半人間と双槍の騎士のFate/Zero (ドスみかん)
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第一話:降り立つ主従

 

 

 時は1990年中頃、季節は冬。

 場所は東洋の島国、とある空港に一組の男女が降り立った。

 

 

「…………寒い」

 

 

 ヒラヒラと細かな雪が舞い散る寒々とした空気の中で金髪の少女が呟いた。年齢は十代の半ばを過ぎた程度だろうか、少しばかり華奢な脚がコンクリートを踏みしめた。

 ふるり、と身体を震わせながら憂鬱そうな赤い瞳がたった今降り立った灰色の空港を見渡した。ここが目的地、とある魔術儀式が行われる血塗られた土地。故郷であるイングランドから飛行機に乗って約12時間、その間は『極めて頼りになる付き人』が話し相手及び身の回りの世話を焼いてくれたので思ったほど退屈はしなかったのだが二度は乗りたくない代物だった。何よりあまり文明の物に頼っていると魔術師として負けたような気分になる。200年以上に渡る魔導の名家たる少女ですらまともな飛行魔術など欠片も使えないのだから、ひたすらに魔術とは化石のごとく時代遅れなモノだと自覚せざるを得ない。

 くしゅんっと、くしゃみをした少女。それを聞き付けて放っておかないのが彼女に仕えている青年である。端正な美貌を持つ黒髪のジェントルマンは自らのマフラーを外す。青年の等身が高すぎるため、膝をつきながら小柄な少女へとソレを優しく巻き付ける。

 

 

「主よ、お身体に障ります。よろしければこれを」

「いらないよ? そもそも私が寒いって口に出したのは条件反射みたいなものであって本当に寒さに震えたんじゃない……ちょっと、聞いてないでしょ。何故マフラーを巻くのさ?」

 

 

 生前の伝説にて語られる騎士というよりは侍従のように世話を焼いてくる美男子、今は便宜上『ランサー』と呼んでいる彼にリーゼロッテはむくれた顔をした。そんな少女の豊かな金髪を持ち上げて、器用にマフラーを巻いていく青年は何処吹く風だ。

 

 文句の一つでも言ってやりたいのだが、寒さに対して強がっていたのは事実なので口には出せない。本当に自分には過ぎた従者だと、悔しいながらも青年のことを再評価するしかなかった。カラカラとスーツケースを押しながら進む青年の後を付いていく。

 

 スーツという現代の正装に身を包んだ青年は慣れない手続きに手間取る少女から付かず離れず絶妙な距離で入国審査を二人分クリアし、胸ポケットから取り出した黒皮の手帳に目を通しながら今後の予定を確認している。

 これではどちらが現代人なのだかわからない。

 

 

「まずはチェックインを済ませましょう」

 

 

 流石は心眼Bランク、戦場で鍛え上げられた戦略眼はこういった状況においても効果を発揮するのかとリーゼロッテは感心する。

 

 

「まったく、現代人の私より順応が早いってどうことなの?」

「…………我らサーヴァントは聖杯から現代に関する知識を与えられていますから、仕方ないことかと」

「はい、嘘っ! 君たちが得た知識の範囲くらいは想定済みだからね。どこの世界にサーヴァントに空港での出入国手続きやホテルのチェックインのやり方を教える聖杯があるのさ。どうせ説明書きにすら気がつかなかった私の落ち度、そんな励ましはノーセンキューだよ!」

「くくっ、そうですね」

「あーっ、今笑ったでしょ!」

 

 

 賑やかな抗議の声を上げる少女の名前はリーゼロッテ・ロストノート。ここから遠く離れたイギリスに存在する魔術の総本山『時計塔』の生徒にして、名門一族の次期後継者候補。そんなリーゼロッテは基本的に陰惨な性格をしている魔術師らしからぬ陽気な気質と、なかなかに整った容姿を併せ持ち、時計塔の学生の間では有名人な少女だった。

 

 そんな彼女に苦笑しているのは黒髪の美青年。

 緒事情から『ランサー』などと呼んでいるが、彼の真名はディルムッド・オディナ。アイルランドに伝わるケルト神話、そのフィニアンサイクルにて語られるフィオナ騎士団にその名を連ねる伝説の戦士である。千年以上前の人物、それも英雄様とこうして何気ない話をしているのだからまったく人生というものは何が起こるかわからない、とリーゼロッテはポケットに入った『宝石』を弄くりながらこの奇妙な巡り合わせに思いを寄せる。

 

 空港から一歩外に出ると、そこには不自然なまでに人が集まっていた。それは『人集めの結界』をリーゼロッテが張っているからだ。人の精神に働きかけて「ここに行きたい」という無意識を作り出す外部干渉型の結界。非道な暗殺者もまさか人混みに爆弾を放つようなマネはしまい、とリーゼロッテは身体に迷彩魔術を纏いながら人の波を掻き分けていく。

 

 

「主よ、こんな方法を取る必要があるのでしょうか。まだ聖杯戦争が始まってすらいない現状で」

「念には念を、だよ。本当にあの名高き『魔術師殺し』が参戦しているのならどんな方法を取ってくるのか想像できない。標的一人のために飛行機を撃墜する男だからね…………正直、ここに来るまでに飛行機ごと亡き者にされないか不安だったよ」

 

 

 右手の甲に刻まれた令呪を見つめる。

 円を描くようでいて微妙に歪んだソレはまるでメビウスの輪のような模様だった。運命から逃れようと聖杯戦争に赴いたリーゼロッテにとっては、あまり良いデザインとは思えなかった。メビウスの輪に出口はないのだから。

 そうこうしている内に人の波から抜けて、通りを歩きながらリーゼロッテは真剣な眼差しで己のサーヴァントに告げる。

 

 

「…絶対に勝つよ、ランサー。君の掲げた誓いは果たしてもらう。…………必ず私に聖杯を」

「御身のままに。フィオナ随一の槍裁きをもって、俺は貴女に必ず聖杯を献上してみせましょう」

 

 

 この闘いは負けられない。

 普段は温厚を自負しているリーゼロッテなれど、今度ばかりは一切の容赦を捨てて戦おう。元より戦争とは始まってしまえば勝つしか道は残されていないのだから。しかしーーー。

 

 

「ウェイバー、できれば君がサーヴァントを召喚する前に会えたらいいな。そうすれば殺し合わなくてすむんだから…………うん、それがいいよね」

 

 

 少女は悲しげに、しかし固い決意を秘めた声で呟いた。ぶるり、とリーゼロッテは自らの身体を掻き抱く。そして気づかれないようにランサーのコートの端っこを摘まんでいた。

 

 母国であるイギリスよりもこの国の冬は確かに寒い。

 しかしリーゼロッテは寒さに震えているわけではない、彼女は怯えていた。これから始まる戦いに、命を狙われる危険に、そして何よりも顔見知りと杖を交えなければならない未来に。

 

 

「大丈夫です、リーゼロッテ様。俺がいます」

「………な、何の話かな?」

 

 

 少し前を歩くランサーは振り向くことなく、リーゼロッテへと言葉をかけた。とても落ち着いた力強い響きだった。慌てたリーゼロッテがランサーのコートから指を放す。

 

 

「いえ、独り言かもしれません」

「ふーん、真面目な君が独り言なんて珍しいけど、もう少し周囲を気合い入れて警戒してよね…………ありがと、ランサー」

 

 

 聴こえないように小さな声でリーゼロッテがお礼を言った。その顔は少し赤い。

 

 人並み外れた聴力でソレを聞き取っていたランサーは心の中で微笑んだ。良いマスターに出会えた。召喚された当初は年端もいかぬ少女を主とすることに不満がないわけではなかったが、この数ヶ月で随分とわだかまりは無くなった。魔術師としては甘い性格も、傷つき易い精神をしながらお調子者を演じる姿も、今となっては好ましい。人ならざる『赤い目』も含めて。

 

 

「『今回』の俺は随分と幸運に恵まれているらしい」

 

 

 英霊ディルムッドはこれから挑む戦いに向けた闘気を燃やしていた。ちょこちょこと、彼の後ろを付いてくる金髪の少女にフィオナの英雄は忠義を捧げたのだ。その主だが、シミ一つない真っ白な頬は寒さからか仄かな赤みを帯び、長旅による疲労で足取りは重々しい。

 

 やはり今日は早めにチェックインを進めた方がよさそうだ、ランサーはそう思った。

 

 

 

 




Fate/stay nightのアニメ放送日が迫っているということで記念に投稿させていただきました。
ずいぶん前に書いたものに手を加えて加筆修正したものになります。急いで書いたのでおかしなところがあるかもしれません。お目こぼしいただければ幸いです。
今は別の二次作品に集中したいので手元にあるものはこれだけですが、もし「続きを見てみたい」などのコメントなどありましたらゆっくり書いていきたいなぁ、と思っています。

ー追記ー
短編から通常投稿に移行しました。
のんびりと続きを書かせていただきますので、よろしくおねがいします。


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第二話:宝石魔術師、二人『前編』

 

 

 ここは冬木市の外れにある屋敷。

 とある資産家がバブル時代に購入し、その後すぐに諸事情により手放したという真新しい西洋建築の建物。周辺は閑散としており、まさに外様の魔術師にとってはうってつけの物件だった。リーゼロッテはこの国を訪れる前に、拠点とするべくこの屋敷を購入していた。

 

 

「Anfang(セット)、Zeichen(サイン)」

 

 

 リーゼロッテの声に屋敷を囲むように配置された数十個の宝石が反応する。

 互いに干渉し、反発し、力を高めあっていく魔石たち。植物が蔦を伸ばすように魔力が地面を這い、放出された呪いの光が簡易な『結界』を作り上げていく。属性はリーゼロッテの得意な『炎』、防衛システムの起動は任意ではなく自律機能型。ロンドンにある自分の工房に比べるなら玩具みたいな結界だ。しかし、今はこれで十分だろう。

 

 

「所詮は1日で組み上げた即席モノだけど、無いよりはマシかな。…………うーーっ、疲れたぁ!」

 

 

 リーゼロッテは大きく伸びをした。

 魔力の消耗は殆どないが、庭のあちこちに宝石を配置するのは骨が折れた。いや実際に宝石をチマチマと庭に置いてきたのはランサーなのだが、細かい指示を出さなければならなかった少女の疲れは大きい。

一方のランサーは宝石の配置を終えると、すぐに屋敷の中に引っ込んで朝食の準備を始めていた。あの程度の雑用ごときで疲れる男ではない。

 

 

「主よ、エルメロイ殿から渡されたホテルチケットを処分してしまって、本当に良かったのですか?」

「いーのいーの、ロードには悪いけど悪目立ちするのは苦手なんだよね。あんな所に拠点を構えるなんて、まるでゲームのラスボスだよ。ロードみたいな実力者ならともかく、私なんてあっという間に『エミヤ』に殺されちゃうよ。………だいたい、ランサーだって反対してたじゃん」

「はい、あのような構造の建築物となると下から崩されれば如何なる工房であろうとも無力でしょう」

 

 

 鋭い眼差しで言葉を吐くランサー。

 彼の瞳には影がある。それに気がつかないふりをしながら、リーゼロッテは屋敷内へと入っていく。無駄に広いリビングに置かれていたテーブルに乗っていたメニュー。こんがりと焼けたパン、目玉焼き、葉野菜のサラダやコーンスープが並んでいた。シンプルながらも主人の好みを押さえた献立だ。にんまりとリーゼロッテの顔に子供っぽい笑みが浮かんだ。

 

 

「ふふふっ、やるじゃないかランサー。誉めてつかわふ…………噛んだ」

「ぐっ、ありがたき幸せ」

「あーーっ、また笑ったなぁ!」

 

 

 プンプンと怒りながら目玉焼きにナイフを突き立てる。窓から入って来た風にハチミツ色の金髪がふわりと靡く。人ならざる赤い瞳と相まって、黙っていれば絵画のワンシーンのように優雅な朝食に見えた。

 

 

「主よ、今日の予定は如何程に?」

「ん、散歩かな」

「散歩ですか。なら冬木の名所を調べておきましょうか?」

「いやいや、そこまで従者になりきらなくてもいいよ。テキトーに街を彷徨くだけだから大丈夫。…………ああ、でもセカンドオーナーには挨拶をしに行こうかな」

 

 

 カチャカチャと銀食器を静かに鳴らして食事をする少女に昨日のような気負いはなかった。本当に今日の予定はない、まだ全てのサーヴァントが召喚されたという知らせがない以上は戦う相手も舞台もない。いわば聖杯戦争は準備段階なのだ。それでも最低限の備えはしているが。

 

 

「セカンドオーナー、遠坂時臣ですね」

「うん、東洋の名門たる遠坂家の五代目当主さま。私も彼の理論には何度かお世話になってるから、実際に会うのが楽しみだよ。素敵な紳士だったら嬉しいかも…………私は年上好きだし」

「まったく関係のない情報が混じっていたような気がするのですが…………ちなみに遠坂氏は『既婚者』です」

「なんで『既婚』を強調したのさ!? 別に色恋沙汰になりたいとかじゃないし、私は見目麗しい男性を遠くから眺めるのが好きなだけで…………ああ、なるほどね」

 

 

 リーゼロッテが呆れた顔をした。

 このサーヴァントは男女の仲というモノにうるさい。それはもう五月蝿い。まあ、生前が異性関係に悩まされた挙げ句に命を落としたのだから仕方ないといえばしうなのだが。

 

 

「自分の失敗をマスターに押し付けるのって私、リーゼはどうかと思うのですよ。まあ、サーヴァントに心配されたなら仕方ない。代わりに君の勇姿を誰よりも近くで眺めることを聖杯戦争の楽しみにしようかな、私の英雄様?」

「それならば、尚更無様なマネはできませんね。………それと、恥ずかしいなら歯の浮くようなセリフは控えた方がいいのでは?」

「うん、そうする」

 

 

 耳まで真っ赤にしたリーゼロッテ。どうやら口にしてから恥ずかしくなったらしい。何が「私の英雄様だ」と激しく反省する。

 実はリーゼロッテは一度、ランサーの『魅了(チャーム)』にかかりかけている。召喚時に少しばかり、うっかりしたのだ。それのせいで心の防波堤が緩んでいるらしい、油断するとアホみたいなセリフが出てしまう。

 

 

「この呪われたイケメンめ。そんなんだから姫様が君にベタ惚れするんだよ。マスターまで陥落させて嬉しいのっ?」

「主よ、その話題はやめてください。俺の呪いについての話題だけは勘弁してください。この呪いのせいでどれだけの罪なき女性が、同胞が傷ついたか…………」

「あ、このコーンスープ美味しい。…………いや、君が異常にモテたのは呪いのせいだけじゃないと思うけどなぁ」

 

 

 妖精王オウェングスを育ての親に持ち外見は超一流、気立ては良く友情にも親愛にも厚い男。騎士団ナンバーワンの戦士であり、団長からの信頼も相当なものだった出世頭。文武両道を基本とするフィオナ騎士団に所属していたということは教養分野も修めているのだろう。

 

 

「で、やらせてみたら家事にも有能だったと。…………これでモテないと思ってるなら、もう一度イノシシと戦えばいいんじゃないかな」

「何の話ですか?」

「べつに」

 

 

 すでに『魅了(チャーム)』の効果は解除したとはいえ、この手の呪いは何かの拍子に再発してくるから面倒くさい。ランサーのことは嫌いではないのだが、所詮はマスターとサーヴァントの関係だ。必要なときは無理な命令もするし、万が一の場合は裏切りだって過去の聖杯戦争では珍しくなかった。下手に仲良くなると今後の戦闘指針に迷いが生まれるかもしれない。

 

 

「でも、ギスギスした関係よりはいいよね」

「そうですね。俺も心の底からそう思います。………っ、主よ」

「わかってる」

 

 

 バチンッ、と『何か』が結界に触れて砕ける音。

 即座にリーゼロッテは杖を持って庭へと出る。手入れされた芝生を踏みしめながら向かった、彼女が見たのは『石で出来た鳥』だった。砕けた隙間から見えた核となる部分にはルビーが埋め込まれている。どうやら、あちらから接触を図ってきたらしい。それを拾いあげると、リーゼロッテはルビーに桜色の唇を近づけた。

 

 

「随分と性急な対応ですね、そんなに焦らずともこちらから挨拶に伺おうと思っていたのですよ。ふふっ、冬木のセカンドオーナーを蔑ろにした戦いなど無礼にも程があるではないですか。私は礼儀くらい弁えておりますわ。ご存知でしょう、ミスター遠坂?」

 

 

 先程までの砕けた口調は霧散していた。

 貴族の令嬢のごとく、いや実際にリーゼロッテは時計塔において本物の貴族だ。丁寧に、しかし少しだけ刺を持って『向こうにいるであろう人物』へと話しかける。それはぞっとするほどの冷たい声だった。鳥の形をした使い魔からの返答はない。

 

 

「太陽が真上に昇るくらいにでもお邪魔させていただきます、それでは」

 

 

 リーゼロッテは鳥の使い魔を放り投げた。

 そしてポケットから出した赤い宝石を一緒に投げ捨てる。カチン、と小粒のルビーが使い魔の身体に触れた瞬間に哀れな無生物は燃え盛る炎に包まれた。

 メラメラと炎上するそれを眺めながら、リーゼロッテは後ろに控えていたランサーへと振り返る。

 

 

「さて、今日の予定は決まったようだね。セカンドオーナーへの挨拶に行こう!」

「了解した、我が主よ」

 

 

 ランサーは特に問いかけることはしない。

 魔術師としてのリーゼロッテ・ロストノートの姿は最早見慣れている。この少女はきっと心を分けることに長けているのだろう。魔術師としての自分と人間としての自分、そして『』としての自分を。

 ランサーはその全てを肯定している。故に、どの少女に対しても忠誠心は微塵も揺るがない。されどできることならマスターにはーーー。

 

 

「………芝生に炎が燃え移ったか」

 

 

 白い煙を上げる庭、思考はそこで中断した。

 何はともあれ、まずは火消しをするとしよう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 冬木の地にある、とある屋敷にて。

 そこではワインカラーのスーツを着た男性が先程から小さな含み笑いを繰り返していた。綺麗に整えられた顎髭を擦り、また上品な笑みを浮かべる。怪訝に思った神父姿の男が男性、遠坂時臣へと話しかける。

 

 

「我が師よ、そんなにもあの娘が気になるのですか。それならばアサシンを偵察に向かわせますが」

「いや、そうではないのだよ綺礼。あまりにも愉快な宣戦布告を受けたもので嬉しくてね」

 

 

 神父姿の男性、言峰綺礼は首を傾げた。戦いを吹っ掛けられたというのに、何が可笑しいのか心底理解できないからだ。相変わらず師の考えることは、常人の心を持たない綺礼には甚だ難解である。もっとも、常人ごときでは遠坂時臣の魔術師として高潔な思考回路はやはり理解できないであろうが。

 

 

「ロストノート家、あそことは何度か手紙のやり取りをしたことがある。同じ宝石魔術を志す者として、あの家と我が遠坂は良好関係にあったのだよ。それ故に、まさか聖杯戦争に絡んでくるとは思わなかった」

「…………ならば憂いるところではないのでしょうか。いわば此度の参戦は遠坂に対する不利益行為、つまりは裏切りのはず」

「いや、魔術師の世界においてこういったことは珍しくない。互いの欲するものが重なれば、友好関係など沼に沈めて杖をお互いの喉へと向け合う。それが外法を歩む魔術師の姿だ…………もっともルールの遵守は必要だ、故に彼女の宣戦布告は素晴らしかった。それだけだよ」

「…………そう、なのですか」

 

 

 曖昧な答えを返した綺礼。まだ彼には魔術師の何たるかは難しかったか、と時臣は苦笑した。それが言峰綺礼が抱える歪みによるものだとは気がつかない。

 

 

「しかし、どうしたものか。未だに私はサーヴァントを召喚していない。最も魔力の満ちる日程にて万全たる召喚を行うためにだった、とはいえ少しばかり間が悪い」

 

 

 もし、あの少女が聖杯戦争の開始前において刃を振るう蛮人であったならば時臣の命は彼女のサーヴァントの手によって握り潰されるだろう。

 

 

「だがその程度は私が臆する理由にはならんな」

 

 

 時臣はリーゼロッテとの顔合わせを受けることを決めた。もちろん信頼する弟子にアサシンの配置を要請した上でなのだが、それでも身一つで敵サーヴァントと相対する度胸を持つことは大したものだ。やはりセカンドオーナーとしてのプライドは高い。

 まあ、リーゼロッテに不審な点があれば自分の工房の防衛システムを起動した上でアサシンによって奇襲させる保険付きなので、安全といえば安全なのだが。

 

 

「ロード・エルメロイの不参加を受けて正直なところ肩透かしを感じていたのだが、これは少し期待できるかもしれないな」

 

 稀有な宝石魔術師が相対し、魔術を競う。

 こんな機会は滅多なことでは訪れない。遠坂時臣はわずかばかりの期待を抱いて、手の甲に刻まれた令呪に目を落とした。

 

 

 




頑張って更新してみました。
今回のタイトルは鋭い読者さんなら、何を参考にしたのか気がつくかもしれません。


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第三話:宝石魔術師、二人『後編』

 

 

 聖杯戦争、それは魔術師同士の殺し合い。あらゆる願いを実現せしめるという伝説の願望器『聖杯』を巡り、選ばれた七人の魔術師が最後の一人になるまで争う戦いの儀式。

 

 そして、この聖杯戦争が単なる魔術儀式には収まらない要因がある。それが『サーヴァント』、過去・現在・未来を問わずに偉業を成し、崇拝の対象となったことで通常の時間軸から切り離され、世界の外側に座する英雄たち。

 人間などよりも遥かに高位の存在である彼らは、聖杯により七つのクラスに分けられて現界する。これは強大に過ぎる彼らへの枷であり、同時に世界のシステムを欺くための処置である。それほどまでの大規模な術式を構築し実践することにより、サーヴァントたちは集うのだ。彼らもまた、かけがえのない願いを魂に宿して。

 

 

 

 

「そろそろ本題に入りましょうか、リーゼロッテ嬢。まさか世間話をするために我が遠坂を訪れたわけではないでしょう」

「そうですね、ミスター遠坂。紅茶も冷めてきたことですし、大事な大事なお話を致しましょう」

 

 

 ここは遠坂邸の当主室。

 魔術的に貴重な骨董品が並べられ、それでいて古臭くないセンスの感じられる部屋となっている。そして部屋の主たる時臣の正面、骨董品のソファーに浅く腰掛けているのは金髪赤目の少女。青い細身のドレスは年頃の少女らしい膨らみかけた身体を緩やかに主張し、仄かに魔力の香る金髪と赤い眼が何とも妖しい雰囲気を発している。

 

 ちらりと少女の隣、ソファーの横にて直立している存在へと時臣は目をやった。身に纏うは深緑の軽鎧、槍のごとき鋭い眼差しと鍛え上げられた鋼の肉体、それらと反する爽やかな風のような雰囲気を纏った美丈夫がそこにいた。

 その威風はまさにこの世ならざる存在だった。時臣とて、初めて目にした際には思わず身がすくんだものだ。協力者に対して失礼だと思うが、アサシンなどとは霊的な密度が違う。

 

 

「良いサーヴァントを呼び寄せたようですね。『三大騎士クラス』を外様のマスターに埋められるとは、御三家としては頭が痛いところです」

「まだセイバーとアーチャーは残っているのでしょう? そう気にすることではありませんよ。まあ、お急ぎにならないと私の友人あたりが先を越してしまうかもしれませんが」

「ほう、ご学友も参戦しておられるのですか。さすがは時計塔、優秀な魔術師に溢れているようだ」

「そうですね、分野によっては大成するかもしれない人です。まあ、彼の聖遺物で呼び出すサーヴァントは『ライダー』が妥当かもしれませんが」

 

 

 サーヴァントのクラスには大まかに分類して、『当たり』と『外れ』がある。そのなかで特にマスターが好んで召喚を狙うのが『三大騎士クラス』と呼称されるサーヴァント。このクラスに当てはまる人物は、生前において高潔な武人である可能性が比較的に高く、マスターを裏切るリスクが多少なりとも低いと考えられている。反対に『アサシン』や『キャスター』が優先して召喚されない理由には単たる戦闘能力の偏りだけではなく、こういった事情も影響している。

 召喚したサーヴァントが裏切らない、彼らと確固たる信頼関係が築けるなどと甘い考えを持つマスターはそういない。少しでもマシな人選を行うくらいの警戒は当然だ。

 こほん、と時臣が咳払いをした。

 

 

「申し訳ない、また話が脇道に逸れてしまったようだ。さて今度こそ尋ねましょうか、貴女が遠坂の工房に足を踏み入れた理由を」

 

 

 魔術師の工房とは部外者にとって、すなわち処刑場に等しい。時臣は計りかねていた、何のために自分の工房へと目の前の令嬢が訪れたのかを。

 それゆえに時臣は少女の口から語られる言葉に全神経を集中させていた。一体どんな企みを抱いてきたのかを内心では期待すらしていた。そして、彼の期待通りにリーゼロッテの発した言葉によって心の底から驚愕させられることになる。

 

 

 

「ミスター遠坂、私と同盟を組みませんか?」

「っ……………これは、驚いた。まさかそのような申し出を受けるとは夢にも思いませんでした」

「私たちが手を組めば、他の参加者など有象無象に過ぎないでしょう。全ての参加者を平伏させた後で、ゆっくり私と貴方とで決闘を行いませんか?」

 

 

 わずかに、されど明白に動揺を見せた時臣。

 金髪の少女から持ち出されたのは、自分たち以外のサーヴァントとマスターを狩り尽くすまでの同盟関係だった。もし、時臣がこの申し出を受けるのならば七組中、三組のマスターが同盟を組んだことになる。そして『最強のサーヴァント』を呼び出す以上、その後に控えるであろうリーゼロッテとの決戦に時臣が勝てる可能性はかなり高い。つまり、この申し出を受ければ時臣の勝利はますます確定的なものとなるだろう。もはや衛宮切嗣とて恐れる相手ではない。しかしーーー。

 

 

「申し訳ない、リーゼロッテ嬢」

 

 

 はっきり言おう、論外だ。

 時臣は聖杯戦争のために幾多の年月を費やしてきた。そして完成したのは監督役さえも手中に収めた完全なる盤面だ。必勝の戦略に今更、不確定な要素は入れてはならない。下手に手の内を明かせば足元を崩されることになる、ましてや監督役との共謀や弟子との共闘を今日会ったばかりの相手に話せるわけもない。

 それ故に、賢明なる魔術師である時臣はリーゼロッテの申し出を断った。紅茶に口をつけて、時臣は目をつむる。それは拒絶の表れである。

 

 

「そう、残念です」

「重ねて謝罪しましょう、リーゼロッテ嬢。せめて貴女とは魔術師としての誇りを懸けた戦場にて出会えることを願っております」

「こちらこそ、その際には是非ともこの若輩の身にご教授をお願い致しますわ。私とランサーは逃げも隠れもいたしません………ふぅ」

 

 

 残念そうに立ち上がるリーゼロッテ。

 どうやら話は終わりのようだ。時臣もまた来客を見送るためにソファーから立ち上がる。そして、ふと気まぐれに時臣はある質問をリーゼロッテへと投げかけた。

 

 

「失礼、不躾な質問をお許しください。リーゼロッテ嬢、貴女は何のために聖杯を求めるのですか?」

 

 

 これは本当に気まぐれだった。

 あそこまで相手の工房内に堂々とした態度を貫いた少女に興味を持っていたのかもしれない。それとも少しでも多くの情報を集めて後々の戦術に役立てようという無意識の判断故なのか。それは時臣にはわからなかった。

 ぴたりとリーゼロッテは動きを止め、ルビーのような輝きを押し固めた真っ赤な瞳で時臣を見つめた。それはおそらく先天的な魔眼。生まれる前に調整を受けたのか、一族の特異体質なのかは不明だが厄介な代物には違いない。何らかの魔術効力を秘めた眼光が時臣に注がれている。

 

 

「聖杯戦争に参加したのはもちろん『根源』に至るため、元よりそれ以外の願いなど我ら『シュバインオーグの弟子』には不浄なモノでしかありませんわ」

「…………素晴らしい」

 

 

 迷いなき少女の答えに遠坂時臣の声は震える。

 それは感動、だった。もはや『根源』を目指す者が久しく絶えた現代において見つけた若き魔術師。時臣の瞳は自身が打ち倒すに相応しき好敵手を見つけた喜びに満ちていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 遠坂の屋敷を後にした二人。

 道端の駄菓子屋で購入したお菓子を食べながら、リーゼロッテはランサーと歩いていた。パリパリとスナック菓子の軽快な音が響き、また楽しそうに新しい包みを開けていく。先程までの凛とした雰囲気は何処へやら、すっかり気の抜けた少女にランサーが苦笑する。

 

 

「よくもまあ、あそこまで堂々と嘘をつけましたね」

「あはは、確かに嘘ついちゃったね。今の私は『根源』なんて目指してないのにさ。それに引き換え、本当にミスター遠坂は魔術師の鏡だよ」

 

 

 金髪赤目の少女はころころと笑う。

 嫌みではない、リーゼロッテは遠坂時臣を『魔術師』として心から評価していた。その崇高な魔術師としての精神は時計塔に君臨するロード階級にすら勝るとも劣らない。こんな島国にいるのが惜しい人材だ。

 

 

「変わりましたね、リーゼロッテ様」

「そうだね、ランサーに出会う前の私なら『根源』しか見えてなかった。きっと昔の私だったら今も『根源』を目指していたんじゃないかな。だから君のおかげで私は私になれたんだよ、ランサー。…………魅了(チャーム)にやられたのはアレだったけど」

「うっ、申し訳ありません」

 

 

 ここは大通り、道行く人々は愉快な兼ね合いを見せる外国人の二人組を珍しげに眺めている。

 特にブランドのスーツを着こなす見目麗しいランサーのせいで「モデルなのかな?」「ドラマの撮影?」などの声が聴こえてくる。げんなりと内心で思いながらも、ランサーは大通りを霊体化もせずに歩くことのできる現状に感謝した。

 

 

「どうしたのさ、ランサー?」

「いえ、まさか自分がこの国でこうして過ごすことができるとは想像だに出来なかったので………ですがマスター、本当によろしいのですか?」

「大した魔力消費じゃないから平気だよ。むしろ、この程度で魔力に不安を覚えられることがショックだねぇ」

 

 

 二人の周りには薄い結界が張られている。

 それはランサーの持つ『魅了(チャーム)』を抑えるための精神操作系の結界、お菓子を食べながら片手間にこんなモノを発動している己のマスターの技量はなかなかに優れたモノがある。神話の時代を生きたディルムッドの目から見てもリーゼロッテの魔術師としての実力は高いものだった。

 そんな従者からの敬意の視線には反応せずに、リーゼロッテはペロペロとお菓子で汚れた掌を舐めていた。子供のような仕草にランサーは「やれやれ」とハンカチを取り出した。

 

 

「ん、ありがと。…………それにしても、やっぱりミスター遠坂は言峰綺礼と繋がってそうだね」

「やはりそうなりますか」

 

 

 ハンカチを受け取りながらも、リーゼロッテの眼差しは鋭くなる。この推測に確たる証拠などない。せいぜいが灰色程度の疑い、されどリーゼロッテは確信した。あまりにも早く拒絶された同盟の誘い、手元にサーヴァントがいないにも関わらず自分たちを招いた行為からの予測、そして魔術師として鍛えてきた第六感が「黒」だと語りかけてくる。

 

 

「そうなるとミスター遠坂が三大騎士クラスのどれか、つまりはランサーを除いた『セイバー』か『アーチャー』を召喚するだろうから。弟子の言峰に求められるのは搦め手の『キャスター』か『アサシン』ってところかな?」

「…………見事な考察、であると思います。」

 

 

 大胆に、されどリーゼロッテは正確に候補を絞っていく。陰謀渦巻く時計塔で生き残ってきた以上はリーゼロッテは頭が回る。この予想自体は別に外れていても構わない、所詮は想像による決めつけに過ぎないのだから。しかし想定しておくことは重要だ、もし当たっていたのならば対応が迅速にできる。

 そんな彼女に対してランサーが感嘆の息を漏らした。

 

 

ーーーここまで、まさか一人でたどり着くとは。これは俺が口出しする必要はあまりないかもしれないな。ならば、あのことはもう少しだけこの身に秘めさせていただこう。

 

 

 ぶつぶつと考え事をするマスターを暖かな眼差しで見下ろしながら、ランサーはそう思っていた。今度こそ確固たる信頼関係を主と築けたのだ、余計な風波は立てたくない。それが自分の中で完結された勝手な感情だと理解している、それでも話したくないのだ。

 

 

『祖には、我が大師シュバインオーグ』

 

 

 何もかもに絶望し、地獄の釜に身を焼かれるばかりに思っていた自分を救い出してくれた声。世界の壁を破りたどり着いた奇跡、そんな彼女と出会ってから数ヶ月。

お互いにずいぶんと明るくなったものだと感心する。

 出会った当初のリーゼロッテは、まるでーーー。

 

 

「ランサー、これ辛いから要らない」

「俺に食べろということですか?」

「うん」

 

 

 気に入らなかったらしい袋を押し付けてくるマスターに、再び苦笑しながらそれを受けとる。

 

 受けた恩は戦場働きにて必ず返す、ディルムッドは『前回』にも増した決意を固めていた。

 

 

 



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第四話:剣槍激突

 

 白波が寄せては返し、脚に付いた砂粒を浚っていく。

 その何とも冷たく、気持ちのよい感覚にアイリスフィールは子供のようにはしゃいでいた。故郷であるドイツを出発してから既に丸一日以上、その間に彼女が経験したことはこれまでの短い人生において格別なものであった。見知らぬ街、数えきれない人々が行き交い、雪に覆われない冬の大地がある。新鮮な感動は彼女の胸を満たし、更なる好奇心を沸き立たせていた。そのためアイリスフィールは夜空の下で白銀の髪を靡かせて、今も裸足で海へと踏み込んで波と戯れている。

 

 

「ふふっ、本当に外の世界は楽しい所ね。そう思わない、セイバー?」

「はい、そうですね。現代の世界というのは興味深いものだと私も思います」

「ねぇ、セイバーはこっちに来ないの?」

 

 

 何度も「セイバー」「セイバー」と呼び掛けてくる姫君へと困ったように笑うのはスーツ姿の凛々しい少女。短いポニーテールのように後ろ手に纏めた美しい金髪と、透き通る光を讃えた緑眼、そして騎士の剣を思わせる清涼な雰囲気を纏った人外の者。

 彼女こそ『セイバー』のサーヴァント、聖杯戦争に集いし七騎の英霊の中でも『最優』と謳われる剣の騎士。此度の戦いにおける最有力候補だった、当然のこととしてその実力は折り紙つきだ。

 

 

「アイリスフィール、風邪をひいてしまっては不味い。そろそろ海から上がってください。拠点に帰り、湯浴みをして身体を温めましょう」

「もう、セイバーは生真面目過ぎるわ」

 

 

 頬を膨らませる女性の名前はアイリスフィール・フォン・アインツベルン。誇り高き孤高の魔術一族、アインツベルン家の製造したホムンクルスにして、セイバーのマスターである衛宮切嗣の妻。彼女は聖杯戦争に参加する夫の身代わりとして、セイバーのマスターのふりをしながら敵を誘き寄せる役割を担っていた。

 そのため二人には魔力供給などの相互関係はない。しかし、仮のマスターとはいえセイバーとの相性自体は暗殺者スタイルの切嗣よりは良好だった。二人の間柄はまるで姫君と、それを護る騎士といったところだろう。

 

 

「うーん、やっぱりイリヤにも見せてあげたいわ。切嗣にお願いしておきましょうか、聖杯を手に入れた後でイリヤを海に連れて行ってあげることって。うん、とっても素敵ね」

「しかし、それなら貴女が直接連れて来てあげれば良いのでは?」

「…………そうね、そうかもしれないわ」

 

 

 急に黙り込んでしまったアイリスフィールにセイバーが怪訝な顔をする。何かおかしなことを口走っただろうか、と自らの発した言葉を頭の中で繰り返す。しかし思い当たらない。悩んでいると、いつの間にかアイリスフィールはセイバーの傍にまで近づいて来ていた。黒い手袋の上に白魚のように華奢で色白な手が重ねられる。

 

 

「ねぇ、セイバー。貴女も一緒にどうかしら?」

「いえ、私は…………わかりました、少しだけですよ」

 

 

 どうやら遊ぶ相手が欲しかったらしい。

 理知的な頭脳と子供のように純粋な心、その二つをアイリスフィールは持っている。セイバーとしても、彼女のことが嫌いではない。それに、今は仮とはいえ彼女の騎士なのだから少しばかり遊びに付き合うのも義務というものだろう。故にセイバーは靴を脱ぐために屈もうとした。

 

 その時だった。全身が総毛立ち、自身の誇る『直感』スキルが最大音量で警告を打ち鳴らす。一歩先に死神の鎌が掲げられたかのような絶望的な『死』の気配が頭の中に叩き込まれた。

 

 

「ーーー危ないっ、アイリスフィール!!」

 

 

 瞬間、飛来したのは黄金の彗星。

 遥かな遠方から闇を切り裂き、音を置き去りにして呪いの刃が迫り来た。常人ならば反応すら許さぬ超速、それに反応できたのは、やはり自らの誇る『直感』スキルのおかげに他ならなかった。ギリギリのタイミングで武装を引きずり出し、アイリスフィールを護らんと全力でもって『それ』に向かって大地を蹴った。

 

 

「っーーーくぅっ!?」

 

 

 見えない剣が『それ』を受け止める。まるで大砲が着弾したような轟音が炸裂し、衝撃が腕の筋肉を走り、足元では地面が爆散した。それだけの威力を、流石は最優のサーヴァントたる少女は防ぎきり『それ』を弾き飛ばす。

 

 黄金の輝きを放つ『槍』が数メートル以上の距離を飛んでいく光景を見たセイバーは、何という投擲だと驚嘆した。そのまま鎧姿になり、アイリスフィールを庇うように前へ出る。彼女の視線の先には先程の槍を拾い上げる騎士の姿があった。

 

 

「ほう、やはり見事なものだな。俺の全力での投擲を苦もなく弾き返すとは、それでこそセイバーだ」

「貴様、サーヴァントだな。このような形での不意討ちとは、よほど血気盛んな戦士だとお見受けする」

「すまん、つい手が滑ってな。しかし必ずお前なら防ぎ切ると確信しての一撃だ、願わくば恨んでくれるな」

 

 

 目の前で佇んでいたのは、深緑の軽鎧を身につけたサーヴァントだった。その両手には一対の槍、真紅と黄金の輝きを秘めた魔刃が握られている。間違いなくランサー、七騎の中でも『最速』を謳われる槍の騎士。その近接戦闘力はセイバーと並ぶとも勝るとも言われている強力なクラスだ。

 

 

「アイリスフィール、決してそこを動かないように」

「う、うん。わかったわ」

 

 

 ランサーとの距離は八メートル程度だろうか、セイバーは一切の油断なく剣を構える。この間合いならば、おそらく一瞬で彼は詰めてくる。チリチリとした緊張感の中で砂浜を踏み締める。

 しかし、どこか虚しそうな表情をした後で不意に槍兵は背中を向けた。

 

 

「もし俺と戦う気があるのなら、追ってくるがいい。我らが全力で刃を交えても良い戦場を俺のマスターが準備している。無論、ここで引いても構わんがな」

「なっ、待て!!」

 

 

 それだけ言い残すとランサーは地を蹴った。

 そのまま凄まじい速さで遠ざかり、暗闇の中へと溶け込んでいく。あれだけの投擲をしてくる相手をここで見過ごすわけにはいかない、とセイバーは追跡を決断した。それにアイリスフィールの話を信じるなら切嗣も近くに来ているはずだ。

 

 

「アイリスフィール、奴を追いますよ!」

 

 

 剣の騎士は姫君を抱えて、夜の闇へと跳んだ。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 辺りはすっかり暗くなっていた。

 冷たい夜風が吹き付ける闇の中でリーゼロッテはコンテナの上に座り込んでぷらぷらと脚を揺らしていた。

 

 

「ふんふんふーん。ランサー、まだかなぁ?」

 

 

 キャンディをくわえながら、金髪の少女は機嫌良さそうに鼻唄を歌う。リーゼロッテが腰かけているのは三段にも重ねられたコンテナの上、そこは十メートルを優に越える高さだった。当然、普通の子供ならばそこから落下すれば重傷は免れない。しかし魔術師たる少女からしてみれば、こんなものは危険の内に入るはずもない。

 

 

「結界は張ったし、宝石はセットした。保険として使い魔も巡回させている。………完璧じゃないかな、短時間で小さな『工房』を造り上げるなんて流石は私だね」

 

 

 むふふー、と自慢げにリーゼロッテは無い胸を張る。

 たった数時間でこの倉庫街は己の領域に変わった。幾重にも巡らされた結界、狙撃者対策のトラップと使い魔。それらは大量の魔力と宝石を注ぎ込んだ自信作だ、故に少女は蜘蛛のごとく待ち構える。これならば彼を援護するくらいはできるだろう、と淡い期待を抱きながら。

 

 

「おぉ、寒い寒い。…………ランサー、早く帰って来ないかなぁ」

 

 

 彼に巻かれたマフラーが夜風に靡く、それを少し赤くなった顔でリーゼロッテは口元に引き寄せる。すると鼻をくすぐる香水の匂いがした、これは彼のために買い与えたアイルランド製の上等な逸品だ。彼の自由に選ばせた香水は爽やかなウッディ系、シンプルながらも深く落ち着く彼らしい匂いだった。

 

 冷たい夜風に吹かれて、背中まで伸びた金色の髪が虚空に遊ぶ。その寒さにリーゼロッテは震えた。

 

 アサシンの脱落を受けて自分たちは動いたが、おそらくアサシンは脱落していないのは理解している。だからこそ真相を確かめなければならなかった、マスター殺しのサーヴァントが生存している中で無闇に動くのは恐ろし過ぎる。

 そして出来るなら友人の安否もだ。もし彼が無事に『征服王』を召喚できたのならば、まだ大丈夫だろう。しかし同時に、その場合はーーー。

 

 

「殺さなくちゃ、ね」

 

 

 魔術師としての精神が研ぎ澄まされていく。もし友人といえども自分と対立するつもりならば、もはや友情の類いは通用しない。例え最愛の友であろうとも最善の策を持って、最大の暴力を持って叩き潰すだけだ。その未来へと思いを馳せ、「嫌だなぁ」とリーゼロッテはもう一度マフラーに顔を埋めた。ランサーからの念話が聞こえてきたのは、そんな憂鬱な時間の中だった。

 

 

『我が主よ、サーヴァントを捕捉しました』

「…………ああ、やっとなの? もう待ちくたびれたよぉ、早く帰ってきてランサー」

『………く、承知しました』

「何で笑ったのさ!?」

 

 

 リーゼロッテは気づいていなかったが、それは親鳥を待ちわびる雛のような声だった。それに今更気づいた少女は情けないと赤面し、場違いなほどに微笑ましい声色だったのでランサーは笑ってしまった。こほん、とリーゼロッテは仕切り直すように咳払いをする。

 

 

「それで敵は誰?」

『おそらくセイバーかと思われます。そして、そのマスターの特徴は白銀の髪と深紅の瞳、アインツベルンのホムンクルスに間違いはないかと。…………どうかご注意を、我が主』

「アインツベルン、となると『魔術師殺し』が組んでいる可能性があるよね。うん、念のために対物理防壁を強化しておくよ。ありがとう」

『では後程』

 

 

 要点だけ伝えるとランサーからの念話は途切れた。あとは彼が敵勢力をこの場所へと誘導してくれる、リーゼロッテの出番はそれからだ。また身体が震えそうになるのを何とか耐える、これから戦争が始まるのだから情けないところは見せられない。無様を晒せば敵につけこまれてしまう。

 よし、と気合いを入れ直していると空気を切るような音が鼓膜を揺らした。同時にガシャン、と自分の隣に誰かが着地する。

 

 

「早いね、ランサー」

「はい、お待たせいたしました。お変わりありませんか、我が主?」

「たかが数時間で変わるものなんて、私には何もないさ。君は心配性だね。ところで敵さんは、もう既に殺気むんむんなんだけど…………何かしたの?」

「…………軽く挨拶程度なら」

「ふぅん、まあいいや」

 

 

 見下ろす先にはサーヴァントとそのマスター。両者の視線は鋭く、まるで戦闘が既に始まっているかのような緊張感が漂っていた。ランサーが何か仕掛けたのは間違いないだろう。それを意に返さず、リーゼロッテはコンテナの上から飛び降りた。

 

 

「『Es ist gros(軽量) Es ist klein (重圧)』」

 

 

 落下の際の重力を軽減し、まるでスロー映像を見るかのように低速で地面へとリーゼロッテは降り立った。一切の音を立てず、ドレスを揺らしもせずに着地した姿に、アイリスフィールが警戒感を強める。基本的な動作だったとはいえ、魔導書に載っているお手本のごとく見事な重力操作だったからだ。そして、そんな彼女へとリーゼロッテはドレスの裾を摘まみ上げて、貴族らしく華麗に優雅に一礼する。

 

 

「こんばんは、アインツベルンのマスターとセイバーのサーヴァント。私の名はリーゼロッテ・ロストノート、こちらはランサー。此度は聖杯戦争に参加する栄誉を得たこと、誇りに思いますわ」

「…………それはどうも、こちらこそ刺激的なお出迎えに感激して言葉もないわ。ロストノートの令嬢さま」

 

 

 アイリスフィールの真紅の瞳がリーゼロッテを睨み付けた。それをまた、見つめ返すのも真紅の輝き。その交差だけでお互いに、相手をただの人間ではないと読み取った。油断なく相手の出方を伺う二人の魔術師、しかし、魔術師たちの緊張感など従者たちにとっては関係がない。

 

 

「お下がりを、我が主」

「ここから先はサーヴァントである私の役目です」

 

 

 ランサーとセイバーが己のマスターを庇うために前へ進み出る。月光に煌めくのは呪いの槍、夜風に揺らめくのは不可視の剣。古より伝わりし伝説を形にした人類の至宝たる『宝具』を振りかざし、二人の騎士は相対する。全ては己の掲げる願いのために、己のマスターのために、槍と剣の英雄は今ここで刃を交えるのだ。

 

 

 

『盛り上がってきたわい!』

『師よ、あの娘が倉庫街にて交戦を』

『お手並み拝見といこうか、リーゼロッテ嬢』

『舞弥、狙撃位置へ急いでくれ』

 

 

 この戦いを俯瞰する観客たちをも巻き込んで、聖杯戦争第一戦の幕は切って落とされる。

 

 

『あいつ、大丈夫だよな…………?』

 

 

 たった一人だけ、少女の身を案じる少年の声は誰の耳に届くこともなく夜の決闘は始まった。

 

 



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第五話:闇夜の閃光

 

 

 ーーーずいぶんと楽な相手だ。

 

 闇夜に紛れながら、衛宮切嗣は氷のような無表情でそう思った。コンテナの上で狙撃銃を構える彼の眼下では二騎のサーヴァントが鍔迫り合いを繰り広げてる。鋭い剣撃の音が響いたかと思えば、アスファルトとコンテナが人外の腕力と技能で持って粉砕される光景が視界に飛び込んでくる。

 

 セイバーとランサー、まさに英雄らしい英雄たちは真正面からお互いの誇りを懸けて戦闘を開始した。セイバーの見えない剣筋を最初の一振りから看破し、その双槍にて裁き続けるランサー。真名は不明だが、騎士王と互角に渡り合う彼が実に厄介な敵だということは明らかだった。

 

 

「…………聞こえるか、舞弥。ランサーのマスターをここで仕留める」

 

 

 部下に指示を出した切嗣、そのスコープに入り込むのは少女の横顔。

 

『リーゼロッテ・ロストノート。時計塔の名門一族の令嬢であり、その後継者と噂される学生。陽気な性格で社交性が高く、時計塔での評判は上々。結界魔術に長け、一族に受け継がれる宝石魔術を使いこなす秀才』

 

 部下からの下調べはそんなところだった。そこから推察するに、どうやら魔術師としての実力はかなりのものらしい。並の魔術師では彼女に傷一つ付けられないだろう。

 

 しかし切嗣からするならば、リーゼロッテは非常に狩りやすい『獲物』の一匹に過ぎない。今もサーヴァントの戦いを、堂々と姿を晒して見守っている姿は無防備にも程がある。

 

 この辺りに張られていた結界は彼女に悟らせることなく、一部を解体した。地雷のように設置された宝石も、切嗣は難なく回避した。

 短時間でここまでの工房を造り上げたことには驚愕させられたが、それだけでは足りない。この程度では衛宮切嗣を止められはしない。バラバラに砕かれた結界と宝石を冷たい目で見下ろして、魔術師殺しは易々と狙撃ポイントに到着していた。

 

 

『切嗣、起源弾は使用しないのですか?』

「宝石魔術は、宝石に込められた術式と魔力が独立しているんだ。全てが一工程で完結した使い捨ての魔術、そこに起源弾を撃ち込んでも効果は薄い。少なくとも即死させることは難しい」

『しかし、後々に遠坂時臣を仕留める際の練習台になるのでは?』

 

 

 非情なことを告げる舞弥。

 しかし切嗣にとっての難敵は遠坂時臣と言峰綺礼。この二人の同盟を崩さない限り、自分たちの勝利はあり得ない。ならば宝石魔術師たる時臣を打倒するまでの小手調べとして、あの少女に起源弾を撃ち込み効果を検証することは有効な実験であるはずなのだ。

 

 

「いや、起源弾よりも狙撃で仕留めた方が確実だ。遠坂時臣とて聖杯戦争終結まで遠坂邸に引きこもるわけもない。こいつも遠坂も基本的には狙撃で仕留める」

『了解しました』

 

 

 別段、出し惜しみをしているわけではない。切嗣としては、この戦いで残り全ての起源弾を使い尽くしても構わない。もはや切嗣の願いを果たす方法は、後にも先にもこの聖杯戦争以外にありえない。故に全身全霊を持って全ての敵を排除し、聖杯を奪取する。そのためには手段など選ばない。いや、魔術師殺しとして今までも敵を殺害する際に手段を選んだことなどなかった。これからも同じことだ。

 

 

「………どうやら自分の周囲に結界を施しているようだな。だがその程度なら無問題だ。こちらで対応する。舞弥、君は待機しておいてくれ」

 

 確かに現代魔術だけならば、ここまでの遠距離からリーゼロッテの防壁を撃ち破るのは困難だろう。しかし、人を殺すことに特化した近代兵器ならば可能だ。

「どいつもこいつも、科学を軽視し過ぎているな」と切嗣は魔術師たちを嘲笑する。まずは胴体、それで動きを止めて二発目で頭を撃ち抜く。それで終わりだ。ぐっ、と切嗣は引き金に力を込める。

 

 

 その時だった。

 コツン、と何かが降り立った音がした。狙撃体勢のままで視線だけを素早く動かし、その発生源を目視する。切嗣から少し離れた場所に着地したのは、一羽の鴉だった。真っ黒な翼を揺らしながら、カンカンとコンテナを鳴らして切嗣へと近づいてくる。金属質な輝きが全身から放たれていた。

 

 

「ーーーー!!?」

 

 

 その鳥は良くできた模造品だった。それを認識した瞬間、切嗣は全力でその場からの離脱を開始した。『火』のマナが渦巻くように鴉を包み込む、熱を帯びた空気が膨張していく。その鳥の中心には赤と緑の宝石が埋め込まれていた。

 

 

「くそっ、『固有時制御(タイムアルター)二重加速(ダブルアクセル)』!!」

 

 

 切り札の一つをここで使用する。固有結界の体内展開により、自身に流れる時間のみを操作し加速する。単純計算で二倍、そのままの速度で十メートルを越える高さのコンテナから飛び降りる。着地すると同時に頭上で宝石が炸裂し、思わず舌打ちをする。

 

 

 切嗣は知らなかったのだ。

 リーゼロッテ・ロストノートが衛宮切嗣を、今回の聖杯戦争における『最大の敵』だと認識し切嗣を中心とした対策を用意していたことを。それは他でもない彼女の従者からのアドバイスによってのモノだったが、『魔術師殺し』は他の誰よりもリーゼロッテから警戒されていたのだ。

 

 

「ーーーーっ、ここも、か!!」

 

 

 いつの間にか地面にも宝石が転がっていた、蜘蛛の巣のごとくに一つ一つの宝石に『引き寄せ』の魔術が施されているのを切嗣は感じとる。おそらく使い魔が敵を発見した瞬間から、そこに宝石が集結するように術式を構築していたのだろう。この周辺の結界はそのための起点だったのだ。

 

 

「こいつは食わせ者だ」、久しぶりに感じる死線の気配に切嗣が苦々しげに呟いた。そして宝石同士の属性により何倍にも増幅された爆発が夜の闇を焼き払う。

 

 

◇◇◇

 

 

 連鎖的に上がる火柱に、セイバーとランサーの決闘が中断させられる。闇夜を赤く染め上げる炎は火薬を次々と放り込まれるように何度も爆発を繰り返す。それを眺めながら、リーゼロッテは険しい表情で呟いた。

 

 

「この程度で彼を倒せるなんて思ってないけど、指の一本でも吹き飛ばせたなら儲け物かもしれないね。…………無理だろうけど、さっ!」

 

 

 魔術回路を起動し、その一帯に埋め込んでおいた宝石を一斉に起爆する。一際大きな爆発が起こった、コンテナが玩具のように空中を舞い、近代兵器による爆撃が起こっているかのような熱風が頬を撫でる。

 

 

「まあ、後々に監督役と教会連中に恨まれるかもだけど。どうせ魔術協会(ウチ)と仲悪いし、いいよね。…………けほっ」

 

 

 リーゼロッテの起源は『隔絶』と『同調』。奇しくも衛宮切嗣の『切断』と『結合』に似通ったソレは、結界を造り上げることや個々の術式を繋ぐことに適している。そして、それは家系に伝わる宝石魔術と組み合わせることで絶妙なシナジーを発揮するのだ。特に魔術結界を造る工程だけは、時計塔のロード階級にすら劣らないとリーゼロッテは自負している。

 

 しかしその実、丹念に造り上げた結界は囮であり、本命は宝石(ばくだん)を練り込んだ使い魔。この聖杯戦争における最も厄介な敵は、衛宮切嗣だとリーゼロッテは考えている。切嗣に対して、戦闘経験でリーゼロッテは大きく劣る。もし真正面からの決闘ともなれば、ほぼ確実に殺されるだろう。

 それ故に彼との戦いにおける挑戦者は自分であり、頂に君臨する王者は切嗣。やり過ぎなくらいが丁度いい。きっと魔術師殺しは大した怪我もなく生還するはずなのだ、少なくともリーゼロッテの認識上の衛宮切嗣はそういう化け物だ。

 

 

「げほ、げほっ。『もうひとつ』も確認できたし、今夜の作戦は大成功だね。…………っ、結界への魔力供給を遮断する」

 

 

 自分を囲んでいた狙撃対策のための結界を解除する。

 魔力を使い過ぎたかもしれない、身体の芯が発熱しているかのように熱く汗が噴き出してきた。サーヴァントの維持と結界の構築、その二つは決して軽い負担ではなかったらしい。

 

 しかし、目的は果たした。

 魔術で強化した視界の隅に霞んでいたのは黒いローブに身を包んだ暗殺者のサーヴァント。あらかじめランサーに「見張りに適した場所」を訪ねておかなければ、絶対に発見できなかったであろう。アサシンの気配遮断スキルはそれほどのモノだ、これは確かめておいて良かったとリーゼロッテは胸を撫で下ろした。

 

 

「な、何をしたの?」

「…………けほけほっ。お、お気になさらず」

 

 

 とうとう膝から崩れ落ちたリーゼロッテ。

 一方のアイリスフィールは唖然とした様子で燃え上がる一帯を見つめている。セイバーもまた油断なくランサーを見据えているが、その顔には困惑の色がある。いや、次の瞬間には何かを感じ取ったかのように、その顔色は驚愕に塗り替えられた。

 

 

「これは、まさか!?」

「セイバー、どうしたの?」

「…………どうやら、彼女の本当のマスターは衛宮切嗣だったみたいだね。ランサーの読み通りだよ」

 

 

 魔力ラインからマスターの危機を感じ取ったのだろう。

 わずかに動揺を見せたセイバーの様子から、リーゼロッテはそう結論づけた。あらかじめランサーから聞かされていた予測で半信半疑だったのだが、流石は元戦士の勘だとリーゼロッテは感心する。ともかく、これで今夜の収穫は十分に過ぎた。もう頃合いだ。

 

 

「魔力も残り少ないし、あとは『コレ』を使って退却するだけだね」

 

 

 セイバーの主従は炎上する倉庫街の一角に気を取られている。今なら、わずかばかりの隙がある。絶好の好機を逃さないようにリーゼロッテは右手を掲げる。

 

 そこに刻まれているのは三画の令呪。

 これを消費して『全力を持ってマスターを連れて離脱せよ』とランサーへの魔力ブーストを掛けて脱出するのが作戦だった。惜しくはない、絶対命令権は三回もあるのだ、例えコレを使い切ったとしてもランサーは自分を裏切らないであろう信頼もある。ならば、通常二回までしか使用できない他のマスターと違って自分には余裕があるのだ。令呪がリーゼロッテの意思に反応して、赤い光を放つ。

 

 

「令呪を持って我が騎士に命じる!!」

「何!?」

 

 

 ようやくセイバーの主従がリーゼロッテに反応する。しかし、もう遅い。すでに発動の工程は完了している、ランサーもリーゼロッテの傍にまで待避しているのだ。

 だからだろう、「何とか生き残れた」とリーゼロッテは気を緩めてしまった。想定外の出来事とは、そういった瞬間に訪れるものなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「AAAAlalalalalalaie!!!」

 

 

 突如として闇を揺らしたのは、勇ましい雄叫びと神の雷鳴。ここからはリーゼロッテにとっては予想外の、彼女の従者にとっては確定していた来訪者が現れる。

 令呪の行使を中止したリーゼロッテ、そしてセイバーたちの目にソレは映り込む。遥かな上空より来るのは、光輪を持って怒れる雷神のごとくに闇を切り裂き、稲妻の威光にて空を蹂躙する征服者のチャリオット。

 

 

「っ、ランサー!!」

「大丈夫です、我が主よ」

 

 

 意図も容易く自らの結界を破壊してきた乱入者に、リーゼロッテが焦ったように声を上げた。セイバーもまたアイリスフィールの傍にまで下がり、その侵入者から彼女を護らんと剣を構える。この場で落ち着いているのはランサー、ただ一人だった。

 

 そしてアスファルトを踏み砕き、雷を纏う古の戦車がセイバーとランサーを挟んだ位置で停止する。まるで決闘はここまでだと宣言するかのように。

 そのあまりの堂々とした登場に、セイバーだけではなく、アイリスフィールも魔術を組み上げて臨戦体勢へと移行している。残り魔力の少ないリーゼロッテも膝をついたままで宝石を取り出した。

 しかし、チャリオットの主はそんな彼女たちを一喝する。猛々しい益荒男の一声が大気すら制すると言わんばかりに響き渡った。

 

 

「控えよっ、王の御前であるぞ!!」

 

 

 

 それは赤いマントを羽織った筋肉隆々の大男だった。

 赤褐色の鎧の上からでも伺えるのは鍛え上げられ盛り上がった筋肉、丸太のように太く傷だらけの腕はこの人物が度重なる戦の中で生きてきた豪傑であることを表している。

 

 

「我が名は征服王、イスカンダル! セイバーそしてランサーよ、先の戦いは誠に見事であった。愉快痛快な決闘であった!! 貴様らの闘志に当てられ、ついでにマスターも乗り気であったのでな。余も駆けつけた次第である!!」

「お、おい、ライダー! 僕はここまでしろなんて言ってないぞ!?」

 

 

 まさに呆然、ランサーを覗く一同の反応はそれに尽きた。リーゼロッテの作戦の締めをぶち壊し、ライダー主従はここに参戦する。

 

 

「う、ウェイバー?」

 

 

 そしてリーゼロッテは最も会いたくなかったはずの人物との再会を果たすことになる。それは魔力が尽きかけているという、最悪のタイミングでのことだった。



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第六話:覇道の主、原初の王

 

 

 戦場から遠く離れた遠坂邸。

 階段を下りた先にある古めかしい地下室。歴史的にも貴重な魔術用具に囲まれながら、遠坂時臣は椅子に腰かけていた。何十年も昔に使用されていたモデルの通信機から、綺礼の声が狭い空間に響く。

 

 

『ーーー以上が、アサシンによる報告になります。我が師よ』

 

 

 弟子からの報告を聞いた時臣は満足そうに頷き、ここにはいない少女へと小さな拍手を送る。まるでオペラを鑑賞した後のごとくに、紳士的な様子で役者へと賛辞を述べた。

 

 

「見事だ、リーゼロッテ嬢。まさかアインツベルンの陣営と互角に渡り合い、更には衛宮切嗣を退けるとは思わなかった。…………いや、私はそれを期待していたのかもしれないな」

 

 

 あの出会いから数日、時臣の意識からリーゼロッテが消えた日は一日たりともなかった。それほどに少女との出会いは新鮮で、心地よい驚きを内包したものだったのだ。そして今、リーゼロッテの奮闘に対して「期待通り」だと喜びすら感じていた。

 

 衛宮切嗣は死んでいない。黒煙を振り切って、部下らしき女性に支えられ退却する男がアサシンにより目撃されている。少なくないダメージを負ったようだが、あの爆発に巻き込まれて五体満足で脱出できること自体が信じがたい事実だ。流石は『魔術師殺し』というべきだろう。しかし、それよりも今はーーー。

 

 

「くくっ」

『どうなさいましたか、師よ』

「いや、済まない。これで二度目になるのかな、彼女のおかげで笑みが止まらないのは」

『…………申し訳ありません。未熟たる我が身では、あの少女の何が師を喜ばせるのか検討がつきません』

「ああ、気にしないで欲しい。これは一人の魔術師としての武者震い…………のようなものだ。まだ君は理解できなくて当然だ、綺礼」

「そういうもの、でしょうか」

 

 

 曖昧な返事をしている弟子を置いて、時臣は笑みが止まらない。若き魔術師が、あの衛宮切嗣を撃退した。倉庫街の一角を焼き払うという蛮行はセカンドオーナーとしては許しがたいが、それでも素晴らしいと時臣はリーゼロッテを称賛する。

 

 さらに基礎能力では格上であろうセイバーと互角に打ち合ったランサー、真名は不明であるものの生前は名高い英雄であったことは間違いない。なるほど、彼女たちは期待通りの主従であるようだ。

 そしてもう一組。

 

 

「…………征服王、イスカンダル。まさかリーゼロッテ嬢の言っていたご学友の呼び出したものが、規格外のサーヴァントとは驚かさせる。今の時計塔には私が留学していた頃とは比べ物にならないほど、若く力ある魔術師に溢れているのかもしれないな」

『如何なさいますか、師よ』

「そのままアサシンによる偵察を続けてくれ、ただし手を出してはならない。かの大王に暗殺者の刃が易々と届くとは到底思えない」

『承知しました』

 

 

 雷を司る神牛に牽引されたチャリオット。

 あんなものを操ることのできるのは『ライダー』以外に存在しない。全サーヴァント中でも最高の機動力を誇る騎乗兵。伝説の名馬から神の車駕に至るまで様々な物を宝具として現界するというクラス。イスカンダルということは、あのチャリオットはゼウス神への供物を略奪した『ゴルディアスの結び目』の伝説に基づいたものだろう。

 

 

「マケドニア王、アレクサンドロス三世。本来ならば、お会いできて光栄であると私は頭を垂れるべきなのだろうな」

 

 

 イスカンダルとはペルシアやアラビアに伝わる真名。

 この国の呼び方で口にするのならば、『アレクサンドロス三世』または『アレクサンダー大王』が適当であろう。紀元前という途方もなく古き時代において東方遠征を実行に移し、ペルシャ帝国・エジプト・インド・パキスタンと広大な国々を征服平定した男。ヘレニズム文化を生み出し、古代ローマへと繋がる歴史の道筋を創った大王。

 

 人類史において、彼ほどの偉業を成した英雄はそういない。そしてサーヴァントの強さとは、彼らが生前に築いた伝説と召喚地における知名度の高さによって決定される。ならば、この島国においても知らぬ者のいないイスカンダルがどれ程強大なサーヴァントであるのかは想像するまでもない。

 

 

「これでもまだ『バーサーカー』と『キャスター』が控えている。…………どうやら第四次聖杯戦争もまた、一筋縄ではいかないらしい」

 

 

 次々と現れる強敵たち。

 それでも時臣は余裕の態度を崩さない。征服王を、セイバーを、ランサーを纏めて敵に回そうとも勝利を確信できるだけの『切り札』が彼にはある。長い年月を掛けて探し求めた聖遺物を使って召喚に成功した『最強のサーヴァント』が時臣の駒なのだ。負けるわけがない、その未来が見えない。

 

 

「すまない、リーゼロッテ嬢」

 

 

 思わず、謝罪の言葉を述べる。

 それは圧倒的すぎる戦力を手中に収めた故の慢心。されど、それは当然の感情であった。尋常な方法に頼ったのでは、時臣の『アーチャー』に勝てる者など存在しないのだから。

 

 

『師よ、アーチャーが動きました』

「ああ、わかっている」

 

 

 魔力ラインを通して伝わってくる。サーヴァントの集いし戦場へと『原初の王』が出陣したのだ。ギシリ、と時臣は背もたれに深く腰掛ける。そして大粒のルビーが嵌め込まれた自慢の杖を少し残念そうに弄んでいた。

 

 

「彼の王を目にして、よもや私を卑怯などと罵らないで欲しいものだ。…………願わくば我らが再会の機会に恵まれんことを、リーゼロッテ嬢」

 

 

 ゆらゆらとランプが薄明かりを放つ地下室で、遠坂時臣は祈るように呟いた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 黒煙が上がる倉庫街。

 消防車の一台も駆けつけず、一般人の騒ぎも起こっていないのは、リーゼロッテの用意した遮音結界が最低限の働きをしている証拠だろう。衛宮切嗣の狙撃を過剰なまでに妨害し、周囲一帯を吹き飛ばした少女。リーゼロッテはライダー主従へと掠れる声で呟いた。

 

 

「なかなか良いタイミングで来たね、ウェイバー。あはは、君にしては容赦がないよ。…………今の消耗した私なら、君でも殺せる可能性があるかもしれないね」

「ーーーっ!? 何を言ってんだっ、そんなことするか!!」

「まあ待て、坊主」

 

 

 立ち上がろうとして、再び崩れ落ちる少女。

 それを見た瞬間、ウェイバーはリーゼロッテの元へと駆け出そうとチャリオットの淵に脚を掛けた。しかし戦場において、マスターがサーヴァントの傍を離れるなど自殺行為だ。

 それゆえにライダーはマスターの蛮勇を押し留める。肩を掴み、チャリオットの中へと引き戻す。ここならば防御フィールドが働いているため、それなりに安全だ。

 

 

「お、おいライダー!」

「小娘の傍にランサーがいる以上は心配あるまい、ナイト役はヤツに託しておくがいい。悪いが、余はやることがあってだな」

 

 

 尚も抗議するウェイバーを視線で諌め、ライダーは二騎のサーヴァントへと向き直った。セイバーとランサー、いずれも素晴らしい決闘を魅せてくれた騎士たち。その実力も、真正面から斬り合う心意気も、ライダーとしては実に気に入った。

 故に、征服王は「この二人を欲しい」と所望する。聖杯戦争の後に控える『世界征服』を成し遂げるための盟友として。

 

 

「セイバー、そしてランサーよ。余は貴様らのことをいたく気に入った! そこでだ、余に聖杯を譲り渡して盟友として世界を手中に収めるつもりはないか。さすれば余と共に、この世界に覇道を敷く勇者として再び名を刻めるであろう!!」

「相変わらずだな、征服王」

「無礼な…………『相変わらず』とはどういうことだ、ランサー?」

「気にしてくれるな、セイバー」

 

 

 空気を揺るがす大声量。

 それは端的に言うならば、スカウトだった。ランサーを除いた一同は困惑の色を隠せない。突然現れて聖杯を譲れだの、臣下になれだのと宣言した大男。別段、この問い掛けを無視して斬りかかっても文句はいえまい。それでも律儀なセイバーは苦々しげに応答した。

 

 

「論外だ。私は祖国を救うために聖杯戦争に参加した。征服王、お前の野望と私の願いは相容れない。…………それに私とて王だ、誰かの臣下に付くなど赦される道理もない」

「おおっ、貴様も王であったか。されど余は『大王』でな、『王』を従えるのは馴れておる。ゆえに、貴様の考えが変わるまでゆるりと待とう。…………さて、ランサー。貴様はどうだ?」

 

 

 迷惑そうな顔をするセイバーから視線を外し、ランサーを探す。すると、深緑の騎士は己のマスターを助け起こしていた。

 戦闘が一時的に中断したとはいえ、敵に背を向けるなどサーヴァントとしてあるまじき行為だった。躊躇なく背後から攻撃するような者がいれば、無防備な背中を斬り捨てられていたかもしれない。堂々とした立ち振舞いにライダーが「ほう」と感心する。

 

 マスターは赤い顔でランサーに抱き抱えられていた。そして、その体勢のまま不安そうな表情でリーゼロッテは口を開く。

 

 

「ら、ランサー。『臣下になれ』なんて妄言、早く断ろうよ。それから令呪を使ってここを脱出すれば…………ランサー?」

「…………征服王よ。たった今、顔を合わせたばかりの男に『仕えよ』などと申し込まれても俺には判断ができん。故にしばらくお前という王の器を見定める時間が欲しい」

「ちょっ、ランサー!?」

 

 

 リーゼロッテが驚愕する。

 自分に聖杯を捧げると約束したランサーが、別のサーヴァントの臣下になることを了承しているようだったからだ。抗議のためにバタバタと暴れるが、がっちりと抱えられていて動けない。

 

 

「ほう、つまり余と肩を並べて戦いたいと?」

「そういうことになるな、そちらとしても異論はあるまい?」

「ふむ、その方が坊主にも好都合か。…………よし、余も前向きに考えておく! ランサーよ、貴様も約束を違えるでないぞ!!」

 

 

 再び、ライダーとランサーを除いた者たちが固まっていた。会話の中身を真面目に考えるのならば、『同盟』のための下準備を行ったようにしか見えなかった。しかも、お互いのマスターを除け者にしてサーヴァント同士で話を纏める。こんなことが過去の聖杯戦争において、果たしてあっただろうか。

 

 

「ら、ランサー?」

「ご安心を、我が主。アレは信頼できる男です。少なくとも今、戦う必要のある相手ではありません」

「それも、戦士の勘なの?」

「…………そうですね」

「ならいいや、後で説明はしてもらうから」

 

 

 少しだけ不機嫌そうにしながらも、暴れるのを止めてリーゼロッテは従者の腕に身体を預ける。そして、ぼんやりとライダー主従の方へと顔を向けると友人がライダーに突っかかっているのが見えた。何やら顔を赤らめているが、どうしたのだろうと不思議に思った。

 

 

「…………セイバー、すまぬ」

 

 

 その時、ランサーはセイバーに小さく謝罪の言葉を放っていたのだが、疲労に蝕まれていたリーゼロッテは気がつけなかった。セイバーがその言葉を聞き届け、「気にするな」という風に首を振ったことにもだ。

 

 

 ともかく、ライダーの乱入によって決闘は流れた。

 ランサー陣営は疲弊しているが、まさか同盟の話がちらつく相手に対してセイバーが追撃を仕掛けられるはずもない。そんなことをすれば、ランサーとライダーという二騎のサーヴァントを纏めて敵に回すことに繋がり兼ねない。

 

 セイバーとランサー、両名はお互いに真名を明かさず。風の魔力により隠蔽された宝剣と、呪符で封印された魔槍は真価を発揮させられることはなかった。

 されど、ランサー陣営はアサシンの存在を、セイバー陣営はランサーの技量とライダーの真名を確認した。初戦の結果として十分なのかは異論があるだろうが、悪くはない戦果だった。もっとも、衛宮切継の負ったであろう傷は勘定されていないのだが。

 

 ともかく、これで今宵の戦闘は終わりになる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「下らぬ話は終わったか、雑種ども」

 

 

 

 

 はずであった。

 

 

 

 

「なっ、セイバー!!」

「ら、ライダー!!」

「ランサー!!」

 

 

 その瞬間、空気が変わった。

 一切の音が止み、夜風が凪ぐ。カチリと、まるで歯車が狂ってしまったかのように世界が静まり返る。リーゼロッテの張っていた遮音結界が砕け散り、『何か』が近づいてくる。あまりの異常を感じ取って、それぞれのマスターが己のサーヴァントの名を呼んだ。彼ら彼女らを襲ったのは根元的な『恐怖』であった。

 

 

「あそこか」

 

 

 誰かが呟いた。

 戦場を見下ろす電灯の上に、黄金の粒子が渦巻きサーヴァントの形を構成していく。やがて、その男は姿を現した。

 

 

「この我を差し置いて、『王』を自称する輩が二匹も沸くとはな」

 

 

 

 遠坂時臣のサーヴァント、『アーチャー』。

 それは人の形を保ちながらも、人間から逸脱した異貌を誇るサーヴァントであった。

 

 逆立った髪は神秘的なまでの黄金。その身に纏うのもまた、この世界全ての光を凝縮したかのような輝きを放つ金色の甲冑。そして彼自身から放たれるのは、あまねく万民を平伏させる圧政者の威光。

 まさに『太陽』か、それに類する『最上位』たる何かの化身。絶対的な格の差を、否が応にも感じさせるサーヴァントが君臨していた。

 

 リーゼロッテやアイリスフィール、ウェイバー達はその輝きから目を反らせない。それだけではない、全身を釘付けにされたように動きを封じられている。その代わりにそれぞれのサーヴァントたちが油断なく、アーチャーを見据えていた。

 

 そんな光景を鼻で笑ったアーチャーは、ゆっくりと戦場を俯瞰していく。まずはライダー、続けてセイバー、そして最後にランサーへと視線を移す。その表情は退屈極まると言わんばかりのものだった。しかしーーー。

 

 ピタリ、とその真紅の眼差しが一点で止まる。

 

 

「ほう、貴様」

「な、何なのさ」

 

 

 リーゼロッテを視界に入れた瞬間、アーチャーの表情が僅かに歪む。そこにあったのは、嘲りと哀れみを込めた瞳だった。

 

 

「これは愉快、そして不快極まる贋作があったものだ。しかし人間とはそうでなければな、天へと手を伸ばしては神の怒りによって裁かれる。人の歴史とは、そうした愚かしさの積み重ねであった。………………そうは思わぬか、半人の小娘よ」

 

 

 その紡がれた言葉を理解できる者は、ここに何人いたであろうか。しかしアーチャーは、『原初の王』ギルガメッシュは愉悦に口元を歪ませた。それは、やがて神父やセイバーがもたらすモノには到底及ばぬ程度の遊びにも似た感情。されどギルガメッシュは確かな興味を示してしまったのだ。

 

 

 

 ーーーリーゼロッテ・ロストノートという少女へと。

 

 

 

 



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第七話:天に吼える

残酷な描写があります。
苦手な方はご注意ください。

後書きにサーヴァントステータスを載せてあります。


 静まり返る倉庫街。

 黄金のサーヴァントの登場、そして放たれた『半人』という言葉による疑問が当事者たちの動きを封じている。

 

 そんな中で動けたのは、ただ一人。金髪を揺らし、ポケットから取り出した宝石をアーチャーへと投げつける少女はリーゼロッテ。腕力が足りずに電柱の下へと転がった宝石は紅蓮の爆発を引き起こし、電柱を叩き折る。そのまま黄金のサーヴァントへ向かって、吐き捨てるようにリーゼロッテは言葉を投げつける。

 

 

「不快なのは私も同じさ。自分では諦めがついているけど、他者から指摘されるのがここまで嫌なモノだとは思わなかった。…………だから口を閉じなよ、アーチャーのサーヴァント!」

「雑種の分際で、この我に対して『閉口せよ』と命令するか。ずいぶんと不遜な小娘だ」

「黙りなよ、私たちを雑種呼ばわりする君こそが『半神半人』の雑種のくせして何様なのさ!」

 

 

 コンテナの上へと着地したアーチャー。

 どうやら地面に降りてくる気はないらしい。同時に、リーゼロッテを見下ろす彼の背後で空間が揺らめく。まるでその身に後光を背負うがごとく、黄金に染まっていく虚空に『王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』が展開される。それは黄金の都にあるという宝物庫そのものを具現化したという、英雄王ギルガメッシュの誇る至高の宝具。

 

 ガシャリ、と空間から突き出した十数丁もの宝剣と宝槍が少女へと向けられた。ひとつひとつが絶大な魔力の込められた本物の宝具にして、全ての原典。その魔術兵器たちは決して人の至れぬ絶対的な領域を体現していた。しかし脳を圧迫するような殺気を受けて尚、リーゼロッテの双鉾は光を失ってはいない。

 

 

「噛みつく犬には、力を示した方が早いな」

「え…………うぁっ!?」

 

 

 アーチャーが何事かを呟いた瞬間。

 黄金の閃光がリーゼロッテとランサーの頭上を通過した。そして湾内で上がったのは巨大な水柱、それはアーチャーが射出した宝具の一つが海に着弾した証だった。つまり、今の射撃はそこに至るまでに存在した鋼鉄製のコンテナの全てを穿ち、悉くを破壊し尽くして海へと突き刺さったのだ。

 

 

「…………一度目は赦そう。しかし次はないぞ、半人の小娘よ?」

「ーーーっ!」

 

 

 悔しげにリーゼロッテは唇を噛み締める。

 今の自分たちでは叶わないと本能的に悟ったからだ。モノを眺めるように自分を見下す目も、その身体から漂う『神気』も気に食わない。あのサーヴァントがリーゼロッテにとって、不倶戴天の敵であることは間違いない。何よりもアーチャーの彗眼はリーゼロッテの逆鱗を的確に撃ち抜いていたのだから。

 沈黙するリーゼロッテをしばらく観察していたアーチャーは口を開く。そして驚くべき決定を少女へと突き付けた。

 

 

「ふむ、紛い物ではあるが…………この時代の産物と考えればそれなりに希少価値も存在するか。なら、その細首に首輪をつけて引きずり回せば、暫しの退屈を慰める程度には役立つのかもしれんな」

「いやいや何言って……本気?」

 

 

 一瞬、あのサーヴァントが何を言っているのか理解できなかった。リーゼロッテは困惑する、しかし身体が震えるのが止まらない。その様子を満足そうに見下ろすアーチャーは更に告げる。

 

 

「この小娘を引き渡せ、ランサー」

「なんだと、貴様」

 

 

 ここで初めてランサーの表情が怒りに染まる。今まで彼は過保護なまでにマスターを護ってきた、それは『今度こそ失うわけにはいかぬ』と己の胸に刻んだ誓いのためだ。忠道を貫かんとする騎士へ告げられた王の言葉は彼を激昂させるのに十分であった。手に持つ双槍が怒りに震える。

 

 

 

「ふざけ」

「ふざけんなっ!!!」

 

 

 

 怒号が倉庫街に響き渡る。しかし、それはランサーの怒りの声を遮った第三者のモノだった。アーチャーを含んだ一同の視線がその発生源へと向けられる。

 

 

「ウェイ、バー?」

 

 

 一同の視線の先にいたのはウェイバー・ベルベット。

 若き魔術師の青年は顔色を真っ青に染めながらも、黄金の王を真正面から見据えてた。怒声の主はこの青年だったのだ。ライダーの顔が愉快そうに歪む。

 

 

「ふふふ、余のマスターはそうでなければなぁ。敵がたとえ遥かな天上の者であろうとも、手に入れたいモノのために命を懸け闘志を燃やす! それでこそ我がマスター!!」

 

 

『手に入れたいモノ』というところで、リーゼロッテが首を捻る。自分を庇ってアーチャーから手に入れられるモノに心当たりがないからだ。「何言ってんだ、このサーヴァントは!?」と赤い顔でライダーを怒鳴るウェイバー、そんな彼を乗せたチャリオットが近づいてくるのを訳もわからず見守った。

 

 そして二頭の神牛が力強い歩みでもってランサーに並び立った。その瞬間をもって、征服王が満面の笑みで告げる。

 

 

「ランサー、先程の話だかな。余は決めたぞ、貴様と共に戦ってやろうとな。そして余は貴様に王の器を、坊主は貴様のマスターに男としての格を示す。何とも手っ取り早い話ではないか!」

「だからアイツのことは誤解だって言ってるだろ!?」

「あらあら、切嗣の見せてくれた映画のワンシーンみたいで素敵ね。…………セイバー、お願い」

「わかりました、私としてもあの男は気にくわない」

 

 

 ここに同盟は成立した。

 全てはサーヴァントたちの計らいで二人のマスターは手を携えることとなったのだ。そしてウェイバーが真っ赤に染まった顔でライダーへと抗議する中、セイバーもまたランサーの隣へと歩み寄る。少し驚いたランサーであったが、セイバーが視線で頷いて見せたことから心の中で彼女へと一礼した。

 

 

「おうおう、そこの金ぴか! そこな小娘はこの征服王イスカンダルの同盟者にして、我がマスターが男の矜持を懸けて攻め落とすべき相手である! 貴様なぞにくれてやるつもりは毛頭ないわ!!」

「アーチャー、貴様の趣味に対する興味は微塵もない。だが女子供を指して『首輪』を付けるなどとほざく輩を、私が捨て置く理由もない!」

 

 

 紅き征服王と蒼き騎士王が刃を掲げる。

 雄々しき咆哮と清廉なる言辞、その切っ先は一塵の戸惑いもなく、黄金の王へと向けられていた。天高く座す超越者へ挑まんとするのは『覇道』と『騎士道』、対極なる道を極めし二人の偉大なる王。その勇姿は万民を導き、その誇りは万民の希望となる。如何に立ち塞がる敵が強大であろうとも、この王たちが臆するなどあり得ない。

 

 

「くっ、ははははっ…………とんだ茶番を見せつけおるわ! いやしかし愉快極まるものだ。祭りとは、こうでなければなるまいよ!」

 

 

 心底愉快そうに笑うアーチャー、『王の財宝』から展開された宝具たちが今にも主の敵を滅せんと軋みをあげ始めている。

 

 その様子を見て、「この場に残っていては危険だ」とランサーは判断する。このまま三対一でなら、アーチャーを倒せる可能性はある。しかしアーチャーの宝具は射程範囲が広すぎる上に無差別だ、戦うのならマスターがいない状況が好ましい。それに自分はセイバーやライダーよりも優先して脱出しなければならないのだ、他でもないリーゼロッテが狙われているのだから。

 

 

「セイバー、ライダー、済まない。…………俺は主を」

「構わん、貴様は疾くここから去るがいい。余とて、あの金ぴかと戦って消耗するつもりはない。適当にあしらってトンズラするまでよ。約束を違えるなよ、ランサー」

「私も似たようなものだ。元よりアーチャーが現れたところで三竦みの膠着になるようでもなかったからな。ランサーとアーチャー、どちらに味方するかで貴殿に付いたまで。故に気遣いは不要だ」

 

 

 その姿はまさに英雄の中の英雄。

 逃走の言を気にも止めず、堂々たる背中を見せつけるセイバーとライダー。彼らへとランサーはもう一度深い感謝の意を示す。そして腕に抱えているマスターへと『離脱の準備』を進言する。

 

 

「主よ、令呪の発動準備を」

「こ、この状況から令呪で脱出するの!? 」

 

 

 ランサーの提案は危険に過ぎた。

 令呪で強化されたランサーの速度でも、あの数の宝具から絶対安全に逃げ切れるとは限らないのだ。ましてやリーゼロッテを抱えて、片腕の塞がっているランサーでは尚更だ。されど、リーゼロッテは従者を信じて令呪へと意識を集中させる。何かランサーに考えがあるのだと確信していたからだ。

 

 そしてリーゼロッテの判断は正しかった。なぜなら、ランサーは知っている。ここに集まるサーヴァントは『あと一騎』いることを、そしてアレが誰に襲いかかるのかを把握しているのだから。

 

 

「さて、そろそろ始めるとするか。真の王による威光を愚かしい雑種共に見せつけるのもまた我の役目であろう」

 

 

 アーチャーは指揮者のように腕を振り上げる。

 王による勅命を受けた宝具たちが熱を帯び、その魔力を解放する。今すぐにでも大罪人を射抜かんと、爆発寸前の砲弾のごとく震えていた。薄い笑みを浮かべたアーチャーが腕を振り下ろす、ライダーが戦車の手綱を引き 、セイバーが不可視の剣を構え直す。

 

 

 まさに、その瞬間だった。

 

 

 

 

 

「ーーーーgigaaaaaaaaa!!!!!」

 

 

 

 黄金の王の背後に『何か』が出現し、そのまま驚異的な跳躍力でもって彼に襲いかかった。そのサーヴァントのクラスは『バーサーカー』。召喚の際に特殊な詠唱を挟むことで、対象とした英霊の理性を塗り潰し、その代わりに身体能力を格段に強化された狂戦士。

 

 

 

 

「ーーーーなにぃ!!?」

 

 

 

 アーチャーが『王の財宝』を反転させる。

 だが遅い。黄金すらも曇らせる暗闇の塊が、コンテナを踏み軋ませ原初の王を間合いへと捉えていた。舌打ちをし、回避動作に入るアーチャー。この時、初めて彼はリーゼロッテたちから注意を反らす。そしてそれはランサーの待ち望んだ瞬間であった。

 

 

「令呪を持って、我が騎士に命じる! 『己のマスターを守護しつつ、全力で持って戦場から離脱せよ』!!」

「全て了解した、我が主よ!」

 

 

 リーゼロッテの手の甲から一画の令呪が消失する。形を失った膨大な魔力がラインを通してランサーの霊核へと注ぎ込まれる。『離脱せよ』、その簡潔にして明確な命令がランサーの敏捷性を天井知らずに増幅させた。その力を最大限に活かし、ランサーは先程の『バーサーカー』すら遥かに上回る跳躍力にて大地を蹴る。

 

 

「うわぁ!?」

 

 

 突如として感じた浮遊感に、リーゼロッテが驚きの声をあげる。瞬きの間に彼女の真下に地面はなくなり、目の前には暗闇があるだけだ。コンテナを砕かんばかりに踏みつけ、一度の跳躍で十数メートルは移動している。風を置き去りにするかのような爽快さに、リーゼロッテは先程までの緊張感を忘れる。ランサーに抱えられながら子供のようにはしゃいでいた。

 

 

「す、スゴいスゴい!! ランサー、本当にすご…………っ!?」

「主よ、口を閉じてください。舌を噛みます」

「も、かんだひ」

 

 

 涙目で口を押さえるリーゼロッテ。

 すっかり普段の調子を取り戻した彼女に苦笑しつつ、槍の騎士は闇夜を駆け抜ける。遥か後方から聴こえる戦闘音を置き去りにして、できるだけ先へ先へと己のマスターを遠ざける。涼しい顔の裏側、彼の胸の中には『今度こそマスターを護り抜く』という悲痛なまでの想いがあった。

 

 

 

 その覚悟を知る者はまだ、『この世界』のどこにもいない。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 倉庫街での戦いはアーチャーとバーサーカーの激突により、最終的に幕を閉じた。時臣が令呪の一画を消費したことも、アーチャーの不興を買ったことも正史の通りであった。

 

 そして、そんな戦いの結末を見届けた者たちがいたことも変わらなかった。鼻をつくような匂いの立ち込める下水道の奥に築かれた工房にて、歓喜の叫びを上げる青年が一人。

 

 

「すっげぇ、なに今の!? マジかよ、超COOLだよ!!」

 

 

 深い紫色のジャケットに青いジーンズ、派手なオレンジ色に染めた髪、そこにいたのは決して珍しくもない容姿をした青年だった。彼の名前は雨生龍之介、此度の聖杯戦争においてキャスターを召喚したマスターである。彼は両腕を振り上げテンション高く、はしゃぎ回っていた。

 

 

「ちょっとちょっと、旦那ぁ! あれってマジなんだよねっ、CGとかじゃない本物なんだろっ? …………って青髭の旦那、聞いてないじゃん」

 

 

 つまらなさそうに龍之介はキャスターを一瞥する。

 彼の先生たるサーヴァントは何やら『聖処女』や『ジャンヌ』、『私が起こした奇跡』と意味不明な言葉を繰り返している。油の代わりに涙を流し、壊れた機械のように虚ろな言葉を呟き続ける姿はとても危ない存在に見える。いや、実際のところは今回の聖杯戦争のサーヴァント中で一、二を争うくらいに危険なのだから間違いではない。

 

 魔術師のサーヴァント、『キャスター』。

 生前に何らかの魔道を修めた魔術師が召喚されるクラスであるが、三大騎士クラスを始めとして『対魔力』スキルを持つ者が多い聖杯戦争においては最弱と称されることが多いサーヴァントである。

 

 両生類のように飛び出した目玉は不気味に動き、青白く干からびた肌からは生気が感じられない。神々しいアーチャーとは真逆に位置するような容貌、異様なまでの醜悪さを見る者に植え付ける気配、そのどちらもが正規のサーヴァントとはかけ離れていた。

 

 

「お、おお、龍之介! すでに私の祈りは聖杯に届いていたのです。聖処女は甦った、聖杯はこのジル・ド・レェを選んだのです!!」

 

 

 狂った醜声が龍之介の鼓膜を揺らす。それを心地よく思いながら、龍之介はようやく意識の戻ってきたキャスターへと笑顔で話しかけた。

 

 

「何か知らないけど、おめでとう旦那!」

「ありがとうございます、龍之介」

 

 

 それは異様な光景だった。内容に触れもせずにサーヴァントを祝福したマスターと、中身のないソレを歓喜の中で受け取ったキャスター。だが、これでいい。この狂った二人の間にこういったやり取りは珍しくもない。

 

 雨生龍之介。

 快活な青年である彼の正体は、女性もしくは子供をターゲットにして活動する快楽殺人犯である。この島国の全土を周り、『死』を感じるためだけに人間を殺して歩く狂人。つまりはサーヴァントもマスターも既に壊れているのだ、常人のコミュニケーションが成り立つはずもない。

 

 ここまでは正史通りであった。キャスターがセイバーを聖処女ジャンヌと勘違いし、執拗に追い回す。そしてマスターはここで快楽殺人と『作品』の創作に精を出す。それだけのはずであった、本来ならば。

 ここで龍之介は右手をキャスターに見えるように掲げた。

 

 

「ねえねえ、旦那。あの女の子がやってたヤツなんだけど、この刺青はどうやって使うの?」

 

 

 そこに刻まれていたのは大魔術の結晶たる『令呪』。

 リーゼロッテという異物は、正史では起こり得なかった魔術領域への興味を、快楽殺人鬼に持たせてしまったのだ。当然のことながら、キャスターは己のマスターにも理解できるように簡単に説明する。

 

 

「…………つまり、俺の想いの力で旦那がパワーアップするってことだね。んー、これもまたCOOLだ!」

「流石は龍之介、心強いものです。…………さて、申し訳ない、私は聖処女を迎えに行かねばなりません」

「あのセイバーって奴のところへ行くんだよね、頑張れよ旦那!」

 

 

 いそいそと霊体へと戻っていくキャスター。

 それを満面の笑みで見送る龍之介は、子供のような好奇心に満ちた眼差しで令呪を眺める。尊敬してやまないキャスターの助けになる、それはなんて素晴らしいことだろうと。

 

 

「あははっ、サイコーの気分だよ!」

 

 

 上機嫌で踊るように辺りを闊歩する。時々、「ふんふん」と鼻を鳴らし、ナイフを掌で滑らせてステップを踏む。夜の街で鍛えたダンスは中々のキレがある、少なくない女性を惹き付けるであろうほどには見事だった。

 

 

「ぅげ、ぉあがぉ…………ぇげ」

「おっと、そういえば…………そろそろ『作品』ちゃん達と遊んでやらないとね」

 

 

 ピタリ、と龍之介は動きを止める。

 うめき声が聴こえた方向に広がっていたのは血の塊。そこにあったのは人の形をした『何か』だった。

 

 

「こーんばんわー!」

「ぃぎがぉぉあっ!?」

 

 

 言葉にならない悲鳴を上げる。

 そこにいたのは拉致され、解体された子供たち。全員が本来ならば死に至る傷を与えられながらも、魔術により延命させられ生きている。血泡と激痛を口から垂れ流して、呻いている。全ては龍之介とキャスターの『作品』たち、『死』と『生』の両方を侮辱した最悪の行為の犠牲者たちだった。引き摺りだされ、釘で固定された臓物を指で弾きながら龍之介は溜め息をついた。

 

 

「ぎぃぃ…………ぁがががぅぅぇ!!!?」

「何だか飽きちゃったかも、いやいや棄てたりはしないけどさ。君たちにも新しい仲間が必要かなって思ったんだよ。…………まあ、あれだな。俺のインスピレーションが次なる芸術に相応しい『材料』を見定めたからなんだけど」

 

 

 激痛に泣き叫ぶ幼い命を愛しげに眺めながら、恍惚とした表情で狂人は次なる『材料』へと思いを馳せる。何でも手に入るのだ、キャスターの力があれば作品の材料には困らない。遠慮なんてする必要はない。

 だからだろう、気を大きくした龍之介は『彼女』を欲した。

 

 

「あー、あの金髪の子、可愛かったなぁ。本当ならもっと幼い方が好みだけど…………あれなら十分にストライクだ」

 

 

 キラキラと光を宿す瞳に映っていたのはランサーのマスター、リーゼロッテ・ロストノート。この国ではなかなかお目にかかれない豊かな金髪、そして魅惑的な赤い瞳が素晴らしい少女。きっと、その二つは作品の飾りとしても映えるに違いない。金色のサーヴァントへと啖呵を切った姿もプラス要素だ、その気高い精神を『加工』するのが龍之介としては最高の瞬間なのだ。思わず自分の身体を抱き締める。

 

 

「うー、さいっこう! …………あの金ぴかめ。何が首輪を付けるだよ、わかってないな勿体ない。あの子は、とってもいい声で泣いてくれそうなんだからさぁ。俺に加工させるべきなんだよ」

 

 

 まるでそれが正しい行いだと言うように、龍之介は自らの歪んだ想いを語る。彼の瞳には英雄王の輝きすら、何の価値もない。例え彼がどんな英雄であろうとも、キャスターこそが龍之介の神であり友だ。黄金ではなく、臓物を賛美する狂人仲間。ただただ自らの欲望を満たし、答えを見つけるために龍之介とキャスターは罪を犯し続けるだろう。

 

 

「でも何だろうな。あの子は普通の人間とは違う感じがする。…………まっ、それで俺の作品に幅が出ると思えばラッキーだね!」

 

 

 人間芸術家、雨生龍之介はその確かな感性でリーゼロッテが『純粋な人間』ではないことを見破っていた。その呟きを聞いた者はいない。上機嫌に肩を揺らしながら、龍之介は手の甲を覗き見る。そこに刻まれた赤い刺青を宝石を扱うように優しく撫でて微笑んだ。

 

 

 

 これにて第四次聖杯戦争の第一戦目は幕を下ろす。

 されど少しずつ運命の糸は正史とは違いを生み、参加者たちを巻き込み、複雑に絡まっていく。その先に何が待ち受けていようとも、彼らに立ち止まることは決して許されない。

 

 

 




クラス:ランサー
真名:ディルムッド・オディナ
マスター:リーゼロッテ・ロストノート

パラメーター:
筋力B
耐久C
敏捷A+
魔力D
幸運C

スキル:
対魔力B
心眼(真)B
愛の黒子C

宝具:
『破魔の紅薔薇』
ランクB
詳細/あらゆる魔を打ち破るという伝説を持つ対魔の長槍。刃の触れている間だけ魔術を無効化する力があり、セイバーの鎧やリーゼロッテの結界など、その防御力を無視して攻撃できる。効果に限定はあるものの、非常に使い勝手の良い宝具である。
ディルムッドが養父アンガスより譲り受けた宝具。

『必滅の黄薔薇』
ランクB
詳細:この刃で傷をつけられれば、如何なる手段を持ってしても癒せぬとされる呪いの短槍。回復魔術すら完全に無効とされるので、マスターを伴っての戦闘では一方的に相手に傷を増やしていくことができる。尚、この槍で持ち主は傷を負わない。戦況を一撃でひっくり返せるわけではないが、非常に有用な宝具。
ディルムッドが育ての親である妖精王から贈られた由緒正しき宝具。


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第八話:何者にも譲れぬ祈り

 

 

「っ………………ずいぶんと衰えたもんだな。参ったよ、不甲斐ない」

「切嗣、もう少しでマダムが到着します」

 

 

 冬木市郊外にある広大な森、鬱蒼と生い茂る木々の奥地にアインツベルンの城は存在している。たった四人が過ごすには不要なくらいに巨大な建築物、自らの威光を他に知らしめることを好むアインツベルンらしい派手な本拠だった。

 その城の一室にて『魔術師殺し』、衛宮切嗣は痛々しい姿で座り込んでいた。ボロボロに焦げたコート、そこから覗く腕から流れ落ちる血液は床を染めている。空気を汚す、肉の焼けた匂いはとても不快だった。リーゼロッテの起こした爆発にやられたのだ。

 

 

「まさかあの決闘が僕を誘きだすためのモノなんて想像もできなかった。若い魔術師のくせに油断ならないな、いや助言者がいると考えるのが自然か」

 

 

 派手にやられたものだと自笑する。全身の火傷と加速魔術の反動、特に左腕は骨だけで繋がっているような状態だ。治療の宛てはあるものの決して安いダメージではなかった。

 それでも死ぬような傷ではないし、このぐらいで取り乱す切嗣ではない。とりあえず一服しようかと残った右手でタバコを口へと運ぶ。舞弥に呆れた顔をされたがクセなのだから仕方ない。しかし、その試みは乱入者によって中断されることになる。

 

 

「切嗣っ、怪我をしたと聞いたのだけど大丈夫なの!?」

「やあ、アイリ。あんまり大丈夫じゃあないかな、だから君に知らせたんだよ」

 

 

 ドアを蹴破らん勢いで入ってきたアイリスフィールに苦笑しながら、切嗣はタバコをポケットへと戻した。

 

 

「ひ、酷い怪我じゃない…………やっぱりあの爆発に巻き込まれたのね」

「うーん、巻き込まれたというより僕を狙ったものだったからね。どうもリーゼロッテ・ロストノートを見くびり過ぎたらしい、おかげでこの様さ」

「あ、あの爆発の中心にいたの!?」

 

 

 子供のようにコロコロと顔色を変える彼女に切嗣は優しく微笑んだ。そこそこの魔術師である自分はこの程度で命を落とすなどありえない、それを理解しているのにアイリスフィールは切嗣の傷を本気で心配してくれているのだ。

 

 

「セイバーはどうしたんだい?」

「席を外してもらっているわ、きっと『アレ』が治療に必要だと思ったから」

「上出来だ、アイリ」

 

 

 今から行う光景をセイバーに見せるわけにはいかない。

 アイリスフィールはゆっくりと身体から『何か』を取り出そうと魔力を流す。黄金の光が彼女から漏れだしてくる、それは神聖な魔力の奔流だった。そしてバラバラだった欠片が集まるように切嗣の目の前に『黄金の鞘』が姿を現した。妖精文字が刻まれた伝説の宝具、この世界において最高の護りを誇る彼女の切り札。

 

 

「『全て遠き理想郷(アヴァロン)』、まさかこんな早くに頼りにすることになるとは思ってもみなかったよ」

「そうね…………セイバーには悪いけど、まだ彼女には返せない宝具。最高の治癒力を持ったエクスカリバーの鞘、これなら貴方の傷も簡単に治せるはずよ」

 

 

 黄金の鞘が身体へと同化していく、それと同時に傷が完治していくのを切嗣は感じていた。すでに軽い火傷は消えている。凄まじいまでの治癒力、まさに伝説の騎士王アーサー・ペンドラゴンの常勝を支え続けた最強の宝具に間違いない。

 

 

「ねえ、セイバーも貴方を心配していたわよ」

「…………そうか」

「切嗣はセイバーと仲良くするつもりがないのは理解したけど、このままで私たちは戦えるのかしら?」

「問題ないさ、君たちはあくまでも囮だ。本命は僕と舞弥による奇襲と狙撃、アレとは今の距離感がちょうどいい」

 

 

 戦場にて味方との信頼とコミュニケーションを捨て去る行為。それが如何に愚かなのか切嗣は理解している。しかし英雄という概念への憎しみ、確かなモノを後世に託した彼らへの羨望、決して折れない信念への恐れ。様々な要素がセイバーから切嗣を遠ざける。

 何よりも薄汚い暗殺者と高潔な騎士王がうまくいく訳もない。そう結論付けることで逃げているのだ。本当に自分は弱くなってしまったと切嗣は心の中で笑う、独りで戦う方が遥かに楽なのだ。

 

 

「そういえば、アイリ。なんでセイバーを始めから伴っていなかったんだい?」

 

 

 とりあえずセイバーとの仲についての話は終わらせたかったのだが、話題の微妙な転換だった。どうもアイリスフィールを前にしていると調子が狂う。

 しかし目をぱちくりとした後、そっと指を唇に当てるアイリの姿で切嗣は更に心乱されることになる。

 

 

 

「だって、私はあなたの奥さんですもの」

 

 

 

「…………あははっ、そうだったね。君は僕の大切な奥さんだったよ」

 

 

 銀色の髪を靡かせて、真紅の瞳で微笑むアイリスフィール。自分に向けられる混じり気のない純粋な好意、妖精のように無垢な姿に切嗣の心は締め付けられる。この妻を犠牲にして、最愛の娘から母を奪ってまで朽ちかけた『理想』を追い求める自分。切嗣は間違いなく最悪の選択をしようとしている。

 

 

「ありがとう、アイリ」

「どういたしまして、切嗣」

 

 

 だが衛宮切嗣は止まらない。

 今までに背負った罪を精算するために走り続けなければならない。例え心がどれだけ壊れようとも『世界平和』を聖杯によって実現しなければならないのだ。誰よりも人間らしい心を持った彼は、壊れかれた機械のように銃を握り締め魔術を使う。父へ母へ、そして手にかけた人々のためにそうでなければならないのだ。

 

 

 ーーーどんな手段に頼ろうとも必ず聖杯を。

 

 

 それが衛宮切嗣の掲げる祈りの全てだった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「どうぞ、我が主」

「ありがと、ようやく落ち着けたよ。今夜は本当に色々あったからねぇ…………ふぅ」

 

 

 ここはリーゼロッテが購入した屋敷。周囲に結界を張り巡らせたランサー陣営の拠点である。やたらと部屋がある豪邸であるが、実際に使用しているのは数部屋だけだったりする。その二階にある一室でリーゼロッテはベッドに座りながらランサーからカップを受け取っていた。

 

 

「うん、美味しい」

 

 

 アプリコット柄の可愛らしいティーカップに注がれているのは緑茶だった。西洋カップに日本茶、この国の人間が見れば首を傾げる組み合わせも外来人である二人には無関係な話だ。先程までの戦闘が嘘であるかのようにリーゼロッテはお茶をゆっくりと口にしていた。

 しかし、ここから始められるのは穏やかな会話ではないだろう。

 

 

「さて、要するに君は平行世界からやってきたサーヴァントなんだね?」

「…………はい、その通りです」

 

 

 重々しい口調でランサーが頷いた。

 彼が入れてくれたティーポットはミニテーブルに置かれ、ランサー自身は片膝を付いて従者としての姿で控えていた。力強く拳を握りしめ、苦悶の表情をひた隠しにしながらランサーは口を開いた。

 

 

「俺は一度この聖杯戦争に参加しました。そして破れたのです、無様に醜く最悪な形で敗北した。…………そして聖杯に吸収され、霊核が崩れ落ちる瞬間に」

「私の元に召喚されていた?」

「…………はい」

 

 

 ディルムッドは一度、この聖杯戦争を経験している。曖昧な『記録』ではなく、確かな『記憶』がこの身に刻まれているのだ。しかしリーゼロッテには隠していた、平行世界などという場所を経由した経緯を説明しても信頼してくれる確証などなかったからだ。あまりにも突飛、神代を生きたランサーでさえも経験したことのない事例だったのだ。

 

 しかし最早、秘匿すべきではない。あのアーチャーがリーゼロッテに興味を持ってしまった。正史から外れた現在、ここから先はランサーだけでは手に余る。

 そして何故、アーチャーが正体を見抜けたのかの理由は恐らく『半人』という要素が共通していたからだろう。

 

 

『うーん、私の一族? フラガ家と似たようなものかなぁ、宝具なんて物騒なモノは受け継いでないけどさ。過去の遺物を伝えるってところは本質的には同じかもしれないね』

 

 

 時計塔にて聞いた言葉が甦る、通常のマスターより優れた特性もアーチャーの食指を動かしたという意味ではマイナスでしかない。しかし、その不安とは真逆にリーゼロッテはのんびりした様子でお茶を啜っていた。

 

 

「なるほどねぇ、あの『偏屈爺』め。召喚の儀式中、唐突に私の術式へ干渉してきたと思ったらそういうことか。…………愉快犯としか思えないよ」

「あの、主?」

  「何でもない、君の状況を招いた犯人が分かって納得しただけさ。正直に話してくれてありがとう。でも心配は無用だよ、『シュバインオーグの弟子』は常識を超越した出来事に対する耐性が高いからね。この程度は飲み干せる」

 

 

 何事かを思い出して頷くリーゼロッテ。ともかく、平行世界から召喚されたことを納得してくれたらしい。この話の早さはランサーとしては予想外だった、少なからず不信を買うと覚悟していたのだから。

 しかしおかげで幾分、精神の負担が軽くなった。今ならケイネスやソラウのことも話せるかもしれない。

 

 

「リーゼロッテ様、前回の聖杯戦争で俺は…………」

「ストップ、根掘り葉掘りは尋ねない。…………もう魔力が少なくて眠いんだ」

 

 

 小さなマスターはベッドに転がって頭だけをこちらに向けた。ふわふわした金髪を投げ出して、ぐでっと脱力している。その様子にランサーは更に毒気を抜かれてしまう。この国に来た時、あれだけ覚悟していた自分は何だったのだろうか。

 

 

「つまり私が知りたいのは、敵マスターとサーヴァントの情報。そして今後の聖杯戦争の展開さ、それだけを朝までに纏めておいて。…………だから、そんなにツラそうな顔をしないでよ、私の騎士様」

「…………我が主、俺は貴女に会えてよかった」

「あー、私はもう寝るから!」

 

 

 ランサーの声を遮るように「おやすみ!」と叫んでリーゼロッテは毛布に潜り込んでしまった。どうやら再び自爆してしまったらしい、隠された顔はゆでダコのごとく真っ赤だろう。「やれやれ」とランサーは部屋の電気を消した。サーヴァントに睡眠は必要ないのだから、今のうちに明日知らせることを纏めておくべきだろう。

 物音を立てないようにランサーはリーゼロッテの寝室から退散する。そして部屋のドアを閉めた時、微かな声が鼓膜を揺らす。

 

 

 

「案外、このFate(運命)は私じゃなくて君のためのモノなのかもしれないね。…………きっとそうだよ、ランサー」

 

 

 

 続けて「おやすみなさい」とリーゼロッテは呟いた。すぐに小さな寝息が部屋の中を満たすのをランサーは一歩も動かずに聞いていた。たった一筋だけ、その頬を濡らしていた光を拭い去る。

 

 

「本当に、貴女に会えてよかった。…………俺の魂は救われた」

 

 

 騎士として主に忠義を捧げる、その願いは今度こそ叶ったのだろう。

 聖杯戦争の全てを憎み、あまつさえ好敵手と認めたセイバーに罵声を浴びせ、英霊としての格すらも自ら傷つけ消滅の途に着いた。そんな終わりから自分を救い出してくれた彼女にはいくら感謝してもしきれない。できれば聖杯戦争から彼女を遠ざけたかった、それが怨嗟の蠢いた聖杯戦争からマスターを護る最も確実な手段だったのだから。

 

 

 だが、彼女の『願い』は聖杯でなければ叶わない。ならばディルムッドがリーゼロッテの恩義に報いる方法はただ一つ。

 

 

 ーーー今度こそ聖杯を主に

 

 

 それがディルムッド・オディナの捧げる悲痛なまでの祈りの全てだった。

 

 

 



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第九話:穏やかなる幕間

 ウェイバー・ベルベットは天才魔術師、になる予定の青年である。秘められた才能はロードクラスであり誰よりも偉大な魔術師になるかもしれない卵だ。もっとも、それを信じているのは彼しかいない。何せ、たった一人の親友からも「君が魔術師として大成するのは無理だよ」と言い切られてしまっている。その腹いせに聖遺物を盗んで聖杯戦争に参加してしまったことに後悔がないといえば嘘になるだろう。

 

 ともかくだ、そんな彼がわざわざロンドンから東洋の片田舎に来たのには理由がある。そして現在、冬木のどこかにあるマッケンジー家の二階でウェイバーはライダーへと怒声をあげていた。もちろん、ちっぽけな彼の怒りなど何処吹く風で征服王は涼しい顔をしている。

 

 

「ライダーッ、お前いい加減にしろよな! リーゼの前であんなこと言い放ちやがって!!」

「何を恥ずかしがっておる。そもそも事実であろう、貴様が余に聞かせた願いを忘れはせんぞ。『小娘を振り向かせたい』と雄々しい声で叫んでいたではないか」

「そ、それはお前が最初の願いを『くだらない』って一蹴したから…………つい、言ってしまったというか」

 

 

 違う、断じて違うのだ。

 わざわざ聖杯戦争に参加したのは、時計塔の連中にウェイバー・ベルベットの才能を認めさせるためである。決して唯一の友人に「無能」呼ばわりされて見返したいと思ったわけでも、あわよくば男として頼りになるところを見せたいわけではない。全てはライダーの誤解なのだ。

 

 

「あ、あれだからなっ。違うんだからな!」

「ふははっ、照れるでない。余の臣下にもそういった連中は大勢いた。まさに坊主と同じく身分違いの令嬢に恋をした者たち、奴らもその恋路を遂げるために手柄を欲しておったわい。ゆえに案ずることはない、この百戦錬磨のイスカンダルに任せておくがいい」

 

 

 その図体でライダーは恋のキューピッドにでもなろうとしているのだろうか。ちなみに恐ろしく似合っていない。おとぎ話の魔法使いどころか、良くてカボチャの馬車の従者だろうとウェイバーは辛辣な例えを思い浮かべていた。

 そんなことはお構い無しにライダーは語る。

 

 

「まずは余が聖杯を勝ち取る。そして、そのあとで貴様は輝かしい戦果を掲げて故国へ凱旋すれば良い、さすればあの娘も求婚に応じる他あるまい?」

「………………うん、そうですね」

 

 

 まさしくマケドニア流、雄々しき戦士の求婚。英国紳士たるウェイバーからすれば時代錯誤以外の何物でもない。どこの世界にマスターである魔術師の雁首を貰って喜ぶ女の子や、結婚を許す親がいるというのか。白けた表情のウェイバーを見て、ライダーが不思議そうな顔をした。そのせいで、とんでもない言葉が口から飛び出すことになる。

 

 

「何だ、不満か。それなら娘の寝屋にでも忍び込んで貴様の『男』で持って征服してしまえばよかろう。余のマスターともあろう者が何を迷っておる」

「ば、バカ! お、お前は正真正銘の大馬鹿か!!?」

 

 

 即座にその意味を理解したウェイバーが真っ赤になる。どうやらこういった話題への耐性はないらしい。そして己のマスターの純情すぎる反応に今度はライダーが白けた顔をしていた。「やれやれ」と呆れんばかりである。

 

 

「どこまでウブなのだ、坊主。その年で女と交わる喜びすら知らんとは…………まったく嘆かわしい」

「僕は魔術師だっ、そんな下らないことに浪費している時間はないんだよ!」

「余に仕えた者の中には魔術師もおったが盛んな奴が多かったぞ? 何でも魔力の補充にはせい…………」

「や、め、ろ!」

 

 

 この征服王、真っ昼間から堂々とセクハラ発言である。今はマッケンジー夫妻が家を空けているので良かったが、そうでなければ間違いなくウェイバーの怒声は一階まで響いて老夫婦に聞かれていただろう。

 ウェイバーとライダー。この二人、相性自体は悪くないのだが如何せん性格が違いすぎた。まだ歯車が噛み合うには時間がかかる。

 

 

「よし、ここは余と坊主で花街に繰り出そうぞ。女の一人や二人抱き寄せれば男としての度胸もつくであろう!」

「そんな金銭的余裕はないっての」

「む、それならば資金を得るところから始めるとするか。なあに、小一時間もあれば集まるから安心するがいい」

「言っておくけど略奪は駄目だぞ?」

「…………え?」

「え?」

 

 

 残念そうに座り直すライダー。

 ともかく花街へ行くのは中止になったらしい。この数分でどっと疲れたウェイバーはとりあえず胸を撫で下ろした。そうしていると「そういえば」とポケットから『ソレ』を取り出した。

 

 

「何だ、ずいぶんと珍しい宝石を持っておるな。それほどの魔力を宿したモノは余もあまり見たことがないぞ」

「これはアイツからのプレゼントだよ。万年金欠の僕には到底買えない代物さ」

 

 

 ウェイバーの掌に乗っかっているモノ。

 それはリーゼロッテから誕生日のプレゼントとして貰った宝石のペンダントだった。ウェイバーの誕生石を嵌め込んだ高価な逸品で、『楽園の鳥の石』とされる赤いオパールを贅沢におしらえたモノだ。美しいファイヤーオパール、その宝石言葉は『不屈と情熱』。

 

 まさに徒手空拳、身一つで時計塔に殴り込んだウェイバーに相応しいプレゼントだった。彼女から贈られた勇気を与えてくれる言葉を内包するのは息を飲むような並外れた炎の色、ウェイバーはこの宝石を大事にしている。そして宝石自体は多大な魔力を持つ簡易的な魔術礼装でもあるのだ。

 

 

「ほほう、中々の上物だ」

「あっ、返せよ!」

「ケチくさい奴め、ほれ」

 

 

 ウェイバーの手から宝石をつまみ上げて、しげしげと眺めたライダー。マスターからの要請もあり、すぐに返却したが何やら興味を持ってしまったらしい。「ふむ」と少し考えて込んでから真剣な声色でウェイバーへと語りかける。

 

 

「もう一度尋ねよう、貴様は何のために聖杯戦争に参加した。何のために征服王イスカンダルを呼び寄せたのだ」

「あ、改まって何だよ?」

「良いから答えよ、貴様の野望は何ぞ」

 

 

 王の眼差しを真正面から注がれたウェイバーは言葉に詰まる。このサーヴァントに嘘は通用しないだろう。そしてウェイバーが彼女へ好意を持っていないと言えば嘘になる。しかし別に『そういった関係』になりたいから自分は聖杯戦争に参加したわけではない。

 ウェイバーは真っ直ぐに征服王を見つめる。

 

 

 

「僕はアイツに並び立ちたい、その未来が欲しいから聖杯戦争に参加したんだ。特別な想いがないといえば嘘になるかもしれない、それでも僕の願いは一つだ。アイツに勝ちたい」

 

 

 

 それは短くも澄み切った答えであった。

 名門出身である友に負けない威光が欲しい。リーゼロッテ・ロストノートの隣にいるのはウェイバー・ベルベットだと知らしめたい。そして、いつの日にか友を追い抜きたい。それがウェイバーの掲げる願いだったのだ。

 青年らしい、みずみずしい若さと真っ直ぐさに溢れた願望がそこにはある。ライダーが満足気に破顔した。

 

 

「よくぞ言った、余のマスターはそうでなければなぁ。…………それで、あわよくば小娘をどうしたい?」

「そりゃあできれば…………って、何を言わせんだよ!!」

「ぐははっ、貴様もノリが良いではないか!」

「さすがに慣れるっての!」

 

 

 冗談を仄めかして笑うライダー、それにわざと振り回されるウェイバーもまた顔を赤くしながらも楽しそうに言い争っている。

 

 正史において、最高の主従とされたライダー陣営。やはりこの時間軸においても二人は相性が良かったらしい。彼らがランサー陣営と合流するのはこれから数時間後のこととなる。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 太陽の高く昇ったお昼下がり。

 リーゼロッテとランサーは公園のベンチに座っていた。そこは昼間だというのに人の気配がしない上に、ちっぽけな噴水が唯一の特徴であるような寂れた場所だった。ランサー主従はそこで少し遅めの昼食を取っている。

 

 

「ふわぁ、美味しそう!」

「主よ、熱いので気をつけてください。」

 

 

 それは冬木の商店街で購入した大判焼き。フワフワした黄金色の体表を割ってみれば、甘く蒸した小豆餡が顔を出す。そして一口食べると舌を上品な甘さが包み込んでくる和菓子であった。リーゼロッテはこの大判焼きをとても気に入った。

 

 

「…………美味しい、美味しいよコレ! ねっ、ねっ、ランサーもそう思うよね?」

「はい、素晴らしい風味と食感ですね、リーゼロッテ様」

 

 

 

 ランサーもたい焼きを半ば感動した様子で口に運んでいた。ブリテンも大概だが、当時のアイルランドの食事情も厳しかったのかもしれない。

 ちなみに本来ならば魔力を潤沢に補給されている彼に食事は必要ない。マスターから「誰かと一緒に食べた方が美味しいでしょ?」という申し出を受けたので同席させてもらったのだ。とはいえ、座っているのは公園のベンチなのでランサーが畏まる必要など欠片もないのだが。

 

 

「私、聖杯戦争が終わったらこの国に住もうかなぁ。食べ物が美味しいことはポイントが高いよ、それに比べて我が母国はねぇ…………昔からあんな感じだったのかな」

「そうですね、彼の騎士王が生きた時代などは特に悲惨であったかもしれません」

 

 

 ブリテンの料理は不味い、いや不味いモノが多いとされている。寒冷で痩せた土地からは良い作物が採れず、それでも日々の食卓を彩っていたはずの郷土料理の数々は産業革命によって失われた。おまけに大陸の諸国との仲が悪かったので、外から料理が伝わることも稀であったのだ。パイ料理やヨークシャー・プディングなどの美味でまともな料理もあるのだが、全体的に壊滅しているのがブリテンの食事情である。

 

 

「まあ、それはそれとして今後の対策を考えないとね。一番厄介そうなアーチャーの真名がランサーにもわからないんだし」

「…………申し訳ありません。奴の使った宝具は一つ残らず記憶しているのですが、いずれもアーチャーの真名に辿り着けそうなモノはありそうもなく」

「うーん、それが逆に『答え』なのかもしれないね。全てがデコイではなく本物で、全てがアーチャーの真名に繋がったヒント。だからこそミスター遠坂はアーチャーを令呪を消費させてまで撤退させたのかも」

 

 

 大判焼きを子供のように頬張りながらも、リーゼロッテの思考は巡り続ける。大量の宝具を持ち歩いていることから、アーチャーがどこかの暴君であったことを想像するのは容易い。そしてあの『神性』は半人半神の証、おまけにリーゼロッテの見立てではアーチャーは『半分以上』が神に属している英霊のはずだ。

 

 

「…………なら、それなりに数は絞れるかもね。高すぎる神性を持つ王であり、大量の宝具を所有していても可笑しくない伝説を背負う大英雄。何人か心当たりはあるものの、まだ確証は持てないけど」

「いえ、十分でしょう。聖杯戦争の序盤でここまで情報を揃えられたのならば上々です」

「一番手っ取り早いのは『対神宝具』を持つサーヴァントと手を組むことなんだけどね。神性があるアーチャーには効果抜群で、神性がないランサーには大して効果がない。こんなに同盟相手に相応しいサーヴァントはいないよ、後のことを考えると」

 

 

 聖杯を勝ち取れるのは一組のみ。

 もし仮に同盟関係を結んだとしても、やがてはお互いに雌雄を決しなければならない。ならば後々に始末しやすい相手を選ぶのは当然だ。しかし、運命はそう上手くは運ばない。

 

 

「ランサーの記憶には『対神宝具』を持つサーヴァントはいなかったんだね?」

「…………残念ながら『対人』『対軍』『対城』、それが俺の知っているサーヴァント達が使った宝具の全てです」

「まっ、そっちの方が私としては安心なんだからさ。だから気にしないでよ、ランサー」

 

 

 責任を感じた表情に変わったランサーを励ますようにリーゼロッテが朗らかに笑った。ひょいっとベンチから立ち上がると金色の髪が風に靡く。

 

 

「となると私たちはキャスターを追い回しながら、アーチャーの正体を探るのが賢い選択だろうね」

「十分にご用心を、奴らは危険です」

「…………うん、わかってる。まさかキャスターが青髭なんて想像もできなかったよ」

 

 

 ランサーから聞いたキャスターの真名と、これから引き起こされる惨劇にリーゼロッテは思わず身震いをした。ここからは本当に血生臭い戦いになる。

 

 そして冬木のセカンドオーナーたる遠坂時臣、彼にしてみればキャスターは看過できない『悪』となるだろう。一般人を誘拐し、魔術で解体するなど誇り高きセカンドオーナーである彼が許すわけがない。つまり『キャスターが討伐される瞬間』まで、アーチャーとの全面対決を避けられる。少なくとも遠坂がサーヴァントをけしかけてくる可能性は低い。

 

 

「それまでにアーチャーの真名を突き止めて、その弱点を探せばいい。…………あり得ない話だけど、もし『弱点のない英霊』であったなら不味いだろうね」

 

 

 その場合はライダーや他のサーヴァントとの同盟によって討ち取る、つまりは力ずくで叩き潰すしかない。またはアーチャーを無視してマスターである時臣を倒すかだ。どちらも難易度は決して低くはないが、不可能ではないとリーゼロッテは結論づけた。

 

 そしてリーゼロッテはたこ焼きの包みを開けた。こちらも美味しそうだ。

 

 

「さて、ウェイバーが発見してくれることを期待して街中を闊歩していたわけだけど…………期待は外れたみたいだね、早めに同盟の話を纏めたかったんだけどなぁ」

「ライダーとの合流はなかなか困難かもしれませんね、お互いに敵を警戒している中では発見が難しいかと」

「まあ、それは何とかなると思う。ひとまず『片付け』が終わったら工房へ帰ろうか」

「アレですか」

「アレだね」

 

 

 

 今日一日、街中を歩き回って捕獲したアレを片付けておかなければならない。

 

 

「蛸みたいだね、うねうねしてるし」

「たこ焼きを食べている最中にその例えは止めてください、我が主」

 

 

 二人の目の前にあったのは、おぞましい魔力が封じ込められた結界の檻。その内部の狭い空間には蛸のような怪物三体が無理やり押し込められていた。グロテスクなヒトデと蛸を繋ぎ合わせたような『海魔』、こいつらはリーゼロッテたちが捕獲したキャスターの使い魔だ。

 

 どうやらこんな昼間からキャスターは人拐いをしていたらしく、見つけたついでに隔離しておいたのだ。あたりにも魔術の秘匿を蔑ろにしたキャスターの行為に、リーゼロッテは呆れて言葉すら出ない。

 

 

「裏通りだったとはいえ、太陽の出ているうちに一般人を襲うなんてね。なりたての死従だってもう少し上手く事を運ぶとおもうよ、本当にこんなのが英霊の端くれなの?」

 

 

 暴れ続ける化け物にも強力な結界はびくともしない。醜悪な化け物は内部で触手を叩きつけているが衝撃は外に一切伝わらない上に、あらゆる音すら遮断されている。完全に怪物たちは世界から隔離されているのだ。

 たこ焼きを片手にリーゼロッテが腕を振り上げる。

 

 

 

「じゃあ、死んでね」

 

 

 

 凍りつくような声だった。

 主の命令に従い、化け物の身体に何かが突き刺さっていく。それは『隔絶』の起源を活かす意匠が込められた魔力の刃。まるでミキサーに掛けられたように蛸の怪物が肉片にされていく。もし人間が入ったならば原型を留めないレベルでミンチにされるのは想像に難くない。リーゼロッテの『処刑用の結界』は生半可な殺戮を許さない、全ては必殺の術式だ。

 

 

「こんなもんかなっと?」

 

 

 魔力の壁が取り払われると、完全に磨り潰された魔物が液体状になって流れ出る。それを冷たく見下ろすリーゼロッテは魔術師としての表情だった。この程度ならば問題なく倒せそうだとキャスターの使い魔を評価する。

 

 

「主よ、キャスターの使い魔は死んだ個体を触媒にして増えていきます。決して奴との戦いでは俺の側から離れないように願います」

「ん、わかったよ。いざという時のための情報集めさ。基本的にキャスター討伐は君に任せるから安心しなよ」

 

 

 リーゼロッテは心配性なサーヴァントに苦笑する。ランサーは出来うる限りマスターの側を離れたがらない。おそらくは前回の聖杯戦争ではマスターの元を離れた際に『何か』があったのだろう。やりづらいと思うことも無くはない。

 

 しかし、それはそれで構わない。どのみちマスター単独でサーヴァントに勝てるわけもないのだから。

 

 

「さて、ウェイバーと合流しようか」

 

 

 残りのたこ焼きを平らげて、リーゼロッテは歩き出す。教会から各マスターへ「キャスター討伐」の指令が下されたのは、それから数時間後のことだった。

 

 



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第十話:月下の同盟

久しぶりの更新になります。


 冬木の街、言峰教会。

 そこではひっそりと静まった暗闇の中、ろうそくの灯火だけが怪しく輝いていた。文明の光は最低限、ここは神に祈りを捧げる場であるのだから当然だ。聖水が満ちたように清らかな空気が漂っている。ここ冬木の街でこれほどまでに澄みきった空間は他にないだろう。

 その神聖とも不気味とも取れる空間の中でただ一人、この教会の神父たる言峰璃正は報告書を読み上げていた。

 

 

「ーー以上が今回のキャスターめが起こした蛮行の詳細である。アヤツは魔術の秘匿を考えず、己の欲望のままに血肉を貪っているようだ」

 

 

 朗々とした声は良く響き渡り、決して音量が大きいわけでもないのに聴衆の耳に突き刺さる。一日も絶やさぬ説法を心掛け、それを愚直に続けてきた神父の声である。これほど教会の番人に相応しい人物はいない。

 

 

「これらは決して赦してはならない。捨て置けば魔術協会と聖堂教会、双方の介入を招いて聖杯戦争は崩壊するだろう。それを防ぐために私は監督役として、諸君らマスターに『キャスター討伐』を願いたい」

 

 

 此度のキャスターは何を考えているのか、一般人の住居に侵入して幼い子供を拐っている。恐らく魔術の生け贄にするのだろうがこんな行為を放置しておけば、やがて魔術の領域が犯されるだろう。それは協会と教会という二大勢力の干渉を呼び寄せることに繋がる。

 そうなれば、聖杯戦争は終わりである。故に監督役である言峰璃正は動いたのだ。法衣の袖を捲り上げ、腕に刻まれた血のように赤い刺青を衆目に晒す。

 

 

「もちろん報酬は用意しよう。見事にキャスターを討ち取った者にはこれを進呈する。これは過去の聖杯戦争で脱落したマスターから回収した正真正銘の令呪である」

 

 

 蜘蛛の巣のごとくに璃正の腕を走っている全てが大魔術の結晶たる『令呪』であった。その数は十を超え、これだけあれば様々なアドバンテージをサーヴァントに与えることができるだろう。『空間転移』『急速回復』『宝具のバックアップ』など、その恩恵は計り知れない。

 にわかに教会内がざわついた。

 

 

「さて、私からの話は以上となる。諸君らマスターから何か質問があれば遠慮する必要はない…………もっとも質問は『言葉を口にできる者』に限るがね」

 

 

 柔和な笑みを見せる老神父。

 そんな彼の目の前には、四匹の使い魔たちが鎮座していた。ふくろう型のゴーレムは燭台に爪を立て、ネズミは椅子の下に注意深く潜んでいる。おぞましい羽音を鳴らす虫や、錬金術で出来た鳥もいる。いずれも人の言葉を介せるようには見えない。

 今は聖杯戦争の真っ只中である。例え中立地帯であろうとも、マスター本人が出向くなどあり得ない。誰もが警戒して使い魔を送り込んできたのだ、それは璃正の予定通りだった。

 

 

 

「なら私から質問するよ、言峰神父」

 

 

 

 たった一人を覗いては。

 言峰璃正は柔らかな表情を崩さないように、声の主へと視線を向ける。正直なところ、今この瞬間そのものが計算外だった。何故こんな妙なことになっているのかと内心は穏やかではない。

 

 

「何ですかな、リーゼロッテ嬢」

 

 

 真っ赤な瞳が正面から璃正を射抜いていた。闇に浮かぶランプの炎のように揺れる『赤』は魔性を感じさせて、心を乱そうと舌を這わせてくる。神父は気を高め、それらを払い除ける。

 教会の長椅子にちょこんと座っていたのはランサーのマスター、リーゼロッテ・ロストノート。言峰璃正が密かに通じている遠坂時臣が「面白い」と注目している相手である。

 何故、そんな魔術師が危険を犯してまでここにいるのか、この神父には理解が追い付かなかった。明らかにデメリットの方が大きいのだ。

 

 

「キャスターの討伐までマスター同士の戦いは控えるようにとのことですが、違反した場合に罰則はあるのでしょうか?」

「ふむ、特にはありませんな。ただキャスター討伐に余りにも非協力的であるのなら、令呪の配当に関して影響が出るかもしれません」

「そうですか、そうなるとマスター同士の協力も強制ではなく任意ということで?」

「そうなりますな」

 

 

 青いドレスを身につけた時計塔からの参戦者。豊かな金色の髪は滑らかで、細い身体つきも戦闘に耐えるものとは思えない。一流の拳士である璃正には、リーゼロッテは名家の令嬢といった印象を出ない。

 しかし、身に秘めているのは遠坂家と同系統の『宝石魔術』。下手な近代兵器を上回る攻撃力を持つ上、あの時臣が注目しているのだから油断ならない。

 

 

「ところでリーゼロッテ嬢、どうして自らここに? 失礼ながらマスターは全員、使い魔を送るものと想定しておりましたので」

「私はキャスターの使い魔らしきモノと交戦したんです。アフタヌーンもまだの時間に、裏通りで蠢いていて気味悪かったので切断して埋めておきました」

「……それは手が早いですな。未然に一つ厄介事を防げたこと、感謝しましょう」

「ええ、私も一刻でも早くキャスターを排除したいと思っています」

 

 

 冷たい眼差しが璃正を貫く。

 今のリーゼロッテはランサーを伴っていない、ここにサーヴァントは入れないため表で待機させているのだ。それにも関わらず背筋を寒くさせるだけの威圧感がこの少女にはあった。

 それでも鋼の精神を持つ璃正は、まったく怯まない。笑みを絶やさずにリーゼロッテの話の続きに耳を傾けていた。ピリピリと空気を震わせるマナの波、そこでリーゼロッテは思いもよらないことを口にする。

 

 

「あんな汚物が闊歩していたのでは、確かに私たちの聖杯戦争が穢されてしまう。それ故に私は確実にキャスターを葬れるように、ここでマスター達に『同盟』を持ちかけます」

 

 

 何を言っているのかと、璃正は絶句する。例えキャスターを討伐しようとそのあとは敵同士、故にマスター達は適度な距離を保ちながら戦う必要があるのだ。だから自分たち以外に手を組む陣営はいないだろう。リーゼロッテの一言はそんな璃正と時臣の予想を丸ごと打ち壊していた。

 

 

「どうしました、璃正神父。マスター同士の同盟なんて別に珍しい物ではないでしょう、過去も『今回』も」

「っ、それは…………」

 

 

 ルビーのような真紅を思わせる瞳に、一瞬だけ璃正は言葉を詰まらせる。頭の奥から漏れ出してきたのは、時臣と息子である綺礼との同盟関係。確かに聖杯戦争において、マスター同士が影で手を組むのは珍しいことではない。そんな当たり前の事実が脳内を巡り続ける。リーゼロッテと目を合わせて何秒経っただろうか、強靭な精神力を持って璃正は正気を取り戻す。

 

 

「今のは魔眼……ですかな?」

「さて、何のことでしょう。いずれにせよ貴重なお話をありがとうございます。それでは、私と同盟を求めるマスターは冬木大橋にてお集まりくださいませ。ああ、暗闇から迫る刃には気をつけないといけませんね」

 

 

 そんな神父の反応を確かめてから、リーゼロッテは出口に向けて歩き出していた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 初めて見た『彼』の瞳。

 そこに渦巻いていたのは憎悪と自己嫌悪、その異様さに用意した聖遺物が間違っていたのかと思ったほどだ。伝承では、主君との不仲はあれど仲間からの信頼厚く人望に長けた高潔な騎士だったのだから。

 

 

『俺の願いは、騎士としての忠節を主君に捧げたい。本当にそれだけなのです……!』

 

 

 そんな人物が何故、喉が張り裂けんばかりに慟哭しているのか理解が追い付かなかった。感情の濁流がパスを通じて流れ込み、狂おしい程に心を満たしていく。気がつけば唇が動いていた。

 

 

『分かったよ、ロストノートの名において誓いを受ける。貴方の忠節を受け取ろう』

 

 

 この瞬間からリーゼロッテとランサーの物語は始まったのだ。もう数ヶ月前のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 足早に言峰教会から遠ざかったランサー陣営はひとまずの休息を取っていた。ぶつぶつとリーゼロッテは不機嫌そうに言葉を紡いでいる。

 

 

「うん、あれは圧倒的に黒だね。監督役まで取り込んでいるなんて遠坂は隙がない、いっそチェス盤を蹴り落としてやりたい気分だよ」

「つまり教会が中立を破り遠坂に付いているということでしょうか、我が主?」

 

 

 魔力の漂う月の夜、目映い光と共に闇の中に浮かび上がっている冬木大橋にリーゼロッテは腰かける。真下にはこの地方都市に広々と横たわる大河が流れ続けていた。それを眺めながら、少女は飴玉をころころと舌の上で転がす。とても甘い。

 

 

「アサシンが脱落していないのに、マスターが教会に保護された辺りから怪しかったけどね。彼らが繋がっているのは間違いないさ」

「そう、ですか。俺が経験した聖杯戦争ではそこまで見抜くことはできませんでした……流石です、リーゼロッテ様」

「私はただ幸運だっただけだよ。あ、これも美味しいや。君も一つどう?」

 

 

 飴玉やチョコレートの袋を胸に抱きながら、金髪の少女は話を続けていた。先程は魔術師たちの会合ということで、気を張っていたが空気は抜けてしまったらしい。口調も崩れて、令嬢らしい言動もそこらの少女のように柔らかくなっていた。緊張感がない主にランサーは苦笑する。

 

 

「実は神父さんに魔眼を掛けてみたんだよね、深層に辿り着く前に跳ね返されちゃったけど。恐ろしいくらいの精神力だよ」

「よろしいのですか、監督役に手を出せば何らかのペナルティを負わされるかもしれませんよ?」

「それは無いよ、こっちが握ってる不正の可能性をチラつかせておいたからね。私たちを不利に扱えば、自分たちの破滅を招くってことくらい見通してくれるだろうさ」

 

 

 もし今回のことで罰則を下すなら、リーゼロッテはアサシンの生存を他のマスターに公表するつもりだ。そうなれば監督役の中立性は破られ、この聖杯戦争はますます混迷を極めるだろう。少なくともキャスターが暴れている現状では命取りである。つまりは脅しをかけてきたのだ。

 

 向こうも遠坂とつるんで反則をしているのだから、一度や二度の魔眼くらいは多目にみてくれないと困る。そんなリーゼロッテを見守りながら、ランサーは話を続ける。

 

 

「アーチャーとアサシンの同盟に対抗するために、こちらも同盟を結ぶのですね。しかし、ライダーはともかくとして他の陣営は集まるでしょうか?」

「そりゃ集まらないだろうね。御三家でもない、こんな小娘の提案に載るような物好きはそういないさ」

「なら、こんな大掛かりな魔術を施してまで何故ここに?」

 

 

 ゆらゆらと空間が歪んでいる。

 橋の周りを囲んでいる透明な壁は『人払いの結界』。初歩的な魔術ではあるが、ここまで巨大なものを構築できる魔術師はそういない。冬木大橋そのものを覆ってしまうとは、倉庫街もそうだったがリーゼロッテは『結界』に関しては抜きん出た実力を持っている。交通の要所だというのに、鉄橋には人の気配がまるでないという事実にランサーは改めて感心していた。

 

 

「しかしここまで見晴らしが良いと、どこから狙われるか予測が付きません。実際に今も何者かの視線を感じています、マスターが集まる目算がないのなら危険を犯す必要もまた無かったはずでは?」

 

 

 狙撃されようとマスターを護り抜く自信はある。

 フィオナ騎士団から逃れた後、ディルムッドは様々な刺客からグラニア姫を守護し続けたのだ。神代の弓使い達を討ち果たした経験は数知れない、今さら生半可な狙撃など恐れることもない。

 しかし、このマスターに無駄な危険を犯させることだけは断じて反対である。多少の魔術が使えるとはいえ、リーゼロッテは脆い少女の身なのだ。

 

 

「ランサーは心配性だねぇ。まあ、君のそういうところは嫌いじゃないよ。私がここに来たのは単なるメッセージなんだ、『私と合流したいなら冬木大橋まで来い』っていう個人宛のね」

「それは一体…………!」

 

 

 疑問符を浮かべていたランサーが槍を構えた。

 雲間から『何か』が近づいて来ているのだ。鷹のような鋭い視線で空を凝視するランサー、すぐ何者かの判別はついた。世界を割るような雷鳴を轟かせ、夜を切り裂いて飛来する暴君などそういるものではない。

 雷神ゼウスの稲妻を操るチャリオット、その嘶きが空を揺らした。

 

 

 

「AAAAlalalalalalaie!!!」

 

 

 

 そう、リーゼロッテが打った芝居は彼らをここに呼び寄せるためのもの。お互いに拠点が分からず、無闇に街を探し回ることもできないのなら派手に合流してしまえばいい。いつもなら慎重を期すのだが、この尋常ならざる聖杯戦争(ぎしき)の途中では仕方ない。一刻も早い集結が必須だったのだ。

 

 

「なるほど橋の周辺全てに『遮音結界』まで張っていたのは、あの男の登場を見越して……しかしこれは」

「いーのいーの、どうせ私が修繕費を出すわけじゃないし」

 

 

 呆れた様子のランサーを意図的に無視して、リーゼロッテは紅い征服王を迎える。お菓子の袋をひとまず仕舞い込み、ドレスの端を指先でつまみつつ優雅に一礼した。

 

 稲妻を纏いながら走る神牛、彼らに牽かれるチャリオットは乱暴に橋へと着地してコンクリートを踏み割りながらリーゼロッテ達の目の前で停車した。きっちりと橋の向こう側からこちらまで、車輪の跡と雷の焼け跡が刻まれている。焦げた匂いが辺りを漂う、何ともダイナミックな着陸であった。

 分厚いサンダルを鳴らし、戦車の主が己のマスターを抱えて台から飛び降りる。

 

 

「うむっ、余の出迎えご苦労、大義である!!」

「もっと普通に着陸できないのかよ、お前!!」

「そりゃあ無理だ、坊主。こやつらも余も細かいことは苦手だからな」

 

 

 白い煙が立ち登る中、そんなものは知ったことじゃないと満面の笑みで降り立った暴君。ランサーが同盟を組むように仕向けたサーヴァントである。今回はリーゼロッテがそれに乗ることにしたのだ。

 そして丸太のような大男の腕に抱えられて文句を口にしているウェイバー、大した度胸である。この短い時間で彼はイスカンダルがどういう性格なのか理解した上で、コミュニケーションを取っているように見えた。

 リーゼロッテはウェイバーの評価を上方修正する。

 

 

「お待ちしておりました。征服王、そして我が友ウェイバー。……いやー、私のメッセージが伝わったようで安心したよ」

「当たり前だ。あんな分かりやすい言葉を放たれて気づかないのは間抜けだけだっての、リーゼ」

「ふっふっふ、ひとまず私の拠点に移動しようか。そこで楽しい悪巧みを始めようよ、ウェイバー」

 

 

 時計塔を旅立って、ほんの数日間。

 それなのに懐かしい感じさえするのは何故だろう。月の女神が微笑む空の下、二人の若き魔術師は正式な再会を果たした。

 

 



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第十一話:聖なる怪物

「ぅ、ぅうん‥‥‥‥どこだよ、ここ?」

 

 

 ここは冬木の外れにある洋館。

 ちょっとしたスポーツが出来そうなくらいに広い芝生の庭園と、真っ白な外壁を持つ上品な建物。真っ赤なカーペットの引かれた二階の客室にて、目を覚ましたウェイバーはベッドから起き上がる。滞在しているマッケンジー夫妻の家ではない、明らかに資金がかかっている部屋であった。棚に飾ってある硝子細工のゴーレムを眺めながら、魔術師の少年は大きなアクビをする。

 

 

「あー、そうか。昨日はリーゼの奴と合流してそのままアイツの拠点に来たんだったなぁ」

 

 

 ベッド脇に置いてあったスリッパを履いて、光の漏れるカーテンに手をかける。見下ろした庭には自立型の宝石トラップ、外壁には切断タイプの結界が埋め込まれているのが分かった。ひとたび発動したなら侵入者は丸焦げのグリルか、ハンバーグの材料にされるに違いない。実に容赦のないリーゼロッテらしい工房である。

 

 別段、あの友人に加虐趣味があるのではなく、秘奥を持つ魔術師にとっては自身の工房とはこうでなければならない。侵入者を確実に処分することが最重要であるのだ。故に相手の工房に訪れるというのは、魔術師にとってはかなりの覚悟と相手への信頼を求められる。それはウェイバーとリーゼロッテとの関係においても例外ではない。

 

 

「僕とアイツは一応、敵対者だからな。ある程度は警戒しておかなけりゃならない‥‥はずなんだけどなぁ」

 

 

 ウェイバーが見つめるのは、部屋にあるもう一つの寝具で熟睡しているサーヴァント。ぐっすり眠っていた自分が言えたことではないが、この男も大概である。脱ぎ捨てられた革鎧やマントは、ちゃっかりクローゼットに掛けられていた。そして半裸で豪快なイビキを上げるライダーは、決して広くないベッドを大の字で征服している。

 

 

「まあ、リーゼだし大丈夫か。普段のアイツは油断の欠片もないけど、たまにポンコツになるし」

 

 

 のんびりと少年は友人の名前を口ずさんでいた。

 金色の髪と赤い瞳を持つ少女、時計塔にてウェイバーを受け入れてくれた唯一の存在。用心深く容赦なく、人の常識よりも魔道を追及する、実に魔術師らしい魔術師である。

 しかし近づいてみると意外に臆病で、人間らしい甘さもある少女。きっとそれを知っているのは時計塔ではウェイバーくらいだろう。もちろん恐ろしいほど冷たい面があるのも知っている、自分などでは比べものにならない実力があることも。

 

 

「む、眩しいではないか小僧‥‥」

「もう朝だぞ、そろそろ起きろっての!」

 

 

 もぞもぞと動き出したライダーに悪態を突きながら、ウェイバーは笑っていた。サーヴァントの力を借りたとはいえ、ようやく友と同じ高さに立てたのだ。同盟を結ぶというだけのことだが、それは少年にとって少しばかり特別な意味が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、まずは聖杯を手に入れた後の分け前の話といこうではないか!!」

 

 

 開口一番、そう言い放ったのはライダーだった。

 ランサーが調理した朝食を済ませた後、談笑するマスター達を視界に捉えながらの一言。天井にぶら下がったシャンデリアが揺れるほどの雄々しき声、革製ソファーに沈みこんだ巨体と相まって、凄まじい威圧感がある。すでに交渉は始まっているのだろう。そんな王にリーゼロッテはおずおずと問いかけた。

 

 

「いや、最初に話し合うのが聖杯の分配って……貴方の実力を信頼していないわけじゃないけど、気が早いんじゃないかな?」

 

 

 紅茶を片手に呆れた表情を見せる少女。

 そして彼女の傍に直立しているランサーは無言だ。部屋の内装や二人の服装と相まって、その様子はウェイバーの目からは古風な令嬢と騎士のように見える。一切のスキがない。ここはとりあえずライダーに任せておこうと思う。

 

 

「まずは強敵への対抗策とかを語るべきじゃないのかな、大王さま?」

「分かっておらんな、小娘よ。まずは我らが略奪するモノ、その分配を決めておかねば勝利の後に待っているのは仲間割れである。それではおちおち背中を預けてもおれんだろう?」

「あらかじめ聖杯の分け前を決めて、お互いが納得していたらトラブルも減る……ということだね。もちろん聖杯が分配できるマジックアイテムならの話だけど」

 

 

 年季の入ったウッドテーブルを挟んで、ライダー陣営とランサー陣営は向かい合う。こちらからは征服王イスカンダル、あちらはリーゼロッテが話し合いの席についている。時計塔ではウェイバーを言い負せてばかりだったが、そんなリーゼロッテも征服王の前では単なる小娘らしい。『大王』が会話の主導権を早くも握っている。

 

 

「まずはここにいる各々の抱く願い、その強さを確認しておこうではないか。それから聖杯を使う優先順位を決めてしまえば、とりあえずは良い」

「まあ、それくらいなら良いよ。願いの内容まで教えるつもりはないけどね」

「ならば、まず‥‥」

 

 

 ふいに、ウェイバーの顔を征服王が覗き込んだ。別に自分に願いなど無いのだが、どういうつもりだろうか。

 

 

「ついては小僧、貴様たっての願いである『背を伸ばしたい』についてなのだが…………すまんが後回しで構わんか?」

「僕はそんなこと願うって一言も口にしてないからな!!」

 

 

 背丈を伸ばしたいというのは、マスターの低身長に目を付けたライダーが勝手に言い出したことだ。ウェイバーとしては成長期はこれからと信じているし、そんなものに聖杯を使うつもりはない。

 そもそも『勝利』が欲しいのであって、万能の願望器とやらに託すような野心はないのだ。それを理解し、にんまりと笑ったライダーが視線をランサーへと移す。

 

 

「と、いうわけでこちらは余の願いだけで充分だ。ランサー、貴様はどうだ?」

「俺には聖杯に託す望みはない。騎士としての忠節を主に捧げる。それが全てだ、征服王」

「ほう、現界してまで忠節に拘るか。ますます気に入ったわい。やはりセイバー共々、お主は余の幕下に加えてやらねばならんな。しかし、そうなると譲れぬ願いがあるのは余と小娘だけか?」

「そうなるね。願いがマスターとサーヴァントて一つずつ叶うなら、何とか争わずに済むかもしれないか……やれやれさ」

 

 

 リーゼロッテは脱力したようにソファーに身体を沈めていた。これならお互いに戦う必要はないと安心したのだろう。ウェイバーとしても友人の命を奪うようなことはしたくないので同じ気持ちである。

 そもそもこの少女を越える手柄が欲しくて参戦したのだ。どんな形であれ、リーゼロッテが命を落としてしまっては意味がない。そんなことを考えているウェイバーへと少女から手が差し伸べられた。

 

 

「ひとまず私たちは同盟関係、だからよろしくね。頼りにしてるよ、ウェイバー」

「あ、ああっ、よろしく頼む!」

 

 

 握手を交わすと妙に胸が高鳴った。

 リーゼロッテが頼りにしているのが自分ではなくライダーの方なのは分かっている。それでも対等な関係として見てもらえたことが嬉しくないわけではない。リーゼロッテが間接的にしろ、魔術師として自分を頼ってきたのは初めてなのだ、必ず戦果を上げて見返してやろう。決意を込めるように細い少女の手をぎゅっと握りしめた、リーゼロッテは首を傾げているが少年にとっては重要な意思表示である。

 

 

「それじゃあ、戦略会議を始めようか。私たちがこれまで他の陣営について調べておいた情報、その全て‥‥とは言わないけど多くを信頼の証として貴方達に提供するよ。ランサー、よろしく」

「畏まりました、主よ」

 

「…………お、おいっ、これって!?」

「ほお、随分と手が早いのぅ」

 

 

 深緑の騎士が取り出したのは紙束。

 テーブルに広げられたそれらには、複数のマスターとサーヴァントに関する詳細が描かれていた。驚くべきことに今回の討伐対象でたるキャスターの『真名』と『宝具』までが記されている。あまりにも手回しが早い。そしてウェイバーはキャスターの正体を知り、もう一度驚くことになる。

 

 その真名はジル・ド・レェ。

 百年戦争において、聖女ジャンヌ・ダルクの右腕として戦ったフランス軍元帥。数々の栄誉と伝説を成し遂げ、ジャンヌと共に『救国の英雄』とまで称えられた人物である。そんな男がキャスターのクラスを得て、市街地で虐殺を行っているというのだ。彼の騎士としての側面からは考えられない話、聡明なウェイバーはすぐに別の可能性を見出だした。

 

 

「……ってことは召喚されたのは『そういう時期』のジル・ド・レェなんだな?」

「流石に理解が早いね、ウェイバー。そう今回、呼び寄せられたのはジャンヌ亡き後のジル元帥、つまり救国の英雄じゃなくて『聖なる怪物』の方なんだろうさ」

 

 

 百年戦争の末期、聖女ジャンヌはイングランド軍に捕らえられ火刑に処せられている。教義を否定され、誇りを汚された上での処刑であったと歴史は語っている。後々にジャンヌの意志を継いだ人々によってフランスは勝利を収めることになるが、勝利の影で精神的支柱だったジャンヌを失った男の人生は迷走していくことになる。

 

 それからの没落は悲惨なものである。

 フランス随一とまで称された財産の全てを享楽品の収集に消費し、精神の全てを黒魔術に傾倒させ、後に『数百から数千人』の子供たちを虐殺することになる。この時期の彼は、まさに悪魔のごとき男であっただろう。

 

 

「でも何でキャスターなんだ、元騎士であるジル・ド・レェが習得できた魔術なんて大したレベルじゃないはずだろ?」

「そこは錬金術師プレラーティが関係してるんだろうさ」

 

 

 リーゼロッテが無言で一つのガラス瓶をテーブルに置く。そして中身を見るようにウェイバーとライダーへと促した。小さな空間に押し込まれるように、ぐねぐねとうごめく何かがそこにいる。

 

 

「うげっ!?」

「ほう、これが奴の宝具の一端か」

 

「そう、私がぐちゃぐちゃに潰してやった使い魔の欠片だよ。ここまで潰せば本来なら召喚が解除されるんだろうけど、結界で囲んでキャンセルしてるのさ」

 

 

 それは昨日、リーゼロッテが街の散策ついでに発見しズタズタにしてやった海魔である。ほんの一部分、触手の先っぽだけ採取したのだが非常に不気味だ。うねうねと動いてはガラスにへばりつき、吸盤は呼吸するかのように脈動している。この使い魔はあきらかに普通の魔術師が使用するモノではなかった。

 

 

「錬金術師プレラーティ、彼‥‥いや彼女が持ち込んだのは『生贄』魔術だったんだろうさ。この手の術式なら、例え手順が稚拙でも大きな魔術行使が可能になるからね」

「‥‥代償を用意できれば、だろ?」

「そういうことさ、この街で子供を拐っているのも恐らくは魔術の生贄にするためかもね。ちなみにコレは使い魔自身を触媒とすることも出来るし、厄介だよ」

 

 

 

 そこまで口にしてからリーゼロッテは三人の同盟者たちを見回した。

 

 自身が召喚した騎士、ディルムッド・オディナ。

 学友であるウェイバー・ベルベッド。

 そのサーヴァント、征服王イスカンダル。

 

 戦力は十分でランサーの持つ未来情報もある。そういう面では、リーゼロッテ達は他のどの陣営よりも優位に立っているはずだろう。

 それでも油断は出来ない、一瞬の油断は自分の身をバラバラに引き裂くことになる。そしてキャスターを討ち果たした後に待ち構えるのは蒼のセイバーと黄金のアーチャー。いずれも最上位の強敵であることは間違いない。リーゼロッテもウェイバーも楽観視はしていなかった。

 

 

「主よ」

「‥‥うん、どうやらお客様のようだね」

 

 

 けたたましい警報が鳴り響いたのは、ちょうどその瞬間。瓶の中に入った怪物が喜び勇んで暴れまわり、ランサーが即座に宝具たる槍を空間から取り出す。次々と破られていくトラップを魔術回路を通して、リーゼロッテは把握する。

 何事かと立ち上がろうとしたウェイバーを掌で制して、赤い瞳の魔術師はカーテンのスキマから庭を覗きみる。そこにいたのは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、お嬢さん」

 

 

 ぞわりと背筋をはい回る悪寒。

 ヒトデと蛸を合わせたように不気味な怪物、それらに宝石を飲み込ませては自壊させている男。爆発しては飛び散る肉片をさらに召喚の拠り所にして『使い魔』は増えていく。すでに庭は紫色の化け物に蹂躙され、埋め尽くされていた。

 

 

「リュウノスケの頼みですし、ジャンヌに会いに行く前の準備体操くらいなら良いでしょう」

 

 

 その怪異の中心、怪物に抱かれるように立っていたのはキャスターだった。僅かなスキマから自身を伺っていたリーゼロッテへと、恐ろしげなサーヴァントは優しげな表情で微笑みかけている。ギョロリと蠢く目玉は少女を生き物として把握しているようには見えなかった。

 

 

 

 

 早朝の冬木にて、聖杯戦争の第二戦目は始まることになる。

 

 

 



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第十二話:ラプラスの魔

 早朝の冬木市にて。

 キャスターが現れたという知らせは、街中に散らばっているアサシンを通して即座に遠坂邸へと届けられていた。よりにもよって夜が明けてから行われたキャスターの襲撃、そのことを愛弟子の綺礼から報告された時臣は眉をひそめる。

 

 

『ーーー我が師よ、如何致しましょう?』

「……日が昇った頃合いを見ての強襲とは恐れ入る。まったく、今回のキャスターには聖杯戦争のセオリーは尽く通用しないらしいな。ひとまずはご苦労だった、綺礼」

 

 

 西洋の血が混じった彫りの深い顔に浮かぶのは、呆れの混じった影だった。早朝にも限らず丁寧に整えられた顎髭を指先で撫でつつ、時臣はトントンと革靴で軽快なリズムを刻んでいる。

 静かな光を宿している翡翠の瞳は閉じられ、その意識はここにはない。時折、何かに感心するかのごとく口元が緩められていた。不意に、そんな彼の耳を威厳に満ちた声が揺らす。

 

 

「まるでコロセウムに群がるハエのようだぞ。わざわざ使い魔まで飛ばして観戦とはお前らしくもない」

 

 

 薄暗い地下室に響いたのは、黄金の鎧が奏でる清らかなる金属音。時臣が目を開いた先では、眩い光の粒子が収束し人型を形作っていく。臣下たる魔術師は跪くような声色で、敬意を込めてその名を口にする。

 

 

「このような所においでなさるとは思いませんでした、英雄王」

「確かに辛気臭い場所だな、本来なら我自ら足を運ぶ価値のあるところではない。我が脚を踏み入れたことを光栄に思うが良いぞ、時臣」

「ーーーはっ」

 

 

 サーヴァント、アーチャー。

 時臣が必勝を祈願して呼び寄せた最強の駒にして、最大の悩みの種。宝具を衆人環視の中で開帳するだけではなく、機嫌を損ねればマスターの首をいつでも飛ばす扱い難さである。この唯我独尊を絵に描いたような男が珍しく戦いに興味を持ったことに時臣は内心で首を捻った。なにせ、この聖杯戦争を「勝って当然の児戯」呼ばわりしていたのだから。

 そして少し考えた後、そういえばこのサーヴァントも『彼女』に関心を持っていたことを思い出す。確か彼女に首輪を付けるどうのと言っていたはずである。

 

 

「たった今、ランサー陣営とキャスターとの戦いが始まりました。やはりリーゼロッテ嬢についてご興味がおありですか、我が王よ」

「ーーーーくっ、くはははははっ、俺がアレに興味を持つかだと!? お前に笑わされたのは初めてだぞ、時臣!」

 

 

 突然に笑いだしたアーチャー。

 その声は嘲笑に似ている。何者かを虐げてその誇りを踏みにじるように悪辣で、一方で何者かの愚かしさを愛でるような歪んだ愛情が乗っている。普通なら良い感情は宿っていない、しかしこのサーヴァントがやると不思議な気品が感じられた。ひとしきり笑ったギルガメッシュは時臣へと視線を戻す。

 

 

「く、くくっ……だが、あながち間違いでもない。本来なら偽物はすべからく気に食わんが、あそこまで無様な出来であるのなら戯れに愛でたくもなる。この愚かしい時代と似たようなものよ」

「左様でございますか」

 

 

 その赤い瞳は蛇のように細められ、その瞳孔には怪しい輝きが揺らめいていた。英雄王が欠片でも興味を持つ少女、リーゼロッテには他とは違う何かがあるのだろう。そして『贋作』という言葉に疑問を感じたが、時臣はどちらも敢えて問い直さなかった。

 そんなマスターの様子に気を良くしたのか、黄金の王は話を続ける。

 

 

「『バベルの塔』を知っているな? あれは人間どもが神の怒りに触れたために、世界中の言語を分断されたという神話である。ならばあの小娘もまた、家名と名がバラバラであることには貴様は気づいていたか?」

 

 

 リーゼロッテ・ロストノート。

 名はドイツ語、家名は英語、確かに妙な組み合わせであることに時臣は気づいていた。しかし正直なところ大して意識していなかった。より優秀な子を残すために国籍を越えた縁談など珍しくはなく、遠坂家とて西洋の血が入っているのだ。その過程で二国間の名が混じった程度だろうと思っていた。それに元より討ち倒すべき敵である、その戦力さえ分かればそれで良いのだ。

 リーゼロッテ邸を見張る鳥の使い魔、そこから送られてくる映像にはキャスターを圧倒しているランサー主従の姿があった。やはり彼女は強い。

 

 

「あの娘の家系が紡いできたモノは無価値ではないだろうが、我から言わせれば酷く無意味だ。この時代において、ああいったモノは存在する道理すらあるまいよ。しかし我が暇を潰すために消費する道具程度にはなる、これは他のサーヴァントとマスター共も同様だ」

 

 

 要するにこの男にとっては遊びなのだろう。

 半人の少女が掲げる祈りも、双槍の騎士が抱く覚悟も、他の参戦者たちが持つあらゆる野望さえも、黄金の王の前では塵芥でしかない。圧倒的な力がその成就を許さない。美しくも歪んだ笑み、それを目撃した時臣は心臓に冷水が入り込んでくるのを感じていた。

 

 

「我が貴様らに手を貸してやるのも所詮は道楽、それを肝に命じておくがいい。良いな、時臣?」

 

 

 すべてを見通した黄金の王は、その運命を嘲笑う。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ーーーーふっ!!」

 

 

 ただ、ひたすらに槍を振るう。

 本拠に侵入してきたキャスターの使い魔に対して、ディルムッドは無心に徹していた。

 

 風を裂いて紅と黄の双槍で戦場を駆ける。第四次聖杯戦争の中でも、最速の敏捷性から繰り出された一撃は怪異の悉くを薙ぎ払っていく。その姿は獲物を狩る猛禽の爪のごとくに荒々しく、しかし白鳥の飛翔のように流麗だった。

 うねる蛸のような海魔の多脚を切り落とし、剥き出しの胴を突く。おびただしい血を吹き出し、鼓膜を汚す断末魔を上げて化け物は絶命する。それをもう何度繰り返したか分からない、『前回』と合わせるなら討ち取った数は百はとっくに超えていよう。現世に喚び出されて怪物退治をするなど予想もしていなかったとランサーは苦笑する。

 

 そうしてる間にも背後から迫った怪異、それを振り向きざまにゲイボウで両断する。未だに封印状態にある宝具では『回復阻害』の能力は発動しないが、それでも雑魚の相手なら十分であろう。魔力は溢れ出んばかりに滾り、沸騰せんばかりに全身を血液のように巡っている。何と純度の高い魔力だろうかと改めて驚嘆する。

 

 

「……やはり我が主は魔力の質が他の人間とは違うらしい」

 

 

 これは魔術師が鍛錬を重ねて至るものではなく、元から宿る才覚による部分が大きいはずだ。それがまるで神代の魔術師のごとき清さである。現代に生きる者たちがここまで透明な魔力を果たして有しているものだろうか。それに加えてケイネスの頃は切断されていた精神パスも滞りなく流れ、マスターの状態を感じ取りつつ戦える。何一つ懸念はないままに一本の槍として戦場を走れている。

 これこそが自分の求めていた戦いだと、ディルムッドはこの運命を与えてくれた存在に感謝した。

 

 

「Fixierung,EileSalve(狙え、一斉射撃)!」

 

 

 ラインを通じて伝わってきた感覚のままに、その場を離脱する。次の瞬間には魔術の一斉射撃が背後から放たれる。流れる詠唱は砲台、放たれるは彩りの弾丸、燃え盛る魔力を詰め込んだ宝石がキャスターの使い魔に着弾した。そして次の瞬間に海魔たちが爆発炎上するのを視界の端で見届けて、ランサーは己のマスターの隣に着地した。

 

 

「お見事です、主よ」

「ふふふ、もっと褒めてもいいんだよ?」

「素晴らしいお手並みでした、リーゼロッテ様。これほどの手練はこのディルムッドの生きた時代でもそう多くはないでしょう……恐らく」

「うん、分かってたけど神代って化け物揃いだね」

 

 

 そんなやり取りを交わす二人。

 庭園を埋め尽くしていた使い魔たちは、ものの数十秒足らずで討伐され尽くしてしまった。最速の槍にて怪異を近寄らせず、その後ろからサーヴァントにも通用する爆発的な火力を秘めた魔術を放つ。神代の騎士と宝石の魔術師、それぞれが前衛後衛を担当するのは当然としても、流れるような連携だった。

 化け物は焼却処理されて地獄の炎の中で力尽き、残りはキャスター本体だけだ。そしてこのタイミングでリーゼロッテは仕掛けていた結界を発動させる。

 

 

「ロック」

 

 

 動かなくなった海魔を閉じ込めるように、様々な効果を持った結界が展開される。それぞれが別の効果を持つ障壁が化け物の死体を隔離していく。全ての死骸に透明な壁が張られたのを確認してから、ディルムッドはキャスターへ向かって口を開いた。

 

 

「キャスター、敵地に単身で乗り込んでくる胆力はまず見事。しかし、この程度の戦力で我らの本拠に乗り込んで来るとは早計だったな」

「く、ひひっ、この程度とは聞き捨てなりませんな。我が盟友プレラーティの残した魔導書がそんな程度で打ち破れるはずもないでしょう」

 

 

 歯を剥き出しにして魔術師の英霊は笑う。

 そこに追い詰められた者が持つ気配はなく、どう相手を痛めつけようかと思案するような嗜虐的な表情さえ浮かべている。そこまで何故この男は余裕を持っているのか、その理由をディルムッドは嫌というほど知っている。

 

 

『ーーーー!!!』

 

 

 程なく鳴り響いたのは結界の悲鳴。まるで卵の殻を破るように障壁を破り、そこから新しい海魔が這い出してくる。目玉をギョロつかせ、醜悪な産声を上げる個体たち。死体を生け贄にして、キャスターがまた別の海魔を召喚したのだ。この能力があるからこそランサーはセイバーと二人がかりでもキャスターを仕留め切れなかった過去がある。

 その証拠として肉片を依り代に、流血を魔力に変換して生み出された海魔の数は初めの頃より多い。こいつらは倒せば倒すだけ数を増していくのだ。それを睨みつつディルムッドは苦々しい表情を浮かべる。

 

 

「……相変わらず醜悪なものだ。やはり貴様はこうして無限に使い魔を使役できるということなのだな、キャスター!」

「如何にもその通り。さあ、さあ、大人しく化け物に押し潰されて圧死してしまいなさい。これほど英雄にとって不名誉な死に様はありますまい?」

 

 

 世界が繰り返されても、この男の趣向は一ミリも変わらないらしい。すでに子供たちを虐殺しているであろう狂人へとランサーは鷹のように鋭い視線を浴びせていた。その一方でリーゼロッテはチラチラと辺りを見回している、まるで何かを確かめるように。

 二人の様子を眺めながらキャスターは薄い唇に爪を這わせて、愉快そうに笑っている。勝利を確信しているのだろう。ここにはもう一体のサーヴァントがいるというのに気の毒なことだとランサーは心の中で苦笑いする。リーゼロッテが合図をすれば、あの大男と少年マスターが屋敷の中からここに飛び出してくるだろう。

 

 

「そろそろ覚悟はできましたかな、名も知らぬ路傍の騎士とそのマスターよ。無理もない、聖杯はすでに私を選んでいるのです。祝福を勝ち取った我が歩みを止めることなど不可能、まずはそこなマスターをリュウノスケへの手土産にして……」

 

 

 その瞬間、キャスターとキャスターの全ての使い魔を結界が囲い込んだ。ガラスの板をはめ込むように、カチンカチンと次々と魔力で出来た城壁が積み上がっていく。それらを見上げて言葉を失ったキャスターへと、今度はリーゼロッテが微笑んだ。

 

 

「あー、なるほどね。生け贄に捧げるメカニズムはそういうことか、けっこう複雑みたいだねぇ。もし作成者本人が使っていたら私じゃ手も足も出なかったかも」

「……は?」

 

 

 そびえる壁は猛獣を閉じ込める檻のごとく堅牢。

 強固に硬められた物理障壁と緻密に組み上げられた魔術障壁が空間を分断していた。そんな結界が屋敷そのものを覆っている。閉じ込められた海魔は吸盤や牙を突き立てるがビクともしない。さっきまでとは強度が違うのだ。何が起こったというのかと唖然とするキャスターへと魔術師の少女はみせつけるように、庭の一角を指で指し示す。

 そこにはただ一体だけ、生け贄に使われなかった海魔が転がっていた。その死体にだけはキャスターの宝具の効果が届いていない。

 

 

「さっき私の結界を紙くずみたいに引き裂いてくれたけど、アレが何のためだったのか分からなかったみたいだねぇ。まともなキャスターなら見切っていただろうさ」

 

 

 簡単なことである。リーゼロッテは手持ちの結界のどれならキャスターの術式を妨害できるのかを試したのだ。まずはランサーに使い魔を倒されて、死体の周りに種類の違う結界を一斉に張り巡らせる。そしてキャスターに宝具を使用させることでその術式に対処できる結界を探し出す。ランサーから予め情報を得ていたからこそ可能だった戦術である。

 リーゼロッテは冷たい視線で腕を振り上げた。

 

 

「できればアーチャーの真名を調べ上げるまで君には暴れていて欲しかったんだけどね。私の工房を荒らしに来て、更に魔術の秘奥を犯す者には容赦しちゃいけない。ロード・エルメロイ流に言うならばーーー」

 

 

 掲げている腕には二画の令呪。

 一つは倉庫街での乱戦で使用してしまった。元々、最低でも一画は試しに使ってみる予定だったので惜しくはないが補充できるならありがたい。キャスターを討伐した者に渡される令呪は欲しい。

 それにわざと逃がしては、屋敷の窓からここを眺めているライダー陣営から不評を買ってしまう恐れがあった。ここで仕留めてしまえば同盟相手であるウェイバーも令呪を手に入れられるし、キャスターが享楽殺人者だと教えてしまった手前もあり、見逃すことはできなさそうだ。

 キャスターは拳を結界へと叩きつける。

 

 

「何だ、何だというのだ、これはァァァァァアアアッ!!!」

 

 

 ここまで面倒な結界は普段なら構築できない。

 よりにもよってキャスターがリーゼロッテの工房に攻め入ってきたから可能なのであって、本来ならここまで広範囲に宝具を妨害するような結界を展開など出来ない。庭園の隅々にまで埋め込まれた宝石の後押しがあるからこその芸当だった。だからこそこの好機を逃すべきではない。

 

 そしてもう一度言うが、リーゼロッテの得意とする工房の結界は外からの侵入へと備える『守護』ではなく、むしろ外敵を内部から逃さない『処刑用』である。ズルリと暗殺者の刃のように気配なく、結界の内側に伸ばされていくのは『隔絶』の起源を宿した刃。それらは研ぎ澄まされ、残酷なほどに鋭利な輝きに満ちていた。

 リーゼロッテは告げる。

 

 

「ーーーこれは決闘ではなく誅罰である」

 

 

 少女の細腕は振り下ろされる。

 次の瞬間には待機していた魔力の刃が、怪物たちの肉へと突き刺さった。ぶつ切りにするような軌道の魔刃、しかし上下左右から振り下ろされる斬撃に海魔たちが次々と断末魔を上げていく。グロテクスな紫色の血飛沫が飛び散り、内部には肉片が散乱していく。それでも活動を停止しない個体には斧のように変化した刃が叩きつけられた。リーゼロッテの持つもう一つの起源、『同調』は相手に合わせて刃の形状を変え、確実に対象を絶命させる。

 

 

 わずかに数秒後、異形の怪物は再び一掃されることになった。

 

 




以下は本編には関係のない後書きです、ご注意ください。

fate/grand orderというスマホゲームを始めてみました。不親切な面もありますが、スマホゲームもなかなか面白いものですね。
ちなみに初めて出会ったサーヴァントはブリタニアの女王ブーディカさん、強く優しいお姉さんは素敵ですね。彼女の短編を書いても楽しそうだなぁと思いつつ、最終再臨まで漕ぎ着けたり。

ではでは。


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第十三話:遥かなる道のりに

「…………やっぱり、リーゼの奴は強いな」

 

 

 庭園で繰り広げられる戦いを、二階の窓から覗いていたウェイバーはどこか悔しげに呟いた。戦闘時間はわずかに数分だっただろうか、それだけで勝負の行方はほぼ決定づけられている。リーゼロッテの戦術は効果的にキャスターの宝具を封じ込め、処刑結界は使い魔たちを切り刻んで掃討を終えていた。

 

 そして鮮やかな手並みを見せたのはマスターだけではない。あの槍騎士もまた一級品のサーヴァントなのは間違いない。二階という高所から見下ろしているというのに動きは追えず、深緑の影が風のように海魔を切り裂いていった。更にそこからマスターとの連携攻撃に繋げていくのだから、呆れるしかない。

 信頼関係に裏打ちされた彼女たちの連携は、未だライダーに振り回されるばかりのウェイバーには届かない境地にある。

 思わず脱力して壁にもたれかかるしかなかった。

 

 

「ははっ、分かってはいたけど、こんなに差があるのかよ…………ちくしょう」

 

 

 ロードではないとはいえ、ロストノート家は名門中の名門一族である。受け継いできた魔術刻印も、積み重ねてきた秘術も、その身に宿る魔力量も、全てがウェイバーなどとは比較にならない。その上でサーヴァントの扱いも上手いとくれば隙がない。

 これでは自分はいつまで経っても、あの少女にはーーー。

 

 

「うむ、今の貴様では勝ち目はあるまい。まさに匹夫が巨象に素手で挑むようなもの、夜襲だろうが奇襲だろうが坊主の腕では小娘には万に一つも通用せん」

「っ、そんなことは分かってるっての!!」

 

 

 覇気に満ちた声が心に突き刺さる。

 それはウェイバーの隣で同じように庭園を見下ろしていたライダーのものだった。艶のある革鎧と真紅のマント、そして二メートルを超える体躯を持つ大王。自身が召喚したサーヴァントにして、人類史に燦々とその名を輝かせる英雄の中の英雄。

 マケドニア王、イスカンダルは何気ない様子で残酷な真実を告げていた。

 

 

「何を憤ることがある小僧、貴様は重々承知の事実であろう。余とて驚いておる、まさか小娘がここまでの腕であったとはな。ふふん、これはランサー共々、必ずや余の臣下に加えてやらねばなるまいて!」

「お前そればっかりだな!?」

 

 

 呑気なことを口にする征服王。

 しかし決して大言ではない。とりあえずの聖杯の分け前は決定し、ここから先はリーゼロッテ達と共に戦うのだ。いずれは彼の在り方にランサーやリーゼが魅せられることもあるかもしれない。ライダーならば大丈夫だろうという、ぼんやりとした予感もあった。この男は不可能の一つや二つは成し遂げてしまうだろう。

 

 それに比べて自分はどうだとウェイバーは項垂れる。いくら吠えたところで暗示の魔術さえ満足に使えず、赤点の弱小魔術師である。リーゼロッテのことを密かにライバル認定してはいるものの、他者からしたら失笑モノなのは間違いない。

 

 

ーーー何故あんな奴がリーゼロッテ嬢の傍に?

ーーー甘い汁を狙っているに決まっているだろう

ーーーちっ、身の程知らずのハエめ

 

 

 事実として時計塔にいた頃にかけられた言葉はどれも辛辣だった。そんな記憶がよみがえり、急速に戦意が衰えていくのを感じる。

 

 

「ーーーつまりだ」

「う、わっ!?」

 

 

 そんな少年の肩をライダーは力強く掴み、満面の笑みを向けた。

 

 

「つまり貴様はこの聖杯戦争の間で成長せねばならんということだ。あの小娘に並び立ち、あまつさえ打倒できる程にな」

「…………え?」

「何を呆けておる、そういうことであろう。なぁに心配するでない、人間だれしもこういった試練にはよく会うものよ。貴様だけの苦しみではないぞ?」

 

 

 その一言は日の光のように、暗い海に沈みかけていたウェイバーの精神を照らし出す。わずかに少年の瞳へ炎が戻ってきたのを見届けた後、顎髭を擦りながらイスカンダルは続ける。

 

 

「イッソスの戦いは知っておるな? あの時、余とて宿敵ダレイオスに必ず勝てるなどとは思っておらんかった。幾度となく敗走の危機に直面し、あまつさえ多くの信頼する家臣たちを討ち取られたのだ」

 

 

 アケメノス朝ペルシアの王、ダレイオス三世。

 三メートルを超える巨躯、十万の兵を難なく統率するカリスマ性、そしてペルシャ一帯の財宝から生み出された潤沢な資金力。如何にマケドニアが強国であろうとも、かの国の王はまさに巨象であったろう。

 そんな不滅の軍勢をこの男は打ち破り、やがて大陸を東へ東へと遠征し人類史でも最高峰の偉業を成すに至ることになる。

 

 

「良いか、勝てぬと思った相手と出会った時こそが覇道への第一歩である。我らは届かぬからこそ挑むのだ、海の果て空の果てまで叫ぶのだ。ーーーその夢と野望の全てをかけてッ!!」

 

 

 萎れたウェイバーの心に征服王の炎が燃え広がっていく、ナーバスに沈んでいた精神が一瞬の内に叩き起こされる。

 そうだ、自分とリーゼロッテとの戦いはまだ始まってすらいない。それなのに何を諦める必要があるというのか。若き魔術師は自らの胸に確かな熱を感じていた。

 

 

「……礼は言わないからな」

「それでこそ、我がマスターである」

 

 

 そう言って大きな掌がウェイバーの頭を乱暴に撫でつける。

 

 この若き少年は一流の『戦士(魔術師)』にはなれないだろう、体躯にも恵まれず才能にも恵まれていないのだ。しかし『勇者』になら成れる素質がある、そう征服王は自らのマスターを満足そうに見下ろしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

ーーーあまりにも呆気ない。

 

 

 リーゼロッテは失望したように結界の中身を見つめていた。死体に復活の気配はなく、粉々に切り刻まれた使い魔に動きはない。どうやら完全に宝具を封じ込めることができたらしい。ここまでは予定通り、計算違いがあるとすればたった一つだけ。

 

 

「キャスターには逃げられたみたいだね」

「残念ながらそのようです、我が主よ」

 

 

 ランサーが悔しそうに頷いた。

 血肉にまみれた結界の中からキャスターの姿だけが消えているのだ。逃さないよう丁重に隔離していたので、通常の方法では抜け出せない。そんなヤワな結界を張った覚えはない、ならばどうやって抜け出したのか。考えられる可能性は二つだけ。

 

 

「キャスターが逃走用のスキルか宝具を有していたか、それとも『令呪』を使ったのかだね。ランサーの記憶からはどうなのさ?」

「おそらくは後者でしょう、奴は以前の俺とセイバーとの戦いでも逃亡のために使い魔を犠牲にしていました。今更、別の宝具やスキルを所持している可能性は低いかと」

「へぇ、そうなるとリュウノスケとやらは意外と面倒くさいマスターかもね」

 

 

 教会からは、単なる連続殺人鬼だと聞いていたような気がしたが魔術師としての才能もあるのかもしれない。ランサーからの話ではリュウノスケというマスターについての情報はあまりない。念のために注意しておこうと、リーゼロッテは心に留めておくことにした。

 少女はまだ知らない。その連続殺人鬼の行っている悪魔的な所業を、そして『材料』として自身が狙われていることを。

 

 

「しかし主よ、何故ライダーには手を出させなかったのですか。奴の力を借りれば確実にキャスターめを討伐することができたでしょう」

「ここは私の工房だって知られているからね、今も他の陣営から監視されてるのさ。そんな中で晒す手札は少ない方がいい」

 

 

 遠坂時臣を始めとして、多くの魔術師がここを見張っていることにリーゼロッテは気づいていた。自分にしても遠坂邸などには常に使い魔を配置しているのだから当然だ。だからこそ既に戦法が知られているランサーと自分が表に出ることにした。それにライダー陣営にまだ戦ってもらっては困る。

 

 

「こんな所でライダー陣営を戦わせたら、ウェイバーが素人魔術師だってバレちゃうよ。せっかく遠坂に売り込んでおいたんだから、せいぜい利用しないとね」

「…………はっ」

 

 

 時計塔でのウェイバー・ベルベットは紛れもない劣等生。家系も弱小ならば実績もありはしない、言い方は悪いが魔術世界では見向きもされない程度の存在である。

 だが、そんな経歴の人間が最上級のサーヴァントである征服王を引き連れて聖杯戦争に挑んでいる。しかもリーゼロッテ・ロストノートとは友人関係にあることは時計塔の少なくない人間が認知していることである。

 

 

「ふふっ、まともな魔術師なら警戒するだろうね、不気味に思うかもしれない。たまにいるのさ、こういう得体の知れない人間がとんでもない爆弾だったなんてことは」

 

 

 コロコロと笑いながら魔術師の少女は屋敷を見上げていた。

 何もリーゼロッテは征服王の実力のみを頼みにして、ライダー陣営との同盟に踏み切ったわけではない。そのマスターである友人にも期待しているのだ。

 実力を隠すことによって、本来の実力以上に相手を威圧する。それがウェイバーに求める役割、彼にはただ『強者』を演じてもらえればそれでいい。

 

 

「しかし我が主よ、あのキャスターは無辜の民を虐殺します。ここで逃がしてしまっては……」

「…………ランサー、君の騎士としての在り方は私も好きだよ。でもここは譲れない。せっかくキャスターが逃げてくれたのなら予定通り、私たちはアーチャーに探りを入れる。ごめんね、君の騎士道に泥を塗るかもしれないや」

「いえ、出過ぎた真似をお許しください。我が槍はマスターの御身とともに……今度こそ」

 

 

 それっきりディルムッドは口を噤む。本心では一人でも多くの人々を救うことを望んでいるのだろう、騎士王という好敵手との再会もまた『正しい騎士』としての在り方へランサーを誘っている。

 だが今は『前回』とは状況が違うのだ。衛宮切嗣の存在もそうだが、何よりリーゼロッテというマスターとの良好な関係がある。セイバーとの決闘に自らが召喚された意義を求める必要はない。

 

 

「どうか思うままに策を巡らせてくださいますよう。このディルムッド・オディナ、最期の瞬間までお供致します。そして必ずや聖杯を貴女に、リーゼロッテ様」

「ありがとう、私の騎士様。出来ることならその輝かしい誇りに傷がつくこと無きよう、私は善処させてもらうとするよ」

 

 

 ここからが本番である。キャスターの宝具は各陣営に知られ、自分たちの同盟が成立したこともまもなく知れ渡るだろう。

 次はアインツベルンの森で大きな戦いがあるらしいが、どうなることやらとリーゼロッテは何ともなしに考えておくことにした。

 



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第十四話︰騎士の誇り

 

 殴る、殴る。

 ひたすら分厚いコンクリートに拳を叩きつける狂気のサーヴァント。今回の聖杯戦争にて最弱の筋力値E、それでも激しい殴打は床にヒビ割れを蜘蛛の巣状に走らせていく。凄まじい気迫であった、まるで生涯をかけて相手を呪い潰さんがばかりの怨恨であった。

 キャスターのサーヴァント、ジル・ド・レイは己の築いた工房にて怨嗟の声を張り上げる。

 

 

「オ、オォォォォォッ、神はどこまで我々の邪魔をするというのかァッッ!!!」

 

 

 不気味なローブは所々が切り刻まれ、そこから露出しているのは血の通っていない骨のように青白い肌。これはリーゼロッテから負わされたダメージの一部である。結界の刃は確かにキャスターへと届いており、その身を裂いた。それがジル・ド・レイにとって許せない屈辱だったのだ。

 セイバーを見てジャンヌ・ダルクの復活を信じ込み、聖杯に選ばれたと錯覚しているキャスター。彼はそんな自分に反抗した全てが憎らしいと思えてならない。

 男の表情は狂気に満ち満ちており、まともな意思疎通が出来そうには見えず、暴れまわる彼を言葉にて止められる者はいない。そう、マスターがまともな人格者であったのなら不可能だったろう。

 やんわりとキャスターの肩に手が置かれた。

 

 

「だーいじょうぶだって、旦那」

「り、龍之介?」

 

 

 そこには満面の笑みを浮かべたマスターの姿。シリアルキラー、雨生龍之介の顔には残念そうな雰囲気など欠片もなかった。元々、キャスターがランサー陣営の拠点を襲撃したのは龍之介がリーゼロッテに興味を示したからである。作品の材料、その候補の一つとしてランサーのマスターを欲したのだ。

 言ってみれば、今回の失敗で一番の失望をするはずの人物だ。しかし龍之介の精神状態は相変わらず絶好調の有頂天、天井知らずのハイテンションである。

 

 

「誰にだって上手くいかない時はあるって。特に旦那はジャンヌって愛しの相手と再会できそうで、昨日までツキまくってたんだからさ。ちょっと今日までで運を使い過ぎてただけだよ」

「おお、我がマスター‥‥‥。あなたは簡単なお使いすら失敗した私へ失望すらしないというのですか?」

「あったり前じゃん。何事にも失敗は付きもの、挑戦することにこそ意義がある。旦那が教えてくれた言葉だろ。一度くらいの敗走がなんだっていうんだよ」

「龍之介、あなたは‥‥」

「それにさ、『コイツ』を試せて今の俺はすっげえハッピーなんだ。何の変哲もない一般人の俺にも魔術ってヤツが使えちまったんだぜ、それって超クールじゃん!」

 

 

 龍之介がかざした手の甲。

 そこには二画に数を減らした令呪が刻まれていた、一画が消失しているのはキャスターの危機を動物的な直感で感じ取り使用したからだ。その結果として、キャスターはまんまとリーゼロッテの張った結界を通過して工房へと強制転移することになった。それからは先ほどのとおりに暴走し続けていたわけであるが、今は割愛するとしよう。

 

 

「それにさ、旦那。まだ聖杯戦争ってヤツは始まったばかりなんだろ。なら、いきなりメインディッシュやデザートにありついても後がつまんないじゃん‥‥‥‥ほいっ、と」

 

「グゥ、ゲェェェアアアッッ!!!!?」

 

 

 シリアルキラーは血塗れの両手で『何か』を弾く。その瞬間、地獄の底から上がってきたような絶叫が工房を埋め尽くす。元気だそうぜ、と龍之介はその声を景気の良いBGМ代わりにキャスターを励ましていく。手元には黄色と白、そして赤と黒が混ざったような細長い『何か』。見る者の目玉が半分潰れていたのならギターの弦のようにも見えなくもないソレ。

 

 

「ァ、ヴォッッッ、ギィァィッッ!!!?」

「んー、もっとリズミカルに!」

 

 

 それは街中から拐われた子供たち、その腹から引きずり出された内臓だった。テーブルに固定されたそれを、シリアルキラーはベーシストのように指先で弾く。死にはしない、キャスターによって掛けられた治癒魔術が子供を死なせない。その一方で苦痛の一切は減らされることなく、子供は激痛に呻くのだ。

 そしてそれは一人や二人だけでは、ない。

 

 

「こーんなにオードブルがあるんだ。まずはこっちを食べきってからじゃないと、メインディッシュやデザートには勿体なくて手を付けられないだろ?」

 

 

 壁一面に張り付けられ、吊るされた少年少女。いずれも年のいかぬ幼子たちばかり、彼ら彼女らは突然家族から引き離され、この地獄へと引きずり込まれた。そんな子供たちを指して天使のような笑みを浮かべる青年は間違いなく巨悪であった。

 

 英雄によって打破されるべき憎悪の対象、そんな存在が輝かしいサーヴァント達の集う聖杯戦争にてここまで非道な行いを続けている。

 

 それはこの上ない皮肉であった。悪道を正し、正義を成す騎士はまだ現れない。

 

 

◇◇◇

 

 

「あー、朝から疲れたよぅ‥‥‥」

 

 

 とてもやる気の抜けた声。

 新都の喫茶店でリーゼロッテは見るからに脱力していた。へにゃりと身体を折り曲げ、テーブルに頭から突っ伏す外国産の金髪少女。その情けない姿は他の客から大きな注目を浴びていたが、リーゼロッテ本人にはどうでも良いことだった。

 連日続いた戦闘ですっかり消耗してしまったのだ。魔力は回復したし体力も戻っている、しかし精神的な疲れはどうも取れていない。

 

 

「我が主よ、ご注文の品が上がったので店員から預ってきました。そのままではテーブルに置けないので顔をお上げください」

「んー?」

 

 

 頭上から降ってきた声に反応する。

 のっそりと起き上がると、目の前には黒いスーツを着込んだ長身の男性。その両手のグラスにはパステルカラーの鮮やかなアイスクリームが盛られていた。少しだけ活力が戻ってきた気がして、リーゼロッテは機嫌を取り戻す。

 

 

「ありがとう、ランサー」

「いえ、これくらいのことはサーヴァントとして当然のことです」

「それが当然なのはどうかと思うけどねぇ。ま、とりあえず向かい側にでも座ってよ。そのアイスクリーム、片方は君の分だからさ」

 

 

 キャスターによる襲撃から数時間後。太陽が空高く昇った空の下、ランサー陣営は遅めの朝食を取っていた。とはいえ、主にキャスターの使い魔のせいで食欲がまったくといっていいほど湧かなかったリーゼロッテ、頼んだのはアイスクリームだけである。

 以前に見た海魔は一匹だけだったので精神的にも問題はなかった。しかし今回は庭を埋め尽くさんばかりの大群、しかも不気味な主まで付いてくるオマケ付き。実に嬉しくないセットであった、あんなモノと戦闘をした後で平気に食事が出来るほどリーゼロッテは少女を辞めていない。

 

 

「しかし、ライダー達に加勢させればキャスターをあの場で仕留めることが出来たのではないでしょうか?」

「それは駄目、アイツにはしばらく泳いで貰わないと困るんだ。少なくとも私たちが『アーチャー』の真名か弱点を見つけるまではね」

「そう、ですか」

 

 

 複雑な表情を浮かべるランサー。

 まさに英雄らしい英雄、そんな性格をしているディルムッドは一刻も早くあのサーヴァントを倒すべきだと思っている。なにせ無差別に子供たちを誘拐し、『何らかの儀式』に使用している連中である。自らの誇りと騎士道にかけて、捨て置くわけにはいかない。

 それでもマスターに進言の一つもせずに控えているのは、前回の失敗が尾を引いているからに他ならない。そんな従者の姿を見て、金髪のマスターは微笑んだ。

 

 

「今更だけど、君は本当に伝承通りの英雄様だね。武略に富み、勇敢で高潔な心を持つフィオナ随一の戦士。今回のキャスター討伐にも本当なら、真っ先に飛び出していきたいんでしょ?」

「否定はしません、ですが優先すべきは大局です。せめて俺がアーチャーの真名を把握できていれば良かったのですが‥‥‥」

「うーん、あれだけ宝具をおおっぴらに使ってて正体不明っていうのも可笑しな話なんだけどねぇ」

 

 

 本来なら宝具はその英雄の『象徴』であるはずだ。

 例えば円卓物語にて語られる聖剣エクスカリバーはアーサー王、北欧神話にて名高い魔剣バルムンクはジークフリート。ディルムッドと同じケルト神話、その第一の時代アルスターサイクルでの最強の魔槍ゲイボルグはクーフーリン。

 彼ら彼女らの振るう得物はいずれも至高の幻想。現代では失われて久しい最上級の神秘そのものだ。それをサーヴァントたちは自らの現界と共に『英霊の座』から引き出して来る。使えばまさに一騎当千、しかし同時に自らの真名が割れてしまう難点を備えた絶対の切り札である。

 

 

「それなのに、あのアーチャーは使った宝具から正体が分からない。いや正確には『何人かの候補』までは絞れているんだけど、それ以上の決め手がない」

「真っ当なサーヴァントなら、あり得ない話です。前回の記憶でもそうでしたが、あの男はあらゆる意味で底が知れません」

「それでも神性持ちみたいだから『対神宝具』があれば真名なんて関係無く、空の彼方までぶっ飛ばせたかもしれないけどね」

 

 

 極論を言うなら、初めから弱点を突く方法があるなら真名をわざわざ調べる必要性はあまりない。特にあの黄金の王は高い神性を持っているので、それに合わせた宝具があれば手っ取り早かったはずだ。生憎とランサーにもライダーにも対神宝具はないので、こうして回り道をしているわけであるが。

 

 

「ふんふん、これも甘くて美味しいねぇ。おかげであのゲテモノ使い魔との一戦を忘れられそうだよ、これなら朝食もイケそう‥‥‥いや、まだ分からないかな」

 

 

 真面目な話をしている間でも、銀色のスプーンは止まることなくアイスの端っこを少しずつ減らしていた。もちろんディルムッドではなく、リーゼロッテのスプーンである。子供のように少女は甘味を食べ進める。そして、ある程度の量を口に放り込んでからリーゼロッテは視線を上げた。

 

 

「ともかく、私たちは積極的にキャスター討伐には加わらない。ただでさえ教会はミスター遠坂と協力関係にあるし、他のマスターからもトラップを仕掛けられる可能性がある」

「ええ、キャスターと相対している我々の背中を狙う輩は必ず出て来るでしょう」

「衛宮切嗣あたりは特にね」

 

 

 考えれば考えるほど、このキャスター討伐は危険に溢れている。

 少しでも頭の回るマスターなら、この機会を利用して他の陣営を葬る算段を練ってくる。狩りに興じるはずが、同じ狩人同士で首を狙い合う。この非常時に愚かなことだが、聖杯戦争に集まったのが人の道を外れた魔術師ばかりならば仕方ない。例え、それなりの正義感を備えた人物であっても万能の願望機を目の前にすれば目の色を変えるだろうが。

 そもそも今回の教会からの命令は「一般人の被害を止めること」ではなく「神秘の漏洩を防ぐこと」である。そして、リーゼロッテも一般人の犠牲をいちいち気にする性格ではない。

 深紅の魔眼が怪しげに瞬いた。

 

 

「ただし、今回みたいにあっちから仕掛けて来た場合やキャスターの拠点を発見した時は別さ。その時はライダー陣営と協力して、一切の手加減なく踏み潰す‥‥‥‥それで今は我慢してくれないかな、私の騎士様?」

「ご配慮感謝します、我が主よ」

「ごめんね、君の誇りを尊重すると言ったばかりなのに」

 

 

 こちらから討ちに行くことはないが、決してわざと犠牲者を増やすマネはしない。それがリーゼロッテとランサー、両者にとってギリギリ妥協出来るラインだった。

 

 

「あっ、こっちのチョコチップのアイスクリームもすっごく美味しいじゃないか!」

「そうですね。削った氷にハチミツを掛けるくらいしかなかった俺の時代では考えられない甘味です‥‥‥ふ、くくっ」

 

 

 スプーンをくわえながら、金髪紅眼のマスターは子供のように無邪気な笑顔を浮かべていた。つられるように黒髪の従者も苦笑する。気まずくなった空気を変えるために、リーゼロッテはデザートにはしゃぐ子供を演じることに決めたらしい。

 

 

「むぅ、場を和ませようとしたマスターを笑うなんてちょっと酷いんじゃないかな?」

「申し訳ありません。お詫びとしては難ですが、こちらの抹茶という味をご賞味ください」

「それなら許してあげましょうか。さあ、私にあなたのアイスを捧げなさいな」

 

 

 わざとらしい貴族口調。

 気を使ってくれているのだろう、そんなマスターへとランサーは心の中で頭を下げた。リーゼロッテの手の甲には一画減った令呪、彼女はそれを倉庫街でランサーを強化するために使ってくれた。前回はマスターから「望まぬ戦いを強いられる」ために消費された令呪をだ。それだけでも今の状況は随分と良い方向に変わったものだと思う。

 さて、この国ではポピュラーらしい落ち着いた深い緑色のアイスクリーム。自分の鎧の色に似ていたので注文したのだが、なかなかに美味だった。それをランサーは少しだけ掬って、リーゼロッテの顔の前へと運んだ。

 少女の口元が小さくヒクついた。

 

 

「え、それ、マジなの?」

「どうかなさいましたか、我が主?」

「いや、その‥‥‥‥‥え、なんとも思わないの?」

 

 

 思わず素に戻るリーゼロッテ。

 いくら世情に疎い魔術師だとしても、これくらいは知っている。いや知識として持っていなくとも、神話にて『絶世の美男子』などと褒め称えられる青年に顔を近づけられれば、誰だって反応くらいするだろう。これは俗にいう「あーん」とやらではないだろうか、男女が逆であったならば。

 徐々にリーゼロッテの顔は真っ赤に染まり、深紅の瞳は可愛らしく揺れ動く。ついでに目立つ二人だ、周りのテーブルからの視線もかなり痛い。

 

 

「‥‥‥‥どうしました、主?」

「ぅ、うん。悪くなぃね、苦しゅうない。いやむしろ胸が苦しいんだけどさ」

「?」

「あー、もうっ。いいよ、私だってロストノート家の令嬢なんだから。覚悟を決めるさ!」

 

 

 意を決してスプーンに唇をつける。

 そして、時間が経って少しだけ溶けてしまったアイスクリームを口に含もうとした時だった。

 

 

「わぁ、素敵なお店ね」

 

 

 店の自動ドアが開き、新しい客が入ってきていたのだ。珍しい二人組の外国人はリーゼロッテたちと同じように、周囲の注目を集めて店内がかすかにざわついた。

 その瞬間、その二人に気づいたランサーの眼差しが鷹のように鋭くなり、リーゼロッテもまた巨大な魔力を感じて懐の宝石へと手を伸ばす。

 聞き覚えのある清廉とした声が、鼓膜を揺らしたのはほとんど同時だった。

 

 

「‥‥‥‥アイリスフィール、下がってください」

 

 

 そこにいたのは輝かしき男装の麗人と澄み渡る冬空の姫君。そのままスーツ姿の少女が一歩前に歩み出て、ランサーと向かい合った。

 全七騎のサーヴァントの中で最優とされ、円卓の騎士団において全ての騎士の理想像とまで囁かれたアルトリア・ペンドラゴン。

 そして全七騎の中で白兵戦においてはトップクラスの能力を持ち、栄光のフィオナ騎士団において最も高潔な精神を持つとも讃えられたディルムッド・オディナ。

 

 

「随分と早い再会となりましたね。ですが状況が状況である以上、貴方たちとこうして巡り会えたのはむしろ行幸というものでしょう」

「‥‥‥‥セイバー」

 

 

 初戦にて大きくお互いを意識することになった両陣営。英雄らしい英雄、此度の聖杯戦争において極めて真っ当な背景を持つサーヴァント二騎。すでに刃を交わした身、ならば実力は双方ともに認めあっている間柄。そして何よりも弱き者を助け、強きを挫かんとする『騎士道(りそう)』を良しとする精神性。

 どこか自分たちを信頼するようなエメラルドカラーの眼差しが注がれる。ランサーは人知れず自らの鼓動が早くなるのを感じていた。挨拶の続きとして彼女が何を口にするのかは分かりきっていた。

 

 

「相談があります、ランサーとそのマスター。この平穏な街で悪逆非道の限りを尽くす、他ならぬキャスターの討伐について私もまた騎士として黙ってはいられない」

 

 

 それは心正しき者、理想を体現する王の言葉。

 少なくともリーゼロッテとランサーの間では、キャスターの件は纏まっていた。こちらからは手を出さず、ある程度の犠牲者には目を瞑る。しかし、目の前の騎士王はそれを良しとはしないだろう。

 

 

「私も貴方たちに協力させて欲しいのです」

 

 

 正史ではお互いが出会ったこと、言葉を交わしたことこそが不運であった。そう語られた二人の騎士たちは、よりにもよってここで不意打ち的な再会を果たすことになった。

 

 

 



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第十五話︰それぞれの思惑

『これほどまでの多重術式を一つの宝石に収めるとは素晴らしい。それでこそ私が直々に指導した弟子なだけはあるな、ミス・ロストノート』

 

 

 時計塔、鉱石課の教室にロードの声が響いていた。

 この世界において、誰もが『平等』に得られるモノは非常に少ない。生まれも環境も、家族も友人も、はたまた人生という時間でさえ個々によって長さも重みも異なってくる。そう、ウェイバー・ベルベッドが喉から手の出るほどに欲した才能なんてものは最たるものだ。

 大教室の壇上にて講釈を垂れている男の名は、ケイネス・エルメロイ・アーチボルト。魔術の総本山、この時計塔を支配する十二人の『君主』の一人。ウェイバーにとっては雲の上の上、背中にロケットエンジンを付けたとしても届かない存在だ。そして、

 

 

『ふふっ、お褒めに預かり光栄ですわ。これからも我らが鉱石課と大恩ある貴方のために精進させていただく所存です』

 

 

 そんなケイネスの隣で優雅に一礼してみせた生徒。

 紺色のドレスに身を包み、まばゆい金髪と紅い瞳が印象的な少女は自分の友人である。見た目は貴族の令嬢そのもので実力も人脈も培っている名門の跡取り、自分などとは比べ物にならない時計塔の有望株だ。煌めく星のごとくに、ウェイバーはその輝きに手を伸ばし続けている。

 少女の名は、リーゼロッテ・ロストノート。ケイネスのような目標ではなく、他の大勢のような有象無象の連中でもない。ウェイバーが生涯において初めて、越えたいと思った好敵手だった。

 それは、かれこれ半年も前の記憶となる。

 

 

 

 

 

「うぅ‥‥‥‥くそっ、リーゼの奴ぅぅ!!」

「何だ小娘の采配が不満なのか、坊主?」

「あったり前だろっ。なんだよ、アイツは僕に『戦うな』って言ったんだぞ!!」

 

 

 そんなこんなで聖杯戦争に挑んだウェイバーだったが、今は潜伏先のマッケンジー宅で不貞腐れていた。ちなみに彼のサーヴァントであるライダーはチャンネル片手に煎餅を齧っている。上半身には『大戦略』とデカデカ書かれた大陸が印刷されたTシャツ、下はよくある紺色のデニムだ。目一杯大きなサイズを注文したはずが、あまりにもライダーが筋肉質過ぎるのでどちらもピチピチである。その姿には、ここ数日見せていた征服王としての威厳は欠片も感じられない。

 

 リーゼロッテに付き従っていた騎士の姿を思い出し、これが自分のサーヴァントなんだなとウェイバーは内心でため息をついた。実力は間違いなく最高クラス、精神的にも心強い、それでも何か違う。もっとこう、マスターを崇めてくれるサーヴァントが良かったかもしれないと思えてしまう。

 

 

「おおっ、これは良いなっ! コイツならダレイオスと再戦することになっても、奴の不死軍団を空から一方的に蹂躙できようぞ!!」

「言っとくけど、ソレもメチャクチャ高いからな」

「それは分かっておるわい、そのうちに資金を略奪してだな。いや、そもそも実物を直接頂いた方が早いではないか。ぐわははっ、何だ簡単ではないか!」

「一人で碌でもない方向へ漂着するのは止めろよ!!?」

 

 

 どうやら戦闘機をお気に召しているらしい征服王。

 十機ほど購入して、聖杯戦争を征した後に待ち受ける『世界征服』の戦力にする気満々である。だが、その少年のように輝く眼差しから察するに、ただ単に世界征服のことを考えているだけではないらしい。子供がそういったプラモデルに嵌まるのと同じ要領なのかもしれない。

 

 

「まあ、それは置いといてだ。坊主、貴様はあの小娘が何故あんなことを口にしたのかは理解しておるな?」

「『わたしと対等に語り合いたいなら、まずは生き残ってみなよ』、つまり僕はまず戦うんじゃなくて生き残ることに専念しろってことだよ。アサシンのこともあるし、何より僕は戦わない方が戦力になる」

 

 

 リーゼロッテから聞いた話では、アサシンは未だに消滅していない。情報収集を行いつつ、虎視眈々とマスターを狙っているらしい。つまりは聖杯戦争の監督役であるはずの教会が遠坂に寝返っていたということになる。恐ろしいにもほどがある事実である。教えてもらっていなければ、いつ首を暗闇から飛ばされていてもおかしくなかった。つまり一つ目はライダーの傍から離れるなというアドバイスだ。

 ライダーが真面目な顔で質問を続ける。

 

 

「貴様が戦わない方が良いとはどういうことか」

「その方が牽制になるからだよ」

「ほう、坊主はそこまで読んでいたか」

 

 

 この聖杯戦争において、サーヴァントの真名を隠すことは相手への牽制そのものになり得る。いかに自分がサーヴァントが強力であろうとも、相手の真名が不明では迂闊に手が出せない。思わぬ宝具を隠している可能性があるうえに、そもそも相性の悪い伝承を持つ英雄であることも珍しくないからだ。

 

 その原理をリーゼロッテはウェイバーに当てはめた。

 

 征服王イスカンダルという途方もなく強大なサーヴァントを召喚したにも関わらず、時計塔にはこれといった実績のない学生。この状況で遠坂を始めとする各陣営はウェイバー・ベルベッドというマスターをどう取るか、答えは『不気味な存在』である。何せ実力を測ろうにも資料がない、それだけなら無名の魔術師で済むが、イスカンダルという絶大な輝きがそれを許さない。

 もしかしたら実力を隠した食わせ者かもしれない、その一点の迷いが彼らを押し留める。

 

 

「僕は謂わば『ジョーカーかもしれないカード』を気取っていればいいんだよ。それで時間を稼げる、多分だけどリーゼの奴はアーチャーと戦うことを見越して同盟を持ちかけてきたんだろうしな」

「ぐ、わはははっ。坊主、貴様は意外と頭が回るではないか。ひょっとしたら魔術師よりも軍師の方が似合っておるかもしれんなぁ。励むが良い、さすれば余が世界征服に乗り出す頃にブレーンとして使ってやらんでもないぞ」

 

 

 豪快に笑うライダー。

 己のマスターの見事な洞察力が心底愉快だった。よもやここまで見抜かれているとは、あの小娘も思っていなかったに違いない。この少年は自身が思っているより、リーゼロッテという存在に劣っていない。いやその事実に気づいているからこそ、リーゼロッテの方もウェイバーを友人として扱っているのだろう。だとすれば、なかなか良い友人関係であると思う。心の奥底で認め合う相手というのは人生において希少である。

 とはいえ、せっかくの異性同士でおまけに身分違いとなれば面白い。このままではつまらないので、生前は多くの兵士たちのキューピット役となったこともある自分としては色々と弄るつもりだ。まずは二人を同じ風呂場にでも叩き込んで見ようかと思う。

 

 

「ふふんっ、面白そうだわい」

「変なこと考えてないだろうな‥‥ああ、そういえば一度だけなら僕が『本物』だと思わせる方法はあるんだよな」

 

 

 そう言って、ウェイバーが取り出した宝石。

 リーゼロッテから貰った、大粒のファイアーオパールは今日もまばゆいばかりの輝きを放っていた。膨大な魔力を秘めたコレは使い捨ての魔術礼装としても機能する。たった一度だけの切り札、もしかしたら使うこともあるかもしれない。

 そんな漠然とした予感を胸に、ウェイバーはそのペンダントを見つめていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 ここまでは、順調だったとリーゼロッテは思う。

 

 倉庫外の戦いで判明したアーチャーの計り知れない実力、その対策としてキャスター討伐を理由にウェイバーとの同盟を組むことに成功した。そしてウェイバーには魔術師としての実力を隠すために、戦いを避けるようにも伝えておいた。冬木に来たばかりの頃に遠坂時臣へ、ウェイバーのことをそれとなく誇張して話したのも幸いした。これなら万が一、キャスターが早々に討伐されようともアーチャー陣営がすぐに攻めてくることはないはずだ。

 まあ、その代わりにウェイバーの実力を図ろうとアサシンあたりが接触してくるかもしれないが、それはそれで仕方ない。どのみち一時凌ぎの作戦なのだから、確実にうまくいくとは思っていない。

 あとはキャスターを探すふりをしながら、アーチャーの真名を探る。それで良いはずだったのだ。それなのにーーー。

 

 

「ランサー、貴方も分かっているはずだ。あのサーヴァントは一刻も早く討たなければならない、こうしている間にも無辜の民の犠牲が増え続けてしまう。我々が手を組めば‥‥」

「いやしかしだな。セイバー‥‥」

 

 

 コポコポとメロンソーダをストローで泡立てる。

 そんなリーゼロッテの表情は不機嫌そのものであった。とんでもないタイミングで現れた騎士王によって、せっかく纏まったランサーとの妥協点が霧散してしまうかもしれないからだ。恐らくディルムッドはこの提案を無視できない、騎士である以上は『騎士王』の清廉なる言辞は魂にまで響くだろう。

 いや正直にいえば、妥協点がどうのだけではなく、ランサーが先程からずっとセイバーの方しか向いていないのもイライラの要因だったりする。

 

 

「そもそもセイバー、俺たちとの同盟など、お前はともかくお前の主が頷かないのではないか?」

「‥‥‥その口ぶりだと、やはり私のマスターのことは知られているようですね」

「そりゃ、君のマスターを倉庫街で爆破したのは私だからねぇ」

「そうですか、アレは切嗣を狙ったものでしたか」

 

 

 セイバーの視線が痛い。

 今回の聖杯戦争では、表面上はアイリスフィールがセイバーのマスターのように振舞っている。だが彼女の真のマスターは衛宮切嗣、孤高の魔術師殺し、現代でも最高峰の殺し屋である。要するにアイリスフィールは、切嗣の獲物を誘い出すための囮なのだ。

 あの男こそキャスター討伐において、ある意味で一番厄介な存在だ。教会の目がある以上、ある程度は遠坂や他の陣営はお互いに戦うことを避けるだろう。しかし切嗣は間違いなく、この機会に一人でも多くのマスター暗殺を計画している。

 しかしセイバーの返答は思いも寄らぬものだった。

 

 

「アイリスフィールに確認してもらったところ、切嗣は頷いたようです。私も令呪を使われない限りは貴方たちに剣を向けることはありません」

「私とランサーが油断したところを背後から狙い撃つんじゃないの?」

「そうでしょうね、あの男ならやりかねない」

「えぇぇ‥‥‥そこ、認めちゃうんだね」

 

 

 メチャクチャな話である。

 手は組むが銃口は向けたまま、そして油断したなら即座に撃ち抜く。セイバーとて令呪を使われれば、その場でリーゼロッテを切り捨てるだろう。そんなものは身内に爆弾を抱えているどころの事態ではない。あまりにもアッサリとしたセイバーに、ランサーでさえも怪訝な表情を隠せていなかった。

 

 

「ええ、ですが貴方たち二人は『そんな程度で』仕留められる相手ではないでしょう?」

 

 

 含みのある言葉だった。

 つまり騎士王は、それすらも許容した上で手を組むことを求めきている。他でもないこちらの実力を信頼しているが故に。これはもはや魔術師としての常識では測れそうもない、正直なところリーゼロッテとしてはお帰り願いたいのだが、己の従者は無視できない。

 

 

「ランサー、私たちの同盟をどうするのかは君が決めなよ」

 

 

 ケルト神話第二の時代フィニアンサイクルにて、神殺しの大英雄フィン・マックール率いる『栄光のフィオナ騎士団』。その中で多大なる戦果と人望を集め、実質的な副団長の地位にまで登りつめたとも語られるディルムッド・オディナ。状況の判断能力はそこらの魔術師の比ではないだろう。

 

 

「っ‥‥‥よ、よろしいのですか、我が主?」

 

 

 そんな己の従者へと、魔術師の少女は決定権を託すことにした。

 

 

 




少しだけセイバーさんと切嗣さんの関係を変化させています。
原作では無視する間柄でしたが、この物語では「言葉を交わさずともお互いの考えを理解できる」「その上でお互いの意見衝突を避けるために口を聞かない」という感じにさせてもらおうかと思っていますので、よろしくお願い致します。切嗣さんの対応に少し疑問を覚えた故となります、原作の通りの関係好きの読者さんはご注意くださいませ。


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第十六話:心の在り方は天秤に似て

「お迎えに上りました、我が乙女よ」

 

 

 その夜、アインツベルンの森に奇怪な声が木霊していた。

 聖杯戦争の舞台となった冬木市、その郊外に広がる広大な森林地帯はその全てがアインツベルン一族の所有物である。冬木のセカンドオーナーたる遠坂家のように、地の利を持たないアインツベルンが対策の一つとして考案した『森そのもの』を結界として機能させた空間。

 つまり一歩でも足を踏み入れようものなら、たちまちにアインツベルンから補足されるのだ。攻撃性こそリーゼロッテの結界に比べれば希薄であるものの、守りにおいては非常に優秀な結界といえる。

 そんな敵陣の真っ只中に現れたのは、ランサー主従から受けた傷の未だに癒えぬキャスターであった。

 

 

「おおっ、どうやら自らお見えになるつもりはないご様子。よろしい、ならば不肖このジル・ド・レエ、及ばずながら貴女の元へと参上致しましょうぞ。この『貢物たち』もまた必ずや貴女のお気に召すことでしょうからっ!」

 

 

 ハーメルンの笛吹き男を知っているだろうか。

 ネズミの被害に悩まされていたドイツのある街にやってきた一人の男。彼は「報酬と引き換えにネズミを街から退治しよう」と提案した、そして街の人々から約束を取り付けると不思議な笛の音色によってネズミを一匹残らず街から連れ出した。しかし人々は約束を守らず報酬を渡さなかったことから、物語は急変する。それに激怒した男は再び演奏を始め、街中の子供たちを連れ去りったのだ。そして二度と戻ることはなかったという。以上が、グリム童話にて語られる話の顛末である。

 

 

 

 

 

 

「‥‥‥‥下衆め」

 

 

 森を抜けた先に、此度の聖杯戦争におけるセイバー陣営の本拠地である城が存在する。プライドが高く、歴史を誇る一族、その長の性格を表したかのような古めかしい西洋式の石城は極めて壮大だった。

 その城の一室にて、セイバーは拳を砕けんばかりに握りしめる。男装の少女の瞳には、マスターであるアイリスフィールの用意した水晶玉が映っていた。

 そこには映っていたのはキャスターと、彼に率いられるように暗い森の中を歩く大勢の子供たちの姿。ふらふらと酔っ払ったような足取りは宙から糸で操られている人形のよう、間違いなくキャスターの魔術の影響下にあるのだろう。

 

 

『キャスターのサーヴァントは聖杯戦争とは無関係の殺戮を繰り返している』

『一般メディアでは既に大勢の少年少女が行方不明として報道されている』

『教会の見解では、その何割かはすでに殺害されている可能性が高い』

 

 

 昨日、教会から伝えられた言葉が脳裏をよぎっていく。

 まるで古くから語られる笛吹き男のごとくに、キャスターは子供たちを親元から引き離した。そこに正当な理由はなく、あるのは巨大な悪意のみ。水晶玉から見渡せるのが全員ではあるまい、すでに一体何人を犠牲にしたのだろうか。想像するだけでも胸のうちから熱い怒りが噴き出すのを感じる。騎士の剣にかけて、この悪を見逃すわけにはいかない。

 そして、あの双槍の騎士とて、信念は同じとしているはずだ。セイバーは同盟を持ちかけた際のランサーの言葉を思い出す。

 

 

 ーーー悪いが、お前たちと同盟を組むことは出来ない。主のご学友であったライダーのマスターと違って、お前のマスターは信頼できない。だが、

 

 

 同盟の提案はあっさりと跳ね除けられた。

 他ならぬ彼によって、自分たちの陣営としての協力体制を築くことは拒否されたのだ。端正な顔を苦渋で歪め、ランサーはセイバーへと答えを告げている。あの瞳からは「己のマスターを最優先に守る」という覚悟だけが見て取れた。

 あの時、セイバーはそれ以上何も言えなかった。自らの仕える主を護ることもまた騎士として、貫き通すべき誇りの一つなのだから。

 

 

「アイリスフィール、今から私はキャスターを迎撃してきます。貴女はここを動かないように、直に切嗣が駆けつけてくれるでしょう」

「わかったわ。マスターとして貴女に戦場の加護があらんことを祈っています、セイバー」

「ありがとう。それでは、参ります!」

 

 

 窓を開け放ち、魔力を解放する。

 現代スーツは一瞬のうちに、円卓の王に相応しき白銀の鎧へと変わっていた。そして不可視の結界に包まれた聖剣を握りしめ、セイバーは自らを眼下の森へと投げ入れる。決して低くはないアインツベルン城からの降下、少女と違わぬ体格は風に煽られながら地面へと向かう。そしてスレスレの位置で魔力を噴射、そのまま勢いを殺すこともなく地面を踏み砕きながら深き森へと突入した。

 魔力放出、セイバーの持つスキルの一つである。全サーヴァント中でも屈指の魔力量を誇るアルトリアにこそ可能な、膨大な魔力をジェット噴射のごとく一気に放出する技能だ。

 荒々しくも流麗に、蒼の騎士王は闇に沈む木々を抜けていく。それは驚異的な速度であった。

 

 

「っ、間に合えばいいのですが……」

 

 

 キャスターがいたのはアインツベルンの森でも、比較的入り口に近いところだ。どんなに急ごうと自分が到着するには時間がかかる、それまで子供たちが無事でいる保証などどこにもない。

 平均的なサーヴァントならば、無抵抗の子供を落命させるのに一秒とてかかるまい。あのキャスターが何を考えているのかまでは分からないが、碌でもない魔術師が『何をしでかす』のかはある程度の想像はつく。そういう存在は自分の時代にも複数いたからだ。例えば、幾多の刺客を差し向けてきた魔女がそれに当たる。

 

 

「あそこかっ!」

 

 

 魔の気配を感じ取り、強く剣を握りしめる。

 身体を反転させ、魔力の噴射角度を調整。そして地面を抉リながら片足で踏みとどまり、そちらへとほぼ直角に近い角度で進行方向を変更した。

 たちまちに繁みを切り裂き、開けた場所に躍り出た碧眼の女騎士は『その光景』を視界に焼き付ける。

 

 

 ーーそこには地獄があった。

 

 

 罪無き幼子たちの亡骸、あってはならない暴威の爪痕、それらをごちゃまぜにした邪悪な戦場だった。無数の触手を持つ海魔たちが蠢いていた、子供たちが召喚術の贄にされていた。どす黒い液体に塗れた草木と鼻をつく死の薫りは、セイバーに蛮族に蹂躙された故郷を思い出させる。

 思わず眼差しは鋭くなり、怒りとも憎しみとも知らぬ感情が起伏する。そして惨状の中心、血と魔力の渦に身を浸してその男は佇んでいた。不気味なマントを鉄臭い風にはためかせているキャスター、青髭は自らの顔を手の平で覆いながら身体を震わせる。その様子は惨劇を起こしたことが愉快で堪らないというふうに、見えた。

 

 

「キャスター、貴様はーーーーっ!!」

 

 

 激昂のままに叫ぶ。

 義憤に任せ不可視の剣で海魔を数体まとめて薙ぎ払う。だが、返り血を浴びながら更に何匹か切り倒したところで『違和感』に気づいて立ち止まる。血の量が少なすぎるのだ、先ほどアイリスフィールの魔術で見た子供たちの数と合わない。その二倍は死が転がっているはずなのだ。残りの少年少女たちはどこにいる。

 キャスターが天を見上げて口を開いたのは、その瞬間だった。

 

 

「オ、オオオオオァァァァッ、この匹夫めがっ!!」

 

 

 海魔に護られながら堕ちた元帥は呪いを紡ぐ。

 自らの髪を引き抜き、口から泡を飛ばしながらキャスターは怒号をあげていた。よく見るとその姿は何かに切り刻まれたように傷だらけである。一体どうしたというのか。いや、その応えは考えるまでも無さそうだ。もう一騎のサーヴァントの気配を感じて、少女騎士はそちらへと背中を向ける。

 やがて樹上から背後へと『その男』は涼やかな風を纏って舞い降りてきた。

 

 

「……全員というわけにはいかなかったが、息のあった人質は助け出した。あとは俺たちがコイツを追い払うだけだ」

「ああ、了解した。貴公の気高き行いにせめてもの賛辞を、ランサー」

「その言葉は俺には不要だぞ、セイバー。伝えたはずだろう?」

 

 

 そう言って、二人の騎士はお互いに背中を預け合う。

 

 

 ーーーお前のマスターは信頼できない。だが、俺たちは共に民草を救う使命を背負った騎士だ。ならば『戦場で出会った時にその背中を預け合う』くらいは約束しなければなるまい

 

 

 それがディルムッドの出した答えだった。

 

 

◇◇◇

 

 

「まったく、やっぱりこうなっちゃうんだねぇ」

 

 

 戦場から少し離れた森の中で、リーゼロッテは軽い溜め息をついていた。ランサーによると前回の聖杯戦争ではキャスターが大勢の子供たちを引き連れ、アインツベルンの森に向かっていたらしい。そしてランサーが駆けつけるとセイバーとキャスターが交戦しており、そこに助太刀する形で戦いをとりあえずの勝利に導いたのだという。だが子供たちの救出には間に合わず、全員が海魔のために生け贄として解体されていたとも聞いている。

 

 

「まさか、屋敷でキャスターの宝具を分析していたのがここで役に立つとは思わなかったなぁ。ああ、この結界の中ならアイツの宝具で贄にされることはないから、君たちは安心しているといいさ」

 

 

 そう言って、リーゼロッテは目の前で震えている少年少女たちへと笑いかけた。周囲には対魔術と対物理の障壁が張り巡らされ、その四方には魔力循環のために宝石がセットされている。簡易テントのような結界だが、一時的な避難所としては悪くないだろう。助け出せたのは凡そ半数、自分たちにはそれが限界だった。

 リーゼロッテは残り少なくなった宝石をポケットへと仕舞い込む。まだ総数に余裕はあるものの、この人質たちを救い出すのに思ったよりも使いすぎてしまった。

 気をつけなければならない。万が一にでも宝石が尽きてしまえば、宝石魔術師は『弾丸の入っていない拳銃』に等しいのだ。

 

 

「ふふっ、そのときは銃身で相手を殴り倒せるように頑張ろうかな。私がそんなお転婆をしたら、ウェイバーも驚いちゃうだろうなぁ」

 

 

 青いドレスを揺らしながらステップを踏む。

 ここに自分たちがいることはウェイバーとライダーには知らせていない。彼らまで加わってしまえば確実にキャスターをこの場で仕留めてしまうだろう。まだそれは早すぎる、アイツにはもうしばらく泳いでいてもらわなければならないのだ。遠坂邸には既に何体もの使い魔を放っているし、どんな聖遺物を取り寄せたかについても時計塔の知り合いに調査を依頼している。聖杯戦争が始まるまでは見当も付かなかったが、直接姿を目にできたのはある意味で幸運だった。『王座にあった人物』で『半神半人』にして、『数え切れない宝具』つまり『財宝や付随する伝説』を持つ大英雄。ここまで揃えば候補はある程度まで絞られる。

 

 

「さて、一体何者なんだろうねぇ。最初は『太陽王』あたりをイメージしていたんだけど、ちょっと違うみたいだし。何としても、真名だけは把握しておかなきゃね」

 

 

 通常の方法ではディルムッドはあのアーチャーに勝てない。いやこの聖杯戦争に召喚されている他のサーヴァント達も、騎士王や征服王でさえも単騎では勝利を掴むことは出来ないだろう。そう思わせるだけの格があった、あれは規格外の存在だ。確実に弱点を突くか、もしくは生前の伝説から読み取れる情報を整理して攻撃への対策を練るしかない。

 

 その宝具から想像される財力と高い神性、そこから真っ先に候補として考えたのは『太陽王オジマンディアス』だった。エジプト新王国第十九王朝のファラオにして、最大最強を誇った破格の大英雄。古代エジプトの中でも、恐らくは最も偉大な王ともされる人物だ。彼ならあの規格外の実力も頷ける。しかし決定的な何かがアーチャーとは違うとリーゼロッテの本能が告げているのだ。

 まあ、詳しくは追々に調べればいい。そこまででリーゼロッテは思考を打ち切った。

 

 

「おねえちゃん、たすけてくれたの?」

「うぅ、ママどこ……?」

「こわいっ、またあのこわいのが、くるよ!」

「ぅぅぅ、ふぇぇっ」

 

「……さて、どうしたものかな。怖がらないでなんて言ったところで無意味だろうし、私は魔術の才能はあっても子守りの経験なんて無いからねぇ」

 

 

 赤い瞳は結界の中で震える子供たちへと向けられる。

 ランサーの希望で救い出したとはいえ、実に困ったものだと思う。記憶の操作や一般の人間への誤魔化しは教会が行うとしても、ランサーとセイバーの戦いが終わるまでは自分がこの子らを守らなければならない。

 端的に言ってしまえば実益がない。教会の示した報酬条件は『キャスターを倒すこと』であり、『子供たちを救出すること』ではない。こうして結界を維持しているだけでも魔力は食うし、リーゼロッテ本人の護りが薄くなる。魔術師の思考でいうなら、見捨てる道理はあっても助ける理由はないのだ。

 リーゼロッテはそんな己を自嘲する。

 

 

「なーんてね。君との約束は護るさ、ランサー。私に聖杯を、君に名誉を、それこそが私たちの結んだ契約なんだから」

 

 

 ニコリと精一杯の笑みを子供たちへと向ける。

 魔術師として、己はランサーから対価交換を持ちかけられた。本人にそのつもりはなくとも、確かに契約は結ばれたのだ。そして結んだ以上は出来うる限りとして守り続けよう。子供を助け出した理由など、それだけなのだ。決して慈悲やら正義によるものではない。

 背後からの足音に、そっとポケットに入れておいた宝石を指先で掴み取る。

 

 

「まるで『正義の味方』のような視線を向けられるのは居心地が悪いからね。魔術師なんてものは嫌われるくらいが丁度いい。……………君もそうは思わないかな?」

「それは僕には関係のないことだ」

 

 

 冷え切った瞳が振り向いた先にあった。

 その手には連射性に優れた銃器、ボサボサの黒髪に漆黒のスーツ、そして銃を握る手の甲にははっきりと令呪が刻まれている。実際に顔を見るのは初めてだったが、間違いない。彼こそがセイバーの本来のマスターにして、御三家が一つアインツベルンの切り札。かつては時計塔の上層部からも重宝されたという、最強の魔術師殺し。その名はーーーー。

 

 

「初めまして、衛宮切嗣」

 

 

 正史にて、ケイネスと切嗣が衝突したアインツベルン城から離れた森の中。本来とは違うカード、違う状況でセイバーとランサーのマスターは対峙する。

 リーゼロッテの背後にはキャスターの魔の手から助け出した子供たち、そんな彼らごと男はリーゼロッテに銃口を向けている。

 

 

 

 かつて正義の味方を目指した悲しき人物が、そこにいた。

 

 

 

 




「Fate/Grand Order」は面白いですね。
もしかしたら番外編で書かせてもらうかもしれないので、その時はよろしくお願いします。
一話読み切りとして考えているのは『サーヴァント入れ替えでお送りする王様だらけの聖杯戦争』と『孔明さんの絆クエストを下地にしたリーゼロッテどの思い出話(ルーンストーンのやつですね)』です。


以下は更に雑談となります、苦手な方はスルーしてくださいね。
ディルムッドと肩を並べてパーティー作りたいのに騎士王さん当たらない……お金を使ってないので当然ですけど。あと太陽の騎士さんやマハーバーラタ兄弟、白と黒の聖女さん欲しいです(切望)。
フレンドさんからお借りして、色々なサーヴァントを試してみるのも面白いのですが、やはり自分でも欲しくなりますね(汗)。恐らくそれが運営さんの狙いなのでしょうけども。皆さんも程々に楽しんでいきましょうね。


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第十七話:魔術師殺し

 ーーー主よ、我が身勝手な願いを受け入れていただき心から感謝致します。ですがもし、セイバーのマスターと遭遇した場合は必ず令呪でこのディルムッドを呼んでくださいますよう。あの男は『』です。

 

 

 ここから離れる前、ランサーはそう言っていた。

 子供たちを救うためにリーゼロッテの結界が不可欠で、だがランサーとしては主を危険に晒したくない。あの時の彼はそんな葛藤が見てとれた。

 森林の冬風に豊かな金髪を靡かせて、リーゼロッテは残り少なくなった手持ちの宝石を取り出した。それを指の間に挟み込み、牽制のつもりで切嗣に見せつける。一発一発が人間を丸ごと蒸発させるだけの威力を持った魔術礼装だ。

 

 

「意外だな、お前はサーヴァントを呼ばないのか」

「私がランサーを呼べば、貴方もセイバーを呼び出すでしょう? そうなればお互いに令呪の無駄打ちですし、キャスターの相手をするサーヴァントがいなくなってしまいます。それは私たちにとって厄介事にしかなりえませんわ」

 

 

 令嬢としてのリーゼロッテは微笑んだ。

 ここで自分がランサーを呼べば、きっと切嗣はセイバーを呼び出すだろう。サーヴァントはサーヴァントでしか倒せない、切嗣とてそんなことは理解しているはずなのだ。だとしたら二人がここに呼び寄せられ、キャスターが解放されてしまうことになる。ただでさえ生贄を半分奪われたことでご立腹、目を離せば何をするのかわかったものではないあのサーヴァントをである。それは御免だ。

 そしてそれ以上に、もしランサーとセイバーがここで衝突すれば間違いなく子供たちが巻き込まれてしまう。それはランサーの精神衛生上よろしくない。

 

 

「私こそ意外です、高名な魔術師殺し様。貴方のことですから遠距離からの狙撃で、私を仕留めに来ると思っていたんですのよ?」

「ここは木が多すぎて狙撃に向かない、お前はそれを見越して森から出なかったんじゃないのか。良く現代兵器について学んでいるらしいな。倉庫街のことといい、どうしてお前は初めから僕をマークしている?」

「ふふっ、私には優秀なアドバイザーがいますからね………わひゃぁっ!?」

 

 

 重々しい金属音と炸裂音。

 キャリコM950Aから吐き出された無数の弾丸が、結界を叩き鳴らす。上部のマガジンから装填されていく弾丸が次々と自動小銃から吐き出され、透明な結界には細かい傷がいくつも付けられていく。

 あまりの衝撃に可愛らしい悲鳴をあげてしまったリーゼロッテ。不意打ちなんて優雅じゃないと、場違いな想いを胸に反撃を開始する。

 

 

「Ein KÖrper(灰は灰に) ist ein KÖrper(塵は塵に)!」

 

 

 あらかじめ仕込んでおいた宝石を発動させる。

 夜の闇を切り裂き、破壊的な炎を纏った魔力が渦が切嗣を挟み込むように炸裂した。人一人を落命させるのに十分すぎる熱が周囲を覆い、そしてそのまま夕焼け空のような焔とともに爆発する。

 対魔力を持っていなければサーヴァントにさえ通用するであろう一撃だ。本来なら人間相手に使うようなものではないが、加減はしないつもりだ。相手は魔術師殺し、こちらの天敵のような存在なのだから。

 そしてリーゼロッテはさっきの悲鳴ですでに砕け散っていた令嬢としての仮面を脱ぎ捨てる。

 

 

「私はまだ君と戦うつもりはないよ。見ての通り、私はこの子たちを助け出しに来ただけさ……ここは見逃してくれないかな?」

「それはサーヴァントから離れたマスターを見逃す理由になり得るのか?」

「人助けだと思えば、ね」

 

 

 紅蓮の炎へ少女は微笑んだ。

 ここまでやっておいてどうかと思うが、今の爆炎ごときはリーゼロッテにとって開幕の狼煙のようなモノだ。周囲への被害を省みなければ、この辺り一帯を丸ごと爆破できるのだから。まあ、それをやれば自分も吹き飛んでしまうのでやらないが。

 それにしても当たり前のように返事が来るあたり、やはり避けられたらしい。そして再びの銃声、今度は正面からではなく横っ腹から銃弾がばら撒かれる。トタン屋根に降り注ぐ雹(ひょう)のごとく、鋼の雨粒は結界をけたたましく打ち鳴らす。だが所詮は魔術の恩恵なき攻撃だ、その全てを当然としてリーゼロッテの結界は跳ね返していく。

 

 

「ぅ、お姉ちゃんっ、あの人もバケモノなの?」

「ひぃぃうぅぅ……!」

「こわ、こわいよっ、お父さんっ!」

 

 

「あー、もうっ、仕方ないなぁ!」

 

 

 恐怖でパニックを起こしそうな幼子たち。

 無理もない。先ほどまでキャスターに捕らえられて、ようやく解放されたばかりなのだ。まだ助け出したリーゼロッテのことさえ信頼しきれていない、そこに銃声をバラ撒く黒服の男が現れては恐怖でおかしくなっても仕方ない。むしろ成人でも頭がおかしくなるに違いない。

 それはともかく結界内で暴れられでもしたら迷惑だと、袖口に隠しておいた小粒の宝石を子供たちの結界へと放り投げた。小さく呪文を唱えるとそれが砕け散り、子供たちの悲鳴が聞こえなくなった。

 

 

「一時しのぎの遮音結界だけど、これくらいの雑音は防げるだろうから静かにしててね。大丈夫だからさ」

 

 

 物理結界の上から被せるように別の結界を発動させ、たちまちに同化させる。切嗣からの攻撃に気をやりながらリーゼロッテはその作業を完了させていた。結界に長けた魔術師だからこその芸当である。

 やれやれと肩を落とし、少女は未だに弾丸を叩きつけてくる魔術師殺しへと呆れたような視線を向けた。

 

 

「言っとくけど私の結界に穴はない。いくら鉛玉をぶつけたところで、この物理障壁に脆弱な部分はどこにもないよ。それこそ衛宮切嗣、君のためにデザインした結界なんだからさ」

「……どうやらそうらしいな。まるで装甲車を相手にしているようだ」

「ふふんっ、もっと悔しがっても良いんだけどねぇ」

 

 

 得意気なリーゼロッテだがランサーからの助言が無ければ、ここまで物理に特化した結界など用意しなかっただろう。魔術に対する防御がほとんどない、それこそ現代兵器に対応した障壁など準備してくるわけがないのだ。あくまでも聖杯戦争は『魔術師』による戦いなのだから。

 

 恐らく前回のランサーのマスターは、馴れない現代兵器との戦いによって不覚を取ったのだろうと予想する。しっかりと対策を施してやれば何とかなるもの、こちらからは攻めずにこのまま防御に徹するとしよう。それならランサーの戦いが終わるまでは持ちこたえられそうだ。

 その甘い考えこそが、戦闘経験の浅さを物語っていることに少女は気づけない。そのスキを突くように、魔術師殺しは『それ』を取り出していた。

 

 

「ーーーだが、僕にとってはお前がそこを動けないと分かっただけで十分だ」

 

 

 ガコン、と嫌な音がした。

 キャリコを手放した切嗣の手に握りしめられているのは、先程とは別の銃器。現代兵器に疎いリーゼロッテは『その銃』がどんな怪物的な性能を持っているのか分からなかった。それは非常にシンプルな構造をした大型の拳銃ともいうべきもので、少ないパーツの交換だけで様々な弾種を使用できるようになる、元々は競技用に作られたとされる銃。それは今や『大口径のライフル弾』が発射できるようにされていた。

 直感から何かを感じ取り、咄嗟に身を翻した少女へと暗殺者は無慈悲に引き金を引く。

 

 

 ーーーですがもし、セイバーのマスターと遭遇した場合は必ず令呪でこのディルムッドを呼んでくださいますよう。あの男は『危険』です。

 

 

 それこそ衛宮切嗣が魔術師殺しと言われる所以、その理由の一つ。彼自らが法外な改造を施した魔銃、その名はトンプソン・コンテンダーという。

 

 

 

 ガラスを叩き割ったような音が、夜の闇に鳴り響く。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その光景を見た時、まるで騎士道物語のようだと吐き捨てた。拐われた子供を救い出すために敵の陣地へと踏み込んだ双槍のサーヴァント、そして金髪赤目のマスター。全員とはいかなかったが、自分の目の前で連中は殺される運命にあった幼子らを見事に助け出したのだ。

 彼らには既に一度、手札を攻略された経験があることを鑑みても実に実に鮮やかな手並みだった。

 

 多くの命が救われた、しかも掛け値無しの悪党の手からである。教義の対立、権力間の紛争、下らない国家のプライド、そんなものは一切存在しない。ただただ胸のすくような『正義』がそこにあった。それが堪らなく気に食わない。かつての自分を、そして『あの少女』を思い出させるような彼ら主従の振る舞いをジル・ド・レェは激しく嫌悪した。

 

 

「ォォオオオオオオオッ! 空虚な神よ、無力な天上の主よっ、貴方はまた私にこのような恥辱を与え給うのか!!」

 

 

 魔力を流し込み、宝具をフル回転させる。

 友の声に応えた螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)が唸りをあげ、海魔を活性化させていく。彼の人生における失望と神への絶望、その二つを内包したともいえる怪書はそれ自体が強力な魔力炉である。奇代の錬金術師、プレラーティーが作成したソレは魔術師としての素養のないジル・ド・レェを一介のキャスターとして機能させるに余りあった。

 種別は『対軍』、その魔本は堕ちた救国の英雄に数十体もの海魔を同時に使役させる。

 

 

「だ、あァァァァァッ!!」

「ッ、オォォォォッ!!」

 

 

 だが、それを真正面から打ち破る影。

 男と対峙する二人の騎士、円卓の騎士王とフィオナの勇者は怒涛の勢いで海魔の悉くを切り伏せていく。暴風のごとき剣戟、軽やかな風のような槍技が深海の魔物を寄せ付けない。セイバーとランサー、共に近接戦闘において屈指のチカラを発揮するクラスである。その二騎が肩を並べて戦っている時点で、もはや白兵戦において他のクラスのサーヴァントが勝利を治めることは不可能に近い。

 悠々と最後の海魔を斬り伏せ、騎士たちは刃を外道へと煌めかせる。

 

 

「貴様の宗教観になど興味はないが、その行いは騎士として見逃せるわけもない。このまま貴様は我らに討たれろ、キャスター」

「待て、その前にコイツには工房の位置を吐いてもらわなければならんぞ、セイバー。まだ人質が捕まっている可能性がある」

 

 

 まさに一騎当千、一切の傷を負うことなく使い魔を全滅させた二騎はキャスターを睨めつけていた。戦況は圧倒的である。

 

 だがその一方でランサーの心中は複雑だった。その視線は自らの右腕へと注がれる。 

 

 未だに紐解かれぬ己の魔槍、これを使えばキャスターを仕留める事も可能だろう。あの怪書の致命的な弱点は一瞬でも魔力供給が途絶えれば、使い魔が全て消滅するところにある。魔力を断つチカラのある破魔の紅薔薇(ゲイジャルグ)はそれを成すことが出来るのだ。

 

 

「しかし……それでは」

 

 

 右手の赤槍を握りしめる。

 リーゼロッテからのオーダーは『キャスターを逃がすこと』。ランサーの知る聖杯戦争とは違い、無傷のセイバーであればキャスターをこの場で打倒する可能性がある。遠坂陣営を探るための時間を稼ぐためにもそれは防がなければならなかった。故に自分たちはこの戦いに干渉したのだ。そしてそれならばと、リーゼロッテの命令にランサーは自らの望みであった『子供たちを救うこと』を足し合わせた結果が今の状況だ。

 そして半数だけでも、子供たちの救出は成功した。本来なら一人も助からなかった状況からすれば、現状は以前より遥かに好転している。あとは主の命令通りにキャスターを上手く取り逃がせばいいだけなのだ。

 だが、胸の内にて燻ぶる想いは誤魔化しようもない。

 

 

「どうかしたのか、ランサー?」

「いや、すまん、何でもない」

 

 

 セイバーの問いに首を振る。

 このままキャスターを見逃せば、この男はまた惨劇を起こすだろう。最善を尽くすなら是が非でもここで討ち取らなければならない。しかし、それではリーゼロッテの作戦が足元から瓦解する。アーチャーに今のままで挑むことに成り兼ねないのだ。僅かでも主の勝率を上げるためには、この先に犠牲になるかもしれない罪なき民を見殺しにしなければならない。

 

 全てを望むのは贅沢にすぎるというのは分かっているし、サーヴァントとして最も優先すべき存在が誰なのかも痛いほど理解している。だがそれでも生前の英雄としての在り方がディルムッドの心を締め付けていた。それはサーヴァントならば誰しもが、それこそ英雄王でさえ逃れられぬ宿命なのだ。

 妙な違和感を感じたのは、そんな葛藤に身を苛まれていた時。

 

 

「ーーー主?」

 

 

 ざわめく魔力の奔流、わずかに淀んだ自分たちのパス。乱れは一瞬のことですぐに魔力供給は元に戻り、相変わらず身体を頼もしいくらいに満たしている。気のせいだろうか、ディルムッドはキャスターのことも忘れて不意に西の空を見上げた。

 リーゼロッテは子供たちを連れて、今頃は森の何処かで待機しているはずである。周囲に自分たち以外のサーヴァントの気配はなく、そして死を偽装しているアサシンは恐らくまだ表立って動くことはないだろう。ここで自分たちがキャスターを相手取っている以上、リーゼロッテを脅かすサーヴァントはいないはずだ。

 仮に『あの男』が現れたならば、すぐに自分を令呪で呼ぶように少女には伝えてある。奇襲となる狙撃もこの森の中ならば行えまい、真正面から来たとしても結界で足止めをすれば令呪を使うスキくらいはある。何も心配はいらないはずだ。

 

 

 それでも何か嫌な予感がする、そんな曖昧な感情をディルムッド・オディナは感じていた。

 

 

 

 

 




切嗣さん反撃タイム
次回は彼の覚悟が語られると同時に外道スタイルのターン、読み切りの時に書いていた予告が現実になりそうです。


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第十八話:理想の果てに至る者

予告通りに切嗣さん外道タイム。
苦手な方はご注意ください。


 ここまでやるかと、切嗣は心の底で呟いた。

 

 まず鉛玉の返礼に贈られたのは、人間を丸ごとローストどころか炭に変えてしまう火力の宝石。二重加速により、どうにか回避したがもう少しで消し炭になるところだった。正直なところ、辺り一面を吹き飛ばしてきた倉庫街の時といい、この少女は自分に対してあまりにも容赦がない。あそまで火力がなくても自分は死ねる、それはもう間違いなく。当たるか当たらないかの違いであり、もはや威力の問題ではない。

 しかし今、

 

 

 ーーー視界には倒れ伏したリーゼロッテの姿があった。

 

 

 金髪を土に汚しながらうつ伏せになって動かないランサーのマスター。仕留めたのか、という期待は浮かんでこなかった。そもそも『当たっていない』のに死ぬはずがないのだ。

 ゆっくりとリーゼロッテがドレスから土埃を払いながら立ち上がるのを、切嗣は呆れた様子で見送った。すると口元を引き攣らせて魔術師の少女は恨みがましい視線をぶつけてくる。

 

 

「……ここまでの威力とは恐れいったよ、大したものだね」

「いや、その台詞はおかしい」

 

 

 リーゼロッテは無傷だった。

 その様子を確認して、ツッコミを入れた切嗣は焦げ付いた地面を革靴で踏みしめる。クモの巣状にひび割れた障壁、その一枚を越えた先で弾丸は止められていた。

 予想はしていたのだが、やはり結界は『多重式』だったらしい。流石の愛銃も物理特化の防弾障壁を何枚も破壊することは出来ない。音から推測するに一枚から二枚程度を砕いたところでコンテンダーの銃弾は力尽きたのだろう。

 凄まじい堅牢さである、ここまでの守護壁は封印指定の魔術師を除けばまず出会うことのないレベルだ。それなのにコイツは何故飛び退いたのだろう、そっちがよく分からない。また無駄に警戒させたのかと予想する。

 

 

「コイツは正面から向かっても破れないな。動く工房を相手にしているとでも認識を改める必要がありそうだ」

 

 

 しかし、何でまたここまで自分は警戒されてしまっているのか。これがアサシンのマスター、言峰綺礼に対してならまだ分かる。最近まで代行者として数々の魔術師を血溜まりに沈めていた男だ。それに比べて切嗣が魔術師殺しとして活動していたのは九年以上も前、この年若い魔術師が詳しく知っているはずもない。

 何度記憶を洗ってもロストノート家の人間を殺害した覚えはないし、ましてこの少女に関わった記録もない。あずかり知らぬ所で親か兄妹でも爆殺してしまったのだろうか。

 

 

「もう一度だけ問おう。お前は一体、何者だ?」

「私は単なる魔術師さ、私はね」

「……私は?」

 

 

 何世代にも渡り、研鑽を積み続ける魔術師は己の秘術に誇りを持っている。それを現代兵器で打ち負かされるという事実は、彼らに大きな困惑を与えるはずだ。それなのにリーゼロッテの赤い瞳には動揺が欠片も映っていない。

 ようやく切嗣も気づく。リーゼロッテもまた言峰綺礼と同じく、常道から外れた厄介な敵であるのだと。

 

 

「……やはり、お前はここで仕留めるべき相手らしい」

「やれるものならやってみなよ。護りに関してだけは、どのマスターにも私は負けやしないから」

 

 

「ーーーっ、っ!」

「ーーーーーぅ!!」

 

 

 少女の背後では震えている大勢の子供たち。

 音を遮断されているためこちらの会話や戦闘音は聴こえないようだが、鬼気迫る空気は伝わっている。どの少年少女も目に涙を浮かべていた、そしてその原因の一旦は自分にあるのだろう。

 不意に愛娘のことを切嗣は思い出す。イリヤスフィール、あの子は切嗣にとって自分の命などより数千倍は大切な存在である。あの娘を失うなんてことは考えるだけでゾッとする、それくらい愛している娘なのだ。そんな少女と、目の前で泣きじゃくる子供たちとが重なっていく。かつての自分にはなかった親心というモノなのだろう。

 舌打ちをしてから撃鉄を叩き落とす。

 

 

「っ、君は一体何を………!?」

「やはり、こちらの結界は本人用よりはお粗末らしいな。助かった」

 

 

 信じられないといった表情の少女。

 切嗣の弾丸はあろうことか『背後の子供たち』を狙っていた。元々が対キャスターのために張られていた結界が砕け散る。しかも魔術対策のモノは残り、物理障壁のみが消滅したのだ。それはつまり子供たちの動きを制限するものが無くなったということである。

 

 

「あ、ちょっ、みんな落ち着いて!!」

 

 

 リーゼロッテの叫びも遅かった。少年が一人、この場から逃げ出そうと結界の範囲から出てしまった。銃撃戦と魔術戦、その二つを肌で味わわされて尚、生き残ろうとする本能に従った少年を誰が責められよう。何とか両親の元へと帰りたいと願った子の想いを。

 しかし結界から抜け出て数歩、そこで少年は自らの身体をかき抱くようにして立ち止まる。

 

 

「ーーーーあ、ガァァぁァァオオァァァ!!?」

 

 

 見開かれた両眼、喉がはち切れんばかりの悲鳴。

 少年に続こうとしていた子供たちが凍りついたように固まる中、彼の身体が弾けた。そして卵から雛が孵るように、或いは寄生虫が宿主から這い出てくるように、少年の身体を喰い破って現れたのは海魔だった。

 そのグロテスクな光景を、魔術師殺しは冷徹に観察していた。

 

 

「そこの幼児たち、恐らくはキャスターによって生贄の術式を体内に仕込まれているな。お前の結界がなければすぐにでも海魔が体内から出て来るということか」

「そこまで分かってて何やってるのさっ、このまま教会に連れて行って解呪しなきゃならなかったのに!!」

「他の子供は放っておいていいのか?」

「くっ、このっ、………動くなぁぁぁ!!」

 

 

 必死の呼び止めも虚しく、次々と化け物に成り果てていく幼子たち。

 ある者は最初の海魔に恐れをなして、ある者は他の子供が逃げる様子につられて、リーゼロッテの守護から離れていく。切嗣によって物理結界は失われ、魔力のない子供たちでも結界を越えることが出来るようになってしまった。

 このままではランサーとの約束が守れない。彼の誇りに制限をかけてまで今回の作戦を立てたというのに自分が下手を打ってどうする。焦る気持ちを飲み込んで、まだ結界内に残っている子供へと『魔眼』を掛けて眠らせる。そして海魔を寄せ付けぬように、リーゼロッテは簡易な物理結界を構築させていく。

 こちらへ襲い掛かってくる個体は宝石にて焼き払う。距離が近い、紫色の体液に全身が濡れる。ヘドロのような不快で酷い匂いだ、それでも気にしている余裕はない。

 結界に魔眼に宝石、突然の自体にリーゼロッテは魔術回路の殆どを起動させていた。

 

 

 

 ーーーああ、信念やら誇りを持った相手を仕留めるのはこんなにも容易い。

 

 

 

 そんな少女の奮闘を切嗣は冷笑する。

 子供を守るために少女は切嗣に意識を割けていない。トンプソン・コンテンダーを防いだことで優先順位を下げたのだろう。ますます格好の獲物である、わざわざ見逃す理由はどこにもない。

 ここでこの少女を仕留めれば、ランサー陣営とライダー陣営の同盟は崩壊する。そしてライダーのマスターが本当にリーゼロッテの学友であるならば、友の死に動揺するに違いない。ライダーを仕留める足掛かりになるかもしれないのだ。

 だが、リーゼロッテを倒せば残りの罪の無い少年少女を皆殺しにすることにもなるだろう。

 

 

「世界平和と数人の命、そんなものは天秤に掛けるまでもないことだ」

 

 

 銃を構えたまま、切嗣は右腕を胸の内ポケットへと差し込んだ。指先に触れたのは冷たい金属の感触、『コレ』を叩き込むことが出来れば勝敗は決する。切嗣によって法外な改造をされたコンテンダー、その真価は単なる威力ではない。それ以上に魔術師に致命的となる一撃が、あるのだ。

 

 コンテンダーに『本命』を装填する。

 魔術に長けた相手ならば現代兵器にて始末する。狙撃に爆殺、夜襲に毒殺、何一つとして相手の土俵にては勝負をせず、外道の法にて命と誇りを踏みにじる。衛宮切嗣はそれを最短にして最善の戦法であると確信している。

 狙いは直線、魔術師の少女を守る結界。貫く必要はない、ただ防御してくれさえすればそれでいい。相手の魔力に干渉し魔術回路を組み替える猛毒、対象が『より多くの魔力を消費している時』に打ち込めば最大の殺傷力を発揮する魔弾。そのために子供を狙ったのだ。この世界に六十六発しか存在せず、うち三十七発がすでに使用されている切嗣固有の魔術の結晶。

 その名はーーー。

 

 

「ーーーー起源弾」

 

 

 破滅をもたらす黄金の銃弾が、男の手元から飛び立った。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「おーい、先生、先生ってばーー!」

 

 

 さっきから自分を呼ぶのは誰だと、睡魔に沈む意識の中で男は考えていた。時計塔で教鞭を取って何年になるのか、生徒を導いていく内にいつの間にかプロフェッサーだの何だのと呼ばれるようになった。ロードの一人にまで成り上がり、かつて少年時代に抱いていた野望は概ね達成したと言っていい。

 そんな自分に近づく者は生徒にも、同僚にも上層部にも数多い。だが今の声は知人の誰とも違っていた。机にうつ伏せになりながら首を傾げるという器用なことをやってのけた男は、不機嫌そうに顔を上げた。

 

 

「あ、やっと起きたね。おはよう先生、今日は何の授業をしてくれるの?」

 

 

 そこにいたのは燃え盛る赤髪をした少年。

 太陽のような笑みを貼り付けて、自分へと微笑みかけてくる姿からは随分と人懐っこい印象を受けた。そのままむくりと起き上がり、ボサボサの髪を押さえて男は部屋を見回す。時計塔の自室ではない、『とある事態』に巻き込まれて自分はここにいるのだった。その一連の流れをようやく思い出して深い溜め息をつく。

 

 

「すまん、少しばかり寝坊したらしい」

「気にしないでいいよ、昨晩も遅くまで魔術の研究をしてたんでしょ?」

「……いや、積みゲーの消化だ」

「あ、うん、そうなんだね」

 

 

 若干、引かれた気がしたのは勘違いではないのだろう。しかし仕方ないではないか、ここに来てからというもの毎日が働き詰めだったのだ。頼りないトップを常にサポートし、更に頼りない下っ端をサポートする。面倒くさいが自分しかいないから仕方なくやっている、そのあたりは時計塔にいた頃と待遇は変わらない。

 男はシワになってしまったシャツを隠すように上着を纏う、かつて目指した『あの王』と同じ色の赤いコート。それを着込んで椅子から立ち上がる。

 

 

「それでは授業を始めようか、アレキサンダー」

「うんっ、エルメロイ先生!」

 

 

 覇王の兆しをその身に宿した無垢なる少年、その名はアレキサンダー。あどけなさを残した風貌からは子供らしさを、そして情熱的な赤髪と赤い瞳からは聡明さを感じさせる。算術や兵術、馬術や哲学に至るまであらゆる才能に恵まれたマケドニアの王子。

 これが十年後にはあの征服しか頭にない筋肉ダルマになるのだから、時の流れとは恐ろしい。いや正しくは少年の持つ第二の宝具、『神の祝福(ゼウス・ファンダー)』の方か。まったく神とはいつの時代もクレイジーなものである。頭の沸騰した月の女神やら、倫理観が水平線の果てまでブッ飛んだ蛇の姉妹やら、ロクな連中がいない。

 ここに来てますます不信心が極まった気がする。

 

 

「今日は現代魔術についてだったな」

「うん……ねぇ、先生。前から思っていたんだけど『そのペンダント』って何なの? サーヴァントとして召喚されても持っているんだから、相当縁の深いものなんでしょ。赤い外套の人と同じ感じだったりするのかな」

 

 

 アレキサンダーが指差したのは、自分の胸元で揺れる大粒のオパールだった。ああ、そうか。説明は不要だと思っていたのだが、この姿の彼には必要だったのかと男は納得する。以前、彼には話したので失念していた、自分らしくないミスである。苦笑しながら男性、ロードエルメロイ二世は口を開く。

 

 

「そうだな、これは私のーーーー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーい、坊主……そろそろ起きんか、貴様っ!」

「ぶべらっ!?」

 

 

 額に凄まじい衝撃が走って目を覚ます。

 そのまま後ろ向きに回転して、思いっきり戦車の角に身体をぶつけた。情けない悲鳴を上げてウェイバーは頭を押さえながらのたうち回る。そんな彼を見下ろしながらマント姿の大男、征服王イスカンダルは呆れた表情を浮かべていた。

 

 

「何だ、これくらいで飛ぶとはしょうがない奴だのぅ。もうちっと踏ん張れるように体躯を鍛えた方が良いぞ、あとは睡眠時間を増やしておけ。敵を探している時にうたた寝とは感心せぬからな」

「お、ま、え、の! 戦車の運転が荒すぎて気絶したんだろうがぁぁぁぁーーー!!!」

 

 

 月を見上げて夜風の中。

 ここは冬木市の上空だ、そういえば自分たちはキャスターを探して家を飛び出していたのだったと思い出す。好敵手、リーゼロッテに負けないようにと熱意に満ちて索敵に出たのだった。それを受けてなのかもしれないが、満面の笑みになったライダーが暴走。どこのバーサーカーかと思うほどのアクロバットな飛行を繰り返し、キャスターを探し回ったのだ。

 とりあえず月が足下に見えたあたりまでは記憶があったと思う。

 

 

「ぐわははっ、悪い悪い。余も久しぶりに興が乗ってな、家臣たちとのチャリオットレースを思い出してしまったわい!」

「絶対に周囲へ迷惑かけまくってただろ、それ」

「気にするでない。野の一つや山の二つ、そのうち再生しようぞ。何せ数百人でのレースだったからな、多少は仕方あるまいて」

「思ったより被害がデカイな!?」

 

 

 まあ、この大王のことだ。

 何だかんだで周囲の村々とも折り合いをつけたのだろう。暴君であって名君、好き勝手に生きながらも結果として周囲を巻き込んで幸せをもらたす大英雄。そんな男だから多くの者たちが忠義を捧げ、同じ夢を見た。燃えるような赤髪と瞳はサーヴァントとして召喚されて尚、情熱に溢れている。

 何故か、別の『誰か』と姿が重なった。こんな大男ではなく、自分と同じくらいの背丈をした少年の姿が瞼に浮かぶ。知識に貪欲で才能に恵まれた神童だった、そしてもう一人の男性。

 さっきの夢は何だったのだろうか、記憶はおぼろげで殆ど覚えていないがもう一人の男性は『理想』とする自分の姿に近いものがあった気がする。何にせよ、今の自分は前に進むまでだ。

 

 

 ーーーそのためにも、まずはアイツを越える。

 

 

 現在のウェイバーにとっての目標。まずはあの少女に、この聖杯戦争で少しくらいは追いついてやる。せめてその影を踏めるくらいには成長してやる。リーゼロッテ・ロストノート、今まではあの少女を目指して歩き続けてきた、いつの日にか肩を並べてやるのだ。

 その時にこそ伝えたい言葉もあるのだからと、何も知らない少年は息巻いていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「こんなものか」

 

 

 ポツリと言葉を零す。

 時間が止まってしまったかのような静寂、そんな闇の中へ切嗣は暗い視線を投げかけていた。周囲にはバラバラになった海魔の死体、宝石の火力で焼かれたモノと銃弾で仕留められたモノがある。そして食い散らかされたような子供たちの遺体、最後まで助けを求めるように延ばされた腕は途中で千切れていた。

 苦虫を噛み潰すように魔術師殺しは表情を歪める。そしてすぐにそんな自分を自嘲した。

 

 

「……はっ、同情なんて何様のつもりだ、僕は」

 

 

 憐れみの感情など許されない。

 この惨状を作ったのはキャスターではない、他ならぬ自分自身なのだ。木々の根は血に濡れ、地面には肉片が転がっている。いつの間にか自分は地獄に堕ちたのだろうか、世界を救ったあとなら構わないと思う。自分にはそれだけの罪があるのだから。

 そして重々しく切嗣は視線を上げた。

 

 

「ーーーーっ、っ!」

「ーーーーー!」

 

 

 目の前には、結界に囲まれた数人の幼子たち。

 海魔にならず、海魔に襲われずに生き残った者も少数ながらいたようだ。さぞ怖かっただろう、恐ろしかっただろう。キャスターの宝具の影響を取り除き、記憶を操作してもこの子たちは日常に戻れないかもしれない。だが聖杯があれば、それも解決できるはずだ。切嗣の願いは『世界を救う』ことなのだから。

 

 

「ぅ……ぐ」

「驚いたな、まだ意識があるのか」

 

 

 冷めた視線の先には水溜まり。

 青いドレスはどす黒く染まり、しなやかな手足は力無く地面に投げ出されてピクリとも動かない。全身を体液に濡らしながら魔術師の少女、リーゼロッテは倒れ伏していた。

 

 




Fate/Grand Orderネタを使わせていただきました。
ちなみに自分はディルムッドをサポート枠に入れていたりします。
今回は現役時代より心身共に衰えているということなので、切嗣さんに少し葛藤してもらいました。


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第十九話:誓いの双槍

 果てしなく続く剣戟と槍戟。

 不可視の一閃と紅黄の二閃はお互いの隙を補い合うがごとく見事な連携でもって、海魔を一切寄せつけない。正面から切り伏せる騎士王の剣は豪快に、軽やかな風のごときフィオナの双槍は鋭く、キャスターの使い魔を狩り取っていく。

 近接戦闘に特化したサーヴァント二騎による攻撃は凄まじく、その殲滅速度は遂には海魔の召喚速度を上回りつつあった。何一つ思い通りに事が進まないことを嘆く青髭は天を見上げて絶叫する。

 

 

「ぐ、ぐぅぅぅぬっ! 何故、何故なのですっ、どうして救済を受け入れぬのですっ、ジャンヌゥッ!!」

「だから人違いだと言っているだろう!!」

「奴の言葉を相手にするな、セイバー!」

 

 

 蒼い騎士王が現れてからというもの、キャスターはずっとこの調子だ。存在しないサーヴァントの名を呼んでは一喜一憂を繰り返す。精神に変調を来たしているのは明らかなのだが、それにしても解せぬ行動であった。

 オルレアンの乙女、フランスにおける英雄であるジャンヌ・ダルク。単なる村娘の出身でありながら神の啓示を受け、故郷を救うために救済の旗を掲げた聖女。数少ない『調停者(ルーラー)』に適正を持つ少女でもある。セイバーとして招かれる可能性も僅かにあるものの、通常の聖杯戦争で召喚されることは殆ど無く、聖杯戦争そのものが危機に陥った場合にのみ現れる特別な存在だ。

 

 

「ふっ、生前を共に過ごした奴が間違えるのならば、かの聖女はお前と似て清廉な騎士であったのだろうな。もしくは魂の在り方が瓜二つなのか、いずれにしろ一目会ってみたいものだ」

「そんなことを口にしている場合ではないだろうっ、ランサー!」

 

 

 海魔を蹴散らしながら、冗談めかした言葉をかけてきたディルムッドに今度はセイバーが苦言を呈する。いくら押しているとはいえ状況は一進一退、少しでも手を抜けば海魔どもが剣と槍の包囲網を食い破り自分たちに牙を届かせるであろう。焦燥に駆られて刃を鈍らせるよりは良い、しかし油断があるのなら正してもらわなければ困る。生真面目な彼女にとって、ランサーの一言はあまり好ましく思えるものではなかった。最悪の場合は聖剣の解放を考えるほどには、セイバーはここでキャスターを討つ覚悟でいるのだから。

 

 

「軽率な発言だったな、すまん。しかし何か策はあるのか、セイバー?」

 

 

 ランサーもまた考えあぐねていた。

 いくら斬り倒しても新しい個体が召喚される、このままでは数を削り切った頃には日が昇ってしまうだろう。しかもマスターからは『まだキャスターを倒さないように』とのオーダーまで下されている。つまり目の前の男をただ単に打倒するのではなく、討ち取る前に形勢不利だと思わせて敗走させなければならない。そのために必要な決定的なピースが足りない。

 時間をかければ、なんとかなるだろう。しかし先程から感じている胸騒ぎは収まらない。不気味に森の木々がざわめいているのは、海魔どものせいだけではないだろう。

 この森には、嫌な記憶がある。

 

 

「っ、ケイネス殿……」

 

 

 頭をよぎるのは、前回のマスター。

 この時代にて存在する魔術師たちの総本山。ロンドンにある時計塔は底知れぬ闇が渦巻く魔窟である。その場所にて十一人存在する君主こそが『ロード』であり、ケイネスは鉱石課の支配者にして名門貴族アーチボルト家当主であった。現代魔術師の最高峰に席を持つ輝かしき男、戦闘経験は浅かったものの実力そのものはサーヴァントの目から判断してもそれなりのモノだった。

 だからこそあの夜、ディルムッドは彼が単独でアインツベルンの城に乗り込むことに異議を唱えなかった。いざとなれば令呪で自分を呼んでくれれば良いし、自分が駆けつけるまで生き残るだけの実力はあると踏んだのだ。しかしケイネスは敗北し、あろうことか魔術師として『再起不能』にまで陥れられた。

 他ならぬセイバーのマスター、衛宮切嗣によって。

 

 

「だぁぁぁぁっ!!」

 

 

 不可視の剣が闇を裂く。

 お互いの背中を預けるように戦う自分たちは、やろうと思えばお互いを楽々と討ち取ることが出来る。ちらりと目をやれば凛々しい女騎士の白いうなじが無防備に視界へ入ってきた。『その後の経緯』も考えれば闇討ち同然に彼女へ刃を突き立てても、あらゆる手段を講じて切嗣を仕留めてもおかしくは無かっただろう。

 だが、ディルムッドはそうしなかった。元よりあの暗殺者は自分のやり方で勝ちを拾ったまで、それによって無様に敗北したのは己の責である。騎士道を貫くなら前回の自分はあらゆる外道行為を事前に予測し、封じるだけの立ち回りが必要だったのだ。故にランサーは切嗣に割り切れぬ感情こそ抱いていたが、恨みまでは持ち越すことをしなかった。かつて主君フィンとの間に生じた確執と裏切りを受け入れたように、英雄としての在り方を崩さなかったのだ。

 だが、

 

 

「ーーーっ、主!!?」

 

 

 だが、もし仮にリーゼロッテに『同じこと』が起こったならば自分は果たして冷静でいられるだろうか。魂が燃え尽きる寸前に掴んだ忠義の道、無様に敗北した自分を受け入れてくれたあの少女に。

 マスターからの魔力パスが大きく乱れたその瞬間、懸念は現実のものとなり問いかけは実感へと変わる。溢れんばかりに霊基を満たしていたチカラはまるでホースに穴を開けられたかのように減退し、思わずランサーは動きを止める。その隙を突いて何体かの海魔が襲い掛かってきたが、セイバーがランサーを庇うように身をねじ込み怪異を斬り倒す。

 

 

「ランサーっ、貴方は何をしている!?」

 

 

 更に襲い来る第二陣へと踏み込みながら、蒼い騎士王は問いかける。もはやこれまでの戦闘でランサーの実力が自らの率いた円卓の騎士にも劣らぬものであることは把握した、そんな彼が戦場で突如として足を止めるなど余程のことがあったとしか思えない。故にセイバーはランサーの顔を見ることなく疑問を投げかける。貴方ほどの戦士が取り乱すとは如何なる事態なのかと。

 槍の騎士から言葉での返答は無かった、その代わりに彼は無言でセイバーに並び立つ。恐ろしいほどの美麗を持つ顔には隠しきれない影が刻まれている。麗しの槍騎士は宝具たる槍を強く握りしめた。

 

 

「……セイバーよ」

 

 

 その一言で空気が軋む、これまで涼やかな風のごとく振る舞っていた彼からは想像も付かない殺気。それを認識した瞬間、セイバーは隣に佇むランサーへと大きく意識を割いていた。鷹のように引き絞られた双眸、そして何かを覚悟したかのような表情がそこにはある。

 少なからず信頼を置いていたサーヴァントの変貌に、騎士王は僅かな警戒を抱く。まさか令呪でも使われたのではなかろうかと疑ったのだ。三回の絶対命令権たる令呪、それを使えばどれほどサーヴァントが拒否したとしても理不尽な命令を実行させることができる。もちろん、そんなことをしたマスターには相互不和による自滅が待ち構えているのだが、そのことを理解している魔術師が果たしてどれほどいるのか。

 しかし、ランサーがセイバーへと持ちかけたのは意外な言葉だった。

 

 

「セイバー、これから目にすること耳にすることを他言せぬと誓ってくれ。他の陣営はもちろんのことお前のマスターにもだ」 

「……どういうことだ、ランサー?」

「事情が変わった、俺は一刻も早くマスターと合流せねばならない。故にーーー」

 

 

 ドクンと大気が脈打った。

 大いなるマナの奔流が収束し、歓喜するようにランサーの周囲へと集まっていく。何事が起こったかなど考える必要は無い。必然と引き寄せられたセイバーの緑眼に映ったのは、血のように紅い長槍と黄金の短槍がようやく呼吸するのを許されたというばかりに輝かしい魔力を纏っている姿。双槍に巻かれていた封印の札は悉く剥がれ落ち、剥き出しの刃が遥かな神代の気配を吐き出していた。

 

 

「故に、我が宝具を開帳する」

 

 

 両翼のごとくに広げられる二振りの魔槍。

 宝具とはサーヴァントの絶対的な切り札であり、自らの伝説や生き様を形にした存在とも表される。ならば人ならざる者によって刻まれた旧きルーン文字は彼が神話に生きた英雄であることを象徴していた。本来ならば真名を隠すために何よりも秘匿せねばならないモノで、リーゼロッテからも使用は緊急時を除いて控えるように言及されていた。

 だが、そのマスターの身に『何かが起こった』。その事実が緊急性を要する以外の何物であろうか、いや最優先で対応すべき事柄であろう。

 

 

「悪いがキャスターよ、貴様と遊んでやる余裕が無くなった。ここから先は取りにいかせてもらう。我が絶技、座に戻る手土産にでもするがいい」

 

 

 ドルイドである養父アンガスより譲られた対魔の紅槍。妖精王マナマーン・マック・リールより贈られた呪いの黄槍。生前より数々の難敵を討ち破ってきた双槍がディルムッドの覚悟に応えるかのように脈動する。

 まだ魔力のパスは健在だ、まだあの少女は無事でいるはずだと己に言い聞かせるようにフィオナの勇士は切り札を解き放つ。

 

 

◇◇◇

 

 

「これが切嗣、あなたのやり方なのね………」

 

 

 アインツベルン城の一室。

 水晶玉に映る凄惨な光景にアイリスフィールは言葉を失っていた。透明な輝きの中に浮かび上がるのは血みどろの地獄絵図そのものだ。幼い子供たちの一部が散乱し、それらを食い散らかした多手の化け物が焼け死んでいる。淀んだ魔力が霧のように充満する映像から生命の鼓動は聞こえず、怨嗟のような呪いの渦が木霊する。どんな悪辣な思考を形にした絵画であろうと及ばぬであろう惨状だった。そしてそれを引き起こしたのが自らの夫である事実に、アイリスフィールは困惑する。

 

 それは悪鬼のごとき所業であった、

 それは悪夢のような光景であった、

 傍から見た彼は『悪』そのものだ。

 

 無垢なる命を踏みにじり、我欲を満たさんとする姿をそれ以外の何に形容しようか。一体だれが彼を『正義の味方』などと讃えようか、まさしく物語において主役によって討たれるべき悪党である。

 彼の戦闘方法は聞いていたし、彼を愛すると決めた日から、全ての罪は共に背負おうと誓った。それでも実際に目にするとここまで心が揺れてしまうのは覚悟が足りなかったからなのだろうか。

 

 

「……リーゼロッテ・ロストノート」

 

 

 倒れ伏すランサーのマスター。

 血溜まりにその身を沈める少女の姿は痛々しい。煌めく金髪は真紅にまみれ、華奢な手足は力なく投げ出されている。幼き命を守ろうとした者が、世界平和を願う者の凶弾によって倒される。聖杯戦争がもたらした歪な運命に、アイリスフィールは胸の奥に冷たいものを感じていた。

 倉庫街では切嗣の裏を掻き、宝石魔術によって追い詰めた難敵。それが倒れたということは自分たちは一歩、聖杯獲得へと駒を進めたことになる。それなのに納得できない部分があるのはアイリスフィールというホムンクルスに『母親』という部分が生まれてしまったからなのだろう。子供たちの犠牲がここまで胸に響く。もしイリヤがこんなことになったのなら、きっと自分は正気を失ってしまうに違いない。

 

 

「でも仕方がない、仕方ないのよ。切嗣の願いである『世界平和』を成すにはきっと、こうするしか無かった。だからまずは一騎、サーヴァントの魂を回収できて良かったと考えないと…………どういうこと?」

 

 

 ふと、違和感に気づく。

 恐らくリーゼロッテが受けたダメージは致命傷だろう、切嗣が満を持して放った切り札なのだ。ならば彼女と繋がっているランサーもまた今頃は魔力切れで消滅しているはずだ。多量の魔力を消費する戦闘中にマスターを失ったサーヴァントが現界をそう保っていられるはずがない。そうでなくてもキャスターに討ち取られているはずだ。

 それなのにーーー、

 

 

「ランサーの魂が『器』に流れ込んで、来ない?」

 

 

 アイリスフィールというホムンクルスは、聖杯戦争のために作られた存在である。その役割は勝者に与えられることとなる『聖杯』の守り手、もしくは運び屋と他のマスター達からは認識されている。しかし事実としては彼女こそが聖杯であり、アイリスフィールという人格は謂わば卵の殻のようなモノと変わりない。聖杯を内臓したホムンクルス、それが切嗣の妻の正体であった。

 詳しい説明は省くが、脱落したサーヴァントの魂は彼女の体内に収められている聖杯の器へと注がれ、それが一定量に達すれば聖杯は現れるという仕組みになっている。つまり彼女は脱落したサーヴァントの数を把握することが出来た。

 

 

「どういうこと……単独行動スキルを持つアーチャーならともかく、どうしてランサーが………切嗣ッ!?」

 

 

 その違和感の正体はすぐに解決することになる。

 次の瞬間に水晶玉へ映り込んできたのはおびただしい血飛沫と、大きく蹌踉めく夫の姿だった。血の気の引いた顔でアイリスフィールは遠見の魔術を強めていく。そして切嗣の腹部を『透明な刃』が貫いていることを確認して、思わず椅子から立ち上がっていた。

 

 

『が、ぁ……ッ!?』

『参ったね、まさか君の切り札がここまで強烈だとは思わなかったよ。彼からの前情報が無ければ、きっと即死だった……だろうさ』

 

 

 焼け付くように赤い血を流しながらも、

 それ以上に紅い瞳を瞬かせ、

 大きく片膝をついた切嗣と入れ替わるように、

 蒼白な顔をした魔術師の少女は立ち上がる。

 

 

 



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第二十話:神様の描くトラジディー

リーゼロッテの苦難は続きます


「何なんだ、お前は?」

 

 

 切嗣の起源である『切断』と『結合』。

 その二つを内包した特殊な弾丸は魔力を介することにより、対象の魔術回路を文字通りに組み替える。すなわち魔術師によって神経にも等しい器官を一度、切り裂いた上で繋ぎ合わせるのだ。

 そして起源弾の悪辣さは、この一連の過程において『元通りには回路を戻さない』ことにある。まるで医師免許のない素人がデタラメに外科手術をするように、回路を再生させるのだ。故に魔術回路は正常な流れを完全に失い、行き場を無くした魔力は暴走し、全身を自らの魔力がズタズタに引き裂くことによって魔術師を自滅させる。

 命中すれば、二度と魔術回路は役に立たなくなる。つまりそれは大抵の場合、対象にとって『魔術師としての死』を意味した。だが、

 

 

「ーーーっ、が、ぁ……ッ!」

 

 

 自らの腹部から生えている『透明な刃』に、切嗣は苦悶の声を上げる。最新鋭の防弾チョッキとまではいかないが、一応はそれなりの防具をスーツの下に仕込んでいたはずだ。それを易々と貫いてきたコレは尋常なモノではない。更なる出血を覚悟して刃から身体を引き抜くと、やはりおびただしい量の血液が地面に撒き散らされた。痛みとダメージで脱力した片膝が地面につく。

 そんな男の様子を見て、金髪の少女は幽鬼のように笑う。

 

 

「あ、ははっ……恐らくは骨か血液、そのあたりを弾に仕込んでいたといったところだろうね。起源そのものを剥き出しで武器として使うなんて馬鹿げてる。確かに君は魔術師じゃない、正しく魔術使いだ」

「っ、それがどうした。魔術なんて所詮は単なる道具だろう。そんなことより、どうしてお前はまだ魔術を使える……ッ」

 

 

 有り得ないことだった、今の一撃で確実に仕留めたはずだ。起源弾は間違いなくその効果を発揮し、全身の魔術回路を破壊している。それなのに反撃されるとは、どういうことなのか。まだ魔力が生きている、魔術師としてリーゼロッテは死んでいないということになる。

 そこまで思考を及ばせて、リーゼロッテのドレスから輝く何かが零れ落ちていることに気づく。色とりどりのガラスのような欠片たちの正体にはすぐに思い至った。迂闊だったと切嗣は歯を食いしばる。

 

 

「それは宝石の欠片、か」

「ご名答、君が何らかの形で魔術回路を破壊する術を持っているのは知っていたからね。その結果さえ分かっていれば対策まではいかなくても、予防法くらいは用意できるものさ‥‥っ、げほっ‥‥ご、ほっ」

「魔力を結界に流し込む前に、宝石を介していたのか……それなら僕の起源が完全には届かない」

「決して安くはなかったが、それでも再起不能にされるよりはマシさ。この戦闘で使用した魔術において魔力をまず宝石に流し込んでから術式を発動させていたんだから」

 

 

 それでも防ぎきれてはいない。

 幾多の魔術師を葬り去ってきた起源弾は、少女の予測を遥かに上回り魔術回路にまで効果を及ぼしていた。それは神経を直接握られたかのような激痛と、魔術行使をしばらく鈍らせる麻痺をもたらしている。しかし本来はこの程度で済まなかったはずだ、正史のケイネスとまでは行かないまでも重傷を負うはずだったのだ。

 

 起源弾を防げた理由は、リーゼロッテ自身にあった。

 

 リーゼロッテの起源は『隔絶』と『同調』、奇しくも衛宮切嗣と似通ったこれらはお互いに干渉するようにして起源弾の威力を大きく減じていたのである。単なる偶然、運命のイタズラによってリーゼロッテは一命を取り留めた。

 

 

「ふふんっ、甘かったね。私はリーゼロッテ・ロストノート。こう見えて時計塔のロードの一人であるケイネス卿から直々に指南を受けた魔術師。そう簡単に君みたいな暗殺者になんて負けはしないさ………ごほっ!?」

「…………、」

 

 

 満身創痍なのはお互い様だ。

 激しく咳き込む少女の口元からは、少なくない血液が漏れ出している。余裕があるようには思えない、起源弾は完全に防がれたわけではないのだ。間違いなく体内に何らかのダメージを与えている。こちらの腹を抉った刃が最初の一筋だけで、追撃が来ないのもその証拠だ。

 自らの全身を掻き抱くようにして、リーゼロッテは背後にあった樹木までふらつきながら後退する。そして、そのまま背中を預けて立ち竦む。饒舌なのはフェイク、あと一撃で勝負は付くのは間違いない。

 

 

「……ッ」

「僕の、勝ちだ」

 

 

 リーゼロッテに刻まれたダメージは深く、もはや魔術を使った反撃は来そうもない。ならばナイフ一本で十分だ。懐に潜り込んで首筋に刃を這わせるだけで終わりである。しかし身体が重い、地面を染めていく赤い色は全て自分の血だ。リーゼロッテが放った結界魔術を応用した刃は恐ろしいほどの切れ味で、切嗣の背中から腹部をやすやすと貫通している。このままでは、勝利どころか生存すら危うい。

 あと一撃で勝負は付くだろう。それはリーゼロッテに限った話ではなく、切嗣にも当てはまる話であった。しかし、だ。

 

 アイリスフィールから預かった『全て遠き理想郷』はこうしている間にも確実に切嗣のダメージを癒やしていく。

 

 もう少し時間があれば『固有時制御』を一度くらいなら使用可能な程度には回復できる、それまで逃げ回ることくらいは容易い。そうすれば近接戦闘で自分に負けはない。蒼白な顔色をした、目の前の少女を仕留めるくらいは造作もないことだ。それを感じ取ったのだろう、リーゼロッテが怯えるような様子で後退する。

 

 

「まだ、私はこんなところで……!」

 

 

 暗い森の中へと血まみれの少女は走り出した。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 人として、生きてみたい

 

 

 どこかの世界で孤独な王はそう願った。

 よくある話だ。人間として生まれながら人間として歩めなかった者たち、或いは人間として生まれなかったが人間に憧れてしまった者たち、叶うことのない泡沫の夢がそこにある。それこそ物語のヒロインにでもなれたなら、ヒーローが解決してくれるかもしれない。きっと何処かの世界で余命幾ばくもない少女が、魔法を超えた魔法とでも言うもので今日も救われている。

 

 だが、自分には生憎とそんな存在は現れなかったし、これからも縁のない話だろう。

 

 親愛なる騎士は騎士でしかなく、最後まで彼は一振りの槍として振る舞うのであろう。そこに最大限の信頼はあれど、夢物語のような期待はない。自分という『人もどき』を救うのは、あくまでも自分自身であり勝ち取った聖杯でなければならない。

 

 

「回路損傷、一部に致命的な欠損。回復は不可能と判断し、損傷ルートを遮断及び放棄し、予備回路を限定起動……ははっ、本当にヒドイや」

 

 

 渇いた言葉が乾いた唇から零れ落ちる。

 少なくない魔力が体内のあちこちを食い破り、皮膚を裂いて外界へと噴き出ていた。一応は『保険』を用意していたというのに、ここまでダメージを負うとは予想外だ。臓器の損傷による内出血、魔術回路だけではなく運動系の神経すら幾らか欠け落ちた。アインツベルンの森の中、偶然見つけた小屋でリーゼロッテは身体を休めている。この小屋で十年後、剣の主従が契りを交わす可能性もあるのだが、それはまた別の話だ。

 

 何をされたのかは、概ね理解した。

 

 放たれた弾丸を結界で受け止めた瞬間、魔力を介して流れ込んできたのは衛宮切嗣の起源そのものだった。『起源』とは原初にして方向性。生まれた時から定められた自らの本能とも運命とも呼べるモノ。魔術師においては、持ちうる起源によって五大属性のどれに適正があるのかが判断されることもある。例えば水に関わる起源ならば、その者は水属性の魔術に長じる才能があるということだ。

 しかし稀に、この一般的な枠に当て嵌まらない者も存在する。あの男のように。

 

 

「恐らくは骨か血液、そのあたりを弾に仕込んでいたといったところだろうね。起源そのものを剥き出しで武器として使うなんて馬鹿げてる」

 

 

 波打って襲いかかってくる痛みに全身が硬直する、血流に乗って強烈な電流が走っているようだ。それでも口だけは動かしながら、リーゼロッテは激痛で震える身体を叱咤する。予めランサーから衛宮切嗣の『奥の手』らしきモノについての情報は得ていた。彼のいうことには、前のマスターは『魔力が暴走したことにより、全身の魔術回路が破壊された』らしい。ここから魔力を介して、何らかの方法で魔術回路に働きかけるチカラを切嗣が持っていると想像するのは難しくない。

 ならば対抗策はすぐにでも思いつく。魔術を発動させる際に魔力の『中継地点』を作ってやればいい。

 

 

「それでも、防ぎきれなかった。ロード・エルメロイならともかく私にはコレが限界かな……ぁ、痛だだだっ!?」

 

 

 あと一度、引き金を引かれれば終わっていた。

 さっきのような大型の弾丸を防げるような結界を張る余力は今の自分にはない。それどころか今の状態ではもう魔術を使うこと自体が苦痛だ。キャスターと戦っているであろうランサーの実体化を維持しているだけでも、骨が焼けるような痛みが全身を蝕んでいる。一刻も早く拠点に戻って治療に専念したい。

 チラリと、手の甲に残った二画の令呪を見つめる。

 

 

「ああは言ってみたけど、ランサーの性格からしたらキャスターは見逃せないだろうなぁ。きっと今頃は首級を上げるために戦っている、なら令呪は……」

 

 

 令呪は、使いたくない。

 出来るなら今すぐにでもランサーを転移させたいが、それは彼の戦いを邪魔することになる。この聖杯戦争においてランサーが誓約したのはマスターに勝利を捧げること、そしてリーゼロッテが誓約したのは彼の騎士としての誇りを尊重することだ。ならば、外道を討とうとしているであろう騎士の戦いに横槍は入れられない。

 それに、結局は救い出せるはずだった子供たちを自分は失っている。切嗣の妨害があったとはいえ、ランサーに合わせる顔が無かった。しばらくはここで身を隠すとしよう。ちょうど身体を休められるベッドもあるのだ。

 のろのろとした動きでリーゼロッテは寝具に近づき、そのまま横になる。瞼が重い、頭が鈍い。少しでいいから休まなければならない。

 だからーーーー。

 

 

 

 

 

「くぅーっ、やっぱり俺ってばツイてるなぁ!」

 

 

 

 

 

 ナイフの刃先が首元に突きつけられた瞬間、疲労困憊であった少女は上手く反応することが出来なかった。素人が小屋に潜んでいた気配にすら気づけなかった、そんな余裕は残っていなかった。気配を察知した時には、すでに対応は後手に回りきっていた。この距離では令呪でランサーを呼ぶより、首に刃を潜らされる方が早い。

 

 

「って、君はまさか………もがっ!?」

「まさか旦那の後を追ってきて、この小屋で休んでいたら狙っていた子が満身創痍で現れるなんてなぁ。これは神様も俺の『芸術』のために背中を押してくれてるって感じ?」

「ん、むぅぅ!!」

 

 

 硝煙の匂いをさせる切嗣とは違う、血と臓物の匂いを散らかした青年が無邪気で壊れた笑みを浮かべていた。五月蝿いとばかりに口を押さえられて、リーゼロッテは言葉にならない声を上げる。ジタバタと暴れてみるが、体格が違いすぎる。男の体重でのしかかられては魔術無しでは抵抗できない、身体がマットに沈み込むばかりで動けなかった。

 少女の喉元に突きつけられたナイフと、殺人鬼の笑顔が怪しげな月の光で輝いている。

 

 

「雨生龍之介っす。職業フリーター。趣味は人殺し全般。子供とか若い女とか好きです。最近は基本に戻って剃刀とかに凝ってます………なーんて、自己紹介するくらいには俺、感謝感激してるんだぜ?」

 

 

 この世界は狂った神様が描いたクロニクル。

 人間賛歌も絶望も何もかもクリップで留めて、天の父は真っ赤に濡れたストーリーを書き散らし続ける。遠き古の世界にて、貴き魔神たちにさえ目を背けさせた人間の醜悪な歴史。その暗黒面の一柱を担うのは、こんなヒトなのかもしれない。

 

 

 この世界は神様の愛に満ちていると、そんな青年は信じている。

 

 




死の探求者、龍ちゃんのターン


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