーをシリカちゃんの方へ倒してくれ」と。彼と育んだ大切な日々と記録を、どうかこんな形で終わらせないでほしいから、と。

 しかしオイラが我慢できずに顔を上げた瞬間、天井高く閉じ込められていた男が鉄格子を殴り、「ゴチャゴチャうるせェ!!」と怒気を強めて割って入った。

 彼はうつむいていた顔を上げ、憤怒の視線が真紅のプレイヤーを射貫く。

 

「腹くくれよ、リンド! 隊長だったらスジを通せ!! ……もうわかってるはずだ!!」

「な、何を……俺にどうしろと!」

「決まったことを。……簡単だ! さっさとシリカを戦わせろっつってンだ!! 考えるだけムダだろう! 早く俺を(・・)助けろッ!!」

『ッ……!?』

 

 予想だにしない言葉を聞いた5人は一様にして凍り付いた。

 決めあぐねていた隊長に対し、傲慢な態度で言い放つ。死の(きわ)まで追い込まれたことを理解した焦燥からか、イラ立ちを隠そうともせず檻を殴打して金属音を鳴らし、なおジェイドは甲高い声で叫び続けた。

 一緒に捕まったシリカちゃんも驚いて彼の方を見やる。実力も発言力もないことを自覚するがため、あえて物言わなかった彼女でさえ、彼に対する強い怒りと恐怖の眼差しを向けていた。

 今まで共闘してきた仲間から、はっきりと裏切られるような感覚。

 まさに望み通りの展開を見たようにあの男も嬌声を上げた。

 

「ハぁ―ハッハァ! それだよっ、それが見たかったんだ私は!! 偉そうに言っておいて! きみも自分の命が惜しいだけじゃないかァ!!」

 

 最も恐れていた流れだった。敵の言う通りになってしまう。ここで立場と価値の優位性を誇示してはいけない。いかに事実であれ、そんな言い方をしてしまっては……、

 案の定、リンドはさらに苦い顔をして奥歯をかみしめる。

 オイラの心配をよそに、ジェイドは鳥籠を荒々しく叩きながら、舌鋒(ぜっぽう)鋭く怒鳴り散らした。

 

「うぜェフリはもうたくさんだ!! ……はっきり言うがなッ、誰がこれまで助けてやったよ!? これから生き残るためにもっ! 俺は絶対必要なはずだ!! シリカじゃ足手まといにしかならねェ!!」

「そ、そんな言い方……ひどい、ですよ……わたしも……っ!! ずっと戦ってきたのに! わたしだって、しにたくないっ!!」

 

 すでに涙声となり、裏返った怒声で反論するシリカちゃん。同情の視線は、すでに彼女の方へ向けられていた。

 そして彼は、決定的な言葉を(はな)ってしまう。

 

「シリカは黙ってろ!! ……おいっ、今さら善人ヅラか!? 『弱い奴から斬り捨てる』!! 血も涙もねぇテメェの合理主義はドコに行ったよ、ああァッ!? こっちはヒスイに会うまで死ねねェンだッ! 早くしろリンドォッ!!」

「もう黙れよクソ野郎っ!!!!」

 

 ヒートアップしたジェイドを、彼は上書きするように一喝で黙らせた。

 肩で息をする隊長と、わずかな静寂だけが訪れる。

 そしてとうとう、メンバーの命を預かった男は悟った(・・・)ような表情(カオ)で決断した。誰も想像しなかった言葉だけを、絞り出すように小さく呟いて。

 

「余計に……殺しづらくなっただろうが……ッ!!」

 

 言うと同時に、彼はレバーをジェイドの方に倒した。

 力の限り、叩きつけるように。

 怒りの全てを投げ捨てるように。

 なんとも間抜けたことに、そうなってから初めて、オイラはあの男の真意(・・)に気づかされた。

 困惑するメンバーとは関係なく、エリアのギミックは正常に反応する。彼を吊るすチェーン状の鎖は、それらが(こす)れる乾いた音に続いて敵がいる地上へ長く垂れていく。同時にシリカちゃんを内包する鉄籠は真横にスライドされ、安全地帯へと搬送(はんそう)されると、ビクともしなかったその扉をひとりでに開けていた。

 しかし仲間に介抱される彼女を見たオイラは限界だった。

 

「イヤダっ!! ジェイドっ、お前が残るならオレっちだって!!」

「ダメだよアルゴさん! この数分で少しでも距離を稼ぐんだ!!」

「そう、1人でも多く……ジェイド君は、もう……っ」

「クソッタレが……振り向くなッ、屋外へ出たらアスガンダルの外周へ向かう! 制限が消え次第、全員で飛ぶぞ!! 遅れるなよ!!」

 

 柵を超える寸でのところで腕を引っ張られ、半ば放心状態のままオイラは部隊に先導された。

 すでにモンスターの全滅した豪奢(ごうしゃ)な廊下を堂々と横断。散々パーティを苦しめてきた館のダンジョンは、最強の敵が1人の仲間に足止めされたことでいとも簡単に抜け出せてしまった。

 野外への脱出。それでも、絶え間なく足を動かす。

 たった5人にまで減った小隊が、ほんのわずかな生存率を積むためだけに。

 だが(うろ)を抜けた瞬間は壮美に見えたフィールドが、今のオイラには全てがとても色褪(いろあ)せて見えた。

 移り行く世界に色がない。遠く見えた未開の地も、闇の深い謎多き森林も、この心を高揚させるものは1つもなかった。

 それだけで彼の存在の大きさが突き刺さる。

 オイラにとって生きることとは、《アルヴヘイム・オンライン》なる異世界で意味もなく延命することではなかった。『彼と一緒に』いられることが、戦いの生活を耐え抜くうえで忘憂(ぼうゆう)と安らぎを得られる唯一のひと時だったのだ。

 

「(ジェイド……そんな、ジェイド……っ……)」

 

 その喪失感の深さは、走りながらも張り裂けそうなほどだった。

 最後に見えたのは、大剣を背負う彼の背中だけ。これで永遠に別れてしまうというなら、もう生きる価値すらない。

 いっそのこと狭い密室で一方的な戦いを終えた敵が、早々にここへ追いついてくれることさえ願ってしまった。自分も一緒に彼のことを忘れてしまえば、これ以上苦しむこともない。

 いつまでも手を引かれ、とうとう岩の揺籃(ようらん)の崖際まで来てしまう。

 しかし不思議なことが起こっていた。

 ここまででもう10分以上はたっているはずなのに、期待とは裏腹に敵の姿は一向に現れなかったのである。いくらジェイドが剣士として強力な部類に入ると言っても、無敵のチーターを相手に狭い密室でこれだけ長く戦えるはずがない。

 

「(来ないゾ……まさカ、ジェイドは……!?)」

 

 また悪いクセのように期待してしまった。どれだけ絶望的な状況に立たされたとして、彼なら何とかして耐えてしまうのではないか、と。あの研究員を相手にあらゆる対策を講じ、誰も思いつけないような奇抜な作戦で不可能を可能にしてしまうのではないか、と。

 されど、期待ははかなく散った。5人がいつでも外周から飛べるよう待機している間に、刻限(こくげん)が来てしまったのである。

 ジェイドの名は、パーティ名簿からすでに除名されていた。

 ほとんど男が言った通りの時間で、短いメンテナンスが静かに終了する。エリアを囲う(よど)みのような透明の力場が消滅したのだ。そしてこれは同時に、一介のプレイヤーが信じられないほど長い時間、無敵のアバターを足止めしたことの証拠でもあった。

 「念のため、ここを出るぞ」という、リンドの冷たい命令。

 その彼と共に最高戦力の双璧を成した男の死。

 もう後戻りはできない。隊長は最後に少しだけ館に向けた悲しげな眼を細め、それからは何の迷いもなく改めてアスガンダルからの脱出を促した。

 ここに5人もの生還者を残した彼の功績は偉大で、かつ勇敢な行為である。

 しかしオイラ達は、その奇跡に感謝を捧げられないまま、見殺しにした悔恨(かいこん)を抱いて、曇天の()て空を無様に敗走するのだった。

 

 

 



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最終章 新たな門出
アナザーロード10 『帰還』


いよいよ最終章でございます。


 西暦2025年1月7日 東京都

 

 【超速報】ソードアート・オンラインがガチでヤバい件について【SAO】

0002 無意味な名無しのレス包食

 ◇ Nxb4tzATcok 2022/11/06/16:37:29

SAO開発グループ 公式サイト ×××,×××,×××216

 

0002. これガチ?

0003. >>1乙。けど実際ヤバいのはソフトじゃなくてナーヴギアの方な。

0004. オタがリアル異世界転生できるってマジ?wwwwww

0005. 華麗に1ゲト

0006. 前スレ消費はえぇ 後いちおつ

0007. >>1 これ本気だとしたら今後のVRゲーのが幸先ねーぞw

0008. 今SNSで確認したところ事実っぽい。俺の友人が住んでるアパートに購入者いて、付近にパトカーが何台も止まってるらしい

0009. >>4不謹慎すぎワロタ

0010. マジレス乙

0011. すでにアーガスは回線が混雑してるらしい。少なくとももう何時間も前からログアウト報告ないし、公式の情報見ると開発者も一部連絡がつかないんだとさ。テレビ速報だとまだ詳しい部分ぼかしてるっぽいけど、メーカー側がトチ狂ったのは間違いないと見ていいよ

0012. 何番煎じのスレだよwww

0013. 人数ヤバすぎない?

0014. ワイ将徹夜組敗北者、呆然

0015. ↑ヤバすぎて草も生えない

0016. 明日月曜だけどこれで会社とか学校休む奴は「ゲームがやめられませんでしたw」とかいうのか?(呆れ)

0017.  >>11逃げてんじゃねぇかwwクズ野郎かよwwwwwwwww

0018. そもそもこっちに帰って来られないんですがそれは……

0019. 今死んでるのだけで200人いってるのかこれ!?

0020. な、なんだってー (AA略

0021. これで現実とかいう超ハードモードから抜け出せるとか、軟禁されてもいいから俺もゲームの中に行きたかったんだが

0022. つーかβスレ見たことあるけど、道中長いだけでクリア半年もかからんだろこんなヌルゲー。たかが数ヶ月のためにディレクターの首飛ぶとかwwww

0023. 役に立たん引きこもり一掃されてwinwinだし多少はね?

0024. 正直うらやましい

 

 ここまで読んで、端末の画面をスクロールするのをやめた。

 少しだけ憂鬱(ゆううつ)な気持ちになりながら、買い替えたばかりのそれを省エネモードにして、黒のブルゾンジャケットのポケットにしまい込む。匿名だからとまったく言いたい放題に。

 しかしあたしが温厚だからというわけでもなく、こうした……いわゆる過去に書き込まれただけの不特定多数による感想を覗いてしまったとして、おそらくネット世界に憎悪を抱く当事者もすでにいないだろう。

 あたし達の意識が回復しただけでも一大ニュースだったのだ。同時多発的に起こった1万人もの幽閉者に、初日だけで数百人と死んだ狂気のデスゲームとあれば、当人の知らないところでメディアの好むシンポリズムに晒されたことは想像に難くない。今しがた目についた記事も、2年前の同時期に立てられたものである。

 ウンザリはしたものの、現にあたしは単なる好奇心でサイトのリンクを踏んだ。

 こんなところに『彼』の情報が載っているはずもないのに。

 

「(こうして通ってるのに、あなたは返事も返さないんだから……)」

 

 自宅から離れた病院に電車で向かいながら、あたしはスマホの液晶替わりに流れゆく風景を眺め、想いを馳せる男性に心の中で独り()ちた。

 虚構の世界から現実に復帰できた者達。

 自由と人権を取り戻した約6000人もの人々は、それでもなお新しいハードルを飛び越えなければならなかった。

 もちろん、あたしとて例外ではない。

 高校に入学した年で現実を離れ、卒業する年になって復帰する虚しさと寂寥感(せきりょうかん)は想像を絶するものだった。通っていた母校――この呼び方にすら違和感がある――のクラス名簿や所属していた部活に名こそ残れど、それがうわべの同情と厄介ごとを放置した無関心が生んだ結果なのは明白だったからだ。

 もっとも、2年も姿をくらました生徒が、『元々いたみんなの学友』として迎えられないことは理解しているつもりである。彼らの主観で見れば、特に接点のない同級生なんて転校生か引きこもりの復学と変わらないのだろう。

 ましてや、同学校からSAO事件で1人の死亡者が出ているのだ。精神状況に配慮するあまり、クラスメイトがあたしとの距離に一線を引く未来は容易に想像できた。

 ある意味では、この肉体に本来の魂が戻った瞬間、高校生最高学年としてやり直せと言われなかったことは、不幸中の幸いだったのかもしれない。

 ――こんなにやせ細った体じゃ、色々ムリも出てきたと思うし。

 

「(でも、ああそっか……もうあたしJKでもないんだ……)」

 

 ふと、1つの貴重なステータスを失った気がして、さらに気持ちが沈んでいく。制服も買い替えていないし、高校行事のあらゆるイベントで友人と思い出を共有できなかった事実が今さらのしかかってきた。

 というのも、あたしは現在学生ですらない。しかし基礎学力、私生活、健康状態が著しく周囲と乖離(かいり)したSAO生還者(サバイバー)への対応は迅速かつ寛大で、あたしは来年度より国が新設した中・高・大一貫の学校へ通う手はずとなっている。新設と言っても一種のリノベーションされたリサイクル校舎で、年齢層の広いユーザを統括するには在来校では不十分。では都合のいい施設を(こしら)えようというのが本音である。

 未だに帰還しようとしない寝坊助(ねぼすけ)さん達にも、きっと後追いで状況は説明されるだろう。

 もし、覚醒することがあればの話だが。

 

「(それにしても、理由ありきで帰って来られないのだとして……まだ原因不明なんておかしいでしょう。もう2ヵ月もたっちゃったよ、ジェイド……)」

 

 見舞いに向かう車両に揺られながら、自分が今でもプレイヤーネームを懐かしんでいることに気づき、その往生際の悪さに内心で嘲笑(あざわら)った。

 あれだけ危険な目に遭ったのに。

  1ヵ月以上入院していた薬品クサい潔癖(けっぺき)リハビリセンターでは、大量の汗を流しながら2度とVRゲームになんて手を出すものか、と誓ったのに。

 だのに、心のどこかではまだ捕らわれているのだろう。あるいは、現実に復帰してから真っ先に彼と再会し、互いに将来を語り合おうと息まいていたからかもしれない。

 「ヒスイ」という名前で呼ばれることが、時々恋しいとすら思う。

 18歳の生徒であるより前に、御門女 玲奈(みかどめ れいな)という一家の末っ子であるより前に、あたしは《抵抗の紋章(レジスト・クレスト)》のフォワードタンカーなのだという自覚があった。そしてこれは、まだしばらくは消えそうにない。

 という動機から、彼らに会えないのだとしても、せめて情報を少しでも手に入れんと携帯端末をいじっていたのである。まあ、不作もいいところだったが。

 しかし同じ境遇の人は300人もいると聞いている。そのうち誰か1人でも目を覚ませば……。1人目の覚醒が例え奇跡だったとして、きっとその生還法は他の昏睡状態の人へも応用できるはずである。

 そんなことをつらつら考え、数分。

 

『次はー航空公園駅~、次はー航空公園駅~』

「(やっとついた……)」

 

 車掌さんのアナウンスによって意識を戻されると、気が(はや)っていたのか立ち上がって降車の準備をした。

 しばらくして車両が完全に止まると、あたしは真っ先に出口から降りてお決まりのルートで駅を後にする。

 徒歩10分ほどで目的地に到着。

 こじんまりとしたロータリーを横切ると、バリアフリーを意識した段差のないスロープが長く続く。煉瓦色の角ばった建造物を、自動開閉ゲートを渡って正面から進入し、暖かい空気に迎えられたので上着を脱ぎながら歩いていると、慣れた態度で係員に話を通す。

 すると「いつもごくろうさまね」とだけ言われ、発行してもらった通行パスを手に取って、案内もないまま通路の奥へ歩き出した。

 患者と呼称していいかわからないが、それでも多くのゲームプレイヤーの命をつなぎとめた民間経営の高度医療機関。

 少なくともこの1ヵ月で、受付の方と軽く会釈するだけで来院目的を察してもらえる程度には通いつめてしまった場所でもある。

 想い人がいる部屋番号はおろか、院内構造のほとんどを把握してしまったあたしは、乾いた喉を(うるお)せるよう、まばらな人垣を擦りぬけてひっそりと設置された自販機に先に寄っておく。

 精進食(しょうじんしょく)のようなトレイが整然と並ぶ身長より高い配膳車(はいぜんしゃ)を通り過ぎ、大きめの防火扉、避難経路図、保険説明などのポスターをぼうっと眺めながら、テレビがつけっぱなしになった休憩所を横断。

 たまには当人の病室以外に目を走らせてみるものだ。『ナース休憩室』はともかく、『リネン室』なんて初めて見た。意味もわからない。きっとこんなことにならなければ、人生にとっても背景の一部でしかなかっただろう。

 しかしお目当てのスポーツドリンク用に小銭を用意しながら歩いていると、意外なことに自販機には先客がいて、しかもその相手はよく知る者だった。

 

「あ、ひとみさん。お久しぶりです」

「おおっ、ドメちゃんだ。スカート珍しいじゃん。なに、またあいつのために来てくれたの? 悪いねぇどーも」

 

 背の高い女性が振り向きざまに手を振った。

 『ドメちゃん』は生まれて初めてつけられた愛称だったが、弟に似て相変わらずのラフっぷりである。いや、順番的に彼が姉に似たのだろうか。

 なんにせよ、言われて気付いた。確かに今日のコーディネートは珍しい。色も暗く随分とイモい格好で外出してしまったが、知人と会うならもう少し考えればよかった。足繁(あししげ)く通うなか、ここで会うことがあまりなかったことから油断していた。

 相手は対照的に凝っていて、上は白シャツの上にはぴったりとしたカーディガン。しかしネイビー色のデニムのスキニーと栗色のムートンブーツが全体をまとめていて、スッと伸びる高身長、わずかにパーマのある黒髪セミショート、腰に抱えるベージュのトレンチコートまで含め、まるで男装した麗人モデルのように見えた。

 姉弟そろって成長期が早く、おまけにそれが長かったらしく、その秀麗(しゅうれい)なプロポーションは羨ましい限りである。

 あたしは「メイクは最低限したしセーフ!」なんて、若干たじろぎながら話を続けた。

 

「いえそんな。学校がないとわりとヒマなんですよ、こっちも。……それに、寝てるだけの彼はもっとヒマでしょうから」

「うわやっさし。カ~もったいないね、あんな奴には」

「えへへ。でも、大学はいいんですか?」

「なーにをおっしゃるドメちゃん。今日は土曜だよん」

「あっ……はは、忘れてました……」

 

 いくら休日と平日の境が曖昧(あいまい)になってきたとは言え、先ほどまで利用していた電車が休日ダイヤで運行されていた時点で気付くべきだった。適当な質問をしてしまったものである。

 改めてあいさつを交わしながら病室に向かう途中、あたしは並んで歩くスレンダーな女性を不躾(ぶしつけ)に眺めて少し考え込んでいた。

 令姉(れいし)の名は『大瀬崎 (ひとみ)』。恋人であるジェイド、本名『大瀬崎 (れん)』の実姉で、あたしの姉とも同い年だと聞いた。大学三回生、自分よりゆうに5センチ以上は目線が高く、交友関係の広い典型的なリア充だ。

 彼女と初めて会ったのは3週間と少し前。衰えた筋肉のリハビリもようやく佳境(かきょう)を超えたあくる日、彼女はあたしとの面会を求めて見舞いに来てくれたのである。

 そう、つまり偶然に居合わせたのではなく、わざわざ足を運んでもらったことになる。通院中、仲の良かった友人とは何度か会ったが、さすがにこの時点で見舞いに来てくれる人は家族以外にいなかったのでよく覚えている。

 

「(そういえば、大瀬崎家で初めて会ったのはこの人だったなぁ……)」

 

 しかも開口一番で彼女の弟、つまりレンのことを聞かれた。

 どうにもSAOにダイブするプレイヤーに対して、政府側もまったくの不可侵だったわけではないらしい。1万人の命に関わる行為、すなわちプログラムの解除や《ナーヴギア》の破壊こそ自粛(じしゅく)した――なにせ規模が大きすぎて、誰であれ失敗時は責任の取りようがない――ようだが、プレイヤーレベルや生活環境、大まかな座標などは常にモニターされていたらしい。

 こうした監視体制は当然、必要とあらば家族、親族への状況説明ができるという点も兼ねている。

 という側面から、あらかじめアタリ(・・・)はつけていたのだろう。

 知り合いなのか、どんな関係なのか、そして彼は生きているのか、など。ドカドカ聞いてきたのは、そもそも意識を取り戻した日に、あたしの方から繰り返しレンのことを周囲に話してしまったのが大きいのかもしれない。

 取材に来た国政府の人に掠れるような声で嘆願し、どうにか「電話でなら」と掛け合ってもらい、ジェルベッドの上で安静にしながら、意識の戻らない一部のプレイヤーが目覚めるのを今か今かと待ちわびたものだ。

 なんとも哀れなことに、当時はタイムラグだと思っていたのである。

 けれど、現実世界で電話越しに彼氏と話すという、こんなにも小さな願いすら叶うことはなかった。

 ともあれ、あたしから先にアプローチした経緯もあって、ひとみさんはレンがこの2年をどう生き抜いたのかを聞いて回っていたらしい。聞き込みはリアルでも友人関係にあったルガトリオ君に続き、あたしが2人目だったそうだ。

 

「あ、ここはウチの使うから」

「はい。お願いします」

 

 そうこう話しているうちに病室へ到着した。

 せっかく借りたパスカードだが、ひとみさんのものをスリットにかざすとあたしのそれはお役御免となってしまった。

 ほとんど開閉音を立てずに無機質な扉がスライドし、わずかに気を張ってから入室。好待遇ゆえに相部屋ではなく、濃度の高い薬品の匂いに顔をしかめながら、ついに彼と面会した。

 けれど、区切られたカーテンの向こうには、未だ意識の戻らない衰弱した空っぽの肉体だけがジェルベッドの上に横臥(おうが)されている。骨に密着しているのでは、と疑ってしまうような皮膚の色はお世辞にも健康的とは言えず、髪や生えかけのひげも当然伸びっぱなし。生気の薄れた表情からは、見慣れた本人の強い意志をまったく感じなかった。

 しばらくは体温の低い手を握って寄り添ってみるも、どうしようもない虚しさと、握れば折れてしまいそうな細い感触に嫌気が差して立ち上がった。

 ひとみさんは彼の伸びた爪を切り、日用品の補充を終えて帰るところだったらしいが、「せっかく美人ちゃんが来てくれたから」と同席したいとのことである。

 ――まったく、口のうまさも憎たらしいほど弟と似ている。

 

「罪な男だよコイツも。超カワなドメちゃんをこんなに待たせるなんて。あ、そういえば馴れ初めはどうだったのさ? 聞いてなかったよね」

 

 客であるあたしに質のいい深い椅子を(ゆず)り、自身はパイプ椅子の上で足を組んで聞いてきた。

 あまり人の家庭環境について深く追求する気はなかったが、彼女だけがよくジェイド……レンのことを聞いてくる。

 

「馴れ初めですかぁ~……なんだかハズかしいですね。と言っても初めはヒドいものでしたよ。反発し合っていたというか、なんというか。少なくとも顔で寄ってきた人達とは明らかに違いました。そもそも声をかけたのはあたしからで、それは説教のためで……」

「説教! へぇっ、そりゃ意外。までも、わりと男女関係なくつっかかってたっけ。……ったく、コイツはどこ行ってもメイワクばっかり」

「ああ、いや……けどあたしも最終的には助けてもらいましたし、そこはどっこいです。……変わったんですよジェ……レンも。ずっと前、グチグチ言っていたところをひっぱたいてみたら、なんだか日に日によくなっちゃって」

「プハッ、なにそれ~。超オモシロいぢゃん。まーコイツ昔からそういうところあるからね。まっすぐにしか進めないバカだから、ウチがハンドル握るしかなかったっていうか」

「そうっ、それなんですよ! しかもブレーキまで故障してて!」

 

 こんな会話をしながら横たわる本人の目の前で散々笑ってやった。

 最初のうちはケロッと起き上がってツッコミの1つでもかましてくれると期待したものの、やがてそうした望みも薄れてしまう。

 そしてしばらくSAO内部の話で盛り上がるあたし達だったが、ふと彼女はこんなことを口にした。

 

「でもなんでゲーム終了の直前まで一緒にいたのに、コイツだけ帰って来られなかったんだろうね? ……や、ドメちゃんを責めてるわけじゃなくて。もしかしてSAOを作った人……カヤバさん、だっけか。あの人がまだ何か企んでるのかな」

「う~ん、あたしからもなんとも。……でもなんていうか、ヒースクリフさん……ああつまり、茅場さんがゲームを終えると断言した時の声と表情から、どうもウソを言うようには見えなかったんですよ。言葉にしにくいんですけど」

「ふぅん。まあドメちゃんが言うならそうなんだろうね。……ハァー考えてもわっかんなや。学校行ってた時は遅刻魔だったから、単に寝坊かも」

「あっはは、それはさすがに……」

 

 落ち着いたところでドアにノックがかかり、看護士さんによる定期健診の時間になっていたことに気づかされた。

 ナース服をぴっちりと着こなす女性は、若作りしているが(よわい)のほどは40間近と見た。悪い意味ではなく、ベテランだろうという安心だ。

 無言で見つめるなか粛々(しゅくしゅく)と進められる検査。脈でも計っているのか指先から垂れるケーブルを見たり、点滴用インジェクターのノズルを調整したり、備え付けの光沢パネルをリズミカルに叩いて操作する。最後に栄養液を詰めた真空パックを新しいものに取り換えて部屋を後にしようとした。

 しかしあたしは、その直前になって彼女が持つ電子媒体のサイン表が目に入ってしまう。

 そしてほとんど反射的に、引き()める行動までとった。

 

「あのっ、すみません」

「えっ、はい……? なんでしょうか?」

「その……この人、特に変わらないでしょうか? もう2ヵ月です。……その、目覚めるような兆候とかは……」

 

 座ったままのひとみさんと目の前の看護師さんは、それだけであたしの言わんとすることを悟ったようだ。

 困ったようにあごに手を当て、女性はゆっくりと答えた。

 

「変わらず、といった感じですね。……まあでも、変わらないというのはその……『例の事件』の時からずっと変わらないのよ」

「と言うとSAO事件から、ですか?」

「ええ、一種のバイタル異常ね。結構な頻度で体温と脈拍が異常に上がって、酷く汗をかくんです。ちょうど御門女さんが以前いらした時もそうでしたよね?」

「はい。静かに寝ていたのに、突然苦しそうにしだしたのでビックリしました」

彼ら(・・)の発作はまばらに起こるの。詳しいことはわからないんだけど、『ゲームがまだ続いていた』ころは強力な敵と戦っていたとか何とかで、むしろ珍しくもなかったんですよ。仮想界で動悸が乱れれば、患者の体にも異変が出ましたので。……でも、依然300人が未覚醒の今ではあまり見ない症状ね。確か同様のものが確認されたのは、全部で7件しかなかったかしら」

「その内の1人がジェイド……」

 

 ここまではおおむね知っている。また向こう(・・・)の名前で(つぶや)いてしまったが、あたしが唯一気がかりにしているのがこれだ。

 やはり間違いない。

 300人の中に、明らかに法則を脱したプレイヤーがいる。それが見ず知らずの他人なら捨て置くことだったかもしれないが、長く付き添った恋人となれば別だ。

 この事実に気づいてから、あたしはルガトリオ君こと、『井上 和義(いのうえ かずよし)』君と現実世界で連絡先を交換し合い、どういった人が異常症状を発しているのか調べておいたのだ。時には本人の親族に会うため、こちらから出向いて頭を下げに行ったこともある。

 無論、あたしらは一介の元学生。

 ご家族の承認はおろか、いくら政府の人に頼んでも『コンプライアンスに反する』などと、かけあってもらえないこともあった。

 しかし逆サーチした相手側もわずかな希望を(いだ)いたのだろう。当事者である子供が健気に事件解決へ尽力するなか、それでも非協力的な態度を取る人はいなかった。

 かくして得た情報は、それらの発症者が男性5人、女性2人であること。また、発作が起きるタイミングはほとんど同時期で、それらの内5人がアインクラッドにおける上層階で過ごしていた、すなわち《攻略組》だったということである。

 これは、あたしの個人的な調査に初めから意欲的に貢献してくれたお国の公務員、怪しげな長身メガネの男性からの証言だった。

 すべて偶然だろうか?

 プレイヤーの開放日である去年の11月7日から数日は特に顕著だったらしいが、彼らが今なお敵と戦い争っている可能性もあるいは……、

 あたしは女性の持つタブレット端末を指さすと、核心に迫った。

 

「あの、それは彼のカルテ、ですよね? 差し支えなければ、あたしにも見せてもらえないでしょうか? できればこの2ヵ月間分を全部……」

「ええっ!? それはちょっと……患者さんの個人情報となりますので、持ち出しも会社の約款に違反してしまいます。ご家族の方の許可があればここで一部を閲覧することぐらいはできますが、それも主治医と相談してからになるかと」

「そう、ですよね……無理を言ってすみません」

「家族の許可ですか? それなら出ていると伝えてください。ドメ……御門女さんとは顔見知りですし、父や母もきっとそう答えると思います」

「ひとみさん……」

 

 助力を提言してくれたことは嬉しかったが、あたしは立ち上がっていた彼女へ思わず振り向いてしまった。

 

「いいって。仮想世界で一緒に過ごしてたなら、何かわかるかもしれないし」

「で、ですが大瀬崎さん、ご両親は本当に……」

「だ~いジョーブですって。ほら、ちょっと見るだけと言ってますし、姉の私も反対してないんです。見られてどうこうできる情報でもナシ。いいでしょう、榎本さん?」

「う、ん……まあ、大丈夫だとは思いますけど、一応聞いてきます」

 

 そう言って退室した彼女を見送ると、室内には再び2人が取り残される。

 ちゃっかり一人称をフォーマルなものに変えたり、さりげなくボディタッチしたり、彼女をきちんと名前で呼んだり。名札を覗いたのか元から知っていたのか、こういうところで駆け引きがうまい。『榎本(えのもと)さん』、と呼ばれた彼女もいっそう深く悩んでいたようで、手ごたえは十分だった。

 それにしても意外である。確かにレンのことを知ろうと大瀬崎家と連絡を取り合い、彼のご両親と対面したことはあったものの、それは時間にしてそう長くないし、自分のことについて深く語った覚えもない。ひとみさんが2つ返事で快諾してくれたのは、単に彼女のあけすけとした性格ゆえだろう。

 ほとんどまだ他人なのに。

 その友好的な姿勢に、あたしは改めて礼を述べた。

 

「ありがとうございます。見たから原因がわかる、というわけではありませんが」

「あっははは、そりゃあね。ま、ウチのバカ弟のせいで長いこと拘束させちゃってるみたいなトコあるし、なんかあったらどんどん言ってよ。なるべく力になるからさ」

「はい、そうさせてもらいます」

 

 失礼ながらバカ、というのは卑下したわけではないだろう。

 通っていた学校の偏差値と成績、および授業態度を聞いた時はさしものあたしも唖然(あぜん)としてしまったものだ。ヘッドギアを被る前にすべて外したので今は塞がれただろうけれど、彼の耳もピアスのせいでボコボコに穴が空いていたらしい。

 そうしてしばらく待っていると、榎本さんは数分後に紙束を抱えて戻ってきた。そして「確認してきました。持ち帰らなければご自由に。私は次の検査がありますので、帰宅される際は受け付けにお願いします」とだけ断ってから、過去の資料を手渡してくれた。

 あたしは深めにお辞儀をすると、早速その場でペラペラとめくって目を通してみる。

 

「(これ……予想が正しければ……)」

 

 すると、いくつかは専門用語と難解な考察だらけで読む気にもなれなかったが、束のちょうど真ん中あたりでお目当てのものを発見した。

 そこには日付、時間を横軸に発汗量、体温、心拍数(bpm)などが棒グラフとなって連なっている。同じようなサンプレイングプリントは後ろに何枚も続いていて、これらは本当に2ヵ月分のデータなのだろう。

 そしてここも予想通り。そこには明らかな規則性があったのだ。

 

「(この『警戒レベル』って表示……どう見ても休日だけ突出してる。平日じゃなくて、休日に活発になるの……?)」

 

 しかもクリスマスや年末年始など祭日は終始波形が穏やか。これをゲーマーの電図とするなら、むしろ違和感のない結果である。

 稀に水曜日の午前4時から数時間かけて容体が急変している現象は不自然だったが、学生であれ社会人であれ、基本的な生活サイクルは誤魔化しようがない。

 たった7人だけが。

 まるで、現実世界とリンクしているように。

 『SAOは完結しておらず、悪魔の遊戯が続けられている』という定説が有力だが、前述の通りあたしは茅場晶彦という男の本音を聞いた身である。象徴的に視覚化しただけということは理解しているものの、あの崩落した浮遊城を見るに彼の虚言説は肯定し難い。さりとてこのデータから読み取るだけだと、いずこかのネット通信型ゲーム世界に生きている可能性は否定しきれない。

 とすれば、別の世界に移ってから『SAO事件』に便乗した第三者に管理されている、とは考えられないだろうか。

 かの狂人科学者のような人間が続出しているとは思いたくない。が、この仮説が通るなら、多額の補償金によって解散を余儀なくされた《株式会社アーガス》からサーバの維持を委託された企業……すなわち大手電子機器メーカー《レクト》か、少なくともそれに属する子会社が発祥(はっしょう)のタイトルが怪しいだろう。

 もちろんゲームだけとは限らない。彼らが大体的に行っている民間とのオンライン事業は、それがいかにゲームとかけ離れた目的のものでもすべてマークするべきである。

 

「(ジェイド……あなたはまだ戦っているの? もしそうなら、何のために……?)」

 

 悔しさのあまり、口に手を当てながら頭を働かせる。

 苦しいのなら、辛いのなら、せめてあたしだけでも寄り添ってあげたいのに。自分だけ悠々と暮らしていることに憤りすら感じていた。

 しかし同時に、ほんの小さな兆しが見えた気がした。

 半刻ほども眺めてしっかり記憶してから、あたしは生まれた疑問と持論をひとみさんに――ゲーム初心者にもわかるよう丁寧に伝えてみた。

 

「な、なるほど。ウチはあんまりゲームに詳しくないんだけど……そんな視点があるなんて。いやホントに感心しちゃったよ。一応ね、ご覧になるか、とは聞かれたんよ。けどシロウトが見たってどうしようもないと思ってたから、ウチも親も医師に任せますって。……ドメちゃん、マジでスゴいね」

「いえ、まだ何もわかっていません。ただ……目隠しが取れたような感じですね。やっと掴めそうな気がしてきました。あたしの他にもプレイヤーが目覚めない原因を探っている友人がいるので、そっちにも報告しておきます。今日はありがとうございました」

「ううん、こちらこそ。……まあ、ホドホドにね。帰ってきて欲しいのはもちろんだけど、これはウチらの問題だから」

「いいえ、ひとみさん。あたしの問題でもあるんです」

 

 目を見てきっぱりと即答すると、ひとみさんは頭を掻きつつ「……そうだったね、ごめん」と失言を謝ってから帰宅の準備をした。

 それに(なら)ってあたしも上着を羽織る。

 彼女も電車を利用したらしいが、方向が違うので駅のホームであいさつをして別れた。

 それにしても今日は非常に前進できた。リハビリ期間中や病み上がりは行動制限もあったが、それにも増して彼のお姉さんの協力が得られたのは大きい。見舞いでいくら誠意を見せたとして、彼女なしにあれらのデータに相まみえることはなかっただろう。

 画面設定を戻したスマートフォンで、かつてのレジクレメンバーである井上君に連絡をした際も、やはり手に入れた情報には嬉しそうにしていた。電話越しからは正式にお付き合いしたというアリーシャ――本名『宍戸 萌(ししど もえ)』さんの声も聞こえてきたので、今日は彼らも2人で行動していたらしい。

 これを元に今後の調査をどうするか、どこを重点的に調べていくか。闇雲だった事情聴取はいったん止めて、《レクト》と直属経営の子会社を洗う方針も固まる。そんな話をしていると、行きとは違ってあっという間に所定駅についてしまった。

 騒音は厄介だが、自宅と最寄り駅は近いのですぐに家に到着した。

 築20年の年季が入った木造建築だったが、こうしてみるとまだ小綺麗なものである。鍵は持っていたので忍び足で入ったつもりだったものの、建付けの悪さが独特の摩擦音を出してしまう。

 するとすでに目覚めていたのか、ずいぶんと破廉恥な格好をした姉がドタバタとやかましく玄関で出迎えてくれた。

 

「レイちゃんおかえり~! またカレのとこ行ってたのぉ!?」

「シぃズ~、『ちゃん』はもう止めようってあれほど……」

「ええぇ今さらムリだよぉ。恥ずかしいんでしょう!? レイちゃん! レイちゃん! あ~懐かしいよこの感じ!」

「もうーわかったから! ほら寒いんだし、風邪ひかないようにもっと服着てよ。まったくシズは……2年たっても変わらないんだから」

 

 インナーに肌色のヒートテックを着用しているものの、上にはフリフリのキャミがのっかっているだけなので、パッと見では少々いただけない痴女と化している。これでも3つ上の姉というのだから困ったものだ。

 両親も食糧の買い出しと喫茶店での一服が済んだところ……すなわち不在であるらしく、あたしはセリフ以上に慌てながらグラマーな姉を奥に追いやった。

 彼女の名は『御門女 静奈(しずな)』。

 家族間では略称で呼び合っている。

 身長はほぼ互角だがスリーサイズで全敗――もちろんウエストで勝ちたくはない――、雪国レベルの肌の白さに加え、髪はあたしが知る頃より変化し、澄んだ明るいブラウンになっている。間抜けた表情をしているくせに大抵のボードゲームで勝ち越したことがなく、唯一差をつけて白星がついたのは体を動かすスポーツぐらいだろうか。しかも、それすら仮想世界では逆転されていた。

 身体的特徴と言えば甘く高い声、両目に泣きボクロ、各関節の異常な柔軟性や、あたし同様左利きといったところか。

 ひとみさんと同じく浪人、留年なしの大学3年生で、成績は上位をキープしているクセにあたし以上にゲームに耽溺(たんでき)している人である。

 姉も姉だ。自分で言うのもなんだけれど、昔から隙あらば甘えたがる重度のシスコンで、高校に上がってもなお一緒に買い物に行こうだの、温泉に行こうだの、年甲斐もなくスキンシップはかなり多い。

 もっともあたしとてそれが苦ではなく、(はた)から見れば仲のいい姉妹なのかもしれない。

 おまけに成人しても実家に居座って親に服や食事をねだったりする甘えん坊さん具合は、ファザコンであり、マザコンであり……つまりファミコン(・・・・・)である。

 しかしあたしの記憶する限り、運動不足の彼女はおなかにもっと脂肪がついていたはずなのだが、この2年で見違えるほど絞られている。おやつ(ドキ)であるこの時間に間食していないことがいい変化だろう。

 おおかた予想はついていたが、上着を廊下のハンガーにかけながら一応聞いてみることにした。

 

「それにしてもシズ、だいぶおなかへこんだよね。やっぱり仮想世界のおかげ?」

「んん~? ああこれねぇ。そうだよ、仮想世界で『食べた気』になって、その満腹感を忘れないうちにログアウトするの。普通は大事なところから減ってくハズなんだけど、これがビックリするぐらい効果的で」

「ふーん。じゃあ思ってた以上に馴染んでるんだね」

「えっ? ……ああっ、違うの! レイちゃんが向こうに行っちゃってから、その……静も気になっててね。仮想世界はどんなところだろう、って。友達には結構言われたんだよ? でも妹が大変な時だからこそ、静がもう1つの世界についてほとんど知らないのはイヤだったから。……だって、もう……会えなくなるかもだったし……」

 

 早口で弁解する姉に、あたしは慌てて否定した。

 

「あー違うよシズ、別に責めてないって。むしろあたしのことで負い目を感じてなくてよかったよ。あたしは昔からゲーム好きな家族が好きだったんだから。……今はSEデザインだけど、お父さんだってVR専門のゲーム会社にいるんだし。……ねえ、覚えてるでしょ? お父さんの会社の不祥事のこと」

「う、うん……」

 

 あたしの言うところの『不祥事』。

 つまり、父の務める部署の上司がディレクターを担当したゲームタイトルから、不具合を発生させてしまった事件。

 そのエラーは非常に軽視されるべき問題だった。しかし初期採用者(アーリィアデプター)によって低評価の烙印を押された本作は、やがて市場からも姿を消してしまった。

 ストーリー進行に必要のない、揚げ足取りのようなバグ操作で冗談めかした動画を撮りまくり、親の仇でも取るようにネットにバラまいた心無い者達は今でも憎い。

 しかし、瑕疵(かし)対応は免れなかった。ヒットシリーズの続編で、期待の高さからパトロンからの投資された額も頭一つ抜けていたのに。父もマスターアップ前は連日夜遅くまで残業していたし、よっぽど悔しかったに違いない。

 そうした経緯から最先端の事業部コースを外され、他にいた開発担当グループ同様、3年たった今でもうだつの上がらない待遇に伏しているらしい。まったく、大人は見る目がない。

 しかしだからこそ、御門女家は物事の側面だけを見て事象を全否定しないよう、その事故を反面教師にして生きてきた。

 それは姉とて同じ。

 確かにナーヴギアは、妹のあたしを閉じ込めた悪魔の殺戮(さつりく)ハードなのかもしれない。攻略途中であたしがゲームオーバーになれば、きっと口だけのキレイごとなど瞬時に忘れていたと思う。

 だが、一家は口々に仮想世界を拒絶しなかった。むしろ門戸を広げ、起こった現象を理解しようとさえした。アーガスがライバル会社だった父も含め、あくまで《ソードアート・オンライン》の総合的な完成度を高く評価していたのだろう。

 この2年では流線ヘッドギアタイプの《ナーヴギア》後継機に当たる、同心リングが並んだ円環形状のセキュリティ強化版ハード《アミュスフィア》も販売されている。メディアの努力とVR世界への期待から販路(はんろ)は拡大される一方で、ナーヴギアに替わり、満を持して安全を謳われ投入されたと聞く。

 とはいえ、あたしが2年におよぶ眠りから覚めたその日に、自宅でこれを2台も所持していたことが御門女家の断固たる意志を示していた。

 聞かなくとも伝わる。だから姉も……最愛のシズも、遠く離れてしまったあたしに寄り添おうとしたのだ。

 第一、帰宅時に「目覚めていた」と感じた由縁でもあるが、あたしが出かける際に姉はVR界へログインしていたのだから、今さら取り(つくろ)っても遅いのである。

 

「そりゃあ最初は驚いたけどさ。もう2ヵ月も見てるんだから、後ろめたいような反応はやめてって。……あ、そうだ! むしろシズのことをもっと聞かせてよ。『小ギルドの隊長やってる』ぐらいしか聞いてなかったよね?」

「そうだよ~、レイちゃんのSAOでの生き方はよく聞いていたからね。……だから、静もメンバーにはうるさいぐらい言ってるんだ。『最後まで絶対に諦めるな』って。仲間を1人も見捨てないようにって……」

「アッハハ、ずいぶんSAOに近い教訓だね」

「むっふん。ちなみに、聞いて驚くがよい妹よ。静はそこでヒメ(・・)もやっているのだ!!」

「……ほどほどにしなよ、そのネタ」

 

 「なはは、わかってるって。もうリアルでは会わないよ」なんて笑顔で言っているが、ひとみさんと同じようなセリフを呟きながらも、ついシズのことが心配になる。

 というのも、男日照りのこの方は、過去に某有名オンゲーのオフ会に出席したところ同出席者によるタチの悪い男からストーカーに遭ってしまったのだ。

 被害そのものは警察の力もあって事なきを得たが、彼女は今も男性恐怖症が治りきらないという。おそらくシズにとって仮想世界というものは、そんな自分を変えようとする1つのきっかけでもあったのだろう。

 そういう意味では、憎むどころか感謝すらしている。

 ゲームを通じて4年も続いた症状が緩和したという話は、先月の頭には聞かされていた。最近では男性だらけの同じ研究室仲間に対しても、昔のように気兼ねなく話しかけることができるらしい。

 

「(あたしのせいで家族が壊れなくてよかった……)」

 

 元気そうにはしゃぐシズの姿を見て、改めて心の底から安堵した。自身の選択が不幸を連鎖させなかっただけで、それはあたしにとって最も尊い朗報だったのだ。

 この本音に虚勢はない。

 しかし同時に、仮想世界で満たされる彼女を羨ましく見ているうちに、あたしの中にはぬぐい切れない郷愁(きょうしゅう)が去来するのだった。

 

 

 

 そしてだからこそ、どこかこの結末を求めていたのかもしれない。

 あたしは今なお漠然(ばくぜん)とした孤独を感じている。大切な人が目覚めず、惜別(せきべつ)の情すら述べられなかった幾人にとって、あるいはそれこそが真の『帰還』だったからだろうか。

 ああ、あたしは罪深い人間だ。

 またあの世界に帰りたい、だなんて。

 ゆえにあたしは、まったく予想だにしないわけではなかった。姉が辿(たど)り着いたもう1つの世界について、たっぷり自叙伝(じじょでん)を聞かされた翌日の午後。何の気なしに尋ねたある質問から、自分もその世界に飛び込んだことを。

 異なる種族が腕を競って争い、奪い合う。無数の魔法が席巻(せっけん)する空と妖精のファンタジーワールド。

 またの名を、《アルヴヘイム・オンライン》へと。

 

 

 

 



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アナザーロード11 再起動期間(リブーテッド・セッション)

 西暦2025年1月12日 東京都。

 

 休日、と言っても毎日が休日のあたしに境目は曖昧(あいまい)だけれど、自室での勉強がひと段落ついたところでリビングへ水分補給しに行く途中、玄関の方から両親の声が聞こえていた。

 暖房の効いていない廊下を進み、スーツ姿の父が見えると、その正面にはパジャマのまま着替える気のないシズまでが(そろ)っている。

 

「じゃあ父さん、呼ばれてた品評会に行ってくるから。玲奈のことは任せたよ母さん」

「はい行ってらっしゃい。帰りは遅いの?」

「一応立食会があるらしいんだけど、どうだろうなぁ。……たぶんしっかり食べられる時間はないだろうから、夕飯は軽く残しといてくれたら嬉しいかも」

「ん、りょーかい。あらレイまで」

 

 そんな会話が聞き取れる頃には母もあたしに気づいたようだ。料理の途中だったのか「もうすぐお昼できるから待ってね」と続ける。

 ともあれ、父が休出とは珍しい。御門女(みかどめ)家はゲーム好きの集まりゆえ、遠出の旅行すら稀なのである。ましてや『休日は2日しっかり休む!』と母がうるさいことで、新作の納期(マスターアップ)前を除き父は家にいることが多い。

 あたしも髪をかき分けると会話に加わった。

 

「ありがと母さん。……なに、父さん出かけるんだっけ? スーツ着てるってことは会社の人に会いに行くの?」

「あーまあ、友人に会いに行く感じだな。ゲーム関連のイベントみたいなもので、新作トレーラーもいっぱい並ぶんだよ。むしろ友人とサシで飲みに行くより有意義かも」

 

 そう言う父をよく見ると、地味な外套の下にはアーガイル柄のネクタイが。本当にカジュアルな集まりなのだろう。

 ともあれ、相変わらず楽しそうにする父を家族全員で見送ると、3人はリビングに移動。協力して昼食、つまり昨晩の海鮮鍋の残りにサラダを追加しただけのノン炭水化物飯を済ませ、休日の午後をまったりすることにした。

 否、若干1名慌ただしい者がいる。

 もちろんシズである。彼女の張り切りようはわかりやすく、最速で食べ終わって3人分の食器をチャカチャカ洗うと、浮足立ったまま自室に舞い戻ってしまった。食事中に何度かスマホの着信バイブが震えていたし、去り際に「領土に敵が攻めてきたの! 助けないといけないの!」なんて(わめ)いていたので、おおかたシズがハマっているVRゲーム、《アルヴヘイム・オンライン》のことだろう。

 このゲームもかの有名な電子メーカーの子会社《レクト・プログレス》が運営に携わっているらしい。少し過剰反応のきらいもあるが、昨日の今日でその名を聞くとあたしも気になってくる。実はタイミングを見計らって母に話すつもりでいたのだ。

 

「ね、ねえ母さん知ってる? シズがやってるゲームってさ……飛べるらしいんだよね」

「ん~……?」

 

 だから、あたしは2人となった部屋で冬用のファッション雑誌に目を通しつつ、母の淹れたコーヒーを味わいながらそんなことを口走っていた。ほうっ、と芯から温まる心地いい感触とは裏腹に、姉とゲームのことを考えていたせいで意識はここにあらず。

 しかし開口一番で意外な返答が来る。

 

「知ってるもなにも、私はアミュスフィアかぶって実際に飛んだよ。これでも真上に飛ぶだけならコントローラなしでもいけるんだから!」

「えっ、意外! それって《随意飛行》ってワザじゃん!? シズがメチャクチャ難しいって。慣れない人は半年やってもコントローラで戦ってるらしいし」

「さすがに母さんも、ナシで剣を振るのはどだい無理よ。やってみたのは、敵に襲われない領土でゆっくり飛んだことだけ」

「剣を握って、空を飛ぶ……それは難しそうね」

「ああでも、シズはできるんだったかな。少なくとも母さんが一緒にログインした時は、コントローラなしでビュンビュン飛んでたよ。あの子、ああいうところは要領いいから」

「そっか。やっぱり、飛ぶのと飛んで戦うのとじゃ結構違うんだ。……あれ? ちょっと待って。今『一緒にログインした』って……2つもとったの?」

「あら、シズは言わなかったの? アミュスフィアを含めてウチにはALOのライセンスが2つあるよ。1つは父さんがツテで手に入れたもので、もう1つは海賊版。つまりどっちもタダ」

 

 ――いや、それをタダとは言わないぞ!

 

「さ、さすが母さん……あ、でもそれならあたしもシズと一緒にそこで遊べるんだね」

「ダメよ~レイは。新しい学校に行く前に課題たくさんあるんでしょう? これでも、見せたがってるシズを説き伏せるのに苦労したんだから」

「ちぇ~……ケチんぼ! ケチケチ母さん! 自分だってやってるクセに!」

「洗濯物についてたカメムシあんたの部屋に放り込むよー?」

「あっ、ごめん! ゴメンって冗談だってば!」

 

 そんなこんなで激臭地獄を免れたあたしは、ブツクサ言いつつも約束を守って自主勉強を続けることにした。

 自室に篭ると再び机にかじりつく。しかし、そうはいってもリハビリとは別に1日8時間ペース。これほど真面目に課題をこなす学生サバイバーは少ない、というより想定されていなかったらしく、もう1週間ほどで課題を終えるメドが立ってしまっている。

 この日の午後も同じく、紙の上に黙々とペンを走らせること4時間。自前で用意したToDo表の目標よりさらに進んでしまった。そして人間とは不思議なもので、それを自覚すると途端(とたん)にやる気がなくなってしまう。

 休憩を挟みつつやってみたものの、PM5時前の時点で集中力が切れてしまったのだ。こうなると没頭し直すのは難しい。1度甘いものを補給しに行こう。

 だが部屋を出た瞬間だった。

 

「(ん? 音がしたような……)……シズ、起きてるの?」

「うん起きてるよ~。さっきログアウトした」

「うわ、4時間で出てくるなんて珍しいね。確か『やる日はトコトンやる』んじゃなかったの?」

「んーちょっと色々あってね。今日は向こうでレアな人に会っちゃったんよ」

 

 ドアを開けた先では、ベッドに寝ころびながらグループ間で連絡先を交換したスマホとあたしに同時に返事をする器用な姉がいた。もう日も沈んでしまったのに結局まだパジャマである。

 あたしは姉の部屋の可愛らしい調度品をしばし堪能しながら質問を続けた。

 

「ゲームは中断したのに、またゲームのことで話してるの? ホントにハマってるんだね」

「ん~……ああ、これね。そうだよ、ちょい前に一瞬だけやってたイベントがあって。ここの運営チームのことは昨日言ったよね? その一部の人がね、匿名で選出したプレイヤーを自社の特別なアカウントで試験的にログインさせたんだよ」

「へぇ、じゃあプレイヤーって言っても、なかには運営側の人もいるんだ。PK推奨なら一般ユーザと戦ったりして」

 

 冗談で言ったつもりが、どうやら的を射ていたらしい。

 

「ぴったり正解。しかもそれだけじゃなくてね。その特別なプレイヤーは逃げたり反撃したりしてくるんだけど、そーぐーした人曰く、みんな凄い強いってウワサなの。不意打ちみたいなこともしてくるとか。……当時はね、運営も自信があったのか、もし誰か1人でも倒したら、入手困難なレア武器をランダムに配ってくれたんだって。今はもうイベント終わってるけど」

「なるほどね。じゃあもう会えないんだ?」

「んーん。ログインだけはまだ続いていたらしくて、たぶん……今日はその人達に会えたんだよ」

「へぇ! ラッキーじゃん。スクショとか撮った?」

「そんな余裕なったよぉ。それに、『たぶん』だから。一応『会話できない』や『一定距離に近づいたら弱体化の強制デバフ魔法』、あと『分類上は脱領者(レネゲイド)』とか、もろもろ特徴は合ったんだよ。けど報酬が気前良すぎたせいか、先月は他の人が悪フザケでなりすましばかりだったし。……それに、どうも今日倒したのは普通のオジサンっぽかったんだ」

「あ~それはドンマイ。イベントについてはよくわからないけど、人気タイトルって変な人多いからね」

 

 数分雑談をできただけでもいい気分転換になったので、あたしはそれを最後にシズの部屋から退室しようとする。

 しかし当の姉は、スマホから目を離すとあたしを呼び止めた。

 

「ああそれとね、倒したのがオジサンだっただけじゃなくて、なんか全体的にヘンだったんだよ。みんな不自然だったの」

「全体的に?」

「そう。まず萌えカワな女の子が2人もいたんだけど、1パーティでこの比率はおかしくない? 年齢層もメチャクチャに見えたし」

「1パーティとやらが何人かは知らないけどね。……だいたい、逆ハー気分で姫やってる人が何をおっしゃる。そういう()なんでしょう? 性別は偽りようがないわけだし、世の中には仮想世界の女の子でもいいって人がごまんといるの」

「えー違うって~、オーラが違ったもん!」

「ていうか、それがイベントだったとして、『会社が匿名で選んだ』プレイヤーなんだよね? 正式な社員じゃないなら、大御所の動画実況者とかでランダムに選んだのかも。もしくは、ランク高い人をログイン率で上から順とか?」

「うう~ん……あたしも詳しくレイちゃんに伝えるのが難しいんだけど……」

 

 そこまで言ってもシズは煮詰まらない感じに首をひねっていた。

 偽りの体でコミュニケーションを取るラフさがいい、なんて言っていた割にはどっぷりゲームに浸かっている様子である。

 けれどあたしは、ALOの運営会社を気にかけている時点でもっと真剣に聞くべきだったのかもしれない。このあと、姉に一生感謝をすることになるのだから。

 

「なんかね、7人とも(・・・・)生きるのに凄く必死だった感じがしたの」

 

 そのセリフを聞き、誇張ではなく軽く息が詰まり心臓が大きく跳ねた。もちろん生き残るのに必死……というだけでは、大半のプレイヤーとて変わらないはず。

 しかし、嫌でも病院での話を思い出す。背には汗が滲み、胸騒ぎは誤魔化しきれなかった。

 姉をじっと見つめ、続きを乞う。

 

「他の人とバトってた直後に見つけたんだけど、直前までズルい不意打ちをしようか迷っちゃったほどでね。……サラマンダー達と戦ってるのは遠目でしか見てないんだけど……ある意味、怖かったかな。短気とか、プロ意識とかとも違う……生き残ることへの、執着や執念のような……」

 

 それはまさにパズルのピースだった。今まで聞いた情報が糸のように結びつき、1つの意味を成していくように。

 まさか、そんなことがあるのだろうか。姉がハマったオンラインゲームの中に、ずっと探し続けている想い人がいるなんてことが。

 パーティは7人だった。

 そして、女の子が2人。

 彼らは統一感のない、強力なプレイヤー達で……、

 

「ねっねえシズ! 何か言ってなかった!? その人達は、シズにSAOのことを話したりとか!?」

「ど、どうしたのさ急に? さっきも言ったけど、シズとあの人達は会話できない設定らしいんだよ。ガサガサーって酷いノイズが走って」

「じゃあ格好は!? どんな顔だったかだけでもっ!!」

「う~ん……集中してれば見えたかもしれないけど、あっちも夜だったし、パーティ戦で高速で飛び回ってたからね。武装や戦闘スタイルばっかり気にして、顔まではちょっと……」

「そ……うだよね。ゴメン、ちょっと熱くなっちゃって……」

 

 思うままに質問してしまったが、考えるまでもない。想像すれば予想できる回答だった。常識的な判断力さえ抜けていたらしい。

 しかし、ここで思いがけない幸運が舞い降りた。

 

「……あ! でもそのうちの黒い装備のインプが、戦闘中なのに静のプレイヤーネームを聞くや否や、怒鳴ってアイテムを投げつけてきたの。これもまさしく不自然な行動だよね? しかもね、静はシルフっていう妖精を使ってるんだけど、その人が投げ渡したのは、よりによってシルフ領の特産アイテムだったのさ。もー意味わかんないよ」

「特産、アイテム……?」

「うん。《翡翠(ひすい)の魅了石》って言ってね。別にレアなものじゃなくて、ただ消費して飛ぶとアイテム発見力が……レイちゃん?」

 

 シズが話している最中、あたしは思わず口を手で覆いうつむいてしまっていた。

 目頭がじんわりと熱を持ってくる。

 ほとんど決定的ではないか。つじつまも合う。むしろただの他人が奇怪な行動を起こすより、ずっと可能性は高い。

 ()だ。たったそれだけで確信できた。過程はわからない。けれど、きっと休まず戦ってきたのだろう。茅場晶彦だか後継者だかは知らないが、わずかに抵抗する仲間を(つど)い、まったく新しい世界でしぶとく生き抜いているのだろう。

 おそらくは、あたしに会うために。

 そう思ってしまってからまぶたを(しばた)かせると、頬を濡らすものがしとど溢れた。投げつけたアイテムが1つのメッセージだとしたら……、

 

「シ……シズ……」

「どど、どうしたのレイちゃん!? なっ、泣かないでっ。静なにか悪いこと言った……!?」

「ううん……違うの……ねえ、聞いていい、シズ。……その人は……アイテムを投げた人は、大剣を使っていた……?」

「ええっ!? どうしてわかったの? 確かに大剣使いだったよ、バカでかいやつ。ガチガチの脳筋に見えたのに、魔法は使うわ、サポートもするわでメチャ厄介な人だったんだよ!」

「シ、ズのっ……向こうで……ぅ……向こうで使ってる、名前……っ」

「わ、わ……えっと、な、名前? えっとね、『ミカド』だよ! 苗字モジっただけのやつ! ほら落ち着いてレイちゃん……」

 

 感極まり、もう話すこともできないほど嗚咽(おえつ)が上ってきてしまった。

 カルテが示すバイタルグラフも、そこから立てた仮説も、間違っていなかった。シズもあたし同様に左利きで、『ミカド』というプレイヤーネームを聞いて、彼はわらにも(すが)る思いだったのだろう。アルヴヘイム・オンラインの世界にジェイドがいる。大瀬崎 (れん)が、なお再会のために戦い続けている証拠だ。

 一向に目覚めないなか、かつて医師に直談判した際、「これ以上意識が戻らないと、危険な状態になるかもしれない。最悪、もう彼は……」と断定されたことがある。はっきりとは言わなかったが、彼の肉体の容態を見るに、言わんとする意味は理解できた。

 けれど、冷酷に過ぎる時間に迫られ、どれだけ世界が残酷なのかを知っているはずなのに、どうしてもプロが下したその通告に現実味を得られなかったのだ。

 しかし今なら理由がわかる。彼はそんな簡単にすべてを諦めない男だからだ。だとすれば、彼のパートナーとして背を預け合ったあたしが、何の行動も起こさずに諦められるはずがない。

 あたしは無理にでも泣き止むと、姉に再び訪ねた。

 

「……水曜の午前4時」

「えっ……?」

「何か心当たりない? 水曜日の朝、そのゲームでイベントがあるとか……」

「あーえっと、水曜4時なら定期メンテが11時間あるね。特に大きな調整がなくても必ずあるよ。そのおかげで逆に今日みたいな不定期メンテの方が珍しいかな。それがどうしたの?」

それ最高(・・・・)ってこと。ねえシズ、アミュスフィアのキャリブレーションって今すぐできる? あたしのアカウントも作って欲しいの」

「ぬえぇ!? あれだけ渋ってたのに一緒にやってくれるの!? でもレイちゃんは色々辛いだろうし、お母さんもやらせないようにって……」

「それはあたしがどうとでも言っておくから! できるの? できないのっ!?」

「ひぃぃ、できます! できますとも!」

 

 それを皮切りに、あたしはすでにALOデータがインストールされたアミュスフィアをリビングから失敬(しっけい)、そのまま頭に装着してセットアップの準備を進めた。

 母への説明は後でする。ジェイドらしき人物に遭遇したシズはログアウトしたばかりだし、うまく行けばすぐに会えるかもしれないのだ。

 しかし横たわるあたしに、姉はなおも心配そうに詰問した。

 

「でもマッチングは結構時間かかるよ? それに今は臨時のメンテ中だからALOにログインできないし」

「……そう言ってたね……わかった、じゃあ準備だけ。母さんに説明してメンテが終わったらすぐに入るから」

「うん……」

 

 詳しく説明し辛いのがもどかしいが、この焦る気持ちは『メンテナンス中が安全とは限らない』ことを知っているからである。

 カルテがなければ、ALOのメンテでは時間が止まるなり意識が切断されるなり考えたろうが、あの波形を見る限り彼らはこの時間も何かと争っている痕跡(こんせき)があったのだ。じっとしてなどいられない。

 しかしそれからは大変だった。

 30分と少しでキャリブレーションを終えたあたしは、ことの事情を母に申告したわけだが、まだ推測の域を出ないという理由でVRへのログインを禁止してきたのだ。

 

「……いいわけないでしょう。あなた、立場はわかってるの? 国の援助で学校に行けるの。その間、体の調子を整えるのがレイの仕事よ」

「確信があるの。ALOに、いつも言ってる『彼』がいる!」

「希望を確信って言うのやめなさい。シズの体験が事実だとしても、意識の戻らない人がゲームをしてるなんて、非現実的すぎる」

 

 冷たい声。簡潔な拒絶。

 稽査(けいさ)不足なんて建前上の理由を深掘りするまでもなく、人の親なら当然の反応である。失った2年という月日が、どれほど人生の足枷になるかを考えれば。

 勉強の妨げとなる行為は、総じて社会復帰への遅延を包含(ほうがん)する。いくらこれまでの1日の平均勉強時間が必要十分だったとして、今のあたしは相対的な18歳の学生にしてはあまりに乏しい学力なのである。ここでまたゲームを認めてしまえば、早期更生計画は元の木阿弥だろう。

 そもそも、あたしは肉体の加療(かりょう)すら十分でないし、母は大瀬崎家について何も知らないのだから。

 さりとて、あたしにも引く気はなかった。

 

「それでもっ!! 行かなきゃ一生後悔する!!」

「…………ハァ。聞かない子ね、あなたも……」

「母さん……信じて。……信じてくれなきゃ死んでも行く」

「まったく、今のなんてスゴくお父さんみたいな言い方。……やれやれ、どこで育て方を間違えたのやら」

「でも御門女家の家訓でしょ? 『ダメでもいい。チャレンジしろ』」

「こら、揚げ足取らないの」

 

 あたしだけではなく、彼を待つ多くの人のためにも、なんとしても手掛かりを掴みたい。

 粘りに粘ったあたしは、最終的にALOソフトを持つ男友達――そんな人はいないが――の家に泊まり込んででもログインしてやる、などと脅し、とうとう母はその決意に折れてくれた。

 去り際に「いつかそんな日が来るとは思ってたけど……」なんて言っていたが、まったくそれなら早く認めて欲しいものである。

 そうこう受難(じゅなん)もありつつ、夕食をとり終えた夜6時50分。

 

「(ふぅ……やっとだ。ちょっと落ち着いてきた……)」

 

 冷静さも戻った。いつの間にかメンテも終わっていたようで、あたしとシズは三度(みたび)ベッドに横たわる。どうやら『やっておきたいこと』があるらしく、密着するほどの距離には寝間着姿のシズが。この年齢になってシングルベッドでの添い寝in姉妹は少々……いやさ、大いに恥ずかしかったが、しぶしぶ許しを出すとスターティングワードを口にした。

 かつて1万人を囚人たらしめた、とうに捨てたはずの魔法の言葉を。

 

『リンクスタート!』

 

 刹那、懐かしい浮遊感が襲ってきた。

 まぶたの血管から透き通る赤黒い照明が遠ざかり、次いで背中にかかる圧力が消え、不快な輻輳音(ふくそうおん)と共にとうとう色鮮やかな光の渦が視界一杯に広がる。

 ALOのタイトルロゴ、そして感覚接続完了のメッセージ。

 接続料は姉のアミュスフィアで一括払いしているはずだが、当の姉がなぜかあたしの()に課金したいらしく、電子マネーの支払方法は選択済みである。そしてパスワード付きのプレイヤーIDまで作成済みだったあたしは、基準調整ステップをスキップし、一気に名前の設定欄が眼前のパネルに浮かんだ。

 と同時にファーストガイドシークエンスに入ったらしく、『《アルヴヘイム・オンライン》の世界にようこそ!』という、ありきたりな文句から始まる世界観説明も開始された。

 ここでしばし悩む。この後に選択を迫られる《種族選択》では姉と同じ《風妖精(シルフ)》を選ぶつもりでいたのだが、その領土にある主街区というのが《翡翠の都》スイルベーンなる名称らしく、長らく使用した自分の名がすでに誰かに使われているだろうと考えたからだ。

 しかしそれは杞憂(きゆう)だった。

 オンライン上での設定名の重複は問題ないらしく、識別はすべてプレイヤーIDでのみなされているらしい。

 そしてカーソル横に表示されるそのIDもデフォルトでは不可視モードで、設定を変えない限り『自分の口で名乗った名前』がそのまま通念的な名前になるようである。ここだけ切り取れば、SAOの仕様に比べさらに強くプライバシーを保護していると言える。

 

「(まあ、それなら『ヒスイ』っと。……へぇ~、アバターはランダム生成なんだ。まいっか、どうせ別人ならどんな人でも。性別女、種族は~……これか、シルフって。9種もあるとか多いよ。あとは……)」

 

 やんやかんやと聞いてくる初期設定をひとしきり終えると、待ちに待った《アルヴヘイム・オンライン》が始まった。

 胸の前で展開されていたパネルが消失すると、『それでは夢と希望に満ちた空の旅をお楽しみください。幸運を!』という締めのお言葉。真っ黒な空間がサッと晴れていき、足裏にもしっかりとした重力を感じる。

 そして待つこと数秒、とうとう仮想世界に降り立った。

 

「(わ……すっご。グラとかあそこ(・・・)と同レべじゃん!)」

 

 いったいどれだけの画素数とデータ量で再現しているのか。まるで現実と遜色(そんしょく)のない質感と臨場感。

 続いて、ドットのキメが細かい、白く塗装された建物が同時にいくつも目に入る。ログインや死に戻りが珍しくないのか視線こそ感じなかったが、もちろん多様な姿をした多くのユーザが闊歩する。

 しかも疑似人体を操作している違和感がほとんどない。かの浮遊城で感動した感覚フィードバックとグラフィックは、限りなく近い形でこの世界に継承されているらしい。

 

「んー……」

 

 改めてグルッと見渡すと、あたしが立っているのは(みどり)が綺麗な小塔と、植樹されたような人工緑化の小路(こみち)が散見される街の一角だった。

 SAOにあったどんな街とも違う。これだけでワクワクしてしまう。

 少し奥には、屋根から落下すれば即死しそうなマンション並みの建造物がいくつも見え、どこからともなく芳醇(ほうじゅん)な香辛料の香りと撫でるようなハープの音が漂う。食事を大体的に娯楽として提供している以上、少なくとも街で口にできる食事に与えられた味覚エンジンは、向こう――すなわちSAOよりも豊富かつ高水準に違いない。

 そしてニュービー用なのか、全身がくまなく反射される大きな黒い窓が、横長の長方形になっている区画を発見した。幅は20メートル近くある。

 

「(ほほう、これでアバターを確認しろと……)」

 

 歩きづらい名称不明の靴でコツコツ石段を歩いて渡ると、あたしはシズのことも忘れ黒窓に反射する全身をチェックした。

 やたら金髪やら碧髪やらが多いとは思っていたが、どうもそれは仕様らしく、自分も金に染まる前髪は随分と長い。手つかず(ノーメイク)よりはオシャレなはずなのにモサッとした印象が強く、(ほお)の辺りもややふっくらしているようである。耳が長くなければ及第点なのだが、何にしても昔日(せきじつ)の面影はない。

 まあ、なんにせよランダム生成のアバターに文句を言っても仕方がない。問題は彼に会った際、あたしに気づいてくれるかという点だろう。こちらも彼の現在の姿を知らないので、それらしい姿をした人を見つけ次第声をかけていくしかあるまい。

 シズは最終セーブポイントの宿から来ると言っていたし……、

 

「(むむぅ、あっちがフィールドかな?)」

「こらこらそこのキミ、ミカを置いてどこへ行く」

「うわっ、上から……え、ミカってことはミカド!? わあ、飛ぶとこんなに速いんだね。ていうか、それがアバターなの!?」

「むっふっふ、まーね。どう、カワイイでしょう?」

「うっ……確かに。聞いた時の印象以上かも」

 

 ALOでの絶景シーンの写真はいくつか見たがアバターは初見である。アダルト雑誌の表紙でも飾ろうかという煽情的なポーズには頭痛を禁じえなかったが、まさかのサマになっている姿を見るに口をつぐむ他なかった。

 控えめに言って、超可愛い。

 スリーサイズは現実のそれと変わらないように見える。つまり出るところは出ている。しかし顔の輪郭が別人もいいところで、アゴのとがり方なんて完全にアニメの世界である。

 ざっくりと乱れるミディアムヘアもやり手のアマゾネス然としていて、大胆にも前髪はザク切りのパンクアップ。モンスターを狩りに行くのか異性を狩りに行くのか判別しにくいビキニアーマーだったが、それがまた程よい筋肉を引き立てている。これがイマドキ流行(はや)りのJDスタイルなのだろうか。

 戦場に出る際は性別バレさせないよう、バイザー付きヘルメットと軽めの鎧を着こむようだが、いずれにしてもあたしのアバターに性的魅力で敵いそうな点は見つかりそうにない。装備のレアリティから考えて実力も遠く及ばないだろうが。

 しかしアバターの話もほどほどに、飛行の練習でもしようかと提案する矢先だった。

 

「なんかカワイくない……」

 

 なんて言い出したのである。アリーシャが駄々をこねだす前兆に似て、非常にメンドーな予感である。

 

「……え、誰が」

「そーりゃもうレイちゃんに決まってるでしょう! なにそのモサい人! ミカとパーティ組む人がそれはないよぉ~」

「そうはいってもシ……ミカド、これ選べないから。あとこっちではちゃんとヒスイって呼んでね」

「じゃあこっちでは『ミカちゃん』って呼んで。じゃないとレクチャーしないから」

「ぐっ……」

「ちな『ミカりん』、『ミカっち』でも可」

 

 その後も姉をなだめるように言ったつもりだったが、本人にとってそれこそ気分を害する行為だったらしく、「こんなこともあろうかと準備したんだもん! ほらサクッとアバター変えるよ!」などと言って、左手で開いたメインメニューにある『アバターショップ』なる欄からゲームへの課金まで迫ってきた。

 開始早々課金とは。

 どうもお金をつぎ込めばつぎ込むほどバリエーションのある疑似肉体が手に入るようで、これは仮想通貨、ここでいう《ユルド》硬貨では代用できないらしい。

 昔から思っていたが、このいわゆるガチャ制度は人の射幸心を意図的に刺激するギャンブルの新しい形なのだろう。「自分だけは特別豪運!」なんてのたまう姉のようなタイプは特にハマりやすい。ゆえに最近ではソーシャルゲームも含め、これらの集金法を禁止する制度が立てられつつあるとか、ないとか。少なくとも現時点で公正な確立表記はされているようだ。

 まあ、姉もこれを見越して課金態勢を整えてくれたのである。せっかくなので試してみるとしよう。

 

「え~と、○○○、×××……と。これで振り込めたのかな? ……あ、選択肢出た。じゃちょっと変えてくるね」

「うん。ミカはここで待ってるから」

 

 そう言ってボタンを押すとあたしの体はまた光に包まれて、スターティングエリアに戻された。ここでまるっと体ごとチェンジしてから、またオンラインにログインし直すというシステムなのか。しかし広場に戻ったあたしはまたしても、「あ、チェンジで」の一言でダメ出しをくらってしまった。

 ――デリヘルじゃないんだから……。

 今回は幽霊でよく見る『貞子(さだこ)』の髪を金に染めて目を大きくプリティにした感じだったが、確かに先ほどのものと比べても一長一短である。好みは人によるだろう。

 どうやら姉の合格ハードルは思っていたよりも高いらしい。その次も、次の次も、首を縦には振らなかったからだ。

 しかし課金額は5千円で、最レアアバターガチャ、つまり今あたしが引いているそれは1回につき500円相当。あっという間にチャンスは残り1回となってしまった。

 だが時間もないことだし、これでだめなら諦めてもらおうと考えた直後、思いがけないことが起きた。

 

「うっ、うおぉぉおおおおお!? うっそぉ!? ぎぎ、銀髪アバターじゃん!! 今やってるイベント中にしか手に入らないやつ!!」

「す、すごいの……?」

「すごいどころか、超すごいよ!! 激レアだよッ!!」

 

 なんて言うものだから、気になってしまうのは人間のサガ。半分以上まんざらでもない気持ちで窓型の姿見(すがたみ)に駆け寄ってしまった。

 果たして目に飛び込んできたのは、今までの没個性とは似ても似つかない濃いキャラクターだった。

 とにかく眩しいぐらいの銀髪がきめ細かく、非常に長い。腰下ぐらいはあるだろうか。毛先は妙にクセっ毛も強く、重量および当たり判定が設定されていないのか頭皮を引っ張られる感覚こそないものの、その節々にはペールグリ-ンのメッシュが入り、左側だけはサイドポニーになっているようだ。光沢のあるユレーライトのピアスが相乗し、よりパンクな仕上がりになっている。

 顔のメイクアップはある程度自由だそうだが、それが不要なほど整った鼻梁(びりょう)と口もと。目つきだけは気持ち険しい気もしたが、意外にも長耳にはぴったりである。ここもノーチェンでいいだろう。虹彩(こうさい)がエスニックなセルリアンブルーというのもポイントが高い。惜しむらくは初期装備という味気無さだが、これも姉の財力があとで解決してくれる。

 身長も申し分なく、バランスの良い等身も男心を掴めるよう入念に調査された努力が(うかが)える。姉のそれが同じであるように、レア物は大抵モデル体型なのか。

 ただし女性にとって重要なアピールポイントだけは現実以上の絶壁。まな板。もはや首から下だけ痩せた男性。

 わざわざ仮想界で劣等感を突きつけなくてもいいだろうに。

 しかし、何となく長身痩躯なアバターが手に入ったことだしシズもさぞかし満悦だろう……という期待は、すぐ裏切られることになる。

 

「いいなぁーそれ! 樋口さんたった1枚で出るとかいいなぁー!!」

「たった1枚て……ソフトもう1本買えるじゃないこれ」

 

 さすがバイト代をほぼ全額貯金に回せている人間の言うことは違う。うまい生き方だ。

 もっとも、彼女曰く「働けないレイちゃんのために貯めたの! これはレイちゃんの分だよ!」らしいので、悪い気はしないが。

 

「そういう問題じゃないの! ああもうダメ、やっぱ交換しよレイちゃん! 静の方が大事に長く使うから!!」

「ちょっとちょっと名前ヤバいって! それにステータスまでは変えられないんだから諦めなってば、もう……」

 

 そうこうしてどちらが年上かわからない聞き分けのない姉をなだめると、今度こそあたし達は新天地を探索し始めた。

 もっとも付近にジェイドらしき人物の姿はなく、そもそも彼の容姿がどうなのかも判明していない。加えて遭遇場所が隣の領土との境目という、言わば競争の最前線だと聞いたあたしは、まずは下準備をすることにした。

 これからフィールドに出て彼に会おうにも、出動するたびにデスルーラしていたらいつまでも近づけないだろうと考えたわけだ。幸い今回は心強い……まあ、ちょっとは頼りになるアドバイザーもいる。

 という経緯から、ヘタにネットを漁るより知識を蓄えたシズのアドバイスのもと、あたしは彼女の言うがまま軽金と布とを織り重ねたハイブリッドな鉄衣(てつい)を買い揃え、メインアームも味気ない《ロングソード》から、シルフの街を守る伝統騎士に贈答(ぞうとう)された――というゲームにおける設定の――上質な一振りを(こしら)えてもらった。

 おニューの体にしては重量がオーバー気味だったので盾は小さいものだったが、これでSAOに限りなく近い武装を整えることができたわけだ。ここでも(ユルド)は姉持ちである。

 さすがに全タダにはしてもらえなかったが、ワガママに何度か付き合えば帳消しにしてくれるのだとか。

 

「さて、だいぶ様になってきたね。いろいろありがと」

「か……カッコよすぎる。ヒスイちゃん、これミスコン上位も狙えるやつだよ! もうちょい露出高くして……興味ある!? ミスコン!!」

「これ以上露出て……ないない。ほらいい加減飛ぶ練習するよ! もう30分もたっちゃったんだから」

 

 それからようやく訓練場やら初級ダンジョンやらを訪れたあたし達は、1時間かけて新しい世界の法則を学び始めた。それは空戦、魔法を含めた新戦術の学習だけでなく、長らく戦いを離れていたブランクを取り戻す作業でもあった。

 しかも、これがまた難しいのだ。

 聞き覚えのない言語ゆえにスペルの高速詠唱はもとより諦めていたが、狙っていた《随意飛行》は聞かされていた通りの難易度だった。

 10分ほどの練習で飛ぶコツは掴めてきたものの、空戦となると最低でも3日は練習期間が欲しい。

 

「(やっぱり思い通りにはいかないなぁ。あたし左利きなのに、スティックもメニュー・ウィンドウも左で展開とか辛すぎるんですけど……!!)」

 

 やはり必須テクというだけあって避けては通れまい。幸い近接戦の救済措置としてダメージ量は確保されているので、SAOでそれなりに身につけた剣術が生かせる間合いを作れるかがキモだろう。

 しかし飛行を含め、この世界で上位に食い込むプレイヤーの秀でた点はキャラクターレベルではない。

 あくまで知識と経験、そして武器を繰り出す個人の純粋な身体能力である。

 雌雄を分ける要因として、圧倒的にウェイトを占めた武装プライオリティや、例えば20もレベル差が開けばほとんど結果がひっくり返らなかったSAOとはここが決定的に違う。

 武器や防具も『どれそれが1番』という話ではなく、リーチ、重量、コスパ、ガード値やカテゴリ別の特徴を包括的に吟味し、本人に最もしっくり来たものこそが最良の愛刀となりうるのだ。言うまでもなく、戦場や狩るモンスターの種類によってさえ変動するだろう。

 そう言う意味では、あたしがショップで選んだ《ヴァルキリー騎士の剣》なるシンプルな直剣も、幾重にも使い続け、やがて体の一部のように馴染ませれば、最古参のプレイヤーとも十分以上に立ち回れるらしい。

 

「(服が重いから、盾は安価な《スモールレザー・シールド》になっちゃったけど。まあ盾受けを避けていなすように使えば、重量系もガー不可じゃないみたいだし……)」

 

 モヤモヤと考えつつ、初心者のスタートダッシュとしては上々らしい。

 姉も異性の部下から(みつ)がれすぎてユルドは余り気味だったらしいので、こういう時には本当に助けになる。しかし余り気味というのであれば、ほとぼりが冷めたら今日の貸しはなかったことにしてもらおう。おいしい汁は芯まで吸うのがあたし達姉妹の信条である。

 とそこで、いい汗を流した後に2人で談笑していると、色白の陽気な男性が話しかけてきた。しかも片眼鏡をかけたピンパーマで、陣羽織(じんばおり)一丁というラフさである。

 街の中はだいぶ緩和されているらしいが、それでもさすがに寒いだろうに。シズ同様、オプション変更で《体感温度精度》を最低にしているのだろうか。

 

「やあやあキミ達、こんばんは。ALOは初めてかな?」

「え、はいそうですけど。ああ、ミカドは……」

「ふむむ!」

「……ミカちゃんは結構長いです。1年ぐらい?」

「あーじゃあそっちの『ミカちゃん』はエントリーできないね~。ナッハハっ。というのもね、午後8時半に開催する、運営公認の《初心者応援エキシビション》っていう、プレイヤー同士の決闘式トーナメントがあるんだよ~。舞台もアプデで用意されたし、デスペナなしで全種族に戦い慣れしてもらおうっていう企画でね! この領土でもやってて、その枠が1人分空いてるのさ」

「対人トーナメント、ですか……?」

「あーあれね。ミカが始めたころはなかったやつだ」

「ま、隔週でやってるイベントみたいなモンです。どうです? スターターサービスで参加は無料! しかもノーリスクで実戦を経験できちゃうイベっすよぉ? 枠はあと1ぉつ! ナッハハハハ!」

 

 時間が惜しいあたしは決めあぐねたが、シズは2つ返事で了承してしまう。

 というのも、本当に怪しい勧誘の類ではなく、挑戦して損のない実質的なプレゼント企画らしいのだ。姉のハンコ付きなら安心である。

 

「よーしこれで16人だ。一応アカウント作成時から72時間超えで権利なくなっちゃうから、プレイログをチラ見させてくれないかな? レアモノのオネーサンは、装備はともかく話してる限り大丈夫そうだけど」

「それはどーも」

 

 暗に不慣れを見透かされたようで悔しかったけれど、これは事実なので仕方がない。

 あげく総プレイ時間を見るや否や、「わお、100分未満か! キミにはちょっと厳しかったかも、ゴメンね! ナハハハ!」なんて言われてしまったが、こちとらSAOサバイバーだ。本番では目にモノを見せてくれる。

 

「じゃあ会場はあそこに見える大きな宮殿の中なんで、時間迫ってるから待機の方お願いしますね」

「わかりました、すぐ行きます」

 

 食い気味であれこれ質問された後は、彼も急ぐように会場の裏側の方へ戻っていってしまった。ちなみに彼が指さした施設の名は《ゴルコッサム蒼宮殿》というらしい。

 それを見届け、歩きながらシズがグチをこぼす。

 

「やーしっかし多いね相変らず。なんぼトップ2勢力と言ってもリリースから1年のゲームだよぉ? 新規の人はイベントに合わせてるのかな? ヒスイちゃんも気をつけなよ。もしかしたらすぐ負けちゃうかも」

「そんなことないから! だいたいさっき聞いたところだと、初心者に配慮して飛行禁止らしいじゃない? 最長で3日プレイしてる人も、まさか今のあたしぐらい強い装備は着てないでしょう」

「わからんよ~、しかも武器がさ……《ヴァル剣》は《片手直剣》スキルの熟練度が高くなってから真価が発揮されるタイプだからね。ぶっちゃけ初期装備よりはマシ程度だし、盾の《スモールレザー》に至っては……ああそれと、ここらは簡単なクエストしか受注できない初級のメイン通りだけど、見える限りでも無難な装備の人多いよ。たぶんバックにハイランカーついてるのはヒスイちゃんだけじゃないのかも」

「ま、まあ大丈夫だって! 何とかなるから!」

「あと《アミュスフィア》複数台持ちの、『新アカ作って他種族楽しみたい勢』とかね。バック以前に、元から本人が超強い可能性もあるよ?」

「……だ、だ~いじょーぶだってぇ……」

 

 《ヴァルキリー騎士の剣》が最序盤のショップで手に入るくせにトップ勢と張り合える、というロジックを密かに納得しつつも、確かに少し不安になってきた。

 もちろん姉を恨んでいるのではない。強化後前提の性能を聞き、試し振りをして、最終的に相棒となる剣を決めたのは間違いなくあたしである。

 問題は別のところ。

 なにせ、あたしはこの世界の魔法について致命的なほど疎い。強力な風魔法でなければ、《風属性魔法》スキルの熟練度が初期値のまま覚えられるシルフにとって、このイベント狙いだった意識高めの参加者が魔法を習得していないはずがないだろう。

 対して、あたしがALOへ参加したのはわずか100分前。

 

「(さっきシズと練習してる時は、初めから使える魔法を試してみたけど……なによ『古代ノルド語』って! あんなの戦闘中に唱えられるわけないじゃない……っ!!)」

 

 一応今のあたしでも、《斬波(スラッシャー)》と呼ばれる剣戟の軌跡をなぞった衝撃波を乗せる技と、《銀の遮蔽(シルバーヴェール)》と呼ばれる四方4メートルぐらいの風の障壁を展開する技、また光属性の《体力回復(ヒールバイタル)》なら使うことができる。

 しかし難解な単語がネックで、燃費を考慮したマナポイント管理もできないのだ。

 加えてシルフの魔力(MGI)、および智力(INT)の成長補正はB、すなわち純粋な魔力量とスロットにセットできる《魔導書》のレパートリーは他種族に比べ非凡の才を持つ。対人トーナメントの報酬目当てのガチ勢は、3日分のアドバンテージがあるので、これは無視できないだろう。

 

「(どうせなら、魔法全部禁止にしてくれれば良いのに……)」

 

 そうこう考えているうちに宮殿へ到着。

 名も知れぬ鋼材が白く光を反射し、エンタシスに象られた石柱がきっちり並んで屋根を支える、装飾豊かな立派な瓊台(けいだい)である。

 下部の隙間は木片を削って埋めているようで、ここがデザイナーのこだわりだったのだろう。掲揚旗(けいようき)を上から下まで伸ばしたような暖簾(のれん)をくぐると、それをエリアの区切りとしているのか暖房の効いた空気が充満していた。

 会場は相当な広さだ。直径1メートルはある支柱が身廊の間(クワイヤ)まで無数に続き、天井には頑丈そうな(はり)がシンメトリカルにアートを(えが)いている。

 こうした施設に常備される特徴的な鐘楼こそないが、姉の情報によると内装のモデルはプラハにある聖ヴィート大聖堂だとか。いったい何神を信仰しているのかはわからないが、奥には拝殿所も設けられていた。はて、日本に敬虔(けいけん)な信者はあまりいないと思われるが……。

 吹き抜けのショッピングモールより壮大で、外国の文化遺産に迷い込んだかのような全景に圧倒されつつも、薄い黒大理石に擬態するトーナメント表掲示用の巨大な電子盤へ歩を進めた。

 珍しく女性2人組、しかも揃ってレアアバターの登場で少々視線を集めてしまったが、あたし達とて場内の熱気に驚いているところである。

 

「お、さっそく順番出てるみたいだよ。ヒスイちゃんドコかな」

「ん~……後ろの方だね。でもエントリー順じゃないみたい、ほら」

「あホントだ。あれは『ボゥレーゼ_RTA』さんだよね? 最終組の人。ギルドマスターをやってる知り合いのギルドが、おとといリアル友達を入れたって言ってたけど、もしかしたらその人かも」

「うあっ、そういうのヤだな。組織が勝たそうとしてるんじゃあ……」

「まー普通に優勝候補だろうね~」

 

 1回戦目を勝ち上がった時点で強敵と当たるという事実にややげんなりしつつ、最終組1歩手前だったことはまさしく棚ぼただった。これなら最低6回は人の戦いを観戦できる。

 それに本大会の優勝賞品は、自由にビルドへ割り振れるスキルポイントがヤケクソのように多く、おまけにレアな《魔導書》付きときている。意地でも取りに行かねば。

 

「結構盛り上がってるね。今この施設にいる人は、半分ぐらいこれ狙いなのかも」

「魔法とかちゃんとイメトレしときなよー。ノルド語もさ、ようは反復がモノを言うから。相手の不意をつけたりできるし、戦術の幅も広がるよ?」

「んん~……魔法ね~……ま、考えとく」

 

 なんて話しているうちに規定の時間へ。用意された舞台ではさっそく1on1による決闘が始まろうとしていた。客席とは別の部屋から1メートルはある段差で区切られた、四方20メートルほどの白いフィールドに2名のプレイヤーが歩み寄る。

 MCによる紹介が終わると早くも戦いは開始された。

 疑似的な体を操る術に長けていない様子を見るに、どうやら1回戦目はお互い本当に初心者らしい。剣術どころか至る所で動作に違和感が残り、さらに戦士になり切ることを恥ずかしがっているようにも見える。

 しかし、時間切れのHP残量差で決まった初戦と違い、2戦目は打って変わってハイレベルだった。

 ごく簡単なものだけだったが、スペルを唱え合う正真正銘の魔法戦。システム外スキルとも言えない暗誦(レジテーション)――つまりスペルを空で覚えること――は当然で、《遅延詠唱(ディレイ・チャント)》と呼ばれる時間差攻撃の高等テクまで駆使した読み合いは見事と称する他なく、対人の奥行きが一気に深まった感じだ。

 まだこの目で見たわけではないが、これが空戦、集団戦ともなればさらに指揮官の価値も高まるのだろう。まさにシズがその立場で、実力と容姿に加えてちゃっかり領袖(りょうしゅう)の気質まで備えているのだから侮れない。

 そして、そんな人達に今から追いつこうとしているのだ。しかもただ追いつくのではなく、ごく短い期間で。

 だからこそ、あたしは1試合ずつを入念に焼き付けた。

 

「(最大HPが少ないから、試合自体はすぐ終わっちゃうんだ。……じゃあ、確かに気は抜けないかな。油断すると一瞬で……)」

 

 6試合目が終了し、とうとうあたしの番が来た。

 今さらながら想像を絶するほどの緊張感に襲われ、ブルッと体が震える。ライブビューイングでもしているのか、古い型のカメラに向かって実況者がプレイヤーネームを呼ぶなか、あたしは石段を進んでポストも金網もない闘技場へ進入する。

 珍しい容姿に反応したのか、同時におおっ!! という歓声も聞こえてきたが、緊張ゆえに優越感に浸る余裕さえない。

 練習と同じように、隙があれば魔法も視野に、といった姉による大声のアドバイスが嫌に耳に残った。

 

「(見てる人相当多いな。ライブ中継とかも聞いてなかったし……)」

「ねぇキミ、ヒスイちゃんっていうの? よろしくね」

「……よろしくお願いします」

 

 意外にも対峙する相手に話しかけられた。

 しかし後に続く言葉で、それが友好を示すものではないことを悟った。

 

「かわいーねそのカッコウ。ミスコンと会場間違えたの? ……でも、冷やかしは困るんだよね。手加減はするつもりだけど、痛かったらごめんよ。こっちは商品狙いなんだ」

「…………」

 

 女性と見るや弱者と断定するのは世の常なのだろうか。もっとも相手を見くびる理由としては、彼の持つ得物のレア度と、戦いによって残ったままの盾の傷が物語っている。

 きっと彼はあたしを見ていない。意識はとっくに次の試合、すなわち例の優勝候補さんとの戦いに向いているのだろう。

 そう確信すると、心のどこかに残留する強張りが一気に抜け落ちた。

 相手がその気なら容赦はしない。

 

「ご配慮どーも。じゃあ、こっちも本気で行くから」

 

 余裕が生まれ、むしろ笑顔になって剣を構えると、司会者席では場違いな撞木(しゅもく)によって鐘が鳴らされる。

 記念すべき、ALO初の対人戦が幕を開けるのだった。

 

 

 

 



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アナザーロード12 復活の反射剣

西暦2025年1月12日 《ゴルコッサム蒼宮殿》、公式トーナメント会場。

 

 相手の安い挑発とほとんど時を同じくして、審判から試合開始の号令もかかる。しかし構えはしたものの、対戦相手の男性は言葉以上に積極的ではなかった。

 

「しっかし女性相手はやり辛い。これでも多くの人に映されてるんだ、悲鳴とかは勘弁してくれな」

「あら、あいにくあたしも優勝狙いよ。あんまり上ばかり見て、自分が足元掬われないようにね」

「……そういえばキミ、装備はいいな。他の種族で長くやってたスパイか、パトロンでもいるの?」

「ここでは2時間未満。……友達が1人よ」

「あっそう。聞くだけ無駄だったね」

 

 ここでようやく刀使いの男が踏み込んできた。

 その速度はあたしが想像するよりもずっと速く、その剣先がわずかに銀髪を撫でた。

 ザッ、ザッ、と慌ててバックステップで距離を取るも、足場の後ろはもう場外ゾーン。このトーナメントでは場外でも即終了だ。一切の回復手段も封じているあたり、イベントの進行速度を気にしているのだろう。

 確かにダラダラと膠着(こうちゃく)した試合を映しても視聴者がなえてしまう。なにせ試合総数は15もあるのだ。

 

「(ヤバかった~……)……やっぱり鈍ってるかな。それにここ狭いッ!!」

「く……ッ!?」

 

 反転攻勢に出たあたしは、とりあえず《ヴァル剣》こと《ヴァルキリー騎士の剣》ことをブンブン振り回してみたが、そのスピードは相手にとっても想定外だったようだ。

 切っ先に感じる微かな手ごたえ。盾で受け損ねた一撃が、(もも)の辺りに赤い斬痕を残す。

 先手を取った。それでもなお攻撃の手は緩めなかった。

 短く空気を吐くと、左から水平に下段攻めを繰り返す。

 されど相手も口だけの小物ではなく、難なく速度域で並ぶとむしろ盾を使った波状攻撃を繰り出してくる。

 やがて剣戟は拮抗し、スパートがかかっていく。火花を飛ばすほどの打ち合いに発展すると、弾かれた反動からお互いが飛びずさった。

 すると観客のボルテージはいよいよ最高潮となる。決着が一瞬だという見識(けんしき)だった外野からは、驚嘆と拍手の音が広がっていた。速攻で畳みかける計画が結構いい勝負をしてしまっているものの、冷やかしで来るなと罵声を飛ばしたり、今度は裏返った声で応援したりと忙しい人達だ。

 

「ハァ……こ、これはスゴイ。本気で振っても当たんないや……ハァ……ハハッ、見事にだまされたよ。ALO経験者だよね、キミ!」

「だから2時間だって!」

「ゼッタイ嘘だ!!」

 

 再び踏み込む。

 今度はより鋭く、甲冑ごと抉るように。

 

「くっ、こいつ!?」

 

 ほとんど打撃に近い連撃を前に相手は初めてたじろいだ。剣と盾でどうにかいなし続けるも、すぐにフィールドの後がなくなってしまう。

 場外までほんの少し……、

 しかし『場外へ押し出して勝利しよう』なんて、そのわずかな集中切れが悪かった。

 

「ナメんな、このっ!!」

「ぐ、ぅッ!?」

 

 もはやプライドも捨てたような相手の飛び膝蹴りに素の叫び声をあげてしまい、男はまんまと外周沿いにヨタヨタと走り逃げた。

 男性に激しいブーイングが送られるも、これで仕切り直し。

 おまけに初めからショップで買い込んでおいたのか、インベントリから山吹色の麻袋をオブジェクト化していたのだ。

 「爆弾だよ、それ!!」という姉の声を聞くよりも早く、あたしは追撃を中止して急速反転して距離を取る。

 直後、宮殿の端まで届くほどけたたましい音が連続して鳴り響いた。

 体が宙を浮くほどの衝撃と、ついでに発火光と煙で視界まで遮られる。確かに禁止されているのは飛行と回復行為のみではあるが、いくらなんでもこれは(こす)いだろう。剣と剣のぶつかり合いをご所望の視聴者は多いはずだし、第一これでは戦場が見えなくなる。

 しかしあたしはゴホゴホと咳をしながら一瞬でそこまで考えると、次いで自分の愚かさを恥じた。

 これは浮かれていたことへの洗礼である。

 この世界にもやはり、手段や形式を問わず勝利こそ是とするプレイヤーはたくさんいる。その常識に2年間浸かってきたのが『ヒスイ』であり、SAOを生き抜いた自分ではなかったのか。そしてその人物は、相手の戦術にいちいちケチをつける小さい人間だったのか。

 

「(何してるんだか、あたしは……)」

 

 残りのHPすら視界に入らないまま、ドス黒い戦意が頭をもたげてくる。

 当然、答えは否だ。

 《反射(リフレクション)》スキルが使えないから、なんて言い訳をしている場合ではない。

 先ほどまではどこかで『御門女 玲奈(みかどめ れいな)』が、ゲームの延長として騎士のコスプレでもしていたのだろう。

 肉親がすぐそばにいるからと、一種の冷酷な女戦士を隠そうとしていた。新しいアバターだから弱くて当たり前だと、かつてのヒスイと切り離して予防線ありきの低い視線で認識していたのだ。

 伏せていた顔を上げ、あたしはまたしても体裁を捨てた。

 か弱い少女ではない。守られる弱者でもない。あの男に釣り合えるよう、心を磨き、神経を研ぎ澄ました戦士へと。

 あたしは即座に体の向きを変えると、《スモールレザー・シールド》を腰だめに低く構え、軽く息を吐いてブンッ!! と真横に一気に振り抜いた。

 眼前には、策がキマってハイになった敵影。

 

「っしゃ、もらいィ!!」

 

 同時にガッヂィィンッ!! と甲高い金属音が反響。

 直後には、奇声を放つ男の手から刀だけが吹っ飛んでいた。

 一切の言葉を発することなく、ほとんど反射的に自分の得物をカウンター気味にゾブン!! と胴へ差し込む。

 刀の(つば)を盾の中心で捉えて逆ベクトルに弾き返す武器防御の応用術、《弾きパリィ》がこの上なく綺麗に決まった瞬間だった。

 煙に紛れた奇襲を完全に見切られただけでなく、相手は腹部を貫通する直剣を後追いでしか確認できていない。どころか、急減するHPや逃げることも忘れ、「えっ……?」と放心状態で立ちつくしていた。

 無論これで終わりではない。かける言葉もない。

 トドメを刺すべく、あたしは気合と共に剣を引き抜いた。

 男の絶叫すら無視し、逃げようとする敵のひざ裏を蹴って地に倒すと、側頭部を連続で蹴り飛ばして完全に這いつくばらせる。

 

「ガ、ァ……そんっな……ッ!?」

「セアァアアアっ!!」

 

 閃光もかくやといった軌跡が図体を幾度となく斬り刻み、やがて連撃のさなかに決着がついた。

 ブザー音が鳴るころには、大差をつけて敗北した男の刀と残り火(リメインライト)だけが捨て置かれる。

 一拍遅れ、会場には今日1番の拍手が巻き起こった。

 深く息を吐き、納刀。肩で呼吸をする自分が思っていた以上に疲弊(ひへい)していることを自覚すると、久方ぶりに味わった実戦を反芻(はんすう)し、反省しながら無言でその場を去った。

 客席――と言っても上層階の渡りなどから各々勝手に観戦しているが――よりほど近い待ち合い場では、シズが嬉しそうに出迎える。

 

「やったじゃん、まずは勝ち星! 最後スゴかったね!」

「爆発はカンだよ。似たようなのがSAOにもあったから」

「んーん、そっちじゃなくて。弾きパリィもタイミングがドンピシャなら剣がすっぽ抜けるって言われてたけど、生でソレ見るのは本当に久しぶりだったよ」

「むむ~……あれも半分カンだったんだけど。……これじゃあダメだよね、全然……もっと……もっと強くならなきゃ……」

「ヒスイちゃん……?」

 

 対戦相手に対し「相手を見ていない」なんて言っておきながら、実のところ自分も同じ穴の(むじな)だったわけだ。

 正直、どうせ楽に片が付くとタカをくくっていた。

 2年の激戦に耐え、そこで獲得した剣技に裏打ちされた揺るぎなき勝算。1度として死なず、数えきれないほどの大型ボスを屠ってきたという絶対的な経験量。これだけ()が揃えば、どこの馬の骨とも知らないあんな男なんて、よそ事を考えながら手を抜いても勝てるだろう、と。

 しかしこれは(おご)りだと痛感させられた。2ヵ月のブランクを甘く見ていた。

 リアル、VRを問わず今のあたしは多分に漏れず無力だ。

 ジェイドがこの世界に囚われているかもしれないと直感した時、即座にルガトリオ、ならぬ井上君に連絡をしてみたものの、彼の家族はVRゲームを金輪際やらせない方針を取っているらしい。

 警察でさえ、遠回しに「子供の推測では動けない」と回答した。そしてそれらの辛辣な対応に対し、あたしはどうにもできなかったのだから。

 

「(有頂天になって、なにを勘違いしていたんだろう……一から学び直さないと。必要なのは経験と知識……初心に返って……)」

 

 少なくとも、このソフトは1年前にリリースしている。ゲーム業界の目線で言えば、はるか過去のタイトルである。

 あたしが経験したのはあくまで別ゲー。ナンバリングタイトルですらない。FPSでも種類が変わればプロでも差が出るし、すべての対人要素はプレイヤーの経験値がものをいう。

 高レベルや強武器も、概念ごとすでに存在しないのだ。根本的に思考を変えて、あたしは対人のイロハを姉に聞き直した。

 死ねば『死ぬ』ゲームでなくとも、かつての《反射剣》ほどの力強さがなくても、絶対に勝つ。勝って仮説を証明する。引き裂かれたままだった彼との現状を変えるために。

 

「……何から何までありがとね、シズ」

「これぐらいお安い御用だよ。……2年も前からこうしたかったんだから」

「ふふっ……代わりと言ってはなんだけど、次も勝つよ。だってこの世界にはあいつがいるんだもん。絶対に……だから、ね……」

 

 伝える決心が付いた。

 あえて聞かないようにしてくれていた姉に、あたしはここに来てようやく事実を伝えた。運営公認イベントとやらの時期に重なる不審なプレイヤーの登場と、今までに繋がった断片的なピースを、すべて。

 それは、真の意味でこの世界で戦う意思が根付いた瞬間だった。

 

 

 

  ◇    ◇   ◇

 

 

 

 ふと自会場の外に視線を寄越すと、そう言えばALOの時間の進みは16時間周期と聞いていたのに今は現実と同じ夜間だな、なんて考えてしまう。

 しばらく話し込んでから次戦での作戦まで決めると、あたしは《スターター・エディション》トーナメント2回戦を目前にしていた。

 対戦相手の名は『ボゥレーゼ_RTA』。こちらも男性で、姉曰く知り合いの中規模ギルド長が他のVRゲームから引っ張ってきたフレンドさんらしいのだが、ゆえに武器も防具も他の参加者とは一線を画し、この大会に挑む意気込みの強さを体現していた。

 もとは高難易度ゲーのRTA、すなわち時間を測った最速攻略を生業(なりわい)にする大手の動画投稿者さんで、数知れず記録を打ち立てたベテランの中でも金字塔たる人物らしい。効率厨(・・・)が誉め言葉になる彼も、1日12時間以上におよぶ連続ダイブによってこの3日間でかなり鍛え上げられたとのことだ。先ほどMCの方が声高らかに宣言し、観客を失笑と共に湧かせていたところである。

 しかし2回戦でいきなり優勝候補と当たるとは運がない。

 初戦の相手も十分にVR慣れはしていたようだが、こうも潤沢なバックアップ体制は築いていなかったはずだ。

 そうこうしていると、壇上に上がった彼が話しかけてきた。

 

「1回戦目、見ましたよ。見事なパリィでした」

「……どうも」

「ゲームがボタン式だった頃は2D格ゲー、アクションゲーに限らず割とポピュラーな戦術だったんですよ。けど最近じゃあメッタに見られません。なにせ剣を習った人なんてそうはいませんし、失敗したら自分にカウンター判定のダメージですからね。よほど経験差がある人の魅せプレイと化しています」

「へぇーそうなんですか。マグレだったので……」

「いや、違いますよね。そうそう騙されませんよ」

 

 適当に答えて流すつもりだったが、まさか否定されるとは思っていなかったので今一度彼を見返してしまった。

 さすがに自信ありきのプレイ動画をアップするだけあって堂々としている。しかも、彼もある程度課金したのか、いいビジュアルでいい肉体をしていた。やや身長は低めだが、戦冑には凝った金のギルドエンブレム意匠があしらわれ、エメラルドグリーンの装備が全体的に似合っていた。ピンパーマ調の乱れセミロングにもよく映えている。

 積み重ねてきたものの絶対量を示す、それらから発せられるのは、確たる自負。

 高そうなブーツのつま先でコンコンと地を叩き、彼は続ける。

 

「あれはマグレじゃありません。どこかでモノ凄い練習をしたような……そう、美しさがありました。口説いてるんじゃないですよ? あの逆転と追い討ちには、肝を抜かされたんです。……でもだからこそ、あなたとは本気でやりたい」

「(やっかいな相手ね、ホント……)」

 

 人との競争をするうえで、金と時間さえ投げれば勝手に勝利が舞い込んでこないことをこの男は知っている。勝つべくして勝つ理屈を知っている。頂上を見据えながらも、あたしを倒すために手を抜くことはないだろう。

 

「じゃあせめて、出し惜しみはナシで行くわ」

「ありがとう。その方がこっちも気兼ねないですよ」

 

 そこまで話すと、審判が手を振り下ろし開始の合図がかかった。

 お互いに口をつぐんで抜刀。ジリッ、と間合いを取り合う。

 あたしがサウスポーだからこその警戒か、あるいは。

 相手の得物はまた日本刀だ。しかし今度の相手が得物に選んだそれは、標準的な太刀よりやや細長い。改めて全身の甲冑を見ると、戦国の武士のような装束(しょうぞく)に見え、これが彼の考える手を抜かないスタイルなのだろう。武士よろしく、左手にあるシールドも少し大きな籠手にしか見えない。

 先手はこちらだった。

 短く息を吐くと、深く肉薄し同時に左手を外から振り抜く。

 そのスピードにわずかに驚いた表情を見せるも、彼も自信を裏付ける努力は怠らなかったらしい。

 剣の芯でしっかりと受け止められ、直剣によるダメージは入らなかった。

 

「やるねっ、やっぱ!!」

「くッ……!?」

 

 今度は速力を殺されたあたしがラッシュをかけられた。反撃しようにもアタックレンジに劣るこちらは搦め手なしではギャンブルになりかねない。

  HPに余裕があればダメージレース、広いスペースがあれば間合いで圧をかけたいところだが、しかしHPを回復する行為や翅による飛行はルールで禁じられているのだ。

 そして武器のプライオリティに(たの)むこともできない。高級な中盾を潤沢な(コル)で強化しまくっていたSAOと今とでは、ここでも勝手が違ってくる。

 先ほど付け焼刃でスペルを暗記した《スラッシャー》の魔法を無理やり取り入れるか、もしくは……、

 

「(どっちにしても、もう受けきれない!!)」

 

 けれど、あたしにも策はあった。場慣れした敵にどれだけ有効かは定かではないが。

 

「(一か八か……)……スー・フィッラ・ヘイル・アウス……ッ!!」

「お、おいそれは!?」

 

 この瞬間、作戦はキマった。

 しかも敵どころか審判まで狼狽(うろた)えている。あと一句、いやあと二語でも唱えて回復魔法を完成させれば、あたしは呆気なく反則負けとなっただろう。

 慈悲は無用。鋭さを失った敵の剣筋を見切り、右の盾を力の限り叩きつけた。

 根元の辺りをガヂンッ!! と弾いた直後は、自分の直剣を敵の心臓部へ食い込ませる。生々しい音と感触が続くと、そのダメージはカウンター判定によって倍増した。

 くさっても最高級甲冑。一撃死とは至らなかったが、激しい絶叫をこだまさせる彼に連続して足払いまでかけると、転倒(タンブル)を誘発して畳みかけようとする。

 しかし寸でのところで回避されると、場外スレスレで武器を構え直されてしまった。

 たったそれだけで迂闊(うかつ)に動けなくなるから驚きである。

 

「ゼィ……クッソ、今のは……ゼィ……ズルいぞ!」

「ハァ……ずるい? ハァ……そんなの辞書にないから!」

 

 疾走直後に肉薄すると、めまぐるしい勢いでまた武器をぶつけあった。

 お互いに軽い牽制なら完全にダメージを遮断できる盾がある。その一点を突破できるか、そして守り切れるかの戦い。

 だが刹那の判断ミスで優勢は覆された。

 強烈な垂直斬りで相手の手から刀が滑り落ちる……つまり、剣をロストさせたものだと騙されたあたしは、相手の空いた右手に捕まれ、慣性の力を利用して払い腰の要領で投げ飛ばされてしまったのである。

 甲冑がかしましい音を立てるが、あたしはお構いなしにゴロゴロと転がり、脳天にヒット寸前だった刀の袈裟斬りは、体を(ひね)ることで胴を過ぎ、どうにか回避した。

 今のはギリギリだ。バストが少しでも大きければ……、

 「出た! 貧乳回避だ!!」なんて、失礼極まるジョークで会場を沸かせた野次馬は可能なら後でシメる(・・・)として、すでにアバターの各所には刀身の長さによって計り損ねた間合いから、ヒットを示す斬痕が赤く揺らめいている。

 それからも防戦一方だった。斬っては防がれ、斬られては防ぐ。パリィによる爆発的な攻撃力を警戒してか、相手も大振りは避けているようだ。

 

「(なんでよっ……こんなんじゃいつまでたっても!!)」

 

 知らず知らずのうちに歯ぎしりしていた。

 これ以上接戦をしてどうする。完膚なきまでの力量差で、手も足も出さないまま圧殺するという誓いはどうした。

 こんな……ところで……!!

 

「負けられるかァっ!!」

「な、あぁッ!?」

 

 もろもろの怒りゆえか。その瞬間、脳に電流のような衝撃が走った。

 あらゆる速度域がスローになって作り物の水晶体に映し出される。

 これまでに想像したことのない最高速すら超え、自らの肉体が地を駆け相手を完全に翻弄する明瞭なイメージが、弧を描く自分の機動とぴったり重なる。

 わずかな力で敵の体を通り越すと、一拍遅れた敵攻撃はまったくの無人空間を裂いていた。

 縮地法に近い移動で、すでに彼我の差は4メートル。

 ここからさらに反転して再加速。

 連続高速移動により、あたしはほとんど男の視界から消えるほどの速度で後ろを取った。

 

「セアァアアアア!!」

「ぐがぁあああああああああ!?」

 

 筋肉が軋むほど本気で直剣を振り抜く。

 ザグンッ!! と、クリティカルこそ避けられたが、首に攻撃受けたと理解した直後に相手は後退。振り向きざまに態勢を整えようとした。

 その顔面に向けて、あたしは盾をブン投げる。

 脳天に命中。

 高く跳ねるシールドを見てどよめく群衆を置き去りに、あたしはさらなるラッシュで敵の姿勢を崩した。

 尻もちをついて肩で息をする優勝候補の対戦相手に、ALOで今日初めて対人戦闘をした素人の女が首元に剣を突き付ける構図。

 数秒、会場は静寂が支配した。

 

「悪いわね。負けられないの……」

 

 空気を割るような爆音とともに、トドメの一撃によって勝負は決した。

 これで2勝。僅差ではあったものの、ギルド単位でサポートを受けていた男が、無名の少女を前に剣の戦いで敗れたのだ。彼の心中は察するに忍びない。

 番狂わせに場内がざわめく中、公式アカウントの無限復活魔法によって蘇生された男は、ブツブツと反省と小言を繰り返しながら退場していった。せっかく同じ種族なので、今の戦いで関係が悪くならなければいいが。

 とそこへ、自分のことのようにはしゃぐ姉が寄ってきた。

 

「すごい! てか怖いよヒスイちゃん! しかし『回復するフリ』とは考えたね~。思わずミカも叫んじゃったよ!」

「……奇策に頼った時点でしてやられた気分だわ。ま、もう同じ手は通用しないだろうけどね。……でも大丈夫。やっと思い出してきたよ、自分が1人の戦士だったってことを。戦ってくれたあの2人には感謝しないと」

 

 準決勝まで勝ち上がったあたしは、その後の戦闘でも盾受けカウンターを主軸に、時には突撃してインファイトで殴り勝つ戦いまで見せていた。

 結果は優勝。決勝戦に至っては瞬殺だった。

 実質的にはあの2回戦目が決勝だったのだろう。とは言え、残る2人が弱かったというより、あたしが本来の戦闘力を取り戻したことで相対的に差が開いたニュアンスだ。加速度的に強くなる姿に違和感を持つ者もいただろう。経験から得る成長とは明らかに違う、すでに持っている勝利への構図を思い出しているかのような成長速度。

 そういう側面では、あたしがこのトーナメントに出場することこそまさに反則だったわけか。

 なんにせよ表彰、リワード贈呈、閉会式がつつがなく終了すると、あたしは大量に得たスキルポイントをミカのアドバイス通りに振り分け、次なる戦場への準備を進めていた。

 しかしその様子を前に、ミカが心配そうに改まる。

 

「改めて優勝おめでとう。……なんていうか、ホント初ログインとは思えない適応力だね。これから行こうとしているダンジョンのボスだって、一応プレイヤーからは初心者の区切りみたいな扱いをされててさ。普通なら、最低でも1週間はみっちり慣らして挑むものなのに……10倍ぐらいの成長速度だよ」

「悠長な時間はないの。移動も全部《随意飛行》の練習に充てるよ。リワードで貰った風魔法の《魔導書》も早く使えるようにならないといけないし、他の魔法だって発音しながら頭に叩き込まないといけないんだから。ほら早く行こう!」

「ねえ、待ってヒスイちゃん」

 

 急かそうとするあたしに対し、シズはどこか懐疑的だった。

 彼女は申し訳なさそうに、それでいてはっきりとした疑問をぶつける。

 

「……これも『彼』のためなの? 言いたくなかったけど……やっぱり、どこかで仮想世界の生活に囚われてるだけじゃない? ……ずっと寝てる彼があの日(・・・)に何かしらあって、そしてこのアルヴヘイムから抜け出せないなんて……本当にそう思ってるの?」

「……思ってるよ。ここで探していればいつか絶対会える。でも、その前にやれることはみんなやっておかないと。言うでしょう? あらゆる奇跡は努力の必然だって」

「そりゃ、そうだけど……」

「じゃあやらなきゃ。やらない後悔は何の結果にも繋がらないから」

 

 都合のいい奇跡でも起こさなければ、彼には巡り合えない。とても低い確率だということは理解している。

 それでも、あたしに歩みを止める気はなかった。

 諦めなかったこそ、ログイン初日でもこうして飛躍的に強くなれたのだ。智の宝庫だって隣にいる。この調子なら数日後には大抵のプレイヤーと渡り合えるようになるだろう。元より機動力さえ確保していれば、あとは手数を補ういくつかの牽制魔法とフェイント術を交えた心理戦で、得意の近接に持ち込めばいいだけだった。こちらには2年間鍛えた剣術があるのだから。

 それに汎用性の高い防御系と索敵については味方を頼ればいい。魔法なきSAOと違って、まさか全員が剣や盾を装備しているはずもなく、このゲームではチーム戦、ギルド戦における役割分担がはっきりしているらしいのだ。

 ただし、あたしの早とちりはシズによって遮られた。

 

「あー待って、ちょっと待ってヒスイちゃん。気持ちはわかったから。……そこまで言うならミカも全力で応援するよ。今ね、インできそうなギルメンをスイルベーンに呼んでるところだから。一応このギルドはそれなりに強い人しか入れない規則だから、ミカの一存では決められないんだけど……」

「えっ、あたし入るつもりなかったよ? そこまで迷惑かけられないし、野良の人と組んで転々としようかなと……」

「プフッ、それこそ遅いって。ちょうどALOも正月イベ終わって、アバターガチャ関連だけだったからヒマしてたんだよ。毎日サラマンダーとやるのも疲れちゃうしね。新人の育成なら新鮮だし、みんな快く手伝ってくれると思うよ? ぶっちゃけその容姿だし」

「入れたら、でしょ? ん~……おけ、わかった。でもただの新人じゃ入れないんでしょ。何をすれば加入できるの?」

「んん~そうだネ~」

 

 10人構成の小ギルド《アズール・ドルフィンズ》。その紅一点にして女隊長でもある姉は、指に手を当てながら上空を見上げた。

 あたしもつられてそれに(なら)う。すると、フィールドに向かう途中だったあたし達めがけて、《水仙館》なる施設の方角からゆっくりと接近するプレイヤーが3人。いずれも軽装で、1人は金属武器を携帯すらしていなかった。

 彼女のギルドメンバーだろう。

 

「とりま、あの3人と戦ってもらおっかな?」

「もらおっかなって……今日トーナメントで戦った誰よりも強いんでしょう?」

「比べるのも失礼なぐらいね。だからこそだよん」

「なるほどねえ」

 

 面白い。入隊試験というわけか。

 見込んだ相手にはスパルタになれる、とは本人談だったが、どうやらそれは事実らしい。部下の彼らも大変だ。

 そろそろ半年近くパーティを更新していない――いたずらに拡大せずローカルに楽しみたい――らしいので、あまりショボい負け方をすると、きっとギルドへの参加に対し難色を示すプレイヤーも出てきてしまうだろう。

 しかしリターンは大きい。もしここで彼らの仲間になれれば、少なくとも部隊の平均武装に近づけるよう配慮ぐらいはしてくれるはずである。そうなればフィールドで自由に戦える範囲は広がるし、必然的に『彼ら』に遭える確率も上がる。

 そして、なり上がるには結果を出すしかないのだ。

 大きく深呼吸をすると、目の前にランディングした3人へ毅然(きぜん)と声をかけた。

 

「こんにちは、《アズドル》の皆さん。3人が入隊試験の相手ってことでいいのかしら?」

「ち、ちわっす。ミカドさんから聞いてます。キャラネームはシンっす」

「うあー、カッワイイ! ミカさん知り合いっすか? オレはサリバーン、よろです! 試験とかナシでよくないっすか!?」

 

 初めにあいさつした方は内気そうな、見た目も声も30手前ぐらいと思われる男性。スタンダードな直剣と盾スタイルで、あたしと装備が似ている。

 もう1人はずいぶんとフレンドリーである。得物は逆手に持つ小ぶりの忍者刀。シズいわく部隊最年少は17歳の男性なので、きっと彼のことだろう。さすがにこのタイミングで受験勉強をしていないということは高校2年生と思われる。ギルメン歴が浅いせいでよく命令される立場にあるらしいが、いやな顔1つせずに部隊に貢献する好少年らしい。彼の()るアバターも気持ちフレッシュな感じはする。

 まあ、疑似人体を前に憶測ばかりで話しても詮無いことだが、しかし3人目の長身メガネの細目さんは眉間にシワを寄せていた。

 

「でも新人起用って珍しいですね。なんだか装備も見た目重視っていうか、肌が見えるっていうか……失礼ですけどミカさん、この子戦えるんですか?」

「むふふん、さっき例のサービスイベントで優勝してきたところだよん。まだ魔法と随意飛行は無理だけど、本人はやる気満々だから!」

「ハア、それはおめでとうございます。でも大丈夫なんですかね? 隊長指名なら従いますけど、一応サラマンダーとモメゴト多い時期なんでホント注意してくださいよ。デスペナばっかりじゃせっかくのALOを嫌いになっちゃうかも……」

「いいじゃないっすかケイさん! 女性が増えるタイミングなんて、ミカさんが推薦する以外ありえないコトっすよ!? ダメもとでテストしてみましょうよ。最初は魔法ナシとかで……」

「(ダメもとて……)……いえ、待ってください。魔法はアリでお願いします。翅もガンガン使ってもらって結構です。その状態じゃないとテストにならないでしょう?」

 

 提言した途端、場がわずかに凍り付いた。

 誰も口に出しはしなかったが、わずか数時間前にログインしたての非力で経験浅き女性が、何ヵ月間も最前線でトップ勢と争っている自分らに何を意見しているのか。そんな感情が渦巻いているようだった。

 容姿を一目見て鼻の下を伸ばしていた大人しそうな男性も、こればかりはあごヒゲに手を当てて唸っている。

 

「おおっ、凄いヤル気っすね。オレはいいっすけど……ちょっとテストになるかどうか。ミカさん的にもさすがにないっすよね……?」

「んーん。ヒスイちゃんが言わなきゃミカが言ってやらせるつもりだったよん。相手が誰でも関係ない、メニューはサリバーンの時と同じで」

 

 「うえっ、オレ1ヵ月鍛えてから入団したんすけど……」というサリバーン君の感想は無視されつつも、しかし一様にして納得のいかない風だ。どうもミカの買いかぶりすぎだとでも思われているらしい。

 ただし、続く「あ、ちなみにヒスイちゃんに負けたら『オシオキ』だから」というセリフだけで、みなして気を引き締めだしたのだから驚きだ。

 本当に性別と容姿を駆使してカースト上位に君臨しているのだろう。このワガママに付き合い続けるところを見るに、気の毒にも姉に惚れている部下も何人かいるようである。

 

「じ、じゃあオレから……本当に魔法使いますよ?」

「ええ、ぜひお願いします」

 

 されど、こちらも姉のワンマン具合に18年も付き合ってきた身だ。セリフが挑発気味だったのも、今さら怖気づく道理はないからである。

 すでに一行は最も踏破が簡単なフィールドの一角に足を踏み入れていた。ここからは例え同種族の彼らでさえ、攻撃を命中させればヒットポイントを削れてしまう。

 不敵に笑い、武器を正中線に。

 いよいよだ。あたしの目標はここでの停滞ではない。それはもっと先、ずっと先にいる最愛の男に追いつくこと。そして2人で協力し、あたし達を裂くあらゆる障害を取り除くことにある。

 彼がSAO開放日から戦っているのだとしたら、今日はまさにスタートのテープを切っただけ。きっとこれから壮絶な特訓が待っていることだろう。

 その第1歩がサリバーン君との、この模擬戦。

 

「じゃあ1人目、始め!」

「負けるとエグいんで……行きますよ、ヒスイさん!」

「こっちも本気で行くわ、サリバン君っ!!」

「サリバーンっす、よっ!!」

 

 ガキィン!! と、相手のスタートダッシュからの横斬り払い斬撃を防ぐ。……ぐらいのことは予測されていたのだろうが、しかしその表情はすぐに強張った。

 剣戟が軽かったので軽くいなすと、今度はこちらからの反撃。凄まじい瞬間加速と重心移動で視界からも外れ、数瞬で後ろを取ったあたしはその首を刎ねる最速にして最適な一撃を見舞っていた。

 またも鋭い金属音。トーナメント本線ではこれで決着まで持っていったが、いかに不意打ちとは言え彼まで瞬殺とはいかなかったか。

 けれど、防がれたのは半分以上マグレのはずである。その証拠に、こちらの挙動を目で追えていない。

 

「っぶなッ!? はえェ!?」

「うっそ! どんなスピードだ!? ミカさんあの子経験者!?」

「だぁから違うって。ログインは数時間前」

「そ……そんなバカな……」

 

 外野の声がわずかに聞こえた。『オシオキ』の危機と悟ったのか、サリバーン君もすぐに空中戦へ移行。その表情からは先ほどまで張り付いていた余裕が消えていた。

 しかし、さすがはALOのプロ。空中戦となると一気にこちらが不利になった。地上で行った超加速はどうにも再現できそうにない。

 それでもあたしは心のどこかで笑っていた。どうしようもなく、バーチャルワールドに魅了された1人のゲーマーとして。

 

「悪いけど、オシオキとやらを受けちゃってね!!」

「は、ハハッ……いいっすよ、そーいうのッ!!」

 

 両手(・・)に武器を装備したまま背に生える翅を操作し、その揚力によって冷たい大気を切り裂く。すると再び剣が混じり合い、そしてまた離れていった。

 楽しい。やっぱり、この高揚は代え難い。

 空を駆けるあたしは、どこまでも飛べそうな万能感に包まれていくのだった。

 

 

 

 



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エディターズロード4 最後の抵抗

 西暦2025年1月19日 《蝶の谷》、北の最果て。

 

 重役出勤の朝日がようやく昇る頃。巻き込まれる形で始まった小競り合いを終え、やっとこさ一息。オイラは同じようにうなだれるシリカちゃんと背中を預け合っていた。

 リンド隊長と、DDAから続く部下のテグハ。かつての小ギルドの生き残り、フリデリック。中層で日銭を食いつないだというシリカちゃん。そして、主には情報屋でしかなかったオイラ。

 総勢5人。これが現パーティの総力である。

 本来はこうした遭遇戦も、あの大剣使いがいればもう少し楽に捌けたのだろう。

 1週間前、オイラ達は戦友を置き去りに《幽覧城塞・アスガンダル》から逃げおおせると、プーカ領、ノーム領に挟まれる中立域に降り立った。

 そこから緩やかに南に下ること数日。戦力と気力の衰弱は(はなは)だしく、生活の多くをプレイヤーから隠れることに費やしていたとはいえ、一行の戦線は完全に停滞していた。

 しかし、それでも対戦推奨ゲームともなれば連日連戦である。

 

「(こんな調子であと何日持つのヤラ……)」

 

 唯一の希望と思われていた、世界樹越しのアーちゃんのスクリーンショット。それさえも部隊のメインアタッカーであるかの鉄砲玉と共に消え失せた。

 あれからもう1週間とたつのに、ジェイドの抜けた穴は想像以上に大きかったわけだ。たったいま行われた戦闘結果がそれを物語っている。

 現時刻は午後の6時過ぎ。そろそろ腹の虫も鳴く頃合いだろう。

 

「ハァ……しかし、追い返すだけでこの消耗ダ。……そろそろモノがなくなってきたんじゃないカ……?」

「……物資はまだ持つさ。なぜか4日前の定期メンテでは、奴らが攻め込んでこなかったからな。それに今の相手は強敵だった。運がなかっただけだ」

 

 彼はわざと目を合わせず、ストレージの戦利品を整理しながらそう答えた。

 無論、予期しない戦いを避けるにはオイラ達ケットシーの索敵能力が頼りである。そういう意味では、自分らのミスを棚に上げて文句を言える立場ではないのかもしれない。

 ジェイドとシリカちゃんでの3人という少数旅は、まさにそうして生き延びたのだから。

 少しやつれたように言ってしまったからか、ここで長い袖をまくりながらフリデっちのフォローが入った。

 

「しかし消耗戦を繰り返していても結果は同じです。ただでさえ各自の睡眠時間がかなり減ってきていますし。テグハさんなんて、昨日はシリカさんやアルゴさんの分まで見張りをしていたらしいじゃないですか」

 

 青い装束金髪のイケメンに褒められても、血色の悪い面相はピクリとも動かさない。代わりに鉄衣をガチャリと鳴らした彼は、「オレは大丈夫。そんなことより……」と続けた。

 

「隊長、ここには長く居座りすぎました。特定の位置に留まりすぎると領主に目をつけられるし、発見される頻度も上がってしまう……でしたよね? そろそろご決断を」

「いい加減、落ち着いたそばから引っ越しというのも対策したいものだな。どこかに過疎地でもあればいいが。……リック、マーカー引いといたマップとALOのイベント年表を頼む。なるべく人が群がる場所は避けよう」

 

 また移動が始まるのだろう。結局は生存優先の選択肢しかないのだから仕方がない。

 フリデっちが指定されたものを広げると、男性3人はあーでもない、こーでもないと意見を出し合い今後のルートを決めていた。

 ただし、オイラはそれに参加する気になれなかった。

 オイラにとっての旅はもう、終わっているのだから。

 

「(また意味のない延命カ……たぶん1ヵ月モ、持たないだろうナ……)」

 

 燃えるようだった戦意はすでにない。必死に耐えようとする彼らを前にしても、これほど冷静でいられてしまうとは。世の中は皮肉に満ちている。

 もっとも、発動できる魔法の種類自体は増えてきているのだ。死なない限り戦闘によって消耗するはずの回復ポーションや各デバフ復帰アイテムは、魔法で代替できることがほとんど。対人戦闘をオールスルーしたとして、現時点で物資の払底(ふってい)は限界まで先延ばしにすることができるのである。

 他に懸念することがあるとすれば……、

 なんて考えていると、ルートに関する意見交換を終えたテグハっちがまったく同じ通患(つうかん)をつぶやいた。

 

「問題は食糧ですね。あと2日ほどしかありません。ここはいったん谷を内側まで抜けて、王都(アルン)の近くで大量に確保するのはどうでしょう」

「いや、だめだ。あそこはリスクが高すぎる。質は落ちるが、南の森にも何とか食えるものはあっただろう。とにかく姿を見せないように……」

「……リンド隊長、僕やあなたは耐えますよ。でも……彼女達はもう限界です。ただでさえ切り詰めた生活で糊口(ここう)をしのんでいるんです。これ以上ストレスを溜めたら、戦闘どころでは……」

「……ったく。……わかった、まあいいさ。それも一理あるしな。ただしアルン近郊での狩りは1時間だけだ。それで採取できたものだけを持って即座に撤退する。いいな?」

「了解です。……いいですよね、アルゴさん?」

「……アア、オレっちならどっちでモ……」

 

 つい投げやりに返してしまったが、シリカちゃんへの質問はなし。堅実思考であるリンド隊長への食い下がりは見せたものの、いよいよ全員に余裕がない。当のシリカちゃんも疲れだけでなく、この先を(うれ)う絶望で憔悴(しょうすい)しきっている。

 無意識のうちに、不安そうに《メア・ヒドラ》のピナと抱き合うシリカちゃんに歩み寄ると、気休めだがうなだれるその頭を撫でてやった。

 まだ生存していることが奇跡という事実に疑いはないが、オイラ達はまだなにも報われていない。せめてあの男が守ろうとした少女ぐらい守ってやらねば、きっと悲しむだろう。

 あれだけ身を(てい)したのだ。死ねば大切な記憶と、そして敵意さえも奪われてしまうとわかっていて、なお。

 思い出すだけでやり切れなくなる。奴らの手にかかり、倒れたのだろう意中の男は、すでにオイラと積み上げたかけがえのない経験と思い出を共有することさえ……、

 

「(……う、うぅ……)」

 

 細ったシリカちゃんの姿が揺らいだと思ったら、慰めようとしオイラの方が泣いてしまっていることに気づいた。

 そしてその深い悲しみは、何度まぶたを下ろしても消えることはないのだった。

 

 

 

  ◇   ◇  ◇

 

 

 

 突然の涙をシリカちゃん以外に隠しつつ、半日ほどの移動で残雪の目立つ山のふもとまで前進。そこから続く長い洞窟を抜けると、丘と草原の広がる大地の先に、大きな岩々と、のしのし歩くノンアクティブの四足モンスターが目に入った。あれこそプレイヤーが口にできる食糧源で、残り少なくなった備蓄を潤す生命線である。

 しかし早速調達作業にかかろうとする直前で、オイラ達の頭上の岩壁からカラッ、カラッ、と石粒が転がってきた。

 その意味を悟るのと同時に、それはあまりにも唐突な強襲だった。

 ドウッ!!!! という、魔法が吹き(すさ)ぶ音。

 隊長による命令も待たず、部隊は真っ先に展開して応戦の構えを見せる。そしてその対応を前に、敵側の余裕は崩れることがなかった。

 

「ラッキー5人だ!! しかもっ、いつぞやのドロボウ猫!!」

「ハッハァ、一気に行くぞ! 挟み込めぇ!!」

「しまった、アンブッシュ!?」

「散開しろっ! 各個に時間稼ぎを!!」

 

 もう十分すぎるほど味わった開戦の合図。

 命令が遅れて届き、追撃魔法と投下された火炎壺の着弾によって至るところが火の海に変わる中、オイラも翅を広げてこちらをターゲットにするインプの男に対峙した。

 耳は澄ませていたはずだが、裏をかかれたか。

 戦闘回数が多すぎてオイラは覚えていないが、口ぶりから察するに彼らと会うのは初ではないらしい。

 見たところ相手は6人。遭遇戦は本日5度目だ。

 いくらイン率の高い日曜の午後とは言え、普通にダンジョン攻略に励むプレイヤーもいるわけで、接触を控えているオイラ達にとってこの回数はやや多い。それに相手に補足されてから戦闘になるのもこれで2度目。《静寂性(クワイエット)》などの補助魔法を使っていたとしても、5人全員の集中力が低下している証拠である。

 おまけにこちらはトンネルのようなダンジョンを抜けたばかり……すなわち太陽と月の光を遮断したまま行進していたわけで、これまでに消耗した翅の鱗粉は一切回復していない。

 もっとも、相手はそれこそが狙いなのだろうが。

 

「(ちくしょウ! こいつらも結構強いじゃないカ!!)」

 

 戦域を見渡せるよう大回りで回避していると、劣勢を前に知らず怨声を吐きそうになった。

 嘆いていても仕方がない。どうにか隊長やフリデっちのサポートに入らないと。

 だが焦る思いが余計に空回りし、しかも相手のパーティメンバーもただの木偶(デク)ではなかった。妖精にまったく統一感がないくせに、《パーティ部屋》を作って集まった自信家集団か、あるいはこの連携練度から察するにリアルで知り合うコアなレネゲイドなのだろう。

 

「(冷静こいてる場合じゃなイッ……)……翅がないんダ! ここは退こウ!!」

「くっ……それしかないな! 全員洞窟に戻れ! 食糧は諦める!!」

「くそっ、ここまで来てッ!」

 

 テグハっちも双鷲が描画された黒鉄(くろがね)のタワーシールドを構え、そのまま殿(しんがり)を務めて一行は踏破したばかりの道を逆走した。

 やはり制空権を取られると分が悪い。しかも敵に交じるサラマンダーが1人だけズバ抜けて強力で、先ほどまで隊長リンドの戦力がほとんど1人にねじ伏せられていたのだ。

 かつて実力至上のDDAをまとめ、攻略情勢を席巻した最大ギルドの長にも引けを取らないなんて、彼もよほどこの世界に魅入られていると見た。

 しかも後退が成功したと実感した矢先に、さらなるアクシデントまで起きていた。

 

「マズいですみなさん! 奥から足音が聞こえます、数は2人っ!!」

「挟まれた!? 《擬態術(ミミックリィ)》でも使っていたのか!?」

 

 自身の姿を周囲に配置される無機物オブジェクトに違和感なく擬態させる幻属性魔法だ。

 通路を塞ぐような巨大な壁を作っているあたり、本命は変わらず後ろの連中で、この2人組は足止めが役割のようである。

 

「おっしゃあ出番だッ! いつもレネゲイドが狩られる側だと思うなよ!」

「うわっ!? また弱体化(ウィーケン)かけられたぞ!? 声も聞けないし、こいつらってもしかして……!?」

「なんだっていいから早く解呪してくれよ! 壁の維持でマナがないんだ!!」

 

 やはりオンゲーガチ勢にとって、抹殺する敵プレイヤーのリアル私情ほどどうでもいいことはないらしい。

 彼らのそんな会話が聞こえると、我らが隊長は逃走ルートを変更する命令を下していた。

 待ち伏せ場所といい、挟むタイミングといい、敵は数多のプレイヤーを狩り慣れた連中だろう。

 ここで未開のダンジョンに道を変えてしまうと、エリアで待機する強力なMobを釣って(・・・)しまうことは予想できたが、彼らに挟み撃ちにされたままよりはマシと判断したようである。

 まごついている間に徘徊するモンスターも参戦。オイラ達は激しい魔法の応酬と、3メートルほども背丈のある土妖精(ノーム)以上の筋肉ゴーレムの猛攻を首の皮一枚でしのぎ切った。

 すかさずフリデっちが範囲系の大回復魔法を発動。おかげで事なきを得たが、微かな期待すら打ち砕くように敵影はしっかり追随(ついずい)してくる。

 今日1番のピンチだ。戦線維持だけでは先にこちらのマナが底をつく。

 だがだからこそ、走りながらもオイラの内心は穏やかではなかった。

 

「(……フン、もういいサ。ここで生きる意味なんテ!! ……)……オレっちがモンスターのタゲを貰ってダンジョンを逆走すル! みんなはそのスキに、このまま外まで逃げてクレっ!!」

「そ、そんなっ!? アルゴさんはどうするんですか!?」

「オレっちなら平気ダ! 後で必ず合流するカラ!」

「それはダメだッ!!!!」

「ナ、っ……!?」

 

 オイラに片想いするあまり狼狽(ろうばい)するテグハっちに代わり、プレイヤー2人相手に見事キルを成功させたリンドが一気に迫ってきて怒鳴った。

 その怒声は狭い通路内で強く反響する。

 しかし、ダメも何も、こちらには5人しかいないのだ。加えて相手は全員が手練れ。誰かを囮にしない限り、これでは……、

 そしてやはり、リンドの代案も結局は一緒だった。

 

「……アルゴさんとシリカさんはルートの確保を! 3人いれば5分はここで持たせる! 耐えたら一斉に引いて敵をまくから、2人は走って奥まで!!」

「っ、それじゃあ一緒だろウ!! またオレっちに生き残れというのカ!? 誰かに守ってもらって、今度もマタッ!!」

「これは命令だ!! 早く行けッ!!」

「クッ……!!」

 

 あれだけ自分の『生』にこだわった不死の現実主義者が、いったいどこのバカに感化されればこれほどの自己犠牲精神が根付くのやら。

 彼の言う通り、危険ながらもわずかに『全員生存』の希望は残る。けれど後ろから集まるモンスター群まで引き連れてはいけないのだ。

 リンド達3人にかかる負担は、並みのプレイヤーでは1分と持つまい。

 それに……、

 

「イース、よく持ちこたえてくれた! 2人は蘇生しといたから、イースも一回引いて回復してくれ!」

「相手がバラけたぞっ! 次で一気に決めようぜ!!」

「勝ち戦なんですから、見失うのは損です! どうせ『保険枠だけ死守』作戦でしょう!! 隊長は逃げたケットシー2人を追ってください!」

 

 相手は1本道で叫んでいるので作戦が筒抜けだった。そしてそれこそが、決定的な死亡宣告に近いのだ。

 なぜなら、彼らには作戦を聞かれてなお、それを実現するだけの自信があるというわけなのだから。

 しかも1人抜けてオイラとシリカちゃんを追ってきたところで、差し引いても敵の総数は7人。リンド達では倍以上の戦力差である。

 それでも、オイラ達は戦域を走り去るしかなかった。

 この限りなく終点のない旅の目的は、ひとえに現実世界の人とのコンタクト――ないし、研究者達の目論見を拡散することにある。もしもこのメンバーが全滅しようものなら、たった1パーセントの可能性すら(つい)えてしまうからだ。

 レネゲイド、会話不可、強制先制攻撃。これらの条件を()い潜り、オイラ達の姿や顔を見ただけでおおよその状況を把握してくれる人物との接触が、いかに運任せであるかは理解しているつもりだ。

 しかし、おかげで2ヵ月以上も無事に生き長らえた。待ちの姿勢を徹底することで、間違いなくオイラ達の生存率は上がっているはずなのである。

 だとしたら、

 

「ああモウっ!! シリカちゃん、絶対生き延びるゾ!! オレっち達は誰が最後に残ってモ、1人でも生きなきゃいけないんダ!!」

「はいっ! きっとジェイドさんならそう言います!! ……あっ、風のもれる音が! こっちですアルゴさん!」

 

 共に息を切らせながら、オークの隠れ家と、他より広く設けられたスペースをロングレンジ魔法対策でジグザグに疾走し、ひたすら足を動かした。無警戒に疾走することで周辺のモンスターにタゲられ続けていたが、かつての攻略組3人をパスして後を追う敵の隊長、シルフの男性にとってもそれは脅威となるはずだ。

 

「(大丈夫……言いきかせロ! ずっとそうしてきただろウ!)」

 

 これまで幾度も勝算の低い敵集団を見送ってきたのだ。逆に言えば、強制的に戦闘になったら旅はそれまでとなる。

 いずれ努力うんぬんでは覆らない戦闘が起こりうることを、隊長リンドとて覚悟していただろう。そしてその瞬間、誰が戦線の矢面に立ち、誰の生存を優先するべきなのかをあらかじめ決めていたはずだ。

 もちろんなればこそ。普通に考えれば、生き残らせるべきは単純戦闘力の高い人選になるはずだった。今オイラ達が戦線離脱していること自体が、DDA時代では考えられない決断である。

 そして、戦力として乏しいオイラとシリカちゃんを逃がそうとしたということは、きっとそれは()の影響に違いない。

 

「(ハァ……ハァ……また守られるのカ。男って奴ハ……!!)」

「ハァ……ゼィ……見えました、光です! 敵はムシして抜けましょう!」

「任せろ! ゼィ……せめて気は逸らすサ!!」

 

 わずかに遅れだしたシリカちゃんにペースを合わせつつ、オイラは無理やり捕縛の光魔法《光の籠(バスケット・レイ)》を発動した。

 発光する非実態の金網により虫カゴ(・・・)のような檻に敵を閉じ込める初級魔法で、実は強烈な物理攻撃を受けると一発で破壊されてしまうものである。

 一見すると束縛魔法でも、主にバフ系が(そろ)うはずの光魔法にカテゴライズされたのは、これが魔の力から対象者を守る『加護』でもあるからだ、とフレーバーテキストに記載されている。

 

「(頼む、当たレ!!)」

 

 種族に与えられる優れた動体視力で、オイラは離れていた距離をカバーできた。

 ガチンッ! と、出口を塞ぐ4本腕の手長ザルもどき2体に技がヒット。敵は自前で岩を精製して投げつけてくるタイプだが、見た目に反してそれは魔法攻撃なのでしばらくは動けまい。

 後はこちらが脱出するだけ。

 

「(ハァ……ハァ……間に合エ……間に合エっ!!)」

 

 一段と強く泥土を踏むと、オイラ達は光の先へ飛び出した。

 直後に後方で竜巻でも発生したような轟音が。おそらく敵のシルフ隊長が、モンスターともどもオイラを葬り去ろうとしたのだろう。

 

「せ、セーフ! やりましたッ、アルゴさん! トンネル抜けましたよ!!」

「っとと、いきなり崖カ!? でも下に集落があるゾ! あそこで隠れよウ!」

 

 ごく微量だけ残る翅の力を駆使し、最後のフライトで距離を稼ぐ。

 まだ気は抜けない。相手が後ろで放ったものは視界を塞ぐほどの大技だったので、オイラ達を見失うリスクを考えると愚策とも感じたが、そんな初心者じみたミスはしないはずだからだ。

 

「(1人で追ってきた以上、オイラ達に勝てる打算があってのことだろウ……) 」

 

 翅の残量は言わずもがなで、大技のせいで視界を失ってもなお追い切れる確信があるからかもしれない。

 それにオイラもようやく思い出してきた。

 相手側がこちらを知った風に(しゃべ)っていたが、追加された待ち伏せ2人は実力的にも新顔らしいものの、最初の6人は間違いなく以前にも会って刃を交えている。

 あれはこの世界(ALO)に転送されて1週間が過ぎた時だ。

 早とちりしたジェイドが不意打ち気味に6人パーティのリーダーを暗殺してしまい、残る5人から逃げ回ったことがある。そして彼らの種族構成が当時の小パーティとまったく同じなのだ。レアな槍とコンパクトな弓を使う珍しいレプラコーン、常に後方を陣取る曲刀使いのウンディーネ、大きな斧と不気味な鋼鉄の人面盾を持つ巨漢のノーム、直剣と中盾を携えるスタンダードなインプ、そしてひと(きわ)戦い慣れした、当時ハルバード使いだった盾無しサラマンダー。

 この世界で初めて死の間際まで追い詰められた、全員男性の少数精鋭ベテランチームである。

 ジェイド曰く、「副隊長のサラマンダーの方が強い」とのことだが、このシルフ隊長が伊達でリーダーを務めていないことは明白だ。バカ正直に相手をしてタダで済むとは思えない。

 よってやり過ごすことこそ最善と判断し、オイラとシリカちゃんは洞窟を抜けて真っ先に視界に入り込んだ廃村の、とある施設を隠れ(みの)にしていた。

 

「ハァ……ハァ……すごい、キレイな場所……っ」

「ハァ……見とれていないで隠れよウ。なるべく奥ニ……」

 

 確かに天井が冗談のように高い。ここは礼拝堂だろうか。壁高くには2メートル四方ほどの巨大な画伯(がはく)も立てかけられている。

 しかし、調度品の量に期待して増築されたような(くら)伝いに進入してみたものの、すでに人の営みが途絶えて久しいのか、ボロボロの室内はがらんどうに近かった。あるのは整然と並ぶ簡素なイスの他に原始的な狩空穂(かりうつぼ)や、備品に乱雑にかかっているだけの羊毛織物(サクソニー)。そして作業の途中だったのか、隅の方には粘り気のある白い蝋の原料(パラフィン)と数種類の顔料が静かな像と一緒に棄てられている。

 潜伏場所が少ない。けれど今さら隠れ家を変更する時間はなく、オイラ達は息を殺すようにして石像の後ろに身を隠した。

 耳のいいシリカちゃんが口元に指を当て、続いてオイラにも翅の振動音が届く。

 しかもそれは近づいていた。距離的には視界から完全に外れたはずだが、まさか追跡獣(トレーサー)でもつけていたのだろうか。

 

「(イヤ……そんなはずはナイ。何度も確認したんダ……)」

 

 あとは確率である。この小さな集落のどこから捜索に入るか。もし遠くまで行ってくれれば、この状況から安全に脱出できる可能性も残るのだ。

 という(はかな)い希望を、細工が美しいステンドガラスを下品に割り破って侵入してきた男が即刻ブチ壊した。

 舌を巻くほどキレイにランディングすると、彼は翅を閉じて大きな声で話し始める。

 

「ふぅ~……どうせいるんだろう!? 有名人だか知らないが、レア物パクってトンずらしたツケは払ってもらうぞ! オラ出てこい2人とも!! 中身まで子供じゃないことはわかってるんだ!!」

 

 ――見たまんまの年齢だヨ!!

 と言い返してやりたい気分だったが、どうやら口論をしている余裕はないらしい。

 こうして発見していないプレイヤーに話しかけている時点で、彼はもう半ば以上にここに身を隠していることを確信しているのだろう。MoBの利用法や処理が手際よかったので、おそらくここら一帯までが彼らの『狩り場』だと推測できる。

 あとは簡単である。洞窟から出た時の見晴らしの良さから、逃走相手が隠れられる場所は限られているので、狩りの反復によって潜伏先をある程度確定させられる。

 そして獲物が逃げ込む先として最も比率の高かったポイントに目星をつけ、ごく単純な罠でも仕掛けておけばいいのだ。今のオイラはそれを知覚していないが、何らかのアイテムかトラップが彼に逃走先を伝えたに違いない。

 これはもう、()るしかない。

 

「(相手の得物は……ダガーだったのカ。長身なのに珍しイ……デモ、だとすればあいつの得意とする戦法ハ……)」

 

 同じダガー使いのシリカちゃんは、テイムしたモンスターと共に前衛を援護する立ち位置なので、あの隊長のようにダメージソース足り得ない。このことからも、単騎で突っ込んできた彼の本領は、魔法戦でこそ発揮されるものと推測できる。きっと見せびらかすようにしているあれはフェイクであり、サブウェポンだ。

 高確率で《純魔》タイプ。なれば、特攻あるのみ。

 オイラは物言わぬまま、相棒である《ヘレシーズ・オルター》を左腕に装着。ポーチから最後の《閃光弾》を取り出し、タンスのような家具を斬り刻んでバラバラにするシルフを横目に、応戦の意志を固めたシリカちゃんと(うなず)き合う。

 そして、閃光。

 

「ぬうっ!? そっちか!!」

「今だシリカちゃん!!」

 

 オイラとシリカちゃんが同時に女神の石像から飛び出す。さすがの対応力でファーストアタックこそ空振りしたが、代わりに時間差攻撃役のシリカちゃんは、自身の愛刀である《マリンエッジ・ダガー》のエクストラスキル、《纏う聖結晶(クリスタル・カウル)》を発動していた。

 これは短剣にある星型の(ガード)に当たるパーツを、90度回転させることで発動できる。単位時間でマナポイントを消費し続ける代償に、重量なき結晶で造られた刀身を()の根元から1メートルも生やすという、見た目の武器カテゴリすら変えてしまう珍しいものだ。

 これにより、軽装の利点を維持したままちょっと長めの直剣並みのリーチを得て、短剣特有のクリティカル、およびカウンター時ボーナスダメージを獲得することができる。いわば時間制限付きカウンター戦士へのクラスチェンジである。

 

「シリカちゃん、回り込んデ!!」

「はいっ!!」

 

 多対一という状況を活用するため、そして瞬間火力を得たシリカちゃんをサポートするため、ピナとオイラが体を張って盾になる。

 当然、敵も得意の魔法を放てるように距離を取ろうとした。

 ここまでは予想通り。

 オイラは腰に下げるサブウェポンの鞭(フォー・ハウジング・バーブス)で、中距離からでもイニチアチブを取る準備をした。

 

「(読めてるヨッ!!)」

「ぐ、がぁっ!? こいつムチまで!?」

 

 ダメージはないが狙いは牽制。

 そこへシリカちゃんやピナの可愛らしい気合いまで交わり、猛烈なラッシュを前に男はごく単調な回避と後退しかできなくなっていた。

 少女だからと見くびっていたのだろう。とうとう伸びる刀身による斬撃が深く命中。通常ヒットゆえに期待していたほどのダメージこそ出なかったものの、圧倒的優勢を信じていた敵シルフは初めて焦りの表情を見せた。

 口元への執拗(しつよう)四つ鉤の戦爪(ヘレシーズ・オルタ―)の攻撃や《バーブス》による妨害も続き、詠唱途中だったスペルが失敗(ファンブル)

 サポーター2人だからと油断するからこうなるのだ。

 

「一気に行きます! ピナ! アルゴさん!!」

「こっちもそのつもりサ! 常に後ろを取っテ!」

「ええい、ちょこまかとっ!!」

 

 しかし、あまりにも順調すぎた。

 誘われたのはこちらの方だったのだ。

 コンスタントに壁際へ追いやった矢先だった。挟撃(きょうげき)体制が途絶えたことで、彼がくねった大型の短剣を横払いに振った途端、ゴウゥウウッ!! と室内に異常な突風が生まれた。

 その予期しない不可視の一撃により、横殴りに飛ばされる3つの個体。

 逆に端に乱雑に置かれたオブジェクトまで吹き飛ばされたオイラは、強制的に肺から空気を吐きだされる。ダメージこそ認められなかったが、これが奴の持つ短剣のエクストラスキルだったのかもしれない。

 そして、これが致命的なミスとなった。

 時間を稼いだことで相手はすかさず詠唱を再開。その行動に対し、気が動転したオイラはクローだけで特攻を仕掛けてしまったのだ。

 詠唱を強制遮断するため、逆に見え透いていた口元への攻撃はあっけなく失敗に終わることになる。

 今度は彼が左手に持つ、1メートル以上もある木製のレア魔法触媒、《追い手を払う杖(リフューザル・ワンド)》のエクストラスキルだ。これは過去にも愛用者と戦ったことがある。このスリムな木製杖には一部ボタンのように押下(おうか)できる仕掛けがなされていて、それをトリガーに5分に1度だけノータイムノーリスクで光魔法の《拒絶反応(リジェクション)》を放つことができるのだ。

 知っていたはずなのに。

 接近者を無害な斥力で弾くだけの低級魔法だが、軽装のアキュラシー特化キャラには大抵有効にはたらくのである。

 凄まじい斥力により、またも体ごと吹っ飛ばされる。

 

「(ガ、ぅ……マズいッ!?)」

「もっらいぃぃイっ!!」

 

 これが彼の戦術なのだろう。盾すら持たない脆弱な防御力を、スキルを駆使してカウンターで補おうというのだ。完全に対人専用スタイルである。

 トリッキーなチェイン連撃のせいで、何らかのエネルギーを最大までチャージした風圧の球体塊を、全身が痺れたように動けないオイラは避けることができなかった。

 ただし、放出されたそれが自分に命中することはなかった。

 直前に割り込んだ、小さな人影によって。

 

「アルゴさんっ!!!!」

「ば、バカ!?」

 

 刹那、ドッガアァアアアアアアッ!! と、またも爆音が教会内に轟いた。

 いくつか並べられていたアンティークなイスも全て弾き飛び、辛うじてバランスを保っていた崩壊寸前の家具や装飾品も、全方位に炸裂した風の斬波によって舞う葉のように木端微塵となる。

 もっと後方までゴロゴロと飛ばされてしまったが、しかし自分だけはほとんどその斬撃ダメージから免れた。

 こんな自暴自棄になった女のために、身を(てい)したシリカちゃんによって。

 そのせいで彼女の肉体は満身創痍。彼女自身はどうにか踏ん張ったものの、痛々しい切傷痕が各所に刻まれている。

 小さなラウンドシールドは無残にも(ちり)と果て、マナが尽きたのか蒼晶の短剣(マリンエッジ・ダガー)も結晶直剣モードが終了している。そしてピナはスタン状態で、HPまでレッドゾーンだ。

 逆転の術なし。

 そう判断したシルフの追撃は迅速だった。

 ニアデスのプレイヤー相手にいちいち魔法を唱え直すようなことはせず、ギラついた大味の短剣を構えて前進。

 オイラもようやくスタンから解放されて身を起こすものの、すでに間に合う距離ではなかった。

 受け入れがたい現実が、一瞬を永遠のように引き延ばした。

 同じ短剣カテゴリでも純粋な刀身でリーチに劣り、かつシリカちゃんのアバターは小学生当時のまま成長が止まっているのだ。(かす)れば消し飛ぶあの状態で、接近戦などしたら……、

 

「シリカちゃんッ!!」

 

 反射的に叫んだ直後だった。

 ビュンッ!! と、凶器は空を薙いだ。

 なんと彼女は、小柄であることを活かして横払いの初撃をしゃがんで回避した。しかも今度は、それを反動に大きく飛び上がり、両手で逆手に持ったダガーを大上段で構えたのだ。

 そして、そこに最後の抵抗を見た。

 生々しい音と共に両者の武器が、一方は首を、一方は胴を(えぐ)るように同時に貫いたのだ。本来ならシリカちゃんの方がワンテンポ遅かったはずなのに。

 理由は明白だった。

 パキキキキィッ!! と独特の演出を生み出し、蒼き光剣がその刀身を伸ばし結晶の魔力刀を形成していたのだ。

 

「ガ、アァ……っ!? バカな!?」

 

 尽きたはずの魔力。それでも、予想外のカウンターを受けた男はディレイを起こしていた。

 しかし……、

 

「アルゴさん……ごめん、なさいっ……!!」

「うァアアああああああああっ!!」

 

 ボウッ!!!! と、エンドフレイムによって火の奥に消えた彼女の残滓(ざんし)をかき分け、オイラは絶叫したまま左の《ヘレシーズ・オルター》を迷いなく男の胴体へ突き刺した。

 ズズゥッ!! という確かな反動が左手に伝わる。4枚の片刃のナイフを並列に並べたこの爪は、耐久性も低く特殊なスキルもないが、その鋭利な刃は軽量級のなかで破格の攻撃力を秘めている。

 深紅のエフェクトに濡れたそれを力の限り全力で引き抜き、短剣をかざして微かに足掻こうとするそれを腕ごと払い退()け、返しの刃で何度も何度も刻み込む。

 いつしか武器から手応えがなくなった。炎の先に敵がいない。相手はカテゴリ補正の乗った致命の一撃によるノックバックで動けないまま、いかなる反撃も許されずに彼女の後を追ったのだ。

 けれど、炎に没した男のリメインライトが漂う頃には、シリカちゃんのそれはすでに消滅していた。研究員が言っていたように、オイラ達は1度でも『プレイヤー』でなくなったら、ナーヴギアのコントロール下から外されるのだ。

 ある意味では高次元セキュリティから解放されてしまう。それは、実験用モルモットの仲間入りになることと同義である。

 あとに(のこ)るのは、静寂と無気力感だけだった。

 

「あ、ァ……ァァ……ッ」

 

 また、独りだけとり残されたという現実。

 音と暴力が飛び交った空間が嘘のように静まり返る。

 痛みを感じるほど拳を強く握りしめ、シリカちゃんがいなくなった戦場跡でただ力なく崩れ落ちた。やがて武装を捨てて口を押え、膝をついたまま、ひたすら重くのしかかる喪失感に打ちひしがれる。

 まるで自分のものではないような、狂ったように放つ声の裏返った咆哮(ほうこう)が、施設内で虚しく反響した。

 これが……こんな救いのない現実が、結末だというのだろうか。

 必死に足掻(あが)いたつもりだった。だのに、また仲間の1人も守れなかった。これまでまったく不慣れだったはずの対人や、過酷な攻略を眼前に、懸命に(すが)り付いてきた小さな勇者を。

 それに、ずっと見守っていくつもりだったのに、彼女はもうオイラをも超える頭角を見せつつあったのだ。

 最後の攻防で『マナが切れたように見せかける』フェイントは見事だった。補正が上乗せされたあのカウンター刺突撃こそが、この戦いを決定づけたことに疑いはない。オイラがしたことなんて、シリカちゃんの四散エフェクトに紛れて、崖際に立たされた死に損ないの背をわずかに彼岸へ押しただけだ。

 ふと視線を寄越すと、《マリンエッジ・ダガー》が足元にドロップしていた。中央に楕円のラピスラズリが埋め込まれる名刀を拾うと、その十字架を模した形見を胸の前で慈しむように包む。

 すると、同じように主人に先立たれた《メア・ヒドラ》のピナが、消えた遺恨の近くで悲しそうにキュルキュルと鳴いた。電子の世界で生まれた彼女にも、別れを悲しめる程度には感情が生まれるのだろう。

 しかし、しばらくしてもピナは(いなな)くことを止めなかった。

 胸騒ぎがする。まるで何かに立ち向かっているように、その威嚇(いかく)のような行動は激しさを増していった。

 いったいどうしたというのだろうか。主亡き今、すでに戦闘命令は誰にも下されないはずで……、

 

「(イヤ……待テ!? リザルトがなイっ!?)」

 

 オイラが勢いよく振り向くと、揺れる残り火のエフェクトが大きくなっていった。

 その(おぞ)ましい炎は大きく揺らめくとやがて人の大きさほどにもなり、信じられないことに本当にプレイヤーが歩いて姿を現した。

 単独で2人を同時に追い詰めたあのシルフの男が、まったく無傷の状態で。

 

「どう、しテ……ッ!?」

「いや~《犠牲の木像》まで使わされるとは。まいった、まいった」

「くっ!!」

 

 戦爪を拾うとオイラは反射的に距離を取り、回復ポーションを飲みながら状況を整理していた。

 《犠牲の木像》。聞き覚えのあるアイテムだ。確か個人用のインベントリに1つしか格納できず、所有者のゲームオーバーと共に自動で発動する、死を身代わりに引き受けるソロご用達の消費アイテム。入手が極めて面倒で、これを取りに行く間に1回は死ぬ、なんて揶揄(やゆ)もされていたレア物である。

 オイラ達は自身に有効なのか確かめようがないので、そもそも入手を視野に入れたことすらなかった。

 だがかつての事故死から、彼は狩りの前に万全を期すことにしたのだろう。確信はないが一向に回復のそぶりを見せないことから、ガッツリ消費したはずのマナポイントすら復活と同時に全快しているのかもしれない。

 しかし、理解してなおチェックメイトに近かった。

 こちらのステータスビルドは人を支援するよう特化されているからだ。2on2か、あるいはそれ以上の集団戦でなら十全に機能するが、サシで密閉空間となると後は運任せのようなもの。

 

「(イヤ、ネガティブになるナ……!!)」

 

 心中で改まる。誓ったのだ。例え独りで異世界に取り残されようと、どんな強敵に追い込まれようと、生きようとする意志だけはもう曲げないと。

 ムチをくるんで佩帯(はいたい)すると、代わりにいくつかのピックを引き抜く。

 事実上の敗北通告を前に、オイラはなおも歯を食いしばった。

 

「こんなことで、諦めるカっ!!」

「……ウッソ、これでもやる気? どうしてそこまで……ま、まあムダさ。念のために外でノロシも上げておいたんだ。仲間が来れば君なんてハチの巣同然、もう何分もたってるんだから……」

我は(エック)問う(フリグナ)! 眷属として(スキューダリズ)印を(コペル)献ずる(ギィファ)!」

「チッ、ああそうかよっ!!」

 

 そう吐き捨てると、相手も攻撃系のスペルを唱えながら突っ込んできた。

 改めて敵は右手に短剣、左手に巨大な魔法杖を装備する変則的な魔法剣士スタイルだ。スラスラ詠唱しているものも暗記すら難しい長句のもので、この暗誦音読状態で元気よく得物を振れるというのだから驚きある。

 いずれにせよ、それを放出させてはならない。際どいところで初撃をクローで防ぐと、わずかな超過ダメージを無視して大きく飛びずさり、仕返しに針を投擲してやった。

 だが体力に余裕のある彼は動じない。いかに投擲を名人の域まで極めたとしても、ピックやムチでは趨勢(すうせい)を動かすには力不足である。

 どうにか激しい剣戟をいなし、オイラは祈るようにスペルを結んだ。

 

さすれば(ヴィティウル)(ドゥー)我に(ミック)血を捧げんと(レイズ・ブロゥズ)誓うか(アイズール)!!」

 

 相手の詠唱より、こちらのそれが早く完了した。

 ボフッ、と鱗粉が噴霧される。特例で熟練度まで用意されたケットシー専用光魔法、《飼い慣らしの鱗粉(テイミング・スケイレ)》。広範囲に使役効果判定のある粉をばらまき、それを浴びたモンスターが低確率で従者となるシステムである。

 そしてオイラは、このスキルをまったく強化してこなかった。シリカちゃんの戦闘スタイルと被ってアイデンティティがかすれてしまう、という手前勝手な顕示欲によって。

 ピナは……いや、誰の所有物でもなくなったこの1匹の《メア・ヒドラ》は、データ上ではどこの誰とも知れないプレイヤーから、餌付けもすっ飛ばして突然隷属の命を下されたのだ。オイラのことはさぞかし傲慢(ごうまん)な者に感じただろう。《メア・ヒドラ》がこれを反発なく受け入れる確率は、きっと目を覆いたくなるほど低かったに違いない。

 敵の《火炎大壺》による追撃を、泥と(すす)にまみれ地を転がりながら(かわ)しつつも。

 それでも、オイラは賭けた。

 自然に還された獣を前に、ある種の挑発的な視線を向けたまま、主と長きに醸成(じょうせい)した愛と絆の深さを問うた。

 

「無ッ駄ァーっ!!」

 

 しかし、快哉(かいさい)を叫ぶ男が杖でエイムした瞬間だった。

 

『クルっギャァアアッ!!』

 

 大きく(たけ)った深緑のピナが側面から男の腕に噛みついたのだ。

 魔法自体は発動した。システムが感知した始点より放出される青い魔法の奔流(ほんりゅう)は、散乱する木材を跡形もなく砕き、踏み固められた地面をも抉り、凄まじい爆撃音と共に教会の壁を破壊してなおその暴力的な破壊を止めなかった。

 以前にも見たことがある。単体で撃つには強力すぎるため、発動後しばらく魔法が放てなくなるデメリット付きの大魔法だ。

 もっとも、その破壊痕の線上にオイラはいなかった。

 発動間際に現れた1匹の介入者に、狙いがわずかに逸らされたことによって。

 

「(テイム成功!? でも……これ、ピナちゃんが……!?)」

 

 ただし、オイラはまだ何も命令していない。

 だというのに主の(かたき)に牙を剥く彼女は、オイラの眷属になった直後には共闘の姿勢を示していた。まるで《テイミング・スケイレ》によるシステム的リンクを待ち望んでいたかのように。

 その理解を超えた現象に、だからこそベテランのシルフは酷く取り乱した。

 

「なんッでだ!? クソッ、なんだよコイツっ!?」

「く……ぅ、ああああッ!!」

 

 魔法の余波によってダメージを受けていたことも忘れ、オイラは鉤爪(オルター)ムチ(バーブス)を握ったまま全力で足を動かした。

 左腕から離れようとしないピナにもたつく敵へ、まずはクローの一閃が首を貫く。

 

「ぬがァああああっ!?」

 

 攻撃判定はクリティカル。

 生々しい紅いエフェクトが血飛沫(ちしぶき)のように飛び散る。近接戦を想定した最低限の装備をしていたはずが、フルゲージだった相手のHPが端からゴッソリ減少する。

 しかしはっきりと(うめ)き声を上げるも、相手はほとんど自動的に右手の短剣を背面まで引いていた。

 オイラは反射的にクローを引き抜くと、その真横からの迎撃を強引に塞き止める。

 耳元に甲高い金属音と、何かに亀裂(クラック)が入るような不吉な軋轢音(あつれきおん)が響いたが、それすらも無視すると姿勢を低くしたままおろそかになった脇をくぐり、自慢の《バーブス》をその腕にグルンッ、と巻きつけてやった。

 同時に取手のトリガーを引くと、芯間を通じるワイヤーから連動して先端の仕掛けが作動。ムチの紐が逆立った棘に絡まると、固縛できたことの確認も飛ばしてグリップ部分を上へ放り投げた。

 

「ピナァアッ!!」

「な、にィーっ!?」

 

 以心伝心のごとく連携で、ガブッ!! と奥歯でムチを(くわ)えたピナは可能な限りの推力を上空へ向けた。

 今度は引きちぎれそうなほどの力が、ムチという媒体を通してダガーを握る相手の右腕にかかる。プレイヤーのひざ下ほどしかない全長の《メア・ヒドラ》が、シルフを体ごと持ち上げんと飛翔する。

 すべきことを理解している戦士の決意。死闘に勝つべく、成すべきことを成さんとする目だった。

 片腕は潰した。あとは、意志に応えるだけである。

 

「フっ……ウゥッ!!」

 

 連撃を前に、男は杖を盾代わりにするしかない。ガンッ!! ガンッ!! と戦爪が食い込みズタズタになった敵の《リフューザル・ワンド》を、それでも無残に斬り刻み続けた。

 祈りが通じたのか、それともデュラビリティの限界を危惧したのか、鋭い斬撃を浴びた彼はたまらずレア杖を手放す。

 しかし相手はそれすらも利用し、固く握っていた右手をあっさり開くと、スルリと(こぼ)れ落ちる歪んだ短刀を左手で器用に空中キャッチ。そのまま力の限り振り抜き、またしても体が宙に浮くほどの突風が吹き荒れた。

 やられた、と直感した。名称不明のエクストラスキル。まさかもうインターバルを過ぎていたとは。

 しかし後悔する間もなく胴体が何度もバウンドする。

 息が止まりそうになる衝撃にも受け身を取って耐えたが、彼はその隙に4枚羽を展開して空中への回避を……、

 いや、あれは違う!

 

「ピナちゃん、逃げテっ!!」

「シアアアアラァァアアアッ!!」

 

 ザックンッ、と。叫ぶのと同時に男の錆びかかった凶器が、小さな翼竜を腹から背中の鱗まで貫通した。

 彼女もすでに瀕死だったのだ。

 たったそれだけの攻撃で、ピナは鳴き声1つ上げずにポリゴン片と散った。

 シリカちゃんと同じ結末を、1人のシルフによって辿ってしまう。

 しかもそれだけ留まらなかった。なんと彼は、先の大技によるデメリット状態にあるにもかかわらず、さらなる捕獲魔法の詠唱を始めたのだ。

 今の彼は武器が備えるエクストラスキルを除き、通常魔法が使えない状態のはず。いくら彼が優れた魔法剣士だからとはいえ……いや、魔法に精通しているからこそこれは単純なミスではない。あまり聞かないが、きっとそれらの状態異常から即時復帰する希少アイテムなりが存在するのだろう。

 案の定、彼は《クイックチェンジ》を利用して、部屋の端まで飛んでいた《リフューザル・ワンド》をその左手に回収していた。

 

「(クッ……なんてリッチな戦い方を……ピナちゃんマデっ!!)」

 

 ダッシュと同時に心中で吐き捨てるが、彼とてこうした事態を想定して、確実な勝利のために事前に金と時間をかけたのだ。それを指弾するなんて、オイラの方こそゲーマーにあるまじき見苦しさである。

 そんな感情を消し去るように自身の翅を広げ、違和感の残るクローをはめた腕を振り続けた。

 

「ヤァアアアッ!!」

「くっ……このスピード!! ホントにサポーターかよ!!」

 

 しかしゼロ距離での斬り合いのさなか、この時のオイラは2つ重大なことを忘れていた。

 杖の効果を聞きかじったことがあるがゆえに、そのエクストラスキルが「5分に1度しか使えない」という先入観を持ってしまっていたのだ。つまり、エクストラスキル《リジェクション》の制約が、《所有者が1度死んで蘇生される過程でリセットされる》という、広く知れ渡った事実を失念していた。

 そして信じられない不運も重なった。

 相手の怒声と共に放たれた強撃とこちらの武器が激突した瞬間、バリィイイインッ!! と、左手から馴染んだ感触が消えたのだ。

 たった数度の接触で、相次ぐ連戦により酷使された《ヘレシーズ・オルター》が粉々に砕け散った音だった。

 

「(な、ン……!?)」

 

 目の前の現象をしばらく認識できなかった。受け入れられなかった。なぜ、今なのか。あと1分でも、いや30秒でも持ちこたえてくれれば。

 しかしこれが現実だ。

 その《残骸》を持って修理屋に頼み込めば……逆説的に、相応のユルドを支払って《修復》しなければ、これはもう武器として機能しなくなった。

 そして、戦闘中に得物を鍛え直すだけの時間はない。こんな局面で限界が来る予想まではしていなかったが、クローの耐久性の低さを念頭に入れていなかったのもまた事実。

 

「こいつァ、ラッキーィイっ!!」

 

 掲げた杖のスキルにより、ガゴンッ!! と《リジェクション》の斥力によって弾かれ、オイラはあえなく地表に落とされて沈黙した。

 衝撃で今度こそ呼吸が詰まる。舞う煙に紛れて木くずや廃材が被さるが、すでにオイラからはそれを払い退ける気力も失せていた。

 四肢に力が入らないのだ。

 思えば今回の敗因はいくつも列挙できるが、もっとも影響したのはおそらくこの『執念』が消えたことだろう。口では何と言おうと、心のどこかでは諦めがついていて、遂げられなかった想いの辛さから希望を見失っていたのだ。

 このゲームにはレベルがない。1番楽にアドバンテージを稼ぐ方法がない。

 だとすれば、実力の拮抗する達人同士が最後に雌雄を決する原因があるとすれば、それはまさしくメンタルである。限界一杯まで実力を出し切った空っぽの気力タンクから、それでも踏みとどまって戦況を見極め、機転を利かせて新しい切り札を創り出し、あと一滴だけ勝利へのエネルギーを絞り出せるか。

 ジェイドやリンドはそれを成した。女子供を斬り捨てれば、彼らはもっと安定した生存戦略を敷いていただろうに。

 

「(オイラも、ここまで……カ……)」

 

 あらゆる抵抗を放棄すると、そこにダメ押しの追撃が迫る。敵のシルフが舌を巻くほどの遅延詠唱(ディレイ・チャント)でタイミングを計らい、アイテムによって『魔法発動不可』の副作用を解消した瞬間に光魔法《バスケット・レイ》を発動したのだ。

 ガシャンッ!! と。実体のない光の檻がアバターごと閉じ込めた。オイラがサル型の多腕モンスターに対しても使用したもので、これで物理攻撃なしに即効性のある脱出はできなくなったわけだ。

 生き残りを懸けて戦場を共にしたあらゆる戦友を失って。

 その疑似格子に力なく手をかけるも、すでに結果を覆す手段は失われている。

 

「(せめてちゃんと……告白しておけばよかったなァ……)」

 

 かのシルフに手を抜く気はなく、殺傷性を加えた《ククリ》なる特殊投げナイフを構えた――自分で発動した《バスケット・レイ》の破壊準備だろう――上で、空中に制止したまま最後の大技魔法の発動準備にかかっていた。

 もう避ける気はない。光の集積物に対し、涙の混じる視界をそっと閉じた。長く続いた、果てなき旅路の決着を見つけたように。

 しかも窓の外からはプレイヤーの翅の音まで聞こえてきた。リンドらが驚異的な形勢逆転をしていなければ、それは狼煙を見て駆けつけた敵チームの援軍だろう。

 時間切れ。作戦失敗。すべての生存策が途絶えた瞬間だった。

 音源の数(・・・・)が判明するまでは。

 

「(アレ? ……翅の音、1つだけ……?)」

 

 不思議に感じて目を開き直した刹那、ズガァアアアアアアアアアッ!!!! と、敵の直射型特大魔法が目の前で真っ二つに遮られたのだ。

 茫然とするなか、魔法の放流は水のように横へ流れていく。隕石のように飛来した男と、その蒼き(つるぎ)によって。

 想像だにしない人物の援軍に、オイラは目を見開いた。

 随所に裂傷が目立つ黒い装束。片側にだけただれた短いマントがはためき、右肩のショルダーガードが妖しい鈍色を放つ。対して男が前面に構える大剣は曙光(しょこう)(かす)むほど青白く輝き、魔力で組まれた敵の高濃度粒子魔法はその流麗なブレードに触れることさえ叶わず四散した。

 見紛うはずもない、巨人の宝剣(エッケザックス)とそのエクストラスキル、《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》。

 オイラの知る限りその所有者の名は……、

 そして、光芒と音が止んだ。

 

「……アルゴ。あいつを殺るぞ」

「っ!? ァ……ア、ア……っ!!」

「バカなっ!? どうやって……く、しかもその剣!? お前はあの時のッ!!」

 

 説明のつかないタイミングでの援軍に動揺するシルフを無視し、彼は背を向けたままひび割れた《エッケザックス》を床に突き刺す。《クイックチェンジ》で素早く巨神殺し(タイタン・キラー)を物体化すると、縦に長い光の檻の上部を振り向きざまに一閃。光子で編まれた檻をたった一撃で破壊してみせた。

 今度ははっきりと顔が見える。

 表情に少し暗い影を落としているが、それはまさにジェイドその人だった。そしてそのパワー装備のまま、闇を象徴する鋭利な黒翅を広げる。

 いかなる説明も後回しということだろう。

 

「クソ……でも、勝った気か!? 仲間が来れば……」

「うるっせェよッ!!」

 

 ダンッ!! とパンプアップした瞬間には、敵の高度に肉薄していた。

 凄まじい加速力だ。目の前にいたはずが、一瞬見失ってしまった。

 そこからもシンプルだった。大剣のフルスイングに遅れて反応した男を杖ごと叩き割り、その重い斬撃によってシルフはたまらず急下降。ジェイドの加勢に入ろう走り出したオイラの眼前で無防備な姿を晒していたのだ。

 ほとんど反射的に、先ほど手に入れていたシリカちゃんの形見を抜刀。

 左手でガードを回転。エクストラスキル《クリスタル・カウル》によって光剣が姿を見せると、床との激突寸前で姿勢制御に3秒も費やした男にサーベルを振りかざした。

 

「終わっれェエエエエッ!!」

「ぬ、がアアアァァアアアアアアっ!?」

 

 肩から袈裟懸けに斬り捨てると同時に腰元へ引く。次に彼の心臓へ深々と穿通(せんつう)させると、男はしわがれた絶叫の末に真の意味で敗北した。

 一見万能な《犠牲の木像》も、1つまでしか携帯できないのだ。

 

「ハァ……ハァ……勝ったよ、シリカちゃん……」

 

 オイラは荒い息を繰り返しながら地面に降り立つと、すぐにジェイドも……すでに絶命したはずの想い人も、ゆっくりと着地して突き刺した《エッケザックス》を回収、インベントリへと収納した。

 嫌な予感はしていたが、その際にも彼はわずかによろめく。

 しっかり対峙するまで確信できなかった――そもそもダメージなどの被弾エフェクトは時間経過で消えてしまう――が、明らかに今の彼は異常に消耗している。《タイタン・キラー》を支えに直立してはいるが、手で軽く押しただけでも砕けてしまいそうにさえ見える。

 そして呆れたことに、そうまでなっても他に敵影がいないか目だけで確認していた。システマチックな動きが余計に痛々しい。

 そして安全を確保した途端、ゆっくりと振り向いた。その無残な姿を前に、色々と混乱を極めたオイラは小さな声で「ジェイド、どうしテ……?」と問いかけるも、彼が返すように発した言葉は短かった。

 

「なんで、その短剣……シリカ、は……」

 

 聞かれて初めて心臓が脈打ったのを感じた。

 隠しても意味はない。オイラは数秒ためらったが、やがてかすれたような声で答えた。

 

「……し、シリカちゃんは……オレっちを守ったせいデ。……今のシルフに、倒されテ……」

「……そう、か。でも……アルゴだけでも、無事でよかった……」

「だ、だけ(・・)……? ちょっと、ジェイド!?」

 

 すでに限界だったのだろう。

 ずっと張り詰めていただろう緊張が解かれる。彼は虚空を睨んだままぷっつりと意識を失い、その場で崩れ落ちるのだった。

 

 

 

 



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第116話 話せばわかる

時系列は、前章最終話の続きとなります。そして後半は前話の続きとなります。読みにくくてすみません。


 西暦2025年1月12日 《幽覧城塞・アスガンダル》ボスエリア。

 

 浮遊する要塞の最奥で、俺は諸悪の権化たる研究員によって鉄の檻に鹵獲されていた。天井に吊るされた鉄格子は2つ。首を振ると、シリカも不安を表情に出している。

 それは、プレイヤー同士を強制的に1対1で戦わせる、《王座前室の剣闘》なる決闘スタイルのイベントだった。

 攻略を楽しむプレイヤーと、敵側に(くみ)して妨害するプレイヤーとでは目的が異なるとは言え、一方が日和(ひよ)って逃げてばかりでは陣営を隔てる意味もなくなってしまう。ゆえにシステムの力でスピーディな展開を用意したのだろう。

 そしてシナリオライターとして、開発にも協賛したと自称する非人道的なこの研究員の男は、そうしたカラクリを利用した。

 勝ち誇った、神装のメガネ男。

 

「こっちはヒスイに会うまで死ねねェンだッ! 早くしろリンドォッ!!」

「もう黙れよクソ野郎っ!!!!」

 

 命乞い。怒号。シリカを生贄に出せと吐き捨てた俺に対し、リンドは激しい怒りでもって応えた。

 そして、隊長は俺を捨てた。そう仕向けたのは俺だが、まさかあの合理主義者が利害度外視でこうもあっさり決断できるとは。

 

「(これでよかったんだ……シリカを差し出すことはねぇ……)」

 

 心の中だけで仮初の言い訳をする。

 唐突な別れに、心残りがないと言えば嘘になるからだ。

 不可逆的な失態を前に、小隊長であるリンドはわざと俺の挑発に乗って、シリカではなく《ジェイド》を決闘の参加者に選んだ。それにより、アバターごと内包する鳥カゴを模した1人用鉄格子は、作動した仕掛けに逆らわず長いチェーンを垂らして死地へと運んでいる。イモータルオブジェクトであるこの扉も、きっと下の床に降ろされるなりひとりでに開くことだろう。

 そして戦場は狭い袋小路。いかなる抵抗も無意味。俺はやがて、奴との戦いに惨敗する。

 それを踏まえ、あえて俺はこのゲームオーバーを受け入れた。

 この結果に満足していた。

 ボス戦回避用の通路から、リンドの撤退指示に従って逃げる5人の背を最期に見届けると、俺はわずかに口角を上げながら振り返る。

 ここから先に妥協はない。笑みを消し、左手でメイン・メニューを繰ると、お得意の《クイックチェンジ》で虎の子の結晶大剣《エッケザックス》をオブジェクト化。ポーチに忍ばせた消耗品の量を確認し、左手のガントレットの緩みを正しながら静かに敵を睥睨(へいげい)する。

 するとなんとも間抜けたことに、正体の知れない日系顔の男は細い目を見開き、俺のとった行動に今さら狼狽(うろた)えていた。

 

「き、きみはまさか……そんなっ!? ……じ、自分を戦わせるために、わざとあんなことをッ……!?」

「…………」

 

 カシャン、と無機質な檻が地に着くと、格子の扉が勝手に開錠。数歩だけ踏み出して再びシニカルに笑った俺は、抜刀してからようやく答えてやった。

 

「まあ、あのキザ野郎は真っ先に気づきやがったけどな。ったく……気づかいガイのねェ奴さ……」

「バカな、ことを……!? 翅も逃げ場もない……勝てるはずが、ないのに! きみは……怖くないのか? 実験体にされ、記憶を消されるのだぞ!?」

「らしいな」

「こ、この2ヵ月の記憶をっ……実験のことだけでなく、なにもかも! そうなってはきみに人権なんてない!!」

「じゃあシリカは渡せねぇよ」

「なッ、ん……!?」

 

 俺の発言が信じられないように……あるいは、信じたくない一心で男は声を荒らげて否定する。

 『死』へのダイレクトな恐怖。

 これを2年もかけて植え付けられたはずの一介の子供が、他人を守るために心臓を差し出すようなマネをするだろうか。それとも、すでにリスクに見合う十分なリターンが用意されていて、自分がこの偽善者気取りの真の思惑を見抜けていないだけなのか。

 そんな、スケールの小さい懐疑思考を抱いた矮小(わいしょう)な顔だった。

 

「クいちゃいねェぜ。俺は好きなことわざがあるんだ。弱いオオカミはよく鳴く。強いオオカミは黙って噛みつく、ってな。……()るんだろう? 来いよ、あいつらが逃げる時間ぐらいはかせいでやる」

「……なん……なんだ、きみは……」

 

 しかし、次に彼のとった行動に対し、俺は誇張ではなく驚いていた。

 名も知らぬ研究員の男は、掲げた武器を力なく垂れたのだ。

 

「どうしてだ……きみ達はもっと、殺伐とした世界で生きたはず。……知れば知るほど、奪うことが辛くなる。……初めは自業自得の、なんの取柄もないゲーマーとしか思っていなかった。……なのに、きみ達の方がよっぽどッ……私なんかより……!!」

 

 至極口惜しそうに唇を噛み、積もり積もらせた鬱憤(うっぷん)と罪悪感に抵抗するように。

 思うに、仮初の世界で子供相手にいくら威張っていても、現実ではこうも非情ではないのだろう。彼も人の親だと言っていた。SAOサバイバーの実態に長く触れてしまった無垢な男の葛藤は、まさに積年の齟齬(そご)が限界を迎えた証左だったのかもしれない。

 自分の信念に曇りはないか、と。

 確信を持ちたかった。それゆえ、ブレない人間にぶつけてきた。

 

「これだけの仕打ちに……なんだその潔さは! 自分のために、他人を蹴落とせよ! ……でないと、私のしていることが……惨めになってくる……」

 

 会話にもなっていない、一方的な糾弾。しかし彼は根本的に気づいていない。他人と比較して優劣が付けば、その心疚(こころやま)しい行動を正当化できるわけではないことに。

 まるで2年前の自分を見ているかのようだった。その姿があまりに哀れで、俺は逆効果と知りつつ正論で返した。

 

「……一言だけ。人と比べるのはヤメた方がいーぜ。特に自分(テメェ)のモラルを決めようってンなら、なおさら」

 

 あまりに素っ気ないセリフを前に、とうとう男は爆発した。

 

「仕方ないじゃないか!! 妻には大きな負債があった……なのにっ、背負う立場になって会社が潰れた! 路頭に迷ったところを、採ってくれたのが須郷さんだった!」

「(すごう……?)」

「彼がッ……私と、家族の恩人が! 5年越しに、頭を下げた。……長期プロジェクトへの参加……そう、この実験のことさ! そして計ったように1 万人もの被検体が生まれた(・・・・)。それを利用しようなんて……怖かったさ!! しかし、きみなら断れたか!? 成功すれば子供に初めて贅沢を……いいや聞くまい! 家庭を持たないきみに! この決断を理解することは絶対にできないッ!!」

 

 興奮して荒い呼吸を繰り返す彼から察するに、よほど勉強一筋で生きてきたのだろう。世の中には俺の100倍頭がいい連中でも、正しい選択をしない出来損ない人がいるらしい。

 この男は典型的な例だった。

 そして俺の出す答えは、相手の事情を加味した上で変わることもない。

 

「俺なら断ってたぜ。家族がいるなら、いっそう強く……」

「ッ……!! だからっ、言っているだろう! 子供には理解できないのだ! 1人2人女を作ったぐらいで、知った風な口をきくなぁあっ!!」

 

 男が魔法触媒を吹き被るのと同時にゴゥウッッ!! と雷鳴が轟き、俺の立っていたポイントは雷の渦状紋によって(まばゆ)いエフェクトに引き裂かれた。

 しかし大剣を払うと、晴れた白煙の中心では《エッケザックス》の力によって俺が無傷のまま棒立ち。

 エクストラスキル《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》。発動には大きく耐久値を消耗するが、数日前にフィールドNPCに魔法の研磨具で磨いてもらっていたので、耐久値はMAXだったのだ。

 その結果に逆上した彼は、いま一度杖を振り上げた。

 しかし、攻撃は来ない。どれだけ待っても。

 そうして彼は何かを認めたのかもしれない。動じない俺に、とっくに理解していた矛盾に、ただ八つ当たりをしていただけだったことを。

 目じりに涙まで浮かべ、男はとうとう(うつむ)いた。

 

「くっ……どうして……うまく行かないんだ……」

「…………」

「努力してきたつもりだった。この2ヵ月は……しまいには気が病むほど悩んだ……しかし私が、今までやってきたことは……全部、間違いだったのか……」

「……アンタの子供に、自信もって言えるのか」

「っ……!?」

「言えないだろ。親の不正なんて聞きたくもないさ。……『いい暮らし』だァ? ザケんな。努力もわかってもらえないんじゃ、アンタがバカを見るだけだぜ!!」

 

 だいの大人が、すがるような視線で。

 

「じゃあ……私はいったい、どうすれば……?」

 

 かつての俺に。今の俺から、軽いアドバイスでもしてやるように。

 

「……遅くないさ。このクサった実験を、俺と終わらせよう」

 

 諭すように左手を差し伸べると、放心状態だった男は、光に導かれるように武器を捨てるのだった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 これから先は彼が自発的に語った経緯だ。

 彼の名は土渕 総悟(とぶち そうご)。すでに30代も後半に差し掛かっているらしい。

 貧しい家庭で育った彼は、10にも満たないうちに不治の病で父を失い、母子家庭を優先して置いてくれる団地に住まざるを得なかった。

 そういったワケあり家庭を抱え込む地域はヤクザや暴走族の温床であり、それに伴って治安は最悪で、高校を卒業するまでに3つの死体を見てしまうほどだったらしい。しかも1人は同級生の自殺で、土渕本人も薬物中毒者の運転する交通事故に巻き込まれ左足に一生傷を負ったとのことだ。

 無論、ここまで劣悪だと進学できる人間も一握りで、モノを学ぶにも国公立への道しか残されていなかった。

 しかし、生まれを慷慨(こうがい)しても現実は好転しない。

 そう割り切って歯を食いしばったことが後に糧となり、土渕は志望した大学に補欠合格で編入。上京するまま猛勉強し、大学院を修了すると共に優秀な研究成果を収めたようだ。

 ゆえに、このプロジェクトへの参加資格を得てしまった。それは首の真綿が締まるような、生活を蝕む毒の巡りだった。

 あとは先ほど感情的になった彼が(まく)し立てた通りである。

 2ヵ月前の午後。アインクラッドの開放日。どこか対岸の火事だと思っていた彼にとって、急遽(きゅうきょ)大きく道を分かつ選択の時がやってきてしまう。

 動物実験をスルー。厚生省や治験事務局への申請も当然スルー。あるいは、出版バイアスにより巧みにやり過ごし、倫理もクソもない臨床試験の準備は唐突に始まった。「海外赴任という形でほとぼりが冷めるまで隠遁生活を続ければ、再び元の生活に戻れる」。そう断言してくれたそうだが、もちろん今となってはその言葉にすら信憑性はない。

 だが、幼少期の極貧生活と、それに伴うコンプレックスが邪魔をした。

 『ゲームをしている』というだけで、法的にも金銭的にも守られる形となった俺達に対し、彼の下した決定は悪魔の違法行為への加担だった。

 わずか数ヵ月の研究実績があれば大過(たいか)なく一生を過ごせる。強い願望と欲求が、有能だった彼から随所にあったはずのほころびを見落とさせたのかもしれない。そうなれば命を下す人物はおろか、他社の利害関係者(ステークホルダー)でさえ死なばもろともの共同体だ。

 しかし、いつまでも無関係な仕事仲間に黙っていなければならない生活に、摩擦が起きないはずもなかった。

 やがて金を生むことにのみ執着しだした恩人……須郷伸之なる人間の方向性に嫌悪感すら持った土渕は、自分のしでかした大罪と何度も向き合ってきたらしい。

 少なくとも、おそらく誰にもできなかっただろう相談を、実際に会ったこともない人間に打ち明けてしまう程度には。

 

「こんなことをきみに話したところで、どう変わるわけでもないんだけどね……」

 

 土渕は座ったまま、やつれきった顔でそう言った。

 

「……でも、だいぶ楽になったよ。《ラボラトリー》ですべてを狂わされた人に……しかもまさか、こんなガラの悪い少年に話してしまうとは。……だいぶ弱っていたようだ」

「『ガラの悪い』が余計だ。だいたい、アンタのクラスメイトのほうがよっぽどだぜ」

「ハハ、まったくだな……」

「……まあでも、引けない立場ってのはよくわかったよ。家族のため、恩人のため、ってな。アンタが決められないなら……じゃあどうだ、俺と1つ賭けでもしようぜ」

「賭け……?」

 

 エリアボスだったはずの《廃国の覇王》もとっくに彼のチート能力で排除され、決闘イベントそっちのけで仲良く壁にもたれ座っていた俺は、両手の反動で立ち上がってから彼の正面を陣取った。

 ノリ自体は軽いが、これは両者にとっても重要な提案だからだ。

 俺は相手の正面で向き合った。

 

「そう、ギャンブルだ。俺には1枚のスクショがある。これをアンタに渡すから、向こうにログアウトしたらネットの掲示板にでも貼ってほしんだよ」

「はあ……しかし、それがどう賭けになるというんだ?」

「なるんだなァ、これが。ほら、さっき言ってたろう。俺らは5人の肩車で世界樹の頂上付近まで飛んだんだぜ? だからこれには、ちょっとばかしレアな絵が写ってる。撮った方法とかも書いて現実味出しといてくれ」

 

 土渕は俺の言わんとする、つまり画像を添付するだけでどう賭けに繋がるのかを模索したが、ものの数秒で暗い顔に戻った。

 

「……なるほどね。だとしても、たぶん無駄だよ。他のプレイヤーに《世界樹》の上へ向かわせようというのだろ? しかし我々のスタッフならすぐにそんなバグは修正できてしまう。適当な高度で不可侵エリア設定を追加するだけだ。そして私が流布して間もなく、彼らは写真(それ)に気づいてしまうだろう」

「いいんだよそれで。アンタは、そうだな……せめて3日後のメンテで殺しに来ないでくれ。もう2ヵ月だ。理由つけて1回サボるぐらいはできるだろう? 新型コロナにかかったとか言っとけ」

「ハハッ、だとしたら最低1週間は出社禁止さ。……理由はともかく、可能かもな。しかし……」

「しかしもカカシもない。乗るか乗らないかだ」

 

 俺はまくしたてるように続けた。

 

「俺らが全滅するか、しかるべき時間だけ見守ってナニも変化なきゃもう抵抗しねーよ。……ただし、状況が変われば……リアルの連中がアンタらの悪事に気づけば賭けは俺の勝ち。いさぎよく受け入れてくれ。アンタのしでかしたこと……そして、そのスゴウとかいう男のことも、全部かくさず話すんだ」

「悪事に気づくって……まさか通報されるとでも? そして警察から電話か? 『おたくの会社で人体実験が行われていますか?』なんて。ハハハハッ、とても現実的とは思えないな……」

 

 俺が自信アリ気に話すと、彼は理解できないといった風に肩をすぼめた。

 公共のPCを仲介すれば、履歴は残らないしIPアドレスも辿れない。その手に精通する彼なら、足がつかないように画像を1枚バラまくぐらい造作もないだろう。

 しかし、事実をすべて的中させた陰謀を長文にしてネットに流しても、それが証拠にならないなら国は動かないのだ。ましてや、たかがゲームのゴール地点を先取り(フラゲ)されただけで、前代未聞の大犯罪が暴かれ、(おぞ)ましき臨床試験が白昼に晒されるとは思えない。そういった表情だった。

 そしてその常識的なプロセスはおそらく正しい。

 だからこそ、これは真に『賭け』なのだ。なにせ俺にも何1つ確証がない。

 言った本人に確証がないのだから、あとは信念しかない。

 

「時間がないんだ、俺が失敗したらアンタは一生シラを切ればいい。いい加減、恩人の顔ぐらい立たせただろう」

「……わかったよ、スクリーンショットは預かろう。私はとんだ臆病者だが……これぐらいのことなら、力になれそうだ」

 

 そう言って立ち上がった土渕に向けて少しだけ笑みをこぼすと、俺は自分のフォトギャラリーから1枚の画像データを送信した。

 だがしばらくしてそれを受け取った彼は、目をしばたかせて驚愕していた。

 

「こ、この写真に載っているのは『彼女』か!? きみはまさか、須郷さんのことを知っていて……っ!?」

「はぁ? アスナの知り合いなのか? でも言っとくけどそいつ、俺に限らずソードアートにいた大半の奴が知ってるぜ。俺より剣の使い方がうまい、超がつくほどの有名人だ」

「そ……う、だったのか。は……はははっ……きみよりうまく剣を扱える人がいるなんて……」

「ケッ、向こうじゃケッコーいたよ」

「……不思議な感覚だ。確かにこれなら『賭け』だろう。もう何度も驚かされてきたが、きみという人は本当に……大瀬崎 煉(おおせざき れん)君、だったか」

「え、なんで本名知ってんの。こわ」

「…………研究に終止符を打つかはわからないけど、少し期待してしまうよ。これが私を解放してくれることに。……じゃあそろそろ戻る。これ以上は不審に思われるからね。……ところで、ほとんど同時にきみの仲間はアスガンダルから脱出してしまうだろう。追うアテはあるのかい?」

「ないな。ま、足でかせぐさ。運がよけりゃまた会えるって」

「ふっふふ、まったく……」

 

 呆れたように笑うと、今度こそ彼は簡素な光のシリンダーに包まれて消えていった。

 これでエリアには俺1人。きっとこの時点でエリアごとの移動を制限する(よど)んだ壁も取り除かれたことだろう。

 久方ぶりの静寂が戻る。無人の部屋を見渡すと、その空々しさに気温とは関係なく身震いする。しかし俺は、(きびす)を返すなり全力でエリアの外周へ向かった。とるべき行動は単純だからだ。

 とにかく、生き延びる。

 リンド達との再合流は頭の片隅程度で考えつつ、なるべく長く生存する。世界樹に囚われたアスナの写真という、いわば最後の希望だった保険カードは、嬉しい誤算によってこれから巷間(こうかん)に流れるのだ。それが芽吹くにせよ(つい)えるにせよ、最後まで見届ける者が消えては何の意味もない。

 それにしても……、

 

「(おーう……つか俺、これで独りか。なっつかしいな……)」

 

 アスガンダルを抜けるため誰もいないフィールドを疾走するうちに、一切口を開くことのない……仲間との見栄や強がりも張れない虚脱感に襲われた。ヒスイとは度々言い争いぐらいはしたものの、思えば1年半前の夏以来、これだけ孤独な夜をフィールドで過ごしたことはついぞなかったのに。

 俺はそれだけ恵まれていたというわけだ。

 明らかに性格破綻者だった愚か者が、土壇場で慌てだしただけで努力家などと呼ばれ。そうして生み出されたゲイン効果が分不相応な誤解を招き、面白いぐらい俺の外堀を埋めてしまった。

 だとしたら、それらに報えるようここで踏ん張るぐらいはしなければ。

 

「コドク上等っ!! 1週間だァ!? 永遠に生きたるわ、クソッタレがッ!!」

 

 独りだからこそ、あえて大声で叫んだ。

 霜柱だけが薄く張る荒野を踏み抜き、やがて浮かぶ揺籃(ようらん)の外周へ到着。誰からのサポートもなく、互いの種族で略奪を繰り返す世界を、たった1人で生き抜くために。

 助走のままに腕を広げ、翅を広げ、大空へ飛び立つ。

 寂寞(せきばく)の旅が始まるのだった。

 

 

 

 ◇   ◇   ◇

 

 

 

 1日が経過した。

 あのままノーム領の真ん中に降り立った俺は、極力戦闘を避けるべく、そしていざ遭遇戦になった時に翅を使って空路で逃げられるよう、徒歩での移動を余儀なくされた。

 単純に考えれば6人より1人の方が敵からは見つからない。おかげで命を脅かすほど危険な目に遭うことはなかったが、代わりに1日の移動距離は極端に制限される。その上ソロプレイになった時点で最も無防備となるのは睡眠中である。

 よって俺は、初日は可能な限り寝る時間を削って対処した。

 

 3日経過。

 戦闘回数はだんだんと増えてきた。やはり広域を探知できた(アルゴ)(シリカ)を失った代償は大きく、接敵前に相手を探知する術に乏しいのだ。

 SAO時代では、こうなることを予測してソロ前提のビルドを早期に確立していたが、種族的にも時期的にもスタイルの変更は難しい。おまけにインプの特性を生かした夜間行動をしようにも、ALOでのズレた時間周期がそれを許してくれない。

 中和の追いつかない疲労が着実に溜まっていった。

 

 5日経過。

 南下するうちに、3度ほど死にかけた。フラットな床を歩くだけで酷く跛行(はこう)し、集中力も断続的に切れ、現時点での生存は実力だけでなく運で成り立っている。もっとも、翅を残す逃げの作戦がうまく行っただけで、相手が最長飛行を得意とするシルフ、およびライドできる《使い魔》付きのケットシーのエリート集団であれば間違いなく狩られていただろう。

 そして問題は戦闘だけではない。

 転生初日から生活に苦労した原因でもあるが、SAOとはコンセプトから異なるせいか、『この世界にログインしたまま暮らせる』ようになっていないのだ。

 加えて俺は街にも入れない。まともな補充がないまま騙し騙しやってきたが、やがて切り崩し続けた数日分の備蓄――と言っても当然、俺に与えられていたのはその1/6人分――も底をつきた。

 

 そして、1週間。

 眠らず、食わず、戦い続ける日々。そこに、とうとう限界が訪れていた。

 リンド達との合流も多少気にしては見たものの、距離が空きすぎて《パーティ登録》が外れてしまった以上、彼らと連絡を取り合う手段はない。アスガンダルに半日もいたせいで今までの巡回スケジュールもズレ、そもそも俺とリンド達とではスタート地点も合っていない。合流は不可能という予想は、残念ながら間違っていなかった。

 気づけば俺は、おぼろげな意識のまま暗い(うろ)の片隅でただうなだれ、ぐったりと座り込んでいた。

 意識があるのかも怪しい。少し寝ていたのか。

 情けなく泥と(すす)(まみ)れ、すでに残された物資もない。心身ともにボロボロの状態で、とうに立ち上がる気力さえ削がれ、堂々巡りしていた疑問が晴れると事実を悟った。

 その疑問とは、たった1枚のスクリーンショットのことだ。

 最後のカードがいかなる逆転にも繋がらなかったという、厳然たる結果を。

 

「(あ、ぁ……クッソ……ぼうっとする。……おわり、か……? ずいぶん長い……たびだった……気が……する……)」

 

 意識的ではなく、ほとんど生存本能のようにぶ厚い大剣を握りしめ、焦点も合わないままそんなことを考えていた。

 ひんやりとした感触を壁伝いに感じると、こめかみに居座る激痛すら押しのけて、逃れようのない睡魔に再び襲われる。そして同時に、辛いだけの旅路ならこのまま終わってもいいとさえ感じていた。

 

「(つぎで……さいごに、しよう……)」

 

 率直にそう思った。モンスターであれ、プレイヤーであれ。誰に攻撃されようときっと俺はもう動けない。(おり)しも俺のストレージから汎用的な回復アイテムさえ尽きていたが、それに気づいたわけでもない。

 そうしてすべてを諦め、意識の手綱(たづな)すら手放そうとした瞬間。

 1つの、切羽詰まった声が響いた。

 

「シリカちゃん、絶対に生き延びるゾ!!」

 

 どこか聞き覚えのある、懐かしい声が耳朶(じだ)を打った。

 幻聴のように暖かい音色だ。三人称視点の自分が本体を眺めながら聞いているような……そうだ、これは夢を見ている時に近い。いつもそばで俺を包んでくれた、この声は確か……いや、そんなはずは……、

 声が続く。

 

「はいっ! きっとジェイドさんならそう言います!!」

 

 まぶたが嘘のように軽くなった。

 今度は耳当たりの良いソプラノのかかった高い声調。俺の名を呼んでいた。彼女達が、ここにいる!?

 

「アルゴっ……? シリカ……!?」

 

 いてもたってもいられなかった。

 仮眠に移る前の、わずかに痺れだしていた四肢を無理やり叩き起こそうとするが、あまりの不調に(うめ)き声まで上がる。

 どうにかして剣を突き、俺は薄眼のまま辺りを見渡した。声はもう聞こえないが、先ほどのは間違いない。あとは場所だ。

 

「(動けよ……根性ナシが……ッ!!)」

 

 俺は大雑把に方角だけ絞ると必死に足を動かした。

 しかし、ほぼ意識のないまま洞を進んでいたことが災いした。

 自分の現在位置やダンジョンの構造を理解していないのだ。いわんや知見のある地だとして、今は頭もはたらかない。

 フラフラしているとすぐにモンスターと会敵。イラだっていた俺は思考を止めて重厚な鉄塊を振り抜き、進路上にポップした多腕型サルどもを続けざまに(ほふ)った。

 30秒も進むと、通路はやがて分岐路に差し掛かる。左右ともに出口はあったはずだが、流れ込んでくる風の音からおそらく外が近いのは左だ。

 直感に頼るべきか、それとも。

 

「(いや、待て。風の音じゃない! 右からか!?)」

 

 耳を凝らすと攻撃系魔法のSEが輻輳(ふくそう)している。確定だ。

 

「待ってろ、いま行く……ッ!!」

 

 音源はどんどん近くなる。整備されていない岩のトンネルがどんどん後ろへ流されていくと、俺は洞窟にしては開放的な空間へ飛び出した。

 石柱や段差は多いが、ゆうに体育館4つ分以上はある。ここはかねてよりオークが集団で暮らしていたという設定の一種の集落で、こうしたフィクション上の生物の隠れ家は点々と配置されている。

 そして視界の遠くに、やっと見つけた。

 待ち焦がれた仲間達の姿を。

 だが彼らは劣勢に立たされているうえに、どうも人数が合わなかった。3人しかいないのだろうか。

 

「隊長! 生き延びて!! オレ達のことをッ、絶対に伝えてください!!」

「バカ野郎、テグハ!! 引けェ!!」

 

 発見して早々。視界の中で1人が燃えた(・・・)

 目つきが悪く性格にも難があり、互いに不器用ゆえに俺と何度も衝突したが、どこか気さくでやると決めたらとことん貫くまっしぐらな男。シルバーの重金に双鷲を意匠にした黒鉄(くろがね)のタワーシールドと共に、1人の戦友がこの世を去る。

 悲しむ暇すらなかった。

 この時点で事態を察し、全速力で疾駆(しっく)する。

 

「テグハ! クソ、テグハぁ!!」

「リンドさんダメです、1回下がって!! ……ガァ!?」

 

 しかし近づく前に戦局が動いた。

 今度はフリデリックの奴だ。隊長リンドを守るために、やたらと大きいエストックの刺突攻撃に自分からぶつかりに行ったのだ。

 それが彼の心臓を貫くと同時に、自らも右手のショートスピアで同じウンディーネの姿をした敵の腹を刺し貫いた。

 『死が確定』してもHPゲージが全損するまでに残るわずかな判定を利用した、道連れによる相打ち。敵はジャストキル。リックはオーバーキルによってリメインライトへ。そして彼のそれだけが、テグハ同様『奴ら』によって2、3秒ほどで回収された。

 これで2人。

 あまりにも早い仲間の死に、その現象に、頭の方が追い付かない。仲間が目の前で消えてしまったことに対し、リンドですらどうにか小さく疑問符を口にできただけだった。

 

「リック!? クソッ……2人も……お前らァ!!」

 

 しかしリンドが激昂(げっこう)する数瞬前に俺が戦場の中央へ乱入。横振りの一閃で連中を後退させる。

 ドガッ、と荒いジャリの上に降り立つと、その場へ割り込んだ。

 

「リンド! おい今のは!? なんで3人しかいなかった!!」

「なッ!? ジェイドか!?」

 

 幽霊でも見たような反応だったが、説明している時間はない。

 たった1人だけ生き残った仲間――もっとも、彼とてHP残量は半分もないが――の隣で、相手の6人集団を(にら)み付けた。

 敵集団は終盤での援軍に動揺を見せつつも、各々勝手に「あいつ、確か《スワロゥ・パーム》盗られた時の!」、「まーた弱体化デバフか。イース、解呪頼む」、「こっちも蘇生系は品切れだ。もう死んだらアウトだぞ!」だの言っていた。

 だが、俺はどれもまともに聞いていない。

 リンドは並び立ったまま口を開いた。

 

「お前、どうして……!?」

「理由は後だ。先にこいつらを殺るぞ!」

 

 戦力差3倍の趨勢(すうせい)だが、先の会話から相手も俺達と同じ土俵に立っている、すなわち『死んだら終わり』という状態なのだろう。

 まだ覆しようがあるとはいえ、先に殺られたリックやテグハはきっとそうした蘇生ローテーションの前に敗れたのだ。

 作戦でもあるのか、敵側6人のうち緑色の髪をしたカマくさい曲刀使いが後退する。

 

「(プーカが下がった……そりゃそうか。けど、ケットシーの奴と同じだ。対人に慣れてないのか……?)」

 

 パッと見では全員手練れ集団だが、少なくとも2名は結果の見え透いたリンチに罪悪感でもあるのか機敏性に欠けるし、テイムしているらしい幼竜もじゃじゃ馬っぷりを見せている。《なつき度》が足りていないか、いずれにせよ数を減らすなら先に彼らだろう。

 殺す順番に半ば確信を持ってチラリと横を覗くと、リンドが円盾の下でハンドジェスチャーをしていた。

 やはり狙いは同じ、『未熟者の排除』から。普段と違いリック達の援護がないのは不安だが、先制したのは俺達だった。

 

「シッ!!」

 

 先に間合いを詰めて自慢の大剣を振るうも、ゴガンッ!! という鈍い音と共に、気の抜ける優しい顔をしたノームが持つ、不気味な人面大盾で受け止められた。対人用のシステム外スキル《ゼロスタート》を駆使したつもりだが、やはり単調技1本で勝敗は揺れない。

 しかしこれはブラフ。

 ほとんど()でるように刀身を滑らせると、移動のエネルギーを活かせるように体全体を前へスライド。

 文字通り横槍を入れてきた優男風レプラコーンの顔面に、カウンターで回転蹴りによる靴底の一撃をプレゼントしてやった。

 加速を殺さず、3人目へ一気に接近。

 

「なっ、なにィッ!?」

 

 その男へ、特大剣が真下から炸裂した。

 前衛2人をパスされ、もたついていた小柄なケットシー野郎を、その腐れイチモツから脳天まで切り裂く強烈なアッパーカットで数メートルほど突き上げる。

 性器粉砕。「あっぴゃああァァああああああっ!?!?」という、新種の生命体然とした悲鳴。そのケットシーの首も、刹那の脚力で加速したリンドが高級曲刀で両断した。

 爆散エフェクトすら無視。彼はそのまま苔むした岩石の壁を蹴り、後方でのんびりスペルを唱えていたプーカへ襲いかかった。

 またも首に直撃。アイテムによって炎エンチャントされた彼の凶刃(きょうじん)によって、敵チームのインプの加勢むなしくカマくさいプーカもまた呆気なく散っていった。

 2名の排除。

 これで、あと4人。

 最も実力者らしいグレイブのサラマンダー。

 前髪が陰キャくさい片手直剣のインプ。

 顔面偏差値の高い盾持ち槍使いのレプラコーン。

 マッチョの大盾持ち斧使いなノーム。

 

「ぐ、クソが! こいつらやっぱガチ強ぇ!!」

「アホっ! 2人の動きが悪かっただけだ! ビビんな!」

「イースさん止めてくださいよ!! 1人はオレらで殺るから!!」

「エー!? ならインプがいいよ! あの時のインプだよ!」

 

 会話が成り立たないと同時に、連中の1人にイントネーションのおかしい奴が混じっていたが、俺としてはわずかに反撃を受けたリンドのことの方が気がかりだった。

 そして、目線を仲間に逸らした瞬間を狙われた。

 

「(どうにかして回復するスキを作りたい……)……がァあアア!?」

 

 ほんの狭間のような時間に食い込ませるかのごとく、ズガンッ!! と、猛烈な一撃に見舞われたのだ。

 甘く見ていた。強襲者はサラマンダーの大男。寸でのところで大剣によるガードが間に合ったものの、クセのない型通りの攻撃は意外にも俺を数歩たじろがせた。

 このまま引き剥がされればリンドが孤立する。

 俺は鍔競り合いをしたまま仕返しとばかりにフル筋力で押し返し、弾くのと同時に脇を通り抜けようとした。

 しかしまたも失敗。

 真っ赤な男は恐るべき反応速度で再び壁となり、通せんぼ(ブロック)してきたのだ。そのくせ相手には笑みすら浮かび、余裕のほどが(うかが)える。こうしている間にもリンドが3人に囲まれているというのに。

 

「ハハッ! やっぱり!!」

「(クッソうぜェ。なんだよコイツ、さっきから……!!)」

 

 質感のあるグレイブを()る、体格に恵まれた初老の軽甲冑戦士。言動からは無邪気さまで感じるが、彼の態度(それ)はまるで旧友との再会を喜んでいるようにも見える。

 しかし火急(かきゅう)の問題はこの男がどこの馬の骨か、ではない。

 邪魔をするなら、斬り捨てるまで。

 俺は大剣を右に引いて下段で構えた。

 

「どけオラァァアアアアッ!!」

「ウゥっグ……ワォ!? ハハハァッ!!」

 

 渾身の一撃を()で受けても引かず、あまつさえ威力の減衰と反撃にまで転じてきた。

 マズイ、マズイ、マズイ……。

 このままでは本当に!!

 

「リンド! ッつ、うぜェよクソがァ!!」

 

 わざと大振りにした上段払いを躱させた俺は、その捻転力を利用して回転しながら横に一閃。サラマンダーの分厚い胸に初めてまともなフェイント攻撃をくれてやった。

 与ダメージも確認せず、3人に囲まれた瀕死(ひんし)の仲間の名を呼んだ。

 されど、声が返ってくることはなかった。

 まぶたが痙攣(けいれん)した。奥には火に炙られるプレイヤーの姿が。

 

「うっしゃあ! 俺がラスト決めたぜ~!」

「うはーサンキュー! 最後アブなかった。もーこれ以上死にたくねぇわ」

「これであいつがラスイチだなぁ」

 

 寄って(たか)ってニアデス男を串刺しにした連中は、まるで一仕事終えた時のような軽々しさで漂うリメインライトを見下していた。

 リンドの死を認めてなお、俺は奥歯でギリッ、と音を立てた。戦うことに意義を無くしたとはいえ、このクソ外道どもを戦友である俺が見逃しておく道理はない。

 アドレナリンに(たの)んだ意志の爆発。

 加速は一瞬だった。

 

「クソッッタレがァアアアアアアアアッ!!!!」

 

 ゴッパァアアアッ!! と、中心にいたノームを大剣のフルスイングでブッ飛ばした。

 しかしさすが場慣れしている。きっちりガードはされていたし、両脇にいた男達の反応も的確だった。

 インプの男は片手剣と中盾。レプラコーンの男はメインの弓を収納し、サブに仕込んでいた長柄槍。その彼らが2人とも攻撃を受けたノームを守らず(・・・)に挟み撃ちの体制を取ってきたのだ。

 仲間がダメージを受けようが関係ない。それぞれが役割をきちんと認識している。

 数に劣る俺にとって、散開して死角に回られることが1番厄介だからである。

 

「集中! 集中だよココ1本! 4人いたら絶対勝てる!」

「ドドマル! ちっと頼む、ポーション飲むわ!」

 

 声が重なるなか、視界の端で一時的にレプラコーンが下がった。

 絶え間なく剣戟を交えたまま、それを見た俺と敵インプの詠唱はほぼ同時だった。

 

我は、(エック)祈る(フレィスタ)! ああ神よ(エーゴズ)……!!」

我は、(エック)進む(リィダ)! かくなる上は(グラック・リィ)!」

 

 両雄闇属性の、《内なる狂性(ロードブハイド)》と《高揚剤(スティムレイト)》。

 単騎で独走できる俺のドーピングに対し、彼のそれは被ダメが増加してしまう代わりにスーパーアーマー能力を得られるもの。味方との総攻撃で《怯み値》を継続して稼ぎ、連続ヒットボーナスを目的に使われることが多い。『食らってでも押し通す』のに有効である。

 すなわち、互いに狙いはゴリ押し(・・・・)だ。

 ほぼ同時に詠み終え、双方獣のような雄叫びを上げながらさらに前進。

 しかし俺だけは大剣を振りかぶると同時にベクトルを上へ。屈伸直後に足から伝わる反動が体を跳ね上げた。

 軸を傾けたままコマのように回転。ガッシュン!! と、剣先がインプの肩口を抉るも、俺は無視して後ろに控える本来の標的に向かっていった。

 

「しまっ!?」

「おっせェええよォッ!!」

 

 移動エネルギーをすべて攻撃へ。ノームとレプラコーンの反応はわずかに遅れ、直後に轟音と粉塵が拡散した。

 

「がァあああ!? くそ、メチャクチャだこいつ!!」

「ゴッソリ取られたぞ!! ちくしょうブーストしてやがる!!」

「殺れ! 誰でもいい、トドメ行けェ!!」

 

 回復したそばから体力を失ったからだろう。ほとんど無意味に叫んでいる間に、俺も咆哮をあげたまま連撃を続ける。

 (ほころ)びを見抜き、今度もまた全力振り。

 瞬間的な横向きのカ重圧に耐えられなかったレプラコーンのポールランスが半ばからへし折れると、ショックを受けるツラを尻目に続けさまにその胸ぐらを掴み、片手背負い投げの要領で壁際の備蓄用木箱へダストシュート。オークの主食であるトカゲのようなモンスターの燻製(くんせい)と、水分が飛ぶまで干した果物が地面に汚らしく散乱した。

 ここでようやくサラマンダーの男がノロノロと参戦。

 しかしやる気のない振り下ろしを横に弾くと、顔を地面に擦らせるような姿勢のまま、斜め上に伸びた上段キックが彼の腹にクリーンヒットした。

 あっさり蹴り飛ばしたが、彼がこれほど不用意なわけがない。

 そして、そう感じたのは俺だけではなかった。

 

「ちょっと、どーしたのさイース! マジメにやってよ!!」

「エーヤダ。1人でやりたい! 1人デ!」

「ハァっ!? ……もうっ、ンだよそれぇ!」

 

 穴を埋めるように、インプの男が納得できないまま攻撃してくる。

 だが集中力を欠いていたようだ。俺は地に突き刺した大剣で相手の両刃直剣を受け止めると、その左腕を蹴り上げシールドを剥がした。

 剣に慣れたゲーマーでも、意外と体術との併用までアバターに馴染んでいる者は少ない。

 隙を前に息を吐き、筋肉が膨張する感覚。そして左脇からの大剣の重撃。

 

「ぐがァアっ!? く……クソボケが!!」

 

 直剣による防御が間に合わなかった彼は、豪華な防具に守られているはずなのにたった1発で半分以上死に近づいた。これがドーピング闇魔法《スティムレイト》の反作用だ。

 しかし、効果のおかげで大剣による入魂の一振りに怯みもしない。

 俺は垂直ジャンプで四方からの反撃を躱すと、さらなる返しで落下の刺突攻撃を。これを間一髪のローリングで避けられてすぐ、立て直した2人の敵が邪魔をしてきた。

 

「ちええやァアアアア!!」

 

 さすが鍛冶妖精(レプラコーン)といったところか。先ほど折ったばかりだというのに再装備した新品の槍でしつこく突いてきて、ただでさえスリップダメージを受けている俺は、直撃を避けるために回避に移らざるを得ない。

 しかも、彼の後ろには本命の脳筋野郎が……、

 

「(クッソが、避けらんねェ!!)」

 

 ノームの一撃。

 《スイッチ》の応用で大斧使いに追い込まれる。踏ん張りを利かせる暇もなく、手先が麻痺するほどの振動と、それに伴う凄まじい衝撃が、ガードしたはずの俺を大剣ごと吹っ飛ばした。

 意識が飛びかける。

 これが満場一致の脳筋種族か。

 壁面に激突すると視界が暗転しかかり、冗談なしに呼吸が止まった。

 

「かっ、ァ……ンなろっ……死ね、カスがァ!!」

 

 それでも、前へ。

 物理的に壁となる2人を斬り崩すべく、俺は猛然と肉薄した。

 ブーツの(びょう)が岩石を抉り、全身エンチャの速力も乗せて方向転換。ほとんど相手の反応速度を超えたスピードで3次元的なスクランブル軌道を取る。

 一段強く蹴って死角にもぐると、まずは一撃。

 際どい所で反射的にガードされたが、再び回転で奥まで直進し、槍使いの優男を追い越した先の巨漢にも大上段から礼をしてやった。

 

「オッルアアアアアッ!」

「ぐうぅうっ!?」

「クッソ、当たんねェ! ラグいラグい!!」

 

 負け惜しみのように叫ぶがラグではない。実力だ。

 甲高い音が響き、ガゴンッ、と一拍遅れて彼の人面大盾がエリアの端に落ちた。

 その顔面を上段回し蹴りで愉快な形にしてやると同時に、しかし気は緩めない。手を止めていたインプの男が追加魔法を唱え切る寸前だったのだ。

 おそらくそれは闇魔法の《猛毒帯域(ポイゾネスベルト)》。《猛毒》のデバフを与えて俺のスリップダメージを最大まで引き上げ、あとは守りを固めて時間経過で勝とうという算段だろう。

 

「(しゃらくせェっ!!)」

 

 レプラコーンの長槍による薙ぎ払いに弾かれるまま、体を捻って転がりながら、側宙でもするようにいきなりインプへ接近。

 俺は大胆に足を開いて自身のナニをその鼻っ面に押し付けると、股の方からガバッ、と覆いかぶさってやった。

 

「むごごぉ!? むっぐゥゥぅううう!?」

 

 クソッタレの口が動くだけで、股間から絶望的に不快な感触が去来する。が、あと一句というところで『野郎の汚物押し付け作戦』でチャンファさせられたインプが咄嗟(とっさ)に対応。嫌そうにしながらも顔面に乗っかってきた俺の腰を掴み、そのまま仲間の方へ叩きつけようとしたのだ。

 タイミングを合わせるように、ノームの男が斧を横にフルスイング。

 なんちゃって肩車状態の愉快な2人と、黄土色のムキムキフィニッシャー。その全員の叫喚が重なった。

 

『ふぬがァアアアアアアアアアアアッ!!!!』

 

 しかし俺が4枚翅を広げると、ビッタァ!! と空中で制止。鈍器に近しい鉄の塊は、背中の表面をなぞるように盛大に空振りした。

 直後に片翼にのみ力を込める。

 頭に覆いかぶさったまま体を捻ってベクトル変化をアシスト。首から上だけを重機で摘ままれたようなインプが宙に浮き、彼を下半身で投げ飛ばすと同時に、右手だけで大剣を振り抜きノームの左足首を(すく)い上げた。

 

「オッルァアアアアアっ!!」

 

 気合いだけで成した変則同時攻撃により、2人共々きりもみ状に飛ばされ、情けない悲鳴と一緒に木造家具へ追突。すでに廃材に近かったそれらは、若干2名のダイブによってけたたましい音と共にバラバラになった。

 しかもインプ男は片手剣までロストしている。

 

「(まだだ! まだ気ィ抜くな!!)」

 

 ふっ飛ばしただけで大きなダメージが与えられたわけではない。

 三度(みたび)パンプアップ。エクストラスキル《突進兵(チャージャー)》のエフェクトを纏ったレプラコーンが直角方向から攻撃してくる。

 ガード値を削りつつ盾の上からでも刺突ダメージを入れられる技だが、今はコケ脅しに使用しているだけ。難なくジャンプで回避すると、突進中の彼の額にかかとの底で強烈キックをお見舞いしてやった。

 

「フんゴァアアアアっ!?」

 

 鈍い打撃音。靴底キックにより優男の顔は見事に崩れ、キレイに縦回転すると脳天を強打。追い越した敵にグルンッ、と振り向いて着地すると、両腕の全筋力を《タイタン・キラー》へ。

 凄まじい速度で大剣が弧を描きながら振り下ろされた、次の瞬間。

 ゴンッ!!!! と、一瞬だけ寝そべったレプラコーンの体が高圧電流を浴びたように跳ね、その男はツラが縦に分断されるというなんともエグイ方法で絶命した。

 ボウッ、と燃ゆる哀れなプレイヤー。

 ようやく1人だ。

 すぐに2人へ構え直すと、直線状にいた遠くのインプが崩れた廃材から這い出て吠えていた。

 

「ハマっちゃんマジか!? クソ、おいドドマル!!」

「わかってるッ!!」

 

 言いつつ、ノームの男が足元にロストしていた味方の片手剣を上へ放り投げる。

 その行為が立体軌道連携の暗示だと理解した瞬間に反応。腕の筋肉が限界まで膨らむと、その交点に向けて俺も大剣をブン投げていた。

 助走付きでジャンプした矢先に胴を貫かれたインプは、「フンギャアッ!?」と鳴いて逆再生するように後方へ。

 それを見届けるよりも速く、ガッ!! と地を削るほど加速する。

 味方の悲鳴で振り向くノームの頭上で敵の投げた片手剣を逆さにキャッチすると、そのまま容赦なく大男に乗りかかり、巨躯の首元に突き刺してやった。

 ゴッキュッ!! と、右手から確かな手ごたえ。

 

「シィィねェええええええええええッ!!」

「ぬぐぅオオオオっ!?」

 

 左足で大斧を踏み、兜の隙間に左の指を突っ込み、クソ太い剛腕が刀身を握って引き抜こうとするのもいとわず。さらに、切っ先を深く。

 膨大に確保されていたはずのノームの体力は、すでに2割以下(レッドゾーン)にまで落ちていた。

 だがパワー種族に大暴れされると、直剣を弾かれつつあえなく振りほどかれた。

 反動で兜が飛んだが気にした様子はない。それでも、逆に追い詰められつつある彼は、奇声を上げながら両手で斧を振り回した。

 いかなる戦いもヤケになったら(しま)いだ。

 

「れあああァァアアアアッ!!」

 

 投手を思わせるダイナミックな動きでパンチが鼻面にメリ込むと、柔和な大男はまたも壁に押し戻される。

 しかも視界の端で、珍プレイに感化させられた敵インプが、「どりゃあぁあああ!!」なんて間抜けた声と共に、俺の大剣を同じように投げ返してきたのだ。

 願ってもいない行動である。

 バシンッ! とその回転体のグリップをジャストで握って受け止めた俺は、直後に勝利を確信した。

 上段、突きの構え。

 ファッキンノーム野郎が立て直すよりも素早く、その距離を詰めきった。

 

「死ねボケェェッ!!」

「ゴッ、ガァァアアアっ!?」

 

 ズンッ!! と、シルバーグレーの特大剣がグリーヴごと腹を貫通する。そしてそれが致命傷となり、男の体は淡い茶色の炎に包まれた。

 ……しかし、終わりではなかった。

 『死が確定』してからもわずかに残る、プレイヤーの存在判定。壁に()われてなお、自身を貫く鋼鉄をがっしりと掴んだノームの男は、視線を上げて不敵な笑みすらも浮かべる。

 

「いまだ、殺れぇえええええ!!!!」

 

 剣はピクリとも動かない。

 そして言いようのない怖気を感じると、気づけば左の真横に直剣を携えた黒ずくめの剣士が。

 そこからはもう、ただの反射だった。

 裏返った気合いと共に放たれた、斬り上げ攻撃。それを、『グリップから両手を離す』ことで紙一重で躱し、その喉仏に左の裏拳を見舞いつつ、ノームの血を吸い尽くした大剣を再び右手だけで握り直す。

 飢えた獣のような咆哮をあげ、片手で抜刀。ゴッガァアアアアッ!! と壁からブチ抜いた反動でインプの胴と両腕を真っ二つに引き裂いた。

 男達の叫び声が重なる。生々しい上半身の肉片がボトリと落ち、その男もまた不可避の紫炎によって炮烙(ほうらく)した。

 

「っしゃオラァ!! 1人で3人抜きィ(スリィブスクリィーーン)ッ!!!!」

 

 荒く息を吸い、全力咆哮。際どいところだった。倒してからわかったことだが、最後のインプの彼も、《クイックチェンジ》を使用してサブ武器を取り出していたというわけだ。ロストしたものを拾いに行くだろう、という俺の判断は早計だった。

 ともあれ《リメインライト》に変わった――すなわち《犠牲の木像》を始めとする特殊アイテムを所持していない――ことを改めて確認すると、急ぎ「ディスペル!」と唱えて《ロードブハイド》による自傷ダメージを停止させた。

 しかしHP残量は5パーセント未満。

 絶望的に分が悪いまま最後の敵に振り返るも、意外にもサラマンダーの男は追撃するそぶりを見せず、あまつさえアイテムを放り投げてきた。

 

「(うおっと……?)」

 

 とっさにキャッチしたそれは、HPを高速で全快させる秘薬ポーションだった。単純な回復系では最高峰のものだ。

 理解しかねた俺が首をかしげると、屈強な男はパチ、パチ、パチ、と簡素な拍手をして続ける。

 

「スゴイ! スゴイよ、やっぱり。アノ時の人だよ」

「(は……ンだコイツ……っ!?)」

 

 だがシカトして通り過ぎようとする前に思い至った。

 もうずいぶんと前に、同じように意識が朦朧(もうろう)としていた日の深夜。俺はこの男と一騎打ちでしのぎを削ったことがある。装具とグレイブの種類が少々変わっているが、この独特なマイペースっぷりは間違いない。

 それに今、アヤシイ日本語を聞き取れたとしたら「あの時の」と言っていた。俺も当時に比べ数々の強化をして様変わりしたが、ついぞ顔までは変えられなかったので覚えていたのだろう。

 かの強敵が自分から名乗ったそれを、今度は俺が口にする。

 

「イーサン……ステイン……」

 

 短い呟き。ノイズはあったはずだが、その端的なフレーズぐらいはなんと言ったか察せられたらしい。

 気をよくした真紅の妖精はニッ、と笑うと、自分の後方にあるエリアの出口を指さして発音した。

 

「ケットシーが2人、にげたよ。出口、ライ。アバゥ……チャポ! カチュリック、チャポ! イチばん、ビッグ!」

 

 ところどころ何を言っているかわからなかったが、ケットシーと言うからにはどうやら俺にアルゴ達の居場所を教えようとしているらしい。これだけで2人の無事が確かめられたのでこちらとしては収穫である。

 しかし、彼の示す方向は俺の通ってきた道でもあるはず。

 ということは先ほど分岐路に差し掛かった際、右ではなく左へ進んでいればアルゴ達を追えたのだろう。

 ともあれ事実を教えてもらえれば十分だ。俺は一気に《秘薬ポーション》の中身を嚥下(えんげ)すると、片手を上げて「サンクス」とだけ言い残し立ち去ろうとした。

 ……が、正面の男は長柄の得物で行く手を遮った。

 まったく理解できないが、今度は通せんぼのつもりらしい。

 

「あァ……?」

「ケットウしようよ! ブシドゥ! ゼンテキなやつ、そのために待ってたよ。ブシドゥしようよ!」

 

 『武士道』、『禅的』だろうか。きょうび日本人ですら使わないセリフ回しに思わず吹き出しそうになるが、地域によっては日本人より『あちらさん』の方がよく使うと聞いたことがある。

 何にせよ、この男が味方の手助けもせず突っ立っていた理由がこれで判明した。

 まったく男と言う奴は、歴史上でも創作物上でも剣を握らせるとすぐに力比べをしたがる、まこと愚かな生物だ。しかも嘆かわしいことに、吹っ掛けられた相手側も大概それに応じてしまうのである。

 だから、とても単純だ。

 つくづく男に生まれてよかったと思う。おかげで女のために本気でチャンバラができるのだから。

 

「……急いでるんだ、さっさと戦ろうぜ」

 

 かつて彼に投げかけたセリフもこんな感じだっただろうか。

 どうせ逃がしてはくれまいし、雰囲気だけで伝わったのか、お互いに数歩下がると独特なフォームで愛刀を構えた。

 この男が先にアルゴ達の場所を知らせてくれたのは簡単だ。プレイヤーは残り火(リメインライト)になってからでは会話できないからである。勝者への報酬がリザルト画面越しに用意できないから、あらかじめ話しておく必要があっただけ。

 ゆえに、この男に勝負を譲る気はない。

 両者が激突したのは一瞬だった。

 

『オッルァアアアアアッ!!』

 

 ガヂヂヂッ!! と溶鉄工場で出すような量の火花が飛び散り、均衡した力が弾かれると砂利を踏み慣らしながら詠唱を開始。

 

「エック、フレィスタ! エーゴズ……!!」

我は、(エック)燃ゆる(スベイザ)! 天つ駆けよ、(セウフジール)聖なる翼(サントゥアーザ)!!」

 

 俺のブーストはすでにお馴染みだが、敵側のそれは炎魔法の《潜熱(レイテンター)》だと思われる。大量のマナポイントを消費し、自分で設定しておいた炎属性の弱魔法を一定時間ノータイムで撃ちまくれるものだ。

 どちらも長期戦は考えていない。

 疑似的なマルチリンガルを強要されている彼には気の毒だが、唱える速度は俺に分が上がった。

 体が軽くなる感覚とほぼ同時、俺は粉塵に紛れようとする男へ猪突する。

 

「ぐッウぅっ!?」

 

 先に驚愕に目を見開いたのは奴だった。

 まずは先制。右手からはっきりとした手応えを感じると、俺は後退する相手になおも食い下がった。

 というのも、《レイテンター》は高速で立体軌道、すなわち翅の使用を心掛けながら追い込むのが有効とされるフィニッシュ技で、もちろんレンジは中距離を想定されている。

 対してこの場は天井まで5メートルほどしかなく、地面の総面積も広くはない。あまりいい選択ではなさそうだ。

 俺のとるべき戦術は決まっていた。

 

「(はりつけ! もっと深くっ! ここで決めきる!!)」

 

 せっかくの《レイテンター》だがこれも勝負。不発を誘うも作戦というやつだ。

 俺はあらん限りの筋力を大剣のエネルギーへ回した。

 しかしここで気付く。相手がさらなる追加詠唱をしていたのだ。俺の猛攻をグレイブで巧みにいなしながら、無制限炎魔法による逆転の隙を(うかが)いつつ、そこからさらに1歩集中力を増してきている。

 背筋に怖気が走るのと同時だった。

 

「がァアッ!?」

 

 完全に反応外。

 腹を蹴り飛ばされた俺は、大剣をロストしながらエリアの端に激突した。

 まるで先制を許したことすら計算内だったように。

 材質の関係かこの壁だけ衝突音が他と違っていたが、俺はほとんど気にも留めずすぐに危機を察すると、《合成魔法(シンターゼ)》の詠唱を急いで再開する。

 追い打ちをかけるようにサラマンダーから雨あられの炎の散弾が飛んできたが、左腕を突き出して直前に展開した対魔法盾《スワロゥ・パーム》がそれらを軒並みカット。そしてこれらがただの目隠しであることに気づいていた俺は、すぐさま横に飛びずさった。

 ドッパァアア!! と、けたたましい轟音に続き、直後に俺のいた空間が熱の海に没する。

 

「(っぶねぇ!?)」

 

 汗が伝う。

 《レイテンター》による無制限乱射状態。それを上書きしてでも発動されたその大技は、《溶解熱(ウェルダー・ヒート)》。炎と言うよりはマグマに近い、粘り気のある高温の液体を浴びせる炎魔法だ。盾だけでは防ぎきれない。

 しかし読み勝ったことでヒットは免れた。

 しかも、左手に発生した直径30センチ程度の風船状の魔法、《シンターゼ》が敵の魔法に触れた(・・・)のだ。これで奴の魔法情報がメモリーされたことになる。

 単騎でディレイ・チャントを交えた連続発動は見事だったが、そのコンボが有名な手札だったことがこの結果を招いた。

 

「(距離をッ、あけンなっ!!)」

 

 無手の恐怖を退け、自分を鼓舞(こぶ)し、こぶしを握り締めたまま前進。

 

「なななァ!?」

 

 そして右のストレートが正確に射貫くと、驚くそのツラにゴッ!! と打撃音が響く。魔法カット盾(スワロゥ・パーム)により炎の散弾が決定打にならないことを知っていたイーサンとて、まさか追撃のマグマまで凌がれたとは思わなかったのだろう。

 しかも剣を拾いに行こうともせず、あまつさえパンチ攻撃を繰り出すなんて。

 しかし、奇策に頼った時点で追い詰められているのはこちら側。狼狽が続くはずもなく、グレイブの薙ぎ払いによって今度こそ距離が開くと、イーサン・ステインは優勢を確信した微笑を浮かべた。

 だが同時に、俺の魔法も発動が間に合っていた。

 

「ッけェェアっ!!」

 

 華々しいエフェクトと共に空中に粘液の塊が出来上がると、それが一気に拡散して男を襲った。

 チャージ式報復魔法《離脱反応(リアーゼ)》。《シンターゼ》によって記憶した魔法を威力2倍、射程補正のおまけつきで相手に返すカウンター排撃魔法である。

 

「ぐうううっ!?」

 

 奴もさすがに対処できない。翅なしでこの距離だ。

 加えて俺のノイズだらけの声は一般人に届かない。俺のスペルを唱える声を聞いただけでは、『自分がいったい何の攻撃を受けるのか』すら、発動直前まで判別できないのだ。

 

「(ひるんだ!? 今っ!!)」

 

 さしもの大男も不意打ちからの逆連撃に大きく後退していたので、その隙をついてメイン・メニューから巨人の宝剣《エッケザックス》を物体化。エクストラスキル《ソーサリィ・マグバニッシュ》によって透明なドーム状のガラスが展開されると、彼の放つ最後の炎魔法すら凌ぎきってみせた。

 最後というのも、《レイテンター》や《ウェルダー・ヒート》は燃費こそいいが必殺級の魔法。魔力(MAG)補正値Cのサラマンダーではよほど純魔クラスに特化していない限り、マナ切れとなっているはずだからである。

 そして何度か剣を交えると、相手の傾向というのも見えてくる。

 

「アメイジン! 《キャンセラー》! ホントーだヨ!! マジックズ、ナンセン!! やっぱりコッチ(・・・)だヨ!」

 

 そう言って楽しそうにグレイブを構えるイーサン・ステイン。

 想像以上に純然たる力比べをご所望のようで、彼は本当の意味でプレイヤーと高め合うことを楽しんでいる。魔法という手数が減ったことで焦ってもいいだろうに。まったく、これだからこの男を憎み切れないのだ。

 共に剣を正中線で置いたまま間合いを計り合うと、初めて俺も笑みを浮かべた。

 

「(ふぅ……思い出してきたな、2ヵ月前。クソみてェなコンディション含めて、エリアもまんまあン時の再現じゃねーか……)」

 

 結果的に彼を忘れていたが、まじめな話、しばらく気になっていたのも事実である。

 最終強化済みのレア大剣を渡されて、2年の歳月によって裏打ちされた俺の剣術は、まさか1週間とたたず1on1のプレイヤー戦で敗れる程度のものだったのか、と。

 文字通り『死ねない』のだ。

 気分が悪かった、なんて言い訳にもならない。メンテナンスという奇跡的な救済に命を繋ぎ止められたとあっては、SAOから生還した人間には恥ずかしくて言えないレベルである。

 過ぎたことは仕方ないが、中断された決着がここでつけられるというなら願ってもいない。しかも勝利した先にはアルゴとシリカがいるというではないか。

 ますます負けられない。邪魔をするなら押し通すまで。

 

「どけオラァアアっ!!」

「ハアァあああアアアッ!!」

 

 ガリィンッ!! と、金属音が反響する。両者の鋭いブレードが激突するたびに火花が散った。

 そこからはもう、頭で考える戦いからは逸脱した。

 受け、いなし、躱し、返し、そして競り合う。翅で避け、天井に張り付き、壁も走り、縦横無尽に駆け抜けたあとは、一拍遅れて戦場そのものが破壊にのみ込まれ蹂躙(じゅうりん)される。

 たった2人の戦士が奏でる、世界に1つの協奏曲。

 まったく気にも止めていなかったが、長いリーチによって斬撃が重なったのか、ドーピングのエフェクト以外でさらに俺の視界に赤みがかかる。HP残量が2割を下回ったのだ。

 イーサンはバックステップで一息に10メートル以上も距離を作ると、アイテムにより武器に高熱の砂を振りまき、炎属性のエンチャントをかけていた。

 すぐに刀身が熱を帯びるように灼熱の色を見せる。これにより、剣でしっかり受け止めても超過ダメージが発生してしまう。

 されど俺にも手はあった。

 左の籠手に手をかざすと、ゲームのセンサーがそれを認証。両手にわずかに朱色の光る紋様が浮かび、俺は『レッドゾーンでいる限り』攻撃力と防御力ボーナスが得られるバフを手にした。

 俺のスタイルは特攻。回復、索敵などは仲間に任せっきりだったのだ。実にバランスが悪い。

 

「(ま、今さら言っても始まらねェ……)」

 

 地を駆けたのは同時だった。

 

『れああああァァアアアアアアアアッ!!』

 

 ゴッバァアアアアアアアッ!!!! と。その衝撃は、ほとんど爆発に近いものだった。

 掬い上げの角度がうまく決まったのか、今度は相手のグレイブが弾かれる。

 だがエンチャントされた大業物が燃えたまま地に突き刺さるより先に、なんとイーサンが大剣のグリップを掴んできたのだ。

 ここからはドロ沼である。

 1本だけ残された凶器を巡り、子供のケンカのような戦いが始まる。

 髪を引っ張り、腕に噛み付き、急所を膝蹴りしてでも引かない。引けないのだ。絶対に、『生きて』戻らねば。記憶を維持したまま現実世界へ復帰しなければ意味がない。

 しかし一瞬の隙を突かれ懐に入り込まれると、相手はスゴイ形相のまま本格的に武器を奪いにきた。

 盗られた時点で俺は負ける。

 そう判断すると同時に俺はあえて指の力を緩め、そのまま右足で自分の大剣を蹴り飛ばした。

 そして流れるように格闘戦へ。

 

「(引けない!! 絶対にッ!!)」

 

 スウェーバックでフックを回避後、まずはストレートを一撃。愛刀を手放す潔さに面食らったようだ。

 もちろんアドは1回。

 そこからはシステムがダメージを感知してくれるよう、スピードを載せたグーパンがお互いの顔面を殴打した。だが、その最中(さなか)に足を払われて背中から倒されてしまう。

 しかしかつての敗戦と違い、これは意図的なフェイントだった。

 相手が馬乗りしてくるより早く両膝を折りたたみ、相手の腕を引きながらその土手っ腹にクツ底の泥ごと強烈な一撃をお見舞いしてやった。

 巨躯が垂直に跳ね、天井に衝突するとあえなく落下。そのタイミングに合わせ、もう1度足の筋肉を折りたたみ、最大速の屈伸解放によって今度は水平にブッ飛ぶイーサン。

 例の材質が違う板に叩きつけられて呼吸困難に陥った彼に向け、キップアップで立ち上がった俺は雄たけびを上げ、低い姿勢のままそのみぞおちへタックルを食らわせてやった。

 

「がァあああああっ!?」

 

 激突直後に轟音。とうとうその壁面が砕け割れたのだ。コンクリーションされていない柔らかい堆積岩でできた地層。どうやらオーガが逃走用に掘り進めた、という設定の地下トンネルらしい。

 勢い余った俺達は組み合ったままゴロゴロと転がり落ちた。以前の戦いでも隠しルートに突入していたことを考えると、笑ってしまうほどデジャヴを感じる戦いになったものだ。

 しかし笑い事ではなかった俺は、回転の途中で遠心力を利用し、相手の顔面を豪快に殴り飛ばした。

 

『ぐはあっ!!』

 

 やがて坂が終わり、2人共々汚らしい水溜りにベチャッ、と墜落する。

 身をよじる両者。

 各所に揺らめく蝋燭(ろうそく)の火が照らす先には、腐り落ちた木箱と腐肉の匂いが漂う不気味な空間が広がっていた。

 しかし移動したエリアの壁際へ視線だけをわずかにズラすと、ちょうど中間地点に骨格標本に海賊衣装をコスプレさせたような遺体オブジェクトと、その腹部を貫通する鋭利なパイレーツシミターが目に入る。

 おそらく、ALOのコンセプト的にはただの隠し武器。俺と奴はメインアームに選択しておらず、熟練度の低いプレイヤーが装備してもカテゴリボーナスの得られない、いわば売却直行アイテムだ。

 されど殺し合いに励む両者にとって、それはまさしく必殺の一振りだった。

 

「(負けっ、らンねェッ!!)」

 

 反射的にダウンから復帰すると、それがそのままアドバンテージとなった。ほぼ同時に奴も駆けつけたが、俺が先のそのグリップを握る。

 また相手がゼロレンジまで密着しようとするも、しかし俺はその行動を読んでいた。

 左頬をゲンコツでブチ抜いて怯ませると、背面まで引き締めたシミターが腰溜めに放たれ、サラマンダーの真紅の甲冑を中央から裂く。さらに返しの刃で逆袈裟に刀身が横断すると、とうとうそのアバターは床を離れて吹っ飛んでいった。

 そのまま5メートルも奥に着弾。水溜りの泥が派手に散った。

 

「ゴっ……ア、ァ……?」

 

 初めて訪れた静寂。

 飛ばされた先で、やがて紫薪(さいしん)のような炎に包まれる戦士。いつの間にかけていたのか、炎属性の防御魔法《表皮硬化(スキン・エフェクト)》の効果も同時に終了する。

 一拍遅れ、イーサンは敗北したことを悟った。

 全力を尽くして、なお届かないことがある。そんな当たり前なことを久しぶりに思い出したように。

 

「ワオ……アメイジン。……ワズファン……」

 

 少しだけ悔しそうにつぶやいてから、彼の体は完全に焼尽(しょうじん)した。

 激戦を制した達成感も得ぬまま、止めていた息を吐く。続いて荒い呼吸を繰り返しフラフラとよろめいた。

 それでも用済みのシミターを投げ捨てると、すぐさま意識を切り替えた。

 まだ(・・)だ。俺の戦いは継続している。

 転がり落ちてきた傾斜を一息に駆けあがると、途中でロストした大剣を2本とも回収。息が整う間もなく、イーサンが示した通路をひた走った。

 やがて視界の先に確かな光の筋が見えた。

 出口直前に手長の多腕ザルが数匹リポップしてきたが、所詮その攻撃方は同骨格にモデリングされたポピュラーなモンスターの使い回しモーション。俺は連中の攻撃を難なく躱すと、エリアにある採掘ポイントなどには目もくれず一気に走破した。

 

「(足止めくらった……無事でいろよ、2人とも……!!)」

 

 開けた空間に出ると同時に、翅を使って眼下のマップを俯瞰(ふかん)する。

 そして10時の方角に古びた廃村を見つけた。イーサンは確かビッグナントカ……と言っていた。他の単語はぶっちゃけよくわからなかったが、とりあえず大きい協会らしき建造物も見え、付近では緑色の狼煙まで上がっている。

 祈るような気持ちで翅の推力を向ける。あっという間に近づくと人の気配がした。教会のあちこちが砕け散っている破壊痕からも、室内で何者かが争っているのは間違いない。

 考える間もなく翅を震わせ、俺は《エッケザックス》を担いだまま、割れていた2階のステンドガラスを潜り抜けた。

 そして……、

 

「(アルゴッ!? いたっ!!)」

 

 光の魔法網によって編まれた虫カゴ、《バスケット・レイ》によって捕らわれた彼女の姿が。

 見えたのは、彼女ともう1人。見覚えのない男性が空に浮いたまま確殺級の大型直射魔法を放った。

 思考すらスキップして大剣のポメルを捻る。

 攻撃の直線状へ。

 次いで衝撃。しかし投擲された特殊投げナイフ《ククリ》を含め、俺の得物はアルゴへの脅威をすべて排除した。

 轟音とエフェクトが収まり、相手の男は初めて俺の存在を認識していた。しかしアクシデントには慣れているのだろう。予想外の結果に驚きつつも、シルフは短剣を向けたまま追撃用に体力と魔力を同時回復する高価な《ミクスチャー・ポーション》を飲んでいた。

 引く気はないらしい。となれば、再会を喜ぶ前にやることがある。

 

「……アルゴ。あいつを殺るぞ」

「っ!? ァ……ア、ア……っ!!」

 

 返答したというよりは、音が絞り出ただけのような声。

 だがまだ生きている。守れなかったあの3人のように、彼女達まで失うわけにはいかない。

 俺は重なる連続使用とスキルによる副作用でボロボロになった《エッケザックス》を地面に突き立て、メニューのショートカットを利用して《タイタン・キラー》を呼び出して一閃。エクストラスキル以外ではほぼ上位互換された大剣の一撃により、捕獲の檻《バスケット・レイ》は一発で木端微塵となる。

 それを確かめると、仲間が来ればどうのこうの、とゴチャゴチャとうるさく喚くシルフに初めて焦点を合わせた。

 

「うるッせェよっ!!」

 

 奴とて独り。足と翅の推進力がコンマ数秒の世界で重なり、10メートルの距離を瞬きの間に詰め切る。

 反応できなかった敵を見るに、意識が増援頼りにシフトした時点で集中力を欠いてしまったようだ。

 おかげで、たった1回。すべての力を込めて真上から斬撃をくれてやった。

 シルフ男は反射的に杖をかざすも、膂力の乏しい妖精が片手で受けていい重撃ではない。レア杖が半ばから両断された後は、彼自身もその余波によって吹っ飛び高度を下げた。

 そして、立て直す間もなくアルゴの短剣による(・・・・・)ラッシュ攻撃でHPをゼロへ。俺の参戦から20秒足らずでダルグリーン戦衣の男が戦場から消滅した。

 後の残るのは……俺と、死線を共にした1人の女性だけだった。

 もう1人(・・・・)の姿がない。

 そんなことを考えた折だった。

 

「ハァ……ハァ……勝ったよ、シリカちゃん……」

 

 アルゴは誰に向けるでもなくそうつぶやいた。彼女が装備する蒼玉を持つ短剣、その本来の持ち主の名を。

 シリカの手持ちには、神物の霊剣である《マリンエッジ・ダガー》と代替できるランクの武器はないはず。必然、いかなる状況であれそれを譲渡する理由はない。

 そうして1つの結論に辿りつきつつも、俺は事実を認めたくないばかりに口に出して質問した。

 

「なんで、その短剣……シリカ、は……」

「……し、シリカちゃんは……オレっちを守ったせいデ。……今のシルフに、倒されテ……」

 

 (すす)で汚れた戦闘服。各所のダメージ痕。必死に戦ったのだろう彼女の姿もまた、ひどく弱々しかった。

 そしていくら予想できても、聞いて初めてのしかかる重圧は存在した。家庭や学校でどんなミスを犯しても感じることのなかった、喉までせり上がるような、もだえるような後悔が。

 しかし叫ぶより先に口をついたのは、彼女へのねぎらいだった。

 

「……そう、か。でも……アルゴだけでも、無事でよかった……」

 

 確かそんなようなことを言った気がする。体力と、気力と、ありとあらゆる限界が肉体の我慢を超過した。

 俺の意識は、ここで完全に途切れるのだった。

 

 

 

 



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第117話 アダムとイヴ

 西暦2025年1月20日 環状山脈西、ふもとの境界。

 

 いつ以来だっただろうか、こんなにゆっくり寝られたのは。

 まどろむ意識のかなかでまぶたを持ち上げる。最初に目に入ったのは布の天幕。そしてその質素な布の向こうが、樹木の生い茂る森フィールドであることまで確認できた。

 日差しが感じられずやけに暗いが、リアルタイマーが示す時間はAM9:30。本日のALO時間に換算しても午前5時地点を回っているはずで、朝日が昇っていてもおかしくない。……という疑問は、木々の枝を利用して張られた簡易天幕の材質を見破ることによって自己解決した。

 陽の光を遮るアイテムの正体。聖樹に宿る深緑の葉と瑞々(みずみず)しいツタで編まれた《隠れ蓑の長布》と呼ばれるテントもどきで、外から見るとビックリするほど背景に溶け込めるウッドランドパターンの迷彩である。もちろん風雨もしのげる。

 これに囲まれた俺達は、モンスターはおろかプレイヤーにすら視認されにくくなる。ただし、耐久値に関わらず効果が持続するのは半日だけで、こちらも外の状況を把握し辛くなるデメリット付きだが。

 何にせよ、外に出ればすでにご光来は拝めるようだ。

 しかし、まあ……、

 

「(生きてんなぁ~、俺。……運がいいのか悪いのか……)」

 

 去年の11月7日、テンポラリエリアからアインクラッドの崩壊を眺めながら、かの茅場晶彦は6000人以上の生存者がいることを示した。となると、その日その場で300人の抽選を引けた(・・・)段階で俺達は非常に運が悪いわけだが。

 しかしそんなことを考えていると、布の()れるような音で隣にもプレイヤーが寝ていることに気づいた。

 それは俺をここまでせっせと運び、安全を確保してくれただろう人物。

 介抱されるのはこれで2度目。猫妖精(ケットシー)を拝命し、その広い視野と判断力でこれまで幾度となく仲間をサポートしてきた小さな勇者だった。

 《鼠のアルゴ》なんて辛気臭い2つ名がついていたとは思えない、天使のような――猫耳補正アリ――寝顔である。寝間着ではなく戦闘服なところがマイナスポイントなものの、俺と同様おなかに安っぽいブランケットがかかっているだけだ。大きな耳やスレンダーな脚が極めて無防備だが、俺がイヤらしい眼でガン見しても起きる気配はない。

 ……まったく。《体感温度精度》を最低にしているとはいえ、俊敏性に重きを置いた彼女のプレグリーンな衣装と、それゆえ露出を抑える数少ない布面積のタイツはただでさえキワド過ぎるのだ。これが『イエス』サインだと勘違いを起こす健全なティーンがいたとして、誰がそれを咎められようか。否、神にすらその権利はない。

 

「(くっ……ネコはせけーだろ、ネコは……)」

 

 擬人化の寝顔ほど尊いものはない。

 愛しのヒスイにチョコッとだけマジに懺悔(ざんげ)しつつ、胸から沸き立つドス黒い嗜虐心にほだされた俺は、自衛意識が足りていないイケナイ娘に対しオシオキを敢行することにした。

 

「お~い、アルゴ。起きてる……?」

 

 ちょん、ちょん、と肩をつつき、とりあえず小声で。

 反応なし。よしよし、まずは順調だ。

 俺は上半身をもっと起こすと、さらにささやきかけた。

 

「起きないとイタズラしちゃうぞー。あとで文句言っても遅いぞ~」

 

 ニアイコール変態のごとくすり寄ると、俺は目一杯顔を近づけた。気配を感じたのか影でも差したのか、彼女のまぶたがピクリと動く。

 しかしそんなことはお構いなしに、俺はほとんど口元をくっつけるほどの距離で、いきなり音量を上げて猫耳に叫んでやった。

 

「キスするぞ!!」

「わにゃぁぁあああああああああアアッ!?」

 

 ガマンの限界に達したのか、アルゴは真っ赤になりながら耳を抑えて飛びずさった。

 しかし、あっけらかんと「なんだ、やっぱ起きてんじゃん」なんて言うと、駆け引きに負けたアルゴはほっぺと心臓を手で隠しながら泳いだ目で答えた。

 

「な、ナっ、どうやっテ……オレっちハ……!!」

「んだよ気づいてなかったのか。シッポがちょいちょい動いてたぜ」

「ンナぁ……ッ!?」

 

 意味もなく今さら尻尾を抱き寄せるアルゴ。その愛くるしいしぐさに、不覚にも今度は俺の体温も上がってきたが、誤魔化すようにひとしきり笑っておいた。

 そして照れるアルゴに一連のセクハラを詫びつつも、この1週間の経緯を噛み砕いて説明してやった。この時だけはお互いに茶々を入れ合うこともなく、彼女達の道程についても俺は黙って聞いていた。

 共に苦労は絶えなかったようだ。《隠れ蓑の長布》を使用しているとはいえ、こうして俺達が半日もプレイヤーに見つからなかったのも僥倖である。アルゴも復調しているようだし、きっと最低限の睡眠はとっていたに違いない。

 もし無防備な状態で発見されていたら……。ただでさえ勝手に先制デバフ魔法が発動してしまう上に、ましてや相手が無抵抗のカモなら真っ先に略奪に来たことだろう。

 

「そっカ……アーちゃんのスクショはきちんと広まっていたんだナ。あとは……時間なんだケド」

「ああ。もう約束の1週間は過ぎた。次の定期メンテまで2日もない。……ワリと期待してたつもりだったけど、見事に音サタなし、っと。……あ~、さすがにアレだけじゃ話題にもならなかったか。くやしいけど、もう打つ手はないぜ……」

 

 フィールドが荒れる日曜日を通り過ぎたということもあるが、木々の隙間から刺し込む木漏れ日を浴びながら、2人して実に呑気なものだった。今この瞬間にも死角から狙われているかもしれないのに、まるで世界に俺達しかいないかのような錯覚を覚える。

 もっとも、人間諦めがつくとこんなものなのかもしれない。

 むしろ今までが過剰だったのだ。別に誰もかれもが脱走者を狙っているわけではない。だのに、『残機が1しかない』ばかりに、どこかこの妖精界を物騒に捉えすぎていた。現にこの2ヵ月で何組ものパーティとすれ違っては、互いに手を振り合うだけで干渉しないまま通り過ぎてきたことが幾度となくあった。

 どのみち、現時点で頼れる仲間もほとんどを失っている。今さら泣いても後の祭りだし、2人にまで減ってから何週間と持たせるのは難しいだろう。

 となれば、あとは限られた時間をどう使うか。

 そしてどうやら、彼女も考えることは同じだったようだ。

 

「終わったナ。何もかも……でも清々しいヨ。十分戦ったんだからサ。もしかしたら、オレっちにとってこの2ヵ月は、アインクラッドにいたころより濃密だったのかもしれなイ」

「そいつはよかった。……俺にとってもデカかったよ。なんかな……また人間として色々アガった気がする!」

「ムフフ、てきと〜」

「いやマジだって。みんなと過ごせて楽しかったし、ほら……ガマンを覚えたし! たとえ……全部忘れちまうんだとしても」

「ナハハ、オレっちの方がよっぽどか感謝してるヨ。いつの間にかこっちが学ばされたぐらいダ。実験のことなんてもういいカラ、この思い出だけはイジられたくないもんだナァ……」

「それ言えてる。次リンドに会っても話が合わないとかキツいっつーの……あ、そん時は俺の方も忘れてるのか……」

 

 終わりが近づいたことで、長いようで短かった2ヵ月の逃亡生活が克明によみがえる。

 しかし、思いついた限りネガティブ思考の共有を済ませたところで、俺はなるべくテンションを変えて建設的な話題を振った。

 

「なぁアルゴ。そのヘンのことは置いといてさ、せっかくだしアルヴヘイムをマンキツしようぜ! 人目につく、とかもムシ! 今までさけてきた絶景スポットとか観光してよ。んで、ウザかったこととか忘れるまで遊ぼう!」

「ぷフッ……完全に壊れたナ。でもいいのカ? 観光地なんて行って、デート中のカップルと戦闘になってモ」

「ハッ、そんときゃそんときよ。だいたい2対2(にーにー)なら俺らで勝てるっしょ! もうパーっと行こう、パーっと!!」

 

 俺は手の反動だけで立ち上がり防具の汚れを払うと、座ったまま苦笑いしていたアルゴに手を差し伸べた。

 

「さ、行こうぜアルゴ! 期間限定だけど、俺らだけの『思い出作り』だ!」

 

 2年前に比べ、俺はずいぶん前向きになれた。アルゴはそのきっかけをくれた恩人の1人である。

 そんな彼女にしてやれる、最初で最後のサシの恩返しのために。

 

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 そこからはもう、ほとんど興味がてらログインしている一般のプレイヤーだった。

 徒歩とわずかな翅を使って気になったエリアを練り歩き、その地方にしか棲息しない環境生物とたわむれたり、ファンタジーならではの絶景を思うままに写真に収めたり。

 意外だったのが非戦闘区画、いわゆる遊歩道(プロムナード)の充実具合で、今までは生存生活に関係のない要素を気にしないようにしていたが、モンスター生態の作り込みも舌を巻く出来だった。うまく誘導なりすれば大型MoBとの戦闘に利用できたらしい。こういった隠し要素は、手探りで試行錯誤をするより現実に戻ってネットで調べた方が100倍速いのだろうが。

 もちろん気ままな旅をする中でPK狙いのパーティはチラホラ見かけたが、アルゴが先に見つけては全力疾走or温存しておいた翅を解放して逃走を繰り返していたので、初動で距離を作れれば小回りの利く俺達に追いつける者は皆無だった。

 もっとも、緊急時以外で翅の使用を縛ると足の速いモンスターとの遭遇戦は物理的に不可避で、消耗品のストックは初日でだいぶ減らされてしまっている。

 しかしそうこう遊んでいると、不思議なことに時間とは早く過ぎるものである。

 物資の調達もせずに遊び通しているといつの間にか日も沈み、辺りはだんだん闇が深くなっていった。

 リアルでは18時頃を回ったところだが、1月20日現在、時刻はALO内でもほぼ一致している。

 俺達は一息つくと、巨大な熔山の近くにある岩屑地帯に無人の安全スペースを見つけた。地面の大半は灰色が占めているが、これは噴火の後に積もった堆積物が冷えて固まったから、らしい。椀状のカルデラを想像してもらえれば早いだろうか。

 いずれにせよこのエリアでは2人きり。警戒はしつつも、文字通り翅を伸ばして休んでいた。

 

「ふぃ~、楽しむと割り切ったら何とかなるものだな。どう考えてもパーティで動いてた時より戦闘減ってるぜ、これ」

「集団の方が目立つんだからそれは道理サ。でも、1日通して勝ち鬨が上がらなかったのも初めてだし、食糧モロモロ考えるト……この調子じゃ持って3日だろウ。あさってのメンテで『奴ら』が来たら2日カモだケド……」

 

 持って3日。というのも、俺達がやりくりしているこのアイテムと食糧の備蓄は、かつてのリンド達や敵集団の持ち物なのである。

 ALOでは戦闘に敗北すると死亡者の所持品の中からランダムに3割が天引きされ、勝者のインベントリ内に転送されるシステムが採用されている。無論、常時愛用している武器など、レア度の高いものまで1発アウトの危険性があるとあまりにもギスギスしてしまうため、それらは生存している仲間の共有ストレージに保管されるのだ。そしてメンバーが最終的に戦局を脱すれば、デスルーラした持ち主と合流してアイテムを手渡すことができる。

 そして昨日、俺達は戦いに勝った。

 しかも全滅まで追い込んだ。

 わずか3割、すべてが実用的なものではないとはいえ、相手側8人パーティから『保険枠』まで手に入ったのはラッキーである。こちらも残りは2人だけなので、アクティブにならず細々とやっていけば補充なし&消耗のみでもしばらく持つ計算となるのだ。

 

「ま、あと2日だろうな。俺は8日前、トブチに『次のメンテだけ見逃してくれ』って言ったんだ。……もう待っちゃくれないさ……」

「……ニャハハハッ。じゃあなおさら、もっとこの世界を堪能してから終わろうじゃないカ。この思い出作りを最高のものニ。……オレっちは……お前サンといて、すごく楽しかったヨ。ずっと一緒にいたいって……思うくらい……」

 

 その表情に、ゴクッ、と生唾を飲んでしまった。

 俺は視線と同時に話題を逸らす。

 

「そ……そか、サンキューな。そういやこの火山って、設定上じゃ地下をマグマが通る水源なんだよな? またよさげの温泉とかあるんじゃねーの」

「オ~、そうカモ。アノ日(・・・)からその手の娯楽施設はいくつか見つけたケド、メンツと時間的に素通りも多かったしナ。オレっち達が最後に入ったのいつだっケ?」

 

 別に体臭が付くわけではないが、女性のアルゴとしては不潔なままでの生活はあまりいい気分ではないだろう。という配慮から、一行 (2人だけど) はほとんどリスクを度外視したままエリアの奥まで渉猟(しょうりょう)した。

 そしてSAOの思い出話しに花を咲かせること20分。暖かい湯気と地熱を感じる空間に出てから、ほどなくして凹凸の少ない岩に囲まれた間欠泉を発見した。

 プレイヤーへの悪影響はないようで、腕防具を外して手を突っ込むと案の定ほぼ適温。ALOの運営が遊び心で取り入れた空間の1つなのだろう。

 間欠泉だけに一定周期で溢れ出す飛沫(しぶき)の規模が大きく、湯に浸かるにはうっとうしかったが、それもまた風情。モデル体型の女性被写体もいたことだし、彼女を正面にスクショを取ってみるとこれがまた非常に絵になったのだ。対面の山稜(さんりょう)にかかる月明かりが付随しているのも、フォトショなしに素晴らしい佳景(かけい)を際立てる粋なファクターになっている。

 SAOではどうしてもそそり立つ壁が目に入ってしまったが、こうした1枚絵を楽しむ分にはこちらのゲームに軍配が上がる。

 

「おー、よく撮れてる。動画配信者向けかもしんないけど、ALOってこういう作り込みスゲーよな~。ここにはモンスターもくんのかな?」

「ともあれ、プレイヤーには見向きもされないだろうネ。発売から相当たってるぽいし、採取できるアイテムも少なイ。まして日本人は慌ただしいんダ。仮想のオフロで身を清めることもないだろうサ」

「……だ、だよな。人来ないよな。……ん、んじゃあサクッと入っちゃう?」

「……今エッチな気配を感じたゾ」

「バッ、ちっげーって! 俺はアルゴのことを考えてだなぁ!」

 

 ――く、さすがにお見通しか。

 しかもアルゴはニヤッと笑うと、自分も頬を染めているくせに追撃してきた。

 

「どうだカ。例の温泉じゃあ、オレっちとシリカちゃんが同時に被害に遭ったらナ~」

「オイオイあれはジゴージトクだろう。俺はシンシに外で待ってたのに、アルゴがわざと悲鳴なんて上げるからー……」

「ナハハハ。棒読みになってるぞジェイドさんや。でもせっかくリフレッシュできるのに、ここに入らない手はないよナ~」

「(え……マジ……?)」

 

 そう言うと、彼女はケムリ立つ湯に近づいて足甲などを装備欄から削除。岩に腰かけて素足の状態で水面に沈めていた。

 なるほど脚まで、と。

 深さのほどは膝上といったところで、足湯としては深く温泉にしては浅いぐらいだった。ALOに来てわずか3日で発見した露天風呂と比べると全体的なグレードは見劣りするが、きっとあの場所が特別だったのだろう。

 とは言え、もともと家族で旅行なんてイベントとは縁遠かったのだ。こうした体験が貴重だからこそ、アルゴの半裸を拝めないのだとしても個人的には風呂に入りたいところだった。願わくばもう1度あの絶景露天風呂を味わいたいものだったが、いかんせんここからでは距離がありすぎる。

 多少諦めがつくと、俺も過去のことを忘れて具足を解除。アルゴに(なら)って適当なフラット面に腰を下ろすと、ザブンッと行儀悪く両足を突っ込んだ。

 直後に広がるのは、張った筋肉が弛緩するような脱力感と、暖かさに包まれた多幸感。

 強いて言えば、相変わらず間欠泉の飛沫がウザいが。

 

「くはぁ~、つかれてるだけに効くなーこれ。あの時みたいに特別なバフとかはないみたいだけど」

「ある方が珍しいけどナ~。捨てられた民宿のフロ場とかも勝手に使ってきたケド、結局あんなリゾート地には2度と巡りあえなかったナ」

「んー確かに。あの日は天気もよかったし。……うお、やっぱ湯につかってねーと寒いわ。俺マジで全身つかるけどアルゴはど-する?」

「……ソ、そうやってスグ人を脱がそうとすル……」

「やっ、今回はホントちげーって! 俺がぬぐから気を使ったんですー! てか、ぶっちゃけ俺はヒスイ一筋だから!」

「いま『今回は』っテ……」

「…………」

 

 失言をなかったことにしつつ口笛で誤魔化し、しれっとメニューを操作していたが、心なしか今のやりとりでアルゴが急に暗い顔をしだした。

 もっとも『期間限定の思い出』という前提から、今日だけでもテンションの下がった回数は数えきれない。「じ、じゃあオレっちはそのヘンで待ってるヨ……」とだけ言い残して立ち去った彼女もまた、おそらくこの生活の終わりを考えてしまったのだろう。

 俺はあえて気づかないフリをすると、ラフな布の短パン――おそらくこの世界用にデザインされた水着と思われる――だけになってから、改めて湯船に全身をひたらせた。ここで初め知ったが、海が遠いわりにこの湯は炭酸泉らしい。独特な刺激臭もする。

 

「(ま、悪くはねーな……)」

 

 やはり浅いので半ばあおむけで寝るような姿勢を取らざるを得なかったものの、疲労困憊で汚れた体を暖かい湯で洗い流すという行為は、細胞がDNAレベルで快楽と受け取るのだろう。日が沈んでいい加減寒さも気になっていたところなので、このぬくもりは相乗効果も生んでいる。

 俺がいることで恥ずかしがっているのなら、アルゴも極めてもったいないことをしている。別にクドこうとしているわけではないのだから、気楽に満喫すればいいのに。

 ――まあ、目の前でケモッ娘のストリップショーが始まろうものなら、記憶操作されても忘れないぐらい脳髄に焼き付けられる自信はあるが。

 なんてゲスいことを考えていると、信じられないことに背後からひたっ、ひたっ、と人が歩いて近づく音がした。しかも「え、まだ入ってるんスけど」と発言する前に、俺は世にも恐ろしいモノを目撃してしまった。

 

「アル……ゴ……ッ!?」

 

 上半身がバネのように跳ね上がり、思わず絞り出したような声が漏れる。

 細身の女性がバスタオル1枚だけを巻いて、非常に無防備なまま俺を見下ろしていたのだ。

 控えめの胸から膝上15センチぐらいまで布1枚。完全に肌色と白色しか見えない状態だが、まさかその下は一糸まとわぬ姿なのだろうか。いやしかし、マルチプレイ前提のオンゲーで誰がどう見てもいかがわしい格好になるなんて、そんなことが可能なのだろうか。なんにせよ実現できた時点で全年齢のレーティングではなくなる。

 

「じ、ジロジロ見るなヨ。……やっぱりオレっちも入りたくなったんダ。別にいいだろウ?」

「いやだって、えっと……俺まだその、入ってるし……」

 

 言いよどんでいると、目を合わせないまま恐る恐る彼女が入浴。かけ湯なし、タオルを巻いたままの入浴はマナー違反だぞ、という、むしろこの場合はどうでもいい思考がいくつもよぎった。そもそも彼女のタオルを取り上げようとした時点でアウトだ。

 それにしても……、

 

「(ここっ……混浴、だとっ!?)」

 

 湯の温度を超えて体温が上がる。

 そんないかがわしいこと、ヒスイとだってしたことはない。

 だいたい、アルゴはいいのだろうか。仮にも俺は異性。勝手に順番を決めたことは悪かったと思うが、だからといって肌を見せる行為には抵抗もあるはず。

 現に俺の視線はくぎ付けだ。水滴が張り付く華奢な肩を覗くだけで、よこしまな煩悩が暴発寸前まで膨れ上がっている。自制できるはずもなし。

 しかし彼女の答えは単純だった。

 

「い、今さら恥ずかしがってもしょうがないサ。無防備な時間は減らしたいし、その……どうせ忘れるんだカラ……」

「どうせ忘れる……そだよネ……どうせ忘れるもんネ……」

 

 どうせ忘れるならナニしてもアリだよネ、と危うく口走りそうになったが、そのセリフを聞いて俺もわずかに冷静さを取り戻す。

 恒久的な生存効率を度外視した初の翅休め。かつてアルゴは、人と共に過ごすことがこれほどかけがえのないものだとは思わなかった、などとこぼしていた。情報屋としてのキャッチコピーが特定人物との深い接触を妨げてきたからだろう。

 そして今、その記憶すら失おうとしている。

 この2ヵ月で取り戻した、本来誰にでもあったはずの感情。味わった葛藤や、新鮮な生活から得たまったく新しい価値観を。ギルドメンバーに会えなくて頻繁(ひんぱん)に落ち込んでいた俺に対し、一緒に暮らす中で滅多に悲観しなかった彼女でも、やはりこの現実は受け入れ難いのかもしれない。

 そこまで考えると、自然と声のトーンは下がっていった。

 まあ、言うてせっかくの据え膳。シリアスに振る舞うポーズの裏で、見られるものは見ておくのだけれど。

 

「なあアルゴ」

「アッチ向いテ」

 

 と思ったが、早速これだ。生殺しである。

 俺は首だけ回して口を動かす。

 

「……な、なあアルゴ。もしかしたらさ、奴らもオンジョーわいて実験に関するトコだけ消すカモだぜ……? この記憶残っちゃったら……したら俺、もうアルゴを友人として見れないカモだぜ……?」

「ナッ……っ……オ、お前サンも往生際が悪いゾ! やるだけやって変わらなかったんダ。こっちに譲歩してくれた土渕という男も、オレっちの印象から言うと、まともな人柄には見えなかったケド」

「ん~それなんだけど、俺やっぱりあいつら来たら全力で抵抗しちゃうかも」

「エエッ!? いやいや、約束破ったら今度こそ何されるカ……」

「え~だってケモッ娘と混浴とか忘れたくねーじゃんっ!!」

 

 「ほ、ホントバカ……」と言い捨てた切り、彼女は背を向けたまま黙りこくってしまった。首まで赤いが、このムスメも存外照れ屋なものだ。

 そして今日1日を通して感じていた違和感に気づく。

 『責め』が足りない。

 アインクラッドにいた頃はもっと、こう……どちらかがボケればすかさず皮肉めいたツッコミがあったはずなのである。特に俺の場合、無知ゆえに狙ったわけでもなく発言の度にこっぴどくからかわれたものだ。

 それが本日はどうだろうか。2人きりでいる時は終始挙動不審で、調子こいたセリフに対しても大半ははにかんで笑う程度。いくら期間限定とはいえ、これではテンションの塩梅(あんばい)に困ってしまう。

 

「だぁーもう、アルゴ!」

「ナッ、なんだ急ニ!?」

「ちょっと暗すぎだろう! ガラじゃねーんだよ、ソレ。いーじゃん、2日も先のことなんて考えなくてさ! ほら、あいつらだって表じゃ社会人だ。他の仕事とかであさって超忙しいかもしんないし!」

「……できる限りオレっちも気にしてないつもりサ。お前サンと違って、乙女には色々と悩みがあるんだヨ……!」

 

 しかし話す途中でアルゴが振り向くと、何度かまばたきしてからこう切り出した。

 

「デモ……そうだナ。どうせ忘れるナラ……今日ぐらい自分に正直になってもいいよナ……?」

「うんうん……ん、待て。どゆこと?」

「ジェイドだけには……オレっちの全部ヲ……」

「えっ……えっ……ちょ、アルゴサン……!?」

 

 彼女がザバッ、とおもむろに立ち上がったのである。おまけに、呑み込み切れていない俺を前に、体に巻いてある濡れそぼったバスタオルに手をかけたのだ。

 いったい……何のつもりだろうか……。

 正直申し上げると、焦点は胸にしか合っていない。ただでさえ肌色Maxの姿なのに、角度によっては極めてヨロシクない不適正かつ後々ヒスイに酌量の余地がなくなりそうな重大なターニングポイントを超えることもいとわないユートピアが顔をのぞかせ……、

 

「オレっちのキモチを!」

「わわぁあああああああああッ!?」

「な~んて、ナ! ニャハハハハハハッ!」

「……は、っ……!?」

 

 なんと、バッサ! と脱ぎ捨てられたその下には、きちんと水着が着てあったのだ。

 そもそも流血表現すら規制されているので、おそらく全年齢対象ゲームである本作において、『なんと』もクソもない。妄想全開でマッパを期た……危惧していた俺は、まんまとこのお調子者にハメられたらしい。

 サプライズ前なら様子がおかしかったのも納得だ。

 

「ナハハハっ! ニャーハッハッハッ! 朝の仕返しサ!」

「く、くそ! 笑いすぎだっつの!」

「ハァー、だってお前サン……プフフッ、スゴい顔してるゾ。今モ!」

「うっ……さい、この……このチジョ! そーいうのマジでしんぞうに悪いからな! これヒスイに言えないエピソード増えてっから、マジで!!」

「オイラの方から報告しといてやるヨン」

「ヤメロ! ホントそれジョーダンなしにナシだから!」

「じゃあカネがいるナ~。リアルキャッシュでたんまりとネ」

「うわ、現役ん時よりアクドクなってんじゃん……」

 

 それからはようやくアルゴも本調子に戻り、歯止めが効かなくなったようにお互い笑い転げていた。

 ただ、彼女が死ぬほど落ち込んでいたわけではなかったので、そこについてはもう煩慮(はんりょ)することはなさそうだ。

 こうして嘘のように短い1日が過ぎ、また夜が明けていった。

 

 

 

 翌朝、早朝の冷え込みこそ強めだったが本日も晴れ模様。大きな山のカール地形を描く窪みに身を潜めていたので、そこから顔を出せば眼前に広がる山々に薄くかかる、綿毛を編んだような幻想的な霧と虹の絨毯(じゅうたん)が飛び込む。

 俺達はいざとなれば翅を使った逃げ作戦だけ再確認してから、地上をスタスタ歩いて再び未踏の地を観光していた。

 めまぐるしく進歩する科学技術の情勢を見るに、いずれは「VRで海外、深海、宇宙旅行へ!」なんて時代が到来しそうなので、少しフライング気味だがその一端を味わっているのだと思えばいい。

 

「なあ、今日はどこ行こっか、アルゴ」

「気ままでいいサ。目的地を持っちゃうと、タイムリミットのせいでたどり着けなかった時に口惜しくなるゾ」

「それもそうか。じゃあこのまま火山を南下しちまおう。ケットシー領が近いから見たい放題だったりして」

「むぅ~! オレっちという女がいながらよそ見とはどんな了見カ!」

「ええ~アルゴが気ままでいいって言ったじゃん」

「よこしまでいいとは言ってなイ!」

 

 そんなことを言い合いながらも結局南を目指す運びとなった両名は、本日も1日かけてたっぷりデートを楽しんだ。

 仮想世界では朝日が燦々(さんさん)と照る、リアルでは夜になる頃になってから、やがて海に面する大地の端っこまでやってきた。

 波打ち際は非常に独創的なつくりをしている。円周の一部が欠けた陥没孔(かんぼつこう)が、そのまま海に面してしまった形状とでもいえばいいだろうか。狭い範囲で巨大な角岩(チャート)が累積し海フィールドから突き出している。

 そうした柱のような疑似足場が大小20以上。防波堤のようなゴツゴツの岩石群と荒い波が50メートルほど下に見えるが、翅が十分に残っていれば落下死する恐れはないだろう。

 もっとも、現在は移動と戦闘でずいぶん消費してしまったので、この場を借りて少しでも回復しておきたいのも本音である。

 という理由のもと、俺とアルゴは陽の当たる石柱を選んで陣取ると、発見されやすさに目をつぶりつつ、直径4メートルほどしかないてっぺんに腰を下ろして翅を休めた。

 少し遅めの夕飯。ちなみに陽が当たるという点は、寒いこの季節では無視できない恩恵もある。

 そして『苦労して踏破した山頂ならレトルト食品でも絶品と錯覚する現象』ではないが、男女2人きりで非現実的な夜食会となれば、おのずと固いパンにも魔法のスパイスがかかるものだ。昼まではうんざりしていた味が、アルゴと談笑しながらだとほおぼった食感まで変わったように感じるのだから不思議である。

 1日を通して4組のプレイヤーと戦闘に――迂闊(うかつ)にこちらから近づきすぎてしまった――なってしまい、どうにかすべてを撃退、あるいはスピードに任せて撒いてやったものの、人間誰しも体を動かせばしっかり腹は減る。ミクロな視点では笑えないほど世紀末だが、こうした摂理は変わらないのだ。

 はっきりとした勝利こそないが、朝からブッ通しで張りきった以上、確率的にしばらくは会敵しないだろう。

 

「くはー、うめェ。海を見下ろして食うメシもオツなもんだな」

「まーナ。本来は命綱なしじゃ休憩すらできないところだケド、だからこそ特別感が出るのカモ」

 

 ただし、少し首を捻って断崖であることを思い出すと、アルゴはブルッと体を震わせて意識的に食事に専念する。

 翅を消費させられた主な原因でもあるが、ここら近辺で幅を利かせる《パウンド・イーター》なるエイ状の飛行生物にだいぶ鱗粉を食われてしまったので、少なくとも無駄使いする余裕はまったくないのだから。

 

「ハハッ、あんま下は見ないことだな。……モンスターもたらふく設置されてたおかげで、オチオチ海水浴もできやしねえ。あ~あ、ネコちゃん達の水着見たかったわぁ……てか季節的に無理もいいとこか」

「昨日見せたろウ。あ、あれじゃ不満だったのカ……?」

「逆だよ、逆。味をしめたから忘れる前におがんどきたいの!」

「ニャッハハ……お前サン、吹っ切れてからずいぶん煩悩に忠実になったよナ。……ああ、ソノ……オレっちのでよければ……」

「シッ! アルゴ!!」

 

 アルゴが冗談を言う前に反応する。俺はいきなり彼女に飛び掛かると、その体を抱いたまま翅を使って次の岩柱まで飛んだ。

 ゴウ!! と、先ほどまで腰かけていた地面が炙られる。

 確率なんて宛てにならない。運が悪いことに、『敵集団』だ。

 しかし理解しても次弾までは避けられなかった。着地を狙われて俺達が受けたデバフ魔法は、飛行能力を奪う珍しいタイプである、幻属性の《削減する翼(リダクション)》だった。

 奇襲者は4人と3匹。うち3人は領の近いケットシーで間違いないものの、1人は装備の色からスプリガンだろうか。光属性の《静寂性(クワイエット)》などを利用して接近したのだろうが、こうして苦手属性を補えるよう、対立せず、かつ組織力の低い種族を傭兵として随伴(ずいはん)させる小隊はいくつか見たことがある。

 

「ハッハァ! 言ったろ、翅がなくてもイケるって!」

「ドンピシャでいましたね!!」

「さっすが隊長! こうなりゃ人数でゴリ押しだァ!!」

 

 観察と同時に、空戦があと30秒もままならなくなったことに小さく舌打ちする。

 しかしただでさえ損耗していた飛行力だが、よく見ると相手の翅の鱗粉も尽きかけていたので、この場に至るまでにかなりの長旅を経てきたものと推測できる。もしくは彼らも、例の鱗粉喰いモンスター群と一戦交えたのかもしれない。

 ゆえに、すぐ斬りかかるのではなく、こうしたひと手間が必要だったわけだ。

 ともあれ、ケンカは売られたら『勝てそうなら買う』のがポリシー。現に逃げの一手を封じられたからか、アルゴの反応まで早かった。

 彼女がリズミカルに足場を跳ねながら、手に持つ高級な《ピック》を惜しみなく相手の《使い魔》に投げつけたのだ。

 そのどれもがペット連中の羽に命中。羽付き動物どもは例外なく羽から揚力を得ているので、そのポイントにダメージ判定が出ると怯むだけでなくわずかに高度をも下げてしまう。

 散開する主に追随できなかった《使い魔》は、即座に俺の《タイタン・キラー》の餌食となった。

 

「ああっ!? こいつら使い魔を!」

「ひでェ奴らだ、クソ! もうよーしゃするなッ!!」

 

 その傲慢(ごうまん)さには逆に好感が持てる。おまけに盲目的になってしまったのか、何らかのコンビネーションを崩してまで俺を狙う単騎×3のケットシートリオ。まったく、奇襲してこれでは目も当てられない。

 こちらは翅をほぼ使い果たして各岩柱に縫い付けられているが、しかし翅とは違い心の余裕はこちらに分があるらしい。

 俺は斬りながら唱えていた9句のスペルを完成させると攻勢に出た。

 当然、彼ら4人は激しいディストーションによって聞き取れなかっただろうが、俺が発動したのは闇魔法の《因果応報(レトリビュージョン)》。発動者を中心に呪いがかかり、付近のモンスターからのヘイト値をいきなりMAXにする大技のデメリット魔法である。

 

「(足を止めるなッ……戦ってるフリでいいんだ!!)」

 

 連続移動による時間稼ぎ。しかし十数秒もすると、(くだん)の《パウンド・イーター》が音もなくわらわら集まってきた。光るエイのような浮遊生物だが、こいつらは離れたところからもプレイヤーの翅の力を吸い取り、自分達だけ上空から毒をまき散らしながら弱った獲物を捕食する、という生態設定の生き物である。

 しかも複数個体が同時に吸収や毒まきを行うと、その効果は共鳴するように膨れ上がる。

 効果はすぐに表れた。

 

「う、うわっ翅が!?」

「なんでっ!? まだ1分以上は……ッ!!」

「おい周り見ろ!! いつの間にか《パウンド・イーター》が来てるぞ!」

「おっ、落ちるぅッ!!」

 

 アルゴの足止め役だったスプリガンまで被害に遭うと、彼らは仲良く墜落し海のモズクとなった。せめて美食家の魚に食べられるがいい、なんてね。

 

「ハッハァ、いっちょ上がりィ!!」

「ジェイド気を抜くなヨ! こっちは飛べないシ、まだモンスターはいル!」

「あーッてるよ! 攻撃はいいから、いつものムチで引っ張ってくれよ! パスくれたら叩っ斬るからさ!!」

 

 喝を飛ばすと彼女は順に狙いを定めてバーブスを振り回す。

 そして逆棘に絡まった空飛ぶエイは、俺のアグロレンジヘ引き込まれあっという間に大剣の血錆となって消滅した。残りわずかとなっていた俺のHPだったが、モンスターの攻撃法が『毒の散布』だっただけに、デバフに侵されるまでタイムラグがあったことがラッキーだった。アルゴが定期的に対毒バフをかけるだけで事足りる。

 最後の1匹を倒した俺は、ようやく深いため息をついた。

 

「ハァ~……やっと終わった。食糧もっと減っちまったな。何なら全部口に放り込んどけばよかったぜ」

「それじゃあ魔法が唱えられないダロ。命があっただけ儲けものだヨ。……でもま、落下死が撃破じゃなくて自滅扱いになるのは納得いかないよナぁ」

「とりあえず翅もないし隠れるか。てかそっちまで遠! ジャンプで飛べるかな、これ」

「やめといたほうがいいゾ。オレっちの場所なら内陸まで飛び移れそうだケド、そっちの足場は明らかに遠いシ。大人しく翅の回復を待って……」

「いや行けるって、そこで見てな。……あ、アルゴちょっとそこどいて」

「……1分も待てないのかいナ……」

 

 確かに翅は1分単位で徐々に回復していくものの、スリルなしでは意味がない。アルゴは呆れた顔をして足場の端に移動したが、誰しも子供の頃に行うこうした無謀な遊びは、大人になっても楽しいものなのである。

 ……楽しいものなのである。

 レディにはわかるまい。

 

「とゥりゃああっ!!」

 

 間抜けた掛け声とともに、俺は足の瞬発力だけで飛び上がった。

 踏み込みは悪くない。姿勢もよし。ただし射出された体が最高点まで達した時、1つの答えに行きついた。

 

「あっ……」

 

 ――やっぱりムリだ、これ。

 

「のわぁああああッ!?」

「ちょ、ジェイドぉ!?」

 

 絶妙に手も引っかからない壁面にぶつかると、先ほど真っ逆さまに落ちていった4人の後を追うように俺も重力に引かれていく。

 しかし50メートルも下方にある乱泥流の荒さにゾッとしたのもつかの間、俺の腕に何らかのヒモ状のものが絡まり、どうにか墜落する運命から逃れられた。

 アルゴが愛用する《フォー・ハウジング・バーブス》。普通のムチと違って対象を絡め捕る用途を想定して作られているので、こうした一芸が可能なのだろう。

 何にせよ助かった。

 俺は縛られていない方の腕を振りながら真上に叫ぶ。

 

「おーうアルゴー! サンキューなぁ!」

「……落とすぞこのヤロウ……」

「ちょ、ダメダメ! 死んじゃうって俺!」

「じゃあこれからは! 人の忠告をありがたく聞くことだナ!」

 

 「だいたい重いんだヨ、主に剣ガ……」とか「こっちは筋力パラメータがだナ……」なんてブツクサ言いつつ、結局引き上げてくれるアルゴ。からかい甲斐二重丸。

 だが、またしてもトラブルが起こった。

 負担を減らそうと、俺が小さな突起に足をかけてジャンプしたタイミングで、彼女もまた大きく腕を引いて持ち上げようとしていたのだ。

 予期せぬ合力により、石柱の上まで体がフワリと持ち上がると、そのまま覆いかぶさるように小さな体躯を押し倒してしまった。

 「へぶっ!」という可愛らしい鳴き声をよそに、互いの顔が急接近。あわや唇が触れそうかといった寸前で運動が止まると、あっぶね! と思いつつ慌てて起き上がろうとする。すると、かなりとっさだったからか、手の支えの位置を誤った。

 右手がはっきりと彼女の胸に。反射的にモニュモニュしてから、それを押した反動で体を離していたのである。

 

「ぴゃああっ!?」

「(あ、ヤッベ……)」

 

 彼女は一気に頬を染め、俺の喉からはいかなる声も発せられない。

 もはや汗すら流れることはなく、俺はサッカーで言うところの『私ファールしてませんよ!』アピールのバンザイポーズのままフリーズしていた。

 レッドカードものだが。

 

「…………」

「…………」

 

 至近で威嚇し合う両者。

 しかしここで問題となるのが、すべての事象が悪気の介在しない偶発的な悲劇であることを打ち明けても、それを思春期特有の見苦しい言い訳と捉えられ、まったく逆効果として人生の汚点へと帰結しかねない点だろう。

 さてどうしたものか。

 1つ、ナイチチだから実質ノーカンだよね!

 2つ、揉むと育つらしいよ!

 3つ、ごめんなさい……。

 選択肢は絞られた。ただ、どうにも前者2つのルートは問答無用で(はりつけ)にされたあげく、キリストもドン引きな拷問をされかねない。せっかく1つのしがない命を守り抜いた彼女に、そんなことをさせてしまうのも忍びないだろう。

 という思考を2秒で済ませると、おのずと答えは導かれた。

 

「すまん、今のは俺が……」

「ゥゥ~ホンットバカ! スケベ! そのままシネ!」

 

 謝罪の途中でポカポカと殴りかかってくるアルゴ。「うわ、落ちる落ちる!」と慌てながらなだめたところで、どうにか殴打は止まってくれた。やけにデジャヴを感じる光景だったのは気のせいか。

 ともあれ、このまま元気にはしゃいでいると第2、第3の刺客を誘う危険性があったため、俺達は気まずい空気のまま内陸方面に東進し適当な(くぼ)みを見つけるや否や侵入。ようやく訪れた安穏の時間をむさぼった。

 光がほとんど差し込まない通路。人気もなく、しんと静まり返っている。

 座ってみると初めて心身ともに消耗していることに気づく。刻一刻と迫るタイムリミットがそろそろ気になってくる頃合いだが、同じことを考えているのか彼女の表情も精彩に欠いていた。

 しかし、その落ち込みは昨日今日で蓄積されたものではなかった。彼女のストレス……それが、一過性の不安からきているだけでないことを、俺は初めて知ることになる。

 

「……すっかり深夜だネ。あと数時間……長いこと生き長らえてきたケド……本当にこれで、オレっち達の戦いは終わりなのカナ……」

「なんだよアルゴ、やっぱり一緒に抵抗するか? 数日ぐらいは伸びるかもよ」

「ハ、ハ……それじゃあダメだヨ……」

 

 対面して座っていた彼女がおもむろに立ち上がり、インベントリを眺めていた俺のすぐ隣で腰を下ろしたのだ。

 恋人同士ではあるまいし。装備が密着するほどの距離だったが、ドキマギする気持ちを紛らわそうと「寒がりさんか、甘えんぼさんか」なんて、いつものようにからかってやろうとした寸前だった。

 

「やっぱり終わるのはイヤだナ……ずっと……ずっとこうしていたイ……」

「お、俺もそうだけどやけにストレートだな。それに今は2人まで減っちまってるから、正確には7人いたころに戻りたい、だろう?」

「……んーん、違う。『2人がいい』んダ……一緒に冒険して、モンスターを倒して、苦楽を共に……オレっちは、お前サン以外誰もいらなイ……」

「お、い……っ?」

 

 体を支えていた右手の甲に、彼女の手の平が置かれたのだ。

 そのセリフとセットはマズいだろう。小さな手は冬とは思えないほど暖かく、触れているだけでおかしくなりそうだった。ただでさえこの2日、肌を重ねるように睡眠をとっていた関係上、否応なく刺激されるようなシチュエーションが連発していたのだ。いくらヒスイを1番とのたまおうと、理性が揺らいだ回数は数えきれない。

 またからかおうとしているのだろうか。いずれ本業の情報屋が再開された時、切れるカードを増やそうとでも?

 ……いいや、違う。彼女の上気した表情に演技はない。少なくとも長く共に過ごした俺の目からも、そこに1つの真実を垣間見た。

 

「(ああ……クソ。ダメだ……アルゴ……)」

 

 その心の機微に薄々気づきつつ、ずっと見て見ぬふりをしてきた。この特殊な環境が惑わせてしまっただけだと言い聞かせてきた感情。

 肩に頭をコツンと乗せると、それでも彼女は最後の不文律を破った。

 

「……なァ、いつまで……そうして気づかないフリをするつもりダ。……何か言ってくれないと、オレっちは辛いだけだヨ」

「……ずるいだろ。俺にはヒスイだって……」

「今日で忘れる記憶じゃないカ。……それに、恋をすればいいって言ってくれたのはお前サンだゾ? ……ずっと我慢して……押し殺して……ゥ……オイ、ラだって……この気持ちがあったから耐えられた……頑張れタ! こんなにも、想っているのニ! ジェイドのことが好きなのに!!」

「アル……ゴ……」

 

 答え方がわからなかった。

 決して嫌っているわけではない。ここで受け入れたとしても、誰の記憶にも、どこの記録にも残らないことを理解している。彼女が隣で支え励ましてくれなければ、立ち上がる力さえ途絶えていただろう。

 だが。だとしても、俺の愛する女は1人だ。だから、俺は彼女から目を逸らした。すがるような視線から逃げた。傷つけない言い回しを考えるだけで精いっぱいだったのだ。

 ただ彼女は、是とも否とも解答しない俺の克己心(こっきしん)が、今までで最も揺らいだことを感じ取ったのかもしれない。

 ゆえに、行動に移した。

 狭間のような空白に近づき、体を大きく傾けて上半身を寄せる。気づくと彼女の柔らかい唇が触れていた。

 暖かく、つつましく、とても甘い。感じたことのない熱を注ぎ込まれる。それはさながら、ヒスイの関係を知り後押ししてきた自分が、己の決断に恐怖しているようにも映った。

 耳朶を打つくぐもった声。痺れるような官能感。

 俺は一瞬、このキスが心地いいものに思えてしまった。妨げることは可能だったのに、そぶりすら見せなかった深層心理が、この背徳的な行為をまったく別の情調へと変えてしまったように。

 

「ッ……!!」

 

 しかし、数秒だったのか、一瞬だったのか。危険な蜜のような味を感じたあとに到来したのは、圧倒的な違和感だった。

 このキスは俺の知っている感触ではない。誰だ、なんだ、これは。大切な思い出を侵害してくるような、得体の知れない不快感は。

 気づいた時には、アルゴの肩を突き飛ばしていた。尻もちをつく彼女をよそに、手の甲で口元をぬぐいながらフラフラと立ち上がる。

 思考も焦点も定まらなかった。たった今、ヒスイではない女性を受け入れようとした自分に怖気が走る。

 否定の言葉すら、弱々しかった。

 

「そんなつもりじゃ、なかったんだ……俺は……」

 

 ただし俺が罪悪感に呑まれるより早く、彼女の方が激情に突き動かされた。

 

「だ、だったらッ、受け入れないでヨ! キスだけじゃないッ……肌を見せてもいつも通りデ!! ……ぅ、ぅっ……拒むなら! 最初から手を差し伸べないデ!!」

「アルゴ……っ」

「お前サンのそういうところが嫌いダ! オイラにっ……夢を見させておいテ! 突き放すぐらいなら放っておいてよォッ!!」

 

 わき目も振らずわんわんと泣き、裏返った声で喚き散らし、アルゴはそのまま(きびす)を返して岩窟の奥へ走っていってしまった。

 追いかけなくては。ここで追わずに見失えば、もう2度と会えなくなるかもしれない。泣かせるつもりはなかったのに。

 勝手な考えばかりがよぎるが、こんな別れ方だけは嫌だった。

 

「ハァ……ハァ……クソ……アルゴ……!!」

 

 どこまで走っていくつもりだろうか。なけなしのパーティ登録だけが彼女の居場所を知らせてくれる。だが果たして、俺はこのまま追いかけていいのだろうか。きっと彼女はそれを望んでいない。いや、望んだとしても、きっぱりと俺の気が変わってからだろう。

 悩むことすらやめて、それでもなお足だけは動いた。

 随所に溜まる潦水(ろうすい)を踏み越えると、やがて分かれ道に差し掛かる。彼女の判断力もまともにはたらいていないのか、進んだ方向は袋小路になるエリアだった。

 行き止まりの奥に小さな背中が見える。小刻みに震えているのは、気のせいではないだろう。数歩、また数歩と歩み寄り、壁に顔をうずめたままの背に話しかけた。

 

「なあ、これで最後なんだ。……今までずっと一緒にいたのに……こんな別れ方をしたくない……」

「……来ないデ……」

「俺にとっては……アルゴも大切だから……」

「ッ! ……くっ、バカにして! オイラの気持ちがわからないのカ!? そうやって曖昧に言われるのがっ、もう辛いだけだって言ってるんだヨ!!」

 

 泣きはらした顔のまま、彼女は子供のように叫んだ。

 そして腰からシリカの形見である蒼晶の短剣(マリンエッジ・ダガー)を引き抜くと、その剣先を喉元に突き立てる。

 

「おい!? バカなことを!!」

「奪われるぐらいなこっちからくれてやル! こんな記憶なんていらなイ!!」

「くッ……!!」

 

 ガッ!! と、地表が砕けるほど加速した。

 5メートル以上あった距離が一瞬で縮まり、俺はアルゴの両手を乱暴にホールドする。両手の動きを封じられ、彼女はそれでも凶器を離さず睨み返した。まるで、これが根本的な解決にならないことを訴えるように。

 しかし間近で彼女の翠眼の瞳を覗くと、またも固めたはずの意志が揺らいだ。わがままな人間のために1人の女性がこれほど深く想い、そして思い詰めていた事実。以前からことあるごとに顔を合わせてきた日々。彼女を大切だと抜かした俺のセリフも、その場しのぎの慰めで放った言葉ではないのだ。

 だとしたら、この瞬間だけ……あと数時間で消え去る思い出の中でだけ、彼女の想いに答えてやることはそれほど罪深い行為だろうか。人を傷つけないウソがあってもいいのではないだろうか。

 心の中で強がりを並べると、今度こそ俺はあまねく抵抗意志を黙殺した。

 両手をゆっくり離して、代わりに小ぶりのあごを引くと、再び彼女にキスをする。一瞬驚いたような顔を見せたが、有無を言わさず強引に体を抱き寄せると弛緩しきったように脱力した。

 そうすることで、より彼女の息遣いを感じる。俺の腰に手が回ると心臓の音まで拾えるようだった。

 

「(背ぇちっさ……)」

 

 余計な思考は、後ろめたい感情がチラついていたのだろうか。より背を丸めてやると、なおのこと相手はむさぼるように身を預ける。華奢(きゃしゃ)な体には、少女のような初々しさと磨かれたような艶めかしさが混在していた。

 やがて深く溶け合うような情熱的な接吻を終えると、どちらともなく顔を背ける。

 先に均衡を破ったのはまたも彼女だった。

 

「またそうやっテ……この、女たらシ……」

「うわ、コクっといてよく言う」

「ナハハ……す、すまんナ。甘えてばかりデ……あれだけ困らせて、幻滅されたと思ったのに……デモ、好きだと言ったのは本当ダ。こうして応えてくれたんだカラ、せめてこの時間を大切にするヨ……」

 

 ようやく気が収まったのか、自決目的に抜刀した短剣を鞘に納める。ここまで来た以上、終わる時も一緒だ。

 俺は抱きしめていた彼女を離すと、同時にチクリとした痛みに襲われた。

 

「(けど……まあ、やっちまったなァ、とうとう……)」

 

 愛もないのにキスをした。ただでさえ掻き毟りたくなるような罪責感に苛まれたが、行為だけでなく脈打つ胸の高鳴りと高揚が余計にそれを加速させる。

 本当に最低野郎だ。合わせる顔がない。もっとも、あともう少しでそれらの感情すら忘却し、謝罪の1つも彼女に伝えられなくなるわけだが。

 

「……ここがSAOならできたのにナ」

「その発言はさすがにアウト」

「気づいてないのか、もうセーフなんてないヨ。……じゃあこうしよウ。今だけはオレっちが彼女だと思って、将来の話をしようじゃないカ。ALOを無事に脱出できたことを前提にサ」

「ええ~まだエグるつもりかよ……まあ、話すだけならいいか。アルゴって兄弟いるの? 1人暮らし?」

「1人っ子で1人暮らしだナ。ジェイドは?」

「姉が1人で実家暮らし。高校出ると同時に家も出るつもりだったけど、そうもいかなくなっちまったからなぁ……。戻った後のことはマジでわかんねェや」

「オオ、意外と歳いってなかったんダ。でもオレっちにも夢があるゾ。そうだな、向こうに戻ってまずしたいことハ……」

 

 そうして他愛のない話が続いた。

 仮に地球があと数時間で終末を迎えるとしても、きっと人間にはこれぐらいのことしかできないだろう。

 2ヵ月半にもおよぶ旅。幾重にもリマインドされる思い出のページが、ゆっくりとめくられていく。思えば、数ある選択肢の中で、こうした世界線に巡りあわせたことに俺はしっかり満足していた。

 まだ7人とも生き残っていた可能性や、あるいはもっとたくさんのプレイヤーと《ラボラトリー》を脱した可能性もあったかもしれない。しかし、寒灯の下を盤桓(ばんかん)し、今こうして彼女と穏やかな時を過ごした先で共に朽ち果てられるのなら……それはある意味、本望だった。

 それにトブチ曰く、実験はおおかた軌道に乗ったとのことらしいので、今までのように『記憶操作が失敗すれば殺害で口封じされる』という憂慮(ゆうりょ)も捨てることができた。

 それらが完了すれば、もう長いこと会えないままだったヒスイやカズ達と再会できるのだ。旅路の記憶を失うのであれ、その事実だけは喜ばしいことである。

 

「……ふぁ……ぁ……睡眠不足が重なりすぎてまぶたが重いヤ。今さらフィールドに出ることもないし、今日はここで寝ちゃおうカ?」

「おいおい、手ェつないだまま寝るつもりか」

「なんなら抱き合うのもいいナ。幸せそ~にしてる寝顔を見れば、あの悪魔どもも意識を奪うのを踏みとどまるカモ」

「ったく、アルゴの方こそ未練タラタラじゃねえか。やっこさんこそ、さんざんこっちの安眠ぼーがいしてきた元凶だっての」

 

 しかし、定期メンテナンスを前に先に寝てしまおうという意見にはおおむね賛成だった。意識のないうちに被検体になってしまえば、少なくとも奴らの勝ち誇ったような顔を拝まなくて済む。

 揺蕩(たゆた)う虚脱感に襲われると、全身の力を抜いてささやいた。

 

「もう終わりか……気合いで全部覚えてられるかな……」

「イイネ、それ乗っタ。今までのことでも反芻しながら待っていようヨ。人の意志もたまにはマシーンの力に勝てるカモ」

「ハハ、だといいな……」

「……おやすみ、ジェイド。楽しかったよ……ねぇ、向こうでも会えるといいネ」

「ああ、本当に……」

 

 寒さを忘れる、優しくて暖かい温度。肩を寄せ合い、支え合うように深いまどろみに誘われる2人。きっとこのまま、誰の目にもつかない暗闇で最期を迎えるのだろう。そして何もかも失って現実世界で目を覚ますのだ。

 ああ、悪くない。

 とても満ち足りた、人生最後の攻略生活だった。

 

 

 

 



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アナザーロード13  あなたを待つ日

 西暦2023年1月21日 東京都。

 

 シルフ領、とあるカフェの角席。物騒な武器を構えたプレイヤーが闊歩する中、あたしは内心ソワソワしていた。

 異変があったのは昨日、つまり月曜の朝からだった。

 ALOにおいて永遠のライバル、サラマンダー達の動きが活発になったことで警戒したシルフ隊の一部が、彼らの動向を長時間ストーキングしたのだと言う。

 無論、やがてはバレる。結局全滅してしまったらしい。しかし死んでもなお情報が拡散するのは、その殉職があくまでゲーム内での出来事でしかなく、かつ現代がネット社会だからだろう。そして敵対種族が慌ただしいとあれば、シルフが警戒するのは必然。

 本日火曜、夜。我らが《アズール・ドルフィンズ》のリーダー、シズ/ミカはそのギルドメンバーに招集をかけていた。

 11人も集まると席に座れない人もいて、雑談のせいでガヤガヤと喧騒に包まれた。

 

「おっ、全員参加は前の週末以来ですね。トタチさん、イン1週間ぶりじゃないっすか?」

「ちょっとリアルが忙しくて……。今日も2時ぐらいには落ちるつもりです」

「今日何します〜? たまには初狩りでもしますか?」

「ってこの子新人じゃないですか。ヒスイさん、ですよね? ミルキー・ホルンっていいます。ここでは『ホルさん』って呼ばれてます」

 

 各々が軽く挨拶を済ませるなか、1人があたしに向き直った。

 老兵風でノースリーブのワイルドな長衣を羽織っている。名前は伺っていたが、お初の方。あいさつをする彼のアバターは想像以上に筋肉質なので、おそらくアバターガチャにて厳選したのだろう。

 ちなみに、『初狩り』とは初心者を狩る、のスラングである。

 もっとも、あたしはこの10日間毎日ログインしていた。必然的にメンバーと顔を合わせる機会は多く、その大半と1回以上は模擬戦をしている。

 

「初めまして、ヒスイです。シ……ミカの友達で、勧められて他のゲームから来ました。でもサリバン君には悪いですけど、今日は初狩りをしているヒマはなさそうですよ」

「え? そうなんすか?」

「ミカから説明させてもらうね。向こうでもチラッと話したけど、サラマンダーの動きが怪しいってウワサを聞いたの。すっごい数の人が、戦争でも起こしそうな形相で集まってるって」

「そ、そりゃーまた危ない日に召集かかりましたね。それなら今日は街から出ない方がいいのでは?」

「それがそうもいかないの。どうも……狙いはミカ達の領主、つまりサクヤみたいだから」

「ええっ、サクヤさん領土出てるんだ。てか、それ誰から聞いたんすか?」

「サクヤの親衛隊の1人よ。ミカは結構長い付き合いで特別に教えてもらったんだけど、例のケットシーとの同盟……実は今日なの」

 

 この事実には9人の男性からもどよめきが走った。

 かのネコ耳種族と友好的な政策を進めてきた経緯から、同盟を予想した者はいたかもしれない。しかし、それが今日……もとい、メンテナンス直前であることを考えれば、まさに今リアルタイムで行われんとしていることまで予想することはできなかったようだ。

 親衛隊メンバーは引くほどのガチゲーマーだけれど、ゆえにごく少数。極秘とはいえ種属の長が主街区(スイルベーン)を離れたとあればうわつくだろう。

 

「じ、じゃあ……サラマンダーの異様な集まり方って、まさか……!?」

「うん。ホントにまさかとは思うけど、向こうの主街区のログイン率異常だって。あまりにタイミングが良すぎるの。もし重役の誰かが裏切ってたとしたら……」

「そういうことだったんですか。じゃあ迷うことはありません。また奴らに街を占拠されちゃたまらないですからね」

「ささっと援護にいきましょう! 場所はどこなんです!?」

「……それが、まだわからないの」

「えっ!? ミカさんでも教えてくれなかったんですか!? そんなっ、じゃあ……」

「待ってください、あたしが説明するわ。ただし、時間がないので移動しながらにしましょう」

 

 話がこじれる前に、あたしはメンバー間に割って入った。

 大規模戦の身支度を整えると、《アズドル》の一行は全員が翅を広げ、随意飛行のまま高台から飛び立つ。各々も落ち着きを取り戻したようである。

 

「コホン……じゃあ改めて。状況はこう。まず、サクヤさん……ていう人も、ミカの援軍策を知らないのよ。でも仲のいい親衛隊の1人に、追跡できるアイテムは持たせてある。だから、常に位置を把握できるってわけ。そして彼らはまだ移動中」

「な、なるほど。でも隊長、ヒスイさんにずいぶん話したんすね。それにいくら友人でも、今回の戦闘には……」

 

 初対面のホルさんが心配そうに言いかけると、フワッと近づいた最年少のサリバーン君が食い気味に答えた。

 

「それがガチヤバなんすよね〜、ヒスイさんは。ここにいるみんな1回はサシで負けてますから」

「アッハッハ、それはないでしょう1週間ちょっとで。みんな手加減したんですかぁ!?」

『…………』

 

 大声での呼びかけに対し反応が鈍かったせいで、ホルさんは一筋の汗を垂らしながらこっちへ振り向く。

 

「……え、マジ?」

「まあ、一応。足は引っ張りたくなかったので頑張りました」

「ガンバったって、そんな……いくらイン率高くても……だって無敵のミカさんだっているのに……」

「ミカは……ちゃんは、動きは速いですけど、クセが強いんです。特に慌てた時は同じ魔法ばっかり。皆さんにも今度対策教えますよ?」

「もーそういうのはいいから! 1回は油断しただけ! それよりみんなっ、スピード上げるからちゃんとついてきてよ!!」

 

 ミカは照れ隠しに言うや否や、翅のギヤを上げて全速でフィールドを北上するのだった。

 

 

 

 ◇    ◇    ◇

 

 

 

 サラマンダー軍団へ向かう、少し前。同盟調停場前日。数日ぶりに訪れることになったジェイドの見舞いの直前に、あたしはシズから特別にその機密事項について話してもらっていた。

 シルフとサラマンダーのトップ争い。これは、アルヴヘイム・オンラインがリリースされてからかなり早期にできた構図だった。

 それでも、あたしにとっては対岸の火事である。

 《グランド・クエスト》を達成し、《アルフ》なる種族を得て、無限の飛翔力を手にする。なるほど、魅力的な報酬だ。このゲーム性や自由度の高さには十分感激しているし、時間と親が許してくれれば本気で挑んでみたいとさえ思えた。

 しかしあたしの目的は、あくまで彼氏の安否を確かにすること。今も活動を続けているれん/ジェイドの意識の所以(ゆえん)を探し出し、現実への復帰を助けることにある。

 であれば、種族間抗争に手を出している場合ではない。《アズドル》への恩返しは彼の問題が終わってから。

 のはずだったが……、

 

「(まさか、頭首を打たれた時のデメリットがこんなに大きいなんて。……10日間も実質的にログインを封じられるとか、そんな時間はないのよ……!!)」

 

 思わず歯軋りしてしまう。主を討たれただけで、備蓄3割と関税率の全権委譲は頭がおかしすぎる。

 頭首投票に参加したことはなかったが、サラマンダーが(はかりごと)をしていた場合、帰属意識に関係なくサクヤなる人物を守る必要がある。シルフのギルドに世話をかけている手前、これはあたしの義務である。

 モヤモヤと考えながら、病室の花を買ってきた新しいものに差し替えると、その日は早々に病室を後にすることにした。文句も言えず寝そべる彼には申し訳ないが、今はどうしても時間が惜しい。

 早く帰って長丁場の支度をしなくては……、

 

「(スピードと魔法で近接に持ち込んで、剣の腕で上回れば勝ち。……戦法は確立してきたし、昨日は初めてシズにも勝った。あとは荒削りを詰めるだけ……あれ?)」

 

 そうして中毒者みたくゲームのことを考えていると、病院のエントランスホールの先にスーツを着た見知らぬ男性が立っているのが見えた。係員と事務的な話をするには少しボリュームが大きいようだが、揉めているのだろうか。

 しかしなんと、受付の1人があたしに気づくなり、慌てたように手招きしてきたのだ。

 心配になり、小走りで駆け寄る。

 

「どうかしましたか?」

「ああよかった、御門女(みかどめ)さん。この方ご存知ですか? 《レクト・プログレス》というところの会社員らしいんですけど……なんでも、フルダイブ技術? の専門家らしくて、もしかすると彼の昏睡状態を治せるかもって……」

「ジェイド……あ、れんの症状を……?」

 

 あたしが改めて向き直ると、黒いビジネスケースを持ったメガネの男性も正面を向いた。

 やや不衛生そうな、長く脂ギッシュな髪。第一印象はあまり良くない。ただ面相はともかく、社名に聞き覚えがある。レクトの子会社で、確か《アルヴヘイム・オンライン》のサーバ管理をする運営組織があったはずだ。

 

「初めまして。御門女さん、ですか? 《レクト・プログレス》、VR電特設計課の土渕総悟と申します」

「初めまして、御門女玲奈です」

「大瀬崎さんとはご学友で?」

「いえ……彼氏です。SAOに……あたしもいましたので」

「……そうでしたか。大変でしたね。……私達は昏睡状態の元ユーザのデータを収集し、その推移から意識回復の手立てを……って、難しい話ですよね。しかし、被疑者の記録にはご家族の承諾が必要。……今日の面会は諦めますが、かわりに少しお話を伺えませんか? 時間は取りません」

「あたしは構わないですけど……」

 

 受付さんをチラ見すると、「共有スペースを使われますか? それとも、大瀬崎様にお電話をおつなぎしますか?」と尋ねてきた。わざわざコンプライアンスすれすれのことを聞いたのも、顔見知りのあたしが来たからだろう。

 あたしは片手で断ると、「廊下で話します」とだけ答えた。

 人気(ひとけ)のないところまで歩く。男性は改めて見るとサラリーマンより研究者といった風情だったが、その彼が先に口を開いた。

 

「ちょうどSAOの管理サーバを継続運営しているのが私の部署でして。……ですので、事件のことはよく耳にします。しかも気の毒なことに、彼氏さんは未だ帰らない……何人かの1人……」

「300人と聞いています」

「そ、そうです。よくご存知ですね」

「……あと、もうSAOにはいないと思いますよ」

「なぜ……そう考えるんです……?」

 

 それは、探りを入れるような声色だった。

 あたしが想像以上に首を突っ込んでいたからか、意識不明の彼氏に対し動揺が少ないからか。いずれにせよ警戒したまま、あたしも決意した。

 

「あそこを出る前、事件の犯人……つまり、茅場さん本人と話しました。彼はれんに負けて、『この世界を終わりにする』と言ったんです。今でも覚えています。崩れるアインクラッドを眺めながら、6000人のログアウトを完了させた、と。……あの表情は本気でした。スジだけは通す人です」

「でも嘘はあった。現に300人は戻っていない。でしょう? きっとどこかで、彼の時間は続いているんだと私は……」

「いいえ、違います。強いて続いているというなら、7人だけ(・・・・)。その人たちは……今も別の場所で戦っているとあたしは考えます」

「そっ……な、なぜ……そんな風に……」

「彼のカルテを見たからです。不定期に動悸が乱れているようでした。それ自体はSAOから続くことですが、毎週水曜の午前4時から乱れるのはこの2ヵ月だけです。土渕さんは彼の容態を知りたかったんですよね? 今の、心当たりはないですか?」

「そ、それは……」

 

 あたしが具体的な理由を述べたからか、彼は明らかに言い淀んだ。

 もっとも、これだけでは単なる唐突かつ脈絡のない質問責め。この男性が無関係であれば、これ以上の追及すら無意味だっただろう。

 しかし、彼の反応は違っていた。

 

「それだけじゃなんとも答えられないなぁ。アハハ……すまないね。思い当たる節がないもので。……でも、興味深い情報だ。今のはウチの部でも展開してみるよ。……じゃあご両親もいないことだし、また日を改めるとするかなぁ」

 

 愛想笑いを浮かべ、早々に話を打ち切ろうとしたのだ。

 立ち去ろうとする彼を、今度はあたしが呼び止めた。

 

「待ってください。思い当たる節がない? へんですね、あなたの会社が運営する『とあるゲーム』のメンテナンス時間と同じはずですけど?」

「なっ……!? い、いや、これは……」

 

 やはり露骨に狼狽する。

 じんわりと湧き立つ怒りを抑え、あたしは冷静に質問を続けた。

 

「……その反応……なんとなくわかりました。あたしの話に食いつかない理由も。……土渕さん、なにかご存知なんですね?」

「…………」

「部外者は勝手な面会ができない。なら、普通は来院前に親に確認を取るものです。そうしなかったのは、秘密裏に調べたかったからですよね? ……あたしは事実を知りたいだけなんです」

「本当に……知らなかったんだ。申し訳ないけど……」

「あたし、また仮想世界に行ってるんです。どこだと思います?」

「……ま、さか……」

「アルヴヘイム・オンライン。……あたしは、彼があの世界にいると確信しています。メッセージがあったんです。親の反対も押し切って、この数日間、ずっと……。心配なんです。あまり理解されないですけど……あたしや多くのサバイバーにとって、SAOで過ごした2年は他の何にも替えられない大切な時間です。……あたしには彼しかいない! 知っていることを、話してください。お願いします」

「…………」

 

 目を合わせ、問う。すると短い沈黙を経て、土渕さんはあたしにも予想できないことを口にした。

 

「いや……ハハ、まさか。……こんなことが起きるんだね。ジェイド君は本当に……物語の主人公のようだ」

「っ!? ……やっぱりジェイドを……知ってるんですね!? 彼は今どこに!」

「院内だよ、御門女さん。静かに。……想像の通り、ALOの中さ。けど、普通のプレイヤーというわけではないし、今はログアウトもできない」

「なんで!! っ……すみません。なんで……ログアウトできないんですか?」

「話し始めると長くなる。でも、少なくとも今の私は敵ではない。解放できるよう努力するよ。冗談みたいな話だけど、ゲームの中で彼と約束したんだ。もし、この1週間でサバイバーの誰かがALOまで探しにきたら……」

「探しにきたら……?」

「……君に会うまで、絶対に起こり得ないと思っていた。……それでも、君はたどり着いた。……ああ、ごめんよ。今は断片的なことしか言えないんだ」

 

 そう言うと、土渕さんはビジネスバッグからタブレットを取り出して短く操作する。そしてしばらくシステマチックにタップすると、腕時計を見ながら三度(みたび)口を開いた。

 

「私はこれから本社へ向かう。君はいま聞いたことを忘れて、誰にも伝えないでくれないか? 外部からの干渉があるほど動きづらくなる」

「あ、あたしにできることはないんですか? ALOから出られないというのは、具体的にどういう状況なんでしょう……?」

「SAOと同じでシステム的な問題だよ。基幹プログラム流用のおかげで、『プレイヤー』への干渉は多少できるけど、『ナーヴギアを被った人間』となると、知っての通り干渉は不可能なんだ。意識を戻すのも無理。電源を落とせば勝手に電子レンジ。……だから、今は彼らの座標を追ってるだけさ。それに残念だけど、君にできることは多分ないと思う。ALOへのログインも控えた方がいいだろう」

「……わかり、ました……」

 

 その場ではそう答えた。この土渕という男性を読みきれなかったからである。

 しかし、ゆえに信用しきれないと直感が訴えていた。彼は「解放できるよう努力をする」といった。その口ぶりから察するに、彼、ないし彼らは確信犯でジェイドを幽閉している立場になる。

 現状は彼個人の証言しかないが、いかようないきさつで解放の一助となるにせよ、信用はしきれない。きっとあたしは自宅に帰るなりあの地へ降り立つだろう。

 

「失礼するよ、御門女さん。君に会えてよかった」

「……はい。ジェイドを……れんを、お願いします」

 

 頭を下げると、その頃には土渕さんはホールの出口へ向かっていた。

 

「(明日まで待とう。もし……なにも起きなければ、今日話したことを警察に言う。意味があるにせよ、ないにせよ……)」

 

 決意を固めると、今度はあたしも出口へ歩き始めた。

 元は見舞いに来たつもりだったし、受付の人にも散々問われたが、今のあたしはいてもたってもいられなかったのだ。

 そしてその夜、シルフ・ケットシー間同盟の策を聞かされたのである。

 

 

 

 ◇    ◇    ◇

 

 

 

「それにしてもヒスイさん、今日はやけにハリきってるっすね!」

「えっ……そ、そうかな。初めて《アズドル》が11人揃ったからかと!」

 

 並走するサリバーン君に問われたあたしは、意識を現実にーーここは仮想世界だけれどーー戻しつつ、風切り音に負けないように大きく答えた。

 シルフの首都スイルベーンを出てからしばらくたつ。

 メインフィールドである森林帯を北東に進み、《ルグルー回廊》を突破。そのまま北上を続けること15分。シズはすでに「ターゲットが動かなくなった! 調停式の場所は《蝶の谷》手前の広場みたい!」と周知させている。

 確かにここならアクティブモンスターはポップしない。旨みのある副産物もないので、多くのプレイヤーにとってはただの通過点だろう。

 しかし、今日だけは例外だった。

 

「隊長、前います! たぶんサラマンダー! 数十人規模です!」

「すでに包囲されてるっぽいすよ! やっぱりバレてたんだ!」

「(くっ……なんてこと……)」

 

 索敵役メンバーの報告で体が一気に強張った。望遠で見える限りでは、50人以上のプレイヤーが列を成して飛行しているらしい。

 さすがに領主を討とうというだけのことはある。

 最強のモンスターを狩りに行くのだってその半分で済むだろうに。

 

「むっ、無理ですよ隊長! このまま突っ込んだって死にに行くようなもんです!!」

「…………」

 

 すでに全員目視可能範囲まで近づいたが、その数に圧倒される。あの大軍団にケンカを売っても勝てないことを、誰よりも己の腕と知識が確信させていた。サクヤさんの親衛隊とてシルフが誇るトッププレイヤーであるものの、個々の実力なんてもはや意味をなさないだろう。

 しかし、それでも……、

 

「行こう、みんな!! 負けるなら! あたしは戦って負けたいッ!!」

 

 肺いっぱいに吸い込み出した大声は、風を押し返して響いた。

 直進しながら、今度はシズが……いやギルド《アズドル》の隊長としてミカが命じた。

 

「さっすがミカの妹!! みんなも男でしょう! いっちょド派手に行くわよ!!」

 

 スラリとしたレイピアを抜く。カミングアウトに対する隊の動揺もおきざりに、魔法まで唱え始めた。

 それに、女性2人が先陣を組むことにも意味はあったようである。「ま、ここまで来て手ぶらはないよなァ!」だの、「倒した数少ない人は後でおごりな!」だの、「えっ!? てか、2人はガチ姉妹!? マジ!?」だの叫びながら、戦闘準備を始めていたのだ。

 敵集団、目の前。ALO史上最大級の祭りにしよう!

 

『うぉぉおおおおおおおおっ!!』

 

 雄叫びと共に轟音が炸裂した。

 豪炎、雷鳴、竜巻、そして怒号と絶叫。

 堂々とした接近に対し、邀撃(ようげき)態勢をとっていた集団と、神風と化した11人の手練れが激突した音だった。

 サクヤさん達も状況を理解したのだろう。その側近と、またケットシーらの小隊も一斉に動き出す。といっても、その半数は炎の大波に呑まれていった。

 億すれば孤立する。孤立すればたちまち炎の波。ならば、乱戦の中に活路を見出すしかない。

 あたしも懸命に剣を振るう。こちらは足して27人。単純戦力倍以上の負け戦だが、死の間際まで諦めないメンタルは嫌というほど刷り込まれている。

 

「(なんかさっき、近くに部外者が見えた気もするけど、今は構ってられない! 流れ弾いったらごめんね!!)」

 

 まずは1人目の赤甲冑を斬り伏せながら、胸中でよそ者に合掌しておく。

 そして、改めて集中する。

 横槍の剣撃を間一髪でかわし、人の頭を踏んで姿勢回復。アドレナリンに(たの)んだ急加減速で翻弄すると、さらに2人目の首を真後ろから一閃。返しの刃で受傷痕にもう一撃入れ、鈍い音と共に完全に切断して見せた。

 

「よしっ、2人!!」

 

 平日真夜中にログインしている時点で相応の廃ゲーマーと予想できるが、こうして連キルできるほどにはALOに順応できたらしい。

 しかし、自分のスキルアップを噛み締めたのも束の間だった。

 視界の端で《アズドル》のメンバーが、四方からの凶器によって倒されていたのだ。

 1on1では決して遅れを取らなかっただろう。だが、今回は条件が悪い。敵軍は数に勝ることをいいことに、死んだそばから蘇生ローテしている。不利を加速させる原因である。

 さらに乱戦空域の外周には純魔のシューターが展開し、隙を見てはいやらしい誘導弾を放っている。これでは、ヒットストップによるわずかな減速さえ大きなディスアドとなってしまう。

 

「あッつ……!?」

 

 ジッ!! と、さっそく左のふとももに被弾。魔道士に狙われると仲間を気遣う間もない。

 射線から後方に目を向けると、敵の大太刀使いがまさに眼前に迫っていた。

 

「ぅくッ!!」

 

 ガガッ! と金属音と火花が散る。

 凄まじい重さと技。装備にも妥協がない。おそらく、小隊長格のプレイヤーだろう。

 

「ほーう! よく受けたな!!」

 

 言いつつ、うっすら笑みを浮かべた相手の手は止まらなかった。

 どこにそんな筋肉があるのだろうか。細身の長身から繰り出される乱撃は強烈で、受け流しても反撃に移れない。さらに周囲からは、顔を隠した魔道士数人が、次の標的にあたしを選んだ。またも戦力差が頭をかすめると、あまりに絶望的な状況に心から疲弊する。

 

「(でも……あいつなら……!!)」

 

 ふと、あの男の顔が浮かんだ。

 彼はどんなに劣勢でも、結果敗れることはあっても、投げ出すことだけはしなかった。

 ジェイドがここにいたら、どんな決断を下すだろうか。サクヤさんを見限る? 仲間をオトリに使う?

 自問自答するまでもない。なぜなら、あたしは……、

 

「《レジクレ》の! ヒスイなんだから!!」

「む、う……!?」

 

 ガチィィ!! と、大太刀が全力全開の盾によって弾かれた。

 幾百、幾千と繰り返し体に刻み込まれたガードパリィ。体重を乗せた一撃をいなされたことで、むしろ赤甲冑の方が態勢を崩した。

 ーー脇腹がガラ空き!!

 

「セヤァアアアア!!」

 

 カウンターの突き攻撃。直剣が男のアーミープレートを貫通した。

 一撃で決まらないあたりがさすがの防御力といったところだが、この一戦における趨勢(すうせい)は逆転した。

 後衛の魔法が飛来してくるまで数秒。せめてこの男だけでも道連れにして見せる。

 

「っ……え、なに!?」

 

 しかし、追撃続行の直前、視界の端にいた敵魔道士の1人が燃え上がったのだ。

 ギルメンからの援護ではない。敵の技でもない。あれはまさに死亡確定の演出(エンドフレイム)のエフェクトだった。

 原因は背後からの強襲。それも、かなりの大型武器の使用者である。必然的にシルフやケットシーではないはずだが、こんな乱戦に身投げする部外者がいたのだろうか。デスペナだって軽くはないはず。

 けれど、考える余裕はなかった。……いや、までも(・・・)なかった、か。

 目で追うのがやっとの速度でジグザグ飛行するその影妖精(インプ)らしき男性は、はっきりとサラマンダーのみを攻撃して回っていたのである。よほど彼らに恨みでもあるのか、都合が良すぎるものの敵でないなら放置でいい。

 しかし、脳裏によぎったこの感覚は……、

 

「(なん、なの……この痛みは……?)」

 

 チクリとした、心臓を直接刺されたような感触。知っているはずがないのに、乱入者の戦い方が一瞬、記憶の中にある誰かと一致した。

 ……いや、今はその時ではない。

 あたしはかぶりを振って雑念を追い払った。

 誰だか知らないが、金で雇われた傭兵かもしれない。コトの機密性の高さから可能性は低いけれど、現に先ほどのシルフ・ケットシー同盟軍とサラマンダー集団が睨み合っていた時も、その中央に見知らぬ黒装備の男性が立っていた。

 ということは、思っていたよりも多種族のプレイヤーが今日の調停式について把握していたケースもあり得る。

 

「(何にせよ、これはチャンス!)」

 

 最終的に、あたしは混乱に乗じるしかなかった。

 援護射撃も後方支援もなくなった今、赤服の小隊長殿は体力バーがイエローのまま孤立している。

 あたしは左の直剣を握りしめ、鋼鉄の盾を叩きまくった。

 金属を伝わる振動が痛い。反撃の鉄塊をすれすれで(かわ)す。無酸素運動状態。目まぐるしい駆け引き。

 それはまさに、両雄のプライドがかかった真剣勝負だった。

 

「ぬぁあああっクソ! 速いな、アンタ!!」

「ハァ……ハァ……お互いにね!!」

 

 幾多と重なる剣戟の中で、翅を力ませすぎた相手の軸が崩れる。

 刹那の勝機。短く息を吐き、その手の甲を盾で思い切りブン殴ると、とうとう大太刀がこぼれ落ちた。

 決着が、訪れた。

 

「セあアアアァ!!」

 

 ガンッ!! と、斬るというよりは打撃のような低い音。

 バイザー付きのヘルメットがその根本から破断し、やがて断末魔と共に敵のアバターは炎に包まれた。

 

「ハァ……ハァ……勝った……危なかった」

「ヒスイちゃんナイスぅ! カバーするから回復!」

「あ、ありがとミカ!」

 

 好敵手の死を見届ける間もなく、姉に背を預けながらポーションを飲む。あたしは止めていた思考を再開させ、大声で話しかけた。

 

「ねえ! あたしら以外にも敵と戦ってる人いるよね!?」

「ミカも見たよ! よくワカんないけど、とりあえず利用しよう!」

「顔見た!? 顔!!」

「ええっ!? 見てないよ! そんな余裕ないし!」

 

 そこまで聞くや否や、あたし達は同時に翅を羽ばたかせ、四方から降る火炎を回避した。悠長に喋っている時間もないわけだ。

 しかし、リカバリー直後。4人目の敵に向かう寸前だった。

 次の標的にした人の奥に、とんでもない大物プレイヤーの姿を捉えてしまったのだ。

 手には禍々しいパープルレッドの業物大剣。その装備も明らかに兵隊のそれを上回るグレードで、象徴としての意味も兼ねているのか、装飾品に至るまですべてのカスタマイズが最高級のものである。

 轟く武勇は嫌でも聞いたことがある。常勝無敗の宝剣使い。サラマンダー最強の男。てかチートかグリッチ使ってね? などなど。

 

「(まずいっ! あれって、ウワサに聞く『ユージーン』って人!?)」

 

 サッと全身に緊張が走る。

 おそらく、サシでは勝てない。避けて通れない壁だが、せめて複数人で当たるべきである。

 今は無関係な部外者の大剣使い(・・・・)が交戦しているようだけれど、彼が時間稼ぎをしてくれる間に奇襲の準備を整えるしかない。

 とはいえ周りは敵だらけ。敵兵との応戦やむなし。ギラついた刃を受けながら、あたしはマユをひそめて周囲を見渡した。

 

「(くッ、こんな人と戦ってる場合じゃないのに! ミカは!? 他のみんなはどこ!?)」

 

 しかし、その瞬間だった。

 

「へっ……あ、れ……?」

 

 見覚えのある人(・・・・・・・)が、視界に映ったのだ。それも、その男は果敢にユージーンと武器を交えている。

 そんな、バカな。あり得ない。理解が追いつかない。

 なぜあいつが。何かの手違いでここにいたとして、剣を振るう理由は? 最強の男と互角に渡り合えている理由は?

 そして何より、目覚めないあなたを想って通い詰めた病室で、いくら声をかけても一向に動こうとしなかったくせに……どうしてこんな世界で、元気に飛び回っていられるのか。

 信じられない。あたしがどんな気持ちで……、

 ーーなんで、あんたが……!!

 

「ジェイドぉっ!!」

 

 肺いっぱいに込めて吐き出した。感情の咆哮は、戦域を鋭く駆け抜けた。

 彼が、声に反応する。その横顔はまさに本人そのままだった。

 世紀の大戦も収束に向かい、火の手は散っていく。新しい世界で仲間と出会い旅をして、勇気を振り絞り自らを鍛え直して、運命の輪が最後の回転をする。

 ここが2人の、長い……とても長い、戦いの終着点となるのだった。

 

 

 

 



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第118話 戦争の果てに

アニメSAOも今期が最後ですかね? この小説もあと4話です。一緒にゴールインしたいものですね!

そして、いつのまにか鼠のアルゴ/帆坂朋(ほさか とも)なんてリアル本名が出てる(笑
しかも2026年時点で高校3年生、ということは本作時間軸で17歳高校2年生((;゚Д゚))))!?
そっ、そんなバカな……てっきり20歳ぐらいかと……自称おねーさんてウソやん……


……ん? 年齢齟齬の加筆修正? 知らんな。


 西暦2025年1月22日 《ルグルー回廊》、陸堀り場。

 

 光源の少ない洞窟。ドーム状の岩肌に背を預け、俺とアルゴは重なり合うように身を寄せ合い、そして手を結んだまま目をつぶる。

 冷え切った風が凪ぐ。長かった旅もこれで終わりだ。ひとたび眠りにつけば、数時間後に研究員の男達に意識を奪われ、しかるべき処置――すなわち、すべての記憶を失ってから現実世界に復帰するのだろう。

 そう確信した、わずか数十秒後だった。

 

『…………、…………ッ!!』

 

 暗い通路のずっと奥で、人の叫び声のようなものがこだましていたのだ。ズンドコガシャコンと戦闘音まで聞こえる。

 こんな(さび)れたところでもプレイヤー同士争っているのか、あるいは単なる攻略か。いずれにせよさすがは人気タイトルだ。深夜1時だぞ? まったくお盛んなことで。

 しかしどうしようもなくバッドなタイミングである。こちとら頭の中ではとっくにエピローグ気分だったのに、その騒音は今ここで発しないとダメなの? どうしても明日じゃダメ? と問いたくなる。

 ――ああ、もう!!

 

「うるさっ! てか距離近くね!?」

「エエッ!? ほっとこうヨ! 今そーいう雰囲気じゃなかったじゃン! せっかく良さげなムード出てたじゃン!」

「でもほら、ワンチャン知り合いかもしれないし」

「どんなワンチャンだよ、まったク……」

 

 なんて言いつつ、これが昨日の今頃なら……いや、数時間でもズレていれば俺達は連中をスルーしていただろう。

 しかし、メンテが始まるAM4:00まではもう3時間。泣いても笑ってもこの数字は揺らがない。

 削りきった睡眠時間ゆえに激眠いのは相変らずだったが、遠くにあった声が近づくにつれ『このままだと《領主》が危ない!』だの、『今から行けばまだ間に合うかも!』だの慌てたようなセリフが聞こえて来れば事情も変わってくる。

 否、事情が変わるどころの騒ぎではない。

 『領主がフィールドを出歩いている』なんて、それが事実なら思ってもみない豪運である。

 もし族のトップを俺が討ち取ろうものなら、本当にラストのラストでスーパー有名人化の夢が叶うかもしれない。……そんな射幸心に従い、俺達は土壇場で活動を再開することにした。

 というのも、ALO界における《領主》討伐の影響は掛け値なしで絶大で、なんと討たれた種族の資金は討った側の領主館へ無条件で30パーセントも遷移し、さらに街の妖精保護コードを10日間上書きし、占拠した主街区ではアイテムへの課税を好きなようにかけられるそうなのだ。100パーだろうが200パーだろうが。

 これではデメリットが大きすぎる。ゆえに歴史上、領主が討たれたのはたった1度しかないらしい。

 もちろん、そうなると殺られた種族はほとんどログインを10日間封じられたも同然で、あまりにもバランス調整のヘタクソなクソ運営(・・・・)の尻拭いのため、領主は滅多なことがない限り安全エリアを出ることはない。俺もこれらの仕様を盗み聞きした当時は開いた口が塞がらなかったほどだ。

 オンゲーにしては大変珍しいが、もろもろの事情から領主を討つどころか邂逅(かいこう)する機会すら滅多にない。いわんや街の外を出歩くにしても、お忍びでもない限りもっぱら精鋭の小隊がいくつか随伴するのが格例で、おそらくペア単位のプレイヤーでは天地がひっくり返ってもキングは獲れまい。

 だが、何らかの種族が争って消耗した後であれば、あわよくば俺とアルゴだけでコッソリ首を獲る可能性もなきにしもあらず、だろう。

 もちろん、成功確率なんてものには布をかぶせておく。

 こちらもどうせ余命3時間である。

 間違いなく断言できることは、見事《領主殺害》が成されれば一躍時代の寵児となることのみ。

 ちなみに、アテもなく適当に走っていたが、わああ! きゃああ! ひぇええっ!! といった女性の悲鳴も大きくなっているので、彼我の距離は縮まっているとみていい。

 俺は膠着しかかった全身を叩き起こして走りながら、次第に昂っていた。

 

「ひゃっほーい、こうなりゃヤケだぜ! なあ、アルゴ!!」

「オレっちはどっちかっていうと、終わるならさっきのロケーションの方がよかったんだケド!」

「いーから付き合えよ! あとでチューしてやるからさ!!」

「その発言はさすがにアウトォ!!」

 

 なんてハイテンションなやり取りの最中に目に映ったのは、誰かしらのプレイヤーをターゲティングしたモンスター群だった。その方向は一様にしてこの《ルグルー回廊》の出口を向いているので、やはり先方も慌てているようだ。このまま急ぎ早特定のポイントに向かえば、ガチのマジで千載一遇のチャンスが到来することだろう。

 これはますます楽しみになってきた。この場に来るまでの道中は徒歩だったし、回廊を抜けた先で翅を使われても問題なく追える。

 

「(いたちの最後っぺだ。ナメんなよインテリ共!!)」

 

 大剣のグリップに手をかけると、自分でも想像以上に活力が戻っていることに驚く。

 それに消滅するにしても、爪痕ぐらいは残しておいた方が景気付けになるだろう。俺の性格上、やはり最後の瞬間まで体を動かしていないと気が済まないのだ。地球に隕石が落ちてきても、きっとラスト1秒まで何かしら動いている気がする。

 

「ジェイド、出口までたらふくMobがいるゾ! どーすル!?」

「殺るのは最低限だ! あくまで目標は領主の首!!」

「ったく、マユツバに全力出せるお前サンが羨ましいヨ!!」

「マネすりゃいーじゃん! 人生楽しくなる、ぜェッ!!」

 

 息を吐くと同時に眼前を埋め尽くしていた大群に大剣を振り降ろす。反応の遅れた醜いオーク共はなす術なく一撃で葬られた。

 スピードは落ちない。どころかぐんぐん伸びる。

 そして外の光が近づくと、俺とアルゴはアイコンタクトだけで一気に駆け出した。

 

「うーしトンネル突破ァ! マヌケな連中はどっち行ったッ!?」

「北西っぽいゾ! 飛んでるプレイヤーが2人見えル! たぶんあれはスプリガンとシルフだ!」

「相変わらず目ェいいなオイ! けど2人なのか!? しかもなんたって種族が違うんだよ!!」

「知らン!」

「方角的に狙いはケットシーくせぇけど、俺らみたいに少数で行って大穴狙いかな!?」

「またはオレっちらの早とちり、だナ! 言ったろウ! もともと領主の首なんて都合のいいものが、こんな平原に無防備晒してるわけなのサ!!」

 

 アルゴはダメ押しにそんなことを嘆息するが、俺が「泣き言は3時間後に聞いてやるよん!!」と言ったきり、どちらもはるか前方を直進するマメツブほどのプレイヤーを追うことにメチャクチャ専念した。

 なぜなら、彼女ら――届いた声から察するに1人は確実に女性――のスピードが半端なかったからだ。

 何であれば今まで出会った誰よりも速いのではなかろうか。俺とアルゴも、ことスピードに関して言えばそれなりの自信を持っていたが、数秒でも気を抜けば途端に引き離されそうになる。

 それほど彼らも集中しているということなのだろうが、だとしても全速力で飛ばしても追いつけないというのは、最序盤を除きこの2ヵ月半で初めての経験である。

 

「クッソ速ェぞあいつら! アルゴッ、ついてきてるか!」

「な、なんとカ!」

 

 アインクラッドでは他を寄せ付けない速度で街中を走り回っていたアルゴが、翅を苦しそうに振動させてどうにか食らいついてきていた。

 空気でわかる。この感じ、ただ事ではない。前の2人もタダ者ではない。

 いよいよ現実味を帯びてきたわけだ。

 そうして前進すること20分。お互いちゃっかり移動法をダッシュに変えるなどして翅も回復させ、近づけそうなタイミングでもあえて一定距離のまま尾行しつつ、俺達はゴールの気配を感じ取っていた。

 そしてまた空路に戻り、雲の切れ目に差し掛かると……、

 

「(いてくれよ~目玉商品……)……って、なんだありゃあっ!?」

「ものスゴいプレイヤー群じゃないカ!?」

 

 なんと、2人の先行ペアが突き進む先には、60をもゆうに超す真っ赤な装備で統一された大集団が滞空していたのだ。

 数が多すぎて目の良し悪しなんて関係ない。あれはサラマンダー部隊だろうか。装備のグレードから見るにベテランからライト勢までゴチャ混ぜの集団と推測できるが、目的が単なる遊覧飛行である可能性は極めて低い。

 その奥には、やはりそれぞれの妖精の重役らしき高級な装衣のプレイヤーが向かい合って対談していたのだ。遠すぎて顔までは認識できないが、少なくとも2種族は見受けられる。何らかの交渉か商談中、あるいは同盟でも組もうとしていたのだろうが、こうなれば逃げ場などない。駆けつけた例の2人を合わせてもわずか16人態勢で、対するサラマンダーとは4倍の戦力差である。

 俺とアルゴは彼らのだいぶ手前で翅をたたむと、望遠魔法《遠方焦点(スコープ・ファインダ)》を使うアルゴを横目に若干諦めながら歩いていた。

 

「あーあ、終わったなこりゃ。囲んでテキトーに炎でも撃ってれば3分もかからねェだろ」

「これは割り込むのも難しそうだナ。遠目で見た限り、ウワサに聞く領主とやらと特徴が一致して……ち、チョッと待った! ケットシーだけじゃないゾ。シルフ側の領主もいるみたいダ! ツートップがそろい踏みだヨ!」

「へぇ~、じゃあやっぱ目的は同盟かな」

 

 2人してポツンと設置された木陰に隠れながらそう生返事しつつ、頭では別のことを考えていた。

 これほど重要な調印式とあれば極秘中の極秘任務だったはず。ある程度日程に目星をつけたとして、ましてや敵対種族がその場をこうも正確に割り出せる道理はない。強襲に(つど)った大規模な人数からみても、内通者を介した長期的な奇襲計画だったのだろう。

 とすれば、その完全成就のためあらば、俺達が加勢に加わることすら拒否するはずだ。元より『いいとこ取り』狙いなので妨害されて当然なのだが、ここまで圧倒的だと戦闘の終盤でさえ紛れ込む余地はなさそうである。

 アルゴの言葉を借りるわけではないが、完全に無駄足だ。

 それより、なぜか双方が睨み合ったまま停止していることの方が気になるが……。

 という刹那の疑問をトレースしたように彼女が答えた。

 

「ン~何やらスプリガンの男が説得してるみたいだケド、どうもムリくさい雰囲気だナ。サラマンダーの隊長は今にも攻撃したくて武者震いしてる感じがする」

「そりゃそうだろ。そもそも、スプリガンがなんで1人でこんなところにいるのかって話よ」

 

 サラマンダーに慈悲で話の通るプレイヤーは少ない。相応の対価なしに交渉テーブルにはつかない連中だ。これは色眼鏡フィルターをかけて断じているのではなく、1つのアセスメントである。

 そんなことを考えた瞬間だった。

 

「まったくムダなことを……って、おい!? アルゴ上見ろ!!」

「んエっ!?」

 

 急に慌てたような声を上げて驚かせてしまったが、眠たげに空を見上げた瞬間、高速で通過する物体が10以上も見えたのだ。

 ここで空中に姿を晒せる勇気のあるプレイヤーがいるとしたら、間違いなく遠くに見える武装集団と一戦交えるつもりだろう。よほど視野が狭くなっているのか俺達に気づく様子もなく、しかもその速度は落とさずに真っすぐかの地へ向かっている。

 

「うっわ、行くねぇ。色的にシルフパーティか?」

「奇襲がヤバいカラ、領主を守りに来たのかナ……?」

「あの人数見てまだ戦う気があるとか引くわ~」

「向こうも必死なんだロ。レネゲイドだと実感ないケド、領主が討たれるデメリットはシルフが1番理解してるだろうカラ……オオッ、ドンパチ始まったゾ! 増援部隊がむしろ火に油を注いだナ!!」

「うっひゃあ~、こいつはスゲー!! 100人近いプレイヤー戦とか生まれて初めて見たぜ。大人の運動会みたいだな!」

「なにを呑気ナ……し、下ネタ禁止!」

「下ネタじゃねーよ!!」

 

 遠くの方で、大集団によるルール無用の殺し合いが始まった。

 ついハイテンションになって叫んでしまったが、すでにどんな音量で声を上げても聞き取られる心配はなくなっている。

 眼前いっぱいには見たことのない規模の剣戟と、無数に応酬する打ち上げ花火然としたエフェクトが舞い散らばり、なんであれば今から乱戦に混ざっても1分ぐらいは気づかれないほど雑然としていたのだ。サラマンダー側は数で勝るゆえに自滅を恐れ、シルフ、ケットシー側も万が一にも頭領にダメージが入らないよう大技を放てないようだが、それを差し引いても余りある狂乱具合である。

 そしてシルフ達の領主両名には悪いが、勝敗もまた揺るぎないと思われる。

 確かにトップのそば付きとなれば実力も高いだろうし、道案内をしてくれた例の2人とて場慣れした空気は感じられた。おまけに、意外にもその片割れである黒い髪を逆立てたスプリガン風情が、尋常ではない暴れっぷりを見せて場を搔き乱している。

 が、しかしそれでも、7人小隊9パーティオーバー相手では戦力が違いすぎる。

 レッド軍団とて有象無象ではないだろうし、数が多いほど蘇生ローテーションも安定する。それに極論、目標体はたった2人なのだから、数の暴力で押し切ってしまえばいい。

 

「(あ〜混ざりたてぇ。残機が1じゃなけりゃなぁ……)」

 

 寝首を掻いて領主だけサクッと2killしたいのはやまやまだが、完全に感知されていない今のうちにグッバイするのが安パイか……、

 だが、悪びれもなく「やっぱムリそうだし逃げよっか」なんてのたまおうとした……いや、攻撃魔法が飛び火する恐れもあるので、きっと彼女も賛成してくれただろう提案を持ちかける直前だった。

 

「(んん~……?)」

 

 首に感じたチクリとした痛みに、振り返る。

 何度か味わったことのある、本能が火急の大事を訴えようとしている感覚だ。

 単に暴れたい衝動、とも違う。せっかくSAOアバターのまま生きた痕跡を残せるチャンスなのに、おめおめと引き下がるやりきれない無念、とも違う。

 今の違和感は、もっと具体的だった。

 視界が捉えた戦闘の中にあった気がする。

 俺は何を視た? 思い出を直接刺激するような……郷愁感がささやくような……強烈な焦燥。

 おそらく、味方のピンチに土壇場で駆けつけたシルフ10名足らずの小隊だ。あの部隊はどこかで……、

 

「(あいつら……まさか……!?)」

 

 そこまで考えた瞬間、俺の思惟(しい)は一気にクリアになった。

 メンバーが1人増えていたが間違いない。先ほど一瞬だけ見えた何人かの顔に見覚えがあったのだ。

 彼らは時間指定型インスタンス・マップ《幽覧城塞・アスガンダル》に到達する直前、クロムのおっさんをゲームオーバーに追い込んだ憎き熟練パーティだ。女隊長の名が『ミカド』だったばかりに俺が勘違いを起こしたことも確かに一因だが、もとはと言えば連中がハイエナまがいの連戦を仕掛けてこなければあんなことにはならなかった。

 フザけやがって。よくもノコノコと姿を見せられたものだ。

 サラマンダー集団に取られる前に、まずはこいつらから血祭りにあげてやろうか。追加メンバーの銀髪女にまで恨みはないが、仇のチームに与したとあれば女性だろうと容赦はしない。

 

「(あ……れ……?)」

 

 殺気をよそに、また一段と強い既視感に襲われた。今度はその銀髪レアアバターの新人シルフとやらに焦点を合わせた時だ。

 新人でもベテランチームのメンバーなだけはある。彼女の剣捌きは見事なもので、鎧をまとっているとは思えない身のこなしで赤いプレイヤーを翻弄(ほんろう)し、しかるべき隙を見つけたら重心を乗せて渾身の一撃を叩きこむ。

 その舞いはどこか芸術的で、敵の攻撃に合わせた反射的対応というよりは、長年(つちか)い染みこませてきた戦闘術をラフに発揮しているようにも見えた。

 しかもカテゴリまで直剣。女隊長と併せて左利きなので、件の名前のことが頭をよぎると、どうしても悪いクセのようにかつての恋人と重ねてしまう。

 さらに目を疑うことに、得物による攻撃が主体ときている。これだけ遠距離戦の台頭した世界で、それも女性が魔法に頼らないなんて。俺の知る限り、そんなスタイルの女はアルゴを含めごくわずかしか出会っていないし、達人級ともあれば片手で数え切れる。

 遠目でもわかる。盾の使い方なんてヒスイそっくりだ。今だって、ほら。

 相対したサラマンダーの攻撃を……、

 

「(弾け……ッ!!)」

 

 知らず内心で応援した直後、信じられないことに俺の記憶する挙動と完璧にシンクロするパリィを決めて、男性の一振りを跳ね退けたのだ。

 衝撃のあまり、ドクンッと心臓が大きく蠕動(ぜんどう)した。

 まるで合わせ鏡である。生き写しである。返しの刃で腹部を突き刺すカウンター方まで、全てのアクションが俺の中の彼女と一致する。まさしくあの戦い方は……盾持ちの左利き……女隊長の名前……ずっと前、ヒスイには1人だけ姉がいると言って……、

 

「あっ……アルゴ……参戦しよう……ッ」

 

 自然と声が震えていた。恐怖ではない。

 

「行かなきゃ……俺、たちは……!!」

「うえっ、やっぱりやるのカ? 状況はわかってるだろうケド、見たところ逆転はなさそうだし、領主殺しの手助けをしようにもジャマとか言われそ」

「いやッ、違う!! つくのはシルフ側だ! サラマンダーどもをブッ殺すぞ!!」

「んなァ!? お前サン正気か……あ、おいコラ!?」

 

 食い気味に言いたいことだけ言うと、ゴウッ!! と、風圧と俊足の反動で雑草ごと地面がえぐられる。

 衝撃波にあおられたアルゴの冷静なツッコミすらシカトし、あらゆる衝動の説明を後回しにした。

 高速詠唱。スペル9句、闇属性の《秘めたる狂性(ロードブハイド)》を発動。

 視界が赤く点滅するより速く、4枚翅が最高速で振動した。

 スラスターを吹かせたかのごとくスピードで乱戦に突入し、ズンッ!! と出会い頭に一閃して名も知らぬ男の首を切断。あまりの斬撃余波に縦回転しながら錐揉むそのアバターは、他の真紅のプレイヤーに激突すると跡形もなく消滅した。

 開幕からド派手な登場でいきなり5人ほどの敵を釣る。開戦前に交渉を試みたスプリガン同様、「なぜ無関係な種族が明らかな劣勢側について敵対してくるのか?」と、探りあぐねるような顔をしていたが、無論彼らにも説明をくれてやる時間はない。

 

「(クソ、数が多すぎるっ!!)」

 

 そう吐き捨てたいところだったが、しかし幸いなことに、近づくだけで発動する弱体化のデバフ魔法はきちんと奴らに適用された。

 相手からすればドーピングと弱体化魔法を同時に発動したように見えたらしく、その狼狽を利用し俺は矢継ぎ早に兵士を斬り倒していく。奇襲をかけた俺達側――すなわち、列の後方に陣取るそいつらは当然メイジクラスで、たいした物理防御を備えていなかったようである。

 しかし、さすがに5人目に移ろうとした頃には、混乱に乗じて戦列を搔き乱すふとどき者に気づいたようだ。

 「インプとケットシーだ! 紛れ込んでジャマしてきてる!」だの、「メンドくせぇから赤以外はみんな敵だと思え!!」だの、各々が俺とアルゴに警戒するよう声を掛け合っていた。

 だが、俺にはそれすら眼中にない。

 無作為に飛び回る途中で、包囲されたことで仕方なく応戦する2名の領主……つまり本来の殺害目的のすぐそばを過ぎ去ったわけだが、すでに彼女らにも興味はなかった。

 あの女騎士はどこにいる? かつての恋人に似た戦い方をする、白銀のシルフは……、

 

「カオスすぎだろ、ジャマくせェ……が、ぁッ!?」

 

 イラ立った直後、ゴッ!! と後頭部への蹴りの一撃を決められ、俺は捜索の中断を余儀なくされた。

 翅を器用に振動させて態勢を整える。

 新手だ。見ると、俺をタゲった目の前の大男もまた真紅の甲冑に身を(くる)み、これまでに見たことのない禍々しいマゼンタの大剣を構えていた。

 装備、佇まい、あらゆる面から彼はリーダー格だと推測できる。

 凄まじい加速アシストに物を言わせて鋭角カーブし続けていた俺を捉えたのだから、指揮を執るだけでなく彼自身が腕の立つ戦士なのだろう。

 奴の部下が「ジンさんが行った! オレらは他に集中しよう!」なんて抜かしているので信頼も厚いようだ。

 そんな男は、無駄なくホバリングしたまま無駄口を叩きだした。

 

「こちらも満を持したつもりだが、横槍の多い日となったものだ。……何者だ。領主狙いならまだしも、ただ死にに来たか?」

「ンだテメェは。どくか死ねよ」

「む……?」

 

 俺の罵倒に眉をひそめるサラマンダー野郎。

 そうだ、こいつらとは会話できないのだったか。こんなことをしているヒマはない。

 

「(やり手だ……背中は見せらんねェか。殺すしかねーな……)」

 

 避けられない戦闘と断定し改めて敵を識別する。

 恐ろしいことに、彼の武器は《レンジェダリィ・ウェポン》と呼ばれる伝説の剣だと推測できる。俺も絵でしか見たことはないが、確かサーバに1本ずつしか用意されていない2種の魔剣のうちの一振りだ。

 人生1度は手合わせしたい相手ではあるものの、ただしこの武器にも厄介なエクストラスキルが設定されている。

 名は《霊妙転位(エセリアルシフト)》。その効果は、『初めに触れる武器や防具を素通りさせる』というシロモノで、これを持つ者と相対した時点で物理攻撃戦に持ち込むのはナンセンスでしかない。その特性上ノーガードで剣を受ければ裸の肉体に魔剣が食い込むのと同様。HPゲージなんてものは一瞬にして蒸発してしまう。

 しかし孤立した俺に選択肢などなかったし、伝説武器の所持者とまみえることになる想定もある程度してきたつもりだ。

 問題があるとすれば、剣の性能よりもこの男だろう。

 魔剣《グラム》を操るということは、男の名は『ユージーン』だと予想される。最大勢力の妖精種の中で最強のプレイヤーだと呼び声が高く、その武勇伝はアルヴヘイム全域で轟いている。すでに勝った気でいるのかザコ連中も俺に見向きもしない。

 

「(こいつはトンでもない得物に出会えたものだ……)」

 

 それともこの場合は獲物と評するべきか。

 いずれにせよ、俺に臆する理由はまったくなかった。

 『ALO最強』の肩書きは結構だが、かの浮遊城で2年の地獄と本物の英傑達を目の当たりにしてきた俺からすれば、所詮はプライドの高いサラマンダーが身内を持ち上げるために用意した安い惹句(じゃっく)でしかない。

 だいたい、勝敗なんてものはコンデションから時の運まで振れ幅が大きいものである。

 男も戦う相手の戦闘力にしか興味がないのか、相対的な評価を気にする風でもなく、あくまで1人の戦士として話しかけてきた。

 

「《キャンセラー》……ヨタ話だと思っていたが、実在したとはな。噂を聞いてからしばらくは、斬りたくてウズウズしたものだ」

「よくしゃべるなぁッ!!」

 

 ゴウッ!! と、まずは一合。大剣の全力振りを防がれたわけだが、やはり《エセリアルシフト》は使われていない。剣の運動方向が悪かったからだろう。

 剣の動く方向、すなわちこのスキルが真価を発揮するのは『彼が攻撃する』時に『俺がガードする』場合だけ、ということになる。その見極めを誤れば、防御行為が意味を成さず自らのスキルによって不利になってしまうわけだ。

 《エッケゼックス》や《マリン・エッジダガー》同様、手元のグリップなりガード、ポメルなりに細工が施されているはずだが、攻防入り乱れるゼロ距離の白兵戦中ではシビアなタイミングを求められるわけである。

 であれば必然、俺の答えは超インファイトだ。

 

「おッるァああああっ!!」

「む、う……ッ!?」

 

 猛然と腕を振るい絶え間なく金属をカチ合わせる。さすがに翅の使い方も剣捌きも一流らしく一方的なラッシュとまではいかないが、冗談のように重い《タイタン・キラー》を正面から受けているのだ。エクストラスキル封印の役目は十全に果たしている。

 あとは離される前にこいつのHPを全損させればいい。

 しかし、シルフ・ケットシー連合の数的な不利状況が脳裏をかすめ、俺が功を急いだ瞬間だった。

 真紅の男は、大上段に構えた大剣をフェイントに、膝を使って打撃による搦め手を使ってきたのだ。

 反応が遅れ、直撃によろめく。

 時間にすれば数瞬だったが、スキル発動には十分だった。

 奴の大剣が光を纏った、その時……、

 

「ジェイドぉ!!」

「ッ……!?」

 

 透き通った女性の声で名を叫ばれた。

 聞き覚えのある、女の声。この混乱のさなか、戦場のどこから発せられたのか、そして誰が発したのかを確認している時間はない。

 しかし俺の脳と全身は、このワンフレーズの声だけで《ロードブハイド》適用中以上の覚醒現象に見舞われ、刹那の瞬間でさえすべてがスローに感じた。

 魔剣とその使い手の動きがゆっくりと映し出される。明晰夢の中で客観的に相手の行動を観測するような全能感。

 倒すためにどんな戦法が有効か。あるいは、いかようにすれば最適な挙動となるか。

 初速を与えた時点で仮想世界における行動の選択肢は有限であり、網膜への信号密度が一定値を超えると、攻撃法はおろかコンマ数秒先の未来さえ把握してしまうシステム外スキル。

 久方ぶりに脈動する、《後退する修正景(リビジョン・バック)》現象。

 集中が最大まで高められた瞬間、上段一点に突きを放っていた。

 

「ぐうッ……!?」

 

 ザグンッ!! と、鋭い斬撃音。

 サラマンダーの男がうめく。《タイタン・キラー》の剣先が相手の刀身の下、グリップを握る5本の指に直撃していたからだ。

 ガード不可攻撃のガード。

 《エセリアルシフト》は刀身部分(・・・・)にしか適用されない。剣の性能を過信したわけではないだろうが、現に俺はしのいだ。

 

「(いや、まだだッ!!)」

 

 結果を見届けるより早く翅を振動させた。

 反撃がクリーンヒット。捻転力を利用して生まれた蹴りは、羽音のような振動音だけを発して、まだ《エセリアルシフト》適用中だった刀身を透過し、さらに相手の顔面へクリーンヒットしたのだ。

 足蹴(あしげ)にされ、大きくのけぞった胴体にすかさず連撃。たちまちHPが逆転すると、男はとっさに手元を爆破させる魔法で距離を稼ぐ。

 両者の視界がふさがったその瞬間、俺の行動は迅速だった。

 右手で《タイタン・キラー》を背に収め、左でウィンドウを素早くタップ。クイックチェンジでインベントリから直接《エッケゼックス》を具現化させると、炎塵を突っ切って前進したのだ。

 それは第三者視点であればまさしくギャンブルだった。しかし、同時に確信もあった。

 視界が回復した先では、やはり奴の得物もエフェクトを発していた。《グラム》が持つ本来の性能を引き出さんがために。

 そして……、

 

「ぬゥ!!」

「お……らあァアアッ!!」

 

 ズガァアアアアアアッ!! と、2本の業物が最大速でぶつかり合った。

 稲妻がほとばしる。閃光はもはや爆発に近かった。

 だが、《エッケゼックス》のデュラビリティはとうに限界を迎えている。酷使に次ぐ酷使を続けてきたことで、前回の戦いではブレードにヒビが入っていたことを覚えていた。

 結果、わずか一合で伝説の宝剣は砕け散る。

 本懐を果たし硝子のフレークと化した現象に、驚いたのはむしろサラマンダー側だった。

 今までの小細工と違い、エクストラスキルを発動した本気の一閃を『刀身部分で止められた』うえ、しかも対戦相手は愛刀が破壊されたことにまったく動揺していないからだろう。

 俺はすかさずタイタン・キラーを背から再抜刀。ようやく構え直した男に対しほぼ真下から弧を描く、(すく)い上げるような斬撃が見舞われた。

 ガチン! と、高い音を立てつつ宙を舞う魔剣《グラム》。

 すると反動で体勢を崩した俺を流し見て確認し、男は翅で高速反転。攻撃魔法を唱えながら打ち上がった剣を追った。

 

「(させるかっ!!)」

 

 奥歯で食いしばり、肩甲骨の筋を限界まで絞る。

 俺の体は空気の衝撃を生むほど加速され、空中の《グラム》に急速接近する。ドーピングの加速アシストだ。

 そして敵が弾かれた大剣を掴み直そうとする、直前。俺は片手だけで自分の得物を数メートル先の背中に投げつけた。

 回転物がズン! と背に突き刺さったことで相手の動きが鈍る。

 《詠唱失敗(チャント・ファンブル)》こそ起きなかったが、巨躯を追い越した先に魔剣を手にしたのは俺だった。

 魔剣《グラム》が、俺の手に渡る。

 

「くっ……ぬああッ!!」

 

 男は愛刀を奪われたと見るや、即座に左手をかざす。警戒する余裕すらない。奴の手の平がオレンジ色に発色すると、わずかに散ったスパークの後に凄まじい爆発が起きた。

 周囲の戦闘音をかき消すような轟音。自らをも爆破のダメージを負う炎属性の《異常爆発(デトネーション)》だ。

 されど、タダでくらうつもりはない。俺は咄嗟(とっさ)に非実態の《魔法減殺の盾(スワロゥ・パーム)》を展開していたのだ。

 左腕に衝撃。しかしその大魔法すら凌ぎきると、粉塵を振り切ってなおも猛進した。

 

「ンなモンかよォッ!!」

「なにっ!?」

 

 ズンッ!! と、重厚な金属が腹部を貫通する。

 その驚愕には2重の意味が含まれていたのだろう。伝説の大剣である《グラム》のスペックを機能させ得るステータス要求の高さから、奪われたとしてもまともに扱えるはずがないという予想。およびスリップダメージで体力の減った、パッと見では盾なしのインファイターへの大魔法による近距離邀撃。

 単純に見れば決定的な王手のはずだった。それが今、互いのHPはレッドゾーンに陥り、むしろ窮地に立たされているのは……、

 

「ぐ、こんなっ……無名インプごときにィィ!!」

「るっせ、死ねやァッ!!」

 

 男が背に刺さったままのブレードに手をかけると、2つの気合と同時にゾブン、と2本の大剣が図体から引き抜かれた。

 愛刀が入れ替わる。一合だけカチ合うと、物理的に上を取ったのは俺だった。

 構えは大上段。ポメルに力を加えるとやはり半回転した。スキルの発動条件は砕け散った《エッケザックス》の《あまねく魔法の追放(ソーサリィ・マグバニッシュ)》と同じだ。

 奴も俺の剣を寝かせて防ごうとした瞬間、気づく。

 ――手遅れだよ、楽しかったぜ。

 

「あっばよォオオオオッ!!!!」

 

 ズッガァアアアアッ!! と、一切の抵抗(・・・・・)を受けなかったフルスイングが、サラマンダーの胴にクリティカルヒットした。

 叫び、きりもみ、目を覆う炎の尾を残して男は焼尽四散した。

 戦場に一拍の間が流れる。

 将軍格のオーバーキル。広がる動揺と勝利への不信。ましてや《レジェンダリー・ウェポン》持ちの手練れが消えてからは、戦線の瓦解は芋づる式だった。

 そこへ追い打ちをかけるようにスプリガンの黒剣士が面白いぐらいの人数を屠りだすと、わずかに生き残っていたシルフ連合側も場の勢いに(たの)んで決死の反撃を試みる。やがて倍以上開いていた人数が拮抗し、まだ戦えそうな兵まで一気に引け腰となると、残り数人となった取り巻きは敗北を確信したのか、すでに壊滅した指揮のもと尻尾を巻いて逃げてしまった。

 戦域から光が消え、音も止む。動く者さえも。

 

「ハァ……ハァ……終わった……のか……?」

 

 肩で息をしながらつぶやき、嘘のように静まり返った周囲を見渡した。

 途中で何度か回復してくれたアルゴも生き残っている。HPは皆半分を下回っているが、俺達を合わせて9人生存、といったところか。

 そして俺が『シルフ側に付こう』としたきっかけ。シルバーとグリーンメッシュの長いサイドポニーをなびかせ、同じく息を整えている女シルフと目が合った。謁見(えっけん)できる機会の少ない他種族の領主ですら歯牙にもかけない。

 彼女は武器を握ったまますごい形相をしていた。まるで生霊でも見てしまったのかのような表情である。指折りの美人だが、せっかくの整った顔が台無しだ。

 女性は涙を一筋流しながら問うた。

 

「そんなっ……ジェイド、なの……?」

 

 問われた瞬間、俺も目を見開いた。それはずっと待ち望んだ言葉だったからだ。

 俺の顔を知っている。姿は違えど、もうこの現実に疑いはない。数分前に俺が感じた直感は間違っていなかった。

 

「ヒスイっ!!」

 

 周りのことなど一切気にせず、俺は女性を抱きしめた。

 華奢(きゃしゃ)な腕が腰に回ると、そのしぐさすら懐かしく感じる。手の位置なんて、ずっと昔から知る彼女のハグとまったく同じだ。

 そしてしばらくの間、泣きながら何度も俺の名を呼んで他の生存者を混乱させていた。

 さしもの彼女とてアルゴの面映ゆい表情には気づかなかった。あるいは俺も、都合よく今までのことを忘れて安堵と達成感を味わっていた。

 しかし、ほとぼりが冷めるころ、ようやく周りの音が耳に届く。抱きしめていた体を名残惜しく離すと、ホバリングで寄ってきたスプリガンの男が口を開いた。

 

「ジェイドと……アルゴだな? どうして2人が……それに、お前らの顔なんてソードアートの頃とそっくりじゃないか?」

 

 突発の協力者に対しわずかな敵愾心(てきがいしん)すら見せないだけでなく、こう発言したことにまず驚いた。

 仰天顔は全員同じだ。俺達がSAOサバイバーであること、そして乱入したスプリガンや、抱き合っていた銀髪シルフの女性までもがサバイバーと顔見知り。ここまで予想できる者はいないだろう。

 俺を……正確には『俺の顔』を知っているということは、このスプリガンの鉄砲玉男も同様にサバイバーだったわけだ。

 そして彼の戦いぶりから、「たぶん攻略組だったんだろう」と予想を立てたその時、黒コートのポケットからプライベートピクシーらしき小さな妖精の女の子が顔をのぞかせた。

 

「(なに……ッ!?)」

 

 そして三度(みたび)驚いた。その顔には見覚えがあったのだ。

 前線が75層に移って数日後、わずか数時間だけ行動を共にしたにすぎないが、彼女のインパクトが強烈過ぎた。

 メンタルヘルス・カウンセリングプログラム、試作1号機《ユイ》。なぜピクシーをユイの顔にカスタマイズしたのかはわからないが……いや、そもそもなぜこの男はユイの顔を知っているのだろうか。コミュニティしたのはわずか3日程度で……、

 

「(え……えっ、まさか……!?)」

 

 口を開く直前、そうしたもろもろの疑問は小さな妖精によってすべて解決した。

 

「……パパ、この人たち……ケットシーの人も、新規のアカウントじゃありません! パパと同じ、《ナーヴギア》からデータを引き継いでログインしています!」

「なんだって!?」

「う、お……わかるのか、ユイ!? てかホンモノ? 『パパ』ってことは、こいつやっぱキリトか!?」

「はい、どちらも正しいですジェイドさん。……ひどいディストーションがかけられていて、言葉がわかるのはわたしだけのようですね」

 

 俺と会話できているのは小さな妖精だけ。染みついた二刀流が見当たらないが、キリトと判明した男もセリフを聞き取れないせいか首をかしげている。

 そこまで話し終えた直後だった。

 没頭する俺達のほとんど真横から、片刃の長刀を佩剣(はいけん)する和服の美人ネーチャンが「盛り上がっているところ悪いが……」と断ってから割り込んできた。

 

「我々にもわかるように説明してくれるとありがたいのだが」

 

 ごもっともなお言葉に、俺はようやく勝利を実感した。末端兵とは比較にならない影響力を持つ人物と、近づいても襲われずに会話できるこの状況に。

 今回の集団戦だけではない。

 俺達は、全ての戦いに勝利したのだ。

 

「(さて、どこから話したもんか……)」

 

 なんてのんびり考えながら、俺は長かった戦いを噛みしめるように口を開くのだった。

 

 

 

 



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第119話 反逆の子供(ルルーシュ・チルドレン)

 西暦2025年1月22日 アルン高原内陸。

 

 平凡な人生で、当たり障りのない生活で、会社にも家庭にも敵はいなかったとしよう。しかし、ATMから現金を10万単位で引き出せば普段の帰り道でも結構ドキドキしてしまう。心理的には今のそれが近いだろう。

 俺達は《2種族の領主》という、誰の手にも余る爆弾を抱えているわけで、さすがに遮蔽物の少ない高原と快晴の空のもとで近況報告するわけにもいかず、まずは人目につかないエリアの隅まで徒歩で移動した。

 もちろん、口だけはせわしなく動いている。

 

「でもまさか、ヒスイちゃんの言ったことが本当に起きるなんて……ここに誘ったのはミカだけど、未だに信じられないよ……」

「こんな偶然があるんだな。ミカドの行動がなければ、今ごろ我々はサラマンダーの集団に焼かれていただろう……」

 

 そんななか、例のシルフ隊の女がそうこぼし、領主サクヤが続くようにつぶやいた。

 現在の生き残りは9人。

 俺とアルゴを除き、ケットシーの領主であるアリシャ・ルー。シルフの領主であるサクヤ、および直属親衛隊の男性1名。また発言者のミカドとギルドメンバーのヒスイ。スプリガンとなったキリトと、その彼が2日前に知り合って昼夜を問わず旅を共にするリーファ――失礼ながら、胸にしか目がいかない――のみとなっている。

 ミカドという名の……『ヒスイの姉』を名乗る女性にとっても、今回の戦いで相当な痛手を被ったはずだが、暗い表情で語る大半の理由は部隊の壊滅的な被害からではないようだ。

 そして事のあらましもまた、思いのほか複雑だった。というのも、今回の100人規模の大騒動は、サクヤが述べたように、偶然の重なりによって勃発していたからだ。

 キリトやヒスイも互いのアバターを見たことがないだけでなく、今まで他のSAO攻略組がALOにログインしていることすら知らなかったらしい。

 

「(どーりで参戦のタイミングがバラバラだったわけだ……)」

 

 心中で納得する。ちなみに俺とアルゴのノイズがかった言葉は、キリトの胸ポケットから飛び出たユイが滔々(とうとう)と翻訳してくれた。

 そうして判明した事実は以下の通りである。

 1つ、ヒスイは9日も前から――つまり、俺の小細工をトブチに持ちかけた次の日から《アルヴヘイム・オンライン》にログインしていた。

 理由は、彼女自身が未帰還者を独自に調査していた経緯もあるが、決定打となったのは姉である。メタルアーマーなのに溢れ出るエロさ……もといセクシーなシルフ。10人ギルドの隊長を務めるこのミカドさんとやらが、アスガンダル戦のことを妹のヒスイに話したことらしい。

 よりによってクロムのおっさんに手をかけた憎き小隊が、俺とヒスイを繋いでくれたわけである。少々気まずかったものの、そのくだりの遡及(そきゅう)は本題から外れるため俺やアルゴも口を閉ざしていた。

 彼女のギルドメンバー――ギルド名は《アズール・ドルフィンズ》とのこと――にも、自分らがモノホンの姉妹と教えていなかったらしいが、今だけは運命がもたらした気まぐれな奇跡にわずかに感謝してやるのもやぶさかではない。

 2つ、領主2名も戦闘はまったく予期していなかったようで、シルフの重役による裏切りが同盟調印場の露呈を招いてしまったらしい。

 ほんの数分で『シグルド』なる男性が()り出され、遠間対話魔法によって領土追放を命じられていた。

 その処遇によほど納得できなかったのか、大人びた風貌をかなぐり捨てて駄々をこねたが、俺だけはこのシチュエーションを作ってくれたことに感謝していたので心の中でエールを送っておいてやった。せいぜいめげずに頑張って欲しいものである。

 そして3つ。キリト達のことだ。

 いきさつを聞いて最も驚いた人物がリーファ少女(たぶん)だったことは意外だったが、現実世界でこのゲームタイトルを知り、あまつさえ再びVRゲームに手を出した理由は、ネットに出回った軟禁プリンセスであるアスナ嬢のスクリーンショットを見たかららしい。

 すなわちこれは、俺がトブチに託した逆転の芽が掉尾(とうび)を飾ったことの証左だった。

 俺達が成した抵抗は無駄ではなかったのだ。

 話しの全てが繋がると、急に肩から力が抜けた。

 

「ハ、ハハっ……確かに全部偶然さ。けど、勝ったぞアルゴ! なあ、俺達の勝ちだろこりゃあ!?」

「と、唐突だナ……」

「もっとよろこべよ! ヒスイ達がこうしてALOに来てくれたんだ。少なくともキリトは『あのスクショ』経由だぜ!? 次にトブチに会った時にこのことを言えば、俺らは助かるんだよ!!」

「むう……そうだと、いいんだケド……」

 

 小さなユイが懸命に俺のセリフを翻訳する横で、俺はアルゴの歯切れの悪さが気になっていた。

 そしてそれは、ユイから伝言されたことで俺やアルゴがどういう立場で、なぜゲームからログアウトできないのかを理解したはずの生存者の面々も同じだった。

 

「ジェイドさん……だったか。我々をサラマンダーから守ってくれたことは重ねて感謝するが、君らの状況を客観的に見るに……残念だが、どうも相手が約束通りに行動してくれるとは思えない」

「はぁ!? じゃあどうしろってんだよ!」

「…………ふむ。悪いヒトはウソもつく、それだけさ。……もちろん我々はきみに協力したい。ただ、証拠でもあればいいのだが。……そうだ、データはないのか? 何でもいい。君らが本当に世界樹のてっぺんにいたというなら、背景のわかるデータがあれば」

「そうだヨ! 実験を録画とか、会話を録音とか、方法はあったはずだロ? それさえあれば、こっちからもしかるべき機関に通報できるわけだしサ!」

『う~ん……』

 

 いろいろとアルゴとキャラが被っているアリシャなるケットシーがそう聞いてきたが、俺とアルゴは手持ちのカードの少なさに唸ってしまった。

 とにかく出せるものは全て出したし、打てる手は全て打ってきたつもりだ。これ以上何もないから諦めていたわけで、いま目の前にいる数人がそのまま証人になってくれなければ今度こそお終いである。

 しかし確かに、キリトらにこのままログインして残ってもらったとしても、メンテ直前には強制退出させられてしまうのだ。

 そうなれば証言者は不在のまま。まさか胸の前で『私はSAOサバイバーです』なんてプレートを持ったまま、姿の異なるプレイヤーをばっちりスクショしたところで、彼らが納得するとは思えない。

 「アスナの写真によって研究機関に影響が出たら勝ち」という勝利条件は、いささかあいまいかつ無謀すぎたようだ。これではニュアンスの取り方によっていくらでも拡大解釈できてしまう。

 いいあぐねた俺達を見て、今度はキリトが口を開いた。

 

「そういう意味じゃ、俺も証拠を掴むために世界樹を目指していたんだ。あと数日……いや、中央都アルンに着きさえすれば、その日のうちに絶対グランド・クエストをクリアしてみせる」

「クリアっておい……」

 

 だが、相変らず無謀なアイデア具合でマウントを取ってくる男に俺は手を広げて反発した。

 

「簡単に言うけど、1年もそれができなかったから苦労してるんだぜ? そんなことよりこうしよう。……いいか、俺とアルゴの姿はまんま(・・・)だ。だから逆に俺らの写真を持ったままリアルで家族なりに掛け合ってくれよ。この顔見て確信できたら、ケーサツだって家族の言い分をムシできないだろう?」

「それは、そうだろうけど……」

 

 もちろんこの時の俺は警察、並びに検察が被害届を受理して令状が発布されるまで行動に移せない。なんてプロセスを理解しているわけもなく、ましてや刑事事件と認められて強制捜索目的でALO運営会社を訪問するに至るにはどうしても時間がかかることも知らなかった。

 ランダム生成のアバターとは言え、多少の化粧やカスタマイズができてしまうのもいただけない。

 しかし、だとしても一介のゲーマーが現状に対処するにあたり、これほど堅実な手段もないだろう。奴らが世界の理を牛耳っている限り、仮想世界からのアプローチはほとんど意味を成さない。

 やはり抜本的には、この世界を維持できなくなるまで現実世界で追い込む必要があるのだ。

 ……という思考を先読みしたように、またもキリトが反論した。

 

「待ってくれ! ……げ、限度はあってもキャラクリはできる。証拠にならないんじゃないか? だからこれは……俺のわがままなんだけど、せめて今日だけでいいんだ! 俺にクエストに挑むチャンスをくれないか!?」

「さっきから、キー坊はどうしてそこまで正攻法にこだわるんダ? 運営が立ちゆかなくなればそれで済む話じゃないのカ?」

「……向こうで聞いたんだ。アスナだけが特別扱いされている。この世界樹に彼女がいるのだとしたら、何となくその理由にも察しがつく……」

 

 その証言には、俺やアルゴだけでなく他のメンバーもザワついていた。

 そういえば、こんな事態を引き起こしてしまった囚われの姫について、俺やリンドも理由の追及を棚上げしたままだったのだ。変態共が見目麗しい肉体を(もてあそ)ぶため、という説も現実味がないという結論で終わっている。

 しかしキリトはそれを知っているという。まさか口からでまかせを言う雰囲気でもなかったので、俺はかたずを呑んで口つぐんだ

 

「……簡単に言えば政略結婚が近い。彼女の父親が大手企業の権力者だから、籍を置くことで後継人としての立場が欲しいんだろう。アスナの意識がないのは都合がいいってわけさ……」

「そ、そんなドラマみたいなこと……」

「奴にはそれができるのだけの下積みと実績がある。男の名前は須郷伸之。かつてのSAOサーバの維持を委託された、運営部主任の腹黒い男だ……!!」

「それ……聞いた苗字だ。トブチが言ってた。スゴウ……ノブユキ……ラスボスってわけか。でもなおさら確定じゃねーか!? 名前知れてんなら、とりあえずテジョーかけときゃいいんだよ!」

「顔と名前が一致したとして! 証拠を元に助かるのはお前達2人や、実験の被験者だけだ!! …………すまない、怒鳴って。……でも、アスナだけが特殊なのは間違いない。現実で追い込めば何をされるか……もしくは、他の場所で軟禁が続くかもしれない! 他の300人が助かっても……アスナが危険なままだと、俺は……っ!!」

 

 300人の安全よりも、1人の女性を取り戻したい。あるいは、その確率を上げるためだけに行動したい。そんな風に、俺には聞こえた。

 そしてそれは的を射ているだろう。

 何とも皮肉な話である。ネット上に転がっているアスナのスクショを見ただけで、再びバカげたヘッドギアを被り、仮想世界に飛び込めるほど盲目的なサバイバーと言えば真っ先にこの男が思い浮かぶ。だが、逆説的にキリトがあらゆる事象を前にアスナの安否を優先する姿もまた、少し考えれば想像に難くないはずだったのだ。

 なにせ、それゆえ彼はここにいるのだから。

 ただしそれを聞いてなおヒスイは即答した。

 

「悪いけど、あたしはリアルに戻るなり手を打つつもりよ」

「ヒスイ……?」

「キリト君がアスナを想うように、あたしはジェイドを助けたい。……遅くとも今日中にはこの状況を正してもらう。だから……恨まないでね。どうしてもと言うなら、それまで(・・・・)にできることをして」

「……ああ、わかった。この世界でアスナに会って……何ができるかもわからない。……それまでずっと、きみに邪魔をするなとは言えないさ……」

 

 キリトはうつむいたまま小さく答えた。その顔からは、群雄割拠のSAOを貫いた戦士の面影なんてとうに失せている。

 それは、恋と理不尽な現実に挟まれる、1人の迷い人そのものだった。

 

 

 

 

 

 重い空気のままメンバーは解散したが、キリトにとってはあれが落としどころだっただろう。

 彼はきっと《世界樹》の攻略に挑むに違いない。

 それに無謀な賭けというわけでもなくなった。というのも、俺やキリトが貯めに貯めたユルド硬貨をすべてオブジェクト化して、彼女ら領主組に献上したからだ。

 元よりサラマンダーを出し抜いて世界樹を攻めるための2種族間同盟だったらしく、『ちょっとした戦争』くらい起こせる規模の軍資金が舞い込んだことで、すぐにでも参加者の武具グレードを実戦レベルまで引き上げられるそうだ。

 そうなれば功績者の1人であるキリトが、2種族の戦隊に参加できるのも道理となる。

 

「終わったな……全部。ヒスイは俺の家族と面識あるらしいし、スクショ持っていきゃあ……姉ちゃんぐらいは通報してくれるさ」

「お前サンの行動は、聞いた瞬間は無謀と感じるのに、やってみると成果が出るんだから不思議なもんだヨ」

 

 そう話す俺とアルゴは、相変わらずフィールドの隅をコソコソと移動していた。

 無論、大きな収穫には喜んでいるつもりだ。資源も気力も底を尽きかけたラスト数時間で、俺達の実情が伝えられたのはまさに望外の結果だと言わざるを得ない。気の持ちようは歴然である。

 すでに深夜2時を回っているので家族は寝ているだろうが、リアルに戻ったヒスイは明日の朝には行動してくれるだろう。そして俺の生存を確認した家族の誰かがひとたび被害届を出せば、事件は一気に解決へ傾く……はずだ。

 残った俺達の仕事は、せいぜい救助されるまで意識と記憶を保つことぐらいだろうか。

 

「しかシ……」

「んん?」

「眠ろうと思った矢先に激しい運動をしたウエ、完徹を覚悟するというのもなかなかシンドイものだナ」

「ハハッ、そー言うなって。俺も眠いんだ。けど、それも今日で最後だと思うとさみしいもんだろ? これってば高校生活に近いな。……俺なんて、お迎えに来るトブチに早くネタバレしたいぐらいだぜ。『俺らの勝ちだ、ザマーミロ』ってさ!」

「さっきも言ったが、素直に負けを認めてくれればいいケド……」

「ヘッ、認めねェッつうなら腹をくくるまでよ。何時間でも粘り続けてこんなこと(・・・・・)してる場合じゃなくしてやる。奴らはキューカク有効だったろ? ついでにクセェ《悪臭玉》でも顔面に投げてやる!」

 

 俺とアルゴは人気のない高台を見つけると、揃って腰を下ろして時を待った。

 いくらビッグタイトルのゲームとは言え、メンテ前ともなると静かなものである。強制ログアウト時にフィールドにいると意図しない街、あるいは中立域の村から再開することになるため、よほど急ぎの用でもなければプレイヤーはホームタウンに帰っているころだ。

 といった俺達の経験則予想は正しく、乾いた寒草の上で並び身を寄せ合うと、両名はメンテを前に目をつぶって少しでも英気を養おうとした。

 不思議なもので、現実の体ではないのにまぶたを閉じているだけでずいぶん疲れが和らぐ。

 まさか11時間もあるメンテの時間いっぱいまで敵の相手をするとは思っていないし、過去にもしたことはないが、迎え撃つ気があるなら休める時に休んでおくことが戦士のツトメである。

 だから俺は、隣に座るアルゴのことを、ひいては最後の戦いを終えた後のことを考えないようにしていた。

 しかし……、

 

「『最後だと思うと寂しい』、カ……」

「…………」

「ジェイド、まだ起きてるんダロ……?」

「……寝とけよ。マジでラストバケーションだから」

「プフッ……なぁ、気を遣わせちまったナ。……キスして悪かっタ。さっきの見て……お前サンは彼女といる方が自然だと感じたヨ。……悔しいケド、オレっちの居場所はここじゃなかっタ……」

「あ、アルゴっ……そんなことは……ッ」

「ないとは言わせないゾ? ……不可抗力の旅だったことは、誰にも否定できなイ。でもだからこそ、色々とフッ切れたヨ。お前サンへの『好き』はこれできっぱりお終い。リアルに戻ったら別の男を捕まえてやるサ。それも、とびっきりのイケメンをナ!」

「……は、ハハ……そうだな。ああ、これで終いだ。アルゴなら入れ食いだろうぜきっと。俺も向こうに行ったら……今度こそヒスイと暮らす。んで、もう誰にもジャマはさせない」

 

 ようやく片目を開けたアルゴが少しだけ口角を上げると、それっきり何も言わずに座り続けた。

 時おり涙を拭いたり鼻をすするような音がしても、俺はもう慰めない。

 すべきことをする。成すべきことを成す。その気持ちを切り替えるためにあえて話をブリ返したのだろう。本人にとって傷を抉る回答であれ、彼女は俺の口から拒絶しないと前に進もうとしなくなる。だから俺が考えるべきことは、すでに両者の折り合いをつける折衷案(せっちゅうあん)ではないのだ。

 

「(言えたクチじゃないけど、頑張れアルゴ。……トブチも、どうか信じてくれ。勝負はついたんだ。朝になったらヒスイが俺の家族に会って、サツかどっかに一報が届く。もうクソみたいな親玉にヘコヘコすることはねェんだよ……)」

 

 願うように目を閉じた。

 今さら「そういえば、さっきはヒスイの名を聞くチャンスだったな」、なんてことに気づきながらも、それすら遠く他人事(ひとごと)のように思える。

 虎の子の《エッケザックス》を失い、汎用アイテムもほとんど底を尽きた俺とアルゴは、さしたる作戦も立てられないまま静かなまどろみの中を漂うのだった。

 

 

 

   ◇   ◇   ◇

 

 

 

 そして、6時間後。2025年1月22日午前8時。

 全ユーザへのログアウト警告がフィールドに鳴り響いてから実に4時間以上も経過したころ、静まり返った場にプレイヤーの接近を示す音が1つ。

 メンテナンスが完了するまでにログインできる人間は限られる。

 昨日の深夜にヒスイに会ってから、俺はどこかで賭けていた。このまま何も起こらず現実に復帰できるという、一縷(いちる)の希望に。

 しかしどうやら、水面下で動いているせいでキャッチしていないだけかもしれないが、奴らはまだ俺達に会いに来られるだけの余裕があるらしい。さすがに日をまたいでから伝えても遅かったか。

 とは言え、こちらとしても可能な限り争いに持ち込みたくはない。

 

「(さ、て、と。……どう説明したモンか……)」

 

 だがそう思案に暮れていると、目の前までゆっくり歩いてきた人物に眉をひそめてしまった。

 武装していないその金髪ロングヘアの男を……まるで、異界の王が儀礼服を着せられたような姿の長身優男を、俺達は知らなかった(・・・・・・)のだ。

 もっとも、今までのアバターとてトブチ本人を象ったものではなかったのかもしれない。誰がログインしても問題ないようアバターは使い回しているだろうし、そもそもいくつかのバリエーションは用意していることだろう。

 問題は、今なぜそれを変える必要があるのかという点だ。今までのそれが何らかの原因で使えなくなっただけならまだいい。さもなくば、目の前にいる男はまさか……、

 

「やあ。こんな姿ですまないね。ジェイド君、アルゴさん……」

 

 敵意を感じさせないように、男がゆっくりと歩きながら口を開いた。

 それは紛らわしい姿をしていることへの謝罪だろうか。あるいは、中身まで入れ替わっているがゆえの嫌味めいた謝罪か。

 

「…………どうしたよトブチ。せっかく前は呼び捨てで呼び合ったのに、今日はやけにテーネーだな」

「……そ、そうだったかな。10日ぶりだから、ついね」

「バーカ、引っかかりやがって。……トブチじゃねェな。誰だアンタ」

「…………」

 

 歩を止めると、男の頬がわずかにひきつった。ガキに小バカにされた大人は大抵同じ顔をするものらしい。

 されど切り替えは早いようだ。奇襲の失敗を鼻で笑い飛ばすと、さして惜しがることもなく手を広げて応えた。

 

「おおっと、ナメていたよ。せめて彼愛用のアバターで来るべきだったかな? ……まあいい。口ぶりから察するに、やはり土渕(とぶち)の奴は君らを捕まえようとしていなかったようだ。なら十分な収穫さ。あのサル芝居男には、後でしかるべき灸をすえる必要がありそうだが」

 

 やはりトブチではない。

 どころか、俺と無用な取引をしたこと、ひいては意識の略奪に消極的になりつつあった彼を『粛正(しゅくせい)する』とほのめかしたことから、おそらくこの男は組織の中でも相応の位にあるのだろう。

 俺とアルゴは土壇場で最悪のケースに陥ったことを確認し合うと、新たに表れた男から距離を取るようにジリジリと後ずさった。

 

「言葉はわかンだろ。誰だって聞いてんだよ」

「……やれやれ。君たちの人物像は聞いていたが、会ってみるまでわからないものだな。……さて、これから私が直々に君たちをゲームオーバーにするわけだが、念のため……『抵抗を止める』気はあるかい? 私もできれば子供をイジめたくはない」

「ジェイド、取り合うなヨ。非道な人ダ。メンテナンスが終わるまで……何時間でも戦い抜ク。そう決めたはずダ」

「わかってるさ。けど一応、ユサぶりぐらいはかけたいだろ?」

 

 相手から目を離さずに強がってみる。元より、今さら何を言われても挑発に乗るつもりはない。

 しかしこちらは10日も前から死にもの狂いでギャンブルをしてきたのだ。勝ったリワードの一環として、満を持した新キャラに一発ホラを吹くのも悪くないだろう。

 

「あんたがトブチ連中の親玉だったとしても、もう研究者全員オシマイだぜ」

「ほう……?」

「SAOにいた人間と会ったんだ。どうにか会話もしたし、この姿を撮らせた。今ごろ誰かがサツに話をつけてるころだろうさ。ザマァみやがれクソ野郎」

「……フ、フ……フックック。キャラクリできるその姿を? クック……しかしなるほど、デタラメではなさそうだ。我々の方が網にかかっていたとはね。タカをくくって行動の余地を与えたことは失敗だったかな」

 

 顔に指をあてておどけたように首を振っているが、この状況でよく言う。まだ優位性が揺るがないかのように見せているものの、奴らなりに手を尽くした結果この事態を招いたことは事実だ。

 だが、ALOのどの種族にも似つかわしくない煌びやかな装束に身を包む男は、それを聞いてなお確かな自信を崩さなかった。

 

「だとすれば、なおさら間に合ってよかった」

 

 サディスティックな目をさらに細めると、今度はこちらに緊張が走った。

 

「……『間に合う』、だと……?」

「手短に行こうか。3日前にあずかった(・・・・・)君たちの仲間4人は、全員記憶はあるし意識もはっきりしている。つまり、被検体になっていない」

「な、に……ッ!?」

「まさか……もう記憶操作のシステムは、完成しテ……!?」

「ハッハッハ、察しがいいな。いかにも。記憶を消したらすでに用済みというわけさ。もっとも、こうなる前に君ら全員が手中にある算段だったがね。……まあいい。考えてみたまえ。せっかく捕まえたのに、すぐに記憶を消すと思うか? 無駄に消費することはあるまい。だから『彼らなりの価値』を見出した。この映像を見れば、君たちだって私の指示に従いたくなるだろう」

 

 そう言って下卑(げび)た笑みを見せる男は、左手を軽く振って通常より大型のウィンドウを出現させ、1つの動画をそれに表示させた。

 そして俺達は共に戦慄する。

 奴の新魔法や伏兵に注意しなければならないはずが、そんなことも忘れて呆然と男の手元を眺めるしかなかった。

 映像には汚れた灰色の壁面からなる、獄中の独房のように薄暗い空間が映される。天井の端に監視カメラでも設置したような画角である。その中に男が1人。両手を拷問用の桎梏(しっこく)で固定されたまま、足首には鎖までまかれ壁に繋がれている。

 これは静止画ではない。うなだれた赤い服の男が小さく(うめ)いたと思えば、突如監視カメラの画面外から先端がオレンジ色に発光する焼きゴテのような鉄杖(てつじょう)が伸び、鎖骨の辺りに押し付けられたのだ。

 

『ぐあああああああああああっ!!』

 

 肉を焼く音と、ノドを潰したような悲鳴。男は初めて顔を上げたが、そのやつれた顔を見るまで、この野太い咆哮をあげたのがリンド(・・・)だとは思えないほどだった。

 別画面では同時にフリデリックとテグハも映し出される。そこでも槍のようなもので刺され、鎖に電撃を流され、水を使ってしつこく呼吸を封じられていた。多岐にわたる拷問を見せつけると、男はフリーズした俺達に再び満足げに語りかけた。

 

「これらは過去の映像だが、無論《ペイン・アブソーバ》は少々イジってある。今後も段階的に痛みを強くしていくつもりだ」

「……クソが。ののしって欲しいか、ウジ虫ヤロウ……ッ!!」

「アハハ、まさか。これは警告だよ。もはや彼らの活用法はこれぐらいしか思い浮かばなかったが、土渕がやけに難を示したおかげで異変に気づけたし、こうして君らの企みも暴くことができた。…………さあ、止めたくばこちらへ来い。今すぐ意識を差し出せば忘れるだけで済むぞ? ……おいおい、信じてくれよ。我々にとっても1分1秒がリスクなのだ。今ごろ活用法、なんて言っている場合じゃないのさ。これ以上の報復はないと誓って約束する」

「…………」

 

 わざとらしい哄笑(こうしょう)もさることながら、信じる、約束、なんてセリフをここまでうさん臭く吐けるのは一種の才能である。

 しかし相手の所作に芝居がかかっているのは、ひとえに圧倒的なアドバンテージがあるからだ。

 これはリンド達を『痛めつける』も『記憶を消す』もこの男の決定次第ということ。交渉ではなく警告と断じた以上は、どんな条件を出しても解放に応じる気はないのだろう。この場で俺の取れる行動は、抵抗して仲間にさらなる苦痛の地獄をさ迷わせるか、素直に首を差し出してわずかな安らぎの可能性に賭けることだけ。もちろん、抵抗したところで生き延びなければもっと悪い未来が待っている。

 そして男は黙りこくった反応を見て、特徴的な笑い声で『切り札』を出した。

 

「くひっ、くひっ……いい顔だ。これ、なんだと思う?」

 

 手元のウィンドウから初めて女性の叫び声(・・・・・・)が響いたのだ。

 それは相当に若く、幼い声だった。聞き間違えるはずがない……、

 

「シリ、カ……ッ……!!」

 

 徹底的だった。

 半裸で吊るされ、鞭打たれ、火に炙られる少女の姿が映し出される。

 それは聞いたことのない悲鳴だった。開き切った口と充血した眼にはかつての面影もない。

 鳴き声は時おり裏返り、微かに震える体もぐったりとしている。かと思えば、誰かの影が近づくといきなり跳ねて、次の痛みから逃れようとしていた。

 いたいけな子供を責め苛むインターバルでは、弱々しく仲間の名前を口にしたり、誰もいないはずの虚空をうつろに見つめてひたすら謝ったり、もはや自我を保っているのかも怪しい。そして終わらない暴力の中で、絶叫が何度も檻の壁に反響する。

 手段が悪魔のそれだった。

 俺はてっきり、この2ヵ月間の記憶を失うだけとばかり思っていた。

 だが、これはもう尋問ですらない。

 

「人間の……所業じゃないナ。……オレっちも……初めて人に、殺意が湧いたヨ……」

「嬉々としてやってはいないさ。君たちを手早く、確実に回収するための最終手段だ。…………答えは決まったかね? 特にこのシリカという女は、年齢ゆえか壊れ方が予想より早い。最近じゃまともに返事もくれなくなったが、実際に声を聞けばわかるだろう。きっとすぐにでも助けたくなるさ。くひっ、ひ……」

 

 最終手段などとのたまうなら、その仮面みたいな薄ら笑いをやめてからにすべきだろう。

 しかし男は意に介することもない。右耳に手をやると、「D室と繋げ」とだけ小さく呟いた。

 俺とアルゴの目の前で録画映像が切り替わる。拡大されたウィンドウには、先ほどの監視カメラで暴虐の限りを尽くされたシリカが、無機質な地面に力なく座らされていた。

 両手を頭の上で縛られ、金具の先にはやはり鎖が。

 そして外の光が入ってきたからだろうか。一瞬ビクリと肩を震わせ、映像の中の彼女が恐る恐る顔だけを持ち上げる。

 俺と目が合った。

 そして……、

 

「ジェイド……さん…………アルゴ、さん……」

 

 掠れた声だった。幻覚でも、見ているかのような。

 装備の耐久値も全損しかかっている。あるいはその数値のまま固定しているのか、無残な姿だった。

 しかし俺が小さく呼びかけると初めて彼女は反応した。

 

「シリカ……俺がわかるか……?」

「……ジェイド、さん……」

「そこには何が見える……」

「……手じょうと、おり……くらい、ろうか……」

「武器とか……アイテムは、何か……」

「……あり、ません……なにも……」

 

 声は消えかけている。人形のように生気が感じられない。だが、明らかに俺の質問に応答している。ということはつまり、いま俺が話しているシリカはどこかに幽閉されているリアルタイムの彼女というわけだ。あの映像も残虐な行為もすべてハッタリではなかった。

 励ましてやりたい。しかし、それすらもできない。

 いったい誰が言えるだろうか。気を確かに持て、あと少し頑張ってくれ、なんてことを。

 アルゴは涙を浮かべ、俺はもう一言も発することができなかった。

 

「(ダメだ……シリカに、これ以上耐えさせるのは……っ)」

 

 後がなくなったことで改めて状況が脳裏をよぎる。

 ALOの運営と未覚醒のプレイヤーが関係していることはすでにヒスイらに伝えてある。俺やアルゴが記憶を失うかどうかはともかく、生きて脱出できることはほぼ約束されたとみていいだろう。問題の『2ヵ月の経緯を説明できる証人がいなくなる』点についても、時間さえかければおのずと解答は見えてくるはずだ。日本の警察機関だって優秀だろうし、トブチの奴が本当にすべてを告発する可能性だってゼロではない。

 とすれば、大局的に見た俺とアルゴの生存は、数時間前ほど重要ではなくなっているとは言えないだろうか。

 記憶がなければ仕返しできない。

 確かにそうだ。しかしそれは、傷ついたシリカを前に言わせれば些細な復讐心である。

 

「(俺の負けだ。敵の本性を見抜けなかった、俺の……)」

 

 しかし相手の要求に折れかかる寸前、俺達は……そして敵の親玉であるスゴウと思しき絶対神までもが、大きな過ちに気付かされた。

 なんと、数回だけ交わした会話の中で、『話している相手が本物、かつリアルタイムかどうか』を確認したのは俺だけではなかったのだ。

 ……そう、吊るされたはずのシリカもまた、必死の思いで観察していた。

 そして俺をそう(・・)と判断したのだろう。

 まったく信じられないことに、少女の眼には失われた光が戻り、痛々しかった表情まで鳴りを潜める。自分の両腕がチェーンに繋がれたことを忘れていたかのように勢いよく跳ねると、突然凄まじい剣幕で、ボロボロの少女が声を荒らげたのだ。

 

「ジェイドさんッ!! 気をしっかり持って!!」

「な、あ……っ!?」

 

 その声に最も驚いていたのは、むしろロン毛野郎だった。

 俺とアルゴもその豹変に目を見張る。

 

「こんなの、へでも(・・・)ありません!! 生きて! 最後まで戦ってくださいっ!!!!」

 

 セリフを言い放った直後、ブツンッ、と大型ウィンドウが閉じられた。

 予想外の、長い静寂。肩で息をしながら狼狽から立ち直った男が、『これ以上聞かせるのはマズい』と判断したのだろう。

 見事に遅い対応である。

 おかげで、彼女の渾身のメッセージを受け取ることができた。

 

「な、なぜあの小娘が……どうなっているッ!?」

「(シリカ……まさか、それを俺に言うために……!?)」

 

 その勇敢な行為に気づくと、処世術を学ばせたはずの俺の方が絶句していた。

 これは会った時からの感想である。彼女は年齢に見合わず利発な子だった。《使い魔》ピナを亡くしたショックで涙を流す優しさを持ちながら、どんな恐怖からも目を逸らさない勇気を持っていた。

 あいつはずっと考えていたのだろう。

 

『なぜ戦いに敗れた自分の記憶を、いつまでも消さないのだろうか』

 

 と。

 研究が終盤ならなおさら放置するのはリスクでしかない。だのに、自分を痛めつける男達は生き残りメンバーの情報を聞き出すでもなく、素性を問うでもなく――それが無意味であることは相手も承知しているだろうが――、なお時代錯誤なことを繰り返した。

 考え抜いた結果、一連の作業がどこで、誰に、いかようにして利用されるのかを想像し、そして見抜いた。

 こんな姿を(さら)せば、生存者の決意を揺るがしてしまうかもしれない。戦意を喪失させてしまうかもしれない。

 ならばすべきことは1つ。数多の激痛に打ち負かされて肉体も精神も完全に壊れたように見せかけ(・・・・・・・)、敵が捕らわれの自分を利用しようとした瞬間、すべてをブチまけて台無しにする。

 それを思いついたところで、行動に移すには想像を絶する胆力が必要だったはずだ。痛覚有効なら、演技をするうえで本当に折れかけたこともあっただろう。

 しかしシリカは耐え抜いた。

 ――気を確かに持てだと? 俺が言われてんじゃねェか!!

 

「なあ、アルゴ!!」

 

 並び立つ戦友に呼びかけながら、卑怯な大人に屈しなかった少女を想うと、つい口角が上がってしまう。

 背の大剣を抜刀。勢い余って足元の地面を盛大に抉ったが、俺は笑顔で叫んでいた。

 

「アイツはいつの間に! こんな成長してたんだァ!!」

「知らなかったのかぁ、ジェイド!!」

 

 腰からかつてのシリカの得物だった《マリンエッジ・ダガー》を引き抜き、エクストラスキル《クリスタル・カウル》によって蒼い氷のような直剣を構える。

 やはり彼女も、昂る感情に任せるように大声で応えた。

 

ずっと前(・・・・)からだヨッ!!」

 

 敵意をはっきり向けたまま、俺達にもう迷いはなかった。

 奴らに屈しないという意思表示。子供まで使って卑劣な手段を断行する悪魔に、そして金と見栄に目の眩んだバカに報いを受けさせるために。

 自信満々で現れた惨めな大人は、ここでもまた交渉に失敗したことを悟って面白い面相をしていた。

 

「くっ……この、忌々しいネズミ共が……!!」

 

 負け犬の遠吠えが開戦の合図となった。

 ALOで行われる、俺達の最後の戦いが始まる。

 

 

 

 



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第120話 決戦

 西暦2025年1月22日 アルン高原内陸。

 

「くっ……この、忌々しいネズミ共が……!!」

 

 俺とアルゴがステップで同時に距離を取ると、スゴウらしき人物は「システムコール」からなるお馴染みのチート技を繰り出して来た。

 放出されたものは風魔法の全方位系だが、俺には魔法遮断の非実態盾《スワロゥ・パーム》がある。とりあえず発動者の方へ向けておけばガード成功と見做(みな)してくれた。

 しかし、爆音を凌いだ俺達に再び緊張が走る。

 男が新たな魔法を使用してきたのだ。

 粉塵の隙間から周囲を見渡すと、先ほどまで対面で話していた豪奢な服の男が、少なくとも20人以上増殖して一面を包囲していた。

 

「げげッ!? スゴイ増えたゾ!?」

「ンだこりゃ……ヤロウの分身魔法か!?」

 

 奴の周囲に浮かぶ魔法名には《代替者達(オルタネイターズ)》とある。またオンライン実装前の試作魔法だろうか。

 いずれにせよ、プランBがあったわけである。効果範囲や持続時間はわからないが、すでに臨戦態勢の相手が教えてくれるわけがない。

 ただ問題は、これが単なる《幻属性魔法》ではなく、個々に実態が設定されている場合だ。相手側には無制限な大技がいくらでもある。AIか何かが動かしているにしても、それを()い潜るのは至難となるだろう。

 

「ターゲットは無差別だ! さぁ行けえぇっ!!」

 

 本体が興奮したような顔で分身に命令を下した。

 一斉に飛翔する無表情な人形達。察するに、やはりこいつらは目暗ましではない。

 そう確信した直後、20体以上の分身が魔法を唱え始める。口は動いていないが、スペル発音成功時の演出はされているので、『そういう仕様なのだろう』と納得するしかない。

 しかし俺とアルゴは翅を広げて一気に飛翔すると、四方から放たれた即死級の魔法をすべて(かわ)した。

 言葉は不要。奴らは元よりチーターだった。それは世界樹の頂上で初めて戦った時から変わらない。1度も勝ったことはないが、1度も負けたことだってない。

 分身魔法なんて、何を今さら。

 それに肝心の分身体が短調な動きしかできていない。俺達からすれば大型魔法を撃ちまくる人型のモンスターに等しい。

 

「(飛ぶのは速いな……けど、これなら!!)」

 

 直撃は一発アウト。おまけに座標を目指すだけなら最適化されている。が、偏差射撃ができないのか数の暴力を活かしきれていない。所詮は決められた命令を遂行するだけの人形である。

 そして行く手を拒む人形に斬りかかった瞬間、嬉しい誤算が起きた。

 なんと、それなりの手応えと共に斬られた個体が消滅したのだ。

 

「うおっ!? 倒せるのかこの分身!!」

「オレっちも1体やったゾ! ヘッドショットならピックでも十分みたいダ!」

 

 こいつはとんだ攻略法があったものである。この手の分身は術者を撃破すれば消せる道理に違いないが、相手にダメージが通らない現状では防戦一方になると思い込んでいたのだ。

 しかし、一定量のダメージで消滅するというなら話は早い。

 

「おっらァアアアッ!!」

 

 バシュウゥゥ、と。腹部への一閃で次のアホ面を斬り崩した。

 進撃は止まらない。迫っていた1体の胸部を裂き、すぐ脇からムチが伸びたかと思えば、入れ替わるように結晶直剣が奥の個体の眉間を突き刺す。再び俺が前に出て魔法を防ぎ、振るった鉄塊が男の顔にめり込むと、さらに別の頭をアルゴのピックが打ち抜いた。

 気付けば、俺とアルゴは阿吽の呼吸で援護し合い、好き勝手に攻撃するニセモノ達をどんどん薙ぎ払っていた。

 形勢逆転だ。数はもう半分以下にまで減っている。

 攻略プロセスを暴けばたいしたことはない。

 そう気を抜いた、次の瞬間だった。

 

「アルゴ! 下から1体!!」

「わかってル!」

 

 対応したアルゴは手序(てつい)でに3本のピックを投擲する。顔面のヒットボックスは理解しているので、どれか1本でも当たれば消滅すると考えたわけだ。

 そして相手は、この行動を読んだ。

 愚かにも、ピックが急接近する個体の額で弾かれてから、ようやく俺達はそれ(・・)を本体だと理解したのだ。

 

「(くっ!? やられたッ!!)」

 

 焦るがもう遅い。

 右腕を掴まれ、短い女性の悲鳴が響く。

 

「ハハッ、捕まえたぞ! システムコォル!!」

 

 相手はまた嫌らしく笑い、ボイスコマンド1つで見たことのない金の輝きを放つ直剣を精製していた。そして彼女は、それを見届けるしかなかった。力で振りほどくことは絶対にできないからだ。

 数秒の油断。俺の目の前では分身も邪魔をする。

 ――間に合わないッ!!

 

「アルゴっ、自分の腕切れェ!!」

「もう遅い!!」

 

 男の奇声が上書きされると、黄金の直剣が彼女の胸部を貫通した。

 鉄が人体を貫く鈍い音。そして、急速に減るHPゲージ。

 受け入れがたい現実に全身の細胞が理解を拒んだ。なぜ相手の策を見抜けなかったのか、己の節穴に虫唾(むしず)が走る。

 大剣の横薙ぎがとうとう最後の2体をまとめて斬り殺す。20体もいた移動砲台は完全に消滅したのだ。

 しかし、すべては遅すぎた。

 

「逃げろ……ジェイド……!!」

 

 発したのはたったそれだけ。初めて会った男の手の中で、長く連れ添った相方は黄金(こがね)色の炎に包まれ、やがて手の届かない場所へ転送された。

 ほんの少しだけ漂った《リメインライト》を左手で握りつぶすと、男は恍惚の表情を浮かべて俺を挑発する。

 

「んん~……はぁ……いいねぇ。奪う感覚ってのは気分がいいよ。土渕がいかに手を抜いていたかわかったな」

「……アルゴを、返せッ!!!!」

 

 ガガァ!! と、けたたましい音が轟いたが、大剣のブレードは男の脳天でぴたりと停止する。

 それは本気の一振りだった。

 しかし敵には一切通じない。有効だった衝撃まで消えているということは、以前より庇護コードを過剰に足してきているのか。

 

「くっ……!?」

 

 今度はカウンターの横払い攻撃を靴底で腕の軸をずらして凌ぐと、俺は歯を食いしばりながらも距離を開けるしかなかった。

 トブチが手を抜いたから、ではない。ましてやこの男がメチャクチャ強かったわけでもない。俺とアルゴは戦う前から限界で……ALOにおいて初めて、わずか2人で無敵チーターを迎え撃たざるを得なかったからだ。

 しかし言い訳は意味を成さない。

 もはや斬りかかっても無駄だ。いわんやこの男を倒せたとして、それがいったい何になる? 俺がここで深追いすれば、本当にアルゴの犠牲が無意味と化す。

 冷静になれ。冷静になれ……、

 

「くっくっくっ……」

「っ……!?」

「そんなに今の女が大事だったか。……いい顔だ。よもや恋仲だったのか? フフッ、そいつはいい。仮想世界でその気になってしまう愚かさは、時に意図しない弱点を生んでしまうものさ」

「なにが……言いたい、クソカス……ッ」

「もう感づいているくせに。……そうだな。今の女……アルゴ、と言ったか? 可愛らしい娘だったじゃないか。彼女には拷問ではなく、もっと違う(・・・・・)趣向を凝らしてみるとしよう。……わかるだろう? モルモットにするだけが使い道ではない。むしろ意識を管理できると言うのは、それだけでずっと幅広い活用法があるのさ」

「……ンの……野郎……ッ!!」

 

 脳を引きずり出し、微塵切りにしたあと焼き殺してやりたい気分だった。少なくとも、今まで仲間が受けた仕打ちと同じ目に合わせてやらないと気が済まない。

 ……だが、翅を震わせかけた俺の頭には、アルゴが遺した最後のセリフが反芻(はんすう)されていた。

 わかっている。

 逃げなくては。

 記憶のキープだけが俺の存在意義。

 この男と会話を続けることすらリスキーな行為である。現実に復帰してすぐ悪事の報いを受けさせるには、あと数時間だけは何としても生き残らなくてはならない。

 しかし、男もそれを見抜いたのだろう。視線だけをリアルタイマーに向けると肩をすくめて切り出した。

 

「……もう時間か。仕方ない、我々も多忙でね」

「くっ、逃げるのか!!」

「言ったろう、スケジュールの問題だ。それに考える猶予だとは思わんかね? とうに手中に収める算段だったのに。……まあいい、今日中には必ず再ログインする時間を作る。が、その時は抵抗するなよ? もし私が少しでも不快と感じる行動を取れば……」

「……くっ……」

「フッフッ……ああ……きみの女は思いつく限りの屈辱に塗れることになるだろう。それまでせいぜい、その辺にうずくまって考えるがいいさ。……もちろん、私への謝罪のセリフも忘れずにね。立場をわきまえる最後の時間を、どうか惨めに生き長らえてくれ」

 

 左の指を振ってウィンドウを押下すると、男はログアウトしてどこか得消えてしまった。

 フィールドには俺だけが取り残される。

 翅をたたみ接地すると、悔しさと歯がゆさに苛まれるとその場で両ひざをついてしまう。あってはならない結末に、唇を噛んで額を地面にこすりつける。

 そしてそんな姿勢のまま、誰に向けるでもなく吠え続けた。

 剣を投げつけ、腕が上がらなくなるほど地を殴り、ノドが枯れるほど叫んでから、ようやく1つの事実を受け入れる。

 手の届く仲間さえ救えない口だけの男が、また独りで生き残ってしまったことを。

 この2日間で紡いだ、2人だけの時間さえ意味を失う。

 俺のせいだ。防げたはずだった。なぜあの時、もっと早く意図を読めなかったのか。分身撃破が反撃の手段? バカバカしい。俺達の足を止めるためだけの場当たり的な策に過ぎなかった。

 だのに、どうしてあの時……、

 

「あ、ぁ……っ……あああァアアアアアッ!!」

 

 汚い土に顔をうずめながら、俺はまさに丸まったまま惨めな後悔に打ちひしがれた。

 終わりのない逡巡(しゅんじゅん)がグルグルと回り、たまに歩き出してもすぐに近くのものに当たり、やがてアルゴの身を案じるあまり誰もいない世界でのたうち回る。

 どれだけ……時間がたっただろうか。

 無限に続く苦痛を一瞬で味わったような気分だった。

 木陰に座り込み、虚空をじっと見つめ、石像のように固まること数時間。

 メンテナンスが終わるチャイムの合図と共に、エリアの至る所で音と生気が蘇った。

 今はもう午後の3時ということなのだろう。アルゴが連れていかれてからすでに7時間近くたっている。

 

「(いや……もうなんだっていい……ぜんぶ終わったんだ。俺はヒスイと会って……キリトにも会って……ユイのおかげで事情は伝えられた。……じゃあ、もういいじゃねぇか……? やるだけやった。あとは……アルゴがひどい目にあわないよう、行動するだけじゃないか……)」

 

 座り込んだままシリカの激励を思い出す。アルゴのセリフを思い出す。

  今度は、この2週間で7人の仲間と誓い合った徹底抗戦の契りを脳内で復唱する。頭の中はとっくにグチャグチャだった。

 きっと誰1人として俺が屈することを望まないだろう。

 ノコノコ両手を上げたまま殺されでもしたら、むしろその情けなさに激怒するかもしれない。

 それでも、定まらない。俺にとってアルゴはただの戦友ではない。罪悪感に背を向けながら唇を重ねた時、この世界で最も高揚したことは誤魔化せないのだ。

 あの薄ら笑いを張り付けたゴミクズに、彼女が穢されんとしていたら……そう考えるだけで、どうしようもなく深い殺意が湧く。

 

「(クソッ、クソッ!! でも、相手はチーター……俺にどうしろってんだッ!!)」

 

 俺はいつしか走り出していた。

 一般人がログインできるようになって、視線の先にプレイヤーの影が映ったからだろう。移動は無意識だったが、目立つ場所でうなだれていては真っ先に狩られてしまう。

 まだ死にたくない、という生存欲か。しかし、プレイヤーから逃げ、モンスターから逃げ、何もかも受け入れられなくなった無様な男にもとうとう最後の瞬間が訪れた。

 

「やあ、迎えに来たよ。ジェイド君……だったっけ?」

「ッ……!?」

 

 すぐ近くまで来ていた。緑衣の金髪ロン毛、《オベイロン》こと敵の親玉。脱走者の座標を追えるからできる芸当である。

 頭がパンクしそうなせいで注意が散漫だったらしい。とっさに右手が大剣の方に伸び、その行動に対し男は眉をひそめた。

 

「そうやって構えるのは反射行為らしいな。……いいだろう、大目に見てやる。なにせ時間がない。その証拠に、今の私は無敵のアバターではない」

「……殺さない、とでも……?」

「いかにも。ただ、もう1度《ラボラトリー》で話をしないか? ……女を捨てるか、自分を捨てるか。条件が気に入らなければ逃げればいいし、意識を寄越す気になれば剣をしまえばいい」

「数時間でずいぶんな……変わりようだな。……あんたが、俺を逃がすとは思えないぞ……」

「……戦っても長引くだけ、というのは身に染みた。繰り返すが時間がない。ゆえに非武装で現れた。貞節を奪っていないどころか、あの女には指一本触れていない。きみにも聞きたいことができたんだ。交換条件だよ」

「…………」

「信じられないかな? 先ほど表の部署の仕事、つまりメンテナンスが終了したので、プレイヤーに聞かれない場所へ移動しようと言っているのだ。きみが大人しく来れば女は……いや、他の仲間にも危害は加えない。土渕と違って私には実行権がある」

 

 脚本ありきの行動なら、わざとメンテが終わってから現れたのだろう。そんなことはわかっている。

 しかし、俺に選択の余地はなかった。

 俺はしばし黙考すると、観念したように手を降ろした。

 

「……わかった。……俺と話すことが、あるんだな……?」

「それはよかった。私が触れてさえいれば『戻る』時にラボを経由できる。さぁ、手を出して」

 

 今はALOのルールに縛られる彼らでさえ、このオンラインフィールドで接続を切れば最終セーブ地点へ戻されるはずだが、それはこの地のいかなる村や街でもない。奴らの利己的なルールのみが適用される牙城だろう。

 そしておそらく、今度こそ俺は自力で脱出できない。今や《ラボラトリー》とフィールドの間には不可侵のシールドが張られているに違いない。

 スゴウが近づく。歩きながら腕を伸ばす彼の表情は晴れやかで、安堵と、達成感と、そして白々しさが(にじ)み出ていた。

 躊躇(ためら)いそうになる、あるいは殴ってやりたくなる気持ちを騙し、俺はその手を握った。

 

「では失礼。……柳井、私を戻せ。ああ、『触れて』いる。彼も一緒だ。頼む」

 

 短いやり取りだった。

 魔法を唱えるわけでもなく、アイテムを使うわけでもなく、俺達の体が眩しい光に包まれる。見たことのないエフェクトだったが、そもそもこの世界には転位手段がないはずなので、これも管理者が持つ権限の1つなのだろう。

 光はものの5秒ほどで収まり、視界が明けるとそこは見たことのない空間だった。

 人が暮らすために用意されたような一室。通常のそれと異なる点があるとすれば、部屋を囲う壁が均等に並ぶ金属棒……すなわち隙間だらけの輝く鉄格子で、少なくとも標高はフィールドのあらゆる山より高いはずである。

 まるで2人仲良く、天空の鳥かごに捕まったような感覚だ。

 

「……ここは……?」

「おや、チラッと見えたんじゃないのか? 覚えているはずだ。もしかすると、きみは2回ぐらい見てるかもしれないね……」

「ちげーよ、連れてこられた理由だ。交換条件と言ったな? こんなタマが浮きそうな場所で、俺はアンタからどんな話が聞けるってんだ」

「……フッフッ……話す? ああ、そんなことを言ったっけな。ただ予定が変わった。きみへ一方的な尋問をすることにしたよ」

 

 ニヤニヤ顔のまま、悪びれもなくそういった。

 やはりそうきたか。元より話をするつもりなどないらしい。

 

「(ハッ、上等。俺の目的もテメェのくぎ付けだ。ヒスイが助けに来るまで、何時間でも……何日でも……ここで……ッ!!)」

 

 しかし、俺が大剣のグリップを握った瞬間だった。

 頭上からマイクを通すノイズ交じりの声が響いた。

 

『すご……あ、《オベイロン》でいくんでしたっけ? とにかく、モニター室来れます? メンテ明け早々、ちょっとオープンワールドがエラいことになってるみたいなんですよ』

「なんだ、これからだというのに。口頭で説明しろ」

『はい。それが《グランド・クエスト》の参加者がまた現れたみたいなんです。多種族構成なのかモノ凄い人数で……うわ、さらに増えた……!?』

「こんな時に攻略だと……? ……いや、クエスト難度と『その先のエリア』は我々が管理しているのだ。突破されることはない。やらせておけばいい」

『し、しかしもう限界です。多種族10パーティ分ですよ!? 装備のグレードだって並みじゃない。これでクリア不可だと、最悪運営が立ちゆかなくなります! そうなれば、このサーバを隠れ蓑にし続けることも……』

「……く……なんてタイミングで。あと数日も待てんのか、ガキどもは」

 

 スゴウは苛立たしげに逡巡(しゅんじゅん)したが、今度は意を固めて振り返った。

 

「……いいだろう、どのみち長くは持たなかった。このエリアは今日で破棄する。それならあと半日持たせるぐらい……!?」

 

 会話の途中でボウッ! と、金髪ロン毛の端整な顔が炎に包まれた。

 厳密には、俺の投げた《火炎大壺》は奴のアバターに届いていないので痛くも熱くもないだろうが、唐突なイタチの最後っ屁に対しスゴウの顔は再び歪んだ。

 

『須郷さん……どうしました?』

「……いや、こっちのガキが噛みついただけだ。……僕への攻撃は無意味なわけだが、何のつもりかな。ジェイド君?」

「『クソ食らえ』のボディーランゲージだよ。ウソついて捕まえたつもりか? ここなら『殺してリメインライト』にすンのも楽勝? ハッ、笑わせんなよ!!」

 

 言うや否や足元に煙玉を叩きつけ、《まきびし》をバラまきながら数歩下がる。背面はすぐに鉄格子に阻まれるが、近くにあった家具を手で引いて横倒しにすると、背を低くしてその影に隠れた。

 すると、もうもうと立ち込める煙の中で呆れたような溜め息が。

 

「ハァ~……うちのメンバーは『賢いバカ』なんて呼んでいたけど、僕の印象だと『ただのバカ』だよ、きみは」

「るっせェアクティブガイジ! かかってきやがれ!!」

「……システムコール、詠唱スキップ。《裂閃爪(ラクレイション)》」

 

 歩きながら技名だけを言い放つと、白煙を切り裂いて突風の刃が幾層にも重なって垂直に飛来した。

 それは白煙や《まきびし》アイテムを飛ばし、家具ごと切り裂く必殺級の風魔法だったが、寸前で展開された《スワロゥ・パーム》がまたも救ってくれる。

 ほとんど無傷のまま、今度は天井の(はり)を利用して反対側にジャンプした。

 距離は変わらず4メートルほどだが。

 

「ハッハァ! 残念だったな!」

「……柳井、何を見ている。早く彼の行動をロックしろ。いつまでアナログな処理をさせるつもりだ」

 

 戦う気すらないスゴウは右耳に指を当てて気だるげに命令したが、天井からの応答は俺にとっても意外なものだった。

 

『ち、ちょっと待ってください! 何かヘンなんですよ! オンラインフィールドからはアクセスできないはずなのに……わ、わわっ!? そんな!?』

「今度はなんだ! 結論を言え!」

『プ、プレイヤーにセキュリティを突破されました! でもどうやって!? ……とっ、とにかく! 今《ラボラトリー》に一般ユーザが紛れ込んでいます!!』

「なんだと……ッ!?」

 

 アクシデント続きのせいか今日一の焦った声を荒らげた男は、俺のことなど忘れたかのように取り乱していた。

 しかし、無線の先に「まだ監査が入らないよう手は打ったはず」だの、「担当部署はなぜ追い返さなかった!」だの言っているが、俺にはわかった。

 今この場で、絶対神を脅かす挑戦者の正体が。

 

「(キリト……ユイ……どーせてめェらだろ! ハハ、マジで1日でやりやがったのか、あのバカ!)」

 

 メンテが明けてすぐだというのに。俺の知る限り世界最強の二刀流使いは、あらゆる障害を乗り切りやがった。

 不可能とさえ言われた、グランド・クエストの先まで!

 

「く、ぅ……あり得ん、こんなことが……!?」

『でもやっぱり、ただのプレイヤーみたいなんですよ! 役人ならこんなこと……ラボまで来ておいて、何のコンタクトもないんです! ……あ、あれ……これ、どこかに向かっていますよ。これは……「アスナさん」がいる鳥カゴの方かな……?』

「明日奈だと? ……そいつの登録ネームはわかるか」

『えっと、「キリト」……ですかね。何者なんです?』

 

 俺の予想自体は当たったが、その名を聞いた瞬間、スゴウの顔には2種類の顔が浮かび上がった。

 驚きと……もう1つは歓喜、だろうか。

 まるで新しいオモチャを見つけた子供のように笑うと、改めて耳に手を当ててささやきかけた。

 

「柳井、その者への干渉はどれぐらいできそうだ」

『それが、まったくプロテクタなどかかっていないようなんですよ。本当にただの一般人です。近くにちょっと重いプログラムが走ってますが、悪性のものではありませんし。……どうも、何らかのエラーで紛れ込んだみたいですね』

「フ……フフ……クックック……」

 

 今度は感慨深くはっきりと笑って見せると、奴は俺を流し見にしたまま思いついたプランを口にした。

 

「今回だけは無能なプログラマどもを責めないでおこう。こんなことが起きるものなんだね。……柳井、きみはもう手出ししなくていい。管理者権限をすべて僕へ。きみはこれ以上イレギュラーが入って来ないか見張ってくれ。ネズミ共々すべてを消してから帰るとしよう」

「おいっ……何をする気だ……ッ!?」

 

 言いかけた途端、スゴウは左手を振って素早くウィンドウをタップした。すると、再び無重力現象が襲いかかり、周囲がブラックアウトしてフィールドが入れ替わる。

 転移の割にやけにロードが速かったが、その理由はすぐにわかった。

 辺りの闇が消えなかったのだ。

 果てのない漆黒。背景なし。ロードに時間がかからないわけである。同時にスゴウも消えてしまったが、まさか俺はすでに意識を奪われてしまったのだろうか。

 

「(いや、まだ大剣もある。俺はまだ『プレイヤー』だ。けど、ここはどこなんだ……?)」

 

 座標も出口もわからないまま走り出そうとした瞬間、しかしその必要はなくなった。

 目の前に三度(みたび)転位反応。今度は3人も。

 1人目は距離を置いて現れたスゴウ。2人目はキリト。そして、最後はアスナ。武装は剥がされ、身に纏う布は、とても『防具』と呼べるものではなかった。

 拙速的な応急措置だろうか。だとしても、

 

「なんでアスナまで……?」

「なっ、なに、これは!? ジェイド君!?」

「アスナ離れるな! くそ、ユイがいない!? ジェイド、ユイは来なかったか!」

 

 三者三様の声の中、「だまれぇ!!」と、ひと際大きな絶叫が遮った。

 直後、上からの衝撃。

 肩に、背に、全身にかかる重圧。考える間もなく四つん這いにされてしまう。……一瞬の衝撃とは違う。これは、体に鉛を(くく)り付けられたような感覚である。

 

「ぐっ……ンだよ、これ!?」

 

 腕すらも上がらない。押さえつけられているわけではないが、その不可視の圧力は真っ黒なエリアにいた全員に降りかかっていた。

 

「く、そ……ッ、スゴウ……またてめェの魔法か……!!」

「くっくっく、床をなめる姿はよく似合う。さて、先に重要なことを質問して……いや、待てよ。今のキリト君の反応……ネットに出回った例のスクショ……」

 

 あまりの重さに()い付けられたプレイヤーを睥睨(へいげい)しながら、長い装束を纏って悠々と歩く男は、気味の悪い笑みを浮かべながらしたり口調で言った。

 

「くひっ……くひっ……そういうこと(・・・・・・)か! フィールドで会ったというサバイバーは、この大マヌケな英雄君だったわけだ! ひゃははっ! こいつはいい。必要なら、アルゴとかいう女の身ぐるみを剥いでジェイド君に吐かせるつもりだったが……手間が省けたな」

「クソが……極まってんな、てめェは……」

「もう喋らなくていいよ。……それにしてもキリト君、問題はきみだよ。せっかく情報を得ても、それを生かせないんじゃ結末は悲しいものだ。どうせ《ナーヴギア》を使ってログインしているんだろう? なら条件は他の被験者と同じさ」

 

 言うだけ言うと、あの金色の剣を精製したスゴウはそのまま逆手に握り、とうとう這いずるキリトの背に切っ先を穿(うが)った。

 彼の呻き声をよそに信じられないことまで言い放つ。

 

「システムコマンド! ペインアブソーバをレベル8に変更」

「っ……ぐっ……」

「レベル6に変更!」

「がッ……ァ、あああああアアア!!」

「ヒャハ、ハハハハ! いい声じゃないか! これから見せるショーは痛みだけではないぞ!!」

 

 敵が抵抗できないと見ると、途端に強気に出るのがこの男の特徴である。

 その後も、スゴウは言いたいだけ俺達をバカにした。最後には空間を丸ごと録画すると脅したうえで、アスナを鎖で宙づりにしたかと思えば、その清楚な服を引き裂いたのだ。

 もちろん、目的はキリトに屈辱を与えるためである。どうもこの男はキリトのことをやたら敵視しているようだが、ターゲットの恋人を利用しようという手段は、ほんの数時間前に俺に取った手段とまったく同じだった。

 この男の本質は卑怯な小心者だ。

 それゆえ、不可侵の力を振りかざす。

 半裸になったアスナの体に指を這わせると、今度は恐怖でにじみ出た涙を舐めとって愉悦していた。キリトの怒りは頂点に達し、それでもなおシステムの力には抗えない。俺は左の指を振ってみたがウィンドウすら出現しなかった。

 

「(クソ……どうすりゃいいんだッ……!!)」

 

 しかしその瞬間、誰にも予想できないことが連続して(・・・・)起こった。

 これが奇跡というやつだろうか。……いや、もっと具体的で、そのくせ理解が及ばない現象が起きたのだ。

 

「キリ、ト……?」

 

 響いたのは、キリトの震えあがるような咆哮。先ほどまで剣で縫い付けられていた彼が、この世の理不尽を吹き飛ばすように吠えながら、重力魔法に逆らって立ち上がった。

 いったいどうやったのか。ゲームにおける行動制限は気合いどうこうで解決する話ではない。俺はおろか、スゴウにすらわからないようだった。

 しかしわからないなりにも、イレギュラーには対応しなければならない。アスナへの暴力を中断すると、運営チームへ小言をもらしながらキリトの前まで歩いてくる。

 それでも、絶対神を前にしても、彼は動じなかった。

 

「システムログイン。ID《ヒースクリフ》。パスワード……」

 

 聞いたことのないコマンドと、長ったらしい英数字の羅列。まるで人が変わったような冷静さ。

 それにいま、『ヒースクリフ』といったのか? あの男が使っていたコマンドを、突然キリトが使えるようになった? 茅場がまだ生きていて、どこかで耳打ちしたとでも?

 何もかもあり得ない。キリトはまだ、この世界に来て数日しか……、

 そんなことを考えているうちに、彼は粛々(しゅくしゅく)とすべきことをしていった。

 まるで、本当にゲームマスターになったかのように、スゴウから管理者権限をすべて剥奪。続いて《ペインアブソーバ》のレベルを一律でゼロへ。これでプレイヤーへの痛覚信号は、スゴウを含め例外なくダイレクトに伝わるようになったわけだ。

 そしてもう1つの現象。

 

「(うわっ、なんだ!? いきなり体が軽くなった……!?)」

 

 匍匐(ほふく)も満足にできなかったチート技の重圧が、ウソのように消えたのだ。

 さらに頭上数メートルで複数の発光。なんと、その光から見たことのない剣や槍やらが山ほど降り注ぎ、目の前にドスドスと突き刺さった。そのすべてが宝剣級。まるで魔王討伐済みの勇者が、神から自由な武器でも授けられるように。

 そして、天井からノイズ交じりの声が響いた。

 

『ジェイドくん、無事かいっ!!』

「こ、この声……トブチか!? あんたどうしてここに!?」

『事情は察して! きみへの干渉は全部ブロックしたし、リリース前の武器も適当に送ったよ! 数分で出られるようにするから、どうにか凌いでくれ!』

 

 土渕はそれだけ言って、ドタバタとマイクから遠ざかっていった。リアル世界はずいぶん慌ただしいらしい。

 なるほど、「事情は察して」か。きっと裏でコソコソと俺達への干渉を企てていたのだろう。そして機は熟し、クライマックスで登場する。なんとまあ、彼もやるときはやる男である。

 迷うことはない。自力でシステムの鎖を引きちぎったキリトですら、その声色と内容から俺との関係を一瞬で見抜いていた。

 スゴウは仲間にさえ裏切られた。

 立たされた劣勢を自覚した惨めな男は動揺し、皮肉にも現実から逃れようと必死だった。

 

「そんなバカなことが……土渕、全部お前がやったのかァ!! ……クソ、こんな……はずじゃ……!!」

「ハッハァ! 気ィきくな、あのインテリ野郎!!」

 

 ラスボスを前に高性能な剣を授かったから嬉しいのではない。

 溜まったうっぷんを晴らせるチャンスに浮足立っているのではない。

 土渕の悲痛な顔を改めて思い出す。恩人だろうと悪を裏切り、自分の正義に従ってくれたあのクソ野郎(・・・・)の顔を思い起こすだけで、俺の中に大きな達成感が流れ込んできたのだ。

 もう、思い残すことはない。

 俺は付近に刺さる、微かに火の粉を纏う大剣を手に取った。もちろん、土渕はキリトの存在までカバーしたわけではない。《ラボラトリー》に紛れ込んでいることにも気づいていないようだった。

 しかし武器は余るほどある。近づいてきたキリトも、適当に強そうな直剣を2本引き抜いてニッと笑った。

 

「俺も借りるぜ、これ。……なぁジェイド、いつの間に敵と仲良くなったんだ?」

「ケッ、仲良くねェよ。かしといたデッカいツケを返してもらっただけだ。それに見ろよキリト、この大剣!」

 

 チラッとだけ視線を寄越す。初めは首を傾げたが、やがて思い出したのだろう。

 《はじまりの街》の地下ダンジョンで、ドクロと大鎌が特徴的な強ボスに襲われたことがあった。しかし炎の大剣を持った小さな女の子……ユイがその脅威を一刀両断にして退治したことがある。

 固有名《デモンズゲート》。SAOにおいても最上位武器。それがこの得物だ。

 おそらく、開発費を惜しんで武器やアイテムを流用していたというオチか。まさかこんな形で郷愁(きょうしゅう)に浸れるとは思わなかったが。

 

「かりるぜ、ユイ……」

 

 何にせよ、お膳立ては十分である。

 向き直ると、スゴウはまた情けない声を上げて後ずさった。

 

「ヒィイイッ、ちくしょう! 出られない!? なんで僕の方が閉じ込められているんだ!! 言うことを聞け、このポンコツが!」

「トブチを信じるなら、もうすぐ出られるだろうぜ。そん時は俺らもご一緒するだろうけど」

「それまではアスナに指一本触れさせないぞ! ……それとも、斬られたくないんだったら、この場で泣いて頭を下げるか?」

「ク、ソ……ガキどもがァ……!!」

 

 激昂した彼は、すでに精製していた金の直剣をブルブルと構え直す。

 大変すばらしい。相手が丸腰なら俺も剣を捨ててゲンコツで挑むところだったが、剣を構えてくれるなら気兼ねなく斬りにいける。

 しかしスゴウから冷静な判断力が失われた、というわけではないらしい。

 「直接斬り合う」行為が極めて危険になったこの空間において、自らが矢面に立てばすべてのリスクが跳ね返ってくる。さりとて、生意気な小僧共に調子づかせたまま数分も許しを懇願(こんがん)し続けるなんて、培ったプライドが許さない。

 そんな都合のいい願いを叶えようとするうえで、スゴウの出した結論は最適だった。

 

「システムコール、詠唱スキップ! 代替者達(オルタネイターズ)!」

 

 使用したのはかの分身魔法。今度は剣を持ったまま増えている。

 納得だ。自らは安全な場所に逃げ、痛覚のない人形20体に代わりに刑を執行させようという腹積もりらしい。

 しかしそれは、最適であっても最善ではなかった。

 

「オウ、そう来たか! どうするよキリト!!」

「どうって斬るさ! 泣いて謝ってでもいれば……いや、だとしても!!」

「いいねェ! ノッたぜ!!」

 

 直後、グッシャア、と。最前列にいた2体の人形が崩れ落ちた。

 人形は剣をかざしていたものの、俺やキリトの重撃を凌ぐ技がない。そして『当たれば消える』のはすでに検証済みである。

 瞬間加速。

 連続攻撃。

 秒を刻むごとに千切れ跳んでゆく妖精王の手足。フッ切れた俺達に、シロウトの分身はなす術がなかった。

 そして……、

 

「いっ、いい加減にしろよこのォオオッ!!」

 

 《本体》が側面からキリトに斬りかかってきたのだ。しかしそれは、最高のステータスと最上の業物が地の底まで台無しとなる、クソのような一撃だった。

 ガチンッ! と鳴ったが、剣で受けたキリトは不動。むしろ反動でスゴウの方がよろめいていた。

 スキだらけだ。

 

「おーらよォ!!」

 

 ズンッ、と。俺の介入で相手の両腕が半ばから切断される。

 燃える大剣に斬られたからか、切断面に「焼き」の痛みも加わったらしい。

 一拍遅れで発せられた彼の金切り声は、すでに人外のそれに近かった。

 

「ひゃああああアアアアッ! あっ……ぁァァアア!! イタイ! 何だこれはっ……僕のウデがぁアアア!?!?」

「だまれ」

 

 キリトはおざなりに追撃を加えた。その薙ぎ払いは口元に直撃し、スゴウの鳴き声は潰れたカエルのようなものに変わった。

 口と両腕の受傷痕からはピンクのポリゴンがとめどなく溢れ落ちる。痛覚が等倍の今、このダメージは単なる演出の域を超えているのだ。さぞ苦痛を味わっていることだろう。

 されど、なおキリトの怒りは収まらなかった。

 怯え切ったスゴウは、『本当に潰れたわけではない』ノドをどうにか震わせて言った。

 

「や、やめろォオオ!? ぼぐ……は、もう戦えない!! こんな状態でッ……もう止めでぐれぇええええ!!」

「……お前が1度でも、アスナの声に耳をかしたか!!」

 

 ザクン! と、今度は両足が飛ぶ。

 妖精王カッコ笑いはダルマのサンドバッグになり果て、壊れたスピーカーのような絶叫を上げながら高く放り投げられた。

 そして、手足のないズタボロのお男は終焉を迎える。

 剣士の一閃。背骨から脳天まで、一気にブレードが貫通したのだ。

 

「ギャアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 貫かれた本体がとうとう壊れると、ブッ飛んだ悲鳴を上げながら、やがて白い炎に包まれてこの世界から消えていった。

 周りにはウソのような静寂が舞い降りる。すると元凶を消したキリトは、半裸のままへたり込むアスナのもとに寄って慰めていた。

 恋人同士の再会である。俺とヒスイがそうだったように、彼らにも2人の時間が必要だろう。

 しかしそれを遮ったのは天からのおっさん声だった。

 

『待たせてすまない! ラボにいる300人を含め、ログアウトの準備ができた。すぐにでも戻すが、そっちは大丈夫か……!?』

「……タイミングわり」

『えっ……?』

「いや、さっさと頼むよトブチ。こっちも今終わったところだ」

 

 どこにマイクがあるのかは知らないが、キリトらの代わりに俺がそう答えると、数秒後には3人のアバターが光に包まれた。

 心地のいい、光に。

 

「(ああ……すべて、終わったんだな……)」

 

 この2ヵ月半の戦いが凝縮(ぎょうしゅく)されて去来する。変化と、決意と、そして再会。仮想世界にダイブしてからは実に2年以上もたってしまった。

 家族はまだ俺を待っているだろうか。不良高校の連中はみんな卒業済みか……あるいは退学でもしたのだろう。その大半と、もう会うことはない気がする。

 そして俺のギルド《レジスト・クレスト》のみんながいる。

 この光の送還は、それらすべてにおいての祝福である。

 

「なあ、ジェイド!」

 

 同じように光を纏うキリトが直前で声を上げた。

 俺は2人に向き直る。

 

「どした、キリト」

「……ありがとう、な。アスナに会えたのは、お前のおかげだ」

「ハハッ、じょーだん。キリトが勝手にやったことだろ」

「そっか……じゃあ、須郷のラストアタックを奪って悪かった。ジェイドこそ斬りたかっただろうに」

「お~そりゃ確かに。けどま、人質がアスナだったからゆずる気でいたさ。ヒスイだったら俺が殺してた」

「あはは。……もう時間だな。なあ、向こうに戻ってもまた会おうぜ!」

「おうよ! けどその前に、ヒスイとイチャついてからな! あとアスナ!」

「えっ、な、なに!?」

「前見えてるよん」

「っ、……っ!? もう!!」

 

 シュババッと破れた服を手繰(たぐ)り寄せた赤面アスナを最後に、俺の視界はホワイトアウトした。

 最後が楽しければ、道中の辛さなんてなんのその。

 全部シニカルに笑い飛ばしてやると、俺は光の出迎えに意識を任せるのだった。

 

 

 

 

 




次回、最終回です。
ああ……長かったなぁ。


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